蒼紅の決意 Re:start (零っち)
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プロローグ

蒼紅の決意の続編です。予定よりも大分早く投稿することにしました。

よければ読んでやってください。


『…逢えるかな?あたしたち』

 

『…逢えるよ。言ったろ?絶対に俺が見つけるって』

 

『そうだったな…じゃああたしも見つけやすいように頑張るよ』

 

『どう頑張るんだよそんなの』

 

『歌うしかないだろ?大声で歌う。どんなに遠くに蒼が居てもそこまで届くように歌う…だから、ちゃんと見つけてくれよ…?』

 

『大丈夫、見つけるから…――が歌ってくれるなら、俺は絶対に迎えに行くから…』

 

『なあ、蒼…』

 

『なんだ…?』

 

『好き…』

 

『俺もだよ…』

 

『ずっと、待ってるから…』

 

『ああ、絶対に迎えに行く…』

 

『『また逢おう』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はゆっくりと目を覚ます。

 

「またこの夢か……」

 

まださっき見ていた夢に意識が引きずられているような気がして、頭を何度か振る。

 

俺には物心ついた時からよく見る夢がある。

 

全く記憶にないようなバカデカイ学校にいて、そこで恋人までいる。

 

顔も名前も分からないけど、その娘のことがすごく好きで、愛おしくて、離れがたい。

 

けど何故か離れなければいけなくなる。

 

そして離れる直前になると、いつも目が覚める。

 

そんな夢。

 

目を覚ましてしばらくは彼女のことが頭から離れなくなる。

 

夢の中の俺の気持ちがそのまま残っているみたいな、そんな感覚だ。

 

「相変わらず変な夢だ…」

 

俺にはもちろんそんな記憶はない。

 

けど、何故かこの夢を見たらいつも鮮明に覚えている。他の夢なら見ても薄らぼんやりとしか覚えてないのに。

 

「お前は誰なんだよ…?」

 

なんて訊いてみてももちろん答えは返ってこない。

 

いかん。こんな夢にいつまでも引きずられてたまるか。

 

そう思い、起き上がってベッドから離れる。

 

「はぁ…ていうかまだこんな時間か」

 

ふと時計を見てみればまだ時刻は6時前後。

 

2度寝したいとこだが、この夢を見た後はとても寝る気にはなれない。

 

まあいいか。アイツらには悪いけど、先に行ってちょっと見て回ってみようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段を降りて朝飯を食べるためにリビングへ向かう。

 

リビングのテーブルには父親からの置き手紙があった。

 

相変わらず汚い字で、しばらく帰らないとだけ書いてある。

 

この前帰ってきたばかりなのに今度はどこに行ったのやら…

 

まあこれはいつものことだし気にしないでいよう。それよりも朝飯だ。

 

と言っても俺は朝はあまり食欲のないタイプなので食パンを半分にちぎり、それにバターを乗せて焼いて食うだけだ。

 

パンを食べ終わり、軽く身支度を済まして家に出る。

 

今日は俺の高校の入学式だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がこれから3年間通う百合ヶ丘学園は、家から自転車で通えるくらいの距離で、そこそこの学力がありと、俺にとってとても良い条件が揃っていたから迷わずに進学先をここに決めた。

 

俺の幼馴染みの二人もこの百合ヶ丘学園に進学しており、ついに幼稚園から高校まで全て一緒という腐れ縁になっている。

 

本当ならその幼馴染みたちと一緒に登校する約束になっていたのだが、早く起きてしまったのもありメールで先に行っていることだけ伝えておいた。

 

そして、俺は今百合ヶ丘学園の正門前に居る。

 

校門をくぐり抜けると、まるで俺を迎え入れているかのように沢山の桜の木の枝が風で揺らめいていた。

 

その歓迎に誘われるように俺は前へ前へ足を進めていた。

 

そしてぐるりと校内を1周し、自動販売機で缶コーヒーを買って一息つく。

 

「しかし広いなここは」

 

ざっと周ってみただけだけど結構時間が経ってしまった。

 

それでも夢で見るあの学校ほどじゃないが…

 

「っと、夢と比べてどうすんだっての」

 

まだ夢から覚めきっていない自分に呆れて苦笑する。

 

でも…いつかあの娘に…

 

「ちょっとそこの!」

 

「は、はい!?」

 

考え事をしていたその後ろから急に大きな声で呼ばれて慌てて返事して振り返る。

 

しまった、一人で笑ってるの見られたか?

 

そんな不安は、一瞬で吹き飛んだ。

 

振り返ると、そこには一人の女の子が立っていた。

 

肩にかかるくらいの長さの、まるで燃えているかのような深紅の髪を靡かせ、同じく深紅の色と力強さを宿す瞳でこちらをじっと見据えている。

 

その少女の姿は風に舞う桜の花びらが霞んで見えるくらい、美しいものだった。

 

「そう…なのか…?」

 

「え?な、なにが?」

 

ただでさえその容姿に圧倒されて見惚れてしまっていたところだったので思わず聞き返してしまう。

 

すると、名前も知らないその娘はとても悲しそうな顔をした。

 

その顔を見た瞬間、胸に鋭い痛みが走った。

 

何かとてつもなく取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。

 

「そうか………のか…」

 

少女は顔を隠すように俯いて何か呟いたがその声は俺には届かなかった。

 

なんと言ったのか訊こうかと思った時、彼女はいきなり顔を上げた。

 

そして

 

「柴崎蒼!」

 

「は、はい?!」

 

突然名前を呼ばれて思わず返事をしてしまう。

 

って、なんで俺の名前を…?

 

そんなことを訊く隙すら与えないほど、間髪入れずに彼女はさらにこう言った。

 

「お前が好きだ!あたしと付き合ってくれ!!」

 

 

 

 

それが俺と、後に名前を知ることになる彼女―――岩沢雅美との出逢いだ。

 

 




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「柴崎!今日も大好きだ!」

いきなり話飛びます。


その出来事から1年経ち、2年生の始業式の日。

 

今俺には重大な悩みの種がある。

 

ガラガラッと勢いよく開け放たれた扉。

 

嫌な予感をこれでもかと感じながらその音の方を見ると、満面の笑みで彼女はこちらを見ていた。

 

「げっ…」

 

「柴崎!」

 

俺のこのげっ、という呻き声は聞こえていないのか、タタタッと心底嬉しそうに俺の座る席まで駆け寄ってくる。

 

来るな来るなっ!お前の席はここじゃないだろ!

 

「柴崎!今日も大好きだ!」

 

「「「…………………」」」

 

突然の告白に周りでさっきまで騒いでいた、これから1年間を共にするクラスメイトたちは沈黙してしまった。

 

中には白い目で俺の方を見てくるやつまでいる始末だ。

 

周りの視線に顔があげられず、机に視線を移す。

 

くそっ…やっぱりこうなるのか…

 

「あー…良いから自分の席に行ってくれ…」

 

シッシと手を振る。

 

「えぇ~…せっかく一緒のクラスになったのにか?」

 

「別になりたくなかったっての…」

 

「酷いな相変わらず。でも好きだ」

 

「そりゃどうも…もうチャイム鳴るから本当に席に戻ってくれ」

 

時計を指差してそう言うと、分かった!また後でな!と元気よく席に戻ってくれた。

 

後があってたまるか…

 

と、少々げんなりしていると、今まで黙っていやがった後ろの席のやつがぷっと吹き出す。

 

「蒼、彼女が噂の子?」

 

「見たら分かるだろうが…」

 

分かりきっていることをわざわざ訊いてくる相変わらずの性格の悪さに嫌気が差しながらも答える。

 

この性格の悪い童顔男が俺の幼馴染みの一人、千里 悠。

 

童顔なのに大人びた雰囲気を醸し出し、良いやつだが性格が悪いというなんだかよく分からない奴だ。

 

幼稚園からの付き合いだが、コイツは始めからこんな風に大人びていた。

 

ちなみに彼女持ちだ。

 

「なんで告白断ったのさ?かなり美人だと思うけど?」

 

「だから何回も言ってるだろうが…俺はああいうガツガツ来るタイプは苦手なんだよ」

 

「コミュ障の童貞野郎ですもんね」

 

「誰がだ!?…って遊佐かよ」

 

いきなり横からとんでもない台詞が飛んできて思わず噛みつくも、言ってるやつが言ってるやつなので納得してしまった。

 

…いや仮にも女子に向かってその言い草もどうかと思うけど。

 

このいきなり人の品位を貶めるような暴言を無感情で言ってきた金髪ツインテールの少女が、俺のもう一人の幼馴染みの遊佐 笑美だ。

 

鉄壁のポーカーフェイスで既に学園の有名人になっている。

 

故に自分の下の名前があまり好きではないという。

 

曰く、私には美しい笑みなんて似合いません。だそうだ。

 

「で、お二人は何の話を?」

 

「何の話してるか知らずにあんなこと言ってたのかよ…」

 

「本当の事でしょう」

 

本当だからと言ってそんなことを女の子が言うのはどうなのだろう?

 

「蒼に言い寄ってくる子が同じクラスになったって話だよ」

 

「…へぇ、どの人です?」

 

「あの紅い髪の子」

 

「………………」

 

「どした?」

 

千里の指の先にいる岩沢を見た瞬間、いつものポーカーフェイスが少し崩れていた。

 

目元が引き攣り、動揺しているのが丸わかりだ。

 

「どした?」

 

「…いえ、何でもありません。あんな美人を振った柴崎さんの神経が信じられなかっただけです」

 

「ほっとけ!」

 

「もうチャイムが鳴るので席に返ります」

 

「あ、おい…なんなんだアイツは?」

 

言うだけ言って本当に席に返ってしまった。

 

「本当、よく分からん奴だな…」

 

昔はよく笑って、俺の後ろを蒼ちゃん蒼ちゃんと言って付いてきていたというのに、今となってはついたあだ名が機械女だ。

 

それもこれも、中学である出来事が起きたせいなのだが…まさか、ここまで変わってしまうとは…

 

もちろん表情の変化が乏しいことが悪いと決めつけるわけではないが、それでアイツに友達がいないことも事実だ。

 

…いつかまた、昔みたいに戻ってくれたら良いな。

 

「蒼は本当に鈍いよねぇ…昔から」

 

「あ?何がだよ?」

 

「そういうところがだよ」

 

だから何がだと訊こうとした時、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴ってしまった。

 

そしてそれとほぼ同時に担任の教師らしき人が入ってきた。

 

「時間だ。座れ」

 

その担任の姿を見た瞬間、教室にどよめきが走った。

 

おー!とえー!が入り交じった声が次々に起こる。

 

「あさはかなり」

 

その教師は、学園一の美人教師として有名な椎名枝里先生だった。

 

これでおー!という歓声の意味は分かっただろう。

 

しかし、実はこの椎名先生は寝ていたり態度の悪い生徒に対し、チョーク投げで攻撃してくるので有名でその手の生徒からは非常に恐れられている。

 

これがえー!の方の声の意味だ。

 

「始業式が始まる。行くぞ」

 

簡潔にそう言って生徒たちを先導しようとしたその時、教室に猛ダッシュで女子が滑り込んできた。

 

どうやら席が空いてるのを見ると、俺の前の席のようだ。

 

「セーフ!…ですよね?」

 

「…あさはかなり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始業式は別段問題もなく終わった。

 

強いて言うなら眠りこけていたクラスメイトの一人が椎名先生にチョークを当てられていたくらいだ。

 

…あの人はチョークを常備しているのだろうか?

 

と、それ以外は本当に滞りなく終了し、教室に戻った。

 

「では、一人ずつ自己紹介してもらう。出席番号一番から」

 

淡々と説明と指名を終えて自己紹介に移る。

 

一番の人が自己紹介を終えて、二番に回る…のだが…

 

「出席番号二番。岩沢雅美」

 

岩沢かよ…!頼むから変なことを言わないでくれ…!

 

「趣味はギターと歌うこと。好きな人は同じクラスの柴崎蒼!以上だ」

 

「「「…………………」」」

 

やめてくれって言ったのに…!(言ってない)

 

登校して早々に告白するという暴挙が始業式を挟んで薄まっていたところにまたこれだ。

 

当然前に貼られている座席表を見て、あ~、柴崎ってアイツか。なんであんなやつ?てかリア充死ねよ。的な視線が俺を襲ってくる。

 

「くっ…くく…最高…」

 

そして後ろで声を押し殺して笑っている悠は後でしばくとして。

 

「柴崎はあたしのものだから皆手を出すなよ」

 

「あさはかなり。着席しろ岩沢」

 

はいはい、と軽い調子で答えて着席する岩沢。

 

ナイスです椎名先生!出来ればチョーク投げてやって欲しかったけど!

 

「あんたが例の柴崎くんかい?」

 

と心の中で椎名先生に感謝していると、急に前の席の女子が振り向いて話かけてきた。

 

さっき始業式に向かうギリギリで教室に入ってきた子だ。

 

その子は茶髪にポニーテールで勝ち気そうなツリ目をしている、美少女と言ってなんら問題のない子だった。

 

「例のって何がだよ?」

 

「おいおい、そんな睨まないでくれよ」

 

聞き返すと困ったようにジェスチャーをつけて落ち着くように促してくる。

 

別に睨んでたわけじゃないんだが…

 

「あたしはひさ子。岩沢とバンドを組んでるもんだ。つってもまだあたしと岩沢だけなんだけどな。去年知り合ったばっかりだし」

 

「はぁ」

 

その話題に何と返せば良いのか分からず気のない返事をしてしまう。

 

強いて言うならアイツバンドとかやってたんだ。と思ったくらいだ。

 

それに気がついたのか、まあそれはいいや。と話を戻す。

 

「岩沢が柴崎が柴崎がって毎日うるさくってね。どんな奴か一目見てみたかったのさ」

 

「はぁ」

 

やっぱり返事に困ってしまってさっきと同じように返してしまう。

 

「なんだ?何か感想ないのかよ?」

 

「感想って…それ何て言うのが正解なんだよ…?」

 

「そりゃ確かにそうか」

 

ケラケラとおかしそうに笑うひさ子。

 

まあ悪いやつでは無さそうだ。

 

「そこ、静かに」

 

「はーい、すみませーん」

 

「すみません」

 

「あさはかなり」

 

流石に喋りすぎたか注意されてしまったので謝っておく。

 

すると許してくれたようで、次。と自己紹介を進める。

 

「出席番号七番、音無結弦。趣味とかは特に無いですが、よろしくお願いします」

 

いつのまにか岩沢の自己紹介から何人か進んでしまっていたようで、今は橙色の髪の毛をした男子が名乗っていた。

 

コイツ確か入学式の時に新入生代表の挨拶してた奴だな。

 

なんていうか、すごい好青年って感じだ。

 

そしてその後も自己紹介が進んでいき、俺の前のひさ子の番に。

 

「出席番号十五番、早乙女ひさ子。趣味はギター。気軽にひさ子って呼んでくれ。1年間よろしく」

 

ハキハキと自己紹介を終えて着席すると、周りがざわざわと騒いでいた。

 

まあ見た目が美少女だし、サバサバしてる感じだから男女どっちにも人気が出そうだよな。

 

「次」

 

いよいよ俺の番か。

 

はい、と言って起立するとさっきまでざわついていた皆が一斉に黙りこんでシーンとなる。

 

あ、さっき好きとか言われてた人だ。みたいは空気がひしひしと伝わってくる。

 

そして後ろでまたも笑っている悠は絶対に後で殴る。

 

とりあえず自己紹介しないとな…

 

「えっと、出席番号十六番、柴崎蒼です。趣味って言うほどのものはありません。1年間よろしくお願いしましゅっ…」

 

壮絶に噛んだ。ベッタベタな噛み方をした。

 

周りからも噛んだ?噛んだよね。と小さいけど確実に話し声が聴こえてくる。

 

「大丈夫だ柴崎!可愛いぞ!あたしは好きだ!!」

 

「うるせえ!」

 

励ましのつもりかいきなり立ち上がって逆効果な言葉をかけてくる岩沢。

 

元はといえばお前が変な空気作るからだろうが!

 

周りからは更に冷たい視線が突き刺さってくる。

 

「静かに。次に行け」

 

「はい。出席番号十七番、千里悠です。僕も趣味という趣味はありません。1年間よろしくお願いします」

 

ニッコリと外面用の笑顔を貼り付けて無難に自己紹介を終える。

 

「ちっ、つまんねー自己紹介」

 

「ごめんね、僕あんな器用に噛めないからさ」

 

「ぐっ…」

 

憎まれ口を叩くと綺麗に反撃される。

 

やっぱ口でコイツに敵わねー…てか俺の幼馴染み口喧嘩強すぎ…どうして俺みたいに真っ直ぐ育たなかったのか…

 

「何言ってんの?殺人犯みたいな目付きしといて」

 

「てめえ!人が一番気にしてることを!!」

 

「あさはかなり」

 

「ぐほっ!?」

 

ついカッとなって大声を上げて悠の方を向いた瞬間後頭部に物凄い衝撃が。

 

椎名先生が何か言ってるってことはこれチョークなのか?なんかパチンコ玉でも思いきり投げつけられたみたいな痛みだったんだけど?

 

「次はない。次」

 

「はーい」

 

次はないんじゃねえのかよ…

 

と、少しひねくれたことを考えていると椎名先生にキッと睨まれる。

 

遊佐が心読むの得意なのは知ってるけど、椎名先生まで心読めるの?!

 

しかし特に罰を与えるつもりもないようで、すぐに目線を外してくれた。

 

怖ぇ…

 

「出席番号二十六番、仲村ゆりよ。まあ皆あたしのことは知ってるだろうからこれくらいで終わっとくわね」

 

うわ、コイツも居るのかよ…

 

この仲村ゆりという少女はこの学園の理事長の娘らしい。

 

なんでも百合ヶ丘学園という名前は娘を溺愛する父親が娘の名前を入れたいとの願いからつけられた名前らしい。

 

まあそれだけなら良いのだが、この仲村ゆりという奴はその溺愛している父親の権力にものを言わして傍若無人の限りを尽くしているらしいのだ。

 

去年同じクラスだった奴らはコイツが学級委員になったせいであるゆる行事でとんでもない目にあわされたとかなんとか。

 

とにかくこんな奴には関わらないのが一番ってことだ。

 

その仲村から少し進んで、やたらと軽そうな態度の奴の番に回ってきた。

 

「出席番号三十番、日向秀樹!趣味は野球だ!よろしくな!」

 

コイツ確か始業式で先生にチョーク当てられてた奴だな。

 

でも野球が趣味って、この学校野球部ないのに良いのかな?

 

「出席番号三十一、藤巻俊樹。たりぃから以上」

 

その次は俺よりもよっぽど柄の悪そうな奴だった。

 

「良かったね蒼。これで目付きの悪さが少しマシに見えるよ」

 

「お前後で覚えてろよ…」

 

まあ俺も同じこと考えてたけど…

 

そして更に順番は回っていき、ついに最後。

 

「出席番号四十番、遊佐です。下の名前は好きではないので遊佐と呼んでください」

 

といつも以上に淡々と、いっそ事務的と言ってもいいくらい愛想なく自己紹介を終えてしまう。

 

遊佐が着席すると、周りはあれが機械女か。とか、本当に無表情なのね。とか言ってる声が聴こえてくる。

 

こりゃまた友達は出来そうにないか…

 

「全員終わったな。それでは今日はこれで解散とする」

 

その言葉を聞いて皆はさっきの遊佐のことなど忘れたかのようにこのあとどうするかなどの話し合いに移っていた。

 

所詮、その程度の関心ということなのか。

 

まあいい。気にしたってしょうがないしな。

 

「じゃあ帰ろうぜ悠」

 

「あ、うん。そうだね」

 

「ちょっと待て柴崎!一緒に帰ろう!」

 

「はぁ…走るぞ!」

 

岩沢が居ることを失念していて教室から出るのを遅れた俺は、それでも迅速に逃げるため悠に声をかけて走り出す。

 

「あ、先帰ってて。彼女からメール来た」

 

「こんの…薄情者がぁ!!」

 

「あ、ちょっと待てって柴崎!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「柴崎ー?!」

 

「はぁ、はぁ…ったく、やっと撒けたか…」

 

路地裏に隠れて岩沢が通りすぎたのを確認してからそう呟く。

 

ていうか、ひさ子は良いのかアイツ…?バンド組んでるんじゃなかったのか?

 

しかもまだ息が切れてなかったし…化物か?

 

「ふぅ…とりあえずこれでやっと帰れるな…」

 

「ですね」

 

「ふぉう?!」

 

「何ですかその変な声は?」

 

「急に後ろから出てくるからだろうが!」

 

いつの間に俺の背後を取っていたのか、遊佐がすぐ後ろから声をかけてきて素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

「それよりも、良いんですか?岩沢さん、探してましたよ?」

 

「知ってるよ。だから逃げてんだろうが」

 

「だから逃げて良いんですかって訊いてるんです」

 

「良いから逃げてんだろ」

 

「…そうですか」

 

当たり前のことを訊いてきたと思えば、次は訳ありみたいに考え込んだ表情を浮かべる。

 

まあ無表情でほとんど変化がないから見分けられるのは俺と悠くらいだろうけど。

 

「お前何?岩沢が嫌いなの?」

 

「何故ですか?」

 

「いや、何か教室で初めて見たとき反応が妙だったし」

 

あれは驚いていたのは確かだけど、どこか嫌悪感に近いものを帯びていた気がする。

 

「いえ、特別な感情は無いです」

 

「本当か?」

 

「本当です」

 

「ふーん、まあどっちでも良いけど」

 

長年の付き合いだ。嘘をついてるのは分かるけど、言いたくないなら無理に訊きはしない。

 

遊佐は必要なことは必ず話す奴だしな。

 

「柴崎さんこそ、岩沢さんが嫌いなんですか?」

 

「え?あー…いや、どうだろう?」

 

問い返されて、咄嗟に言葉が出てこない。

 

そういや岩沢は会ってすぐに告白してきて、その後も追いかけてくる岩沢から逃げ回るばっかりだったからまともに話したことも無かったな…

 

「嫌いってわけじゃないと思う…」

 

「…そうですか」

 

「あー、もう帰ろうぜ。今日はなんか色々疲れたわ」

 

「そうですね」

 

「もうこんな疲れるのはゴメンだ」

 

「…でも、明日からはもっと大変になるかも知れませんよ?」

 

「はは、冗談でもやめてくれっての」

 

「そうですか、まあやめておきましょう…すぐに分かることですしね」

 

だからやめろって言ってるのに、と俺はこの台詞を軽く流した。

 

まさか本当に今日なんかよりもっと大変で忙しない日々になっていくとは、この時の俺は微塵も考えていなかった。

 

 

 




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「お前さ、なんで俺のこと好きなの?」

「おはようございま~す」

 

俺が折角疲れを取るために快適な睡眠をしていたというのに、耳元でやたらと押し殺した声をかけられる。

 

「なんで寝起きドッキリ風なんだよ。しかもそれは部屋に入ってくる時に言うもんだ…」

 

一応幼馴染みのよしみとしてツッコミをいれてやる。

 

つーか、そんなんじゃもっと深く寝入ってる時聞こえねえだろ。起こしたいのか起こしたくないのかはっきりしろっての…

 

「お前、毎日起こしに来なくて良いんだぞ?中学からずっと来てるけどよ。しかもご丁寧に目覚ましよりも早く」

 

より正確に言うと、あの出来事があってからだけど、今さらそこを蒸し返すようなことをしたくはない。

 

「良いんですよ。好きでやってるんですから」

 

「物好きなこったな」

 

「よく言われます」

 

俺の皮肉に素早くそう返してきたが、遊佐にそんなことを言うような友達は居なかったような…

 

「友達だけが全てじゃないでしょう」

 

「いやまあそりゃそうだけど…てか、だから心読むなっての」

 

「すみません。柴崎さんは分かりやすいものですから。すぐに顔に出ますし」

 

「え、嘘?」

 

思ってもみなかった指摘をされてつい自分の顔をペタペタと触って確認してしまう。

 

そんなことで分かるわけないんだが。

 

「だから美少女幼馴染みに起こされて内心ドッキドキなこともお見通しです」

 

「美少女幼馴染み?なにそれ食えんの?」

 

「下ネタですか?美少女を食い物にするなんて…死んでください」

 

「誰がそんなこと言ったよ?!」

 

曲解にもほどがある遊佐の言葉に盛大に噛みつく。

 

「言いましたよ。ぐへへへ、今なら親も居ないしこの超絶美少女遊佐りんにあんなことこんなこと何でもやりたい放題じゃねえか!って」

 

「何で俺がお前に手を出さなきゃならんのだ?!」

 

「年頃の男子高校生。美少女と家で、それも同じ部屋で二人きり…犯罪に走るには充分な状況かと…」

 

「走るか!…ったく、バカ言ってないでとっとと部屋から出ろ…着替えるから…」

 

「はい、分かりました」

 

無駄に素直に引いてくれるのが遊佐の良いところだった。

 

…なら最初からするなという話だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後着替えを終え、家の外で待っていた遊佐と悠と合流して学校に。

 

「はぁ…」

 

自分の席に着いて早々にため息が漏れる。

 

「疲れた…」

 

朝っぱらから訳の分からん話に付き合わされて無駄に体力を消費してしまった。

 

「はは、まだ授業も始まってないのにそんなに疲れてるなんて災難だったね」

 

台詞のわりに全く俺を労る気持ちが感じ取れない。

 

コイツ…また面白がってるな…

 

「悠…俺は今非常に疲れてる」

 

「見れば分かるけど」

 

「だから、チャイムが鳴るまで俺に話しかけるな。俺は少しの間寝る」

 

そう告げて早速に寝る体勢に入ろうとする。

 

が…

 

「いやぁ、でもどうもお姫様が着いちゃったみたいだよ?」

 

「え?」

 

「柴崎!」

 

「うげっ…」

 

いつの間に教室に来ていたのか、岩沢がキラキラと目を輝かせながら一直線にこっちに向かってくる。

 

「今日も大好きだ!」

 

今朝の遊佐の会話に続いて岩沢のこのテンション。

 

…はっきり言ってついていけない…俺は女難の相でもあるのか?

 

「なぁ、それ毎回言わなきゃダメなのか…?」

 

「ダメだな。去年は何故か分からないが全然会えなかったからな。今年はいっぱい話したいんだ」

 

岩沢の台詞で去年のことを思い出す。

 

俺が岩沢に迫られてると聞いた去年のクラスの男子たちが岩沢との接点を断つ手助けをしてくれていたからな…あいつらには感謝してもしきれない。

 

「愛情表現は1日にしてならずって本に書いてたからな」

 

「その本は参考にならん。捨てろ、そして忘れろ」

 

そんなものを信じるなんて、コイツもしかして怪しいツボとか買わされるタイプか?

 

効果には個人差がありますなんてのは世間の常識だぞ。

 

ていうかダメだ…眠い…こんな下らない理由に付き合ってられん…

 

「岩沢、俺は眠いんだ。今だけで良いから寝させてくれ…」

 

あまりの疲労感で頭が働かない。

 

「分かった!じゃあまた後でいっぱい話そうな!」

 

だからこんな約束しちまったんだ。

 

「分かった分かった…ふぁ…」

 

つまり全部、遊佐が悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局チャイムが鳴るまでの間の睡眠程度じゃ足りず、放課後まで授業に一切集中出来ずに終わった。

 

何度授業中船を漕いでしまったことか。

 

つかまだ眠い…

 

「蒼?」

 

SHRが終わっても席を立とうとしない俺をおかしく思ったようで後ろから声をかけてくる。

 

「あー悪い…マジで眠いからちょっと寝てから帰るわ」

 

「どんだけ寝なきゃいけないのさ」

 

クスクスと笑ってから、まあいいけど。と言って帰っていった。

 

さぁ…寝るか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ララーラーララー」

 

―――声が聴こえた。

 

「ん…」

 

その歌声は優しくて、どこか儚くて―――けど、どこか芯が通っていた。

 

この声、好きだ…

 

それに、どこかで聴いたことがある気が…

 

「柴崎、起きた?」

 

記憶のどこかに引っ掛かったかすかな糸を手繰り寄せる前に、上から声をかけられる。

 

「おーい?」

 

その声に誘われるように顔を上げると、相手の顔が鼻と鼻がぶつかりかける程近くにあった。

 

「うおっ!?」

 

驚いてすぐさま飛び退く。

 

「な、なんだよ?そんなに避けなくても良いだろ?」

 

「岩…沢…?」

 

近すぎて見えなかった相手は岩沢だった。

 

ギターを抱えて脚を組み座っている。

 

拗ねたような表情でこちらを見ている岩沢の頬は夕暮れのせいか、薄く紅みが差していて何故かそれが……

 

いやいやいやいや、騙されるな俺!確かに岩沢は綺麗だし、今も夕日に当たってることも相まって見た感じは…可愛いけど…それでも素があんな感じなんだぞ!

 

「ん?ていうかもう夕方なのか?」

 

「そうだよ。話そうって約束してたのに柴崎寝てるし…」

 

「うっ…」

 

今度は完全に拗ねてるみたいで、ジと目でこちらを見てくる。

 

やっぱりちょっと可愛い…かもしれない…あくまで見た目はだけど…

 

って、そうじゃないだろ!

 

「話す約束って?」

 

「え?朝に寝させてくれたら後で話すからって言ったじゃないか」

 

「俺そんなこと言ってたのか…?」

 

記憶があやふや過ぎて確信が持てないけど、そんなことを言ったような気もする…

 

恐るべし睡魔…

 

「覚えてないのか…?」

 

「え、ああ…正直あんまり…」

 

「そっか…」

 

俺が寝ぼけて約束したことにショックを受けたのか、悲しそうな顔をする。

 

ズキッ、と胸が痛む。

 

まただ…

 

岩沢に初めて会った時も、コイツのこの表情を見て胸が痛くなった。

 

なんでこんなにコイツの表情1つで感情が揺さぶられるんだろう。

 

「じゃあ、帰る?」

 

「え…」

 

困ったように笑顔を浮かべる岩沢。

 

その顔は今にも崩れそうで無理してるのがバレバレだ。

 

またも胸に痛みが走る。

 

…良いじゃないか。覚えてないんだから帰ってしまえば。

 

そんな状態での約束なんて無効だろ…罪悪感を感じる必要なんてないはずだ…

 

「…良いよ。話そうぜ」

 

そう思っているはずなのに、気づけば俺はそう言っていた。

 

「え…?」

 

まさか俺がOKするとは思っていなかったのだろう。俺だって思ってなかったんだから。

 

虚を衝かれた岩沢が聞き返してくる。

 

「嫌なら帰るけど」

 

「いや!嫌じゃない!嫌なわけない!」

 

「…あっそ。つか近いから…」

 

ずいっと身体を乗り出してきた拍子に、岩沢の髪からふっと良い匂いが漂ってくる。

 

甘くて、でも爽やかな香り。

 

なんだか変な気分になってしまいそうで、岩沢から顔を背ける。

 

「あ、ごめん」

 

言われて我に帰ったようでパッと離れる。

 

それと同時に匂いもなくなり、安堵する。

 

「で、話って何を話すんだよ?」

 

「え?別に考えてないけど」

 

「はぁ?なんでそんなので話す約束取り付けてんだよお前は?」

 

「朝にも言ったけどさ、柴崎が好きだからたくさん話したいんだ」

 

そう言って笑う岩沢は、やっぱり綺麗で、不覚にも、本当に不覚にもちょっとだけドキッとした。

 

美人ってのはつくづく得だと思う。

 

「…今日は好きとか禁止」

 

「えぇ?!なんで?!」

 

なんでも何もない。このまま何回もドキッとさせられたら堪ったものじゃないからに決まってる。

 

もちろんそんなこと言うわけないが。

 

「嫌なら帰る」

 

「あー!ちょっと待って!分かったから!今日は我慢するから!」

 

帰ろうとするふりをすると、ギターを机に置いて俺の服を掴んでくる。

 

あまりにも必死な様子だったから、分かった分かった帰らないから。と言うと安心して胸を撫で下ろしていた。

 

「でもお前良いのか?ひさ子とバンド組んでるんだろ?」

 

「よく知ってるね」

 

「ひさ子が勝手に聞かせてきたんだよ」

 

「そりゃ目に浮かぶな」

 

クスクスと本当に愉快そうに笑う。

 

「心配しなくても大丈夫だよ。ひさ子も今日は了解してくれてるし」

 

「でもお前昨日も俺を追いかけてきてたろ?」

 

「あー、あのあとは怒られたな。一緒にメンバーの勧誘しようって言ってたのにどこ言ってんだーって」

 

「そりゃそうなるだろ」

 

大事な勧誘放って何をしてんだコイツは…

 

「はは、だって柴崎と帰りたかったし」

 

「だから帰っちゃダメなんじゃねえのかよ?」

 

「いやでもさ、そんなに焦ることでもないんだよ。協力してくれるやつもいるし」

 

「ふーん」

 

まあコイツ見た目は抜群に良いから、男女問わず力を貸してくれるやつはいるだろうな。

 

それに好きだとかの話が絡まなきゃ結構普通だ。

 

むしろ大人しめなくらい。

 

なんていうか、こっちの方がクールビューティーな見た目に合っていてしっくりくる。

 

こっちの方が素なんじゃないかと疑いたくなる。

 

まあ、好きって言うのを封印させないとこうならない時点で素ではないんだろうけど。

 

「お前さ、なんで俺のこと好きなの?」

 

そんなことを考えていたからか、そんな言葉がつい口をついて出てしまった。

 

「今日は好きとか禁止じゃなかったか?」

 

「この話だけは良いんだよ」

 

「まあ柴崎が良いって言うなら良いけど…でも話せるような理由はないよ?」

 

「ないって、そんなわけないだろ?」

 

「なんで?」

 

俺の台詞が本当に疑問だという風に小首を傾げる。

 

なんでって…

 

「理由なしに人のこと好きになんかなるのかよ?」

 

「なるよ」

 

やけに自信が感じられる返事。

 

「なる」

 

そして目を瞑り、もう一度繰り返した。

 

「なんで断言出来る?」

 

「じゃあ逆に柴崎は人を好きになるときに一々理由をつけるのか?」

 

「んなこと訊かれても、俺は恋愛経験が無いから分かんねえよ」

 

強いていうなら夢の中に出てくる彼女への気持ちくらいなのだろうけど、理由なんてあるのかないのか分からないし、そもそもここでそんな話しても引かれるだけだろう。

 

「じゃあ友達でも良いよ」

 

「それは…」

 

俺は友達が多い方じゃない。

 

けど、居ないわけでもない。

 

悠や遊佐がいる。

 

あの二人とは、家が近いこともあって昔からずっと一緒に居た。

 

そうしていく内に自然と仲良くなっていった。

 

それこそ理由なんて考える必要がないように。

 

「確かに…そうかも」

 

俺がそう答えると、我が意を得たりというように、だろ?と快活に笑う。

 

「それと同じ。柴崎のことが好きなのも理由なんてない。一目見てこう…ビビッと来たんだ」

 

「それで告白とか…」

 

「思い立ったが吉日って言うだろ?」

 

それはもう脊髄反射の域なんじゃないだろうか。

 

「で、吉日だったか?」

 

「なんて言ったら良いんだろう…一寸先は闇?」

 

「闇って…」

 

俺が思っていたよりも落ち込んでいたのだろうか。

 

告白後も何度も好き好きと言い寄ってきていたから全く気にしていないのかと思っていた。

 

「あ、いやいや気にしないでいいからな。あたしは振り向いてくれるまで諦めるつもりないし」

 

気を使ったのか、手をブンブンと横に振って明るく笑う岩沢。

 

「はは、そっか。まあそんな日が来るか保証はないけどな」

 

「…………………」

 

「な、なんだ?」

 

つられて笑いながら軽口を叩くと、岩沢が急に黙りこんでしまった。

 

やば、もしかして言い過ぎだったのか?

 

「…わらった…」

 

「は?」

 

「笑った…柴崎笑った!?」

 

「いや、それがなんだよ?」

 

よく分からないことで驚く岩沢に戸惑ってしまう。

 

「あたしと話して初めて笑ってくれた…」

 

「ちょっ!?お前?!」

 

驚いたかと思えば次は泣き出してしまう。

 

「久しぶりに…見れた…」

 

その台詞は、恐らく無意識にポロっと出てしまったものだと思う。

 

喜びを噛み締めて、気が緩んでつい漏らしてしまった言葉なのだろう。

 

しかし俺はそれに違和感を覚える。

 

「久しぶり…?」

 

「っ…?!」

 

俺が言葉を反芻すると、ハッとして口を押さえる岩沢。

 

「…お前さっき初めてって言ったばかりじゃなかったか?」

 

「それは…」

 

言葉を詰まらし、目がキョロキョロと泳ぐ。

 

「なのに久しぶりってどういうことだ?」

 

「あたしと話してない時に見たことがあったから…」

 

「そんなのならいつだって見られるだろ。それに、お前と話しててって話だったんじゃないのか?」

 

「それは…だから…」

 

岩沢が目に見えて狼狽している。

 

この様子を端から見たら不良が美少女を脅しているようにしか見えないだろう。

 

正直、なんで自分でもこんなに問い詰めてるのかよく分からない。

 

もっと他に訊き方もあるだろうに。

 

けど、そんな意思とは裏腹に語気はドンドン強くなっていく。

 

「よく考えればお前は最初に会ったときから俺の名前知ってたよな?なあ、なんでだよ?どっかで会ったことあんのか?俺がお前を忘れてるだけなのか?」

 

質問をしているのに答える暇すら与えないほど矢継ぎ早に問い重ねる。

 

なんで俺はこんなに苛立ってるんだ?

 

「え、あ…」

 

ほら見ろ。怯えてんじゃねえかよ。もっと優しく訊いてやれよ。そんな1度に何個も訊かれちゃ答えられないだろ。

 

そう思うのに、出来ない。

 

頭の隅にチリチリと何かが疼く。

 

欠けたパズルのピースを求めるようにその疼きが肥大化していく。

 

その度に苛立ちも増していく。

 

「なんなんだよ?!」

 

ついにはドンッと机を叩く始末だ。

 

「柴、崎…」

 

「…………」

 

完全にやりすぎだ。

 

岩沢の目から流れる涙の性質が喜びから恐怖に変わってしまっている。

 

またズキッと胸が痛んだ。

 

その痛みで頭の疼きが治まる。

 

それに次いで、ようやく苛立ちが収まり、冷静になる。

 

何をやってるんだ俺は…

 

「ごめん…柴崎…」

 

涙を流す岩沢の顔を見る。

 

涙でくしゃくしゃになり、整った顔立ちが台無しになっている。

 

違う…そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ…

 

じゃあ俺は一体コイツにどんな顔をさせたかったんだろう。

 

「岩沢…」

 

「ごめん、今日は帰る…」

 

「あ、ちょっ…」

 

ギターを担いで立ち去ろうとする岩沢に手を伸ばしかけて、その手を止める。

 

引き止めてどうするんだ?そんなことしてまたさっきみたいになったらどうする?

 

そうじゃなくても、あんなに怯えさせた相手になんて声をかければ良いのか俺には分かるはずもないのに。

 

「また、明日…」

 

扉の前で足を止め、そう言い残して足早に去っていく。

 

明日…会うことになるんだよな。

 

俺はどんな顔をすれば良いんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなた、柴崎 蒼くんね?」

 

岩沢が帰り、俺ももう帰ろうと思い教室を出ると、扉のすぐ横にいた女子生徒に声をかけられる。

 

「お前…」

 

「あたしは仲村 ゆり…って、流石に知ってるわよね。同じクラスだし」

 

「ああ…そりゃあな…」

 

同じクラスじゃなくたって知ってるに決まってる。

 

悪名高い理事長のご令嬢様なんだから。

 

「で、なんの用だ?悪いけど今は虫の居どころが悪いんだが」

 

さっきの出来事がまだ尾を引いていて、理事長の娘だとかを気にする余裕もなく睨み付ける。

 

目付きの悪さには定評がある俺だ。大抵のやつはそれだけでビビって逃げる。

 

だが、コイツは、仲村 ゆりは違った。

 

まるでそうこなくちゃと言わんばかりに挑戦的な笑みを浮かべている。

 

「あなた面白いわ」

 

「あ?」

 

「気に入った…あなた、あたしの部に入りなさい」

 

「お前の部だと?」

 

「ええ、あたしの部に入部するの。この、青春を数倍楽しむために集う生徒のクラブ。通称SSS部にね!」

 

仲村は高らかと奇妙で長ったらしいクラブ名を宣言した。

 

 

 




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「なら私を一人占めしたいと言ってくれれば入部しません」

断った。

 

もちろん断った。

 

断固として首を縦には振らなかった。

 

何度口で断っても諦めずに勧誘を続けてきたから最終的には走って逃げた。

 

まあ仲村の足が無駄に速いせいでそれもギリギリになったけど。

 

しかし俺は逃げ切った。

 

これであの超絶問題児お嬢様に関わらず済む。

 

と思っていたんだが……

 

「さあ柴崎くん、大人しくあたしの部に入りなさい」

 

何故か教室に着いて早々仲村に勧誘されている。

 

いや当たり前か。同じクラスなんだし。

 

「断る」

 

「つれないわね本当に…そんなに駄目かしら?あたしのクラブ」

 

「駄目駄目だろ」

 

「どこが駄目?」

 

本気で分かってないという風に顎に手をやりながら首を傾げている。

 

「どこって…全部だろ。名前も意味分かんねえし、何が目的なのかも分かんねえし、それに…」

 

それに、問題児と関わりたくねえし。とつい口が滑りそうになる。

 

「それに…何よ?」

 

急に言葉に詰まる俺を不思議そうに見詰めてくる。

 

いかんいかん。相手は一応理事長の娘だ。昨日は気を使う余裕が無かったからしょうがないが、あまり怒らせても俺の立場が危うい。

 

「…2年の今頃部活に入っても輪に加わりにくい」

 

咄嗟にそれっぽいことを言ってごまかす。

 

「あら、それなら問題ないわよ」

 

「え、何が?」

 

「あなたのお友達も勧誘するもの。さすがに3人揃って入れば大丈夫でしょ?」

 

まるでもう悠と遊佐がその勧誘を受けることが決まってるみたいな口振りだ。

 

「つっても、悠と遊佐は部活に入ったりするようなタイプじゃねえぞ」

 

「あら、そんなの分からないじゃない。あ、ほら丁度千里くんも来たし」

 

今日は朝から彼女と会うというので一緒に登校しなかった悠がこのタイミングで教室に入ってきてしまった。

 

目敏くそれを見つけた仲村はとてとてと悠に近寄っていく。

 

「おはよう千里くん」

 

「やあおはよう仲村さん。何か用?」

 

「あたしのクラブに入ってもらいたいんだけどいいかしら?」

 

「いいよ」

 

「やったぁ!」

 

「ちょっと待てちょっと待てちょっと待てぇ!?」

 

まさかの即答でOKを出した幼馴染みに驚愕しながら詰め寄る。

 

「何?」

 

何もなかったようにけろっとしている。

 

そんな悠の肩に腕を回して耳元まで顔を近づけて話しかける。

 

「何?じゃねえよ。お前どういうつもりだ?」

 

「どういうつもりって、別に楽しそうだし良いかなって」

 

これは絶対に嘘だと断言出来る。

 

そもそも集団行動が嫌いなコイツがただ楽しそうだというだけでクラブに入るわけがない。

 

絶対何か企んでやがる。

 

「ていうか何?僕が何したって勝手でしょ?」

 

「ちっ、そうかよ。なら勝手にしろ。その代わり俺を巻き込むなよ」

 

そう釘を刺してから肩に回していた腕を離す。

 

「話し合いは終わったのかしら?」

 

どうやら俺と悠の会話が終わるのを待っていたらしい。

 

「じゃあ千里くん、入部届けはあたしの方で適当にやっておくからこれからよろしくね」

 

「うんよろしく」

 

「で、千里くんは入ったけどどうする柴崎くん?」

 

悠と握手を交わしてからぐるりと身体を回れ右して俺の方を向く。

 

「どうもしねえよ。とにかく俺は入る気はない」

 

「そう。まあまだ遊佐さんの勧誘も終わってないしね」

 

そうだ。まだ遊佐がいる。

 

あの無口、無表情、無感情のトリプルMを獲得している遊佐がこんな勧誘を受けるはずがない。

 

「誰がトリプルMですか」

 

「はぅっ」

 

いつの間にか俺の背後に立っていた遊佐が俺の股と股の間を軽く蹴りあげてくる。

 

軽くとは言っても急所だ。その痛みは尋常ではない。

 

「ゆ、ざぁ…!」

 

「え?ブヒブヒ、もっといじめて下さいお願いしますですか?ふぅ、仕方ないですね…柴崎さんの方こそマゾ、マゾ、マゾのトリプルドMなんじゃないんですか?」

 

「お前…後で、覚えてろ…!」

 

いきなり股間を蹴りあげただけでなく、意味の分からない発言の捏造までしてくる我が幼馴染み。

 

しかもやれやれと首をすくめるジェスチャーまでつけて。

 

すげぇ腹立つ…!

 

「た、楽しそうね遊佐さん」

 

その鬼畜極まりない行為を見て明らかにドン引きしている仲村。

 

恐らく勧誘すべきか迷っていることだろう。

 

「ゆ…仲村さん。すみません、気づきませんでした」

 

だからお前は何故会話を聞かず俺の言葉だけでそんな酷いことが出来るんだ。

 

周りも見えなくなるくらい俺をいたぶるのが楽しいのか?

 

「ちなみに全然楽しくないです。柴崎さんが悦ぶので幼馴染みとしての義理でやってあげているだけです」

 

「へ、へぇ、そうなんだ」

 

「てめえいい加減適当言うのやめやがれ!」

 

やっとこさ股間の痛みが和らぎ起き上がって抗議する。

 

「適当ではないです」

 

「適当だろうが!なんで俺が痛めつけられて悦んでんだよ!?」

 

「え?だって柴崎さんの部屋にあるA…むぐっ「お前何を口走るつもりだ!?」

 

とんでもないことを言い出しそうな遊佐の口を慌てて塞ぐ。

 

そしてお前は何故その秘蔵のブツのことを知っている?!

 

「ぷはっ、柴崎さんの性癖は網羅しています」

 

自力で俺の手を口からどけ、またもとんでも発言をする。

 

「何故?!」

 

「弱味を握りたい故」

 

「幼馴染みの弱味を握って楽しいか?!」

 

「とても」

 

「コイツやっぱり性格捻じ曲がってる!」

 

だがしかし!だがしかしだ!俺は肉体的ダメージは嫌いなんだ!適度に言葉とかで責められるのが一番好きなんだ!

 

「…と心で言っていますね」

 

「うわ…」

 

「蒼、それはちょっと…」

 

「なんでそんなところで読心術を発揮するんだ?!」

 

幼馴染みの度を過ぎた悪行に頭を抱えて絶叫する。

 

「うわ、認めた」

 

「しまったぁぁぁぁぁ!?」

 

自ら墓穴を掘ってしまいより深く頭を抱える。

 

「勧誘やめようかしら…」

 

「勧誘?」

 

「あ、そうだったわ。遊佐さん、あたしの部に入ってくれるわよね?」

 

「構いません」

 

「やりぃ!二人ゲット!」

 

「嘘だろ?!」

 

俺が落ち込んでいる少しの間に勧誘が成功してしまっていた。

 

あまりの驚きに抱えていた頭がはね上がる。

 

「なんですか精神M」

 

「やめて!もうやめて!…って誤魔化されねえぞ!なんで入るんだよ?!」

 

思わず耳を塞ぎたくなる言葉に屈しかけるが踏みとどまる。

 

「一々柴崎さんの許可が必要なんですか?」

 

「いやそうじゃねえけど…」

 

そう言われてしまうと何も言えない。

 

けど千里に続いて遊佐まで二つ返事で入部するなんておかしい。

 

長い付き合いだが二人ともそういうのとは無縁の人間だったのに。

 

「私が入部するのが嫌なんですか?」

 

「嫌…っていうか」

 

「なら私を一人占めしたいと言って下されば入部しません」

 

「はぁ?!」

 

突如として脈絡のないことを言い出す遊佐。

 

隣で仲村があら大胆などと言っているが無視だ。

 

「急になに言ってんだお前?!」

 

「柴崎さんが入部を止めたいならそう言って下さればやめます」

 

「なんで…?」

 

「なんでもです」

 

そう言われて考える。

 

そもそもなんで俺はコイツらの入部にとやかく口を出してるんだ?

 

仲村が他の二人が入部したら俺が入るみたいなことを言っていたからだ。

 

でもよく考えろ、あんなの仲村が勝手に言っていただけで俺が従う義務もない。

 

なら

 

「…良いよ。入部でもなんでもしろ」

 

「そうですか。なら入部します」

 

「じゃあ遊佐さん、入部届けはあたしの方で適当にやっておくから」

 

「了解しました。少し席を外しますね」

 

そう言って遊佐は教室を出てどこかに行ってしまった。

 

「で、どうする柴崎くん」

 

それを見送った後、完全に勝ち誇った顔でこちらを見てくる仲村。

 

「どうもしねえっつーの。二人が入ったからって俺が入部しなきゃいけねえわけでもねえし」

 

「強情ねぇ」

 

取りつく島もない俺の態度に仲村は顎に手を添えながら、さてどうしたものかしらと呟いている。

 

その時、ガラガラと教室の扉が開く音がした。

 

その音につられて扉の方に目をやると、岩沢がいた。

 

「岩沢…」

 

岩沢の顔を見て思い出す。

 

昨日自分がしてしまったことを。

 

謝らないと…

 

そう思ったが、気まずさが勝って目を逸らそうとしてしまう。

 

しかし逸らすよりも先にバッチリと目が合ってしまった。

 

岩沢は一瞬ビクリと身体を強張らしたと思ったその次の瞬間、ニッコリと笑った。

 

いつものように。

 

いつも通り、俺を見つけたときのように。

 

そしてタッタッタと早足に駆け寄ってくる。

 

「柴崎!今日も大好きだ!」

 

そして彼女は言う。

 

いつも通りに大好きだと。

 

まるで昨日のことなどなかったかのように。

 

そう考えてから気づく。

 

そうか…コイツは昨日のことをなかったことにするつもりなんだ。

 

俺が苛立って問い詰めたことも、机を叩いたらことも、初めてまともに話したことも。

 

…ああそうかよ。悩んでた俺が馬鹿だったな。

 

なかったことにしたいならそうしてやるよ。

 

「…またかよ。懲りねえなお前は」

 

いつも通り、冷たくあしらう。

 

これが岩沢の望んだことだ。

 

少し顔を悲しそうに歪めかけた岩沢を見て痛む心をそう言い訳して収まらせる。

 

「好きだからな!ていうか、ゆりと何話してたんだ?」

 

「別に何も」

 

「あたしたちのクラブに勧誘しようと思って」

 

「へえ、そりゃ良いな。入れよ柴崎」

 

「入らねえ。つーか、お前仲村と友達なの?」

 

やけに親しそうにしている二人を見て思ったことを口にする。

 

「ああ、ゆりにはあたしたちのバンドのバックアップをしてもらってる」

 

そう答えられて合点がいった。

 

昨日言っていた協力してくれてる奴ってのが仲村ということか。

 

このお嬢様のバックアップがあればさぞ有望なメンバーを引き入れられるだろうな。

 

「その代わりにあたしの部に入ってもらうって形でね」

 

「あっそ」

 

「あっそって…あなたから訊いたくせに素っ気ないわねぇ」

 

「他になんと返せと?」

 

悪いが俺は会話のバリエーションが豊富なわけじゃないからな。

 

返事も素っ気ないものが多い。

 

「雅美、愛してる。とかは?」

 

「ありえねえ。つーか席に戻れよお前」

 

「なんで?」

 

「ここはお前の席じゃねえからだろ。もうすぐチャイムも鳴るし」

 

と言ってもまだ5分近くあるんだが。

 

当然岩沢も納得いかないようで戻ろうとしない。

 

面倒くさいな…どうしたもんか…つーか、何か今のまま話してたらまた怒鳴っちまいそうだ…

 

「岩沢さん、今ちょっと大事な話があるから戻ってくれない?あ、ほらひさ子さんも来たし」

 

そこに思わぬ助け船をくれたのは仲村だった。

 

丁度いいタイミングで登校してきたひさ子を指差しそう言う。

 

「でもひさ子の席ってここだぜ?なら別にここでも良いじゃん」

 

「ひさ子さんにリズム隊の候補のリスト渡してあるから」

 

「行ってくる!」

 

さっきまで駄々をこねていたのはなんだったのか、仲村の言葉を聞いた途端にひさ子の方に向かって走っていた。

 

まあ助かったから良いけど。

 

「あなた岩沢さんと喧嘩でもしてるの?」

 

「はぁ?そもそも喧嘩するほど深い間柄じゃねえよ」

 

「あれだけ好き好き言われておいて?」

 

「あんなもんアイツが勝手に言ってるだけだろうが」

 

「じゃあ昨日あれだけ仲良さそうに話しておいて、かしら?」

 

不意にそう言われて、思わず目を見開く。

 

コイツ見てたのか…?

 

「まあ最後にはあなたが急に怒って終わっていたみたいだけれど?でもそんなことがあった風な素振りも見せないし、かと言って謝ったという風でもないしね」

 

「…だから何だよ?アイツがなかったことにしたいみたいだから合わせてやっただけだ」

 

そうだ。俺はアイツが何もなかったように振る舞ったからそれに合わせた。

 

アイツの望んだことをしてやっただけだ。

 

「ふうん…そう。でももし岩沢さんがそんな風になかったことにしようとしなかったらどうするつもりだったのかしら?」

 

「どうって…」

 

「謝らなかったのかしら?」

 

そう言われてさっき岩沢を見たときに謝らないとと思ったことが頭によぎる。

 

「そりゃ…謝ったかもしれねえけど、だから何なんだよ?」

 

「その機会を与えてあげることが出来るわよ」

 

「はぁ?」

 

「あたしの部に入れば岩沢さんもいるし、二人きりになって話す機会も作れるわ。そうすれば謝ることだって出来るわよ」

 

「だから入部しろって?」

 

「ええ」

 

馬鹿馬鹿しい。

 

そんなの俺になんのメリットがある?何もないだろ。

 

問題児に関わる羽目になって、せっかくうやむやになった問題を自分で掘り返して、しかも今まで避け続けてきた相手と二人きりになる機会まで作られる。

 

デメリットしかないじゃないか。

 

なのに、なんで俺は返事に迷ってるんだ?

 

「どうするの?」

 

「ああ?んなもん…」

 

反射で断ろうと口を開こうとした時、チャイムが鳴ってしまった。

 

それと同時に先生も入ってくる。

 

「あら時間切れね。答えはそうね…昼休みにでも聞かせてもらうわ」

 

「おい!」

 

「じゃあね~」

 

ひらひらと手を振って席に戻っていく仲村。

 

「蒼」

 

「…んだよ?」

 

今の今まで黙っていた悠が後ろからトントンと肩を叩いてくる。

 

「素直にならないと後悔するかもよ?」

 

「はぁ?なんだそれ?」

 

「はいはい。それ蒼の悪い癖だよ」

 

「だから何が…「本当は気づいてるのに気づかない振りをするところ」

 

「…知るか」

 

もう授業が始まるためそれだけ言って前を向く。

 

言いたいことは分かってる。

 

認めたくはないけど、確かに俺は岩沢の態度に対してモヤモヤしている。

 

今まで自分から接点を断ってきていたくせに、昨日の会話をなかったことにされたことに納得がいっていない自分がいる。

 

何を自分勝手なと言われるだろうけど、昨日のことをなかったことにはしたくない…気がする。

 

俺が笑ったことに泣いて喜んでいた岩沢のことをなかったことにはしたくないし、それを壊した自分の行為だってうやむやで終わらせたくない。

 

岩沢が昨日のことを引きずっていたらきっと気まずかっただろうけど、俺は謝っていたと思う。

 

いや違う。多分なんかじゃない。

 

俺は心の底では謝りたかったはずだ。

 

少なくともなかったことにしたかったなんてことはありえない。

 

理由かんて分からないし、謝ったその後どうなるかも分からないけど、そう思う。

 

なら、俺の答えはもう決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

4限の授業が終わるとすぐに俺の席までやって来て、顎でついてこいと命令され人気の少ない廊下の奥まで連れていかれる。

 

目的地に着くとくるりと俺の方に身体を向けて口を開く。

 

「さあ、お昼ご飯もまだだし早速答えを聞かせてもらいましょうか?」

 

まるで答えが分かってるみたいに優越感を感じさせる笑みを浮かべている。

 

思わず断ってしまいたくなる。

 

だがここで変な意地を張れば後々後悔するのは目に見えている。

 

「…入るよ」

 

「よっしゃあ!」

 

渋々そう答えると女子とは思えないほど豪快なガッツポーズを決め出す仲村。

 

「それじゃあ放課後部員たちを紹介するから帰らないでね」

 

「了解」

 

用事が済めばすぐにご飯ご飯~などと鼻唄混じりに教室へ戻っていった。

 

俺も教室一緒なんだけど…まあいいか。購買で何か買って中庭ででも食おう。

 

 

 

 

 

 

「貴様がゆりっぺの誘いを断った奴かぁ?!」

 

購買で焼きそばパンを買って中庭で食べていると、急に紫色の髪をした目付きの悪い奴が現れた。

 

まあ色々訊きたいことはあるけど

 

「とりあえずゆりっぺって誰?」

 

「貴様のクラスの仲村 ゆりのことだ!」

 

そう言われて得心がいった。

 

断ったってのは勧誘のことか。

 

つーかアイツのアダ名だせぇな。

 

「それならさっき入部することになったけど」

 

「……へ?」

 

「まあ座れよ」

 

「あ、ああすまない」

 

ポンポンと俺の正面の芝を叩くと意外にも素直に従って座り込む。

 

「お前名前は?」

 

「野田 一途」

 

「仲村の部の部員なのか?」

 

「ああ」

 

「そっか、これからよろしくな」

 

「ああよろしく頼む…って違ぁぁぁう!!」

 

「うわ、なんだよ?」

 

普通に会話をしていたら急に立ち上がって叫び出す。

 

情緒不安定な奴だな…

 

「俺は貴様と馴れ合うために来たわけではない!」

 

「え、何しに来たんだ?」

 

「ゆりっぺの誘いを断った貴様を叩きのめしに来たのだ!」

 

「いやだからもうそれは勧誘を受け入れたんだから良いだろ?」

 

「そ、それはそうだが…」

 

正論で返されて言葉に詰まってうーんと一人で考え込み始めた。

 

まあいいや、パン食っとこ。

 

「受け入れたなら今回は見逃してやる!が、今度またゆりっぺに逆らえばその時こそ叩きのめしてくれるから覚悟しておけ!」

 

あれから10分ほど考え込んでようやく口にしたのがそれだった。

 

もう昼休みが終わってしまう。

 

「それが結論でいいか?もう教室帰りたいんだけど」

 

「ん、ああすまない」

 

「じゃあ放課後な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無駄に素直な変なのに絡まれた昼休みを終え、更に午後の授業も乗り越え、ようやく放課後が訪れる。

 

約束通り放課後帰らずに残っているのだが…

 

「あれ?千里くんは?」

 

「彼女に弁当箱返さなきゃいけないからと言って帰りました」

 

「はぁぁぁぁ?!」

 

そう。悠が勝手に帰ってしまった。

 

アイツ面白そうとか言ってたくせに一人でさっさと帰りやがって…

 

「リア充死ね」

 

お陰で遊佐の機嫌が大変なことになっている。

 

コイツ悠となんか仲悪いんだよなぁ。昔はそうでもなかったのに。

 

まあ両方無駄に口が達者で頭も回るから反りが合わないってのはあるんだろうけど。

 

所謂同族嫌悪というやつだろう。

 

「あんな人と一緒にしないでください」

 

「ああうん。いやもう慣れたけどいい加減人の心読むのやめようぜ」

 

本当、エスパーかなんかなんですか?

 

「不愉快なことを考えてるからです」

 

不愉快って…そこまで言いますか。

 

「あんな自分は何でも分かってる風な人と一緒にされたら不愉快に決まっています」

 

「あ、そう…」

 

本気で嫌がってるようなのでこれ以上この件に突っ込むのはやめておこう。

 

余計不機嫌になられても後が怖いし。

 

「はぁ…ったくしょうがないわね。いいわ、とりあえず二人だけでも紹介しておきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

ついてきて、と言われて連れられた場所は、校舎とは違った校舎と比べると幾分小さい建物だった。

 

「ここが部室よ」

 

「これ全部がか?!」

 

「ええ、特別に作ってもらったのよ」

 

「成金ですね」

 

「誰がよ?!」

 

お前しかいないだろというツッコミはとりあえず置いといて、それでも流石は理事長のご令嬢といったところか。

 

外から見た感じだけでも十分な広さはありそうだ。

 

しかもこの建物全部ということはいくつも部屋があるんだろうし、部室としては破格のものだろう。

 

…いやこれ理事長の娘ってだけで済ましていいのか?

 

「まあいいわ。とりあえず入りましょう。皆待ってるわ」

 

そう言って扉を開けて中に入るように促される。

 

中に入るとそこには数人の部員がいた。

 

中には見知った奴も混じっている。

 

「よーよー歓迎するぜぇ。確か柴崎だよな?岩沢から話は聞いてたから気にはなってたんだ。同じクラスだしよろしくな!」

 

「あ、ああよろしく」

 

部室に入ってきた俺を見るなり声をかけてきたのは同じクラスの日向だった。

 

「私もいますが」

 

「うおっと?!き、気づかなかったぜ…えーと、遊佐、だったよな?お前もよろしくな」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

俺の後ろにいた遊佐には気がついていなかったようで、声をかけられ驚いていたがすぐにまた気さくに挨拶を済ましていた。

 

「柴崎!あたしも!あたしもよろしくな!」

 

「あ、ああよろ…「よろしくお願いします岩沢さん」

 

いきなり横から現れた岩沢にどんな態度を取れば良いのか分からず無難に返事をしようとしたところに遊佐が割り込んできた。

 

ちょうど俺と岩沢の間に身体を滑り込ましてくる。

 

「…よろしく」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

何がなんだかよく分からないけど今回は助かった。

 

仲村が謝るチャンスを作るまでどう接すれば良いのか迷っちまうし。

 

「ぷっ、くはははは!あんた良いねぇ、面白いよ。あたしもよろしくしてくるかい?」

 

「もちろんです」

 

「よっし、じゃあひさ子って呼んでくれ」

 

「はいひさ子さん」

 

「さんは別にいらないけどな」

 

どこを気に入ったのかは知らないがひさ子のツボに入ったらしい。

 

二人で仲良さげに会話をしている。

 

べ、別に俺はよろしくないのかよとか思ってないからね?!もう席だって前後だし今さらだし気にしてないんだから!

 

「えーっと、柴崎?」

 

「え、ああすまん。考え事してた」

 

心の中で気持ちの悪いツンデレ演技をしていたら気づかない間に話しかけられていたみたいだ。

 

「音無、だよな?同じクラスの」

 

「ああ、柴崎は常識人っぽいし安心したよ。これからよろしく」

 

非の打ち所のない爽やかな笑顔で手を差し出される。

 

くっ、すまない…ちょっと前にツンデレ演技をしていたばかりなんだ…!

 

「柴崎?どうした?」

 

「いや、なんでもないんだ。俺の方こそまともな奴がいて安心した。よろしくな」

 

これからは真っ当に生きようと心に誓いながら音無の手をとる。

 

「Hey!come on let's dance!」

 

「え、あ、いや…」

 

「コミュ障(笑)」

 

「んだとてめえ?!」

 

意味の分からない金髪でバンダナを着けている外人に突然話しかけられて言葉に詰まっていると横から遊佐が馬鹿にしてくる。

 

わざわざ口で(笑)までつけやがって…!

 

「Oh 驚かせてしまって申し訳ありません。今のはほんのjokeですよjoke」

 

「え…?」

 

ついさっき英語を話していた外人が急に流暢に日本語で話し出した。

 

「僕のことはTKと読んでください。あ、ちなみに京都出身のバリバリの関西人ですよー ha ha ha」

 

「紛らわしいわ!ていうかTKってなんだTKって?!」

 

「ニックネームですよ、やだなぁ~」

 

あ、ダメだコイツ。

 

なんか無理。嫌いじゃないけど生理的に無理。

 

つか、バリバリの関西人なら関西弁で話せよ。

 

「まあまあTKをすぐに受け入れられる人なんてそういないよ」

 

「つかそんな奴がいたらそいつ頭おかしいぜ」

 

「お前は確か藤巻…と、誰?」

 

「酷いよ柴崎くん!?僕も同じクラスだよ?!大山だよ!大山 誠だよ!」

 

「あ、ああすまん」

 

本気で覚えていなかった大山にとりあえず謝る。

 

まだ2年に上がってそんなに経っていないんだからそこまでムキにならなくても良いとは思うが。

 

「確かに僕はこれといった取り柄もないけどさぁ…」

 

地味なのが大山にとっての何かの地雷だったようでそのままブツブツとぼやき始めてしまった。

 

「あー、大山くんがその状態になったら放っておくしかないわ。で、あと挨拶してないのは…野田くんね」

 

「…必要ない。昼休みに既に済ましている」

 

「そうなの?まあ何となくは想像つくけど」

 

「ああ、まあ一応」

 

あの宣戦布告の真似事みたいなやつのことなら確かにそうだ。

 

まあ完全に挨拶したのは俺の方からだったけど。

 

つーか、想像つくってことはコイツいつもあんなことしてるのか?

 

「私はされてませんが」

 

「貴様になど余計に今さらだろうが!」

 

「え?知り合いだったのか?」

 

「あ、はい。去年同じクラスでした」

 

「へぇ、そうだったのか」

 

なんだか意外なところで知り合い同士だったんだな。

 

遊佐もそう言われるのが分かっててあえて言うってことはそこそこ打ち解けているみたいだし。

 

「で、顧問は椎名先生なんだけど今日は忙しいから来れないわ。そもそも担任なわけだから今さら必要ないし」

 

「まあそうだな」

 

「ってことで挨拶終了!次にやることはもちろん…」

 

パチンと指を鳴らすと、扉から執事のような人たちが一斉になだれ込んでくる。

 

「な、なんだなんだこの人たちは?!」

 

「あたしの家の使用人よ」

 

「使用人までいるのか?!」

 

「なんだ知らねえの?ゆりっぺの家って結構有名な会社経営してんだぜ?学校もその一貫なんだ」

 

「そ、そうなのか?」

 

全く知らなかった。

 

確かに理事長の娘だからって部室として建物を造ったり、金がありすぎると思った。

 

まさか会社の経営までしてるとは思わなかったけど…

 

「さあ準備出来たわよ!」

 

俺が仲村の家柄のことで驚いている内にてきぱきと使用人の人たちが何か用意をしていたらしい。

 

使用人の人が運んできたやけに豪華なテーブルの上に、たんまりと豪勢なお菓子とジュースの数々が。

 

「これって…」

 

「もちろん歓迎会よ!良い?今日は悩みとかそんなもん忘れてとりあえず騒げ野郎共!!」

 

「「「おぉう!!」」」

 

皆が仲村の号令に合わせて返事をしているのをポツンと取り残されてそれを見ている俺。

 

遊佐は返事こそ大人しくだったが皆に馴染んで普通に歓迎会の輪に溶け込んでいた。

 

「柴崎!あれ食べようぜ!」

 

「あ、ちょ…」

 

どう交ざろうかと考えていたところを岩沢に腕を掴まれて強引に皆のところに引き込まれる。

 

いや、それよりも岩沢にどう接したら…

 

と考えて遊佐がさっきみたいに割り込んでくれないかとキョロキョロと眼をさまよわせると、仲村と目が合った。

 

すると仲村は右目でウィンクをかましてきた。

 

何のつもりだ…?

 

と思った瞬間、すぐに仲村の意図に思い至る。

 

さっき悩みとかそんなもん忘れてと仲村は言っていた。

 

つまりそういうことだ。

 

今日、今現在だけ何も考えず岩沢と接したら良いんだ。

 

昨日放課後に話した時のように。

 

きっと仲村がいつか謝る機会をくれる。

 

だから今はそれを信じて、この会を楽しもう。

 

「ああ…分かった!」

 

 




ちなみに野田の下の名前は一途と書いて、かずとと読みます。

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「明日からは恋人だ」

「おいこら野田てめえ!取りすぎだろうが!」

 

「知るか!これはゆりっぺに捧げるのだ!」

 

「いらないわよ」

 

「そんなぁ~…!」

 

「つーか藤巻、お菓子取られただけでキレるとか器ちっさ」

 

「んだとひさ子ぉ?!」

 

「ほら音無、これ上手いぜ。食ってみろよ」

 

「いや、あーんしなくていい…自分で食うから…やっぱお前…」

 

「違いますからぁ!!」

 

「やっぱりポテチは美味しいね」

 

「そうですね山ちゃん。せやけど関西だし醤油味がないのはどういうことやねん!納得いかんわ~!」

 

「うどんがない…」

 

「歓迎会にうどんがあるわけないでしょう」

 

「そんなことないよな柴崎?!」

 

「いやねえだろ普通」

 

 

 

最初はどう輪に加わればいいのかすら悩んでいたはずなのに、いつの間にかこの場所に馴染んでしまっている自分がいた。

 

この中のほとんどのやつが話したこともないやつだというのに。

 

人付き合いが得意ではないはずの俺が、自然とここに加われている。

 

あんなに嫌がっていたのが嘘のように楽しい。

 

それはまるで、昔からの友人たちと遊んでいるような、そんな感覚。

 

不思議だ…

 

きっと遊佐もそう感じているんじゃないだろうか。

 

相変わらず表情は変わらないけど、楽しそうにしている。

 

中学の頃以来だな…遊佐が俺と悠以外のやつと居て楽しそうにしてるのを見るのは。

 

この時間がいつまでも続けばいい。

 

そう思ってしまいそうになるほどに安らかな時間。

 

しかしそんな時間ほど長くは続かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、もう下校時間だし帰りましょうか」

 

仲村がそう言う頃にはもう辺りは夕焼け色に染まっていた。

 

直に日が落ちて暗くなっていくだろう。

 

皆は仲村の言葉にそれぞれ了解の返事をして帰り支度を始める。

 

そっか、もう終わりか…

 

「なんだ柴崎、ボーッとして。帰んねえの?」

 

ここにいる楽しさの余韻に浸って動けずにいると、怪訝に思った日向に声をかけられる。

 

「ああいや、帰るよ。ちょっと考え事してただけだ」

 

「そっか、じゃあまた明日な!」

 

心配ないという旨の言葉を返すと、人の良さそうな笑顔を浮かべて音無を連れて部室を後にした。

 

「んじゃ帰るわ」

 

「あ、待ってよ僕も」

 

「私もです私もです」

 

それに連鎖するように次々と部室を去っていく。

 

「岩沢ー、帰ろうぜ」

 

「ちょっと待ってひさ子さん」

 

「なんだよ?」

 

ひさ子が岩沢を連れて帰ろうとするのを遮る仲村。

 

「岩沢さんは柴崎くんに送らせるわ」

 

「え?!俺か?!」

 

「本当かゆり?!」

 

唐突な指名に思わず声を上げてしまう。

 

岩沢なんて仲村に掴みかかりそうな勢いで何度も本当かと訊いている始末だ。

 

もしかして二人きりになる時間ってこれのことなのか?

 

だとしたらあまりにも突然すぎる。まだ心の準備もしていないのに。

 

「え、なんで?」

 

ひさ子は意味の分からない仲村の申し出に怪訝な表情を浮かべている。

 

「もう日も落ちるし女子だけじゃ危ないじゃない」

 

「いや、じゃああたしは?」

 

「今から先に行った藤巻くんたちに追い付いて送ってもらって」

 

「はぁ?!嫌だよ藤巻なんて!アイツ男のくせにだらしねえし!」

 

どうやらひさ子は藤巻のことが嫌いなようだ。

 

確かにお互い気の強そうな二人では中々反りが合わないかもしれない。

 

「今日だけ。ね、お願いひさ子さん」

 

手を合わせてお願いする仲村に困ったように頭を掻いている。

 

「はぁ…今日だけだぞ…」

 

「ありがとね」

 

「いいよ。じゃあ追い付かなきゃいけないし、あたしはもう行くよ。また明日な」

 

そう言って小走りで部室を出ていった。

 

「さて、じゃあ岩沢さんと柴崎くんも帰りなさい。本当に暗くなっちゃうわ」

 

「え…あ、ああ…」

 

「さ、行こうぜ!」

 

「ちょ、引っ張るな…」

 

突然のことで一瞬何が起きたのか分からなかった。

 

だから今起きたことをありのまま説明する。

 

まだ岩沢と二人きりになって謝るための心の準備が出来ていない俺がぐずぐずしていると岩沢が俺の腕を掴んでグイグイと引っ張ってきた。

 

すると、その腕を遊佐が引き剥がした。

 

「…遊佐?」

 

「嫌がっていたので」

 

いきなりのことにあっけに取られて固まってしまう岩沢。

 

しかし遊佐は特別なことなど何もしていないというようにいつもの無表情だ。

 

…いや待てよ。嫌がってたからとかお前が言うの?

 

「…遊佐さん」

 

一瞬の沈黙が生まれ、どこかピリピリとした空気が流れ出した時、仲村が静かに呼び掛けた。

 

「あなたには話があるから残りなさい」

 

「…私は一人で帰れということでしょうか?」

 

「あなたはあたしの家の車で送るわよ」

 

「なら岩沢さんもひさ子さんもそれで良かったのでは?」

 

「いいから!」

 

数回の問答を経た後、苛立ちを隠さずに仲村は叫んだ。

 

そして、もう1度小さな声で、いいから、と繰り返す。

 

「今日は言うことを聞いて」

 

「…了解しました」

 

…なんなんだ、この空気は?

 

仲村が俺のために岩沢と二人にしてくれようとしてるのは分かる。

 

でも何で遊佐が岩沢の手を引き剥がしたり仲村に何回も逆らったりする?

 

しかも仲村はそれに対してここまで怒る理由も分からない。

 

思い通りに行動しないからか?でも今日の仲村を見たところ、そんなことで怒るほどに器量の無い奴じゃなさそうだった。

 

…それに、今の仲村からは苛立ちとかそういうのとは別の感情が隠されてるような気がする。

 

「柴崎くん」

 

「お、おう。なんだ?」

 

沈黙の中急に呼び掛けられ、返事が詰まる。

 

「…早く帰りなさい」

 

「…分かった、じゃあまたな。ほら行くぞ」

 

「待てよ柴崎!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

 

柴崎さんと岩沢さんが出ていくとすぐにそう謝ってくるゆりっぺさん。

 

さっきまでの気丈な態度とは打って変わり、右手で左肘に手をやりまるで自分を抱き締めているようにしている姿は恐ろしく頼りなかった。

 

…そんな姿を見たかったわけではなかったのですが…

 

「気にしないでください。慣れていますから」

 

―――それに分かっていますから。

 

とは、言いたくなかった。

 

それを口にすれば諦めることになってしまいそうで。

 

目を閉じれば瞼の裏に鮮明に映し出される彼。

 

此処でも私の心に圧倒的な熱量をくれた彼。

 

『俺は、どんな笑美でも嫌いになったりしない』

 

――諦めたくない理由をくれた。

 

それだけで、頑張れる。

 

「明日からは今日みたいに譲らなくても良いんですよね?」

 

「ええ、あたしは別に遊佐さんを邪魔したいわけではないわ。…ただ、今日は柴崎くんとの約束があったから仕方がなかったの」

 

「了解です。それだけ聞ければ満足です」

 

だから諦めない。

 

例えあの二人が結ばれる運命なのだとしても、最後まで、決して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自転車あるなら2人乗りしようぜ。後ろから抱きつけるし!ああでもそれじゃあ帰る時間が短くなる!?」

 

「柴崎!腕組んでいい?!あ、手は?手は繋いでいいか?!」

 

「あ、なああそこのファミレス入らないか?パフェ食おうぜ!二人であーんって!」

 

「なぁ、折角二人きりなんだしもっと話そうぜ?何が知りたい?スリーサイズか?」

 

ゆりにセッティングされて二人で帰る道中、何かと思い付いては脊髄反射でものを言ってくる岩沢に俺は上の空で返事をしていた。

 

駄目、無理、いらんなどなど。

 

いつもよりもかなり冷たいあしらい方になってしまっていると思う。

 

だが上の空になるのも無理からぬことだとも思う。

 

岩沢にどう昨日のことを切り出したものかと頭を捻らなければいけないのだから。

 

俺は決して口の上手い方ではない。むしろ口下手だ。

 

遊佐や悠みたいにペラペラと饒舌に会話をすることなんて到底出来やしない。

 

だから悩んだ。頭を使った。

 

でも、結局不器用な俺には上手い切り出し方なんて思い付かなかったんだ。

 

「あ、柴崎。ここあたしの家だ」

 

「何と?!」

 

だから考えてる間に目的地の岩沢の家まで着いてしまった。

 

岩沢が指したその場所は、極々一般的な2階建ての一軒家だった。

 

「ちぇ、楽しい時間ってのは本当に過ぎるのが早いな」

 

「あ、ちょっ…待ってくれ!」

 

家に着いて早々に話を畳もうとする岩沢の言葉を不格好になりながら止める。

 

くそ、さっきまでの切り出し方を考えてた時間が無駄になっちまった…!

 

「なに?」

 

「えっ、と…」

 

心ここにあらずだった俺が急に大声を出して遮ったことを訝しく思ったようで、不思議そうな顔で小首を傾げている。

 

けど止めたのは良いとして、その先はまだ何も考えてなかった。

 

どう話始めたら良いんだ?

 

昨日の放課後話したよな、か?

 

なんで何もなかったみたいにするんだ、か?

 

いや、こんなのどれも岩沢を責めてるみたいじゃないか。

 

そんなんじゃないんだよ…俺は…俺が言いたいのは…

 

「柴崎、大丈夫か?」

 

「え?」

 

考えすぎて黙りこくってしまったところに声をかけられてハッとする。

 

「なんか、すごく辛そうだ」

 

そう言う岩沢の顔は、本当に心配してるのが伝わってくる。

 

凛々しく整っている眉毛が頼りなく下を向き、それに合わせるように切れ長の目もいつものような力強い目付きではなくなっている。

 

なんで俺は謝らなきゃいけない相手にこんな顔させちまってんだ…!

 

「ふん!」

 

「ちょ、ちょっと柴崎?!」

 

不甲斐ない自分に喝を入れるために頬を両側から思いきりひっぱたく。

 

痛え…

 

けど、迷いは吹っ切れた。

 

俺は出来るだけ誠意が伝わるよう、深く頭を下げる。

 

「昨日はごめん!!」

 

「き、のう…?」

 

「ああそうだ!昨日、急にお前に当たっちまって悪かった!」

 

「ちょっと、柴崎…な、何言ってんのさ…?昨日なんて…」

 

頭を下げていて顔は見えない。

 

だけど岩沢が明らかに嘘をついていて、狼狽えているのは声でわかる。

 

「なかったことにしないでくれ!」

 

「なんの…ことだよ…?」

 

「お前と二人で話したこともお前が俺が笑っただけで嬉しくて泣いたことも、昨日のこと全部!」

 

「なんで…?」

 

なんで、と訊いてる時点でもう昨日のことを認めているのだが、そんな揚げ足とりをするつもりは毛頭ない。

 

俺はただ俺のあるがまま思ったことを伝える。

 

「分かんねえ!」

 

「分からないって…」

 

「分かんねえ、けど…嬉しかったんだ!俺が笑った、それだけで泣くほど喜んでくれたのが!それにあんなに普通に話せたことが!…それを、なかったことになんかしたくない!」

 

一気に言い切って、岩沢の言葉を待つ。

 

しかし、一向に言葉が返ってこない。

 

不安になって顔を上げると――

 

「うっ、く…ぅぅ…」

 

岩沢はまた泣いていた。

 

「な、何でそこで泣く?!」

 

「だって…!昨日柴崎めちゃくちゃ怒ってたから…嫌われたと、思って…なのに、嬉しかったって…」

 

「それは…だから…」

 

ぐすぐすと鼻をすすりながら泣きじゃくる岩沢を前にしてどうしたものかと頭を掻く。

 

「…悪かった」

 

ポン、と岩沢の頭に手を置く。

 

特にこうしようと思ったわけではなかった。

 

だけど、泣いてる岩沢の姿を見たら無意識に手が出てしまっていた。

 

そのまま数回ポンポンと優しく叩く。

 

「嫌ってないから、泣き止め」

 

「…うん」

 

そう言って何度も目を擦る岩沢の姿は、なんだかどこかの小動物みたいで、えらく可愛く思えた。

 

 

 

 

 

 

 

「泣き止んだか?」

 

「ああ、もう大丈夫だ!」

 

その後泣き止むまで頭をポンポンし続け、ようやく涙が収まったらしく手を離した。

 

「じゃあ、その…なんだ。とにかく昨日のことをなかったことにするのは無しだ。分かったな?」

 

「分かった!」

 

「よし、だから明日からは…」

 

明日からは昨日の放課後みたいに普通に話そう。

 

そう言おうと思っていたのだ。

 

そうすればこれから普通に仲良くやっていけると思って。

 

しかし、コイツは、岩沢雅美という女は俺の考えなんて超越していたのだ。

 

「分かってる!柴崎もあたしのこと好きなんだもんな!明日からは恋人だ!!」

 

「……ん?」

 

聞き間違いか?今恋人だとかなんとか言っていた気がする。

 

「今、なんだって?」

 

「明日からは恋人だ」

 

聞き間違いではなかった。

 

ガッツリ恋人だと言っていた。

 

「な、何でそんな思考に至った?」

 

「あたしが泣いて嬉しかったんだろ?それであたしのこと嫌いじゃないって言ったし、なら好きなんだろ?」

 

「………………」

 

あまりの飛躍的思考に絶句してしまう。

 

その沈黙を肯定に受け取ったのか、岩沢はニコニコと嬉しそうに笑っている。

 

岩沢が犬ならさぞ盛大に尻尾を振っていることだろう。

 

「じゃあまた明日な。あ、そうだ。はい、付き合った記念にキス」

 

目を瞑ってぐっと唇をつきだしてくる。

 

「……あるか…」

 

「ん?蒼?」

 

「んなわけあるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!?」

 

やっぱりコイツは苦手だ。

 

 

 




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「勧誘?」

さきほど、小説情報を見たときに非ログインユーザー様の感想を受け付けないという設定になっていることに気がつき、急いで変更させて頂きました。
これからもよろしくお願いします。


そうして、岩沢との関係が元に戻り数日が経過した。

 

岩沢は変わらず毎日好きだ好きだとまるで呪いかなにかのように言ってくる。

 

最近はもうはいはいと頷くだけで流すことにしている。

 

そして放課後には部室に向かい、何をするでもなく皆で話す。

 

数日そこで過ごしていると皆の関係性というのが如実に見えてくるものだ。

 

初めは皆大差なく仲が良いのだと思っていたが、そういうわけでもないようだ。

 

音無と日向は親友のようでいつも一緒に喋っている。しかも日向の音無に対する距離感は何か怪しいものを感じるほどだ。

 

まあ日向は他の奴らとも大概仲が良く、他の奴らにも似たような距離で話すこともあるのであれが素なのだろう。

 

強いて言うならばTKとは少し距離があるようだ。他の奴にはアダ名で呼ぶのに日向だけ日向氏と呼ばれていた。

 

それとは正反対で、音無は日向以外とはそこまで仲が良くはないようだ。日向以外となると俺、もしくは大山辺り以外とはそこまで話さない。野田と藤巻とはむしろ相性が悪いようだ。

 

TK、藤巻、大山は3人組でよく一緒にいる。登下校も一緒のようだ。

 

そして大山は珍しくまんべんなく皆と話せるみたいだ。ただし女子相手には気後れするようだが。

 

野田はというと、仲村以外にはあまり興味がないらしい。他の奴にするとしたら威嚇くらいのものだ。

 

そのせいでとにかく藤巻と反りが合わない。

 

藤巻と反りが合わないといえばもう一人いる。

 

ひさ子だ。

 

ひさ子は基本的に気さくで姉御肌な良い奴なのだが、どうにも藤巻の言動だけには一々引っ掛かるところがあるようだ。

 

岩沢と遊佐は………何故か俺の横に陣取ってることが多い。

 

まあ岩沢は元々の言動から分からなくはないが、遊佐のこの行動の意味がさっぱり理解出来ない。

 

何か企んでいるのではと冷々している。

 

そしてこの光景を見て千里は心底愉快そうに腹を抱えて笑っている。

 

ちなみにコイツは俺以外とはあまり話さない。というより、彼女優先のため来ない日が多い。

 

俺が他の奴と話している時は岩沢は上の階に上がっていたり(一人になってギターを引いてるらしい)、遊佐は仲村と何か話していたりと各々行動している。

 

そしてこの部の部長である仲村はというと、この部の勧誘は仲村が一手に引き受けてるらしいので皆と仲が良い。そして皆からの信頼も勝ち得ていた。

 

そんな部に俺は今日もまた訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日なんだけどね、柴崎くんはちょっと勧誘に行ってきてくれない?」

 

部室に入り鞄を置いた所で唐突にそう話を切り出される。

 

「勧誘?」

 

いつも勧誘は仲村が行っていると日向から聞いていた俺は当然疑問に思い聞き返す。

 

「ええ。岩沢さんとひさ子さんでバンドを組んでるのは聞いてるわよね?」

 

「まあ一応」

 

「あとリズム隊が足らないことも聞いてるわよね?」

 

「まあそりゃ――「ゆり!それってつまりリズム隊の勧誘か?!」

 

聞いてるよと言おうとした所でさっきまで大人しく横で話を聞いていた岩沢が遮ってくる。

 

「そうよ」

 

「じゃあ見つかったってことだよな?!」

 

「ちょっと待ってくれ。ドンドン話を先に進められたら困る。そもそも何で俺がそのリズム隊とやらの勧誘をしなきゃいけないんだよ?岩沢達でやっちゃダメなのか?」

 

「もちろん岩沢さん達も行くわよ」

 

「なら俺はいらないだろ」

 

「それが、ね…」

 

納得いかず仲村を追及していくと、気まずそうに目を逸らし出す。

 

「岩沢さん…音楽キチだから多分…やらかしちゃうと思うのよね…」

 

「……あー…」

 

仲村に言われて思わず納得してしまう。

 

ここ数日で分かったことなのだが、岩沢が何かに興味を持つということは相当珍しいことらしい。

 

それは何故かというと、岩沢の興味や関心はほぼ100%音楽のことに向けられているからだ。

 

岩沢が音楽の話題等で語り出すと例え皆が居なくなっても自分が満足するまで止まらない。

 

まあそうなるとマジでなんで俺のことなんかを好きになったんだよという感じなのだが。

 

「いやでも、だからって俺が付いてるからってどうなるんだよ?」

 

「だから岩沢さんに喋らさずに柴崎くんに勧誘してもらいたいの」

 

「なんで俺なんだよ?ひさ子じゃダメなのか?」

 

「……ひさ子さんだと相性が悪いのよねぇ」

 

「そんなやつ勧誘すんのかよ?」

 

ゆりの台詞を聞いて今度はひさ子が会話に入る。

 

確かにそんな相性が悪いようなやつとやりたいとは思わないだろうな。

 

「そんなに心配しなくても良いんだけどね。多分最初の内だけだろうし」

 

「だから勧誘の時は俺がってことか?」

 

「そうなるわね」

 

「勧誘なぁ…」

 

正直俺がやったところで上手くいくとも思えない。

 

俺は目付きが悪いし、ただでさえ口が上手くもない。

 

けど岩沢に喋らないよう言い聞かせつつ勧誘するには俺しかいないってことになるらしい。

 

どうしたもんか…

 

「悩んでるところ悪いけど、拒否権はないのよ?」

 

「え?」

 

「だってあなたあたしに貸しがあるじゃない」

 

「貸し…?」

 

はて、そんなものあったっけ?

 

「しゃ・ざ・い」

 

「ああ…って、えぇぇぇぇ?!あれは部活に入るのでチャラじゃないのか?!」

 

というよりその交換条件で入ったはずなのでは?!

 

「ちょっと勘違いしないでくれる?謝るために入らなきゃいけないんだからそんなの交換条件じゃないわよ。あれはあくまでもあたしの貸し」

 

「はぁ?!」

 

「なあ、謝るとか交換条件とかなんのことだ?」

 

いきなり口論を始めた俺たちの会話に状況が飲み込めないひさ子が入ってくる。

 

岩沢はそもそも理解するつもりがないのか、はたまた既に察しているのか明後日の方向を見ている。

 

しかしもし分かっていないのなら出来ればこの件に関しては岩沢に知られたくない。

 

ならもう…

 

「…はぁ、分かったよ。行きますよ。勧誘に行かせて頂きますよ!」

 

「あらそう。じゃあいってらっしゃ~い」

 

「ちょっと、なんだったんだよ?」

 

「秘密だ!行くぞ!」

 

「あ、遊佐さんが詳しいこと知ってるから連絡して訊いておいてね~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲村に言われた通り携帯で遊佐に連絡を取り、とりあえず校門に来てくれと言われたのでそれに従って向かった。

 

「両手に華とは良い身分ですね。素人童貞さん」

 

呼んでおいての第一声がこれだ。

 

「その誤解を生みそうな呼び方を直ちにやめろ」

 

「事実なので誤解が生まれる余地は皆無かと」

 

「馬鹿野郎!素人童貞だったら俺が風俗に行ったことになるじゃねえか!謝れ!!」

 

「馬鹿野郎はてめえだ!大声で何言ってんだ?!」

 

「がっ?!」

 

正当な抗議をしていたはずの俺の方だけが真っ赤になっているひさ子の鉄拳を喰らうはめに。

 

何故だ…遊佐だって素人童貞と言っているのに…

 

「なあ、素人童貞ってなに?あと風俗って行くものなのか?」

 

「ほら見ろ!岩沢が変なことに興味持っちまっただろうが!」

 

「うっ…それは本当にすまん…」

 

あまりにも純粋無垢な瞳で問うてくる岩沢に罪悪感が芽生えてしまう。

 

「ちっ、生娘気取りが」

 

隣でこんな悪態を岩沢に聞こえないように吐き捨てる幼馴染みを見てより一層強い罪悪感を覚える。

 

ごめんね、こんな子になるのを止められなくて。

 

「よしとりあえずお前らの始末は後にするとして」

 

あれ?今始末って言った?説教とかすっ飛ばして始末されるの?ねえ?

 

「とにかく今は勧誘するやつの情報だ。どんな奴なんだ?」

 

「それならこちらです」

 

ひさ子の問いかけを受けてそそくさと携帯を取りだし、写真を数枚見せてくる。

 

「この二人か」

 

その数枚の写真にはどれも二人の少女が写されていた。

 

一方は金髪ロングでどの写真も快活に笑っていて明るい印象を持つ少女が。

 

もう一方は薄めの紫色をした長髪の少女で、もう一人の少女とは対照的に大人しそうな印象を受ける。

 

「なんでこの二人なんだ?特にこっちの子はバンドとか向いてなさそうな感じだけど?」

 

携帯の液晶に映る薄紫髪の少女を指差しそう訊ねる。

 

「おい、いくら柴崎でも見た目で音楽性まで否定するなら怒るぞ」

 

「え、すまん。そんなつもりじゃなかったんだけど…」

 

何の気なしにした質問が岩沢の琴線に触れたようでいつになく鋭い視線を送られる。

 

音楽が絡むとやっぱりコイツはいつもと違うんだな…

 

「そっか、あたしの勘違いだな。ごめん柴崎愛してる」

 

前言撤回、なにも変わらないわ。

 

ここで気をつけろよくらい言ってくれたら撤回せず済んだのに。

 

「ちなみにさっきの質問に答えますと、岩沢さんのリクエストを聞いたゆりっぺさんの独断と偏見で選びました」

 

「あんたゆりになんてリクエストしたのさ?」

 

「最高にロックな奴を頼む」

 

「それでコイツらなのか…?」

 

ひさ子も俺と同じ疑問を覚えているようで、ふーむと顔をしかめながら写真を凝視する。

 

「つーか、ひさ子もどんな奴なのか知らなかったのか?なんか前にリストがどうとかゆりが言ってた気がするんだけど」

 

「あー、あの時か。あれはゆりの嘘だったんだよ」

 

そういえばあの時は確か俺を勧誘するために岩沢を俺から離れさせるために言ってたんだったな。

 

あれ嘘だったのか。

 

「あー、あれな…岩沢が急に来て話もまともに聞かないし大変だったぜ…」

 

ご愁傷さまです姐さん。俺のためにすみませんでした。

 

「ともあれ、この二人を勧誘するってことで良いんだよな?」

 

「ああ、コイツらしかいないよ」

 

「うーん、まあ岩沢がそう言うなら信じてみるよ」

 

「分かった。で、その二人はどこにいるんだ?」

 

「お二人は今軽音楽部の体験入部に行っています」

 

「え、体験入部行ってるのか?それも軽音楽部に?」

 

それってもう手遅れなんじゃないだろうか。岩沢の謎なリクエストに応えて選んだ二人ならそのまま軽音楽部に入部を決めてしまうのではないか?

 

「心配するな柴崎。あの二人は絶対軽音楽部なんかに入らないさ」

 

「いや心配っつーか…まあいいけど。でも何を根拠にそんなことを?」

 

「ここの軽音楽部はかなりお遊びノリなので真剣に楽器をやりたい人はあまり入らないのです」

 

何故か岩沢にした質問に遊佐が代わりに答えていた。

 

しかも岩沢が満足げに、そうそうと頷いている。

 

いやまあ良いんだけどさ。

 

「まあそういうこった。あたしと岩沢もその口だしね」

 

「ならあとはこの二人がいつ来るかだな。その体験入部はいつ頃終わるんだ?」

 

「もう既に終わっている頃かと」

 

「なんでそれを先に言わねえんだよ?!」

 

もし見逃したらどうするつもりなんだコイツは?!

 

「よっぽどのことがない限りそれはありえないでしょう。あなたの眼があれば」

 

「…そういう問題じゃねえよバカ」

 

それにこの眼はコンプレックスなんだ。あまり率先して使いたくはない。

 

「なあ、もしかして柴崎めちゃくちゃ眼が良かったりする?」

 

「え…?」

 

俺と遊佐の会話を聞いて突然そう訊ねてくる岩沢。

 

どうやらさっきの会話のせいで気づかれたらしい。

 

「そうだけど…」

 

「そっか!そっかそっか」

 

コンプレックスを知られてしまい言葉尻が萎む俺と、何故かそれを知って嬉しそうに頷いている岩沢。

 

こんなこと知って何が嬉しいんだか…

 

「誰にも言うなよ。ひさ子も。ていうか遊佐もあんまり人前で言うな」

 

「なんで?」

 

「好きじゃねえんだよこの眼」

 

「…なんで?」

 

「…なんでも良いだろ。それよりも勧誘の方に集中しようぜ」

 

きっとこういうものは持ってるやつにしか分からないだろう。

 

顔の造形が整っている人ほど自分の顔にコンプレックスを抱えているケースが多いと言うし、何かが優れすぎるっていうのは良いことばかりじゃないんだ。

 

「ほら、二人もこっちに来てる」

 

体験入部を終えたのであろう生徒たちの集団の中にいた二人を見つけて指をさす。

 

「あ、本当だ」

 

「じゃあここからは柴崎頼むぜ」

 

「上手くいく保証はねえぞ…あ、あと岩沢は良いって言うまで静かにしとけよ」

 

「柴崎が言うなら」

 

喋りながらなのでゆっくりとこっちに向かってくる二人。

 

おかげで余計に緊張してくる。

 

「ヘタレ」

 

「うるせえ!」

 

人が緊張しているというのに暴言を吐いてきた遊佐にとりあえず怒鳴っておく。

 

「あ、もう来ますよ。ファイトヘタレさん」

 

「あとで覚えてろよお前…!」

 

しかしもう二人がかなり近づいてきているのは本当なのでとりあえず今は勧誘の方に集中することにする。

 

「ごめん、ちょっと時間良いか?」

 

「ひゃあっ?!」

 

「うおっ!?」

 

横並びに歩いていた二人の内近い方の肩を叩いて呼び止めると、急に悲鳴を上げられる。

 

まさかそんな反応をされるとは思っていなかったのでつられて俺も声を上げてしまう。

 

するともう一人の少女が驚いた方の少女を退かして、スススと俺の方に近づいてくる。

 

「いや~どーもすみませんうちのみゆきちが。あ、この子入江みゆきでみゆきちって言うんですけどね。この子本当に人見知りだし怖がりだしで知らない人に声をかけられたのとあなたの目付きが怖いっていうダブルパンチで悲鳴を上げちゃいまして」

 

「え、あ、おう。そ、そりゃ悪かった」

 

立ち位置を代えたかと思えばすぐにペラペラとマシンガンのように喋りだす。

 

しかもさらっと人のことを目付きが怖いとか言いやがった。

 

しかしいきなり声をかけたのはこっちが悪いので一応謝っておく。

 

勧誘をするのだからある程度下手に出ていて損は無いだろう。

 

「あ、あたしの名前は関根しおりです。気軽にしおりんって呼んじゃってくださいね」

 

「いや呼ばないけどよ」

 

「え、何でですか?!」

 

「何ではこっちの台詞だ。初対面の奴に何をいきなりアダ名で呼ばせようとしてんだよ」

 

「?普通でしょこれくらい?」

 

「え?そうなの?」

 

「すみませんコミュ障さん早く本題に入ってくれませんか?」

 

「うるせえ分かってるよ!」

 

「ひいっ!」

 

本当だよ?本当に忘れたりしてないよ?別にカルチャーショックとか受けてねえし。

 

あとちょっと声を荒げただけで悲鳴を上げるのはやめて欲しいです入江さん。

 

「本題ってなんすか?」

 

非常にこの短時間で俺の精神面が傷つけられてはいるが、関根が良いところで食いついてくれた。

 

これで本題にすんなりと入ることが出来る。

 

「ああ、本題ってのはだな、部活の勧誘なんだが…」

「あ、無理っす。あたしたち軽音楽部入るつもりなんで」

 

「え?」

 

ほら、と言って肩に掛けてあるギターケースのようなものを見せてくる。

 

いや、楽器をやっているのは分かってるんだけど…

 

ちらっと岩沢の方を見たら目に見えて固まっていた。

 

なんていうか、時間が止まってるんじゃないかってくらいずっと目が見開きっぱなしだ。

 

「えーっと、軽音楽部に入るのか?」

 

「だからそうですってば」

 

「な…なんでだ?!関根?!」

 

「ひゃわっ?!いきなり何ですかあなたは?!」

 

ようやく静止状態から抜け出せた岩沢は必死の形相で関根に掴みかかる。

 

「お前ら二人ともあんなお遊びクラブで良いのか?!いいや、そんなので満足するお前らじゃないだろう!?」

 

「いやいやいや!あなたはあたしたちの何を知ってるんですか?!」

 

「ストップストップ!とにかく落ち着け!」

 

このままだと何か事件でも起きてしまいそうなくらいの岩沢の剣幕を抑えるために全力で関根から岩沢を羽交い締めにして引き剥がす。

 

ていうかもう岩沢のせいで入江がうずくまって震えてしまっている。

 

「コイツのこれは1種の病気なんだ。悪気はないから許してやってくれ」

 

「…あの、柴崎…そろそろ落ち着いたから…その…」

 

「す、すまん!」

 

関根から引き剥がした状態のまま話していると、岩沢が顔を真っ紅にしていた。

 

いつもなら出来るだけそのままでいようとしていてもおかしくないのに…なんか調子狂うな…

 

「ちっ!」

 

「舌打ちでかいからな…」

 

しかし遊佐のいつも通りの態度のおかけでそれも緩和された。

 

たまには役に立つなコイツの性格の悪さも。

 

「でも、軽音楽部ってお遊びノリって聞いたんだけど、それでも入るのか?」

 

「まあ確かに空気は緩かったですけど、この学校でバンドやるならここしかないですし」

 

「他にメンバー集めてやろうって考えないわけ?」

 

関根の一言がスイッチになったのか、今まで傍観をきめこんでいたひさ子が会話に参加してくる。

 

「考えないわけでもなかったですけど…経験者はほとんど軽音楽部に入ってますし」

 

「はぁ、柴崎もういいよ。勧誘は失敗だ」

 

関根の答えを聞いて拍子抜けしたのか、帰ろうとするひさ子。

 

「はぁ?!そんないきなり…」

「ダメだ!!」

 

もちろんいきなりの行動に驚いて引き止めようと声をかけようとしたその時、俺の言葉なんてあっさりとかき消してしまう程の声量で岩沢が叫んだ。

 

ビリビリと空気が振動しているような錯覚に陥る。

 

それほどの迫力を今の岩沢は醸し出していた。

 

「この二人じゃないとダメだ!」

 

「…あのな岩沢、あたしらはガチで音楽をやる仲間を捜してるんだよな?なら少なくともここの軽音楽部で妥協しようとするような奴らと組むのはありえないんじゃねえの?」

 

しかしその迫力にもひさ子は1歩も退かずに睨み返す。

 

「ダメなんだ!あたしたちの仲間になるのはコイツらじゃないと!」

 

「だからその理由を言えっつってんだろ!!」

 

「二人ともやめろ!こんなとこで何するつもりだ!」

 

苛立ちがピークに達して岩沢に掴みかかろうとしたひさ子の手を掴んで言い聞かせる。

 

「離せよ!別に殴り合いなんてしねえよ!」

 

「今にも暴れだしそうなやつの言葉なんか信じられるか!それに、妥協って言い方はないだろ!関根たちは軽音楽部で本気で音楽をするつもりかもしれないだろ!」

 

「あんな楽器に飲み物溢してヘラヘラしてるようなところで本気でやれるわけねえんだよ!」

 

まだ声は荒げたままだが頭は少し冷えたようで、離せ!と言って俺の手を振りほどいて何度か手首を回す仕草を見せる。

 

「え、先輩たちそんなことしてたんですか…?」

 

「あ?…ああ、そうだよ。あたしたちが去年体験入部で行ったときにな。ジュースを溢してギターにかかったってのにさっさと拭きもせず全員ヘラヘラ笑ってやがったよ」

 

「確かにノリの軽い人たちばっかりだったけど…そんなに適当な人たちだったなんて…」

 

ひさ子の話を聞いて驚きを隠せないというように目を見開いている。

 

「ほら、関根たちはそれを知らなかっただけなんだよ」

 

そう言うと、拗ねるようにそっぽを向いて、ふんと鼻を鳴らした。

 

「そんな奴らとお前らはやりたいか?」

 

「…正直やりたくないです」

 

「ならあたしたちとやろう。あたしとひさ子はプロを目指してるんだ。だからあんたたちの力を貸してほしい」

 

「「「ぷ、プロぉ?!」」」

 

思わぬ発言に俺と関根、そして入江でハモってしまう。

 

「そ、そんな人たちの力になれるほど上手くないですよあたしたち!」

 

「これから上手くなるんだろ?」

 

「だ、だとしてもプロになんて…」

 

「なら、聴いてみるかい?あたしたちの音」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、有無を言わさずに二人を部室に連れていき、ろくにゆりたちに紹介もせずギターケースだけしっかりと担いで4階まで連れて行く。

 

俺は初めて上がったのだが、4階は防音室になっていたようだ。

 

岩沢とひさ子はギターや何かの機械の調節を行い、それを終えるとこちらに向き直る。

 

「今からやるのはオリジナルの曲だ。曲名はCrow Song」

 

「Crow Song…」

 

何故かその曲名を聞いた時、無意識に反芻してしまっていた。

 

「行くぜ」

 

そう岩沢が言うと二人の演奏が始まった。

 

足りていないドラムとベースは機械で音を出しているようだ。

 

しかし…これは…

 

「すげえ…」

 

二人の演奏はその一言に尽きた。

 

音楽に詳しくなどないずぶの素人の俺でもはっきりと分かるほどのギターテクニックを持っている二人。

 

そして何より圧巻なのは

 

『いつまでこんなところにいる』

 

岩沢の歌声だ。

 

前に教室で聴いたハミングとはまるで違うひたすらに力強く、そしてまるで確固たる決意があるようなブレのない歌声。

 

こんなに本気で歌っている岩沢を見るのは初めてだ。

 

そう、初めてのはずなんだ。

 

なのに、俺は今この岩沢の姿に既視感を覚える。

 

俺の知ってる岩沢という奴は、いつも本気かどうか分かりにくい告白をしては笑っている。

 

こんな真剣な表情で歌う姿なんて見たこともなければ想像したこともない。

 

だけど、どこか見覚えがあった。

 

そして聴き覚えがあった。

 

不思議だ…

 

この感覚は、SSS部に初めて行った時にも感じたことがある。

 

いや、思い返せばあの日教室でハミングを聴いた時だって感じていた。

 

初めてのはずなのに、スッと胸の内側に収まっていく。

 

そしてそれが心地よくて仕方がないのだ。

 

落ち着く。

 

まるでそこが自分の居場所であり、正しい姿なのだというように。

 

今もこの歌を聴いていることが自分にとって当たり前で、正しいのだと身体と心が納得しているみたいだ。

 

岩沢の歌を一字一句逃さないよう耳を澄まして、目はその姿から離すことが出来ない。

 

もっと聴いていたい。

 

もっと見ていたい。

 

もっとこの感覚を味わいたい。

 

しかし、一曲が終わる時間は短いものだった。

 

『希望照らす光の歌を その歌を』

 

最後にそう歌い上げ、アウトロを一心不乱に奏で、演奏が終わってしまった。

 

もっと聴いていたい。

 

それが率直な感想だった。

 

しかしそれはこのCrow songが物足りないということでは勿論ない。

 

むしろ素晴らしかったために余計、他の曲も聴いてみたいと思ってしまう。

 

それほどの歌をこの二人はやってのけたのだ。

 

この演奏を聴かされたらさっきのプロ発言がいよいよ現実味を帯びてくる。

 

しかし、それは1つの可能性を生んでしまう。

 

これは関根と入江の勧誘を目的とした演奏だ。

 

確かに下手では話にならない。だが、プロという目標すらあながち遠くはないであろうこの二人の実力をまざまざと見せつけられ、果たして関根と入江は気後れせずにいられるのだろうか。

 

現に演奏が終わっても二人は一言も発そうとしない。

 

「どうしたんだ?」

 

岩沢は俺たちのリアクションがないことに対して不思議そうに首を傾げている。

 

「何かミスしたか?なあひさ子」

 

「いや?そこそこ良かったと思うけど」

 

「そこそこ…?」

 

今のレベルでそこそこだと言うのか?

 

明らかにコイツらは学生という枠を大きく飛び越えた才能を持っている。

 

「こ、こんなの…凄すぎる…」

 

ボソッと関根がそう呟いた。

 

自分とこの二人の差を痛感しているようだった。

 

「凄すぎます!!」

 

これは勧誘失敗かと思った次の瞬間、関根はそう叫びだしていた。

 

「こんな…!こんな人たちが居たなんて…!」

 

「感動です!こんな演奏聴いたことなかったです!」

 

関根の叫びに続くように入江も先程までの怯えたような雰囲気を吹き飛ばして大きな声を出している。

 

人見知りで怯えていた入江すら興奮させる二人の演奏。それは確かに凄い。

 

「決めました!あたしお二人とバンド組みます!断られても無理矢理組ませてもらいますよ!ね、みゆきち!」

 

「うん!あたしたちもこれからお二人に並べるように頑張りますから!」

 

だけど、それを聴いて自分達もそこに加わりたいと、追い付きたいと本気で思えるコイツらも同じくらい凄いと俺は思う。

 

「よし!もちろん歓迎だぜ。なあひさ子?」

 

「ふん、ちっとは根性あるかもしれないしな。まあ入れてやらねえこともねえよ」

 

「はいはいはーい!ならバンド名がいると思うのですが!」

 

「バンド名?」

 

岩沢とひさ子に加入を了承され、イキイキとそう提案する関根。

 

「バンド名か…考えたこともなかったな…」

 

「いや、あるよ。ずっとこれにするって決めてた」

 

「え?岩沢が?」

 

正直意外だと思った。

 

岩沢は音楽がやれたのならバンド名なんて気にしなさそうなタイプだと思っていた。

 

「Girls Dead Monster それがあたしたちの名前だ」

 

「Girls…」

 

「Dead…」

 

「Monster…!」

 

岩沢のずっと温めていたというその名を3人が順に復唱していく。

 

「いいなそれ!岩沢にしてはまともすぎる!」

 

「ですです!いつもの岩沢先輩のネーミングっていうのがちょっと気にはなりますけど、これすごく格好いいです!」

 

「なんかロックバンド、って感じしますね!」

 

「だろ?」

 

3人の賛辞にまんざらでも無さそうに顔を綻ばしている岩沢。

 

この四人…なんか今日初めて揃ったようには見えないな…

 

「じゃあ決まりでいいな?」

 

「ああ」

 

「はい!」

 

「無問題でーす!」

 

「OK。じゃあ早速初練習といこうか」

 

「バカ。まずは仲村に勧誘成功の報告だろうが」

 

この四人の邪魔をしたくはなかったが、岩沢の音楽キチを止めるのが今回の役目みたいなものなので会話に割って入る。

 

勧誘ではほとんど役に立っていないし、これくらいやらないとな。

 

…じゃないとまた貸しがどうこうとか言われるだろうっていう何か確信めいたものを感じるし。

 

「柴崎言ってきてくれない?」

 

「それくらいリーダーなんだからやれっての。ほんの数分だろうが報告なんて。それに、勧誘してきた奴の紹介もいるだろ」

 

「…分かったよ」

 

不服そうに返事をしてトボトボとゆりのいる1階に歩いていく岩沢。

 

それに付いていこうと1歩踏み出そうとして、その足を止める。

 

…あれ?俺なんで岩沢がリーダーって思ったんだろう?岩沢とひさ子の二人ならひさ子の方がリーダーに向いていそうなのに。

 

それに否定しなかったってことは合っているってことだ。

 

岩沢がボーカルだからか?

 

「どうかしましたか?」

 

「えっ?ああいや、何でもねえよ」

 

考え込んでいると、ボーッとしていた俺を訝しく思った遊佐が声をかけてきた。

 

…別にこれくらいのこと、よくあることだよな。

 

たまたま勘がまぐれ当たりしただけだよな。

 

つーか、何で俺はこんな一々岩沢のことで引っかかるんだっての。

 

こんなに一々気にしてるとか、まるで…

 

「…好きになりましたか?」

 

「はいぃ?!」

 

またも考えていたことが見抜かれたのかと思い声が裏返る。

 

「岩沢さんの歌、ですよ」

 

「あ、ああ…なんだそっちな」

 

焦った…冗談で考えてただけなのに勘違いされたのかと思ったぜ…

 

岩沢を好きになるなんてありえないっての。

 

俺の苦手なタイプだし、やめろって言ってもやめないし。

 

まあでも…

 

「そうだな。アイツの歌は好きだよ」

 

「…そうですか」

 

「お前だって好きだろ?ほら、昔からああいうの好きだったしさ」

 

「ああいうの?」

 

「Sad Machineだよ。好きだったろ?岩沢の歌ってちょっと似てねえか?」

 

Sad Machineというのはちょうど俺たちが小学生から中学生くらいの時に人気があったバンドのことだ。

 

最近はあまりその名前も聞かなくなったけど、昔はそれはもう遊佐がご執心だったことをよく覚えている。

 

この曲がすごく良いんだよと何回も薦められて、その都度聴かされていた。

 

「そうですね。似ているのかもしれないです」

 

「じゃあお前も岩沢の歌好きなんだろ?」

 

「好きですよ…歌は」

 

「…ん、そっか」

 

妙な間を置いて付け足されたその言葉。

 

歌は好き。

 

じゃあ、やっぱり遊佐は岩沢が嫌い…なのだろうか。

 

少なくとも好きではない、ということなのだろうか。

 

確かに何かと岩沢と張り合おうというか、邪魔をしようというような行動を見せる。

 

何かきっかけがあったようには見えなかったのだが。

 

でも、だからといって俺にはどうすることも出来ない。

 

誰かが無理矢理誰かを好きにさせるなんて出来ない。

 

それに、俺がそんなことをする理由だってないんだ。

 

そもそも俺だって少し前に歌は好きだと言ったばかりだ。そんな俺が何を言えるというのか。

 

何を言う資格があるというのか。

 

「いよぉし!やりますよぉ!関根しおり、プロへの第一歩を踏み出しますよぉ!」

 

「たかだか練習くらいでうるっせえな…」

 

「良いじゃないか。元気がないよりよっぽどさ。な、入江」

 

「はい。しおりんは元気だけが取り柄ですから」

 

そんなことを考えている間に四人が帰ってきてしまった。

 

そう。無理矢理好意を持たせることは出来やしない。

 

そんなことを考えても無駄だ。

 

だから密かに願っていよう。

 

「じゃあ初練習、派手にやろうぜ!」

 

この歌から、自然と二人が歩み寄れるようになるその日を。

 




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「24番 直井 文人」

「ねえ、何か足らないと思わない?」

 

「何がだ?ゆりっぺ」

 

いつも通りの部活中、皆がワイワイと騒いでいると、不意に仲村が難しい顔をしてそんなことを言い出した。

 

「何がだ?じゃないわよ!日向くん、あたしたちの部活の名前を言ってみなさい」

 

「SSS部」

 

「違ぁう!」

 

「ぐほっ?!」

 

何を間違えたのか思いきり平手打ちをかまされる日向。

 

「正式名称よ!」

 

「えぇ?えーと確か…」

 

「ああもうトロいわねぇ!ほら、遊佐さん言ってやんなさい」

 

「はい。やはり俺〇青春ラブコメは間違っている、です」

 

「違うわよ!そもそもそれじゃSが3つ付いてないじゃない!青春を数倍楽しむために集う生徒のクラブよ!」

 

「あー、そういやそんな名前だったなぁ」

 

遊佐の破天荒すぎる回答に関してはもう置いておくとして、部員にすら忘れられている部の名前というのはどうなのだろうか。

 

「いい?あたしたちは青春を楽しむためにこの部をしているの。音無くん、青春と言えばなにかしら?」

 

「え?うーん…人それぞれじゃないか?」

 

「置きにいった回答をどうもありがとう。けど、あたしが今聞きたいのはそんな答えじゃないわ。じゃあ次大山くん!」

 

「えーと…やっぱり友達と遊ぶことじゃない?」

 

「間違いじゃないわ。けどそれなら今やっているから訊いたりしないわよ。本当あなたたちは駄目ねえ…遊佐さん、言ってやんなさい」

 

「はい。やはり青春といえばラブコメです」

 

「うん…まあ、そうなんだけど…そろそろそこから離れてくれないかしら?」

 

ゆりと遊佐のやりとりは所謂天丼ネタというやつなのだろうが、しかしネタではあっても間違ってはいないらしい。

 

「つまり恋愛ってことか?」

 

「そう!」

 

呆れて肩を竦めながらそう言うと、必要以上に大きな動作で俺に指をさしてくる。

 

「青春を数倍楽しむという崇高な目的を掲げるあたしたちにとって、恋愛が不足している今の状態は死活問題と言っても過言じゃないわ!」

 

「思いっきり過言だろ」

 

崇高な目的どころかめちゃくちゃ不純な目的じゃねえか。

 

しかも別に恋愛しなくても死なねえし。

 

しかしそんな俺のツッコミは軽くスルーされる。

 

「あたしたちの中で恋人がいるのは千里くんくらいのものよ!」

 

「まあ他校だけどね」

 

「そんな細かいことどうだって良いのよ!問題は青春を数倍楽しもうとしているあたしたちの大半が非リア充ということにあるのだから!」

 

「で、結局何が言いてえんだよゆりっぺ?」

 

終止こじつけがましい暴論を唱える仲村についに日向が切り込んだ。

 

「恋愛が足りていない。それはつまりイベントが足りていないのよ。イベントがないからフラグが立たないのよ。だからあたしは強制的に恋愛イベントを起こすわ」

 

「はい?」

 

仲村は次々とイベントだとかフラグだとか訳の分からない台詞を口にしていく。

 

「先日ついに結成されたGirls Dead Monsterの一人一人に専属のマネージャーをつけるわ」

 

「マネージャー?」

 

「そうよ」

 

マネージャーというと、芸能人とかに付いているあのマネージャーのことだろうか?

 

しかも専属。

 

…嫌な予感がしてきた。

 

「岩沢さん、ひさ子さん、関根さんに入江さん。この四人に男子のマネージャーをつけるわよ」

 

「ちょっと待て!それに何の意味がある!?」

 

自分の頭やら心臓やらに走る嫌な感覚を振り払うように叫ぶ。

 

「だから恋愛イベントよ」

 

「マネージャーつけたら恋愛出来るんですか?!それにそんなことしたらもしかしたら他のやつと生まれたかもしれない恋の可能性を奪うことになると思います!」

 

「なんで敬語なのよ…?」

 

それぐらい必死なんだよこの暴君。

 

「まあでも柴崎くんの言い分にも一理あるわよね」

 

「じゃあ…」

「でも止めない」

 

語尾にハートマークでも付きそうなくらいご機嫌な口調で言い切った。

 

俺はその言葉に見えかけた一筋の光明が光速で離れていく感覚を覚えた。

 

「なんでだよぉ…!?」

 

思わず膝をついてしまう。

 

もうお先真っ暗な絶望状態だ。

 

「何をそんなに落ち込んでるのよ?ただマネージャーをつけるって言っただけよ?」

 

「どうせ俺は岩沢に付かされるんだろ?!」

 

「誰もそんなこと言ってないじゃない」

 

「え?じゃあ…」

「まあ当たってるけど」

 

「なんなんだよ?!」

 

人の心を弄んで楽しいのかと今まさに高笑いしている仲村に本気で問いたくなる。

 

するとおもむろに肩をポンと叩かれた。

 

「元気出せって。なんかあったら俺が愚痴くらい聞いてやっからさ」

 

「日向ぁ…」

 

「それに四六時中一緒に居ろってんじゃねえんだし…」

「え?居てもらうわよ?」

 

「ちくしょぉぉぉぉぉ!!」

 

「おいおいゆりっぺ!そりゃいくらなんでも横暴すぎだろ?!」

 

仲村のいきすぎた発言(とプラス俺の落ち込みっぷり)を見かねて日向が抗議の声をあげる。

 

「冗談よ冗談」

 

いや今の目は絶対嘘じゃなかったぞ…

 

「ただ部活動時および、学校行事の際は出来る限り固まってもらうわよ」

 

「出来る限りって?」

 

「楽器の練習してるならそれを見学、ペアワークの時は必ず組む、班分けの時も必ず同じ班、とかね」

 

「うう…まあそれくらいなら…なんとか…いやでもなぁ…」

 

仲村に出された条件に頭を更に悩ませ、必死にこの条件の中での俺へのメリットを絞り出す。

 

例えば、恐らくクラスでペアワーク、もしくは班分けになった時にあの岩沢のことだ。また毎度のごとく、一緒になろうなろうと大声で騒いで周りに白い目で見られるであろうことが請け合いだ。

 

それがこの条件さえあれば、少なくとも岩沢が騒ぐのを先んじて封じることが出来る。

 

何故なら既に決まっているのだから騒ぐ必要がなくなる。

 

そうすればクラスの皆からの鋭く突き刺さる例の視線を回避することが可能になるわけだ。

 

これは間違いなく俺にとってのメリットになる。

 

そう考えれば最初に聞いた時よりも幾分か魅力的な提案に思えてくる。

 

しかし、やはりもしかしたら回避出来ていたかもしれない岩沢とのペアというものが確定するというのは少し考えものだ。

 

「分かったわ。そこまで渋るなら岩沢さんにはあなたともう一人遊佐さんもつけるわ」

 

「遊佐…?」

 

突然名前を出されて思わず遊佐の方に視線を向ける。

 

「…なんでしょう?」

 

少しもじっと居心地が悪そうにしている。

 

そんなに俺に見られるのが嫌だってのか?

 

「…いや、良いよ。遊佐も嫌そうだし」

「嫌じゃありませんやりますよ」

 

ここで縋るのは遊佐に悪いと思い断ろうとすると、割って入ってきてそう早口に捲し立てる。

 

「え?でもさっき嫌そうな顔…」

「してません目が腐ってるんじゃないですか?どことなく比企谷っぽいですし」

 

「えぇぇ…?」

 

またもや異様に早口でこちらの台詞を遮ってくる。

 

折角やめてやろうとしたらこれとは…本当天の邪鬼なやつだな…あとマジでそろそろそこから離れて欲しい。つーか似てねえよ。

 

「…じゃあ遊佐もつける方向で頼む」

 

「はーい。じゃあ他の3人なんだけど…」

 

言いつつ値踏みするようにじーっと一通り男性陣を見回していく仲村。

 

誰が選ばれるのかという妙な緊張感が生まれる。

 

それもそうだろう。あのメンバーは全員美少女揃いだ。年頃の男子としてはそんな奴らにお近づき出来るチャンスを嬉しく思わないはずがない。

 

…俺を除いては。

 

はあ、俺もせめて入江とかならなぁ…

 

「この中なら大山くんと藤巻くんかしら」

 

「えぇ?!僕?!」

 

「俺もかよ」

 

「ええ。あたしの勘がそう言ってるわ」

 

驚く二人に仲村はそう自信ありげに胸を張って言った。

 

「ゆりっぺ。でもそれじゃああと一人足りないぜ?」

 

日向の言うことはもっともで、この二人が誰にあてがわれるのかは分からないが、どうした所で一人余ってしまう。

 

「それはそうなんだけど、いないのよ。あの子に合う人が」

 

「あの子って?」

 

「それはとりあえずあの子たちを呼んでからにしましょうか。遊佐さん」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆりに促された遊佐は迅速に、もうその命令が出されることを織り込んでるのかというほど速やかに、上の階で演奏をしている岩沢たちを招集しに向かった。

 

「呼んできました」

 

「用ってなに?良いところだったんだけど」

 

連れてこられた岩沢はというと練習の邪魔をされてご立腹な様子だった。

 

「ごめんなさいね。でも岩沢さんには良い知らせよ」

「ライブか?!」

 

「残念だけど違うわね…」

 

この会話の流れですぐさまライブかと思うのは流石は音楽キチというところだろう。

 

ひさ子なんかは、まだ練習が足りてないだろと至って冷静だというのに。

 

「あなたたち一人一人にマネージャーをつけることにしたわ」

 

「マネージャー?おいおいゆり、あたしたちは芸能人じゃないんだぜ?それに、そんなやつがいて気が散ったりしたら最悪じゃないか」

 

「岩沢さんには柴崎くんをつけるわよ?」

「よし!マネージャー採用だ!」

 

なんという心変わりの早さなんだ…

 

他の皆の視線も居たたまれない…帰りたい…やっぱり断れば良かった…

 

「ちょい待ち。一人一人ってことはあたしたちにもつくのか?」

 

「そうよ。ひさ子さんには藤巻くん。入江さんには大山くん」

 

「「はぁぁぁぁぁ?!」」

 

突然告げられた組み合わせにひさ子と藤巻の二人が完璧にハモる。

 

「「なんであたし(俺)がコイツなんかと!?」」

 

「息ぴったりだから」

 

「「納得出来るか!…真似すんな!」」

 

一応この二人は異議を申し立ててるんだろうけど、喋れば喋るほど息ぴったりなのが露呈していく。

 

いやしかし、いつもいがみ合ってるこの二人の波長が意外にも合っていることに気づくなんて仲村の勘ってのも捨てたもんじゃないな。

 

「はーい柴崎くんも受け入れてるんだから今さら文句言わないの。大山くんと入江さんは良いかしら?」

 

「え、あ…はい…」

 

「僕も入江さんが問題ないなら」

 

あれだけ拒もうとしていた俺の名前を出すことによって二人を黙らせ、その流れで入江と大山にも了承してもらう。

 

人見知りが激しいらしい入江は少し怯えているようだったが、相手が人畜無害そうな大山だったこともあったのか、断りはしなかった。

 

「えーと…あの~、あたしは?」

 

3組のペアが生まれたところで、関根が戸惑った様子でそろ~っと挙手していた。

 

それもそうだろう。一人につき一人つけるはずのマネージャーが自分にだけいないのだから。

 

軽く疎外感を感じているかもしれない。

 

「それがね、関根さんに合いそうな人がこの部に居なくてね」

 

「そうなんですか?」

 

ゆりの言葉に不思議そうに首を傾げている関根。

 

関根が首を傾げるのも無理からぬことだろう。

 

関根はあの四人の中で一番社交性が高そうに見えるし、きっと本人もそれは自覚しているだろう。

 

それこそこの部の誰とでも難なくやっていけそうな雰囲気がある。

 

なのに誰とも合いそうにないというのは、不思議だと言う他にない。

 

「そこで提案なんだけど、関根さん」

 

「なんでしょう?」

 

「あなた誰か気になる人が居ないかしら?」

 

「気になる人ですか?この部で?」

 

「部外に居るのならその人でも良いわよ」

 

「ならいますよ!」

 

「えぇ…しおりんまさか…」

 

「そのまさか!」

 

部外にならいると即答した関根を見てすぐさま入江が表情を曇らしていく。

 

それとは対称的に一気に表情が明るくなり、笑顔を見せる関根。

 

「いるのならその人がどんな人かちょっと教えてくれる?出来ればどういう経緯で気になったのかも」

 

「分かりました!彼はですね…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼を最初に認識したのは入学式でした。

 

クラス表が貼り出されていて、みゆきちと同じクラスだねってはしゃいで教室に入っていった時、彼を見たのです。

 

一番に目に飛び込んできました。

 

男子なのに身体の線が細くて、色も白くて、中性的な顔立ちは文句のつけようがない美少年だったからです。ていうか、むしろ美少女にも見えました。

 

でもその時はただそれだけでした。

 

うわ~イケメンがいるわ~しかもあたしの斜め後ろにいるじゃん、程度の興味しか無かったです。

 

興味を持ったのはその後、自己紹介の時でした。

 

あたしは無難に、明るく自己紹介を終えて少ししてから彼の番が回ってきました。

 

「24番 直井 文人」

 

声を張っているわけでもないのに、よく通る良い声しているなぁと漠然と思っていると、次の瞬間とんでもないことを口にしました。

 

「僕は貴様らみたいな奴らと関わるつもりはない。この言葉が理解出来る程度には知能があるのなら一切話しかけるな。以上」

 

ハートを鷲掴みにされたような気分でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ストップ」

 

「へ?なんです?ここからが良いところなのに」

 

何故話を止められたのか本気で分かっていないご様子だ。

 

「なんで今ので鷲掴みにされんだよ?」

 

「面白いじゃないですか」

 

「え~…」

 

その思考回路がまるで理解出来ん…

 

「ちょっと柴崎くん話の腰折らないでよ」

 

「俺が悪いの?」

 

「さあ、続きをどうぞ」

 

「はーい、そしてですねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきの中二病全開な感じの台詞で心をガッツリ掴まれてしまったあたしは自己紹介が終わり、先生の解散の号令を聞き終わってからすぐに直井くんの席に行きました。

 

「ねえねえ直井くん」

 

「…チッ」

 

案の定心底嫌がっているって感じの表情を浮かべて舌打ちまでかましてきました。

 

もう背筋がゾクゾクしましたね。

 

でも直井はそれだけで呼び掛けには答えず教室を立ち去ろうとしました。

 

なので腕を掴んで引き留めました。

 

眉間の皺が最高潮になってました。

 

やっぱり面白い反応してくれるなぁ~って、あたしは既に直井くんの虜になっていました。

 

「…貴様はあの程度の日本語も理解出来ないマヌケだと思っていいのか?」

 

「あたしのこと覚えてくれるならなんでもいいよ~」

 

「チッ」

 

舌打ち2回目。しかも1回目より大きい。

 

「あたしさっきので直井くんに興味出ちゃった!これからよろしくね!」

 

「…離せ」

 

「あっ」

 

さっきまでの剣呑とした表情とは少し違った、どこか物悲しそうな表情を浮かべて、掴んでいた腕を振りほどかれました。

 

そして直井くんはこう言いました。

 

「僕はもう誰とも関わらない」

 

そう言った彼の表情は、常に醸し出していた怒りとも違って、かと言ってさっき一瞬だけ見せた悲しそうなものとも違っていて、あたしは何も言えませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、こんなところですね」

 

「で、その後話しかけてないのね?」

 

「毎日話しかけてますよ?」

 

「はぁぁぁぁ?!じゃあ最後のあれはなんだったのよ?!」

 

「その時は何も言えなかったんですけど、次の日になったらまあいっかな~って思いまして」

 

「…………………」

 

関根の行動の脈略の無さにさすがの仲村も言葉が出ないようだ。

 

「ま、まあいいわよ。とにかくその直井くんが気になるのよね?」

 

「はい!是非マネージャーにしたいです!」

 

「任せなさい。あなたのその恋の手助けをしてあげるわ!」

 

「恋?」

 

「え?違うの?」

 

「違いますけど」

 

「はぁぁぁぁぁ?!あなたさっき心を鷲掴みにされたって言ったじゃない!?」

 

「はい!完璧にあたしのツボでした!うっす!」

 

「………………」

 

この短時間で仲村相手に2度も黙らせるとはコイツはただ者じゃないな。

 

今後仲村が無茶な命令を出したら関根をぶつけてみるのもアリだな。

 

「もうどうでもいいわ!とりあえず全員にマネージャーつけられば良いんだから!」

 

「うわぶっちゃけ出したぞ」

 

「うるさい!」

 

「ぐへぇっ!」

 

痛いところを突いてきた日向に見事なローリングソバットを繰り出す仲村。

 

仲村はプロレスでもやっていたのだろうか。

 

「とにかく直井くんを勧誘するわよ!オペレーション・インビテーションSSS、スタート!」

 

 

 

 

 




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「巧みな話術で君を虜にしちゃうよ~って言っときました!」

と、仲村が息巻いて宣言したのは良いものの、既に放課後、更に話し込んでいたこともあり当然直井はもう学校には居なかった。

 

ドーンと宣言したのに関根にあっけらかんと『え?直井くんはもう帰りましたけど?』と言われた時の仲村の顔は一生忘れられないだろう。

 

そして意気消沈した仲村が部屋の隅で体育座りになって解散と言った哀愁漂う後ろ姿も脳裏に焼き付いている。さすがに可哀想だったなぁ。

 

まあそれもこれも普段のせいということだろう。

 

そして翌日。

 

毎朝恒例の岩沢からの愛してるを受け流し、授業も受け流し、放課後が訪れる。

 

さてまず部室に向かうかと腰を上げると、仲村がこっちに向かってきた。

 

「どこ行くのよ?」

 

「どこって…部室だけど」

 

「あなたバカ?部室に行ってたら直井くんがまた帰っちゃうでしょう」

 

「ああ、そういやそうか…って、もしかしてまた俺が…?」

 

「ええ。あなたと音無くんで行って頂戴」

 

「マジかよ…」

 

「え?俺もか?」

 

「そうよ」

 

俺と仲村の会話が聞こえていたらしく、音無が自分の席からそう聞き返していた。

 

前回と違い一緒に行くのが岩沢や遊佐みたいな突拍子のない言動をすることはないであろう音無なのは非常に喜ばしいが、やはり初対面の人と話すというのはどうしても気後れしてしまう。

 

それにお世辞にも話が上手くない俺を勧誘のメンバーに抜擢する理由がやはり分からない。

 

「あのさ、一応訊くけどなんで俺?」

 

「今日はその質問に答えてる時間はないわ。関根さんが今ごろ必死に直井くんを引き止めてるから早く行ってあげて」

 

「えぇ…」

 

不満だという意思表示はしておくが、昨日の話を聞いた限りかなり偏屈な直井を足止めしておくのは厳しいだろう。

 

「じゃあ早く行こう柴崎」

 

「お前は来るな」

 

どさくさに紛れて同行しようとする岩沢に釘をさす。

 

するとひさ子が岩沢の首根っこを掴んで連れ去って行ってくれた。

 

なんか、『あたしたちパートナーなのにー!』とか言ってたけど放っておこう。俺マネージャーだし。

 

「…じゃあ行くか…」

 

「そうだな」

 

「それじゃあ改めて、オペレーション・インビテーションSSSスタート!!」

 

…教室でそれを大声で言うのはやめてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、なんでわざわざあんな大仰にオペレーションとか言うんだ?」

 

ふと気になったので早足で向かいつつ音無に訊いてみる。

 

「さあ?よく分からないけどなんか気合いが入るらしい。何人かには受けも良いし」

 

「何人かって?」

 

「野田とかTKとか。オペレーションって言うとやけに盛り上がってる」

 

「アイツらはいつもテンションが高い気もするけどな…」

 

野田は仲村が何か言ったら勝手に盛り上がるし、TKは関西ノリに更にエセ外国人ノリまで上乗せされている。

 

「まあそう言われたらおしまいだな」

 

ははは、と苦笑いを浮かべる音無。

 

と、会話をしていると関根のクラスの教室がもう目の前という所まで来ていた。

 

教室も目前となり、さあ心の準備をしようかと思った時、教室から男子が出てきた。

 

パッと見る限り教室の中にいる誰かから腕を掴まれているようだ。

 

…ということは

 

「ええいうるさい!離せ!」

 

「ちょっと待って…あ!せんぱーい!」

 

ずるずると男子に引きずられて教室から出てきたのはやはりというかなんというか関根だった。

 

ということはアイツが直井か。

 

確かに関根が言っていた通り女子と言われれば信じるくらいに華奢で整った顔つきをした美少年だ。

 

関根の視線を追ってこちらに目をやり、激しく睨んでその端正な顔立ちを歪める直井。

 

「貴様らがこのバカの言っていた輩か」

 

「何を言ってたんだ?」

 

「巧みな話術で君を虜にしちゃうよ~って言っときました~!」

 

「言っときましたじゃねえ!」

 

キラーンという効果音でも付きそうな横ピースを決める関根。

 

ムカつく。

 

つーか、そんな風に余裕ぶっこいて片手離したら…

 

「下らん、離せ!」

 

「あっ」

 

「あっ、じゃねえよ…」

 

案の定その間に手を振りほどかれてしまった。

 

「ちょっと待ってくれないか?」

 

「待たん」

 

さっさとこの場を去ろうとする直井に音無が後ろから呼び止めようとするがまるで相手にせずそのまま足を進めていく。

 

「ああそうかい…なら」

 

ダッと勢いよくスタートを切り、直井の前に立ち両手を広げ通せんぼする。

 

「無理矢理止めさせてもらうぞ」

 

「チッ…面倒くさいバカが」

 

俺はたった1つ2つ年が上だから偉いなどと思うわけではないし、上下関係を重視するわけではないが、さすがに直井の態度は不遜にも程がある。

 

いくら邪魔をされているとは言え、初対面の相手にとる言動の範疇を越えているだろう。

 

こんな奴を仲間に出来るのか?

 

「とにかく話を聞いてくれないか?そんなに長く話し込むつもりもないし、嫌なら断ってくれてもいい」

 

「ふん…あそこのバカよりはまともらしいな」

 

自分の背後にいる関根を指さす直井。

 

そしてそれに対して、えへっと舌を出す関根。

 

えへっじゃねえよ…

 

「なら話を聞いてくれるのか?」

 

「聞かん。じゃあな」

 

「あっ、ちょっと待て…」

「離せ」

 

取りつく島もなく立ち去ろうとした直井の肩を音無が掴むと、その手を思いきり振り払われる。

 

次いでまるで俺達を恨んでいるかのように眉間に皺を寄せ睨み付ける。

 

「僕はもう誰とも関わるつもりもない。それに話も既に聞いている。部活に勧誘だろ?はっ、誰がそんな馬鹿馬鹿しいことに付き合うか。友情ごっこなら勝手にやってろ」

 

「いい加減に…!」

 

嘲るようなその台詞にカッとなって掴みかかろうとした俺を音無が止める。

 

その音無も手をグッと握りしめていた。

 

俺はその姿を見て音無も怒っているのかと思った。

 

だけど違った。

 

「理由を聞かせてくれ」

 

「理由?だからそんな馬鹿馬鹿しいことに付き合う気がないと言っているだろう」

 

「違う。俺が聞きたいのはなんでお前がそんなに人と関わることを避けるのかだ」

 

「…っ」

 

音無は俺達のことを友情ごっこと切り捨てた直井に対して怒るでもなく考えていたようだ。

 

直井がここまで人と関わることに対して嫌悪感を抱いているのか。

 

なんの意味も理由もなく対人関係を嫌うことなど無いはずだと、そう思ったのだろう。

 

確かにそうだ。関根だって昨日の話の中で直井が悲しそうな顔をしていたと言っていたじゃないか。

 

なら何か理由があるんだ。

 

こうなると一瞬で頭に血が昇った自分がアホらしく思える。

 

「理由…?そんなもの話して何になる?どのみち貴様らは僕を勧誘したいだけだろ!…利益目当ての奴に何を話したって無意味だ」

 

…これが関根の言っていた悲しそうな顔ってやつか。

 

なるほど。

 

「じゃあ分かった。もう勧誘はしない」

 

「そうか、なら帰らせてもらう」

 

「ただし、俺はこれからもお前に関わり続けるぞ」

 

「…何?」

 

これは放ってはおけないだろ。

 

コイツの人を遠ざける態度は、ある種遊佐の無表情と通じるものがある。

 

ああいう幼馴染みを持つ身としては、コイツを見捨てるような真似は出来ない。

 

「俺もだ」

 

「もっちろんあたしもー!」

 

「…アホらしい。僕は帰るぞ」

 

「ああ、じゃあまたな」

 

「…ふん」

 

返事はなかった。

 

アイツが返事をしないことなんて分かってる。

 

すぐに信用してくれる程甘いことじゃないのも知っている。

 

俺は遊佐を変えることが出来なかった。

 

アイツがどれだけ苦しんだのか、悩んでいたのか、そういう諸々を近すぎるが故に知りすぎていた。

 

だから踏み込めなかった。

 

その償いではないし、知らないからと言ってずかずかと踏み入って良いんだとも考えてはいないけど、それでも直井を変えてやりたいと思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあそれはただの自己満足ですね」

 

「だね」

 

「……悪いかよ」

 

直井の勧誘が失敗に終わり、部活も早々に終わり遊佐と悠と俺で下校しながら失敗の経緯を話した結果この酷評っぷりだった。

 

もちろん遊佐に対しての云々は省いて話したが、まあ恐らくバレてるだろう。

 

その結果の自己満だという言葉。

 

分かってる。

 

それを全部飲み込んだ上でやるって決めたんだ。

 

「悪いでしょ。仲村さんも機嫌悪くなっちゃうし」

 

「そんなの口下手な俺を勧誘なんかに使うからだろうが。俺は知らん」

 

「開き直りですか」

 

「何とでも言え」

 

開き直り大いに結構だ。

 

それくらいしないと多分直井には近づけない。

 

「そこまでしてこだわらなきゃいけない?」

 

「はぁ?」

 

質問の意図が読めず反射的に聞き返してしまう。

 

「直井くんのこと」

 

「そりゃ関根が直井が良いって言ってるんだからな」

 

「勧誘とかは度外視なんでしょ?」

 

「それは…まぁ…」

 

クスリと薄い笑顔を浮かべる悠。

 

ああそうか、コイツは分かってて訊いてる。

 

勧誘やら何やら関係なしに直井にこだわる理由だって、それを言いたくない俺の気持ちだって。

 

その上で、それを知った上で訊いていやがる。

 

何が目的かは分からんがこれだけは言える。

 

…本当に性格の悪いやつだ。

 

「誰かさんに重ねてる?とか訊きたいところだけど、残念。時間切れだね」

 

そう笑って曲がり角を指さす。

 

一緒に帰る時、いつもそこで別れる曲がり角を。

 

どうせコイツのことだ。そこに着く時間だって計算してこんな話をし出したに決まってる。

 

「じゃ、また明日」

 

笑顔で手を振り呼び止める間もなく、さっさと曲がり角に消えていった。

 

そしてお互いに無言になり、辺りは静寂に包まれる。

 

いや、遊佐に関しては少し前から口を開いてはいなかったが。

 

…まあもうすぐ家に着くしこのまま黙っていたらいいか。

 

という俺の楽観的な希望はすぐに消し去られる。

 

「柴崎さん」

 

無言のまま俺の家の前に着き、ようやくこの気まずさから解放されると安堵しかけたところに唐突に話しかけてくる。

 

「…ん?」

 

どうしたんだ?と、何を言おうとしてるのか分からないふりをする。

 

まさか遊佐の方からその話をしてくるとは思わなかったが、わざわざ呼び止めるということは、つまりそういうことだ。

 

「重ねてるんですか?私と直井さんを」

 

俺の面の皮が厚ければ、ここで悠みたいにわざとらしく薄い笑みを浮かべてはぐらかすことも出来たのかもしれない。

 

「…かもな」

 

でも俺は悠みたいに器用には振る舞えない。

 

はぐらかせないし、煙にもまけない。

 

精々曖昧な返事をする程度のことしか俺には出来ない。

 

「…そうですか」

 

「それだけか?」

 

「はい。呼び止めて申し訳ありません」

 

いつも通りの無表情。

 

それに俺は、そっかと言って笑いかける。

 

遊佐は表情を変えず、ではまた明日と言って去ろうとする。

 

「なあ」

 

「はい?」

 

それを止めたのは無意識だった。

 

明らかにこの話題を避けたがっていたはずの俺からわざわざ呼び止めるなんて遊佐も思っていなかったはずだ。

 

だけど別段驚いた様子も、虚を衝かれた様子もない。

 

いつもの無表情。

 

そう、いつもの。

 

「いつまでそのままなんだ?」

 

口をついたその言葉も無意識に発されたものだった。

 

いつもの無表情。

 

それはあの出来事から生まれたものだ。

 

あのどこにでも溢れかえってるような、だからこそ人の醜さをこれほどかと思い知らされた出来事。

 

それによって作られた『いつもの無表情』。

 

それ以前の遊佐は無表情なんて無縁ないつも笑顔の絶えない女の子だった。

 

『いつもの無表情』ではなく、『いつも笑顔が絶えない』。

 

そんな女の子だったんだ。

 

「もう、戻らないのか?」

 

俺の問いに返事をせずこちらをジッと見つめてくる。

 

徐々に背中からじわりと嫌な汗が吹き出してくる。

 

なんで俺はこんなことを訊いている?

 

今まで散々避けてきたのに。

 

こんなことを訊いたところで遊佐を傷つけるだけなんじゃないのか?

 

頭の中の自分はそう語りかけてくる。

 

そんな内心に反して俺はもう1度問いかけてしまう。

 

「いつまでそのままなんだよ?」

 

 




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『笑美…』

「いつまでそのままなんだよ?」

 

いつもの目付きの悪さが嘘みたいに情けない顔になってしまっている。

 

きっと私のことを傷つけてしまってないかと考えているのだろう。

 

それだけ私のことを大事に思ってくれているんだと思っても良いのだろうか?こんな汚い私を。

 

…もしそうだとしても私は知っている。それが、私の望んでいる想いではないこと。

 

柴崎さん。

 

蒼ちゃん。

 

私は同じのようで違う彼に、どちらの彼にも恋をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私と柴崎さん、そして千里さんは幼馴染み。

 

もうすぐ幼稚園に入園というタイミングで柴崎さんが私の家の隣に引っ越してきた。

 

お父さんが旅人だとか考古学者だとかで引っ越しを繰り返していたらしい。

 

その引っ越しがたまたまこの町、そして隣の家だった。

 

柴崎さんはお父さんと一緒に引っ越しの挨拶に来た。

 

そのお父さんというのが、何とも言葉にしにくい豪快な人で、自分が取ってきたという謎のお土産のことで長話になっていた。

 

すると当然、私と柴崎さんで遊んでなさいということになる。

 

子供というのは不思議なもので、この時点の私と柴崎さんは今では考えられない程に社交性が高く、すぐに仲良く遊んでいた。

 

入園式の日には二人で手を繋いで幼稚園に行った。

 

…昔はそんなことを恥ずかしげもなく出来た。

 

入園してしばらくすると千里さんとも知り合い、いつも3人でいるようになった。

 

私と柴崎さんがくだらないことで喧嘩をすれば大人びていた千里さんが仲裁してくれた。

 

私たちは小学校でもいつも3人で行動していた。

 

少子高齢化の煽りを受けたのか、そもそもクラスが2つしか存在しないため、なんとか6年間クラスが別れることもなかった。

 

6年間ずっと、私はこの2人と共に過ごしていた。

 

男子だとか女子だとか、そんなことは深く考えてはいなかった。

 

この頃もまだ柴崎さんは普通に男子のグループに混ざれていたので、私も当然そこに属していた。

 

サッカーもすればドッヂボールもした。

 

柴崎さんは持ち前の眼の力で華々しく活躍していた。

 

今思い返せばこの頃にはもう淡い恋心を抱いていた気がしなくもない。

 

けれど、もしそうだとしても、それは無意識で、無自覚で、あまりにも幼いものだった。

 

実は幼稚園を卒園するまでに、何度か柴崎さんのお父さんの仕事の都合でまた引っ越しをしかけていた。

 

しかしあまりにも必死に嫌がる柴崎さんを見て私の両親と柴崎さんのお父さんの間で、お父さんが仕事から帰ってくるまでは柴崎さんが私の家に泊まる、もとい住むということになったこともあった。

 

好きな男の子と一つ屋根の下。

 

普通ならドキドキするもののはず。

 

でも幼少からそれが普通になっていた私は、その普通には当てはまらなかった。

 

好きな男の子だけど、それ以前に家族のような存在。

 

好きな男の子と一緒に住んでいるけど、それを恋と認知せず、ただただ仲睦まじく過ごしていた。

 

男だとか女だとか、そういうことを考えず過ごしていた。

 

きっとこういう背景があったことも私が男女や色恋について疎く、無知なことに拍車をかけていたのだと思う。

 

そうして起きたのが、あの出来事だった。

 

3人揃って地元の中学校に入学し、またしても2人に引っ付いて回っていた。

 

それは私にとって当たり前だった。今までそうしてきて、これからだってそうするつもりだった。

 

私にとって2人の隣にいるのは当然のことだった。

 

2人と話す男子の輪の中に加わることにも何の疑問も覚えなかった。

 

笑いかけ、触れあい、時間を共有する。

 

それが悪意の対象になるなんて、これっぽっちも想像出来なかった。

 

事の発端は中学二年のある日、柴崎さんと割りと中の良かった男子から呼び出され、告白されたことだった。

 

柴崎さんとよく一緒にいたから、ある程度仲が良かったとは思っていたけど、まさか自分に好意があるなどとは夢にも思っていなかった。

 

いや、正しく形容するのならば、この時の私は誰かが私に恋をするだなんて考えたこともなかった、と言うべきだ。

 

だから断った。

 

『恋愛とか考えてなくて…ごめんね!本当にごめんなさい!』とか、こんな風な断り方をした。(この時の私は基本的にこんな普通の感じだった)

 

とは言っても、たとえ恋云々を理解していたとしても告白には応えなかっただろう。

 

まあそんなことはどうでも良いのだけれど。

 

とにかくこの告白を契機として、あの出来事が私に降りかかってきた。

 

後日、柴崎さんや千里さんはおらず、ならばと思い女子の友達に話しかけた。

 

『あのさぁ…』

 

厳密に言えば話しかけようとした。

 

が、その友達は一瞬不快そうに目を細めただけで私の声には応えずどこかに行ってしまった。

 

当然違和感を覚えた。

 

あれ?何かしたっけ?と首を捻った。

 

が、その理由に思い至ることは出来ず、その時は帰ってきた柴崎さんと千里さんと話すことにした。

 

そしてその翌日、その違和感がなんなのか決定的に思い知らされることになった。

 

その日は体育の授業があり、種目はバレーボールだった。

 

この授業では初めに必ずペアを組み、トスやレシーブでラリーをすることになっていた。

 

『美穂ちゃーん』

 

いつも一緒にやっていた子に声をかけた。

 

すると、その子は少し後ろ髪を引かれるようにこちらを一瞥してから、すっと他の子の所に行ってしまった。

 

他の子に組もうって言われてたのかな?でも一言くらい言ってくれれば良いのになぁ、とその時までは考えていた。

 

けれど、そんな考えはすぐに楽観的だったと思い知らされる。

 

その後何人も何人も声をかけたが、全員美穂ちゃんと同じか、前日の子のように不快そうにするかだけで誰も私と組んでくれない。

 

そしてそんな私を見てクスクスと笑っている女の子達がいることに気づいた。

 

コソコソと何か言っているが途切れ途切れにしか聞こえない。

 

それでもその継ぎ接ぎの言葉を何とか埋めると

 

『いつも男子に良い顔してるから』

 

『ぶりっことか無理』

 

など、悪意を全面に出した言葉たちが浮き彫りになった。

 

困惑した。

 

男子に良い顔をした記憶など無いし、ぶりっこなんてものもした覚えはなかった。

 

今の私ならその言葉の五千倍の悪態を返すことが出来るが、あの頃の私は、ただ震えることしか出来なかった。

 

――――怖い。

 

その様子をおかしく思った先生が大丈夫かと声をかけてくれた。

 

私はとにかくこの場を離れたくて、体調が悪いから保健室に行かせて欲しいと頼んで授業を欠席した。

 

そして保健室のベッドに横になり、布団に潜り込んで必死に頭を巡らせた。

 

何かあんなことを言われる理由があったのかと。

 

考えれば考えるほど思い当たる節が無くて、その度に怖くなる。

 

今自分の陥ってる状況は何なのか。

 

理由もないのにこんなことになるのか。

 

怖くて怖くて震えていた。

 

そうしている内に授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。

 

どうしよう…戻るのが怖い…

 

そう思っていると、ガラガラッと扉が開かれる音がした。

 

そしてベッドを取り囲むカーテンが開けられる。

 

そこに居たのが、心配そうにこちらを見つめる柴崎さんだった。

 

『具合悪いんだって?大丈夫か?』

 

声からも私を労っていることがひしひしと伝わってくる。

 

その後ろからひょこっと千里さんも顔を覗かせる。

 

『顔色は悪くないね。風邪とかじゃないの?』

 

『あ…うん…』

 

不思議だった。

 

この2人の声を聞いて、顔を見たら、恐怖で凍りついていた心が日に照らされて溶けていくようだった。

 

『もう大丈夫』

 

『本当か?』

 

『無理しないでよ?』

 

『うん。本当にもう大丈夫だよ』

 

2人がいれば。

 

そう思えた。

 

実際、その日はもう体育の時のような感覚に陥ることなく過ぎていった。

 

しかし現実というのはそう生易しいものではなかった。

 

それから土日を挟み、そんなことがあったという記憶も若干薄らいでいた月曜日。

 

私はまた思い出すことになる。

 

恐怖を。

 

そして思い知らされる。

 

深い絶望を。

 

『何話してるのー?』

 

一限目を終えた休み時間にある男子達のグループが盛り上がっていたので、気になって柴崎さんや千里さんと話す前にそちらに話しかけた。

 

普通に、今まで通り。

 

『え、ああ…』

 

『ちょっとやめとけって』

 

『え?なに?』

 

その数人の男子の内、ある人はどう対応したものかと迷うような素振りを、ある人はあからさまに拒むような素振りを。

 

そして共通していることは、誰も私と目を合わそうとはしなかったことだ。

 

その様子に既視感を覚える。

 

体育の時の女子達の表情と仕草にとてもよく似ていたのだ。

 

『おい、どうしたんだ?』

 

『なんか様子が変だけど』

 

『柴崎、千里…』

 

私と男子達の間にある異様な雰囲気を感じ取ったようで柴崎さんと千里さんがこちらにやってきた。

 

話しかけられた男子達は全員がバツの悪そうな顔をして2人のことを交互に見ていた。

 

『笑美、なんかあったのか?』

 

『…わかんない』

 

一向に答えそうにない男子達に見切りをつけ、私に訊いてくれるのだが、当然私に何かがわかるはずもない。

 

『あのさ、女の子にこんな顔させちゃってるのに理由も話せないってどういう了見なわけ?』

 

『いや、それは…』

 

『それは、なんなの?』

 

当時から圧倒的な口の強さを誇っていた千里さんは、柴崎さんのような優しい訊き方をせず、威嚇するように問い詰める。

 

もしかしたら千里さんはこの時点である程度私の身に起こっている事に勘づいていたのかもしれない。

 

『だから…』

 

言葉に詰まり、いよいよその理由とやらを話してくれそうになった所で、休み時間終了のチャイムが鳴ってしまう。

 

『おーい、お前ら席につけー』

 

すぐに担当の教師も教室に入ってきてしまい、着席を余儀なくされる。

 

千里さんに詰問されていた男子は明らかに安堵の表情を浮かべ席につこうとしていた。

 

『あとできちんと聞かせてもらうから』

 

しかし千里さんのその一言でたちまち顔を曇らせていた。

 

私もどうすることも出来ないので、とりあえず着席しようと自分の席に戻ろうとした。

 

その途中、ボソリと、ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな声で、しかし確実に私に向けられた言葉が耳に入ってきた。

 

『やっぱり男に頼るんだ。このビッチ』

 

ドクンと心臓が嫌な風に跳ね上がる。

 

『ちがっ…!』

『どうしたー?早く座れー』

 

反射的に言い返そうとしたが、それを教師に止められ、どうすることも出来ず席に戻る。

 

着席し、なんであんなことを言われたのか考えようとすると、またも後ろからボソッと囁かれる。

 

『良かったね、柴崎くんと千里くんに媚びといて』

 

その言葉は鋭く尖った茨のように私の心を刺してくる。

 

きっとそれが顔に出てしまっていたのだろう。周りの女子達が顔を見合わせてクスクスと嘲笑っていた。

 

なんで…?媚びてるってなに…?ビッチなんて言われるようなことしてないよ…?

 

頭の中でそんな疑問符ばかりが駆け巡る。

 

『すみません…保健室に行かせて下さい…』

 

そんな私には、ただ挙手をしてそう告げることしか出来なかった。

 

そのまま顔を上げず、足下だけを見て教室を出た。

 

顔を上げれば、皆が私を嘲笑っている。

 

そんな風に思ってしまった。

 

そしてまた昨日と同じように保健室のベッドで小さく、胎児のように丸まっていた。

 

フルフルと震え、静かに涙を流した。

 

泣き声を聞かれるのは嫌という羞恥心はさすがにこの頃もあったので、必死に奥歯を噛みしめて声を圧し殺していた。

 

そうしている内に眠ってしまい、起きた時にはもう昼休みに差し掛かろうという時間だった。

 

だからといってどうとも出来ない。

 

教室に帰るなんて選択は取れるはずもなかった。

 

かと言って、本当に体調が悪いわけでもないのに早退するのはダメだという妙な潔癖さもあったのだ。

 

とりあえず先生に声をかけられるまではこのままで居ようと考えてまたゆっくりと瞼を閉じた。

 

するとすぐに授業終わりのチャイムが鳴り、保健室の外が騒がしくなってくる。

 

その喧騒が、この時ばかりは助けになっていた。

 

静かだと変にさっきの事を思い出したり、考えたりしてしまうからだ。それに引きかえ、この喧騒はそういう思考を少し紛らわしてくれた。

 

そうして、少し精神的に落ち着いてきた時、ガラッと扉が開けられた。

 

そしてすぐに私の眠るベッドの周りのカーテンも開けられる。

 

『大丈夫…じゃねえよな今回は…』

 

恐らく涙で赤く腫れてしまっていたであろう私の顔を見て、柴崎さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 

千里さんはというと何も言わず、少し考えるように目を瞑っていた。

 

そしてゆっくりと瞼を上げ、保健の先生に向けこう言った。

 

『すみません。10分だけここを使わせてくれませんか?どうしても人に聞かれたくない話なんです』

 

『何を言ってるの。そんなのダメに決まってるでしょう。もし体調を崩した子が来たらどうするの?』

 

何が目的なのか分からなかったが、当然そんなことが認められるわけもなく、あえなく却下される。

 

『その時はすぐにやめます。お願いします』

 

しかし、その時の千里さんはあくまで食い下がらず、丁寧に頭を下げた。

 

柴崎さんは何をするつもりなのか知っているようで、千里さんの横で同じように頭を下げていた。

 

『…分かったわよ。10分だけ、それと他に誰か来たらすぐにやめる。これだけは譲れないからね』

 

その誠意が伝わったようで、一応の念押しをしてから教室を去っていった。

 

それを見て千里さんはベッドの側に片膝をついて私の目線に合わせる。

 

『笑美、今から何が起きてるのか全部話す。だけど絶対に声を荒らげちゃダメだ。そうすればあの先生が入ってくる。わかった?』

 

まるで幼い子供に言い聞かすような話し方だった。

 

いつもならそんなこと言われなくても出来るだとか反発もしていたかもしれない。

 

しかし、いつになく真剣なその眼差しに口をキュッと引き締めてただ頷く。

 

『よし。じゃあ蒼、気休めだけど手握っててやってよ』

 

『ああ。ほら』

 

千里さんに促されて繋がれた柴崎さんの手。

 

昔はよく繋いでいたが、さすがに中学生にもなれば、男女なんて関係ないと思っていようともそんな機会はめっきりなくなっていくもので、久しぶりに繋いだその手は昔の記憶にある柔らかく小さいものでなく、ゴツゴツとした大きなものに変わっていた。

 

まざまざと感じられたその変化に、こんな状況で私は初めてドキッとした。

 

『じゃあ話すよ』

 

しかし今はそんなことを思っている場合では無かったのですぐに千里さんの話に耳を傾けた。

 

纏めるとこういうことらしい。

 

まず私たちのクラスには元々私を良く思っていない女子が数人居たらしい。しかしそれは時々話題に上がって妬むような陰口を叩く程度のものだったという。

 

それが今の状況に陥った理由は、至極単純なものだった。

 

私が先日告白された男子のことを好きだった子がそのグループに居たのだという。

 

それだけ?と思うだろう。しかし本当にそれだけらしい。

 

私が告白され、断り、それを耳にした彼を好きだったその子がそのグループで『色目使っといて告白されたら振るなんて調子に乗りすぎだ』と怒り心頭になって愚痴っていたらしい。

 

そして他の子達ももちろんそれに賛同した。

 

そんな会話がヒートアップし続け、ついにある女子から提案されたらしいのだ。

 

『アイツハブっちゃおうよ』

 

そんな幼稚で馬鹿げた提案に他の子達も次々と乗り、彼女達はまず自分達以外の女子を仲間につけることにした。

 

得てしてこういう類いの嫌がらせを思い付く人種というのは、所謂スクールカースト上位の人間が多い。

 

なので、女子達を味方につけることに時間はかからなかった。

 

と、千里さんは言っていたが、私はここに付け足したい事がある。

 

恐らくその途中から仲間になったいった女子達の中に少なくない数の子達は、柴崎さんと千里さんに好意を抱いていたはずだ。

 

そんなことを自分で言うのは憚られたのだろう。

 

しかし確実にそういう層が居たはずだ。

 

千里さんはやや童顔ではあるが整った顔立ちをしているし、柴崎さんは目付きの悪さにさえ慣れれば、贔屓目無しにもイケメンの部類に入る。

 

そんな2人だ。人気がないはすがない。

 

事実、良く格好いいだとか好きだとか言っている子達を見たことがある。

 

そんな子達にとって私は邪魔でしかないだろう。

 

時間がかからなかった要因としてはこんなところだろう。

 

そして起きたのが、体育の時のあの出来事だ。

 

いつも組んでいた美穂ちゃんは逆らえず無視するしかなかったのだろう。

 

それについてはしょうがないと今でも思っている。彼女は大人しい子だったし、他の女子全員を敵に回してまで私を守る義理もなかっただろう。

 

そうして見事に私を孤立させ、混乱させ、それを見て楽しんだ彼女らはその時はある程度満足したらしい。

 

だが、次の時間には既に柴崎さんと千里さんによって元気づけられた私が笑っていて、それがまた気にくわなかったのだという。

 

だから次は男子に目をつけた。

 

まず私に告白した男子を味方につけたらしい。

 

当時の私はそんな風に思ったりしたことは無かったのだが、今思えば彼はナルシストとまではいかないが、自分に自信があるタイプの人間だった。

 

実際顔が良い方で、性格も悪くはなかったし、女子からの人気もそこそこあった。

 

そんな彼だからこそ私に振られたという事実は若干ではあるが屈辱なものだったのだと思う。彼からすれば落としたと思っていた相手に振られてしまったのだから。

 

だからその屈辱から来る燻りのようなものを鎮めるための行為として至って軽い気持ちで彼女らに協力した。

 

私が男遊びをしている等の根も葉もない噂を流し、それが伝言ゲームの要領で色んな形になって伝わっていった。

 

男遊びというざっくりとした内容のものが、男をその気にさせて賭けをしてるだとか、肉体的な意味での男遊びだというように、ドンドン噂に尾ひれがついていった。

 

そしてここで巧妙だったというか、強かだったのが、絶対に柴崎さんと千里さんには言うなと情報をコントロールしたところだ。

 

柴崎さんと千里さんは絶対にそんな噂を聞けばたちまち否定するどころかそんな噂を流し始めたやつを捜しかねないと考えたようだ。

 

それは正解だった。

 

事実千里さんは半日もせずにここまでの情報を集めてきたのだから。

 

もしすぐに千里さんや柴崎さんの耳に入っていたら今日のようなことにはならなかっただろう。

 

その判断は敵ながら正確なものだったと言える。

 

それによってその日、彼女らの望んでいた結果が生まれた。

 

いくつか私の推測等も混じってはいるが、大体こういうことになるらしい。

 

千里さんも人伝いなので本当の真相なのかは分からないが、限りなく真実に近いもののはずだった。

 

が、それを聞けたからといって事態が好転するわけでもない。

 

ただ自分の置かれている状況だけは理解できた。

 

いや、その時の私からすれば、理解してしまったとでも言うべきかもしれない。

 

『笑美…』

 

『……………』

 

私を労る二人の視線に応えることが出来なかった。

 

無理もないだろう。今の話を聞けば、その時の私の味方は柴崎さんと千里さんだけということになる。今考えればそれだけでも充分なものだとも思えるが、当時の私は今の私と違い、素直で単純だった。

 

だから、この二人が居ればとは思えなかった。

 

思い至れなかった。

 

とにかく学校に居る他の皆が私の敵なのだと絶望してしまった。

 

『笑美、大丈夫だ。皆には俺たちがその噂はデマだって言ってやるから』

 

『…いや、無駄だろうね。それを全員に言って回るのは現実的に難しいし、仮にやったとしても1度回った噂を消すっていうのは簡単なものじゃない』

 

『………じゃあ…もう…』

 

『お前なぁ!』

 

『ここで気休めを言って何になる?後でまた辛い思いするのは誰だよ?』

 

『――っ、だからって…!』

 

『そこまで!』

 

二人の意見が衝突し、柴崎さんが声を荒げ出したところで外に待機していた保健の先生がそれを聞いて入ってきてしまった。

 

『…何の話をしてたのかは分からないけど、遊佐さん、あなたはもう帰りなさい。顔色が悪いわ』

 

『………はい』

 

『なら俺たちが付き添います』

 

『駄目。風邪や熱があるわけじゃないし、それは認められない。あなたたちは授業に出なさい』

 

『でも!』

 

『蒼、迷惑かけちゃ駄目だよ。ここを使わせてくれただけでも感謝してもしきれないんだから。…一人でも帰れるよね?』

 

ここで首を横に振れるほどの図々しさや余裕は私にはなかった。

 

黙って1度だけ頷いた。

 

『鞄とかは僕たちが後で持って帰るから、チャイムが鳴ってから出来るだけ人目の少ないところから帰るんだよ』

 

『………うん』

 

そうして、千里さんに言われた通りチャイムが鳴り生徒達が教室に戻ってからひっそりと家に帰った。

 

家に着くと、先生が何と言ったのかは分からないが、母が心配そうな顔で待っていた。

 

何を訊かれても大した言葉を返せず、その日はとにかく布団に潜り込み、夕飯も食べずにずっと蹲っていた。

 

今後のことを考えると不安で堪らなかった。

 

今日だってきっと私が帰った後、クラスの何人かは喜んでいるんだと思うと、そんな人達のいる学校生活を送っていけるのかと怖くなった。

 

その恐怖は、体育の後に柴崎さん達を見た時のように溶けていってはくれなかった。

 

クスクスと笑う彼女らの顔が、声が、ねっとりと心を支配していった。

 

次の日、私は学校を休んだ。

 

両親には体調が悪いままだと嘘をついた。

 

心配そうに私を見る2人に心が傷んだけど、学校へ行く恐怖と天秤にかけるとあっさりと恐怖が上回っていった。

 

きっと今日も彼女達はそんな私を想像して笑っている。クスクスクスクスと昨日や、体育の時のように。

 

思い出せば思い出すほど、その光景は歪んで、醜くなっていった。

 

これまで毎日楽しくてしょうがなかったあのクラスが、今はもう思うだけで苦痛を感じるものになってしまった。

 

そして、そう感じてから1度逃げてしまうと、もう駄目だった。

 

私の足と心は竦みきってしまった。

 

柴崎さんと千里さんがお見舞いに来てくれていたが、顔を合わせることも出来なかった。

 

2人を見ると嫌でもクラスのことを思い出してしまうから。

 

そんな日々が数日経ち、もう体調を言い訳にするのは難しくなり、これはおかしいと思った両親は私に理由を訊ねてきた。

 

そうなると訳を話さないわけにはいかなくなり、思い出すのも苦痛なあの瞬間とそんなことになった理由全てを包み隠さず吐露した。

 

当然両親は怒ってくれた。父親は学校に乗り込んで先生と話すと言ってくれたが、私はそれを拒絶した。

 

そうすれば確かに表立っての行為は無くなるかもしれない。

 

けれど、私を嫌う彼女達の心は変わらないし、一時でも噂を信じた男子達はそういう風に私を見てくる。

 

それはもうどうしようもなかった。

 

だからやめてもらった。

 

代わりに学校を休ませてほしいと頼んだ。せめて私がもう行けると思えるまで待ってと泣いて頼んだ。

 

両親は迷いながらもそれを承諾してくれた。

 

それによって、私の心は幾ばくか軽くなった。

 

だが、それでも現状は変わらない。

 

基本的にはベッドで布団に潜り込んで必死にクラスのことを思い出さないようにし、思い出してしまった時には泣き、時に吐いてしまうような時もあった。そして毎日お見舞いに来てくれる柴崎さん達には顔も見せず帰ってもらう。

 

そんな鬱屈とした日々。

 

それが1ヶ月程過ぎたある日、急に私の部屋の鍵が開けられた。

 

部屋の鍵と言っても、小銭で開けられてしまうような申し訳程度の軽い鍵だった。

 

それでも今まで開けられることはなかった。

 

しかし開いた。

 

ゆっくりと引かれた扉の向こうにはここ1ヶ月程見ることのなかった愛しい幼馴染みがいた。

 

『蒼…ちゃん…』

 

『…よう』

 

下手くそにはにかみながら、そう言う。

 

無自覚ながら愛しく思っていた彼。その笑顔。

 

―――だけどその時の私には堪えられなかった。

 

『いやぁ!!』

 

拒絶の言葉を叫び枕を投げつける。

 

思い出してしまうのだ。愛しい彼には私の記憶の全てと密接に繋がってしまっていたから。

 

もちろん全ての記憶の中には楽しいものもたくさんある。むしろそちらの方が圧倒的に多いはずだった。

 

けれど彼と最後に会った時は私の精神状態が最悪な時。

 

そのためこの心の準備も出来ていないタイミングでの彼との対面は私にあの時の気持ちを一瞬でフラッシュバックさせたのだ。

 

『おっと』

 

しかし彼はそんな私の攻撃などものともせず枕を受け止めた。

 

『落ち着いてくれ。急に来たのは俺が悪かった。だけど今日はどうしても話がしたかったんだ』

 

『いや、いや、いやぁぁぁぁ!!』

 

私の異様な取り乱し方に面を食らっていたはずだが、少しでも私を刺激しないよう平静に呼びかけてくれた。

 

しかし私の震えは止まらず、そのまま全ての情報を遮断しようという風に耳を塞ぎ、布団の中に逃げ込んだ。

 

『嫌なの…帰って…!』

 

更に拒絶を上乗せして、追い払おうとする。

 

『…何が嫌なんだ?』

 

しかし彼は帰らなかった。

 

動じることなく、ゆっくりと落ち着いた声で問いかけてきた。

 

それほどの声量ではなかったのにその声は塞いでいたはずの私の耳にはっきりと届いた。

 

彼のこの対応は当時の年齢的に考えても、相当大人なものだった。

 

しかし、私は彼のその対応に幼稚にも喚き散らすことしか出来なかった。

 

『全部!全部嫌なの!』

 

『全部って?』

 

『全部は全部だもん!』

 

『…俺も、か?』

 

『……え?』

 

今まで何も考えず即答していた私は、そこでは答えることが出来ず、ただ聞き返すことしか出来なかった。

 

『その全部には、俺も入ってるのか?』

 

布団に潜り込んでいて、顔は見えていなかったのに、何故かはっきりと彼の表情が目に浮かんだ。

 

一点の疑いもない真っ直ぐな表情が。

 

『それは…』

 

『俺だけじゃない。全部ってことは悠も、笑美のお父さんとお母さんも嫌いってことになる…お前の言う全部ってそういうことなのか?』

 

『そんな…わけ、ない…!』

 

いつまでも布団の中に隠れている私にいっそ挑発するように質問してくる。

 

私はそれにまんまと釣られるようにがばっと布団を撥ね退けた。

 

その時見えた表情はさっき思い描いていたものと寸分違わず同じものだった。

 

『蒼ちゃんも悠ちゃんもパパもママも嫌いになるわけない!大好きだよ!!』

 

私がそう声を張り上げると、彼は真剣な顔つきを1度解き、相好を崩す。

 

『…じゃあ全部じゃないな。だから改めて訊くぞ。何が嫌なんだ?』

 

『何が、って…』

 

今回は先程のように感情的にならず、しっかりと考える。

 

何か嫌なのか。

 

しかしそれを考えるのは学校に行かなくなって以来ずっと避けてきた。

 

考えると頭痛や吐き気が襲ってくるからだ。

 

『何が…何が…?』

 

1度は収まった発作のような拒絶感がぶり返してくる。

 

また喚き散らして逃げたくなりかけた時、ぎゅっと温かいものが私の手を包んだ。

 

『落ち着け。ゆっくりでいい』

 

それは彼の手だった。

 

更に彼は私の頭にぽんと手を置いた。

 

温かい…落ち着く…そういえばあの時もこうして握っててくれてたな…

 

彼の手の心地よさに無意識に目を瞑る。

 

そうしていると頭の痛みも吐き気も嘘のように引いていった。

 

『あたし…学校に行くのが嫌…』

 

『クラスの奴らに会いたくない、か?』

 

コクリと首肯で答える。

 

『あたし…もう皆と前みたいに居れない…皆…皆あたしを男遊びしてるって思ってる…』

 

『それは悠と俺で頑張って皆に誤解だって言って回った…けど、それじゃ駄目なんだよな?』

 

『うん…だって、心のどこかで絶対その事思い出しちゃうもん…それに、女子から嫌われてるのは変わらないし…だから、行きたくない…』

 

そう言うと、心なしか彼の手に力が込められた。

 

『…分かるよ。あー、いや、最近すげぇ分かったんだ…嫌われるって辛いよな』

 

『蒼ちゃん…?』

 

少し俯いて自嘲するようになんでもない、と彼は笑った。

 

この時私は私が学校に行っていない間に彼の周りに変化が起きていたことを知る由もなかった。

 

『ただ、白い目で見られたり嫌われたり、そういうことの辛さが本当の意味で分かったから、だから多少強引にでも俺はお前と話さなきゃって思ったんだ』

 

『なんで?』

 

『確かに嫌われることの辛さは尋常じゃない。だけど、それから逃げ続けていたら多分ずっとそのままになっちまう…それは駄目だって思う。辛さに勝つには立ち向かうしかないんだよ』

 

今度は心なしではなく、確かに握る力が強くなっていた。

 

『でも…一人は嫌だよ…』

 

『お前は一人じゃないだろ』

 

『なんで…?皆あたしのこと嫌いなのに…』

 

『俺が居る』

 

『え…?』

 

彼の言葉に虚を突かれ、更に畳み掛けるようにぎゅっと抱き締められる。

 

『俺は、どんな笑美でも嫌いになったりしない』

 

『――――っ』

 

ドクン、と心臓が跳ねた。

 

いや、跳ねるなんて軽いものじゃなかった。

 

それは天変地異のように私の心臓を激しく乱していく。

 

顔はドンドン熱くなっていき、手は震え、吐息が漏れる。

 

生まれて初めての感覚だった。

 

これが何なのか分からなかった。

 

でもこの心の高ぶりは、どこかで感じたことがある気がした。

 

そしてそれは唐突に私の中に理解されることになった。

 

彼の質問によって。

 

『もちろん、悠だっている。なあ、笑美は俺達が嫌いか?』

 

『…………すき、だよ』

 

そう答えた瞬間に、私の頭の中で全ての歯車が噛み合った。

 

……ああそっか、好きだったんだ…

 

そう、理解した。

 

理解したその時、私の頭の中に異変が起きた。

 

『う…ぁぁぁぁぁぁぁぁ?!』

 

『お、おい?!』

 

今まで何かで蓋をされていた記憶が滝のように奔流してくる。

 

――――男を憎んでいたあの頃。

 

―――――ゆりっぺさん達と出逢い、記憶を塞いだこと。

 

――――――少しの感情を失い、それでも楽しく騒いでいたこと。

 

―――――――そして、柴崎さんに出逢い、恋をしたこと。

 

『―――美!!笑美!!』

 

『はっ!?』

 

『おい…大丈夫か?』

 

『え…ええ…大丈夫…です…』

 

『……です?』

 

『あ、いや、大…丈夫…』

 

唐突に意識があの世界の私と混ざり合ったことにより口調が定まらなかった。

 

そんな私を怪訝そうに、あるいは心配そうに見る彼の顔を見た。

 

……ああ、柴崎さんだ…

 

………違う。

 

違う違う違う違う違う!これは蒼ちゃんで柴崎さんじゃない!?

 

私であり、私でなく、彼であり、彼でない。

 

急な記憶の回復は、私の頭に混乱を与えた。

 

あたしは私なのか、私はあたしなのか。

 

また蒼ちゃんは柴崎さんなのか、柴崎さんは蒼ちゃんなのか。

 

その区別がつけられない。

 

割りきれなかった。

 

『か、かえって…』

 

『笑美…?』

 

『今日は帰って!…私に時間を…ください…?』

 

『…分かった』

 

まだ口調が定まらず、頭の中ではぐるぐると2つの意識が巡っている。

 

だから彼がどんな顔をして分かったと言ったのかも気にしていられなかった。

 

『…あのさ、なんかよく分かんねえけど…頼れよ。それじゃな』

 

『……………』

 

バタン、と扉は閉められた。

 

『頼れ…』

 

彼が居なくなって独りになり、そう反芻する。

 

…優しい。本当に変わってない。

 

あの痛いほどの優しさ。

 

それが私を平静に戻した。

 

忙しなく回っていた2つの意識が、ゆっくりと停止していく。

 

あたしは…私。一緒なんだ。

 

彼もそう。蒼ちゃんは柴崎さん。

 

だけど、柴崎さんとしての記憶はない。

 

あの世界で私が恋した彼の記憶はない。

 

…けれど、変わっていなかった。相変わらず、失恋した身としては痛い優しさだった。

 

ならば良いじゃないか。彼は彼。生まれ変わっても変わらない。馬鹿が付くほどお人好しな彼なら、それはもう柴崎さんだ。

 

そう思うと、2つの意識は次第に重なりあっていった。

 

あの世界での私が、この世界でのあたしに加わっていく。

 

『私は…遊佐です』

 

好都合だった。

 

あの世界の私を手に入れたことによって、私はあの世界の私になることが出来た。

 

表情は無く、毒舌で、強い私を。

 

唯一の懸念材料の男性への恐怖や憎悪は柴崎さんによってほとんど無くなっていた。

 

今のこの私なら、彼の隣に居てもきっと妬まれたりはしない。

 

いや、むしろしてもらっても良いとさえ思えた。

 

そうすれば何倍にもして返してやると思えた。

 

ガチャッと扉を開け、下の階にいる両親に明日から学校に行くと告げた。

 

二人は驚いていた。急に感情を感じられなくなった私を見て。

 

しかし、何よりも学校に行くと言ったのが嬉しかったようで、詳しくは訊かれなかった。

 

私は安堵した。もし訊かれたとしても答えられない。前世などと言って誰が信じるというのか。

 

その日私は本当に久しぶりに安らかな睡眠をとることが出来た。

 

ここしばらく不安に押しつぶられそうになっていたことが嘘のようだった。

 

そして、朝がやって来た。

 

久方ぶりの安眠は私にスッキリとした目覚めを与えた。

 

本来ならまだ起きるには早い時間なのだが、私は朝食を素早く取り、支度を済まして足早に家を出た。

 

『おはようございます』

 

『…おは、よう…』

 

その理由は、彼を待ち伏せすることだった。

 

隣にある彼の家の前に陣取り、待ち構えていた。

 

『私はもう大丈夫です。ご心配をかけて申し訳ありませんでした』

 

『…笑美?なんか喋り方変じゃないか?』

 

そう言われると思っていた。こんな変化を見過ごす人間など居はしないだろう。

 

だから私は答える。

 

ただ淡々と。

 

『もう誤解を受けないよう極力感情を表に出さないようにしました…それと、私のことは今後遊佐と呼んでください』

 

正直これは言おうか言うまいか迷っていた。

 

本心では下の名前で読んで欲しいとも思う。けれど、これはケジメだ。

 

私はズルをしている。

 

弱い私は本来無い筈の前世の私を取り込むことによって強さを得た。

 

しかしそれは普通ならあり得ないこと。

 

この世界の私なら、きっと登校出来るようになるまでまだ時間がかかったはずだ。それを早めたこの前世の私というイレギュラーは、ズル以外のなにものでもないだろう。

 

だから私は少しでもフェアにしたかった。

 

何かを手に入れたのなら、何かを手放すべきだと、そう思った。

 

だから私は好きな人に名前で呼ばれる至福を手放すことにした。

 

『なんで、って訊いていいか?』

 

『…私はこれから恐らく笑う機会がほとんど失われるでしょう。なので、私に美しい笑みは似合わない。そう判断しました』

 

もちろん本当のことなど到底言えるわけもない。

 

だからそれっぽい御託を並べてみる。

 

きっと彼はそれを真に受けるだろうから。

 

『…そっか』

 

ほら、まるで何もかも自分のせいのような顔をする。

 

『はい。では行きましょう、柴崎さん』

 

『…そうだな。行こう』

 

でも私はそれに対して何も言わない。

 

そこにはそうすれば彼が私を気にしてくれるだろうという卑しい考えが働いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが私が彼に恋するまでの、そして今に至るまでの物語。




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「本当に、ずるい…」

「…戻りませんよ」

 

過去を思い出しながら、ゆっくりと言葉を吐く。

 

「…だよな。ははっ、悪い変なこと言って」

 

空元気に愛想笑い。

 

…本当に分かりやすい人。

 

「…今の私は嫌いですか?」

 

我ながら馬鹿な質問だと思う。

 

彼がこんなことを訊かれて嫌いだと言うはずがないのに。

 

「そんなわけないだろ」

 

ほら、やっぱり。

 

私をどう思おうと彼はそんなこと言えない。

 

「確かに昔と変わったし、また思いっきり笑ってるのを見たいよ。でも俺は言っただろ!どんなお前でも嫌いになったりしない!」

 

ハッとした。

 

覚えていたのかと。

 

私にとってその言葉は宝箱に仕舞っている宝石のように大切なものだった。

 

けれど、彼にとっては私を勇気づけるための些細な一言だったのだと思っていた。

 

なのに…

 

「忘れたとは言わせねえぞ」

 

忘れた…?そんなわけない…そんなことあるわけない…だってそれは、これまでの人生で一番大事な言葉だから。

 

あの時からずっとこの胸に鮮やかに残っているものなのだから。

 

「…覚えてますよ」

 

動揺を隠すためいつもよりも更に抑揚と表情筋を殺す。

 

「だったらそんな分かりきってること訊くなっての」

 

「すみません。ちょっと訊いてみたくなっただけです」

 

「…まあ、元を正せば俺が変なこと訊いたからだからな。こっちこそ悪かった」

 

「気にしないで下さい…それでは、引き止めて申し訳ありませんでした。また明日」

 

「ん、あ、ああ」

 

これ以上話していると平静を保てる自信が無く、若干不審に思われながらもそこで話を切り上げて足早に家の中に入る。

 

ガチャッと玄関の扉を閉めてから、徐々に顔が熱くなる。

 

ずるずると扉にもたれながら腰を落とす。

 

思い出されるさっきの台詞。

 

『どんなお前でも嫌いになったりしない!』

 

「ああもう…」

 

あの世界のようにAngel Playerに頼っていない不完全な無表情にあの台詞は…

 

「本当に、ずるい…」

 

でも、彼は示してくれた。

 

そのまっすぐな言葉で、私がどうあろうと嫌いにはならないと。

 

なら、私ももうやめよう。

 

汚い手を使って彼の中に居場所を作るのは。

 

彼の言葉に応えられる私でいるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちゃん、蒼ちゃん!」

 

翌日の朝、俺を眠りから引き上げたのは、そんな唐突な懐かしい呼び方だった。

 

「起きてよ蒼ちゃん!」

 

「…んん?」

 

「起きた?もう起きないと朝ごはん食べられないよ?」

 

目の前には昔懐かしい表情筋の死んでいない頃の遊佐がいた。

 

今も中々起きない俺に向けて不満そうに頬を膨らませている。

 

なるほど…

 

「夢だなこりゃ…」

 

「ちーがーうー!とりゃっ!」

 

「ぐえっ!」

 

「どう?痛いでしょ?だから夢じゃないよ!」

 

「はぁ?あー、確かに…」

 

遊佐の言う通り、上にのしかかられた痛みを感じているということはこれは夢じゃない。

 

なら、この遊佐は本物ということなのか?

 

昨日戻らないと言ったのは嘘だったということなのか?

 

「え、笑美…?」

 

「駄目」

 

「え…?」

 

「駄目」

 

さっきまで昔のような柔和な雰囲気だった遊佐が一変して鋭い口調になる。

 

「駄目って…なんでだよ?今のお前なら昔みたいに笑うんだろ?なら、もう自分に似合わないとか、そんなの気にする必要ねえだろ?」

 

「…これは確認なんです」

 

「確、認…?」

 

真意の分からない言葉。

 

そして突如として戻った無表情と口調。

 

分からないことだらけだ。

 

「私なりに努力をしてみたのです。昔のように振る舞えるかどうかを…ですが、やはり駄目です」

 

「駄目なんてことねえだろ?本当に俺は昔に戻ったかと思ったんだぜ?」

 

遊佐の言う努力をした結果、俺が夢かと錯覚するほどに昔と遜色のない笑美そのものだった。

 

それのなにがいけなかったというのか。

 

そう問う俺に対し、遊佐は表情こそ変わらないがどこか居心地の悪そうにこう答えた。

 

「恥ずかしいんですよ…今考えると子供過ぎるというか、この無表情を通している間に精神的にも大人になったので…蒼ちゃんなんて呼び方も幼すぎますし…」

 

「………………」

 

「…なんですか?」

 

「い、いや…」

 

予想もしていなかった答えに言葉を発せずにいると、そんな俺を訝しそうに見つめながらそう訊いてくる遊佐に、俺は少し言うのを躊躇いながらも口を開く。

 

「バカだなぁって思ってな…」

 

笑いを堪えようとすることによって若干語尾が震えてしまっていた。

 

「……柴崎さんに言われたくはないですね」

 

そんな俺の態度が気にくわなかったようで、キッとこちらを睨んでくる。

 

その鋭い眼光に思わず身が縮む。

 

「勝手に…責任なんて感じないで下さいよ」

 

怒らせたかと思ったが、どうやら違うようだ。

 

少し俯き、言葉尻が萎んでいく遊佐からは怒りなどは微塵もなく、どちらかというと申し訳なさを感じているように思える。

 

「私はこうしたいからこうしているんです。あの時のことなんてもうどうでも良いんですよ。今はもうこんな私を受け入れてくれる人達も沢山います」

 

そう言われて思い浮かんでくるのは、仲村を筆頭としたSSS部の皆。

 

確かに、遊佐を取り巻く環境は昔から随分と変化している。

 

アイツらは遊佐の言動にこそ呆気を取られはするが、奇異の視線を送ることはない。

 

それは確かに居心地の良いものだと思う。

 

「それに笑美と呼ばれたくないのは、似合わないというのも嘘では無いですけど、それ以上にいつか大事な人にだけ呼ばれたいと…そう思うからなんですよ」

 

「そうだったのか…」

 

その大事な人っていうのが、どんな奴なのか今はまるで見当もつかないけど、そう呼ばれて嬉しそうにしている遊佐を見てみたいと純粋に思った。

 

「なのでもう忘れて下さい。元々柴崎さんのせいではないのですから。私はこれでも感謝しています。今までずっと気にかけてくれていたことも、あの時どんな私でも嫌いにならないと言ってくださったことも」

 

「そっか…」

 

俺は、少しくらいは役に立ててたんだな。

 

感謝もしてくれてたんだ…ちょっと分かりづらいけど…

 

「なので、もう私に負い目を感じないで下さい」

 

「…ああ、分かったよ。これからはお前が今のお前を気に入ってるんだってちゃんと思っておく」

 

「ありがとうございます…それと、1つお願いしてもよろしいですか?」

 

「そりゃ良いけど、どうしたんだ?」

 

「直井さんには、私のことと無関係に普通に接して下さい。直井さんは直井さんなのですから」

 

そう言われてハッとする。

 

次いで苦笑が洩れる。

 

まったく、お前には敵わねえよ。

 

「…だな。アイツはアイツだ」

 

直井を変えてやりたいという思いはただ純粋に俺の中にあったものなのは確かだ。

 

だけど、遊佐のことがあったこともどうしたって否定なんて出来やしない。

 

本当に敵わない。

 

もしかしたら自分のことよりも直井のことを言うために今回のことをしたんじゃないかとも思えてくる。

 

「ありがとな」

 

「何がです?」

 

絶対分かってるな…

 

まあいい。コイツがこういう奴なのは分かってる。

 

中学のあの時から、そしてこれから先も。

 

「なんでもねえよ…さ、支度するから外で待っとけ」

 

「了解しました」

 

簡潔に返事をして、素早く部屋を立ち去る遊佐。

 

それを確認してからゆっくりと着替えを始める。

 

今日は心なしかいつもより気持ちが楽だ。

 

アイツは前に進んだ。

 

なら、いつか俺も少しずつでも前に進もう。

 

「よし」

 

着替えを終え、気合いを入れるため一言吐く。

 

そして玄関まで降り、扉を開ける。

 

そこには変わらない表情の遊佐が居る。

 

「悪い、待たせたな」

 

「いいえ、構いませんよ。さあ、行きましょう」

 

「おう」

 

もうそれを見ても心は痛まない。

 

遊佐の進んだ証を眼に焼き付けて、俺も1歩踏み出そう。

 

 




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「違うわボケぇー!」

「あ、おーい直井ー」

 

放課後、部室へ向けて歩いている途中、直井を見かけたので声をかける。

 

「チッ、また貴様か…」

 

本気でうんざりしてるという風に睨んでくる直井。

 

まあうんざりもするだろう。

 

遊佐との1件、1件と言うとなんだか事件でも起きたみたいに聞こえて大袈裟にも思えるが、とにかく1件を終えてから、俺は度々直井を見かけるとこうして声をかけている。

 

それは音無も同じで、関根は言わずもがなだろう。

 

だからうんざりもしてくると思う。

 

けどやめるつもりなんて更々ない。

 

俺はコイツと友達になると決めている。勝手が過ぎるだろうが決めたのだ。

 

「まあそんな嫌そうな顔すんなって」

 

「なら話しかけるなこのマヌケめ」

 

「おいおい、仮にも先輩に向かってマヌケって」

 

「知らん。敬って欲しいのならそれ相応の威厳を見せてからにしろ。いつも意味のないことばかりペラペラと」

 

「はは…返す言葉もない…」

 

直井の言う通り、他の二人は知らないが、俺は直井を見かけて話しかけるのは良いが、特にこれといって話題があるわけでもなくただただとりとめのない世間話を繰り返すだけだった。

 

やれこの間のテレビが面白かっただの。

 

やれ朝出かける時に靴紐が切れただの。

 

やれ黒猫に前を横切られただの。

 

やれ勝手に皿が割れただの。

 

…なんか不吉なことばっかり話してるな…

 

ともかく、ここは1つ先輩の威厳とやらを少し見せてやらないといけない。

 

なにか含蓄のある話題を提供しよう。

 

「………日経株価についてどう思う?」

 

「それ本当に貴様は語れるのか?」

 

「…………………」

 

数字が絡むものは苦手でした…

 

「帰る」

 

「あっ!ちょっと!まだ先輩の威厳が…」

 

俺の静止を毛ほども気にせずそのまま本当に帰っていってしまった。

 

「やれやれ、柴崎先輩は本当に駄目ですねぇ」

 

「うおっ、関根いつの間に?」

 

呆れられてしまい、肩を落としていると知らない間に近づいていた関根が肩を竦めていた。

 

「ふっふっふ~まあまあそんなことは置いておいて、先輩はなってないですよ。まず話題のチョイスが最悪っすね~」

 

「んだと?日経株価の何が悪い?」

 

「悪いのは日経株価じゃなく先輩の頭でしょうに」

 

「んなっ?!」

 

こんなアホそうな奴に頭が悪いと言われるのは心底納得がいかないが、話せもしない日経株価を見栄を張って話題に出した俺が何か言い返せるはずもない。

 

とはいえ、このまま黙ってバカにされっぱなしは癪だ。

 

「んじゃあお前ならまともに話せんのかよ?」

 

「ん~、良いですよ。とくと見ときなさいあたしのテクニックをー!」

 

なので、適当にそう訊ねてみると思いの外食い付き、前を歩く直井に追い付くため走り出した。

 

「やっほー直井くん!」

「うるさい黙れ」

 

一蹴された。

 

わざわざ走って追い付いたが、一切目を向けられることなく切り捨てられた。

 

「ぷっ、駄目じゃねえか」

 

「あー!笑ったな!?今バカにしたなー?!」

 

思わずそう言葉を漏らすと、すごい勢いでこっちに戻ってくる。

 

「そりゃそうだろ。なんだテクニックって?無視されるテクニックか何かか?」

 

「違うわボケぇー!」

 

「なっ?!てめえ仮にも先輩に向かってボケだと?!」

 

あれ?なんかこんな感じの台詞さっきも言った気が…デジャヴかな?

 

「失礼な人に先輩も後輩も同期も関係なーし!」

 

「あるわ!大いに関係あるわ!」

 

「まあいいじゃん?無礼講無礼講。な、柴崎?」

 

「無礼講が起きる要素が微塵もねえよ!敬語使え敬語!」

 

「えぇ~」

 

「えぇ~、じゃねえ!」

 

「何やってんの二人とも。大声出して」

 

声をかけられ後ろを振り返ると、そこには岩沢が立っていた。

 

「いやそれがだな」

「はっ?!もしかして関根も柴崎のことが好きになったのか?!やらないぞ!」

 

「え?いりませんよ。ぶっちゃけまるでタイプじゃないっす」

 

「ちょっと待てなんで今の光景を見てそう思った?!そんでお前とことん失礼だな!?」

 

俺のメンタルがどんどん底をついてくるわ!

 

「違うんだったら何でそんな騒いでたんだよ?」

 

いや仮にお前の予想が当たってたとしてもあんな風に騒いだりはしないと思いつつも質問に答える。

 

「コイツが先輩に対してあまりに失礼だったから礼儀を教えてやろうと思ってな。つーかお前ら礼儀くらい教えとけっての」

 

「礼儀?悪い?」

 

「悪いわ!ボケとか言ってきたぞ!」

 

「そうなの関根?」

 

「え、あ~、まあはい。言いました」

 

流石に岩沢に叱られると思ったのか、俺の時とは違い少し緊張している様子だ。

 

だが、岩沢は特に怒ったりする素振りもなく、うーんと考えこんでいる。

 

「関根、お前あたしとかにはあんまりそういう風にしないよな?」

 

岩沢は少しして思案を止め、そう切り出した。

 

そういう風、というのはボケとか言ったりすることのことだろう。

 

「え?ええ、はい」

 

「何で?関根って本当は柴崎と話す時みたいな態度が自然なんだと思うんだけど」

 

「えぇ…いやそれはやっぱり同じバンドの先輩ですし、失礼じゃないですか」

 

「おい。俺も一応同じ部活の先輩なんだけど」

 

「…なぁんか先輩には敬語だと話しにくいです…ぶっちゃけ今も…」

 

「なんだそりゃ?結局俺に威厳がないって話か?」

 

またぞろ俺を小馬鹿にするための言葉なのだと思ったのだがどうやらそうではないらしく、そうじゃなくて…とこめかみに指を当てて唸っている。

 

「みゆきちも言ってたんだけど、どうも敬語で話そうとすると違和感があるんだよね…」

 

「入江も?」

 

俺まだまともに話したこともないんだけど。

 

「人見知りとその違和感のせいで余計話しにくい、みたいなことをこの前話してて」

 

「だからまだ話せたことがないのか…」

 

とは言っても、その違和感っていうのは俺にはよく分からない。

 

まあ俺も関根と入江には、というよりSSS部の全員に対して思うところがある。

 

それは言葉にはしにくいもので、あえて言うのなら馴染みやすさ、親しみやすさというような言葉が近いと思う。

 

俺も色々あって少し人見知り気味というか、人間不信の気がある。

 

だけど、あそこの皆や関根、入江、そして実は直井に対しても俺は何となくだが話しやすいのだ。

 

直井の場合は少し特殊なケースというところもあるので何とも言えないが。

 

つまり関根や入江の言う違和感というのはもしかしたらその親しみやすさだったりを二人も感じ取っているから故なのかもしれない。

 

とはいえ、それを俺がどうにか出きるわけでもない。

 

そう考えていると、おもむろに岩沢が口を開く。

 

「だったらもう敬語やめちゃえば?」

 

「え?」

 

「は?」

 

「ん?」

 

いやいや聞き返されてもこっちが困るわ。

 

「敬語やめるって…いいんすか?一応後輩なんですけど?」

 

「いいんじゃない?話しにくいなら」

 

「ちょっと待て。俺の意思は全く関係ねえのか?」

 

「駄目なの?」

 

「駄目だろ!」

 

「なんで?」

 

「なんで、って…」

 

じっと見詰められ言葉に詰まってしまう。

 

なんでって…先輩と後輩なわけだし…って、それなら俺が気にしなきゃいいだけの話なのか?

 

…なんかコイツに言われると頭が混乱してくる。

 

まるで自分の考えがただの固定概念でしかなくて、岩沢の言ってることこそが本当の物事の真意を突いているものなんだと思わされそうになる。

 

「わかんねえけど…」

 

だから俺は答えられなくなる。

 

「なら、あたしには敬語無しでいいよ」

 

「えぇぇぇ?!ぜぇったいに無理ですよ!?恐れ多すぎます!!」

 

軽い調子で言ってのける岩沢に全力で手と首を横に振る関根。

 

「おい!なんだその俺の時との反応の違いは?!」

 

「いやだから先輩はなんていうか敬語が使いにくいから」

 

「あたしとかひさ子は?」

 

「むしろ敬語以外が使いにくいっす…まあヒートアップしたら話は別ですけど…」

 

そう言って目を逸らす関根。

 

だが言ってやりたい。

 

~っす、は多分敬語として不正解だと。

 

「じゃあ他の皆は?」

 

「うーん…別に使いにくいとか思ったことはないですかね」

 

「何?やっぱり威厳?俺だけ威厳がねえの?」

 

「そーじゃなくってぇ…大体、威厳無いとか言い出したら日向先輩とかの方が無いし…」

 

「それはそれで酷い言い草だな…」

 

少し軽いがそれでも気の良い友人の顔を思い浮かべて憐れむ。

 

「要するに…そう!」

 

閃いたという風にポン、と手を打つ。

 

「先輩っていうよりも友達になりたいんだ!」

 

「とも…だち…」

 

「うんうん!そうなるとさ、友達に敬語っておかしいでしょ?」

 

「ん、まあ確かにな…」

 

と言いつつ頭の隅には常時敬語で話す幼馴染みの顔が浮かんできたが、まああれは稀有な例なので置いておく。

 

しかし…

 

「友達、か…」

 

顎に手をやり考える。

 

友達…

 

確かに俺も関根や入江に感じている感覚を表すなら友達というのが最もしっくりくる。

 

それに、こんな俺に対してそう言ってくれるのが素直に嬉しい。

 

友達になりたい、なんて言ってもらえることは滅多にないだろうから。

 

「…なら、仕方ねえな…」

 

「え?」

 

気恥ずかしさから声量が小さくなりすぎたようで、聞き返されてしまう。

 

だから、今度はちゃんと聞こえるよう声を少しだけ張り上げる。

 

「仕方ねえなって言ったんだよ。なろうぜ、友達」

 

「本当?!じゃあじゃあ敬語無しでいい?!」

 

「ああ、友達だからな」

 

「よっしゃぁ!じゃ、今度からよろしくな、柴崎。あ、パン買ってこいよ」

 

「それはパシリだろうが…!」

 

「ぎゃぁぁぁ!痛い痛いぃ!」

 

あまりにも調子に乗っている関根のこめかみを両側から拳でぐりぐりとしめつける。

 

「ふふっ」

 

そうしてお灸を据えていると、不意に岩沢が笑い声を洩らした。

 

「ちょっとぉ!笑ってないで助けて下さいよぉ!」

 

「ていうか、何がそんなに面白いんだよ?」

 

「いや…何て言うか、ね。ちょっと楽しくってさ」

 

何故か少しだけ目を潤ませて微笑む岩沢。

 

それを見て、楽しい?と疑問符を浮かべて関根と顔を見合わせる。

 

「ごめん、ちょっと先に行くよ。あ、早く入江とも仲良くなりなよ」

 

じゃあね、と言って岩沢は足早に歩き始めた。

 

「どうしたんだ急に?」

 

「さぁ…?」

 

先に行くと言っても、俺たちももう部室には行くし一人だけ先に行く意味はなんなのだろう?

 

「あれ?どうしたんだ二人とも。まだ部室に行ってなかったのか?」

 

とりあえず俺たちも行こうかと思った矢先、後ろから音無がやって来た。

 

「あー、いやちょっと話し込んでてな。お前はもう日直終わったのか?」

 

「ああ、今終わったんだ。話って何の話?」

 

「まあ他愛もない話ってとこだな」

 

「ふーん?まあいいか、折角だし一緒に行こうぜ」

 

「だな」

 

つーかそろそろ行かないと仲村の機嫌を損ねそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たちの通う百合ヶ丘学園は、校舎を3つに分けて、校門から近い順に、第1校舎、第2校舎、第3校舎となっている。そしてその校舎が並び建つすぐ横にグラウンドが配備されている。

 

俺や音無たちのクラス、そして関根や入江、直井のクラスは学年が違うが偶然にも同じ、校門から最も遠い第3校舎の中にある。

 

そして俺たちの部室はというと、第3校舎から少し離れた場所にある。

 

第1校舎から真っ直ぐグラウンドの端を突っ切るとそこが俺たちの部室なのだが、第3校舎から向かうとなると、グラウンドを斜めに突っ切るか第2、第1校舎に沿うように外回りをするというこの2択になる。

 

授業が終わってすぐに部室に向かう場合なら斜めに突っ切ることも出来るのだが、今日はもう既に関根や岩沢と話し込んでいたこともあり運動部の練習が始まっていてそれも叶わない。

 

だから俺たち3人は外回りを選んだ。

 

これが功を奏した。

 

第1校舎から部室へ向かう直線。

 

その道の左側、校門と第1校舎のちょうど中間辺りに体育館がある。

 

すると必然的に第1校舎と体育館の距離は近く、そこに細いが奥行きのある路地のようなスペースが生まれる。

 

人が3人横に並んで入れない程度の幅のその場所。

 

そのすぐ側に鬱蒼とした木々や草むらがあることもあり、ちょうど良い死角のようになっている。

 

もしグラウンドを斜めに突っ切って部室に向かっていたら、さすがの俺の眼でもそれには気づくことが出来なかったかもしれない。

 

だが、話し込んで外回りをすることになったことによって直線上になったその路地に、俺の眼はその光景を捉えた。

 

「直井…?」

 

体育館と第1校舎、そして木々達の間に生まれる路地の中、そこに直井の姿が。

 

人は見慣れたものを優先的に視界に捉えやすくなると言うが、全くもってその通りのようだ。

 

ここ最近で見慣れた直井を真っ先に捉え、何をしてるのかと注意深く見てみれば、直井の周りに柄の悪そうなのが数人居ることが窺えた。

 

それは誰がどう見ても直井が何か因縁をつけられ絡まれているようにしか見えなかった。

 

「え?どこだ?どこにもいないけど」

 

俺の言葉を聞いた音無がキョロキョロと辺りを見回すが当然気づかない。

 

しまった…と内心臍を噛む。

 

眼のことは出来れば知られたくなかったからだ。

 

もうこの眼のことで誰かにとやかく言われたくない。

 

このまま勘違いだとうやむやにして、近づいてから改めて直井がいることを伝えようかという考えが一瞬頭によぎる。

 

でもそれじゃ直井が絡まれているのをみすみす見逃すことなる。

 

そんなのは駄目だ…でも…眼のことは…

 

そう悩んだ時、遊佐の姿が脳裏に浮かぶ。

 

中学時代のトラウマを乗り越え、一歩前に進んだ幼馴染み。

 

…そうだよ。何考えてんだ俺は…俺も前に進むって決めたばっかだろうが…!

 

俺は路地の方に指を向け、あそこだと伝える。

 

「あそこ…って、お前よく見えるな?!」

 

「昔から眼だけは良いんだよ」

 

そのせいで苦労した時期もあったけどな、と心の中で付け足す。

 

「ていうか、今そんなこと言ってる暇はねえわ。どうも絡まれてるっぽい」

 

「絡まれてる?!直井がか?!」

 

「それってヤバイんじゃ?!」

 

「ああ。早く先生を…って!?」

 

呼ぼうと言おうとしたところで、音無はもう直井たちのいる路地に向かい走り出していた。

 

馬鹿…!一人で行ってもどうにも出来ないだろ…!

 

「くそ!関根、先生を呼んで来といてくれ!」

 

「お任せ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、お前だろ?調子こいてる一年ってのはよ」

 

「…………………」

 

「けっ、ビビってなんも言えねえのか?」

 

目の前には、薄汚い表情を浮かべる下卑た輩が数人。

 

明らかに知性も品もなさそうなその喋り方。

 

自分たちが圧倒的に有利だと確信して思い上がっているその態度。

 

腹正しい。

 

こんな特別不良が集まるような学力でもない高校に入っておいて自分は不良だと粋がるその思考。

 

虫酸が走る。

 

「…臭い」

 

「ああ?」

 

「貴様の吐く息が臭すぎて口を開く気にもならん。とっとと僕から離れろ。この下衆が」

 

「んだとこらぁ!」

 

「ぐっ!」

 

左の脇腹に鈍い痛みが走る。

 

少し煽られただけですぐに頭に血が上る浅はかさ。

 

年だけ食ったクソガキめ…

 

とは言っても僕がコイツらに勝てる見込みは0だ。

 

いくら浅はかで幼稚で知性も品も無かろうと、頭を使わないただの暴力になればそんなものは関係がない。

 

僕が一方的に殴られて終いだろう。

 

「はぁ…触るな。汚いだろうが」

 

「いちいち癇に障る野郎だなぁ!」

 

「がっ!」

 

今度は土手っ腹に拳を叩き込まれる。

 

一瞬息が出来なくなり、さすがに踞る。

 

こんな下らない奴らの前で膝をつかなければならない屈辱。

 

しかしどうしようもない。

 

ここで僕が反撃しようと無駄だ。

 

コイツらには数の利がある。

 

独りの僕には、抵抗する術もない。

 

こんな周りから見えにくい場所では助けなど来ないだろう。

 

そう考えてからははっ、と乾いた笑いが漏れる。

 

馬鹿か僕は。

 

例え見えていたとしても僕を助ける酔狂な奴なんて存在しない。

 

こんな明らかに喧嘩慣れをしている輩から僕を、僕なんかを助ける奴なんて居ない。

 

そうなるよう振る舞った。

 

周りからの接点を自ら断った。

 

もう誰かを信じることなどしないと、そう決めたから。

 

「おい、お前らも見てねえでやっちまえよ」

 

「おう」

 

「よっしゃぁ、精々痛がっている姿見せてくれよぉ?」

 

僕の周りにハエか何かのように群がり出す。

 

コイツらがハエなら、群がられる僕は糞か何かか…

 

「お前ら何やってんだ!?」

 

そう自嘲した時、怒気を隠そうともしない叫び声が光の方から聞こえた。

 

声の主は、橙色の髪の毛をした見覚えのある人物。

 

確か…音無。

 

「ああ?んだお前?」

 

「俺のことなんてどうでも良い!直井から離れろ!」

 

何で…?

 

「はっ、なんだヒーロー気取りの痛い奴かよ」

 

「ほっとけよ」

 

「だな…おら!」

 

「うぐっ!」

 

「直井!?」

 

踞っている僕に横から蹴りを入れてくる。

 

「やめろぉ!」

 

「邪魔すんじゃねえ!」

 

「がはっ」

 

衝撃に耐えきれず倒れ込んだ僕を見て不良たちに突っ込んでいく音無。

 

しかし、恐らく僕と同じく喧嘩に慣れていないのだろう。あっけなく蹴りを正面から受けはじき飛ばされる。

 

「…っ、馬鹿か貴様は!?何で来た!?」

 

その様を見て堪えきれず柄にもなく大声で問う。

 

音無はゆっくりと立ち上がりながら口を開く。

 

「決まってるだろ…!お前が、俺の友達が危ない目に会ってるからだ!助けに行かないわけないだろ!!」

 

「っ!?」

 

友達…?

 

あれは、口から出任せで言っていたんじゃないのか?

 

だって、部活の勧誘だって初めに言っていた。それを僕が断ってから撤回していたけど…でも、本当に勧誘目当てじゃなかったなんて、1度足りとも信じなかった。

 

あれは本心だったのか…?

 

僕と本当に心の底から話したいと思っていたと言うのか…?

 

そんな…そんなの…あり得ないだろ…?

 

「友達とか何とか寒すぎだろコイツ」

 

「つーかちょっとキモいわ」

 

「腹立つしコイツからやるか」

 

「お、おい!やめろ!」

 

さっきの発言が気に障ったのか、標的を僕から音無に変更する。

 

「死んどけ!」

 

「ぐっ…ぁ…」

 

不良たちの一人から膝蹴りを鳩尾あたりに食らわされる音無。

 

痛みからかはたまた息が出来ないからか、両手で腹を押さえてもんどりを打つ。

 

「まだまだぁ!」

 

「がはっ」

 

更にそこに追い討ちをかけるように脇腹を蹴り込む。

 

「やめろ…やめてくれ…!そいつは関係ないだろ!」

 

そいつは僕を助けに来てくれただけなんだ…こうなるような態度を取っていた自業自得の僕を助けに…

 

「関係なくないだろ?お友達、だもんなぁ?なあ?!」

 

「がぁぁぁ…っ」

 

仰向けに倒れこんでいるところを思いきり踏みつける。

 

下手をすれば肋骨を折られてしまうかもしれない。

 

誰か…助けてくれ…せめてアイツだけでも…!

 

「おい」

 

そう願った時、またしても光の方から声がした。

 

その人物もまた、見覚えのあるものだった。

 

「音無から足どけろよクズ野郎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音無は普段の態度や性格からして文化系かと思っていたのだが、俺よりもかなり足が速く、出遅れたこともあり追い付いた時にはもう音無も直井も酷く痛めつけられていた。

 

音無は踏みつけられ、直井も立てなくなっているその状況を見て、俺は久しぶりに誰かを殴り飛ばしてやりたいというドス黒い気持ちが湧いてきた。

 

「音無から足どけろよこのクズ野郎」

 

だからこんな明らかな挑発を言ってのける。

 

「ああん?」

 

「言葉理解出来ねえのかエ〇ゴリ君」

 

「誰がエネ〇リだ!?こらぁ!?」

 

まんまと挑発に乗ってきたゴリラ顔。

 

俺を殴るために音無から足をどけてこっちに拳を振りかぶって走ってくる。

 

「おらぁ!!」

 

目一杯の力を込めたであろうそのパンチ。

 

だけど俺には当たらない。

 

「お、おおっと」

 

当たるつもりで全力で振り切った拳は空を切り、ゴリラ自身がよろける結果になる。

 

「おいどこに向かってパンチしてんだよ。顔も頭も悪けりゃ目も悪いのか」

 

「ん、だとぉ…?!たまたま避けられたくらいで調子こいてんじゃねえぞ!?」

 

またしても易々と挑発に乗り真っ直ぐに突っ込んでくる。

 

さっきとまるで同じ。

 

俺を目掛けて放つ拳は呆気なく空振りする。

 

「くっそぉ!お前らも見てないで囲め!一気にやるぞ!!」

 

「お、おう!」

 

恐らくコイツがリーダー的な役割なんだろう。周りで呆気に取られていた奴らに指示を送る。

 

囲むと言ってもここは狭い上に今俺は校舎を背にして後ろを取られないようにしている。

 

相手全員が視界に入るよう位置取ったこの状態。

 

この状態の俺には、俺の眼には避けられないものはない。

 

「死ね!」

 

「おらぁ!」

 

「どらぁ!」

 

「ボケがぁ!」

 

頭の悪そうな掛け声と共に飛んでくる拳を全て避ける。

 

力加減の知らないバカ達は勝手に壁を殴って自らの拳を痛めつける。

 

「いってぇ!?」

 

「なんだコイツは?!」

 

いつもならこれくらいで許してやっただろうけど――

 

「柴崎…」

 

――痛めつけられた二人の分くらいはきっちり落とし前つけないといけないよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

とりあえず全員に数発ずつ拳や蹴りを見舞ってそこら辺に転がして一息つく。

 

さすがにここまでボコボコにしたのは初めてかもしんないな…

 

まあそんなのは些細な問題だ。

 

それよりも…

 

「柴崎…お前強いんだな…?」

 

踏みつけられていた腹を痛そうに押さえながら話しかけてきた音無にビクッと肩を震わす。

 

眼の事がバレたことはしょうがない。そうしないと直井を見捨てることになったから。

 

でも、その眼がこんな風に相手を傷つけるためにも使えるんだと気づかれてしまったことは俺の心に重くのし掛かってくる。

 

「…ああ。俺の眼は動体視力も良いらしくってな。コイツらくらいならこれくらいは余裕で出来る」

 

危ない奴なんだと思われてしまったらどうする?

 

距離を取った方が良いと思われたら?

 

そんな考えが頭に過る。

 

「化け物…」

 

更に後ろから聞こえた不良の一人の呻き声に、その考えが加速させられる。

 

「化け物…か。確かにそうなのかもな…」

 

思わず漏れた自嘲。

 

「そんなことない!」

 

しかし、それを音無が吹き飛ばさんばかりに否定した。

 

「俺と直井を助けるために使ってくれたんだ。そんな優しい奴が化け物だなんて、そんなわけないだろ?」

 

「音無…」

 

「少なくとも俺はそんな優しい化け物は見たことないよ」

 

「…アホか、そもそも化け物を見ることなんかねえだろ…」

 

でも、ありがとな。と小さく付け足す。

 

「あ、そうだ!直井、大丈夫か?」

 

「え、あ…」

「柴崎くん!先生連れて…あれ?」

 

「関根…と…先生…」

 

「これはどういうことだ…?」

 

一連の流れのせいで放置してしまっていた直井の下に駆け寄ろうとした時、丁度関根が先生を連れてきてしまった。

 

やべ…この転がしてる奴らのことなんて言おう…

 

「これはお前がやったのか…?」

 

当然この光景を見れば無傷の俺がやったのだとバレてしまう。

 

少し年のいっている教師は微かに震える指先を俺に向けた。

 

「まあ…そうっすね」

 

そして理由はどうあれ、やったことは確かだ。頷かざるを得ない。

 

「ちょっと職員室に来い!こんな所で喧嘩なんて非常識な!」

 

「わわわわ!待ってくださいって先生!そもそも先生を呼ぶように言ったのは柴崎くんなんですよ?!」

 

「そうです!柴崎は俺たちを助けるために仕方なく手を出しただけで…!」

 

先生はつかつかと俺に詰め寄り首根っこを掴んで連れていこうとした。

 

だがすかさず関根と音無が俺の代わりに弁解をしてくれ先生の足を鈍らせてくれる。

 

「しかし手を出した生徒に何も罰を与えないわけには…」

 

「こんなの正当防衛の範疇でしょう!?」

 

「そーですよ!柴崎くんよりここらへんの邪魔な不良たちを連れてってくださいよ!」

 

「音無、関根、もういいよ。殴ったのは確かなんだから」

 

「でも…」

 

「それに音無は見てたから分かるだろうけど、コイツらくらいなら先生が来るまで手を出さずに避け続けることだって出来たんだ。それをせずに殴ったのは俺が悪い」

 

だから良いんだって。と精々明るく笑って言う。

 

こんなに俺のことを庇ってくれる奴らがいるってだけで俺は満足なんだ。

 

「良いわけ…ない…」

 

それじゃあ、と歩き出そうとしたその時、後ろから小さな声が聞こえてきた。

 

「え?」

 

「良いわけない!そんなの!」

 

振り向くと、殴られて倒れていた直井がいつの間にか座り込んでいた。

 

そして力強く地面をダンッと殴る。

 

「この人は…僕を助けに来てくれたんだ!こんな…こんな僕を!!」

 

「直井…」

 

「自業自得で殴られていた僕を助けてくれたんだ…!僕が痛めつけられているのを見て怒ってくれたんだ…!」

 

叫んでいく内に感情が昂ってきたのか、両目からツーっと雫が流れていく。

 

そして直井は勢いよく頭を下げた。

 

「僕が何でもします!だから…だからこの人には何もしないで下さい!!」

 

「だ、だが…」

「よく言ったわ!!」

 

直井の鬼気迫る懇願に怯みかけた教師の言葉を切り裂いて俺達に届く凛とした声。

 

直井の方を見ていた俺たちは一斉にその声の主の方に振り返る。

 

そこには腕を組み、まさに威風堂々という言葉が似合うような仁王立ちで不敵な笑みを浮かべる仲村の姿があった。

 

「ゆり、なんでここに?!」

 

全員の気持ちを音無が代表して言葉にする。

 

するとたちまち目をキッと吊り上げて怒りを露にする。

 

「あんたたちがおっそいからでしょうが!!」

 

「そ、それは済まない…」

 

「まあいいわ。お陰で面白い状況になってるし?」

 

ふふん、と今度は上機嫌に笑ってみせる仲村。

 

「直井くん。さっき、柴崎くんが無罪放免になれば何でもするって言ったわよね?」

 

「い、言ったが」

 

「OK OK。なら1つ条件を呑んでくれればあたしが何とかしてあげてもいいわよ」

 

「本当か?!呑む!どんな条件でも呑む!」

 

「ふふ、良い返事よ。それじゃあ…」

 

一体この状況で何を言うんだと誰しもがごくりと生唾を飲む。

 

「私たちの部に入りなさい」

 

「部…?」

 

「そうよ。柴崎くん達が誘ってたでしょう?それに入れば何とかしてあげる」

 

「……………」

 

仲村の出した条件。

 

それは納得のいくものだった。仲村が直井に求めるリターンにそれ以上のものはないだろう。

 

だけど、それを聞いて押し黙る直井を見て俺はただ見ているわけにはいかないと思った。

 

「ちょっと待てよ。そんな無理矢理部に入れたって何の意味もないだろ?」

 

「俺も柴崎と同じ意見だ」

 

仲村に意見した俺に音無も同調してくれる。

 

「ふーん」

 

「ふーんって、お前な…今の直井は人間関係を作りたくないって言ってんだ。それをこんな形で入れてどうなる?」

 

「だーかーらー、あたしは無理強いなんてしてないわよ。あくまで直井くん自身がどうしたいかを訊いてるの」

 

口うるさく意見する俺にうんざりしたように肩を竦める。

 

「こんな状況のどこか無理強いじゃないってんだよ?!」

 

「あなたバカなの?」

 

「はぁ?!」

 

俺は間違ったことは言っていないはずだけど…

 

「本当に人間関係を作りたくないなんて思ってる人が、なんでもするから助けてなんて、たとえ罪悪感からでも口にはしないとあたしは思うけど?」

 

そう言われてハッとする。

 

確かに俺が最初に勧誘した時の直井なら、間違ってもこんな懇願はしなかったはずだ。

 

関係ない。コイツが勝手に出てきただけだ。

 

そんな風にこの場を終わらしていたんじゃないか?

 

ならこれは直井も自ら1歩前に進んだということなんじゃないか?

 

「それで?どうするの?」

 

なら、俺がとやかく言うことではないのかもしれない。

 

「僕は…」

 

後は直井がどう答えるのか、それをただ待っていればいい。

 

「…入る。入るに決まってる。この人たちなら僕は信じられる!」

 

「上出来ね。なら後はあたしに任せなさい。あ、入部届けはあたしが勝手にやっとくから今日はもう帰って良いわよ」

 

「ちょ、ちょっと仲村くん、そんな勝手に…」

 

「あーら何かしら?もしかしてあたしに何か言いたいことでも?」

 

「い、いやそういうことでは…」

 

忘れかけていたが仲村はこの学校の理事長のご令嬢。それもかなり溺愛されているらしい。

 

そんな彼女に粗相でもあれば教師としての立場も怪しい。

 

だからこその任せときなさい。

 

まあ本当はこんなことしちゃいけないんだが、今日はこの権力に甘えさせてもらおう。

 

「行くぞ」

 

「あ、は、はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲村としどろもどろの教師、ついでに不良たちを置いて細い路地を抜け出し校門に辿り着く。

 

「じゃあ直井、また明日な」

 

「はい!」

 

「んーと、さっきも思ったんだけどなんで敬語?」

 

俺の知る今までの直井とのギャップに戸惑い頬をポリポリと掻く。

 

「…僕は信じられる人が居ませんでした。理由はあまり言いたくないんですが…」

 

「良いよ、話したくないなら訊かない」

 

「…ありがとうございます。でも、今日僕がピンチの時に自分の身も省みず駆けつけて下さったお二人を見て、この二人なら、そう思いました」

 

「はは…俺は見事にボコボコにされてカッコ悪かったけどな…」

 

「そんなことないです。真っ先に駆けつけてくれた姿は本当にカッコ良かったです」

 

そう。今回は俺が相手をのしたからうやむやにされているが、本当に称賛されるべきは危険を省みない音無の勇気なんだ。

 

俺は先生を呼んだ方が確実だとかうだうだと考えてしまったのだから。

 

「そして決め手は条件を出されて一瞬黙ってしまった僕を見て、無理強いをしても意味はないと言ってくれたことです」

 

「でもあんなの当然だろ?」

 

「当然じゃないです。人というものは自分の進退がかかっていると保身しか考えられなくなる奴らが大半なんです。ですが、柴崎さんは違いました」

 

確かにあんまり自分がどうなるとか考えてはなかったけど…

 

でもそれはただそこまで頭が回らなかったってだけなんだけどな。

 

「だから、僕はお二人についていこうと決めました。そしてこれまでの無礼の数々も謝罪させてもらいます。本当に申し訳ごさいませんでした!」

 

「良いって良いってそんなの!なあ?」

 

「ああ。嫌がってたお前に付きまとってたのは俺たちなんだから」

 

「そうそう!気にしないでいいよん!」

 

「「「…………………」」」

 

「ん?どしたの?」

 

「…お前居たのか」

 

「居たわ!!?先生連れてきてからずーっと居たわ!!」

 

あまりに影の薄かった関根に皆の気持ちを代弁して伝えると、物凄い形相で詰め寄ってきた。

 

「貴様!柴崎さんに無礼だぞ!」

 

「ええぇ?!あたしは?!あたしだって先生連れてきたのにそれは無視なの?!」

 

「貴様はそれ以外なにもしてないだろうが。連れてくるのも全部終わった後だしな」

 

「そんな殺生なぁぁぁぁ!!」

 

「やかましいぞ!!」

 

「ま、まあまあ落ち着けって二人とも。直井もそんなに叫んだら殴られた所に響くだろ?」

 

互いに大声で騒ぐ二人に音無が仲裁に入る。

 

「つーか、音無もかなり殴られてんだろ?今日のところは二人とも早く帰って手当てしとけよ」

 

「そうだな。怪我も重くはないけど、一応そうするか。柴崎は部活に行くのか?」

 

「ちょっとぉ!あたしにも訊いて下さいよぉ!?」

 

「あ、ああ悪い」

 

「だから貴様は大したことしてないんだから行くのは当たり前だろ!」

 

「ちょっと二人とも落ち着けって」

 

「はぁ…もう放っとけ…」

 

この二人はこうやってきゃんきゃん騒いでるのが似合ってるような気がしてきた。

 

「まあ俺も行くよ。大して疲れてないし、それに行かないとうるさい奴が約1名いるしな…」

 

1日休んだだけで次の日やたらめったら引っ付いてきそうな紅髪を思い浮かべて嘆息する。

 

すると何が可笑しかったのか音無がははっと笑いを洩らした。

 

「なんだよ?」

 

「いや、すっかり岩沢のことを考えるようになっちまってるなぁと思ってな」

 

「なっ?!ちげえよ!行かないとめんどくさいって思っただけだ!!」

 

「そうやって思っちまってること自体、岩沢の思う壺なんじゃないか?」

 

「だぁーもぉ!うるせえ!断じてそんなことはない!この話は終わりだ!さっさと帰って寝ろ!」

 

「はいはい。じゃあ直井、行こうか」

 

「はい!音無さん!」

 

未だにクスクス笑っている音無には納得がいかないがとりあえず帰る気にはなったらしい。

 

音無に促され関根と言い争いをしてたはずの直井はまるでそんなことを感じさせない程自然に音無の隣に移動していた。

 

「では柴崎さん、また明日!」

 

「おう」

 

「ねえ!だからあたしは?!」

 

「うるさいバカは放っといて帰りましょう音無さん!」

 

「ちょっとぉぉぉぉ!!」

 

「もう今日のところは諦めろ。また明日、改めて部活で話せ」

 

直井はお前のパートナーになるんだから、と言外に付け足す。

 

まあきっと反対するんだろうけどな。

 

「わかったよぅ…」

 

俺の真意が伝わったのかは定かじゃないが、とりあえず引いてくれたようだ。

 

「じゃあな」

 

「はい!」

 

大きく手を振り校門を出ていった直井。そしてその隣でそれを微笑ましそうに見ている音無は、まるで仲の良い兄弟のようだった。

 

「あ、そういやお前早く行かないと岩沢とかはともかくひさ子にキレられんじゃねえか?」

 

「え…?い、いやぁ流石にそんな…理由を話せばきっと…」

 

「理由なぁ。ちゃんと聞いてもらえればいいけど」

 

ひさ子って体育会系っぽいからとりあえず怒鳴りそうだなぁ。

 

「ちょ、ちょっと…お先に失礼!」

 

顔を青ざめたまま猛烈なスピードで走り出した関根を見送って俺もゆっくり歩き始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「柴崎!」

 

「…………………」

 

二人と関根を見送った後、部室に向かうとあたかも待ち伏せていたかのように部室の前に岩沢が立っていた。

 

いやまあ実際俺を待っていたのは間違いないんだろうけど。

 

ていうか関根はどうなったんだろうか。

 

「遅かったな?別れてから待ってても全然来ないから何かあったのか心配したんだぞ」

 

「………………………」

 

それはさておき、予想通りの反応を受けてやはり俺の考えは正しかったと確信する。

 

そうだ。このまま部室に顔を出さなければきっと明日何度もしつこく何があったのか訊かれていたに決まっている。

 

「柴崎?」

 

「違うからな!!」

 

「へ?な、何が?」

 

「断じて違う!」

 

そう。決してお前のことを真っ先に考えたとかじゃない!

 

何なんだよ~?と困惑している岩沢を尻目に部室のドアを開けた。

 

 

 

 




       校門

    木々 体育館
駐  第1棟         部室


輪  第2棟       グランド


場  第3棟

恐らく文章では校舎などの位置関係がまるで伝わらないと思ったので簡単な図を載せておきます。位置関係のみを書いていますので、後はなんとかこれを学校っぽく脳内補完して頂けると幸いです。

感想、評価などお待ちしております。


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「一緒にお風呂ってどういうことだ?!」

「はい注目ー!」

 

放課後、例によって例のごとく授業を終えて部活に向かった。

 

初めは疎らだった部室に着々と人が集まっていき、ようやく全員が揃ったところで仲村が声を張り上げて全員の視線を集めた。

 

そしてその隣には皆の視線を受けて居心地が悪そう、というよりも虫の居所の悪そうな顔をしている直井の姿があった。

 

「今日からあたしたちの仲間になる直井くんよ」

 

仲村からの紹介を聞き、数人があー、前に関根が言っていた奴かという風に得心がいったようで、またある数人はなんだこの生意気そうな奴はと顔をしかめていた。

 

「では直井くん、一言よろしくね」

 

「一言?僕に何を言えと言うんだ?」

 

「そんなの自分で考えてよ。何でも良いのよ、仲良くやっていきましょう~とかそんなので」

 

「ふん…」

 

直井が不満そうに鼻を鳴らした瞬間嫌な予感を感じ取ったのはきっと俺だけではないだろう。

 

「僕は柴崎さんと音無さん以外と馴れ合うつもりは微塵もない。むしろ人数が多すぎて邪魔だからさっさと帰れ」

 

「んだとこらぁ?!」

 

「上等だ貴様ぁ!表へ出ろぉ!」

 

俺の予感は見事に的中し、案の定喧嘩っ早い藤巻と野田が噛みついていく。

 

「やめなさい二人とも」

 

「し、しかしゆりっぺ…」

 

「や・め・な・さ・い」

 

「ちっ、ゆりっぺに感謝するんだな」

 

一触即発ムードにあった場を一言で収める。

 

こういう所はやはり流石は部長だな。

 

「まああなたに何があったかは知らないけどね、これだけは言っておくわよ。柴崎くんと音無くんだけに依存するだけじゃこの先やっていけなくなる」

 

「はっ、そんなことあるか。今まで僕は一人でやってきた。そこに柴崎さんと音無さんが加わってくださったのだ。それなのにやっていけなくなるわけがないだろう?」

 

「なるわよ。今日からあなた関根さんのマネージャーだから」

 

「はぁ?なんだマネージャーって?」

 

「あなたは関根さんと基本的にペアで居てもらうわよ」

 

ニッコリと上機嫌な笑顔で言ってのける仲村。

 

「なんだと?!そんなこと出来るか!」

 

直井も当然反発する。

 

が…

 

「え?良いの?柴崎くんは我慢して耐えたのにあなたは出来ないの?」

 

「な、なに?!嘘ですよね柴崎さん?!」

 

「え、あー…」

 

ここで俺が本当のこと言ったらコイツはやるって言っちゃうんだろうな…

 

嫌がってる直井に無理矢理やらせるのは気が引けるんだけど…

 

「……………………」

 

なんか右の方からギラギラした視線が飛んできてるんだよなぁ…

 

まあ昨日、今日のところは我慢しとけ、みたいなこと言っちまったしな。

 

「…そうだな、嫌だったけどとりあえずやってるよ」

 

まあこれは厳密に言うとまだ全員のマネージャーが揃ってなかったからやってはいないんだけど、まあいいか。

 

「そ、そんな…柴崎さんが…?!」

 

「さ、どうするの?あなたの尊敬してやまない柴崎くんはやってるわよ?」

 

「ぼ、僕は…僕は…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、まず改めて自己紹介から始めます。柴崎さん岩沢さんペアの補助、及び今回の進行を任されています遊佐です」

 

それでは私から時計回りで順にどうぞ、と手を自分の左隣にいる岩沢に向ける。

 

結局、直井はあの後すぐにマネージャーを受け入れることにした。

 

すると、今日は全員集まったからとりあえず全員で顔合わせでもしてなさい、と仲村に促され練習室で椅子を円形にして自己紹介という流れになった。

 

「なあ」

 

「発言は挙手をお願いします」

 

「……はい」

 

「どうぞ」

 

めんどくせぇ…

 

「直井以外は大体皆どんな奴か分かってるのに自己紹介やる意味なんてあるのか?」

 

「あります」

 

「やけに断言するな…」

 

「では逆に問いましょう。柴崎さんは本当にここにいる皆さんのことをよく知っているのですか?」

 

「ん、そう言われると…」

 

よくよく考えれば俺だってまだコイツらと会ってから1ヶ月足らずしか経っていないわけで、そんな短い期間でよく知っているのかと訊かれれば返事に窮屈する。

 

「私と柴崎さん程長い付き合いをしているのならともかく」

 

「確かにな…悪か…」

「幼い頃から共に育ったのならともかく」

 

「ああうん、だから悪か…」

「時には一緒に寝泊まりをした仲ならともかく」

 

「だから悪かったから進め…」

「一緒にお風呂に入るような仲ならともか…」

「うるせえ!」

 

ていうかうぜえ!いつの話だ?!

 

「一緒にお風呂ってどういうことだ?!」

 

うわめんどくさいのがもう一人いた…

 

「あたしとお風呂に入ったことなんて無いくせに!」

 

「当たり前だろアホか?!遊佐とだって小さい頃入ったことがあるってだけだわ!」

 

「え?あ、なんだそうか」

 

ホッと胸を撫で下ろすような仕草を見せる岩沢。

 

つーかどう発想を飛躍されたら今現在一緒に風呂に入ってると思えるんだ…

 

そして会って1ヶ月くらいで一緒に風呂に入るわけがない。ましてや男女で。

 

「とにかく、私と柴崎さん程蜜月な関係でもない限り自己紹介は必要です」

 

「蜜月じゃなく親密な」

 

「では岩沢さん、改めてどうぞ」

 

無視しやがった。

 

「あー、さっきは取り乱して済まない」

 

遊佐に促され律儀に起立して前置きとしてそう微笑む。

 

そして周りのほぼ全員が何を今更という顔をしていた。もちろん俺も。

 

「岩沢雅美、ギターボーカルだ」

 

そしてそう短い文を言い終わるとストンと着席してしまった。

 

これによりまさかの本題よりも前置きの方が文字数が多いという事態が発生する。

 

これには流石にひさ子も頭を抱えていた。

 

「岩沢…あんたもうちょっと他にも言うことあるだろ…?」

 

「え?他に…?あ、あたしは柴崎が好きだ」

 

「ちげえよ?!なんで今の流れでそこに辿り着くんだよ?!」

 

「あたしに語れるのはここまでだ」

 

「格好よくねえよ!?なんか良い雰囲気醸し出してるけど全然ダメですから!」

 

天然?な岩沢に激しくツッコミを入れているひさ子を見てああ苦労人だな、としみじみ思う。

 

きっとバンドを組むことになってからずっとこの調子なんだろう。

 

しかもこれに関根まで加わっているという事実に恐怖を隠せない。

 

どんなボケ祭りになるんだそれは…

 

「もっとあるだろ?このバンドのリーダーだとか、抱負だとか」

 

「それ必要?」

 

「柴崎が好きって情報より遥かに必要だよ…!」

 

「はぁ、分かったよ。あたしがリーダーだ。あたしたちはプロを目指してる。だから皆にはそれのサポートをお願いしたい…これでいいか?」

 

本当に渋々といった装いで抱負を語る岩沢。

 

初めからそう言っておけよ…という空気をまたもこの空間の大多数から受けていた。

 

「?」

 

本人の知る由ではないようだが。

 

「では次柴崎さん」

 

遊佐に名前を呼ばれ、立つかどうか一瞬迷ったが折角岩沢が起立するという流れを作ったのだからそれに倣おうと立ち上がる。

 

「柴崎蒼。岩沢のマネージャーということになってる。えーと、まあやるからには精一杯サポート出来るようにと思ってる、から…よろしくな」

 

岩沢や遊佐のようにすらすらと喋れなかったことでやっぱこういうのは苦手だな…と痛感する。

 

「はい、では次直井さん」

 

だが、当然岩沢の時のように何か不備があったわけではないのでつつがなく進行していく。

 

「柴崎、今の別に変じゃないぞ」

 

直井と入れ替わるように席に着いたとき、岩沢からそう耳打ちされる。

 

コイツ、なんでこういうことだけ気がつくんだよ…

 

「……そっか、サンキュ」

 

…でもまあ悪い気はしない、よな。

 

「直井文人。さっきも言ったが僕は柴崎さんと音無さん以外と馴れ合うつもりは一切ない。あまり僕に近づくな」

 

「てめえいい加減にしろよ…?」

 

「なんだ貴様…?」

 

「おい、やめろって」

 

直井がまた余計なことで煽ったために、藤巻がいかにも我慢の限界だという風に立ち上がった。

 

直井が入部する理由の一端を担っていた身として仲裁に入る。

 

「直井、仲村も言ってたけど俺と音無だけに依存してたって駄目なんだ。お前は関根のマネージャーをやるって決めたんだろ?」

 

「それはそうですが…」

 

「ならちゃんと自分の役割は果たすんだ」

 

「わかりました…」

 

あからさまにぶすっと膨れてるが、とりあえず納得はしてくれたようだ。

 

「おい何勝手に終わらせようとしてんだよ?こっちは納得いってねえっつーの」

 

だかしかし再三直井に腹を立てていた藤巻はまだ収まっていないようだ。

 

どうするか…と頭を悩ませているとひさ子がおもむろに口を開いた。

 

「アイツも反省したんだからもう良いだろ。みみっちいね」

 

何か落ち着かせる一言をくれるのだと期待した俺が馬鹿だった。

 

ただでさえキレる直前、むしろキレている最中に更に煽るような言葉を向けられた藤巻は、んだとてめえ?!とさらに声を荒げる。

 

「そういうすぐに大声出すのも気に入らない。弱い自分を隠そうと必死って周りにアピールしてるみたい」

 

「女だから殴られねえとでも思ってんのかよ…?!」

 

「別に。ただあんたみたいな奴が本当に人を殴るような勇気があるとは思わないだけ」

 

「上等だ…!おらっ!」

 

危ない、と思った瞬間に身体が動いていた。

 

「藤巻、それは流石にやっちゃ駄目だ」

 

拳を振り上げ、ひさ子に向かって突きだした所を手首を掴んで止めた。

 

俺の眼がどれほど良いのかを知っている直井、関根そして遊佐と何故か知らないはずの岩沢以外は目を見開いて驚いていた。

 

「は、離せっ!んだてめえは?!」

 

何で岩沢は驚かないんだ?とそっちに意識が向きかけたところで藤巻に手を振り払われる。

 

「別に俺は何でもない。ただ見てて危ないって思ったから止めたんだよ」

 

「危ないって思ったって…だからってそんな一瞬で止めに入れるなんて、そんなの普通じゃねえだろ?!」

 

「―――っ」

 

普通じゃない。

 

―――化け物。

 

「そうだな…普通じゃない…俺は…」

 

化け物だから…

 

「でも、そのおかげでひさ子は殴られずに済んだんだろ?」

 

「え…」

 

「もし今のがひさ子に当たってたらひさ子は怪我してたし、藤巻も多分後悔した。それを柴崎が止めてくれた。違う?」

 

なんで…なんでコイツは驚かないどころかこんな庇うようなことまで…?

 

「違わない、よな?だったらそこに普通だとか普通じゃないとかそんなのは関係ないよ」

 

いや違う。コイツは庇ってるだなんて思ってない。本当にそうだって思ってる目だ。

 

なんで音無と言いコイツと言い、俺の眼のことを知ってもこんなことを言ってくれるんだ?

 

人は皆周りと違うものを見たときどうしようもなく拒絶しようとする。

 

周りと違う眼を持った俺も例外じゃない。

 

はず、なんだ…

 

なのに、よく考えれば音無や岩沢のように言葉にはしていなかったけど、直井も関根も俺を怖がったり拒絶したりしなかった。

 

「…ちっ、悪かった。止めてくれてあんがとよ」

 

ここの皆は今までの奴らとは違うのか…?

 

「はい、では柴崎さんも座ってください」

 

「あ、ああ…」

 

呆然としている内にいつの間にか立っているのは俺だけになっていたようで慌てて席に着く。

 

「柴崎」

 

すると、またも岩沢が耳打ちをしてきた。

 

「気にしなくて良いぞ」

 

「え?」

 

「そこ、私語は慎んでください」

 

「あ、悪い」

 

言葉の真意を図りかねて聞き返そうとしたが遊佐に咎められて黙らざるを得なくなる。

 

気にしなくて良いって…フォローしてくれたことに対してってことか?

 

「では関根さん、どうぞ」

 

「へーい!」

 

関根の元気でやや間の抜けた返事でよそに行きかけた意識が戻される。

 

とりあえず今はこっちに集中しよう。じゃなきゃ話してる奴に失礼だ。

 

「あー、うちのマネージャーがどうもすみませんねぇ~。本当利かん坊でねぇ~よーく言い聞かせておきますんで、許してやってね~」

 

おかんか。

 

…やっぱり考え事しとこうかな…せめてコイツの順番が終わるまでは。

 

「貴様はさっさと本題を言え!」

 

「あらまあ、反抗期かしら?いやぁねぇ~」

 

「あとその口調をただちにやめろ!」

 

「はぁ…落ち着けって。コイツにまともにツッコんでも埒が明かないから」

 

しかし結局こうなるわけで、おおよそ考え事なんて出来るわけもなかった。

 

「そうそう、諦めが肝心!」

 

「貴様が言うな!」

 

「うん…な。お前が正しいよ」

 

生真面目にツッコむ直井が少し憐れに思えて優しく肩を叩く。

 

これからの気苦労が目に見えるようだわ…まあでも、今日はそろそろ潮時だろう。

 

「せ~き~ね~?」

 

「…ひゃ、ひゃい…?」

 

「さっさと真面目に自己紹介しろ馬鹿野郎ぉぉお!!」

 

「おぉぉぉぅぉぉ?!い、いだいいだいいだい~!」

 

おふざけが過ぎた関根にひさ子のアイアンクローが炸裂した。

 

こういう時のひさ子は何故か男子など相手にならないほど強い。

 

…藤巻の時ももしかしたら大丈夫だったかもなぁ…

 

「お前がふざけてるとあたしたちまでそんな風に見られんだろぉぉ!!」

 

「わかりましたわかりましたわかりましたってぇぇぇ!!」

 

効果は抜群だったようで解放されてしばらくはこめかみを押さえていた。

 

「関根しおりです…ベースやってます…しおりんって呼んでくださいね…」

 

しばし待ったが、その痛みはそう易々とは取れないものだったようで頭を押さえたまま自己紹介に移っていた。

 

まあこれは自業自得、因果応報だ。

 

「では入江さん、次どうぞ」

 

「は、はい…」

 

遊佐に指名され、おどおどと立ち上がる入江はなんというか、目に見えて緊張していた。

 

元々極度の人見知りだと関根が言っていたし、見るからにこういう自分に視線が集中するようなことは苦手そうだ。

 

俺も若干の人見知りでこういう場が嫌いなのは一緒なので声には出さないがひっそりと応援しておこう。

 

「あ、あの…入江、みゆきです。ど、ドラムをやらせてもらってます…あの、よろしくお願いします!」

 

視線をキョロキョロと泳がせながらの自己紹介ではあったが、苦手ならばこれで十分だろう。

 

最後には勢いよく頭も下げていたし、好感度は関根よりも断然高い。

 

こんなことを言ったら関根がまたやかましいだろうが。

 

「ありがとうございました。では大山さん」

 

「あ、うん。大山誠です。入江さんの担当になりました。これからは皆で仲良くやっていこうね」

 

入江に続いての大山の自己紹介は特に何かおかしくもなく、普通の良い自己紹介だった。

 

「…あれ?僕の出番ってこれで終わり?」

 

「終わりです。では次藤巻さん」

 

「…たりぃ」

 

藤巻はボソッとそう呟き、立つ気配を微塵も見せない。

 

「藤巻俊樹。コイツのマネージャーとかいうかったるい役目になりましたぁ~」

 

椅子にもたれかかり、親指でひさ子を指す。

 

「…ふん、立って言うことも出来ないのかよ」

 

「ちっ、以上だよ。次いけよ」

 

「了解しました。ではひさ子さん」

 

「…ああ」

 

非常に険悪ムードのままひさ子の番になる。

 

まあまた喧嘩にならなくて良かった、というところか。

 

「早乙女ひさ子。バンドのリードギターをやってる。あと、一応サブリーダーってことにもなってるけどあんまり気にしないでくれ」

 

席から立ってすぐにさっきの険悪な雰囲気から抜け、普通に自己紹介を済ましたのは流石、このクラブで数少ない常識人のひさ子というところだ。

 

「で、あたしが最後だけどもう終わりで良いんだよね?」

 

「はい。自己紹介は」

 

「自己紹介、は?」

 

は、ということはまだ何かあるのか。

 

「ここからはメンバーとそれぞれのマネージャーの一対一で少しお話してもらいます」

 

「はあ?!マジかよ?!」

 

「んなたりぃことやってらんねえぞ!」

 

「あたしもそんなの出来ない!コイツと一対一なんて!」

 

「僕もだ!何が悲しくてコイツなんかと…!」

 

まさかの遊佐の答えに数人から非難が飛び交う。

 

「…ゆりっぺさんから1つ伝言がありました」

 

すると何を思ったか急にそんなことを言って、んっと喉を鳴らし口を開いた。

 

「もしやらなかったら…死より恐ろしい罰ゲームよ」

 

遊佐の口から発せられた声音は仲村そのもので、その残酷な口調は否が応にも俺たちの背筋を凍らせた。

 

「ば、罰ゲームって…?」

 

「し、柴崎くん!ゆりっぺの罰ゲームはその恐ろしさから受けたものは全員発狂して殺してくれとのたうち回ることで有名なんだよ!!」

 

「どんな罰ゲームだよそれ!?」

 

俺や後輩の関根、入江、直井…と岩沢以外は全員顔を恐怖で引きつらせていた。

 

しかし岩沢を除いた後輩たちも先輩であるひさ子や大山たちのビビりっぷりに慄いていた。

 

もちろん俺も例外ではない。ぶっちゃけ超怖い帰りたい。

 

しかしそんなの知ったことかというように遊佐が口を開く。

 

「どうします?」

 

「「「「や、やります」」」」

 

 

 




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「…お前いつか悪い奴に引っ掛かるぞ」

ということで、俺たちは1ペアにつき数ある部室の内の一部屋を与えられた。

 

俺と岩沢は4階にある練習室のすぐ近くにある部屋になった。

 

そこで岩沢と二人きりで、対面する形になり席に着く。

 

そう、二人きりで、だ。

 

俺と岩沢の補助だとかぬかしていたくせに『あ、今日はゆりっぺさんに色々報告しなければいけませんので時間までお二人でどうぞ』と言ってさっさと下に降りていきやがった。

 

くそ…遊佐がいるからこの役引き受けたはずなのになんでこうなった…?

 

「柴崎」

 

「お、おう。なんだ?」

 

はぁ…また好きだ~とか連呼されるのか…?

 

「二人きりで話すのはあの時以来だな」

 

「え、あー、そうだな」

 

予想外に普通な話題で少し拍子抜けする。

 

ああいや別にがっかりしてるわけじゃないけど。

 

「あれから1ヶ月経ったか経ってないかくらいのはずなのに、なんかすごい久し振りな気がするな」

 

「いや、俺は色々ありすぎてあっという間だった気がするけどな」

 

「確かに柴崎はそうかもな」

 

と、俺が勧誘やらなんやらでやたらと駆り出されたことを思い浮かべたのか、クスクスと笑っている。

 

…普通だ。

 

…いやいや騙されるな俺。今までだって普通に話せたことはあった。けど結果はどうだ?いつも忘れた頃にいつも通りに戻っていたろ?

 

きっと今回も…

 

「そういえばさ」

 

ほら来た!

 

「どう?関根と入江とは仲良くなれたかい?」

 

…やっぱり普通だ…

 

「…入江とはまだ話せてないけど、関根とはお前に敬語なしで良いんじゃないかって言われた後もちょっと話してたから少しは仲良くなったんじゃねえかな?」

 

「そっか、良かった」

 

そう言って快活に笑う。

 

すごく、嬉しそうに。

 

「…今日は普通なんだな?」

 

「普通?」

 

「ほら、好きだ~とか言わねえし」

 

「ああそういうこと。それは柴崎が前に好きってのは禁止って言ってたからさ。今日もそっちの方が良いかなって思って」

 

そう言われて俺は素直に驚いた。

 

…コイツ、気を使うってことが出来るんだ…と。

 

だかしかしだ

 

「それなら教室で好き好き言ってくるのもやめて欲しいんですけど?」

 

「それは無理だ」

 

「なんで?」

 

「あたしがそうやって周りにアピールしとかないと他の奴が柴崎のこと好きになるだろ?」

 

「いやいやいやいや」

 

何故か自信満々に断言をしてくるがとてもその内容に納得出来るわけがない。

 

「なんで俺がモテるの前提なわけ?」

 

「だって格好いいからさ…それに、優しい」

 

「お前に優しさを見せた覚えはねえし…」

 

あまりにも真っ直ぐな言葉に、ついぶっきらぼうな台詞を返してしまう。

 

「優しいよ。見てればわかる」

 

「見てればって…」

 

「例えば今日も数学の時に隣の席の子が落とした消しゴムを拾ってあげてた」

 

「…それくらい普通だろ?」

 

ていうかお前俺よりも大分前の席なのになんで後ろの俺を見てるんだ?

 

「一昨日も落ちてた生徒手帳をわざわざ落とし主を捜してまで届けてたし」

 

「いやそれはたまたま眼が良いから見つけられただけで…」

 

「一週間くらい前には帰り道に迷子の子供を見つけて親を捜してあげてたし」

 

「え、なあ、お前の家って逆方向じゃなかったっけ…?」

 

「他にも沢山ある…去年からずっと見てきたからな」

 

「怖いわ!!」

 

そんな良い笑顔で言われても誤魔化されるか!?

 

「え?なに?お前ストーカーしてるのか?」

 

「ストーカー?いや、してないけど」

 

「ほ、本当か…?」

 

「うん。たまたま見かけたらついていってるけど」

 

「ストーカーと大して変わんねえよ!!」

 

まさかコイツ…自覚なしにストーカーになってたってのか…?

 

「い、一応訊いておくが…まさか俺の家のゴミを漁ったりしてないだろうな…?」

 

「はぁ?するわけないだろそんなの」

 

「郵便受け勝手に見たりは?」

 

「してない」

 

「俺の私物を盗ったり…」

「だからしないって!泥棒だろそんなの!」

 

それを聞いて安心した。

 

とりあえず今ならかなり軽度のストーカーだ。

 

見かけたらついていく…うーん、これもきっと俺に話しかけても逃げられるとか思っちまうからか…?

 

「じゃあもう今度から見かけても後ろからついてきたりすんな」

 

「えぇ?!」

 

「…そのかわり、話しかけてこいよ。今日みたいに好き好き言わねえなら相手くらいしてやるから…周りに人が居ないんなら普通に話せるんだろ?」

 

「良いのか?」

 

「気づかず後ろから見られてるよりよっぽどマシだ」

 

ふい、とそっぽを向きながら答える。

 

そうだ。後ろからつけられるなんてあまりに不気味だから仕方なく、だ。

 

別にコイツに心を許してるわけじゃない。

 

例えコイツがさっき眼のことを気にしなかったからと言って…

 

「あ」

 

「ん?」

 

そうだ。そういえばさっきちょっとだけ気になっていたことがあったんだった。

 

不本意とはいえせっかく二人になったんだ。ここは有効活用させてもらおう。

 

「さっき言ってた『気にしなくて良いぞ』って、あれなんのことだ?」

 

「ん?そんなこと言ったっけ?」

 

「言ったよ。藤巻に普通じゃないって言われた後お前がフォローしてくれて…」

 

「あー、そう言われれば言ったっけな。で、それが何?」

 

こ、コイツは俺の話を聞いてなかったのか…?

 

「いやだからあれはどういう意味なんだ?フォローしたのを気にすんなってことなのか?」

 

「違うよ」

 

「じゃあなんだよ?」

 

「眼」

 

そう短く言葉を切って自分の目を指さす。

 

「眼が良いこと、あんまり気にしなくて良いんだぞって意味」

 

そう岩沢は微笑みながら言った。

 

気にしなくて良い…?

 

「…そんなわけねえだろ」

 

動揺からか、声が震える。

 

少し、掠れているような気もしてくる。

 

「気にしなくて良いわけねえんだ!」

 

「……………………」

 

動揺を振り払うかのように叫ぶ俺を岩沢は黙って見つめている。

 

それがまるで責められているみたいに感じて、余計に言葉を重ねていく。

 

「もしこれを隠さずに生きていたらどうなるか分かるか?!まず俺を羨ましそうに見てくる!そしたら次に妬み出すんだよ!」

 

「……………………」

 

「それを過ぎると皆…皆俺を化け物を見るみたいな目で見てくるんだよ!!…ただ眼が良いだけだぜ…?他の能力は人並みだ!だけどその眼を使うと野球部よりも野球が出来る、サッカー部よりもサッカーが出来る!」

 

「……………………」

 

「それを妬んで絡んでくる奴らを返り討ちにしたら俺がおかしいって皆が言うんだ!!俺は…俺はただ普通に生きていただけなのに!!」

 

叫ぶだけ叫び、はあはあと息が切れる。

 

岩沢はその間、ずっと無言を貫いていた。

 

「はっ…失望したか?好きだって思ってた奴がこんなので…」

 

「するわけないだろ」

 

「―――っ」

 

ようやく口を開いた岩沢から出た言葉。

 

思わず、息が詰まる。

 

「失望って言ったか?どこに失望するようなところがあったんだ?もしあったとしても、あたしには分からない。だって、悪いのは柴崎じゃないだろ?」

 

「ああ違うよ…!少なくとも俺はそう思ってる…!…だけどな、世間ってのは普通じゃないだけで俺を悪者にするんだよ」

 

「そんなのあたしは知らない。世間がどう思っても、あたしは柴崎を信じてるから」

 

そう言われると、何故だか分からないけどすごく泣きたくなった。

 

言葉だけかもしれないのに、そういう経験は嫌ってほどしてきたのに、コイツの言葉が嘘だとは何故か思えなくて。

 

それに、こう言ってくれるような気がどこかでしていたんだ。

 

「…お前いつか悪い奴に引っ掛かるぞ」

 

悪い男、と言わなかったのはなんとなく言いたくなかったからだ。

 

なんでなのかは考えない。

 

でも、どちらにしてもコイツの答えは変わらないのだと思う。

 

まともに話した期間はまだ短いけれど、そう確信出来た。

 

「大丈夫だよ。こんな風に思えるのは柴崎だけだから」

 

…ほらな、予想通り過ぎて笑えてくる。

 

…ったく、

 

「…バーカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……これはどうすればいいのかな…

 

「…………………」

 

「…………………」

 

遊佐さんに言われるがまま1つ下の階の部屋に入ったのは良いんだけど…会話がまったく出来ないよ…

 

入江さんはすごく人見知りみたいだし、僕もそんなに話すのが上手いわけじゃないし…

 

けど、ここは先輩であり男である僕が何か話題を見つけないとダメだよね。

 

「ええっと」

「は、はい?!」

 

「そ、そんなに緊張しなくても良いよ」

 

「そ、そうですよね…すみません…」

 

話の出鼻を挫かれてしまった…

 

でもこんなにしゅんとされたら何とも言えないなぁ。

 

「そうだ、深呼吸してみよう」

 

「深呼吸、ですか?」

 

「うん。そうすれば落ち着くかも」

 

「わ、わかりました」

 

「じゃあ行くよ?せーの」

 

スー、ハー、スー、ハー。と何度か繰り返す。

 

こういう風に同じタイミングで同じ動作をすると、少し親近感が湧くから不思議だよね。

 

「落ち着いた?」

 

「は、は、はい」

 

どうも親近感が湧いたのは僕だけだったみたいだ。

 

むしろさっきよりもガチガチになってる気がする。不思議。

 

「本当に人見知りなんだね?」

 

「は、はい…すみません…」

 

「違う違う!責めてるわけじゃないよ?ただ今まで話してきた人に人見知りってあんまり居なかったから珍しくて」

 

怒ってないアピールのためにいつもよりもよけいに笑顔を浮かべる。

 

「人見知り…しないんですか?」

 

「僕?」

 

「はい」

 

その甲斐あってか、初めて向こうから話題を出してくれた。

 

「僕はしないかなぁ。この部の人達ともすぐに仲良くなったし」

 

「そうなんですか。なんとなく私と似てるのかなぁ…って思ってたんですけど」

 

「そうなの?」

 

「あ、すみません…勝手にそんなこと思ってて」

 

「全然気にしなくていいよ。それより何でそう思ってたのか訊いてみたいな」

 

これは話題作りとかのためじゃなく本心だった。

 

入江さんは、少し躊躇ってからおずおずと切り出した。

 

「…大山先輩って目立たないじゃないですか」

 

「ぐふっ!」

 

「せ、先輩?!」

 

まさかの心を抉ってくる攻撃に思わず倒れこむ。

 

特に語尾に?が付いていないところがダメージ大だよ…

 

「め、目立たないかぁ…」

 

分かってはいるけどへこむなぁ…

 

「す、すみません!すみません!」

 

「ああ、こっちこそゴメンね…気を使わせちゃって」

 

「いえ、私が失礼なことを言ったから…」

 

そう言って少しだけ目に涙を浮かべる入江さん。

 

「だ、大丈夫だよ!全然平気だから!ほら、続き聞かせて!」

 

「…でも」

 

「本当に聞きたいんだ!入江さんの話!」

 

「…はい。ありがとうございます…」

 

必死に精神的ダメージを誤魔化してなんとか入江さんが泣くのを止められた。

 

でも話の続きを聞きたいというのは本心だった。

 

僕が目立たないことがどう繋がるのか聞いてみたいと素直に思っていた。

 

「それで、僕が目立たないの続きは?」

 

「はい。なのに、大山さんの周りの人達はキャラが濃いですよね?」

 

「あー、そうだね」

 

キャラが濃いを通り越して常識がないところまで行っちゃってるけどね。

 

「私もなんです」

 

「入江さんも?」

 

「…はい。私も目立たなくて、でもしおりん…あっ、関根のことなんですけど…その、しおりんとかは昔からすごく目立つし、可愛くて人気があって…それに比べて私は…」

 

「え?入江さんもすごく可愛いと思うけど」

 

「へっ?!」

 

「え?…あ!ゴメンね!」

 

何の気無しに口に出した言葉で入江さんが真っ赤になってるのを見て、ようやく自分の言ったことが恥ずかしいことに気がついた。

 

うわぁ~やってしまったよ~。今まで女の子にそんなこと言ったこと無かったのに…

 

でも…

 

「でも、本当にそう思うよ?確かに関根さんも可愛いけど、そんなに卑屈になる必要なんてないと思うよ?」

 

「い、いやいや…でも…私なんか…」

 

目を伏せて全く僕の方を向いてくれない。

 

けど、それでも顔が赤いことだけは分かる。

 

…なんていうか、本当に可愛らしい子だな…

 

「それにほら、目立たないって言うけど入江さんはドラムやってるんだよね?それならすごく目立ったんじゃない?」

 

「ドラム…ですか?」

 

「うん」

 

「確かに目立ちはしました…悪目立ちでしたけど…」

 

「悪目立ち?」

 

「はい…私、ドラムがすごくすごく好きで、ドラムやってる時だけはなんていうか…すごく大胆になれて、周りの目なんて気にならなくなるんです」

 

「へぇ」

 

そんな風になってる入江さんを1回見てみたいな。どんな感じなんだろう。

 

「でもそれを見た人達は皆普段の私はぶりっ子してるんじゃないか、って思ったみたいで…」

 

「そんな!?」

 

「もししおりんが居なかったら、私いじめられてたかもしれません…」

 

だからしおりんにはすごく感謝してるんです、と笑う入江さんの顔を見て、ズキッと胸が痛んだ。

 

この子はいじめられても仕方がないって思い込んでしまってるんだ。

 

それが悲しくて、そんな風に思い込ませた子達に腹が立った。

 

「入江さんは悪くないんだよ?」

 

「え…?」

 

「入江さんはドラムが好きなだけだもん。そこが入江さんの居場所だったんだよね?だから普段は出せない自分を出すことが出来た」

 

「…はい」

 

ゆっくりと頷く入江さん。

 

「辛かったよね…自分をさらけ出しただけなのに、勝手なこと言われて…」

 

「…はい…!」

 

「ここなら大丈夫だから。もし何か言われたら僕が何とかするよ。だって…僕は入江さんのマネージャーだからね」

 

「────っ、は、はい…」

 

急にあたふたと慌てて目を伏せる。

 

どうしたんだろう?

 

「入江さん?」

 

「〇?×≦&¥$?!」

 

顔を覗きこもうとすると、謎の言葉を発してすごい勢いで部屋から出ていってしまった。

 

「な、なにかしたっけ…僕…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

空気が重い。

 

原因はお互いにある…と少なくともあたしは思ってる。

 

あたしがいらない一言を言ったりするのが悪いってのは分かってる。

 

「…たりぃ」

 

…でも、それはコイツがこんな風になってるのが悪いんだ、とあたしは藤巻に向けて内心舌打ちをする。

 

椅子にもたれかかり、大股を開いて腕をだらりとだらしなく脱力させている。

 

ネクタイは着けず、ボタンもいくつか掛けずに胸元を開け、シャツの裾も出されている。

 

…だらしがない。

 

「チッ、んでこんなたりぃことしなきゃなんねーんだよ」

 

そのまままた同じような愚痴をこれ見よがしに溢され、カチンとくる。

 

「うるっせえな…あんたがゆりの脅しにビビったからだろ」

 

「…ああ?」

 

「そんなに嫌だったんならゆりの命令なんて無視して帰ればよかったろ。それをビビって従ったくせに愚痴だけは一丁前に溢して…情けないね、あんた」

 

「んだとてめえ!」

 

あたしが詰ると決まってこの反応をする。…いや、あたしだけじゃない。誰に詰られたって、こんな反応をするばっかりだ。

 

目付きが悪くていかにもチンピラっていう見た目を使ってありもしない恐ろしさを見せようとする。

 

今日だけでもこの光景を何回見たことか。

 

「おいひさ子、今は柴崎居ねえんだぞ?」

 

「だからなんなのさ?」

 

「もし今殴られそうになったって助けて貰えねえんだぞって言ってんだよ!」

 

ダンッと思いきり床を踏み大きな音を立てる。

 

威嚇のつもりなんだろう。

 

でも、こんなのに意味はない。

 

「…あんたはいつだって口だけじゃないか」

 

「ああん?」

 

「見た目と口だけ悪ぶって、弱い自分を隠そうとしてるだけだろって言ってるんだよ」

 

「ざっ…けんな!」

 

あたしの言葉にキレた藤巻は椅子を派手に倒して立ち上がり、あたしに詰め寄ってくる。

 

「マジで殴られてぇのかよ…?」

 

そして襟元を掴んで凄んでくる。

 

「…あんたには無理だろ。そんなこと」

 

「上等だてめえ!」

 

ぐわっと拳を振り上げ、そして…

 

「…………っ!」

 

「…どうした?殴るんだろ?」

 

そのまま拳が振り下ろされることはなかった。

 

拳には力だけが入りプルプルと震えている。

 

「…せぇ」

 

「だから言ったんだよ。あんたには無理だろって」

 

「…るっせぇ!」

 

そう叫ぶと、そのままあたしの襟元を乱暴に離す。

 

「くそが!」

 

そして苛立ちを椅子を蹴ることで発散させようとする。

 

ガンッガンッと派手な音を立てて転がっていく。

 

それを見てあたしは、悲しくなった。

 

「…なんでそうなったのさ?」

 

「はぁ?」

 

「昔のあんたはそんなんじゃなかっただろ…?」

 

きっと今のあたしの顔はすごく情けないものになってると思う。

 

それくらい、今の藤巻を見てるのが辛い。

 

「昔はもっと…!」

 

『ひさ子は俺が守ってやっからな!』

 

そう言って笑う昔の姿が脳裏に浮かぶ。

 

「くだらねえ…」

 

「藤巻…」

 

しかし藤巻の言葉と態度はその姿を容易に消し去っていく。

 

つかつかとドアまで歩き、そのまま出ていってしまった。

 

「昔と今じゃちげえんだよ」

 

そんな言葉を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、直井くんって普段なにしてるの?趣味とかは?家どこら辺にあるの?部活とかしてた?ねえねえ」

 

「…何故僕がそんなことに答えなければならない」

 

あの無表情が過ぎる金髪娘にこの部屋に連れてこられた途端、この調子でペチャクチャと捲し立ててくる馬鹿に嫌気が差しつつも一応会話をしてやる。

 

これも柴崎さんのためだ。

 

きっとここで黙っていては柴崎さんがガッカリしてしまう。

 

だが、質問に答えるというのはどうにも受け入れられない。コイツに僕のことを知ってもらったところで僕にメリットがあるとも思えない。

 

出来ることなら一言二言交わすくらいで切り上げたいところだ。

 

「そりゃやっぱりこれから相棒になるんだからお互いのこと知っておいた方がやりやすいっしょ?」

 

「僕は貴様の相棒になったつもりは微塵もない」

 

ついでに言うとマネージャーも大してやる気はない。

 

僕がやるとしたら柴崎さんと音無さんの身の回りのお世話だ。

 

「そんなつれないこと言わないで助け合おうや!俺らマブダチじゃん?」

 

「…相棒じゃなかったのか?」

 

いや、相棒も嫌だが。

 

「え~じゃあ何なら良い?」

 

「主従関係なら良いぞ」

 

「え!良いの?!じゃあそれで行こうー!」

 

冗談というか、絶対に嫌がるだろうと思って口にしたのだが何故コイツはこんなにノリノリで受け入れている?

 

もしかしてマゾなのか?

 

「じゃあオレンジジュース買ってきて。あ、果汁は20%のやつね」

 

「何故だ?!」

 

「え?あたし100%ダメなんだよね~酸っぱくない?」

 

「そういうことを言ってるんじゃない!」

 

何故僕が貴様などの好みを聞かなければならない!

 

「僕が従う側なわけがないだろうということだ!この間抜け!」

 

「ええ?!」

 

「ええ?!じゃない!」

 

心底驚いているような顔をしていることにこっちこそ驚きだ。

 

「でもですね、そもそもあたしのジャーマネということは本来あたしが上の立場にあるはずなのよ新人くん」

 

「ふむ…」

 

まあそれはコイツの言う通りだ。

 

マネージャーという肩書きならば僕が下につくということを意味するはずだ。

 

しかしコイツは僕の肩書きを何度変えれば気が済むんだ。話し方もコロコロと変えて統一性がない。

 

まるで終始コントでもしているみたいだ。

 

「分かった。ならば僕たちは対等ということをまず決めておこう」

 

「いいねぇ~対等、いい言葉だよね~響きがタイトに似てるもんね」

 

ピッタリ身体に合うことがそこまで素晴らしいことなのだろうか。

 

やはりマゾなのか?少しでも締めつけられたいのか?

 

「タイトと言えば、直井くんはタイツは好きかね?」

 

「何がと言えばだ。今そんなことは関係ないだろう」

 

「つれないな~もう一人の僕は」

 

「何故僕が貴様の分身なんだ!?」

 

「やだなぁ、もう一人の僕と相棒は同義語だよ?」

 

「そんなわけあるか!」

 

それは遊〇王の中だけの話だろう。

 

そして相棒はさっき却下したんだからさっさと諦めろ。

 

「はぁ、話を戻すぞ。僕らは対等、だが相棒でもマブダチでもない」

 

「あ、なんか今途中までラップみたいだったね」

 

「…………つまりだ」

 

いい加減声を張りすぎて疲れてきた。

 

もう極力労力を使わないようにしよう。

 

かの柴崎さんも言っていた。まともに相手をするだけ無駄だと。

 

「相棒でもマブダチでもない僕らはビジネスライクな関係でいく」

 

「ビジネスライク?」

 

「ああ、互いにプライベートには干渉しない、会話も役割を果たすための必要最低限で済ます」

 

「え?嫌だよ」

 

「何だと?!」

 

つい先程抑えようと思っていたというのにもう大声を出してしまった。

 

僕が完璧だと思って口にした案がこんな当然のように否定されたことはそれほど衝撃の大きいものだったのだ。

 

「何がいけないというのだ?!」

 

「いや何もかもでしょうよ」

 

「何もかも…だと?」

 

「まずあたしプライベートに干渉しないとか無理」

 

「何が無理なんだ?」

 

ただ無闇に関わらない。簡単なことだろうに。

 

「そもそも直井くんを勧誘するきっかけはあたしがマネージャーは直井くんじゃないと嫌だって言ったからなんだよね。あ、もちろんその後の柴崎くんたちが話しかけてたのは勝手にやってただけだよ」

 

「なっ…そうなのか?」

 

「そーっすよ」

 

「…何で僕なんだ?」

 

僕の記憶ではコイツとの接点なんて…いや、クラスの奴らとの接点なんて皆無と言っても良いほどだったはず。

 

確かにコイツは初めに話しかけてきたりもしたが、それも出来る限り冷たくあしらっていたはずなのに。

 

なぜそれで僕を選ぶ?

 

わざわざ勧誘から始めないといけない僕を。

 

そう訊ねると、それまでとはまるで違うある種困ったような笑みを浮かべた。

 

「…あたしさ、ほっとけないんだ。周りを拒む人」

 

そして口調もまるで別のものになった。いや、厳密に言うと口調とは言わないかもしれない。

 

それはトーンと言うのが最も適切だ。

 

トーン。もしくはこの場合テンションと言ってもいいかもしれない。

 

口調がコロコロ変わっていたさっきまでのコイツとは一線を画すものだ。

 

違和感ばかりが先行していたものが、ストンと落ち着くべきところに落ち着いた、とでも言うべきか。

 

「みゆきちいるじゃん?あのおどおどしてる子」

 

「ああ」

 

名前を言われても分からなかったがおどおどしてると言われすぐに合点がいった。

 

「あの子もさ、中学で初めて会ったときからあんな感じにおどおどしてて、周りと関わろうとしてなかったんだ」

 

「それは人見知りなんだからしょうがないんじゃないのか?」

 

あの人見知りを僕と同じカテゴリに当て嵌めるのは少し違う気がするが。

 

「まあそうかもしれないけどね。でもあたしから見ればみゆきちのあれって、周りを敵だと思ってるようにしか見えないんだ」

 

「敵…?」

 

「うん。だって、怖がるってことはさ自分に危害を加える可能性があると思ってるっていう風にも考えられるよね」

 

「それは…」

 

いささか発想が飛躍している気もするが、間違ってはいないようにも思えて言葉が出てこない。

 

「直井くんもそうなんじゃないかな?」

 

「僕?」

 

「直井くんも、怖がってるんじゃない?自分に危害を加えるんじゃないかって。具体的に言うと…信じたら裏切られる、裏切られたら傷つく、みたいに」

 

「───っ」

 

まさしく図星というほかなかった。

 

怖がっているなどと言われることは甚だ心外ではあったが、しかし的確に心情を察して突いてくるその様に僕は固まることしか出来なかった。

 

…なるほど、それで僕とあのおどおど娘を同じ枠に入れたということか。

 

「でもあたしはそういう人をほっとけない。だって悲しいもん」

 

「…なにがだ?」

 

「例えばさ、食わず嫌いってあるよね?」

 

「は?」

 

食わず嫌い?

 

「あれって案外食べてみるとすごく美味しくてなんでこんな好きなものを今まで食べてこなかったんだ~って後悔することない?」

 

「…あるかもしれんな」

 

「それと同じ。もしかしたら話してみてすごく好きになる可能性があるのに、それを見過ごしちゃう。それってすごく悲しくない?」

 

「…さあな」

 

確かにコイツの言い分には一理ある。どころか十理も百理もあるかもしれない。

 

だが、やはりコイツの言ってることはしょせん他人事だ。

 

自分が経験したことがないからこんなことが言える。

 

でなければ、食わず嫌いなんかと一緒には出来ない。

 

食べ物と人間が違うことに考えが及んでいないのだ。

 

愚かだ、と思う。

 

きっといつか自分が誰かに絶望した時、それを痛感する。

 

だがしかし、それでも少しだけ認識を改めてやろう。

 

コイツはそこらへんのただの愚か者ではないようだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大体皆一区切りついたみたいね」

 

「そのようですね」

 

盗聴器から発せられる音声を聴き満足気な表情をしているゆりっぺさん。

 

悪趣味な…と思いつつも私自身も参加しているので何とも言えはしない。

 

「じゃあそろそろ帰るって伝えてきてもらっていいかしら?」

 

どうせ断るわけもないのに一々断りを入れるなんて、律儀だなこの人は。

 

「了解しました」

 

「あー…あと1ついい?」

 

「はい」

 

「本当に良かったの?顔合わせの意味も込めてるんだし3人にしても良かったのよ?」

 

わざわざこういうことを確認するということはまだ入部当初に柴崎さんと岩沢さんを二人きりにしたことを気にしているのだろう。

 

…優しい人。

 

「私がそう言ったのですから」

 

「そう…よね。ごめんなさいね変なこと聞いて」

 

こんな顔をさせてしまうくらいならどうするつもりなのか教えておけば良かった、と少し後悔する。

 

「いえ、それでは行ってきます」

 

「ええ、頼むわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

あのあとすぐに、まるで見計らったかのようなタイミングで遊佐が部屋にやって来た。

 

そして『今日はもう部活を終わりますので下校の準備を』と短く伝え、結局そのまま解散となった。

 

一階に降りると他の部員の皆は既に帰っていて、俺たちと同じく話していたはずの藤巻と入江も何故か先に帰ってしまっていたようだ。

 

そして悠がいないので遊佐と二人で帰っているんだが…

 

「………………」

 

喋らねえな…

 

いつもは何かと俺に暴言を吐いてくるというのに。

 

まあ別に会話がないから気まずいとか思う間柄でもねえからいいけどよ。

 

「…バーカ」

 

「?!」

 

唐突に、本当に唐突に発せられた言葉に反応せざるを得なくなる。

 

「バカはどっちですか、全く」

 

「な、ななな…?!」

 

「もしかして岩沢さんに惚れてしまいましたか?」

 

「んなわけねえだろ!!ていうか、お前まさか…?」

 

「はい、聴いてましたよ」

 

「ざけんな!!」

 

信じられねえ…コイツ、こんないけしゃあしゃあと盗聴宣言とか…

 

「そもそも部屋を指定された時点で怪しむべきでしたね」

 

「そこまで世の中疑ってかかってねえんだよこっちは!」

 

くそ、じゃあ今日話してた内容は全部聴かれてたのかよ…?!

 

「…バーカ」

 

「うぐぐっ…!」

 

またも真似されて、赤面すると同時に変な呻き声をあげてしまう。

 

くっそ、性格悪りぃ…!

 

「本当にバカです、柴崎さんは」

 

「もう良いだろしつこいぞ!」

 

「違いますよ。ずっと一人で抱え込んでいたことが…です」

 

「う…」

 

思わずたじろぐ俺に更に釘を刺すように、それに、と言ってジトッと睨んでくる。

 

「何か勘違いしているようなので言っておきますが、今までも柴崎さんの味方はずっと貴方の隣にいましたよ」

 

ずっと…隣に…

 

「私は少なくとも貴方の味方だと思ってます…昔からずっと」

 

「あ…」

 

何が言いたいのか気づいた俺を見て、不満そうにそれと千里さんもですが…と付け足す。

 

そうか…そうだよな…

 

決して忘れてたわけじゃない。いつも俺は助けられていたんだから。

 

でも、それが当たり前すぎて改めて考えたことはなかったかもしれない。

 

音無や岩沢、関根に直井のように俺の眼を知ったって拒絶しなかった友達はいつだって居たんだ。

 

いつも俺の両隣に。

 

「…そうだよな、悪い」

 

「いえ、好きでやってますから」

 

「そりゃ物好きだな」

 

「よく言われます。あ、そういえば柴崎さん」

 

「ん?」

 

「ゴールデンウィークは何をしてましたか?」

 

「何をって…とりあえず部活に出て…」

 

唐突に向けられた質問に曖昧な記憶を辿りながら答えていく。

 

「それが終わった後は…あー、迷子の面倒見たりしたこともあったな…」

 

とにかく記憶がはっきりとしないので、さっき岩沢が言っていたことがちょうどゴールデンウィーク中の話だったことを思い出し口にする。

 

しかしそれ以外はこれといった出来事もなく、平々凡々とした日常だったはずだ。

 

特に家の中にいる時なんて余計に何もないし、外に出るのも部活の時が多く、その時には大抵遊佐は近くにいたわけだ。

 

となると大きな出来事というとそれくらいのものだ。

 

しかしそれがなんだと言うのだろう?

 

「勉強は?」

 

「勉強?なんで?」

 

「いえ、柴崎さんは理数系に関しては理解するのに時間がかかるタイプでしたので」

 

「ん?ああ確かにそうだな」

 

俺は文系ならそこそこ出来るが理数系の科目はてんで駄目だ。

 

もう何を言ってるのかよく分からない。

 

代入がどういうことなのか未だによく分かっていない程だ。

 

「いや代入だけなら日本語が分かれば理解出来ますよね?」

 

「数字が絡むと途端に分からなくなるんだよ…!つーか心読むな」

 

あとはXとかYとかも分からん。数字でやれよってなるし。

 

「数字が絡むと分からなくなるのでは?」

 

「XとYは更に分からないんだ…!いやだから心読むなよ…で、だから結局それがどうしたんだよ?」

 

ゴールデンウィークと俺の理数系が苦手なことに何か繋がりがあるのか?

 

「あともう明日と土日を挟んだあとすぐにテストですが大丈夫なんですか?」

 

「は?」

 

…テスト?テスト?!テストってあのexamination的な意味のテスト?!

 

「い、今何日だ?!」

 

「14日です」

 

「テストはいつだ?!」

 

「20日です。なので正確に言えば明日と土日を挟み、2日授業を終えた後にテスト期間に入ります。つまり猶予は今日を除けば5日です」

 

言葉通りの遊佐の詳しい説明を聞き、それならなんとかなるんじゃ…と一瞬期待が頭によぎる。

 

「ですが土日以外は部活もありますし、その他諸々の事情もあるので学校内の勉強というのはいささか無理があると思われます」

 

「そうだった…!」

 

中学までの学校生活とはまるで環境が変わっていることがすっぽり頭から抜け落ちていた。

 

中学までなら学校が終わればすぐに帰ってある程度の勉強時間も取れていたけど、今は夕方過ぎまで部活に行かなきゃ駄目だし…教室に居るときは岩沢とかが五月蝿いし…

 

「ん?いや待てよ。テスト一週間前だけ休みとかないのか?」

 

中学の頃は部活をやっている奴らは皆そんなことを言っていた気がするんだが。

 

「ゆりっぺさんの独断で部活厳守です」

 

「鬼か?!」

 

「はい、今の録音しておきましたので休めばこれをゆりっぺさんに聴かせてより怒りを煽ることにします」

 

「なんでだよ?!」

 

「皆さん同じ条件下で頑張ってもらいたいので」

 

う、嘘くせぇ…どうせただの嫌がらせだろこのドS…

 

しかし困った。そうなると土日以外は部活が終わって晩飯やら風呂やら何やらすべてを終わらせた後の時間しか勉強出来ない。

 

「いやちょっと待てよ。よく考えれば数学とかが初日じゃなければ間に合うんじゃ…」

「数学初日、物理2日目です」

 

「…終わった」

 

どう考えてもその2つは無理だ。

 

あわよくば数学はなんとかなるかもしれないが、物理までは手が回らない。

 

「はぁ」

 

そんな風に前方不注意も気にせず項垂れている俺に呆れたようなため息をはく。

 

「しょうがないですね、特別に私が勉強を見てさしあげますよ」

 

「ほ、本当か?!」

 

「はい。赤点を取ると補習で部活に行けなくなりますしね。そうなるとゆりっぺさんがかんかんですし」

 

「ありがとうな!やっぱ持つべきものは幼馴染みだ!」

 

俺としては心からの感謝を述べたつもりだったのだが、何故か不満そうにジト目でこちらを見てくる。

 

「…その代わりビシビシしごきますから。出来が悪ければ泊まり込みでやりますよ。寝れるとは思わないでください」

 

「は、はい…」

 

あ、あれ?なんか怒らせるようなこと言ったっけ…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…その後、本当に5日間泊まり込みの付きっきりで勉強を見てもらいなんとか赤点を回避出来た。

 

 

 

 




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「ホンマやで!もうめちゃくちゃdifficultやったわ」

テストも無事終わり(野田と藤巻とTKは赤点だったのだが)ようやく一息つけるかと思っていた矢先

 

「それでは今から体育祭の種目を決める」

 

これだ。

 

うちの学校は6月の初めに体育祭が行われるらしい。

 

出来れば暑くなってきているこの時期よりも普通に秋にやって欲しいんだけどな…

 

「蒼は何に出る?」

 

「あー?んー、そうだな…」

 

後ろから悠にそう訊かれ、先生が書き出していく種目に目をやる。

 

70mハードル

 

100m走

 

200m走

 

400mリレー(女子)

 

800mリレー(男子)

 

クラス対抗リレー(男女2名ずつ)

 

綱引き

 

騎馬戦

 

この8種目らしい。

 

「100mと綱引きかな」

 

一番楽そうだし。そもそも別に運動神経に自信があるわけじゃないし。

 

まあ体育祭は眼の力が使えないから気楽で良いけど。

 

「じゃあ僕もそれにしよ」

 

どうせ俺が他のにしててもお前はそれを選ぶだろ、と心の中で思っておく。

 

「ひさ子何に出る?」

 

「岩沢は?」

 

「あたしはひさ子が出るやつにするよ」

 

とりあえず悠との会話を終えると、前からそんな会話が聞こえてくる。

 

「でもあたしのキツいよ?騎馬戦に200にクラス対抗、400にも出たいし」

 

「…騎馬戦にするよ」

 

「いや騎馬戦が一番危ないだろ…」

 

口を突っ込むつもりは全く無かったのだが、つい心の声が漏れてしまった。

 

「でもあたしそんな長い距離走りたくないし」

 

「だったら100mかハードルで良いんじゃねえのか?」

 

「え?それひさ子出ないじゃん」

 

あくまでひさ子基準なんだなコイツは…

 

「まあまあ柴崎、岩沢が心配なのは分かったけどとりあえずここは引いとけって」

 

「別にそういうわけじゃねえよ…」

 

「柴崎が心配してくれてるのか?!」

 

「だから違う!!」

 

なんでコイツはこう人の話を聞かないんだ…?

 

「はぁ…じゃあもう好きにしとけよ」

 

「大丈夫大丈夫」

 

まだ心配してもらってるとでも思ってるのかニヤニヤと締まりのない顔をしている。

 

ったく、怪我しても知らねえぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、無事に各自希望していた種目に参加できることになり、つつがなくHRを終わらせることが出来た。

 

まあこれもひさ子が女子の嫌がるような種目のほとんどを希望してくれたことが大きかったのだが。

 

そしていつものように部活へと足を運ぶ。

 

今日はどうやら仲村が何かを思い付いたらしく、全員が揃うまで待つことになっていた。

 

具体的に言うと、補習のやつらを待っていた。

 

「柴崎、来週の土曜って暇か?」

 

「来週の土曜?」

 

来週の土曜っていうと、体育祭が終わった2日後か。

 

まあ土曜は部活もないし、特にやることはないか。

 

「まあ特に今のところ用事はないけど」

 

「じゃあデート!デートしよう!」

 

「はぁ?!何でだよ?!」

 

余りにも唐突な提案に思わず大声をあげてしまう。

 

コイツ今まで好きだ好きだとは言ってたけどデートだとかは1回も言ったことなかったのに…

 

「良いじゃん細かいことはさ」

 

「良いわけねえだろ!却下だ却下」

 

「ふっふーん、なるほどねぇ」

 

げっ…

 

「良いこと聞いたわ」

 

「仲村…?」

 

さっきまで遊佐と何か話していたはずの仲村が俺のすぐ後ろでゲスな笑みを浮かべて立っていた。

 

ここまで悪役顔を出来る女子がこの世に何人いるだろうか。

 

「岩沢さんはど~してもその日にデートをしたいのね?」

 

「ああ」

 

「柴崎くんはど~しても行きたくないと?」

 

「当たり前だろ」

 

俺だってこれでも初恋すらまだな男子高校生だ。

 

初デートは初めての彼女に取っておきたいという願望くらいある。

 

「ならゲームをしましょう」

 

「ゲーム?」

 

…嫌な予感しかしない。

 

「ええ、確か岩沢さんは騎馬戦に出るのよね?」

 

「そうだけど」

 

「じゃあこうしましょう。岩沢さんが騎馬戦で誰よりもハチマキを取ることが出来たらデートを決行!」

 

「おお!」

 

「はぁ?!なんで?!」

 

「面白いからよ」

 

「そんな理由で決められてたまるか!」

 

俺は絶対そんなのに乗らないからな!と宣言して腕を組み、ドカッと椅子に座る。

 

「ふーん、そういう態度を取るわけね?」

 

「な、なんだよ…」

 

さっきまでのテンションの高さから一転して静かに、しかし余裕がありありと窺える口調に変わる。

 

「あなたがそういうことを言うのなら仕方がないわ。今から先生達に急遽2年生にも借り物競争を追加してもらうわ」

 

「それがなんだってんだ?」

 

「それに岩沢さんを参加させてお題に『好きな人』を入れる。もちろん岩沢さんにそれが渡るように細工も施してね」

 

「そ、それってもしかして…?」

 

「そう!クラスどころか学校全体に告白される場面を晒すことになるわ!」

 

「んなっ!?この人でなしめ!」

 

学校全体にそんな恥ずかしい場面を晒すなんて出来るわけがない。

 

しかもそんな状況で告白を断ったら大ブーイングじゃねえか…

 

…いや、待てよ。

 

「まだ岩沢がやるなんて一言も言ってね…」

「やるやる!」

 

「食い気味?!」

 

「だってさ、そうすればあたしの愛がこの学校中に知れ渡るんだろ?最高じゃないか」

 

「無駄なポジティブさを発揮するな!」

 

ちくしょう…いや、こればっかりは岩沢がやらないって言うなんてことに期待した俺が馬鹿だったか…

 

「さあどうするのかしら?デキレースで全校生徒の目の前で告白されるか、正々堂々騎馬戦で岩沢がハチマキを一番取れた時だけデートするのか」

 

「ぐぅ…」

 

こんなの2択でもなんでもねえじゃねえかくそ…

 

「…ば戦」

 

「え?何?聞こえなーい」

 

うっぜぇ…!

 

「騎馬戦でお願いします!」

 

「はーい了解ー」

 

うふふ、と上機嫌になって離れていけ仲村を見て俺の心は敗北感に支配される。

 

あの暴君め…いつか目にもの見せてやる…

 

「柴崎とデート、柴崎とデート」

 

そんな俺を尻目に岩沢も上機嫌にそんな言葉をリズムに乗せて口ずさんでいる。

 

「まだ決まってねえし…」

 

「あたしが柴崎とのデートを目の前にして負けると思うか?」

 

「知るか!」

 

そんな状況今まで1度たりともなかったのに分かるわけあるか!

 

「答えはNOだ」

 

「いやだから知らねえよ!」

 

「む?何を騒いでる?」

 

「かぁ~、補習だっりぃわマジで」

 

「ホンマやで!もうめちゃめちゃdifficultやったわ」

 

無駄に自信満々な岩沢にツッコんでいたところでようやく補習組がやってきた。

 

「もう遅いわよあんたたち!」

 

「す、すまないゆりっぺ」

 

「まあおかげで良い暇潰しが出来たけどね」

 

「おい」

 

俺の初デートを賭けておいて暇潰し扱いするな。

 

「それじゃあ今日の本題に入るわよ!今日は目前に迫った体育祭での計画について話すわ」

 

「計画?」

 

体育祭に計画という教師や実行委員ならばともかく、ただ参加するだけの生徒には不似合いな言葉の並びに思わず疑問を口に出してしまう。

 

「そう。あたしたちは体育祭当日ライブをするわよ!」

 

「ら…」

「ライブ?!」

 

驚いて復唱してしまいそうになったところを、横から俺よりも更に早く食いついた奴によって防がれる。

 

岩沢だ。

 

「ライブ!ついにやるのか!?」

 

「そ、待たせてごめんなさいね岩沢さん」

 

「いや良いさ、あたしはライブが出来るならなんでもな。それをこんな大きな舞台でやらせてくれるなら文句なんてとても言えないよ」

 

「いやいやちょっと待てよ。さらっとやるみたいな流れになってるけどおかしいだろ」

 

全く以て突拍子のない話が進んでいきそうなところに割ってはいる。

 

「体育祭だぞ?どこにバンドのライブをする要素があるんだよ?」

 

「いくらでもあるでしょ。午前の部終わりの昼食の時間とか、応援合戦に割り込むとか」

 

「そんなめちゃくちゃ出来るわけあるか!」

 

「あらぁ?あたしを誰だかお忘れかしら?停学寸前だった柴崎くん」

 

「ぐぅ」

 

そうだった。

 

コイツは無茶も無謀も無関係、どんな無鉄砲も無理矢理おさめられる無敵のお嬢様だった。

 

俺はそれに助けられたのだから余計にその権力の強さを知っている。

 

確かにコイツなら何をやろうと全て不問に出来てしまうだろう。

 

「で、でも別に体育祭である必要はないだろ?わざわざこんな悪目立ちする時じゃなくてもいいだろ?」

 

「あなたバカ?目立たなきゃ意味ないでしょ」

 

「だから目立つのが悪いんじゃなくて悪目立ちがまずいんだろうが。普通に文化祭でやっちゃダメなのかよ?」

 

「ダメではないわよ。でも悪目立ちでもなんでも利用しなきゃいけないの」

 

「利用?」

 

「岩沢さんたちの目標のためにはね」

 

岩沢たちの目標…

 

『あたしとひさ子はプロを目指してるんだ』

 

「プロ…?」

 

「そうよ。そのために今回の体育祭は打ってつけなのよ。昼食中にしても応援合戦に参加するにしても必ず大抵の生徒の家族の目にも止まるから」

 

確かに文化祭ではわざわざライブに来てくれる人の目にしか止まらないことになる。

 

それに対して体育祭なら、応援合戦はもちろん、昼食時だってグラウンドでやればその日見に来た人達のほとんどに聴いてもらえる。

 

しかもここでもし良い印象を与えておけば文化祭でもう一度見たいと思ってくれる人たちが出るかもしれない。

 

いや、きっと出る。

 

岩沢たちの音楽はそう断言出来るだけの力がある。

 

「それに今時はSNSなどの口コミで広まる可能性が極めて高いですから。そうして話題になればどこかの会社から目をつけてもらえるかもしれません」

 

俺が何を考えているのかを読み取ったのであろう遊佐が横からそう付け足す。

 

「そうでなくとも、どこかのテレビとかで取材でも来るかもしれない。なんでも良いのよ、とにかく少しでも確率を上げるためにはね。もし成果が出なければその時は文化祭にかければいいしね」

 

つまり体育祭ということが重要なんじゃなく、確実に大勢の目に晒される大きな舞台がより多く必要だったということか。

 

「でもよ、それもし失敗したら相当印象悪いんじゃねえの?」

 

「そうね。もし失敗に終わればたちまち逆効果。最悪の場合晒し者になる可能性もあるわ。さすがにプロになれなくなる…なんてことはないでしょうけどね」

 

日向が純粋な疑問を投げかけると、それをあっさりと肯定する。

 

「だからもし嫌なら無理にとは言わないわ。その時は普通に体育祭に参加する。どうする?」

 

そしてそのままそう問いかける。

 

「あたしはやるって言ってるじゃん」

 

「あたしもやるよ。それくらいのリスク当然だろ」

 

「もっちろんあたしもやりますよぉ!ね、みゆきちもやるよね?」

 

「え、あ…うん!が、頑張ります」

 

「ならやるわよ!オペレーション・ファーストライブ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲村の問いかけに入江以外は即答だった。

 

でもそれは入江の元々の性格上、一瞬弱気になってしまっただけかと思っていた。

 

いつもおどおどしていてもドラムを前にすればたちまちバンドを支える頼もしい存在に変わっていたから。

 

今回もそうなると思い込んでいた。

 

だけど

 

「ストップ!入江、何回おんなじ所ミスってんだ!」

 

「す、すみません!」

 

そんな考えは間違っていた。

 

仲村からの宣言を聞いたそのすぐ後、早速練習だと言って防音室で練習を始めたのだが、一向に入江は精彩を欠いたままだった。

 

「…今日はもうやめよう」

 

「岩沢」

 

「で、でももう体育祭まで時間が…」

 

「そうだけど、今のままじゃやってもあんまり意味がない」

 

「それは…」

 

唐突な岩沢の提案に食い下がろうとした入江だが、あっさりとそれを却下される。

 

それも岩沢はただ淡々と真実を述べているという風で、取りつく島もない。

 

今のお前が頑張ったってどうにもならない。

 

そんな事実をこれ以上なく突きつけられている。

 

これならまだ何度も怒鳴られながら練習させてくれる方がマシなんじゃないかと思う。

 

特に嫌みのない岩沢に言われるなら尚更だ。

 

「今日はもう終わり、でいいよなひさ子?」

 

「お前がリーダーなんだからお前で決めな」

 

「なら今日はこれで終わりだ。解散」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩沢の号令で皆テキパキと帰り支度を始める。

 

「良かったのか?」

 

そこで俺はタイミングを見計らって岩沢に耳打ちする。

 

少し離れた場所で関根と話している入江に聞こえないように注意を払いながら。

 

「なにが?」

 

「なにがって…入江だよ。気が済むまで練習した方が吹っ切れるんじゃないのか?」

 

「かもね」

 

「お前な、ちょっと軽すぎないか?」

 

この状況をまるで重く捉えてなさそうな岩沢の調子を見て少し心配になる。

 

コイツはもしかしたらプレッシャーとか緊張ってものを知らないんじゃないだろうか。

 

音楽なんて何もしらない俺でもコイツが才能ってやつに恵まれているのが分かる。

 

そんな天才の岩沢には、今何故入江がこうなっているのか分かっていない、もしくは理屈としては分かっていても一時的な軽いものだと考えてしまっているんじゃないだろうか。

 

「入江はお前とは違うんだぞ。もう少し気にかけてやってもいいんじゃないのか?」

 

もしそうなんだとしたら、天才のコイツが分かってやれないところを俺がカバーしてやらないといけない。

 

これが俺のマネージャーとしての役目でもあるはずだ。

 

「うん。たしかに柴崎の言う通りなんだと思う。入江はきっとあたしよりもか弱いだろうし、緊張しちゃうんだと思う」

 

「だったら…」

 

「でもあたしは何もするつもりはない」

 

「…っ、なんでだよ?」

 

言っている意味が分からず声を荒げそうになったが、入江に聞こえてはいけないと思い止まり声を押し殺す。

 

「あたしじゃダメなんだ。あたしじゃ余計にプレッシャーになっちゃうかもしれない」

 

「…そうか」

 

そう言われて合点がいった。

 

分かっていないだなんてとんでもなかった。コイツは自分がどう見られているのか、どう思われているのかはっきりと理解している。

 

入江にとって岩沢は同じバンドのメンバーであり、追いかけるべき憧れの先輩なのだ。

 

それは端から見ていても伝わってくる。

 

岩沢のカリスマ性に惹かれ、いつか肩を並べたい、そういう意思が、入江と、もちろん関根からも発せられていることがわかる。

 

そんな人からの言葉は励みになると同時に激しい重圧に変わる。

 

だからあえて何も言わない、言えない。

 

「…でも、無言がプレッシャーになる場合もあるだろ?」

 

「だから無言じゃないさ。ちゃんと今のままじゃダメだってことは伝えてる。それ以上は…あたしの仕事じゃないな」

 

「じゃあ誰の仕事なんだよ?関根か?」

 

「いや、入江を支えるのはあたしでも関根でもなく大山の仕事」

 

「…大山」

 

入江のマネージャー。

 

俺が岩沢のカバーをしようとしたのと同じく、入江のカバーは大山の仕事。

 

そういうわけか。

 

でも…

 

「…大丈夫なのか?知り合って間もないのに」

 

「…わからない」

 

…不安だ。

 

 

 

 




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「いつ…か…強いて言うなら、生まれる前からだろうね」

『────さいね』

 

「───っ?!」

 

聴こえてるはずなのに、どこか字幕のように感じる夢の声。

 

そのもどかしい声が熟睡しきっていたはずの僕の意識を無理矢理に叩き起こした。

 

「はぁ、はぁ…」

 

跳ね起きた身体は全力疾走したみたいに疲労していて、息も絶え絶えになっていた。

 

「またこの夢…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当、なんなのかなあれって…」

 

僕は昔からよく同じ夢を見る。

 

すごく大きな学校で好きな人と居る夢。

 

幸せで幸せでしょうがないのに、最後にはお別れしなきゃいけなくなる夢。

 

いつもその彼女の最後の台詞で目が覚める。

 

そして目が覚めると心臓が嫌な風にドクドク高鳴って落ち着かなくなる。

 

「悩み事ばっかりだよ…」

 

今朝の夢と先日の練習を思い浮かべ、そう漏らしてしまう。

 

入江さんの急激な不調。

 

体育祭でのライブを聞いてすぐに調子を崩したのだから、当然そういうことなんだろう。

 

岩沢さん達も特別何かしてあげるわけじゃなさそうだったし…多分、マネージャーの僕がどうにかしなきゃいけないってことなんだ。

 

でも、僕に出来ることが全くおもいつかない。

 

それがまた気分を落ち着かなくさせる。

 

こういう日はいつも早く学校に行くことにしてる。

 

夢での学校と現実の学校の違いを見ると、少しずつ落ち着いていけるから。

 

だから今日もまだまだ時間には余裕があるけど既に学校に着いている。

 

時計を見ればまだ授業が始まるまでに一時間近くある。

 

何か暇潰しをしたくて校内をふらふらと漂っていると、ふと思い付く。

 

「部室に行こうかな」

 

鍵はゆりっぺから部員全員に支給されてるから入れるし、あそこなら暇潰しになるものも置いてあるしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

部室に到着して鍵を開けようとすると、既に鍵が開いていた。

 

こんな時間に来てる人は居なさそうだし、昨日誰か閉め忘れたのかな?

 

「不用心だなもう…」

 

呆れてそう呟きながら扉を開けて中に入ると、ある物が視界に入る。

 

「あれ?」

 

それはこの学校指定の女子用の通学鞄だった。

 

さすがに人が多いこの部活で鞄だけで誰かは把握出来ないけど、とにかく誰かが僕よりも先に来ているみたいだ。

 

ここに居ないってことは、上の階かな?

 

そう思い、足を2階に運ぶ。

 

しかしそこにも誰もおらず、もう1つ上の上がる。

 

そこにも、誰も居ない。

 

ってことは4階か。

 

4階には防音室が…もしかして

 

わざわざ防音室に行く人は少ない。

 

それもわざわざこんな朝早くからだなんて、もっと絞られる。

 

僕は頭の中に彼女を思い浮かべ、4階へ向かう。

 

そして防音室の扉をゆっくりと開いた。

 

───やっぱり。

 

 

 

 

 

 

 

「さあ皆心の準備はいいかしら!」

 

体育祭当日、仲村の命令によりクラスごとに教室で集まるよりも先に部室で集まることになった。

 

なんでもライブの最終確認と、全員が集まることによっての一致団結を狙っているらしい。

 

恐らく直前にそんな時間を取る余裕がなかったときの予防でもあるのだろう。

 

「じゃあ今日のライブだけど、ドラムセットとかアンプとかの重いものは野田くん、TK、藤巻くん、あと日向くんと音無くんが手分けして運んで。足りなそうなら各自手助けしてもらって。それから…」

 

てきぱきと全員に指示を出していく仲村。

 

力仕事は野田を筆頭とした頭はあれだが力の強い奴らプラス音無が。

 

連絡係として遊佐と悠が。

 

そして残りの俺、直井、大山はギターやらベースやらを持ち、ガルデモの側に付き、さらには連絡が入れば手助けに向かうこととなった。

 

「以上、なんだけど…ガルデモの皆は体調万全かしら?」

 

「あたしはライブ出来るのなら風邪だろうがなんだろうが平気さ」

 

「あたしも、そんなやわじゃないしね」

 

「わたくしめもばっちりですよ!」

 

「あ、あたしも…大丈夫、です」

 

他の3人は言葉通りの面持ちだが、やはり入江だけはどこか元気がなかった。

 

「ふぅん…」

 

それを見てちらっと仲村が大山の方を一瞥したが、大山は気づいていないのか、特になにか反応するわけでもなかった。

 

「なら良いわ!じゃあ皆、怪我のないように目一杯頑張りなさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、体育祭を始めます』

 

部室を離れたあと、教室で集合したりグラウンドに出て体操をしたりなんなりと退屈な工程を終えてようやく体育祭が始まった。

 

「蒼、1種目100mだよ」

 

「分かってるって」

 

開始早々に自分の出る種目でテンションががた落ちしながら悠の後に続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「順番通りここで並んで下さーい」

 

待機場所に向かうと、委員であろう生徒が大きく手を振りながら指示を出していた。

 

俺は事前に確認していた通り、3番目の2レーンの位置に入る。

 

悠は一番目の5レーンという初っぱなからの出番となっていた。

 

まあアイツは早速出番だからといって緊張するようなタイプではないけど。

 

それに引き換え俺はというと、元来プレッシャーに弱い質で今も心臓がバクバクと鳴っている。

 

これなら俺も一番目の方が良かったかも…

 

等と考えている間に人数も揃ったようで、入場という運びになる。

 

軽快な音楽をバックに無駄に派手な紅白の門をくぐりトラックの中央に行進する。

 

それだけでこの場の視線がグッとこちらに集まってくるのを感じる。

 

いや、本当は多分皆誰かと話していたりしてるはずだから俺が勝手に思い込んでいるだけなんだろうが。

 

しかし思い込みというのは効果が絶大で、ただでさえ速かった鼓動がさらに速まっていく。

 

そうこうしている間に一番目の走者たちがレーンに並び始める。

 

悠は普段と変わらない自然なままそこに立っている。

 

むしろやる気が感じられない風だ。

 

ていうか絶対ない。

 

「位置についてー、よーい」

 

パァン

 

そしてついに始まった。

 

昔のような火薬の匂いのない電子音の銃が鳴り、一斉にスタートを切る。

 

途中までは拮抗していた走者たちはしだいに差が開いていく。

 

悠は7人いる走者の中で5位の位置についていた。

 

…アイツ足速いくせに。

 

明らかに手を抜いている幼馴染みに呆れながら見守る。

 

そのまま5位でゴールし、順位の旗が立っている場所に移動しようとした悠が、どこかを見ながらあからさまに狼狽していた。

 

しかしそれも一瞬で、すぐさま5と書かれた旗のところへ向かった。

 

どうしたんだ…?珍しい。

 

「位置についてー、よーい」

 

パァン

 

悠の方に気を取られていると、いつのまにか次の走者が走り出していて、ついに次が俺の出番となった。

 

バクバクと心臓が早鐘のように打つ。

 

あ~嫌だこの感じ…

 

2番目の走者たちも全員ゴールしたようで、いよいよ本当に俺の番が回ってくる。

 

「柴崎ー!頑張れー!」

 

嫌な風に早まる心臓を押さえつけていると、よく通る聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。

 

声の方を見ると、ニィ、と歯を見せて笑う岩沢の姿があった。

 

「ちっ、リア充が」

 

「死ね」

 

あの馬鹿…

 

左右から恨みの籠った声が聞こえ、頭を抱える。

 

しかしふと気づく。

 

鼓動の速さがマシになっていることに。

 

「位置についてー」

 

しかしすぐさま委員の声が聞こえ、クラウチングスタートの体勢に入る。

 

「よーい」

 

パァン

 

音が鳴り、足を踏み出す。

 

徐々に上体を上げていき、加速する。

 

しかし俺は決して身体能力が高いわけではなく、数人から徐々に差をつけられていく。

 

「頑張れー!」

 

走りながらでも耳に入ってくる岩沢の声援。

 

うるさいな…またリア充死ねとか言われるだろ…と思いながら、足を必死に前に運ぶ。

 

しかし結果は4位、7人中4位という最も普通の成績だった。

 

「はぁ…」

 

「あれ?どうしたの?いつもと変わらない、至って普通の順位なのに」

 

「はぁ?…あ」

 

自分の順位のところまで行こうとした途中、悠にそう言われて自分が落ち込んでることに気づいた。

 

あれ?俺いつもこんなもんなのになんで凹んでんだ?

 

「もしかして、岩沢さんの声援に応えたかった、とか?」

 

「そんなわけあるか!!」

 

茶化すような口調で訊いてくる悠に反射的に否定する。

 

そしてそんなわけないそんなわけない…と心の中で自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういやさ」

 

「なに?」

 

全員のレースが終わり、悠と一緒にクラスの皆のところに戻る途中、さっきのことが気になったので切り出すことにした。

 

「お前どうしたんだ?ゴールした後なんか狼狽えてたけど」

 

「あー…」

 

するとふっと遠い目になる悠。

 

「いや、静流が来てたみたいでね…」

 

「ああ、なるほど」

 

静流というのは悠の彼女の名前だ。

 

和泉 静流

 

見た目は、これぞ大和撫子というような感じのお淑やかな美人さんで、性格も良く、悠には勿体ないほど出来た彼女だ。

 

しかしこの彼女も悠と同じように掴み所がない。

 

悠があまり多く俺と関わりを持たせようとしないことも少なくない原因ではあるのだが、それでも何度か話す機会があったのだが、常に笑顔で愛想が良く…まあそれが平たく言うと少し作り物くさいという印象だった。

 

そして、その作り物くささが悠に似ていた。

 

俺や遊佐と話す時じゃない悠に。

 

だからきっと、似た者同士なんだと思う。

 

そして似てるのなら、彼女もきっと良い娘なんだと思った。

 

なのに何故悠があんなに狼狽えてたのかと言うと、どうも怒ると怖いらしい。

 

意外と彼女には頭が上がらないようで、昔から隙のないコイツを見ていたから少しホッとした。

 

隙を見せられる相手がいたんだな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おつかれ柴崎」

 

クラスの所に帰ってみると、待っていたかのように俺を見つけて労いの言葉をかけてくる岩沢。

 

しかも日除け用のテントがあるのにわざわざそこから出てきょろきょろと俺が来ないか探していたみたいだ。

 

「ん、ああ…」

 

それに対して俺は上手く言葉を返せなかった。

 

『岩沢さんの声援に応えたかった、とか?』

 

あの悠の台詞がぐるぐる頭を巡っている。

 

いや…そんなわけないし…まあそりゃ、応援されるのはちょっと嬉しかった気もするけど、何よりコイツのせいで死ねとか言われたし…

 

「どうかした?」

 

「いや…別に。それよりもお前大丈夫なのか?」

 

「何が?」

 

「ライブだよライブ。お前が体調バッチリってのは疑わねえけど…入江はどうなんだ?」

 

結局、あの後何度集まって練習をしても入江の調子が戻ることはなかった。

 

大山にそれとなく入江のことを言ってみたりもしたが、何も変わらなかったところを見ると、何もしていないようだ。

 

つまり、入江は今もまだ調子を落としてる可能性が極めて高いのだ。

 

「わからない」

 

「わからないって…良いのかそれで?プロになりたいんじゃねえのかよ?」

 

「なりたいよ」

 

「じゃあもっと何か…」

「良いんだ」

 

淀みなく返してくる言葉とその行動の矛盾に少しずつ苛立ちが募り始め、いよいよ声を荒げそうになったところを俺の言葉をぶったぎる形で遮る。

 

「あたしは入江を信じてるから。それに、大山も」

 

そう言って笑う表情は、本当に一片足りとも疑っているようには見えなかった。

 

「…信じてるのは分かったけど、でもよ…もしそれで今回失敗したらどうするんだ?お前は後悔しないのかよ?自分がもっと何かしてればって、見ているだけだったことを後悔しないのかよ?」

 

「しない…って言うのは流石に格好つけすぎか」

 

あはは、と少し照れくさそうな笑みを漏らして頭を掻く。

 

「でもさ、もし失敗したら絶対後悔するに決まってる。だったらあたしはやらずに後悔よりやって後悔…ってのよりさ、信じて後悔するのと信じずに後悔するなら、信じて後悔したいんだよ」

 

「信じて後悔…」

 

「ああ、どう失敗するにしたってあたしは最後まで信じるのをやめたくない。だからあたしはあとはあの二人に任せる」

 

迷いなど微塵も感じさせない真っ直ぐ射抜くような目。

 

なんでコイツはここまで人を信用出来るんだ…?

 

自分の夢が、人生がかかっているのに。

 

「お前がプロになりたいって思ったのはいつなんだ?」

 

そう考えていると口をつくようにそんな質問をしていた。

 

「いつ…か…強いて言うなら、生まれる前からだろうね」

 

「俺は冗談が聞きたいわけじゃねんだよ」

 

「冗談なんかじゃないよ。本気だ」

 

またしてもその揺るぎない言葉で、目で、黙らざるを得なくなる。

 

「…じゃあ仮に、その生まれる前からの夢を、今放置していて本当に後悔しねえのかよ?」

 

「いやだから後悔はするってば。ただ、後悔するならこれがベストってだけ」

 

笑ってそう言ってのける岩沢に、俺はきっと逆立ちしようが生まれ変わろうが勝てないだろうと思った。

 

ならもう信じよう。

 

大山や入江も当然だが、なによりここまで言い切る岩沢のことを信じよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひさ子ー!頑張れー!」

 

体育祭は着実に進み、もう今ひさ子が出場しているクラス対抗リレーの予選(午前に予選、午後に決勝がある)を合わせても午前の競技は残り3つだけとなった。

 

これが終わればもう後の2種目にはSSS部のメンバーが出る競技はない。

 

つまりこれが終われば、もうライブに向けての準備を始めることになる。

 

「おぉぉぉ!ひさ子すげぇ!」

 

そうこう考えている間にひさ子が5位から一気に追い上げまさかのトップでのゴールを飾っていた。

 

バトンを受け取りぐんぐんと追い抜く様は、これこそがごぼう抜きと言うのだと言わんばかりの走りだった。

 

「さすがひさ子さんね。じゃあ皆、行くわよ」

 

ひさ子の奮闘を見届け、ゆりが満足そうに頷きながら立ち上がる。

 

それに続き、皆も立ち上がって移動を始める。

 

「段取りはさっき確認した通り。誰かもう忘れちゃったなんていうおマヌケさんはいるかしら?」

 

歩きながらのその問いには誰も答えない。

 

それを見てよろしい、と一言呟く。

 

「じゃあ、ガルデモの皆も大丈夫?」

 

「ああ」

 

「バッチリバッチコイですよ!」

 

「…はい」

 

岩沢、関根、入江と答えていくが…

 

やっぱり入江はまだ…

 

「…じゃあガルデモと柴崎くん、直井くん、大山くんは先に部室に行って楽器の準備よろしく」

 

「?ゆりっぺ、皆で行ってはダメなのか?」

 

「あなたは黙ってなさい!…ほら、早く行く!」

 

「あ、ああ」

 

何も察さずに問いかけた野田を一蹴して俺たちを急かす。

 

これはその間に入江をどうにかしろってことか…

 

とは言っても…俺に出来ることなんてないぞ…

 

「ごめん柴崎くん、ちょっとトイレ行ってきてもいい?」

 

どうする?と頭を悩ませながら部室に向かっていると、横から大山がそう訊いてきた。

 

「そりゃまあ、すぐに戻ってくるならいいけど…」

 

「ありがと、じゃあ入江さん、ちょっとついてきて」

 

「え、ええ?!」

 

グイッと少し強引に入江の手を引いて校舎の方に向かっていく二人。

 

そういうことか…

 

「あんまり遅くなるなよー」

 

「うん、分かってる!」

 

なら言うことはない。

 

あとは任せだぞ、大山。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと大山さん…?」

 

「あ、ごめんね。いきなり引っ張って来ちゃって」

 

とにかく人の少ない場所に移動し、少し強引に引っ張っていた腕を離す。

 

「い、いえ、それは良いんですけど…どうしたんですか?わ、私トイレのお手伝いは出来ませんよ?!」

 

「ちょ、ちょちょちょちょっと!変なこと大声で言わないで!」

 

いきなりギョッとするようなことを言われ慌てて口を手で塞ぐ。

 

「ん、ん~!ん~!」

 

「あ、ご、ごめんね」

 

口を塞がれたことに驚いたのか、すごい勢いで暴れられ慌てて手を離す。

 

そんなに強く塞いだつもりはなかったのだけど、入江さんの顔は真っ赤になっていた。

 

そんなに苦しかったのか…女の子相手なんだから気を付けないと…

 

「で…あの、トイレじゃないのならどうしたんですか?」

 

「うん、あのね入江さんが思い詰めてるみたいだったから、ちょっとお話でもして気を紛らわそうかなって」

 

「…やっぱり分かりますか?」

 

なるべく深刻そうな雰囲気にならないよう努めたが、僕がそう切り出すとたちまち入江さんの顔は暗くなってしまった。

 

「皆、凄いです…」

 

「確かに皆上手だよね」

 

「そうなんですけど、そうじゃなくて…技術よりも精神的なものが凄いです」

 

「ああ…そうだね」

 

「私だけなんです…!」

 

グッと唇を噛み締めて声に怒りの色が乗り始める。

 

それは自分への怒り。

 

情けない自分を痛めつけるように更に噛み締める。

 

「私だけが、弱いんです…!皆これで失敗したらマズイって聞いても平然としてるのに、私だけ焦って…ミスして…!」

 

そして1度堰を切るとそれは止まらない。

 

「今日まで沢山時間があったのに、まだ怖くて震えて…こんな私がすごく惨めです…!」

 

ついにはその目から1滴、2滴と涙が浮かんでは落ちていく。

 

それを見られたくないからか、しゃがみこんで自分の膝に顔を埋める。

 

「もう、嫌です…」

 

きっとライブを告げられたあの日から今日まで、ずっと自分を責めていたんだと思うと、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚が襲ってくる。

 

気づいた時にはそっと入江さんの頭に手を置いていた。

 

そして腫れ物を触るように優しく撫でる。

 

「入江さんは…頑張ってるよ」

 

「それは…皆そうです。私だけじゃないんです」

 

「ううん、人一倍頑張ってるのを僕は知ってるよ」

 

そう言って、思い浮かべるあの光景。

 

「誰もいない朝早くから練習してたもん」

 

「───っ」

 

夢のせいで早くに学校に着いたあの日。

 

扉を開けたそこには鬼気迫る表情でドラムを鳴らす入江さんがいた。

 

あの日だけじゃない。

 

それから毎日僕は朝早くに学校に行ったが、入江さんは毎日一心不乱にドラムを叩いていた。

 

あれが頑張ってると言えず、何を頑張ってると言えるのか。

 

「邪魔しちゃ悪いと思って声はかけなかったけど、見てたよ」

 

本当はすぐにでも声をかけたかった。

 

あまりにも真剣なその面持ちは、どこか辛そうに見えたから。

 

ドラムが好きだと、ドラムを叩いてる時だけは自分を晒け出せると言っていた入江さんにはもっと楽しそうにしていて欲しいと思ったから。

 

でも、これはきっと自分で乗り越えなきゃいけないことだと思った。

 

そしてギリギリまで待とう、そう思った。

 

だから柴崎くんにそれとなく入江さんのことを言われた時も、知らないふりをした。

 

だけど、今日まで入江さんが笑いながらドラムを叩くことはなかった。

 

もうギリギリまで我慢した。

 

だから僕は手を差し伸べる。

 

「入江さんは何が怖い?失敗?」

 

僕の問いに顔を埋めていて分かりにくいが、コクリと頷いた。

 

「確かに怖いと思う。自分のミスで何かが壊れるかもしれないプレッシャーは怖いよね」

 

そんな経験はないけど、想像に難くない。

 

「でも入江さん、入江さんは今日まですごく頑張ってたよね。真剣に真剣に、本当怖いくらい真剣に…その練習だけは信じても良いんじゃないかな?失敗するかもしれないプレッシャーを乗り越えるくらいには、信じても良いんじゃないかな?」

 

「でも…」

 

顔を上げることなく、少し掠れた声で口を開く。

 

「結局上手くいかなくて…」

 

「自分を信じられない?」

 

またコクリと頷く。

 

「じゃあ、僕を信じて」

 

「え…?」

 

ようやく顔を上げてくれた。

 

「前に言ったの覚えてないかな?入江さんが何か言われても、僕が何とかするって言ったの」

 

「…覚えてます」

 

「だからもし、今日入江さんが失敗して、誰かに何かを言われたら、僕が守るよ。絶対に入江さんの努力を否定させないから…ちょっと怖いけどね」

 

格好つけ過ぎたと思って最後に本音をつけ足す。

 

ああでも背中を押すためなら格好つけ過ぎくらいの方が良かったかな…

 

「ふふ…あははは」

 

そう不安になりかけた時に入江さんの口から笑い声が漏れる。

 

「ありがとうございます…なんだか気持ちが軽くなっちゃいました」

 

まだ目尻には雫が残ってはいたが、にっこりと柔らかい笑顔を浮かべた。

 

トクン

 

それを見た瞬間、今まで感じたことのない、だけどよく知っているような感覚が胸に走った。

 

なんだろうこれ…?

 

何故か顔も熱くなってきて、トクントクンと胸の高鳴りは大きくなる。

 

分からないのに、すごく心地良い。

 

「大山先輩」

 

「は、はい?!」

 

感じたことのない胸の高鳴りに気を取られ、声をかけられると素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「私は頑張りましたか…?」

 

もう既にその答えは口にしていたけど、今この時に言ってもらうことが彼女にとって大切なんだと直感で思った。

 

「頑張ったよ」

 

だから迷わずその言葉を口にする。

 

「すごく頑張ったよ」

 

さらに念を押すため、もう一度繰り返す。

 

すると胸に手を当て、数瞬目を閉じる。

 

「…もう、大丈夫です」

 

そしてゆっくりと目を開けてそう僕に告げた。

 

「もう怖くないです」

 

「そっか!良かった!じゃあ…」

 

皆のところに戻ろう、と言おうとした時、グラウンドの方からざわざわと声が聞こえてきた。

 

時計を確認するともうライブの予定時刻に差し迫っていた。

 

「や、やばい!入江さん!」

 

なりふり構っていられず、ぐっと入江さんの手を握って走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ、はっ」

 

私の手を引く大山さんの手は男の人の手にしては少し小さくて、それでも私の手よりは大きくて、安心する。

 

そしてそれ以上にドキドキする。

 

このドキドキはきっと走っているからじゃない。

 

もちろんライブ前の緊張でもない。

 

これは…

 

「入江さん!あとちょっとだから!」

 

体力の無さそうな私に気を使ってか、スピードを緩めずこちらを振り返って声をかけてくれる。

 

「は、はい!」

 

その笑顔を見てより確信する。

 

私は…大山先輩が好きなんだ。

 

思えばこの前何を言われてもなんとかすると言ってくれた時には、もう意識していた。

 

その優しい言葉と、笑顔を。

 

「あ、いた!」

 

大山先輩が指差す方向を見ると、グラウンドの中心にもう岩沢先輩たちが集まっていた。

 

その周りにはこの昼休みにご飯を食べようとしていた生徒の家族たちや、ざわめきを聞きつけた生徒たちの人だかりが出来ていた。

 

「うわ、すごい人の量だね」

 

「そうですね」

 

その量はただでさえ多い全校生徒の数よりもさらに多く見える。

 

「緊張してる?」

 

「いいえ…全然」

 

訊かれて胸に手を当てても、緊張の類いのドキドキは感じられなかった。

 

もう怖さはなくて、ただ大山先輩に引かれている手の温もりが私を満たしていた。

 

「じゃあ、もう大丈夫だね」

 

そう言っておもむろに走っていた足を止める。

 

そしてぱっと繋いでいた手も離す。

 

大好きなその手の離れる感覚に寂しさを覚える。

 

「もうすぐそこだから」

 

言われて見てみれば確かに岩沢先輩たちのところまでそう距離は無かった。

 

「…はい」

 

そうだ。私はここから一人で行かなきゃダメなんだ。

 

大山先輩からもらった勇気を証明しなきゃいけないんだ。

 

ぐっと目を瞑り、ゆっくり目を開ける。

 

「行ってきます」

 

「うん。いってらっしゃい」

 

最後に大山先輩はぽん、と優しく背中を押してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おまたせしました!」

 

「入江!遅いぞ!」

 

「みゆきちぃ~!このまま来なくてライブ出来なかったらどうしようかと思ったぞ!」

 

「ごめんなさい…」

 

見物の人混みを掻き分けて皆の下に駆け寄ると、案の定どやされてしまう。

 

申し訳無さすぎてただただ頭を下げるしか出来ない。

 

「入江」

 

「は、はい!」

 

すると不意に岩沢先輩に名前を呼ばれて顔を上げる。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「え、あ…はい。もう大丈夫そうです」

 

怒られるかと身構えていたらそういう風でもなく拍子抜けする。

 

「なら良い」

 

そう言って立て掛けていたギターを肩に掛ける。

 

「さあ、お客さんもお待ちかねだ。そろそろ始めようか」

 

「はいよ」

 

「了解でーっす」

 

「は、はい!」

 

皆岩沢先輩の言葉を聞いて自分の立ち位置に戻っていく。

 

私もそれに続いてドラムを前にして座る。

 

そこで初めて見物の人達を正面から見据える。

 

すごい人…だけど、大丈夫。

 

すぅ~っと深く息を吸う。

 

大山さんに押された背中から血液が流れ出していくような感覚。

 

目を開けると、周りが輝いてみえる。

 

まるで翼でも生えたみたいに視界が広がって見えた。

 

「あ、入江」

 

「はい?」

 

唐突になにかを思い出したように声をかけられ岩沢さんの方を見る。

 

「皆で1つの音を作るのがバンドだぜ」

 

「…ですね!」

 

そうだ。私は一人なんかじゃないんだから。

 

「さあ、派手にやろうぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきまでの浮かない顔が嘘のようにイキイキとしている入江の姿があった。

 

大山がうまくやってくれたんだろう。

 

結局、信じていた岩沢が正しかったってことか…

 

 

『いつまでこんな────』

 

そして、途方もない数の人の群れの中心でアイツは歌っていた。

 

初めはその全員がなんだこれは?と疑心の目で見ていたはずなのに、今はもれなく熱狂の渦の中にいる。

 

こんな光景見たことがない。

 

そのはずなのに…何でだ…?

 

あの熱の中心で歌う姿に既視感を覚える。

 

誰か他の歌手のライブなんかと被って見えてるのか…?

 

つってもライブに行ったことなんかねえし…

 

「あ、柴崎くん、直井くん!」

 

「おー、大山」

 

「貴様!よくおめおめと顔を出せたな!貴様が遅れたせいで…ふがふが」

「はいはいすぐにそうやって責めるな」

 

つい考え事に耽っていると、大山が駆け寄りながら声をかけてきて、そこで我に帰る。

 

そして恐らく入江などのことに関して一切気づいてない(気にしてない)であろう直井が早々に噛みつき始めたので口を塞いで止める。

 

「あはは、ごめんね。準備さぼっちゃって」

 

「良いんだよ。準備なんかより入江の方が大事だろ」

 

「へ?!あ、ああ~そうだね!そりゃそうだよね!」

 

「貴様、何を一人で慌ててるんだ…?」

 

こればっかりは直井の言う通りだった。

 

何故か分からないけどやたらとそわそわしている。

 

ぶっちゃけかなり挙動不審だ。

 

「ま、まあとにかく、ライブも上手くいってるみたいでよかったよね」

 

「ああ、そうだな」

 

少し話の切り換え方が強引な気もするが、確かに大山の言う通りライブは既に成功といっても良いくらいに盛り上がっている。

 

ちらほらスマホやカメラで動画を撮っている人もいる。

 

これはまさに仲村が意図していた通りの光景だろう。

 

「あとはこれがどう広まるか、だな」

 

「そうだね」

 

「まあ中々上手くはいかないでしょう。こういうものは生で観ないと伝わりにくいものがありますから………なんですか?」

 

「いや…やけにまともなことを言うなと思って」

 

いつも人を貶すような口調が多い中、今のはあくまで客観的な視点での意見だったため思わず無言になってしまったのだ。

 

「ちょっとどういう意味ですかぁ?!」

 

もういいです、と不貞腐れて片側の頬を膨らませている直井にすまんすまんと片手で拝む。

 

きっとコイツも岩沢たちの音楽を認めていたんだろう。

 

じゃなきゃ客観的な物言いなんてせずにばっさりと上手くいくわけがないと切り捨てていたはずだ。

 

これだけ周りに関心のない直井でも認めざるを得ない岩沢たちの音楽。

 

そりゃ大抵の人達は虜になるか。

 

「なんだか遠くなっていくような気がするね」

 

「なにがだ?」

 

「ガルデモの皆だよ。今までは同じ部活の仲間だとしか思わなかったけど、多分これからは学校でもかなりの有名人になるだろうし、そうなるとなんだか遠くの人みたいに感じない?」

 

「ああ…そう、だな…」

 

あれ?なんだこの感じ…?

 

大山の言葉を聞いた途端、胸の奥に嫌な感覚が走った。

 

遠くなっていく…?

 

いやいや、そんなのもっと先の話だろ。学校で有名になったくらいでそんな急に離れなきゃいけなくなるわけでもあるまいし。

 

それに、遠くなろうがどうしようが俺の知ったこっちゃねえし。

 

そう頭のなかで否定して気を取り直す。

 

その頃にはもう歌は終わっていて、岩沢が最後に聴いてくれた人たちに向かって言葉をかけていた。

 

『今日はこれで終わりだけど、また何度かこういう風に歌う機会があるだろうから、その時はまた聴いてほしい。最後まで聴いてくれてありがとう!』

 

そう岩沢が言うと、ウォォォ、と耳をつんざく程の量と大きさの声と拍手の音が学校中に響き渡った。

 

 

 

 




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「岩沢ぁ!」

いつもよりかなり時間がかかってしまい申し訳ありません。少し長くなりましたがよろしければどうぞ


「皆お疲れさま!」

 

熱狂のままライブは終わり、全員で急いで楽器やその他諸々の片付けを終わらし、仲村から労いの言葉をかけられる。

 

確かに疲れた…

 

何が疲れたって、岩沢達と同行しながら楽器を片付ける時にどうやらライブに感激した奴らが押し寄せてきたのを止めるのが大変だった。

 

圧倒的な人の数はもちろん岩沢達の熱気にあてられたのか、狂ったような力で突っ込んできた輩がいたのも骨を折った。

 

最終的に俺たちだけでは抑えきれず、先生たちも鎮静に加わってくれた。

 

男の俺たちや大人の先生たちでさえあちこちが痛むほどの力で突っ込んでくるんだ。これが岩沢たちに直接当たりでもしたら大事になるところだ。

 

なんだか警備員の大変さを思い知ったぜ…

 

「ライブは大成功。今日だけでかなりの数のファンを手に入れられたはずよ」

 

「ふふーん、まあこのしおりんにかかればお客さんを魅了するなんてお茶の子さいさいですよ!」

 

「貴様のファンなんて一人も出来てないだろ。目立ってないのに」

 

「なっ?!確かに花形はボーカルかもしんないけど分かる人には分かるはず!このしおりんの悶絶テクニック!」

 

「ふん、貴様の自意識の高さに悶絶するわ」

 

「な、なにをぅ?!」

 

「はいはいうるさーい」

 

もうこういう小競り合いには馴れたもんだという風に二人の間に割って入る仲村。

 

「誰のファンとかどうでもいいけど、とにかくファンは出来た。今後はここまでの規模でなくとも定期的に演奏を聴いてもらうように計らってみるわ」

 

「ゲリラライブ、だね?」

 

「そうね」

 

岩沢と仲村が、にっ、と顔を見合せ笑みを浮かべあう。

 

「げっ…」

 

今日みたいなことを定期的にとか…そのうち誰かしらに殺されかねえぞ…

 

同じことを思ってか大山や直井も顔を青くしていた。

 

「今げっ、って言った若干1名の処分は後に回すとして」

 

「マジで?!」

 

「マジよ。さ、そんなことは置いといて」

 

俺にとっては死活問題なんですけど…

 

「ライブは無事終了。残すは怪我なく体育祭を終えるだけよ。あっと、岩沢さんはもう一頑張りだったわね」

 

わざとらしく忘れてたふりをかまし、さらに痛々しくウィンクを決めてきやがった。

 

「ゆりっぺのぉ…ウインク…ぐはっ!」

 

それで鼻血を噴出させたバカ1名はもう放っておこう。

 

「ああ…!他の奴らには悪いけど、勝たせてもらうぜ…!」

 

そして何故かライブよりも闘志があふれでてるように見えるバカ1名ももう放っておこう。

 

しかし…

 

「アイツが勝ったらデート、かぁ…」

 

嫌だなぁ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「岩沢さんって凄かったのね!」

 

「歌上手すぎだろ!」

 

「ねえねえ、歌手目指してるの?!」

 

「ひさ子さんもすごいギター上手なのね!」

 

「はぁはぁ…お姉さま…私は、私はもう…!」

 

「ちょっと待ってくれ、一度に言われても聞き取れないよ」

 

午後のプログラムが始まる直前、急いで昼飯を終えて自分達のクラスの下に戻るとあっという間に岩沢とひさ子は囲まれてしまった。

 

どちらかというと、やはり目立つボーカルの岩沢の方に固まっている印象ではあったが、ひさ子の所にも相当な数の生徒が集まっていた。

 

これは止めなきゃダメか?と、ちらりと仲村の方を窺うと、特に何も動きを見せない。

 

多少のファンサービスは必要ってことか。

 

まあもう午後の種目が始まるまで時間もないし大丈夫か。

 

しかし、この様子を見る限り関根と入江も囲まれてるだろうな…

 

そう思い関根たちのクラスの方を見てみれば、やはり人だかりが出来ていた。

 

案の定直井はそれに無関心を貫いている。

 

まあ今回はそれで問題なしだからいいか。

 

『午後の部開始します』

 

少しノイズの混じった声が校内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育祭は順調に進む。

 

それにつれて少しずつ私の心も沈んでいく。

 

何故かと訊かれれば、答えは簡単だ。

 

騎馬戦が近づいているから。

 

さらに詳しく言うのならば、騎馬戦で岩沢さんが勝った場合を考えると、どんどん気分は滅入っていく。

 

もし勝ってしまえば柴崎さんと岩沢さんがデートをすることになる。

 

それは、すごく嫌だ。

 

こんな子供みたいな感想しか出てこないくらい、それは避けたいことなのだ。

 

ただでさえ勝ち目の薄い勝負だと、内心では思っている。

 

前世で惹かれあった二人。

 

そんなどこかの漫画や小説などのような運命的な二人の間に割り込もうなど、ましてや恋人の座を奪い取ろうだなんて、どう考えても望みは薄い。

 

フィクションなら、私は確実に負ける立ち位置だ。

 

僅かな希望は、ここが現実だということ。

 

そして、私が一番あの人の隣に居たという事実だけ。

 

それだけが私を奮い立たせる微かな光だった。

 

なのに、もしデートが実行されてしまったらその光さえも消え失せてしまうかもしれない。

 

───怖い

 

柴崎さんが徐々に岩沢さんに惹かれていくのがとても怖い。

 

初めは本当に嫌がっていた。得体の知れない好意に戸惑って、それが恐れにも繋がっていたのかもしれない。

 

でも同じクラスになり、同じ部活に入り、岩沢さんのことを知る機会が与えられて少しずつその好意が偽物ではないことに気づき始めている。

 

今まで完全に疑っていた。

 

何かの冗談かからかっているだけだろうと。

 

それが徐々にほどけていく。

 

もしそれが完全にほどけてしまえばどうなる。

 

きっと柴崎さんは岩沢さんの想いに応えてしまう。

 

そしてそれに感化されて昔の柴崎さんが岩沢さんへの想いに呼応してしまう。

 

その兆しは見え始めている。

 

最近も本当に嫌がっている時はある。

 

だけど嫌がっているふりの時が増えているのだ。

 

それが完全にポーズだけになってしまえばもう私に二人を止める術はない。

 

もしデートがその決め手にでもなってしまえばどうする?

 

そう思うと気分の沈みは止まることを知らない。

 

「あの岩沢って子なーんかいけすかない」

 

「わかるわ~。キャーキャー言われて調子のってるよ絶対」

 

そんな時、どこからかそんな声が聞こえてきた。

 

こういう輩はどこにでもいる。

 

人気者がいれば妬むことしか出来ないような人たち。

 

岩沢さんは人気だとかを気にするような人じゃない。

 

何も知らないくせに勝手なことを。

 

…そう思うのに、なんで私は少し胸が軽くなっているんだろう。

 

恋敵になった途端憎くでもなってしまったのだろうか。

 

あの世界ではファンだったのに、岩沢さんの歌で癒され、活力を得ていたのに。

 

今はこの歌が柴崎さんの胸にどう響いてしまうのかを考えると胸が苦しくなる。

 

私には岩沢さんを批判することが出来ない。

 

それを代わりに誰かがやってくれてスッとしてしまったのか?

 

最低だ…私は…

 

「あの子騎馬戦出るらしいよ」

 

「マジで?じゃあちょっと痛い目見させようか」

 

「────っ?!」

 

キャハハ、と品のない笑い声が耳に届き私は慌てて振り返る。

 

しかし人が多すぎてどの人が喋っていたのかわからない。

 

痛い目…と言ったのか、彼女たちは。

 

軽くなったはずの胸が先程よりもさらに重くなる。

 

なんとかして彼女たちを止めないと、岩沢さんが…

 

「岩沢さん…が…」

 

怪我をすればデートは出来ない…?

 

いやたとえそこまでの大怪我にならずとも、何かアクシデントが起きてしまえば岩沢さんが賭けに勝つなんてこともなくなるのでは…

 

そこまで考えてハッとする。

 

「何を馬鹿なことを…!」

 

とにかく止めないといけない。

 

私はあてもなく人混みに走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさん二人とも。ほれ」

 

「ああ」

 

「サンキュ、気が利くじゃん」

 

午後の部が始まってしばらくするとようやく二人を囲んでいたファンの群れも離れていった。

 

厳密に言うと、仲村の一言で帰らされたのだけれど。

 

その様子を見て、疲れたであろう二人に自販機で買った飲み物を渡す。

 

「すごい人気だったな。正直びっくりしたぜ」

 

「まああたしたちにかかりゃこんなもんだろ。な、岩沢」

 

「ん、ああ…そうだな」

 

手放しの褒め言葉を受けていつもは厳しいことを言うひさ子も多少興奮気味だったのだが、岩沢は少し様子が違った。

 

同意を求める言葉に対し、肯定をしてはいるがどこか上の空という風だった。

 

「なんだ?どうかしたか?」

 

「…いや、なんでもないよ。ちょっと疲れたのかもね」

 

軽く笑みを浮かべてさっき渡した水に口をつける。

 

「おいおい大丈夫か?騎馬戦もあるんだぜ?そんなんじゃ柴崎とデート出来ないぞ~」

 

「おいひさ子!余計なこと言うなよ!」

 

「ふ、ひさ子…悪いけどそれはない」

 

「お、おお?」

 

先ほどの心ここにあらずというような雰囲気から一変し、ゆらゆらと不敵な笑みを浮かべながら立ち上がる。

 

「あたしは柴崎とのデートがかかっているのならたとえ今両手両足を撃ち抜かれていたとしても騎馬戦で勝つ自信がある!!」

 

「頼むから病院行ってくれ」

 

出来れば脳外科に。

 

「そんな心配してくれるのは嬉しいけど例えばの話だよ」

 

「知ってるよ!それを知った上で言ってんだよ!」

 

コイツには皮肉も通じないのか…

 

「柴崎無駄だって。岩沢は遠回しな言葉を理解出来るようなタイプじゃないんだ」

 

「はぁ?」

 

「岩沢は1年の時に数多の男子から告白を受け、全て天然でスルーしてきた女だ」

 

「なんだよそれ…」

 

「まず岩沢には付き合ってください、が通用しない」

 

「なんだ?どこかに行くのに付き合ってって勘違いでもするのか?」

 

「よく分かったな」

 

「はぁぁぁ?!」

 

分かってない、分かりたくもないそんな現実ではありえないほどの鈍感は!

 

「え、あれ告白なのか?」

 

「当たり前だろ」

 

「気づかなかった」

 

可哀想にもほどがあるぞその男子…

 

「でも結局あたしには柴崎がいるから一緒だし」

 

「そういう問題じゃねえだろ…お前、俺に告白してきた時にその対応されたらどうすんだ?」

 

「……………引きこもって歌を作る、かな」

 

「重いのか軽いのかよく分からん…」

 

「もちろん失恋ソングだ。題名は…SHIBASAKIだな」

 

「想像以上に重い!」

 

しかもローマ字表記がめちゃくちゃダサい!

 

危うく俺のせいで日本中の柴崎さんに迷惑がかかるところだった…

 

「つーかお前さ俺にやたらと告白とかしてるのになんで自分がされて気づかないんだ?」

 

「………好きって言わないからじゃないか?」

 

「言ってたよ」

 

熟考したわりに全然違うじゃねえか。

 

「そもそもあたしはあんまり人の話は聞いていない」

 

「ついに開き直ったか…」

 

そして社会を生き抜く上で致命的な欠陥を堂々と宣言するな。

 

せめて申し訳なさそうにしろ。

 

「あと男も柴崎以外興味がない」

 

「ああそうかい。そりゃこれからの人生寂しそうなこった」

 

「え、なんでだ?あたし柴崎がいれば寂しくないぞ?」

 

「はぁ…だから…」

「おいこら何言おうとしてんだ?」

 

「ぐぇっ」

 

『俺がそばにいるわけがねえからだろ!』

 

と、勢いに任せて言いかけたところでひさ子に喉元を掴まれる。

 

「まさかSHIBASAKIなんて曲を作られたいのか?」

 

そのままぐいっと顔を耳のそばに近づけ、そう囁いた。

 

「…………」

 

…それは嫌だ。

 

「分かればいいんだよ」

 

「なに話してたの?」

 

「なんでもねえよ?さ、お待ちかねの騎馬戦だぜ」

 

「もうそんな時間?」

 

無言を了承と受け取ってそのまま何もなかったかのように岩沢と会話を始めだす。

 

「そーそー、じゃあ行くぞー」

 

「ちょっとそんな押さなくても大丈夫だって。あ、柴崎ー応援しといてくれよー」

 

そしてまだ騎馬戦の集合には早かったが岩沢を言いくるめて集合場所に向かい始めた。

 

つーか、応援なんてするわけないだろ…

 

「本当、話聞かない奴だな」

 

初めて会った日、つまり初めて告白された日もそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

『柴崎蒼!お前が好きだ!あたしと付き合ってくれ!』

 

『は、はぁ?!』

 

ついさっき出会ったばかりの名前も知らない美少女に告白される。

 

なんて、まるで漫画やアニメの世界の話みたいな出来事が自分の身に起きた。

 

こんな突拍子もないシチュエーションどころか、一般的な告白だって受けたことのない俺は当然面食らった。

 

なんで俺なのか、そもそもなんで俺の名前を知っているのか、そんな出てきて当然の疑問すら浮かばないほど狼狽えていた。

 

『わ、悪い…さすがに今会ったばかりのやつと付き合うのはちょっと…』

 

こんな歯切れの悪い返事しか出来なかった。

 

それでも明確に断っていることは伝わったと思っていた。

 

『そっか…そうだよな』

 

悲しげな表情を浮かべ、言葉尻も下がっている彼女を見て罪悪感のようなものが胸に渦巻いた。

 

しかしこれでとりあえず無事に断れたのだと思っていた。

 

しかし彼女はすぐさまこう言ったのだ。

 

『じゃあまた明日告白するな!明日も明後日も告白して、いつか好きになってもらう!』

 

『は、はい?』

 

もしかして俺の台詞はなにか勘違いを生んでしまうものだったのか?

 

そう考えた俺はもう一度念押しのつもりで口を開いた。

 

『いや、いくら告白されても付き合うつもりは…』

『大丈夫だ、めげないから!』

 

そういう問題じゃねえ。

 

というのが俺の率直な感想だった。

 

これは明らかにからかわれているのだと確信した俺は一目散にその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその彼女、岩沢雅美は1年経った今も変わらず人の話を聞かずに俺に迫っている。

 

ここまでくれば、もうこれがただからかっているだけとは思えない。それは事実だ。

 

俺が笑ったとそれだけの理由で涙を流したアイツの気持ちは否定してはいけないものだと思っている。

 

だけど、俺はまだいまいち岩沢の想いを受け止められずにいる。

 

理由は岩沢の想いの出所が不明すぎるところだ。

 

そもそも岩沢自体に謎が多い。

 

…いや、これは単に俺が岩沢との接触を絶っていたことが原因か。

 

しかしそれを差し引いたとしてもやはり岩沢が俺のことを好きだという理由が分からない。

 

入学式のあの日、お互いに初対面のはずだ。

 

なのにいきなり好きになった、なんて俺は信じられない。

 

俺は一目惚れってものを信じていない。

 

一目で好きになったということ自体は否定しない。

 

だけどそんな見た目しか分からない状態で好きになった、ある意味ポッと湧いて出ただけの感情なんて、ある日急に無くなってしまうものだろうと思ってしまうのだ。

 

それにアイツは何かを隠している。

 

それもとても重要な何かを。

 

そんな何かを隠している相手を、俺は自分のパートナーには選べない。

 

少なくとも、今は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

……見つからない。

 

あの話し声が聞こえた後、走り回って捜してもその二人らしき人物が見当たらなかった。

 

そもそもヒントも少なすぎる。

 

顔も確認出来てなく、おおよその場所すら声だけでは曖昧で、声からして相手が女子だということしか把握できていない。そんな状況でこの人の量から捜しだすなどあまりに困難だ。

 

元々肉体派とはほど遠い私の体力などそうは持たず、一気に手詰まりになる。

 

どうすれば…?

 

「遊佐、どうしたんだ?」

 

「っ?!」

 

両手を膝について肩で息をしていた私は背後から急に声をかけられ肩が跳ねる。

 

顔を見ずとも声で分かる。

 

「…岩沢さん」

 

「汗だくじゃないか。ウォーミングアップにしては激しすぎないか?」

 

「アホかウォーミングアップなわけねえだろ。遊佐はもうこの後種目なんてないんだから」

 

恐らくもうすぐ召集のかかる騎馬戦のために移動していたのであろう二人。

 

「それもそうか。で、どうしたんだ?」

 

咄嗟に言葉が出てこなかった。

 

それは自分自身の後ろめたさからなのか、今岩沢さんが置かれている状況をどう説明すればいいのか計りかねたからなのか、私には分からなかった。

 

まだ彼女たちは見つけられていない。

 

このままでは岩沢さんが危険な目にあってしまうかもしれない。

 

何をどう話せばいい?そもそも話した方がいいのかどうかそれすらも分からない。

 

もし知らせてしまって変に負担をかけてしまう方が危険なのかもしれない。

 

…そもそも私は私がどうしたいのかが分からない。

 

こうやって悩んでいるのももしかするとどうやって岩沢さんが柴崎さんとデートを出来なくするかを考えてしまっている気がしてたまらなくなる。

 

どの選択肢を選んだとしても、結局私は私の都合のいい選択をしてしまうのではないかという不安が拭いされない。

 

「遊佐?」

 

声をかけられてハッとする。

 

「大丈夫か?体調が悪いなら保険部に行った方がいいぞ」

 

心配されると辛くなってしまう。

 

私とこの人の差をまざまざと見せつけられているようで。

 

「大丈夫です…すみません、岩沢さんに話があるのでひさ子さんは先に行っておいてもらえますか?」

 

「え?まあいいけどさ。じゃあ…先行っとくから、ちゃんと来なよ」

 

「分かった」

 

ひさ子さんは怪訝にしながらも何も追求せず去っていってくれた。

 

「で、話って?」

 

「岩沢さん、率直に言いますが騎馬戦は辞退してください」

 

「…なんで?」

 

「危険なんです。つい先ほど騎馬戦に参加するらしい生徒が岩沢さんが気にくわないから痛め付けるということを言っていたのを聞きました」

 

「それでひさ子を先に行かせたのか」

 

岩沢さんは得心がいったという風に頷いた。

 

きっとそれを聞いたひさ子さんが怒ることを危惧したのだと思っているはずだ。

 

それも少しある。

 

もしひさ子さんがそれで暴力を振るってしまえば、ひさ子さんは良くても停学になってしまう。それは避けなければいけない。

 

でもやはり違う。それだけではない。

 

私はひさ子さんがそれを聞いて平和に解決してしまえば、岩沢さんはなんの障害もないままに騎馬戦に参加できてしまうことを、私は避けたのだ。

 

危険があると知れば何もなくとも岩沢さんはそれに気をつけながら競技を行わなければならない。

 

そういう醜い目論見が確かに私の中に存在してしまっていた。

 

もちろん辞退をしてくれる、もしくはただの杞憂で済むことがベスト。

 

しかし最悪の場合、岩沢さんが怪我をしてしまう可能性が孕んでいることなど百も承知の上でだ。

 

なぜ私はこんなに汚いのか。

 

そして…

 

「そっか、なんで嫌われてるのかよく分からないけど気をつけないとね」

 

「辞退…なさらないのですか?」

 

「しないよ。それくらいで諦められない」

 

「怪我をするかもしれないのですよ?」

 

「それでも、だよ。心配してくれてありがと」

 

何故あなたはそんなに綺麗なのか。

 

私は、心配なんかよりも自分の目的を優先させているというのに。

 

何故それをあなたは疑わないのか。

 

それが私とあなたの、選ばれた人と選ばれなかった人の差だというのか。

 

「じゃああたしも行くよ。ひさ子も待ってるしね」

 

「はい…どうか」

 

今さら私がこんなことを言う資格も思う資格もない。

 

それでも願う。

 

「どうかご無事で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよ始まるわね。柴崎くん、デートする覚悟は決まったかしら?」

 

「んな上手くいくわけねぇだろ」

 

ついに騎馬戦に参加する生徒たちがトラックに入場し、仲村がまるで挑発でもするかのように話しかけてきたので軽くあしらう。

 

そう、上手くいくわけがないんだ。

 

そもそも岩沢にそこまで腕っぷしが強いという印象はないし、ひさ子も敵として君臨しているのだ。

 

…なのに何故か嫌な予感が止まらねえ…

 

「岩沢さん勝てるといいね」

 

「いいわけあるか!」

 

「なんでさ、健気に頑張ってきたことが報われるかもしれないのに」

 

「俺だって健気に断り続けてたろうが」

 

「最近は断りすらせずスルーしてるようなことを健気とは呼べません」

 

「う…」

 

またコイツはすぐに痛いとこを突いてくる。

 

そりゃ悪いとは思うけど、ああも毎日されていると毎度毎度相手をするというのも相当根気がいるのだ。

 

「だから、岩沢さんは根気強く告白してるでしょ」

 

「分かってるっつーの…」

 

それだけを取っても決して嘘ではないことは分かってる。

 

簡単にはぐらかしたりしていいものでもないことだって。

 

「なんでそんなに臆病になってるの?」

 

「はぁ?」

 

「そんなに裏切られるのが怖い?一目惚れから急に目が覚めて捨てられるのが怖い?」

 

「別に、怖いんじゃねえよ…」

 

そう、怖いから付き合わないわけじゃない。

 

本当に今は岩沢をそういう風に見ていないんだ。

 

「でももし自分が本気になっちゃった時のことを思うと怖いでしょ?」

 

「本気になることなんてねえから怖くないね」

 

「はぁ…意固地だなぁ」

 

「うるせえ。ほら始まるから静かにしろよ」

 

別に喋りながら見てても構わないのだが、これ以上どうこう言われるのも耐えきれなくなってきたので適当な理由を作る。

 

恐らく逃げの手段に使ったこともバレバレだが、おとなしくはいはいと引き下がっていった。

 

とは言ってもだ、もう既に騎馬は組み終わっていて今にも始まりそうなのは事実で、そしてこの騎馬戦に俺の命運がかかっていると言っても過言ではないことは確かだ。

 

2回に分けて行われる騎馬戦の1回戦。

 

それに参加する騎馬が所定の位置につき合図を待っている。

 

岩沢とひさ子も今か今かと構えている。

 

「岩沢もひさ子も頑張れよぉ~!」

 

うちのクラスからも激が飛ばされ、いよいよ開始が迫る。

 

俺はとにかく神にでも悪魔でもなんでもいいから頭の中で願っていた。

 

頼むから、誰でもいいから岩沢のハチマキをさっさと取ってくれ!

 

パァン!

 

そして、ついに戦いの狼煙が上がった。

 

勢いよく飛び出していく両陣営の騎馬たち。

 

互いに相手と向き合えば取っ組み合い、頭に巻くハチマキを奪い取ろうと躍起になっている。

 

どこもかしくも拮抗した戦いを繰り広げる中

 

「うぉぉぉすげぇ!!」

 

相手の抵抗などものともしない圧倒的強さの騎馬が2つあった。

 

「ひさ子強え!!」

 

「岩沢さんもすごいよ!音楽が関わらない時のいつものボーッとした岩沢さんじゃない!」

 

アイツなんでマジで強くなってんのぉ…?!

 

『すごい早さでハチマキを奪っていく赤いハチマキをした騎馬が2つ!しかもあれはさっき演奏していたバンドのメンバーです!』

 

実況の放送部員の言う通り、もっともたつくはずの騎馬戦がこの2人によって着実に終わりに近づいていく。

 

『しゅ、終了です!1回戦は断トツで赤組の勝利です!ほとんどあの2人でハチマキを独占しています!』

 

「嘘だろ…?」

 

1回戦を終えた時点で、なんと奪ったハチマキの数は2人とも全く同じだった。

 

「ふふん、デートまであと一歩ね」

 

横からそんな不吉な言葉まで聞こえてきた。

 

いや、これは岩沢の限界を超えた所業のはずだ…きっと2回戦では全然ダメとか…そういう…

 

「うおぉぉぉぉ!すごいぞあの2人!!」

 

「楽器だけじゃなくて運動も出来るなんて!!」

 

「きゃあぁぁぁぁお姉さまぁぁぁぁ!!!」

 

「……………」

 

すごい歓声だ…

 

思わず現実から逃げ回っていた思考が引っ張り戻される。

 

まるでこの場にいる俺以外の全員が興奮の渦の中にいるみたいで。

 

そしてその中心にいるのは、やっぱりアイツで。

 

『なんだか遠くなっていく気がするね』

 

唐突に大山の言葉が思い出される。

 

ここに、いつも俺につきまとうアイツは居なくて、今は皆を熱狂させるアイツがいる。

 

遠くなっていく。

 

それが如実に実感させられた。

 

きっとアイツは、アイツらは有名になっていって、今なんて目じゃないくらい人々を熱くしていく。

 

そうなれば、俺のことなんてすぐに忘れる。

 

…そうだよ。だからお前は俺なんかとデートする必要なんてないんだ。

 

胸に空きかけた、得たいのしれない感情の穴をそう思い込むことで塞ぐ。

 

間違っても勝ってくれるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごい歓声だな」

 

「ああ、ライブみたいだな」

 

1回戦を終えると、なんでだか分からないけど皆が騒いでいた。

 

どうもあたしたちに向けての歓声みたいだけど、関係ない。

 

あたしは音楽以外に対して評価を受けたってどうにも思わない。

 

それにこれは勝たなきゃいけない勝負なんだ。

 

ハチマキの数はひさ子と互角。

 

つまり次でひさ子よりも多くハチマキを取らなきゃいけない。

 

「では騎馬を組んでください」

 

「おっと、時間だ。言っとくけど手は抜かないぜ」

 

「分かってるよ」

 

ひさ子がこういうことで手を抜いたりしないことなんて百も承知だ。

 

そんなことよりも気になるのは、遊佐が言っていたことだ。

 

1回戦は特に何もなかった。これで安心していいものなのかどうか。

 

…いや、そんなことも今は気にしてる場合じゃない。

 

「あと1回、よろしくね」

 

「は、はい!」

 

「こ、こちらこそ!」

 

「が、頑張ります!」

 

同じクラスのはずなのに何故か畏まって返事をしてくる3人の騎馬に跨がる。

 

ふぅ、と軽く1度息を吐く。

 

これでひさ子に勝てれば柴崎とデートなんだ。

 

勝たなきゃいけないんだ。

 

そして早く柴崎と昔みたいに…

 

「位置についてください」

 

委員の子の声で低く構えていた騎馬が立ち上がる。

 

余計なことを考えるのはよそう。

 

集中しなきゃ勝てる勝負じゃない。

 

パァン!

 

勝負の始まりを告げる音が響く。

 

それに反応して騎馬の子たちが相手に向かって走り出す。

 

すぐに相手と向き合うほどに距離は縮んでいき、相手はハチマキを奪おうと手を伸ばしてくる。

 

それを弾き、有無を言わせぬままにハチマキを奪い取る。

 

「次、向こうだ!」

 

下の3人よりも周りを見渡せるあたしが他の騎馬との戦いでてこずっている相手を見つけて指示を送る。

 

3人は指示通り一直線にそこに走り出し、後ろをとる。

 

2対1になった相手のハチマキを容赦なく剥ぎ取る。

 

それを2回、3回と繰り返す。

 

いいペースだ。このままいけば…

 

「きゃ!」

 

悲鳴と共に、ふわっと身体が投げ出される感覚を覚えた。

 

突然のことに思考は追い付いてこない。

 

ただただ頭には、柴崎とのデートが思い浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が先に動いていた。

 

どこからともなく俺の名前を呼んで静止を促す声も聞こえていた。

 

それでも走りだしていた。

 

競技中だとかそんなことは頭の片隅からも消し飛んでいた。

 

見えすぎる俺の眼にはゆっくりにも見える岩沢の落下。

 

でもとてもじゃないが受け止められる距離なんかじゃない。

 

頭から落ちていく岩沢の姿が、嫌というほど眼に焼き付けられた。

 

────落ちるな。

 

─────頼む、誰か。

 

──────誰か受け止めてくれ。

 

そんな願いなんて嘲笑うように岩沢は地面に叩きつけられた。

 

「岩沢ぁ!」

 

俺が岩沢の下に着いたのはそれからおよそ1分後。

 

騎馬戦はもちろん中断され、岩沢の周りを騎馬戦に参加したいた生徒や教師たち囲み始めていた。

 

その人だかりを掻き分け岩沢の下に駆け寄る。

 

「…………!」

 

頭から落ちたことで気を失ったのようで、目を閉ざされ身体もまるで糸の切れた操り人形のようにぐったりと力なく地に伏している。

 

まるで、死んでるように。

 

「ふ…っざけんな!」

 

その姿を見て、自分の中で何かが切れたような音がした。

 

それが糸なのか、堪忍袋の緒だったのかはわからない。

 

俺は一人の女生徒を睨み付ける。

 

岩沢が落ちる直前、ある1つの騎馬が岩沢の騎馬に近づいてきていた。

 

その騎馬の先頭に陣取っていた女子だ。

 

「お前…なんであんなことした!?」

 

「は、はぁ?!何がよ?!」

 

いきなり怒りを向けられわけがわからない…という演技をしている。

 

あくまでしらを切るつもりなんだろう。

 

だが俺は見た。

 

確実に、絶対的に、コイツが先頭に立って岩沢の騎馬に向かって突進していったのが。

 

それも、悪意を剥き出しにしてだ。

 

「お前が岩沢の騎馬に向かって体当たりしてんのくらい見えてんだよこっちは!」

 

「わ、わざとじゃないし…」

 

「しらばっくれんなよ…!お前があの時わら…」

「落ち着きなさい柴崎くん!」

 

『笑っているのが見えてたんだよ』と言おうとしたところを仲村が横合いからぶった切ってくる。

 

「ここでそれ以上揉めてはダメ」

 

「なんで…!コイツが岩沢を…」

 

怒りで言葉の真意を理解出来ずにそのまま反論しようとしたところで襟元を掴まれ引き寄せられる。

 

「あなたの眼のことは誰も知らないのよ。そんな状況じゃあ証拠もなにもないでしょ」

 

そしてそう耳打ちされる。

 

それはまさしく正論で、反論の余地もなく黙らざるを得なかった。

 

怒りで身を焼かれそうになりながら歯を食いしばる。

 

「安心しなさい。あの子はただでは帰さないから」

 

…逆に不安になってきた。

 

だがそのお陰もあって平静を取り戻すことが出来た。

 

「あの、岩沢は…」

 

「軽い脳震盪だ。安静にしていれば直に目を覚ます」

 

「…そうですか」

 

椎名先生の端的な答えを聞いて良かった、と無意識に呟きがもれる。

 

「とにかく岩沢さんを保健室に運びましょう。柴崎くんは目が覚めるまでついていてあげて」

 

「わかった」

 

「あら」

 

「何だよ?」

 

「いや、素直すぎてこっちが驚いちゃったのよ。いつもならなんで俺が、とか反論するところでしょ。せっかくさっきの処分をここで使おうと思ったのに」

 

「いやまあ使ってくれるんなら使ってほしいけど…」

 

確かにいつもなら断ってるところだろうと自分でも思う。

 

でも今はそのいつもの状況じゃなく、岩沢は気を失っていて、そうなった原因の騎馬戦には俺のことが少なからず関わっている。

 

それに…

 

「俺はコイツのマネージャーなんだろ?ならそれくらい付き添うよ」

 

「…そ。なら頼んだわよ」

 

「ああ」

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

一通り会話を終えた俺は担架に乗せられた岩沢についていこうとしたが後ろから呼び止められる。

 

声の主はさっき俺が問い詰めようとした女子だ。

 

こういう奴が何を言おうとするかなんて、大体想像がつく。

 

「濡れ衣着せたんだから謝りなさいよ!危うく悪者になるところだったのよ!?」

 

あまりにも予想と一致していて怒る気すら起こらずただただ呆れた。

 

…もう謝っとこうか…

 

「はいはーい、あなたはこっちよ」

 

「は、ちょ、なによ?!」

 

半ばやけくそというか、なげやりに謝って済まそうかと考えたところで仲村がその女子の肩に腕を回してどこかに引きずっていく。

 

あとは任せなさいとでも言わんばかりにウィンクをしてくる。

 

そういえばただじゃ帰さないって言ってたっけか。

 

ならお言葉に甘えよう。

 

言葉というよりこの場では行為に甘えるということになるが。

 

字面は違うが、ならばご行為に甘えよう。

 

俺は既に保健室に向かっていた担架に追い付くため走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…なにをしているのか、私は。

 

担架の上で横たわる岩沢さんの側につく柴崎さんの姿を見てそう思わざるを得なくなる。

 

結局岩沢を危ない目にあわせ、かと言って自分の目的を達成すら出来ず、ただ不幸を呼び寄せただけ。

 

疫病神かなにかなのだろうか。

 

今回は軽い症状で済んだかもしれない。でも、もし打ち所が悪ければどうなっていたことか。

 

罪悪感が身体中を蝕んでいく。

 

今後どう顔を合わせればいいのか、皆目見当もつかない。

 

私には最低の行為をした自覚がある。けれど岩沢さんにはそんなことをされた覚えがないのだ。

 

そして彼女はきっとまた私に笑いかけることだろう。

 

いつも通り、今までの通り。

 

それがどうしようもなく痛い。

 

光輝くあの人と、泥のように薄汚れている私。

 

そんな差をさらに強く感じさせられることになる。

 

もういっそ諦めてしまえれば良いとさえ思う。

 

なのに…何故この想いは消えようとしてくれないのか。

 

目を閉じればあの人の笑顔が浮かんでくる。

 

いつだって。

 

ならもう私は徹するしかない。

 

岩沢さんの敵となることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これで閉会式を終わります』

 

部屋の外から少しノイズの混じった声が聴こえてくる。

 

そろそろ時間も夕方に差し掛かろうという頃だ。

 

先生たちは岩沢を運び込んでベッドに降ろすと、あとは見ておいてくれと言ってさっさと出ていってしまった。

 

よって、必然的に俺は一人になっていた。

 

いや、ベッドで眠っている岩沢を含めれば二人か。

 

しかしなにかを話せるわけもなく、ただただ手持ち無沙汰に視線をさまよわすことしか出来ず、既に30分は過ぎている。

 

…よく寝てるな。

 

あまりジロジロ見るのも悪い気がするので今まで見ていなかったのだが、つい視線を向けてしまう。

 

すぅすぅと穏やかな寝息をたてて眠る姿は、やはりというかなんというか、美しいものだった。

 

まつ毛長…髪もさらさらしてるし…やっぱ黙ってりゃ美人なんだな…

 

「って、何してんだ俺は…」

 

元々の素材の良さが際立つ寝顔にうっかり見入ってしまっていた。

 

こんな状況でコイツが起きたらまた調子にのりかねない。

 

惑わされるな、コイツは中身はあれなんだから。

 

…ていうか、この状況に見覚えがある気がするのは気のせいか?

 

誰もいない保健室に二人。

 

気を失っている誰かの側についていて、その姿が無防備すぎて…思わず髪に手が伸びて…

 

「ん…」

 

悩ましい声が返ってくる。

 

流石に今はそうはならないけど、そのあと無意識に顔を近づけてしまう…

 

そういう体験を、したような気がする…

 

「いつだっけ…」

 

考えつつ、伸びた手を止めず髪を鋤く。

 

「…しばさき?」

 

「う、おお?!起きたのか?!」

 

うっすらと目を開けた瞬間にバッと手を離す。

 

気づいてない…よな?

 

「ここ、どこ?」

 

「あ、まだ横になっとけって。騎馬戦で頭から落ちて保健室に運ばれたんだよ。それで…」

 

「それで?」

 

「…俺が付き添うことになったんだよ」

 

わざと騎馬から落とされたことは言わないでおこう。

 

知って気分の良い話じゃないはずだ。

 

「そっか…ありがと」

 

「なにが?」

 

「ついててくれて。起きたとき柴崎がいてくれて、すごく安心した」

 

「…あっそ」

 

そっけなく返しはしたが、今のは反則だ。

 

まだ頭が回っていないのか、いつものようなテンションじゃなく、ただ単に本音がもれているだけのような、そんなたどたどしい話し方。

 

それでそんなことを言われては、動揺しても無理ないだろ。

 

「でもそっか…それじゃあ賭けはあたしの負け…なんだね」

 

「え?あ、ああ…」

 

この騒動でそんな賭けのことはすっかり失念していた。

 

いや、賭け自体は覚えてはいたが、そんなものはもう無効だと思っていた。

 

「したかったなぁ…デート」

 

ポツリと呟いて、右腕で両目を隠すようにする。

 

「勝てそうだった、のに…」

 

そして少しずつ声に嗚咽のようなものが混じり始めた。

 

なんでコイツは…そこまで…

 

「悔しいな…」

 

「…はぁ、しょうがねえな…分かったよ。1回だけでいいならしてやるよ」

 

「え…?」

 

腕を退け、あらわになった瞳はやはり涙で滲んでいた。

 

「…あのままいってりゃ結果は分からなかったし、まあ今回は災難だったから、気分転換にくらいなら付き合ってやってもいい」

 

我ながら言い訳がましい上に、何様だと言いたくなるくらいに上から目線だった。

 

なのに…

 

「本当か…?本当にデートしてくれるのか?」

 

なんでそんなに目を輝かしちゃってるんだよお前は…

 

「…それ以上訊いたら気が変わるかもしれないぞ」

 

「…やった。夢が1つ叶った」

 

「大袈裟な…」

 

「大袈裟じゃないよ。本当に夢だったんだ、柴崎とデートするの」

 

一点の曇りもない笑顔を向けられ、どうにも出来ず黙りこむ。

 

「ありがと、柴崎」

 

「…もういいから大人しく皆が来るまで寝とけ。片付けが終わったら来てくれるから」

 

「うん、分かった。おやすみ」

 

「…ああ、おやすみ」

 

そう返すと、驚くほど早く寝息が聞こえてきた。

 

もしかしたら寝不足だったりしたのかもしれない。

 

そんな風には見えなかったが、やはりライブの緊張なんかもあったのだろう。

 

そう思えば、ご褒美くらいあげなければいけないだろ、と無理矢理に理由をたてる。

 

すやすやと眠る岩沢を見て、また手が伸びかけたが引っ込める。

 

…早く仲村たち来ないかな。

 

 

 

 




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「お前明日岩沢とデートなんだってな」

「なあ柴崎」

 

「なんだ?」

 

体育祭の翌日、遅刻ギリギリが多いひさ子が珍しく余裕を持って登校してきて話しかけられる。

 

「お前明日岩沢とデートなんだってな」

 

「ぶふっ!」

 

唐突かつストレートな台詞に思わず吹き出してしまう。

 

「な、なんでそれを…?」

 

ていうか珍しく早く来ての第一声がそれかよ…

 

「普通に昨日岩沢から聞いた」

 

「あの馬鹿野郎…!」

 

口止めするのを忘れていた俺の落ち度もあるけど、それにしたってぺらぺらと余計なことを…!

 

「ふ~ん」

 

そして突如として後ろから聞こえてくる間延びした声に肩がビクッと跳ねる。

 

「蒼デートするの?」

 

「は?いやデートのつもりはねえし、ていうか悠には関係ねえだろ」

 

「つれないこと言わないでよ。僕たち幼馴染みじゃない。そんな面白そ……大事なことを黙っとくなんて酷いなぁ」

 

「…なあそこまで言って言い直す意味って一体なんなんだ?」

 

はぁ…だから知られたくなかったんだよ。せめてコイツだけには。

 

もうニヤニヤしまくってるし、絶対根掘り葉掘り後で聞かれることになるし…

 

「面白そうってのには概ね同意するけど、あたしが言いたいのってそこじゃなくてさ」

 

「おい同意すんなよ」

 

お前の大事な相棒のことだぞ。

 

「明日岩沢の誕生日だって知ってる?」

 

「え?そうなのか?」

 

「やっぱ言ってなかったか」

 

…全然知らなかった。

 

とにかく接点を絶ちまくっていた1年の頃はもちろん、話す機会が増えたここ最近だってそんな初歩的なことさえ聞いていなかった。

 

アイツだってそんなことわざわざ話さなかったし、知るよしもなかったと言えばそうなんだけど

 

「だからアイツあんなにデートに拘ってたのか?」

 

「そうなんじゃない?あたしにはわかんないけど」

 

「乙女だね」

 

今までそんなこと一度も言わなかった岩沢が突然あんなことを言い出したのはそれが理由だったのか。

 

「でも、だったらなんで誕生日だって言わないんだよ?ひさ子に言われなきゃなんにも知らないままだったぞ」

 

「そんなの分かるわけないだろ?あたしもなんとなく言ってないかもしれないから訊いただけでさ」

 

「はしゃぎすぎて言うのをうっかり忘れてた、とか?」

 

「それはないんじゃない?わざわざ岩沢さん自らその日を狙って誘ってるのに」

 

「そりゃそうだよな…」

 

じゃあなんでそんな大事なこと言わなかったんだ?

 

「ていうか蒼は何かしてあげるつもりなの?」

 

「そりゃ知ってたら何かプレゼントくらいはな」

 

「へえ、意外だね」

 

「何がだよ?」

 

「もっと意固地になるのかと思ってさ」

 

言われてみれば…確かに。

 

いつもなら誕生日プレゼントなんて渡したらまた好きだのなんだの言いそうだし、何も用意しない。

 

となってもおかしくない。むしろなってない今の方が違和感を感じる気がする…

 

でも…

 

「…別に。誕生日は祝われる方が嬉しいだろ?」

 

「…そうだね」

 

今回だけ妙に物わかりの良い俺の言動に、悠は何も言わずとも感じ取ってくれたようだ。

 

「なんだかよく分からないけどさ、とにかくプレゼント買いに行くんだな?」

 

「ああ」

 

都合よく今日は体育祭翌日ということもあって午前で授業も終わるし、放課後にゆっくり良さそうなものでも物色出来そうだ。

 

「なら言った甲斐があったってもんだね。まあ精々良いもの選んでやってよ」

 

「そんな良いもの買えねえっての」

 

こちとらバイトをするわけでもなく仕送りでやりくりをしている身だというのに。

 

余裕がないわけではない。むしろ十分すぎるくらいには貰ってる。だけどそのお金を湯水みたいに使う気にはなれない。

 

…だけどまぁ、どうせ渡すんなら喜ばれる方がいいよな。

 

「なぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、事前に連絡で言われた通りの午前10時、その10分前に学校近くの公園についたのだが…

 

既に満面の笑みで岩沢はベンチに座っていた。

 

コイツ…まさか随分前から待っているとか、そんなベタな真似してないよな?

 

これでも気を使って待たせないように早く出たんだけど…

 

つーかそんな笑顔満開でいられると話しかけ辛え…

 

子どもにめっちゃ指さされてるじゃねえかよ…

 

あ、ほら母親が見ちゃダメ、とか言っちゃってるし…

 

はぁ…と、1つ嘆息する。

 

なんか予想通りにめんどくさいな…帰るか?

 

いやいやいや…この期に及んで一体なに言ってんだ俺は…

 

バチッ!と……心の中で自分の頬を張って(さすがに本当にやったら俺まで変な目で見られるし)気合いをいれる。

 

よし

 

「よお岩沢」

 

とりあえず軽く声をかけ…

「柴崎!??」

 

「なんで驚いてんだよ?!」

 

ようとしたのだが予想の斜め上をいく反応に思わずこちらも声を張り上げてしまう。

 

喜び余って大声で名前を呼ばれるくらいで腹を括っていたのに台無しだ。

 

「いや…まさか本当に来てくれるとは思ってなくてさ」

 

「なのにあの笑顔だったのかお前…」

 

「楽しい気分でいれる間に浸っておこうかなってさ」

 

コイツこんなにネガティブ思考だったっけ…?

 

「どうしたんだ?いつもはアホみたいに元気っていうか、前向きな感じだってのに」

 

「だってさ!」

 

「ちょ、なに?!」

 

いきなりずいっと前のめりになり体をこちらに寄せてくる。

 

あ、ちょっと親御さんたち子どもの目を隠すのやめて。そんないかがわしいシーンにならないから!

 

「きっと保健室で言ってたことは気の迷いなんだって、今日になったらやっぱりあたしとは…さ、無理かな…ってさ」

 

「…………………」

 

言いたいことは痛いほど伝わってる。

 

俺が今まで軽く、時に冷たくあしらっていたことがそう思わせる原因を作ってしまったこと。

 

そしてついさっき一瞬帰ってしまおうかと考えたこともあってそれはさらに突き刺さった。

 

のだが…

 

「あの子あんな純情そうな子を…」

 

「目付きも悪いし、弄んでるのよきっと」

 

「ねえ、あの兄ちゃん悪い人なのー?」

 

変なところで言い淀むから質の悪い誤解を生んでしまっていた。

 

「一旦、場所変えような…」

 

「?」

 

流石にこの針のむしろで話の続きをする勇気はさすがになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所が近かったこともあり、とりあえず高校の方へと移動し話を再開する。

 

「…で、お前は俺が直前で気が変わるだろうなと思っていたと?」

 

「うん」

 

再開したものの、どう答えたものか。

 

直前で帰ろうかと頭に過ったのは確かだし、かと言ってそれは岩沢の満面の笑みに周りが引いてるのを見て近づくのに躊躇っただけだし…

 

…いや、言い訳はよそう。

 

そもそもそう思わせてた原因が俺にある時点で何もかも俺が悪いんだから。

 

「…悪い」

 

「え、ちょっとやめてよ。あたし気にしてないし、頭上げて」

 

「いや気にしろよ、本当に好きなのか…?」

「本当に大好きだ!!」

 

「そこだけ歯切れいいなお前は!?」

 

さっきまではやたらと歯切れ悪かったくせに…

 

「本当のことだからね。本当に好きだから、もし来なかったとしても次は絶対デートしてやるって、諦めないって思えるんだよ」

 

「でも…それでも俺が悪いことをしたことには変わりないだろ」

 

「そんなことないよ。結果的に来てくれてるし。あたしが無理矢理取り付けたようなものなのにさ」

 

「全然違うだろ、今回は俺が行くって決めたんだから」

 

「それはそうだけど…ほら、そう言ってくれたのはあたしが落ち込んでるのを見て気遣ってくれただけだしさ」

 

「それは…」

 

…そうなんだけど、でも決めたんならそれを直前で曲げようなんて思っちゃ駄目なんだ。

 

それなら初めから断るべきで、それが一番誠実な行動だ。

 

悠に言われたように、コイツが頑張ってくれてることを軽く考えちゃ駄目なんだ。

 

そもそも付き合うつもりもないのにデートを受けるこの行動自体が誠実でないと言われればそれまでなんだが、そこは今言ってもしょうがないことだ。

 

とにかく、今悪いのは俺だという事実が大事で、重要なんだ。

 

「じゃあせめて何かして欲しいこととかないか?」

 

「え?して欲しいこと…?」

 

「そう。俺に出来ることならなんでもするからさ」

 

「じゃあ付き合っ」

「それは無理だけども」

 

「冗談だって」

 

それはどうだかな…

 

「う~ん…じゃあ1つ」

 

「なんだ?」

 

今の俺はコイツの犬ぐらいの気持ちだ。

 

なんでも願いを叶えてやるという気合いで燃えている。

 

犬だから付き合うことは出来ないけど。

 

「今日は目一杯楽しんで欲しい」

 

「は…?」

 

予想とは逆方向の衝撃で口があんぐりと開いてしまう。

 

コイツのことだから、軽くても『パフェをカップル食いしたい』だとか『手を繋ぎたい』だとか、そういう類いのお願いがくるものだと腹を括っていたのに。

 

「気を使わなくてもいいんだぞ?今日くらいは本当に付き合う以外なら大概のことは付き合うぜ?」

 

「はは、それは嬉しいけどさ、そういうことは本当に付き合えた時に取っておきたいんだ」

 

偽物じゃ意味がないから。

 

と、柔らかく微笑む。

 

「…そっか」

 

これはさすがにいつもみたいに皮肉を言ってはいけないと感じた。

 

今日俺がしてしまったことの反省だとか、そういうことなんて関係なしにそう感じさせられた。

 

さっきの付き合ってというのが冗談だということが本当のことだということも如実に伝わってくる。

 

偽物じゃ意味がない、本物の気持ちでなければそれは価値がない。

 

そう思える人がどれだけいるものなのか。

 

きっと、好きな相手と付き合えるのならお試しだって何だって構わないと思う人も大勢いると思う。俺はおそらくそっち側の人間だ。

 

でも違うんだ、コイツは。

 

それだけ人の想いってのを大事にしているんだろう。

 

ならそれには、いくら今まで真剣に向き合わなかったとはいえ、今回ばかりは誠実であるべきだろう。

 

「わかった。今日は純粋に楽しむよ」

 

「そうしてくれ。あとさ、楽しくなかったら言って欲しい」

 

「え?ああ、そりゃいいけど、良いのか?」

 

こう言ってはなんだが、まともな所に連れていかれる気がまるでしていないから駄目だしの嵐になりそうなんだが。

 

「あたしは楽しみたいんだ、柴崎と二人でさ」

 

「…了解、おかしな所があっても指摘するからな?」

 

「任せといて、抜かりはないからさ」

 

余程の自信からか不敵な笑みを浮かべる。

 

…とてもじゃないけどデートの話をしてる表情ではないな。

 

そしてそこはかとなく不安だ。

 

まあいい、納得出来なければその時は口にすればいいんだから。

 

「じゃあまず昼ごはんでも食べようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩沢に連れられたのはおおよそ男女二人で、それも仮にもデートという名目で来るにはとてもそぐわないような古ぼけた店…ではなく、普通に洒落たレストランとカフェの中間のような飲食店だった。

 

店内には確か今人気のあるらしい外国のアーティストの軽快な音楽が流れている。

 

周りを見渡せば女子会と思わしき女子のグループや、若いカップルなどで席が埋まっていた。

 

……落ち着かねえ…!

 

「な、なぁ」

 

「ん?」

 

この空気に耐えかねてメニュー表を壁にするようにして小声で岩沢に呼びかける。

 

「本当にここでいいのか?」

 

「え?何かおかしいか?」

 

「いやおかしいっつーか…」

 

おかしいかと訊かれればまともだと答えるしかない。

 

これほどデートという雰囲気にマッチする店もそうはないだろう。

 

しかしそれは普通の女子なら、だ。

 

「嫌なら場所変える?」

 

「いや、嫌じゃないんだけど」

 

「けど?」

 

なんか想像と違いすぎて困惑する。

 

岩沢がこんなオシャレな場所に案内してくるだなんて誰が予想しよう。

 

今日は予想の逆をつかれまくっている。

 

だから余計に落ち着かないのか?

 

…うん、そうだな。店がまともだし言うことないはずだ。

 

「いやなんでもない。ここのオススメとかあるか?」

 

「ああ、パスタが美味しいんだってさ」

 

「パスタね」

 

パスタパスタ…とメニューをめくる。

 

あ、あった…って…

 

「ず、随分種類が豊富なんだな」

 

なんだが普段じゃ耳にしない単語が入り交じったパスタばかりだ。

 

パスタってスパゲッティのことだろ?ナポリタンとかミートソースとかじゃねえの?

 

「決まった?」

 

「え?あー、岩沢は?」

 

「あたしはこれかな」

 

岩沢が指をさしたのは、和風がどうのこうのと書いてあるパスタだった。

 

和風…まあ和風って言うんなら日本人の口に合うよな。

 

「じゃあ俺もそれにするかな」

 

「決まりだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

それから注文して数分経ち、パスタが俺たちの前に運ばれてきた。

 

「いただきます」

 

「あ、いただきます」

 

礼儀正しくそう言葉にする岩沢につられるように俺も一言口にする。

 

普段一人で食う時にはそんなこと言ったことないな…たまに帰ってくる親父もあんまりそういう礼儀作法にこだわるタイプじゃないし。

 

少しの戸惑いを感じながらもパスタを口に運ぶ。

 

「あ、旨い」

 

「本当だ」

 

和風というのは醤油ベースのソースのことをいうようで、しつこくないさっぱりした味と添えられているキノコが非常に合う。

 

オシャレでしかも旨いんならそりゃこれだけ人も来るか。

 

女性を主なターゲットとしてるのか、量はそれほど多くなく、あっという間に食べきってしまった。

 

「食べるの早いね」

 

「そうか?男はこんなもんじゃないか?ていうか、お前食べるの遅いな」

 

岩沢の皿を見てみれば、まだ半分ほど残っている。

 

「うん、あたしあんまり食べないからさ。よかったら少し食べてくれない?」

 

「まあいいけど」

 

そう言ってただでさえ半分ほどしか残っていなかったパスタの更に半分を俺の方に取り分けた。

 

コイツもそういう女子っぽいところあるんだな。

 

「しっかり食べないと栄養足らなくなるぞ?ただでさえ細いのに」

 

「ごめん、ありがと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、次どこ行くんだ?」

 

昼飯を食べ終わり店を出てそう訊ねる。

 

「えっと…確か次は映画館」

 

えっと?確か?

 

…まあいいか、ちょっとど忘れしただけだろ。

 

あ、ど忘れといえば誕生日のこともあったんだったな。

 

どうしようか…でもこういうのはやっぱり最後に渡すもんかな?荷物になったりしちゃ悪いし。

 

うん、そうしよう。

 

にしても…

 

初夏故か、淡い紫の薄手のパーカーの中に白いシャツ。

 

そしてデニムのショートパンツ。

 

今日は初めからバタバタしていて注意深く見てなかったけど…コイツ私服シンプルだな…強いて言うなら首にさげてるヘッドホンが少し目を引くくらいか。

 

シンプルとは言ってもそれが悪いというわけでなく、むしろ逆だ。

 

控えめに言っても美人な顔立ちには下手にゴタゴタとオシャレをするよりもシンプルに纏める方がより一層素材の良さが際立っている。

 

何より岩沢の雰囲気にとてもよくマッチしている。

 

「どうした柴崎?あたしの顔に何かついてる?」

 

「え、あーいや」

 

つい見つめてしまっていたことに動揺してしどろもどろになってしまう。

 

「な、何観るのか気になってな」

 

「ああ、それは着いてからのお楽しみってことで」

 

「ふーん」

 

とりあえずこれで変に見定めるようなことをしていたのは誤魔化せたはずだ。

 

しかし何を観るか秘密って…マジで何観るつもりだよ?

 

まあ、コイツのことだ。ちょっと変わった映画とか、どこかの有名なバンドの半生とか、そんなところだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴリッゴリの恋愛ものだった。

 

それも最近やたらと話題になっていたらしい(そういう流行りには疎いんだ)少女漫画原作のものだった。

 

まあ確かに普通に面白くはあったけど…岩沢が恋愛映画…?

 

いやおかしくはないのか?現に恋しているんだし、そういう映画に興味を持つのは普通のことか?

 

いやだが相手は岩沢だ。

 

恐らく一年の頃の俺なら、岩沢が恋愛脳な奴なんだと思っていただろうが、今は違う。

 

この数ヶ月で嫌というほど分かっている。

 

コイツは音楽キチだ。

 

基本的に生活の全てが音楽を軸にして回っている。

 

少なくとも関根や入江等からこういう流行りものの話を振られた時はまず間違いなく知らない。

 

映画の題名を聞けばそれは何かの食べ物なのか?という返しをしてくる。

 

さらに言うなら、コイツは恋愛沙汰に疎い。

 

自分が恋しているはずなのだが、とにかく他の誰か、特に関わりの薄い人間のものにはまるで気づかない。容赦なく言ってしまえば興味がない。

 

そんな奴がわざわざ自分の意思で恋愛映画を観たがるだろうか?

 

もちろん好きな相手となら観たいと、もしかしたら思う可能性だって僅かにある。

 

現実とフィクションは別だと考えている可能性だってある。

 

だが、昼飯のオシャレな店といいどこか岩沢らしくないものが続いている。

 

極々一般的で、本来ならなんの文句もないのだが、しかし今日は冒頭から岩沢は宣言していた。

 

二人で楽しみたい、と。

 

ならば言わないわけにはいかないだろう。

 

「岩沢」

 

「ん?なに?」

 

笑顔で映画の感想を語っている姿が必死に映るのは俺の先入観からか。

 

それを呼びかけることでやめさせ、こちらに向きなおさせる。

 

「次、どこ行くつもりなんだ?」

 

「次か?次は遊園地だ。夕方からなら半額らしいから、時間的にもちょうどいいだろ?」

 

「…嫌だ」

 

「え?あ、そっか。ごめん、遊園地嫌いだったか?」

 

違う、と首を横に振る。

 

「お前が楽しくなさそうだから嫌だ」

 

「え…」

 

俺の言葉に心なしか顔を強張らせる。

 

これが俺の思い違いでないなら、図星ということだろう。

 

「そ、そんなことないぞ?あたし柴崎と居れてすごく楽しいし」

 

「そういうことじゃなくてだな…俺と居て楽しくなさそうっていうわけじゃなくてさ、昼飯の時もさっきの映画もなんか無理してるように見えたんだ」

 

唯一無理をしてないように見えたのは昼飯を終えて話をしながら映画館に向かう道中くらいのものだろう。

 

つまり目的としてるはずの場所が岩沢にとっては無理をしなければならないものだったということになる。

 

「お前初めに言ってたじゃないか、二人で楽しみたいって」

 

「──っ!」

 

「だったら最低限お前の好きな場所に行かなきゃ、そんなの無理だぜ?」

 

まずはそこからだろ?と、あくまで怒ったりしているわけじゃないことを分かりやすくするために微笑む。

 

すると、ふぅ…と一つ息を吐き

 

「すごいな柴崎は、よく見てる」

 

そう言って、俺の言ったことが事実だと認めた。

 

「眼だけは良いからな」

 

「ふふ、そうだったな」

 

「で、なんでこんな馴れないところばっかり来たんだ?」

 

「ああ…なんていうか、絶対失敗したくなかったから、女性誌とか買って色々調べたんだ」

 

「それで…」

 

今流行りの店とか映画に来たってわけか。

 

昼飯のメニューも書いてあったものを頼んだんだな。

 

「柴崎に変なやつだって思われたくなかったし」

 

それは今さらじゃないか?とは思ったが黙っておこう。

 

「上手くいってると思ったんだけどなぁ」

 

「音楽キチのお前が恋愛映画って時点で違和感あるって」

 

「ちょっと、反論出来ないじゃないか」

 

「いやしろよ」

 

女だろお前も。しかもJKだろ。

 

「はぁ…でも結構頑張ったんだけど、結局失敗か」

 

「え?」

 

「だってもうこんな時間だし、何よりプランも崩れちゃったし」

 

「それは…」

 

ぐうぅぅぅぅ~

 

ん?

 

「あ」

 

「…お前もしかして」

 

「あはは…実は昼ごはん全然足らなかったんだ」

 

「アホか!倒れたりしたらどうするんだ!」

 

「だ、だって雑誌に少食アピールが男はキュンとするって書いてあったから!」

 

そう言われると、怒るに怒れない。

 

女子っぽいところもあるなとか思っちゃってたわけだし。

 

「はぁ…じゃあ早いけど晩飯にしようぜ」

 

「え?でも…」

「いいから、お前の好きな店に案内してくれ。な?」

 

「…うん」

 

ありがとう、と聞こえたが、聞こえないふりをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませー」

 

連れられたのは、前向きに捉えるならば渋い外観をしている所謂老舗のような店だった。

 

老舗と言うには、少々繁盛していない風だが。

 

「ここのうどんが美味しいんだ」

 

へえ、と軽く返事しつつ昼の時とはうって変わって生き生きとした表情を見て少し頬が緩む。

 

コイツうどん好きだったんだな。

 

「あたしはいつもと同じの頼むけど、柴崎はどうする?」

 

「んー、じゃあ天ぷらうどんにしようかな」

 

「そっか」

 

すみません、と店員さんに一声かけて注文する。

 

 

 

 

 

 

 

数分待つと、うどんが運ばれてきた。

 

岩沢の頼んだのは肉うどんだったらしい。

 

そちらはそちらでとても旨そうなのだが、こちらも香りだけで食欲が沸き立ち、天ぷらたちと麺の見事な見た目も相まって非常に美味しそうだ。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

昼と同じように馴れない言葉を口にして、熱々の麺を一口。

 

「旨い!」

 

「だろ?」

 

関西風のかつおのだしの効いたさっぱりとした汁に麺がよく合う。

 

さらにえび天も頂くと、ぷりぷりとしたえびに衣もほどよい食感を残していてどれをとっても美味としか形容出来ないものだった。

 

「本当に旨いな、ここのうどん」

 

「数あるうどん屋を巡りに巡ったからね」

 

…コイツうどんキチでもあったのか。

 

「なあそれ美味しい?」

 

「ああ、ほら」

 

軽い気持ちで訊いただけだった。

 

だが、何を思ったのか岩沢は麺を数本箸で掴み、それを俺の顔の前にやってきたのだ。

 

これは…これは俗に言う…

 

「あーん」

 

そう、あーん…

 

「ってアホか!普通に自分で食うわ!!」

 

「ん゛ん゛っ!」

 

「あ、すみません」

 

思わず大声で叫んでしまった俺に、店主と思わしき親父さんから咳払いで言外に静かにしろと注意されてしまった。

 

つーか、多分あーんのくだりも何イチャついてんだとか思われてんだろこれ…

 

「早く食って出よう…」

 

「?分かった」

 

くそ…無自覚が羨ましい…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんなに美味しかったはずのうどんが途中から無味に感じながらも大急ぎで完食し、店をあとにした。

 

「まだ明るいな」

 

確かに岩沢の言う通り、時刻は6時半を少し過ぎた頃だったが、もう6月に入り日が落ちるのも随分遅くなり、辺りはまだ夕焼けの色を残していた。

 

「ああ、だからどうしたんだ?」

 

「いや、ただなんか懐かしかったからさ…まあ世間話だと思っといて」

 

「懐かしい…」

 

岩沢の言うことも分からなくもない。

 

夕暮れの景色を見ると、どこか懐かしい気分になる。

 

少し童心に帰るかのように。

 

「それと、そろそろ終わりの時間かなってさ」

 

「え?」

 

「なんかボーナスタイムまで貰っちゃたし…もう満足しちゃった」

 

これで上手く笑えてるつもりなんだろうか。

 

そうすぐに思ってしまうくらい、腹が立つくらい未練たらたらな笑顔だった。

 

「全然全く微塵も満足って顔してねえっつうの!」

 

「いたっ」

 

とりあえずなんかムカつくからデコピンを1発お見舞いしておく。

 

「…まだどっか行きたいんなら付き合ってやるよ」

 

「本当か?!」

 

「このまま不完全燃焼で帰ってまた行きたいなんて言われたらたまったもんじゃないからな」

 

「確かにそうだよな…ここで我慢して後でまたすぐにデートしたくなったら困るもんな」

 

いちいち反応が素直すぎて困るんだが…

 

いや別に照れ隠しとかで言ったわけじゃないけどさ。

 

これは…そう。

 

夕焼けのせいで子供の頃にまだ遊んでいたいと思ってた記憶が少し揺り起こされたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散々悩んだ末、岩沢は1度家に寄りたいと言ったのでまず岩沢の家に向かった。

 

家に入って5分も経たない内に戻ってきた岩沢の肩にはギターケースが提げられていた。

 

そしてそのまま岩沢に言われるがままに向かった先は、最寄りの駅だった。

 

まだ時間的にも夜に入ったばかりということもあってか、人通りも多く、視線を彷徨わしてみればちらほらと路上で歌っている人たちが見うけられる。

 

「なぁ、まさかここに来たのって…」

 

「ああ、ちょっと歌いたくて」

 

「やっぱりか…でも今って路上ライブは許可がいるんじゃないのか?」

 

テレビか何かでそういう話をちらほら耳にしたことがある。

 

「らしいね」

 

「らしいねって、そんな他人事みたいに」

 

「1曲だけだし、他に歌ってる人もいるんだからバレないよ、多分」

 

最後に絶妙に不安にさせる一言残しやがったなコイツ…

 

「まあまあ、とりあえず場所確保しないと。あ、ほらあそこにしよう」

 

岩沢に手を引かれるがままに、空いていたスペースへと向かう。

 

そこに胡座で座り込み、ゴソゴソとギターを取り出している後ろの壁にもたれて待つ。

 

いつものエレキギターではなくアコースティックギターだ。

 

そういえば教室で喋った時も、俺が起きるまではこっちを弾いてたんだっけか。

 

やけに耳障りが良くて、優しいハミング。朗らかな日射しも相まって、1歩間違えば余計に深く眠りについてしまっていたかもしれない。

 

「じゃあ始めようか」

 

言うが早いか、躊躇いもなく音を紡ぎ出す。

 

前に歌っていたハミングの時のよりも、幾分か暗めな曲調。

 

「苛立ちを───」

 

……?

 

初めて聴くはずなのに、そんな気がしない。

 

それに、なんだこの胸が痛む感覚は…?

 

歌詞か?曲調か?歌声か?それとも───

 

「泣いてる───」

 

───アイツの表情なのか?

 

今にも泣き出しそうな顔をしている岩沢に、俺もつられて涙腺が緩んでしまっているだけなのか?

 

分からない。

 

分からないけど…

 

「この曲…好きだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1曲丸々歌い終わる頃には、それはそれは大層な人だかりが出来ていましたとさ、めでたしめでたし。

 

って、んなわけあるか。

 

「おい…どうすんだよ?こんな集まっちまったらその内警察とか来るじゃないのか?」

 

「困ったな」

 

本当にそう思うならその笑顔は今すぐに消せ。

 

しかし本当に参ったな…こうやって話してる間にも集まった人たちが次の曲を今か今かと徐々にヒートアップしてきている。

 

「本当は待ってくれる人がいるならどんな時でも歌いたいんだけどね…」

 

しょうがないか、と言って1歩前に出る。

 

「今日はこの1曲だけなんで、すいませんがお帰りください」

 

「ええ~」

 

「なんでよ~?」

 

「もう1曲くらいいいじゃない」

 

丁重に頭を下げたが、期待していた分肩透かしをくらって不平不満をもらしていく観衆。

 

「そう言ってもらえるのはすごく嬉しいです。なので次は万全の状態で聴いてもらいたいと思います」

 

万全の状態という言葉に周りは頭に疑問符を浮かべる。

 

「秋ごろにあたしの通う百合ヶ丘学園の文化祭で、あたしが組んでるバンドが演奏するんで、良ければその時にあたしたちの歌を聴いてください」

 

なるほど…上手く宣伝にまで持っていくなんて、結構考えてるんだな。

 

ただでさえ期待して集まった人たちに、更に上があると告げてのこの告知はかなり効果があるはずだ。

 

実際、さっきまで不満を口にしていた人たちがもう期待を宿した目で、バンド?と口々に溢している。

 

もちろん本当に秋まで覚えているかは保証出来ないだろうけど、しかしこれで少しでも文化祭での客が増えることは間違いないだろう。

 

「そこでは絶対に満足出来るものを魅せられますから」

 

自信たっぷりという表情で笑い、何故かこっちに振り向く。

 

「行くぞ柴崎!」

 

そしていきなり駆け出しやがった。

 

え?え?

 

困惑しつつも後を追って俺も走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう」

 

駅から十分に距離を取ってようやく足を止めた岩沢。

 

俺もそれに倣って足を止める。

 

「ふう、じゃねえよ。なんでいきなり走るんだよ?」

 

「なんか上手いこと話まとめられなかったからとりあえず逃げた」

 

あんな自信満々だったのに切り上げ方見失ってたのか…?

 

「つか、お前敬語とか使えるんだな」

 

「そりゃ使えるよ、バイトの時に目上の人に対して流石にタメ口はダメでしょ」

 

言われてみればそりゃそうだ。先生にだってタメ口で喋ってはないだろうし。

 

「ん?お前バイトやってたっけ?」

 

いつも部活には出てるし、そんな素振り全くなかったけど。

 

「…昔ね」

 

って言っても1年前だけど、と笑って付け足す。

 

ふぅん…まあ本気でバンドが始動するときにやめたのかな?流石に余裕がなかったのかもしれないし。

 

「んー、しかしあんなに人が集まるとは思わなかったな」

 

「いやあんだけ飛び抜けて上手けりゃ人も集まるだろ」

 

「そう?」

 

「ああ、それに上手いだけじゃなくて…」

 

…なんて言えばいいんだろう?

 

「…えーっと、お前の気持ちが伝わるっていうか、ガツンと胸に来たしさ」

 

「ガツンと胸に、か…」

 

「本当だぜ?俺なんてよく分からない内に泣きそうになっちまったよ」

 

「え?」

 

「え?」

 

驚いたようにこちらを見つめる岩沢。

 

あれ?なんか変なこと言ったっけ?

 

「なんで?」

 

「え?なんでって…」

 

歌っている時の岩沢を思い出す。

 

あの今にも泣き出しそうな顔、何かを訴えかけようとする声。

 

「分かんないけど…あの歌の歌詞聴いて、お前の顔見たらよくわかんねえ内にじわっと来てさ」

 

「柴崎…」

 

「変だよな、まだちゃんと喋って大して時間経ってねえのに、むしろ避けてたのに、歌詞聴いたらお前の過去に何があったのかつい考えちまった」

 

そこまで言って、また違和感を覚える。

 

違和感、というよりも既視感というべきかもしれない。

 

いやもっと言うと2つをごちゃまぜにしたような感覚だ。

 

どう言葉にしたものか迷っていたはずが、話始めるとポロポロと無意識に口から言葉が溢れていく。

 

まるで自分が自分じゃないように。

 

そして、それはいつか誰かに向けてかけた言葉に似通っているような気がする。

 

「柴崎…お前…」

「ちょっと、待ってくれ…」

 

何かを言おうとした岩沢に手で静止を求める。

 

なんだ?おかしいぞ?確かにこれは俺が思って、感じて言ってるんだよな?それは間違いないはずなのに…

 

「柴崎」

 

頭が混乱して痛みすら覚えかけていたところで、俺の手にギュッと何かに包まれる感触があった。

 

「落ち着いて、ゆっくりでいいから」

 

次いで、頭にも優しい感触が。

 

…岩沢の手だ。

 

そのまま俺の頭を自分の胸元に抱き寄せる。

 

ドクン、ドクン、と少し早めの鼓動が聞こえる。

 

「ありがとう、あの歌…My Songは大事な歌だから…だから柴崎にそう言ってもらえてすごく嬉しい。他の誰でもない柴崎に」

 

あれ?やばい…また泣きそうだ…

 

「落ち着いた?」

 

「へ?!あ、ああ」

 

「そっか」

 

と言いつつ頭を離さない。

 

そして冷静になった俺の頭が今の状況を整理し始める。

 

大の男が女子にあやされていて、しかも今俺の顔は岩沢の……

 

「〇♂↑×≒!?」

 

おおよそ解読不明な声をあげて岩沢の手を振りほどく。

 

「お、お前何してんのか分かってんのか?!」

 

「ん…?何かまずいことしたか?」

 

「ま、まずいっていうか…!」

 

お、落ち着け俺。岩沢は無自覚でやっているし、俺も別に率先して触ったりしてないわけだし、このまま何もなかったように振る舞えば…

 

「あ…」

 

なんとか誤魔化す算段をつけていると、何かに気づいたように声をあげる。

 

「………」

 

赤面しながら黙りこんだ…!

 

「ち、違う!そもそもあんまり感触とかもなかったし!そもそも俺がやったんじゃない!!」

 

「………感触がない」

 

「ちがっ!混乱しててだ!!多分普通の状態なら…それに俺は胸より脚派だし!!」

 

って俺は何を言っている??!

 

言えば言うほど墓穴を掘っていってる気がする。

 

「だからその…ドンマイ」

 

最低だ、最終的に結論が最低だ。

 

「あたしだって平均くらいはある。ひさ子が異常なだけ。ゆりとかも大きいけど入江の方が…」

「す、ストップ!この話はやめよう!別に小さいとか思ってないから!!」

 

名前出すのは流石に生々しすぎる…!

 

「………………」

 

「………………」

 

気まずすぎる沈黙。

 

なにか…なにか話題を変えなければ…!

 

あ、そうだ。

 

「岩沢、これ…」

 

俺は肩に斜めがけしていたショルダーバッグから長方形の箱を取り出す。

 

「え…?」

 

「今日誕生日なんだろ?ひさ子から聞いた。まあこんな状況で渡すのもあれだけど、貰ってくれ」

 

「そんな…え、ごめん。ちょっと頭が追い付かない」

 

困惑した表情のままに、ポロッと一筋の涙が零れた。

 

「ちょ?!泣くなって!」

 

「ごめ…でも、絶対貰えるわけないって思ってたから…」

 

なんで、なんて訊くまでもねえよな。

 

俺のせいだ。

 

頑なに接点を拒んできた俺がプレゼントをくれるなんて、そりゃ夢にも思わないよな…

 

「ごめんな」

 

言って、頭を撫でる。

 

さっき落ち着かせてもらったお返しも込めて、出来る限り優しく。

 

「あたしの方こそごめん。折角プレゼントくれたのに泣いて…台無しだよな」

 

「んなことねえって」

 

「うん…ありがと。でもなんでプレゼントくれたの?いつもならやっぱりくれない気がするんだけど」

 

「あー…」

 

全くもってごもっともな疑問だ。

 

俺でさえ普通なら確実にそうだろうと思う。

 

「何か…あるのか?」

 

言い淀む俺の反応を受けて、顔つきが険しく変化していく岩沢。

 

「そんなに重い話じゃねえって。ただな…」

 

「ただ?」

 

「ちょっと理由が恥ずかしいからさ…」

 

「…?」

 

過去のトラウマと言えば、確かにトラウマとも言えるものではあるかもしれないが、決して重苦しいものでもなく、今回はただただ子供っぽい理由なのだ。

 

「なんていうか、うちは母親が俺の小さい頃に死んじゃってて、いわゆる父子家庭ってやつでな」

 

「そうだったのか…」

 

「あーいやいや物心つく前から居なかったから、母親のことはあんまり気にしてないんだ。だから暗くなんなよ」

 

これは岩沢に気を使ったわけではなく、正真正銘の本心だ。

 

苦労した事は多々あったが、俺からすればそれは日常だった。だから正直暗くなられても反応に困るというのが本音だ。

 

それよりも本題は誕生日のことだ。

 

「で、まあ親父は親父で忙しいひとであんまり家にいなかったんだ。だから誕生日に祝ってもらうってことがある時期までなくってな」

 

「ある時期?」

 

「そう、遊佐と悠に会うまでだ。あの二人、特に遊佐とは家族ぐるみで付き合いがあって、よく遊佐の家で祝ってもらってたんだ。それがすげえ嬉しくてさ…」

 

それは今まで誕生日パーティーなんてものには無縁だった俺には衝撃的だった。

 

きらびやかに舞うクラッカーも、甘い匂いがただようケーキも、何もかもが鮮烈で、感動した。

 

誕生日ってこんなに嬉しい日だったんだと思った。

 

「だからその時から、誕生日ってのは嬉しくなくちゃ駄目だって決めてんだ」

 

「そうなんだ…じゃああたしも柴崎の誕生日は目一杯お祝いするよ」

 

「そっか、じゃあ楽しみにしとくわ。ああでも俺の誕生日おしえてないよな。俺は…」

「11月22日だろ?」

 

「なんで知ってんだよ?!」

 

怖いわ!

 

「それくらいちょっと聞きこめばすぐわかるよ」

 

「そうかもしんねえけど普通やるか…?」

 

「備えあれば憂いなしだからな」

 

「何に備えてるんだ一体…」

 

「奇跡的に距離が縮まるかもしれないじゃないか」

 

「ねえだろ」

 

ん?いやあるのか。

 

今こんなふうに二人で出かけたり、話したり、ましてや誕生日プレゼントをあげたりするなんて1年の時には微塵も思わなかったんだしな。

 

「まあそのなんだ、その備え云々は置いておくとして、とにかく誕生日おめでとう」

 

「ありがとう柴崎!これ開けてもいい?」

 

「いいけど大したもんじゃないからな?」

 

「そんなの関係ないよ、柴崎がくれたんだから!」

 

そんなことを言いつつ、うきうきという効果音が似合いそうな調子で丁寧に箱の包装を外していく。

 

「これ…」

 

そして中から取り出したのはピック型のネックレスだ。

 

所々に紅いガラスが散りばめられている。

 

「ああ、これ見たときに岩沢っぽいなって思ってな」

 

バンドでギターボーカルをやっている岩沢。そしてその岩沢の最も特徴的と言ってもいい燃えるような紅い髪。

 

それを表してるかのように思えたんだ。

 

「安物だけど、ひさ子たちからのお墨付きも貰えてるし、わりと自信があるんだけど、どうだ?」

 

「ひさ子たちに?」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

『なぁ…今日放課後にプレゼント選び手伝ってくれないか?』

 

『岩沢はあんたが選んだものならなんでも喜ぶと思うけど?』

 

『そうかもだけど、どうせやるなら良いもんあげたいしさ』

 

『へいへい分かったよ、けしかけたのはあたしだしね。じゃあ関根と入江も呼ぶか』

 

という風に、授業を終えた後ひさ子たちに着いてきてもらってプレゼントを選んだのだ。

 

幸いすぐにこのネックレスを見つけたから辛口の判定をもらうこともなかった。

 

が、すぐに目的を達成してしまったから「骨折り損じゃあ!奢れー!」と、関根にはアイスやらを奢らされたが、まあしょうがないことだろう。

 

「そうなんだ…ひさ子たちも手伝ってくれたんだ。嬉しさ100倍だ」

 

「だな」

 

「ありがと柴崎。あたし、すっごくすっごく大事にするから…!」

 

ギュッとネックレスを握りしめる手の強さから、その言葉が本物であることを伝えていた。

 

「そうしてくれると嬉しいよ…ひさ子たちもな」

 

「ふふ、そうだね」

 

つい付け足してしまった言葉がなんだか言い訳みたいになってしまった。

 

…くそ、わざわざ言わなくても良かったじゃねえか。何を言ってんだ俺は。

 

「ねえ、これ柴崎がつけてくれない?」

 

「俺が?」

 

「うん。そしたら多分満足出来ると思うんだ」

 

「まあ…いいけど」

 

何故それで満足?と思いながらネックレスを受けとる。

 

「じゃあ髪あげてくれ」

 

「うん…はい」

 

「っ?!」

 

促されるがままに襟足を両手であげ、綺麗なうなじが露になる。

 

な、なんだ…妙に色っぽい…!

 

俺にその類いのフェチはなかったはずなのに、つい生唾を飲んでしまう。

 

「柴崎?」

 

「あ、ああ、わるい」

 

落ち着け…落ち着け…髪をあげながら振り向く姿にドキッとかしてんな…さっさとつけちまおう。

 

「じゃあつけるぞ」

 

「頼む」

 

ネックレスをつけようとすると、必然的に後ろから抱き締めるような体勢になってしまい、距離も当然近くなってしまう。

 

すると、さっきから見惚れてしたうなじ、それに女子特有のいい匂いまで合わさって心臓がドクドクと早鐘を打ってしまう。

 

「柴崎、どうしたんだ?」

 

い、いかん…何か気を紛らわせないと…手が震えて全然つけられない。

 

「いや…その…なんで誕生日って言わなかったのか気になってな」

 

「このタイミングで?」

 

「そ、そうだよ!悪いか?!」

 

「いや悪くはないけど…」

 

完全に動揺しまくった挙げ句に八つ当たりのように怒鳴ってしまう。

 

岩沢が困惑するのも無理はない。

 

だって俺もめちゃくちゃ困惑してるもん。

 

「なんでかって訊かれると…そうだな、ちょっと難しいな…」

 

「難しい?」

 

「うん。理由が沢山あるような気もするし、全くないような気もする。自分でもよく分からないんだ」

 

「…そっか」

 

沢山あるようで、全くないような気がする…

 

自分で自分がよく分からない…か。

 

それは俺もここ最近よく感じている。それも岩沢絡みで、だ。

 

今日だって、なんでこんな約束をしてしまったのか本当はよく分かっていない。

 

理由を作ろうとするなら、いくつか作ることも出来る。だけど、そのどれもが何か違うような、言ってしまえば理由なんてないような気にもなる。

 

俺とコイツは全く違うようでいて、似たような感覚を抱えていたのかもしれない。

 

「なんで…だろうな…」

 

「ん?なんか言った?」

 

「いや、なんでもない。ほら出来たぞ」

 

俺の呟きは岩沢には聞こえなかったようだ。

 

それでいい、どうせ聞こえてたって俺は何も言えないから。

 

今の呟きだって、なんなのか分かっていないから。

 

「どうだ?似合うか?」

 

「ああ、やっぱり岩沢に合ってるよそれ」

 

俺の日頃のイメージに起因している部分もあるだろうが、ピックに紅い装飾というのは岩沢にピッタリでよく映えていた。

 

「本当か?!」

 

「俺がお前のことをわざわざお世辞で褒めると思うか?」

 

「それもそうだな」

 

いや納得すんなよ。

 

本当に思ったことがすぐ口に出るやつだ…

 

『久しぶりに…見れた…』

 

…隠し事だってのによく考えもせず、な。

 

「絶対…絶対大事にするから」

 

「そんな大袈裟な…」

 

「大袈裟じゃないよ。本当に一生大事にする。だって、柴崎がくれた初めてのプレゼントだもんな」

 

小っ恥ずかしい台詞を正面からぶつけられ何も返せずに頬を掻く。

 

…まあ喜んでくれたんならいいけどよ。

 

「……柴崎」

 

「ん?なん…」

 

真正面からのお礼に対して照れもあり、視線を泳がせているところで急に呼びかけられ視線を戻すと、すぐ目の前まで岩沢の顔が近づいていた。

 

目を閉じて、強調するように潤った唇を少し突きだしている。

 

こ、これは…?!

 

突然のことに気が動転し、少し後ずさり、そして……

 

「だぁ?!」

 

「いて!」

 

思わず思いきり手刀を脳天に食らわせてしまった。

 

「な、な、何をするつもりだったお前?!」

 

緊張から解放されて頭が酸素を求めてるのか無駄に口がパクパク動かしながら、頭を押さえて涙目になっている岩沢を問い質す。

 

「何って…いい雰囲気だったから今ならキス出来るかなって…」

 

「あ、頭沸いてんのかお前は!?」

 

「いやどちらかというと沸騰しそうなのは柴崎の顔の方だと思うけど…」

 

「う、うるせぇぇぇぇぇ!!!」

 

「え、ちょっと柴崎?!」

 

顔が真っ赤になっていることを自覚させられ、動揺のあまり脱兎のごとくその場を後にしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に着いてすぐ、とっとと寝て今日のことを忘れようとベットに滑り込んだ。

 

のに……

 

『柴崎…』

 

目を閉じればキスされかけた時の岩沢の顔がフラッシュバックされてしまい

 

「………眠れねえ…!!!」

 

 

 




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「…これくらいしないと……見てくれないじゃないですか」

頭がぼうっとする。

 

喉が痛い。

 

鼻が詰まって息がし辛い。

 

「完全に風邪か…ゴホッ」

 

おまけに咳も…か。

 

「つーか…」

 

キスされかけて眠れなくなって風邪ひくってなんだよ!?乙女か?!いや乙女でもならねえよ!!

 

「はぁ…学校休みで良かった…」

 

出来れば休みたくないし、何より岩沢と出掛けた次の日に風邪ひいたと聞いたら悠が岩沢に何があったか根掘り葉掘り訊くに決まってる。

 

そうならないだけマシだな、と自分に言い聞かせる。

 

しかし風邪なんていつぶりだろうな…

 

思い出してみようと試みるも、まるで思い出せない。

 

これがただ覚えてないだけなのか、それとも風邪のせいで頭が働いていないだけなのかそれすらも判然としない。

 

ああやばい…しんど…

 

うつらうつらと意識が途切れ始める。

 

誰か…いてくれたらなぁ…

 

そこで俺の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん…」

 

頭にひんやりとした感触。

 

それによって一気に引き起こされるように意識が戻った。

 

うっすらと片目を開けてみる。

 

眩しい…つか今何時だ?そもそもこの冷たいのは何だ?

 

「起きましたか?」

 

「遊佐…?」

 

急に目を覚ましたことであまり目の前が判然としないが、眩しい光の中でより一層輝きを放っているこの金髪は遊佐だということを証明していた。

 

「…今何時?」

 

「7時ですね。午後の」

 

「そっか…」

 

ということは12時間近くは寝てたのか…風邪って恐ろしいな。

 

「あ、そういやなんでここに?」

 

風邪で頭が回ってないからか、もしくは寝惚けているからか、そんなまず気にならなければいけないことに気づかなかった。

 

「幼馴染みの家に来ることに理由が必要ですか?」

 

「え?いやそういうことじゃねえけど…でもお前用事もなしに来ないだろ」

 

「何を言ってるんですか?昔から何の用もなくても遊びに来てたじゃないですか」

 

「…なんだお前遊びに来たのか?そりゃ悪かったな風邪なんか引いちまって」

 

「この年になってただ遊びに来るバカなんていませんよ」

 

いやそれはいるだろ。お前は一体何人を敵に回すつもりなんだ?

 

「じゃあなんなんだよ…こっちは頭もろくに回んねえんだけど」

 

「いえ本当に特に用事はないんですけどね。強いて言うなら…岩沢さんとのデートどうでした?」

 

「思いっきり目的あんじゃねえか?!いてっ」

 

思わず叫んでしまい頭痛が走る。

 

くそ…体調悪化しちまうぞ…

 

「ほらほら興奮しないでください。身体に障りますから」

 

「誰のせいだよ…」

 

「勝手に岩沢のことを考えて興奮した柴崎さんのせいでは?」

 

「人聞き悪いわ!」

 

あ…やばいまたふらふらしてきた…

 

「はぁ…そんなことならもうお前帰れ…こっちは病人だぞ」

 

「冗談です。本当はなんだか今日は柴崎さんの家で人の気配が薄いと思ったので確認しに来ただけです。そしたら寝込んでいたので看病をしていました」

 

ほらほら、と額に置かれている冷えたタオルを指差す。

 

「ん…それは…ありがとう。助かった」

 

「素直でよろしいです」

 

「うるせえ」

 

「さて、柴崎さんお腹空いてますか?空いてますよね?ではおかゆ作ってきますから待っててください」

 

「おい何にも言ってねえぞ」

 

押しつけがひどい。

 

食欲なんてまるで湧かねえし。

 

「駄目ですよ、風邪の時は体力が落ちますから何か食べないと」

 

「わかったわかった、食べるよ。ありがたく頂きますよ」

 

ったく、お前はおかんか何かか。

 

「どちらかと言うと今日限定の専用メイドか何かだと思ってください」

 

「心を読むな。つーか専用メイドって…」

「響きエロいな…」

 

「勝手に付け足すな」

 

「いえ童…」

「童貞言うな」

 

「こほん。でーてーの方の考えることなどこのくらいかと」

 

絶望的に変えた意味がねえなこりゃ…

 

でーてーって、それほとんど伏せられてねえじゃねえか。

 

「お前な…少しは女らしくしろって」

 

「女らしいでしょう?」

 

「どこがだよ」

 

「例を上げるなら、ここですかね」

 

そう言って極めて無表情のままぐっと自分の胸を持ち上げる。

 

「ばっ…?!おまっ!」

 

風邪とは思えないほど俊敏な動作で布団の中に潜り込む。

 

見てない…何も見てない…!わりとデカかったとか思ってない!

 

「だから!そういうとこが女らしくねえって言ってんだろ!」

 

「我ながら見事に育ったと思うのですが」

 

「恥じらいくらい持てっつってんだ馬鹿!」

 

「…これくらいしないと……見てくれないじゃないですか」

 

「え?」

 

「おかゆ作ってきます」

 

「ちょっと…」

 

呼び止めには耳を傾けず、そのままバタンと扉は閉じられた。

 

「なんだよ…」

 

見てない?俺がか?

 

んなわけねーだろ…中学でいじめられたあの時からずっと気にかけてんだから…

 

それとも…

 

「なにか見落としてるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来ました」

 

「悪いな」

 

それからしばらくして遊佐が戻ってきた。

 

手には鍋で炊いたおかゆがもくもくと湯気を発している。

 

結局、俺が何を見落としてるのかは分からなかった。

 

「熱いですからね」

 

「ああ」

 

見るからに熱々のおかゆを2、3回息を吹きかけてから口に運ぶ。

 

「…うまい」

 

「なんですかその意外そうな顔は」

 

「いやお前の家庭的なところなんて見たことなかったし」

 

「これでもいつ嫁いでも大丈夫なように準備はしています」

 

「へぇ」

 

そんな先のことまで考えてるのか。

 

「案外乙女思考なのか?」

 

「案外だなんて心外ですね。私は昔から好きになったら一途なメンヘラ処女です」

 

「俺は乙女なのかどうか訊いたんだが」

 

誰がメンヘラかどうか訊いた。しかも処女とかものすごく余計だ。

 

「初物はお嫌いですか?」

 

「食べ物みたいに言うな」

 

「ある意味食べ物でしょう?」

 

「あーはいはい、今食事中だからこの話はやめだ」

 

いつまでもこんなおっさんみたいな会話やってられるか。食欲失せるわ。

 

つーか…

 

「どうかしましたか?」

 

思わずじっと見詰めてしまい怪訝に思われてしまう。

 

「いやなんでもない」

 

いつもと変わらないな…

 

いや戻ったって言うべきなのか?

 

『見てくれないじゃないですか…』

 

さっきの張り詰めた声音とは打って変わって平常通りだ。

 

下ネタ連発がいつも通りとは思いたくないけれど。

 

「もしかして胸が気になります?」

 

「………………」

 

…うーん、さっきのは本当になんだったんだ?

 

胸を鷲掴みにしている遊佐を見て悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。

 

「あの、無視されると恥ずかしいんですが」

 

「そう思うんなら初めからするな」

 

というか、まるで恥ずかしがってるようには見えん。

 

せめて胸から手を離してからそのセリフは聞きたかった。

 

「あのなぁ、お前は女で俺は男だ。しかも今は二人だけなんだぞ?」

 

「分かってますが」

 

遊佐のためを思って忠告しているのだが、まるで響いていないようだ。

 

「…普通の男なら女子がそんな風にしてきたら誘ってるのかと勘違いするぞ」

 

「はあ」

 

「そうなったら襲われるかもしれないんだ。だからこういうことはもう絶対するな、分かったか?」

 

「はい。柴崎さん以外には元々するつもりはありません」

 

「俺にもするな!」

 

誠心誠意込めた忠告も届かず、痛む頭も関係なしに大声を上げてしまう。

 

全然伝わってねえじゃねえか…

 

「なあ、お前本当にもうちょっと恥じらい持とうぜ。確かに昔から一緒にいる俺のことを男として見るのは難しいかもしんねえけどさ」

 

「私は昔から柴崎さんのことを男として見てます。ギンギンの雄として」

 

「見てたら言っていいわけじゃねえっての」

 

あとギンギンの雄とか言うな。お前にそんな姿を見せた覚えはない。

 

「いえでも柴崎さんの秘蔵の…」

「なんのことか分かりかねます」

 

ちょっと待って怖い。もしかして本当に見られてないよね?

 

「そもそも女子だから恥じらいを持てというのはおかしな理屈だと思いませんか?」

 

「女子だからとかそんなつもりは…」

 

「いえ、柴崎さんの言葉の端々からそのような意図が感じられます」

 

そう断言されると、確かに心のどこかに女子だからと思っていたのではないかと感じてくる。

 

「まあでーてーの柴崎さんにとっては女子はおしとやかであれという、いかにもな押し付けがあるのはしょうがないですけどね」

 

「おい」

 

「しかし女子というのは実は大概がこんなものです。男子と変わらない程度の知識がありますし、女子だけの空間ならあけすけに下ネタだって飛び交います」

 

「え…そうなのか…?」

 

「はい。もちろんです」

 

女子が下ネタを言い合っている空間を想像してみるが、まるで思い浮かばない。

 

そもそも女子は下ネタを毛嫌いしていたような記憶がある。

 

「それは一種のカモフラージュです。所謂ムッツリのようなものですね」

 

もちろん本当に嫌いな方もいますが、と補足される。

 

ムッツリ?女子にもムッツリがいるのか?

 

「大半はそうだと私は思っています。JKだってそういうことに興味津々な年頃なのです」

 

「た、確かに…そうかもしれないな」

 

「あとは男子と同じです。それを内輪だけで盛り上がるのか、ところ構わず言ってしまうか」

 

そうか…そうだよな。

 

男にムッツリがいるのなら、女子にだってムッツリはいる。同じ人間なんだから、そんなことは当たり前だよな。

 

「そうです。私が発言をオブラートに包めないのは昔からです」

 

「そうだな。お前は言いたいことすぐに言っちゃうタイプだったもんな」

 

『あはは、蒼ちゃんチャック開いてるよ~?恥ずかしいんだ~』

 

なんて、こっそり言ってくれれば良いようなことも大声で言われて恥ずかしい思いもしたっけな。

 

「ですから、きっと私が昔のままだったとしても恐らくこんな風になってたでしょうね」

 

んんっ、と咳払いをする。

 

「蒼ちゃんはダメダメな素人童貞だからあたしのおっぱいが気になっちゃうんだよね?!やーらしいー!……という感じに…」

「なるか!」

 

いきなり声色変えて何を言い出すかと思ったらなんだこれ?!なんの意味があるの?!

 

「意味なんてないよん!キラッ」

 

「キラッなんて言わねえよ!」

 

「やりすぎちゃった?笑美、はーんせーい。てへぺろ。ほし」

 

「やめろ!そんなんじゃねえよ!」

 

なんなんだ?コイツの中で昔の自分はどうなってるんだ?

 

「あれは私の黒歴史です」

 

「そんなこと言うなって…」

 

「昔のことを思い出しては羞恥で顔から火が出そうになります」

 

んな大袈裟な…

 

「その度にどうにかして私の昔を知っている人たちの記憶を末梢出来ないか考えています」

 

「怖えよ!!」

 

それ思いきり俺も末梢対象じゃねえか!

 

俺としてはむしろ今の危険な考えの遊佐の方をどうにかしてほしい。

 

真剣に命の危機を感じる。

 

「ていうか、何が恥ずかしいんだよ?別に普通だっただろ」

 

「本当に普通だと思いますか?あれが…」

 

あれって…自分のことなのにまるで他人事じゃねえか…

 

「あの、中学生にもなってあんな…私、天真爛漫でぇす!キラッ!…みたいに恥ずかしげもなく振る舞っている姿がですか?」

 

「だから過去を歪めすぎだっつーの…」

 

それに中学生くらいならそんな子いくらでもいるだろうに。

 

中学生なんて、ついこの間まで小学生だったんだから。

 

「甘いですね…今時は小学生でも立派な女ですよ」

 

「んなこと…」

「でなければ私がいじめられるようなことは…」

 

言いかけたところでハッと目を少しばかり見開く。

 

「すみません、今のは…」

 

「分かってるって」

 

今のは軽口の延長線上のつもりだった。それでちょっと口が滑っただけ。

 

それくらい分かる。

 

でも、そこで冗談として言いきれないってことはきっとまだ…

 

いや、やめよう。

 

遊佐はもう前を向いている。それを俺が振り向かせてどうする。

 

「ああそうだ、おかゆうまかったぜ」

 

何か話題を変えようと、丁度よく完食したおかゆを使う。

 

「そうですか」

 

どこかほっとしてるようにも見えなくもない素振りだが、もしかして本当は自信がなかったのだろうか。

 

「ああ、心なしか体調も良くなってきた感じするし」

 

「それは沢山寝たからではないですか?」

 

「うっ…」

 

確かにそうかも…

 

「でも本当にうまかったからな。花嫁修業大成功じゃないか?この腕前なら毎日でも食いたいだろ」

 

「…そうですか」

 

「風邪治ったらまたなんか作ってくれよ。他のも食ってみたいから」

 

「そうですか」

 

「今度は悠にも食わしてみようぜ。きっと驚くぞ」

 

「そうですか」

 

おかしい。

 

さっきからこいつ返事がそうですかしか出来ていないぞ。

 

「……好きな色は?」

 

「そうですか」

 

「お気に入りの曲は?」

 

「そうですか」

 

「俺の名前は?」

 

「そうですか」

 

蒼ですね。

 

って何馬鹿なことやってるんだ俺は。

 

「おい、おーい。遊佐さーん、しっかりしなさーい」

 

肩を揺さぶり、目の前で手を二、三度振ったりしてみるが効果がない。

 

あれ?こいつそういえば瞬きしてなくないか?

 

このままじゃ目が乾いちまうな。

 

「とりあえず目を閉じて…と」

 

まるで遺体の目を閉じさせるかのように抵抗なく目が閉じられる。

 

え?生きてるよね?死んでないよね?

 

「どうしようか…」

 

とりあえず白い布を用意しないと…

 

「遊ばないでください」

 

「あ、気がついたか?」

 

「…初めからずっと正気です」

 

…嘘つけ。お前がやられっぱなしになるわけないだろ。

 

「まあそういうことにしとこうか。なんでそうなったか分からないし」

 

理由を訊いてもこの様子じゃ答えないだろうし。

 

「なんでもないです。食器洗ってきます」

 

バッと俺から食器を奪ってスタスタと階下に降りていく。

 

何をそんなに取り乱してるのか、さっぱり分からない。

 

ガチャ、と1度降りたはずの遊佐がまたすぐに戻ってきた。

 

「ん?」

 

「食器を洗っている間にお風呂済ましておいてください」

 

……なにからなにまですまないねぇ、ほんと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、良い湯だった」

 

ん?風呂のシーンは飛ばすのかって?

 

じゃあ問おうか。

 

俺のサービスシーンなんて見たいか?

 

と、誰に語りかけてるのかも不明なモノローグは置いておいて。

 

「これなら明日には治ってそうだな」

 

少々の気だるさは残るが、吐き気もふらつきも頭痛も治まっているのを確認する。

 

別段学校が好きとかそんなことはないけど、もし休んだりしたら…

 

『柴崎が休み?!なんでだ?!つい一昨日にはラブラブデートをしていたのに!』

 

『先生!柴崎にプリント持っていきます!え?必要ない?』

 

『じゃあ看病に行かなきゃ!ごめんひさ子!』

 

……こんなことになりそうだしな。

 

「あがりましたか」

 

「ああ」

 

「こちらも食器洗いが終わりました」

 

まるで事務報告のようにエプロンを外しながら言ってくる遊佐。

 

そんな風に言われるとなんともないことのように感じてしまいそうになる。

 

だが、常識的に考えてここまでしてくれることがなんでもないわけがない。

 

たかが幼馴染みのために1日中(晩まで寝ていたから正確な時間は分からないが)看病をするなんて中々出来たことじゃない。

 

「あ~…遊佐」

 

「はい?」

 

いつも通り無表情に小首を傾げる遊佐を見ると、なんだか改まってお礼をするというのがどうも気恥ずかしくなってくる。

 

遊佐のことだし素直にお礼なんて言ったら、水を得た魚のように茶化してくるじゃないかと勘ぐってしまう。

 

でもまさかここまでしてもらって感謝の1つもしないわけにいかない。

 

こうなりゃ、冷やかしの1つや2つ受け止めるしかないな。

 

「その…今日はずっと付いててくれてありがとな」

 

「…どうしたんですか急に?気味が悪いですよ?」

 

予想通りの反応だ。

 

いや、でも看病してもらったらお礼くらい言うよ俺だって。

 

「目ぇ覚ました時、お前が居てくれてちょっと安心したっつーか…まあ、とにかく感謝してる。ありがとう」

 

「いえ、その…どういたしまして」

 

あれ?なんか思っていたのと違う。

 

俺の予想ではここで更に冷やかしてくるはずなのに。

 

それにひきかえどうだ?今の遊佐はあろうことか若干照れているように見えなくもない。

 

心なしかうすーーく頬が赤くなっている気もする。

 

…無表情だけど。

 

それに目も若干泳いでる気がするし、髪をいじり始めている。

 

……無表情で。

 

…………気のせい、かな。

 

「えっと…」

「私はまだ少し片付けなどしていますので先におやすみなさってください」

 

「いや、でも…」

「おやすみなさってください」

 

「あ、はい…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊佐に言われるがままに眠る準備を終え、ベッドに潜り込み電気を消した。

 

……一体なんで遊佐は怒っていたんだろう?

 

これ以上会話を続けたくないかのようにことごとく食い気味に台詞を遮断されてしまった。

 

ただお礼を言っただけだったのに、何が気に障ってしまったのか…

 

まあアイツは昔から天の邪鬼なところがあったし、今回もそういうことなのかもしれないが。

 

でもまだ片付けとか引き受けてくれてるんだよなぁ…

 

…わからん。

 

アイツは俺のことをまるで心でも読むみたいに分かってくれてるのに、俺の方はまるで理解してやれていない。

 

悠だったら分かんのかな…

 

悠みたくなんでも悟ったようになるのは嫌だけど、たまに羨ましくもなる。

 

自分があんな風に聡ければどれだけ良かったかと。

 

俺が悠なら今の遊佐の気持ちも、それに…岩沢の真意も察することが出来たかもしれないのに。

 

…なんて考えても無駄なんだけどさ。

 

俺が俺のままで気がつかなきゃ意味がないんだから。

 

「ふわぁ…」

 

治りかけているとはいえ、やはり風邪で体力が落ちているからか、眠気が襲ってくる。

 

…明日遊佐に謝ろう。何を謝ればいいのか分かんないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もぞ

 

もぞもぞ

 

「ん~…?」

 

すっかり眠りに落ちていたところを謎の違和感によって目を覚まされる。

 

もぞもぞ

 

何かが布団の中では蠢いていた。

 

「?!!!?」

 

な、なんだ?うちは動物なんて飼ってないぞ?!

 

もしかして泥棒か?!俺のベッドの中に金目のものなんてありませんよ!?

 

もぞもぞもぞ

 

がばっ!

 

「ひっ!」

 

どうやら下から潜り込んでた謎の生命体がついに出口である俺の顔の付近にまで到達し、姿を現した。

 

そいつは冷酷な表情を携え、キラキラと光る金髪をたなびかせた遊佐だった。

 

「遊佐かよ?!」

 

「急に大声を出さないでください。近所迷惑です。それに冷酷な表情なんてしてません」

 

「あ、すまん。ってそうじゃないだろ?!」

 

「しー」

 

「むぐ」

 

困惑のあまりにたまらず叫ぶ俺の口を片手で押さえ、口元に人差し指を立てる。

 

あざとすぎる仕草だが、いかんせん無表情なところにちぐはぐさを感じる。

 

とりあえず分かったから離せというジェスチャーを取って口を解放してもらう。

 

「で、なんでまだ家にいるんだ?しかもベッドにまで潜り込んで」

 

「最後まで看病しなければ役目を終えたとは言えませぬ」

 

「言えませぬ?」

 

「………言えません」

 

噛んだのか?遊佐が?いつもペラペラペラペラ淀みなく喋るあの遊佐が?

 

「なんですか?少し語尾の部分を噛んでしまっただけで私が緊張でもしていると言いたいのですか?めでたい頭ですね。風邪だからだと思いたいですがどうでしょうかね?柴崎さんですから常時そのようなこともありえますね生麦生米生卵」

 

「ごめんなさいすみませんでした許してください」

 

早口すぎて聞き取れないほどに饒舌な遊佐の姿に恐怖すら覚えてくる。

 

ていうか、なんか本物の早口言葉混ざってない?

 

「本題に戻りますが、私は完治を見守るまでが看病だと思っていますので、ここで見守らせて頂きます」

 

「お前なぁ…わりとついさっき男にこういうことするなって言ったと思うんだけど」

 

「はい、私も柴崎さん以外にするつもりはありません。とお伝えしたと記憶していますが」

 

うん、言ったね。確かに言った。

 

けどそういうことじゃないだろ?!

 

「あのな、お前が俺の何を信用してるのか知らないけど、この状況で襲われたってしょうがねえんだぞ?男は獣なんだよ、特に思春期の男子は」

 

「獣ならそんな注意なんてしないと思います」

 

「そういう問題じゃねえんだよ」

 

話にならないと思い、話を打ち切る意味も込めて遊佐に背を向ける。

 

するとその直後に背中にきゅっと服が摘ままれる感触が。

 

「柴崎さんは、私のことどう見えてますか?」

 

「はぁ?」

 

何を言っているのかまるで真意が分からない。

 

声はあくまでも平淡でそこから何を感じ取ることも出来ない。

 

顔は体勢的に見ることは出来ないし、見てもきっと表情に変わりはない。

 

これじゃあ何も分からない。

 

ただひとつ読み取れることは、服を掴む手が微かに震えていること。

 

緊張している…のか?

 

それが男のベッドの中に潜り込んでいるという緊張なのか、この質問がそれほど重要だということなのは定かじゃない。

 

けど、きっとそれがどちらなのか分かっていたとしても俺が答えられることは決まっている。

 

どう見えているかなんて。

 

「大事な幼馴染みだよ…ずっと一緒にいる大事な、大好きな幼馴染み」

 

「そう…ですか」

 

俺の答えに満足したのか、はたまた呆れたのか、掴んでいた手を離す。

 

「よくそんなこと恥ずかしげもなく言えますね」

 

「お前が変なこと訊くからだろうが!」

 

「幼馴染みだけで良いじゃないですか恥崎さん」

 

「誰だそいつは?!」

 

くそ…真剣に答えたらこれだ…!

 

「もういい!ベッドはお前が勝手に使っとけ!俺はリビングで寝る!」

 

「ダメです」

 

「ぐぇっ!」

 

怒り心頭になった勢いで立ち上がろうとしたところで後ろ襟を掴まれて呻き声が出る。

 

「何すんだ?!」

 

「風邪なのに床やソファで寝ることは許可できません。あとうるさいです」

 

「どれもこれもお前のせいだってのがまだ分かんねえのか…?!」

 

「だからここで寝ればいいんです」

 

「だからそれが…!」

「今日だけです」

 

今日だけですから、と力なくもう一度繰り返す。

 

いきなり噛んだり、饒舌になったり、震えたり、元に戻ったり、また弱々しくなったり……

 

「あー、くそ…」

 

ぐしゃぐしゃと頭を掻く。

 

「…勝手にしろ」

 

「良いんですか?」

 

「今日だけだ。あと、風邪伝染っても知らねえからな。んで絶対引っ付くなよ」

 

そう言って遊佐に背を向けて眼を瞑る。

 

「私は柴崎さんみたいに弱くないですから大丈夫です」

 

「うるさい、寝ろ。もう声出すな」

 

その言葉を最後に、月明かりが微かに差す中、俺と遊佐の二人は昔に戻ったように横に並んで眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝

 

「風邪を…引きました…」

 

「………………おばさん連れてくるわ」

 

 

 




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「Oh!Y談ですか?!」

「なぁなぁ、ぶっちゃけさどんな感じなわけ?」

 

放課後、まるで図ったかのように女子が誰もいない空間と化した部室で唐突に日向がそう切り出してきた。

 

「何がだよ?」

 

「またまた、とぼけんなって」

 

そんな風に肘でぐいぐいと押されるのだが、まるで見当がつかない。

 

「いや悪い、本当にわかんねえんだけど」

 

「おいおい柴崎くん、女子のいないタイミングでわざわざ話振ったんだぜ?大体察するもんがあるだろ?」

 

「あ~…猥談か」

 

「ちっげえよ!いや確かに俺の言い方的にそうなるかもしんねえけどなんで健全な考えが出来ねぇの?!WHY!?」

 

「なるほど、猥談のわいとWHYのわいをかけたんだな」

 

「んなつまらねえツッコミしねえよ!」

 

コイツ本当律儀にツッコミいれてくれるな。

 

こういうところに人の良さが窺える。

 

「で、マジでなんだよ?女子がいないところでわざわざ俺に訊きたいことって」

 

「お前だけじゃなくて大山と藤巻、あと直井もだけどな」

 

それぞれ名指しされた3人が日向の方に視線を向ける。

 

この4人ってことは…

 

「ガルデモ関連か?」

 

「そう!それそれ!」

 

余程自分の質問が伝わったことが嬉しかったのか一気にテンションが倍増する日向。

 

「つってもガルデモのことなら俺たちに訊くより本人たちに訊く方がいいぞ」

 

「だーから、本人がいたら訊きづらいから今訊いてるんだろ?」

 

「焦らさないで早く言えよ。さっさとしないと女子が来ちまうぞ」

 

おっとそうだった、とやや慌てて仕切り直す。

 

「ぶっちゃけお前らガルデモの奴らとデキてんの?」

 

「「「ぶっっ!?」」」

 

俺と大山と藤巻が一斉に吹き出した。

 

「日向てめえ何言ってやがんだ?!」

 

「そ、そうだよ日向くん!僕らは純粋にマネージャーを任されてるだけなんだから!」

 

「そうだぞ日向!」

 

藤巻、大山、俺と順に泡を食って必死に否定する。

 

岩沢と付き合ってるだなんて勘違いされたら堪ったもんじゃない。

 

「いやでもお前らがマネージャーにされたのって確かそういう色恋沙汰を起こすためだったんじゃ?」

 

異様に詰め寄られている日向への助け船としてか、それまで端で聞いていた音無が会話に参加してくる。

 

「確かにそうだ…仲村が俺たちを付けたのは恋愛をさせるためだ。だがしかし!そんなこと俺たちには関係ない!俺たちには俺たちの意志があるんだ!」

 

そう、例え仲村の目的がリア充製造だとしても俺たちが乗り気でない限り奴の思う壺にはならない!

 

「なあ大山」

 

「え、あ、うん。そう…だね」

 

ん?

 

きっと激しく同意をしてくれるものだと思っていた大山の反応が芳しくない。

 

「な、藤巻」

 

「…あたりめえだろ」

 

んん?

 

藤巻も妙な間を空けての返事だ。

 

……いや、でも同意はしてくれてるし、きっとこれは入江やひさ子を出来る限り貶めないようにした配慮だな。

 

「つーことで俺たちに限って色恋沙汰なんてありえない」

 

「とりあえずお前が必死ってことだけは伝わったわ」

 

日向と音無が憐憫の視線を向けてくるけど気にしない。

 

「んじゃあ直井はどうなんだ?関根といい感じになってたりしねえの?」

 

とりあえず俺たちへの興味は薄れたようで、今の今まで我関せずという風だった直井に話題を振った。

 

「ふん、貴様のようなトイレットペーパーの芯にも劣る奴の質問に答える義理はない」

 

のだが、直井の返答は取りつく島もないものだった。

 

「お前…いい加減そういうのやめろよ」

 

「何故ですか?僕はあくまで音無さんと柴崎さんのお二人と親密になりたくてこの部に入ったのですから、このような輩の相手をしたくないのは当然ですよぉ」

 

「誰が輩だ誰が」

 

俺と音無以外への対応の酷さに音無が頭を抱えて呆れていた。

 

とりあえずコイツが関根とどうこうなってないであろうことは窺えるな。

 

「おっまえらなんで青春しねえの?!あんな綺麗どころが揃ってんだぞ?男として逃す手はねえだろう?」

 

「あんまりガツガツ来られるのはちょっとな」

 

「アイツとは合わねえ」

 

「僕じゃ釣り合わないし…」

 

「あんな間抜けに興味はない」

 

どんどんヒートアップしていく日向に反比例するかのように淡々と否定していく俺たち。

 

「あーもー!なんでお前らはそんなに冷めてんだよ?!WHY?!」

 

「むしろなんでお前はそんなにムキになってんだよ…」

 

なんだ?変わりたいのか?変わってくれるのか?

 

「よぉし分かった!こうなりゃ腹わって話そうじゃねえか!俺が言いたいのはあんな美少女と一緒にいてムラムラしてこねえのかってことだ!」

 

「なに言ってんだ日向…」

 

突然何かのスイッチが入った日向に目に見えてドン引いている音無。

 

「Oh!Y談ですか?!」

 

「おうちょうどいいところに来たTK!お前もコイツらになんか言ってやれ!」

 

Y談についてはツッコまないのか?

 

「そうですねぇ…ズバリひさ子さんのおっぱいはどのくら……」

 

ドガッ!

 

「ああん?」

 

「な、なんでもないでぇ~。あ、そういえば今日法事やったわ!ほな失敬!」

 

藤巻のドスの利いた声と壁が凹むんじゃないかという程の勢いの蹴りを見てTKが来て早々に退散していった。

 

なんだったんだ…

 

「くそぉ…おい大山!お前はあの可憐な少女を前にして何も思わないのか?!男として滾るものはないのか?!」

 

「ええ…?確かに入江さんは可愛いけど…でも僕なんかじゃ高嶺の花すぎるからさ」

 

「んなことねえよ!考え直せ!そして抱けぃ!」

 

「なんでだよ」

 

励ますだけにしとけそこは。

 

「ちょっと落ち着けって日向…」

 

「いいやまだだ!柴崎、お前がこの中で一番怪しい!」

 

「はぁ?!」

 

いよいよ半狂乱状態になってきた日向がビシィッ!とこちらを指差してくる。

 

一体何がそこまで日向を駆り立てているのか不明だ。

 

「なんだんかんだでデートにも行ってるし?聞けば入部の時も岩沢が関係してるらしいし?嫌よ嫌よも好きの内ってやつなんじゃねえの?」

 

「んなわけねえだろ!俺はああいう肉食系な女子が一番苦手なんだよ!」

 

「ほ~う?ならどういう子が好きなんだよ」

 

「え…?」

 

どんな子…?

 

どんな子って、そりゃ岩沢じゃない感じの…ってこれじゃ岩沢ありきの基準になるし…

 

俺が求めるのは…そう、平穏だ。

 

一緒にいる時間が穏やかに過ぎていきそうというか、最低限騒がしくはなさそうなというか。

 

「身近で言うなら入江とか、椎名先生みたいな感じ…かな」

「ええ?!」

 

「なんだよ大山?今大事な話してんだよ」

 

「ご、ごめん!急に鼻くそがピーナッツに変わっちゃって!」

 

「それは一大事じゃないのか?!」

 

一大事っつーか、大発見って感じだが。

 

ていうか嘘下手くそすぎだろ大山…

 

何を隠そうとしたかは分からないけど、鼻くそがピーナッツって。

 

「ま、まあいい…今はそれどころじゃない。しかし入江と椎名先生って全然タイプ違うだろ」

 

確かに片や小動物、片や獲物を狙う狼のような雰囲気だ。

 

だが俺が重視してるのはあくまで穏やかな時間だ。

 

「入江は物腰が柔らかいし大人しくて静かにいられそうだし、椎名先生はあの通り基本無口だろ?俺はそういう騒がしくない雰囲気の人が好みなんだ」

 

「はぁ~ん。なるほどなるほど…ん?じゃあ遊佐はどうなんだ?アイツも基本静かだろ」

 

「遊佐は…一緒にいると俺がうるさくなる…」

 

「あ、ああ…なるほどな…」

 

ある意味あれほど静かに過ごせない相手というのも珍しい。

 

それに遊佐は兄妹みたいなもんだしな。

 

「でもよ、遊佐だって付き合ったりしたらしおらしくなるかもしれねえぜ?」

 

「ん…確かに…」

 

『柴崎さんの秘蔵のA……』

 

『素人童貞』

 

『でーてーの柴崎さん』

 

「………ないわ」

 

無理だ…しおらしい遊佐なんてもう想像すら出来ない…

 

「なんか…ごめんな」

 

ポン、と同情の籠った掌が肩を優しく叩いた。

 

涙が出そうだぜ…

 

「じゃあ気を取り直して…岩沢はこう言っちゃなんだがお前といない時は寡黙だぞ」

 

「まだ続けるのか…?」

 

「あったり前よ!」

 

いい加減仲村たちも部室に来るんじゃないかな?

 

「お前といる時は確かに妙に張り切ってるけど、普段は…つーか、お前が入部するまで普段はずーっと曲作りしててほとんど喋らない感じだったぞ」

 

「アイツが?まさか」

 

「本当だって。なあ音無?」

 

「ん、確かに基本的にはひさ子とくらいしか会話してなかったな。ある話題以外は」

 

「…ある話題?」

 

なんとなくオチまで素通りな気もするけど一応訊いてみる。

 

「柴崎のことを話す時だけはやたらと饒舌だったな」

 

「だよなぁ…」

 

まあ分かってたけどさ…ていうかアイツは俺のこと知らないやつ相手に何を話してんだよ。

 

「ま、まあだがしかし基本は寡黙だ。これならお前の条件にも合うだろ」

 

「俺の前でうるさいなら変わらねえだろ」

 

「う…しかしだな、岩沢はお前好みだと思うぞ?」

 

「はぁ?」

 

この期に及んで何を言い出してるのか。

 

「何せアイツはスレンダー美人だ!お前の好みそのものだろ?」

 

「………」

 

「美脚だし、何より胸も程よい!お前の好みドンピシャだろ?」

 

「………なあ」

 

「ん?」

 

「お前、なんで俺の好みなんて知ってんだ?」

 

「遊佐から聞いた」

 

遊佐ぁぁぁぁぁ………!!

 

アイツ岩沢以上に何話しちゃってくれてんだぁ…?!

 

「お前巨乳はそんなに好きじゃないんだってな。まあ確かに分からなくもねえぜ?男としては憧れるけども自信ねえよな」

 

「………」

 

なんで俺はこんな公衆の面前で性癖を暴露されてるんだろう…

 

「なんつーの?やっぱ控えめには控えめの良さってのがあるよな?すっぽり収まるっつーかさ」

 

なんかもうどうでも良くなってきた…

 

「その点で言うとひさ子、遊佐、ゆりっぺ辺りは大きいから除外だな」

 

「ゆ、ゆりっぺが……大きい…ぐはっ!」

 

……………あ。

 

「となると残りは岩沢、入江、関根だろ?この3人で真ん中は多分岩沢だろ?なら岩沢でいいだろ?」

 

日向は自分に命の危機が訪れていることに気づいていない。

 

あと誰か鼻血を出して倒れた野田を助けてやってくれよ。

 

「それにお前脚フェチだって聞いたし、なら岩沢はオススメだぜ?アイツの脚組んでるところ見てみろよ~いい脚してんぜ~」

 

ぐぇっへっへ~と話が下世話になったところで奇妙な笑い声を出し始める日向。

 

彼の命はもう長くはないだろう。

 

何せ……

 

「まあ俺は断然胸派だから…」

「ほーう」

 

「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆゆりっぺぇぇ?!」

 

後ろには満面の笑み(邪悪)の仲村がいるからだ。

 

ガシッ、と後ろから頭を鷲掴みされる。

 

さあ握りつぶされるか、はたまたさながら西部劇にでも出てくるような引きずり回しの刑に処されるのか。

 

「ずーいぶん楽しそうねえ?」

 

「ゆ、ゆりっぺいつの間に…」

 

「あんたが巨乳云々の話をしてた頃には部室の外にいたわよ?」

 

まるで語尾に音符マークでも付きそうなくらい声が弾んでいる。

 

仲村はどうも怒れば怒るほどに楽しそうな表情を浮かべるようだ。

 

つまり今は激おこ。

 

「いや、これはその…」

 

「さぁて、どうしてくれようかしら。ね、皆」

 

仲村が笑顔のまま後ろを振り返ると他の女子陣も揃っていて、全員が日向をゴミでも見るような目で見ていた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ話を……」

 

「問・答・無・用」

 

ザッ、ザッ、と日向の周りを囲いこみゆっくりと近づいていく。

 

……アーメン。

 

「ひ、ひぎゃぁぁぁぁぁぁ???!!」

 

 

 

 

 

 

 

その悲鳴は校内中に響き渡ったそうな。

 

 

 

 




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「あたしはさ自由だと思うんだ。気分は全裸なんだ」

あたしには常々気になっていることがある。

 

それは何かと言うと

 

「なあひさ子、昨日寝る前にふと思いついたんだけどさ、このフレーズどう?中々ロックじゃない?」

 

今目の前で熱く語っているあたしの相棒、岩沢についてだ。

 

容姿端麗、才色兼備、一部を除けば品行方正。

 

贔屓目に見ずとも相当な上玉だ。

 

「そこであたしはこう考えたんだ。たぬきときつねは一致しない」

 

…何を言ってるのか時々本当に分からないけど。

 

だがこれも本当に時々だ。これくらいは茶目っ気として許せる範疇だろう。

 

むしろこれくらい無ければ完璧すぎて怖いくらいだ。

 

…いや?待てよ、こういう完璧じゃないところが逆に完璧なんじゃないか?人間味があるっていうか、可愛いっていうか…

 

っと、話が逸れた。

 

つまり何が言いたいかと言うと、こんな素晴らしい魅力を持っている岩沢は本来男子の、いや男子に限らず皆の憧れの的であるべきなんだ。

 

高嶺の花だと男子がいま1歩踏み込めない存在だと感じるのが、本来のあるべき姿なんだとあたしは思っている。

 

「あたしはさ自由だと思うんだ。気分は全裸なんだ」

 

……こんな話はきっとあたし以外にはしないだろうから大丈夫。余裕で高嶺の花になれる。

 

そう、そんな超絶美少女岩沢だ。

 

おまけに音楽に盲目な音楽キチだ。

 

そこらの男なんて全くの見向きもしない、路傍の石ころのように相手にしないと思っていた。

 

思っていたんだが…

 

「その時鷹がさ…あ、鷹といえばこの間柴崎がさ」

 

コイツだ。

 

柴崎蒼。

 

岩沢はこの目付きが悪く、異様に眼の良い男にご執心だ。

 

確かに顔は悪くない。目付きが悪いだけで。

 

性格もあたしたちの部の仲間の内ではかなりまともな部類でもある。

 

しかしだ、だからといって柴崎が岩沢と釣り合う、ましてや岩沢から言い寄るほどの男だとはあたしには到底思えない。

 

聞けば岩沢は一目見た瞬間に告白をしたと言う。

 

一体何を感じ取って岩沢はそんな行動に出たというのか。

 

「なー、格好いいよな」

 

「……そうか?」

 

「え?格好よくないか?」

 

…実は話を半分も聞いていなかったんからなんとも言えないんだけど。

 

でもあんまり柴崎のことばかり言われるとこっちとしても癪だ。

 

「ていうか、今さらだけどなんで柴崎?」

 

昼飯時で柴崎は食堂に行っているこのタイミングでなら訊いても大丈夫だろうと質問する。

 

「本当に今さらだな」

 

「いやだってなんかタイミング掴めなくてさ」

 

岩沢はいつだって突然だ。

 

バンドに誘われた時も違うクラスからやって来ていきなり

 

『あんたの音に惚れた。あたしと組んでくれ』

 

と、真顔で言ってきたのだ。

 

そして柴崎のこともこれまた唐突にカミングアウトされた。

 

何気無い会話の流れで急に出てきたその人物を訊ねたら

 

『え?あたしの恋人だけど』

 

なんで知らないの?みたいな顔してそう言ってきた。

 

ちょっとイラッとした。

 

しかも問いただしてみると、未来の、という大事な大事な言葉がごっそりと抜け落ちていた。

 

どんな叙述トリックだ。

 

こんな経緯で知ってしまった岩沢の恋路だが、あまりのボケ具合になんで好きになったのか、どこが良かったのか、なんていう基本的なことを訊き忘れていたのだ。

 

「で、どこが良かったんだ?一目惚れらしいしやっぱり見た目か?」

 

これもいい機会だし、ここでたまには華の女子高生らしく恋バナといこうじゃないか。

 

「ん?んー…見た目か。確かに綺麗な髪してるし、もちろん顔も体も声も性格も何もかも好きだけど」

 

「そ、そうか」

 

なんか重いな…

 

「なんだろうな…柴崎にも同じようなこと訊かれたんだけど、改めて考えると『どこが』とかじゃないんだよな」

 

「どういうことだ?」

 

「柴崎っていう存在がもう好きなんだ」

 

「お、おう…」

 

「いや、むしろ概念って言った方がいいのかな?」

 

一体何を言い出してるんだろう?一回頭を叩いてみた方がいいのか?

 

「あたしからしたら生まれてきてくれてありがとうっていう感じなんだ。あたしと出逢ってくれてありがとうって。もう圧倒的感謝しかない」

 

「うん…」

 

「柴崎って普段ぶっきらぼうなんだけど一々優しいしさ、相手をしたら疲れるって分かってるのに構っちゃうし、それでやっぱり関わるんじゃなかったとか思ってるところ見ると…尊い…って感情が一番適切かな」

 

……重い。

 

なんか途中から訳がわからないし、最終的に尊いってなんだ?

 

これ恋バナ?むしろどっちかというと親が子供のこと話してるみたいにも聞こえるんだけど。

 

なんだか親友の見てはいけない一面を見てしまった気分だ。

 

「あ、あのさ…岩沢」

 

「ん?なんだ?」

 

正直かなりドン引きしてしまったんだが、ここまで聞くとつい1つ疑問が浮かんでくる。

 

訊いても大丈夫なのか…?いいよな?これくらい…

 

「もし、その…柴崎が他の誰かと付き合ったりしたらどうするんだ?」

 

カタンッ。

 

岩沢の持っていた箸が机の上に転がる。

 

「も、もしかしての話だぞ?!落ち着け、この世界にはいろんな可能性があるんだ!」

 

いよいよあたしも何を言っているのか分からなくなってきた。

 

「ああ、分かってる。…そうだな、もし誰かと付き合ったりしたら……殺すかな。そしてその時の感情を詩に起こす…名曲になるぜ?」

 

「そりゃさぞかし後世に語り継がれるだろうな…」

 

あたしそのグループのメンバーってことになるのか…

 

「まあそれは冗談だけどさ」

 

いやかなり目が本気だった気がするけど…

 

「付き合ったら…諦めるよ。そもそもあたしは…」

「いやなんでだよ?!」

 

やけに神妙な面持ちで紡いでいたその言葉の続きは教室の外から聞こえてきた大声に掻き消された。

 

「…ふふ、また千里か遊佐に手を焼いてるんだろうな」

 

「あ、ああ…そうだな」

 

先ほどの真剣な顔つきから一転して花が咲いたように笑みを浮かべている。

 

そんな表情を見てしまうと

 

『今…なんて言おうとしてたんだ?』

 

そう訊くことが躊躇われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後、結局訊けず仕舞いになったまま不完全燃焼で燻った気持ちを悶々と収められずにいた。

 

岩沢には先に部室に行ってもらい、ポツンと一人で教室に居残っている。

 

あのあと岩沢はけろっといつもの調子に戻って柴崎のところに行っちまいやがったし…

 

『そもそもあたしは…』

 

「あたしは…なんだってんだよ?」

 

何か大事なことを言いかけていたのは雰囲気からして間違いない…はずだ。

 

アイツは妙に真顔でボケたことを言うから断言は出来ないけど。

 

あのあとから予想できる言葉って言ったら…

 

『本当は好きでもなんでもない』

 

………いやないな。

 

流石にこれはおかしい。もしこれが合っているんだとしたら今までやってきたこととちぐはぐすぎる。

 

男避けのために男に近づいたとかなら考えられるけど、アイツは自分が男から人気があることに自覚がないからそれもありえない。

 

もしかして…

 

「あれ?ひさ子?」

 

「…柴崎」

 

扉からひょっこりと顔を出して声をかけてきたのは、たった今考えていた相手の意中の人だった。

 

そうだよ、そもそもあたしはコイツが好きってのに納得がいってないんだ。岩沢の台詞も気になるけど、何よりもコイツを見定めないと。

 

「何してんだ?こんなとこに一人で」

 

「そりゃあんたもだろ」

 

「俺は忘れ物取りに来たんだよーっと、あったあった」

 

机をがさがさと漁ってノートを手に取った。

 

ふぅん…わざわざ復習とかをするくらいには真面目なわけか。

 

「で?どうしたんだよ、なんか悩みごとか?」

 

「悩み…まあそうだな」

 

「だったらとりあえず話してみろよ」

 

そう言って当たり前のようにそのまま椅子に座り話を聞く姿勢に入る。

 

席が前後でそれなりに話もしたりはするが、そんな相談なんかをするほど深い間柄でもないのに、何故そこまで自然に構えられるのか。

 

なるほど、確かに優しい。

 

いや、お人好しなだけか?

 

「うーん」

 

っつってもなあ…

 

「話しづらいことなら、無理には訊かねえけど」

 

お前に関係あることだからだよ。

 

とも言えないし。

 

「いや大丈夫だ。だけど、これデリケートな話だから他言無用にしてほしいんだけど」

 

「当たり前だろ。そんなぺらぺら吹聴して回んねえよ」

 

千里とかに尋問されたらあっさり誘導させられそうだけど、という不安は一旦胸にしまっておく。

 

とりあえず岩沢だってことを隠しながら話すか。

 

「あたしの中学の頃の友達の話なんだけどさ、そいつ結構な美少女なんだけど、なんだかよく分からない相手を好きになってさ、どうしたもんかなって」

 

「よく分かんないって?」

 

「なんていうか、お前ならもっといい人いるんじゃねえか?みたいな感じ」

 

本人に対してこんな相談をしていることに若干良心が痛む。

 

お前が悪いんじゃなく、相手が岩沢っていうのが悪いんだ…すまん柴崎。

 

責めるならあんなに綺麗に生まれてきた岩沢を責めてくれ。

 

「そいつは悪いやつじゃないのか?」

 

「悪い…ってことはない…と思う」

 

現に今だって相談に乗ってくれているわけだし。

 

「なら良いじゃん、好きでも」

 

「いやでも、そいつ自体がなんで好きなのかも分かってなくてだな」

 

「人を好きになるのに理由なんていらないだろ?」

 

「…っ?!」

 

コイツ、岩沢と同じこと…

 

「なんてな。全部受け売りなんだ」

 

少し悪戯っぽい笑みを浮かべて訂正する柴崎。

 

なんだよ、ちょっと焦ったじゃねえか…

 

「けどさ、悔しいけどなんか納得させられたんだよな。一々好きだって思うのに理屈こねてたらキリがねえよなーって」

 

「まあ…そうかもしんない」

 

あたしだって岩沢の何に惹かれて一緒にいるのかなんて、考えたことはない。

 

考え出したらそれこそキリがない。

 

それに…アイツのことだって。

 

「なんだ?まだなんかあるのか?」

 

「いや、そういうわけでもないんだけど」

 

「はっきりしないな?まあなんかあるんだったらこの際だし全部吐き出しとけよ」

 

全部か…と言ってもなぁ…ほとんど訊けるようなことないし。

 

「あ~、じゃあさ1ついい?」

 

「おう」

 

「あんた好きな奴っている?」

 

「お、俺か?」

 

「そ、あんた」

 

「な、なんでまた?」

 

「参考までに、かな」

 

主にあたしじゃなく岩沢の、だけど。

 

「で、いるの?」

 

「い、いねえけど」

 

ふん…嘘を言ってるって顔じゃないな。

 

少し目が泳いでるけど、これはどちらかと言うと急な質問で動揺したというところか。

 

「じゃあ今までにいたことは?」

 

「ない」

 

今度は動揺もなくなったのか目も泳いでいない。

 

「そっか。じゃあさ、なんで岩沢と付き合わないの?」

 

「な、なんでそこで岩沢が出てくんだよ?」

 

あたしからすると、なんであたしがあんたの恋愛事情訊いてるのに岩沢が出てきておかしいと思うのか逆に問いたくなるが。

 

「いや、好きな奴がいるんなら断る理由も分かるんだけどさ。それがいないらしいから、ちょっとね」

 

「んなもん好きじゃないからに決まってるだろ」

 

「普通の男ならあんな美少女に言い寄られたらすぐに惚れちまうと思うんだけど?」

 

人っていうのは好きだと言われると、相手のことを好きだと思い込む、または本当に好きになる生き物なんだと、何かで聞いたことがある。

 

それはそうだよな、とあたしは思った。

 

好意を向けられて悪い気はしない。誰だってそうだろう。

 

それがどう見ても魅力的な異性なら尚のことだ。

 

少なくともあたしが男で岩沢に告られたらOKする。すぐ付き合う。めっちゃ大事にする。

 

「好きって言われたから好きになるとか…なんか違くね?」

 

「そうか?」

 

「俺はだな、さっきも言った通りまだ好きな奴が出来たことすらない」

 

「あ、ああ」

 

どうしたんだ急に?

 

「正直どういう気持ちが好きなのかも分からん!そりゃ好きって言われて全く嬉しくないわけない!」

 

どんどんヒートアップしていくように声のボリュームも大きくなっていく。

 

「だけど、初恋くらいちゃんと自分からコイツのことが好きだって思いたいんだ」

 

「…………」

 

そう言って照れるようにはにかむ。

 

柴崎…お前………

 

「乙女か?!」

 

「は?」

 

「あははははは!!」

 

あまりにも見た目にも年齢的にも似合わない言葉に腹を抱えて笑ってしまう。

 

「いやいやいや高校生男子がまさかこんな乙女思考全開とは…!いいねあんた最高だね!」

 

「馬鹿にしてんだろ…」

 

「いや本当にこれは誉め言葉だぜ?…ぷっ」

 

「帰る!」

 

思わず(故意に)漏れた笑いに憤慨して席を立つ柴崎。

 

「そんなに怒るなよ~乙女思考はいいことだぞ~」

 

「うるせえっ!もう2度とお前の相談なんて乗らねえからな!」

 

なんだかフラグの香りがプンプンする台詞を発して走り去ってしまった。

 

でも、あたしは本当にいいことだと思ってる。

 

少なくとも、アイツなら付き合うことになれば岩沢を幸せに、ってのは気が早いにしても、そう悪くはしないだろう。

 

…しゃあない。ちょっとだけ応援してやるか。

 

相棒の恋路の、な。

 

……まあ岩沢を取られるのは癪だからちょっとだけだけどね。

 

 

 

 




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「ちっ、確かにこりゃ酷いな」

「おぉ~いみゆきちぃ!部活行こうぜぇ~い!」

 

一日の終わりであるSHRを終えるとすぐさまわたくしこと関根しおりはいつものようにいつものごとく、親友兼、伴侶兼、部活仲間兼、バンド仲間兼、相方である入江みゆきにそう呼び掛ける。

 

「うん、しおりん」

 

おぉ…見た?見ました?ちょっとはにかみながら、コクンと頷くみゆきち。かわゆすぅ!

 

思わず抱きつきたくなっちゃうよ!

 

「みゆきちぃ~!」

 

「きゃっ?!ちょっとなにしおりん?!」

 

はっ?!しまった!あまりの可愛さ故衝動を抑えきれなかった…!侮りがたしみゆきち…!

 

「くんかくんか」

 

「ちょっと嗅がないでよぉ~!」

 

う~んフレグランス。

 

病み付きになっちまうぜ、ぐえっへっへっへ。

 

「いい匂いだね…シャンプー変えた?」

 

「しおりんが嗅いでるの胸元でしょ!」

 

「バレたかぁ」

 

「バレるも何もないよ?!」

 

「でもやめない!」

「やめろ阿呆!」

 

「ぐへぇ?!」

 

後頭部にあまりにも強烈な一撃!

 

痛む頭を押さえるためにみゆきちから手を離してしまった。

 

すぐさまあたしから距離を取るみゆきち。

 

嗚呼…カムバックみゆきちぃ!

 

「ていうか誰じゃい!あたしの至福を邪魔する奴は?!」

 

「至福だかなんだか知らんが、ここが公衆の面前であることくらい考慮しろ馬鹿め」

 

むむ、このやたらと芝居がかったような偉そうなしゃべり方。

 

そして中性的でやけに顔のパーツが整ったお顔。

 

君は……

 

「直井くん!」

 

「大声で名前を呼ぶな」

 

ああん冷たひ。

 

「ふん、バカをするならもっと人のいないところでやれ。でないと僕や柴崎さんや音無さんまで同類かと思われるだろ」

 

「同類じゃん。馬鹿やろうよ。あ、匂い嗅ぐ?」

 

「嗅ぐわけがないだろう!」

 

「みゆきちのだよ…?」

 

「誰のでも嗅がん!」

 

「しょうがないなぁ、じゃあ柴崎くんのならどう?」

 

「…………………」

 

あちゃー、そこで黙っちゃうかぁ。この柴崎くん大好きっ子め。

 

みゆきちの魅力は柴崎くん以下と言いたいのか貴様ぁ。

 

安心してみゆきち。あたしのナンバーワンはオンリーワンなみゆきちだぜ?

 

「く、くだらん。もう行くからな」

 

恥になるようなことするなよ、と最後まで釘を刺しながら去っていく直井くん。

 

あたしのどこが恥なのかねぇ?こーんな美少女なのに、きゃは。

 

「しおりん…」

 

「ん?なにな…に…」

 

「…分かるよね…?」

 

「Oh…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場面転換。

 

え?何があったのかって?

 

何もなかったよ?何もかもなくなりましたよ?

 

とにもかくにも部室に着いたあたしとみゆきち。

 

あたしのライフポイントは限りなく0に近いけど、まだまだ冒険は終わらないぜ!

 

「ちゅーっす!」

 

あたしたちGirls Dead Monster、通称ガルデモ(誰が言い始めたのかは知らない)の溜まり場…げふんげふん、もとい練習場となってる4階に駆け上がり元気に挨拶。

 

元気と可愛さが取り柄のしおりんだからね。

 

「遅いぞ関根」

 

この茶髪にポニーテールなイカした巨乳姉ちゃんはガルデモの鬼軍曹ことひさ子さん。

 

厳しいんだこれが。

 

まあ美人に罵られるのはそれはそれでいいけどね!

 

「そんなに怒ってやるなよひさ子。胸が膨らむぞ」

 

「怒るのと胸になんの因果関係が?!」

 

このド天然な仲裁を入れたのが我らがリーダーである岩沢さん。

 

んもう素敵すぎ。抱かれたい。

 

おっとよだれが…

 

「あーもう、とにかく集まったんならさっさと練習するぞ!」

 

「えぇ~あたしたちまだ来たばっかっすよ~?」

 

「それが嫌なら次から早く来い」

 

「そんな殺生なぁ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひさ子さんにこってり絞られながらの練習が二時間くらい続きようやく休憩!

 

って言っても休憩終わったらもう下校するんだけどね。

 

だがしかぁし、こういう時間もバンドには大事なんだ。互いを知って、絆を深める。そうして音も共鳴しあうのさ…

 

「おいこら関根。お前また酷いアドリブ入れやがって」

 

「ふぅ…ひさ子さん、ちょっとあたしのこと勘違いしてません?」

 

「はぁん?」

 

やれやれ、困った子だな…あたしがただの考えなしの暴走娘だと思っているのかい?全く、口下手なあたしが悪いのかね…いや、だからその鋭い視線はしまってくれません?

 

「ただただ同じことを繰り返す…それが果たして効果的な練習になるでしょうか?いやならない!何故ならそれは漫然と焼き直しているだけにすぎないから!だから…だからあたしはあえてアドリブを入れて練習に刺激を…!」

 

「関根…」

 

ふふふ、分かってくれましたかひさ子さん。あたしのパーフェクトな思考を。

 

「そういうのはまともに弾けるようになってから言うもんだ…!なぁ…?!」

 

「いだだだだだだ?!ひさ子さん?!ひさ子さん?!」

 

指がぁ…!指が頭に食い込むぅ…!

 

畜生!詭弁だってバレちまったってのか!?

 

「下手な言い訳する前に反省しろバカ関根ぇ…!」

 

「はい!してます!反省してますから許してぇぇぇぇぇ!!」

 

「ひさ子、そろそろやめてやれって。見てみろ関根の顔。女の子がしていい顔じゃなくなってるぞ」

 

もう頭が飛び散る寸前に救いの光が!

 

その救世主は柴崎くん!なんと岩沢さんの片恋相手だ!

 

あれ?ここであたしを助けるってことはもしかしてフラグ建設してる?もしかしてもしかするとしおりんルート入ってる?!

 

ていうか女の子がしていい顔じゃないって今あたしどんな顔なの?

 

「ちっ、確かにこりゃ酷いな」

 

なんすかそのバラバラ死体を見た刑事みたいな台詞。あんたがしたんじゃないすか。

 

「た、助かったぁ~。柴崎くんありがとね~」

 

「いいけど…お前ちょっとは懲りろよ…何回同じ目にあえば気が済むんだ?」

 

「いいんだよ関根はそういうのが好きなんだ」

 

「そうなのか?」

 

「違いますよ!誰もマゾヒストだなんて言ってないですよ!」

 

さらっと適当なこと言うんだから岩沢さんには困っちゃうよ、全く。

 

「でもお前散々な言われ方した直井のこと気に入ってたしな…」

 

「なんだ貴様僕に罵られたいのか?」

 

「誰もそんなこと言ってないよ!でもしてくれるのなら甘んじて受けよう!」

 

「お前やっぱり…」

 

ああん引かないで、冗談だからぁ。そういうノリだからぁ。

 

もう、ちゃんと心配してくれる人はいないのかね!

 

「しおりん大丈夫?病院行く?」

 

「みゆきち…」

 

やっぱあんはんは天使やでぇ…

 

でもしおりん的には「大丈夫?おっぱい揉む?」って言って欲しかったな☆

 

「脳外科」

 

「酷い」

 

みゆきちが一番あたしのことをヤバイ奴だと思ってた。

 

「畜生そのお山揉ませろやぁぁぁぁ!!」

 

「い、いやぁぁぁぁ!」

 

「ぐへへへへここか?ここがええんか?」

 

「ちょっとやめてしおりん…!」

 

「あ」

 

「?」

 

しまったぜ…これは大失態だ。

 

あたしとしたことがなんてミスを犯しちまったんだ…

 

「みゆきちの場合お山じゃないね!更地か、良くて丘くらい!」

 

「お、丘…」

 

「……………~!」

 

んん?真っ先に大山先輩が反応しただと?

 

ふむ…これは…

 

いやみゆきちの方は何となく分かってたけど…これはこれは…

 

「…ひさ子さん」

 

「おう」

 

「ん?あれ?どうしたの?」

 

え?急にそんなパイプ椅子なんて持って何かあるのかな?

 

まさかそれで殴るなんてないよね?そんなことしたらしおりん逝っちゃうよ~

 

「しおりん、バイバイ」

 

「これは入江のためなんだ、済まんな」

 

そんな椅子を振りかぶったら危ないっすよ?

 

どしたの?目も座ってるよ?椅子だけに。

 

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またまた場面転換!

 

お次は下校中。

 

もちろんさっきのは軽いジョークで十八禁になっちゃうような残酷な描写はまるでなかったよ!

 

あたしが軽い貧血を起こしているけど、これはきっと元々そういう体質なの!

 

それはそうとさっきの大山先輩の感じ、気になる。

 

あたし、気になります!

 

「ねえみゆきち」

 

「何関根ちゃん」

 

わお、まさかの苗字呼びだ。

 

距離を感じるね。辛いよ悲しいよ。

 

しょうがないなぁ、ならば思わず呼び方を戻してしまうようなことを言わなきゃだね。

 

「大山先輩ってみゆきちに気があるよね」

 

「う、うぇぇぇぇぉぉ?!」

 

「驚き方凄いなぁ~」

 

キャラ崩壊はめっ!だぞ?

 

「し、しおりさん?!にゃ、なにを?!」

 

呼び方の変わり方がおかしすぎてこっちがなにをって言いたいくらいだけどねぇ。

 

「みゆきちぃ…君は気づかなかったのかい?大山先輩がみゆきちの胸に真っ先に反応したのを」

 

「ふ、ふぇ?!」

 

あざといなぁ、あざとい!でもそこがいい!この小悪魔大臣め!

 

「あたしは見逃さなかったぜ。大山先輩の目線!そして赤面を!」

 

「で、でもそんなの思春期だからかもしれないし…」

 

「いやいや、同じ思春期真っ盛りな柴崎くんなんて真顔でみゆきちの胸見てたよ?」

 

更地…ほぅ…面白い。みたいな目してたよ?

 

「そ、それはそれで嫌だよ…」

 

今さら胸を隠しても意味ないと思うなぁ。あの時隠してないとさ。

 

え?お前が言うなって?

 

あたしはいいのさ!相方だからね!

 

「とにかく!みゆきちのちっぱいに過剰反応するなんてこりゃ気があるとしか思えないよ!」

 

「大声で言わないで!」

 

おっと、こりゃ失敬。

 

「ていうかさぁ、みゆきちはどうなの?」

 

「え、え…?何がかな…?」

 

あちゃー…みゆきちは嘘が下手だなぁ~。

 

わざとらしく口笛なんて吹いちゃって、吹けてないけど。

 

そこも可愛いぞ!

 

もう控えめに言って結婚したい。

 

「好きでしょ、大山先輩のこと」

 

「やんばるくいな!」

 

「やんばるくいな?」

 

あの飛べない鳥のこと?

 

「噛んじゃった…そんなことないよ!」

 

「噛んだって次元じゃないよ?!」

 

ちょっとちょっとそういう噛み芸あたしの中の人の専売特許だよ?!

 

「と、とにかく違うから!好きとかそういうの分かんないし!私昔から人見知りで…特に男の人なんて怖かったから…」

 

「みゆきち…」

 

うん、知ってるよ。

 

みゆきちが色々悩んでたこと。

 

だって中学の頃からの親友だもんね。

 

「だから…余計なことしちゃダメだからね!」

 

「うん、分かった!」

 

あたしは誓うよ。

 

絶対にみゆきちの邪魔はしない。

 

「よーし!明日から色々頑張ろー!」

 

「しおりん?!話聞いてた?!」

 

聞こえない!あたしにはみゆきちの心の声しか聞こえないぜ!

 

大山先輩と仲良くなりたい!ってね!

 

 




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「のぶ代先輩」

「今日あなたたちに課す試練はこれよ!」

 

部室にガルデモとマネージャー勢全員が集まると、唐突に仲村が何かをホワイトボードに書き出し、それを強調するようにバンっ!と叩く。

 

そこにはでかでかとこう書かれていた。

 

ドキッ!男女同数のペアシャッフル大会☆

 

……とりあえずいくつかツッコミ所があるんだけど、まず訊かなきゃいけないのは…

 

「なんでシャッフル?」

 

「いいところに目をつけたわね岩沢さん!」

 

ビシッ!と岩沢に向け指を指す。

 

いやいや、むしろそこに気づかず何に気づけと?

 

まあ岩沢がまともな指摘をしたのは俺もビックリだけど。

 

「端的に言うと、あなたたちのその消極的な姿勢が問題なのよ」

 

「消極的だぁ?どういうことだゆりっぺ」

 

「つまり、青春をしよう!って姿勢が足りないのよ。特に藤巻くん、あなたのペアはね」

 

「うぐっ」

 

もちろんひさ子さんもよ。と逆に怖い笑顔と共にきっちり指摘を忘れない。

 

それを受けてそっぽを向いたひさ子の態度からも、二人ともにそういう自覚があったのだろう。

 

「他の組はそうね…基本的には積極的に交流をしてるわ。まあ片方だけが熱烈アプローチってパターンばかりで、もう一人は応えるつもりがあんまり無さそうだけど。だから…この企画よ!」

 

そう言ってまたもやバンっ!とホワイトボードを叩く。

 

「これで1度他の組み合わせを試してみるのよ。それでそっちの方が何かが起きそうなら、もしかしたらペア変更…なぁんてこともあり得るかもしれないわね」

 

「「えぇぇぇ?!」」

 

ガタガタっと慌てて立ち上がったのは岩沢と入江だった。

 

岩沢がオーバーリアクションを取ってる理由は大体見当もつくけど…入江はどうしたんだ?

 

「なにか問題あるかしら?」

 

「ある!ありまくる!柴崎と離ればなれになるなんて耐えられない!!」

 

「クラス一緒でしょあなたは。で、入江さんは?」

 

「わ、私は…その…えっと…せ、折角大山先輩に対して人見知りも無くなってきたので…その…」

 

「また1からやり直すのは大変ってことね。でも入江さん、人見知りを直すのはこれから先役に立つはずだし、悪い話ではないはずよ?」

 

「……は、はい…」

 

異議に対して間髪を入れず対応。それでいて全く反論させるつもりはない口調

 

流石はこの個性の塊の塊をまとめているリーダーなだけあるな…有無を言わさない何かがある。

 

「まあとりあえず1日お試しってだけだから気負わず、気楽にいきましょう!じゃあさっそ…」

「待て!」

 

「ん?何かしら直井くん」

 

「それは…僕が柴崎さんとペアになれるのか?!」

「なれるわけねえだろ」

 

膝から崩れ去る直井を放置して仲村は上機嫌に「さ、くじ引いて~」とくじを差し出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、俺のパートナーが…

 

「何ジロジロ見てんだよ?」

 

「ああいや悪い、何でもない」

 

…ひさ子、か。

 

まあ岩沢とか関根に比べたらすげえ楽だよな。なんだかんだ常識人だし。

 

「しかしゆりのやつ、面倒くさい企画を考えたもんだ」

 

「嫌だったのか?」

 

「逆に訊くけど、あんたは嫌じゃないのか?」

 

「別に?ひさ子なら話しやすいしな」

 

むしろ岩沢以外となら大体話しやすいし。

 

岩沢とだと会話にならないことが多々あるからな…

 

「……あ、そう」

 

なんで不機嫌になってんだ?

 

「で、ひさ子はなんで嫌なんだ?」

 

「あたしが嫌なのはペアを変えるってとこじゃなくて、これのせいで今日は練習無しなのが嫌なのさ」

 

「ああ、なるほど」

 

むしろあの馬鹿と離れられるなら今日みたいにずっとシャッフルしていたいぜ!と、やけくぞ気味に吐き捨てるひさ子。

 

本当藤巻のこと嫌ってるんだな…

 

「じゃあ利害一致ってわけか」

 

「…まあ岩沢の親友としては癪だけど、そうなっちまうかな」

 

「あれ?お前岩沢のこと応援してるの?」

 

「はあ?当たり前だろ、親友の初恋だぞ」

 

いやまあそうなんだけど…

 

「岩沢なら俺よりもっといい奴に惚れるべきと思わないのか?」

 

「…………お、オモワネエヨ?」

 

思ってたな。確実に思ってたな。

 

「ち、違うんだって。そりゃ初めはなんだこの目付きの悪い男はって思ってたけど」

 

俺のジト目を受けて必死に弁解を始めているのだろうけど今のところ完全に悪口になっている。

 

俺のメンタル弱いの知らないのかなこの子?

 

「でもだな、最近はあたしもあんたのことは認めてるんだぜ?」

 

「どこら辺を?」

 

「えっ」

 

「だからどの辺をだよ」

 

「…岩沢のあしらい方、とか」

 

「そんなとこ認められたくねえよ」

 

もっと他になかったのかよ…ていうか、そんなことだけで認めていいわけ?ガード緩くないですか?

 

「いやいや大事なんだぜ?特に岩沢にとってはさ」

 

「あしらい方がか?」

 

「ああ。考えてもみなよ、あの岩沢の奇行を受け止められる奴がどれくらいいる?」

 

「…………」

 

確かに。

 

「外見だけに惹かれて寄ってきた軟派者じゃあまず無理だ。かと言って、深く知ってから好きになるってのも岩沢相手だと少し難しい」

 

「ああ…なるほどな…」

 

ここにきて効いてくるわけだ。アイツの音楽キチという特性が。

 

ただでさえ普通にしてりゃルックス完璧な美少女。それもどこかカリスマ風なオーラを漂わせている。

 

これは話しかけるのにも相当勇気がいる。

 

そしてそれだけでなく、音楽キチのアイツに話しかけたところで…

 

『え?うーん…興味ないな』

 

ここら辺が関の山だろう。下手をすれば反応なし、なんてことも多いに考えられる。

 

岩沢をよく知っている奴なら、コイツまた音楽のことで頭いっぱいか。と理解を示せるが、そうでない相手なら無視されたと思うだろう。

 

なんつー攻略難易度だよ…

 

「な?だから柴崎みたいな相手は貴重なんだ」

 

「だからってなあ…俺が本当はすごい駄目な奴かもしんないぜ?」

 

「あー、それはまあ大丈夫だ」

 

「え?なんで?」

 

「それは…ヒミツだ」

 

そう言って唇に人差し指を当てるひさ子に俺は思わず見惚れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

……つまらん。

 

「~♪~♪」

 

くじで決まったペアで各部屋に隔離されてからずっとこの女はこんな調子でギターを弾いている。

 

そうなると必然的に僕はそれを見るだけということになってしまう。

 

いつもならバンドの練習をしているコイツらを尻目に柴崎さんとお話が出来るというのに…!

 

それでなくともあの金髪馬鹿なら……いや、いやいや、あの馬鹿より酷いわけはないな。アイツが一番厄介で邪魔くさい。

 

少しでもアイツの方がマシだと思いかけた過去の僕を殴り飛ばしてやりたい。

 

しかしだ、そう思いかけてしまうのにも無理はないだろう。

 

なにせ相手が相手だ。

 

この女、岩沢雅美はあろうことかあの神々しくも決して驕らない、僕にとって音無さんと双璧をなす二大恩人の柴崎さんのことを好きだとぬかしているらしい。

 

ありえない。

 

こんな音楽しか取り柄のないような女と柴崎さんじゃあ釣り合いがまるで取れていない。

 

柴崎さんもいつもいつも言い寄られては迷惑そうにしている。

 

…そうだ!ここでコイツを諦めさせられれば柴崎さんもきっとお喜びになるはず!

 

「おい」

 

「~♪~♪~♪」

 

「…おい」

 

「~♪~♪~♪~♪」

 

「おい!この僕から話しかけてやっているんだ!反応しろこのうすのろ!」

 

「ん?あたし?」

 

貴様以外誰がいるというんだこの間抜けめ…!

 

「あまり僕をイライラさせるな」

 

「イライラしてるのか?なんでだ?」

 

「貴様のせいに決まっているだろ!」

 

「え?あたし?」

 

何回言えば分かるというんだコイツ…!

 

いかん、このままではコイツのペースに飲まれてしまう。

 

平常心…平常心…

 

「で、何?あたし早く作業に戻りたいんだけど」

 

「貴様のせいで進まないんだこの間抜け!」

 

「え?あたし?」

 

「その反応はもういい!」

 

なんだこの何を言おうが響かない感覚は…!?

 

ものすごく腹立たしい…!

 

「本題に入るぞ!貴様、柴崎さんのことは諦めろ」

「ごめんそれは無理だ」

 

早いな…ここだけやけに…

 

まあいい。この程度で諦めるとも思ってはいない。

 

「貴様では柴崎さんに釣り合わん。潔く身を退け」

「ごめん無理だ」

 

「…どうせ貴様は大して本気じゃないんだろ?柴崎さんの迷惑になるからあきら…」

「無理だ」

 

「柴崎さんだってお前のことなんて相手にしていな…」

「無理だ」

 

「おま…」

「無理だ」

 

「ええい!遮るな!」

 

なんなんだコイツは?!どんどん食い気味に僕の台詞を邪魔してくる!

 

「話がそれだけならもういい?今いいところなんだけど」

 

「まだだ!」

 

「まだあるのか?」

 

何故僕の方がやれやれみたいな顔をされなきゃならんのだ?!

 

「第一、貴様は出会って早々に告白をしたそうじゃないか?そんな貴様に柴崎さんの本当の良さが理解出来ているはずがないのだ!」

 

「出来てるよ」

 

「ほう…その言葉が本当なら今ここで柴崎さんのどこが好きか語ってもらおう」

 

「分かった。まず…」

 

※ここから先は前々回話した柴崎という概念云々の話が続きますので割愛させて頂きます。

気になる方は「相棒の恋」を参照してください。

 

「……………!」

 

コイツ…出来る…!

 

「そういうあんたこそ柴崎のどこが好きなの?」

 

「ふん、良いだろう。特と聞かせてやろう。僕の敬愛を!!」

 

※大変申し訳ありませんがこれまた同じようなことを言っているのでまたも割愛させて頂きます。

 

「やるな」

 

「貴様もな」

 

こうして僕たちの間に何か不思議な絆が生じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ど、どうしよう~…

 

「………………」

 

会話が無いのも気まずいけど、それ以上に…

 

「あん?」

 

怖いよぉ~!ちょっと見ただけで睨まれるなんて…

 

なんでよりによって藤巻先輩なの~…?

 

目付きも喋り方も怖すぎて苦手なのに…

 

それに…初めて全員で集まった時にひさ子先輩を殴ろうとしたことも忘れてない。忘れられない。

 

あの時柴崎くんが止めてくれなかったら、ひさ子先輩がどうなってたか考えるのも怖い。

 

それと、すごくムカついちゃう。

 

しおりんに胸を揉まれた時よりよっぽど腹が立つ。

 

だから一番苦手。

 

「おい」

 

「ひゃ、ひゃい!?」

 

こ、声が裏がえちゃった…しかも噛んじゃったし…もう嫌…

 

「…そんな怯えんなよ。なんもしねえっつーの」

 

「…え?」

 

「不思議そうにされても困るっつーの。なんもしてこない奴にはなんもしねえ。ったく、たりぃ…」

 

本当に嫌気が差してるみたいに首を鳴らしながら顔をしかめている。

 

本当かな…?でも、だとしたら…

 

「ひ、ひさ子先輩には…殴ろうと、しました…よね…?」

 

「…あ゛あ゛?」

 

「ひっ!」

 

「…いや、悪い…てめえの言う通りだ。どうもアイツの名前が出るとな…」

 

一瞬これまでになく威圧的になった態度もすぐに消えて無くなる。

 

今度は…辛そう?

 

「後悔…してるんですか?」

 

「後悔?あー…さあな。俺はアイツにも悪いとこがあったと思うぜ」

 

「た、例えば…?」

 

「アイツは分かってて挑発してきたんだよ。俺があんなこと言われりゃキレることを」

 

つまり殴らせようとしたってこと…?

 

そんなことあるのかな?

 

…私じゃ無理。どんなに必死になってても殴られるのは怖いよ。

 

「だから謝らねえ」

 

「……………ふふ」

 

「ああ?んだよ?」

 

「あ、いえ、すみません」

 

「別に謝ってほしいわけじゃねえんだけど」

 

「そ、そうですよね」

 

「ああ、で、なんだよ?」

 

「いえ、ただ…」

 

私から謝って欲しいだなんて一言も言っていないのに謝らないって言っていた。

 

それは多分本当は謝らなきゃいけないって分かってるし、これは私の勝手な思い込みだけど、本当は謝りたいって思ってるんじゃないかな…って思ってしまった。

 

「ただ?」

 

藤巻さんは悪ぶってるだけで、本当はそんなに悪い人じゃないんじゃないかな?

 

一言で言うなら…そう。

 

「なんちゃってヤンキーだなぁって」

 

「あ゛あ゛ん゛?!!」

 

「ひいっ!!すみませんすみません!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にゅっふっふー。

 

呼ばれてないのにじゃじゃじゃじゃーん!待たせたね皆の衆!

 

いや、ここは某傭兵さんに習おうかな?

 

待たせたな(激渋ボイス)

 

にゅふ、にゅふふふ。

 

なんでこんなにあたしがハイテンションなのか知りたいかね?知りたいよね?んー、しょうがないにゃあ。と・く・べ・つだぞ?もう。

 

何を隠そう今回のシャッフル企画を提案したのはこのしおりんなのだよ!

 

ゆりっぺパイセンは何かとあたしたちをくっつけようとしてるから懐柔するのに手こずらずに済んだのさ!

 

これもみゆきちの恋路のためなんです~よよよ~って言ったらとりあえずその臭い芝居をやめて跪きなさいって言われてその通りにしたらすぐに企画を通してくれたぜ!

 

え?めちゃくちゃ手こずってるやんって?ノンノン、ゆりっぺパイセンならそのまま放置が基本スペックだよ?

 

この話のどこまでが本当でどこまでが嘘かは自分で考えてね。しおりお姉さんとの約束だぞ☆

 

とにかく、ゆりっぺパイセンのお力を借り、見事あたしと大山先輩のペアを作ることに成功したというわけさ。

 

こうなればあたしのやることはただ1つ…

 

みゆきち…あとはあたしに任せな。

 

みゆきちの初恋は大成功間違いなしだぜ?

 

「のぶ代先輩」

 

「ん?なに?」

 

え?普通に反応してるけどいいの?舐められちゃいますよ後輩に。

 

「先輩みゆきちのことどう思います?」

 

「ぶはぁっ!」

 

おおう…ここまで分かりやすい反応の人中々いねえぜ…

 

「可愛いと思いません?」

 

「お…思います…」

 

わーお顔真っ赤~♪

 

ん~愛い奴よのぉ。

 

「ですよねぇ~みゆきち可愛いっすよねぇ~嫁にしたいっすよねぇ~」

 

「え、ええっと…嫁にしたいとかは分からないけど…」

 

なんだなんだ往生際の悪い奴め!

 

好きなんやろ~みゆきちのこと好いとるんやろ~?

 

まああたしの読みではまだ大山先輩は自覚してないと見てるんだけどね。

 

「けどなんです?けど…襲いたい、的な?」

 

「ち、違うよ!そんな危ないこと考えないよ!僕はもっと清らかな交際がしたいタイプだよ!って僕の恋愛願望とかどうでもいいよ!」

 

ほほーう…こりゃ益々みゆきちと相性バッチグーですなぁ。ノリツッコミまで披露してくれるなんて中々いないよこのご時世。

 

「ていうかどうしたのいきなりこんな質問?」

 

ん、ちょっと早い気もするけどまあいいよね。

 

「実はみゆきち今恋しちゃってるんですよ」

 

「……え?」

 

おうおうなんていう絶望的な顔してんだい?相手はあなた様でございますですよ?

 

だがしかぁし!ここでそれを暴露しては面白くな…げふんげふん、本当の愛は試せない!

 

今日ではっきり自覚してもらって、真の愛を掴んでもらうためにもここは心を鬼にして挑むよあたしゃ!

 

「相手は…すみませんちょっと言えないんですけどね。ただ年上で頼りがいのある人とだけ言っておきます」

 

大山先輩の性格的に頼れるとか言っておけばまず間違いなく自分のことは対象から外すはず…

 

「そ、そっか…やっぱり頼れる人がいいよね…」

 

計画通り…!

 

「せ、関根さん…?」

 

「はい?」

 

「今すごく怖い顔してたけど…」

 

「気にしないでください、定期的にゲス顔になるんで」

 

「き、気を付けた方がいいよ…女の子だしね」

 

いけないいけない。新世界の神になるところだった。

 

あたしは神になるんじゃなくキューピットになるんだから!

 

二人の恋の…ね。

 

「今度はにやけてるよ…?」

 

「乙女の嗜みです。そんなことよりみゆきちのことですよ!」

 

「そ、そうだったね。それでそれを僕にどうしろと?」

 

「みゆきちこれが初恋でどうにも告白をする勇気が持てないみたいなんですよねぇ~。なので、大山先輩!後生ですからみゆきちの背中を押してやってくだせぇ!」

 

「ええ?!僕?!」

 

「はい!この通りお頼み、お頼み申す~」

 

なぁ~んちゃって☆

 

これぞしおりん的トラップカード『ここで気づかなきゃ漢じゃねえ!』だぜ。

 

効果は相手に嫌でも自分の気持ちに気づかせる。だよ!

 

さあ、気づきなさいビッグマウンテン!あなたの心にあるその感情に!

 

そして叫ぶのです『みゆきちはわしのもんじゃぁぁぁぁ!』と!!

 

「……分かったよ」

 

「そうですその調子ですいけいけ~!……え?」

 

「僕も入江さんの告白の応援するよ」

 

「え…あ…ほ、本当ですかぁ~?嬉しい~!」

 

我ながらなんて棒読みだよ…ちっ、膝が震えてやがるぜ…恐怖でな!!

 

ど、どうしましょう…大山先輩の性格を考慮してなかったでごさるぅ~!

 

小生一生の不覚…!

 

ど、どうしよう、本当にマジで冗談抜きにどうしよう…

 

ゆ、ゆりっぺパイセン~!

 

 

 

 

 

 

 

 

「…はぁ」

 

半泣きになりながら隠しカメラの向こう側にいるあたしたちに助けを求める関根さんの姿を確認して額を抑える。

 

頭が痛いわね…

 

「やはり関根さんの作戦に乗るのは間違いだったのでは?」

 

「結果的にね…」

 

まさかあんなに自信満々で『あたしに任せてください!こういうことは百戦錬磨っす!』とか言っておいてこんな愚策を披露してくるだなんて思わないでしょう、普通。

 

わざわざくじを仕組んで振り分けてあげたのに完全に裏目じゃないの…!

 

「しかもなんか他の組も良い感じになってるのはなんでなのよ?!」

 

「もしかすると本来相性がいい組み合わせなのかもしれませんね」

 

こちらでは、と意味深に呟く。

 

まあ意味深も何もない。言葉の通りなのだけれど。

 

本当にこっちでは、というだけの話だ。

 

向こうでは考えもしなかった組み合わせ。そもそも向こうでならうまくいくかも分からない組み合わせ。

 

こちらだからこそ、今だからこそ起きるこの雰囲気。

 

それは彼ら彼女らが向こうの彼ら彼女らとは同じであり、しかし確実に違う人物であることを示している。

 

それでも…

 

「それでも拘るのですよね?」

 

…ふん、見透かしたようなこと言っちゃって。

 

「当たり前じゃない。じゃないと集めた意味がないわ」

 

集めたというには運に頼りすぎているが、しかし最終的にここまで持ってきたのはあたしだという自負がある。

 

「とにかく今すぐこの作戦は終了よ。皆に伝えてきてちょうだい」

 

「了解しました」

 

「あと、遊佐さん」

 

「はい?」

 

「あたしはあなたの想いも無下にする気はないからね」

 

「……分かっていますよ」

 

「そ、じゃあ行ってきて」

 

「了解しました」

 

パタンと優しく扉が閉まる音が耳に残る。

 

さて…とりあえず関根さんにはきついお灸を据えなきゃねぇ…?

 

 

 

 




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「それが好きな人にしてあげたいこと…かなぁ」

あまりにも題名をつけるセンスがないので前作の様式に戻させて頂きました。


「みゆきちぃ!みゆきちぃやぁ~!!」

 

ああ…なんだろうこんな朝一番から嫌な予感しかしないよ…?

 

本当なら嬉しいはずの親友の声…なんだけど…こういう時って絶対厄介事持ってきてるからなぁ、しおりんは…

 

「どうしたの?」

 

「どうしたもこうしたもないよ!みゆきちの恋路の危機だよ?!」

 

「ちょっ…!」

 

しおりんが珍しく朝早くから登校してきたと言っても(私はいつもこれくらい)流石に教室のど真ん中でそんなことを大声で叫ばれると私の精神が……って…

 

「こ、恋路って?」

 

色んな要素が絡まって混乱しつつもとにかく人に聞かれないようしおりんの耳元に口を寄せる。

 

「おおう、美声…」

 

「もう、ちゃんと聞いて…!」

 

「ごめんごめん、えっと、話せば長くなるんだけど…かくかくしかじかで…」

 

今度はちゃんと周りに気を使ってくれたしおりんは同じように声を殺しながら初めの台詞に至った経緯を語ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「な…んで…そんなことになってるの…」

 

あまりの展開に絶句する。

 

えっと…しおりんが余計なことをして誤解されてる…っていうのはよくあることだけど…でも、でもぉ…

 

「酷いよしおりん~…」

 

「ああああ!!な、泣かないでみゆきち!」

 

怒りとか悲しさとかが頭でかき混ぜられて思わず目の前が滲んでいく。

 

まだ好きになって間もなくて、周りから見ればそれは恋とも呼べないくらいの物だったかもしれないけど、それでも…初恋だったのに…

 

それが何か行動を起こすことも出来ない内に終わっちゃうなんて…

 

「無理だよ~…」

 

「み、みゆきち…」

 

胸が痛い。

 

体育祭の前、スランプに陥って皆の足を引っ張ったときとはまた違った辛さが駆け巡っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初夏も終わりを迎えてようやく衣替えの移行期間が終わって、夏服で統一された今日この頃。

 

この季節、まだこの学校ではエアコンではなく天井に設置されたいくつもの扇風機を回して暑さをしのぐらしい。

 

それでも耐えられる気温ではある、だけどやはり汗は滴っていく。

 

そしてその汗と共に、みゆきちの目から水滴が1つ、2つと溢れていく。

 

それを見て私の背中にも、冷たい何かが伝っていくのが分かった。

 

「み、みゆきち…」

 

あたしは事がここに至って初めて自分のやったことの酷さを明確に認識した。

 

よかれと思ってやった。

 

それは間違いない。

 

それにやったことが間違いだとも思ってない。

 

実際大山先輩は明らかにみゆきちのことを意識してた。それがたまたまこういう形になってしまっただけで。

 

…でも、失敗だったんだ。

 

中学からずっと一緒にいたみゆきちのことは、なんでも知ってる。

 

あたしが何かバカなことをやって呆れることはあってもいつも困った顔で笑ってくれる優しいみゆきち。

 

……だったんだ、今までは。

 

今は、恋をしてるんだ。それも、初恋。

 

恋をすると女は変わる、なんて言葉がある。

 

まさに今のみゆきちはそれなんだ。

 

大山先輩を好きになって、始まったばかりのその気持ちを大事にしたかったんだ。

 

いつもなら困って笑うあたしの暴走で泣いちゃうくらいに。

 

そもそもみゆきちは大山先輩のこと好きなんだよねと訊いた時に、分からないからって嘘をついていた。

 

今までほとんどついたことがなかった嘘を。

 

その時点でこの恋を、どれだけ大事に思っているのかを察しなければいけなかった。

 

なのに…間違えた。

 

あたしに恋の経験がないから、みゆきちの真剣な気持ちを踏みにじっちゃったんだ。

 

じゃあそのお詫びとして恋をして、みゆきちに潰してもらおう!なんて、都合よくは出来ない。

 

「…みゆきち」

 

「…?」

 

だからやるしかない。

 

「ごめん…いくらなんでもやりすぎた…でもお願い!ここから先あたしの言う通り行動して!」

 

「え、ええ?!」

 

「今度は絶対間違えないから!」

 

大山先輩の気持ちは分かってるんだから、何がなんでもみゆきちの恋を、ここから成功まで持っていくんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…」

 

カンカンと照りつける太陽を受けながら僕は思わず溜め息をつく。

 

原因は暑さじゃなく先日の関根さんの言葉だ。

 

入江さんに好きな人がいる…らしい。

 

だからってなんで僕が落ち込むのかは、僕にもよく分からない。

 

「どーした大山?なんか元気ないな」

 

さっきまで何かの言い合いをしてた日向くんが僕の溜め息を聞いて、ひょいと顔を覗きこんでくる。

 

「ううん、ちょっと考え事してただけ」

 

「なんだよ水臭えな。悩みごとなら相談のるぜ、幼馴染みじゃん」

 

「その通りよ!」

 

日向くんの台詞に乗っかる形で入ってきたのは、さっきまで日向くんと口論していた相手のゆりっぺだ。

 

ゆりっぺが僕の悩みを気にしてくれるなんて…!

 

「…どうしたんだゆりっぺ…?なんか怪しいぞ?」

 

「なんでじゃあ!?!」

 

「ぐるふっ!」

 

日向くんの顎に強烈なアッパーカットが放たれる。

 

日向くんは一時的に重力から解き放たれ、空中を浮遊し地面に叩きつけられる。

 

「おおい!何もここまでやる必要なかっただろ?!」

 

「あるわよ!あたしが貶されたんだから!」

 

けどそんなことがなかったようにすぐに飛び起きて元気にまた口論を始める日向くん。

 

いつからかなのかはもう忘れたけど、こんな光景も日常茶飯事だ。

 

「んだとぉ?!」

 

「なによ?!」

 

「あはは…はぁ…」

 

そして僕のことが忘れられるのも…ね…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局そのまま二人を宥めることに終始してなんとか遅刻せずに登校できた。

 

悩みごとがあると時間はあっという間に過ぎていくもので、気づけば放課後になっていた。

 

放課後…つまり部活…部活に行くということは、入江さんに会うわけで…ということは…

 

「応援しなきゃ…ダメなんだよね…」

 

「何をだ?」

 

「え…?あわわ!口に出てた?!」

 

「あ、ああ…」

 

やっちゃったぁ…すぐに考えてることが口に出ちゃう癖、早く直さないとなぁ…

 

「もしかして聞かれたくなかったのか?」

 

僕が頭を抱えているのを見て神妙な面持ちになる音無くん。

 

「う、うん…ちょっと悩んでて…結構デリケートなことっていうか」

 

「…そっか。悪いな、聞き耳立ててたわけじゃないんだけどさ」

 

「ううん!むしろ心配してくれてありがとうね」

 

聞かれたのが音無くんで良かったと心から思う。

 

もしこれがゆりっぺだったらと考えると………本当に良かったぁ!

 

ゆりっぺはすごく強くて格好いいし、本当は優しいのも分かってるけど…ちょっと強引だからなぁ。

 

「悩むのは悪いことじゃないけど、悩みすぎは良くないぞ」

 

「そうなの?」

 

「ああ、まあ分かりやすいことで言うと、隈出来てるぞ。考えすぎて眠れなかったんだろ?」

 

「あ…うん」

 

「1日2日の話なら良いんだけどな。もし長引くようなことなら、誰か頼った方がいいぞ。睡眠不足は思ってるより負担になるから。誰もいないなら俺も話聞くしな」

 

「そうなんだ。うん、わかったよ、ありがとうね!」

 

「いいって、それより部活に行こうぜ。ゆりにどやされるぞ」

 

「あはは、そうだね」

 

誰かに頼る…かぁ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも通りに部活が始まる。

 

僕らマネージャー組はとにかくガルデモの演奏を聴くのが主な活動だ。

 

と言っても、音楽の知識なんて無いに等しい僕らに出来ることはほとんどないんだけど。

 

ゆりっぺが言うには同じ空間にいることが大事…らしい。

 

だからガルデモが演奏してる間は雑談したりすることが多いんだけど、僕は今皆とは少し離れて演奏を聴いている。

 

いや、入江さんを見ているって言う方が的を射てるかもしれない。

 

頭ではずっと入江さんが誰のことを好きなのか、これからどうするか、僕はなんて言ってあげればいいのか…そもそも僕はどうしたいのか。

 

そんなことばかり考えてしまっているから。

 

背中を押してあげて欲しい…と言われても、僕にも恋の経験なんてないし…

 

そもそもこんな人が大勢いる時にそんなデリケートな話なんて…

 

「おい、おーい、大山?」

 

「え?あ、ごめんなに?」

 

つい考え事の方に集中しすぎて柴崎くんの声が耳に入ってきていなかった。

 

まさか…口に出てないよね?さっきみたいに。

 

「もう下校時間だから帰るぞ。ていうかずっと思ってたけど寝不足なんだろお前?今日はさっさと帰って早く寝た方がいいぞ」

 

「あ、うん。ありがと。そうしようかな」

 

「おーっと大山先輩!寝不足なところ悪いのですがちょいと面貸してくだせぇ!」

 

音無くんに指摘された隈を柴崎くんにも指差され、そんなに酷いならとりあえず寝た方がいいかなと思ったところで関根さんが反復横跳びみたいなポーズで割り込んできた。

 

「はあ?なんだお前また良からぬこと考えてんじゃないだろうな?」

 

「違うよ!今回は真剣なんだから!」

 

「た、確かにいつになく瞳孔が開いてるな」

 

「嘘?!それ乙女としては駄目な奴じゃ?!」

 

「それは今更だと思うなぁ」

 

この間も急ににやけたりしてたしね。

 

「ひどい!って、そんなことどうでもいいんです!とにかく行きましょう!」

 

「わ、分かったからまず鞄だけ録りに行かせて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何とか鞄だけは取らせてもらって、そのあとはされるがままに引きずられた。

 

今日何も言わなかったから怒ってるのかな?とか、もしかして今後どういう風に相談にのるつもりなのか問い詰められるのかな?とか考えてる内に校門まで連れていかれる。

 

そしてそこに一人の人影があった。

 

ていうか、入江さんだった。

 

「えええぇぇぇぇ?!」

 

「どうしたんすか?」

 

「な、何か悪いことしちゃいましたか?」

 

思わぬ展開に気が動転して叫んでしまった。

 

いやいや、でもよくよく考えたらそれくらい想定しとかなきゃだよね…

 

「い、いや全然問題ないよ」

 

「顔引きつってるっすよ?」

 

「あの…迷惑でしたか?」

 

「う…」

 

もちろん迷惑だなんて言うつもりはないけど、もし仮に迷惑だと思っていてもこんな顔をされるとそうとは言えないはずだ。

 

それくらい今の入江さんの表情は泣きそうだった。

 

だけどその姿がまた…なんというか…胸にくる…悪い感じではなくて、むしろ心地いい衝動で。

 

「全然!で、えっと…やっぱりあの話だよね?好きな人…とか」

 

好きな人、と言おうとした途端にさっきまでの心地いい衝動が止んで胸が苦しくなる。

 

さっきのが甘い衝動なら今度のは苦い衝動だ。

 

なんなんだろう…僕は…

 

「は、はい」

 

また、ズキンと今度はさっきよりももっと苦い痛みが走った。

 

誰かを想って頬を染める入江さんを見ることが引き金になっていることは分かる。

 

でも、だからなんなんだろう?

 

僕はどうしたらいいんだろう?

 

「じゃあ場所移そ。こんな知り合いが大勢いるとこじゃ話せないしね」

 

そんな苛立ちが僕の語気を少し強めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………」

 

場所を近くのファーストフード店に移し、本題に入…りたかったんだけど何故かお互い黙ってしまっている。

 

入江さんはさっき僕の語気が強まったことに怯えてしまったのか中々切り出さなかった。

 

そして僕もさっき思わず強い口調になってしまったことが口を開くことを躊躇わせていた。

 

いや、でもここは僕から訊いてあげないと!

 

「「あ、あの!」」

 

「「あ、そ、そちらからどうぞ」」

 

互いに同じことを考えてたのか入江さんと僕の声が被り、遮ってしまった。

 

もしここに関根さんがいたら「ベタすぎでしょ!」とつっこまれていたいたかもしれない。

 

ちなみにその関根さんはと言うと、店の前で別れた。

 

なにか用事があるらしかった。

 

そうして僕ら二人きりになって、今に至る。

 

「…う、…なぁ」

 

「え?」

 

「あ、その、な、なんでもないです!早口言葉を、ちょっと!」

 

は、早口言葉…?

 

「か、滑舌の特訓を!」

 

「へ、へぇ~」

 

ド、ドラムにも滑舌って必要なのかな?

 

「え、えっとそんなことはどうでもよくて!あの、私のその…好きな人の話なんですけど…」

 

「あ、うん…」

 

「しおりんから大山先輩が応援してくれるって聞いたんですけど…?」

 

「うん、言ったよ?」

 

確かに言った。

 

関根さんに入江さんに好きな人がいる、だから応援してと言われて、確かに頷いた。

 

あのときもこんな風に胸が苦しいまま。

 

苦しくても、入江さんには幸せでいて欲しいなって思っちゃったから。

 

「あ、ありがとうございます…それで、あのぅ…大山先輩は、交際経験がありますか?」

 

「え?ないけど…」

 

「そ、そうですか!」

 

ん?なんでちょっと嬉しそうなんだろう?

 

というか、あんまり質問の意図が分からない。

 

「で、では片想いをしたことは?」

 

「それもない…けど」

 

「そ、そうなんですかー」

 

…なんでちょっとにやけてるんだろう?

 

「ちょ……て…!」

 

「あの…入江さん?」

 

「は、はい?!これは早口言葉ですよ?!」

 

「う、うん、そうじゃなくてね」

 

本当はその早口言葉も気になるけど…

 

「あの、なんでそんな質問を?」

 

「ええっとですね……大山先輩に、恋愛経験があれば、参考に出来るかな、と思いましてです」

 

「思いましてです?」

 

「す、すみませんちょっと噛んでしまいました!」

 

「そ、そうなんだ」

 

噛んだっていう感じじゃなかったんだけど…

 

しかもなんだかしゃべり方がぎこちない気も…

 

でもこれ以上問い詰めるともう既に目が回りそうなくらいテンパっている入江さんが再起不能になりそうだし…

 

ここはとりあえず話を進めとこう。

 

「あのーごめんね?僕、恋とかよく分からなくて…役に立たないよね、こんなんじゃ」

 

「そ、そんなことないです!私は大山先輩が背中を押してくれればその…すごく頑張れますし…」

 

「あはは、ありがとね」

 

「嘘じゃないです!体育祭の時だって大山先輩が応援してくれたから頑張れたんです!」

 

「う、うん…」

 

入江さんの勢いに飲まれてつい尻すぼみな言葉を返してしまう。

 

まさかこんな風に思ってくれていたとは夢にも思わなくて。

 

だって、入江さんは他の誰かが好きで…僕なんかのことは……

 

って、そんなこと関係ないじゃないか!

 

恋と信頼は全然別物!そんなことくらい僕でも分かる…なのに、なんでそんなこと思っちゃったんだろう…?

 

「だから…役に立たないとか言わないでください…」

 

「…うん。ごめんね、もう言わないから」

 

今にも泣きそうな入江さんを見ると、そう言う他なかった。

 

…なんだか僕、入江さんに弱いなぁ…

 

入江さんが泣きそうだったり、辛そうだと堪らなくなる。

 

僕がどうとかよりも入江さんを優先したくなる。

 

これって先輩として当たり前…なのかな?

 

「じゃあ僕はどんな風に応援したらいいかな?その好きな人に探りを入れるとか?」

 

「い、いえ、そこまでお世話になるわけにはいきませんから!その……大山先輩が、好きな人には、どんなことを、してあげたいと思うか、教えてください」

 

「え?でも僕、さっきも言ったけど片想いもしたことなくて…」

 

「想像で、大丈夫なので、もし好きな人がいたら、どうしてあげたいですか?」

 

「う、うーん…」

 

困ったなぁ…

 

もし好きな人がいたらかぁ。

 

あまりにも想像がつかなくて何も浮かんでこない。

 

「えっと…?例えば、私みたいに、ドラムとか、何かに夢中な女の子だったら、どうですかね?」

 

「何かに熱心な子…」

 

そこで僕は思い浮かべる。何かを必死に頑張っている、例えばそう、入江さんたちガルデモのメンバーのような子を。

 

きっと僕に構ってられない日も来ると思う。

 

失敗して心が折れそうな時もあると思う。

 

その逆に成功して嬉しい時もあると思う。

 

そんなとき僕は……

 

「寄り添いたい…かな…」

 

「寄り添う、ですか?」

 

「うん」

 

この時僕は不思議な感覚に陥っていた。

 

まるで起きながら夢を見ているみたいな感覚。

 

「何かに夢中なら、挫ける時も、成功するときもあると思うんだ」

 

そしてその夢は…あの夢だ。

 

広すぎるくらい広い学校で恋人と一緒に過ごしている、あの夢だ。

 

「もしね、スランプとか、ライブで失敗してたら僕が支えてあげたいんだ」

 

「…はい」

 

あの夢の子も、ドラムをしていた。

 

これは長年同じ夢を見てきて初めて知ったことだった。

 

でも何故かそれをあっさりと受け入れている自分もいた。

 

「逆に上手くいってその子が喜んでるなら、僕も一緒に喜びたいんだ」

 

「…はい」

 

そう、夢の子もそうやって一喜一憂していた。

 

僕はその時々で、励まして、悲しんで、喜んで、その子がまるで自分と一心同体みたいになっていた。

 

「それが好きな人にしてあげたいこと…かなぁ」

 

それは間違いなく愛情だった。

 

「………って、な、何語っちゃってるんだろうね僕?!あはははは!」

 

語り終わるとパタッとその白昼夢みたいなものは無くなって、ずっと起きていたのにたった今目を覚ましたように感じる。

 

我に帰ると、自分がいかに恥ずかしいことを口走っていたかが沸々と理解できた。

 

うわぁ~やっちゃったよぉ~!引かれてないかな…?

 

ちらっと入江さんの顔を窺うと…

 

「?!」

 

僕の語りにドン引きして青ざめてるかと思っていた顔は、想像とは正反対に真っ赤にゆだっていて、目もうるうると潤んでいた。

 

「ど、どうしたの?!」

 

引かれている反応…ではないと思うけど、この反応がどういう意味なのか分からなくて必死に問いかけてしまう。

 

「い、いえ…あにょ…あの…じ、時間をください…」

 

「う、うん…」

 

そう言って入江さんは自分の胸に手を当てて深呼吸を始めた。

 

すぅ~はぁ~と2、3回繰り返して、ぐっと胸の前で手を握りしめて僕の方を見据えてくる。

 

「あの…」

 

「な、なに?」

 

「大山先輩は体育祭の時…私を、スランプで悩んでる私を、支えてくれましたよね?」

 

「ん?うん…そう、だね、多分」

 

自信はないけど、当の本人の入江さんがそう言ってたんだからきっとそうだと思う。

 

「あれは、マネージャーだからですか?」

 

「え?いや、多分そうじゃなくても入江さんが頑張ってるのに気づいたら同じことをしたと思うけど…?」

 

ゆりっぺから与えられた役割っていうのはもちろんあったけど、でも応援したくなったのは入江さんの努力を知ってたからで…そんなところを見たら僕がなんとかしてあげれないかなって思っちゃって…

 

「それは…さっき言ってた好きな人にしてあげたいことと、同じ…じゃないですかね?!」

 

「……………………」

 

その言葉が意味することを理解するのに数十秒時間がかかった。

 

確かに一緒かも…?

 

じゃあ好きな人にしてあげたいことを入江さんにしてたんだ。

 

ん?じゃあ僕は入江さんが好きってこと?

 

んんんん?

 

「…え、ええええぇぇぇぇ???!」

 

ちょ、ちょっと待って!落ち着いて僕!

 

確かにそうかもしれないけどもしかしたら後輩を思う先輩としての行動かもしれないじゃないか!?

 

「…大山先輩は、私に好きな人がいるって聞いて、どう思いましたか?」

 

「ど、どどどうって…なんだかモヤモヤ?したかも…ちょっと八つ当たりみたいなこともしちゃったし…」

 

「多分私も好きな人に他に好きな人がいたらそうなると思います!そんな風に嫉妬しちゃうと思います!」

 

相変わらず真っ赤なままで言い切る入江さんの言葉を、またも理解するのに時間がかかる。

 

嫉妬…?

 

嫉妬って漫画とかでよく見るあの?少女漫画とかでそれを見ては僕には関係なさそうだなと思ってたあの?

 

でも、そうなら辻褄が合う…かも…

 

いや…それ以外合わない…かも…

 

ゆりっぺの命令でマネージャーになって、初めて二人きりで話した時、入江さんが嬉しそうなのを見て胸が弾んだ。

 

寂しそうに笑ったのを見て胸が痛くなった。

 

この子は僕が守ってあげたいと思った。

 

体育祭の時はそれが少し形になった。

 

そっか、僕………

 

「入江さんのこと、いつの間にか好きになってた…」

 

「っ?!本当ですか?!」

 

「あ…!」

 

つい口をついて出た言葉は入江さんの耳にも届いてしまったみたいで、僕は激しく動揺する。

 

「ご、ごめん!入江さんには他に…好きな人がいるのにね!本当、忘れて!」

 

こんな気持ちは入江さんにとって迷惑にしかならないと分かってる。

 

自惚れじゃなければだけど僕は入江さんに少しだけ信頼してもらえている。その信頼を裏切ることもしたくなかった。

 

ううん、失望されたくなかっただけかもしれない。

 

初めから下心ありきで助けたんだと思われたくなくて、今必死になって否定しているのかもしれない。

 

でも、そんな考えは次の瞬間には吹き飛ばされていた。

 

「わ、私も大山先輩が、す、好きです!!」

 

「え…っと…?」

 

僕は今日またもやその言葉を理解するのに時間がかかっていた。

 

僕が好き…?

 

というか今回は本当に理解できなかった。

 

「で、でも入江さんには誰か好きな人がいるんじゃなかったけ?!どういうこと?!」

 

「そ、その好きな人が大山先輩なんです!」

 

「つ、つまりどういうこと?!」

 

「ええ?!これ以上説明出来ないですよぉ!」

 

「え、えっと…つまり…」

「ここで呼ばれてないのにジャジャジャジャーン!しおりんこと、関根・クリスティーヌ・しおり召喚!!」

 

「うわぁ?!せ、関根さん?!クリスティーヌ?!」

 

「そこには反応しても何も出ないですよ~?」

 

混乱してる頭でなんとか状況を整理しようとしてると、僕らの座っている席の後ろから関根さんが突然顔を出した。

 

これでさらに僕の頭は混乱していく。

 

もう僕の頭は戦乱の世のように荒ぶっていた。

 

「いやあ、乱世乱世!」

 

「…ま、とりあえず大山先輩のブレイクタイムに入ろうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕のブレイクタイムと称して飲み物を注文してくれた関根さん。

 

その持ってきてくれた飲み物をグイッと一息に煽って頭を冷やす。

 

「プハァ!で、今回は一体全体どういうことなの?」

 

口の端を手で拭いながら説明を求める。

 

「そ、それはですね…」

「みゆきち、今回のことはあたしから説明させて」

 

入江さんが口を開こうとしたところを手で制す関根さん。

 

その表情はさっきまでのゆるい雰囲気とはまるで違っていた。

 

「まずは、本当にすみませんでした!」

 

「ちょ、ちょっと待って?まだ説明されてもないし、何を謝ってるのかも分からないよ?」

 

「謝っとかないと気が済まなくて。じゃあ説明させてもらいますね」

 

そうして関根さんは今回の経緯を説明してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり…僕を煽ろうとして失敗して、事をこじらせちゃった…ってこと?」

 

「そうです、すみませんでした!」

 

「謝るようなことじゃないよ!僕こそその時に気づけなくてごめんね!」

 

「そんな、大山先輩が謝ることじゃ…」

「ううん、僕が悪いんだよ。僕がそこで自分の気持ちに気づいてれば良かったんだし…それに、関根さんはそのあときちんとこうやって責任を取ってくれてるんだし。本当にありがと」

 

「わ、私からも、ありがとうしおりん!」

 

「……う…」

 

う?

 

「うう…」

 

「し、しおりん?」

 

俯いてふるふると肩を震わす姿を見て入江さんは心配そうに関根さんの顔を下から覗きこもうとする。

 

その瞬間、関根さんはがばっと顔を上げて立ち上がった。

 

「うわーっはっはぁー!!でしょ!?でしょ!?しおりんすごくないですか?!まさに有言実行!やっぱりあたしは流石だよねぇ!」

 

「「………………………」」

 

まさに開いた口が塞がらないっていう感じだった。

 

は、反省しないなぁ…まあしなくてもいいんだけど…

 

「じゃああたし帰るね!あとは若い二人でどーぞ!」

 

「ちょっと待ってしおりん!」

 

「色んなネタばらしはみゆきちに頼んだ!あ、あと、店出た方がいいよー」

 

「え?」

 

「ま・わ・り・めーっちゃくちゃ見られてるよん?」

 

ウィンクしながらのその言葉を聞いて周りを見渡すと、にやにやとした人たちで埋め尽くされていた。

 

「~~~~?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急いで二人で店を飛び出てその勢いのまま人気のいない空き地に行き着いた。

 

関根さんは僕たちが動揺している間に既にいなくなっていた。まるで忍者の末裔なのかと思うくらい見事な逃げ足の早さだった。

 

「……………」

 

人気のないところに落ち着いて、何かを言わなければいけないんだけど何を言えばいいのか分からない。

 

もうお互い告白を終わらしている状態で、でもまだ関係は恋人じゃない。

 

そんな不思議な状態で何から話始めたらいいのか…と考えたところで関根さんが去り際に言っていたことを思い出す。

 

「あ、あの…ネタばらしって?まだ何か驚くようなことがあったりするのかな?」

 

「あ、それは…これです」

 

そう言って耳元の髪を耳にかける。

 

そこにはイアホンのようなものがついていた。

 

「これで後ろで話を聞いているしおりんから何を言うか指示されてたんです」

 

「あ!だからちょっと話し方が変だったんだ!」

 

「はい、すごく難しくて…」

 

「そうなんだ」

 

「あの!でもちゃんと自分の言葉で喋ってたところもあるですよ!例えば…その…応援されて嬉しかったこととか…す、好き…とか…」

 

「う、うん…」

 

自覚すると途端に赤くなって俯く姿がより一層にたまらなく可愛く見えてきた。

 

それはさらに入江さんへの好きっていう感情を強くしていく。

 

や、やっぱり、こういうことは男の僕から言うべきだよね!

 

「あの…」

「大山先輩!わ、私と付き合ってくれませんか?!」

 

「え…」

 

僕が決心して切り出そうとしたところで先を越されてしまった。

 

ぼ、僕って本当ダメだなぁ…

 

「嫌…ですか…」

 

先を越されたショックで項垂れてるのを見て断られるのかと今にも泣きそうな顔をする入江さん。

 

「ち、違うよ?!すごく嬉しい!…でも、僕からもう一回言わせてもらっても…いいかな?」

 

「あ…はい…!」

 

「ぼ、僕は…」

 

答えは分かってるのに口にしようとすると胸がバクバクと鳴って口の中が乾いていく。

 

告白するってことがこんなに緊張するものだって、初めて知った。

 

それでも入江さんに似合う男になるためにも口にしなきゃいけない。

 

「僕は入江さんが好きです!付き合ってください!」

 

「…はい…!こちらこそよろしくお願いします…!」

 

「やっ…?!」

 

「?!」

 

やったぁ!と喜ぼうとした瞬間、頭に大量な何かが流れ込んできた。

 

 




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『…はい…また、一緒です…!』

「皆聞きなさい!」

 

さあそろそろ帰ろうかという時間に差し掛かったところでドン!と、いきなり強く足を踏み鳴らして仲村が一同の目をひく。

 

「ついにあたしたちから青春への第一歩を踏み出した者が現れたわ!」

 

「青春への第一歩?」

 

唐突かつ意味不明な言葉に首を傾げる。

 

まあ意味が分からんのはいつものことだが。

 

「大山さん、入江さん、前へ」

 

雑然と散らばっていた部員の中から2人を指名し、自分の下に呼び、大山と入江もまた、そうなることを知っていたように迷いなく近づいていった。

 

「報告はあなたたちからなさい」

 

「うん」

 

…報告?

 

2人は目を合わし、せーのと掛け声をして同時に口を開く。

 

「僕たち(私たち)付き合うことになりました!」

 

「「「「「「…………………………おおおおおおお???!!」」」」」」

 

部員の全員がその言葉を理解するのに時間を要した。

 

だが理解出来るやいなや俺を含め皆目を剥いて驚いてしまう。

 

「どういうことだ大山てめえ?!」

 

「抜け駆けか?!ずりぃぞ!」

 

「OH!山ちゃーん!隅に置けませんねぇ!」

 

「いたたたた!痛いよ皆ぁ!」

 

大山は男子陣から手荒い祝福…なのか嫉妬なのかを受け。

 

「入江!マジなのか?!」

 

「は、はい…」

 

「なんでまた大山なんだ?」

 

「ふふーんそれはですねぇ」

 

「お前にゃ訊いてない」

 

「そんなぁ!あたし今回頑張ったんですよ!ね、みゆきち?」

 

「うん。それと同じくらい足引っ張ってたけどね」

 

「辛辣!」

 

「まあいいじゃないか関根のことは。おめでとう、入江。次はあたしと柴崎の番だな」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「あたしの扱いー!」

 

女子陣は、というかガルデモはいつもと変わらず仲良さげに会話を始めていた。

 

岩沢の台詞は聞き捨てならないが。

 

「青春への第一歩、か」

 

流れに乗り遅れた俺の隣で音無がぼそりと呟いた。

 

「ん?」

 

「いや、恋愛が青春への第一歩だって言うなら、俺はまだ一歩も歩き始めてないんだなと思ってな」

 

「あんなの仲村が勝手に言ってるだけだろ?こうやって部活ではしゃぐのだって青春じゃん」

 

「まあ…そうなんだろうけど、なんていうかゆりの言うことも分からなくないんだ」

 

「音無も恋愛したいのか?」

 

「…分からない。でもすごく大事なものだった気がするんだ」

 

胸に手を当てて俯く音無。

 

それに倣って俺も胸に手を当てる。

 

恋愛…か。

 

そう考えてまず思い浮かんだのが、あの夢だった。

 

う…まだあの夢のこと吹っ切れてないのか俺………って、あれ?最近あの夢見てない気が…

 

「はーい静かに」

 

パンパン!と、手を叩くだけで仲村が一斉に皆を黙らせる。

 

俺もとりあえず夢のことは置いておいて仲村の方に集中する。

 

「皆2人のことで盛り上がるのは分かるけど今日はもう下校時間よ。続きは明日、ね」

 

「ちぇ~、ん?つか、別に今から帰るんだしどっか寄り道して根掘り葉掘り聞き出せばいいんじゃね?」

 

「お、それナイスアイデアだぜ日向」

 

「ダーメ。今日は2人にちょっと話があるから残ってもらうの。長引くかもしれないから先に帰りなさい」

 

「あ!ずりぃぞゆりっぺ!そう言って自分だけ抜けがけして色々訊くつもりだろ!?」

 

「なんであたしがそんなめんどくさいことすんのよ馬鹿!いいから…」

 

仲村は長机の上に雑に放られていた日向の鞄を持ち主の胸に軽く放り

 

「さっさと帰らんかーい!」

 

「ぐほぇっ?!」

 

その鞄越しに強烈な飛び蹴りを食らわせた。

 

容赦なく蹴られた日向は扉に激突するように吹っ飛ばされ……すぐさま立ち上がった。

 

不死身なのかコイツ…

 

「ゆりっぺぇ!そりゃいくらなんでもやりすぎだろ?!」

 

「へぇ…まだ食い下がるつもりかしら…ひ・な・た・くん?」

 

「ひぃっ!わ、分かった!分かった!帰ります帰らせて頂きます!ちくしょうー!覚えてろよ大山ぁ!」

 

「僕?!」

 

「さて…」

 

とてつもなくダサい捨て台詞を吐いて出ていった日向を見届け、仲村はゆっくりとそれを見ていた俺たちの方に振り返る。

 

目が明らかに狩人のそれだった。

 

「あなたたちも、帰るわよね?」

 

俺たちに頷く以外の選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆が出ていったのを確認して、ゆりっぺが口を開く。

 

「さて、大山くん、入江さん、本当におめでとう。あなたたちがまた付き合ってくれて嬉しいわ」

 

「ありがとうゆりっぺ」

 

「ありがとうございます」

 

改めて言われた祝福の言葉に少し照れながら応える。

 

「でも、驚いたよ。入江さんと付き合えるんだって喜ぼうとした瞬間にあんなことになるなんて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…はい…!こちらこそよろしくお願いします…!』

 

『やっ…?!』

 

『?!』

 

やったぁ!と喜ぼうとした瞬間、頭に大量な何かが流れ込んできた。

 

それは「記憶」だった。

 

あの世界で経験した全てのことが猛烈な勢いをもって脳に送り込まれた。

 

かろうじて保っている意識の中で自分の目の前にいる入江さんも僕と同じように頭を抑えているのが見えた。

 

無我夢中に入江さんの手を握り、記憶が戻りきるまで堪えた。

 

最後の記憶まで見終わった時、僕らは涙を流していた。

 

どちらからともなく繋いでいた手を引き合い、抱きしめた。

 

『約束…守れたよ…』

 

『…はい』

 

『僕たち…本当に、また…』

 

『…はい…また、一緒です…!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆりっぺも同じようになったの?」

 

「ええ」

 

「あの、他に記憶が戻っている方は…」

 

「それならもう来る頃でしょう」

 

そう言うと同時に部室の扉が開けられた。

 

「大山さん、入江さん、おめでとうございます」

 

「今夜はPartyやね~!」

 

「あさはかなり」

 

「入江、おめでとう。記憶が戻ってきてくれて嬉しいよ」

 

ゾロゾロと入ってきたのは、遊佐さん、TK、椎名さん…先生、そして岩沢さんの4人だった。

 

「……千里くん…はともかく、野田くんは?」

 

「ゆりっぺはんに嫌われてたまるかぁ~!言うてGo homeですわ」

 

「現在進行形で嫌いになってるんだけど…?」

 

「あさはかなり」

 

野田くん、相変わらずだなぁ…

 

「って、千里くん?!千里くんって戦線にいたっけ?!」

 

「あの子は…まあおいおい本人から話してもらって。でもあの世界にいたのは事実よ」

 

「そう…なんだ」

 

確かに記憶が戻ってから千里くんの存在が気になってしょうがなかったんだけど、千里くんもあそこにいたのか。

 

「岩沢さん…私、また岩沢さんとバンドが出来て…すごくうれしいくて…」

 

「分かってるよ。あたしもずっとそう思ってたから」

 

「い、岩沢さぁ~ん…」

 

「あー、ほら泣き止みなってば」

 

僕が千里くんの方に気を取られてる内に入江さんが岩沢さんと抱きあってた。

 

号泣しちゃってる入江さんと、それに困りながらもつられて少し目が潤んでる岩沢さんを見ると、今はそっとしておいた方がいいなと感じた。

 

「それにしても」

 

ざっと、今いるメンバーをもう一度見直してみる。

 

「なんていうか、記憶が戻ってみると、記憶持ちなのが納得なメンバーだね…言動的に」

 

もちろんここにいない野田くんも合わせて。

 

「そうかしら?記憶のないメンバーだって、あそこにいるときとあまり言動は変わらない気がするけど。相変わらずアホの集団だし…」

 

「まあそうなんだけどね」

 

そうは言っても、きっとあの頃なら絶対に取らない態度を取ってる人もいるし、TKや椎名さん、それに遊佐さんは絶対に記憶が戻ってしゃべり方も変わったはずだと思う。

 

「それはさておき、ゆりっぺさん、伝えなければいけないことがあるのでは」

 

「そうね。大山くん、入江さん。あなたたちにはこれから手伝ってもらいたいことがあるわ」

 

「記憶、ですよね」

 

「察しがよくて助かるわ入江さん」

 

「私も早くしおりんやひさ子さんに思い出してもらいたいですから」

 

「ならOKね。大山くんももちろんいいわよね?」

 

「うん」

 

入江さんがこんなにはっきりと意思を示しているのだから、僕が断る理由なんてない。

 

それに僕だって、皆とまた楽しみたいんだから。

 

「頑張ろうね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ」

 

「なに?」

 

分かれ道に差し掛かったところで曲がろうとする悠を呼び止める。

 

「あのさ………恋愛ってどんな感じだ?」

 

「んー?どうしたの急に。何かあった?」

 

くっそ…どうせ音無との会話だって聞いてたくせにわざとらしい…

 

「音無が恋愛は大事なものだった気がするっつってたから、ちょっと気になっただけだよ」

 

「ふーん。ふーーん」

 

うぜぇ……!

 

遊佐が腹痛で学校に戻ってくれて良かったぜ…じゃなかったら2倍いじられてるとこだ…

 

「と、まあからかうのはこれくらいでやめてあげるよ。どうも真剣みたいだし?」

 

珍しいこともあるもんだ。

 

明日は雨か雪か、はたまた槍でも降るのか?

 

「あれ?ちょっとイラっとくること考えてるよね?再開してもいいんだよ?」

 

「ごめんなさいごめんなさい!話続けてくれ!」

 

「えっと、まずどんな感じってなに?僕の甘酸っぱい話聞きたいわけじゃないよね?」

 

「あ、そんな気色悪い話はいらん」

 

「そこまで否定されると話したくなるね」

 

「やめろ!」

 

なんていう天の邪鬼坊やだ。

 

「そうじゃなくて、やっぱりなんか…いいもんなのかなって思ってよ」

 

「そんなに気になるなら付き合えばいいじゃない。岩沢さんと」

 

「それはない。あんなガツガツ来られると女に思えない」

 

肉食獣か何かにしか見えない。

 

「…あっそ、まあいいけど。蒼は激しい感情が苦手だもんね」

 

「は?なんだそれ?」

 

「照りつけるような喜びが、爆発するような怒りが、底冷えするような哀しみが、煌めくのような楽しさが、焼き尽くすような嫉妬が、そして燃えるような恋心が…だよ」

 

「…はぁ?」

 

言葉にされても、それでもなお悠が言っていることが俺には分からなかった。

 

誰かが喜んでいるのが苦手だなんて思わないし、怒られるのは誰だって嫌だろ?

 

「まあ分からないならいいよ。でもさ、自覚しなよ。そろそろ可哀想だよ」

 

「誰が?」

 

「岩沢さんに決まってるだろ」

 

「っ!?」

 

珍しく語気を強めた悠にたじろいでしまう。

 

「…僕の言ったこと、時々でいいから思い出してよ。じゃないといつか後悔するかもしれないよ?」

 

「あ、ああ…」

 

1拍置いたあと、悠はいつもの通りに戻っていた。

 

「とりあえず、この質問にはまだ答えられないかな。蒼がもっと自覚して、また訊きたくなったら話すよ」

 

「わ、わかった」

 

「じゃあね、また明日」

 

「おう」

 

そう言って早々に自転車を漕ぎはじめ、どんどん背中が遠くなっていく。

 

「自覚…なぁ」

 

今日悠が言ったことのほとんどが分からなかった。

 

でもきっとこれは俺が自分で気づかなきゃいけないことなんだろう。

 

そう気を取り直して、俺もペダルを漕ぎ、再度家路についた。

 

 

 




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「キス…」

「こんなもんかな」

 

いい色に焼けた豚のしょうが焼きをフライパンからお皿に移す。

 

2つの内1つにはラップをかけ、残る1つを持ってテーブルまで運んでいく。

 

「いただきます」

 

一人でするいただきますには一抹の寂しさを感じるけど、大事なことだ。

 

豚肉を一口齧り、ご飯を頬張る。

 

うん、いい味だ。

 

…あたしだってうどん以外のものを美味しいって感じるんだからな。

 

しかし、一人で食べるのはやっぱりちょっと味気ないかな…

 

柴崎と…また食べたいなぁ…

 

やはりここで頭に浮かんでくるのは柴崎で、思い出すのはデートのことだ。

 

楽しかったし、嬉しかった。

 

あのまま柴崎がまたあたしのことを好きになってくれればどれだけ嬉しかったことか…

 

まあ過ぎたことを考えてもしょうがないんだけど。

 

「でも、もう一学期も終わっちゃうな…」

 

今は6月の後半。

 

7月の頭には期末試験で、それが終われば夏休み。

 

どうにかして柴崎と距離を縮められないかな…

 

『今日のテーマズバリ!』

 

その時ふと耳に入ってきたのは適当に流していたテレビの声だった。

 

『――――です!』

 

「…これだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「柴崎ぃ!!」

 

「またか…」

 

毎朝の恒例と言っても過言ではないだろうこの展開。

 

またつかつかと机の前まで勇んでやって来ては好きだと言って満足するんだろう。

 

「柴崎…」

 

「……なんだよ?」

 

と、思っていたのだが急にトーンダウンされこちらも拍子抜けする。

 

「目を閉じろ」

 

「はあ?!」

 

今までにないパターンに頭の中が激しく混乱する。

 

その上肩をガシッと掴まれて動きまで封じられる。

 

「いくぞ…」

 

まだ俺は目を閉じてないというのにゆっくりと顔をこちらに近づけてくる。

 

って問題はそこじゃないぞ俺!

 

「ちょ、ちょっと待てって!俺たちまだ付き合ってもないのにそんな、いきなり…!」

 

「大丈夫。愛さえあればそれはもう尊い行為なんだ」

 

「だからそれがねえんだっつー…」

 

ガツン!

 

「うっ?!」

 

「…………なんだいそれは?遊佐さんや」

 

「これは名付けて『とりあえず気絶させる棒~』です」

 

「そんな棒はねえよ遊佐えもん!それただの木の棒だろ?!死んだらどうするつもりだ?!」

 

「ちょっと待ってくださいよ。そんなことより私への感謝を先にするべきです」

 

「ああそうだったな…ありがとう遊佐、助かった…じゃねえよ!もっと穏便に助けろ!」

 

「え?ビンビン?」

 

「どんな聞き間違えだ?!」

 

そしてなんでいちいち聞き間違えるのが際どい言葉なんだよ?!

 

「冗談はさておき、岩沢さんは問題ありませんよ。ちゃんと峰打ちしてますから」

 

「峰も刃もねえだろ」

 

それただの木の棒だ。ドラ○エなら初期装備だぞ。いや、初期装備以下か?

 

「ほら、息もして…ないですね」

 

「殺っちゃったの?!」

 

初期装備以下なのに?!

 

「冗談ですよ。普通に眠っているだけです…今は」

 

「今後何か起こるのかよ…」

 

「何が起こるかは分かりませんが、とにかく起こしてあげないといけませんね」

 

「それなら方法は1つだよね」

 

いきなりひょっこりと会話に口を挟んでくる悠。

 

「1つ?」

 

「そう。女の子を起こすには方法は1つだよね?」

 

「お前まさか…」

 

「そ。キスしかないよね」

 

やたらと上機嫌にピンっと人差し指を立ててそんな馬鹿げたことを言いやがった。

 

「…はぁ…遊佐」

 

「はい」

 

「岩沢を席に運んでくれ」

 

「了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩沢を机に座らせ、すぐに授業が始まった。

 

まあすぐに起きて状況を把握するだろうと思い待っていたんだが…

 

アイツ…起きねえ…

 

え?死んでるの?

 

普通椅子に座りながら机に突っ伏して寝たりしたら動きがあるはずなんだが…もぞもぞ動くような気配が微塵もない。

 

寝てるだけなんだよな?そうだよな?

 

と、とりあえず様子を見よう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キーンコーンカーンコーン

 

昼休みを告げるチャイムの音が校内に鳴り響き、生徒たちは一斉に昼食気分へとシフトしていく。

 

しかし俺はそんな気が一向に起きやしない。

 

むしろじっとりと嫌な汗が背中を伝ってきた。

 

まだ起きない…

 

あのあと授業そっちのけで岩沢の様子を観察してたのだが…起きない!

 

しかもやはり身動き1つない。

 

やっぱり木の棒の打ち所が悪かったのか?

 

ていうか先生たちもなんで岩沢を放置してるんだ?寝てたら起こすんじゃないの?それともアイツがステルスモードでも使ってんの?

 

「おーい岩沢~起きなよ」

 

徐々にまともに考えることを放棄し始めたところでひさ子が岩沢の下に寄っていった。

 

恐らく昼食の誘いだろう。

 

よしよし、これで起きるよな。

 

「岩沢~岩沢…?おい岩沢ってば!」

 

そう安心したのも束の間だった。

 

どうにも不穏な空気が漂っている。

 

血相を変えてひさ子が岩沢の体を揺するが反応がない。

 

う、嘘だろ…まさか本当に…?

 

「……こ……い」

 

「岩沢?!な、なんて言ったんだよ?!岩沢!」

 

ひさ子の必死の呼び掛けがようやく届いたのか、かすかに言葉を発した。

 

しかしそれは本当に消え入るような大きさで、ひさ子はより必死の形相になり呼び掛けている。

 

「…さこ……たい…」

 

「やだよ…岩沢…!あんたがいないとあたし…!」

 

「痛い!」

 

もうひさ子が諦めかけたその時、ぐるっと首だけを回し顔を表した岩沢がそう叫んだ。

 

「……へ?」

 

「起きたら手も足も痺れてて…身体も固まっちゃって動くと痛いんだよ…なのにひさ子ががんがん揺するから…」

 

「………」

 

ひさ子の顔はこっちから見えないが、とりあえず分かったことがある。

 

「い~わ~さ~わ~」

 

「え?なんだよ?ちょ、ちょっとひさ子?いた、痛いって!」

 

「うるさい!いくら岩沢でもやっていいことと悪いことがあるわー!」

 

「う、うわぁぁぁぁ!?」

 

今日は静かに昼飯にありつけそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って思ってたのに…

 

「どーしてこんなことに…?」

 

「ひさ子が…ひさ子が…鬼に…」

 

こんなこと、とは全身の痺れやら痛みやらでまともに歩けないらしい岩沢に肩を貸しているこの状況のことだ。

 

「自業自得だよ…」

 

ちなみに岩沢はひさ子が怒ってると思ってるみたいだが、傍目から見ればあれはただ心配が杞憂で済んで安心したひさ子が少し力加減を誤っていただけだった。

 

その拍子に固まっていた身体を無理矢理動かすことになって…まあそれなりの痛みがあったみたいだ。

 

「自業自得って…遊佐があたしを気絶させたことが原因なんだけど」

 

「そのまた更に元凶はお前の意味のわからん行動だけどな」

 

「意味のわからん行動…?」

 

覚えてないのかコイツ?

 

「あ」

 

少しの間考えた末にそんな間の抜けた声を出した。

 

「な、なんのことだ?」

 

いやあなたさっき「あ」って言ったじゃないですか…

 

なんで隠したいのかも、なんでそんなことしようとしたのかも分からないけど、コイツ誤魔化すの下手くそだな…

 

「…はぁ、忘れたんならいいわ。ほら、保健室着いたぞ」

 

「ありがと柴崎愛してる。お礼はキスでいいか?」

 

覚えてるじゃねえか。

 

…いや、知ってたけど。

 

つい数秒前に隠そうとしてたのんじゃないのか?

 

「いいからさっさと湿布でもなんでもしてもらおうぜ…このままじゃ昼飯食いっぱぐれるわ」

 

「あ、本当だ」

 

…今日のコイツ本当に大丈夫か?いつにもまして変…つーか、おかしい?いやこれじゃほとんど一緒か。

 

あー、いやいや…考えすぎるな…岩沢に対して頭使っても意味ねえって。

 

それよりもさっさと済まして飯だ飯。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保健室に入り症状を伝えると「そんなのちょっと動いてれば治るわよー」と言われ追い返された。

 

くそ…マジで無駄骨だ…

 

ちなみにまだ痛むとのことで肩を貸すのは継続中だ。

 

「ごめん柴崎…」

 

「全くだ」

 

「ごめんな…」

 

いつになくしおらしくなっているなっている岩沢。

 

いつももっと迷惑なことしてるのに…はぁ…

 

「いいよ。本人からしたら痛いもんは痛いんだから。そんな経験もなかったんだろ?ならしょうがない。はい終わり」

 

「柴崎…ありがとう」

 

一気に目を輝かせる岩沢を見て、現金なやつだなぁと思う。

 

けどまあ、落ち込まれるよりはマシか。

 

「お礼はキスでいいか?」

 

「置いていっていいか?」

 

前言撤回。

 

1日中落ち込んどけ。

 

「つれないな……あ」

 

「今度はなんだ?」

 

「いや、何もない。気にしないでくれ」

 

何もないわけないだろうが、深く追求したところで本当のことは言わないだろうな。

 

…放っとこう。

 

そう心で決めて無心で岩沢を教室まで運んでいく。

 

「わぁー、足が痺れて躓いてしまったー」

 

語尾に(棒)と付け足したくなるような間延びした声が聴こえたのはもうそろそろ教室に着くという頃だった。

 

もちろん声だけでなく俺もろとも倒れこもうとバランスを崩す動作と共にだ。

 

「おっと」

 

「え?」

 

とは言ってもそのモーションがバレバレでは意味がない。

 

既に忘れられてるかもしれないが俺の眼は異常に性能がいい。

 

本当に咄嗟にバランスを崩していたとしても見抜けるこの眼の前であからさまに倒れこもうとしてもすぐに見抜けてしまう。

 

「元気そうだな…?」

 

「い、いやこれは事故…」

 

「問答無用だ!自分で歩け馬鹿!」

 

そのまま俺は岩沢から手を離して先に教室に…行きたかったんだけど、その場にへたりこんで動けなくなっている岩沢の姿が目に入ってしまい、仕方なくもう一度肩を貸してやった。

 

眼が良すぎるのも困りものだ。

 

一応反省はしてるらしく今度は大人しく教室まで運ばれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来週には期末試験が始まる。各自勉強に励むように。以上、解散」

 

椎名先生の淡々としたSHRが終わり放課後になる。

 

しかしもう期末試験か。

 

俺たちのクラブはテスト期間だからって休みないんだよなぁ…

 

また遊佐に勉強見てもらうか…

 

「柴崎くん」

 

そう考えていたところで声をかけられる。

 

「なんだ仲村?」

 

「ちょっと岩沢さんがまだ一人で動けないみたいだから治るまであなたがついてあげて。あの状態で来てもバンドの練習に支障が出るだけだから」

 

「なんで俺が…」

 

「愚問中の愚問ね。答える必要性すら感じられないわ。むしろあなたが答えなさいよ」

 

どんな論理だよ…

 

「…マネージャーだから」

 

「分かってるなら訊かないでよね。じゃあ後から来てくれればいいから、頼んだわよ」

 

「へーへー」

 

最低限の反発を表すために気のない返事をする。

 

まあ意にも介されなかったけど。

 

はぁ、と1つため息を吐いて岩沢の席に近づく。

 

「大丈夫か?」

 

一応これは本心から出た言葉だ。

 

こんな長時間動くのが辛いほど痛むというのは流石に俺でも心配になる。

 

「ああ、大丈夫大丈夫。まだちょっと動くのが辛いだけだから。すぐ行けると思うし」

 

「動くことすら辛いのが、だけってことはねえだろ。別にゆっくりでいいから。練習もどうせここで出来ない分家でやるんだろ?」

 

「はは、完全に見抜かれてるな」

 

「これでも眼はいいからな」

 

そりゃもう良すぎるくらい。

 

具体的に言うと、自業自得でへたりこんでる奴がつい視界に入っちゃうくらいに。

 

「じゃあお言葉に甘えて少しゆっくりさせてもらおうかな」

 

「おう」

 

「ちなみにさ」

 

「ん?」

 

「柴崎ってキスしたことある?」

 

「ぶはっ!」

 

唐突な質問に思いきり吹き出してしまう。

 

「なんだいきなり?!」

 

つい大声出してしまうと教室に残っているクラスメイトたちが一斉に俺に視線を向けてくる。

 

「落ち着きなよ」

 

「誰のせいだと思ってやがる…」

 

とにかく皆には何もないとジェスチャーで伝えなんとか注目から解放される。

 

「で、キスしたことあるの?」

 

「え、まだ続けるのかその話」

 

「もちろん」

 

もちろんなんだ…

 

「…あるわけねえだろ、彼女も出来たことないのに」

 

「ふーん、そっか」

 

いきなり訳の分からない質問をしてきたわりにそっけのない返事だった。

 

しかもそのまま顎に手をやり、何かぶつぶつ言いながら考え込んでいる。

 

完全に今俺の存在忘れてるな。まあいいけど。

 

そういえばいつの間にか人いなくなってるな。まあテスト前だし早く帰って勉強したいやつもいるよな。

 

部活勢は久しぶりのオフを楽しみたいだろうし。

 

そんな風にクラスメイトたちに思いを馳せていたら岩沢が急に、よしと声を出して顔をあげた。

 

「…柴崎、あたしやっぱり早く部活行きたい」

 

「はぁ?なんだよまたいきなり。さっきまでゆっくりするって…」

「急にあたしのロック魂が迸り始めたんだ」

 

そのアホらしい理由無駄に説得力あるからやめてほしい。

 

「そうは言っても痛いんだろ?」

 

「うん。だから1つ方法を考えた」

 

「方法?」

 

「ああ、痛みを止めるにはこれしかない」

 

「なんだよ?」

 

「その…」

 

「?」

 

えらくもったいぶるな。

 

いや、もったいぶると言うより何かそわそわしてるようにも見える。

 

…やたらと身体ももじもじと動かしてるしな。

 

「…キスしてくれたら治る」

 

「……はぁ?」

 

「キスしてくれたらなんかドーパミンとか出て治る!」

 

「いや出ねえよ!そんな特殊能力俺にはねえわ!」

 

真面目に聞いて損したわ!

 

あとちょっと恥ずかしがるなら言わなきゃいいんじゃないですかね?

 

朝っぱらは平気で無理矢理しようとしたくせに…

 

「とにかくキスしたら動けるようになるから頼む!」

 

だんっ!と机に手をついて頭を下げる。

 

「だからならねえって…つーかさ、お前…」

 

俺はさっきから少しずつ膨らんできていた疑念を1つぶつけた。

 

「本当はもう動けるだろ?」

 

「……………な、なんのこと…だ?」

 

目が泳ぎに泳いでいた。

 

うわぁ、なにこの子、嘘下手ぁ…

 

「はい、行くぞー」

 

「ちょ、ちょっと待ってってば」

 

部室に向かおうと歩き始めた俺の服の裾をきゅっと掴んでくる。

 

「…はぁ、何?」

 

「キス…」

 

まだ言うかコイツ…

 

なんでそこまでキスに拘るのか考えた時、ある1つの記憶が頭を過った。

 

「お前さ、まさか昨日あの番組の恋愛特集見たか?」

 

「え?柴崎も見たのか?」

 

「やっぱりか…」

 

考えが的中し、呆れて額に手を当てる。

 

その恋愛特集の中に気になる相手に効果的なアプローチの方法、というものがあったのだ。

 

いくつか専門家が方法と理論を説明していた中にこんなものがあった。

 

『キスすると相手のことが綺麗に見える!』

 

細かい理論なんかは覚えてないが、とにかくこの見出し通りの内容だったのは確かだ。

 

しかしこんなの鵜呑みにするなんてな…

 

本気でコイツの将来が心配だ。

 

「お前さ、これ見ておかしいと思わなかったのか?」

 

「何が?キスしたら綺麗に見える…んだろ?」

 

「そもそもキスする間柄になってるんならもうお互い多少は相手に好意があるだろ?その時点でちょっとは相手が綺麗に見えてんだろ」

 

「…?」

 

「あー、だからだな。少なからず好意があるなら、もうその時にはキス云々関係なく美化されて見えてるはずなんだよ」

 

「そうなのか?」

 

「多分な」

 

経験はないけど。

 

「第一気になる相手の落とし方なのにキスの時点で眉唾だろ。キス拒まないならもう告れば付き合えるじゃん」

 

「…!確かにそうかも…!」

 

気づくの遅っ。

 

「納得したなら行くぞ。ていうかお前、そんなくだらないことかんがえてる暇あったら勉強しろよな…成績悪くてもしらねえぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は流れてテスト返却日兼終業式。

 

終業式は既に終わりあとはテストや通知表を受けとるのみだ。

 

今回はそれなりにきっちり勉強したから自信があった。

 

あったのに……

 

「なんで岩沢の方が点数いいんだよ?!」

 

「簡単だったし」

 

苦手な理数系だけでなく全教科で一回り以上上回られていた。

 

コイツが練習してる間も勉強してたのに…

 

「くそ!理不尽だー!がはっ!」

 

「あさはかなり」

 

一学期最後の思い出は後ろからチョーク直撃だった。

 

 




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「いえ、これでいいです……これが、いいです」

「合宿をするわ!」

 

こんなことをいきなり言い出す奴はあえて明言するまでもないだろう。

 

しかし本当に…

 

「唐突だなおい…」

 

「まあゆりっぺだからしゃーねえよ」

 

○○だからしょうがないという言葉を使われてこれほどしっくりくるシチュエーションと人物を俺は他に知らない。

 

他の皆もうんうんと納得していた。

 

「しかしだゆりっぺ。俺たちの部にそんな合宿なんて必要あるのか?」

 

「はぁ…わかってないわね野田くん。あたしたちは何をするのが目的のクラブ?」

 

「せ、青春を満喫する…」

 

「まあ大体その通りよ。青春…それはすなわち学生生活におけるベタでかつリア充な時間。それを楽しむために合宿なんていうThe・青春な行事を見逃すはずがないでしょ!」

 

まあ言いたいことはわかった。

 

そして言ってることもあながち支離滅裂でもない。

 

だけど

 

「それ旅行って言い方じゃダメなのか?」

 

「合宿の方が青春っぽいじゃない!それに」

 

「それに?」

 

「合宿って名目じゃないと部費で行けないじゃない」

 

なんつー世知辛い理由だ……この人理事長の娘さんじゃなかったっけ?

 

「ていうかどう足掻いても強制的に連行なんだからもういいかしら?」

 

別に合宿自体は構わないけど今とても不穏な台詞が聞こえた気がした。

 

……気のせいってことにしておこう。

 

「じゃあ明後日の午前9時に校門前に集合ってことでよろしくー。4泊5日だからちゃんと必要なものは用意しといてね。あ、近くに海もあるから水着も用意しとくのよー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私水着持ってないんですよね」

 

思い出したかのように遊佐がそう呟いたのは、いつも通り3人で自転車を漕ぎながらの帰り道だった。

 

「いや持ってないってことはないだろ」

 

「もちろんあるにはありますが、それを着るには少し問題が」

 

「問題?」

 

「はい実は買った頃よりも」

「胸がきつくなったに決まってるじゃん。鈍感だなぁ蒼は。いくら幼馴染みだからって女子にそんなこと言わしちゃダメだよ」

 

「それをド直球で言葉にするのはいいのかよ」

 

デリカシーのないこの行為に案の定遊佐は不機嫌そうに悠を睨んでいる。

 

「こういう汚れ役は男がするものだよ。じゃあ僕静流に呼ばれてるからここらへんで~」

 

「あ、てめ…!」

 

遊佐を不機嫌にするだけしておいてしらっと角を曲がっていきやがった。

 

くそ、彼女を口実にしやがって…

 

「えっと、で?学校の水着じゃダメなのか?」

 

このまま黙っていると余計に機嫌を損ねそうなのでとりあえず話題を振ってみる。

 

「他の皆さんが恐らく普通の水着で来るだろうというのに私にスク水を着て泳げ、ということですか?」

 

「いや、別にそこまでは」

「もちろん柴崎さんがスク水に興奮を覚えると言うのならやぶさかではありませんが」

 

「人の話聞けよ!そこまで言ってねえっての!」

 

しかもやぶさかじゃないのかよ。

 

まあ俺にスク水どうこうの趣味はねえけど。

 

「とにかく水着がないのです」

 

「…さっきも聞いた」

 

「水着がありません」

 

「だから」

「スク水以外持っていません」

 

「あー!なんだよ?!なんか言いたいならはっきり言えよ!」

 

あまりにもしつこく同じことを繰り返すので仕方なくこちらが折れる。

 

「水着を買うのに着いてきてください」

 

「……なんで?」

 

「一人ではどれを選べばいいかわかりません」

 

いやそんなの俺のがわかんねえし…

 

「仲村とかと行けばいいじゃん」

 

「恥ずかしいです」

 

「女に見られるのが恥ずかしくて俺は大丈夫っておかしくね?」

 

「柴崎さんには既に裸も見られていますので」

 

「昔の話な!ほんっとーに昔の!」

 

やめて!こんな人通りのあるところで誤解を招くようなこと言わないで!

 

「とにかく柴崎さんがいいです」

 

「……わかったよ…いつ?」

 

「今からです」

 

「…金は?」

 

「持ってます」

 

コイツ…絶対水着必要なの前もって知ってただろ…明らかな計画的犯行じゃねえか。

 

なんでそんな回りくどいことして俺なんか誘ってんだよ…まあいいけど

 

「わかったよ…行くぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊佐に連れられやって来たのは少し家から離れたショッピングモールだ。

 

5階建てで広さもかなりあるここは基本なんでも揃っているので何か買うときにはよく訪れる場所でもある。

 

エスカレーターで3階まで上がる。

 

この階は服飾品を扱う店舗が並んでいて、その中に水着を取り扱う店もあった。

 

「やはりかなり数がありますね」

 

「そりゃあな」

 

「つい目移りしてしまいます」

 

「ゆっくり見とけよ。俺はそこらへんぶらぶらしてるから…って、おい。なに掴んでんだよ?」

 

「なにって、ナニですが?」

 

「誰かに聞かれたらマズイような嘘つくなこのバカ」

 

実際に掴んでいるのは俺の服の裾だ。

 

「柴崎さんも一緒に選んでくださいよ」

 

「いやだからなんで俺に…」

 

「柴崎さんの好みに私を染め上げてくださいよ」

 

「だから誰かに聞かれたらマズイような冗談は慎めっての…」

 

「冗談じゃないですよ」

 

「………いや、なお悪いわ」

 

言いつつ裾を掴む手を払う。

 

一瞬意味を取り違えかけたが、そんなわけないしな。

 

いつもの変なノリってやつだろ。

 

「……もういいです。勝手にどこへでも行ってください」

 

「え?いやでもついさっきお前」

「ここに居たくないんでしょう。いいですから」

 

「…あっそ」

 

よくわからないけど一旦退散しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言われるがままにその場を離れぷらぷらと歩く。

 

目的なんてない。とりあえずの時間潰しだ。

 

ちら、と時間を確認する。

 

そろそろ別れてから10分か。

 

「よし」

 

そして丁度よく側にあった自販機で飲み物を2つ購入する。

 

ガコンガコンと落ちてきた飲み物を手にとって来た道を引き返す。

 

同じくらいの時間をかけてまたさっきの店へと入っていき、黙々と水着を見ている金髪ツインテールを発見。

 

相当集中してるようで背後に忍び寄っても気づく気配がない。

 

なのでさっき買ったばかりのつめた~い缶ジュースを遊佐の首もとに当てた。

 

「ひゃんっ」

 

いつになく甲高い声をあげ、ばっ、とすぐさま振り向いた。

 

「し、柴崎さん」

 

「ほい、オレンジジュース」

 

「……果汁は?」

 

「30%」

 

「…容量は?」

 

「250ml」

 

「………正解です」

 

「だろうな」

 

昔からこのオレンジジュースが好きだった。

 

間違えて果汁100%なんて渡すと激しく拗ねて後が大変だったのだ。忘れるわけがない。

 

「…すみませんでした。わざわざ着いてきてもらったのにあんな態度を取ってしまい…」

 

「謝るのはこっちだろ。なんか分からんうちに怒らせちまったんだし」

 

本当は理由も理解した上で謝りたいが、それに関しては考えてもよく分からなかった。

 

「ほら、選ぶんだろ。さっさと飲んじゃおうぜ」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

1度店の外に出てジュースを飲み干して水着選びを再開させる。

 

「これなんてどうでしょうか?」

 

「いいんじゃね」

 

初めに持ってきたのはワンピースタイプの水着だった。

 

淡い水色を基調としていて爽やかな感じだ。

 

「これもいいですよね」

 

「いいな」

 

次に持ってきたのはパレオ付きの水着だ。

 

さっきのとは打って変わってオレンジや赤や黄色がマーブル状に彩られていて少し派手だが華やかな感じだ。

 

「これは王道ですね」

 

「だな」

 

お次は鉄板のビキニだ。

 

黒一色という大人びたというか色っぽい雰囲気だ。

 

「趣向を凝らしてこんなのも」

 

「ああ…そうだな」

 

次はチューブトップタイプの水着だ。

 

さっき持ってきたビキニよりも少し布の面積が心配になる。

 

柄としては女子らしく花柄で可愛くはあったが。

 

「これも攻めてていいですよね」

 

「おう…って、んなわけあるか」

 

続いて持ち出してきたのはどこから探してきたんだよというような極細の紐ビキニだった。

 

こんなんじゃ大事な部分丸見えじゃねえか。

 

「ええー」

 

「分かっててやってんだろうが。真面目に選べっての」

 

「どこまでが許せる範囲なのか探りを入れてみようかと」

 

「意味の分からんことやってないでちゃんと選べよ」

 

「柴崎さんはどれがいいと思いますか?」

 

「いやだから俺にそういうセンスとかないって」

「構いませんから。選んでみてください」

 

「…変でも馬鹿にすんなよな」

 

渋々手に取ったのはさっき遊佐が持ってきていたうちの1つ、パレオ付きの水着の色違いだ。

 

さっきのオレンジや赤のとは真逆の青や群青色のものを遊佐に渡す。

 

「…これ」

 

「…試着、してみていいですか?」

 

「好きにしろよ」

 

まあ俺のセンスはあてになんないしした方がいいわな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう…でしょう」

 

遊佐が試着室に入ってしばし待つとシャッ、と音が鳴って水着に着替えた遊佐が出てきた。

 

「ああ…まあ…似合ってる」

 

思った通り遊佐の綺麗な金色の髪にはオレンジや赤のような明るい色よりも青や群青のような落ち着いた色の方が映えていた。

 

というか、なんというか…想像以上に似合っていた。

 

俺のセンスも捨てたもんじゃないんじゃねえかな…?

 

「じゃあ、これにします」

 

「え?他のも試着しなくていいのか?」

 

これもすごく似合っているのは確かだが、他のものがもっと似合う可能性だって多いにあるのに。

 

「いえ、これでいいです……これが、いいです」

 

「そうなのか…?まあ似合ってるから気に入ったんなら良かったよ」

 

よくよく考えてみれば遊佐は昔から青系統の色を好んでいたし、趣味に合ったのかもしれないな。

 

そして遊佐は無表情ながらどこかうきうきした様子でレジに向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――2日後―――

 

「皆集まったわね」

 

集合時間の午前9時丁度に仲村が口を開いた。

 

「野田くんがいませーん」

 

「置いていきます」

 

大山がわざわざ指摘してくれたのにばっさりと切り捨てやがった…

 

ていうか間に合わなかったら置いていくほど遅刻厳禁なんだったらいちいち確認するなよ。

 

「はい乗り込んでー」

 

皆若干野田の不在に後ろ髪引かれながらぞろぞろとバスに乗り込んでいく。

 

「―――くれー!」

 

俺も少し段差のきついバスの入り口の階段を上がろうとした時、遠くから声が響いてきた。

 

何かと思い振り返ると

 

「待ってくれー!!」

 

「野田!」

 

そこには息を切らしながら全力で走ってこちらに向かってくる野田の姿があった。

 

よかった、間に合ったんだな。

 

「ったく、遅いわね…」

 

ほっと肩を撫で下ろした瞬間最後尾にいた仲村がぼそっと呟いた。

 

「あと5秒で来ないと問答無用で置いていくわよ!!」

 

「ええぇ?!」

 

重そうな荷物を抱え、明らかに既に体力を消耗している様相の野田になんて非常なことを言うんだコイツは。

 

しかも距離的には万全の状態でもギリギリという感じだ。

 

「5ー、4ー、3ー」

 

非情なカウントダウンが始まり、仲村以外の皆は固唾を飲んで野田を見守る。

 

「2ー、1ー…」

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

ずざざざー!と最終的には身体を投げ出すように滑り込む。

 

「0…まあギリギリセーフにしといてあげるわ」

 

「す、すまない…ゆりっぺ…」

 

ここに来るまでで体力を使い果たしたであろう野田はうつ伏せになりながらそれでも謝っていた。

 

「いいから立ちなさい。出発よ」

 

「わかってる…」

 

仲村に言われた通り、立ち上がる。

 

なんでそこまでされて言う通りにするんだろう…?

 

確かに遅刻したのは野田が悪いけど、それにしたってあまりに対応が冷たい。

 

でも野田は何も言わない。

 

それが不思議に感じた。

 

「柴崎くん早く乗ってくれない?」

 

「あ、ああ、悪い」

 

仲村に急かされて慌てて乗り込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

全員が座席に着き、ようやくバスは発進した。

 

いよいよ合宿が始まる。

 

こんな経験がない俺は柄にもなく少しわくわくしていた。

 

「おおーい!野田が吐いちまったぞー!」

 

「うっ…おぇぇぇ」

 

「大山にまで伝染しやがったぁぁぁぁ!!!」

 

………先行きが不安だ。

 

 

 




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「…少し長くなるぞ」

今日何気なく見てみたら前作のお気に入りが500になっていました!

自分なんかの作る話を読んでくださる方々に深く感謝いたします!

ありがとうございます!これからもどうかよろしくお願いします!


「や、やっと着いた…」

 

あのあとはさながら地獄絵図のようだった。

 

野田が戻し、大山がそれを貰い、それで済むのかと思えばまさかのまた野田が戻し…このあとは言わなくても分かるだろう。

 

とにかく酷い有り様だった…

 

「大丈夫ですか大山さん…」

 

「うん…ごめんね入江さん…汚いとこ見せて…」

 

「そんなこと気にしませんよ!人なら当たり前のことです!それに…これから一緒にいればこういうこともあるでしょうし、その…将来の予行演習にも…」

 

「入江さん…」

 

道中でかなり消耗したであろう大山は入江に肩を借り、幸せオーラを振り撒きながらバスを降りていた。

 

かたや同じく消耗している野田はというと…

 

「情けないわね」

 

「済まないゆりっぺ…うぅ…」

 

大山より一足先に降り、今は仲村に侮蔑の目で見られている。

 

つーか野田が戻したのは仲村が急がせたからなんだけどな。

 

まあとにもかくにもようやく目的地に着いたわけだ。

 

「ここ懐かしいな!」

 

「なんだ日向、お前来たことあるのか?」

 

「ああ、ここはゆりっぺん家の別荘でさ、昔何回か来たことあるんだよ」

 

中学の頃は野球部が忙しくて来れなかったけどさー、と楽しそうに話す。

 

ふーん、野球やってたのか。

 

「はいはい思い出話は後にして、さっさと荷物置いて水着で海に集合よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部室ごときにあれだけ金を使っているだけあってこの別荘はとてつもない広さだった。

 

リビングやらなんやらがでかいのはもちろん部屋数も異常に多い。

 

俺たち一人一人に部屋を割り振れるほどの部屋数だったが、話し合いの結果くじで二人一組になり、1ペアに一部屋ということになった。

 

俺のペアは日向だ。

 

日向に同じ部屋だなと肩を組まれた時、正直めちゃくちゃほっとした。

 

他は大山と藤巻、野田と音無、直井と悠となり、TKだけが余ることになったが、仲村が問題ないと言うのでそのままに。

 

女子は岩沢と関根、入江とひさ子、仲村と遊佐そして椎名先生が同じ部屋らしい。

 

直井と悠とか絶対上手くいかなさそうで不安になりつつ各々部屋に荷物を置いて水着に着替えて海へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別荘から少し歩くと、目の前に白い砂浜とキレイなコバルトブルーの海が広がっていた。

 

「おおー、キレイな海だな」

 

「なんてったってここはゆりっぺの家のプライベートビーチだからな。きちんと管理されてるってわけさ」

 

別荘にビーチと一体いくら金がかかっているのか想像したくもないな。

 

「Wow!早く泳ぎたいですねぇ~」

 

「まあまあ、女子たちが来るの待ってからじゃないとゆりっぺにどやされるぜ」

 

「だな。それに…」

 

ちらりと視線を移した先には未だ全快していない大山と野田の姿が。

 

「まあ気長に待つか」

 

「そうだね、女子は何かと時間がかかるものだしね」

 

そう言っていつの間にかひょっこりと悠が現れた。

 

「お前直井と上手くやれるのか?」

 

「ん、大丈夫大丈夫。深く関わろうとしなければあの子は無害だよ」

 

いやこれ一応親睦を深める意味もあると思うんだが…

 

ちなみに直井はというと、今は音無に絡んでいるようだ。

 

「お待たせー」

 

「お待たせしましたー」

 

女子たちの一番乗りはひさ子と入江だ。

 

入江は華やかなワンピースタイプの水着を身に纏っていたがひさ子はラッシュガードを羽織っている。

 

入江は真っ先に大山の下に駆け寄り介抱し始めた。

 

「あら、皆早いわね」

 

「男子は脱いで履くだけですから」

 

「あさはかなり」

 

次いでやって来たのは仲村、遊佐、椎名先生だった。

 

遊佐は先日買った水着を、仲村は派手な色をしたビキニを、そして椎名先生は大人っぽい黒のビキニを着ていた。

 

さっきの二人と違い露出の多い装いににわかに男子のボルテージも上がる。

 

「ゆゆゆゆゆゆりっぺぇー?!」

 

………若干1名はボルテージが上がりすぎて鼻血を吹き出したが。

 

「はぁ…今更ながらだけど本当にキモいわね」

 

「あさはかなり」

 

不憫、野田。

 

…しかし、関根と岩沢のやつ遅いな。

 

「お、お待たせしましたー」

 

そう思ったところで関根が岩沢と共にやって来た。

 

関根は元気な性格にマッチした黄色のビキニを、岩沢はスク水を着用していた。

 

「い、岩沢さん…?なんでスク水…?」

 

流石の仲村も虚を突かれたのか、顔をヒクつかせている。

 

「ん?これしか持ってないし」

 

「こんなこと言うし日焼け止めも持ってないし、塗ってくださいって言ってもめんどくさがるしで時間が…」

 

「関根さん…心底同情するわ」

 

肩を落とす関根に、そっと慰める仲村。

 

こんなやりとりをしている二人は極めて露出度の高い格好をしているのだが、俺が目を奪われたのはあろうことかスク水の岩沢だった。

 

す、スク水…

 

「スク水萌えはないのではなかったでしたっけ?」

 

「ね、ねえよ!つーかなんの話だよ!」

 

「いえ別に?柴崎さんが他の方には目もくれず岩沢さんを凝視していたように見えたもので」

 

「してねえよ!」

 

「そうですか」

 

それだけ言ってトコトコと離れていく遊佐。

 

な、なんなんだよ…?

 

「柴崎、どうかした?」

 

俺と遊佐が揉めてたのが気になったのか岩沢が駆け寄ってきた。

 

「……い、いや…」

 

露出度は低いとはいえ、構造上身体のラインがくっきりと出てしまうわけで。

 

出てるところは出ていて、締まるところは締まっていることも一目瞭然なわけで。

 

そして何よりすらりと伸びる腕と脚は驚くほどに綺麗なわけで…

 

「泳いでくるわけでー!!!」

 

「し、柴崎?!どういうわけなんだ?!」

 

俺にも分からんわ!そんなもん!!

 

畜生、なんでビキニやらなんやらよりスク水なんかに反応しちまってんだ俺は?!

 

「あさはかなり」

 

「いで!」

 

目を瞑り駆け出していた俺の足に何かが引っ掛かり転倒する。

 

「なにするんすか椎名先生!?」

 

「準備体操してから入れ」

 

「あ、はい…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから椎名先生の号令のもと準備体操をきっちり行い、各自遊び始めた。

 

砂で城を作るやつらもいれば浅瀬でじゃれあう奴もいて、沖でがっつり泳いでいる奴もいる。

 

俺はというと、浮き輪に身を任せながら海を漂っていた。

 

いや、泳げないわけではなく、こうやってぼんやりするのが好きなだけだ。

 

ついでに先ほどの取り乱しをおさめる意味も込めて。

 

「はぁ…快適だ…」

 

空は晴天で惜しげもなく日光が照りつけてくる。

 

そんな夏の日差しも海の冷たさを引き立たせる噛ませ犬のようだ。

 

そんな風に海を満喫しながら、砂浜の方に目をやる。

 

初めに目についたのは浅瀬で水鉄砲で撃ち合っている集団。

 

次いで砂で戯れている集団。

 

そして最後に、パラソルで作られた日陰の中で座っている岩沢、そしてグロッキー状態の野田。

 

それを見た俺は、何故か海の流れに逆らって浜辺へと足を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海から上がり、そのまま一直線にパラソルのもとに。

 

「柴崎?どうしたんだ?」

 

近づいてくる俺に対して心底不思議そうな顔をして問いかけてくる。

 

「いや、何してるのかと思ってな」

 

俺は岩沢の横に腰掛けながら答えた。

 

「一人でぽつんと座ってるから。遊ばないのかと思ったんだよ」

 

「あー、いや、今日はちょっと見てたくてさ」

 

「何を?」

 

「この光景」

 

指差す方向を目で追うと、当然ながら遊んでいる皆の姿があった。

 

「これがどうしたんだよ?ただ遊んでるだけだぞ?」

 

「なんか良くない?ほら、こうやって」

 

岩沢は両手の親指と人差し指で長方形を作り、その中に皆の姿を収める。

 

「ん、まあ」

 

いい画と言えばいい画だ。

 

「でも自分がいないのは悲しいだろ?」

 

「自分が見る景色に自分がいるなんてありえないからね。これを見てるってことはあたしが此処にいるって裏付けにもなるんだ」

 

「ふーん、そんなもんか」

 

「あたしとしては、あたしがこの中に居ないことより柴崎がいないことの方が不満だな…あたしが一番見たいのは柴崎なのに」

 

本当に不服そうに眉をひそめる。

 

「まあでも、今隣で独占できてるのは嬉しいけど」

 

今度は嬉しそうにくしゃりと笑う。

 

本当にこうやって話してると表情がコロコロ変わるよな…普段はどんだけ馬鹿なこと言ってても(無自覚)無表情っていうか、興味無さげなのに。

 

「ふふ、しかもなんだか今は髪も濡れてて一層男前だしね?」

 

「……どこがだよ」

 

じっとこちらを見つめてくる視線を両手で遮る。

 

「あ、ちょっと隠さないでよ」

 

すかさずその手を退けようと掴んでくる。

 

「いやマジでやめろって」

 

「いいから、ちょっとだけ」

 

「本当に…恥ずいから…」

「だぁー!!!貴様ら人が苦しんでる横でうるさいわぁー!!」

 

「うわっ」

 

「びっくりしたぁ…居たの?」

 

「ずっと居るわぁ!柴崎より先に居たわぁ!」

 

あまりに不憫な扱いだとは思うが、すまん野田、俺も忘れてた。

 

「少しでも早く回復しようと横になっているのにイチャイチャとぉ…!」

 

「いやイチャイチャとかしてね…」

「どの口でほざいている?!ここら一帯が砂浜じゃなく砂糖浜かと錯覚しかけたぞ!?」

 

砂糖浜ってなんだよ…

 

「あら?野田くん元気になったの?」

 

「ゆ、ゆゆゆりっ…」

「あ、鼻血出したら蹴っ飛ばすわよ?」

 

突如として現れた仲村にまたもトリップしかけた野田だったが、流石にそんな踏んだり蹴ったりな羽目になるのは勘弁らしく自らの手で鼻を抑え込んでいた。

 

「それが出来るなら初めからやりなさいよ」

 

「す、すまんゆりっぺ…」

 

「あのね…今日だけで一体何回謝ってるの?まさか謝れば全てちゃらになると思ってるんじゃないでしょうね?」

 

「ち、ちがっ」

「もういいわ。今日は大人しくしてなさい。元気になっても海に入るのも禁止」

 

「…分かった」

 

ふん、と不機嫌さを顕にしながら去っていく。

 

目に見えて落ち込んでいる野田に対してどうすべきか分からない。

 

とにかく励ましてやらないと。

 

「なにもあそこまで言うことないよな?ちょっと扱いが酷すぎ…」

「黙れ」

 

励まそうと肩に置いた手をはねのけられる。

 

「貴様にゆりっぺの何が分かる?」

 

そのまま、きっ、と鋭い視線を送られ、たじろいでしまう。

 

「何がって…どう見たってお前への態度はおかしいだろ」

 

「それは俺が望んだことだ。何も知らないお前がゆりっぺを悪く言うな!」

 

「ちょっと」

 

今にも殴りかかってきそうな勢いで詰め寄る野田を遮るように岩沢は俺たちの間に割って入ってきた。

 

「なんだ?」

 

「あんたたちの間に何があったかなんて柴崎が知るわけない。それなのに怒るなんて、このこと知ったらそれこそゆりが黙ってないんじゃない?」

 

「…………ちっ、その通りかもしれんな」

 

一瞬今度は岩沢に詰め寄るんじゃないかと冷や冷やしたが杞憂だったようだ。

 

「すまなかった…少し頭に血が上っていた」

 

「いや、俺も無神経なこと言っちゃったみたいだし、こっちこそ悪かったよ」

 

とりあえずお互い頭を下げ合うことでこの件は終わった。

 

しかし、やはりどうしても気になることがある。

 

「あのさ、なんで野田は仲村のことが好きなんだ?」

 

「む?」

 

「それに、自分から仲村にああいう風な態度でいることを頼んだって言ってたし、なんでなんだ?」

 

「それあたしも興味あるな」

 

「それを話す義務があるのか?」

 

「いや…まあ無いけど」

 

そう言われてしまうと、なんとも言えない。

 

これはただ単に俺の興味本位な質問なのだから。

 

「…まあいい。今日はやつあたりをしてしまったし、ゆりっぺからも海に入るのを禁止されて暇だから話してやる」

 

そう言ってふん、と鼻を鳴らす。

 

「…少し長くなるぞ」

 

俺と岩沢がコクりと首を縦に振ったのを確認してから野田が語り始めた。

 

 

 




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『あなたがあたしのヒーローになってね』

俺とゆりっぺのことを語るには、まず俺の小学生の頃まで遡らなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はヒーローが好きだった。

 

ライダーやウルトラマン、戦隊物という所謂特撮が好きだったのだ。

 

男子なら1度は憧れる正義のヒーロー。

 

だが俺はただの憧れだけじゃなく、本当にヒーローになろうと心に誓っていた。

 

特別腕っぷしが強いわけではなく、極々平均的な少年だった。

 

だが、弱いものいじめを見れば助けに入った。たとえボロボロにやられようと、何度でも。

 

何かズルをしているやつを見つければ注意し、不正を取り締まった。

 

幼い頃の俺が信じていた自分なりの正義というものをとにかく突き進んでいた。

 

それが正しいと、それで俺はヒーローに近づけているのだと思っていた。

 

ある日、それが錯覚だと気づかされた。

 

俺はいつも通り遅刻などせず、余裕を持って登校した。

 

その日の図工の時間にそれは起きた。

 

授業内容は校外での花の模写だった。

 

俺はせっせと向日葵の絵を描き、もうすぐ完成するかというところで後ろから声がした。

 

「うわあー」

 

今思い出してもわざとらしいそんな声と同時にざばぁっと大量の水を頭から浴びせられた。

 

何事かと後ろを向くと、筆を洗うために使うバケツを持ち、下卑た笑いを浮かべている男子が立っていた。

 

そいつだけでなく、その後ろにも2、3人同じように薄ら笑いを浮かべていた。

 

水を浴びせられた俺の絵は当然台無しだ。

 

『な、なにすんだよ!』

 

訳もわからずそう問い詰める。

 

『お前ウザいんだよ。いい格好ばっかして』

 

『なんだと?!』

 

『あんまり調子乗るなよバーカ』

 

その時、俺は思った。

 

コイツは悪だ。悪者だ。やっつけてやる、と。

 

『うわぁぁぁぁ!!』

 

濡れた絵を放り出して水をかけてきた奴に突進する。

 

そいつは見事にバランスを崩し転倒する。

 

そのまま馬乗りになって取っ組み合う。

 

しかし相手はそれだけじゃなかった。

 

今まで見ているだけだった取り巻きたちが一斉に俺に群がり、引き剥がしてきた。

 

それでも必死に抵抗して、奮闘した。

 

ヒーローは悪者を倒すものだから。

 

どれくらい揉み合っていたかは定かじゃないが、そう長くはない時間が経過した。

 

『こ、こら!なにやってるの?!』

 

すると騒ぎを察知した先生が一人、二人、三人とやって来て俺たちを制止した。

 

『なんで喧嘩なんかしたの?』

 

穏やかではあるがしかし確実に怒っているのが分かる口調だった。

 

それでも俺は自分が正しいと思っていたから釈明しようとした。

 

『アイツが…!』

『俺が、こけちゃって、野田くんの絵に水かかって、そしたら、野田くんが、怒ってぇ…』

 

しようとしたのだ。

 

だがそれは水を浴びせてきた奴の涙ながらの声に遮られた。

 

そして同時にガツンと頭を殴られたような衝撃が俺の心を襲った。

 

何を言ってるんだ?お前がわざとかけたのに、なんでそんなことを?

 

と、頭が混乱した。

 

『本当なの、野田くん?』

 

じろりと疑いの眼差しを向けられ、さらに動揺する。

 

『ち、ちが…』

『本当だよ先生!俺ら見てたもん!な!?』

 

うんうん、と取り巻きの奴らが同調していく。

 

『野田くん!ダメじゃない!頑張ってたのをダメにされたら腹が立つかもしれないけど手を出しちゃダメよ!』

 

『え、いや、ちがう…』

 

『ダメよ!あの子達も見てたって言ってるんだから!』

 

違うのに…

 

俺じゃないのに…

 

アイツが…

 

と、視線を奴に向けると、泣いていた顔が嘘のように笑っていた。

 

さっきと同じように。

 

『せんせ…!』

『言い訳しないで反省しなさい!今日の帰りの会で皆の前で謝ること!』

 

先生はもう俺の言葉を聞こうともしなかった。

 

その日の帰りの会で、本当に俺は謝らされた。

 

頭を下げながら、俺は絶望の中、幼心のうちに悟った。

 

正義なんてないんだと。

 

こんな風に悪者が勝つのが世の中なんだと。

 

そうして俺は次の日から学校に通わなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学に上がっても俺はまだ登校拒否をを続けていた。

 

それどころか、外に一切出ず自室に引きこもる日々を送っていた。

 

何をするでもなく、ただただ引きこもる日々。

 

生き甲斐を無くし、あるのはあの日味わった絶望と失望だけ。

 

心が死んでいくようだった。

 

いっそ身体も死んでしまえばいいのにと何度も思った。

 

思っただけで踏みとどまっていたのはほとんど奇跡に近かったと自分でも思う。

 

それはまるであの日が来ることを信じて待っていたかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、中学3年生の冬だった。

 

ガチャン!

 

唐突に錠の落ちる音が聞こえた。

 

自らが開ける以外では聞いたことのない音が。

 

何をするでもなくベッドに座っていた俺は咄嗟のことに身動ぎ1つとれなかった。

 

『邪魔するわよ!』

 

ドン!と勢いよく開け放たれた扉の音と共に一人の女子が現れた。

 

その女子は驚きで固まっている俺を一瞥し、指を差す。

 

『野田くんね?』

 

『な、な…』

 

質問に答えることも出来ずただ狼狽えた。

 

その反応を見て少女は、んー?と首を捻る。

 

くりっとした大きな瞳が俺のことを見つめてくる。

 

『野田一途くん、よね?』

 

『そ、そう…だけど』

 

『あたしは仲村ゆり。あなたのクラスの委員長よ』

 

どーんと胸を張り自己紹介をする姿には自信が溢れ、背筋はピシッと伸び、端正な顔に勝ち気な笑みを浮かべていた。

 

しばしその姿に目を奪われたが、すぐに正気を取り戻す。

 

『ど、どうやって鍵を…』

 

『開けたわよ、このくらいの鍵』

 

『は、犯罪じゃ…』

 

『親御さんの許可はちゃーんと貰ってるわ』

 

俺の問いは次々とはねのけられる。

 

あくまで自信満々で不敵なその態度に徐々に苛立ちを覚える。

 

『で、出てけよ…!』

 

『それは出来ないわ』

 

『なんで…』

 

『あなたを連れ出しに来たから』

 

連れ…出しに?

 

思わぬ言葉に呆気に取られる。

 

『なんで…そんなこと』

 

『あなたのクラスの委員長だからよ』

 

意味がわからなかった。

 

クラスの委員長だからと言ってここまでしなければいけないはずがないだろう。

 

『あなたはあたしのクラスの一員。つまり仲間ね。あたしはリーダー、リーダーは仲間を助けるものよ』

 

『仲間…?』

 

『そう、仲間よ。だからあたしと一緒に学校に行きましょう』

 

『はは…』

 

すっと差し伸べられた手を見て、笑いが漏れる。

 

嬉しさや楽しさで笑っているんじゃない。

 

失笑だ。

 

『馬鹿じゃねえの…!仲間とか、そんな綺麗事誰が…誰が信じるか…!』

 

俺はあの日のことを思い出していた。

 

クラス全員の前であのいじめっ子に頭を下げたあの日、俺を庇うような奴は一人もいなかった。

 

何度も俺は助けたのに。

 

助けた奴はクラスにもいたはずなのに。

 

どれだけ助けたって俺のことを助けてくれる仲間なんていなかった。

 

『あれだけいいことをしたのに出来なかった仲間が、今さら出来るはずなんてない』

 

『?!』

 

委員長、もとい仲村ゆりはまるで俺の心を読んだかのような台詞を言ってのけた。

 

『なーんて、思っちゃってるんじゃないかしら?』

 

『な、何を…?!』

 

なんで考えてることが分かったのか、それ以前になんで俺が昔人助けをしていたのを知っているのか、様々な疑問が頭に浮かび言葉には出来ない。

 

『悪いけど、調べさせてもらったわよ、あなたの過去は』

 

ほら、あたしの家ってお金持ちだから。と思わず知るかと言いたくなるような嫌味を言ってくる。

 

『何よりも自分の中での正義を信じて行動していたおかげで、1度そうじゃないものを見ただけで絶望した…とはね。なんていうか、愚直よね』

 

『…なんだよ、悪いかよ…?俺はただ…良いことをしてたらヒーローになれるって…信じてただけだ!』

 

端から見れば愚かだったのかもしれない。だけど俺はただ信じてただけなんだ。

 

『それの何が悪いんだよ!?』

 

『…悪いなんて言ってないわよ?』

 

『は?』

 

『愚直って言ったけれど、これ褒めてるのよ?あなたは誰かが愚かだと思うようなことでもひたすら真っ直ぐに突き進める』

 

まるで今までの俺を見てきたように、真剣な眼差しでそう口にする。

 

『あなたのそういうところ…嫌いじゃないわ』

 

そして、笑った。

 

さっきまでのような勝ち気な笑みじゃなく、優しく、包み込むような笑顔だった。

 

一瞬、俺の中にあった絶望感がすべて無くなったかのように思えた。

 

『でも、1度の挫折で折れるのは頂けないけどね』

 

『うっ…』

 

が、すぐに現実を思い出すことになった。

 

『だからね、野田くん。あなたはあたしの側で心を鍛えなさい』

 

『心を…?』

 

『そうよ。弱いうちはあたしが守ってあげる。そして、いつか強くなったその日には…』

 

すっ、ともう一度手を差し出される。

 

『あなたがあたしのヒーローになってね』

 

『は…い…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうして俺はその手を取ったと同時にゆりっぺに恋をした…というわけだ」

 

「それから仲村に自分が強くなれるように厳しくしてくれって言ったのか」

 

「そういうことだ」

 

「へぇ…」

 

思っていたよりもずっとこの二人の信頼関係は厚いものだったことに驚いた。

 

今の二人を見てるだけでは絶対に気づくことはなかっただろう。

 

「分かったのなら、これからはゆりっぺのことは悪く思わないでくれ。俺が馬鹿だから悪いんだ」

 

「ああ…わかった」

 

「野田は頭悪いもんね」

 

…今真面目な雰囲気だから空気読んで岩沢さん。

 

「ああ、本当にな。だが、俺には真っ直ぐ進むことしか出来ん。下手に曲がろうとすれば、それこそゆりっぺに怒られてしまう…だから俺はどんなに道が険しくとも、突き進むしかないんだ」

 

きつく眉根を寄せたその表情には、昔折られたとは思えないほどの強さが感じられた。

 

「なんか…羨ましいよ。その真っ直ぐさ」

 

「ふん、そう思うのなら…」

 

ドン、と胸を拳で叩かれる。

 

それほど力を込めてはいないはずの拳。

 

だが、何故かものすごく重いように感じられた。

 

「貴様も逃げずに正面を見てみろ」

 

「正面…?」

 

「もう俺から話すことはない。今日は疲れたからもう部屋に戻る」

 

「あ、おいっ」

 

呼び止めてもそれには全く応じず、別荘のほうに去っていった。

 

「野田にしては頭使った言葉だったね」

 

「お前には意味分かるのか?」

 

相変わらず野田を小馬鹿にしてるような物言いだが、本人に悪気がなさそうなのでとりあえずそのことに触れないでおく。

 

「……いや、さっぱり」

 

「だよな…」

 

「まあでも野田のことだから適当とか嘘言ってるわけじゃないよ、きっと」

 

「だな」

 

あれだけ愚直な奴だ、そんな器用な真似は出来ないだろう。

 

「野田、馬鹿だしね」

 

「……………」

 

せめてもうちょっと言葉を選んでやってください…

 

 




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「懐かしいな皆!」

結局その後はずっと岩沢の隣で皆が遊ぶ姿を観察するだけだった。

 

折角海に来たんだから泳ごうかとも思ったが、ただただ皆を見つめ動こうとしない岩沢を置いていく気がどうにも起きなかった。

 

まあ合宿は今日だけじゃないし、一日目くらいはこうやってのんびりしているのもいいかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かぁ~!腹減ったぁ!!な、柴崎?」

 

夕時になり今日のところは海遊びはお開きとなり、部屋で着替えをしている最中にそう声をかけられる。

 

「あ~…だな」

 

本音を言うと、俺はそこまではしゃいだわけではないので日向や海遊びに興じていた皆ほど腹が空いているわけではないが、ここは合わせておくことにした。

 

変に詮索されたくもないしな。

 

「…しかし今日の晩飯はなんだろうな?」

 

「このあと外に集合だったか?」

 

「ああ、なんでも今日は皆で飯を作るらしいぜ」

 

皆で作る、か。

 

バーベキューでもすんのかな?

 

「ん、ていうか今日はってことは今日だけなのか?」

 

「そういやそうだな。まぁうちの面子は結構料理上手いやつ多いし、そいつらが作るのかもな」

 

「へぇ」

 

あのキャラの濃いメンバーのなかで料理している姿を思い浮かべるのは中々困難だけどな。

 

まあ入江とかは、ザ・女の子って感じで料理も出来そうだけど。

 

エプロンとかすごい似合いそうだし。

 

「ま、明日のことは明日考えるか!まずは今日の飯だ!行くぞ柴崎!」

 

「おいおい急いでも女子が来なけりゃ始められないぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の献立は…あ、野田くんドラムロールお願い」

 

「任せろゆりっぺぇ!ドゥルルルルルルルル……ドン!」

 

「ヘッタクソね…まあいいわ。カレーよ!」

 

皆が揃ったかと思えばこんな茶番と共に今日の晩飯のメニューが発表された。

 

「いよっしゃあ!もう腹ペコペコなんだ、さっさとやろうぜ!」

 

日向の言葉に腹が減っている皆はおおー!と賛同の声をあげる。

 

しかしさほど空腹ではない俺はそこで1つ疑問を覚えた。

 

「ん?でも食材は?」

 

皿や鍋なんかは並んであるがカレーに必要な食材は一切揃っていなかった。

 

「おいおいゆりっぺ、今から冷蔵庫に食材取りに行くのかよ?段取り悪くねえか?」

 

「ふふ、甘いわね藤巻くん。あたしがそんな間抜けだとでも思う?」

 

「あさはかなり」

 

「じゃあどうするってんだ?」

 

藤巻の問いかけに対し、仲村は答える前に1度スマホで時間を確認する。

 

「そろそろね」

 

そしてにやりと口角をあげた。

 

「おおーい!ゆりっぺぇ!」

 

すると、その直後とても大きく野太い声が響いた。

 

「来たわね」

 

声のする方に目をやると、何やら荷物を抱えた大きな身体の男、そして二人の眼鏡をかけた男がいた。

 

「お?おお!ありゃもしかして松下五段か?!」

 

「高松くんに竹山くんも!」

 

どうやら何人かは面識があるようで、突如現れた3人を見て嬉しそうな笑みを浮かべている。

 

「懐かしいな皆!」

 

「1年ぶりといったところでしょうか?」

 

「はぁ…はぁ…あの…僕は肉体労働は専門外なのですが…」

 

「おいおい元気してたかよ?!3人とも!?」

 

誰だか分からない俺や悠、そして遊佐に直井、関根と入江を取り残し皆はその3人を取り囲んで盛り上がっている。

 

「ちょっと、近況報告なんてあとでいくらでも出来るんだから。今は今年加わった柴崎くんたちに紹介しないとダメでしょ」

 

「あ、そうだったな。わりぃわりぃ」

 

仲村の声で俺たちが置いてけぼりになっていることに気が付き3人の下から離れていく。

 

「じゃあまず、この人が松下くん。柔道がとても強くて皆からは松下五段と呼ばれているわ」

 

「よろしくな」

 

松下と紹介された彼は、身体はとても大きく、五段という謳い文句に名前負けしない迫力を持っていた。しかし同時に柔らかな目尻や声音から安心感のようなものを覚えた。

 

「そして彼は高松くん。インテリぶってるけどアホよ」

 

「ふっ、よろしくお願いします」

 

カチャッと眼鏡を上げる仕草は確かに知的なものを感じるのだが…否定しないということはきっとアホなんだろう。

 

「最後に、彼は竹山くん。パソコンを使った…まあ色々なことが得意なの。彼は高松くんと違ってちゃんと頭はいいわよ」

 

「クライストとお呼びください」

 

頭は…?という疑問はその直後の台詞で見事晴れた。

 

なんか…変わってるな…

 

この中ならあの松下五段って人が一番まともそうだ。

 

「この3人もうちのクラブのメンバーなの。と言っても学校は全然別なんだけど」

 

「学校が別で同じクラブのメンバーって…なんかめちゃくちゃだな」

 

「いいのよ。そういう肩書きがあればいつだってどこだって仲間だと感じられるでしょ?」

 

「ふん、言葉なんかに頼るような絆などなんの価値もない。本物の絆は僕らのようなことを言うんだ…ですよね、柴崎さん!」

 

「俺とお前も先輩と後輩っていう言葉で表すもんだけどな」

 

「そんなぁ!?」

 

むしろ他に言い表す言葉ねえだろうよ…

 

いつかはこいつとこんなへりくだったような態度とは無縁で仲良くしてみたいもんだ…

 

「じゃあ全員揃ったところで早速調理に取りかかるわよ!」

 

「おお~!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺と日向、そして松下五段に高松の四人は火を起こすための薪やらなんやらを集めることになった。

 

こんなに桁違いの金持ちなのに、何故薪くらい用意しておいてくれないのだろうかという疑問は一切聞き入れては貰えなかった。

 

「柴崎…だったな。改めてよろしく頼む」

 

「いや、こっちこそ。俺の方が入るのは遅かった…んだよな?」

 

言いながら自分でそこら辺があやふやなことに気が付き自信のない口調になってしまう。

 

「ええ、ですが実質的には柴崎さんの方が共に過ごしている時間が長いのですし、後も先もありませんけどね」

 

「まあお前らはこの時期くらいしか会えないもんな~」

 

「皆どこに住んでるんだ?」

 

長期休暇に入らないと会えないと言うことは、少なくとも都内ではないだろう。

 

「俺は鹿児島だ」

 

「私は石川です」

 

「ちなみに竹山は愛知な」

 

「確かに夏休みとかじゃないと難しいな…でも、じゃあどうして高松たちは日向たちと友達に?」

 

「うむ…説明が難しいんだが、俺たちは全員ゆりっぺと初めに知り合ってから、皆と仲を深めていった」

 

「あー、そういやそうだよな。ゆりっぺに中3の頃だったか?急に紹介されてよ。まあ良い奴らだったからすぐ仲良くなったんだけどさ」

 

「へえ」

 

仲村から接点を持ったのか。

 

それで部活の仲間に…いや、中学の頃にはこんなクラブは無かったのかな。

 

「そういや松下五段、彼女とは仲良くやってんのかよ~?」

 

「う、うむ…まあそれなりに、な」

 

明らかに茶化す気満々といった日向に対して赤面しながら答える松下五段。

 

「彼女がいるのか?」

 

「おう、しかもすっげえ美人だぜ。しかもなんと従姉妹!」

 

「い、従姉妹?!」

 

「そんなに驚くことないだろう…」

 

「い、いやでも従姉妹ってことは親戚とってことだろ?」

 

「従姉妹同士の結婚は法律で認められていますし、問題はありませんよ」

 

「そ、そうなのか?」

 

うーん、でも親戚と付き合うってことは……まあ俺に年の近い親戚はいないけど、それっぽいのでいくと遊佐とかと付き合うってことだろ?

 

………想像がつかない…のが普段の遊佐の態度のせいなのかなんなのかよくわかんねえな。

 

「いいよなぁ年上美人~」

 

「日向も作ればいいだろう?」

 

「簡単に言うな!このリア充め!」

 

「落ち着いてくださいよ…別に焦って作るようなものではないでしょう」

 

「お前は…やっぱコッチなのか?」

 

日向が宥めようとした高松に向け、手の甲を口に添えるようなジェスチャーをとった。

 

コッチって…

 

「た、高松…!?」

 

「違いますよ!光村はただの仲の良い友達です!」

 

「光村?」

 

「こいつの地元の友達で陸上部のエースなんだが…やけに距離が近いんだ」

 

「スキンシップですよ!」

 

必死になって反論する高松なのだが…なんというか、こんな知的ぶった振る舞いの奴が距離の近いスキンシップをしている絵を浮かべると……何か特別なものを感じさせるのも事実だな。

 

「おいお前ら、早く集めて帰らないとゆりっぺに怒られるぞ」

 

「ちぇっ、しゃーねえから今回は問い詰めないでいてやんよ」

 

「はぁ…助かった」

 

「…………」

 

ていうか日向も十分コッチの人っぽいんだけどな、というツッコミは口にはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いわよあんたたち!」

 

結局急いでも文句は言われるのであった。

 

「すまんすまん」

 

「ちょっと近況報告が盛り上がっちまったんだ。な、柴崎」

 

「ああ、色々聞けてよかったよ」

 

「ふーん…まあ、ならいいわよ。さぁ、さっさと薪に火つけて!」

 

「お、おう!」

 

薪集めの次は火起こしか。

 

ていうか道具どこだ?

 

「はい、ここですよ」

 

「あ、サンキュ。えーと、竹山だよな?」

 

「クライストとお呼びください」

 

あ、そうだったやべえやつだったわ。

 

「えっと、竹山も高松たちみたいな感じでコイツらと知り合いに?」

 

とりあえずクライストと呼ぶのはいろんな意味で恥ずかしいのでやめておき、無難に話題を振ってみる。

 

「クライストです。まあ、そうですね。概ね同じ過程だと思います」

 

「てことはやっぱ仲村に誘われて?」

 

「そうですね。僕の運営してるブログからコンタクトを取ってきました」

 

「へえ、ブログやってるのか」

 

「はい。とても大事なものなんです」

 

大事…か。

 

松下五段は彼女。

 

高松は親友。

 

竹山はブログ。

 

皆それぞれ大事なものがあるんだな。

 

「しかしなんていうか竹山はコイツらとつるむ感じのキャラには思えないんだけど」

 

受け取ったチャッカマンで薪に火をつける。

 

ん…つきにくいな…湿気ってるのか?

 

「クライストです。確かに基本的にはあまり気が合うとは言えない人たちが多いですね」

 

「だよな」

 

「ですけど、楽しいです」

 

ニコリと、さっきまでの取っつきにくそうな雰囲気とは一変して笑顔を浮かべた。

 

それと同時に薪に火がついた。

 

「つきましたね。では鍋を持ってきましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たちが薪を集めている間に切っていた食材を鍋に入れ煮込み、ルーを入れ、何故か炊飯器ではなく飯盒で炊いたご飯にルーをかけ……ついに…

 

「出来たーー!」

 

「誰も飯盒の使い方覚えてなかったのに気づいた時はどうなるかと思ったよ!」

 

大山の言うようなアクシデントが他にもいくつかあったがどうにか完成した。

 

「はーい、皆行き渡った?」

 

「ばっちりだぜ!」

 

「早く食べましょーよー!」

 

「はいはい、じゃあ食べましょうか。はーい、皆手を合わせて。いただきます」

 

「いただきます…って俺たちは幼稚園児か?!」

 

ノリノリで手を合わせておいて激しいノリツッコミをかます日向。

 

「あなたたちはこれくらいしないと礼儀作法ってものを守らないでしょ?」

 

「俺と他の奴を一緒にすんな!」

 

「貴様…誰に向かって口を利いている?」

 

「やんのか日向?」

 

「お前ら自覚あるから反応してんだろ!」

 

「さ、アホ3名は放っておいて食べましょう!」

 

仲村がそう言うと本当に皆日向たちを放って食べ始める。

 

やれやれだな…

 

「いただきます」

 

ため息を吐きながら呟く。

 

そして一口カレーを食べてみる。

 

おお…旨いな。

 

家で食べるよりも遥かに旨い気がする。市販のルーなのに。

 

「珍しいね、蒼がいただきますって言うなんて」

 

「そうか?」

 

「んー、いや、最近は言ってたかなぁ…そうそう、岩沢さんとデート、した辺りからかなぁ」

 

「………そうだっけ?忘れた」

 

本当は心当たりがあったが態度に出すのを我慢する。

 

別に、ただ言うのが普通だってことに気づいただけの話だし動揺する方がおかしい。

 

「呼んだ?」

 

「………呼んでねえよ」

 

「あっそう?まあ呼ばれなくても来るけどね」

 

でしょうね。

 

そろそろそこら辺も耐性がついてきたよ…

 

「岩沢さんが調教してくれたの?」

 

「?なんのこと?」

 

「蒼がいただきますって言うようになったんだよね、岩沢さんとデートしてから」

 

「……うーん…分からないな。調教…そんな酷いこと柴崎には出来ないし」

 

「えっと…いや、調教っていうか、ね?」

 

「?なんだよ?」

 

「…うん、もういいや。ごめんね、ちょっと他の人と話してくるよ」

 

「ああ、分かった」

 

…悠が負けた。

 

負けたっていうか、まず戦いが始まらなかった。

 

天然恐るべしだな…

 

「千里って変な奴だよな」

 

「………」

 

否定はしないけど悠も岩沢には言われたくないだろうな。

 

「変に頭使って、変な言葉使って、変な態度取ってる。すごく変だ」

 

お前にそこまで言われてる悠が不憫になるが、悠の方を見ると遊佐をからかって発散しているようだし同情するのはやめよう。

 

今度から困ったときには岩沢を呼ぼうかな。

 

「ていうか、こっち来ていいのか?」

 

「なんで?」

 

「ひさ子たちと食べなくていいのか?ってこと」

 

「ひさ子たちはもう散らばって各々色んな奴らと食べ始めてるさ」

 

言われてから見渡してみると確かに散り散りになっていた。

 

ひさ子は松下五段や高松と話し込んでいるし、入江は大山と仲睦まじく食べている。

 

関根は音無と直井のところで直井に鬱陶しがられながらも楽しそうにしていた。

 

「なるほど、余ったか」

 

「そんなわけないだろ。あたしが柴崎と一緒にいたいから来てるんだ」

 

「ああそうかい」

 

こういう言葉を一々真に受けていたらキリがない…よな。

 

「それに…やっぱりこの画が好きなんだよ」

 

「この画って?」

 

「皆がはしゃいでいて、あたしはそれを静かに見てる…そして、隣には柴崎がいてくれる…この画が、ね」

 

それを聞いて思い返すのは海での光景だった。

 

メンバーは増えたが、それは賑やかさが増しただけで、やはり皆楽しそうに言葉を交わしている。

 

確かに良い画だった。

 

そして同時に懐かしさのようなものが込み上げてきた。

 

「どう?これで隣が恋人だったら、余計に幸せだと思わない?」

 

「悪くはないかもな」

 

「本当か?!」

 

「誰もお前と付き合うとは言ってない」

 

「うっ…くそ、いい雰囲気だと思ったのになぁ」

 

悔しそうにしている岩沢に苦笑する。

 

「まあ、なんだ…また来年もこんな画を見たいな」

 

「…来年、か」

 

「ん?」

 

「…ううん。そうだね、あたしも楽しみだよ」

 

この時の岩沢の言葉と少し曇った笑顔の意味を、俺はまだ知る由もなかった。

 

今この時は、ただ、本当にまたこんな光景を見れればいいなと思っていただけだった。

 

 

 




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「天使…」

………暑い。

 

「スーパーはまだなのか…?」

 

ミンミンと騒がしい蝉の声に紛れるように俺の横にいる音無が呟いた。

 

なぜ俺たち二人でスーパーを目指しているのかというと…

 

 

 

 

 

 

「っしゃあ!今日も泳ぐぜぇ!いくぞ野郎共!」

 

「おお!」

 

「Year!お供するで日向氏!」

 

「ふふふ、今年もこの鍛え上げた肉体を見せるときが来ましたね!」

 

「俺も昨日泳げなかった分を取り返す!」

 

こんな風に皆意気揚々と海に向かおうとしていた時だった。

 

「あ、音無くんと、あと柴崎くんちょっと」

 

仲村に呼び止められた。

 

皆には先に行ってもらい仲村に食材の買い出しを頼まれたのだ。

 

どうも明日来るはずだった仲村の知り合いが急遽予定を早めて今日やってくるらしい。

 

そしてその人をもてなすために必要な食材のメモと、近くのスーパーへの地図を渡され…

 

 

 

 

 

 

 

 

…今に至るわけだ。

 

いざ地図を見てみれば適当すぎて訳が分からないからしょうがなくスマホで調べて向かっているが中々辿り着かない。

 

「もう避暑地って感じの街並みじゃないし、そろそろ着いてもいいはずなんだけどな」

 

「このままだと着く前に熱中症にでもなりかねないな」

 

音無が言うようなことは恐らく起こらないとは思うが、汗を大量にかいてしまっているのは確かだ。

 

と、思ったところで丁度よくベンチが目に入った。

 

「一旦ベンチで休むか?」

 

「そうだな。じゃあ柴崎は座っててくれ。俺が飲み物買ってくるよ」

 

「いいのか?」

 

「ベンチを見つけたのは柴崎だしな。飲み物くらい買ってくるよ。お茶でいいか?」

 

「ああ、ありがとな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で?」

 

「いや、その…」

 

およそ10分ほどかけて帰ってきた音無の手には飲み物ではなく、女の子の手が握られていた。

 

「いや、俺は別に飲み物を買ってこなかったことを怒ってるんじゃないぞ。なにナンパなんかしてんだってことだ。わかるよな?」

 

「ナンパじゃないんだって!話を聞いてくれ!」

 

「話…ねぇ」

 

必死に弁解しようとしている音無と、手を繋いだまま無表情で我関せずを貫いている少女を見やる。

 

その少女は麦わら帽子で多少隠れてしまっているが、美しい銀髪を短くポニーテールに束ね、金色の瞳でじっとこちらを見ている。

 

身長は低く、幼さを感じるがまごうことなく美少女だ。

 

「まあ話くらいは聞こうか。ただし話すのはその女の子な」

 

「…私?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!いきなり話せって言われてもこの子も困るだろうし」

 

「…いいわ」

 

「いいってよ」

 

「う…でも…」

 

ここまで狼狽える音無というのも珍しい。

 

それだけに余計に話を聞かなきゃ気がすまなくなってくる。

 

「やましいことしてないならいいだろ?」

 

「う…わかった。この子に任せる」

 

「よし、じゃあ話してもらえるかな?」

 

俺の問いかけにコクリと首肯で答え、ゆっくりと口を開いた。

 

「友達のところに行こうとしていたら呼び止められてついてきたの」

 

「音無ギルティ」

 

「ちょ、ちょちょちょっと待ってくれ!違う!言葉が足りなさすぎる!」

 

「ほう?そこまで言うなら説明してくれよ。女の子をわざわざ呼び止めるに足る理由をよぉ!」

 

「そ、それは…あれだ…その…」

 

目を激しく泳がせながら逡巡し

 

「ビビッと来たから…」

 

「話は署で聞こうか」

 

「署ってどこだよ?!」

 

「仲村のとこに決まってるだろ!きっちりしつけてもらうから覚悟しろ!」

 

「なかむら…?」

 

「ん?」

 

音無を引きずって連れていこうとしたところで、ぼそりと少女が呟いた。

 

呟いたっていうか…もしかしてこれは質問なのか?

 

「ゆり?」

 

「なんだ?仲村の知り合いなのか?」

 

「…はい」

 

「じゃあこれから行こうとしてたのは?」

 

「ゆりの別荘」

 

ということは…

 

「今日来るっていうのは君だったのか」

 

「あなたたちは?」

 

「ゆりの友達だよ。そっか、じゃあこれから今日の晩飯の材料を買うんだけど、折角だし一緒に行かないか?」

 

「なんか仲村が君の喜ぶものって言ってたぞ」

 

「喜ぶ…?!」

 

なんだ…?目付きが変わった。

 

今までのどこかぼんやりしていた雰囲気が打って変わって嬉しそうに。

 

「行きます。私が選びます」

 

「そ、そうか?って、うわ!」

 

「早く、早く」

 

「ちょっとちょっと、そんなに急がなくても大丈夫だから!」

 

目を輝かせて音無を引っ張っていく女の子と、よろけそうになりながら連れられる音無の後ろを、のらりくらりと着いていくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

無事おつかいを済ませて戻った頃には皆海遊びを終えて、各々別荘でくつろいでいた。

 

そして帰ってきた俺たちに真っ先に気づいたのは仲村だった。

 

「奏ちゃん!」

 

「ゆり!」

 

というか、この子に反応しただけだったようだ。

 

どちらからともなく、ひっしと抱き合い相好を崩すところから見てもかなり仲が良さそうだ。

 

「久しぶりね!あーん、本当はもっと会いたいのにねぇ!」

 

「ゆり、痛いよ」

 

「この痛みはあたしの愛の強さなのー!」

 

「もう、ゆりったら」

 

いや、仲がいいというか、仲村が溺愛しているらしい。

 

「ていうか、この子奏ちゃんって言うのか」

 

「あら?いつの間に帰ってきてたの?」

 

「その子と一緒に帰ってきてるわ」

 

無視してたとかじゃなく本当に眼中になかったのかよ。

 

「ばったり会ったの?」

 

「ううん。そっちの人に街で声をかけられたから」

 

音無を指差しさっき俺にも言ったことを淡々と話す。

 

あれぇ…この展開は音無の命が危ないのではないでしょうか?

 

「ふぅん…あの真面目で優等生な音無くんがわざわざねぇ」

 

じろりと音無を一瞥し

 

「そしてこれまた真面目で優等生な奏ちゃんが見ず知らずの人に着いていく…か。これが―――?」

 

眉間に皺を寄せ、さらに小声でなにかを呟き、音無がどんな酷い目に合うのかを想像することを頭が拒否し始めたその瞬間。

 

「ふふ」

 

…笑った。

 

それはともすれば嬉しそうであり、ともすれば楽しそうでもあり、だが決定的に自嘲したような薄い、とても薄い笑みだった。

 

「まあいいわ。でも、奏ちゃんは今後知らない人には着いていかないこと!約束!」

 

「ごめんなさい、ゆり」

 

「可愛いから許すー!」

 

「きゃっ」

 

さっきの笑みが嘘のようにテンションを跳ね上げ奏ちゃんに抱きつく。

 

よく分からないが、とにかく

 

「助かってよかったな音無」

 

「はは、慣れないことはするもんじゃないよな…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ皆、紹介するわね。この子は立華奏ちゃん。歳はあたしたちの2つ下よ」

 

「よろしくお願いします」

 

2つ下…ってことは中学生か。

 

「へぇ、じゃあ受験生なんだ?どこ受けんの?」

 

「ちょっと日向くん奏ちゃんに近づかないでくれる?馬鹿とアホとマヌケが伝染るから」

 

「んだとぉ?!どれか1つならいざしらず、3つも伝染るかぁ!」

 

気にするところそこなのか?!

 

「もうゆり、そんなこと言ったら失礼だよ。馬鹿もアホもマヌケも伝染るようなものじゃないんだから」

 

だからそこなのか?!

 

誰か一人でも馬鹿、アホ、マヌケ呼ばわりのことは気にしないのか?

 

「日向…さん?すみません。もしかしていつもこんなことを?」

 

「え?あ、ああ…まあ大体は」

 

「もう…ゆり、ダメだよ酷いこと言っちゃ。謝って」

 

「か、奏ちゃん…」

 

「謝らなかったら口きいてあげないからね」

 

ふん、とそっぽを向く素振りを見せる奏ちゃん。

 

「あああ謝る!謝るから無視はやめて!ごめんなさい日向くん!本当にごめんなさい!」

 

「い、いや気にしてねえけどさ」

 

「うん、よしよし良くできました」

 

「えへへ」

 

嘘…だろ…?

 

あの悪魔みたいな仲村を従わせるだと…

 

「あの慈愛の誠心…」

 

「悪魔であるゆりっぺさんをも諫める清さ…」

 

「そしてあの神々しいほどの煌めく髪と瞳…」

 

「女神…?いや、それにはちょっと幼いか…」

 

「天使…」

 

「「「「「「「――――はっ?!」」」」」」」

 

「「「「「「「天使だ!天使だぁぁぁぁぁ!!!!」」」」」」」

 

奏ちゃんのアダ名が満場一致で天使ちゃんに決まった瞬間だった。

 

「天使…つまり神である僕の使いか」

 

ちなみにこんなことを呟いた奴は後に磔にされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

「改めて、この残りの合宿の期間奏ちゃんをよろしくね」

 

「そりゃこちらこそなんだけど、なんで1日遅れて合流?」

 

「親御さんが頑固でね…最後の手段として泣き落としでなんとかしたのよ」

 

愛娘の泣き落としか。確かに効きそうだ。

 

「まあ奏ちゃんは今年受験生だからね。とはいえ普通に実力を出せれば余裕で合格出来るんだけど」

 

「どこ受けるんだ?」

 

「うちよ」

 

「おお!じゃあ奏ちゃんは俺たちの後輩になるのか!」

 

「へ、へぇそうなのか」

 

音無、口、口元が緩んでる。

 

「ていうかよく考えたら日向たちも初めて会うのか?」

 

「奏ちゃんは学校も私立、いわゆるいいとこのお嬢様だから日向くんみたいなのと遊べないのよ」

 

「そうなのか…って俺みたいのってなんだよ?!」

 

「要するにパンピーね。お金持ちってのもこれで中々苦労するのよ」

 

「むむむ…パンピー呼ばわりは納得いかねえけど…否定も出来ん…」

 

下らないことで頭を悩ませている日向はさておいておくとして。

 

「それで今日になってなんで奏ちゃんを?」

 

「息抜きよ。受験勉強ばっかりじゃ可哀想でしょ」

 

「それと…私が会ってみたかったからです」

 

「お、俺に?!」

 

何故だ音無。何故今の会話でそこに至るんだ。

 

「ゆりがいつも楽しそうに話してる友達の皆さんにです」

 

「そ、そっか」

 

「まあ来年にはあたしたちの仲間になるんだし、慣れとくには丁度いい機会でしょ」

 

「うん、ありがとうゆり」

 

「~~~~~!!!可愛い!!こちらこそありがとう!!!」

 

またもや仲村の可愛がりモードのスイッチが入ったようだ。

 

奏ちゃんも大変だな…

 

「…奏ちゃんって初めに街で話してた時と印象違うよな」

 

音無が連れてきたときにはもっと無機質な感じがしていたのに。

 

「言われてみればそうかも」

 

「あはは、口数少なかったでしょ?この子人見知り激しいのよ」

 

「ゆりっぺさん、言い回しがおばさんみたいです」

 

「ご忠告ありがとう。でもそんな暇あるなら外で直井くんを魔女裁判にかけようとしてる奴らを止めてきなさい」

 

「了解です」

 

ついに磔から魔女裁判に発展したのか…アイツら馬鹿ばっかりのくせに変な知識は持ってるな。

 

「あ、あの…」

 

馬鹿どもと直井の行方に気を向けていると、おずおずと奏ちゃんが手を上げていた。

 

「ん?」

 

「わ、私…今日皆さんの仲間になるために…その…料理を振る舞おうかな…と」

 

「て、手料理…!」

 

ゴクリ!と一際大きな生唾を飲み込む音が隣から…

 

「えーっと、いいのか仲村?」

 

「なにがよ?」

 

「いや、猫可愛がりしてるみたいだから、料理なんてさせられない!とか言うかな~って」

 

「どこの親馬鹿よ…」

 

「だよな」

 

「あたしも一緒にするから怪我なんて絶対させないわよ」

 

全力で前言撤回したいんだが。

 

「で、奏ちゃん、メニューは?」

 

「ふふ、出来てからのお楽しみです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待つことしばらく。

 

この間に魔女裁判に参加していた奴らは全員帰ってきた。

 

直井は見た目はボロボロだったが『ふん…これが神の宿命…』とか言ってたから多分大丈夫だ。

 

奏ちゃんはお楽しみと言ってたけど、俺と音無は買い出しの時に一緒だったから何を作るのか大体分かるんだけど…

 

「天使ちゃんは一体どんなものを作るのだろうな?」

 

「天使ちゃんだぜ?天使なものだろうよ!」

 

「天使なものってなんですか?」

 

「愚問ですね。天使的な何かですよ」

 

…………コイツらの異様に上がってしまっている奏ちゃんへのハードル的には黙っておいた方がいいかもしれない。

 

しかし…

 

「アホだなアイツら…」

 

俺の内心を代弁するかのようにひさ子が現れた。

 

「だな。揃いも揃って天使以外の単語をどこかに置いてきたみたいになってる」

 

「普段はまともな音無も…」

 

ちらりと移した目線の先にはエプロン姿(仲村チョイス)の奏ちゃんが料理する姿を見て惚けている音無の姿だった。

 

「鼻の下なし男だな」

 

「よく見ろ、伸びてるだけだ」

 

確かに伸びきってだるんだるんだけど。

 

「柴崎さんもよくなってるアレですね」

 

「どれだよ」

 

「賢者モードです」

 

「最低だな相変わらず!」

 

「賢者モード?」

 

「いい!食いつかなくていいから!」

 

魔女裁判を制止してた組が戻ってきてボケが捌ききれない…!

 

日向は…?!

 

「天使味…って天使ちゃんから出汁を取ってるのかな?!」

 

知るか!なんでお前もそっちに染まってるんだよ!ツッコめよ!輝くチャンスだろ!

 

「大変そうだね、蒼だけに」

 

「今マジでイラッときたんだけど殴っていいか?」

 

「暴力は反対だな~」

 

「許可しますよ」

 

「えぇ~幼馴染み二人が容赦ないなぁ」

 

「「幼馴染みだからこそだ(です)」」

 

ハモってしまうのもやむ無し。

 

こいつはそろそろ1度口を利けないようにしておかないと…

 

「わあすごい!二人とも息ピッタリ!まるで夫婦だね!」

 

「ふう…ふ…」

 

「柴崎!あたしとハモるんだ!」

 

悠の一言で遊佐は動きを止め、岩沢は俺に詰め寄ってきた。

 

「あたしが主旋律、柴崎はハモってくれ!」

 

「多分悠が言ってたのはそのハモりじゃない!」

 

確かに息が合ってないと難しそうだけども。

 

「大変だな、あんたも」

 

「そう思うなら助けてくれ!」

 

「あたしは…あっち止めてくるわ。ごめんね。こら!浮き輪で殴るなー!穴空いたら使えないだろ!」

 

「この薄情者ー!」

 

ひさ子は軽い謝罪だけを残し、天使味などの議論から何故か取っ組み合いに発展していた日向たちを抑えにいった。

 

くそ…神も仏も天使もねえよ…

 

「ねえ」

 

「ん?仲村!」

 

絶望にうちひしがれそうになったその時、呆れた表情の仲村がやって来た。

 

「ちょっと料理してる間に何があったのかしら?」

 

ちらりと俺の方を見やり

 

「あなたは岩沢さんに絡まれて…まあこれはいつも通りだけど」

 

そりゃそうなんだがそれで片付けないで欲しい。

 

そして遊佐の方を見やり

 

「遊佐さんは機能停止…千里くんはにやにや笑って」

 

そしてひさ子が止めにいった暴徒たちの方を見やり

 

「ひさ子さんと椎名先生にやられている憐れな男ども…」

 

いつの間にか椎名先生まで参戦して静められていたようだ。

 

「本当よくもまあこの短時間でこれだけ乱れられるわね…」

 

「リーダーがリーダーだしな」

 

「ん~?何か言ったかしらぁ?」

 

「本当にけしからん奴らだな、まったく」

 

こんな麗しいリーダー様が率いているというのに、まったくまったく。

 

「ふん、まあいいわ。ほらあんたたち寝てないでさっさと席につきなさい!お待ちかねのご飯よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこからの奴らは迅速だった。

 

まるで警察犬のように機敏に、与えられた指示をこなし、食事の準備を済ましたのだ。

 

そんなに楽しみなのか…?

 

いや、まあそりゃ俺だって男なんだから美少女の手料理ってのは心が踊るけど…

 

「こ、これは…!」

 

「まさか…!」

 

「「「「「「「「麻婆豆腐だってぇぇぇぇぇぇ?!!」」」」」」」

 

メニューがメニューだしなぁ…

 

なんというか、意外すぎる。あと色気がなさすぎる。

 

だからこそ皆驚いているんだろうけど。

 

…天使的なものとか言ってたしな。

 

この赤々とした見た目は天使とは正反対だろう。

 

「皆さん…麻婆豆腐お嫌いでしたか…?」

 

「うっ」

 

アホどもの反応を見て不安に駆られたのか、少し悲しそうな表情を見せる奏ちゃん。

 

なんという罪悪感…

 

「いやいやそんなことないさ!」

 

「無論!むしろだぁい好きだ!!」

 

「麻婆豆腐でtrouble dance!」

 

「麻婆豆腐があれば何もいらないよー!」

 

「よ、良かったです…」

 

フォローしすぎて若干引かれているがとにかく奏ちゃんの泣き顔は見ずに済んだみたいだ。

 

「……」

 

「どうした高松?」

 

「いえ、何か忘れている気がしたのですが…」

「さあ!食べましょ食べましょ!」

 

「え?なんだって?」

 

「いえ、きっと気のせいですね。食べましょう」

 

「そうか?ならいいんだけど」

 

「じゃあ奏ちゃん、号令お願いね!」

 

いきなり仲村に指名され、もじもじと恥ずかしそうに身をよじりながら口を開いた。

 

「で、では皆さん。いただきます」

 

「「「「「「「いただきまーす」」」」」」

 

皆息を合わせ、きちんと手を合わせ、いよいよ奏ちゃん特製の麻婆豆腐を一口…

 

「んぐっ」

 

「がっ」

 

「あひょっ」

 

「「「「「「「「辛えぇええぇぇぇ!!???」」」」」」」」

 

一口、たった一口だ。

 

麻婆豆腐を口に入れた瞬間に世界が赤に染まった。

 

喉は焼けるように熱く、唇は焼きただれたかのような錯覚を覚えた。

 

水を…なんて言う暇もないほどの衝撃的な辛さ…いや、もうこれはただの痛みだ。

 

まさか…あの子……

 

「うん、うまいわ」

 

激辛党…だと…?!

 

「そうね、奏ちゃん。最高よ」

 

仲村も激辛党…?

 

「蒼…よく見るんだ…」

 

「悠…?はっ、まさか…?!」

 

仲村の食っている麻婆豆腐…あれはわずかに色が違う…!

 

「謀られたね…まさかこの僕…が…」

 

「悠ぅぅぅぅ!!」

 

くそ!悠がやられるなんて!

 

他の皆は…

 

「奏ちゃんが作った料理を残すわけには…!」

 

音無…あのバカ野郎…死ぬ気か…?

 

「神は…2度死ぬ…」

 

まさかもう既に1度死んでいたのか…?!

 

「あさはかなり…」

 

くっ…

 

「これが…違和感の正体…!悪魔のような人だ…」

 

やめてくれ……

 

「はは…ここで引いたら男が廃るんだよぉ!」

 

やめてくれぇぇぇぇ!!!

 

「ん?柴崎、食べないのか?」

 

「岩沢…?平気なのか…?」

 

「何が?普通にピリ辛で美味しいけど」

 

「あ、岩沢さんのはあたしが作った普通の麻婆豆腐よ」

 

言われて確認してみれば確かに色が違う。

 

「な、何故…」

 

「歌手は喉が命だしね。さ、柴崎くん、遠慮せず食べなさい」

 

「ちょ、いや…やめ…うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

この日、絶叫が止むことはなかった。

 

 




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「お前の好きな人って…」

本日は晴天なり。

 

いや、本日も晴天なり、か。

 

合宿開始から3日目、ようやく俺は海をしっかり満喫している。

 

1日目のように岩沢が一人黄昏れているようなこともなく、2日目のように別行動させられるわけでもなく、あてもなく漂っている。

 

ああ…貝になりてえ…

 

「急にアワビがどうとか…卑猥ですよ」

 

「急に現れて頭の中を読んだ挙げ句内容をねじ曲げるような奴に言われたくない」

 

ていうかそういうのを食べ物に例えるな。晩飯に出たらどうする。

 

「大丈夫ですよ。今日の晩ごはんはフランクフルトらしいので」

 

それ単品で晩ごはん終わりかよ。育ち盛りには米を出せ米を。

 

「はぁ…遊佐さんや」

 

「はい?」

 

「こんな綺麗な海に来てまで下品な話は止めやしませんか?」

 

力を抜けばそれだけで浮遊感を与えてくれる海。

 

遠くから見れば煌めくような青さを放つ海。

 

こんな素晴らしい場所でこんな話…海に失礼だとは思わないかね?

 

「そうですね…たまには心を清く保つことも必要ですね」

 

「分かってくれたか」

 

出来ればいつも清くあって欲しいんだけど。

 

「あ、そういえば岩沢さんちょっと下の毛の処理が甘いですよね。見えちゃってます」

 

「なっ●▲※◇∋?!」

 

思わぬ暴露にリラックスどころでなくなり思いっきり塩水が口の中に侵入してくる。

 

「…嘘ですよ」

 

「な、なんだ…嘘かよ」

 

「無駄毛に興奮するなんて…とんだ変態ですね」

 

「アホか!興奮じゃねえよ!びっくりして浮かんでられなくなっただけだっつーの!」

 

「どこに力をいれてるんですか全く。清く行きましょうよ、清く」

 

「お前…ざけんなこらぁ!」

 

がばっと頭を絞めてやろう飛びかかったが、潜水することで避けられてしまう。

 

「一時撤退です」

 

「逃がすか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

「どーしたんだ柴崎?なんかすげえ疲れてるけど」

 

「あー…いや、なんでもない」

 

結局あのあとちょこまかとすばしっこく泳ぎ続ける遊佐を捕まえることは出来ず逃げ切られてしまった。

 

おかしい…なんであんな犬かきみたいな泳ぎ方であんなすばしっこいんだ?

 

「あーくそ、今日はもう海はいいや」

 

「今日はいいやって、今日が終わったらあと2日しかねえぜ?しかも最終日はどれくらいいるのかもわかんねえし」

 

「それならそれでいいよ、そんなに泳ぐのが好きなわけでもないしな」

 

1日目も今日も、浮き輪の有無の差はあれど、ほとんど浮いてるだけだしな。

 

「そか?俺はまだまだ泳ぎ足んねえし、泳いでくるぜ」

 

「おー、いってらっしゃーい。俺はゆっくりしておくよ」

 

そもそも俺は静かにゆったりと過ごすのが好きなんだ。

 

それなのにここ最近は喧しいったらない。

 

「海でゆったりは邪魔されたし、今度は砂浜でゆったりと決め込むか」

 

「おいおいじいちゃんみたいなこと言ってんなぁ。他の皆を見習ってはしゃいだらどうだい?」

 

「ひさ子…お前も俺の邪魔をするつもりか?」

 

日向が泳ぎに行って、さあのんびり昼寝でもと思った矢先にこれだ。

 

関わる人が多くなると、ゆっくりも出来なくなるものなのか。

 

「別にあんたの邪魔するつもりなんてないよ。そんな暇じゃないし」

 

「お前は何も分かってない」

 

「はぁ?」

 

そう。分かってないんだよひさ子。お前は…いや、水着姿のお前は側にいるだけでもう男はゆったりしとくどころじゃなくなってしまうんだよ!

 

なんですかあなた、何とは言わんがそのでかいのは。そんなの目の前でぶら下げられて冷静でいれるほど高校生は人間出来てねえよ!

 

「なんか…すげえ殴りたいんだけどいいか?」

 

「待ってくれ。俺はナニもしていない」

 

してないだけだけど。

 

「はぁ…なんで男ってのはどいつもこいつも胸が好きなんだろうねぇ…」

 

と言いつつ腕を組むことで胸を強調する。

 

……いやまあただの癖なんだろうけど。

 

ふぅ、やれやれ。俺は胸より脚派なんだがしょうがない。男代表としてここは一肌脱ぎますか。

 

「ひさ子、いや、これは女子全体に言えることだがな、男が胸が好きなことに呆れる権利なんてないんだぜ?」

 

「はぁ?なんでだよ?男が馬鹿なことの象徴だろ?」

 

うん、まあ男が馬鹿ってのは否定しない。

 

「いやいや、よく考えてみてくれよ。男は確かに胸が好きな奴が多い。というか実質嫌いな奴はいないと言っても過言じゃない」

 

もちろんこれは恋愛対象が女なことが大前提だが。

 

「でもな、女だってイケメンが好きだろ?顔が良い方がいいだろ?」

 

「ん?あたしは別に気にしないけど」

 

「嘘つけ!お前みたいなこと言って、不細工には冷たいやつを俺は見てきたんだ!!」

 

この眼が嫌がおうにも捉えるあの残酷な仕打ち…あれが俺にもいつやって来るのかいつも気が気でないんだ…!

 

「嘘じゃねえよ!あたしは…その…どっちかって言うと…無骨っていうか…男臭いっていうか…そういう方が…」

 

「それ結局ワイルド系イケメンのことだろ!?俺は騙されないぞ!!」

 

「お前しつこいな!?」

 

俺は知ってるんだ!優しい人が好きーとか言いながら結局顔は良いが乱暴な奴と付き合うような女がいることを!

 

ひさ子だってこんなこと言いながら爽やかで甘いマスクのイケメンにころっと惚れるんだ!!

 

「本当だっての!」

 

「んじゃ具体的にどんな人がタイプなのか言ってみろよ」

 

「さっき言ったじゃないか」

 

「さっきみたいな抽象的なのじゃわかんねえよ。もっと目がこんなので、とか具体的に」

 

「はぁ?目…?目…は…そうだな…二重でぱっちりってのよりも一重でスッとしてる感じ…かな」

 

顔を赤くし、想像しながら話してるのか、はたまた具体的な誰かを思い浮かべてるのか、所々詰まりながら懸命に話す。

 

「口調はまあ…なよなよしてたりチャラかったりせず男っぽい感じ…だな」

 

一重で口調も男っぽい…?

 

「身体もどっちかっていうと…がっちりしてる方がいいかも…」

 

身体もがっちり…

 

「待てひさ子…お前まさか…俺たち部の中に好きな人がいる…のか…?」

 

「え?!な、何を?!」

 

一重で男っぽく、身体もがっちり…さらには無骨で男らしい…

 

このイメージに完全に一致する人物に心当たりがある。

 

「お前の好きな人って…」

「や、やめ――」

 

「松下五段…なのか?」

 

「………は?」

 

「いやだって…松下五段しかいないだろ今のタイプに合うのは…」

 

松下五段は一重だし、口調もまさに日本男児って感じで、柔道をやってるだけあって身体もがっしりしてる。

 

「あのな…松下五段は一重っつーか目が線だし!口調は男っぽいっつーか若干おっさん入ってるし!身体もがっちりしすぎだよ!」

 

物凄い剣幕で松下五段をディスっている。

 

これは松下五段には聞かせられないな…

 

「じゃ、じゃあ誰だよ?」

 

「ばっ?!誰とかそんなんじゃないっての!ただ単にタイプを言っただけで…」

 

「嘘だな」

 

俺が部の中にいるんじゃないかって言ったときの狼狽え方、名前を言おうとした時に慌てて止めようとしたあの行動…どれを取っても俺の予想が的中してることを裏付けている。

 

「ぐっ…」

 

あとこの図星ですって自ら言ってるような反応もね。

 

「ふーん…当ててやろ!」

 

遠くまでくっきり見える眼を使い、今一度さっきのタイプに当てはまる奴がいるかどうか確かめるために海の方を見る。

 

「や、やめろって!」

 

ひさ子が眼を塞ごうとしてくるがなんとか抵抗しつつじっくり海の方を観察し……!?

 

「あれは…!」

 

かなり沖の方、俺以外が見れば誰かいるな、程度にしか認識の出来ないほどの距離。

 

そこに浮き輪をつけ、こちらに向かって泳ぐ藤巻がいた。

 

ただいるだけでここまで驚きはしない。

 

その泳いでいる藤巻の形相があまりにも真に迫っていたのだ。

 

それを見てさらに注意深く観察すると、どうも浮き輪のサイズが一回り縮んでいることに気づいた。

 

「なぁ…藤巻って…」

「な?!な、なに言ってんだよ?!ちげ…」

「違う!藤巻ってもしかして金づちだったりするか?!」

 

「へ…?あ、ああ。アイツは昔から泳げないけど…」

 

「やばい!藤巻がつけてる浮き輪に穴が空いてるみたいだ!なのにアイツ、沖の方に…!」

 

早く椎名先生や仲村に…と言おうとしたところで、ひさ子が俺の手を払い海に向かって走り出した。

 

「ちょっ…!」

 

それを今度はこちらからひさ子の手を掴むことで制止する。

 

「なんだよ?!離せよ!!」

 

本気で激怒しているかのように睨み付けてくるその様子から、冷静じゃないことが見てとれる。

 

「落ち着け!女のお前が行っても巻き込まれるだけだ!」

 

「うるさいっ!こんなこと言ってる間にアイツが溺れたら…あんたが責任取ってくれるのか?!」

 

「――っ?!」

 

「離せ!」

 

一瞬の動揺を見逃さず、俺の手を再度振りほどき海に向かっていく。

 

くそ…とにかく助けないと…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

必死に手や足を動かし水の中を進む。

 

あたしには柴崎のような眼がない。だからそれらしき物体を藤巻だって信じて進むしかない。

 

待っててくれ…!絶対助けるから…!

 

これでも運動神経には自信がある。走りだって泳ぎだってそこらの男には負けない。

 

でも…なんで…?!思ったように進まない…!

 

いや、理由は明白なんだ。

 

早く助けにいかないと、という焦りが全身を強ばらせて普段のフォームで泳げていないんだ。

 

焦れったい。

 

近づいているけど、いつもの早さならもう着いてるのに…そういう思いが溢れて止まらない。

 

何度も何度も藤巻の位置を確認して、もうすぐ着くから落ち着けと念じる。

 

それでも力みは取れない…が、ようやく藤巻のすぐそばに着いた。

 

「がっ、ぼ、ぶはっ、助け…!」

 

やばい…!もう浮き輪の空気が無くなってる…!

 

「藤巻ー!」

 

こちらに気づくよう大声をあげてから藤巻の下に向かう。

 

「かはっ…ごはっ…」

 

もうなんとか酸素を補給することしか考えられてないように、あたしの言葉への返答はなかった。

 

誰かが来たことくらいには気づいているかもしれないが、その判別はついていなさそうだ。

 

じたばたと暴れまわる藤巻になんとか近づき、捕まえる。

 

「落ち着いて藤巻!暴れないで力を…」

「ぐっ、あっ、がぁ?!」

 

「っ?!」

 

なんとか顔を海上にあげさせようとしたところで抱きつかれる。

 

そんな場合じゃないのに顔が熱くなる。

 

「ふ、じま…がはっ」

 

落ち着かせるため声をかけようとした瞬間、海水が口のなかに入ってくる。

 

抱きつかれて動かせない腕で力一杯振りほどこうと試みるも、まるで及ばない。

 

こんなに強いのか…?!

 

次第にあたしもどんどんと息が出来なくなっていく。

 

頭は徐々に働きを弱めていき、ぼうっとし始めていく。

 

そして何故か切り取られたような幼いころの思い出が巡り始めた。

 

『ひさ子!いつかはおれがおまえをまもるから!』

 

幼いころ、いつも二人でいた頃の記憶。

 

「ト…シ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…い…おい…ひさ子…!」

 

微かに感じる、自分を呼ぶ声と、頬を叩く感触。

 

ゆっくりと瞼を開く。

 

「ひさ子!ひさ子ぉ!」

 

目の前には珍しく涙を流す相棒が映った。

 

「いわ…さわ…?」

 

「ひさ子…!良かった…!」

 

あれ…?あたし…なんで…?

 

うまく働かない頭だったが、徐々に記憶が戻っていく。

 

よく見れば周りには他の皆もいて、あたしを囲んでいるのが分かる。

 

「あたし…溺れて…」

 

「そうだよ!柴崎がゆりに言ってなかったら死んでたかもしれないんだぞ!!」

 

「ゆりにって…どういう…」

 

詳しい事情を訊こうとした瞬間、はっとする。

 

「違う!ト…!藤巻は?!」

 

「藤巻は…」

 

目を合わせず、どうしたものかと柴崎の方を見やる岩沢の様子を見て、最悪のシチュエーションが頭を過る。

 

「まさか…し…」

「そうじゃない!」

 

「ならなに?!」

 

「落ち着け…。藤巻は…お前より先に目を覚まして一足先に別荘に連れて行った」

 

「そう…なのか…」

 

最悪の状況を想像しただけに、安堵感が押し寄せ力が抜ける。

 

よかった…

 

「うん…そうなんだけど…ひさ子、お前って藤巻と何かあったのか?」

 

「何か、って?」

 

「いや…藤巻が目を覚まして、ひさ子が真っ先に助けに行ったのを聞いたあと…なんか、すごく怒っていてさ」

 

「このままだとひさ子も危なそうだったから松下五段たちで別荘に無理矢理連れて行ったんだよ」

 

ごーん、と頭を何かで打ちつけられたみたいだった。

 

そうか…アイツは…アイツはまだあたしのこと…

 

「ひさ子?」

 

「ううん、大丈夫」

 

滲みそうになる涙を必死に堪えて相棒に笑顔を向ける。

 

「何もない。本当に、反りが合わないだけだからさ」

 

 




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「で、二人はどういう関係で?」

「………………」

 

いつもお祭り騒ぎをしている俺たち(出来れば俺は省いて欲しいが)でも、流石にあんな事件が起こっては海で騒ぐ気にもなれず自由時間ということで落ち着いた。

 

かといってお通夜のように粛々と過ごすのもひさ子たちに気を使わせてしまうだろうからといつものように振る舞う奴らもいた。

 

が、どうも俺はそれすら出来る気がしなくて一人別荘の近くの森林をあてもなく散歩していた。

 

あの時俺はどうするべきだったのか、それが頭を忙しなくぐるぐると巡っていく。

 

藤巻が危険な状況だと分かった瞬間、俺が一も二もなく助けに向かっていければひさ子まで溺れかけずに済んだんじゃないか。

 

『うるさいっ!こんなこと言ってる間にアイツが溺れたら…あんたが責任取ってくれるのか?!』

 

挙げ句ひさ子の言葉に怯んで引き止められないなんて…

 

「なんのためにこんな眼があるんだよ…」

 

正直、俺が行ったからって藤巻を助けれたとは思わない。ひさ子の二の舞になるのがオチだと俺は思う。

 

何故なら俺は身体能力は一般並みだからだ。

 

溺れかけていて必死な人間…それも俺よりも力が強いであろう相手にしがみつかれては、俺じゃどうしようもない。

 

だから最終的には野田や松下五段、それに椎名先生たちに頼んだ。

 

俺にはそれくらいしか出来なかった。

 

俺の行動は正しかったのか、結果的に助けは出来たけど、俺は二人を見殺しにしかけたんじゃないのか。

 

他人より視える眼を持っているのになんで俺は…

 

「なんでお前が助けにくんだよ?!ふざけんな!」

 

「っ?!」

 

いきなり聴こえてきた怒声に思わず声が出かけるがなんとかこらえる。

 

な、なんだ…?

 

とにかく声がした方向から死角になるように木に身を隠す。

 

「はぁ!?助けてあげたんだから感謝するのが普通じゃねえのかよ?!」

 

「誰がてめえに助けてくれって頼んだんだよ?!ああ?!」

 

この声…ひさ子と藤巻か?

 

ひょいと少し顔を出して覗きこむと、やはりあの二人が血相を変えて睨みあっていた。

 

「なんだよ!?またあんたは女に助けられるのがダサいとかワケわかんないこと言いたいわけ?!」

 

また…?

 

思えばひさ子は今日だって藤巻が泳げないか訊いたとき『昔から』と言っていた。

 

ということは高校で部に入る以前から知り合いってことか。

 

「…!……ああそうだよ。お前がそんなんだから俺は…!俺はお前の隣にいられねえんだ!」

 

「なんだよ…それ…」

 

ひさ子の言葉を受け、まるで刺されたかのような表情を藤巻が浮かべたかと思えば、今度はひさ子が今にも泣き出しそうな表情に変わる。

 

「居たいなら…居てくれよ…ずっと隣に居てよ!」

 

「…俺は男で、お前は女なんだよ…!」

 

「だからなんなんだよ?!それがどう繋がるんだよ!」

 

「…言わねえよ。そんなもん、言ったら余計に遠のいちまうんだ」

 

そう言って立ち去る藤巻。

 

残されたひさ子は崩れ落ちるように座り込んで嗚咽を押し殺す。

 

「なん…なんだよ…?ワケわかんないっての…馬鹿俊樹ぃ…!」

 

しかし堪えきれず、ついには悲痛な泣き声をあげ始めた。

 

さっきのやり取りの意味も、二人の関係性もあまり分からないが、とにかくこの件は見なかったことにしておいた方がいいな…

 

と、立ち去ろうとしたその時。

 

パキッ

 

「だ、誰かいるのか?!」

 

嘘ぉぉぉぉ?!こんなベタな展開ある?!

 

待て…待て待て落ち着け俺…!こんなちょっとした音ならこんな森ではいくらでも鳴るはず…そう、何か野性動物が踏んだとか、そんな風に装えば…

 

「こ、コンコーン」

 

「なんだ狐か…ってそんなわけあるかぁ!!」

 

騙せたかと期待したのも束の間、猛スピードで俺が隠れていた木までやってきた。

 

「柴崎…お前聞いてたのか…?」

 

「ち、違うんだ!俺も考え事をしてて…たまたま、本当にたまたま通りかかっちゃったんだよ!」

 

「ちなみに…どこから聞いてたんだ…?」

 

その時のひさ子の目はこう語っていた。

 

『場合によっては殺す』と。

 

な、なんて答えるべきなんだ…?

 

ていうか最後のを聞いてた時点でもう死亡は確定しているような…

 

ええい!ならいっそ正直に生きて死んでやるわい!

 

「藤巻が、なんでお前が助けにくんだって怒鳴ってる辺りから…」

 

「ほとんど全部聞いてるんじゃねえか!」

 

「でも本当にたまたま通っちまったんだから仕方ねえじゃんかよ!?」

 

俺だってあんな修羅場見たかねえやい!

 

「はぁ…まあいいや…もう」

 

もう完全に理不尽な怒りの鉄槌が下されるかと身構えていたのだが、どうやらそんな雰囲気ではないらしい。

 

「あ、あのさ…」

 

「…なに?」

 

「藤巻とはどういう関係なんだ?」

 

「それ聞いて、あんたはどうしたいわけ?」

 

「い、いや何かしようってわけじゃなくだな…」

 

ただ訊いてみたかった、なんて出歯亀根性丸出しな台詞は流石に言えない。

 

「……まあいいよ。どうせこんな状態じゃしばらく戻れないしね」

 

こんな状態、というのは泣き腫らした目のことだろう。

 

「ちょっとハンカチ濡らして当てときたいから水辺まで移動していいか?」

 

「ああ、もちろん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして森のなかにあった小川まで移動し、濡らしたハンカチを目に当てながら、再度質問してみた。

 

「で、二人はどういう関係で?」

 

「簡単に言うと幼馴染み。あんたと遊佐、それに千里みたいなもん」

 

そう言われ俺たちの関係と少し当てはめようと頭のなかで想像してみるも、どうにも上手くいかなかった。

 

「にしては、仲が悪い…よな?」

 

藤巻とひさ子は、普段から犬猿の仲というのを地で行くような雰囲気だ。

 

俺と遊佐や悠も口論なんかはするけど、そういうのとはわけが違う…ような気がする。

 

「これでも昔は仲良かったんだ。毎日一緒にそこら中駆けずり回って…小さい頃はアイツ臆病でさ、よくいじめっ子から守ったりしてたんだけどね」

 

その当時を思い出しているのだろう。

 

楽しそうに話しているが、どこか遠いところを見ているようだった。

 

「それがいつからかこんな感じに、ね」

 

そう言って顔を落とすひさ子の動作1つ取っても、ひさ子が藤巻を嫌っているわけではないことが分かる。

 

ひさ子の性格的に、売り言葉に買い言葉でいつの間にか後に引けなくなったのだろう。

 

「きっかけは覚えてないのか?」

 

「さあ…少なくともあたしは覚えてない。でも…そうだな…本格的に仲が悪くなったのは中学あたりだったかも」

 

中学が…

 

中学時代は俺もあまりいい思い出がない故に、少し苦い表情になってしまう。

 

「藤巻に訊いてみたりしなかったのか?」

 

「したよ、中学のころに。でも、そんなの今さら言わなくても分かってるってことばっかりでさ、何が言いたいのか分からないんだよ。あんたもさっき聞いたろ?」

 

「あ…」

 

『…俺は男で、お前は女なんだよ…!』

 

確かそんなことを言っていた気がする。

 

「でもその前にひさ子も、また助けられるのがダサいとか言うわけ、とか言ってたよな?」

 

「ん?ああ」

 

「そんなことがあったのも中学時代か?」

 

「いやそれは…いつからだろう…?多分小学生の頃から言ってはいたとは思うけど。アイツ弱っちいのに負けん気は強かったから」

 

それはなんとなく思い浮かぶ。

 

それに、やっぱり男としては女子に守られるのは恥ずかしいし。

 

特に小、中学校だとそういうのはイジリの格好の的になりそうだしな。

 

「それで隣にいられない…か」

 

「勝手なんだよ、アイツ…」

 

男の俺としては藤巻の気持ちも分かる気がするから、頷くことも否定することも出来ない。

 

「でもあんな台詞が出てくるってことは、本当はひさ子と仲直りしたいんだろ、藤巻も」

 

「う…まあ…そうかもな」

 

「ひさ子は?ひさ子は仲直りしたいのか?」

 

「………………」

 

赤面しながらジロッとこちらを睨み付けてきた。

 

「愚問でしたかね」

 

そういえばさっき喧嘩して泣いてたんだもんな。

 

「な、仲直りしたいっつっても、アイツが勝手にキレて勝手に離れてったんだぜ?!なら謝るのも向こうからだろ!?」

 

「そんな赤面を誤魔化すためにキレられてもなぁ…」

 

「ちげぇーよ!!」

 

あ、口が滑ってた。

 

「お、落ち着け落ち着け…どうどう」

 

「あたしは牛か!」

 

………いや、まあ…その…一部分は…

 

「とにかく、藤巻は守られるのを気にしてるんだからさ、ちょっと態度変えてみたらいいんじゃないか?」

 

「変えるって…どうやって」

 

「ん~…とりあえずハグでもしてその赤面見せてやったらイチコロなんじゃない?」

 

「………死ね!」

 

俺の眼でも捉えきれない高速の拳が土手っ腹へ捩じ込まれ、そこで、俺の意識はなくなった。

 

俺が最後に思ったのは…そう。

 

この人…人間じゃねえよ…

 

 




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「うぅ…は、ハチマキ?!」

「うぅ…は、ハチマキ?!」

 

ものすごく醜悪な悪夢によって飛び起きる。

 

「なんだ…夢か…」

 

危なかった…もし夢じゃなかったら世界が終わっていた…

 

「いやどんな夢だよ?!ハチマキってなに?!WHY!??」

 

「ちょ、寝起きにうるさい…」

 

起きた途端にすぐ側で、しかもすごい声量と勢いでツッコミくらうとかなんの罰ゲームですか?

 

「ん、てか今何時?出川」

 

「誰が出川だ!?…8時だよ、晩のな」

 

8時か。ならそこまで寝込んでたわけではないみたいだな。

 

「驚いたぜ、昨日突然ひさ子が、森で気絶してる柴崎を拾ってきてやってっつーから行ってみたらマジでいるんだもんよ」

 

「はは、そりゃ悪いこと………え?昨日?」

 

聞き間違いかな?金土って言ったのかな?確か今日は火曜のはずだけど。

 

「ああ、お前丸一日気絶してたぞ」

 

「嘘だろ?!」

 

「いやマジマジ。とりあえず起きるまで待ってようと思ったらまるで目ぇ覚まさねえの」

 

「起こせよ!」

 

「気絶してるやつ無理矢理起こしても大丈夫なのか?」

 

「それは……知らん」

 

医学的な知識なんて皆無だ。

 

そもそも怪我自体することが少ないし。

 

「だろ?だからとりあえず放ってたんだよ。あ、ちゃんと息してるかは確認してたから安心しろよ?」

 

何をどう安心するんだそれは。

 

…まあいいか。わざわざひさ子に殴られて気絶した俺を拾ってきてくれたんだか…ら…

 

「ん?どうした柴崎?顔色悪いぞ。なんか汗もかいてるし」

 

「ひさ子…」

 

「え?」

 

「ひさ子はもう怒ってないか?!」

 

思い出した恐怖によって思わず日向にすがり付くように訊ねる。

 

「は、はぁ?!」

 

「やばい…ひさ子はやばい!アイツいつか人を殺すぞ!」

 

「お、落ち着けよ!アイツなら俺も何回かキレさせたことあるけど、人殺しまではしないって!」

 

何回か…?!

 

あんな人智を越えた暴力を何回も受けたのか?!

 

「大丈夫なのか日向?!実は死んでないか?!」

 

「ちょ、何?!マジでどうしたのお前?!どーどー!落ち着け!深呼吸しろ!」

 

日向に促されるがまま深呼吸を行う。

 

何度かやっている内に、少しずつ落ち着いてきた。

 

「よーし落ち着いたな。ほら、とりあえず飯食おうぜ!っつっても食ってないのはお前だけだけどな」

 

言われてから自分が空腹なことに気がついた。

 

よっぽど気が動転してたんだろうな…

 

「まあ飯が終わったら楽しい楽しいイベントがあるらしいし、さっさと済ましちまえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空腹だったこともあってか驚くほどに早く飯を平らげ、一服ついたところで、仲村から俺が気絶していた森林に来いとの招集がかかった。

 

日向と一緒に入り口へ向かうと、続々と皆も集まり、そう時間もかからずに全員が揃った。

 

「皆揃ったわね。じゃあ今日は…胆試し大会よ!」

 

「夏といえば、というところですね」

 

クイッと無駄に眼鏡を上げながらそう言う高松。

 

「ベタこそが至高なのよ。あたしたちにとってはね」

 

まあ確かに青春って感じはするけど。

 

「ルールは簡単。この森の奥にあるあたし特製のお守りを二人一組で取ってくる、それだけ」

 

「で、でも…こんなに暗いと危なくないですか…?」

 

「大丈夫よ入江さん。道は1本しかないし、仕掛け役はうちで雇っている人たちだから何か起こっても対処できるわ」

 

「うぅぅ…」

 

怖いのが苦手なのか、心底嫌そうな顔をして唸っている。

 

可哀想だけど仲村が1度言ったことをこの程度で曲げたりはしないだろうな…

 

「分かった分かった。特別に入江さんは大山くんとペア組んでいいから、ね?」

 

「ほ、本当ですか?!」

 

「うん、だから参加しましょうね?」

 

「は、はい!」

 

仲村の提案を聞いてものすごく目を輝かしているんだが…同時に大山の顔が真っ青になっていってるのが分かる。

 

お前も…苦手なんだな…

 

まあここは仲村の言うことを信じて、何かあっても大丈夫だと思い込んでおこう。

 

「ずるいなーみゆきち。あたしも直井くんと組みたいよー」

 

「ダーメ。他の人はくじ引きで決めるわよ。ほら、引いた引いた」

 

あらかじめ作ってきたのであろう仲村お手製のくじを全員が引いていく。

 

「赤…」

 

同じ色の奴とペアってことか。

 

「柴崎赤?!あたしも赤だ!」

 

「うわ…」

 

よりによって岩沢とペアかよ…運悪…

 

周りも続々とペアが決まっていっているようで…

 

「あー!あたし直井くんとだ!やったね!」

 

「そんなバカな…僕は柴崎さんか音無さんと…」

 

「…チッ」

 

「藤巻…」

 

…つーか…

 

「おい仲村!お前くじ仕組んでるだろ!」

 

ガルデモ+マネージャーの組ばかりじゃねえか!

 

「人聞きの悪いことを言わないでよ。公平よ公平」

 

「嘘つけよ!こんな確率で偶然が起きてたまるか!やり直しだ!」

 

「落ち着けよ柴崎」

 

なんとかしてペアを組み直そうと必死に抗議していると、音無が割って入ってくる。

 

「こんなに大勢を相手に細工なんて難しすぎる。これは公平だと思うぞ。それに、ペアが気にくわないからって文句を言うのも男らしくないぞ!」

 

「うっ…」

 

そう言われてみると、確かにそうかもしれない。

 

そもそも細工があったとしても、そのトリックも暴けていないしな…

 

「納得したなら早くやろう。遅くなったら危ないし。な」

 

「はい」

 

……………。

 

「なあ音無、お前のペア…」

 

「ペアがどうかなんて関係ない。とにかく楽しもう。な」

 

「はい」

 

「音無…」

 

ダメだコイツ…ペアが奏ちゃんだからって仲村の味方になってやがる。

 

ちらりと仲村の方を見てみると、にやっと新世界の神のような笑みを浮かべてやがる。

 

ここまで読んで細工しやがって…!

 

「ほーら、そろそろ始めないと終わるの深夜にやっちゃうから始めるわよ!じゃあ、オペレーション・ゴーストサプライズ、スタート!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ…」

 

ぎゅっと掴まれている僕の左腕。

 

掴んでいるのは愛しの彼女。

 

……なのに…嬉しさより怖さの方がよっぽど強い……!

 

うぅ…僕はなんて弱いんだ…

 

「ま、誠さん…」

 

「ど、どうしたの?」

 

「すみません私…お化け苦手で…こんなにしがみついちゃって…」

 

「だ、大丈夫!僕がちゃんと守るよ!」

 

ドン、と胸を叩いて強がって見せる。

 

けど、それで怖さがなくなるわけでもなく…

 

ピチャッ

 

「ひ、ひぃぃぃぃ!!?」

 

首筋に謎の冷たい感触を受け、情けない悲鳴をあげてしまう。

 

「誠さん!大丈夫ですか?!」

 

「だ、だだだだだ大丈夫!」

 

なんとか取り繕おうとするも、悲鳴が聞こえなかったわけがない。

 

情けないところ見せちゃって…幻滅されたかもしれない…

 

「あ、あの…もしかして誠さんもこういうの苦手…なんですか?」

 

「…うん。正直言うと、苦手なんだ」

 

もうどう頑張っても誤魔化せないだろうと思い、せめてもの誠意として正直に答える。

 

「……あの、誠さん…」

 

「なに…?」

 

「全力で走って早く終わらせませんか?そうすれば怖さも最小限で私もラッキーなんですけど…」

 

僕の腕にしがみついたまま、上目遣いで提案してくる。

 

きっとこれは半分本心で、半分気遣いなんだろうなと感じる。

 

折角の彼女の優しい申し出を断るわけがない。

 

「そうだね!よし、ダッシュで切り抜けよう!」

 

「はい!」

 

腕に抱きつかれていた状態から、手を繋ぐことにして、僕たちは同時に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピチャッ

 

「チッ…」

 

隣から妙な音と舌打ちが聞こえた。

 

大方こんにゃくでも張り付いたんだろう。

 

今時こんなので怖がるやつはいないし…こんな状況だとビビることも難しいしね。

 

昨日あんな喧嘩をした後、コイツとペアで胆試ししろって言われても、気まずさばかりでまるで怖くない。

 

…まあ元々こんなので怖がるような可愛いげはないけどさ。

 

「うおぉぉぉ!」

 

「…はぁ」

 

「…………」

 

突然やけにリアルな特殊メイクをしたゾンビが出てきても、溜め息しか出てこない。

 

仕掛け役の人に悪いことしたなぁ。

 

と、終始こんな感じでゆりの言っていたお守りの場所まで着いてしまった。

 

入江は良いよな…可愛いげあるし。さっきだって大山とダッシュで帰ってきて…すごく楽しそうにしてた…

 

「……おい」

 

「…なんだよ?」

 

唐突に声をかけられ、一瞬自分に言っているのだと気づくのに遅れてしまう。

 

「……昨日は…悪かった」

 

「……は?」

 

予想もしてなかった謝罪に、思わず聞き返してしまう。

 

「…昨日のは完全に八つ当たりだった!だから特別に謝ってやってんだよ」

 

「な…んでそんな上からなんだよ…?バーカ…」

 

つくづく可愛いげのない自分を呪いながら、しかし自然に口元がにやけていってしまう。

 

なんだよ…なんだよバーカ。謝るくらいならすんなっつーの…バーカ…

 

「うっせぇ…あー、用も済んだし帰るぞ」

 

「命令すんなっての」

 

悪態をつきながら後ろをついていく。

 

ここでちょっと素直になれたらな…でも、今日はちょっといい日だな…

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ直井くん」

 

「なんだ?」

 

「幽霊って信じる?」

 

「はっ、何を馬鹿なことを…そんなの存在するわけがないだろう。仮に存在したとして、見えないのならなんの害もない。つまりいないも同然だ。何も気にする必要がない」

 

「そっかぁ。じゃあとりあえずあたしの後ろに隠れるのはやめない?」

 

ずーっと後ろから肩を掴んで着いてくる直井くんの方に振り向いてみる。

 

すると、ギクッ!みたいな感じで身を強張らせる。

 

「これは隠れてるんじゃない!盾にしてるだけだ!」

 

「それになんの違いがあるの?!結局怖いんでしょ!」

 

「違うわこの愚鈍め!もし前からなにか飛んできた時に備えて盾にしてるだけぇぇぇ?!」

 

「な、直井くん?!」

 

突然悲鳴を上げてその場に崩れ落ちていく。

 

「何かが…首元に…」

 

「んーどれどれー?」

 

女の子みたいに怯えるので、とりあえず直井くんの言った首元を探ってみるとなんだかぬめっていた。

 

「こんにゃくかな?ベタだね」

 

「ふ、そ、そうだな…」

 

あくまで強がってみせているけど、残念無念、あたしの心のメモリーにしっかりと一連の流れは記録したぜ!

 

しかしあれだねぇ、これじゃどっちが男なのかわかんないねぇ。

 

…いいこと思い付いた!

 

「お嬢さん、このしおりんに頼りなよ。あた…俺はこんなの屁でもないぜ?」

 

「ふ…ふざけるな!誰がお嬢さんだ、馬鹿馬鹿しい!!」

 

「ああん、つれないなあー」

 

騎士しおりんになるにはまだまだ早かったようで、差し出した手はすげなくはたかれてしまったのでした。

 

しかし姫は再び歩き始めることが出来ました。

 

めでたしめでたし…なんてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うお!…ってなんだこんにゃくかよ…」

 

なんてベタな…と思いながら少し濡れた首元を拭う。

 

「柴崎はこういうの苦手?」

 

「いや、普通だな。めちゃくちゃ怖いわけでもないけど、驚かされたら普通に驚く」

 

「そっか、残念。手を繋ぐチャンスだったのに」

 

「お前の方が怖がってる振りをするっていう考えはねえんだな…」

 

「はっ!?」

 

今さら気がついたんかい。

 

コイツって本当にそういう悪知恵が働かないんだな…

 

どこまでいっても真っ直ぐというか、愚直というか。

 

「こ、怖いなー」

 

嘘をつくのも下手、か。

 

「怖いならちゃきちゃき進むぞー」

 

「あ!ちょっと待ってくれよ柴崎ぃ!」

 

まあでも、嘘を平気でつけるやつよりは信用できるけどな。

 

 

 

 

 

「……………」

 

ただ一心不乱に前に進み続ける。

 

「ちょっと待ってよ笑美、楽しんでいこうよ折角なんだから」

 

「あなたとじゃ楽しくないです」

 

今回は柴崎さんと岩沢さんとで組ませると聞いたから、私のペアは誰でもいいと言ってしまったのは失敗だった。

 

この人となるのは嫌だったのに。

 

「なに?蒼とペアになれなくて不機嫌なの?だったら仲村さんに頼めばいいのに」

 

この人はこうやって平気で無神経なことばかり言ってくる。

 

どうせ私がそんなこと言わないことなんて分かっているくせに。

 

「どうでもいいでしょう、あなたには関係ないのですから。それに…あなたにとっては丁度いいでしょう?あなたは岩×柴にしたいんですから」

 

「そんな漫画のカップリングみたいに…しかも岩沢さんが攻めなんだ」

 

「岩沢さんが攻めでしょう」

 

「攻めだけどさ」

 

こんな無意味な会話をしながらドンドン進んでいく。

 

出来ればこのまま意味のない会話だけで終わって欲しい。

 

「まあそれは置いといて、真面目な話。僕は岩×柴推しじゃないよ?遊×柴でもいいんだから」

 

「私が攻めなんですね」

 

「受けになりたかった?」

 

「どうでもいいです。あなたの嘘に付き合うつもりはないですし」

 

ようやくお守りを見つけ、急いで踵を返す。

 

「嘘じゃないよ」

 

「嘘に決まってますよ。岩沢さんとくっついて貰わないと困るのはあなたですから」

 

「そんなことないさ。僕は今の蒼だけでも満足してるし、また幼馴染み3人で仲良くやるのも―――「いい加減にしてください」

 

自分の中でじわじわとこの人に対する言葉が冷たくなっていくのを感じる。

 

「あなたは…敵です」

 

そう吐き捨てるように言って、駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…嘘じゃ、ないんだけどなぁ」

 

僕の声がポツリと森へと消えていった。

 

とりあえず、僕も戻るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの…怖くない?大丈夫?」

 

目の前をウキウキとした様子で歩いている我が天使に、分かりきった質問をする。

 

「はい、大丈夫ですよ」

 

だよねー…すごい嬉しそうだもんねー…

 

正直予想外だ。

 

この清楚で純朴で、可愛らしく愛らしい見た目からして、こんな暗い場所は怖がるかと思っていた。

 

だけどさっきこんにゃくが当たっても、もう、と少し嫌がるような素振りを見せたのみで、笑顔が絶えずまさに天使だ。

 

俺の想像では腕に抱きついてくれるはずだったんだけどな…

 

「音無さん、どうかしました?」

 

俺が考え事で足を止めたのに気づき心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

天使か?!

 

……あ、天使だ。

 

「ああ、大丈夫大丈夫」

 

「そうですか?無理しないでくださいね」

 

「…はい」

 

やばい……あー…やばい。

 

語彙力が0になるくらい可愛い。

 

いかんいかん。この程度で満足してどうするんだ。俺はこれを機に一気に奏ちゃんと親密になるんだ!

 

「な、なあ奏ちゃん」

 

「はい?」

 

「えっとさ…う、うちの高校受けるんだよね?」

 

「はい、無事合格すれば来年から後輩です」

 

来年から…後輩…

 

っと、危うくこの言葉だけで妄想の世界にトリップしてしまうところだ。

 

「勉強は順調?」

 

「一応合格出来る…と思うんですけど」

 

「けど?」

 

「親が家庭教師をつけるって言うんです…」

 

「それは…っ、なんで?」

 

男?!女?!と、口から出かけたがなんとか押し止め、質問を変える。

 

「ここで気を抜いて成績を落とさないため…らしいです」

 

落ち込む横顔から、家庭教師がつくことに反発を感じていることが窺える。

 

「悪いことではないと俺は思うよ。夏を制するものは受験を制すってよく言うし」

 

男だったら、そいつぶっ飛ばすけど。

 

「そうなんですけど…私、人見知りで…よく知らない人だと余計に集中出来なさそうで…」

 

そういえばゆりも言っていたな。

 

俺とだって初めはこんなに喋れて…

 

「…いやでも、まだ会って2、3日の俺とこれだけ話せてるけど?」

 

「それは…ゆりの友達ですし。それに音無さんは一緒にいると安心するというか…」

 

安心するだと…?

 

これはもしや、実はかなり好感度上がってるんじゃないか?!

 

「お、俺もかな――「あ!いいこと思い付きました!」

 

折角俺も奏ちゃんといると落ち着くよ。と、言おうとしたが遮られてしまった。

 

「な、なに?」

 

「音無さんって確か学年首席だったんですよね?」

 

「え、ああ、一応」

 

これでも医学部志望で、それなりに勉強は必死にやっているつもりだ。

 

「あの…音無さんが私の家庭教師になってくれませんか?」

 

「なん…だと…?」

 

それは…それは…つまり、俺に手取り足取り色々教えて欲しいということなのか…?!

 

奏ちゃんに…色々…

 

「ぐはぁ?!」

 

「音無さん?!」

 

「我が生涯に一片の悔いなし…」

 

「音無さん?!まだ死んじゃダメですよ!だ、誰か助けてくださーい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全員終わったわね」

 

最後の高松、竹山ペアが帰ってきたのを見て全体に向けて声をかける。

 

正直、思ったより収穫がなかった。

 

目に見えて変化があったのは音無くんと奏ちゃんくらいのもので……いやまさか鼻血出して帰ってくるとは思わなかったけど…

 

そして藤巻くんとひさ子さんも仲直りはしたみたいだけど、要するに元に戻っただけで進展はなし。

 

「よっし、じゃあ今日は戻って後は自由行動!はい解散!」

 

パンッと手を叩くと皆別荘に向けて歩みだした。

 

しかし、こんな暗い場所で二人きり…なんて絶好の機会で何もなしとは。

 

関根さんの方はそもそもどちらにも恋愛という観点での好意がない。関根さんは何がしたいのか分からないし、直井くんは…あれだし。

 

これじゃ、どれだけペアとして動かしても今のところ意味がない。

 

でももっと酷いのは岩沢さんの方。

 

ここ最近、柴崎くんが岩沢さんの好意とまともに向き合っていない。

 

言い方は悪いけど、鉄板のギャグへのお決まりの対応みたいになっている。

 

このままだと、恐らく岩沢さんは…

 

…なんとかしてあげたいけど、柴崎くんに関してはあまり干渉したくはない。

 

遊佐さんにも…チャンスをあげたいもの。

 

でも、欲を言うのなら…やっぱり皆で揃いたい…

 

明日…多少強引な手を使ってみようかしら。

 

って…

 

「はぁ…」

 

あたしだってまだ自分のことを整理出来てないってのに…

 

でもしょうがないわよね。

 

「だってあたし、リーダーだもの」

 

 

 




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「あたし…まだあんなに好きだったのよ」

眩しく照らす太陽。

 

澄み渡った青空。

 

透き通った偉大な海。

 

どれも本当に素晴らしい!

 

「……でもそろそろ飽きたなぁ」

 

今日も今日とて海に身を任せて浮かぶこの姿からは、きっと説得力は皆無だろうけど。

 

しかし、毎日基本浮かんでるだけだし…あ、泳げよって意見は聞かないぞ。俺は海は浮かぶ派だから。

 

とはいえ、こうやってゆっくり海で遊ぶのも今日で終わりなのだ。

 

4泊5日の4泊目。

 

明日は昼前には出るようだし、来たとしてもせいぜい海にお別れを告げる程度だろう。

 

「なぁ柴崎…」

 

「ん?どうした…って、いや本当にどうした?」

 

声をかけられそちらを向くと、思わず訊き直してしまうほど異様に落ち込む音無の姿があった。

 

「奏ちゃんがゆりに取られた…」

 

「ああ、だから一人なのか」

 

最近はいつも会話の有無に限らず奏ちゃんの側に居たもんな。

 

さながらストーカーのようだった。

 

「奏ちゃんのいないこんな世の中じゃ…」

 

「ポイズン?」

 

「ふざけないでくれ!俺は真剣なんだ!!」

 

このノリでガチギレする人初めて見たわ。

 

「つっても、ここから帰ったらもう奏ちゃんとは会えないぞ?」

 

奏ちゃんも受験生だし、忙しいだろうし。

 

「ふ…ふは…ふはははは…」

 

俺の言葉を受けて急に薄気味の悪い笑い声をあげだした。

 

やば、壊れたか?

 

今にも絶望した!って言い出しそうだ。

 

「柴崎…お前には教えといてやる…俺はなぁ、奏ちゃんの家庭教師をすることになったんだよ!しかも彼女直々のご指名さ!」

 

「そ、そうか…そりゃ良かった」

 

首つったりしなさそうで心底良かったと思ってはいるが、これだけは言わせて欲しい。

 

お前キャラ崩壊しすぎだろ。

 

「あ、あと1つ訊きたいことがあるんだけどさ」

 

怖!いきなり素に戻るの?!

 

しかしそんな俺の心の動揺などお構いなしに質問は続けられる。

 

「千里ってどこにいるんだ?」

 

「え、悠?」

 

想定外の人物の名前が出てきて思わず訊き返してしまう。

 

音無と悠…と言うより、俺と遊佐、あとは学校外の彼女以外の誰かと悠、という組み合わせがまず思い浮かばない。

 

「悠…は…」

 

怪訝に思いながらもここら一帯を見渡してみる。

 

「あそこ、砂浜の端にある岩場にいる」

 

「一人か?」

 

「一人。まあ俺といなけりゃ大抵一人だし」

 

遊佐は悠と極力二人になるのは避けてる風だし。

 

「そっか…」

 

「どうしたんだ?いきなり」

 

「いや、ずっと気になってたんだよ。一人でいるのが」

 

「一人でいたがるやつなんて、珍しくないだろ?」

 

このクラブでも、野田や直井なんかは一部の例外を除けば基本単独行動をしたがる傾向がある。

 

「そうなんだけど…なんか放っておけないんだよな」

 

「ふぅん…」

 

これが日向なら今ごろ「こっちなのか?」と、手の甲を口元に当てながら訊いているところなんだが、音無は奏ちゃんに骨抜きだしな…

 

「まあ、悠は口は悪いけど良い奴だからさ。仲良くしてやってくれ」

 

「ああ、任せろ。といっても千里には嫌がられるかもしれないけどな」

 

「それは…ありえる。まあ照れ隠しだと思ってくれ」

 

「そうするよ、じゃあな」

 

そう言って、岩場の方へと泳ぎ始めていった。

 

「まあ、あいつも友達増やさないとな」

 

って…

 

俺も別に友達多くなかったわ…

 

 

 

 

 

 

 

時は移り、夜。

 

既に夕食は終わり、しばしの自由時間の後、例によって仲村に集められた。

 

昨日の胆試ししかり、今日も何かやるんだろうな。

 

「今日はいよいよ皆で過ごす最後の夜よ。だから今日は、こんなゲームを用意したわよ!」

 

パチンッと指を鳴らすと、遊佐が仲村の後ろから、大量の箸を持って現れた。

 

箸…ゲーム…ってことは…

 

「王様ゲーーーム!!いぇーい!」

 

一瞬の静寂…そして

 

「「「「「う…うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ?!!」」」」」

 

男共の雄々しい声が響く。

 

いまいち乗りきれていないのが、大山、直井、悠辺りだろうか。

 

かくいう俺もその一人だが。

 

「ていうか先生、これ止めなくて良いんですか?立場的に」

 

隅で傍観どころか思いきり輪の中に入っている椎名先生に一応確認してみる。

 

「あさはかなり」

 

この人こればっかりなんだよなぁ…

 

「安心しなさいよKYたち。あまりに酷い命令は、このゆりっぺ様が却下するから」

 

王様よりゆりっぺ様のが上なのか…

 

まあ、それなら多少安心…なんだろうか?

 

「なあ、王様ゲームってなんだ?」

 

「あー…そうよね、岩沢さんは分からないわよね…」

 

ちょいちょい、と手招きし、耳元でこそこそと話し出す。

 

すると、みるみる目が輝きだし

 

「やろう!早く!」

 

やる気がMAXになっていた。

 

「仲村てめえ何吹き込みやがった?!」

 

「あるがまま説明したに決まってるでしょ」

 

あっけらかんと言いのけるが、どう考えても余計なことを言ったようにしか思えない。

 

王様ゲームの説明をなんでわざわざ耳元で言う必要があるんだ、と思ってたんだ…

 

「とにかく始めるわよ」

 

「いや、まだ話は…」

 

なんとか抗議を続けようとしたところを何者かによって口を塞がれる。

 

いや、何者どころじゃない。見ればさっき雄叫びをあげていた奴ら全員で俺の動きまで封じていた。

 

「柴崎…男にはな、やらなきゃいけない時があんだ」

 

そういう格好良い台詞はもっと良い場面で使え!

 

「ハグ、キス、揉み…」

 

揉みってなんだ?!

 

「奏ちゃんと…」

 

「ゆりっぺと…」

 

「「ぐはっ」」

 

血がつくから離れろお前ら!

 

「はいはーい、とりあえず柴崎くんは抑えながら始めるわよー。さっさと引きなさーい」

 

いやもう反発しないから離して欲しい。

 

そう思いながらも拘束されたまま、結局最後に残った1本が俺の物となった。

 

それを引いたところでようやく拘束は解かれた。

 

「「「「「王様だーれだ?」」」」」

 

「…私、です」

 

お決まりの台詞を言った後、おずおずと手を挙げたのは入江だった。

 

「え、えっと…命令ですか…なんだろう…」

 

1発目からあからさまに向いてない奴に当たったな…

 

「…あ!5番の人、3回回ってワンって言ってください」

 

なにこの子、実は隠れSなの?

 

あ!って言ったときめちゃくちゃ良い笑顔してたんですけど。

 

ていうか5番誰だ…?

 

「僕が…そんなことを…?」

 

直井だった。

 

よりによって一番プライド高いやつが当たるとは…

 

「王様の命令は絶対…諦めなよ直井くん!」

 

これまためちゃくちゃ良い笑顔で関根が直井を諭していた。

 

「くっ…この僕が…」

 

しかし意外にもやる意志があるようで、立ち上がり輪の中心へと進み…

 

クルクルクル、と3回回り

 

「ワン…」

 

クールに決めていた。

 

いやそんな前髪ファッサァってされても…

 

「よーし次々!じゃんじゃん行くわよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その後しばらく当たり障りのないネタ系の命令のみで進んでいった。

 

男性陣は下心を持っているものの、どこまで言って良いのか探っている様子だった。

 

「「「「「王様だーれだ?」」」」」

 

「あたしね!」

 

7回目、今度は仲村が冠マークの箸を引いていた。

 

「そうねぇ、そろそろネタ系も飽きたし…7番と10番、あと3順ゲームが進むまで手を繋いでいなさい」

 

ここにきてようやく王様ゲームらしい少し恥ずかしいタイプの命令が下され、にわかに場がざわつく。

 

しかもこの数字は…

 

「7番です」

 

「…10番だ」

 

俺と遊佐が手を挙げて自己申告する。

 

するとものすごいブーイングを食らってしまう。

 

「じゃあ3順するまでお楽しみあれー」

 

「何がお楽しみだ…」

 

「こんな可愛い女子と手が繋げるんですから楽しくてしょうがないでしょう」

 

俺の隣へと移動してきた遊佐が、そう軽口を叩きながら俺の手を取った。

 

きゅ、と握りこまれる手。

 

その手の感触が想像していたより柔らかくて、少し動揺してしまう。

 

「どうしました?もしかしてドキドキしてます?」

 

「うるせ。お前の方こそ手汗かいてんぞ」

 

「うわ最低ですね…」

 

お前が変なこと言うからだろ、と思いつつも、確かに幼馴染みとはいえ女子に言う台詞ではなかったなと少し反省する。

 

「「「「「王様だーれだ?」」」」」

 

「俺だぁー!」

 

次に引いたのは日向。

 

「お、俺の命令は…」

 

ちらちらと仲村の顔色を窺いながら、意を決して命令を口にした。

 

「19番は王様の腕に抱きつく!」

 

この命令には下心満載の男たちは歓声をあげていた。

 

腕に抱きつくということは、すなわち女子の胸が腕に当たることを意味する。

 

そしてこれは仲村も止めるほどではないと判断したらしく、首を縦に振っていた。

 

残すは19番の行方を見守るのみだった。

 

「……オーマイガー」

 

しかし手を挙げたのは絶望し、顔を手で覆ったTKだった。

 

「そんなぁぁぁぁ!!!」

 

その後生まれたのは見るに耐えない男同士の腕組みだったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

そしてこの二の舞を恐れた男性陣は再び膠着状態へと戻り、数回ゲームは進んだ。

 

俺と遊佐の手を繋ぐという命令は既に終わり、代わりに今度は大山と入江に4順の間背中合わせという、日和に日和った命令が下ったりもした。

 

そして15回目。

 

「私ですね」

 

ついに王様だーれだ?を省略するようになり、引くとすぐ遊佐が手を挙げた。

 

「そうですね…じゃあ8番と13番の人ハグしてください」

 

しれっと際どい命令を出し、日和っていた男性陣に動揺が走る。

 

「8番あたしだわ」

 

すると仲村が手を挙げた。

 

ということはこれもOKということだろう。

 

「13番俺だ」

 

「ひ、日向くん?!」

 

「な、なんだよゆりっぺ、そんな驚くなよ」

 

次いで手を挙げた日向を見て、仲村は目に見えて動揺していた。

 

「日向きさ…!」

 

当然のごとく暴れそうになった野田が、ゲーム開始時の俺のように拘束されていた。

 

「しかしゆりっぺかぁ…幼馴染みとハグってなぁ」

 

「な、なによ?!あたしじゃ不満だっての?!」

 

「そういうわけじゃねえけどさぁ…んー!よし!とりあえずハグするか!」

 

覚悟を決めたようで、大きく腕を開いて仲村の方へと近づいていく。

 

「う、うん…」

 

仲村はいつもの姿が嘘みたいに、顔を赤らめ、借りてきた猫のように大人しくそれを待っていた。

 

「んー!んー!」

 

ドタバタと激しく暴れる野田をよそに、どんどん近づく二人。

 

そして――

 

「やっぱダメぇ!!」

 

「ぐっはぁ?!」

 

抱きしてられる直前、日向の顎にむかって強烈な右ストレートが繰り出された。

 

「…きょ、今日はこれで終わり!解散!」

 

それだけ告げ、別荘の外へと飛び出していってしまう。

 

今の…

 

「ゆりっぺ…」

 

不意に耳に届いた声の先を見ると、先ほどまで暴れていた野田が呆然としていた。

 

野田は…知らなかったのか…?

 

「ゆりっぺ…!」

 

そして急に立ち上がり仲村を追おうとする野田。

 

「ちょっと待て!」

 

その肩を無意識のうちに掴んでしまっていた。

 

「…なんだ?」

 

野田の顔は未だ動揺を引きずっていて、とても見ていられる状態じゃなかった。

 

「…俺が行く」

 

「何故だ?」

 

「いいから、お前は頭落ち着かせとけ」

 

「…すまん」

 

意外にもあっさりと引き下がった野田に戸惑ったが、それだけ尾を引いているのだろうと思い、仲村を追った。

 

 

 

 

 

 

 

「…何の用?」

 

仲村は別荘を出てすぐに見つかった。

 

というのも、別荘を出てすぐにある一本道をしばらく行ったところのベンチで座り込んでいたのだ。

 

「何の用って…あんな風に飛び出したらそりゃ追いかけるだろ」

 

「デリカシーないわね」

 

「…こっちにも色々事情があんだよ」

 

「分かってるわよ…野田くんでしょ?」

 

流石に察しがいい。

 

まあその方が話が早くて助かる。

 

「お前は、日向が好き…なのか?」

 

「あなた本当にデリカシーないわね」

 

「うっ…でも、そう訊くしかないだろ?!」

 

こんなの遠回しに言ったってしょうがないことだ。

 

それに、もうほとんど分かりきっていることなんだから。

 

「まあいいわよ。質問の答えもイエス。これでいい?」

 

「これでいい?って…それは俺じゃなく野田に…」

 

「野田くんは知ってるわよ。あたしが日向くんを好きなこと」

 

「え…?」

 

嘘かとも疑ったが、こんな嘘をついたって意味がない。

 

いや、でもだったらさっきの呆然とした表情はなんだったんだ…?

 

「ううん、ちょっと違うわね。あたしが日向くんを好き“だった”こと、ね」

 

「だった?」

 

「そ、野田くんにはあたしは日向くんのことは諦めたって言ってあるのよ」

 

「なんでそんな嘘…?」

 

いたずらに野田に希望を持たせるようなことをしていた…ってことなのか…?

 

「言ってあるっていうか…あー…難しいわね…だから、あたしも諦めてたつもりだったのよ」

 

なんと伝えればいいか、言葉に迷っているようだった。

 

「諦めてたつもりだったのに…ハグするってなると、頭が真っ白になって…はは、笑えるでしょ?」

 

いつか見た時のように、どこか自嘲するように笑い

 

「あたし…まだあんなに好きだったのよ」

 

吐き捨てるようにそう言った。

 

「ううん、好きなのは分かってたのよ。でも、こんなに動揺するほどだなんて…思わなかったのよ」

 

それで野田は、諦めていたはずの仲村があそこまで動揺していたことにショックを受けたのか…

 

仲村自身も嘘をついていたつもりなんてなくて、でも野田からすればそれはまるで裏切りのようにすら感じたのかもしれない。

 

「あのさ、諦めたってことは日向にはフラれたのか?」

 

「……ほんっとデリカシーない」

 

「わ、悪かったな!」

 

そもそもこういう色恋沙汰に巻き込まれた経験がねえんだよ!

 

「まあここまで話しちゃったし、いいわよ。教えてあげる」

 

「い、いいのか?」

 

「なによ?あなたが訊いたんじゃない」

 

「そりゃそうだけど…」

 

こんな風に自分の弱味みたいな部分を人にさらけだすことは、絶対に避けそうだと思っていた。

 

「ていうか、大したことないのよ。あたしは告白なんてしてないから」

 

しかし仲村は、拍子抜けするほど簡単にそう答えた。

 

「してないのに…諦めたのか?」

 

「そうね」

 

「しないのか?」

 

「出来ないわよ」

 

「なんで?」

 

「アイツには…もっとお似合いの娘がいるんだもの」

 

お似合いの娘…つまり彼女ということだろうか?

 

「彼女がいるから無理ってことか?」

 

「違うわよ」

 

お似合いの娘だけど彼女ではない。

 

中々答えは教えてもらえず、頭が混乱してくる。

 

「じゃあなんだ?知り合いにってことか?」

 

「まだ会ったことない、だけど確かにいる誰かよ」

 

「はぁ?」

 

「分かりきってるのよ。あたしが日向くんの運命の相手じゃないのは。これは神様が決めたのよ」

 

仲村に似つかわしくないメルヘンチックか物言いに、余計に混乱していく。

 

第一、運命とか神様とか…そんなもんあるわけが…

 

「信じられない?」

 

俺の心の内を読んだように問いかけてくる。

 

「そんなの…信じられるわけないだろ」

 

この時点では、とてもではないが冗談を言ってるようにしか聴こえなかった。

 

「でも確かよ。あたしは知ってる。運命は確かにある。それを覆すことは出来ない。出来たとしても、もしそれを知ってるのにその糸をほどくのは…とても辛いことよ」

 

しかし、そう語る仲村の顔は嘘を言っているようには見えない。

 

嘘偽りなく、現実を憂いていた。

 

「相手にとっても自分にとってもね」

 

「好きなやつのために頑張ることが辛いのか?」

 

「――――っ」

 

何の気なしにした質問。

 

「あんたに…あんたに何が分かるのよ?!」

 

しかしそれは仲村の逆鱗に触れてしまった。

 

「好きなやつのために頑張ることが辛いのか?辛いに決まってるじゃない!好きだからこそ、何をするのも辛いのよ!」

 

何も知らない奴が知ったような口を利くな。

 

そう目が語っていた。

 

「あなたに分かるの?!人を好きになったことどころか岩沢さんから逃げまくってるあなたに!」

 

そして、最後のこの一言がより一層と、胸に刺さった。

 

「………ごめん」

 

何か反論することも出来ない。

 

仲村は終始正しくて、俺はただ謝ることしか出来なかった。

 

「…っ…あたしも言い過ぎたわ。でもね、これはあなただから怒ったんじゃないわ。誰に言われたって怒ってたから…」

 

そのフォローも半分本当で、もう半分は嘘だろうと直感で思った。

 

確かに同じことを言われれば怒りはしたが、しかしそれでも今ほど頭にきたりはしないのではないだろうか。

 

何故なら俺は、好きって気持ちを知らないからだ。

 

そんなやつに、無神経な質問をされたからこそ、あそこまで怒っていたんだと思う。

 

「でも…岩沢さんのことは真剣に考えてあげて。ううん、岩沢さんだけじゃなく、よく周りを見て感じてあげて」

 

だってこいつは、腹の立つことを言われた自分のことよりも、岩沢のことを考えている。

 

「あなたは眼がいいけど、遠くばかり見ずに近くにも眼を凝らしてみて。きっと見落としてる人がいるから」

 

灯台もと暗し、ということだろうか。

 

でも、俺は近くを見落としているつもりなんてなかった。

 

むしろ、そういう意味では手の届く範囲までしか見えていないとまで思っていた。

 

どうやったって届かない相手を見ていたって、虚しいだけなんだから。

 

だが、もし仲村の言う通りなのならば、それが俺の運命の相手…とやらなんだろうか。

 

「…なあ、仲村」

「ねえ、いい加減仲村はやめなさいよ。他の皆はゆりかゆりっぺって呼んでるのよ?」

 

「え、今そんな話するところか?」

 

「いいじゃない。こんな風に一対一で話すことなんてあまりなかったし。いい機会よ」

 

何がいい機会なのかは分からないけど…

 

「まあいいや、言わなきゃ話進まないんだろ?じゃあ…ゆり」

 

「なぁに?」

 

「運命の相手って俺にもいるのか?」

 

「……いるわよ」

 

やっぱりいる…のか。

 

近くにいて、近すぎて見えていない…そんな相手が。

 

「誰だ?」

 

「言えない。運命の人って言われて意識したんじゃ、運命じゃなくなっちゃうでしょ」

 

確かにそうなのかもしれない。

 

占いなんかと同じで、こうだと言われるとそんな気がしてしまう。

 

そんな曇った眼で決めるものじゃない。

 

それは俺にとっても納得のいくものだった。

 

「だから、あなたが決めるの。そのためのSSSでもあるんだから」

 

そう笑って諭してくれるリーダーに、しかし俺は1つ疑問を覚えてしまった。

 

お前は、本当にもう諦めなきゃいけないのか、と。

 

「さあ、明日も早いし帰りましょうか」

 

「なぁ…」

 

「ん?」

 

「…いや、野田にはちゃんと説明してやれよな」

 

「…?わかってるわよ、そんなこと」

 

だが、ついぞ言葉を口にすることは出来なかった。

 

 




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「柴崎の存在が今のあたしの力だからさ」

チッチッチ

 

「ぐかぁ~、ぐかぁ~」

 

チッチッチッチッチッチ

 

「うーん…許してくれぇ~…」

 

…眠れない。

 

それは日向のいびきや寝言、ましてや時計の針のせいなどではなく、きっと仲村…じゃなく、ゆりとの会話のせいだ。

 

現実主義だと思っていたゆりが言った“運命の相手”

 

そんなものを鵜呑みにする気は毛頭ない。

 

だけど、嘘を言ってるようには見えなかった。

 

何がそうさせているのか分からないが、ゆりは本気で信じているんだ。

 

だからこそ、好きな相手を何も出来ないまま諦めるという選択を取ってしまったんだ。

 

そして、そんなゆりが俺には運命の相手がいると断言した。

 

それは誰なのか教えてくれなかったけど、とにかく周りにいる誰か…らしいし、そして俺は誰かを見落としている…らしい。

 

心当たりはまるでない。

 

「はぁ…」

 

考えなきゃいけないことばっかりだ。

 

ちょっと外の空気でも吸いに行くか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――♪」

 

ふらふらと海辺まで歩いていくと、心地のいいハミングが聴こえてきた。

 

その声はとても聴き慣れたもので、すぐに誰だか分かった。

 

「岩沢」

 

「ん、柴崎?どうしたのこんな時間に」

 

「そりゃこっちの台詞だ。こんな時間に何してんだよ」

 

「なんだか歌いたくなってさ。とは言っても、迷惑にならないよう大声は控えてるけど」

 

なんか歌いたくなったからってこんな時間に女一人でうろつくなよな…

 

「で、柴崎は?」

 

「俺は…考えごと」

 

「考えごとって?」

 

こうやって会ったのも何かの縁だし岩沢にも訊いてみようか。

 

…まあ大体返事は分かってるんだけど。

 

「お前はさ、運命の相手って信じるか?」

 

「柴崎だよ」

 

やっぱそう言うよな…

 

「だからさ、なんで俺なんだよ?」

 

「だから理由とかはないんだって。ただ好きなんだ、柴崎のことが」

 

ああもう、調子が狂う…

 

逃げてるつもりなんてない、だけどこんな真正面から来られてどうしろっていうんだ?

 

俺は岩沢の気持ちには応えられない。

 

それはもう伝えてある。

 

でもまだコイツは好きだと言う。

 

これ以上どうするんだよ?何回だって断って、もっと傷つけろって言いたいのか?

 

「あー、そうかい」

 

そんなの、無理だろ…

 

「ていうか、なんでそんなこと考えたんだ?」

 

「いや、まあなんとなく」

 

まさかゆりの名前を出すわけにもいかず、歯切れ悪く誤魔化すだけになる。

 

「ふぅん」

 

こんなので本当に納得しているわけじゃないだろうけど、岩沢はそれ以上訊いてはこなかった。

 

「まあとりあえず、座りなよ。立ち話もなんだろ?」

 

ぽんぽん、と自分の隣を叩く。

 

俺はその叩いた場所のもう1歩分離れた場所に座った。

 

「もっと近くていいのに」

 

「逆に話し辛いわ」

 

それに、心臓に悪い。

 

コイツは…急にドキッとさせやがるから。

 

「まあいいけどさ、柴崎と話せるならどうでも」

 

……ほらな。

 

風でたなびく髪を抑える仕草も、嬉しそうに笑う顔も、全部ずるいんだよ。

 

好きだって言ってる岩沢より、言っていない、思ってもない俺の方がよっぽどドキッとさせられてる気がする。

 

「綺麗だよなぁ、星」

 

岩沢は唐突に空を見上げてそう言った。

 

「だな」

 

つられて見上げると、俺たちの地元では見られないほど沢山の星たちが綺麗に輝いていた。

 

「これだけ輝いてるのが何千何万個とあるんだよな」

 

「いやもっとあるだろ」

 

「あたしが輝くためにはどれくらい頑張ればいいんだろうな」

 

「え?」

 

不意に、岩沢の目が遠くなった。

 

「喉から血を迸らせるくらい歌っても、あたしはこんな何百万っていう星には勝てないのかなぁ…とか考えたりすることもあるんだ」

 

「Million Starか?」

 

「はは、正解。よく分かったね。歌詞にはこんなこと書いてないのにさ」

 

「そりゃ聴いたときにそう読み取ったわけじゃねえよ。でも思いっきり歌詞引用してんだろうが」

 

それもそうか、と笑い、またどこか遠い目をする。

 

「あたし、こういう星空を見るとついこんなこと考えちゃうんだ」

 

もしかして、それで今日こんな時間に歌いたくなったのだろうか。

 

いや、もしかしたらここに来てからずっと…

 

コイツの夢は、果てしないほど厳しい道だ。

 

だから何かのきっかけで急に不安になったりするのかもしれない。

 

「…まあ、輝くのは無理かもな」

 

「…だよな」

 

俺の言葉は岩沢の望んでいたものではなく、岩沢は少し俯いて苦い顔をして笑う。

 

「でも、歌は音と声で出来てる」

 

「え?」

 

「音とか声ってようするに震動だろ。元から輝くもんじゃねえよ」

 

正直理科とか科学とか、そういうのは苦手だから、全く根拠もないどこかでうっすら聞いたことのある知識で話すしかない。

 

でも、それでも言ってやりたい。

 

「お前の歌は人の心を震わせるもんだろ。輝くかは保証できないけど、震わせることが出来るのは保証する」

 

お前の歌には力があるし、価値もある。

 

「柴崎はあたしの歌で心が震える?」

 

「当たり前だろ」

 

俺は迷うことなく即答する。

 

「…ならあたしは頑張れるよ」

 

ぎゅっと右手を胸の前で握りこみ、

 

「柴崎の存在が今のあたしの力だからさ」

 

今度は苦さなんて微塵もない、綺麗な笑顔を浮かべていた。

 

「こんなの、素人の戯言だぞ?」

 

「歌のプロに言われるより柴崎に言ってもらえる方が、ずっと嬉しい」

 

「あっそ…じゃあもう落ち着いたか?歌いたい衝動は」

 

「うん。普段通りの欲求しか今はない」

 

常に歌いたい欲求はあるんですね…

 

まあ、それでこその音楽キチだけどさ。

 

「柴崎はもう考えごとはいいの?」

 

「あー…そうだな。なんか今はちょっとすっきりしてるわ」

 

答えなんて出なかったけど、何故か今はそれが気にならない。

 

「もしかしたら、お前のおかげかもな」

 

頭の中の靄が晴れて、少し笑みが漏れる。

 

「そ、そっか、なら…良かった」

 

「ん?どうした?」

 

「な、なんでもない。ちょっと先に帰るから!」

 

「は…おい…」

 

何故か焦ったように走り去っていきやがった。

 

…なんだアイツ。いつもなら意地でも一緒に帰ろうとしそうなもんなのに。

 

「ていうか、だからこんな時間に女が一人でうろつくなっての…」

 

まあ別荘まですぐだし何かあれば分かるし、無理に追う必要もないか。

 

「俺も帰るかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とっくに寝静まった関根に気づかれないように布団に潜り込む。

 

『もしかしたら、お前のおかげかもな』

 

さっきの光景が蘇って布団の中でじたばたと悶える。

 

月の光に照らされて、綺麗に輝いていた桔梗色の髪と瞳。

 

ただでさえ愛してやまない相手に、そんな状態で久しぶりに笑いかけられて平静でいられるわけない。

 

「ずるいなぁ…」

 

いつかまた柴崎にあたしと同じように感じてもらうことが出来るといいな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ついに合宿終了の日がやってきた。

 

「さぁ、ちゃっちゃと荷物確認しなさーい」

 

朝起きて、まずは点呼と体調確認を終え、各自部屋に戻り身支度や忘れ物などがないかを確認していく。

 

こうやって支度を始めると、本当に今日で終わりなんだなと実感する。

 

「今日で柴崎との相部屋も終わりか~お互い寂しくなるな」

 

「いや別に」

 

「ちょ、冷てえなぁ!」

 

「だってお前いびきと寝言うるせえし」

 

「嘘ぉ?!」

 

本当だよ。

 

だけどまあ、日向に限らず、このクラブにいる奴らは全員賑やかだから家に帰るとちょっと静かすぎるかもな。

 

「よし、荷物も確認済んだし行くか」

 

「おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荷物を持ってリビングに行くと、俺たちはかなり早く終わったらしくそれなりに待つことになった。

 

やはり女子は支度に時間がかかるのか、ガルデモ組たちは集まるまで時間がかかっていた。

 

そうしてようやく全員集まったところで朝食となった。

 

皆で和気藹々と食べていると、ガチャ、と扉が開いた。

 

扉を開けた人物は、見たことのない、随分年のいった男だった。

 

髭が鬱蒼と生え揃っていて、眼光も鋭く、しかし身なりはとても整っている。

 

…誰だ?

 

「パパ!来てくれたのね!」

 

その疑問はすぐさま飛びつくように駆け寄ったゆりの言葉で払拭された。

 

あれがゆりの父親…てことはうちの理事長か。

 

「ああ、ゆり。お前がどうしてもって言うから来たが一体………?!」

 

得心のいってない様子でゆりに話しかけ、こちらを一瞥した途端、様子が変わった。

 

ぎょっとするようにこちらを見たと思えば、涙を流していた。

 

「そうか、ゆりっ……ゆり…これがお前の仲間なんだな…」

 

そして、しきり頷きながらそう言う。

 

「そう。いい子達でしょ?」

 

「ああ……俺は嬉しい…お前たちの顔が見れて…叶うなら俺も若返ってこの輪に加わりたいくらいな…」

 

「…うん。あたしもいて欲しい」

 

親父さんにつられるように目尻に涙を浮かべるゆり。

 

今、この二人の間にしか分からない何かが、この場には確かにあった。

 

ピリリリリ!

 

しかしその時間は、携帯の着信音によってあっけなく阻まれてしまった。

 

「……はは、悪いな。仕事だ。ここにも無理矢理時間を作って来たんだ」

 

「ごめんね、無理言って」

 

「なに言ってやがる、昔っから無茶と無謀しか言ったことねえだろうが。じゃあな皆、ゆりを…娘を頼む」

 

そう言って、深く頭を下げたあと、忙しなくゆりの父親は別荘を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいはい、荷物入れたらさっさと乗り込んで!」

 

ゆりの父親の訪問の後すぐに朝食は終わり、俺たちも別荘を後にしようとしていた。

 

行きと同じように乗り込みを急かすゆり。

 

今回は野田がバテることなく無事バスに乗れたし、行きのような大惨事はまずないだろう。

 

皆が乗車したのを確認してバスは走り出す。

 

「なぁ」

 

1つ気になったことがあったので、隣の席に座る日向に声をかける。

 

「なんだ?」

 

「日向はゆりの親父さんに会ったことなかったのか?」

 

あの反応を見る限り、全員初めて顔を会わしたような雰囲気だったのが少し気になっていたのだ。

 

「あー…そういえば不思議となかったなぁ。まあほら、ゆりっぺの親父さんは忙しいからな」

 

「…それもそうか」

 

確かに幼馴染みだからといって、どこもうちのように家族ぐるみで付き合ったりはしないだろうしな。

 

それがゆりの家のように上流階級であれば余計だろう。

 

「ふぁ~あ、なんか眠いな…」

 

日向が間の抜けたあくびをもらす。

 

それを聞いて、気づいたが周りもほとんど眠り始めていた。

 

かくいう俺も昨日眠るのが遅かったこともあり少し眠い。

 

「俺たちも寝るか」

 

「そだな」

 

ふぁ~、と俺もあくびをもらして窓際に体をもたれさせ、眼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐかぁ~、へへへ…これ全部食ってもいいのか~…?」

 

「………うるせえし、重い…」

 

俺にもたれながら寝言を垂れる日向のせいで結局眠ることは出来なかった。

 

 




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「く…ぅ…あの…わざとやってますか…?」

ポヨン

 

そんな独特の音がスマホから発せられた。

 

画面を見てみれば、SSSのグループに、ゆりから『6時に校門に集合!』とメッセージが入っていた。

 

えぇ…折角の部活も休みという貴重な日なのに…

 

……見なかったことにするか。

 

ポヨン

 

またしても独特の音。

 

確認すると

 

『未読スルーは厳罰よ♥』

 

と書かれていた。

 

「怖い!」

 

何?!テレパシーでも持ってんの?!

 

そうこうしてる間に皆はどんどん了解という旨の返事を送っている。

 

「しょうがねぇなあ…」

 

ポヨン

 

諦めて了解と送ろうとした時に、今度は悠のメッセージが入った。

 

『ごめん、今日は彼女と用事があるんだ』

 

ポヨン

 

『あらそうなの。なら千里くんは欠席ね』

 

すぐさまゆりも反応を返す。

 

ふぅん、用事があったらいいのか…なら…

 

ポヨン

 

あ、デジャヴ。

 

『ちなみにここから用事が~とかいう理由での欠席は厳罰よ♥』

 

「………だから怖いって…」

 

しょうがないな…

 

とりあえず参加はするが、行くにしても、行き先くらい訊いてみようとメッセージを送る。

 

ポヨン

 

するとすぐさま返ってきた。

 

スマホに張り付いてんのかな…?

 

『今日は学校の近くで花火大会だから皆で参加よ!』

 

「そういやそんな時期だったな」

 

これも青春の一環ってわけね、と納得いったので了解と返事を送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

当然いつも学校に行く時と同じように遊佐と一緒に向かうつもりだったのだが、何やら用事があるので先に言ってほしいとメッセージが来たので、一人で学校へ向かった。

 

待ち合わせの10分前に校門に着いたのだが、既にほとんど全員が揃っていた。

 

足りないのは遊佐だけだ。

 

「遅かったな」

 

「お前らが早いんだよ。見てみろ、まだ10分前だぞ」

 

からかうように声をかけてきた日向に腕時計を指差して反論する。

 

こいつらどうせ祭が楽しみで早く出ちまっただけだろう。

 

「つかさ、遊佐は?」

 

「用事があるってさ」

 

「こねえの?」

 

「後から来るんじゃね?知らんけど」

 

「適当だなぁ」

 

「俺は保護者じゃねえぞ」

 

まあ、なんだかんだ言って昔から祭とか好きなやつだったし、すぐ来るだろう。

 

「もう揃ったし行きましょうか」

 

「え、まだ遊佐来てねえけど」

 

「いいのいいの」

 

問答無用で前進し始めたので、渋々ついていく。

 

まあゆりにはちゃんと連絡してるだろう、と心の中で納得しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおー、流石に人が多いなぁ」

 

花火大会に合わせて構えられた出店に集まっている人たちの群れを見て感嘆の声をあげる日向。

 

「枯れ木も山の賑わいってやつだなぁ」

 

それは多分今使う諺じゃあないな…

 

「とりあえず進みましょうか。買いたいものがあれば勝手に買っといてくれればいいわ」

 

買いたいものなぁ…

 

先導するゆりたちに付いていきながらキョロキョロと辺りを見渡す。

 

たこ焼きに焼きそば…フランクフルトにりんご飴…食べ物以外だと射的や輪投げにくじ引き等、出店の定番のものが並んでいる。

 

別に大して食べたいものも、やりたいものもないな…

 

こりゃ花火が始まるまで暇だな…と半ば退屈を受け入れようとしていた時に、人の群れの間に見慣れた金色の髪が見えた。

 

ふらふらと人の波に流されていて、自らの意思とは別に動かされているのが窺える。

 

「しょうがねえなぁ…」

 

見えてしまったものは見過ごせない。

 

人の波を多少強引に突破し、逆流していく。

 

「おい遊佐、何やってんだよ」

 

ふらふら漂っていた目的の人物の肩をがっと掴み引き寄せる。

 

「――――っ、柴崎さん」

 

思いの外簡単にこちらに身を預けてくるので、少し意外に思っていると、すぐにその疑問も晴れた。

 

とにかく髪色を目印にして向かっていたので気づかなかったが、遊佐は綺麗な藍色の浴衣を着ていたのだ。

 

更に足元は下駄を履いていて、慣れない格好をしていたために上手く抵抗出来なかったようだ。

 

「とりあえず人混みから離れるぞ」

 

俺の言葉に、首を縦に振ったのを確認して脇道を目指して手を引く。

 

遊佐を向かいにいく時のように流れに完全に逆らうわけでもないので、それほど苦労せずに人混みから脱出する。

 

「大丈夫か?」

 

「はい、ありがとうございました」

 

「……………」

 

「…なんですか?」

 

お礼に対して言葉を発さない俺に、怪訝な雰囲気で首を傾げる遊佐。

 

「いや、素直にお礼が来たから驚いた」

 

「……………」

 

今度は遊佐が無言になるターンだったようだ。

 

「…デリカシーがないですね」

 

「うぐっ」

 

つい先日も同じことを散々言われたが、まさか遊佐にまで言われるとは…

 

「その内世界中の女子に言われますよ。10代の女子はもちろん、果ては100歳まで」

 

「おいおい、100歳は女子じゃないだろ」

 

「その台詞がもうデリカシーがありません」

 

「なっ…!」

 

なんて汚い誘導尋問だ…!

 

「いえ、単純に柴崎さんのデリカシー力が無さすぎるだけです」

 

「なんだよデリカシー力って…」

 

「デリカシー力たったの5…ゴミめ」

 

「戦闘力みたいに言ってんじゃねえよ」

 

魔貫光○砲撃つぞ。

 

「というか…何か言うことないんですか?」

 

「言うこと?」

 

「はい、分からないなら更にデリカシー力が下がります」

 

「この上まだ下がるのか?!」

 

俺のデリカシー力が無くなるのを阻止すべく頭を働かせる。

 

今、このシチュエーションで言うようなこと…

 

「戦闘力って途中から無くなったよな」

 

「マイナス4」

 

「あと1?!」

 

落ち着け俺…!

 

そもそもこの遊佐の雰囲気から察するに、ボケるのはもってのほかだ。

 

とりあえず変わったところがないか……

 

「あ」

 

変わったところしかなかったことを今思い出した。

 

「ようやく分かりました?」

 

「ああ、確かにこれはデリカシー無かったかもな…」

 

綺麗な藍色の浴衣。

 

靴ではなく下駄。

 

更に、いつものツインテールをほどいて下ろされたロングヘアー。

 

何故今まで指摘しなかったのか不思議になるほどの変化だ。

 

「いや、気づいてなかったんじゃないからな?見つけたときには浴衣に気づいてたんだ。けど、まず人混みから抜けるためにだな…」

 

「はいはい分かってます分かってます」

 

「ぐっ…いや本当に――「分かってますから」

 

つい意地になって食い下がろうとしたが、それは遮られる。

 

「なので…出来れば感想を頂けると嬉しいのですが」

 

しかしそれは怒っているわけでも、責めているわけでもなく、単に鈍い俺を急かすためだったようだ。

 

いや本当俺デリカシーないな…気をつけよ…いくら幼馴染みとはいえ、遊佐だって女子なんだからな。

 

「感想…な」

 

「はい」

 

今度はしくじらないよう、再度じっくりと遊佐の姿を確認する。

 

「似合ってる」

 

「は?」

 

「これで終わりじゃないから落ち着いてください」

 

そんな怖い目で見ないで!

 

「水着の時も思ったけど、やっぱ青系統の色似合うよ。髪もツインテより下ろした方が和服にも合うしな」

 

「…ありがとうございます」

 

「正直見違えた」

 

「…そのわりにはそんな反応なかったですけどね」

 

「いやぁ、はは…」

 

返す言葉もなくとりあえず笑って誤魔化す。

 

「ま、まあなんだ…昔から浴衣とか見たことなかったし新鮮だよな」

 

「今年は…気合いを入れたので」

 

「気合い?なんの?」

 

「なんでもいいですよね…?」

 

「あ、ああ…」

 

何が気に障ったのか分からないが、急に不機嫌になってしまった。

 

なんだかよく分からないが、とにかく機嫌を取らねば…

 

「でもほら、女らしくて良いじゃんか。他のやつらは浴衣とか着てなかったぜ?」

 

「そうなんですか?」

 

「おう、それこそ岩沢なんて飾り気な―――「岩沢さんの話はやめてください」

 

またしても俺の言葉は遮られた。

 

しかも今度は明確に怒っている。

 

…そういえば遊佐って岩沢のこと嫌いだったっけ…いや、直接聞いたわけじゃないけど…

 

「嫌い…とかそういうことじゃないです」

 

心の中を読まれたように遊佐が話始めるが、もう驚きはしない。

 

「むしろ人間的には好感が持てます。純粋で、真っ直ぐで」

 

「だったらなんだってそんな目の敵にするんだ?」

 

別段岩沢から遊佐に何かしたようなことはなかったはずだ。

 

もちろん俺の見てないところでそういうことがあった可能性もあるが、岩沢がそういうことをするようにも思えないし、何よりそんなことがあれば遊佐は俺や悠に言ってくるはずだ。

 

今度こそは、初めから頼ってくれるはずだ。

 

「純粋で真っ直ぐだからです」

 

「それは良いとこなんじゃねえの?」

 

「自分の持ってないものを持っている人は羨ましくなるでしょ?」

 

「お前…ひねくれてるな」

 

「ひねくれすぎて捻り潰されそうです」

 

いやそれはよく分からんが…

 

「まあでも、言いたいことはわかる」

 

「柴崎さんもひねくれてますもんね」

 

「そりゃあな。でも一番ひねくれてるのは」

 

「千里さんですね」

「悠だよな」

 

お互いに口を揃えてもう一人の幼馴染みの名前をあげ、思わずにやりと笑みがもれる。

 

「やっぱそうなるよな」

 

「あれだけひねくれた人は見たことありません。あと出来れば2度と見たくないです」

 

「まあまあ…あそこまでいくのは問題だけど、ずっと真っ直ぐで、どこまでも純粋なやつばっかだと疲れるじゃん?」

 

「確かに柴崎さんは時々疲れきった顔をしている時がありますね」

 

なんとなく口に出しただけの言葉だったのだが、まさか本当に自分がそんな風になっていたとは…

 

「ま、まあとにかくだ。多少ひねくれてるくらいが俺にとっては丁度いいよ」

 

「そ…そうですか…」

 

「おう」

 

「「……………」」

 

あっれーーー?

 

今良いこと言ったはずなのに反応があまりにも悪すぎる…

 

でもクサすぎて引いたって感じでもないし…

 

「遊佐…」

 

ピリリリリ!

 

とにかく何か話しかけようとしたところを今度は着信音が遮ってきやがった。

 

画面には仲村ゆり、と書かれていた。

 

くそ!遮られすぎだぞ俺!

 

心の中で自分にツッコミを入れながら応答ボタンを押す。

 

「もしも―『もしもし?!どこにいるの?!ていうか団体行動くらいちゃんとしなさいよね!!』

 

ツッコんだそばからまたしても遮られてしまう。

 

ていうか、耳元でうるせえ!

 

「連絡しなかったのは悪いけど、こっちも遊佐を見つけたから捕まえにいってたんだよ!」

 

『あらそうなの?』

 

「ああそうだよ」

 

「すみませんちょっと代わってもらえますか?」

 

「そりゃいいけど」

 

遊佐に代わるから、とゆりに告げてから携帯を渡す。

 

すると遊佐は少し俺から距離を取ってこそこそと話始めた。

 

会話は聴こえないが、まあ報告しているだけだろうと思い、しばらく人混みを見物しながら時間を潰す。

 

やっぱカップルとか多いよなぁ。

 

独り身なのが悲しくなってくるぜ…

 

「柴崎さん、ありがとうございました」

 

話が終わったようで、既に通話終了になっている携帯を渡される。

 

「ん、ゆりはなんて?」

 

「今日はもう二人で行動していていいと言っていましたが……」

 

「が…なんだ?」

 

「いつの間にゆりっぺさんを下の名前で?」

 

そうか、そういえば遊佐の前でゆりの名前を呼ぶ機会はあれから無かったな。

 

「合宿の時にちょっとな」

 

何から何まで説明するわけにもいかないから軽く流しておく。

 

「ていうかよく気づいたな。日向なんかはなんとも思ってなかったみたいなのに」

 

「それだけ自然に呼んでいれば違和感も少なかったのでしょう」

 

「そうか?でも確かに妙にしっくり来るんだよな」

 

初めは少し戸惑ったけど、呼び慣れてくるもんだ。

 

「私は遊佐と笑美どっちがしっくりきます?」

 

「え?そりゃ…うーん…難しいしな…」

 

遊佐のことも初めこそ抵抗があったけど、最近はめっきり慣れちまったしなぁ。

 

とはいえ、出会ったときから下の名前で呼んでいたんだから、笑美が呼びにくいわけでもないし…

 

「どっちも同じようなもんかな?」

 

「そうですか」

 

「ていうか今さらなんだよその質問?」

 

「いえ、なんとなく訊きたくなっただけです」

 

「まあそれなら別に良いんだけどよ」

 

何かまた地雷でも踏み抜いたのかと焦るじゃねえか…

 

「そろそろ花火も始まりますし、場所を移しませんか?」

 

「良いけど、もうどこもいっぱいなんじゃないか?」

 

こういうのは大抵随分前から場所取りをしているグループばかりのイメージがある。

 

ゆりだって恐らく自分の家の使用人たちに場所取りをさせているはずだ。

 

「こういうこともあろうかと穴場を調べてきました」

 

「随分用意がいいな」

 

「私の好きな言葉は“備えあって憂いなし”と“下調べ”です」

 

昔の遊佐からは考えられない発言だな、そりゃ。

 

「まあいいや、で、どこなんだ?」

 

「しばらくこの人混みに沿って進んで、途中で路地に入った先に小さな公園があります。そこなら人も少なくて見晴らしもいいです」

 

「ふうん、じゃあ行くか。ほれ」

 

「あの柴崎さん…?これは…?」

 

さっと差し出した手を何故か凝視して固まる遊佐。

 

「はぐれたら困るから手を引いてやろうと思って。歩きづらいんだろ?それ」

 

ていうかそんな不思議なことか?

 

察しのいい遊佐ならすぐに分かりそうなもんなのに。

 

「そう…ですね。なんらおかしなことではないですよね。分かっていますよ。今のは柴崎さんを試したのです。ここでまたデリカシーのないことでも言ったら…」

 

固まったかと思えば今度はやけに饒舌に話し出す。

 

本当訳のわからんやつだ…

 

「俺は何を試されてんだよ…ほら、いいからさっさといくぞ」

 

「―――っ!は、はい…」

 

一向に繋ごうとしない手を強引に手にとってようやく俺たちは歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、これは確かに穴場だ」

 

遊佐に行き道をナビされながらたどり着いたのは、遊佐の言う通り人気のない小さな公園だった。

 

周りに大きな建物も少なく、特に花火が上がる方角にそういった建物が一切ない。

 

そして外灯も少なく、花火の明かりがよく見えそうだ。

 

しかし、ここに来るまで出店も多かったからてっきり、フランクフルトとチョコバナナが食べたいです、とか言うかと思ってたんだけど、借りてきた猫みたいに大人しかったな…

 

「き…きちんと、下調べしてきましたので。それより…」

 

「ん?」

 

「いつまで手を繋いでいるんでしょうか…?」

 

「あ、悪い」

 

気づかずにずっと繋いだままだった手を離す。

 

「いえ別に嫌だとかそういう意味ではなく、柴崎さんが繋いでいたいのならやぶさかでは…」

 

「いや別に繋いでおきたいわけではないけど」

 

「わ…私もそうですけどね…」

 

「お、おう」

 

まあそりゃそうだろう。今さら何を言ってるんだ…?

 

「……その…」

 

「なんだ?」

 

「……蒼ちゃんってば手をにぎにぎしすぎぃ~!もう、エッチー!」

 

「……は?」

 

唐突な昔の笑美の再現(のはず)に戸惑いを隠せない。

 

「ど、どうした?」

 

「どうしたもこうしたもないもん!プンプン!」

 

いやいくら昔でもプンプンとかにぎにぎなんて言ってなかったはずなんだが…

 

どんどん遊佐の中で中学時代が黒歴史になっていってるよな…

 

「はいはい、どうなさったんですか?」

 

「怒ってるんだよ!プンプンなんだよ!」

 

いやだから理由を教えてほしいんだが…

 

「分かった分かった…落ち着いてくれ。どーどー」

 

ぽんぽん、と宥めるために頭を数度叩く。

 

「く…ぅ…あの…わざとやってますか…?」

 

ここでようやくいつもの口調に戻った。

 

表情はいつもより崩れているけど。

 

「いや、だから何から何までさっぱり分かってないんだけど」

 

なんで怒ったのかも、何がわざとやってるのか疑われてるのかも全部理解できていない。

 

「いえ、天然ならいいんですけど…良くはなかったですね」

 

いやごめん本当になに言ってるのか分かんない。

 

その後もやけにブツブツと独り言を続けていた。

 

こういう時どうするべきなんだ…?

 

ヒュー………

 

「ん?」

 

ドーン!!

 

頭を悩ませていると、妙に甲高い音が聴こえたと思えば、それがすぐに爆音へと変わり、空に大きな光の花が浮かび上がった。

 

「おお…」

 

思わず感嘆の声がもれる。

 

それを皮切りに次々と花火は打ち上げられ、さっきまで一人でブツブツ言っていた遊佐もいつの間にか視線が空に釘付けになっていた。

 

「綺麗ですね…」

 

「だな」

 

元々ボキャブラリーの乏しい俺はともかく、いつも口だけは達者な遊佐でさえこんな陳腐な言葉しか出てこなかった。

 

でも、それでいい。

 

こういうものには、普通のありふれた言葉で十分なんだ。

 

「あの、柴崎さん」

 

「ん?なんだ?」

 

お互い空を見上げながら会話をする。

 

「来年も…見たいですね」

 

「…そうだな。今日はたまたまこんな形になったけどさ、悪くなかったし…」

 

人混みなんて苦手だし、外は暑いし、寝ていたくもなるけど、こんな綺麗なものが見れるならそれも悪くない。

 

それに、出来れば…

 

「今度は皆一緒に見たいよな」

 

二人でこれだけ楽しいんだ。皆でいればもっと楽しいだろうな。

 

「……………デリカシー力マイナス5万です」

 

「な、なんで?!」

 

 




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「直井くんはあたしのものだからさ!」

随分と長く感じた夏休みは終わり、今日から2学期が始まる。

 

教室には少し肌が焼けていたり、急に髪が染まっていたり、やたら化粧がケバくやっている奴なんかもいた。

 

変化の時期…ということなんだろうな。

 

『でー、ありまして、夏休み気分はここで断ち切り…』

 

変わらないのは校長の長話だけ…か。

 

 

 

 

 

 

 

「うぉ~…あっつい!直井くん、あっついよぉ!!」

 

未だ衰えることのない猛暑の中、校長先生の長話でぐったりしてるので、教室への帰り道でしょうがなく、しょうがな~く直井くんに抱きつく。

 

これは致し方のないことなのである…残暑め…憎い!あたしは残暑が憎いよぅ!

 

「暑いなら離れろ!余計に暑苦しいわ!!」

 

「直井くん冷え性だし」

 

「そんなの関係あるか!」

 

ぶんぶんと体を揺らしてあたしをふるい落とそうとする。

 

しかし舐めてもらっちゃ困る…あたしだってプライドがあるのさ…プロハグラーとしてのプライドがね!

 

「しおりん離れてあげなよ~…」

 

「あらみゆきち、あなたも抱き心地が良さそうね!頂くわ!」

 

「きゃっ、ちょっと今日は何キャラなのそれ?」

 

プライド?何それみゆきちより美味しいの?

 

否!断じて否ぁ!!

 

「やっと離れたか…」

 

するとあたしが離れた隙をついて直井くんは早足で教室へと向かってしまう。

 

「直井くん…!直井くん、カムバーック!!」

 

「人の名前を大声で呼ぶな、この痴れ者め!」

 

「ガーン!」

 

ショック…しおりん大ショックだよ…直井くんにそんな風に思われたなんて…

 

「しおりん!いい加減離してよぉ~!」

 

「ええい!人の名前を大声で呼ぶな、この痴れ者め!」

 

「なんで?!」

 

ふふーん、1回言ってみたくなったんだなぁ、これが。

 

むむん…しかし直井くんとの距離は中々縮まりません…しおりん、ピンチ…

 

「ね、ねえしおりちゃん」

 

「ん?なにあーちゃん」

 

頭を悩ませていると、クラスメイトの秋田熱海ちゃん、通称あーちゃんが声をかけてきた。

 

「直井くんと、なんでそんなに絡んでるの…?」

 

「んー?」

 

よく分からない質問に首を傾げる。

 

「だって、直井くんって、確かに顔は格好いいけど、口は悪いし、なんかずっとあたしたちのこと見下してる感じしない?」

 

「あ、分かるそれ」

 

「ちょっと怖いよね~」

 

あたしたちの会話が耳に入ったようで次々とクラスメイトの子達が同意と共に会話に参加していく。

 

「ふむふむ、確かにねぇ…仏頂面だしねぇ」

 

「ずっと眉間に皺寄ってるよね」

 

まあまあ、直井くんの普段の態度だとこういう評価になりますわな~。

 

「で、でも直井くんだっていいところもあるんだよ?」

 

「おっとみゆきち、彼氏持ちの身で直井くんにまで唾をつけるつもりかい?」

 

「ち、違うよ!」

 

ふふふ、ちょっとからかっただけでこの反応…ういやつよのぅ。

 

「分かってる分かってる。直井くんはあれで意外と面倒見いいしね。なんだかんだあたしの相手してくれてるし~」

 

あれ?これはもしかしてあたし狙われてる?!しおりんまさかの違う意味でピンチ?!

 

「でもさぁ…ねぇ?」

 

「うん…」

 

あたしとみゆきちの直井くんのフォローを聞いたあーちゃんたちは、苦い顔で互いに目を合わせていく。

 

これは…嫌な予感…

 

「直井くんとはあんまり関わらない方が…いいんじゃない?」

 

…うわぁ。

 

「だよね…だってしおりに何かあってからじゃ遅いしさ」

 

あー…やばいやばいやばい…この流れはマズイ…

 

「そうだよ、なんの拍子にキレるかわかんないよ?」

 

「だ、だから、直井くんはそういう人じゃないよ?」

 

「分かんないじゃんそんなの。ただでさえ変な感じだしさぁ」

 

「分かる。初めの自己紹介も意味わかんなかったもんね」

 

みゆきちがなんとか流れを止めようとしてくれるも、あっけなく撃沈。

 

これは暗にこう言っているんだ。

 

『これ以上直井くんと関わるならハブる』

 

これは…困った…

 

想像しなかったわけじゃない。あれだけ浮いてる人にあれだけしつこく絡んでいれば、いつかはあたし自身が浮いてしまう。

 

けど、あたしがしっかり周りに関係の基盤を作っていればそこまで問題にならないと思っていたのに。

 

実際問題なかったはずなんだけど、これが噂に聞く2学期に急に人間関係が変わるあれ、なのかな?

 

それか直井くんの嫌われかたが尋常じゃなかったのか。

 

もしくは…あたしの関係の作り方が甘かったか。

 

しかし…あー、ハブられるのとか勘弁…ようやく転勤なんかも無くなって、安心して本当の友達を作れるようになったのにさぁ。

 

でも…なんでなんだろう?

 

直井くんを諦めたくないんだ。

 

初めは、放っておけなかった。

 

それが次第に、本当に仲良くなりたくなってきた。

 

これは恋心とか、そういう類いのものじゃないけど、直井くんは手放しちゃいけない気がするんだ。

 

だから…

 

「大丈夫!皆のしおりんはそう簡単にやられたりしないさ!」

 

「そういう意味じゃ――「ノープロブレム!」

 

喋らせない。これ以上直井くんの悪口も聞きたくないもんね!

 

「直井くんはあたしのものだからさ!」

 

ぐっ、と親指を立てておまけにウィンクもかます。

 

「…意味分かんない。行こう」

 

「あ、うん…」

 

「じゃ、じゃあね」

 

捨て台詞を残してさーっと去っていってしまう。

 

まあ意味分かんないのは当たり前だね。意味ないし!

 

「しおりん…」

 

「みゆきち…」

 

そんな心配そうな目で見ないでよ…ほらほら、涙まで出てきそうだよ?

 

「こんな風に見つめ合ってたらあたしたちの関係怪しまれるよ?」

 

「~~~っ!もう、茶化さないで!」

 

「あーんみゆきち置いてかないでぇ!」

 

怒ってるみゆきちも可愛いけどね!

 

なんて…まあ、みゆきちがいればあたしは無敵だから大丈夫大丈夫。なんたってあたしの初めての親友だもん。

 

それに今は岩沢さんにひさ子さんに、SSSの人たちもいる。

 

だから、大丈夫。

 

そう言い聞かせる2学期の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん、あの馬鹿め…」

 

 

 

 

 




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「えぇ?!親子でそんなプレイを?!」

2学期が始まり、そろそろ夏休み気分も抜けてきた今日この頃。

 

徐々に残暑も去りつつある…と言いたいところだが、まだまだ居座っているので、未だ冷房がないとやっていけない。

 

なので一人暮らしの身としては部活があれば涼しい思いをして、かつ、節約も出来るという好条件なことに最近気づいた。

 

一人だとなんか勿体ない気分になるんだよなぁ…

 

と、まあこんな風によしなしごとを考えるくらいに暇なのにはわけがある。

 

「うーん…やっぱり……うん、そうだな…」

 

そう、岩沢が作曲中で他のメンバーは特にやることがないのだ。

 

まあ俺や大山たちマネージャー組は演奏をしていても暇と言えば暇だが、ガルデモの演奏を聴いていると夢中になることがしばしばあるので、案外考え事をすることなんて少なかったりする。

 

特に冷房の節約とか、本当にどーでもいいし。俺の今日のパンツの色くらいどーでもいいし。

 

ちなみに他のメンバーは他の部屋に暇を潰しに行っている。俺はマネージャーだから無理矢理残されてしまったが。

 

「……違うな…違う違う、そうじゃ、そうじゃない」

 

君を逃せないんですね、分かります。

 

って、お前はグラサンのいかつい親父か。

 

「おい、岩沢」

 

「……………」

 

「おい、おーい」

 

「…これじゃダメなんだよなぁ……」

 

一生懸命手を振ったり声をかけるがまるで反応がない。

 

あるのは独り言だけだ。

 

ダメだ、聞こえてないわこれ。

 

まあ音楽キチ、だもんな。

 

とはいえ暇だしなぁ…

 

と、思ったところでふと岩沢が苦悩してる作曲中の楽譜に目が行った。

 

そこには既に歌詞も譜面もきちんと埋められていて、完成してるように見えた。

 

「………うーん…」

 

何を悩んでるのか分からず、とりあえず自分でも分かる歌詞に目を通した。

 

「…なんか岩沢っぽくないな」

 

歌詞を何度か通して読んだ拍子に、ぽろっともれた言葉。

 

「分かるのか?!」

 

それに対して岩沢は驚くほどの速度で反応した。

 

まず、なんでこういうのだけ見事に反応するのか、こっちが教えてほしいわ。

 

だがしかし、とにかくようやく反応を返してくれたのでそこは水に流して問いに答えることにする。

 

「分かるっていうか…なんとなく今までのと毛色が違うような気がする…ってだけだな」

 

「どんな風に?」

 

どんな風に…?

 

そう言われても、この違和感というのは文字通り感覚的なものなので、答えに窮屈する。

 

「んー…なんていうか、女子っぽい…かな」

 

と、ようやく口から出た言葉がこれだった。

 

あ、これデリカシーないやつだ。と自分でも分かった。

 

「だよな。分かる」

 

分かるんだ。

 

仮にも好きな相手に自分が女子っぽくないと言われてるも同然なのに、分かってしまうのか。

 

「どの辺が女子っぽい?」

 

あー…いや、コイツは今音楽のことで頭がいっぱいなんだよな。

 

「どの辺がっていうと…強いて言うならここ、かな」

 

トン、と指でその部分を指す。

 

「お前なら恋人って例えは出さない気がする。少なくとも今まで聴いた曲の中と比較すると、だけどな」

 

「うんうん、分かる」

 

分かるんだ、やっぱり分かるんだ。

 

一応俺と恋人になりたいって言ってるはずなんだが分かってしまうのか。

 

いや、分かってるんだけどね、こっちも。お前が今はこの歌に夢中なのは。

 

でもなんだろうな…釈然としない。

 

「ていうか、これお前が書いたんじゃない…んだよな?さっきの反応を見るに」

 

とにかく一度その悶々とした気持ちは置いておき、気になっていたことを訊いておく。

 

「ああ、これは昔…友達が書いたやつだ。作曲はあたしだけど」

 

友達、の前にやけに間があったが、それもとりあえず流しておこう。

 

どうせ喋らないだろうし。

 

「で、あたしもこれに詩をつけようと思ったんだけど、これが中々…ね」

 

そう言って、苦笑しながら両手を広げて肩をすくめる。

 

「昔考えたやつだからってことか?」

 

「あー、まあそういうのも関係あるかもね」

 

「なら昔のこと思い出せばいいんじゃね?」

 

「昔のこと…か」

 

何の気なしにそう言うと、いやに真剣に考え始める岩沢。

 

あ、これはまた音楽キチスイッチ入ってるな…

 

「昔…そうだ…今と昔の違い……」

 

「おい、おーい…」

 

ダメだな、こりゃ…

 

またぶつぶつと呟きながら自分の世界へと入ってしまった岩沢。

 

はぁ…暇だ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん…」

 

下校時間になり、皆と別れ、一人で考え事をしながら帰っている。

 

「形にはなってきたんだけどなぁ」

 

柴崎のアドバイスに従って、昔のことを思い出しながらリズムに詩を載っけていくと、行き詰まってたのが嘘みたいに進んでいった。

 

しかし、そのまま完成…とまでは上手くいかせてくれない。

 

音楽の神様ってのは中々意地悪なもんだ。

 

「ここのリズムに上手く言葉がうま…」

 

むぎゅ

 

「ん?」

 

何かを踏んだ感触があり、足下に目をやる。

 

「わ、人?」

 

そこにはやたらとガタイが良く浅黒い肌をした男が倒れこんでいた。

 

とりあえず踏んだままじゃ悪いので足をどける。

 

「えっと、大丈夫ですか?」

 

「………た」

 

「?」

 

「腹減った…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー!はっはっは!本当ありがとな嬢ちゃん!」

 

「い、いえ…」

 

腹減った、というので、とりあえず公園のベンチまで連れていき、急いで近場のコンビニに行っておにぎりやサンドイッチを買ってきて渡すと、それはもう凄い勢いで食べ始めた。

 

すぐさま食べ終わると、肩をバンバンと叩きながらお礼を言われて、今に至る。

 

もうこの言葉も何回目だっていうほどだし、そろそろ肩も痛くなってきた。

 

「えっと、何か飲みます?」

 

「いいのかい?!何から何まで悪いねぇ~。じゃあコーヒーで!」

 

このまま叩かれ続けて腕が上がらなくなったら困るので避難するために自販機へと向かう。

 

適当に微糖の缶コーヒーを買ってベンチへと戻る。

 

今度は叩かれないようにベンチに座らず立ったままだ。

 

「いやぁ…良い娘だなぁ君は。息子の嫁に欲しいよ」

 

おじさんはぐいっとコーヒーを一気に飲み、一息つくとそんなことを言い出した。

 

「いえ、あたしには心に決めた人がいるんで」

 

そう、柴崎というあたしの運命の相手がいる。

 

例え社交辞令だろうとそこは曲げられないんだ。

 

「嬢ちゃんみたいな娘に好かれるなんて、よっぽどの男だなそりゃあ」

 

「はい。優しくて、カッコよくて、あたしの欲しい言葉をくれる最高の人です」

 

「じゃあ諦めるしかないかぁ~…」

 

そう言って本当に俯いて落ち込む素振りを見せる。

 

社交辞令とかお世辞の類じゃなかったんだ…

 

「ところで嬢ちゃんギターやってんの?」

 

「なんで分かったんですか?」

 

「いや、ピック型のネックレスしてるからそうかな~って思っただけ」

 

「あ、なるほど」

 

学校では着けられないから部活が終わってから着けている柴崎からの贈り物。

 

「もしかして例の彼から?」

 

「え、なんでそこまで?」

 

「顔に書いてあるさ。嬉しい、楽しい、大好きって」

 

「いやぁ…あはは」

 

確かに未だに目に入るだけであのデートのことを思い出しちゃうからなぁ…困ったもんだ。

 

あの時は本当に嬉しくて、楽しくて、柴崎大好きって感じだったし。

 

「そっかそっか!いいねぇ、青春だねぇ!バンドに恋に、大いに結構!あ、でもなんか悩みありそうだね?」

 

「え、なんで…」

 

流石にそんなことまで顔には出てないはずなのに。

 

「君がおっちゃんのことを踏んだときに感じた。あれは悩みを抱えてる踏み方だ!」

 

「………?!」

 

な、何を言ってるんだこの人は…?!

 

でも、悩みがあるのはずばり当たっている。

 

まさか占い師?!ゴツいのに!?

 

「おっちゃんの嫁さんも、悩んでる時は…踏み方が甘かったからねぇ…」

 

「嫁さんに踏まれて…?!」

 

DVを受けているのかこの人…?!

 

「そんな…そんなのダメですよ!暴力なんて…」

 

「いやいやそれが気持ちよくてね!燃えたよ!」

 

「んん?」

 

踏まれるのが気持ち良い?

 

……あ、なるほど。マッサージだったのか。早とちりしちゃったな。

 

「あたしもたまにお父さんにやってあげますよ」

 

「えぇ?!親子でそんなプレイを?!」

 

「プレイ?」

 

何かのゲームの話?

 

「ダメだぞ!そういうことは好きな人にやってあげるもんだよ!親子でなんて…おじさん許しませんよ!」

 

「好きな人に…」

 

柴崎…腰とか凝るかなぁ…?

 

「あーごめんごめん話逸れたね。で、どんな悩み?おっちゃん力になるぞ!」

 

「実は今曲を作ってるんですけど、中々上手くいかなくて」

 

「曲かぁ…どんな曲?」

 

「基本的には、あたし自身のことを書いたものです」

 

暖かいご飯が迎えてなんてくれなかった昔のこと…だけど。

 

「そりゃあ…おっちゃんの出番はなさそうだね」

 

とほほ…とまたしても俯いて落ち込むおじさん。

 

ガタイはいいのにメンタルが弱いな。

 

「んでも!そーいう時はとりあえずさ、叫んじゃえばいいんだよ!ほら、こうやって!」

 

ウオオオォォォ!と、持っていた缶コーヒーをマイク代わりにして叫びだす。

 

ガタイがいいだけあって腹の底に響くような重低音だった。

 

「ほら、嬢ちゃんも!」

 

「わ、とと」

 

不意に放り投げられた缶コーヒーをなんとかキャッチする。

 

あたしも…か。

 

「ああぁぁぁぁぁ!!」

 

あたしもおじさんに倣ってマイクに向け、叫んだ。

 

悩みとか、苛立ちとか、そんな鬱々としたものを全部発散させるように。

 

「おお!良い声だ!よっしゃあおっちゃんも負けねえぞ!!」

 

ウオオオォォォ!!と、あたしのシャウトと共鳴するように隣でおじさんも叫ぶ。

 

ああ…なんだろ、なんか懐かしい。

 

昔、路上をやってた時、飛び入りでお客さんが参加したりしたなぁ…それこそ缶コーヒー持って…それでそのまま朝まで…

 

「―――っ?!」

 

そう思い出した瞬間に頭の中で稲妻が走った。

 

「ん?どした?」

 

おじさんが怪訝そうにこっちを見ていたが今はそれどころじゃない。

 

「お前らか!公園で騒いでるやつらってのは!通報があったぞ!」

 

「やべ!」

 

そう…そうだ…これならあのリズムの中で…

 

「おい………ゃん逃げ……もう!ほ……」

 

そのままあたしは強力な集中のせいか、浮遊感に包まれながら歌詞を頭の中に浮かべていく。

 

これがゾーンってやつか…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだな…やっぱり缶コーヒーってワードは入れたい…一緒に歌ったりは…ギグにするか…それでおじさんとの出会い方も取り入れれば……

 

「……い!おーい!!」

 

「ん?」

 

「やぁっと気がついた?嬢ちゃん随分……根性入ったバンドマン…いや、ウーマンだね」

 

何故かすごく息を切らしながら呆れたようにそう言うおじさん。

 

ん?ていうか、なんか場所がさっきまでと違くない?

 

「担いで走っててもまだぶつぶつ言ってんだもん、周りからよく変わり者だって言われるおっちゃんも流石にビックリ仰天だよ」

 

担いで走る?

 

……浮遊感は担がれてただけだったのか。

 

「ごめんなさい。つい周りが見えなくなるもんで…」

 

「ああいや、いいっていいって!元はと言えば叫ばしたおっちゃんのせいだしね」

 

……そういえばそうか。

 

「っと、そろそろ帰らなきゃだな。愛する息子にも会いたいし」

 

携帯を取りだし、人の良い笑顔を浮かべてそう言った。

 

飢えて倒れるくらいなのに、携帯は持ってるんだ…変わってるなぁ…

 

でも、やっぱり悪い人じゃなさそうだし、何よりちょっと気が合う…気がする。

 

「んじゃ、嬢ちゃん、また機会があったら会おうや!」

 

「こちらこそ」

 

社交辞令ではなく本心でそう言うと、うんうんと満足そうに頷いて、猛スピードで走り去っていった。

 

「不思議な人だったなぁ…」

 

あの人のお陰で曲が捗ったし、もしかしたら妖精の類だったのかもしれない…

 

と、そんなことを考えていると、足下に何か落ちているのを発見する。

 

「これ…パスポート?」

 

とりあえずページを捲ってみると、さっきのおじさんの顔写真があったので、あの人のものだと分かった。

 

届けてあげないと…

 

「えっと、住所は……って…これ…!」

 

 

 




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「俺のことを…踏んでくださぁい!!」

「ふぅ…洗濯物完了っと」

 

部活を終え帰宅し、洗濯を終わらせ一息つく。

 

そろそろ晩飯も用意しないと。今日何にしようかな…

 

ピンポーン

 

そんな所帯染みたことを考えていると、インターホンが鳴った。

 

宅配か?また親父が変なもの送ってきたんじゃねえだろうな…?

 

疑心暗鬼になりつつ返事をするためインターホンの画面に近づくと……

 

「親父…?!」

 

画面には年甲斐もなく満面の笑みでダブルピースをかましている父親の姿があった。

 

どたばたと慌ててドアまで駆け寄り開く。

 

「よー蒼きゅん、たっだいまー」

 

何年ぶりかという再会の挨拶はそんな間抜けな言葉だった。

 

「てめえ!帰ってくんなら連絡しろつってんだろうが!」

 

「ちょ、父親に向かってなんて口の利き方を…もしかして反抗期なのか?!」

 

「反抗期をぶつけなきゃいけねえほどあんたと会ってねえよこっちは!」

 

むしろ遊佐のおっちゃんおばちゃんの方が両親っぽいつーの!

 

「何をぎゃーぎゃー喚いてるんですか柴崎さ……ん…」

 

騒ぎを聞きつけたのか、隣の家から遊佐が出てきたのだが、親父の顔を見て目を丸くしている。

 

「おー?笑美ちゃんじゃん!綺麗になったねー!なんか雰囲気変わっちゃってるけど」

 

「ありがとう…ございます」

 

久しぶりすぎる相手に流石の遊佐も面食らっていて、下の名前で呼ばないでと言うのを忘れている。

 

「あの、いつお戻りに?」

 

「さっきだよ、ついさっき。でも持ち金全部なくなっちゃって餓死寸前でさぁ、そしたら通りすがりの女の子が助けて――「柴崎!」

 

「「ん?」」

 

親父の経緯に耳を傾けていると、唐突に名前を呼ばれ振り向く俺と親父。

 

「あ、そっか。どっちも柴崎になっちゃうんだ」

 

そこには一人で納得している岩沢の姿があった。

 

「おー!さっき助けてくれた嬢ちゃんじゃん!どったの?」

 

「は?親父岩沢と知り合いなのか?」

 

「いやだから餓死寸前のところをこの子が助けてくれたんだってば」

 

そういえばそんな話だったな…

 

「で、岩沢はどうしたんだ?」

 

「柴崎の親父さんがこれ落としてたから届けに」

 

そう言ってポケットから取り出したのはパスポートだった。

 

「ありゃ、落としてたのか~!何度も何度も助けてもらって悪いね!」

 

「もっと誠意込めろよバカ!」

 

あまりにも軽い態度にまたしても怒鳴り声をあげてしまう。

 

「柴崎さん、流石にここだと近所迷惑になりますし、家の中に入った方がいいのでは?」

 

「それも…そうだな」

 

このままいけばまだまだ怒鳴ることになりそうだしな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で…

 

「なんでこうなる?」

 

何故かテーブルを挟んで2つずつ置いてあったはずのイスが移動して、遊佐と岩沢が俺の両側にいる。

 

「いいじゃんいいじゃん!両手に花だぞ?俺なんて一人ぼっちなのに!」

 

花は花でも人食い花だよコイツらは…

 

主に俺の気力が食料だ。

 

「いやでも本当偶然だなぁ、まさか命の恩人が息子のクラスメイトだなんてなぁ」

 

「いやそんな、命の恩人だなんて…」

 

「謙遜しなさんなよ!」

 

「そうだぞ。コイツは計画性とかまるでないから多分本当に死にかけてたからな」

 

息子にそう言われて、てへへ、と気色悪い笑いかたを見せる親父。

 

「ちょっと柴崎…お義父さんにそんな言い方…」

 

「いいんだよ、うちはこういう距離感で。たまにしか会わないからな」

 

ていうか、今漢字がおかしかった気がしたんだけど気のせい?気のせいだよね?

 

「そもそも岩沢さんが口出すことではないのでは?」

 

「ほっとけないだろ、柴崎のことなんだから」

 

「んー?」

 

俺を挟んで睨み合う二人を顎に手を当て不思議そうに見つめる親父。

 

「もしかして嬢ちゃんの好きな人ってうちの息子なの?」

 

藪から棒なその言葉に思わず吹き出してしまう。

 

「な、何を言い出してんだ?!」

 

「違うの?」

 

「違わないですお義父さん!」

 

「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!って言ってみたかったんだけど、嬢ちゃんならパパは大賛成だなぁ」

 

とりあえず色々ととっ散らかってる会話だが、とにかく言いたいことは1つ。

 

「あのなぁ、俺は岩沢と付き合うつもりはないぞ。もちろん結婚もだ」

 

「え、なんで?!こんな良い娘なのに?!」

 

「いやなんでもなにも…」

 

「あー、分かった。お前、笑美ちゃんと付き合ってんだろ」

 

「はぁ?…痛って!」

 

あまりにも的はずれすぎて話にもならないことを言い出すので、呆れて聞き返した瞬間俺の右足が思いきり踏み抜かれた。

 

「な、何しやがる…?」

 

「いえ、その『何言ってやがるんだこの呆け老人は』という顔が不快だったので、つい」

 

「おい!俺はまだ老人って年じゃないぞ!」

 

怒るとこそこかよ…つーかそこまで思ってねえし…

 

「んでもさ、笑美ちゃんすっかり美人さんになっちゃってるし、普通そう思っちゃうじゃん?」

 

「そう…痛い!」

 

今度は聞き返す前に踏み抜かれた。

 

しかも全く同じ部分をまるで機械のように正確に。

 

「それになんだかママに似てきた」

 

「お袋に?」

 

俺が物心つくころには既にこの世を他界していた母親。

 

それ故に、そう言われてもあまりピンとこない。

 

「ああ、アイツも今の笑美ちゃんみたいに無表情で…俺をよく踏んでくれたのさ!」

 

何か良い思い出でも語ってくれるのかと思えば……つーかうちの父親はドMなのかよ…!

 

息子として悲しくなってくる。

 

「いやぁ、でも、本当笑美ちゃん似てきたね…アイツに…」

 

さっきまでのふざけたトーンから一転して、しんみりと何かを思い返しているような声音に変わった。

 

そうだよな…元々あんま覚えてない俺はともかく、親父は最愛の妻を亡くしてんだもんな…態度に出したことがないから今まで考えたことなかったけど…

 

「そんな似てる笑美ちゃんに1つ頼み事があるんだ…」

 

「な、なんでしょう?」

 

「俺のことを…踏んでくださぁい!!」

 

耳を疑うような言葉が聞こえたかと思えば、眼を疑うような綺麗な土下座をかましている親父。

 

いや、ここはまずコイツが本当に俺の父親なのかどうかを疑うべきなのだろうか。

 

この無駄にゴツい身体に無精髭、やたらめったら焼けた肌にイカツイ顔立ち…

 

あ、俺の親父だ。

 

やだなぁ…

 

「え…遠慮しておきます…」

 

いつも下ネタオンパレードな遊佐でさえ汚物を見るような目を向けていた。

 

「なんでだよ?それくらいいいじゃないか、してあげたら」

 

「っ?!」

 

何を…言ってるんだコイツは…?

 

自分の同級生の変態マゾ親父を踏んであげてもいい…と言ってるのか?息子自身が縁を切りたいくらい引いてるのにか?

 

そんなことありえるのか?気持ち悪いだろう?もしや岩沢は実はドSなのか?

 

そんな数々の疑問はすぐさま打ち払われることになる。

 

「足踏みマッサージくらいなら、あたしいつでもやりますよ!」

 

「あー…うん」

 

この一言だけでこの場の全員が理解した。

 

岩沢は…マゾという生物を知らない…と。

 

「ごめんね…ありがとう」

 

「い、いえ!お義父さんのためなら!」

 

親父もこの天然記念物によってすっかり毒気を抜かれたようで謝りながら静かに着席してた。

 

親父の暴走を止めてくれてありがたいがお義父さんはやめろ。

 

「あれ?そういえばなんの話してたんだっけ?」

 

「私が柴崎さんのお義母様に似ているという話ですね」

 

「あーそうだったね」

 

いやおかしいだろ?遊佐まで漢字がおかしくなってんじゃん。なんで納得してんだよ。

 

「対抗してみようかと思いまして」

 

「変な対抗意識燃やしてんじゃねえよ」

 

「え、何?何の話?ていうかなんで二人は会話成立してんの?」

 

「うぜぇ」

 

流石に今から遊佐が心読めるとか説明する気力ない。

 

「つーか、本題に入れよ。岩沢にお礼だろうが」

 

「あー!そうだったそうだった!本当ありがとね、お礼に息子あげる!」

 

「本当ですか?!」

 

「ふざ――「ふざけないでください?」

 

意味のわからん取り引きに文句をつけようとしたら…台詞を取られてしまった。

 

ていうか遊佐さんめっちゃ怖いんですが…なんか笑顔…なんですが…めっちゃ怖い…

 

「え、えへへ!冗談!ジョークよ!」

 

「当たり前ですよ?」

 

「だ、だよねー」

 

感情のない笑顔を貼り付けながら凄む遊佐は、中年のゴリゴリ親父をも制していた。

 

「早くお礼を言って、解散です」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後遊佐の言葉通りに岩沢にお礼を言って、何故か俺へも謝罪させ、親父の頭を下げさせていた。

 

そして岩沢と共に帰っていた。

 

今はそんな嵐のような目まぐるしさを終え、晩飯を食べている。

 

なんだか作る気力が失せたのでカップラーメンをずるずると啜っている。

 

「笑美ちゃんは…変わったな」

 

あの氷の微笑を思い浮かべてか、しみじみとそう言った。

 

「まあ、アイツも親父のいない間に色々あったからなぁ」

 

そう、色々あった。

 

わざわざ何があったかなんて、言いたくないようなことが色々と。

 

「でも、変わんねえなぁ」

 

「どこが?」

 

幼馴染みの俺から見ても、隅から隅まで豹変したようにしか思えない。

 

初めてあの遊佐を見たときは別人かと思ったくらいだ。

 

「お前が酷い目に遭うとすっごい怒るじゃん?あーいうとこ、ちっちゃい頃のまんまだ」

 

「酷い目って…今日はなんもなかったろ?」

 

むしろいつもアイツに酷い目に遭わされてるんですが…

 

「ありゃお前が物みたいに扱われたことに怒ってんだよ、鈍いねぇ我が息子よ」

 

「物ぉ?…あ、そういうことか」

 

息子をお礼にあげる~とかなんとかが、物みたいにってことな。

 

「んなこと気にしねえっての」

 

「だよねだよね、パパ悪くないよね?」

 

「反省しろよおっさん。胸糞悪くなってくるから」

 

「ひどくない?!」

 

ひどくない。

 

「まあでも、本当しばらく見ない間に…モテモテになっちゃってねぇ」

 

「岩沢のことか?」

 

「まあ…そうだねぇ」

 

「ん?」

 

いやに間が空いたので怪訝に思うと、いやーなんでもないぞぉ?とはぐらかしてくる。

 

明らかになんでもなくない様子ですがね、パパ上殿。

 

まあめんどくさいから放置するが。

 

「アイツは…まあよく分からんからどうしようもない。よってモテモテでもない」

 

そもそも一人が好きだって言ってくるだけでモテモテってのもおかしな話だけど。

 

「よくわからんって?」

 

「一目惚れだ…って言うんだけど、いまいち理由が漠然としててな」

 

「一目惚れなら漠然にもなるだろうよ」

 

「一目惚れねぇ…まずそれがよくわかんねえだろ」

 

「なんで?ロマンチックじゃん」

 

ロマンチックって…いい年こいたおっさんが何をメルヘンなこと言ってんだ…

 

「まあ仮に一目惚れってのがあって、それで俺のことを好きになったとしても…アイツはなんか俺に隠してる」

 

それもかなり決定的な何かだ。

 

多分、俺を好きになった理由とか、そういうことの。

 

「人間なら隠し事くらいするだろうよ。パパだってママに隠し事してたぜ?」

 

「例えば?」

 

「性癖…とか。きゃー!」

 

「キモい死んで欲しい」

 

あとそれ言わなくてもバレてるよ。

 

「いや、ともかくだな…あ、これ真面目な話な?」

 

そう言って表情を真面目なものに変える。

 

「そんな隠し事とか、どうとかじゃなく、あの娘のことをどう思うのか考えてやりなさいよってこと」

 

「だとしても、別に好きじゃねえよ」

 

「なんでよ?美人で良い娘で、なーんも言うことなしじゃん?」

 

「美人で良い娘だったら誰でも好きになるもんじゃねえだろうよ」

 

「ん、まあそりゃそうだ」

 

どうも岩沢を気に入ってるらしい親父のことだから、もっと食い下がってくるのかと思えば、思いの外あっさりと引き下がられ拍子抜けする。

 

「いいのか?」

 

「何が?」

 

「いや…なんていうか、そんなあっさり納得してもいいのかって」

 

「だって言ってること正しいんだもんよぉ。パパなんも反論出来んよそりゃ」

 

まあ…そうだよな。

 

俺は間違ったこと言ってないし。

 

「ま、でもさ、あんま好きってのを難しく考えなさんなよ」

 

「そういうつもりはねえけど…」

 

「ふーん、まあいいまあいい。なんか迷うことあったら話しなさいな。パパはしばらく日本にいるつもりだし」

 

「迷うこと…なぁ」

 

正直、この親父を信用なんかしてないし、頼るつもりもないけれど…

 

「考えとく」

 

それでも好きな相手と結婚までした人生の先輩ではあるし、切羽詰まった時なら、それもいいかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

翌日

 

 

 

蒼きゅんごっめーん!(汗)パパ急に赤道ギニアに行かなきゃいけなくなっちゃった!(爆)

またしばらく帰んないから夜露死苦(。ゝω・)ゞ

 

パパより

P.S. 二股ってなんか卑猥だよねー❤

 

 

 

そんな不快指数限界突破な置き手紙が、テーブルの上に残されていた。

 

「この…糞親父が!!」

 

それを粉々に破り、燃やしつくしたのは、無理もないことだと理解して欲しい。

 

 




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「あるぞ、新曲」

2学期が始まりもうそろそろ2週間が経った。

 

この時期になるとうちの学校が忙しなくなってくるのが

 

「じゃあ文化祭の出し物を決めるわよー」

 

そう、文化祭。

 

うちはそれほど文化祭に力を入れてはいないので、恐らくは出し物もそう苦労はせずに終われるはずだ。

 

「ていうかめんどくさいからあたしが決めるわよ?定番のメイドカフェ…だけじゃつまらないわね…うーん、あ、メイド執事カフェで決定ね。異論は認めないわよ?」

 

ほらな…クラス委員長のゆりが横暴かつ適当ですもの…

 

「仲村さんが決めたなら仕方ないか…」

 

「逆らえるわけないもんな…」

 

「諦めよう…むしろあの人に忠誠を誓うことを悦びに変える力を手にしよう…」

 

クラスメイトもこの悟りっぷりだ。

 

いやもう本当…清々しいほどに誰も歯向かうことが出来ない。

 

本来なら一生徒の横暴を止める立場であるはずの先生は…

 

「あさはかなり」

 

これしか言わないしな…

 

「役割も勝手に決めて後日プリント配るから今日はもう授業終わり、解散でいいですよね椎名先生?」

 

「あさはかなり」

 

「OKかいさーん」

 

あさはかなりから何故肯定の意と受け取れるかは不明だが、本当にこの言葉を合図に今日は授業終了となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、分かってるとは思うけれど、あたしたちの本番はこっちよ」

 

かなり早くに出し物決めを終えたうちのクラスの奴ら以外が集まるのを待ってからゆりが話し出す。

 

「あたしたちSSS部の出し物は、もちろんガルデモのライブ。各クラブにつき出し物は1つだから、このライブに全力を尽くすわよ」

 

「はい、質問」

 

「何かしら柴崎くん?」

 

「舞台発表なら一応有志での参加も可能ってなってるはずだけど、ライブだけでいいのか?」

 

うちの学校は、展示、出店、舞台発表等の中から各クラブ、クラスにつき1つしか参加は出来ないが、舞台発表のみ例外として有志での参加が認められている。

 

ゆりのことだからライブは有志として参加し、他に何かしらの出店なんかをするだろうと踏んでいたのでふと疑問を感じたのだ。

 

「ただでさえクラスの出し物もあるし更にもう1つ…なんてしたらどれも中途半端になってしまうでしょ」

 

「それは…そうか」

 

だが、ゆりなら…というか、このクラブの目的を考えると、それも青春のうち、と言うのではないかと思っていた。

 

「それに、岩沢さんとひさ子さんとの約束でもあるのよ」

 

「約束?」

 

「ああ、あたしたちが入る代わりに文化祭ではあたしたちをメインに動いてくれって頼んでたんだ」

 

俺が聞き返すと、その答えはひさ子が引き継いで話してくれた。

 

そんな約束があったのか。なら、納得だ。

 

「他に質問がないならとりあえず今日は話は終わりよ。各々青春を謳歌しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ!?柴崎くんのとこはメイド執事カフェなの?!」

 

ゆりの号令で皆談笑したり身体を動かしたりと好きなことをしに行った。

 

が、俺たちはもちろん文化祭に向け練習…と、その見学。

 

今は休憩を兼ねて文化祭のことについて話している。

 

「ということは岩沢さんやひさ子さんのメイド服姿が…!ゲヘヘヘ…」

 

「大山さんの執事姿……」

 

俺たちのクラスの出し物を聞いただけでこの反応の違いよ…

 

片や乙女らしく恋人の凛々しい姿を思い浮かべてのうっとりとした表情。

 

片や性犯罪を犯す直前の38才童貞のような下卑た表情。

 

同じ女子でなぜこんな差が…

 

「柴崎さんと音無さんの執事……!」

 

そして約1名男が混じっているが、しかも入江と似た表情だが、こちらはスルーが得策だな。

 

ていうかまだ誰が接客するとか決まってないから。

 

「関根たちは何するんだ?」

 

「あたしたちはおばけ屋敷!」

 

「おばけ屋敷って…入江さん大丈夫?」

 

そういえば入江はおばけとか苦手だったな。

 

肝試しの時もかなり怯えてたし。

 

「さ、さすがに自分たちで作ったものくらいなら平気です……多分」

 

最後にとても不安の残る一言が付け足されたが、まあ大丈夫だろう。

 

あくまで文化祭の範囲でしかないわけだし、そんな本格的なものは作れないはずだ。

 

「しかし大変だな。クラスの方も手伝わないといけないのに、バンドの練習もなんてな」

 

「んー、そうなのかな?あたしはどっちも楽しみでしょうがないけどなぁ~」

 

「はっ、楽しみ…か」

 

関根がこちらの心配を吹き飛ばすようなことを言ったかと思うと、それを鼻で笑う直井。

 

「なんだよ?何かあんのか?」

 

「いえ、楽しめればいいな、と思っただけですよ?」

 

いや明らかにそんな前向きなことを含んだ笑いかたじゃなかったんだけど…

 

「まあいいけどさ…でも、大前提として、練習時間って足りんのか?」

 

「だよね。クラスの手伝いしてたら遅れちゃうし」

 

「まあ、そうは言ってもあたしたちはかなり完成度高いっすからなぁ~新曲でもない限りそんなに―――「あるぞ、新曲」

 

「へ?」

 

「あるっていうか、出来た」

 

なんでもないことのようにさらっと言い切る。

 

この間悩んでたやつが今出来たんだろう。

 

「でも、まさか文化祭でやらないっすよね?」

 

「やるよ。そのために間に合わしたんだから」

 

「あ、あはは…が、頑張りま~す…」

 

ま、多少楽できるだろうとか思ってたんだろうなぁ。

 

関根、南無三。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、放課後の時間を使って文化祭の準備の係決めを行うことになったわけですが…

 

「衣装係かぁ」

 

「私もだけど…しおりん指に怪我とかしないでね?」

 

本当はおばけ役をやりたかったんだけど、まさか衣装係にされるとは…

 

「頑張ろうね~」

 

「皆必死に作るんだからサボろうとかしないでよ?」

 

「そうそう、家でもやらないと終わらなさそうだし~」

 

あくまで冗談ですよ~って言いたげな調子で笑いかけてくるあーちゃんたち。

 

でも分かる。これはただの嫌がらせだ。

 

あたしたちがバンドの練習があるのを知ってて、一番仕事量の多いこの係になるように仕組まれたんだ。

 

こういうめんどくさい手で来られるならいっそ無視の方がマシだったかも…

 

「ちょっと!直井くんなんで帰ろうとしてるの!」

 

あーちゃんたちに合わせて笑顔を作ってると、教卓の方からクラスメイトの怒声が聞こえてきた。

 

「下らん。こんなの僕に関係ないじゃないか。やりたい奴らでやっていろ」

 

好き放題言ったあげく、帰ってしまった。

 

あー、面白いなぁ直井くん。本当その感覚大好き。先生が既に諦めてて干渉しようともしないのもポイント高ーい。

 

「うっわー、ないわー」

 

「何様なんだろね?」

 

「やっぱ関わりたくないわ」

 

でも、でも出来れば今はやめてほしかったよぅ!

 

こういう些細なことでどんどん針のムシロになってくのにぃ!

 

「まあいいや。とりあえず採寸とかやっちゃおっか。しおりーよろしくー」

 

「あ、あたし?」

 

「そうよ、いいでしょ?別に誰でも」

 

「ま、まあねー!」

 

誰でもいいなら自分でいけばいいのに!と、まあ心の中だけで留めておく。

 

あんまり事は荒立てない方がいいもん、絶対。

 

みゆきちも心配そうにこっちを見てたから、視線で大丈夫だと訴える。

 

下手に庇われてみゆきちがターゲットにされるよりマシだもん。

 

「それじゃあおばけ役の人じゃんじゃん来てー!あ、何のおばけがいいかも一応聞くよーん」

 

我慢我慢!たった1ヶ月の辛抱だもん!

 

 

 




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「もう僕たちに近寄るな」

文化祭の準備が始まって2週間が経った。

 

正直、状況としてはあんまり良くない。

 

「しおり、完成遅れてんだけど」

 

「しおりだけだよ?まだ1着も出来てないの」

 

「ご、ごめーん、こういうの慣れてなくて」

 

昔から裁縫とか、そういうものは苦手でやってこなかったあたしにはちとハードルが高すぎる。

 

「それにバンドの方もあるし…」

 

「はぁ?バンドとクラスどっちが大事なの?どっちのがたくさんの人に迷惑かかると思ってんの?」

 

「そ、それは…」

 

バンドの方が大事に決まってるんだけど…でも迷惑がかかるっていうのは事実だし…

 

「ちょ、ちょっとそんなにしおりんを責めないで…私がしおりんの分を手伝うから」

 

おお…マイエンジェルMIYUKICHI…

 

「ダメだよ甘やかしたら」

 

「そうよ。それにそんなのされたら手伝わないあたしたちが悪いみたいじゃない」

 

「だよねー。あたしたちは自分の分はきっちりやってるのにさー」

 

「だ、だったら――「いやーごもっとも!」

 

怒りに身を任せて怒鳴ろうとしたみゆきちを寸でのところで遮る。

 

ダメだよみゆきち。みゆきちは怒っちゃやだよん。

 

「自分のことは自分で。それくらいしないと社会でやってけないよね!」

 

「しおりもたまにはいいこと言うねー」

 

「失敬な!あたしはいつでも名言クリエイターだよ!」

 

あははは、と誰も本心ではない笑いがこだまする。

 

耐えなきゃ。

 

あと半分、とにかく耐えなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は元々下校時間までクラスの方に出ることになっていて、珍しくスタジオ練ということになった。

 

「こういうの新鮮ですよねー!」

 

「あたしたちはずっと部室でやってたしな」

 

「なんだか変な感じですね」

 

「すぐ慣れるさ。早速新曲から始めよう」

 

談笑しながら機材のセッティングを終えるとすぐに練習を開始。

 

したんだけど…

 

「関根、ちゃんと自主練してたのか?」

 

「うぅ…すみませ~ん」

 

慣れない裁縫の方に気を取られていたこともあって、あたしだけ明らかに練習不足なことが露見してしまった。

 

「しおりんは…」

 

落ち込むあたしを見てみゆきちが訳を話そうとするのを目線だけでなんとか阻止する。

 

それを話してしまうと、ひさ子さんが乗り込んできそうな悪寒…いや予感がする。

 

そうなったら余計にいざこざが…

 

「すんません!足引っ張っちゃって!」

 

「……分かってるなら、なんも言わないけどさ」

 

ひさ子さんも何か訳があることだけは感づいてくれたみたいで、怒られることなく済む。

 

「…関根、それに入江。スタジオから出た後、大事な話がある」

 

「大事な…」

 

「話…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

結局最後まで足を引っ張ったままスタジオ練を終え、外に出る。

 

徐々に残暑に終わりを告げ、涼しい日も多くなってきた今日この頃、少し話をするにはもってこいだ。

 

「それで岩沢さん、話ってなんですか?」

 

「ああ、今回の文化祭ライブのこと」

 

「はあ」

 

まあ時期的にそれしかないでしょうけども。

 

「あたしたちは、これに全力をかけないといけない」

 

「それはそう…ですよね?」

 

いつだってライブは全力!手を抜くなんてありえない!

 

そうみゆきちも思ってるみたいで、不思議そうに問い返す。

 

「あたしたちの夢、覚えてる?」

 

「プロになる、ですよね?忘れるわけないっすよそんなの」

 

その夢にも惹かれて、あたしとみゆきちは今もここにいるんだもん。

 

「そのための大きなチャンスなんだ、今回のライブは」

 

「文化祭がですか?」

 

「ああ、忘れてるかもしれないけど、体育祭のライブの目的はあくまで今回のためだったろ?」

 

「そういえば…確か口コミとかで評判を上げるつもりなんでしたっけ?」

 

あの時は初ライブの高揚感のせいですっぽり頭から抜けてたや。

 

「ゆりが言うにはかなりいい線いってるらしい。なんでもうちのボーカル様が路上ライブまでやったらしくてな」

 

「褒めるなよ、照れる」

 

褒めてないんだけどなぁ。岩沢さんマジ天然っす。

 

「ただ、期待値が上がってるってことはその分ハードルも上がってるってことだ」

 

「だから、中途半端には出来ない。分かるよな?」

 

「……はい」

 

これはあたしに言ってるんだってすぐに分かった。

 

中途半端、その通りだ。

 

欲張って、バンドもクラスも、あわよくば友達も、全部手放さずにいこうとしてた。

 

「あたしたちの夢、ここで現実に近づけようぜ」

 

トン、と岩沢さんの拳があたしの心臓の部分を叩いた。

 

「――――っ、はい!関根しおり!夢を追う女ですから!」

 

「しおりん…!」

 

「だから、ごめんみゆきち。面倒かけてもいい?」

 

改めて頼むことが照れくさくて頬をかきながら問いかける。

 

「うん!親友だもん!」

 

うん、いい返事!

 

 

 

 

 

 

 

 

それから3日後。

 

その日も放課後はクラスで衣装作りをしようと、準備していると

 

「しおり、あんたみゆきに手伝ってもらってんでしょ?」

 

そうあーちゃんに声をかけられた。

 

そりゃそうだバレるに決まってる。明らかに完成するペースが早くなってるもの。

 

「うん、だってやばいよ?間に合わなさそうだもん!」

 

「自分の分は自分でってこの前言ったばっかじゃん」

 

「でも間に合わないと迷惑かかるよ?迷惑かかるとダメって言ってたじゃん」

 

「―――っ」

 

揚げ足を取られて少し顔を紅潮させる。

 

「本当ごめんね!でも…でも、あたしさ…バンドの方が大事なんだ。バンドに全部かけたいの」

 

「はぁ?なにそれ、超自己中じゃん」

 

「やっぱり直井くんの伝染ってんじゃないの?」

 

「やめて!」

 

今日に限っては、直井くん居なくて良かったかも。こんな風に巻き込まれたら嫌だもんね。

 

「今回のであたしを責めるのはいいけど、直井くんは関係ないじゃん!」

 

「でも前のしおりならこんなことしてないっしょ?」

 

「変わったよやっぱり」

 

「そんな…しおりんは…「みゆきは黙ってて」

 

「でも…!」

 

なんとか反論しようとするみゆきちに、首を横に振ってそれ以上はダメだと伝える。

 

「はぁ…本当、愛想尽きた」

 

「だよね、なんか合わないっていうか」

 

「うん、ちょっとさ、めんどいよねしおり」

 

覚悟はしてたんだ、みゆきちに手伝ってもらうって決めたときから。

 

折角出来た友達を、無くす覚悟。

 

あーちゃんたちは悪い子じゃないのは、知ってるんだ。今回たまたま、巡り合わせが悪かっただけで。

 

好きだったんだ、皆のこと。

 

だからこそ、目の前でこんな風に言われることが、思ってたよりもショックだったんだ。

 

だから…

 

「……っ、ごめん…ね」

 

泣いても、許して。

 

逃げるのも、許して。

 

「しおりん!」

 

走り出したあたしを見て、後ろから心配そうなみゆきちの声が聞こえた。

 

大丈夫、落ち着いたら戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて。

 

そう願いながら、扉を開けてトイレの方へ走ると、すぐに誰かとぶつかった。

 

「…ふん」

 

その人は不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、鼻を鳴らした。

 

なんで、いるの…?

 

「直井くん…」

 

放課後になったらすぐに帰っていたはずなのに、何故か教室のすぐそばに立っている。

 

まるで待ち構えてたみたいに。

 

「貴様、本当にどうしようもない阿呆だな」

 

「え、えへへ、ごめんね」

 

なんとか涙が止まらない目元をごしごしと擦りながら笑みを作る。

 

「ふん、それも気にくわん」

 

「それ?」

 

「下手な作り笑いばかり、気色が悪い。そんなのだからすぐ見切られるんだ」

 

「き、気色悪いって…」

 

一応直井くんのためにこんな感じになってるんですが、まさかこんなに罵られるとは…

 

いやまああたしが勝手に選んだことなんだけど…

 

「だが、もっと気にくわん輩がいるようだ」

 

そう言うと、あたしを押しのけて教室へと入っていってしまった。

 

何をするつもりか分からず呆然と立ち尽くす。

 

ただ、少し開いたままになっている扉の隙間から、教室内のどよめきが聞こえてきた。

 

「な、直井くん…」

 

「もしかして聞いてた…?」

 

次いであーちゃんたちのバツの悪そうな声が聞こえてきた。

 

「はっ、何をだ?もしかしてあの聞くに耐えない虫の羽音のような醜悪な台詞か?」

 

「なっ?!」

 

直井くんはそんな様子なんて気にせずいつものような不遜な態度なのが声だけで分かる。

 

何故かそれだけで笑みがもれた。

 

作り物じゃない、本物の。

 

「僕は貴様らの言葉なんかまるで気になどならん。好きに陰口でもなんでも叩けばいい。気にするのはあの阿呆だけだ」

 

思わずその台詞にはずっこけざるをえない。

 

そ、そこはもうちょい気にしなよ…

 

「第一、貴様らは前提からしてはき違えてる。僕はあんな女相手にしていない。なのに僕の態度が伝染るだなんてあるわけがない」

 

「じゃあなんでしおりを庇ってんの?!相手にしてないんなら関係ないじゃん!」

 

「庇うだと?馬鹿を言うな。誰があんな阿呆を庇うものか」

 

「は、はぁ?」

 

「僕はただ貴様らみたいな下衆が気にくわなかった、それだけだ」

 

うわぁ…下衆とか本気で言う人初めて見たかもしんない…

 

「まあ、だがしかしあいつは阿呆ではあるが、貴様らのように数に頼るだけの能無しよりは、幾分マシだからな。そのランクの違いがもしかしたら浅ましい貴様らには庇うような見えたのかもしれん」

 

「――――っ」

 

多分、今あーちゃんはさっきみたいに顔を紅潮させていると思う。

 

頭に血が昇りやすいタイプだったから、次に取る行動は…

 

「おい貴様、僕は女でも容赦などしないぞ?」

 

平手打ち…だろうけど、止められたみたい。

 

「な、なんなのよ!離しなさいよ!」

 

「言われなくても貴様の手などいつまでも掴みたくなどない。ただ1つ誓え」

 

「なによ?!」

 

「もう僕たちに近寄るな」

 

僕“たち”……かぁ。

 

なんでそんな些細な言葉だけで、こんなに嬉しく感じるのかな?

 

なんでこんなに…胸が熱くなるのかな…?

 

「言われなくてももう近づかないわよ!」

 

「ふん、ならいい」

 

言質を取り、気の済んだ直井くんがこちらにむかってくるのが分かった。

 

あ、う…ど、どうしよう?!なんか、なんか、どんな顔してればいいか分かんない…!

 

そんなあたしの動揺なんて露知らず、直井くんは教室から出てくる。

 

と、とりあえずお礼…

 

「あ、あのありが…もごもご」

 

かなりテンパりながらもお礼を言おうとしたが、何かで口が塞がれた。

 

「ハンカチ?」

 

それを取って確認してみると、白い無地のハンカチだった。

 

「それを濡らしてその不細工な顔でも冷やしておけ、阿呆」

 

「ぶ、ぶさ…!」

 

いつも聞き慣れてるような悪口なのに、なんでか今は妙に腹が立ってしまう。

 

なんていうか、ムカムカする?ような…胸焼け?

 

なのに…気遣ってくれたのも分かっちゃって…なんか…なんかもう…自分で自分が分かんない…かも。

 

「…これはあくまでああいう輩が嫌いで、それを言いたかっただけだ。勘違いするなよ」

 

「そ、それ、典型的なツンデレの台詞だかんね!」

 

多分天然で言ってるんだろうけど!

 

危険だ…野生のツンデレは危険だぁ…!

 

「何を訳の分からないことを…まあいい。僕はもう帰る…あとは、好きにしろ」

 

深呼吸をしながらなんとか心臓を落ち着かせてようと努めてると、それを待つことなく本当に帰っていってしまう。

 

「あ…」

 

お礼…言えてないのに…

 

でも、嫌がるもんね………って、あれ?今までなら例えそうでも構わずお礼言ってたはずなのに…

 

「…ありがとう、直井くん」

 

今は、その背中に届かないように呟くだけで…精一杯で…

 

「しおりん」

 

「ひゅおぅ?!」

 

「ひゅおぅ?」

 

いつの間にかあたしな背後を取っていたみゆきちのせいで、さっきまでとは違う意味で心臓がバクバク高鳴っている。

 

腕を上げたなみゆきちぃ…!ちなみにひゅおぅに意味なんてないんだぜ?

 

「ど、どったのー?先生ー?」

 

動揺が激しすぎて、思わず某ワーナーなウサギみたいになってしまう。

 

「なんていうか、王子さまみたいだったね、直井くん」

 

「ぶふぉ?!」

 

「しおりん?!」

 

なんですか?!王子さま?!直井くんが王子さまってことはあたしがお姫さまって言いたいのかい?!そうなのかい?!

 

「い、いやぁ~それにしては口が悪すぎると思うよぉ?」

 

「でもそういう直井くんが好きなんでしょ、しおりんは?」

 

「は、はぃぃぃ?!」

 

「な、なに…?だって、しおりんが気に入ったから勧誘したんだよ?」

 

「あ、あー、そっちね。うんうん、大好き、超好きだよー!」

 

い、いかん…さっきからなんとか気づかないふりを続けてたのに…みゆきちのせいで、自覚しちゃいそう…

 

「…しおりん、もしかして…?」

 

「カモシカ?!あー!カモシカね!好きだよ!大好き!」

 

いいよね、ガゼルパンチだもんね!

 

「て、ていうか、教室戻らないと!あたしまだやらなきゃいけないこと残ってるもん!」

 

「きょ、教室?」

 

そうだ、直井くんは好きにしろって言ってた。

 

だから、最後くらいあたしらしくケジメをつけなきゃ!

 

意を決して扉を開けて教室に入る。

 

「あーちゃん」

 

「…何?関わらないよう釘刺されてんのよ、こっちは」

 

「うん、分かってる…ただ、謝りたくて…ごめんね、あーちゃん」

 

「なっ…」

 

頭を下げて顔が見えなくても声だけで、困惑してることが分かった。

 

「あたし、あーちゃんたちといるのも好きだった。でも、バンドの先輩たちとか、直井くん…とか、そっちのほうが好きだって…大事だって…思っちゃった」

 

初めちょっとのすれ違いで、そのときにもっと必死なら…ううん、そうなる前に気づけば良かったのに、もう間に合わなくなった時に足掻いてた。

 

そのせいで余計に不愉快な思いをさせちゃったと思う。

 

「でも、ごめん!やっぱり、それでも大事なんだ!バンドと直井くんだけは手放せないって、捨てたくないって思っちゃったんだ!」

 

ごめん!ともう一度頭を下げる。

 

「…もういい。暑苦しいし、もうどう言われても関わるつもりなんてないし」

 

「…うん」

 

分かってるよ。合わない…もんね。

 

「だからもう残りは全部あたしたちがやるからクラスの方、残んないで」

 

「え…」

 

「関われないんだから、一緒の係なんて出来るわけないじゃん。いいから、置いてバンドでもなんでもしたら?」

 

ふいっ、と顔を隠すみたいにそっぽを向く。

 

「うん…ごめんね、ありがとう…」

 

「いいから行きなってば!」

 

「うん!行こうみゆきち!」

 

「う、うん!」

 

勢いよく教室を飛び出すあたしと、それに数歩遅れてついてくるみゆきち。

 

「また…仲良くなれるといいね」

 

「…うん」

 

難しいと思う。

 

だけど、そうなれるといいな。

 

「さぁ、切り替えて練習練習!遅れた分を取り返すぜぇい!」

 

 




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「恋は網膜…だからな」

文化祭まであと一週間。

 

クラスの出し物の準備はもちろんガルデモの方の準備も着々と終わりを迎えている。

 

あの二人との約束のためにも、衣装も目に止まるような綺麗なものを用意したし…まあ、実力で評価されたいであろう岩沢さんたちは嫌がるかもしれないけれど。

 

とにかく文化祭に関しては、問題はない。

 

文化祭に関しては…

 

問題があるのは、あたしと野田くん。

 

その問題というのは、合宿の時に起きたあたしの不始末によるもの。

 

不始末とは、あたしの恋心の不始末だ。

 

処理をしたつもりで、ただ隠していただけに過ぎなかった恋心。

 

そのせいで野田くんを傷つけ、惑わせた。

 

柴崎くんにも言われた通り、あの後すぐに話をしようと何度か試みては、野生の勘のようなものでうまく逃げられている。

 

そうこうしてる内に文化祭の準備が始まってしまい、うやむやのままに時間だけが過ぎてしまった。

 

クラスが違うために、準備が忙しくて今まで捕まえることが出来なかったけど、ようやくその束縛からも解放された。

 

今日こそ話をつけてやるんだから。

 

「野田くんいるかしら?」

 

そう息巻いて野田くんのクラスを訪れた。

 

「野田くんなら、どこか行きましたよ。ていうか、いつもチャイムが鳴ると既にいません…」

 

「あ、そうなの。邪魔して悪かったわね」

 

しかし不発に終わる。

 

まあ野田くんのことだ。どうせクラスに馴染めていないだろうとは思っていたし?これくらいのことは予想の範囲内よ。

 

そう、どうせ野田くんのことだから…………

 

「…野田くんっていつも何してるのかしら?」

 

「え?さ、さあ?」

 

「ああごめんなさい、独り言よ。もう戻ってもらって構わないわ」

 

引き止めたままで忘れていた女の子に戻ってもらい、移動しながらもう一度頭を働かせる。

 

よくよく考えてみれば、いつも野田くんの方からやってくるから、彼があたしと居ないときに何をしてるのかなんてまるで分からない。

 

むしろなんでこれで彼を知ったようなつもりでいたのかしら…?

 

いや、1つ言い訳をさせてもらえるのなら、昔の彼なら行動は把握できていたということもあるのだけれど。

 

大抵川原で鍛えていたし。

 

でも今では流石に検討がつかない。

 

「今日は部活もないし、帰ったのかしら」

 

その可能性が今のところ一番あり得そうね。

 

野田くんの家ならあたしの家からそう遠くはないし、帰りに1度寄ることにしようかしら。

 

そうと決まれば善は急げ、ね。

 

「副委員長、あたし帰るからあとは頼んだわよ!」

 

「え、ちょっ、ゆりっぺ?!どうしたんだよ急に?!」

 

「うっさいこの無神経ホワイ!いいからやっときなさい!」

 

「無神経ホワイって誰のことだこのやろう!!」

 

無神経でホワイなのなんてあなたしかいないわよ、と吐き捨てて走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしの家を過ぎて少し行った所に野田くんの家がある。

 

目的の場所に着いたあたしは、とりあえずインターホンを鳴らす。

 

『はい。あら、仲村さん?どうかしたの?一途ならまだ帰ってきてないわよ?』

 

「そうなんですか」

 

すぐに対応してくれたのだが、あたしの望む返答はなかった。

 

「あの、どこか心当たりとかありませんか?」

 

『心当たり…そうねぇ、近くの河川敷なんかで寝てるかもしれないわね』

 

か、河川敷…

 

彼何か川に執着でもあるのかしら…

 

「ありがとうございます。行ってみますね」

 

『いえいえ、こちらこそ一途をよろしくね』

 

 

 

 

 

 

 

 

「…本当にいた」

 

いくら親の言うこととはいえ、半信半疑で河川敷を訪れると、本当に芝の上で脚を組みながら横になり、眠りこけている野田くんの姿があった。

 

「ふぅん、用事のない時はこうしてるのかしら」

 

彼のお母さんの口ぶりからして、中々の頻度でこうしているのだろう。

 

それにしても、こうして制服のまま眠っている姿だけを切り取れば、まるで一丁前の不良が学校をサボっているように見えるわね。

 

こっちで初めて会った時は、あんなに腑抜けた顔をしていたくせにね。

 

風で顔にかかりそうになっている前髪を手で払う。

 

「立派になってきたわよね…」

 

流石にあちらの時ほどではないけれど、本当に当初と比べれば身体も鍛えられてきている。

 

きっと、必死に努力をしているんでしょうね。昔みたいに。

 

ただひたすらあたしのことを追いかけて…

 

今だけは柴崎くんの気持ちがよく分かるわね…

 

「なんであたしを選んじゃったのよ…」

 

問いかけるでもなく、言葉がもれた。

 

きっとあなたを、あなただけを真摯に思ってくれる人は他にいるのに、なんであたしみたいにずっと片想いを引きずるような女に惚れちゃったのかしら…

 

「き、決まっている…好きだからだ!」

 

「ひゃっ?!野田くん、起きて…?」

 

唐突に目を瞑りながら赤面して答える野田くん。

 

びっくりして思わずのけぞってしまった。

 

「す、すまない…実は初めから寝てはいなかった…寝たふりをしていればどこかに行くかと…」

 

「狸寝入りってわけね…まあいいわよ。今回はあたしが悪いものね」

 

「そんなことは…」

 

「あるわよ。自覚してるから、あなたを捜してたのよ?」

 

変にフォローなんてされたくない。そんな情けない女じゃ、余計に彼に申し訳が立たないもの。

 

「話…聞いてくれるわよね?」

 

「その件なのだが…すまなかった!ずっと逃げてしまって…!」

 

思わず目が点になってしまう。

 

謝りに来たはずなのに、逆に謝られてしまったのだから、それも仕方ないと思う。

 

「あのねぇ…なんであなたが謝るのよ?!あたしが謝りに来てるの!空気読みなさいよ!」

 

まあ謝りに来て、怒鳴っているあたしも人のことを言える立場ではないのだけれど。

 

「ゆりっぺが…謝りに…?」

 

「なんでそこで納得いかないって顔してるの?!」

 

「す、すまん!あまりにも予想外だった!」

 

もしかしてあたしのこと嫌いなんじゃないかしら?

 

「あたしは…あなたに酷いことをしたと思って…」

 

「……?何故だ…?」

 

何故分からないのか問い正したいのはこっちよって感じなのだけど…

 

「だって、あたしは日向くんのことは諦めたって言ったのに、あの程度で動揺するくらい、まだ想ってたのよ?あれじゃまるで…あなたを騙したみたいじゃない…」

 

「俺は…そんなこと思っていない」

 

ようやくあたしの言うことに得心がいったのか、まともな言葉が返ってきた。

 

けれど、やっぱり彼はあたしを非難したりしない。

 

「なんで?普通の思考回路なら、あなたを良いように使おうとするためにおべんちゃらをぬかしたって考えるはずよ?」

 

「それが分からない。ゆりっぺは絶対にそんなことをしないだろう?」

 

「――――っ」

 

本当に、きょとんとした表情で言い切る彼に心が乱される。

 

「何故あなたはそうあたしのことを信じきっちゃうのよ?!」

 

あたしはその信頼をもう裏切ってしまっているのに。

 

「決まっている。俺の正義はゆりっぺそのものだからだ」

 

「だから…もしあたしがそう思わせるために今まで計算してたらどうするのよ?!」

 

「それでも信じる」

 

どこまで揺さぶろうとしても揺るがない瞳に、あたしはこれ以上何を言っても無意味なことを悟る。

 

「本当…バカね」

 

「俺は確かにバカだが、ゆりっぺを信じることが正しいってことくらいは分かっているつもりだ」

 

「それがバカなのよ、気づきなさいよ」

 

「恋は網膜…だからな」

 

それは盲目よ…

 

「でも、それだけブレないくせになんであたしを避けてたのかしら?」

 

「それは…」

 

あたしが訊ねると、今までの迷いのなさが鳴りを潜めて途端に歯切れが悪くなる。

 

「やはり、ゆりっぺがまだ日向のことを好きなことに動揺してしまって…」

 

「それだけ?」

 

「その時にどうしてもゆりっぺと日向にうまくいって欲しいと思えなかった…」

 

「はぁ?」

 

「お、俺…は自分の好きな相手の幸せを願えない小さな男だと思われたくなかった…」

 

「あぁ…なるほどね」

 

かなり的外れというか、拗らせてるけれど言いたいことは分かった。

 

それに、実に彼らしい。

 

「ふふ、そんなこと当たり前じゃない。バカね」

 

「し、しかし…」

 

「あのねぇ、あたしだって本当は日向くんとあの子が出逢うのを阻止したいって思ったりするのよ?」

 

決してそんなことはしないけれど。

 

「つまりあなたの言い分だと、あたしは好きな相手の幸せを願えない小さな女ということになるのだけれど?」

 

「ち、違う!これは俺が男だからであって…」

 

「あら男女差別かしら?」

 

「そ、そうではなくて…」

 

あの…その…と上手く言葉を紡げない姿に笑みが溢れる。

 

「冗談よ。あまりにも純粋なことを言うからイジメたくなっちゃったわ」

 

「イジメ…!」

 

何故そこで顔を赤らめるのかしら?

 

「これ以上あなたが変に思い悩まないよう言っておくけれど、一人の女として、そこまで誰かに想われているというのは…中々嬉しいものなんだから…」

 

「ゆ、ゆり――「だ、だから変に考えすぎないで!分かった?!分かったら返事!!」

 

「お、おう!」

 

自分で言い出しておいて、途中から照れが出てしまい、最終的に怒るような形になってしまった。

 

「理解したなら帰るわよ!」

 

「ま、待ってくれゆりっぺぇ~!」

 

彼が慌てて追いかけてくるのを背中に感じる。

 

今日は彼のために来たはずなのに、何故かあたしの心の方が和らいでいる気がする。

 

何か少し、吹っ切れられそうで、晴々としている。

 

「恋は網膜…ね」

 

なら、その網膜が剥離してしまう前に…彼を好きになりたいわね。

 

 




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「ギターは…?」

いよいよ文化祭前日となった今日。

 

うちのクラスはかなり余裕を持って完成していたが、やっぱり前日というのは飾り付けなんかもあり、皆いそいそと働いている。

 

かく言うあたしもその一人で、足りなくなったものなんかを補充して回っていた。

 

「たりぃ」

 

…コイツと。

 

まあなんつーのかな?べ、別にこれはそういうあれじゃなくて、普通にマネージャーとペアで居ろってのを守ってるだけだし?

 

そりゃ藤巻がなんにも言わずにこっちに来てくれた…じゃない来やがったわけだけど、それはゆりのやつにビビってるからってだけで、だからそういう甘い雰囲気とかじゃなくて…

 

その証拠にたりぃとか言ってるし、全然やる気ないし、だらしないし。むしろ男らしいとこ見せてみろってんだって感じで。

 

まあさ、なんだかんだ合宿の喧嘩の後に仲直りしてからは、ちょっと関係もマシになったし?そんなんでイライラしたりしないけどさ。

 

でもやっぱこんな時くらいやる気を……

 

「おい」

 

「ひゃっ!何?!」

 

唐突にぐいっと手を引っ張られて動揺丸出しの声を出してしまう。

 

何?!何?!つーか、手!手繋いでる!?

 

「何突っ立てんだボケ。ちゃっちゃと歩けっての」

 

「あぁん?誰がボケだ」

 

ついいつもの癖で売り言葉に買い言葉で反応してしまう。

 

「てめぇだよ。いきなり、うんうんうんうん唸りやがって」

 

「ち、違うし!別に考え事とかしてねえし!」

 

「言ってねえよ…」

 

何故か自分からどんどん墓穴を掘っている気がする。

 

気がするっていうか、完全にしてる。

 

やっばい…これ、何考えてたか訊かれたらなんて答えれば…あんたのこと考えてた…とか…?

 

いやいやいやそんなんただの告白じゃん!

 

ありえねーって!

 

いやでも…

 

「まあいいわ、どうでも。さっさと借りるもん借りて戻ろうぜ」

 

「…………」

 

もっと気になれよ!

 

あたしに興味持てっつーのこの、常にだる男が!

 

「ふん」

 

まあいいけどさ。どうせあたしなんかどうでもいいんだろうよ。

 

と、半ばやけになって藤巻を追い越し、さっさと足りないものを借りに他のクラスへと向かおうとしたその時だった。

 

「ちょっと、何ふらふらしてんの?危なくない?」

 

「平気だって、あたしこういうとこ慣れてるし!」

 

「わっ、本当だ。すっご!」

 

「へっへー!」

 

他クラスの飾り付けをしてる女子たちが、脚立に上がりながらきゃっきゃと騒いでるのが目に入った。

 

危ねえなぁ…大丈夫かよ?

 

そう思ってつい目がその子たちを追ってしまった。

 

そして――――

 

「きゃっ?!」

 

「ちょっ―――」

 

その子がバランスを崩した瞬間、あたしの身体は無意識に反応していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ柴崎、文化祭一緒に回らないか?」

 

「回らねえ…つーか、今気にしなきゃいけねえのそんなことじゃないだろ?お前は…」

 

明日の文化祭のために、地道にコツコツと折り紙で輪っかの鎖を追っている。

 

岩沢と2人で。

 

いや、いいんだよ。流石にそろそろ慣れてきたしさ。

 

でも、自分の夢への第一歩っていう大事な舞台を前になんでこう緊張感がないのか…

 

「そんなの柴崎を誘うのに関係ある?」

 

「いやねえけど…でもそういう問題じゃない気がする…」

 

関係あるかどうかっていうか、普通そんなこと考えてる余裕がないと思うんだけど。

 

小心者の考えってことなんだろうか?

 

「そういやお前は体育祭の時も緊張してなかったよなぁ」

 

「いや緊張はしてるってば流石に。でもあたしの場合は、それ以上に楽しみなんだよ。アイツらと大勢の前でやるのがさ」

 

「ふーん」

 

それ以上に楽しさを感じれるんなら、やっぱ緊張してないんじゃないんだろうか。

 

大物の考えることは分からんな。

 

「それに、あたしがミスしなければ成功するって思ってれば結構気が楽なんだ」

 

「いやいや、普通逆だろ」

 

「なんで?」

 

「それじゃあお前がミスったら全部台無しってことじゃん」

 

そこまで言って自分が余計なことを言っていることを自覚した。

 

なんでわざわざプレッシャーかけにいってんだ俺は…?

 

慌てて訂正しようとしたが、そんなこと気にしてないという風に岩沢が微笑んだ。

 

「そんなヤワじゃないさ。アイツらの期待に応えられないボーカルなんかになるつもりないから」

 

うわあ…イケメンだぁ…

 

「そんなこと言ってみてえわ俺も」

 

「言ったらいいじゃん」

 

「俺が言っても意味不明だろうが…」

 

いやごめん俺が悪いわ。岩沢に言ったらそう返ってくることくらい頭にいれておくべきでした。

 

「つーか、他のやつらが失敗しないのはもう決定事項なのか?」

 

「そりゃそうだよ。皆練習しまくってるから。何かアクシデ――」

 

がっしゃーん!と、俺たちの会話を遮るように、教室の外からけたたましい音が聴こえた。

 

次いで、大丈夫か?!などの心配する声も。

 

何かあったのか?

 

「おいひさ子!大丈夫か?!」

 

そしてそんな雑音をかき消すほどに一際大きな声が聴こえた。

 

「この声…藤巻か?」

 

「ひさ子…ひさ子!」

 

「あ、おい!」

 

ひさ子という単語が聴こえた途端血相を変えて教室の外へ走り出した。

 

一瞬遅れてそれを追う。

 

扉を開けて廊下に出ると、2つ隣のクラスの前に人だかりが出来ていて、岩沢はそこに突っ込んでいく。

 

「ちょっと…そんな大声出さなくても平気だっての…」

 

そして突っ切った先には、恐らくそのクラスの女子を自分の体の上に乗せたままのひさ子の姿があった。

 

「ひさ子!大丈夫か?!」

 

「岩沢?」

 

その状態のひさ子にお構いなしに駆け寄っていく。

 

「何があったんだ?」

 

「そこで飾り付けしてたあの女をひさ子が助けたんだよ…女のくせに…」

 

指を差した場所のすぐ近くに脚立が倒れていたので、きっとそれに上って飾り付けをしてたんだろうとあたりをつける。

 

それで倒れたところを…ってことか。

 

ていうか…女のくせに?

 

「ご、ごめんなさい!」

 

と、藤巻の言葉が気になったところで、ようやくひさ子の上で放心してた女の子が正気に戻ってその場から退いた。

 

「いいって、怪我なかった?」

 

「あたしは大丈夫ですけど…」

 

「あたしも平気だって。ほら、どこも…っ!?」

 

「ひさ子?!」

 

手をついて立ち上がろうとした瞬間、顔をしかめて苦悶の表情を浮かべた。

 

「おい、ひさ子…お前…」

「なんでもない!」

 

明らかに様子がおかしかったために、声をかけようとしたが誤魔化すように大声をあげられ遮られる。

 

「ひさ子…?」

 

「なんでもないって!本当、大丈夫だから!」

 

「うるせえ!」

 

「ちょっと…!」

 

必死になって自分の無事を訴えるひさ子の腕を藤巻が無理矢理に掴んで袖を捲りあげる。

 

「これ…」

 

捲りあげられた左腕の手首は赤く腫れ上がっていた。

 

「てっめえ…!」

 

それを見た藤巻は、ひさ子に助けられた女子へと詰め寄る。

 

「てめえがふざけてたせいでひさ子が…!」

 

「ご、ごめんなさい…」

 

「んな程度で済むと思ってんのか?!ひさ子は…ひさ子はなぁ…!」

 

「やめなよ!」

 

もう今にも胸ぐらを掴まんとする勢いの藤巻の前に立ちはだかって凛とした声が通る。

 

「この子は悪くない…あたしがドジっただけだろ」

 

「んなわけ…!」

「いいから!」

 

藤巻の反論を押しきるように叫び

 

「いいから…」

 

今にも泣きそうな顔でもう一度呟いた。

 

その言葉でようやく頭が冷えたらしいことを確認して声をかける。

 

「ひさ子、藤巻、とにかく保健室に行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捻挫ね。それもかなり酷い。骨が折れてないだけマシだけど…絶対安静ね」

 

保険医の先生から出た言葉はひさ子にとってあまりにも非情なものだった。

 

「ギターは…?」

 

ひさ子がまるで独り言のように呟く。

 

「そんなのダメに決まってるでしょ。あんな手首に負担をかけること」

 

「そんな…どうにかならないですか!?」

 

椅子から立ち上がって先生に詰め寄る。

 

「無理に決まってんだろ!んなこと自分が一番よく分かってんだろうが!」

 

「うっさい!あんたなんかに訊いてない!」

 

頭に血が昇っているひさ子を藤巻が押さえつけようとするが、手を痛めてるとは思えないほど激しく抵抗する。

 

「ひさ子…落ち着いて」

 

「岩…沢…」

 

どれだけ藤巻に押さえつけられようと反抗していたのが嘘のように、その一言だけで沈黙する。

 

「とりあえず出よう。話はそれから」

 

 

 

 

 

 

 

 

岩沢に促されるがままに全員退室し、教室に戻りながら話をはじめる。

 

「岩沢…ごめん…あたし…」

 

「謝るなよ。あたしはひさ子を責めるつもりなんてない」

 

「でも…これじゃあ…」

 

そう言って、湿布の貼られた手首に目を落とす。

 

「ライブは無理…かもね」

 

「かも、じゃねえだろ!中止に決まってる!」

 

「落ち着けって。見られてんぞ」

 

「チッ!」

 

周りの目が気になって咎めると、舌打ちした後に周りにガンを飛ばしていく。

 

「ライブが中止なんてしたら…折角のチャンスなのに…!」

 

ひさ子は憤りをぶつけるように左腕をぎゅっと握っていた。

 

きっと後悔や、自分への怒りが頭を駆け巡っているんだろう。

 

「あたしは…ひさ子に無理なんてしないで欲しい」

 

「でも…!」

 

「ライブはいつでも出来るし、チャンスだって今回だけじゃない……でも、ひさ子は一人しかいないだろ」

 

「でも…あたしは…」

 

「…それでもひさ子がやるって言うならあたしに止める権利はない」

 

説得しようと何度か試みたようだが、しかし食い下がるひさ子に岩沢の方が折れた。

 

いや、元々こう言うつもりだったのかもしれない。

 

ひさ子が納得して諦めるなんてしないと、初めから分かっていたのかも。

 

本当に頑固になった岩沢なら、意地でも自分の意見は通しているはずだからだ。

 

「ざけんな…!」

 

「藤巻…」

 

「岩沢てめえ…てめえが止めなきゃ誰が止めんだよ?!」

 

「藤巻…だから声は抑えろって」

 

「知るか!」

 

宥めようとした手を力の限り払われる。

 

怒声とその行為によって余計に周りから視線が集まってしまう。

 

「あのさ、藤巻がなんで怒ってるのか分かんないんだけど?」

 

「はぁ?」

 

「ひさ子が無理をするのはあたしだって嫌だ。それでもやりたいって言ってるんならやめさせられるわけないだろ?」

 

「てめえの夢がかかってっからひさ子が無茶しようとしてんだろ!それを何を他人事みたいに―――」

 

パンッと破裂音が響いた。

 

それはひさ子の平手打ちによるもので、叩かれた藤巻は呆然としていた。

 

「ふざけんな…これは岩沢だけの夢じゃない…関根の、入江の…そしてあたしの夢なんだ!ガルデモの夢なんだよ!それを…岩沢だけのものだなんて2度と言うな!」

 

「ひさ子…」

 

叩かれた藤巻の方でなく、叩いたひさ子の方が涙を流していた。

 

何故泣いているのか、それはひさ子以外には誰も知る由がないことだ。

 

だがその涙は、怒りによるものと言うより、悲しさから溢れてしまったもののように思えた。

 

「分かったよ…勝手にしろ…!」

 

「ちょ、藤巻…!」

 

「追っても無駄だよ。ああなったらむしろ逆効果」

 

吐き捨てるようにそう言って走っていってしまった藤巻を追おうとしたがひさ子に止められる。

 

長い付き合いのひさ子がそう言うんなら、きっとそうなのだろう。

 

「なあ、本気で出るつもりなのかひさ子?」

 

「あんたも藤巻みたいなこと言うつもり?」

 

「そんな勇気ねえよ」

 

叩かれるのは勘弁だからな。

 

「単純に、そんな手で演奏出来んの?っていうことだよ」

 

そもそもなんで弾けることが前提で話進んでんだよ。

 

どう見たっていつもみたいに動かせる状態じゃないってのに。

 

「それは…」

 

案の定言い淀むひさ子。

 

「なら試してみればいい」

 

「それしかないか…それで無理だったら諦めもつくだろうしな」

 

「あ、ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所を部室に移し、早速ギターを持たせる。

 

「無理だと思ったらすぐに止めろ、いいな?」

 

「分かってるよそんなこと」

 

心配して言ってるのにあからさまに鬱陶しそうな返事をしてくる。

 

「ひさ子、本当に強がらないで止めてくれよ?」

 

「…分かってるってば」

 

同じようなことを言ってるはずなのに、岩沢には子供をあやすような笑顔を見せる。

 

なんか俺と岩沢で対応が違いすぎませんか?そりゃしょうがないけども。

 

「じゃあとりあえずCrow songを弾いてくれ」

 

「…おう」

 

ひさ子自身も、やはり怖いのか、1度大きく深呼吸をする。

 

「よし、行くぜ」

 

気合いを入れて、ネックを持ち、恐らくイントロから弾き始めるためにコードを押さえようとしたその瞬間、ひさ子の顔が苦痛の表情に歪んだ。

 

「あぐ…っ」

 

「ひさ子!」

 

あまりの痛みに膝をついたひさ子の下に岩沢が駆け寄る。

 

「ひさ子…これは無理だ」

 

「うっさい…あんたが決めんな…」

 

言葉だけは威勢が良いが、痛みで額にじっとりと汗をかいている姿からはいつものひさ子の強さは微塵も感じられない。

 

「お前だって分かってるだろ?コードすら押さえられない状態で演奏できるわけない」

 

しかも当日は3曲も演奏しなければならない。

 

そんなことが出来る状態じゃないのは本人が一番よく分かっているはずだ。

 

「岩沢だって言ってたろ。チャンスは今回だけじゃ――「だから…!そういうことをあんたが言うなよ…!」

 

思わず身震いするほど鬼気迫る表情で睨み付けてくる。

 

「あたしはこのバンドに全部かけてんだよ!ただの趣味だったギターだけど…岩沢と出逢って、価値観全部ひっくり返ったんだ!こんな程度で躓くわけにいかないんだよ!」

 

「だからって……」

 

あまりに真に迫った言葉に、たじろいでしまったその時、バン!と扉が勢いよく開け放たれた。

 

「話は聞かせてもらったわ!」

 

「ゆり!」

 

いやいや、登場のタイミング良すぎだろ。

 

「この件はあたしの方で預からせてもらうわよ」

 

「預かるって…」

 

「大丈夫。悪いようにはしないから」

 

いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて…

 

「預かるもなにも…見て分かるだろ。明日は中止だ。ライブなんて出来ない」

 

「ひさ子さんが黙って言うこときくわけないじゃない。ねぇ?」

 

「当たり前だ」

 

確かにその通りで、だからこそ押し問答になってしまっていた。

 

「だったらどうするってんだよ?」

 

「秘密よ。言ってもぎゃーぎゃー文句言うだけでしょどうせ」

 

「んなっ」

 

あながちそうでないとも言い切れないことが悔しい…

 

俺なんかより、ゆりの方が多くの手段を持っていることなんて分かりきっているのだから。

 

「ゆり、信じるよ?」

 

「ええ、信じて」

 

岩沢とゆり、2人のリーダーはそれだけ言葉を交わしただけで会話を終えた。

 

どんな信頼関係であればそれだけで納得できるのだろうか、俺にはまるで見当もつかない。

 

「とにかく、ひさ子さんはあたしに着いてきて。文化祭の準備はもう終わってるから2人も帰っていいわよ。それと、くれぐれも他の人たちにはこのことは話さないで」

 

それじゃあ、と指示を全て伝え終えるとすぐに部室を後にした。

 

「…良かったのか?」

 

2人きりとなり、なんとなくそう問いかける。

 

「何が?」

 

そう返されると、どう答えたものか窮屈する。

 

「ひさ子のこと」

 

結果的にとても抽象的な言葉しか返すことは出来なかった。

 

「うん…どうだろうな。多分、やってみなきゃ分からない」

 

「もし、ひさ子の手首が重傷になってバンドを続けられなくなったら?」

 

これは些か考えすぎかもしれないが、保険医の先生の言い方からはそういうこともあり得るのではないかと思う。

 

「後悔すると思う」

 

「だったらなんで止めないんだ?」

 

「あたしもひさ子と同じ立場なら、同じことを言うと思うから」

 

「それは……」

 

「分かるんだ…気持ちが…痛いくらい」

 

悲しそうに眉根を寄せ、胸の辺りに手を置く。

 

きっと想像して、本当にひさ子と同じような気持ちになっているんだろう。

 

「でも、ゆりは信じてって言ってた。だからあたしはそんなに心配してないよ」

 

一転して、今度は一点の曇りもない表情へと変わる。

 

「だから信じる、ゆりを。そして、ひさ子を」

 

「ああ…だよな」

 

そうだ、コイツは体育祭の時だって言っていたじゃないか。

 

信じる。もしそれで失敗して、夢が叶わなくなっても、後悔するなら信じて後悔したい。

 

そういうやつなんだった。

 

いつだって、どんな状況だって、仲間を信じてる。

 

今度はそれがゆりとひさ子だった。それだけ。

 

だったらもう、部外者の俺は何も言えない。

 

頼むぞ…ゆり。

 

 

 




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「いらっしゃいませ、ご主人様」

文化祭当日。

 

俺たちのクラスの出し物であるメイド執事喫茶は、中々に繁盛していた。

 

それもしょうがないことだろう。

 

うちのクラスには、岩沢、遊佐、ゆりと中身を除けば言うことなしの美人揃い。

 

更に、音無、日向、悠、と個性の違うイケメンも揃っている。

 

大山はイケメンという感じじゃないが、一定の層から受けがよくてこれまた繁盛するのに一役買っている。

 

俺?俺は厨房で料理していますよ。藤巻と共にね。

 

料理と言ってもホットケーキだとかサンドイッチだとか簡単なものだけで、俺たちでも全く問題はない。

 

しかし……

 

「いらっしゃいませ、ご主人様」

 

ざっくりと開いた胸元、短めのスカート、さらにニーソによって生み出される絶対領域。

 

そんなメイド服を身に纏う岩沢。

 

……なんかドキドキするな…

 

いや、これはきっとただの条件反射だ。

 

そりゃ美人があんな格好してりゃドキドキもするって。

 

なんなら遊佐を見たって思うよ。アイツだって色々成長してるからなぁ。

 

いやそもそもの話、このドキドキが岩沢の姿に対するものだとも決まってないしね?遊佐かもしれないし、ゆりかもしれないし。

 

つーか気のせいだな。そう、これは気のせいだ。

 

「柴崎くん!なんで執事やってないのさ!?」

 

「うおぅ?!」

 

完全に自分の世界にトリップしていたところに背後から呼び掛けられ思わず体ごと跳ねる。

 

「関根…なんでここに?」

 

「柴崎くんがいないからだよ!楽しみにしてたのにぃ~!」

 

何がそこまでさせるのかは分からないが、本当に悔しそうに地団駄を踏んでいる。

 

俺の執事姿見たってどうすんだよ…

 

「そんなこと岩沢に訊けよ。アイツが俺を厨房係にしたんだから」

 

「ちぃっ…!岩沢さんめ…まさか自分以外に見せないつもりか…?」

 

え?アイツそんなこと考えてたの?

 

ていうか別に岩沢にも見せるつもりはないんだけど…

 

「ま、まあいいか…で、用件はそれだけか?なら戻れ、邪魔くさい」

 

「ひっど!可愛い後輩がわざわざやって来てるのぃ!」

 

「頼んでねえよ…」

 

つーか、可愛い後輩ってんなら敬語を使え敬語を。

 

……まあ本当に使われたらちょっと傷ついちゃうけど。

 

「あとひさ子さんは?!」

 

「っ?!」

 

その名前が出た瞬間に心臓が嫌な風に跳ねる。

 

「ひさ子さんのボインメイドも見たかったのに~!」

 

そしてすぐに馬鹿な願望を耳にして正常に戻った。

 

そうだよな…言ってないんだから知るわけない。

 

「アイツは寝坊だ。ライブには間に合うように行くってさ」

 

「えぇ~!」

 

とりあえずそれらしい嘘をついてお茶を濁しておく。

 

そう、嘘だ。

 

ひさ子が居ない理由は別にある。

 

 

 

 

 

 

 

今日の朝、皆が最後の準備をしている間にゆりに岩沢と共に呼び出された。

 

場所は人のいない部室。

 

俺と岩沢が到着すると、時間がないと言ってすぐに話始めた。

 

『まず、ひさ子さんはクラスの出し物には参加せず、ライブの少し前に来るわ』

 

『ひさ子は大丈夫なのか?』

 

淡々と要点を話すゆりに我慢できず話の腰を折ることを承知で訊く。

 

『怪我のことだけを言っているのなら大丈夫ではないわね。昨日のままよ』

 

『それじゃあ…』

 

『でも今日のライブのことを言っているのなら、問題はない、はずよ』

 

ゆりの言っていることがよく分からず首を傾げる。

 

『詳しいことはひさ子さんからは口止めされてるの。終わってから本人にでも訊いてちょうだい』

 

『…分かった。続き頼む』

 

この言い方からして、絶対に口は割らないだろうと先を促す。

 

『合流したら多分そんなに間もなくライブになると思うけれど、決して動揺したりしないでね。関根さんや入江さんにバレてはダメよ』

 

『それは大丈夫。信じてるから』

 

ということは俺が下手な反応しちゃいけないわけだ。

 

『それで、ライブ中にMCを挟む予定だけど、これソロで煽るとかは無しにしてちょうだい。出来るだけ負担は軽減させて』

 

『了解。話すだけね』

 

『そして無事にライブが終わった後は関根さんと入江さんを連れてすぐに部室戻って』

 

『なんでだ?』

 

『ひさ子さんはそこで適当に理由をつけてはぐれて、そのままうちの経営してる病院に向かうから。最後まで心配かけたくない、だそうよ』

 

ひさ子らしい台詞だ…

 

つまり、とにかく隠し通してライブを終わらせなきゃいけないわけだ。

 

絶対変な反応なんかしない。神に誓っても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう誓ったはずなのに、さっき早々に破ってしまっていた。

 

ごめんね神様。

 

「ブーブー言ってないで席に戻れっての」

 

「嫌だよあんなとこ…」

 

「お前こっちが頑張って作った店のことを…」

 

「ち、違う違う!そうじゃなくて、あれ」

 

「ん?」

 

関根が指をさした場所には直井、音無、入江、大山がいた。

 

「ずーっとイチャイチャしててさ、あたしのことなんか構ってくれないもん」

 

ぷくーっと頬を膨らませて拗ねてみせる関根。

 

まあ確かに恋人同士が話してるところにいてもどんな顔してればいいかわかんねえか…

 

「だったら直井に相手してもらえよ」

 

「だから直井くんが音無先輩とイチャイチャしてるからつまんないんだってば!」

 

「え?そっち?」

 

しかもイチャイチャって…あれ男同士じゃねえか。

 

「みゆきちと大山先輩のは慣れてるもん!」

 

「だったら直井と音無のも慣れてるだろ」

 

そもそも直井と音無の光景の方が始まった期間は長いだろうが。

 

あとあれどう見てもイチャイチャしてねえよ。むしろ困ってるよ音無。

 

「さ、最近はちょっと事情が変わったんだよ」

 

「なんの事情だよ、懐事情か?」

 

「違うよ!あたしの懐事情はいつもピンチだよ!」

 

「悪いこと聞いたな…ここは俺の奢りでいいから…」

 

「ちょっと!冗談だからその憐れみの視線やめて!」

 

こっちだって冗談だわ。誰が奢るか。むしろ奢れ。

 

「柴崎くん、ホットケーキとオレンジジュースお願い」

 

「了解。藤巻ジュース頼んだ」

 

「おう」

 

「無視しないでぇ~」

 

「離れろ危ねえな!」

 

フロアから注文が入り作業を始めようとしたら関根が腰にしがみついてきやがった。

 

ホットプレートとはいえ、一応火器が近くにある状態では危ないのですぐに離れさせてついでに正座させておく。

 

「あのな、お前手を火傷でもしたらどうすんだよ?ライブもあんのに」

 

「大丈夫だよ~そんなドジしないってば」

 

確かにそうそうそんなドジはしないだろうが、昨日のひさ子のこともあるので、さらに言い募る。

 

「それでもだ。そんな可能性のあることやめろっての」

 

「信用ないなぁ。まあでも分かった、分かりましたよ。このしおりん神に誓ってもうふざけません」

 

うわぁ…破りそー…さっきそう誓って破った奴いたもんな~…俺だけど。

 

「よーしよし、いい子だな~ほら、じゃあ戻りなさい」

 

「うん!……って、おーい!」

 

素直に帰っていったので、しめしめと思っていたら粋なノリツッコミを披露しながら戻ってきやがった。

 

「よし、ホットケーキ一丁出来上がり。持ってってくれ」

 

「はーい」

 

「え、ノリツッコミまでしたのに放置?」

 

「あん?まだいたのかよ?」

 

知ってたけど。

 

「ひーどーいー!!」

 

「はいはい、今は注文ねえから話聞いてやるっての…」

 

なんで俺がこんな子守りみたいなことをしなきゃならんのだ…

 

「柴崎さん!僕に何か手伝えることはありませんか?!」

 

そうため息をついていると、直井が大声を出しながらこちらへやって来た。

 

………面倒見なきゃいけないのが増えやがった。

 

「あるぞー、このバカの相手してやってくれ」

 

無理を承知で押しつけようと試みる。

 

「あ、相手してー…」

 

…………?

 

「……なんか貴様変じゃないか?」

 

あまりにもストレートかつ失礼な言い方だがまさに直井の言う通り。

 

さっきまでの元気などどこへやら。いやにしおらしく、まるで照れているかのように顔も赤い。

 

怪しい。

 

怪しくて、異なっている。

 

「怪異か?!」

 

「違うよ柴漬けくん!」

 

「俺の名前を京都の伝統的な漬け物みたいに言うな!ってやっぱり怪異じゃないか!?」

 

ツインテで、大きなリュックサックを背負ったあの怪異じゃないか!

 

「怪異…?」

 

「な、なんでもない…」

 

一人要領を得ず首を傾げていた直井を見て、またすぐさま勢いを無くす。

 

なんだコイツ……?

 

「まあいいや、なんでこっち来たんだ?」

 

「音無さんが柴崎さんの手伝いをしたらどうだ?と、仰られたので!」

 

押しつけやがったなあの野郎…!

 

まあ、ほんの数分前に俺も関根をコイツに押しつけようとしてたし、人のことを言えた義理じゃないが。

 

「また音無さん音無さんってぇ……」

 

「ん?なんだ貴様?言いたいことがあるならはっきり言え」

 

「別にー」

 

「貴様…なんだその腹の立つ顔は…?」

 

「は…腹の立つ顔ぉ…?!」

 

あら?やだ何?喧嘩?喧嘩なの?

 

「ちょちょちょ、ストップ!」

 

今にも喧嘩でもしそうな雰囲気だったので間に割って入る。

 

「なんなのお前ら?ここに来たのは営業妨害のためなの?」

 

「ち、違いますよ!」

 

「だよな、なら一旦落ち着け。ステイだ」

 

なんかぴゅーぴゅー吹けもしない口笛やろうとしてるけどお前もだぞ金髪。

 

「つーか、関根…お前ついこないだまでこんなの笑い飛ばしてなかったっけ?」

 

俺の記憶が確かならこんな程度の暴言ならむしろ爆笑してた気がするけど。

 

……いや、そっちの方がおかしいか、普通。

 

「だって…直井くんにはそういうこと言われたくなくなったんだもん」

 

「関根…お前……」

 

不貞腐れて唇を突き出しながらそう言う関根に、俺の予感が確信に変わった。

 

「そんなに直井のことが嫌いに…?」

 

「あなたそれ本気で言ってるの…?」

 

「ゆり」

 

いきなりやって来たゆりが何故かものすごく呆れたような顔をしている。

 

本気も何も…それ以外ないんじゃ?

 

「あなたのそれ、自分にだけなのかと思ったらそういうわけでもないのね…」

 

「それ?」

 

「いいのよ、気にしないで。わざとやってるわけじゃないことが分かればどうでもいいわ」

 

わざわざ気になるような言い方をしているのはゆりの方だと思うんだが。

 

「そろそろライブの時間も近いし、一旦部室に行くわよ。早く引き継ぎしておいて」

 

「あ、ああ…」

 

結局“それ”とやらはうやむやのまま俺たちは部室へと向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっ、悪いな遅刻して」

 

「ひさ子!」

 

ガルデモとマネージャー組で部室に入ると、そこには丈の短い鮮やかな紫色の浴衣を着たひさ子がいた。

 

目立つ腫れの残っているであろう左手にはリストバンドがしてあった。

 

「ひさ子さ~ん、大事な日に遅刻って…それじゃ先が思いやられますよぉ…」

 

「はっはー、このあとライブじゃなけりゃぶっ飛ばしてんだけどなぁー」

 

やれやれ…とわざとらしく呆れた素振りをする関根に、全く目の笑ってない笑顔を向けるひさ子。

 

「ていうか、なんです?その浴衣」

 

「ああ、今日の衣装だとさ。ちょっとでも目立つために、らしいぜ?」

 

そう言いながら親指でゆりの方をさす。

 

要するにゆりのアイデアってことか。

 

「こんなの必要?あたしたちの歌だけじゃ駄目なの?」

 

「そんなことないわよ。ガルデモの歌は最高。でももっと可能性は上げておきたいでしょ?」

 

「…まあ、そこらへんはゆりに任せてるし、ひさ子も納得してるんならいい」

 

一瞬ひりついた空気が流れたが、ことなきをえたようだ。

 

「で、ですね!これ可愛いですし!うんうん、いやぁ~可愛い!ね、みゆきち!」

 

「う、うん!わぁ、色違いなんだぁ~」

 

するとすぐさまその空気を払拭しようと関根たちが大袈裟に騒ぎ始めた。

 

しかし岩沢は興味なさそうに無言で手に取っただけだった。

 

「とにかく着替えてきて。もうそんなにゆっくりしてる時間はないわよ?」

 

「おっとっと、そうでした!ではいってきまーす!ほらほらー!」

 

「ちょ、ちょっと押さないでしおりん~」

 

ばたばたと騒がしく上の階に向かう二人。

 

「………」

 

それとは反対に、何か不満を残しているような顔のまま黙って向かう岩沢の顔がやけに頭に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまたせでーす!」

 

やや時間が経ち、ようやく3人が下りてきた。

 

関根は黄色、入江は水色。

 

そして……

 

「?」

 

岩沢には赤色の、それぞれ色鮮やかな浴衣を身に纏っていた。

 

思わず無言で見入ってしまう。

 

「なに?」

 

「い、いや!?」

 

それを不思議に思った岩沢が首を傾げて見つめてくる。

 

その視線から逃げるように慌ててそっぽを向く。

 

落ち着け…落ち着け俺……岩沢が綺麗だってことは百も承知なはずだろ…

 

「あたしも流石にそんなに目を逸らされるとちょっとは傷つくんだけど…」

 

「いや!違う……その………………な?」

 

何が、な?なんだよ…

 

「いや、分からないし…しかもまだ目が合わないし…」

 

「違うんだって!だから……似合ってる…というか…」

 

「っ?!」

 

相変わらず岩沢の方は向けないうえに、照れ臭さのせいでどんどん言葉が尻すぼんでいったのだが、見なくても分かるくらい喜んでいる。

 

なんかオーラが見える。喜色のオーラが。

 

「ゆ、ゆり……」

 

「何かしら?」

 

そしておもむろにゆりの手をがっしりと握りしめ

 

「ありがとう!これのお陰で柴崎に褒めてもらえた!!」

 

感謝していた。

 

それはもう盛大に。

 

「え、ええ……」

 

ゆりもその感情表現の大きさに引いてしまっている。

 

「ま、まあ機嫌を直してもらえたようでよかったわ…」

 

あまりの衝撃に忘れていたが、そういえばさっきまで納得いってないような顔だったな…

 

「それじゃあそろそろ時間だし体育館……に…」

 

行きましょう、と言おうとしたようだ。

 

だが…

 

「なんでそんな言い方なの?!」

 

「ふん、事実を言っただけだ」

 

「えっと…うー…他の人に見られるのが嫌なくらい似合ってるよ!」

 

「お、大山さんったら…」

 

奴らはそんな言葉を聞こうなどとしてはいなかった。

 

関根と直井はまた口論を。

 

入江と大山はまたイチャイチャしていた。

 

ひさ子と藤巻は目も合わすことなく、大人しくしているが…

 

「てめえらさっさと行くぞゴラァァァァァ!!!」

 

1つ問題が解決されたと思えば似たようなのが2つも転がっていて、ついにゆりはキレてしまった。

 

その後、怪我をしない程度にそいつら全員に拷問……もとい制裁を加え、大人しくなったところを体育館に運ぶのだった。で

 

 




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『そんなもしもの話なんかであたしは止まらねえよ』

あたしたちの1つ前の、軽音楽部のバンドの演奏が佳境に差し掛かっている。

 

そこまで酷くも無ければ、特出して上手いわけでもないそれが終わるのを舞台袖で楽器を持ちながら、あたしたちは待っていた。

 

すると、相棒が不意に口を開いた。

 

「お客さん、増えてきてるね」

 

「ですね。やっぱりあたしたちを見にきたんでしょうかね?」

 

「だろうな」

 

ゆりや遊佐が言うには、あたしたち…というよりは岩沢のことをSNSなんかで探している人たちに宣伝をしまくったって言ってたからな。

 

本当に頭が下がる。

 

あたしの手のことも含めて。

 

 

 

 

 

 

 

『痛み止め?』

 

『ええ』

 

昨日の放課後、ゆりの家が経営する病院へ連れられ、その方法が示された。

 

『はじ〇の一歩とか知らないかしら?』

 

『名前くらいしか…』

 

『まあ所謂麻酔の類なのだけれどね。とりあえずその時の痛みっていうのは止められるわ』

 

『本当か?!』

 

それなら…それならギターが弾ける…!

 

あたしの逸る気持ちを抑えるように、手で静止を促してくる。

 

『ただ、やっぱりうちの医者もあなたの手を診て、この方法を取るのは賛成しかねる、と言っていたわ』

 

『……?痛みが止められるんだろ?』

 

『だからといって、それは治ってるわけではないもの。痛みっていうのは身体から発せられる危険信号…それを無理矢理止めるっていうのは、本当に危ないの』

 

テレビなんかで他人事みたいに聞いていた説明を、今目の前で自分に向けてされている。

 

それにどこか現実味を感じないが、理解は出来る。

 

『本当に駄目になっていても気づけない…ってことだろ?』

 

『ええ、たかが捻挫とは言っても、ひさ子さんのそれはかなり重傷だもの。無理矢理演奏をすればどうなるか分からない』

 

『…やけに脅すね』

 

普段からは想像もつかないほどに真剣なその口調に、軽口を挟む。

 

『分かっていない状態で訊いても、答えは決まっているでしょ?』

 

『分かってる状態で訊いたって、答えは変わらないさ』

 

『じゃあ、どうするの?』

 

『やってくれ』

 

あたしは即答した。

 

『そんなもしもの話なんかであたしは止まらねえよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのあと1度実際に痛み止めを試して持続時間や効果を確認した。

 

切れた後の痛みは酷いものだったけど、効いている間の感覚は掴めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「関係ないだろ?あたしたちにとって、ギャラリーとか」

 

「お~ひさ子さん言いますねぇ…遅刻したくせに」

 

「あとで覚えとけよ関根?」

 

「ひいぃぃ~!」

 

この怪我さえなけりゃ梅干しでも極めてやるんだが。

 

ていうか、やれるんだけど、一応ゆりから無駄な動きは抑えるように言われてるからな。

 

「この人たちに響くライブにしよう」

 

岩沢は、そんなあたしたちの馬鹿な会話をぶった切ってそう言った。

 

「あたしたちの音で、震わせてやろうぜ」

 

「おう!」

 

「はい!」

 

「はーい!」

 

そんな激を言い終えたと同時に前のバンドの演奏が終わった。

 

「さあ、派手に行こうぜ!」

 

いつも通りの掛け声に、もう一度あたしたちは応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ステージに立つと、体育館を埋めつくして、さらに入口の外にも人が集っているのが見渡せた。

 

中にはスマホとか、ご丁寧にビデオカメラなんかを持参してあたしたちを録りに来てくれてる人たちまでいる。

 

だけど心音は通常営業。

 

左手の感覚は薄いけど、動く。

 

うちのボーカルは不敵に笑っている。

 

セットリストは頭に入ってる。

 

初っぱなは、Crow song。

 

ドラムのカウントから始まって、ギターを奏でる。

 

うん、動く…弾ける…!

 

 

 

 

 

 

 

 

ついにライブが始まった。

 

俺は遊佐、ゆりと共に舞台袖でそれを聴いている。

 

他のマネージャー組は逆側の舞台袖にいる。

 

心配だったひさ子も、問題なく引いているようだ。

 

「なあ、もう始まったわけだし、ひさ子をどうやって治したのか聞かせてくれないか?」

 

「だから治してはないの。あくまでこの場を凌ぐだけの痛み止めよ」

 

「痛み止めって麻酔とかだよな?それって痺れてたりしないのか?」

 

「一応ギリギリまで調整はしてるけど、まあ多少の痺れはあるでしょうね」

 

そんな状態であんな指の動きが出来るのかよ…

 

その一部分を切り取ってもひさ子の今までの努力が窺える。

 

「でも、調整って?」

 

「流石に射ってすぐにギターを弾くのは無理ですから。ライブの時間と手の痺れの調子を計算しているんです」

 

「つまり?」

 

「ライブの最後まで保つかギリギリってことよ」

 

「そんな…!」

 

「だから話したくなかったのよ…いい?これはひさ子からの提案なの」

 

「怪我は自分の不注意だ。でも、せめてその時出来る最高のパフォーマンスをしたいんだ…とのことです」

 

「最高のパフォーマンスっつったって…」

 

もしそれが終盤に切れたら…

 

いや、そんなの考えたって無駄だ。

 

「大丈夫…だよな」

 

「「………………」」

 

「な、なんだよ?」

 

独り言ではあったんだが、そんなに露骨に無視されると悲しいぞ。

 

「柴崎くん、それは…」

 

「…フラグ、ですね」

 

「……?」

 

フラグ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2曲目のAlchemyを終えたところで、MCへと入る。

 

「えー、あたしたち、Girls Dead Monster。長いんでガルデモって呼んでください。よろしくお願いします」

 

そんな岩沢の紹介を聞いてギャラリーは一斉に沸いた。

 

その熱狂に隠れるように、2度ほど左手をグーパーグーパーと感覚を確認する。

 

まだ…いける。あと一曲くらいなら。

 

「あたしはリズムギターとボーカルやってる、岩沢です。で、こっちの胸の大きいのがリードギターのひさ子です」

 

「ぶふっ!」

 

何故か入った全く必要のない特徴の紹介に、さっき以上に会場がどよめいた。

 

「てめ、岩沢!そんな説明いらねえよ!」

 

「……大事だろ?」

 

「まっっったくいらねえ!」

 

天然で行われている漫才のような会話にどよめきから一気に笑い声へと変わっていく。

 

くっ……赤っ恥だこんなもん…!

 

「で、こっちの金髪がベースの関根です。えーっと…いつもうるさいです」

 

「ちょっとちょっとちょっと!そこはムードメーカーでぇ、この子がいないとお通夜状態☆とか言ってくださいよ!」

 

「え、星の付け方とか分かんないんだけど」

 

「ツッコむべきところはそこじゃねえよ!」

 

またしてもどっと笑いが起こる。

 

「最後がドラムの入江です。おとなしくて、引っ込み思案だけど、ドラムの腕はピカイチです」

 

「よ、よろしくお願いします…」

 

立ち上がってちょこんと頭を下げる入江の姿にきっと観客の人たちとあたしの思考は一体になっているはずだ。

 

なんでオチのところで普通に説明してんだよ…と。

 

いや逆に最後が普通っていうボケ…なわけないな。岩沢だし。

 

「あたしたちの演奏を聴きに来てくれてありがとうございます。あたしたちは、プロ…メジャーデビューを1つの目標にしてます」

 

ひとしきり紹介というノルマを終えたと感じたのか、真剣な顔つきで語り始めた。

 

そしてその言葉を受けたギャラリーは、ざわめきだした。

 

いきなりの宣言に困惑しているのが見て取れる。

 

「今何かであたしたちの歌を録ってる人がいるのなら、ドンドン全国に流してください」

 

さらにこの台詞にざわめきが激しくなる。

 

そりゃ自分でドンドン流せ、なんて言う奴は中々いないだろうしな。

 

「ライブは次の曲で最後です。この曲はつい1ヶ月前に出来た新曲で、曲名は…Hot Meal!」

 

一際張り上げたその掛け声に呼応するようにギターを掻き鳴らす。

 

この曲が最後で良かった。

 

一曲目の時の感覚じゃ、この1ヶ月程度の練習量の曲は失敗していたかもしれない。

 

「ふらふらと―――――」

 

岩沢の歌声があたしたちの音に乗る。

 

ドンドンと痺れの無くなってきた手は好調に音を奏でる。

 

これが今出来る、その時出来る、最高のパフォーマンスだと、胸を張って言える。

 

そんな出来だった。

 

しかし…

 

「迷った時には――――」

 

Cメロへ入った瞬間に、あたしの左手に燃えるような痛みが走った。

 

思わずギターを手放してしまいそうになるが堪えて指を動かす。

 

麻酔が…切れやがった…!

 

もちろん激痛を伴うが、苦痛に歪む顔を隠すために俯いて、ギターを引き続ける。

 

ここでミスるわけにはいかない。投げ出すなんて論外だ。

 

幸い、アドレナリンか何かのお陰で昨日より痛みもマシに感じる。

 

曲が終わるまで、あと2分弱。

 

そんなの、耐えられないわけがないだろ!

 

「温かな―――――」

 

大サビへ突入し、観客も大いに沸き上がっている。

 

そうだ…もっと、もっと熱くなってくれ…!

 

その熱があたしを突き動かすんだ…!

 

「お腹を―――――」

 

最後の歌詞を聴き届け、最後の力を振り絞る。

 

痛みのせいで、もう頭もクラクラしてきてるけど、それでも指だけは止まらなかった。

 

あたしじゃない誰かが力を貸してくれてるみたいな、そんな感覚だった。

 

そしてようやく、アウトロを弾き終え、あたしたちのライブも幕を閉じる。

 

「最後までありがとうございました!」

 

歌いきった清々しい顔で岩沢が頭を下げた。

 

物凄い歓声と拍手の音が鳴り響いたが、あたしたちもそれに倣って頭を下げてそそくさと袖へとはけていく。

 

「ひさ子さんそっち――「いいから来い」

 

意識が朦朧とする中、打ち合わせ通り岩沢たちと逆の方に向かう。

 

背中から関根の声が聞こえたが、言い訳をする余裕もなく、とにかく足を進めた。

 

きっと岩沢がなんとか言い訳してくれてるはずだと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…くっ…」

 

一人体育館から抜け出してゆりのとこの車の待つ裏門へと向かう。

 

こっちはこの文化祭中は閉門していることもあってか人気がない。

 

こんな情けない顔見せたくないし、好都合だ。

 

「あー…くそ…」

 

舞台袖から横の出口へ向かう時に、藤巻と目が合ったのを思い出す。

 

一瞬だった。

 

ほんの一瞬目が合って、アイツはすぐに逸らして、混乱していた大山に何か話しかけていた。

 

「ちょっとは…気にしろよ…くそ…馬鹿俊樹…」

 

痛みのせいで無意識に愚痴がもれる。

 

下の名前なんかで呼びたくないけど…もれる言葉はそれだった。

 

「あっれー?どうしたの?顔色悪いぜ?」

 

「……?」

 

まともに歩けず、壁伝いに進んでいると、不意に声をかけられる。

 

こんなとこに…誰だ…?

 

そう思い振り返ると、見るからにチャラそうな私服姿の男たちが並んでいた。

 

「大丈夫?お兄さんたちが介抱してやろうかぁ?」

 

「おー!エッチな介抱な!」

 

「この子よく見たらめっちゃ美人じゃん!」

 

「しかも胸でけぇ~」

 

聞くに耐えないような会話をしやがるそいつらは、じりじりとあたしの方へと囲むみたいに寄ってくる。

 

「ね、いいっしょ?」

 

「さわ…んなよ…!」

 

肩に置かれた手を精一杯の力ではじく。

 

「うぉ、こっわ」

 

一応手を払うことには成功したが、にやにやと浮かべる笑みからしてあまり効果はなかったみたいだ。

 

くそ…怪我さえなけりゃこんな奴ら…

 

「気の強い娘とか超好みだわ」

 

「はぁ?俺はムカつくけどなぁ、こんな生意気なの」

 

「見てみろよあの目、すげえ睨んでんぞ」

 

「それを屈服させんのがいいんじゃんか」

 

あたしなんかまるで敵じゃないと言いたげに目の前でゲスな会話を繰り広げる。

 

「あたし…急いでるんで…」

 

「だーから、お兄さんたちの相手してっての」

 

相手にしてられないと足を進めようとするが、手でとうせんぼされる。

 

「どっか痛めてんだろ?大丈夫だって、そんなの分かんなくなるくらいよくしてやっからさぁ」

 

「はっ…」

 

どこから来るのか分からないその自信に思わず鼻で笑ってしまう。

 

「あん?なにがおかしいんだ?」

 

その問いに答えるべく、思い浮かべる。

 

こういう下世話な話の時にイキイキと人を詰る奴のことを。

 

アイツならこんな感じに言うかな…

 

「あなたみたいな…短小下手くそ野郎には無理ですから…速やかにお帰りください」

 

「は…はは…おもしれぇ。あんま調子こいてるとどうなるか教えてやるよ!」

 

あたしの言葉で逆上した男が、ぐわっと拳を振りかぶった。

 

殴られると覚悟して、ぐっと歯を食い縛る。

 

「やめろぉぉぉぉ!!」

 

「ぐぇっ!」

 

だが、左手以外に痛みなど来なかった。

 

ゆっくりと目を開けると、目の前にはあたしを庇うように両手を広げる背中があった。

 

「てめえらコイツに手ぇ出したらぶっ殺すぞ!」

 

相変わらずガラが悪いし、制服の着方もだらしない。

 

だけど、あたしにとってこの世で一番格好よく見える、藤巻の背中が。

 

でも…来てほしくなかった…

 

「はは…馬鹿…格好つけてんじゃないっつーの…帰りな…」

 

「あん?」

 

「あんたみたいな弱虫が…四人も相手に…出来るわけないだろ…」

 

だから大人しく逃げて、ゆりたちでも呼んできてくれよ…

 

「ざけんな…」

 

「なにが…?」

 

「ようやくなんだよ…やっとお前を…助けられるんだ…!」

 

何…言ってるんだ?

 

「俺は男なんだ!護れんだよ!」

 

「だから…無理だっつってんだろ…!」

 

「うっせえ!さっさと来いやボケ共!」

 

「言われなくてもボコボコしてやるよ!弱虫くん!」

 

「弱虫じゃねえ!」

 

藤巻は言葉通り、確かに昔より遥かに強くなっていた。

 

一人寄ってきては殴り飛ばし、また来られては殴り飛ばし、相手の誰よりも強かった。

 

だけど、それは1対1ならの話。

 

相手が強いと見るとすぐさま奴らは複数人で囲んできた。

 

1つ2つと拳を躱すも、さらに飛んでくるものはガード越しにヒットしてしまう。

 

さらに輩たちは藤巻があたしを庇ってるのを利用してあたしを狙うように見せかけて藤巻に攻撃をくらわす。

 

その攻撃に過剰にあたしを護ろうとしてしまう藤巻。

 

みるみる内に藤巻が傷ついていく。

 

「もう…やめろよ…!あたしなんか護らなくていいから…!」

 

その姿に耐えられなくなったあたしは怒鳴るように叫ぶ。

 

「うるせぇ!護るっつってんだ!」

 

「なんでだよ…!?」

 

「俺は男で…お前が女だからだよ…!」

 

「意味…わっかんねえんだよ…!」

 

合宿の時にも言われた言葉。

 

そして、中学の頃、決別の時にも言われた言葉。

 

あんたが男であたしが女…そんなの分かってる…そんな当たり前のことに何を固執してるんだよ…?

 

「好きな女も護れない男に…なりたくねえんだ!!」

 

「―――っ?!」

 

好き…?

 

誰が…?誰を…?

 

「藤―――「寒いこと言ってんじゃねえよ!」

 

「がっ…!?」

 

問いかけようと口を開いた瞬間、奴らの中の一人の拳が藤巻のこめかみにもろに入った。

 

「藤巻…?!」

 

どさっと崩れ落ちる藤巻に、左手の痛みも忘れて駆け寄る。

 

「どい…てろ…」

 

ふらふらと、今にも倒れそうな体を起き上がらせる。

 

「やめてよ…!立つなよ!」

 

「うるっ…せぇ…!黙って助けられてろよ…!」

 

「黙ってられるわけ…ないだろ…」

 

こんな…こんな状況で…

 

「女だって…好きな奴がボコボコにされてるのなんて見たくないんだよ…!」

 

「――――っ?!」

 

こんな、限界ギリギリのピンチになってようやく、初めてあたしの口から本当の言葉が出た。

 

藤巻は呆気に取られたような顔をして振り向いた。

 

前に敵がいるってのに。

 

「だからくせぇこと言ってんじゃねえ!」

 

その隙をついて、一人が大きく拳を振りかぶるのが見えた。

 

殴られる、そう思った時、思わず目を瞑る。

 

が、一向に藤巻の倒れる音は聞こえない。

 

「だ、誰だてめえ!」

 

代わりに聞こえたのは狼狽した男の声だった。

 

恐る恐る目を開けると、男の腕をがっしりと掴む、桔梗色の髪のやけに目付きの悪い男がいた。

 

「し、柴崎?!」

 

「全然車のとこまで来ないから倒れてんのかと思って来たんだけど…なんでこんな状況に?」

 

「なんでって…「ひさ子!大丈夫か?!」

 

「い、岩沢?!」

 

「おまっ…隠れとけって言ったのに」

 

確かついさっきまで緊迫した状況だったはずなのに、一気にそんな空気がなくなっていく。

 

「まあいいけど…ちゃんと後ろいろよな」

 

ていうかなんでコイツは足手まといが3人もいる状態でこんな余裕なんだ…?

 

「なんだお前?お前もボコられてえの?」

 

「嫌に決まってんだろバーカ」

 

「てめえ…!」

 

「つーか、女なんか連れてきやがって、なんだ?俺たちにその女くれんのか?」

 

そんな下卑た言葉を聞いた途端に、場に似合わない余裕さが無くなった。

 

「そいつに触ったらタダじゃすまねえぞ…」

 

いつも悪い目付きが、より一層極悪に変わる。

 

既に何人か人を殺っててもおかしくない目だ。

 

「あ、いや、コイツだけじゃねえけどな。ひさ子にも藤巻にも手は出させねえぞ」

 

折角相手がビビっていたのに、急に変な言い訳をしだして勝手にしどろもどろになっている。

 

「な、なんなんだよてめえは!?」

 

「何って………そりゃ………同じクラブのもんだ!」

 

えらく間の空いた返答だった。

 

つーか、間の抜けた返答だった。

 

「柴崎、そこは友達でいいんじゃないか?」

 

「え!?と、友達…?」

 

岩沢の冷静な台詞を聞いて、こちらをちらっと伺ってきたので、首肯で答える。

 

「と、友達かぁ…」

 

「本当に清々しいほどのコミュ障ですね」

 

「う、うるせぇ!1回疑うことに慣れると戻るのにも時間が…って、なんで遊佐がいんだよ?」

 

「ひさ子さんを呼びに行ったのに中々やってこないのでこちらから迎えに来てあげたんですよ」

 

ほら、と手で示した方向に視線をやると腕組みをして、仁王立ちの状態のゆり…with黒服さんたちがいた。

 

「どうせろくでもないことになってると思って来てみれば、案の定ね。じゃ、あなたたちはあのチャラ男どもにきっちりお仕置きしておいて」

 

「かしこまりました」

 

「ひ、ひぃぃぃ!なんだよコイツら?!」

 

毅然とした歩き方で詰め寄る黒服さんたちに恐れをなして逃げだそうとする…が

 

「言っとくけど無駄よ。もうここから逃げられる道には全部あたしの家の者を配置してあるから」

 

無慈悲な宣告がゆりによって行われる。

 

いつの間にそんなこと…

 

そして、それを聞いた輩たちは逃走を諦めたようでその場にへたりこんだ。

 

「さ、もう大丈夫よ…大変な目にあったわね」

 

「はは、本当…な……?」

 

差し出されたゆりの手を取ろうとした。

 

その時、世界がぐらりと歪んだ。

 

「あ……れ…」

 

そのままあたしの視界は暗闇に沈んだ。

 

 




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「はは…ったく、待たせすぎだよ」

『―――…』

 

誰かの名前を呼んでいる。

 

これは夢だ。

 

昔から何度も見続けている夢。

 

『……ああ』

 

彼が誰なのか分からない。

 

顔も見えない、言っていることは伝わるのに声も聞こえない、確かに呼んでいるはずの名前も分からない。

 

だけど、大好きで大好きで堪らない人。

 

『………大好きだよ…―――…』

 

いつも変わらない、その言葉を伝えた瞬間に…あたしは目を覚ますんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

夢から意識を解放されて、目を開ける。

 

見覚えのない天井と蛍光灯がぼんやりと見えてきた。

 

ここ…どこ…?ていうかあたし…

 

「目ぇ覚めたか?」

 

「ふ、藤巻…?!」

 

なぜ眠っていたんだろうかと頭を巡らせようとしたが、ひょっこりと顔を覗きこんできた藤巻のせいでそれも吹っ飛ぶ。

 

「ちょ、み、見んな!」

 

「は、はぁ?」

 

こんな寝惚けた状態の顔をまじまじと見られたくなくて布団にくるまる。

 

ここどこだ?!なんで藤巻が?!寝起きの顔見られた?!あれ?あたし今どんな服着てる?!

 

いや落ち着け…落ち着けあたし…思い出せ…確か文化祭のライブが終わったあとに不良に絡まれ……

 

「藤巻!大丈夫なの?!」

 

「は、はぁ?!」

 

がばっとくるまっていた布団から抜け出して藤巻の姿を確認する。

 

ぼんやりと見えただけのさっきと違い、しっかりと見ると至る所に絆創膏や包帯で覆われている。

 

「あたしの…せいだよな」

 

「はぁ?」

 

「あたしが絡まれたりしたから…違う…こんな怪我さえしてなけりゃ…」

 

「ちょ…なんだてめえさっきから隠れたり急に飛び起きたりへこんだり…おかげでさっきから、はぁ?しか言ってねえよ」

 

「う、うるせえな…こっちは急に色々あって混乱してんだよ…」

 

起き抜けに好きな奴が顔を覗きこんできたら隠れたくもなる……

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「こ、今度はなんだってんだ?!」

 

思い出した…思い出した!!

 

あのチャラ男たちに絡まれたとき……コイツ……コイツ……!

 

『好きな女も護れない男に…なりたくねえんだ!!』

 

とか言ってた……!!

 

これ、告白…だよな…?

 

てことは両想い…?いやいや、確認した方がいいよな?でも…そんな恥ずかしいこと…!

 

「で、出来るわけねぇ…」

 

ていうかそもそもあたしも好きとは言ったわけだし…あとはやっぱ男の方からが筋ってもんじゃ……

 

「って…そんなこと言ってるからこんなギクシャクとぉ……!」

 

「ぶっ…は、はははは!!」

 

「…?」

 

こっちが真剣に悩んでるっていうのに突然大笑いされて、ぽかんとしてしまう。

 

「あーあ…やっぱおもしれえな…お前といるとよ」

 

「―――っ!な、なんだよ…ば、馬鹿にしてんのか…?」

 

長い間聞くことのなかった、そんな素直な言葉と、同じく長い間見ることなかった、柔らかい笑顔を向けられて顔が紅潮する。

 

「いやそーじゃなくてよ……その…」

 

「っ!な、なんだよ?早く言えよ」

 

困ったように頭を掻く仕草と赤くなった耳を見て、もう一度告白をしようとしてることを察する。

 

「う、うるせえな…改めて言うってなると緊張すんだよ……」

 

さらにこの返しで告白であることを確信する。

 

しかしその後も中々切り出さない藤巻。

 

こ、こうなったら…あたしが後押し…

 

「は、早く言えってば」

 

「しょうがねえだろ、こっちは一世一代の―――「あ、あたしの返事なんて決まってんだから…!」

 

あたしはあの時だって言った。

 

女だって好きな奴がボコボコにされてるのを見たくなんてないって。

 

「だから…早く言ってくれ…もう待ちたくない…」

 

心臓もずっと早鐘を打っていて、もうはち切れそうになってるんだよ。

 

早く言ってよ…!

 

「ひ、ひさ子!」

 

あたしの気持ちが届いたのか、ようやく藤巻の目に決意の火が灯った。

 

「俺は……俺は……お前のことが…好きだ!告んのにビビッちまう、こんな情けねえ奴だけど…付き合ってくんねえか?!」

 

中学の頃、突然あたしの下から去ったあの時からすっかり変わってしまった藤巻……いや、俊樹だけど、今この瞬間は昔の…ずっと一緒にいた頃に戻ったような顔つきになっていた。

 

「だからあたしの返事は決まってるって……あたしも、あんたが好き。昔も今も俊樹が大好きだ…!」

 

やっと言えた…

 

ずっとずっと言いたかった素直でありのままのあたしの言葉。

 

「つ、つまり…」

 

「こちらこそよろしく…ってやつだよ」

 

「ほん――――っ?!」

 

「―――っ!?」

 

あたしが改めて返事をし、俊樹が喜ぼうとしたのを捉えたところで、頭の中に膨大な量の情報が流れ込んできた。

 

その情報とは「記憶」だった。

 

「―――――はぁ、はぁ…」

 

「―――――くっ、はぁ…」

 

一瞬のような、永遠のような激しい奔流を同時に終え、目が合う。

 

そして理解する。

 

「俊…樹…」

 

「ひさ…子…」

 

「はは…ったく、待たせすぎだよ」

 

「…わりぃ」

 

あたしたちは少し約束を破ってはしまったけれど、また逢うことが出来たんだと。

 

そしてそれだけで、こんなに幸せなんだっていうことを。

 




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「ユイは…どこにいるんだろうな」

「皆、またしてもあたしたちの中から青春への第一歩を踏み出した者たちが現れたわ!」

 

突然に行われるこんな宣言にも、まあいい加減になれてきた。

 

それに、今回に関しては大体見当もついている。

 

「じゃあ、二人とも前に」

 

「ちっ…恥ずいことさせんなよ…」

 

「はいはい…あたしだって恥ずかしいんだからさっさと行くよ」

 

ゆりに促されて出てきたのは予想通りの二人。

 

ひさ子と藤巻だった。

 

周りの何人かはかなり度肝を抜かれているが、ひさ子の気持ちを知っていた俺にとってはただただ良かったという感想しか出てこない。

 

「俺たち…まあ、付き合うことになったから」

 

「へへ…」

 

「ちょ、ちょちょちょちょーっと待ったぁ!え?お前らあんないがみ合ってたじゃん?!どっからそうなってんの?!ホワァーイ!?」

 

「どっから…って…」

 

「元から…だよな、結局」

 

その回答に日向は呆然としているが、この間のひさ子を護っていた藤巻の姿から既に予想していた俺はやはりという感じだ。

 

まあ元からっていうのはちょっと驚いたけど。

 

「も、元からって…あ、あんなに仲悪そうにしてたのにか?!こっちがどんだけ気ぃ使ってたことか?!」

 

「落ち着けよ日向。まず二人のことを祝うのが先だろ?」

 

やけに二人に噛みつく日向を音無が宥めに入る。

 

いや、しかしなんでこんなに……も、もしかして日向はひさ子のことが…!

 

「そ、そりゃそうだけど…でもよぉ!独り身としてやっぱり悔しいってのもあるだろ?!」

 

「いやねえよ…」

 

……すごい下らない理由だった。

 

「へん!音無も最近は奏ちゃんとイチャイチャしてるもんなぁ!そんな奴に俺の気持ちが分かるか!」

 

「え、音無、奏ちゃんと付き合ってんのか?」

 

「ち、違う違う!あくまで家庭教師をしてるだけで……まあいずれはそういうこともあればいいなとは…」

 

「ほーらみろ!この部でそういうの無いの俺だけだぜ!俺だって青春してえよー!」

 

この部の他の全員が恋愛沙汰に巻き込まれているというのも驚きだが、しかしこの発言はそんなことよりも気になる事由を生むことになる。

 

ちらりと、ゆりの方を見る。

 

………既に、踏み切っていた。

 

「勝手にしてろやぁぁぁぁぁ!!!」

 

「ぐほぉぉぉぉ!!?」

 

それはそれは、綺麗なドロップキックでした。

 

自分の好意に気付かないあげくに青春をしたいと宣う鈍感男への鬱憤、怒り、そのようなものを全てぶつけた素晴らしいという一言しか思い浮かばない見事な蹴りでした。

 

「なんで俺ばっかこんな目にあってんだよ!?ホワァーイ?!」

 

しかしそんな怨念めいたものが込められてるとは露にも思っていない日向はいつものごとく、平然と立ち上がって両手を広げていた。

 

まあこれ以上ゆりの苛々が募るとどうなるか後が怖いので、ここは俺が宥めることにする。

 

「まあまあ、そんなホワんなよ」

 

「ホワるってなんだよ?!」

 

「ホワァーイっていっつも言ってるじゃん。馬鹿みたいに」

 

あ、馬鹿か。

 

「ホワァーイ?!」

 

「な?」

 

「あ、本当だ…ってうるせぃ!口癖なんだから仕方ねえだろ!」

 

口癖ホワァーイってお前何人だよ。

 

実は帰国子女とかそういう無駄な裏設定じゃねえだろうな。

 

「そんな無駄な設定はありません」

 

「良かったぁ」

 

心を読んだ遊佐の補足を聞いて胸を撫で下ろす。

 

「ちょ…なんか分かんねえけどさっきから馬鹿とか無駄とかひどくね?」

 

「じゃあおまけに鈍感もつけてやる」

 

「……?そりゃお前じゃん」

 

「俺?いやいや、そりゃねえよ」

 

俺は今回ちゃんとひさ子たちのことも気づいてたし、鈍感なんて言われる筋合いがない。

 

「いやいや、結構やべえぜ?」

 

「それを言ったらお前だってかなり―――「うっさいわこの鈍らどもがぁぁぁ!!」

 

「「ごふっ」」

 

鈍感という不名誉を擦り付けあっていたら、ゆりからダブルラリアットをかまされた。

 

「く…くっそぉぉぉぉぉ!!覚えてろよぉぉぉ!!絶対青春してやっからなぁぁぁぁぁ!!!」

 

同じ攻撃を食らったのに、片や背中を打って悶絶し、片や捨て台詞を吐きながら元気に下校していった。

 

本当…アイツの体の構造がどうなってるのか不思議だぜ……

 

 

 

 

 

 

 

「さて、改めておめでとう。ひさ子さん、藤巻くん」

 

日向が帰っていったのを皮切りに、今日のところは部活を終えることにして、全員が出ていくのを確認してから、ゆりがそう言った。

 

「サンキュ。でもさ、未だに信じられないような体験だね、こんなの」

 

前世の記憶、それも死後の世界での日々の記憶を持っている…なんてな。

 

「そうね。でも、信じていたんでしょう?もう一度出逢って、こうして付き合うってことを」

 

「…ま、まあね」

 

「…たりめーだよ」

 

本気で信じていたからこそ、あそこをあの時に卒業することが出来たんだ。

 

ちょっと…照れくさいけど…

 

「で、さ…大体ゆりの説明でなんで記憶が戻ったのか、とかは理解できたんだけど」

 

「けど?」

 

「あの理屈だって言うんなら…なんで岩沢の記憶が戻ってるんだ?」

 

あたしの知る限りでは、関根も戻っていてもおかしくはない状況だけど…関根はあの別れた後にそういう関係になるに至った、って考えることは出来る…だけど…

 

すると、あたしの問いに、ゆりは少し苦い表情を浮かべ、口を開いた。

 

「岩沢さんは……――――――なの」

 

「……それって…岩沢は…」

 

「Foooo!!ひさ子はん藤巻はん、おめでとうございますー!」

 

ゆりの口から出た言葉は、すぐに飲み込めるようなものではなく、問いかける言葉を探している間に、ドーンと扉が派手に開けられた。

 

「あさはかなり」

 

「こ、今回は帰らなかったぞゆりっぺぇ!」

 

「藤巻くん!ひさ子さん!おめでとう!」

 

「ひさ子さぁん…!」

 

「ちょっと入江、泣くの早いって。ひさ子…おかえり」

 

TKを筆頭に、記憶の戻っているメンバー達がやって来た。

 

あたしは動揺を抑えて、皆に向き直った。

 

「ただいま、皆…ってのも、なんか変な感じだけどな」

 

「確かに。ずっと一緒には居たわけだからな」

 

今まず、皆ともう一度この記憶を持って再会できたことを喜びたい。

 

「でも、おかげで約束は果たせそうだ…またバンドやるってな」

 

これも今までだってやっていたのに、おかしな言い草かもしれないけど、こうなってはもう今までとは気持ちが違う。

 

より必死に、より熱心に、あたしたちの音を届けたい。

 

そう思う。

 

「ああ」

 

「うぅ…ひさ子さぁん…」

 

「泣くなっての…」

 

そんな風になられるとこっちまで感傷的になりそうになる。

 

でもまだそうなるには早い。

 

「あと二人、約束には足りないね」

 

「ああ」

 

「で、でもしおりんは…」

 

「分かってるよ。記憶がないだけで関根が関根なのは変わらない」

 

それでも、記憶が戻ってほしいと思う。

 

ちらっと、大山やTKたちと談笑している藤巻を見る。

 

記憶が戻るってことの全部がいいことじゃない。

 

前世の陰惨な記憶さえ、もう一度思い出してしまうのだから。

 

それでもあたしは思う。

 

藤巻にもう一度恋を出来たことが幸せだって。

 

「でも戻るさ、関根も。だって、アイツはあたしたちと同じだからな」

 

「…そうですね」

 

「ああ」

 

関根もきっと最後の最後までアイツのことを愛してたはずだ。

 

あたしと同じくらい。

 

だから戻る。こっちで巡りあったのは、そのためのはずだ。

 

ただ…だとすると…

 

「ユイは…どこにいるんだろうな」

 

「ユイ…」

 

あたしの独り言のような投げ掛けを聞いて、また入江の目が潤んできてしまう。

 

しまっ…

 

「入―――「近くにいるよ」

 

「え…?」

 

「ユイも近くにいる」

 

あたしの失言から生まれかけた悲しみが拭い去られる。

 

何をもってそう言ってるのかも分からないのに、不思議とその揺るがない目を見るだけで、芯の通った声を聴くだけで、心は平静を取り戻す。

 

「…多分」

 

「おい」

 

「あ、あはは…」

 

こういうのがなけりゃなぁ…

 

まあこういうところを含めて完璧なんだろ?と訊かれれば、勿論その通りなんだけど。

 

「でもさ、あたしたちは今四人こうやって集まってる。ユイはあそこでも後から入ったんだし、同じことは起こるかもしれないだろ?」

 

「ま、確かにな」

 

「えへへ、ですね」

 

あたしたちがここでまた出逢ったのは、偶然なんかじゃなく運命だとしたら……なんてな。

 

「そう考えると、日向が青春したいって言い出したこととか、次の行事とか、色々良い方向に向いてきてるかもね」

 

「次の行事?」

 

この文化祭の間に色々ありすぎてうっかりそんなことが頭から抜け落ちていた。

 

「球技大会ですね」

 

「しかも2年の男子は野球が種目にある」

 

「そ、そりゃあ…」

 

本当に運命じみて来てるな…おい…

 

 




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「さっさと謝らんかいボケがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「今日は球技大会の種目毎のメンバーを決めるわよー」

 

ヒヤヒヤものの文化祭を乗りきり、その後の中間テストも無事に終わり、今度は球技大会。

 

二学期は本当に行事が多い。

 

しかもこれが終わってまたしばらくすればまたテストだ。

 

眼が回るくらい忙しい。

 

しかし…球技大会か…

 

「今年の種目はこれね」

 

黒板に書き出された種目は、男子が野球とバスケ。女子はバレーとバスケ。

 

このどちらかに絶対にメンバー登録をしなければならない。

 

当然、控えとなることになる奴も一定数出来ることになってしまうわけだが。

 

だがしかし、そこに俺は活路を見いだしている。

 

「蒼。まさか補欠になって出ない…とか考えてないよね?」

 

考えてます。

 

「まあ、補欠で出番が少なければ眼のこともバレないだろうけどさ…いいの?」

 

「はぁ?なにが?」

 

いいもなにも、それが最良の手段なのは明白だろう。

 

「岩沢さんに言われたんでしょ?眼のこと気にしなくてもいいってさ」

 

「それは…そうだけど…」

 

そう言われ、俺の思っていることを全部ぶつけても、岩沢はその言葉を曲げなかった。

 

俺は悪くない、そう言われたことが何より嬉しかった。

 

でも…

 

「それでも、むやみやたらに見せびらかすもんじゃねえだろ」

 

「…ま、いいけどさ。隠せるかどうかはまた別の話だしね」

 

「…?」

 

「おーい柴崎、お前野球やんね?」

 

悠の意味深な台詞に首をかしげていると、日向が勧誘にやってきた。

 

そういえば野球やってたって言ってたっけ?

 

「いいけど、俺補欠にしてくれ」

 

「は?なんで?」

 

俺の申し出を受けて、困惑しながらそう訊いてくる。

 

とりあえず適当な理由でもつけとくか。

 

「球技苦手なんだよ」

 

「えぇ…まあいいか…千里は野球どうだ?」

 

「いいよー」

 

「よっし、んじゃ今日から放課後練習な!」

 

「は?」

 

「え?」

 

唐突な日向の提案に俺と悠二人して目を点にする。

 

「いや、なにも球技大会くらいで練習なんて…」

 

「やるからには勝たねえとつまんなくね?」

 

「俺、球技、苦手…」

 

「苦手だから練習すんだろ…てかなんで片言?」

 

俺と悠の抗議もまるで効果なく、どうやら回避する術はないらしい。

 

…まあ、練習の段階で下手くそだって印象付けられれば出番も減るか…

 

「しょうがねえなぁ…あ、でも部活は?」

 

「ゆりっぺにはちゃんと言ってあるって」

 

普段はアホなくせにこういう時だけは手回し早いな。

 

「よーし、んじゃとっととメンバー決めて練習に行こうぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ軽くキャッチボールから始めっか」

 

あのあと日向は有言実行と言わんばかりにさっさとメンバーを集めて、うきうきと少し離れたところにある公園へと場所を移した。

 

ここならそれなりの高さまでのフェンスも張られているし、まあそうそう危険なことにはならないだろう。

 

「ほれ、グローブ取ってけー」

 

このグローブやらバットやらは全部学校の備品で、ゆりの口利きによって借りられたらしい。

 

「柴崎は俺とな」

 

「ん?おう」

 

てっきり音無とやるんだろうと思っていた日向から声をかけられて微妙な返事をしてしまう。

 

「苦手なんだろ?俺経験者だからさ、ちっとコツとか教えてやんよ」

 

あ、そういうことにしてたな。

 

「ありがとな。でも壊滅的に下手くそだから後悔するなよ」

 

「なんで自信満々なんだよ…まあいいや。ほら、とりあえずちょっと距離取ろうぜ」

 

そう言って離れていく日向に合わせて俺も距離を取る。

 

「こんなもんだな。よーし、いくぞー」

 

「おー」

 

シュッと綺麗な回転のかかった、非常に受け手に優しい球を放ってくる。

 

だが悪いな日向…そんな心遣い、俺には通用しないぜ。

 

「あ」

 

グローブの先に当てて落球させる。

 

「マジで苦手なんだなー」

 

「ああ、悪いー」

 

「いいっていいってー、ほら投げ返してこーい」

 

だが、そんな程度じゃ終わらないぜ…

 

「よいしょー!」

 

勢いの良い掛け声とともに思いきり地面にボールを叩きつける。

 

三回、四回とバウンドしたところで日向のもとにたどり着いた。

 

「……よっし、お前補欠」

 

「だろうな」

 

そのためにこんな無様な姿を晒しているんだから、そうでなくっちゃ困る。

 

まあこれでそうそう本番で出番は来ないだろ。

 

「まさかこんな運動音痴とはなぁ…」

 

いつの間にか近くに寄っていた日向がしみじみとそう口にした。

 

「昔から球技は駄目でな」

 

嘘です。昔野球部を野球で、サッカー部をサッカーで、バスケ部をバスケで圧勝しました。

 

「走ったり泳いだりは普通なのにな」

 

「ボールが来ると慌てちまってさ」

 

嘘です。めっちゃくっきり見えるんで慌てることとかまず無いです。

 

「まあ柴崎ってメンタル弱そうだもんな」

 

「…まあな」

 

これは本当です。ていうかなんて言い草だこの野郎。

 

「ま、他のやつの動きを見るってのも練習になんだぜ?ほら、音無とか結構いい線いってるし」

 

「ふーん」

 

「藤巻と大山も結構上手いな」

 

「悠は?」

 

音無とキャッチボールしているのにさらっと省かれてたんだが。

 

「あー…アイツなんか手ぇ抜いてるだろ。つーかやる気なくね?だからよく分からん」

 

「本当すみませんうちの子が…」

 

と言っている俺もわざと運動音痴に見せかけているんだが。

 

「そろそろ次の練習にしたら?飽きるだろ皆」

 

「ん、それもそうだな。おーし、皆ーノックやんぞノックー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後ノックを終え、皆のポジション適正なんかを見極め、無事俺の補欠も決まった。

 

「んじゃあ最後に締めでバッティング練習すっか。音無頼むな」

 

「ああ」

 

日向に促されて音無がマウンド(の体の場所)に向かう。

 

日向曰く、コントロールが良いからピッチャーで、らしい。

 

ちなみに悠がキャッチャーなのだが、今日は防具を用意していないのでキャッチャー無しでやることになった。

 

「じゃあ好きなやつから打ってけよー」

 

「よっしゃあ!まずは俺がぶっとばしてやるぜ!」

 

意気揚々とバッターボックス(の体の場所)に向かう藤巻。

 

やっぱり皆バッティングは一際楽しいのか、俺も俺もと率先して練習していた。

 

そして、何回りかした後、音無がこう言った。

 

「日向はいいのか?」

 

「俺もやっていいのか?」

 

「何言ってんだよ、当たり前だろ」

 

「完全に今回は教える立場だと思ってたわ。そんじゃま、お言葉に甘えて…と」

 

転がっていたバットを手に取り、打席に立つ。

 

しっかりと完成されているバッティングフォームだけを見ても、やはり素人軍団の俺たちとは一線を画しているのが分かる。

 

「よし、いくぞ」

 

「こいやぁー!」

 

シュッ、と放られたど真ん中絶好球。

 

そんな球を捕らえられないわけはなく、もちろん芯を食い、腰から回転し、振り抜く。

 

打球は高く、綺麗な放物線を描き……フェンスを越えていった。

 

ガシャーーン!!

 

「「「「………………」」」」

 

けたたましい音が耳に届いた瞬間、俺たちの間に重苦しい沈黙が流れた。

 

「何やってんだよ!そんな思いきり打つことねえだろ!!」

 

「お、俺だってあんな飛ぶと思わなかったんだよー!!俺ホームランバッターじゃねえし!」

 

「お、俺しーらね!」

 

「俺もー!」

 

「あぁー!お前らぁ!」

 

俺と日向で口論している隙をついて仲間たちが逃走していく。

 

そいつらが走り去っていった虚空に手を突きだして呆然としている日向。

 

……よし、俺もこの隙をついて逃げよう。

 

俺の中の良心は激しく痛んだが、しかし今どきこんなカ○オみたいなことで叱られるのはごめんだ。

 

そう決心し、忍び足で逃走を謀ったのだが、がしっと肩を掴まれた。

 

遅かったか…

 

諦めて後ろを振り向くと、日向が今にも泣きそうな顔をしていた。

 

これは今から叱られるのが嫌で泣きそうなのか、それとも仲間たちにあっさりと見捨てれたからなのか…

 

「しばさきぃ~頼むよぉ~見捨てないでくれよぉ~!」

 

「はぁ…分かったよ…」

 

「音無までいなくなってるのを見たときはどうしようかと思ったぜ…」

 

薄々感じてはいたけど、音無は日向にだけは容赦ないよな…

 

「まあ…謝るのにそんな人数で行ってもなんだしな。とにかくボールが飛んだ家に行こうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公園を出てすぐの、打球が直撃した、一軒家の前に着く。

 

中々立派な佇まいの家で、ここの家庭がそれなりに裕福なことが窺える。

 

そして、日向は緊張した面持ちでその家のインターホンの前に立ち尽くしていた。

 

「……なあ、もしさ―――「嫌だ」

 

「何でだよぉ?!俺まだ用件伝えてねえだろ!?ホワァーーイ!!?」

 

またホワってる…

 

「いや、この場面でその切り出し方とか、ろくなことじゃねえだろ」

 

「べ、別にそんなことねえよ!」

 

「なら言ってみろよ、なんて言おうとしたのか。ほれ、ほれ」

 

「そ、その……もし弁償になったら…一緒に払ってくんね?」

 

「ろくなことじゃねえじゃねえか!!」

 

「しゃあねぇじゃん!!もう小遣いねえんだよ!!俺の母ちゃん超金にう――――「るっさいんじゃボケぇぇぇぇぇ!!!」

 

口論の最中、日向の顔面めがけ一筋の白い線が駆け抜けた。

 

綺麗なバックスピンのかかったそれはまさしく俺たちの使っていた軟球そのもの。

 

「がふっ?!」

 

鼻っ柱に軟球が直撃し、衝撃で地面へとぶっ倒れる。

 

その軟球が飛んできた方向を見ると、謝り来た一軒家の玄関の扉が開かれて、一人の少女が立っていた。

 

ピンク色の髪をたなびかせ、目端をつり上げて、こちらを睨み―――

 

「さっさと謝らんかいボケがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

謝罪を要求した。

 

……うん…やっぱ逃げよ……

 

 




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「ユイ☆にゃん」

デッドボール。

 

突然俺を襲った衝撃はまさにそれだった。

 

でも勘違いしないでほしい。俺は今野球なんてやっていない。

 

確かここには謝罪しに来たはずだ。

 

その証拠に…

 

「さっさと謝らんかいボケがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

俺にボールをぶち当ててきたやつがそう叫んでいる。

 

無論俺だって謝りに来たんだから謝る意志はある。むしろその意志しかない。

 

いやなかった。

 

しかし、顔面に衝撃が走り、そいつの叫び声を聴いた瞬間に、俺の中に別の意志が生まれた。

 

「いってぇなてめぇぇぇぇ!!」

 

逆襲だ。

 

やられたらやり返す。

 

そういう本能のような何かに突き動かされていた。

 

俺にボールをぶつけやがった女子は、顔面にボールが直撃したのにすぐさま飛び起きた俺を見てぎょっとしていた。

 

その隙をついて近づき、身体に腕や脚を絡め、そのまま一思いに力を入れる。

 

「いだいいだいいだいですぅ~!!」

 

「顔面にボールが直撃すんのとどっちがいてぇと思ってんだこらぁぁぁぁぁ!!」

 

「け、ケースバイケースぅぅ…!」

 

「正論吐いてんじゃねぇぇぇぇ!!」

 

「うぎやぁぁぁぁ!!」

 

少女の断末魔を聞き届けて、ハッとする。

 

あれ?俺、仮にも女子に何をしてんだろう?

 

「わ、わりぃ!」

 

急いで極めていた肩や首から離れる。

 

当然そのまま少女は地面へダイブした。

 

「だ、大丈夫か?」

 

「大丈夫な…わけあるかぁぁぁぁ!」

 

「うぉぉぉ?!」

 

心配してやったっていうのに、あろうことか覗きこんだ顔に噛みつこうとしてきやがった。

 

…いやまあ俺が間接技なんて極めたからなんだけどさ。

 

「がるるるる…!」

 

「獣かお前は!?」

 

「きしゃー!」

 

「う、うわぁぁぁぁ!?」

 

俺のツッコミに対して最早人語での返事などなく、獣状態のまま襲いかかってきた。

 

な、なむさん!

 

「ユイちゃん?どうかしたの?」

 

ピタッ。

 

玄関から出てきた女性の声を聞いた途端に、襲いかかってきた体勢のまま空中で動きが止まった。

 

人間業じゃねえ…

 

「あら?その人は?」

 

「お、お母さん!動いちゃ駄目だよ!体に悪いよ!」

 

「大丈夫よ、最近は体調も良いんだから」

 

「でも…」

 

「いいの。それよりも…どうかしたの?」

 

首をかしげてこっちを見る、凶暴女の母親。

 

「いや…この人があたしの部屋にボールを打ち込んできてガラスが割れて…」

 

「す、すいませんっした!」

 

「なんじゃあその態度の違いはぁ?!」

 

そりゃ第一印象の違いだこの野郎。

 

「もう、ユイちゃん。駄目よ、女の子がそんな言葉遣いしちゃ」

 

「あ、う…でもぉ」

 

「だーめ」

 

「……はぁい…」

 

しかし俺がやってしまったことや謝罪のことなどまるで気にもとめず、まず凶暴女を叱りだした。

 

叱るっていうのには、なんつーかほわほわしすぎだけど…

 

「え、えっと…あの今回の件は俺が悪いんで、あんま叱んないでやってくんないすか?」

 

「あらごめんなさい。えっと窓ガラス割っちゃったんでしたっけ?」

 

「え?えぇーっとぉ…そうっすね」

 

なんだか噛み合わない会話に困惑しながらもとりあえず訊かれたことに答える。

 

「野球してたのかしら?」

 

「あ、はい。しばらくしたら球技大会あるんでそれの練習に」

 

「まあまあ、微笑ましいわねぇ」

 

いやいやあんたの方が100倍微笑ましいんだけど…

 

「えっと、それでボールを飛ばしすぎて割っちまったんで謝りに来たんですけど…」

 

「謝ってないけどねー。間接技極められたけどねー」

 

「うぐっ。そ、そりゃお前がいきなりボールぶつけてきたからだろぉ!」

 

「そんなの謝りに来たくせに玄関で騒いでる人が悪いですぅ~!」

 

「おまっ…聞いてたのか…」

 

そういや顔面にボールが当たる直前に『さっさと謝らんかい』とか聞こえてたっけ…

 

「まあまあ、仲がいいのね。ふふっ」

 

……変な誤解されてるけど、それは一旦置いといて…

 

「悪かったな…ちょっと揉めちまって謝るの遅れてよ…しかも間接技まで極めて…」

 

「………こっちも顔に当てるのはやり過ぎました…ごめんなさい」

 

「「…………………」」

 

お互い素直に非を認めたところで、気まずい空気が流れだし、どうしたもんかと考えた時――

 

―――パンっ!

 

と、何かに区切りをつけるような破裂音が響いた。

 

その音は母親によるもので、俺たち二人をニコニコと微笑ましそうに見つめていた。

 

「はい、これで仲直り。ね?」

 

「い、いや仲直りって言っても俺たち初対面…」

 

「そ、そうだよお母さん」

 

「あらそうなの?」

 

あらそうなの?って……どんだけボケてんだこの人…

 

「じゃあ今から遊んでらっしゃい。ほら、このボールで」

 

「え、いやでも流石にそんなの娘さんもやりたくは……あー……」

 

女子がキャッチボールなんてしたくないんじゃないかと断ろうとしたが、少し視線を移すと、目を輝かせたアホの子がいた。

 

「やりたいのか?」

 

「う、うぇぇ?!ぜ、全然?!全然やりたくねーっすよぉ!」

 

「ふふ、ほーら」

 

「っ?!」

 

母親が笑みをもらしたと思えば、ボールを持っている手を高く挙げると、食い入るようにそれを目で追うアホ。

 

「ほーら」

 

「っ?!」

 

「ほーら、ほーら。ふふっ」

 

「っ?!っ?!」

 

右へ左へと更に大きく動かしても、目を輝かしたまま追うのをやめない。

 

なーにがやりたくないっすよぉ、なんだよ…?

 

「わかったわかった…やろうぜ。やりたいんだろ?」

 

「や……でも…」

 

あれだけやりたいオーラ全開の癖に、まだ何か気にしてるらしく、ちらっと母親の方を見やる。

 

「いいのよ、ユイ。お母さん、今調子いいんだから」

 

えっへんと胸を張り、そっと娘に歩みよった。

 

そして持っていたボールを握りこませ、ポンポンと、2度頭を叩いた。

 

「いってきなさい、ユイ」

 

「――――うんっ!行こっ!」

 

まるで背中を全力で押されたかのように、走りだし、俺の手を取る。

 

「うぉぉぉ?!ちょ、行く、行くから離せっての!」

 

そんな言葉など耳に届かないのか、お構いなしにそのまま引っ張られる。

 

「おかーさーん!ちゃんと手ぇ洗うんだよー!」

 

「わかってるわよー」

 

公園へ向かう途中のそんな親子の立場が逆転しているかのような台詞が印象的だった。

 

………あれ?ていうか柴崎いなくね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし、珍しいな。女子なのにキャッチボールしたいってよ」

 

俺は改めて思ったことを言葉にしながらボールを相手の胸元へ投げる。

 

場所はさっき練習をしていた公園。

 

幸い逃げていった誰かがグローブを投げ捨てていたおかげ(せい?)でキャッチボールには事足りた。

 

「そんなことないよー。女子野球だってあるでしょ?」

 

「そりゃあるけどお前やってねえんだろ?」

 

「野球だけが好きな訳じゃないもん」

 

そう言いながらボールを投げ返してくる。

 

投げ方は様になってると言えばなってるが、実力とは比例していない。

 

肩も強くないし、コントロールも悪い。

 

まるでフォームだけ何度も練習してたような感じだ。

 

「へへー!」

 

でも、やたら楽しそうなんだよな…

 

「なぁにが、へへー!だよ。しっかり胸元に投げてこいっつーの~」

 

「んだとゴラァ!殺人シュート脳天にぶち当てんぞゴラァ!」

 

「てめえは危険球で退場だ!」

 

ていうか、軽口の代償に殺されるとか割りに合わねえ。

 

「…つーか、今更なこと言ってもいいか?」

 

キャッチボールを続けながら、言葉を交わす。

 

「奇遇ですね、あたしも1つ気になってます」

 

「じゃあ先訊いていいぜ?」

 

「ではお言葉に甘えて。えっと…名前なんでしたっけ?」

 

「だよなぁ…」

 

出会い方が強烈すぎて名乗る暇もなかった。

 

「俺は日向秀樹、百合ヶ丘学園の2年生だ。気軽にひなっちって呼んでくれていいぜ?」

 

「ひなっち先輩百合ヶ丘学園なんですか?!」

 

コイツなんの躊躇いもなくひなっちって呼びやがっただと?!

 

呼ばれたの始めてだぞ。

 

「そうだけど、それがどうしたんだ?」

 

「百合ヶ丘学園って言ったら今ネットでちょっと話題になってるじゃないっすか!ガルデモ!!」

 

「あー、そういやそうだな」

 

学校にいると、しかもわりと関係的にも近くにいると、世間がどういう反応なのかわかんねえけど、こういうの聞くと実感沸くな。

 

「岩沢たち、マジで有名になってんだな~」

 

「ちょっと!岩沢さんのこと気安く呼び捨てにしないでくださいよ!」

 

「なんでだよ?!同級生!クラスメイトだぞ俺は?!」

 

「えぇ?!マジすか?!」

 

「マジだ。なんならひさ子もクラス同じだぜ?」

 

「えぇぇぇ!!羨ましぃ~!!」

 

ただたまたまクラスが同じだけだってのにこの優越感……

 

これが有名人と同じ学校だった人の気持ちか…

 

「やばいっすよそんなの~!ひさ子さんの殺人的なリフ捌きとかマジ昇天しちゃいますよ~!!」

 

「いや流石に教室では弾かねえからな?……つーか、楽器詳しいのか?」

 

「ふふん、これでもあたしギターには結構自信あるよ?」

 

このきゃんきゃんうるさい小娘がギターを上手く引いてる姿は想像出来ねえなぁ…

 

ライブ中に弦切れるとか、そういう奇跡的なドジはおかしそうだけど。

 

「ていうかお前、ギターまで手ぇ出してんのな」

 

「うん。ギターは…一人でお家でも出来るからね」

 

「え?」

 

「サッカーだってプロレスだって好きだよ!シュートとか家でちょ~練習してるんだから!」

 

果てはメッシみたいに五人抜きしちゃうんだから!と、元気に足を振る。

 

…気のせい…か?

 

なんか一瞬…ほんの一瞬だけ、寂しそうに見えた。

 

「で、ひなっち先輩の言いたいことってなんすか?」

 

なんだか上手いこと話題を変えられた気がするけど、まあ今気にしたってしょうがねえよな。

 

「ああ、俺も名前のことだよ。ユイ…でいいんだよな?」

 

「はい、ユイにゃんです!」

 

………いら。

 

「あん?てめえ今なんつった?」

 

「ユイ☆にゃん」

 

………………あ、やべえ殴りてえ。

 

「おい、お前それ2度と言うんじゃねえぞ。次やったらお前が殺人シュートを喰らうことになる」

 

「そんな…!ユイにゃんの可愛さが効かない…?!」

 

「誰も効かねえよ。むしろ腹立つ」

 

このペッタンコな子ども、略してペッタン子が。

 

「今なんか失礼なこと考えたなぁ!?」

 

「悔しかったら育ってみろぃ!」

 

「これからですぅ~!あたしまだ中3なんだからこれから色々育つんですぅ~!!」

 

確かに年齢的にのびしろはあるのかもしれないが、ゆりっぺなんかは中3の頃には中々実ってたからなぁ…

 

「なんだその遠い目はぁ!?」

 

「わーったわーった。機嫌直せって、ほーらフライだぞ~」

 

「おぉ~!お、お、お」

 

そろそろキレられるのがめんどくさくなってきたので、変化を与えてやると、たちまちそっちに夢中になる。

 

「とやっ!」

 

しかし全く落下点に入れておらず、飛びつきも空しくボールは転がっていく。

 

「そんな目ぇ輝かすくらい好きなのに、この実力かぁ」

 

ん…いやむしろ好きなのにこの程度のことで目を輝かせすぎなんじゃねえか?

 

「なぁ、ユイ」

 

「なんすかぁ?」

 

「お前ってさ…友達いねえの?」

 

「え……」

 

ピタッとボールを追っていた動きが止まった。

 

「そう見えます?あたし」

 

「いんや、全く」

 

訳のわからんところでキレるとこはめんどくさいけど、基本的には人の輪の真ん中にいそうなタイプだ。

 

会ったばかりの俺とこれだけ喋るとこを見ても、人見知りってわけでもないみたいだし。

 

「だから不思議なんだよ。なんでお前友達と野球どころかキャッチボールもやったことないのかがさ」

 

しかもさっき、ギターは一人で、家で出来るから良い、みたいなこと言ってたし。

 

「お母さん…病気なんだ」

 

「え…?」

 

「それも、結構重い病気…今はさっき言ってたみたいに調子いいみたいだから歩けるけど、酷いときは指一本動かすのも辛いみたいなんだ…」

 

「あの…おばさんが?」

 

ふわふわと朗らかに笑って、辛さなんて微塵も感じさせなかった。

 

何かの悪い冗談かと疑うほどだ。

 

だけど…だとしたらここに来る前の、親子が逆転したみたいな会話も得心がいく。

 

きっと、ボールを触った手を洗わずにいることも、あの人にとっては危険なんだ。

 

「それでね、あたしは学校終わったらすぐ帰るようにしてるの。お母さんが心配だから」

 

「親父さんは?」

 

「……仕事」

 

いない、という言葉が返ってこなくてひとまず胸を撫で下ろす。

 

「それで今まで遊べなかったのか」

 

「…うん。でもへっちゃらだよ!小さい頃からで慣れっこだもん!ユイにゃんは強い子なのです!」

 

……いら。

 

無性に腹が立つ。

 

理由はアイツの鬱陶しい一人称もあるかもしんねえけど、きっとそうじゃない。

 

なんか、やせ我慢が見え見えで腹が立つんだ。

 

「俺が…手伝ってやんよ」

 

気づけばそんな言葉が口からもれていた。

 

「手伝う?」

 

「お前のお袋さんの…世話?介護?なんて言ったらいいかわかんねえけど、なんかそういうの。だからさ、遊べよ」

 

「……へ?い、いやいやいやいや!」

 

俺の突然の申し出にきょとんと呆けたかと思えば、猛然と首を横に振りだした。

 

「なんで会ったばかりの人にそこまでしてもらわなきゃいけないんっすか?!」

 

「う、うっせえな!そんなの知るかよ!」

 

「ひなっち先輩が知らなきゃ誰が知ってるんすか?!」

 

「だから知らねえよ!!」

 

本当、自分でも何言ってんのか訳わかんねえよ。

 

ホワァーーイって叫びてえよ。

 

そんでも、嘘とか冗談のつもりで言ったわけでもねえ…

 

そんで、男に二言はねえ!

 

「やるっつったらやんだよ!とにかくお前のお袋さんに許可貰いにいくぞ!」

 

「え?!えぇぇぇ!!?ちょ、ひなっち先輩ー?!」

 

 




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「ふふ、仲が良いわねぇ~」

直談判の結果、二つ返事でOKをもらった。

 

『あら~いいのかしら?ふふ、ありがとうね~』

 

こんな風に。

 

ユイと俺はあまりの軽さに絶句したが、本人が言うにはこういうことらしい。

 

『今は調子もいいし、あまり迷惑もかけずに済みそうだから~』

 

いや、だからってこの人の危機意識の無さはやっぱり絶句ものなんだけど…

 

とにかく了承を得ればこっちのもんだ。

 

早速次の日は練習を休みにしてユイの家に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーンと昨日鳴らすことが出来なかったインターホンを鳴らす。

 

すると、ドタドタドタ!と、家の中から騒がしい音が聞こえ、すぐに扉が開けられた。

 

「ひなっち先輩!」

 

やけに嬉しそうな顔をして迎えてきたユイに少し照れ臭さを覚える。

 

「なんだよ早いな。俺も学校終わったらすぐに来たのに」

 

「ふふん、放課後タイムアタックは誰にも負ける気がしないもんねー」

 

「そんなレースした覚えねえよ…」

 

えらく鼻高々に自慢してくる姿を見てやっぱアホだなと再確認する。

 

「つーか、とりあえず上げてくれよ」

 

「おっと、そうでした。どうぞどうぞー」

 

と、無駄話を早々に終えて家に上がらせてもらう。

 

「お邪魔しまーす」

 

ユイの家は4階建ての一軒家で、家も結構広い。

 

それに内装もえらく綺麗で、ゆりっぺ程ではもちろんないけど裕福な家庭なのが分かる。

 

お袋さんの部屋は3階なので、階段を上がる。

 

3階の突き当たりにある部屋の扉を開けると、花が咲いたような笑顔が出迎えてくれる。

 

「あら日向くん、本当に来てくれたのね~おばさん嬉しいわ」

 

「もちっすよ。つーか、これですっぽかしでもしたらユイが殴り込んで来そうなんで…」

 

「あらあら、冗談が上手いのねぇ日向くん」

 

コロコロと鈴の音のように笑っているが、もちろん冗談なんかじゃねえ。本気だ。

 

現に今だってこのくらいの言葉だけでギラギラした視線が痛いくらい刺さってきてやがる。

 

こりゃお袋さんいなかったら一発殴られてんだろうなぁ…

 

「ほーんとおもしろーい」

 

そんな遊佐以上の棒読みが聞こえた瞬間、背中に痛みが走った。

 

「いでででで!」

 

ユイがお袋さんに見えないように背中をつねってきてるのだ。

 

お袋さんは急な俺の叫び声に頭の上に?を浮かべている。

 

くそ…お袋さんいても痛めつけられんのは変わんねえのかよぉ…

 

お袋さんにバレないようにか、少ししたら手を離した。

 

「本当、日向くんがいると賑やかだわぁ~」

 

「は、ははは…」

 

その原因はあんたの娘なんだけどな…

 

とぉ、いかんいかん。俺がここに来た目的はこんなたわいのない話をすることじゃねえぞ。

 

「で、俺は何したらいい?」

 

「あ、じゃあお話しましょう。日向くんのこともっと知りたいわ~」

 

「え、いやでも俺お袋さんの手助けを…」

 

「最近調子がいいの、だから大丈夫よ」

 

ちらっとユイの方に確認の視線を送ると、諦めたかのように頷いた。

 

「はぁ、じゃあ今日のところはとりあえず…」

 

「やったぁ~。じゃあユイちゃん、なにかお菓子とジュース持ってきましょうよ~」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

そう言ってベッドから立ち上がろうとするお袋さんを手で制止する。

 

「いくらなんでもそれくらい俺の方で手伝いますから、座ってて下さいよ!」

 

「えぇ~…でも日向くんお客さんだし…」

 

「もう、お母さん。ひなっち先輩はあたしの手伝いをしに来てるんだから、甘えていいんだよ」

 

ね!っと振られたので、うんうんと強く肯定しておく。

 

ちょっとでも気後れしたらそのまま流されてしまうそうだ。

 

「そっすよ。それに、家のどこに何があるかとか分かってないといざって時役に立たねえっすから」

 

「そう…?」

 

「そーなの!ほら、行こ!ひなっち先輩」

 

ぐっ、とまた昨日のように強く手を引かれる。

 

まあこのくらいじゃないとお袋さんも諦めなさそうだし、今日のところは助かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、2階のリビングやらキッチンやらからお袋さんの言うようお菓子や飲み物をユイに場所を教えてもらいながら調達し、部屋へと戻った。

 

「おかえりなさ~い。どうかしら?大体分かった?」

 

「はい、バッチリっす」

 

「まあ先輩は3歩歩いたら忘れそうですけどね~」

 

「ニワトリか俺は?!」

 

「ふふ、仲が良いわねぇ~」

 

「「どこが(っすか)?!」」

 

心外な台詞に反論したが、ユイとハモってしまって、またお袋さんが、やっぱり仲良い~と言って嬉しそうに笑う。

 

もう一度反論したいけど、そうしてまたハモるとループしてしまいそうで黙ると、その反応まで被ってしまう。

 

「真似しないで下さいよ!」

 

「そりゃこっちの台詞だっつうの!」

 

「もう、ユイちゃんばっかり日向くんと仲良くなってずるいわよ~?私も話したいんだから~!」

 

「「だから仲良くなんてない(です)ってば!」」

 

またハモってしまった俺たちを見て、む~と頬を膨らませ始めた。

 

「あ~!分かりました!分かりましたから、何を話すんすか?!」

 

これ以上続けてもどんどん誤解が進むだけだと悟ってとにかくこの流れを切りにいく。

 

「そうねぇ…日向くん何か部活とかやってるの?」

 

「まあ変な部活っすけど一応やってるっすよ」

 

「変な部活?ひなっち先輩が変って言うってことは相当変なんですね……あいたっ!」

 

余計なこと言ってるバカに軽くチョップをくらわしておく。

 

「どんな活動をしているの?」

 

「とにかく青春する…っていう、ざっくりとした活動を」

 

「なんかアホっぽいですね…」

 

言うな…実際アホばっかいるんだから…

 

「そんなことないわよ、素敵じゃない青春するなんて。そうだ、ユイちゃんも入学したらその部活に入ったらどう?」

 

「え?ユイってうちに入学するんすか?」

 

「ふふ、ユイちゃん日向くんの学校の岩沢さんって子と同じ学校に通いたいみたいでね」

 

ああ、そういやそんなことも言ってたな…

 

「なら岩沢も俺と同じクラブだし、良いかもっすね」

 

「ええぇぇぇぇぇぇぇ?!同じクラブぅぅぅ?!」

 

「うるせっ!」

 

すぐ隣で大声を出されて思わず耳を塞ぐ。

 

あ、ユイには同じクラブとしか言ってなかったな、そういえば。

 

「ほらユイちゃん!やっぱり入るべきよ!」

 

「岩沢さんと同じクラブ……!ぁ…」

 

キラキラと輝いていた目がすぐに曇っていく。

 

「駄目だよ、あたしなんかじゃ邪魔になるだけだもん」

 

あはは、と頭を掻いて笑顔を浮かべる。

 

それはとても下手くそな笑い方で、嘘ついてるってのがバレバレで、なんでかすげぇムカついた。

 

だけどなんでそんな風に嘘をついて笑うのか、理由が分かっちまうからなんにも言えない。

 

「…ユイちゃん」

 

ぽん、とユイの頭にお袋さんの手が置かれる。

 

「我慢しないで?体調は良くなってるもの、きっとユイちゃんが高校生になる頃にはもっと良くなってるから」

 

だから我が儘言ってちょうだい?と、本物の笑顔を向けると、ユイは目尻に涙を浮かべて強く頷いた。

 

「約束ね、入学出来たら日向くんと同じクラブに入ること」

 

「うん…お母さんも約束…絶対良くなっててね」

 

そう言って2つの約束を交わして指切りをする。

 

俺はなんにも出来なかったのに…お袋さん強えなぁ…

 

「もう、泣かないの。日向くんも見てるわよ~」

 

「ちょ、何見てんすかひなっち先輩?!」

 

「俺のせいなのかよ?!」

 

急な飛び火に驚きつつも、なんだかんだ元気を取り戻したユイに安堵する。

 

「でも驚いたわぁ、私てっきり日向くんは野球部だと思っていたから」

 

「あー…まあそうっすよね」

 

初っぱながホームランで窓ガラスパリーンだもんなぁ…

 

「いや、本当すんません。そこの公園で球技大会の練習してたもんで…」

 

「いいのよ、お陰でこうやって楽しい時間を過ごせるもの」

 

おお…女神みたいな心の広さだ…

 

そう器の大きさに感銘を受けていると…

 

「野球の練習かぁ…」

 

ボソッと、隣からうわごとみたいな声が聴こえた。

 

その声に俺とお袋さんが反応すると、ギクリと身体を強ばらせて口元を塞ぐ。

 

「ユイちゃ~ん?我慢しないでってお母さん言ったわよね~?」

 

「うぅ…でも…」

 

「でもじゃないの、我が儘言ってちょうだい?あたしにも、日向くんにも」

 

「え…」

 

俺も…?という言葉はお袋さんの朗らかな笑顔のせいで出てこなかった。

 

そしてそのままユイとバッチリ目が合い、いいんですか?と言いたげな表情で見つめてくる。

 

ここ俺が出しゃばっていいとこなのか…?いやでもこの我が儘を聞けんのは俺だけだし……なら…

 

「あぁ~……いいよ…遠慮すんな」

 

「日向くん…!」

 

よくよく考えてりゃあ、初対面から顔面にボールぶつけられてんだ。今さら迷惑だのなんだの言うようなことじゃねえ……はずだ。

 

「ね?ユイちゃん、言ってみて。約束の練習だと思って」

 

「あ、あた…し…」

 

恐らく初めて、そうじゃなくても相当久しぶりになるんだろう我が儘は、中々すらすらと言葉に出来ず、つっかえまくる。

 

でもそんなユイにお袋さんは優しく、うん、うんと相槌を打っていた。

 

「あたしも…野球の練習まざりたい…です…」

 

なんとか言い切ったあと、確認するようにお袋さんの顔を見て、お袋さんは嬉しそうに大きく頷いた。

 

そして次に不安そうに俺の顔を窺ってきた。

 

俺はその不安を吹き飛ばしたくなって、にっと笑って右手で胸を叩く。

 

「任せろ!」

 

「う、うん!」

 

「ほらユイちゃん、お礼は?」

 

「あ、ありがと!……ごさいます…先輩」

 

別に…そんな取り繕うみたいにして敬語使わなくてもいいんだけど……

 

でもまあ、ちょっと可愛く見えちまったし…このままでもいいかもな。

 

「あ、でも学校のやつらに拒否られたら無理だぜ?」

 

「そこはもぎ取ってこんかぁいぃ!」

 

「あ、またユイちゃんはそんな言葉を~、めっ!」

 

前言撤回…やっぱ全っっ然可愛くねぇ!

 

 




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「洒落になんねっての……」

次の日。

 

昼休みになり、球技大会のメンバーを集める。

 

「皆、ちょっと今日からの練習で頼みがあんだけどよ」

 

「なんだ?改まって」

 

「そうだそうだー気色悪いぞー」

 

「野次酷くね?!」

 

せめてまだ気持ち悪い…いや、キモいって言ってくれよ!

 

つーか、折角人が殊勝な態度取ってるっつーのにこの扱い…

 

「あーもういい!とにかく頼みっつーのはだな、今日からちょっと俺たちの練習にまぜてやりたいやつがいんだけど、いいか?!」

 

「まぜたいやつ?」

 

「ああ、この間俺のホームランで窓割っちまった家のユイってやつなんだけど――」

 

がしっ!!

 

説明を続けていると、肩の関節が外れたんじゃねえかと思うくらいの力で握られた。

 

振り返ると、そこにはひさ子と岩沢が目を見開いて俺の方を見て(睨んで?)いた。

 

「今…なんつった?」

 

「え……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は放課後、場所はユイの家へと移り……

 

「っっっっっきゃーー!!!」

 

ユイの歓声が耳をつんざいている。

 

その歓声の理由は…

 

「い、岩沢さんに…ひさ子さん…入江さんに関根さん……!!が、ガル……ガル……ガルデモぉぉ!!?」

 

ユイの憧れ、ガルデモのメンバーが予告もなしに目の前に現れたからだ。

 

俺だけだと思ってなんの心の準備もしていなかったせいで余計にびっくりしたんだろう。

 

「どうも」

 

「どうもって…もうちょっとファンにくらい愛想よくしても良いんじゃねえの?」

 

「日向、それ岩沢の最大限のファンサービスだから」

 

「これで?!」

 

確かに、にこっと笑ってはいるけど柴崎にはこの100倍くらい可愛げあんのに!?

 

「ごらぁ!岩沢さんにその口のきき方はなんじゃい?!」

 

「クラスメイトなんですけど?!部活仲間なんですけどぉ?!」

 

ていうか放心から立ち直って一言目がそれっておかしくね?!

 

「まあまあ、日向がアレなのはいつものことだし置いといて……ユイ、だっけ?」

 

「は、はい!?」

 

ひさ子に名前を呼ばれて、カチコチに固まるユイ。

 

つーか、だっけも何もひさ子たちがユイの名前に反応したくせに…なんか変だよなぁ…口止めまでするし…

 

「あたしらのファンなんだってね。日向から聞いたよ」

 

「は、はいぃ!もう岩沢さんの声とかひさ子さんのテクニックとかやばすぎでした!」

 

「ナチュラルにあたしら省かれちゃったねぇみゆきちぃ」

 

「そうだねー、悲しいねー」

 

「も、もももちろんお二人の演奏も凄かったです!本当ですからぁ!!」

 

……あっという間に馴染んどる…

 

関根とかひさ子とか、まあ考えの読めない岩沢は100歩譲って分かるとしても、人見知りの激しい入江までこんなすぐに……俺だって結構最近まで人見知られてたのに。

 

ファンだからか?

 

「ひ、ひなっち先輩?!ちょ、ちょっと!」

 

「は、お、おい?!」

 

考え事をして気が逸れているところを思いっきり引っ張られ、すっ転びそうになりながら玄関に引きずり込まれる。

 

ガチャ、と鍵を閉め、さっきまでの興奮そのままに口を開く。

 

「な、なんなんですか?!どうなってんですか?!夢なんですかこれ?!」

 

「夢じゃねえよ、ほれ」

 

「いだだだ!」

 

落ち着かせるのと、現実だってことを分からせるために頬っぺたをつねる。

 

「分かったか?」

 

ぶんぶん首を縦に振ったのを確認してから手を離す。

 

「夢じゃない……って、だとしたらなんでこんなとこに?!」

 

折角落ち着かせたってのにまた耳元で大声を出しやがる。

 

もっぺんつねってやろうかこのやろう…

 

「クラスのやつらにお前が練習に参加していいか確認した後、ひさ子が手ぇ怪我してて練習出来ねえから駄目元で、ファンが知り合いにいんだけどって言ったら来てくれたんだよ」

 

って、言ってくれってひさ子に言われてんだよなぁ…

 

「っていうことはひなっち先輩が連れてきてくれたってこと…?」

 

「そーいうこった!感謝しろよな!」

 

でーんと胸を張って威張ってやる。

 

本当はなんもやってないけど…

 

まあコイツのことだ、こんな風に言ったら何をどうやったって素直に礼なんて…

 

「……あ、ありがとひなっち先輩!!」

 

「っっ?!!」

 

素直に礼を言う…どころか、どこの欧米人だってくらいに抱き締めてきた。

 

「は…?!ちょ……?!」

 

「本当に憧れてたんだ!まさかこんな早く会えるなんて思ってなかった!」

 

混乱する俺のことなんてまるで意に関せずハグしたままの状態で感謝の言葉を口にする。

 

おまけに喜びの行き場が足りないのか、抱き締めたままもぞもぞと動くもんだから、いくら幼児体型と言っても感触が……しかも今まで気にしてなかったけど普通に女子の良い匂いが…

 

って、やべえだろこれは!!

 

「だったら早く岩沢たちと話すべきだな!ほらさっさと離れて鍵開けろ!オープンザドア!!」

 

「は?!そういえばそうですね!」

 

ようやく我に帰って俺から離れて外へ飛び出していくユイ。

 

扉が閉まるのを確認してから、1度ため息を吐く。

 

「……あっぶねぇ…」

 

バクバク鳴っている胸を押さえる。

 

危うく反応しちまう所だった…

 

くっそ…あんなちんちくりんに反応しかけるとか…

 

「洒落になんねっての……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なー日向ー」

 

「なんだよー?」

 

場所を公園へと移し、今は音無とキャッチボールに励んでいる。

 

「お前が俺たちに混ぜようとしてたあのユイって子、ずっとひさ子たちと話してるけどいいのかー?」

 

「あ~…良いんじゃねー?本人がしたいようにさせてやってくれー」

 

まあその内野球にも混ざりたくなんだろうしな。

 

「そっかー、じゃあさー」

 

「今度はなんだよー?」

 

「岩沢追いかけっこしてる柴崎はどうするんだー?」

 

「……………ほっとけー」

 

「ほっとくなよぉぉぉ!!」

 

「うおぉっ?!」

 

噂をすれば影、っていう感じで颯爽と登場して流れるように俺を盾扱いしてくる柴崎。

 

何に対する盾かっつーと、そりゃもちろんすぐに追い付いてきた岩沢相手なわけで……

 

「ちょ、痴話喧嘩に巻き込むなよ」

 

「痴話喧嘩じゃねえ!」

 

「そうだぞ日向!あたしたちは喧嘩なんてしてない!ラブラブだ!」

 

「んなわけあるかぁ!」

 

マジで俺を間に挟んでこういうするのやめて欲しい……今は特に……

 

「つーか、なんで追いかけっこしてんのお前ら?」

 

「柴崎に野球教えてくれって言ったら逃げたから」

 

「あ~、そりゃコイツすげえ下手だから恥ずかしかったんじゃねえか?許してやってくれよ」

 

なんだよ、結局恥ずかしいとこ見せたくねえって理由かよ。やっぱコイツらデキてんじゃねえのか?

 

「え?柴崎が?そんなわけ…もごもご」

 

「うるさい…邪魔になるから行くぞもう」

 

何か言いかけた岩沢の口を塞いで、引きずったままどこかに連れて行った。

 

なんだぁ…?

 

「日向」

 

「音無…なんか柴崎変じゃね?」

 

わざわざこっちまで助けに来てもらったくせに、あんな簡単に岩沢を連れてどっかに行って…

 

「なんか、隠し事してるみたいなっつーか…」

 

「……いや、気のせいじゃないか?柴崎だって心底嫌がって逃げてる訳じゃないしさ」

 

「そう…か。それもそうだな」

 

明らかに、今妙な間があった。

 

多分音無は柴崎の隠し事がなんなのか知ってるんだろう。

 

知ってる上で言えないことなら訊かない。

 

そんなのは、友達を困らせるだけだしな。

 

「んじゃそろそろノックでもすっか」

 

「ひなっち先輩ひなっち先輩~!!」

 

気まずくなる前に話を変えるため、皆に呼び掛けようとした時、ユイがやたらハイテンションで走ってきた。

 

しかし今来られんのは正直ちょっと気まずい…

 

「んだよ?」

 

「あのねあのね、ひさ子さんが今度あたしのギターの腕を見てくれるって!!」

 

「おーそうか。良かったな」

 

「えぇ~それだけぇ~?」

 

気まずいわりには至って普通の反応をしたはずなのに、不満そうに首を傾げる。

 

「それだけって…他に何言えっつーんだよ?」

 

「うぅ~…もういい!ひなっち先輩のバーカバーカ!」

 

「はぁ?!」

 

何がダメなのかまるで分からない上に、あっかんべーまでされてしまった。

 

なんだアイツ…?

 

「ははっ、日向、懐かれてるな」

 

「はぁ?」

 

「あの子、多分日向と一緒に喜びたかったんだよ。自分の嬉しいことを日向と共有したかったって言えば分かりやすいか?」

 

俺と…共有…

 

「いやでもよぉ、そんなガキじゃねえんだし」

 

「それでもあの子から見れば日向はお兄さんじゃないか。それに、お前から聞いた話から察するに、今までの話し相手はほとんどお母さん相手だったんだろ?だとしたら尚更…」

 

「…そっか」

 

きっと、あのお袋さんはユイが楽しかったこと、嬉しかったこと、そういうのを聞く度にユイと同じように喜んでいたんだ。

 

そんで、ユイはそういう会話がほとんどだったから、近くで一番共有したい相手に俺を選んでわざわざ飛んできた……

 

「くっそ、俺馬鹿かよ…」

 

俺が一番気づいてやんなきゃいけねえのに…

 

「ははっ、今さらだろ?」

 

「へーへー!その通りでごぜーやす!チッ、おーいユイー!」

 

俺の呼び掛けに反応して、ユイが振り向く。

 

そうだよ、俺は馬鹿なんだ。

 

馬鹿なんだからいつまでも悔やんでたってしゃあねえ。だったら、今やることは1つ。

 

「ノックやんぞー!いつまでも喋ってねえで野球やろうぜ!」

 

「…うん!やるー!」

 

今度こそユイを笑顔に。

 

 




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「側にくらい…居てやんよ」

そうやって、ユイやガルデモの皆がまじりながらの練習が数日続いた。

 

そして、今日も同じように練習をするためにユイを家まで迎えにいった。

 

呼び鈴を鳴らして、しばし待つと、インターホンからユイの声が聞こえてくる。

 

『ひなっち先輩…』

 

しかしその声は、ここ最近では聞かなかったような弱々しい声だった。

 

「ユイ?どうした?」

 

『えっと…今日はちょっと具合が悪いから練習は…』

 

妙な間のある台詞。

 

馬鹿が言い訳考えながら喋ってるのがバレバレだ。

 

「上がるぞ」

 

『え、ちょ?!』

 

慌てるユイの声が聞こえたが、そんなもん無視だ。

 

扉を開けて玄関で靴を脱いで上がると、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 

「ひなっち先輩!なんで勝手に上がるんですかぁ!?」

 

「うっせぇなぁ。お前が下手っくそな嘘ついてるからだろ?」

 

「なっ?!」

 

「第一馬鹿が風邪引くわけねえだろ」

 

「誰が馬鹿じゃぁい!」

 

「いでっ!」

 

スコーンっと頭をはたかれる。

 

痛いけど…まあいつもよりマシだなって思うとこがもう末期なんだろうな…

 

「つーか、あんま騒がねえ方が良いんじゃねえの?お袋さん、体調悪いんだろ?」

 

「なんで…?」

 

俺がそれに気づいていることを知って心底驚いたような顔をする。

 

「なんでもなにも…お前が練習休んでまで仮病使う理由なんてそれくらいだろ?」

 

「う…」

 

バツの悪そうな顔をして俯くユイの頭に手を置く。

 

「色々言いたいことはあるけど、とりあえずお袋さんの様子見させてくれ。な?」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お袋さんの部屋へと入り、様子を伺うと、確かにかなり体調が悪いようで、いつもの朗らかな笑顔は消え、苦痛に顔を歪ませていた。

 

入ってきた俺に気づくこともなく、息を荒げる姿は、見ているのも辛くなるほどのものだった。

 

今日は学校を休んでいたらしいユイが既にあらかたの対処を施していて、それでもこれだけ辛そうにしている。

 

その事実を自分の目で確認して、ようやく俺はユイのお袋さんの身体が悪いんだと実感した。

 

言葉を失って立ち尽くす俺を見て、ユイが「しばらくはやることもないんで、隣のあたしの部屋に行きましょう」と声をかけられ、言う通りにユイの部屋へと移動した。

 

ユイの部屋は、意外とファンシーな感じで、もし今日じゃなく普通に遊びに来ていたのなら、茶化したりしていたかもしれない。

 

けど、今はとてもじゃないけどそんな気分にはなれなかった。

 

「先輩…すみません」

 

「え、何が?」

 

「お母さんの体調…黙ってて…それに、嘘も…」

 

しゅんとして、普段の勝ち気な態度も鳴りを潜めているその様子に胸が痛む。

 

「いや…お前が嘘ついたのは俺がこうなるって分かってたからだろ?」

 

投げ掛けた問いに、返事は無かったけど、沈黙を肯定と受けとっておく。

 

「俺の方こそ、頼りなくて悪い…」

 

もっとコイツを助けてやれると思ってた。

 

覚悟もしてたつもりだった。

 

だけど現実は立ち尽くすだけしか出来なくて…

 

「そ、そんなことないですよ!」

 

「いや、でもよ…」

 

「あたし、ひなっち先輩が上がってきてくれた時、本当はすっごく安心したんです。お母さんがここまで体調悪くなるの、ちょっと久しぶりで…朝から不安で…」

 

今朝のことを思い出しているのか、胸に当てている両手は微かに震えていた。

 

「お母さんはあの通り、話せなくて、こんなに会話しないのも…なんだか久しぶりで…」

 

「ユイ…」

 

「本当はね、ひなっち先輩がインターホン鳴らした時…泣いて頼っちゃいそうだったんだ」

 

えへへ、と照れ隠しするみたいに笑うユイの額にデコピンする。

 

「いたっ、なにするんすかぁ!?」

 

「アホか、頼れよ!確かに…俺はなんも出来なかったけどよ、なんつーか……」

 

この先を言うのは若干躊躇ってしまう。

 

こんな臭いこと言うなんて、柄じゃねえんだけど…

 

それでも、決心して言葉を続ける。

 

「側にくらい…居てやんよ」

 

言ってる自分の顔が赤くなってくのが分かる。

 

あー!臭え!馬鹿なのか俺はぁ?!なんでこんなこと口走ったんだ過去の俺ぇ!?ホワァーイ?!

 

ユイもきっとドン引いてんだろうな…と逸らしてた目線を戻すと…

 

「~~~~~っ?!」

 

多分俺よりも顔を真っ赤にして、目をぐるぐると回していた。

 

「ゆ、ユイ?!」

 

「ちょ~~っと~~?!お、お茶いれてきますぅ?!」

 

バタン!と、乱暴な音を立てて部屋から飛び出していった。

 

な、なんだ…?

 

あんな反応見せられたら一周回ってこっちが冷静になってきた。

 

……まあ冷静になったらなったでさっきの自分を殺したくなって地獄だけどさ…

 

「……あ、そういや皆に今日行けねえって言っとかねえと」

 

そんな結構大事なことに今更気がついてスマホをポケットから取り出し、球技大会のグループの画面を開く。

 

『わり、今日俺とユイ行けねえ!(>_<)』

 

と、送っておく。

 

「これでよし、と」

 

目的を終えて、ポケットに戻そうとしたら、ポロン、と音が鳴った。

 

返事早えな…と思いメッセージを確認すると…

 

『避妊はしっかりしろよな(´ 3`)』

 

と、書いてあった。

 

「んなわけあるかぁ!?」

 

すぐさま『なんでそんな発想になんの?!ホワァーイ?!』と返す。

 

しかし…

 

『いやだって…なぁ…?』

 

『ああ…』

 

『だな…』

 

と、すぐさま連係攻撃を受けてしまう。

 

コイツら面白がってやがんなぁ…?!

 

『うるせえ!とにかくそんなんじゃねえからお前らちゃんと練習しとけよな!』

 

と、返信して通知をオフにして画面を閉じる。

 

言い逃げになるけど、良いだろこれくらい。

 

ったく、アイツらめ…ガルデモの奴らがいたら大人しいくせに、見られねえと思った途端これだもんなぁ…

 

ガルデモの奴らも招待しとこうかな…

 

「ひ、ひなっち先輩…?」

 

そんなことを考えていると、ドアを少しだけ開け、顔だけひょっこりと覗かせてユイが声をかけてきた。

 

その顔を見る限りひとまず落ち着いたっぽい。

 

「な、なんだよ?早く入れよ自分の部屋なのに」

 

「で、ですよね分かってますよ!」

 

威勢が良いのは台詞だけで、カチンコチンのまま俺にお茶を差し出してクッションの上に正座した。

 

…正直やりづらいことこの上ない。

 

「えっとなぁ…ユイ」

 

「は、はい!」

 

「さっきの話なんだけど――「わ、分かってます!」

 

「……は?」

 

分かってます…って、何がだ?

 

「え、えっと!気持ちは嬉しいですよ?!で、でもまだ決められないというか…少し待って欲しいというか…」

 

気持ちは嬉しいってのは分かるけど…決められないってなんだ…?

 

しかも待って欲しい?何をだ…?

 

「ひなっち先輩があたしのことそんな風に思ってたなんて気づかなくて…で、でも確かにそうでもないと初めからこんな風に手助けなんてしてくれないですよね…鈍くてすみませんでした!」

 

いかん…よくわかんねえけど果てしない誤解が生まれてる気がする…!

 

「ちょぉっと待てぃ!」

 

「は、はい!?」

 

「あのな…多分だけどユイ、お前は何か誤解してる」

 

「誤解…?」

 

そんな何を…?って顔されても俺もよく分かってないから困るんだが…

 

いや、とにかく俺の正直な気持ちを伝えりゃ大丈夫だ!

 

………多分。

 

「俺はだな、純粋にお前の力になってやりてえと思ってるだけなんだ!」

 

「…わ、分かってますよ…恥ずかしいからそんな真正面から言わないで下さいよ…」

 

照れて目を逸らしながらまんざらでもない顔をしてる。

 

……誤解解けてんのかこれ?

 

いや、念には念をだ…!

 

「えっとなぁ…側にいてやるってのはだな、お前が不安ならそれをちょっとでも軽くしてやりてえって思ったからでだな…」

 

「だ、だから分かってますから!!ひなっち先輩の…その…気持ちは…」

 

「気持ち…?」

 

さっきから言ってるけど、その気持ちってなんなんだ…?

 

「だから!……好き…なんだよね?あたしのこと…」

 

スキ?

 

鋤き?

 

隙?

 

あー…好き……………

 

「ちっげぇぇよ!!?」

 

あっぶねー!誤解にも程あんだろなんだそれ?!

 

「え?」

 

「え?じゃねぇぇぇ!!」

 

何言ってるか分からないとでも言いたげに首を傾げるユイに盛大にツッコむ。

 

「何がどうなってそうなったんだぁ?!」

 

「だってひなっち先輩、一生あたしの側にいてやるって言ったもん!」

 

「言ってねえよ!」

 

勝手にすげえ重い言葉つけ足すなよ!

 

「俺は、こういう不安な時くらいっつー意味で言ったんだ!」

 

「なっ………ま、紛らわしい言い方しないで下さいよ!!」

 

「お前が脳内で一言付け足したからだろうが!」

 

「そ、それは……」

 

ユイも自分が悪いって自覚があるんだろう。言葉に詰まって俯いてしまう。

 

……これ、なんか声かけてやるべきなのか…?

 

いやでも…俺がもしユイの立場だったら、かなり恥ずかしいしなぁ……

 

と、頭を悩ましていると、はぁ~!とユイが大きく息を吐き出した。

 

「良かったぁ~…」

 

「あん?」

 

「こういう言い方もどうかと思うんですけど…ひなっち先輩の告白が誤解で安心しました」

 

「フって気まずくならなくて済んだってか?」

 

中々に癪な言われ方だったので煽るように言い返す。

 

しかしユイは笑顔で2度首を横に振る。

 

「振る振らないはまだ決めてなかったから分かんないけど、ひなっち先輩が下心であたしを助けてくれたって分かったら…多分あたし傷ついたと思うんだ」

 

「は?なんで?」

 

「上手く言えないけど…裏切られた感じっていうか?」

 

「ん?おう…」

 

とりあえず相づちは打ったものの、あんまりピンとこない。

 

それを察したようで、ユイがさらに言葉を重ねる。

 

「今までこんなにあたしのことを気にかけてくれる人っていなかったから、ひなっち先輩は大袈裟に言うと、あたしにとって急に現れたヒーローみたいなものだったんだ」

 

「ヒーローって…」

 

突然の言われ慣れない言葉に背中がむず痒くなる。

 

「あくまでも大袈裟になんであんまり調子乗らないで下さいね」

 

「……はいはい」

 

すぐさまむず痒さが収まった。

 

いや、もうちょっとくらい泳がせてくれてもよくね?

 

「それでですね、ヒーローってやっぱり見返りを求めないものじゃないっすか?」

 

「まあ、そうだな」

 

「だからもしあたしのことが好きで助けてくれたんだったら、ヒーローに見返りを要求されたみたいに感じちゃってたかもです」

 

「ふーん…」

 

ヒーロー…か。

 

全くもって柄じゃねえし、ヒーローなんて言われたらむず痒くもなるけど…

 

「分かった」

 

「何がです?」

 

「俺がヒーローになってやんよ」

 

1拍間が空いて、ユイがぷっ、と吹き出した。

 

「なんですかそれ?あんまり調子乗らないで下さいって言ったじゃないすか」

 

「ばぁか。こっちは限りなく下手に出てやるってんだよ」

 

「?ひなっち先輩頭大丈夫ですか?」

 

お前には言われたくねえが…まあいいか。

 

確かにかなり頭のわいたようなことを今から言おうとしてるしな。

 

「俺はお前にぜってぇ見返りを求めない。今後一切だ」

 

「は、はぁ」

 

いきなりの宣言に戸惑ったように頷く。

 

しかしそれに構うことなく俺は宣言を続ける。

 

「そんで、お前の言うことはなんでもきいてやる。まあ、俺の出来る限りでだけどな」

 

「そんなの、ひなっち先輩になんの得もないですよ?分かってます?馬鹿だから分かってなかったりしてません?」

 

「アホか!それくらい分かってるっつーの!」

 

「じゃあなんで…」

 

その問いかけに対して、俺は答えを持っていなかった。

 

今までの言葉だって、なんかそう思ったから言っただけで、要はただの思い付きって感じで、理由がなかったからだ。

 

「わかんねぇ」

 

だから俺はまたしても思っていることをそのまま口にする。

 

「わかんねぇって…意味わかんないですよひなっち先輩」

 

そんな俺を呆れたように見つめるユイ。

 

馬鹿に馬鹿を見るような目で見られるのは癪だけど、こうなりゃ最高に馬鹿になってやる。

 

「いいんだよ。理由なんて無くても人を助けんのがヒーロー…なんだろ?」

 

「確かにそう言いましたけど」

 

「だったら俺はお前専用のヒーローだ。頼れ」

 

「…………専用…」

 

「これならがっかりしねえだろ?」

 

「そりゃ…そうですけど」

 

未だ俺の謎の宣言に戸惑うユイ。

 

気持ちは分かる。

 

かなり濃い時間を過ごしているって言ったって、まだ出会って1週間程だ。

 

そんな奴のこんな申し出をすぐに受け入れられたら逆に心配になる。

 

でも、そんな考えとは裏腹に、信じて欲しいと思ってしまう。

 

だから俺は、出来る限りユイの困惑を晴らすために笑う。

 

「ユイ、今すぐ信用しろなんて言わねえ。でも俺は嘘はついてねえ。それだけは誓う」

 

「は、はい」

 

「だから、もし今少しでも俺のことを信じられるんなら…」

 

小指を立てて、手を差し出す。

 

「指切りしようぜ」

 

「指…切り?」

 

一瞬きょとんとして、すぐに吹き出す。

 

あはは、とひとしきり笑ってから口を開く。

 

「そんなの子どものおまじないだよ?」

 

「だから良いんじゃねえか。俺への期待も信用も、子どものおまじないレベルに設定しとけ。今はな」

 

「なるほど…じゃあ、はい!」

 

同じように小指を立てた手を差し出す。

 

「指切りしよ!」

 

「おう!」

 

お互いの小指を絡ませ、例のちょっと内容の怖い唄を歌い、指を離す。

 

「じゃあ、これからはお前のヒーローだ」

 

「子どものお遊び程度のね」

 

「上等さ、で、何か頼ることねえか?」

 

「早速ですか?」

 

うーん…と唸って、ちらっと時計を確認すると、ポンと手を打った。

 

「そろそろお母さんの晩ご飯を用意するんで、手伝ってもらえます?」

 

「お安いごようだぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、二人で他愛もない話をしながらお粥を作った。

 

慣れない料理に若干邪魔になりつつだったけど、ユイは楽しそうにしてくれてたと思う。

 

お粥を完成させた後、お袋さんの様子を見に行くと、俺が初めに来たときよりは穏やかに眠っていた。

 

そしてお袋さんが眠ってしまっているので、作ったお粥は起きてから食べてもらうことにして、またユイの部屋で馬鹿な話ばかりしていた。

 

やれ、お前の捕球の仕方がなってないだの。

 

やれ、ホワイが口癖なんて何人なんだだの。

 

ちょっとした喧嘩みたいで、だけどお互い笑顔。そんな会話だった。

 

ユイは心底楽しそうにしていて、俺も励ます目的とかそんなの忘れて楽しんでた。

 

しかし不意に時計を確認したユイがこう切り出した。

 

「…もう10時過ぎちゃいましたね。そろそろ解散しましょうか」

 

「え?親父さんが帰ってくるまで全然大丈夫だぜ?」

 

「大丈夫大丈夫!もうお父さんも帰ってくるから!ひなっち先輩の家族も心配するでしょうし」

 

「そんなこたねえと思うけど…」

 

明らかにユイの様子がおかしくなったことは分かる。

 

でもこういう時のユイは、ここから先に踏みいられたくないと思っている時だってことは、もう分かる。

 

今の俺への信用度では足りてないだ。

 

「…でも、そっか。すぐに帰ってくんなら大丈夫か」

 

「は、はい!大丈夫ですよ!」

 

それが分かっていて食い下がれば、ユイが困るだけなのは明白。

 

俺は引き下がらずを得なくなった。

 

俺も腹減ったしな~、なんてそれっぽい台詞を吐きながら、ユイと共に玄関へ向かう。

 

扉を開け、家の外へ足を踏み出して…止めた。

 

「先輩?」

 

食い下がれば、ユイが困る。

 

それは分かってる。

 

だから…一言だけ…

 

「何かあったら頼れ」

 

「せんぱ…」

 

何か言おうとしたユイの言葉を遮るように、乱暴に頭を撫でた。

 

「また明日な!」

 

そして言い逃げるように、帰路についた。

 

明日には治ってるといいな…

 

「と、そういやグループどうなってんだろ?」

 

今さらそんなことを思いだし、LI○Eを開くと…

 

通知154…?!

 

何をそんな話してたのか頭から読んでいくと…

 

「なんだこりゃあ…!?」

 

目を覆いたくなるような下ネタと、途中から本気で俺とユイがそういう感じになってるんじゃないかと焦りだした非リア充たちの罵声が永遠と書き連ねられていた。

 

「……………」

 

……ガルデモ招待しとこ。

 

 




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「………遅いです」

そんなことがあってからは、ユイのお袋さんが少し体調を崩せば、ユイは俺を頼ってくれるようになった。

 

初めは、お袋さんがほんの少し体調が悪い時だった。

 

ある日、どうもユイが練習に身が入ってなくて、どうしたのか訊いてみると

 

『お母さん…ちょっとしんどそうだったんだ』

 

と、表情を暗くして教えてくれた。

 

ユイはお袋さんが心配で今すぐにでも帰って看病したいんだと思っているのはすぐ分かった。

 

でも俺はあえて、ユイはどうしたいんだ?と訊いた。

 

すると、少し逡巡してから

 

『お母さんの側にいたい…』

 

と言った。

 

素直に言ってくれたことが嬉しくて、笑って行ってこいって言ったら、なんで笑ってんですか…と若干怒られたけど、とにかく行ってきなと押しきった。

 

けどユイは中々動かず、何かまた悩んでいるみたいで、どうかしたのか?と訊くと、少し顔を赤くしたまま、俺の服の袖を摘まんで

 

『先輩も…来てくれませんか…?』

 

なんて言ったきた。

 

そんな風にそんなことを言われて、付き添わない男なんていない。

 

ましてや俺には約束があるんだから。

 

だから俺は喜んでオーケーした。

 

するとユイも嬉しそうに笑った。

 

早速皆に俺たちが抜けるのを伝えると、そりゃあもう冷やかしに冷やかされたけど、そんなことよりユイのお願いを叶える方が大事だった。

 

急いでユイの家へ向かって、帰ってきた実の娘に驚いているお袋さんを宥めて、看病を始めた。

 

って言っても、側で本当にささやかな補助をするだけなんだけど。

 

そんで、決まって10時頃になると、ユイに急かされて家へ帰る。

 

そんな日が度々あった。

 

そして、そんな日々の中、俺の中で、ある感情が少しずつ生まれ始めていた。

 

アイツに頼られる度、胸が高鳴って、嬉しそうな顔をする度、俺も嬉しくなる。不安そうにしていると、どうにかしてやりたくなって胸が締め付けられる。衝動的に抱き締めたくなる。

 

そんな、今まで浮かんだことがなかった感情が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてユイと出逢ってから2週間と少し経ったある日、その日もお袋さんは体調を崩してた。

 

あれから体調を崩すことが多くなって、すっかり練習への参加は疎らになってしまった。

 

けど、それが嫌じゃなくて、むしろ…

 

「お母さん、ひなっち先輩が来てくれて嬉しそうだったね!」

 

そんな風に俺のことを信用して笑うユイを独占できて、不謹慎だけど、嬉しかった。

 

「最近はよく来てんだけどな」

 

でもそんなことはおくびにも出さず、笑ってそう返す。

 

そしてまたいつもみたいに馬鹿な話を始めた。

 

この日はそろそろその日も近づいてきた球技大会の話になって、絶対優勝してよ~?と煽ってくるユイに、野球部ばっかのクラスもあるし勝てるわけねーよ、なんて宥めたりしてた。

 

それでもしつこく優勝をねだってくるユイに、んなことうちに怪物クラスの助っ人がいなけりゃ無理だ~なんて話をした。

 

そうするとユイは鈴を転がしたような笑い声を上げて、つられて俺も大きく笑う。

 

時間を見て、お袋さんの様子を見たり、ご飯を作ったりなんかも二人でやる。

 

ただの家事も、二人でやってると遊んでるみたいで楽しい。

 

けど、そんな時間は本当にあっという間で、また時計の針は10時に差し掛かろうとしていた。

 

ああ、そろそろ帰るよう言われんだろうなぁ…なんて、ちょっと残念に感じながら、会話を続けていると…

 

ガチャ

 

と、玄関の方から扉の開く音が聴こえた。

 

その音を聴いた途端に、ユイの顔色が悪くなる。

 

そしてすぐに血相を変えて、玄関へと走り出した。

 

「ちょ、ユイ?!」

 

呼び掛ける俺の声なんて聞こえてないみたいに振り向かずに走るユイに、呆気に取られたが、数拍置いてから追いかける。

 

まあ遅れたと言ってもたかが家の中、すぐに追い付いたし、それに…

 

「なんで今日こんなに早いの?!」

 

こんな大声を上げたら、追いかけなくても聞こえてただろう。

 

それで、この言葉で俺をいつもこの時間に帰す理由も、はっきりと分かった。

 

「お父さん!」

 

ユイの怒声の先は、厳しい眼光を縁なしの眼鏡で隠すどころか、さらに堅そうな雰囲気へと昇華させている、ユイの親父さんがいた。

 

これが…ユイの親父さん…

 

人懐っこいユイや、穏やかなお袋さんとは正反対に厳格といった感じで、いかにもユイと反りが合わなさそうだ。

 

ただ、それでも、それだけで、ここまで実の父親に嫌悪感を剥き出しにするか?

 

そんなことを考えていると、じろっと俺の方を睨み付けてきた。

 

「誰だ?」

 

「えと…日向秀樹、です。ユイの…友達で、時々お母さんの看病を手伝って…「なに?」

 

俺なりに慎重に言葉を選びながら説明をしたつもりだったけど、何か地雷を踏んでしまったらしく、一層強く睨まれる。

 

「そんなこと聞いてないぞ。本当なのか?」

 

聞いてない…?

 

そりゃ確かに親父さんに言ってあるなんて言われちゃいないけど、そんなまさか…

 

「………………」

 

ユイの方を見ると、不満そうに親父さんを睨むだけで、何も喋ろうとしない。

 

「ユイ、どうなんだ?本当なのか?それともそこの軽そうな男が嘘をついてるのか?」

 

いや軽そうって……まあよく言われるけどさ…

 

と、俺はそれくらいにしか思わなかったのに、ユイは何故かキッと顔を強ばらせて叫びだした。

 

「なんにも知らないのに勝手なこと言うな!」

 

「なに…?」

 

「ちょ…?!ユイ、そんな怒んなって!俺は気にしてねえから!」

 

明らかに一触即発ムードだったので、二人の間に文字通り割ってはいる。

 

「えっと、すいません多分ユイも言ったつもりだったんじゃないすかね?」

 

「君には訊いていない。俺はユイに訊いてるんだ」

 

見た目通り頑固っつーか、融通利かねえなぁ…

 

でもユイもなんか怒って黙りこんでるし…

 

「大体、非常識だとは思わないのか?本当に友達かどうかは知らないが、床に臥せっている母親と一人娘の家に男が上がり込むなんて」

 

どうしたもんかと頭を悩ませていると、どうやら矛先が俺へと向いたようだ。

 

「それは…そうですけど」

 

「けど、なんだ?」

 

「いや…」

 

「言いたいことははっきりと言え。悪いがこちらは言わせてもらうぞ?俺はこの状況を正直今、とても気持ち悪く思っている」

 

「きも…っ?!」

 

「当たり前だろう?知らない男が身内みたいに当然の如く家にいるんだから」

 

もちろんそんなの親父さんの言うことの方が正しくて、俺の存在の方が間違っているのは分かるけど、だとしてもちょっとカチンとくる言われようだ。

 

さすがに多少の反論は許されるだろ、と口を開こうとする。

 

しかし

 

「ふざけないでよ!!」

 

俺なんかよりよっぽど早く、よっぽど怒って、ユイが怒鳴り付けた。

 

「ひなっち先輩は…!ひなっち先輩は、ただ手伝ってくれてるだけ!それをそんな風に悪く言わないでよ!」

 

「……何が目当てなんだ?」

 

しかし、親父さんはそんなユイに目もくれず、俺へ問いかけた。

 

「金か?ユイか?まさかとは思うが、妻か?」

 

「は?いや俺は…」

 

「助けた貸しを使って何か要求するつもりなんだろう?言ってみるといい。と言っても何も渡すつもりはな―――」

 

バシン!

 

という破裂音と共に派手に親父さんの眼鏡が吹っ飛んで、床を滑っていく。

 

強烈な平手打ちだった。

 

「ひなっち先輩は何もしてくれないあんたの代わりにユイを助けてくれたんだもん!ユイのヒーローなんだもん!それを悪く言うなんて絶対許さない!!」

 

「ユイ…」

 

今はそんな場合じゃないと分かっていても、その言葉がじーんと胸に染みた。

 

「ふん…」

 

親父さんは外れた眼鏡を拾って、もう一度かけながら呆れたようなため息を吐く。

 

「ヒーロー遊びなんてまるで子供だな」

 

「――――っ?!この「ユイ…ちゃん…?」

 

親父さんの言葉を聞いて、再度腕を大きく振りかぶったその時、ふらふらと騒ぎを聞き付けてお袋さんが階段を降りてきていた。

 

「どうしたの…喧嘩…?」

 

立っているのも辛そうなまま、ユイと親父さんを交互に見やって状況を確認する。

 

ユイも流石にお袋さんの目の前で親父さんを叩くのは躊躇するようで、振り上げた腕の行き場を失っていた。

 

「……っ!」

 

そしてそのまま親父さんをはねのけて外へと出ていってしまう。

 

「ユイ?!」

 

「ユイ…ちゃ…」

 

ユイが出ていったことで驚いたのか、ふらっとその場に崩れ落ちそうになるお袋さん。

 

「あぶ…っ」

 

手を差しのべるも、間に合わない、と思って目を瞑ったが、倒れたような音は聞こえない。

 

そっと目を開けると、親父さんがしっかりと抱き抱えていた。

 

俺より遠くにいた気がするんだけど…

 

「大丈夫か?……気を失っているか」

 

返答のないことを確認してそう呟く。

 

その姿は、なんでかさっきみたいな取っつきにくさがなかった。

 

「って、ユイ!アイツどこに…」

 

「恐らく近くの公園だろう」

 

「え…?」

 

近くの公園っていうと、いつも野球してるあそこか。

 

でも、なんで…?

 

「君のことは気にくわないが、どうやら娘は君を気に入ってるみたいだ」

 

……一言多いなちくしょー。

 

「だから迎えにいってやってくれ。俺は妻を寝かせてくる。あと…」

 

何かを思い出したのか、丁寧な動作で階段にお袋さんを座らせて懐からペンとメモ帳を取りだし何かを書き始めた。

 

ビリっとメモしたところを破り、手渡される。

 

「これって…」

 

「妻の携帯のアドレスだ。登録して、君もそこにメールを送っておいてくれ」

 

「…なんでですか?」

 

「恐らく、妻は君に近々伝えることが出来るだろう。そのためだ」

 

「何かって…」

 

「要件は伝えた。さっさと連れ戻して君は帰れ」

 

なんつー自分勝手な…こちとらなんも分かってねえっつーのに…!

 

「ヒーローなんだろ、不安がってるぞユイが」

 

「…っ、分かりましたよ…ヒーローっすからね」

 

あんたよりもよっぽど頼りになってきますよ、と心の中で捨て台詞を吐いて俺も家を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親父さんの言葉通り、ユイはあの公園にいた。

 

ベンチで膝を抱えながら仏頂面で。

 

「………遅いです」

 

開口一番それか…

 

まあ来るって思ってくれてたってことで良しとすっか。

 

とりあえず、ヒーローは遅れて登場するもんだからな、と軽口で返しておく。

 

「帰ろうぜ」

 

「……やです」

 

「やですって…」

 

子供じゃねえんだし…って、まだ子供か。

 

「ま、今帰ってもまたすぐ喧嘩すっかもしんねえし、ちょっと話すか?」

 

「……喧嘩なんてしないよ」

 

「嘘つけ」

 

「本当だよ。お父さん…仕事から帰ってきたらすぐ寝ちゃうもん。お母さんの心配もしないで」

 

そう言って、ギリっと歯をくいしばる。

 

じんわりと涙も浮かべ、形相は怒り一色だ。

 

お袋さんの心配もしないで…か。

 

だったら、さっきの親父さんの動きは…

 

いや、もう考えるよりもとにかく訊いてみよう。

 

「なぁユイ、なんで親父さんと仲悪いんだ?」

 

「なんでって…あの人すごい仕事人間で、病気のお母さんのこと放っていっつも深夜まで仕事して、帰ってきてもすぐ寝るだけで…ちっともお母さんのことが大好きなんて思えないんだもん」

 

「でもそりゃ仕方ないんじゃねえか?病気を治すのにも金は必要だし、仕事だってどうしようもないことだって…」

 

「それでもあたしはお母さんを大事にしてほしいの!」

 

「……そっか」

 

大声を出した後、本格的に泣き始めたユイの頭を撫でて落ち着かせる。

 

抱えていた膝に目を押し付けているから泣き顔が見えるわけじゃないけど、鼻をすすったり、嗚咽の音だったりが聞こえてくる。

 

「お前、偉いよ」

 

多分今は何を言っても返事も反論もしてこないだろうと思いながら言葉をかける。

 

あと今なら顔も見られないだろうし。

 

「放っとかれてんのお袋さんだけじゃなくてお前もなのに、自分よりお袋さんのこと思いやれてさ」

 

こんなこと、顔見られながら言えるわけねえしな。

 

「さっき怒った時だってそうだ、俺が悪く言われて怒ってくれたよな?俺…」

 

その先を言うのは少し心の準備がいる。

 

何も深い意味なんてない。

 

だとしても、やっぱり特別な言葉だから。

 

「俺…お前のそういうとこ好き…だぜ」

 

言いきって、ちらっと確認するけど特に動きはない。

 

「うぅ~!!」

 

と思ったら急にもぞもぞ動き出した。

 

「な、なんだ?!」

 

「………………」

 

今度は急に大人しく…

 

「ユイ?」

 

「ひなっち先輩って…やっぱりあたしのこと好きなんじゃないですか…?」

 

「んなっ?!」

 

顔は見えないけど耳まで真っ赤だから照れまくってるのは分かる。

 

でもマジでそういう意味込めて言ってるんじゃねえんだよな…

 

「あくまで人柄っつーか、性格の話だっつーの!調子乗んな!」

 

「じゃ、じゃあ紛らわしいこと言わないでくださいよ!」

 

「へーんだ、お前が俺のことを意識しまくってるからそんな風に思うんじゃ…ねぇ…」

 

売り言葉に買い言葉、まさにそれだけの会話の応酬。

 

…だと、思ってたのに…

 

俺の軽口を聞いた途端、今まで膝に押しつけていた顔をばっと上げて、紅潮した顔色を浮かべ、まるで何かに気づいたみたいな顔と目で、俺のことを見つめてきた。

 

思わず俺も吸い寄せられるようにその目を見つめてしまう。

 

心臓はやたら早いのに、なんでか時間が進むのだけは遅く感じる。

 

実際はものの数秒なのに、あれ?もう何時間とずっと見つめあってんじゃねえか?って思っちまう。

 

そんな、馬鹿げた感覚だ。

 

息苦しくて、段々と頭もくらくらしてくる…でも、目は離せない。

 

「な…」

 

ようやく一文字だけ喉から言葉を吐き出せた。

 

半ば話し方を忘れたみたいな感覚に陥りながら、それでも言葉を引きずり出す。

 

「なんか…言えよ…」

 

しかし返事はない。

 

ただ無言で俺のことを見るだけ。

 

ユイの時間だけが止まったように動かない。

 

話さず、眉1つ動かず、まばたきすらしない、一周回って心配になるような時間。

 

でもそれは、意外なもので幕を閉じた。

 

ぽとり

 

「…ユイ…?」

 

ぽとり、ぽとりと、ユイの目から涙が落ちていく。

 

「ど、どうした?また親父さんのことか?」

 

慌てて涙のわけを訊いてはみるけど、首を横に振るだけで言葉はない。

 

ただ、しばらく変わらなかった表情は少しずつ崩れ始めた。

 

事実を受け止められないみたいに呆然としていたさっきの顔じゃなく、何か後悔しているみたいな悲しい顔。

 

耐えきれずに手で顔を覆い始めた。

 

「ユイ?どうしたんだ?なんか言えって」

 

「………やだ…」

 

ようやく反応したと思えばそんな台詞だった。

 

だけどこのまま引き下がるわけにはいかない。

 

「落ち着け。泣くってことは、なんか辛いんだろ?話くらい聞くから…俺は…」

 

そう…俺は…

 

「お前のヒーローなんだからよ」

「やめて!!」

 

ドサッ、と地面に尻餅をつく。

 

え…なんで…?

 

一瞬、理解が追い付かない。

 

ただただ呆然と、腕をこちらに突き出しているユイを見て、ゆっくりと状況を把握する。

 

ユイに突き飛ばされた。

 

いや、こんな文章だけなら日常茶飯事で、むしろもっと酷いことの方が多い。

 

だけど、問題なのは今、ここでそんなことが起きたってことだ。

 

俺は自分なりにユイの欲しがっているはずの言葉を言ったつもりだった。

 

だって、俺がヒーローであることを望んだのはユイで、ヒーローなら辛いときは支えてやんなきゃいけないはずだから。

 

でも現実は、ユイは声を荒げて俺を拒絶しただけだった。

 

「先輩…ごめんなさい…」

 

頭を真っ白にしていると、頭上からそんな言葉が降ってきた。

 

顔は涙でぐしゃぐしゃで、声は震えて、きっと心もボロボロなんだろう。

 

「ユイ…」

 

助けてやりたい。

 

でも俺は拒絶された。

 

ヒーローでいられないんなら、俺はコイツの何としていればいいんだ?

 

何だったら、助けてもいいんだ?

 

「ごめんなさい…!」

 

何も答えは出ないまま、ユイは俺の下から走り去っていった。

 

 




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「いい加減にしなさいよ!!」

その日は朝から様子がおかしかった。

 

話しかけても心ここにあらずで、気づいたと思えば分かりやすい愛想笑いに空元気……

 

「ってことなんだけど、何か知らないかしら?」

 

「……ってことって言われても、なぁ?」

 

「あぁ…」

 

互いに目を合わせてあからさまに困った風な態度を取る音無くんと柴崎くん。

 

「何よ?はっきり言いなさいよ」

 

そんな態度に苛立ちが募って貧乏ゆすりが激しくなっていく。

 

音無くんはあたしの機嫌が悪くなっていっているのを見て慌てて弁解を始める。

 

「い、いやほら、幼馴染みのゆりや大山に分からないなら俺たちが分かるわけないし…な?」

 

「そ、そうそう」

 

「まぁ…そうなんだけどね」

 

そう…本当は大体の予想もついてる。

 

というよりも、それ以外にない。

 

「ごめんね、手間取らせちゃって」

 

「お、おう…」

 

困惑する二人を置いて、当人の元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珍しいわね、昼ご飯も食べないなんて」

 

「…ゆりっぺ」

 

遊佐さんに日向くんの居場所を特定してもらい、呑気に芝生で寝っ転がっているところに声をかける。

 

すると、少し驚いたような、でもどこか納得した面持ちで、こちらを見つめていた。

 

「何しにきた?なんて訊かないでよね」

 

「…あぁ、分かってるって」

 

寝転がっていた体を起き上がらせながら返事をする。

 

「ユイって子のこと?」

 

「っ…知ってたのか?」

 

今まで全部分かってたかのような表情を浮かべていた顔がようやく崩れた。

 

「知ってるも何も、あなた大声で話してたじゃない」

 

「いやでも、ゆりっぺ全く反応とかしてなかったし…いつもなら率先して見に来そうなもんなのに」

 

「そうね…」

 

本当にそう。

 

きっと『ユイ』なんて子を知らなければ、せめて運命なんてものを知らなければ…あたしは日向くんの言う通り率先して様子を伺っていたはず。

 

そうよ、知らなければ…

 

『ユイってやつなんだけど――』

 

こんな言葉だけで胸が抉られるような思いをせずに済んだんでしょうね…

 

「今はあたしも忙しいから、流石に構ってられなかったのよ」

 

でもそんなことを言うわけにいかない。

 

だから適当な嘘で取り繕っておく。

 

「で、いよいよ忙しさなんて気にしてられないくらい俺の様子がおかしかった…ってか?」

 

「ま、その通りね。正直気持ち悪いわ」

 

「きも…っ…いやいやいや、もうちょっと色々言い方あんだろゆりっぺぇ~…?」

 

「ないわよ。あなたはいっつも馬鹿みたいに軽くて、馬鹿みたいに変なツッコミして…」

 

馬鹿みたいにお人好しで、馬鹿みたいに人の心配して、それで……

 

「馬鹿みたいに笑ってないといけないのよ」

 

「それだけ聞くと俺すげえ馬鹿な奴なんですけど…?」

 

「あら、馬鹿じゃない」

 

「否定はしねえけどよ…」

 

「否定しないのなら、早く話を聞かせてくれないかしら?」

 

時間はあまりないわよ、と校舎についている時計を指さして伝える。

 

すると、少しだけ悩んだ後、事の経緯を話し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーンと、呼び鈴を鳴らす。

 

『はい…』

 

聞こえてきた声は、あの子の声。

 

「日向くんの幼馴染みの仲村ゆりよ。出てきてもらえる?」

 

出来るだけ抑揚を無くし、要件だけを伝える。

 

そうしないと、すぐにでも怒りが爆発してしまいそうで。

 

意外と素直に、いやもしかしたら何かを感じ取ったのか、ユイはすぐに玄関を開けて出てきた。

 

「なん…ですか?」

 

おずおずとした申し出に、またしてもあたしは短く言い切る。

 

「話があるから、ついてきて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所を河川敷に移し、一旦気持ちを落ち着かせてから話を切り出す。

 

「改めて自己紹介させてもらうわね。仲村ゆり、日向くんとは小さい頃からの仲よ」

 

「そう…ですか」

 

あたしの言葉の端々から敵対心を感じたのか、少し躊躇ったような反応をする。

 

しかし構わず話を続けていく。

 

「あなたのことは日向くんから聞いてきたわ。今、関係が拗れてることも……その経緯も」

 

あたしの言葉を聞いて、肩がびくんと跳ねる。

 

それが何に起因するものなのかは分からないけど…

 

「ヒーローになって欲しいって言ったくせに、いざヒーローなんだからって言われたら突き飛ばしたらしいじゃない」

 

また、びくんと跳ねる。

 

次第に顔も俯き気味になっていく。

 

…あなたが日向くんに対してどう感じてるのかは分かるわよ。

 

「後ろめたい…のよね?」

 

がばっと、顔を上げた。

 

なんで…?

 

そう顔に書いてあった。

 

「図星、ね」

 

「な、なんで…」

 

やっぱり。

 

「まああなたの立場になったつもりで想像してみたってところ」

 

「じゃあ…」

 

「ええ、分かってるわよ。あなたが日向くんのことを好きになってしまったこと」

 

そう言い終えると、すぐさまユイの顔色が悪くなっていった。

 

そして…

 

「ち、違う!!」

 

否定した。

 

「何が…かしら?」

 

「ひなっち先輩のことなんか好きじゃない!」

 

「………はぁ」

 

予想出来なくもなかった台詞だけれど、思わず呆れて溜め息が出てしまう。

 

「日向くんから経緯は全部しっかり聞いたの。そんなので誤魔化されるわけないでしょ?」

 

「でも…違う…」

 

「まだ言うの?ならはっきり言わせてもらうわ。あなた、日向くんが軽口で言った言葉で自覚しちゃったのよね?」

 

『お前が俺のことを意識しまくってるからそんな風に思うんじゃねえか』

 

なんて、いかにもあの間抜けな無自覚タラシ男が言いそうなことね。

 

そんなので自覚しちゃうこの子もこの子だけど。

 

…いや、どのみちあたしの言えたことじゃないか…

 

「それで、自分から日向くんに下心持ってるとがっかりする…とかなんとか言ったくせに、自分が下心を持っちゃってたことが後ろめたいんでしょ?」

 

「ち、違う!下心なんて持ってない!ヒーローに助けてもらうヒロインも下心なんて持っちゃいけないんだもん!」

 

未だ認めようとはしない。

 

否定の言葉はまるで子どもが駄々をこねているよう。

 

もう…我慢の限界…

 

「いい加減にしなさいよ!!」

 

「っ?!」

 

きっとユイからすればそれまで冷静だったあたしが急にキレたように映るかもしれない。

 

けど、あたしは日向くんから話を聞いた時点でもう沸点なんてとうに越えていた。

 

「ヒーローとかヒロインとか…ふざけないでよ!あなたたち何歳?!ごっこ遊びなんてしてんじゃないわよ!!」

 

「……っ!?遊びなんかじゃない!本気だもん!」

 

あたしの言葉を聞いて、ただ怯えていただけの表情に怒りの火が灯った。

 

でもそんな小さな火じゃあたしの炎は消えやしない。

 

「遊びよ!ヒーローなんてこの世にいない!ヒロインだってこの世にいない!あなたはただのユイで、彼はただの日向くんなのよ!」

 

「そんなの…」

 

「分かってるって言うつもり?!分かってないでしょ!いいえ、気づかないふりをしてるだけ!あなたも日向くんも!!」

 

日向くんだって分かってる。ヒーローなんかになれやしない。

 

少なくともユイのヒーローなんかに。

 

だって彼も…

 

「向き合いなさいよ!ヒーローじゃなく、日向くんと!ヒロインじゃなく、ユイとして!」

 

「そんなことしたらひなっち先輩に…」

 

「幻滅される?かもしれないわね。あなたは自分から言った我が儘を自分からやめようとしてるんだから」

 

「………」

 

ここで、ここでもし、ユイに変な入れ知恵をすれば、日向くんを諦めるかもしれない。

 

そしたら、日向くんはあたしに振り向いてくれるかもしれない。

 

「でも…日向くんはそんなことで人を嫌いになんてなれない」

 

なのに…なんでこんなことを言ってしまってるのかしら…

 

「……え…?」

 

「あなたは…日向くんに酷いことをしてる…とあたしは思うわ」

 

きっと日向くんが最初に手助けをすると言い出したのは、本当ただのお節介だったんだと思う。

 

それを、日向くんの無自覚タラシスキルがあったとは言え、ユイは疑った。

 

そして、日向くんに釘を刺した。

 

好きになられるとがっかりするかも。

 

そんな、深い深い釘を。

 

彼はきっと、本当はもうユイのことが好きだって分かってる。それでも気づかないふりをしていないと、ユイに拒絶される。

 

それを避けるために、ヒーローになった。

 

仮そめのヒーローに。

 

これで大丈夫。隣にいてもいい。

 

そう思った矢先のこの出来事だ。

 

きっと傷ついた。絶望した。

 

今も悩んでる。

 

「だけど、彼はあなたを許すわ。必ずね」

 

「なんで…?」

 

「そんなこと本人に聞きなさい!あなたは人の力を借りないと立てないの?!歩けないの?!何も出来ないの?!違うでしょ!?」

 

そう、昔のあなたとは違う。

 

「今のあなたは彼のためになんでも出来るのよ!」

 

「なんでも…」

 

「そうよ…そして、彼の願いを叶えることは、あなたにしか出来ないの」

 

「先輩の願い…?」

 

「あなたの隣にいたい。助けたい。そういう願いよ」

 

本当はもっと先の願いもあるんだけどね…

 

「でも…」

 

しかしこれだけ発破をかけてもまだ俯き、暗い顔をしているユイ。

 

「でもじゃない!…あーもう!良い感じに話まとめようと思ったけどやめ!あたしの本音言うわよ?」

 

「は、はい…」

 

「あなたのことも日向くんのことも知ったこっちゃないわ!このまま最終的に何も関係が変わらなくたって良い。でもちゃんと向き合って話し合いなさい!あたしのためにね!」

 

「……は?」

 

突然割り込んできた、『あたし』という言葉に呆気に取られている。

 

「あたしも日向くんが好きなのよ。昔からね」

 

「え…それって…」

 

「そう、本来あたしとあなたは恋敵とでも言うべき間柄よ」

 

「じゃ、じゃあなんであたしにこんな風に助言してたんですか?!」

 

「あたしは…彼の運命の相手じゃないからよ」

 

そう言うとあからさまに、何言ってるんだこの人?みたいな目で見てくる。

 

「運命って…あの…ついさっきヒーローがどうなんてごっこ遊びとか言ってませんでしたっけ?」

 

「まあそうね。あなたの言いたいことも分かるわ。じゃああえてあなたの言葉を借りて言わせてもらうわ」

 

「は、はい?」

 

要領を得ないユイを放って話を続ける。

 

「あたしは何年想いを募らせたって、ヒロインにはなれなかった」

 

こちらで日向くんを好きになって、記憶を取り戻してから4年…

 

あちらの世界も含めれば…もう数えるのも億劫になるくらい長い片想い。

 

……それでもあたしはなれなかった。

 

「そんな立場にあなたはいとも簡単になったのよ?!もう、ふざけんな!って感じじゃない?」

 

「確かに…そうですね」

 

ここまでの会話の中でようやく聞くことが出来た、同意の言葉だ。

 

「まあ、ヒロインなんてこの世界にはいないって考えは変わらないけれどね、でも…女の子は好きな人の前ではヒロインになりたくなるものってのは、よく分かるわ」

 

あたしだって、何度夢見たか分からないもの。

 

「ああやって挑発すれば、あなたの性格なら発奮するかと思ったの。ごめんなさいね」

 

すっと、握手をするために手を差し出す。

 

「は、はい」

 

ユイも若干戸惑いながら手をこちらへと差し出し…

 

「あ、でもキレてたのは本気よ?」

 

…たのだけど、あたしの台詞を聞いて、さっと手を引いていった。

 

ふふ、と笑いをもらし、会話を続ける。

 

「あなたはヒロインもヒーローも下心は持たないって言っていたけど、果たして本当にそうかしら?」

 

「え、違いますか?」

 

「あたしの想像するヒロインとヒーローっていうのは、最終的に付き合ったり結婚したりするわね」

 

「た、確かにそうかも…」

 

うぐぐ…と頭を抱えてしかめっ面になっているユイ。

 

多分、会話の流れで言った言葉のせいで頭でっかちになっちゃってたのね。

 

「だから、良いのよユイ。好きになっても」

 

「良いんでしょうか…」

 

「良いの。ダメなんて言う奴がいたらあたしが社会から消してやるわ」

 

もちろん日向くん込みで。

 

「怖いですよ!?」

 

「あたし以外にあなたたちを邪魔させたりしないわ。だからほら、さっさと話し合って来なさいよ。きっと彼なら今頃野球の……」

 

と話していると、ピリリリリと機械音が流れた。

 

その音の正体はユイの携帯の着信音で、ポケットから携帯を取り出していた。

 

「せ、先輩?!」

 

「あら早速チャンスね。ほらほら、早く出なさいよ」

 

目一杯虚勢をはって茶化す。

 

ユイは照れながら、少し間をおいて通話ボタンを押した。

 

「も、もしもし…」

 

少し声を震わせながら応答すると、やけに大きな声で日向くんが何かを言っていた。

 

流石に内容までは分からないけど、かなり切羽詰まったような雰囲気だった。

 

そして、それを聞いたユイは瞳孔が開いているんじゃないかっていうくらい目を見開いて、口元を震わせていた。

 

「どうかしたの?」

 

様子がおかしいので、声をかけるも、返事をしないので肩を揺さぶる。

 

ようやくこちらへ振り返って、震える口を動かした。

 

「お母さんが…」

 

お母さん…って、確か病弱って言ってたわね…

 

「お母さんが、どうしたの?」

 

「お母さんがぁ…倒れて…病院に運ばれた…って…」

 

そう言うと、その場にへたりこんで携帯を手放した。

 

まだ電話は切れていなかったので、それを手にとって日向くんへ呼び掛ける。

 

「日向くん。あたしよ、ゆり」

 

『ゆりっぺ、やっぱユイといたのか』

 

「今はそんなことどうでもいいわ。ユイを連れていくからどこの病院か教えてちょうだい」

 

『場所はお前んとこの病院だよ……急がなくて良い。ゆっくり、時間かけて来てくれ』

 

「こんなときに何を…」

 

『頼む…ユイが落ち着いてから来てくれ』

 

……確かに今ユイを連れていったって何かを出来るわけでもない。呆然として、立ち尽くすだけだろう。

 

けど…だとしてもわざわざ時間をかけて、なんて日向くんが言うとはとても思えない…

 

だとすると、誰かが日向くんにそう指示をしてる…そして、日向くんもそれを了承してる…か。

 

「…分かったわ。でも稼げても精々一時間よ?」

 

『ああ、充分だ。サンキュ…ゆりっぺ』

 

「良いわよ、成りゆきだもの」

 

そう言って、通話を終えた。

 

そして、今度は自分の携帯を取り出して、使用人の一人に電話をかける。

 

ワンコールで電話を取る優秀な使用人に感謝をしながら、河川敷まで迎えにくるよう伝えた。

 

「…ユイ、とりあえず立ちなさい」

 

返事はないけど、手を差し出すとしっかりと取って立ち上がった。

 

目はまだ虚ろとしている。

 

「しっかりしなさい…日向くんがついてるから」

 

……こんなこと、失恋して間もないあたしに言わせるなんて…本当に神様ってのは悪趣味ね…

 

 




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「大切に…してくれる…?」

ゆりっぺに事の経緯を説明し終えて、ちょっとばかし気が楽になった。

 

ゆりっぺは、意外にも茶化さず真剣に聞いてくれたし、最終的にはなんでか怒ってるみたいだった。

 

……ユイのとこに怒鳴りこむとかしないといいんだけどな…

 

まあでも、今回ばっかりはゆりっぺに感謝だな。

 

落ち込んでばっかいらんねえ。ユイの力になんだからよ。

 

「つっても…どうすりゃいいんだろうな…」

 

昼休みが終わりそうになったので、重い腰を上げながらぼやくと同時に、携帯が鳴った。

 

「メール?」

 

そこである出来事が頭をよぎった。

 

そういや、ユイのお袋さんとメアドを交換したんだっけか…。

 

メールフォルダを開くと、やっぱり送り主はお袋さんだった。

 

文面はこうだ。

 

『今日、よければ放課後に家に来てもらえないかしら??少しお話ししたいことがあるの(>_<)』

 

もちろん断る理由もないし、了解っす。と返す。

 

しっかし、話したいこと…か。

 

「なんだろな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後になり、もう何度目だよって感じだが、野球の練習をやっておいてくれと頼んで、ユイの家に向かった。

 

とりあえず家に着いたのは良いものの…インターホンを鳴らせばユイが出るはず…

 

そう思うと、指は自然と動きを止めてしまう。

 

何度もインターホンを押しかけては引っ込め、押しかけては引っ込めていると、携帯が鳴った。

 

確認すると、またユイのお袋さんからのメールで、ユイは今はいないから勝手に上がってきてという内容だった。

 

「ユイ…いないのか」

 

ホッと安堵のため息をついて、お袋さんの指示通り勝手に上がらせてもらうことにする。

 

慣れた足取りでお袋さんの部屋を訪ねる。

 

扉を開けるとお袋さんはいつものようにベッドに横になっていた。

 

「日向くん、ごめんなさいね呼び出しちゃって」

 

俺が入ってきたのに気づくとすぐに反応して、体を起こす。

 

「全然大丈夫っすよ。ていうか、横になってなくて平気なんすか?」

 

顔色は悪くないけど、昨日の今日だ、心配にならないわけがない。

 

「平気平気!それより早速、本題に入ってもいいかしら?」

 

「あ、はい」

 

「えっとね…日向くんは、ユイちゃんのことをどう思ってる?」

 

「ぶっ?!」

 

唐突かつタイムリーな問いかけに、思わず吹き出してしまう。

 

「なんなんすかいきなり?!」

 

「ち、違うの!ふざけたり茶化したりしてるわけじゃなくて、本当に真剣な質問なの!」

 

確かにその言葉通り、目は真剣そのものだった。

 

つっても…どう思うって…

 

「良いやつだと…思います。話してて楽しいし…」

 

「それだけ?」

 

「いやそれだけ?って…」

 

何を言わせようとしてるんだ…?

 

「日向くんは、ユイちゃんのことどういう風に見てる?」

 

どういう風に…?

 

「ちょっと、質問の意味がよく分かんないんすけど…」

 

さっきのどう思う?という質問。

 

そして、今ぶつけられたどういう風に見てる?という質問。

 

似てるようで、でも確かに違う意味合いを含んでいるように思える。

 

「日向くんはユイちゃんのことを、友達として見てる?」

 

「そ、そりゃ友達っすよ。じゃなきゃこんなに遊んだりしないですし」

 

「じゃあ、女の子として見てる?」

 

「―――っ、それは…当たり前じゃないっすか。男子だなんてちっとも…」

「そうじゃないの」

 

「そうじゃないのよ…」

 

分かってるんでしょう?と、目が言っていた。

 

……分からない…分かっちゃいけない…

 

「あ、あいつは…妹みたいなもんで…助けてやんなゃいけないって…」

 

お袋さんは悲しそうに首を横に振る。

 

なんだよ…?なにが違う…?

 

「本当なんすよ!本当に、ただそれだけで――「日向くん」

 

「―――っ」

 

「ごめんなさいね…」

 

「え…?」

 

なんでお袋さんが謝っているのか分からず、呆けた声がもれる。

 

「ユイちゃんとヒーローになる約束…してたんでしょう?」

 

「知ってたんですか…?」

 

いや、よくよく考えてみれば当たり前だ。

 

ユイはいっつもその日の嬉しかったことをお袋さんに報告してた。

 

ユイが本当に喜んでいたんなら、真っ先に報告してるに決まってる。

 

「ユイちゃん、本当に喜んでた…」

 

お袋さんは泣き笑いのような表情を浮かべながら、ポツリと呟いた。

 

「下心があったら、ヒーローだと思ってた日向くんに裏切られたみたいに感じるって、言ったのよね?」

 

「そう…ですね」

 

「日向くんはその気持ちを汲んでくれた…」

 

「……はい…」

 

お袋さんは、気づいてるんだ。

 

俺の嘘に。

 

いや、俺たちの嘘に。

 

「なのに…ユイちゃんが先に自覚しちゃったのよね?」

 

「……………」

 

俺は答えない。

 

自分の口からはとても言えないから。

 

「日向くんが好きだ…って」

 

「………あれはやっぱそうなんすか…?」

 

「ええ。見てれば分かるわ」

 

「…はは、分かりやすいですもんね」

 

あの時、真っ赤な顔で、熱を帯びた視線で、そうなんじゃないかと確信しそうだった。

 

でもそのすぐ後にユイが泣き崩れて、混乱した。

 

その場で、ユイの泣くに至る理由が分からなかったから。

 

だって思わないだろ…?好きだって気づいて泣くなんて…

 

そしてその後の拒絶。

 

いよいよ、ユイが俺を好きかどうかを考えてる暇じゃなくなった。

 

どうしたらいいのか?

 

どうしたら良かったのか?

 

前の関係に戻れるのか?

 

そもそも戻りたいと思ってるのか?

 

そんなことばっかり考えていた。

 

「そっか…やっぱ勘違いじゃなかったんすね…」

 

「ごめんなさい…」

 

「謝らないでくださいよ…謝らなきゃいけないのは…俺の方っすから」

 

ずっと、気づかないふりをしていた。

 

していられると思ってた。

 

いつからアイツのことを、なんて、多分いくら考えても分からねえと思う。

 

でも、ユイにヒーローみたいだと思ってたって言われた時には、きっともう…

 

「ユイが…娘さんのことが好きです…!すみません…!」

 

「頭なんて下げないで、ユイちゃんが悪い…ううん、少し子どもだっただけなんだから…」

 

「いや、俺が守れない約束なんてしたのが悪いんです…!ユイが俺のことを好きになるのは予想外だったんすけど…」

 

でも、例えそうならなかったとしたら…俺はいつまで自分に嘘をついていられた?

 

「自分に嘘をついた時点で…ヒーローなんかになれっこないのに…」

 

本当…バカみてえだ…俺…

 

「日向くんは、立派なヒーローよ。少なくとも、ユイちゃんにとっては」

 

「そんな…」

 

「励ましでもお世辞でもないのよ?だって、日向くんは寂しい思いをしているユイちゃんを助けてくれたじゃない」

 

「助けたって…結局、ユイが俺とキャッチボールをしたのも、野球の練習に参加するのを決めたのも、全部お袋さんが背中を押したからで…」

 

俺はいつも、この二人の会話を側で聞いていただけで…

 

「私は背中を押したんじゃないの…私という足枷を外させた…ただそれだけなのよ」

 

「そんな…!足枷だなんてアイツは…!」

 

「分かってる…分かってるの…でも事実は変わらない…私は…あの子の邪魔でしかなかった…あの子はあの子で…それを振り払わなかった…」

 

沈痛な面持ちで、呟くようにそう言う。

 

心なしか、少し顔に汗が滲んでいるように見えた。

 

「初めてなの…ユイちゃんが誰かに頼ったのは…自分を引こうとする手を…拒まなかったのは…」

 

「お、お袋さん…?」

 

何か、様子がおかしい。

 

苦虫を噛み潰したような顔は、ユイへの自責の念からなのかと思っていた。

 

言葉が尻すぼみだったのも、そのせいだと思っていた。

 

でも…違う…

 

「もしかして――「日向くん…」

 

その先を言わせまいとするように、言葉を被せてくる。

 

「日向くんは…ユイちゃんのことが…好き…?」

 

次第に汗によって、事前に施していたらしい化粧が落ちていく。

 

その下は、明らかに体調の優れていない時のものだった。

 

「な?!今そんな場合じゃ…!?」

 

とにかく救急車を呼ぼうと携帯を取り出そうとする腕を掴まれる。

 

振りほどこうと思えば出来る程度の力…なのに、何故かそうは出来なかった。

 

「それは…私の質問に…答えた後…で…」

 

なんで、なんて訊いても意味のないことだと目が語っていた。

 

「……好きです!ユイが好きです!」

 

「大切に…してくれる…?」

 

「します!するに決まってるじゃないですか!」

 

「そう…なら、安心…」

 

ふっと掴まれていた腕が解放された。

 

力の限界なのか、要件が済んだからなのかは分からないが、急いで電話の画面を開く。

 

「日向くん…最後に…」

 

「な、なんすか?!」

 

「救急車よりも先に…パパ…優一さんに連絡して…私の携帯…で…」

 

自分の枕元にある携帯を視線で伝え、気を失った。

 

その言葉の意図も何も分からないまま、でもとにかく言う通りに従って、親父さんへと電話をかける。

 

ワンコールだった。

 

『…日向くん、だったか?』

 

「そう…ですけど」

 

お袋さんの名前が画面には出ていたはずなのに、なんで俺だって…?

 

『分かった…すぐに病院に向かう。搬送先は百合ヶ丘病院だと伝えてくれ。あと、ユイにはまだ連絡するな』

 

「え、あ、はい……って――」

 

プツッ、ツー、ツー

 

なんでユイに連絡してはいけないのかを訊く暇もなく、短く要件だけを告げ、すぐに通話が途切れた。

 

まるで全部折り込み済みみたいな…なんて考えてる暇じゃねえ!

 

とにかく疑問は1度置いておいて、救急車を呼び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少ししてやって来た救急車にお袋さんと共に乗って、百合ヶ丘病院へと到着し、慌ただしくお袋さんを乗せた台は手術室へと運ばれた。

 

手術中と書かれた赤いランプが灯って少しすると、親父さんが息を切らしながらやって来た。

 

「妻は…どんな様子だった?」

 

「化粧が落ちるくらい汗をかいていて、苦しそうにしたあと意識を失ってました…」

 

「……そうか」

 

肩で息をして、容態を確認、悪そうだと伝えると、悔しそうな顔をする……

 

とてもじゃないが、ユイから聞いたような自分の家族を蔑ろにするような人には思えない。

 

でも、それよりも今訊かなきゃいけないことは…

 

「あの、もしかしてこうなること…知ってたんすか?」

 

さっき電話をかけた時の淀みのない対応、それにそもそも救急車より旦那に電話をして欲しいなんてお願いもおかしすぎる。

 

「ああ」

 

「なんで…なんで知ってて放っておいたんすか…?」

 

「…妻からの頼みだからだ」

 

「頼み…って…」

 

「君は恐らく、ユイから俺のことを色々と聞かされただろうから混乱するだろうが…全て話そう」

 

これも、妻からの頼みだ。と言った。

 

頼みだとか全てだとか、いきなり色々言われて、全てを話される前からもう混乱してるっての…!

 

つーか、その前に…

 

「いや、でも、その前にいつユイに連絡するんすか?!」

 

本当ならもうユイに伝えてなきゃおかしいのに、親父さんの命令でしていない。

 

アイツが一番…付いていたいはずなのに…

 

「全部話終えてから…と言いたいところなんだが、良いだろう、今からしてくれ。ただし、ユイには出来るだけゆっくりと来るよう言ってもらう」

 

「な…なんで?!」

 

「あまり大声を出すな…ここは病院だぞ」

 

あんたのせいだろ…と思いながらも、ぐっと歯を食いしばって我慢する。

 

「理由は2つ。1つ目は、今から話すことをユイには伝えたくない。2つ目は、急いで来てもどうにもならないからだ」

 

「どうにもならないから娘を母親のやばい時に呼べないなんてあってたまるか…!」

 

そう吐き捨てて、命令を無視してユイの連絡先を出す。

 

そして発信しようとしたその時―――

 

「言うことをきけないのなら、話は出来ない。妻の頼みを無下にするのは心が痛むがな」

 

そう言われ、指が止まる。

 

「まあこちらの言い方が悪かったことは認めよう。しかしユイは恐らくこの事を聞けば放心して何も出来ないだろう。だから心の準備をしてもらえればいい、ということだ」

 

馬鹿な俺でもわかるくらい、あからさまな建前だ。

 

「…分かりました」

 

でも、そんな建前を言ってでも伝えなきゃいけないことがある…んだと思う。

 

そう信じて、俺はその要求をのみ、ユイへと電話をかけた。

 

『も、もしもし…』

 

数コールしたあと、若干声を震わせながらユイが応答した。

 

「ユイ、落ち着いて聞いてくれ。お前のお袋さんが…倒れた」

 

そう伝えるも、ユイからは何も返事がない。

 

何度か声をかけるもやっぱり反応はない。

 

多分…俺の言葉を飲み込めなくて呆然としているんだろう。

 

どうしたものか考えていると、電話口で何か言っている声が聞こえてきた。

 

そういえば、ユイは家にいなかった…それって、誰かがユイを外へ連れ出したってことで…

 

このタイミングでユイを連れ出してそうな奴に、一人だけ心当たりがあった。

 

『日向くん。あたしよ、ゆり』

 

「ゆりっぺ、やっぱユイといたのか」

 

予想通りの相手が、ユイと電話を代わった。

 

多分俺の昼間の心配が的中してたんだろう。

 

『今はそんなことどうでもいいわ。ユイを連れていくからどこの病院か教えてちょうだい』

 

「場所はお前んとこの病院だよ……急がなくて良い。ゆっくり、時間かけて来てくれ」

 

『こんなときに何を…』

 

ゆりっぺの言い分は全くもってその通りで、普段の俺ならこんなことは絶対言わない。

 

だけど、聞かなきゃいけないことがある。

 

だから…

 

「頼む…ユイが落ち着いてから来てくれ」

 

『…分かったわ。でも稼げても精々一時間よ?』

 

俺が真剣に言っているのが伝わったようで、ゆりっぺはおとなしく引いてくれた。

 

「ああ、充分だ。サンキュ…ゆりっぺ」

 

『良いわよ、成りゆきだもの』

 

それだけ言って、すぐに通話を断った。

 

そんなさばさばした対応が、今は助かる。

 

「終わったみたいだな」

 

「…はい。で、全てってなんなんすか?」

 

逸る気持ちを抑えながら訊くと、少し考え込むようにしてから、口を開いた。

 

「まず、妻はもう…長くない」

 

「――――っ?!」

 

…確かに、ここ最近はどんどん体調が悪くなる間隔が狭くなっていた。

 

けど、お袋さんはいつも、もう大丈夫だってユイに…

 

「それは、アイツの嘘だ」

 

まるで俺の頭の中を読んだようにそう言う。

 

「もうアイツの病気は末期で、今度倒れれば身体は保たない…そう言われて、アイツは医者に頼み込んで退院した。ただでさえ僅かな寿命を更に縮めてな」

 

「なんでそんなことを…?」

 

「…ユイと少しでも一緒に居られる時間を作るため、と言っていた」

 

「全部…ユイのため…」

 

お袋さんは言ってた。自分は足枷だって。それをユイは自ら外そうとしなかったって。

 

…もしかすると、寿命を縮めること…足枷を外すことすらも目的の1つ…だったのか…?

 

「ユイは…ユイはそんなこと望んでない…!」

 

「知っている。これはアイツの我儘だ。本来、滅多に自分の欲求なんてものに従わないアイツのな」

 

そんなことを言われたら…なんにも言えねえじゃんか…

 

そもそも我儘なんて呼べないようなことなのに…勝手に俺がガキみたいにキレてるだけなのに…

 

「…話を戻す。そうして昨日、恐らく自分がこうなることを悟ったアイツは、君に真実を伝えて欲しいと頼み、今に至る」

 

「…メールアドレスを渡したのもお袋さんの頼みだったんですか?」

 

「それは俺が勝手にやっただけだ。…アイツはそうしたがると思ったからな」

 

…やっぱりだ。

 

やっぱり…この人はユイが言ってたみたいな人じゃない…

 

「あの…なんで親父さんは、お袋さんに付いていてあげなかったんですか?」

 

「それも、アイツの頼みだ。アイツが初めて言った我儘…だな」

 

ふと、親父さんの目が遠くなり、ゆっくりと語りだした。

 

「アイツはユイが5歳になった頃、今の病にかかり、医者からは、恐らく治ることはないと宣告を受けた。すると、アイツはなんて言ったと思う?」

 

「…分かりません」

 

そんなことを言われてなんて言うかなんて、見当もつかない。

 

「働いてくれって言ったよ。いっぱい、いっぱい働いてくれ、と」

 

「…なんでですか?」

 

「私が死んだあと、ユイと一緒にいる時間を沢山作れるくらい、今働いて欲しい…らしい」

 

「そんなの…」

 

「滅茶苦茶だろう?つまりアイツは、俺に仕事を辞めろって言ってるようなものだ。そして金が足りなくなったら再就職しろと言っている。その頃にはユイも立ち直ってるだろうからな」

 

確かに滅茶苦茶だ。

 

自分の死期が分からないっていうのに、そんなお願い…いや分かっていたって滅茶苦茶だ…

 

「でも…断らなかったんですよね?」

 

「…断れると思うか?それまで我儘の1つも言ったことのない妻の、最後になるかもしれない我儘を」

 

「無理…ですね」

 

確信した。

 

この人は、本当にお袋さんを大事にしてる。

 

ユイやお袋さんを蔑ろにしているようになってしまったのも、全部お袋さんの頼みがあったからだった。

 

勘違い…だったんだ。

 

だったら…

 

「やっぱり、ユイにこの事伝えませんか?」

 

「…なに?」

 

俺の言葉に、目を鋭くさせる。

 

思わず怯みそうになるが、それでも続ける。

 

「ユイは親父さんがお袋さんのことを大事にしてないって怒ってました。このままだと、一緒に過ごす時間が増えてもユイは多分許そうとはしません…でも、これを伝えればその誤解は解けて、仲良く出来るはず―――「駄目だ」

 

「な、なんで…?!」

 

「ユイがそれを聞いた時、どう思う?」

 

「いや、だから誤解が解けて…」

 

「誤解が解けて、ユイは思うだろうな。自分のせいでお母さんとお父さんは一緒に居られなかったんだ…と」

 

「あ…」

 

そうだ…これを聞いたらアイツは自分の責任だって思っちまう…

 

お袋さんの望んだこととか、そんなの関係なく、自分のためにそうさせてしまったって考えるはずだ…

 

「君がどうしてもユイを傷つけたいのなら、好きにすればいい。まあ、その時はただじゃおかんがな」

 

そんなわけない…ユイを傷つけたいなんて思うわけない…

 

「でも…それで良いんすか?」

 

「…何が言いたい?」

 

「ユイは…ユイはきっとこれから一生あんたを恨みます…自分の身を粉にしていた父親を、そうと知らずに…一生…!」

 

「それがユイのためだ」

 

その言葉を聞いた瞬間、自分の頭の中の何かが切れた。

 

「両親の本当気持ちを知らねえことのどこがユイのためになるってんだ?!」

 

「――――っ」

 

ここでやっと、ずっと顔色1つ変えなかった親父さんが動揺した。

 

…分かる。この反応は…見てみぬふりをしていたやつの反応だ。

 

「それだけじゃない…あの頼みを全部叶えるって言うんなら、これからは仕事を辞めて、ユイと一緒にいるんっすよね?」

 

「…ああ」

 

「大嫌いな父親と四六時中一緒に居て幸せなわけあるか!」

 

「流石にそれはただの悪口だぞ…」

 

た、確かに…

 

ただ、この冷静なツッコミのお陰で少し頭が冷えた。

 

「でも、このままだとそれが事実になるんです…」

 

アイツは本当のことを知らずに、家で苦しい思いをすることになる…

 

「…はぁ…これだけは言いたくなかったんだが…仕方ない…」

 

「え…」

 

「アイツは言っていた。ユイを任せれる子を見つけた…とな」

 

「それって…」

 

「…言わせるな。君以外に誰がいる?」

 

本当に心底嫌そうな顔をして言ってくる親父さん。

 

「いや、いやいや…任せられるってそんな…」

 

「嫌なのか…?」

 

今度は嫌そうな顔じゃなく怒り狂ったような顔で睨んでくる。

 

「い、嫌なわけないっす!」

 

「なら、君があの子を幸せにしてくれ。父親への恨みなんて忘れるくらいにな」

 

「そんな…!」

 

「それが、色々差し引きした結果、ユイが一番幸せになれる道だ」

 

「…………………」

 

本当に…本当にそうなのか…?

 

「もうすぐ一時間だな」

 

「え…ああ…」

 

言われて携帯を開くと、確かに電話をかけてからそろそろ一時間が経とうとしていた。

 

「俺は帰る。ユイと鉢合わせると厄介だ」

 

「え?!」

 

「ユイの知る俺は、こういう時でさえ顔を出さない男だからな」

 

「ちょっと待っ――「止めるな」

 

「止めるんなら、今ここで決めろ。ユイを傷つける道か、傷つけない道か、どちらかを」

 

眼鏡の奥の目が、半端な考えで選ぶなと言っていた。

 

今の俺に、揺るがない覚悟なんて…あるのか…?

 

「分かったなら俺は行く」

 

遠ざかる背中に、俺は声1つかけることが出来なかった。

 

 




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「自分…自分がいい」

親父さんを止められず項垂れていると、コツコツと足音が聞こえてきた。

 

音の方を見ると、ユイがなんとも言えない顔をしていた。

 

放心してないだけマシだが、色々な思いが入り交じっているみたいだ。

 

それでも一番感じ取れるものは、悲しみだった。

 

「お母さん…大丈夫だよね…?」

 

「………………っ」

 

親父さんは言っていた。

 

『今度倒れれば身体は保たない』

 

「ね…?」

 

縋るような目と声に、躊躇してしまう。

 

「……お袋さんは…」

 

でも、だからってここで嘘をついたってどうにもならないのは分かってる…

 

「……わかんねぇ」

 

迷った挙げ句、俺は一番中途半端な嘘を告げた。

 

でも、本当のことは言えない、絶対に大丈夫なんて期待を持たせることも言えない俺にはこう言うしかなかった。

 

「とにかく今は手術が終わるのを待とう…な?」

 

「……うん。ね、先輩」

 

「なんだ?」

 

「ありがと…お母さんを助けてくれて」

 

ぐさっ

 

ユイの笑顔を見て、そんな音が胸から聞こえた気がした。

 

俺は…なんにもしてねぇ…

 

俺はただ言われるがままに行動しただけで、自分の意思で動いてなんかいない…

 

しかもいざ自分で決めろって言われたらなんにも決められねぇ…

 

「…先輩?」

 

「あー、いや…なんでもねえよ。ちょっと考え事してたわ」

 

「考え事って?」

 

話を逸らそうかと考えたが、これ以上嘘をつくことは耐えられず、言葉を選びながら口を開く。

 

「……俺は…お前のためにどうしたらいいんだろうって」

 

「…なんで今そんなこと?」

 

お袋さんとの会話は話しちゃいけないとは言われてないはず…だよな。

 

「それは…」

 

そう思い、一言発したのと同時に、手術中のランプの灯りが消えた。

 

静かに開かれた扉から、ドラマで見るような格好の医者が出てきた。

 

「あの、手術は…?」

 

「お母さん…お母さんは…?」

 

俺とユイが駆け寄ると、ゆっくりマスクを外し鎮痛の面持ちで話し出した。

 

「…最善を尽くしましたが…恐らくもう目を覚ますことはありません」

 

これもまた、ドラマか何かで聞いたような台詞だった。

 

既に親父さんから聞かされている俺は別として、ユイはきっと、そんな言葉を飲み込めてはいないはずだ。

 

その証拠に、医者に何かを言うわけでもなく、泣くわけでもなく、ただ立ち尽くしている。

 

「…どうにか、ならないんですか?」

 

代わりに俺がそう言う。

 

でも、分かってる。

 

どうにか出来るんならもうやってるんだ。

 

「すみません…」

 

医者はただ頭を下げる。

 

ここで俺がこの人を責めることに意味なんてない。第一、ただの知り合いの俺が責めていい資格なんてない。

 

それでも反射的に声を荒げて、胸ぐらを掴んでしまいそうになる。

 

それをぐっと拳を握りこむことで制す。

 

「あの…おふく…コイツのお母さんは、今どうなってるんですか?」

 

「今は状態が安定しています。けれど、一週間後が峠ですね…」

 

「そう…ですか」

 

「今から患者様を病室へ移しますので、落ち着いたらお越しください」

 

そう要件を伝え、医者はもう一度頭を下げてどこかへ去っていった。

 

落ち着いたらっていうのは、多分俺じゃなくユイのことを言ってるんだろう。

 

でも…

 

「ユイ…」

 

なんて声をかけたら良い…?

 

そもそもこんな状態のユイに俺の声は届くのかすら疑ってしまう。

 

「…ひなっち先輩」

 

しかし意外なことに、ユイは自ら口を開いた。

 

落ち着いてきた…のか?

 

「あの人…お父さんは…どこ?」

 

「―――――っ」

 

安堵しかけた俺の耳に届いたその名前は、今一番訊かれると困る人物だった。

 

真実は教えられない。

 

だけど嘘はつきたくない。

 

「お父さんは…このこと知ってるの?」

 

「…ああ、知ってる」

 

「それで…来ないんだ…!」

 

俯いて震える姿からは、泣いているのか怒っているのか、判別が難しい。

 

「やっぱりあの人は家族より仕事の方が大事なんだ…!」

 

違う、そう一言言うことも出来ない。

 

言ってやれば、今感じてる憎しみを消してやれるのに。

 

言ってしまえば、憎しみの代わりに罪悪感が生まれてしまうから。

 

でも、じゃあこれからユイは両親の本当の気持ちを…愛を知らずに生きていくのが正解だってのか…?

 

そんなわけない…そんなことあっちゃいけない。

 

「ね…ひなっち先輩、さっき何か言いかけてましたよね?あれ…なんて言おうとしてたんですか?」

 

さっきのって、確か…

 

「ああ…お袋さんにさ、頼まれた。お前のこと」

 

「あたしの…こと?」

 

「お袋さん、こうなることを薄々勘づいてた…のかもしんねえ。今日放課後来てくれって言われて…まあ色々話した」

 

「だからひなっち先輩が病院に付き添ってくれてたんだ」

 

内心不思議に思ってたのか、得心のいったように頷く。

 

「でも…お母さん、気づいてたんならなんであたしに言ってくれなかったんだろう…」

 

「…どうしても俺に訊きたいことがあったみたいでさ、俺がはっきり答えるまで何回も訊いてきた」

 

「何を…?」

 

「お前のこと…大切にしてくれるか、ってさ」

 

好きかどうか訊かれたことを今言うことは躊躇われた。

 

相手が俺のことを好きだって知ってから好きだって言うのはずるい気がしたし、何より今は完全に場違いな上、俺はまだ何も決められていないから。

 

「大切に…って、ひなっち先輩はなんて…返したの?」

 

とは言っても、こう期待を含んだ上目遣いをされると少し揺らぎそうになる。

 

「そりゃ…断れないだろ普通」

 

「…そっか、そうだよね」

 

しかもこんなあからさまに落ち込まれたら……

 

「まあ…こんな状況じゃなくても、答えは一緒だっただろうけどな」

 

そうそっけなく付け足すと、嬉しそうに目を輝かせる。

 

くそ…可愛いなコイツ…

 

「あ、あたしも…」

 

「?」

 

「あたしも…ひなっち先輩が居てくれたらちょっとだけ…ほんのちょーーーっとだけ、安心します」

 

虫眼鏡で見ないと隙間があるのかどうかも分からないくらい人差し指と親指を狭めながらそう言う。

 

でも、ようやく少しいつも通りに振る舞える程度には落ち着いたみたいだな。

 

「あーそうかよ。とりあえず落ち着いたんなら、お袋さんの病室に行こうぜ。顔…見たいだろ」

 

「…うん」

 

「じゃあ行くか。あ、でもまず病室がどこか訊かねえと…」

 

と、歩き出そうとした時に、くいっと服の裾を摘ままれた。

 

「どうした?」

 

「ちょっと不安なんで…手、繋いでください…」

 

「は……」

 

動揺して振り返ると、ユイは本当に不安そうで、少し怯えているような顔をしていた。

 

俺は馬鹿か…こんな時に変なこと考えてんじゃねえよ…!

 

「…おう。ほら」

 

手を差しのべると、きゅっと軽く握りこまれる。

 

気づかなかったけど、やっぱ手…小せぇな…

 

いや…手だけじゃねえ。いつも虚勢は張ってるけど、俺の肩程度しかないくらい小さな身体だ。

 

コイツに…重い罪悪感を背負わせるなんて…

 

「先輩?」

 

「あ、ああ、悪い。行こうぜ」

 

…今は余計なこと考えてる時じゃないな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受付で病室の場所を教えてもらい、そこへ向かった。

 

どうやら個室みたいで、お袋さんは酸素マスクを着けて静かに眠っていた。

 

すぐそばにある機械が規則正しくピッ、ピッ、と音を出しているのがやけに耳に残る。

 

「なんだか、家にいるのとあんまり変わんないね」

 

用意されていたパイプ椅子に腰をかけて、ユイはそう呟いた。

 

もしかしたらもっと苦しそうな姿を思い浮かべていたのかもしれない。

 

「そうだな」

 

「むしろ家よりも楽そうっていうか」

 

「麻酔が効いてんのかもな」

 

「本当に……」

 

ユイは何か言いかけて、それをぐっと飲み込んだ。

 

何て言おうとしたのかは訊かない。

 

言いたいことは大体わかるしな…

 

酸素マスクを除いたら、調子のいい時みたいに穏やかな寝顔なんだ。

 

今にもいつものように起きて、笑って、見守ってくれそうな気がしてくる。

 

「お母さんはさ…いっつもあたしのこと、心配してたんだ」

 

数拍の沈黙を破ったのはユイのそんな台詞だった。

 

「自分は病気で、絶対あたしなんかよりも辛くてしんどいのに、一言目には絶対に大丈夫?って訊いてくるんだ」

 

「…そっか」

 

「あんまり何回も訊かれたらめんどくさいな~って思ったりするんだけどね…」

 

「…ああ」

 

「でも……でも……」

 

堰を切って、ユイの目から涙が溢れていく。

 

「そう訊かれると…安心…したんだ……!」

 

しゃくりあげるユイに黙って肩を貸す。

 

「嫌だよぉ…まだまだお母さんと話したいもん…」

 

「そう…だよな…」

 

ユイの言葉に、俺は聞こえない程度にそう呟いた。

 

お袋さんも親父さんも、ユイを俺に任せるって言ってた。

 

俺なら任せられる。

 

そりゃそう言われて嬉しいよ。好きなやつを親から任せられて嬉しくないわけねえ。

 

でも…そうじゃねえだろ…!

 

泣きついているユイを肩からひっぺがす。

 

「なぁユイ」

 

ぐしゃぐしゃの泣き顔のユイに問いかける。

 

「親父さんのことは…嫌いか?」

 

「え…?」

 

ユイは戸惑うように二、三度瞬きをしてゆっくりと頷いた。

 

「なんでだ?」

 

「なんでって…あの人はお母さんを見捨てたんだよ?!許せないに決まってるじゃん!」

 

「ああ…だよな」

 

優しいコイツは、お袋さんのことを蔑ろにしたことを一生忘れないはずだ。

 

今のままなら。

 

「許せないのはそれだけか?」

 

「え…う、うん」

 

自分だって不安なときに放っておかれたってのに、このあっけらかんとした言いようだ。

 

正直もっと自分を大事にしろとは思うけど…親が親なら子も子ってやつだろう。

 

「最後にもう一個訊いていいか?」

 

「…うん」

 

「自分が傷つくのと、大事な人が傷つくんならどっちがいい?」

 

親父さんとは言わない。

 

きっと今言っても意地を張って本当のことは言えないだろうから。

 

だから今ユイが誰を思い浮かべているのかはわかんねえ。

 

ユイは、あまり迷うそぶりを見せず、顔を上げた。

 

「自分…自分がいい」

 

「…そっか」

 

想像通りの返答に、思わず笑みがもれる。

 

大丈夫だ。コイツなら、きっと大丈夫。

 

いざとなったら、傷が治るまで俺が支えてやりゃあいいだけの話だ。

 

そうっすよね…お袋さん。

 

お袋さんの顔を見て、もう一度決心を固める。

 

「なぁユイ」

 

「今度はなに?」

 

「明後日の球技大会、見に来てくれ」

 

「へ…?今そんなこと言ってる時じゃ――――「頼む」

 

限られたお袋さんとの時間を奪うのは心苦しい。

 

けど…

 

「球技大会で優勝したら、話したいことがあんだ。だから頼む」

 

今しかない。ここしかないんだ。

 

「…分かりました、行きます。その代わり優勝しなかったらボコボコにしますからね、先輩」

 

「いい笑顔で怖いこと言うなよ…」

 

でも、負けたらボコボコにされるくらいなんてこたねえよ。絶対勝つ。勝たなきゃいけねえんだから。

 

「俺はちょっと今から行くとこあんだけど、ユイはどうする?」

 

「あたしはもうちょっとここに…」

 

「…だよな。じゃあ行ってくるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユイに別れを告げて、まず親父さんへ電話をかけた。

 

念のため親父さんの電話番号を登録しておいて良かった。

 

今から話がしたいと伝えると了承の返事と、場所と時間を指定された。

 

言われた通りの時間と場所に向かうと、既に親父さんは待っていた。

 

「すみません、呼び出しておいて待たせちゃって」

 

「構わん。そうなるよう時間を指定したんだ」

 

よく分からないけど、多分待つより待たせる方が嫌いなんだろう。

 

「そんなことより、話がしたいと言っていたが?」

 

多分話の内容は大体見当がついてるだろうけど、あえて試すように訊いてくる。

 

ていうかまあ、試してんだろうな。覚悟ってのがあるのかどうか。

 

だから精一杯虚勢を張って、目をそらさずに言ってやる。

 

「俺、ユイに本当のことを言おうと思います」

 

「……一応訊いてやる。なんでだ?」

 

分かってはいたんだろうけど、呆れたようにそう問われる。

 

「君のやろうとしてるのは、ユイを傷つける道をあえて選ぶということだぞ?」

 

そして更に、そう言い連ねる。

 

「…アイツは…ユイは、自分が傷つくのと大事な人が傷つくんならどっちがいいって訊かれたら、自分が傷つくのを選ぶやつです」

 

「……………」

 

「自分が放っておかれたことより、お袋さんが放っておかれたことに対して怒るやつです」

 

「……何が言いたい?」

 

「前に親父さん言いましたよね?親父さんを嫌いながらでも、真実を知らずに俺と生きるのが一番幸せだって」

 

それは確かに、そうなのかもしれない。

 

「だからなんだ?」

 

ただしそれは、真実を知らずにいられればの話。

 

「ユイは馬鹿だけど、人の辛さをわかんねえ程鈍くはないっすよ」

 

親父さんは黙って何も言わない。

 

「もしこのまま嘘をついて過ごしたとして、何年後かにユイが嘘に気付いたら、アイツは傷つきます。自分が騙されたことに対してじゃない。大事な家族をずっと傷つけていたことに対してです」

 

それはきっと、ユイが一番傷つくことだ。

 

「……ふん、迷いはないようだな」

 

「はい」

 

「覚悟があるのなら、そもそも俺に口を出す権利はない。好きにすればいい」

 

「いや、その前に言っておかないと駄目なことがあります」

 

「なんだ?」

 

「このことをユイに伝えるのは、球技大会で優勝してからにします」

 

「………は?」

 

初めて親父さんの表情が呆気に取られたようなものになる。

 

「なぜわざわざそんな条件をつける必要がある?そもそも、球技大会ごときにこんな大事なことを賭けると言うのか?」

 

「けじめです」

 

「何のだ?」

 

「何が一番ユイのためになるのか、本当は分かってたのに…俺は揺らいじまいました」

 

両親の愛を知らないことが幸せなわけがない。

 

そんなのは分かってた。

 

分かってたけど、怖かったんだ。

 

俺が本当にユイを支えられるのか。

 

そして、その選択肢を怖がったくせに、嘘をつくことも出来なかった。

 

そんな情けない俺の行動へのけじめだ。

 

「まともにやれば優勝は難しいです。でも、死ぬ気でやります。何をやっても勝ちます。だから、優勝したらユイに本当のことを伝えてもいいですか?」

 

数秒、親父さんはその問いかけに対して答えを返さなかった。

 

やがて、はぁ…と深くため息をついた。

 

「好きにしろ。言っただろう、俺にとやかく言う権利はない」

 

「ありますよ!あるに決まってる!あんたはユイの親父だろ!」

 

「――――っ、全く…敬語くらいきっちり使え」

 

「あ…すいません!」

 

「ふ…そうだな。ならいい。球技大会で優勝すれば、ユイに本当のことを話すことを許す」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「礼などいらん…と、そろそろ戻らないといけないな」

 

言われて時間を確認してみれば、話始めた頃から中々時間が経っていた。

 

「わざわざ時間を作ってくれてありがとうございました」

 

「いや、いい。お陰で少し分かったこともある」

 

「え?」

 

「ユイとアイツ…伊織がなぜ君を選んだのかが…だ」

 

伊織っていうのは確かお袋さんの名前だ。

 

「なんでですか?」

 

「ふん、ユイと同レベルで頭が悪いからだ」

 

「えぇ…そ、それだけ…?」

 

「それが重要なんだよ。同じ考えを共有出来るのかどうか…それが夫婦円満の秘訣だ」

 

少しおかしな発想をするお袋さんの夫であるこの人だからこそ、説得力のある台詞だ。

 

でも…

 

「ふ、夫婦になるかなんてまだ……」

 

「…なるさ。でなきゃこんなに深入りさせていない」

 

「……………」

 

「そろそろ本当にやばいな…俺は戻るぞ?」

 

「あ、はい!ありがとうございました」

 

最後に親父さんは、今までより少し柔らかい笑みを残して去っていった。

 

……なんであの人たちはこんなに俺を信用してくれるのか分からねえけど…

 

「でも…やんなきゃな」

 

絶対、球技大会で優勝してやる。

 

 




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「ユイが好きだから…かな」

優勝を誓った球技大会の当日がやってきた。

 

うちの学校は土曜に球技大会が行われることになっていて、招待状さえあれば誰でも見に来てもいいことになっている。

 

だから家族や、他校にいる恋人を招待している奴も少なくなく、他の学校よりもモチベーションの高い。

 

俺が招待したのはユイと、もう一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩!」

 

グラウンドに出てチームの皆と話していると、聞き慣れた声が響いた。

 

「ユイ」

 

振り返ると柵の外でぶんぶんと腕を振るユイの姿があった。

 

皆に一言詫びてユイの下に駆け寄る。

 

「先輩、優勝してくれるんですよね?」

 

「いきなりそれかよ…する…つもりだけどよ」

 

しねえと、会わす顔がねえしな。

 

お前にも、あの二人にも。

 

「さっきまでお袋さんのとこいたのか?」

 

「はい。昨日と変わらず、顔色も良かったですよ。今日はひなっち先輩の活躍を目に焼きつけてくるって報告しときました!」

 

「は、はは…頑張んなきゃな…」

 

応援に来てるはずなのにプレッシャーばっかかけられてんだけど…

 

いや、まあしょうがねえよな。そんだけ賭けてるものが大きいってことだ。

 

しかもユイはまだ何を言われるのかも分かってねえんだし、勝ってもらわなきゃ困るもんな。

 

もう一度気を引きしめる。

 

「おーい日向ぁー!そろそろ開会式だぞー!」

 

「おー!今行くよー!ってわけだユイ、お袋さんに言った通り、俺の活躍を目に焼きつけとけよな?じゃ―――「ま、待って!」

 

精々空元気を見せながら皆のとこに戻ろうとすると、ジャージの袖を掴まれる。

 

「あ、あの…勝てなくても、怒りませんからね?!」

 

「………はぁ?」

 

「お、一昨日負けたらボコボコにするとか言っちゃったんで!それでビビって負けられても困るんで!」

 

「あのなぁ…」

 

くそっ!なんか可愛い応援の台詞でも言われんのかと期待した俺の純心に謝れ!

 

「あと…その…頑張って…ください…」

 

「……………~~~~~~っ」

 

決して目を合わそうとしないのも、顔が真っ赤なのも照れの表れで、それがすげえ可愛くて……

 

不意打ちすぎんだろ…っつーかなんだその下げて打ち上げるみたいな…!

 

くっそでも…それでテンション上がっちまう俺はつくづく単純だぜ…

 

「あったりめーだろ!優勝してきてやんよ!」

 

「……はい!」

 

その後顔を真っ赤にしてにやけながら皆のところに戻ると全員から一発ずつどこかしら殴られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開会式は特に問題なく終了して、各種目の一回戦から順に試合が始まっていく。

 

グラウンドでの競技は男子の野球しかないと言っても、1、2、3年合同で行われるうちの球技大会では一学年7クラス、つまり総勢21チームの試合をいっぺんに出来るわけもなく、3試合ずつ順に行うことになるわけだ。

 

もちろんあまり時間をかけていられないから、1試合5回までで、6点差つくとコールド扱いになる。

 

俺たちの試合は三順目で、まだ余裕があるので、とりあえず作戦会議を始めることにした。

 

「優勝候補は3年6組だ。ここは引退したとはいえ、3年の野球部員が6人もいやがるからな」

 

自分で言いながらどんな片寄りかただよ…と呆れる。

 

まあ決勝まで当たらないことが唯一の救いかもな。向こうがどっかでこける可能性だってあるんだしな。

 

「まあまあ、俺たちが決勝までいける保証もないし、気楽にいこうぜ」

 

そんな呑気な台詞に、何人かのチームメイトが、まあなーと同調していく。

 

そういうわけにはいかないんだけどな…

 

でもこれは俺だけの問題で、こいつらに押しつけるわけにいかねえ。

 

だから俺もその場しのぎの笑顔を作っておく。

 

「ま、どこまでいけるかはピッチャーの音無次第になってくんな」

 

「日向…プレッシャーかけるなよ。ただでさえ奏が来てて緊張してるんだから」

 

いつのまにか呼び方が変わってることは一旦置いといて…

 

「まあまあ、内野はきっちり固めてやっから」

 

音無はとにかくコントロールがいい。

 

だから打者に引っかけさせるような配球にして、内野ゴロでアウトを稼ぐ作戦だ。

 

そのため、内野は経験者の俺がセカンドに、他もサードに藤巻、ショートに千里、ファーストは長身の長野と、素質のあるメンバーで固めておいた。

 

キャッチャーも、ちょっとばかし大役すぎるかとも思ったけど、同じく素質のあった大山に任せた。

 

外野も最低限の捕球は板についきている。

 

「やれることはやったさ。あとは…そうだな。皆に良いとこ見せてやろうぜ」

 

「皆って?」

 

「皆は皆さ。招待してる人とか、クラスの皆にだよ。ひょっとしたらプチモテ期がくるかもしんねーぜ?」

 

適当に言ったその一言で皆目を爛々と光らせる。

 

「っと、1試合目もう終わったみたいだな。よーし、アップがてらキャッチボールでもやるか!ほら、皆ペア組めー」

 

俺の号令で、皆三々五々に散らばってキャッチボールを始める。

 

「柴崎は俺とな」

 

「え、おう」

 

千里と組もうとしていた柴崎をひき止めてこちらに呼び寄せる。

 

不思議そうな顔をしてこっちに来る柴崎に、俺は今からちょっと酷いことを言わなきゃならない。

 

「あのさ…柴崎」

 

「どうしたんだ?なんからしくないな」

 

「今日、もしかしたらお前に出番をやれねえかもしれねえ…」

 

「え…」

 

「悪い!俺、今日は絶対勝たなきゃ駄目なんだよ…」

 

誠心誠意頭を下げる。

 

いくら柴崎が壊滅的に下手くそだとしても、普通ならどこかで出番はやるべきだ。

 

だけど今日、それは出来ない。

 

もちろん全試合余裕勝ちで決勝も楽勝な展開ならどこかで出してやれる。

 

けど、現実は甘くない。出してやれるタイミングを失う可能性の方が断然高い。

 

だから先回りで謝っておかなきゃいけないと思っていた。

 

「いや、全然いいぜ?」

 

「……え?」

 

……聞き間違いか?普通どんなに運動音痴でも、戦力外通告は傷つくはずなんだけど…

 

「い、いいのか?」

 

「ああ、むしろ好都合だな」

 

好都合…って、そんなに下手なのを見られたくない…ってことか。

 

「でも、なんで勝たなきゃ駄目なんだ?」

 

「あー…まあユイ絡みでさ。ちょっとな」

 

「ふーん…そうか、まあなら俺は足引っ張らないよう大人しくベンチに座っとくわ」

 

深く聞き入らないのは、本当はそこまで理由に興味がないからなのか、何かを察してなのかは分からないけど、あっさりと引いてくれたことに内心感謝する。

 

「皆には話さないのか?」

 

「こんなの俺の個人的な理由だしな。皆に言ったところで、だから?ってなもんだろ」

 

「まあ…そうか。とりあえず気合いは入ってるしな」

 

ちらっと、目線を他のメンバーの方へ移す。

 

俺の言ったプチモテ期を手に入れるためにやたら張り切ってる奴らを見て肩を竦めた。

 

常に岩沢に言い寄られてる柴崎からしたら、プチモテ期なんて全く興味ねぇんだろうなぁ。

 

とか考えていたところで、2試合目の終わりを告げる声が聞こえてきた。

 

「よし!皆、俺たちの出番だぜー!」

 

「「「「おおぉぉー!」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果から言えば圧勝も圧勝、1回コールドという相手に申し訳ないくらいの圧勝だった。

 

攻撃は余裕で打線が一巡し、2順目の八番打者でようやくスリーアウト。

 

守備は作戦が見事に嵌まって内野ゴロ3つで試合終了。

 

1回戦は順調すぎて怖いくらいだった。

 

しかし2回戦はその順調すぎたことが仇になった。

 

1回の表、一番の音無に続き、大山、千里、藤巻、俺と細かく繋いで二点を取ったのだが、後続が大振りを繰り返して三者連続三振。

 

どうも1回戦で打撃に手応えを感じたらしく、良いところを見せようとして大振りをしてしまっているようだった。

 

指摘はしたものの、もう二点を取っていたこともあり、誰も修正をせず、実質一~五番だけで攻撃を行うことになってしまった。

 

相手も下位打線が大きいのを狙っていることに気づいたようで、上位は最悪フォアボールでもいいと厳しいところばかりを狙い、下位にはボールだけを投げ込む作戦を取ってきた。

 

そのせいでこちらの得点は伸び悩んだのだが、守備は相変わらずの固さを誇り、最終的には4対0で試合終了。

 

準決勝である3回戦は今までの相手よりもレベルが高く、1回は一点を取るに留まり、相手にも一点を返されるヒリヒリしたスタートとなった。

 

2回はお互い0点で終わり、3回はうちが0点、相手に一点を取られ、この大会で初めて相手にリードを許すことになった。

 

相手には野球部が3人いて、その3人を打線の初めに並べてそこで確実に点を取ってくる。

 

しかしこっちの攻撃は、相手の野球部が上手く守ったこともあって疎らにしか繋がらず、ギリギリのとこで点を取れないでいた。

 

流石にこれはマズイと思ったうちは最終回に奮起して三点をもぎ取り、相手に一点返されたもののギリギリで逃げ切ることに成功した。

 

しかしこの試合で音無の球では野球部を抑えることが難しいという課題が浮き彫りになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決勝の前に1度昼食を摂るため長めの休憩時間を挟むことになった。

 

皆が決勝まで勝ち残ったことに浮かれムードの中、俺は一人頭を悩ましていた。

 

音無の球では野球部を抑えられない。だけど次の相手は野球部がさっきの倍いやがる…どう抑えれば良いってんだよ…?

 

こっちの攻撃だって問題だ。

 

たった3人の野球部だけでも点を取るのに苦戦したんだ。6人もいたら……

 

「はぁ…」

 

「日向?どうしたんだ?折角決勝までこれたのにため息なんて吐いて」

 

祝勝ムードの中一人考え込む俺に気づいて音無が声をかけてきてくれる。

 

まあ音無にならちょっとくらい話してもいいよな…

 

「俺さ、今日絶対優勝してぇんだ」

 

「そりゃ俺もここまできたら優勝出来ればとは思ってるよ」

 

「出来ればじゃなくて、しなきゃなんねえんだ」

 

「…どうしたんだ日向?なんか、らしくないぞ」

 

確かに、いつもの俺なら音無と同じくらいにしか思わなかったんだろうなぁ。

 

「俺が勝たねえと、助けられねえ奴がいんだ」

 

アイツは…今はまだ笑ってる。お袋さんがこの世にいるから。

 

でも、それはすぐに終わる。

 

その時アイツは…笑っていられないだろう。

 

今日、優勝しなければ。

 

「…あのユイって子か?」

 

一発で当てられて思わず笑いがもれる。

 

「ははっ、んだよ、バレバレかよ」

 

「まああれだけあの子のために練習抜けてればな。嫌でも分かるよ」

 

「流石は親友ってとこか」

 

「…………………」

 

「なんか言えよ?!」

 

何?!親友って思ってたの俺だけだったの?!片想いだったのかよぉ?!

 

「冗談だよ。でもそんな話したら皆気がつくさ」

 

「そうかぁ~?まあ大山は付き合い長いから分かるだろうけどよ」

 

藤巻はそんなの分からないだろうし、つーかどうでもいいって言いそうだし。

 

千里はよくわかんねえし…

 

他のクラスの奴らだって、俺の扱い雑だしなぁ。

 

「まあ話せとは言わないけどな。おいそれと言えないことなんだろうし。だけど…つまり次の試合で俺が炎上したら洒落にならないってことだよな…」

 

「い、いやいや!これは俺の問題だし、音無は気にしないで投げてくれって!」

 

「そうは言っても…」

 

「むしろ変に抱え込んで調子崩されたらそっちのが困るぜ。な?」

 

「…分かったよ。だけど、全力は尽くすぞ」

 

「なーに当たり前のこと言ってんだよ音無くん」

 

言葉とは裏腹に、明らかに強ばっている顔をデコピンをすることで和らげる。

 

「俺はちょっと散歩してくっから、お前も奏ちゃんとこでも行ってリラックスしてこいよ」

 

「…そうだな」

 

奏ちゃんの名前が効いたのか、いくらか柔らかくなった表情を見て胸を撫で下ろす。

 

さて…俺も散歩してリラックスしてくるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特に目的無しに校内を彷徨いていると、見慣れた顔を発見した。

 

「おーいゆりっぺー」

 

「げっ」

 

「げっとはなんだ、げっとは?!」

 

「冗談よ。うっさいわね」

 

音無と言いゆりっぺと言い、冗談がキツいぜ…時々マジで傷つくんだからな…

 

「それよりなんの用?」

 

「いや用ってわけじゃねえけど。見かけたから声かけただけで」

 

「あらそう。ならさよなら~」

 

「おーいおいおい!ちょっとは幼馴染みとの会話を大事にしようぜ?!」

 

「幼馴染みだからこそ会話に飽き飽きしてるんだけれどね」

 

言うにことを書いて飽き飽きって…

 

大山にはこんなにキツく言わねえのになぁ…

 

「っていうか、こんなとこであたしなんかに油売ってないで、あのユイって子のところに行けば?」

 

「あ~…ユイ…か」

 

正直、今は顔を会わすのはマズイ気がする。

 

本当は今だって携帯にどこにいるのかとメッセージが届いているのに、会ったら気負ってしまいそうで返事が出来ていない。

 

「……何か訳ありかしら?」

 

ゆりっぺはユイのお袋さんが倒れたこと知ってた…よな。

 

「今日ユイのために優勝しなきゃいけねえんだ」

 

「…あほらし。ただのノロケじゃない」

 

「ちげぇんだって!」

 

呆れてどこかに行こうとするゆりっぺの肩を掴んで引き止める。

 

「何が違うのよ?」

 

一応話を聞いてくれるつもりはあるみたいで、改めてそう話を振ってくる。

 

「なんつーか、あんま詳しいことは言えねえんだけどさ…ユイを助けるため…っつーか…結構重要なことをこれに賭けててさ」

 

「要領を得ないわね。あなた馬鹿なんだからぼかしながら話して伝わるわけないじゃない」

 

「う…」

 

本当にばっさりだな…

 

「でも、他人に言えないくらい重要なことなのは分かったわ」

 

……なら初めからそう言ってくれよ…

 

「…どうしても勝たなきゃいけないのね?」

 

「…おう」

 

急に真剣な顔つきになり、しばらく何かを考えた後、ゆりっぺは口を開いた。

 

「なら1つ、策を授けるわ」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼ごはんを食べ終わり、柴崎たちを探して歩き回っているんだけど、人が多くて中々見当たらない。

 

「いないっすね~」

 

「たかが球技大会に人集まりすぎだろ…」

 

ひさ子の言うことも最もだけど、そもそも球技大会に観覧が必要なのかの方が気になる。

 

ちなみにあたしとひさ子はバレーで1回戦負け。関根、入江も同じくだ。

 

ひさ子は怪我だったし、まああたしとしては突き指なんかしたらたまったものじゃないから良いんだけど。

 

まあそんなことより今は柴崎を探さなきゃ。

 

「……ん?」

 

人混みを慎重に見ていく中、見覚えのある尻尾(?)が目に入った。

 

あれって…

 

「ちょっと、岩沢?」

 

急に走り出したあたしに気づいてひさ子が声をかけてきたが、足を止めず尻尾を追う。

 

幸い急いで移動してたわけじゃないようですぐに追いついた。

 

「ユイ」

 

肩を掴んで声をかけると、振り向いた顔がみるみると驚愕の表情に変わっていく。

 

「い、岩沢さんんんんん?!」

 

「うん、そうだけど」

 

なんでそんなに驚いてるんだろう?ここあたしが通ってる学校なのに。

 

「あ、い、う……」

 

「え?」

 

「お…じゃなくて!え、えっと…こんにちは!」

 

「ん?ああ、こんにちは」

 

ユイってちゃんと挨拶を欠かさないタイプだったんだ。なんか意外。

 

「あ、あの、なんで岩沢さんが?」

 

「え?そりゃあたしここに通ってるし」

 

あれ?言ってなかったっけ?確か日向と同じ部活って紹介されたはずなんだけど。

 

「そ、そうじゃなくてなんであたしなんかに声を?」

 

あ、そういうこと。

 

でもなんで、か…うーん…前世、とか言えないしな…

 

「ユイが好きだから…かな」

 

「え、ええぇぇぇぇ??!!」

 

「岩沢…完全に誤解させてるよ、それ」

 

追いついてきたひさ子が呆れながらそう言う。

 

後ろにいる入江と関根も同じように呆れた風だ。

 

「誤解?何が?」

 

「あ、あああああたしには既に心に決めた人がぁぁ!!」

 

「うん知ってる」

 

あたしもだし。

 

「で、でも岩沢さんが求めるなら……え?」

 

「日向、でしょ?」

 

今さら何言ってるんだろう。

 

「え?!な、なんで?!あたし誰にも…って一人知ってる人いたぁぁぁ?!え?!あの人まさか言いふらして―――「うるっさい!」

 

ゴチン!とひさ子の拳骨がユイの頭に落とされる。

 

「い゛っ?!」

 

ぐぉぉぉ…とその場に踞るユイ。

 

「騒ぎすぎだっつーの!人目をちょっとは気にしろっての」

 

「ひさ子さーん、拳骨のせいで余計に見られてますよー」

 

「女の人が拳骨って、あんまり見れない光景だもんね…」

 

「ひさ子…やりすぎじゃない?」

 

「悪いのあたしかよ?!絶対岩沢とユイだろ?!あーもう、とりあえず場所変えるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひさ子が選んだ場所はSSSの部室の前。

 

確かにこんなとこでわざわざ昼食をとる人もいないし、落ち着いて話せる。

 

「で、今日はどうしたの?」

 

「ひなっち先輩に招待されたんですけど…ていうか、あのなんであたしの好きな人がバレてたかの方が気になるんですけど…」

 

「気にするな」

 

「いやでも―――「気・に・す・る・な」

 

「……はい」

 

ひさ子からの威圧に屈したユイ。

 

気の毒だけど助かった。訊かれたって答えられないし。

 

「しかし日向先輩やるね~しっかり自分の活躍を見せつけてやろうって腹だね」

 

「そうなんですけど、なんかそうじゃないみたいで」

 

「どういうこと?」

 

「あたしもよく分からないんですけど…今日優勝したら何か言いたいことがあるって」

 

その言葉を聞いた関根が一人、フゥー!と歓声を上げた。

 

「それ絶対告白じゃん!隅に置けないねぇ~!」

 

このこの~とユイの脇腹を肘でつつく。

 

「それが…どうもそういう浮いた話じゃなさそうで…」

 

「え?でもわざわざ招待して優勝したら言いたいことがあるとか、告白以外なくない?」

 

そう関根に言われて、少し逡巡してから口を開く。

 

「あたしのお母さんが…倒れて…」

 

「え…」

 

あまりの衝撃的な告白に流石の関根も思わず絶句する。

 

「それで…何か…多分お母さんのことで言いたいことがあるみたいで」

 

あたしにも何のことなのか分からないんですけど…と、語るユイは嘘をついてるわけではない様子だった。

 

「でもそんな大事なことなら優勝したらとか、そんな条件必要なのかな?」

 

「確かに。ユイのお母さんのことならユイには教えなきゃダメじゃない?」

 

「ま、何かあるんだろうさ。あいつは馬鹿だけど考え無しにそんなことする奴じゃないし」

 

「あたしもそう思います」

 

「……てか岩沢?あんたがユイを捕まえたのになんで黙ってんのさ」

 

初めの一言以来口を開いていないあたしに気づいたらしく、そう訊かれる。

 

「いや、つまり日向が優勝しなきゃいけないってことでいい?」

 

「日向がっていうか、うちのクラスがだけど…つーか今さらその感想かよ…」

 

「うん、じゃあ柴崎を探さなきゃ」

 

そう思い立ってすぐに走り出した。

 

後ろから全員のはぁ?!という声が聞こえてきたけど構わず走る。

 

待ってろ柴崎!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぞわっ

 

「っ?!」

 

な、なんだこの悪寒は…

 

「風邪か…?」

 

まあもう随分冷え込んできたこの時期に、ただただ外でじっとしてんだもんな。そりゃ体も冷えるわ。

 

「カイロでも持ってきとくべきだったな」

 

「柴崎、寒いのか?」

 

「ああちょっと悪寒が…って、岩沢?!どこから出てきた?!」

 

「今さっき探しに行こうって走り出したら結構すぐ見つかってさ」

 

悪寒の正体はお前かよ…いやまあそれは置いといてだ。

 

「探してたってことは、何か用か?」

 

……いや、コイツはよくよく考えたら大した用もなく、いっつも俺を探してたような気がする。

 

どうせまたしょうもないこと言い出すんだろう。

 

「そうなんだよ柴崎。次の試合に出てくれないか?」

 

「はぁ?嫌に決まってんだろ」

 

案の定、訳の分からない頼み事に困惑しながらも断る。

 

俺のトラウマとか知ってるくせにいきなり何言い出してんだ?

 

「あのな、次ってなんだか分かってるか?決勝だぞ決勝。そんな目立つ舞台で俺が出たら…」

 

「柴崎が眼のことを気にしてるのは分かってるよ。でも、どうしても今日は優勝しなきゃ駄目らしいんだよ」

 

初めはまたいつもみたいに、柴崎の野球やってるところを見てみたい!とか、下らない理由だろうと思ってたけど、どうやら違うみたいだ。

 

「……はぁ。とりあえず、順序だてて話せよ。今のままじゃ何がなんだかわかんねえし」

 

「柴崎…!」

 

「まだ出るとは言ってないからな。勘違いするなよ。まずはきちんと話を聞いてからだ」

 

だからその無闇にキラキラした視線を直ちにやめろ。

 

 

 

 

 

 

 

と、その後岩沢から詳細は理由を聞き、とりあえず何故岩沢がそんな頼みをしたかの納得はいった。

 

そして、今朝の日向の言っていたユイ絡みの何かも分かり、図らずとも疑問が解消された。

 

だけど…

 

「無理だな」

 

「え……」

 

 

 




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「ひなっちせんぱぁぁぁぁい!!!」

「やっと見つけた…」

 

「ひさ子」

 

柴崎と話終わり、しばらくするとひさ子がやってきた。

 

よく見ると後ろから関根たちも追ってきている。

 

「柴崎とは話せたのか?」

 

「一応…ね」

 

「…手伝ってくれるって?」

 

多分その前のあたしの反応で薄々答えは分かっているんだろうけど、律儀に訊いてくる。

 

あたしはそれに、首を横に振ることで答える。

 

「ユイと日向の事情を全部話してもか?」

 

「ああ」

 

「…アイツがそんな腑抜けになってたなんて知らなかったよ」

 

「違うんだ、ひさ子。柴崎は自分の眼のことを知られたくないから断ったんじゃないんだ」

 

「じゃあなんで断るんだ?」

 

柴崎が断った理由…それは…

 

「岩沢さーん!ひさ子さーん!もう決勝始まっちゃいますよぉ~!!」

 

「え?うわっ!」

 

核心を話そうとしたその時、追いついてきた関根があたしとひさ子の手を掴んで引っ張っていく。

 

「ちょ、関根!引っ張るな!!あーくそ!岩沢、後できちんと理由訊かせてもらうよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、整列しろ」

 

主審を務める野球部の顧問の先生の言う通りに両チームがグラウンドの真ん中に整列する。

 

「では、礼!」

 

そして号令と共に全員が相手に向かい頭を下げる。

 

「「「「「お願いしゃーす!」」」」」

 

「よーし、キャプテンだけ残って後は散れー」

 

その言葉通りに俺と、相手チームのキャプテンがその場に残った。

 

「もうやることは分かってるな?」

 

「はい」

 

やることは単純。じゃんけんで先攻後攻を決めるだけだ。

 

「じゃーんけーん、ほい」

 

相手はグー、俺はチョキを出した。

 

く~…今日1回もじゃんけんで勝ってねぇぜ…

 

「じゃあ先攻で」

 

…やっぱ先攻取ってくるか。

 

さっさと点を取って相手の戦意を無くさせる魂胆が見え見えだ。

 

「じゃあお互い握手してからベンチへ戻れ」

 

「よろしく、日向」

 

「よろしくっす。吉澤さん」

 

相手チームのキャプテンであり、野球部の元キャプテンの吉澤さん。

 

そこそこ強いうちの野球部でキャプテンをやるくらいあって、言いたかないけどやっぱ上手い。

 

握手した手はマメでゴツゴツしていて、どれだけ真剣に野球に打ち込んできたかが手に取るようにわかる。

 

「野球から離れていたわけじゃなさそうだな」

 

そしてそれは相手にも同じこと、らしい。

 

「まあ、習慣みたいなもんなんで」

 

「なら良かった。楽しみにしてる」

 

「うっす」

 

そう言って互いに踵を返し、ベンチへ帰る。

 

楽しみに…か。

 

「こっちはそれどころじゃねえんだけどなぁ…」

 

楽しむ余裕なんて一切なく、とにかく初回をどう抑えればいいのかで頭がいっぱいだ。

 

「日向、先攻後攻どっちだ?」

 

「後攻。アイツらとっとと初回コールド狙おうと思ってやがんぜ。多分」

 

「そうか…」

 

俺の言葉に目に見えて落ち込む音無。

 

「だーから、気負うなって!」

 

ばしっ!と背中を加減なしにぶっ叩く。

 

「いってぇ!!」

 

「どんだけ打たれたってこっちも点を取りゃいいんだ。全部お前が責任背負う必要なんてねえって」

 

そう言って笑うと、背中を擦りながら、音無も笑った。

 

「それに一応、ゆりっぺから秘策ももらってるんだぜ?」

 

「ゆりから?どんな?」

 

「それは秘密だ」

 

「なんでだよ?!」

 

「いいからいいから、大船に乗ったつもりで任せとけって」

 

そう宥めるものの、実は俺自身がこの策を信用しきれていない。

 

そんなのを今音無に聞かせれば、間違いなく動揺させてしまう。

 

だから、なんとかそんなものに頼らずに勝たなきゃな…

 

「試合始めるぞーそっちの準備はいいのかー?」

 

「あ、OKっす」

 

言われて見てみると、相手チームはもうとっくに一番バッターの用意が整っている。

 

急いでベンチに置いてあるグローブを手にとって守備位置につく。

 

「プレイボール!」

 

先生の号令が響き、いよいよ試合が始まった。

 

相手は一番から早くも野球部…ていうか、ここから六番まで全員野球部で固めてきている。

 

「音無!ビビんなよー!」

 

俺の言葉に首肯で応え、音無は第一球を投じた。

 

インローに真っ直ぐ。

 

よし、結構いいコース―――

 

キン!!

 

「なっ!?」

 

響いたのはボールがミットに収まる音ではなく、軽快な金属音。

 

ボールはみるみるうちにライトの深い位置へ飛んでいく。

 

危うくホームランかと思ったところで、フェンスにぶつかりボールは跳ね返る。

 

ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間で、跳ね返った打球の処理にライトがもたつき、バッターはぐんぐんと塁を回っていく。

 

なんとか球を掴んで返球する頃には三塁まで進まれてしまっていた。

 

「くっそ…」

 

今ので改めて確信した。

 

音無の球で抑えきれる相手じゃない…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畜生!!」

 

初回の守備が終わって、ベンチへ帰ってきて早々に俺は苛立ちからベンチにグローブを投げつけた。

 

皆が驚いて目を点にしている。

 

そしてその中で一人、音無は申し訳なさそうに顔を歪めていた。

 

それを見て少し頭が冷えたものの、状況は極めて絶望的だ。

 

初回6失点。

 

つまりこの回で1点でも取らなければその時点で負けが決まってしまう。

 

あの野球部たちが待ち構える守備陣を相手に確実に点を取れる方法なんて俺たちにはない。

 

「とにかく…とにかく、点を取らなきゃ負けだ!ガンガン打ってこうぜ!」

 

「そう…だよな。取られた分は取り返すんだ」

 

その言葉に反応したのは、音無だった。

 

ぎゅっとバットを握りこんで、バッターボックスへと向かう。

 

頼む…なんとか塁に出てくれ…!

 

その願いが通じたのか、音無はセンター前へのヒットで出塁に成功した。

 

そのまま次の大山もヒットで続き、このままいけるか…と思ったところで千里、藤巻と共に打ち取られてしまった。

 

そしてツーアウト一、二塁で俺の打順が回ってくる。

 

バッターボックスへ入ると、嫌な汗がツーっと背中を流れていく。

 

ここで俺がアウトになれば即試合終了。

 

かといって、ランナーが帰ってこれないような当たりだと、後続の打者じゃ得点は難しい。

 

その重圧が俺へとのしかかる。

 

ピッチャーが振りかぶって一球目を投じてくるが、際どいコースに来たため見逃す。

 

「ストライク!」

 

「ぐっ…!」

 

フォアボールが無いとはいえ、これがストライクかボールかで気分がまるで違う。

 

あと二回ストライクを取られれば…負ける。

 

1度大きく息を吐く。

 

このグラウンドを取り囲む人の群れのどこかでユイが見てる。

 

勝たなきゃいけない理由と同じくらい大事なことが1つある。

 

ユイに格好悪いとこは見せらんねぇってことだ。

 

「っしゃあ!こぉい!!」

 

相手のピッチャーは幸い野球部じゃねえ。さっきのコースもたまたまだ。

 

落ち着いてよく見りゃ…打てねえわけがねえ!

 

甘く入ってきた球を思い切り振り切る。

 

「っし!」

 

手応えはばっちり。綺麗にレフト前へと飛んでいった……が、逆に打球の勢いが良すぎて返ってランナーの進塁が阻まれてしまった。

 

つまり、ツーアウト満塁で止まってしまったのだ。

 

次のバッターは一試合目に1本ヒットを打っただけの只野。

 

「嘘だろ…?」

 

諦めかけたその時、ゆりっぺの言葉が頭に蘇った。

 

『なら1つ、策を授けるわ。いい?どうしても点が欲しい、守りきりたいって状況になればあたしを信じて彼に頼りなさい』

 

その相手は―――――

 

「た、タイム!代打柴崎!」

 

うだうだと悩んでいる暇はなく、とにかく藁にも縋る思いで叫んだ。

 

当然クラスの皆は驚いた表情を浮かべる。俺だって同じ立場なら同じ顔をしていただろう。

 

しかし柴崎は大して驚いた顔は見せずつかつかとこっちへやってきた。

 

「勝ちを諦めたのか?」

 

「なっ…ちげえよ!勝つために代打にお前を指名してんだ!」

 

「ってことは誰かから聞いたな…岩沢か?」

 

「いや、ゆりっぺだ」

 

つーか、こういう風に言うってことはゆりっぺの言ったことはマジってことか…?

 

『柴崎くんは生まれもって視力がとてつもなく良いのよ。それだけで大抵の球技が無双出来る程にね』

 

いやいや、だとしたらゆりっぺはなんで初めから出せって言わなかった?なにか裏があるはずだぜ…

 

「なあ日向、実は俺お前が今日勝ちたがってる理由のこと…ほぼ聞いちまったんだ」

 

「え…?!だ、誰から?」

 

「岩沢。アイツもユイから聞いたみたいでさ…それで、お前がこの試合に懸けてることは知ってるから、力を貸したいとは思ってる」

 

「なら…」

 

「ただ、俺が出て勝ったとしても自分の勝ちだとは思えないかもしれない」

 

「……はぁ?そりゃ、どういう意味だ?」

 

ゆりっぺが言うような無双がどういうことなのかは分からないが、野球は9人でやるもんだ。一人で全てが決まるもんじゃない。

 

「こら、早くしろ。皆待ってるぞ」

 

いつまで経っても動かない俺たちを見かねて塁審役の先生が急かしてくる。

 

「詳しい話をしてる時間はない。だから、1つだけ訊く。もし俺が出て、仮に勝ったとしたらその時はちゃんと勝ったと思えるか?」

 

「お前の言いたいことはよくわかんねえけど…当たり前だろ。どんな勝ちでも、勝てば勝ちだ!」

 

「…了解。あ、先生改めて代打お願いします」

 

自分でも何を言ってるのかよく分からない台詞だったけど、柴崎は満足そうに頷いて代打を買って出た。

 

さっさとバッターボックスに入り、それなりに様になったフォームでピッチャーが投げるのを待っている。

 

こんだけ時間取って呆気なく凡退だけはやめてくれよ…

 

そんなことを考えながら放たれた球の行方を目で追う。

 

少し甘いコースへと入った真っ直ぐは、キーンと乾いた金属音と共に、フェンスを越えていった。

 

おー、ホームランかー……

 

「って…ホームラン?!」

 

自分の目を疑って思わず2度見するものの、結果は変わらず、審判もホームランを宣言している。

 

う、嘘だろ…?

 

放心しながらではあるが、とにかくしっかりと塁を回る。

 

ホームに着き、次いで柴崎も返ってくる。

 

「す、すげえな…」

 

思わず出た飾り気も何もない言葉に、柴崎は困ったような顔をする。

 

「まあ…野球は一番よくやってたからな…」

 

一番よくやってた…つっても、野球部じゃねえ…はずだよな?

 

でも、あんな緩い真っ直ぐ…そこそこの速球をホームランにするよりも難易度高いぜ…?しかもスイングがとてつもなく鋭いわけじゃない。とにかく、当てる場所と角度、タイミングが上手すぎるんだ。

 

なまじ野球経験者だからこそ分かる…素人でここまで完璧な当て方が出来るわけない。

 

「ゆりっぺの言ってたことは本当…なのか?」

 

「なんだ、信じてなかったのか?…って、無理もないか」

 

「当たり前だろ!こんな…こんな奴がなにもしないで普通に暮らしてるなんて思わねえって!なんで何もスポーツやってねえんだ?!」

 

「そういう顔…されるからかな」

 

「え…?」

 

思わず顔を手で押さえる。

 

「同じ人間とは思えない…みたいな顔してるぜ?」

 

「それは…」

 

言葉を失う。

 

その台詞だけで柴崎が何を嫌って目立ちたがらないのか透けて見えたからだ。

 

「柴崎…ご、ごめ―――「いいって。日向や野球部の人たちにはバレてるだろうけど、それ以外の人にはまぐれかすごい怪力くらいにしか思われてないだろうし」

 

そう言いつつ、少し口元は震えている。

 

多分トラウマみたいなものと今必死で戦っているんだ。

 

俺とユイのために…

 

「柴崎…俺、ここから死ぬ気で守って、打って、走るぜ。柴崎がここまでやってくれてんだからな!」

 

「その気持ちはありがたいけど…多分大丈夫だ」

 

「え?」

 

「次の回から、相手にそうそう点は入れさせない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな力強い言葉があって、てっきり柴崎がピッチャーをするのかと思いきや、そのままセンターへ入った。とにかく集中していてくれとだけ、皆に言っていたが。

 

一体どういうつもりだ…?

 

とにもかくにも柴崎の言う通り、集中しないと守れるものも守れねえぜ。

 

改めて気合いを入れ直して腰を落とす。

 

そして音無はゆっくりと振りかぶって球を放った。

 

コースは少しだけ甘いアウトロー。

 

相手の野球部が見逃してくれるわけもなく打ち返され――

 

「ライト!もう5歩右!」

 

インパクトの直前、後方の柴崎が叫んだ。

 

ライトの奥井は慌ててその指示通り、右へ5歩移動し、何かに気づいたようにグローブを構え、打球をすっぽりと収めた。

 

「……し、柴崎?!」

 

取った奥井は驚いたように柴崎の方を見る。

 

「ナイスキャッチ奥井!」

 

しかし柴崎はただただ取った奥井を褒めるだけ。

 

でも、今のは間違いなく柴崎が取らせたものだ。

 

「た、タイム!」

 

「またか?!」

 

審判の声も最もだけど今はそれどころじゃない。

 

「柴崎!お前もしかして…」

 

「ああ、バットの当たり具合を見て打球の飛ぶ位置が大体分かる」

 

「やっぱそうか…」

 

投げられたボールに対してベストのスイングが出来る目を、守備に使うとこうなるのか…

 

それが分かったところで、更に1つ分かったことがある。

 

それは柴崎の言っていた、勝っても自分の勝ちだとは思えないかもしれない理由だ。

 

そりゃそう言いたくもなるよな…このまま行けば…柴崎一人の力で勝てちまう。

 

柴崎が打って、柴崎の指示通り守ってれば間違いなく勝てる。

 

なるほど…なるほどな…でも、だとしても負けるのかマシだ…!

 

「じゃあこれからも指示頼んだぜ!柴崎!」

 

「…おう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その回は柴崎の指示によって三者凡退で切ることが出来たが、俺たちも三者凡退と、点差を詰めることが出来なかった。

 

続く三回、またもや三者凡退で抑え、二番の大山が一回に続き出塁に成功する。

 

するとネクストバッターズサークルにいる千里に、柴崎は何かを話しかけていた。

 

「どうしたんだ?」

 

「いや、本気出せって言ってきた」

 

「は?」

 

「アイツ、なんでも出来るからなんでも手を抜きやがんだよ。本当は運動も勉強も人一倍出来るのに」

 

「な、なんだそりゃ…」

 

そうこう言ってる間に、千里が一球目を綺麗にセンターへ返し出塁した。

 

「おお!…いやでも、つーことは今まで適当にやってたのか?」

 

「まあ…そういうことになる」

 

「ったく、似た者同士だなお前ら」

 

「お、俺のは手を抜いてるわけじゃ…!」

 

「あーはいはい、おっと早くネクスト行かなきゃなーっと。先生に怒られちまう」

 

「あ、くそ、手抜きじゃねえからな!」

 

と、後ろから抗議の声を浴びながらネクストへと向かう。

 

ネクストで戦況を見つめていると、三球目で藤巻が内野ゴロを打ち、痛恨のダブルプレー。

 

ツーアウト三塁。

 

ダブルプレーは勿体なかったけど…

 

「チャンスだぜ…!」

 

ここでヒットを打てれば5点目。次の柴崎は確実にホームランを打てるんだから逆転出来る…!

 

決めてやる。そう決意を込めてバッターボックスへと入る。

 

「日向、なんだあのバケモンは?」

 

しかし、構えて早々にキャッチャーの吉澤さんが声をかけてくる。

 

「ただの友達っすよ。ただし、腕はピカイチっすけど」

 

「ピカイチ?ありゃそんなレベルじゃないぜ…野球部のエースでも抑えられやしないだろ」

 

やっぱ野球部には気づかれるよな…

 

でもバレてるからって、この試合はフォアボールは無しなんだからどうしたって柴崎からは逃げられない。

 

ここからは柴崎の力で無失点に抑えることも夢じゃない。

 

そうなると…

 

「悪いっすけど、勝たせてもらっすよ」

 

「いや、それはどうだろうな?」

 

「え?」

 

「確かにあのバケモンを抑える手だてはないが…それに頼ってるだけの奴には負けないさ」

 

「なっ…?!」

 

「ほら、くるぞ」

 

言われて正面を向くと、既にピッチャーは球を放っていて、虚を突かれた俺はあえなく空振りしてしまう。

 

「きったねぇ…!」

 

「はは、ちゃんと見てないからだぜ?」

 

「そっちから話しかけてきたくせに…!」

 

くっそ!次は目を離したりしねえぞ…!

 

俺だって中学までは真剣に野球をやってたんだ。ゆるい直球一本の素人の球をヒットにするくらいわけないぜ。

 

あとは柴崎がホームランを打てば勝ちは決まったようなもんだ…!

 

今度はピッチャーをしっかりと見て、放たれる球を待つ。

 

振りかぶって投げられた球は、ただでさえゆるいのに、更に少し速度の落ちるものだった。

 

すっぽぬけか?なんにせよもらったぜ…!

 

クリーンヒットを確信してバットを振り抜くと、直球だったはずの球がゆるく横へと変化した。

 

スライ……ダー…?!

 

コツン。

 

気づいた時には既に遅く、バットを止めることも叶わず、当たり損なった情けない音が響く。

 

ボテボテのゴロはピッチャーの下へ転がり、ピッチャーはそれをきっちりと掴んで一塁へ送球する。

 

必死に走るが間に合うわけもなく、審判はアウトを宣告する。

 

「な…んで…?」

 

相手は素人だろ…?つーか今の今まで直球しか放ってなかったってのに…なんで急にスライダーなんて…

 

「覚えてもらったのさ。いくつか試した中でも覚えが早かったスライダーだけをな」

 

「吉澤さん…」

 

「野球部が6人もいて負けちゃいい笑い者だからな。もしものために覚えてもらったんだ」

 

まさか本当に使うことになるとは思わなかったけどな、と笑う。

 

「それでも、お前くらいの実力があれば見抜けないことはなかったはずだけどな。まあ大方、慢心ってやつだろう」

 

言われてギクリとする。

 

「絶望的な状況からあんな救世主が現れたら、無理もないが、もう勝ったと思ってただろ?アイツがいれば負けるわけがないって」

 

またも図星をつかれ、何も言い返せない。

 

「だから言ったんだ。怖くないってな」

 

「ぐっ…」

 

何をやってんだ俺は……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4回の表、下位打線をすんなり抑え、続く一番にエラーで出塁を許したものの無失点で抑える。

 

そして続く裏、柴崎の2打席連続ホームランで1点差へと詰め寄る。

 

下位打線は3人とも抑えられてしまったが、いよいよ逆転も射程圏内になってきた。

 

このまま失点さえなければ最終回までに同点には必ず出来る。

 

なんて思われようが、俺が格好悪かろうが…勝てるならそれでいい。

 

今日は…勝たなきゃいけないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

そして五回表、幸先よく先頭を切り、4番の吉澤さんの打席が回ってくる。

 

でも、いくら吉澤さんだろうと、打球の落下点を瞬時に予想できる柴崎がいれば負けるわけがない。

 

そう思っていた。

 

だけど、初球、甘く入ったインハイを迷いなく振りきられ―――

 

ボールは呆気なくフェンスを越えていった。

 

悠々とベースを回ってくる吉澤さんが、俺の目の前を過ぎる時ボソリと呟いた。

 

「もう頼ってるだけじゃ勝てないぜ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、後続をきっちりと打ち取り、俺たちの攻撃となる。

 

一番の音無はいい当たりをしたもののセカンドの正面へ打ってしまいワンナウト。

 

しかし続く大山がポテンヒットで出塁し、三番の千里もヒットで続き、塁を埋めていく。

 

この試合良いところのなかった藤巻も強烈な当たりを見せ、満塁で俺の打席が回ってきた。

 

ワンナウト…満塁。

 

ダブルプレーにさえならなければ次の柴崎が満塁ホームランを打って…勝てる…

 

なら、わざと三振すれば……!

 

「ひなっちせんぱぁぁぁぁい!!!」

 

「……ユイ」

 

声の方へ振り向くと、ベンチのすぐ近くにユイがいた。

 

金網をがしっと掴み、本当に女子かよって面しながら声を張り上げてる。

 

「た…タイム!」

 

「はぁ?!またかお前は!もうこれで最後だぞ!」

 

先生の呆れた声を背に、駆け寄る。

 

「ど、どうしたんですかひなっち先輩?!」

 

ただ声援を送っていただけなのに駆け寄られて、困惑している。

 

それでも伝えたいことがあった。

 

「ユイ…ぜってぇ勝つから」

 

俺が活躍しなくても、柴崎に頼りまくっても、絶対勝つ。

 

勝って、本当のことをお前に教えてやるから。

 

そう改めて言葉にしないと、情けなさで押し潰されそうだったんだ。

 

「は、はい!見てますから!ホームラン打ってきてくださいね!」

 

「………は?」

 

「え?俺がホームラン打って勝つ…ってことじゃないんですか?」

 

そう言う瞳は、本当に信じきって疑わない真っ直ぐなものだった。

 

「は…はは…」

 

「せ、先輩…?」

 

「あっははははは!!ばーか!俺は長距離打者じゃねえっつーの!」

 

「なぁっ?!ば、馬鹿とはなんじゃあ馬鹿とは!!?」

 

「へっ、馬鹿に馬鹿っつって何が悪い?!」

 

でも、そうだよな。

 

ここで俺が三振して勝ったとしても、今どこかで見てるあの人が納得しないだろうしな…

 

「先輩の方が馬鹿ですぅ~!ユイにゃんは馬鹿じゃないですぅ~!」

 

「馬鹿だよばーか。でも、ここまでくりゃ馬鹿になって…ホームランでもなんでもかっ飛ばすしかねえよな!」

 

「……ふ、ふん!ひなっち先輩なんてダブルプレーで戦犯になればいいんですよ」

 

ったく、素直じゃねえなぁ…って、俺が言えた立場じゃねえか…

 

「よーく見とけ?そんで…待ってろ。すぐ迎えに来っから」

 

そう言い残して、バッターボックスへ向かう。

 

アイツと馬鹿なこと言い合ったお陰で、肩の力もいい具合に抜けてる。

 

「見せつけてくれるな、日向」

 

「へへ、どーも。…打たせてもらいますよ」

 

「……手強いなぁ」

 

吉澤さんがそう呟いたと同時に、ピッチャーが球を放る。

 

かっかしてた前の打席と違って、よく球が見える。

 

これは…ストレート…!

 

振り切れ…!!

 

カキーン!!

 

と、盛大に響く音とは裏腹に、手応えはほとんど無い。

 

まるで無機質なものを打ったみたいだ。

 

でも、打球はぐんぐんと伸びていき―――

 

フェンスを越えていった。

 

「お……おおおぉぉぉ?!」

 

打った自分が一番驚いていた。

 

本当に現実か?

 

しかし、そんな考えを打ち消すような歓声が聞こえる。

 

「早く回れよ…ったく、こんな場面でホームラン打ちやがって」

 

「う、うっす!」

 

吉澤さんに言われてようやく足を進めていく。

 

そうだ…ユイ、見てたかな?

 

と、さっきユイがいた場所を見ると、バチッと視線が重なったので、渾身のガッツポーズをかましてみせる。

 

それを見て、ユイは満面の笑みを返してきた。

 

俺にとって一番の報酬だ。

 

アイツを笑顔に出来た。

 

この一時だけは、お袋さんのこと忘れさせられたはすだ。

 

その喜びを噛み締めながら、一塁、二塁、三塁、そして本塁を踏む。

 

「うおぉぉぉ!!日向ぁぁぁぁ!!」

 

「日向くんすごいよぉぉぉぉ!!」

 

すると、先に塁を回っていた藤巻と大山が飛びついてきた。

 

あんまりの勢いに耐えきれず3人で倒れこむ。

 

「ちょっ、重い!重いっつーの!!」

 

「バッカ野郎!良いとこ持ってきやがった罰だ!」

 

「良かったね日向くん!これで約束……あぁぁ!?」

 

「約束って…もしかしてユイとのこと知ってんのか?!」

 

「あーあ、ほんっと嘘が下手だなてめえは」

 

この口振りからして藤巻も知ってる…ってことか?!

 

「だ、誰から?!」

 

「俺はひさ子、こいつは入江から携帯に送られてきたんだよ。お前らの事情と、絶対勝てよって発破がな」

 

そういや柴崎も岩沢から聞いたって言ってたな…だとしたらガルデモ全員に知られててもおかしくねえか。

 

「悪ぃ…巻き込んじまったな」

 

「ああん?逆だろ。水臭すぎだっつんだよ」

 

「そうだよ日向くん!こんな大事なことなんだから頼ってよ!」

 

「いや…はは、なんつーか…悪ぃ」

 

返す言葉もなかった。

 

俺が二人の立場でも、同じこと思っただろうになぁ。

 

今回の件に関しては、マジで反省しなきゃいけねえことばっかだぜ…

 

「次からは絶対頼るから、その時は頼むぜ」

 

「おう」

 

「うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その後柴崎がダメ押しのホームランを放ち点差を3に広げて迎えた最終回。

 

とんとん拍子でツーアウトに。

 

しかも打順はちょうど九番で野球部でもない。

 

「音無!しっかり投げきれ!皆も、最後まできっちり守んぞ!!」

 

俺の言葉に、皆のおぉー!という頼もしい大声が返ってくる。

 

そして、音無が放った初球を相手バッターが打ちにいく。

 

が、それは明らかな打ち損じで、高く、しかし力のない打球になる。

 

セカンドフライ…

 

今まで何回も取ってきた、ありきたりのイージーなフライ。

 

取れないはずがない。

 

…のに、

 

なのに……

 

なんでだ…身体が動かねえ…!

 

緊張とかそんなんじゃない。何かが…頭ん中に割り込んできやがる…!

 

同じような光景が。

 

そして、失敗した姿が。

 

くっそ…!

 

「ひなっちせんぱぁぁぁぁぁぁい!!!取れやぁぁぁぁぁ!!!」

 

「――――!!」

 

突如響いてきた大声が、ノイズみたいな何かを消し去っていく。

 

動…ける!

 

動けさえすれば、取れない球じゃない。

 

ぽすっ。

 

グローブに球が収まる、確かな感触。

 

「――――っしゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

胸の底から溢れ出る喜びに、左手を高々と掲げる。

 

勝った…!勝ったぞ!!

 

これでアイツに本当のことを教えてやれる…!

 

早くアイツのとこに…

 

そう思い、足をユイのいる方へ向けると、後ろから肩を捕まれる。

 

「日向、整列だ。先生に怒られるぞ?」

 

「あ、っと…へへ、忘れてたぜ。サンキュー柴崎…マジで、あんがとな」

 

柴崎がいなきゃ確実に負けていた。

 

今後、俺は柴崎になんとしてでも恩を返さなきゃな。

 

「まあ整列が終わったらすぐにユイのとこ行ってやれよ」

 

「…おう!」

 

皆勝利の余韻に浸りながら整列する。

 

「ナイスゲームだったぞ!両チーム、目の前の相手と握手してから挨拶して解散だ!」

 

言われた通り手を差し出す。

 

相手は吉澤さんだった。

 

「ナイスゲーム」

 

「うっす!」

 

「ホームラン打った打席からのお前は…やっぱり、うちの部に欲しい存在だったよ」

 

「すんません。まあ、放っとけない奴もいたんで」

 

「知ってるよ。だから意外だった。お前があの子とイチャイチャしてるのがな」

 

指差した方向にはユイがいて、そういえば講習の面前で恥ずかしいことを言ってしまってたことに気づく。

 

「あぁ~……忘れてください」

 

あの時はなんつーか、高揚感?みたいなんで恥ずかしくなかったのに、一気に顔が熱を発していく。

 

「はは、まあ良いじゃないか。早く挨拶して、あの子の所にいってやれ」

 

「はい!ありがとうございました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

整列を終えて、逸る気持ちを抑えきれず駆け出す。

 

すぐ近くにいるはずなのに、中々辿り着けないような、不思議な感覚だ。

 

走って、走って、走って、フェンスを飛び出して、ユイのいた所へ向かう。

 

「ユイ!」

 

ようやく辿り着いて、何も考えることなく、とにかく名前を叫ぶ。

 

俺を勝たせてくれた、ヒーローにしてくれた相手の名前を。

 

「せんぱ―――きゃっ?!」

 

振り返って呼ばれ切る前に、堪えきれずに抱き締める。

 

「勝った…勝ったぜ!ホームランも打った!約束全部…守ったぜ!」

 

「…うん。すっっっごく!格好良かった!!」

 

その言葉だけで胸がふわりと暖かくなる。

 

そうだ…言わなきゃいけないことがあった。

 

コイツに早く伝えたいことが…

 

「??何ですか?」

 

俺が真剣な目で見ていることに気づいて、小首を傾げる仕草が何故か異様に可愛くて、一瞬頭が真っ白になる。

 

「…す、好きだ!ユイ!!」

 

「ひ…ひな…ひなひな…ひなっち先輩?!も、もしかして話したいことってそれだったんですか?!」

 

「え…?」

 

あれ…?違う。まずお袋さんのこと伝えなきゃいけなかったのに。

 

「違う!」

 

「ぐえっ!いってぇ?!」

 

いきなり頭に拳骨を落とされ、後ろを振り返ると……

 

「お、親父さん!?」

 

そうだった…呼んでたんだった…

 

「貴様…話が違うぞ…!」

 

「ち、違うんすよ!今のは気持ちが溢れたというかなんというか…」

 

「言い訳にもなってないぞ…!」

 

ゴキッと指を鳴らして臨戦態勢に入ろうとする親父さん。

 

「なんで…?」

 

しかし、割りまれたその声によって親父さんの動きが止まる。

 

「なんで…いるの?お父さん…」

 

「…呼ばれたからだ。日向くんに、見に来てくれと」

 

「お母さんが倒れても来なかったのに…?お母さんはどうでもいいの?!」

 

「…ここでその話はやめろ。人が見てるぞ」

 

「~~~~~っ!!もういい!!」

 

「ユイ!」

 

ユイは涙を滲ませながら走り去っていく。

 

「親父さん!追いかけますよ!」

 

「あ、ああ!」

 

 




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「決まってる…愛してるからだよ」

「ユイ!待てって!」

 

俺の呼び掛けを無視しながら、ユイは逃走を続ける。

 

単純な足の速さなら負けるわけはないけど、どうにも人込みを掻き分けて走るのはユイの方が上手いらしく中々距離を詰められない。

 

「話聞いてくれ!親父さんが来てたのには理由があんだよ!」

 

しかしやはり俺の言葉には応えてくれない。

 

やっぱり何とかして追い付くしか…!

 

そう思っていると、突然人込みの中でユイの動きが止まった。

 

「は、離してください!」

 

どうも誰かに捕まっているみたいだ。

 

誰だか分からないけど今はありがたいぜ。

 

動きの止まったユイに追い付くのは簡単だった。

 

「追い付いたぞ!あ、捕まえてくれてあり……ってゆりっぺ!」

 

「気づくの遅いわよ…どんだけこの子しか見えてないのよ」

 

出来れば親父さんの前でそういうイジリはやめて欲しいけど、間違ってないから反論が出来ない。

 

つーか、反論したらしたで怒るんだよなぁ…

 

「あなたまた逃げてるの?」

 

「か、関係ないじゃないですか!離してください!」

 

「関係ない…?本気で言ってるのかしら?」

 

「う……」

 

なんか意味深なやり取りだけど…あ、そういやこの二人は面識あったんだったな。

 

「日向くんはあなたのために勝てるはずのない勝負を覆したのよ?だからあなたには、しっかりと話を聞く義務があると思わない?」

 

「でも…」

 

「でもじゃないでしょ?そろそろまた本気で怒るわよ?」

 

「ひっ!?」

 

またって…ゆりっぺのマジギレとか…ユイのやつよく生きてたな…

 

「日向くんを信じなさい。チャラいけどあなたにとって悪いことはしないわよ」

 

「分かってます…」

 

「分かってるならさっさと話をしてきなさいよ。部室を貸してあげるから、そこで話しなさい」

 

「…はい」

 

むすっと拗ねたような言い方だが、確かにユイは了承した。

 

流石のじゃじゃ馬もゆりっぺの前じゃ形なしか…まあじゃじゃ馬っつーならゆりっぺも同じだしな…

 

「サンキューな、ゆりっぺ」

 

「いいわよ…だからもうあなたたちの痴話喧嘩には巻き込まないでよね」

 

「あ…ははは…」

 

だから…そういうことを親父さんの前で言わないでくれ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、まあ何はともあれようやく落ち着いてユイとの会話に入れる状態になった。

 

……んだが、改めてってなるとどこから話したもんか…

 

「……あの、まずなんでお父さんがここにいるのか知りたいんですけど」

 

「あ、ああ、それはな、今回の件は親父さんとのけじめっつーか、ユイに大事なことを伝える許可を貰うための約束だったんだ」

 

「大事なこと…ですか?」

 

「ああ、優勝したら親父さんとお袋さんの約束について話すつもりだった」

 

「お父さんと…お母さんの?」

 

「ああ、それは…」

 

と、話を進めようとした時、横から親父さんが手で制止を促してきた。

 

「その前にユイ、お前は…少し覚悟を決めろ。恐らくお前にとって辛い話になる」

 

「それって…お父さんが酷いことしてたってこと…?」

 

「…それだったら、こんなに話すことは躊躇わなかっただろうにな」

 

そんな親父さんの呟きを聞いて、ユイは目に見えて怒気を緩めた。

 

「悪いのは全て俺達…いや、俺なんだ。だからどうか…自分を責めるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから親父さんはユイに今までの全てを話した。

 

お袋さんの病気は既に末期だったこと。

 

病気にかかった時、親父さんにとにかく働いて欲しいと我儘を言ったこと。

 

ユイと過ごす時間を増やすため、無理をして退院したこと。

 

自分が死んだ後は俺にユイのことを頼もうとしたこと。

 

このことはユイには伝えないと決めたこと。

 

そして、それら全てを自分が止められなかったこと。

 

「そんな…じゃあお母さんとお父さんが一緒に居られなかったのは……」

 

それを聞いたユイの反応は、想像通りのものだった。

 

「俺は…お前がそう思うだろうから、このことは黙ってるつもりだった…それをお前に伝えると決めた日向くんだ。それがお前のためになると、信じてな」

 

「ひなっち先輩が…?」

 

涙で滲む瞳がなんで?と訴えていた。

 

「ユイ、なんでお袋さんと親父さんが自分のことを後回しにしてお前のために動いたか分かるか?」

 

「え……?」

 

「決まってる…愛してるからだよ」

 

「――――――っ」

 

「二人ともお前が大事で大好きで堪らなかったんだよ!だからこんなことが出来たんだ!無茶だろうが、辛かろうが構わずな!」

 

俺の言葉がどう響いたのか分からないが、ユイは黙って俯いてしまう。

 

「だから…お前が今感じるべきなのは罪悪感じゃないはずだろ?」

 

「じゃあ…あたしはどうしたらいいの…?」

 

「ユイはさ、こんなに二人から大切に思われてどう思うんだよ?大事なのはそこだろ?」

 

二人は初めからずっと、ユイが幸せであることを望んでいた。

 

お袋さんと親父さんが望むユイの在り方と、今感じてるユイの気持ちが合致しなきゃ意味はない。

 

だけど俺は信じてる…きっとユイは二人の望むものを感じてるって。

 

「幸せ…だよぉ…」

 

ポツリと、ユイはそう呟く。

 

「お母さんとお父さんが…あたしのことを好きでいてくれて嬉しい…」

 

「……ああ」

 

「お父さんが酷い人じゃなくて嬉しい…」

 

「だよな」

 

にっ、と親父さんに笑いかけると鬱陶しそうにしながらも、目は涙ぐんでいた。

 

これで、いきなりは無理だろうけど、これから少しずつ、少しずつ、二人は普通の親子に戻っていけるはずだ。

 

でも……あくまで二人は…だ。

 

「でも…お母さんがいなくなっちゃうのはやだぁ…!」

 

「………だよな…」

 

球技大会に優勝した。真実を伝えられた。二人の仲も徐々に修復していくはずだ。

 

でも、この結末だけは変わらない。

 

「う、ぇぇ…やだよぉ…!」

 

俺の胸にすがりついて嗚咽をもらすユイに、もう何もしてやれることがない。

 

ただただ、泣きつかれるまで俺は胸を貸し続けた。

 

それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとまずその日は、泣きつかれて眠ってしまったユイを親父さんが背負って帰った。

 

別れ際、『明日にはきっとユイも立ち直ってるだろうから、会ってやってくれないか?多分朝一から病院にいるはずだ』と言われたから、次の日の朝一に病院に向かう。

 

お袋さんの病室を訪ねると、親父さんの言葉通り、ユイは椅子に腰掛けてお袋さんを見つめていた。

 

その表情からは、何を思っているのかまるで読めない。

 

悲しんでる風でもなくて、かといってもちろん嬉しそうなわけでもない。

 

「ユイ、どうしたんだ?黙って見てるだけなんて、なんからしくねえぜ?」

 

考えていても埒があかないので、とりあえず話しかける。

 

昨日のことを蒸し返さないよう、極めて普通に。

 

「ひなっち先輩…ちょっと、お母さんに話しかけてました」

 

「黙ってか?」

 

「テレパシーですよ、テレパシー」

 

「はぁ?」

 

意味がわからなくて聞き返す。

 

「お母さんは今喋れませんし、だったらあたしも喋らずにテレパシーで会話をしようかと思ったんです」

 

「よくわかんねぇ理屈だな…で、何話してたんだよ?」

 

「お父さんとお母さんの考えてたこと、全部教えてもらったよって報告しました」

 

「……そっか」

 

蒸し返さないよう心掛けてたけど、その必要はなかったみたいだ。

 

これも、親父さんの言う通りってわけか…確かに立ち直ってる。

 

「昨日はすみませんでした。ずっと泣いちゃって…」

 

「気にすんなって、俺こそ悪かったな…なんつーか、説教臭いこと言っちまってさ。俺にお前の辛さが分かるわけねえのにさ」

 

「いえ、ひなっち先輩のおかげでお母さんたちの想いを…ちゃんと受け取れたような気がします」

 

そう言って、ユイは胸に手を当てる。

 

「一人じゃきっと、しばらく塞ぎこんでました。先輩が傍にいて、言葉をくれなきゃ…きっと」

 

「そんなことねえよ。お前は自分で思ってるよりずっと強いんだぜ?」

 

「弱いです。多分先輩が思ってるよりずっと弱いんです。ひなっちがいてくれたからなんです。だからその…」

 

「大丈夫だって、これからは親父さんがいるからな。あの人は俺なんかよりずっと頼れるだろ?」

 

「………鈍感…!」

 

「へ?」

 

な、なんか湿っぽい雰囲気だったのに急に……怒ってる…?

 

い、いやいや待て待て…俺怒らせるようなこと言ってねえよな?むしろ励ましてたはずだぜ?

 

「ゆ、ユイ?なんで怒ってんだ?」

 

「怒ってないです。ひなっち先輩の鈍さに呆れてるだけです」

 

「鈍さ?なんでだよ?俺ちゃんと励ましてたぜ?」

 

「それはありがたいですけど今はそうじゃないんです!そ、そこは…これからは俺がずっといてやるから…とか!そういうのを待ってたんです…!」

 

「……えぇぇぇぇ?!」

 

数拍間を置いてようやく頭が理解する。

 

「いやいやいや、普通あんな雰囲気からそんな浮わついたこと言えねえって!」

 

「そ、そうですけど!そうなんですけど!でも…ていうか大体ひなっち先輩が昨日告白してきたからこんなことが頭に浮かんじゃったんですよ?!」

 

「おまっ?!そこ蒸し返すのかよ?!こっちは散々気ぃ使ってやってんのに!」

 

「けん…かは…やめて…」

 

「だってひなっち先輩が!」

 

「今回はお前が悪いだろ!」

 

「「…………え…?」」

 

今の…声って…?

 

思わず、ユイと顔を見合わせる。

 

「お母さん!?」

 

「お袋さん!?」

 

そしてお袋さんの顔を見る。

 

うっすらと目を開けていた。

 

そして二人して顔を覗きこんできたことを確認して、微笑む。

 

やさしい、ひだまりみたいな笑顔を、また向けてくれる。

 

「他の患者さんの迷惑になるので大声は……っ?!」

 

俺達の大声を注意しにきた看護師さんが、その光景を見て顔を強ばらせる。

 

「せ、先生!」

 

そして看護師が大声をあげながら、担当医の下へと駆け出していった。

 

って、ことは…

 

「幻覚じゃ…ねえ…よな?」

 

「は、はい…う、うぅぅ…!おかあさぁん……!」

 

「ゆ…い…ちゃん…ごめん…ね」

 

我慢できず胸に飛び込んだユイの頭を、お袋さんは優しく撫でる。

 

その光景に、俺も我慢が利かず涙が溢れてくる。

 

「ひなた…くんも…ありが…とう」

 

「う、ぐ……はい…!」

 

と、そこで気づく。

 

「お、親父さんに…伝えますね…!」

 

そして急いで電話をかける。

 

「お、お袋さんが…!目を覚ましました…!」

 

ブツッ、とそれだけを聞くとなんの返事もなしに電話が切られる。

 

そして間もなく担当医の先生がやってきて、よく分からないけど色々と検査を始めた。

 

その日は軽く検査をして、次の日に本格的なものをするらしく、そう時間を取らずにそれは終わった。

 

最後に先生が2、3個質問をしている内に親父さんがやって来た。

 

病室の前で、お袋さんが目を開いているのを確認すると、すぐさま先生や俺達を押し退けてお袋さんを抱き締めた。

 

「伊織……!!」

 

「ゆう…いちさん…」

 

「馬鹿野郎…!もう二度と…抱き締められないと思ってたぞ…!!」

 

「ごめん…なさい」

 

「うぅ…く…ぁ…!よかった…!伊織……!」

 

常に気丈な態度を取っていた親父さんが、周りを気にもとめずにすがりついて泣いていた。

 

きっと、ずっとそうしたかったんだと思う。

 

当然だよな…俺だってユイがこうなったら…我慢なんて出来ない。

 

「ユイ」

 

「ユイ…ちゃん」

 

ひとしきり抱き合った後、二人はユイに呼び掛けた。

 

そしてちょうど一人分のスペースを空ける。

 

しかしユイは俺の様子を窺って、中々行こうとしない。

 

「行けよ、二人とも待ってるぜ?」

 

「ひなっち先輩は?」

 

「アホか、行けるわけねえだろ」

 

「でも…」

 

「いいから、変なとこで我慢すんな。な?」

 

そう念を押すと、やっと二人の腕の中に飛び込んでいく。

 

「奇跡です」

 

まだ残っていた先生がポツリと呟く。

 

「本当なら、二度と目覚めることなんてなかったんです。ましてや、軽い検査とはいえ問題がないなんてありえないんです」

 

ここはゆりっぺの家が経営してる病院だ。そんなとこの先生がヤブ医者なわけがない。

 

そんな人をもってしても、奇跡と言わざるを得ない光景が、今目の前にある。

 

「良かったな…ユイ」

 

思わず呟いた言葉は、二人の間で泣き崩れているユイには届かなかったけど、それで良いと思う。

 

今はただ、幸せを噛み締めてほしい。

 

…ま、今日のとこは親子水入らずにしてやるか。

 

空気を壊さないよう、ひっそりと病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の早朝、けたたましい着信音で目覚めて、寝ぼけながら応答すると、深刻そうな声音でこう告げられた。

 

「日向くん…妻が息を引き取った」

 

心臓がぎゅっと握りこまれたような感覚がした。

 

聞き間違いかと思って、聞き直したが、やっぱり言葉は変わらない。

 

頭が回らない。

 

寝ぼけてるからか?いいや違う。寝ぼけなんて、初めの台詞でとっくに吹き飛んでる。

 

「そんなことを言われても…と、思うかもしれないが、君には伝えておきたかった。そして出来れば…今から病院に来てくれると嬉しい」

 

それだけを伝えて、親父さんは電話を切った。

 

着替える時間も惜しくて、部屋着にコートを羽織ってすぐに家を飛び出る。

 

自転車を飛ばして、すぐに病院に辿り着く。

 

お袋さんの病室へ行くと、ユイに親父さん、主治医の先生と看護師さんがベッドを取り囲んでいた。

 

「ひなっち先輩」

 

「来てくれたか」

 

「当たり前じゃないっすか…!ていうか、本当なんすか…?お袋さんが……だって、昨日目を…」

 

「……本来なら、目を覚まさないはずでした」

 

この状況を見てもいまいち信じられず問いかけると、先生がゆっくりと口を開いた。

 

「目を覚まさないのなら、あと3日は心臓が止まることはなかったでしょう…ですが、昨日奇跡的に目を覚ましました」

 

「……そのせいで…?」

 

「…結果的には、そう思えます。眠っていれば保てていた力を、全て使って目を覚ました…としか思えません」

 

「…アイツらしい」

 

先生の言葉を聞いて、親父さんがそう呟く。

 

「アイツは延命を良しとはしなかった…ユイと離れながら延命するくらいならば自分の命を削ることを選ぶ奴だったからな…」

 

今回もそうなんだろう、と、やけに冷静な口調で締めくくる。

 

「なんで…そんな落ち着いてるんですか…?」

 

不思議だった。

 

目を覚ました時はあれだけ取り乱していたのに、今は逆に落ち着き払っている。

 

見てみれば、ユイもそうだった。

 

昨日のように泣いているわけじゃなく、ただ現実を受け入れているように見える。

 

「あのね…今、すごく悲しいんです。多分、昨日までなら泣いてただろうなってくらい悲しいんです」

 

混乱する俺を諭すように、ユイが話始める。

 

「でも…お母さんは昨日、奇跡を起こして…あたしとお父さんに最期の言葉を伝える時間をくれました…最期の言葉らしいことが言えたわけじゃないんですけど、でも…後悔はありません」

 

その言葉通り、ユイと親父さんの目には一点の曇りもなかった。

 

「だから今はただ、お母さんにありがとうって言いたいんです。ありがとう、お疲れさま…あたしは幸せだよ…って」

 

泣きながらそんなこと言っても締まらないじゃないですか、と言って笑う。

 

強がっているのには違いない。だけど、決してそれだけじゃない。

 

そう思わされる笑顔だ。

 

「……そうか…お前がそう思えるんなら、お袋さんも後悔はないだろうな」

 

お袋さんは、自分のことを枷だと言っていた。ユイが自由に生きるのを邪魔する枷だって。

 

俺は…いや、きっとユイも、それに同意はしない。

 

でも…それでもお袋さんが自分を枷だって言うんなら、今…本当の意味でそれは外れたのかもしれない。

 

お袋さんに伝えられなかった言葉はない。

 

親父さんとの溝も、もうない。

 

あるのは、幸せと…一時の悲しみだけ。

 

「日向くん、君には妻の葬式に参列してもらえればと思っているんだが、どうだ?」

 

「もちろん出ます。出させてください。俺は…まだ最期の言葉ってやつを言えてないんで」

 

それは、今じゃなく、本当の最期の時に…覚悟を持って伝えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、葬式が執り行われた。

 

お袋さんの下には、とても多くの友人が顔を見に訪れ、改めてこの人が、人に好かれる人物だったことが窺えた。

 

お坊さんが来て、お経が始まり、それが終わると最後に皆で棺桶に花を添える。

 

その時、思わず涙が溢れた。

 

俺は他人で、関わった期間も短い。

 

なのに、止められなかった。

 

この人に、これからの俺とユイの関係を見守って欲しかった。

 

俺とユイのことだ。喧嘩はしょっちゅうだろうし、その度止めてほしかった。

 

あの、目覚めたときのように。

 

それが叶えば…どれだけ幸せだっただろうと考えると…涙は止まらなかった。

 

だけど、もうそうも言ってられない。

 

一度ぐいっと袖で涙を拭って、言葉に出さずに、最期の言葉をお袋さんに伝える。

 

ユイの言うところのテレパシーってやつだ。

 

どうか届いてほしい。

 

俺は―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩。お母さんに伝えたかった最期の言葉って何だったんですか?」

 

お袋さんの火葬が終わるまでの間、火葬場の外に出て二人になった途端、藪から棒にそんな質問をしてくる。

 

「どうしたんだ急に?」

 

「いや、結局話しかけてなかったんで、なんだったのかなぁ~って」

 

「テレパシーだよ、テレパシー」

 

「うわ、パクリですか。あれだけ馬鹿にしてたのに」

 

「ちっせえこと気にすんなっての。ちょっと…あんな大勢の前で言うのは恥ずかしかったんだよ…」

 

そう言うと、ユイの目がキュピーンと光る。

 

「なんなんですか?なんなんですか?あたしですよね?あたし関連ですよね?」

 

うっぜぇし、しつこい…!

 

まあこの話になった時点で、言うまで訊かれ続けるのは決まったようなもんだしな…

 

一度、深く息を吐く。

 

「改めて、お袋さんに誓っといた」

 

「…はい」

 

今はふざける空気じゃないって察してくれたようで、内心ホッとする。

 

このまま茶化されまくってたら、格好つかねえしな。

 

「これからはお袋さんの代わりに、俺がユイを幸せにします…って」

 

「…で?」

 

「……え?でって…なんだ?」

 

イメージと違う返しに面食らう。

 

「いや、もう良いんですよそういうの。聞き飽きました。好きだとか幸せにするとかなんだとか、そういうふわっとした言葉はもういりません!ただ……」

 

「ただ…?」

 

「あたしと…あたしとどうなるつもりなんですかって訊いとるんじゃボケぇ!!」

 

顔を真っ赤にして、そう言い切った。

 

怒濤の勢いだったせいか、肩で息をしている。

 

あー…だよなぁ…そうだよなぁ…。

 

俺まだなんにも具体的なこと、言ってなかったよな…

 

覚悟決める覚悟決めるって馬鹿みたいに思ってたくせに、肝心なこと言ってないんじゃ伝わんねえよな…テレパシーじゃねえんだからさ。

 

「ユイ…一回しか言わねえぞ」

 

「は、はい!一回で十分です!」

 

いやそういうつもりで言ってねえんだけどよ…

 

まあいい!こんなぐだぐだも俺たちらしいよな。

 

「俺と、結婚を前提に付き合ってくれ!」

 

「は…………はい…!?」

 

「ちょ、なんだよその若干戸惑った感じはよ?!」

 

「だ、だって、普通に付き合ってくださいって言うのかと思ったら…け、結婚とか言うし!」

 

「だから言ったじゃねえか!これからは俺がお前を幸せにするって!つまり結婚だろうが!」

 

「そ、そう言われたらそうなんですけど!まさかチャラそうなひなっち先輩からそんな言葉が出るとは思わなかったんです!」

 

コイツ…好きな男に向かってなんて言い草だ…!

 

だけどまあ言いたいことは分かる。

 

だから一旦頭を冷やして冷静に問いかける。

 

「分かった…じゃあ改めてこっちから訊くぞ?お前は俺とどうなるつもりなんだよ?」

 

「そ、それは……そのぉ……たいです……」

 

「はぁ?聞こえねぇぞ~?」

 

「……もぉ~!したいです!ひなっち先輩となら結婚したいです!!なんか文句あるかゴラぁぁぁぁ?!」

 

もろ逆ギレの言葉に、思わず相好が崩れる。

 

俺としても、初めてユイの気持ちを聞けた瞬間だからだ。

 

「なら、俺が結婚してやんよ!」

 

「~~~~っ……よろしくお願いします…」

 

なんだか悔しそうにではあるけど、とにかくOKをもらえたみたいだ。

 

一世一代の瞬間が終わってホッとしていると、ふるふると震えながらユイが側に寄ってくる。

 

不審に思っていると、いきなりがばっと抱きついてくる。

 

「な、どうした?!」

 

「う…うぅ~…」

 

な、泣いてんのか…?

 

「ひなっち先輩の馬鹿ぁ~…好きって言っといて放置とかぁ~…あたしがどんだけ不安だったと思ってるんですかぁ~…!」

 

「あぁ……悪かったな」

 

とりあえず謝りながら、頭を撫でておく。

 

「とにかく俺たちは今から婚約者兼恋人なんだから…な?泣き止んでくれ……っ?!」

 

泣き止ませようと言葉を口にしていると、途端に頭に何かが流れ込んでくるみたいな感覚に襲われる。

 

痛みと紙一重の意識の濁流に飲まれながらユイを見ると、ユイも同じように頭を抱えていた。

 

「ユ……イ……っ!」

 

 

 




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「お前…成長しねぇなぁ…」

「おめでとう、日向くん、ユイ」

 

そんな祝いの言葉をもらったのは、球技大会後初の部活の後だった。

 

「お、おう」

 

「は、はい」

 

二人して微妙な反応になってしまう。

 

いやでもこっちからしたらそりゃそうだろって話だ。

 

なんせ向こうでの記憶が戻った俺からすると、その…

 

「なによ?惨めに振られた女からの祝福なんていらないってのかしら?」

 

「ちちちちげえって!?嬉しいって!」

 

「そそそそうですよぉ!」

 

ただこう、ゆりっぺからの素直な言葉ってなんか慣れねぇんだよなぁ。

 

「まあいいわ。気持ちは分かるし」

 

怒られるかとひやひやしたけど、そうはならなさそうで安堵する。

 

「そろそろ記憶が戻ってるメンバーが帰ってくるわね」

 

「つっても、もうほとんど戻ってるんだろ?」

 

確か、あとは音無に直井と関根、そして柴崎だけだったはず。

 

部活のメンバーじゃないけど奏ちゃんもか。

 

「そうね。でも、残りが問題なのよ。特に直井くんね」

 

「あぁ…」

 

名前を出されただけで思わず納得しちまう。

 

アイツはそもそも向こうでだって何がどうなって関根とあんな風になってたのかまるで分からない。

 

「なぁユイ、直井と関根ってどっちが先に片想いになってたんだ?」

 

「関根さんだと思いますよ?」

 

「思いますよ、か」

 

「だってあの自称神さんがいつ関根さんのことを好きになってたのか分からないですもん」

 

自称神さんって…いや全くもってその通りだけどよ…

 

「近くで見ててもそんなもん…ってことだよな」

 

「今の彼も読めないわ」

 

「と言うと?」

 

「相変わらず関わられるのは嫌がるけど、関根さんがクラスでイジメにあいかけた時には助けに入ったらしいのよ」

 

「アイツがかぁ?」

 

いつもいつもやっかまれる身としては信じがたいぜ。

 

「じゃあもう好きなんじゃねえの?」

 

人と関わるのが嫌というか、もはや人嫌いの域に達してるアイツがそんなことをするというのは、もうそうとしか思えない。

 

「彼の場合、そこがよく分からないから厄介なのよ…」

 

確かに他のやつらなら良くも悪くも付き合いが深いから考えがある程度読める。

 

その点、直井は群を抜いて関わりが浅いんだ。

 

「ていうか、もうほっとけば勝手に付き合ったりするんじゃないですか?」

 

「はぁ?」

 

この話し合いを根底から覆すようなことを言い出すユイ。

 

「だって、今付き合ってる人たちって別に仕組んだ結果ってわけじゃないんですよね?」

 

「そうね。仕組んだわけではないわ」

 

「なら関根さんたちも勝手に付き合うんじゃないですか?」

 

「あのねユイ、確かにあたしは仕組んでまで付き合わせたわけじゃないけど何もしてなかったわけじゃないのよ」

 

「そうなんですか?!」

 

コイツ…俺たちも散々背中押されたこと忘れてやがるな…

 

あー、ほら、ゆりっぺがあからさまにイラッとした顔してるぜ…

 

「……そもそも、ガルデモにマネージャーなんてのを無理矢理付けたのも接点を増やして、恋が芽生える可能性を上げるためだしね」

 

「でもでも、それは関根さんもされてますよね?」

 

「それでも、それだけでは足らないのかもしれないでしょ?」

 

「それはそうですけど…」

 

「まあ、そもそもゆりっぺは無理矢理くっつけるつもりもないんだろ?」

 

このまま二人で話してても平行線を辿るだけになりそうなので、話に割ってはいる。

 

「…ええ。最大限の助力はする。けど、それがあの子達の未来を狭めるだけなのならやめるつもりよ」

 

「そ、それは困りますよぉ!関根さんにも記憶を…」

 

「おいおいどうしたんだ?そんなに騒いで」

 

ユイが抗議しようとしたその時、丁度部室に戻ってきたひさ子の声によって遮られる。

 

「ひ…」

 

「ひ?」

 

「ひさ子さぁぁぁぁぁぁん!!」

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

さっきまでゆりっぺに迫っていたはずなのに、何故かひさ子に飛び付いていた。

 

「なんなんだよ?!離れろ……!この…!」

 

「あいだがっだでずぅ~…!」

 

「さっき帰るふりする前に会ってんだろうが…!」

 

「ぞうですげどぉ~…!」

 

めちゃくちゃ拒絶されてるのに尚抵抗を見せるユイ。

 

はぁ…とりあえずひさ子に手を貸すか。

 

「ん?何やってんの?」

 

「ユイ~ひさ子さんに迷惑かけちゃダメだよ~」

 

と思っていたら続々とガルデモメンバーが部室へとやって来た。

 

「岩沢さぁぁぁぁぁぁん!!入江さぁぁぁぁぁぁん!!うわぁぁぁぁぁぁん!!」

 

「え、うわ?!」

 

「きゃっ?!」

 

次なる被害者はこの二人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひなっち先輩……」

 

帰り道、ユイが神妙な顔をして名前を呼ぶ。

 

「……ああ」

 

言おうとしてることは明らかだった。

 

「岩沢のこと…だろ」

 

「はい…まさかあんな…」

 

ユイが動揺してるのも無理はない。

 

まさか岩沢があんな状態になるなんて思いもしねえしな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれはユイが岩沢と入江に抱きついたしばらく後、なんだかんだユイを引き離すことに成功し、他の皆が戻ってくるのを待ってる時だった。

 

「そういえば柴崎先輩って、なんで今日来てなかったんですか?」

 

「球技大会で活躍しすぎて追われてんだよ」

 

「え?!柴崎先輩そんなモテモテになってるんすか?!」

 

「ちげーちげー。運動部の連中にさ」

 

そんな会話をしていた。

 

今から思えば、この時点でおかしいことに気づくべきだった。

 

普段ならここで得意気に『ようやくあたしの柴崎の良さが伝わったんだな』とか言ってそうなもんなのに。

 

「いやいや、でも分かんないぜ?あれだけ活躍したんだから、一人や二人柴崎に惚れてたっておかしくないだろ。な、岩沢ぁ~?」

 

「ん?そうだな」

 

「い、いや岩沢…?柴崎がモテちまうんだぞ…?いいのかよ…?」

 

軽口を叩いた側のはずのひさ子が顔を強張らせて問い直す。

 

すると、岩沢は不思議そうに首を傾げる。

 

「あ…れ?そう…だよな。それは…困る」

 

異常だった。

 

柴崎が大好きなはずなのに、というのを除いても、その話し方はおかしいと言うほかなかった。

 

途切れ途切れに発する言葉からは、自分でも確信を得られていないことが伝わってくる。

 

「岩沢さん……疲れてるのね。今日は帰りなさい」

 

「え…でも…お祝い…あれ?なんのお祝いなんだっけ……?」

 

「おい…これ…」

 

言葉を失ってしまう。

 

なんのお祝いか忘れるって、まるで記憶喪失みたいな…

 

「岩沢さん、帰りなさい。帰って、何度も反芻して」

 

「……何を?」

 

「あなたの一番大切な人のことよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、岩沢は言われた通り帰宅した。

 

そして遅れて戻ってきたメンバーたちと合わせて、岩沢がどういう状態なのかの説明をうけた。

 

何故そうなったのか、誰がそうしたのか、そして、どうすれば治るのか。

 

「柴崎さん…どうするんでしょうか…」

 

「さあな…」

 

事態がどういうものなのか分かってればアイツは動くだろう。そういうやつだ。

 

ただ、アイツには何も知らせちゃいけない決まりだ。

 

昔のアイツなら、それでも岩沢が変なら行動をしてたはずだけど、今はそうはいかない。

 

「柴崎がどのくらい岩沢を想ってるのか…だな」

 

「それなら…それならきっと大丈夫です!二人はお似合いのカップルですからね!」

 

「ははっ、だな」

 

そうだ。アイツらはお互い他の相手なんて考えられないくらいお似合いだった。

 

なにも心配するようなことなかったのかもしんねえな。

 

「ま、あたしたちには劣りますけど!」

 

「よく言うぜ。昔はこっちから頼まなきゃ好きとも言ってこなかったのによ」

 

ん?あれ?よく考えたら今も好き、とは言われてない…?

 

「って、こっちでも言ってねぇじゃねぇか?!」

 

そう叫ぶとユイはギクッと肩を竦ませる。

 

「お前…成長しねぇなぁ…」

 

「ち、違いますよ!前は…時間がなかったからだし、今はタイミングがなかったというか…」

 

「いーや、あったろ。俺が好きだって言ったりプロポーズしたときに言えるだろ」

 

ジト目で抗議すると、ユイはうぅ~…と唸りだす。

 

「じゃあなんなんですか?!無理矢理好きって言わせて満足なんですか?!どうなんだごらぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「逆ギレ?!ホワァーイ!?」

 

「へーんだ!ひなっち先輩のバーカアーホ!残念イケメーン!!」

 

「なんだ…とぉ……?」

 

最後のは罵倒だと受けとればいいのか…?

 

「好きって言うのは…ちょっと待っててください。馬鹿先輩」

 

「お…おう」

 

て、馬鹿は余計だわ。

 

「前は最期だったから、言われるがまま言いましたけど…今度は、あたしから言いたいですから!」

 

成長してない…は、撤回しねぇとな。

 

「おう。待ってんぜ」

 

「はい!……あ、でも無理矢理好きって言わされそうになったってお父さんには報告しときますね」

 

「それはやめてください!!」

 

 

 




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「今度は俺の番、か」

「昨日は大変だったね、蒼」

 

登校して早々に嫌なことを思い出させてきやがる。

 

まあ忘れてたわけじゃないしいいんだけどよ。

 

「ああ、あんなに逃げ回ったのは去年岩沢に追いかけ回された時以来だ」

 

ま、あれよりは振りきるのが楽だったな。

 

「でもまあ、こうなることも承知で本気を出したんでしょ?」

 

……なんでコイツこんな嬉しそうなんだ?

 

おおかた、俺が昔のこと気にしまくってたのにイライラしてた、ってとこか?

 

「柴崎さん、自分の眼のことでうじうじうじうじしてましたしね」

 

「そうそう」

 

「そこまでうじうじしてねえよ」

 

して……ないと思う。

 

多分、うじうじうじ、くらいしかしてないはず。

 

「言っていることが小学生並みですね」

 

「口に出してはないんだけどな」

 

本当どこで覚えてくんだよ、こんな術…

 

「義務教育です」

 

「なら、俺も教えてもらいたかったとこだな」

 

そうすりゃ、色々な靄が晴れるってのに……

 

「あ、蒼。岩沢さんが来たよ」

 

「あーそうかい」

 

正直昨日の今日で、しつこく誰かに構われんのは勘弁願いたいぜ。

 

そう思いながら岩沢の動きを眺めていると。

 

「……………来ねえな」

 

教室に入ってきて、さっさと自分の席に座ったかと思うと、退屈そうに頬杖をついて動く気配がない。

 

いつもなら絶対声かけに来んのに…

 

「あれ?もしかして蒼、寂しいの?」

 

「はぁ?!なんでそうなんだよ!んなわけあるか!ただちょっと調子狂うなって思っただけだ!」

 

「ふーん、へぇー、そうー」

 

まるっきり信用してないって風な返事をよこす。

 

くっそ…どうせそのうち絡んでくるに決まってる…

 

意地でもこっちから話しかけねぇからな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話しかけてこなかったね。1回も」

 

お…おかしい…

 

話しかけてこなかっただけでもおかしいのに、アイツ、俺の方をちっとも見てこなかった…

 

いつもは、馬鹿みたいにちらちらこっちに目線を送ってきてたのに…

 

「アイツ…もしかしてどっか悪いのか…?」

 

「は?いやいや、どう見ても元気でしょ。ひさ子さんと普通に話してるし」

 

「いや…でも…」

 

「流石に愛想尽かされたんでしょ。蒼のことを好きでも意味がないって気づいたのさ」

 

愛想を尽かす…?

 

アイツが…

 

……俺に?

 

「信じられないって顔してるね」

 

そう言ってやれやれ、と首を竦める。

 

「なら本人に訊いてみなよ。ほら、今出ていったところだからすぐに追えば捕まえられるよ」

 

「……ちっ」

 

これは、信じられないからとか、寂しいからとかそんなんじゃ決してない。

 

ただ、いきなり避けるみたいなことしてこられて気分が悪いから確かめるだけだ。

 

そう心の中で言いながら教室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

悠の言う通り、教室を出てすぐに岩沢とひさ子の姿を捉えるこたができた。

 

走って追いかけ、その背中に声をかける。

 

「おい!」

 

苛立ちからか、声が怒声に近くなる。

 

「…何?」

 

何気ない普通の返し……のはずなのに、その声音はいつもより冷たく感じた。

 

「お前…どっか悪いのか…?」

 

「いや、見ての通り健康だけど?」

 

これは既に悠に言われていて、分かってたはずだ。

 

それでも思わず口からついて出てしまうほどに、普段とかけ離れている。

 

「岩沢、あたし先に行っとくよ」

 

「え?なんで?あたしも一緒に行くよ」

 

「柴崎がなんか用事があんだろ?」

 

「そうなのか?なら早くしてくれ」

 

「ちょっと…岩沢」

 

岩沢の言動に、ひさ子も驚いたのか咎めようとする。

 

「お前…いつもやたらめったら俺に絡んでくるのに、どうしたんだ…?」

 

「…?どうしたも何も、アンタが嫌がってたんじゃないか」

 

あんた…?

 

今まで1度だってそんな呼び方したことなかったはずだ。

 

「やっぱ、なんかおかしいぞお前…」

 

「おかしいのはアンタだろ?いつも嫌がってたくせに、離れられたら惜しくなるのかい?」

 

挑発するような言い方にカチンとくる。

 

「はぁ?!」

 

「だってそうだろ。アンタ、自分で自分のしてることが分かってないのか?今のアンタは、逃がした魚を惜しんでいるだけにしか見えないね」

 

「………っ?!あーそうかよ!勝手に言っとけ!」

 

これ以上話したって無駄だと思い、踵を返す。

 

なんだアイツ…!いきなりあんな態度取るなんて意味わかんねぇ…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで逃げ帰ってきたと」

 

「逃げてねぇ。あんなやつに構ってる時間が勿体無いと思っただけだ」

 

遊佐の憎まれ口を受け流しながら帰り支度を進める。

 

「帰られるのですか?」

 

「ん?ああ、部活行ってもアイツと話さなきゃいけなくなるしな」

 

さっきの口論の後に顔なんて会わせたくない。

 

「もう、嫌いになられたのですか?岩沢のこと」

 

「嫌いになったのは向こうだろ。俺はなんとも思ってない」

 

「はぁ…子供のようですね」

 

「子供で悪かったな」

 

「正直に言えばいいじゃないですか。ショックだったんでしょう?」

 

「………………」

 

言い返せないことを肯定と受け取ったようで、またため息を吐く。

 

「柴崎さんが現在岩沢さんのことをどういう風に見ているのかは分かりません。ですが、人として嫌いではなかった。いえ、むしろ好きだったということはわかります」

 

幼馴染みですから、と最後に取ってつけたように言い足す。

 

そして、それは実際当たっていた。

 

「…そうだよ。俺はさ、アイツと恋人になる…とか、今は考えられなかったけどさ、それでも結構…良い友達にはなったと思ってたんだよ」

 

お互いに、色んなことを話し合ったと思う。

 

多分、他の誰かに言ったことのないようなことも、そこにはあったと思うんだ。

 

「なのにアイツ…いきなり関わろうともしなくなって、あげく逃した魚を惜しんでいるみたいとか…ふざけんな」

 

本当にそんな風に思うくらいなら、初めに告白されたときに付き合ってんだよ、こちとら。

 

ただ俺は…友達を一人失うのが怖かっただけなのに…

 

「それを言えば良かったじゃないですか」

 

「いや、アイツが俺のことをそういう風に思ってた、てのが…なんか耐えられなかった」

 

今まで散々優しいとか、信じてるとか言ってたくせに、それも嘘だったってことだろ?

 

「まるで潔癖性…ですね。」

 

「はぁ?」

 

「人間関係は一筋縄じゃいかないです。双方のその時その時の気持ち、気分というものがありますから」

 

「んなこと分かってるよ」

 

ていうか、それが今何か関係あんのか?

 

「あります。今日の岩沢さんは明らかにいつもとは異なっています。それは、何か気分の優れない状態にあったからなのでは?」

 

「…かもしれないな」

 

「そんな状態であんな喧嘩腰に来られれば、カチンときてもおかしくないのではないですか?」

 

「いやいや、待てよ。そもそもアイツが無視してきたから…」

 

「それは無視するほど元々気分が優れなかったのかもしれません。そこに元からちょっとした不満があれば、思ってもいないことを口にしてしまうこともあります」

 

そんなこと言い出したら、なんとでも言えるじゃねえか…

 

「そうですよ?人の気持ちなんてそんなものです。気分が最悪の時は誰であろうと不快に感じることもあるんですよ」

 

「そりゃ…分かるけどよ。それでもあの態度と言い方は…」

 

「なら、もう関わるのをやめますか?」

 

「―――――っ」

 

それは…

 

言葉に詰まっていると、遊佐はまたため息を吐いた。

 

「嫌なんでしょう?なら、何度でも話しかけるしかないじゃないですか」

 

「…だとしても、もう遅いだろ。今さらどんな顔して会えばいいんだよ」

 

「別に、部活に出て何ともないように話せばいいのでは?」

 

「それが出来りゃ苦労しねぇよ…」

 

「やるしかないのでは?少なくとも、岩沢さんは何度嫌がられても来てくれたでしょう?」

 

「…………………」

 

……確かにそうだ。

 

アイツは何回俺が無下にしたって諦めずに話しかけてきてくれた。

 

それがなけりゃ、こんな風に失いたくないと思う友達が一人減っていただろう。

 

いや、今俺がSSS部にいることだって、アイツがきっかけだ。

 

それを考えると、俺はアイツにどれだけのものを貰っていることか…

 

「今度は俺の番、か」

 

「…そうですね」

 

「ありがとな、遊佐。やっぱお前がいないと駄目だわ」

 

「……………そ、そうですね」

 

なんでどもったんだ?

 

「すみません。動揺しました。分かってはいたんですけど」

 

「よくわかんねぇけど、部室行くか。ん?てか悠は?」

 

「千里さんは『蒼がうじうじうじうじうじうじしてるの見るのめんどくさいから』と言って帰られました」

 

アイツ本当自由だな…ていうかうじの数多すぎだろ。

 

とりあえず明日アイツぶん殴る。

 

 




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「それで…付き合えるなら…やる」

今度は俺の番、と息巻いて早3日。

 

しかし全く手応えは得られていないのが現状だ。

 

部室で話しかければ…

 

『集中したいんだけど』

 

と、暗に話しかけるなと言われてしまい、それならと教室で話しかけると…

 

『はぁ…』

 

と、深いため息を吐いてどこかへ立ち去ってしまう。

 

追いかけてみても女子トイレへ入られてしまうと、それ以上どうしようもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうすればいい?」

 

時は部活中。

 

あまりにも厳しい情勢に、遊佐を部室の外へ連れ出して作戦会議を行う。

 

「いや知りませんよ…」

 

「そこをなんとか!こう取りつく島もないと心が折れそうなんだ!」

 

手を合わせて頭を下げながら助けを乞う。

 

「…焚き付けておいた身でなんですが、珍しいですね。ここまでされて諦めないというのは。今までの柴崎さんなら流石にもう投げ出していると思うのですが」

 

確かに遊佐の言う通り、今までの俺なら…いや、きっと本当は今の俺だって変わりはないはずだ。

 

それでも諦めていないのは

 

「アイツ…なんかつまらなさそうなんだよ」

 

この3日でそう感じた。

 

これまでのアイツはやることなすこと滅茶苦茶だったけど、心底楽しそうだった。

 

なのに、今はうって変わって退屈そうで…まるで何かを失ったみたいだ。

 

「それが見てられないんだよ」

 

もはや俺との関係修復なんかより、よっぽどどうにかしたい。

 

「本末転倒じゃないですか」

 

「それでも…今のアイツは見てられねえよ。知ってるか?今のアイツ、歌を歌ってても笑わねえんだ」

 

ありえるか?あの音楽キチがだぜ?

 

いつだって楽しそうにしてた…なのに…

 

「アイツには…笑っててほしい」

 

アイツにとって音楽は一番大事なもののはずなんだ。

 

その音楽に対して笑えないなんて…あっちゃいけない。

 

「……はぁ。なら勉強を教えてと言ってきてください。それも岩沢さんのお家で」

 

「え?は?」

 

「作戦ですよ。仲直りのための」

 

「こ、これがか…?」

 

話すことすら拒否されてるのにいきなり家で勉強会なんて…

 

「部活時は集中したいから。部活前にはトイレに行くから。その2つを崩すとすれば、放課後で、かつトイレへ行かれても待っていて当然の状況を作るべきです」

 

「いやいやいや、まず勉強会を断られるだろ?」

 

「岩沢さんは、故意に人を無視していて平然としていられる方ですか?」

 

「…いや」

 

そんなわけない。

 

そんなやつだったら、俺はこんなに必死にはなってない。

 

「態度が変わろうと、本質は変わりません。私がこうなった時のように、岩沢さんは岩沢さんなんです」

 

「…ああ」

 

「ですから、これが最善です。ですが、そこからは柴崎さん次第ですよ?」

 

「分かってる。ありがとな。また頼っちまって悪い」

 

「いえ、私はいつでもウェルカムです。もっと求めてほしいくらいですよ」

 

「あー、んじゃまた困ったときはよろしくな」

 

とは言いつつこれ以上甘えることのないよう心構えをする。

 

絶対この作戦でアイツを元通りにしてやる!

 

「お疲れ~っす」

 

と、息巻いたのもつかの間。

 

なんとも間延びした緊張感のない声が聞こえてきて気が抜ける。

 

って…お疲れ…?

 

「やっべ、もう下校時間か!」

 

もたもたしてたら岩沢が帰っちまう。

 

「今日調子よくなかったな」

 

「そう?」

 

そう思っていると聞きなれた、けれどどこか熱のない声が耳に入った。

 

岩沢帰ってんじゃねえか!

 

慌てて部室に戻り帰り支度を始める。

 

帰り支度と言っても鞄を取るだけなので脱兎のごとく部室を後にしようとする。

 

「柴崎さーん!」

 

「すまん!今日は急いでるからまた今度な!」

 

声をかけてきた直井を一蹴して部室を飛び出す。

 

既に校門近くに差し掛かっていた岩沢たちの背中を捉え、呼び止める。

 

「岩沢!」

 

「…何?」

 

「あ…岩沢、あたしたち帰るからさ、ゆっくり話しなよ」

 

俺のただならぬ雰囲気を察してくれたのか、すんなりとこの場を去ってくれようとする。

 

「え…」

 

しかしあからさまに岩沢は嫌そうな顔をする。

 

「ねえ柴崎、話すなら手短に用件だけ話して」

 

ここで嫌だと言えばそこで終わりだ。

 

「べ、勉強教えてくれないか?!お、お前の家で!!」

 

「……は?」

 

完全に呆気に取られていた。

 

ていうか、なに言ってんだこの馬鹿は?みたいな顔された。

 

「ほら!テスト近いじゃん!俺理数苦手でさぁ!」

 

「遊佐に頼めば?遊佐の方が成績良いだろ?」

 

その答えは想定内だ。

 

「遊佐はちょっと忙しいらしくてどうしても無理なんだよ!お前しか頼れないんだ!頼む!」

 

手を合わせて拝み倒す。

 

「いや…でも…」

 

「いいんじゃない?最近柴崎にえらく冷たかったし、それくらいしてやれば?」

 

「ひさ子…」

 

ひさ子ナイスアシスト!

 

目に見えて悩み始める岩沢。

 

大丈夫だ。

 

岩沢は岩沢。変わりやしない。

 

アイツなら…

 

「今日だけだぞ…」

 

そうこなくちゃな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人乗りを固辞され自転車を押しながらの帰り道。

 

会話をしようとしても中々弾まず不発。

 

かなり気まずかったがひとまずそれも乗りきる。

 

ようやく岩沢家に到着だ。

 

「ほら、上がりなよ」

 

「お、お邪魔しまーす」

 

岩沢に促され上がらせてもらう。

 

つーか…よくよく考えたら女子の家に上がるのなんて遊佐以外じゃ初めてだな…

 

「そんな畏まんないでいいよ。今他に人いないから」

 

「え……」

 

1つ注釈をつけておくと、俺は畏まっていたわけじゃなく、単に緊張していただけだ。

 

そして、その言葉でそれは更に強くなる。

 

コイツいつか襲われるぞ…!

 

「そ、そうか。親は?」

 

とりあえず平静を装いながら質問する。

 

「アンタに関係ある?」

 

「わ、悪い」

 

それは思わぬ地雷だったらしく、睨み付けられる。

 

「……あたしの部屋二階だから」

 

そう言って、階段を上がりだす。

 

ついてこい…ってことでいいんだよな。

 

黙々と階段を上がるとすぐにある部屋に入っていく。

 

俺も続こうとした時、歩みを止めてこちらをじろりと一瞥する。

 

「ちょっと待ってて」

 

「あ、ああ」

 

そうか、そうだよな。そりゃ突然の来客だし部屋の掃除だとか色々あるよな。

 

そう納得して数分待っていると、扉が開けられて岩沢が顔を出す。

 

「もういいよ」

 

「分かった。……じゃあ、改めてお邪魔します」

 

いよいよ岩沢の部屋に入ると思うとまた緊張がぶり返してくる。

 

一歩足を踏み入れると、ふわっと何度か嗅いだことのあるような匂いがする。

 

何だったかと頭を巡らせるとすぐに思い付いた。

 

「岩沢の匂いだ…」

 

「…はぁ?!」

 

やべ、声に出てたか?!

 

「アンタ…まさか変なことするつもりで家に来たのか?!」

 

「違う違う!嗅いだことある匂いだなって思ってつい何か考えちまったんだよ!好きな匂いだったから!」

 

「~~~っ!!い、いいから勉強道具出せ!そこ座れ!」

 

「は、はい!!」

 

あまりの剣幕に即座に従ってしまう。

 

まあ確かに今のは変態的な台詞だったししょうがないか…

 

「……で、どこがわからないんだよ?」

 

不機嫌そうに、机を間に挟んで真正面に座る。

 

「えっと、わりと理数は全体的にやばい…かな」

 

「なんだ、そんなに馬鹿だったのかアンタ?」

 

「理数だけだよ。他は平均以上ある」

 

「理数が出来ないってのが理解出来ないけどね。答えを弾き出すのが一番簡単な教科じゃないか」

 

へん、理数系のやつらは皆そう言うんだ。

 

「答えを弾き出すためには式を理解してたいと駄目だろ?それが苦手な奴には無理なんだよ」

 

「だから、なんでそれが理解できないのか分からないってことだよ」

 

「なんていうか、そもそも意味わかんないんだよ。数学なのにXとかYとか、それどこから急に出てきたんだよ?みたいな」

 

「そりゃ、基礎から学び直さないと難しいな」

 

「…はい」

 

冷静に分析されると恥ずかしい…

 

まだ馬鹿にされた方がテンションが保てて気が楽だったなぁ…

 

「じゃあちょっと中学の頃に使ってた参考書でも使おうか」

 

「ちゅ、中学の範囲からかぁ」

 

「嫌なら帰る?」

 

「やったー!岩沢さんの授業が受けられるぞぉ!」

 

ここで帰らされてたまるか!

 

てか、いつ本題切り出そう…

 

このまま勉強会に入ったら中々切り出すのは難しいぞ…

 

……ええい、ままよ!

 

「あのさ」

 

「なに?」

 

「なんか、久しぶりだな。こんな風に話すの」

 

「…そう?」

 

「ほら、最近忙しそうで中々話せてなかったじゃん」

 

実際は避けれてたわけだけど…それを言えばまた喧嘩腰になるかもしれない。

 

ここはあくまで気づいてないふりだ。

 

「アンタにとっては良いことじゃん。鬱陶しかったんだろ?」

 

「…昔そう思ってたのは否定しない」

 

「……ほらな、だから―――「でも、今は寂しいな」

 

「―――――っ」

 

参考書を探す手が止まる。

 

それが悪いものなのか良いものなのか分からないか、岩沢に反応があった。

 

なら今はとにかく本音を話すしかない。

 

「昔はさ、お前のことよく知らなかったし、ぐいぐい来られるのが苦手ってのもあって、関わりたくないと思ってた」

 

「…うん」

 

「でも、お前のことを知っていくうちにそういう気持ちはなくなってたよ。付き合うとかは…やっぱり難しいけど。それでも…良い友達だと思ってた…いや、今だって思ってる」

 

「…そんなのアンタの自己満足だ」

 

「え…?」

 

さっきまで普通だった岩沢の様子がおかしくなる。

 

わなわなと震えて、拳を握りこんでいる。

 

「こっちは友達じゃ満足出来ないって言ってんだよ!アンタはそれで良いと思ってるのか知らないけど、こっちは初めから恋人になりたいと思ってるんだ!それをなんなんだよ?!良い友達なんて…ふさげるな!」

 

「それは……でも、お前だって今までなんとも無さそうにしてたじゃないか」

 

「だからあたしが怒ってるんだよ!」

 

「なに…言ってんだ…?」

 

その台詞はまるで他人事…いや、他人事というには親身すぎるが…とにかく、自分のことを話しているような言い方ではなかった。

 

「―――――っ!くそっ!」

 

しまった、というような顔をして部屋を飛び出していく。

 

「岩沢?!」

 

急いで追いすがろうとするが、出足が遅く、玄関を飛び出た頃には岩沢の姿は見えなかった。

 

「なんだったんだ…?」

 

あの言い方…あれじゃあ今の岩沢は別人ってことになる。

 

確かにそうと言われても納得してしまいそうな雰囲気はある…だけど…

 

「別人じゃ…ないはずなんだ」

 

俺に対して良心が痛んでいたり、なんだかんだ基礎からきっちり教えてくれようとする優しさ。

 

それに、何よりあの歌声やギターの技術は、そんじょそこらの奴に真似の出来るもんじゃない。

 

「…君、誰だい?」

 

「………え?」

 

「人の家の玄関で何をしてるのかな?」

 

「……あ、いやこれは違うんです!」

 

唐突に声をかけられて混乱してうまく言葉が出てこない。

 

相手は40代くらいの優しげな男性で、多分口振りからして岩沢のお父さんだろう。

 

「えっと…」

 

だとしても、なんて言えば…?

 

「もしかして…雅美の彼氏さんかい?」

 

「…………へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、本当に雅美に彼氏がいたなんてねぇ」

 

岩沢のお父さんに招かれて居間の机に腰掛けながらそう嬉しそうに話しかけられる。

 

ていうか、本当に…?

 

「いや、だから彼氏ではないんですけど…」

 

玄関で間違われてから何度か否定してるのだがこの調子だ。

 

「またまた、恥ずかしがらなくていいんだよ?僕は反対しないし、むしろ大歓迎だからね」

 

「は、はぁ…」

 

違うんだけどなぁ…

 

でもこれ、多分いくら否定しても納得してくれないな。

 

「あの雅美に彼氏かぁ…なんだか不思議な気分だよ」

 

「岩沢……雅美さんは美人だし、そんな不思議でもないんじゃ?」

 

「確かにね。うちの娘美人だよね」

 

「は、はい…」

 

なんだ?本当は親バカなのか?さっきは不思議とか言ってたくせに。

 

「ただね…雅美は、昔から人付き合いがどうにも下手というか…執着がなくてね」

 

「え?」

 

アイツが…?

 

あの、何度避けようとも諦めずに話しかけてきた岩沢が…?

 

「それは…何かの間違いじゃ?」

 

「いやいや、本当のことだよ?話をするのは私とくらいでね。それも、うんとかそうとか、一言くらいのもので。この子はこれから大丈夫なのかな…と不安だったんだ」

 

お父さんの話と俺の知る岩沢があまりにも違いすぎて困惑する。

 

「まあ、それも僕が悪いんだ。早くに妻と離婚してね…僕は僕でいつもは夜中まで仕事をしているし、きっと、人との付き合いかたが分からなかったんだろうね」

 

岩沢が親のことを訊かれたくなさそうだったのは、そういうことなんだろうか。

 

母親がいなくて、父親ともあまり顔を会わせない…なんか、頻度とか経緯は違うけど俺と似てるな。

 

「高校に入ってから少しの間、避けられ始めたこともあったなぁ」

 

「なんでですか?」

 

「分からないんだ…何故か、怯えるような目をされたこともあった。あのときはお酒を飲んでいたから、気のせいかもとも思ったけど…どうにもそうじゃなさそうでね」

 

「怯える…ですか」

 

避けられたと聞いて、何か今の状況と共通点があるのかと思ったけど、そうではないらしい。

 

少なくとも怯えられてはないはずだ。

 

しかし…そうなるといよいよ謎だ。

 

「でもね、ある日それがなくなったんだ。そしたらイキイキと学校のことを話すようになってね…もちろん君のこともね」

 

「え?俺?」

 

「そうとも。すごく優しい、大好きな彼が出来たってね」

 

だから何回否定しても信じてもらえなかったわけか…アイツ…!

 

「それが私は…とても嬉しかった」

 

「………」

 

これはなんとかそれが嘘だということから話して誤解を解こうと思ったが…その優しい微笑みに、そんな気を削がれてしまう。

 

「このままあの娘は一人ぼっちなんじゃないか…なんて、ずっと心配していたんだ。本当に良かった…生まれ変わったようにはしゃぐあの娘を見てそう思っていた…でも」

 

「でも?」

 

「最近、昔のあの娘に戻ったようで…酷くつまらなさそうな顔をしているんだ…」

 

初めのお父さんの話と俺の知る岩沢の食い違いはそこにあったのか。

 

確かに今の岩沢なら、最初に言っていたことも頷ける。

 

でも、なんだって岩沢はそんな急に昔のようになってしまったんだろう…

 

「あれではいけない…あの娘は折角変わったのに…!柴崎くん、何か原因に心当たりはないかい?私はあの娘にもう一度笑ってほしいんだ!」

 

「いえ…」

 

俺だってそれが知りたい。知りたくてここに来たようなものだ。

 

でも…なんでだ?

 

なんか…その言い方は少し嫌だ。

 

「あの、岩…雅美さんは確かに、最近少し変わった…いや、昔のように戻ったのかもしれません」

 

それを俺も戻したいと思った。

 

あんなつまらなさそうな顔をさせたくないって。

 

でも、そんな風に岩沢を否定するようなことを聞いて黙っていられないって気持ちが、今はある。

 

「でも、アイツはアイツです。そこだけは絶対変わってません。今のアイツは駄目みたいなことは…言わないでください」

 

こんな…偉そうなこと言えた義理じゃないけど、それでも、一番身近なこの人にだけは言わずにはいられない。

 

遊佐がどうあっても遊佐であったように、岩沢はどうあっても岩沢なんだって、知っていてもらいたかった。

 

「そうか…うん。そんなつもりはなかったんだけど…私はいつの間にか、あの娘を否定してしまっていたのかな…」

 

「あ、いえ!違うんです!俺も元々、戻ってほしいとは思ってたんです。でも、戻らないとしても…きっと何も変わらないと思います。それだけは、伝えたいと思いました」

 

遊佐が昔のようだったとしたら、過程は変わろうとも、きっと今も隣にいるってことに変わりはなかっただろう。

 

それはきっと、岩沢も同じだ。

 

「ううん…最近あの娘がまた私を避けるようになったのは、きっと私がこんなことを考えていたからだろう……それにしても、あの娘は良い彼氏さんをもらったんだね」

 

そういえばまだ誤解解いてませんでした…

 

「あの―――「柴崎ぃ!!」

 

「ぐえっ!」

 

訂正しようと口を開いた瞬間、後ろから飛び付かれて阻まれる。

 

「いきなり飛びかかってくんな!………て、あれ?お前……」

 

つい条件反射で怒鳴ったものの、ふと気づく。

 

これじゃ、いつも通りの…

 

「好きだぞ!柴崎!大好きだ…!」

 

いや、なんかいつも以上に岩沢なんだけど…?

 

「いや、ちょ、まず離れろ!離れてください!」

 

「雅…美…?」

 

お父さんもいきなり元に戻った岩沢に戸惑っているようで、信じられないという顔で見つめている。

 

てか離れろ…!

 

「父さん…心配してくれてありがとう。でも大丈夫、あたしには柴崎がいるから…今日、改めてそう感じたんだ」

 

「うん…それは私にも伝わったよ。柴崎くんがいれば、私も安心だ」

 

待て…待て待て待て待て!

 

なんで一気に親公認の仲みたいになってんだ?!

 

「違うんです!彼氏っていうのはコイ…娘さんの嘘で!」

 

「いいんだよ柴崎くん。あ、よかったら席はずそうか?」

 

「娘さん…って響きなんか良いな」

 

話になんねぇ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのままお父さんは買い出し(何をかは不明)と言って、本当に家から出ていった。

 

呆然していたところで勉強しに来たことを思いだし、なんとか説得して岩沢の部屋で勉強会の続きをすることになった。

 

意外にも勉強会を始めると真面目に、しかも分かりやすく教えてくれ、あれよあれよと基礎を叩き込まれた。

 

そして小休止を取ることになり、雑談という体で気になっていたことを訊く。

 

「あのさ、なんで急にあんな態度になったんだ?」

 

「…秘密、だな」

 

「秘密って…こっちは結構お前のために頑張ったんだけど?」

 

「じゃあ、なんでだと思う?当たったら教えるよ。駄目なら今は教えない」

 

分かるわけねえ…と思いつつもとりあえず考えてみる。

 

実は別人の線はない。

 

よく聞くような恋の駆け引きというやつでもないはずだ。

 

なにせ、親にまで同じような態度だったみたいだし。

 

となると…

 

「機嫌が悪かった…とか」

 

遊佐が言っていたことしか思い浮かばん…

 

「ふ…ふふ…そこまで考えてそれかよ…」

 

「しょうがないだろ!こんなの当たるかよ!」

 

「ごめんごめん。でも今は言えないんだ」

 

そういえばさっきも今は、って言ってたな。

 

「ならいつなら言えるんだよ?」

 

「あたしと柴崎が付き合ったときかな?」

 

また悪戯っぽく笑いながらそう言う。

 

教える気がないってことだな…

 

「はいはい、じゃあもう良いですよ。お前がまた笑ってられるんならなんでもいいや……」

 

……って、あれ?なんか余計なことを口走った気がする…

 

こんなこと言ったら絶対調子に乗りやがる…と慌てて岩沢の方を見る。

 

「…………え、あの……馬鹿っ、何言ってんだよ…」

 

めちゃくちゃ顔紅くしてらっしゃる…!

 

「ちょっと、こっち見るな…」

 

しかもめちゃくちゃ恥じらってらっしゃる……!!

 

あっれー?なんかやっぱりいつもと違う?!

 

「岩沢?ど、どっか悪いのか?」

 

「い、いきなりそんな恥ずかしいこと言うからだろ…!」

 

「いやいや、お前いつももっと恥ずかしいこと言ってるだろ…」

 

好きだーとか、大好きだーとか、愛してるーとか…あれ?全部同じだ。

 

「あたしはいいんだよ、心の準備してから言うんだから!そっちから言われると嬉しいけど…嬉しすぎて、駄目だ…」

 

全く顔色が戻る気配がなく、なんとか顔を隠そうとしてるもののそうそう隠せるものじゃない。

 

耳まで真っ赤なのが丸見えだ。

 

しかしこう…恥じらっている姿ってのが新鮮で……うん…なんていうか普通に…

 

「な、なんだよそんなじろじろ見て?」

 

「あーっ、いや、悪い!」

 

わざとなのか天然なのか、上目遣いで見つめられ、いよいよまずいと思い体を逆方向へ回転させる。

 

こんな…本当に好きだって伝わりやすい言動初めてで…

 

いや、好きだってことを疑ってたわけじゃない。

 

だけどこんなあからさまなのは…初めて見た。

 

「なあ、岩沢」

 

「…なに?」

 

そこで、1つ確かめてみたいことが出来た。

 

本当にしょうもないことで、きっと何も変わらないと思うけど、一度だけ試してみたい。

 

そんないたずら心がふつふつと湧いてしまった。

 

「俺のこと…好きって言えるか?」

 

数拍の間が空いた。

 

それだけでも、今までと違う。

 

「…………そ…」

 

「そ?」

 

「それで…付き合えるなら…やる」

 

やっぱり、違う。

 

いつもなら事も無げに言っている場面だ。

 

なんだ…これ。

 

なんか…

 

「わ、悪い!急用が出来た!」

 

適当な嘘を言って立ち上がる。

 

急いで帰り支度をする。

 

「えっ?柴崎?!」

 

後ろから混乱した声が聴こえたが、振り向くことなく部屋を出る。

 

「お邪魔しました!」

 

そのまま家を出るのはあまりにも無作法なので、岩沢に届くくらいの声でそう言って玄関から外へ出る。

 

そして岩沢の家が見えなくなる程度まで自転車を飛ばす。

 

キーッとブレーキが悲鳴を上げながら止まる。

 

「なんだよ…アイツ…!」

 

あんな顔されたら…こっちまで恥ずかしくなるだろ…!

 

 




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「直井く~ん!ぅおぉ~い!」

最近僕にはある悩みがある。

 

その悩みに触れる前に断っておくが、僕は他人が嫌いだ。

 

もちろん、音無さんと柴崎さんは別ですが。

 

このお二人を除いた人間に全く興味がない。それどころか邪魔だ。出来れば視界にすら入れたくはない。

 

だというのに…

 

「直井く~ん!ぅおぉ~い!」

 

この馬鹿丸出しで叫んでいる女。

 

コイツが悩みの大元だ。

 

僕は他人に関わりたくないと、さっきも言ったが、何故かコイツは執拗に僕に絡んでくる。

 

朝、教室に入れば話しかけられ、休み時間はいつも僕の席までやってくる。

 

何故そこまでして僕に関わろうとしてくるのか。

 

その問いはとうに知っている。

 

放っておけないから…だそうだ。

 

くだらない。何を勝手に同情して勝手に関わろうとしてるのか、甚だ滑稽だった。

 

しかし奴は、ただの馬鹿ではなかった。

 

僕が他人と関わろうとしない理由をズバリ当てたのだ。

 

それ自体は慧眼だと褒めてやってもいい。

 

馬鹿ではなく道化なのだと認識を改めた。

 

しかし、コイツは馬鹿ではなく道化で、この会話においては慧眼であったかもしれないが、やはり言い分は他人事のものだった。

 

僕はその時思った。

 

愚かだ、と。

 

いつか裏切られたとき、絶望する。

 

絶望して、自分が愚かであったことに気づくだろうと思っていた。

 

しかし、奴は友人に手酷い目にあわされても…泣きはしたが絶望はしなかった。

 

悔しかったはずだ。辛かったはずだ。惜しかったはずだ。

 

だが、他人に絶望はしなかった。

 

ただ、それだけなら僕は驚きこそすれ、しかしたまたまだと干渉しようとは思わなかったはずだ。

 

だが奴は…

 

『直井くんはあたしのものだからさ!』

 

あろうことか僕を庇ってそうなったのだ。

 

まあ、その台詞は何様だと言いたくなるほど傲慢で、何を言ってるんだと呆れるものだったが。

 

どこかで僕を庇うなんて馬鹿な真似はやめるだろうとも思っていた。

 

なのにやめない。

 

どれだけキツく当たられようと、理不尽な目にあわされようと、最後の最後、向こうから絶縁宣言をされるまで気色の悪い作り笑いをやめなかった。

 

それが崩れて涙を溢したのを見たとき、僕は傍観をやめた。

 

僕はこれまでの鬱憤を下衆どもと、ついでにコイツにもぶつけた。

 

それで事態はおさまった。そのまま放っておいても充分な状況だったと思う。

 

しかし奴はあろうことか、下衆どもに謝ったという。

 

愚かだ。理解に苦しむ。

 

しかしその行動は…残念だが美しいものだ。

 

僕には出来ない。

 

僕は…僕には…

 

「な~お~い~くん!」

 

「―――――――――っ」

 

つい思考の渦にのまれていたようだ。

 

「うるさい。話しかけるな」

 

「やーだよ!」

 

僕の愛想も糞もない態度に対して、にこやかに笑う。

 

何故笑う?拒絶されているんだぞ?

 

「…貴様は、何故僕に付きまとう?」

 

ぽろっと口からもれた言葉に、僕自身が驚きを隠せない。

 

こんなことを訊いてどうなるというんだ…?

 

そもそも1度訊いたもののはずだろう…!

 

「楽しいからだよ?」

 

しかしコイツは、当然とばかりにそう言う。

 

いつぞやとは違う答えを。

 

しかし、楽しい…?会話にすらなっていないようなものなのにか?

 

「貴様、実はマゾヒストなのか…?」

 

「違うよ?!いや、そういう経験ないから分かんないけどさ!ていうか…どしたの直井くん?急にそんな質問なんかして。ま、まあ、あたしとしては興味持たれて悪い気はしないけどね?!」

 

「うるさい。興味などない」

 

「ちぇ~、まあ?あたしは直井くんに興味津々だけどね!」

 

興味津々?笑わせる…

 

「貴様は、僕が何故他人を避けるのか…大体察しがついているんだろう?」

 

「…ううん。あたしが分かるのは、直井くんが怖がってることと、それが裏切られたせいだってことくらいだよ」

 

「それだけ分かっていれば、正答など必要ないだろう?」

 

「嫌だよ!あたし、直井くんのこともっともっと知りたい!」

 

なんだ…?なんでここまで僕に拘る…?

 

僕は見限られてもしょうがない態度を取っているはずだ。

 

なのに…

 

「放課後…体育館裏に来い」

 

「……へ?」

 

「2度は言わん」

 

そう言ったところで始業のチャイムが鳴り、教師が教室へ入ってくる。

 

奴はおろおろと戸惑った様子だったがとりあえず自分の席へ帰っていった。

 

席へ戻ったあとも頭を抱えてうんうんと唸っている。

 

それほどのことか?とは、思わない。

 

僕はいつだってそう思われるよう行動してきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は流れて放課後。

 

一足先に体育館裏で待っていると、奴はすぐにやって来た。

 

「ま、待たせてごめんね!」

 

「いや、さして待ってない」

 

そもそも僕が一緒に行くのを避けて早く着いただけで、コイツには何も非がない。

 

なのに、何を焦っているのか。

 

「貴様…「は、はいぃ!!」

 

……なんだ?

 

やけに畏まっているし、何度も前髪を整えている。

 

…まあいい。本題に入るか。

 

「貴様は、僕のことを知りたいと言っていたな?」

 

「…え?う、うん!知りたいよ!」

 

「なら、話してやる。僕が何故他人と関わらなくなったのかをな」

 

「え?え?いいの?!」

 

「それ以上しつこく訊くのなら話さん」

 

「分かった!聞く!大人しく聞く!」

 

その時点で全く大人しくはないが…まあいい。

 

元々、本気で話すのをやめるつもりはない。

 

そう思いながら、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから話すのは、とても聞くに耐えない、くだらない話だ。

 

自分でも、何故こんなことをいつまでも引きずっているのか分からない。

 

それでも、僕はこの出来事を契機に他人と関わろうとはしなくなった。

 

それは紛れもない事実だ。

 

その出来事が起きたのは、僕が小学生の時だ。

 

僕には、双子の兄がいた。

 

兄弟という贔屓目を抜きにしても、優秀な兄だった。

 

頭脳明晰であり、しかし運動神経も抜群。まさに文武両道を地で行き、品行方正…憧れの兄だった。

 

しかし憧れるのと同時に、コンプレックスの塊でもあった。

 

僕はどちらも中途半端で、とてもじゃないが比べ物にすらならなかったのだ。

 

同級生にもよくからかわれていた。

 

『兄ちゃんは天才だけど、お前は普通だよなー』

 

そんなことを言われるのは、日常茶飯事だった。

 

それでも僕にとって幸いだったのは、兄が優しかったことだ。

 

『文人には文人の良さがあるのに、なんで皆分からないんだよ!』

 

そんな風に本気で腹を立ててくれる兄だった。

 

流石に皆の前でそんな風に怒ろうとした時は泡をくって止めたが、しかし誇らしかった。

 

僕は平凡で普通の人間だけど、この兄がいるというだけで他の人よりも幸せだと本気で思っていたんだ。

 

そんな僕が5年生になった頃、兄に彼女が出来た。

 

その相手は、僕の片想いの相手でもあった。

 

当然僕はその気持ちを隠して祝福した。

 

『おめでとう兄さん!お似合いだよ!』

 

そう、なんとか空元気を振り絞って笑顔を向けた。

 

兄さんが相手ならしょうがない。だって、兄さんはすごい人なんだから。僕と兄さんなら、僕だって兄さんを取る。

 

だから、僕が諦めるのは当然だったんだ。

 

それからしばらく経ち、兄とその彼女は別れた。

 

理由は聞かされなかったが、きっと反りが合わなかったんだろうと勝手に解釈した 。

 

それと同時に、もしかしたら今なら僕にもチャンスがあるんじゃないか?と内心考えていた。

 

すると、本当にその子は僕によく話しかけてくれるようになった。

 

何故かは分からないけど、もはやそんなことはどうでもよかった。

 

とにかくその子と話せることに舞い上がっていたんだ。

 

しかし、そんな事が続いたある日、それは起きた。

 

下校中に忘れ物をしたことに気付いた僕は急いで教室へと戻り、ドアに手をかけた。

 

その時だ。

 

『文人くんさぁ、やっぱ微妙なんだよねー』

 

思わずドアを開けようとした手が止まった。

 

その声は間違いなく、僕の片想いの相手だった。

 

どうやら数人の女子で会話をしているらしく、その姦しい声は教室の外まで響いていた。

 

僕は何か悪い冗談だと自分に言い聞かせながら、その場で息を潜めた。

 

『健人くんに言われて話しかけてみたけど、やっぱり健人くんの方がいいな~』

 

『そりゃそうだよ~健人くんと比べたら駄目だよ~』

 

『そうそう。顔が同じなだけいいじゃん!』

 

『顔が同じだから余計残念かもね~』

 

きゃはははは!と、一斉に笑い始める。

 

それを聞いて僕も引き攣った笑みがもれた。

 

『でも、健人くんも意地悪だよね!このまま付き合っていたいなら文人くんと仲良くなって、なんてさ!』

 

『本当だよ~…仲良くなるまで別れる、とか言うしさぁ』

 

なんだこれ…?こんなの…こんなの嘘でしょ…?兄さん…!

 

そう思いながら、震える脚を必死に動かし、家へ向かった。

 

『どうしたんだ文人…?』

 

全速力で帰って、顔は汗と涙にまみれ、息も絶え絶えな僕を見て兄は驚いていた。

 

心配して肩に置いた手を、僕はぎゅっと握りしめた。

 

あんなの嘘だ…兄さんは…そんなことしない…

 

そう信じていたんだ。

 

『ねぇ…』

 

さっき起こった事を全て話すと、兄さんの顔は凍りついた。

 

その瞬間分かったんだ。

 

あれは、本当のことだったんだと。

 

『兄さんも…兄さんも僕のことを馬鹿にしてたんだ!兄さんが何かしないと好きな子と話すことも出来ないって思ってたんだ!』

 

僕の支えは、兄さんだけは僕の良さを知っていて、認めてくれている。そう思えていたことだったんだ。

 

なのに、そんなちっぽけな支えは容易く失われた。

 

『違…『もういいよ!もう…兄さんなんか嫌いだ!』

 

そう言って、背中から呼び掛ける兄の声も無視して僕は自分の部屋へ戻って、布団にうずくまっていた。

 

もうこんな風に信じていた誰かに裏切られるのは嫌だ…

 

だったらもう、誰も信じない!誰とも関わらなければいい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうして、今の僕はある」

 

全てを語り終え、一息吐く。

 

こんなもの、きっとコイツからすれば鼻で笑うような事だろう。

 

さて、どんな顔をしているのか…

 

そう思い、顔を見ると…

 

「…ぅ、うぅ…!」

 

「な、何故泣いている?!」

 

想像していたものとは真逆の顔だった。

 

目からは涙を溢れさせ、ぐしぐしと手で拭っているのだが、しかし形相は明らかに怒っている。

 

「だって…だってなんか悔しいんだもん!直井くんには良いところがいっぱいあるのに、何も知らないで…ちょっと話しただけなのにそんなこと…!」

 

本気で言っているのか…?

 

いや、そんな疑問を覚える必要なんてない。

 

こんな体面を繕わず顔をぐしゃぐしゃにしている奴の、何を疑えばいいというんだ。

 

「今すぐそいつらブッ飛ばしてやる!」

 

「阿呆か貴様は」

 

本当に飛んでいきそうなので肩を掴んでひき止める。

 

というか、いつもの馬鹿みたいに能天気なキャラはどこに行ったんだ。

 

「もう相手がどこに居るのかも知らん。第一、今さら奴らをどうしたところで、僕はなんとも思わん」

 

…僕が一番気にしているのはきっと

 

「誰だって、兄さんと僕を比べれば兄さんを取る」

 

それはお前もだ…そう、暗に言い含める。

 

「~~っ!馬鹿っ!あほ!マヌケ!直井くんのおたんこなす!」

 

「はぁ?!」

 

いきなり飛んできた低俗な罵倒に思わず声が出る。

 

「あたしが好きになったのは、無愛想で、言動がおかしくて…それでもぶっきらぼうに優しい直井くんだから!!」

 

「――――――っ?!」

 

突然の言葉に、目を剥いて驚いてしまう。

 

好き…だと?

 

「……ってぇい!男女関係とかそーいうことじゃなくてぇ!友達的に?うん、友達的に?好きなんだよ?!」

 

何故か疑問系で必死に捲し立ててくる姿に、ふと笑いがもれてしまう。

 

「く…はは…」

 

「な、なんで笑うの?!」

 

そりゃ笑うだろう…

 

そんな赤面丸出しで膨れられては…な。

 

なんとか笑いを抑え、咳払いをする。

 

「いや…やはりお前は馬鹿だなと思ってな」

 

「だからなん―――「だが、嫌いじゃない」

 

頭をぽんと叩き、その場を去る。

 

きっと、今の奴を見るのは目に毒だろうからな。

 

 




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「しおりん、鼻の下伸びてるよ」

昨日の直井くんの話を聞いて、腹が立ったりなんだりしたんだけど…

 

『だが…嫌いじゃない』

 

「えへ…えへへへ…」

 

あの言葉を思い出すだけで全部吹っ飛んでにやにやしちゃうよ!!

 

恐るべし恋の魔法…!

 

「うわぁ…」

 

明らかにひさ子さんが引いているけど気にしなーい。

 

だってもう、あたしの頭と心は直井くん一色なんだもん!なーんちゃって!なーんちゃってぇ~!

 

「ますます気持ち悪いな…」

 

「しおりん、昨日は上の空だったし今日はそんなだけど、どうしたの?」

 

「気持ち悪い…?そんな…?」

 

そんなってどんなの?!キモいってことだよね?!

 

え?自覚?ありますよ?

 

「あたしにも…ついに春がやってきそうなんですよぉ!」

 

「関根に……」

 

「春が………?!」

 

え、な、なにその反応…?

 

正直しおりん的には適当に流されるかと思ってましたですわよ?

 

「やったじゃないか関根!相手は直井だよな?!いや、直井以外は認めないけどな!」

 

おおっとぉ?!ここに来てまさかの直井くん激推し?!ひさ子さん直井くんのこと生意気だって言ってなかったでしたっけ?!

 

「おおお、おち、落ち着いてくらさいひさ子さん!しおりんのことですからまだ分かりません!」

 

落ち着くのはどう見てもみゆきちの方だよ?!ていうか何気に酷い!

 

いや、しかし…

 

「ふっふっふ…まさかひさ子さんとみゆきちがそこまで興味を持ってくれるとは…!ならば話しましょう!今に至るまでの壮大なメモルゥィーを!!」

 

「いらん。とりあえず今どうなのかだけ教えろ」

 

「重要なのは過程じゃなくて結果だよしおりん?」

 

急に冷た?!みゆきちシビアすぎるし!

 

いつものみゆきちじゃないよぉ~。

 

「実は昨日なんだかんだありまして…嫌いじゃない、と言っていただけました!」

 

「嫌いじゃない……」

 

「…………それだけか?」

 

「え?そうですよ?」

 

「ちっ、んだよ。解散解散」

 

「しおりん。せめて好きだって言われてから惚けてよ…」

 

厳しい!!なんで?!

 

なんでそんなにシビアなのさぁ?!

 

「話終わった?なら練習しよう」

 

「岩沢さ~ん。安定して興味がないってのが逆に清々しいっす~」

 

「…あたしが口を挟んでも意味ないからね」

 

「……?」

 

なんか最近岩沢さん変なんだよなぁ…いつもの音楽キチ感がないし、柴崎くんのことも避けてるし…

 

「岩沢さ―――「さ、練習練習。雑談は終わりだ」

 

む、丁度遮られた…

 

……ま、岩沢さんならきっと勝手に元に戻るよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃ~今日も疲れたっすなぁ~」

 

「おじさんみたいだよしおりん」

 

「ノンノン、今時はそういう女の子がウケるのよ?」

 

「そんなの聞いたことないよ…」

 

まあ適当に言っただけだからね。

 

でも来ると思うな~。おっさん系女子。

 

「あの、すみません」

 

「はいはい?って…」

 

校門の辺りで声をかけられ振り向くと、そこには

 

「直井くん…?」

 

じゃ、ないよね。話し方的に……てことは…

 

「もしかして、直井くんのお兄さん…?」

 

「……君、もしかして文人の友達かい?!」

 

昨日の話を鑑みて指摘すると、いきなり両肩をがっちりと掴まれる。

 

ひぇ!直井くんと同じ顔がこんな近くに…!

 

とぉ、いかんいかん!どれだけ似てたって別人なんだから!

 

「と、友達と言って良いものなのか分からないけど…」

 

「いや、文人から僕の話を聞いてるってことはきっと仲が良いんだよ」

 

「そ、そうですかぁ~?」

 

「しおりん、鼻の下伸びてるよ」

 

おっと!これは直井くんの家族公認の仲を得るためにはしてはいけない顔だ!

 

いや、いやいや待て関根しおりよ。

 

突然のことでなんだかんだと流されてしまっているけど、直井くんはお兄さんと疎遠のはず。

 

なのになんでここに来ているのかをまず訊かねば。

 

「えっと、直井くんに何か用?」

 

「いや、今日は別の人に用があったんだ」

 

「へぇ。誰々?知ってる人なら紹介するよ」

 

「君だ」

 

「………へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えー……なんだかんだありまして…

 

「ホット1つ。関根さんは?」

 

「あ、じゃあカフェオレを…」

 

「ホットとカフェオレですね。かしこまりました」

 

何故か二人きりでお洒落~なカフェへ来ております。

 

いや、違うからね?直井くんと瓜二つの顔に釣られたんじゃないからね?

 

これはお兄さんが、直井くんのことで話があるっていうから付いてきただけだから!勘違いしないでよね!

 

「関根さん、一応聞いておきたいんだけど、文人とお付き合いをしているのかな?」

 

「あひゃ?!」

 

いや待て。あひゃってなんだあひゃって。

 

「し、失礼」

 

「い、いや…不躾な質問だったかな?」

 

あはは…と苦笑いしているのを見て胸が痛む。

 

くっ…この人良い人だ…それに引き換えあたしはなんだ?失礼ってなんだ?エージェントか何かか?!

 

「い、いえいえ!えっとね、付き合ったりはしてないよ」

 

「そう…なんだ。ごめんね、文人が自分のトラウマを話すくらいだから、てっきり…」

 

やっぱりあの話って直井くんは相当覚悟を決めて話してくれたんだよね…

 

不謹慎だけどにやけそうだ。

 

「あのさ、なんで今日あたしを探してたの?」

 

しかも探してたと言っても、顔も名前も知らない状態で。

 

「昨日ね、文人が家で…鼻唄を歌っていたんだ」

 

「鼻……唄…」

 

直井くんの鼻唄かぁ~さぞ麗しいのでしょうなぁ~。

 

……じゃなくて

 

「それで…あたしを?」

 

「うん。文人が楽しそうにしてたのなんて、いつぶりだろうって思って。きっと学校で良いことがあったんだろうな…って思ったらいてもたってもいられなくてね」

 

この人…もしかしてブラコン?

 

「僕のせいで…笑わなくなってしまったから」

 

「あ……」

 

…そりゃそうだ。

 

直井くんの話を聞いたら、お兄さんが罪悪感を感じてるなんて当たり前だよね…

 

「関根さんのお陰だね…きっと」

 

「い、いやいや~あたしはただ直井くんと楽しくお喋りできたらな~って思ってただけで…」

 

「文人にはね、そう思ってくれる人が今までいなかったんだ。いや、いたのかもしれないけど、文人がそう感じられる人がいなかった…と言うべきなのかな」

 

まあ、文人の方から拒絶していたのも原因なんだけど…と前置きし。

 

「だから、関根さんの存在は文人にとっては青天の霹靂だったと思うんだ」

 

「あははー、そんな大袈裟な…」

 

「大袈裟じゃないよ。きっと文人も関根さんのことを大切に思ってる」

 

「いや…その……」

 

自分の顔が紅潮していくのが分かる。

 

だって…だってさ!直井くんが本当にあたしのことを大切に思ってるんだとしたらって思うと止まんないんだもん…!

 

こんなときでも都合の良い妄想をしてしまう自分の頭が恨めしい…!

 

「関根さん…やっぱり文人のことが?」

 

だよねー。分かるよねー。

 

「えへへ…実はそうなんだよね」

 

「それは…いつ頃から?」

 

「え?わりと最近…かな」

 

「好きになったのは何がきっかけで?」

 

「実は、ちょっとクラスの子と揉めたんだけど…その時に直井くんが助けてくれて。なんていうか…優しいなぁって」

 

正直こういうこと話すの超恥ずかしいけど…でもなんか、隠しちゃいけない気がする。

 

「そうか…やっと文人のことを分かってくれる人が出来たんだね…」

 

「え?!ちょっと?!」

 

あたしの話を聞いた途端、健人くんは涙を流し始めた。

 

「ごめん…嬉しくて」

 

「…そっか」

 

そうだよね。

 

きっと、ずっと気に病んでたんだろうし…嬉しいよね。

 

「安心してよ。直井くんはあたしが責任をもって育てるからね!」

 

「あの、僕が頼みたいのはそうじゃないんだけど…」

 

「へへ、みなまで言うなって…あたしにかかりゃあお茶のこさいさいよ?」

 

「いやあの……ふふ、なるほど。文人はこうやってペースを乱されたんだね」

 

一瞬呆れかけて、笑った。

 

うんうん、やっぱり笑顔がかわゆすなぁ~。

 

「…うん。関根さんなら、文人のことを任せられるよ」

 

「任せられるって…」

 

まるで、他人事みたいな…

 

「ねぇ、二人は仲直りするつもりは…ないの?」

 

「………ないよ。ううん、そもそも僕にそんな権利はないんだよ…僕は文人を傷つけたんだから」

 

「なら、直井くんが仲直りしたいって思ってたら良いんだよね?」

 

「それは…もちろんそうだけど」

 

ありえないって言いたそうな顔をしながら頷く。

 

でも、あたしには分かるんだ。

 

直井くんは絶対仲直りしたいと思ってるって。

 

確かに直井くんは心に深い傷を負った。だけど、それは直井くんが健人くんを好きだったからなんだ。

 

だったら、仲直りできない道理なんてないはずだよ!

 

「任せてよ!あたしが絶対仲直りさせるから!」

 

 




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「なんで僕は…諦められない…?」

「………あのよぉ、なんかあったのか?」

 

「はぁ…?」

 

身の程を知らない凡愚に話しかけられ、思わず睨んでしまう。

 

「僕は今機嫌が悪いんだ。とてもじゃないが貴様のようなトイレットペーパーの芯以下のクズと話す気にはなれん。よって、黙れ」

 

「はぁぁぁぁ?!んだよぉ!?お前がずっと貧乏揺すりしてるから声かけてやったのに!」

 

貧乏揺すりだと……?この僕が…?

 

「気のせいだ。囀ずるな。耳障りだ」

 

「ちぇー、もう後で泣きついてきても知らねーかんなー」

 

やっとうるさいのが消えたか…

 

しかし…この僕が無意識に貧乏揺すりなどしてしまうなんて…

 

確かに、今の僕は苛立っている。

 

さらに、ただ苛立っているだけでなく…なんというか、心がざわついて仕方がないのだ。

 

何が原因なのかは分かっている。

 

昨日見たあの光景のせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、部活を終えて帰宅しようとした時だ。

 

『君、もしかして文人の友達かい?!』

 

自分の耳を疑った。

 

この場所で聞こえるはずのない声が聞こえたから。

 

しかし、あの声を聞き間違えるわけなどない。

 

誰よりも愛し、誰よりも憎んだ声なのだから。

 

慌てて声のした方へと向かった。

 

声の主を発見するのはすぐだった。

 

校門の近くで金髪の阿呆の肩を掴んでいた。

 

ほんの少しの距離走っただけのはずなのに激しく息が乱れる。

 

何を……?

 

しばらく見ていると、何かを話した後、二人でどこかへ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ…」

 

僕は何を気にしてるんだ?

 

兄さんが何をしに来たのかなんて、大体分かっている。

 

でも…兄さんを見たアイツは…なんて思うんだろうか…

 

僕とは違って優しく、優秀な兄さんを見れば僕のことなんて……

 

今まではそうやってすぐに諦められたのに…なんで…

 

「なんで僕は…諦められない…?」

 

諦められないだけならまだ良い。

 

僕は諦められない癖に、足掻くことも出来ない臆病者だ。

 

朝からアイツに昨日のことを訊こうとしても、足がすくんで動けなかった。

 

そして、話しかけてきても昨日のことを話そうとしないアイツを見て、さらに臆病風を吹かしてしまうような…弱虫だ。

 

ガチャっ!

 

思い悩んでいると、部室の扉が乱暴に開けられる。

 

扉を開けた人物は柴崎さんだった。

 

何やらバタバタと騒がしく帰り支度をすまし始め、急いで出ていこうとする。

 

周りを見渡せば、ほとんど全員が既に部室をあとにしていた。

 

今なら…誰にも悟られずに相談できる。

 

そう思い、急いで呼び止める。

 

「―――っ、柴崎さーん!」

 

「すまん!今日は急いでるからまた今度な!」

 

しかし、あえなく一蹴されてしまう。

 

また…今度…か。

 

そうだ…今さら足掻いたって結果は変わらないんだから…慌てたって意味はない。

 

どうせ僕のことなんて…もう…

 

「直井くん!」

 

「――――――っ」

 

俯きかけた顔が弾けるように飛び上がった。

 

だって、この声は…

 

「も~、校門で待ってるのに中々来ないんだもん!こっちから来ちゃったよ!」

 

理不尽な理由で怒られているが、そんなのは些細なことだ。

 

「お前…なんで…?」

 

「なんでって、何が?」

 

「僕より…兄さんを選んだんじゃ…」

 

「あれ…?もしかして、昨日…」

 

ここで嘘をついてもしょうがないので、頷く。

 

すると、

 

「ならもう隠さないでいいね」

 

「……………っ」

 

ぐっ、と歯を食い縛る。

 

きっと、もう僕に興味もなにもないだろう。

 

そんな通告を受ける準備を整える。

 

「健人くんが校門まで来てるから一緒に来てくれないかな!」

 

しかし、かけられた言葉は想定していたものとは違った。

 

一瞬頭が回らなくなり、呆けてしまう。

 

健人くん…?兄さん……だよな。

 

兄さんが校門に……

 

「はぁっ?!なんだそれは?!どういうことだ?!」

 

言葉の意味は理解出来たが、全く内容の意味が分からなかった。

 

「昨日健人くんと会って、話を聞きたいって言うからちょっと話したんだ。それでその……」

 

珍しく歯切れの悪い様子に、今度こそ兄さんに好意があるのかと身構える。

 

「直井くんと健人くんに仲直りしてもらいたいんだ!」

 

しかしまたしても想定の範囲外の言葉が飛んでくる。

 

いや、普通ならそっちをまず考えるべきだろう。

 

なのにまるで思い至れなかった自分がなんだか恥ずかしく思えてくる。

 

「なんで…お前がそんなことを?」

 

とにかく頭は冷えた。

 

まずは話を聞こう。

 

「……んー…なんでかと訊かれると………直井くんに笑ってほしいから…かなぁ?」

 

…なぜ疑問系なんだ?

 

「いやー…でもなぁ…なんだろう?」

 

「僕が知るわけないだろう」

 

「あたしにも分かんないよ!」

 

「なぜお前がキレてるんだ?!」

 

「だって理由なんてないし!こうするのが直井くんにとって一番良いと思ったら、やるしかないじゃん!」

 

その言葉を受けて、胸の音がドクンと大きく響いた。

 

「なんだ…それ…」

 

なんでお前は……僕のためにそんな……

 

「な、直井…くん?」

 

戸惑うような声が上から降ってくる。

 

当然だ。

 

涙が…止まらないんだ。

 

でも、見られたくなくて、しゃがみこんでいる。

 

必然的に頭の位置は逆転してしまうだろう。

 

「大丈夫?!どうしたの?ぽんぽん痛いの?!」

 

「うるさい…阿呆め…」

 

なんであんなに諦められなかったのか、やっと分かった。

 

僕は…こいつを失いたくなかったんだ。

 

そんな、簡単な理由だったんだ。

 

「…おい」

 

「な、なに?」

 

「仲直り…してやる。兄さんのところに連れていけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……文人」

 

校門へ辿り着くと、そこには本当に兄さんがいた。

 

「兄さん…」

 

こうして目を合わすのはいつ以来だろう。

 

同じ家に住んでいるはずなのに、そんなことすら僕は拒んでいたんだ。

 

あんなに…慕っていたのに。

 

「なんだか、変な感じがするな」

 

「…うん」

 

「……もぉ~!ぎこちない!二人とも兄弟なんでしょ?!双子なんでしょ?!以心伝心せんかい!」

 

「出来るか!」

「出来ないよ!」

 

意味のわからんクレームにツッコむと、偶然ハモってしまった。

 

いや…

 

「へへー、出来てるじゃん」

 

こいつの思うがまま…か。

 

「兄さん…今まで、ごめん」

 

「文人……やめてくれ。僕が全部悪いんじゃないか…!謝るのは僕の方だよ…ごめん…ごめん…!」

 

僕が謝ると、兄さんはその倍謝った。

 

目に涙を浮かべて、すがり付くように、何度も抱き締められた。

 

ああ……

 

こんなに…こんなに簡単なことだったんだ…

 

1度謝れば…雪解けなんて一瞬だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一段落ついて、僕は1つ思い浮かんだことがあった。

 

「兄さん、1ついい?」

 

「なんだ?なんでも言ってくれ」

 

「こいつには、手を出さないで」

 

「…………へ?」

 

阿呆の方を指差すと、間の抜けた声がする。

 

「もし手を出したら、もう2度と口利かない」

 

「……ふふ、いいよ。絶対に関根さんには手を出さない」

 

「ありがとう、兄さん」

 

「あ、あのぉ~…直井くん…?」

 

状況が飲み込めていないのか、理解しているが信じられないのか分からないが、顔を紅くして僕の名を呼ぶ。

 

名前を呼ぶ……か。

 

「えっと、その…手を出すな~っていうのは…いや!分かってるよ?!自意識過剰なのは重々承知なんだけどね!!もしかしてその……」

 

それも…悪くはない。

 

「えっと…ね…」

 

言葉に詰まる姿を見つめる。

 

特に見つめる意味はないのだが、僕だって緊張するんだ。少しくらい間を置かないと、噛んでしまいそうだからな。

 

1度、ゆっくりと息を吐く。

 

「せ…「じゃ、じゃあね!」

 

「あ、こら貴様…!?」

 

物凄い速さで遠ざかる背中を見つめながら、先程出かけた言葉を思い出す。

 

「関根…」

 

くそ…折角名前を呼んでやろうと思ったのに…

 

「あの阿呆め…」

 

「文人~」

 

独りごちていると、兄さんがにやにやしながら声をかけてくる。

 

「隅におけないなぁ、全く」

 

「冷やかさないでよ…」

 

「ふふ、冗談だよ。応援してるから、頑張れ」

 

「……うん。兄さん」

 

いつか、こんな風にまた笑いかけてくれる日を、心のどこかで待っていたんだ。

 

それをくれたアイツを、僕は…離したくない。

 

 




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「ふ、普通のデート…?」

テスト期間が終わり、続々とテストが返却されていく。

 

「どうだった?」

 

「………ほら」

 

悠に訊かれ、口ではなく証拠を見せることで返答する。

 

「え…すごいじゃん。いつも低い数学が余裕で平均越えだし」

 

「だよな…」

 

岩沢に基礎から面倒を見てもらった成果…だよな。

 

まあ…あとは色々な混乱からの現実逃避で勉強しまくったのもあるからか。

 

「これは、何かお返ししなきゃだね」

 

「…………だよなぁ」

 

さすがにお礼くらいしなきゃ駄目だよなぁ。

 

「つっても、何をすりゃあいいんだ…?」

 

そもそも最後にまともに話したのが勉強を教えてもらった時だし…なんか話しかけづらい。

 

「そんなに考えなくても、蒼になら何をされたって喜ぶでしょ」

 

「いや、まあかもしれないけど、折角ならちゃんとされて嬉しいことをしてやりたいしな」

 

「ふーん…なら、何をしてほしいか訊いたらいいんじゃない?下手に頭使うより早いし、確実だよ?」

 

「なるほどな…」

 

確かにそれが無難か。

 

まず初めに付き合って、とか言われそうだけどな…

 

ま、とにかく部活の時にでも訊いてみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあさ、あたし普通のデートがしてみたい」

 

しかし俺の予想は当たらず、そんな言葉が返ってきた。

 

「ふ、普通のデート…?」

 

それって前に岩沢が俺に気を使ってやったあれか…?

 

「前は柴崎に楽しんでもらおうと思って失敗しちゃったからさ、今度は何も考えず普通に1日デートしたいんだ」

 

あ、そういうことか。

 

「つまり、デートのリベンジがしたいってことか?」

 

「そうだ。そもそもあたしは前回の柴崎の言い方に少し反論したいところだってあるんだぞ?」

 

「え、そうなのか?」

 

「ああ。あたしは柴崎といたらどこでだって楽しいんだ。なのにまるであたしが全く楽しくないみたいな言い方…あたしを見くびってるとしか思えない」

 

いやどこにプライド持ってんだよ…

 

「だって、明らかに無理してたじゃないか」

 

「あれはその…確かに無理をしてた言われればそうだったんだけと…それは慣れないことをしてたのが祟っただけなんだ!」

 

「わ、分かった分かった…」

 

ヒートアップし出した岩沢を宥めるためにとりあえず理解を示しておく。

 

とはいえ、デートか…

 

それ自体が嫌だ、というわけじゃない。既に1度経験しているし、その時も楽しかったことには違いないんだから。

 

しかし、今回の場合、その1度経験しているということが引っ掛かる。

 

折角のお礼なんだから、どうせなら満足してほしい。

 

なのにそれが、言い方は悪いが二番煎じというのも…

 

「あー、じゃあさ、デートもする。だけど、他に何かもう1つ考えといてくれないか?」

 

「もう1つ…か。うん、考えとく」

 

「それじゃ日にちは……「明後日にしよう!明後日に!」

 

「お、おう…」

 

明後日になにが……って、ああなるほど。

 

「分かった。じゃあ明後日、校門前でいいか?」

 

「いい!最高だ!!」

 

最高…ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた当日。

 

少し早めに到着し、余裕を持って岩沢を待つ…はずだったが…

 

「早いな柴崎」

 

「……お前こそな」

 

既に岩沢はいた。

 

にっこにこで。

 

あれ?なにこれデジャブ?

 

…まあ大声で驚かれなかっただけマシか。

 

「俺も結構早めに来たと思ったんだけど、待たして悪かったな」

 

「いや、あたしが勝手に早く来ただけだし」

 

「てか、なんでそんなに早いんだ?」

 

「待ちきれないっていうのもあったけど、一番は…もし柴崎も早く来てくれたら、その分長く一緒にいられるだろ?」

 

「お……う…」

 

なんっだコイツ……なんだコイツ?!

 

思わず語彙力が無くなる程度には、その台詞は破壊力があった。

 

「どうした柴崎?顔紅いぞ?もしかして風邪か?!なら帰って安静にしないと…」

 

「いや!違うから!大丈夫だから、さっさとどっか入ってまずは飯にしようぜ」

 

つーか、あんだけ楽しみにしてたのに普通に帰ること提案すんだな…

 

俺のこと大事に思ってる証拠…ってか?

 

……………言ってて恥ずかしくなったきた。

 

「ちょ、ちょっと柴崎!歩くの早いって!」

 

「わ、悪い。考え事してた」

 

「全く…柴崎は変なとこで抜けてるよな。まあそういうところも好きだけど」

 

「………普通に言うんだな」

 

「え?」

 

思わずもれていた一言に岩沢が反応する。

 

「いや、なんつーか…前にすげえ照れてたからもうそういうのって言わないもんだと…」

 

そう素直に思ったことを伝えると、みるみるうちに顔が紅潮していく。

 

「あ、あれは忘れてくれ…!」

 

なんだ、恥ずかしいのは恥ずかしいのか。

 

しかし…なんだろう。

 

岩沢が照れていると、無性に嗜虐心が煽られる…

 

「顔、紅いぞ?」

 

「誰のせいだと思ってるんだよ…」

 

不満げにちらっとこちらを見やる。

 

「俺だって散々恥ずかしい思いはしてきてる。お前に教室のど真ん中で好きだーって大声で言われたりな」

 

「そりゃそうかもしれないけどさ…」

 

「なら、少しは照れてる姿くらい見せてくれてもバチは当たらないんじゃないか?」

 

「柴崎は…あたしが照れてるとこが見たいのか?」

 

そう面と向かって訊かれると…なんとも答えづらい。

 

ここで、そうだって言ったらなんかすごい変態みたいだし。

 

「……別に、お前に今までの俺の気持ちを少しでもわかって欲しかっただけだ」

 

「なんだ、ちょっとはあたしのこと気になってくれたのかと思ったのに」

 

「それは……」

 

「ん?」

 

気になる…って意味なら、初対面で告白された時からずっと意識はしてた。

 

意識は………だ。

 

なら、今は……?

 

「初対面の時よりは…気になってるよ」

 

「……………っ?!そ、それって?!」

 

「…関わる時間が増えたから、な」

 

いや、駄目だろ…

 

こんな、自分でもなにがなんだか分かってない気持ちをぶつけて…もし期待させたらどうする?

 

期待させて、裏切ったしまったらどうするんだ…

 

「なんだよ…そういうことか」

 

目に見えてがっかりしている岩沢。

 

ほら…もし今、本当のことを言っていたらこんなことじゃ済まなかったはずだ。

 

ちゃんと…向き合え。

 

向き合って、自分が受け止められたら…その時言えばいい。

 

「まあ、でも進んでないわけじゃないから……」

 

でも、これくらい言っていいよな。

 

「……え?そ、それってやっぱりさ!」

 

「はい、店ついたー。この話はここで終わりー」

 

「えぇ~…でも、うん。まずはデートを楽しまないとな」

 

「…少なくともその前向きさは嫌いじゃないぜ」

 

「え?!いや、その…そんなこと言われたらもっとこの話続けたくなるだろ!早く入ろう!」

 

「わ、分かった、分かったから押すなよ!」

 

また照れてしまったみたいで、後ろに回って見られないようにして背中をぐいぐい押してくる。

 

これは流石に余計な一言だったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽く昼食を取り、食休みとして次の行き先を決めることになった。

 

「どっか行きたいとこあるか?」

 

「あたし?」

 

「お前以外の誰がいるんですかね…?」

 

コイツほんとこういうとこあるよな…

 

「うーん…特にない」

 

「やっぱそうか」

 

なんとなく想像はついてたけど。

 

「なら、カラオケとか行くか?」

 

「カラオケか、いいな」

 

「じゃあ行くか」

 

次の予定も決まり席を立つ。

 

ネットからの受け売りの知識で二人分の料金を払おうとしたら、岩沢に物凄い勢いで割り勘を要求された。

 

なんでも、対等でいたいから奢られるのは嫌…だそうだ。

 

らしいな、と思い少し笑いがもれた。

 

そんなゴタゴタを終え、店を出る。

 

カラオケ店はそう遠くないので、数分歩くと到着した。

 

あまりカラオケに行った経験がないので、慣れないながらも受付を済まして部屋へと入る。

 

「へぇ、中ってこうなってるんだな。結構狭いんだ」

 

「なんだその初めて来たみたいな反応は」

 

「みたいな、っていうか初めてだ」

 

「は…?」

 

思わぬ台詞に少し唖然とする。

 

音楽キチのコイツが…カラオケに来たことがない…?そんな馬鹿な…!?

 

「言いたいことは分かるけど、顔に出すぎじゃないか?」

 

「いや、すまん。あまりにも意外だった」

 

「この前父さんにも聞いたろ?あたし高校入るまで友達とかいなかったんだよ」

 

それは確かに聞いたけど…

 

「ひさ子たちとは?」

 

「ガルデモで集まるときは部室かスタジオで練習だな」

 

そう言われると、確かに中々機会がなさそうだ。

 

「じゃあヒトカラとかは?」

 

「ヒトカラ…?ヒトデの唐揚げか?」

 

「今の会話の流れからなんでそんなもんが出てくんだよ!?」

 

ダメだこりゃ…この天然娘が…

 

「まあいいや…ほら、何か歌えよ。初カラオケ記念だ」

 

「え?いいよ。あたし歌うつもりないし」

 

「え?」

 

「え?」

 

「………なんでカラオケに賛成したんだお前?!」

 

もう1回くらい聞き返してやろうかと思ったけど我慢できるか!

 

「あたしは柴崎とならどこでも楽しいからだ!」

 

「聞いた!昨日聞いたよそれは!」

 

俺が言いたいのはそういうことじゃない。

 

「お前がどこでも良かったってのは分かる。けどな、歌わずに喋るんならさっきの店のままでも良かったろ!」

 

「歌えばいいじゃん」

 

「はぁ?誰が?」

 

「柴崎が」

 

「…………嫌だわ!」

 

数秒考えた結果、心からの拒絶が口から出た。

 

「なんでお前みたいなめちゃくちゃ上手いやつの前で歌わなきゃなんないんだよ!」

 

コイツの前では多少歌が上手い奴らですら霞みに霞んでもはや見えないレベルだ。

 

それを何故そもそも上手くもない俺が歌わなければいけないんだ。

 

「…柴崎も人のこと言えないじゃないか」

 

「え?」

 

「あたしは柴崎が歌うんだと思ったんだ。柴崎だってあたしが歌うと思ったんだろ?おあいこじゃないか」

 

なんであたしだけ怒られるんだよ…と珍しく不貞腐れたような顔をする。

 

ま、まずい…

 

具体的に何がまずいかっていうと、岩沢が不貞腐れているという状況がまずい。

 

だって見たことねえもん。

 

しかも拗ねてる理由が正論過ぎて……もはや謝るしかない。

 

「わ、悪かったよ。ちょっと計算が狂ってテンパったんだ。機嫌直してくれよ…」

 

「……ふふ、いいよ。なんか柴崎が困ってる顔してるの、楽しいな」

 

ドキッ

 

悪戯っぽく笑う表情に、胸が高鳴る。

 

そして、その瞬間に気がついた。

 

二人だからか、案内された部屋は狭く、自然と普段の距離感よりもかなり近くなっていることに。

 

さらに、もう11月だというのに、岩沢はロングコートを脱いでしまえば長袖のシャツとショートパンツという薄着。

 

そしてコイツの基本姿勢は脚を組んだ状態で、正直脚フェチには耐え難い状況だ。

 

しかも、この近さだとふんわりと良い匂いが岩沢の方から漂ってきてしまう。

 

…………あれ?俺なんで今まで平気でいたんだ……?

 

「どうした?」

 

俺の様子がおかしいことに気がついて、ぐいっとこちらへ寄ってくる。

 

綺麗に整った顔が近づいてくるにつれ、心臓の音は激しさを増す。

 

「な、なんでもない!なんでもないから!」

 

慌てて手で制止する。

 

「ん?そうか?」

 

あっさりと退いてくれ、安堵の溜め息を吐く。

 

「もし何かあるなら言ってくれよ?柴崎には無理してほしくないんだからな」

 

「あ、ああ…大丈夫だって」

 

意識したらまずい……

 

とは思いつつも、他に何かあるわけでもないため、見ざるをえない。

 

キリッと整った顔つきや、その顔つきに似合うやや短めの髪型。

 

驚くほど高くもなく、かつ小さくもない身長に、貧相ではなくスレンダーと言うべき体型と、そこからすらりと伸びる細く長い脚。

 

おまけに息を飲むほど脚を組むのがよく似合う。

 

……本当、改めて見るとびっくりするくらい好みの外見だ。

 

自分が思い描いていた理想像の具現化みたいだと、思ってしまう。

 

そんな風に思ってはいけないのに。

 

「なぁ、何か話さないのか?」

 

「あ、おう。何か…な」

 

声をかけられて意識を引きずり戻される。

 

助かった…とも言えるが。

 

「……あー、そういやユイとはどうなってるんだ?部活では見ないけど」

 

なんとか話題をひねり出す。

 

会話をして、意識を反らさなきゃダメだ。

 

じゃないと俺は……きっと外見で岩沢を好きになってしまう。

 

それは嫌なんだ。

 

それだけはしたくないんだ。

 

「ユイはとりあえず受験勉強に専念だってさ。じゃないとうちに来れないみたい」

 

「あぁ、納得」

 

だってコイツは…多分俺の内面を見てくれた。

 

一目惚れって言っていたけど…それが嘘なのは分かる。きっと、俺の覚えてない何かがあったんだ。

 

俺の内面に触れる何かが。

 

なのに、俺は岩沢の顔とスタイルが好きだから好きです……なんて言えるわけない。

 

いや、口が裂けても言いたくないんだ。

 

コイツが外見だけの人間じゃないって知ってるからこそ、余計にそう思う。

 

「ははっ、それ聞いたらユイきっと怒るよ」

 

「だろうなぁ」

 

外見も良くて、内面も良い。

 

でも、それならひさ子や入江たちだってそうだ。

 

人として好感を持てるし、その見た目にドキリとさせられることもある。

 

なら、岩沢とそいつらの違いはなんなんだ?

 

他の誰かでなく、岩沢が好きなんだって思える確証がない。

 

好きだって言われたから意識しているだけかもしれない。

 

そんな状態で、俺なんかのことをここまで想ってくれる相手に…俺は何を言えばいいってんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他愛のない話を終えて、退室時間となりカラオケを後にした。

 

時刻は5時過ぎ。

 

「微妙な時間だな」

 

晩飯を食べる時間ではないし、そこまで何かで時間を使わなくてはならない。

 

「……ふ」

 

「ん?なんだ?」

 

突然隣で笑みをこぼした岩沢に、思わず怪訝な顔になりながら訊ねる。

 

「いや、当然みたいに晩御飯まで一緒にいてくれようとしてるのが…嬉しくてさ」

 

「………っ?!馬鹿か!これは…お礼なんだからお前が満足しないまま終わるわけあるか!」

 

コイツは…!本当にコイツは…!!

 

一体何人誑かしてきたんだよって台詞をいとも簡単に吐きやがる。

 

「なら、満足しなきゃ明日まで一緒にいてくれるのか?」

 

「それは……」

 

居てほしいなら…とか言い出しそうな自分が憎い。

 

「冗談だよ。あ、でもそれくらい居たいってのは本気だからな?」

 

「……なぁ」

 

「ん?」

 

「好きって…なんだ?」

 

「…難しいこと訊くな」

 

そう言って、困ったように笑う。

 

「なんで急にそんなことをって訊いてもいいか?」

 

「わかんねぇんだよ……俺は、お前のことが好きだ。それは間違いないんだよ」

 

「―――――っ?!」

 

「でも…それは他の皆もなんだよ。部活の皆のことも好きで、その好きとお前が俺に言う好きは…どう違うんだ?それが分からないんだよ…」

 

俺の言葉を聞いて、一瞬浮かんだ喜色が消える。

 

その表情の変化が、俺の心に鈍痛を与える。

 

しまった…話し方を間違えた…

 

「その…ごめん。紛らわしい言い方して」

 

「い、いや、先に分からないって言ってたし、これはあたしの早とちりだよ」

 

「…悪い」

 

「いいって。それより、好きの違い…だよな」

 

これ以上謝っても岩沢を困らせるだけだと思い、頭を切り替える。

 

「ああ」

 

「要するに、好意と恋の違いってことか」

 

「そう、まさにそれだ」

 

地頭が良いのか、語彙の豊富さ故なのか、分かりやすく言い換えてくれる。

 

「難しいな…違いは明確だけど、表現するのがちょっと…」

 

しかしそんな岩沢でもこの違いというのは難しいようだ。

 

「……少し下世話な言い方でもいい?」

 

「え?お、おう」

 

悩んだ末、少し恥ずかしそうに提案する。

 

岩沢の言う下世話がどういうものなのか分からず戸惑いながらも承諾する。

 

「き…」

 

「き?」

 

「キス…したいと思うかどうか」

 

「ぶふっ!な、何を?!」

 

「ち、違うんだ!分かりやすく言葉にするならそれしか思い浮かばなかったんだよ!」

 

「そ、そうは言ってもだな…」

 

こちらとしたら唐突に、お前とキスしたいって言われてるみたいなもんなんだけど…

 

「さ、参考になればいいって思っただけだから…」

 

「参考に…か」

 

きっと岩沢は本気で考えてくれたんだだろうし、ちゃんと考えてみよう。

 

キス…か…

 

ひさ子や入江、ゆりや関根に椎名先生たちとキス……………

 

「……なあ岩沢」

 

「なに?」

 

「これはあくまで男女の違い故だと思って、怒らずに聞いてくれるか?」

 

「うん、いいよ」

 

あっさりと二つ返事で了承をもらい、口を開く。

 

「正直、出来るもんならキスはしたいぞ」

 

「………………柴崎……?」

 

「違う!違わないけど違うんだ!とりあえずその目やめて怖いから!」

 

一瞬自分の眼を疑うほどに目のハイライトがなくなっている。

 

「だってよ、アイツら皆見た目は良いし、性格だって…一概に悪いとは言えないし」

 

若干名悪いと言えなくもない奴もいるが…

 

「そんな奴らとキスできるとしたら嫌な男なんてまずいないと…思います」

 

いよいよ本気で怖くなってきたので思わず敬語になる。

 

「ふぅん…男ってそういうもんなんだ」

 

「いや、その、これはさ…そうだ!男は多分、本気で好きな相手がいればしたくなくなるんじゃないか?!」

 

「…ん、なるほど」

 

咄嗟の思い付きではあったものの、ある程度納得はいったのか、普段の岩沢に戻る。

 

「じゃあ、まだ柴崎はあたしが好きってことではないんだ」

 

「まあ…そうなるな」

 

「……うん。了解」

 

「その、ごめんな」

 

あまりに寂しそうな顔をするから、ついまた謝ってしまう。

 

「いいよ。分かってたしさ」

 

「そうなのか?」

 

「ああ、だって柴崎鈍いし。少なくとも今日この瞬間に気づくってことはないって思ってたよ」

 

「な…に、鈍いか?俺」

 

「まあ、少し気の毒になるくらいには…ね」

 

気の毒?

 

そんな同情されるくらい鈍いのか、俺は…?

 

「ま、良いことも聞いたし、結果オーライかな?」

 

「良いこと?」

 

「ふふ、だって、あの言い方だとあたしともキスしたいってことだろ?」

 

「さぁ!飯に行こうかぁ!」

 

何も聞こえませーん!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、その後は特に問題もなく晩飯を食べ終わる。

 

そして、ぶらぶらとあてもなく町中を歩いている。

 

「どうする?」

 

明日も休みとはいえ、あまり遅くまで出歩いていてはお父さんも心配するだろうと思い、訊いてみる。

 

「柴崎はもう帰りたい?」

 

「そんなことは…ないけど」

 

「じゃあさ、あと一ヵ所だけ付き合ってくれない?渡したいものがあるんだ」

 

「あ…分かった」

 

すっかり忘れていたことを思いだし、頷く。

 

「じゃああたしの家の近くに公園があるからさ、そこにしよう」

 

「おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公園に着き、ベンチに座る。

 

少し、何の関係もない話を交わしていると、不意に岩沢が黙った。

 

もしかすると、緊張しているのかもしれない。

 

その気持ちは分かる。

 

俺も経験したことだから。

 

「柴崎、誕生日おめでとう。これ、気に入るか分かんないけど」

 

そう言って差し出されたのは、ラッピングされた細長い箱だった。

 

それを見て、中身がなんなのか少し見当がついた。

 

「ネックレスか?」

 

「…うん。あたし、音楽のことしか分からないからさ、柴崎が何を貰ったら嬉しいか分かんなくて…だから、あたしが貰って一番嬉しかったものをあげたいな…ってさ」

 

「…そっか」

 

「嬉しくない…か?」

 

心配そうに窺う岩沢に苦笑する。

 

「そんなわけないだろ、すごい嬉しい。ちょっと…言葉にするのは難しいけど」

 

誕生日プレゼントを貰うこと自体が嬉しい上に、以前あげたプレゼントが今までで一番嬉しいと言われたのだ。まさか嬉しくないわけがない。

 

「普通にプレゼントを貰う5割増しくらい嬉しいぜ」

 

「本当か?!」

 

「本当だって」

 

この言葉は嘘偽り、誇張なしに本音だ。

 

プレゼントを貰えることは分かってたのに、こんなに嬉しくなるもんかと自分でも不思議に思う。

 

「良かったぁ…」

 

相当緊張していたようで、安心した反動で力が抜けたようにベンチに座り込む。

 

「そんなに心配しなくても…」

 

俺のことどんだけ厳しい奴だと思ってんだよ?

 

「無理だって。念願だったんだからさ…柴崎の誕生日を二人で祝って、プレゼントあげるのがさ」

 

「念願って…」

 

やっぱり、昔から俺のことを知ってるってことなんだろうな。

 

なんでかそれくらいの重みを感じる。

 

「なぁ、着けてるとこ見せてくれないか?」

 

「ああ、分かった」

 

岩沢に促されて綺麗にラッピングされた箱を開ける。

 

すると中には、綺麗に蒼く輝くガラスのようなものが埋められた十字架型のネックレスが入っていた。

 

幸い、ホックの部分が扱いやすい作りだったため自分で簡単に着けることに成功する。

 

「えっと、あんまこういうの着けたことないから不安なんだけど…どうだ?」

 

「………やばい」

 

「やばい?」

 

そんなに似合ってないのか?!

 

「似合うと思って買ったんだけど…もう…無理…見れない…」

 

「マジか?!」

 

え、なに、俺ってそんな見るも耐えないほどネックレス似合わない人間だったのか?!

 

「ロックすぎる…!」

 

「……は?」

 

これは…褒め言葉か?

 

いや、きっとそうだろう。なんせロック大好き人間だし。

 

「シバサキ…ジュウジカ…ロック…!」

 

「カタコトやめい…」

 

褒められてるはずなのに、なんか馬鹿にされてるみたいだ。

 

「…まあ喜んでるようで何よりだ」

 

「はぁ…やばい…なんか苦しくなってきた…」

 

「なんでだよ?!外すぞこれ!」

 

「そ、それは困る!」

 

そう言って急いで深呼吸し始める。

 

落ち着いた頃合いを見計らって声をかける。

 

「ちょっとぐだぐだになったけど、ありがとな」

 

「……うん。くっ…!柴崎があたしのあげたネックレス着けてる…!しかも…綺麗…!」

 

またしても悶え始める岩沢。

 

……とりあえずこの話題から離れようそうしよう。

 

「あー、そういやもう1つなんかお願い考えとけって言ってたよな。なんか思い付いたか?」

 

「あ…忘れてた」

 

うん、まああの調子だったわけだし予感はしてた。

 

「無理に考えろって言うつもりはないけど、なんにもないか?パッと思い付くことでもいいぜ?」

 

「…………あ」

 

しばし逡巡したあと、何か思い付いたように声をあげた。

 

しかし悩んでるようで、いやでも…と何か呟いている。

 

「何か思い付いたんならとりあえず言ってみ」

 

「……じゃあ、さ…あたしのこと、一回だけ下の名前で呼んでくれないか…?」

 

「え…」

 

「駄目か…?」

 

「あーいや、今のはただ驚いただけなんだけど……」

 

だけど……いいのか…?

 

いや、望んでるなら叶えてやるのが一番なんだろう。

 

そもそも下の名前で呼ぶくらい、友達同士でだって普通にすることなんだから、そこまで深く考える必要はない。

 

「……悪い。出来ない…」

 

はずなのに、ここで呼ぶのは不誠実だと思う自分がいる。

 

「…そっか」

 

散々言うことを聞くと言っていた俺に断られて、怒ってもいいような場面なのに、何故か岩沢の顔には笑みが浮かんでいた。

 

「怒らないのか?」

 

「ああ。呼んでもらえないのは確かに残念なんだけどさ、なんていうのかな…柴崎が、真剣にあたしのことを考えてくれてるんだろうな…って、伝わったから。だから、良いんだ」

 

「……ありがとな」

 

まさか、そんな風に言ってくれるとは思わなかった。

 

ましてや、俺がどう思ってるのか伝わるだなんて思わなかった。

 

「いいよ。ていうか、もういい時間だな…帰ろうか」

 

「え?代わりに何かお願いとかないのか?」

 

「多分あたしの思い付くようなことは、今は叶えてもらえないだろうしいいよ。あ、でもその代わり、このお願いはいつか使ってもいい?」

 

「…そりゃもちろん構わないけど」

 

「なら、今日はもう満足」

 

そう言って笑う顔には、無理をしてる様子もなく、本当に満足しているみたいだった。

 

「じゃあ送るよ。つってもすぐそこだけど」

 

「ああ、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩沢を家まで送り、自分の家に着いた頃にはもう夜更けで、さっさと風呂や歯磨きを終えてベッドに潜り込む。

 

「岩沢……」

 

今日1日の出来事を振り返っていると、思わず口から名前がこぼれる。

 

眠る直前、思わず顔を思い浮かべて名前を呼んでしまうのは、恋…なんだろうか。

 

それとも、女子とのデートという慣れないイベントで、頭がびっくりしてるだけなんだろうか。

 

「早く……なんなのか知りてぇな…」

 

 




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「んー?ダブルデート、かな?」

岩沢とのデートが終わり、俺にはまた1つ悩みが出来ていた。

 

恋とはなんなのか。

 

究極にして、絶対の命題だ。

 

一日中考えてもまるで答えは見えない。

 

だがこれは、俺に問題があるのだろうか?

 

先日、岩沢とデートをしたときにこの疑問をぶつけだが、岩沢自身も、その基準を言葉にすることは難しいと言っていた。

 

何故言葉にすることが難しいものにそこまで確信を持てるのか、そこが分からないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってわけなんだけど、どう思う?」

 

「そうだね…蒼が拗らせているってのは分かるよ?」

 

無二の親友の言葉は冷たいものだった。

 

まあ拗らせている自覚はある。

 

「んじゃ、悠にとって恋ってなんだよ?」

 

「んー、静流かなぁ」

 

「俺が訊きたいのは恋人じゃなくて、恋についてなんだがな」

 

第一、その恋人にしたって、知らんうちに出会って、知らんうちに付き合ってたからよくわかんねえんだよなぁ。

 

…まあ本当に好きなんだろうな、とは思うけど。

 

「僕も静流以外を好きになったことないからねぇ。後にも先にも」

 

「そんなの分からないだろ?」

 

「いやぁ、ないない。きっと何百年経っても、僕は静流を愛してるよ」

 

「はぁ…そりゃお熱いこったな。彼女に言ってやれば?」

 

「大丈夫。伝わってるからさ」

 

本当かよ…

 

「ていうか、真剣に向き合おうとし始めたのは良いことだと思うけど、なにか忘れてない?」

 

「え?」

 

忘れてること…?なんかあったっけ?

 

「岩沢さんにお礼したのは良いけど、もう一人お礼しなきゃいけない人がいるんじゃない?」

 

「え?………あ」

 

しばし考えて、思い浮かぶ。

 

遊佐だ。

 

「そうだよな、流石にあんだけ色々してもらって何もしないわけにはいかないよな」

 

とは言ってもアイツが何をされれば喜ぶのかまるで思い付かない。

 

物欲とかもなさそうだし…

 

「ねぇ蒼、僕に任せてみない?」

 

「………みない」

 

「えぇ~」

 

不満そうに声をあげるが、正直嫌な予感しかしないし。

 

「でも何をしたら喜ぶのか分かんないんでしょ?」

 

「うっ…」

 

「僕に任せてくれたら、絶対一番喜ぶことを提供できるよ?」

 

いや、マジでコイツに任せるってのが嫌な予感しかしないんだよ。

 

でも、散々世話になって、どうせお礼をするなら…アイツが喜ぶことがいいに決まってる…

 

「…本当だろうな?」

 

「おまかせあれ」

 

「………はぁ、頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなやり取りがあった週の日曜。

 

突然悠に呼び出されて、急いで身支度をして指定された場所へ向かう。

 

「で、まあ流れとして遊佐がいるのは分かる。悠がいるのも分かる。が…なんでお前の彼女が居るんだよ?」

 

「あら?お邪魔だったかしら?悠ちゃんに呼ばれて来たんだけど…」

 

「あーいや、そういうわけじゃないんだけど…」

 

わざとらしいほどしゅんとされ、どうにもやりにくい。

 

「私も事情を何も聞かされていないのですが」

 

「え、遊佐もなのか?」

 

遊佐へのお礼なんだし、てっきり二人で話し合ってたのかと思ってたのに。

 

「で、悠。何するんだよ?」

 

「んー?ダブルデート、かな?」

 

「「…………は?」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言われるがままに連れてこられたのは、有名なアトラクション施設。

 

そこそこに高額な料金を支払って入園する。

 

「なぁ悠、これがお礼になんのかよ?」

 

悠の彼女が遊佐に話しかけた隙を見計らって耳打ちする。

 

「そりゃもう。効果覿面だと思うよ」

 

本当かよ……

 

ちらっと後ろにいる女性陣を窺うと、なにやら遊佐が耳打ちされて狼狽えているように見えた。

 

あ、なんか今のは悠に似てるな…

 

「でも、本当に心から喜んでもらえるかは蒼にかかってるんだからね?わかってる?」

 

「わかってるかどうか訊かれれば、まあわかってないよな。なんで遊園地なのかも、なんでダブルデートなのかもわからん」

 

「……まあそうだよね。なら分からないなりにもてなすしかないんじゃない?」

 

「もてなす…か」

 

アイツが遊園地で喜ぶのかどうかは置いといて、物欲がないアイツにお礼をするならそれくらいしかないか。

 

「ま、頑張ってみるわ」

 

「その意気だよ。おーい、二人ともいくよー」

 

少し後方で話し込んでいる二人に声をかけて園内を進む。

 

その際俺の隣に遊佐が、悠の隣に彼女がくる形になる。

 

一応ダブルデートという体を保つためだろう。

 

「あの、柴崎さん…」

 

「ん?」

 

前を歩く二人を気にしながら俺に声をかけてくる。

 

「柴崎さんは良いんですか?その…ダブルデート…って」

 

「別にいいんじゃねえの?」

 

「え…」

 

「分かりやすいようにそう言ってるだけで、要は四人で遊ぶってことだろ?」

 

「…………あ、はい」

 

何かを察したように頷く遊佐。

 

よくわからんけど、デートってのが気にくわなかったのかな。

 

「二人とも、まず何乗りたい?」

 

「俺は特にないな」

 

「私も特には」

 

「えぇ~、じゃあ静流、何乗りたい?」

 

「私?んー…やっぱりジェットコースターかな?」

 

ジェットコースター…まあ定番か。

 

しかし、そんなの乗るの小さい頃以来だな。

 

「じゃあそうしよか」

 

「あ…」

 

ジェットコースター目指して歩き始めようとした時、遊佐が不意に声をもらした。

 

「どうした?」

 

「あ、いえ。なんでもありません」

 

「じゃあ行こう行こうー」

 

「お、おう」

 

なんでもないってことはなさそうだけど…

 

って、俺が気づいてて悠が気づいてないはずがないんだよな。

 

ってことは大したことじゃないってことか?

 

そんなことを考えていると、目的のジェットコースターの乗り場へ到着する。

 

「待ち時間が一時間か」

 

まあ、休日にこのくらいなら空いてる方だよな。

 

そう思い最後尾に並ぶ。

 

「なんだか懐かしいよね。遊園地なんて」

 

「最後に行ったのは小学生の頃だっけか?」

 

確か俺と悠の親が忙しいから、遊佐のおじさんとおばさんが俺たちを連れてってくれたんだよな。

 

「そうなんだ。何か思い出とかあるのかしら?」

 

「いや、もうあんまり覚えてないな。遊佐がめちゃくちゃにはしゃいでた気はするけど」

 

「あれは黒歴史です。忘れてください」

 

だから別に黒歴史ではないだろ…

 

「あの時の笑美は可愛かったのにねぇ」

 

「殺す」

 

「いきなりバイオレンスすぎるだろ!」

 

コイツ本当、悠に対しての沸点低すぎんぞ…

 

「悠ちゃんを殺されたら困る~。まだまだキスしたりないのに~」

 

「僕もだよ~」

 

「すみません柴崎さん、この二人に嘔吐物をぶつけてもいいでしょうか?」

 

「なんかそれは絵的にまずいからやめとけ」

 

もはやプレデターかなにかみたいな描写になりかねん。

 

「もう、遊佐ちゃん。女の子が嘔吐物なんて言っちゃ駄目よ?彼がドン引いたらどうするの?」

 

「柴崎さんには日々下ネタをぶつけて耐性をつけているので大丈夫です」

 

「いやそこは自重しろよ」

 

流石に嘔吐物をぶつけるって発想はゾッとするわ。

 

「下ネタ…って、どんなのかしら?」

 

「いつも耳元で喘ぎ声を聴かせたりしますね」

 

「さらっと適当な嘘ついてんじゃねえよ」

 

「そうだよ。そんな近づけないでしょ、全く」

 

「柴崎さん、この中二病の目玉に串を刺してもよろしいでしょうか?」

 

「駄目に決まってんだろ!」

 

なんてピンポイントに恐ろしいところを狙おうとしてんだ。

 

「そんなことをされたら“隻眼の千里”って異名になっちゃうね」

 

「ふふ、かっこいいわねそれ」

 

「え、どこが…?」

 

中二病感が増すだけだろ。

 

そうこう話している間にどんどんと列は進んでいき、いよいよコースターに乗り込む。

 

1列に二人乗りなので、当然俺の隣には遊佐が座る。

 

……のだが。

 

やはりちょっと様子がおかしい。

 

並んでいる間は饒舌だったのに、今は借りてきた猫のようにおとなしい。

 

「……遊佐?」

 

「…な、なんでしょう?」

 

「いや、なんか随分テンション低いな」

 

「そんなことありませんよ。とてもハッスルしてます」

 

よーし、とりあえずおかしいのは分かったぞ。

 

「では、バーをしっかり下ろしてください」

 

係員のお姉さんのアナウンスに従ってバーを下ろす。

 

そして程無くしてゆっくりとコースターは前進を始める。

 

「おお…なんかマジで久しぶりだな」

 

「………………っぅ!」

 

それとなく世間話を振ってみるも、レバーをしっかりと握りしめたまま目をつぶっているだけで返事がない。

 

これって……いや、まさかそんなことは…

 

いや…待てよ?確か昔もこんなことがあった気が……

 

そうだよ、あった。

 

昔来たときに、あのときはもっと小さな子供用のジェットコースターだったけど、確かに遊佐は怖がっていた。

 

「なあ遊佐、お前…怖いんだよな?ジェットコースター」

 

「………………っ」

 

聞こえていない。

 

変わらず、ただふるふると目を閉じて怯えているだけだ。

 

ったく…またどうせビビってると思われるのが癪だとか思ったんだろうなぁ…コイツは。

 

つーか、悠も絶対分かってただろうに。本当性格歪んでんなぁ。

 

こんなんじゃ楽しめないだろ…

 

「しゃあねえなぁ…」

 

やれやれと肩を竦めながら、遊佐の手を取る。

 

「っ?!柴崎さん…?」

 

驚いて見開いたその目は確かに潤んでいた。

 

うわ、レアすぎんぞこんな状態。

 

って、いやいや珍しいもんが見たくてやったわけじゃねえんだっての。

 

「大丈夫。ちゃんと落ちないように設計されてんだから。つっても落ち着かねえだろうから…まあ手ぇ握っててやる。これで気ぃ紛らわしとけ」

 

……まあこんなのがどれほど効果があるのかわからねえけど。

 

と、少し自分のやっていることに自信をなくしていると

 

「……はい」

 

ぎゅっと、縋るように握る手に力が込められる。

 

やけに素直…だな。

 

いや、それだけ苦手ってことか。

 

「大丈夫。絶対落ちない」

 

そう言った直後に、第一の急降下が始まった。

 

「きゃあぁぁぁぁぁ!!」

 

「うおっ!」

 

これは…別に苦手でもない俺でもちょっとキツいぞ…

 

俺の場合速度は問題じゃない。どれだけ速かろうとさして変わらない。

 

しかし、猛烈にのしかかってくるGは流石に少し辛い。

 

こりゃ遊佐は相当キツいだろうな。

 

「遊佐!大丈夫だからな!」

 

聞こえてるのかどうか分からないが、手に込められてる力は更に強まった。

 

幼馴染みが怯えている中、不謹慎だとは思うが、コイツも女子なんだな…と改めて認識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくしてジェットコースターは無事に終着点に着き、バーが上げられる。

 

「遊佐、着いたぞ」

 

未だ震えて手を離さない幼馴染みに声をかける。

 

「終わっ……た?」

 

珍しく敬語が抜け、探るように辺りを見渡す。

 

本当に怖かったんだな…

 

まあ遊佐がわざわざ後々イジられそうなネタを供給するわけないか。

 

「そう。終わったからもう大丈夫だぞ」

 

「そ………っ?!な、なぜ手を繋いでるのでしょうか?!」

 

ばっ、と今の今まで握りしめられていた手をなぎ払われる。

 

コイツ何も分からず繋いでたのか…?

 

「ちょっとは不安も減るかと思っただけだよ。もう大丈夫なんだろ?早く降りようぜ」

 

「は、はい」

 

そそくさとジェットコースターを降りようとしたが

 

「あれ?手繋がなくていいの?」

 

案の定悠に絡まれた。

 

まあ席まん前だったし、聞こえてるわな。

 

「もう大丈夫です。余計なお世話です」

 

「ふふ、手が震えてて可愛いわね。遊佐さん」

 

「っ!」

 

その言葉を受けてほのかに耳が紅く染まっている。

 

「苦手なもんはしょうがないだろ。んなことでごちゃごちゃイジんなよ。つーか腹減ったしなんか食べに行こうぜ」

 

「それもそうだね。静流、何が食べたい?」

 

「そうねぇ、和食かしら?」

 

「園内に和食なんてあったかな?」

 

なんとか話題は逸らせたみたいだな。

 

ま、腹減ってたのは本当だけど。

 

二人の後ろに続く形で足を進めようとするが、袖を引っ張られる感触が。

 

「あの……悔しいけど、ありがとうございます…」

 

後ろを振り返ると、本当に悔しそうにお礼を言う遊佐の姿があった。

 

負けず嫌いだな…と呆れながら、頭に手を置く。

 

「いいって。でも、苦手なら先に言っとけよな?」

 

「………はい」

 

更に悔しさが増したのか、深く顔を俯かせ頷く。

 

これは、少しの間ほっといてやらなきゃ駄目だな。

 

「じゃあ行こうぜ。遅れたらアイツらうるさいだろうしな」

 

と言って、先行して歩き出す。

 

「あ、二人とも、目的地決めたからいくよ」

 

「ん、和食屋見つかったのか?」

 

「ううん、ないみたいだからネットで評判のいいところで妥協してもらった」

 

「噂のパンケーキっていうの、少し興味あったの」

 

「へぇ」

 

パンケーキって、最近の女子高生なら皆食べたことあるんだと思ってた。

 

「冷静に考えてありえませんよね」

 

「偏見で悪かったな」

 

ようやく調子が戻ったのか、いつものように心を読んでツッコミをいれてくる。

 

うん、まあやっぱこっちの方がしっくりくるわ。

 

「笑美ちゃんと柴崎くんは本当に仲が良いのねぇ」

 

否定はしないが、今のやり取りでどうやって察することが出来るんだろう?

 

「なっ…ど、どこかですか?私にも分かるよう明確に、詳しくお願いします。あと笑美ちゃんはやめてください」

 

「いやそんな嫌がるなよ」

 

俺でも流石に傷つくぞ。

 

「あらあら…笑美ちゃん大変ね」

 

「そうですね…まあもう慣れましたが。あと笑美ちゃんはやめてください」

 

「えぇ…?」

 

何故俺が悪いみたいになってんだ…?

 

やっぱ女子ってわかんねぇ…

 

と、そうこう話ながら歩いているうちに、目当ての店に辿り着いた。

 

が…

 

「うげぇ…結構並んでんな」

 

店の外まで行列が出来ていたのだ。

 

「テイクアウトも出来るから、小一時間程度ってところかな」

 

「パンケーキ食べるのに一時間か…」

 

「理解に苦しみますね」

 

「まあまあ、そんなこと言わずに食べましょうよ。これだけ並んでるのだもの、きっと美味しいわ」

 

「静流が食べたいなら僕も並ぶよ。二人はどうする?」

 

いやどうするって言われてもなぁ…

 

「わざわざここで分かれてもう一回集まるのもめんどくさいし、一緒に並ぶよ」

 

そもそもこの時間にすぐ食べられる物のほうが少なそうだ。

 

「柴崎さんがそう言うのであれば私も」

 

「皆で話していれば、私達の番もきっとすぐよ」

 

「そうそう。楽しくお喋りしてようよ」

 

俺からすると、真っ先に空気をピリつかせるのはお前だと思うけどな。

 

「今更なんだけど、3人は幼馴染みなのよね?何か悠ちゃんの恥ずかしい過去とかないかしら?」

 

「ちょっとちょっと、いきなり何訊きだしてんのさ」

 

「現在進行形で中二病という黒歴史を生み出してると思いますが」

 

「これは可愛いから弱味にならないじゃない」

 

中二病に関しては否定しないのか…

 

「って言っても、コイツ昔からこんなだったからなぁ」

 

一際大人びているというか、悟っているというか。

 

とにかく、年齢を逸脱したような雰囲気だった。

 

「じゃああまり一緒に遊んだりはしなかったのかしら?おままごととか、鬼ごっことか」

 

「いや、それはしてたな。普通にお父さん役とか」

 

「ぷっ…くく…悠ちゃん…やってたのね…」

 

「そりゃあ…ねぇ」

 

小さい頃にままごとをやるくらい普通のことだろうに、何故か苦い顔をしている悠。

 

「ナイスです柴崎さん」

 

いや、そんな親指立てられても…俺別に狙って言ったわけじゃねえし…

 

「はぁ~、見てみたかったなぁ。悠ちゃんのおままごと」

 

「流石にこの歳でおままごとは勘弁してよ」

 

「良いじゃないですか。豚の役がお似合いです」

 

「あら、悠ちゃんはうさぎ役が良いと思うわ」

 

「いやなんで頑なに動物なのさ。人間の役をちょうだいよ」

 

3人で盛り上がり始めたが、どうにも会話に入るタイミングが掴めずに手持ちぶさたになる。

 

そして不意に目線をよそに向けた際、俺たちの前にいる家族の赤ちゃんと目が合ってしまった。

 

あ、しまった…

 

そう思ったのも束の間。

 

「うぇぇぇぇ!!!」

 

赤ちゃんは大声で泣き出してしまった。

 

昔から、この悪い目付きのせいで、赤ちゃんだけに限らず小さい子には散々泣かれてきた。

 

普段来ない場所だからちょっと油断しちまった…

 

「あ、あれ?どうしたの?」

 

抱いていたお母さんは突然のことで動揺して上手くあやせずにいる。

 

「す―――「少し任せて頂けますか?」

 

とにかく謝らないと、と声をかけようとした時、遊佐がそれを遮ってお母さんに話しかける。

 

「え、ええ…」

 

「ありがとうございます」

 

困惑したままのお母さんから、泣き止む気配のない赤ちゃんを引き取る。

 

どうするつもりだ…?

 

そう思って見ていると…

 

「よしよーし。怖かったですね~。大丈夫ですよ~」

 

なんと、あの無表情が嘘みたいに柔らかな笑顔を浮かべてあやし始めたのだ。

 

いや、ていうか…こんな笑い方、無表情になる前にも見たことないぞ…

 

「うぇぇ…」

 

「あの人は怖く見えるけど、怖くないんですよ~。本当はとっても優しい人なんですよ~」

 

いらん一言はあるものの、確かに赤ちゃんの泣き声は小さくなっていき

 

「ふふ、可愛いですね」

 

いつの間にか、きゃっきゃと楽しそうに遊佐に向けて笑顔を浮かべるようになっていった。

 

「もう大丈夫そうです」

 

「あ、ありがとうございます」

 

泣き止んだのを確認して、お母さんの下に赤ちゃんを返す。

 

「ふぅ…柴崎さんの目付きが極悪なせい…で…どうしました?」

 

驚いてポカンとしてしまった俺たちを見て、遊佐の方が面を食らっている。

 

「いや、驚いてさ…」

 

「そうよ、すごかったわ!赤ちゃんを泣き止ませるのなんてそう簡単じゃないことなのに!」

 

「花嫁修行でもしてたの?」

 

「まあ、それなりには」

 

そういえば料理も旨かったもんなぁ。

 

「遊佐なら良いお母さんになれそうだな」

 

「ぶっ!!」

 

「うわっ!どうしたんだよ?」

 

いきなり吹き出した遊佐に驚いてしまう。

 

「柴崎くん…今笑美ちゃんはね、幸せを噛みしめるのよ」

 

「は?幸せ?」

 

いや…なんか顔押さえて俯いてるけど…そんなに良いお母さんになりたかったのか?

 

「よくわかんねぇけど、お前料理上手いし、子供もあやせるし、自信持っていいぞ!」

 

「もう…やめてくださぃ…」

 

「蒼…流石にやめてあげなよ…」

 

「酷いわ柴崎くん…」

 

「なんでだよ?!」

 

俺はただ褒めただけなのに!?

 

とはいえ…マジでしんどそうっていうか、なにかに耐えてるみたいな感じだし…

 

「いや、なんか…すまん」

 

「いえ、こちらこそすみません。少し耐久値が低いもので」

 

「なんの耐久値なんだ…?」

 

そして俺はいつの間に攻撃してたんだ?

 

「まあまあ、そろそろ僕たちの番だし立ち直りなよ」

 

そう言われて見てみれば、既に俺たちの前にいた親子が注文していた。

 

「四人分僕が注文するから、メニュー決めてね」

 

「私はあのクリームがたくさん乗ってるやつがいいわ」

 

「私はあちらのベリー系のもので」

 

「あー、じゃあ俺も遊佐と同じので」

 

「うん了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悠がパンケーキをもらってくるまでの間、店の中にいては邪魔だと思い外で待つことに。

 

そして、遊佐がトイレに行くため席を外した。

 

するとあら不思議、悠の彼女と二人きりに……

 

「………………」

 

き、気まずい……

 

悠や遊佐が居たときは普通に話せていたが、いざ一対一になると何を話したものか…

 

「ねぇ柴崎くん」

 

「え、な、なんだ?」

 

そう頭をフル回転させていると、向こうから話しかけてくれた。

 

「柴崎くんは、好きな人がいるのかしら?」

 

「は、はぁ?!なんだいきなり?!」

 

「うーん、少し気になったというか。あまりにも意識しないから、もう特定の人がいて、その人しか目に入ってないのかと思って」

 

いや、結果意味わかんねえんだけど…

 

とは思いつつも、とりあえず質問に答える。

 

「好きなやつはいない……多分」

 

「多分?ねえ、多分って何?いるかもしれないの?」

 

ちょ、グイグイくるな…

 

「そもそも、好きとか…あんまりよくわかんねぇんだよ。逆にさ、あんたはなんで…悠が好きだってわかんだよ?」

 

悠の恋愛事情を聞くというのは、なんだか兄弟の恋バナを聞くみたいでむず痒いが致し方ない。

 

それと引き換えで答えが解ればむしろお釣りが来る。

 

「ん~…私の場合は、悠ちゃんってわかってたからなぁ」

 

「わかってた?なにが?」

 

「運命の人が」

 

「運命…」

 

確か、ゆりもそんなことを言っていた。

 

どいつもこいつも、運命が見えるなんて神か何かなのかよ…

 

「じゃあさ、運命の人がわからない俺は、恋が何かなんて一生わからないってか?」

 

「ふふ、拗ねちゃダーメ。きっと柴崎くんはもう出逢ってるわよ。じゃなければ、こうはなってないわ」

 

「こうって…どうだよ?」

 

「それは自分で気づかないと。誰かに君の運命の人はあの子だよ!とか、君はあの子に恋してるよ!なんて言われて信じられる?」

 

「それは…まあ、そうだな」

 

「人の意見を参考にするのは良い。でも、流されちゃいけないの」

 

流される……

 

それはきっと、楽なんだろう。

 

でもそれは、俺が一番アイツにしたくないことだ。

 

「サンキュ。ちょっと参考になったわ」

 

運命の人がどうとかってのは相変わらずよくわかんねぇけど。

 

「うん。分からないことは積極的に人に訊くと良いわよ。勉強と同じでね」

 

「だな。とりあえず俺にはそれしか出来なさそうだ」

 

「ナニしか出来ないんですか?」

 

「うん、とりあえずその文字面はやめろ」

 

一気に下世話な話に落ちたじゃねえか。

 

「なんですか柴崎さん。ナニか卑らしいことを考えてるんですか?変態ですね」

 

「年中発情期みたいな発言してるお前には言われたくない」

 

「発情させてるのはどこのどいつだと思ってるんですか」

 

「知るか!?」

 

ていうか、それ年中発情期なのは間違ってないってことになるぞ。

 

「私達のお年頃なら当たり前ですよ。ねぇ?」

 

「ん?そうねえ。私もいつも悠ちゃんに○○○や×××をされてるしねぇ」

 

「「えっ………?」」

 

そのとてもじゃないが公表できそうにない言葉に、俺はともかくとして、流石の遊佐までも唖然としていた。

 

「いやぁお待たせ~。結構時間かかっちゃたよ……って、どうしたの?」

 

渦中の人物が現れ、現場は異様な空気に包まれる。

 

「いや…聞いてねえよ?お前が特殊な性癖の持ち主だなんて…一ミリも…」

 

「え?なに?」

 

「この…くず」

 

「笑美はいつも通りだけども…静流…適当なこと吹聴するのはやめなよ」

 

「あら、まさか悠ちゃん、自分がアブノーマルだって気づいてないの?」

 

「悠…俺は同じ男としてお前を見捨てたりしない…!でも、改めなきゃいけないことも…確かにある…!」

 

「いや…もういいからこれ食べようよ。食べながら話すから」

 

流石にパンケーキ食いながら猥談は嫌だな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悠に促されるままパンケーキを食べ始めると、全部誤解だということが分かった。

 

というか、悠の彼女の言うことを全部真に受けた俺がバカだった。

 

そんな一悶着を終え、またアトラクションを回っていくとあっという間に時間は過ぎ去っていった。

 

辺りは夕闇に染まっていき、時間的にあと1つ乗れば閉園という頃合いだ。

 

「何に乗る?」

 

既にめぼしいものは制覇したような気がするけど…

 

「最後はベタに観覧車ってのはどうかな?」

 

「いいわねぇ。ロマンチックだわ」

 

いやロマンチックて……お前らはカップルだからいいけどなぁ…

 

「なんでしょうかその目は?」

 

「………いや、なにも?」

 

「まあまあ、いいじゃない。ラストは観覧車!ね?」

 

「そうよ。柴崎くんも笑美ちゃんにあの質問をするといいわ」

 

「えぇ?」

 

あの質問って…さっきのやつだよな?

 

遊佐に…?この遊佐にか…?

 

正直愛だの恋だのとは程遠いイメージなんだが…

 

「質問とは?」

 

「それは観覧車でね。さぁ、行きましょう」

 

遊佐の質問を強引に切って、観覧車へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、質問とは?」

 

ただ今観覧車で遊覧中なのだが、遊佐がご立腹だ。

 

これに乗るまでに何度も質問したのだが、散々悠の彼女がはぐらかし続けたのだ。

 

ついには俺に質問したのだが、あそこまではぐらかすということは、ここに来るまでに話しちゃいけない理由があるのかと思い話さなかったのだ。

 

そしたらプンプン遊佐ちゃんの出来上がりだ。

 

「誰がプンプン遊佐ちゃんですか」

 

「うん、いやあのさ、それが読めるんなら質問がなんなのかも読んでしまえばいいんじゃないのか?」

 

「ここまできたら意地ですよ」

 

だから負けず嫌いがすぎるっての…

 

まあ元々質問はするつもりなんだからこっちとしてはありがたいけどよ。

 

「えっとな、いきなりこういう質問されても困るとは思うんだが…」

 

「あの、ご託はいいんで早くお願いします」

 

わぁ~…プンプンだぁ~…

 

「好きって…なんだと思う?」

 

「それは…恋愛においての、ということでいいですか?」

 

遊佐の言葉に首肯で答える。

 

数拍考える仕草を見せたが、あまり考え込むことなく遊佐は口を開く。

 

「相手を何がなんでも自分のものにしたい。そう思うことです」

 

「自分の…もの」

 

「恐らく柴崎さんが悩んでいるのは、好意と恋の違いでしょう」

 

まさにその通りだ。

 

「私が思うに、恋とは相手を独占したい気持ちです。誰にも見せたくない、触れさせたくない。そういう思いだと思います」

 

「独占…か」

 

「たとえその人が誰かのことを好きでも、どんな手段を使ってでも振り向かせたい。そんな醜くて、激しい感情なのです」

 

そんなに激しい感情を、果たして俺はアイツに向けているんだろうか…?

 

「しかし、それと同時にどうしようもなく願ってしまうのです」

 

「何をだ?」

 

「相手の幸せを…ですよ」

 

「それって、矛盾してないか?」

 

相手に好きな人がいるのなら、その時点での相手の幸せは好きな人と結ばれることだろう。

 

「ええ、矛盾だらけです。好きなのに、嫌いになりたいとすら思います。離れがたいのに、いっそ離れられればとも思います。そして、そう思っても…どうしたって好きなんです」

 

他の人のものになんて、なって欲しくないのです。と遊佐は締めくくった。

 

「どうでしょう、参考になりましたか?」

 

「正直な話、あんまりピンと来てはない…かな」

 

独占欲。

 

少なくともそれは、まだ俺の中にはないように思える。

 

まず、そんなシチュエーションがなかったとも言えるのかもしれない。

 

「今回の話はあくまで私の個人的な意見です。10人に訊けば10人が違う答えを出すこともあります」

 

「そんなもんか?」

 

「ええ。ましてや、柴崎さんの場合、相手が相手。将来は多くの人に好かれることになる人ですから。独占欲を感じることが間違いと言えなくもありません」

 

ああそうか…アイツは歌手になるんだもんな。ファン相手にいちいち嫉妬してたら…

 

「って……当たり前のように岩沢のことってバレてんだな…」

 

「他に柴崎さんが悩むような相手はいませんから」

 

「いや、そんなにアイツのことで悩んでなんて……」

 

……待てよ?

 

そもそも2年に上がって部活に入るきっかけになったのは、アイツとのことで悩んでたからだったか…

 

つい最近も岩沢のことでなんやかんやと悩んでるし…

 

「理解しましたか?」

 

「……はい」

 

俺こんなにアイツのことで頭使ってたんだな…

 

「知らないうちに柴崎さんにとって、岩沢さんの存在が大きくなっていたということですね。まあ…それが恋なのかは私には分かりませんが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっか…まあそうだよな」

 

私の言葉に、あっさりと頷いてしまう。

 

これくらいの嘘は許してほしい。

 

だって、ここで本当のことを言ってしまえば…指摘してしまえば、私の恋は終わってしまう。

 

だからどうか許してください。

 

柴崎さん。

 

そして…岩沢さん。

 

こんな汚い私を…どうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観覧車は無事に地上へ帰還し、千里さんが和泉さんを送っていくということで早々に別れた。

 

先程のこともあり、ぎこちなくはあったが家の前に着くまで上手く会話を続けさせることが出来たと思う。

 

家のドアノブを掴み、気が緩んだ瞬間に柴崎さんが声をかけてきた。

 

「ああそうだ。今日、楽しかったか?」

 

「はい?」

 

質問の意図が掴めず問い返す。

 

「いや、今日は一応この前色々世話になったからお礼ってことなんだけど…」

 

「お礼……」

 

なんのお礼なのかはすぐに思い当たった。

 

「まあ…そういうことなんだ。楽しんでもらえたなら嬉しいんだけどな」

 

「楽し…かったです」

 

本当に、本当に楽しかった。

 

どこぞのバカップルが一緒だったとはいえ、柴崎さんの隣で遊園地を歩けるだなんてまるで…自分が彼女なのだと錯覚してしまいそうなほどに…

 

ジェットコースターで握られた手。

 

素直にお礼を言えない私を優しく諭した暖かな言葉。

 

予期せず褒められた、これまでの努力。

 

そんな全てが、嬉しくもあり、楽しくもあった。

 

きっと、一生の思い出になる。

 

だからこそ、罪悪感が胸の内で沸騰する。

 

私はそんなお礼をしてもらえるような人間なのだろうか…?

 

嘘をついたんだ。

 

彼の幸せを願うのならつくべきではなかったのに。

 

彼の幸せより、自分の想いの、ほんの少しの引き延ばしを優先した。

 

そんな私が……こんな……

 

「なら良かった。じゃ、またな」

 

「まっ……!」

 

「ん?なんだよ?」

 

何も気付く素振りのない顔を見て、私の口は……

 

「……ありがとうございました。それだけです」

 

――――また、嘘をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プルルルルル。

 

自分の部屋に戻ると、図ったかのように携帯が鳴りだす。

 

出る気力はなかったが、画面に

映し出された名前を見て応答する。

 

「また…あなたの悪趣味な余興なんですか?」

 

『…いや、今回ばっかりは違うね。どうも静流が余計なこと言っちゃったみたいで』

 

そう言われて思い出す。

 

柴崎さんが私に質問した経緯を。

 

『今回は……上手い言い方が見当たらないからはっきり言うね。あまりにも君が可哀想だったから、せめてものチャンスをと…思ったんだけどね』

 

ああ、これは紛れもない本音だ。

 

私はこの人に憐れまれるような立ち位置なんだ。

 

「同情で…なんでこんな酷いことが出来るんですか…?どうせ、私の味方をするつもりなんて微塵もないくせに…!!」

 

『…………ごめん』

 

「―――――っ!」

 

限界だった。

 

怒りに任せて通話を切る。

 

なぜ…謝る…?

 

全部私のやつあたりなのに……!

 

やり場のない怒りに耐えるように、ベッドになだれ込む。

 

そのままゆっくりと目を閉じる。

 

まるで自分の罪から目を背けるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったの?」

 

一方的に切られた様子を見て、そう訊いてくる。

 

「なにが?」

 

意味もなく強がってみせる。

 

「もう、そういうのいいから。本当は彼女のことも応援してるんでしょ?じゃなきゃ、ダブルデートなんてセッティングしないわ」

 

「まあ…ね。でも、どうしようもない。笑美がそう思うのも分かるしね」

 

結局は、自分の日頃の行いだ。

 

僕は決して、後悔するような道を選んだつもりはない。

 

だって、今隣にいる彼女と、あの親友さえ戻ってくればそれでいい。

 

良かった…はずなんだ。

 

今さら首をもたげ始めた、この情に、僕はどう向き合えばいいというのだろう。

 

 




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「蒼…優しく…してくれよ?」

「蒼、今日のデートどこにいく?」

 

いつものように笑いかけられ、心臓のあたりが暖かくなるのを感じる。

 

「俺は雅美と一緒ならどこでもいいけどな」

 

「困ったな…あたしもだ」

 

お互い馬鹿なことで悩んでいるとは思うが、こんな馬鹿な時間も幸せだ。

 

「ならまた今日もお前の綺麗な声を聞かせてくれないか?俺の…この部屋で!!」

 

ん?

 

今まで外にいたはずなのに唐突に現れる俺の部屋。

 

いや待て。こんな部屋知らんぞ。

 

なんで三角木馬とか手錠がじゃらじゃらと置いてあるんだ?!

 

「さあ雅美ぃ!」

 

さぁ、じゃねえ!!?

 

「蒼…優しく…してくれよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずぁぁぁぁぁぁぁあいい!!」

 

はぁ、はぁ、と肩で息をしながら起き上がる。

 

「ゆ、夢…?」

 

って、そうじゃなきゃ困るよなあんなの…何かに乗っ取られてんのかと思ったぜ…

 

「いやいや夢だとしてもなんだありゃあ…」

 

多分岩沢と付き合ってた…んだと思う。かなり変態チックだったが。

 

…最近岩沢のことで頭いっぱいだからか?思春期恐ろしいな…

 

そしてあれが俺の深層心理での欲望なんだとしたらより恐ろしい…

 

「今日は…ちょっと優しくしてやるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「柴崎!」

 

今日も今日とて勢いよく教室の扉が開かれる。

 

そして開口一番無駄に元気に人の名前を呼んでくる。

 

「今日も大大大大大好きだ!」

 

ここまでが一連の流れ。

 

いつもならここで適当に流すとこだが…うん。

 

「そ、そうか。ありがとな」

 

「…………っ?!」

 

一泊置いて驚愕の表情を見せる。

 

そして後ろの幼馴染、天地がひっくり返ったみたいな顔すんな。

 

「ど、どうかしたのか柴崎…?」

 

その上少し震えながら心配してくる。

 

「い、いやぁ?何もないぜ?」

 

「……嘘だな」

 

ギクッ。

 

「な、何を根拠に言ってるんだね?」

 

もうこの台詞が犯人のそれだった。

 

「嘘ついてるかついてないかくらい根拠がなくても分かるぞ。あたしがどれだけ柴崎のことを見てきたと思ってるんだ」

 

「いやまだ1年ちょいだろ…」

 

「時間じゃない、深さだ」

 

真顔で何を言ってるんだこいつは…

 

おっといかん、これじゃいつも通りだ。

 

「ま、まあ気持ちはありがたいけどな」

 

「やっぱり…やっぱり変だ!!」

 

そう言って何を思ったのか教室から飛び出していく。

 

「おい岩沢!お前…もうチャイム鳴るってのに…」

 

俺の声は当然届かず、岩沢はその後先生から怒られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はゆりに頼みガルデモメンバーのみで一室使わせてもらうことにした。

 

受験勉強中のユイを除いた3人を集め切り出す。

 

「柴崎が…おかしい」

 

あたしがそう言うと、一同は重い沈黙に包まれた。

 

これは一大事だからな…仕方ない。

 

「あの…岩沢さん」

 

「なに?入江」

 

「いつものことじゃないでしょうか…」

 

おずおずと、しかしはっきりと断言してきた。

 

「な、なに?!」

 

「あー…あたしもそう思うぜ?」

 

ひさ子まで!?

 

「え~、柴崎くんってこのクラブの中じゃまともじゃないっすか?」

 

ナイス関根。たまには良いこと言う。

 

「まあ普段はな?でもアイツ岩沢が絡むと…なぁ?」

 

「…はい」

 

謎のアイコンタクトで意志疎通する二人。

 

「いやでも待ってくれ、柴崎キチのあたしが言うんだぞ?」

 

「それ自分で言うのか…」

 

「もう音楽とかうどんとかと同じジャンルなんですね…」

 

なんだか話が逸れるなぁ。

 

「とにかく、なんだかいつもとは違うんだよ」

 

「しょうがねえなぁ。どう違うのか話してみろよ」

 

ひさ子にそう促され、今日あった一部始終を話す。

 

「それは……」

 

「変だろ?なぜか妙に優しいんだ!いやいつも優しいけど!」

 

いつもはぶっきらぼうに優しいのに、今日は甘やかされてるみたいなんだ。

 

…ちょっと懐かしい気分になったのは内緒だ。

 

でも記憶が戻った風でもない。

 

「あー…岩沢?それはあたしも藤巻から似たようなことをされた経験がある。多分十中八九、それと同じようなものだとは思う」

 

「なに?!」

 

「ただ…うーん…話してもいいものなのか…?なんていうか、柴崎の沽券的に」

 

藤巻と全く同じ理由とは考えづらいし…と尚も悩み続ける。

 

「ひさ子…頼む。あたしは柴崎のすべてを知りたいんだ。柴崎が社会的に死ぬような内容でも、あたしは受け止める」

 

「良い表情だが、もしそうなら柴崎のために絶対言わねえよ?まあ、今回のことくらいなら良いか」

 

つまりな、とひさ子は耳打ちで真相を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく部活が終わり、遊佐と悠と自転車置き場まで移動していると

 

「柴崎ぃぃぃ!!」

 

なんか追ってきた。

 

「え?え?なんだ?!」

 

「とりあえず逃げてみたら?」

 

「よくわからんがとりあえずそうする!」

 

後に振り返ると、明らかに気が動転していた。

 

が、現在の俺には関係なく、とにかくあてもなく走って逃げる。

 

「あ、こら!なんだ逃げる!?」

 

「追われてるからだよ!」

 

それはきっとこの世の真理だった。

 

「違う!あたしはただ話をしたいだけなんだ!今日の態度について!」

 

「っ!」

 

その言葉を聞き、急ブレーキをかける。

 

後ろの岩沢もそれを見て徐々に速度を緩め、俺のすぐ近くに来て止まった。

 

「ひさ子に教えてもらったんだ。男子が女子に妙に優しくするときの気持ち…」

 

いや、なんかその形容の仕方だと誤解を生んでそうなんだが…

 

それじゃまるで俺が…

 

「柴崎があたしに……」

 

岩沢のことが好きみたいな…

 

「ちが━━━「何か、やましいことがあるんだろう?」

 

やま…しい?

 

「ひさ子が言ってた。藤巻が自分のことをおかず?にした次の日だけ優しかったって…」

 

なんか思ってたのと違う方向に勘違いされてる…!?

 

ていうかさらっと藤巻の恥が暴露されてる?!

 

つーか藤巻何やってんだ…?

 

……まあ、気持ちは分からんでもないが……

 

「なぁ岩沢、ひさ子から詳しいことは話さないで、とか言われてないか?」

 

「ん?ああ、そういえばそうだな。だけど、言葉の意味がよくわからなかったし忘れてた。フィルインのことかと思ったら違ったし」

 

この子ダメだ…何か1つのことに夢中になると本当ダメだ…

 

あとフィルインってなんだよ…

 

「柴崎は意味分かるのか?」

 

「………いや?全然」

 

すまん藤巻…この件は墓場まで持っていくからな…!

 

「で、柴崎はあたしにどんなやましいことがあるんだ?」

 

「やましいこと…?」

 

ないけど…いや、あの夢がやましいことってことか…?

 

まあ確かに勝手に付き合ったあげく何かよく分からない特殊プレイをしようとしてたしな…

 

「いや、今朝変な夢見てな」

 

「…夢?」

 

その一瞬、岩沢の表情が怪訝なものになった。

 

そんなに突拍子なかったかな?

 

「あ、ああ。それがさ、なんかお前と付き合ってて━━「なっ……!」

 

あまりの驚きっぷりに思わず話す口が止まる。

 

「わ、悪い。付き合ってるって、どんな…?」

 

「いや、それが…待ち合わせしたと思ったらいきなり俺の家に行って…」

 

これそのまま伝えるわけにもいかないしな…

 

「岩沢に手錠をつけて…置いといた」

 

………放置プレイ…?!

 

なんでそんなとこに着地した俺!?

 

「な、なんだそれ…?」

 

「いや、俺もそう思った。だから夢の中で悪いことしちまったし、今日はちょっと優しくしてやろうとだな…」

 

バツが悪くなってそっぽを向く。

 

「ったく…ちょっと期待したじゃないか」

 

「うっ…」

 

確かに、導入としては付き合ってるって状態だったしな…

 

「まあでも、夢の中で付き合ってたならいいか。一歩前進っぽいし」

 

「そ、そうか」

 

岩沢が微笑んだのを見て安堵する。

 

「なんだ、ひさ子が藤巻にすごく怒ったって聞いたから、もっと酷いことなのかと思ったよ」

 

「…は、はは」

 

まあ藤巻のに比べたら…うん、マシだよな。

 

「はは、おかげで今すごく気分がいい。今ならその、おかず?ってやつにされても怒らないぜ?」

 

ふふーんと胸を張って言ってのける。意味も分からず。

 

「お前は……!」

 

「ん?」

 

「意味くらい分かってから物を言えこの馬鹿!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、意味を調べたが、よく分からなかった岩沢であった。

 

「………??なんだこれ専門用語か…?」

 

 




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「直井、お前は好きってなんだと思う?」

ジリリリリ、とけたたましい目覚ましの音が鳴り響く。

 

億劫ながらも、仕方のないことなので布団から抜け出しそれを止める。

 

かるく1度伸びをして頭を起こさせる。

 

「寒い…」

 

もう12月、布団から出ると冷たい空気が身を震わせる。

 

学校に向かう気を削ぐには十分なのだが、そうもいかない。

 

特に今は…

 

そう思いながら自室を出て、階段を下りリビングへ向かう。

 

母さんの作る朝食の匂いが鼻腔をくすぐる。

 

「おはよう文人」

 

そこで後ろから声をかけられた。

 

「うん、おはよう兄さん」

 

そう返すと嬉しそうに笑顔になる。

 

そして二人で席につき、丁度出来上がった朝食にありつく。

 

「で、そろそろ関根さんとは上手くいった?」

 

「…まだ。あのマヌケ…僕から話しかけると逃げ出すんだよ」

 

「うーん…なんていうかその…奥手なんだね」

 

「ヘタレなだけだよ」

 

そう言ってふん、と鼻を鳴らすと愉快そうに笑う。

 

団欒、と呼べるだろう。

 

とても一般的な。いや、もしかすると普通より少し仲の良すぎる程度に。

 

こんな風景を叶えてくれたのは誰だ?

 

そう、それは━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやっほー直井くん!」

 

この馬鹿だ。

 

相変わらず間抜け面で挨拶をしてくる。

 

「ああ、おはよう」

 

「うん、おはよ……………じゃあね!」

 

「おい、きさ…ま…」

 

これもこの数週間お馴染みになってきた光景だ。

 

話しかけてきておいて、少し間が空くと逃げ出す。

 

さらに僕から話しかけても逃げ出す。

 

なんなんだアイツは…どういうつもりでそんな行動を取ってるのか謎でしかない。

 

僕がどう思ってるのか分かっててのこの行動なら…流石に少し堪えるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえしおりん」

 

「なんだいみゆきちや?」

 

「なんでいつまでも直井くんから逃げてるの?」

 

「うぐっ…痛いとこを突かれましたな」

 

放課後にいきなり体育館裏まで連れてこられた挙げ句こんな質問なんて、しおりん困っちゃう~☆

 

「そういうのいいから」

 

「あ、はい」

 

時々シビアになるみゆきちパネェ~。

 

でもそこがクセになる!病み付きになるぅ!

 

「しおりん、もういいから」

 

「うす」

 

いや、でもさでもさ…

 

「恥ずかしいんだも~ん…」

 

「恥ずかしいって…直井くんと話すのが?」

 

うん、と頷くとみゆきちは困惑したように、えぇ…ともらした。

 

「でも、好きになってからも普通に話してたよね?」

 

「その時は相手から見向きもされてなかったから意識しなくて済んでたんだよぉ~」

 

「ポジティブなのかネガティブなのか分からないね…」

 

今思うと、そんなワケわかんないくらいがあたしには丁度良かったんだろうなぁ…だって…だって…

 

「今は…直井くんに見られるだけで緊張しちゃうし」

 

「それは…直井くんがしおりんのこと好きになったってこと?」

 

そう訊かれ、ボンっと頭が沸騰する。

 

「わかんない!わかんないよそんなの!?」

 

確かに…これは言えないけど、健人くんにいきなり『こいつには、手を出さないで(イケボ)』とか言ってたし…他にも…

 

「最近は…挨拶したら返してくれるし、なんだか心なしか目が優しくなった気がするし…」

 

「し、しおりん…それはわりと最低限な気がするよ?」

 

だって一番の決め手は言えないんですものぉ!

 

「とにかく!今は変に期待感があって逆に恥ずかしい!」

 

「でも…そしたらいつまでもこのままだよ?」

 

「うぅ…」

 

でも…もしこれがあたしの勘違いだったら?

 

告白でもして、あっさり『何を言ってるんだ?頭にウジ虫でも湧いたか?(超絶イケボ)』とか言われちゃったらー?!

 

「あれ?いいかも…」

 

「しおりん?」

 

「いやー!?なしなし!なんでもないです!」

 

その時点で良くてもその後が良くないでしょうがあたしぃ!

 

きっと直井くんはあたしと距離を置こうとする…

 

そんなことになったら…嫌だな…。

 

「今は…現状維持がいいかも」

 

あはは、と元気なく笑うと、みゆきちは心配そうな目で見てくる。

 

「…し、しおりん!」

 

「わっ、どしたの急に大声出して?」

 

こんなに大声出すみゆきち、久しぶりに見たかも…

 

「私が大山さんとのことでうじうじしてた時、しおりんが背中を押してくれたよね」

 

「え?う、うーん…」

 

どっちかというと邪魔しかけたような……

 

「今度は私の番だよ!」

 

「ええ?みゆきち?」

 

「私、頑張るから!」

 

「いやちょ、ちょっとみゆきちぃ?!」

 

止める間もなく、みゆきちは走り去っていってしまった。

 

ど、どうしよう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイツ…部室にもいないのか。

 

「どうした?誰か探してるのか?」

 

「柴崎すわぁん!もちろん僕が探していたのは柴崎さんと音無さんですよぅ!」

 

「いや明らかに違ったろ…俺先に居たし」

 

「流石の慧眼。まさしく心眼」

 

「なんだ?ラップか?」

 

「いえ、柴崎さんのあまりの鋭さについリリックが先走ってしまいました」

 

「じゃあラップじゃん」

 

確かに。

 

まさかこんな拙いラップを披露してさまうとは…失態だ。

 

次までにしっかりと予習せねば。

 

「なんか変なこと考えてそうだけど…それより、誰か探してたんだろ?何かあったのか?」

 

他の馬鹿ども(音無さんは除く)になら絶対話さないけど…柴崎さんなら…

 

「すみません、他の人がいない場所で話させて頂いても良いでしょうか?」

 

「そりゃ構わないけど、へりくだりすぎだろ…」

 

というわけで、場所を部室内の一室に移す。

 

「で、どうしたんだ?」

 

「それがその…あの黄色い頭の間抜けなんですが」

 

「関根がどうかしたのか?」

 

「最近避けられてまして…」

 

そう話すと柴崎さんは目を丸くする。

 

「関根が?」

 

無理もない。

 

今まではむしろ付きまとってきていたのだから。

 

「何かしたのか?」

 

「したというか…これからするつもりというか…」

 

正直なところ、僕としても奴の気持ちはよく分からないので返答に窮屈する。

 

「おいおい…そりゃ何かされると思ったから逃げてんじゃねえのか?」

 

「いや!違うんですよぉ!そんな痛めつけたり、悪いことをしようと考えてるわけじゃなくて…」

 

「んじゃ、何するつもりなんだ?」

 

「それは…」

 

言葉につまる。

 

「こ……」

 

「こ?」

 

「こく…………」

 

告白…と、中々続けられない。

 

「……丁度いいや」

 

すると、柴崎さんは何かを察したようにそう口にした。

 

「え?」

 

思わず聞き返してしまう。

 

「直井、お前は好きってなんだと思う?あ、もちろん恋してる方のな」

 

「え、なぜ今それを?」

 

質問の意図が分からず、また聞き返してしまう。

 

「まあいいからいいから」

 

「は、はい…」

 

柴崎さんがそう言うのなら仕方がない。

 

恋してる方の好き…

 

それは多分、今僕が奴に感じていること。

 

僕は……

 

「僕は、そいつが居なければ見られなかった景色があると、そう感じること…でしょうか」

 

奴がいなければ、こうして今柴崎さんや音無さんと関われることはなかった。

 

奴がいなければ、こんなわけのわからないクラブには入らなかった。

 

奴がいなければ、兄さんと和解できなかった。

 

そして何より、奴がいなければ…僕はきっと、恋など二度としなかった。

 

「それは恋なのか?なんだか好きな相手と言うよりも、恩人みたいに聞こえるけど」

 

「そう…ですかね?」

 

だとすると、なんだろう?

 

僕が好きだと自覚したときに思ったこと……

 

「僕は…失いたくないと思いました。誰かにアイツが取られそうだと誤解したとき、絶対にコイツだけは…諦めたくないと」

 

「…そうか」

 

柴崎さんはゆっくりと頷き

 

「なら大丈夫だ」

 

太鼓判をくれた。

 

しかし……

 

「えっと、何がでしょう?」

 

「お前はちゃんと何が好きってことで、なんで好きなのか分かってる。なら大丈夫だ。告白、するんだろ?」

 

「ば…バレていたんですか…!」

 

流石は…流石は柴崎さんだ…!

 

そしてさりげなく僕のこの感情、衝動の後押しまでをしてくれている!

 

「……!ありがとうございます!」

 

ぐわっ!と、僕の人生の中で最も敬意を込めたお辞儀をする。

 

「行ってきます!」

 

「おう、頑張れ」

 

心強い言葉を背中に受け、僕は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

直井くんと話すため、部室へと向かっていると、前方から直井くんが走ってやってきた。

 

は、話しかけるには今しかない…!

 

「な、直井くん!」

 

「む」

 

腕を広げながら呼び止めると、少し煩わしそうに足を止める。

 

ちょっとだけ怖じ気づきそうになるのを抑えて話を始める。

 

「あ、あの…しおりんのことなんだけど」

 

「それなら今から奴と話すところだ。じゃあな」

 

「え、え…?」

 

私が納得するよりも先に直井くんは走り出してしまった。

 

「えぇ~……?」

 

私…何しに来たのぉ…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼び止められた場所から、そう遠くない所に奴はいた。

 

「おい待て!逃げるな!」

 

人の顔を見るなり、また逃げようとするのを止める。

 

「話があるんだ。頼む」

 

「う……うん」

 

気まずそうな顔をしながら、その場に留まる。

 

走ってきたため、少し乱れた息を整える。

 

「あの~…みゆきちとは会った?」

 

みゆきち…ああ、さっきのか。

 

「ここに来る前にな」

 

「だ、だよね~…」

 

「何かお前のことで用事があったみたいだったから、こちらもそのつもりだと返しておいたぞ」

 

何の用事かは聞いてなかったが。

 

「えっと…で、何の用でございやしょう?」

 

「単刀直入に言う」

 

「は、はい!」

 

僕の言葉を聞いて、ピシッと姿勢を正す。

 

「…関根」

 

名前を呼んだところで、ドッと心臓が大きく鳴ってしまう。

 

これが告白の緊張というものか…

 

そう理解していても、中々次の言葉が出てこない。

 

そもそもよく考えてみれば全くのノープランでここに来ている。

 

何と伝えるべきだ?

 

好きだとか…愛してる…だとか、そういった言葉が頭を巡る。

 

しかし、真っ先に伝えたいのはそれなのか?

 

何か違う気がする。

 

僕がまず伝えなきゃいけないことは…多分…

 

「ありがとう」

 

「へ?」

 

口をついて出たのは、感謝の言葉だった。

 

「兄さんと仲直りさせてくれて、ありがとう」

 

「え、あ、いや~なんのなんの!当然のことをしたまで!」

 

「いや、僕にとっては奇跡だった。たった一言、ごめんが、そんな簡単な言葉が僕一人では言えなかった」

もしお前と出逢っていなければ、言えなかった言葉。

 

そして、光景。

 

「お前は僕にきっかけをくれた。兄さんと和解するためのきっかけを」

 

「そ、そうなのかな?あたしはあたしのやりたいことを勝手にやっただけなんだけど…」

 

「ああ、それも分かってる。だけど…ありがとう」

 

「う…うん」

 

ようやく伝えられた。

 

僕に与えてくれた幸せへのお礼を。

 

これでようやく本題に入ることが出来る。

 

「あの時」

 

「え?」

 

「和解したあの時、僕が兄さんに言ったことは覚えてるな?」

 

「う……うん……」

 

顔が赤くなっているところを見るに、恐らく認識の齟齬はないだろう。

 

「あの言葉の意味は分かっているな?」

 

「……わ、わかんない…というか、えっと、ご、誤解以外ありえないよーな…」

 

この期に及んではっきりとしない物言いをする。

 

「それは多分、誤解じゃない」

 

「━━━━っ?!それって……?」

 

「だから……僕は…お前のことが…「関根…」

 

「なんだ?」

 

「関根って…呼んで欲しい。さっき、初めて呼んでくれたし…嬉しかったから」

 

…気づいてたのか。

 

こちらとしては意を決して呼んだのに反応がなかったから、気づいていないのだと思っていた。

 

「せ、関根」

 

「……うんっ」

 

ただ名字を呼んだだけで、ここまで噛み締めるように喜ばれると、少しむず痒い。

 

だが、うん。

 

やはり、悪くない。

 

他の誰でもなく、コイツに喜ばれるというのが、とても心地良い。

 

これがきっと…

 

「好きなんだ」

 

気づいたときには、そんな風に口から溢れていた。

 

さっきまで何度も言い淀んだはずの言葉が。

 

「あ、あたしも…好き!」

 

「っ!?」

 

こう言ってはなんだが、返事はわかっていた。

 

分からないはずがない。

 

だけれど、いざその言葉を受けるとなると、やはり格別なものがある。

 

「直井くんの不器用だけど優しいとことか!ちょっとキザっぽいとことか!あと顔とか!!」

 

「顔…ま、まあいい」

 

顔…は…まあ大事だな。

 

僕だって、コイツの顔は…嫌いじゃない。

 

「声も!あと身長も丁度いいし!帽子も似合うし!」

 

「わかった…わかったからもうそれ以上羅列するな鬱陶しい!」

 

「あは…なにそれ、あたし彼女なんだよ?ん?彼女だよね?」

 

「何故ここまで来て疑問符が付く……彼女に…決まってるだろ」

 

言わせるな、と言いかけたところで、激しい頭痛が起こる。

 

「な…んだっ、これ…!?」

 

何かが…流れ込んでくる…!

 

それに耐えながら、関根の方を見ると、僕同様に頭を抑えてうずくまっている。

 

「せき……ね…」

 

 




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「不肖ながら、関根しおり!ただいま戻りました!」

直井から相談を受けた翌日、案の定ゆりによって皆が集められた。

 

「はい皆ちゅうもーく!またしてもあたしを差し置いて青春への第一歩を踏み出した者たちが現れたわ!」

 

「ゆりっぺ!俺ならいつでも…「はい拍手~!」

 

野田には悪いが言われた通りに拍手を送る。

 

なんたってあの直井が付き合い始めたというのだから、拍手を送らないわけにはいかない。

 

初めは俺と音無以外とは関わるつもりがないとか言っていたアイツが……そう思うと感動も一潮だ。

 

アイツも丸くなったもんだ…

 

「くっ…こんな辱しめを受けるだなんて…いつか地べたを這いつくばらせてやるぞ…」

 

丸く……なったなぁ。誰が何を言おうと丸くなったなぁ。

 

「まあまあ照れないでよ直井くぅん」

 

「うるさい沈めるぞ」

 

「どこに?!折角出来た可愛い彼女をどこに沈める気?!」

 

「はいはい、皆の前で痴話喧嘩とか熱いわねー良かったわねー外でやっててねー」

 

「貴様いつか殺す…!」

 

でもま、やっぱこうやって照れて顔を真っ赤にしてるのを見ると、最初の頃より幾分かは人間味っていうか、親しみやすさはあるよな。

 

「照れんな照れんな~俺達も通った道だ!」

 

「なんだ居たのか洗濯バサミ以下の俗物」

 

「居たよ!つーかなんだ俗物って?!」

 

「ついでに今日はあたしも居ます!」

 

ユイは一体誰に報告してるんだろうか。

 

と、それは一旦置いておいて。

 

「直井、おめでとう」

 

「柴崎さぁん!恐悦至極ですぅ!」

 

「正直お前が関根と付き合うってことに違和感を感じなくもないけど、相談までしてきたくらいだしそれくらい本気━━「し、柴崎さんそれは…!」

 

直井に止められた所でハッとする。

 

「ふーーーーーーん」

 

こんな話をして、関根が調子に乗らないわけないということに。

 

「直井くぅん、そぉんなにあたしのことだーいちゅきだったんでちゅかぁ???」

 

うわー腹立つ顔…口調もこの上なくうざい。

 

「柴崎さん……」

 

「これに関しては本気で済まないと思ってる」

 

俺だったらビンタの一発くらいかましているかもしれない。

 

「でゅふ、でゅふふふ。直井くんって本当にあたしのこと好きなのか分かんないとこあるからね~。柴崎くんには感謝感謝」

 

「あんま調子に乗んなよ?あっさり捨てられんぞ?」

 

「そうだよしおりん…しおりんってそういうとこあるから…」

 

「そういうとこってなんじゃい?!彼氏に捨てられそうな感じとかあんのかい?!」

 

いやまあ…そういうとこだろ。

 

「正直僕の中の優先度は柴崎さんと音無さんが殿堂入りで、その次がお前くらいだから、あんまり柴崎さんに迷惑をかけるようなら捨てるぞ」

 

「彼女より先輩優先なの?!昨日あんなに激しく想いを確かめあったのに!!」

 

「いかがわしい言い方はやめろ!」

 

「あと本当にあたしをないがしろにしたら健人君にチクる」

 

「それは…本当にやめてくれ」

 

これは…よくわからんがある意味力関係は対等なのか?

 

「まあとにかく、これでこの部で青春をしていないのは残り少なくなってきたわ」

 

ゆりはそんな台詞と共にじっと俺に目線を送ってくる。

 

いやそんな睨まれても…

 

「ま、いいわ。今日はこれで解散!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい貴様」

 

「いい加減リーダー様のことくらい敬って欲しいのだけれど…なにかしら?」

 

言って直るものじゃないことは分かってるだろうけど、言わずにはいれないという風に嗜める。

 

「柴崎さんの記憶を早く戻せ」

 

「あのねぇ、出来るならやってるに決まってるでしょ?」

 

呆れたようにそう言って、首を横に振る。

 

「それをやるのがリーダー様とやらの仕事だろう」

 

「無茶苦茶言うわね…あたしは神かなにか?」

 

「神は僕だ。図に乗るな」

 

「はいはいストーーップっ!」

 

あからさまにイラッとしたゆり先輩の顔を見て間に割って入る。

 

「直井くんはもう神でもなんでもないって言ってなかったっけ?あの言葉は嘘だったの?およよよ」

 

「なっ…いや嘘では…!」

 

「まあ嘘だとしても本当だとしても、後々黒歴史になるからやめた方がいいよー?」

 

「ぐっ…貴様ぁ!」

 

「なんで怒るの?!しおりんの優しい優しいアドバイスなのにぃ!」

 

「はいはい痴話喧嘩は後にしてくれる?そろそろ皆来るわよ?」

 

その言葉通り、ガチャッと部室の扉が開けられる。

 

「しおりん!」

 

「みゆきちぃ!」

 

まずやって来たのはマイベストフレンドみゆきち。

 

どちらからともなく抱きつき、再会(?)の喜びを噛み締める。

 

「しおりん…記憶が戻って良かったよぉ~…」

 

「泣かないでよみゆきち…あたしも…また会えて嬉しい…っ」

 

みゆきちの涙に当てられて、柄にもなく目から汗が。

 

「もう、あたしのクールキャラが崩れちゃうじゃん」

 

「だーれがクールキャラなんだ?」

 

「あたっ」

 

なんとか虚勢を張ると、後ろからツッコミと共に頭にチョップされる。

 

「ひさ子さん!!」

 

「どわっ!?抱きつくなっての!」

 

「だってだってぇ~…!」

 

「ったく…」

 

「だってだってなんだもん…」

 

「キューティー○ニーか?!」

 

嗚呼、懐かしきこのツッコミ…!

 

いや、まあ記憶がない間にもツッコミは受けてたんだけど、気分的に!

 

「関根さぁん!」

 

「おお!ユイ!!」

 

「良かったです!関根さんだけ独り身なんてことにならなくて!そうなったらユイにゃんどう接すればいいか………」

 

「おおん?減らず口を叩くのはこの口かな~?」

 

「ひーたーひーれーふー!!」

 

おお、このほっぺはよう伸びる伸びる。

 

「あれ、あたし最後?」

 

「岩沢さん!!」

 

相変わらず飄々とした風に登場してくるなぁ。

 

普通感動的なハグとかあってもいいだろうに。

 

でもそこに痺れる憧れるぅ!!

 

「不肖ながら、関根しおり!ただいま戻りました!」

 

「おう、おかえり」

 

あ、ヤバい…なんか…またちょっと泣きそう…

 

「大丈夫か関根?ひさ子の胸揉むか?」

 

「揉みますっっっ!!!!」

 

「揉ませねーよ!?ていうかなんであたしなんだよ?!」

 

「そりゃ誰かの胸を揉むならひさ子だろ…」

 

「なんであたしが頭おかしいみたいな言い方されなきゃいけないんだよ?!」

 

うーん、相変わらず天然ボケ…養殖ボケのあたしとは一味も二味も違う。

 

そんなことをしみじみと思いながら、ふと気になって直井くんの方を見てみる。

 

するとそこには、決して本意ではなさそうだけど、日向先輩や藤巻先輩たちと話をしている直井くんの姿が…

 

成長したんだね、直井くん…!しおりん嬉しい!

 

「どうした関根?」

 

「いや、これが母性ってやつなのかなって…」

 

「よく分からんが違うと思う」

 

んもぅ!ひさ子さんのいけずぅ!

 

「なんにせよ、これであたしたちは改めてスタートラインに立ったわけだ」

 

「改めて、ですか?」

 

「ああ。記憶が戻ってない頃のあたしたちを否定するわけじゃない…だけど、きっと記憶が戻ってなければあたしたちはプロになろうだなんて思わなかった」

 

それはそうだ。あたしたちは半ば岩沢さんに乗らされたような形でガルデモに加わったんだから。

 

そしてその岩沢さんが記憶を取り戻していたって言うなら尚更だ。

 

「それに、またバンドを組もうって約束したのは、あたしたちだろ?」

 

「…だな」

 

「はいっ!」

 

「えへへ、そっすね!」

 

「はい!でもそう考えると、あたしたちすごくないですか?!なんか確率とか計算したらヤバそうじゃないです?!ヤバパなくないすか?!」

 

「確かに、ヤバパない」

 

「岩沢あんた、言いたいだけだろ…?」

 

心なしか岩沢さんのテンションが高めな気がするのは、思い違いじゃないかもしれない。

 

「うおー!!あたしらヤバパねー!!」

 

それがなんだか嬉しくて、あたしは訳の分からないテンションで叫ぶのでした、まる

 

「お前もうっせえよ!」

 

「あいたっ!」

 

まあそこでチョップを食らうのはご愛敬ということで。

 

「そんなヤバパないあなたたちは、次のステップに向かうことになるわ」

 

「ゆり…あんたまでヤバパないとか…って、次のステップ?」

 

「ええ、意味は分かるわよね?覚悟して練習に取り組みなさい」

 

……次のステップ?

 

 




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「君、記憶が戻ったの?」

「じゃあまた明日な」

 

「うん」

 

直井くんと関根さんの交際宣言が終わり、蒼と別れ、ここからは1人の帰り道となる。

 

「で、なんの用なの音無くん?」

 

隣にいる彼がいなければ、だ。

 

何故か今日、帰ろうとする僕と蒼に付いてきた彼。

 

『日向が用事があるらしくて暇だから』等と言っていたが、十中八九嘘だろう。それなら日向くんとユイちゃんが付き合った時にも付いてきていないとおかしい。

 

「ああ…少し訊きたいことがあって」

 

「訊きたいこと?」

 

「お前は…前世の記憶があるんじゃないか…?」

 

驚いた。

 

自分で言うのもなんだけど、珍しく呆気に取られた。

 

「君、記憶が戻ったの?」

 

「そういうってことは、やっぱりあるのか」

 

「そうだね。僕は前世のことを覚えているよ」

 

隠す必要もないので正直に話す。

 

それよりも気になるのは

 

「いつ記憶が戻ったんだい?」

 

「実は、合宿の時に」

 

「そんなに前から?」

 

いや、だけど確かにタイミングとしてはおかしくない。

 

前世の想い人と再開した上、途中から明らかに好意むき出しだった。

 

それに…

 

「だから急に僕と関わりを持つようになったんだね。なに?恩返しか何かのつもり?」

 

「…否定はしないけど、千里がよく1人でいることが気になっていたのは初めからだ」

 

「ふーん。まあなんでもいいけどさ。でも、そんなに前から記憶が戻っていて、なんで今まで黙っていたのさ?それに、なぜ話すのが僕?」

 

そう、なんでよりによって一番関係性の薄い僕なのか、だ。

 

「今まで黙っていたのは、こんな突拍子もない話を切り出す勇気が出なかったからだ」

 

「まあ、確かにね。そりゃまともであればあるほど難しい」

 

元々あの変人集団の中で異質なほどまともな人間だ。

 

それに、他の皆はもう1人の誰かと一緒に記憶を取り戻すことが多かった。

 

それは大きな違いだろう。

 

「じゃあ、わざわざ僕に話す理由は?」

 

「……最初に話すなら千里にするのが、筋だと思ったんだ」

 

「だから、なぜ?」

 

「今俺がここにいられるのは、お前のおかげだからだよ」

 

「……はぁ。君、真面目すぎない?」

 

僕にとっては単なる気まぐれだっていうのに。

 

「かもしれない。だけど、あの時のことは本当に感謝してるんだ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奏ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

さっきまで感じていたはずの温もり。

 

それがこんなに呆気なく消えてしまうなんて。

 

「うぁ…あぁぁぁぁぁ!!!」

 

ずっと、これから先も、此処で暮らしていけると思っていた。

 

此処へやって来た、拭いきれない陰惨な過去を持つ誰かを手助けしながら、二人で幸せにやっていけると思っていた。

 

奏と二人なら。

 

なのに、その奏がいなくなってしまった。

 

「なんで…!なんで…!!」

 

「うるさいなぁ」

 

「━━━━━━っ?!」

 

聞こえるはずのない誰かの声。

 

まさか誰か残っていたのかと振り向く。

 

「お前…は…?」

 

そこには見覚えのない少年の姿があった。

 

「名乗るほどのものじゃないよ。強いて言うなら、君の先輩ってとこかな?」

 

「先輩…?」

 

「そう。愛する人を失った者の、ね」

 

「なんで…それを」

 

愚問だった。

 

うるさいと言った彼は、おそらく一部始終を目撃、ないし傍聴していたのだろう。

 

「理解が早いようで助かるよ」

 

俺が自分で察したことを見抜いていたようで、気楽そうに笑う。

 

「お前は…なんでそんな風に笑っていられるんだ」

 

その笑顔が勘に障って、思わずそう吐き捨てる。

 

「こんな…自分の手足を引きちぎられたみたいな感覚…本当に味わったんなら、なんでそんな顔をしてられる?!」

 

「手足を引きちぎられた、かぁ。うん、分からなくもない例えだね」

 

まただ…また笑う。

 

なんとも思ってないみたいに、辛いだなんて感情がないみたいに。

 

「なんなんだよ…お前は?!なにしに来たんだ?!」

 

「随分な言い草だなぁ。こっちだって来たくて来たわけじゃないよ。君がうるさいから、渋々やって来たのさ」

 

「そんなこと頼んでない!1人にしてくれ!」

 

「それはこっちの台詞なんだけどなぁ」

 

「はぁ?」

 

意味の分からない台詞に、苛立ちながら問い返す。

 

「ようやくうるさい人たちがいなくなって、久しぶりの静かな時間を送れると思ったのに、まるで昔の自分みたいな泣き声がするんだから、たまったものじゃない」

 

昔の…自分…

 

「でも…お前は笑っているじゃないか!お前が何年いるのかなんて知らない。だけど俺は……もう笑える気がしない…!」

 

「分かるよ」

 

「どこが?!」

 

「僕は感情を消したんだ」

 

「……………どういう意味だ…?」

 

突然の台詞に頭がついていかず、真意を聞き返す。

 

「Angel Playerのことは分かるよね?」

 

「ああ」

 

「原理は君らの言う天使の使う能力と同じ。Angel Playerの世界に干渉する機能で、僕は自分の感情を封じ込めた」

 

「そんなことまで出来るのか…?」

 

確かに、何体もの分身を生み出すことが出来るような代物だ…それくらい、出来るのかもしれない…

 

「でも、なんでそんなことを?」

 

「笑うことも出来なくなるような辛さ、そんなものを永久に味あわされる。でも、狂うことも出来ない。なら…辛いなんて感情はいらない。いや…あの子のいない世界では喜怒哀楽、その全てが必要ない」

 

「……………っ」

 

言葉が出ない。

 

そう思い至るまでに、どれほど身を焦がすほどの苦痛を味わったのか。

 

それは、想像することすら難しい。

 

「でも…お前は、一体なんのためにそうしているんだ?」

 

「というと?」

 

「感情を消すだけじゃなくて、記憶を消すことだって出来たんじゃないのか?高松…俺の仲間もNPCになって記憶を失っていた。そうすることも出来ただろ?」

 

「そうだね。出来たよ」

 

「なら何故そうしないんだ…?」

 

俺なら、そうしてしまうかもしれない。

 

だって、その方がきっと楽だ。何もかも忘れて…いや、自我すらなくしてしまえば、苦しむこともないのだから。

 

「僕は、彼女を待ってるんだ」

 

「……………そんな…嘘だろ…?」

 

「嘘なわけない。じゃないと僕の行動の意味が分からなさすぎるじゃないか」

 

それはそうだ。確かにコイツの言うとおりだ。

 

でも、そんな…そんなことあり得るのか…?

 

だって……!

 

「きっと今君は『生まれ変わって、また悲惨な人生を歩み、此処へやって来る確率なんて低すぎる』とか、思ってるよね?」

 

「━━━━━━━っ!」

 

ピタリと言い当てられ、喉がキュッと締まる。

 

「…ああ」

 

「まあ、当たり前だよね」

 

やれやれ、とでも言いたそうに肩を竦める。

 

当たり前だよねと言うってことは、本人だってそんなことが起こるのは到底あり得ないと思っているんだろう。

 

「そもそも、仮にその子がやって来たとして、その子はお前のことを覚えていないかもしれないじゃないか…」

 

「そうだね。むしろその可能性の方が高い」

 

「なら…!なんでお前はそこまでするんだ?!全部無駄に終わるかもしれない!いや、終わる確率の方が高いのに!!」

 

俺の問いに、しかし彼は答えず、一度息を吐いた。

 

そして、おもむろに顔を上げて空を見た。

 

「ただ逢いたい。逢って、なんでもいい、一言交わしたいんだ。良い天気だね、とか、今日は寒いね、とか。なんでもいい…最後に失った『明日』を取り戻したいんだ」

 

「明日…?」

 

それはきっと、当事者にしか分からない大事な何かなんだろう。

 

『明日』という単語を口にした時、感情のないはずの彼は、酷く痛ましい表情を浮かべていた。

 

「そのために、僕は彼女を待ってるんだ」

 

「そんなの…!」

 

きっとこれは彼の逆鱗に触れる。

 

だけど、言わずにはいられなかった。

 

「そんなのその子は望んでないだろ!自分のせいでお前がずっと苦しみ続けているなんて…嬉しいわけがない!!いや、その子だけじゃない!お前に関わった全員そう思うはずだ!」

 

「だから此処から出た方がいいって?」

 

「当たり前だ!」

 

「うん、だろうね。だからその台詞をそのまま君に返すよ。此処から出た方がいい。君が約束を守って、永遠に此処に残っても、彼女も皆も、誰も喜ばないよ」

 

「なんで……それを…?」

 

なんで俺の考えがわかる…?

 

「話していれば性格くらい伝わるからね。君は真面目すぎるよ。だからきっと、最後にした約束を守ろうとする。律儀にね」

 

…違う。あれは、約束なんかじゃない。

 

俺が勝手に、一方的に話した願望だ。

 

だけど確かに、俺はそれを実行しようとしたかもしれない。

 

じゃないと、奏に嘘をついたことになる。

 

此処に迷いこんで、ゆりたちのように方向性を間違えてしまった奴等を助けてやりたい。

 

そう思ったことは嘘じゃない。本当にそう思っていたんだ。

 

じゃないと、先に卒業したアイツらにも会わせる顔がない。

 

「でもね、そんなことは誰も望んでやしない。君も言った通りね」

 

自分の言った台詞が、こんな風に帰ってくるだなんて思わなかった。

 

だけど、確かにコイツの言うとおりなんだろう。

 

贖罪のつもりで此処に残るなんて、誰も望んでない。きっと、すぐにでも此処から出るべきなんだ。

 

「でも…俺は消えられるのか?奏が消えてから、どうしても心が満たされる気がしないんだ」

 

「確かに、難しいだろうね。愛する人を失った痛みは、新しい未練になってもおかしくない」

 

「やっぱりそうか…」

 

「でも、まだ間に合うとしたら?」

 

「間に合う…?」

 

「今なら、生まれ変わってまた出逢えるチャンスがある」

 

「生まれ変わって…」

 

つまり、来世でもう一度出逢え…ってことか?

 

「でも…生まれ変わったとして、記憶もないのに、出逢えるわけがない。逢えたとしても、それはもう別人だ…」

 

俺と奏じゃない…

 

「それは僕がなんとか出来る」

 

「なんとかって…」

 

「僕が何を使えるか忘れた?」

 

「Angel…Player?」

 

「そう。君らの他の仲間たちにも細工はしておいた。君もその例外じゃない」

 

「なぜそこまでしてくれるんだ?お前は戦線じゃないんだろ?」

 

SSSの制服は着ているが、顔は見たことがない。

 

第一、ゆりの監視下にいてAngelPlayerなんて存在を隠しとおせるはずがない。

 

「うん。僕は戦線じゃない。でもね、1人友達がいるんだ」

 

「友…達?」

 

「そいつがどれだけ恋人のことが好きなのか、大事なのか、それを良く見せてもらったから。だから、手伝ってやりたくなったんだ」

 

「手伝ってやりたい…か。なんだよ、感情あるじゃないか」

 

「…どうだろうね。感情というより、衝動のようなものだけど。うん、でもだから保証するよ。生まれ変わっても、記憶を取り戻すことが出来る」

 

友達のために動いた誰かを疑うほど、俺は人間が腐ってはいない。

 

「…分かった、信じるよ。俺は生まれ変わって、奏ともう一度出逢う」

 

「うん」

 

「でも、お前はどうなる?」

 

「どうって、今まで通りさ」

 

「一緒にはいけないのか?お前も生まれ変わって、彼女と…」

 

「そうするには、時が経ちすぎてる。今から生まれ変わって出逢えるっていう確証が、あまりにも足らなすぎるんだ」

 

「そんな…!」

 

それじゃあ、お前は……

 

「大丈夫。なんだか感じるんだ。もうすぐ逢える…ってさ」

 

「本当…なのか?」

 

「こんな嘘ついたってしょうがないよね?」

 

そう言って笑うが、きっとこれは気休めだ。

 

俺に未練が残らないよう配慮してるんだろう。

 

「…分かったよ。俺、待ってるからな!」

 

「…うん。待ってなよ」

 

その言葉を引き金にしたみたいに、俺の意識は空へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでのことをした覚えはないんだけどね」

 

「そんなことない。お前があの時に声をかけてくれてなかったら、今でも俺はあそこに居たはずだ」

 

「まあそうだろうけど…あれ、僕が1人になりたかった方便だからね?」

 

「だとしてもだ。本当に約束通り、記憶が戻るようにもしてくれてたし」

 

それは別に君のためじゃないんだけど…

 

「おべんちゃらでも方便でも、俺が今こうやって皆と楽しく過ごしていられるのはお前のおかげだ。だから俺にはまず、お前に礼を言う義務があると思った」

 

「それで、僕に記憶が戻ってるかどうか分からず、今まで切り出せずに居たとはね」

 

本当に真面目すぎる。

 

正直苦手だな…こういうタイプは。

 

「他の皆なら記憶が戻ってるのかどうか分かってたんじゃない?」

 

「ああ…と言っても、分かってるのは日向、ゆり、岩沢、椎名、野田、遊佐、TKくらいだけど」

 

「十分でしょ、それだけ分かってたら。さ、じゃあ今頃部室で感動の再会をしてる皆の輪に加わりに行きなよ」

 

「そんなことしてるのか?」

 

「誰かが記憶を取り戻す度に、既に戻っているメンバーだけを解散した後に集めてるのさ」

 

そこには気づいていなかったのか。

 

まあ日向くんが記憶を取り戻してからじゃ、今回を合わせても2回だけだししょうがないか。

 

「じゃあ俺が戻ったって伝えたらそうなるのか」

 

「どうだろうね?一応いつもカップルが成立した名目で集めやすくしているから、一概にそうとは言えないかも。だから、ゆっくり話がしたいなら今すぐ記憶が戻ったのを知らせるのをオススメするよ」

 

「そ、そうか」

 

僕の助言を受けて、慌ただしくスマホを取り出してメッセージを送り出す。

 

送り終えてスマホをポケットにしまうと、不意に彼は口を開いた。

 

「あと記憶が戻ってないメンバーって誰がいるんだ?」

 

行けば分かるのに、と思いながらも答える。

 

「蒼だけ、だね。あ、奏ちゃんを除けばだけど」

 

「そうなのか?!ほとんど皆戻ってたのか…」

 

「そ。蒼だけが亀のようにおそーい歩みをしてるのさ」

 

「手厳しいな…」

 

「こんなものさ。幼なじみだからね」

 

それに、人の気も知らずにうんうん悩んでるやつにはこれくらいで丁度いい。

 

「もしかして、向こうで言ってた友達って柴崎?」

 

「良く分かったね」

 

「あれだけいつも一緒にいれば分かるさ」

 

「それもそうか」

 

生まれ変わってから、あまりにもずっと一緒にいたから、感覚が麻痺してたかもしれない。

 

「…今俺たちと同じ時を生きてるってことは、逢えたんだよな?」

 

「なんだい藪から棒に」

 

「いや、やっぱ気になってな」

 

「…逢えたよ。今も付き合ってる」

 

「ラブラブか?」

 

なんだその質問は、と苦笑してしまう。

 

「ラブラブだよ」

 

「…良かった」

 

その表情からは、とてもじゃないが、嘘をついている可能性は見られなかった。

 

やっぱり苦手だ。

 

僕には蒼や笑美くらいが丁度いいや。

 

「ほら、早く皆のところに行ってあげなよ」

 

「いや、その前に言わなきゃいけないことがある」

 

その言葉を聞くのを避けるために言ったんだけどなぁ。

 

「千里、俺を助けてくれて本当に…ありがとう」

 

きっとここでまた真面目すぎだとか言ったら長引くだろう。

 

「…うん、どういたしまして。僕のことはもう良いから、今は楽しんできなよ」

 

君は十分に義理を果たした。

 

もう皆と楽しんできていいんだよ。

 

短い青春を。

 

「ありがとうな!行ってくる!」

 

そう笑ってから、急いで来た道を逆走していく。

 

「リーダー様の言葉を借りるなら、また青春への第一歩を踏み出した…って感じかな」

 

そこで僕は、唯一無二の親友のことを思い浮かべる。

 

お前だって、そうなれるのにね。

 

悩むのも青春…なのかもしれないけれど。

 

でも……

 

「思ってるよりも、青春ってのは短いんだよ…蒼」

 

 




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「私の誓いは重いですから」

かなり久々の投稿になりました。
良ければ読んでやってください。


期末テストが終わり、いよいよ2学期も終わるという時期に差し掛かった。

 

補講期間となり、成績が極めて悪くない限り授業はなく、ただ部活動のために登校している。

 

そんな補講期間初日。

 

「冬休みの間は部活動なしだから」

 

唐突にそんな宣言がゆりから発せられた。

 

正直耳を疑った。

 

テスト前であろうと、テスト期間であろうと部活動を休ませることをしなかったあのゆりが、まさかたかが冬休みごときで休みにするなんて……

 

しかし、ゆりが休みと言えばそれはもう決定事項。

 

特に誰も何かを言うわけでもなく冬休みは完全オフとなった。

 

ので………

 

「…暇だな」

 

三時間ほどコロコロをしてからふと、そう感じた。

 

いや、よくよく考えてみれば特に汚れてるわけでもない部屋でコロコロをやり始めた段階で気づくべきだった。

 

「ふぅ」

 

ひとまずコロコロを置いて一息つく。

 

なんか、三時間もコロコロしてるのに暇だって気づけないって相当バカっぽいな…

 

いやでも、考えても見てほしい。

 

まだ冬休みが始まって一日目だぞ?そんな短期間でここまで暇になるとは思わないだろ普通。

 

よって俺は悪くない。悪いのは急に休みにしたゆりだ。

 

ていうか、なんでよりにもよってこんなクリスマスイブとかいうリア充の象徴的イベントの時に休みなんだよ!?

 

部活がありゃ気が紛れるってのに、こう暇だと嫌でも虚しくなってくんじゃねえか…

 

じゃあ誰かを誘って遊べばいい話なんだが……

 

ことごとくリア充。

 

悠も日向も大山も藤巻も直井も!こっちから誘えそうなやつは、ことごとくリア充!!

 

他に誘うとしたら…………岩沢……………はダメだろ馬鹿か。

 

………ていうか、アイツ誘ってこねえな。

 

いつもの感じなら、絶対誘ってくるはずなんだけどな…

 

今なら誘われりゃほいほい付いてくくらいには暇だってのになぁ。

 

そんなことを思ってると、スマホが鳴った。

 

「ん?」

 

画面に目を向けると、遊佐からメッセージが入っていた。

 

文面はというと、今日も例年通りうちでパーティーをやりますよね?という旨を、やたらと遠回しに確認するものだった。

 

特に用事はない、どころか暇で暇でしょうがない俺に断る理由もないので了承した。

 

するとものすごい早さで返信が届いた。

 

「アイツも暇なのか…?」

 

そう思いながら再度メッセージに目を通す。

 

要約すると、『パーティーのための買い出しに行くのですが、荷物持ちとして付いてきますか?』というものだった。

 

例によってものすごく婉曲な言い回しだが。

 

まあ荷物持ち扱いは少し癪だが、時間を持て余してる俺にとっては渡りに船な提案なので引き受ける。

 

すると、すぐさま時間と場所の指定が送られてくる。

 

5時に高校の前で集合、という内容を………まあ察してくれ。

 

ていうか家が隣なのに別の場所で待ち合わせる意味とは…?

 

百歩譲ってそれに目をつぶるとしてもだ。

 

現在の時刻は1時。

 

つまり…………

 

「結局しばらく暇かよ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何をするでもなく無為な四時間を過ごし、5分前に約束の場所に訪れた。

 

すると、遊佐は既に校門の前で待っていた。

 

「わりぃ、待たせたか?」

 

「いいえ、今来たところです」

 

そんな、デートか?とでもツッコミたくなるようなベタなやり取りを挟み歩き出す。

 

「買い出しって何を買うつもりなんだ?」

 

「とりあえずチキンですね。それと頼んでおいたケーキも。それ以外は目に留まったものを順次」

 

「そりゃ中々荷物持ちが辛そうだ…」

 

「だから呼んだんです」

 

「分かってるよ……ていうか…」

 

「はい?」

 

会ったときから気になっていたことを口にする。

 

「なんか…えらくめかし込んでるな」

 

普段がオシャレじゃないわけではない。

 

全体的に青を基調としたもので統一してるのも、最近では珍しくない。

 

だがしかし、普段着ないようなヒラヒラしたワンピースを着ていたり、イヤリングやネックレスを着けていて、どことなく気合いの入っているような…

 

「………クリスマスイブですから」

 

「そ、そう…なのか?」

 

クリスマスイブだと気合いいれないとダメなのか……?

 

女子ってのは大変なんだな…

 

「悪いですか?」

 

「め、滅相もありません」

 

無表情ながら有無も言わさぬ迫力に、そう言わざるを得ない。

 

いや、実際悪くないどころか、とても似合っているのだから文句のつけようはないのだが。

 

「それで、感想はないのでしょうか?」

 

「か、感想なぁ……青が好きなのか?」

 

少し考えた結果、出てきたのは感想じゃなく疑問だった。

 

あ、これまたデリカシーないって言われるやつだな…

 

「…好きですよ。私にとって青というのは特別な色ですから」

 

「………そうだったのか?」

 

最近よく身に付けてるから好きなんだろうなーとは思ってたが、まさかそこまでとは…

 

「…はぁ。行きますよ」

 

「え、なんでため息?」

 

「知りません」

 

「えぇ…」

 

本当にコイツの怒るポイントがわからん…

 

 

 

 

 

 

 

そんなやり取りを終え、まずはチキンを買いに商店街の精肉店へと向かう。

 

「なんか…変わったな。ここ」

 

俺たちが生まれる前からある商店街。

 

久しく来ていなかったが、最後に来た頃よりも閉じている店が多く、随分寂しくなっている。

 

「近くに大きなデパートやスーパーが出来ましたからね。そちらに人が流れたみたいですよ」

 

遊佐はきっと俺みたいに久しぶりにここに来たわけではないのだろう。

 

ごく普通に、何度も見た、見慣れた光景なのだろう。

 

だけど、最後に来た時の記憶が、まだまだ活気に溢れていた時代のものである俺にとっては、それは少し寂しい景色に見える。

 

「こうやって、色んなものが変わってくんだな」

 

「なんですか今更。ナイーブになってる柴崎さんなんて、糸じゃない糸こんにゃくみたいですよ?」

 

「ああ…だよな…って、いやそれ普通のこんにゃくじゃねえか」

 

「柴崎さんは常にナイーブというメタファーですよ」

 

「メタファーの意味分かってんのか…?」

 

俺も知らないけど。

 

「つーか、ナイーブになってるわけじゃなくてさ、なんていうか町がこうも変わってるのを見ると、俺たちもいつかはこんな風に変わっちまうのかなって思ったていうかさ…」

 

「だからそれがナイーブになってると言うんですよ」

 

そう言われると…反論出来ん。

 

でも、そう思わせるには十分なほど、ここは寂れている。

 

「それに、変わるに決まっているじゃないですか。私たちだっていつまでもこんな風にいられるわけありません」

 

「そりゃ…そうだけどよ」

 

「どちらかに恋人が出来れば、こんな風に二人で買い物に行くことは出来なくなるでしょう」

 

「………あー、確かにな」

 

考えてみれば当たり前のことなんだが、あまりにもその考えが頭になかったため、妙な間が生まれてしまう。

 

「そうか、確かに恋人がいるってのに、幼なじみとはいえ、異性と二人で出かけるのは難しいよな」

 

相手が理解のある人なら、あるいは許してくれるのかもしれないが、それが恋人を不安にさせるとしたら、やはり自重するべきだろう。

 

「考えもしなかったですか?」

 

「ああ、正直なところ目から鱗って感じだ」

 

一緒にいるのが当たり前すぎたのだろうか。

 

どちらかに恋人が出来たこともないというのも、もしかすると要因の一つではあるかもしれない。

 

けれど、もう少しその可能性について考えたことがあっても良さそうなものだが。

 

「ですが、そういうことです。そんな簡単なことで、関係性というものは変わってしまいます」

 

淡々と、遊佐は諭すように話続ける。

 

「千里さんだって、昔はもっと一緒にいましたよね。恋人が出来てからは、めっきりと一緒にいる時間は減りました」

 

「言われてみるとそうだな」

 

デパートが出来たから、商店街には行かなくなった。

 

恋人が出来たから、幼なじみとは遊ばなくなった。

 

まるで違う事象だが、起きた変化は近い。

 

「近い変化のはずなのに、商店街のことにだけ強く反応をしてしまったのは、恐らくびっくりした反動でしょう」

 

「びっくりした反動…か」

 

「ええ、ですので安心してください。それに、少なくとも私はまだ柴崎さんの隣からいなくなるつもりはありません」

 

「…いいのか?遊佐だって恋人作って楽しく青春したりしたくねえのかよ?」

 

「恋人が出来れば楽しいわけではないでしょう?好きな人と恋仲になれなければ、ただただ苦痛なだけですよ」

 

そりゃまた手厳しいご意見だこと…

 

ていうか、コイツはそもそも恋愛というものに興味自体はある…のだろうか?

 

何度か岩沢絡みの相談でやたらと説得力のある言葉を貰ったところを見るに、俺の知らないどこかで恋を経験しているようにも思える。

 

そう考えてみれば、料理を練習してたり、子供をあやす練習をしてたりと、花嫁修行のようなこともしていた。

 

「お前、案外乙女思考なんだな」

 

「……はぁ」

 

え?なんでそこで深いため息?

 

「さっさと行きましょう。寒いです。心も体も」

 

「え?お、おう」

 

何故体はともかく心が寒くなったのかよく分からないが、先に歩き出した遊佐の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで全部ですね」

 

「そうでないと困るぜ……」

 

軽い口調で告げる遊佐に、両腕をプルプルと震わせながらぼやく。

 

チキンにケーキにシャンメリー、その他諸々食べ物飲み物、挙げ句の果てには装飾具の類いまで買い漁り、その全てを俺が持っている。

 

当然両手には、大量の袋を持つことに……いや、持つっていうか、もうぶら下げまくってるだけなんだが…

 

「ファイトです柴崎さん。なんなら下の棒にぶら下げてください」

 

「こんな状況で出来るか!?…じゃねえ!んなことするか!!」

 

あまりの腕への負担に、頭が働いていないのかもしれん。ツッコミを入れるところを間違えた。

 

「その『こんな状況じゃなければ今すぐMAXにしてぶら下げてやるのに!!』というポジティブな姿勢、嫌いではありません」

 

「だからちげえよ!!」

 

コイツは俺の心の声をしっかり把握していながらこういうことを言うから厄介だ。

 

「さぁ、ちゃきちゃき歩いてください。家までそう遠くはありません」

 

「へーへー…頑張りますよっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊佐の言うとおり、そう遠くはない家路だったが、腕が限界を迎えていた状態の俺には永遠のようだった。

 

「ぷはぁ~!!やっと着いたぜぇ~…!」

 

「お疲れ様です、疲れマラ」

 

「なんで流れるように下ネタを言った?!」

 

「いえ、今なら疲れマラ状態になっているかと思い、確認の意味も込めました」

 

「するな!!てか、おじさんとおばさんに聞かれたらどうすんだ?!」

 

普通俺らの年頃って親にそういうの死んでも聞かれたくない時期なんじゃないのか?

 

少なくとも俺は嫌だ。なんか親父だとノリノリで話に加わって来そうだし。

 

「その心配はありません」

 

「は?なんで?」

 

「今日、両親は帰ってこないので」

 

「………え、そうなの?」

 

「あ、すみません。もうワンテイクお願いします」

 

「は?」

 

意味を理解できず聞き返すと

 

「今日…親、帰ってこないんだ…」

 

「……何故言い直した…?」

 

しかもラブコメ風に。

 

「シチュエーションって大事じゃないですか」

 

「そこに拘るなら初めっからしとけよ」

 

「すみません、幾分慣れないことなもので」

 

まあこんなシチュエーション、そうはないだろうけど…友達いねえしなコイツ。

 

「柴崎さんにだけは言われたくないです…」

 

「なんで俺だけなんだよ?!」

 

「あ、すみません。千里さんもでした」

 

「アイツよりは友達多いわ!!」

 

アイツの友達俺くらいじゃん!

 

俺はいっぱいいるし!

 

「両手で数えきれる程度じゃないですか」

 

「両手で収まるくらいが一番なんだよ!この手で守りきれる数なんだよ!」

 

「何から守るつもりですか…」

 

「世界の危機だよ!!」

 

「オナラで隕石の軌道でも逸らすんですか?」

 

「かいけつ○ロリか?!」

 

懐かしい例え出してくんじゃねえ!

 

あと、オナラとか疲れマラとかのせいでシチュエーションどうこうはとっくに崩れている。

 

「策士策に溺れる…ですね」

 

「いや、勝手に滑って転んで溺れただけだ」

 

あとなんのための策だよ。俺を困惑させるためのか?

 

「もういいから、ちゃっちゃと準備しようぜ。腹減ってきたし」

 

なんだかんだと歩き回って、もう晩飯時だ。

 

「そうですね。柴崎さんの胃袋をがっつり掴むために、腕によりをかけましょう」

 

「はぁ?その必要なくないか?俺、普通にもうお前の作る飯好きだし」

 

「………………これで他意がないのがまた……」

 

「な、なんだ?」

 

何も悪いことを言った覚えはないのだが、何故かジロリと睨まれる。

 

「はぁ…なにも。良いですから、手を洗ってきてください。柴崎さんにも手伝って頂きますからね」

 

「お、おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

言われた通り手を洗い、ついでにうがいもして、遊佐に頼まれるがまま隣で料理の下ごしらえをしていく。

 

揚げ物のパン粉をつける作業であったり、海老のワタを取る作業であったりだ。

 

決して器用ではないので、刃物を扱う際は集中しながら作業していく。

 

すると隣から、トントントン、と小気味の良い音が聴こえてくる。

 

「…やっぱ上手いのな」

 

「…ああ、そうですね。お母さんからしっかりと教わりましたから」

 

独り言のように呟くと、遊佐も一瞬自分に言われたと気づかなかったのか、少し遅れて返事をする。

 

「猫の手。にゃー」

 

そして無表情で、両手を猫の手にしてポーズを取る。

 

「いつから練習してたんだ?」

 

「流さないでくださいよ」

 

不服そうに(まだポーズを取ったまま)ぼやく遊佐。

 

なんて返せってんだよ…?

 

「まあいいですけど。いつからかというと、中学生の頃ですね。丁度学校にまた通うようになってからです」

 

「…そっか。なんか心境の変化でもあったのか?」

 

あっさりと言ってのける辺り、やはり遊佐はあの出来事をしっかりと乗り越えたようで、少し安心する。

 

「そうですね。意地でも魅力的な女性になってやると決意しました」

 

「そりゃまたなんのために?」

 

「奪い取るため…ですかね」

 

ジッと、その瞬間だけ、食材を切る手を止め、俺の眼を見る。

 

「…えらく物騒な言い方だな」

 

何かを訴えかけるようなその視線に、しかし俺はなんと返すべきかわからなかった。

 

「……それくらい強い言葉にしなければ、折れてしまいますから」

 

やはり俺の言葉は、遊佐の望んだものとはかけ離れていたようで、落胆の色を覗かせる。

 

折れる…か。

 

いじめすら乗り越えた遊佐でも折れるような、辛いなにかがあるのだろうか。

 

「まさか、不倫…か?」

 

「違いますよ」

 

「いやでも、奪うって…」

 

「私が奪うのは、運命です」

 

「運命…?」

 

またこの単語か…

 

「放っておけば、そのまま結ばれる二人の間に割って入るのです。生半可な気持ちじゃ出来ません」

 

「ゆりも似たようなこと言ってたけど…」

 

「ゆりっぺさんは凄いです。運命を悟った瞬間に、自分の願いを捨てました。自分よりも、好きな相手の幸せを優先しました」

 

私には出来ません。と、遊佐は言う。

 

その表情には、喜怒哀楽、どの感情も伺えない。

 

「私は、好きな人の幸せを願えない」

 

汚い独占欲の塊です。と、再度無表情で言う。

 

「それが普通なんじゃねえか?」

 

きっと、知ったような口を利くなと、怒られるだろう。

 

それでも俺は言葉を止めない。

 

「誰だって自分が一番可愛いさ。そりゃゆりが立派だってのは俺もそう思う。でも、どれだけ辛くても好きな奴のために頑張るお前みたいなやつも、同じくらい立派だと、俺は思うぜ」

 

遊佐はなにも言わない。

 

表情も変えない。

 

でもそれは、少なくとも怒ってはいないということだ。

 

ならばこのまま続けさせてもらう。

 

「それにさ、これは運命なんて見えやしない俺の戯言だけどよ、好きな奴を奪った後、お前がそいつを運命の相手より幸せにしてやりゃいいじゃねえか」

 

遊佐ならきっと出来る。

 

そう、信じている。

 

「…ありがとうございます。少し、肩の荷が下りました」

 

「あんま思い詰めんなよ?」

 

「はい。考えるのは柴崎さんの下半身のことだけにします」

 

「今すぐやめろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでさ、なんで部活休みなんだ?」

 

なんだかんだと馬鹿な話を続けたながら準備を終え、遊佐の手料理に舌鼓を打ちながら、ふと気になっていたことを切り出す。

 

「今までテスト期間だろうがなんだろうが、休みになんてならなかったのに」

 

「考えてみれば分かることですよ」

 

「って言うと?」

 

「うちの部には、バカップル…もとい、リア充が増えてきましたよね」

 

「まあ…そうだな」

 

バカップル、と明言してしまった後に訂正しても遅いのでは?というツッコミはひとまず置いておく。

 

「冬休みはクリスマスイブやらクリスマスやら、大晦日から初詣まで、リア充のためのイベントが目白押しではないですか」

 

「ああ、なるほど」

 

つまり、リア充向けのイベントがあるのに、リア充を作ることが目的な部活動がそれを邪魔してどうする?ってことか。

 

「そういうことです」

 

「なんだかんだ、本気でそこのサポートはやってんだな」

 

「ゆりっぺさんはやると言ったらやるお方ですからね」

 

「え?殺ると言ったら殺る…?」

 

「このことはゆりっぺさんに報告しておきます」

 

「冗談冗談!!イッツアジョーク!!」

 

ゆりの耳に入ったら本当に殺されかねん…

 

「何をビビっているんですか。銃弾すら避ける眼を持ちながら」

 

「いや銃弾を避けた経験はねえよ…」

 

それに、ゆりのことだし本当に俺が銃弾を避けられたとしても死角…というか、全方位から射撃されて、なすすべもなく殺されそうだ…

 

「まあ本気で怒らせればやりかねませんね」

 

「だよなぁ…」

 

今まで何人か、ゆりが直々に制裁した奴らがいたが、その後どうなったのか不明なところがまた怖い。

 

「ですが、ゆりっぺさんは仲間にはゲロ甘いですからね」

 

「本当かよ…?」

 

「本当です。ゆりっぺさんはそもそも長女気質ですからね。面倒を見ることが基本的には好きなのです」

 

だからこそリーダーをあそこまで見事に務めていますしね。と、冗談ではなく真面目に言っている。

 

まあ…確かに、皆がアイツを慕っているのは間違いない。

 

アイツが理事長の娘だからとか、そういうことを抜きにしても、誰がどう見たってリーダーは仲村ゆりだと口を揃えて言うだろう。

 

それは認めざるを得ない。

 

「というより、急にどうしたのですか?少し前までなら、部活動が休みになれば『ひゃっほーぅ!休みだぜぃ!ぶぃんぶぃん!!』と喜んでいたでしょうに」

 

「ちょっと待て。俺はそんな喜び方はしない」

 

喜んでたであろうことは否定しないが。

 

「いやまぁなんつーか…今まであんだけ毎日ドタバタ騒ぎしてたから、急に来なくて良いってなったら何して分からねぇっつーか」

 

「…てっきり岩沢さんに会いたくなってるのかと思いました」

 

「なっ…?!んなわけねぇだろ!?なんで俺が…」

 

って、いかんいかん。

 

頭ごなしに否定してたら今までのままだ。

 

「……アイツ一人に会いたいとか、そういうんじゃない。ただ本当に暇すぎて…ってのが強いって感じなんだ」

 

会いたいことは否定しない。

 

アイツといると楽しいのは間違いない。

 

特に最近は、一緒にいる時にまるで時間が早送りになってるような感覚がある。

 

だけどそれは、他のみんなも同じ…だと思う。

 

「嘘は言ってないようですね」

 

「俺だっていつまでも成長しないわけじゃねえよ」

 

「それはどうでしょう?いつまで経っても変われないところはありますからね」

 

「は?例えば?」

 

「幼馴染とはいえ、こんな美少女と二人きりで密室だというのにまるで意識しないところでしょうか」

 

「…………………?」

 

あまり何が言いたいのか分からない。

 

「それは…今更だろ?昔っからこんなことはあったんだし」

 

まさか俺なんかに意識してもらいたいわけじゃあるまいし。

 

美少女としてのプライドが許さないんならしょうがないが、そういうタイプでもない。

 

「世の中には幼馴染から結婚までいくことだってありますから」

 

「いやそりゃそうだけど…」

 

「幼馴染相手に劣情を催して孕ませることだってありますから」

 

「言い方が悪い!!」

 

間違ってはないが!

 

「そもそも、私たちの部には幼馴染から恋仲になっている人や、片想いに至っている人もいます」

 

「いやまあ、そうだけどよ…つまり、何が言いたいんだ?」

 

「私が言いたいのは…要するに…今この場で柴崎さんが私に欲情し、孕ませても怒らないという━━━「ふざけんな!!」

 

ドンッ!!と机を加減なしに叩いて怒鳴る。

 

「俺、前に言ったよな?男相手にあんま挑発するようなこと言うなって。お前は俺が安全だと思ってるのかもしんねえ。実際、俺はお前にそういうこと言われたって手は出さねえよ?」

 

そんなことをして、大切な幼馴染は失いたくないからな。

 

「お前がそういう冗談が好き…なのかはしんねえけど、よく言うのもわかってる。でもな…孕ませるとか気軽に言っちゃ駄目だろ?ただの冗談で済ませるような単語じゃねえよ…」

 

「…すみません失言でした」

 

あまりにも肩を落とした様子に、少し頭が冷える。

 

「なんか、らしくないぞ?そういうとこの線引きを間違えるなんてよ」

 

「そうですね…少し焦りました」

 

「焦った?」

 

一体何にだ?急に焦るような何かがあったのだろうか?

 

「柴崎さんが、遠くなるような気がしまして」

 

「はぁ?今日、ついさっきまだしばらくは隣にいるって話しただろ?」

 

「それは私が勝手に吐いた妄言ですから」

 

「アホかお前は…」

 

まるでらしくない、身勝手な発言に溜め息をつく。

 

「ありゃ元々俺を元気づけるために言った言葉だろうが。間違いなく、俺はそれ聞けて嬉しかったし、俺の方から真っ先に裏切るつもりもねえよ」

 

「……そんな大事なことを、軽い気持ちで約束しないでくださいよ?」

 

「当たり前だろうが。ていうか、お前は軽く約束してんじゃねえかよ」

 

「私の誓いは重いですから」

 

約束じゃなく、誓いだったのか?あれは。

 

それは…確かに重そうだ。

 

しかしまぁ…

 

「大丈夫だ。俺はそこまで自分勝手じゃない。それに、そんな相手もいないからな」

 

「…そうですか。では」

 

ひょい、と、小指を立てた手を突きだしてくる。

 

「まさか…指切りげんまんか?」

 

「それ以外になにかありますか?」

 

「いや、見当もつかんが…」

 

しかし、なんとも幼稚な。

 

遊佐らしくない…いや、昔ならよくやってたし、らしくないことはないのか?

 

「…わかったよ。ほら」

 

渋々同じように手を突きだす。

 

互いに指を絡ませ、お決まりの歌を歌う。

 

「「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら、針千本のーます、指切った」」

 

よくよく聞くと怖い内容の歌を歌い終え、指を離す。

 

「これで、私と柴崎さんは一心同体です」

 

「そこまで誓った覚えはねえ」

 

「チッ」

 

「舌打ち?!」

 

あんな茶番にまで付き合ったのにか?!

 

「茶番なんた酷いです。私は大真面目です。お詫びにキスしてください。ディープな」

 

「意味がわからんし、んなもんお詫びにならんだろうが」

 

わけのわからんボケをかますな。

 

「…って、結構時間経ったな」

 

不意に視界に入った時計の針は、既に11時を指していた。

 

「では泊まっていきますか?」

 

「だからそれはマズイっつってんだろ」

 

「チッ」

 

コイツさては懲りてねえな…

 

「まあ説教は後日にしてやる。今日のとこは、片付けして解散。わかったな?」

 

「はいはい」

 

「はいは一回だ」

 

「ヘイヘイ」

 

「何もかも直ってないどころか悪化してやがる!」

 

「ウォウウォウ」

 

「お邪魔しましたー」

 

「ちょっと待ってください。流石に今から一人でこの量を片付けたくないです」

 

だったらふざけんなって話なんだが…

 

「わかったから、さっさと片付けんぞ」

 

「仕方ないですねぇ…」

 

「お邪魔しましたー」

 

「待ってください」

 

この後、何度かこの流れを繰り返した。

 

家に着いた時には、1時を回っていた。

 




感想、評価などお待ちしております。


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番外編
最後の記憶 (入江 大山)


柴崎くんの提案、というか、全員の意思で散々に分かれた私たち。

 

私と誠さんはいつも練習に使っていた空き教室にいる。

 

そう、使っていた…

 

今日私たちは此処から消える。

 

辛くて悲しい、未練ばかりの過去を振りきって…ううん、此処で過ごした楽しくて嬉しい思い出も振りきって、此処から旅立つ。

 

「…誠さん」

 

「なぁに?」

 

消えることを考えると寄り添いながら握る手に、思わず力が入る。

 

「私たちは…どうなるんでしょうか…?」

 

「どうなるんだろうね…」

 

「此処から卒業して、本当に生まれ変わることなんて…出来るんですか…?」

 

「どうなんだろうね…」

 

つい1歩踏み出すことに怯えて励ましをもらおうとしてしまう私に、しかし誠さんは私が望む言葉を言ってはくれなかった。

 

誠さんも不安…なのかな…

 

そりゃそうだよね。誠さんだって、私と同じでどうなるか全く分からない状況なんだから…

 

「僕はさ…あんまり無責任なことって言いたくないんだ。絶対来世はあるよとか、人間に生まれ変われるよ、とか」

 

「は、はい…」

 

「だから、責任を持って言えることしか言えないよ?」

 

「そう…ですよね」

 

甘えすぎだってことかな…

 

「例えば、もし人間に生まれ変われたとしたら、絶対に僕が入江さんのこと見つけるから…とか」

 

「…え?」

 

「そうなったら絶対、絶対にもう一回好きになってもらえるように頑張るから…とか、こんな感じに責任を持って言えることしか言えない」

 

「なんで…ですか?なんでもし生まれ変われたら私を見つけられるんですか?」

 

「だって、僕が入江さんのことを放っておけるわけがないもん」

 

ぐいっ

 

その言葉と同時に繋いでいた手を引っ張られ、誠さんに吸い寄せられる。

 

「ん…」

 

そのまま私の唇に誠さんの唇が重なった。

 

いつもより少し乱暴なその感触は何か踏ん切りをつけるためなのかもと直感で思った。

 

「約束するから。僕は来世で入江さんにもう一度恋をして、それでもう一度恋人になるって」

 

「…はい」

 

「それで…その…結婚もする!それは…此処では出来ないことだから」

 

「…はい」

 

「死んでも幽霊になって会いに行くから…」

 

私と誠さんの目が徐々に潤み始めていく。

 

きっと、終わりを感じ取っているんだ。

 

「私、幽霊が苦手なんです」

 

「う、うん」

 

「でも、もし来世で大山さんが幽霊だとしても…大山さんだったら…嬉しいです…!もう一度逢えるだけで…!探し出してもらえただけで…!」

 

もう止められなかった。

 

潤みは雫に変わって私の目から溢れていく。

 

がばっと誠さんはそれを隠すように私を胸元に抱き寄せた。

 

痛いくらいの力が今は心地よかった。

 

満たされてしまった。

 

言葉にも行為にも誓いにもその全てに幸せを感じてしまった。

 

そう、もう全て終わり始めている。

 

過去形になり始めている。

 

未来に向かおうとし始めている。

 

「幸せでした…」

 

「僕もだよ…」

 

きっと今、更に腕に力を込めたんだと感じた。

 

だけどその感触はなかった。

 

ああ…消えるんだ…

 

最後に、もう一度約束したい…

 

「絶対…探し出して下さいね」

 

口に出した言葉は、届いたのか分からないまま私たちはその世界を後にした。

 

 

 

 




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ちなみに誠は大山くんの下の名前です(一応ちらっとだけ今までの話で出しています)


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最後の記憶 (ひさ子 藤巻)

卒業式を終え、あたしと藤巻は皆と別れ、ある場所へやって来た。

 

「懐かしい…わけじゃないか」

 

ここは初めて岩沢とあたしでライブを演った場所。

 

ガルデモの始まりの場所。

 

「なんかごめんな。あんたの所縁の場所じゃなくてさ」

 

「んなこと別に気にしねえっつーの。ここで…なんかあんだろ」

 

言葉だけを見れば問いかけてるようだけど、決して疑問系じゃなく、確信していた。

 

…本当よく分かってんなぁ。

 

そこに少し愛を感じた気がして耳が熱くなる。

 

「あんたには昔話したよね…あたしの過去」

 

「……ああ」

 

話すつもりなんてなかった…だけど、好きになってから、コイツに隠し事をしたくなくなった。

 

「あたしさ…ここで初めて岩沢とライブして…感じたんだ」

 

「何を?」

 

「岩沢は…斬崎と真逆だって」

 

斬崎が陰なら岩沢は陽。

 

岩沢が表なら斬崎は裏。

 

正反対で相反してる。

 

「だけどさ、あたしにはずっと…岩沢の後ろに斬崎が亡霊みたいに立ってるのが見えてた…」

 

死後の世界で亡霊だなんて、馬鹿なこと言ってると自分でも思う。

 

それでもあたしは常に感じてた。

 

「アイツはずっとあたしに訴えてきた…本来ならそこで歌ってるのは俺だ…って」

 

「…………」

 

藤巻はこんなあたしの独白を笑うことなく黙って聞いている。

 

「あたしは…いつになったら許されるんだ…なんでこんな世界であたしは責め立て続けられなきゃいけないんだ…って…ずっと…思ってた」

 

「…思ってた、なんだろ」

 

ぶっきらぼうにかけられた言葉に、目を見張る。

 

……本当よく分かってくれてる…

 

「……ああ」

 

そう『思ってた』んだ。

 

「今日、最後の最後…岩沢の歌う姿を見た時にさ、消えていたんだ…斬崎が」

 

岩沢の過去、現在、そして未来を込めた歌が斬崎の亡霊をあたしから跡形もなく消し去ってくれた。

 

そこにいたのは、確かに岩沢の姿だけだったんだ。

 

柴崎へ、そして皆に向けた歌声を届ける岩沢だけだった。

 

「やっと…!許された…!」

 

ようやく解放された安堵からか、目頭が熱くなってくる。

 

「馬鹿野郎…」

 

ぼそっとそう吐き捨てたかと思ったら、次の瞬間に強く抱き締められていた。

 

「それは許されたんじゃねえだろ。斬崎なんて糞野郎は此処にゃ居ねえんだ」

 

「だったらなんだってのさ…」

 

「お前がお前をやっと許せたんだろ…ばーか」

 

「―――――っ」

 

誰かに言われてようやく自覚した。

 

あの亡霊が、自分への戒めだったことを。

 

何をやっても、どうしても消えない罪は、あたし自身が科していた呪縛だったことを。

 

「そっか…うん…そうだね…馬っ鹿だなぁ」

 

「ああ、馬鹿野郎だてめえは…」

 

耐えきれず流れていく涙を隠すために胸に顔を埋めると、急に抱き締める力が痛いほど強くなる。

 

「…ならもう、なんにもねえか?」

 

「………………」

 

この世界にやって来たばかりのあたしなら『もう何もない。早く消えたいよ』と、言っていただろう。

 

いや、厳密に言うならきっと…コイツと恋人になる前なら…だ。

 

「ないわけないだろ…!」

 

ぎゅっと、出来る限り強く抱き締め返す。

 

あたしの気持ちが少しでも多く伝わるように。

 

「あんたと付き合ってからずっと思ってた…こんな日なんて来て欲しくないなって…」

 

長くこの世界にいれば嫌でも分かる、此処の意味。

 

分かっているからこそ、この日がいつか訪れるというのが辛くてしょうがなかった。

 

「…俺もだ」

 

「うん…」

 

分かってる。あたしと同じことを考えてくれてるって。

 

「いっそのこと片想いのままだったらこんなに辛くなかったかもね…」

 

「…かもな」

 

「知ってる?あたしらが一番片想いしてる期間が長かったんだぜ…?なのに、恋人としての期間は…一番短い…」

 

互いに想い合っていたのに、それを伝えることに怯えていた。

 

その時間の後悔は…きっと消えない。

 

あたしたちが消えたって、消えやしない。

 

「これが多分…今の一番の心残り…」

 

あたしも、それに多分…あんたも。

 

「なら、それを消したらいいんだろ」

 

唐突に回されていた腕が解かれ、肩に手を置かれた。

 

そしてそのまま藤巻の顔が近づき

 

「え―――――」

 

ちゅ、と唇が重なった。

 

「な、なにを…?!」

 

動揺してぐっと突き放す。

 

もちろん嫌なわけじゃない、嬉しい。だけど付き合い始めてからもこんなことは数えるほどしかしたことがなかった。

 

「約束すっから」

 

「…何を?」

 

「次は無駄な時間なんてかけねえ。すぐ好きになって、そんで…すぐ告白すっから」

 

「……本当…?」

 

声が震える。

 

身体も震える。

 

だって分かってしまったから。

 

さっきの言葉を聞いた瞬間に、感じてしまったから。

 

あたしの未練がなくなっていくのを。

 

「本当だ」

 

あたしの時間稼ぎの問いに間髪入れず答える。

 

その言葉だけで、また自分の未練が薄くなるのが分かる。

 

「絶対…?」

 

「絶対だ」

 

もう、きっと時間はない。

 

「だったら…最後に抱き締めてくれないか…?」

 

「言われるまでもねえよ…」

 

きっと抱き締められているんだと思う。

 

でももうそんな感触はなかった。

 

「俺の方も1ついいか…?」

 

「ああ…」

 

「最後に…下の名前で呼んでくれ…」

 

なんだよそんなこと…もっと早く言ってくれたら…何回だって呼んだのにさ…

 

「俊樹…」

 

「……ああ」

 

「………大好きだよ…俊樹…」

 

この言葉が伝わったのかどうか、返事を聞く前に、あたしの意識は空へと消えていった。

 

 




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最後の記憶(ユイ 日向)

柴崎の提案を受けて皆と別れた後、俺たちはあのグラウンドに来ていた。

 

「なんか、別にそんなに日にちが経ったわけでもないのに懐かしいですね」

 

ユイは、はにかみながらそう言う。

 

「確かにな。ま、あの後はかなり濃厚な出来事ばっかだったしなぁ」

 

「しかしまさか…恋人になったと思ったら数日で別れることになるとは思いませんでしたね~」

 

またしてもはにかむ。

 

なんともないみたいに。

 

「なあ」

 

「はい?」

 

「お前今泣きそうだろ?」

 

「……そうですね」

 

「…じゃあなんで笑ってんだよ?」

 

「……分かりません…」

 

ぽろっ、と涙が一粒。

 

「でも、笑わないと…短い間だったけど…幸せだったから…」

 

もう涙は止まらなくて、嗚咽混じりに話し出す。

 

「じゃあ、辛いけど無理して笑ってんのか?」

 

「そうじゃないんです!そうじゃ…辛いですけど…でも…ちがくて…」

 

「分かってる…悪い。ちょっと意地悪しちまったな」

 

コイツが泣きそうなのに笑う理由なんて分かりきってる。

 

「楽しかったもんな。此処」

 

そう。

 

楽しかったんだ。

 

初めは戸惑った。意味わかんねえし、ゆりっぺは強引だし無茶苦茶だしでさ。

 

でも、それにも慣れてきて、仲間が増えていった頃から…

 

「うん……楽しかった」

 

まるで俺の気持ちを代弁するみたいに、今度はユイがそう口にした。

 

「…だよな。だから、最期は笑って終わりたかった…ってとこだろ?」

 

分かるよ、俺だってそうだ。

 

毎日が放課後みたいで…ダチとくっちゃべって、やんちゃして…

 

「毎日…楽しかったからな。特にここ最近はよ」

 

それまでがつまらなかったんじゃない。

 

ここ最近は、それ以上に楽しかっただけなんだ。

 

「あたしがいたから…ですか?」

 

ちょっとからかうみたいにユイが訊いてくる。

 

いつもなら否定して軽口でも言うんだろうけどなぁ…

 

「…おう、そうだ。ユイがいたから、ユイを好きになったから…余計に楽しくなった」

 

「―――っ?!」

 

案の定面食らった表情になるユイ。

 

「もう!なんで今になってそんな………そんなこと言うんですかぁ…」

 

そして、今までよりも更に涙を浮かべ始める。

 

「今になって…つっても俺一応プロポーズまでしてんだけどなぁ…」

 

「そ、それはノーカンです!」

 

ズルすぎだろ…

 

「もっと…もっと早く言ってくれれば良かったじゃないですか!そしたら…もっと楽しかったのに…」

 

そう言いたい気持ちは痛いくらい分かる。

 

でも、それは無理だ。

 

「多分、あのタイミングしかなかったと思うんだよ」

 

「何がですか?」

 

「プロポーズ…じゃなくても、告白でもいいんだけどよ」

 

「何でですか?早ければ早いほど良いじゃないですか」

 

「…いや、多分あの時じゃなきゃ俺かお前のどっちかは消えちまってたと思うんだ」

 

「な…なんで…?」

 

「元々お前にプロポーズしたときは、心残りを消して此処から卒業…って話だったろ?」

 

「でも…あたしは残ってます!」

 

そう、ユイは消えなかった。

 

その時天使…いや、奏ちゃんが言った。

 

『これ以上を望んだんじゃないかしら?』

 

思えばその時からずっと考えてたかもしれない。

 

なんでユイは…これ以上ってのを望んだのかを。

 

「それは柴崎たちが付き合って楽しそうにしてんのを、嫌ってほど見てたから…じゃねえか?」

 

「そ、それは…」

 

どうやら図星らしい。

 

「皆が楽しそうなのを見て、羨ましくなったんだろ?そしたら自分でも気づかないうちに欲しいもんがドンドン増えていった…違うか?」

 

ま、答えなくても顔に書いてあんだけどよ。

 

「だから、あの時しかなかった。周りの皆が付き合いだして、自分もこうなりたいって思ったあの時しかな」

 

今になって分かる。

 

あの時を逃したら今こうやって最後に話すことも出来なかったんだって。

 

そう思うと、後悔は消えた。

 

「俺たちはすげえ奇跡みたいな偶然のおかげでこうやって話せてんだぜ?すごくね?」

 

「そう言われると…すごいかもしれないですね」

 

「だろ?だからさ……絶対向こうでも、逢えっから」

 

…やっと言えた。

 

本当はずっとこれを言いたかったんだ。

 

「本当…ですか?」

 

「あったりめえだろ?こちとら、とっくに奇跡乗り越えてきてんだっつーの。向こうでも逢うくらい余裕だ」

 

ユイの心残りは、もう叶えてやれない。

 

なら、心残りを向こうで叶えるしかねえだろ。

 

「つーか、プロポーズの時も言ったろ?お前がどんなでも、絶対結婚してやるってよ。そのためには出逢わなきゃだろ」

 

「そう…ですよね。そうでした…先輩、ずっと言ってた…」

 

今、感じた。

 

ユイの心残りが溶けていくのが。

 

そして、それを機に…俺の心残りも消えていく。

 

「でも先輩…知ってますか?奇跡って2度起こらないから奇跡って言うらしいですよ?」

 

そんな、いつもみたいな軽口を不意にユイが言い始める。

 

「だったら、1回奇跡を起こした俺たちがもう1回出逢うのは必然ってやつなんじゃねえか?」

 

「ああ言えばこう言う…ですね」

 

呆れた風に笑う。

 

つられて、俺も笑う。

 

幸せだな…って思う。

 

でも、急に1つ心残りがあったことを思い出した。

 

きっと、これが終われば…

 

「ユイ、俺お前に好きって言われてねえぞ」

 

「…え?」

 

「ずるくね?こっちはプロポーズまでしてんだぜ?」

 

「い、いやでも今さら……」

 

「……頼む」

 

恥ずかしがって中々言おうとしないユイに念押しすると、ようやく観念して、1度息を吐く。

 

「…好きです、先輩」

 

「……おう。俺も好きだぜ」

 

その言葉だけで、幸せ過ぎて消えそうなくらいに。

 

「次は…お前と一緒に…楽しい人生ってやつを送りてぇな…」

 

「あたしもですよ…先輩」 

 

 




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最後の記憶(関根 直井)

僕らは以前関根に渡したチューリップがあった場所を訪れていた。

 

ここは誰が管理してるのかも分からない花壇が置いてあり、この間摘んだはずのピンクのチューリップが既にまた生えていた。

 

そこで二人、芝生の上に並んで座っている。

 

「えへへー」

 

関根はやけに上機嫌で、僕の肩に頭を乗せながらそんな間の抜けた笑い声を上げている。

 

「なんだその気色の悪い笑い方は?」

 

「ひっど!」

 

「酷くない。変な笑い方をしたお前が悪い」

 

対する僕はというと、その笑い方を不愉快と思う程度には機嫌が悪い。

 

機嫌が悪い…という言い方は少し適切ではないか。

 

感傷的になりすぎている…のかもしれない。

 

「やっぱ酷い!あたしはねぇ、直井くんと最後に居られることが嬉しくてこんな笑い方をしてるんだよ!?」

 

「なっ?!し、知るかそんなこと!分かるわけがないだろ馬鹿馬鹿しい!!」

 

「んー?んんん~??直井くん直井くん、顔があっか~くなってますよぉ?」

 

「そんなわけあるか!?」

 

と言いつつ、自覚はあるのでそっぽを向いて隠す。

 

「むふ、顔まで背けるとは初やつよの~」

 

「後で覚えておけよ…!」

 

つい口をついて出たその言葉に、関根は寂しそうな笑みを浮かべ、首を横に振った。

 

「…後なんてないよ?」

 

「…………っ」

 

「今日で最後。だから、言いたいことは言っておくね」

 

そう言って、深く息を吸い込んだ。

 

「好きだよ!直井くん!友達じゃなくて、男の子として好き!こんな遅くなっちゃったけど…もう最後だけど…離れたくないくらい…大好きだよ!!」

 

一息にそう言いきり、満足そうにまた、えへへと笑う。

 

「関根……」

 

対して僕は、何も言えない。

 

名前を呼ぶだけで、後に続かない。

 

そんな僕を見て、関根は優しく微笑む。

 

「直井くんは?直井くんは、あたしのことどう思ってる?好き?嫌い?普通?どーでもいい?」

 

まるで子供をあやすような口調に酷く苛立つ。

 

「……どうでも良くはない」

 

「なら普通?」

 

「……普通でもない!」

 

「なら好き?嫌い?」

 

「答えたくない!!」

 

こんな、こんな茶番みたいな質問になんて!

 

「うわー子供ー」

 

「なんだと?!」

 

「ていうか男らしくないねぇ~恥ずかしいからって答えないなんてぇ~」

 

「違う!僕が答えたら…もう…」

 

終わってしまう……

 

やっと、やっと自分のこの気持ちに折り合いがついたというのに……

 

「んー、じゃあわかった!こうしよう!」

 

「なん……っ?!」

 

突如として、唇が塞がれる。

 

妙に柔らかい感触と、人肌の生暖かさが唇から伝わってくる。

 

「えへへへ、好きだよ直井くん。直井くんは?」

 

女子にここまでされて、男の僕がはぐらかすわけにはいかなかった。

 

「……好きだ。こんな風に想ったことは今までなかった…消えたくないんだ!!」

 

「えへへ、あたしも」

 

「なら━━━━「でも、ダメ」

 

「なんでだ?!」

 

僕もお前も、同じ気持ちなのに…!

 

「みーんなもう、今日此処から卒業するんだよ?あたしたちだけ残っちゃダメ。それは、それだけはしちゃダメなの」

 

そんなこと…分かってる。

 

「岩沢さんもひさ子さんもみゆきちもユイも、みーんな好きな人と一緒に居たいのに、来世で逢えることを信じて、今は消えるの…」

 

分かってる……分かってる……!

 

「直井くん……もしかしてビビってんのぉ~?」

 

「……はぁ?!」

 

ここに来て挑発するような声音を出す。

 

怒りというより、驚きが先にやって来た。

 

「まあ確かにね~。直井くん初恋っぽいし、そりゃこのすーぱーぷりちーなしおりんと離れるのは嫌だよねぇ~。でも、やっぱ男らしいところ見たかったなぁ~」

 

しかしここまで言われてしまえば怒りも当然やってくる。

 

「言わせておけばお前は…!なにがすーぱーぷりちーだこの間抜けぇ!お前など良いとこ中の下だ!!」

 

「ひ、ひどーい!これでも生きてる頃はモテてたんだよ?!」

 

「な…?!お前、もしかして他の男と付き合ったことがあるのか…?」

 

「ふふーん、さてどうでしょ~?」

 

「………………」

 

関根が…他の男と…

 

その想像だけで頭が大きな槌で打たれたような衝撃が与えられた。

 

「ちょ、ちょっと直井くん?あれ?もしかしてガチ凹み?ないから、付き合ったことはないからね!?あたしも初恋は直井くんだからね!?」

 

「そ、そうか…って、ふ、ふん!だからなんだというのだ!」

 

「えぇ~…」

 

関根からの冷ややかな視線はひとまず置いておき、少し頭が冷えた。

 

「おい、男らしいところが見たいと言ったな?」

 

「う、うす!」

 

何故返事が男らしいんだ…?

 

「なら見せてやる…目を瞑れ」

 

「い、イエスサー!」

 

敬礼までつけだしたので、その腕は下げさせる。

 

「ん………っ」

 

そして、口づけをする。

 

「ふ、ふん!見たか!これが僕の本気だ!!」

 

「……あたしがさっきしたよ?」

 

「うるさい!」

 

「しかも顔真っ赤…」

 

「黙れ!」

 

「もう…ずるいなぁ。どんどん好きになっちゃうじゃん…離れたくなくなっちゃうじゃん…」

 

うっすらと涙を浮かべる姿を見て、僕は自分の過ちを再確認した。

 

コイツはきっと、今日のために確固たる決意をしてきたんだ。

 

どれだけ辛かろうと、寂しかろうと、離れるのだと。別れるのだと。

 

それを…その決意を、何故僕が揺るがそうとしてるんだ…!

 

「せき……しおり」

 

「……え…直井くん、今…」

 

「うるさい。しおり…お前も僕のことは文人と呼べ」

 

「は、はい…文人…くん」

 

誰かに下の名前を呼ばれること自体が酷く久しぶりのことで、それを呼ぶのがしおりだという事実が、また胸を高鳴らせる。

 

きっと、普通なら、これからこういうことが増えていくと、幸せに感じる瞬間…なのだろうな。

 

「しおり、僕はお前が好きだ」

 

「う、うん…さっき聞いたよ?」

 

「だから離れたくない」

 

「それもさっき…」

 

「けど、今決めた。僕はお前が好きだからこそ、来世でもう一度逢ってみせる」

 

僕のその宣言に、しおりは目を大きく見開く。

 

そして、すぐにまた笑って見せた。

 

「あは、どーしてそう思ったの?さっきまで離れたくない離れたくないーって言ってたのに」

 

「そこまでは言っていない…まぁ、しおりに言われて考えた。僕が格好良いと思う人なら、今この状況にいたとしたら何と言うか」

 

「そしたら来世で逢うって?」

 

「そうだ。必ずお前を見つけてやる。だから、約束する」

 

「なにを?」

 

「絶対にお前を見つけて、恋人になると」

 

関根の目を見据えて、宣言する。

 

「そういえばさ…あたしたちって今どういう関係なのかな?」

 

「?どういう…?」

 

突然の話題転換に頭がついてこない。

 

「来世で逢えば恋人になるんだよね?今は?まだあたし、何も言葉を貰ってないんだけどなぁ~」

 

む…そういえば確かに、好きだとは言ったが、形式ばった言葉は何も伝えていないな。

 

「僕と…付き合って欲しい」

 

「えへへ…うん!……ね、直井くん。大事…にしてくれる?」

 

これは…何を思い浮かべての言葉なのだろうか。

 

前世の、無下にされ続けた人生を思っての言葉なのだろうか。

 

だとすれば、僕に言える言葉は1つだろう。

 

「神に誓って」

 

「バカだなぁ…今まで自分が神だって言い張ってたくせに…」

 

「良いんだ…しおりを好きな僕は、ただの人間の僕だからな」

 

「嬉しいなぁ…ね、ぎゅってしてくれる?」

 

腕を広げて甘えてくる関根を、僕は何も言わずにそっと抱き寄せる。

 

「もっと強く…」

 

そう言われ、きつく抱き締める。

 

ああ…これがコイツの感触なのか。

 

そう思ってすぐに、その感触が失われていく。

 

「…痛くないか?」

 

しかし、さもそんなことに気づいてないかのような言葉をかける。

 

何故かは、分からない。

 

「うん。なんだか、幸せだなぁ…人ってこんなに暖かかったんだよね…生きてる頃には…もう思い出せなかったなぁ…」

 

「……ああ」

 

「ありがと…」

 

「…ああ、僕も礼を言う…ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

差し出された花はたった1輪。

 

ピンクのチューリップ。

 

花言葉は「愛の芽生え」。

 

そんなことはきっと直井くんは知らない。本当にただ謝罪の気持ちを込めて摘んできてくれただけだろう。

 

だけど…この花を受け取ったときに感じた胸の高鳴りは、きっとあたしの恋心が呼吸を始めた瞬間だったんだって、今なら分かるよ?

 

来世は…幸せになりたいね。

 

「ね、直井くん…」

 

 

 

 

 

 

 

 




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