やはり俺のソロキャンプはまちがっている。 (Grooki)
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本編(比企谷八幡 視点)
その1:毎度のことながら平塚静は再提出を求めてくる。


【問:「愛」について論じなさい。】

 

  愛。

 

 西の方にある歌劇団が歌い継ぐことには、愛は甘く、強く、尊く、気高く、さらに悲しく切なく苦しくはかない。故に愛あればこそ生きる喜びがあり、愛あればこそ世界は一つ、愛ゆえに人は美しいのである、とのこと。

 

 なるほど、愛の一文字にこれだけの要素が詰まっているからこそ、古来より人類は「愛」を題材に歌い、詩を紡ぎ、叙事詩(じょじし)を編み、それらを読み聞いて憧れ、自分にも愛のもたらされることを欲してきたのだ。

 

 人類の歴史上、これほどまでに各方面・各業界で重用されてきた概念もあるまい。

 

 それだけではない。現実世界においても、愛という概念は常に身近にあり、人々は他者の愛を求め、他者から愛を求められる。

 

 それは愛に基づく考えか、愛を貫く行動か、結果的に愛を尊んでいるか。彼の者は我に愛をもたらす存在か。

 

 すなわち、「正義」か。

 

 人類の歴史上、これほどまでに人々の営みに影響を及ぼし、盲信されている概念もあるまい。

 

 そう、盲信。そう言った。

 

 裏を返してみれば、これほどまでに人の価値をやすやすと決めつけてかかれる価値基準はないように思う。

 

 すなわち、愛に基づかない考えは傲慢であり、愛を伴わぬ行動は怠惰あるいは強欲であり、愛を尊ばない者は色欲に溺れ、暴食に走り、嫉妬に燃え、憤怒に歪む。

 

 愛なかりせば、それだけでいとも簡単に大罪の烙印(らくいん)を押されてしまうのだ。

 

 しかし、そもそも「愛」とはいかなるものなのか。きちんと共通の定義をしなければ、おのおの勝手に都合のいい解釈をするしかない。その結果、てんでバラバラの形をした概念を、これぞ愛なりと示し合い、否定し合い、攻撃し合うことになるのだ。

 

 愛は正義である。自分の行動は愛ゆえにである。したがって自分の行動は正義ゆえにである。 

 

 こんな確かなようで実はあいまいな三段論法のもと、今日もどこかで戦争が起きている。

 

 そしてそのことの危うさを、人類は実のところ、うすうす気付いていながら、愛という概念の価値について見直すことをしようとしない。

 

 否、できないのだ。それは、いまこの世界に生きる人々がその生を受けた時から、愛が確固として倫理(りんり)・道徳の最高点に位置付けられているからだ。

 

 このような世界で、俺のような矮小(わいしょう)な存在が何を試みようと、大勢に波風を立てることなどできないだろう。

 

 しかし、だからこそ、敢えて述べる。

 

 人類はそろそろ、「愛」以上に尊いものがあることを認めるべきだ、と。

 

 それは「孤独」である。

 

 愛よりも甘く、強く、尊く、気高く、さらに悲しく切なく苦しくはかないものは、孤独を置いて他にない。

 

 孤独であればこそ、人は自らの行いに常に責任を持たねばならず、自らを常に省みなければならない。そのことで、結果的に正しい行いが担保される。それができなければ、簡単に世界から排除されてしまうだけのことである。

 

 孤独であればこそ、他者の孤独に理解を示すことができ、互いを尊重することができる。もちろん異なる価値観のもとで争いが起こることもあろう。しかし、所詮は二者の争いだ。世界戦争にまで発展するような可能性は、愛よりもはるかに低いだろう。

 

 孤独は他者を縛れない。自己もまた、他者から縛られることはない。孤独に基づく行動は、愛に基づくそれよりも、自由だ。

 

 以上のように、俺は「孤独」こそ、人類の今後の改革・発展に有用な概念であると考え、まさに今それを実践しているところである。

 

 

×××

 

 

 「…前にも聞いたことがあるかもしれないが、君の秘孔は表裏逆にあるのか?」

 

 視線を作文用紙から俺へとゆっくり戻しながら、現代文教諭の平塚静はそうつぶやいた。

 

 その目には、こんな作文を提出したことへの怒りでも、呆れでもなく、職員室中をひたひたに浸しそうな勢いの哀れみに満ちていた。

 

 「さぁ、まぁ、突かれた事ないんでわかんないんですけど」

 

 「北斗有情猛翔破(ほくとうじょうもうしょうは)!!」

 

 気まずくて視線を外した隙に、平塚先生の強烈なボディブローが俺の鳩尾(みぞおち)を下からえぐった。

 

 「ごふぉ…っ!!痛い!!北斗有情拳なのに痛い…!!」

 

 痛いどころか数秒間、呼吸の仕方を忘れたように息が詰まった。

 

 「それは痛みではない。私のぬくもりだ」

 

 「お…お師さん…!!!」

 

 床にうずくまりながら思う。ぬくもりはもうちょっと身体の柔らかい部分で与えてください…。いいモノ2つも持ってるじゃない…!?

 

 「当然だが再提出だ。こんなふざけた作文をこれ以上私の机に乗せていたら現文教諭としても生活指導教諭としても人事評価が下がる。孤独を引き合いに出す試みは面白いが、最終的には愛を賛美し、自分も愛を与え求めたいと思います風の論調で締めくくるように」

 

 うーわーすげえ検閲&言論弾圧キター…教諭としての本音丸出しですね…。

 

 これから世の中を担う若者の主張が今現在担ってる大人の手で握りつぶされようとしている。ていうかこの人ちょっと担いすぎていつの間にか独りで天球支えてるアトラス状態だよ。たまにはしおらしくしてみりゃ寄り添ってくれる男もいるだろうによ…。ほんと誰か貰ってやれよ…。

 

 「こ、この国の表現の自由はどこへ行った…!?」

 

 精一杯抵抗(ていこう)してみるが、

 

 「あ?」

 

 見下ろしてくる整った目鼻立ちの小顔に似つかわしくない青筋を、こめかみに認めた。

 

 こーわーいー!!

 

 視界の端に「!?」ってでっかい写植が見えるよー!!

 

 「了解ですご指導通り速やかに再提出させていただきますいやぁ俺もさすがにちょっとこれはないかなーとか思ったりもしたりしたんで…」

 

 退いた。媚びた。省みた。

 

 「明日の放課後までに私のところへ持ってこい。ただし、部活には今日もきちんと顔を出すように。」

 

 平塚先生は胸ポケットから煙草を一本取り出して咥えながら言った。フィルターを前歯でかじりながらしゃべるせいで、煙草の先端がぴょこぴょこと動いていた。自然、口元に目が行く。少し薄いがそれがまた色気を感じさせる唇、白く小さく形の整った前歯の奥で、暗闇から時折、桃色の舌が覗いた。

 

 煙草吸う女の人って、なんかエロいよな…。

 

 もちろん人にもよるだろうが、平塚先生のような美人がやってる分には、たしかに絵になる。俺自身は煙草に興味はないが、世に広まった嫌煙の風潮は、いいことばかりとも限らないのでは…などと思ってしまった。

 

 はーい、と気合の入らない返事をしつつ、辞去するため立ち上がろうとしたその瞬間だった。

 

 ぐぐぐ ごごごご…という音が次第に大きく聞こえて来て、足元の床ががくがくと振動し始めた。

 

 地震だ。なんか大きい!

 

 職員室の奥で別の先生と話していた女子生徒たちが、キャーと騒いだ。

 

 「机の下へ!!」

 

 どこからか、教頭が怒鳴ったのが聞こえた。室内の先生たちはややうろたえながらもすばやく机の下に潜り込んだり、騒いでた女子生徒らを蛍光灯の下から遠ざけたりしていた。

 

 俺は立ち上がりかけていたが、揺れに足を取られて再び床に這いつくばっていた。

 

 平塚先生がとっさに、俺をかばうように背中に覆いかぶさってきた。両手で肩を抱かれる。うおぉ肩甲骨(けんこうこつ)から脇腹のあたりに、お師さんのぬくもり当たってるゥ…!!あとなんかいい匂い+ちょっと煙草臭い…!!

 

 揺れはまもなく収まった。体感ではそこそこ長い感じだったが、たぶん10秒とかそのくらいじゃなかろうか。

 

 「…大丈夫か?」

 

 安堵(あんど)の息をついてゆっくり離れながら、平塚先生が俺の顔を覗きこんできた。

 

 黒く艷やかな長髪が、名残を惜しむかのように俺の背中を撫でながら離れていく。

 

 「あ…だ 大丈夫す…ありがとうございます…。」

 

 突然の密着タイムに若干めっちゃすごくどぎまぎしながら答えた。

 

 先生は特に何も思わなかったようで、うむ、と、生徒をとっさに守る行動をとれたことに満足したように頷いた。

 

 「余震がくるかもしれんから、念のため、今日は部活は休みにして、帰りなさい。あ、部室に寄って、雪ノ下と由比ヶ浜に連絡しておいてくれ。」

 

 「了解す」

 

 素早く立ち上がってカバンを背負い直した。

 

 帰宅命令。人類史上これほどまでに喜んで絶対服従できる命令が他にあるだろうか。いやない(断言)。

 

 しかし、確かに今まさに部室にいるであろう二人のことは気になった。無事の確認くらいはしておこう。

 

 職員室を出ようと引き戸に手をかけたとき、

 

 「比企谷(ひきがや)。」

 

 平塚先生に呼び止められた。

 

 先生は先ほどの作文用紙を俺に返しながら、少し意地悪そうな笑顔で言った。

 

 「こういうとき、果たして人は本当に孤独でいいのだろうかな?」

 

 用紙を受け取りながら、俺はその場では何も答えられなかった。



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その2:今更ながら比企谷八幡は備えていない。

 最近、テレビで頻繁(ひんぱん)に地震速報の字幕が流れるようになった。

 

 実際、我が千葉県を含めた関東地方では、ちょこちょこ地震が起こる。揺れの体感の有無を問わなければ、月にかなりの頻度(ひんど)で起こってるんじゃなかろうか。

 

 特に、我が千葉県は太平洋に面している。沖で一発デカイのが起こったときは、津波被害に見舞われる不安も大きい。千葉を愛する俺としては、ぜひとも国に早急な対策をお願いしたいところだ。来てからでは遅いのだ。銚子(ちょうし)の漁港と醤油は国の宝。絶対に守らねばならぬ。なんなら国宝指定、世界遺産登録してほしいまである。いやもちろん他の沿岸部も大事だけどね?茨城?それは知らん。

 

 もうひとつ、常に意識しなければならない問題がある。

 

 自分自身を守るための備えである。

 

 いざ災害が発生したとき、自分や家族の安全はまず自分たちで確保しなければならない。被災直後から国や県や市が国民ひとりびとりにいたれりつくせり何不自由なくお世話してくれるわけではないことを、ここ最近相次いだ大震災や大災害で国民は実感した。

 

 自分の身は、まず自分で守らねばならない。

 

 普段は全く意識しないでよかった、こんな当たり前の大自然の掟を、いやがおうにも思い出さねばならなくなったのだ。

 

 そのせいかここ数年、防災用品の売れ行きがいいと聞く。何度かの災害を経験し、その時々に聞こえてきた需要(じゅよう)をフィードバックさせた、便利で頼もしい商品が、ホムセンなんかに常に並ぶようになってきた。

 

 俺の家も、とりあえず家族分の防災用品は備えてある。両親は共働きで帰りが遅く、普段は深夜まで俺と妹の小町しか家にいないから、心配性(もっぱら小町に関して)な父親が買い求めたのだ。といっても、ホムセンでキット販売されていた銀色の非常用持出袋(ひじょうようもちだしぶくろ)で、いまのところ開封したことがないため、実際どんなものが入っているのかは把握していないが…。たぶん携帯トイレとか絆創膏(ばんそうこう)とか、でっかいアルミ箔っぽい全身保温シートや、いくつかの缶詰的な食料や水が入ってるのだろう。

 

 しかし…。

 

 奉仕部の部室に顔を出し、雪ノ下と由比ヶ浜に平塚先生の伝言を伝えて、(そろ)って部室を出た。

 

 二人とも、いつものようにまったりしていたところへ突然の揺れだったので、かなり怖かったと言っていた。特に雪ノ下が、いつにもまして言葉少なに青い顔をしていたのが気になった。コイツあれだ。こういう突然襲ってくる系の恐怖はダメなんだな…高層マンションに一人暮らししてるのに、大丈夫なんだろうか。それとも(かえ)ってそういうところのほうが、免震構造(めんしんこうぞう)とかそういうのがしっかりしてるんだろうか。

 

 電車動いてるかなーバス遅れるかなーと話し合っている二人を見送ってから、俺は家へと自転車を漕ぎだした。こういうときに公共交通機関をあてにしなくていいところは、自転車通学の利点だな。

 

 通い慣れた通学路。

 

 いつもなら鼻歌でも歌いながらのんびりペダルを漕いでるところだが、さっきの揺れでまだ気分がざわざわしていた。

 

 しかし…。実は違うのではないか。

 

 中身もよく分からん銀色の袋を家に買い置いてるだけで、果たして本当に「備えは万全」と言えるのだろうか。

 

 実際、今この瞬間にデカイ揺れでも来ようものなら、俺はひとたまりもない。

 

 今この瞬間、俺には何の備えもないのだ。食料も持っていない、暖を取るための火の気もない。怪我した時の薬や絆創膏も持ってない。小銭くらいはあるが、周りの店や自販機がぶっ壊れればただの金属片だ。

 

 (さら)に。

 

 俺はぼっちだ。

 

 頭のアホ毛の先端からつま先まで捨てるところがない純度999.9(フォーナイン)のぼっちの(インゴット)だ。すげえ高値で取引されそう。されないか。むしろ捨てるとこしかないか。せめて文鎮(ぶんちん)代わりにはなりませんか。無理ですか。

 

 大震災以降、「絆」という言葉が改めて人々の意識にのぼり、相互扶助精神の大切さが唱えられている中でこの俺の見事なまでのぼっちぶり。

 

 いざという時、こんな俺に、だれか救いの手を差し伸べてくれるだろうか。

 

 ご近所の皆さんが子どもやお年寄りや身体の不自由な人たちを守りながら避難している中、「あんたも早く逃げな!」くらいの声かけはしてもらえるかもしれないが…。

 

 逆に、助けを求めている人も、俺より先に、見知ってて気心の知れた人の方を頼るだろう。そうやって自然発生的に知り合い同士で当面のコミュニティは確保され、互いに安心感を与え合うと共に、避難所なども彼らを把握しやすくなり、救助・支援の面でなにかと有利になるかも知れない。

 

 俺は、ごく自然に弾かれるだろう。

 

 親父やおふくろや小町はどうだ。

 

 …あかん…、置いてかれるイマゲ(image)しか浮かばん。いざという時は家族など他人だ。

 

 三枚のお札の一枚目くらいの勢いで捨てられそう。

 

 まずい。ひじょうにまずい。

 

 ペダルを漕ぐ足に力が入る。急にいまここでこうしていることが怖くなってきた。

 急いで家にたどり着きたくなった。

 

 甘かった。

 

 長年かけて積もり積もった黒歴史から学ぶべきものを学び尽くし、ぼっちとして生きるための理論武装も心の保険も盤石(ばんじゃく)だと思っていた。

 

 だが、甘かった。

 

 いちばん大事なことを忘れていた。いちばん初歩的なことを忘れていた。

 

 「ぼっちとして生き残る(すべ)」を、俺は何一つ持ちあわせていなかった。



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その3:何気に比企谷家はしっかり備えているように見える。 (非常用持出袋)

 帰り道の途中、母親から安否確認の電話が入った。

 

 とりあえず無事であることを伝えた。

 

 「そう、小町も無事だったみたいだし、とりあえず安心ね。」

 

 ああ、いの一番は小町だったんですね…そういう順番なんですね…うん、いいんだよ?まぁ末っ子だし、心配だし可愛いし、異存はない。ないよ…?ホントだよ…??

 

 母親も無事だったが、今日も帰りが深夜になるらしい。余震の心配などは帰る口実にはならないようだ。

 

 世の中厳しいな…そんな帰りたくても帰れないアナタの代わりに家を守る自宅警備員はやっぱ必要な仕事だと思うんです今の日本。一家に一台くらい標準装備される時代がきっと間もなくやって来る。その点で俺は即戦力となる自信が(すで)にある。なんなら簡単な家事もこなせます。何この先見の明かつ高性能オプション。俺マジでリミテッドエディション。

 

 「あ、母さん。うち非常用の持出袋あったろ?念のため中身の確認しときたいんだけど、どこにしまってたっけ?」

 

 電話のついでに聞いてみた。さすが未来の自宅警備員。

 父親は確か、母親と小町に中身の説明とか使い方とか熱心に教えていたのを覚えている。

 

 あれ…俺は教えてもらったことないよそういえば?

 

 「あーあったねそういえば…どこだったっけ?小町といっしょに探しといてよ。」

 

 今更だが、これって相当まずいだろ…非常時に使うものの在処(ありか)把握(はあく)ができてないってのは…いや俺も今の今まで意識してなかったんだけど…。

 

 まぁいい、とりあえず帰ったらすぐに確認だ。

 

 母親との通話を終えると、重いギアのままの自転車を再び漕ぎだした。

 

 父親への連絡は、母子ともどもすっかり忘れていた。…ごめんね親父?

 

 

×××

 

 

 帰宅後、小町と一緒に家探(やさが)ししてみると、非常用持出袋は、人数分、両親の部屋(玄関に一番近い)の収納に収められていた。

 

 とりあえず、そのうちの一つを開けてみた。

 

 中身はこんな感じだった。

 

・軍手(滑り止め付き)×1組

・ロープ(5m)×1本

・スポーツタオル×1枚

・LEDライト(手回し充電器付き)×1本+携帯への充電用アダプター数種類

・多機能ナイフ(ナイフ、ハサミ、ノコギリ、爪やすり、etc)×1本

・プラスチック製ホイッスル×1本

・20リットル大のポリ袋×1組(10枚入り)

・包帯×1本

・絆創膏×1箱

・マスク×1組(6枚入り)

・簡易トイレセット×3組

・ポケットウェットティッシュ×1袋

・エマージェンシーブランケット(薄いアルミ箔みたいな保温シート)×1枚

・保存水500ml×2本(5年くらい常温保存できる水)

・アルファ米×3食分(パックに1食分ずつ入ったフリーズドライ米。長期保存可)

 

 そして、同じ収納のすぐ近くには、両親が買い足していたのか、さんまの蒲焼きや牛肉の時雨煮、フルーツミックスやコンビーフなどの缶詰類がいくつかビニール袋に入って置かれていた。それと、水が6〜7リットルくらい入りそうな折りたたみ式の柔らかいポリタンク。

 

 「へぇ、お父さんたち、結構ちゃんと用意してたんだね…。」

 

 袋の中身を床に並べている俺の横で、小町がつぶやいた。

 

 確かに、ぱっと見は充実してるように見えた。しかし…

 

 「なぁ小町。うちって缶詰、そんな頻繁(ひんぱん)に食ってたっけ?」

 

 缶詰を一個一個取り出して確認しながら俺が尋ねると、小町はややムッとした顔をした。

 

 「失敬な!毎日できるだけ手作りしてますー!!…まぁ休みの日の朝とか、ちょっと手抜きしたいときは、さんま缶くらいは使うけど…。」

 

 そうだよな。母親と小町、けっこうがんばってメシ作ってるもんな。ありがたや。

 

 お兄ちゃんの身体は小町のがんばりで出来ています…!

 

 「食い物系は、できるだけ普段食ってるものと近いものを蓄えてたほうがいいような気がするな…ほら、例えばこのコンビーフとか、俺達、普段の生活であんまり食ったことないだろ?いざって時に食い方わかんなかったり、口に合うかわかんないものを備えとくってのもなんか不安だし。」

 

 実際、コンビーフってどうやって食うんだっけ…焼くの?煮るの?そのままイケるの?甘いの?辛いの?しょっぱいの?まぁ、火は通したほうがいいような気はする…。

 

 「あと…電池だな。LEDライトなんか、電池が切れたら手回しで短時間しか使えない。袋の中で別にしとくより、家で普段ストックしてる電池と絶えずローテーションしてた方が、いざって時には万全な状態で使えるんじゃないかな。」

 

 俺自身も後で知ったのだが、これは「ローリングストック法」という備蓄のやり方なんだそうだ。さすが俺様。ふふん。

 

 「なるほどローテーションかぁ…。あ、それ、非常食にもあてはまりそう!新しい状態をキープしておくようにしとけば、缶詰だけじゃなくて、いつも使ってるレトルトのカレーとかお惣菜なんかも候補にできるね!」

 

 おー、そうだな、そのとおりだ。さすが小町、賢い妹だ。いまのは小町的にもポイント高かったぞ。

 

 って、…あれ、レトルトはいつも使ってる…のね…?小町のカレー、結構好きだったんだけど…?

 

 お兄ちゃんの身体の結構な部分はハ○ス食品が作ってくれてたのね…?

 

 …やっぱり小町ポイントはそっと元に戻しておく。俺の心の中で。



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その4:いまだに比企谷兄妹は台風が来るとワクワクしている。 (アルファ米)

 

 さて、そのほか気になった点もある。

 

 「この袋、今は一カ所に固めてあるけど、できれば自分たちの部屋に一個ずつ置いておいた方がいいんじゃないか?真夜中にドーンと地震が来たとき、各自すぐに持ち出せる方がいいよな…?」

 

 「あー、それはそうだねぇ。」

 

 小町と相談の結果、持出袋はそれぞれひとつずつ、各自の部屋に置いておくことにした。

 

 LEDライトだけは袋から取り出して、ベッド脇や机の上に置いていつでも使えるようにした。ちなみに電池は単3を2本使う。単3電池、少し買い足さなきゃな…

 

 非常食だが、アルファ米のパックと保存水は5年位もつようなので、そのまま袋の中に備え、缶詰やレトルトパックは、玄関そばにストックするスペースを作ることにした。

 

 食料品は台所でストックするのが本来だろうが、一般に台所は家の奥まったところにある。避難するときには時間的、精神的な余裕なんてないはずだ。家を出るときに何個か拾いだして袋に詰めたり、あとあと家に戻って補充したりすることを考えると、保存食は玄関に近いところに置いていたほうが便利だし、安全だと踏んだ。

 

 それから、持出袋に各自の名前を書いた。こうすれば被災した時、避難所でも無くさないし、家の中を探して特定の持出袋がなければ、そいつは家から避難したと推察できる。

 

 そして、自分の名前を書くことで、中身について自分で責任持って管理する意識を持てる。

 また、常備薬や生理用品、化粧品など、各自必要な持ち物は微妙に違うはずなので、銀袋の中身を自分なりにカスタマイズしやすい。

 

 現に、「比企谷八幡」と油性マーカーで書いたその銀袋が、なんだか急に特別な装備に思えてきた。

 

 「装備」…なかなかグッと来る響きだ。心の古傷が甘く(うず)く…。

 

 とりあえず、我が家の備えをひと通り確認できて、俺も小町も少し安心できた。

 

 ま、これだけで足りるのかどうかは、実際よくわかんないんだけどな…まだ。

 

 実際使ってみないと、これらの効用がどれほどのものか想像できない。

 

 アルファ米とか…。

 

 … … …

 

 袋の中身を眺めつつ、ちょっと思いついた。

 

 「…小町、ちょっと食ってみるか?アルファ米。」

 

 小町が顔を上げた。

 

 「えー、なんかもったいない気もするなぁ…でも、ちょっと興味あるかも…!」

 

 「いざ食うときに不味(まず)かったってのも切ないしな。味見してみようぜ。不味かったら早いうちに別のものとチェンジできるし」

 

 俺は自分の持出袋から、アルファ米を2つ取り出した。各自1個ずつストックを減らすより、買い足しが楽な気がしたので。

 

 さっそく、小町がパックの説明書きを見ながら用意し始めた。

 

 アルファ米は、レトルトパックに1食分ずつ入っていた。今回試すのは「わかめご飯」「五目飯」の2種類だ。

 

 上部をスリット部分から破り取り、その下のジップを開けると、半透明でカリカリサラサラになった米粒が、同じくフリーズドライされた具、プラスチックのスプーンとともに入っていた。中の線までお湯を注ぎ、スプーンでくるくるとかき混ぜてから、ジップを閉じて約15分、米が戻るのを待つ。

 

 ちなみに時間はかかるが、水でもいけるらしい。

 

 15分後、ジップを開けると、中の米も具も、まるで今まさに炊きあがったようにふっくらアツアツになっていた。

 

 うおお…こんなふうになるのか…スゲえ!!

 

 結構なボリュームがあった。たぶん1パックで1合くらいあるんじゃね?1食分には十分だ。

 

 俺も小町も、アルファ米の出来上がりにテンションが上がってしまって、ついでに缶詰もいくつか開けて、かりそめの避難食パーティと洒落(しゃれ)こんだ。

 

 いや洒落こんだってのは不謹慎かもだが…ほら、子供の頃、台風の時とか、妙にワクワクしたこと、ない?そういうの、まだちょっと、ない?

 

 恥ずかしながら、うちら兄妹、割と今でもそういう感じだ。

 

 「おいひ…!五目ごはん超美味しい!アルファ米やばいすごい!!」

 「これ…わかめご飯やばいぞ、塩っ気も旨味も絶妙…おかわりしたいくらいある…!!」

 

 兄妹でやばい旨いやばいかゆ…うま…言いながらアルファ米に舌鼓(したつづみ)を打った。

 

 いやこれホント旨い。カップラーメンと同じくらい大量常備しときたいわ…。

 

 

 

 …だがこのとき、俺達はまだ知らなかった…。

 

 アルファ米が1食分、300円〜400円することを…。



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その5:こうして比企谷八幡の前に新世界への扉が開かれた。

 

 「五目ごはん1食329円…わかめごはん1食294円…(税抜)…だと…!!?」

 

食事が終わり、小町が部屋に戻った後、アルファ米を追加購入しとこうと、ノーパソでアマ○ンにログインしてぽちぽち検索してみたら…意外に高価だったのに驚いた。アマ○ンでこれだ。メーカー希望小売価格はもう少しするんだろう。

 

 うーん…いや、定食屋にいけばまぁ、同じくらいのご飯1杯150〜200円くらいするし、米をアルファ化する手間を考えると、たしかに妥当な値段なのかも…だが…。

 

 どうしても、即席フードというイメージから、カップ○ードルとかと価格比較してしまう…。

 

 しかし、味は本物だった。もし被災した時にひもじくなって、あのメシを食ったら、カップラーメンを食うよりも、確実に心が救われると信じられるくらい。

 

 俺はひとり(うなず)くと、さっき小町と食ったのと同じ、五目ごはんとわかめごはんを単品で1個ずつ注文した。

 

 ぐっ…送料込みで倍額感…っ! どっか近くで売ってねえかな…。

 

 しかし…よく見ると、ほかにも色々種類あるんだな…ドライカレーにチキンライス、松茸ごはん、赤飯なんてのもあった。

 

 小遣いリッチなときに時々食べ比べてみよっかな。

 

 などと思いながら、パソコンを開いたついでに、防災用品をあれこれ見比べてみることにして、適当に検索してみた。

 

 Web上の防災知識や用具のサイトは、さすがに玉石混淆(ぎょくせきこんこう)な感が否めないが、それでもいくつかしっかりした内容のサイトはある。

 

 そうしたサイトに大体共通して書いてあったのは、

 

 「被災後3日間を生き延びるために」

 

 というフレーズだった。

 

 先のふたつの大震災では、被災後、おおよそ3日で、最低限のライフラインが復旧され、自衛隊やボランティアが現地に駆けつけ、医療や炊き出し等を受けることができた、という経験に基づく記述らしい。

 

 なるほど、そうすると、俺ら個人の備えとしては、そんなに何日分もの食料や水を持ち運ぶ必要はない。最終的には避難所で支援を受けることを前提にして、それまでの間、最低限、命をつなぐための食料を確保していればいいのだ。

 

 その観点で、父親の買った持出袋を、改めて他のサイトで紹介されてるものと見比べてみると、割ときちんとしたもののようで安心した。

 

 昔は色々騙されていかがわしいものを買わされたこともあったようだが、だからこそ慎重になって、あれこれ情報を吟味して選んだんだろうな。偉いぞ親父。

 

 あっ、マッ缶3本くらい入れとこう。1日1本飲まないと俺死んじゃう。

 

 いやでも冗談抜きで、あれだけ練乳と砂糖たっぷりの飲み物だ。特に寒い時とかは身体の中で熱になって、いいんじゃなかろうか。しかも元気の源カフェイン入り。マジで自衛隊のレーション(野戦糧食)に採用されてもいいと思う。

 

 思いついて、さっそく箱買いしていたMAXコーヒーを三本、自分の持出袋に放り込んだ。

 

 …八幡カスタマイズ、開始。

 

 カスタマイズって言葉、男子ならいくつになってもグッとくるんじゃないだろうか。

 

 

×××

 

 

 一度興に乗ると、どんどんしょうもないカスタマイズのアイディアが浮かんでくる。

 

 袋に入っていた多機能ナイフ、ちょっと使うにはいいんだろうが、デザイン安っぽかったなぁ、どうせならミリタリー仕様みたいなかっこいいやつ買いたいなぁ…俺は、本物が欲しい…!

 

 冬場に被災した時に備えて、火を起こせる道具とかもあればなぁ。お湯を沸かせればラーメンもアルファ米もアツアツで食えるし、なんなら簡単な料理もできれば。でもカセットコンロは持ち運ぶ時にかさばるなぁ… あー、小さな鍋とかあれば重宝するだろうなぁ…

 

 などなど。

 

 つぎつぎに思いつくキーワードをグー○ル様に打ち込んで、どんなものがあるのか検索してみた。

 

 ところで、俺はこういう、モノ探しの検索をするとき、画像検索をよく使う。

 

 百聞は一見に()かずというか、写真で見たほうが自分のニーズと合うものをすぐに見つけやすいからだ。

 

 気に入ったビジュアルのものがあれば、そこからサイトにジャンプして商品名やスペック等の情報を見ればいい。ビジュアル大事。大事なのはビジュアル。

 

 羅列された画像を次々に見ていると、俺の琴線に触れてくるアイテムをいくつか見つけた。

 

 「ガスストーブ」とか「ガスバーナー」などと総称されているそれらは、どうやら登山用品で、山の上で簡単な調理をするために使う、簡易コンロのようなものらしい。

 

 手のひらに収まるくらいの大きさで、傘の骨組みを連想するような金属製の棒が組み合わさったような形をしていた。もっとも、比率としては傘よりずっと太いんだが。

 

 棒の一方の端に付いている五徳(ごとく)(鍋を置く部分)が傘のように開き、ロックで固定される。中央部には火の吹き出し口があり、そこから吹き出された炎が、五徳の上に置かれた鍋を温める仕組みだ。

 

 棒のもう一方の端は、専用の取替え式ガス缶に接続する口と、ライターのようなスイッチ式の発火装置、ガスの噴出量を調整するノブが付いている。

 

 この「ガスストーブ」を、デカイ肉まんみたいな形の専用ガス缶に、ネジ止め式に取り付けて使うようだ。

 

 これを見つけた時の俺の印象は、

 

 「おお…か、かっけぇ…!!」

 

 の一言だった。

 

 男の子はいくつになっても、火が出る道具が大好きなのです。

 

 もっと調べてみると、登山専用のガス缶だけでなく、見慣れた形の、カセットコンロ用のガス缶が使えるモデルもいくつかあった。

 

 …いや…そもそもなんでガス缶の形なんかに種類があるんだよ…1種類でいいだろ…互換性ってものを考えろよ。お前ら家庭用ゲーム機戦国時代かよ…。

 

 という素朴な疑問が沸いたが、この疑問は後に解消することになる。

 

 そうか、登山やキャンプのときに使う道具なら、コンパクトだろうし、便利そうなものがあるかもな…。

 

 登山…キャンプ…アウトドア。

 

 完全インドアのぼっちな俺にはこれまで縁もゆかりもなかった趣味分野だが、俺みたいな「防災」の観点から、こういう道具を求める奴もいるかもしれないと、とりあえずグー○ル様に、

 

 「アウトドア 道具 防災」

 

 と入力して検索してみた。

 

 画像検索の方では大したものは出てこなかったが、「すべて」サーチ結果に戻ってみると、とある登山用品メーカーの記事が先頭に表示されていた。タイトルはズバリ「暮らしの中の防災〜アウトドアの知識を活かす〜」。

 

 ほう、メーカーのサイトが直々に…などと思いながら、何気に開いて読み始めた。

 

 

 …このとき、俺の目の前に、新世界への扉は確かに開かれたのだった。

 



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その6:静かに、比企谷八幡はミッションを開始する。

 

 たまたま読み始めたそのページは、とある国内アウトドア用品メーカーのサイトのものだった。

 

 そのメーカーの代表は、先の2つの大震災の他、海外で起こった災害でも、率先して義援隊を立ち上げ、国内メーカー各社に協力を募って商品を無償提供したり募金活動したり、被災地の子ども支援、復興支援のための施設を作るなどの活動をしてきたという。

 

 代表はもともと有名な登山家だったらしく、社員も全員アウトドアの達人ばかりで、登山やカヤック、サイクルツーリングなど、アウトドアシーンでのツボをしっかり抑えた製品開発をしているようだった。

 

 俺はそっち方面はまったくの素人(しろうと)なので、いろいろウンチクを語ることはできないが、かなり大手の企業のようだし、製品には確かな支持と人気があるようだ。

 

 そのページの最後には、要約すると次のようなことが書いてあった。

 

 『アウトドア用品は、ライフライン(ガス・水道・電気)が通っていない様々なフィールドで使えるように作られている。そのため、被災地でも即時に役に立った。

 

 しかし、道具を揃えた上で、大切なのはそれらを使いこなす技術である。

 

 アウトドアでの遊びを通して得た経験とフィールドで生まれる知恵が、災害時に身を守る(すべ)へとつながるのである。』

 

 読み終わった後、俺は休憩のためにマッ缶を1本湯煎(ゆせん)することにした。

 

 雪平鍋(ゆきひらなべ)に張った水の中でコロコロ転がる黄色い缶をぼんやり眺めながら、じわじわと沸き上がってくる変な感情を自己分析していた。

 

 サイトに書かれていたことは、まさにそのとおりだろうなと思った。

 

 それはわかるのだが、アウトドア用品メーカー自身がそれを言っても、なんだか最終的には自社の商品を売り込むためのコマーシャルに聞こえてしまう…。

 

 俺の悪い癖だ。もはや持病と言ってもいい。

 

 人の行動や言葉の裏を読もう裏を読もうとしてしまう。

 

 程よく温まったマッ缶を開け、一口キメながらノーパソを置いた席に戻り、俺はブラウザのタブを追加して、今度はその代表について調べ始めた。

 

 代表の人となり、経歴をWikiペディアや自身のブログ等で見てみたり、テレビに出演したこともあったようで、動画サイトを(あさ)ってみた。

 

 あるインタビューの録画を見た時だった。代表が大震災の時に義援隊を組織し、現地に自ら(おもむ)いて商品を無償提供した時のことを聞かれていたようだ。

 

 インタビュアーの女性キャスターが遠慮がちに、企業は予算や、使途が決まっているお金など、限界があるんじゃ…と尋ねていると、代表は、みなまで聞かず即座にこう答えたのだ。

 

 「一期くらい赤字出したっていいじゃないか、この非常時に。今これ(義援隊・無償提供)をやらないと日本はダメになる。『企業だから』できることがあるんだと思う。」

 

 穏やかでのんびりした、しかし厳しさも感じる声と表情だった。

 

 ええ…会社なのに「損してもいい」ってどういう理屈だよ…?

 

 と思いながら、なお調べてみると、このメーカー、かなりの大手なのに、株式は非上場だった。

 

 つまり、企業の株はすべてその代表の手中にあるから、外から経営に口出しされることはないわけだ。

 

 そして、この代表は、企業として利益を上げることは、必要だとはっきり明言していた。

 

 その上で、「次の30年、当社を存続できるとすれば、当社が社会にとって必要とされ続けていること、当社の事業活動の経済バランスが取れていること、のふたつの要素が揃っている時だけである」

 

 という風に言っていた。

 

×××

 

 俺はいったん、PC画面から目を話し、マッ缶をすすりながら頭の中を整理した。

 

 この代表(おっさん)、只者じゃねえ…。

 

 行動にも言葉にも誤魔化(ごまか)しがない。裏表がない。

 

 会社として儲けを出すのは大事。

 

 そして時には少しくらい損しても、社会に貢献するために企業ならではのノウハウや財産を惜しみなく提供することも大事。

 

 なんなら、その社会貢献でもって新たに得た経験や知識を、あたらしい商品展開にフィードバックしてさらに利益を得ることも大事。

 

 それを繰り返すことで、会社は社会的な地位を確固としたものにできる。

 

 その考え方を貫徹するため、株式は上場せず、自分が経営を完全にコントロールできるようにしているのだろう。

 

 … … …

 

 そのメーカーのオンラインショップを見ると、独自の防災セットも開発、販売していた。

 

 俺がさっきまで調べていた他メーカーのものと比べても、細部までとことん考えぬかれて開発されたもののように見え、クオリティも高いものだった。しかも自社オリジナル商品としてのデザインの統一感があった。自社製の災害対策マニュアル本も標準装備。

 

 値段もそんなにバカ高ではない。

 

 …こういう人たちもいるんだな、世の中…。

 

 さっきのページに書かれていたのは、もちろん自社のコマーシャルだったのだ。

 

 しかし、その一文の裏にあるものは、確固とした矜持(プライド)のように感じた。

 

 うちの商品をいっぱい買ってとことん使い倒して遊んでくれ。

 いざという時は絶対その経験が役に立つから。

 

 という。

 

 自分のうっとうしい悪癖も、ここまで調べ尽くせば満足したようだ。

 

 というより、さっきとは違う意味で、なにかふしぎな感情がじわじわと沸いていた。

 

 …面白い。

 

 アウトドアの知識と経験、あと道具か。

 

 ちょっと本格的に、勉強してみるか。

 

 とりあえず、このメーカーが展開してる実店舗に行ってみたくなった。

 

 うちの近くにあるか、調べることから始めてみよう。

 



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その7:きっとどんな勇者も、生まれて初めての武器屋にはワクワクしている。

 毎度おなじみ、JR京葉線、海浜幕張駅。

 

 俺が通う総武高校の最寄り駅、稲毛海岸駅から東京方面へふた駅。5〜6分の距離だ。

 

 以前、ある依頼の時に待ち合わせに使った、「通称・変な尖ったやつ」や、すぐ近くには雪ノ下の住む高層マンション、そして夏休みに戸塚とデートした「シネプレックス幕張」がある駅だ。

 

 今日の俺の目的地は、駅の南側に隣接する、アウトレットパークだった。

 

 公園側の駐輪場に自転車を()め、建物の反対側にある入り口から入る。

 

 モールのDサイト(公園側)2階に、スポーツブランドのショップが集まっているのだが、一番奥まった所に、お目当ての登山用品メーカーのショップがあった。

 

 まさかこんな近くにあったとは…20時までやってるから、奉仕部に顔出した後で自転車で来ても余裕で間に合った。

 

 ショップの入り口では、白いベストを着たクマの人形がお出迎えしていた。なんでクマ?

 

 ショーウィンドゥには、メーカーオリジナルの登山ウェアを着せられたマネキンが数体展示されていた。登山用の服に特有の目立つ色使いながら、どぎつくはなく、ふしぎと落ち着いた雰囲気のあるデザインだった。

 

 しかし…初めて入る店は緊張するものだ。

 

 特に、これまでまったく専門外のジャンルに関するところはなおさらだ。

 

 前に雪ノ下や小町と女の子向けの店を回った時とはまた違う緊張・心細さがある。

 

 こういう店で一番怖いのは、勝手のわからないままに商品を見てると店員に捕まって、あれこれ勧められたあげくに特に欲しくもなかった服やモノを買わされてしまい、家で激しく悔やみながらもタンスの肥やしにしてしまうというパターンだ。

 

 ああ…いかん…思い出した…。

 

 中学の時に買ってしまったドクロのシルバーリング…あれは無かったわー…無いわー…いつどこに何の目的でつけていけばいいのか全く分からんだけじゃなく家に帰って何度見てみても全く似合ってなかった。

 

 あの時の俺何を考えて買ったの?グレーのジャケットも着れば今日の俺はカッコいいとか思ったの?()けちゃいそうだったの?ていうか融けれ。

 

 ああいう店の鏡にはきっとなにか魔法がかかってるんだと思うよ。でなきゃ照明だ。家の蛍光灯はシンジツの姿を(さら)す…。真実、あるいは死ん実(死にたくなるような恥ずかしい現実)。

 

 しかし俺も、あの時よりは成長した。

 

 なにも分からんうちから、いいようにカモにされてたまるか。

 

 今回俺は、あえて現金をあまり持ってきていない。

 

 なまじ金があるから買っちゃうのだ。

 

 ならば逆に背水の陣。

 

 もう今日は何を勧められても「わー、いいですね〜!でも今日はちょっと参考書買っちゃって持ち合わせないんで、また来ますねー!!」って、さりげなくお金持ってませんアピールをしようと思う。

 

 高校生だから参考書は買わなきゃなのでしょうがないんですーでもたまたま持ってなかっただけで決して常日頃から貧乏ではありませんよーというアピールも兼ねる。完璧。

 

 意を決して、店の中に入る。

 

 と、

 

 いきなり空気が変わった。

 

 なんだか、やさしい良い香りが店の中に漂っていた。

 

 …森?

 

 ほのかに甘い香りだが、ふしぎと春の森を連想させた。

 

 …見渡すと、品物を並べてある棚などは、すべて木製のようだった。それら木製の内装品から自然と香りが立ち上っているのだろうか…。

 

 落ち着いた照明で、ヒーリングミュージックが流れていた。

 

 都会の中とは思えない静かな空間だった。

 

 俺はその雰囲気に助けられ、いくぶん気楽に、ぷらぷらと、店の中を歩きまわった。

 

 まずすぐに目に入ってきたのは、登山ウェアのコーナーだった。

 

 メンズウェアのコーナーをひと通り見てみる。

 

 防寒用ジャケットやレインウェア類は、最先端の生地や最新技術を使っているようで、やはり高いなぁ…という印象だったが、ウィンドブレーカーや、その下に着るミドルレイヤー(シャツ、フリースなど)、パンツ類は、割とリーズナブルというか、ナ○キやアデ●ダスのジャージ等とどっこいくらいの価格帯のものもあった。

 

 わぁ、このリラックスパンツ、すっげえ着やすそう。値段も手が届く範囲。金持ってくればよかった。

 

 下着類はすっげえ高かった…のだが、これは多分、登山に特化した作りだからだ。

 

 何泊もしながら山々を縦走(じゅうそう)するような登山の場合、風呂や着替えはある程度犠牲にせざるを得ない。そのため、ムレにくい、臭いにくい素材を使う必要があるんだろう。普段使いの服とは着る目的がちょっと違うのだ。

 

 …まぁ、俺の場合は、山登りするわけではないのでそこまで本格装備じゃなくてもいいな…でも着心地は良さそうだなぁ…。

 

 次に、登山靴や寝袋のコーナーへ行ってみた。

 

 登山靴はまぁ、俺の目的である「防災用品」としての必要性はまだ感じなかったが、色々デザインがあって、海外メーカーのものと違い、どれもやや幅広な感じで、履きやすそうだった。靴底はブーツっぽく、がっちりしていて、足首も高く、しっかり固定できそうだった。

 

 まぁ被災時に、瓦礫の上を歩く上では最強だろう。今後検討しよう。

 

 ビジネスシューズっぽい作りのものもあった。へー意外。

 

 寝袋は、たぶんシーズンごと、寝る場所の高度というか、気温ごとに細かく種類分けされているようだった。

 

 コンフォート温度とリミット温度…?よくわからん。これは要勉強だな。

 

 うわ…!一番高い奴は70,000円近くするぞ…でもめっちゃ軽くてあったかそう…これは冬の日本アルプスとか用だな多分。

 

 かと思えば、同じくらいの分厚さで20,000円を余裕で切ってくるモデルもあった。

 

 何の差だ…?ああ、中身が天然羽毛(ダウン)か化学繊維かの違いか…どっちがどういいんだろ。やはり羽毛の方がいいのだろうか。

 

 ただどの寝袋も、表面の肌触りが絹のように滑らかでふんにゃりと柔らかくて、…若干エロいくらいあった。やべえこれにくるまって寝たら絶対いい夢見れそう。

 

 …とまぁ、こんなふうに、俺はおっかなびっくりで、でもワクワクしながら店の中を歩き回っていた。完全にレベル1冒険者感丸出しだ。

 

 次は、ガスストーブや鍋なんかの調理器具類のコーナーだ。



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その8:比企谷八幡は書を捨てて町へ出、新たな書を買い込んで帰宅する。

 調理器具のコーナーは、ウェアに負けじとスペースが確保されていて、かなり見応えがありそうだった。

 

 俺が昨夜ネットで見た「ガスストーブ」も、ひとコーナー設けられていた。

 

 が…種類が色々ありすぎて、どれにどんな違いがあるか分からない…。

 

 もちろん製品ごとにデザインは違うのだが、説明書きに表示されてる火力?カロリー?もちょっとずつ違う…どれを選べばいいんだろ…火力高い方?

 

 おっ、マイクロレギュレーターって何?シルフィードマスター…って名称だけで何かグッと来るものがあるんですけど…?

 

 ガスを使うものだけでなく、中にはホワイトガソリンを使うものもあるようだ。

 

 …って、ホワイトガソリンって何だ…?おお、足元の棚にひっそりと缶入りで売ってた…これ普通のガソリンと何が違うの…?

 

 他にも、小さな薪を入れて燃やすと、その熱で電気を起こしてスマホを充電できる道具…なんてのもある。ついでにその炎で調理もできる。なにそれ(たぎ)る。

 

 うおお…あかん、分からないことが多すぎる…!!でもどれもかっこいい…!!

 

 製品自体も決して安いものじゃないし、とりあえず今日のところは保留だ。

 

 家に帰ってネットで復習しよう。分からないものを分からないまま放置するのは好きじゃない。俺はわかりたいのだ。知って安心したい。わからないことはひどく怖いことだから。

 

 っていうかホントに怖ぇよ。間違ったものを買ったら大枚(たいまい)が飛んでいく。僕は持ち金が少ない。

 

 鍋類や食器類はそれこそ、どれも同じに見えるしどれも違って見えるし、一体何が何やら分からなかった。

 

 っていうか、明らかにメーカー名がこの店と違うやつまで一緒に並べてるけど、それってこういう店じゃ普通なの?そういうもんなの?

 

 その鍋類…コッヘルとかクッカーとかいう呼び方をするらしい…は、おおよそ共通して、円筒形の深い鍋と、折りたたみ()のついたフライパンのような、フタを兼ねる浅い鍋が組み合わさっているデザインがデフォだ。

 

 いくつかは、普通の鍋ブタのついた四角い形のものもあったが、なぜ四角なのかは不明。ただなんとなく、四角い奴は個性的だし、造りも渋くて、格好いいデザインだなと思った。

 

 しかしどれも、やたらとちっちゃい。一人分のメシを調理できるくらい、って大きさだ。

 

 防災道具としてはどうなのだろう。家族で避難生活するときはそれなりの大きさが欲しいところだな…。とりあえずチェックだけしておくか。

 

 しげしげと見比べていると、どうやらそれらのクッカーには、大別してアルミ製とチタン製があるようだ。

 

 チタンの鍋やカップは、持った感じ、これまで経験したことのない薄さ、軽さだった。なにこれすげえ。銀というより灰色のマットなチタンの質感も男心をくすぐる。

 

 ただ、アルミ製のものと比べると、倍近く高い。

 

 ほかにも、2つに分割して収納できる箸や、プラスチック製で両端にそれぞれスプーンとフォークがついてるカトラリー(食事道具)などなど、これまで見たこともないような道具類が並んでいた。

 

 その隣のコーナーは、携帯食料の棚だった。

 

 おおぅ…アルファ米売ってたよ…ここで売ってたのか…しかも各種単品売りだよ…

 

 昨日の俺の送料を返せ…!!

 

 ここも珍しいものであふれていた。カップ○ードルが異様に凝縮されたようなちっちゃなレトルト風のパック。「リフィル」とか書いてた。こんなのも作ってるのね●清…。

 

 あとは輸入ものっぽいゼリーとかチョコバー的なもの、片手で開けて食えるとうたっている小さな羊羹(ようかん)、塩飴、なぜかドライマンゴーなど。

 

 後に知ったが、これらお菓子類は「行動食」という、登山の途中休憩時にちょっと食べて疲労回復する「おやつ」のようだ。

 

 片手で食えるらしい羊羹は、一個100円(税抜)だったので、試しに数本買ってみることにした。意外にも、あんこ系のお菓子で有名な☆村屋の商品だったので、味は確かだろう。

 

 小町にも一個やろう。受験モードの頭にブドウ糖をぶち込んでやるのだ…。

 

 そして最後に、テントやバックパックのコーナー。

 

 異様に小さいテントが張られて展示されていた。

 

 デザインはシンプルで格好いいけど、めっちゃ小さくね?これほんとにテント?一人寝るのがやっとじゃないの…!?

 

 もちろん、2人用、3人用などとサイズ展開があった。折りたたんで袋の中に収納すると、大きめのバックパックには十分入りそうだった。

 

 うおお高ぇ…この一人用テントで33,000円くらい…いやこれがテントの一般的な相場なの?こっちの違うタイプの一人用のは20,000円切ってるな…重さの差か?どうやら軽いほうが高いようだ。

 

 今回は無論パスだ。知識以前にこれをポンと買う金がない…。

 

 テントのすぐ横には「ペグ」という、なにやら小さな(くい)のようなものがサイズ違いで並んでいた。

 

 テントの本体に紐を何本か付けて、この「ペグ」で引っ張って地面に打ち込んで固定し、テントが風で飛ばされないようにするらしい。

 

 これも形や大きさがさまざまで、どれを選んでいいのか分からなかった。パスパス。

 

 壁一面を使って並べられていたバックパックは、容量の違い、男女の体型別、のような基準で並べられていた。容量はリットル単位だ。

 

 普段街で目にするリュックサックくらいのもの(20リットル前後)から、70リットル級になると、いわゆる海外のバックパッカーらが背負ってるようなイメージの大きな外見だった。

 

 いったいどれが俺にとって適正な容量なのか分からなかったので、これも調べてから購入を考えようと思った。値段も高いしね。パスパスパス。

 

 なんかパスパスばっか言ってるとバスケとかサッカーの授業で全然パスもらえない奴みたいだな…

 

 俺は小中学校時代の黒い記憶の扉がうっかり開きそうになるのを必死に押しとどめた。

 

 ひと通り見まわった後、俺はとりあえず羊羹数本と、メーカーオリジナルの災害時対応マニュアル(薄手の豆本で500円位だった)だけを買い、そそくさと店を出てきた。

 

 いやいや…マジで店員とエンカウントしなくてよかった…。

 

 素敵な笑顔で「何かお探しですか?」なんて聞かれようものなら、しどろもどろにウェアとか試着しちまった挙句に金がないから逃げ帰って、恥ずかしさでその後店に行きづらくなるところだった。

 

 うわー自意識だけ高きことアイガー北壁のごとし。俺きもい。

 

 だが参考書云々の金ないスマートアピールなんて、いざ本番でスラスラやれる自信もなかったしな…。

 

 … …参考書…か、ふむ…。

 

 俺はふと思いつき、次はアウトレットモールのすぐ隣、プレナ幕張へ向かうことにした。

 

×××

 

 俺の御用達、プレナ幕張の2階の書店で、俺は何冊かの雑誌を物色していた。

 

 ダメ元で探してみたら、けっこうな種類があった。

 

 登山やキャンプ関係の雑誌だ。

 

 ちょっと製本がしっかりしたムック形式のやつだと、その道の有名人が長く愛用してるキャンプ道具の紹介本、なんてものもあった。

 

 新品のカタログとは違う、しっかり使い込まれた感じやヘタレ具合、汚れ具合が、なぜか男子的にはかっこよく見えて、物欲がグングン刺激された。

 

 俺はそのムックと、定番・最新キャンプ道具の詳しい説明(メーカーのことまで詳しく)が載ってた雑誌を1冊、買い求めた。

 

 あとはまぁ、雑誌の情報をとっかかりに、ネットでも調べまくればいいか。

 

 買う本は決めたが、まだ時間もあったので、その他の本を手当たりしだいに立ち読みしていた。

 

 一冊のムックの冒頭で、一人の中年男性が、眠たそうにテントの横で歯磨きしている写真を見つけた。

 

 写真の中でその男性は、奥に雑木林が見える緩やかな斜面にたった一人でテントを張り、まるで今しがた朝を迎えてそのテントから這い出して来たかのような風情だった。

 

 口を囲む濃いヒゲと、モシャっとした髪型が印象的で、優しさとひょうきんさをあわせ持ったような細目が、いかにも自由人のようなイメージを強めていた。

 

 彼の足元には、使い込んで自分なりにカスタマイズした調理道具や、ジャケット類が雑然と置かれていた。

 

 それが、俺にはものすごくかっこよく見えた。

 

 そのムックは結局、複数人でやるおしゃれなキャンパーさん達の特集ばっかだったけどな。



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その9:ようやく比企谷八幡は自分の道を「分かる」。

 キャンプ。

 

 アウトドア。

 

 ぼんやりと、それはリア充の勝ち組たちが最後に行き着く遊びだと思っていた。

 

 気の合う友達、もしくは家族で、ラフでおしゃれなウェアに身を包み、こだわりぬいた道具・アイテムを並べておしゃれにテントサイト(野営場所)を設営し、トマトやハーブを散らしたりなんかした鶏の丸焼き的なかっこいいウマそうな料理をダッチオーブンなどで手作りして分けあい、夜は焚火を囲んでレトロなランタンの光を背に酒を飲み、満天の星空の下で語り合う。

 

 それに加えて、日中は海で泳いだり山に登ったり、渓流釣りやロードバイクに(いそ)しんてみたり、フリスビーしてみたりハンモックで昼寝してみたり…カップルでイチャイチャしたり…。

 

 そういうイメージだった。

 

 俺が行くような世界ではないと、そう思っていた。

 

 例えば葉山や戸部や三浦たちのような、仲間とつるんで日常を楽しむことを至上とするような連中の領域だと。

 

 風薫る春も、焼けた素肌が(まぶ)しい夏も、全ての大地と空はああいう奴らが我が物顔に占拠(せんきょ)するものなのだと。

 

 くそっ…爆発しろ。リア充爆発しろ。あとついでに美少女キャラに妙にモテまくるラノベの主人公とかも爆発しろ。

 

 

×××

 

 

 …じっさい、今日買ってきたキャンプ関連の本も、ほとんどが複数の人間で楽しむキャンプのスタイルお手本集、商品カタログ集のようなものだった。

 

 帰宅して早々に風呂と晩飯をやっつけた俺は、「本読むから。」と言い残して、そそくさと自室へこもり、ノートパソコンを立ち上げながら、買ってきた本のページをパラパラめくっていた。

 

 なんでだろう。リビングでリラックスして読みふけっても別に良さそうなものだが、妙に小町や両親の前で読むことをためらってしまった。

 

 本全体からただよってくるリア充臭は、きっと今の俺には不釣り合いに見えるはずだと思ったのだ。

 

 なんせこれまで誰はばかることなくプロのぼっちを喧伝(けんでん)して回ってたからね☆なんか恥ずかしいじゃん??☆

 

 ヘタなエロ本読むよりも、廊下から聞こえる家族の足音にビクビクしちゃってるよ☆

 

 星うぜぇな☆☆

 

 まぁ、…それはそうと、ほとんど生まれて初めて「キャンプ・アウトドア」の情報に触れた俺は、未知の世界にそれなりに好奇心を()き立てられていた。

 

 俺はもうとにかく、写真に映るリア充たちの笑顔には極力目を向けず、ひたすらどんな道具類を使っているのか、そればかりチェックしていた。

 

 そう、防災!防災用具の研究のためです。研究のためなのです…!!

 

 しかし、カッコイイ人たちの使う道具はやっぱりカッコイイですね…てめぇどこ製だよ…?

 

 …へぇ…最近は「ガールズキャンプ」ってのもあるのね…女性ばっかりでおしゃれで可愛い道具ばかり集めて、目にも鮮やかなテントサイトを演出しているページがあった。

 

 どこでどうやって買い集めるんだろ、こういうかわいいの…あるんだろな、そういうお店。

 

 こういうカラーリング、由比ヶ浜とか好きそうだな…なんか。

 

 かと思えば、カヤックに荷物を積み込んで無人島まで漕ぎ出し、砂浜に幕一枚張って寝る、なんていう大胆なスタイルもあった。

 

 登山や森の中のハイキングの延長で、たった一人でテントを張り、かさばらないアルファ米やレトルトで空腹を癒やすというストイックなものもあった。

 

 おー、いちおう(ひと)りでやるスタイルもあるのね。

 

 そういうのもアリなら、俺もちょっとは気楽にやれるかな…?

 

 俺は何気なく、グー○ル様にぽちぽちと入力した。

 

 『キャンプ ぼっち』

 

 …ウッ なんだこの悲しみに満ちた言葉は…

 

 案の定というか、一番に出てきた結果は、だいぶ前に名前も忘れていたが結構好きだったぼっち芸人が、一人用キャンプ道具を紹介するサイトだった(2015年8月某日現在)。

 

 …ハチマンです… まさかの神結果でリアルに声出して笑ってしまったとです…

 

 いや…商品自体はすげえおしゃれでカッコ良かったけどね?これはマジ。割と有名なメーカーのようだし。

 

 可笑しさと切なさがないまぜになった変な感情で顔がひきつったまま、検索結果を追っていくと、もう少しマシなワードに辿り着いた。

 

 『ソロキャンプ』

 

 

×××

 

 

 ソロキャンプ。

 

 

 

 ソロキャンプ…。

 

 

 

 

 形のはっきりしない自分の心の中の需要(じゅよう)に、ばちっと名前を付けてもらったような感じがした。

 

 「…ほう…ソロキャンプ…そういうのもあるのか…。」

 

 などとジロー顔かゴロー顔かをしながら、今度は「ソロキャンプ」でどんどん検索してみた。

 

 そこから、世界が開けた。

 

 出てくるわ出てくるわ。

 

 バイクや軽自動車、スポーツカーの横に小さなテントを張り、折りたたみの椅子やテーブルを置き、今日俺が店で見てきたような調理鍋(クッカー)やガスストーブなどを駆使して一人分のごちそうを作り、たった一人で景色を愛でながら食っている人々が。

 

 やってる人々の立場はいろいろだ。仕事を定年退職して第二の人生を謳歌(おうか)しているおじさまだったり、社会や家族に尽くしつつ、息抜きを欲している人だったり、大学生の女の子バイカーだったり、生まれながらの自由人(プロ)だったり…

 

 どの人も、なんというか、旅の達人、のように見えた。

 

 見ていた中で、あるサイトの一文が気に入った。全ては引用できないが、こんなふうだ。

 

 『ソロキャンプができるということは、ひととおりの技術を身につけたということだ。

 

 自然の中での身の施し方を覚え、孤独を楽しめる、そんなアウトドアマンは、カッコイイ。』

 

 … … …

 

 これが駄文書きなら、「体中を電気が走ったような運命的な出会い」などとか、切って貼ったような表現を使うのだろうが、実際はそんな感じではなかった。

 

 もっとこう、…

 

 まるで行きたかった場所を指し示す標識を見つけて「あ、こっちだな」と思うくらい、ごくナチュラルに、それは俺の中に入ってきた。

 

 知った、とか、気付いた、というより、分かった、という言葉がより当てはまるかもしれない。

 

 ああ、そうか。

 

 分かった。ようやく分かった。

 

 俺はこれを探してたんだ。こういうふうに、なりたかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソロキャンプ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はその夜、ひたすらその言葉を検索しつづけた。

 

 



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 【ちょっと比企ペディア】キャンプ道具(ギア)…居住空間

 蛇足かも知れないな〜と思いつつ、本編にかかわってくるキャンプ道具(キャンプ・ギアとも呼ばれます)について、筆者の個人メモ的な解説をときどき置いていこうと思います。

 八幡が道具についてなんでもかんでもウンチク垂れるのは、お話として退屈になりそうだったので…(汗)

 適宜更新・追加します。


 

 【居住空間をつくるためのギア】

 

・テント

 

 キャンプ・ギアの代表格。眠ったり、風雨や雪から身を守るための空間を確保する道具。

 

 サイズは利用する人数によって様々だが、おおよその目安として、一人分の居住空間は、60センチ×200センチほど。シングルベットの半分強くらいの広さ。 

 

 中に入って入り口のファスナーを閉めると、意外と密閉されるので、換気のための小窓(ベンチレーター)がついている。

 

 内外の気温の差が大きいと、しばしば内部で結露を起こす。

 

 そのため撤収する前にしばらく日に干して中の湿気を抜く作業が必要となる。

 

 素材の種類や組み合わせにより、またテントを張るための内部ポールの特徴により、シングルウォール、ダブルウォール、自立型、非自立型など、さまざまなタイプがある。

 

 用途(登山かファミリーキャンプか等)、重さの比較、カッコよさ(笑)などでチョイスする。

 

 

・タープ

 

 テントと並んで、代表的なギア。

 

 大きな一枚布。周囲にいくつかのグロメット(ひも通し)が付けられている。

 

 これを、専用のポールや、トレッキング用の杖を柱にして屋根のように張り、細いラインで引っ張って地面に固定することで、頭上に幕を張り、日差しや雨を防ぐ空間を作る。

 

 地域のイベントの来賓席(らいひんせき)等でよく見かける、白い「テント」とか呼ばれる四本足の天幕は、どちらかというとこの「タープ」の仲間である。

 

 「タープ」の語源は「ターポリン」…木綿の生地にビニールを貼り付けた素材…から。

 

 名の由来のとおり、布自体に撥水、防水、遮光などの加工が施されている。

 

 形状は様々で、代表的なものは、おおむね六角形に近い「ヘキサタープ」、長方形または正方形の「レクタタープ」がある。

 

 ヘキサタープのほうが比較的設置しやすく、設置した時の姿がカッコイイので、メジャーかも知れない。

 

 キャンプの猛者(もさ)の中には、季節や状況によっては、テントを使わず、タープ一枚を折り紙のように曲げて張るなどしてテント代わりにし、夜を過ごす人も多い。 

 

 

・ペグ

 

 前述した「テント」や「タープ」は、風で飛ばされないよう、細い専用の紐(ガイライン)で各箇所を引っ張り、その紐を地面に固定する必要がある。

 

 その時にガイラインを地面に固定するために打ち込む(くい)のこと。

 

 素材、形状、大きさは千差万別。キャンプ・ギア選びの時に、最後まで悩み、こだわってしまう道具である。

 

 というより、気がつけばいろんな種類を買い集めてしまっていることが多い。

 

 ちなみに、テントやタープには大抵、ペグが付属しているが、作りはちゃちで、ほとんど使い物にならない。きちんとした別売りペグを買う必要がある。

 

 どのようなペグを使うべきかは、キャンプをする場所の「地面の土質」によって決める。

 

 一般的な使い分けとしては、

 

 ●硬い土や、砂利、石が埋まっている地面…硬く重いが貫通力のある鋳鉄(ちゅうてつ)製の棒状ペグ。

 

 ●柔らかい腐葉土など…断面がV字、X字などで、土に対する摩擦力の強い、通称「V字ペグ」。

 

 ●砂浜、分厚い雪…ペグではなく、「アンカー」という袋のようなものを地面に埋め、砂や雪の重さや摩擦力を利用して固定。

 

 ●達人…そこら辺の木や石や岩にガイラインをうまく縛り付けて固定

 

 …のようになる。

 

 同じ形のペグでも長さがいろいろある。

 

 おおむね20センチ〜40センチのものがよく使われており、テントよりも風の影響を受けるタープの方に、より長いものが用いられるようだ。

 

 ヘタなものを選ぶと、突風のひょうしにペグがスッポ抜け、テントが転がっていったり、ペグ自体が飛んでいった先の人やものに当たる事故が起こりやすいため、慎重にチョイスする必要がある。

 

 テントやタープの種類によって差はあるが、だいたい、テントに8本程度、タープに8〜12本程度は使う。



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その10:比企谷八幡に限らず、聞いたことのないメーカー名には誰でも戸惑う。

 ここから以降の話では、キャンプ道具メーカーを変名にていくつか登場させます。

 とはいえ、知ったかぶりは怖いので、筆者が実際に買って使ったことのあるメーカーのものだけを、筆者の印象中心に書いていきます。

 めっちゃ的外れだったり、語りがウザいところもあるかもですが、笑ってお見逃しください…汗


 …雀が鳴いている。

 

 カーテンの外が、目の前のパソコン画面と同じくらい明るくなっている。

 

 口元にべちょっとした冷たい感覚がある。

 

 俺は上半身を起こした。座ってた椅子がきしむ。なんで俺、机についてるの…?

 

 状況を理解するのに数秒かかった。

 

 …どうやら、パソコンで調べ物をしてるうちに寝落ちしていたようだ。

 

 寝間着のトレーナーの袖にヨダレがべっとり…うわー…。

 

 時計を見ると7時ちょい過ぎだった。

 

 うおぉあっぶねー…寝過ごしてなくてよかった…!!

 

 パソコン画面に目をやる。寝落ちる前に、ソロキャンパーのブログを見ていたようだ。写真入りでキャンプ道具の解説をしている記事だった。

 

 いろんな小道具の写真が載っていたが読んだ記憶がないので、とりあえず仮にブクマして、俺はパソコンの電源を落とした。

 

 …ぬぅ…寝覚めは割と最悪だ…体冷えてるし机に突っ伏してたからか背中が痛いし、口元とかヨダレでカッピカピな感じ…

 

 椅子から立ち上がって、大きく伸びをした。

 

 あくびが止まらない。眠い。眠くてたまらない。

 

 この国の基本的人権に惰眠をむさぼる権利が含まれていないのが不思議でならない。そういうのを認めてくれる憲法解釈変更の閣議決定なら大歓迎なんだけどな。一票入れちゃうよ。俺まだ17歳だけど。

 

 などと考えながら、俺は顔を洗うために洗面所へ向かった。登校までいつもより少し余裕があるが、二度寝したら確実に遅刻する自信があった。

 

 リビングでゴロゴロしてよう。

 

 

×××

 

 

 ものすごく面白い本を夢中になって読んでるとき、家族から食事や手伝いのために呼ばれると、ものっすごくイラッとする。

 

 いや、メシの用意してもらってイラッとするとは何事だ、とお叱りを受けるかも知れないが、特に読書好きにとっては激しくあるあるネタだと思う。

 

 …え、俺だけ??

 

 俺は今まさに、「ソロキャンプ」の検索において、そういう状態だった。

 

 メシを食う暇さえ惜しい。録画した深夜アニメも見る気がしない。

 

 読みかけだった漫画もラノべも脇にやって、俺はここ数日、ひたすらソロキャンプの醍醐味(だいごみ)、道具類の選び方などを、ネットで調べまくっていた。

 

 ここでも活躍するのは、グー○ル様の画像検索、そして、動画検索だ。

 

 特に某チューブとか某ニコ動画とかは、ソロキャンプ動画の宝庫だった。

 

 大体の動画は、撮影者(キャンパー)の目線でテントの設営や料理作り、焚き火の様子などを淡々と撮影して編集し、字幕をつけてる形式だった。

 

 特に料理シーンは好きだ。小さな調理用鍋類(クッカー)でちょこちょことおかずを作り、時には一人焼肉を始め、一口食うごとにカメラに親指立ててイイネ!(サムズアップ)を示してくる。

 

 

 

 

 た ま ら ん ! !

 

 

 

 

 あまりのモトメテタノハコレダ・コレナンダー感にめまいを感じた。

 

 これまでプロのぼっちなどと自負していたが、ぼっちそのものを気軽だと考えることはあっても、心から楽しいもの、やみつきになるほどの快楽、そういう風に感じたことはなかった。

 

 この動画の中には、俺のいまだ知らない黄金色のぼっち世界が広がっている気がした。

 

 是が非でもやりたい。ソロキャンプ。

 

 ソロキャンプマスターに俺はなる。

 

 

×××

 

 

 さて…数日調べて少しずつ分かってきたのが、どうやら日本に限らず、世界中には、ちょっとびっくりするほどの数のキャンプ道具メーカー・ブランドが存在するということだった。

 

 メジャーで大手だからどこよりも品物がいい、というものでもなく、「ガレージブランド」と呼ばれる、個人経営に近い小規模なブランドから、たまらなくかっこ良くて便利な製品が売られていたりする。

 

 俺が先日、店に足を踏み入れた「モンブリアン」(mont-brillant)は、いま国内で最も有名なブランドの一つだ。

 

 ここはアウトドアに関するあらゆる製品を開発・販売している。

 

 主にウェア、寝袋、テントなどの「布もの」に定評がある。製品の価格帯もリーズナブルな方で、しかし一つ一つの製品にはこだわりが見られ、コストパフォーマンスが非常に高い。

 

 自社ブランドのアルファ米も売ってた…俺が食ったやつよりちょっとだけ安かった。

 

 たぶんこのブランド一つで、頭の先からザックの中身、つま先まで、すべての道具が揃えられる。

 

 ちょっとアレだが、「アウトドア界のユニ●ロ」といえばイメージがつかめるだろうか…といっても、決して安物感はない。親しみやすさの例えとして。

 

 ファッション性もたぶん抜群だろう。俺はこのブランド、気に入った。

 

 同じくらい有名なのが、「スターピーク」(star peak)。金属製品で有名な、新潟県三条市に本社があるブランドだ。

 

 例えるなら「アウトドア界の無印○品」か。

 

 キャンプに関する道具を総合的に開発、販売していて、全ての製品がオシャレかつ高品質。特にチタン製の鍋や食器の精度とカッコよさはダントツだと思う。

 

 しかし、多分このブランドで最も有名な製品は、鋳鉄(ちゅうてつ)製でアスファルトさえも貫通する硬度を誇る棒状ペグ「ソリッドスティック」シリーズだろう。

 

 高品質ゆえ、値段は結構張るものばかりだが、安全性に関する信頼は絶大だ。そのためか、ファミリーキャンプをやる人たちにも根強いファンが多い。

 

 総合ブランドとしてあと有名なのは、「パトス」(PATHOS)。

 

 「浜辺から海抜数百メートルまで」という独自のカバー範囲を設け、リーズナブルな価格帯で商品展開をしている。

 

 リーズナブル、とはいっても、製品はなかなかいいものばかりだ。

 

 前述の独自のカバー範囲を意識して、無用なまでに高スペックに仕上げることをしていない、ということだと感じた。

 

 ウェア系はかなりかっこいい&かわいいものが多いと思う。街中で着ててもいい感じ。

 

 キャンプ道具、特に料理、バーベキュー関係のラインナップは充実していて、俺みたいな初心者は特に、いちばん取っ付きやすい感じがした。

 

 例えるなら…うーん…「アウトドア界の…ニ▲リ」…かな?

 

 「お、値段以上。」感は確かにある。

 

 ただし、千葉には店舗がない。

 

 茨城にもない。

 

 東京と神奈川にも、1店舗ずつしかない。

 

 なのになぜか埼玉には4店舗もある。なんでやねん…!!!?

 

 しょうがないのでWebでチェックするか…。

 

 

 

 まだだ…まだ終わらんよ…(興に乗ってきた)

 



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その11:物欲に支配された時、商品情報を貪欲に集めるのは、無料だからである。

 

 総合メーカーとしては今の3つがメジャーらしいのだが、日本国内だけでも、まだまだキャンプ用品の大手メーカーはある。

 

 調理用鍋(クッカー)など調理道具に関しては、凄く心惹かれるメーカーがあった。

 

 それが「ユニファイヤー」(UNIFIRE)。「スターピーク」と同じく、新潟県にあるメーカーだ。やはり金属製の商品に強みがある。

 

 ここの「角型クッカー」が、デザイン渋くてかっこ良いと感じた。

 

 たいがいのクッカーは円筒形なのだが、この角型クッカーは直方体。ザックに入れやすく、自宅での整理もしやすい、らしい。確かにそうかも。

 

 ほかに角型のクッカーは、他メーカーで2種類ほどしか確認できなかった。その中では、ここのブランドのが一番かっこいい。あとは全て円筒形だった。

 

 こういうユニークめなモノを所有することは、嫌いじゃない。

 

 俺は、なぜかメジャーなものより、こういう少数派というか、レアな感じのものにグッと来る性分なのだと思う。

 

 ここはほかにも、焚き火にかけて湯を沸かす「ケトル」(たて型のヤカン)を出してて、これもカッコイイ。画像検索とかで見ると、使ってるうちに焚き火のススで汚れ、それがまたいい使用感を(かも)し出してて、男としてシビれる。

 

 同じように金属系の商品に強みを持つのが「キャプテンスペック」(CAPTAINSPEC)。

 

 ここも新潟県にある会社のブランド。キャンプ専門というわけではなく、本来は金属製鍋などを主にした台所用品で有名なメーカー。

 

 その会社が、キャンプ・アウトドア部門として展開しているブランド名だ。

 

 …ていうか新潟県すげえな。有名なのは米くらいだと思っていたが…!!(失礼)

 

 このブランドの最大の特徴は、しっかりした機能的な製品ばかりなのに、けっこう安いということ。

 

 おそらく、さきほどの「パトス」と同じような考え方で、俺みたいな入門者やガッツリ冒険するというわけではないライトユーザー、ブランドよりコストパフォーマンス重視の人に対して魅力的であるように展開しているのだろう。

 

 「ユニファイヤー」も「キャプテンスペック」も、金属製品だけでなく、テーブルや椅子などの木製品、テントや寝袋などの布モノもある程度展開していたが、やはり「金属製品」に魅力あるものが多いように思った。

 

 

×××

 

 

 これだけブランドを一気に並べて偉そうに解説しておいてアレだが、実際のところ、俺はまだ何一つキャンプ道具を購入していなかった。

 

 

 

 

 ああ…何一つだ…。

 

 

 

 

 (赤面)

 

 

 

 

 いや、金が無えんだよ!!

 

 

 

 

 調べれば調べるほど聞いたことのないかっこいいブランドが出てくるんですよ。

 

 いろんな写真や動画見るたびにそれらの道具が誇らしげに使われてるんですよ。

 

 「こういう道具類を揃えて使いこなせればめっちゃカッコイイし男子力(?)上がるよな…!!」って、ひとりで部屋の中でソロキャンプ欲がガンガン盛り上がっちゃうんですよ。

 

 

 

 

 でも!!!金が!!!!無えんですよ!!!!!!!!!!(机ダァンッ!!)

 

 

 

 

 あんな某チューバーの人々と同じ装備でやろうとしたら、軽く2〜30万、いや、ひょっとしたらもっとかかるぞ…!!

 

 道具の情報やレビューをネットで調べるぶんには無料(タダ)だから、ショーウインドゥのトランペットを見つめる少年よろしく、見まくるしかないんだよ…!!

 

 高校生の月々の小遣いなんてたかが知れている。

 

 夏の前に予備校スカラシップを利用した錬金術で、当時少しはリッチだったが、言っても俺の成績くらいじゃ、いくらかの割引があるだけだった…。

 

 ちょっとTシャツ買って、ラーメン食い歩きして、読みたかったシリーズ物の単行本をオトナ買いして、なんてやってたら、すぐに吹き飛んだ。

 

 単行本、あと1巻くらい出そうなのにな…早く出してくれよ12巻…。

 

 1年間全額免除とか、国内トップクラスの大学を狙えると判断されなきゃ無理だ。

 

 だいたいそんな免除額になると、何十万円単位…さすがに俺でも、そんな大金を親からせしめようとする度胸はない。

 

 では、バイトでもするか…?

 

 それも手だろうが、微妙に問題もある。

 

 もう高校2年も半分以上が過ぎようとしている。3年次からは本格的に受験勉強に集中せねばならん。

 

 もうあまり、自由な時間は残されていない。

 

 今から何かバイト始めるとしても、欲しい道具を全部買えるまでの大金を稼げるとは思えない。それに、休日にもシフト入れられたりしたら、最終的にやりたいはずのソロキャンプ自体が難しくなる。

 

 あと多分、俺のことだから長続きしない(確信)。あと働きたくない(確定)。

 

 …詰みだ。

 

 … …

 

 ただ、普段なら「あ、じゃあもういいや」みたいな感じで興味を失うところなのに、ソロキャンプに関してはなぜか、簡単に諦める気にはならなかった。

 

 全部は無理でも、ちょっと今月の小遣い日まで待てば、安いクッカー1セットと、安いバーナーくらいは買える。

 

 というより、もともと俺の最初の目的は、防災用品の中に調理ができる道具を、ってことだったはずだ。

 

 ごく最初の頃の目的は、案外すぐに達成しそうなのだ。

 

 そこから、何か工夫さえすれば、金をかけずにキャンプをやる方法があるかも知れない…そんな可能性を感じていた。

 

 たとえば、テントなんかはキャンプ場でレンタルしてることもあるんじゃないだろうか。

 

 寝袋やその他の道具も、意外と1泊程度なら無しでしのげるような工夫ができるんじゃないだろうか。

 

 そんなふうに考えながら、頭を悩ませているその行為自体、嫌いではなかった。

 

 …創意工夫を遊ぶ。

 

 それがキャンプの面白みだとしても、なんだか俺の悩み方は、だいぶ低レベルなところから始まったものだ。

 

 でも、面白い。

 

 とりあえず、考えられるだけ考えようと思った。

 

 ネット上に星の数ほどある先人ソロキャンパーたちの情報の海に、俺は幾日も繰り返しダイブした。



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その12:比企谷八幡は、最も困難な選択から始める。(ガスストーブ)

 …

 

 … … …

 

 帰宅してからずっと、俺はパソコンの前で腕を組んで悩んでいた。

 

 時刻は午後11時を少し過ぎていた。

 

 目の前のPCでは、ブラウザが起動していて、タブが3つ並んでいた。

 

 すべてアマ○ンの商品ページだ。

 

 それぞれのタブに表示されているのは、俺が一番最初に買おうと決めていたキャンプ道具の候補たちだ。

 

 「ガスストーブ」。

 

 あるいは「ワンバーナー」・「シングルバーナー」とも呼ばれる。

 

 市販のガス缶を取り付けて使う、「カセットコンロの超ちっちゃい版」。

 

 他にも、ガソリンや灯油を燃料に使う「ガソリン/ケロシンストーブ」、アルコールを燃料に使う「アルコールストーブ」などがあるが、俺は最初は、一番簡単に扱えそうなガスストーブを買おうと決めていた。

 

 …買うことは決めている。問題は、「どれを買うか」だ。

 

 

×××

 

 

 「ガスストーブ」には、大きく分けて2種類ある。

 

 「使う缶の種類」による違いだ。

 

 まずは「CB缶用」。

 

 俺達が家庭内で鍋料理の時とかに使うカセットコンロ、あれに使用されるガス缶を、「CB缶」という。(C)セット(B)ンべの略だ。

 

 これに対応するストーブが、各メーカーから少ないながらも出ている。

 

 長所は、「ガス缶の調達が容易なこと」。

 

 CB缶は、スーパー、コンビニ、ホームセンター、ドラッグストア等で安く売っている。

 

 家庭内で数本くらい常備しているところも多いんじゃなかろうか。

 

 これは普段から備え置いておく防災用品としては、最大のアドバンテージだ。

 

 短所は、「持ち運びの際にかさばること」。

 

 往々にして、CB缶用のバーナーはそれ自体が比較的大きく、しかもガス缶とは別々にザック等に収納することになる。

 

 え、別々に収納て当たり前じゃね?と思うかも知れないが、次に説明する「OD缶用」は違う。

 

 「OD缶用」。

 

 これは、(O)ウト(D)アの略だ。

 

 OD缶は、あまり見慣れない形だ。例えは悪いかも知れないが、第一印象は「肉まん」。

 

 手のひらにやっと収まる大きさの、ドームのような形の缶だ。頂上に当たる部分に、ストーブに直結するためのガス噴出口がある。ちなみにネジのように回し込みながら接続する。

 

 これの長所は、「たいていの調理用鍋(クッカー)の『中に』収納できる」ということ。

 

 大半のクッカーは、折りたためる柄の付いた深い鍋に、同じ柄のついた浅い鍋をフタのようにかぶせて組み合わせ、円柱形になる。

 

 この深型の鍋の中に、OD缶はあつらえたようにすっぽりと収まるのだ。

 

 いや実際、クッカーのほとんどは明らかにOD缶の収納を意識して作られている。

 

 そしてさらに、OD缶用のストーブ本体は、傘のように閉じ開きができるゴトクをたたむと、かなりの小ささになり(差はあるが、おおむね手の中に握り込めるくらいの大きさ)、OD缶といっしょにクッカーの中へしまい込むことができる。

 

 こういう収納方法を「スタッキング」(積み重ねる)という。

 

 クッカー、ガス缶、ストーブを、ワンセットにまとめてバックパック等の中に収納できるわけだ。これは、持ち物を極限まで効率よくコンパクトに収納しようとする、登山装備の発想による。

 

 持ち運びを前提とした防災用具としては、かなりのメリットだ。

 

 短所は、ガス缶の調達元がCB缶より限定されること。キャンプ用品店かホームセンター、大きなスポーツ用品店に限られるだろう。

 

 しかも、ガス缶の単価は、CB缶よりもかなり高い。倍とまではいわないが、しょっちゅう買いためてローテーションするのは地味に辛い価格差だ。

 

 ちなみに、ちょっと前は、もっと多くの種類のガス缶があったらしいが、阪神の大震災の時に、互換性のないガス缶が使えず難儀した人が多かったことから、ガス缶の規格の整理が行われ、現在のように2種類になったらしい。

 

 さらにちなみに、ガス缶の規格は同じになったが、ガスの成分は各メーカーで微妙に違うこともあるらしい。大まかに言えば、「安いが寒さに弱い成分配合」と、「高いが寒さに強い成分配合」があるという…。

 

 

×××

 

 

 …と、そんなことばかり調べているとどんどんドツボにはまっていって、結局何を買えばいいのかわからなくなってしまったのだ。

 

 とりあえず悩みながらも俺が最終候補として選んだのは3つ。

 

 カセットボンベを使える上に本体価格が最も安い、イシタニ製「ジーニアスバーナー」。

 

 OD缶用だし価格も高いが、「マイクロレギュレーター」搭載の、OSOTO製「シルフィードマスター」。

 

 同じくOD缶用、OSOTO製の最新型「アミークス」。

 

 全て日本のメーカーだ。

 

 イシタニは、カセットコンロで有名なメーカー。アウトドア火器のブランドとしても有名で、スウェーデンの老舗「プライムス」を傘下に起き、アルコールストーブというまた別の火器で有名な「トロンギア」の輸入代理店でもある。

 

 「ジーニアスバーナー」本体の大きさはかなりあって、クッカーの中に収まらないことはないが、ガス缶と一緒は無理だ。

 

 その代わり価格は安く、機能的には必要十分で、かつ安心感がある。

 

 OSOTO(オソト)は、日本の工業用ガスバーナーのメーカーが、アウトドア用品として展開しているブランドだ。主にガスストーブの完成度で世界的な知名度を誇る。

 

 そのOSOTOが世界的ヒットを飛ばしたのが、看板商品の「シルフィードマスター」だ。

 

 ガス缶からガスを噴出させるバーナーの最大の弱点「気化熱」…スプレー缶を使い続けると缶が冷たくなり、ガスの出が悪くなるあの現象を軽減させる噴出量調整装置「マイクロレギュレーター」を搭載し、火力の安定を図っている。

 

 これは外気温が低く、缶が冷えやすい冬の登山などで威力を発揮するらしい。

 

 炎の噴出口はすり鉢状になっていて、横風の影響を受けにくい構造になっている。

 

 なにより、3つの中で一番デザイン的にかっこいい。

 

 そして、そんなすごいストーブを出したOSOTOの最新作が「アミークス」。

 

 炎の噴出口の形はすり鉢状を踏襲しているが、「マイクロレギュレーター」は搭載していない。そしてその分、価格は「シルフィードマスター」の6割強くらいだ。

 

 メーカーの紹介文やアウトドア系情報サイトのレビューでは、「初心者からベテランまで、幅広く使える」のような感じで扱われている。

 

 おそらくだが…「マイクロレギュレーター」は、冬山登山など極限状況に挑戦する人以外には、オーバースペックだという判断なのだろう。

 

 しかし、それは「初心者」のみを対象にしているわけではない。実際、全体の作りこみ方は半端ではない。

 

 多分、平地や低山でのキャンプの達人たちからも不要論があったのかも知れない。そう考えると、逆に玄人こそ好む製品なのかも知れない。

 

 ちょっとデザイン的には「シルフィードマスター」に一歩遅れるが、十分すぎるほどかっこいい外見だ。

 

 

×××

 

 

 さぁ…どうする…?

 

 俺は頭の中で、それぞれのバーナーを使っている自分の姿をイメージしていた。

 

 「キャンプらしさ」を演出するなら、「シルフィードマスター」や「アミークス」に断然、分があると思う。クッカーから取り出してカチャカチャ組み立てるところとかまじかっこいい。

 

 「マイクロレギュレーター」搭載の「シルフィードマスター」なら、他の奴らに対して「俺ァ素人じゃないんだぜ感」を演出できる…

 

 いや素人だけどね?ほら、そういうのが透けて見えるようなの、嫌じゃん?

 

 しかし経験値浅いのに背伸びして高級品買っちゃうことに、分不相応だろ、とも思ってしまう。この複雑な男子ゴコロよ。

 

 …カッコつけずに一番とっつきやすそうな「ジーニアスバーナー」にしとくか?いやしかし、荷物としてかさばるのが、後々致命的になるかもしれない…ストーブ本体とCB缶をL字型になるようにセットするのも、ビジュアル的にやっぱ見劣りする気が…

 

 それに、雑誌でもなんか「コスパ高い初心者にも最適のモデル」みたいに、さも使ってるのは初心者です的な書かれ方されてるのも気に食わない…

 

 いや、初心者だけども!!ほら!!なァ!!!わかるだろこの気持ち!!!!(心の訴え)

 

 う〜〜〜〜〜〜〜〜…

 

 深夜1時を回ったあたりで、俺は結局「ジーニアスバーナー」を、買い物カートに入れた。

 

 他の2つを諦めるのは断腸の思いだったが、やはり「ガス缶の安さ、調達のしやすさ」が決定的だった。

 

 収納時のコンパクトさに欠ける点は、「ゆーても、登山するわけじゃないから、そこまで追求しなくてもいい」と、割り切った。

 

 ていうか、季節によっては、登山でもこのバーナーを使う人は沢山いるようなので、考え尽くした上で、あまり気にしないことにした。

 

 …アレだ。初心者にも使いやすいってことは、達人も使いやすいんだよ…(詭弁?

 

 

 

 

 … … …

 

 …しかし、数カ月後には物欲に抗えず、結局「アミークス」も買ってしまうことを、この時の俺はまだ知るよしもなかった…。

 



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その13:そして比企谷八幡は自分の人生を変えるボタンを押す。(クッカー)

 …まだだ。まだ買い物は終わっていない。

 

 時計の針はすでに午前1時を大きく回っている。

 

 しかし、ここまでは今日中に決着を付けねば…!

 

 俺は眠い目をこすりながら、再びアマ○ンのタブを2つ追加した。

 

 

 

 

 お次は調理用鍋類(クッカー)だ。

 

 ただこれは、先日、実物をある程度見て来たので、だいたいの目星はつけてきていた。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 普段料理をほとんどしない俺が、なぜか、ガスストーブやクッカーなどの料理道具に異様にこだわってしまっている。

 

 一つには、防災用具の追加品として慎重に吟味していることもある。

 

 しかし、おそらく、ある意味テントや寝袋と同等、いや時にはそれ以上に、「野営」感を演出してくれるアイテムだからではないか、と感じる。

 

 イメージしてほしい。

 

 かっこいいテントの中でくつろいでいる自分。うむ、野営ってる。目は腐ってるが。

 

 寝袋にくるまって極寒の夜をしのいでいる自分。うむ。立派に野営ってる。目は腐ってるが。

 

 ガスストーブとクッカーで手持ちの食料をちまちま調理し、フーフーしながら鍋から食っている自分。

 

 あっ…!!

 

 別次元の野営っぽさ…!!!!

 

 目は腐ってるけど…!!

 

 

 

 

 わかるかなあぁぁぁぁぁぁぁああああ!!?

 

 

 

 

 わかるだろぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!?

 

 

 

 

 高いテントと高い寝袋持ってたって、コンビニ弁当食ってたら野営感薄いんだよ!!!

 

 安いテントと安い寝袋でも、ストーブとクッカーでメシ作って食ったらバリバリの野営なんだよ!!!!

 

 なんなら泊まり装備などなくたって、ちょっと外の景色いい所で、ストーブとクッカーでメシ作って食ったらもう完全にアウトドア!!まである!!!!!

 

 少なくとも俺にとって、ストーブとクッカーというのはそういうイメージだった。

 

 ところがこれがまた、死ぬほど種類がある。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 調理用鍋類(クッカー)には、現在の所、大きく分けて3つの種類がある。

 

 「ステンレス製」と「アルミ製」、そして「チタン製」だ。

 

 「ステンレス製」は、なんといっても丈夫で熱伝導率も高い。価格も安め。だが重い。

 

 「アルミ製」は、軽くて熱伝導率は非常に高い。価格も安い。あまり丈夫とはいえない。

 

 「チタン製」は、軽くて薄いわりに丈夫でしかもサビないが、熱伝導率は悪い上に、価格はすごく高い(一般的に、アルミ製の倍以上の価格)。

 

 軽さと丈夫さはわかるとして、「熱伝導率」の違いはどういう意味があるのか。

 

 端的に言えば、熱伝導率が悪いと、ガスストーブで熱せられているポイントばかりが熱くなり(大抵のガスストーブは、鍋底の1点に炎の先が集中しやすい)、料理が焦げやすい。

 

 よって、チタン製クッカーは比較的、料理を焦がしやすいらしい。

 

 アルミやステンレスは、ストーブからの熱が鍋底全体に広がりやすく、チタンよりは焦げ付きが少なくなる。中でもアルミの熱伝導率は抜群だ。

 

 なので俺は、クッカーはアルミ製にすることにした。

 

 ステンレス製も丈夫でいいなとは思ったが、重さが最後まで気になったため、今回は除外した。

 

 ちなみに逆に、チタンはその熱の伝わりにくさゆえ、皿やマグカップなどの食器類として人気が高い。

 

 ふつうの金属食器って、かっこいいけど熱いもの入れると唇付けられないくらい熱くなるもんな。

 

 「スターピーク」のチタン製のマグカップなどは、人気の、というより、もはや定番の製品だ。

 

 正直、俺もすごく欲しい。デザインといい、チタンのマットな質感といい、めちゃくちゃかっこいいもん…!!

 

 …だが、今はとにかく、メインで必要なものを買う段階(フェーズ)だ…。マグカップなど後回し…っ!!(後ろ髪引かれまくり

 

 

 

×××

 

 

 

 

 俺的クッカー購入候補は2つ。どちらもアルミ製だ。

 

 「ユニファイヤー」製の「角型クッカー3点セット」と、「スターピーク」の「トリップコンボ」だ。

 

 新潟県メーカー対決〜〜〜〜!!!

 

 「角型クッカー」は、その名のとおり、円柱形のクッカーが多勢の中で珍しい「直方体(ちょくほうたい)」。その直方体クッカーの大小サイズ1個ずつと、柄の折りたためる正方形のフライパン(表面はフッ素加工済)のセットだ。全て積み重ね(スタッキング)できる。

 

 ザックや自宅での整理・収納時に扱いやすい形で、鍋の角っこからお湯を注いだりしやすい。

 

 そして、俺的にはコレの外見は、かなりかっこいいと思った。

 

 さらに、3点セットのうち、大きい方の鍋では、「袋入りインスタントラーメンを割らずに入れて煮込むことができる」という特徴がある。

 

 円柱形のクッカーでは、袋ラーメンはまず割らないと鍋の中に入れられない。

 

 煮込んでしまえば割ろうが割るまいがあまり食感は変わらないが、ラーメン好きを公言している俺としては、ここはこだわりどころだと思う。

 

 ただ、価格は5,900円と、ちと張る。

 

 フライパンのついてない「2点セット」は4,600円だったが、キレイにスタッキングできるし、別途フライパンを買うつもりもなかったので、思い切って3点セットの方を候補にした。

 

 さてもうひとつの、「トリップコンボ」だが、これは「スターピーク」のラインナップでは、代表的なクッカーだ。

 

 外見は、マグカップのような形で折りたたみができる柄のついた深型鍋に、同じく柄が折りたためる丸底フライパンをフタ代わりにかぶせる、「円柱形クッカー」だ。

 

 それが、同じ形の大小2組のセットになっていて、マトリョーシカのように大きい組の中に小さい組がスタッキングされている。

 

 デザイン的にはシンプルで飽きの来ない感じ。

 

 こちらの価格は5,090円と、「角型クッカー」より若干安い。しかも鍋の数でいうと、合計4つで「トリップコンボ」の方が1個多い。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 クッカーの購入については、俺はさほど悩まなかった。

 

 俺が「買い物カート」に入れたのは、「角型クッカー」の方だった。

 

 ていうかね。

 

 俺にとってこの選択は、そもそも「どちらか一方を選ぶとしたら、どちらか」というものではなかった。

 

 俺にとっては、「どちらかを()()買うとしたら、どちらか」ってことだったんだよ。

 

 

 

 

 ハチマンはキャンプ沼にスケキヨみたいに頭からぶっ刺さってしまいました。

 

 病気だよ オマエ絶対 病気だよ(季語は病気)

 

 …しかしね。

 

 「なぜソロキャンプで鍋セットを何種類も買おうとするのか。その物欲はおかしい」とのたまう連中には、俺はこう問い返したい。

 

 「お前は靴を一足しか持ってないのか?」と。

 

  

 

 俺は眠さとガンガンに悩み疲れた頭で、「買い物カート」のページに進み、流れるように必要事項をチェックし、…

 

 ひとつ、ふたつ、深呼吸をして、「注文確定」ボタンをクリックした。



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その14: 高いネットショッピングは注文確定した後の後悔の波がハンパない。

 「ご注文ありがとうございました。」

 

 …画面上に注文確定のメッセージが表示された。

 

 

 

 …あっ

 

 …やっぱちょっと待っ…あっまっt

 

 あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!

 

 

 

 

 買っちゃったああああああああああああああ!!!!!

 

 買っちゃったよおおおおおおおおおおおおお!!!!!

 

 未知の世界への扉をめっっっちゃ迂闊(うかつ)に開いちゃったよおおおおおおお!!!!!!

 

 怖ええええええええええええええええ!!!!怖えよおおおおおお!!!

 

 なんでそんな迷いなくポチッとできちゃったのおおおおお!!!!!??

 

 お前ちゃんとやるんだろうなァ!?

 

 お前!!ちゃんと最後まで!!!責任持ってやるんだろうなァ!!!!!???

 

 最終巻は大団円なんだろうなァ!!!!!!!!!!!!!!!???????

 

 やってみたけどなんかうまく行かなくて面倒臭くなったので一回でやめました☆

 

 とかだったらマジでぶっ殺すぞ!!??

 

 このワンクリックで今月の小遣いの大半が飛んだんだぞおおおおお!!!

 

 … … … うううううう…!!!

 

 よく考えたらさ…よーく考えたらさ…!!ちょっと火が出るバーナーとアルミ製の小鍋とかさぁ…!!!?

 

 9,000円以上も出して買う必要あったのか!?もっと他に買うべきものとかあったんじゃないの!?

 

 新作ゲームとか新刊本とか秋冬に向けた新しい服とかさぁ…!!!?

 

 うおおおおおおおおやらかしたああああああ…かあああああ…!!!!!!????

 

 

 

 

 高い買い物をポチった興奮と全く計り知れない新しい趣味領域へ入り込むときの不安と、ひどい眠気の中で、俺はベッドに倒れこんで悶絶した。

 

 …なんか、生まれて初めてアマ○ンで、っていうかネットで買い物した時も確かこんなだった。

 

 あの時は、おっかなびっくりで個人情報打ち込んで、買ったのが本一冊だった…。

 

 わけわかんなくてなんか操作繰り返してたら、同じ本が3冊届いて母親から怒られたっけ…。

 

 …ま、まぁ、いざ届いて使ってみれば、いい買い物だったと思えるような気がする…気がするように努める…!!

 

 あの本も内容は良かったし…母親も読んでたし…うん大丈夫…失敗じゃない…(黒歴史の記憶を自己補修)

 

 …ただ、そうなるには、やはり届き次第、ガシガシ使い倒さなければならない。

 

 使って初めて、自分が買ったものに価値をつけていくことができると思うから。

 

 

 

 

 …と、とりあえず…、

 

 届いたら、なにか簡単にでも料理を作ってみよう…!

 

 

 

 

 そう心に決めた(正確にはそれまでこの思考をいったん停止しようとした)とき、俺は次の難問にぶち当たったことに気付いた。

 

 

 

 

 … …何を作ろう…?

 

 

 

 

 ソロキャンプ動画では、達人たちは実に色々なものを作って食っていた。

 

 シンプルかつ豪快に、焼肉や焼き鳥をひとりで楽しんでいた人もいたが、結構本格的にパスタとか煮込み・炊き込み料理とか作ってる人も多かった。

 

 中には木の実とか野草とか虫とかカエルとか蛇とかイワナとか、凄いのになると鹿とか…捕って調理して食ってる人もいたが…さすがにその境地には、俺はまだ到達できない…。野草とか全然わかんない…

 

 土筆(つくし)くらい?

 

 家でも、インスタントかレトルトか、やっても母親や小町の手伝いで野菜を切るくらいのことしかしたことがない。

 

 

 

 

 …よし…!

 

 

 

 

 キャンプ道具の調達と並行(へいこう)して、キャンプ飯の研究もしよう。

 

 そこまで結論付けるか付けないかのうちに、俺はいつの間にかベッドで寝落ちしていた。




たまには思いっきり八幡を落としてみたくなりました(笑)


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 【ちょっと比企ペディア】:キャンプ道具(ギア)…寝具関係

【眠るためのギア】

 

・シュラフ(寝袋)

 

 キャンプにおける寝具で一番に挙げるべきものといえば、やはりシュラフ(寝袋)だと思う。

 

 寒い思いをすることなく快適に眠れたかどうかは、キャンプの成否も左右する。

 

 シュラフには、形、中身、対応温度で、色々な種類に分かれる。

 

 

(形による種類分け)

 

 一般に、「マミー型」と「封筒型」がある。

 

 「マミー型」は、中に入った人間の形に沿うように密着度が高い、まるでマミー(ミイラ)の形に見えるタイプだ。各メーカーの高性能の寝袋ラインナップとしてはこちらが多数派。

 

 無駄な隙間のない形なので収納時のサイズが「封筒型」より格段に小さくなる。

 

 コンパクトとはいえ、各メーカーにより、伸びのいい生地、縫製によって、窮屈さを感じさせない工夫がなされている。

 

 

 「封筒型」は、その名の通り封筒のような長方形をしている寝袋。ほとんど布団のように使え、窮屈さは「マミー型」に比べて格段に少ない。

 

 ただし、収納時のサイズは大きい(大人が一抱えする程度)。オートキャンプ等に向く。

 

 なお、どちらのタイプも、ファスナー全開にすると、魚の開きのような状態に近くなり、上掛け布団として使うこともできるタイプが多い。

 

 

(中身による種類分け)

 

 「天然羽毛(ダウン)」、「化繊(かせん)(化学繊維)」に分かれる。

 

 天然羽毛は、量の割に暖かい。コンパクトに荷物をまとめる必要がある登山ではこちらがスタンダード。

 

 ただし、濡れると保温力が低下すること、価格が高いこと、手入れ(洗濯)が少し難しいことが難点。もっとも洗濯については専用洗剤が売られているし、リペア等は各メーカーが対応していることが多い。

 

 ちなみに、天然羽毛の品質を測る指標として、「フィルパワー」(FP)がある。

 

 細かい理屈は省略するが、ようするに「ふんわり度」とでもいうのか。FPの数値が高いほど、良質な羽毛(少なくても暖かい、でも高い)といえる。

 

 500FP以上は高級品。しかし普通に登山用品店では800FPとか900FPとか売られている…。

 

 …ま、冬山登山での睡眠は命に関わるからね…

 

 ちなみに、900FP(ダウンとしては最高級)のシュラフで価格は69,000円(税抜)というのがあった。

 

 化繊は、比較的安く、濡れても乾きがよく、天然羽毛より保温力低下が少ない。手入れも比較的簡単である。

 

 ただし、天然羽毛のものに比べ、内容量が多くなりがち。よって、コンパクトになりにくい。オートキャンプ(車を使ったキャンプ)などでは活躍する。

 

 

(対応温度による種類分け)

 

 「コンフォート温度」「リミット温度」などという呼ばれ方で種類分けされている。

 

 

 「コンフォート温度」等…使用者が普通の服装で使用して、寒さを感じずに眠れる外気温。

 

 「リミット温度」等…使用者が普通の服装で、眠ることはできないが寒さに一晩耐えることができる外気温。

 

 …というのがおおかたの意味だが、統一の定義があるわけではなく、各メーカーの独自の設定である。現実には、表示されている温度+10度前後を加味して考えるようである。

 

 …ただ、寒さを凌ぐためなら、保温性のある服(靴下、裏起毛のズボン、ダウンジャケットなど)を着込んで潜り込むことで、シュラフの性能を補う、という手もある。

 

 超蒸れるけど。

 

 安い買い物ではないので、買う際には、実際に店まで出向き、手触りを確かめ(コレ結構大事)、店員に想定する行き先や時期を伝え、選ぶのを手伝ってもらうのがいい。

 

 店によっては試着(というのだろうか?)もさせてくれる。

 

 

 

 …ちなみに書き手(初心者)の個人的な意見だが、夏の低地・低山でのキャンプでは、テントを張れば寝袋までは必要ないように思う。テント内は割と密閉されて暑いので。

 

 そういう時は、旅行用の薄手のブランケットを使うのもいいと思う。

 

 また、キャンプ用として毛布、布団一式を持ち込むキャンパーもいる。

 

 オートキャンプなら、それもアリだと思う。

 

 

・スリーピングマット

 

 寝袋の下に敷くクッション、兼、地面からの冷えを防止するための重要アイテム。

 

 大きく分けて、「クローズドセル」、「インフレータブル」、「エア」の3タイプ。

 

 「クローズドセル」は、いわゆる銀マットのような空気の入っていない断熱材でできたもの。保温性は一番だが、かさばる。

 

 「インフレータブル」は、クッション素材と空気による膨張で弾力、断熱性を持たせるタイプ。保温性はクローズドセルには劣る…が、最近の主流製品で、改良が加えられている。空気孔を開くと自動的に空気が入るタイプが多い。

 

 「エア」は、空気を注入してふくらませ、クッション性をもたせるタイプ。保温性は一番低い。

 

 「クローズドセル」、「インフレータブル」、「エア」の順にコンパクトに収納できる。

 

 

・コット、エアベッド

 

 コットとは、折りたたみ式ベンチのような形の、キャンプ用ベッド。寝心地は地面に横になるよりはずっと良い。が、保温性は別途、スリーピングマットと併用するなどの工夫が必要。

 

 一般的にかなりかさばるのだが、中には男性の片腕くらいまでの大きさに収納できるものもある。欲しい。

 

 エアベッドはその名のとおり、空気でふくらませるとベッド(マットレス)のようになるもの。寝心地は多分一番だろうが、超かさばる。オートキャンプでないと持ち運びは無理と思う。

 

 エアポンプ別売り式と、ポンプ内蔵式がある。電動ポンプがおすすめ。

 

 

・モスキートネット

 

 キャンプ用の蚊帳(かや)。テントのように自立するタイプや、寝袋と組み合わせて露出する顔だけを保護するタイプなどがある。

 

 夏にタープ泊(テントを使わず、タープのみで野営する)するときなどは必須かも知れない。

 

 

 

 

・余談

 

 テントを張る=寝床を定めるとき、必ず確認すべきことは、「地面が水平か」どうか。

 

 または、若干傾斜があっても「頭側→足側」になっているかどうかである。

 

 書き手は初めての泊まりキャンプの時、左側→右側にほんの少し(ほんの数度)傾斜しているのに気づかずテントを設営してしまい、傾斜感がものすごく気持ち悪くて寝心地最悪というか寝られず夜明けを迎えた。

 

 テントを張る前に、地面が水平かどうかは、絶対に確認すべきだ。



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その15:その日、比企谷八幡は新たな課題に直面する。

 19時ジャストに、玄関のチャイムを鳴らす音が聞こえた。

 

 相手は分かっている。

 

 必ず…来ると信じていた。

 

 リビングの窓から見慣れたクルマの影が見え、力強いエンジン音が耳に届いていた。

 

 はぁい、とドアの向こうに答えながら、俺の胸は高鳴っていた。

 

 待ち遠しかった。ようやく、ようやくこの日が来た。

 

 俺はいまや、喜んで、あなたが差し出す書類にサインするつもりなんだ…!!

 

 

×××

 

 

 「受け取りのサインおねがいしま〜す」

 

 指差された箇所にサインをする。自分の苗字が3文字であることすらもどかしいくらいウズウズしていた。

 

 …あっ? 

 

 誰だと思った?

 

 残念 ヤ○ト運輸でした!!!

 

 宅配業者が門扉の外に出るのを待って、俺は慌ただしくドアのカギを締め、2つの箱を抱えてリビングに駆け戻った。

 

 キタ──────────!!!!!!

 

 ニヤリとほくそ笑んでいるような企業ロゴの段ボール箱。テープをバリバリとはがすと、中からそれぞれ、箱に不釣り合いなほどコンパクトな商品が出てきた。

 

 ガスストーブ「イシタニ ジーニアスバーナー」と、クッカーセット「ユニファイヤー 角型コッヘル3個組」。

 

 …ふっ…

 

 …うへへへ…(気持ち悪い笑み)!!

 

 ポチった直後は激しく後悔したけど、やっぱ自分の手に届くと…嬉しさで頬が(ゆる)む…!!

 

 こういう気分になる買い物は久しぶりだ。

 

 

 

 

 最短日で配送してもらわず、今日この日を選んだのは訳がある。

 

 親父は出張、母親は仕事の大詰めで泊まり、そして妹の小町は塾で夜遅い。

 

 家の中でひとりきりになる絶好のタイミングだったのだ。

 

 今日この夜、俺は届いたばかりのこの2つの道具で、自分の晩飯を作ってみようと思いついたのだ。

 

 …とは言っても、大したものは作らないんだが…

 

 クッカーの大きい方の鍋でインスタントラーメン、フライパンで肉玉ねぎ炒め、ってとこかな。

 

 早速、クッカーの外箱から中身を取り出す。

 

 派手めな色の巾着型ネットに、3つのクッカーがきちんと重ねられて入っていた。

 

 ネットから取り出す。折りたたまれたそれぞれの鍋の柄が揺れてカチャカチャうるさいが、渋い銀色の鍋肌がとてもカッコ良かった。

 

 フライパンの柄を伸ばし、留め金で固定する。サイズや形はまるでおもちゃだが、作りこみや表面のフッ素加工などは本格的だった。

 

 大鍋と小鍋の柄も伸ばすと、フライパンと同じく、片手鍋として使える形になった。

 

 それぞれの柄は太い針金のようなもので出来ているが、かなり丈夫だ。力を込めて握っても歪んだりはしなかった。

 

 大きさは、やはり一人分、二人分の食事を作る程度のサイズ。

 

 鍋を(つか)んで、中華鍋みたいに中身をあおる動作をしてみる。大した意味はない。気分だ気分。

 

 3つともすぐに、傷つき防止のフィルムをはがすと、台所でよく洗った。

 

 次に、ジーニアスバーナーの開封の儀に移った。

 

 ジーニアスバーナーは、古めかしくイボイボに表面加工されたプラスチックのケースに入っていた。同じ箱の中に、オマケで小さなCB缶が入っていた。カセットコンロで使うタイプの半分の長さくらい。

 

 おいおいお得すぎるだろ…!!

 

 ストーブ本体は、俺の握りこぶしくらいの大きさ。ガスストーブとしてはかなりデカイほうだ。

 

 なんか、取り扱いの注意書きが書いてある小さな金属プレートが(くく)りつけられていたが、使用時には邪魔なので、取り外してケースの底にしまっておくことにした。

 

 ストーブのゴトク(鍋を置く腕部分)は4本。かなり安定性が期待できる。

 

 ただし、収納時は、本体上部からだらりと垂れ下がっており、固定されていない。揺らすとカチャカチャ音を鳴らす。

 

 この腕部分を270度…四分の三回転させると、ちょうど火が出る部分のすぐ横で横向きになって止まる。これを四本分繰り返す。

 

 …ただし、一本ずつまともに回転させていると、隣り合う腕同士が干渉しあってうまくゴトクを開けない。

 

 そこで、いちど本体を上下逆にしてやる。こうすると全ての腕がだらりと180度回転する。そこから一本一本横向きに留めてやるといい。ネット動画で予習済みだ。

 

 脚の部分も同じようなやり方で展開する。

 

 本体横の接続口にCB缶を押し込み、ちょっとひねって固定させると、セッティング完了だ。

 

 …生で見ると、意外としっかりした存在感があった。立派なキャンプ道具だ。ちゃちな感じは全然ない。

 

 大鍋を、ゴトクに乗せてみる。角型クッカーとこのストーブは、俺自身ほんとうに意外だったが、かなりしっくりした組み合わせに見えた。

 

 偉い。俺天才。

 

 

×××

 

 

 クッカーとストーブを台所に移動させ、早速料理開始。

 

 冷蔵庫にあった豚肉のこま切れをひとつかみと、小粒の玉ねぎを半分スライスして用意する。

 

 クッカーのフライパンにごま油をひと垂らし入れる。

 

 ガススト―ブのつまみを回す。ガスの吹き出すシュ――という音がしだした。

 

 つまみの横のイグナイタ(着火装置)を、押しボタン式ライターのようにカチッと押しこむと、ボッ!という音と共に、円錐形の青い炎が勢い良く噴き出してきた。

 

 おおおおお…!!!

 

 音はカセットコンロに比べると、ちょっと大きい感じがした。こんなもんなんだろう。

 

 フライパンを乗せ、油をなじませると、豚肉と生ネギを放り込んだ。

 

 聞き慣れたジューっという音と共に、材料が炒められていく。

 

 しかし、なんか新鮮な光景だ…!

 

 焦げ付かないように箸で素早くかき混ぜる。

 

 塩コショウで調味。ものの3分くらいで「豚肉玉ねぎ炒め」が出来上がった。

 

 次にラーメン。

 

 大鍋に水を張り、ストーブで沸騰させ、インスタント袋ラーメンを入れてほぐれるまで煮る。お湯の量を捨てて調整し、粉のスープを入れて混ぜる。調味油を入れる。終了。簡単。

 

 ネットのレビュー通り、四角い形の袋ラーメンが割らずにすっぽり入れられたのは、ちょっと感動を覚えた。

 

 

 合計10分位で、料理は完成した。

 

 

×××

 

 

 炊飯器からよそってきた白米を横に並べると、立派な(インスタント)ラーメン定食だ。

 

 今回、食器は使わずに、鍋から直に食うことにした。

 

 キャンプ道具なんだからそういう使い方してもいいんだ!楽だぜ!!

 

 さてまずはラーメンの汁をすすっt

 

 あっっっっっ()い!!!!

 

 さすがにアルミ鍋から出来たてを(じか)で、は熱い!!

 

 こりゃ、すぐには食えない…汁物作る時は丼も用意しとくべきかしら…

 

 アチアチ言いながら、適当な温度になってからようやく食い始めることができた。

 

 まぁ、麺が伸びるほどの時間はかからなかったから、いいんだけど。

 

 豚肉炒めもシンプルな味付けながらいい出来…!玉ねぎは炒めた時の香りが最高…白米によく合うな…!!

 

 フライパンから直に食うのは、男としてはなんかワイルドっぽくて愉快だ。

 

 キャンプ飯、いけるいける…こういうシンプルなので全然いいじゃないか…!!

 

 

 このとき、俺はまるで既にいっぱしにキャンプしてるような気分でいた。

 

 しかし、白米のおかわりをしようと炊飯器の方へ歩きかけた時、

 

 

 ガツン。

 

 と頭の中で何かが衝突した、気がした。

 

 

 … … …

 

 …ちょっと待て。

 

 まだダメだ。

 

 …もうひと品。

 

 もうひと品、キャンプで絶対、作れなきゃいけないものがあるじゃないか…!

 

 手に持った飯碗をまじまじと見つめた。

 

 

 

 

 …クッカーで、米を炊けるようにならなきゃ…!!!



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その16:比企谷八幡は、いまだかつてない集中力で米を炊く。

 

 アルミの薄い(ふた)を押し上げるようにして、ブジュブジュと熱い泡がとめどなく(あふ)れ出てくる。

 

 その泡ひと粒ひと粒の生まれては消える様を、まるで残さず記憶しようとしているかのように、俺は腕を組んで鍋に見入っていた。

 

 向かいの席では、妹の小町と飼い猫のカマクラが、なんだかそっくり姉弟(きょうだい)のような感じで、そろって口を半開きにして、鍋を見つめていた。

 

 

 …一瞬でも判断が遅ければ、この実験は失敗だ…。

 

 

 緊張で口の中が乾くのを感じた。

 

 

×××

 

 

 って。

 

 いや、クッカーとガスストーブで米を炊く練習してるだけなんですけどね。

 

 

 昨夜のキャンプ飯ごっこで、キャンプ道具でも料理は十分できることを体験できた。

 

 だが、米だけは、何も考えずに炊飯器に頼ってしまっていた。

 

 考えてみれば、いまや日本人にとって、「米を炊く」というのは、「洗った米を炊飯器にセットしてボタンを押す」こととほぼ同義になってしまっているのではないだろうか。

 

 俺だって普通に家事手伝いでやってるしな。俺の水加減は神だぜ。自慢じゃないが。

 

 目盛りより気持ち、表面張力の範囲内くらい気持〜ち、水位を低くするのがコツな。

 

 まぁ、例外として、古民家で暮らして釜炊きを続けている者、旨い白飯を求めて専用土鍋で炊飯している者、なんかもいるにはいるだろう。

 

 あと、日本人キャンパー。

 

 日本人としてキャンプをやるなら、米をクッカーと火でキレイに炊きあげることができるっていうのは、必須スキルとまでは言わないが、できるとできないとじゃ、レベル1とレベル2くらいの違いはあると思う。

 

 夏休みに千葉村で飯盒(はんごう)使って飯炊いたけど、アレは集団でやってたので、自分だけで炊いたってわけじゃなかった。

 

 それにあの時のは正直な所、やはり家で食う白飯に比べれば、若干(じゃっかん)香ばしすぎな感じは否めなかった。

 

 飯盒の底にはかっちりオコゲができてたし…アレがいいんだという人もいるが、俺はどうもあの香りは好きになれない。後始末も大変だしな。

 

 あのときは、野外での炊飯なんて、そんなもんなんだろうと思っていた。

 

 自然の中でそういう飯を食うのがいいんだと、自分の味覚を(だま)していた。

 

 だが、もし。

 

 炊飯器と変わらないくらい見事に米が炊けたら。

 

 それも毎回、百発百中で。

 

 

 モテる(誰に)。

 

 

 いや冗談。

 

 だが真面目な話、キャンプ飯で米が炊けるようになれば、食事の幅も広がるし、野営に対する自信にもなると思った。

 

 で、さっそくネットで、キャンプ道具を使った炊飯について、サイトやブログを(あさ)ってみた。

 

 そしたらまぁ、出てくるわ出てくるわ。みんな好きねぇ。

 

 いろんなクッカー(鍋)やストーブ(火器)の組み合わせで、理想の炊き方、炊け具合を求め続ける猛者たちの戦歴が。

 

 結構目立ったのは、北欧のキャンプ道具ブランド「トロンギア」製のメスティン(片手鍋風の飯盒)と、宴席用の固形燃料(会席料理のコースとかに付いてる、ちっちゃい一人用鍋とかを温めてるアレ)を使うやり方だった。

 

 固形燃料の燃え方に合わせて、ほっておけば自然と炊けるという方法。

 

 これはそのうち真似したいな…!

 

 だが今回、俺が主に探したのは、俺と同じ「角型クッカー」とガスストーブを使ったやり方だ。

 

 これも結構見つかった。

 

 そのうちのひとつ、炊飯に成功した記事があったブログを参考に、実際にやってみることにしたのだ。

 

 ネットってホント便利。

 

 まさに「徒然草(つれづれぐさ)」第52段。

 

 「少しのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり」だ。

 

 

×××

 

 

 今回俺が試している、ユニファイヤーの「角型クッカー」を使った炊飯の仕方はこうだ。

 

 まず用意するのは、「角型クッカー」の、小さい方の片手鍋(小鍋)。

 

 これでちょうど1合炊ける。

 

 米1合(180cc)を研ぎ、小鍋の中に移して、水を200cc入れる。

 

 これを30分〜1時間くらい、そのまま放置して、米に水を吸わせる。

 

 ちなみに…米は水に触れた瞬間から吸水するから、研ぐ段階で浄水を使ったほうがいい。

 

 水をしっかり吸わせたら、鍋をガスストーブにかける。やや強火だ。

 

 「始めチョロチョロ中パッパ…」の歌が頭をよぎるが、この歌は今回、完全に無視する。

 

 火にかけると、数分も経たないうちに沸騰し始める。ココが第一の勝負だ。

 

 沸騰し始めたら、火をすぐにとろ火まで落としつつ、小鍋の蓋を開け、中を箸やスプーンで全体をよくかき混ぜる。

 

 そう。「蓋を開けて」「かき混ぜる」のだ。

 

 このとき、なんなら鍋を火からいったん外してもいい。

 

 かき混ぜてみると、まだ米はさすがに硬く、粒がコロコロした感触があるが、案外、鍋底にしっかりと米粒がへばり付いているのを感じる。これをこそぎ取るようにしっかりとかき混ぜる。

 

 このへばり付きこそが、後のオコゲである。

 

 だから、徹底的にこそぎ取る。

 

 かき混ぜた後、蓋を閉じ、重しをして、とろ火でじんわり火を通していく。

 

 重しは、重めの陶器のマグカップを逆さにして置くのがおすすめだ。

 

 まぁ野外なら、石とかでも良さそうだけどな。

 

 やがて、鍋の蓋から熱い泡がジュブジュブ溢れてくるし、半端ないほど湯気が立ち上るが、手を触れないようにする。

 

 吹きこぼれに備え、ガスストーブの下には、何か()くといい。

 

 あとは、この湯気と吹きこぼれが収まるのを、焦らずに、しかし集中して、じっと待つ。

 

 そう。

 

 イマココ。

 

 俺は今まさに、腕を組んで、口を半開きのアホっぽい妹と猫をテーブルの向こうに見つつ、吹きこぼれの収まる瞬間を待っているのであった。

 

 さらに数分待っていると、湯気が収まってくるのが分かった。そして同時に、湯気の中に、香ばしいような水っぽいような微妙な匂いを感じた。

 

 今か…!?

 

 いや…まだか…!!?

 

 心の中で逡巡(しゅんじゅん)する。

 

 この段階では、決して鍋蓋を不用意に開けてはならない。鍋の中では蒸気が充満し、米を蒸しているからだ。

 

 うおお…どっちだ…!!もういいのか…まだダメなのか…!!?

 

 だが、自分の鼻で確かに、(わず)かな香ばしさを感じた瞬間に、俺は手を伸ばして、ガスストーブの火を消した。

 

 その動きに、小町とカマクラがビクッと反応する。いやお前ら集中しすぎだろ。

 

 俺は横に用意しておいたタオルで小鍋を巻くように包み、くるりと上下逆にしてテーブルの上に置いた。

 

 蓋の方から、熱い汁気などは垂れては来なかった。水分がしっかり米の中に入るか、蒸気として外に出て、鍋の中に水気が残ってない証拠だ。

 

 「よし…これで10分くらい放置して蒸らす。」

 

 俺は言いながら、興味深そうに小鍋にちょっかいを出そうとして、テーブルに乗ろうとするカマクラを抱き上げて阻止した。

 

 「ねえお兄ちゃん。夏に飯盒で炊いた時もだけど、なんで火から離した後、鍋を逆さにするんだろ…お米が鍋の底から離れるように?」

 

 おかずの用意を再開するために台所へ戻りながら、小町が(たず)ねてきた。

 

 「さあなぁ、実際のところ、どういう意味があるのかは調べた限りじゃはっきりしねぇんだよな…お前が言うような説と、鍋の上にたまってる蒸気を底の方へ戻して、米をよりふっくらさせるって説と、実は何の意味もないからやらなくていい説とかもあって。」

 

 だがまぁ、参考にしたブログでやってたので、今回は真似してみた。

 

 なんか、飯食う前の儀式としても面白いんじゃないの。

 

 

×××

 

 

 さて。10分後。

 

 ドキドキしながら小鍋の蓋をゆっくりと取った。

 

 小町も注目していた。

 

 鍋から顔を覗かせた米粒は、結構なボリュームに膨らんでいた。小鍋ギリギリだ。

 

 一瞬、若干ベチャッとしてるか…!?と思うような米の表面の光り具合だったが、箸でほぐしてみると、見事、炊飯器で炊いたのと変わりないくらいにふっくら炊き上がっていた。

 

 よおおおおっしゃあああああ!!!!

 

 と心の中だけで思いながら、さらに底の方までほぐしてみる。

 

 底の方も、バッチリふっくら仕上がっていた。

 

 焦げは…見当たらなかった。

 

 一口食ってみる。

 

 … … … !

 

 「…ふつうの米だ…。

 

 すげぇ、普通に家で食ってる米だ!!」

 

 静かに、だが力を込めて、俺はガッツポーズした。大成功!!

 

 やばい…自分でもキモいくらい頬が緩む…!!!

 

 小町もねだってきたので、一口食わせてやった。

 

 「…ホントだ、ちゃんと炊けてる!お兄ちゃんすごい!!」

 

 笑顔で兄を称賛する妹マジ世界一可愛い。久しぶりに(多分10年ぶりくらいに)妹からマジ褒めされてるような気がする。よしよし、小町的ポイント2倍進呈(しんてい)だ。

 

 その日の夕飯ほど、米飯が旨いと思ったことは、かつてなかった。

 

 結局、底の方にも焦げはできていず、わずかに熱で変色したうす茶色の粘りが見られただけだったが、匂いもなく、食うぶんには全く問題なかった。

 

 …ま、米1合は多すぎだった気もしないでもないけどな…。

 




 ちなみに、深鍋タイプのクッカーや飯盒なら、あえて蓋を開けっ放しで火にかけ、水を適宜調整しながら、ひたすら絶え間なくかき混ぜることで、湯気を飛ばしつつ、まぁまぁイイ感じに炊くこともできます。

 これはどっちかというと「煮しめる」に近いかな。

 その場合は、水加減に細心の注意を払います。

 私は焚き火と飯盒(丸型飯盒)でカレーライスを作るときは、このやり方で、具も米も一緒くたに煮しめてます。なかなかいい感じです。


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その17:比企谷八幡は謎の生物を躱(かわ)し、天使と密会する。

 テントとタープは一番最後に考えよう。

 

 ペグは…やっぱスタピのソリッドスティックかなぁ…。

 

 寝袋は…やっぱモンブリアンで。3シーズン用か冬でもイケる用か…二種類必要なのか…?そもそもソロキャンプのベストシーズンは秋から冬というしな…(GW、夏休み、SWが終わってファミリーキャンパーが少なくなるから)。

 

 いやいや、このへんは全部あとまわしだ。最後の最後まで知識と情報を分析してから。

 

 クッカー(調理用鍋類)は…もう二、三種類欲しいなぁ。そのうち一つは焚き火にもかけられるような…。

 

 焚き火…そうだ焚き火台。「モノリス」(MONOLITH)のファイヤーフレーム、買うならアレだな…!

 

 椅子とテーブル…は、持ち運ぶ手段がないから今はパスだな…ということは地べたスタイルか…地面に敷くシートが必要だな…。

 

 あ、OSOTOの折りたたみミニテーブル、A4サイズ、これなら持って行ける…デザインもカッコイイなぁ…。

 

 そうだ…寝るときのマットはどうする…やっぱ無難なインフレータブル(自動膨張式)か…?

 

 料理用のナイフ、まな板、箸やスプーン、フォーク…なんでキャンプ専用品だとあんなに高いの…?小ささにプレミアム付き過ぎだよ…誰の胸だよ…?

 

 あ、食材をどうやって持ち運ぶ…?クーラーボックスってどのくらいの大きさがいるんだろ…?ソフトクーラーでいいよな…?保冷剤は…?

 

 あと水の持ち運びも…。

 

 あ。ぎゃー。忘れてた。夜の(あか)り!

 

 ランタン買わなきゃだったわ…でも光量とか燃料とか、どうしよう…マントル式は敷居が高そうだな…あとデカくて重そう…。そうするとLED式かなぁ…ギェントス製…?もっと軽いのないかなぁ…ブラッドダイヤモンド製…?高ぇよ…。

 

 … … …

 

 …ていうか、どうやって持ち運ぶ…?

 

 バックパック…?何リットルのを買えばいいんだよ…どのメーカーのがいいの…?多分コスパ高いのはモンブリアンだよな…?

 

 っていうか、キャンプってホント、こだわろうと思えば荷物が(欲しい物が)どんどん増えていくな…。

 

 

×××

 

 

 「はぁ…車と金が欲しい…。」

 

 スマホで欲しいキャンプ道具を調べていたら頭が痛くなってきて、ぽつりとそうつぶやいたのを、彼女は聞き逃さなかった。

 

 「比企谷(ひきがや)くん。あなたついに人質立てこもり事件でも起こすつもりなのかしら?それにしては覇気(はき)がまるで感じられないのだけれど。」

 

 雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)は、読んでいた文庫本から目を離すこともなく冷たい言葉を投げつけてきた。

 

 「おいおい…『ついに』って何だよ…。俺はこんな目はしているが極めて遵法精神(じゅんぽうせいしん)の強い、極めて常識的な人間だと自負している。今までの行いを見てれば分かるだろ?あと覇気がないのは仕様な。」

 

 「そうね、厳密には法令に違反しているわけじゃないところが、余計に性質(たち)が悪いのよね…この男は。」

 

 雪ノ下は片手をこめかみに当ててため息をついた。お褒めの言葉をどうもありがとよ。

 

 「え?ヒッキー、クルマの免許取りたいの?」

 

 携帯をいじりながらポッキーを食べていた由比ヶ浜結衣(ゆいがはまゆい)が、顔を上げて俺の方を見た。口にモノを入れたまましゃべるんじゃありません。

 

 「あー、いやそういうわけじゃ…いやまぁ、でも、…そうだな。でも免許取るだけじゃなぁ…。」

 

 車が使えれば、行動の幅も広がる。

 

 ただ、もちろん前提として、免許を取るためにも、自由に使える車を手に入れるためにも、やっぱり金はかかる。

 

 やはり働くしかないのか…?

 

 さすがに専業主夫になって、ヨメに「ソロキャンプしたいから金くれ」とは言えないしなJK…。

 

 あ、JKって「常識的に考えて」の略ね。今俺の目の前にいる謎の生物たちのことじゃないからね。

 

 まぁ、趣味のために金を稼ぐ、と割り切るなら、働くのもいいのかも知れない…。

 

 しかし、最低限、キャンプできるくらいの休みが安定的に取れる仕事じゃないとな。コレ絶対。売上げとか締め切りとかの心配がある自営業や自由業は無理だな。いや勤め人でもなかなか難しそうだが…。

 

 それに…どのみち、自動車の免許が取れるのは18歳になってからだ。

 

 「…まぁ、早く大人になりたい…のかな。」

 

 誰に対して言うでもなかったその俺の言葉に、謎の生物たちは固まった。

 

 「…ヒッキーどうしたの…?なんか真面目に将来のこと考えてるっぽい…!」

 

 「由比ヶ浜さん、私達は高校2年生だし、確かにそういう時期ではあるのよ?」

 

 「そ、それは分かってるよ!あたしだって、まぁ、ちゃんと真面目に考えてる…よ?」

 

 なんで最後が疑問形なのかな由比ヶ浜さん。

 

 「けれどたしかに、この男がそんな殊勝(しゅしょう)な姿を見せたことは今までなかったわね…。奉仕部の活動で少しは変わったのかしら?」

 

 んなわけ無ぇだろ。

 

 人は変われないんだ。

 

 変われるとしたら、心が傷つくことの回避本能で行動が変化するか、もしくは…

 

 欲に(おぼ)れて、何かに執着するあまり、それまでになかった行動を取るようになるか、だ。

 

 はい、今まさに俺がソレ。

 

 しかし。

 

 この二人に(わけ)を話しても、おそらく理解はしてもらえないだろうと思った。

 

 話した後の会話がありありと予想できるからだ。

 

 「大人になりたい、働いてもいい」→「なんで?」→「金が欲しいから。あと車に乗りたいから」→「なんで?」→「キャンプ道具が欲しいから」→「なんで?」→「キャンプがしたいから」→「誰と?」→「ひとりで」→「は?」

 

 ってなもんだ。

 

 それまでは「なんで?」なのに、いきなり「誰と?」ってナチュラルに問われるだろうってのがポイントな。

 

 どうせキャンプはみんなでやるものっていうイメージだろう。俺も先月までそうだった。

 

 だが、「ソロキャンプ」がいかに魅力的かをこいつらに語ることなんてできない。まだ俺やったことないもん。

 

 「まぁ、…ちょっとやりたいことがあってな。いっぱしに稼げるようにならないと難しそうなんでな。」

 

 「へー、何何?」

 

 由比ヶ浜が食いついてきた。

 

 確実に「誰と?」って聞いてくるのはコイツだよな…。こんな部活入ってるけど、基本的にリア充側の人間だしな…。

 

 「…秘密。」

 

 とにかく今はペラペラしゃべる時期じゃない。漫画家や小説家になりたいって思った時と一緒だ。

 

 自分に、しかるべき準備が整うまで、心のオモテに出してはいけないのだ。そうでないと、せっかくの意気が周りからの意見で潰されてしまう。

 

 俺は、せめてミステリアスに見えるようなニヤリ笑いでそう答えたのだった。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜は、眉をひそめながらお互いに顔を見合わせた。

 

 と。

 

 完全下校時間を知らせるチャイムが響いた。もうそんな時間か。夢中で調べ物してるとあっという間だな。

 

 「んじゃ、行くとこあるんでお先。」

 

 そう言うと俺は、通学バッグをひっ(つか)んで、椅子から立ち上がった。

 

 「あ、ま、また明日ねー!」

 

 と、背中の向こうから聞こえてくる由比ヶ浜の言葉に、軽く手を上げて応えた。

 

 

×××

 

 

 …ふぅ。ジャストタイミングなチャイムだった。

 

 明日、しつこく聞かれるかなぁ…なんか別の話題を考えとかないとなぁ…。

 

 さて。

 

 行くとこがある、と言ったのは本当だった。

 

 今日はこの後、ためしに行ってみたいところがあった。

 

 だが、その前に。

 

 俺はそそくさと駐輪場へ向かった。だが、いつも自転車を()めているところからは少し離れている。

 

 外は昨日の下校時より、少しだけ薄暗い感じがした。

 

 日が傾くのが早くなったな…。

 

 行く手に、見慣れた人影がポツリと(たたず)んでいるのを見つけた。

 

 「すまん、待たせちまったかな。」

 

 人影に軽く手を上げて声をかけた。

 

 「ううん、僕も今出てきたところだった、から…。」

 

 小柄で華奢(きゃしゃ)な人影はふるふると首を振り、涼しげなソプラノボイスで応えてきた。

 

 近づくにつれ、その表情がはっきりしてきた。

 

 戸塚彩加(とつかさいか)は、小さなリュックを胸に抱きしめて、今しがた地上に降りてきた天使のような笑顔を俺に向けてくれていた。



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その18:男として、戸塚彩加にはお見通しである。

【ご注意】

 このお話はあくまでフィクションです。

 公的に認められた場所以外での火気の使用は、現実世界では決して行わないでください。


 

 秋の夕べの薄暗がりにあって、戸塚彩加(とつかさいか)の姿は、その輪郭にぼんやりと白銀色の光を宿しているように見えた。

 今世界中で起こっている幸福な奇跡を全てここに集約したとしても、かのような美しき造形を再び(つく)り上げることはできないであろう程の神の御業(みわざ)そのものが、今まさにこのとき俺だけを見つめていた。

 風に溶けてしまいそうに細く軽やかな髪はさながら螺鈿(らでん)のごとく虹を帯びて輝いている。その髪が飾るシミひとつ無い乳白色の細やかな肌は、ともすると(あお)く細い静脈が、すんなりした首元から華奢(きゃしゃ)な顎にかけて浮かび見えるほど薄い。しかし(ほほ)は、運動後だからか、ほんのりと桜色に上気しているように見えた。

 なにひとつ化粧(けしょう)など施していないのに、初成(はつな)りの小粒な果実のようにほの赤くふくらんだ唇は、上下の果肉が引き離されるのを惜しんでいるかのようにわずかずつ開かれ、次の一言を思案しているふうだった。

 髪と同じ螺鈿色(らでんいろ)の瞳は、豊かなまつげの奥から、見る物すべてに救いをもたらすかのような慈愛をたたえて俺の姿を映していた。

 一行空け改行も忘れるほど語彙(ごい)の限り描写しているが結局のところ言いたいことはひとつだ。皆さんご一緒に。さん、はい。

 

 

 と  つ  か  わ  い  い  ! ! ! 

 

 

 「…八幡(はちまん)?」

 

 戸塚が首を傾げて呼びかけてきた。風の精から祝福を授けられた歌声のように耳に心地いい。

 

 …おっといかん。うっかり仮面を脱いで告白しちまうところだった。

 

 「あ、いや、なんでもないぞ?それより悪かったな、急な頼み事で。」

 

 片膝をついてプロポーズしそうになっていたのを誤魔化すように俺は後ろ頭をかきながら戸塚に謝った。

 

 「ううん、このくらいなんでもないよ。はい、これ。」

 

 戸塚はにっこりと笑って、胸に抱いていた小さめのリュックを俺に差し出した。

 

 受け取るときに、カチャカチャという金属音と、ガサリというビニール袋の音が中から聞こえた。朝ぶりの感触だ。

 

 「水はどうするの?」

 

 「ああ、行きがけのロー■ンで買うつもりだ。余ったら捨ててもいいし。」

 

 なるほど、と戸塚は(うなず)いた。

 

 実は戸塚には朝、本当のことを話していた。

 

 俺は今日これから、生まれて初めて「外でラーメンを作って食う」という小さな冒険をしてみようと思ったのだ。

 

 今持っている道具では、キャンプなんてとてもできない。それでも、なにか簡単なことくらい出来ないか。

 

 そう考えたが、こんなことくらいしか思いつかなかった。

 

 だが、道具は足りない、いつまでも外に出られない、なんてことじゃ、アウトドアなんていつ実行できるか分からなかったからな。

 

 そしてちょうど、俺の高校の近くには、外ラーメンにうってつけの場所があった。

 

 で、朝から道具をリュックに入れて準備して来たわけだが、学校内の持ち物検査に引っかからないよう、戸塚のテニス部の朝練終了に合わせ、このリュックをテニス部室で一日、預かってもらったのだ。

 

 持つべきものは部長の友達だな…。

 

 とはいえ、俺は戸塚をいいように利用したわけじゃない。きちんと本当のことを打ち明けて、協力をお願いしたのだ。

 

 「万一の被災時、自分だけじゃなく、周りを助け、役に立つことのできる男になりたい。その訓練として、俺はソロキャンプというものをやって、男として身につけておくべきアウトドア技術、サバイバル技術を磨きたい。とりあえず第一歩として、野外炊飯の自主練をしようと思う。とはいえ周りは…特に先生らや女子勢はなかなか理解してくれそうにない。頼れるのはお前しかいなかった。男の友達として、この荷物を放課後まで預かって欲しい。迷惑は決してかけない。」

 

 ってね。

 

 「男」って言葉を各所に散りばめたのは…まぁ、いや、ほ、ホントに俺は心からそういう志を持ってアレだ。決して戸塚の心の琴線をどうこうとかそういうアレじゃなくてアレ。

 

 ハチマンウソツイテナイヨ!!最初からそうゆう趣旨だったでしょ!?ね!?

 

 「…八幡はすごいな…。こないだの地震のときとか、僕は部活中だったのに、突然のことで自分がうろたえちゃって、部員たちに何一つ指示が出来なかったんだ…。恥ずかしいよね。」

 

 戸塚が寂しそうに微笑んで、地面を見つめた。

 

 「いや、俺なんかあのとき、床に()いつくばって、平塚先生にかばってもらってたんだ。そのほうがよっぽど情けないぜ…。

 

 だから、どんな時でも冷静でいられるように、その場にいる人くらいは守ってあげられるように…今、やっときたいって思ったんだ。」

 

 「八幡…。」

 

 戸塚が(まぶ)しそうに俺を見ていた。今この神聖な視線を浴びながら、俺は灰になってもいい。

 

 「あ、念の為なんだが、…こういう訓練は、男としては、あまり周りにひけらかすもんじゃないから、みんなには秘密な。特に雪ノ下と由比ヶ浜には。」

 

 俺は声を潜めて戸塚に念押しした。

 

 「うん、分かってる。

 

 それに…なんかこういうの、楽しそうだもんね。『男』としては!」

 

 戸塚は、ちょっとだけいたずらっぽい表情を浮かべながら、ニッと白い歯を見せた。

 

 … …!

 

 …あ、やっぱ…わかっちゃってました…?男として…?(汗)

 

 急に恥ずかしくなって、俺は苦笑した。戸塚もつられて、ふふっ、と笑った。

 

 「じゃ、僕はこれからスクールだから…また明日。気をつけてね。それから、」

 

 ふと戸塚は、帰りかけた足を止めて俺を再度見つめた。

 

 「いつかは僕も…ううん、僕にも、教えてね。ソロキャンプとか、男のアウトドア技術、とか。」

 

 「!…ああ、約束する。俺なんかでよけりゃな。」

 

 俺も戸塚を見つめ返して、男の約束をした。

 

 

×××

 

 

 小走りに校門へと去っていく戸塚を見送りながら、俺はなかなかいい気分に浸っていた。

 

 こういうの、いいな…。

 

 同時に、恨めしい気持ちもいっぱいだった。

 

 あんなにいい子なのに…あんなに可愛いのにこんなに(いと)おしいのに…

 

 なんで、男なんだ…!!戸塚…!?

 

 こんな設定に誰がした…!俺の心と運命を(もてあそ)んで、一体何が楽しいんだ…!!

 

 鬼!悪魔!原作者!!

 

 俺は誰に対するでもなく、心の中でそう叫んだ。誰に対するでもなく。

 

 

×××

 

 

 花見川河口、美浜大橋。

 

 総武高校から海浜公園前の道路まで南下し、そこから右へ折れ、ひたすら幕張メッセの方向(北西)へ2キロほど自転車を()ぐと見えてくる、大きな橋だ。

 

 高校のマラソン大会での、折り返し地点でもある。

 

 ちらほらと橋の下、河口近くで、夜釣りを楽しんでいる人たちがいた。

 

 ここは確か、シーバス((すずき))が釣れるというスポットだったっけな。

 

 俺はその釣り人らに紛れ、車道から死角になりそうなあたりで、持ってきた道具でラーメンを作り、ハフハフ言いながら食っていた。

 

 風は冷たいが、ラーメンの熱と相まって、なんだか心地いい。やっぱラーメンは、寒い時期に食うのが一番うまいな。

 

 家からとりあえず持ってきたレンゲが意外に役立った。アツアツのスープもすすれる。

 

 今後はコレ、常備だな。

 

 目の前には、日没後間もない東京湾が広がっていた。

 

 視線のまっすぐ先には、対岸に羽田空港。そろそろ照明がはっきりと(とも)りだしていた。

 

 天気が良ければ、その遥か先に、富士山が頭をヒョコリと出している姿が拝める。

 

 なかなかのロケーションだ。

 

 ホントは、高校のすぐ南西、数百メートルも行かない所に、日本初の人工海岸「いなげの浜」があるので、そこでやりたかったんだが、海浜公園の敷地内で、火気禁止なのだ。

 

 まぁ、ここもダメっちゃダメなんだろうが。

 

 まぁ、何だ。

 

 青春の美名のもとに、勘弁してくださいな。

 

 実験結果。

 

 風をうまく(さえぎ)れば、外でも何の問題もなくラーメンは作れた。

 

 いや当たり前か。

 

 水は1リットルもあれば飲む分含めて十分。

 

 そして味なんだが。

 

 間違いなく俺の人生史上、最高に旨いインスタントラーメンだった。



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その19:熱中する比企谷八幡に思いがけない奇跡が訪れる。(前)

 SSを進めるにあたって、買い物やキャンプ地等の設定をするために、「八幡の家が千葉のどこにあるか」を考える必要が多少あったので、このSSに限ってのことですが、次のように推測・設定しました。

 もし実は見当違いでも「イェ―イ違いますぅ残―念―www」とか言わないでね…!判明次第すぐ修正します。ご指摘いただけるとありがたいです。

 ①原作者の渡航先生のツイッターによると、八幡は花見川区在住のようである。
  (2015/5/22 01:56:30)

 ②家から海浜幕張駅まで、バスだと15分ほどの圏内(今は値上がりしてる?)(わんにゃんショーに行くくだりや平塚先生とのラーメンデートのくだりから)

 ③家から総武高校(モデル:稲毛高校)までは自転車通学できる…自転車で30〜40分、一般的なママチャリの時速を15〜18kmとすると、高校から約7〜8キロ圏内(私も高校まで8キロちょいを自転車通学していたので、そんなもんかなと思う)

 ④川崎沙希の深夜バイトの件が解決した後、小町と自転車二人乗りで帰っていることから、海浜幕張駅近辺からはそう遠くない範囲と思われる(3〜4キロ程度?)

 ⑤平塚先生との夜の美浜大橋ドライブのくだりで、先生は「寄り道するぞ」と発言していることから、総武高校→美浜大橋方面は、八幡の家路と方角的にはそれほど外れていない

 …以上から、都合の良さそうな場所としては、総武本線の「幕張駅」周辺、と推測してみました。



 コンコン、ガチャッ

 

 「八幡(はちまん)ボールペン貸してくr…何やってんだ?」

 

 ここまでの間、約4秒。

 

 俺はベッドに寝転んで読んでいた雑誌を思わず隠そうとして、その姿をバッチリ見られてしまった。

 

 父親に。

 

 「い、い、いきなりドア開けるなよ!!」

 

 ノック後に相手の返答を聞いてからドア開けてくれよ…親父…!!

 

 一歩間違えれば大惨事(俺が)だろうがよ…!!

 

 父親は俺の様子を見て、片眉を上げると、…ほほん、と一言つぶやいて、部屋にそっと入ってきた。

 

 「あー、その、何だ、悪かった。お父さんが不注意だった。しかし大丈夫、男同士だ。俺も通ってきた道よ…なにも恥ずかしがる必要はない。…だから俺にもちょっと見せろ。」

 

 うんうんと深く理解を示すように(うなず)きながらも、顔はニヤニヤしている。

 

 くそっ、ムカつく。

 

 「え、エロ本じゃねえよ!つかエロ本だったとして、息子が持ってるのとか見たいですかお父さん!?」

 

 「父親としては子供の発育というか、嗜好(しこう)が健全かどうかは非常に気になるところでな。お前の場合まぁ、正直若干(じゃっかん)心配なところがあるっていうか。目とかホラ、親から見てもアレだし。というわけで見せろ。」

 

 目がアレってなんですか!ひどくない!?俺の嗜好がおかしいとしたら原因は一つだ。あんたに似たせいだよ親父様!!

 

 実際、俺の目の腐れ具合は父親に似てると思う。顔つきもたぶん、俺があと20〜

30年、歳を食ったらこういう風になるんだろうなという感じだ。

 

 とりあえず髪は大丈夫なようでホッとする。白髪は結構出そうだな。

 

 背格好も、俺が中学で伸びだしてから、急に近くなった。父親の方が俺より猫背だけど。

 

 声も最近似てきたって言われるけど、…俺こんな感じの声なの…?自分で把握してる自分の声と違いすぎて、軽く死にたくなるんですけど…。

 

 そんな未来の自分が思いっきりニヤニヤ笑いながら、俺のベッドに腰掛け、ホレホレと手招きするように雑誌を渡せとアピールした。

 

 「…見せてくれなきゃ、お前が部屋でエロ本読んでたって小町に言いつけるぞ?」

 

 「」

 

 ワーオ最悪だこの父親!娘に言いつけるってなかなかその発想は出ないと思うよ!?

 

 俺はまだ少しためらったが、この毒父が小町に何を吹き込むか分かったもんじゃなかったので、おとなしく読んでいた雑誌を渡した。

 

 「…最新ギアカタログ?」

 

 読んでいたのは、某登山雑誌の特集号で、まるまる一冊、最新の登山道具、キャンプ道具の紹介をしているものだった。

 

 ソロキャンプの研究をするなら、荷物をコンパクトにすることが前提の登山に関する雑誌が参考になるかなと思い、いくつか読んだ中で、比較的初心者向きで、道具の紹介記事の多めだったやつを買ったのだ。

 

 他の雑誌では、「○○ルートを初登攀(はつとうはん)」とかの、もっと登山やクライミングそのものに特化したものもあったけど、そっちはとりあえずパスだ。

 

 「…お前、登山に興味あるのか?」

 

 「や…登山っつうか、キャンプ?っつうか…。アレだ、こないだ地震あって、防災道具とかチェックしてた時に、キャンプの道具とか知識とかもあったら、役に立つよなぁと思って調べてて…。」

 

 なんだこれ、健全な話のはずなのに親に説明するのってなんか恥ずかしいぞ…?

 

 「…そういや買い置いてたやつをいろいろいじってたようだったな。そういうことか。」

 

 父親は、ふーん、という顔で、俺が渡した雑誌をパラパラとめくっていた。

 

 「…キャンプ、興味あるのか?」

 

 テントの紹介ページを読みながら、父親は更に(たず)ねてきた。

 

 「まぁ、…なんか調べてたら、面白そうだなぁと。ソロキャンプってのも、結構その、人気があるみたいだし。」

 

 口をもにょもにょさせながら、俺はなんとかかんとか回答した。我ながらキモい顔だろうな…今。

 

 『なーにがソロキャンプだ誰も一緒に行く相手いないだけだろカッコつけんな俺には分かる』とかゲラゲラ笑われるかと思ったが、父親は雑誌から目を上げないまま、

 

 「そうか…。」

 

 と、ボソリと返してきただけだった。

 

 …お?

 

 なにこの感じ?

 

 「エロ本じゃないのか…。」

 

 おい。

 

 「道具とかは?」

 

 父親はそう聞きながら、ぱたりと雑誌を閉じ、俺に返した。

 

 え、何この感じ?理解してくれちゃった風?ちょっとなんか、意外。

 

 「…あー、まぁ、別にまだ本格的にやろう、ってわけじゃないけど、防災道具も兼ねて、ガスストーブ…ちっちゃいコンロみたいなのと、あとキャンプ用の鍋のセット…は一個ずつ。」

 

 父親が見たがったので、俺は自分のガスストーブとクッカーをベッドの下から引っ張りだして、ベッドの上に広げた。

 

 「…ふーん…。」

 

 親父は片手鍋を持って、あおるような仕草をしていた。

 

 「…そっか。なるほど。」

 

 なにが『なるほど』なんだよ…気になるよ…。

 

 父親は少し考えるように、しばらく黙りこむと、そっとベッドから腰を上げ、部屋から出て行こうとした。

 

 その前に、

 

 「あ、ボールペン貸してくれ。」

 

 と、俺の机から一本持って行った。

 

 別にいいけどよ…相手の返答を待ってから持って行きなさいよ…!

 

 

×××

 

 

 翌朝。日曜日。

 

 俺はひとしきりニチアサ(日曜朝の時間帯のテレビ番組)を堪能した後、ジト目の小町と共に朝食を食っていた。

 

 母親は休日出勤らしく、あわただしく出かけていった。…ほんとお疲れ様。

 

 「あれ、父さんは?」

 

 テーブルには親父の皿はなかった。

 

 「なんか出かけてくるって。仕事じゃないみたいだけど。昼過ぎには帰るって。」

 

 「あっそう。」

 

 特に気にもせず、トーストにマーガリンを塗っていた…のだが。

 

 小町のジト目がなおも続いている。俺をじっと見ている。

 

 …なんか気まずいんですけど。

 

 「…何だよ?」

 

 高校生がプリ●ュア観たっていいじゃないかよ。

 

 「お父さんが、お兄ちゃんゆうべ、ひとり遊びしたくてなんかそういう写真いっぱい載ってる雑誌読んでたって。」

 

 飲んでないのに鼻から牛乳出そうになった。

 

 親父─────────!!!!?

 

 「男の人がそういうふうなのは分かるけど…隣の部屋でそういうのされるのって…やっぱキモい。」

 

 ほら───こういうことになる───完全に誤解されてる─────!!

 

 クソ親父め…!微妙な言い方だが間違ってはいないところがまた汚ぇ…!

 

 「…まぁ、そういうコトを娘に告げ口してくる父親もどうかと思うけど…。」

 

 ぶっ。バカ親父め。墓穴を掘ってやがる。

 

 「…小町…そう言う親父はゆうべ、自分にも見せろって強要してきたぞ…?」

 

 ムカついてたのでさらに穴を深めてやった。

 

 「ゴミ…。」

 

 女子とは思えないドスの効いた静かな罵倒が胃に響いてくる。小町の視線が痛い。

 

 完全に犠牲。俺が。

 

 俺はその後、その雑誌を小町に見せながら弁解してやっと誤解が解けるまでに、午前中を費やす羽目になった。

 

 …おかげで、俺がソロキャンプに興味を持ってることが小町にバレてしまった。




比企谷家の父親、登場させました。

ほぼオリジナルキャラみたいなもんです。

もし今後、原作方面で真の父親(どういう言い方よ)が登場したら、そのキャラを確認しつつ修正するつもりです。

私のイメージでは、比企谷父は、「強化版八幡」と言った感じです。なにがどう強化なのかは、うまく言えませんが…八幡と会話させれば、一枚上手を行く感じで描ければな、と思っています。

あと、原作では多用されていますが、「社畜」という言葉を休日出勤の母親に対する感想に入れるかどうかについて、ちょっと真剣に悩み、このSSでは積極的には使わないことにしました。


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その20:熱中する比企谷八幡に思いがけない奇跡が訪れる。(後)

 その日の午後は、ネットで調べ物をしていた。

 

 毎日のようにキャンプ関係の記事や動画を見まくっていたので、少し視点を変えて。

 

 「かばんの中身」で画像検索すると、いろんな人が自分の日常的に使ってるカバンの中身を披露(ひろう)してて、これがけっこう面白い。

 

 普段生活してるぶんには、他人のカバンの中なんて一切興味ないのに、不思議なもんだ。

 

 携帯、文具、手帳、財布、カギ類は定番だが、ノートパソコン、タブレット、MP3プレイヤーやデジカメ、飲み物を入れる保温タンブラー、常備薬や常備お菓子、歯磨きセット、女性なら化粧品。

 

 写真で披露してるだけあって、ひとつひとつの小物はこだわりを持ってセレクトされてる感じがした。それらが集まると、絵的には一人ひとり個性的で、結構サマになっている。

 

 海外の人のものでは、胚芽(はいが)パンのサンドイッチや青りんごをそのままぶっこんでる豪快な人もいて、なんかそれはそれでカッコイイなぁとか思ったりした。

 

 そんな検索遊びから、今度は「EDC」というワードに行き当たり、興味が湧いてきた。

 

 EDC…Every Day Carry(毎日持ち運んでいるもの)の略だ。

 

 略語のまま画像検索してもうまく行かないので、正式名称を入力する。

 

 すると、さっきまでとは一変。急に画像の雰囲気が不穏(ふおん)になる。

 

 全部が全部ではないが、急にナイフやフラッシュライト、拳銃が混じっている比率が高くなり、タクティカルな装備品という印象を受ける。

 

 たぶん、このジャンルの主な発生源がアメリカで、披露してる人たちがタクティカル装備好きだから、なんだろうけど。…アメリカ怖い。日本が一番。平和が一番。

 

 ただ、普段持ってるものをかっこ良く機能的にする、っていう考え方は共感するところがあった。

 

 俺のEDC…といえば、…通学カバンくらいしかない。休日に出かけるときは家の鍵と財布とスマホ以外、持ち歩くことがないからだ。

 

 通学カバンの中身をベッドの上に広げてみる。教科書類は別な。

 

 なんの変哲もない文房具類が収まった、ふつうのペンケース。

 

 MP3プレイヤーとイヤホン。

 

 スマホの緊急充電用のバッテリー。あんま使わないけど一応。

 

 ちょっと表面の銀の塗装が剥げはじめた電子辞書。

 

 一応身だしなみ用の、洗顔シートのパック。そろそろ買い足さなきゃな。

 

 読みかけの文庫本が1冊。

 

 カバンの底に落ちてたゼムクリップ一個。いや知らんぞお前なんか。いつからそこにいた?

 

 … … …。

 

 あかん。自分ではこれらにカッコよさを見出すことが出来ない。

 

 青りんご入れるか?

 

 …そういえば、通学時に災害が起こった時に備える必要もあるよな。

 

 ていうか、忘れるところだった。そもそもソロキャンプ云々も防災道具探しから始まった話だったんだ、俺の場合。

 

 なのに依然として、俺の平時は無防備なままだった。

 

 こんなことじゃいかん…!

 

 で、平時でも苦労なく持ち歩けて機能的な防災道具について、さらに調べ始めた。

 

 いわゆる、「エマージェンシーキット」「ファーストエイドキット」というやつだ。

 

 「ファーストエイドキット」…応急処置装備というのか。これは傷薬とか絆創膏とか、痛み止めとかの医薬品が中心だ。

 

 「エマージェンシーキット」だと、もうすこしサバイバル方面に寄った装備になる印象だ。

 

 画像検索すると、意外と商品としてセット売りされているものより、エマージェンシーキットを自作している人が写真をアップしている例の方が多いことに驚いた。

 

 絆創膏などの医療品はもちろん、マッチやライター、紙切れのようなメモや長さを詰めた鉛筆、はては釣り糸や釣り針なんかまd

 

 コンガチャッ

 

 「八幡(はちまん)入るぞ。」

 

 「ヒィ──ヤァ──ッ!!?」

 

 背後から突然、父親の声とドアを開け閉めする音がして、俺は心臓が飛び出しそうになって椅子からずり落ちそうになり、思わず変な声が出た。

 

 「びっっっくりしたァ…!!突然はやめろよ!!どこの格付けチェックだよ!!?」

 

 「お前、今の声はさすがにアレだ…親としても心配になるほどキモかったぞ。」

 

 父親は真剣な顔で眉をひそめた。

 

 もうやだこの父親…!なんなのホント…あとお帰りなさい。

 

 「お父さん、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)って言葉を知ってますか?」

 

 「もちろんだ。(かたわ)らに(ひと)()きが(ごと)し…。つまり、ぼっちのことだ。やーいお前のことさー。」

 

 あっ目からウロコと涙が同時に…いやいやいや。

 

 そういや「(かたわ)(いた)し」って古語もあったな。「そばで見てるとハラハラする、辛い」って意味で、笑えるって意味じゃないぞ。

 

 「…そういや父さんのせいで朝は小町に… … 何持ってんの?」

 

 父親を(にら)みつけて文句を言おうとしたが、その背負ってるものに目を奪われた。

 

 「おう、これな。」

 

 父親は何故か気まずそうに苦笑いすると、それをドサリと床に置いた。

 

 …バックパックだった。モンブリアン製の。かなりデカい。60リットルくらいあるだろうか。鮮やかな青い色をしていた。

 

 「お前にやろうと思って、預けてた爺さんとこまで取りに行ってた。中も見てみろ。」

 

 父親はそう言ってバックパックを俺に示すと、傍らのベッドに腰を下ろした。

 

 …え?

 

 …えええええ!?

 

 あまりに突然のことに、頭がよく回らない。

 

 とりあえず言われるままに、バックパックに触れてみる。あまり…というか、全然汚れていない。

 

 中には何やら入ってるらしく、多少重かった。

 

 パックの口を開けて中身を引っ張り出し、俺はさらに唖然(あぜん)とした。

 

 小さな袋が3つ出てきた。どれもみっちり詰まっている。

 

 ひとつは、モンブリアンの寝袋。大きさからして春秋用の化繊(かせん)製だ。

 

 もうひとつは、真っ青な袋に折りたたまれて入ったオレンジと青のすべすべした布。

 

 最後の一つは細長いオレンジの袋で、青い袋とセットのようだ。紐でつながったアルミの細い棒が入っていた。

 

 …テントだ。そう直感した。アルミの棒は、たぶん、連結すると骨組みのポールになる。

 

 「ランドップだ。一人用」

 

 しげしげとテントの袋を見ていた俺に、父親は一言そう言って、ニヤリと笑った。

 

 「ランドップ(LUNDOP)?…タイヤのメーカー?」

 

 別にボケたつもりじゃない。今まで調べてきたキャンプ道具のブランドには、その名前はなかった。ホントにタイヤメーカーだと思ったのだ。

 

 「本来はな。だが山岳用テントのメーカーとしても有名だ。そいつは往年の名器の復刻版みたいなもんだ。後で調べてみろ。」

 

 名器…それはなんとなく分かる。布地の肌触りはかなりしっかりしていた。

 

 「…ていうか、ほんとにもらっていいのか!?これ、全部高かったんじゃないの?

 

 それに…あんま、っていうか全然、使ってないみたいだけど…。」

 

 バックパックも寝袋もテントも、汚れやほつれは全くなかった。とはいえ、今さっき店で買ってきた雰囲気でもなかった。

 

 買ったまま放置してた。そんな感じだった。それが不思議でならない。

 

 「いいんだ。まぁ…、そのうち使おうと思って買ったけど、もう使わないから。丁度いいし、お前に全部やる。大事に使え。」

 

 なぜか父親は、少しそっぽを向いて、床を見つめながらぽつぽつと言うと、ベッドから立ち上がって、部屋を出て行こうとした。

 

 「あ、…ありがとう!マジうれしい。大切に使わせてもらうぜ…!!」

 

 慌ててお礼を言う。そんなもんじゃ足りないくらいのもらい物のはずなのに、突然の僥倖(ぎょうこう)に頭が働かず、そのくらいしか言えなかった。

 

 父親は軽く手を上げてそれに応え…、一言付け加えた。

 

 「あー、八幡。いいか、母さんや小町にはこう言え。『父さんが学生時代に使ってた道具がキレイに残ってたから、譲ってもらった』ってな。コレだけは約束な。」

 

 それは嘘だ。俺も理解していた。これらは全部、長くともほんの2〜3年くらい前に買ったものだろう。なぜ買ったのかは分からないが。

 

 だが多分…、理由はともかく、それなりに値が張った買い物だったはずだ。母親が了解していたとは思えない。つまり、そういうことなんだろうと理解した。

 

 「ああ、分かった。」

 

 父親の背中に、俺はきっぱりと約束した。

 

 父親は振り返らずに(うなず)くと、部屋を出て行った。

 

 

×××

 

 

 …後日、俺は父親自身の口から、これらの道具を買った訳を聞かされることになるが、とりあえず今は置いといて、話を進めることにする。



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その21:比企谷八幡は青に飲み込まれる。(テント)(寝袋)

 ランドップ(LUNDOP)。

 

 イギリス発祥のブランド。

 

 1889年、世界初の「空気入りタイヤ」を発明したアイルランド人獣医師が設立した会社が起源だ。日本では1909年に工場が設立された。

 

 タイヤメーカーとしての歴史・知名度は世界的なものだから、だれでもテレビのCMとかでいくらかは見聞きしたことがあると思う。

 

 しかし、アウトドアブランド、特にテントのメーカーとしての知名度も、実は相当なものなのだ。

 

 1971年、日本人の手により開発された世界初の「吊り下げ式テント」が、このブランドを冠して発売された。

 

 後述するがこの「吊り下げ式」は、それまでより設営が簡単に行える画期的な方法で、世界を驚かせた。現在ではメジャーな組み立て方式である。

 

 1980年代にランドップは経営難に陥り、部門ごとに買収された。アウトドア部門は、日本の財閥系会社が買収し、別会社を設立してブランドを保持している。

 

 ランドップテントの特徴は、ひとことで言うと「ものすごく丈夫で長持ちなこと」。

 

 実際、いまだに数十年前のランドップテントを保存し、愛用している人もいるようだ。

 

 

×××

 

 

 今、俺の目の前にある「ランドップ」の一人用テント「VSS10」は、歴史と伝統のある「吊り下げ式」ランドップテントの現行品だった。

 

 日本製である。

 

 布は特殊なポリエステル素材。濡れても乾きやすく、紫外線劣化に強い。

 

 青とオレンジのカラーリングはこのブランドの代表的な組み合わせで、伝統を踏襲(とうしゅう)している証だろう。

 

 価格は4万円弱。ブランド物のテントとしては、標準的〜やや安めな価格帯だ。

 

 しかし…やっぱ、高校生はおろか、大人でもポンと買うのはためらうんじゃないの…?

 

 俺はネット画面と、同梱(どうこん)されたままだった、読まれた形跡のない取扱説明書を交互に眺めていた。

 

 …自分の身に何が起きたのか、まだ完全に了解できたわけではなかったが、父親が部屋を出てしばらくすると、じわじわと興奮が胸の中を熱く圧迫してきた。

 

 すげぇ…すげぇ!!

 

 一気に準備が整った…!!

 

 いやもちろん、まだ細かい()りようのものはあるけれども、それは俺の小遣いでも何とかなるかも知れないレベルだった。

 

 これ…できるぞ…

 

 ソロキャンプできるぞ…!!

 

 この時の俺は、さぞかし気持ち悪い顔をしてニヤニヤデレデレしていたことと思う。

 

 サイズを確認してみる。VSS10は一人用テントで、幅205センチ、奥行き90センチ、高さ100センチだった。

 

 この205センチの辺の方に出入口が付いている。

 

 数値的には、広さとしてはシングルベッドよりちょっと狭いくらいだろうか。

 

 … … …。

 

 部屋の中でも組み立てられるな…。

 

 こわごわと、袋から全ての中身を取り出す。

 

 吊り下げ式テントの組み立て方は、動画でも何度か観た。

 

 やれるはずだ。ていうかやれないとキャンプなんて無理だ。

 

 …まず、デカいオレンジ色の巾着袋のような形のインナーテント(テント本体)を、底の部分だけ床の上に広げて、その上にファサッと、袋の上部分全体を乗せる感じに置く。

 

 テントのてっぺん部分に黒いツマミのような部品が付いているので、それが中央に来るように。

 

 骨組みとなるポールは一定の長さに分割できる細いパイプ状で、中に紐が通されている。見た目は武術で使う三節棍(さんせつこん)のような感じだ。三節棍のほうが余計分かりにくい?ごめん。

 

 紐でつながっているそれらパイプ同士を互いに接続すると、二本の長いポールができる。それらを固定用の別の部品の穴に通しつつ、交差させる。

 

 そしてそれぞれのポールの端っこを、インナーテントの四隅に設けられたスリーブ(ポケット状の差し込み部分)に差し込んでいく。ポールの端っこは球状のパーツが付いてるので、するっと入り込んでくれる。

 

 差し込むときは少し力を込めて、ポールをしならせながら。

 

 しかし割と簡単に、インナーテントの四隅にポールを差し込めた。

 

 これで、二本のポールは、インナーテントの真上で交差しながら、インナーテントの四隅を外側へ張りつつ、アーチを描く形になる。

 

 今度は、インナーテントのてっぺんに付いている黒いツマミ的なパーツを持ち上げ、ポール交差点の固定具の下部分にはめ込む。

 

 さらにインナーテントにいくつか付いているフックを、ポールに引っ掛けていく。

 

 これで、インナーテントは、直上で交差しているポールに、全体的に「吊り下げられた」ような恰好になった。

 

 仕上げに、この上から、防水用の真っ青なフライシート(上掛けカバー)をかぶせる。

 

 フライシートの裏側には、ポールに結びつけて固定できるように紐が四カ所、縫い付けられている。四隅ともきちんと結びつける。

 

 このへんの方法論はなんかクラシックだな。

 

 これで、大方の組み立ては終了だ。

 

今俺の目の前には、真っ青なカバーの下からちらりとオレンジ色のインナーテントが覗いている、なんともド派手なテントが現れていた。

 

 外で張るときは、あと、フライシートの四隅に付いている細い紐を地面に向かって伸ばし、付属のペグ(小さな杭)を地面に打ち込んで紐を引っ掛けてピンと張り、テント全体を地面に固定するだけだ。

 

 インナーのファスナーを開いて中を覗いてみる。ちなみに入り口部分は(メッシュ)になっている。

 

 狭っ!

 

 頭がつきそうなくらい、天井は低い。かなり狭い。

 

 中に入ってみる。

 

 まぁ、一人用ならこんなもんかな。モンブリアンの一人用テントも店で見たけど、コレくらいの大きさだった。

 

 インナーのオレンジと外側のフライシートの青色が内部では混じって、薄暗いグリーンとして目に入ってくる。意外と落ち着くな…。

 

 フライシートはテントの足元までは隠していず、足元だけはオレンジが(まぶ)しい。

 

 テント内部から、インナーのファスナーを閉めてみる。

 

 … …結構、密閉感があるんだな…。

 

 換気口が付いているが、意識して開けとかないといけないな。ヘタしたら息が詰まるんじゃないかってくらい、意外と密閉性が高い。

 

 ただ、そのせいか、内部の空気が体温ですぐに温まってくる。冬も使う山岳テントとしては、こういう特性がなくちゃいけないのかもな。

 

 

 ちょっと暑くなってきたところで、テントから()い出し、今度は撤収、収納の練習をする。

 

 ま、さっきと逆の手順をやるだけだ。

 

 特に問題なく、イメージしてたよりもあっけなく、テントの設営と撤収はこなすことが出来た。

 

 これは…いいものだ…!!

 

 収納したテントの袋をバックパックの中に戻しながら、俺はなんだかホッとした気分になった。

 

 なんでか分からないけど、「テントをひとりで組み立てられるか」ってことに、ずっとぼんやりした不安感があったのだ。

 

 こんなに簡単にできるとは、正直、思っていなかった。

 

 できたな、俺…。

 

 ひとつ、自分で自分を正当に評価できたような気がした。

 

 

×××

 

 

 さて。

 

 次は寝袋だ…。

 

 モンブリアンの「バロンバッグ#5」。中綿は化学繊維(かがくせんい)だ。

 

 コンフォート温度(快適に就寝可能な温度)は9℃以上。リミット温度(寝られずとも一晩しのげる限界温度)は4度。いずれもメーカーの独自の表記だ。

 

 モンブリアンの寝袋としては、かなり薄手の部類に入る。

 

 そんなに冷えない春秋なら泊まりキャンプで使える感じ、って思ってていいのかな。

 

 色は紺に近い深みのあるブルー。手触りはさすがのモンブリアン。エロいくらいすべすべだ。

 

 袋から取り出し、床に広げてみる。綺麗なマミー型(人の輪郭に沿った、包帯を巻かれたミイラのような形)だ。

 

 袋を開くためのファスナーは右側についていた。ちなみに一部の寝袋は、左利き用にファスナーが左に付いているモデルもあるらしい。

 

 全開にすると、魚の開きのようにほぼ全体がバカっと開く。暑い時はこのまま掛け布団的に使っても良さそうだな。

 

 シュルっと中に入って、ファスナーを閉め、頭のフード部分もしっかりかぶってみた。

 

 …今俺は完全に、青いミイラ状態になっていた。

 

 着心地というか、寝心地はかなりよかった。意外と窮屈(きゅうくつ)ではない。

 

 すべすべで気持ちいいナリィ…!!

 

 で、これまた意外と密閉性が高いので、部屋の中だからかも知れないが、すぐに中がぽかぽかしてきた。

 

 うーむ…あのテントの中でコレ着て寝たら、結構な寒さでもいけるんじゃね…?服も多めに着こめば…。

 

 素人考えなのかもだが、実際に体感しながらそう考えた。

 

 ただやっぱ、床と接してる部分は固さを感じるし、冷たい。下にスリープマットを敷く意味が分かるぜ…。必要だなコレは。

 

 最初はとりあえず伝統の銀マットでいいかn

 

 コガチャッ

 

 「お兄ちゃん消しゴム貸─────ッ!!!?」

 

 小町がノックと同時にドアを開けて入ってきた。ノックの意味ねえな。

 

 そして床に転がっている(あお)寝袋(ころも)(まと)いし兄を、凍りついた表情のまま凝視していた。

 

 俺も、凍りついていた。

 

 互いに、視線が合う。

 

 互いに、呼吸するのも忘れている。

 

 表情を変えないまま、小町はおもむろにポケットから携帯を取り出し、

 

 カシャッ。

 

 撮りやがった。

 

 そしてそのまま後ずさって、俺と視線を外さないまま、ドアを閉めようとした。

 

 「小町っアイス買ってやるからその写しn」

 

 バタンっ。

 

 「小町!おい!小町!!」

 

 超慌てて寝袋を脱いで小町を追いかけようとしたが、慌てすぎてファスナーが途中で布を噛んだ。しかも無理やり脱いで出ることも出来ない位置で。

 

 うおおおおぉぉぉ───い!!!?

 

 必死に中で身をよじりながらファスナーを回復させようとするが、慌てるほどうまく行かなくなる。

 

 隣の小町の部屋のドアが閉まる音がしたと同時に、小町の大爆笑の声が壁づたいに()れ聞こえてきた。

 

 … … …。

 

 死にたい…

 

 このままゴミとして捨てられたい…。

 

 あ、「ARIGATOU」って書いとかなきゃ…。




最後の一行のネタ元は、コレです。

「千葉市 可燃ごみ・不燃ごみの指定袋について」

https://www.city.chiba.jp/kankyo/junkan/shushugyomu/shinnshiteibukuro.html


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その22:比企谷八幡はやはりうさぎ派なのかも知れない。

【おことわりというか弁解というか】

 このSSは、原作の千葉愛を積極的に打ち出す方針になるべく沿いたいと思い、できる限り千葉市近辺の地理等を調べた上で書いていますが、情報ソースは全て、Googleマップやストリートビュー、各施設や店舗のサイトなど、ネット上の情報です。

 なので、特に千葉市に実際にお住まいの方からは、「これは実際は違う、この描写はありえない」というのが沢山あるかも知れません。ていうかたぶんいっぱいあると思います…(汗)

 その場合は…笑ってお許しください(スライディング土下座)


 

 「はァ…女の幸せだ…!!」

 

 今しがた風呂から上がったばかりの小町が恍惚(こうこつ)の表情を浮かべ、本来ならばカレーとか食べる用のスプーンでアイスを()き出しながら、()め息混じりに声を()らした。

 

 みんな知ってたか…?業務用アイスを一人で抱えて食うのって女の幸せらしいぜ。俺は知らなかった。

 

 あとケーキのワンホールも同じくらい幸せなんだと。ソースは目の前の妹。

 

 結局、あの後なんとか寝袋を抜けだして小町の部屋に駆け込み、写メを関係各者(主に奉仕部方面)にバラ()かれる直前で華麗(かれい)なスライディング土下座をキめ、写真を消去する代わりに小町の好きなアイスを業務用サイズで一個まるまる買ってやることで取引成立となった。

 

 ふぅ…妹に土下座するなんて何年ぶりだったろうな…まだまだキレは衰えていないようで安心した。

 

 スライディングって言ってもそんじょそこらのスライディングじゃないぞ。直進方向でなく、滑りながら直角に向き直り、部屋の隅のベッドに腰掛けてた小町にドンピシャで向き合っての土下座だ。もはやドリフティング土下座と言ってもいい。

 

 こんな芸当ができる奴は千葉広しといえども俺だけだろう。いやまぁ間違いなく俺だけだな。死んでいいですか?

 

 ちなみに森●のストロベリーアイス。2リットル入りパックだ。

 

 アイスクリームです。アイスミルクでもラクトアイスでもなく、アイスクリーム。どう違うんだっけ。まぁどうでもいい。要するに一番高いやつ。

 

 届いた時の小町のテンションの上がり方たるや。

 

 例えるなら、普段は第三のビールで我慢してる世のお父さんたちがヱ○スビールをサーバーごともらった感じだろうか。例えがおっさん臭いな。

 

 さらにちなみに、アマ●ンで購入できた。クール冷凍便で送料込みで2,000円ちょっとだった。女の幸せって存外安い。

 

 …でも正直、俺も一口…欲しいかも…。

 

 「まぁよく考えたら、こんなの見せて結衣(ゆい)さんや雪乃(ゆきの)さんたちに()められてお兄ちゃんの婚期が遠のいても困るしね〜、結果オーライだったかも。」

 

 勝手に納得してくれてるからあえて口には出さないが、理由が全く論理的に成立してないぞ小町。

 

 まず由比ヶ浜(ゆいがはま)雪ノ下(ゆきのした)も冷める以前に熱とかないし。特に雪ノ下とか初期設定(デフォルト)で氷の女王まであるし。あと婚期って何。なんでお兄ちゃんあいつらと結婚前提な風になってるの?それとも叩き売り風なの?俺バナナか何かなの?バナナ()くんなの?皮を剥いたら白いの出てきちゃったとか言ってみたりしてこれレーティング的に大丈夫なの?

 

 ついでに、俺の立場からは何一つオーライ感のない結果なんだが…。今月の小遣い…。

 

 「…それに、…なんかちょっと応援したくなっちゃったし。」

 

 ん?

 

 「応援?」

 

 俺が聞き返すと、小町は口いっぱいに頬張(ほおば)ったアイスをゆっくりむぐむぐ味わった後、こくりと飲み込んでから話を続けた。

 

 「お兄ちゃんが外で遊ぼうとしてるの、久しぶりに見るし。」

 

 「そうか?俺は昔から結構外でも遊んでたぞ。野球したり。」

 

 「あーうん、一人で全部のポジションやったりしてたねー。でも今回のはそういうのと違って、…別に痛々しくはないかなって。」

 

 あ、痛々しいって思ってたんだ…。俺は結構楽しんでたけど…。でも客観的に見れば、うん、確かにちょっと…痛々しく見える…かな?人に誇って話せるものじゃ…ない…ね?うわぁ葉山にドヤ顔で話したことあるよ俺。死ねばいいのに。主に葉山が。

 

 小町はさらにアイスを掻き出しながら続けた。

 

 「せっかく自分の(から)を破って、アウトドア派のたくましいお兄ちゃんになろうとしてるんだから、妹として水を差すような真似はしちゃいけないなって思ったわけですよ。あ、今の小町的にポイント高い!」

 

 そう言いながら俺が買ってやったアイスには遠慮無くスプーンを差してるが。

 

 このガキ…。

 

 「言っとくが、俺は自分を変えたいとか思ってソロキャンプやるわけじゃないんだからな。むしろぼっちとして正当な進化を遂げていると言ってもいい。なんつーか、一周回って『外で引きこもる』みたいな感じ?」

 

 自分で言っておいて、その言葉はとても的を射てると思った。

 

 そうだ。俺がやりたいのはそういうことなんだ。

 

 知った者が誰もいない大空の下、大地の上で、ひたすら自分の世界に没入したい。見える景色を、感じる風を、独り占めしたい。

 

 『外で引きこもる』、なかなかの名言じゃないか。

 

「ああそう…まぁもう何でもいいや家の中で常に目の前にいる状況じゃなくなれば…。」

 

 自分の言葉にしみじみと(うなず)いている兄に、妹は冷え冷えとした目を向けながらつぶやいた。やめてくれその目。アイス食い過ぎて目まで冷たくなってるんじゃねえの?俺の心が知覚過敏になりそうだ。

 

 小町が携帯に保存していた俺の写真をきっちり消去するのを見届けて、俺は自分の部屋へ戻った。

 

 さて。

 

 思わぬ出費をしてしまった。しかしこれで障害は排除した。

 

 父親と妹はとりあえず理解を示してくれた。母親は基本的に俺のことは放任主義。

 

 もう俺のソロキャンプを止めるものは(家庭的な要因としては)ない。

 

 あとはちょこちょこと細かいものを買い(そろ)えて、装備を補完するだけだ。

 

 だが、またもや金銭的な問題が立ちはだかる。立ちはだかりっぱなし。ビンビン。仁王立ち状態。

 

 しかしどうでもいいが、立ちはだかるって「立ち(はだか)る」って書いたらエロいかなって一瞬思ったけど何故か連想してしまうのはふんどし姿のおっさんで残念。ホントどうでもいいな。

 

 しかし、今回の出費のせいで、(かえ)って迷いはなくなった。

 

 残りの買い物はキャンプ用品店では出来ない。専用品は高すぎる。

 

 しかし、あそこなら。

 

 

×××

 

 

 総武高校から自転車で数分。京葉線「稲毛海岸駅」。

 

 その南口に隣接して、ショッピングセンター「マリンピア」はある。

 

 ららぽーとやアウトレットパーク、パルコのような派手さはないが、駅周辺の地域住民にとっては、日常の買い物の場として重要な場所だろう。なんせイ●ンが入っている。

 

 トップバ●ュはマジ助かる。うちの近くにも出店してくれねぇかな…マッ○スバリュでもいいから。

 

 さてこの「マリンピア」という建物は、実はふたつあって、ひとつは駅南口に隣接した「本館」、もうひとつは本館から道を挟んだすぐ東側にある「専門館」だ。

 

 専門館にはつい最近、あの激安ファッションセンター「レまむら」が入った。超助かる。マジ庶民の味方。

 

 今回俺がやってきたのは、この「専門館」の方だ。といってもレまむらに用があるわけではない。

 

 今回は専門館の3階にある百円ショップに用があった。ここのショップは千葉市内の同チェーン店の中でもわりと上位の売り場面積を誇る。千葉みなと方面にはもっと大きなところもあるが…、大抵のものはここで間に合う。ので、学生も頻繁に利用している。

 

 今までは文具コーナーくらいしか行ったことなかったが、今日は違う。

 

 俺はまず、文具コーナーで「ビニールネットケース」を、大小いくつか選んでカゴに入れた。

 

 アレだ。文房具入れとかに使えそうな、格子状の白いネットが挟まれた透明ビニールで出来たポーチで、ファスナーで開け閉めする奴。

 

 そして、(さや)付きの果物ナイフ、小さな竹製のまな板。調理用の油とか醤油とかの調味料を入れるのに使えそうな化粧品用の容器をいくつか。

 

 …こういうの、ちゃんとキャンプ用具で揃えると結構高いんだぜ。ナイフなんか鋼材(こうざい)にこだわったりし始めたら、いくらするか分からん。

 

 でも俺は、ここら辺の小物に関しては変なブランド意識よりも、コストパフォーマンスを優先する気になった。

 

 それから、弁当箱の保冷用の小さなバッグ。肉とか玉子とか、保冷が必要なものはこれに保冷剤と共に入れて運べばいいかな、と思って。

 

 本当なら、かっこ良くて機能的なクーラーボックスとか欲しいところだが、そんな高価なものを買う金はないし何より移動手段が徒歩か自転車か公共交通機関しかない未成年の俺には、一人で持ち運びようがない。

 

 ので、食材の運搬は、登山のスタイルを参考にすることにした。

 

 とはいえ、食材の全部をアルファ米やレトルト、日持ちする食材なんかにするのは、俺にとっては少しストイック(禁欲的)過ぎる気がした。肉食いたい、肉。

 

 どうせソロキャンプとはいっても、できて1泊2日。保冷が必要な食材は夕飯にだけ使う、と割り切れば、これで何とか乗りきれるはずだ、と、素人なりに熟考して結論した。

 

 …さてこれで、最低限の装備はほぼ整ったはずだ。

 

 最後にホームセンターあたりで、就寝用の安い銀マットでも買えばとりあえず完了だろう。

 

 足りないものも、機能的にやっぱり使えない、快適でなかった、ってものも出てくるだろう。

 

 だが、ここから先の道具選びは、とにかく一度キャンプを実行して、(かん)どころが分かって、それからやるべきだと思った。

 

 初手(しょて)を打つ前からいろいろ調べてじっくり時間をかけて、完璧な装備を整えるというやり方もある。それは否定しない。スマートだ。しかし。

 

 俺はそれよりも、「きっちり『困った』経験」をしなければ、俺にとってはダメな気がしていた。

 

 俺の学習スタイルは…学校の勉強のことじゃない。17年間の人生での「大事なことの学び方」は、…てひどい失敗や恥ずかしい記憶の連続によって築き上げてきたものだったから。

 

 そして俺は知っている。「失敗」によって得られた知識や教訓は、他のなによりも自分の武器になることを。

 

 俺がソロキャンプに()かれたのは、そこにも原因があるのかも知れない。

 

 他の誰にも気兼(きが)ねなく、見られて恥ずかしい思いをすることなく、思う存分失敗し、思う存分、自分という武器を()ぐことができる。

 

 俺はきっt

 

 「あれ、ヒッキー?」

 

 百円ショップの売り場のど真ん中で買い物カゴをぶら下げたままいい感じに自分に酔っていたところで、突然背中から聞き覚えのある声がぶつかってきてビクッとした。

 

 ていうか、つい数十分前まで部室で聞いてた声だ。

 

 そっと振り返ると、由比ヶ浜がなにやら色々ぶっ込んだ買い物カゴを両手で持って突っ立っていた。

 

 「やっぱヒッキーだ。こっちで会うなんて珍しいねー。」

 

 「お…おう。お前も買い物か?」

 

 平静を(よそお)って(たず)ねる。

 

 「あーうん、あたしんち、この近くだし、時々寄ってくの。ついつい買い過ぎちゃうんだけど…。」

 

 へへ、と少しはにかみながら由比ヶ浜は買い物カゴを胸の前でちょっと(かか)げた。なんか小さなスポンジっぽいのとか色付きの液体の入った小瓶とか、どうやら化粧道具関係のようだが、俺にはよく分からなかった。

 

 しかし…しまったな。そういやこいつの生活圏内だったのか…。

 

 夏休みの花火大会後、浴衣姿のこいつを送って行ったのを思い出した。

 

 なぜかクマの縄張りに迷いこんでしまった(うさぎ)を連想してしまった。兎が俺な。

 

 「ヒッキーは?」

 

 「俺は…まぁアレだ…家の用事で使うものをいろいろ、頼まれものを、な…。」

 

 若干(じゃっかん)しどろもどろに答えると、由比ヶ浜はちらっとだけ俺のカゴの中身に目をやり、なんとなく首を傾げながら「ふーん」とつぶやいた。

 

 「あ、じゃあな…また明日な。」

 

 俺の兎が逃げたがっている。余計な詮索(せんさく)が入る前に退散するに限る。俺はそそくさとレジに向かって歩き出した。

 

 「え、あ、うん、また明日ね…!」

 

 由比ヶ浜も反射的に返し、胸の前で片手を小さく振ってきた。

 

 その視線が、レジで支払いを済ませ、店を後にするまで俺に向けられていたような気がしたが、俺は一切、そっちの方を見なかった。

 

 …実行する前から、失敗さえしないうちから、なんでこんなに気恥ずかしい感じになるんだろう。

 

 俺…大丈夫かな…?

 

 深い()め息をつきながら、俺は駅横の駐輪場に向かった。

 



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その23:深夜の比企谷八幡にワイルドな夜食を。(コンビーフ缶)

 

 … … ハラ減った…。

 

 両親の帰りが遅いので、夕飯を適当に済ませてたのがいけなかったか。

 

 今日も今日とてネットの海でソロキャンプの記事や動画をチェックして、料理の画像ばっかり観てたら、深夜に急に空腹感を覚えた。

 

 つうかこんな時間にそんなの観てる俺が悪い。ソロキャンプ動画共通のヤマ場なんだよな、料理作って食ってる場面って。しかもどれも男子の空きっ腹を直撃するメニュー。

 

 …などと言ってると、まるで終日(ひねもす)のたりのたりやってるように感じるかも知れませんがね。これで最近マジ忙しかったんですよ。文化祭とか体育祭とかあったし。修学旅行も控えてるし。時間を割かれるイベントの連続のせいか、授業もなんか詰め詰めな感じだし。そりゃあもう大変なんですよ、えぇ。

 

 けれどもそれは別の物語。まぁ、そのうち適当に、別のときにはなすことにしよう。

 

 で、何が言いたいかって。

 

 まぁほら、アレですよ。日中(つら)くて忙しい仕事ばっかだと(かえ)って家ではラノベとかアニメ録画とか時間を忘れて読んだり観たりしちゃうでしょ?二次元行きたくなるでしょ?みゃーもり嫁にしたいでしょ?俺は絵麻たんと並んでエンジェル体操したい派だけど。

 

 まぁ、そういう感じになるでしょ?

 

 …その感じにかまけて遅くまで起きてるからこうなる…。

 

 こりゃ、なんか腹に入れとかないと眠れんな…。

 

 台所に行って、冷蔵庫を(あさ)るが、すぐに食えそうなものはなかった。

 

 袋ラーメンのストックもちょうど切れていた。おのれ…。

 

 食うものが見つからないと、加速度的に空腹感が高まる。

 

 いや厳密に言えば、すぐ食えるものは、あるにはある。アルファ米とか。

 

 でもなぁ…一応非常用だし、開けるのもったいないしなぁ…高いし。

 

 カロリーだけで言えばマッ缶もレーション(軍事糧食)推薦できるレベルだが…やはり固形物が食べたい。

 

 こないだ玄関脇に設けていた食料ストッカーも(のぞ)いてみた。

 

 まぁ、こっちは親が買いおきしてるものだ。一個くらいちょろまかしてもいいだろう。

 

 いくつかオカズになりそうな缶詰がある中、妙に目立つ奴がいた。

 

 コンビーフの缶だった。他の缶詰は2〜3個ずつ保管されている中、まるでお試しで買ってきたかのように、それは一個だけ、ストック箱の片隅に追いやられていたのだ。

 

 クラシックな牛の絵の上に、ノザ●、とローマ字筆記体で書いてある。聞いたことない名前だな。コンビーフ業界では有名なんだろうか。

 

 …そういや、これってどうやって食えばいいんだろうな…?

 

 なんかアメリカっぽい名前の響きで、牛肉の細かいのがみっちり詰まってる、くらいの知識しかなく、どんな味か、どんな食い方ができるのか、全然知らなかった。

 

 なんとなく手にとって、自室のPCで軽く調べてみた。

 

 画像検索で見てみると、まー出てくる出てくる。

 

 パンに挟んだりチャーハンの具にしたり、ハンバーグもどきにしてみたり、パスタに()えてみたり。

 

 なるほど、肉のツナ缶みたいなもんだな…。ツナよりももっと細かくほぐされてるようだが。

 

 塩辛い、という意見もあったので、あらかじめ味がついてるんだろう。

 

 中には、水中メガネとデカいヘッドフォンをつけて革ジャンを肩に羽織ったアヴァンギャルド(前衛芸術的)な出で立ちの男が、缶から出した生のままのコンビーフを、トマトと交互に豪快に丸かじりしてる画像もあった。えらく古いテレビ画像のようだ。なんかのドラマだろうか。

 

 おお、…生で食えるの?

 

 妙に印象深いその丸かじり画像は、ふしぎとワイルドでかっこいいな、と思った。

 

 … …ちょっと、真似してみるか。

 

 缶は、台形を立体化したような跳び箱型。上部には、カギ型で、その棒の部分に縫針(ぬいばり)のような穴が空いた、針金製の缶切り道具が貼り付けられていた。

 

 そいつをひっぺがして、缶の下の方の側面についている爪のような部分を穴にひっかけ、カギというよりはゼンマイを巻くように、ぐりぐりぐりと缶切り道具を回転させる。

 

 すると缶の間の一定の幅が、まるで帯を解かれるように針金に巻き取られていき、上下を分離させる。

 

 そして上方の缶をゆるゆると揺らしながらパコッと持ち上げて外す。底面部以外は、缶が引き剥がされて中身が丸見えな状態だ。

 

 細かい肉の繊維が、白い牛脂(ぎゅうし)によって寄せ集められて(かたまり)になっている感じ。

 

 匂いを嗅いでみる。かすかに、牛脂特有の甘い感じの匂いがした。

 

 勇気をだして、前歯だけでちょっとかじってみる。意外と柔らかく、ホロッとほぐれた。

 

 ポソポソして塩辛いかと思ったが、さにあらず。たっぷりねっとりの脂のせいか、マイルドになったわずかな塩味と牛肉の甘い旨味が舌に広がる。脂のしつこさや生臭さは感じなかった。

 

 アッ、うま…。これ、うまいぞ!

 

 ※個人の感想です。

 

 と、一応入れとこう。

 

 はっきり言って生で食うのはジャンクフード的な印象だ。おそらく賛否両論ある味だと思う。けれど、俺の舌には合った。

 

 なりたけの超ギタにも慣れてるしな、俺は。

 

 缶の底の部分が貼り付いたままだから、そこを片手で持てて、食べやすい。これはなかなかいいな。

 

 ちょっとマヨネーズを付けてもいける。

 

 深夜の自室でコンビーフを丸かじりしながらソロキャンプの動画を見ている俺。

 

 …これ、なかなか絵的にワイルドじゃね?ワイルドだろぉ?

 

 ゆっくり時間をかけて、旨味とかりそめのワイルド感を堪能した。ケミカルウォッシュの袖なしデニムジャケットなんて持ってないので寝間着のジャージ姿のままだが。

 

 これ、気に入った。キャンプ飯の一品に加えてもいいなと思った。火を通してもうまそうだし、料理の仕方を研究してみよう。

 

 近々スーパーかドラッグストアあたりで買いだめしとくかな。

 

 

 

 

 …だがこのとき、俺はまだ知らなかった…。

 

 このコンビーフ1個がアルファ米1パックと同じくらいに高いことを…。




 今回はちょっと一休み的なお話を入れてみましたが、これには訳があります。

 実は原作は、友人に借りて読んだのが最初でしたが、やっぱり自分でちゃんと買おうと、つい先日、既刊分の原作の文庫本を大人買いしました。

 その時に、まだ読んでいなかった10.5巻を読んだのですが、八幡が夜食にコンビーフで料理を作っている場面がありまして。

 このSSの「その3」での非常食チェックの場面が、10.5巻のその場面と食い違っている状態でした。

 ので、話としてはこちらのほうが時系列的に早いので、このあたりで八幡のコンビーフ夜食との出会いを書けばいいか、と思った次第です。

 書いてるうちに、実際にやってみようと思い、スーパーで一個買って、生まれて初めて丸かじりをやってみました。超うまかったです。私用での移動中の車の中でかじってました。やべぇ超ワイルドじゃね?

 食べごたえも結構あるので、私個人的には、オススメです。

 ちなみに、コンビーフを丸かじりしている古いテレビ画面、というのは、伝説のドラマ「傷だらけの天使」(1974-1975)のOPです。私も検索して初めて知りました。


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その24:比企谷八幡はホームセンターでレベルアップした。

 

 「今日はここまでにしましょうか。」

 

 完全下校時刻を知らせるチャイムと同時に、雪ノ下(ゆきのした)の読んでいた本がぱたりと閉じられた。

 

 その言葉を待っていた。

 

 「じゃ、お先。」

 

 俺はつとめてさりげなくそう告げると、そそくさと部室を後にした。

 

 …なんか最近、部室を出るときに背中にチクチクと視線が刺さってくるように感じるんですが、気のせいですかね?

 

 奉仕部には毎日顔出してるし、部室じゃ今までどおりに過ごしてるし、怪しまれるような真似は何もしていないんだが…。

 

 単なる自意識過剰かな…?

 

 ま、何も問われないんだから何も答えなくていいし、何か問われたって正直に話さなきゃいけない義務も別に無い。

 

 そして別に、やましいことを隠してるわけじゃない。

 

 何も問題ない。はず。

 

 気を取り直して、駐輪場へ向かう。

 

 外も結構暗くなってきた。吐く息もぼちぼち白くなるだろう。

 

 学校から出ると、俺は帰り道とは真逆の方向へ自転車を走らせた。

 

 高校の南西、目と鼻の先にある「稲毛海浜公園」入り口交差点から、左へ。

 

 公園が切れる所で大きな用水路を渡り、スケートリンクと温水プールの複合施設「アクアリンクちば」を目の前にしたT字路を左へ。

 

 で、四〜五百メートルほど行くと、ロイヤルがある。全国にチェーン展開してるホームセンターだ。

 

 今日はここで銀マットを買う予定だ。それで俺のキャンプ道具集めはいったん終了。 

 

 ちなみにジョイフル本田の方が規模が大きく品揃えも豊富だが、一番近い店でも千葉県総合スポーツセンターの横、高速道路の向こう側にある。数キロ先だ。

 

 さすがに帰り道の距離を倍以上にはしたくない。

 

 ロイヤルまでの直線道路でのんびりペダルを()いでると、右手に見えるカーディーラーの手前のバイクショップに、見慣れた人影が立っているのが見えた。

 

 黒い長髪、しなやかな肢体を包むスーツ。遠目でも分かる。平塚先生だ。

 

 店の看板を見上げる。ハーレーダビッドソンの専門店だった。

 

 平塚先生は、店の前に数台並んだごっついアメリカンバイクをしげしげと見つめながらうんうん悩んでいたかと思うと、意を決したように店の中に入っていった。

 

 ええ〜…か、買うのか…!?めっちゃ高いんだろハーレーって、確か…。

 

 なんか…凄い場面に遭遇(そうぐう)した気がした。

 

 ハーレーに颯爽(さっそう)と乗って荒野をひた走る平塚先生を想像した。やだ、めっちゃかっこいいじゃん!かっこ良すぎてヘタな男は近づけない雰囲気!!

 

 全国の独身バイカー男子のみなさん、妙齢で黒髪巨乳美人の孤高のハーレー乗りを見かけたら声かけてみてください。たぶんすぐに結婚できます。しかも公務員ですその人。

 

 しかし、バイクか…。ツーリングしながらソロキャンプして、色んな所を旅するってのもいいなぁ。

 

 大学入ったらバイトして、バイクの免許取って、中古のバイクでも探してみるかな…?

 

 少し夢を膨らましつつ、俺は再びペダルを漕ぎだした。

 

 

×××

 

 

 お目当ての銀マットは、アウトドアコーナーに積まれていた。ちょっと安くなってるようだ。ファミリーキャンプのシーズンが終わってるからだろうか。

 

 甘いな…ソロキャンプはこれからが…秋〜冬がハイシーズンだ…!!

 

 銀マットは、厚さ1センチくらいのスポンジの柔らかいマットの片面に、薄いアルミが貼ってある。ぱたぱたと折りたたむタイプと、くるくると巻くタイプとがあったが、俺は巻くタイプを選んだ。そっちのが丈夫そうだったので。

 

 ホントなら、さらに高機能で小さく収納でき、寝心地のいいマットもたくさんあるんだが、値段に10倍以上の差がある。

 

 逆に言えば、このマットで十分快眠できるなら、そこでより高い買い物をする必要はないし、安いものを使いこなしてる感っていうか、なんだか玄人感(くろうとかん)も出てくるんじゃね?

 

 などという甘い見通しでの購入だったが、現実問題、これ以上に高いものを買うことはできない。もうね、開き直りだ開き直り。

 

 それとついでに、もうひと品。

 

 俺は調理道具のコーナーへ向かった。

 

 目当ての品は、「ステンレス製の蒸し器」。

 

 これは、円盤の周囲にいくつもの羽のようなパーツを重ねながら並べてできているもので、羽を閉じると、頂上に穴が空いた半球形のドーム状になる。そして羽を開くと、重なった全ての羽が連動して、ガシャッと大輪の花を咲かせるように全体が開く。

 

 円盤にも羽にも、細かい穴が無数に空けられている。

 

 本来はその名のとおり、水を少し張った鍋に、羽を開閉して直径を合わせて入れ込み、野菜なんかを蒸す道具だ。

 

 蒸し器は、大小の二種類あった。大したサイズじゃないので、大の方を買った。

 

 たまたま最後の一個で、値段は600円弱だった。得したぜ!しかもスターピーク製品と同じ、新潟県の三条製。素晴らしいね。

 

 後述するが、これはホントにいい買い物だった。

 

 レジで千円札と、少々の小銭で支払い。

 

 これで俺のソロキャンプの初期投資は完了だ。

 

 店を出ると、空はすっかり夜になっていた。

 

 肌寒い。そろそろマフラーくらいは要るかも知れないな。

 

 ただ、皮膚には冷気を感じつつ、俺の胸は、まるでレベルアップした時のような高揚感がみなぎっていた。

 

 さて、帰ったらいよいよ、次の段階にとりかかろう。



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その25:比企谷八幡は色々言いながら父親には食われ気味である。

 「おう、遅かったな八幡(はちまん)。」

 

 家に戻ると、俺の部屋で父親が待っていた。

 

 床に転がって。

 

 俺の寝袋にきっちり収まって。

 

 青いたらこキューピーみたいな姿で、顔だけが父親。

 

 真剣な表情をしていた。目は腐ってるけど。

 

 「………」

 

 「………」

 

 目の前にある異様な光景に、ただいまを言うのも忘れて立ち尽くす。

 

 その間、父親は俺の言葉を(うなが)すこともせず、じっと俺を見ている。

 

 目は腐ってるけど。

 

 世界が終わったあとも、きっと彼はここでこうしてるんじゃないか、そう錯覚させるほどに以下略。

 

 「…今日は帰りが早かったんだな…。」

 

 ようやく絞り出せた声が(ふる)えた。

 

 そこじゃないだろツッコミどころは、と我ながら思ったが、父親のその解せぬほどの圧倒的存在感は、真正面からのツッコミを許さない何かがあった。

 

 「今日は奇跡的に出張から直帰(ちょっき)できてな。たまにはこういう日があってもいい。」

 

 「あっそう…。」

 

 「八幡。」

 

 「…なに。」

 

 背筋になぜか緊張が走る。

 

 父親はあくまで真剣な顔で俺を見つめていた。おどけたような雰囲気は一切ない。

 

 目は、腐ってるけど。

 

 「…助けてくれ。出ようと思ったらファスナーが()んだ。」

 

 … … …

 

 無視してそっと部屋を出ようとした俺に、落ち着いた大人な口調で父親が語りかけてきた。

 

 「助けてくれないと、この寝袋の中で()をこく。」

 

 「やめてくださいお願いします今助けるから。」

 

 このクソ親父!!

 

 必死で駆け寄って外からファスナーを開けてやる。

 

 おい、小声でカウントダウンするのはやめろ親父!!

 

 残りカウント3くらいでようやくファスナーを全開すると、父親は安堵の表情を浮かべ、よいせっと身をよじりながら寝袋から抜け出した。

 

 「ふぅー助かった。すまんなお前に使われる前に一回くらい入ってみたくなってな…肌触りいいなこれ。」

 

 「何してんだよ…。」

 

 ホントだよ。若干(じゃっかん)生きる意欲が奪われそうになったよ。

 

 「お前はなかなか帰ってこないし小町にも見られて無表情で写真撮られるし、さんざんだったよ。」

 

 誰の二の(てつ)だよと思ったら俺でした。

 

 親父も小町になにか(たか)られるのかなぁ…。

 

 若干父親に同情していると、父親は俺の買い物袋に気付いてニヤリと笑った。

 

 「お、銀マット買ったのか。着々と準備が進んでるな。」

 

 「あ?あ、ああ。これでだいたい最低限は(そろ)ったかなと思う。」

 

 寝袋をきちんと丸めて収納袋に入れながら答え、…俺の方からも聞き返した。

 

 「…父さんって、昔やってたのか?こういうの。」

 

 素朴な疑問だった。もらってからいろいろ調べてみたが、テントも寝袋もバックパックも、バカ高なものではないが、適当に選んで買ったようには思えなかったからだ。

 

 父親は、うーん、と小さな溜め息をついた。

 

 「大学時代にちょっとな。もっとも俺はキャンプがメインじゃなくて、バックパック背負ってユースホステルを巡る感じだな。旅行部だ。今もあるのかな…あのサークル部室…。」

 

 なつかしそうに目を細めながら、父親は一人で回想し始めた。

 

 「ユースホステル…って何?」

 

 知らない単語だったので素で(たず)ねたのだが、それを聞いた父親は目を見開いて驚いていた。

 

 「ユースホステルを知らないのか…!?そうか…最近の子どもは知らないのか…。」

 

 父親によると、「ユースホステル」というのは、超簡単に言えば宿泊施設の一種で、日本全国、いや世界中にあり、旅行者を安い料金で泊めてくれるが、他の客との相部屋だったり(別料金で個室もある。男女は別部屋)、門限や朝夕の集いへの参加等の規則があったりする(今はゆるいところも多い)らしい。

 

 なんか、ぼっちの俺には厳しそうなシステムだな…。

 

 ただ逆に、そういうところでホステルの経営者や、たまたま相部屋同士になった見知らぬ人々との交流を楽しむことが、旅の醍醐味(だいごみ)、という考え方をする人もいるそうだ。

 

 なんかあれだな。RPGの宿屋みたいだな。

 

 「なにより、未成年者の単独での宿泊もできる。なんせユース(青春)のためのホステル(簡易宿)だからな。」

 

 はぁん…そんなんあるのね…。父親から初めて、まともな知識を与えられた気がした。

 

 ただまぁ…。俺がやりたいのはソロキャンプだし、今すぐは要らない知識だな…。

 

 「そういえば…キャンプ場もやってるユースホステルがあるぞ。割と近くに。」

 

 「なにそれどこ教えてお父さん。」

 

 条件反射的に食いついた。そういう知識が欲しいんですよ僕は。

 

 とりま(とりあえずまぁ)装備を、とばかり考えて、キャンプ場選びは後回しにしていたのだが、予想より早く寒くなってきたのでちょっと焦っていたのだ。

 

 さすがに生まれて初めてのソロキャンプを真冬にする勇気はない。多分死ぬ。

 

 ちょっとの情報でもほしい。人が勧めてくれる情報なら、ネットで闇雲(やみくも)に探すより良い所が見つかるはずだ。

 

 「えーっとな…パソコン立ち上げてみ?」

 

 父親が俺の机につきながら、ノートパソコンを指差した。

 

 いわれるままに起動し、グーグ○様でマップ検索をかけてみる。

 

 「お、ここだ。今は名前が変わってるんだな…。昔より良くなってんじゃんか。」

 

 地図に示された場所をまじまじと見つめる。そこから張られたリンクに飛び、サイトを隅々まで読み込んだ。

 

 いよいよ、俺のソロキャンデビューだ…!!

 

 …こういう言い方はなんだか陳腐だし、そもそも俺の柄じゃないのかも知れないが、

 

 …ワクワクしてきた!




 原作未登場なのをいいことに八幡の父親のキャラ妄想が止まりません。

 私自身の「理想の父親像」は、「アメリカのファミリーコメディ番組でよくいるような、経済的には裕福だが突飛なことを言ったりしたりしてその度に観客席からドッと笑い声が聞こえるような、ちょっと変な主人公の父親」です。

 私もそんな父親になりたいなぁと思っています。…だめかな…(汗)。

 そういうことを考えながら書きました。


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その26:デイキャンプ@フォレスターズヴィレッジ#1

 総武本線で千葉駅まで行き、外房線に乗り換えた。

 

 これは何気に、初めての経験に近かった。

 

 俺にとって千葉駅はこれまで、電車移動では東の終着駅だった。

 

 そこから先へ行く用事は特になかったから。

 

 外房線下り方面は、少し南の蘇我(そが)駅でいったん京葉線と合流するが、すぐに離れ、千葉県の内陸部へと入っていった。千葉県のどまんなかを、東京湾沿岸から九十九里浜(太平洋)の方向へ横断する感じだ。

 

 蘇我駅を出て少しすると、森や田園風景が見えてくるようになった。

 

 約20分、車窓の外をぼんやり見ていると、田園風景が急に町並みに変わり、土気(とけ)駅に到着した。

 

 ここで下車。

 

 位置的には、ホントに千葉県のどまんなかだ。

 

 わかりやすく言えば、チーバくんの頸動脈(けいどうみゃく)の真上辺りだ。

 

 わかりにくいか。そうか。

 

 千葉県のどまんなかと言っても、ここも千葉市である。ぎりぎり東の果てくらい。

 

 この辺りは、千葉駅まで電車通勤圏内の、いわゆるニュータウンだ。

 

 土気駅南口からバスに乗り、5分ほどで降車。中学校の前くらいに降り立った。

 

 そこから、プリントアウトしておいたグー○ルのルート案内通りにぶらぶら歩くと、それまで新しめな住宅ばかりで更地(さらち)もまだ残っている平坦だった住宅街から、ゆるい下り坂に入り、その向こうに森が見えてきた。

 

 ずっと下って行くと、森の足元はコンクリートブロックを石垣のように積み上げた法面(のりめん)で固められていることに気づいた。その法面を辿(たど)って行くと、左に入り込む小道があり、曲がり角に、目指す場所を示す看板があった。

 

 「フォレスターズ・ヴィレッジ」。

 

 かつては千葉市が管理していたユースホステルだった。今は民間委託されている。

 

 サイトを見る限り、ユースホステルの精神は継承していることをうたっていた。

 

 キャンプ場だけでなく、宿泊施設・研修施設もあり、団体の合宿などにもよく使われているらしい。

 

 さて、さっさと受付を済ませるか。

 

 俺は歩みを止めず、角を左へ折れて進んだ。

 

 時刻、もうすぐ午前10時。

 

 日  曜  日  の  。

 

 

×××

 

 

 「土曜日が…全部埋まってる…だと…!?」

 

 パソコン画面の前で俺は固まっていた。

 

 「フォレスターズ・ヴィレッジ」は事前予約制だ。

 

 っていうか今頃になって知ったのだが、キャンプ場は基本、事前予約が必須らしい。

 

 予約は電話や書類申請などで行うのが一般的だが、フォレスターズ・ヴィレッジはネットからの予約が出来るようだったので、サイトから予約状況を見てみた。

 

 すると…キャンプ場はオートサイト(車を横付けでキャンプ用)もフリーサイト(車を使わないキャンプ用)も、向こう数週間、土曜日が全て埋まってしまっていたのだ。

 

 予想だにしていなかった驚きだった。…キャンプする人って、そんなに多いの…?それともここって、かなり有名で人気なの…?

 

 「ありゃー、残念だったな。バクチのつもりで当日行く前に電話確認して、空きが出てたら予約をねじ込むって手もあるが…。」

 

 横で画面を(のぞ)きこんでいた父親が溜め息をついた。

 

 でもねお父さん。僕、博才(ばくさい)ないんですよ。あなたの子どもですからね。

 

 「なんだよおぉぉ…!!」

 

 俺は父親よりもっと深い溜息をついた。出鼻をくじかれた思いだった。

 

 しかし父親は次の瞬間、そっと画面を指さして言った。

 

 「お、日曜日はどの週も空いてるな。土曜から宿泊したやつらが撤収(てっしゅう)するからだろうな。

 

 …丁度いいかも知れんぞ八幡(はちまん)。最初はデイキャンプでやってみろ」

 

 「…デイキャンプ?」

 

 「日帰りキャンプのことだ。とはいえ、テントと寝袋を持ってって、設営の練習をしてみるといい。あと昼飯作って食って、ちょっと昼寝なんかして、撤収して、帰ってくる。」

 

 … … …えー?

 

 「日帰りぃ…?それキャンプっていうのかよ…?半端だろそれ…。」

 

 俺が、ねーわ…って感じの渋い顔をすると、父親は、すうっとぬるま湯が冷めていく音がしてるような真剣な顔になり、俺から一歩離れて腕組みすると、上体をややひねり、なにやらポーズを決めて俺に言い放った。

 

 「八幡…貴様ひょっとして、最初の最初から自分がキャンプの全ての作業をそつなくこなせるだろうなんて思ってるんじゃないだろうな…?」

 

 「な 何ィ!?」

 

 心臓の後ろ側でぎくりと痛みを感じた。ような気がした。

 

 「甘い!!童貞が筆下ろしで相手を絶頂に導けると思い込んでるほどに甘い!!むしろ危険ですらある!!そんなわけあるはずないだろう!!あったとしたら百パーセント相手の演技だ!!」

 

 「うん!?何の話だったっけ親父!?」

 

 なんかの運営に通報するぞ!!しないよ!!

 

 「…アレは俺が大学に入りたての頃だった…。」

 

 「いやそっちの方の話は続けなくていい!!やめてくれ!!」

 

 「…とにかく、初めて行く場所でいきなり一泊キャンプってのは、さすがに親としてもやすやすと認めることはできん。友達の家に泊まるのとはまた違うからな。友達の家に泊まりに行ったことすらないお前ならなおさらだ。

 

 まずは日帰りでしっかり練習して、その結果を踏まえてから一泊に挑戦するように。」

 

 さすが父親…的確に俺の少年時代の暗い感情を呼び覚ましてくれるぜ…(吐血)。

 

 …しかし、正論だ。まったくもってまっとうな父親の指導だ。

 

 悔しいが、俺は所詮(しょせん)、未成年者。

 

 親の保護観察指導下にあることは認めなければならない。

 

 …あと…俺もその…、そう言われるとなんか段々不安になってきた…。

 

 「そ、そうだな、とりあえず日帰りから…やってみるかな…うん。」

 

 父親はそれを聞いて、うむ、と(うなず)いた。

 

 

×××

 

 

 まぁ、そんなわけで。

 

 今回俺は、日曜日の朝から夕方までのデイキャンプに挑戦することになった。

 

 親父の言い方は正論とはいえいろいろ(しゃく)だったのだが、なんか、カンパとして千円くれたからまぁ、いいか。

 

 なんで千円…?どうせなら英世より諭吉のほうが良かったけど…。

 

 受付のあるロッジは、赤い壁のかなり立派な建造物だった。この中に宿泊室、研修室、食堂にシャワールームに洗濯スペース、と、研修・合宿に必要な設備が整っているようだった。

 

 受付の人が言ってたが、昨年の春にリニューアルしたばかりらしい。内装はまだ真新しい印象を保っていた。

 

 規約の説明を受け、書類にいろいろ記入して、問題なく受付は済んだ。

 

 「えー、料金は…フリーサイトでデイキャンプは一律五百円ですが、フリーサイトはBBQスペースと共用なので、設備使用料が別途かかります。BBQスペース1DAY使用コース(10時〜16時)なら、お一人五百円、合計で千円ちょうどになります。」

 

 …あ、千円ってこれか…!

 

 親父の心意気にちょっとだけ感動しつつも、やっぱり諭吉が良かった。

 

 料金を支払い、キャンプ場に移動するため、俺はずっしりしたバックパックを背負い直した。




私も最初はデイキャンプでちょっと練習しました。おかげで本番の一泊キャンプでは、タープをすんなり一人で張れたので、良かったと思っています。


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その27:デイキャンプ@フォレスターズヴィレッジ#2

 「フォレスターズ・ヴィレッジ」には二種類のキャンプサイトがある。

 

 オートキャンプ…すなわち、自動車を横付けし、テントなどを設営するスタイルのキャンプに対応した、個別の駐車スペース付きの「オートキャンプサイト」。

 

 これはきっちり区画分けされていて、使える範囲が限られている。

 

 そして、俺のようにバックパックを使ったり、専用駐車場に()めた車から台車などで荷物を運んできて設営する「フリーキャンプサイト」。

 

 荷物を手で運ぶ手間がある代わりに、どこにテントを張るかは比較的自由だ。

 

 俺はフリーキャンプサイトを申し込んだ。っていうか、車もバイクも使えない俺には、他に選択肢はない。

 

 フリーキャンプサイトは、BBQスペースや、キャンプファイヤー専用の火床が設置された広場などと一緒になっていた。

 

 BBQスペースには割と広い炊事場が設置されていた。大きな屋根の下には、蛇口の並んだコンクリート製の流し場があり、その横に、レンガと金網でできた、薪をくべて調理ができる「かまど」がいくつも備えられている。

 

 サイト内では、何組かのキャンパーが帰り支度を始めているようだった。

 

 友人連れか、家族連れで来ていたのだろう。大人同士が談笑しながらテーブルやテントをたたんだり、小さな子たちがそれを手伝ったり、周りで遊んだりしていた。

 

 かなり大きな…4〜5人用くらい?のテントばかりだった。ネットでも見たことあるな…多分スターピークと、クールマン製だ。

 

 クールマンってのは、ホームセンターや大きめのスポーツ用品店で一番良く見かける、アメリカのキャンプ用品の総合ブランドだ。特に、テント、クーラーボックス、そしてランタンが、キャンプの定番品と言ってもいい人気を誇る。

 

 まぁ、そういう連中ばかりだろうと予想はしていたが、そんな中にヒョコヒョコ割り込んでいって、いきなりひとりでテントを張り始めるのはやはりアレだったので、炊事場の周りにいくつか設置されていたテーブル席のひとつに腰掛け、バックパックを下ろして、しばし休憩することにした。

 

 …っていうか。

 

 この恰好(かっこう)でここまで来るの、結構しんどかったなぁ…精神的に。

 

 今日の俺は、汚れてもいいように、地味な色合いの綿のシャツと着古した安物のカーゴパンツ、中学の頃に買ったカーキ(渋緑)色のMA-1ブルゾン、という服装だ。

 

 ウェアに金をかける余裕は一切なかった…。ゴ○テックス・ジャケットなど、現状、ひっくり返っても手が出ない…(安くて一着2〜3万円台。ただし防水・透湿性は最高でムレにくい)。

 

 持ってる服から選ぶしかない。

 

 靴も、履きつぶしかけのスニーカーだし。

 

 しかし、それはまだいい。存在感の薄いぼっちが地味な服装をしてるってだけだ。逆にもはや目立たなさが光学迷彩レベルに到達してて近未来感を演出してるまである。いやしてない。

 

 問題は荷物だ。

 

 父親からもらったバックパックはデカい上に色が真っ青だったので、地元の駅でも千葉駅でも、なんか悪目立ちしてたような気がする。

 

 そして、途中のコンビニで買った2リットルのペットボトル水と袋ラーメンの入ったビニール袋を片手に下げていた。

 

 なんだろ…そこはかとないホームレス感…。

 

 いやまぁ俺が気にし過ぎなのかも知れないが。

 

 変な恰好した奴なんか、駅のホームにはそこそこいるしな。そういえばバックパッカーも、珍しいが、見ないわけではない。

 

 俺の学校でさえ、年中コート着てる馬鹿がいるくらいだしな…やだ、あんなのと一緒にされたくない。

 

 とりあえず…、道中で知り合いに会わなかったのは幸運だった。帰りも気をつけよっと。

 

 

×××

 

 

 時計を見ると、10時半くらい。

 

 周りのキャンパーたちはまだ名残惜しそうにダラダラと撤収作業をしていた。

 

 しかし、時間の制限もあるし、俺も周りを気にせずにそろそろ始めないと。

 

 サイト内を見渡すと、大きな炊事場の他にポツポツと独立して設置されていたレンガ製のかまどがあった。そのうちの一つの近くに場所を決めた。

 

 父親から少しアドバイスを受けたとおり、水平な場所か、小石などが散らばってないか、を慎重に確認。まぁ…大丈夫と思う。

 

 バックパックから、ランドップテントを引っ張りだして組み立てる。家で何回か練習してきたので、これは特に難しくなかった。

 

 とりあえずテントが組み上がり、お次に、今回初めての「ペグ打ち」にとりかかろうとした。

 

 組み立てたテントを、(ペグ)を使って地面に固定する作業だ。

 

 ランドップテントには、付属品として∨字ペグが10本付いていた。

 

 これは結構珍しいようだ。テントやタープを買うと、付属でペグが付いては来るのだが、たいてい安っぽい作りで、ほとんど使い物にならないらしい。ので、別途、きちんとしたペグを買い揃える必要がある。

 

 しかしランドップに標準装備のペグは、アルミ製のしっかりしたペグで、充分使えそうな完成度だった。これはありがたい。

 

 さっそく、テントの底面の四隅にペグを打ち込m

 

 … … …、

 

 どうやって打ち込もう…?

 

 完全に忘れてた。

 

 ペグを打ち込むためのハンマーがない…!!!

 

 …しかし一瞬ののち、俺の天才的な頭脳は素晴らしい(ひらめ)きに恵まれた。

 

 周囲を探し、手頃な大きさの石を探す。ちょっと離れた所に一個落ちてた。

 

 その石をハンマー代わりに、テントの底面の四隅にペグを打ち込んで固定した。

 

 道具にとらわれず自由な発想で目的を達成した俺天才。やってることは類人猿並み。

 

 次に、テントの高さの中程から垂れているガイライン(細い紐)四本を、地面に向けて張り、同じくペグで固定していった。

 

 地面は茶色い土で、∨字のペグはしっかりと食い込んでいった。よしよし。

 

 ガイラインには「自在金具」という部品が通されていて、リュックサックの紐のような要領で長さの調節ができる。これを使って、ガイラインの張り具合を調整していく。

 

 最後に、フライシート(外側の布)だけ、両脇のたるんでいるところを外側にピンと引っ張り、端っこに付いている紐をペグで地面に固定する。

 

 こうすると、外からは六角形のテントに見えるが、フライシートとインナーテント(内側の本体)の間に「前室(ぜんしつ)」という空間ができる。

 

 雨の日にはこの空間に荷物や靴を置いたり、この空間でガスストーブを使って調理したりできる。

 

 …よし。

 

 10本すべてのペグを打ち終わった。

 

 数歩離れて、しげしげといろんな角度からテント全体を眺めた。

 

 爽やかな秋の晴天にも負けない真っ青なテントが、小さいながらも威風堂々と立っていた。

 

 少し力を込めて揺らしてみたが、ペグでしっかり固定されていて安心感がある。風で吹き飛ばされることはまずあるまい。

 

 自然と頬が緩む。自己満足と言われても構わない。周りのスターピークやクールマンのテントより、断然カッコイイと思う。うん。

 

 テントの入り口を開け、寝袋と、バックパックの脇に(くく)りつけていた銀マットを中へ放り込む。あとで昼寝に使おう。

 

 時刻。11時ちょっと過ぎ。

 

 ペグ打ちに意外と時間を取られたな…。あと眺めて悦に入りすぎ(苦笑)。

 

 さて、昼飯の用意をしますかね。

 

 といっても、家でもやったインスタントラーメン定食だけどな…。

 

 バックパックから食材とクッカー、ガスストーブを取り出した。



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その28:デイキャンプ@フォレスターズヴィレッジ#3

 食事の用意は、今回は都合よくサイトに備え付けのテーブルと椅子があったので、そこで行った。

 

 あるものは、利用しなきゃね!

 

 家で()いだ米を1合、ビニール袋に入れておいたのを、クッカーの小鍋に移し替えて、水を注いでしばし吸水させる。

 

 前日までにビニール袋に取り分けて冷凍庫で凍らせておいた豚肉こま切れは、百円ショップの保冷バッグの中で既に解凍されていた。

 

 赤いドリップ()が出てるが…だ、大丈夫だよな…?

 

 涼しいし、変な匂いもしないし…いいよね?多分…。

 

 うーん、やはり保冷にはもう少し工夫が必要だな…冬場とかならまだいいだろうが、ちゃちな保冷バッグじゃ夜までもたない。次までの課題だな。

 

 玉ねぎは半玉だけラップで包んで持ってきた。果物ナイフでスライスする。

 

 なんならこれも、家で切って来ればいいんじゃない?とも思ったが…、気分だ気分。

 

 現地でちょっとくらいナイフ使いたいじゃない…!?

 

 あっというまに食材の仕込みは終わった。米の吸水はもうあと30分ほどかかる。

 

 ここからの段取りとしては、まず米を炊いて、()らしてる間にラーメンと豚肉炒めを作るつもりだ。蒸らしの時間なら、冷めてしまわない限り、多少長引いてもいいしな。

 

 …30分、暇ができた。

 

 ふと顔を上げて、周りを見渡した。既に他のキャンパーはみんな撤収していて、サイトに残ってるのは俺だけだった。

 

 …静かだ。

 

 実際には、鳥の声や虫の音は、時々そこかしこから聞こえてくる。だが人の声はしない。

 

 サイトの周りは背の高い木々が囲んでおり、頭上の空以外、開けたところはない。

 

 森の中にいると感じる。

 

 俺は自分で歩いて来たから分かってるけれど、そうでなければ、ここがニュータウンのどまんなかだとは信じられないかも知れない。

 

 利用客のマナーがいいのか、施設管理が行き届いてるのか、ゴミも落ちていない。

 

 いいところだな。

 

 大きく深呼吸する。空気がうまい気がする。なんとなく、土と木の匂いが混じっている。

 

 呼吸の(たび)に、その匂いが俺の肺から横隔膜(おうかくまく)、胃に染みこんでくる。

 

 気持ちいい。

 

 俺は今、この空気を独り占めしている。この静かなひとときを、完全に自分のものにできている。

 

 …いいな…。

 

 ソロキャンプ、いいな…!!

 

 心の中が静かな喜びで満ちていくのを感じる。

 

 これは孤独感だ。しかしこんなに晴れやかな孤独感は生まれて初めて味わった。

 

 あるいは人は、これを解放感というのかも知れない。そいつにとってはそうなのかも知れない。だが、俺がそのとき感じていたのは、まぎれもなく孤独感だった。

 

 なぜなら俺はそのとき、間違いなく、自分だけの世界に没入していたから。

 

 

×××

 

 

 とはいえ、何もしないで没入するのも10分が限界だ。いまどきの若者は我慢がきかなくてイカンね。

 

 この暇を利用して、俺は本日のメインイベントのための準備にとりかかった。

 

 サイト内をうろうろ歩きまわる。狙い目は木の生えてる下あたりだ。

 

 うほほ、あるある。

 

 木々が落とした小枝が、そこら辺に散らばっている。細いの太いの、長いの短いの、と、いい具合に乾燥してるのを適当に拾っていくと、たちまち両手で運ぶくらいに集まった。

 

 ちょっと集めすぎたかな…。今日は実験程度に、短時間で終わらせるつもりだしな…。

 

 まぁいい。残ったらそのへんの木陰に置いとこう。

 

 はい、もうお分かりですね。今回は焚き火をやるよ!!

 

 焚き火と言っても、キャンプファイヤーみたいな盛大なやつじゃないが。

 

 さすがに焚き火は、住宅地にある我が家で練習するわけにも行かず、といって近所に練習できる場所があるわけでもなく…ぶっつけ本番でやるしかなかった。

 

 とはいえ、生まれて初めてのセルフ焚き火だ…ちょっと怖い。

 

 周りは落ち葉も結構あるので、ヘタに地面近くでガンガン燃やしたらたちまち燃え移って火事になる。直火(じかび)(直接地面で焚き火)はもちろん禁止だ。

 

 ので今回は、テントのそばにある「かまど」を借りて、ほんのちょっと、持ってきた焚き火台に「火入れ式」をやるだけにする。

 

 … … え、焚き火台?

 

 買ったよこないだ。銀マットと一緒に。

 

 バックパックの一番奥から引っ張り出す。マイ焚き火台。

 

 正式名称「ステンレス製()し器」。

 

 円盤の周囲に何枚もの羽が少しずつ重なり合いながら連なり、羽を閉じれば半球系、開けば大きな盃のようになるアレだ。

 

 本来は名前のとおり、水を少し張った深い鍋に入れ込んで野菜などを蒸すのに使うのだが、焚き火台が欲しいなーとネットを(あさ)っていた時、コイツを焚き火台として使っている人のブログをいくつか見かけたのだ。

 

 それが妙に俺の心のツボをついてきた。これでいいじゃん!って思った。

 

 ブランド物の焚き火台とか大枚はたいて買う必要なんかない。何でもかんでもリッチな道具を揃えれば上級者ってわけじゃないんだぜ!という俺の生来の反骨精神に共鳴するものがあった。いいえウソです。いま自分にウソをつきました。金がないだけです。モノリスのファイヤーフレーム死ぬほど欲しいです。自分でも手に入れられそうだったから、容易(たやす)い方に飛びついただけです。

 

 …まぁでも、ブログで見た時、これはカッコイイぞ、と思ったのは本当だ。

 

 蒸し器、もとい、焚き火台のサイズに合うように、拾ってきた枝をペキポキ手折(たお)っていたら、30分過ぎていた。

 

 枝の太さによっていくつかのかたまりに分ける作業まで終えてから、米炊きにとりかかった。

 

 まぁ。

 

 調理の方は全部、ガスストーブでやるんだけどな。高かったクッカーが(すす)けるの、イヤだし。

 

 

×××

 

 

 米炊きもおかずの調理も滞りなく完了した。ガスストーブは偉大。

 

 並べた料理をスマホで撮影した。

 

 誰に見せるわけでもないけど、これは俺にとって記念すべき野外メシだ。

 

 撮影後はひたすら無心に食った。うんまい。

 

 今日はチキンラーメンを作った。なぜだか、外の空気とよく合う気がして。

 

 実際、すごく合った。

 

 さっさと食い終わり、炊事場の流し台を借りてクッカー類を軽くすすいだ。きちんと洗うのは家に帰ってからでいい。

 

 さてさて、さて。

 

 焚き火の時間だ。




 蒸し器で焚き火台、というアイディアは、けっこう広く使われているもののようで、私も一台買って使ってますが、これ最初に考えた人天才じゃね…!?と思うくらい、イイです。サイズ感が、日帰りキャンプで、飯盒(はんごう)でラーメン作るのに丁度いいんですよ…!

 焚き火は、キャンプにおける様々なアクティビティの中でも、色んな意味で特別なもののように思います。

 しかし大半のキャンプ場は、直火(地面で直接、焚き火をすること)が禁止されています。

 理由はさまざま挙げられますが(主なものとしては、熱が土中の微生物を殺す、炭や灰が土を汚す、など…私もそれを特に何も考えず鵜呑みにしていました)、やはり一番は、「マナー」の問題なのでしょう。

ご感想欄でご指摘をいただき、再度調べて、重要なことを再確認することが出来ました。

 私自身も、色んな所で泊まりや日帰りのキャンプをする度、ポツポツと直火の後、始末されていない炭や灰で汚れたサイト、を何度か目にしたことがありますが、あれ見ると、とても悲しくなりますね…。

 再確認の中で、あるサイトに書いてありました。

 「キャンプ場には痕跡を残さず、感謝のみ残す。」

 素晴らしい言葉だと思います。

 このSSでは、「キャンプのマナー」については、今後も細心の注意を払いながら書きたいと思っています。私自身の趣味がベースとなっているので、その部分は特に、できる限り誠実に在りたいと思うからです。

 とはいえ、まだまだ初心者なので、思い至らない点もあると思います。寄せていただいたご意見、ご感想は、適宜反映していきたいと思います。

 それはそれとして、焚き火はやはり外せないし、焚き火台もカッコイイものばかりですね…!!

 ご意見、ご感想を頂いた中では、さらに自作で「ネイチャーストーブ類」…木の葉や枝、薪などを燃料とするタイプのストーブ(火器)…を使ってらっしゃる方もおられるようで。

 ハーメルン…懐が深いぜ…!!!

 いい機会かもしれないので、焚き火と焚き火台、ネイチャーストーブ等については、近日中に「ちょっと比企ペディア」で、私なりに調べたり、ご助言、ご指摘いただいたことについて、まとめを書き残したいと思います(そしてちょくちょく書き直すかもです)。


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その29:デイキャンプ@フォレスターズヴィレッジ#4

前話で、「家で研いできた米を水に浸してしばらく浸水させる」シーンがありましたが、「米は洗ってる段階から吸水を始めるので再度の浸水は不要」とのご指摘をいただきました。

調べてみるとたしかに……!! 私も知らなかった……!!

こちらのSS内では、八幡の料理素人さを出すため、あえて残しとこうと思います。


 フリーサイトには大きな炊事場とは別に、いくつかポツポツと、独立して単体で作られた「かまど」があった。グループで固まってBBQやる時には使いやすそうだ。

 

 そのうちの、テント近くの一基(いっき)を借りることにした。

 

 かまどは三方をレンガで囲われ、丈夫そうな金網が二段になって設けられていた。

 

 灰や炭の付き具合から、下段の金網の上で(まき)を使って火をおこし、上段の金網に飯盒(はんごう)やら鍋やらを乗せて加熱するのだろうと思われた。

 

 今回は単なる火入れ式だし、モノもちっちゃいので、扱いやすいように、上段の金網にステンレス製蒸し器、もといマイ焚き火台を乗せて、羽を少し広げた。

 

 で、と…。

 

 その焚き火台の横に、さっき手折(たお)った落ち枝の束を並べていく。枝の太さは、束ごとにある程度揃えた。細いのはつまようじ並みに細く、太いのは魚肉ソーセージくらい。ここしばらく天気が良かったおかげか、どれもよく乾いていて、手でも割と簡単に折れた。

 

 多少面倒な作業だったが、どうも、動画やブログを見ると、こうやって並べた方が、後々効率がいいらしい。そんなもんなのか…。

 

 とりあえずここからは、ネットで見てきたとおりにやるわけだが…なんせ初めてだし、火を使うしで、ちょっと緊張した。

 

 いちおう、ペットボトルの水を、いつでもぶっかけて消火できるように自分の脇に置いておく。

 

 バックパックから、ポケットティッシュと着火ライターを取り出した。着火ライターってのは、あれな。いわゆる「チャッ○マン(登録商標)」型のライターな。俺のは百円ショップのだけど。

 

 ポケットティッシュは街中で配ってるやつだ。俺はあまりもらえた記憶はないが、小町がよくもらってくるので、家には結構な量がある。なんか手触りがポソポソしてるので、家族もあんまり使わないんだが。

 

 そのティッシュを三枚くらい抜き出し、軽くわしゃわしゃと()んで、ふわりと広げて焚き火台の一番下へ敷いた。

 

 このティッシュを「火口(ほくち)」…薪に火をつけるために、小さな種火を増幅して保つ媒体(ばいたい)…にする。

 

 そして、一番細い枝の束、二番目に細い枝の束くらいまでを、ティッシュの上に乗せていった。あまりみっちり乗せ過ぎないように、上から見た感じが「#」(いげた)の形に見えるように意識しながら。

 

 そして…着火ライターで、一番下のティッシュに火をつける…、と。

 

 おそるおそる、ティッシュに着火してみた。

 

 数秒くらい火で(あぶ)ってやると、火がゆるゆるとティッシュを侵食して広がっていく。もっとぶわーっと燃えるのかと思ってたら、意外とじわじわ燃えるんだなティッシュって。

 

 炎の際が、上に乗せていた枝の真下へ入り込んでいくと、白い煙が少しずつ出てきた。

 

 … … …、

 

 … … …。

 

 ちょっとの間待っていたが、もわもわと、白い煙ばかりが出続けている。

 

 …も、もうちょっとティッシュ入れとくか…?

 

 と思った矢先、パチッと小さな音がして、枝から小さな火がのぼるのを目にした。

 

 よし!!よおぉぉ───し!!!

 

 思わず小さくガッツポーツする。

 

 様子を見ていると、火は少しずつ大きくなってきた。

 

 消えるなよ、消えるんじゃないぞ!!と気が()いて、ポイポイと枝を継ぎ足しまくってしまった。やばい薪の太さ揃えるの超便利!!すぐ火の中にぶち込める!!

 

 すると、再び白い煙がもうもうと出始めたかと思うと、やがて焚き火台の上30センチを優に超える高さまで炎が上がるようになった。

 

 しかもなんか…薪からシュ───って音が聞こえ始めたし!!

 

 うぉ──いやり過ぎた──!怖ぇ──!なに!?何か吹き出してるの!?怒ってるの!?

 

 (しず)まれ!鎮まりたまえ───!!

 

 想像してたより火の手が激しかったので俺は若干(あわ)てた。見とがめられないかと、思わず周りをキョロキョロした。完全に挙動不審。

 

 …おそらく、焚き火台に無数の穴が空いてるので、空気がどんどん入って燃え(さか)ってるんだろう。煙突効果(えんとつこうか)というやつか…!?

 

 火の粉が飛んで他に燃え移るとかしないでくれよ…と、ジリジリしながら火を凝視していた。ある程度、枝が焼けて黒くなったくらいの頃、ようやく火はおとなしくなった。

 

 … …あ─、びっくりした…!!

 

 焚き火台を(のぞ)き込んでみた。結構な量の薪を入れてたと思ったのに、だいぶカサが減って、黒い炭と白い灰が目立つようになっていた。黒い炭の中では、まだ赤白い炎がじわじわとこもっているらしく、息を吹きかけてやると炭の表面が赤く熱く輝いた。

 

 手をかざしてみる。先程は立ち上がった炎のせいで、ろくに近づけもしなかったが、今は炭のだいぶ近くまで手を近づけてはじめて、ジリっとした熱を感じた。

 

 いわゆる、「熾火(おきび)」、または「(おき)」、ってやつか…これが。

 

 BBQをやり終えた後、しばらく炭が炎を出さずじんわり燃えてる、あの状態と同じだ。

 

 焚き火のやり方を勉強しようと、ネットでいろいろ調べて初めて知ったのだが、今までは、「なかなか消えなくて間怠(まだる)っこい火だなぁ」と思っていた。

 

 熾火。こんな名前があったんだな。

 

 焚き火好きの人のブログを見たときだったか。

 

 「大きな炎よりもたっぷりの熾を蓄えること」と、たしか書いてあった。

 

 そのときは「ふーん」としか思ってなかった。

 

 今も実際、目の前の熾火を見ていて、「…この状態が、そんなにいいわけ…?」という気分だ。

 

 しばらく、その熾火を眺めていた。

 

 わりと太い枝も何本か突っ込んでいたのだが、その黒く炭化した枝の中で、熾火がうごめいているのを見ていた。

 

 … … やっぱ地味すぎてあんまり面白くないな。薪をちょっと足して景気良く燃やそう。

 

 枝を適当にぶち込んで、ふーふーと息を(おき)に向かって吹き込んでみた。

 

 すると、意外に早く薪に火が移り、立ち上る炎が復活した。

 

 … …あ。

 

 そういうことなのか?

 

 うん…多分、そういうことだ。

 

 

×××

 

 

 しばらくの間、俺は焚き火台に適宜(てきぎ)、薪を突っ込んだり、熾火(おきび)になるまで放っておいたり、また薪を突っ込んで、…というのを何度も繰り返し練習した。

 

 おかげでなんとなく、焚き火の火力調整の仕方を掴んだ感じがした。

 

 熾火を蓄える意味が分かった。多分、分かったと思う。

 

 言葉にしようとすると難しいが…。ある意味、薪を大切に使うためだ。

 

 焚き火は単に燃え上がる炎を()でるだけのものじゃない。昔はれっきとした生活の、炊事の手段だった。

 

 そう考えると、使う薪(燃料)の量をできるだけ抑え、必要なときに効率よく炎を発生させるように行うのが、スマートな焚き火のやり方と言えるのではないか。

 

 薪を山から拾ってくるのも大変だろうしな。

 

 熾火は派手に燃えない代わりに、炭の中で長時間、火を保ち続ける。

 

 で、必要に応じて薪を追加して空気を送り込めば、また炎が上がる。

 

 ずっと薪を投入し続けて燃え盛る炎を維持するより、薪の量は断然、少なくて済む。

 

 …そういうことなんじゃないかと思う。

 

 誰も解答を教えてはくれないが、この答えは、自分なりに納得できた。

 

 だが、そんなことは正直、どうでもよかった。

 

 俺はもうその時、すっかり焚き火に没入していた。

 

 ゆらゆらと静かに、時にパチッと薪の()ぜる音がする炎を目の前に、完全にトリップしていたのだと思う。

 

 なんで火って、こんな長時間見つめてても飽きないんだろうな…。不思議。

 

 一応、暇つぶし用の文庫本やPSPも持ってきていたが、それらに触る気には全くならなかった。

 

 だが、一個だけ思い出して、俺はバックパックを(あさ)った。

 

 取り出したるは毎度おなじみ、MAXコーヒー。通称「マッ缶」。食後のデザート代わりに持ってきてたんだった。

 

 プルトップを開けて、一口飲む。

 

 練乳の甘みの中にコーヒーの香り(この順番、重要な)、そして今日は焚き火の煙の燻製(くんせい)っぽい匂いが加わって、こんなワイルドなマッ缶をキメたのは生まれて初めてだった。なかなかイケた。

 

 食後のマッ缶をおいしく落ち着いて飲めることを、とりあえず今日のデイキャンプの到達目標にしていたが、どうやら目標達成だ。うむ、満足。ていうかマッ缶、アウトドアにもよく合うな。

 

 …ふと思いついて、熾火の状態になった焚き火台の炭の中に、マッ缶を直接、ゴスッと差し込んでみた。

 

 マッ缶の黄色と黒のデザインが、熾火の当たってるところから少しずつじわじわと、黒く(すす)けていった。やだなにこれ超かっこいい!

 

 程なくして、飲み口から沸騰(ふっとう)したコーヒーが吹きこぼれそうになった。

 

 慌てて、持ってきていた軍手を鍋つかみのように使い、缶を引っ張りだした。

 

 あちっあちっ!

 

 俺猫舌だけど熱いものを持つのも苦手なんだよ。こういうのなんていうの?猫手?っていうの?知らん。こんな手を借りなきゃいけないほど忙しい日々は送りたくないもんだな。

 

 全体が(すす)で真っ黒、とまではなっていない。黄色い缶が程よく黒コゲた感じは、なんとも言えないカッコよさがあった。

 

 ふぅふぅと、缶に口が付けられるくらいまで冷ましてから、一口すする。

 

 うううめぇ…あったけぇ…!!

 

 秋の晴天、この時の俺は、なんか、完璧(かんぺき)だった。自分がまるで完璧になったような気がした。何が、とは、なかなか決めつけて言えないんだけど、なんか、完璧。

 

 そんなこんなで焚き火と(たわむ)れていると、いつの間にか時刻は14時を回っていた。

 



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その30:デイキャンプ@フォレスターズヴィレッジ#5

 このキャンプ場、スゲえな…トイレはウォシュレットか…。

 

 焚き火をひとしきり楽しんだ後、サイト近くに建てられていたトイレを借りたのだが、リフォームしたからなのか、結構きれいめで、ウォシュレットまで付いてた。女性の利用客も安心かもな。

 

 それだけじゃない。受付をしたロッジにはちょっとしたカフェもあるし、200円でシャワールーム、300円で風呂が使える。コインランドリーもある。

 

 さらにオートキャンプ場では、電源がついてるサイトも一部あるようだ。電源って、家庭用の電気製品が使えるコンセントな。

 

 つまり、キャンプ場だけど、炊飯器や湯沸かしポット、電気カーペットなんかが使える。考えようによっては、すごく手軽にキャンプを経験できるわけだ。特に小さい子共がいる家族にとっては。

 

 これって多分、いわゆる「高規格(こうきかく)キャンプ場」ってやつなのか…?

 

 泊まりキャンプの時でも、ここなら安心してやれそうだな。

 

 トイレついでに、オートキャンプサイトの方も散策してみた。広場みたいになってるフリーキャンプサイトよりもさらに、森っ、て感じだ。周りは枝をキレイに間伐(かんばつ)してまっすぐ立っている木々に囲まれ、背の低い生け垣のような植え込みで区画分けされている。

 

 1区画あたりの面積は若干(じゃっかん)狭そうだが…ソロキャンプなら全然いいいんじゃないの。

 

 さて、自分のサイトまで戻ってきて、とりあえずテントに潜り込んだ。

 

 時刻。14時半。デイキャンプの終了まであと1時間半か。

 

 ガッツリと昼寝する時間まではないが、折角(せっかく)なので寝袋に入ってみることにした。

 

 テント内でまだ丸くなっていた銀マットを伸ばし、その上に寝袋を広げて入り込む。

 

 …枕がない…。寝転んで初めて気付いた。しまった。

 

 しょうがないのでバックパックを頭の下に敷いてみた。インナーテントの壁に当たり気味だが…まぁなんとか使えそうだ。

 

 銀マットを体の下に敷いているとはいえ、地面の固さは、やはり家のベッドに慣れた俺の身体にはややキツい。

 

 ええい何を軟弱な!これはもう、経験積んで慣れるのみだ!いつでもどこでも即座に眠れる体質に変えるのだ!!それのび太くんじゃね!?やだ、そう考えるとのび太って超アウトドア向きじゃん。アウトドアどころかいろんな世界行ってるけどね彼。さすが大長編20本以上やってるだけある。

 

 などとくだらないことを考えながら、ゴロゴロボケーッとしていたら、少しずつ寝袋の中が暖まってきた。

 

 …銀マットの外の床面をそっと触ってみる。案外冷たい。銀マットの上とははっきり温度差がある。銀マットすげえな…!

 

 … … …、

 

 … … …。

 

 違和感。

 

 なんだか違和感がする。寝てる感触に。

 

 慣れない寝方のせいか?…いや違う。ただ固い地面の上に寝転んでるだけなのに、こんなに違和感というか、乗り物酔いしかけてるような気持ち悪さを感じるはずがない…。

 

 しばらく寝返りしたりモゾモゾしたりしてるうちに気づいた。

 

 地面がわずかに傾斜してる…のか?しかも横方向に…?

 

 起き上がって、スマホに水平器(すいへいき)のアプリをインストールし、テントの床面に置いてみた。

 

 スマホ画面に、緑の液体に浮かんだひと粒の泡が映しだされたが、画面中央のサークルの中には留まるものの、ほんの少し、中央からわずかに横にずれていた。

 

 …やっぱ、傾斜してたか…!小さなスマホ画面では些細(ささい)な範囲に見えるが、多分テントの横幅全体でいえば、もうちょっと露骨な傾き具合だろう。

 

 テント張る前の確認が甘かったか…。こんなに体感するものなんだな…!

 

 スマホの時計を見る。15時を少し過ぎていた。

 

 大きく溜め息をついた。

 

 今からテントの位置替えをしても、すぐに撤収時間だな。

 

 しゃあない。それでもいい勉強になった。泊まりの時にはもっと細心の注意を払って、平らなところを見つけるようにしよう。それか、傾斜があっても縦方向になるようにして、頭を上にすれば気持ち悪さはなくなるはずだ。

 

 そうそう、こういうことなんだよ!失敗こそが先生だ。最初からその気持ちで臨んだのだ。今日はいろいろ小さな失敗をしながら、大きな学びをたくさん得たのだと思うことにした。まぁ、(はた)から見てれば初心者のヘタレ練習キャンプなんだろうがな。

 

 でも、今日は大満足な一日だった。うん。

 

 早めに撤収して、ロッジで少しくつろいでから、帰ろうかな。それくらいの心の余裕があってちょうどいいんじゃないの。

 

 俺は割といい気分でテントから出て、寝袋と銀マットを丸めて外のテーブルに置いた。

 

 焚き火台と炭は、きちんと水をかけて完全消化し、それぞれ袋に密閉してバックパックに入れた。小さな焚き火台だからか、消火後の始末が楽で大変よろしい。つってもほとんど真っ白な灰になってたけどな。

 

 さて、テントもサクッと片付けよう、と、手近なペグから引き抜こうした。

 

 …あれ?

 

 …あれ??

 

 … … …ぬ、

 

 抜けない…ぞ…?

 

 ペグは地面にガッツリ深々と()()()刺さったまま、俺がいくら力を入れても一向に抜ける気配がしなかった…。

 

 いや…、力を入れようにも…そもそも手や指でガッシリつかめる部分が地面からあまり出てない…!!

 

 あれ────……!!?

 

 え、ペグって打ち込み方、こうでいいんだよね?頭の先まで刺さないと、風吹いたらペグに引っ掛けてるガイライン(細い紐)取れちゃいそうじゃん…!?

 

 

 え?え?違うの?もっとペグの頭って出しとくべきなの!??

 

 引っ掛けているガイラインごと、強引に引っ張って抜こうとしたが、俺の腕力じゃビクともしない上に、ヘタに力いっぱい引っ張ったら、俺の腰の方がイってしまいそうな感じがして超怖い。

 

 必死に、抜けるペグから抜こうともがき、どれも全然抜けないまま、時刻、15時40分。

 

 

 

 … … … どっ、

 

 

 どうしよう… … …?

 

 

 … …??

 

 

 ま… …

 

 

 … … …

 

 

 ママ────────ッ!!!!!!!(スネ夫声)

 




ホントのところ、このキャンプ場のモデルとなったところの土質からいえば、よほど変なところに打ち込まないかぎり、抜けにくいということはないと思いますが、今回は八幡をヘタレさせたかったので、敢えて。

ちなみにテント内での傾斜のくだりは、私の実体験がもとです。生まれて初めての泊まりソロキャンプがそうでした。

想像していたより、僅かな地面の傾斜というのは身体に応えますね。


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その31:デイキャンプ@フォレスターズヴィレッジ#6

 このSSでは、八幡たちの年齢の基準を2011年4月1日時点とします(原作第1巻の発売日が2011年3月18日。その時点で八幡はGWを迎える前の高校2年生なので)。

 多分計算は間違ってないはずですが…間違ってたら訂正します。

 っていうか、そうすると八幡たちの年齢は変わらないまま、舞台となる街の状況(お店の改装、出店等)は2015年時点、という現象が起きるんですが…。

 ま、まぁ、そのへんはどうか、深く考えない方向でひとつ…!!(土下座)


 どうでもいい話だが。

 

 ドラえもんのテレビアニメが第2作第1期から第2期に変わったのは2005年4月だ。俺はこの時、小学5年になったばっかりで、11歳になる少し前だった。

 

 テレビアニメ版はもっと小さい頃から()ていた。両親が旧作の大長編のビデオを借りてきては観せてくれていた。

 

 大好きだった。宇宙小戦争のEDは聞くだけで涙腺崩壊するし、鉄人兵団のクライマックス場面とか、マジでトラウマになるくらい号泣した。

 

 で、2005年。俺がのび太たちの歳に追いついた年に、テレビアニメ版は絵柄が変わり、声優陣も一新され、大変革を遂げたのだ。

 

 俺はそれに、何らかの意味を感じていた。

 

 うまくいえないが…「ああ、これからは俺達の出番なんだな」という風に思った。

 

 ドラえもんたちがテレビの中で、昔からある伝統的なアニメとしてではなく、ピカピカに生まれ変わって新しい歴史を作っていくのを、俺達はリアルタイムで見ていくことになる。そのことに、何か特別な意味を勝手に感じちゃったりなんかした。

 

 なので、俺の中では、スネ夫の声は、関智○さんだ。

 

 肝付○太さんの声も大好きだけどね。

 

 

×××

 

 

 ホントにどうでもいい話だよっていうかなんで突然そんな謎のこだわり語ってんの俺バカなの!?死ぬの!?

 

 いくら引っ張っても抜けないペグを目の前にして、一瞬意識が飛んでたようだ。

 

 時刻、15時45分。デイキャンプコースの終了時刻まであと15分。わぁい一瞬じゃねえな5分くらい飛んでたな。

 

 ヤバい。何がヤバイって超ヤバい。

 

 クソッ何が「失敗こそが先生だ」だよ調子乗ってんなよド初心者が最初の時点で大失敗こいてることにも気付いてねぇじゃねえかよとんだ大先生だよすいませんあの発言ナシでお願いしますマジ恥ずかしくて死にたいんですけど…!!!

 

 俺の新着黒歴史がたった今、一覧の最上部に表示されちゃったよ…!!

 

 いやまて落ちゅちゅけ俺。落ち着け俺。心の中で噛んでるダメだこれ俺もう。

 

 撤収(てっしゅう)時に寝袋やテントをたたむのにモタモタして初心者感丸出しで笑われたくなかったから、何度か練習はしてきた。テントなら急げば5分くらいでたためるだろう。たたんだテントをバックパックに詰めてロッジの受付に行くまでには、10分もかからないはずだ。

 

 目の前のペグ10本、今すぐ抜ければの話ですけどねー…。

 

 まぁ、実際問題、数分遅れたくらいなら「すいませーん初心者なんで手間取ってー てへぺろ☆」で済むだろうが…、それは俺の中では「デイキャンプ失敗」だ。

 

 俺の理想では、少し早めに撤収を終えて、受付で爽やかに「楽しかったです。いいキャンプ場ですね。また来ますね!」って言って去って行きたいのだ。

 

 あと5分でペグを全部抜かないと、俺の理想は崩れ去る。

 

 …()にも(かく)にも行動だ…!

 

 俺は一本のペグの目の前に膝をつき、テントのガイライン(細い張り紐)ごとグイグイと引っ張ってみた。土への食い込みが少し(ゆる)んではきているが、まだ力任せには抜けない。

 

 周りの土を掘って、土の食い付きを弱めよう…だがスコップはない。何か代わりはないか。何か…!!?

 

 一個思いついたが、ためらってしまう。…だが、もともと百円だし、今この状況、背に腹は変えられない…、ケガだけしないように気をつけて…!

 

 俺はバックパックの割と奥にしまっていた、百円ショップの果物ナイフ((さや)付き)を引っ張りだすと、鞘を抜いて、刀身をペグ脇の地面にグリグリと刺した。

 

 ペグ周りの土をある程度えぐってやると、ようやくペグは土から()がれてズブリと引っこ抜けた。

 

 うへぇ…∨字の溝の部分に土がべっとりこびりついていた。でも土を落とすのは後だ、後!

 

 同じ要領(ようりょう)で数本のペグ周りをほじくった。ナイフはひん曲がって、刃はガタガタにこぼれた。さすが百円。ていうか危険なので真似しないでください。

 

 途中からは、抜いたペグを横向きに持ち、まだ土中にあるペグの紐を引っ掛ける部分に噛ませ、その状態で両手を使って引っ張ってやると、ズズズッと抜けてくれることに気づいて、そっちに切り替えた。かなり力は要ったが、掘り返すよりは早かった。

 

 なんとかかんとか、全部のペグを抜き終わった時には、焦ってたからか、息も絶え絶えで、全身から汗が吹き出していた。

 

 時間がかかりすぎた…もうこうなったらヤケクソだ…!!

 

 ペグに付着した土を適当に指で(ぬぐ)い取って(たば)ね、テントからポールを外し、なにもかも適当にたたんで丸めて収納袋に(おさ)めきれないまま、バックパックにぶち込んだ。整えるのは帰ってからだ。

 

 掘り返した跡を靴で踏みしめて直し、忘れ物がないかザッと周りを見て、ダッシュでロッジへ向かった。

 

 受付に着いたのは、きっかり16時だった。

 

 ぎ…ギリギリセーフ…か?

 

 バテバテの俺の様子に、受付の人は若干(じゃっかん)引いていた。

 

 

×××

 

 

 お、おつかれ、俺…!!

 

 無事に「フォレスターズ・ヴィレッジ」を出て、とぼとぼと帰路(きろ)を歩きながら、俺は大きな溜め息とともに自分に向かってつぶやいた。

 

 まずは時間内に、やりたいと思ってたことを全てこなせたので、成功、と言っていいんじゃなかろうか。

 

 ただ、テントのペグ打ちから始まって、いろいろと失敗もしたし、大変な思いもした。ナイフも一本ダメにした。

 

 次は絶対、もっとうまくやろう…事前に対策を考えて…。

 

 だが今は…とにかく帰って風呂に入って、ベッドでゴロゴロしたい…!!

 

 そういや明日は月曜だったよ…あーもう!今思い出すんじゃねぇよ…!!学校行きたくねぇ…!!

 

 うだうだと考えながら土気(とけ)駅方面のバス停に着いた時、スマホにメールが入った。

 

 小町からだった。

 

 

 

 

 件名『無題』

 

 本文『お父さんと九十九里浜でドライブしてるなう!!ハマグリ美味しかった−♪♪』

 

 

 

 

 添付(てんぷ)で、小町の自撮り写真も送られてきた。自慢の八重歯が輝く満面の笑みだ。

 

 九十九里浜では有名な浜茶屋(はまぢゃや)にいる写真のようで、座っているテーブル中央の焼き網では、エビやデカいハマグリがぎっしり並んで焼かれていた。

 

 席の向こう側では、父親がニヤリと笑ってダブルピースしているのが写っていた。

 

 おい!ハマグリだと!!なぜ俺を呼ばない!!あ、デイキャンプしてたからか。いやデイキャンプとかやってる場合じゃねぇだろ!!いいなああぁぁぁ…!!!

 

 ああ、多分アレだ。親父が寝袋姿(ねぶくろすがた)を小町に撮られて(たか)られたのはこれだったんだな。多分撮られてなくても小町のおねだりならホイホイ行きそうだが。

 

 …ん…?まてよ…?

 

 スマホで地図検索してみた。

 

 九十九里浜までドライブ…車で行ってるってことは、帰り道にちょうどこの辺通れるじゃん。県道83号から20号に入れば土気駅前を通る。そのまま下道で帰れるし。

 

 ちょうどいいや。帰りに乗っけてもらおう。そう思って、父親に伝えるよう返信した。

 

 まもなく、今度は父親からメールが届いた。

 

 

 

 

 件名『家に帰るまでがキャンプですよ』

 

 本文『父さんと小町のデートの邪魔はさせん。それに往復の交通費をカンパしてやったはずだぞ?』

 

 

 

 

 …お父さん…そんな本音と建て前的な…。

 

 …って、は?交通費?

 

 あ、あの千円か…?アレ、交通費としてくれたのか。

 

 あれ…今日の交通費いくらだったっけ…まず片道の交通費を頭の中で計算してみた。電車代が乗り継ぎありで500円、バス代が170円、足して倍にして…1,340円。

 

 おい足りねぇよ。電車賃しかもらってねぇよ。

 

 そう返信したら、すぐに再返信が来た。

 

 

 

 

 件名『軟弱者(なんじゃくもの)め』

 

 本文『誰がバス使えと言った(笑)駅から現地まで歩いても30分かそこらだろ(笑)登山よりよっぽど楽だろうが(爆)』

 

 

 

 

 うわああぁぁぁぁむかつくうううぅぅぅぅ!!!!!!!

 

 「(笑)」とか「(爆)」とか一時代前の書き方してるのもむかつくううぅぅ!せめて草生やすとかにしろよ…!!

 

 しかしまぁ…正論…なのかもな…。

 

 結局、俺は帰りも同じようにバスと電車を使った。もうなんか…疲れたので、歩いて駅へ向かう気力は()かなかった。

 

 今日は…いろいろと…敗北感を味わった一日だった。

 

 でも、父親と小町がおみやげに「いわしソフトみりん干し」を買ってきてくれたので、まぁ、いいことにするか。



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その32:運動不足な比企谷八幡にとって、キャンプは意外と全身運動である。

 てんやわんやのデイキャンプから一夜明けて、月曜日の朝。

 

 …体中が痛い。

 

 ヒイヒイ言いながら学校の駐輪場にたどり着いて自転車を()め、昇降口で上履きに()き替える。一連の動作が地味に辛い。

 

 そんなに激しい運動でもなかったはずだが…撤収(てっしゅう)の時にバタバタしたのが原因か?

 

 まぁ日頃、自転車を()ぐ以外、運動不足なのはあるかもだが…。

 

 だが、気分の方は、わりといい。日帰りとはいえ、野外メシと焚き火で()やされたし、昨夜(ゆうべ)は疲れもあって早く寝付いたので、睡眠時間は充分だった。

 

 嘘です。正直めっちゃダルいです。なんで学校とか来なきゃいけないの位まである。一刻も早く帰りたいです…否、キャンプ用品店行きたいです。狂おしいほどウズウズしてます。

 

 いや、金は無いんだけどね。日帰りでも、一回実践(じっせん)してみて色々考えることがあって、次の小遣いで何を買おうか、今のうちに目星(めぼし)をつけておきたいのだ。

 

 まず、ペグを抜き差しする道具だ。絶対要る。痛感。

 

 それから、冷凍した肉とかをしっかり保冷したままバックパックに入れられるような容器があれば…百円ショップの保冷バッグは、やはり力不足だった。

 

 できれば水も、当日店で買うのもいいが、買い物袋ぶら下げてキャンプ場に行くってのは、絵的にホームレス感が凄い気がして(自意識過剰か?)、スマートに持ち運べる水筒というか、いい容器がないか探してみたい。繰り返し使える容器なら、家から水をくんでいけるしな。

 

 デイキャンプの時には、飲み水と合わせて2リットルくらいでちょうど良かったので、泊まりなら倍の4リットル位か。4リットル…バックパックに入るかな…?

 

 ああ、そうだ…ナイフ、何とかしなきゃ。また百円ショップで買うか?それもなんだか…。

 

 そんなこんなを考えてるうちに、あっという間に授業時間は過ぎ去っていった。

 

 もうね。

 

 完全に病気(ビョーキ)

 

 

×××

 

 

 帰りのHRが終わった。思えばまともな授業の記憶がないな、いっつも。

 

 各教科担当の先生の名前もよく覚えてないし(平塚先生と厚木以外)、なんなら担任の名前もちゃんと把握してないかも知れないまである。ヤバイな俺。

 

 部活へ向かう奴、さっさと帰る奴、だらだらと残って友達とだべってる奴と、教室内が今日最後の(にぎ)やかさに満たされる。

 

 特に賑やかな教室後方。

 

 帰り支度(じたく)を整えてる間も、いやおうなく彼らの会話が耳に入ってきた。

 

 「あー、月曜だりぃわー。土日(どにち)も練習だったしよー。」

 

 はい来ましたーF組きってのだべリスト戸部ー。

 

 「新人大会まであとちょっとだからな。ダラダラしてたらスタメン外されるぞ?」

 

 はい出ましたー総武高一のイケメン超人葉山ー。

 

 「っべー、競争率高ぇんだよな今年…でも隼人(はやと)君は部長だしテッパンっしょー。今年も大学からスカウトとか見に来る系じゃね?」

 

 「えっ隼人君スカウトが見に来てんの?すげえーうらやましー。」

 

 「それな。」

 

 はい居ましたー大岡と大和(やまと)ー。

 

 「別に俺を見に来てるわけじゃないよ。新人大会ならどの会場にも一応、一人二人見に来てるんじゃないかな。」

 

 「いやいやいや、ねーわー。スカウトとかフツーなら1部2部の奴らの方から見に行くっしょー。うちのランクで来てッてことは、悔しいけどガチで隼人君目当てだわー。」

 

 「隼人すごーい!」

 

 はいーあーしさん入りましたー。

 

 「スカウトってつまり誘い受けだよね。ウチでサッカー、やらないか…?」

 

 おーい追加のエビー。腐ってんぞー。

 

 「え、誘いを受けるのは選手の方なんじゃん?」

 

 団子…。

 

 いかん。だんだん紹介が雑になってきてるな。疲れてるんだよ。あとなぜか腹減ってきた。

 

 ちなみに1部とか2部ってのは千葉の高校サッカー県リーグのランクな。

 

 さらにちなみに、千葉県は全国レベルで見ても高校サッカーが強いんだぜ!

 

 知ってるか。そうか。

 

 うちの高校のランク?…知らんッ。聞くな…ッ。

 

 ただ、特に強豪ってわけではない我が校サッカー部の試合をスカウトマンが見に来るってことは、興味がある選手がいるってことなんだろう。おそらく戸部のいうとおり、葉山目当てだろうな。

 

 「つうか今年の新人大会、隼人君の部長デビューっしょ!っべー、何か俺までアガるわー。」

 

 戸部が葉山に笑顔を向けると、葉山は少し困ったように苦笑した。見る人が見れば、照れているようにも見える。

 

 「あーそうなんだねー!試合って休日?応援とか行っちゃっていいのかな?」

 

 「構わないけど、多分当日は関係者とかで会場ごちゃごちゃしてるし、終日屋外だから、最初から観てるってのはけっこうキツイかもな。」

 

 「ひぇー、終日…結構ハードなんだねー…。」

 

 葉山の由比ヶ浜(ゆいがはま)への回答は、聞く人が聞けば、応援してくれる女子への気遣いにあふれているようにも聞こえる。だが。

 

 相変わらずだな、葉山。

 

 今、葉山は、戸部の無意味なヨイショをやんわりと受け流し、由比ヶ浜の軽い思い付きのような応援申し出をやんわりと断ったのだ。

 

 なんとなく、俺にはそう感じられた。

 

 だがまぁ、葉山の気持ちも分かる気がした。親しい間柄とはいえ、あまり入り込んでくれるなという領分は、やはりある。

 

 そういえば葉山が、戸部の話に付き合う以外で、サッカー部での具体的な出来事を話しているのは聞いたことがないような気がする。俺が知らないだけかも知れないが。

 

 で、由比ヶ浜も空気読むのは流石(さすが)なもので、葉山の気分を察知して、やんわりと、観戦には行かない方向で話を着地させた。

 

 なんとなく、俺にはそう感じられた。

 

 直接には感情を表さずに言葉の裏をくみとりながら互いに意思疎通してる。

 

 なんか一流の武人同士の丁々発止(ちょうちょうはっし)を観てるみたいだな…。

 

 「大人数がくんずほぐれつの屋外でやらないかの視線に絶えず(さら)されるというわけね…。やばいよ。私死ぬわ。出血多量で死ぬわ…!」

 

 そして、海老名さんはやんわりどころじゃない自己解釈でっていうかホントこの女何考えてるんだ。どんな脳内フィルターで世界を感じているんだ。多分、網膜(もうまく)鼓膜(こまく)薔薇(ばら)色してるんだろうな。

 

 葉山はこれは完全に無視した。間髪入れずに三浦が海老名さんに擬態指示を出していた。

 

 見事な調和だな。こいつらほんと。

 

 …支度(したく)も整ったので、俺はとっとと部室に行こうと思い、前の扉から出ようと席を立った。

 

 「そいや新人大会の予選、移動は貸切バスっしょ?」

 

 「今年度はボロい備品の買い替えに部費回したいからなー。節約して電車と市バスで移動しようかなって考えてる。予選2回のうち1回はうちのグラウンドだし、あとの1回も外房線ですぐだし。試合に負けたら帰りはランニングな。」

 

 「ちょ、そりゃねーわー!っべー…!!せめて帰りは自腹くらいの方向でオナシャス…!!」

 

 いやまず勝つ方向で考えろよ、と葉山は戸部にツッコミを入れる。グループ内にどっと笑いの花が咲いた。

 

 だが俺は、笑える気分じゃなかった。

 

 葉山たち、外房線使うのか…。やばいな。

 

 

×××

 

 

 奉仕部は今日も依頼者なし。

 

 それを幸いと、俺はスマホの皮がめくれるほどの勢いで(どんな例えだよ)ぺろぺろくぱくぱと検索に没頭していた。

 

 本格的に寒くならないうちに、今年中にせめてあと一回、できれば泊まりでキャンプをやりたいと思っていた。

 

 ちなみにデイキャンプから帰宅後、父親にその日の出来事を報告したら、笑われつつも、次は一泊キャンプの許可をもらえた。

 

 で、次もフォレスターズ・ヴィレッジに行こうかと思っていたのだが…。

 

 高校サッカー新人大会の日程を見てみると、俺が次のキャンプを考えていたまさにその日、葉山たち総武高サッカー部の試合が、外房線からすぐの高校のグラウンドで行われる予定になっていた。

 

 ヘタすれば電車内や駅のホームで、葉山たちとかち合う可能性がある。

 

 日程や時間帯をずらせば…とも考えたが、なかなか他の用事とのアレがアレで難しい。

 

 まだだ…。まだ俺は、学校の連中にソロキャンプしてることを知られたくなかった。

 

 なんやかんや言っても、やっと日帰りでちょこちょこやったレベルだ。

 

 せめて一泊を経験しないと格好(かっこう)がつかない。

 

 逆に、一泊さえ一度でも経験しておけば、対外的にも趣味として認知されやすい。

 

 やったことがあるか、ないか。それが重要だ。わかるだろ大岡。わかるよな大岡。

 

 だから、急いで別のキャンプ場を探さければならない。

 

 外房線以外の経路で行けて、一泊できて、金もかからなくて、できれば地元から遠く離れたキャンプ場を。

 

 景色が良ければなお良い。さらにいうなら、受付とか予約とか時間制限とか、そういう(わずら)わしいのもなるべく必要ない場所に行きたい。

 

 あれっ何気に超贅沢(ぜいたく)言ってる?俺?

 

 …とはいえ、いわゆる「ゲリラキャンプ」…、キャンプ場以外の、林道脇や公園などでテント張るようなキャンプは無理だ。無理ですよ。ヤンキーとかお化けとかお(まわ)りさんとか怖いよ。あと不審者。いやこの場合不審者は俺になるか。

 

 「不審者にはなりたくないな…。」

 

 「…無理よ。不審者くん。」

 

 何気なくつぶやいた俺の一言に、ごく短く雪ノ下(ゆきのした)が返してきた。短い分、言葉の威力がデカイ。しかも何の(ひね)りもない。 

 

 「俺のどこが不審者というんですか雪ノ下さん…文化祭でも体育祭でも身を粉にして学校のために尽力しつつ他人を立ててた素晴らしい引き立て役んでしょうが…。」

 

 俺の返しを聞いて、クッキーを食べていた由比ヶ浜がゴフッとむせる。よしウケた。

 

 「まぁ一つ一つ挙げていくと枚挙(まいきょ)(いとま)がないけれど、主に…、」

 

 読んでいた本から視線を俺に向け、言いかけた雪ノ下はそこで固まった。

 

 「…?」

 

 「その…、目…とか…。」

 

 やっぱり目のことを言うか。くっそう毎度毎度…。

 

 しかし、言ってる最中に、雪ノ下はすぐに本へと視線を戻した。かと思ったら、思い出したように紅茶のおかわりを()ぎ出した。

 

 なに。直視できないほど腐ってるということか。そうか。遠くへ行きたい。まさに今その算段をしてるところだがな。

 

 「そ、そういえばさ、ヒッキーなんか今日いつもよりすごくダルそうだったけど、体調悪いの?風邪?」

 

 雪ノ下から紅茶を受け取った由比ヶ浜が、クッキーを頬張(ほおば)りながら聞いてきた。だから口の中にモノを入れたまま…。

 

 「ああ、いや、ちょっと筋肉痛でな…。もう大分よくなった。」

 

 指摘されるとは思わなかったから、びっくりした。そんなに表情や動きには出してないつもりだったが…。もうちょっと気をつけないとな…。

 

 「ふーん…なんかスポーツでもやったの?」

 

 「いやまぁ、…日曜にちょっと、荷物運びとか、をな。」

 

 まぁ、嘘はついてない。しかし今は、これ以上余計なことは言わない。

 

 「へー…。」

 

 由比ヶ浜もそれ以上は追求してこなかった。

 

 直後に、ちょうど折よく、完全下校時間を知らせるチャイムが鳴った。




今回はなんか…大増量でした…疲れた…!

今月から来月にかけて、千葉県では高校サッカー新人大会(1年生と2年生のみの大会)の予選が順次開催されるようです。たまたまネット調べ物で知りました。

いままで全然出してなかった葉山たちを動かしてみたくて、ちょうど時機もいいので、この話題にしてみました。

とはいえ、原作の時系列とはなかなかうまく合致させられないんで、もう開き直って完全パラレルを貫いていきます…!!(汗


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 【ちょっと比企ペディア】:焚き火について・ネイチャーストーブについて

【焚き火のマナーについて】

 

 焚き火をすると地面が汚れる。

 

 ゆえに、基本的に日本のほとんどのキャンプ場は、直火(地面の上で直接焚き火をすること)は禁止されている。

 

 他にも、土中の微生物を殺すから、Ph値が変わるから等の理由を挙げる者もいるが、最も大きな理由はやはり、「直火によって地面を汚すと、キャンプ場の管理者や、次にそのキャンプ場を使う人が迷惑をこうむる」からだと思う。

 

 直火が禁止されていない場合は、各キャンパーが焚き火の後始末を完璧に行うことが前提条件であるはずだ。

 

 「直火が禁止されていないこと」=「それまでの先客のキャンパーたちが、場に敬意を払い、後始末をきちんとして次のお客にサイトを引き継いでいる」ということではないかな、と思う。

 

 そのような状況のため、通常キャンプ場で焚き火を行う場合、各メーカーから販売されている「焚き火台」を使うことになる。

 

 「焚き火台」とは、脚のついた火床であり、地面からある程度離して火を炊くことができる道具である。

 

 よくあるBBQコンロは、炭火を料理に使用することに特化した焚き火台の一種、と言ってもいいかも知れない。

 

 「焚き火台」はサイズ、重量、材質などにさまざまな個性があるので、自分のキャンプのスタイルに合ったものを選びたい。

 

 例えば、車で運ばなければいけないほど重いが、ダッチオーブンを乗せても平気な頑丈なもの、バックパックに収納できるほど軽量でコンパクトなもの、など。

 

 ちなみに書き手は、軽量タイプを一個保有しているが、もう一個、頑丈なタイプのも欲しいなぁ…などと考えている。

 

 直火でなければ焚き火ではない、という向きもあるが、書き手個人としては、焚き火台をこだわりを持って選び、積極的に使う焚き火も、結構楽しい気がする。

 

 「場に痕跡を残さない」、というのも、なんかクールな感じがする。

 

 

【焚き火のメカニズム】

 

 軽く頭に入れておくと焚き火の段取り力アップにもつながりそうなので、薪がどのような段階を経て燃焼するかを記す。

 

(参考:「Fielder」誌(笠倉出版社)vol.19 15頁)

 

①〜100℃

 薪の中の水蒸気が放出される。同時に、薪(木材)の成分が熱により化学変化を起こし、可燃性ガスが発生し始める。

 

②〜300℃

 薪の中で可燃性ガスの生成が急速に進み、盛んに放出され始める。

 

 260℃あたりでガスに引火。

 

 300℃あたりで薪が割れはじめ、可燃性ガスがさらに噴出。燃焼と共に薪の炭化が始まる。

 

 この段階くらいで、耳を澄ますと薪から「シュー」という音が聞こえる。

 

③〜700℃

 いままでは主に薪から吹き出していた可燃性ガスが燃えていたが、このあたりから薪自体が燃焼を始める。

 

 700℃で可燃性ガスの放出が終わり、薪の中に赤く熱がとどまるような燃焼が始まる。

 

 この状態を「熾火(おきび)」、あるいは「(おき)」という。

 

 熾の上に新しい薪を置いて、空気を送ってやるとすぐに着火する。

 

 ちなみに、メラメラと上がる炎の温度は1000℃前後。直接炭火で肉を焼くとかなら別だが、鍋などを使って料理するなら、炎くらいの熱が欲しい。

 

 熾火は、焚き火の「スリープ状態」、のように考えるといいのかも知れない。

 

④〜灰

 

 熾火の状態がしばらく続くと、薪の燃焼は終わり、白い灰になる。

 

 完全に燃え尽きるまでには意外とかなりの時間がかかるので注意。

 

 

【焚き火の方法】(焚き火台を使用する前提)

 

 様々な道具、方法があるし、いちいち具体的に書くのは野暮にもなる気がするので、とりあえず書き手がよくやる方法を一例として記す。

 

 あとは各自、工夫されたい(笑)

 

 ちなみに…、原作第4巻の平塚先生による着火シーンは、書き手的には、ナシです。

 

 かまどがサラダ油でベトベトになるだろ…。

 

 西岡式(非常にエレガントな方法)で炭を組み上げて、ちゃちゃっと種火を放り込み、「お前はもう死んでいる」ってな感じで、さっそうと去っていった後に炭から静かに炎が上がる、みたいなのがカッコイイと思う。

 

 

①道具

 

 点火の道具としては、マッチ、ライター、または「ファイヤースターター」を使う。

 

 「ファイヤースターター」とは、「フェロセリウム」という黒くて柔らかい金属を棒状にしたもの。

 

 エッジが鋭いステンレス等の硬い金属板(ナイフの背など)でこの棒をシュッとこすると、火花を散らすことができる。

 

 フェロセリウム本体が濡れても、拭けばすぐに使えるのが最大のメリット。携行しているキャンパーは結構多い気がする。

 

 マッチ、ライターに比べると、点火に少しコツがいるが、難しくはない。

 

 使っていると玄人感が演出できて、イイ(笑)。

 

 キャンプ用品店、ミリタリーショップなどで売っている。1,000〜2,000円前後が標準的な相場。

 

 フェロセリウム単体の商品と、マグネシウムのかたまりにフェロセリウムの棒がくっついている商品がある。

 

 マグネシウムをナイフ等でコリコリと削り、出てきた粉を着火剤の上に()いてからフェロセリウムで火花を飛ばすと、マグネシウム粉に火花が当たってパチパチ…とはぜながら燃焼するので、着火がしやすくなる。

 

 

②着火剤、火口(ほくち)

 

 ティッシュペーパーが一番コスパが高く、使いやすい。街頭で配られているポケットティッシュの、使わなくて古びてボソボソになりかけている奴とかが最高。

 

 マッチ、ライター、ファイヤースターター、いずれでも簡単に着火できる。

 

 ゲル状の燃焼剤は、チューブから絞りだすタイプと、小袋に個別包装されているタイプがある。個別包装が使いやすい。数分間燃焼する。

 

 固形燃料(料亭の鍋物を温めているアレ)も便利。ファイヤースターターで点火するときは、外側の透明フィルムを破いて中に向けて火花を飛ばすとすぐに着火する。大体十数分燃焼する。

 

 着火剤があらかじめ用意できなければ、「乾燥してもろくなっているもの」「乾燥して柔らかい繊維(せんい)状のもの」などを身の回りから適当に探す。

 

 冬場のすすきの穂、かんなで木を削った時のくず、ホムセンで売ってる細い麻縄をほぐしたやつ、等はよく燃えた。

 

 

③薪の燃やし方

 

 一番最初に、緊急消火用として、水の入ったバケツ等をすぐそばに置いておく。

 

 よく乾いた落ち枝や市販の薪などを確保し、何段階かの太さに分けて、火床の脇に並べる。

 

 一番細いのはお(はし)より細いくらいのがいい。できるだけ大量に用意する。

 

 市販の薪は、必要に応じて縦に割り、太さの種類を分けておく。

 

 太さの上限は、焚き火の規模にもよるが、書き手の経験(ソロキャンプ)上は、市販の薪サイズより大きな薪は必要としない。

 

 まず、着火剤の上に一番細い薪、次に細い薪を少量乗せる。「#」(井げた)の形を意識しながら重ねる。

 

 薪の長さは、可能な限り、焚き火台の中に収まる程度に揃える。外にはみ出していると、燃えている途中で、突然ポロッと外にこぼれてしまい危険。

 

 風向きを確認し、風の吹いていく方向に人や燃えやすいものがないか確認する。

 

 着火剤に点火してしばらく待つ。薪から白い煙がもうもうと上がってきて消えなかったら、だいたいそのままスムーズに着火する。

 

 薪からパチパチとはぜるような音が聞こえてきたら着火はほぼ成功。炎がすぐに上がるので、後は適宜(てきぎ)、薪を追加して火を維持する。

 

 細い薪から、段々太い薪をくべ、火を育てていく。太い薪は1〜2本でいい。

 

 自分の頭よりも上に炎が上がらないように注意。コントロールしきれずに延焼・火災の危険が高まる。

 

 薪はキャンプ終わりまでには燃やし尽くすことを念頭に、薪をくべるときは気持ち少なめにする。

 

 キレイに灰になっているように見えても、まだ細かい炭の中に火が残っている(まず間違いなく)ので、バケツの水の中に入れて完全消化してからゴミ袋等に入れる。

 

 

【ネイチャーストーブ】

 

 ガスやガソリンではなく、枝や薪、木の葉など、自然に落ちているものを燃料に火を起こし、調理をするときに使う火器である。

 

 このSSで八幡が使用していた「ステンレス蒸し器の焚き火台」も、どちらかといえば焚き火台ではなく、ネイチャーストーブの部類に入るかも知れない。

 

 焚き火台とは違い、火床と地面との距離がほぼ無く、実質的に直火と同じくらい地面を汚す可能性があるため、日本のキャンプ場でそのまま使うのは不向き。

 

 しかしこれが使うと結構楽しいので、書き手の場合は、炊事場のあるキャンプ場なら、かまどの上で使ったり、コンクリ造りのテーブルや椅子が設置されていて独占できれば、別に金属トレイを持って行ってその上で使ったりする。それ以外では遠慮して使わない。

 

 

①ロケットストーブ

 

 単純に言うと、L字型の煙突構造になっているスト−ブ。

 

 横向きの炊き口(Lの字の短い横線の端)から薪を入れて燃やすと、煙突効果により上昇気流が発生して、縦向きの火口(Lの字の長い縦線の端)から勢い良く炎が吹き出す。

 

 非常に燃焼効率がよく、薪の消費量が少なく済むのがメリット。ネット上でも自作の方法が多く書かれていて、単独でも自作が比較的容易。

 

②ホボゥストーブ

 

 アメリカの大恐慌時代に、各地を転々とした渡り鳥労働者(ホーボー)等がよく利用した野外調理用の火器。自作が容易。これも煙突効果を利用している。

 

 ペール缶の上部、底部の外周に穴をいくつか開け、内部に、底からいくらか浮かせた火床をつけて、缶の上から薪等を差し込んで燃やす。

 

 缶の上部はそのままコンロとして鍋を置くなどして使う。

 

 構造が単純なので、薪にこだわらず、ゴミなどでも燃料にできる。

 

 

③「木こりのろうそく」

 

 北欧のきこりたちが生み出したらしい、ネイチャーストーブというか、丸太。

 

 よく乾燥させた、人間の(ひざ)くらいまでの長さの丸太に、チェーンソーで縦に切込みを3〜4本入れる。上から見ると「*」みたいな感じに。

 

 その切り込みの交差部分(丸太の中央部)に、燃焼剤とマッチの火を投げ込むと、丸太の中央から徐々にゆっくり燃えていく。

 

 見た目にすごく風情がある。

 

 燃えている間に、丸太の上に鍋を置いて熱で調理したり、周りで暖を取ったりする。

 

 軽く数時間は持つ。ぜひやってみたい。モロに直火に該当するけど…。

 

 

 

 

 エレガントな火起こし、火の保持ができることは、人間社会では十分、自慢できるスキルだと思うし、なんだか自分自身への肯定感も高まる。高まった。ふしぎ。

 

 安全に気をつけて、焚き火を大いに楽しみましょう。



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その33:比企谷八幡は珍しく店員に積極的に質問する。

 完全下校時刻。本日最後のチャイムが鳴り終わった。

 

 さぁて、アウトレットパークのモンブリアンに行ってみるか!

 

 「うっし、そんじゃお先…っ。」

 

 俺はカバンをひっ(つか)んで立ち上がった。が、気が急ぎ過ぎて動作が早すぎたか、まだちょっと上半身に違和感を感じた。筋肉痛の名残(なごり)だ。

 

今日はゆっくり風呂に()かろう…。

 

 「あ、うん、ヒッキーお大事にねー。」

 

 由比ヶ浜(ゆいがはま)が手を小さく胸の前で振りながら、俺を気遣(きづか)う。

 

 「お、おう…んじゃな。」

 

 すこしドキッとしたが、俺も手を軽く上げて返した。

 

 …女の子から気遣(きづか)われるってのは、ちょっと情けないけど、…なんか、いいもんだな。由比ヶ浜が心底いいやつだからなおさらそう感じr

 

 「あ、ゆきのん!あたし今日アウトレットパーク行きたいんだけど、方向一緒だし、よかったら一緒に行かない?G△Pとかfr○ncfr○ncとか見たいんだぁー。」

 

 お い ビ ッ チ て め えええぇぇ!?

 

 「あら、いいわね。私も少し買い物しようかしら…。ちょうど新しいバスルームキャンドル買いたいのよね。」

 

 ノ ッ て ん じ ゃ ね え 絶 壁(ぜっぺき)ェエエエェ!!

 

 「え、お風呂でキャンドルつけるの?すごい!かわいい!!」

 

 「その日の気分で香りも変えられて結構リラックスできるの…最近始めたのだけど、なかなか良くて。」

 

 「わー、いい!!あたしもキャンドル見よーっと!!」

 

 お前らをロウソクにしてやろうかあああぁぁ!!!あれ、なんか違う…。

 

 俺のモンブリアンへの道はピンクのマッターホルンと黒いアイガー北壁(ほくへき)(はば)まれました。モンブリアンの代表に笑われちまうな…(分かってもらえるか自信のないギャグ)。

 

 …とりあえず、ガールズトークに花が咲いている部室から逃げるように出る。

 

 …今日はモンブリアンはナシだ。他にどっかキャンプ用品店ってあるかな…!?

 

 スマホを再び取り出して地図検索する。

 

 …おっ、けっこうあるもんだな…。

 

 帰り道方向なら、アウトレットパークから自転車でさらに10分位のところにあるイ○ンモールの中に、「スポーツロイヤリティ」がある。けっこうデカそうだ。

 

 あとは、帰り道とは反対方向になるが、パルコの5階にある「吉日山荘」か。こっちもけっこう充実してそうだな。でも帰り道の距離が倍になる…。

 

 しかし今日、海浜幕張(かいひんまくはり)の方向へ行くのは危ない気がする。どこで雪ノ下らとかち合うか分からない。なんかそういう予感。神の悪意のようなものを感じる。

 

 しゃあねえ。たまには目先を変えるのも悪くなかろう。パルコとか、ヴィレ○ァン以外特に用もないので超久々に行くが…。

 

 あっ、帰りに「なりたけ」寄ろう。週の始まりだし、景気付けにちょうどいいだろう。

 

 

×××

 

 

 高校を出て北東へ行き、国道14号に乗って千葉駅方面へ向かう。いったん逆方向へ行くが、横断歩道を渡って、中央分離帯の代わりになってる京葉線の高架下をくぐった方の車線づたいに行くと、以後の経路が楽だ。

 

 ずんずん自転車を()いで、登戸(のぶと)交差点から斜め左へ折れる。そこからはとにかく直進。直進。

 

 やがて頭上にモノレールの軌道(きどう)が現れ、しばらくその真下を漕いでいくと、徐々に、そごうの超巨大なビルディングが視界を圧迫してくる。このビルを見るといつも目の遠近感が狂うな。

 

 そごうの前を素通りし、さらに直進すると、左手の千葉駅から()びて来ている高架が見えてくる。

 

 京成千葉線と外房線が通っているその高架下はC・oneというショップ街になっている。ちょうど俺の進行方向はショップ街の切れ目で、わちゃわちゃした人混みの中を()うように高架下をくぐる。

 

 くぐった先、目の前に見えるお部屋探しの会社の緑の看板を左上に見るようにして、細いブロック舗装の通りに入る。二〜三百メートルの短い通り。

 

 ここが通称「ナンパ通り」だ。 俺のいきつけ「なりたけ」もこの通りにある。他にも、九州発祥の豚骨ラーメン店の支店があったりする。

 

 ラーメン好きの俺にとっては、ここは(ひと)りで来るところだ。今までも、そしてこれからも。まかりまちがっても女の子と連れ立ってここを歩いてあまつさえ「なりたけ」に入るなんてことはないだろう。そんな娘いたら結婚して養われたい。

 

 とりあえずナンパ通りも通過し、いよいよ目の前に千葉パルコが見えた。

 

 適当に自転車を()め、エスカレーターで一気に5階へ。エレベーターは待ち時間長いのが嫌なんだよな。

 

 登山用品店「吉日山荘」に入る。この店には初めて入るが、今となっては別に緊張することもない。ほら俺もう(デイ)キャンパーだから!(デイ)キャンパーだから!!

 

 品揃え的にはモンブリアンと似たような感じだが、「吉日山荘」はウェアも道具類も、様々なメーカーをとりまぜて販売している。テントや寝袋も数社のメーカー名が見えた。

 

 俺が父親からもらった、ランドップのVSS10も、テントコーナーに1セットだけ置いてあった。ひょっとしたら親父、ここで買ったのかな?

 

 さてさて、今日見てみたい道具を再確認だ。

 

 ペグを抜き差しする道具。4リットル程度の水を持ち運べる水筒。一人分の食肉をしっかり保冷できる容器。あと、いい感じのナイフ。

 

 まずペグに関する道具だが、需要にジャストミートなものは置いていなかった。

 

 普通ペグを抜き差しするときは、専用のハンマーを使うようだが、俺のようなバックパック一つのキャンプでハンマーを持ち歩くのは、なんか違うような気がした。重いしな。

 

 デイキャンプの時のように、空いたペグを引っ掛けて抜くやり方が現実的かな。予備のためにも、1〜2本ペグを買い足しておくのがいいかな。金ができれば。

 

 アルミ製の小さなペグなら1本二百円位からの話だが、今日は持ち合わせが少ないし、この後「なりたけ」にも行くので節約だ。

 

 次に水筒。これはちょっと目を引くものがあった。

 

 半透明な、パウチ容器のような水筒だ。もとい、水袋?

 

 水を入れるとぱんぱんに(ふく)らむが、水を消費していくとペラペラにしぼんでいき、最後は折りたたんで持ち帰れる。3種類くらいサイズがあって、2リットルのタイプがあった。

 

 これ、すげえいいな。デザインもかっこいいし。使った後に洗うのがちょっと面倒そうだが。

 

 しかし、高い。2リットルタイプを2個買えば俺の需要は満たすが、三千円くらいかかる。2リットルペットボトルを何度か繰り返し使う方が、遥かにコスト的には安く済む。

 

 この水袋は、ガチで登山をやる人にとって強い需要があるものなんだろうと思う。

 

 そもそもペットボトルと比べて、丈夫さはどうなのだろう。

 

 「あのー、バックパックで4リットルくらい運びたいんですけど、これ、丈夫さ的にはどんなもんなんですかね?」

 

 店員に聞いてみたところ、品物自体は丈夫で(その店員も登山が好きで、自分で使ってるらしい)、水を入れて上に乗っても破れないそうだ。ただし耐久性はそれなりなので、時々買い直す必要があるとのことだった。

 

 うーん、まぁちょっと他の方法も考えるか。

 

 保冷のための容器は正直、よく分からなかった。クーラーボックスは売られていたが、もちろん、歩いて持ち運ぶのに現実的な大きさじゃない。

 

 だいたい、その容器というのがどういう形なのか、具体的なイメージも()いてこない。

 

 というか、登山用品店においては、俺の発想の方がアホなのかもしれない…

 

 「肉を冷凍とかで持って行きたいなぁと思ってるんですけど、1食分くらい、バックパックに収まるような保冷の方法ってなんか無いですかね?」

 

 さっきの店員についでに聞いてみたが、うーん…とちょっと悩んでいた。アホな質問してすいません…。

 

 「あ、そういえば以前、日帰り登山の時に会った山ガールのグループで、弁当にスープジャーを持ってきてた人がいましたね。あれって逆に保冷もできたんじゃないかな…私自身は使ったことがないのでなんとも言えませんが…。」

 

 うちにもいくつかありますよ、と店員は言うと、クッカーのコーナーに俺を案内した。

 

 スープジャー、もしくはフードジャー。簡単に言うと、魔法瓶(まほうびん)の水筒が広口になって背がすげえ縮んだ版。

 

 1食分のスープなど、アツアツの状態で朝入れておけば、ランチタイムになっても温かいままいただける、逆に冷やしたカットフルーツとかなら、数時間後でもひえひえで楽しめる、というものだったと思う。たしか。

 

 品物を見せてもらった瞬間に思い出したが、これ、家にあった気がする!なんか母親が一時期使ってたような…。探してみよう。

 

 どのみち、ここで売ってるのは数千円するので、今の俺には買えない。店員に礼を言って、他のを見て回ることにした。

 

 最後にナイフ。

 

 ナイフは怖い。何が怖いって、これはこれで、もうひとジャンル、沼に足を突っ込んじゃいそうな予感がするのが怖い。俺みたいな性質の人間は自重しなければならない。

 

 いや、キレて振り回しそうだからって意味じゃないからね。うっかりはまり込んだらそのうち自作とか始めちゃいそうって意味だからね。

 

 つとめて冷静に、ただの一般消費者であるという自覚を持って、ガラス戸のはまった陳列棚(ちんれつだな)を見る。

 

 大小いくつものナイフが並んでいたが、形から、だいたい三種類くらいのカテゴリーに分けられそうだった。

 

 いわゆる十徳ナイフのようなタイプと、プライヤー(ラジオペンチ的な工具)主体型で、グリップの部分に他のツールが仕込まれてあるタイプ、そして木の()の、シンプルな折りたたみナイフだ。

 

 木の柄のやつは一番安いが、なぜかあんまりビジュアル的に好みじゃなかった。

 

 男子的に一番ぐっと来るのはプライヤー型だった。オール金属製で重厚感があり、ごつい感じ。

 

 しかし値段は、軽く諭吉が飛ぶ。あーでもこれ、ペグ抜くのにも使えそうな気もするなぁ…。

 

 十徳ナイフは値段も頑張れば手が届きそうで、それなりにかっこよかった。次買うのはこれかな…、

 

 … … …。

 

 あれ?

 

 …あるぞ…これ…うちに…。

 

 モノはこっちの方が全然いいけど、うちにも、しかも未使用品があるぞ…!

 

 それを思い出した瞬間、俺のショッピング(正確には素見(ひやか)し)は終了した。

 

 家に帰っていろいろ確認しよう。泥がついたままのテントの手入れもある。

 

 あ、その前に「なりたけ」行こう。

 

 俺は小町に電話して、晩飯不要の(むね)を連絡した。




 今更知ったんですが、千葉パルコ、来年には閉店になるらしいですね。残念です。
 【2020.11.19追記】誤字報告ありがとうございます。「ひやかし」って、「素見し」とも書くんですね。こっちの方が読書家で文学的表現しがちな八幡のキャラに合っている気がするので、使わせていただきます。


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その34:平塚静は多分、千葉市内のどんなイケメンよりもかっこいい。

 パルコを出ると、外はすっかり暗くなっていた。とはいえまだ6時台だ。

 

 …秋が深まってきてるなぁ。

 

 ていうか、本屋とホームセンターとキャンプ用品店って、見回ってるだけで時間があっという間に()つよな。

 

 ナンパ通りまで戻って来て、脇道の方にこっそり自転車を()めて(良い子はマネしないでね!)、「なりたけ」へ歩き出した。

 

 オレンジ色の看板の真下に来たあたりで、背後から力強いエンジン音が近づいてくるのが聞こえ、思わず振り向いた。

 

 細身のアメリカンタイプのバイクが、ヘッドライトを輝かせながらウルルルンと俺の目の前まで迫ってくる。怖っ!

 

 乗っていた人物は黒いフルフェイスのヘルメットに黒い革ジャン、タイトなジーンズにライダーブーツという出で立ちだが、細身の女性だった。

 

 あー……イヤな予感。

 

 「おお、こんな所で会うとは珍しいな、比企谷(ひきがや)。」

 

 ビンゴ。(うな)るエンジン音の中から聞き覚えのある声。

 

 メットを脱がなくても分かる。平塚先生だった。

 

 平塚先生は店のすぐ前に堂々とバイクを駐めると(良い大人はマネしないでね!)、ヘルメットを脱いだ。漆黒の長い髪がメットからこぼれ出てくるのを、首を振りながら革グローブをはめたままの手でぐいっと後ろになでつける。そのしぐさがものすごくかっこよくて、色っぽかった。

 

 「ど、どうも…。かっこいいバイクっすね…。」

 

 ちょっと見とれてしまい、とっさに口にできたのは当たり障りのない言葉だった。

 

 こないだのハーレーのディーラーで買ったのかな…?

 

 真紅(しんく)に金銀のラメが施された燃料タンクには、誇らしげにハーレーのロゴが描かれていた。

 

 へー、こんな細身のモデルもあるんだな。ハーレーってすごいごっつくて、シュワちゃんが乗って散弾銃ぶっ放してるイメージしかなかったが。

 

 平塚先生はニコニコしながら、嬉しそうにタンクを()でた。

 

 「ハーレーダビッドソンのセブンティー・ツーだ。二年落ちの中古で意外に安く手に入った。購入と同時にシートだけカスタムしてもらって、ついさっき納車されたばかりだ。」

 

 バイクには全然詳しくないが、このハーレーは、平塚先生にとてもよく似合っていると思った。

 

 「嬉しくて、国道14号をしばらく流していたら腹が減ってな。今日はガッツリいきたい気分だったから、久しぶりにここへ来たんだ。」

 

 先生…やってることと言ってることが誰よりも男らしいよ…。

 

 たぶん今このナンパ通りにいる人間の誰よりも男らしいよ…。なんならこの人がナンパした方が女の子も喜ぶまである。

 

 美人で巨乳。言動がイケメン。公務員(教師)で安定収入あってハーレー乗り。ヘタに声かけたら一直線に結婚式場へ引っ張って行かれる(確実)。

 

 ナンパ師にとってはラスボス級の攻略難度だな、多分。

 

 「君は?買い物かね?それともナンパ?」

 

 ヘルメットを車体に()けながら、平塚先生が(たず)ねてきた。

 

 おっとやべえ、この人が生徒指導教諭だったの忘れてた。しかし今日はまたえっらい良い笑顔だな…。

 

 「いや…ナンパなわけないでしょ…!ちょっとパルコをぶらっと。で、久々にここで食って帰ろうと思って。」

 

 「そうか、奇遇(きぐう)だな。…いや、そうでもないか。」

 

 平塚先生はなんだか意味深なことをつぶやいて、ふふっと笑った。

 

 「?」

 

 「いや、まぁ、ラーメン好き同士なら、こうしてばったり会うことも他よりは多いかな、と思ってな。」

 

 ああ、なるほど。分かりそうで分からない少し分かる確率論。

 

 とりあえず指導とかブリットとかはなさそうだと分かってホッとした。

 

 「…ふむ、そうだ、ちょうどいい比企谷。今の私をナンパしてみろ。ラーメン屋に誘え。」

 

 ああ、なる・えっ?分かんない!その理論分かんない!!何がちょうどいいの!?

 

 「い、いきなり何言ってるんすか…!?」

 

 「いーいーかーらー!!ほら、練習だと思ってちょっとナンパしてみろ!」

 

 何の練習だよ!?

 

 でも、うわー、ものすごいワクワクキラキラした笑顔だ…。

 

 あ、これは多分…アレだ。ハーレー買ってありえないくらいハイテンションになってるんだな…。

 

 こういう状態のときにヘタに拒絶し続けたら一気に機嫌悪くなるんだよなこれ…ソースは俺(の妹)。

 

 うう…ま、まぁ適当に付き合ってやるか…。

 

 「え、えっと…ヘ、ヘーイそこのイカしたカノジョ!俺と「一蘭(いちらん)」行かなーい?」

 

 とっさの思い付きにしては渾身(こんしん)のギャグだった。狙い通り平塚先生は爆笑した。

 

 「あ、味集中カウンターしか…!!お、おつ、お連れ様を待たずにお召し上がる気か貴様…!!」

 

 もうなんか(はし)転げても笑う勢いだなこの人。

 

 ちょっと面白くなってきた。

 

 「先生…また俺と、ラーメン食べてくれませんか…?あの夏の日のように…。」

 

 やや芝居がかった感じで言ってみた。平塚先生これにも大ウケしながら、グローブはめたままの両手で(ほお)(おお)い、大げさに恥ずかしがってるようなフリで返してきた。

 

 「えー困るー!どうしよっかなー!?」

 

 うわーめんどくせー!絶対これ言いたかったんだこの人!!

 

 ゲラゲラ笑い合ってる俺達を怪訝(けげん)そうな顔で見ながら、ひとりふたり、店へと続く地下への階段を降りていった。

 

 おっといかん。先に店に入られてしまった。

 

 「…先生、そろそろ入りましょう。」

 

 俺が(うなが)すと、先生は笑い過ぎて涙目になってるのをぐいっと(ぬぐ)った。なぜか、顔が真っ赤になっていた。そんなに面白かった?やだ嬉しい。

 

 「そ、そうだな…!行こう行こう。」

 

 階段を下りて店に入るまでの間も、先生はものすごい上機嫌だった。

 

 「いやー今日はいい日だ。憧れのバイクは手に入るし、生まれて初めてナンパ通りでナンパされるし!たまには人生、こういう日があってもいい。」

 

 初めてだったのかよ…(涙)なんか…俺なんかですいません…!(涙)

 

 …しかし、たとえ言動がイケメンでも。ハーレーが好きでも。革ジャンめっちゃ似合ってても。十も年上でも。

 

 平塚先生をちょっと、可愛いなと思った。ホント、何で結婚できないんだろうな。

 

 とか思ってやってる横で、平塚先生はためらいなく券売機で味噌ラーメンの券を購入すると、さっそうとカウンターに座り、

 

 「超ギタ。」

 

 と注文した。

 

 前言撤回。

 

 この人…現時点で、千葉市内の誰よりも(おとこ)らしいわ。

 

 俺が女だったら、心底()れていただろう。

 

 

×××

 

 

 そういえば筋肉痛だったことを忘れていた。

 

 「なりたけ」を出て平塚先生と別れた俺は、通常の二倍の距離の帰り道をヒィヒィ言って自転車を()ぎながら、そのことを思い出していた。

 

 もうほんとね、BA☆KA!としかいいようがない。

 

 帰宅後、すぐ風呂に入り、湯船でゆっくり身体を温めた。

 

 風呂を出る頃には9時近くになっていた。珍しく長湯してしまった。

 

 「遅い…代われ…!」

 

 脱衣所の戸を開けた瞬間、目の前に疲れきってゾンビみたいな状態になってる母親がいた。俺が風呂ってる間に帰宅してたようだ。おかえりなさい(割といつもの風景)。

 

 「あ、母さん。前にスープジャー買ってきてなかったっけ?」

 

 脱衣所に入りかけてた母親は眼鏡を外しながら、だるそうに振り向いた。眼鏡を外した母親を見るたび、小町はやはり母親似なんだなぁと思う。目の下のクマ以外。

 

 「ああ、食器棚のどっかにあるでしょ…いるなら、好きに使っていいよ。」

 

 「母さん今は使ってないのか?」

 

 「昼にスープ…のんびり食べてる暇なんてない…なかった…。」

 

 母親はがっくりとうなだれて、脱衣所の戸を閉めた。

 

 社会怖ぇ…。

 

 脱衣所に向かって静かに敬礼した後、さっそく食器棚をガチャガチャ(あさ)ってみた。

 

 スープジャーは棚の奥の目立たないところに追いやられていた。魔法瓶の水筒で世界的に有名なメーカーのものだった。

 

 母親が買ったにしてはボデイカラーはガンメタリックっぽい黒で、ちょっと意外だった。

 

 まずは保冷力の実験だな…明日の朝から実験開始だ。

 

 スープジャーを2階の自室に持ってきて、机に置いた。

 

 さて次に…ナイフだな。

 

 俺はベッド脇に転がしておいた「非常用持出袋(ひじょうようもちだしぶくろ)」をごそごそやって、標準装備だった多機能ナイフを取り出した。

 

 グリップも含めて、収納されているすべてのツールがステンレス製のようで、全体が銀色。それなりにずっしり重みがあるが、吉日山荘で見たやつより、なんだか安っぽい。

 

 まぁ、でも、せっかくあるし、いいものを買う前にこれを使い(つぶ)そう。これで用が足りれば言うことないんだし…。

 

 とりあえずナイフ部分を引っ張りだそうとした、が。

 

 固っ!えっらい固いなこれ…爪をかけて引っ張り出すのがめちゃくちゃキツイ…!!

 

 これヘタにやったら爪が割れるな…!

 

 しかしナイフはまだいい方で、ノコギリ、はさみ、爪やすり、缶切りに栓抜きあたりは、ほんとに固くて爪をかけるだけじゃとても引っ張り出せなかった。

 

 とりあえず家にあったラジオペンチで各ツールを引っ張りだしてみた。

 

 ナイフ、はさみの刃の付き具合はまぁまぁで、紙くらいは切れた。他のツールは、まぁ、ないよりマシ程度かな…って感じ。

 

 あ、百円ショップで自分専用のラジオペンチ買ってきて一緒に入れとこうかな。

 

 …それって多機能ナイフとしてダメダメってことじゃね?

 

 しかし、もっとずっと後になって感じるようになったのだが、ラジオペンチを別で確保しておくってのは、意外と結果オーライだった。




生徒指導教諭である平塚先生がナンパ通りにいる自校生徒に自分をナンパさせたことについては、

「不純異性交遊に衝動的になっている生徒に対し、頭ごなしに指導して生徒の反発心を買うだけの結果に終わらせるのではなく、あえて教諭(基本生徒にとってうざい存在)である自分へのナンパを強要することで生徒の意気そのものを萎えさせ云々」

みたいな考えも一応あったということで(汗)

いや嘘です(笑)多分、八幡だったから、です。


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その35:着々と比企谷八幡の脳はキャンプに侵食されている。

 翌朝。高校の昇降口。

 

 大あくびしながら、俺は上履(うわば)きに履き替えていた。

 

 昨日もかなり夜ふかししてしまった。テントのペグの泥汚れを落とすのに結構手間取ってな…テントの一部にも汚れが移ってしまっていたので、拭き取ったり点検したりしてるうちにいつの間にか日付が変わっていた。

 

 …いや…それだけじゃありません。

 

 ついついウズウズして部屋の中でまたテント組み立てたりして、ペグの打ち方、抜き方の知識とか裏ワザ的なものとか、焚き火の他のやり方とか調べたりファイヤースターター(火打ち石的なもの)が安くてお気に入りに登録したりとかまぁいろいろネットでやっていました…。

 

 面白いのは、一回でもやってみると、勘どころが分かるというのか、ネットに書いてある情報の理解が段違いに深くなったように感じることだ。

 

 あと吉日山荘で見たパウチみたいな水袋な。調べてみたら4リットル入るタイプもラインナップされてるのを発見した。ちょっと形が違ってて、上部がジップロックみたいにガバッと開くので掃除も楽そう。でも五千円くらいしたので(あきら)めた。どのみち、水の入った透明な袋なんか片手に下げてたら目立つしな…。しかしいつか欲しい…!

 

 まぁ、そういうことばっかやってたせいで、睡眠不足なわけだ。

 

 ちょっと!キャンプって健全なレクリエーション(娯楽)なんじゃないの?心身ともに健康的になるんじゃないの?夢中になって睡眠削られるとかどういうことなの?ネットゲームや深夜アニメにはまってるときと変わらないじゃないの!いや変わらないのは俺のバカさ加減のほうですね、ええ、自覚してます、はい。

 

 だらだらと教室に向かっていると、向こう側から平塚先生がかつかつとピンヒールを鳴らしながら、さっそうと歩いてきているのが見えた。同じく教室へ向かっている生徒たちとすれ違っては、挨拶(あいさつ)()わしている。割とよく見るいつもの風景だ。

 

 俺と目が合った平塚先生は一瞬だけ動きを止めたが、ニコッと男前な笑顔になると、片手を上げながら俺に近づいてきて

 

 「おひゃい─ッ … …!」

 

 謎の掛け声の直後、耳まで真っ赤になって俺から顔を背けた。

 

 「…お、おはよう…比企谷(ひきがや)…!」

 

 「お…おはょざいます…。」

 

 ああ、おはようって言おうとして思いっきり()んだのね。そんな真っ赤にならなくていいのに…。なんかこっちも面映(おもはゆ)い。

 

 特に会話するでもなく、平塚先生は「ほ、HRに遅れるなよ…」とだけ言い残して、そそくさと去っていった。

 

 なんか…昨夜(ゆうべ)のイケメンぶりから、ずいぶんな落差だな…?

 

 

×××

 

 

 特別棟は普段から人気(ひとけ)が少ないせいか、今の時期には、夕方になるとけっこう冷え冷えとしてくる。

 

 我が奉仕部(ほうしぶ)の部室、そろそろヒーター付けてもいい頃なんじゃないの…?

 

 などと、ぬるんだマッ缶をすすりながら思ったが、今提案しても、目の前のアツアツな二人には聞いてもらえそうにない。しかし仲いいなこいつら。

 

 なんか由比ヶ浜(ゆいがはま)雪ノ下(ゆきのした)に触発されて自分も風呂でキャンドルを(とも)すのをやってみようとしたら家族からNG食らったとのことで今度の週末に雪ノ下の家に泊まって二人でいっしょにお風呂入ってバスキャンドル楽しもうって話をしてるらしかったが、俺は次のキャンプでどんな飯を作ろうかなー持っていく材料きっちり計量しないとなーとか今からの時期は手持ちのシュラフ(寝袋)は薄すぎるかなー対策どうしようかなーとか考えるので頭がいっぱいだった。

 

 「そういえば優美子(ゆみこ)から、なんかネットで流行(はや)ってるやつ教えてもらったんだー。『Bath Legs』って。ホラこういう写真。」

 

 「…なるほど、入浴中の脚だけ()ってネットに投稿するのね…キャンドルを並べるだけじゃなくて、花びらを浮かべたりアート的なものもあって、なかなか楽しそうね。」

 

 「ねー、超かわいいよねー!…あたしもやってみよっかなー顔映らないなら恥ずかしくないかな…?」

 

 「投稿するのは抵抗あるけれど、撮りためておけばキャンドルの配置や色づかいを研究するのに使えそうね…映るのが脚だけなら、まぁ…。脚だけなら…。」

 

 水、さすがに4リットルはバックパックに収まるか分かんないな…結局どうやって運ぼうか…。あ、あと朝に仕込んどいたスープジャーの実験、今どうなってるかな…八時前に仕込んでから、もうすぐ10時間位か…。あ、帰りに百円ショップ行こう。

 

 早く完全下校時刻チャイム鳴らねえかな。

 

 

×××

 

 

 こないだはマリピンでうっかり由比ヶ浜とエンカウントしたが、よくよく検索してみると、俺の通学路沿いには他にもデカい百円ショップがあった。

 

 帰り道でもある花見川沿いの道から、高速の高架下をくぐった先で国道14号に乗り、ちょっと行ったところだ。イトーヨーカドーの手前くらい。

 

 ここならのびのびと買い物できるぞ…素晴らしい…!

 

 っていうか、ついこないだまで、こんな店が近くにあるってことも把握してなかった。

 

 人間、新しい趣味(しゅみ)を持つと、同じ町の中でも行くところや目につくところがこうも変わってくるもんなんだなぁ。

 

 まぁたとえば一般人はアニ○イトが千葉中央駅前のどのビルの地下にあるかなんて知らないだろうしな。そんなもんなんだろうな。ちなみに東口出てすぐ左の吉■家の隣な。

 

 百円ショップでは、ラジオペンチを一個買った。多機能ナイフのツール引っ張り出しやペグ抜き、(ひも)(ほど)くときとかに使うつもりだ。

 

 それから、ここの百円ショップの上の階にはリサイクルショップが入っている。ついでに(のぞ)いてみた。

 

 店の一角には、アウトドア用品やウェアのコーナーも設けられていた。中古とはいえ店に並んでいるものはやはり、それなりに千円札を消費するものばかりで、今日は何も買わなかったが、こういう所で状態のいいものを発掘するのも手だな。

 

 店を出て、今度こそ帰路(きろ)についた。

 

 俺の家まであと10何分位かという所で、赤信号に引っかかった。何人かの通行人がすでに信号待ちをしていた。

 

 自転車を止めると、すぐ左横に同じく自転車に乗った、見覚えのある奴がいることに気付いた。

 

 同じ総武高の制服。青みがかった長い黒髪をシュシュでまとめてポニーテールにしている。すんなりとした長身。蹴りの鋭そうなしなやかな脚を片方ペダルに乗せて、ちょっと疲れたようにぼんやりと前方を見ていた。

 

 同じクラスの…、

 

 えっと…名前…なんだっけ…?

 

 っつうかなんで俺、毎回忘れてるんだ…クラスメイトなのに…?

 

 まてまてそうだ、あいつの姉なんだ。大志の。小町と同じ塾の。大志。あれっ、なに大志だったっけ?今日はなんか調子が悪いな…いつもはすぐ思い出すのにな…!?

 

 別ルートで思い出そう…なんかバイクのメーカーっぽい名前だったんだ…そうだ、いいぞ…ホンダ?スズキ?ヤマハ?ドゥカティ?うーんドゥカティが一番近い気がする…!?

 

 しかし、何でこんなところにいるんだ…?

 

 俺の視線に気付いたのか、ドゥカティ(仮称)は一瞬こちらを振り向き、また前を向きかけたが目を見開いて二度見してきた。キレイな二度見だった。加●ちゃんかお前は。

 

 「…なんであんたがここにいんのよ…?」

 

 ドゥカティ(仮称)はジトッとした目をこちらに向けて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、もごもごつぶやいていた。おおぅ…なんかメンチ切られてるみたいで怖ぇ…。

 

 確か右目の下に泣きボクロがあったよなコイツ。

 

 前髪で時折隠れるけど、確かにあるのが見えた。

 

 こんなことは覚えてるのにな…すまんドゥカティ(仮称)。

 

 「いや…こっち普通に帰り道だし…お前こそ何で…、」

 

 言いかけて、ドゥカティ(仮称)の様子を改めて見た。通学カバンを肩にかけ、その上から、薄手のコットン生地がパンパンにはりつめるほど中身の詰まった買い物バッグを担いでいた。自転車のかごには色違いの買い物バッグが入れられていて、そっちも食材であふれていた。

 

 「家の買い物か…大変だな。」

 

 「まぁ、…タイムセールとかあるし、帰り際にタイミングが合った時に買い出ししてるだけ…。」

 

 ドゥカティ(仮称)はちょっと恥ずかしそうに、肩に担いでる買い物バッグを自分の脇で締め付けていた。バッグからはみ出している青ネギが妙な所帯感を演出している。

 

 「あー、俺もたまに母親から米とか頼まれるわ…家に持って帰るのがまた大変なんだよな…。」

 

 ほんとにね。米買わされたときは自転車()いで帰るのがナニコレ修行!?亀仙流!?って思うくらいあるし。

 

 ドゥカティ(仮称)は、ちょっと目つきを(やわ)らげ、あぁ、と小さく同意した。

 

 「確かに米は大変だね…。まぁ、あたしん()、もうすぐそこだし、今日くらいなら、あんま大したこと、ないけど…。」

 

 「お、そうなのか?なら校区はギリ違うくらいだけど、意外と近いとこ住んでんだな、俺たち。」

 

 そうか、小町と大志が同じ塾に通ってるってのも、そう考えると地理的な理由もあったんだな。

 

 しかし、こうしてみると存外、家庭的な女の子なんだなコイツ…。

 

 多分だが、裁縫(さいほう)の得意なコイツのことだ。あの買い物バッグも手作りなのかもしれない。生地は薄手だが、重さのかかる持ち手の付け根部分はしっかりと()い付けられていて、なかなか実用的でいい出来に見えた。

 

 … … …、

 

 そうか。そういうやり方もあるか。確か家に適当にあったはずだ。

 

 …いや、うーん…?アリかなぁ…?とりあえず帰って確認だ。

 

 会話が途切れて、ひと呼吸、ふた呼吸くらいで、信号が青になった。

 

 「…ほんじゃ、気をつけてな。また明日な。」

 

 特にそれ以上、会話のネタもなかったので、俺は立ち漕ぎで自転車をスタートさせ、ドゥカティ(仮称)を追い抜いた。

 

 「あ、うん…また。」

 

 最後の一瞬、ぼーっとした顔で俺を見ていたドゥカティ(仮称)が、背中に声をかけてくるのが聞こえた。

 

 …すまん。最後まで名前が思い出せなかった…!!

 

 

 

×××

 

 

 あ、川崎(かわさき)だ。

 

 家に帰ってずいぶん経ってから思い出した。

 

 良かった。これで安眠できる。

 



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その36:比企谷父は妙に青少年健全育成条例に詳しい。

 帰宅して、風呂に入って夕飯を食べ、ちょっとゆっくりして部屋に戻った。

 

 時刻。午後八時を少し回っていた。今朝八時すこし前の「実験開始」から、半日以上は()っている。

 

 自分の机の上に置いていたスープジャー。コイツの「保冷能力」の実験だ。

 

 朝早くキャンプへ出発して、一日目の夕飯時まではちょうどこのくらいの時間を見込めば十分だろう。

 

 朝、家を出る前に、コイツの中に冷凍庫の氷を目一杯入れておいた。その氷が半日後、どのくらい残っているか、試してみようと思ったのだ。

 

 ほんとなら、ジャー自体を冷蔵庫に入れて本体ごと、予熱(よねつ)ならぬ予冷(よれい)とでもいうのか、冷やしておくともっと効果的なようだが、今回はあえてそこまではしなかった。

 

 今、手に持って振ってみると、わずかにガツガツと音がする。中の氷が解けて若干(じゃっかん)隙間(すきま)ができているようだ。

 

 ちょっと緊張しつつ、(ふた)を開けてみた。

 

 …氷は、朝とほとんど変わりない状態に見えた。ジャーを傾けて、解け出した水を飲もうとしたが、出てきたのはほんのひとすすり位のものだった。

 

 ジャー内部は、氷でキンキンに冷えていた。

 

 す す す すげぇ…!!

 

 世界最小クラスのハードクーラーボックスを発見した瞬間だった。バックパックに余裕で入る。

 

 しかも、クーラーボックスとしては最強レベルの性能である「真空断熱」方式だぜ…!?

 

 …これ逆に、凍った肉持ってったら夕食準備する段階でもガチガチなんじゃね…!?凍らせ方や持ち運び方はちょっと調整が必要かもな…。

 

 これは使える…絶対使える!肉だけじゃない、1泊2日のキャンプで、冷やすべきものを割りきって限定してしまえば、色んな食材を冷たいまま持っていける…!

 

 開口部の直径的には、たとえばちっちゃいハーゲン■ッツのカップアイスくらいなら入りそうだぞ…!

 

 などと、実験のとりあえずの成功にどんどん妄想が膨らんでいった。

 

 さて次は、水の持ち運びだ。

 

 リビングとキッチン、家の片隅の収納スペースをゴソゴソ(あさ)ってみると、ちょうどいいのを見つけた。

 

 一時期、うちの両親が道の駅や物産館を(めぐ)って、産地直売野菜を買うのにハマってた時に活躍(かつやく)していた、ちょっとデザイン良さめのソフトクーラーバッグだ。

 

 今は二人とも忙しくて、ほとんど使ってない。もったいない。ちょろまかそう。

 

 ちなみに千葉には「道の駅」ならぬ「(ふさ)の駅」ってのもあるぞ。秋葉原とか、ららぽにも出店してるんだぜ!

 

 などという千葉知識はちょっと置いといて。

 

 バッグの生地は灰色で、アクセントに黄色があしらわれている。製品のロゴだろうか、バッグの正面部分には「19100」みたいに読める文字があしらわれていた。なんだろ、型番?

 

 どうせなら80000にしてくれればいいのにねっ。

 

 ソフトクーラーの保冷力はよくわからんが、水を常温で持ち運びたいだけだし、全然問題ない。

 

 ショルダーバッグのような形をしていて、けっこうな量が入りそうだ。持ち手も付いていて、手提(てさ)げかばんのようにも使える。サイドポケットも付いていた。

 

 帰り道での、あの、あいつ、ほらあいつ、買い物バッグ持ってた…あのあれ!

 

 新巻鮭(あらまきざけ)みたいな名前のクラスメイトの女の子!!

 

 あいつが通学バッグの上から買い物バッグを持ってるのを見て、バックパックと同時持ちというやり方はどうか、と思いついたのだ。

 

 ある程度デザインが良ければ、アリっちゃ、アリじゃね?

 

 登山とかなら考えられないやり方だが、俺がやりたいのはあくまでソロキャンプだ。それも現時点では、公共交通機関で近くまで行けて、比較的安全で整ったところに限られる。

 

 まぁホントなら、スマートにバックパック一つでやりたいところではあるが、現実的に水を4リットル、バックパックに詰められるかは不安があった。

 

 このソフトクーラーバッグ、2リットルのペットボトル二本(家に転がってた空のもの)を縦に入れても、まだちょっと余裕があった。

 

 おおっ いいんじゃね…?

 

 バックパックを背負って、ソフトクーラーを肩にかけてみた。

 

 うん、…まぁ、絵的にはギリギリセーフ…かな!?もういい、これでいい!!(開き直り)

 

 さて、ここまでの課題はとりあえず解決だ。後は実践(じっせん)でまた試してみて、ダメなら修正していこう。

 

 だが次の、最後の課題は。

 

 やりそこなうとヘタすりゃ死ぬ。かもしれない。

 

 シュラフ(寝袋)の問題だ。

 

 俺がもらった「バロンバッグ#5」は、コンフォート温度(快適に就寝可能な温度)が9℃以上、リミット温度(寝られずとも一晩しのげる限界温度)が4度、と設定されている。

 

 メーカー表示的には。

 

 しかし、ネットでいろいろ検索してみて、割と共通して書いてあったのは、「メーカーの表記温度を過信するな」ということだった。おおむね、表記温度の+5℃位を考えたほうがいい、と。

 

 そうすると、「バロンバッグ#5」なら、コンフォート温度は9℃+5℃=14℃以上、リミット温度は4℃+5℃=9℃、となる。

 

 秋がだいぶ深まってきた今の時期、この寝袋一つでぬくぬくと安眠できるかは微妙だ。ちょっとキツイかも知れない。真冬の時など論外だ。死んじゃう。

 

 服を着こめば…とも思ったが、あまり着膨れし過ぎるとシュラフの中で息が苦しくなりそう。

 

 対策法をいろいろ検索してもみたが、シュラフの周辺グッズである「インナーシュラフ」(シュラフの保温性アップのために中に入れて使う)や「シュラフカバー」(これは主に、冬場は結露(けつろ)するテント内での、寝袋の防水のために外にかぶせて使う)を使うべしと書いてあるのがほとんどで、それが小遣(こづか)い的にできるなら悩みゃしねぇよ…と思っていた。

 

 …身近な経験者に聞いてみるか…なんか、しゃくだが。

 

 

×××

 

 

 「新聞紙とエマージェンシーブランケットを持っていけ。寒かったら新聞紙をいったんクシャクシャにして寝袋の中で身体に巻く。それで寒ければ、さらに寝袋の外側にエマージェンシーブランケットをかける。湿気が逃げないから、ブランケットの内側は結露するのを覚悟しろ。それでも寒かったら仕方ない。寝るな。」

 

 ほれ、と、帰宅したばかりの父親は、スーツのネクタイを緩めながら、今日読み終わりの分の新聞を俺によこした。

 

 アドバイスどうも…これ、この新聞、トイレとかに持ち込んでないよね…?大丈夫だよね…?

 

 しかし、新聞紙とは…なんか、発想が昭和っぽい。平成生まれの俺としてはそう感じた。でもなんか、嫌いじゃない。

 

 あとでネットで調べて裏付けを取っとこう。いや信じてないわけじゃないよ?勉強のためだよ?

 

 「そういえば、次のキャンプもフォレスターズ・ヴィレッジでやるのか?」

 

 父親は俺の部屋の床に散らばっていたキャンプ関係の雑誌を適当に拾って読みながら聞いてきた。

 

 「いや、今度は、ちょっと別の所に行くつもり。色々調べてて、ちょっとよさ気な所を見つけた。」

 

 俺はグー●ルマップ様を開いて、親父に場所を説明した。

 

 「駅から現地までちょっと歩くけど、駅前のスーパーで買い物もできるし、一泊500円。ソロキャンパーはシーズンオフのこの時期を狙うらしい。予約も不要だってよ。」

 

 「ほう…こりゃなかなかいいところっぽいな…。」

 

 父親は興味深そうに、地図と、その場所で泊まったキャンパーたちのブログを見ていたが、急に思い出したように、顔を(くも)らせた。

 

 「…そうか…うっかりしてた。こりゃヤバイぞ…。」

 

 親父が急に真剣な顔で悩み始めたのを見て、ギクリとした。

 

 「…な、何か問題…デスカ?」

 

 親の表情がいきなり豹変(ひょうへん)するの、なんか怖ぇよ…。

 

 変な汗が顔や背中に(にじ)んできた。風呂入ったばっかなのになぁ…。

 

 選定した場所に、特に問題はないはずだった。危険な場所でもないし、家からは遠いが、何かあったときにすぐ撤収して帰って来れないような秘境でもない。念のために調べたが、心霊スポットでもなさそうだった。

 

 や…やっぱシュラフ(寝袋)っすか…?新聞紙でも無理ゲっすか…!?

 

 「自分の(とし)を思い出せ青少年(せいしょうねん)。…このまま行ったら、お前、警察に補導されるぞ…。」

 

 えっ俺!?

 

 俺の年齢(とし)の問題!?

 

 …しかし、父親の「青少年」という言葉にすぐに思いつく。

 

 「…ひょっとしてあれか、条例(じょうれい)的な…?」

 

 俺の言葉に、父親は(うなず)いた。

 

 「千葉県青少年健全育成条例。第何条だったかな…ちょっと検索しろ。」

 

 父親とともに、ノートパソコンの画面にかじりついてグ●ってみると、千葉県のサイト等から、条例の概要(がいよう)を見ることができた。

 

 問題の条文はすぐに見つかった。

 

────────── 

 

【千葉県青少年健全育成条例】(抜粋)

 

(深夜外出の制限)

 

第23条

 

 保護者は、特別の事情がある場合を除き、青少年を深夜(午後11時から翌日の午前4時までをいう。以下同じ。)に外出させないように努めなければならない。

 

──────────

 

 「… … …」

 

 しばらく固まっていた。

 

 青少年なんたら条例ってのがあるのは知っていた。昔、ちょっと読んだこともある。

 

 誰にでも「みだらな行為」とか「有害図書」って具体的にはどういうものなのか、知りたくてしょうがない時期ってあるじゃないか。ないか。嘘つけこのカマトトども!!!

 

 ちなみに青少年ってのは、小学校入学時から18歳に達するまでの時期の未成年のことだそうだ。

 

 しかしまさかここで、こういう規定でつまずくとは思わなかった。

 

 「…まぁ、ここに『努めなければならない』と書いてあるように、これはいわゆる『努力規定』ってやつだ。しかも、俺たち親に対するものだ。これに反したとしても、懲役とか罰金とかの罰則があるわけじゃない。」

 

 父親は冷静に、画面上の条文を指さしながら説明してくれた。

 

 「じゃ…じゃあ、大丈夫…だろ?だいたいが、防災訓練を兼ねてキャンプの経験を積もうとしてるんだから、これはもう逆に自発的に健全に育成してるってことじゃねえの?」

 

 やだ俺ってば超健全。英語にするとなんだろう。ヘルシー?

 

 「お前がそのつもりでも、警察はそんなおまえの気持ちや事情は全く知らない。見知らぬ青少年(ガキ)がたった一人でテント張ってキャンプなんてしてたら、まず間違いなく尋問(じんもん)されて、ヘタすりゃ補導だ。俺たち親が呼び出されるだけなら笑い話で済むが、…高校側に知れたら…。」

 

 …停学?

 

 退学はさすがにないだろうと思うが、停学くらい食らっちゃう…かな…?

 

 一応、県内屈指の進学校だしなぁ…うち。

 

 「…大学の頃、サークルでBBQしてて、夜に片付けしてたら俺だけ職質されたことがあってな…。」

 

 めっちゃ突然に父親が謎の思い出語りを始めた。何のスイッチ入っちゃったの?

 

 「助けてくれ、ずっと一緒にいたって証言してくれって、仲間らに目で合図したんだが、奴ら『比企谷(ひきがや)…もう全部白状した方がいいって!』とか『そうか…やっぱり比企谷、そうだと思ってたよ…!』とか、爆笑しながら言いやがって…最後には逆に警官の方が申し訳なさそうに俺を見てきて…でも最後まできっちり職質しやがって…。」

 

 おいやめろ…俺の未来の予言みたいな話をするのはやめてくれ…!!サークル怖い…!!

 

 どうする…どうすんのこれ…?

 

 諦めるしかないのか…?

 

 解釈(かいしゃく)で切り抜けるというのも手かも知れない。

 

 ソロキャンプはこの条文に言う「特別な事情」に含まれるってのはどうだ。なぜならソロキャンプもまた、特別な存在だからです(俺には)。

 

 もしくは「俺は『青少年』じゃない」という大胆な解釈はどうだ。こんなに世を()ねてて、目の腐った奴が『青少年』と定義されていいのか。いやよくない。よって俺は青少年じゃない。Q.E.D(証明終了)。めでたしめでたし。んなわけあるか。

 

 だめだ補導されるイメージしか()かねぇ。むしろお縄を頂戴(ちょうだい)しそうなくらいまである。主に目つきのせいで。アイアムノットヘルシー。

 

 父親は頭をかきながら、()め息をついてつぶやいた。

 

 「…まぁ、ちょっと、今までとは別種の準備が必要だな…。」

 



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 【ちょっと比企ペディア】:クーラーについて

 保存食やドライフーズばかりの食事でない限り、キャンプでの食材の保存にはクーラーボックスやソフトクーラー等(以下、全体を表すときは「クーラー」という)を使う。

 

 たくさんの種類のクーラーが出回っているので、どのようなクーラーを買えばいいか、様々なレビュー記事を参考にしても、いまいちよくわからないことがある。

 

 ここではクーラーの選び方をメモ程度に記したい。

 

 なお、書き手個人が集めた偏った情報や知識、実体験に基づくものなので、必ずしも正確ではない。ボチボチと、書き手の経験値の増加とともにバージョンアップしていきたい。

 

 

【固さ、重さでの選び方】

 

 クーラーには大きく分けて「ハードクーラー」と「ソフトクーラー」がある。

 

 ハードクーラーは、プラスチックや金属、樹脂など、外装が固い素材で出来た箱型のもの。

 

 ソフトクーラーは、ショルダーバッグやトートバッグ等のような、柔らかい素材で出来たもの。

 

 一般的には、ハードクーラーのほうが保冷力は高いが、重くて場所を取る。

 

 ソフトクーラーは、保冷力は高くないが、軽くて柔らかく、大人一人で持ち運びが比較的、楽にできるものが多い。

 

 

●ハードクーラーの種類

 

(外装)

 

 スチールなどの金属板でできたもの、プラスチックや樹脂で出来たものがある。外装の保冷力よりも、見た目で考えることのほうが多い。

 

(断熱材)

 

・発泡スチロール(発泡ポリスチレン)…最も軽くて安いが、保冷力は最低限。ホームセンターで安く売られているのは大抵コレ。

 

・発泡ウレタン…ちょっと重くてちょっと高いが、保冷力はまぁまぁ高い。

 

・真空断熱パネル…中を真空にした板状の断熱材。クーラーの壁面に仕込んで、いわゆる「魔法瓶」のような状態にする。かなり高いが、保冷力は最強。

 

 真空断熱材は、ボックスの6つの面のうち、1面、4面、など、部分的に使われているものもある。使われている枚数に比例して保冷力も価格も高くなる。

 

 なお、「真空断熱パネル」を使っているハードクーラーは、釣り用のものに多い。キャンパーの中には、釣り用のハードクーラー(性能が高いものが多い)を流用している人もいる。

 

 ちなみに、容量20Lくらいで真空断熱材を6面全部に仕込んであるものだと、軽く4〜5万円はする。

 

(書き手の個人的な選び方)

 

 書き手のキャンプは、もっぱら涼しい時期に1泊2日、片道移動時間2〜4時間程度。ソロキャンプ。

 

 食事は、おもに肉と米等の炭水化物と少しの野菜。酒はビール1本とバーボン位。

 

 その他、チョコや豆大福(好物)や果物、コーラやジュース、缶コーヒー等を適当に持っていく。

 

 使っているのは、容量35Lのハードクーラー(発泡ウレタン)を1個。保冷剤を考えてもかなり余裕があるが、欲しかったメーカーで、ウレタンを使用しているものがこの容量しか作られてなかったので仕方なく。

 

 結局、選び方などそんなもんだ。

 

 しかし、ソロキャンプ以外でもちょこちょこと出番がある。この容量は汎用性が高い。

 

 

 なお、発泡スチロール製とウレタン製の見分け方。もとい「聞き分け方」。

 

 面を叩くと、ポコポコと太鼓っぽく響くのが発泡スチロール。カツカツと個体っぽく響くのがウレタン。

 

 

●ソフトクーラーの種類

 

(外装)

 

 普通のバッグのようなものから、ホームセンターで見かける全体が銀色のものまで、本当に様々ある。

 

 ファッション性のあるカラフルなものか、防水、防汚使用のターポリン(PVC)生地か、外からの熱を跳ね返す銀色シート風のものか、好みで選んでいいと思う。

 

(断熱材)

 

 主にアルミシートと思われる。いわゆる厚手の銀マットのようなもの、アルミシートを何重にも重ねて空気の層を挟んでいるもの等があると思われる(詳細な比較や説明が見つからなかった。判明次第更新予定)。

 

(書き手の個人的な選び方)

 

 カッコイイのを選んだ(笑)。容量は20L程度。主に日帰りキャンプ用として。

 

 これもキャンプ以外で(生鮮食料の買い出しなど)汎用性が高いため、少し大きめを選んだ。

 

 といっても、見た目がよく、価格もそれなりにするものほど、保冷力もだいたい比例して高くなるように感じる。

 

 ただし、保冷力が高くなるほど、断熱材の量が増えるので、単体で重くなる。

 

 

【容量での選び方】

 

 献立、食材の種類や量によりいちがいには言えないが、例えば以下のような場合で考える。飲み物や十分な保冷剤を入れることも考え、すこし大きめの値で書く。

 

①ソロで日帰り。昼食のみ

…ソフトクーラーでも可。15L(リットル)〜20Lもあれば十分。

 

②ソロで一泊。1日目昼食、夕食、2日目朝食の3食+α。酒はビール4缶程度。

…ハードクーラー推奨。秋冬、早春ならソフトでも可。20〜30Lくらい。

 

③二人で日帰り。昼食のみ

…20〜30Lくらい。ハードクーラーのほうがいいかもしれない。

 

④二人で一泊、1日目昼食、夕食、2日目朝食の3食+α。酒はビール8〜10本程度。

…45〜50Lくらいのハードクーラー推奨。

 

 この位の容量では、某アメリカのメーカーから金属製外装のかっこいいハードクーラーが販売されている。高いけど。

 

 運搬する荷物量に余裕があれば、20〜30Lのハードクーラー、ソフトクーラーを二個以上組み合わせて使うほうが安く済むかもしれない。

 

 

【保冷剤について】

 

 クーラーには欠かせないのが保冷剤。いくつか種類があるのでメモ程度に。

 

 

●通常の保冷剤(ソフト・ハード)

 

 ホームセンターで売っていたり、ケーキ屋の持ち帰り用についてくるようなレベル。日帰りなら十分な性能。

 

 

●氷点下キープ型(ハード)

 「−1●℃!」とか書いてるやつ。

 

 これは注意が必要。たしかに使い始めは氷点下10度以下でモノを冷やすが、あまり持続性があるわけではない。

 

 「ものを冷やす」ということは、「ものから熱を激しく奪い取る」ということであり、その結果、通常の保冷剤よりも早く、自身の温度が急上昇し、解けるのが早い。

 

 アイスを挟むように上下に置いて、半日以下の範囲で持ち運ぶのにはいいのかも知れない。

 

 書き手はコレを使うとき、「同時に入れている他の保冷剤の、凍った状態をキープするため」に使う。そうすると、双方の凍り具合の持ちがいいように思う。

 

 

●アイス○ン

 

 でかいソフトタイプの保冷剤として使える。汚れにも強く、意外と使える。

 

 

●ペットボトルに入れて凍らせた水

 

 何気に一番使える保冷剤かもしれない。キャンプの前に毎回作って使う。

 

 解けたら飲めるように、浄水を凍らせるのをおすすめする。

 

 完全に凍らせるには3日以上冷凍庫に入れておく必要がある。逆に、あえて凍らせ度を抑えて、現地で飲み物として使う手もある。

 

 

●スーパーやコンビニ、ドラッグストアで売っている「板氷」「ロックアイス」

 

 主に補充用・緊急用として考える。二泊以上のキャンプをするときに、現地近くで買う。

 

 

【小ネタ、豆知識】

 

・クーラーを地面に直接置くと、地面の温度が中に伝わったり、底面に結露を生じてビショビショになり、ドロで汚れたりする。クーラースタンド(すのこなどの代替品でも可)の使用をおすすめする。

 

・CBガス缶をセットすると、冷蔵庫のように冷やしてくれるクーラーボックスがある。高い。

 

・ハードクーラーのフタの開け閉めは、中の冷気が逃げて一気に保冷力が落ちる。

 

 対策として、お風呂のお湯保温用の薄い銀マット(百円ショップにもある)などを切って加工し、内ブタとして入れておくと、冷気の逃げが全然違う。書き手も実践中。オススメ。

 

・ソフトクーラーや発泡スチロールのハードクーラーでも、内部に、一回り小さい発泡スチロールの箱やソフトクーラーをさらに入れ込むことで、容量は少なくなるが、保冷力アップを図れる。

 



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その37:さすがに比企谷父は、比企谷八幡の父親である。

今回はかなり長文になっちゃいました…内容はろくでもないですが…(汗)

条例牴触問題の、とりあえずの解決策編です。

なお、今回のお話のやり方は、条例への抵触、警察からの補導を回避できることを保証するものでは、一切ありません。

良い青少年の皆さんは、このような案を実践しようとはせず、成人についてきてもらうか、成人するまで待って、おおっぴらにキャンプを楽しみましょう。


【千葉県青少年健全育成条例】(抜粋)

 

(深夜外出の制限)

 

第23条

 

 保護者は、特別の事情がある場合を除き、青少年を深夜(午後11時から翌日の午前4時までをいう。以下同じ。)に外出させないように努めなければならない。

 

 

──────────

 

 

 俺のソロキャンプが、この条文に抵触(ていしょく)しちゃう問題。

 

 俺と父親はこれに対して、ある作戦を立てた。

 

 この条文で言うところの「特別の事情」を、できるだけ自然に見えるように「でっち上げる」ことだった。

 

 まず、両親に一筆(いっぴつ)書いてもらう。具体的には、承諾書(しょうだくしょ)とでも言うべきか。

 

 ざっくりいうと、「私達両親は、この子の一人での野外泊(ソロキャンプ)を認めます。何かあればいつでも私達に連絡してもらって結構です。」という文面だ。

 

 これをキャンプの際には携行(けいこう)しておく。

 

 だが、コレだけではまだ全然不十分。

 

 具体的にどんな「特別の事情」をもってソロキャンプするのか。

 

 それをこそ、でっち上げる必要がある。

 

 そしてそれを、俺と両親が…主に世帯主である父親が、設定として共有している必要がある。

 

 ここで父親から、「ちょうどいい、お前の大学入試に(から)めよう。」というアイディアが出た。

 

 つまりは、こういうことだ。

 

 「俺は来年度には高校3年になり、受験を控えているが、文系科目は多少得意なものの(国語は学年3位だぞ)、全体的な成績は良くなく、正直、ロクな大学に受かる自信がない。学校からの推薦(すいせん)も受けられそうにない。

 

 スポーツ系部活に属してるわけでもないし、体育系科目も優秀というわけではないので、スポーツ系の推薦も受けられない。

 

 しかし、俺にはやりたいことがあった。

 

 夏休みに、小学生のキャンプの手伝いをしたのがきっかけで、アウトドア活動の面白さを感じるとともに、自分が(つたな)いながらもあれこれと教える中で、子どもたちが課題を達成した時に喜ぶ姿を見てとても感動し、子どもに教える仕事、すなわち教師という仕事に強い関心を持つようになった。

 

 どうしても…教師になりたい!!

 

 しかし、今の成績では大学合格自体が微妙。

 

 そんな中、近隣の国公立大学の教育学部で、『AO入試』が行われていることを知った(AO入試って何だっけ…まぁそのうち調べよう)。

 

 これならセンター試験の必要科目も、苦手科目を回避できるし、千葉県内で小学校教員として働き、地域に社会貢献(しゃかいこうけん)する意欲をもとめられるが、意欲なら誰にも負けない(むしろ千葉県から出たくないしなんなら働きたくないまであるんだが)。

 

 これだ。これを受けるしかない!!俺はそう心に決めた。

 

 そして俺自身がAO入試で、他の人にない『セールスポイント』を(かせ)げるとすれば、趣味で勉強中の、キャンプの技術と知識をおいて他にない。

 

 まだ初めて数カ月(ホントは1ヶ月ちょっとだが)だが、これは一生モノの趣味になると確信してるし、なにより、子どもの教育でも社会でも、役に立つ。

 

 とくに、災害発生時、発生後においては最強の知識と経験になる。

 

 子どもたちを災害から少しでも守れる力になりうるのだ。

 

 我が千葉県を含めた関東地方、東海地方は、地震が多い。過去の震災は対岸の出来事ではない。今まさに自分の足元で起きても不思議ではないのだ。

 

 …などといいながら、まだ初めて数カ月。しかも来年度は本格的に受験勉強に没頭せねばならない。

 

 つまり、『今』。

 

 キャンプ技術を学び、かつ実践して()きた知識にし、さらに来たるべきAO入試でそのことをアピールできるようにするのは、今をおいて他にない。

 

 だから!今!キャンプをしなければならないのだ!!

 

 今なんだ!!

 

 しかし例えば、それならどこかの地域サークルにでも参加して講習とか受ければいいんじゃね?とも思える。

 

 それも確かに手かもしれないが、あまりに時間がない。そうした団体に入ることは、大学入学後に自分のさらなるスキルアップのために考えていけばいい。

 

 リアルな話、今必要なのは入試面接時の『インパクト』だ。これが最重要。

 

 『キャンプの技能を身につけるため、高校2年の秋から○○のキャンプ活動サークルに入って頑張っています。』

 

 よりも

 

 『高校2年でキャンプに目覚め、親の承諾を得ながらソロキャンプやってます。今は一人で設営から撤収までひととおり出来ます。』

 

 の方が、はるかにインパクトは強い。

 

 むしろ前者だとあからさまに『それ、受験対策なんじゃね…?』と思われる可能性が高い。

 

 そして後者は『親御さんから信頼されてて、それにきちんと(こた)える立派な子』と(とら)えてもらえる可能性もある。

 

 とにかく、強烈な既成事実(きせいじじつ)が必要なのだ。

 

 両親も、なまじ息子の成績を知っているせいで、おぼろげながらも『バカ息子が千葉県随一(ずいいち)の国公立大に合格し、地元で公務員(しかも県職員、教師)をやる』という将来像(ビジョン)が見えたことで大乗り気になり、俺のキャンプを後押ししてくれている。

 

 だから俺は、今、ソロキャンプをやる必要があるのだ。」

 

 

×××

 

 

 「───という感じでどうだ?」

 

 父親はそう言うと満足げに、キンキンに冷えたマッ缶を飲んでいた。

 

 父親は食事と風呂を急いで終えた後、ずっと俺との作戦会議に付き合ってくれていた。

 

 そして、ほとんどのプランは父親が(えが)き出したものだ。

 

 ちなみに( )書きのところは念の為に俺が入れといた注釈な?

 

 「… … …。」

 

 俺は()め息をつくしかなかった。

 

 俺が18歳未満だということを、「大学の受験対策で必要」という方向から、見事に逆手(さかて)にとった作戦だ。

 

 実際の俺は、今のところは漠然(ばくぜん)と「大学受けるなら私立文系かな…数学苦手だし。」くらいしか考えてないが、志望先を今だけ変えるなんて、未来のことだから、嘘にもならない。

 

 実際に選択肢の一つに入れてしまえばいいだけだ。まぁ行かんけど。

 

 しかも俺がキャンプを始めたきっかけである「災害時対応スキルの必要性」も盛りこんであって、必ずしも全部が全部、虚偽(きょぎ)ではない。千葉村で小学生の指導をしたのもホントだしね?(当時、両親には小町が説明していた)

 

 むしろあまりの筋書きの良さに感動して、うっかり「そうか…俺、小学校教師になるために生まれてきたのか…!」とか一瞬本気で思っちゃったまである。

 

 まぁ、客観的に見ればツッコミどころは多いかも知れないが、結局のところ、今回の作戦、「ソロキャンプの経験がAO入試にホントに役立つの?」とかいうことは、実はどうでもいいのだ。多分あんまり役には立たないだろう。

 

 しかしとにかく「親も含めて、息子が有名国公立大に合格するために必死になってる」感がひしひしと、なんなら「思考が若干イタいし、ヘタに邪魔したらコイツの親までギャーギャー言ってきてめんどくさそう…」くらいに、お(まわ)りさんにアピールできればいい。

 

 「これでも補導してくるような真面目な警官だったら、残念だが諦めろ。笑って迎えに行ってやるし、学校にもこの設定でちゃんと説明してやる。」

 

 このとき父親が言った「ここまでやってダメなら諦めろ」の言葉には、素直に従う気になった。

 

 「押してダメなら諦めろ。」

 

 俺の人生訓だ。

 

 だが。…だがな。

 

 押さないうちから諦める主義じゃ、ないんだぜ…!!(心の中でドヤァ

 

 しっかし…。

 

 こんだけのことをよくもまぁ、スラスラと思いつくよな…!

 

 なんていうか、さすが俺の父親というか。

 

 思考の斜め下っぷりは、やっぱ、俺なんかよりよっぽどひどいんじゃないの。

 

 …だ、大丈夫だよね…?なんか会社で詐欺(さぎ)的なこととか不祥事(ふしょうじ)隠しとか…やってないよね…?若干(じゃっかん)心配になってきちゃったよ…?

 

 …っていうか…マジでAO狙ってる人がいたら、マジごめんなさい…!!実際のところ、俺なんか、とてもじゃないが狙えない高レベルの大学です…どうかこんな発想しかできない最低クソ親父など(さげす)んで(あざけ)ってください…(そっと尻尾切り)!!

 

 「さて、このプランをより完全なものにするために、いくつかお前に約束と、了承をしてもらう。」

 

 突然父親の顔が厳しくなった。ちょっとドキッとする。

 

 「…え、…何?」

 

 「言うまでもないが、酒とタバコは絶対禁止だ。それで補導されても知らんし、そんなことをしたら、家に帰って来れると思うな。」

 

 なんだそんなことか。

 

 「了解。大丈夫だ。ていうか、マジでしねぇよそんなこと。」

 

 俺は目は腐っているかもしれないが、不良じゃない。酒もタバコも二十歳(はたち)になってから。いやタバコは多分一生吸わんね。自信ある。(くさ)いもん。

 

 …あ、平塚先生が結婚できないのってそれが原因?やだ一刻も早く禁煙外来(すす)めてあげなきゃ!保険証きくよ確か!!

 

 嗜好品(しこうひん)など、MAXコーヒさえあれば充分だ。

 

 俺は父親と同じく手に持っていた、飲みかけのマッ缶をあおった。あァ…キクぜぇ…!

 

 「それと、お前にとっては不本意かも知れんが…、事前に近くの駐在所(ちゅうざいしょ)に俺の方から連絡を入れておく。その時点でダメになるかも知れんが、必要な手続きだ。

 

 当日も、状況確認ということで、現地までお前の様子を見に行く。そのくらいやって、俺達の本気度を見える形で対外的にアピールしなきゃな。

 

 なに、お前の邪魔はしない。短時間で、すぐに帰るよ。あと、往復の交通費、出してやろう。これもアピールのためだ。」

 

 「え…!?それくらい全然いいし、むしろ助かるけど、でも、クルマでも結構かかるぜ…この距離…大丈夫なのかよ…?」

 

 「ま、近くに道の駅とかもあるし、風景も良さそうだからな。ドライブと、久しぶりに直売品の買い物でもして、ついでに寄るさ…、って、お前それ、うちのクーラーバッグじゃないか…!?」

 

 父親はバックパックの横に置いておいたソフトクーラーを見とがめた。

 

 「ああ、水を4リットル、運ぶのに使いたくて…だ、ダメ…?」

 

 父親は、ちょっと考えて、ふむ、と軽く溜め息をついた。

 

 「…ま、いいだろ。大事に使えよ。けっこういいやつだからな、それ。イクルー(Iqloo)製だからな。」

 

 へぇ、そうなん。この字、イクルーって読むのか…。

 

 いいやつなのか。ありがとござまーす☆

 

 「それと、警察がウラをとるために学校へ連絡する可能性もある。それとなくAO志望を学校にも示しておけ。なに、あくまで志望だ。入試直前までにいくらでもひっくり返せる。」

 

 「了解。」

 

 作戦会議終了。

 

 父親と俺は顔を見合わせて、ニヤリと笑い合い、マッ缶をカツンとかち合わせた。

 

 …すげえだろ…比企谷(ひきがや)(父)と比企谷(長男)が合わさると、こういう風になるんだぜ…。

 

 まぁ…なんか、何気に大学受験以降の進路のレールを一本、うまいこと言いくるめられて()かれた気もするが…まぁどうでもいい!そんなことよりキャンプだぜ!!

 

 

×××

 

 

 キャンプ前日の夜。俺が部屋でワクワクドキドキしながらバックパックに荷物を詰め込んでいたところへ、父親から電話がかかってきた。今日は遅くなるという。

 

 『あ、夕方ころに、現地の駐在所に電話で事前連絡しといた。うまくいったぞ。

 

 駐在さん、かなり好意的に受け止めてくれてな。キャンプ場の近くの区長さんにも話しておいてやるってさ。ちゃんと挨拶(あいさつ)しとけよ。』

 

 マジか!!やった、これで勝つる!!!!

 

 俺はガッツポーズを取った。

 

 『なんか変わったしゃべり方の人だったな…なんだっけ、広島弁?そんな感じでな。』

 

 あっそう広島弁!いいね広島!!広島大好き!!広島弁しゃべる娘って超かわいいよね!!

 

 『それとな…一応伝えとくが、なんか親戚で、お前の高校に勤めてる人がいるらしい。雑談の中で言ってたんだけどな…ひょっとしたら、学校にも情報行くかもだぞ。ただまぁ、警察側が好意的に受け取ってくれてるから、問題はないと思うけどな。』

 

 …ん???

 

 ちょっと松戸(まつど)矢切(やぎり)(わた)し…!?(ちょっと待ての意味。今作った。)

 

 広島弁…?総武高の教師…?

 

 …覚えてる限り、そんな教師は一人しかいない。

 

 「…ちなみにその駐在さん、名前は…?」

 

 『えっとな…厚木(あつぎ)さんだ。確か。』

 

 … … … オゥ……!!

 

 いやまぁ…別にいいんだけど…いいよな…?うん別に大丈夫…作戦変更不要…。

 

 しかし、なんだ。

 

 ほんのちょっぴりだけ、月曜日以降…嫌な予感がするぞ…?

 




補足というか弁明というか、すこしだけ書きます。

つい先日、「フリースクールでの学習を義務教育を履修したものとみなす」という法案が、超党派(政党の枠を越えた国会議員たちの集まり)によりまとめられ、来年の通常国会に提出される見通し、とのニュースが流れました。

保護者が学習計画を立て(民間団体によるサポートができるようになればいいかもですね)、教育委員会に申請をして認められれば、学校に籍を置いたまま、一定期間、学校に出席させない(その間はフリースクールで勉強)ことができ、学習計画を実施すれば、義務教育の修了を認める、ということのようです。

そうすると、これまでもフリースクールと深く関わっていたキャンプ(レジャー的な意味のキャンプではなく、自然とふれあい、野外活動のノウハウを教える、教育的キャンプ)が、義務教育においてこれまで以上に大きな役割を持つようになるかも知れません。

キャンプのノウハウを持っている人が、それを活かすために教育学部を目指す、教育学部の学生が、自分のスキルアップのためにキャンプを学ぶ、というのは、わりと現実的にアリな話なのかもな、と、個人的には思ったりしています。

それに原作での八幡の動向といい、ひょっとしたらひょっとすると、八幡が教師になる未来の可能性もゼロではないのかも…?


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その38:ソロキャンプ#1

 土曜日。泊まりソロキャンプ初日。

 

 天気は文句なしの快晴だった。

 

 明日もこの調子で晴れるらしい。神様サンキュです!

 

 ただなんか、昨日よりも寒い気がする。晴れてるのにな…。

 

 寒いのはノーサンキュです!

 

 今回のキャンプも電車移動だ。早くに家を出て、午前7時57分、千葉駅着。

 

 デイキャンプの時と同じく、ここから乗換えだ。

 

 乗り換えの電車は8時6分発。

 

 泊まり仕様の荷物が詰まって、ずっしり重たいバックパックと、まだ保冷剤と少しの食料しか入っていない、軽いイクルーのソフトクーラーを抱えて、やや急ぎ足で電車を降り、ホームの階段を目指した。

 

 移動が地味にめんどくさいな…。

 

 俺が降り立ったのは2番線ホームだが、乗り換えの電車が来る3番線ホームは階段での移動が必要だ…。大荷物の時はなおさらきつい…。

 

 …移動ついでに、ちょっとトイレ行けるかな。

 

 一番端っこの階段を降りてすぐ横にあるトイレで用を足し、ヒィヒィ言いながら3番線ホームへの階段を駆け上がった。

 

 …よしよし、なんとか葉山たちサッカー部ともかち合わなくて済んだな…。

 

 やつらが乗るのは外房線だから、いるとすれば隣の5、6番番線ホーム。しかしざっと見た所、それらしき集団はいなかった。出発時刻もうまいことズレていたようだ。神様サンキュです!

 

 ほどなく、黄色と青の横ラインが印象的な、銀色の電車がホームに(すべ)りこんできた。

 

 降り客が車内から出つくすのを待って、ぞろぞろと俺の並んだ列が乗り込む。(「…んー?あれー?)運よく入り口すぐ横の、端っこの席に座る(ひょっとして比企谷くんじゃなーい?)ことができた。短いアナウンスの後、(ひーきがーやくーん、ひゃっはr」)ぴろんぴろんと横のドアが締まり、俺を乗せた電車は、きしんだ音を立てながらゆっくりと動き出した。

 

 

 

 

 ドッと冷や汗が()き出してきた。

 

 

 

 

 発車し始めてすぐ、一瞬だけ、車窓から声の聞こえた方を目だけ動かして確認した。

 

 赤いコートを着て、キャリーバッグを片手に引いた雪ノ下陽乃(ゆきのしたはるの)が、ぽかんとした顔をして、俺の乗った電車を見送っていた。

 

 

 

 

 … … …っっっっっぶおおぉぉぉああああああ!!!!!!(戦慄(せんりつ)

 

 あっっっぶねえええぇぇx!!!死ぬとこだっっったああああぁぁぁ……!!!(いや死なないけども)

 

 なんでこんな時間にこんなトコによりによって陽乃(はるの)さんがいるんだよ…!!??

 

 た、多分、持ってたキャリーバッグからして、旅行にでも行くところだったんだろうけども…!!

 

 …お、同じ電車に乗って来なくて良かったああぁ…!!!

 

 …って言うことは多分、次に来る東京方面行きの快速に乗るつもりだったんだろうな…、よし、…じゃあ、まぁ、追いかけてはこないだろう…!いやでもあの人の行動マジ理解不能だしなぁ…一応、気をつけとこう…!

 

しかし…もう数秒、ドアが閉まるのが遅ければ、確実に捕まってるところだった…!!

 

 …神様…、マジでサンキュです…っ!!!!

 

 

×××

 

 

 今回、俺が乗ったのは内房線だ。千葉県の東京湾沿いを、ずうっと南に下っていく路線。

 

 目的地までは片道2時間以上の、なかなかの長旅だ。

 

 俺の座った席の真正面、反対側のベンチ席の後ろにある窓からは、いずれ東京湾が見えてくるはずだ。

 

 千葉駅を出て、蘇我駅(そがえき)で外房線、京葉線と分かれ、南を目指す。

 

 ようやく俺はほっと一息ついて、ソフトクーラーをごそごそやって、家から持ってきた朝飯代わりのおにぎりを食い始めた。

 

 あと、着ていたMA−1ブルゾンのポケットから、飲みかけの小さなペットボトル入りのお茶を出して一口。

 

 もうすっかりぬるんでいたが、千葉駅まではしっかり、カイロ代わりに俺の手を温めてくれていた。

 

 こういう日には、ホーム内の万葉軒で弁当を買っても良いかもしれないな…でもちょっとゴミ出るしな…家のおにぎりなら、ごみっつってもラップ一枚分だ。

 

 

 

 

 ときおりギッシギッシときしむような金属音を出しながら、電車はのんびりと、各駅運行で俺を南へ南へと運んだ。

 

 

 

 

 基本、電車移動中、すべきことは特にない。

 

 ぼーっと窓の外を眺めたり、とりとめのない思考にふけってみたり、スマホをいじったり、座席の暖かさにウトウトしたり、ダラダラのんびりした時間を過ごした。

 

 電車で一人で長旅ってのも、なかなかいいもんだな。

 

 木更津(きさらづ)を過ぎた頃から、徐々に小高い山が背中側の車窓から見え始めた。

 

 君津(きみつ)駅あたりを境に、車窓の外に見える市街地と農地・山林との割合が逆転してきた。

 

 関東平野の南の果てを越え、「房総丘陵(ぼうそうきゅうりょう)」エリアに入ったようだ。

 

 いちおう、千葉県にもこの辺には山があるにはある。一番高くても四百メートルちょいだけどな。

 

 大したことないとお思いかも知れないが、実はその山々の中に、とてつもない名山が含まれている。聖地と言ってもいい。

 

 まぁ、俺もはっきり知ったのは今回のキャンプ場の下調べの時なんで、偉そうには言えないんですけどね…。

 

 

 

 

 千葉駅から各駅停車で2時間弱。岩井駅に着いた。

 

 この駅から見て内陸側、高速道路の向こう側に、富山(とみさん)という、ほっこりしたMの字型の山がある。

 

 曲亭馬琴の名作「南総里見八犬伝」で、伏姫が犬の八房とともに(こも)り、身の潔白を示すために自害した際に体内から八つの霊玉(れいぎょく)が現れて各地へ飛散したところ。

 

 そして、霊玉に導かれた八犬士たちが、里見家を守るべく戦った「関東大戦」を経て、高齢となった後に集って籠もり、仙人となったとされるところ。

 

 いわば、「八犬伝」の、始まりにして終わりの地。

 

 そう、「南総里見八犬伝」の舞台は、千葉なのです!これ覚えて帰ってね!!

 

 一部では「日本最古の職業作家によるラノベ」とも言われる八犬伝。

 

 完結まで28年、全98巻106冊(上下巻等含む)の超大作。

 

 多くの現代語訳版が出ており、刊行開始から二百年以上経つ今も魅力を失わない。

 

 もしこれをラノベといっていいのであれば、まさに日本史上最強のラノベといえる。

 

 逆に言えば千葉を舞台にしたラノベは最強。やだ当たってるわ!俺妹とかアニメ化もされたしね!!

 

 材木座にこの法則を教えておいてやろう。ついでに八犬伝を全巻読破するように勧めてみるか。著作権切れてるからパクりまくっても問題ないしな!(悪笑)

 

 この駅で、何組かハイキング姿の乗客が降りていくのを見た。どうも、八犬伝ゆかりのポイントを見て回るイベントをやってるらしい。つまり聖地巡礼?

 

 俺もそのうち機会を作って、見に行ってもいいな。

 

 

 

 岩井駅を過ぎてからも、しばらく電車に揺られ、いくつものトンネルを抜けた。

 

 車窓から、遠くに海岸線が見えたと思えば、すぐに民家やトンネルや小山や(やぶ)(さえぎ)られ、それを繰り返しながら、房総半島の南端近くまでやって来たくらいで、ようやく電車を降りた。

 

 日はだいぶ高くなり、日差しを遮るものない天気のおかげで、だいぶ気温も暖かくなってきていた。

 




【おねがい】

 今回からの「泊まりソロキャンプ編」の、舞台のモデルとなったキャンプ場は、実は2015年初頭に、夏休みシーズン以外のキャンプ・BBQが禁止となってしまった、との情報がありました。

 遠方在住の私には詳細な原因ははっきり分からないのですが、頻繁にキャンプのゴミが放置され(壊れたテントなど)、騒音が絶えない等の、一部利用者のマナー面での問題が大きかったのかもしれない、との情報が、ネット上に多くありました。

 しかし、このSSのクライマックスの一つであるソロキャンプ編の舞台として、とても素敵なところだと思ったため、あくまでフィクションとして、今回、お話の中で使わせてもらうことにしました。

 これまでのように、スタートからゴールまで詳細な経路を書くことも少し控えようと思いますが、もし、どのキャンプ場か特定できたとしても、どうか、上記のような苦渋の決断をなさった地元の人々の意思に敬意を払い、今は、キャンプ場名を明かさないようにしておいてください。

 いつか、心あるキャンパーさんばかりが集まる素敵な場所に戻り、再開放されることを、心から祈っています。


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その39:ソロキャンプ#2

 

 降り立った駅は、千葉県の南端にほど近い場所にある、小さな駅だった。

 

 駅周辺の道路を含め、割とキレイに整備されていたが、これぞ海沿いの田舎町、という感じのさびr…ひなb…いやいや、いい意味でほっこりした町並みが広がっていた(ほっこりって言葉、便利だな…京都弁じゃ意味違うらしいけど)。

 

 海が近いので、風の中に(しお)の香りが混じっている。けれど、同じ海沿いでも、俺が暮らす街に吹いている風の香りとは少し違った。

 

 遠くに、来たんだな…。

 

 いや実際の距離的には100キロも離れてないんだけどな。電車で2時間ちょいくらいのもんだ。

 

 家族で海外旅行に行ったこともあるし、夏には千葉村(群馬県)行ったし、これまで経験した旅に比べれば、決して大した距離ではない。

 

 だが、自分の意志で、自分ひとりで、こんな遠くへ行き先を決めて移動してきたのは生まれて初めてだった。

 

 今更ながら、そんな風に行動した自分を少し不思議に感じた。

 

 …しかしまぁ、感傷に(ひた)るのはキャンプ場に着いてからにしよう。

 

 俺は荷物を担ぎなおし、大きく深呼吸して、駅を出てすぐの通りを左へ歩き始めた。

 

 まずは、必要な手続きからだ。

 

 

×××

 

 

 「おお、君が比企谷(ひきがや)君か?親父さんから連絡受けとるよ。」

 

 …それは親戚というには、あまりにもそっくり過ぎた…。

 

 今回のソロキャンプの手続きというか、作戦の一部として、駅からほど近い駐在所へ挨拶(あいさつ)へ行った。

 

 出てきた駐在さんは、俺の知っている体育教師の厚木(あつぎ)よりもやや年齢が高い感じがするが、見間違うくらいそっくりだった。声まで似てる。多少、関東の水に薄まりつつある広島弁っぽいしゃべり方までも。

 

 初対面なのに…なんーか…気まずい…!(苦笑)

 

 一応、AO入試目指して大真面目にキャンプをやりに来たっていう設定である手前、なるべく声に力を込め、しっかりと挨拶した。

 

 「そ、総武高2年の比企谷です!お世話になりますっ!」

 

 言いながら、父親の書いたキャンプの承諾書、父親の免許証と俺の学生証のコピーを、駐在さんに提出した。

 

 駐在さんは目の前でそれらの書類に目を通し、うむ、とにこやかに(うなず)いた。

 

 「区長さんには私の方から連絡しとるけぇの。ルールとマナーはきちんと守ってな。

 

 …今どきなかなか、君みたいな気概(きがい)を持った奴は見んようになった。応援しとるけぇ、キャンプも受験も頑張りんさいよ。

 

 なにか困りごとがあったら、遠慮()う、駐在所(こっち)に連絡しんさい。」

 

 そう言って駐在さんは、電話番号の書かれたメモを渡してくれた。駐在所の番号だろう。

 

 大きな関門をクリアできた喜びと、遠い地で受けた親切な言葉が嬉しくて、素直に、深々とお辞儀した。

 

 無事に一泊できたら、またお礼に来よう。

 

 駐在所を出て、いったん駅前のロータリーまで戻ってきた。そこから海側へまっすぐ向かっている道をてくてく歩く。

 

 二百メートルほど行くと、国道とぶつかるT字路に着いた。すぐ右斜め前に、小さなスーパーがある。ここは下調べで確認済みだ。

 

 このスーパーで、ペットボトルの水を買い求めた。

 

 2リットルのペットボトルはいくつか種類があった。どれを買おうか…。

 

 いろはすかな〜…?

 

 クリスタルガイザーかな〜…?

 

 森の水だよりかな〜…?

 

 

 

 

 やっぱいろはすかな〜…?

 

 

 

 

 いややっぱ森の水だよりかな〜…??

 

 

 

 

 いやいややっぱりいろはs(以下略)

 

 

 

 

 考え込んだ末に森の水だよりにした。持った感じ、ペットボトルがしっかりしていたので。

 

 後で知ったが、いろはすもフタを開けてみれば途端にボトルがしっかり硬くなるし、コンパクトに潰しやすいのでゴミも少なくなる。俺にとってはいい選択だったかも知れない。

 

 

×××

 

 

 4リットルの水を入れて、急にずっしりしたイクルーのソフトクーラーを肩にかけ、スーパーから南へ、目的地まで1キロほどの道をひたすら歩いた。

 

 バスに乗ってもいいんだろうが、小銭でも節約したいし、初めての一人旅でテンションも高かった。1キロ位、景色を見ながら歩こう、と思ったのだ。

 

 バスも通る比較的大きな道だったが、民家と商店が入り混じって並んでいる、のんびりした雰囲気の道だった。

 

 ところどころで、海岸の方向を示す看板が出ていた。きっと夏とかは海水浴客で賑わうんだろうな。

 

 それにしても…水…重い…!現地調達で正解だったぜホント…。

 

 ときどきソフトクーラーの肩紐を、逆の方にかけ替えながら歩き続けた。

 

 やがて、橋の手前くらいで、港を示す標識が見えてきた。

 

 表示とプリントアウトしてきたグー○ルマップに従い、橋を渡り、川土手に沿って、細い道をひたすら河口の方へ進んだ。

 

 やがて、土手の先に海岸と水平線が見えて来ると同時に、海岸にぽつんぽつんと並んで建っている、公衆トイレと炊事場が目に入ってきた。

 

 土手から海岸へ降りていく階段を見つけ、とりあえずその階段を降りきった所で、荷物を下ろして腰掛け、息を整えた。

 

 

 …着いた…!

 

 

 枇杷(びわ)ヶ浜キャンプ場。

 

 海岸がそのまま、フリーのテントサイトになっている格安キャンプ場だ。

 

 ネットで探しまくった末に見つけた。電車と徒歩で行けて、格安で、景色が良さそうで受付とかの煩雑(はんざつ)な手続きも必要なさそうな、まさに理想のキャンプ場だった。

 

 海岸なので、風の強さや寒さを心配していたが、風は穏やかで、天気もドピーカンで日が高いせいか、寒さはさほど感じなかった。

 

 海岸と河口の両方に面したあたりが草地になっていたので、荷物を抱え直し、そこへ移動した。

 

 草地の上に荷物を置き、バックパックからテントを引っ張りだした。

 

 さて。

 

 有名なあのセリフを口にする時が来た。

 

 

 

 

 「ここをキャンプ地とする!」

 



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その40:ソロキャンプ#3

 テントの設営は順調に行えた。

 

 前回デイキャンプでの経験から、今回はペグ打ちの前にテントの位置を微調整しながら、寝た時に違和感を感じないよう、バッチリ水平なところに()えた。

 

 寝袋や銀マットは今のうちに取り出して広げ、最初に寝床を整えた。

 

 ここは、「フォレスターズ・ヴィレッジ」よりも地面が柔らかい感じがして、寝心地は多少良さそうに感じた。

 

 さて、前回トラウマになりかけたペグ打ちだが…。

 

 下調べの段階で、今回のテントサイトが砂浜ってことは分かっていた。

 

 「フォレスターズ・ヴィレッジ」のみっちりした土とは逆に、サクサクした砂では手持ちのペグは抜けやすいかもしれない。

 

 ただ、テントを据えることができたのが、割と草の生えてる(土に多少密度がある)ところだったので、インナーテント(テント本体)の底面を抑えるペグに関しては、まぁまぁ()いている気がした。

 

 念のため確認。ペンチを使えばちゃんと抜けた。ていうかペンチ優秀。

 

 しかし、フライシート(上掛けカバー)を抑えるためのガイライン(細い張り綱)は、テントより少し外側に張ったからか、何ヶ所か、ペグが効かずにスポスポと抜けてしまうところがあった。

 

 … … ふっ。

 

 …大丈夫だ、問題ない。

 

 俺ももうね、いっぱしの(デイ)キャンパーだしね、これしきのことで慌ててママーとか叫ばねぇぜ…?

 

 対応策は用意してある。備えよつねに。大事なことだね!

 

 俺はバックパックから、スーパーのビニール袋を数枚取り出した。

 

 買い物した時に店からもらってきたのを、ゴミ箱にセットするために家でストックしてあったやつだ。

 

 こいつを「アンカーシート」代わりに使う。

 

 「アンカーシート」というのは、簡単に言えば、(おも)り用の砂袋だ。ペグの効かない砂地や、積雪の上にテントを張るときに、こいつに砂や雪をぎっしり詰めて、ガイラインの先端に結び付けて、地面に埋める。こうすることで、テントを地面に固定する仕組みだ。

 

 専用品はそれなりに高いが、金がないのでビニール袋で代用、というわけだ。これはネットで拾ったアイディアだった。

 

 周りの砂浜から砂をかき集めてビニール袋に詰め、どっしりした砂袋をいくつか作って、フライシートのガイラインに結びつけた。

 

 本来のアンカーシートは地面に埋めるのだが、砂袋は1個1個が十分な重さだったし、風の具合から、埋める必要まではないと判断した。キレイな草地を掘り返したくもなかったしな。

 

 設営作業を終え、少し離れて、しげしげと我が仮住まいを(なが)めた。

 

 

 うん。そこはかとないホームレス感、再び!(涙)

 

 青いブルーシート、もといフライシートと白いビニール袋の相性は最高に最悪だぜ!

 

 だが…今回はしょうがあるまい…!!

 

 せめてもの抵抗として、ビニール袋のスーパーの店名がプリントされた部分はそっと内側に向け直した。

 

 

×××

 

 

 テントを設営し終わると、ちょうど昼時になった。

 

 せっかく千葉県の南の方に来たので、今日の昼飯は「竹岡式ラーメン」を持ってきていた。ヤックスが創業55周年記念として販売してる袋ラーメンだ。ちょっと高いが、父親も好きなので、たまに家に買い置きされている。

 

 …あ、説明しよう!

 

 ヤックスは千葉を中心に関東地方でチェーン展開してるドラッグストアだ。スーパーとか調剤薬局とかもやってる。

 

 で、「竹岡式ラーメン」は、千葉三大ご当地ラーメンの一つ。千葉県富津(ふっつ)市竹岡が発祥(はっしょう)のラーメンだ。

 

 ちなみにあと二つは、「アリランラーメン」と「勝浦(かつうら)タンタンメン」な。

 

 どのラーメンも、千葉市より南にあるものばっかりだ。

 

 竹岡はここへ来る途中、内房線でちょうど通り過ぎた。いつか竹岡駅にも降りて、本物の竹岡式を食いに行きたいな。

 

 特徴的なのはスープの作り方。千葉県産の醤油(しょうゆ)でじっくり煮込んだ豚バラ肉のチャーシューの煮汁を、麺をゆでるお湯で割っただけのシンプルな醤油味。とはいえ、チャーシューの肉汁の旨味がたっぷり溶け出していて、素朴な懐かしい風味がある。トッピングにはチャーシュー、(きざ)んだ玉ねぎ等を入れる。

 

 もちろん玉ねぎも刻んで持ってきた。コンビニで買ったやつだが、チャーシューもある。

 

 いそいそと調理にとりかかった。

 

 俺のクッカー「ユニファイヤー 角型クッカー」は、袋ラーメンを割らずに入れられて非常に調理が気持ちいい。最高だね…!

 

 程よく煮込まれたラーメンからは、湯気とともに胸がキュンとなるほど懐かしい気持ちになる匂いが漂ってきた。黒々とした醤油スープと、こんもりと盛った白い刻み玉ねぎ、分厚いチャーシューの間から、ほのかに黄色みがかったちぢれ太麺が顔をのぞかせている。

 

 「いただきます」と(おごそ)かに口にしてから、ひたすらいただく、(すす)る、(むさぼ)る、飲み下す。

 

 ラーメンとは何か。根源的かつ哲学的な問いを投げかけてくる味である。こんなにシンプルな作りなのに、うまい。うますぎる。これが…千葉三大ラーメンか…!!

 

 食べながら、ふはぁ、と()め息を()らしながら顔を上げた。

 

 その瞬間、周りの景色が見えて、思い出した。ここが生まれて初めて来た町の、見知らぬ浜辺であることを。

 

 冬の気配をはらんだ、冷たくも穏やかな風の中、空には雲もなく、宇宙の彼方(かなた)が青く(かす)んでいる。

 

 目の前の水平線の左側を(さえぎ)るように、(みさき)がある。あの岬のはるか向こうには、確か熱海(あたみ)があるはずだ。さすがに対岸は霞んでいてよく見えない。

 

 ふと、浜辺に降りてくる階段の方から人の気配がして、振り返った。

 

 高齢そうだが、しっかりした足取りの男性が、片手を上げて俺の方に歩いてきていた。

 

 「やぁ、あんたが駐在さんの言ってた高校生さんかね?」

 

 …あ、区長さんかな。

 

 俺は立ち上がって、駐在さんのときと同じように挨拶(あいさつ)した。

 

 「うんうん、千葉から来たって?たぁぶれた(疲れた)ろう。これ、良かったら食わっせぇ(食べなさい)。」

 

 そう言って、区長さんはコンビニ袋を差し出してきた。

 

 さ、差し入れ…!やだうれしい。本気でうれしい!いい人ばっかりで俺もうここに住みたいくらいある…!!

 

 「キャンプ場は夏場だけの営業でな。この時期なら、無料でいいよ。ゴミは持ち帰りでお願いね。」

 

 差し入れだけでなく、キャンプ料金もまけてくれた。

 

 丁寧にお礼を言った。区長さんは、なんかあったらあそこが俺んちだからいつでも来なさいと言って、さっぱりとした笑顔で引き返していった。

 

 差し入れは、びわゼリー2個だった。そういやこの辺は、果物のビワが特産らしい。

 

 ラーメンの残りを腹に収めて、さっそく1個、デザートに頂いた。

 

 …めっちゃうまい…!ビワのみずみずしい甘さが、ラーメンの後の口直しに最高…!!

 

 後で父親がドライブがてら様子見に来るとか言ってたし、家へのおみやげに買わせとこう…!!(自分で買って帰るという発想はない)

 

 

×××

 

 

 昼飯の後は、ぶらぶらと海岸を港の方まで散歩してみた。

 

 港の倉庫近くに自動販売機を見つけた。水もお茶も、MAXコーヒーも入ってた。

 

 マッ缶はちゃんと「つめた〜い」「あたたか〜い」の両方が(そろ)ってた。

 

 おい、分かってるじゃねぇか…設置した人…!!ここに来るときはマッ缶持参は不要だな。

 

 テントへ戻る途中、波打ち際には結構な数の流木が流れ着いていて、カラカラに乾燥していたので、夜の焚き火用にせっせと集めた。

 

 太い(まき)を切ったり割ったりできればいいな…いちおう、持ってきてた多機能ナイフに付いていたノコギリを試してみたが、ある程度以上の太さになるとお手上げだ。ギコギコ切るより、どうせ燃やすんだからと、へし折ったほうが早かったりした。

 

 そのうちちゃんとしたノコギリ買おう。小さくて折りたためる奴がいいだろうな。

 

 テントに帰り着いてからは、もうホントに何もせずにぼーっとしていた。

 

 

 

 

 何もしないということをしている。

 

 と、どこかの星のカエルの軍人が言ってた。(けだ)し名言だ。

 

 

 

 

 本当に、ぼーっとできた。

 

 

 

 

 … … … … …。

 

 

 

 

 日常のいろんな(わず)らわしい事は、きょうはぜんぶ、この海岸線のずっと北の向こうに置いてきた。

 

 それがなんだか、すこし愉快(ゆかい)だった。

 

 なぜこんなに愉快なのだろうと考えてるうち、ふと、今の俺は、ぼっちなんだろうか、という疑問が頭に浮かんだ。

 

 確かに今俺は、ひとりっきりでこんなところにいる。でもなんだか、今の俺は、ちっともぼっちではないような気がした。

 

 確かにここへ来るまでに、駐在さんや区長さんから優しい言葉をかけられ、助けてもらった。でもそういうことじゃない。

 

 確かにこのキャンプが実現するまで、父親の助言、母親や小町の理解(放置?)を必要とした。でも、そういうことじゃない。

 

 むろん、高2になってから、学校関係で顔見知りが増えたということでもない。

 

 そういうことじゃない。

 

 

 

 

 …知ってる人が誰もいないから、今ここにいる俺は、ぼっちじゃない。

 

 

 

 

 そういうことだ。意味不明な理屈に思えるが、そういうことだと思った。

 

 

 

 

 分かるかな。分かんなくてもいいや。

 

 とにかく今の俺は、一人静かに、この愉快さをかみしめた。

 

 さすがにずっと外にいるのは寒かったので、休憩のために、テントに(もぐ)り込んだ。

 

 日差しがテントの中の空気を程よく暖めてくれていた。

 

 1〜2時間ほど、昼寝することにした。

 

 スマホのタイマーを適当にセットして、寝袋(シュラフ)を全開にして掛け布団代わりに使い、ゴロゴロしているうちに眠ってしまった。

 

 寝心地はなかなか快適だった。経験が生きたな。




 今回の話を書く際に、千葉三大ご当地ラーメンを調べたんですが、ふと、

 「ひょっとしたら平塚先生、原作第4巻で八幡を遠くのラーメン屋に連れて行くとかメールで書いてたけど、こういうところに行こうとしてるのかな…?」

 とか妄想したりして、けっこう楽しかったです。

 竹岡式、私も食べてみたいなぁ…通販で買えるかなぁ…?


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その41:ソロキャンプ#4

編集履歴:千葉県周辺の2015年11月中旬〜下旬の日没時間は16:30頃だったので(国立天文台サイトより)、八幡の目覚めた時間を変更しました。


 目を開くと同時にスマホのアラームが鳴った。

 

 たまにあるよな、そういうこと。

 

 砂浜とはいえ、自宅のベッドとは程遠い固い寝心地に、身体が多少ゴワゴワしていた。

 

 テントを抜け出て、大きく伸びをした。

 

 午後3時半。日はまだあるものの、なんだかさっきより(かげ)ってきて、空気も冷えてきたような気がする。

 

 俺は着ているMA-1ブルゾンのファスナーをしめ、パーカーのフードをかぶった。

 

 こういう、パーカーとかのフードって、ずっと飾りだとしか思ってなくて、雨に降られた時なんかにちょっと被る位だったが、ひょっとしたら、首を寒さから守るためにあるのかも知れないな…あったかい。

 

 この後の段取りは…夕飯と、暖を取るための焚き火、そして就寝だ。

 

 日が沈んで暗くならない内に、あらかた支度(したく)をしておかなきゃな。

 

 まず、バックパックから新聞紙を取り出し、一枚一枚くしゃくしゃに丸めてから広げ、寝袋(シュラフ)の中に、内壁に貼り付けるようにして詰め込んでいった。足元は特に念入りに。

 

 コレでいいかは分からないが…寝るときに直していけばいいだろう。

 

 それからもうひとつ。ちいさなLEDライトを取り出して、ポケットに入れた。

 

 家の非常用持出袋(ひじょうようもちだしぶくろ)に入っていたやつだ。電池も新しいものを入れてある。

 

 ホントなら、周りを明るく照らすランタンとか欲しいんだがな。高いし、金ないし、あってもあんなデカイものを持って歩こうって気にはならないんだよなー…。

 

 っていうか、こんなライト一つで大丈夫かな…怖くないかな…?

 

 まぁ、歩いてすぐそこには民家が並んでるし、キャンプ場内にもポツポツと電柱が立ってて、外灯がついてるし、何とかなるだろう。

 

 焚き火の(まき)も、念のため、もう少し集めた。余ったらまた、波打ち際に返せばいいしな。

 

 とりあえず夜への備えを終えて、場内のトイレに行った。

 

 トイレは簡易水洗だった。掃除はされていて、男の俺には充分だった。

 

 トイレから戻る途中、砂浜への降り口付近にある駐車場に、デカいキャンピングカーが1台()まっているのを見た。車中泊(しゃちゅうはく)ってやつかしら。いいなぁキャンピングカー。究極だな。

 

 そのとき、はじめて気付いた。俺の他にもポツポツと、キャンプ場に入ってきてる人がいたのだ。

 

 ほー、ここってやっぱ人気あるんだな。みんな好きねぇ。

 

 砂浜の比較的固く締まったところを、コンパクトカーで乗り付けて、俺のテントから近過ぎず遠すぎず、いい位置で設営をしてる人が二人。それぞれソロキャンプに来てるようだった。

 

 ひとりは、かなりいい体格のおっさんで、髭面(ひげづら)にメガネ。

 

 クールマン製の「スクリーンタープ」…テントの巨大版というか、四方と天井を幕で囲んで、中にテーブルとか椅子とか置けるやつで、本来は複数人でリビングルームみたいに使う…をたった一人で器用に設営し、折りたたみ式のキャンプ用ベッド(コットという)と寝袋、テーブル等を中に入れ、一人部屋のようにくつろいで使っていた。

 

 あっ、あれいいなぁ。ソロキャンプの最終進化形みたいな感じ。絶対快適だぜ、あれ…!!

 

 もうひとりは、これまたどっしりした体型の30代くらいの男の人で、今しがた着いて、設営を始めたばかりのようだった。

 

 が。

 

 コンパクトカーからなにやら直径数十センチくらいの円盤状のものを引っ張りだして来たかと思えば、その外袋を開けて布製らしき中身を取り出し、ベルトを外して空中に投げた。

 

 ばさっと音がして、投げたモノが一瞬の内に展開し、白いテントになった。

 

 そのテントを手慣れた感じで地面に下ろし、ちょっと位置を微調整してペグ打ちを始めた。使ってるのは長めの鋳鉄(ちゅうてつ)ペグのようだった。

 

 …なにあれ、あんなテントがあるの…!?すげぇ…!!

 

 その人はテントの他、車のシガーソケットから小型の電動ポンプを動かし、エアベッドを(ふく)らませてテントに入れ込んだり、同じ色合いの白いタープ…こちらはふつうの一枚布タイプ…を、さっさと一人で張ったりしていた。あれって一人で張るのって難しいんじゃないの…?

 

 色合いにこだわりがあるようで、その人のサイトは、テントもタープも道具類も、白か黒か銀色のものばかりで、どことなく統一感があった。車は水色だったのが惜しいが…。

 

 どちらの人も、車から色々と荷物を出してきては、サイト周りに具合よく設置していった。

 

 うおー、やっぱ車使えるっていいよなぁ…!

 

 まだまだ知らない、いろんな装備(ギア)やスタイルがあるもんなんだなぁ。奥が深いぜソロキャンプ…!!

 

 俺が通りがかった時も、余計なことは話さず、お互い軽くお辞儀するだけ。

 

 ソロキャンパー同士、この「踏み込まない感」、いい感じ。

 

 けれど、とりあえず、海岸にひとりきりという状況ではなくなって、ちょっと安心感が生まれた。

 

 …いや、ソロキャンプはしたいけど、人気(ひとけ)のない所でぽつんとなりたいわけじゃないんだ。だって心細いじゃん?

 

 分かるかなこの感覚…?

 

 

×××

 

 

 日が落ちたら寒さも増すかもしれないと思い、少し早めに焚き火をすることにした。キレイな草地の上に焚き火台(蒸し器)を直接置くのは気が引けたので、腕くらいの太さの流木を並べて、その上に水平に気をつけながら焚き火台を置いた。

 

 今回もティッシュとライターで着火した。デイキャンプの時より、うまく火を起こせるようになっていた。一回経験するってのは大事だなホント。大事だぞ大岡。

 

 イイ感じに熾火(おきび)になったところへ、手をかざす。

 

 あったけぇ…。

 

 ぼーっと焚き火で暖まっていると、いつのまにか太陽が水平線にうんと近づいてきていた。向こう岸には少し雲が出ているようで、その中に埋没(まいぼつ)していくように見えた。

 

 おっとそうだ。夕飯の下準備。

 

 俺はバックパックからスープジャーを取り出した。今日は食材を入れてあるが、ソフトクーラーじゃなく、あえてバックパックに入れて、持ち運びのしやすさはどんなもんか検証していた。バッチリ。これほんといいぞ。

 

 中には、氷が数個、ビニール袋の中で混ぜ込んだキムチと生の豚肉こま切れが、みっちり入っていた。

 

 キムチ肉は前日に用意し、家を出る直前まで冷やしておいた。周りの氷は若干溶けていたが、まだ小粒の状態で残っていた。期待していた程度には保冷できていたようだ。

 

 米は、今回はドラッグストアでたまたま見つけた、小袋入りの「無洗米(むせんまい)」を持ってきていた。

 

 炊く前に()がなくていい(水に(ひた)す必要はある)やつだ。水を節約できるから、キャンプの時にはいいなぁと思って、試しに買ってみたのだ。

 

 500gくらい入ってる袋がひとつ三百円前後と、普通の米よりはちょっと割高かもだが、アルファ米よりはずっと安い。

 

 前もって1合ずつ測って小袋に分けていたものを一つ、クッカーに出して水に(ひた)した。

 

 あと味噌(みそ)とニンニク、ごま油、塩を適当に持ってきた。

 

 …今日の夕飯は、豚キムチ鍋っぽいもの(一人用)と米飯にするつもりだ。

 

 寒い時はやっぱ汁物(しるもの)がいいよな。

 

 米にしっかり浸水するのを待っていると、父親がふらりと、様子を見にやって来た。

 

 先ほど駅近くの駐在さんのところにも行ってきたという。

 

 「よう、しっかりやってるか。」

 

 ニヤッと笑いながら、父親は焚き火の前にどかっと座り、俺とテントをしげしげと(なが)めた。

 

 普段は気に食わないことも多いオヤジだけど、見知らぬ土地でそばに来てくれたのは、正直ちょっと、ほっとできた。このへんはやっぱ、家族なんだなぁと思った。

 

 「おかげさんで…。駐在(ちゅうざい)さんからも区長さんからも良くしてもらった。差し入れまでもらっちまった。」

 

 そうそう忘れるところだった。差し入れでもらった「びわゼリー」の残りを父親に見せ、買っといてとおねだりした。

 

 父親は最初、ケッとかつぶやいて嫌がってたが、すごく美味(うま)かったから小町も好きかもって言ったら即座に何箱か買って帰ろうと言い出した。

 

 箱って。

 

 相変わらず俺と小町に対する対応の差がすげぇ。まぁ俺も小町のためなら父親などベヘリットに(ささ)げてもいいと思ってるし、あいこだな。

 

 …いや。

 

 今回は本当に感謝してる。

 

 父親からテントや寝袋をもらえなかったら、俺は年が明けても進級しても卒業しても、やっとこ買ったガスストーブとクッカーで、夜食のラーメンを作って部屋とか河口とかで食うくらいのことしかできなかったろう。

 

 そしてそのままやがて飽きて。

 

 重い荷物を担いで電車に乗って遠くへ旅に出て、生まれて初めて見る風景の中で、テント張って寝袋広げて飯の支度して、薪を拾って焚き火して、なんて経験は、その後の人生でもすることはなかっただろう。

 

 「疲れるだけだろ、くだらねぇ。」とか言ってたかも知れない。

 

 そして。

 

 そんなことが俺にもできるということを、

 

 そんなことが俺にもできるんだということを、

 

 多分一生、知らずにいただろう。

 

 「…ありがとな、父さん。」

 

 「あ?……な、なんだ急に。」

 

 ぽつりと出てきた息子の感謝の言葉を、この父親は盛大に気持ち悪がった。ひどくね?

 

 「いや、テントとか、寝袋とか…いろいろ。

 

 …ソロキャンプ、やれて良かった。」

 

 いろいろどう伝えようか考えたが、うまくまとまらなかった。切れ切れでたどたどしい言葉になってしまった。

 

 父親はそれを聞いて、ふ、と小さく笑って、テントの青いフライシート(上掛けシート)()でた。

 

 「… … …、このテント買ったのは、三年くらい前だった。」

 

 父親はいつものごとく突然、語り始めたが、今日は続きを聞いてやる気になった。

 

 「…その頃、抱えてた仕事がうまくいってなくてな。

 

 外部とのトラブルだけならまだマシだったが、当時の上司がクソでな。内部的にもグチャグチャだった。

 

 …あの頃はほんとに、毎日最悪の気分で通勤してた。」

 

 ふと、文実での苦労と、()えて(かぶ)った泥の苦味を思い出した。

 

 本物の仕事で味わう苦労は、あんなもんじゃないんだろうけどな。

 

 「家に帰れるのはいつも深夜。帰ってきても、母ちゃんも忙しいし小町の無視も今よりひどかったし、お前はお前で家では引きこもってて、正直扱いに困ったし…心が休まるときがなかった。」

 

 そういえば、その頃に父親と会話をした記憶がない。ないことはないだろうけども…。

 

 家に帰って来てたのかどうかも、正直全く覚えてない。ご…ごめん親父!

 

 「なんかな。…ぜんぶやめたくなっちゃってな。何だこの人生って。

 

 ぜんぶ放り出して、大学の頃みたいに、バックパック背負って色んな所うろうろ旅して、テントで寝て、そんなのをまたやろうかな、と思うようになった。

 

 仕事も家族も知るかって。家出しようかって思ったんだ。

 

 で、衝動買いみたいにコイツらを買った。母さんやお前らに秘密でな。」

 

 父親のその独白(どくはく)は、静かに聞いていることはできたが、息子の俺にとってはやはり、いっこいっこがとてつもなく胃に重い衝撃だった。

 

 あのときひょっとしたら、うちの家族は壊れてたかもしれないって話だからな。

 

 しかし…うちの家族は家出が好きねぇ…!親父といい小町といい。まぁ、今俺がやってることも、似たようなもんかもしれないが。

 

 …やべぇ、そうすると次は母親かも…!?それ困る。それはほんとに困る。おかあさんを大事にしなきゃ!!父親が辛かった過去を告白してる横でそう思った。ひどい息子ねぇ。

 

 「…あー、その…何だ…ごめんな。そんな状況だったって知らなかった。

 

 俺もその頃はちょっと、正直、いろいろひどかったからな…。」

 

 焚き火をぐしぐしといじりながら、いまさらながら、親父に謝った。

 

 親父はひとつ大きな深呼吸をして、俺を見ながら(おだ)やかに笑った。

 

 「でもな。コイツらを買ったすぐ後、…お前が総武(そうぶ)高に合格した。」

 

 

 

 

 しばしの間。

 

 俺は何も返答できなかった。ぽかんとした顔で、親父を見た。

 

 「お前がこっそり嬉し泣きしてたのを覚えてるよ。」

 

 「…してねぇよ…!」

 

 いや嘘。合格通知をもらった夜は、布団の中でけっこう号泣した。

 

 「あれはなぁ…効いたよ。ものすごく効いた。何が効いたかって…親だからかな…今でもよく分からん。」

 

 「………」

 

 「ちょうどその頃、職場の方でもクソ上司が異動して、仕事がやっと回り始めた。

 

 …現金(ゲンキン)なもんでな。そうなってくると、なんか、やめるのが惜しくなった。

 

 で、コイツらをずっと他に預けっぱなしにしてたってわけだ。」

 

 ははは、と父親は自嘲(じちょう)するように笑った。

 

 「…何の話だったっけ…ああそうか。

 

 だからな。お前がコイツらをまっとうに使ってくれて、俺としても良かったって話。」

 

 以上、と話を(しめ)て、親父はゆっくり立ち上がった。

 

 「んじゃ、帰るわ。あとはしっかりやれよ。」

 

 そう言い残して、片手を上げながら、振り返りもせずのたのたと歩いて、駐車場へ消えていった。

 

 父親が目の前からどいた分、風の通りが良くなったのか、急に風の寒さを感じるようになった。

 

 あるいは、父親の話で、俺の顔が熱くなっていたのかも知れない。

 

 気づけば、無洗米の浸水は、とっくの昔に十分な感じになっていた。

 




リアル世界での年末進行のため、ちょっと更新ペースが落ちちゃってますが…完結までは頑張って書いていきます。引き続きよろしくお願いします。


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その42:ソロキャンプ#5

 

 父親が帰ってすぐ、日没を迎えた。

 

 …寒っ!

 

 加速度的に気温が下がっていく。先に焚き火を始めといて正解だった。そばに熾火(おきび)があるだけでちょっとは違う。

 

 テントを張ってる草地の中にポツポツと立っている、細い電柱の外灯が(とも)った。ずいぶん昔から立ってそうな、木の電柱だ。海風に(さら)されてきたからか、柱は流木のような風情になっていた。

 

 しかし、キャンプ場内の一部を、そっと照らすだけの控えめな光だった。とりあえずトイレに行く時の目印にはなるくらい。

 

 海岸沿いの民家とキャンプ場とは、畑や雑木(ぞうき)の植え込みで(へだ)てられていて、すぐには人の生活の気配は感じられない。

 

 ただ、周りに何組かのキャンパーがいて、それぞれ思い思いに過ごしてるのが見えるので、あまり寂しい感じはなかった。

 

 さて、まだ午後5時前…。

 

 夕飯を作り始めるにはまだ早いかな…。

 

 いつもの俺の家なら「人○の楽園」(18:30〜)とか観ながら夕飯だからな。

 

 あの番組、両親が好きなのだ。毎回、心からうらやましそうに()め息をつきながら観ている。

 

 ホント疲れてるんだな…まぁ、俺もあの番組好きだけど。願わくば社会人をあの状態からスタートさせたい。それでも苦労はあるんだろうけどな。好きなことを目一杯やってる、って感じがすごくいいなぁ、と思う。

 

 というわけで、もう少しぼーっとして時間をつぶした。

 

 …なんか、ほとんどの時間をぼーっとして過ごしてるな。

 

 いやひょっとしたら、ぼーっとすることこそがソロキャンプの醍醐味(だいごみ)なのかも知れないな。

 

 …醍醐味の醍醐(だいご)って何だったっけ。なんか牛乳を発酵させた食品のことだと何かの本で読んだ。チーズ?バター?ヨーグルト?たぶんそのへんだが、はっきり(わか)ってはいないらしい。

 

 なんかこう、言葉の意味的には、ものの奥深くにひそんでいて、注意深く確かめるとわかってくるいちばん大事な要素、みたいなイメージがある。そう考えると、現代人のイメージ的にはバターが近いのかもしれないな…バターがたっぷり使われたパンとか、バターライスで食うカレーとか、バターで調理したスパゲティナポリタンとかの旨さは抜群だと常々思う。あとバターで焼いたハンバーグもな。

 

 そういやバターって値上がりしたんだっけ。小町がブツブツ言ってた。醍醐味が得られにくい世の中。やだなんかしょっぺぇ。しょっぺぇよ…!そんな人生を発酵させたら、醍醐どころか醤油になっちゃうよ…!どっちも漢字で書ける自信ないよ…!!

 

 などと、くだらないことなど考えつつ。

 

 海の向こうには、かすかに対岸の明かりが水平線に並んで見えた。あの辺は確か…横須賀(よこすか)とかだな。

 

 …横須賀といえばあれだ。黒船が来航したのが横須賀の浦賀(うらが)だったよな。

 

 つまり、今俺が見ているこの海を、幕末の頃、ペリー率いる4隻の黒船が、煙を上げながらゆうゆうとやって来たということだ。

 

 もっともここからじゃ、米粒より小さくしか見えなかったかも知れないが。

 

 『泰平(たいへい)の 眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で 夜も眠れず』

 

 だったかな。当時()まれた狂歌だ。上喜撰ってのは日本茶の銘柄(めいがら)だったと思う。

 

 甘いな、江戸庶民…。俺は寝る前でもMAXコーヒー飲んでるぜ。むしろ飲まないと眠れないまである。コーヒー仕立ての練乳(順番が大事)とはいえ、一応カフェイン入ってるのにな。まぁMAXコーヒーの場合は四杯も飲んだらたぶん糖尿病になるので、寝る前は水か白湯(さゆ)かホットミルクにしたほうがいい。マジで。

 

 

 

 

 … … …

 

 

 

 

 『…開〜国(カイコク)シテクダサ〜イヨ〜…!イイジャナ〜イ()ルモンジャナシ〜…!』

 

 

 

 

 やっべえ、超なつかしいネタを突然思い出して()いた…!!

 

 急に観たくなって、スマホで検索してその動画を観ながら一人で笑った。

 

 

×××

 

 

 くっだらねぇ空想とか思い出しで適当に時間をつぶしていたら、空はすっかり夜の雰囲気になった。

 

 そろそろいいだろう。

 

 クッカーの小さい方で米を炊いて、大きい方にはスープジャーから取り出したキムチ肉と水、塩、ニンニク、味噌を適当にぶち込んで煮込んだ。

 

 一人分ならあっという間にできる。

 

 クッカーのフタを開け、立ち(のぼ)る湯気を鼻で追う。食欲をそそる匂い。

 

 仕上げにごま油をひとたらし。一気にゴマの香りが立ってきて、たまらん。

 

 人生初、ソロキャンプの夕飯だ。忘れずにスマホのカメラに収めてから、食い始めた。

 

 レンゲで汁をすすりながら、具材を米飯とともにかきこむ。

 

 うんめぇ…!あったけぇ…!!

 

 もうちょい辛味があっても良かったかな。寒いし。次はコチュジャンでも足すようにするか。

 

 もっとも、次の泊まりソロキャンプはきっと、早くても受験が全部終わってからになるだろうから…1年以上は先のことか。

 

 …そう考えると、とても貴重な夕飯だな、これ。

 

 夜の水平線に広がるかすかな夜景をぼんやりと見ながら、ひと口ひと口を()みしめた。

 

 うまい。

 

 でも、次は、必ずコチュジャンを入れよう。

 

 固く心に(ちか)った。

 

 

×××

 

 

 しかし…。

 

 飯を食ってる時はまだ良かったが、日没後からの冷え込みはどんどんひどくなっていった。

 

 抱え込むようにして焚き火にあたっているのだが、小さな火だから身体全部を暖めるという感じではない。

 

 昼間はあんなに晴れて暖かかったのに…!

 

 ちょっと、どういうことなの気象庁さん!なんとかしてよ!!

 

 などと、危ないクレーマー風にひとりでつぶやきながら身を縮めて震えていた。

 

 近くの二人のキャンパーは、俺のよりもデカい、本物の焚き火台を使っていた。酒も飲んでるみたいで、そのせいか余り寒そうにはしていなかった。

 

 クソッ、大人め…!

 

 デカいスクリーンタープ(床なし大型テント)のおっさんは、いつの間にか、タープの中に小さな普通のテントを張っていた。

 

 え、テントの中でテント張ってその中に入るの…?なんで?

 

 あ、白テントの男の人が使ってる焚き火台、モノリス製の「ファイヤーフレーム」だ…。

 

 やっぱかっこいいなぁ。絶対買ってやる…来年までに必ず買ってやる…!!固く心に誓った。

 

 俺は夕飯を平らげてすぐ、持ってきたマッ缶のプルトップを開け、横の熾火(おきび)の中に突っ込んだ。

 

 こいつをちびちび飲みながら、身体を暖く保つしかない。

 

 気づくと、小さなLEDライトの光に照らされる自分の息が白い。

 

 うっそー…!そんなに寒くなってんの?

 

 夜空を見上げた。

 

 今日明日、続くらしい快晴。まだ早い時間帯だが、頭上には結構な数の星々が見えていた。地元で見るよりもはるかに多い。

 

 空気がキレイだからか、街の(あかり)が邪魔しないからか、あるいはその両方か。

 

 雪や雨が降る気配は全然ないのに、なんでこんなに冷えるんだ?

 

 何気に、スマホで「晴れた夜 寒い」で検索してみたら、原因はすぐに分かった。

 

 

 「放射冷却(ほうしゃれいきゃく)」。

 

 

 …俺がちょっと調べてなんとなく分かった範囲で説明すると、こうだ。

 

 細かい物理の理論とかはこの際、抜きだ。

 

 この世のすべての、熱を持つ物体は、たえずその熱を外に向かって発している。その結果、その物体の温度は下がる。

 

 裸で外に立ってると身体が冷えるようなもんだ。

 

 地球のような惑星も例外ではない。たえず宇宙に向かって熱を発している。しかし昼間は、太陽光線で暖められる度合いのほうが大きいから、暖かく感じる。

 

 裸で外に立っていても、ハロゲンヒーターで照らされるとその部分は暖かく感じるようなもんだ。

 

 で、地表と宇宙の間に雲なんかがあると、地表から発せられる熱は宇宙へ放たれることなく、雲の下でとどまって、大気の温度を保つ。

 

 一部、裸を隠す服を来てると、その部分は暖かく感じるようなもんだ。

 

 ちなみに「裸」の部分で誰を想像するかは自由だ。

 

 …つまり、雲がないとき、特に夜、地表の熱は宇宙へ向かって放出されっぱなし、どんどん温度が下がっていく、ということだ。

 

 そういえば…冬の朝、野ざらしで駐車されてる車のフロントガラスはガチガチに凍っているのに、ちょっと屋根のあるガレージなんかに()まっている車のフロントガラスはなんともない、っていうのを見たことがある。

 

 あれは確か、晴れてる朝に見かけた。

 

 あれが放射冷却の威力か…!

 

 そうか、テントinテントにしてるあのおっさんも、放射冷却のことを分かってて、ああいうスタイルを取ってるんだ。なるほど…!

 

 … …って。

 

 感心してる場合じゃねぇよ。

 

 ていうことは、このままじゃ、明日の明け方とか、めっちゃめちゃ寒くなってるんじゃないの…?

 

 テントが凍るかどうかはともかく…俺、明日の朝、生きていられるのか…!?

 

 下手すりゃ…眠ったまま凍死…。

 

 『それでも寒かったら仕方ない。寝るな。』

 

 父親の言葉を思い出した。

 

 あのときは、何をむちゃくちゃな、と思ってたが…ガチだ。寝たら死ぬ…!

 

 それを今、なんとなく身体(からだ)で実感し始めていた。

 

 どうする…?

 

 どうするよ…!?

 

 

 ま… …

 

 

 … … …

 

 

 ママ────────ッ!!!!!!!(2回め)




ちなみに、千葉県南部(館山)地方の、2015年11月の天気の記録を「Yahoo!天気・災害」のサイトで確認したところ、土日で快晴の週は皆無でした。

このお話はパラレルワールドとしてお楽しみください。

ちなみにちなみに、同じ月の中で2日続けて晴れの日だった場合、二日目の最低気温は寒くても5℃前後だったので、まぁ、八幡の手持ちの寝袋なら、服を着こんでれば、なんとか夜はしのげる程度の気温ですかね(寝袋表示のリミット温度+5℃が実際のリミット温度として)。マネは決してオススメしません。冬用の寝袋を使うべきです。


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その43:ソロキャンプ#6(エマージェンシーブランケット)

 右手の水平線の彼方に、音もなく(あか)い火柱が上がるのが見えた。

 

 ここからでも見えるということは…おそらく上空の雲にやすやすと達するほどの高さであろう。

 

 戦女神(メシカ)の軍勢によるものだ。

 

 (…横浜が…()ちたか。)

 

 名も無き神()はそっと()め息をついた。

 

 凍えた身体から()(いで)た吐息が、夜の(やみ)をひととき白く(にご)した。

 

 …予想はしていたことだ。

 

 しかし、あまりにも早すぎる…。

 

 状況はかなりの劣勢であった。悪化の一途をたどっていると言っていい。

 

 戦女神(メシカ)(つい)なす神たる失せ御堂(ローグ)は、心  守(ハーティア)の精神攻撃により、心をズタズタにされた。

 

 宮内庁特務部の神官たちによる治療は日夜を問わず続けられているが、まだ相当の時間がかかる見込みだ。今の彼は言葉も忘れ、自分の名すら思い出すことができない。

 

 戦女神(メシカ)の攻撃に対抗するには、失せ御堂(ローグ)「信仰放棄」(ザ・ネグレクト)…神力の無効化能力が必須なのに…。

 

 疑心暗鬼(ライライ)からの情報はまだ入らない。心  守(ハーティア)を…自分の恋人を捜し出すといって、基地(シュライン)を出てからというもの、連絡が途絶えている。

 

 疑心暗鬼(ライライ)は賢明な男だ…無茶なことはしない…とは信じたいが…。

 

 今の心  守(ハーティア)は自我を失い、賢帝(ガラン)の意のままに(あやつ)られている。

 

 最後に見た時のあの表情が忘れられない。

 

 媚薬(びやく)(おぼ)れたかのように、(とろ)けそうなほど上気した(ほほ)を、賢帝(ガラン)の胸にすり寄せていた、あの顔…。

 

 愛する恋人のあの(さま)()の当たりにした時、はたして疑心暗鬼(ライライ)が理性を保っていられるか…。

 

 俺は(うず)く右腕をさすった。賢帝(ガラン)(まみ)えたあの日から、日増しに疼きはひどくなっていた。

 

 神力が共鳴していると、賢帝(やつ)は言っていた。七(はしら)の神が(そろ)うのも、もう間もなくであると。

 

 そうだ。

 

 そのために俺はここにいる。

 

 賢帝(やつ)ですら、どこで転生しているかは(いま)だ知らない。

 

 自らと対なす神。自らにとって最大最強の脅威。

 

 愚王(オルト)

 

 肝心な時にはいつも()やがらねぇ、寝ぼすけ野郎。

 

 だが俺には分かる。どこに居るのか、知っている。

 

 それはこの時代における、奇跡としか言いようがない。

 

 神々ですら操作しようのない、偶然というものがごくたまにある。

 

 あの夏の日、ほんの一ヶ月だけの友達だったアイツが。

 

 俺の誕生日を、海岸の砂で作ったケーキで祝ってくれたアイツが。

 

 別れの日、またぜったいに会おうねと、泣きながら指切りしてきたアイツが。

 

 実は世界の運命を七たび(つかさど)る「神々の王」だったりするようなことが…。

 

 「約束…果たしに行くぞ…。」

 

 右腕をさすっていた左手を、そっと右手の小指に添え、俺は紅々(こうこう)と燃える水平線とは逆の海へ目を向けた。

 

 …夜明けと共に、海上保安庁特殊警備隊(SST)が密かにここへ到着、俺を拾った後、護衛しながら目的地を目指す手はずとなっている。

 

 瞬間移動は使えなかった。賢帝(やつ)らに感知されて気取られれば一巻の終わり。

 

 かといって、首都圏からSP付きで護送なんてされてたらそれこそ目立つ。

 

 「っていうわけで、電車移動オナシャーッス♪」

 

 などと素敵な笑顔でとんでもない無茶ぶりしてきやがったあの宮内庁のメガネ巫女(巨乳)。

 

 神である俺に「青春18きっぷ」を手渡してきやがったあの不敬(ふけい)(やから)(巨乳)。

 

 アイツはいつか神罰を加える…!!そんな権能(けんのう)ねぇけど。とりあえずあのメガネがいつも指紋まみれになるように呪いをかける。いやそんな権能もねぇけど…。

 

 

 

 

 まぁ、とりあえず、今のところ無事に作戦は続行できている…あとは賭けだ。

 

 うまくいけば、数時間後には海の上だ。

 

 目指すは、…小笠原諸島。

 

 

 

 

 … …しっかし…、さm

 

 

×××

 

 

 「… …しっかし…、寒い…!」

 

 だめだ、かなり集中して妄想に(ふけ)ってみたが、この寒さはイカンともしがたい…!

 

 知ってる人が誰もいないからってうっかり封印解除した「あの記憶」(昔作った設定)さえ…無力だ…!

 

 ていうか一ヶ月の友達って誰だよそんな奴いねぇよ。いた試しがねぇよ。しかも多分これ、当時は詰めてなかったけど、女の子設定だよね!?愚王(オルト)女の子設定だよなこれ。ブレっブレだな。

 

 あとなんで巫女がメガネで巨乳なんだよ。中学生の時の俺、完全にアホだな。

 

 なんつって、やっぱ記憶だけじゃダメですね。永久欠神でも寒いもんは寒いんですよね。ちゃんと神武衣(カムイ)(親父のコートと母親のフェイクファーの襟巻)で武装しなきゃダメですよね。いややややすいません今適当に付けた名前ですもうしません。寒い。痛みを感じるほど寒い(涙)。

 

 しっかし、寒い!

 

 時刻は19時を回った。ちゃちな()き火と妄想力だけでここまで耐えられたのはむしろ見事と言っていいのではないか。これが俺じゃなかったら確実に凍死してるレベル(大袈裟(おおげさ))。

 

 もうテントの中入ろっかな…少しはマシだろう。

 

 しかし…んー…。

 

 それでもいいんだが、ここから寝るまでの数時間、狭いテントの中でごろごろして過ごすのは、何だかもったいない気がした。

 

 まぁ一応、退屈しのぎの文庫本も一冊、持ってきてはいるのだが…もう少しだけ、せめてあと一時間、外にいたい。焚き火も燃え尽きてなくてちゃんと見てないと危ないし、星もキレイだし。

 

 ふと、「今から撤収(てっしゅう)して帰ろうと思えば、帰れるな…。」などという心のささやきが聞こえた。

 

 20時台の電車に乗って、家の最寄り駅に付くのは…22時過ぎくらいか。不可能ではない。

 

 風呂入って…コタツ入って…テレビ観て…小町にMAXコーヒー湯煎(ゆせん)してもらって…(ひとから温めてもらったMAXコーヒーの味は格別)、寝る前にちょっとネットなんかして…!

 

 おい…最高じゃないか。いままで何気なくやってた土曜の夜の過ごし方が、とてつもなく贅沢(ぜいたく)なひとときだったのだと、今さら気付いた。

 

 しかし。

 

 答えはNOだ。絶対に帰らない。

 

 今日この日の、この夜のために、俺は今まで頑張(がんば)ってきたんだ。

 

 退(しりぞ)くのも勇気、と言うやつもいるだろうが、今この時は、まだ(あきら)めるには早すぎる。

 

 今ならまだ間に合う?電車で帰れる?それは勇気ある提案じゃない。単なる誘惑だ。

 

 まだだ。まだやれることはあるはずだ。

 

 まだ自分の持ち(ごま)で、出来る悪あがきがあるはずだ。

 

 着替えに持ってきてた服も着込んでみるか…?と、バックパックをゴソゴソやっていると、指先に妙に触れるものがあった。

 

 これは…、

 

 引っ張りだしてみると、エマージェンシーブランケット(略してエマブラ)だった。ジップのついた袋に入っていた。未開封。

 

 家の非常用持出袋(ひじょうようもちだしぶくろ)に入ってたやつ…なのだが、標準品ではなく、父親が別途、家族分買ってきて、最初に入れ替えたと言っていた。ちょっといいやつらしい。

 

 普通にホームセンターで見るような、金色や銀色のものじゃない。パッケージも、パッケージに載ってる写真のシートも、赤みがかったオレンジ色だった。

 

 通常のやつよりも多少丈夫(じょうぶ)で、繰り返し使えるらしい。

 

 …これ、使ってみるか。

 

 初めてなので、どんなもんかは分からないが…まぁとりあえず実験だ、実験。

 

 思い切って、パッケージの上部を引き切って、開封してみた。

 

 中には、キチキチに折りたたまれた、赤っぽい色のフィルムのようなものが入っていた。とりあえず引っ張りだして広げてみると、家で使ってるシングルベッド用の毛布くらいのサイズに広がった。

 

 後でちゃんと折りたためるかなぁ…まぁいいやこの際。

 

 ちょっと厚手のラップくらいの薄さだ。慎重に扱わないと、ピリッと破いてしまいそうで怖い。

 

 赤い面と銀色の面がある。赤い面を表にして使うようだ。パッケージの説明書きだと、遠くからの視認性(目立ち度)を高めるための赤色らしい。

 

 まぁ、エマージェンシーブランケット(緊急時用保温布)だから、使うのは基本的に緊急時…遭難した時とかなんだろうしな。

 

 …とりあえず、パッケージの写真の人の真似して、身体に巻きつけてみた。

 

 … … …。

 

 金田ァ!昔っから気に食わなかったんだよぉ…!!

 

 「さん」を付けろよデコスケ野郎!!

 

 などと、赤いエマブラをマント代わりに、反射的に鉄雄ごっこなどしつつ。

 

 いや最後のは金田のセリフだろ…。

 

 … … …お…?

 

 おお…??

 

 巻きつけてほどなく、効果を感じ始めた。

 

 まず、身体の周りの空気の流れが止まった。それと同時に、服の上から染みこんでくるような寒さもなくなった。

 

 ポカポカ、とまではいかないが、体感で、体の熱がずっととどまっているような、ほのかなあたたかみを感じるようになった。

 

 とはいえ、足先とか顔のあたりとかは出ているので、そこは相変わらず寒いんだが。

 

 こんな薄いのに、すげえなこれ…!

 

 パッケージの説明書きを見ると、「体温の90%を跳ね返す」「完全防水」とうたわれてた。

 

 ようするに銀マットと同じ原理か。銀色の面が、体温を反射させて暖める。と同時に、外からの冷気を外へ跳ね返す。

 

 反射か…ふむ。

 

 そこから色々、被り方を工夫してみた。

 

 最終的に行き着いたのは、エマブラを横長に持ち、頭から被って座り、両側の上端を伸ばした足先でおさえ、脚の間あたりに熾火(おきび)の入った焚き火台を()える、というやり方だった。

 

 熾火からの熱が、エマブラの銀面に当たって中の空気を暖めてくれた。焚き火台のある前側は全開に近いので、換気の心配もない。

 

 けっこう体勢的にはきつい格好(かっこう)なので、長時間この状態ではいられないと思うが、今この寒さをしのぐ分にはなかなか良かった。

 

 ただ、どうしてもエマブラの届かないケツが冷たかったがな。

 

 …次は銀マットを切って、座布団っぽいの作ろう…。

 

 しばらくの間、俺は焚き火をちょこちょこといじりつつ、時々空を見上げて星を眺めて過ごした。

 




ちなみに…ご存じの方も多いと思われる「青春18きっぷ」ですが、このSSのソロキャンプの時点(11月頃を想定)では、期間(春季、夏季、冬季)外のため販売されていないようです。八幡の設定がまだまだ詰めが甘いことを表現したくて入れてみました。

ちなみに私(書き手)は、今まで一度も使ったことがありません…移動は大体、近距離なら車、中距離なら新幹線、長距離なら飛行機です(短気なのか、のんびり電車移動が苦手)。

でも一回くらい使ってみたいなぁ。


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その44:ソロキャンプ#7

・千葉県の11月後半の日の出の時刻は、午前6時20分〜30分ころでした(国立天文台のデータより)ので、記述はそれを参考にしました。

・あ、「あらすじ」先頭に挿絵を挿入してみました。自作でつたないものですが、未経験の方でも、ソロキャンプをイメージしていただきやすくなるかなと…お目汚しご容赦ください。

・ぽんかん⑧神の絵柄にはやはりどうあがいても近づけねぇ…っ(血反吐)!


 ネットでちょくちょく「暖炉の中で火が燃えている映像を数十時間放送」とか言うのが話題になったりするけど、火は断然、見てるより触って(自分でいじって)る方が面白いと思う。

 

 燃え立つ炎だけじゃなく、静かに(ひそ)やかに(まき)の中に(こも)っている熾火(おきび)も、それはそれでキレイだし、火と秘密の時間を共有しているようで、楽しい。

 

 あと、煙の匂い。なんか、なんて言うか、生きてることを実感する匂いだ。

 

 うーん、なんかもうちょっとうまく言えないもんかな…。

 

 ていうか、キャンプしてる時は、自分の語彙(ごい)が極端に少なくなってるような気がする。

 

 アウトドア趣味の作家の書いた小説とか読めばまた違うのかもしれないが…誰がいいだろ…椎○誠?ヒジョーにキョーミが(わい)てきた。

 

 まぁしかし。

 

 ソロキャンプだし。誰かに何かを語るわけでもないし。極論、今は言葉はまったく要らない。

 

 焚き火をいじって、たまに星空を見上げるだけの時間の過ごし方。

 

 夜が更けてきて、見える星の数はどんどん多くなってきていた。

 

 宇宙の彼方(かなた)から送られてきたメッセージを元に造られた銀河間テレポート装置で、人類代表として送り出された女性科学者が、移動の途中にいくつもの銀河を見て、そのあまりの美しさに「ここに()るべきなのは科学者じゃない、詩人よ!」と涙を流しながら叫ぶ、という映画を、ずいぶん前に見たことがある。

 

 確かにそのとおりかも知れない。宇宙飛行士とキャンパーは、詩人であるべきだ。

 

 

 あいにく俺には詩人の才能はない。

 

 

 だから、すまないが、今見ているものの美しさを、うまく描写ができない。

 

 

 この星空は、そういうわけで、俺だけのものにさせてもらう。悪いね。

 

 

×××

 

 

 焚き火台の中にはタップリと白い灰が積もり、熾火も七味唐辛子の粒ほどの大きさに見えるばかりとなった。

 

 後は寝るだけだな。

 

 とはいえ、せっかく焚き火とエマブラ(エマージェンシーブランケット)で多少ぬくぬくしてたところを、いったん全部放棄して、冷え冷えとしている今の寝袋(シュラフ)にいきなり(もぐ)り込むのはちょっとためらう。

 

 何とかならんかな…なにかいい方法を考えなければ…。

 

 などと思う前に、俺はスマホを手にとって、ぺろぺろくぱぁと検索した。

 

 …今更思い至ったんだが、スマホって、ある意味究極のキャンプ道具だよな。ネットに(つな)がりさえすれば、自分のまだ知らない無数のキャンプ技術の情報にアクセスできる。

 

 現地でそういうことするのは邪道かなーとか最初は思ってたんだが冷静に考えてみれば俺ってどっちかというとそういう人だったので安心した。

 

 寝るときの暖のとり方としては、他にはカイロを使う、湯たんぽを使う、電源があるサイト(区画)では電気毛布など…等々あった。

 

 カイロは持ってきてないし、湯たんぽも…お湯は沸かせるにしても、入れる容器がなぁ…。

 

 水を入れてるペットボトルは、お湯入れたら熱で変形しそうだし… … …。

 

 そこまで考えて、ひらめいた。

 

 イクルーのソフトクーラーを引き寄せた。確か、まだ残しといたはずだ。

 

 ごそごそとクーラーの奥から取り出したのは、朝に買って電車で飲んだお茶が入ってたペットボトルだった。小さいサイズで、温かい飲み物対応の、結構カッチリしたやつ。なんとなく、洗って再利用できないかなと思い、取っておいたのだ。

 

 俺は再度、ガスストーブとクッカーでお湯を沸かし(食事後、クッカーはお湯を少し沸かしてすすいでおいた)、適度に熱くなったところで、そのペットボトルの中に注ぎ入れ、きっちりフタを締めた。

 

 焚き火が直に当たらなかった首筋とかにペットボトルをあててみる。

 

 ぐぁー…あったけえ…!!

 

 即席だが、これを湯たんぽとして使おう。寝袋の中で()れることも、多分ないだろう。

 

 なんとなく、最後にもう一度空を見上げた。宇宙の皆さん、おやすみなさい。

 

 隣のソロキャンパーたちも、そろそろ寝ようとしているようだった。おやすみなさい。

 

 テントに潜り込む前に、周りの道具類をこまごまと片付け、カーゴパンツに付いた砂を丹念にはたき落とし、焚き火台(元・ステンレス蒸し器)の羽の部分をぎゅっと(しぼ)って灰が外にこぼれ出ないようにした。

 

 LEDライトの(あか)りを頼りにテントに潜り込み、寝袋に入って、上からエマブラを軽く上掛(うわが)けた。明日の分の着替えをタオルでくるんで、枕にした。

 

 寝袋の中でもMA-1ブルゾンを着たまま。腹のあたりにペットボトルの湯たんぽを仕込んだ。

 

 最初は多少窮屈(きゅうくつ)で、中の新聞紙がガサガサと(わずら)わしく、冷たかったが、じわじわと体温と馴染(なじ)んできた。上からエマブラもイイ感じに熱を逃さないでくれた。

 

 とはいえ、「眠れないほどではない」という感じだ。ぬくぬく快適お布団気分、というわけにはいかない。敷いてる薄い銀マットの下は地面だし。

 

 しかしこの状態…客観的に見れば、まるで焼き芋かホイル焼きにでもなった感じがするな。

 

 などと思って、そっと苦笑した。なぜか某有名ハイテンション料理研究家が頭に浮かんだ。「今日は八幡(はちまん)のホイル包み焼きを作るわよー!!目は腐ってるけど新鮮だから大丈夫ー!!たぶん!!」とかやられそう。

 

 まぁ、ともあれ、なんとか眠れそうだ。…よかった。

 

 時刻を見てみた。Oh…「世界ふ■ぎ発見!」がやっと始まったばかり。

 

 いつもならまだまだ(よい)の口。日付が変わるまで夜ふかしするところだが…。

 

 今日はもうすることないし、なにより動きっぱなしで身体はしっかり疲れていた。

 

 このまま寝てしまおう。たっぷり眠れるなら、それもまた贅沢(ぜいたく)な時間の使い方だ。

 

 不思議と、外に居る時よりもテントに入ってからの方が、外の音がよく聞こえた。じっとしてるからかも知れない。

 

 間断(かんだん)なく、波の音が聞こえてくる。

 

 二人いたキャンパーのどちらかから、いびきの音がかすかに聞こえた。

 

 うっせぇな…。でも、人がいる気配があって、少しホッとする。まぁ、邪魔になるほどではない。

 

 

 

 

 寝袋の中が暖まってきてから、寝入るまでには、さほど時間はかからなかった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 二、三度、途中で起きたような気もするが、よく覚えていない。

 

 何か夢を見ていたような気もするが、それもよく覚えていない。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 身震いと共に、一度はっきり目を覚ました。

 

 しばしばする目でスマホの時刻表示を見る。午前3時。うへぇ。

 

 睡眠リズムがいつもとズレてるから、変な時間に起きちまったんだな。

 

 腹に入れていたペットボトルはわずかに暖かかったが、もう湯たんぽとしては働いていなかったので、もぞもぞと寝袋の外へ押し出した。水漏れはしていなかった。よしよし。

 

 さっむ…寝袋からちょっと手を出しただけで、寒さを感じた。

 

 無理無理。今起きだすとか無理。もうちょっと寝てよう…いやちょっと待て。

 

 (うわぁやべぇ!寝過ごした!遅刻だ───!!!あ、あれ…!?そ、そうか、今日は休みだった!!やった───まだ寝てていいんだ!!二度寝していいんだ───やった───!!!)

 

 よし。二度寝がより幸せになる思考の儀式、終了。

 

 これ、たまに三連休で月曜が休みの時とかにやる。超幸せになるのでオススメ。あえて目覚ましを平日通りにセットするのがポイントだ。

 

 

 はい。おやすみ。

 

 

 

 

×××

 

 

 目をうっすら開けると、外がほんのりと明るくなっている気配を感じた。テントの中全体が見える。

 

 喉がカラカラだった。身体もちょっとこわばっている。トイレにも行きたい。

 

 スマホの時刻表示は、午前7時少し前だった。

 

 途中で何回か目を覚ましたっぽかったが、結局9〜10時間くらい寝てたのか…。

 

 身体もこわばるわけだ。海岸の草地とはいえ、地面だし。

 

 日の出の直後くらいだろう。めっちゃ寒い。しかしこれ以上、この体勢で寝てるのも辛い。

 

 意を決して、寝袋から出た。

 

 うっ、上に掛けてたエマブラの内側がなんかびっしょりしてる…!

 

 ひょっとして結露(けつろ)か…?寝袋も表面がちょっと濡れてる…うへぇ…。

 

 これは次回の課題だな…。

 

 トイレまで歩いて往復すれば頭も()えてくるだろう。んで、すぐにまた焚き火しよう。集めた薪はまだ残ってる。

 

 テントから()い出て、ぐぐっと伸びをした。

 

 外はまだ夜の余韻(よいん)を引きずっていたが、それでも少しずつ明るくなってきていた。

 

 今朝も、雲ひとつない快晴だった。テントの表面は、かろうじて凍ってはいないものの、放射冷却(ほうしゃれいきゃく)のせいか、なんとなくパリパリしていた。

 

 息が白い。

 

 … … 一泊、できたな…。

 

 それは意外と、大きな感動ではなかった。もちろん願い(かな)って嬉しくないわけじゃない。

 

 しかしなんというか、うん、こんなもんか、という感じだった。こんなもんだったよ大岡。あと、寝起きでテンション低かったし。

 

 さっむい…。

 

 早いところトイレ行って、焚き火に当たろう。寝袋の中の新聞紙も燃やしちまおう。

 

 ぼーっとしたままの頭で、トイレに向かって歩き出し、隣のスクリーンタープの横を通り過ぎた。

 

 

 タープに隠れて見えなかったが、少し離れた浜辺に人が立っていて、海を眺めていた。

 

 

 歩きながらそれを見ていて…俺は立ち止まった。

 

 

 

 

 数回、波の音が聞こえた。

 

 

 

 

 向こうもこちらに気付いて、ゆっくりと振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)はそのまま、驚いたような顔で俺を見つめていた。

 



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その45:ソロキャンプ#8

 まだ青みの残る空気に包まれた浜辺に、雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)はひとりで立っていた。

 

 白い長袖(ながそで)の柔らかそうな生地のワンピース姿で、肩には白の毛糸を粗く編み込んだショールを羽織(はお)っていた。

 

 その合わせ目から少し(のぞ)く肌もまた雪のように白く、ただ長い髪と大きな瞳だけが、夜の闇よりも黒くつややかに輝いていた。

 

 

 

 

 今世界が終わるなら、あと数分だけ待って欲しい。

 

 そう思わせるほどに、その光景は一つの名画だった。

 

 互いの目が合ったとき、俺はたぶん呼吸を忘れていた。

 

 ──その奇跡に見惚(みと)れてしまっていた。

 

 

 

 

 そのまま一言も発さず、また数回、波の音が聞こえた。

 

 「… … …。」

 

 「… … …、」

 

 雪ノ下がふと目線を外し、なにごとか逡巡(しゅんじゅん)しているかのようにショールの中でもごもごつぶやいた後、意を決したように顔を上げたが、俺は反射的に、雪ノ下に手をかざして制止した。

 

 雪ノ下は固まった。その目はすぅっと、切なそうに細められ、視線は地面に落とされた。

 

 俺はゆっくり、雪ノ下に歩み寄った。

 

 彼女に近づくほど、波の音は聞こえなくなっていった。

 

 身を切るような朝の寒さも、いつのまにか忘れていた。

 

 あと数歩のところで立ち止まった。

 

 彼女はわずかに(うつむ)いたまま、おずおずと上目遣いで俺に視線を向けてきた。

 

 

 「…なぜ、何も聞かないの?」

 

 

 沈黙の間の呼吸をうまく()って、雪ノ下が初めて問いかけてきた。

 

 

 なぜ。

 

 

 なぜだろう。

 

 

 じっくり考えればすぐ答えられるようでもあり、永遠に答えられないようでもあり。

 

 

 

 

 けれど今は。

 

 

 

 

 「…そんなの、どうでもいい…。」

 

 

 

 

 それが一番、しっくりきた。

 

 

 

 

 多分俺は…。

 

 

 目の前の奇跡を、もう少しだけ(とど)めておきたかったんだと思う。

 

 

 雪ノ下はそれを聞いて、瞳を再び大きく見開き…すぐ目を伏せて海の方へ顔を背けた。

 

 耳の先がきれいな桜色に染まっていた。

 

 と、海を見つめたまま、雪ノ下が息を()んだ。

 

 俺もつられてそちらに目をやり…同じく、息を呑んだ。

 

 

 

 

 左の岬の向こう、水平線の彼方に、白い山頂がはっきりと見えた。

 

 この国のどこよりも高いところから一番の朝日を浴びて、やや朱色に輝いていた。

 

 

 富士山。

 

 

 日本最高峰。美しい円錐形(えんすいけい)成層(せいそう)火山。

 

 他の山々と連なっていない、孤高の独立峰(どくりつほう)

 

 こんなところからも見えるのか…。昨日は見えなかったから、気づかなかった。

 

 高校近くの海岸からも、天気がいい日は見えることがある。

 

 俺にとっては、さして珍しい風景ではないはずだったが、いま目の前の富士は、これまで見たことがないほど神々しかった。

 

 いや…ほんとうに神さまだな、と俺は思った。高校近くの稲毛浅間神社(いなげせんげんじんじゃ)などは、富士山の神霊・浅 間 大 神(コノハナサクヤビメ)のための神社でもある。富士山を拝んできた古来の人たちの気持ちが、今日この瞬間、なんだか解った気がした。

 

 

 ふと、富士山がこちらを見ているような気がした。

 

 べつに理由はない。けれど、今俺は、富士山と目が合ったような気がしたのだ。

 

 

 (なぁ、なんか、俺らの方を見てる気がするな…。)

 

 そんなたわごとを、それでもなぜか言わずにいられなくて、つい、視線を雪ノ下の方へ戻すと、彼女も俺に何か言おうとしてて、同時に目が合った。

 

 「なぁ、」

 

 「あの、」

 

 カブったのが面映ゆくて、お互いにまたすぐ視線を外し、二人で富士山を見やった。

 

 

 「…綺麗(きれい)ね…。」

 

 ぽつりと、雪ノ下がつぶやいた。

 

 「…うん…。」

 

 ぽつりと、俺は返した。

 

 

 いまこの瞬間、世界にはたった三人しかいない。そんな錯覚を抱いた。

 

 

 富士山と、俺と、雪ノ下。

 

 

 そっと盗み見た彼女の横顔に、暖かな微笑(ほほえ)みを見た。

 

 その瞳は、その(ほほ)は、その唇は、その微笑みは、

 

 手を少し伸ばせば、すぐに()れられるほど近いところにあった。

 

 

 

 

 だめだ。限界だった。

 

 

 もう俺の本能がもたない。

 

 

 「雪ノ下(ゆきのした)。」

 

 

 自分が求めていたくせに、俺はその静謐(せいひつ)な美しい光景を、奇跡の(とき)を、自分の声で打ち破った。

 

 

 雪ノ下の身体がぴくり、と震えた。

 

 

 ゆっくりと、長いまつげにふちどられた、濡れたように輝く瞳を、(おく)せずにまっすぐ、こちらへ向けてきた。

 

 

 「…はい…。」

 

 

 ショールをかき寄せた両の手を胸元で重ねながら、雪ノ下は俺の次の言葉をじっと待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「… … …ちょっとトイレ行ってくる… …!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「… … …はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下の微笑みが、そのまま固まった。

 

 

×××

 

 

 先に謝っておく。すまない。

 

 本能というか生理現象だけは如何(いかん)ともしようがなかった。まことに遺憾(いかん)

 

 いや、けっこうがんばったんだよ!?しかし正味(しょうみ)十時間くらいトイレに行ってなくて、あんな寒い中で起き上がって身体が急に冷えたら、そりゃ誰でもギュンギュンもよおしてくるって!!

 

 ところで、めいっぱいギリギリまで我慢した後の大開放(暗喩的表現)って、なんか真の力を出すために気を全開にした時みたいな感じにならない?(スーパー)サイヤ人になる瞬間とか絶対ああいう感覚になるんじゃないのかなと俺はつねづね思っている。思わないか。そうか。そんな貧相な感受性じゃ…アンタ…人生損してるぜ…!!(妙な確信)

 

 

 …さて。

 

 (スーパー)外野人(ぼっち)たる俺の頭脳は、気を全開にした(暗喩的表現)ところで急速に回り始めた。

 

 

 

 

 な ん で ゆ き の ん い る の ん ?

 

 

 

 

 …とはいえ、大体のところはすぐに想像がついた。

 

 どうせ小町あたりが秘密をバラしたから、俺がソロキャンプで四苦八苦(しっくはっく)してる場面でも期待して、見物しにきたんだろう。

 

 小町め…アイス代返せ…!!

 

 …とはいえ、こんなトコまで見物に来るとは…。

 

 …っていうか、え、アイツどうやって来たの…?始発電車?それともまさか、昨日から前乗り(前日入り)してホテルにでも泊まってたの?もしや別荘…!?

 

 ひ、ヒマすぎるだろ…!?友達作って遊びに行けよ…!!

 

 いや、しかし…なんか、最初に出くわした時のことが妙に気になった。

 

 それこそあの時にでも、「あら、凍死はなんとか(まぬが)れたようね、おめでとう。残念ながら目だけは助からなかったようだけれど。」位のことは言いそうだがな。

 

 なんというか…俺に(おび)えていたような様子にも見えた。

 

 …まぁいい。戻ったら問い()めよう。小一時間問い詰めよう。あ、その間に朝飯用の米を浸水させよう。

 

 想定外の事態にもスマートに対応を段取りつつ、俺がトイレを出ようとしたその時だった。

 

 

 「おぇ…っぷ…ううぅ…だめ…死ぬぅ…死んだ…!」

 

 隣の女子トイレから、ガラガラに枯れた女のうめき声が聞こえてきた。

 

 「もー、あんな飲み方するからですよー…!はいタオル。」

 

 「うぅ…面目ない…。」

 

 

 

 

 ん?

 

 

 

 

 今の声…。

 

 俺がトイレの入り口で固まっていると、やがて隣の女子用出入口から、血の気の引いた真っ青な顔で、口元をタオルで抑えた黒い長髪の女性が、肩までの桃色がかった茶髪の若い女の子に半ば抱えられて出てきた。

 

 「早く回復してくれないと、お昼までにはヒッキー帰っちゃい…ま…!!??」

 

 

 

 

 目の前に居る俺に気づくと、由比ヶ浜結衣(ゆいがはまゆい)はそのまま、驚いたような顔で俺を見つめていた。

 

 「…?、!ひ、比企谷(ひきがや)…!?」

 

 由比ヶ浜に抱えられていた平塚先生も、目を見開いて固まった。

 

 

 

 

 いや、おい、ちょっと待て。

 

 

 ど う な っ て ん の こ れ ????

 




このシーンを書きたくて、ソロキャンプの舞台をこのキャンプ場にしました。

大事なシーンなので、ひょっとしたら後日、ちょこちょこ修正するかもです。

今回調べてて、たまたま知ったんですが、「浅間神社」と名のつく神社は、富士山と強い縁がある神社なんですね。知らなかった…。


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その46:ソロキャンプ#9、あるいは平塚先生は思いがけないシンジツを語る。

 かちゃりと目の前に置かれたのはミルクティーだった。ほんわりと甘く暖かそうな湯気を漂わせている。

 

 優雅な形のティーカップは、キッチンスペースに置かれていた、まるで西欧貴族がピクニックで使ってるような、カゴ編みのケースの中に収納されてる食器の一部だった。

 

 「…お茶()けは、スコーンなんかでいいかしら…?。」

 

 「結構(けっこう)だ。話が済んだら戻る。お茶だけもらうわ。」

 

 俺はそう言ってミルクティーを一口すすった。

 

 目の前の小さなテーブルに、さらに同じカップがふたつ。そして、この半年間でつくづく見知った顔がふたつ。

 

 雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)由比ヶ浜結衣(ゆいがはまゆい)が、肩を並べて座っていた。

 

 俺は彼女らの席と直角に配されていたシートに座っていた。()しくもその座席配置は、奉仕部での俺達の定位置と同じだったが…まぁ、それは偶然だ。

 

 平日の部室と似た構図の中、彼女たちの表情は、この半年間では見たことのない、複雑で微っ妙ーなものだった。

 

 雪ノ下は、しょげているような憤慨しているようなでもなんかホッとしているような。

 

 由比ヶ浜は、(おび)えているような気まずそうなでもなんか嬉しそうな。

 

 あと…なんか、俺の目線の端、バンクベッド(棚型寝台)で苦しそうに(もだ)えている、奉仕部顧問の平塚先生。

 

 「悶える美人教師」なんて風に書くとエロい感じがするが、平塚先生はさっきから「う゛ぁ〜〜」とか「ぐえぇ〜〜」とか、完全に二日酔いのおっさんみたいな低い声で(うな)っていたので色々相殺(そうさい)されて結果としてめっちゃおっさんだった。

 

 いや…見方によっては、今しがた井戸からはい出てきた感じにも見える…。

 

 

 で。

 

 

 俺はというと、自分でも分かるくらいムッス──…っとした顔で脚を組み、ふんぞり返って座ってはいたが、内心、小学生かというくらいテンションが高くもあった。

 

 きょろきょろウロウロしたいのを必死にこらえて不機嫌ポーズをとっていたが…。

 

 …すげぇ、めっちゃすげぇ、なんだこの設備…!!?

 

 

×××

 

 

 俺は今、キャンプ場の駐車場に()められている、一台のキャンピングカーの中にいた。

 

 一日目の昼寝の後くらいに、トイレに行く時に見かけた、あのクルマだった。

 

 いわゆる「キャブコン」というタイプの、よく見る典型的で本格的なやつだ。

 

 デカい。

 

 しかも内装や設備がすごい。キャンピングカーはあんまり詳しくないし、生まれて初めて中に入ったんだが、とにかくすごい。

 

 運転席の後ろに広がる、リビングスペースの対面式シート、その間にテーブル、壁に液晶テレビ、冷蔵庫、シャワー蛇口付きの小さなキッチンスペース、エアコン、そして後方には2段ベッド、運転席の天井の上には2〜3人は寝られそうなバンクベッド。今座ってるシート類も、たぶん変形させてベッドになるんだろう。5〜6人は楽に寝られそうだ。

 

 奥にはトイレらしき仕切りもある。いたれりつくせりだな。

 

 デザインも、内装は大部分が渋い木目調で、雰囲気としては、ちょっとしたホテルの一室のようだった。

 

 「…このクルマすげえな…レンタルか?」

 

 「父のものよ。」

 

 雪ノ下がさらりと答えた。

 

 な…に…!?

 

 家がキャンピングカー持ってるやつとか初めて見た…!!パネェ…!!

 

 そういやこいつの親父、建設会社の社長で県議だったな…くそっブルジョワめ…!

 

 しかし、雪ノ下家がアウトドアもやってるってのは意外だった。雪ノ下(コイツ)にそういうイメージはなかったしな。

 

 姉の陽乃(はるの)さんも、コイツよりはずっと活動的な雰囲気はあるが、それでもキャンプという感じはなかった。むしろ執事とかメイドを引き連れたグランピング(超豪華キャンプ)、って感じ。

 

 「父が時々、仕事関係で人をもてなすのに使うのよ。…まぁでも、半分は父個人の趣味なのだけれど。」

 

 へー…。ど…どんな密談がこの中で繰り広げられてきたんだろう…!?などと、ちょっとダークでクールでアダルトなあれこれを妄想して、男子的にはちょっと心ときめくものがあった。

 

 いいなぁ…俺、将来こういうのに住もうかな…ぼっちが暮らす環境としては理想的なんじゃないの。劇○ひとりも書斎(しょさい)として一台持ってるって言うし。

 

 …おっといかん。本題からだいぶそれてしまった。

 

 「なるほどな…。まぁ、どうやって来たのかはだいたい解った。」

 

 俺はティーカップをソーサー()に戻し、腕を組んだ。

 

 「…で…、何でお前らがここにいんの?」

 

 一言問うて、あとはビタッと黙った。ひたすら沈黙を貫く。

 

 投げつけたのは質問だが、そこには多少の非難を込めたつもりだった。

 

 まさか「偶然ばったり出くわした」なんてことはないだろう。無理がある。

 

 …要するにコイツらは、俺のソロキャンプをどこかで知って、終始、隠れて監視してたわけだ。

 

 こんなご立派なキャンピングカーまで持ち出して。

 

 ばかにしていやがる。

 

 …人を叱るときは、わぁわぁぎゃあぎゃあまくしたてて(わめ)き散らしてはいけない。それは(かえ)って、相手から内心でバカにされるだけだ。

 

 相手の急所を一発で突いて、言葉に詰まった相手を沈黙でさらに圧をかける。

 

 動揺した相手は、沈黙に耐え切れず、ぽろぽろと迂闊(うかつ)な言葉でごまかし、自分を防御しようとするから、後は好き放題に()げ足を取って、どんどん追い込めばいい。

 

 なんなら相手が話してる途中で「あ?」とかちょっと声を張って合いの手を入れたりするのも効果的だ。

 

 ソースは俺の父親。こういうの大好物なんだそうだ。俺も小さい頃やられたなぁ。タチ(わり)ぃ…!

 

 まぁ俺の場合、言い訳の文字数がどんどん多く表現を凝らしていく方向に行っちゃったんだが。おかげで平塚先生から殴られる毎日です。やはり親父の教育方針はまちがっている。

 

 だがこの方法は、由比ヶ浜あたりには効果抜群のようだ。「うぅ…!」と(うな)りながら、目を泳がせまくっている。めっちゃ平泳ぎ状態。世界新記録出そう。チョー気持ちいい。

 

 …ただし、このやり方は。

 

 「…こうなった以上、仕方ないわね…。」

 

 目を閉じて、小さく()め息をついた雪ノ下が、居住(いず)まいをただし、平塚先生の方を見た。

 

 「…比企谷(ひきがや)くんに、すべて説明します。…よろしいですね?」

 

 そう言いながら、由比ヶ浜にも目で確認を取った。由比ヶ浜は一瞬、ううっ、と詰まったが、最後には力なく(うなず)いた。

 

 …ただし、このやり方は。

 

 虚言を言わない、真っ正面から来る奴には通用しない。

 

 雪ノ下は、俺の方に向き直り、まっすぐな瞳で俺の目を射抜いた。

 

 俺は思わず、組んでいた脚を解いた。

 

 そこへ。

 

 「…まて、雪ノ下…わ、私から説明する…!」

 

 貞k(さだk)…いや(しずか)3Dは、必死に起き上がると、よろよろとバンクベッドから降りてきて、雪ノ下らの横に腰掛けた。よほどキツイのだろうが、動きがキモい。怖い。

 

 由比ヶ浜が差し出すペットボトルの炭酸水をがぶりと飲んで、呼吸を整えてから、乱れた髪を手ぐしで後ろへ流した。

 

 ようやく人間に戻ったようだな…あやうくビデオ撮影して全世界にネット配信するところだったぜ。1週間後に何人が犠牲になっていただろう。最初の犠牲者は俺で確定だな。転送する相手いないしな。

 

 「…比企谷。まず最初に、君に謝らなければならない。

 

 どんな理由があろうと、私がこんな(てい)たらくだったせいで、君のせっかくのソロキャンプに…君の意気に、水を差してしまった。…本当に済まない。」

 

 平塚先生は真正面から正々堂々と、俺に頭を下げて謝罪した。

 

 

 …あ。

 

 

 終了。

 

 

 どんなパンチが飛んでくるかと身構えてた俺に、クレーンで吊り下げられた巨大な鉄球が飛んできたような感じ。

 

 

 ここまで見事に、目上たる教師から頭を下げられてしまっては。

 

 

 内心ムカムカしてたのが、その一発に驚いて、どこかへ飛んでしまった。

 

 

 「…い、いや別に、先生が謝ることなんて何も…!」

 

 そのままじっと頭を下げ続けていた平塚先生に、俺はちょっと慌ててそう返した。

 

 さすがの俺も、そのまま相手に土下座まで強要するような歪んだシュミはない。

 

 「…では、どういう経緯(けいい)でこうなったのか、説明しようと思う。」

 

 俺の言葉が合図だったかのように、平塚先生はすいっと頭を上げて、にっこり微笑(ほほえ)んだ。

 

 それで、場の張り詰めていた空気が、ふわりと和んだ気がした。

 

 

 … …!

 

 …くそ…大人ってずるいな…!!

 

 

×××

 

 

 「小町くんから奉仕部に、依頼があったんだ。君のソロキャンプを成功させてやってほしいと。ただし、君に気づかれないように、とね。」

 

 平塚先生の最初の一言は、俺がだいたい予想していた通りのものだった。

 

 やっぱりな…あのアホめ余計なことを…。

 

 しかし、アホな小町なりに俺のことを応援してくれようとして、雪ノ下たちを頼ったんだろう。

 

 ほんとアホ。

 

 でも、…なんだ、その気持ちは、ちょっと嬉しい。

 

 小町の俺への愛に心がほんわかと暖かくなってきたところへ、平塚先生は続けた。

 

 「正確に言うと、小町くんを通じて、君の父上から依頼のメールが転送されてきた。だから今回の依頼者は、君の父上、ということになる。」

 

 

 

 

 

 

 … … …んん────んェえええぇぇえ!!!!!?????

 

 

 

 

 

 

 「…なん…らと…!?」

 

 今まで出したことないような心の絶叫をよそに、俺は努めて冷静に返したつもりだったが、努めて冷静に噛んでしまった。落ち着け俺。いいえ落ち着けません。

 

 いやいやいや…いやいやいや!!

 

 マジでどういうこと!!!???

 

 




防災、被災時の備えという面から、近年、キャンピングカーが見直されているようです。

水と食料を備蓄し、なおかつ、いざという時には家族の避難生活の拠点として。

また、内部、外部へ電気を供給するバッテリー源として(クルマを動かすためのものとは別に、車内設備を動かすためのバッテリーも装備されていることが多い)。

男の秘密基地として。移動できる趣味部屋、なんていいですね。

そしてもちろんこれまでどおり、グループレジャーの手段としても。

一台欲しいなぁ…。


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その47:ソロキャンプ#10、あるいは比企谷八幡は大事なことをいくつも忘れている。

 「…金曜日の放課後、帰り際に、君の担任が私に(たず)ねてきた。君がソロキャンプを…単独で野宿(のじゅく)するというのは本当かと。私は何か聞いているか、と。」

 

 平塚先生はまだ青白い顔をしていたが、息継ぎ息継ぎ、説明し始めた。

 

 なんか(あえ)ぎをこらえているようでちょっとエロいな…って、

 

 

 

 

 …え?

 

 担任?

 

 なんで担任が出てくんの?

 

 「厚木(あつぎ)先生も一緒に来ていた。ここを管轄(かんかつ)している駐在(ちゅうざい)さんが厚木先生の親戚(しんせき)で、君の父上からの事前連絡があったことを電話してきたそうだ。」

 

 厚木…駐在さん…!?

 

 

 

 

 『ひょっとしたら、学校にも情報行くかもだぞ。』

 

 

 

 

 キャンプ前の父親からの電話を思い出した。

 

 あの連絡は金曜の…夜遅くだった…。

 

 

 

 

 心臓の裏側の背骨が、音を立てる勢いで硬直した。

 

 胃が気持ち悪くなり、変な汗がにじみ出てきた。

 

 

 

 

 最悪だ。

 

 

 

 

 学校側に、ウソがバレていた。

 

 考えてみれば、厚木先生から、まずはうちの担任へ、確認の連絡がいくのは大いにありえた。

 

 当然、担任にはソロキャンプのことなんか何一つ話していない。

 

 担任とはもともと相性がいいわけでもなかった上に、文化祭の一件以来、ぶっちゃけ厄介者(やっかいもの)のように見られていることも薄々(うすうす)分かっていた。…まぁそれは自業自得なんだが。

 

 建前(たてまえ)として考え出したAO入試対策云々(うんぬん)も、わざとらしくないようにアピールする機会などなくて、結局、担任はじめ学校側には言わないままだった。

 

 所詮(しょせん)、警察に対するその場しのぎの話だからと。

 

 俺の怠慢(たいまん)が、「建前」を完全に「ウソ」にしてしまっていた。

 

 …条例に引っかかることよりも悪い。

 

 俺はウソをついたことになる。

 

 学校にだけじゃない。そのまま厚木先生を通して、駐在さんに話が返り…警察側にバレてもおかしくない。

 

 顔から血の気が引いていくのが自分でも分かった。

 

 「…幸い、君の父上からのメールが届いた直後だったので、なんとか口裏を合わせることができた。」

 

 

 

 

 え…?

 

 「本当にものすごいタイミングだった。あと1分、メールを読むのが遅れていたら、私は何も知らないまま、全部を台無しにしていたところだった。」

 

 え…え…?? 

 

 「だが、すまん…若手の私が、若手の私が君から話を聞いているというだけでは、先生方を納得させることができなかった。

 

 そこで、私の独断で、奉仕部の活動の一環(いっかん)ということにしてしまった。」

 

 平塚先生はキツそうににうつむいて、話を続けた。若手の部分はきっちり二回繰り返して。

 

 血の気がいったん引いた頭では、なかなか理解が追いつかなかった。

 

 「…比企谷(ひきがや)。ソロキャンプは愛好者こそ多いが、残念ながら、世間的には…少なくともこの国では、まだ認知度の低い趣味分野と言わざるを得ない。

 

 君も、だからこそ、誰にも言わなかったのかもしれないが…、すんなりとその意義を理解できる人は、期待する以上には多くない。

 

 …君の担任の先生は、まぁ、どちらかというと、そっち方面の人だった…。私が取り(つくろ)うには、部活動という建前を使うしかなかった。」

 

 … … …。

 

 「野外活動についての知識と技能を養い、奉仕部としての活動範囲を広げるために、部で遠征(えんせい)キャンプを行うと。

 

 唯一(ゆいいつ)の男子部員である君には特別に、私の監督(かんとく)のもとでソロキャンプに挑戦させる、と。

 

 ちょうどAO入試についても相談があったので、経験させておけば面接試験時のアピールにも役立つと考えた、と。」

 

 … … …。

 

 まだ…、頭がしびれているような感覚だったが…。

 

 …とりあえず、俺の知らない所で最悪な事態が起きかけて、俺の知らない間に解決していたことは、理解した。

 

 「…で、…まぁ。」

 

 平塚先生は、俺の方を気まずそうに上目づかいで見ながら、ポリポリと(ほほ)をかいた。

 

 「そうブチ上げた手前、部の活動報告書を作らなきゃいけなく…なってな…。

 

 さすがにウソを書くわけにもいかず…、カタチだけ整えるために、雪ノ下と由比ヶ浜を急きょ招集(しょうしゅう)して、ここへ来た、というわけだ…。」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜は、平塚先生の横でこくこくと(うなず)いた。

 

 「部活動という事なら、部長の私が出ないわけにはいかないし…。」

 

 「ゆ、ゆきのんが行くならあたしも、って。そ、それに、みんなでお泊りって、なんか、楽しそうって思って…!」

 

 

 

 

 … … …。

 

 なんか苦しいなと気付いたら、いつの間にか呼吸をするのを忘れていた。

 

 俺は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。(のど)が震えていた。

 

 

×××

 

 

 深呼吸をして、すこし冷静になれた。

 

 …話は…だいたい分かった。

 

 とはいえ、ああそうだったのか助かりましたあざっすー、とは、まだ素直に思えなかったが…しかしまぁ…、それはちょっと置いといて。

 

 …それにしても、だ。

 

 「…で、俺をずっと監視してたわけですか。」

 

 この点は別だ。まだ俺の気持ちは収まっていなかった。

 

 「い、いや、それは違「それは違うわ。」」

 

 平塚先生の釈明(しゃくめい)を、()んだよく通る声で(さえぎ)ったのは、雪ノ下だった。

 

 まっすぐに俺の目を射抜(いぬ)いてくる視線。

 

 「私たちがここへ着いたのは、昨日の午後三時(ころ)。比企谷くんが来ていることを確認してすぐ、私たちはここを離れて、近場の温泉施設へ行って、夕食の買い出しをして、夜に戻ってきてから寝るまでは車内で過ごしていたわ。

 

 だから、四六時中、あなたを見張るようなことはしていないわ。…その、い、一、二度、テントの方を見たことはあったけれど…、干渉(かんしょう)するつもりは毛頭なかったし、だから、監視とは言えないわ。」

 

 雪ノ下の声はだんだんか細くなり、視線も、俺の目以外の方向に乱射され始めた。

 

 白く肌理(きめ)細かな(ほほ)に、朝焼けのような赤みが差し、整った(まゆ)の間が、きゅうっと寄せられていた。

 

 「ご、ごめん…あ、あたしも二、三回くらいは、まぁ、テントの方を、見ちゃった…かも…。で、でもでも!絶対見張ったりとかしてないし!すっごいキレイな温泉行って、ゆきのんの手料理でパーティして、って、こっちはこっちでキャンプしてただけだから!全然大丈夫だよ!!」

 

 由比ヶ浜も同じく顔を赤くして、両手をわちゃわちゃさせながら主張した。

 

 なんか表情がいつもより幼く見えるなと思ったが、ひょっとしたらノーメイクなのかも知れない。ガラリと変わるわけじゃないあたり、やはり素材はいいのだろうなどと頭の(すみ)で思った。

 

 「わ、私も見張ってなんかないぞ!そんな、君のプライドを傷つけるようなマネはしない!

 

 雪ノ下の言うとおり、来てすぐ温泉行って買い物して、ここで夕飯がてら晩酌(ばんしゃく)して、そのまま寝ただけだ…!

 

 ま、まぁ、たまたま飲みながら海の方を見てて、テントが目の端に入ったことも…あったが…。だが監視など、断じてしていない…!!いつつっ…!」

 

 平塚先生は、激しい頭痛と戦ってる様子ながら、改めて釈明した。

 

 

 

 

 うん、とりあえず、平塚先生、アウト。

 

 「酒飲んでたのかよ…。」

 

 俺のつぶやきに、ううっ、と平塚先生は言葉を()まらせた。

 

 なぜか横の二人が、どんよりと顔を(くも)らせて床に目を落としていた。

 

 …何か…あったんだな…。やだ聞きたくない。

 

 そういやさっきキッチンの端に、なんか酒の(びん)っぽいのがあったな…。

 

 改めて、振り返り見る。酒瓶の中身は琥珀色(こはくいろ)。七面鳥が描かれたラベルが貼られていた。

 

 銘柄(めいがら)なんて未成年の俺は知らないが、なんか強そうな感じの酒だった。半分近く減っている。

 

 「や、やー…、ま、まさかこんな(すご)いクルマを使えるとは思わなくて、本格的なキャンプに、ついテンションが上がっちゃってな…ふ、普段飲まないバーボンなんか、ちょっと()ってみたくなって…!

 

 で、これがまた、美味(うま)くてな…!窓から海を見ながら飲んだら…本当に…ホントに美味くてな…!仕事のやな事も全部忘れて…いやホント…。」

 

 最後は声にならないほどか細い声になりながら、平塚先生は真っ赤になってうつむいた。

 

 

 

 

 うん、アウト。

 

 俺の「絶対許さないリスト」に、平塚先生が初めて登録された瞬間だった。

 

 しかも初登場にして女性部門第1位だ。残念だったな雪ノ下。よく(ねば)ったが、ここで首位陥落(かんらく)だ。それでも2位だぞ。大したもんだ。

 

 ちなみに男性部門第1位は去年に引き続き父親。3年連続首位で殿堂入りだ。おめでとう親父。くたばれ。

 

 

 

 

 「…戻るわ。」

 

 俺は立ち上がった。

 

 …なんかふらふらする。頭がしびれている。

 

 のそのそと出入口のステップを降りかけた時、由比ヶ浜が俺の背中に呼びかけた。

 

 「ヒッキー!あ、あの、明日、部活…!」

 

 「…部活は、行く。」

 

 特に何か考えてたわけではないが、そう答えた。

 

 「比企谷…厚木先生は、お前を支持していたぞ。」

 

 平塚先生の言葉も聞こえてきた。

 

 ()め息で答えた。返事をするのは面倒臭かった。

 

 雪ノ下は、何も言わなかった。

 

 俺はクルマを降り、あえてゆっくり、扉を閉めた。

 

 外ではすっかり太陽が顔を出し、海も岬も家々も空気も、すべて目を覚ましていた。

 

 白い息がひとつ、思わず大きく広がって空に消えた。

 

 

×××

 

 

 テントとエマブラ(エマージェンシーブランケット)は、けっこう結露(けつろ)していた。

 

 テントは出入口を全開にして換気(かんき)し、乾かす必要があった。

 

 エマブラは持ってきていたタオルで軽く拭いてからたたんだ。とりあえず折り目に沿って、元通り折り直したつもりだったが、どうしても素直に袋には入ってくれないので、若干(じゃっかん)無理やり詰め込んだ。

 

 再度、焚き火台に火を起こし、暖まりながら朝飯を用意した。

 

 朝飯は、米飯とインスタント味噌汁(みそしる)、魚肉ソーセージ1本。

 

 米は1合炊いて、半分くらいはおにぎりにして、帰り道に食べることにした。

 

 だが寒いせいか、テントが乾くまでに結構な時間を要したので、後で焚き火にあたりながら食ってしまった。

 

 焚き火の煙は、朝に匂ってもいいもんだな。ケムいのに落ち着く。ふしぎ。

 

 だらだらと撤収(てっしゅう)作業を終え、キャンプ場を出発したのは午前10時過ぎ。

 

 食料が減った分、荷物は軽くなったはずなのに、じわりと始まりつつあった筋肉痛と疲れのせいで、来た時と変わらない重さに感じた。

 

 …振り返って見ると、雪ノ下らのキャンピングカーは、まだ駐車場に()まっていた。

 

 平塚先生の二日酔いが回復するまでは動かせないんだろう。

 

 …知るか。

 

 俺はさっさと駅へと歩き始めた。

 

 

 

 

 帰りの電車が動き始めたとき、駐在さんにお礼を言うのを忘れていたことを思い出した。

 

 だが、とてもじゃないがそんな気分ではなかった。

 




 平塚先生の二日酔いの件は、私が実際にキャンプでやらかした失敗談を元にしています。

 その時はソロじゃなく、数十人規模の研修キャンプで、バーボンと日本酒と焼酎をちゃんぽんにした挙句、なんか年上の方々にいろいろ自分の人生を熱く語ってしまい、翌日は昼までクルマの運転が出来ないほどの二日酔い(脱水症状)地獄、翌々日はキャンプの夜のことを思い出してアイデンティティ・クライシスの大津波に飲まれました。

 キャンプの時ほど、お酒はほどほどに…!

 で、ちょうどいい機会だったので、次回の比企ペディアでは、お酒を持ち運ぶときに使う「スキットル(フラスコ)」についてちょっと書きたいと思います。


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 【ちょっと比企ペディア】:スキットル(フラスコ)について

【ご注意】お酒は成人になってから!


 

 ①スキットルとは

 

 映画とかで酒好きの男がズボンの尻ポケットから取り出してちびちび中身を飲んでる、あの薄くて湾曲(わんきょく)している小型の水筒みたいな容器のこと。

 

 フラスコなどともいう。

 

 容量は、大きい物で大体200ml前後(1合ちょっと)が主流。

 

 

 ②スキットルにはどんなものを入れるのか

 

 一般的には、ウイスキー、バーボン、ウォッカなど、アルコール度数の高い蒸留酒を入れる。

 

 繊細な味わいが特徴のお酒(日本酒、ワインなど)を入れるのは、後述する「匂い移り」の問題があるため、あまり向かないと思われる。

 

 ノンアルコールのものを入れても別に構わないと思うが、コーヒーと牛乳はやめた方がいいと書き手個人としては思う(後の掃除が大変そうなのと、中に匂いがつくため)。

 

 

 ③スキットルの材質

 

 大きく分けて、「ステンレス製」「ピューター製」「チタン製」「その他」がある。

 

 

 「ステンレス製」:安い(2〜3千円くらいから)

 

 丈夫で安く、デザインの種類も多い。スキットルの材質としては主流。

 

 ただし、金属の匂いが酒に移るという意見が多い。

 

 

 「ピューター製」:高い(1.5万円前後から)

 

 (すず)を中心とした合金であるピューターは、匂い移りが少ない金属として、スキットルによく使われる。ただし非常に柔らかい金属で、変形しやすい。

 

 

 「チタン製」:高い(1.5万円前後から)

 

 丈夫、軽い、金属臭さがない、と、おそらくスキットルの材質としては理想的な材質。

 

 ただし、高いのと、生産しているメーカーが少なくデザインの種類が少ないのが短所。

 

 

 「その他」

 

 銀製、プラスチック製等もあるが、耐久性や腐食等の問題がある。現在そこまでメジャーではないと思われる。

 

 ちなみにワイン等は、短期間に飲み切ることを前提に、瓶から専用のパウチ容器に移し替えて持ち運ぶ向きもある。

 

 

 ④スキットルの使い方

 

 1.付属または別売りのちっちゃな漏斗(ろうと)を、飲み口に差し込んで酒を注ぎ入れる。

 

 持ち運ぶ期間を考慮して、量は調節する。

 

 2.飲む。長期間入れたままにしないで、長くても2〜3日以内には飲み切る。

 

 3.洗うときは中身を全て抜いて水でよくすすぎ(熱湯は使わない)、専用ブラシ、または洗剤、入れ歯用洗浄剤などで中を洗浄し、よく乾かす。

 

 

 ⑤スキットルを使う意義

 

 ・好きな酒を手軽に持ち運び、好きなときに好きな場所で飲める。

 

 ・なんか渋い雰囲気にひたれる(←とても大事な要素だと思う)。

 

 上記あたりが一般的な意義かと思うが、書き手の個人的な考えを述べるなら、さらに、

 

 ・一定期間の間に飲む酒の量を計画的に調整できる。

 

 というのがあるのではないか、と、こないだキャンプにバーボンを瓶ごと持って行って飲み過ぎて、ひどい二日酔いになった後で思った。

 

 当SSでひどい二日酔いになっていた平塚先生だが、もし彼女がスキットルを持っていて、前もって飲む酒の量を考えて用意してきていたら(そういうことをする人かどうかはさておき)、醜態(しゅうたい)(さら)さなかったかもしれない。

 

 

 

 

 余談:書き手の場合

 

 現在のところ、スキットルは使っていない。

 

 ただし、調理道具等に使われる「18-8ステンレス」製のアウトドア用小型水筒(12オンス=355ml)に、バーボンを3分の1〜半分以下くらい入れて持っていく。

 

 自分の酒の飲み方としては、ポケットに入れて歩き旅をしながら飲むということはせず、食事中や寝る直前など、位置を定めてじっくり飲むスタイルなので、このやり方が、量の調整もしやすく、口が広いので洗いやすく、価格も安いので、最も自分に向いていると考えた。

 

 仮に歩き旅をするときでも、小型の水筒なのでザックに入れてもそこまで邪魔にはならない。

 

 また、自分の体質から、1回(1日)の酒の量としては、バーボンなら大体60〜90ml(1合の半分以下)が、二日酔いもなくほろ酔いを楽しめる量だと把握しているので、連泊をする機会があったとしても、この水筒に入る量以上に飲むことはまず無いと考えた。

 

 ちなみに、ステンレス製だが、金属の匂い移りを感じたことはない。1週間位、残っていたものをそのままにして、後日その残りを飲んだが、やはり感じなかった。

 

 おそらく書き手の舌が鈍感なだけだと思うが、個人的には、まぁ、あんまり細けぇこたァ気にすまい、と思っている。

 

 

 

 とはいえ…いまだに「やっぱ欲しいなぁ…」という気持ちは消えてくれないので、そのうち買っちゃうんだろうなーとは予感している。



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その48:比企谷八幡は状況を整理し、そして確かめる。

 

 帰りの電車の中。

 

 暖房の効いた空気。じんわりとケツを暖めてくれるシート。

 

 あ゛ー…、あったけぇ…。文明ありがてぇ…。

 

 俺はバックパックを床に置き、体中を脱力させ、体重をシートに預けた。

 

 …9時間以上も寝たはずなのに、疲れてて、なんか眠い。

 

 熟睡できてないのかも知れない。

 

 銀マット1枚じゃ、まだやっぱり身体がキツイ…。家のベッドが恋しいぜ。

 

 まぁ、もちろん、疲れてるのはそれだけが理由じゃないんだろうが。

 

 

 

 

 乗客は少なく、車両内は静かだった。

 

 車窓の外では、海の景色が右から左へ、ゆったりとうつろっていった。

 

 さっきまで過ごしていた海岸は、いまや(はる)か。

 

 電車は少しずつ、俺を現実世界へ引き戻していく。

 

 …とはいえ、千葉駅へ着くまで、まだ時間はたっぷりある。

 

 うたた寝してもよかったんだが、気分がまだクサクサしていたので、ごちゃごちゃしてる頭の中をいちど整理することにした。

 

 

 

 

 …親父は金曜の夕方に、駐在さんに連絡したと言っていた。

 

 そして同じ日の放課後…俺自身は部活を終えて下校するまで何も聞かれなかったから、おそらく完全下校時間の後…、駐在さんから厚木(あつぎ)先生に連絡が行った。

 

 厚木先生はそれを受け、まずは俺の担任に確認した。

 

 当然、担任は何も知らない。

 

 では部活の顧問なら何か聞いているかと、厚木先生と担任は、連れ立って平塚先生を(たず)ねた。

 

 平塚先生はこの直前に父親からのメールを読み終えていて、口裏を合わせてくれた。

 

 

 

 

 これらはおそらく、長くても1時間前後の間の出来事だろう。

 

 つまり父親は、駐在さんと通話を終えた直後くらいに、平塚先生にメールを送ったことになる。

 

 メール作成にかけた時間をも考え合わせると、まさに電光石火(でんこうせっか)のスピードでの決断と実行だ。

 

 しかも直接にではなく、小町を介してのメール転送だ。

 

 小町が平塚先生のメルアドを知っていることを、父親がなぜ把握していたかは謎だが…たぶん小町から、奉仕部のことをそれとなく聞いていたのだろう。

 

 しかし、転送による時間的なロスがどのくらいになるかは、ほとんど小町次第だったといってもいい。

 

 だから、小町も多分、大急ぎで転送したんだろう。

 

 「あと1分、メールを読むのが遅れていたら」

 

 平塚先生はそう言った。今思い出しても胃が(しぼ)られる思いだ。

 

 しかし…突然の父親からのメールを即座に理解し、厚木先生や担任にほとんどアドリブ対応した平塚先生も、やはりただものではない。

 

 俺はただただ、三人に感謝するしかない。

 

 はずだ。

 

 

 

 

 はずなのに。

 

 

 

 

 素直にそれができない俺がいた。

 

 本心を本当にありのままに述べるなら、

 

 

 「だれのてもかりたくなかったのに。」

 

 「だれにもじゃまされたくなかったのに。」

 

 「じぶんだけですきにやりたかったのに。」

 

 

 そんな、グツグツした憤懣(ふんまん)が俺の中にあふれていた。

 

 もちろん、そんな感情は客観的に見るとおかしいということも、頭では理解している。

 

 

 だいたいが、親から小遣(こづか)いもらってる身で。

 

 バックパックもテントも寝袋も、父親からもらっておきながら。

 

 そもそも未成年が。

 

 

 …簡単に論破(ろんぱ)されてしまうような感情だ。

 

 でもさ。

 

 どんなに理屈に合わない感情でも、ひとから理路整然(りろせいぜん)と否定されても。

 

 感情は決して、論破はされない。理屈で反論できなくて、グッと口をつぐんでも、じくじくと胸の中に、確かに存在し続ける。

 

 

 

 

 わかるだろ?

 

 

×××

 

 

 電車に乗ってる間にじわじわ強まってきた筋肉痛に苦しみながら、昼過ぎ(ころ)、俺は家に辿(たど)り着いた。

 

 「お兄ちゃん、お帰り…、おつかれさま…!」

 

 パタパタと、小町が玄関へ駆けて来て出迎えてくれた。

 

 どことなく、ぎこちない雰囲気。

 

 「…おう。」

 

 あえてそっけなくそう返すと、スニーカーを脱いで脱衣所に向かった。

 

 バックパックから洗濯物を抜き出してかごに放り込み、次いで台所で、調理用鍋類(クッカー)と食事道具を洗い、ゴミを捨てた。

 

 荷物の片付けは帰宅直後の勢いでやっとかないと、後で果てしなくダルくなる。デイキャンプの時に経験済みだった。

 

 小町はソファに座って雑誌を読むフリしながら、俺が洗い物をしているのをチラチラ見ていた。

 

 同じページを行ったり来たりしてるの、バッチリ見えてるぞ。

 

 「お兄ちゃん、あの…、お風呂、()かしてあるから。」

 

 「…そうか。サンキュ。」

 

 あえて寡黙(かもく)を通したが、小町、それ正直、すっげえポイント高いぞ。昨日は風呂入ってないし、ゆっくりお湯に浸かりたいなぁと思ってたところだ。

 

 洗い物とゴミ捨てを終え、いったん自室に荷物を運んで部屋着を取り、風呂に入った。

 

 先に髪と身体を洗った。すっげぇことになってたが…ここでは割愛する。

 

 キレイな身体になってから、湯船にどざばぁっと()かった。

 

 ぐっっはぁ───…。

 

 エクトプラズムまで出てくるんじゃないのってくらい深い息を吐いた。

 

 「…生き返る、って風呂で最初に言ったやつ、天才だよな…。」

 

 ホントに生き返る思いだった。風呂は大事。

 

 次にキャンプするときは、秘境の露天風呂なんかを目指すというのもいいな。

 

 

 

 

 「お兄ちゃん、お昼食べた?昨夜(ゆうべ)のすき焼きの残りあるけど、いる?」

 

 さっぱりしてリビングに戻った俺に、すかさず小町が聞いてきた。

 

 「おお…もらうわ。」

 

 なんか、今日の小町、ちょこちょこ俺を構ってくるな。新妻(にいづま)かお前は。

 

 …やだ、自分のツッコミにちょっとときめいた。我ながらちょっとキモい。

 

 っていうか、昨夜すき焼きだったのかよ…。

 

 「そういえば親父とおふくろは?」

 

 レンジで温められたすき焼きの残り(玉子入り)を米飯と共にいただきながら、小町に尋ねた。

 

 「あ、やー…二人でなんか買い物行ったみたい…かな?」

 

 小町は目をきょどきょどさせながら、あはは…とごまかし笑いを浮かべていた。

 

 

  逃  げ  た  な  親  父  ?

 

 

 …いや、だが、逆に好都合だ。

 

 「小町。」

 

 まだ少し残っているすき焼きの(うつわ)(はし)を置き、俺は小町をじっと見据(みす)えた。

 

 「っ…、はい…!?」

 

 小町はひくっと肩を震わせ、観念したかのように身を縮めた。

 

 「親父からのメールを見せてくれ。平塚先生に転送したやつだ。」

 

 コレだけは確認しておきたかった。

 

 父親と平塚先生が、俺に関してどんな内容のメールのやりとりをしていたのか、知らないままでいたくなかった。俺には、それを知る権利があると思っていた。

 

 とはいえ、可愛い妹をいじめるのもアレなので、できるだけ優しい声音で言ったつもりだった。

 

 もう俺が全部知っていることを理解したのか、小町は小さく()め息をついた。

 

 「…お父さんから、転送したらすぐに消せ、って言われたから、消しちゃった…。」

 

 そう答えると、それまであちこちをさまよっていた小町の視線は、俺に向かってぴたりと静止した。

 

 さすがは父親。抜け目がない。

 

 だが。

 

 「嘘だな。見せなさい。」

 

 確信をもって、再度小町に要求した。

 

 何故かは知らないが、小町はまだ、メールを消していないと思った。

 

 長年一緒に過ごしてきた兄妹だからこその、感覚のようなものだ。

 

 果たして小町は、しばらく目を(つむ)り、一つ深呼吸をしたあと、自分の携帯をポチポチ操作して、俺に渡してきた。

 

 「…お父さんには、ナイショね…。」

 

 俺は小町の言葉には(こた)えず、メールを読み始めた。

 



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その49:比企谷家は疑うべくもなく母親が最強である。

 俺の推理通り、父親のメールは、完全下校時間の直後くらいに小町に届き、すぐに平塚先生へ転送されていた。

 

 

 

 

 件名『(緊急連絡)比企谷の父です』

 

 本文『突然のメール失礼します。2年F組 比企谷八幡の父です。

 

 娘の小町ともども、いつもお世話になっております。

 

 至急お願いしたいことがあり、小町に命じてメールを転送させました。ご無礼なにとぞお許しください。

 

 息子の八幡について、将来の進路として教職も視野に入れさせたいと思っており、3年時に○○大教育学部のAO入試を受けさせようと考え、本人とも相談済みですが、面接時のアピールポイントになればと、私は現在、八幡へアウトドアの技術を教えています。

 

 息子も興味を持って取り組んでおり、総仕上げとして明日、県南の枇杷が浜方面にてソロキャンプをさせる予定です。

 

 現地の警察には連絡し、了承を得ております。

 

 父親の私も、様子を見に行くことにしております。

 

 ただ、息子の性分から、学校へこの旨きちんと伝えているか甚だ不安でしたため、このような形で大変恐縮ですが、先生にご連絡の上、ご理解いただき、八幡へお力添えを願いたく思いました。

 

 なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。』

 

   

 

 

 「…平塚先生からも、返信が来たんだよ。」 

 

 小町の言う通り、平塚先生からの返信も残っていた。

 

 最初のメールから、十数分後に届いていた。

 

 

 

 

 件名『(お父様へご転送願います)了解いたしました』

 

 本文『ご連絡ありがとうございます。奉仕部顧問の平塚です。

 

 メール拝読いたしました。

 

 八幡くんのソロキャンプの件、了解いたしました。

 

 正に絶妙なタイミングでした。先刻のメールを頂いた直後に、クラス担任の先生と体育教諭(現地の駐在さんがご親戚で、先程連絡を受けたとのこと)が私を尋ねて来られました。

 

 私の方から説明し、先生方にはご理解いただきました。どうぞご安心ください。

 

 八幡くんには、常々、学校生活の様々な面で助けてもらっております。

 

 八幡くんが教職を志望しているということ、私としても大変嬉しく思います。

 

 部活顧問 兼 指導教諭として、八幡くんを全力でサポートさせて頂きます。

 

 

 ここでひとつ、ご報告があります。

 

 先の先生方から、キャンプ中の八幡くんの現地での安全を心配する意見があり、理解と納得を得るため、大変勝手ながら、部活動の一環として行う旨で説明しました。

 

 そのため、当日は私の方も、安全確認のために現地を視察に行くことになりました。無論、八幡くんが大きく成長する機会を潰すことにならないよう、最大限の配慮をいたします。

 

 具体的には、ばれないように、ちょっとだけ様子を見に行きます(笑)。

 

 ドライブがてら参りますので、何卒ご心配なさらないよう。

 

 では、長々と失礼いたしました。』

 

 

 

 

 「… … …。」

 

 俺はそこまで読んで、小町に携帯を返そうとした。

 

 が。

 

 「まだある…お父さん、平塚先生にもう一回、送ってるよ。」

 

 小町が、着信メール一覧を指さした。

 

 

 

 

 件名『ありがとうございます』

 

 本文『比企谷の父です。ご対応、まことに感謝いたします。

 

 ご多忙ご多用の中、八幡のために先生の貴重なお時間を割いて頂いたこと、大変申し訳なく有難く思います。

 

 この件に関しましては、後日改めてお礼に参ります。本当にありがとうございます。

 

 

 なお、万々が一、八幡がこのことを嗅ぎつけた時には、私から先生へ強い要望があったと、そう言っていただきますようにお願いいたします。

 

 平塚先生におかれましては、今後もせがれめのご指導をお願いいたしたく、今回の件は親である私の責任において行ったとするのがベストであると考えております。

 

 どうか、八幡をよろしくお願いします。』

 

 

 

 

×××

 

 

 「… … …。」

 

 今度こそ、小町に携帯を返した。

 

 こんなやりとりをしていたのか。

 

 俺は身震いした。

 

 なんだこの気分。うまく表現できない。

 

 予想通りのものと予想外のもの、きれいなものと汚いもの、ほんとうのことと嘘のことを全部いっぺんに目にした気分だった。

 

 本当に分からない。なんだこの気分。

 

 俺は嬉しいのか。それとも悲しいのか。

 

 怒ってるのか。それとも可笑(おか)しいのか。

 

 どんな顔をすればいいか分からず、俺が(ほう)けていると、携帯を胸で抱きしめた小町が、おずおずとしゃべりだした。

 

 「あのね…お兄ちゃん。お父さんとケンカしないでね。

 

 そんなことになるために、メールを残しといたわけじゃないんだからね…!

 

 でも小町、お兄ちゃんには、これ、どうしても見て欲しかったんだよ。」

 

 「…何で?」

 

 俺は首を(かし)げた。

 

 小町はしばらくためらっていたが、俺の目を見て、意を決したようにつぶやいた。

 

 

 

 

 「お父さん、お兄ちゃんと同じことしてる、って思ったから…。」

 

 

 

 ぽくり、と、なにかひどく(もろ)い棒で頭を殴られたような気がした。

 

 親父が俺と同じことを…?

 

 どういう意味か、小町を問いただそうと思ったそのとき、いきなりリビングのドアがガチャリと開く音がした。いやに大きく響いた。

 

 小町と同時に飛び上がってドアの方を振り返ると、そこにいたのは無表情の母親と、その横で気まずそうにしている父親だった。

 

 「あら八幡。帰ってたのね。丁度良かった。ちょっとこっちへ来なさい。」

 

 …?

 

 母親の様子がおかしい。完全に無表情。

 

 と、横の小町の顔が青くなり、小刻みに震えだした。

 

 「小町?悪いんだけど、ちょっとヨー○ドーまで買い物に行ってくれない?遊んできていいから。2時間位。」

 

 母親は小町に向き直ると、にっこり微笑んだ。

 

 いや…顔は微笑みだが、圧倒的な違和感。有無を言わせぬ迫力。誰かさんの強化外骨格とかそういうレベルじゃない。盾で殴ってきてるイメージ。

 

 「は、はーい!行ってまいりまーす!!じゃ、じゃあお兄ちゃん、また後で!!」

 

 小町は母親の言葉に、脱兎(だっと)のごとく駆け出してリビングから出ていった。ものの数秒で、玄関ドアの開閉音が聞こえた。電光石火(でんこうせっか)

 

 

 

 

 あっやばい。

 

 このパターンは。

 

 知ってる。コレ知ってる。

 

 比企谷家の中で一番やばい感じのアレ。

 

 昔の数々のトラウマを思い出しつつ、嫌な予感で冷や汗がにじみ出てきた。

 

 心臓がギチギチと締め上げられる。

 

 父親の方を見た。俺より顔が青い。

 

 「…すまん八幡…全部バレた…!」

 

 か細い声で親父が伝達してきたが、

 

 

 「黙れ。」

 

 

 母親のドスの効いたひと声に、ひっ、と父親の息が引っ込んだ。

 

 俺の息も引っ込んだ。

 

 

 

 

 …そこからたっぷり1時間以上。

 

 俺は母親に何も言わず、警察と学校にウソまでついて外泊(しかも野宿)したことを。

 

 父親はそれを手助けし、そそのかしたこと、あまつさえ母親にナイショで高価なキャンプ道具(しかも一人用)を買い込んでいたことを。

 

 

 

 

 がっっっっっっっっっっっっっつり怒られた。

 

 

 

 

 母親は偉大。

 

 母親は絶対。

 

 母親は恐怖。

 

 ひとたび逆鱗(げきりん)に触れれば、こちらの理屈など感情など完全に無力。

 

 その怒りは全てをなぎ払う爆風。抵抗するすべなどない暴雷風。

 

 

 

 

 …いや、マジで怒るとシャレにならないくらい怖いんだって…うちの母ちゃん。

 

 親父のネチネチしたいやらしい叱り方とは次元が違う。

 

 感情は論破されないとかそういうレベルじゃないから。怒号で死ねるレベルだから。

 

 マジでリビング中のガラス窓がビリビリ鳴ってたし。

 

 高校生にもなって、久しぶりにべそをかいて平謝りした。親父も一緒に。

 

 

 

 

 …だが、母親の怒りは、もっともだった。

 

 俺がキャンプすること自体は特に怒られなかったんだが、母親に何一つ話していなかったことがとにかく頭にきたようで。

 

 休日出勤続きで、久しぶりに家族団らんできると奮発してすき焼きを用意したのに、夜になっても俺が帰って来ないことを心配し、このとき初めて小町から俺のキャンプのことを全て聞かされたそうだ。

 

 そして、俺の様子見から帰ってきた父親を締め上げ、全てを把握した、と。

 

 よくよく考えれば…母親にだけはきちんと説明できてなかったな。放任されているというのは俺の勝手な思い込みだったわけで。

 

 ごめん母ちゃん…!!

 

 

 

 

 こうして、比企谷家(男共)の日曜日はメッタメタに終わっていったのだった。

 



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その50:比企谷八幡の結論は、いつにもまして捻くれている。

 ……眠れない。

 

 ベッドの上で何度目かもわからない寝返りを打った。

 

 今日みたいなボロボロな日なら、バタンキューといってもおかしくないのにな。

 

 全身の筋肉痛はいまや最高潮を迎えつつある。朝になれば自転車()いで学校に行かねばならないという非情な現実に今からげんなりした。

 

 さりとて家にもいたくない。どうやら母親は連続の休日出勤を乗り切り、代休を勝ち取ってきていたらしく、明日は家でのんびりする予定とのこと。居づらさMAX。

 

 まぁ、母親本人は、あの後小町がホットプレートで焼くお好み焼きを用意して家族団らんの仕切り直しを演出したこともあって、寝る頃にはだいぶ機嫌が治っていたから、とりあえず今後の心配はないんだけど……。

 

 しかし男衆(おとこしゅう)はそうはいかない。おかげさまで父親ともども一晩中、母親の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)にビクビクするくらいナーバスになっていた。

 

 男弱ぇ……。っていうか母親最強……。いやホントに怖ぇんだって……!

 

 なので結局、今日は父親とタイマンで話ができなかった。リビングは母親が久しぶりの夜ふかしDVD鑑賞を決め込んで動かないし、お互いの部屋に出向くというのも嫌だった。

 

 ゲームも読書もする気になれず、俺はモヤモヤした気持ちを抱えながら早目にベッドに潜り込んでいた。

 

 布団……。コイツだけが今の俺の味方だ……。

 

 柔らかくて暖かくていい匂いがして(ファブリー○後)、俺がどんなにつらい気持ちの時も、何も言わず包み込んでくれる。その優しさは疑うべくもない。もういっそ布団と結婚したいまである。「布団 擬人化」で画像検索したらものすごい俺好みの娘が出てきたのでこれはもう運命だと思う。

 

 しかしそんな運命の相手(オフトン)さえも、今日の俺のモヤモヤを忘れさせてはくれなかった。

 

 

 

 

 ……父親と平塚先生がやりとりしたメールを見てからずっと、自分の中で今までにない得体の知れない感情がぐるぐるとうごめいていた。

 

 それを今、必死に分析している。

 

 いったい俺は何にモヤモヤしているのか。

 

 それが(わか)ったとして、明日、学校に言って、俺はどう振る舞えばいいのか。

 

 雪ノ下(ゆきのした)に対して、由比ヶ浜(ゆいがはま)に対して、担任に、厚木(あつぎ)先生に、平塚先生に対して。

 

 そして、帰宅して、父親に開口一番、何て言えばいいのか。

 

 

 

 

 まるで国語の試験問題だ。まず本文という事象に直面する。最初の問いがひとつの解を導き、その解が次の問いを考える前提となる。

 

 最初の解を間違えると、あとにつづく問いも全部間違えるおそれがある。

 

 しかし、それなら。

 

 国語の問題というなら、俺の得意分野だ。

 

 ようやく考える方向性がわかった気がした。

 

 俺は一度起き上がり、横になりっぱなしで(かえ)ってこわばった身体をひねりながらほぐした。

 

 ベッド横の非常用持出袋(ひじょうようもちだしぶくろ)から、マッ缶を一本抜き出してプルトップを開け、一口すすった。

 

 考え事にはこれが一番だ。糖分が脳の隅々まで行き渡る。今の俺の脳みそを食ったら多分プリンみたいな味なんじゃないの。

 

 さて、もう一度考えてみる。

 

 本文としての事象はなんだったか。

 

 ……俺は今回のソロキャンプの記憶を、父親との作戦会議あたりから細かく掘り起こした。

 

 で、問一(といいち)

 

 「俺」(比企谷八幡)本文(今回)の出来事で感じているモヤモヤとは何か。

 

 まずは何より、キャンプの建前を、怠慢(たいまん)によって学校側に伝えていなかったことへの激しい後悔と、自分自身に対する怒りと情けなさ。

 

 同時に、「俺」のソロキャンプを見張っていた、平塚先生らに対する怒り。

 

 (あわ)せて、事後承諾ではあるが、それを知り、依頼までしていた、父親への怒り。

 

 一方で、方法はともかく、学校と警察にウソがばれてソロキャンプが失敗するという最悪の状況を未然に防いでくれた、父親、平塚先生への感謝の念。これは否定できない。

 

 しかも、不測の事態に即断即決で対処していた父親、それに即座に共鳴した平塚先生に対する驚き。

 

 そして、

 

 そして……、

 

 

 

 

 ごまかさず、ありのまま本心を述べる。

 

 メールを読んだ俺は、「嬉しい」と感じた。

 

 

 

 

 あれはいわば「盗み読み」だった。

 

 当人たちは、俺が読むことなど全く考えずにあのメールを書き、やりとりしていたはずだ。

 

 多少の社交辞令は含まれていたかも知れないが、あのメールは、俺に「関する」ことではあるが、俺に「向けられた」ことばではなく、従って、俺がいつものごとく、疑いを持ったり裏を読んだりできるものではない。

 

 そしてそこに見たのは、俺に対する応援の気持ちだった。

 

 だから、嬉しいと感じた。

 

 ……わかりやすくいえば、エゴサーチ(自分のことを検索)したら知らない所で好意的に評価されていたときの、多分十倍くらい嬉しい。

 

 

 

 

 ……まとまらないが、全ての気持ちは掘り起こせた。みごとに相反する感情のごった煮だ。そりゃモヤモヤするわ。

 

 とりあえず問一の解はこんなもんだろう。

 

 つぎに問二。それでは比企谷八幡は明日どう行動すれば……

 

 いや違う。まだそれは解けない。

 

 もうひとつ気になることがあった。

 

 小町のセリフだ。

 

 「お父さん、お兄ちゃんと同じことしてる」。

 

 これはどういう意味だ?

 

 小町は、だからこそ、あのメールを消さず、俺に見せたと言っていた。

 

 

 

 

 父親が俺と同じことをしている。

 

 逆に考えれば、俺は普段、今回の父親と同じことをしている、ということだ。

 

 ……改めて考えるとマジでひどいな小町。お兄ちゃん泣くぞ。俺のどこを見てあんな目が腐って猫背でロクでもない斜め下なことばっかり考えてる奴と同じだと思うんだ。俺はこんなに小町が好きなのに。

 

 ……思考が()れた。

 

 逆に考えついでに、もし俺が父親の立場なら、今回どう動いたかを考えてみることにした。

 

 俺が今感じているモヤモヤは、とりあえず脇へやる。

 

 

 ……いつもの俺なら……、

 

 とりあえず、俺と最も関わりのある平塚先生に、一か八かで口裏合わせを頼むというのは、リスキーな決断だが、理解できる。というより、もうそれしか方法がない。俺も多分、そうするだろう。

 

 これが失敗に終わったら、子どもに事情を説明して諦めるように言って、終わりだ。

 

 子どもは落胆(らくたん)するだろうが、しょうがない。俺の子どもなら、その状況を押し切ってキャンプに行くほど無謀ではないはずだ。俺が子どもなら絶対無理。

 

 運のいいことに、平塚先生は協力してくれた。

 

 しかし、担任らへのとっさのアドリブで、「部活としてのキャンプ」ということになってしまい、平塚先生も現地へ行かざるを得なくなったという。

 

 これはまずい。かなりまずい。

 

 もし、子どもが平塚先生らの行動に勘付いたら……。最初に悪い仮定の方を考えるのは、ぼっちとして生きるために鍛えてきたリスクヘッジ(危険の回避法)だ。

 

 どうする。

 

 ……平塚先生の申し出は、正直こっちとしてはありがた迷惑だが、「それはやめてください」とも、「子どもにばれたら責任取ってもらいますよ」とも、さすがに言えない。最初に無茶なお願いをしたのはこっちだしな。

 

 むしろ、もしバレた場合、子どもの態度如何(いかん)では、せっかく贔屓(ひいき)にしてくれている先生から悪い感情を持たれ、見放されるのが怖い。

 

 最悪の場合でも、子どもと先生との関係は保たせておきたい。今後の内申(ないしん)とかあるしな。進級・進学に響く。

 

 ……しゃあねぇ、先生には、俺が無理やり頼んだってことにしてもらって、俺が子どもから憎まれる役になるしかないだろうな。父子関係は悪化するかも知れんが、なんと思われようが親は親だ。子どもを管理指導下に置ける。なんなら「そもそもお前がその(とし)でソロキャンプとか言い出すから」と、説教だってできる。絶対嫌われるけどまぁ、そr

 

 

 

 

 父親の二回目のメールを思い出した。

 

 小町のセリフを、理解できた。

 

 

 

 

 ……なるほど……。

 

 親父。そういうことか。

 

 

 

 

 そういうことかよ。

 

 

 

 

 なら、俺の取るべき方法は、……悔しいが、決まった。

 




(暫定おしらせ)

文章中の約物(やくもの)の表記などを、なるべく作法通りにしてみました。どうでしょう。読みやすくなっていたら幸いです。

ただし、横書きWeb小説であることをふまえた結果、必ずしも作法通りでない部分もあると思います。

本編完結し次第、順次、第1話から修正していこうと思います。


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その51:とはいえ比企谷八幡にはまだ十年早い。

「…………」

 

 小町は自分の茶碗に米飯をよそいながら、ぽかんとした顔で、もくもくと朝飯(あさめし)を食っている俺を見つめていた。

 

 さもあらん。これは比企谷家では相当珍しい風景である。

 

 普段の俺は小町に叩き起こされ、うだうだしながら着替え、のろのろとリビングに入り、てきぱきと小町が配膳(はいぜん)してくれた朝飯をねぼけまなこで食っている。

 

 小町より早くテーブルにつき、自発的に自分の飯をよそって食っているなんてのは、ここ数年来なかったことだと思う。我ながら。

 

 なんなら今日は、俺が味噌汁(みそしる)を温め直したし、お茶も俺が()れといた。俺偉い。いや特に偉くない。

 

 ちなみにこの味噌汁を作った我が母親は、早めに出勤する父親に合わせて飯を食ったらしく、父親を見送った後、再び泥のように眠っていた。偉い。なんだかんだで夫婦仲もいいようで何より。

 

 しかしさすがに我が妹は、状況の異常さを(異常て)敏感に感じているようだ。

 

「……どしたの、お兄ちゃん……?」

 

 などと(たず)ねてくる小町がテーブルにつく頃には、俺の皿の上はあらかた片付いていた。

 

「今日はちょっと早く学校行くわ。自転車乗っけていけないから、遅刻しないように家出ろよ」

 

「う、うん……」

 

 そう答えながら小町が味噌汁を(すす)るのと、俺が食後のお茶を啜るのがハモった。

 

 ……ふぅ。

 

 俺はお茶を味わうふりをして、深呼吸した。

 

 よし。

 

「小町」

 

 湯呑みをテーブルに慎重(しんちょう)に置き、俺は小町に向かって居住(いず)まいを正した。

 

 小町は味噌汁の(わん)を持ったまま固まって、目をぱちくりさせた。

 

「その、……いろいろ迷惑かけた。すまなかったな。親父とケンカとかはしないから安心しろ。……平塚先生たちにも、ちゃんと()びとお礼、言っとくから」

 

 ううっ……、やはり言い慣れない言葉はスラスラとは出てこない……!

 

 ま、まぁ、練習だ練習。

 

 しかしこうかはばつぐんだったようだ。

 

 それを聞いた小町の驚愕(きょうがく)の表情と言ったら。うまく言えないが、絵柄変わってんじゃね? と思うくらいの勢いだった。味噌汁落とすなよ。

 

「お、お兄ちゃんが、まっすぐにデレてる……! し……信じらんない!! なんで!?」

 

 小町はアワアワとなりながら、俺の顔と窓の外の天気を交互に気にし始めた。大丈夫だ小町。(やり)もメテオも降ってこないから安心しろ。

 

「ごっそさん……先出るぞ」

 

 俺はまだちょっと面映(おもはゆ)くて、しかし小町の反応をこっそり愉快に思いながら、自分の食器を流しへ持って行き、ソファの上の(かばん)を拾い上げ、リビングを出た。

 

 

 ……第一ステージ、クリア。

 

 

 珍しく玄関へ、飼い猫のカマクラが見送りに来ていた。

 

「行ってきます」

 

 そう語りかけて頭を()でてやると、カマクラは一声、にゃぁん、と鳴いた。

 

 それがなんだか、「まぁ、頑張ってこいや」と言ってるようで。

 

「おう」

 

 苦笑いしながら答えた。

 

 

×××

 

 

 普段、俺が登校するときは、高校に隣接する団地やサテライトキャンパスの横を通り、裏の通用門から入って直接駐輪場(ちゅうりんじょう)に行く。

 

 自転車をいつもの定位置に()め、昇降口に回り込んだ所で、遅刻指導のために校門へ向かう途中の厚木(あつぎ)先生に出くわした。

 

「おはょざいます」

 

 つとめていつもよりもはきはきと、しかし不自然に元気になりすぎず、シミュレーション通りに厚木に挨拶(あいさつ)をした。

 

「ん、おお……、比企谷(ひきがや)……!」

 

 珍しい奴からいきなり挨拶されて面食らったのか、厚木は少しびっくりしていたが、ハッと思い直して俺に近づいてきた。

 

「聞いたぞ。……首尾(しゅび)良う、いったか?」

 

 少し周りを気にしながら、こっそり尋ねてくる。

 

「はい、おかげさまで……。いい経験ができました。あ、でも、帰り(ぎわ)にバタバタしたもんで、駐在(ちゅうざい)さんにお礼を言いに行けなくて……すいませんでした。近い内にお礼の手紙、書こうと思います」

 

 つとめて、申し訳なさそうに返す。

 

「……そうか。良かったのぉ。まぁ、あっちの方(親戚の駐在)には俺の方から言うとくけぇ、心配せんでええぞ。手紙は喜ぶと思うから、まぁ、よろしく頼む」

 

 厚木先生は、そうか、と再度言いながら(うなず)いて、俺の肩をポンとたたいた。

 

 そしてそれ以上は何も言わず、ニコニコしながら校門へ向かって行った。俺はそれを、お辞儀(じぎ)しながら見送った。

 

 

 ……第二ステージ、クリア。

 

 俺は深く、安堵(あんど)()め息をもらした。

 

 厚木先生関係は、これで大丈夫だろう。帰ったら早速、駐在さんに礼状を書いとこう。

 

 しばらくは、体育の授業、真面目に受けないとな……。

 

 

×××

 

 

 朝のHRギリギリまで平塚先生を(さが)したが、なぜか(つか)まらなかった。

 

 ……逃げたか?

 

 なるべく朝イチで済ませたかったが……。

 

 ……しょうがねえ。昼休みで勝負をつけよう。

 

 教室に入ると、いつものクラスの喧騒(けんそう)

 

 教室の後ろ、もっともにぎやかしいところからたまにチクチクとこちらに発せられる気配を感じつつ、俺は今は、()えて目線を向けなかった。

 

 チャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。

 

 起立、礼、着席。無視。

 

 担任はちろりとこちらを見たが、特に何も言わず、連絡事項だけ伝え終わるとそそくさと教室を出た。

 

 ……第三ステージ、クリア。担任には、これでいい。むしろこれ以上は危険だ。

 

 俺のやったこと(ソロキャンプ)が理解できない以上、俺の方からその話題を持ちかけるのは、余計苦々(にがにが)しい印象を抱かれるだけだ。

 

 これ以上、面倒事を目の前で起こされない方が、担任にとっても好都合のはずだ。

 

 

 ……さて、残るは三人。

 

 これからの行動計画を頭の中でおさらいしているうちに、一限目のチャイムが鳴った。

 

 

×××

 

 

 三限目までは大過(たいか)なく過ぎた。大過なさすぎて何の授業だったか全く覚えてないまである。

 

 授業の合間の短い休み時間は毎回トイレに行き、教室で由比ヶ浜(ゆいがはま)から話しかけられるのを避けていた。

 

 ま、そんなことしなくても、文化祭・体育祭ですっかり悪評の着いた俺に、不自然に話しかけるようなマネはしてこなかったかもしれないが。

 

 あいつには部室で、雪ノ下(ゆきのした)(そろ)ったときに話をしたい。

 

 

 で、今はこっちの方を先に片付けたい。

 

 四限目は平塚先生の現代文だ。そしてそれが終わると昼休み。

 

 平塚先生を捕まえるなら、ここしかない。

 

 チャイムが鳴り始めると、教室扉の向こうにゆらりと人影が見えた。

 

 たっぷり間を置いて扉が開かれ、平塚先生が入ってきた。つかつかとピンヒールを鳴らして教壇に立つ。

 

 見事に体型に合わせて(あつら)えられた、ヨレやヘタリの一切ないスーツ。そのへんのビジネスマンよりも硬派な柄のネクタイ。クリーニングからおろしたてのように目に(まぶ)しい白衣。まさにWhiter than white(白より白い)

 

 いつものクールな平塚先生だ。昨日の朝に見たクールーキットクルーな平塚先生は幻だったのか……?

 

 俺がじーっと視線を送っているのに気付いたのか、平塚先生は一瞬こちらを見て、うっ、と顔をこわばらせた。だがすぐみんなに向き直る。

 

「え、えー、今週から『山月記』に入るぞ。この作品には漢文の要素も多く含まれている。難解な単語も出てくるが、読み込んでいくと、作者が込めたメッセージが比較的見えてきやすい反面、そのメッセージはなかなかに奥深い。高校現代文の題材としてはメジャー級ともいえるほど有名な作品だ」

 

 教科書を開き、板書をしようとして、平塚先生は一瞬ハッと固まると、溜め息をついて、黒板に備え付けの短くチビたチョークを拾ってカリカリ題名を書きだした。

 

 どうやらマイチョーク入れを忘れたらしい。らしくねぇな……。

 

 今日の授業では、指名された生徒たちが、この短編小説を通しで音読し、出てくる漢文チックな単語を平塚先生が解説するところまでで終わった。

 

 簡単に言えば、非凡な才能がありながら人と交わることを嫌い師にもつかず才能を磨くことが出来ないまま夢見ていた詩家としてデビューできずに鬱々(うつうつ)としていたワナビがなぜか虎になってしまい、『臆病な自尊心と尊大な羞恥心(しゅうちしん)のせい』と、自分の人生を悲観する話である。

 

 それナニ木座(もくざ)くんだよ、と最近のクラスの流行フレーズをもじってしまいたくなるくらいには、なぜか俺の心にもザクザクと刺さってくる話だった。

 

 ほんの一ミリだけ、こいつはむしろ、虎になったことは幸運だったんじゃねえの、と思った。俺が言うのも何だけど、人間のまま生きていくにはなかなかに辛い性格だ。

 

 俺なんかはもうちょっと控えめに猫とかでいいんで変身させてくれねぇかな。できれば血統書付きの座敷猫がいい。それナニクラくんだよ。

 

 

 授業中、平塚先生は、俺の方を一度も見なかった。

 

 

 

 

 生徒指導室。

 

 授業後ようやく廊下で平塚先生を捕まえ、落ち着いて話が出来る所を、と申し出て、イマココ。

 

 ちなみに少し時間を置き、昼飯を済ませてきた。平塚先生が出前でラーメンを頼んでいたためだ。

 

 ラーメンなら仕方がない。出前の人に代金も払わなきゃだし、のびたラーメンを食わせてしまうことは俺のラーメン(ラーメン好きメンズ。発音に注意)としての矜持(きょうじ)が許さなかった。匂い立つとんこつラーメンを室内に放置しているのも危険だしな。

 

 ていうか思うんだが、学校でうどんや蕎麦(そば)を食べるのとラーメンを食べるのとでは、何かが決定的に違う気がするのは俺だけだろうか。

 

 …………。

 

 閑話休題(話を戻そう)

 

 目の前には平塚先生が神妙に、覚悟を決めたように座っていた。

 

 悪いな。いまからその覚悟を打ち砕く。

 

比企谷(ひきがや)……改めて、昨日は本当に……」

 

 意を決して再度謝ろうとする平塚先生を止めるために、俺はさらに勢いよく、振り抜くように頭を下げた。

 

「先生、土日のキャンプの件、ありがとうございました。それと、ご迷惑おかけしました」

 

 自分にしてはよく通った声で、そう言った。

 

 目線の先には床しか見えず、平塚先生の表情はうかがい知れなかったが、先生の呼吸が止まっていることは耳で感じた。

 

 立て続けに言葉を(つむ)ぐ。

 

「ここまで大事(おおごと)になるとは思わなくて……。何も言ってなくてすみませんでした。けれどおかげさまで、本当にいい経験が出来ました。ありがとうございました」

 

 と。

 

 ほっそりした腕が視界に入って来、下を向いている俺の襟元(えりもと)をいきなり(つか)んで上に引っ張りあげた。うおっ意外と強い力!怖っ!!

 

 無理矢理(むりやり)合わせられた目の先には、驚きとも怒りとも悲しみともつかぬ、平塚先生の顔があった。唇の奥で小さな前歯が食いしばられ、平素は優雅なラインの眉が、今は中央に力いっぱい寄せられ、吊り上がっていた。

 

「……比企谷、そんな上っ面だけの謝罪などやめろ! 今回は君が謝る必要なんて何一つない、分かっているはずだ! 君は私を怒っていいんだ! 邪魔しやがってと(なじ)っていいんだ! 私がそれを受け止められないとでも、逆ギレするとでも思ったか!? 殊勝(しゅしょう)を装って、私を見くびるな!! ちゃんと私に怒れ、比企谷!!」

 

 えー朝とか絶対逃げてたよね……? あとこれ厳密に言えば逆ギレじゃね……?

 

 という感想を一瞬持ったが、ようするに、ほんとに悪かった、と言いたいんだろうと思うことにした。生徒の俺なんかに対しても、(いさぎよ)くあろうとしている。

 

 熱くて、いい人だな。本当にそう思う。

 

 

 だが。

 

 

 

 

「  い  や  だ  ね  」

 

 

 

 

 けっこう決死の覚悟だったが、そう、静かにぶちかましてやった。

 

 

 

 

 平塚先生は俺の返答に心底驚いたのか、(うる)みの増した瞳を一層広げて、俺を見つめていた。襟元を掴んだ手の力が弱まった。

 

 俺は続けた。

 

「分かったんですよ。親父もあんたも、俺の怒りや恨みが自分に向くなら、それで済むなら、それでいいと考えてる。そうなるように、動いてる。……誰かさんにそっくりだ」

 

 鎖骨(さこつ)のあたりに、平塚先生の指の感触が伝わってくる。あの日屋上で同じところを締め付けられたことを思い出しながら、葉山の指よりもほっそりして柔らかいな、などと心の片隅で変な感想を抱いた。

 

「……俺に、俺のやり方は通用しない。だから、恨んでなんかやらない」

 

 そういうことだ。

 

 これが俺の結論だった。

 

 まぁ、実際はもちろん、じくじくとした感情はまだ残ってる。簡単に消えてくれるようなものじゃない。俺が今言ってることなんて、単なるハッタリ、強がりだ。

 

 でも、それでも。

 

 誰かの思惑(おもわく)通りに人を恨むなんてのは、その思惑に気付いてしまった以上、素直には従えない。

 

 従ったら、すなわち負けだ。それがかつて、自分が用いたことのある策なら、なおさらだ。それは策士として最も屈辱的な負け方だ。

 

 そんなのは、嫌だった。

 

 

 

 

 けれど。

 

 

 

 

「……ていうふうに思ったんですが、そうすると論理的に考えて、あとは感謝と申し訳無さしか残ってなかったわけで……。だから、別に殊勝とか、そんなんじゃないです」

 

 

 

 

 全部本心だ。

 

 怒りも恨みも、感謝も罪悪感も。全部ちゃんと胸の中にある。

 

 そして怒ることを、恨むことを自ら否定したのなら。

 

 残りの感情を、彼と彼女らに示さずにいられるのか。

 

 何も示さないのは理屈として間違っている。それを妨げる感情は捨てると、俺は宣言してしまった。

 

 ならば俺が、自らの結論で正しく()るためには。

 

 ……悔しいが、このやり方しかない。

 

 

 

 

 平塚先生の表情から、(けわ)しさが消えた。大きく開かれた黒い瞳には、夜の海の静かな波を思わせるゆらめきが見えた。こうしてまともに正面から見合うと、やはり美人だなぁと思う。

 

 俺の襟元はまだ掴んだままだが、かろうじて指先が引っかかっているようなものだった。

 

「……い、一応言っときますが、割と本気で感謝してますよ! 俺の立場を救ってもらってたのは事実なんだし、キャンプだって、別に邪魔されたわけじゃないし……!」

 

 ちょっとどぎまぎして目をそらし、余計な付け加えをしてしまった。

 

「……はぁ……」

 

 平塚先生は苦笑交じりに(うつむ)いた。

 

「……君って奴は……本当に……」

 

 漆黒(しっこく)の長髪が平塚先生の表情を隠す。しかし声音に怒りや悲しみは感じられなかった。

 

 自分でも分かってる。なんかひどいパラドックス(論理矛盾)(おちい)ったような気分だ。

 

 しかし、悔しいけど、嫌いじゃない。実に俺らしい結論だと思った。

 

 

 ……よし、第四ステージ、クr

 

 

 襟元が再び強く引き寄せられ、先生の顔面が俺の右の(ほほ)をかすめた。

 

 先生の空いていた腕が俺の首を回って後頭部を掴まれると同時に、襟元から手が離れ、反対側から俺の背中を押さえつけた。

 

 俺の眼前には、先生の髪が黒い大河のように広がって流れていた。絹糸かと思うほど細い髪がいく(すじ)か、俺の鼻先をくすぐった。

 

 

 

 

 俺は平塚先生に抱きしめられていた。

 

 

 

 

 n

 

 な     ぇ     お

 

 ちょ

 

 

 

 

 平塚先生はすっと俺から離れた。おそらく時間としては数秒ほどだったろう。

 

 顔は真っ赤で、怒っているような笑っているような表情で歯を食いしばって、

 

「……十年早い……!!」

 

 

 そう言うとつかつかと指導室の窓を開けに行き、俺に背中を向けながら煙草(たばこ)を吸い始めた。

 

「……な、何……を……!!??」

 

 金縛りにあったみたいに、身体が動かない。心臓の中で革命でも起きたかというほど耳の奥までバクンバクンと鼓動(こどう)が響いてくる。

 

「光栄に思え……『抹殺のラストブリット』を発動した相手は君が初めてだ」

 

 背中を向けたまま、平塚先生はそう言って腕時計を見た。

 

「……まもなく五限だ。もう行きたまえ」

 

「は……はい……」

 

 俺は()びたロボットみたいにぎこぎこ身体を動かし、平塚先生を残したまま指導室を後にした。

 

 

 ……だ、第四ステージ…………クリア………………?

 

 

 

 

 なんか……、

 

 

 

 

 なんかよくわからないが……、

 

 

 

 

 たしかになんか、十年早かった……のかも知れない……。

 




「スクライド」は観たことないのですが、ぐぐってみた限り、「衝撃」「撃滅」「抹殺」は、パワーとしては並列的な技なんですかね。

ので、多分実際の平塚先生的には、普通に三発目に殴るのがラストブリットなんでしょうが、ここではあえてこんな行動をブリットとしてみました。

こんなラストブリットなら毎日でも喰らいたい……。

なお「山月記」は、実際に高校2年の現代文教科書によく出てくる作品です。私も習いました。

リアル世界ではひょっとしたら、一学期で習うのかも知れませんが…そこはまぁ、華麗にスルーしてください……(汗)


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その52:比企谷八幡の人生はつねに地雷に囲まれている。

 ふと意識が戻ると、六限までとっくに終わり、帰りのHRに入っていた。間近に控えている修学旅行について、今度のL H R(ロングホームルーム)で話をするとかなんとか。

 

 ぜんぜん頭に入ってこなかった。

 

 日直の号令がかかり、担任が教室を出ていった直後、俺は本日最後のクラスの騒がしさから逃げるようにして教室を出た。

 

 顔がまだ熱い。足取りがフワフワしておぼつかない。リアルに何度か転びかけた。

 

 購買前の自販機でホットのMAXコーヒーを買い、とりあえず、いつものベストプレイスに避難した。放課後に来るのは珍しい。

 

 夕方の風が海へと戻っていく。今日も天気がいい。日が沈んだら放射冷却(ほうしゃれいきゃく)が強まるだろう。家の自室も、夜はけっこう寒くなってきた。帰ったら暖かくして寝よう。

 

 ……なんかもう平塚先生の抱 擁(ラストブリット)でお腹いっぱいなんですけどこのまま帰っちゃダメですか? この思い出(おっぱいの感触)だけを胸に生きていくことはできませんか? 胸だけに。できませんか。だめですか。

 

 ……いや……やっぱ、あいつらともちゃんと話さなきゃな……。

 

「はぁ……」

 

 気が重い。

 

 ちびちびと熱いマッ缶を(すす)りながら、白い()め息をついた。

 

 

 

 

 考えてみれば、今回の件について、あの二人は大人たちとは関わり方が違う。

 

 そもそも彼女らは、俺のソロキャンプには始めから何の関わりも持っていなかった。他ならぬ俺が、関わらせないようにしていた。

 

 彼女らがあの場にいたのは、平塚先生に付き合わされたからだ。

 

 その意味では小町も同様かもしれないが、あいつの場合は俺のソロキャンプの件は知っていたし、実際の被害としても、メールの転送係をやらされたくらいでまだ済んでいる。

 

 しかしこっちの二人は、何も知らないまま突然県南(けんなん)まで駆り出され、貴重な土日の休みを(つぶ)されたわけだ。

 

 普通に考えて、迷惑をかけてしまった俺に対して怒っていてもおかしくない。

 

 あの時、二人は何も言わなかったが……、俺がふてくされたようにしてキャンピングカーを出て行ったのは、今思うと、かなり印象悪かっただろうな……。もし俺がそんな真似されたらブチ切れるかもしれん。

 

 ……だめだ。もうしょうがない。逃げも隠れもできない。

 

 しっかり平謝りして、雪ノ下(ゆきのした)からどんな罵声(ばせい)を浴びせられても甘んじて受けよう。由比ヶ浜(ゆいがはま)からキモいとか言われても黙って泣こう。

 

 特別棟(とくべつとう)の階段を上る足取りは重かった。

 

 

 

 

 女子な趣味全開の雑多なシールがいつの間にかペタペタ貼られた教室札。

 

 その下でたっぷり二回、深呼吸してから、俺は奉仕部(ほうしぶ)の扉を開けた。

 

 とたんに甘く暖かい香りが顔を包み込んできた。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が、目の前の長机にクッキーやマフィンを広げ、いままさに()れたばかりの紅茶を()ぎ分けようとしているところだった。

 

 二人同時に振り向いて俺を見てきた。一瞬固まる空気。思わず目をそらす。

 

「……うす」

 

「……こんにちは」

 

「あ、ヒッキー、やっはろー! ちょうどおやつだよ、入って入って!」

 

 雪ノ下が紅茶を注ぐ手を再び動かす。由比ヶ浜が腕全体をぶんぶんさせて俺を手招きする。

 

 その言葉で身動きが取れるようになる。俺は肩から(かばん)を下ろし、いつもの席に座った。

 

「……、紅茶を」

 

 余分のカップがないことに気づいた雪ノ下が、首をふるふる動かし、思い出したように自分の鞄の方へ歩いて行こうとした。

 

「あ、いや、今日は自前であるから」

 

 俺は片手に持っていた飲みかけのマッ缶を(かか)げて雪ノ下を押しとどめた。

 

「……そう」

 

 雪ノ下は小さくつぶやくと、ゆっくりと自席に戻った。由比ヶ浜も居住(いず)まいを正して、こちらを見ていた。

 

 テーブルの上では、二人分のティーカップから湯気がまっすぐ天井へ昇っていた。

 

「……あー、その、何だ……土日の件は、済まなかった。俺のせいで迷惑かけたのに、あんな態度とって、悪かった」

 

 沈黙が続いて口が重くなる前に、俺は思い切ってそう切り出し、二人に頭を下げた。

 

 なんとなく、嫌な予感がした。

 

 罵倒(ばとう)されるならまだいい。そのほうが逆にスッキリして、明日からも俺は普通に奉仕部(ここ)に顔を出せる気がしていた。

 

 だが、なぜここは今、こんなに暖かくていい匂いがしてるんだ。

 

 あくまでも和やかな今の部室の雰囲気に、俺は違和感を感じていた。

 

 もし、彼女たちが、「気にしなくていい こちらこそごめんね」などと、上辺(うわべ)だけの許しの言葉を口にしたら。

 

 なぜだろう。俺はたぶん、そっちの方が耐えられない気がした。

 

 ……ああ、平塚先生、わかりましたよ。こりゃキツイっすわ。

 

 下げている頭が妙に重い気がした。

 

 

 

 

 と。

 

 

 

 

「……ぷっ」

 

 何かがこぼれたように、由比ヶ浜が小さく吹き出した。

 

「ぷ……くくく……っふ、ふふふ……!」

 

 意外過ぎる反応に俺が顔を上げると、由比ヶ浜は真っ赤になって、笑ってるのか泣いているのかわからないような顔で口元と胸を()さえ、上体をかがめてぷるぷる震えていた。目の端には涙が浮かんでいた。

 

「ご……ごめ……! な、なんか……っ、ホッとしちゃっ……っ! くふふ……!」

 

 な……なんなの……?

 

 助けを求めるように雪ノ下を見ると、雪ノ下も(うつむ)きながら口元を両手で押さえてぷるぷる震えていた。

 

 ……!!??

 

 呆気(あっけ)にとられている俺をよそに、二人はしばらくの間、そうやってぷるぷるぷるぷるしていた。

 

 

 

 

 なにこれ??

 

 

×××

 

 

 二人の謎のぷるぷる現象が落ち着くと、由比ヶ浜がまず俺に頭を下げてきた。

 

「ヒッキー、ごめん!! あたしが平塚先生とゆきのんにお願いしたの! 連れてってほしいって……!」

 

 なん……だと……!?

 

 本人からすれば『今明かす衝撃の事実!』的な発言だったんだろうが、あまりに順番ぶっ飛ばしすぎて逆によくわからない……!!

 

「由比ヶ浜さん、そこだけ言っても比企谷(ひきがや)くんには話が分からないでしょ……」

 

 雪ノ下がこめかみに手をやりながら溜め息をついて、由比ヶ浜の話を引き継いだ。

 

「金曜の夜に、平塚先生から私へ電話がかかってきたの。あなたが計画していたのがソロキャンプだったということ、土曜日から出発するということ、そして、平塚先生が一人で様子を見に行こうとしていること……。

 

 だから、私が先生に付き添うことにしたの。私は一人暮らしだし、先生と一緒なら帰宅が遅くなっても泊まりになっても構わなかったから。

 

 けれど由比ヶ浜さんも行くと言ってくれたから、由比ヶ浜さんのご両親の了解を取るために、教師引率のもと、部活動でキャンプをするということにして、実家からクルマを取り寄せたというわけよ」

 

 

 

 

 なるほど。

 

 いや全然(わか)らん。

 

 雪ノ下、お前までどうした……!? 先生に付き添うって……?

 

「ちょ、ちょっと待て……。最初は平塚先生だけが来る予定だったのか?

 

 だとすると……お前たちは別に来なくても良かったんじゃ……?」

 

 俺が指摘すると、今度は二人(そろ)って反撃してきた。

 

「今思えば全くもってその通りなのだけれど……あの時はそうするしか方法がなかったのよ」

 

「あ、あの時はそれはやっぱ超マズいっていうか、危ないっていうか……! 平塚先生とヒッキーが一対一になっちゃうじゃん! って思って……ほ、ホント今考えるとバカだったなーと思うんだけど……!」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜はそう言うと、互いに目を見合わせてモジモジと身を(よじ)った。

 

 

 

 

 どうしよう。ホントに全く解らん。

 

 話の筋が見えてこない。読解力(どっかいりょく)が仕事してくれない。

 

 お、おっかしーなー……俺たしか国語の成績は学年三位なんだけどなー……!?

 

「いや……え? す、すまん、全く解らん……! 俺と平塚先生が一対一になるのが、なんかマズかったのか……?」

 

 逆に、もしあの時に平塚先生と会ったとしたら、一対一で話をしてれば、もっと話はスッキリと片付いていたかも知れない。いや、仮定の話をしてもしょうがないが。

 

 しかし、何にしても、この二人がついてくることの意味が全く解らない。

 

 二人は(ほほ)を赤く染めて、不満ありげにこっちを(にら)んできた。

 

 えっ、な、なに!?

 

 やがて、意を決したように由比ヶ浜がつぶやき始めた。

 

「……だ、だってヒッキー、車とお金がほしいとか、稼ぎたいとか、早く大人になりたいとか言ってたし……! それに……」

 

 ……あ? ああ、そういやそんなこと言った気もするが……でもそれg

 

「……ナンパ通りで、平塚先生を口説(くど)いた、って……!」

 

 

 

 

 

 

 

          ( ω)゜゜

 

 

 

 

 

 

 

 

「……な、なん……!?」

 

 なんでそのことを知っている!!??

 

 デイキャンプ翌日の月曜の夜、パルコ帰りに寄った「なりたけ」の前でのことがフラッシュバックした。

 

 いやいやいや、でもあれはなんかハイテンションだった平塚先生が急に……! お、俺は悪くない!!

 

 ……てか、ちょっと待て、こいつらあの時はアウトレットパーク(海浜幕張方面)行くって言ってたよな……まさかアレは嘘で、俺をつけてたのか……!?

 

 俺の考えを読んだかのようなタイミングで、雪ノ下が由比ヶ浜の言葉を引き継ぐ。

 

「平塚先生が自白したの。最近あなたの様子がおかしいと相談したら、急に挙動不審(きょどうふしん)になって……、てっきり『そういうこと』かと思って、追究(ついきゅう)したら、あっさりと」

 

 自白て。

 

 平塚先生ェ……!?

 

 

 

 

 ……そんな感じで、俺は時系列を(さかのぼ)るように二人の話を手繰(たぐ)り寄せながら整理した。

 

 ……ていうか、二人とも説明が下手すぎる。もっとこうストーリー仕立てで話せよ。書き出しは「あれは俺が○○の時だった……」的に。

 

 

 

 

 話の全体としてはこうだ。

 

 ソロキャンプにハマってからの俺は、二人から見るとかなり様子が変だったらしい。

 

 全然自覚なかった……むしろ気をつけてさえいたんだが……。

 

 俺の当時の言動から、二人は最終的には、なぜか俺が年上の悪い女にたぶらかされてるんじゃ……などと思ったという。いやなんでそうなる。想像力は無限大かよ。

 

 で、二人は心配になって平塚先生に相談に行った。

 

 折悪(おりあ)しく、その相談した日が「なりたけナンパ事件」の翌日だった。

 

 そしてここで平塚先生が、なぜか盛大にうろたえた。

 

 それを目の当たりにした雪ノ下らは、「犯人はコイツだ」と断定し、……やだ、これ以上想像したくない! 怖い!!

 

 その後しばらくして、平塚先生に俺の父親からメールが入り、俺がソロキャンプにハマってることが明るみに出て、平塚先生は冤罪(えんざい)(まぬか)れた。

 

 しかし、いったん俺と平塚先生の仲(白目)に疑惑を持った二人は、平塚先生が単身で俺の様子見に行くことを了承しなかった……俺達が現地でナニするか分からない、と考えたのだろう。

 

 で。

 

 二人ともついて来た……と。

 

 

 

 

「………… ア ホ か ……!!」

 

 大体の話を理解し、今度は俺の方が頭を抱えてぷるぷるせざるを得なかった。

 

 なんだこの気分。うまく表現できない(二回目)。

 

 怒る気も失せるほどの驚きと呆れと可笑(おか)しさと恥ずかしさ。

 

 俺ってこんなに感情豊かな子だったんだな。知らなかったよ。

 

 っつーか、マジで何の勘違いコントだよ……! アン○ャッシュもびっくりだよ……!!

 

 俺が当事者じゃなかったら腹抱えて爆笑してる自信あるわ……!

 

 ぷるぷるしすぎて俺そろそろゼリーになるんじゃないのとか思い始めた時、

 

「……何も反論できないわね。今回のことは、私達の完全な勘違いだった。……比企谷くんのせっかくのソロキャンプを台無しにしてしまって……、本当にごめんなさい」

 

 雪ノ下はそう言って、綺麗(きれい)な所作で深々と頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい……!!」

 

 由比ヶ浜もそれに続く。

 

「い、いや……」

 

 俺は慌てた。確かに二人の行動はアホアホだが、元はといえば、何も説明しないままにこいつらを誤解させてしまった俺の責任だ。

 

 それに女の子に真正面から謝罪されるなんて、なぜかすげえいたたまれない気持ちになる。

 

「やっぱり、俺の方こそ済まなかった……! なんか、その、心配してくれて、ありがとな」

 

 俺も頭を下げた。三人で床を見つめている構図。

 

 頃合いを見計らって顔を上げると、同じタイミングで顔を上げていた由比ヶ浜と目が合った。

 

 

 二人で同時に吹き出した。

 

 ああ、なるほど。俺もなんかホッとしたよ、由比ヶ浜。

 

 

 

 

 お互いがお互いから責められるのを覚悟していた。

 

 けれど、どちらも誤解してて。

 

 それが喜劇(コメディ)のようにすれ違っていた。

 

 誤解が解けた今、腹の底から湧き上がってくるのは安堵(あんど)可笑(おか)しさ。

 

 見れば雪ノ下も、必死で笑いをこらえていた。

 

 部室の暖かな空気と甘い香りを、ようやく俺は心地よいと感じることができた。

 

 

 

 

 

「あ、そういえば……ヒッキー、平塚先生とは仲直りできた? お昼休み、先生を追いかけて行ってたみたいだけど」

 

 え?

 

「私達も改めて謝罪に行った方が良いかも知れないわね。そうだわ、少しこのクッキーとマフィンも差し入れて……」

 

 えっ?

 

「じゃあ、(かぎ)返しに行く時、あたしもついてくよ! ヒッキーは?」

 

 ……昼休みのことがフラッシュバックする。平塚先生の感触が(よみがえ)る。

 

 ……い、イカン……!!

 

「あ、いやっ、お、俺は……昼休み、話できた、から……!!」

 

 イカンイカンイカン!!

 

 顔がどんどん熱くなっていく!! (しず)まれ!鎮まれ俺の小宇宙(コスモ)!!

 

 

 しかしておくれだったようだ。

 

「……どうしたの? そんなに顔を真っ赤にして……?」

 

 雪ノ下の微笑(ほほえ)みが、すぅっと部室の温度を下げる。

 

「……ヒッキー、もしかして……やっぱり……!?」

 

 貼り付いたような笑顔の由比ヶ浜の背中からゴゴゴ……と黒い陽炎(かげろう)が立ち(のぼ)る。

 

 

 

 

 ()んだ……(白目)

 

 

 

 

 ……その後、俺は職員室まで連行され、平塚先生とともに二人から尋問(じんもん)された。

 

 平塚先生がここでもうろたえたから事態がさらに悪化した。この人は……!

 

 二人の新たな誤解を解くまで、完全下校時間いっぱいまでかかった。

 




気合入れすぎて二話分くらいのボリュームになりました。つ、疲れた……!

女子キャラたちの視点でもいくつか番外編を書く予定なので、こっちでは彼女らの経緯はこのくらいに留めようと思います。


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その53:比企谷八幡は父との死闘(笑)の果てにそれを手に入れる。

 雪ノ下と由比ヶ浜(第五ステージ)からようやく解放されて、帰り道。

 

 最後の力を振り絞って自転車を()いでいると、小町からメールが入った。

 

 

 

 

 件名『お母さんと女子会してきます♪』

 

 本文『おふろは洗ってあります。ばんごはんは各自で食べてね☆』

 

 

 

 

 マジかよ……。

 

 そういや母ちゃん今日は一日家にいたんだったな。

 

 こんなボロボロな日は一刻も早く暖かな家で愛妹(こまち)の笑顔を見ながらおいしい飯食ってテレビ見てまったり癒やされたいのに。

 

 しかし、たぶん母親もそれは同じだったんだろう。たまの休み、小町にべったりしたいんだな。可愛いもんな小町。

 

 まぁ、しょうがねえけど……なんか、何もかも思うとおりにならない……。

 

 遠くへ行きたい。いや土日に行ってきたばっかだけども。実際は知り合いが百メートル圏内(けんない)にいたわけだし。事後的コレじゃない感ハンパねぇ。

 

 もっと遠くへ……知ってる奴が誰もいないところへ……。ああ、そういや火星でぼっちライフを過ごすみたいな映画のCMが流れてたな。きっと最高の映画に違いない。観に行かなきゃ! いや待てアイツ帰還を待たれてる時点でぼっちじゃねえな。でも面白そうなので観に行きたい。

 

 それはさておき、飯どうするかな……。持ち金もあんまりないし、サイゼかな。

 

 脳内で現在地から最寄りのサイゼの位置を検索する。ちょうどすぐ近くに一店あった。あんまり行ったことない店だけど、今日のような日にはむしろ丁度いいかも知れない。

 

 俺は自転車の進路をやや南向きに変更した。

 

 

×××

 

 

 京葉線(けいようせん)検見川浜駅(けみがわはまえき)

 

 おなじ京葉線の、稲毛海岸駅(いなげかいがんえき)海浜幕張駅(かいひんまくはりえき)の間にある駅だ。俺の通学路的にも、家から高校までのちょうど中間地点にあたる。

 

 駅の周辺は稲毛海岸駅のそれと比肩(ひけん)、あるいはそれ以上にマンション群が立ち並んでいる。区役所も近く、ちょっと海の方へ行けば市立病院、救急医療センターもあり、住環境としては最強に近いスペックを誇る。ラーメン屋が近くにないのだけが惜しい。

 

 俺的には、高校帰りのちょっとした買い物はマリンピアに行く方が便利だし、本格的にショッピングをしたいときは千葉駅または海浜幕張駅の方へ行くので、普段はほぼ素通りしているのだが、今日みたいに、いつもと違う気分に浸りたい日には最適なところだ。

 

 駅の北東にあるショッピングセンター・PIAの駐輪スペースへ自転車を()め、一階のサイゼリヤに向かった。

 

 セットプチフォッカ付きミラノ風ドリアとセットドリンクバーだな。六百円でお釣りが来る。こうして店の入口をくぐる前から注文内容を決められるのがプロのサイゼリアンだ。

 

 幸いそれほど混んでいず、ボックス席を独り占めできた。手早く注文を済ませ、ペプシとエスプレッソを()いできて、スタンバイ完了。

 

 料理が来るまでに大して時間がかからないので、本をじっくり読むよりもスマホでネットしている方が効率のいい時間つぶしになる。

 

 ……ああ、一人だ。落ち着く……!

 

 孤独の喜びを噛み締めつつ、スマホをぺろぺろ操作していた。

 

 今回のソロキャンプでは、(平塚先生らのことはともかく)夜の過ごし方についていくつか改善したいと思う点があった。

 

 まずは……やっぱ、秋〜冬にやるなら、保温性のより高い寝袋(シュラフ)は絶対必要だな。真冬に雪中キャンプとかまで極端なことはまだ考えられないが……。

 

 とはいえ、バックパックに入れて持ち運べるサイズになる冬用寝袋は価格が高い。ダウンじゃなく化繊(かせん)入りのものなら安いが、でかすぎる。今の手持ちの寝袋にシーツなどを追加するやり方のほうがいいか……? モンブリアンの寝袋だから、やはりモンブリアンのサーマルシーツあたりを追加させるか……。これなら安く済むし嵩張(かさば)らないかも知れない。

 

 しかし実際の使用感はどうかな……レビューだけじゃわからないもんなぁ……。試着ってできるのかな。そもそも店頭で寝袋に入ってみるのは試着っていうんだろうか。試し寝?

 

 あと、照明。家から持って行ったLEDライトでもまぁ、いいっちゃいいんだが、光が白々(しらじら)としたものだった。もっとなんかこう、暖色系でキャンプ気分をアゲてくれるやつが欲しい。

 

 火を使うランタンやキャンドルは憧れだが、テント内で使うとなると、安全を考えてキャンドル型のライトがいいかも知れない。光が揺れるリアルなやつとかもあるだろ、最近。

 

 携帯用のラジオもあればいいな。焚火しながら星空を見ている時に、(かたわ)らのAMラジオから静かに音楽が流れてくるってのも雰囲気いいんじゃないの。

 

 スマホのアプリで聞いてもいいんだが、やはりラジオは電波によって音質がかすれていた方が風情がある。

 

 テントの中に早々と引きこもって、ラジオを聞きながら読書というのも、今後は試してみたい。

 

 ……おっと、道具も欲しいが、そろそろウェアも考えたいところだ。今手持ちの道具類がたまたま全部日本のメーカー製だから、ウェアもそういう感じで揃えるか? となればやっぱモンブリアンかなぁ……。

 

 

 

 

 ……ああ、なんかこういう楽しい妄想、久しぶりだ……!! いや久しぶりでもないか。

 

 しかし昨日今日と人間関係に悩んでたことが、なぜか半月近くにも感じられる……ふしぎ!

 

 などと静かに感動してるうちに、料理が運ばれてきた。

 

 猫舌なので、ミラノ風ドリアの表面がやや冷めつつ、しかしホワイトソースが固まらない程度の絶妙のタイミングで食べ始める。ミートソースは相変わらず絶品だ。ミートのしっかりした甘いコクの広がりを楽しんだ直後、トマトの酸味によるキレが一陣の風のように口内に印象を残す。さすが四〇年のこだわりは伊達じゃない。

 

 耐熱陶器の隅にへばりついたホワイトソースは、セットの小さなフォッカチオをちぎってこそげ取り、口に運ぶ。うまい。容器もキレイになる。フォッカチオはこの他、ガムシロをかけてスイーツ仕様にして食うのもおすすめだ。このときドリンクバーを注文するのはマナーな。

 

 温かい飯を食うと、気力と体力が少し戻ってきた気がした。

 

 やはりサイゼは最高だ。何が最高って、どの店に入ってもグランドメニューが同じってところだ。つまりサイゼリアンの俺にとっては、どこへ出向くことがあっても、自分に最適な補給基地がそこに配置されているのと同義なのである。

 

 最高だろ?

 

 

×××

 

 

 帰宅すると、玄関の片隅に革靴。父親がすでに帰って来ているようだった。リビングに明かりが灯っていて、テレビの音が聞こえた。

 

 さぁ、……いよいよラスボス戦だ。

 

 そっと気合を入れて、階段を登り、リビングのドアを開けた。

 

 父親は寝巻き代わりのスウェットスーツ姿で、ソファのテーブルの方でコンビニ弁当とカップラーメンを食いながらテレビを観ていた。

 

「……おう、何か食ってきたか?」

 

 麺を(すす)りながらこちらを振り向く。

 

「ああ、サイゼで……ただいま」

 

「ふーん……おかえり」

 

 父親はそっけない態度でテレビに向き直り、食事を再開した。

 

 …………。

 

 …………。

 

 オゥ……「相手が何か言わない限り自分も何も言わずあわよくばこのままうやむやにしたいという態度を見せて逆に相手をムカつかせる作戦」ですか……(長い)。 なかなかの高等テクで仕掛けてきやがったな……(つまり何もしてない)。

 

 とりあえず風呂に入って自室で着替えて、リビングに戻った。父親はまだテレビを見ていた。

 

 ソファのテーブルの上は片付けられ、代わりにマッ缶が二本置かれていた。俺が戻ってくることは予想していたようだ。

 

 父親と直角の位置に座り、一本とって開けた。

 

 ちびちび飲みながら、一言も発さず、ただただ父親の隣で一緒にテレビを観た。

 

 名づけて「相手が自分に対して何か含みながら目の前で()えて黙ってるのがオーラから確定的に明らかな以上いつまでも無反応でいられなくなるのを誘う作戦」だ(長い)(つまり何もしてない)。

 

 なんだこの世界最高に斜め下な技の応酬(つまりお互い何もしてない)。

 

 しかしこうかはばつぐんだ。

 

「……、いやーそれにしても」

 

 目はテレビに向けられていたが、父親がわざとらしく()め息をついてつぶやき始めた。

 

 ……俺の勝ち(しかし何もしてない)。

 

「平塚先生だっけ? やらかしてくれたなァ。絶対ばれないようにしてくれってあれほど頼んだのになァ。まさかこっそり泊まりこんでたとは。しかも可愛い女子高生二人連れて? 事前に教えてくれてたらぜひとも代わってやってたのになァ」

 

 などと、ずいぶんな言い方で(のたま)い始めた。

 

 さしずめ「よく知りもしないくせに相手の知り合いを勝手にこき下ろして自分に対する印象をわざと悪くしていく作戦」とでもいうのか(長い)(結構ひどい行為)。

 

 しかし、演技でやってるのがバレバレだ。なんていうの、(しゃべ)ってるときの声の抑揚(よくよう)がいつもと全然違う。これは家族だから解ることだ。

 

 吹き出しそうになるのをこらえ、口の端の(ゆる)みを必死に抑えた。

 

 特に、雪ノ下と由比ヶ浜(あのふたり)がただの可愛い女子高生扱いされてたのが可笑(おか)しかった。

 

 代わってみればよかったじゃん……。アイツらの監視対象は、むしろ平塚先生だったんだからな。

 

 ……改めて想像すると怖ぇ……。しかもずっと同じ車内だぜ。ただひたすらに怖ぇ。

 

「しかしまぁ、何だ、それも含めて今回のことは俺の作戦ミスだ。認める。色々台無しにして済まなかったな八幡。詫びと言っちゃn」

 

「父さん」

 

 まだ父親は何かしゃべろうとしてたが、こういう茶番はさっさと終わらせるに限る。

 

 

 

 

「……俺は父さんの子どもだ」

 

 

 

 

 ぽつっと一言。父親の腐れきった目を見ながら、そうぶちかました。

 

 父親は不意を突かれて、半口を開けて沈黙した。

 

 

 

 

 誠に遺憾(いかん)ながら、こうも思考回路や行動が同じだと、認めざるを得ない。

 

 ついでに外見も声も似てるらしいが。

 

 それも……、まぁ、しょうがないんじゃないの。

 

 だからさ、親父。

 

 

 

 

「俺には通じねぇよ、そんなの」

 

 

 

 

 父親にはこれだけで解ったはずだ。

 

 その証拠に、父親は半口のまま静止していた。

 

 してやったり感がどんどん()いてきて、俺はたまらず、声を噛み殺しながら笑った。

 

 俺が笑ってる横で、父親は気まずそうに少し赤くなって、後ろ頭をガリガリかきながら溜め息をついた。

 

「……ったく、小癪(こしゃく)な奴だ……親の顔が見てみてぇ」

 

 洗面所はあっちですよ。

 

 父親は少しの間、俺の顔を見ながら考え事をしていたが、のそっと立ち上がり、

 

「……ちょっと待ってろ」

 

 と言い残すと、リビングを出た。

 

 え、ホントに洗面所行ったの? ウケる!

 

 ……と思ったら、戻ってきた父親は、なにやら小さな紙包(かみづつみ)を持っていた。

 

 元の位置に座ると、しばらく紙包をいじりながら逡巡(しゅんじゅん)していたが、大きく息を吸い込んだのを合図に、それをテーブルの俺の目の前に置いた。

 

「……?」

 

 俺は紙包と親父を交互に見た。

 

 父親は紙包の上に手を置いたまま、しばらく口の中で言葉を選んでいた。

 

「……ちょっと、意味合いが変わったが……まぁいいや。受け取れ」

 

 小さな声で言うと、手をそっと離した。

 

 黒い包装紙に包まれたそれは、名刺よりすこし長辺を伸ばしたくらいの大きさの箱だった。

 

 手元に引き寄せた時、意外としっかりとした重みを感じた。

 

「…………」

 

 包装紙を開くと、中の箱は下地が銀色、真ん中に白抜きで、羽のついた(かぶと)をかぶった女性の横顔シルエットが印刷されていた。

 

 心臓が一センチほど飛び上がった。

 

 これは。見たことがある。

 

 父親を見ると、こくり、と一度だけ大きく(うなず)いた。

 

 そっと、箱を開けた。

 

 中に入っていたのは、銀色のマルチツール(十徳ナイフ)だった。

 

 アルミ製だろうか。精巧な格子模様(こうしもよう)が立体的に刻まれたボディに、箱と同じ横顔が紋章として浮かび上がっている。

 

 シンプルでクラシックな雰囲気のデザイン。かっこいい。

 

 箱から取り出してみる。見かけより重い。

 

 折りたたまれたツールは三列になっていた。一つずつ開いてみる。

 

 六〜七センチ位の短い、しかしちょっと厚手のナイフ。

 

 先端がマイナスドライバーにもなっている、缶切りと栓抜き。

 

 頑丈そうな刃先のリーマー(穴開けキリ)

 

 そして真ん中の列からは、七〜八センチほどのノコギリ。

 

 全部で五種類。しかし、アウトドアでの用途としては、必要十分な機能が揃っていた。

 

 非常用持出袋(ひじょうようもちだしぶくろ)に入っていた安物とは、明らかにモノが違う。

 

 全てのツールは(かど)が丁寧に面取り(角丸め加工)されていて、指に優しい。しかも全部、爪を引っ掛けるだけでスムーズに開閉できる。かといってゆるゆるではなく、使うときにはしっかり安定しそうだ。

 

 ハンドル(持ち手)の片端にはキーリングがついていて、携帯に便利そうだ。

 

 ……本物だ。本物のマルチツールだ。

 

「こ、これ……!?」

 

 ツールをたたみ、あちこちひっくり返して見ながら、父親に尋ねた。

 

「ヴァルキリノックス(VALKYRINOX)の『ファームワーカー』。スイス軍支給品にもなっているソルジャーナイフに、ノコギリが追加されてるモデルだ。

 

 ナイフとしてはちょっと短いかも知れんが……今のお前なら、十分使いこなせるはずだ」

 

 父親は(ほほ)をポリポリかきながら説明してくれた。

 

「……実は、お前を確実に怒らせるために、カタチだけ()びながらホイッと投げ渡そうと思ってたんだが……、気が変わった。

 

 普通に、お前にやる。普通にな」

 

 なんかサラっとえげつないことを言いましたねこの人……!!

 

 参った。さすが俺の父親。人の自尊心を傷つける手練手管(てれんてくだ)は一級品だぜ……!

 

 しかし……これは、嬉しい……素直に嬉しいぞ……!!

 

 うかつにも、胸が熱くなった。

 

 父親からナイフをもらう。ゲームとか本とかを買ってもらうのとは何かが違った。

 

 なんか、なんていうの。

 

 大げさかも知れないが……、男として、お前はもう一人前だと言ってもらえたような気がした。

 

 きゅっと、それを手の中に握りこむ。アルミの冷たいボディが、じょじょにぬくもりだした。

 

「ありがとう……、大事に使うぜ……!」

 

 父親の目を見て、色々な意味を込めてお礼を言った。

 

 その後、父子ふたりで屈託(くったく)なく笑った。

 

 

 

 

 最終ステージ、クリア。しかもボーナスアイテム付きだ。

 

 朝は不安だったが、どうやら俺のやり方は間違っていなかった。

 

 このマルチツールが、それを証明してくれている気がしt

 

「まぁ、俺もつられて自分用、買っちゃったんだけどな!」

 

 けっこう感動的な場面の中で父親はそう言うと、ポケットから黒いナイロンケースを取り出して、ゴトッとテーブルに置いた。

 

 

 

 

 !?

 

 

 

 

 同じ紋章の刻印された、ナイフケースだった。今もらった俺のナイフより、明らかにデカい。

 

 ニヤニヤしながら父親が俺を見ている。触ってもいいぞ、という意味らしい。

 

 ケースの面ファスナーを剥がして蓋を開け、中身を引き出す。

 

 深みのある赤い樹脂ハンドルの、ごついマルチツールが出てきた。

 

「ナニ……このスゲえの……」

 

 呆れながら驚きながら、ツールを開いていく。

 

 大振りなロック機構付きナイフ、ノコギリ、マイナスドライバー付きの栓抜きに缶切り、リーマーはもちろん、プラスドライバー、小さなバネ式のハサミ、ワイン用のスクリュー(コルク抜き)まで付いていた。

 

「『オートライダー』。ヴァルキリノックスのマルチツールの中じゃ一番大振りなカテゴリーだな。

 

 ハサミが意外と便利なんだわ。あと、ケツの部分にピンセットと爪楊枝(つまようじ)が仕込まれてる」

 

 ホントだ……ハンドルの一部に色違いの部品が付いてて、抜き出すとピンセットと爪楊枝だった。なにこれ最強じゃん。

 

「いや……ていうか、こっちの方、頂戴(ちょうだい)よ……!」

 

 ジト目で親父を(にら)んでやった。さっきの俺の感動と屈託ない笑顔を返せ。

 

 親父はニタァっと歯を見せ、クックック……と笑いながら、

 

「YA・DA・NE!! 欲しかったら、いつか自分で買いな♪」

 

 と、楽しそうに言った。

 

 O・NO・RE……!!

 

 どうやら父親の「絶対許さないリスト」首位の座は、当分ゆるぎないものになりそうだ。

 

 

 

 

 ガチャガチャと、階下で玄関の開く音がして、賑やかしい笑い声が二つ、階段を上がってきた。

 

「ただーいまー! あー楽しかったー!!」

 

 すっかりご機嫌の治った母親が、買い物袋を両手いっぱいに下げてリビングに現れた。

 

「ただいまー!! 服買ってもらってすっごいおしゃれなカフェで女子会してきたー!!」

 

 テンションMAXな小町が続いて顔を出す。

 

「おいしかったよねー! また二人で行こうねー!!」

 

「ねー!!」

 

 きゃいきゃいと仲良く騒ぐ比企谷家の女子ふたり。

 

 「「俺達は……?」」

 

 男子ふたりの問いかけがキレイにハモった。小町が爆笑する。

 

 「お、仲直りしたみたいだねー、比企谷家腐れ目コンビ!」

 

 母親がいたずらっぽく笑ってからかってきた。

 

 俺と父親は一瞬顔を見合わせて、母親に猛抗議した。

 

「「いっしょにすんな!」」

 

 ハモんじゃねえ親父!!!

 

 

 

 

 母親と小町の爆笑がしばらくの間、リビングを満たした。

 




この話を書くにあたって調べ直したんですが、比企谷家っていわゆる「2階リビング」の家なんですね…… (原作第5巻第17刷 18ページ、また第9巻第6刷 99ページなど参照)。

SS内でそこを意識せずに書いてた部分があるかもな……こっそりと修正しときます。

ちなみに今回、比企谷母娘が女子会に使用したカフェは、原作にて、後に八幡といろはがデートの時に行くことになる所です。実在していて、千葉中央駅のすぐそば、千葉市内ではかなり有名らしいです。

今日(この話の投稿日)、久しぶりにサイゼリヤに行って、ミラノ風ドリアのプチフォッカセットを食べてきました。


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その54(本編最終回):そして比企谷八幡は語り始める。

 もうすぐ日付が変わるかという頃。

 

 俺は自室で、父親からもらったマルチツールをいじっていた。

 

 ナイフを引き出す。小指ほどの長さしかないステンレスのブレードだが、試し切りでは、スパッと軽やかな手応えで紙が切れた。

 

 ネットで調べてみたが、料理だけでなく、ちょっとした工作にも活用されていた。小枝を()き付け用に細かく割ったり、大きな缶に穴を開けて焚き火台をこしらえたり。

 

 コイツを使いこなせるようになれば、確かにキャンパーとして一人前と胸を張れるだろう。

 

 これはいいものだ。

 

 とはいえそんなに高価なものでもない。am○zonで三千円ちょいくらい?

 

 

 

 

 ……プレゼントとしてもらえて、本当に良かった。

 

 父親の最低な作戦通り、これをもし、カタチだけの()びの品として投げ渡されていたら。

 

 俺はコレで、最初に何を切っていただろう。

 

 

 

 

 父の振り見て我が振り直せって言葉もあるが(比企谷家限定?)、今回のことで、俺はちょっと自分の行動を改めようという気になっていた。

 

 無論、俺はこれまでの自分の行動について、まちがいだったなどとは思っていない。

 

 自分に配られた数少ない手札の中で、策を練り、効率化を極め、最善を尽くした。

 

 その自負は今もある。

 

 ……ただし。

 

 相手を傷つけることで結果を得ようというのは、これからは避けようと思った。

 

 千葉村の時も文化祭の時も、やむを得なかったとはいえ、今思えば、あまりに悪手(あくしゅ)だった。

 

 自分が不利になるからではない。俺自体は何と思われようと別に構わない。そんなことには(ひる)まない。

 

 だが、傷つけられた方の苦しみがどんなものかを、今回()せずして痛感した。

 

 たまらない。

 

 あんなひどいものを相手に与える資格までは、俺にはない。

 

 今、そのことを知った俺なら、今後はちょっとは違うやり方もできるかもしれない。

 

 最悪、悪手しか打つ手がなかったとしても。

 

 必ず誰かが傷つかなければならないとしても。

 

 その時は、俺だけで充分だ。

 

 

×××

 

 

 翌日、奉仕部部室。

 

 俺は、忘れそうになっていた裏の最終ステージを攻略しようとしていた。

 

「んー……」

 

 うんうん(うな)りながら、レポート用紙に羅列した文を赤ペンで繰り返し添削する。

 

「ヒッキー、さっきから何書いてるの?」

 

 由比ヶ浜(ゆいがはま)枇杷(びわ)バウムクーヘンを食べながら聞いてきた。こいつホントいつもなんか食ってるな。

 

 長机の上には箱に入った同じものがあと数個。たぶんあのキャンプ場近くで買ったんだろう。俺も後で一個もらおう。

 

「あー、礼状を書かなきゃいけないんだが、なかなか難しくてな」

 

 ホント、手紙は難しい。正直苦手だ。ひょっとしたら文章を書くという作業の中では一番難しいジャンルではなかろうか。

 

 なにが難しいって、これが文字の発明以来、人類の歴史の永きにわたって用いられ続けている「コミュニケーション手段」であるというところだ。

 

 生来のぼっちである俺にはタダでさえハードルが高い上に、ヘタなことは書けないというプレッシャーもつきまとう。形として残っちゃうからな。

 

 なかなか練習する機会もない。それが俺レベルになるとホントに機会なさすぎて「手紙を出す相手もいない……」とかつぶやいたら小さなカバがうがい薬出してくるまである。いやない。

 

 で。

 

 今書いているのは、厚木(あつぎ)先生の親戚の、あの駐在さんに出す礼状の下書きだ。

 

 当たり障りのないお礼を書くだけでいいかとも思ったが、手紙を出せば、おそらく厚木先生へも伝わるだろう。絶対ヘタなことは書けない。

 

 なので、それなりに殊勝(しゅしょう)な文面にしなければならない。なおかつ、今回のキャンプの経緯についても、厚木先生と駐在さんが、俺や平塚先生から見聞きしたことと矛盾を感じないように仕上げる必要がある。

 

 やだ、なんか犯行のアリバイ作りみたい! それを難しいけどちょっと楽しいとか思っちゃってる俺ってばいけない子! 親の顔が見てみたい!!

 

「そういえば、お前らは厚木先生の親戚に会ったのか?駐在さん」

 

 この事実の有無だけでも文面が大きく変わる。

 

 俺は由比ヶ浜と、紅茶を飲んでいた雪ノ下(ゆきのした)に確認した。

 

 由比ヶ浜は思い出し笑いしていた。

 

「マジ厚木先生にそっくりでちょっとウケた! でもいい人そうで良かったよね」

 

 雪ノ下が続く。

 

「ええ。会ったと言っても挨拶(あいさつ)程度だけれど。そういえば平塚先生は駐在さんに、『キャンピングカーに泊まってすぐそばで見守るのは急きょ決まったことなので、本人の面目を保つため、このことは知らない(てい)でよろしく』と言ってたわね」

 

 そうか。なら普通にお礼だけを書いとけばいいのかな?

 

 ……いや、むしろ、「実は部活の連中がずっとそばにいたことに気付いてたけど、気付かないふりをしていた。心配してくれてるのが分かって嬉しかった」とか、()えて書いといた方が、駐在さんとしては変に秘密を抱えなくていいし、あたたかい気持ちになってくれるかもな。

 

 うわー心にもないことをスラスラスイスイ思いついちゃう俺ってば悪い子ー!!

 

 でも相手を傷つけてないからいいでしょー!? いいんですー!!

 

 などと考えてるとだんだん調子が出てきた。修正作業が(はかど)る。

 

 あとで平塚先生にも見せて、ダブルチェックを頼もう。ダブルチェック大事。

 

 と、雪ノ下の小さな()め息が聞こえた。

 

「……すっかり元の目に戻ってしまったわね……、どんな気持ちでどんなことを書いてるか、だいたい(わか)る気がするわ」

 

「あはは……、で、でも、ヒッキー元通りになったのはちょっと安心した! ……安心? いや、余計心配!? うむむ……!」

 

 

 

 

 ん?

 

「目?」

 

 昨夜ひとしきり母と妹に爆笑された我が腐れ目が何か?(自虐)

 

 レポート用紙から顔を上げて見ると、二人は顔を見合わせて苦笑していた。

 

「やっぱ、気付いてなかったね」

 

「自分自身のことは案外見えないものよ」

 

 な、何よ……!?

 

 ジト目で見据(みす)えていると、それに気付いた二人はさらに苦笑した。

 

「あのねぇ、ヒッキーねぇ、……最近ずっと、目がすっごいキラキラしてたんだよ」

 

 !??

 

「そうね。夢中になった子どもみたいな目をしていたわね。別人かとたまに本気で思ったくらい」

 

 !???

 

「そ……そうなの……?」

 

 急に気恥ずかしくなり、思わず二人から目をそらして、原稿に目を落とした。

 

 やべえな……、そんなバレバレだったとは。

 

 お、おっかしーなー、毎日洗面所の鏡で顔見てるんだけどなー……!?

 

 以前、本を読んでる時に笑ってる癖を二人にキモいとか言われたことがあったが、俺ってばけっこう顔に出るタイプなのね……! マジで自覚ないから気をつけねばならん。(「……ちょっと、カッコ良かったかな」)

 

「ん、なんか言った?」

 

 誰かの声が聞こえた気がしたのだが。

 

 由比ヶ浜がぱぁっと(ほほ)を染めて、慌てたように片手をぶんぶん振った。

 

「な、なにも!なーんにも言ってないよ!」

 

 そんな様子の由比ヶ浜を優しい目で見ながら、雪ノ下は再びティーカップを傾けていた。

 

「そ、それよりさ、ずっと聞きたいなーって思ってたんだけど……、なんで、急にキャンプ始めたの? ヒッキー、アウトドアが好きって感じじゃなかったから、意外っていうか」

 

 由比ヶ浜が椅子(いす)を少し近づけて(たず)ねてきた。

 

「それは私も聞いてみたいわね。ソロキャンプは詳しくはないけれど、平塚先生が感心していたわ。道具も本格的なものを(そろ)えてて、すごく手慣れているようだって」

 

 雪ノ下も、ティーカップを皿に置き、聞く態勢を示した。

 

「あー、……」

 

 ついにその質問が来たかと、俺は少し胸が高鳴るのを感じた。

 

 同時に、少し逡巡(しゅんじゅん)する。

 

 

 

 

 まぁ、今なら答えられるかな。

 

 いろんな人の手を借りちまったから、俺のやったことを「ソロキャンプ」と言い切るのはまちがっているかも知れないが。

 

 それでもとりあえず、第一歩は踏み出せたような気がするから。

 

 

 

 

「……ほら、こないだ放課後に地震があったろ? あの時に――」

 

 俺は二人に、これまでのことを……第一歩を踏み出すまでのことを、語り始めた。

 

 

 

 

 二人はずっと、興味深そうに耳を傾けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  「やはり俺のソロキャンプはまちがっている。」  本編おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドンドンと部室の扉をノックする音が聞こえた。

 

八幡(はちまん)ー! 新作の設定集が出来上がったぞ!読んで感想を聞かせt」

 

「笛に上げとけ材木座(ざいもくざ)。後で見とく」

 

「へぶn」

 

 

 

 

 

 

 

 

  「やはり俺のソロキャンプはまちがっている。」  本編おわり!!

 

 




これにて本編は終了です。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

次回からはおまけとして、雪ノ下、由比ヶ浜、平塚先生視点での「傍編(ぼうへん)」、その後、もう少し自由度の高い八幡による「番外編」を、ぽちぽちと投稿したいと思います。

今しばらく、よろしくおねがいします☆☆☆


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傍編(雪ノ下・由比ヶ浜・平塚 視点)
(1)由比ヶ浜結衣はなんやかんやいってよく見ている。(対:その17〜24)


【傍編に関するおしらせ】

 これより先の「傍編(ぼうへん)」では、一話ごとに話者である女子キャラが変わります。

 本編ですでに明らかとなったとおり、これから語られる女子キャラたちの考え、行動はすべて、

「完全な勘違いにもとづく」

 という点を踏まえてお読みいただくと、よりお楽しみいただけます(笑)。

 では、一話目は、この娘から。


 さいきん、ヒッキー(比企谷八幡)の様子がおかしい。

 

 教室ではそこまでないんだけど、奉仕部(ほうしぶ)の部室にいる時のヒッキーの様子が、なんか、いままでとぜんぜんちがう。

 

 いつものヒッキーだと、ヒマなときは本ばっか読んでて、そんで読みながらたまにニヤニヤしてたりして、前は正直キモいって思ってたけど今はもう気になんないし、たまに見てると表情がコロコロ変わっていくから、ちょっとおもしろかったり……や、たまにしか見てないよ! そんなしょっちゅう見てないし!!

 

 あ、そういえばさいきん発見してしまった。ヒッキーの座り角度の法則。

 

 本読んでるとき、日によってヒッキー、座ってる角度がちがうんだよね。

 

 机に片ヒジをのっけるようにして、横向きに読んでるときと、机の正面を向いて、ちょうどゆきのん(雪ノ下雪乃)と向き合うようなカンジで、カバーをつけた本を読んでるときがあって。

 

 あれね! たぶんね! ちょっとエッチなやつとか読むときは正面になってるんだと思う! たまに、読んでる途中に急に角度変えるときもあって、ああ、今そういうシーンのページなんだ、ってわかったり。もうね、見ててスッゴイおっかしくって(笑)。ヒッキー、ひとのことビッチとかいうけど自分とか絶対ドーテーだよね! ……ドーテーだよね……?

 

 

 

 

 ……あれ? えっと、なんの話だったっけ?

 

 あ、ヒッキーの様子がおかしいって話だった。そうそう。

 

 たぶん、何日か前に地震があって、それからくらいだと思う。

 

 部室で本も開かず、ずっとスマホをいじりながらウンウンうなってたり、「はぁ……」って、小さなため息をよくついたりするようになった。

 

 そして、マジメな顔でなんか悩んでたり。

 

 で、そういうときのヒッキー、ずっとゆきのんと向い合うように、正面向いて座ってるのだ。

 

 そう! それこそ、画面とかゼッタイ見られないように。

 

 その日もスマホをにらんで、うーうーうなってた。

 

 ……どしたんだろ? ゲームでもしてるのかな?

 

 ゆきのんも時々、そんなヒッキーのふいんきが気になるみたいで、たまにチラ見してたりした。

 

「はぁ……車と金が欲しい……」

 

 目がつかれたのか、ヒッキーがスマホから目をはなして、ぽそっとつぶやいた。

 

 クルマとお金!?

 

「え? ヒッキー、クルマの免許取りたいの?」

 

 あたしがそう聞くとヒッキーはなんかブツブツひとりごと言ってたけど、

 

「……まぁ、早く大人になりたい……のかな」

 

 って、なんか遠くを見ながら答えた。

 

 そのときのヒッキーの目が、なんか……ちょっと、大人っぽく見えて、ドキッとした。

 

 将来の事とか考えてるのかな。ホント急にどうしたんだろ……!?

 

 みたいなことをちょっとつぶやいたら、ゆきのんから「私達は高校2年生だし、そういう時期ではあるのよ?」ってツッコまれた。うぅっ。

 

 ヒッキーは、まぁ、と言って、話を続けた。

 

「ちょっとやりたいことがあってな。いっぱしに稼げるようにならないと難しそうなんでな」

 

「へー、なになに?」

 

「……秘密」

 

 ヒッキーはニヤって笑って、それ以上はなにも言わなかった。

 

 あたしは思わずゆきのんと顔を見合わせた。ゆきのんも、ヒッキーの反応をあやしがってるみたいだった。

 

 部活が終わると、ヒッキーは行くとこがあるからって、あいさつもそこそこに、すぐに部室を出て行った。

 

 

 

 

 ホント、どうしたんだろう……!?

 

 

☆★★☆

 

 

 それから何日かたって、部活帰りにメイク用品買おうと思って、マリピン(マリンピア)の百均に寄った時のこと。

 

 百均の化粧品関係ってバカにできない。 ファンデとかリップとかはまぁ、もう高校生だし、もうちょっとがんばって、キャン○イクとかケ△トとか使ってるけど、パフとかコットンとかの使い捨て小物系は、ゼンゼン百均で間に合っちゃう。

 

 あと、あたしは優美子(三浦)みたいにネイルアートまではやんないんだけど、「ネイルはケアだけでもゼンゼンちがって見える」って言われて、さいきん優美子に教わりながら色々やってみてる。キューティクルリムーバー(甘皮ふやかし液)オレンジスティック(木製甘皮押し棒)で爪の甘皮を取ったり、バッファー(磨きスポンジ)で表面をみがいたり、ファイル(ヤスリ)で爪のカタチを整えたり。

 

 つるつるぴかぴかに整った指先を見ると、しぜんに笑顔になって、すごく気持ちが上向きになる。表面にキズがつかないように、物を持ったりするときも、なんか、やさしい手つきになって、「やだ、あたし今、女子力高まってるかも!」とか思っちゃったりする。

 

 でもしょっちゅうやんなきゃいけないから大変。ゆきのんの爪もキレイだけど、本人ゼンゼン意識してなくて、「美容院でやってくれるからおまかせしてる」って言うの。セレブ!!

 

 あたしけっこうガンバってるよね!? そういうトコもっと見てほしいんだけどなヒッk……

 

 

 

 

 えっと、なんの話だったっけ?

 

 あ、そうだ百均に寄った時の話だった。そうそう。

 

 おこづかい日の後だったので、つい色々、買い物かごに投げ込んでる時に、目の前にヒッキーがいるのを見つけた。

 

 意外だったのでちょっとドキッとした。

 

 しばらく見てると、なぜか台所用品のコーナーで、ちっちゃなまな板と果物ナイフを選んでいた。

 

 家で使うんだろうけど、ヒッキーが料理道具買ってるって……なんか珍しいもの見れたかも。あ、でも専業主夫になりたいとか言ってたし、練習してんのかな?

 

 ……え、「早く大人になりたい」ってそういう……? やっぱいつものヒッキーか!?

 

 や、でもこないだは「稼ぎたい」とか言ってたし……一人暮らしの練習??

 

 同じコーナーにある、ちっちゃいお鍋とかフライパンを見ながら、「……コレでも良かったかもしんねえな……!」とか、なんかショック受けてたりした。うーん、謎。

 

 そのあと、なぜか化粧小物のコーナーに行って、化粧水とかクリームとかを少し移して、旅行に持って行く用の小さな容器をいろいろ見比べて買ってた。

 

 なんに使うんだろ、謎! 小町ちゃんとかのおつかいかな? でも小町ちゃんスッピンだしな……化粧水くらいは使ってるのかな。ていうか……スッピンであんなカワイイとか……若いっていいよね……(しみじみ )

 

 そのうち、立ち止まって考え事し始めたので、思い切って声をかけてみたら、ヒッキー、もんのすごいビクゥっ! てなってた。ちょっとかわいかった。

 

「こっちで会うなんてめずらしいねー」

 

「お、おう……お前も買い物か?」

 

「あーうん、あたしんち、この近くだし、ときどき寄ってくの。ついつい買い過ぎちゃうんだけど……ヒッキーは?」

 

「俺は……まぁアレだ……家の用事で使うものをいろいろ、頼まれものを、な……」

 

 ふーん、やっぱ小町ちゃんのおつかいかー。

 

 ……っと、そうだ、せっかく学校の外で会えたんだし、もうちょっとくらいおしゃべりしたいぞ……! なんかいい方向に話をもってきたい……!

 

 せっかくだしいっしょにサイゼでドリンクバーでも……や、ダメ! いきなりすぎる。しかもサイゼって。せめてサン○ルク……!

 

 あっ、待てよ! 切り札あった! パセラのハニトー!! 文化祭のとき約束して、けっきょくまだ行ってなかった! ……や、でも平日だし、今から千葉行っても遅くなっちゃって悪いかなァ……!?

 

 とかなんとか一瞬でいろいろ考えてるうち、ヒッキーは「あ、じゃあな……また明日な」って言って、さっさとレジへ向かってしまった。

 

 引き止めるのもアレだったから、そのままお店を出るまで見てるだけしかできなかったんだけど……。

 

 やっぱ、なんかおかしい……!

 

 

☆★★☆

 

 

 そしてまた、何日かあとのこと。

 

 休み時間に教室でスマホをいじってるヒッキーの近くを通りがかったとき、

 

「ジョイフルか……いやロイヤルでもいいか……?」

 

 ってつぶやいてた。

 

 そのときはわからなかったけど、あとで思い出した。たぶんジョイフルって、なんかさいきん東京とか四街道(よつかいどう)とかにできた、九州生まれのファミレスだったと思う。じゃ、ロイヤルってロイホ(ロイヤルホスト)のことかな……? ハッキリとはわかんないけど。

 

 ヒッキーってサイゼが好きなイメージだったから、なんか意外。

 

 ま、サイゼってホント、駅前ちょっと歩いたらだいたいどこでもあるし、たまには他のお店にも行きたいって思ったのかもだけど。

 

 

 

 

 でも……、ただファミレスを調べてただけで、放課後の部室であんなにそわそわしたりはしないと思う……!

 

 完全下校のチャイムが鳴って、部活が終わったと同時に「じゃ、お先」とか言って、ヒッキーはまた、ささっと出てっちゃった。

 

 むぅ……。

 

 なんかおかしい、ホントなんかおかしい!

 

 や、何がおかしいかって言われても、答えようがないんだけど……!

 

 あれだ、「女のカン」ってやつ!!

 

 

 

 

「……最近、比企谷(ひきがや)くん、帰るのが早いわね。部活の終わりまではきちんといるから別にいいのだけれど……」

 

 ゆきのんが、部室のトビラにカギをかけながらつぶやいた。

 

「あ、ゆきのんもそう思う? さいきんヒッキー、なんか様子がヘンっていうか……、今日も教室で、なんかファミレスとか調べてたっぽいし」

 

「ファミレス? ……ああ、あのドリンクバー? だったかしら……とかがある……」

 

 ゆきのんがちょっと首をかしげて、思い出すように言った。そのままなにか考えながら職員室へ歩きはじめた。あたしも並んで歩く。

 

 ゆきのん、ホントふだんファミレスとか行かないんだろーなー。セレブ! マックとかケンタとか連れてったらどんな顔するんだろ? 超おっかなびっくりでメニューとか見たりするのかな。やだかわいい! そのうちつれてきたい!!

 

「でも、それを調べているのが変な様子なの?」

 

「や、なんか、ジョイフルとかロイホとか、あんま行かなそうなところ調べてたっぽくて」

 

 あたしはゆきのんに、ジョイフルとロイホを簡単に説明した。

 

「……確かに、どちらかというと気軽に入れるお店なのだし、ただ行ってみたいだけなら、うなるほど悩んで調べることはないわよね……」

 

「うん、あたしもそう思う」

 

「……何か、必要性があったのかもしれないわね。あまり行かない、けれど自然に入店できて、価格も高すぎず、という場所を調べる必要性が……」

 

 ふと、なにかを思いついたように、ゆきのんが細いあごに手を当ててつぶやいた。

 

「必要性……? た、たとえば、どんな……?」

 

 あたしの質問に、ゆきのんはちょっと足を止めて、「ただの推理だけれど」と前置きして、

 

「……知り合いに見られずに、誰かと会う、……たとえば、そういう必要性が」

 

 と、ぽつりと言った。

 

 

 

 

 きゅっ、と、胸の中をつかまれたような気がした。

 

 

 

 

 このときからあたしは、……まだ言葉にならないけれど、なんだかイヤな予感をずっと、胸の中に持つようになっちゃったのだ。

 





【いちおう解説】



「雰囲気」のことを「ふいんき」と言わせてるのはキャラ上の演出です。演出ですよ!



 八幡のひとりごとの、「ジョイフルかロイヤルか」は、ファミレスではなく、銀マットを買いに行く店を「ジョイフル本田」にするか、「ホームセンター ロイヤル」にするか、を悩んでる時のものです。結局八幡は「ロイヤル」に行きました。

 ちなみに九州人の私にとって、九州・大分県発祥のジョイフルは、「THE・ファミレス」というほど標準的な存在です。料理おいしいですよ。


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(2)雪ノ下雪乃はやはりアドリブと恋愛論に弱い。(対:その32〜34)

【傍編に関するおしらせ】

 最近大河ドラマ「真田丸」の真田昌幸(草刈正雄さん)を見ていると、なんだか比企谷父をイメージしてしまう、どうもGrookiです。

 傍編、今回は雪乃視点の回です。この娘の視点で書くのむずかしいわ……! 色々ほころんでると思いますが、ご容赦ください。

 繰り返しになりますが、彼女たちの現時点での行動は、

「完全な勘違いにもとづく」

 という点を踏まえてお読みいただくと、よりお楽しみいただけます(笑)。

 ではどうぞ。



 最近、由比ヶ浜(ゆいがはま)さんの様子がおかしい。

 

 比企谷(ひきがや)くんへ向けている意識が、普段よりずっと過敏になっているのが、空気から伝わってくる。

 

 今も私の横に座って、比企谷くんに対して何やら目で念力のようなものを送っている。

 

 当の比企谷くんはといえば、自分のスマートフォンで一所懸命、何かを検索していて、そんな由比ヶ浜さんの様子に気付きもしない。

 

 その態度が更に由比ヶ浜さんの念力を強めさせている。そろそろ机くらい浮くんじゃないかしら。

 

 ……なんだか居心地が悪い。

 

 何日か前、二人で、比企谷くんの最近の帰りが妙に早いという話をした折、私がたわむれに推論を話したことが原因だろうか。

 

 そうだとしたら申し訳ない。あの時はすぐに「何の根拠もないのよ」と付け加えたけれど、彼女はそれからずっと浮かない顔をしていた。

 

 ……あれは良くなかった。反省ね。

 

 どうしたものかと、少し困っている。

 

 

 

 

 由比ヶ浜さんが恋をしているのは、最初に出会った時から薄々分かっていた。本人は決して明らかにしないけれど、これまでの言動からも、ほぼ間違いないと思う。

 

 

 

 

 しかしまた……、難儀しそうな男を好きになったものね。

 

 比企谷八幡(ひきがやはちまん)くん。

 

 由比ヶ浜さんのクラスメイト。奉仕部の一員。

 

 性格も思考回路も捻くれていて小賢しく、声に張りはなく、猫背(猫に失礼よね)。

 

 数多くの痛ましい過去を持っている様子の、へりくつ屋のぼっちくん。

 

 極度のシスコンというのもあったわね。

 

 とはいえ、いわゆる非行少年や不良の類ではないのだけれど。

 

 与えられた仕事は文句を言いながらもきちんとこなすから、万事につけ不真面目というわけでもない。

 

 常人では及び腰になるような汚れ仕事を、いとも平然とやってのけるところは、ある意味評価に値するのかもしれない。文化祭では、その性質を遺憾なく発揮していた。

 

 あとはそうね、あの姉の外面を一瞬で見抜く程の人間観察力は大したものだわ。そこは率直に褒めてもいい。

 

 意外と読書家らしいのは唯一のプラスポイントね。

 

 ……褒め過ぎかしら。

 

 しかし、これらのどの点も、直ちに女の子に恋愛感情を抱かせるほどのものではないように思う。現に私だって、日々、由比ヶ浜さん並には彼と顔を合わせているけれど、彼にそこまで特別な好意は抱いていない。……友達でも、ない。

 

 部員としては、まぁ、面白い人材だと思う。

 

 

***

 

 

 ちら、と腕時計を見る。そろそろ完全下校時刻ね。

 

 今日も奉仕部には依頼なし。おかげで読書が捗った。それもどうなのかしら……。

 

 今読んでいるのはミステリー小説。解決編までもう少しという所。

 

 もう二、三ページ読んでしまおうか、少し迷っているところへ、彼のつぶやきが漏れ聞こえてきた。

 

「不審者にはなりたくないな……」

 

「……無理よ。不審者くん」

 

 いきなりの意味不明な発言だったので、捻りもせず反射的に返してしまった。

 

 今ひとつね……今日は調子が悪い。

 

 むっとした様子で不審者くんが反論してくる。

 

「俺のどこが不審者というんですか雪ノ下さん……文化祭でも体育祭でも身を粉にして学校のために尽力しつつ他人を立ててた素晴らしい引き立て役んでしょうが……」

 

 あら、根に持ってるのね。嬉しいわ。あれは私としてもなかなかの出来だった。

 

 由比ヶ浜さんがクッキーにむせていた。

 

「まぁ一つ一つ挙げていくと枚挙に暇がないけれど、主に……」

 

 その腐れきった目かしらね。にっこり微笑んで不審者くんにそう言ってやろうと思って、私は読んでいた本から顔を上げ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――あまりの衝撃に、一瞬息が止まった。

 

 今日初めて私とまともに視線を合わせた比企谷くんは、別人かと思うほどに、キラキラと澄んだ瞳をしていた。

 

 いいえ……、澄んだ濁ったのレベルじゃないわ。もうなんというか、直径が違う。

 

「……?」

 

 言葉を失っていた私を訝しむように、比企谷くんは眉をひそめて首を傾げた。

 

「その……、目……とか」

 

 なんとか平静を装い、そう返した。

 

 嘘は言っていない。本当に不審だわ、逆に。

 

 努めてさり気なく、私は本に視線を戻した。が、急にいたたまれなくなり、後ろを向いて残っていた紅茶をカップに注いだ。

 

 ……信じられない。本当に彼、比企谷くんなの!?

 

 すると横から、由比ヶ浜さんが遠慮がちに空のマグカップを出してきた。彼女は黙って、比企谷くんに見えないように、目だけで彼を示しながら小さく頷いた。

 

 ……!

 

 彼女も気付いているのね……比企谷くんの変化に。

 

 おかわりの紅茶を注いであげると、彼女はそれを受け取りながら比企谷くんに話しかけた。

 

「そ、そういえばさ、ヒッキーなんか今日いつもよりすごくダルそうだったけど、体調悪いの? 風邪?」

 

 えっ?

 

「ああ、いや、ちょっと筋肉痛でな……もう大分よくなった」

 

 比企谷くん、体調が悪かったの?

 

 全然気付かなかった。由比ヶ浜さん……、彼を本当によく見ている。

 

 ……体調が悪いと瞳の直径って変わるのかしら。瞳孔は開くと言うけれど。それは死んだときね。

 

「ふーん……なんかスポーツでもやったの?」

 

「いやまぁ、……日曜にちょっと、荷物運びとか、をな」

 

 ただただ動揺していた私の目の前で、由比ヶ浜さんはとても自然に、比企谷くんとの会話を進めていた。

 

 由比ヶ浜さんの「へー……」と、溜め息のような返事と同時に、完全下校時刻のチャイムが鳴った。

 

 比企谷くんが今日もまた、さっさと出て行こうとした時。

 

 いつもなら彼が出て行くまでじっと見つめている由比ヶ浜さんが、今日はなぜか、彼へは軽く挨拶しただけで、私ににじり寄ってきた。

 

「あ、ゆきのん! あたし今日アウトレットパーク行きたいんだけど、方向一緒だし、よかったら一緒に行かない? G△Pとかfr○ncfr○ncとか見たいんだぁ〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の目が「お願いだから一緒に来て」と懇願していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……いいわね。私も少し買い物しようかしら……。ちょうど新しいバスルームキャンドル買いたいのよね……」

 

 何とか会話を合わせる。

 

 ちょっと……! 勘弁して頂戴、由比ヶ浜さん……。私、アドリブ苦手なのよ。

 

「え、お風呂でキャンドルつけるの? すごい! かわいい!!」

 

 話に食いついた由比ヶ浜さんは、またすぐ私の言葉を待つ姿勢に入った。

 

 ……えっ、この会話続けるの!?

 

「そ……その日の気分で香りも変えられて結構リラックスできるの……最近始めたのだけれど、なかなか良くて」

 

「わー、いい!! あたしもキャンドル見よーっと!!」

 

 テンションの高い声を出しながら、彼女の目は全然笑っていなかった。

 

 ちなみにバスルームでキャンドルを()いているのは本当だった。文化祭での仕事が終わった後、気分をリフレッシュしたくて、何となく買ってみたのだけれど、意外に心地良くて気に入っている。

 

 比企谷くんが部室を出て、扉が閉まると同時に、由比ヶ浜さんは深く息を吐いた。

 

「……あたしたちも、行こっか……?」

 

 さっきまでとは打って変わって、彼女の声は消え入りそうだった。

 

 

***

 

 

「やー……今日のヒッキー、マジヤバイっていうか、すごかったよね……! いつも以上にスマホばっかさわってるし、あとあの目!! 見た!? あたし気づいた瞬間クッキー噴き出しそうになっちゃって……! マジビビったっていうか……」

 

 海浜幕張駅内のカフェで、由比ヶ浜さんは弱々しい笑顔を辛うじて保ちながら、私に話し続けていた。

 

 彼女が両手を添えているカフェラテの泡は、大分溶けてしまっていた。

 

 何気ない雑談の中に紛れ込ませるように話しているけれど、すでに同じ事を五度も六度も繰り返している。

 

「ええ、そうね」

 

 私はオレンジジュースを飲みながら、由比ヶ浜さんの話に、五度も六度も、根気強く相槌を打っていた。

 

「ヒッキーって、なんかに夢中になったらあんな風になるんだねー……」

 

「そうね。まるで子どもみたいだったわね」

 

「親戚のお兄ちゃんでね、今はもう社会人で結婚してるんだけど、プラモとか好きでさ、小さいころ家に遊びに行って、いっしょうけんめい作ってたのを横で見てたこと、あるんだけど、目をすっごいキラキラさせててさ、今もそんなカンジなんだって奥さんが言ってて。まぁ今日のアレほどじゃないけど……もうホントね、ちょうどクッキー食べてた時だったから噴き出しそうになって……マジ何なんだろねー……」

 

 

 

 

 ……これは相当危ういわね。

 

 さっきの部室での自然な振る舞いは何だったのかしら……?

 

 私はといえば、逆に、場を離れて冷静になるにつれ、比企谷くんのあの変貌は、驚きはしたものの、決して忌避すべきものではないように思えてきた。

 

 何があったかは知らないけれど、とりあえず、あの腐れきっていた目が人並みに……いえ、人並み以上にキラキラと輝き出したというのは、奉仕部的にも学校的にも社会的にも、大変良いことだ。

 

 顔の他のパーツはそこそこ整っているだけに、その……、確かに、全体的な見た目も、多少格好良くなっていると言えなくもない。

 

 ただ、由比ヶ浜さんだけは、それを歓迎できないようだ。

 

 好きな人が格好良くなったのが、嬉しくないのかしら?

 

 ……! 間違っていたらごめんなさい。由比ヶ浜さん、あなたひょっとして、腐れ目フェチなの?

 

 だとすると、謎が全て解けるのだけれど……!!

 

 

 

 

「……ヒッキーさ……」

 

 フェチヶ浜さんは、カフェラテをこくりと一口飲み、

 

「……好きな人、できたのかも」

 

 カップの中で揺れる僅かな泡を見つめながら、苦しげにつぶやいた。

 

 ……は?

 

「スマホも……LINEとかメールとか……デート場所探しとか、してるのかも……」

 

 もう彼女に笑顔はなかった。今にも泣き出しそうなのを、必死で抑えているのが分かった。

 

「筋肉痛って何……? 荷物運びであんなキレイな目になるワケない……!!

 

 土日の休みの間中、ホントは……誰と、何してたの……!?」

 

 

 

 

 私はその瞬間、了知した。彼女の考えを。

 

「由比ヶ浜さん、あなた……」

 

 顔が熱くなってくる。一瞬、ほんの一瞬だけ想像してしまった不潔な映像を頭から消したくて、私は指でこめかみを強く押した。

 

「ゆうべ、夢、見ちゃって……」

 

「夢……?」

 

 目のすぐ横に指の圧力を感じつつ、聞き直した。

 

「ヒッキーがね、……たぶん、年上だと思う、女の人と、その……イチャイチャしたり、見つめ合ったりしてる夢……!

 

 ただの夢なんだけどね、バカだなーって自分でも思うんだけどね……、でも、なんか、ああ、そうなのかなって思っちゃって……!」

 

 

 

 

 呆れた……!

 

 論理も何もあったものじゃない。彼女の言ってることはただの暴走した妄想だわ。

 

 彼のどこをどう見てそんな――――

 

 

 

 

『車と金が欲しい……』

 

『早く大人になりたい……のかな』

 

『まぁ、……ちょっとやりたいことがあってな』

 

『いっぱしに稼げるようにならないと……』

 

『不審者にはなりたくないな……』

 

 

 

 

 比企谷くんのこれまでの言葉がフラッシュバックした。

 

 ああ、なるほど……。

 

 比企谷くんはここ最近、なにかやりたいことがあって、一人前の地位と収入を得たいと……大人になりたいと、そう言っていた。

 

 そしてそれが何なのか、由比ヶ浜さんにも私にも、秘密だと言った。

 

 比企谷くんに恋する由比ヶ浜さんとしては、それを、「自分以外の年上の女性を好きになった」、と捉えてしまうのは、仕方ないのかもしれない。

 

 たしかに、お金も車も持っていない一介の男子高校生が、年上の女性……大学生か社会人か……を好きになった時、彼女たちの恋人に足る要素・ステータスは、外形的には無いに等しい。女子高生というだけで飛びついてくる男どもがいるのとは対称的ね。

 

 同じ高校生が相手なら、ことさらお金と車を持つことに執着する必要はないと思うし。

 

 

 

 

 しかし……、現時点ではまだ仮説に過ぎない。確証が何もない。

 

 そして、もしこの仮説が実証されたとしたら……私には何一つ、打つ手がない。人の恋愛を、心の問題を、どうこうできる権限など、私にはない。

 

 けれど、それでも、目の前で泣きそうになっている彼女に、できる事はしてやりたい。

 

 ……友達、だもの。

 

「由比ヶ浜さん」

 

 私は一つ呼吸をして、由比ヶ浜さんにゆっくりと話しかけた。

 

「ゆきのん……?」

 

 由比ヶ浜さんは不安げに顔を上げる。

 

「ごめんなさい……、私、こういう話は本当によく分からなくて……あなたに有用な助言は出来そうにないわ。ただ……」

 

「……ただ……?」

 

「平塚先生に、少し相談してみたいと思うの」

 

「平塚先生に?」

 

「もし、あなたの予感が当たっていたとして、もちろん、平塚先生といえども、比企谷くんの恋路をとやかく言う権利はないわ。私や、あなたにもね。

 

 けれど、今のように部内の空気が淀んでしまっているのは、部長としても耐えられないの。だから、せめてそれだけは解消したい。そのために、顧問である平塚先生に相談したいの」

 

 由比ヶ浜さんの顔が、一瞬、捨てられた子犬のように見えた。

 

「……ご、ごめん……あたしのせいで、ふいんき悪くしちゃってたかな……!? 

 

 そ、そんなつもりじゃなくて……!! こんな話、もうやめy」

 

 私はみなまで聞かず、冷えきったカフェラテのカップをなおも包んでいる由比ヶ浜さんの両手に、自分の両手を添えた。少し力を込めて。

 

 由比ヶ浜さんはハッと息を吸って、私を見つめてくる。

 

「もっと平たく言えば……、私の友達にここまで辛そうな顔をさせているあの男を、是非ともとっちめてやりたいのよ。それは彼の恋路とは、また別の話。

 

 だから、平塚先生にも協力してもらうのよ」

 

「……!」

 

「彼を締め上げて、何があったのか全て白状させる。黙秘権など認めない。

 

 どんな事実が出てくるかは分からないけれど、今の状況よりは、ずっと良くなるはずよ。なぜなら……」

 

 由比ヶ浜さんの瞳に、うるうると涙が蓄えられていく。

 

「知って初めて、有効な対策も立てられるのだから」

 

「ゆ、ゆきのん……!!」

 

 由比ヶ浜さんはカップから手を放し、私の両手をきゅっと握ってきた。私も握り返す。

 

 頷く彼女の瞳から、数粒の光が漏れ落ちた。

 

 お世辞抜きに、由比ヶ浜さんのことを、可愛らしい女の子だと思った。

 

 無責任な保障はできないけれど、彼女が本気になれば、比企谷くんをその年上の誰かから奪い返すことも不可能ではないと、そう思える。

 

「早速、明日の部活終了後にでも、平塚先生の所に行きましょう。先生が嬉々として比企谷くんの口を割らせてくれるように、相談の仕方を工夫しなければ……」

 

 常日頃から結婚したいとぼやいている平塚先生。ぼっち仲間として何かと目をかけてあげているあの比企谷くんが、自分の知らないところで恋に目覚めたようだ、などと聞いたら(しかも年上と)、どんな反応をするだろうか。

 

 うまく心理を誘導すれば、青春への嫉妬心を大いに燃え立たせて、優秀な拷問官になってくれるはず。私達も手を汚さなくて済むわね。

 

 などと策を練っていると、私の気分も徐々に上向いてきた。

 

 ……もしかしてこれが、いわゆる「恋バナ」というものなのかしら? 楽しいし。

 

「お、お手柔らかにおねがいします……!」

 

 由比ヶ浜さんにも笑顔が戻った。若干ひきつっていたけれど。

 

「ああ、それから由比ヶ浜さん。正しくは『ふいんき』じゃなくて『ふんいき』よ」

 

「……えっ、そうなの!? ずっとふいんきって思ってた……ふんいき、ふんいき……」

 

「『ふんわりとした雰囲気(ふんいき)』で覚えるといいわ」

 

「ふんわりとした雰囲気、ふんわりとした雰囲気……えへ、なんかコレ、いいね! おまじないみたい」

 

 思いつきで言ったフレーズを、由比ヶ浜さんは気に入ったようだった。少し表情に力が戻っている。

 

 良かった。

 

「さ、買い物に行きましょうか。」

 

「うん! あたしも今日はバスキャンドル買って帰る! ふんわりとした雰囲気!」

 

 二人で並んでカフェを出、駅の南口に向かう。目の前の広場を左へ行けば、すぐそこにアウトレットモールの入り口がある。

 

 考えてみれば、学校帰りに由比ヶ浜さんと二人きりで過ごすというのも、久しぶりな気がする。

 

 キャンドルだけでなく、時間の許す限り、一緒に色々と見て回るのもいいかも知れないわね。

 

 

 

 

 ……けれどこの時、私達は知らなかった。

 

 まさに同じ頃、比企谷くんと平塚先生が、濃厚な時間を共有していたことを……。

 

 




【いちおう解説】

 「比企谷くんと平塚先生が濃厚な時間を共有していた」=「なりたけで二人してラーメンを食べていた」です。しかも先生は味噌ラーメンの超ギタです。極濃ですね。


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(3−1)あのころは、平塚静も、ほんとに、少し、おかしかったのでございます。(対:その35〜37)

 【傍編に関するおしらせ】

 静ちゃんにプロポーズして断られたい(断られるのかよ)、どうもGrookiです。

 しつこいようですが、傍編での女子キャラたちの行動は、

「完全な勘違いにもとづく」

 という点を踏まえてお読みいただければ、よりお楽しみいただけます……。

 が。

 今回の人物の「勘違い」は、他の二人とだいぶ性質が異なっています……!

 力を入れ過ぎちゃって分量多くなったので、二話に分けてお送りします。

 なお今回のお話では、太宰治「葉桜(はざくら)魔笛(まてき)」(1939年初出)を、タイトルの一部および本文中で引用しました。

 五〜十分くらいで読める短編小説で、名作の一つです。高校の現代文の教科書に載っていました。青空文庫で全文が読めます。


 では、どうぞ。




 最近、自分自身の様子がおかしい。

 

 婚活パーティや合コンの情報から、少し遠ざかっている。以前は、それはもう、飢えた狼のようにその手のものにはガッついていたのだが。

 

 まったく気が乗らないのだ。

 

 別に連戦連敗でついこの間もパーティを追い出されたからって負け惜しみを言っているわけではない。

 

 ……なんだか、だんだんと、白々しく思うようになってきたのだ。あの時間と空間を。

 

 

 

 

 少し前、自宅で現代文の指導書を開いて授業計画を立てていた時に、掲載されていた太宰治の「葉桜と魔笛」を久々に読み(ふけ)り、ボロ泣きした。声を噛み殺して、本当にボロボロ泣いてしまった。

 

 初めてこれを読んだのは、私自身が高校生の頃、やはり現代文の授業でだった。

 

 作中の「妹」は、病で死に(ひん)している中、まともに恋愛をしなかったことを後悔していた。自分のからだに、こころに、授けられていたその可能性を活かさなかったことを嘆いていた。

 

「あたしの手が、指先が、髪が、可哀そう」

 

 この「妹」の一言は、当時、思春期全開だった私にとって、ほとんどトラウマといえるほどに強烈だった。

 

 幸い私は健康そのもので、さしてお悧巧(りこう)でもなかったので、その後、そこそこ恋愛は経験した。結果はどれも散々だったが……。一番最後のなんかは、別れと共に家具もあらかた奪われてしまった。あの時も泣いたなぁ……。

 

 しかし、そんなすったもんだを経て、いい大人になった今でも、ふとしたはずみで、この「妹」の言葉が私の胸の内に重く響いてくることがある。

 

 私の手は、指先は、髪は、相変わらず可哀そうだと。

 

 

 

 

 解っている。大人になった今なら、はっきりと解る。

 

 あの「妹」の言葉は、恋に恋する乙女の初心(うぶ)な嘆きなどではなかった。そんなかわいい、生やさしいものではなかったのだ。

 

 あれは、強烈な、生への渇望(かつぼう)なのだ。

 

 生きているという実感、喜び。生きていて良かったと言える充実感、満足感。

 

 彼女は「女」として、「恋愛」という媒体をもって、それをこそ得たかったのだ。

 

 愛する、愛されるという経験を通じて、それを全身全霊で感じたかったのだ。

 

 「妹」が作中で、病で死にゆく者として描かれているのは、そのことを強調するためだ。

 

 しかし。

 

 私は解っている。彼女の齢を越えて、すっかり大人になった今、知ってしまっている。

 

 恋愛すれば素晴らしい人生が手に入るわけでは、決して無い。

 

 それは、どんな男からでも与えてもらえるようなものでは、決して無い。

 

 ましてや、自分を多少なりとも偽って、装って、いろいろなことに妥協して、適当な男を引っ掛けることで獲得できるものでも、決して無い。

 

 そもそも、恋愛に、適切妥当などという概念は有り得ないはずなのだ。

 

 恋愛によって、自分の人生を素晴らしいと思えるとすれば……陳腐な言い方だが、「真実の相手」「真実の愛」。これを得ることができた時のみだ。

 

 そう、それを得なければ、意味が無いんだ……。

 

 解って、いるんだ。

 

 

 

 

 ……などと、現代文指導書の模範解答には絶対採用されないような自己投影の過ぎる解釈を展開してしまった。

 

 間違ってもこんな生々しい読書感想文は提出するなよ。私なら本気で心配して親を呼ぶぞ。

 

 

 

 

 まぁ、そんなこともあって、最近あまり婚活にも恋人探しにも、身が入らない。

 

 こういうのを他人や外の組織の提供する機会に頼ろうとすると、少なからず自分自身への「妥協」を迫られる。

 

 いや別に「結婚したければ贅沢(ぜいたく)言うな、理想は捨てろ」などと言われるわけではない。実際はもっと建設的な話をしてくれる。

 

 むしろ、いちど自分を客観的に分析してもらい、より適切な自己認識をもって、現実的な相手探しをできるようになる、という意味では、実に有意義だと思う。

 

 ちなみに当時のコンサルタント(担当相談員)によれば、私は、真っ先にタバコをやめて熱い漫画・アニメ好きなのを少し隠して休日に一日中酒飲むのを控えて料理のレシピで女子力高いものをいくつか覚えて(肉じゃがとか、と言われて笑った)自分のことばかり話さず聞き上手になって車もヴァンテージ(アストンマーチン)からラパンあたりに乗り換えれば、かなり高レベルな相手から見初(みそ)められる可能性が大いにある、とのことだった。実に建設的で有意義な助言だな。はっはっは。

 

 クソ食らえだ。

 

 ……単純な話なんじゃないのかよ。

 

 平塚静を本当に好きになってくれる人を、平塚静は本当に好きになりたいだけなのにな。

 

 

////

 

 

 というわけで、むしゃくしゃしたのでハーレーを買った。

 

 XL1200Vセブンティー・ツー。

 

 ハーレーのラインナップのうち、「スポーツスター」と呼ばれるカテゴリーの、比較的細身のモデルだ。とはいえエンジン容量は1200ccオーバーのれっきとした大型バイクである。

 

 色は赤をベースとして、贅沢にラメ(メタルフレーク)がふりかけられた「ビッグレッドフレーク」。うっとりするほど美しい塗装だ。

 

 外見上のわかりやすい特徴は、「チョッパースタイル」。カスタム(改造)したハーレーでよく見る、腕を高く持ち上げてハンドルを握って運転する、あの雰囲気をノーマル状態から持っていることだ。このスタイルは、1970年代のロサンゼルス東部で流行ったものらしい。マシン名の由来は、ロサンゼルス近郊の有名なクルージングコースである「ルート72」から。

 

 実際、ハンドル位置は肩よりも高い。ステップ(足置き)も前付きなので、乗った時には、まるでマカンコウサッポウの写真でふっ飛ばされてる奴のような(例えが悪いか?)かっこうになる。

 

 この体勢で運転すると、高速走行時には風圧で全身が後ろに流される。足も前に投げ出しているので踏ん張りが効かない。純正のシートだと小さく薄すぎて、高速で長距離を走るとお尻が痛くなる。そこで、カスタムになるが、フォルムをぎりぎり損なわない範囲で、お尻のホールド感をアップさせつつクッション性を高めるシートへと交換してもらった。ま、多少はマシくらいのものだが。

 

 後は細かいところだが、純正タイヤの内側に「ホワイトリボン」と呼ばれる、白いラインが描かれている。これがなかなかクラシックな感じでかっこいい。

 

 ……納車された時のテンションの上がり方は、やばかった。

 

 目の前に本物のハーレーのバイクだぞ。しかも、私のものなんだぞ……!!

 

 重度のバイク好きがよく使う「(バイクを)抱いて寝たい」という表現、けだし至言だ。

 

 中古とはいえ、状態のいいやつでしかもカスタムありなので、ちょっといい軽自動車を買うくらいの値段はした。しかし軽自動車では、この興奮は絶対に味わえない。

 

 買って良かった……!!

 

 いいか諸君。ラパン買うよりハーレー買え!!!!

 

 

 

 

 で、さっそく十四号(国道)を何往復か流してみた。本当はもう少し遠くへも行きたかったが、月曜だったし、さすがに手に入れたばかりだったから、今回は走り慣れている道にした。

 

 いやしかし、最高だった……! ハーレーとしては華奢(きゃしゃ)な部類に入るかも知れないが、エンジンサウンド、スピードの伸びがとても力強いのに、ハンドルの取り回しは軽く、操作性は案外悪くない。

 

 走ってると何だかだんだん愉快になってきて、ヘルメットの中でニヤニヤしながら歓声を上げたり笑いが止まらなくなったり、フルフェイスでなければ完全に不審者な状態だった。

 

 登戸(のぶと)辺りのサイゼリヤ前で信号待ちをしていると、横の車線にミニバンが止まった。

 

 後部座席から小学校高学年くらいの少女が、こちらを見ていた。三つ編みの、上品そうな雰囲気の娘だった。

 

 隣でごついバイクに乗っている私が、女だと分かったのだろう。少しびっくりしている風だった。

 

 私はヘルメットのバイザーを上げ、少女にウインクしてみせた。

 

 少女の瞳が見開かれ、頬がぱぁっと桜色に染まった。

 

 信号が青になったと同時に、そのミニバンをぶっちぎってみせた。

 

 うっはっはっは――っ!! 落としたかな!? いたいけな少女をたった今、恋に落としちゃったかな!?

 

 やっべ――、私カッコイ――!! 今日の私、完璧ィ――ッ!!

 

 

 

 

 あまりにもカッコ良すぎて腹が減ってきたので、このノリで久しぶりに千葉の「なりたけ」で超ギタでもキメるかと、ナンパ通りへと向かった。津田沼の本店でも良かったんだが、近い方を選んだ。

 

 店の看板前に乗り付けようとしたら、まさしく目の前に総武高(ウチ)の制服を着た男子生徒を発見した。

 

 猫背にアホ毛。見慣れた体格と歩き方。間違いない。彼だ。

 

 2年F組、比企谷八幡(ひきがやはちまん)。私が顧問をしている奉仕部の部員だ。

 

 エンジン音に驚いて、比企谷が立ち止まってこちらを振り返った。

 

 はて、彼の家は、確か高校からは真反対の方角だったはずだが。

 

 ……さては月曜から遊びまわっていたな? 気が合うじゃないか!(笑)

 

 進学校(づと)めの生徒指導教諭としては、こんな時間にこんな所をうろうろしてる生徒には、指導(ブリット)のひとつも食らわせるべきかも知れないが……まぁ、ハーレーオーナーになった良き日にケチを付けたくもないし、今日は特別、大目に見てやろうっ。

 

 それに……。

 

 いや、まぁ。

 

 私はハーレーのライトを(まぶ)しそうに浴びている比企谷に、声をかけた。

 

 光のせいか、彼の瞳が妙にキラキラ輝いていた。

 

 

////

 

 

 帰宅して風呂に入り、缶ビールを軽くひと缶(500ml)空けてベッドに潜り込んだ辺りで、今日の比企谷との事が、頭の中にじわじわと蘇り始めた。

 

 私は何をやってしまったんだろうか……。

 

 相手が比企谷だからと、ちょっと調子に乗りすぎてしまったかな……。

 

 

 

 

『ヘーイ、そこのイカしたカノジョ! 俺と「一蘭(いちらん)」行かなーい?』

 

 比企谷のセリフを思い出し、再びツボに入ってベッドの中でジタバタしながら笑う。

 

 ナンパしながらもぼっちを貫く姿勢を崩さないとは。アレはやられた。言ってる時、顔真っ赤だったし。

 

 

 

 

『先生……また俺と、ラーメン食べてくれませんか……? あの夏の日のように……』

 

 そして、あんなフザケたセリフの直後にこれは、……ずるい。

 

 比企谷が、今日はなぜか、キラキラした美青年にすら見えてしまって、笑ってごまかすのが大変だった。

 

 アホか私。

 

 でも、あの時は、本当にちょっとドキッとした。

 

 

 

 

 あの時とは……どっちもだ。あの夏の日も、今日も。

 

 今日は特に。

 

 

 

 

 アラサーの教師が高校生、しかも自校生徒を相手に何を考えとるか、と思われるだろうが。

 

 

 

 

 言い訳弁明自己弁護、すべてを脇にやって、ありのままの本心を語る。

 

 比企谷(かれ)との会話は、楽しい。とても、楽しい。

 

 打てば響く、という感覚を、会話で味わった相手は、これまでの人生で、実は彼が初めてだ。会話のテクニックの問題ではない。私も彼も、別に会話上手ではない。

 

 共通の趣味の話で盛り上がる、というのとも、また違う。

 

 国語教師のくせに語彙(ごい)が乏しくて情けなくなるが……「波長が合う」というのが一番しっくりくる。

 

 そういう相手は、年齢性別立場の違いなど関係なく、稀有(けう)な存在だ。私も、言ってたかだか二十七年しか生きていないが、それははっきり解る。

 

 そして。

 

 今この時、二十七歳の私が、……私の手が、指先が、髪が、

 

 最も多く触れてきた男性は、彼だ。

 

 ……まぁその、大体は指導で締め上げたり殴ったりで、なんだけれども……。

 

 ってゆっか、あ、アイツもアイツだ……! 私の目の前で無遠慮に「夢は専業主夫」などと熱く語ったりするのだもの。

 

 指導教諭だし、学校の中だから、普段は黙殺あるいは却下するしかないのだが……。

 

 私にとって、それを叶えてやることは、決して不可能なことではない。何ならすでに一度経験済みまである。

 

 彼の口からそれを聞くたび、内心、「……これ、フラグか? こいつ真正面からフラグ立てに来てるのか?」と、半ば本気で感じてしまう私がいる。

 

 十も(とし)の離れた教え子に。

 

 

 

 

 ……もし、もしも。そんな仮定など何の意味もないのだが、それでも、もしも。

 

 彼が私と同じ齢で、例えば同級生のように、何の遠慮もなく会ったり話したりできる間柄だったら。

 

 私は、

 

 

 

 

「……ばかな」

 

 くだらない、恥ずかしい、けれど少し甘い妄想を振り払うために、枕に顔をこすりつけた。

 

 私、アホになってる。

 

 結婚できないすぎて本当におかしくなってるんだ。もはや病気の域だ。

 

 明日、F組での授業がなくて、良かった。

 

 

////

 

 

 「なりたけ」の効果か、翌朝、妙にメイクのノリが良かった。

 

 いつもより少しだけ機嫌よく出勤できた。

 

 廊下で、慌ただしく駆け込んでくる生徒達と挨拶(あいさつ)を交わす。その中で、いかにも眠たそうな足取りで歩いてくる比企谷を見つけた。

 

『おはよう比企谷。ゆうべはどうも』なんて挨拶したら、また照れるかな。ふふっ。

 

 そんなことを一瞬考えていると、目が合った。

 

 

 

 

 あれ……?

 

 な、なんか、比企谷の目が、妙にキラキラして見える……!?

 

 ま、間違いなく比企谷だよな……!?

 

 どっ……、どうしたんだ、私!?

 

 一瞬混乱したが、変に沈黙すると不審がられる。と……とりあえず挨拶だ。

 

「おひゃい─ッ ……!」

 

 盛大に()んだ。ぐわぁ――っ! 恥ずっ!!

 

「……お、おはよう、比企谷……!」

 

 何とか言い直した。

 

「お……おはょざいます……」

 

 ぽかんとした顔で私を見返してくる比企谷がまたキラッキラしてて……。

 

 

 

 

 やばい。やばいやばいやばい……!

 

「ほ、HRに遅れるなよ……」

 

 かろうじてそう言って会話を打ち切り、その場を逃げ出した。 

 

 

 

 

 なんだこれ、なんだこれ!?

 

 顔から熱が引かない。胸がドキドキする。

 

 やっぱ私、病気だ……!!

 

 保健室……保健室行かなきゃ……!! っ、でも、何て言えばいい!? 「男子生徒がイケメンに見えてドキドキする」とか? 軽く職員会議ものだなこれ。私が親を呼ばれる。

 

 うううぅ……!!

 

 

////

 

 

 なんとかかんとか今日の授業を終えた頃には、朝の発作(発作という表現にしておく)のことはすっかり忘れていた。

 

 残務整理と明日の授業の用意をしていたところへ、雪ノ下(ゆきのした)由比ヶ浜(ゆいがはま)が、部室の鍵を返しに来た。

 

「先生、急で申し訳ないのですが、少しご相談したいことが……」

 

 ほう、珍しい。雪ノ下が私に相談を持ってくるとは。

 

 二人ともずいぶん深刻な顔をしている。特に由比ヶ浜の思いつめたような表情が気になった。

 

 ……これは、聞いてやらねばなるまい。厄介な依頼でもあったのだろうか。

 

 しかし、完全下校時刻以降も校舎内に残るには、事前に特別な許可が必要だ。生徒指導教諭としては、ここは徹底しなければならない。

 

 それならば……。私もちょうど、そろそろ帰ろうかと思っていたし。

 

「よし……。では、場所を変えよう」

 

 私は二人に合流場所を伝えた。

 




【いちおう解説】

①平塚先生のかつてのヒモ男との恋愛失敗談は、原作第1巻第27刷の75ページを参考にしました。ほんとに付き合ってたかは謎ですが……、先生もいい齢の大人だし、そこそこいろいろあったんだろうなぁと思います。もう俺と結婚しろよ。

②ご存知の方も多いと思いますが、平塚先生の愛車は、アストンマーチンです。つい先日まで、車種は「ヴァンキッシュ」だと思っていましたが、再度調べると、どうやら「ヴァンテージ」のようです。勘違いしてて恥ずかしい……平塚愛がまだ足りない!!(背中を自分で鞭打ちながら)

③なぜ先生にハーレーを買わせたかというと……あまり意味はありません。原作中のプロフィールで、趣味はドライブとツーリングって書いてたので、バイクも半端なものは乗っていまい、と想像してのセレクトです。ちなみに書き手はバイクの免許は持っていません。二輪は原チャしか乗れません。

 結婚できなさすぎてむしゃくしゃしてハーレーを買うという意味不明な行動ですが、恋人も結婚もできない過ぎると、人間、だいたい少しおかしくなります。ソースは俺と平塚先生。

 もうマジで俺と結婚しろよ(←)。


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(3−2)あのころは、平塚静も、ほんとに、少し、おかしかったのでございます。(対:その35〜37、その49)

【お詫びと訂正】

 平塚先生の愛車について、今の今までアストンマーチンの「V12ヴァンキッシュ」だと思ってましたが、どうやらアニメで確認する限り、フロントの形状などから見て、「V8ヴァンテージ」のようです。
 Wikiの該当箇所が変更されていたのに気付かず……恥ずかしい。

 性能的には911カレラがライバルとして射程圏内、というところです。ボンドカーではありません。

 中古価格は、3万キロほど走っていれば700万円前後であるようです。公立高校教師でもかなり厳しいけど、手が届かないとも言えない価格帯……!?

 謹んで、前回の該当部分と合わせて訂正いたします。




 稲毛海岸駅(いなげかいがんえき)の前、マリンピア本館の立体駐車場に愛車(ヴァンテージ)()め、三階へ向かう。

 

 三階フロアの端、写真屋の隣にあるカフェの入り口で、二人と合流した。

 

 このカフェはサイフォンで()れるコーヒーがなかなか旨い。遅くまで開いており、静かなので、時々仕事帰りに一息つきたいときに利用している。喫煙席もちゃんとあるのがありがたい。今日は未成年の二人に配慮して禁煙席だが、こちらは窓が大きくて夜の駅前広場を一望できる。

 

 私から店を指定した手前、飲み物はごちそうすることにした。たまにはクールで頼りがいのあるオトナなところを見せておいてもいいだろう。1杯五百円前後のコーヒーばかりなので、高校生の財布には優しくないしな。

 

「さて、話を聞こうか」

 

 淹れたてのコーヒーを一口含みながら、二人に話を(うなが)した。

 

「はい、実は……」

 

 雪ノ下(ゆきのした)由比ヶ浜(ゆいがはま)と目を合わせ、(うなず)き合って、意を決したように話し始めた。

 

比企谷(ひきがや)くんについてなのですが……」

 

 名前を聞いただけでドクンと心臓が()ねた。

 

 ぐ……、あっぶね……!! あやうく漫画みたいにコーヒーを()きそうになった。

 

「……ふむ。比企谷が、どうかしたのかね?」

 

 つとめてクールに聞き返しながら、私はコーヒーを皿の上に置いた。

 

 セーフ……! これで間違っても噴いたりはしない。

 

 ひそかに息を()みながら、次の言葉を待った。

 

「最近、部活中にそわそわしていて、どこか上の空です。部活動自体に問題が出ているわけではないのですが、その様子があまりにも変で。……そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

「ゴフゥっ!!」

 

 息と一緒に呑み込んだツバが気管の方に入って、激しくむせた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 由比ヶ浜が慌てて背中をさすってくれた。ゲホゲホと()き込みながら涙目で頷く。どんだけ器用に動揺してるんだ私……!

 

「き、気になる人って……た、確かなのか? アイツが!?」

 

 思わず雪ノ下に聞き返した。

 

 なにそれ! なにそれ!? お、落ちゅちゅけわたしゅ! ダメだ心の中で噛んでる! どうした私!?

 

 雪ノ下は一瞬びっくりしていたが、その後なぜか、わずかに微笑み、咳払いをひとつして、話を再開した。

 

「いえ、確証はないのですが、この頃、そのように連想させる行動が目立って来ています。……由比ヶ浜さん、説明を」

 

 雪ノ下に話を振られて、由比ヶ浜は目をぱちくりさせていたが、ハッと表情を硬くして、頷いた。

 

「あの、あのあの、さいきん、ヒッキーがですね……!」

 

 今度は由比ヶ浜が、報告を始めた。

 

 話の順番があっちこっちに飛んだり座り角度の法則とかどうでもいい話なんかが混ざっていたが、彼女の話を要約するとこうだ。

 

 最近、比企谷が部活中に上の空だったり、何かを一生懸命スマホで調べては()め息をついていたりしている。どうしたのか聞くと、「車と金が欲しい、早く大人になりたい、いっぱしに稼げるようになりたい」と、まるで大人になろうと(あせ)っているかのような発言をした。

 

 これまでの彼の言動からは有り得ない変貌(へんぼう)ぶりなので、理由を問うても、彼女たちにはひた隠しにしているという。

 

 また、由比ヶ浜は偶然、比企谷がどこか、人に知られず誰かと会うための場所を探している様子を目撃したという。

 

 これらのことから、雪ノ下と由比ヶ浜は、彼に好きな人が――おそらくは年上の女性――出来たのではないか、その人と対等に付き合うために、背伸びをしようとしているのではないか――、と推測したという。

 

「証拠があるわけではないので、推測の域を出ませんが、彼の部室での様子を見る限り、十分考えられます……男子高校生を、しかもあの比企谷くんを夢中にさせる女性……もし本当にいるとしたら、気になります」

 

 由比ヶ浜のたどたどしくも力のこもった説明を、横で頷きながら聞いていた雪ノ下が、私をじっと見つめながら、最後にそう付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 えっ……

 

 

 

 

 それって……

 

 

 

 

 い、いやバカな……! 何考えてるんだ、私……!?

 

「……そ、それがもし本当なら、お、驚くべき話だな……! し、しかし、正直、あの比企谷がそう簡単に女の色香に迷うというのは、なかなか考えづらいが……」

 

 よしクール! ナイスクール、私!! さすが伊達(だて)に二十七年生きてない。こんなことではまだうろたえない。

 

 ……しかし、まぁ、そうだよな……。あれほど他人を、特に異性を警戒しまくってるような奴が、まともに異性を好きになったりなd

 

「……目が」

 

 由比ヶ浜が(うつむ)きながら、ぽしょっとつぶやく。

 

「目!?」

 

 朝の比企谷の表情がフラッシュバックして、声がちょっと裏返った。

 

 い、いかん、思い出したらまたドキドキしてきた……!

 

「ヒッキー、このところずっと……目が、すごいキレイなんです……キラキラしてて! それが逆に不審っていうか……あ、アレって絶対、恋してる目だと……思っ……!」

 

 由比ヶ浜はそこまで言うと、顔を真っ赤にして声を詰まらせた。雪ノ下がそっと、由比ヶ浜の肩に手を置いた。

 

 

 

 

 ま……

 

 

 

 

 マジ……!?

 

 

 

 

 い、いいいやいやいやバカな……!!

 

 そうだ、ほんとバカだ私。なに勝手に勘違いしようとしている!

 

 客観的に考えておかしいだろ!? どんだけ自惚(うぬぼ)れ屋だ私は!!

 

 百万歩譲って、本当に比企谷に好きな人ができたのだとしよう。それが私のことだという根拠がどこにあるというんだ……!

 

 比企谷が私に、そんな風になるようなことなんて、これまで全然なかったし……!

 

 ……、

 

 ……なかったっけ……?

 

 ない……のかな……? 一個も……?

 

 

 

 

 (´;ω;`)

 

 

 

 

「……ち、ちなみに、比企谷の様子がおかしくなっ……なり始めたのは、具体的にいつ頃からだ……!?」

 

 ちょっぴり悲しくなりながらの私の質問に、由比ヶ浜は鼻をすんっとすすりながら、「え、えっと……」と思い出し始めた。雪ノ下がじっと見守っている。

 

「……た、たぶん……、こないだ地震があったじゃないですか? そのくらいからだと思います……間違いありません……!」

 

 

 

 

 地震……ああ、あったな。

 

 あの時確か、私は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………比企谷をかばって、とっさに…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「……――ッッ!!!?」

 

 顔からボフンッと湯気が出た。

 

 ちょっ、ちょっ!! いや、アレは違っ……アレは違う! そんなんじゃない!!

 

 ほ、ホントとっさに! だって怖っ、危なかっ! 生徒だし! 天井、蛍光灯とか、落ち、危な……!!

 

 いや確かにちょっとぎゅっとしたけど! 後で自分でも恥ずかしくなっちゃったくらいぎゅって密着しちゃったけども!! たまたま、ホントたまたまそのとき比企谷のうなじに唇ちゅってなったかもしれないけど……!!

 

 べべべべ別にその後なんもなかったし! アイツも普通だったし!!

 

 

 

 

 ……普通……?

 

 ……本当に、何も思わなかったんだろうか……?

 

 

 

 

 ……もしかして……もしかして……、

 

 ……えぇ――……!?

 

 

 

 

 頭の中に名も知らぬふわふわな花がぽわぽわと咲き始め、胸いっぱいに温かい泉がじわじわと湧き出した。

 

 

 

 

「……万が一、これが事実なら、私達には何を言うこともできません……恋愛は個人の自由ですから。けれど……」

 

 雪ノ下の言葉を、由比ヶ浜が食い気味に引き継いだ。

 

「な、なんか、ちょっと心配で……! だ、だってヒッキーってマジヒッキーだし、何でもわかってるみたいなカンジで(ひね)くれてるけど全然わかってなくて変なトコで弱いっていうか……ひょっとしたら、わ、悪いコト考えてる女の人に(だま)されてるんじゃないかとか、一瞬思ったりして……!」

 

「そういえば以前、おと……身内の方が、怪しげな画廊の女性にたぶらかされて高い絵を買わされたって言ってたわね。血は争えないのね……」

 

「ヒッキーのおとうさん、だまされたことあるんだ……!?」

 

 

 

 

 なっ

 

 

 

 

「だ、騙してなんかないぞ!!」

 

 失礼千万!! 私は思わず立ち上がって反論した。

 

 

 

 

「えっ」

 

「えっ]

 

 

 

 

「……あっ」

 

 しまっ……!!

 

 とっさに口元を覆ったが、もちろん手遅れだった。

 

 

 

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が、同時にガタタァッと立ち上がった。

 

「せ……先生が……!」

 

 由比ヶ浜が真っ赤な顔で泣きそうになりながらわなわなと震えている。

 

「……そういう、ことだったんですね……! 私としたことが、なぜ最初に思い至らなかったのかしら……!?」

 

 雪ノ下が悔しそうに歯噛みしながら私を(にら)みつける。こちらの顔色も赤い。

 

「や、ち、違……!」

 

 胸の中の花が瞬時に凍りついた。全身の血がサ――ッと音を立てて引いていくのがわかった。

 

 

 

 

「「先生……!」」

 

 二人が声をそろえて(聞いたこともないほど腹に響く低い声で)私に詰め寄った。

 

 

 

 

「……っ、はひ……!?」

 

 

 

 

 ()んだ……(白目)

 

 

 

 

 いや……、ここからが本番だった。

 

 

////

 

 

 二人から尋問(じんもん)を受け始めて、たっぷり一時間は経っただろうか……。 

 

 私の精神はとうに限界を超えていた。

 

 意識朦朧(いしきもうろう)となっていたので、何をどう聞かれたのか全部は思い出せないが……、しきりに雪ノ下の口から「PTA」とか「教育委員会」とか「ご両親ご親族」とかのお腹が痛くなる単語が発せられたのは覚えている。コイツの適性は絶対に検察官か拷問官だな……。

 

 雪ノ下は、そんな脅迫めいた手口を織り()ぜつつ、地震の日から今日までの、私のプライベートな時間のことを丹念にゴリゴリ(さぐ)ってきた。

 

 やめてよぉ……! 大体は仕事終わりにコンビニ行ってビール買って帰って飲んで寝るだけの単調な生活だけどたまにワンズモール方面に寄り道して「く○寿司」一人で食べてスーパー銭湯行くのがささやかな楽しみだなんて(あば)き立てるのやめてよぉ……!! あの近辺の店の充実ぶり(独り身的に)はヤバいんだって……!

 

 結局、地震の時に比企谷をかばって抱きついたことも、「なりたけ」前で比企谷に会い、ナンパしてもらったことも、白状させられた。

 

 ……てゆっか、後で冷静に考えてみれば、私と比企谷との間にはこの程度のことしかなかったんだが……、推定無罪ならぬ推定死刑の姿勢で尋問してくる二人にとっては、万死に値する十分な証拠になるようだった。

 

 さらに私の精神を削る尋問は続いた。

 

「先週の土日は何をしていましたか」

 

 メモを取りながら雪ノ下が尋ねてきた。ぱっと見はいつもと変わらないが、気配が違う。いまや絶対零度の凍気を放っている。

 

「そ……それは……ッ! こ、答えたくない……黙秘で……」

 

 それだけは……それだけは答えたくない……っ!!

 

「黙秘権は認めません。それでも黙っているなら『こちらの想像通りであることを認めた』ものとみなします。ところで先生、『千葉県青少年健全育成条例』の第20条第1項の規定をご存知ですか? ちなみに違反者は2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます」

 

「……おい、何を想像している!?」

 

 言い方が婉曲的(えんきょくてき)過ぎるだろ! エッチ! 雪ノ下のエッチ!! 実は耳年増(みみどしま)!!

 

 もちろん指導教諭として知っている。いわゆる「青少年に対するみだらな行為の禁止」規定だな。日本各地にあるこのテの条例の最重要条項だ。

 

「ど、土日はずっと一人で過ごしてた! 比企谷とは会ってないし、メールすらしていない!!」

 

「では何をしていましたか」

 

「……ッ、それは……!!」

 

「言えないということは、やはり……」

 

 それでも私はヤッてない……!! などとレーティング的にだいぶヤバい独り言を心の中でつぶやきつつ。

 

 ……仕方ない……事実無根の容疑で痴女呼ばわりされるよりはマシだ……!

 

「ほ……ホルモン……」

 

「ホルモンバランスを崩して終日()せっていたんですか? 色々大変ですね私たちも将来気をつけねば」

 

 こ、このガキ……(血涙)

 

 だが……、現実はもっと(ひど)い。

 

 とくと聞け。

 

「ホルモン……()きを……」

 

「……は?」

 

 雪ノ下が首を傾げて聞き直してきた。

 

 くそっ、泣けてくる……!! 自分でも分かるくらい声が小さくなっていく。それでも私は声を絞り出した。

 

「土曜日……ホルモンのタレ()きを……作って昼から飲もうと思って……っ! ブタの冷凍のやつを買ってきて鍋で煮たら……台所中……すさまじい(にお)いに……!

 

 ニンニクとかスパイスとか入れてごまかそうとしたんだけど……余計すごいことに……!

 

 た、耐えられなくなって、(あきら)めて捨てようとしたところで……手が滑って、床一面に……!!」

 

 臓物(ハラワタ)を……ブチ()けた……!!

 

 ……このフレーズ……なぜか懐かしい……

 

 で。

 

「必死に……掃除したんだけど……やっ……休み中、臭いが取れなくてぇ……! なんか、死ぬほど凹んで……引きこもってた……!!」

 

 ブタの臓物臭い台所の隣で、現実から目を()らすようにハーレクインをむさぼり読みながら……。

 

 羞恥(しゅうち)の涙がとめどなく溢れてくる。

 

「……証拠は……あるんですか?」

 

 雪ノ下がこめかみを押さえながら、一応聞いてくる。

 

「今からウチ来るか……? まだちょっと臭うぞ……フフ……」

 

 号泣しながら、腹の底からクックっと変な笑いがこみ上げてきた。

 

 殺せ。いっそ殺してくれ。

 

 私の中の最後の乙女は、今、死んだ……!!

 

 

 

 

 雪ノ下はそれ以上何も言わず、静かに頭を下げるとそっと立ち上がり、由比ヶ浜を連れて、泣いている私を置いて店を出て行った。

 

 ひとしきり泣いた後、私は喫煙席に移動し、新しいコーヒーを注文して、煙草に火を()けた。

 

 煙が、赤く腫れているであろう目に、よく()みた。

 

 ああそうだ。ファ○リーズ、もう一本買って帰らなくちゃ……。

 

 

////

 

 

 それからの数日は、特に何の動きもなく過ぎた。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜とは、部室の鍵のやりとりはあるが、特に何か話すでもなく、私と少し距離を置いているようだった。なに、まだ臭うか?(自虐)

 

 だが、確かに、あのカフェでの一件の後、いっそう比企谷の様子がおかしく見えてきた。

 

 今までは果てしなくダルそうに、それくらいわかってるよと言わんばかりの態度で授業を受けていたのだが、たまに目をやると、机の天板をじっと見つめながら、キラキラした目で真剣に何かを考えている。どっちにしても授業は聞いていないのでムカつく。

 

 ……いったい、何があったんだ……? あるいは雪ノ下らの言うように、本当にどこかの年上女から(たぶら)かされているのか……?

 

 私の知る限り、比企谷にそんなことをしてきそうな奴は一人しかいないが……まさかな。ありえない。あったとしたら逆に見てみたい。んで逆に本人の方が比企谷に夢中になっちゃったりしてな!(笑) なにそれヤバイ、超気になる! 10点付けざるを得ない!

 

 ……まぁ、陽乃(はるの)に限ってそんなことはないと思うが……。

 

 とはいうものの、比企谷本人にハッキリ聞いてみるのも、なんだか躊躇(ためら)われた。

 

 自分から進んで、かすかに感じた幻のようなワンチャンスを、消してしまいたくなかったのかも知れない。

 

 

 

 

 そして、金曜の放課後。雪ノ下が部室の鍵を返しに来た後。

 

 残りの仕事を片付けていると、机の上に放り出していた私の携帯が、メール着信音を鳴らした。

 

 比企谷の妹、小町くんからだった。文化祭の打ち上げの時以来だな。

 

 が、それよりも、そのメールの件名に目を奪われた。

 

 

 

 

 件名『(緊急連絡)比企谷の父です』

 

 

 

 

 親父さんから……転送メールか?

 

 緊急……? ひ、比企谷に、何かあったのか!?

 

 瞬間、彼の入学式のことを思い出し、冷や汗が(にじ)んだ。

 

 私は急いでメールを開いた。

 

 だが幸い、事故や病気などの連絡ではなかった。

 

 しかし、そこには、全ての謎の答えが書かれていた。

 

 

 

 

 「ソロキャンプ」か。

 

 ……久しぶりに見たな。この言葉。

 

 そのメールで、私は全てを了解した。

 

 アイツが今、恋してる相手が……、分かった。

 

 正直、びっくりした。アイツ、私たちに内緒で、こんなことやってたのか……!

 

 苦笑交じりの()め息をついてメールを閉じた直後、体育の厚木教諭(あつぎきょうゆ)が、私の元へやって来た。

 

「おお、平塚先生。今ちょっとええですか」

 

「はい……どうされました?」

 

 よく見ると、厚木教諭の後ろには、F組の担任も立っていた。

 

「2年F組の比企谷なんですが、明日から県南の枇杷ヶ浜(びわがはま)方面で、一人でキャンプをするとか……」

 

「はぁ、はい」

 

 あれ? なんだ比企谷、ちゃんと担任には伝えているじゃ……

 

「ああ、平塚先生はご存知でしたか。いや、私、何も知らなかったもので……。今、厚木先生に聞きまして。

 

 未成年が単身で外泊、しかも野宿など、危険じゃないかと、少し心配になりまして」

 

 F組担任が不安げにそう訴えてきた。

 

「? 比企谷は、厚木先生にだけ話していたのですか?」

 

 どういうことだ? 担任には言わずに厚木教諭に……? 比企谷はそんなに厚木教諭と仲が良かったか? いや――……?

 

 厚木教諭は、思い出すように説明し始めた。何故か顔は朗らかだった。

 

「いや、俺の親戚がちょうど、あの辺りの駐在(ちゅうざい)をしとりまして。さっき比企谷の父親っちゅう人から、事前の挨拶(あいさつ)の電話があったと言うんです」

 

 

 

 

 ……!

 

 そういうことか。

 

 事情が一瞬で理解できた。

 

 全くの偶然だが……私にも、かつて似たような経験があったからだ。

 

 比企谷の親父め……! やむをえん。合わせよう。

 

「あ、あぁー、そうだったんですか! すごい偶然ですね……!! ってゆっか、比企谷の奴、先生方には何も言ってなかったんですか? ちゃんと連絡しておきなさいと言っておいたのになぁ……いや、これは顧問の私がすべきことでした。申し訳ありません……!」

 

 シャツの下に冷や汗をかきながら、つとめて明るい笑顔で返答した。

 

「奉仕部で、秋のキャンプを計画したんですよ。あの……、夏休みに小学生の千葉村キャンプを手伝った時にですね、野外活動の知識とか、もう少し身につけさせた方が、今後役立つなぁと思いまして……!

 

 で、比企谷に関しては、ちょうどAO入試対策の相談がちょっとありまして。

 

 何か面接時のネタを与えられれば、と思っていたので、キャンプをひととおり、独力でやらせてみようかと……。まぁ、私や雪ノ下、由比ヶ浜も後で合流するんですが。あ、もちろん泊まる場所は別で」

 

 自分でもびっくりするくらいサラサラと嘘八百が口から流れ出た。

 

 いや、正直な所、かなり危うかった。両手わっちゃわちゃさせながらの説明になってしまった。

 

 よく言い(よど)まなかったものだと我ながら感心する。

 

 すると、意外にも厚木教諭が、好意的に反応した。

 

「おお、そういうことでしたか。土日は天気も良さそうだし、ええキャンプ、できそうですな。

 

 比企谷、アイツも最初は目立たんやつじゃったけど、文化祭あたりからなんじゃかんじゃ働いとるのを見るようになったし、この調子で気持ちのええ男になってくれりゃええが」

 

 ……ほう。

 

 どうやら、根暗で消極的だった男子生徒が、奉仕部での活動をきっかけに更生しつつあるという風に思ってくれているようだ。

 

 ナイス誤解!!(親指立て)

 

 いや冗談だ。喜べ比企谷。君が頑張ったことで勝ち取った、正当な評価だぞ。

 

「しかし……本当に大丈夫ですかね? 夜も結構冷えるようになってきたし、キャンプ中に変な人から絡まれて、トラブルになどなったら……。一応その、比企谷以外は、由比ヶ浜など他の部員も、平塚先生も……その、女性ばかりですし……」

 

 F組担任のなおも不安げな言葉の中に、昔感じたあの痛みを少し思い出したが、この人は良く言えば、優しくて心配症なのだということは知っている。聞き流すことにした。

 

「おや先生、ご存知なかったですか? 奉仕部(ウチ)の部長の雪ノ下は、合気道の実力者ですよ。私も格闘技には、少し覚えがありますしね。

 

 まぁ、万一の時は私の責任で穏便に対処しますので、ご心配なく」

 

 拳をコキキッと鳴らしながら、ニッコリと微笑んで見せると、F組担任の顔が少し青ざめた。ビビったらしい。

 

 女ナメんなよ。ってゆっか全然聞き流せてないし(苦笑)。

 

 意外にも、厚木教諭はその後も比企谷支持に回って、F組担任を説得してくれた。

 

 後で聞いたのだが、厚木教諭も少年時代、郷里でキャンプを頻繁にやって、たくさんの思い出があるのだということだった。

 

「海辺で友人たちとテント張って、焚火しながらバカ騒ぎして、お巡りにぶっちドヤ(めっちゃ説教)されたこともありましたわ。がっはっは」

 

 はは……(汗)

 

 

////

 

 

 厚木教諭たちが帰っていった後、私は小町くんに、返信を打った。親父さんへの転送依頼も込みで。

 

 ……まさに危機一髪だった。あと一分、メールが届くのが遅れていたら……今更ながら、冷や汗が出た。

 

 ……担任の先生、月曜にはまた色々聞いてくるだろうな……。あの場限りの方便でごまかせればよかったが、こりゃ、本当に様子を見に行っとかないとな……。

 

 ま……、いいけど。どうせ何にも予定なかったし。

 

 再度、比企谷父から最後のメールが届いた。対応への詫びと感謝の言葉、万一の時は自分から頼まれたと言って欲しい、との内容だった。

 

 余計なこともしてしまったと不安だったので、少しホッとした。

 

 『どうか、八幡(はちまん)をよろしくお願いします。』の一文にちょっとドキッとしたことは内緒だ。

 

 

 

 

 ……そうだ、彼女らにも、このことは教えておかなければ。

 

 ってゆっか、何で比企谷、最初に二人に説明しておかないんだ……。

 

 いや、その理由も、なんとなく分かる。

 

 が、どのみち彼女たちにも協力を要請せねばならない。ついて来いとまでは言えないが、対外的に、口裏を合わせてやってもらいたい。

 

 私は大きく一つ、深呼吸すると、雪ノ下に電話をかけた。

 

 呼出音が鳴っている間に考えた。どうやって話そうか。……最初の一言めが重要だ。

 

 何度目かのコールの後、雪ノ下に繋がった。

 

『……もしもし』

 

「雪ノ下、私だ。比企谷の件、先程、事情が判明した。説明をしたい」

 

 しばしの沈黙。

 

『……どのような事情だったのですか?』

 

 よし、食いついた。

 

「できれば、由比ヶ浜へも一緒に説明したい。物証を手に入れたので、それも見せたい。明日にでも、君達と会えないだろうか」

 

 再び、しばしの沈黙。

 

 またあのカフェでいいかな、と段取りしていたが、雪ノ下からの返答は、意外なものだった。

 

「……先生。よろしければ、今日これから、私の家へおいで頂けませんか。丁度、由比ヶ浜さんも今、一緒にいるので……」

 

 

 

 

 え?

 




【いちおう解説】

①比企谷父が怪しげな画廊の女に引っかかった話は、原作第3巻19刷の151〜152ページを参照しました。

②「ワンズモール」は、総武高校のモデルとなった高校から、車で15分ほど北へ走ったあたりにある、千葉県総合スポーツセンターの近辺にあります。原作では出てきていないエリアだったと思います……たぶん。でもすごい便利そう。住みたい。

③「ホルモン炊き」という言葉が一般的かどうかは分かりませんが、私の家ではよく、ホルモンとキャベツのみを鍋に入れ、焼き肉のタレだけぶっかけて炊く料理をこう呼んでいます。一度自分で生ホルモン買ってきて試した時に、ものすごい悪臭で挫折した覚えがあります。あの頃はまだ、ホルモンは調理前に下処理(塩もみする、牛乳や焼酎に漬け込む等)が必要だということを知りませんでした……素人は手を出すべきではありません。ちゃんと下処理済みのものを買いましょう。

 あと平塚先生、プロフィールにハーレクインを読むというのがありました。私も一度くらいは読んでみたいかも。


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(4)その日、由比ヶ浜結衣は十八歳選挙権について真剣に考える。(対:その37、その49)

「平塚先生、今から来るそうよ」

 

 スマホを耳から離しながら、ゆきのん(雪ノ下雪乃)が言った。

 

 あたしはその声にうなずきながら、でも視線は、両手で包むように持っていたカップに向けていた。

 

 あったかい紅茶が、カップの中でゆらゆらとゆれている。

 

 ゆきのんのいれてくれる紅茶は、いつもやさしい香りがして、大好きだ。

 

 ゆきのんはスマホをガラスのテーブルのすみにきちんと置くと、ゆっくり、自分のティーカップを手に取った。

 

「ごめんね、ゆきのん。わがまま言っちゃって……」

 

 あたしがあやまると、ゆきのんはほほえみながら、ふるふると首を振った。

 

「かまわないわ。むしろ良かった。せっかくの週末をモヤモヤしたまま過ごしたくないもの」

 

「……ありがと……!」

 

 手に感じる紅茶の温度よりも、ゆきのんの言葉の方があったかかった。

 

 

 

 

 今日はゆきのんの家にお泊りの日だ。

 

 ふたりでバスキャンドルやって、そのあとパジャマパーティで夜ふかししようって計画していたのだ。

 

 ご飯はゆきのんが作ってくれるので(あたしは台所に立つことさえ許されなかった……!)、あたしが飲み物とかお菓子をいっぱい買い込んできていた。

 

 今週はなんか、いろいろあったし、気持ちをリフレッシュするためにも、パーッとやろうと思って!

 

 

 

 

 ……ううん、違う。ウソだ。

 

 週末、ひとりでいたくなかったんだ。

 

 もちろん、家にはパパもママもサブレもいるんだけど、そういうんじゃなくて、友達と一緒に遊んでないと、また変なこと考えて、頭の中がグルグルしちゃいそうな気がしたのだ。

 

 なんか、こういうのって、家族に話したらスッキリするっていうものじゃないし。

 

 でも、優美子(三浦)とか姫菜(海老名)とかと遊ぶのは、ちょっとちがう気がした。

 

 何がちがうのか、あたしにもよくわかんない。優美子も姫菜も、あたしとすごく仲良くしてくれるし、優しいけど、でも、今は、ゆきのんと一緒にいたいって思った。

 

 ゆきのんは、あたしと一緒に、ヒッキーのこと、ずっと見てきてたから。

 

 

 

 

 今日の部活のあと、いったん家に帰って着替えてから、お泊りセットを持ってゆきのんの家(ここ)ヘ来た。あたしもゆきのんも、家が京葉線の駅の近くだから、お泊りのときはホント便利。……って、あたしばっか泊まりに来てるけど……!

 

 で、夕ご飯まではまだ時間があったから、二人でのんびりテレビ見ながらお茶してた時に、ゆきのんに電話が入ったのだ。

 

「……平塚先生からだわ。

 

 比企谷(ひきがや)くんの件、何かわかったそうよ。私たち二人に説明をしたいって。証拠も手に入れたらしいわ。

 

 明日会えないかって言ってるけど……どうする?」

 

 ゆきのんはスマホのマイクを指でふさいで、あたしにたずねた。

 

 一瞬、あたしは固まった。

 

 

 

 

 どうしよう……!

 

 ヒッキーの件……? 平塚先生、何が、どうやってわかったっていうんだろう。

 

 平塚先生が、ヒッキーに直接聞いたんだろうか。

 

 それとも逆に、ヒッキーが、平塚先生に何か、話したんだろうか……!?

 

 ……ホント、バカだなーと思うけど、一瞬、ヒッキーと平塚先生が、だれもいないところで、二人きりで向い合ってる場面を想像した。

 

 お腹の中で、ぎりっ、とイヤな感じがした。

 

 今すぐにでも聞きたい。全部ハッキリ知りたい。

 

 でも、聞きたくない。やだ、何も知りたくない。

 

 ……、

 

 ……でもっ!

 

 

 

 

「明日じゃダメ。ゆきのん、あたし、今すぐに先生の話を聞きたい……!」

 

 自分で思ったより小さい声だったけど、ゆきのんはそれを聞いて、すかさず先生に、

 

「先生。よろしければ、今日これから、私の家へおいでいただけませんか。ちょうど、由比ヶ浜さんも今、一緒にいるので……」

 

 と返答してくれた。

 

 

☆★★☆

 

 

 インターホンが鳴った。先生が着いたようだ。

 

 ゆきのんが応対して、入り口のスイッチを押した。

 

「……そういえば、こっち(マンション)に呼んじゃってよかったの? 駅前のカフェとかで会っても良かったけど……」

 

 ゆきのんに申しわけなくなって、おずおずとたずねた。

 

「かまわないわ、一応女性だし、一応教師だし。むしろ好都合。どんな話を持ってきたかはわからないけれど、ここなら、平塚先生にとってアウェーな状況が強まるから、心理面ではこちらが優位に立てる」

 

「……うん……!」

 

 ……あとで冷静に考えたら、イミわかんないけど、このとき、あたしとゆきのんは、なんか、平塚先生と対決するようなふい……雰囲気(ふんいき)になっちゃっていたのだ。

 

 

 

 

 だって! 助けるためっていっても、先生、ヒッキーにぎゅって抱きついたって!

 

 先生がさせたっていっても、ナンパ通りでヒッキーが、先生を口説(くど)いたって!!

 

 ありえなくない!? ありえないでしょ!? う――っ!!

 

 

 

 

 ゆきのんは、マリピン(マリンピア)での相談(?)のあと、「先生はシロかもしれないわね……」って言ってたけど、そんなのまだわかんないし……!

 

 しばらくして、ドアのベルが鳴った。ゆきのんちのインターホンは、同じピンポーンでも、楽器を鳴らしたみたいにキレイな音がする。

 

 ゆきのんが玄関へ行き、リビングへ平塚先生を連れてきた。

 

「…………!」

 

 平塚先生は、あっけにとられたような表情で入ってきて、リビングの中と窓からの景色をひとしきりながめていた。

 

 それはわかる。あたしも初めて来た時はボーゼンとした。

 

 ゆきのんの家は、海浜幕張駅(かいひんまくはりえき)から歩いてすぐの、すごく目立つ高層マンションの十五階にある。

 

 すっごい高そうな部屋に、一人暮らしをしているのだ。

 

 買うといくら位するのか、ぜんぜん想像できない。超セレブ!

 

「紅茶でよろしいですか?」

 

 ゆきのんがそっけなく先生にたずねる。

 

「え、あ、ああ……。これ、おみやげ……よかったら」

 

 平塚先生はゆきのんに紙袋をわたした。

 

「どうも……。どうぞ、かけて下さい」

 

 ゆきのんにすすめられて、平塚先生はあたしの横のソファに座った。

 

「やぁ、由比ヶ浜(ゆいがはま)……、今日は、泊まりに来てたのか? けっこう来るのか」

 

 気まずそうに、平塚先生はあたしに話しかけてきた。

 

「……はい、ときどき……」

 

「そうか……すごいな、ここは。……住んでみたいなぁ……! 買うかなやっぱ……!」

 

 平塚先生は、ほぅっとため息をついて、腕組みして考え始めた。

 

 ゆきのんがお茶の用意をしてもどってきた。先生の分の紅茶と、さっきもらったおみやげらしいお菓子をお皿に入れて、テーブルに置いた。

 

 タルブの「昆陽(こんよう)」だった。モチモチの皮にさつまいものあんとクリームチーズが入ってる和菓子っぽいスイーツで、甘さひかえめでおいしい。

 

 平塚先生は、ゆきのんがあたしのとなりに座ったのを見て、自分の携帯を取り出し、ポチポチしながら話し始めた。

 

「ついさっき、比企谷の妹の小町くんからメールが入った。といっても内容は……」

 

 そう言いかけて、あたしに携帯を差し出した。画面にはメールが映し出されていた。

 

「……比企谷の、親父さんからの転送メールだ。読んでみたまえ」

 

 

 

 

 ヒッキーのパパから……!?

 

 携帯を受け取って、メールを見た。すごく丁寧な、オトナな文章だった。

 

 そこには、ヒッキーが学校の先生になるために、アウトドアをパパから教えられて、今度「ソロキャンプ」っていうのをする、みたいなことが書かれていた。

 

 よくイミがわからなくて、携帯をゆきのんに回した。ゆきのんはそのメールを読むうちに、おどろいたような顔になった。

 

「比企谷くんが教職(きょうしょく)を志望……、まさか、ありえないわ」

 

「ああ、私もそう思う。おそらく高校生の身でソロキャンプをやるための方便(ほうべん)だ」

 

 そこ即座に否定しちゃうんだ……。

 

「ソロ、キャンプ……、初めて聞く言葉ですが……、『たった一人でキャンプすること』という理解でよろしいのですか?」

 

「その通りだ、雪ノ下。比企谷は今、これに夢中になっているんだよ」

 

 そう答えると、平塚先生は、ゆきのんから携帯を受け取りながら、くっくっく、とおかしそうに笑い出した。

 

 イミがぜんぜんわかんない……。あたしとゆきのんは顔を見合わせた。

 

 平塚先生は紅茶を一口飲んで、あたしたちに説明し始めた。

 

「ソロキャンプというのは……まぁ、雪ノ下が今言った通りだが、要するに、一人分のキャンプ道具や食糧を持ってキャンプ場に行き、そこで泊まりがけで、一人っきりの時間を楽しむという趣味だ。世の中にはけっこう、愛好者がいる。

 

 比企谷の性質からすると、最高に興味をそそられる遊びだろうな。

 

 ただ、キャンプ道具を買うにはカネがかかる。高校生のこづかい程度じゃ、すぐに買いそろえることは難しいだろう。

 

 それに、高校生、特に十八歳未満の者が単独で外泊となると、特別な理由がない限り、条例に引っかかるから、現地で補導されかねない。

 

 だから彼は、『大人になりたい』『稼げるようになりたい』などと口にしたんだ」

 

 ゆきのんは話を聞きながら、ふむ、と、あごに手を当てた。

 

「なるほど。『車が欲しい』というのは……行動範囲が広がるし、荷物をより多く運べて、快適なキャンプができるから、というわけですね」

 

「そういうことだろうな」

 

 平塚先生はうなずいた。

 

「……それにしても、のめり込み過ぎのような気がしますが……。目つきまで変わってしまうというのは、理解できません」

 

 ゆきのんはそう言うと、「ね?」って確認するみたいに私の方を見てきた。

 

 や、やー、そこはゆきのん……ひとのコト、言えないよ……! DVD見ながら「パンダのパンさん」のことを語ってる時のゆきのん、すごいグイグイ来るし。や、目をキラキラさせていっしょうけんめい話してて、かわいいんだけど……!

 

「ハマるというのはそういうものだよ、雪ノ下。特に比企谷の場合、はっきりした趣味を持つのは、たぶん初めてに近い経験なのかもしれないな。

 

 それに、このテの趣味は、まず『道具』にハマる。すなわち、物欲まみれになる。

 

 推測だが、彼が部活中にスマホで調べていたのは、ソロキャンプでどんな道具が必要か、どこへ行こうか、とかだったろうと思うぞ」

 

 平塚先生は腕を組んで、うむうむ、とうなずいていた。

 

 ゆきのんは「はぁ……」とあきれたような返事をした。

 

 そしてとつぜん、あ、と小さくつぶやいて、平塚先生にたずねた。

 

「先生、先ほどのメールで、比企谷くんは今週末、ソロキャンプをやる予定、と書かれていたような……つまり、明日からの土日で……?」

 

 そういえば書いてた。

 

 平塚先生はそれを聞いて、うむ、と大きくうなずきながら、自分のヒザをたたいた。

 

「そこなんだが、実はこのメールを受けた直後に、厚木先生たちから話があってな……」

 

 

 

 

 平塚先生はそこから、厚木先生たちとの話を説明してくれた。

 

 

 

 

「……というわけで、部活動でのキャンプ、ということになってしまった。

 

 だが、さすがに急な話なので、カタチだけ整えるために、明日、私ひとりで様子だけ見に行ってこようと思う。

 

 君たちには、すまないが、学校で他の先生方になにか聞かれた時、口裏だけ合わせてほし――」

 

 

 

 

「ダメです」

 

 ゆきのんがぴしっと言って、先生の言葉を止めた。

 

 

 

 

「えっ……?」

 

 平塚先生が、ゆきのんの発言にビクッとした。

 

「口裏合わせなどできません。ウソはつきたくありません。……部活動ということなら、他の部員も行く必要があると思います」

 

 ゆきのんの言葉は、まんま、あたしの考えだった。

 

 そうだよ。そんなの、認められない。

 

 ゆきのんの言葉を聞いて、平塚先生は悩むような顔になった。

 

「し、しかし、メールにもあったが、場所は枇杷ヶ浜(びわがはま)方面……館山(たてやま)の近くくらいまで行くことになる。往復でも一日仕事になるし、ヘタすれば帰りが深夜になるかも……さすがにそれは……」

 

「館山……。はぁ、なぜまた比企谷くんはそんな遠くへ……」

 

 ゆきのんはそう言って、こめかみを押さえるいつものポーズでため息をついたけど、あたしをちろっと見て、すぐに顔を上げて言った。

 

「……しかたがありません。私と先生で行きましょう。私なら一人暮らしですし。帰りは何時(なんじ)になってもかまいませんから。

 

 部長の私が見に行けば、最低限の体裁(ていさい)は整うでしょ――」

 

 

 

 

「ダメ」

 

 

 

 

 それがあたし自身の声だと気づくのに、ちょっとかかった。

 

 リビング中の空気が固まっている。ゆきのんも、平塚先生も、びっくりした顔で私を見つめてた。

 

 でも、ホントにダメ。ゆきのん、それはダメだよ。なんでそんなこと言うの?

 

 

 

 

「あたしも行きます。あたしも連れてって。あたし一人だけ残るなんて、ありえない」

 

「ゆ、由比ヶ浜さん……!?」

 

 ゆきのんがオロオロしている。ごめんねゆきのん。怒ってるわけじゃないから。

 

「し、しかし……帰ってくるのは深夜になるぞ。それに私の車、二人乗りだし……」

 

 平塚先生がキョドキョドしながら反論してくる。

 

「帰りません。あたしたちも一泊します。ホテルとかが無理なら、クルマの中で寝ればいいじゃないですか。

 

 クルマなら、ウチの、三人くらいならラクに乗れるし、貸してって家族に頼みます。ダメならレンタカーとか、なんでもいい。お金、あたしが出してもいいです。バイトして少し貯めてたし」

 

「そ……そんな無茶な……!」

 

 平塚先生の顔に、汗がにじんできた。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん、大丈夫よ。比企谷くんのことなら、私がちゃんと見てくるから、心配しなくても……」

 

 ゆきのんが、なだめるような、やさしい声で言った。

 

「わかってる。でも違うの。それじゃあたしがダメなんだよ……!」

 

 

 

 

 たぶんあたし、平塚先生のこと、にらんでたと思う。

 

 けどこのとき、だんだん平塚先生の顔が涙でぼやけてきた。

 

 胸の中が、ぎゅーっと熱くて、痛くなった。

 

 

 

 

「あたしだけ、なんにも確かめられないなんて、嫌だ……!!」

 

 

 

 

 たぶんもっと、うまく伝えられる言い方もあったんだと思う。でも、あたしバカだから、そういうの、思いつかなかった。

 

 でも、でも、あたしの心が、絶対にダメだって言っていた。

 

 たとえゆきのんがヒッキーのことをちゃんと見てきて教えてくれても、平塚先生が無実だと証明してきてくれても。

 

 自分自身の目で、ハッキリと確かめなきゃ、いつまでもいつまでも、心のすみっこで、いろんなことを疑ったままになっちゃうって、あたしにずっと言っていた。

 

 

 

 

 平塚先生が、ハッとした顔で、あたしに話しかけてきた。

 

「由比ヶ浜……ひょ、ひょっとして、私のことをまだ疑ってるのか……? それなr」

 

「平塚先生。あたし先生のこと、大好きです」

 

「へっ!? あ、あぁ……どうも……」

 

 とつぜんのあたしの告白に、平塚先生は目を丸くして、かぁっと赤くなった。

 

「大好きなんです。大好きだから、お願いです。連れてって下さい……!」

 

「…………」

 

 

 

 

 もうグチャグチャだ。自分でもなに言ってるのかわからない。だだをこねてる子どもみたいだ。

 

 でも、これだけはハッキリ思ってた。

 

 ヒッキーが、本当は何をしているのか、だれと会ってるのか、ひとに任せないで、自分でちゃんと確かめなきゃいけない。

 

 そして、土日、平塚先生から目を離してはいけない。

 

 平塚先生、帰りは深夜になるって言ってるけど、何時に出て、何時に帰ってくるつもりなのかわからない。

 

 千葉(千葉市)から館山(館山市)なら、高速でも下道でも、クルマなら片道でだいたい二時間くらいで行ける。

 

 仮に平塚先生が、ゆきのんと二人で行くとして、様子見して戻ってきてゆきのんを家に送って、そこからふたたびヒッキーの所に行かないっていう保障は、ない。

 

 先生がその気になれば、どんなに夜中でも、次の日は日曜だし、行くことはできる。

 

 平塚先生はそんなことしないっていうのは、頭ではわかってる。ムチャクチャな想像すぎるってこともわかってる。

 

 でも、わかっているのは頭だけだ。あたしの身体の残りぜんぶと心は、ぜんぜん納得していなかった。

 

 こんなうたぐり深いあたしなんか、大ッキライだ。でも、確かめないと、自分を一生大ッキライになっちゃう。ゼッタイに。

 

 あたしが平塚先生のこと、大好きなのは本当。本当に大好き。

 

 二年の始めのころ、あたしの悩みを聞いてくれて、奉仕部に入れてくれて、ゆきのんやヒッキーに会わせてくれた。いろいろ大変なこともあったけど、それでも毎日、どんだけうれしくて楽しかったかわからない。

 

 大好きな先生だから、ずっと大好きでいたいから、だから、確かめさせてほしい。

 

 ぜんぶ、あたしの目で。

 

 

 

 

「……わかった。すまなかった、由比ヶ浜。そうだな。三人で、一緒に行こう」

 

 平塚先生は、大きく一回、深呼吸して、ほほえみながら、そう言ってくれた。

 

 ゆきのんも、笑顔でうなずいてくれた。

 

 あたしは心からほっとして、先生に深く頭を下げた。平塚先生があたしの肩に手を置いた。きれいな、あったかい手だった。

 

 

☆★★☆

 

 

「――では、由比ヶ浜はご両親へ事前に連絡しておくように。私は明日、レンタカーの手配をしてから、ここへ迎えに来ることにする」

 

「先生、そのことなのですが」

 

 明日のスケジュールをみんなで考えていたとき、ゆきのんが胸の前に手を上げて、平塚先生に言った。

 

「? なにかね」

 

「車の件、私に少し、考えがあります。……実家のキャンピングカーを貸してくれるよう、今から連絡してみます」

 

 

 

 

 ……えっ!?

 

 

 

 

「きゃ、きゃん……君のご実家、キャンピングカーも持ってるのか……!?」

 

 平塚先生とあたしは、並んでポカーンとした。

 

 どこまでセレブなの、ゆきのんちって……!?

 

「父の持ち物です。家族で乗って、どこかへ行く、ということはないんですが、たまに趣味や接待で使っているようで。ダメでもともとですが……」

 

 ゆきのんはそう答えると、自分のスマホを手に取った。

 

「……金曜だけど、つながるかしら……」

 

 小さくつぶやいたあと、ぽちぽちと画面を指でさわって、深呼吸してから、耳に当てた。

 

 ゆきのんのパパかぁ……たしか、議員さんだったよね。金曜日だし、会議とか接待とか、いろいろ忙しいんだろうなぁ。

 

 と思ってたら、ゆきのんのスマホからかすかに、低くて、落ち着いた男の人っぽい声が聞こえてきた。

 

 ゆきのんはすぐ反応して、話し始めた。なんか、緊張してる。あたしたちも緊張した。

 

「父さん? 雪乃です。こんな時間にごめんなさい……え、……ありがとう。

 

 実は、お願いがあるの。私の部に急な依頼があって、顧問の先生たちと一緒に、土日に県南(けんなん)へ行かなければならなくなって……ええ、奉仕部。泊まりがけで。

 

 いえ、行くのは全員女性よ。顧問の先生も。

 

 それで……、お願い、父さんのキャンピングカーを貸してほしいの」

 

 あたしは息をのんだ。

 

 やっぱムリかなぁ……!

 

「急なことだったから、ホテルの予約も出来なくて、困ってて……ええ、運転は顧問の先生が。大丈夫、女性だけど、スポーツカーやハーレーを乗りこなす方よ。……ふふっ、そうね……」

 

 平塚先生は赤くなって、ほっぺをコリコリかいてた。

 

 なんかスマホの向こうのゆきのんパパは、笑ってるようだった。すごくおだやかに話が続いてるみたい。

 

 どんな人なんだろ……やさしいパパなのかな? ちょっと会ってみたいかも……!

 

 

 

 

「……え……っ!?」

 

 

 

 

 とかなんとか考えていると、急にゆきのんが、スマホを持ったまま、固まった。

 

 そして急に、あたしたちの方をチラチラ見ながら、みるみる顔を真っ赤にした。

 

「ちょ、ちょっと待って……今、部員や先生も近くにいるから……!」

 

 スマホからは、穏やかな声が聞こえてくる。そのたびにゆきのんが、めっちゃアワアワしている。

 

 ……こんなゆきのん、初めて! なにを言われてるんだろ……!?

 

 

「う……、わ、わかったわ……!

 

 ……ちょっと、待ってて……!」

 

 ゆきのんはあたしたちに、ここで待って、って手でサインを送ると、ぱたぱたとリビングを出て行った。ぱたんとドアが閉まる。

 

 

 あたしと平塚先生は顔を見合わせた。どしたんだろ?

 

 平塚先生はコソコソと、リビングのドアの方へ近づいた。先生……!

 

 でもあたしも近づいちゃったり……その時だった。

 

 

 

 

『お願い、パパ……! 愛してるわ……!』

 

 

 

 

 ドアの向こうの廊下の先から、ゆきのんの声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 ( □)゜゜ ( □)゜゜

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐ、

 

 

 

 

 ぐっ、

 

 

 

 

 ぐはぁ――――――――――――ッッッッッッッ!!!!!?

 

 

 

 

 わ――――っっ、!! わ――――っっ!!!!

 

 

 

 

 うわあぁぁぁぁ――――――――ッッッッッッッ♡♡♡♡!!!!

 

 

 

 

 あたしと平塚先生、肩をつかみ合ってガクガクゆらし合いながら、声にならない声で絶叫した。

 

 

 

 

 ゆきのんパパ――――ッッ!! グッジョ――――ブ!!!!

 

 

 

 

「……ふぅ、交渉してなんとかオーケーをもらえたわ。明日の昼ごろ持ってきてくれるそうy」

 

 ゆきのんがクールなフリしてリビングに戻ってきたところを、あたしと平塚先生はもうめちゃくちゃに抱きついてもみくちゃにした。

 

「ぐ、く、苦しい……!!」

 

「ゆきのんありがとぉ――――!! あたし、ゼッタイ選挙行く――ッ!! 十八になったらゼッタイゆきのんパパに投票するぅ――――!!」

 

「わ、私もゼッタイ入れるぞ――ッ!!」

 

「二人とも選挙区は違うでしょ……!?」

 

 千葉のみなさん!! ゆきのんパパです!! ゆきのんパパです!! つぎの選挙、きよき一票をお願いします!!!!

 

 ゆきのんスキスキスキ!! 今日もうゼッタイ抱いて寝る――ッ!!

 

 

 

 

 ウジウジしちゃってるときに決まった、女子三人キャンプだけど!

 

 

 

 

 ゆきのんの大活躍のおかげで、すっっっごく、楽しみになった!!

 

 




【いちおう解説】


平成27年6月、公職選挙法等の一部を改正する法律が成立し、公布されました。平成28年6月19日に施行され、これ以降の選挙で(国、地方自治体、最高裁判所など)、満18歳以上の人が投票、選挙運動が出来るようになります。一番近い選挙としては、2016年夏の参議院選の見込みのようです。


千葉県の県議会選挙は、直近では、2015年4月12日に行われたので、当分は選挙、ないかもです。

ちなみに、次に選挙があるときは、居住地の関係から、由比ヶ浜は稲毛区、平塚先生は花見川区にて投票することになりそうです。それぞれ違う選挙区、違う候補者です(2016年3月時点)。

ここでちょっと疑問。雪ノ下は現在、海浜幕張駅近辺(美浜区)に住んでいますが、住民票は実家から移してるんだろうか……今回の法改正で、いちおう雪ノ下も、清き一票の持ち主になるわけなので、実家(すなわち父の立つ選挙区?)に住民票を戻されるのかな……? しかし次回の県議会選挙のときには、雪ノ下は成年に達してるはずなので、それからでもいいのかな……?(頭グルグル)


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(5)奉仕部・女子キャンプ#1 (対:その38〜40)(キャンピングカー)

年度またぎに忙殺されていましたが、なんとか更新です。

ここからしばらくの間は、由比ヶ浜の視点でお送りします。この子の視点で書いた方が、旅のワクワク感が出ると思って。

ではどうぞ。


 いよいよ土曜日。キャンプ当日。

 

 お天気はピッカピカの快晴! ちょっと肌寒いけど、絶好の旅行びよりだった。

 

「そろそろ出ましょうか」

 

 お昼ちょっと前、ゆきのん(雪ノ下)の合図で、まとめ終わった荷物(なんかスゴい重い)を持って、マンション一階のエントランスに降りた。

 

 エントランスのソファに座って、平塚先生が来るのを待ってる間、ゆきのんは何度か、両手で口もとをかくしながら、そっとあくびしてた。

 

「……けっきょく何時に寝たの? ゆきのん」

 

「一時ころかしら……でもしっかり眠ったから大丈夫よ」

 

 ゆきのんは眠気をはらうように、目をキューっとつぶって、ぷるぷるっと顔を横に振った。そのしぐさが、なんかかわいかった。

 

 

 

 

 ゆうべ、金曜の夜、平塚先生が帰った後、ゆきのんとあたしは、ネットでいろいろ調べた。

 

 先生の言ってた「ソロキャンプ」っていうものについて。

 

 あたしは途中で眠くなって寝ちゃったけど、ゆきのんはその後も調べてたみたい。

 

 あ、そうそう、けっきょくその日は調べ物に時間を取ったので、バスキャンドルはまた今度、っていうことになった。ゆきのんがめっちゃ集中してたし。むぅ。

 

 そうだ、せっかくの旅行だし、どっかイイ感じのお風呂に入りに行きたいな。三人でのんびりまったりお風呂、いいじゃん! 平塚先生に提案してみよっと!

 

 っていうか、ひょっとしたらゆきのん、遠足の前みたいに、ワクワクして寝られなかったのかも……やだ、だとしたらかわいい。

 

 

 

 

 で、ゆきのんがいっしょうけんめい調べながら説明してくれたんだけど、一人でキャンプできるっていうのは、けっこうすごいことらしい。

 

 そうだよね、たった一人でテント立てたりかたづけたり、たき火したり、ご飯作って食べたり、寝袋で寝たり。

 

 なんかスゴい、アレだ、えっと、サバイバルみたい!

 

 ヒッキー(比企谷)、すごい趣味始めたんだなぁ……!

 

 でも、いままでホントにヒッキー(ひきこもり)だったのに、何で急にアウトドアとか始めたんだろ?

 

 ……アレかな……、文化祭の打ち上げの時、ヒッキーに趣味がないことをみんなでさんざん言っちゃったけど、実は気にしてたのかな……?

 

 だとしたら、ごめん、ヒッキー……!

 

 まぁ、ホントのところは、本人に聞いてみるしかないんだけど、いつかちゃんと話してくれるかな……?

 

 

 

 

 待ち合わせ時間どおり、平塚先生がエントランスに入ってきてすぐ、ゆきのんのスマホが一回だけ鳴った。

 

「車が到着したようね。外に出ましょう」

 

 三人で手分けして荷物を持って、ゆきのんのあとに続いて外に出た。

 

 そこはクルマが出入口のすぐそばまでグリっ、と入ってこれる……なんていうんだっけ……ローカリー?(※ロータリー) だった。

 

 で、いきなり目の前に、どどん! っと、白いキャンピングカーが止まっていた。

 

「おお……!!」

 

 平塚先生が、おどろきの声を上げた。

 

 あたしもびっくり! こんな間近でキャンピングカーを見たのは初めてかも!

 

 クルマの前には、夏休みのときにゆきのんを迎えに来ていた、ぴしっとしててシブい感じのおじさんが立っていて、ゆきのんを見ると、すごくキレイな動きでおじぎした。

 

「ありがとう、都筑(つづき)

 

 ゆきのんはおじさんにそう声をかけて、おじさんが両手でうやうやしく差し出した封筒を受け取った。

 

「平塚先生。では、一応、借用書類の記入をお願いします」

 

「あ、ああ、分かった……! 言われたとおり印鑑と免許証のコピーも持ってきたぞ」

 

 平塚先生が進み出て、封筒を受け取り、中の書類を出してなにか書き込んだり印鑑を押したりした。その間、あたしは、キャンピングカーをぽやーっと見つめていた。

 

 大きなクルマだった。ちょっとしたトラックくらいある。

 

 すごいな……! キャンピングカーでお泊り旅行って、生まれて初めてだ……!!

 

 平塚先生が書き終えた書類をおじさんに返すと、おじさんはゆきのんにもう一度おじぎをして、すぐ後ろに止まっていた別の車の助手席に乗り込んで行ってしまった。二台で来てたんだね。

 

「ではまず、由比ヶ浜(ゆいがはま)さんの家に向かいましょう」

 

 ゆきのんの号令で、あたしたちは荷物をいそいでクルマに運び入れると、とりあえず出発した。こんな大きなクルマで、ずっとマンションの入り口をふさいでるのはメーワクだしね。

 

 

 

 

 でね、もうね! マジすごかった!!

 

 まずクルマの真ん中の、玄関? を入ると、頭のすぐ上にエアコンがついてた。フツーに家とかについてるヤツ! 夏とかでも涼しそう!

 

 クツをぬいで中に入ると、目の前に、三人くらいは向い合ってラクに座れそうなセンターテーブル。はしっこには、ドリンクホルダーみたいなヘコみもついている。

 

 で、なんと!! テーブルの上には、一通のお手紙といっしょに、お菓子とかキャンディとかがいろいろ、カゴに入れられて置かれていた。

 

 ゆきのんは手紙を見て、クスって笑った後、「好きなだけ食べていいそうよ」って言った。

 

 たぶんゆきのんのパパからの差し入れだと思う。ゆきのんパパ、超イケてる! 見たことないけど、もう超イケメン確定!!

 

 インテリアはところどころ、落ち着いた色合いの木が使われてて、なんかカフェみたいな雰囲気(ふんいき)。布張りの座席も、すごく上品なデザインだった。

 

 テーブルの横には大きな窓。走ってるときに街の景色が大画面で流れていく。

 

 そしてテーブルから入口の方を見ると、小さな液晶テレビがついてた。フルセグみたいね、ってゆきのんが言った。なんかよく分かんないけど、画面キレイなんだよね? たしか。スゴい!

 

 クルマの後ろの方には、ちっちゃな流し台のついたキッチンスペース。コンロはないけど、上の方に電子レンジ、足元にはちっちゃな冷蔵庫がついてた。

 

 キッチンの反対側には、ドアのついた小部屋があった。開けてみるとトイレだった。

 

 トイレまでついてるんだ。渋滞の時とか便利!

 

 そしてクルマの一番うしろには、二段ベッドがあった。上の段にも下の段にも、横にカーテン付きの小窓、枕もとには小さなライト、足もとには小さな収納がついてる。

 

 おフトンはないけど、マットは、横になったら十分寝られそうなくらいやわらかそうで、それぞれに、枕とふかふかの毛布がたたんで置かれてた。毛布は、手ざわりがすごく気持ちいい。高級な毛布なんだろなー……!

 

 ベッドといえば、運転席の方にも、よじ登ってゴロっとなれる広いスペースがあった。ちょうど、運転席の天井の上で寝るような感じ。バンクベッドっていうんだって。外から見ると、運転席の上に乗っかるような出っ張りが付いてるよね、あの中だよ!

 

 センターテーブルのシートも、形を変えてベッドになるみたいだし、全部で五、六人は寝られるっぽい。すっごーい……!!

 

 

 

 

 あたしはテンション上がりっぱなしで、車内をきょろきょろと見回しっぱなしだった。

 

「すごい、すごいよゆきのん、このクルマ!」

 

 ゆきのんも、ため息をつきながら、やれやれって感じで中を見回していた。

 

「私も実際に乗ったのは初めてなのだけれど……こんなに豪華仕様だったなんて。まるで走るホテルね……まぁ、今回みたいなときには助かるんだけれど」

 

 ホントホント!!

 

 『ゆきのんパパ号(キャンピングカー)』は、のんびりと海岸線の道路を走って、あたしの住んでるマンションへ向かった。クルマの性能なのか、平塚先生の運転が上手なのか、ゆれはあんまり感じない。

 

 クルマの中には、掃除がゆきとどいている感じの、すごくさわやかなにおいがする。

 

「すげえ……すげえ……! チョー楽しい……! いいな……キャンピングカー、いいな……!!」

 

 運転中の平塚先生の顔は見えなかったけど、運転席から興奮したような声が聞こえてきた。平塚先生もすごく気に入ってるみたいだった。

 

 

 

 

「そうだわ、今のうちに、この車を使うにあたっての注意点を説明します」

 

 ゆきのんが思い出したように、あたしと平塚先生に言った。

 

「トイレは、使わないで下さい。目的地につくまでは適宜(てきぎ)休憩、着いてからは現地のトイレを使用してください」

 

「トイレ、故障してるの?」

 

 あたしが聞くと、ゆきのんは「いいえ」と首を横に振り、ちょっと恥ずかしそうに答えた。

 

「故障ではないのだけれど……その、この車のトイレは、……『タンクに貯めて、帰宅後に自分たちで始末する』仕組みなの……けれど、この車はそのまま実家に返すから……その……」

 

 ……あっ!

 

「りょ、了解だ雪ノ下! 大丈夫、みなまで言うな……! そうか、そうだな、なるほど……! 言ってくれて助かった……!」

 

「お、オッケー、ゆきのん!」

 

 あたしと平塚先生は、同時に親指でオッケーのサインを出した。

 

 っひゃー、そうだよね……! 女子三人旅でトイレ使っちゃったあと、誰がそうじするのって話だよね……!

 

 ゆきのんパパ? それか、あの都筑っておじさん……? む、ムリムリムリ恥ずかしい!!

 

 そう考えると、キャンピングカーのトイレって、緊急時にしか使わないものなのかもなぁって思った。家族だけだったらそんな恥ずかしくないし、わかんないけど……。

 

 音とかも……聞こえるだろうし……や、うん、この話はもうやめよう!

 

 

 

 

 で。

 

 あっという間に、あたしのマンションのすぐ下まで着いた。

 

 家には前もって連絡して、旅行のオッケーをもらっていた。急いで家に入って、旅行用の追加の荷物を用意して、バタバタとクルマに戻った。

 

 パパとママも、先生へのあいさつのためにいっしょに下に降りてきた。

 

 パパは、キャンピングカーを見るなり、キラキラした目になっちゃって、「うお〜、すごいなぁ……! いいなぁ、結衣(ゆい)!」と小さく歓声を上げた。

 

 で、その前に立ってた平塚先生とゆきのんを見て、あわててあいさつしてた。

 

 美人のふたりを前にして、ちょっと鼻の下が伸びてた。もうっ。

 

 ママもふたりにあいさつしたけど、特にゆきのんを見た時は「わぁ……!」って、すごくうれしそうな笑顔になってくれた。

 

「ゆきのんちゃん……ね? はじめまして、結衣の母です。いつも結衣がお世話になってます」

 

「初めまして。雪ノ下雪乃(ゆきのしたゆきの)と申します。こちらこそ、由比ヶ浜さんには色々と助けて頂いています。今回は急なことで、ご迷惑を……」

 

 ゆきのんはママに、ていねいにあいさつした。ママはそれですごく感動してた。

 

「ゆきのんちゃん、本当に美人さんで、すてきな子ね! こんどゆっくり、ウチにも遊びに来てもらえるといいわね」

 

 あとであたしに、こっそりそう言ってくれて、なんか、すごくうれしかった。

 

 パパとママが手を振って見送ってくれる中、あたしたち三人は、こんどこそ、ヒッキーのいるキャンプ場へと出発した。

 

 

☆★★☆

 

 

「急ぐ旅でもないし、下道(したみち)で行くことにする。到着は三時から四時くらいになると思うが……、そういえば君たち、昼食はすませたのか?」

 

 平塚先生が、信号待ちの時、カーナビの設定をしながら聞いてきた。

 

「かんたんですが、お弁当とお茶()けを用意してきました。先生の分もあるので、よろしければ……」

 

「おおっ、マジか? ありがとう…………………………(ううむ……これが女子力か……!?)!」

 

 平塚先生がなんかブツブツ言ってる間に、ゆきのんは荷物の中から、サンドイッチと手作りスコーンの入ったバスケットを出して、いくつか紙皿に並べて、運転席の先生に持っていった。

 

 運転席の、先生の左ひじのあたりには、倒すとテーブルになる背もたれがついてたので、ゆきのんはそれを倒して、紙皿を置いた。ついでに紙コップにあったかい紅茶も入れて、ドリンクホルダーに入れてあげていた。

 

「運転はだいじょうぶそうですか?」

 

 ゆきのんが平塚先生に声をかけた。

 

「うん、びっくりするほど快適だ。こういうトラックみたいなタイプのクルマは初めてなんだが、ゆったり運転できてすごく気持ちいい。どこまでも走っていけそうだ……! 貴重な経験をさせてもらってるよ。君にも父上にも感謝だな」

 

 平塚先生がサンドイッチに手を伸ばしながら、うれしそうに言った。

 

 平塚先生、すごく運転がていねいだと思う。うちのパパの運転とか、たまに乗ったとき、カーブで横に引っ張られたりすることもあるけど、先生の運転だとゼンゼンそんな風にならない。

 

 ゆきのんも、安心して平塚先生に運転をまかせているみたいだった。

 

 

 

 

 さてさて。

 

 出発してしばらくは、サンドイッチと紅茶でランチタイムしながら、三人でおしゃべりしながらドライブしてた。

 

 でもやっぱ、けっこう目立つのか、信号待ちのときとかは、歩いてる人やまわりの車の人たちから、ほえーって目で見られたりした。ふふっ、なんか、ゆうえつ感♪

 

 登戸(のぶと)あたりでの信号待ちのとき、となりに止まった大きめのクルマのうしろの窓から、小学生くらいの女の子が、こっちをぽえーって見ていた。

 

 三つ編みにしてて、なんか上品な感じの、かわいい子だった。おたがいの窓の高さが近かったので、目が合った。あたしはにっこりして、手を振ってみた。

 

 女の子はちょっとびっくりしてたけど、はずかしそうに、でもほわっとした笑顔になって、ちっちゃく手を振り返してきてくれた。か、カンワイ〜!!

 

「ゆきのん見てみて、あの子かわいいね!」

 

「ふふ、そうね」

 

 ゆきのんも小さく手を振ってあげていた。平塚先生も気づいたのか、「おっ?」と言う声が運転席から聞こえてきた。

 

 と。

 

 その子はふと運転席の方を見ると、ぱっちりした瞳をもっと大きくして、おどろいた顔をした。

 

 そして次の瞬間、はわわ〜って感じで口を両手でおおって、みるみる顔を真っ赤にした。

 

 信号が青になって、あたしたちの車のほうが先に動き出し、その子のクルマは右折して、ポートタワーの方へ走っていった。見えなくなるまで、女の子はずっとこっちを見ていた。

 

 なぜか平塚先生が、ふふふ、と楽しそうにひとりで笑っていた。

 

「先生、いまの子、知り合いだったんですか?」

 

 あたしがそう聞くと、先生はちょっとうれしそうに、

 

「ああ、まあね。名前は知らないが」

 

 って、不思議な返事をして、またしばらく笑っていた。

 

 ふーん??

 

 

 

 

 『ゆきのんパパ号』は、海沿いの国道を南へ南へ、のんびり進んだ。途中に何度か、コンビニでトイレ休憩と平塚先生の一服タイムをはさみながら。

 

 あたしたちはおしゃべりしたり、テレビを見たり、外の景色をながめたり、まったりしながらドライブしてた。

 

 ううっ、楽しい!!

 

 夏に千葉村に行った時みたいだったけど、あの時よりもなんか、ゆきのんや平塚先生と、キョリが近い感じがして、うれしかった。

 

 ……ん? なんか昨日までの雰囲気とちがうよね……? ま、いっか!

 

 しかし、いま通ってる道、海沿いの国道のはずなんだけど、アクアラインの入り口までは、海側にはず――っと大きな工場が並んでて、走りやすい道だけど、おんなじような景色が続いていた。

 

 道の右側には、ず――っと線路が敷かれてたけど、駅とかがゼンゼン見当たらない。その線路はときどき枝分かれして、工場の中に入っていってた。

 

「工場、すごい数だね。夜にライトアップとかしたら、なんかかっこよさそう」

 

 なにげにあたしが言うと、ゆきのんは、ふむ、と、細いあごに手をやった。

 

「由比ヶ浜さん、問題。いままさにこのあたり、工場の立ち並んでいる広いエリアを、何地域というでしょうか? 地理の問題よ」

 

 えっ、えっ!? え――っとえ――っと……!! 工場、工業? あ、たしか、ナントカ工業地帯とかナントカ工業地域とかがあった……聞いたことある! け、け……!

 

「け、けい、京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい)!!」

 

 ずびしっ! と指をつきだして答えた。

 

「そりゃアクアラインの向こう側(東京〜神奈川)だ」

 

 平塚先生が、ぶはってウケた。ええっ!?

 

「はずれ。正解は京葉工業地域(けいようこうぎょうちいき)よ。『何()()か』って言ったじゃない……ちなみにここは、石油化学工業の割合が突出して高いのが特徴よ」

 

「ぐうっ、ひっかけ問題かあっ!?」

 

「ぜんぜんひっかけてないどころかヒントまで出していたのだけれど……」

 

 ゆきのんがこめかみを押さえる。平塚先生はまだ楽しそうに笑っていた。むむぅっ。

 

「では、私から雪ノ下に問題だ。『工業地帯』と『工業地域』の違いはなんだね?」

 

 今度は平塚先生からゆきのんへの問題。

 

 ええっ、むずかしい……っ! たしかに、どうちがうんだろ?

 

 けど、さすがはゆきのん。ふふん、と得意そうにほほえんで、ソッコーで答えた。

 

「公式な名称や規模などの基準による分け方というものではなく、慣例として、戦前から昭和三十年代までの高度成長期以前に形成された、京浜、中京、阪神、北九州(※)の四つのエリアが 『工業地帯』、高度成長期以後に形成された、京葉、東海、瀬戸内その他のエリアが『工業地域』と呼ばれているようです。」

 

 おお――っ、すご――い!!

 

「へぇ……そうだったんだ……! なるほど……。あ、せ、正解だ。さすがだな雪ノ下」

 

 平塚先生?

 

 でも、そっか、ここ、教科書に出てくるくらい有名なところなんだね。そう思うと、なんかすごい!

 

 

 

 

 そんなこんなワイワイやってるうちに、『ゆきのんパパ号』は京葉工業地域を抜け、アクアラインへの道も横切って、木更津(きさらづ)に入った。

 

 だいたい半分くらい来た感じかな。

 




【いちおう解説】


 書き手の私はキャンピングカーに乗ったことがないので、想像で書いてます。とはいえ、モデルにしたキャンピングカーは実在します。ルームエアコンがついてるのは特別仕様車で、新車で買うとだいたい700万円くらいのようです。ちょっとほしいな。


 キャンピングカーをレンタルしているお店もあります。最寄りのお店を捜してみるのも面白いかもしれません。

 ちなみに、私の地元の最寄りのお店では、「終日料金」と「ハーフタイム(終日でない)」料金を組み合わせて、レンタル料が決まるようです。一泊二日なら、クルマだけで2万円前後といったところでしょうか。ガソリンは別に手出し、返却時は満タン返しです。

 ちょっと高いように見えるけど、電車や高速バスで移動して、現地にホテル取って、ホテル近くのお店でご飯食べる、っていう旅行に比べると、格段に移動や食事が自由にできそうですね。雪乃の「走るホテル」、名言かも。

 いっかいくらい経験してみようかな……?


 今回の話では、雪乃と由比ヶ浜ママの初顔合わせは、この時点である、という設定にしています。なぜかというと、原作第11巻初版第1刷の246〜247ページで、由比ヶ浜ママが八幡と雪乃に会うシーンで、八幡についてはえらく関心を見せてるのに、雪乃に対しては、もう少し知ってるふうなセリフ回しだったので、由比ヶ浜ママはこの時より前に、雪乃に会ったことがあるのかも……、と思えたので。

 これは完全に私の個人的な解釈です。


 北九州工業地帯は、かつては「日本四大工業地帯」と呼ばれていましたが、近年、生産規模の低下から、なんかハジかれて、他の京浜、中京、阪神の3つで「日本三大工業地帯」と呼ばれることの方が多いようです。

 しかし、しかしですね! 北九州工業地帯の基幹工場であった「官営八幡製鐵所(かんえいやはたせいてつじょ)」(現在の新日鐵住金八幡製鐵所。創業は明治34年! 歴史が違う!!)をはじめとする九州各地の工業遺産が、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、2015年7月8日、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 九州なめんな!!(教科書会社に、ずびしっ! と指差し)

 


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(6)奉仕部・女子キャンプ#2 (対:その40、41)

木更津(きさらづ)か、久しぶりだなぁ」

 

 運転席の平塚先生が、なぜかしみじみつぶやいた。

 

「先生、けっこう来てたんですか?」

 

 ドライブでアクアラインとか行ってたのかな?

 

「むかし大好きだったドラマの舞台さ。『木更津キャッツアイ』。リアルタイムで見てたよ。美礼先生、大好きでな……」

 

 あー、そのドラマ、なんか聞いたことあるかも。でもあたしたちはまだ小学生とかだったから、ちゃんとは見てないんだよね。

 

 なーんて……、平塚先生には……い、言わない方がいいよね……!

 

 わかってる、ちゃんと空気読める! 特技(とくぎ)

 

「このへんはいろいろ観光スポットがあるぞ。海ほたる、中の島大橋、最近はアウトレットパークもできたし、それに太田山公園の『きみさらずタワー』は夜景がキレイだ。覚えておくといい」

 

「デートスポットばっかりだ……」

 

 思わず、聞こえないくらい小さな声でツッコんじゃった。

 

 なんでだろ、平塚先生、たぶんそれ全部、ひとりで行ったんだろうなって気がする……。

 

證誠寺(しょうじょうじ)も有名ですね。『(たぬき)ばやし』の」

 

 ゆきのんが、ぴっ、と、ひとさし指を立てて言った。

 

「はは、文化的なのを()げてきたな。さすが雪ノ下(ゆきのした)

 

 平塚先生が感心したふうに答えた。

 

「しょーじょーじ? タヌキさんの『しょ、しょ、しょーじょーじー♪』って、アレ?」

 

 へぇ〜、なんとなくお寺が出てくる歌なんだろうとは思ってたけど、木更津にあったのかぁ。

 

「そうそう。そのたぬきの」

 

 ゆきのんはそう言うと、なぜか笑顔で、あたしの顔をじっと見た。

 

 な……なに?

 

「……そうだ。ちょっと寄り道してもいいかな? なに、大したタイムロスじゃない。せっかくなので行ってみたい所があるんだ」

 

 おおー、どんなところだろ?

 

 あたしとゆきのんに反対する理由はなかった。

 

「よし」

 

 平塚先生は国道がまじわる交差点で、右にハンドルを切った。

 

 先の方にある標識(ひょうしき)には、「富津岬 十四km」と書いてた。

 

 おおーっ。

 

 こういう予定外の寄り道も楽しいよね!

 

 

☆★★☆

 

 

 『ゆきのんパパ号(キャンピングカー)』は、木更津を通りすぎ、おとなりの富津(ふっつ)市に入って、南ではなく、ちょっと西方向に進んだ。

 

 十分ちょっとくらい、のんびりした雰囲気の街中の道を走っていると、その先に交差点があり、目の前に松の林がせまってきた。クルマはその林の中へつづく道に入っていった。

 

 道の途中にあった看板には、「南房総国定 富津公園」と書かれていた。へぇ〜。

 

 しばらくの間、クルマはいくつもの松の林を入ったり抜けたりしながら、道をまっすぐに進んだ。

 

 けっこうキレイな道だった。国定公園って書いてあったし、国が管理してるのかな?(※)

 

 ふと松の林から抜けたとき、目の前に何か、不思議な建物が見え始めた。

 

 

 

 

 ……なにあれ!?

 

 

 

 

 この先はもう海しかない、っていう、その場所に建っていたのは、ふしぎな形の、展望台みたいなものだった。

 

 コンクリートの太い柱が、長いのと短いのと、何本も立っていて、それぞれの柱のてっぺんに、コンクリートの正方形のお皿のような台がのっかっていた。

 

 そして、それぞれの台には階段がかかっていて、一番低い台からじゅんばんに上って、一番真ん中の、一番高い台に上れるようになっていた。

 

 全体を見れば、まるでピラミッドの骨組みっていうか、そんな感じ。

 

 ふしぎだけど、かっこいいデザインだった。なんか、ここが世界の果てだぜ! っていう目印みたいな。

 

「着いたぞ」

 

 平塚先生はクルマを止めて、外へおりた。あたしとゆきのんもそれにつづく。

 

 

 

 

 展望台のすぐ手前にある駐車スペースには何台か、他の車やバイクも止まってて、一人で来てる人、グループやカップルで来てる人がちらほらいた。

 

 展望台は、近づいてみるとけっこう大きかった。ちょっとしたビルくらいの高さがある。

 

「いちばん上まで行ってみよう」

 

 平塚先生は階段の上りはじめにずんずん進んでいった。

 

 先生のあとについて、手すりをたどりながら階段を上っていった。四角い台の部分は、それぞれが展望台になってて、手すりが設置されていた。

 

 階段をぜんぶ上り切ると、目の前には、ぶわぁーっと海が広がっていた。

 

 向こう岸がぼんやりと見える。

 

 あっちって、神奈川県だよね! けっこう近い! すごい!

 

 反対側へ振り向くと、そっちもいいけしき! さっき来た道が、ほんとに海につきだした(みさき)だったことがひと目でわかった。

 

 展望台の手前で、道路はくるっとローカリー(※ロータリー)みたいに回ってて、道なりに進むだけで岬を往復できるようになっていた。

 

「初めて来ましたが、ステキなところですね……」

 

 ゆきのんは階段でちょっと息が上がってたけど(体力なさすぎだよ……)、風に長い髪をなびかせながら、そう言って海の方を見て目を細めた。

 

 平塚先生は、海の方を見ながら説明してくれた。

 

明治百年記念展望塔(めいじひゃくねんきねんてんぼうとう)。神奈川県に一番近い千葉県の西端(せいたん)だ。

 

 対岸の天気がよければ、富士山も見える。夕暮れ時とかキレイだぞ。

 

 ちょっと前、夜にプロジェクションマッピング(建物に映像を映して飾る技法)のイベントもあったみたいだ。

 

 ここは私のお気に入りの場所でな。もう少し南の竹岡までラーメンを食べに行ったとき、帰りに立ち寄ったりする」

 

「あ、知ってる! 竹岡式ラーメンだ!」

 

 あたしの答えに平塚先生はウンウンとうなずく。

 

 千葉の三大ご当地ラーメンのひとつなんだって! ヤックスで売ってるインスタントのを食べたことある。けっこうおいしかった!

 

 ちなみにあとの二つはね、えっとね、わかんない!

 

「先生、ラーメン好きなんですねー。食べ歩きとかしてるんですか?」

 

「まぁな。とりあえず千葉市の有名な店はひととおり行ったな。時々こいうところへ遠征(えんせい)もする。

 

 近いうちにも、大遠征する予定だ」

 

「へー、どこですか?」

 

 あたしの質問に、先生は、んっふっふ〜、と笑い、

 

「まだヒミツ」

 

 と言って、いたずらっ子みたいに、ニヒっていう笑顔になった。

 

 そして、上ってきた階段の方に向かってちょっと右に見える岬を指さした。南の方角。

 

「あの岬の向こう側に枇杷ヶ浜(びわがはま)がある。あとちょっとだ。

 

 今ごろ比企谷(ひきがや)はすでに現地へ着いて、昼でも食べながらダラダラしてるはずだ。一気に追いついて、状況を確認する」

 

 

 

 

 ヒッキー?

 

 

 

 

 ……あっ。

 

 

 

 

「よ、よぉーし! 待ってろよーヒッキー!!」

 

 あたしは岬のむこうをずびしっ! と指さして、はるかかなたのヒッキーに言ってやった。

 

「……由比ヶ浜(ゆいがはま)さん、あなた今ちょっと目的を忘r」

 

「あ、先生そーだ! ヒッキー見たあと、どっかお風呂入りに行きません? 温泉みたいなとこあればなーって」

 

 ゆきのんのするどいツッコミから逃げるように、朝思いついたアイディアを先生に話した。

 

 平塚先生はニヤリと笑って、ビシィッと親指を立てた。

 

「安心しろ、万事ぬかりはない……! 来る前にちょっと調べておいたんだ。なかなか良さげな温泉施設があってな、景気よく行こう! おごってやる!」

 

「わーいやったー!」

 

「はぁ……まったく……」

 

 あたしと平塚先生の話を聞いて、ゆきのんはこまったように笑いながらため息をついていた。

 

 

☆★★☆

 

 

 展望台をあとにして、そこから一時間くらい、『ゆきのんパパ号(キャンピングカー)』は南へ南へとのんびり走った。

 

「そろそろ厚木(あつぎ)先生のご親戚(しんせき)のいる駐在所(ちゅうざいしょ)だ。あいさつに寄るから準備しておきたまえ」

 

 カーナビを見ながら、平塚先生が言った。あたしもゆきのんもちょっとうとうとしてたので、ささっと身だしなみをチェックした。

 

「駐在さんへの説明は私がする。適当に合わせてくれ」

 

 平塚先生がそういうのと同時に、クルマは線路の近くの、家と交番がくっついたような建物の(ちゅうざいしょ?)駐車場に止まった。

 

 

 

 

「こりゃー大したもんですなぁ」

 

 駐在さんは、『ゆきのんパパ号』をながめながら、うらやましそうにため息をついた。

 

 男の人ってやっぱ、みんなこういうの好きなんだなぁ。

 

 平塚先生は駐在さんに、

 

「最初は先生だけが見に来る予定だったけど、()()()()当日にキャンピングカーを借りれたので、ヒッキーに連絡できないまま、他の女子部員も集めて乗って来てしまった。

 

 こっそりヒッキーを見守りながら、別でキャンプをする。

 

 ヒッキーが知っちゃうと、きっとすねるので、このことはナイショにしておいてほしい」

 

 みたいな感じで説明をしてた。

 

 駐在さんはオッケーしてくれた。

 

「はっはっは、モテモテですなぁ彼は。男気のある、ええ目をしとるし、気持ちのええ子じゃったけぇのお」

 

 駐在さんはそういってウケてたけど、あたしとゆきのんはもっとウケてたよ!

 

 だってさ、駐在さん! 厚木先生に超そっくり!! 声も似てるし、なんか言葉も似てたし!!

 

 それにヒッキーのこと、いい目をしてて気持ちがいい子、だって……!! 

 

 ヒッキー、ここ来たとき、どんだけキラキラしてたのっていう……!!(笑)

 

 でも、駐在さん、いい人でよかった! 厚木先生もひょっとしたら、普段はなんかコワい感じだけど、ほんとは優しい人なのかもって思ったりした。

 

 

 

 

 駐在所を出て、キャンプ場まではすぐだった。

 

 大きな道から、海水浴場の看板のとこで枝分かれした細い道に入り、さらに曲がって細――い道へ曲がる。平塚先生はぶつけないように気をつけながら、クルマをゆっくりと進めた。

 

 

 

 

「ふたりとも、そろそろ後ろのカーテンをしめてくれ。比企谷はすぐ近くにいる。見つからないように(かく)れておいたほうがいい」

 

 そう言う先生は、ついさっきから、ぼうしをかぶってサングラスをかけ、マスクをしていた。

 

 う、う〜ん……なんかお忍びの芸能人みたい……?

 

 でもでも、たしかにキンチョーする。見つかったらアウトだもんね! ヒッキー、ゼッタイ怒っちゃう。

 

 あたしとゆきのんは、あわてて全部のカーテンをしめて、うす暗い中で息をひそめた。

 

 

 

 

「よし……到着(とうちゃく)だ」

 

 クルマは細い道を抜けてすぐ目の前の駐車場に入った。タイヤが砂利(じゃり)を、がりがりがりってふんづける音がして、クルマの動きもエンジンも止まった。

 

 着いた……!

 

 ふーっ、と、全員からため息がもれた。

 

 テーブル横のカーテンをちょっとだけ開けて、こっそりと外を見る。

 

 すぐ目の前は、コンクリートの堤防(ていぼう)みたいになってて、低いんだけど、駐車場からは、その向こうまではギリギリ見えなかった。

 

 平塚先生はクルマを止めてすぐ、運転席からするっと抜けだして、あたしたちの方へと避難してきた。

 

「この堤防の向こうが、すぐキャンプ場のはずだ……。

 

 とりあえず少し周りの様子を見て、外に―― ッ隠れろ! 比企谷だ!!」

 

 運転席の窓の方を見ながら話していた先生が、突然テーブルにふせて、あたしたちに手でサインを送ってきた。

 

 ゆきのんはすかさずテーブルの下にもぐった。あたしもあわててテーブルにふせようとして、あごをゴチって打った。いっ()ぁ……!!

 

 

 それでも必死に、テーブルにつっぷした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も物音を立てない中……。

 

 

 

 

              ジャッ、

 

           ジャッ、

 

        ジャッ、

 

     ジャッ……、

 

 

 

 

 って、ちょっとひきずるような足音が、かすかにだけど、前の方からちょっとずつ聞こえてきた。

 

 

 

 

 わ・わ・わ・わ・わ…… !!

 

 

 

 

 ……ヒッキーの、いつもちょっとダルそうに歩いてる、あの足音だ……!!

 

 

 

 

 ジャッ……。

 

 

 

 

 クルマの真横で、ちょうどあたしのいるテーブル席の真横で、足音は止まった。 

 

 なんで止まるの――!!??

 

 めちゃめちゃコワくてめちゃめちゃ心臓がバクバクいってた。

 

 ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ……っ!!

 

 

 

 

『おおー……キャンピングカーか……すっげぇ……キャブコンってやつだ……』

 

 

 

 

 ぼそぼそと、聞き覚えのある声がした。

 

 わー、まちがいなくヒッキーだ……!

 

 うわー、エンリョなしにひとりごと言ってる……! まる聞こえだよ……!

 

 

 

 

 しばらく、へー、とか、ほー、とか聞こえたあと、また、ジャッ、ジャッ、っていう足音が聞こえた。遠ざかっていく。

 

 そーそーそー! 行って行って! 向こう行って!!

 

 

 

 

 ジャッ!

 

 

 

 

『うおー、これ室外機? エアコンついてんの、ひょっとして……!?

 

 すっげえな、究極だな。セレブ……! 養われてぇ……!』

 

 

 

 

 まだ見てたァ――――ッ! こんどは後ろから――ッッ!? 

 

 堤防からジャンプで飛びおりて来たぁ――――ッ!!

 

 っていうかまだ「養われたい」とかいってるし!

 

 

 

 

 そのままヒッキーは、後ろから、クルマの左側に回りこんで、じっくりクルマを見ているみたいだった。

 

 そーっと、ブラインドをしめたキッチンスペースの窓から、外を見てみた。目かくしのブラインドのおかげで、外から中は見えないはず……!

 

 

 

 

 目の前に、カーキ色の服のヒッキーがいた。クルマのタイヤの方とか見てた。

 

 

 

 

「――ッ!!」

 

 びっくりして声が出そうになるのを、必死に口をおさえてこらえた。目が合わないうちに、すぐ窓からはなれる。

 

(いた、いた、いた!! ヒッキー! ヒッキー!!)

 

 あたしはゆきのんと平塚先生に、うなずきながら目で合図した。ふたりの表情がこわばった。

 

 わー、わー!! どうしよう! さすがに中にまでは入ってこないと思うけど、このままじゃ身動き取れないよ……!!

 

 

 

 

 と、平塚先生が、ハッと何かひらめいたような顔をして、ささっと運転席に向かった。

 

 ええええ!? なにしてんのせんせえぇ――っ!?

 

 あたしとゆきのんは、わけわかんなくてアワアワした。

 

 つぎのしゅんかん、先生は、キーを回して、クルマのエンジンを動かした!

 

 ぎゃ――――!!??

 

 

 

 

 と、

 

 

 

 

 ジャッジャッ、

 

  ジャッジャッ、

 

   ジャッジャッ、

 

    ジャッジャッ……、

 

 

 

 

 早足で、足音が遠くなっていった。

 

 おそるおそる、ゆきのんと、うしろのカーテンをちょっと開けて見てみると……。

 

 ヒッキーが、まわりを興味ぶかそうにキョロキョロながめたり、『お、めずらしいなー……』とかつぶやいて地面でなにか見つけたようなフリをしたり、なんかキョドりながら、どんどん遠ざかっていってた。

 

「……っ、緊急離脱(きんきゅうりだつ)!!」

 

 平塚先生の声と同時に、クルマが走りだして、駐車場を脱出した。

 

 

 

 

 全員、クルマが走ってるあいだじゅう、体が固まったようにだれも口をきかなかった。

 

 もときた道を戻って、さっき枝分かれして来た大きな道を、今度は右に曲がって、ちょっと行ったところにある道の駅の駐車場に入って、平塚先生はクルマのエンジンを止めた。

 

 

 

 

 そのしゅんかん、全員が、ぷはぁっと、止めていた息をはいた。や、息はしてたんだけど、なんかそんな感じで力がぬけたの!

 

 あっっっっぶなかったあぁぁぁ……!! バレちゃう一歩手前だった――っ!!

 

 まだ心臓バクバクいってたし!

 

 それに……!

 

 

 

 

 うっ……ぷふっ……!

 

 

 

 

「……っ、くっくくく……!!」

 

 運転席で平塚先生がプルプルふるえていた。

 

「ぷ……っ、ふふふ……っ!!」

 

 ゆきのんは両手で顔をかくしてプルプルしてた。耳が真っ赤になってた。

 

「……ううっ、くく……っ!!」

 

 あたしもヤバかった。なんか、ホント、体がプルプルふるえて止まらない……!!

 

 三人とも、だんだんプルプルがはげしくなっていって、お腹の底から笑いがこみ上げてきた。

 

 そして、三人同時に大爆笑した。

 

「あ――っははははは!! み、見たか!? 見たかアイツ!! あ、あの、あのリアク――っっくくくはははは!!」

 

 平塚先生は運転席で転げまわって思いっきり笑ってた。

 

「だ、だめぁははははは! めっちゃキョドってぁはははははは!!」

 

 あたしはおなかをかかえてソファに倒れこんで笑った。

 

「や、やめ……!! た、助け……っ――!!!!」

 

 ゆきのんは床をバシバシたたきながら片うでで顔を必死にかくして声を立てずに笑っていた。

 

 ヒッキー、バカすぎ!! 超ウケる!!

 

 人が乗ってると思わなかったから、エンジンがかかったことにビビって、「ジロジロ見てないよ! 散歩してただけだよ!」みたいなフリしながら逃げていったんだ……!!

 

 やっばい、おかしすぎる……!! あたしこれ、一生忘れないと思う!!

 

 

 

 

 ひとしきり三人で笑った。

 

 笑いがおさまるまで、なんと三十分もかかった!

 

 で、このことは、ヒッキーには何があってもゼッタイに言わないことを三人で約束しあった。

 

 

 

 

 笑いすぎて、しばらくの間は三人ともぐったりボーッとしてたけど、平塚先生が腕時計を見ながら、ぼそっとつぶやいた。

 

「午後四時すぎか……、さて、風呂に行って、ちょっと長めに休んでから、夕食の買い物をしようか……?」

 

「さ、さんせー……!」

 

 おなかの筋肉が元にもどってなかったけど、あたしは手を上げてなんとか賛成した。

 

 ゆきのんもなんとか手を上げて賛成した。まだぐったりしてたけど。

 

 よっし、お風呂だお風呂だ! なんかすっごいつかれたし、大きなお風呂につかって、リフレッシュしよう!!

 





 「自然公園法」では、自然公園として、「国立公園」と「国定公園」、そして「都道府県立自然公園」の三つが定められています。

 その中では、

 「国立公園」:国(環境大臣)が定め、国が管理する公園

 「国定公園」:国(環境大臣)が定め、都道府県が管理する公園

 というように定義されています。

 「富津公園」は国定公園なので、管理は千葉県が行います。

 実際は、「一般財団法人 千葉県まちづくり公社」ほか が指定管理者として運営しているようです。


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(7)奉仕部・女子キャンプ#3 (対:その41、42)(自作お風呂セット)

 読者諸兄。

 お待たせしました……。



 温泉回(おおばくち)のはじまりじゃあぁ!!!!

 (大河の真田昌幸顔)


 ちょうど道の駅に来てたので、お風呂屋さんに行く前に、少しのぞいてみることにした。

 

 真ん中に、ででんっ、と、ライトグリーンのとんがり屋根がある、けっこうキレイな感じの道の駅だった。

 

 中も結構キレイめ。入ってすぐにおしゃれなカフェっぽいテイクアウトのコーナー(ソフトクリームめっちゃおいしそう!)、インフォメーションコーナーがあって、その奥におみやげショップやカフェレストランがある。

 

 ショップとカフェレストランの間には、テーブルがいくつか並んだ休憩(きゅうけい)スペースがあったけど、すぐそばの大きな窓から、小川や田んぼ、小高い山が見えて、なんか、自然! って感じの、いいけしきだった。

 

 座ってたら、いつまでもボーッとできそう。いいなぁ、ここ。

 

 おみやげショップには、びわカレーに、びわドレッシング、びわゼリー、びわバウムクーヘン、びわカステラ、びわムース……と、もう全部びわ、びわっびわ、びわづくし! ってくらい、びわが入ってるっぽいおみやげものが並んでいた。

 

 平塚先生は、すいっとお店の中に入って、「びわゼリー」の箱入りのを一個買って、「君の父上へのお礼に」って、ゆきのんにわたした。

 

 なんかそれが、ほんとにサラッとやってて、ゆきのんもエンリョとかするひまもなくて、「あ、ど、どうもすみません……」みたいになってて、やっぱ平塚先生、オトナだなぁ、って感じがした。

 

「あたしもなんか買ーおう!」

 

 あたしは「びわバウムクーヘン」を買った。箱入りとバラ売りがあって、一個あたりの値段がビミョーに箱入りのほうが高いけど、パパとママへのおみやげ用なので、箱入りを買った。

 

 せっかくの旅行だし、ケチケチしない!

 

 ゆきのんは、「びわ紅茶」と「菜の花煮」を買ってた。

 

 セレクトがシブいなぁ……。パパへのおみやげかな?

 

 

☆★★☆

 

 

 道の駅を出たあと、『ゆきのんパパ号』は、大きな道(バイパス?)をずっと道なりに走った。

 

 十分ちょっと行って、くいっと交差点を曲がると、すぐ目の前にもうお風呂屋さんが見えた。

 

「わー、デカっ!!」

 

 予想してたより大きくて新しめな建物だったので、なんかテンションが上がった。

 

 駐車場も広い! 『ゆきのんパパ号』も、はしっこにだけど、ラクに止められた。

 

「せっかくのオンナ旅だ。お風呂は豪勢(ごうせい)に行きたくてな。私も初めて来たが、岩盤浴(がんばんよく)も韓国式アカスリも、マッサージもあるらしいぞ。夕飯時まで、二時間くらいはゆっくり楽しもう」

 

 平塚先生はウキウキしながらクルマを下りた。あたしたちもそれに続いた。

 

 お風呂屋さんの名前は「浜路(はまじ)の湯」。いわゆるスーパー銭湯っぽい。

 

 スーパー銭湯、けっこう好き。たまに家族で行くんだけど、広いお風呂ってほんと気持ちいいよね!

 

 しかもここ、あたしが今まで行ったなかでも、かなりリッチな感じがする。

 

「浜路の湯、かぁ。あれかな、里見八犬伝からとってるのかな?」

 

 あたしが何気なく言ったら、先を行ってたゆきのんと平塚先生の足が、ピタッと止まった。

 

 そのまま、ふたりで顔を見合わせて、ふたり同時に、ものすごくおどろいたような顔であたしの方を見た。

 

 な……なに!?

 

「ゆ……由比ヶ浜(ゆいがはま)さん……なぜ……!?」

 

 ゆきのんは口もとを手で隠しながら、声を震わせていた。

 

「ば……ばかな……!?」

 

 平塚先生の顔に、汗がつぅっと流れた。

 

 ……あっ!

 

「ちょ、ふたりともヒドい!! 里見八犬伝くらい、あたしも知ってるし!!」

 

 もー! チョー失礼!! どんだけあたしバカキャラあつかいなの!?

 

 あたしが、ぶぅっ! て、ほっぺをふくらませると、ふたりはあわててあやまってくれた。

 

「あ、い、いえ、ごめんなさいそうよね、知ってるわよね!? 名作だものね!」

 

「あ、いややや、ちがうちがう! ちょっと感心したんだ! 最近の学生で読んでるものも少ないしな……! アレは名作だ、うん、名作だよなぁ……!!」

 

 むうぅ、まったくもぅ。

 

 ……ていっても、あたしが読んだことあるのは、小学生向けの、カンタンになってるやつだけどね。

 

 ホンモノが江戸時代に書かれた、かなり長いお話だっていうのは、小学校の頃の先生に聞いたことがあった。

 

 舞台が千葉県だっていうのもスゴいよね!

 

 ま、まぁ、最初は、「101匹わんちゃん」みたいに、犬が八匹出てくるお話なんだーと思って読み始めたっていうのはナイショ……!

 

 それでも、けっこう好きなお話。特に信乃(しの)浜路(はまじ)の恋のゆくえとか、読んでて胸がきゅーってなった! あと、伏姫(ふせひめ)丶大(ちゅだい)法師の悲恋(ひれん)……! 男の人にあんなに一途(いちず)に想われるって、いいなーステキだなー! って思う。

 

 最後まで読み終わったあと、「……犬は?」っては、なったけど。

 

 

 

 

 さてさて、気をとり直して、あたしたちは建物の中に入った。

 

 建物の中はすごくキレイで、お客さんはそこそこ多かったけど、おちついた雰囲気だった。

 

 料金は平塚先生がおごってくれた。

 

 でもここ、一人、千五百円くらいするの!

 

「い、いいんですか先生……!?」

 

 こわごわと聞いてみた。

 

「かまわんさ。きみたちのおかげで本当に楽しい旅になってるしな」

 

 平塚先生は、ぱちっとウインクして笑った。もうホントこういうときかっこいいなぁ……!

 

「で、でも、ゆきのんはともかく、あたし、なんにもできてないし……」

 

 ホント。クルマをゲットしてくれたのはゆきのんだし、運転してくれたのは平塚先生だし、あたしは実際、ただついて来てるだけだもんね。

 

 でも、平塚先生は、ふふっ、と優しく笑って、あたしの頭をなでてくれた。

 

「われわれが今ここでこうしていられるのは、きみのおかげだよ、由比ヶ浜」

 

 きょとんとしていると、ゆきのんも、そっとあたしの背中に手をあてて、にこっとほほえんでうなずいた。

 

「お言葉に甘えましょう」

 

 ……ゆ、ゆきのんがそういうなら……!

 

 ふたりで平塚先生にお礼を言って、受付でタオルや館内着(かんないぎ)のはいったバッグと、ロッカーのカギを受け取った。

 

 女湯へと歩いて行くとちゅう、それまでキョロキョロとまわりを見てたゆきのんが、くいくいっ、と、あたしの(そで)をつまんできた。

 

「あ、あの……由比ヶ浜さん。実は私、こういうところ、初めてで……どういうシステムなのかしら……?」

 

 

 

 

 えっ、マジ!?

 

 

 

 

「え、ゆきのん、お風呂屋さん初めてなの?」

 

「ウチ以外でお風呂って、温泉旅館くらいは経験あるけれど……いつも部屋についてるお風呂だったし……大勢で入ったことは……」

 

 ワーォ……!

 

 え、でも、あれ?

 

「その……小学校とか中学校の修学旅行とかでは?」

 

「ちょうどその頃は、留学したり、していたから……」

 

 ワワーォ……!

 

 ……っ、てことは……?

 

「じゃ、じゃあゆきのん、今度の修学旅行が初めての……」

 

『みんなで入るお風呂デビュー』になるところだったんだ……!?

 

 ゆきのんは、はずかしそうにちょっと赤くなって、こくっとうなずいた。

 

 キモチ上目づかいになってるのが、クラクラするほどかわいい!!

 

 っ、でもでも、これよく考えたらヤバいよね!? ヤバかったんじゃん!?

 

 初めての修学旅行で、お風呂の時、よくわかんないまま、テレビの旅番組みたいに体にバスタオル巻いて湯船にズボッと()かっちゃうゆきのんを想像してしまって、冷や汗が出た。

 

 自慢じゃないけど、うちはけっこう旅行もするし、お風呂屋さんにも行く。ママからその辺はきちっと習ってきたから、自信あるよ!

 

 

 

 

 来た……! あたしのお役立ちタイムが、いま来た!!

 

 

 

 

「オッケーゆきのん、ここはあたしに任せて! いろいろ教えてあげるよ!!」

 

 あたしはゆきのんを力づけるように言った。ゆきのんもそれでちょっと安心したのか、こくこくとうなずいた。かっわいい……!!

 

 でも女湯のトビラを開けると、すぐそこに「入浴時のマナー」が細かく書いてあって、ゆきのんはそれをじっくり読んで、

 

「……なるほど、把握(はあく)したわ」

 

 って、勝手にマスターして、いつものキリッとした顔にもどっちゃったんだけど……。

 

 かろうじて、「最初に百円入れるけどあとで戻ってくるロッカー」の説明をした時に、ゆきのんを感動させることはできた。

 

 まぁ、あたしにじゃなくて、ロッカーに感動してたんだけどね……!

 

 

☆★★☆

 

 

「由比ヶ浜さん、それ、何?」

 

 洗い場にいっしょに行く時、ゆきのんは、あたしが持ってるポーチが気になったみたいで、聞いてきた。

 

 ふっふっふ……!

 

「これはねぇ、あたしのオリジナルのお風呂セット!」

 

 これはあたし、ちょっと自信あるよ!

 

 カラの洗面器の中に中身をあけて、ゆきのんに説明してあげた。

 

 

 

 

 お風呂屋さんのお風呂は広くて気持ちいいけど、そなえ付けのシャンプーとかボディーソープとかは、よくわかんないものが多くて、ときどき、使った感じがあんまり自分好みじゃないときがある。

 

 特にボディソープとか、いくら流してもヌルヌルした感じがずっと取れなくて、逆にやだなーってなっちゃうときとかあって。

 

 シャンプーも、ヘンなのは髪に悪そうで、使いたくないしね。

 

 せっかく広いお風呂に行くんなら、そういうことでのストレスは感じたくない!

 

 なので、あたしは、自分がふだん使ってるシャンプーとかせっけん、ボディタオルと同じものを買っておいて、メイク落としや歯ブラシセットといっしょに、ちっちゃな自分専用のポーチに入れて、持ち運びしやすくしてるのだ。

 

 シャンプーは家で使ってるやつを、小さな百均の容器に移してきてて、せっけんは無印○品で買ったソープケースに入れてる。これ、上下に荒い目のスポンジが入ってて、水がよく切れるんだよね。オススメ!

 

 ポーチ自体は、確か百均で買ったかな、布製で、片面がメッシュで、びしょびしょにぬれても気軽に洗ってしぼって、乾かしておけるような、安〜いやつ。そんなので十分!

 

 ボディタオルはこだわりどころ。家で使ってるのと同じものがいい。これを持っていくだけで、身体を洗うときの快適さがゼンゼンちがう。

 

 これ、旅行のときも、友達んちにお泊りするときにもカンタンに持っていけてすごく便利。もちろん、今度の修学旅行にも持ってくよ!

 

 

 

 

「なるほど……!」

 

 ゆきのんはあたしの説明に、目をキラキラさせてうなずいていた。

 

 よっしゃー!!

 

 ゆきのん、これゼッタイ、修学旅行までに自分用のセット、作っちゃうね……!

 

 ちなみにココのお風呂屋さんのシャンプー類は、そんなにヘンなモノじゃなかったけど、ゆきのんにも、あたしのシャンプーとせっけんを貸してあげた。

 

 平塚先生は何も気にせず、そなえつけのやつをガンガン使ってた。

 

 なんていうか、強いなぁ……!!

 

 

 

 

 しっかし。

 

 このふたりにはさまれてると、なんか、すっごいプレッシャーというか、敗北感というか。

 

 身体をこしこし洗いながら、そんなのを感じていた。

 

 ゆきのんは、やっぱりすっごくキレイ。

 

 顔ちっちゃいし、スレンダーだし、肌は、せっけんの泡に負けないくらい白いし、シミひとつなくてツルツル。

 

 洗う時以外は髪をたばねてアップにしてたけど、長い黒髪がぬれて、いつもよりツヤツヤしているのは、女のあたしでも思わず見入っちゃうくらいキレイ。

 

 で、もっとすごいのが平塚先生。

 

 テレビとか雑誌でしか見たことないよこんな人! ってくらいスタイルいいし、腹筋がうっすら割れてるのがすっごいセクシー。

 

 メイクも落としちゃってるはずなのに、顔がゼンゼン変わってない。スッピンでじゅうぶん美人なんだなぁ。

 

 洗い髪を、ぐいっとうしろになでつけると、おでこの形がキレイで、横顔がキリッとしてて、かっこよかった。

 

 ……ホント、なんで先生、結婚できないんだろ……? こんなにキレイなのに。

 

 平塚先生も長い黒髪だけど、なんていうか、ゆきのんが和風だとしたら、平塚先生は欧米っぽい感じ。

 

 もちろんどっちもすごくキレイなんだけど、そんな感じでちがって見えた。

 

 目の前の鏡にうつった自分の顔をぼんやりと見る。

 

 ……あたしも黒髪にもどそうかな……? 染めるのけっこう大変だし。

 

 ん〜、でもあたしの場合、すっごいイモいっていうか、地味になっちゃうんだよなぁ……!

 

 メイクを落とした今の顔で想像すると、よけいこどもっぽくて、地味に思えちゃう。

 

 はぁ……。

 

 コッソリため息をつきながら、三人で大きな方の湯船に浸かった。

 

「くぁ〜、極楽(ごくらく)ぅ……!!」

 

 平塚先生が声をもらした。お昼からずっと運転しっぱなしだったもんね。やっぱ疲れてたんだろうなぁ。

 

 あー、でもホント、広いお風呂はやっぱ気持ちいいっ!!

 

 冷えてた身体が、ポカポカあったまってきた。

 

 と。

 

 横から、チラッチラッと視線を感じたのでそっちを見ると、ゆきのんが、パッとそっぽを向いたところだった。あったまってきたのか、顔がほんのり桜色。

 

「どしたのゆきのん?」

 

 何気なく聞いたら、ゆきのんは「え、いえ……なんでも……」って、ちょっとほほえんで答えて、そっと「はぁ……」ってため息をつきながら、うつろな目で胸をおさえながらうつむいた。

 

 のぼせたのかな?

 

 って油断してたら、反対側からいきなり、そっと腕をつかまれて「ひゃうっ!?」って声が出た。

 

 平塚先生があたしの二の腕を持って、手のひらでお湯をすくってかけていた。腕の上で水玉がコロコロ転がってるのを、真剣な顔でじっと見ていた。

 

「ひ……平塚先生!?」

 

 呼びかけると、先生はハッと気づいて、あわてて手をはなした。

 

「や、す、すまん! ちょっとその、撥水性(はっすいせい)を見たくて……ハハ」

 

 先生も顔をほんのり赤くして、明るく笑ってたけど、「はぁ……」ってため息をつきながら、視線をなにもないところへ向けた。

 

はっすいせい??

 

 

☆★★☆

 

 

 お風呂から上がったあと、あたしたちは受付で貸してもらった館内着を着て、建物の中でのんびりしていた。

 

 平塚先生は「ちょっとマッサージ受けてくる!」といって別行動。

 

 あたしたちはテレビ付きのソファのある部屋でゴロゴロしていた。

 

「お風呂、どうだった? ゆきのん」

 

 となりのゆきのんに声をかけたけど、ダメ……なんかぽへーってなってて、気が抜けた声しか出なかった。

 

「そうね……最初はちょっと恥ずかしかったけれど、慣れてくるものね。清潔(せいけつ)だったし、気持ちよかったわ」

 

 ゆきのんも、ぽやーんとした声で答えてきた。

 

「千葉市にもね、ニューポートリゾートの方とか、似たようなトコがあるんだよ。あと先生が前に言ってた、スポーツセンターの近くにも。あたしけっこう家族で行ってるんだ。そのうちまた、いっしょに行こうよ」

 

「寒い時期にはそういうのもいいわね。幕張方面にはないのかしら……?」

 

「あー、こういうトコはなかったかなぁ……。岩盤浴のお店はあった気がするけど」

 

「岩盤浴、行ったことないのだけれど、少し興味あるのよね……」

 

「あたしもー。ふたりでゆっくり岩盤浴ってのもいいねー」

 

 

 

 

 なんか、そんな、ぽへーっとぽやーっとした会話を、だらだらやってた。

 

 ぜんっぜん女子高生らしくないよね(笑)

 

 でも、たまにはこんなふうに、ぽやーってするのも、いいと思うんだよね。

 

 ゆきのんと、そんな時間をいっしょに過ごせて、ホントに幸せだなぁと思った。

 

 

☆★★☆

 

 

「わ、さぶっ!」

 

 お風呂屋さんから出ると、外はもうすっかり暗くなってて、すごく寒かった。

 

 湯冷めしないように、いそいでクルマの中にかけ込んだ。

 

「そういや、夕飯どうする? なんならどっか店に入って食べるか」

 

 平塚先生がエンジンをかけながら、あたしたちに聞いてきた。

 

「いちおう、かんたんな調理道具は持ってきましたので、どこかで買い出しして、車内で作って食べるという手もあります。作るといっても鍋料理くらいのものですが……」

 

 ゆきのんがなぜかエンリョがちに言った。先生に食べたいものがあればそっち優先でオッケー、みたいな感じで。

 

 でも平塚先生は、ゆきのんの提案にノッてきた。

 

「お、いいなそれ! キャンプっぽい! 賛成!」

 

 あたしもすかさず賛成した。

 

「あたしもさんせー! あたしもてつd」

 

「由比ヶ浜さんあなたにはぜひ味見をお願いしたいの(たよ)らせてもらってもいいかしら」

 

 めっちゃ早口でカブせてくるように頼ってきた!?

 

 文化祭の時の頼られ方とは明らかにちがうよねぇ……うぅっ。

 

 ……でもね、先生にはあんな言い方だったけど、ゆきのん、実は土鍋とかカセットコンロとか調味料いろいろとか、気合入れて持ってきてること、あたし知ってるもんね!

 

 たぶんゆきのん、キャンプご飯、やってみたかったんだと思う。かわいい!

 

 オッケー。今回あたしは味見、しっかりがんばる! ゆきのんの料理、おいしいし!

 

 

 

 

 キャンプ場にもどる道で、お風呂屋さんからすぐのところに大きめのスーパーがあったので、そこで食材を買い込んだ。クルマに冷蔵庫ついてるから、ホント便利。

 

 食材を選ぶのはゆきのんにおまかせした。おカネはみんなでワリカン。

 

 けっこう買ったなーと思ってたけど、意外と安くすんだ。

 

 女三人だし、そんなたくさん量はいらないっていうのもあるけど、ゆきのんは「調味料を家から持ってくるだけで、出費がずいぶんおさえられるのよ」って言ってた。

 

 確かに! 調味料って、新しく買おうとするとけっこう高くつくもんね。

 

 レジでお金を払って、買ったものを袋に入れてると、平塚先生がそわそわし始めた。

 

「ちょ、ちょっと買い足したいものが……先にクルマにもどっててくれ」

 

 って、クルマのキーを渡してきた。

 

 しばらくして、クルマにもどってきた先生の片手には、買い物袋が一つ。中身は見えない。

 

 先生はそれを、あたしたちの目に触れないように、そっと、助手席に置いてあった自分のバッグの中に隠した。

 

 ……っと。

 

 あ、あれかな、デリケートなアレかな? 「何買ったんですか?」とか聞かないほうがいい雰囲気だよね! うん、空気読む。とくぎ!

 

「ふんふんふ〜ん♪」

 

 平塚先生はゴキゲンで、はなうたをうたいながら、クルマのエンジンをかけた。

 

 さっきお風呂屋さんでマッサージ受けて、元気になったのかな? 肌もつやつやしてた。

 

「由比ヶ浜さん、ちょっといいかしら」

 

 買い物袋と荷物の袋をゴソゴソやってたゆきのんが、あたしを呼んだ。

 

「なぁに?」

 

「これ、ひとつかみくらい出して、半分に折ってくれる?」

 

 そういって渡してきたのは、さっき買った、スパゲティの乾麺(かんめん)が入った袋だった。

 

「う、うん……?」

 

 言われたとおり、中身を半分出して、何回かに分けてパキパキ折った。

 

 ゆきのんはそれを受け取ると、ジップのついた袋に入れて、その上からペットボトルのミネラルウォーターを入れだした。スパゲティが水に浸っていく。

 

 わわっ!?

 

「な、なにしてんのこれ?」

 

 ゆきのんは、その袋を、安定するようにキッチンの台の上に置くと、ふふっ、とイタズラっぽく笑って、

 

「後のお楽しみ」

 

 と言った。

 

 えっ、これも料理かな? こんなの初めて見た……! 何ができるの?

 

 でもゆきのんは、それから後、なにもせず、ずっとそれをほったらかしにしていた。

 

 謎!!

 

 

 

 

 そうこうしてるうちに、クルマはもとのキャンプ場に戻ってきた。

 

 今度は、さっきよりちょっと離れてて、海がもっとよく見える方の駐車場に止まった。

 

 




【いちおう解説】

①結衣が「南総里見八犬伝」を知ってる、というのは、単なる書き手の思い付きです。逆に知ってる方が面白いなと思って。ちなみにモデルになったスーパー銭湯も、施設名に同作に出てくる名称が使われています。

②原作ではよく分かりませんが、当SSでは、雪乃は小、中とも、諸事情あって修学旅行には参加していない、ということにしました。ひょっとしたら原作と違うかも。まぁいいや。

③平塚先生がお風呂で「おうおう由比ヶ浜は育っとるねぇ。雪ノ下にはちょっとおまじないしてやろうかぐへへへへ」とか言いながらふたりの胸を揉むシーンとか想像した?

 残念! きわめて同性目線でした!! まさに外道!!?


【おねがい】

 今回のお話で、モデルにした地域周辺についていろいろ書きましたが、モデルになったキャンプ場は、2015年初頭ころから、シーズン(7月〜8月頃)以外のキャンプを禁止しています。ゴミの不法投棄やマナー違反の問題などがあったための、地域の方々としてもお辛い判断だったと思います。

 その決断を尊重するため、もしモデルにしたキャンプ場が分かっても、伏せておいていただきますようお願いします。

 今後、良きキャンパーばかりが集まって、ふたたび通年利用できるようになる日が来ることを、心からお祈りしています。


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(8)奉仕部・女子キャンプ#4 (対:その42、43)(水パスタ)

ちょっと間が空いておりましたが、なんとか女子キャンプ4回めです。

今回は料理が出てきますが、なにぶん私自身が料理苦手で……実際に作っての検証までは至っていないので、ホントにココに書いてる通り作って、うまくいくかどうかは不明です。そこのところはご容赦を…… or なにか参考になる意見をいただければ……!

という感じで、どうぞ。


「……オッケーです、こっち見てないです」

 

 個室から出て近づいてきた平塚先生に報告した。

 

「よ、よし……!」

 

 交代して、今度はあたしが個室へ入った。

 

 

 

 

 やー、えっとね、キャンピングカーのトイレが使えないから、キャンプ場のトイレを使うことになったんだけど、ヒッキーとバッタリ会わないように、必ずふたり一組で行って、どっちか一人が、ヒッキーが来ないか入り口で注意しとくようにしてたのね。

 

 もしヒッキーが来ちゃっても、あたしたちのほうがしばらくの間こっちでじっとしてれば、ヒッキーのほうが戻っていくだろうし。

 

 ホントは、今クルマを止めてる駐車場のすみっこにも、小さい公衆トイレが別にあったんだけど、故障中のはり紙があって、使えなかった。

 

 だから、キャンプ場の方のトイレを使わざるをえなかったのだ。

 

 今はあたしと平塚先生とで来てた。ゆきのんはクルマの中で料理中。

 

 待ってる間は寒いけど、でも、めっちゃ遠目だったけど、ヒッキーがテントの横で、ものすごい猫背で地面に座って、ちっちゃなたき火に当たってるのがちょこっとだけ見えた。

 

 ヒッキーはほとんど動かずに火をじーっと見たり、遠くを見つめたりしてた。

 

 まちがいなくヒッキーだった。

 

 近くには二つくらいテントが立ってたけど、ヒッキーは誰とも話したりしてなくて、ずっと一人きりでいるようだった。

 

 ご飯はもう食べ終わってるみたいだった。何食べたんだろ。

 

 

 

 

 ……ホントに、たった一人で来てたんだ……。

 

 

 

 

 そのことを確かめることができて、あたし、やっとホッとすることができた。

 

 ……やなやつだよね、あたし。

 

 でも、ホッとした。それが本心だった。

 

 そのあと、こんどはなんか、じわっと、さみしい気持ちになった。

 

 

 

 

 ……ヒッキー、ホントに、ひとりでいたいんだ……、って。

 

 

 

 

 あたしね、正直な話、ヒッキーがいっつも、自分のコト「ぼっち」とか言いながら、なんかじまんっぽくしてるのって、強がりだって思ってた。

 

 むかし色々あって、友達ゼンゼンできなくって、好きな子にめっちゃフラれて、それでひねくれて、強がってるんだ、ホントは友達も彼女も、ほしいに決まってる、って。

 

「ひとりでいたい」っていう気持ち、あたし自身が、なったことなかったから、全然わかんなかった。

 

 でも、ホントにもし強がってるだけだったのなら、あたしたちにヒミツにして、重そうな荷物をかついで、わざわざこんなトコまで来たりするワケ、ない。

 

 

 

 

 ひとりでいたい、って、どんな気持ちなんだろう。ひとりでいるとき、どんな気持ちなんだろう。

 

 シアワセ! って感じるの?

 

 わかんない。ほんとうに、わかんなかった。

 

 ヒッキーのこと、なんにもわかってないんだな、あたし、って思っちゃって、それがさみしかった。

 

 

 

 

 そっと個室を出ると、平塚先生がオッケーのサインを出した。

 

 ヒッキーの動きに気をつけながら、コソコソっとクルマに戻った。

 

 

 

 

 ねぇ、ヒッキー。

 

 あたし、そっちに行っちゃダメなのかな。

 

 いっしょにたき火しちゃ、ダメなのかな。

 

 

 

 

 

 

☆★★☆

 

 

 クルマに入ると、あったかい空気に包まれた。あー寒かったぁ!

 

 そしてすっごくいい(にお)いがしている。

 

 センターテーブルのカセットコンロの上で、土鍋が湯気を出しながらグツグツいっていた。

 

「わー、おいしそう!」

 

「ふむ、いい匂いだな」

 

 キッチンのほうで片付けをしていたゆきのんがほほえんだ。

 

「限られた設備や材料なので、お口に合うかどうか」

 

「いや、上々。君はやはりたいしたものだな」

 

 平塚先生は助手席のバッグをゴソゴソしながら、ゴキゲンな声でゆきのんをほめた。

 

 やー、ホントにすごいと思う!

 

 ゆきのんが作ったのは、ロールキャベツとベーコン、ブロッコリーが入った豆乳鍋だった。

 

 それでね! そこに、手のひらサイズのカマンベールチースを、まるごと一個ぶん、食べやすい大きさにカットして、どーんと真ん中に入れて一緒に煮込んでんの!

 

 そのチーズが溶けてて、ブラックペッパーがかかってて、コレがまたおいしそう……!!

 

 トマトも入る予定だったけど、平塚先生がトマト苦手らしくて、それはナシになった。

 

「本当は白菜と豚ばら肉でミルフィーユ鍋にできればよかったのだけれど、白菜を大量の水で洗わなければならないから、ロールキャベツで代用できないかと……今回は水をなるべく使いたくなかったのよね」

 

 そういえばロールキャベツは完成して袋に入ってるやつ、ブロッコリーは洗ってカットしてるやつを買ってたっけ。どっちも冷凍もの。

 

「あれ、水、タンクにたっぷり入ってなかったっけ?」

 

 あたしはキッチンの流し台を見た。乗り込んだ時に最初に見たけど、満タンに入ってたよね。あとペットボトルの水も、何本か買ってるし。

 

 それを聞いたゆきのんは、キリッとした笑顔になった。

 

「キャンプ料理の極意は、材料や水を極限までムダにしないこと……、おそらく比企谷(ひきがや)くんも、飲み水をふくめて、きちんと計算してムダにしないやり方で食事を作っていると思うから、負けられない」

 

 あ、そこ負けたくないポイントだったんだ……、まぁでも、すごくおいしそうだし、やっぱりゆきのん、すごい!

 

「ふむ。テント泊で登山する人なんかは、料理を作った鍋でお茶を作って飲むことで、洗い水を山に捨てずに鍋をキレイにするというが……なるほどな」

 

 平塚先生がふむふむとうなずいていた。

 

 マジ!? わー、すごい世界だな……! でも、なるほど……!!

 

 

 

 

 ゆきのん特製・豆乳チーズ鍋は、溶けたチーズがスープと混ざってメチャウマだった! 家でもいつか作ってみよっと!

 

 あったかいものを食べたら、身体も心もぽかぽかしてきた。クルマのなかも、鍋の熱であったまって、すこし窓を開けたくらいだった。窓にもびっしり水滴が付いていた。

 

「うまい、うますぎる……! 雪ノ下、もう君が私と結婚してくれよ……!」

 

 おいしさに感激した先生が、顔をほんのり赤くしてそう言った。

 

 ああぁー、超わかる!

 

「あら、うれしい申し出。ですがちょっと年が離れすぎてて。それなら姉さんの方がいいかと。姉も料理は上手ですよ」

 

 ゆきのんは、うふふっとほほえんで先生をあしらった。なんかオトナな女! って感じでかっこいいなぁ。

 

「えー、やだよなんか浮気しそうだもんアイツ……いやでも案外、ホレた男には一途だったりするのかな……?」

 

「身内のことを悪く言われて怒るべきなんでしょうけれど、なぜか否定できないのがつらいわ……。一途かどうかは分かりませんけれど」

 

 ゆきのんは笑いをこらえながらこめかみをおさえてた。先生も、くっくっく、って面白そうに笑ってた。

 

「へー、陽乃(はるの)さんも料理うまいんだ?」

 

「まぁね。和洋中、ひととおりできるんじゃないかしら。ハデな料理が好きみたいだけれど……一度、タイの活き造りを出してきた時はさすがに引いたわ」

 

「すげえ」

 

 平塚先生がケラケラ笑ってちっちゃいグラスの飲み物をくいっと飲んだ。

 

 

 

 

 ん?

 

 グラス?

 

 

 

 

「……先生、それ……お酒、ですか?」

 

 超いまさらだけど、おそるおそる聞いてみた。そういえば、「いただきます」のすぐ後くらいから飲んでた気が……!

 

「……え、いや、これはね、……麦茶。オトナの麦茶……!」

 

 先生は窓のほうに目をそらしながら、ちっちゃな声で答えた。

 

 お酒だ……!

 

 よく見たらテーブルの下に、なんかビンあるし。鳥の絵が描いたラベルが貼ってた。

 

「まったく……ま、飲みすぎないでくださいね」

 

 ゆきのんが、しょうがないなーって感じでため息をついた。

 

 平塚先生は、えへっ☆、って笑った。ちょっとかわいかった。

 

「しかし、うまい……! バーボンなんて久しぶりに飲んだが、こんなにうまいものだったとは……! 旅先で飲んでるというのもあるんだろうが」

 

 平塚先生はビンからまた少しお酒を小さなグラスに注いだ。バーボンっていうんだね。

 

 ラベルは英語で書いてた。なんて読むんだろ。ワイルド……トゥルケイ?

 

 先生、ちびちび飲んでるし、多分すっごく強いお酒なんだろうなぁ。

 

 

 

 

「さて……そろそろいいころね」

 

 ゆきのんは、鍋の中を見ながらつぶやいた。

 

 お鍋はホントおいしかった! みんなでペロッと食べつくしちゃって、あとはトロトロに煮つまったスープが少し、残ってるだけだった。

 

()めにパスタを作りますが、まだいけそうですか?」

 

 ゆきのんがキッチンの方へ向かいながら聞いてきた。

 

「「超ヨユー!!」」

 

 あたしと平塚先生はハモりながら同時に親指を立てて、イイネ! した。

 

 締め、待ってました――!!

 

「では……」

 

 ゆきのんがキッチンから持ってきたのは、キャンプ場に戻ってくるときに水に漬けておいた、あのパスタの袋だった。

 

「おおっ、なんだこれ!?」

 

 平塚先生がびっくりしていた。あたしがカンタンに説明する。

 

 パスタはジップの袋の中で、水を吸って、真っ白になっていた。なんか、ふにゃふにゃしてる。大丈夫なのこれ?

 

 ゆきのんはカセットコンロにもういちど火を付けて、そのパスタを、少し残ってた中の水ごと鍋に入れた。

 

 中が煮立ってくると、白っぽかったパスタはみるみる、見慣れたほんのり黄色い色に戻っていった。

 

 おおーっ!

 

 ゆきのんはパスタを一本すくって、味見すると、うなずいて火を止めた。

 

 えっ、もういいの!? まだ煮立ってすぐなのに。

 

 さらにゆきのんは冷蔵庫から粉チーズと卵を出してきて、パスタとすばやくまぜ合わせた。仕上げに、その上からプラックペッパーをふりかける。

 

「スパゲティ・カルボナーラか……!」

 

 平塚先生は感心したように、ため息をつきながらつぶやいた。

 

 ですよね! カルボナーラだこれ!

 

「だいぶまちがってる汁っぽいカルボナーラですが、まぁ、味はそれっぽくなったかも……はい」

 

 ゆきのんははにかみながら、それぞれのお皿に、できあがったパスタを取り分けてくれた。

 

「なるほど、鍋の中もキレイさっぱり、というわけだ」

 

 ホント、鍋の中はすっからかんになってた。つまり、ここまで入れて量がピッタリだったってことだよね。

 

 ムダがゼンゼンない。ゆきのんすごい! あたしも今度やってみよっと!

 

 このスープっぽいカルボナーラも絶品だった。

 

 もうね、最初のひとくちで感動! ずっと水に漬けてて、ふやけてるんじゃないのって思ってたパスタが、すっごいモッチモチで激ウマだったの!!

 

「ゆきのん、これ、麺、すごいよ! パスタって水に漬けたらこういう風になるんだね!」

 

「少し前にネットで話題になってたのよ。『水パスタ』って。一、二時間くらい水に漬けていれば、ゆで時間は一分くらいで、食感も生パスタみたいに仕上がるの。

 

 家でもたまにやっていたのだけれど、なかなか面白くて。うまく段取りすれば、ゆでる水の節約にもなるし、こういうキャンプの時にも向いているやり方なのかも、って思ったのよ」

 

 ゆきのんも、満足そうにうなずきながら食べていた。

 

 ほんっと、ゆきのんって最強だよね!

 

 あたしがもし男だったら、マジでゆきのんと結婚したい!!

 

「なんか……『小料理屋 ゆき乃』ってカンジだな……そのうち店、開いてくれ……通う!」

 

 平塚先生がすごく幸せそうにもぐもぐしていた。

 

 あっ、それもいい!

 

 いつか大人になって、ゆきのんがお店開いて、あたしや平塚先生や、できればヒッキーも、毎回集まって楽しくお酒飲んで、って妄想した。

 

 わぁ、いいなそれ!

 

 

☆★★☆

 

 

「そういえば先生、お借りしていたこれ、お返しします。ありがとうございました」

 

 ゆきのんは思い出したように言って、平塚先生になにか返した。

 

「おお……、どうだった、使い心地は」

 

「こわいくらいの切れ味でした。にぎりやすくて調理もしやすかったし、いいナイフですね。ご自分でお手入れもなさってるんですか?」

 

 ナイフ借りてたんだ。受け取った先生はニコニコしていた。

 

「ああ、もとはそのへんのキャンプ用品店に売ってるウピネル・ナイフだが、少し改造してる。といっても今回が初陣(ういじん)でな。

 

 使ってくれてありがとう。こいつも本望だろう」

 

 先生はそのナイフを、自分の目の前のテーブルにコトリとおいた。

 

 折りたたみ式のナイフみたいで、にぎる部分は木でできてて、こげ茶色で、つやつやしてた。

 

「先生ご自身で、使われたことはないのですか? お話をうかがっていると、ソロキャンプの経験もおありかと思っていましたが……」

 

 ゆきのんが首をかしげながら聞くと、平塚先生は、「うん……」とうなずいて、グラスをそっとテーブルにおいた。

 

「やろうとしたことは、あった。でも、できなかった。それ以来、ソロキャンプからは離れていた」

 

 そのときの平塚先生の顔は、すこし笑顔で、すこし悲しそうで、いつもの先生とはちがうけど、なんか、ドキッとするキレイさがあった。

 

「……なんで、できなかったんですか?」

 

 先生のその様子がホントに意外だったので、なにげない感じで、あたしは聞いてみた。

 

「私が女だからだ」

 

 ひと呼吸おいて、先生はポツリとそう言った。

 

 そのひとことが、なんかすごく胸をしめつけてきた。ゆきのんも同じように思ったみたいで、息をのんでいた。

 

「とはいっても、実際には、女性のソロキャンパーはけっこういるし、管理人が常駐(じょうちゅう)して、安全性の高いキャンプ場はたくさんある。女性だからといっても、やろうと思えばいくらでもできるんだ。客観的にはね」

 

 念押しするように、先生はちょっとあわてて言い足した。

 

 ゆきのんは、あごに手をやって少し考えていた。

 

「客観的には可能……、つまり、そうでない、主観的なことが原因で、できなかった……と」

 

 平塚先生はちょっとにがわらいして、コクリとうなずいた。

 

「両親が大反対した。そういうの、ダメな人たちでな。『女の子ひとりでキャンプなんて、危険すぎてゼッタイにダメだ!』ってな。当時、大ゲンカした。

 

 私はそのころ、まだ高校生だったし、今となっては親の気持ちもまぁ、わかるんだが……、比企谷と同じさ。何がきっかけだったか、ソロキャンプを知って、やってみたい、って、とりつかれてしまってな。

 

 テントとかも、親にナイショで、こづかいとバイト代で安いのを少しずつ準備して。

 

 このナイフも、いつか使おうと、買ってからコツコツ改造してたんだ。紙やすりでけずって、ニス()って、()ぎ直して……」

 

 先生は話しながら、たたまれたナイフをいとおしそうにもてあそんでいた。

 

 ゆきのんは、なんだか切なそうな顔で、先生の顔をじっと見ていた。

 

「高校の……何年生の時だったかな。夏休みに、いよいよソロキャンプをやろうと計画した。

 

 親には、友達の親戚の家にいっしょに泊まりに行くとウソをついて、大きなリュックをかついで出発した。

 

 電車をのりついで、かなり遠くまで行って、管理人もだれもいない、ちっちゃな無料のキャンプ場でテントを張って。

 

 料理は苦手だったから、コンビニで買ったおにぎりとカップラーメンを食べて。それでも、なんかこう、なにもかもから自由だ! って気持ちになって、うれしかった」

 

 平塚先生は少し間をおいて、グラスからお酒をちょっと飲んだ。

 

「でも、夜になってたき火してたら、みまわりしていたおまわりさんに見つかって、補導(ほどう)されてしまった。条例なんてあの頃はゼンゼン知らなかった。

 

 で、むかえにきた両親とまた大ゲンカさ。母親からは(なぐ)られ父親からは泣かれ……」

 

 そのときのことを思い出したのか、平塚先生はどんよりした顔で話した。

 

 パパさんとママさんの行動、逆じゃん……? っていうツッコミは、空気読んでやめておいた。とくぎ!

 

「で、まぁ、それっきりになった。……大人になって仕事を始めてからは、休日はグッタリしてて、なおのこと足が遠のいてしまった」

 

 だから、と、平塚先生は言って、少しかっこいい笑顔になった。

 

「比企谷がいま、やってること、私としてはなんだか、応援したくてな。そしてすこし、うらやましい。彼の場合は、ご家族も認めてるわけだからな。

 

 ……今日は、来れてよかった」

 

 

 

 

 なんだろう、この感じ。

 

 なんだかとっても、うれしいな、って思った。

 

 こんなに自分のことを話してくれる先生って、いままで会ったことがなかった。

 

 いい先生はいっぱいいたけど、なんていうか、みんなやっぱり上の立場から、教えたり、注意したり、はげましたりだった。それももちろん、ありがたいことなんだけど。

 

 平塚先生。これ、すごくいい意味で言うんですけど。ゼンゼン、大人をナメたような意味じゃないんです。

 

 あたし今、大人の友達ができたみたいで、大人の人が友達になってくれたみたいで、すごくうれしいです。先生のこと、もっと大好きになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、

 

 

 

 

 そのときは、思ったんだけど……、

 




【いちおう解説】


今回雪乃が作った料理は、クックパッドなどを参考にして、想像だけで書いています。参考にした料理は、「白菜と豚バラ肉のミルフィーユ+豆乳+カマンベールチーズの鍋」です。締めにはパスタでも、ご飯を入れてリゾットでも美味しそうでした。

洗浄・カット済みの白菜を買わせて使うという手もあったかもしれませんが、ゆきのんはどのみち、野菜は念入りに洗うキャラだろうなと思い、採用しませんでした。

今回はタイトルの「水パスタ」を紹介したくて、締めはパスタにしてみました。私もソロキャンプの時にやってみたんですが、スマートに段取りと準備をすれば、調理の際にすごい早さでパスタが仕上がりますし、水の節約にもなります。オススメです。



平塚先生が雪ノ下に貸したナイフは、もう世界的に有名なものなので実名書いちゃいますが、「OPINEL」(オピネル)というフランスのメーカーの折りたたみナイフがモデルです。

おそらくどんなキャンプ用品店に行っても、ナイフのコーナーには必ずあるんじゃなかろうか、というくらいメジャーなものです。

刃の材質はカーボンスチール(炭素鋼)とステンレスの二種類があります。平塚先生のものは、サビが出にくく保管に手間のかからないステンレスのモデルにしましたが、カーボンスチールのほうが、サビは出やすいけど切れ味はいいようです。

ちなみにサイズごとに製品名には番号が付いています。平塚モデルは「#9」です。

オピネル・ナイフの改造は、世界的にけっこうやられてるようです。英語で「opinel modification」あるいは「opinel mod」と検索するとたくさん出てきます。見るの楽しいです。

ちなみに私も、#9のステンレスモデルを改造して使っています。


女性のソロキャンプ、私は大いにありだと思います。ただ、きちんとしたキャンプ場に行けば百パーセント大丈夫かといわれれば、それはイエスとは言えません(まぁ男性でも同じですが)。

事前のリサーチや、気心のしれたソロキャンパー仲間と相談して、同じ日に同じ場所でそれぞれソロキャンプ、というやり方なんかもいいかもしれません。

それじゃソロキャンプじゃないじゃん、という向きもあるかもしれませんが、ソロキャンプで一番大事なのは、「リラックスして一人の時間にひたれること」だと私は思うので、手段や周囲の環境的に、完全に孤独でやらなければ、っていうのじゃなくても、まぁいいような気がします。一人旅の途中で宿でちょっと相部屋になった感じ、とでもいいますか。そういうのでいいんじゃないの、と。


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(9)奉仕部・女子キャンプ#5 (対:その43、44)

 おひさしぶりでございます。実に一ヶ月ぶりです! 待っていてくださった方々、本当におまたせしました!!

 リアル世界でちょっといろんなことが立て込んでて、更新する時間も気力もありませんでした……!! 特に気力。気力大事。

 まだちょっと立て込んでて、相変わらず不定期更新ですが、時間の取れる限り書き進めています。

 さて、だいぶ久しぶりの更新でかなり緊張してます。その上、内容は……、たぶん、このSSで一番ヒドいものになってます。

 お、怒らないでね! 石投げないでね!


 ではどうぞ。


「――彼、何度も言ったんだよ……『早く仕事を見つけて、これまで支えてくれたキミを安心させて、一刻も早く幸せにしたい』って……! (わたし)ゃもうね、そんなん言われたらね、『ゼッタイこの人を一生支えていこう!!』って思ったさ……! ところが、だ……ようやく彼に仕事が決まって、ようしもうそろそろ結婚しよっかって話した翌日に消えやがった。うん、翌日。次の日。家に帰ると荷物が全部なくなってて。携帯も着信拒否。LI■Eもブロックされてた。あわてて、決まったって言ってた彼の職場をたずねてみたらさ、そんなやつ(やと)ってないって! 結局……私が仕事しろ仕事しろって言ってたのがイヤでウソついてたんだよ。うるさくなってきたからまた別のサイフに乗りかえようってなもんだったんだろうな。私ゃワイフ()ならぬサイフだったわけだ(笑)。おまけに部屋からはエアコンとテレビと電子レンジもいっしょに消えてたよ。そう、エアコンもだ。信じられるか? 八月の話だぞ……! あの年は暑かった……本気で死ぬかと思った。泣きながら家電(かでん)ショップにかけ込んだよ……! ……てゆっかアレだよな……エアコンは買ったら手に入るけどさぁ……なぁ、男運ってどこ行ったら売ってるかな? amaz●nとかで売ってるかな……? フフッ……」

 

 平塚先生はそこまでイッキに話し終えると、力なく笑いながらグラスをぐいーっとかたむけて、中のお酒を全部飲んだ。

 

 

 

 

 ……お、重い……っ! 笑えない……っ!!

 

 

 

 

 ケータイの時計をそっと見ると、夜の11時をすぎていた。

 

 晩ご飯のあとかたづけはもうすんで、テーブルにはあたしとゆきのんの、紅茶の入ったティーカップと、いくつかのお菓子が広げられてた。

 

 それだけ見れば、あとは寝るだけのまったりトークタイム、なんだけど、ちがうのは、そのテーブルの上には他に、なんかすごく強そうな鳥の絵のラベルがついてる、平塚先生のお酒のビンが、ででんっ! と乗っていたことだった。

 

 

 

 

 ……なんかね、さっき先生、自分のソロキャンプ(失敗)の話してくれたあと、つぎつぎに自分の昔の話をしだして、止まらなくなっちゃったんだよね。

 

 で、それが、ほとんど先生の恋愛(失敗)の話で。いま話してたのは社会人になってからのお話らしいけど。

 

 あたし、彼氏いたこと、まだないから、あんまりエラそうなことは言えないんだけど、人の恋バナとかはやっぱり大好きで、盛り上がっちゃう方ではある。

 

 でも……先生の恋バナは、なんか、レベルっていうか次元っていうかジャンルがちがったっていうか……すごいっていうか……ひと口でお腹いっぱいというか……ぶっちゃけ、引くっていうか……!

 

 やばい……先生が「私も高校の頃は恋とかしたなぁ」ってつぶやいたのに乗っかって、「わー、どんな相手だったんですかー!? 」って、思わず聞いちゃったのがいけなかったか……!?

 

 ゆきのんもドン引きしてた。

 

 うーん、ゆきのん、なんか恋バナとか苦手そうだもんね。

 

 さっきから困ったみたいに、あたしの方にチラチラ視線を送ってくる。「コレ、どうすればいいの!?」って。

 

 ごめん、ゆきのん、あたしもどうすればいいかわかんない……!

 

 

 

 

「ほんっと、何であんな男を好きになっちゃったのかなぁ……」

 

 平塚先生は、どろーんとした目で窓の外をながめながら、そうつぶやくと、グラスをまたくいっとかたむけた。

 

 うーん。

 

 その気持ちはまぁ、ちょっとわかる……、かな。

 

 ヒトが恋愛で苦労した話を横で聞いてるだけだと、ホント、かんたんに、「そんなヤツ最初から好きにならなきゃいいのに」って思っちゃうんだけど。

 

 こればっかりは……わかんないもん。ほんとにわかんないもんね。

 

 どんなとき、どんな人を好きになるか、なんて。

 

 あたし、彼氏はできたことないけど、好きな人ができたことは、……まぁ、あるから。

 

「私の人生……いっつもそんなかんじだ……ろくでもない男に振り回されて……根性なしの男に逃げられて……ほんとにイイ男はみんな他の女と結婚して……」

 

 平塚先生はつぶやきながら、グラスをまたクイッと……あ、あのぅ……ちっちゃいグラスだからあんま考えなかったけど……もしかしてそのペース、すっごくやばいんじゃ……!?

 

 ビンの中のお酒も、半分くらいなくなってるし……!

 

「……ってゆっか、考えてみれば今このときだって……、比企谷(ひきがや)なんかに振り回されてこんなとこまで来てるわけだよ……あのヤロウ……! まぁ、来ちゃった私も私だけどさぁ……私を振り回すなど十年早いっつう……まぁ、来ちゃったんだけどさぁ……」

 

 平塚先生は空になったグラスを、ことん、とテーブルに置いて、うつむいてぶつぶつひとりごとを言い続けていた。息も、ふすーふすー言ってた。

 

 これ、もうベロンベロンになっちゃってるなぁ……!

 

 と、思ったら、いきなり顔を上げて、あたしたちを見た。

 

 とろ〜んとした目で、ぽや〜んってしてて、顔もほんのり赤くなってて、なんかちょっと色っぽかった。

 

「いいこと考えた……!」

 

「「……?」」

 

 あたしとゆきのんは顔を見合わせて、先生の様子をうかがっていた。

 

「……寝てる比企谷に、イタズラしに行こーぜ……! テントをがっしゃがしゃ()らしてやるとか、お化けのマネするとか……」

 

 平塚先生は、ニヤぁっと笑いながら言った。

 

「は、はい!?」

 

 ゆきのんがたじろぐ。何言ってるのこの人……! って感じで先生を見ていた。

 

「だ、ダメですダメダメダメ!! ヒッキーにバレちゃいますよ! そしたらヒッキー、ゼッタイ怒るかキズつくかしちゃうし!」

 

 あたしは両手と首を思いっきり横に振って先生を止めた。

 

「あはは、冗談だよ冗談ー」

 

 先生はアハハと笑いながら、ポケットからタバコを取り出した。

 

「ははは……ちょっと一服(いっぷく)してくらぁ」

 

 そう言って、先生はヨタヨタ歩きながら車の外へ出た。外の寒い空気が、少しだけ車内に入ってきた。

 

「外、けっこう寒いみたいだね。昼間はあんなに晴れてたのに」

 

「晴れてたからこそよ。放射冷却(ほうしゃれいきゃく)。秋から冬の間はむしろ、くもりや雨の日の方があたたかいのよ。地面の熱が雲の下でとどまるから」

 

 ゆきのんが「ほうしゃれいきゃく」のことを、細かく教えてくれた。

 

 

☆★★☆

 

 

 ちょっとの間、ゆきのんとふたりきりでおしゃべりしながら窓の外を見ていた。

 

 車内の明かりは、少し落としてたので、外の景色がよく見えた。

 

 夜の海はところどころ、ちいさな明かりが見えて、とても静かな風景だった。

 

 いつまでもこうして、ぼーっと見ていたいなぁと思った。

 

「平塚先生、遅いわね」

 

 紅茶のおかわりをカップに注いでいたゆきのんが、ふと思い出したように言った。

 

 そういえばタバコって、吸い終わるのに何分かかるんだろ?

 

 ……はっ! ひょっとして、よっぱらいすぎて外で寝ちゃってるとか!?

 

 ちょっと様子を見に行ってみようかな、と思った時、とつぜん、ゆきのんが立ち上がった。

 

「まずいわ!」

 

 ゆきのんはテーブル横の大きな窓の外を見て青くなっていた。あわてて入口に走って、クツをはきはじめた。

 

 あたしも窓の外を見た。

 

 見えにくい角度だったけど、平塚先生がスキップしながら浜辺の方……ヒッキーのテントの方へと向かっていた。もうけっこう先まで行ってる!

 

 ううううわ――っ!! 先生なにやってんの――っっっ!?

 

 あたしもあわててゆきのんに続き、平塚先生を止めに走った。

 

 もう夜おそいし、ヒッキーに見つかるとまずいので、先生を大声で呼べない!

 

 ところが平塚先生はもう完全におかまいなしに、

 

「うっひゃっひゃっひゃ――! ひ↑――き↑――が↓――や――――↑↑↑♪♪♪」

 

 なんて呼びながら楽しそうにスキップして行ってる。

 

 先生――――!!(泣)

 

 あともうちょっとでヒッキーの青いテント、ってところで、平塚先生は砂に足を取られたのか、コケッとこけた。

 

「うい――っ……ひきがやぁこのやろぉ……!」

 

 先生はよっぱらってモニョモニョ言いながら立ち上がろうとしてたけど、ふらふらしてて動きがにぶかった。

 

「先生……! 戻りましょう……! はやく……!!」

 

 なんとか追い付くと、あたしたちはふらふらしてる平塚先生の腕を取って引っ張った。

 

「やら――っ! 前からアイツにはひとっこと、言ってやろうと思ってたんら! おい起きろ比企谷八幡(ひきがやはちまん)! ポイントゼロにすんぞ――っ!!」

 

 平塚先生はだだっ子みたいに腕と足をバタバタさせて騒ぎだした。

 

 もおおぉ何のポイントですか――っ!?(泣)

 

 

 

 

 ……ん、うぅーん……?

 

 

 

 

 目と鼻の先にあるヒッキーのテントから、眠たそうな声がかすかに聞こえた。

 

 ヤバ――――い!! ヒッキー起きちゃう――――っ!!

 

「……先生、申し訳ありません……!」

 

 と、横でゆきのんがポツリとそう言うと、暴れてる先生の背後にササッと回って、ふしゅーっ、と息を整えた。

 

「せいッ!」

 

 ゆきのんのくりだしたチョップが、先生のうなじに直撃した。

 

「きゅう」

 

 先生は急に静かになって、ぱたりと砂浜に倒れた。

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 えぇ――……!?

 

 

 

 

「ゆ……ゆきのん!?」

 

「はぁ、はぁ……っ、大丈夫……当て身を食らわせただけよ……はぁ、はぁ」

 

 ゆきのんは全力で走ったのと今の攻撃で、ぜぇぜぇ言っていた。体力なさすぎだよ……!

 

 っていうか当て身って……!

 

 平塚先生はあお向けになって、くかーっと寝ていた。

 

「さ……持って帰りましょう」

 

 持って帰るって……!

 

 でも、完全に力が抜けて寝こけてる平塚先生をおんぶしたりするのは、めっちゃ重くてあたしたちには無理だったので、しょうがなく、ふたりで先生の足をかたっぽずつ持って、ずるずる引きずって、クルマに連れて帰った。

 

 先生ごめんなさい……!!

 

 

☆★★☆

 

 

 平塚先生の身体についた砂をていねいに落として、クルマに運び入れ、バンクベッド(運転席の上にあるベッド)に放りこんだ。

 

 けっこう乱暴にやっちゃったかもだけど、先生は高いびきでグゥグゥ寝っぱなしだった。

 

 なんていうか……すごいなこの人……。

 

 ここまでの作業で、さすがにあたしも息が切れた。

 

 いったん、ゆきのんといっしょにテーブル席に座りこんだ。

 

「も……もう遅い時間だし、そろそろ寝ましょうか……明日もあるし」

 

「そ……そうだね……なんかつかれて、眠くなってきちゃった……」

 

 ゆきのんと意見が合って、あたしたちはそそくさと寝る準備を始めた。

 

 と、

 

「っ、ダメら比企谷! そっち行ったらまた車が!!」

 

 平塚先生が、ガバッっとはね起きてベッドから飛び降りて、あたりをキョロキョロした。

 

「比企谷! どこらっ!? 外かぁっ!!」

 

 寝ぼけてるみたいだったけど、あまりの迫力に、あたしもゆきのんもびっくりして、いっしゅん反応できなかった。

 

 そのスキに、平塚先生はまた外へ飛び出した!

 

 ちょっ!?

 

「せ、先生――!!」

 

 あたしとゆきのんもまた後を追いかけた。けど今度は、ゆきのんがバテて足が遅くなってて、追いつけない!

 

「あああぁもおぉ――っ!!」

 

 あたしは力の限り走った。あんま足は早くないけど、毎日サブレのさんぽしてるおかげで、まだ少し体力残ってた。

 

 うぎー! ムネがゆれまくって痛い! 片腕で押さえながらダッシュする。

 

 平塚先生がふたたび砂浜で足を取られてコケたスキに追いつけた。

 

「うぅ……ど、どこら比企谷ぁ……! どこらぁ――っ!?」

 

 立ち上がろうとしながら平塚先生はまだわめいていた。

 

 

 

 

 ……ん、何だぁ……?

 

 

 

 

 ぎゃ――――――!!!!

 

 目の前のヒッキーのテントから、眠そうなヒッキーの声が聞こえた。

 

 ヤバ――――――い!!

 

「ひ、ヒャン! ヒャンヒャン!」

 

 あたしはテンパっちゃって、とっさにサブレの鳴きマネでごまかそうとした。

 

 

 

 

 ……あぁ、なんだタヌキか……ぐぅ……

 

 テントの中からヒッキーの寝ぼけた声と、モゾモゾいう音がして、また静かになった。

 

 

 

 

 ……たぬっ……!?

 

 た、タヌキじゃないもん!!(泣)

 

 あたしがなんか謎のショックを受けてる中、平塚先生はまだ、あたしの足もとでウギャウギャうなっていた。

 

 あああもぉこうなったら……! 先生ごめんなさい!!

 

「ふしゅーっ、ふしゅーっ! せ、せいやッ!!」

 

 あたしはもう夢中で、ゆきのんのまねっこで、息を整えて平塚先生のうなじにチョップを食らわせた!

 

「きゅっ、ぐはっ」

 

 平塚先生はふたたび、ぱたりと倒れておとなしくなった。

 

 

 

 

 あ、あれ、でもなんか……さっきとは……?

 

 あれー……、なんか白目むいてビクンビクンしてる……? 口から泡が……!?

 

 あ、あれ――!?

 

「ゆ、由比ヶ浜(ゆいがはま)さん……なんてことを……!?」

 

 ぜぇぜぇ言いながら追いついてきたゆきのんは、平塚先生を見ると、口元を手でおおって首を振った。

 

 えっやっ、ちょっと待って! さっきゆきのんも……え――ッ!?

 

「当てどころが悪いのよ……シロウトがやってはいけないのよ、もう……! こうなったら……」

 

 ゆきのんは、先生の上半身を起こして、背中をドンとついた。すぐに先生は意識を取り戻した。

 

「はっ……私は何を……ゆ、夢k」

 

「せいッ」

 

「きゅう」

 

 と思ったらゆきのんはすかさず当て身をやり直した。平塚先生はみたび、キレイに気を失った。

 

 

 

 

 鬼だ!!

 

 

 

 

「ベッドにしばり付けておこうかしらまったく……」

 

 うんざりした顔でゆきのんはそう言うと、ヨロヨロと先生の片足を持った。

 

 あたしたちはもう一回、平塚先生をズルズル引きずりながらクルマへ戻ったのだった。

 

 あ――……おフロもっかい入りたいなぁ……!

 

 

 

☆★★☆

 

 

 ふと目が覚めて、ケータイを見ると、夜中の三時。

 

 車の中は真っ暗だった。

 

 あたしはクルマの後ろの二段ベッドの、下の方で寝てた。

 

 ベッドはちょっと固かったけど、毛布がすっごいふかふかですべすべであったかくて、くるまったとたんに眠ってしまってた。これすごいな……欲しい……!

 

 平塚先生とゆきのんの寝息が聞こえてくる。や、平塚先生のはうなり声……?

 

 

 

 

 思いついて、そ〜っと上のベッドをのぞいてみた。

 

 ゆきのんがこっちを向いて、くぅくぅとかわいい寝息をたてて寝ていた。いつものキリッとした顔じゃなくて、安心しきった子供みたいな顔……っ!

 

 くはぁ〜……、かわええのう……!! そういえばゆきのんの寝顔って初めて見るかも。お泊りの時や、夏のキャンプの時は、あたしのほうが早く寝ちゃってたからね。

 

 ひとしきり、ゆきのんの寝顔を楽しんだあと、また毛布にくるまった。

 

 はい、おやすみ。

 

 

☆★★☆

 

 

 ずりっ、ずりっ、と、何かを引きずるような音と寒さで、あたしは目を覚ました。

 

 クルマの窓に引かれたカーテンのスキマから、青いかすかな光が入ってきていた。

 

 夜明けのほんの少し前くらいなのかな。

 

 ずりっ、ずりっ。

 

 引きずるような音は、だんだんこちらに近づいてきてる気がした。

 

 ……!? なに……?

 

 あたしは寝返りして、音のする方を……クルマの運転席の方を見た。

 

 

 

 

 ちっちゃなころに見たこわい映画に出てた女の人が目の前にいた。

 

 黒くて長い髪で顔は全部(かく)れてて、真っ白な肌には血の気がなく、ずりっ、ずりっ、と、ゆっくり足を引きずるようにこっちへ歩いてきてた!

 

 

 

 

「――――っ!!!!」

 

 あたしは思わずベッドの奥、クルマの後ろのカベに体当りするように後ずさったので、ドシン、とクルマがちょっとゆれた。

 

「ぁ゛・ぁ゛・ぁ゛・ぁ゛・ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛…………」

 

 へんなイヤなこわい声まで聞こえてきた!! ていうかそれ別の映画じゃなかったっけ!?

 

 ていうかよく見たら平塚先生だった。ふらふらしながらベッドから降りてきたんだね。

 

「な、なんだ、先生かぁ……! だ、だいじょぶですか……?」

 

 あたしはまだドキドキしてる心臓をおさえながら、ゆきのんを起こさないようにそーっと平塚先生に声をかけた……んだけど。

 

「ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛……うぅっぷ……!」

 

 平塚先生はとつぜん口もとをおさえて、空いてる方の腕で、ベッドの横のトビラの取っ手をさぐっていた。顔が真っ青になってて、背中がまるまっていた。

 

 

 

 

 ……はっ!!

 

 

 

 

「だ、ダメぇ――先生ゼッタイダメ――――!!」

 

 うわ――っ、最悪だ――っ!

 

 先生それだけはゼッタイダメ! このトイレに一番出しちゃいけないやつだ――っ!!

 

 あたしは飛び起きると、タオルをにぎりしめて平塚先生をかかえて、クルマの外へ出た。

 

 ()きそうになってる先生をヘタにゆらさないように注意しながら小走りに……!

 

 

 

 

 おねがいだからトイレまで持ちこたえてください先生――っ!!(泣)

 

 




【いちおう解説】

①冒頭の平塚先生とヒモ男との恋愛・破局については、原作第1巻初版第27刷の75ページを参考にしました。

②当て身は生命にかかわったり、のちに脳や脊髄に障害を生じさせる可能性のある、大変危険な行為です。素人は決して行わないでください。

 なお、何度も当て身での失神と(かつ)入れによる回復を繰り返すと、やがて起きてても意識がもうろうとするようになるらしいです。

 本編での平塚先生のヒドい二日酔いは、もしかしたら今回の雪乃たちのしわざにも原因があるのかも知れません。

③ちなみにですが、本編の「その47」にて、雪乃は八幡のテントを「一、二度(最高二回)」、結衣は「二、三度(最高三回)」見たと言っていますが、今回のお話までで、それはウソではなかった、というのが書けたかな、と思います。カウント間違えてないよな……大丈夫だよな俺……?


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(10)奉仕部・女子キャンプ#6 (対:その44〜47)

再びご無沙汰していました。何とか生きています。

では、予告通り、今回はこの娘の視点で。


 ドタドタという足音で、私は起こされた。

 

 目を開くと、由比ヶ浜(ゆいがはま)さんが、平塚(ひらつか)先生を支えながら、キャンピングカーから出ていくところだった。

 

 どうしたのか問う前に扉は閉まった。

 

 静かになった車内には、夜明け前のかすかな光が、カーテンの隙間(すきま)から入ってきていた。

 

 スマートフォンを見ると、もうすぐ午前六時。

 

 寒かった。

 

 外は晴れているようだから、きっと昨夜からの放射冷却(ほうしゃれいきゃく)のせいね。

 

 もう少し毛布にくるまっていようかとも思ったけれど、二人が戻ってきた時に寝顔を見られるのも気恥ずかしいので、起きることにした。

 

 ……紅茶でも()れようかしら。

 

 お茶()けもまだ余ってるし、朝食は軽めでもいいかもしれない。

 

 ベッドから降り、キッチンで顔を洗って、着替えた。

 

 

 

 

 なかなか二人は帰ってこない。

 

 ……ひょっとしたら、平塚先生の具合が悪いのかしら?

 

 あれだけ強いお酒を飲んでいたのだもの、二日酔いにもなるわよね……全く。

 

 紅茶を淹れ、一人で飲む。

 

 甘いミルクティが、冷えていた身体を温めてくれた。

 

 私の場合、ミルクを先にカップに入れる。英王立化学協会が二〇〇三年に公表した結論をそのまま鵜呑(うの)みにしているだけなのだけれど、まぁ、王立だし、このやり方が、よりロイヤルに近いのだろう。

 

 実際、このやり方のほうが、味わいがまろやかな気がする。

 

 いい香り。

 

 窓の外、まだ夜が明け切らない青い空気の中で、ほとんど(なぎ)に近い海面では、小さな波だけがさわさわと揺れていた。

 

 静かだ。

 

 

 

 

 ……暇つぶしに、いま自分は、(ひと)りでキャンプに来ているのだ、という空想を試みた。

 

 

 

 

 ふと気が向いて、一人旅に出た。

 

 誰にも言わず、誰とも会わず、誰とも話さず。

 

 たまたま立ち寄って、海の様子がのどかで気に入ったから、ここに車を()めた。

 

 持ってきた道具と適当に買った材料で食事をまかない、その後は、何をするでもなくぼんやりと過ごし、夜が()けたので、毛布にくるまって眠った。

 

 

 

 

 いま、目に見えるところすべてが、手の届くところすべてが、誰にも(おか)されることのない自分だけの世界。

 

 自分以外、誰も入り込めない清浄な世界。

 

 

 

 

 私は今、世界の終わりの時に、世界の果てで、ひとり紅茶を飲んでいる。

 

 ……なんて、ちょっと極端かしら。

 

 

 

 

 …………。

 

 なるほど。悪くない気分ね。

 

 私は一つ、深呼吸した。

 

 なかなかいい趣味を見つけたじゃない、比企谷(ひきがや)くん。

 

 しかもたった一人で準備して。

 

 素直に、すごいと思うわ。

 

 

 

 

 …………。

 

 自分が一人暮らしを始めた時のことを思い出した。

 

 まだ寒さの残る春先だった。

 

 どのような経緯(けいい)で父のものになったかは知らない、知るつもりもないあの部屋。

 

 家具はベッド以外、すべて元からそこに備わっていた。

 

 荷をほどいて、自分以外は誰もいない冷え冷えとしたリビングで、今と同じように、紅茶を淹れて飲んだ。

 

 自分から願い出て、母の反対も押し切って手に入れた生活だったけれど、その時は、自分でも驚くほど、何も感じなかった。

 

 実家から離れられた解放感。一人きりでの新生活への不安。少しはあったかもしれないけれど、それよりも、今日の夕飯は何にしようかとか、そんなことばかり考えていた。

 

 そして、淡々と、淡々と、あの部屋で日々を過ごしてきた。

 

 

 

 

 …………。

 

 分かっている。

 

 あんなもの、本当は一人暮らしなどと格好(かっこう)をつけられるものではない。

 

 結局は、どれだけ距離を(へだ)てようが、あそこは実家の離れに過ぎないのだ。

 

 すべて(あつら)えてもらったものだ。自分の力で用意したものなど、ひとつもない。

 

 住民票は父の意思で、実家から移していない。それは一人暮らしの条件でもあった。

 

 電気代やガス代、水道料金は、全て父に請求が行く。食費と自分で買い足す生活用品の代金以外、あの部屋で暮らすための費用が毎月いくらかかっているのか、私は分からない。

 

 生活費も毎月、十分な金額が口座に振り込まれてくる。小遣いを稼ぐためのアルバイトすら、私はしたことがない。学業に専念せよとの両親の命令のためだった。

 

 だから、お金を稼ぐことがどれだけ大変か、私はまだ、実感したことがない。

 

 …………。

 

 世の中を馬鹿にしていると思われるかもしれない。

 

 高校生が親のお金で、幕張の高層マンションで一人暮らし。

 

 (はた)から見て、自分の状況が恵まれ過ぎているということは、理解しているつもりだ。

 

 けれど……。

 

 うまく言えないけれど、この、どこまでも長く伸びるリード(引き綱)のついた首輪のような束縛感が、それに依存せざるを得ないことが、私のコンプレックス(複雑な劣等感)なのだった。

 

 誰にも……平塚先生にも、由比ヶ浜さんにも、打ち明けることができない、私の弱さ。

 

 もちろん、養ってくれている親に、こんなこと、言えるはずもない。

 

 他の誰に言っても、顰蹙(ひんしゅく)を買うだけの、身勝手な苦しみ。

 

 ただ、姉さん(陽乃)には、見透かされている気がする。

 

 あの人は強い。

 

 境遇は私と同じ……いや、私よりもはるかに強い束縛があるはずなのに、なぜあんなに自由でいられるのだろう。

 

 ……本人は、束縛とは感じていないのかもしれない。

 

 それは開き直っているという意味ではない。

 

 後継ぎとして、両親から、雪ノ下の家から、束縛されると同時に期待され、ゆくゆくは依存されることを「知って」いるのだ。

 

 そして、そのことを了承してみせているから、両親は基本的に、姉に対しては何も言わない。

 

 ゆくゆくは、彼らが姉に依存することになるのだから。

 

 彼女は、()んでしまっているのだ。雪ノ下の長女としての、自分の宿命を。

 

 ……私には真似できない。

 

 私はただの、雪ノ下の次女に過ぎないのだから。

 

 

 

 

 …………。

 

 ふと、外に出たいと思った。

 

 由比ヶ浜さんと平塚先生はまだ帰ってこない。トイレにしては長すぎる。心配になってきた。

 

 ……いえ、ちがう。

 

 急に息が()まるような感じがして、たまらなくなったのだ。

 

 ()()()()()()()()、雪ノ下の家の中。そう感じた途端、なにか急に、たまらない気持ちになったのだ。

 

 外の空気を、とにかく吸いたいと思った。

 

 こんな早い時間、この寒さだし、他に誰も起きてはいないだろう。少しだけ海を見て、ひと呼吸して、そして戻ってくればいい。たったそれだけ。問題ない。

 

 なんの根拠も保障もない理屈で自分の衝動を担保して、私はショールを肩に巻き、そっと車を抜け出した。

 

 

 

 

 夜明け間近の世界は、全てが青かった。

 

 星々が、太陽へ舞台を(ゆず)るべく去っていった空は、どこまでも晴れていて、宇宙の果てまで見通せそうに遠い。

 

 風もなく、波の音がはっきり聞こえた。

 

 肺が、潮の香りを含んだ冷たい空気で満たされる。

 

 ほんの少しだけ、と思っていたのに、私はそのまま立ち尽くしてしまった。

 

 その光景があまりにも綺麗(きれい)で、私はその瞬間、あまりにも孤独だったから。

 

 永遠にここにいてもいい。

 

 それが叶わないなら、今すぐ世界が終わってしまえばいい。

 

 そんな気持ちになった。

 

 誰にも分かってもらえないと思う。

 

 分かってもらいたいとは思わない。

 

 ただこの孤独感だけが、私の、贅沢(ぜいたく)で、身勝手で、非常識で、けれどどうしても(ぬぐ)えない心の苦しみだけが、私にそっと寄り添ってくれていた。

 

 この孤独感だけが――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、人の気配を感じた。

 

 振り返ると、比企谷(ひきがや)くんが立っていた。

 

 

***

 

 

 彼は、私からほんの十数歩離れたところに、ぽかんとした顔で立っていた。

 

 なにも言わず、ただ、ぽかんと、私を見つめていた。

 

 

 

 

 最初の数秒、なにが起きたのか、分からなかった。

 

 波の音が何度か聞こえるうちに、私の意識は現実へと引き戻され、同時に、血の気が体中から引いていくのを感じた。

 

 

 

 

 ――しまった……!

 

 比企谷くんに、見つかってしまった……!!

 

 

 

 

 また数回、波が寄せては返した。

 

 私は、私の脳は、その波を数える間に、いくつもいくつも、この場の言い訳を考え出そうとしていた。

 

 けれど、もちろん、どんな言い訳も通用するはずがない。私がここにいること自体、彼にしてみれば、ありえないことなのだ。

 

 それに、ああ、まただ。また私は、言い訳をしようとしていた!

 

 嘘も言い訳も、自分で自分をおとしめるものだと知っていながら。

 

 私はそんな汚い、いやしいものになりたくないのに。なりたくないと思っているのに。

 

 全速力でその場を逃れようと、ごまかそうとする自分の思考に、全力でブレーキをかけた。

 

 

 

 

 ――最悪だ。

 

 私が台無しにしてしまった。……私が。

 

 三人での、ここまでの旅の意味を。

 

 何より、比企谷くんの大事な旅の意味を。

 

 

 

 

 身体が震えていた。寒さのせいではない。

 

 悔しくて、情けなくて、涙が出そうになった。

 

 ……けれど、負うべき(せめ)は、負わねば。 

 

 

 

 

 比企谷くん……、

 

 彼に向き直って口を開こうとしたその瞬間、彼の右手がすっと前に伸び、私が話すのを制止した。

 

 それは見事な合気(あいき)だった。

 

 ただ手をかざされただけなのに、完全に不意をつかれた私の呼吸は止まり、体は硬直し、言葉を発することができなかった。

 

 謝罪することさえ、許されなかった。

 

 もう、だめだ。

 

 私はただ黙って、彼が私を罵倒(ばとう)し始めるのを、身を縮めて待つほか、なかった。

 

 

 

 

 …………。

 

 …………。

 

 波の音とともに、彼がゆっくりと歩いて近づいてくる気配がした。

 

 心臓が、嫌な音で早鐘のように鳴っていた。

 

 とても彼と目を合わせられなかった。

 

 地面に落としたままの、私の視界の(すみ)に、彼の靴のつま先が見えた。

 

 

 

 

 ……けれど、彼は黙ったまま、あと数歩のところで立ち止まって、そこから動かなかった。

 

 

 

 

 ……?

 

 

 

 

 あまりに沈黙が続いたので、私は恐る恐る、顔を上げた。

 

 彼はまるで、珍しいものでも見るかのように、私をじっと見つめていた。

 

 怒っている様子が、まるで感じられなかった。

 

 二人の間の沈黙は、このまま永遠に続くような気さえした。

 

 

 

 

 ……なぜ……?

 

「……なぜ、なにも聞かないの?」

 

 不安と恐怖に駆られて、私から彼に(たず)ねた。

 

 私のこと、(なじ)っていいのに。(ののし)っていいのに。彼にはその権利があるのに。

 

 なのに、なぜ。

 

 

 

 

「なぜ……」

 

 彼は、口の中で私の問いかけを繰り返しながら、目線を外した。

 

 少しの間の後、彼は私の目を、今度はしっかり見つめて、少し微笑んで、ぽつりと言った。

 

 

 

 

「そんなの、どうでもいい……」

 

 

 

 

 穏やかな言葉だった。

 

 その言葉に反応するように、心臓が、血液以外の、何かとても温かいものを、全身に(めぐ)らせ始めた。

 

 

 

 

 私を受け入れてくれた。

 

 必死に隠していた、私のみにくさも、あさましさも、いま彼は、全部()の当たりにしたのに。

 

 何の理屈もなく、「そんなの、どうでもいい」と言って、微笑(ほほえ)んで、まるごと受け入れて、寄り添ってくれた。

 

 

 

 

 ああ、そうか。

 

 彼は、孤独の化身(けしん)だ。

 

 私の孤独感が、ふと目の前に人の姿をして現れたのだ。

 

 ……なにそれ。

 

 我ながら、頭がおかしくなっていたとしか思えない発想だった。

 

 けれど、私はそのとき、本当にそんなふうに感じた。

 

 

 

 寒いことを忘れるほど、顔が熱くなった。

 

 心を(しず)めようと、私は無意識に海へ目を向けた。

 

 そのとき、初めて気づいた。

 

 水平線の向こうに、富士山が顔を出していた。

 

 晴れた日には、珍しくない光景だけれど、でも。

 

 この、あまりに絶妙なとき、絶妙な場所から、その山はこちらを見つめていた。

 

 比企谷くんも気づいたのか、同じ水平線を見つめて息を呑んでいた。

 

 

 

 

 あの山、まるでこちらを見ているみたいね。

 

「あの、」

 

「なぁ、」

 

 彼に思わず声をかけようとしたら、彼も全く同時に口を開いた。

 

 戸惑ってしまって、それ以上言葉を継げなかった。

 

 彼も、同じ。

 

 ……きっと、私と同じことを感じて、同じことを言おうとしたのだと思う。

 

 確証はないけれど、きっとそうだと思う。

 

 綺麗(きれい)ね、とつぶやくと、彼は、うん、と答えた。

 

 ……彼の言葉がこんなにやさしく響いてきたのは、初めて聞いた気がする。

 

 いつもは部室で、ドッヂボールのようにくだらない言葉の投げつけ合いをしている私達だったから。

 

 そのまま、しばらく二人で並んで、富士山を見ていた。

 

 

 

 

 今こそ、世界が終わっても構わないと、本気で思った。

 

 

 

 

「雪ノ下」

 

 唐突に、比企谷くんが私を呼んだ。

 

 全身がびくりと震えた。

 

 彼の声は、男の人の、低くて力強くて、真剣な声だった。

 

「……はい」

 

 ショールをかき寄せ、ドキドキする胸を押さえながら、私は思わず返した。

 

 彼は私をじっと見つめていた。

 

 さっきよりも真剣な目で。

 

 さっきよりも、熱を帯びた目で。

 

 

 

 

 ……!

 

 

 

 

 ああ、だめだ、だめよ、比企谷くん。

 

 それ以上、何か言ってはいけない。

 

 私はいま、おかしくなっているから。

 

 いまの私は、……何を言われても、了承してしまいそうだから。

 

 けれど、私……、

 

 私、由比ヶ浜さんのことを裏切ることはでk

 

「……ちょっと、トイレ行ってくる……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……了承、になるのかしら、これ……?

 

 

***

 

 

 淡々と波が寄せては返す、寒い朝の浜辺。

 

 太陽の光が徐々に増し、世界には色が戻りつつあった。

 

 比企谷くんが必死の形相で早足でトイレに向かって歩き去っていった後、私はまだ呆然(ぼうぜん)として、動けずにいた。

 

 

 

 

 私は何をしようとしていたのだろう……。

 

 身体の震えが止まらない。寒さのせいでも、ときめきのせいでもない。

 

 盛大な恥ずかしさと(はなはだ)しい怒りと途方もない安堵(あんど)、それに……小さじ一杯程度の……無念?

 

 

 

 

 ……そんなわけ、ないでしょ!!

 

 うわああああ!! なにやってるの私は!! バカ!! バカ雪乃(ゆきの)!!

 

 滅びろ! 今すぐ滅びろ世界!!

 

 ()(はら)え!! 薙 ぎ 払 え ! !

 

 

 

 

 ……などと、心の中で巨神兵(きょしんへい)に命じつつ。

 

 私はしばし、顔を両手で(おお)って、砂浜にしゃがみこんでいた。

 

 

 

 

 ううううう……!!

 

 ……けれど、危ないところだった。もしあの時、変なことを言われていたら……。

 

 思い返すだけで顔が燃えそうになる。

 

 自分がこんなに雰囲気に呑まれやすい人間だなんて、信じられなかった。

 

 でも、大丈夫、セーフよ。さっきはセーフだったわ!

 

 何が!?

 

 ……完全にアウトよね……だいたい、比企谷くんに見つかってしまったし……。

 

 

 

 

「あ」

 

 はたと、私は気づいて顔を上げた。

 

 比企谷くん、トイレに行って……、

 

 まずい、由比ヶ浜さんたちが……!!

 

 

 

 

 (あわ)てて比企谷くんの後を追ったが、遅かった。

 

 トイレに辿(たど)りついた私が見たものは、入口付近で固まったまま対峙(たいじ)していた、比企谷くんと由比ヶ浜さん、そして由比ヶ浜さんに肩を借りて、苦しそうな平塚先生だった。

 

 

 

 

「……お……、おっはろー……!」

 

 冷や汗をだらだら流して、由比ヶ浜さんはつとめてにこやかに、比企谷くんに声をかけた。

 

「おい、これ以上ヘンな挨拶(あいさつ)を増やすな」

 

 みんなの中で一番驚愕(きょうがく)の表情を浮かべていた比企谷くんだったが、意外と冷静に突っ込んでいた。

 

「ひ、比企がゃおぶぅ……っ!!」

 

 何か言おうとした平塚先生だったが、急に口元をタオルで押さえ、また女子トイレの奥に駆け込んでいった。

 

「せ、先生――っ!」

 

 由比ヶ浜さんは先生を追いかけて、再びトイレの奥へ消えた。

 

 

 

 

 なんなの、これ。

 

 

 

 

 取り残された比企谷くんは、ゆっくりと、こちらを向いた。

 

「……と、とりあえず……いろいろと説明してもらえるか……?」

 

 彼は完全に混乱していた。無理もないけれど……。

 

「……私達の車へ来て。話はそこで。案内するわ……」

 

 

 

 

 私は彼を、私達のキャンピングカーへ案内した。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 ……私達の秘密のキャンプ旅行は、こうして失敗に終わったのだった。

 

 その後のことは、……あまり語りたくないのだけれど、少しだけ。

 

 

 

 

 平塚先生の回復を待つ間、私と由比ヶ浜さんは、車内でひたすら落ち込んで過ごした。

 

 比企谷くんがキャンプ場を去るのを見たとき、由比ヶ浜さんが泣き出してしまったので、慰めるのが大変だった。

 

 帰りの旅路は、高速を使ったこともあるけれど、行きよりもはるかに早く感じた。

 

 休憩の回数も少なかったのだけれど、全員、ほとんど言葉を発さずにいたからかも知れない。

 

 由比ヶ浜さんを送り届け、私のマンションの前で平塚先生と別れ、都筑(つづき)に車とお土産を引き渡した後、朝までの記憶がほとんどない。

 

 疲れ果てて、その日じゅう、眠ったり起きたりを繰り返したせいだと思う。

 

 ……月曜、改めて比企谷くんに謝ろう。きちんと謝らなければ。

 

 そんな、陰鬱(いんうつ)な気持ちを抱えたまま、日曜は終わっていった。

 

 




【いちおう解説】


 「ミルクティは、カップの中にミルクを先に入れるか、紅茶を先に入れるか」という論争が、イギリスでは昔から盛んだったようですが、王立科学協会の結論により、争いはいちおうの終止符が打たれたようです。

 どうでもいいですが私、コンビニに売ってるリプトンのミルクティ、大好きです。


 雪乃の私生活に関する記述は、完全に私個人の解釈と創作設定です。じっさいのところどうなのかは、今は未発表の原作第12巻以降で明らかになるのかも知れません。

 とはいえ、全くの無根拠というわけでもなく、原作第2巻の第25刷、228〜229ページ、雪乃がバーにて川崎から、実家について指摘されるシーンなどを参考にしています。

 ……それにしても、川崎はなんで、雪乃の父親が県議だってこと、知ってたんだろ。

 ひょっとしたらですが、川崎の父親も建設関係の仕事をしてて、雪ノ下の家(建設会社、県議)については少し話を聞いてたり……? とか、勝手に解釈してみたり。

 まぁ、どちらかというと、同じ学年に県議の子供がいるってなれば、そこそこふつうに目立つものなのかもしれませんね。


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(11)平塚静の一番長い月曜日。 (対:その51、ついでに49)

ながらく、おまたせしました……恥ずかしながら、生きて帰ってまいりました……!!

詳細は活動報告にて。まずは、なんとかかんとか書き上げましたので、ご笑読を……!!


 自宅のベッドルームの窓は道路に面している。

 

 その窓のすぐ外、筋向(すじむ)かいの家から、泣きじゃくる幼い男の子の声が聞こえてきた。

 

『やだ――っ! がっこういきたくない――っ!! ママといっしょにいる――っっ!!』

 

 今年度になってから聞こえ始めたので、おそらく小学校一年生だろう。

 

 ママ離れできていず、休み明けの朝にはこうして、玄関先でいつまでもぐずるのを、迎えに来ている近所の上級生が、彼の母親とともに必死でなだめ、登校を(うなが)す、というのが恒例(こうれい)行事だった。

 

 夏休み明けのときなんか、そりゃもうすごかった……。

 

 ふだんなら、同業者として彼の担任の苦労を察しながらも、つい微笑(ほほえ)んでしまうかわいい風景なのだが……。

 

 

 

 

「うるせぇぞガキ……私のほうが一〇〇〇倍は学校行きたくねぇんだよ……!!」

 

 私は台所の換気扇(かんきせん)の前に立ち、いまだにボサボサ髪のパジャマ姿でそうつぶやきながら、今日起きてから四本目のタバコに火を()けた。

 

 枇杷(びわ)ヶ浜でのキャンプ明けの月曜日、午前七時半のことである。

 

 

 

 

 うううぅ……! チョー学校行きたくねぇ……!!

 

 

////

 

 

 日曜日(きのう)は最悪だった。

 

 ようやく私の体調が回復し、運転できるようになった頃には、比企谷はとっくに撤収(てっしゅう)してキャンプ場を後にしていた。

 

 疲れもあったし、重たい雰囲気の中、下道(したみち)で長い時間かけて帰る気にはならなかったので、高速道路を利用した。

 

 時速九〇キロで淡々と後ろへ流れていくアスファルトの上の点線。南房総(みなみぼうそう)の海岸はどんどん遠ざかっていく。

 

 静かな帰路だった。

 

 キャンピングカーの後部座席から聞こえてくるのは、由比ヶ浜(ゆいがはま)がベソをかいている声と、雪ノ下(ゆきのした)が由比ヶ浜の肩を抱き、黙ってさすってやっている衣擦(きぬず)れの音だけだった。

 

「うっ……うっ……! ど、どうしよう、ゆきのん……!? ヒッキー怒っちゃった……! ゼッタイ嫌われちゃったよぅ……!!」

 

 いつもは明るい由比ヶ浜が、これまで見せたこともなかった弱々しい様子に、胸がズキズキ痛んだ。

 

「本当にごめんなさい由比ヶ浜さん……私が勝手な行動をとったせいだわ……」

 

 雪ノ下が、彼女には珍しく、消え入るような声で由比ヶ浜に()びた。

 

「う、ううん、ゆきのんのせいなんかじゃないよ……! あ、あたしが、あたしがそもそも無理を言わなきゃ、こんな事にはならなかったんだし……!!」

 

 由比ヶ浜は泣きながら首を横に振り、雪ノ下に謝り返していた。

 

「いや、悪いのは私だ……! 私がこんな(てい)たらくだったせいで……本当にすまない」

 

 私は前を見て運転しながら、二人に聞こえるように謝罪した。

 

「……」

 

「……」

 

 ……、

 

 

 ……あれ、反応なし?

 

 あ、あれ――……?

 

 

 

 

 ……え、マジで私のせい……?

 

 そういえば昨夜(ゆうべ)、夕食を食べてからの記憶があまり(てゆっか全然)ない。

 

 酒で記憶が飛ぶことはあまりない(てゆっかよくある)方なのだが……。

 

 私……な、なにか、やらかしちゃったの、かな……?

 

 いまさら二人に聞くのも(こわ)い……!

 

 

 

 

「……とにかく、明日、比企谷くんは部活に来るとは言ってたのだし、包み隠さずこちらの事情を話して、誠心誠意(せいしんせいい)、謝罪するしかないわね……」

 

「ヒッキー、あたしたちの話、ちゃんと聞いてくれるかなぁ……?」

 

「分からない……今回ばかりは、彼から罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられたとしても、甘んじて受けるしかないわ」

 

 二人は結局、私の言葉には無反応のまま、明日の作戦を練り始めていた。

 

 ね、ねぇ……?

 

 

 

 

 しかし、比企谷にどう釈明(しゃくめい)すればいいのか、かなり悩んでいるようで、後ろの席からは、深い溜息(ためいき)ばかりが聞こえてきた。

 

 妙案(みょうあん)など、何もない。私も沈黙(ちんもく)するしかなかった。

 

 

 

 

 ……あ!

 

 そういや月曜の四限、F組で授業じゃないか……!

 

 などと突然思い出し、二日酔いで吐きまくってボロボロの胃が、ふたたびギリギリと痛み出した。

 

 う――わ――……明日学校行きたくねぇ……!!

 

 

////

 

 

 ……とはいっても……、仕事だしなぁ……。

 

 いつまでもウダウダしてはいられないので、のろのろとメイクと着替えを済ませ、ダラダラと家を出た。

 

 家から学校までは、クルマで二〇分弱。朝礼には十分間に合う。

 

 朝の遅刻指導(ちこくしどう)の当番、今日は厚木教諭(あつぎきょうゆ)だったから助かった。

 

 

 

 

 ……いや待て……! 比企谷は遅刻魔だったっけ……。

 

 もし昇降口で厚木教諭に(つか)まって、キャンプのことを根堀(ねほ)葉掘(はほ)り聞かれたら……?

 

 じわりと冷や汗がにじんできた。

 

 ま……まぁ、あんな形だったとはいえ、いちおう比企谷には、こちらの最低限の事情は説明済みだ。厚木教諭に対しては、うまく合わせて乗り切るだろう。

 

 しかし、その後、私自身がどんな目に()うか、それを想像するのが怖かった。

 

 四限はF組で授業。そのすぐ後は昼休み。

 

 比企谷に(つか)まるかもしれない。そのとき、改めてボロカスに文句を言われるかも知れない。

 

 それが、怖かった。

 

 ……一七歳の少年にギャーギャー言われるのが、ではない。

 

 これまで少しずつだが確実に築けていた問題生徒(比企谷)との信頼関係が……

 

 

 

 

 いや違う。うそだ。

 

 比企谷が怒っているのを見るのが、私のせいで怒っているのを見るのが、怖かった。

 

 比企谷(かれ)から……嫌われるのが、怖かった。

 

 

 

 

 愛車(ヴァンテージ)のアクセルペダルが、今日はとても重く感じた。

 

 

////

 

 

 遅く出て焦ってる時に限って、ほぼ全ての信号に引っかかる。

 

 学校には朝礼ギリギリで(すべ)り込んだ。

 

 教頭から軽く注意を受けたものの、その後は大過(たいか)なく、三限目まで終えた。

 

 

 

 

 途中、厚木教諭が私の机へやって来た。

 

「平塚先生、土日はお疲れ様でした」

 

 声をかけられて、一瞬ギクリとする。

 

 しかしこちらの気持ちとは裏腹(うらはら)に、厚木教諭はどことなく機嫌がいいようだった。

 

「ええ……どうも」

 

「朝、比企谷に会いましたわ。気持ち()う、挨拶(あいさつ)してきましてな。なんつーか、ひと皮むけたようになっとって、ええ表情(かお)しとりましたよ」

 

 はっはっは、と、厚木教諭は言うだけ言って去っていった。

 

 

 

 

 ひ、比企谷が……気持ちよく、挨拶……!?

 

 心臓にひやりと冷たい(しび)れが走った。

 

 

 

 

 ありえない。

 

 せっかくのソロキャンプを……おそらく、人生で初めて夢中になった趣味で、コツコツと準備して、やっと実現したであろうソロキャンプを、あんなふうに台無しにされて。

 

 今日の比企谷が、いい表情など出来るはずがないのだ。

 

 かつての私なんか、キャンプ中に補導されて以来一〇年以上、警察を恨めしく思ってたというのに。……いやそれ今も、ってことじゃん……。

 

 

 

 

 どういうことなんだ……?

 

 

 

 

 なにか、嫌な予感がした。

 

 

 

 

 胸のざわざわが収まらないまま、二年F組の教室へ向かった。

 

 始業チャイムを聞きながら、ふたつ深呼吸。

 

 ……と、とりあえず、今は目の前の授業を片付けねば……!

 

 私はいつもどおり姿勢を正し、教室の扉を開けて、つかつかと教壇(きょうだん)へ向かった。

 

 起立、礼、着席。

 

 ざっと教室内を見渡す。生徒全員、黙ってこちらに注目している。

 

 由比ヶ浜と目が合った。彼女は少しあわてて、こちらへこっそり会釈(えしゃく)すると、チラリと一瞬、比企谷の方へ目をやり、そして、しゅんとしてうつむいた。

 

 ううっ……!

 

 私も……チラリと、つとめてさり気なくチラリと、比企谷の方を見……

 

 

 

 

 

 

 

 

 完っ全に腐り直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはもう「腐り直した」としか表現できないような目の腐りっぷりだった。

 

 まぶたは完全に脱力して締まりなく、どんよりと(にご)った三白眼(さんぱくがん)には、懐かしささえ覚えた。

 

 その目が、私の方をじっと見ていて、視線を外そうとしなかった。

 

 

 

 

 うううう……、い……、いたたまれない……!

 

 

 

 

 結局、今日のF組での受業は、新しい題材の表面を()めるような展開に終始した。

 

 板書(ばんしょ)しようとした際に初めて、チョークケースを忘れてきていたことに気付いた。

 

 だめだ……! 今日はマジでダメダメだ私……(泣)

 

 などという感情を、生徒の前ではおくびにも出さず、備え付けのちびたチョークで乗り切った。

 

 これ安物だな……。普段、羽衣(はごろも)製(※)ばかり使っていたので、書くときの滑りに違和感を感じた。おかげで爪を何度か板でこすってしまった。また整えておかなきゃ……(泣)

 

 

 

 

 比企谷とは結局、授業中、目を合わせることが出来なかった。

 

 

////

 

 

「先生。ちょっとだけお時間、いいですか」 

 

 授業後、そそくさと教室を出たところで、背中に比企谷の声を聞いた。

 

「う……うむ」

 

 キタ――……!!

 

 覚悟していたとはいえ、実際に声をかけられると、心臓がドキン!と痛いほど()ね上がった。

 

 どんだけビビってるんだ私……。

 

「……できれば、指導室とか、人のいないところでお話を……」

 

 そう言う比企谷の声は小さく、ぼそぼそしているのに、不思議と耳に届く。

 

「……分かった。だが、少し待ってくれないか。昼に、ラーメンの出前を取ってしまった」

 

 つとめて平静を装いながら、視線が合わない程度に首だけ少し振り返って返答した。

 

 

 

 

 てゆっか、何でこんな日にラーメンなんか注文したんだ私……!?

 

 昼休みすぐにとっ捕まったら、麺類(めんるい)なんてすぐにのびて不味(まず)くなってしまうというのに……!!

 

 し、仕方なかったんだ……! バタバタしていたせいで朝食を抜いて空腹とはいえ、二日酔いで胃がもたれてて、ガッツリ丼物という感じでもなかったし、かといってコンビニのサラダやサンドイッチは、軽すぎて夜まで腹持ちしないし……!

 

 体の奥の脱水状態を解消する十分な水分と塩分(スープ)、即座にエネルギー化する炭水化物(麺)、適量の肉(チャーシュー)と野菜(ネギ)……。

 

 まさに今の私の体調から理想的な食事は、ラーメン以外になかったんだ……!

 

 

 

 

「了解す。じゃあ二〇分後に、ということで」

 

「ああ、……分かった」

 

 良かった。ラーメン頼んでたのはツッコまれなかった。

 

 比企谷の気配は、そのまま遠ざかっていった。購買(こうばい)にでも向かったのだろうか。

 

 二〇分の延命がきいて、少しホッとしてしまった自分が、情けなかった。

 

 そんな精神状態だったからか、スープも残さず飲み干したのに、ラーメンの味をいまいち感じることが出来なかった。

 

 ……意外と繊細(せんさい)に出来てるんだな、私って。

 

 

 

 

 時間がなかったので、食後の一服(タバコ)はお預けのまま、私は生徒指導室に向かった。

 

 指導室の前の廊下で、比企谷は壁にもたれてぼんやりしていたが、私を見つけるとすぐに直立し、真剣な顔つきになった(ただし目は腐っていた)。

 

 ううう……!

 

 緊張で指先が固く冷たくなっていて、カギが開けづらかった。

 

 指導室の中は、人気(ひとけ)が無かったためか、廊下より肌寒かった。

 

 それが緊張感を弥増(いやま)す。

 

 ふつう、指導室では中央の大きなテーブルを挟み、教師と生徒が相対(あいたい)する形になるのだが、今日の私は、そんな偉い立場じゃない。

 

 テーブルの片側で二人して向き合って座った。

 

 向き合ってすぐ、今日の比企谷は猫背でないことに気付いた。背筋がすっと伸びている。なぜか、緊張しているようだ。

 

 真剣に、話をしに来たのだと、その様子で十分に分かる。

 

 ようやく、(はら)を決めることができた。

 

 ……ここで誠実であらねば、教師としても大人としても、示しがつかない。

 

 

 

 

「比企谷……改めて、昨日は本当に……」

 

 申し訳なかった、とまず頭を下げようとした瞬間、

 

 

 

 

「先生、土日のキャンプの件、ありがとうございました。それと、ご迷惑おかけしました。ここまで大事(おおごと)になるとは思わなくて……。何も言ってなくてすみませんでした。けれどおかげさまで、本当にいい経験が出来ました。ありがとうございました」

 

 比企谷は私より早く、勢いよく頭を下げ、一気呵成(いっきかせい)に言った。

 

 

 

 

 ――気持ち()う、挨拶(あいさつ)してきましてな。なんつーか、ひと皮むけたようになっとって、――

 

 

 

 

 息が止まって、頭が真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほんの数秒後、気づくと、私は比企谷の襟元(えりもと)(つか)んで力任(ちからまか)せに引き上げ、彼を無理矢理立ち上がらせていた。

 

 比企谷は一瞬(おどろ)いて身体をこわばらせたが、その後、ゆっくりと体の力を抜き、ぐっと私を見つめ返してきた。

 

 

 

 

 それから私が彼に何と言ったのか、実はハッキリ覚えていない。

 

 無我夢中で、私をちゃんと怒れ、君は怒っていいんだ、というようなことを、わめいていたような気がする。

 

 

 

 

 いやだ、と思った。

 

 比企谷(かれ)の言葉を聞いて、瞬間的に、爆発したように、いやだ、と。

 

 

 

 

 彼のその、芝居がかった謝罪で、比企谷と私の間に、とても大きな壁が、とても深い溝が、できてしまったような気がして。

 

 彼に突き放されたような気がして。

 

 彼に掴みかかって、必死に叫んで、そして私は、彼に(すが)ろうとしたのかもしれない。

 

 本音で語ってくれと。本気で私を見てくれと。本当の君の心を見せてくれと。

 

 

 

 

 だが。

 

 

 

 

「……いやだね」

 

 

 

 

 比企谷(かれ)は、たっぷりひと呼吸置いて、低い声で、ゆっくりとつぶやいた。

 光のない彼の瞳が、まっすぐ私を見つめてくる。

 

 

 

 

 腹の中に冷気が走った。

 

 彼を掴んだ手から、力が抜ける。

 

 目の前が涙で(にじ)む。

 

 悲しさと悔しさが胸の中にあふれ、溺れそうなくらい息苦しい。

 

 急に、初めて彼と話をした時のことを思い出した。

 

 彼を奉仕部へ連行したときのこと、初めてのファーストブリット、いっしょにラーメンを食べたこと、千葉村行きの車の中で二人で繰り広げた会話、文化祭後、独りで黙々と片付けをしていた彼の背中。

 

 

 

 

 このまま終わってしまうのか……!?

 

 

 

 

 そう思ったときだった。

 

 比企谷は少し震えている(のど)で息を吸うと、さらに言葉を()いだ。

 

「分かったんですよ。親父もあんたも、俺の怒りや恨みが自分に向くなら、それで済むなら、それでいいと考えてる。そうなるように、動いてる。……誰かさんにそっくりだ」

 

 

 

 

 ……!?

 

 何の話か、一瞬分からなかった。

 

 しかしすぐに、彼の父親とのメールでのやりとりを思い出した。

 

 アレを読んだのか? どうやって? 彼の父親が見せた?

 

 ……小町くんか?

 

 いずれにせよ、確信した。比企谷は、あのメールを読んだのだ。

 

 

 

 

 ……だめだ。もう完璧にアウトだ。

 

 自分の知らないところで、大人たちがコソコソと自分のソロキャンプのお膳立(ぜんだ)てをしていたなんて、本人にしてみれば屈辱以外のなにものでもない。

 

 しかも一七歳の思春期。自分自身の力を試そうと意気込んでいるときに。

 

 そんなことをする大人に、……心を開けるわけがない。

 

 

 

 

 ……私は、悟った。もはや私は、彼に何を言う資格もないのだt

 

「……俺に、俺のやり方は通用しない。だから、恨んでなんかやらない」

 

 

 

 

 ……ん?

 

 『俺のやり方』……?

 

 あらためて比企谷の顔を見た。相変わらずジトッと腐った目で、私を見つめていた。

 

 だが、最近分かってきたのだが、彼の腐った目にも、いろんなニュアンス(微妙な違い)がある。決して作画が安定しないのではない。ニュアンスだ。

 

 だるい時の目、スケベなことを考えてる時の目、悪企(わるたくら)みしている時の愉快そうな目……、

 

 そして、……痛々しいほど真っ直ぐな、決意の目。

 

 

 

 

――『人 〜よく見たら片方楽してる文化祭〜』とか――

 

 

 

 

 ……あの時の目だ。

 

 それに思い至った瞬間、私は彼の言葉を理解した。

 

 

 

 

「……ていうふうに思ったんですが、そうすると論理的に考えて、あとは感謝と申し訳無さしか残ってなかったわけで……。だから、別に殊勝(しゅしょう)とか、そんなんじゃないです」

 

 モソモソと付け加えるようなその言葉を聞いて、その後、じわじわと彼の(ほお)に赤みが差すのを見て、私は確信した。

 

 

 

 

 比企谷(かれ)は、許すと言っているのだ。

 

 私たちのことを、許す、と。

 

 

 

 

 しかしそれは、広い心で「いいよいいよ」と受け流す、というものではない。

 

 大人が怖いから悔しいけどじっと我慢する、ということでもない。

 

 私や親父さんの意図を、策を、理解して、なおかつ、それに乗るまいと、さらに上の手で仕返そうとしているのだ。

 

 怒ってるはずなのに、悲しくて悔しいはずなのに、その感情を乗り越えて。

 

 

 

 

 なんという……なんという子どもらしくない(ひね)くれた思考だ……!

 

 

 

 

 ……けれどそれは……。

 

 

 

 

「……い、一応言っときますが、割と本気で感謝してますよ! 俺の立場を救ってもらってたのは事実なんだし、キャンプだって、別に邪魔されたわけじゃないし……!」

 

 そう続けた比企谷は顔を真っ赤にして、視線を四方へ散らしていた。

 

「……はぁ……」

 

 私は深く溜息(ためいき)をついた。

 

 体の奥から、今まで無自覚だった緊張が解けていった。

 

 胸の底から息を吐いたせいか、(のど)が熱い。

 

 その熱はしだいに、鼻を、目を、そしてもう一度胸を、温め出した。

 

「君って奴は……本当に……」

 

 なんだろう。胸がどんどん熱くなっていく。

 

 鼓動が早まっていく。

 

 

 

 

 比企谷、それはな、君のその考え方はな。

 

 本当の、ほんとうの意味で「人を許す」ということなんじゃないのか……?

 

 

 

 

 私は、比企谷を力いっぱい抱きしめた。

 

 完全に衝動的(しょうどうてき)な行動だった。

 

 自分でもわけがわからなかった。

 

 この瞬間、彼がいとおしくてたまらなかった。

 

 こんなに人を「いとおしい」と感じたことはなかった。

 

 私の手が、指先が、髪が、胸が、頬が、耳が、比企谷に触れている。

 

 彼に触れている。彼の熱を感じている。彼の匂いを感じている。

 

 私の全神経が、心が、感情が、それを喜んでいた。

 

 

 

 

「な……え、お、……ちょっ……!!?」

 

 

 

 

 いきなりのことに全身をこわばらせた彼のうめき声が、私の耳をくすぐった。

 

 

 

 

 つとめてさりげなく、すいっと彼から体を離す。

 

 私の髪が、最後に名残(なごり)を惜しむかのように、彼の肩を()でて落ちた。

 

「……十年早い……!!」

 

 口から出たのは、全く意味不明な言葉。

 

 顔がものすごく熱い。

 

 逃げるようにして彼に背を向け、指導室の窓を開けて煙草(たばこ)に火を()けた。

 

 

 

 

 ……って。

 

 ……いや、何が十年早いんだよ!? マジで意味わかんねぇよ私!!

 

 なんだこれ……どうしてこうなった……!!!???

 

 

 

 

「……な、何……を……!!??」

 

 背中の向こうで比企谷がうめいている。

 

 冷や汗がどっと噴き出した。

 

 ほら、おい!? どうすんの、どうすんのこの状況!? なんて説明すんの!!?

 

 し、指導? 指導とか言ってみる!? 指導室だしね!?

 

 あっ、それだわ、それ!! 指導・自然!!

 

 

 

 

「光栄に思え……『抹殺のラストブリット』を発動した相手は君が初めてだ」

 

 ナ――――イス!! ナイス指導、私!!

 

 素晴らしい! 最強の指導は『抱擁(ほうよう)』であるとか私マジ聖職者!!

 

 設 定 追 加 確 定 !!

 

 んなわけあるか!!

 

 だが、比企谷はそれでなんとなく納得したらしく、はぁ、と溜息のようにつぶやいていた。

 

「……まもなく五限だ。もう行きたまえ」

 

 腕時計をちらっと見て、私は比企谷に退室を(うなが)した。

 

 実際は、昼休みはあと十分ほど残っていたが。

 

「は……はい……」

 

 比企谷は引きずるような足音と共に、指導室を出て行った。

 

 

 

 

 ぱたり、とドアが閉じられ、比企谷の気配が完全に消えたのと同時に、私はヘナヘナと窓枠にすがりついた。

 

 どぅうっっっっはぁああああぁぁぁ……!!

 

 なにしてんだ私……自校生徒相手に……マジで……!!

 

 

 

 

 だが、とんでもない羞恥心(しゅうちしん)の嵐が頭の中で吹き荒れながらも、後悔や自己嫌悪は全く感じなかった。

 

 胸の中には、じわじわと安堵感(あんどかん)が広がっていった。

 

 よかった……! 許してもらえてよかったよぉお……!!

 

 

 

 

 そして……。

 

 

 

 

 ……いや、ああ、分かった。

 

 

 

 

 何が十年早いのか。

 

 

////

 

 

 最後の授業を終えて、職員室に戻ったと同時に、どっと机に突っ伏した。

 

 つ、つかれた……! もうダメ……!!

 

 なんか、今日一日で疲労がハンパない。月曜だぞ……!?

 

 仕事は色々山積みだが、今日はもう、これから残業できる気分じゃない。

 

 家に帰って、頭から布団をかぶってジタバタしたい……!!

 

 

 

 

 ……でも、悪い気分じゃなかった。

 

 それに、たぶん今から、雪ノ下と由比ヶ浜は奉仕部で、比企谷と改めて話をするだろう。

 

 比企谷があの様子なら、うまく仲直りするはずだ。

 

 結果も気になるし、雪ノ下が鍵を返しに来るまでは、残っておこうかな。

 

 彼女から、いい報告が聞けることを祈りつつ、私はだらだらと職員室に居残って、書類を片付けたりお茶を飲んだりしていた。

 

 

 

 

 が。

 

 

 

 

 突然、ガララッとドアを開けて、雪ノ下と由比ヶ浜が職員室に入ってきた。

 

 つかつかと、まっすぐに私の方へ来る。ふたりともニコニコと、(ほが)らかな表情だ。

 

 おっ、首尾よくいったか。今日はもう終わりか?

 

 などと思ったのも一瞬だった。

 

 二人はニコニコしていたが、近づいてくるにつれ、その表情にものすごい違和感を覚えた。

 

 よく見ると、由比ヶ浜にガッチリと(そで)を掴まれた比企谷が、二人とは対照的に、真っ青な顔で連行されてきていた。

 

 あれっ……!?

 

 なんか、嫌な予感がした。

 

 

 

 

「ゆ、雪ノ下……?」

 

「先生、単刀直入に伺います。昼休み、比企谷くんと何があったんですか?」

 

 笑顔を向ける雪ノ下から、いきなりダイレクトな質問が飛んできた。

 

「ふぇっ!?」

 

 その微笑みに、全身の血が凍った。いきなり過ぎて頭が働かない。

 

「な……なんのことれしゅか……!?」

 

 噛んだ。しかも敬語。

 

「ありのままを答えてください。昼休み、比企谷くんと、何をしたんですか?」

 

 雪ノ下はなおも聞いてくる。てゆっか微妙に質問内容変わってない!?

 

 笑顔なのに、彼女の(まと)っている空気は全てを凍りつかせるほど冷たかった。

 

 やべえ、答えなきゃマジでありのままにされそうだ。これぞまさに(ゆき)のん(じょ)うぉおおおおお――――っっっっと!! なんでもない!! なんでもありません!! 雪じゃない氷!! 氷の女王ね!! 原作ママでね!! セーフでね!!!!

 

「先生、正直に答えてください。でないとあたし……」

 

 そして、雪ノ下にも劣らぬほどの迫力で迫ってきたのは由比ヶ浜。

 

 彼女も微笑んでいるのに、背後にどす黒い獄炎(ごくえん)のオーラが見えた。

 

 かげろうのように周りの景色がゆらいでいる。

 

 やばいやばいやばい! 焼かれる!! 消し炭も残らないほど焼きつくされる!!

 

 誰だ三浦程度のを『獄炎の女王』なんて言ってたのは……!?

 

 由比ヶ浜(こっち)の方がよっぽどだぞ……!!

 

 

 

 

「べ、べべべ、別に何も……な、なぁ比企谷……!? ふ、フツーに話し合って……」

 

 二人の視線から逃れるように、比企谷に目を向ける。私より顔が青い。

 

「……先生、もうダメです……!」

 

 

「「黙れ」」

 

 

 二人のドスの効いたひと声に、ひっ、と比企谷の息が引っ込んだ。

 

 私の息も引っ込んだ。

 

 

 

 

 ……そこからたっぷり、完全下校時刻までの間。

 

 私と比企谷は二人の前に正座させられ、絶対凍気と極大熱炎で極大消滅呪文(メドローア)とか発動するんじゃねって状況の中。

 

 

 

 

 がっっっっっっっっっっっっっつり尋問(じんもん)された。

 

 

 

 

 ここで比企谷が「いや……先生の方からいきなりな……!」と、私をキレ――イに売り渡した。

 

 てめぇこのやろう比企谷……!! 覚えてろ……!!

 

 結局、「比企谷が今回の件を許してくれて、感謝感動のあまりちょっとハグした」、という感じで話は落ち着いた。

 

 雪ノ下たちも「まったく……男子生徒に対して……! 比企谷くんだから問題にならないものの……」くらいで(ほこ)を収めてくれた。

 

 

 

 

 こうして、私の長い月曜日は、なんとかかんとか終わったのだった。

 

 




【いちおう解説】

平塚先生が授業中に言っていた「羽衣製」とは、黒板用チョークのロールスロイスとも言われ、日本だけでなく世界各地の教師、数学者(黒板に数式を書いて頭を整理する)、予備校講師などに愛用者が多い「羽衣文具」製のチョークのことです。

二〇一五年三月末、羽衣文具は国内でのチョーク需要の減少や、後継者がいないことなどが原因で、チョークの生産を終了、廃業しました。

このとき、けっこうな数の関係者が在庫を爆買いしたとのこと。

ただ、国内では引き続き、技術を継承した(株)馬印が、一部の主要チョークの生産を継続することとなり、また韓国の予備校講師が、製造機械をごっそり買い取り、韓国にて同品質のチョーク製造をおこなう事業を始める、と話題になっていました。

いま、どうなってんのかなぁ。


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(12・傍編最終回)そして彼女たちは、かしましくもひそやかに次の舞台に備える。

 Grookiです。長らくおまたせしました……!

 「傍編」最終回です。

 最終回にして、当連載中、最多文字数ですが……どうぞよろしくおねがいします!!


***

 

 

 新木場(しんきば)駅を過ぎ、運河をいくつか(また)ぐように()けられた橋を、私の乗った電車は、(すべ)るように進んでいた。

 

 久しぶりに舞浜(まいはま)より西に来たけれど、ここまでの風景は嫌いではない。

 

 大きく左へカーブしながら、電車はするりと地下へと(もぐ)った。

 

 この辺から、じわじわと、緊張と不安が胸の中に(ふく)らんでくる。息が少し苦しい。

 

 バッグから、小さく折りたたんだメモを取り出して、何度も読み返す。

 

 

 

 

 ここに書いてあるとおりにすればいいのだ。何も難しいことはない。

 

 大丈夫。入念に調べ上げ、何度もイメージトレーニングを重ねてきたのだから。

 

 絶対に大丈夫……! まちがうはずがない……!!

 

 

 

 

 やがて電車は、まもなく終点に到着する(むね)のアナウンスを流しながら、徐々(じょじょ)に速度を落とし始めた。車内の人々がみな、降車の支度(したく)を始める。

 

 電車が完全にホームに停車し、開いた扉から人々が慌ただしく流れ出ていくのをあらかた見送って、私も席から立ち上がった。

 

 さぁ、行くわよ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 その数分後、私は完全に、完璧に、ものの見事に、自分を見失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 白く無機質な壁や柱が延々とつづく、あちこちが工事中の通路。津波のように押し寄せ、あるいは後ろから()いて出る無数の人々。色々なものが混じりあった変な匂い。止むことのない喧騒(けんそう)と、絶え間なくそこかしこから聞こえてくる、聞き取れないアナウンスの電子音……。

 

 

 

 

 ここ……、

 

 

 

 

 どこ……!?

 

 

 

 

 ……いえ、どこなのかはさすがに分かっている。

 

 東京駅。

 

 日本一のプラットホーム数を(ほこ)り、この国を代表するターミナル(路線集積)駅。

 

 ……などという表現ではとても、この駅の狂気の沙汰(さた)とも言えるような複雑な構造は説明できない。

 

 地上地下、何層にもわたり、立体的に重なって線路、ホームが設置されている。いくつも似た名前の改札口があってややこしい。

 

 駅構内の面積を全て合わせると、東京ドーム4個分弱。有名な赤レンガの駅舎部分だけでも、南北に二〇〇メートルほどある。

 

 ばかだわ。この駅を作った人間、ぜったいばかよ……!!

 

 

 

 

 駅舎は現在、復元工事が進められていて、来年の今頃には、一九一四年(大正三年)開業当時の、重厚、壮麗(そうれい)な姿になって蘇るそうだ。

 

 見てみたい……けれど私、とてもじゃないけれどひとりで見て回れる自信がないわ……。

 

 今でさえ、ちょっと泣きそうになってるもの……!

 

 

 

 

 私が日常使っている京葉線(けいようせん)は、乗り換えなしで40分ほどでここまで来られる。

 

 けれど、京葉線自体が比較的最近できた路線なので、プラットホームは東京駅本体から南へ数百メートル離れた地下に設けられている。

 

 電車を降りた私は、そこから人の波に流されるように、いくつものエスカレーターを上り、果てしなく伸びる地下連絡通路をひたすら直進し(空港のように動く歩道が付いている)、またエスカレーターを上った先で突然、人間が縦横無尽に行き交う広いスペースに放り出された。

 

 

 

 

 ここ、どこ……!?

 

 

 

 

 あちこちから聞こえるアナウンスが頭の中で反響し、尋常(じんじょう)でないスピードで歩きまわる人々の動きに目を取られて、頭上の案内表示の意味をしっかり把握(はあく)できない。

 

 人酔いと音酔いで、私は軽くパニック状態に(おちい)ってしまった。

 

 

 

 

 お、おちついて、落ち着くのよ私!!

 

 と、とりあえず、近くのトイレで少し息を整えよう……!!

 

 かろうじて見つけたトイレの表示をめがけて、私はその場を逃れた。

 

 しばらく洗面台の前で息を整え、メモを冷静に読み直してトイレを出た。

 

 しかし、どっちからどう来たのか、もう忘れてしまっていて、もはや北も南も分からなくなっていた。

 

 絶望感に押しつぶされそうになる。

 

 

 

 

 ……ああ……。

 

 やはり無謀(むぼう)だった……。

 

 意地を張らず、無理をせず、誰かに頼んで連れてきてもらえばよかった……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 総武高二年生の最大の行事である修学旅行が、もう間もなくに迫っていた。

 

 行き先は京都。

 

 この時期なら、紅葉が素晴らしいでしょうね。

 

 東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)で移動することになっている。

 

 しかし、どこの馬鹿教師がいつ発案したのかは知らないけれど、例年、集合場所は学校ではなく、各自で直接、東京駅に集合、と決まっている。

 

 方向・方角の把握が少しだけ(ほんの少しだけ)苦手な私には、やや面倒な……軽く目の前が真っ暗になる程度の……事態だった。

 

 

 

 

 誰にも……平塚(ひらつか)先生にも、由比ヶ浜(ゆいがはま)さんにも、打ち明けることができない、私の弱さ。

 

 ……絶対、笑われるもの……!

 

 

 

 

 そこで今日、入用(いりよう)な物の買い出しも兼ねて、実際に東京駅まで足を伸ばして、集合場所への経路確認をしようとしたのだ。

 

 もちろん、他の対策法はいくらでも思いついた。同じ班になった人とどこかで待ち合わせていっしょに行くとか、お金はかかるけれど、八丁堀駅(はっちょうぼりえき)あたりから地上に出て、あと二キロ足らずの道をタクシーに乗り、集合場所の最寄りにつけてもらうとか……。

 

 しかしやはり、ひとの手を借りず、自分の足でたどり着きたかった。

 

 

 

 

 ……などと、考えたばっかりに……!

 

 仕方がない。ちょっと恥ずかしいけれど……。

 

「あの、すみません、丸の内南口の、団体集合場所へはどう行けば……?」

 

 通りがかった駅員さんにたずねた。

 

「……ああ、南口なら……地下の学生用のでよろしいですか? でしたら……」

 

 駅員さんは丁寧に道順を教えてくれた。

 

 まぁ、最初に歩き出す方向さえ教えてもらえれば、なんのことはなかった。

 

 いったん「丸の内南口」改札を出て、外へ出てすぐ目の前にある地下への階段を降り、少し進んだところで、「団体集合場所(学生用)」と書かれた表示板のある、広い空間に出た。

 

 人の行き来はあるけれど、先ほどの喧騒(けんそう)よりもだいぶましだった。

 

 ……ふ、なんだ。九割方、自力で到達できてたんじゃない。

 

 東京駅、恐るるに足らず……!

 

 涙目をハンカチで拭きながら、そう思って自分を(はげ)ました。

 

 

 

 

 ……けれどこの時、私は知らなかった。

 

 京葉線のホームから、()()()改札を出て、丸の内自由通路をまっすぐ歩けば、ここまで迷うことなく来れたことを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なつかしの海浜幕張駅(かいひんまくはりえき)に帰り着いた時には、すっかり疲労困憊(ひろうこんぱい)していた。

 

 ……これ、私、京都に行ったりしたら、どうなってしまうのかしら……?

 

 ふと思い至ってしまった不安が、急激に胸の中で膨らんできた。

 

 ふとよそ見をしていた間に同じ班のメンバーとはぐれ、縦横、碁盤目(ごばんめ)状に走る道の真ん中に、たった一人で立ち尽くしてしまっている自分を、容易に想像できた。

 

 

 

 

 まずい。大変まずい。

 

 最低限、京都市内の地理情報も頭に入れておかなきゃ……!

 

 

 

 

 ぐったりしていた体を奮い立たせ、私は行きつけの書店を目指し、プレナ幕張へ向かった。

 

 さすが観光地というべきか、京都を扱った雑誌はたくさんあった。

 

 ただ、どれも市内の見どころである寺社やお店、おみやげの情報がメインで、表紙や各ページには、ピンクや黄色などの、なんだか目に痛い色使いが施されている。

 

 付録にコンパス(方位磁針)でも付けてくれればいいのに……などと自嘲的(じちょうてき)なことを考えつつ。

 

 どういう経路で回るべきか、が丁寧に紹介されていて、目にやさしいレイアウトのものを探していると、「じゃらん」の今年の保存版が、ちょうど良い感じだったので購入した。コンパスは付いていなかったけれど、猫がマスコットキャラクターなのが素晴らしい。

 

 にゃらん、かわいい……!

 

 

 

 

 とりあえず、これを()()かりにして、インターネットでも検索してみよう。

 

 そう思って書店を出たちょうどその時、スマートフォンが鳴動した。

 

 ……(陽乃)からだった。

 

「やっほ〜雪乃(ゆきの)ちゃん。元気?」

 

 姉の甘くきれいな声は、いつも妙に耳に残る……わずらわしい。

 

「姉さん……何の用?」

 

「んもー、毎回冷たいなぁ……。ん、特に用事があるわけじゃないけど、そういえばもうすぐ修学旅行じゃなかったっけなー、って思って」

 

 なぜ知ってるの……と言いかけて、姉も総武高(うち)の卒業生だったことを思い出した。

 

「いいよね〜修学旅行。今年も京都? 紅葉がキレイだろうな〜。お姉ちゃんも雪乃ちゃんの後をこっそりつけて旅行しよっかな〜?」

 

「やめて。絶対にやめて」

 

 やりかねない……この姉ならやりかねない! 冗談じゃない!

 

「あはは、冗談よ〜! でも高校の修学旅行かぁ……まさに青春のハイライト! って感じよねぇ。

 

 雪乃ちゃんモテるから、男子にいっぱい告白とかされちゃうんじゃないの〜?」

 

「ふん、旅先で(うわ)ついて告白してくるような人になびいたりしません」

 

「え〜、もっと今を楽しんだらいいのに……青春は人生一度きりだよ〜? あ、たとえば比企谷(ひきがや)くんとかが(せま)ってきたらさ、試しにオッケーしてみちゃえばいいじゃん? お姉ちゃん、あの子好きだな〜、面白いし。義弟(おとうと)になってもゼンゼンOKよ?」

 

「ちょっ……」

 

 なに言ってるのこの人は……!?

 

 一瞬言葉を失ったのは、姉の世迷(よま)(ごと)(あき)れたからで、決してあのとき、あの浜辺で、比企谷くんが私に向けた視線を思い出してしまったからではない。

 

 だ……だいたい、あの比企谷くんがそんな薄っぺらい衝動で誰かに告白するなどとは、とても思えない。

 

「……ご心配なく。彼がそんな真似(まね)をすることは天地がひっくり返っても有り得ないわ」

 

「いやいや〜分かんないわよ〜? 秋の京都のパワーはすごいんだから。もうね、いつ告白タイムが始まってもおかしくないくらい、どこもキレイで雰囲気あるんだよ!

 

 定番どころの竜安寺(りょうあんじ)清水寺(きよみずでら)鹿苑寺(ろくおんじ)慈照寺(じしょうじ)はもちろん……あ、金閣寺(きんかくじ)銀閣寺(ぎんかくじ)のことね。

 

 私の時はさ、なんかいっつも団体での行動になっちゃってたから、大人数で回りやすいコースしか行けなかったのよね〜。ホントは伏見稲荷(ふしみいなり)とか行きたかったんだけど……お稲荷様の総本社だし、千本鳥居とか、一生に一度は見ておきたいわ〜。

 

 あと、その帰り道に立ち寄れるところで、東福寺(とうふくじ)の紅葉とか通天橋(つうてんきょう)からの眺めは絶景なんだって! 修学旅行じゃあまり行かないところらしいんだけど、その分、学生の気配が薄まって、いい雰囲気だろうなぁ。

 

 嵐山の竹林の道も素敵(すてき)だって聞くよ! 秋はライトアップされるらしいし……あ、夜に出回ったら怒られるかぁ……」

 

 延々と姉の京都蘊蓄(うんちく)話が続く。

 

 うざい……。

 

「分かった……情報ありがとう。参考にするわ。いろいろ忙しいからもう切るわね」

 

 ()め息をつきながら答えると、姉もひとしきり話して満足したのか、

 

「ああ、うん、長話してごめんね〜。旅行、気をつけて楽しんでね。

 

 あ、()()()()()()()()()()()()気にしないでね〜!」

 

 言うだけ言って、姉の方から電話を切った。

 

 もう一度深く溜め息をついて、私はふらふらと帰路についた。

 

 

 

 

 姉の言葉で、心の中に、なにかモヤモヤとしたものが生じているのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆★★☆

 

 

「どうかな、結衣(ゆい)ちゃん?」

 

 担当の美容師のおねえさんが、三面鏡(さんめんきょう)を広げて、後ろ髪を見せてくれる。

 

 ふるふると左右に首を振って、ねんいりにチェック。

 

 ……うん、バッチリ! あたしはおねえさんに笑顔でうなずいた。

 

 根本までキレイなピンクブラウンに染まった髪には、ちゃんと天使の輪(光沢)も浮かんでた。

 

 いつもは自分で()ってるおダンゴも、今日はプロの技でやってもらったからか、いつもよりちょっとかわいい。

 

「結衣ちゃんホント、この色似合うよねー……! 目がぱっちりしてるから、雰囲気がすごく明るくなるよー」

 

 美容師のお姉さんがあたしの肩に手を置いて、ニコニコしながら言った。

 

 えへへ。

 

 

 

 

 高校に入って、もう少しあかぬけた感じになりたいなって悩んでた時、この髪色にしようって提案してくれたのは、このおねえさんだった。

 

 これから流行(はや)ってくる色だからって。

 

 ノセられて、思い切ってイメチェンしてみたら、まわりの反応がすごくよかった。たくさんのクラスメイトやご近所さんに、いいね! って言ってもらえた。

 

 ちょこっとだけ……その、こ、告白っぽいことも、されたこと、実はあった。

 

 でもでも、それはちゃんとゴメンナサイしたよ! よく知らない人だったし、それに……、

 

 ま、まぁ、そんなこんなあって、ホント、中学の頃までとはちがう自分に変身できた気がして、すごくうれしい思い出のある髪型なんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おねえさんに見送られて美容室を出たあたしは、まっすぐ、近くのC・ONE(シーワン)に向かった。

 

 線路の高架(こうか)下にもぐるようにお店に入って、千葉駅方面へ歩いて行くと、サン○クカフェが見えてくる。

 

「やっはろー優美子(ゆみこ)、おまたせー!」

 

 店内でカップ片手に、もう片手でケータイをいじってた優美子(三浦)に声をかけた。

 

「ん、おー、いいカンジじゃん」

 

 優美子はあたしの髪を見て、カップを置いて指でマルを作って、ほめてくれた。

 

 いつもオシャレな優美子にほめてもらえると、ちょっと安心する。

 

 あたしも飲み物を注文して、しばらく優美子と、おしゃべりしたりとか、今からのプランを相談したりした。

 

 

 

 

 今日は、久しぶりに優美子と二人だけで、千葉まで買い物に出てきていた。で、あたしは集合前に、美容室に寄ってきたのね。

 

 姫菜(海老名)も誘ったんだけど、今日は用事があるからパスっていう返答だった。

 

 まぁ……、今日のメインの目的には、姫菜、あんまり興味なさそうなのは、空気で感じたから、あたしも優美子も、しつこくは誘わなかったんだけどね。 

 

「……んじゃとりま(とりあえず)AM●’S STYLE(ア●スタイル)から行ってみよっか」

 

「オッケー」

 

「ゆいー、そこは『ブ、ラジャー』っしょ?」

 

 おどけた優美子のヘンなツッコミに、あたしは爆笑した。

 

 なんか今回は、あたしも優美子も、いつもよりテンションが高かった。

 

 

 

 

 AM●’S STYLEは、有名な下着メーカーが出してるブランドの一つ。ブランド名そのままのお店だ。

 

 ここの下着は、普段使いとしてはちょっとお高めだけど、すんごくかわいいデザインのものがいっぱいあって、ランジェリー(装飾下着)としてみれば、まぁリーズナブルな値段設定だと思う。

 

 普段使いのものは「レまむら」とかでもかわいいし、十分と思うけど……ほら、もうすぐ修学旅行だし。

 

 おおぜいの女子でいっしょにお風呂に入ったり、同じ部屋で着がえたりするだもん、「レまむら」って一発で分かるようなの着てたら、さすがに恥ずかしいしね……!

 

 っていっても、ガチで勝負下着みたいな高級ランジェリーなんか着けて行っても、それはそれで「気合い入りすぎ」「だれ狙ってんの」って笑われちゃうし、まぁそもそもそんなお金もないし……!

 

 ……や、ごめん、ウソつきました。

 

 実はあたし、最初そんな風にめっちゃ背伸びしなきゃかなって思ってたんだけど、優美子が止めてくれたんだ。

 

 

 

 

「結衣……あーしらの(とし)でレースゴテゴテのガチランジェリーは、さすがにちょっとオバンっぽく見えるし……」

 

「そ……そうかな……!?」

 

「でもまぁ、あーしもちょっと買い直そっかなって思ってたし、今度の休みに千葉行っから」

 

 

 

 

 って。

 

 でもねでもね! なんか学校ではあたしに付き合ってくれる的なふうに言ってたくせに、いざお店入ると、優美子のほうがウキウキそわそわしてるし……!

 

 まーでもたしかに、こういう専門のお店で下着買うときって、他の服を買う時とはちょっとちがうわくわく感がある。

 

「ねー結衣、こういうのどう?」

 

 そういって優美子が胸に当ててるのは、ワインレッドの地にうすピンクの花柄ししゅうがかわいい3/4カップブラだった。

 

「……あー、うん、かわいいよ! すっごくいい! けど……」

 

 ちょっと赤いかな……赤すぎるかも……優美子にはすっごく似合うと思うけど。

 

 でも今はもう冬服だけど、たぶんブラウスからすっごい透けちゃうんじゃないかな……?

 

 優美子もそれに気付いたようで、「あ、うーん……」って言いながら(たな)にもどしてた。

 

「んーじゃ、こっちはどうかな……色的に……ねぇ結衣ー、隼t」

 

 優美子は別のを選びながら何気なくあたしに話しかけてきて、途中でげふんげふんとせきばらいでごまかした。顔も真っ赤になってる。

 

 うんそうだねー隼人(はやと)くんもたぶんそういう清楚(せいそ)系のがいいんじゃないかなー知らないけど(にやにや)。

 

「うん優美子スタイルいいし色白いから、白とかうすピンクもすごい似合うと思うよ!」

 

 からかってもキゲンが悪くなるから、聞こえなかったふりしてフォローしてあげた。

 

 っていうか、優美子、ガチで勝負下着選ぶ気でいたんだ……。

 

「んもー、制服に合わせんのってダルいわー。修学旅行くらい私服でいいんじゃね?」

 

 優美子はてれかくしなのか、そんなふうにブツブツ言った。

 

 けど、それはちょっと賛成!

 

 

 

 

 なんて、二人できゃいきゃい会話しながら選んでると、店員さんがやってきた。

 

「修学旅行……学生さんですね? いっしょにお探ししましょうか?」

 

 迷ってたので、相談することにした。それぞれ自分の着けてるサイズをいちおう伝えて、ちょうどよかったから、きちんと今のサイズもはかってもらった。

 

「結衣……あんた、また育ってね?」

 

 はかった結果を聞いて、おそれおののくような感じで優美子がからかってきた。

 

 くっ。

 

 ……でも、たしかに……! さいきんちょっとブラがきつくなってきてるかも……ふ、太ったわけじゃないから! だんじて!!

 

「髪色や肌の色合いからは……こちらなんかお似合いかもですよ〜」

 

 店員さんがオススメしてきたのは、あわいピンクの3/4カップブラだった。金髪の優美子へはかなりうすい色で、さりげないししゅうの入ったもの、茶髪のあたしへは、もう少し濃いめのピンクでスッキリしたデザインのものだった。どっちも上下セットでも売ってる。

 

 超かわいい! 一着目はこれにしよっと!

 

「こっちはもう少し清楚系で……こう言うとアレですけど、勝負下着として買って行かれる方も多いですよ」

 

 店員さんが次に見せてくれたのは、真っ白で、さりげなく柔らかいししゅう入りの上下セットだった。

 

 これもかわいい! ……でも、フツーにかわいくて、なんか勝負下着っていう、攻めた感じは全然ないんだけどなー?

 

「えーでも勝負するには弱いカンジだけど」

 

 優美子が、どストレートに感想を言ったら、店員さんは、ふっふっふー、と得意げに笑った。

 

「攻めまくったデザインのランジェリーは、実はオトコのウケはあまりよくないんですよ。

 

 オトコの本能をかきたてるなら……『純粋、清楚、はかなげ』な印象を与えるデザインと色合いがマストです! 白は、その究極です」

 

 ま、マジで……!!

 

 目からウロコが……!!

 

「べ、別にオトコに見せるわけじゃないし……! で、でもそれ聞いたことあるかも……!

 

 それってやっぱマジなん……!?」

 

 優美子は店員さんの話にけっこうくいついていた。

 

「あまり参考にならないかもしれませんが……」

 

 店員さんもノリのいい人で、コソッと耳打ちするポーズを取った。

 

「……ウチのダンナは、それで()としました」

 

 生き証人おった――!!

 

 

 

 

 ……みたいなかんじで、店員さんの経験談やアドバイスにガッツリ聞き入ったあたしたちは、気がついたら3セットずつ、このお店で買ってしまってた。

 

 どれも超かわいかった。まんぞく!!

 

 おまけにいろいろ、女子のモテテクとか教えてもらえたし!

 

 

 

 

「狙ってる男子にゼッタイ有効なのは『ボディタッチ』です。かる〜く、さりげな〜くやるのがポイントですよ! あと前もって、甘めの香水を軽くつけておくんです。嗅覚(きゅうかく)はダイレクトに本能に訴えかけますからね。

 

 で、イチバン大事なポイントは……」

 

 あたしも優美子も無言で店員さんの言葉に集中する。優美子、集中しすぎて半口(はんぐち)開いてるし……

 

「一度タッチしたら、すばやく離れる。相手にその場でリアクションをとらせず、モンモンとさせる。コレです」

 

 おおおー……!

 

 

 

 

「修学旅行、いい思い出になるといいですね! 帰ってきたらまた遊びに来て、お話聞かせてくださいね!」

 

 店員さんはステキな笑顔で見送ってくれた。左手の薬指には、プラチナのシンプルでかわいいリングが光ってた。

 

 いいなぁ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 優美子と別れて、家に帰って、今日買ってきたものの整理をした。

 

 使ってる香水も、残り少なくなってたし、買い足した。なんか今度の旅行の時は、少しでもフレッシュなもののほうがいい気がして。

 

 袋から下着の上下セットを出して、ていねいにランジェリーポーチ(旅行用下着入れ)に入れた。

 

 ポーチのフタを閉めようとして……すこし、手が止まった。

 

 真新しくてキラキラした雰囲気の、特別な3着。

 

 

 

 

 ……た、ためしにちょっと、着けてみようかな……?

 

 さ、サイズ感とかやっぱ、じっさいに着けてみないと分かんないしね?

 

 部屋の外にパパやママの気配がないか確かめた。そっとドアの近くで耳をすませる。

 

 向こうのリビングからテレビの音とパパの話す声がかすかに聞こえた。

 

 よし……大丈夫。

 

 壁のクローゼットを開けて、中にかけてあるウォールミラー(壁かけ鏡)の前に立って、服を全部脱いだ。

 

 ……ちょっと寒っ。そろそろヒーター出してこなきゃ……。

 

 ランジェリーポーチから、いちばんかわいい、ピンクの上下セットを出して、着けてみた。

 

 着けた瞬間、はっきり分かる。ブラはしっかりと胸を包んで形をつくってくれてるのに、ゼンゼンきゅうくつじゃない。吸い付くようにぴったりだった。肌ざわりも最高。

 

 ショーツも肌をやさしく包んでくれていた。すごく動きやすい。

 

 ……すっごい。ちゃんとした下着って、こんなに着心地いいんだ……!

 

 鏡の中の自分を見る。ブラもショーツも、髪色と肌色にすごくマッチした色合いだった。

 

 店員さん、ホントにちゃんとセレクトしてくれたんだなぁ……!

 

 ししゅうも、それだけで見てるとけっこうゴージャス感あったんだけど、着けてみると、意外としっくりしてるデザインだった。

 

 ヤバイ。チョーヤバイ……!

 

 着けてるだけでなんかドキドキわくわくしてくるよ……!

 

 

 

 

 

 鏡には、ふだんから見なれた自分の顔がうつってた。

 

 だけど、昨日のあたしよりも、ずっとかわいいと思えた。

 

 

 

 

 なんだっけ、鬼も十八・番茶の出ごろ(※番茶も出花)、だったっけ。なんか、どんな女の子も十八歳ころに一番かわいくなる的な。

 

 それがホントなら、いま十七歳のあたしは、自分の人生の中で、いちばんかわいい時期なんだろうなぁ、って思う。

 

 

 

 

 十年後、もしあたしが働いててお給料もらえてるなら、今よりもっとメイクや服にお金かけて、自分みがきとかして、もっとキレイになってるかもしれない。

 

 でも、ほんとにそうなれてるかは、わからない。

 

 たとえば平塚先生はオトナで、すごくキレイだけど、今の自分を高校時代よりキレイだ、って思ってるかな。

 

 そうだったらいいな、って思うけど。

 

 

 

 

 あたし、今、ほんとに毎日が楽しい。

 

 でも、毎日なんか、あせってる感じもする。

 

 もっと、今日、今の時間を大事にできたんじゃないかって。もっとステキな時を過ごせたんじゃないかって。それは別に勉強のことじゃなくて。や、もちろん勉強も大事かもだけど。

 

 もっと、もっと楽しく、ドキドキワクワク、胸がキュ――ってなるほど、何かを感じれたんじゃないかって。

 

 

 

 

 たとえば、恋、とか。

 

 

 

 

 

 なんとなく、結ってたおダンゴをゆっくり解いた。

 

 自分がすっかりハダカになったような、なんかそんなカンジがした。

 

 

 

 

 ……ヒッキー……。

 

 八 幡(はち まん)……。

 

 

 

 

「……はち    っくしゅん!!」

 

 

 

 

 そっとヒッキーの名前を口にしようとして、あたしは盛大にくしゃみした。

 

 はちっくしゅんって何だ!?

 

 ってか、寒っ!

 

 ううっ……バカだあたし、下着だけのカッコで、ずーっとつっ立ってた……!

 

 我に返ったあたしは、いそいそと着けてる下着をはずしてポーチにしまって、またさっきの服を着直した。

 

 一人ではずかしくなって、顔が熱い。風邪じゃないよね……?

 

 やばいやばい……こんな大事な時期に風邪なんてひいちゃったらシャレになんない。

 

 お風呂入ろっと……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………、

 

 だれにも……、だれにもまだ打ち明けてない、あたしのほんとうのきもち。

 

 

 

 あたしは、ヒッキー(比企谷八幡)が好きだ。

 

 

 

 

 なんでなのか、あたしにもわかんない。入学式の事故(とき)のこともあるのかな。

 

 でも、それだけで、ってわけじゃない。ほんとにあたしにもよくわかんない。

 

 

 

 

 でも、ほんとに好き。

 

 奉仕部(ほうしぶ)でいっしょに活動してるときも、ヒッキーをずっと見ていた。

 

 そしてやっぱり、どんどん好きになっていった。

 

 大好き。

 

 好きで、好きで、たまらない。

 

 ヒッキーのそばに、いつもいたい。

 

 ヒッキーから、いつもそばにいてほしいと思ってもらいたい。

 

 カレシとか、カノジョとか、そういう言い方でもいい。ヒッキーの特別な何かになりたい。

 

 

 

 

 でも、わかってる。

 

 あたしからヒッキーに告白するのはゼッタイにダメだって。

 

 そんなことしたら、ヒッキーはゼッタイに逃げる。そして二度と、あたしに近づかなくなっちゃう。

 

 それだけは、ゼッタイにイヤだ。

 

 

 

 

 だから、ヒッキーから告白してくるように仕向けなきゃいけないんだ。

 

 ものっすごく難しいだろうけど……!

 

 でも、やるしかない!!

 

 

 

 こんどの修学旅行は、まさに絶好のチャンス!

 

 その場で告白してくる、なんて期待できないけど、いっきにヒッキーとキョリを(ちぢ)めることはできると思うんだ。

 

 だから、あたし最近、ひとりでいろいろ作戦をねっていた。

 

 

 

 

 まずはなんとかして、三日間、ヒッキーといっしょに行動する。

 

 修学旅行は、一日目はクラスで、二日目は班で行動、三日目だけ自由行動になってるっぽい。

 

 でも、あたしはたぶん、クラスでも班でも、優美子や姫菜、隼人くんたちといっしょに行動することになると思う。

 

 ヒッキーといっしょに動けるようにするには……。

 

 ……あ!

 

 さいちゃん(戸塚彩加)だ! さいちゃんをこっちに取りこめれば、ヒッキーはゼッタイついてくる!! ヒッキー、さいちゃん大好きだもんね!

 

 ……それもなんかモヤっとするけど……!

 

 ま、ま、でもとりあえず、さいちゃんには声かけてみよっと!

 

 で、いっしょに行動してる中で、ヒッキーにどんどんボディタッチするんだ!

 

 

 …………、

 

 …………!

 

 ううっ……想像したらはずかしくなってきた……!

 

 自然に……できるかな……?

 

 でも……一生に一度の修学旅行。

 

 自分の人生で、いちばんキラキラした思い出にしたい!

 

 

 

 

 がんばれ、あたし!!

 

 

 

 

 

 

 

 

////

 

 

 鏡には、普段から見なれた自分の顔が映っていた。

 

 しかし、昨日の自分よりも、断然(だんぜん)美しい私がそこにいた。

 

 

 

 

 やばい……なんか自分がすげぇいいオンナに見える……!!

 

 てゆっか……そうだ……私、オンナだったんだよな……と、なんか久しぶりに実感した。

 

 ふふ……ふふふ……!

 

 いや〜……やはりそれなりの値段のランジェリーは違うな……この装着感! これ黄金の血でできてるんじゃないのか……!? ポセイドン編も楽勝だな。

 

 (あで)やかなピンクの生地、バラやツタの立体的な刺繍(ししゅう)(ほどこ)された上下に、同じ意匠のガーターベルトとストッキングがセットになっていた。

 

 コイツのビジュアルの攻撃力の(すご)さよ……! さすがはSal■te(サ■ート)。国内メーカーのブランドのひとつだが、海外ブランドに全く引けを取らない。

 

 人生で二度目くらいだな、ガーターベルトなんて着けるの……テンション上がる……!!

 

 ちなみに一度目は……いや、今はその話はやめておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 近日に(せま)った、わが校の修学旅行。

 

 私も生徒たちの引率(いんそつ)で付いて行くことになったのだが、せっかくなので新しい下着を買ったのだ。

 

 何がせっかくなのかは聞くな。物欲とはそういうものだ。

 

 しかし、am●zonはホント便利だ! ブランドとサイズさえ把握しておけば、欲しいブランドが近くに売ってなくても関係ないもんな。

 

 とはいえ試着も楽しみたいから、実店舗も近くに置いてほしいなぁ……頼むよワ■ールさん。

 

 ……ま、誰に見せるわけでもないんだが……。それでも、着けるだけでテンションも、オンナ(ぢから)も上がる(気がする)のが、ランジェリーのいいところだと思う。

 

 それに……、ほら……、いつ何時(なんどき)、誰の挑戦でも受ける! くらいの意気込みを持っておかなければな!!

 

 ……アントニオ猪木(いのき)か私は……。

 

 

 

 

 とまぁ、自分の中で、そういう気分がふたたび盛り上がってきていた。

 

 しばらく休止していた合コンや婚活も、また再開しようかな、と思えるくらいには。

 

 

 

 

 月曜日、比企谷(ひきがや)と話した、あの時からだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はきっと、感動したのだと思う。

 

 比企谷は私の目の前で、少年から大人へと成長した瞬間を見せてくれた。

 

 それはほんの一瞬だけのことだったのかも知れない。いくつも通らなければならない大人への関門の、ほんの一つをくぐっただけだったのかも知れない。

 

 けれど、(とし)だけ大人になった者ですら、突破するのは難しい関門だ。

 

 それを彼は、苦悶して、あがいて、彼なりの不器用で痛ましくもある方法論で、なしとげた。

 

 私はそれを目の当たりにしたのだ。

 

 驚いた。嬉しかった。そして胸が熱くなった。

 

 この感情は……「教師冥利(みょうり)に尽きる」という言い方が、一番しっくり来る。

 

 

 

 

 うん。

 

 

 

 

 ……そして同時に、すこしさみしくも、あった。

 

 私は、やはり彼の教師なのだ。それ以外のものでは、ない。

 

 彼は、彼の時間を生きるべきだ。私は、私の時間を生きねばならない。

 

 完全下校のチャイムが鳴って、並んで職員室を出て行ったあの三人の後ろ姿を見ていて……雪ノ下(ゆきのした)由比ヶ浜(ゆいがはま)(そで)をつかまれたまま引っ張られていった比企谷(かれ)を見ていて……、そんなふうに思った。

 

 

 

 

 ……うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、いうわけで、今日は景気付けに外で飲もうかと千葉まで出てきた。

 

 飲み屋街に人が集まってくる頃合いまで、C・ONEでぶらぶらと旅行に向けた買い物などして歩いた。

 

 平日の終業後だがな。

 

 残業? 翌日? 知るか!! 私は私の時間を生きねばならないのだ!!!!

 

 

 

 

 ……ついでに「そごう」の方も行ってみるか。

 

 私は買い物袋を肩にひっかけて、C・ONEの中を千葉駅方向へ進んだ。

 

 北端の出入口から外に出て、高架線の真下、目の前に京成千葉駅(けいせいちばえき)の入り口を見ながら横断歩道の信号待ちをしていると、ふと横に人の気配を感じた。

 

 小学校高学年くらいの女の子が、私のすぐ横で同じように信号待ちをしていた。

 

 すらりとした体つきに、おとなしめで品のいい服装。なかなかの美少女だ。

 

 大きなカバンを持っている。これから塾にでも行くのだろうか。

 

 女の子が私の視線に気付いて、顔を向けた。

 

 ……おっ……!

 

 前に何度か見かけた、三つ編みの()じゃないか?

 

 彼女も思い出したのか、驚いた顔で口もとを隠し、頬をぱぁっと桜色に染めた。

 

 やはりそうだ。

 

「やぁ、……こんばんは」

 

 私は笑顔でウインクしながら、初めて彼女に話しかけた。

 

 彼女はアワアワしながら、「こ、こんばんは……です……!」と、可愛らしい声でお辞儀(じぎ)した。

 

 かわいいなぁ……!

 

「あのっ、あの……、バイク、とキャンピングカー、すごく、カッコ良かったです……!」

 

 赤い顔ではにかみながら、そう言って彼女は私を見上げた。

 

「はは、ありがとう。まぁ、キャンピングカーは借り物だったんだがね」

 

 私も笑顔で返した。

 

「ほんとに、すごくカッコ良くて……、どうすれば、おねえさんみたいにかっこいい大人になれるんですか……!?」

 

 女の子はキラキラした目を向けて、私に(たず)ねてきた。うおっ(まぶ)しっ!

 

「んー……どうだろう……私なんか、まだまだだよ。いろんなことをまちがえたり、かっこわるいことしたりもいっぱいある。でも」

 

 すこし面映(おもは)ゆくなりながら、彼女の求めるクールな大人に徹することにした。

 

「……それを恐れちゃ、ダメなんだと思うよ。何にでも、思いっきりぶつかって、いっぱいまちがえて、少しずつ学んで、成長していくしかないんだ。人間は」

 

 

 

 

 うへぇ――カッコイ――!! ジーンと来た! 自分の言葉にジーンと来た!!

 

 ちょっとこみ上げるものさえある。苦笑が(笑)。

 

 ……でも、そうだな。

 

 まちがってきた数だけは、誰にも負けない自信はある……かな。

 

 そこからちゃんと学べて、かっこよくなれてるかは、今も分からないけれど。

 

 

 

 

 女の子はうっとりした顔で、私の話に聞き入っていた。

 

 

 

 

「……大丈夫、きっと君m「しずかー!」」

 

 

 

 

 ん!?

 

 

 

 

 私のカッコイイ仕上げのセリフにかぶせるように、離れたところから別の声が聞こえてきた。

 

 見ると、横断歩道の向こう側、京成千葉駅の入口前で、小学校高学年くらいの男の子が、こっちに向かって笑顔で手を振っていた。子どものくせに笑顔がちょっとイケメンである。

 

 

 

 

 えっ、誰だあいつ……なんで私の名前を……!?

 

 と、

 

「あ、ちょっとまってて――!」

 

 女の子が、その呼び声に反応して、男の子に手を振り返していた。

 

 その直後、歩行者用信号が青に切り替わった。

 

 

 

 

 へ!?

 

 

 

 

「わ、わたし、もう行かなきゃ……あ、ありがとうございました! さよなら!」

 

 女の子は、素敵な笑顔で私に深々とお辞儀すると、横断歩道をとてとてっと渡り、男の子の方へ駆け寄っていった。

 

 二人は合流すると、そのまま仲良く駆け足で、駅の中へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は突然の展開に呆然(ぼうぜん)としてしまって、そのまま信号が再び赤に変わるまで、その場に立ちつくしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……同じ……名前だったのか……!

 

 

 

 

 ……ぶっ、ふふ…っ!!

 

 

 

 

 気付いた瞬間、開いたままだった口から、笑いが(はじ)け出た。

 

 

 

 

「く、ふふっ、は――っはっはっはっはっは!!」

 

 参った! 完全にやられた!!

 

 自分とおんなじ名前の小学生に負けた!!

 

 やっべええぇ――かっっっっこ(わり)ぃ――私――!!

 

 あっはっはっはっ!!!!

 

 

 

 

 なんて思いながら、心はなんだか愉快(ゆかい)で愉快でたまらなかった。

 

 胸の中がスカッとして、そのあと、あたたかい気持ちで満たされていく。

 

 

 

 

 こんなことがあるから、人生は本当におもしろい。

 

 

 

 

「はっはっはっは……! は〜〜、負けた負けた……!」

 

 ひとしきり笑ったあと、私はなんとか息を整えて顔を上げ、くるっときびすを返して、再びC・ONEの方を向いた。

 

 

 

 

 飲みに行くのは、やめだ!

 

 こんな愉快な敗北感は家に持ち帰って、ニヤニヤしながら静かに一人でかみしめたい。

 

 最高の酒の(さかな)になるだろう。

 

 よーしもうね、家で浴びるように飲んでやる!

 

 大五郎(焼酎甲類)の一番デカいのでも買って帰るか!

 

 

 

 

 私はふたたび買い物袋を肩にかついで、C・ONEを南へ突き抜けた先、愛車(ヴァンテージ)()めてある駐車場へ向かって、歩き出した。

 

 ()いているピンヒールの音が、いつもより軽やかに感じた。

 

 

 

 

 

 

 

    「やはり俺のソロキャンプはまちがっている。」  傍編おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 が、途中で「一蘭(いちらん)」の暖簾(のれん)が目についたので、無意識のうちに入店した。

 

 ……ま、せっかくだ。久しぶりに食べて帰るか。

 

 何がせっかくなのかは聞くな。食欲とはそういうものだ。

 

 カスタムオーダーはもちろん、「こい味(味付け)」、「超こってり(スープ)」、「1片(にんにく)」、「青ねぎ」、チャーシュー「あり」の、「秘伝のたれ」二倍、麺は「超かた」だ!!

 

 

 

 

 さぁ、かかってくるがいい……博多とんこつラーメンの(ゆう)よ!!!!

 

 私は「味集中カウンター」テーブルの注文ボタンを押し、眼前のすだれに向かって、注文票を力強く差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

    「やはり俺のソロキャンプはまちがっている。」  傍編おわり!!

 

 




【いちおう解説】

①東京駅の復元工事は、2012年10月1日に完成しました。

 この話の時間軸は、雪乃、結衣、平塚先生ともに、原作第一巻初出の、2011年に合わせているので、話中ではまだ工事中です。

 しかし、ラノベの書き方としては、「現時点で読んでいる読者の知っている情報」に寄り添って書く方が、作法というか、ラノベという存在の趣旨として正しいのかも知れません。

 八幡はおそらく、2011年にはまだなかったネタや情報とかを、巻が進むに従って、地の文で使ってるかも知れないです。

②修学旅行初日の、東京駅での集合場所の解釈について一言。

 原作第7巻初版第12刷の102ページには、総武高生たちの集合したであろう場所を「新幹線口」と書いていますが、A〜J組(10組?)、おそらく数百人規模の集団がたむろできる新幹線口は、構内図を見た限りでは、ないように思います。たぶん実際にやったらスペースギッチギチで超迷惑。

 さらに東京駅には、「団体集合場所(学生用)」と明示された地下の広場スペースが確保されていて、修学旅行生たちが集まる定番の場となっているようです。行ったことないからじっさいのとこは分かんないけど。

 「続」のアニメでは、このへんはキレイにカットされ、いきなり新幹線ホームに立っているキャラたちのシーンが出てきます。

 この話では、上記「団体集合場所(学生用)」を、集合場所として設定しました。京葉線ホームからも総武本線ホームからも近いし。

③雪乃が原作、アニメの中で読んでいた「じゃらん」の件については、以前の「活動報告」をご参照いただけると嬉しいです。

 「続」の設定制作:氏家慶子さんだと思いますが、これをきっちり作りこんだ方のプロの仕事ぶりに感動しました。

④雪乃パートで、会話のみ陽乃を登場させましたが、彼女の電話での発言には、私なりに後の原作につながる意味を持たせたつもりです。うまくいってるかな……(不安)

⑤結衣パート及び平塚先生パートで一生懸命書いた、女性下着の件ですが、まぁ大変だった……!

 どんなブランドがあるか、2011年当時はどんなラインナップだったのか、当時、千葉に売ってるお店はあったのか……などなど、ひとさまのブログや画像検索で分かる限り調べまくりました。

 おかげで楽天のバナー広告には常時、女性下着が表示されるようになっちゃいました。

 変態だな俺……。

 結衣のはトリンプのブランド「アモスタイル」、平塚先生のはワコールのブランド「サルート」です。C・ONEには現在、「ワコールガーデン」というお店ができ、サルートも取り扱っているようですが、開業は2014年でした。

 当時、他のお店での取り扱い状況は不明だったので、平塚先生は、amazonで購入したことにしてます。

 「サルート」はデザインがすげえ……! マジで平塚先生なら似合うと思うっす。




 さて、これにて本連載は完結です。

 ここまでお読みくださって、ほんとうにほんとうにありがとうございました!!

 すこし充電期間を置いて、私自身が諸事情でおあずけだったソロキャンプもしまくって、今度はもっと気軽な設定の番外編を、ぽちぽち書いていければと思います。

 ではでは☆☆☆


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