Infinite Stratos 学園都市最強は蒼空を翔る (パラベラム弾)
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序章
天才と天災


何番煎じかもわかりませんがとにかく始まります。


とある薄暗い研究室の一角で、一つの影が忙しなく動き回っていた。

 

巨大な金属の塊に向かい片手の指の間に挟んだ様々な工具を繰りつつも、もう片方の指は空間に浮かび上がったディスプレイのキーボードを超高速でタイピングしている。

 

その驚異的な速度もさることながら、プログラミングしている内容もまた一般人では理解出来ないような高度なものである。しかし、それを行っている張本人はあろうことか鼻歌混じりに作業を進めていた。

 

凡人が幾ら努力しようとも手に入れることのできない文字通り神の如き頭脳。その思想を実現させることができる、数多の技術者を鼻で笑うどころか眼中にすら入れないほどの技術力。その二つを併せ持って生まれてきたからこそなし得る業であった。

 

「うんうん、理論上では成功するって結果も出てるし、ISの技術を流用すれば余裕だよね余裕。この私に出来ないことなんてないのさっ!」

 

 

 

IS(アイエス)

 

 

 

それは、この世界最強の兵器にして世界最高の技術の結晶であるマルチフォームスーツ―――正式名『インフィニット・ストラトス』の呼称である。

 

その存在が全世界に露見してから、その凄まじい戦闘力や機動力に目をつけた各国が挙ってその開発者を追った。しかし、その開発者は行方を巧妙に眩まし、足跡ひとつも掴ませなかった。

 

何故、世界を激震させるほどの開発をしておきながらそうまでして世間から身を隠すのか。それを本人に訊ねたら恐らくこう答えるだろう―――『五月蝿いし邪魔だし面倒臭いから』と。

 

確かに、たった一機で戦局をひっくり返す程の戦闘力を持つIS、その開発者を手中におさめ、有用に使いたいという気持ちは理解できよう。だが、如何せん相手が悪かった。

 

本人曰く細胞レベルでオーバースペックである上に、そもそも他人と関わることを嫌っているのだから仕方ない。強行手段に出ようにも居場所すら掴めておらず、執拗にメールを送り付けてもウイルス付きで返信されてくる。

 

それでもコンタクトを取ることを諦めてない各国の政府は流石と言うべきなのか、それとも唯の学習しない馬鹿と呼んでやるべきなのか。

 

 

 

「―――うん。出来た♪」

 

 

 

ッターン、と、軽い音を立ててenterキーを弾く。直後、表示されていたウィンドウが一斉に閉じ、代わりに『The program was completed』の文字が表示された。

 

「後はここをこうして微調整。あれをあーして……ほいしゅーりょー」

 

ふぃー、と額の汗をぬぐう動作をするが、実際は汗の一滴もかいてはいない。この程度の作業など片手間で完遂できる、ということだろう。

 

「あーやっぱ(たばね)さんは天才だね! ふと思い付いたものを三日で完成させるなんて」

 

自らのことを『束』と呼んだ女性。

 

睡眠不足による隈を目の下につくり、腰まで届く薄紫の髪は伸ばし放題。童話の少女が着るような水色のドレスのような服を身に纏い、それを内側から押し上げる豊満な胸部装甲。極めつけは、頭の上に乗っているウサギの耳を模した機械。

 

現実味のないアンバランスな格好だが、本人の容姿が標準を大きく上回っているため特に気にならないのは不思議なものである。

 

「さてさて、誰が飛んでくるのかは束さんにもわからないから楽しみだよね。飛ばされた人にはご愁傷さま、とでも言っておこうかな♪」

 

心底楽しげな声音で何やら呟きながら、その装置の起動スイッチを押し込んだ。低い音を響かせながら光を発生させていくその光景を眺める女性。

 

 

 

彼女の名は篠ノ之(しののの)(たばね)―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ISの産みの親にして、世紀の天災科学者である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビルとビルの隙間に生まれた、不良学生御用達の路地裏。まだ昼間だというのに薄暗く、そこはかとなく不気味な雰囲気を醸し出している。

 

別段命の危険がすぐそこに潜んでいる訳ではないし、入ったらダメだと言われているわけでもないが、好き好んで入っていく者は少ないだろう。

 

『少ない』ということは、入っていく例外もいるということ、だが。

 

人の多い大通りから路地裏へと足を踏み入れ、右に左に幾度も曲がり、更に奥まった通路を進む。そうなるともう完全に大通りの喧騒は消え、人の目も全くと言っていいほどない。

 

逆に言えば、路地裏からの音は大通りへは届かないし何かをしても見つかる可能性が低い、ということになる。

 

「ひっ、た、助けてくれっ……!」

 

そう、例えばこんな光景でも。

 

大柄な複数の少年が手に手にナイフやバット、警棒などを持って一人の少年を囲んでいる。対して囲まれている少年の手には何も無い。どちらが強者か、言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――無論、囲まれている少年が『強者』である。

 

 

 

確かに、囲んでいる少年達は武器を手にしていた。しかし、地面に倒れ付し呻き声を上げている状態でそれがなんになるというのか。先の助けを求める声も、残り一人となった不良の情けない命乞いである。

 

(……ン、終わったか)

 

最後の一人が戦意を喪失したのを感じ、囲まれていた少年はスタスタと歩き出す。ついでに不良を弾き飛ばして気絶させながら。

 

戦闘中―――勝手に挑んで勝手に自滅していったものが戦闘と呼べるのかは甚だ疑問だが―――ずっと閉じていた目を開く。血液をぶちまけたような赤い瞳。そして、それと対を成すかのような白い髪。

 

「しっかしまァ……毎日毎日よく飽きねェよなこのスキルアウト(バカ)ども。何億回やろォが結果は同じっつゥのがわかンねェのか?」

 

独り言のようにそうぼやく。

 

彼がこのように襲撃を受けるのは、これが初めてではない。何回も何回も、それこそ数えることすら億劫になるほど挑んできては、後ろで延びている少年達と同じ末路を辿っている。

 

そして―――彼が溢した『スキルアウト』という言葉。それが、連日彼を襲いに来ている少年達の総称だ。

 

『この街』では、特殊なカリキュラムと薬品の補助を受けて、事象に何らかの影響を及ぼすことのできる人間を育てている。育てている、と言えば聞こえはいいが、その裏では黒い陰謀が渦巻いているという話は珍しくもない。

 

そうして、見事そのチカラを開花させた者達を『能力者』と呼ぶ。無論能力に強弱はあるし、得意不得意もある。それらを0~5までのレベルで括っているのだが。

 

たった数度の『能力検査』で低いレベルの判定を受けたからといって、自分の能力を見限る馬鹿が大勢いる。毎日たゆまぬ努力を行えば、決して届かないとも限らない『超能力者(レベル5)』という栄光。

 

事実、そうして『超能力者』まで登り詰めた人間が一人、この街にはいるのだから。

 

 

 

 

 

―――しかし、才能のみで『超能力者』の座に就いている者も、いる。

 

 

 

 

そんな者を、無能と自分で決めつけたスキルアウトが妬み、羨望し、自身が上だと証明したがるのは必然なのか、それとも唯の馬鹿と呼んでやるべきなのか。どちらにせよ、少し能力が使える程度の能力者が『超能力者』に勝てる道理は無いのだが。

 

その超能力者達の中にも、序列というものはある。超能力者クラスになれば、そのチカラは能力の域を超えて軍事的、経済的な利用へと転換可能だ。その点を踏まえての『序列』なのだが―――

 

先に述べた、努力の結果『超能力者』まで登り詰めた少女の序列は『第三位』。

 

その上に、更に二人の超能力者が鎮座している。

 

しかし、超能力者序列『第一位』『第二位』と『第三位』との間には、大きく開いた差がある。その差は、努力しようとも決して埋められない程の差。文字通り『次元が違う』のだ。

 

そして、序列第一位を冠する者は、畏怖と尊敬を込めて『最強』と呼ばれる。

 

「……まァ、最強ってのも案外つまンねェモンだがな(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

そう小さく呟き、路地裏を抜ける少年。

 

 

白き少年の名は一方通行(アクセラレータ)―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

科学の街、学園都市最強の超能力者(レベル5)である。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

スキルアウトの襲撃をいつも通り無視し、コンビニへと立ち寄り好みの銘柄の缶コーヒーを大量に買い込む。一方通行には、気に入ったコーヒーならば水のようにがぶ飲みし、一週間もしないうちに飽きてまた別の銘柄を探す、という癖がある。

 

コンビニのレジ袋を内側から押している大量の缶コーヒーを片手に、自分が暮らす学生寮へと帰るべく足を踏み出した瞬間だった。

 

「一方通行、だね?」

 

唐突にかけられた声。首だけ振り向けば、そこには黒いスーツにサングラスをかけた、『いかにも』な男が立っていた。一方通行はため息を吐くと、心底面倒くさそうな表情を浮かべて口を開いた。

 

「で、テメェは何処の研究所の所属だ。俺と関係持とうとする奴等なンざ能力の研究が目的か、おこぼれに預かろうとか考えてる馬鹿どもだろォが」

 

「話が早いね。察しの通り、私は―――」

 

「興味ねェな。サッサと消えろ」

 

名乗りを聞くまでもなく、一蹴して踵を返す一方通行。こういうのは話を聞かず、早急に切り捨てるのが得策だ。そもそも自分と話がしたいのなら責任者直々に出張ってこいというものだ。

 

しかし、彼の歩みは一歩目で止まることとなる。

 

「『最強』のその先に……興味はないかね?」

 

「……、何?」

 

「キミは現在『学園都市最強』などと呼ばれているそうだが、その最強は無能なスキルアウト達が気軽に挑める程度のものでしかない。先程も絡まれていたようだが……この先もそんなことを延々と繰り返すのかね?」

 

一方通行は黙して語らない。しかし、その赤い瞳には思案の色が見てとれた。黒服の男は続ける。

 

「『最強』から『絶対』へと昇華すれば、その退屈な日々も変わると思うが……我々の計画に乗る気はないか、一方通行」

 

最強の、その先。

 

手に入れたこの『最強』の称号も、今や意味を持たない唯の飾りだ。

 

 

 

―――チカラを手にすれば、誰も傷つけることはないと思っていた。そう信じていた。

 

 

 

しかし、現実は違った。

 

『最強』程度では駄目だった。

 

 

 

 

 

 

―――ならば。最強を超える『絶対』のチカラならば。

 

 

 

挑もうと思うことすら許されない程の、絶対になれば。

 

 

 

もう、誰も―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………、俺は―――」

 

何かを決意した瞳で、言葉を紡ごうとする一方通行。

 

しかし、次の句が告げられることはなかった。

 

突如発生した光が彼を包み、一瞬で収まる。光が消えた後には―――誰もいなかった。

 

「は…………?」

 

残されたのは、呆けた声を上げる黒服のみ。

 

 

 

 

 

 

 

この返答をしなかったことが、一方通行を救ったということは―――誰も預かり知らぬ事である。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

―――篠ノ之束が初めて一方通行を見たときの感想と、一方通行が初めて篠ノ之束を見たときの感想は一言一句違わなかった。

 

束は頭部にウサギの耳を模した機械を乗せている。

 

一方通行は白い髪に赤い瞳。

 

((…………兎?))

 

どっちもどっちである。

 

そうして、最初に動き出したのは束だった。

 

「はじめましてかな別の世界の誰かさん。日本語しゃべれるー? 言葉わかる? どぅーゆーあんだすたん?」

 

「……誰だオマエ」

 

「ほうほう日本人だね。しかも声からして男性! 丁度よかった、ちょっとやってもらいたいことがあるから待っててね!」

 

そう言い残し、束はどこかへと引っ込んでいった。残されたのは、恐らく人生で一番混乱しているであろう一方通行。表情にこそ出してはいないが内心は焦っていたりする。

 

(なンだ。一体何が起こった? 反射は展開してたっつーのに何故空間転移の能力を喰らった。……やったのはあの兎か?)

 

彼の持つ能力は、名前と同じ『一方通行』。自身の肌に触れたあらゆるベクトルを変換できる能力だ。簡単なものであれば、攻撃のベクトルを反対に変換すれば攻撃を放った相手に攻撃が向かう、という仕組みだ。

 

それは、11次元演算による空間転移による干渉も例外ではない。もっとも、空間転移を反射するというのは言葉で書いても意味不明であるし、彼とて距離をものともせずしっぺ返し……なんていう芸当はできない。

 

しかし、だからといって空間転移で彼を動かせるわけでもないのだが。

 

(物理攻撃なら問題ねェが……一応、警戒だけはしとくか)

 

改めて反射を設定し直した彼は、ぐるりと周囲を見渡してみる。

 

雑多な部屋だった。

 

見たところ研究室か何かなのだろう、用途がわからない大きな機械がところ狭しと立ち並んでおり、目を引くのは升目状に区切られた無数のディスプレイ。

 

一人ですべてを操るのは不可能な気もするが、と思いながらディスプレイの一つへと目を向けた。そこには少し背が高めの、黒髪をポニーテールに括った少女が写っていた。

 

しかし、なぜかそれはかなり高めの角度からの撮影らしく女性が撮影に気付いている様子はない。だとすると監視衛星だろうか。他のディスプレイも同じく、高角度からの映像。

 

……何者なのだろうか、あの兎は。

 

「おーまーたーせっ! これが『IS』。私が発明したマルチフォームスーツだよ」

 

先程の女の声に、ディスプレイから視線を戻す。女が押している台座の上には、重厚な金属の輝きを放つ鋼の塊が鎮座していた。

 

それを楽々と押してくる女も大概だが、彼の視線はその『IS』に向いていた。学園都市でも似たようなパワードスーツを見かけたことはあるが、あれはもっと小さくシャープなフォルムだった。

 

対してこれはかなり大きく、翼のようなものまで付属されている。

 

「いろいろ質問したいことがあるだろうけど、それには後から答えてあげる。でも条件が一つあるよ。キミにはこのIS―――インフィニット・ストラトスを起動してもらいたいんだよね。でも、ISってのは素質のある人しか乗れない。一応触るだけで起動処理は勝手にやってくれるけど、人によっては起動しないこともある(・・・・・・・・・・・・・・・・)。だから、キミが見事このISを起動させることができたら、キミの質問には包み隠さず答えてあげるよ」

 

「……一つだけ訊かせろ。『別の世界』ってなァどォいうこった?」

 

「言ったでしょ。質疑応答は、ISを動かしてからだよ」

 

「チッ。……触るだけでイイのか?」

 

「うん。それだけでキミに素質があるかどうかわかるから」

 

と、どこか黒い笑みを浮かべてそう言う兎。

 

何やら裏がありそうだが、罠だとしても彼には意味がない。スタスタとISに近付き―――手を、触れた。

 

瞬間、頭の中に様々な情報が流れ込んでくる。

 

 

 

皮膜装甲展開(スキンバリアオープン)―――完了』

 

 

 

 

推進機(スラスター)正常作動―――確認』

 

 

 

 

『ハイパーセンサー最適化―――終了』

 

 

 

『起動処理、完了。コアNo.051、起動します』

 

 

 

 

 

 

「……ン、おォ」

 

これが起動させた恩恵なのか、視野がぐんと広がり、得られる情報の量が跳ね上がった感覚を覚える。ひとまず、これで起動させたということでいいのだろう。情報を聞き出さねば。

 

「オイ、起動ってこれでいいンだな? なら―――」

 

振り向いた彼は、ウサギの顔を見て若干のけぞった。

 

幽霊でも見たかのような視線でこちらを見つめ、口は半開き。

 

数度口をパクパクさせた後―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで動かせるのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおお!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――これが、天才と天災のファーストコンタクトだった。

 

 

 




如何でしたか?
感想などでアドバイスをくださると嬉しいです。


世界を超えて転移

束さんパネェ。



一方通行がISを起動

テンプレ乙。





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蒼空への翼を

「なっ……なんでキミがISを動かせるのかな!? キミ、男だよね!?」

 

大変な慌てぶりを見せる束。まさか、本当に動かしてしまうとは露ほどにも思っていなかったのだから当然だろう。だからこそ、『ISを動かすことができれば質問には何でも答える』という、リスクの大きい言葉を放ったのだ。

 

そして、動かした張本人の一方通行は束の慌てぶりを疑問に思うと共に、目の前の兎を胡散臭げに眺めていた。

 

先程の言葉からすると、恐らくこのISとやらを動かせる人間は限られているのだろう。素質があれば可能、と兎が言っていたが何か怪しい。元々触らせるつもりなら、動かした時の対応ぐらい考えておく筈。

 

そして、たった今。『男であることを確認した』。それはつまり―――

 

「……オイ」

 

「何かな!? 今束さんはとっても混乱しているんだよ! 出来れば後に―――」

 

「この機械……理屈は知らねェが『女にしか動かせねェ』ンじゃねェのか」

 

「ギクッ!」

 

びくん! と兎の耳が跳ね、目線が泳ぎだした。なんとも分かりやすい反応である。……それ以前に、口で「ギクッ」などという効果音を出せばもうその通りです、と言っているようにしか思えない。

 

「やっぱりな。つまりテメェは、元々女にしか動かせねェこいつを、男の俺が動かせないことをわかっていながら起動させるよォに言った。絶対に起動できないと知っておきながら、『起動させたら質問には答える』なンていう言葉を吐いたワケだ。まァ結局はその発言が仇になったってことだが……なンか言いたいことはあるか? 腹黒兎」

 

「腹黒兎!? なにその悪役感丸出しのネーミング!」

 

「黙れ。元々テメェ、俺を騙すつもりだったンだろォが。約束通り、質問には答えてもらうぜ」

 

一方通行の正論にぐうの音も出ない束。ぐぬぬぬ、と唸りながら彼を睨み付けていたが、

 

「残念だったね! キミは束さんの実験体になってもらおう! 男性IS操縦者とかめちゃめちゃ調べたい!」

 

言うが早いか、何処からともなく取り出したドライバーやハンマー、ペンチやレンチを一方通行に向かって投擲した。およそ人間の腕力で出せる速度では無かったが、この天災のことだ、常識は通用しないのだろう。

 

だが、篠ノ之束は知らなかった。一方通行の力を。

 

工具類が彼の体に直撃する寸前、甲高い音が鳴り響いた。瞬間、空中で一瞬だけその動きを止めた工具類は、元の軌道をなぞるようにして今度は束へと牙を剥いた。

 

その光景を目の当たりにして、目を見開く束。しかし、驚異的な反応速度を発揮し、瞬時に屈んで反撃をやり過ごした。

 

「……今のは一体何なのかな」

 

先程のふわふわした表情や声音とは一転、その視線は一方通行を鋭く射抜き、真剣な声で問いを発する。

 

「攻撃の反射? ISに乗ってすらいない人間が? ありえないよ、そんなこと。そもそもISですらそんなことは不可能だ。束さんの知る限り、そんな単一仕様能力(ワンオフアビリティ)は存在しない。……一体全体キミは何者なのかな」

 

「……テメェ、人様に物騒なモン向けといて謝罪の一言も無しかコラ。つーか、アレだ。選べ。ボコボコにされてから俺の質問に答えるか、謝罪してから俺の質問に答えるか。キレて暴れださねェだけ出血大サービスだぞ腹黒兎」

 

一方通行の瞳に危険な光が宿る。元々、彼は穏やかな性格ではない。面と向かって喧嘩を売られれば買うし、気に障れば武力行使もいとわない。そんな彼が、あんな真似をされて怒らないわけがなかった。

 

しかし―――

 

「そうだね、今のは完全に束さんが悪かったよ、ごめんね。ちょっと好奇心を抑えきれなくなっちゃったものだから、うん。約束通り、キミの質問には何でも答えるよ」

 

「……、チッ」

 

アッサリと自分の非を認め、悪びれた様子のない束の姿に肩透かしを喰らったような気分になる。切り替えの早い兎である。

 

ともあれ、これで漸く質問を開始できる。一方通行はISが載っている台座に腰掛け、束もそれを見て何やら機械が付いた椅子に座った。

 

「ンじゃ、質問の時間だ。変にはぐらかしたり偽の情報教えたりしやがったら即叩き殺すぞ」

 

「わーかってるって。もっと束さんを信用してくれないと困るな」

 

「どの口がほざきやがる……まァいい。オマエはさっき、『別の世界の人間』っつったな。ありゃどォいう意味だ」

 

先程質問して答えを聞けなかった問いを再び束にぶつける。すると、束は椅子の肘掛け部分についているキーボードを操作しはじめた。数秒して、空中に一つのウィンドウが現れる。そこには『平行世界』の文字と、何かの樹系図が写し出されていた。

 

「平行世界、パラレルワールド。多分聞いたことあると思うけど、ざっくばらんに言えば『事象Aで自分が選んだ答えがaだとして、その時にbを選んだら』の世界だね」

 

一方通行もそれぐらいは知っている。

 

学園都市でそれが解明されたという話は聞かないが、確か平行世界は全て隣り合っているとされている。『あのときこうしていれば』が現実になった世界、もしもの世界。

 

「そして、私が平行世界1の人間だとしたらキミは平行世界2の人間。別の世界の人間っていうのは、そういうことだよ」

 

「それぐらいは説明されりゃ誰だってわかる。信じるかどォかは別としてな。俺が訊きてェのは、別々の世界に住んでいたハズの俺とオマエが何故同じ世界にいるのかってことだ」

 

「そりゃ、私が飛ばしたからだよ」

 

「飛ばした?」

 

激しく自己主張する胸を張って自慢げにそう言う束。『飛ばす』という表現も空間移動系統能力者(テレポーター)がよく使うのでわかる。座標から座標へと障害物を無視して移動できることから、そう呼ばれているのだ。

 

だが、問題はそこではない。

 

世界を―――正しくは『次元を越えて』空間移動を行うことなど不可能だ。仮に別の次元に同じ座標があったとしても、空間移動において重要な空間の把握を行えない。そもそも別次元の座標など特定すらできるかも怪しいのだから。

 

「ISには、キミの想像も及ばないようなトンでも技術が満載されていてね。それを応用すれば、重力子の発現や空間湾曲現象、人間の瞬間的な粒子化なんて余裕なんだよ。勿論、束さんだから出来たのであって他の誰にもできないけどね」

 

「……、」

 

俄には信じられない話だ。科学の最先端を行く学園都市でさえ理論の確立すら出来ていないことを、この女はいとも容易くやってのけたと?

 

「因みにこれはタイムトラベルでも時間遡行現象でもないから『親殺しのパラドックス』的なことは起きないよ。更に言うなら世界が違うし、キミの親はこの世界にはいないから安心して。まぁ、祖先が同じ人ならいるかもしれないけどね。……ていうかキミ、束さんの説明理解できてる? 話してるのは哲学レベルを軽く越えた解説なんだけど」

 

「ナメンな。カオス理論だろォが片手間で理解できるぐらいのアタマは持ってるつもりだ」

 

「へえ? 言うじゃないか」

 

束の瞳が、一方通行を値踏みするようにすっと細められる。恐らく真偽を見極めようとしているのだろうが、生憎付き合ってやれるほど暇ではない。

 

「……次の質問だ。こりゃ俺の推測だが……このISは女にしか動かせねェし男には動かせねェ。だがそれは『この世界』に限っての常識だ。なら『別の世界』の男ならどうなのか、って思い付き、俺をここまで飛ばした……ってコトでいいンだな?」

 

「ぴんぽーん。結果から言えばとっても不思議なことが起きたわけだけど」

 

「知るか。オマエは俺をこの世界に飛ばしたワケだが、こっちからあっちに飛ばすコトはできンのか?」

 

「やろうと思えば出来るよ。でも、あっちの世界はキミのいない状態で時間が進んでいるから、もし戻りたいなら早めをお薦めするよ。……戻りたい?」

 

束の言葉に、口を閉ざし虚空を見つめる。

 

学園都市に未練があるかと問われたら―――殆どない。

 

あの、人のチカラを利用するために蟻のように群がってくる研究者たちの所に進んで戻ろうとも思わない。

 

 

 

 

 

 

ならばいっそ、誰も自分の事を知らないこの世界で『やり直す』ことが出来たら―――

 

 

 

 

 

 

この世界で誰も傷つけることがなければ、この最強の力も意味を持つのだろうか―――

 

 

 

 

 

 

「……と。ちょっと! 束さんの話聞いてる?」

 

「っ、……。で?」

 

「いや、『で?』じゃなくて。これからキミどうすんのって話。戻るの? 束さんとしては貴重な実験材料を逃したくないんだけど、生憎人殺しに手を染める趣味は持ってないんだよね」

 

「…………、残る」

 

その返答が意外だったのか、暫し一方通行を見つめる束。そして、にんまりと笑顔を浮かべた。

 

「そっかそっか。理由は聞かないけど、残ってくれるのなら好都合だね。……他に質問ある?」

 

「……いや。もォいい」

 

一方通行の一言を聞いた束は椅子から立ち上がると、つかつかと彼に歩みより、隣に腰掛ける。何を、と彼が疑問に思う間もなく束のほうが口を開いた。

 

「ならさ、ちょーっと束さんの質問にも答えてほしいな。そしたら、いろいろと手助けしてあげるよ?」

 

「俺の能力か」

 

一方通行が答えを先んじて口にすると、新しい玩具を発見した子供のように目を輝かせて頷いた。

 

「そう! その通り! 生身の人間がどうしてあんなことができるのか。どういう仕組みなのか。束さん、キミに興味が湧いてきたよ。勿論タダでなんて言わないからさ」

 

少しの間考える。

 

この頭のいい兎になら話してもいいかもしれない。それに、能力の開発は学園都市の領域であるし、『一方通行』の能力を話すだけなら問題はない。

 

そう考えた彼は、自身が持つ能力についての説明を始めた。幸い束の頭脳は異常なほど素晴らしいので、内容がわからない、ということはなかった。それどころか、彼の異質な容姿にまで結びつけてみせた。

 

「―――なるほどね。ベクトル変換か。確かにそれなら色々納得できるね。色素の無い髪に赤い瞳。外部刺激がほぼ皆無だからホルモンバランスが崩れるのも無理はないよね。女性ホルモンが普通の男性に比べてかなり多いから、ISのシステムが誤認したのかな」

 

たった一部を話しただけなのにこの推察。一を聞いて十を知るとは正にこのことだろう。流石の一方通行も束の頭脳には驚かされた。

 

「ふんふむ。キミの能力については粗方理解出来たよ。でも、それをどういう原理で発生させているのかな? 束さんとしてはそこが一番気になるんだけどなー」

 

「……話しても理解できるとは思えねェが。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)って知ってるか」

 

一方通行の問いに束は少しだけ思考の海に潜ってから、やがて首を横に振った。やはり、『自分だけの現実』とは学園都市独自のものなのだろう。

 

「でも、研究を進めればその『自分だけの現実』も解明できそうだし、もしかしたらISにベクトル変換の能力を搭載することも可能かもしれない。…………キミ、束さんとひとつ取引してみない?」

 

「取引だ?」

 

「うん。キミがこの世界に留まるというのなら、衣食住のアテはあったほうが便利だよね? 加えて、キミの『能力』が露見したら、私みたいな研究者たちが大勢押し掛けてくるよ。それの対処にちょうどいい場所も知っているし、そこへのツテも私が持ってる。世界一の科学者がスポンサーについてあげるんだから、悪い話じゃないと思うんだよね」

 

腕を組み、考える。

 

一方通行には能力があるので、極論野宿でも問題はない。だが、屋根の下で休めないというのはやはり精神衛生上良いとは言えないだろう。

 

そして、学園都市では様々な実験に協力した際の報酬が馬鹿みたいにあったので生活に困るということもなかった。だが、現在彼の所持品といえば20本程の缶コーヒーと、役に立たなくなった支払限度額無制限のブラックカード。ほぼ無一文だ。

 

更に、兎の言う通り研究者たちに目をつけられるのも厄介だ。外部からの干渉を受けないのならばそれに越したことはないだろう。

 

―――結論は出た。

 

「―――イイぜ。その話、乗ってやる。オマエが俺に要求するモノはなンだ?」

 

最初から答えはわかりきった質問だ。

 

束は満面の笑みを浮かべ、指を一本立ててこう言った。

 

「勿論、キミの能力についての研究! 束さんはそれさえできれば何もいらないなぁ!」

 

「はっ。研究熱心なこった」

 

「とりあえず、これで交渉成立だね。じゃあ改めて自己紹介しよう。私の名前は篠ノ之束。自称他称天災科学者だよ、宜しくしてね」

 

一方通行(アクセラレータ)だ」

 

一方通行の名乗りに、疑問を含んだ視線を向ける束。

 

「アクセラレータって、それ人名じゃなくて物の名前じゃないの? ……ま、いっか! それじゃ早速キミの体を調べさせてもらおうかな! あ、ちなみに―――」

 

ジャキン、と再びドライバーを構え、黒い笑みを浮かべる束。

 

「さっきの取引の破棄条件は―――『キミが私の研究を拒んだ場合』だから。おっけぇ?」

 

「はァ? ンだそりゃ、完全にテメェが有利な条件じゃねェか! 俺の体弄るだけ弄って俺の意思は無視ってかァ!? ふざけンじゃねェ!」

 

「ふざけてなんかないよ? 真面目も真面目、大真面目さ! まぁどっちにせよこれでキミは束さんには逆らえないからね! さあ力を抜いて! 全てを委ねてレッツトライ!」

 

「前言は撤回するぜ―――とりあえず、死体決定だクソ野郎ォ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

とある場所のとあるラボのとある一室に、とある最強の怒声が響き渡った。

 

 

 

 




あれ? 束さんがホワイト……。
っていうか、アクセラさんと束さんってどっちが頭良いんでしょうかね。
感想、ご指摘、評価、よろしくお願い致します。


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一章
一話


「全員揃ってますねー。それじゃあSHRはじめますよー」

 

黒板の前でにっこりと笑いながら、俺のクラスの女性副担任こと山田真耶先生がそう告げる。こんなことを教師に言うのは失礼なんだろうけど……あまり、先生っぽくない。

 

「それでは皆さん、一年間よろしくお願いしますね」

 

「…………」

 

しかし、山田先生の声に反応する生徒はいなかった。教室に漂う謎の緊張感に呑まれているのだろう。

 

「じゃ、じゃあ自己紹介をお願いします。えっと、出席番号順で」

 

ちょっと狼狽えている山田先生が可哀想なので、せめて俺だけでも反応したいとは思うのだが、ちょっとばかり余裕がないんだなこれが。

 

なぜかって?

 

このクラスは男が一人(・・・・)で残る二十八人は全員女子だからだ。

 

いやもう本当に偏っているとかそういうレベルではなく完全にどアウェー。転校してきた外国の子ってこんな気持ちなのだろうか。いや、純日本人だから知らんけど。

 

兎に角物凄く気まずいのだ。

 

そんな中で自己紹介をしろと言われて、

 

「えー……えっと、織斑一夏(おりむら いちか)です。よろしくお願いします」

 

だけになってしまっても全くの不可抗力というもの―――いやちょっと待て。そこの女子数名はなぜ何かを期待したような視線を俺に向ける。俺は何も持っていないぞ。持ってるのは今朝買った大福餅がバックの中に一袋だけだ。

 

っつーか、まだ視線の嵐は止まらないのか? 唯一このクラスで面識のある幼馴染みの篠ノ之箒には先程見捨てられたし、孤立無援の四面楚歌。どうすればいいんだよ! 助けてちふえもん―――

 

パアァンッ!!

 

「いっ―――!?」

 

痛い、という言葉が口をつく前に、体の方が反射的に俺を叩いた人物を看破した。おそるおそる振り向いてみると―――

 

「ち、千冬姉!? なんでこ」

 

「織斑先生と呼べ」

 

こにいるんだ、までは言わせてもらえなかった。出席簿による一撃が頭部に直撃したからだ。ていうか多分さっきのも出席簿だよね。うん、めっちゃ痛い。

 

俺を叩いた張本人の俺の姉―――織斑千冬(おりむら ちふゆ)は山田先生と二言三言交わした後教壇に上り、よく通る声でこう挨拶をした。

 

「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠十五才を十六才までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」

 

―――どこの独裁者ですか、貴女は。

 

なんて思った瞬間、凄まじい威圧を込めた視線が千冬姉から飛んできた。独裁者じゃなくてエスパーだったのか。知らなかった。

 

「何か言いたいことがあるようだな織斑」

 

「い、いえ。何も無いです織斑先生……」

 

その後、クラスメイト女子の黄色い歓声(主に千冬姉への)を千冬姉が鎮め、俺と千冬姉が姉弟であることがバレ、ようやく教室が静かになった頃、千冬姉が再び口を開いた。

 

「さて、諸君らも先程から気になっている事だろう。その空席(・・・・)が誰の席なのか」

 

千冬姉が視線で示したのは教室の隅、窓側一番後ろの机。そこには誰も座っていない。しかし、元から座る者がいないのならば用意する必要はないだろう。

 

「勿論、そこには諸君らのクラスメイトになる者が座る。今は諸事情で遅れているが、来たら自己紹介を―――」

 

そこまで言ったところで、教室の前の方の扉が開いた。それを見て、にやりと笑う千冬姉。一体何が……?

 

「ちょうどいい。自己紹介をしていたところだ。既に全員終わっているからな、後はお前だけだ」

 

そうして、入ってきたのは―――

 

 

 

 

 

 

 

『白』。

 

 

 

 

 

 

白髪に細身の体。鋭い赤い瞳が一瞬俺の方を向いてすぐに戻った。クラス全員が、突然の登場者に固まっている。だが、その登場者の特徴に一番早く気付いたのは俺だった。

 

男子の制服を着ている(・・・・・・・・・・)

 

ってことは、つまり―――

 

「ほら、自己紹介をしろ。勿論拒否権はないぞ」

 

千冬姉の隣に立ち、自己紹介を促される『白』。若干面倒臭そうな素振りを見せた後、教室にいる全員に向けて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴科 透夜(すずしな とうや)だ。ヨロシク」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指定された自分の席、窓側一番後ろの席へと腰を下ろした一方通行―――もとい、鈴科透夜。先程千冬に無理矢理行わされた自己紹介で名乗ったこの名前は勿論偽名だ。

 

一方通行などという人名は世界中探してもまずいないし、余計な質問などをされないためにと束がでっちあげた名前である。

 

そして―――

 

 

 

 

 

『世界で二番目の男性IS操縦者』

 

 

 

 

今現在、一方通行にくっついている肩書きである。

 

細かいことを言えば、一番初めにISを動かしたのは一方通行だが、一番初めに世間に公表されたのは織斑一夏。よって、織斑一夏に『世界初の男性IS操縦者』という大層な肩書きが乗っかっている。

 

だが、一方通行がISを動かすことが出来ると世間に公表したのは彼がここに入学する三日前。公表したのは勿論天災科学者篠ノ之束だ。裏でどんな細工をしたのかは知らないが、他国からの波は驚くほど少なかった。

 

先程SHRに遅れていたのも国連や日本国との様々な契約及び手続きによるもので、一方通行が日本の土を踏んだのが入学一日前なので役人たちがどれほど慌てたのかは推して知るべきだろう。

 

少なくともこれで面倒事は全て学校側が引き受けてくれるし、生活も保障された。あの兎にはほんのすこしだけ感謝してもいいかもしれない。

 

 

 

『IS学園』

 

 

 

それが、彼の通うことになったこの学園の名前だ。

 

あらゆる機関の干渉を受けず、完全に独立した機関として、ISに携わる能力を持つ者を育成する場所である。独自の法律も制定され、ここに通う者の安全を守っている。IS学園に籍を置いていれば、卒業するまでの向こう三年は面倒事はほぼゼロだと考えてもいいだろう。楽しい楽しいハーレム学園生活を存分に楽しみたまえ、とは束の言だ。

 

思考を止めて、教室に視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

教室に響く教師の声、窓から見える校庭、大きな黒板、後ろから眺める生徒たちの姿。

 

 

 

 

こんな、授業らしいことをしたのは何時ぶりだろうか。

 

 

 

 

 

あまり楽しくはないが、随分と懐かしい。

 

 

 

 

 

(……あァ、学校ってなこォいう所だったよなァ)

 

 

 

 

 

駄々っ広い教室に、生徒は一人。

 

それが、彼の覚えている『学校』の記憶。

 

これが、今見ているこの光景こそが、本来あるべき学舎の姿なのだ。

 

(ここなら、俺は―――)

 

何かを決意しかけた思考は、鳴り響いた一時限目終業を告げるチャイムによって遮られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうしてやってきた、休み時間。

 

本来なら授業で疲れた身体を休息させるための時間であるのだが―――

 

(…………落ち着かねェ……)

 

一方通行はややげんなりしていた。

 

それもその筈、教室どころか廊下にまで溢れかえったギャラリーが男性IS操縦者を一目見ようと騒がしいのだ。こちらを見ながら隣の女子とひそひそと囁きあっては黄色い声を上げている。

 

別に視線に慣れていない訳ではないが、悪意100%の視線よりも純粋な興味1000%の方が困るということだけは身をもって知らされた。

 

それにしても、男性IS操縦者は二人いるのに、やけに一方通行に向けられている視線の数が多い気がする。考えてみれば当然なのだが、一夏は黒髪黒目の整った顔立ち。一方通行は白髪赤目の中性的な顔立ち。

 

好み・好き、という感情であれば前者の方へと人気が傾くが、好奇心を掻き立てられるといえば俄然後者だろう。良くも悪くも、彼は注目の的になっているのだった。

 

そういえばもう一人の方はどォなってンだ、と同じ境遇の一夏へと視線を送る。ちょうど一人の女子に連れられて廊下に出ていく所だった。そして、その女子の顔に見覚えは、ある。

 

(確か兎の妹、だったか。掃除用具みてェな名前だった気がするが)

 

本人に聞かれたら制裁を受けること間違いなしの失礼な事を考えながら、顔を右手で支えて肘をつく。すると、指先があるものに触れる。

 

それは彼の首に巻かれた、黒で統一されたチョーカーだった。無論、ただのアクセサリーではない。待機状態に入っている彼の専用ISだ。

 

現在、世界に存在するISコアは467個。ISコアがなくてはISを製造することは出来ないので、必然的に存在する機体は467より多くなることは無い。そして、限られた数を世界の国々に割り振っているので個人が持つことなど到底無理だ。

 

『国家代表』及び『国家代表候補生』という例外を除いて、だが。

 

その名の通り、IS運用の国家代表と、その候補生。そして、候補生の中でも特に実力の高い者には『専用機』が与えられる。各企業のテスト機や実験機であることも多いが、それでも専用機を持つことは大変な栄誉である。

 

しかし、彼の持つ専用機はその比ではない。

 

かの天災科学者篠ノ之束が直々に開発を手掛け、一方通行のために誂えたカスタムメイド。しかも、既に搭乗時間は代表候補生にも劣らない。正に規格外の機体なのだ。

 

半ば束に無理矢理押し付けられる形で受け取ったこの専用機だが、今ではもう服を着るのと何ら変わらない。それほどまでに彼のIS操縦技術は卓越していた。

 

しかし―――その事実が要らぬ面倒を呼んでしまうと気付いたのは、二時限目が終わった次の休み時間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、よろしくて?」

 

再び退屈な授業が終わり、向けられる視線にも慣れ始めた一方通行の元へ、一人の女子が声をかけてきた。今まで見ているだけだった他の女子とは違う行動に、少しだけその女子に興味を引かれて顔を向けた。鮮やかな金髪に、ブルーの瞳。ドレスのように改良を施した制服を纏っている。

 

「なンの用だ? イギリス代表候補生セシリア・オルコット」

 

「あら、私の事を知っていますのね。まあ、当然ですわ。代表候補生ともなれば世界に名前を知られるのはごく自然なことですもの」

 

そう自信満々に言い放ち、腰に手を当てて髪を払う英国の代表候補生、セシリア・オルコット。貴族の出らしく、その姿は様になっている。が―――

 

「なンの用だ、って俺は聞いたが?」

 

二回目、若干威圧を込めて再度問う一方通行。言いたいことがあるのならばさっさと本題に入ればいいものを、何やら喋り出したので強制的に黙らせた。

 

そんな一方通行を見て眉を吊り上げるセシリア。何かを言おうとして口を開きかけるが、一旦閉じてもう一度開いた。

 

「では、早速。―――あなたが、入学試験首席だというのは本当なのですか?」

 

IS学園の入学試験は、ISによる模擬戦闘によって行われる。時間制限は無く、対戦相手に選ばれた教師を倒すかこちらが倒されるまで行う。その際の戦闘技術、IS運用能力、機動性、戦術、状況判断能力など様々な観点から見て問題がなければ合格となる。

 

結果から言えば、一方通行は満点合格で入試首席の座に着いた。対戦相手の教師を僅か14秒で撃墜し、教師陣の度肝を抜いた。

 

「……だったらなンだ? 入試次席(・・・・)

 

「……っ! あなた、喧嘩を売っていますの?」

 

「人聞き悪ィ事言うンじゃねェよ。オマエがその事に何を感じて何を思ってるのかは大体想像がつく。大方男である俺が首席なのが気に入らねェンだろ?」

 

それを聞いたセシリアは、一方通行の机に手を叩きつけて身を乗り出した。

 

「その通りですわ! 本来ならこの私が首席になるべき人間だというのに、あなたが首席だなんて、どう考えてもおかしいですわ!」

 

「だからなンだってンだ? 結果は出てる。教師に言って入試のやり直しでも頼むつもりかよ?」

 

「そんなことをする必要はありませんわ。だって、私が勝つに決まっていますもの」

 

「大した自信だな。別に俺は誰が首席だろォと興味ねェし、所詮は入学時点での結果だ。幾らでも覆すことは出来る。何か反論はあるか、イギリス代表候補生?」

 

「ありますわ。例えあなたの言う通りだとしても、私は男が女性より上に立つなど認めません!」

 

「そォかよ」

 

瞬間、三時限目の始業を告げるチャイムが鳴り響く。それを聞いたセシリアはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、渋々といった感じで席へと戻った。

 

やがて千冬が教壇に立ち、再来週行われるというクラス対抗戦に出る代表者を決めるという旨を述べた。クラス代表=クラス長であり、一度決めると一年間変更はないとのことだ。

 

ひとまず彼が思ったことは『やってらンねェ』であり、『面倒臭ェ』だった。誰が好き好んで態々仕事の多い役職をやるというのか。立候補した奴に投票でもしとくか、という完全傍観者姿勢で臨んだのだが。

 

「はいっ。織斑くんを推薦します!」

 

「私もそれがいいと思います!」

 

「私は鈴科くんを推薦!」

 

「あ、じゃあ私も鈴科くんを!」

 

「では候補者は織斑一夏、鈴科透夜……他にはいないか? 自薦他薦は問わないぞ」

 

「お、俺!?」

 

数人から推薦された一夏は、思わず立ち上がって異論を唱える。一方通行は、どうしたら一夏にクラス代表を押し付けられるか考えていた。面倒事など真っ平である。

 

「待ってください! 納得がいきませんわ!」

 

突如、甲高い声が響いた。

 

机を叩いて立ち上がったのはセシリアだ。

 

「そのような選出は認められません! 大体、男がクラス代表だなんていい恥さらしですわ! わたくしに、このセシリア・オルコットにそのような屈辱を一年間味わえとおっしゃるのですか!?」

 

どうにも我慢できないといった風で、一夏と一方通行がクラス代表になることを頑なに拒否するセシリア。

 

「実力から行けばわたくしがクラス代表になるのは必然。それを、物珍しいからという理由で極東の猿にされては困ります! わたくしはこのような島国までIS技術の修練に来たのであって、サーカスをする気は毛頭ございませんわ!」

 

「ほう、実力から行けば、か。ならば、入試首席の鈴科がクラス代表になっても文句はないな? オルコット」

 

「……っ! それは! だ、大体、文化としても後進的な国で暮らさなくてはいけないこと自体、わたくしにとっては耐え難い苦痛で―――」

 

エキサイトしていくセシリアがそこまで言ったとき、今まで黙していた人物が口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「―――そこまで言うンなら、オマエがやればいい。織斑教諭、俺はセシリア・オルコットを推薦する」

 

 

 

 

 

「な……ッ!」

 

絶句するセシリア。思わず一方通行の方を見るが―――そこで、更に愕然とする。肘をついて、こちらを眺める一方通行の瞳に『セシリアは映っていなかった』。

 

「オルコットは見ての通りやる気に溢れてる。俺がクラス代表になっても雰囲気を悪くするだけだ。なら、オルコットの方が良いクラスを作ってくれる」

 

その言葉ひとつひとつが、セシリアの胸を抉った。

 

まるで眼中に無い、といった表情で淡々と自分を褒める一方通行。

 

 

 

 

 

(わたくしなどは……戦う必要すらないということですの!?)

 

 

 

 

その事実を認識してしまったとき、セシリアは思わず叫んでいた。

 

 

 

 

 

「決闘ですわ!」

 

 

 

 

 

「あン?」

 

「わたくしとあなたでそれぞれISに乗って戦う。勝った方がクラス代表ですわ!」

 

「ほう……ISで決着を着けるか、面白い。ならば、それに織斑も加えたバトルロイヤル形式で決めるとしよう」

 

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれよ千冬ね―――ごっ!?」

 

「アリーナの使用申請は私が出しておいてやる。日時は一週間後の月曜。放課後、第三アリーナで行う。三人はそれぞれ用意をしておくように」

 

未だに異を唱える一夏を出席簿で沈め、千冬がそう締めくくる。こうなってしまった以上、もう誰にも怒れる乙女は止められないのだろう。

 

「 ……そうですわね、負けたほうは勝ったほうの望みをなんでも一つ聞く、という条件もつけましょうか。そちらのほうが面白そうですわ」

 

「はっ、自分に課すペナルティを態々増やすたァ随分な被虐趣味だな。イギリス貴族ってなァ皆そォなのか?」

 

「っ、口の減らない……!逃げたりしたら承知しませんわよ、鈴科透夜。完膚なきまでに叩き潰して、あなたを私の奴隷にしてさしあげますわ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あのー……俺の意見は無視……?」

 

 

 

 

一夏の声に応えるものは、いなかった。

 

 



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二話

キーンコーンカーンコーン。

 

六時限目の終業を告げるチャイムが鳴り響き、教室中からため息や伸びをする声が聞こえてくる。一方通行も例に漏れず、背骨をパキポキと鳴らしていた。

 

IS学園というだけあって、やはり授業は全てISに関連したこと。ISの基本動作や用語から、ISによる世間の動き等も学ぶのだ。だが一方通行にとっては、せいぜい小学校の授業レベルでしかない。

 

最初の一時間程はいつになく真面目に聞いていたのだが、その次からは窓の外を眺めながらなんとなく話を聞くだけ。それを目敏く見つけた千冬が名指しで答えさせるが、完璧に回答してしまうので始末に終えない。結局「授業中くらいは前を向いていろ馬鹿者」ということで落ち着いた。

 

ふと彼が前を見ると、真ん中最前列の席で一夏が机に突っ伏している。授業中「ほとんど全然わかりません」と言っていたので、それでやる気が削がれてでもいるのだろう。

 

因みに、一夏の頭は決して良いとは言えないが悪いわけではない。ただ、たった数分で参考書を丸暗記できる一方通行の頭脳が異常なのだ。

 

「鈴科」

 

「ン?」

 

突然の声に横を向くと、そこには千冬が書類を片手に立っていた。何の用かと疑問に思っていると、何故か千冬がにやりと口許を歪めた。

 

「喜べ。寮の部屋割りが決まったぞ」

 

「……確か、人数の関係がどォとかで遅れるって聞いてたンだが」

 

彼がそう言った瞬間千冬の右手がブレ、鈍い音が鳴り響いた。まるで脳を直接シェイクされたかのような衝撃が脳天を突き抜け、次いで激しい痛みが一方通行を襲った。

 

「教師には敬語を使え」

 

「……ぐっ、こ、の、……ッ!!」

 

不用意に能力を使って反射することも出来ない以上、運動能力の低い彼は千冬の出席簿を頭で受け止めるしかない。せめてもの抵抗とばかりに彼女を思いきり睨み付けるが、涼しい顔をして流されてしまった。

 

「とにかくお前のような特例を放っておくわけにはいかんからな。政府も大分慌てていたようだ。まあ、一月もすれば個室になるから安心しろ」

 

そう言って、部屋番号の書かれた紙とキーを渡す千冬。成る程、と納得しながらキーを受け取るも―――すぐに違和感に気付いて顔を上げる。しかし、そこには既に人外教師の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

(一月もすれば個室になるって事ァ……一ヶ月間相部屋って事だろォが! ふざけンじゃねェ!)

 

 

 

 

 

 

どうやら嵌められたようだ。

 

いつかはあの真面目な顔を狼狽えで塗り潰すくらいには一矢報いてやる、と静かに決意する一方通行だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に渡された部屋の場所を記した地図を眺めながら、寮へと続く道を歩く。既に夕陽も水平線に傾いており、学園をオレンジに染め上げている。

 

少しの間それを眺めていると、不意にポケットの携帯が振動した。取り出して名前を見た一方通行は、周囲に誰もいないことを確認すると、自分から出る音の振動と光のベクトルを軽く弄る。これによって、例え他人が一方通行の目の前を通っても気付かれることはない。

 

そして通話ボタンを押し、耳に当てる。

 

『もすもすひねもすー! 皆大好き束さんだよ! どうどうあっくん!? ハーレム生活楽しんで』

 

ブツッ。

 

迷わずに通話終了ボタンを押す。そして、掛かってきていた電話番号を着信拒否にしてポケットに携帯をしまう。

 

(……。さて寮の部屋は―――)

 

再び携帯が振動。

 

取り出して、ひとまず通話終了ボタンを押す。再び振動。通話終了。振動。通話終了。その一連の流れを暫く繰り返し、漸く通話ボタンを押した一方通行。

 

『ごめんなさい。束さんが悪かったです。だから着信と同時に切るのだけは止めてください本当に泣きそうになったからぁ!! 』

 

「黙れ。それか死ね」

 

演技なしの本気の涙声で謝ってきた束を一蹴。いい年をした大人が泣きながら謝罪する様は軽く鬱陶しい。

 

「で? なンの用だ。用がねェなら切ンぞ」

 

『いやぁもうあっくんったらせっかちなんだから。急ぐ男の子は嫌われるよー?』

 

「…………、」

 

『あぁ! 待って待って切らないで! 用事ある! あるから! 』

 

「次に余計なコトしやがったら電波跳ね返すぞ」

 

束のラボから飛んでくる携帯の電波を遮断するか跳ね返すかすれば、一方通行の携帯電話に束からの着信は届くことはない。究極の着信拒否だ。

 

『用事っていっても状況確認なんだけど。私との関係、ちーちゃん以外にバレてないよね? まぁあっくんがそんなへまをするとは思えないけど』

 

「……バレてもオマエにゃ被害は出ねェだろォが。どっちかっつったら俺の方が面倒くせェコトになる」

 

『そだねー。あ、そういえば……あの、そのー……』

 

珍しく言い淀む、というよりも歯切れの悪い束。いつも人を食ったような態度を取る彼女がこういう風になるのは大抵―――

 

「……妹のコトか? 確かモップ―――」

 

『ほ・う・き! 篠ノ之箒! 人の妹を掃除用具呼ばわりとはいい度胸だねぇあっくん!? 』

 

「似たようなモンだろ」

 

『大分違うからね!? 篠ノ之箒と篠ノ之モップじゃ天と地ほどの差があるからね!? 大体純日本人で下の名前がカタカナとか一体どんなんなのさ! 』

 

この天災科学者は、こと妹の話題になると過敏に反応するのだ。一方通行には血の繋がった兄弟姉妹がいないので、以前一度だけ興味本意で束の妹について聞いてみたのだが、五分聞いた時点で音を反射した。

 

その後眠気に誘われて、三時間ぐらい寝た後に起きたら飽きることなく喋り続けていたのを見たときにはドン引きしたのを覚えている。

 

「つーかオマエ監視衛星使って見てンだから聞かなくても分かンだろォが。態々電話かけてくンじゃねェよ」

 

『うぇえ酷い! 束さんはコミュ障のあっく』

 

ブツッ。

 

何かとても不名誉なことを言われそうになったので切った。電源もオフ。これであの兎の魔の手は届かない。ざまァ見ろ。やっと沈黙した携帯をポケットにねじ込み、反射を解除して寮へと向かう。

 

出来ることならば、ルームメイトは大人しくて余計な詮索をしない静かな奴がベストだな、と思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下の至るところから、囁き声やこちらを見て話す声が嫌と言うほど聞こえてきている。一方通行は廊下を歩きながら、その話の内容に軽く耳を傾けた。

 

「あれって、一年生の……」

 

「二人目の男の子だよねっ!」

 

「うわ、すっごい美形……」

 

「何で二年の寮にいるんだろ?」

 

「年下も……ありかな」

 

最後のは聞かなかったことにしておき、再び地図に目を落とす。そろそろ指定された部屋も近いのだが、先程の会話の中に彼も訊きたい疑問があった。

 

(……なンで俺の部屋が二年の寮(・・・・)にあンだよ)

 

そう、千冬から渡された紙には何故か二年生の寮にあるはずの部屋番号が記されてあったのだ。

 

最初、他の一年生たちと向かう方向が違った時には特別な措置があって別の場所なのだろう、などと思っていたが、その考えは一瞬で瓦解した。やはり年頃の女子と相部屋なのは避けられないのだろうか。というよりも、千冬が狙ってやったに違いない。そう信じても間違いではない気がする。

 

しかし、既に決定されたことに異を唱えていても仕方がない。織斑も恐らく相部屋なのだろうし、もしもあちらが仮に一人部屋だったらそれを理由に無理にでも一人部屋にしてもらうが。

 

(2051室……ここか)

 

ようやく自室の扉の前にたどり着く。とにもかくにも廊下全体から突き刺さる視線の嵐から逃れたかった。キーを差し込んで鍵を開け、さっさと中に入り後ろ手に鍵を閉める。大きくため息を吐いて、顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ってたわよ、鈴科透夜くん♪」

 

 

 

 

 

 

 

奥の方から、何やら楽しそうな声が聞こえてきた。

 

恐らくルームメイトとなる女子なのだろうが、その声に聞き覚えはない。そもそも、彼と交友関係がある女性など束と千冬ぐらいのものなのだから当然と言えば当然なのだが。

 

部屋の構造上、入って少し奥まで行かないと全体を見渡すことはできない。仕方なく、数歩進んで声の主を確かめることにした。

 

―――可憐な少女だった。

 

整った顔に浮かぶ微笑。

 

外側に跳ねた、肩まで伸びる美しい水色の髪。

 

そして、彼と同じ赤い瞳。

 

ベットに腰かけ、首を傾け此方を見上げる様は宛ら絵画のワンシーンのようだった。しかし、生憎一方通行は性欲や色欲といった感情が一般男性に比べてほぼ皆無といっていい。

 

何気ない仕草に心踊ることも、風呂上がりの艶姿に羞恥することもない。鉄面皮とまではいかないが、それでもリアクションはかなり薄かった。それを見た青髪の少女はつまらなそうに口を尖らせる。

 

「もうちょっとこう、唖然としたり呆然としたりしてくれてもよかったんだけどな。おねーさんちょっとがっかりよ」

 

何処からともなく取り出した扇子をパッと開く。そこには達筆な文字で『残念』と書いてあった。

 

「アンタが俺のルームメイト……ってことでイイのか?」

 

「そうよ。私の名前は更識 楯無(さらしき たてなし)。二年生で、この学園の生徒会長を務めているわ。改めてよろしくね、鈴科透夜くん」

 

差し出された手を、一瞬ためらった後に握る。楯無と名乗った少女は再び扇子を開く。今度は『一期一会』の文字。一体どういう仕組みなのか気になったが、今はそれどころではない。

 

「で、更識―――」

 

「あん、もう。折角同室になったんだから、名前で呼んでくれてもいいのよ? というより、呼びなさい。私も透夜くんって呼ぶから。いい?」

 

「……わかった。早速で悪いが、いくつか質問あるンだが構わねェな?」

 

「いいわよ。おねーさんに答えられる範囲でならいくらでも答えてあげるわ」

 

ウインクを飛ばしつつそう言う楯無。この少女は何かアクションを起こしていないと気がすまないのだろうか。この時点で先が思いやられる一方通行だが、現在は下らないことに思考を割いている暇は無かった。

 

(答えられる範囲で、か。言外に『俺には教えられないことを知っている』っつってる様なモンじゃねェかよ。しかも、俺がそれに気付くのを知っててやってやがンな)

 

扇子で口元を隠し目を細めて薄く笑う楯無を見て、心中で呟く。こういったタイプは正直言って苦手である。

 

「ンじゃ、当然の質問から行くか。……なンで俺だけ二年と同室なンだ。俺は一年だし、織斑のほうは一年と同室になったって聞いたぞ」

 

「うん、一夏くんは幼馴染みの子と一緒。知り合いと同室の方が変に気張らなくてすむでしょ? 」

 

「それはまァ分からンでもねェ。じゃあ俺の場合は何が理由でアンタと同室になったンだ?」

 

「私がそうお願いしたから」

 

悪びれもなくそう言った。

 

女子の、しかも上級生と同室になる一年生の気持ちを考えた上でお願いしたのだろうか、この女は。ただでさえ男女間で空気が若干固いというのにあまつさえ上級生と。最早一種の拷問だろう。年上が好みの場合はまた話は別だが彼にそんな趣味はない。

 

若干頬をひくつかせながら会話を続ける。

 

「お願い……だァ? そンなもンで部屋割り変更出来ンのかよ」

 

「生徒会長権限って知ってる?」

 

「職権乱用って知ってっかオマエ」

 

一方通行は頭を抱えたくなった。

 

会長権限なんてもので部屋割り変更ができるのならば、生徒会長とは我儘言い放題なのだろう。何でもかんでも『会長権限よ』で済まされる日もそう遠くないと感じてしまっても悪くはないはずだ。

 

というよりも、こんなのが会長でこの学園は大丈夫なのだろうか。

 

「……じゃあ、アンタは何で俺と同室になりたいと希望した? 俺と同室になるメリットなンざゼロ、どころかデメリットの方が多いと思うがな」

 

「いいのよ。イベントと楽しいことは多い方が幸せでしょ?」

 

瞬間、一方通行の瞳がほんの僅かに細くなった。間近で見ていたとしてもほぼ気付くことはできない程の変化だったが、楯無は目敏くそれを見止めていた。

 

(……はぐらかしたな。答えるまでに僅かに間があった。極限まで注視してねェと気付かねェレベルのポーカーフェイスと話術は大したモンだが……何者だこの女)

 

 

 

 

 

一方で、楯無もポーカーフェイスを保ちつつ内心で少しばかり驚いていた。

 

(……今、確実に私の嘘に反応した。普段と全く変わらないように振る舞っているのに? そもそも初対面の相手の変化を読み取るなんて……これは一筋縄ではいかなそうね)

 

もしもこの台詞を一方通行が聞いたならば言っていただろう。『オマエが言うな』と。

 

お互いが警戒のレベルをそれぞれ上げ、切れ者同士の腹の探りあいが開戦した。

 

「そういえば、透夜くんって専用機持ってるのよね。それってどこの会社の機体なの?」

 

「『ACC』っつートコのテスト用実験機だ。データを取りたかったらしいから丁度良かったンだと」

 

―――嘘ね。

 

「っつーか、会長権限で部屋決められンならそれ使って俺の一人部屋とか用意出来ンだろ?」

 

「折角の男性IS操縦者だもの、一人にしておくなんてつまらない真似はしないわよ。私がたーっぷり弄ってあ・げ・る♪」

 

―――嘘だな。いや、最後に関しては本気だろ。

 

互いに笑顔の仮面を張り付けて、言葉の網を投げまくる。しかし、端々を掠めるだけで肝心の本体までは届かない。三十分ほど探りあいを続けていたが―――やがて、どちらからともなく大きくため息を吐いた。

 

苦笑しながら、楯無が口を開く。

 

「……やめましょうか。それにしても透夜くん凄いわね。私を相手にして一歩も引かないなんておねーさん驚いちゃった」

 

「……ふン。答え合わせと行こォか。オマエが俺に接触してきた理由は主に監視と保護。世界初の男性IS操縦者である織斑が公表されてから、数ヵ月という短期間で二人目が出てくるのはどう考えても怪しすぎる。加えて、織斑には国がバックについたが俺の後ろ楯は無い。で、国が保護を申し出る前に、オマエの家―――まァ裏に精通してるか、大層な家だろ。そいつらが先に俺の身柄の保護を買って出た。間違いはあるか、生徒会長」

 

「まあ、大体そんなところね。……っていうか、キミ本当に何者? 普通の高校生が辿り着く答えじゃないわよ、それ」

 

こちらを見る楯無の視線に疑いの色が混ざる。当然だろう、普通の人間ならば『裏』との接点は一生無いと言ってもいい。だが、一方通行はそれを見事に言い当ててみせた。単に学園都市での経験則なのだが、やはりどこの世界でも考えの根本は変わらないらしい。

 

「ま、いいわ。それじゃあ、私も答え合わせしようかしら? 透夜くんの入試の映像見せてもらったけど、あれはISに乗って二日三日で身に付けられる動きじゃないわ。なまじISに乗りなれていると、無意識でも洗練された動きになってしまうものなの。少なくとも透夜くんは代表候補生……下手すればそれ以上の時間、ISに乗っている。入試ではそれっぽく見せようとしていたようだけど、誤魔化しきれていなかったわ。それでも気づいたのは数人程度だけどね」

 

どう?とでも言わんばかりの表情を浮かべる楯無。一方通行は黙って聞いている。

 

「そして、世間にばれずにそこまでのIS操縦技術を磨ける場所となると―――篠ノ之束博士の所しかないわ。どういう理屈かは知らないけど束博士の所でISの技術を磨き、一夏くんの公表に合わせて透夜くんも同じく公表した。そもそも、全世界のテレビを一斉ハックなんて束博士ぐらいでしょ、出来るの。で、透夜くんの専用機も勿論束博士のカスタムメイド。間違いはあるかな、鈴科透夜くん?」

 

楯無の推測を聞いた一方通行は一先ず安堵した。如何に楯無の推理力が優れているといっても、流石に超能力なんてものは考えに入れないだろう。というより、もし入れていたら恐ろしい。

 

「どォだろォな」

 

「んふふ、バレてるわよ♪ もしかしたら透夜くんのもーっとすごい秘密を知っているかもしれないわよ? 例えば、実は超能力が使えたりとか!」

 

(……当てずっぽうだよな?)

 

心中冷や汗を流しつつも、表情筋の電気信号を弄りポーカーフェイスを維持することに成功した。勘がいいどころではない。読心術を習得していても不思議ではないレベルだ。

 

心の中で、静かに楯無を『人外』のリストに追加する一方通行だった。

 

 




作者も大好き楯無さん登場。


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三話

八時。

 

全寮制のIS学園は、昼食を除く食事の時間がきっちりと決められている。というよりも、決められた時間しか食堂が使えないために万一寝坊や遅刻をしようものならばその日は朝食抜きで過ごさねばならなくなる。

 

朝の時間帯に食堂が使えるのは七時から八時半まで。なので、必然的にそれより前に起床しなければならないのだが―――

 

(…………、眠ィ)

 

欠伸を噛み殺す一方通行。

 

学園都市では生活リズムなんてものは縁遠い存在であったし、寝るのは日を跨いでから、起床時間など早くても朝の十時。そんな彼が朝の八時前に起床して朝食を採るなど地獄に等しい。

 

気を抜けばそのまま机に突っ伏して寝てしまいそうになるが、そんなことをすれば人外教師の出席簿が飛んでくるのは火を見るよりも明らかだ。しばたく目を擦りながら箸を進める。

 

朝起きた時点で、既に隣のベッドは空だった。生徒会長ともなればやはり仕事も多いのだろう。昨日の戦いは、『互いに互いの情報を他言しないこと』ということで落ち着いた。他人に知られたくないことは誰しもあるものだろう。

 

「す、鈴科くん、隣いいかな?」

 

「……、ン?」

 

未だに意識がハッキリしないために若干反応が遅れる。見れば、朝食のトレーを持った女子が数人一方通行の返事を待っているようだった。

 

実を言えば一人の方が気楽で良かったりするのだが、別段隣の席が埋まったからといって困ることもない。それに、こういうのは今のうちだけだ。あと数日もすれば女子たちも興味をなくして静かになるだろう。

 

何の気なしに視線をずらすと、どうやら一夏のほうも同じような状態のようだ。

 

「……構わねェが」

 

彼がそう答えると、声をかけた女子は安堵のため息を漏らし、後ろの二人はハイタッチをしていた。そんなに自分と食事をしたかったのかと首を捻る。逆に緊張したりとかしないのだろうか、と彼にしては珍しくそんなことを思った。

 

「あぁ~っ、私も早く声かけておけばよかった……」

 

「そういえば、鈴科くんの部屋って一年の寮には無いらしいよ」

 

「なんですって!? そ、早急に調べないと! スネーク、スネーク聞こえる!?」

 

『ザザッ―――こちらスネーク。どうした?』

 

何故無線機があるのか、そしてスネークとは誰だと色々問いただしたい事はあるが、それよりもまずは朝食を終わらせなければならないだろう。人外教師の餌食になるのは避けたいところだ。

 

一方通行は六人がけのテーブル、その隅に座っているので隣に三人は座れない。隣に一人、前に二人という形でそれぞれ席についた。そして、そのまま食べ始めたと思えば直ぐ様彼に質問が飛ぶ。

 

「ねぇねぇ、鈴科くんとルームメイトって誰なの? もしかして一人部屋だったりする?」

 

「え!? 一人部屋なの!? だったら部屋割り変更とか掛け合ってみようかな……」

 

「ちょ、ルームメイトの前でそれを言うのー!? ひどーい!」

 

(……、なンで朝からこンなテンション高ェンだ?)

 

質問を投げ掛けておきながらその質問で盛り上がれるというのは女子だけの特権とでも言うべきか、一方通行そっちのけできゃいきゃいと話している女子たち。朝にめっぽう弱い彼とは些かテンションの差が激しすぎる。

 

とはいえ、下手に話題を振り続けられるよりはよかったので、黙って食事をすることにした。態々自分から厄介事に首を突っ込むこともなかろう。

 

結局、女子高生の朝トークは千冬の喝が入るまで延々と続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、ISは宇宙での活動を想定して作られているので、操縦者の全身を特殊なエネルギーバリアで包んでいます。また―――」

 

スラスラと教科書の内容を読み上げていく真耶の声をBGMに、のんびりと青空を見上げる一方通行。ISについての基本的な知識は一通り束から聞いて知っている。復習をしても彼にはあまり効果もないので、授業を行っている真耶には申し訳ないが文字通りこの座学は『時間の無駄』だった。

 

かといって目に見えるほどだらけても千冬の出席簿が飛ぶ。仕方なく、顔と目だけは前に向けて思考だけ別に稼働させることにした。

 

思い出すのは、以前束に言われた言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『キミの能力の名が一方通行(アクセラレータ)を冠する以上、粒子加速装置(アクセラレイター)と何かしらの関係があると見て間違いはないね。能力の本質が本当にベクトル変換だけならば他の名前を冠するはずさ。何かが隠されているね。キミも知らない、それ以上の何かが』

 

 

 

 

 

 

 

(……アイツは、一体どこまで見えてやがンだ(・・・・・・・・・・・)?)

 

ベクトル変換。

 

学園都市最強の名に恥じない、規格外の力。

 

それが『付加価値』だと言うのならば、『一方通行』という能力は何を目的として開発されたのか。学園都市の書庫を漁っても、彼以外にベクトル変換の能力を持つ者がいないというのも何か引っ掛かる。

 

第三位、第四位、第五位の持つ能力系統『電撃使い』『電子操作』『精神干渉』は探せば多い。だが、一方通行も第二位の能力も、彼らだけしか持たない唯一の能力だ。

 

それが意図的にそうなっているのか、ただの偶然なのか。確かめる術を持たない一方通行には答えを知ることは出来ないが、自分の可能性を探ることはできる。

 

例えば。

 

この能力を『攻撃の反射』『紫外線の反射』などという小さなものではなく、もっと莫大な規模で考えてみる。『向き』さえあればなんであろうと手中に納めて操ることができるならば、それが世界中に吹く『風の向き』であっても例外ではないだろう。

 

だが―――それが答えではない気がする。

 

では、一定方向からのベクトルをもう片方へと受け流すのではなく、『バラバラのベクトルを一つに揃える』として考えたらどうか?

 

(……太陽光線? 重力? 世界中に溢れるもので尚且つ有用性に富むモノと言えばそれくらい―――)

 

そこまで考えて、頭の中で何かが引っ掛かった。

 

何か大事なことを見落としている感覚。

 

まだ、まだ何か残っているはずだ。

 

太陽光線でもなく、重力でも風でも大気でもなく、それでいて『向き』を持つ。学園都市に溢れるものの代表格と言えば―――

 

 

 

 

 

 

 

(―――AIM拡散力場?)

 

 

 

 

 

 

 

ビリッ、と一方通行の脳に電流が走った。

 

これだ。

 

己の能力は、AIM拡散力場のベクトルを統括制御するためのものだったのだ。もしも、自分以外のベクトル操作能力者がいてAIM拡散力場に干渉したら演算に誤差が生じる。そう考えれば、ベクトル操作能力者が彼だけというのも頷ける。だが、AIM拡散力場を操って何をするというのだろうか?

 

―――An_Involuntary_Movement拡散力場、その頭文字を取ってAIM拡散力場。直訳して『無意識の動き』。学園都市の能力者達が、無意識に発生させている微弱な力のフィールドの総称である。

 

しかし、それは人間の感覚で捉えることはできず、特殊な装置を使わねば観測できない程の弱いものだ。一人が空間に干渉する量などたかが知れている。

 

とはいえ、それは能力者が一人だった場合。

 

学園都市の能力者の総勢は230万。その内、能力が発現しておらずAIM拡散力場を発していない無能力者を除外して凡そ180万。一人一人では微弱なものだとしても、それだけ集まればどうか?

 

互いの力場が干渉しあい、全く未知の物質や現象が起こってしまっても不思議ではない。それを防ぎ、尚且つ別の事に転用できるとしたら。それを行うことができる能力こそが、『一方通行』なのだろう。

 

これが、彼の能力の本質―――では、ない。

 

(違う)

 

その正体は掴めない。

 

しかし、彼自身が漠然としたナニカを感じている。

 

AIM拡散力場を制御する役割もあるだろう。だが、それは能力の『用途』であって『本質』ではない。もっと別の、本当の能力の使い方というものがあるはずだ。それを―――

 

キーンコーンカーンコーン。

 

はっとして顔を上げる。

 

周囲の喧騒が急に鼓膜を叩く。無意識に音の反射でもしていたのだろうか。大きくため息をつき、一度頭をリセットする。

 

何も焦ることはない。

 

ここは学園都市ではない。能力を持っているだけで他者よりも強いのだから、急いで上を目指す必要もないだろう。いつかわかることだ。

 

首をコキコキと鳴らし、凝り固まった体をほぐす一方通行。やはり長時間同じ姿勢というのは疲れるものだ。

 

ふと、教室内のざわめきが大きくなる。何事かと思い声を拾うと、どうやら学園から一夏へ専用機が用意されるらしい。依然ISコアの数は増減していないので、この時期に専用機が用意されるということは日本政府も大慌てで準備しているのだろう。

 

「そりゃやっぱり政府も援助するよね」

 

「いいなぁ……私も早く専用機欲しいなぁ」

 

「あれ? そういえば、鈴科くんは専用機って……」

 

話題の矛先がこちらに向きそうな気配を感じ取った一方通行は静かに席を立ち、どこか適当に時間を潰しに行こうとするも、千冬がそれを許さなかった。

 

「鈴科。教科書の六ページ、暗唱できるな」

 

「……、なンで俺が?」

 

「授業を集中して聞いていなかった罰だ」

 

何故この人外教師は集中しているか否かまで判断できるのだろうか。視線と手は無意識でもしっかりと動いていたはずだったのだが。

 

当然、拒否権などあるはずもないので仕方なく内容を読み上げる。大雑把に整理すれば、

 

『ISコアには限りがあるので、一般人が専用機を持つことは難しい。だが特例として一夏には用意される』

 

ということだ。

 

書いてある内容はもう少し違うが、恐らく頭上に『?』を浮かべている一夏のためなのだろう。それでも理解できているかどうかは疑問に思うところだが。

 

ともあれ結局千冬に捕まってしまったので、廊下に出る意味もなくなってしまった。肘をついて空を眺める。しかし、そんな安息を興味津々な女子高生が許すはずもない。

 

「ねぇねぇ! 鈴科くんは専用機持ってるの!? 」

 

「それとも届く予定なの!?」

 

「名前は!?」

 

「形は!?」

 

リレーで喋る女子数名を見て「仲いいなオマエら」などと若干現実逃避しかけた思考を引きずり戻し、答えるか否かと考える。持っていることには持っているが―――

 

「……、」

 

「っ……!」

 

ちら、と視線を配らせれば、案の定聞き耳を立てているイギリス代表候補生の姿。ばっちり目線が合っていたのだが、何事もなかったかのように……とはいかず。挙動不審にそわそわしている。

 

盗み聞きならばもっと上手くやれというものだ。

 

刹那の思考で判断を下した一方通行は―――

 

「……まだ持ってねェ。一応届くことにはなってるが、恐らく来週の月曜には間に合わねェだろォな」

 

「やっぱり! 用意されるんだぁ!」

 

「くぅ~、羨ましい!」

 

「早く見てみたいなー。どんなのなんだろ?」

 

言わぬが花と思って嘘をついたのだが、結局盛り上がることに変わりは無かったようだ。一方通行は女子のテンションというものを未だ理解していないらしい。

 

そしてその嘘が、また余計ないざこざを引き起こすとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どういうことですの?」

 

昼休み。

 

彼の前には、腰に手を当てて眉を吊り上げるセシリアの姿があった。

 

「国家代表候補生は専用機が持てることを知らないとは言わせませんわ。だというのに、あなたは訓練機でわたくしとの戦いに挑むつもりなのですか!?」

 

バンッ! と机に手を叩きつけ、大層ご立腹の様相を見せるセシリア。ここまで彼女が言うのには理由がある。

 

訓練機とは、IS学園に備品として配備されている『打鉄』『ラファール』のことを指している。それらは現行する第三世代よりもひとつ前の第二世代の機体。

 

対して、代表候補生に与えられるISは各企業の最新技術を盛り込んだ高性能機体。データ収集も目的の内に入るとはいえ、その戦闘力はかなり高い。

 

『世代が一つ違えば勝てない』とまで言われるほどに、世代の差は大きいのだ。

 

よって、セシリアは第三世代の機体を持つ自分に第二世代の機体で挑もうとする一方通行、そして最初から勝負にならない出来レースに憤慨しているのだった。

 

「だからなンだ。別に世代を同じにしろとも、第二世代の機体を使うなとも言われちゃいねェ。何ら勝負に支障はねェだろォが」

 

「……確かに言ってはいませんわ! ですが、第二世代ISが第三世代に勝つなんて不可能です! 初めから勝負にすらなりませんわ!」

 

「そりゃ第三世代は強力な機体だろォよ。だがな、第二世代が第三世代に勝てねェと誰が決めた? 」

 

「……っ、本気で言っていますの? 第二世代で第三世代が倒せると、そう言いたいのですか?」

 

「機体の差なンざ、スタート地点が違うだけだ。搭乗者の技量次第でどォとでもなる」

 

そう言って席を立つ。

 

残されたセシリアはまだまだ言い足りなそうな顔をしていたが、生憎と構ってやるほど暇ではない。廊下に出て、一夏と箒が何やら揉めている隣を通過し―――

 

「い、今離せ! ええいっ―――」

 

何故か箒が一夏を投げ飛ばそうとしていた。別に投げ飛ばすのは構わないが、周りを見てからにしてほしい。このままでは確実に巻き添えになる。

 

こんなところで不用意に能力を使って怪しまれるのは得策ではない。仕方ないが対処するしかないだろう。

 

背負い投げの要領でこちらに飛ばされてくる一夏。迫ってくる背中を右腕で流し、ついでに強引に回転させる。結果、背中から落ちるはずだった一夏はどうにか着地に成功し、被害を被るはずだった一方通行はノーダメージとなった。

 

普通、高校生一人の重みを腕だけで受け止めようものならば間違いなく骨折は免れないが、違和感のない絶妙な加減のベクトル操作を発動。衝撃の殆どを床へと逃がした。

 

「……止めはしねェが、周りをよく見てからにしろ」

 

「! ……あ、ああ。すまない」

 

ぽかんとしている箒にそれだけ言うと、食堂へ続く階段を下りていく。数秒ほど経った後に聞こえてきた謎の歓声は聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、鈴科って凄いんだな。さっき何したかわかったか? 箒」

 

「……知らん」

 

ところ変わって場所は食堂。

 

未だに不機嫌な様子の箒と共に昼食を採る一夏は、先程のことについて考えていた。視界が回転していたのでこちらからは何をされたのかわからなかったが、背中に軽い衝撃を受けたかと思えば体が半回転して床が目の前。咄嗟に着地態勢を取らなければ床と熱い抱擁を交わす羽目になっていただろう。

 

(一体なにをしたんだろう……。ま、いっか)

 

織斑一夏。

 

難しいことは考えないのだ。

 

「そういやさぁ」

 

「……なんだ」

 

「ISのこと教えてくれないか? このままじゃ来週の勝負で何も出来ずに負けそうだ」

 

「男ならそれぐらい一人でなんとかしろ、軟弱者め」

 

にべもない。

 

再度手を合わせて頼み込むも、反応は無かった。幼馴染みが手を貸してくれないとなると、他に頼れそうな人間はいないかと見回してみれば―――

 

「ん?」

 

視界に映る、白。

 

「んん?」

 

いるではないか、頼れそうな人間が。

 

隅っこにある目立たなさそうな机で黙々と昼食を採っている『もう一人』が!

 

(そういえば入試トップって聞いたし、さっきのこともあるし、お礼がてらに頼んでみよう)

 

そうと決まれば即行動。

 

織斑一夏。

 

後先の事は考えないのだ。

 

「!? お、おい、どこへ行く!?」

 

何やら慌てている箒を席に残して、一方通行が座る席へと赴く。向こうも一夏には気付いたらしく、何の用かと視線を向けていた。

 

「その、さっきはありがとうな。おかげで助かったよ」

 

「……気にすンな」

 

素っ気なく返事を返す一方通行。

 

「そうか、ありがとう。……それでさ、悪いけど頼みがあるんだ。俺にISの事を教えてくれないか? 成り行きで戦うことになっちまったけど……やるからには負けたくないんだ。鈴科さえよければ、頼む!」

 

そう言って頭を下げる。一夏のモットーに、頼み事をするときには誠意を惜しまないというものがある。人に対してお願いをするのだから下手に出るのは当然だが、その上で誠意を見せる。

 

一夏なりの、誠心誠意のお願い事だった。

 

だったのだが―――

 

「馬鹿かお前は! 戦う相手に教えを乞おうなどと、恥を知れ恥を! 」

 

「お、おいなにすんだよ箒!?」

 

「煩い! その軟弱な性根を叩き直してやる!―――すまない鈴科。こいつは私が教える。そちらの邪魔をするような真似をして悪かった」

 

そう言って頭を下げ、一夏の腕を引いて席へと戻っていく箒。その後ろ姿を眺めながら、一方通行はどうでもいいか、と味噌汁を啜るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだよ箒。さっきまで教えてくれないとか言ってたのに、急にどうしたんだよ? 」

 

「そっ……それは…… お前が情けない真似をするから仕方なくだな……。……誰かにやらせるよりはマシだ……」

 

「ん? 悪い、最後なんて言った?」

 

「―――ッ! う、うるさい! 迷惑をかけた鈴科に土下座でもしてこい!」

 

 

 

 

 

 




アクセラさんの専用機が出ると思った?
残念、訓練機でした。



数名の方から評価を頂きました。誠にありがとうございます。




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四話

「聞いたわよー透夜くん。イギリス代表候補生のコに宣戦布告されたんですって? 」

 

一方通行の自室。

 

ベッドにうつ伏せ、両肘をついて脚をパタパタとさせていた楯無が不意にそう切り出した。

 

「それに、もう一人の男性IS操縦者である一夏くんも含めた三人でのバトルロワイヤル。果たして栄光のクラス代表は誰の手に!? そして、透夜くんの運命は!」

 

「何勝手に愉快な設定捏造してやがる。ンな面倒臭ェ役職なンざ願い下げだっつーの」

 

その言葉を聞いて、楯無はこてんと首を傾げた。

 

「あら? でも、勝った人がクラス代表になるんでしょ? 実力で言えば透夜くんが一番じゃない」

 

「適当に流すに決まってンだろ。オルコットと織斑のどちらが勝っても別に興味はねェしな。俺は面倒さえなけりゃそれでいい」

 

自分の腕を枕に寝転がる一方通行は気だるそうにそう言った。これはまごうことなき彼の本心だ。クラス代表を巡る戦いなぞ、態々ISを使って決めるまでもないだろう。くじ引きか、最悪じゃんけん程度でもいい。

 

自分の力を誇示したい年頃なのは彼にも何となく理解できる。共感できるかと言われれば首を捻るが、とにかく他者よりも上にいるという優越感は味わって不愉快になることはないのだ。

 

セシリアも、それがあったからこそ彼に宣戦布告をしたのだろう。英国淑女のプライドなのか彼女自身の事情かどうかは知らないが。

 

「―――ダメよ」

 

「あン?」

 

だが、彼のその考えを同居人の少女は良しとしなかったようだ。

 

閉じていた目を開いて、隣のベッドに向ける。座り直した楯無が扇子を開いていた。そこには『真剣勝負』の文字。彼女もまた、真剣な顔つきだった。

 

「手を抜いてわざと負けるなんて、絶対にダメよ。あなたに宣戦布告したセシリアちゃんは元より、一夏くんだってそんなこと望んでいないわ。それに、あなたに勝って強さを証明したいと言っていたセシリアちゃんが、八百長の試合なんかで満足すると思う?」

 

「つーか、勝とォが負けよォがどっちにしろ―――待て。なンでオマエ、俺とオルコットの会話まで知ってやがンだ? ……おいコッチ向け」

 

あまりにも自然な流れだったためにスルーしそうになったが、何故二年生で階も違うはずの楯無が一方通行とセシリアの会話の内容を知っているのか。

 

疑惑の篭った視線を送るが、当の本人は明後日の方を向いて口笛を吹くのみだ。一方通行はつくづく思う。やはりこの女は苦手なタイプだと。いつのまにか相手のペースになっている。

 

悪戯っぽい笑顔を浮かべる楯無。

 

扇子をぱちんと閉じ、それをビシッ、と一方通行へと突き付けた。

 

「とにかく勝負事で手を抜いたりっていうのはダメ。わかった?」

 

「だからそれをなンでオマエが」

 

「わ か っ た ?」

 

何やらとてもイイ笑顔を浮かべてずずいっ、と顔を近付けてくる楯無。その妙な迫力に圧され、一方通行は大きくため息をついたあとにガシガシと頭を掻いた。

 

「……、チッ。わァったよ。やりゃァいいンだろやりゃあ。その代わりオルコットが不能になっても知らねェからな」

 

「まっ、そこはおねーさんに任せなさいって♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラス代表決定戦を明日に控えた日曜日。

 

一方通行はIS学園の敷地を散歩がてら、束に言って調べてもらったセシリアの専用機のデータを眺めていた。

 

(蒼雫(ブルー・ティアーズ)……BT兵器搭載遠距離射撃型の第三世代か……。また面倒臭ェのに乗ってやがる)

 

BT兵器とは、イギリスが開発した最新技術を搭載したIS武装の総称だ。従来の武装と違い、操作方法は単純。『思考で動かす』こと。

 

ISの生体同期システムを組み込んだBT兵器は操縦者のイメージを受け取って動き、複雑な動きや編隊行動、操縦者から離れての独立稼働などを可能にする。

 

未だに試験運用段階の武装だが、厄介なことに変わりはない。セシリアの繰るブルー・ティアーズに搭載されている小型BT兵器『ビット』の数は六。これにセシリア本人を加えた合計七方向からの攻撃に気を配らなければならないわけだ。

 

しかし、常時すべてのビットを正確に動かせるのならば大したものだが―――一方通行はその可能性は低いと判断した。ただでさえBT兵器は操縦者の脳に負担をかける。それを操りながら精密射撃を行えるのならば、代表候補生の枠をとっくに出ているはずだからだ。

 

よって、セシリア本人の射撃とビットにさえ気を付けておけばいい。問題は―――

 

(織斑の専用機、か)

 

束に情報を求めたところ、『どやぁぁぁ』という擬音を後ろに背負った束が自らを指差した。つまるところ、国が用意する一夏の専用機は束が何かしら手を加えたカスタムメイド。一筋縄でいくはずがない。

 

絶対に、想像を一回りも二回りも上回るトンでも武装を積んでいることだろう。どちらかといえば、セシリアよりも注意しなければならないのはこちらだ。あの兎を甘く見るなど愚の骨頂なのだから。

 

とにかく織斑には細心の注意を払って―――

 

 

 

「立て! まだ仕合が何本残っていると思っている!」

 

「お前、試合明日だぞ!? しかも内容は剣道じゃなくてISでの戦いであってだな―――」

 

「問答無用!」

 

「痛ってぇぇぇぇぇぇえええええ!!」

 

 

 

 

 

(…………。まァ、問題ねェか)

 

通りかかった剣道場から響いてきた声を聞いて、再びディスプレイに目を落とす一方通行だった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

同時刻 IS学園第四アリーナ

 

 

 

広大な円形のフィールドに浮かぶ蒼天の機体、ブルー・ティアーズ。それに乗るセシリアの視界には、カウントを減らしていく数字が表示されていた。

 

瞑目し、集中力を高め、神経を張り詰めさせる。

 

トリガーガードにかけた指を数度遊ばせ、周囲を浮遊するビットに意識を傾ける。

 

 

(3……2……1……。―――今!)

 

 

カウントがゼロになると同時、フィールドのあちこちに仮想の標的が無数に出現した。瞬時に位置を把握したセシリアがビットに命令を送ると、其々の雫たちは標的へと向かっていく。

 

次々と現れてはど真ん中を撃ち抜かれて消えていく円形の標的を横目に捉えながら、セシリアも己の主武装『スターライトmk-Ⅲ』を構え、スコープに接眼した。

 

十字のレティクルの中心には、何もない。

 

しかし、セシリアにははっきりと見えていた。

 

あの赤い瞳の少年が、興味を無くした目でこちらを見ている光景が。

 

それを思い出した瞬間、沸き上がる激情。

 

思わず力が入り、トリガーが絞られる。放たれる蒼き光線。それは狙い過たずクロス・ヘアの中心へと飛んでいき―――出現した最後の標的を、出現と全く同時に撃ち抜いた。

 

パーフェクトで仮想射撃演習をクリアしたセシリアだが、その顔に浮かぶのは笑顔ではない。困惑と怒りと恐怖をない交ぜにしたような、悲痛な表情だった。

 

生まれてから、あんな貌を向けられたことは無い。誰もが、両親が残した財産、それを持つオルコット家、もしくはセシリア本人を手に入れようと彼女にすり寄ってきた。そういった輩の顔は、どれもすべて欲望と野望に歪んでいた。

 

だからこそ、一方通行のあの顔がセシリアには怖かった。言外に『オマエには何の価値もない』と言われた気がしたのだ。

 

堪らなくなって自身の体を右腕でかき抱く。

 

桜色の唇から、浅い呼吸が漏れた。

 

「お母様……わたくしは―――男などには決して負けません。必ず、勝ってみせます……オルコット家の当主として、お母様の娘として……」

 

小さく体を震わせ、ぽつりと呟く。

 

暫くの間、そうしていたが―――やがて、顔を上げる。

 

そこには先程の弱さはなく、何時もの『イギリス代表候補生セシリア・オルコット』に戻っていた。

 

「……待っていなさい、鈴科透夜。あなたを倒して上に立つのは織斑一夏ではありません。このセシリア・オルコットですわ!」

 

決意に満ちた少女の声は、誰に聞かれることもなく虚空へと溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして、クラス代表決定戦当日。

 

俺と箒は第三アリーナ・Aピットにて二人っきりの状態だった。

 

「―――なあ、箒」

 

「な、なんだ」

 

彼女の目を真っ直ぐ見て、俺は真剣なんだと伝える。それに箒も気付いたのか、顔を赤くしながらこちらを見返してくれた。細い肩に両手を置く。

 

びくっ、と肩が跳ねたが、逃がすつもりはない。

 

今こそ、ずっと言えなかった俺の気持ちを伝える時なんだ。

 

「箒、お前に言わなきゃいけないことがある。俺は……俺は……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ISのことについて教えてくれっつったよなぁ!?」

 

 

 

 

 

 

 

人に気持ちを伝える時はしっかりと目を見て言う。これ最低限―――おいコッチ向けよ。目ぇ逸らすな箒おい。

 

「し、仕方ないだろう。お前のISもなかったのだから」

 

「それでも知識とか、乗る際のコツとか、あっただろ! 大体、そういうときのための訓練機じゃなかった―――だから目を逸らすな!」

 

結局、この一週間俺はずっと箒と剣道の稽古をしていた。そのお陰で大分勘は取り戻せ―――いや違う、そうじゃない。そのお陰でISについては一週間前とほとんど変わってない。

 

しかもその上相手はイギリス代表候補生と入学試験首席の二人目。

 

あれ? これ詰んでね?

 

現状を再確認して思考停止しかけていたとき、山田先生がピットに駆け込んできた。見ていてとても危なっかしい。

 

「お、織斑くん織斑くん織斑くんっ!」

 

「とりあえず落ち着いてください山田先生。はい、深呼吸」

 

「は、はいっ。す~は~、す~は~」

 

「はい、そこで止めて」

 

「うっ」

 

ふと生まれたイタズラ心に従ってそう言ってみたら、本当に止めちゃった山田先生。じょ、冗談通じないなぁ……。

 

「…………」

 

「……ぶはあっ! ま、まだですかぁ!?」

 

止めるタイミングを見失ってしまった結果がこれだよ。

 

「目上の人間には敬意を払え、馬鹿者」

 

パァンッ!

 

今日も今日とて鈍ることのない凄まじい破壊力です、千冬姉。頭が割れそうに痛い。というより、なんでいつも出席簿持ち歩いてんの? どっから出したのそれ?

 

と、ふざけるのもそこそこにしておき真面目に話を聞くと、どうやら俺の専用機が到着したようだ。心臓が跳ね、少しだけ気持ちが昂る。

 

ピット搬入口が鈍い音を立てて開き、内部を晒していく。

 

 

 

―――そこにいたのは、『白』。

 

 

 

白髪の二人目を想像させるような、飾り気のない純白の機体が鎮座していた。

 

「これが……」

 

「はい! 織斑くんの専用IS『白式』です!」

 

感銘。感動。興奮。高揚。

 

様々な感情が溢れるが、それに浸る余裕もなく千冬姉に急かされて白式へと乗る。あの日感じたものと同じ、視界がクリアになり五感が鋭敏になるような感覚。

 

「まだその機体は操縦者と同調していない。時間がないからフォーマットとフィッティングは実践の中で行え。さもなければ負けるだけだ」

 

普段では絶対に気付かない程の変化だったが、千冬姉の心配そうな声がハイパーセンサーを通じて聞こえる。

 

―――ああ、心配してくれてるんだな。ありがとう、千冬姉。

 

唯一の肉親に心の中で感謝の言葉を述べ、今度は幼馴染みへと意識を向ける。いつもとは違う不安そうな顔。

 

「箒」

 

「な、なんだ?」

 

「行ってくる」

 

「あ……ああ。勝ってこい」

 

その言葉に首肯で答え、前方を見据える。倒すべき『敵』は二機。

 

大きく息を吸い、俺はピットから飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その様子を視界端のモニターで捉えながら、一方通行は機体の調子を確認していた。手を軽く握り、開く。

 

彼が乗っているのは、フランス産第二世代IS『ラファール・リヴァイヴ』。射撃武装を主体とした中・近距離型の機体だ。

 

セシリアが乗っているブルー・ティアーズは遠距離型。もう一種類の訓練機『打鉄』は近距離戦闘メインの防御型なので、ブルー・ティアーズとは相性が悪い。必然的に、ミドルレンジを得意とするラファールを選ぶことになる。

 

学園用にデチューンされた訓練機はフィッティングがされていない。よって、専用機のように乗り手とISが文字通り一心同体へと昇華することはできない。

 

悪く言えば平凡だが、逆に言えば乗り手を選ばないという強みがある。クセがない、オールラウンドということだ。

 

暗緑色の機体に、彼の白髪が一層鮮烈に映える。打鉄と比べてシャープなフォルムをしているラファールの特徴は、後背部にある四枚のウィングスラスター。それらを操ることにより、多少複雑な動きや無茶な体勢からの離脱等使用局面は多岐にわたる。

 

ちなみに、入学試験の際に彼が搭乗した機体もラファールだった。

 

最後に武装一覧をざっと眺めてからウィンドウを消す。

 

ため息を吐いて視線を向けると、そこには親の仇を見るような目でこちらを見ているセシリアの姿があった。彼がピットから出てきたときからずっとこんな調子だ。

 

しかし、セシリアが何を思い何を考えてISに乗っているかなど、彼にとってはどうでもいいことだ。そして、楯無は『手を抜くな』と言っていたが、真剣勝負をしろとは言っていなかった。

 

つまりは、勝てばいいのだ。

 

例え試合の内容が汚いものだとしても、卑怯だとしても、つまらないものだとしても―――そして、試合にすらならない一方的なものだったとしても。

 

機体と共に彼女のプライドがボロボロになったとしても、それは一方通行の知るところではない。

 

とは言え、勝てば必然的にクラス代表になってしまうのだが―――その事は思考から閉め出した。後からどちらかに譲ればいい。

 

目を閉じ―――開く。

 

次の瞬間、一方通行の赤き瞳には冷たい光が灯っていた。見るものを射竦めるような鋭い眼光。

 

そして、セシリアへの通話回線を開いた。

 

どこまでも低く冷たく、感情を失ったかのような声で宣言する。

 

「先に言っとくぞ」

 

「……、なんでしょうか?」

 

「これは、戦闘でも、試合でも、演習でも、ましてやクラス代表決定戦なンていう大層なモンじゃねェ。これから始まるのは―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方的な蹂躙だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開戦の鐘が、鳴り響く。

 

 

 




ごめんなさい、戦闘は次回からです(汗



コメントで、「一方通行の性格がおかしい」とのご指摘をいただきました。確かに原作と比べて大幅に大人しくなっていますが、転移時間軸が実験開始前なのでまだ正常なのではないかと作者は考えました。
完全な独自解釈であり、不快感を覚える読者様もいらっしゃると思いますが、「この作品の一方通行はこういうものだ」と考えてお読みいただければ幸いです。


沢山の方から評価をいただきました。
これからも精進していく次第ですので、今後ともよろしくお願いいたします。


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五話

セシリアが一方通行の言葉に反論しかけるのと、彼女の目が驚愕に見開かれるのはほとんど同時だった。

 

ラファールを纏い自然体で宙に浮かんでいた一方通行。その姿がなんの前触れもなく消失したのだ。

 

勿論本当に消えたわけではないのはわかっている。学園の訓練機にそんな武装は搭載されていないし、ISのハイパーセンサーはしっかりと一方通行の居場所を伝えてくれている。

 

しかし―――

 

(速、すぎますわッ!!)

 

瞬時にスラスターを全開にさせその場から飛び退く。一瞬前まで彼女がいた空間を、弾丸の嵐が薙ぎ払った。シールドエネルギーが削られることはなかったものの、あまりの速度に驚愕せざるを得ない。

 

距離は十分に取っていたはずだったのだが、難なく詰められるどころか背後まで取られるなど一体誰が予想できようか。第二世代ISの、しかも訓練機でここまでの速度が出せるものなのか。

 

しかしセシリアとてイギリス代表候補生。何時までも呆けているような無様な姿は見せなかった。ビットを展開し、取り囲むようにして逃げ道を潰しにかかる。

 

「お行きなさい!」

 

ビットに包囲され、身動きがとれなくなったところをスターライトmkⅢでトドメ。セシリアが最もよく使う戦闘パターンだった。

 

対して一方通行は、ビットを見ても反応一つ示さない。

 

恐らく容易く切り抜けられると考えているだろう。だが、甘い。セシリアは口許を緩ませた。

 

如何なISのハイパーセンサーがあるとは言え、常時他方向からのレーザー射撃を掻い潜ることは不可能だ。最初こそ気合いで避けられるかもしれないが、いずれは集中力が切れて被弾する。

 

しかも、四つのうち一つは必ず死角に回り込むようになっているのだ。

 

その場から動かず、高速で接近してくるビットを眺めている一方通行。その手には、先程セシリアへ攻撃する際に使用したラファールの標準装備(デフォルト)であるアサルトライフル『FAMAS ISM』が握られている。フランス製アサルトライフルFAMASをIS装備専用に改装したブルパップ式のアサルトライフルである。

 

ブルパップの利点は、通常トリガーより前にマガジンがあるのに対してトリガーよりも後ろにマガジンがあるため、銃身が短くなり小回りが効き取り回しも楽になること。

 

更に、元々速射性能の高いFAMASはIS装備に転換されてもその速射性能は維持されている。そして、絶え間なく放たれる弾丸は強力の一言につきる。.44マグナムをフルオートに改装したものを思い浮かべてもらえば分かりやすいだろう。

 

第二世代の武装ながら、その安定した性能と高い火力で操縦者たちから好評を得る銃だ。

 

現在、目に見える範囲で一方通行が手にしている武装はそれだけ。勿論拡張領域に量子変換して武装を積んでいるだろうが、セシリアにとってはそれが余裕の表れだと感じられた。

 

(いつまでその冷静な顔をしていられるか……見させてもらいますわ!)

 

一方通行の周囲を囲うビットが、セシリアの命令によって射撃を開始した。僅かに時間差を儲け、所々に必中の一撃を混ぜての弾幕は濃密の一言だった。

 

しかし―――彼には当たらない。

 

頭を狙えば首を傾けるだけで直撃を避け、死角に回り込ませればまるでそれが見えているかのように射線から外れる。全方位から絶え間なく放たれる銃撃を必要最低限の動きで避けていく。

 

そして、次第に焦り始めるセシリアは冷静さを失っていき―――自ら攻撃手段を失う羽目となってしまった。

 

「―――あっ!?」

 

思わず口から声が漏れた。

 

一機のビットから一方通行へと放たれた一発が、彼の死角に配置させていたビットを掠め、センサー類を根こそぎ使い物にならなくしたのだ。操縦者からの命令が届かなければ、ビットは動かない。これで、彼を囲うビットは三機。

 

彼女は自分の失態を悔やむより先に、それを遥かに上回る驚愕に襲われていた。

 

(ま、さか……今のを狙ってやった(・・・・・・・・・)と言うのですか……ッ!?)

 

レーザーが放たれた直後、確かに彼は僅かに体を捻っていた。背面後方に位置する別のビットは、死角に入り込むためにそちらへと追従する。そして―――必要最低限の挙動でかわされた一撃は、死角に潜んでいたビットを自らの手で墜としたのだ。

 

ありえない

 

そんなことができるはずはない

 

不可能だ

 

何かの偶然だ

 

そんな言葉が頭の中を埋め尽くす。

 

成功する確率など、1の前に0を何個並べたらいいのかわからないくらいのものだというのに。もしかしたら、1という数字がないのかもしれないというのに。

 

その刹那の思考は―――致命的な隙となる。

 

一瞬だけ弾幕が止んだその瞬間、爆音と共に一方通行の姿が再び掻き消えた。エネルギーを圧縮し、それを再び排出することによって一気に加速する技術―――瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 

別段珍しい技ではなく、寧ろ代表候補生レベルならば使えて当たり前の技能なのだが、使いどころによっては決定力となるのがこの瞬時加速だ。

 

セシリアも直ぐ様反応し、精密な狙いもそこそこにスターライトmkⅢのトリガーを連続で引き絞る。

 

瞬時加速は、移動時に一直線にしか進めないという弱点がある。よって、直線的にこちらへと向かってくれば攻撃を当てるチャンスとなる。それはセシリアもわかっているので、正確さよりも手数を選んだのだ。

 

だが、ここで彼女を更に驚愕させる光景が視界に飛び込んできた。

 

初撃として放ったレーザーは、間違いなく直撃のコースだった。瞬時加速を行っている以上回避も儘ならない。直撃を確信していたからこそ―――多角的な機動で全ての射撃を完璧に掻い潜った一方通行を見て思考が止まった。

 

 

 

 

個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)

 

 

 

 

複数のスラスターを擁する機体でしか行えないこの技術は、文字通り瞬時加速を一つ一つのスラスターごとで連続して行うという高等テクニックだ。

 

だが、個別連続瞬時加速は瞬時加速に比べてかなりの難易度を誇る。直線軌道で加速するだけでも国家代表レベルの技術を持たねば出来ない。しかも、それも乗り慣れた専用機あってのことだ。

 

一方通行が乗っているラファールに附属しているウィングスラスターの数は四機。

 

理論上不可能ではないが、フィッティングもパーソナライズもしていない状態の訓練機で成功させるなど最早笑うしかないレベルだ。しかも、それを別々の方向に向けて行うなど常軌を逸している。

 

今更ながらに、セシリアは戦慄した。

 

もしかしたら、自分はとんでもない相手に喧嘩を吹っ掛けてしまったのではないかと。

 

ドガガガガガガガッ!!

 

炸薬が爆ぜる鈍い音が連続して響く。咄嗟に体を捻り、全弾直撃という最悪の事態だけは回避したものの、シールドエネルギーが3割強持っていかれてしまった。

 

(ですが―――好機ですわ!)

 

なんとか体勢を立て直し、スターライトmkⅢを構える。

 

今の斉射で、FAMAS ISMの残弾数が0になったことをセンサーが知らせてくれている。そして、エネルギーライフルとは違い実弾銃ゆえの弱点―――リロードがある。その一瞬を狙い、流れを切って仕切り直す。

 

8メートルという至近距離。狙いを付けるまでもなく、セシリアなら腰だめ射撃でも当てられる距離だ。

 

 

 

だが―――目の前の白は、その反撃すら許さない。

 

 

 

セシリアが直撃を免れたと見るや、瞬時加速を発動。そのままの速度で蹴りをぶち込んだ。

 

金属と金属が擦れる嫌な音が響き、ブルー・ティアーズが弾き飛ばされる。シールドエネルギーは半分を切り、ダメージレベルが中に引き上げられた。更に、蹴りを受け止めた右腕の装甲に罅が入り、腕部が露出している。

 

以降ここに攻撃を受ければ、絶対防御が発動してしまいシールドエネルギーが大きく減少する。

 

だが、まだ負けたわけではない。

 

吹き飛ばされた勢いを利用し、距離を取る。マガジンを交換している一方通行は、その後ろに浮遊するビットに気付いていない。好機と踏んだセシリアは、迷わずに射撃を命じた。

 

 

 

 

 

そして―――そこから後の光景は、彼女が一生忘れることのない敗北として脳裏に焼き付くこととなった。

 

 

 

 

 

装填を終え、リロードハンドルを引いて初弾をチャンバーに送り込んだ一方通行。

 

刹那、FAMAS ISMを提げていた右手が閃いた。

 

三発の銃声がセシリアの耳に届くのと、残っていた三機のビットが爆散するのが目に入るのは同時だった。

 

「な、ぁ―――!?」

 

あまりの光景に、言葉すらも上手く出てこない。

 

それほど大きいとは言えないビット。しかも射角に入るために高速で動いているそれの、機関部だけを的確に撃ち抜いて破壊。だが、真に驚愕すべきはそこではない。

 

セミオート射撃を行っている最中、彼は一度もセシリアから目線を外してはいなかった。あくまでISのハイパーセンサーからの位置情報のみで空間を把握し、見事にワンショットワンキルを敢行したのだ。

 

―――無目視射撃(ブラインドファイア)

 

IS操縦技術の一つとして数えられているのは聞いたことがあった。

 

だが、成功したという話はついぞ聞かない。難しすぎるのだ。個別連続瞬時加速とは比にならないほどに。

 

弾速、弾道、空気抵抗、目標の速度、大きさ、位置、気圧、湿度、気温―――その他幾つもの要因を完璧に踏まえた上で、射手の技術がものを言う神業。

 

こうして目の当たりにしてみると、まるで現実味のない映画を見ているような気分になる。

 

スターライトmkⅢを構えて呆然とするセシリア。その隙さえも、一方通行は見逃さない。肩越しに後ろへ向けていたFAMAS ISMを正面に向け様一発射撃。

 

音を置き去りにした鋼の弾丸は、狙い過たずスターライトmkⅢの銃口に吸い込まれ―――内部から爆散させた。

 

その衝撃で左腕部の装甲が丸ごと消し飛び、シールドエネルギーが大幅に削られる。エネルギーの残りは34。弾丸を数発喰らえば終わりだ。

 

(っ、せめて一撃だけでも!)

 

最後の武装である近接用ショートブレード『インターセプター』を展開、瞬時加速を敢行。一気に距離を詰め、腰だめに構えた刃を胸に突き立てるように放つ。

 

そんなセシリアの最後の足掻きは、瞬時加速で難なく回避され―――

 

(まだ、ですわ!)

 

正真正銘、最後の装備。

 

BT兵器『ブルー・ティアーズ』、その内訳はレーザービットが四機。そして、ミサイルビットが二機。今の今まで隠していたそのミサイル二機は―――役目を果たすことなく散ることとなる。

 

まるで、初めからそこにあることがわかっていたかのように、スカート状の装甲と一体化させていたビットにそれぞれ一発ずつ着弾。推進材タンク部分を貫通してその機能を停止させた。

 

(ああ、わたくしは―――)

 

そして、弾丸と装甲が擦れた結果、火花が散り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(―――負けましたのね)

 

 

 

 

 

 

試合開始より一分六秒。

 

凄まじい轟音と爆炎の中、ブルー・ティアーズはシールドエネルギーを0にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『試合終了。勝者―――鈴科透夜』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試合―――と呼べるのかすら怪しい。

 

更衣室で一人ベンチに腰掛けるセシリアは、先程の試合を思い返していた。

 

国家代表候補生である自分が、文字通り手も足も出なかった。勝って強さを証明するどころか、シールドエネルギーを1すらも削れない文字通りの完敗だったのだ。

 

自らの攻撃はまるで当たらない。かと思えば、あちらはろくな無駄弾も出さず的確に命中させてくる。加えて今のセシリアでは到底不可能な技術を会得しており、底が窺い知れない。

 

目を閉じ、最後の光景をゆっくりと思い出してみる。

 

インターセプターを構え、玉砕覚悟の突撃を行った時。

 

彼の赤い瞳は―――確かにセシリアを見ていた。

 

以前クラスで向けられた、あの無感情な瞳ではなかった。一方通行の赤い瞳と、セシリアの碧い瞳が一瞬ではあるものの交錯していた。

 

それが、彼女にとっては少しだけ嬉しかった。

 

勝ち負けについて今更どうこう言うつもりはない。変な言い訳もしないし、悔恨もない。単純に、あちらのほうが強かった。ただそれだけなのだから。

 

しかし、疑問に思うところもある。

 

織斑一夏がISを起動させてから、他にも動かせる男性はいないかと全世界で男性のIS適性検査が行われた。

 

なぜその時に公表されなかったのだろうか。検査を行わなかった? それとも結果を故意に隠していた?

 

聞くところによれば、全世界に公表したのはかの天災化学者篠ノ之束博士だというではないか。俗世と関わることを頑なに拒否しているらしい彼女がなぜ?

 

疑問は尽きない。

 

彼にISの適性があると公表されてから十日程しかたっていない。それなのに、IS操縦技術は起動時間が三〇〇時間を越えているセシリアと同格―――いや、間違いなく上回っている。

 

個別連続瞬時加速に加えて無目視射撃。天性の才能があったとしても、ISは起動時間がものを言うのだ。一体どこであんな高等技術を身に付けたのだろうか。

 

膝の上に置いた手をきゅっと握り締める。

 

彼は強い。セシリアなど足元にも及ばない程の遥か高みに座している。その強さは底知れず、ともすれば国家代表すら上回るのではなかろうか?

 

(鈴科、透夜……)

 

彼女が初めて敗北を喫した男の名前。初めて勝てないと思った男。初めて―――彼女が、興味を抱いた男。

 

彼のあの強さは本物だ。

 

いつだって勝利への確信と向上への欲求を抱き続けていたセシリアにとって、一方通行の圧倒的な強さが彼女の目標として立ちはだかるのにそう時間はかからなかった。

 

(知りたい―――)

 

彼のあの強さの理由を。

 

その裏にある、隠されたものを。

 

彼の秘密を。

 

彼のことを、もっと―――

 

「―――はっ!? わ、わたくしは何を考えていますの!?」

 

ぶんぶんと首を振って、生まれた思考を振り払う。

 

しかし、数秒経って頭に浮かぶのはあの白髪の青年。何者にも媚びない鋭い赤い瞳。それでいて、セシリアと対峙したときに見せたあの異常なまでの強さ。

 

彼のことを考えると、どうしようもなく胸に疼痛が走り、切なさが溢れる。嬉しいような辛いような、苦しいような、

 

(この感情は、一体―――)

 

「それは……恋ね」

 

「成る程……これが、恋というもの―――きゃあああああああああ!?」

 

ずざざざっ! と後退り、突如現れた闖入者から距離を取る。『恋慕』の文字入り扇子を広げ、にまにまと微笑む青髪の女性。―――言うまでもなく更識楯無である。

 

「あ、あなた一体何処から!? それよりも、わたくしが恋だなんて―――ではなく! 誰ですの!?」

 

「私? 私は……そうね、さしずめ恋の小悪魔ってところかしら?」

 

「……普通、恋のキューピッドではありませんの?」

 

「いいのよ、小悪魔で♪」

 

流れるような仕草でベンチに腰掛け、タイツに包まれた足を組む。女性のセシリアでさえ、思わず見とれてしまうような動きだった。

 

「それで、あなたのその感情だけど。さっきも言ったでしょう? それは『恋』よ」

 

「で、ですがわたくしは男になど……」

 

「意地張らないの。彼のことを考えると、胸が苦しいんでしょう? 切ないんでしょう? ドキドキするんでしょう? なら、それは恋よ」

 

楯無の言葉を受けて、もう一度頭の中で彼の姿を想像してみる。

 

瞬間、先程よりも大きく心臓が跳ねた。ドクン、ドクンと自分でもわかるほどに脈打っている。同時に、胸の奥がじゅん、と痛む。

 

「わ……わたくしが、恋をしているというんですの……?」

 

「そうよ。恋をしたらね、自分の気持ちを隠したり、騙したりしちゃいけないの。そしたら相手には一生自分の気持ちは伝わらないから、余計に悲しくなるだけ。自分に素直になって、相手にアピールしなくちゃ」

 

顔を赤くしつつも、真摯に楯無の話を聞き続けるセシリア。やっぱり純粋な子って可愛いわねー、などと心中邪なことを考えつつも、楯無はやさしく微笑んだ。

 

「透夜くんはあんな感じでぶっきらぼうだから、勘違いしちゃうこともあるかもしれないけど、あれも全部相手を傷つけないためにやっていることなの。―――難しい道のりだとは思うけど、頑張ってね。おねーさん、応援してるから」

 

最後にウインクをすると、ベンチから立ち出口へと向かう楯無。セシリアは慌てて立ち上がり、その後ろ姿に深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました!」

 

顔を上げたとき既に楯無の姿は無かったが、がんばってねー、という声が聞こえた気がしたセシリアなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、一年一組代表は織斑一夏くんに決定です。あ、一繋がりでいい感じですね!」

 

クラス代表決定戦翌日、朝のSHR。

 

結局、昨日の試合は鈴科の圧勝で幕を閉じた。

 

セシリアを撃墜したあとフィッティングすら済んでいなかった俺を文字通り瞬殺し、その圧倒的強さは学園中が知ることとなったわけだが―――

 

「先生、質問です」

 

「はい、織斑くん」

 

「俺は昨日の試合にぼろ負けしたんですが、なんでクラス代表になってるんでしょうか?」

 

「それは―――」

 

「お前が弱いからだ、馬鹿者」

 

デデンデンデデン♪ デデンデンデデン♪

 

ッパァァァアンッ!!

 

「文句はないな?」

 

「はい」

 

怖い。千冬姉超怖い。何故脳内で流した某機械人間のテーマが聞こえたんだろうか。そして頭が超痛い。なんだろう、この人は俺の頭を叩くことを朝の日課としているんじゃないだろうか?

 

「お前にもわかりやすく説明してやる。クラス代表となった者は、再来週のクラス対抗戦に出場するのみならず、これから一年様々な場面でISを使う。そして、クラス代表候補三人の中で一番経験が足りないのはお前だ、織斑。それは昨日嫌というほど実感しただろう」

 

……千冬姉の言う通りだ。

 

俺はまだまだ弱い。弱すぎる。何も出来ずにやられるなんて、無様以外の何者でもない。

 

……いやそれにしても、鈴科のやつちょっと強すぎないか? なんかこう、隠しパラメーター的なものがあったり乱数調整的な何かをしてたりとか。そんなのチートやチーターや! ……やめよう、他の世界の電波を受信した気がする。

 

「とはいえ、お前ら三人も私からすれば同レベルだ。センスがあろうが代表候補生だろうがスタートは同じ。そのことを念頭に置いておけ」

 

千冬姉のその言葉に、後ろから何やらオーラを感じたのだが……振り向いた視線のその先には、いつものように肘をつく二人目と何故か頬を膨らませているイギリス代表候補生の姿があるだけだ。はて。

 

バシィンッ!

 

「私の目の前で余所見とはいい度胸だな、織斑」

 

「すみませんでした」

 

しまった。千冬姉の前でこんなことをするなんてライオンの前に生肉を放り出すような物だった。反省しよう。

 

「クラス代表は織斑一夏に決定。異存はないな。さて、それでは教科書二十四ページを開け―――」

 

こうして、クラス代表決定戦は慎ましやかに終わりを告げたのだった。

 

 

 

 




憐れ一夏、出番ほぼゼロ。
セシリア戦では少しやり過ぎた感もあるんですが……アクセラさんならこのくらい平然とやってのけるッ! そこに痺れ(ry
御指摘等あれば、お願い致します。


感想・評価を下さった方々、誠にありがとうございました。


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六話

「ではこれよりISの基本的な飛行操縦を実践してもらう。織斑、オルコット。試しに飛んでみせろ」

 

四月下旬。

 

IS学園グラウンドにて、一方通行の所属するクラスである一年一組の授業が行われていた。

 

一夏の専用機『白式』は、クラス代表決定戦終了後に無事フィッティングを完了させ、ようやく織斑一夏の専用機として機能するようになったようだ。

 

ようだ、というのも、一方通行が周囲の会話から聞いただけであって実物を見たことはないからだ。そもそも興味がなかったこともあるが。

 

「早くしろ。熟練したIS操縦者は展開に一秒とかからないぞ」

 

一夏の右腕に視線を送る。

 

そこには白を基調色とした無骨なガントレットが嵌められており、一夏がそれを掴んで何やら集中している。数秒後、彼の体を光が包み、光が収まった後にはその純白の機体が顕現していた。

 

白式の名を冠するだけあって、やはり基調色は白。その他に青、黄などのラインが入り、目を引くのは後背部に付属する二機の大型ウィングスラスター。機動力特化型の機体らしく、装甲もシャープなものだ。

 

一方通行が静かに観察を続けていると、蒼天の機体ブルー・ティアーズを既に展開していたセシリアが手をあげる。

 

「織斑先生? 透夜さん(・・・・)は飛行操縦の実践は行わないのですか?」

 

彼女の言うとおり、一方通行はラファールに搭乗して待機している。しかし、先程千冬が実践をしろと言ったメンバーは一夏とセシリアのみ。そこに一方通行の名前は含まれていなかった。

 

更に言えば、彼の専用機がようやく届いた(ということになっている)というのに、使っているのはラファール。これも千冬が指示したことだ。

 

「鈴科はお前ら二人の後に実践してもらう。まずはお前らからだ。さっさと飛べ」

 

言われて、セシリアは一方通行をちらりと見てからスラスターを噴かして急上昇。あっという間に地上二百メートルまでたどり着いた。

 

遅れて一夏も続くが、その速度はセシリアに比べひどく鈍い。出力スペックは白式のほうが上だろうが、如何せん操縦者の技量が足りていない。あれでは正に宝の持ち腐れというものだ。

 

空を仰いで一夏の操縦に呆れていると、千冬から声がかかる。

 

「次、鈴科。やることはあいつらと同じでいい」

 

「……了解」

 

短く返答―――刹那、加速。

 

一夏の速度を軽々と上回り、セシリアすらも抜いて瞬時に目標高度に到着。相も変わらず驚異的な速度だ。

 

「流石ですわね、透夜さん。織斑さん、あなたも透夜さんを少しは見習ったら如何ですの? 」

 

「う、そう言われると返す言葉もねぇ……」

 

(……前から思ってたンだが)

 

回線を通じて聞こえてくるセシリアと一夏の会話を聞きながら、一方通行は内心首を捻った。

 

クラス代表決定戦以降、どうもセシリアの性格というか態度が変わった気がする。初対面のときには敵愾心むき出しだったのにも関わらず、最近は何かと話しかけてくるようになっていた。

 

あのときの人を見下すような態度は一変、視線にどこか尊敬や羨望が混じっているのは気のせいではないはずだ。恐らく―――というかまず間違いなく楯無の仕業だろう。

 

何を吹き込んだかは知らないが、直接的に害がなければ問題はないので彼もとやかく言うことはしなかったものの、対応に困る。冷たく突っぱねるのは簡単なはずなのだが―――

 

「あ、あの、透夜さん。その、よろしかったら、今日の放課後、模擬戦を行っていただけませんか? 予定が空いていたらで結構ですので」

 

「……、構わねェが」

 

「ほ、本当ですかっ? ありがとうございます!」

 

ぱあっ、と表情を輝かせるセシリアを見て、再び首を捻る。

 

何故断れないのだろうか。クソのような研究者達の誘いを一蹴するのは簡単だったのに、楯無をはじめセシリアや一夏、他人の頼みを断ることに心のどこかで僅かに抵抗を覚える。

 

理由はわからない。

 

似合わない、と自分でも思う。

 

しかし―――それでいいのかもしれない。ここは学園都市ではないのだ。今は、この世界では、それで咎められることもないのだから。

 

(……俺も思ったより人間らしいってことかよ)

 

ふっ、と口許を自嘲気味に歪ませた。

 

すると、千冬から通信が入る。

 

「よし。次は急下降と完全停止をやって見せろ。目標は地表から十センチだ」

 

「了解です。では透夜さん、お先に」

 

言って、直ぐ様地上へと降りていくセシリア。それを追うように一方通行も地表を目指す。ぐんぐんと近づく地面の三メートル程上空で上下半回転、スラスターを噴かして姿勢制御。見事に十センチ丁度でその動きを停止させた。

 

沸き上がるクラスメイト達を横目に、停止した場所から五メートル程横にずれる。直後―――

 

 

ズドォォンッ!!

 

 

一方通行が立っていた場所にクレーターが出来上がった。勿論落下物は白式を纏った一夏である。

 

「馬鹿者。誰が地上に激突しろと言った。グラウンドに穴を開けてどうする」

 

「……すみません」

 

呆れ顔の千冬と、くすくすと笑うクラスメイトに居心地の悪そうな様子の一夏。というよりも、別に一夏が特別下手くそだというわけではなく、単純に一方通行とセシリアの技術が高いだけなのだ。

 

しかし、周囲のレベルが高ければ低い者はより目立ってしまうものである。ある意味災難な一夏だった。

 

姿勢制御を行い、地面に降り立った一夏の前に千冬が立つ。

 

「織斑、武装を展開しろ。それくらいは自在にできるようになっただろう」

 

「は、はあ」

 

「返事は『はい』だ」

 

「は、はいっ」

 

「よし。でははじめろ」

 

再び右腕を前に突き出し、左手で手首を掴む一夏。そして、右手から溢れ出した光はやがて像を形作り、一振りの刀として実体化した。

 

以前見たときとは若干デザインが異なっている。恐らくは白式の専用装備だろう。ハイパーセンサーをフォーカスし、解析を行う。

 

 

―――近接特化型ブレード 名称『雪片弐型』

 

 

(雪片……確か、織斑千冬の武装だったヤツか)

 

『世界最強』織斑千冬。

 

現役時代の彼女の専用機である『暮桜(くれざくら)』の武装、『雪片』。恐らくはその改装型か、技術を流用したものだろう。

 

雪片の特殊能力、バリアー無効化攻撃『零落白夜』。白式の雪片弐型にも同じ機構が備わっていると見てまず間違いない。しかし、零落白夜は自身のシールドエネルギーを攻撃に転換する諸刃の剣だと聞く。初心者の一夏には少しばかりピーキーすぎるのではなかろうか。

 

「遅い。0.5秒で出せるようになれ。次、オルコット、武装を展開しろ」

 

「はい」

 

左手を横へと突きだすセシリア。一瞬だけ光が溢れ、スターライトmkⅢが展開された。彼女がそれに視線を送れば、ロックが外れて後はトリガーを引くだけのスタンバイ状態になる。一方通行との一戦で手酷く破壊されていた武装だが、新品同様の輝きを放っていた。

 

手慣れたもので、かかった時間はきっかり半秒。千冬の課したノルマを難なくクリアーしていた。

 

「さすがだな、代表候補生。だが、そのままでは戦いには勝てん。―――鈴科、理由を言え」

 

「……、銃身を横に展開すンのは止めとけ。そこから前に向けるまでの時間が隙になンぞ」

 

なンで俺が、という反論を飲み込み、とりあえず目についた欠点を指摘する。この人外教師に一つだけ言いたいことがあるとすれば、何かにつけて指名してくるのは勘弁してほしいところだ。

 

「必ず直しますわ!」

 

「やる気なようでなによりだ。次は近接用の武装を展開しろ」

 

「えっ。あ、は、はい」

 

スターライトmkⅢを粒子変換し収納(クローズ)、そして新たに近接用ショートブレード『インターセプター』を展開(オープン)。しかし―――

 

「くっ……」

 

「まだか?」

 

「す、すぐです。―――ああ、もうっ! 『インターセプター』!」

 

スターライトmkⅢを展開したときと比べ、その速度はかなり遅かった。それどころか、武器の名前をコールしなければ展開できないという初心者のような恥態を晒す羽目になっている。

 

「……何秒かかっている。クラス代表決定戦のときの展開速度はどうした」

 

「あ、あれは、その……なんというか、夢中で……」

 

「ふん。まあいい、あの時の展開速度に達するまで訓練しておけ」

 

二人の会話の通り、セシリアと一方通行の戦いの時、彼女はスターライトmkⅢを失いインターセプターを構えて突撃した。そのときの速度は申し分のないものだったのだが、どうにも近接戦闘の訓練を軽んじている節があるようだ。

 

本人曰く『近接戦闘の間合いに入らせませんから大丈夫ですわ!』とのことだが、武装を破壊されたら結局は近接戦闘に持ち込むしかないとわかって言っているのだろうか。

 

「時間だな。今日の授業はここまでだ。織斑、グラウンドを片付けておけよ」

 

鐘が鳴り、千冬の一言で生徒たちが解散していく。

 

一方通行も使っていたラファールを片付けるためにピットへ向かおうとしたとき、不意に一夏と目が合った。その目は『片付け手伝ってくれ』とでも言いたそうな目だったが―――無情なるかな、彼は生憎とサービス精神旺盛などこぞのツンツン頭の少年とは違うのだ。

 

一瞥をくれた後、そのまま飛んでいく一方通行の後ろから感じた落胆の気配は無視することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――くっ!」

 

「……、」

 

蒼い光線が縦横無尽に走る。

 

しかし、暗緑色のその機体には焦れったいほど当たらない。いつ何処から攻撃が来るのかわかっているのか、目線を向けることもなく簡単に避けていく。

 

機体の名が冠する疾風(ラファール)の如く、アリーナ内を風となって駆け抜ける。

 

それを仕留めるべく弾幕が一層苛烈になるが、まるで意に介していないかのように複雑な軌道を描いてすり抜けていく。そして、弾幕の嵐を抜けた瞬間―――その姿がブレた。

 

爆音と僅かな空気の歪みだけを残し、最高速度で距離を食い潰す。コンマの世界でブルー・ティアーズをその射程に収めると、弾倉が空になるまで引き金を引き絞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――どうして勝てませんの!?」

 

「知るか。オマエが弱ェからだろォが」

 

第三アリーナ。

 

彼女の頼みで模擬戦に付き合っていた一方通行。結果は言わずもがな、彼の完勝である。セシリアの射撃を回避し、ビットから放たれるレーザーを掻い潜り、無駄弾ゼロでの圧倒的な勝利だ。

 

隣で悔しそうに試合映像を見直しているセシリアを横目に、視線をずらす。

 

「ええい、何度言ったら理解できるのだ! 覚える気はあるのか!?」

 

「あるに決まってんだろ! っていうか、箒の説明が分かりにくすぎるんだって! なんだよ、『きゅっとしてどかーん』ってよ! 瞬時加速をどう表現したらそうなるんだ!?」

 

「だからだな、エネルギーをきゅっとして、どかーんと爆発させるのだと言っている」

 

「それがわからないと言っている。―――うぉぉぉお!? 待て箒、落ち着け! おい!?」

 

「三途の河の渡し守と会ってみるか……!?」

 

箒から瞬時加速について享受されている一夏だが、どうやら難航しているようだ。竹刀を振り回している箒の説明が分かりにくいらしいのだが、仮にも天災の妹だというのにそれでいいのだろうか。

 

(……着替えるか)

 

我関せずを地で行く一方通行なのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

同時刻 IS学園正面ゲート前

 

 

「ふうん、ここがそうなんだ……」

 

そう呟いたのはボストンバッグを片手に提げた小柄な少女。

 

快活そうな瞳に、ちらりと覗く形のよい八重歯。彼女の動きに合わせて揺れるツインテールがその容姿と相まって非常に馴染んでいた。

 

「えーと、受付ってどこにあるんだっけ」

 

上着のポケットから取り出した紙には、『本校舎一階総合事務受付にて転入手続き』との文字。しかし、それ以外に地図もなければ道案内も書いてはいない。出迎えてくれる人もいないので、結局は自分で探すしかなかった。

 

しかし、IS学園の敷地は文字通り無駄に広い。歩いて探すのにも一苦労だ。

 

(―――ったく、出迎えがないとは聞いてたけど、ちょっと不親切過ぎるんじゃない? 政府の連中にしたって、異国に十五歳の女の子を放り込むとか、なんか思うところないわけ?)

 

心中文句を垂れ流しにしつつも、歩く足は止めない。ただし文句も止まらないが。

 

少女の母国は日本ではなかった。海を跨いだ隣の国、中国である。しかし、彼女にとっては日本も思い出深い大切な故郷なのだ。そして―――彼女の初恋もまた、この地で始まった。

 

(誰かいないかな。生徒とか、先生とか、案内できそうな人)

 

しかし、既に時計の針は八を回っており、目につく建物は大抵消灯している。生徒も寮にいる時間のため、そうそう人影も―――

 

「あ、いた」

 

見つかったようだ。

 

電灯に照らされるベンチに座る、一人の女子。こちらからでは後ろ姿しか見えないが、とりあえずわかることはショートカットということと、

 

(へー、白髪(・・)なんて珍しいわねー)

 

髪の色が白髪だということ。アルビノだろうか、色素の抜けた白い髪は夜の風にさらさらと靡いていた。小走りに近付き、脅かさないように小さく声をかける。

 

「あの、ちょっといい?」

 

声に反応して、肩越しに首だけこちらを向く白髪の少女。吸い込まれてしまいそうな赤く深い瞳が自身の顔を写していた。しかし、次の瞬間少女は心底驚くことになる。

 

「……なンだ?」

 

「(声低っっ!?) え、えーと、ここに行きたいんだけど、どこにあるかわかる?」

 

あまりの驚きに一瞬固まるが、なんとか再起動して道を訪ねる。少女(?)は渡された紙をちらりと見ると、道の先にぼんやりと見える大きな建物を指さした。

 

「アレだ。行きゃわかる」

 

「あ、ありがと……。そうだ、あなた名前は? もしかしたら同じクラスになるかもしれないし」

 

「……鈴科透夜」

 

「鈴科透夜……? 鈴科透夜、鈴科、鈴科……?」

 

なにか最近聞いたことのある名前だ。一体どこで、と記憶を探っていると、中国を発つ前に見ていたニュースを思い出して得心した。

 

「―――あっ! もしかして、あんたが噂の二人目ってやつ?」

 

「嬉しくねェコトにな」

 

ややげんなりしたような反応を返す一方通行を見て、少女はおやっ? と思った。現在の女尊男卑の世界では、男の地位はかなり低い。そんな中でISを動かせるともなれば、権力を回復できるチャンスでもあるというのに。

 

「へー、あんたって結構変わってるのね。私は(ファン)鈴音(リンイン)。鈴でいいよ。よろしくね、透夜」

 

「ン」

 

鈴音と名乗る少女が差し出した手を握る。どうやらかなり人懐っこい性格らしく、しかもそれを嫌だと感じさせないのはこの活発さ故か。初対面の相手を名前で呼ぶのにはそれなりに勇気がいるものなのだが、彼女には全く関係ないらしい。

 

「それじゃ、私行くから。今度なんか奢ったげるわよー!」

 

「そりゃどォも」

 

後ろ手に手を振りながら走っていく鈴音の姿を眺めながら、一方通行もベンチから立ち上がる。そろそろ寮に戻らねばならない時間だ。子供っぽいヤツだったな、と本人が聞いたら激怒しそうな事を考えながら、寮へ続く道を歩いていった。

 

 

 

 




はい、というわけでファンには嬉しい鈴ちゃん登場回でした。凰だけに(ry

感想、評価を下さった方々、ありがとうございました。


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七話

「というわけでっ! 織斑一夏くんクラス代表就任おめでとー!」

 

「おめでとー!」

 

ぱんぱん、という軽い炸裂音が連続して鳴り響き、色とりどりのテープと紙吹雪が空を舞った。それは重力に引かれてひらひらと落ちていき、このパーティーの主賓である一夏の頭へと降り注いだ。

 

しかし、当の本人である一夏の顔は浮かない。

 

会場になっている食堂の壁をちらりと見ると、そこには『織斑一夏クラス代表就任パーティー』と大々的に書かれた紙がかけられていた。

 

そのままもう一度ちらりと視線を別の場所に向ける。

 

そこには、のんびりとコーヒーを飲んでいる二人目の姿。勿論近くにセシリアもおり、何やらISについて話しているようだ。というよりは、セシリアが一方的に話しかけているといった形なのだが。

 

どうやら彼はこの手のイベントには興味が薄いらしく、その表情はいつもと変わらない。

 

「いやー、これでクラス対抗戦も盛り上がるねえ」

 

「ほんとほんと」

 

「ラッキーだったよねー。同じクラスになれて」

 

「ほんとほんと」

 

等と談笑している数名の女子たちの、その内半数は他のクラスの生徒だということに気付いているのは恐らく一夏だけだろう。一夏は小さくため息をついた。

 

 

 

―――はっきり言って、あまり乗り気ではなかった。

 

 

 

一夏は自分の実力など下から数えたほうが早いことなどは重々承知している。事実、一方通行には手も足も出なかったどころか動かす前に撃墜されているのだ。それで自分は強いなどと思えるのは余程の馬鹿か、脳内が花畑のどちらかだろう。

 

それでも『戦闘力』だけで見るのならば、一夏はかなりの上位に位置する。しかしそれは九割以上が白式の性能のおかげであり、一夏の力など微々たるものだ。彼にはそれが悔しかった。

 

世界初の男性IS操縦者などと呼ばれてはいるが、その仰々しい肩書きを名乗るに足る実力も手腕もない。

 

それなのに、こうしてクラス代表なんていう役職に就いてしまったことが納得できなかったのだ。実力ならば比べるべくもない二人がいるというのに、態々一夏をクラス代表に据える意味がわからなかった。

 

実践経験を積ませるためだと言っていたが、たったそれだけの理由で初心者に毛が生えた程度の自分にクラス代表の座を譲るとは思えない。しかし一方通行はその事を気にしている様子はないのだ。

 

(……かっけぇなぁ)

 

純粋に、そう思う。

 

圧倒的な力を持ちながらも、それを誇示するでもなく無闇に振るうでもなく。その姿に、劣等感を抱きつつも憧れや羨望を感じていた。

 

いつかは追い付いてやる、と固く心に誓う。

 

白式の力だけではなく、他人におんぶにだっこではなく、自分の力で大切な人を守るべく強くならなければならない。

 

そのためには、体裁などを気にしている場合ではないだろう。鈴科やセシリアに教えを乞い、少しでも強くなるために努力しなければ。

 

人知れず、一夏は拳を握りしめた。

 

「はいはーい、新聞部でーす。話題の新入生くんたちに特別インタビューをしに来ましたー!」

 

ふと、眼鏡をかけた一人の女子生徒がそう切り出す。受け取った名刺を見ると(まゆずみ)薫子(かおるこ)という名前らしい。胸元のリボンが黄色いことから、二年生だということがわかる。

 

「ではまず織斑くん! クラス代表になった感想を、どうぞ!」

 

ボイスレコーダーと思われる機械を一夏に向け、ずいっと身を乗り出す薫子。その瞳には好奇心の三文字が躍っているように見える。一夏は数秒考えると、つい先程の心中を話し始めた。

 

「感想……というよりも、目標? ですかね。俺は、鈴科やセシリアみたいに強くないから、皆の期待に応えられるかどうかはわからない。でも、俺なりに精一杯頑張って努力して、クラス代表っていう名前に恥じないように強くなりたいと思います」

 

強い意思を秘めた瞳でそう言う一夏。

 

その顔を見て、大勢の生徒が息を漏らした。今の一夏は『男』の顔をしており、そういったことに耐性の無い女子たちの心を大きく揺さぶったのだ。

 

薫子も予想外の真面目な答えに若干呆けており、隣に座っていた箒に至っては頬を染め瞳を潤ませるという有り様だった。

 

その周囲の反応に気付いた一夏が首を傾げていると、いち早く復活した薫子がその好奇心の矛先を変えた。ターゲットは勿論―――

 

「それじゃあ次は鈴科くん! 何かコメントちょうだいなっと」

 

「他ァ当たれ」

 

「いえーい即答速攻大否定! って引き下がるわけにもいかないのよ。一言でいいから、ね?」

 

相も変わらず我関せずの一方通行だったが、新聞部副部長としてのプライドと好奇心が薫子を食い下がらせる。鬱陶しいと言わんばかりの視線を薫子に送るも、何処吹く風だ。忌々しそうに盛大に舌を打ってから、口を開く。

 

「……まァ、あれだ。クラス対抗戦で無様に負けたらブッ飛ばす」

 

「それ、織斑くんへのコメントだよね?」

 

「文句あンのか?」

 

「いやいや別に~」

 

ギンッ、という擬音が付きそうなほどの眼光を飛ばすと、薫子は顔を青ざめさせながら引き下がった。最初からこうすれば良かったのではと今更ながら思う一方通行だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

IS学園 屋上

 

 

 

『―――以上です。やはり、公開されている情報以外は手懸かり一つ掴めませんでした』

 

「そう……わかったわ。ありがとう。また何かあれば連絡してちょうだい」

 

回線を切断し、ため息を一つ吐く。

 

透き通るような水色の髪、赤い瞳、そして手には扇子。IS学園生徒会長更識楯無その人である。

 

(やっぱりね……篠ノ之博士が絡んでいるなら一筋縄ではいかないとは踏んでいたけど、まさかここまで完璧にシャットされているとは思わなかったわ。更識の情報網にも引っ掛からないなんて)

 

思考を巡らす彼女の顔は、いつもの飄々としたものではない。表情は引き締まり、細められたその眼は紛れもなく『裏』のもの。

 

 

 

対暗部用暗部『更識家』

 

 

 

日本の裏事情や公に出来ない荒事、暗部同士の戦いから要人を警護する役目など、様々な場面で暗躍する更識家。彼女はその十七代目当主に当たる。彼女の名『楯無』も、本名ではなく代々更識家当主が名乗る名前である。

 

表向きはIS学園生徒会長。裏では対暗部組織の当主。

 

それが、更識楯無という少女の本当の姿だった。

 

(名前は鈴科透夜。ちゃんと日本の国籍もある。でも、それだけ(・・・・・・・)。家族構成や経歴が完全に隠匿されている。日本政府も素性を把握できていないなんて、一体どういうことなの?)

 

更識の情報網を駆使して、隅から隅まで洗いざらい調べさせた。自分でも出来る限り調べ尽くした。使えるコネは全て使った。それでも、鈴科透夜という人間の底を知ることはできなかった。

 

日本国に籍を置くのならば、本来はその経歴や素性が政府に割れているはず。だが、その政府が知らないともなれば益々怪しさは増してくる。

 

本当ならば政府も直接問い質したいところだろうが、ここで枷になるのがIS学園特記事項だ。IS学園に在籍する限りは、本人の同意無く如何なる組織の干渉を受けない。これによって、事実上政府は封殺されている状態だった。動けるのは楯無含む暗部のみ。

 

状況は芳しくなかった。

 

しかし、鈴科透夜という人物が好戦的ではないことは今までの生活を見ていれば自然と理解できる。寧ろ、そう言った面倒事は嫌いらしい。よって、彼が自分から何かアクションを起こすという可能性は低いだろう。

 

だが、もしもそれが演技だったとして、自分達に気付かれないよう何か工作をしていたとしたら?

 

篠ノ之博士と取引をして国籍を偽装、潜入してきた他国や犯罪組織のスパイだったとしたら?

 

考えられる可能性は上げればキリがない。

 

一番手っ取り早いのは、楯無が直接訊くこと。

 

しかし、真っ正面からそう問い質したところで彼がおいそれと話してくれるとは思えない。かといって自然な流れで引き出そうにも、恐らく話題を変えた時点で勘付かれるだろう。

 

『害がない』と断定出来るに足る要素や行動があれば、一先ずはそれで落ち着く。

 

だがもしも『あの組織』の関係者だった場合は―――

 

(……その時は、私が片をつける。この学園で好き勝手な真似はさせない)

 

楯無は、この学園が好きだった。クラスメイトも、教員も、生徒会のメンバーも、学園の生徒も。そして何よりも、この学園には愛する妹がいる。だから彼女には、その身を投げ捨ててでも敵を排除する覚悟があった。

 

生徒会長としてでもなく、更識家当主としてでもなく、一人の姉として。

 

(―――簪ちゃんは、私が守る)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――こっちに来るな、化物!

 

 

 

 

 

 

違う、僕は何もしていない

 

 

 

 

 

 

―――気持ち悪い髪の色しやがって!

 

 

 

 

 

 

 

それは、能力のせいで

 

 

 

 

 

 

 

―――動くな! 君を拘束する!

 

 

 

 

 

 

何で? 僕は悪くないのに

 

 

 

 

 

 

―――目標発見。攻撃を開始する

 

 

 

 

 

 

 

なンで、俺をそンな目で見る

 

 

 

 

 

 

―――テメエみてぇなクズはな、人様の前に出ちゃいけねぇんだよ

 

 

 

 

 

俺だッテ、同じにンゲんなのニ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うぁぁぁぁぁあっ! いっ、痛い! 誰か、助けて!

 

家の子に何するのよ!?

 

 

 

 

 

おい見ろよ、化物だぜ

 

ほんとだ……気持ち悪ぃやつ

 

近寄らないほうがいいぜ、怪我するから

 

マジかよ、行こうぜ

 

 

 

 

 

 

見て、あの髪の色

 

きっと悪魔か何かだよ、人間じゃねぇ

 

化物だよ、化物

 

化物、化物、ばけもの、化物、化物、バケモノ

 

 

 

 

 

―――待って、行かないで

 

―――うるせぇ、バケモノ! どっかいけよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ!」

 

がばりと体を起こす。

 

気持ちの悪い汗がシャツを濡らし、手のひらにもじっとりとした汗が滲んでいた。額に張り付いた髪をかきあげる。呼吸が荒い。

 

時計を見やると、短針は四時を過ぎたところだった。隣のベッドでは楯無がすやすやと寝息を立てている。

 

(……クソが)

 

最悪の気分だった。

 

何故今更、あんな夢を見たのか。

 

過去の事は、忘れたと思っていたのに。この世界に来て、一度も見ることの無かった夢。思い出したくもない記憶だ。

 

物心ついた時には心を凍てつかせ、感情の制御を覚えた。少しの感情の起伏だけで相手を傷付けてしまうのならば、起伏のない心を作ればいいと。

 

それ以来、夢を見なくなった。

 

それ以来、笑わなくなった。

 

それ以来、涙を流さなくなった。

 

楽しかった数少ない記憶を夢に見ることも、冗談を受けて朗らかに笑うことも、感動する話を聞いて涙することも無くなって、気付けば表情が無くなった。

 

最強の称号を手に入れて、これで誰も傷付けずにすむと思った。

 

でも、逆だった。

 

最強の座を狙う者たちから毎日襲撃を受け、誰もが例外無く傷付いて倒れていった。感情というものを閉じ込めた彼は、それを見ても何も思わなくなった。

 

恐らくその時から既に壊れ始めていたのだろう。他人に一切の興味を示さない、冷徹な人間になっていた。

 

そして、この世界に来て、束と出会って、千冬と出会って、IS学園に入って。

 

凍てつかせた筈の心がほんの少しだけ溶け始めていた。

 

そうして、感情を僅かに取り戻した結果―――また、夢を見た。二度と見ることはないと思っていた、忌々しい過去の夢を。

 

(あの世界の事は、昔の事は関係ねェだろ……ここでは、俺を知ってるヤツはいねェ。このチカラを、守るために使うコトが出来たなら、俺は―――もう一度、やり直せるンだ)

 

 

 

 

―――バケモノ

 

 

 

 

ギリッ、と歯を食い縛る。

 

まだ誰にも知られていない。誰も知らない。

 

だから、大丈夫だ。

 

自分に言い聞かせるように心の中で繰り返す。

 

 

 

「―――どうしたの?」

 

 

 

「ッ、……起きてたのか」

 

楯無が体を起こし、心配そうな目でこちらを見つめていた。つい先程までは確かに寝ていたはずなのだが、恐らくはこちらが起きた気配を感じ取ったのだろう。

 

「すごい汗よ。何か悪い夢でも見たの?」

 

「……あァ。とびっきりに胸クソ悪ィ夢をな」

 

「大丈夫?」

 

優しげな瞳。

 

心配そうな声音。

 

 

 

「気にすンな」

 

 

 

 

この少女の瞳が、いつか化物を見るような瞳に変わるのを想像すると―――かつて忘れた筈の恐怖が、彼を襲った。

 

 

 

 

 




キャラクターの心情は表すの難しい(確信)

作者より皆様に一つだけご報告があります。
今までニ、三日に一回ほどのペースで更新してきましたが、これから先更新速度が低下しそうです。
ストーリーを適当に進めてはいけないのも勿論ですが、主に作者の都合が大きいです。申し訳ありません。

感想や評価を下さった方々、ありがとうございます。



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八話

「織斑くん、おはよー。ねえ、転校生の噂聞いた?」

 

朝。教室に入って席につくなり、そう話題を振られた。

 

前までは遠巻きに俺を見ているだけだった女子たちも、今ではこうして普通に話しかけてきてくれる。一時はずっとあのままだったらどうしようとか真剣に悩んだこともあったけど、杞憂に変わったようだ。よかった。

 

それにしても。

 

「転校生? 今の時期に? まだ四月だぞ」

 

入学式が四月の三日。そこからまだ二週間ちょっとしか経っていないというのに転校生とは。何か事情があったのだろうか。ん? 待てよ、思い当たる可能性としては一つだけあるな。

 

「もしかして、その転校生って代表候補生だったりするのか?」

 

「あれ? なんで知ってるの? もしかして誰かに聞いた?」

 

「いや、何となくだけど」

 

勘で言ってみたがどうやら当たっていたらしい。

 

にしても、代表候補生ってことはセシリアレベルの実力があるってことだろ? で、IS学園に編入してくるくらいだからその中でも相当強くて、もしかしたらまた専用機持ちだったり……。

 

「なんでも中国の代表候補生なんだってさ」

 

「ほー、中国か……」

 

「まあ、どちらにせよ透夜さんには勝てないでしょうけれど」

 

腰に手を当てながら言うのは、イギリスの代表候補生であるセシリア。つーか、『わたくしには勝てない』じゃなくて『鈴科には勝てない』かよ。いやまあ確かに鈴科はメチャクチャ強いけどさ。同じ代表候補生として何か思うところはないのか。

 

「とはいえ、このクラスに転入してくるわけではないのだろう? 騒ぐほどの事でもあるまい」

 

噂に敏感なのは女子特有とでも言うべきか、さっき席に行ったはずの箒がいつの間にか混ざっていた。

 

「そうだけどさ。やっぱり気になるだろ? だって代表候補生っていうからには強いんだし、もしかしたらクラス対抗戦で当たるかもしれないわけだし」

 

「……」

 

何故か箒が不機嫌そうな顔をする。なんでだ?

 

昨日寝る前のテンションは何処に行ったんだ。情緒不安定なのか? あれか、思春期というやつか? いやでも箒にそんなものがあるとは思えない。

 

「一夏。いま何か失礼なことを考えなかったか?」

 

あるとしたらエスパーの才能だと俺は思う。

 

「まあいい。クラス対抗戦に向けて放課後にみっちりとしごいてやる。ありがたく思え」

 

「あ、そのことなんだけどさ。訓練するとき、鈴科にもお願いして指導してもらおうかと思ってるんだけど」

 

「なっ……!?」

 

なぜ箒がそんなに驚く? そんなに驚く程のことか? もしかして『お前が鈴科に教えられても理解できるはずないだろう!』とか考えてるのか? 否定しきれないのが悔しいところだけど。

 

「わ、私の指導では不服だというのか!」

 

「いやいや、なんでそうなるんだよ。箒も知ってるだろ? 鈴科の実力。近くにあんなすげぇやつがいるのに教えてもらわないなんて勿体無いだろ」

 

「そ、それは……そもそも、お前が鈴科に教えられても理解できるはずないだろう!」

 

箒に教えられても鈴科に教えられてもあんまり変わらねぇよ。擬音的な意味で。

 

「とりあえず、ものは試しに頼み込んでみようぜ。俺だって負けたくないからさ」

 

「お待ちなさい!」

 

バンッ、と俺の机を叩いて制止の声をかけたのはセシリアだった。このイギリス代表候補生、言葉や態度はツンツンしているが何気に仲は良かったりする。未だに姓名で呼ばれてるけど。

 

ていうか、どっから出てきた。今まで自分の机に座ってなかったか?

 

「わたくしの許可無く透夜さんに指導を受けようなど言語道断ですわ!」

 

「なんで鈴科から指導を受けるのにセシリアの許可がいるんだよ……。別にいいだろ? 減るもんじゃないし」

 

「透夜さんの時間が減るのですわ! そもそもあなたと透夜さんではレベルが違います! まずは基本的なことが一通り出来るようになってから私のところに来て、そして私に勝つことができたら透夜さんに掛け合うのを認めて差し上げますわ!」

 

「保護者か!」

 

思わず突っ込んじまった……。ていうか、お前そんなキャラだったっけ? 盛大にブレてる気がするんだが。最初の頃の高貴なオーラは何処へやった。いや無くてもいいけど。

 

ふと、今まで黙っていた箒が口を開いた。

 

「そういえば、その鈴科はまだ来てないのか」

 

「そう言われれば……。いつもならもう教室にいてもおかしくない時間ですのに」

 

「食堂でも見かけなかったな。あれだけ目立つんだから気付かないはずはないんだけど……」

 

ぐるりと教室を見渡すも、あの白髪は見当たらなかった。寝過ごしたりでもしたのだろうか? 珍しいこともあるもんだ。

 

なんて事を考えていると、女子たちが嬉々として俺に激励の言葉をかけてきた。

 

「織斑くん、がんばってね!」

 

「勝てばフリーパスだよ~」

 

「ちょっと待てそれが目的かおまえら」

 

そう、クラス対抗戦で見事優勝すると、景品として学食デザートの半年フリーパスが配られるのだ。しかし、デザート……つまり甘いものを多くとりすぎるのは体にとって非常によろしくない。

 

勿論適度に糖分を補給するのは問題ないが、運動をせずに甘味、甘味を食べて寝る、等の行為は女性の天敵である脂肪と肥満を呼び込むもとだ。そもそも学園の食堂のデザートだってそう種類があるわけでもない。毎日毎日大量に食べていたら飽きも回ってくると思うんだけどなぁ。

 

「大体、女子は元々主食が少ないのに甘味だけを多く摂取したらすぐに太―――痛っ!? 何すんだよ箒!」

 

「なに、貴様が女子にとって有害だったのでな。つい手を出してしまった」

 

「人を害虫か公害みたく言うな」

 

ちらりと周りを見ると、お腹に手を当てて瞳から光を消した女子たちが何やら呪詛のようなものを呟いていた。怖っ。

 

「フリーパスはまあどうでもいいのですが。……透夜さんを差し置いてクラス代表に就いたのですから、無様に負けたりしたら承知しませんわよ……?」

 

こっちもこっちで瞳から光を消したセシリアがぼそっと呟いていた。怖い。超怖い。千冬姉の怖いとはまたベクトルの違う怖さだよこれ。なんだ、俺の味方は居ないのか。居ないんだな。

 

と、そこで俺の頭に電流が走った。

 

そうだよ。ここにもいるじゃないか、指導してもらうのにうってつけの人材が。

 

「じゃあ、セシリアが俺の指導してくれないか?」

 

「なんだと!?」

 

ガタンッ!と先程よりも過敏に反応する箒。いやだからどうした? そんなに驚く程のことか? もしかして『お前がセシリアに教えられて以下略。

 

とりあえず、俺に体裁やらうんぬんを気にしている余裕はないのだ。負けっぱなしは性に合わないしな。

 

「わたくしに訓練の指導をしてほしいと?」

 

「ああ。だって、セシリアは代表候補生なんだろ? 普通の生徒より知識も経験も豊富だから、指導してくれればこれほど心強いことはないしさ。ダメか?」

 

「……はぁ」

 

「な、なんだよそのため息は」

 

俺のお願いに、『何を言ってるんだこいつは』みたいな顔をしてため息をつくセシリア。なにか変なこと言ったか俺?

 

何が何やら理解出来ていない俺に、セシリアが腰に手を当てて説明をしてくれる。

 

「……いいですか織斑さん。ISには武装によってそれぞれ得意とする間合いがあります。私のブルー・ティアーズは射撃メインの武装構成なので中・遠距離。では、あなたの白式の得意とする間合いは?」

 

「そりゃあ超近距離だろ。雪片弐型しか武装ないし。それが何か関係あんのか?」

 

「大有りですわ。例えば最前線でずっと接近戦ばかりだった人間が、突然後方での射撃支援に回れと言われたらどうなると思います?」

 

「……あ」

 

なるほど。セシリアの言いたいことがわかったぞ。

 

「つまり、そういうことですわ。わたくしとあなたでは戦闘法(メソッド)が違います。近接戦闘型のあなたが中距離射撃型であるわたくしの動きを参考にしてもあまり意味はないのですわ。立ち回りからして異なりますし、第一白式は射撃装備が搭載されていませんのでしょう?」

 

そうか、セシリアは元々射撃型だから近接戦闘型の俺を教えるのには相性が悪いのか。……それに、俺に銃を渡されてもまともに当たるとは思えないしな。

 

「ぬぁあ……セシリアが駄目だとなるとやっぱ鈴科か? いやでもアイツも射撃してるところしか見たことないし、やっぱ射撃型なのか?」

 

「だ、だから私が教えてやると言っているだろう。それに、クラス代表の専用機持ちはお前含め二人だけだ。力をつければそうそう負けることはあるまい」

 

と、箒がそう言ったときだった。

 

 

 

 

「―――その情報、古いよ」

 

 

 

教室の入り口から、懐かしい声が聞こえてきた。昔に比べて少しだけ大人っぽくなっているけど、この聞き慣れた高いソプラノボイスは―――

 

「二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから」

 

「鈴……? お前、鈴か?」

 

「そうよ。中国代表候補生、凰鈴音。今日は宣戦布告に来たってわけ」

 

ふっと小さく笑みを漏らすと、トレードマークのツインテールが軽く左右に揺れた。

 

「何格好つけてるんだ? すげえ似合わないぞ」

 

「んなっ!? 言うに事欠いてなんてこと言うのよアンタは!」

 

おお、戻った戻った。一瞬誰だお前とか言いそうになったじゃないか、まったく。

 

「オイ」

 

「なによ!? ……ってなんだ、アンタこのクラスだったのね」

 

後ろから響いた声に反応して振り向く鈴。そこには気だるそうな鈴科が立っていた。というか、二人とも知り合いだったのか? 接点なんてないように思えるんだが。

 

「おっす」

 

「おはようございます、透夜さん」

 

「おはよう」

 

「……、おう」

 

スタスタと自分の席に向かい、腰をおろした。そのまま腕を組んで目を閉じる。きっとあのままSHRが始まるまで寝ているんだろう。朝が苦手だと言っていた鈴科は、休み時間も大抵寝ている。一年一組のいつもの光景だった。

 

「おい」

 

「今度はなによ!?」

 

バシンッ! 再度かけられた声に鈴が反応すると、出席簿が叩き込まれた。―――鬼教官登場である。

 

「もうSHRの時間だ。教室に戻れ」

 

「ち、千冬さん……」

 

「織斑先生と呼べ。さっさと戻れ、そして入り口を塞ぐな。邪魔だ」

 

「す、すみません……」

 

先程の元気はどこへやら、借りてきた猫のように大人しく言うことを聞く鈴。千冬姉が苦手なのも相変わらずなんだな。理由は知らんが。

 

「またあとで来るからね! 逃げないでよ、一夏!」

 

「さっさと戻れ」

 

「は、はいっ!」

 

脱兎のごとく二組へと駆けていく鈴を眺めつつ、世間は案外狭いものだと改めて思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み。

 

一方通行は屋上で昼食を摂っていた。

 

最初の頃は食堂で食事をしていたのだが、あのざわざわとした雰囲気に加え女子たちの目線が少々鬱陶しかったので、専ら人気のない中庭や屋上で摂ることにしたらしい。

 

とはいえ、屋上にテーブルや台があるはずはないので必然的にメニューはおにぎりやサンドイッチ、ハンバーガーなどといったものになるが、彼からすればさして問題ではなかった。

 

とにかく静かであればいいのだ。

 

手早く昼食を胃袋に収めた一方通行は、食後の缶コーヒーを傾けながらぼんやりと空を眺めていた。心地のよい潮風が彼の白髪を靡かせる。

 

 

 

―――空は晴天、雲はなし。気温も適度な春の午後。

 

 

 

(寝るか)

 

何も迷うことはなかった。こんな絶好の昼寝日和に、教室に籠って授業なんて受けていたら損だ。このまま午後の授業もボイコットしてごろ寝と洒落こもうではないか。それに今朝の夢のせいもあって若干寝不足気味だった。ちょうどいいだろう。

 

ぐっ、と背中を伸ばし、筋肉を弛緩させる。腕を枕に、足も組んで仰向けになって寝転がる一方通行。このままいけばあっという間に眠れるだろう。

 

穏やかな春の陽気に包まれて、彼の意識はどんどんと引き込まれ―――

 

 

 

「お昼寝? 気持ち良さそうね」

 

 

 

聞こえてきたその声で一気に覚醒した。

 

目を開き声の方向へ視線を向けると、そこには楯無が扇子を開いて立っていた。一方通行は体を起こすと、頭に手をやってため息を吐いた。

 

「……何か用か」

 

「あら、別に用事はないわよ? 『なんとなく』屋上に来てみたら『たまたま』透夜くんがいただけなんだから」

 

「帰れ」

 

あーんひどーい、とわざとらしく身をくねらせる楯無。暫し無言でそれを眺めていたが、やがて再び横になった。どうやら楯無を居ないものとして扱うことにしたようだ。

 

「んん? あれ、透夜くーん?」

 

「……」

 

「おーい、聞こえてるでしょ?」

 

「……」

 

「……ふう、やれやれ。おねーさんをそういう風に扱っちゃうのかー、そうかそうかー」

 

「……」

 

 

 

 

「―――よろしい、ならば戦争よ」

 

 

 

 

 

その一言に、凄まじい悪寒を感じて目を開く。

 

だが時すでに遅し。目を開いた彼の眼前には、『奇襲』の扇子を広げた楯無がダイブしてきているところだった。あまりの出来事に反応する暇もなく―――一方通行の腹に、楯無が勢いよく飛び込んだ。

 

「―――ッ!?」

 

ドンッ!! という衝撃に息が詰まる。しかも飛び込んだ際に彼女の肘が鳩尾に直撃、激痛が体を駆け巡った。思わず電気信号を弄り、痛覚を遮断。えづく呼吸を整えながら、とんでもない所業を実行した下手人の頭を能力で強化したアイアンクローで締め上げる。

 

「っゲホ! ッハー……ァ、ゴホッ! ふゥー……。―――ぶっ殺されてェのかテメェ!? 」

 

「あだだだだだだだっ!? 痛い痛い痛い! ちょ、割れる! 私の頭割れちゃう! どっからこんな力出してって痛い痛い痛い痛い痛すぎ!」

 

ミシミシミシミシ……と万力のような力で楯無の頭蓋骨を圧迫する一方通行。そのせいで彼女の顔が女性として見せられないようなものに変わり果ててしまっているが、取り敢えず楯無の両腕がぶらりと垂れ下がるまで力を込め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「透夜くん容赦ないわね~……骨格変わっちゃったらどうしてくれるのよぅ」

 

気絶して数分で復活し、何事もなかったように振る舞っている楯無を見て心底呆れる一方通行。この女の体は一体何で出来ているのか気になるところではあるが、今はこちらが優先だ。

 

楯無がなんの意図もなく接触してくるとは思えない。事実今まで一人の時は何度もあったし、まして学園内で接触してくることは一度も無かったのだ。だから、こうして何気ない様子を装っていても恐らくは何か目的を持って屋上へと来たのだろう。

 

「で、本題はなンだ。サッサと話せ」

 

「……なーんだ。やっぱりばれちゃってたのね」

 

たはは、と笑う楯無。

 

扇子をパチンと閉じると、一方通行の隣に腰をおろした。そして口を開く。

 

「透夜くん。キミは―――私たちの敵? それとも味方?」

 

「……ハ、面白ェコト訊くな、オマエ」

 

敵か、味方か。言葉で表すのは簡単だ。

 

しかし、その言葉はいとも簡単にひっくり返って牙を剥く。それを一番よくわかっているのは彼自身だった。味方だと思っていた相手は、些細な出来事であっという間に敵に転じる。

 

ぬくぬくとした光の世界で生きている奴等は、今日の友達がいつまでもずっと友達でいられるなどとお目出度い事を考えているのだろうが、それは間違っている。昨日の敵は今日の友。ならば今日の友は明日の敵。こんなことは裏社会で日常茶飯事だ。

 

楯無もそれはわかっているはず。だから、そんな問いかけをした彼女を彼は面白いと思った。

 

「オマエも分かってンだろォが。自分にとって有害なら敵、自分にとって有益なら味方。そしてその関係も絶対じゃねェ。敵ながら有益な奴もいりゃあ味方でも有害な奴もいる」

 

「……じゃあ、キミは?」

 

そんな楯無の問い。

 

「……敵、っつったらどォする?」

 

「殺すわ」

 

ゾッとするほどの冷たい声音だが、一方通行は微塵も動じない。「でもね」と楯無は付け加える。

 

「透夜くんは、敵じゃないって思うんだ」

 

「何を根拠にそォ言える? 」

 

「わからないわ。ただ、なんとなくそう思うのよ。私はこれでも人を見る目はあるつもり。だから、透夜くんは私たちの敵じゃないって、そう言えるのよ」

 

「……止めとけ。無条件の信頼なンざ、一瞬で崩れる。信じて損するぐらいなら、最初から疑っといた方が身のためだ」

 

「ほら、ね? 私たちの敵である人が、私たちの心配をするはずがないもの」

 

そう言ってウインクをする楯無。対照的に一方通行は舌打ちをする。やはりこの女は苦手だ。

 

そんな一方通行を見てくすりと笑い、埃を払い扉へと向かう。その姿が扉の向こうに消えていく直前、振り返ってこう言った。

 

 

 

「透夜くんが私たちの味方だって、信じてるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……調子狂うンだよ、クソが)

 

眠りに落ちていく意識の中。

 

彼は小さくそう毒づいた。

 

 




オリジナルストーリーって考えるの難しいですね。



感想・評価を下さった方々、誠にありがとうございます。


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九話

「む、仕方ない……今日はここまでだな」

 

「ああ。早く他の人にも貸してやれよ」

 

「わかっている」

 

放課後の第三アリーナ。目につくISの機影は一夏の駆る白式、そして箒や他の生徒が乗っている訓練機体の計4機。更に、順番待ちのついでに一夏を観察している女子たちも含めアリーナ内部にかなりの人数がいた。

 

IS学園に配備されているISの数には限りがあり、それも多くはない。その内の幾つかは整備科や研究科の元へ回され、生徒が使える訓練機は30機。そして、一年生に割り振られているのはたったの10機のみ。だがそれも今こうして順番待ち状態である。

 

何故か。理由は簡単だ。

 

全生徒の記憶に新しい、クラス代表決定戦。その時に一方通行が行ったことといえば。第二世代の訓練機で、第三世代の専用機を持つイギリス代表候補生をたった一分で撃墜。

 

その出来事は、大半の生徒たちが持っていた『専用機持ちには敵わない』という考えを、『訓練機でも専用機に勝てる』というものに一新した。

 

更に、彼の圧勝は生徒の心を大いに刺激し、彼女たちの訓練意欲を沸き立てた。よって、最近では訓練機とアリーナ使用の申請が後を絶たずに教師を困らせていたりするのだ。

 

ただ―――仮に他の生徒が訓練機でセシリアに挑んだとしても、勝てる確率は5%もあれば御の字だ。今のところセシリアとの模擬戦で勝率100%を維持している一方通行の方が異常なのであり、彼の卓越したIS操縦技術を彼女たちが身に付けるのは至難の業であろう。

 

たまに訓練風景を見に来る千冬に言わせれば『鵜の真似をする烏』なのだが、意欲があるのは結構だということで何も言うことはしなかった。

 

決定戦以降も続けて一夏の特訓をしている箒といえど、一人で訓練機を長時間使い続けることはできない。ある程度まではクラスメイトに容認してもらっているが、その時間もあまり長いとは言えなかった。

 

「ふう……」

 

ピットに戻り、白式を待機状態にする。それと同時にISの操縦者補助機能が切れるため、今まで感じなかった疲労が体に響いてきた。

 

現在ピットにいるのは一夏のみ。がらんとした広いスペースを眺めながら、一夏はぼんやりと考えに耽る。

 

箒との訓練は確かに助かっている。何もわからない状態で一人訓練するより、他人がいてくれた方が効率も上がる。しかし、如何せん時間が足りない。

 

訓練機が使える時間が限られている以上、必然的に箒が一夏に教える時間も限られてくる。一夏としては一人でも自主的に訓練したかったりするのだが、何故か箒が『絶対に一人で訓練するんじゃないぞ。いいな、絶対だぞ』と鬼のような形相で進言してきたのでやむ無く箒との訓練だけで我慢している状態だ。

 

どれだけ危なっかしいと思われてるんだろう、と、箒の忠告に込められた彼女の意思を曲解している一夏。……危なっかしいというのは強ち間違いでもないのだが。

 

ともあれ、相手がいればいいというのなら箒が訓練機を使えない時間は、鈴科かセシリアに動きだけでも見てもらったほうがいいだろう。セシリアは自分の動きを参考にしても意味はないと言っていたが、基本的な制動や操作技術を指導してもらうことは可能なはず。

 

(……で、そのためには箒を説得しないといけないわけだが)

 

何故か箒は他人に教えてもらいたいと言うと不機嫌になる。理由のほどは全くわからないのだが、いつまでもこのままではまずいだろう。納得のいく説明をすればどうにかなるはずだ。

 

そんなことを思っているうちに、監督教師に報告を終えた箒がアリーナから一夏のいるピットに上がってきた。一夏は覚悟を決めて口を開く。

 

「なあ、箒。やっぱりセシリアにも訓練見てもらおうぜ。箒だけだと一緒に訓練できる時間も少ないしさ、もっと強くなるためには上手な奴に見てもらうのが一番だと思うんだ」

 

「わ、私が下手だと言いたいのか!」

 

「そうは言ってねぇだろ……。俺だってもっと訓練したいけど、箒が一人で訓練するなっつーだろ。だから、あいつらと一緒ならいいってことだろ?」

 

「……むぅ……」

 

腕を組み眉根を寄せてなにやら考え込む箒。このままだとまた断られるのではないか? と不安に駆られる一夏が死刑判決を下される前の被告人のような顔をして待っている。そして―――彼女が、口を開いた。

 

「…………いいだろう」

 

「本当か! そりゃよかっ「ただし!」……な、なんだよ? 何か条件でもあるのか?」

 

「訓練してもらう相手は鈴科だけだ。セシリアに教えてもらうのはだめだ。いいな?」

 

ずびし、と指を突きつけながら妙な条件を提示した箒。その条件の意図がわからない当然一夏は首を傾げる。しかし、箒の眼が有無を言わさぬ迫力を放っていたので半ば恐々としながら頷いた。世の中には首を突っ込んではならないものもあるのである。

 

「一夏っ!」

 

バシュッとスライドドアが開き、溌剌な声と共に少女―――鈴音が姿を見せた。その手にはタオルとスポーツドリンクが握られており、労いの言葉をかけつつそれらを一夏へと渡す。

 

その際に一瞬、隣に立つ箒へと視線を向けて僅かに誇らしげな顔―――所謂ドヤ顔というやつだ―――をしてみせる。それを見た箒の眉がぴくぴくとひきつったりしていたのだが、一夏はタオルで顔を拭いているため全く周囲の状況に気が付いていなかった。

 

「変わってないね、一夏。若いくせに体のことばっかり気にしてるとこ」

 

「あのなあ、若いうちから不摂生してたらいかんのだぞ? 癖になっちまうからな。あとで泣くのは自分と自分の家族だ」

 

「そのぶんだとアンタ、百こえてもおんなじようなこと言ってそうよね」

 

「う、うっせーな……」

 

身長差の関係から自然と鈴音が一夏を見上げるような形になるのだが、彼女の場合後ろ手に手を組み体を前に傾け、首をかしげながら見上げるという、俗に言う『上目遣い』の体勢になっていた。

 

これは勿論彼女が狙って行っているものだ。鈴音は間違いなく美少女の部類に入り、普通にしているだけでも十分に可愛いと言える。しかし、鈴音曰く『唐変木・オブ・唐変木』、箒曰く『キングオブ朴念仁』な一夏にアピールをするには全くの不十分である。

 

最早、自分の体型に対して悟を開けそうなレベルで悩んでいる彼女はそれを逆手に取り、小柄だからこそできる、男にとって必殺の上目遣いを敢行してみせた。

 

そして、それは鈍感の代名詞である一夏といえど意識してしまうほどの破壊力を持っており、鈴音の予想通りとまではいかなくとも確かに反応を示していた。それを目敏く確認した彼女の口元が自然と緩む。

 

「一夏さぁ、やっぱあたしがいないと寂しかった?」

 

「まあ、遊び相手が減るのは大なり小なり寂しいだろ」

 

「そうじゃなくってさぁ」

 

先程の上目遣いが効いたことが嬉しいのか、にこにこという擬音がぴったりな笑顔で話を続ける鈴音。だが一夏はその笑顔を見て何を勘違いしたのか、過去の出来事を思い出して、

 

「鈴」

 

「ん? なになに?」

 

「何も買わないぞ」

 

思わずかくっと姿勢を崩した。

 

「アンタねぇ……久しぶりに会った幼馴染みなんだから、色々と言うことがあるでしょうが」

 

しかし一夏は首を捻るだけ。いい加減に見かねた鈴音が、仕方なく自分から話題を引き出す。

 

「例えばさぁ―――」

 

「あー、ゴホンゴホン!」

 

突然、とんでもなくわざとらしい咳払いが彼女の言葉を遮った。箒だ。一夏が視線を箒に向ければ、いかにも『私は興味がないですよ』という風な態度で話し始める。

 

「一夏、私は先に帰る。それと―――『今日は先にシャワーを使ってもいいぞ』」

 

「本当か! そりゃありがたい」

 

「では、また後でな。一夏」

 

そして、箒は鈴音に視線を向け、フッとドヤ顔をしてからピットを出ていった。残されたのは、いつになく優しい幼馴染みに首をかしげる一夏と、不機嫌な顔をひきつった笑みで隠した鈴音。

 

「……一夏、今のどういうこと?」

 

先程の上機嫌から一転し、トーンを落とした声で鈴音が訊ねる。

 

「ん? いや、いつもはシャワーは箒が先なんだが、今日はなんか先に使わせてくれ―――」

 

「しゃ、しゃ、シャワー!? 『いつも』!? い、一夏、アンタあの子とどういう関係なのよ!?」

 

「どうって……前に言っただろ。幼馴染みだよ」

 

「お、お、幼馴染みとシャワーの順番と何の関係があんのよ!?」

 

「あ、そういや言ってなかったっけか。俺、今箒と同じ部屋なんだよ」

 

「……は?」

 

さらりと告げられたとんでもない事実に、鈴音の口から呆けた声が出る。

 

「いや、俺の入学ってかなり特殊なことだったから、別の部屋を用意できなかったんだと。鈴科も同じで二人部屋―――」

 

「普通男子同士で部屋一緒にするでしょ!? なに考えてんのよこの学園の責任者は! いやそうじゃなくて、アンタ、あの子と寝食を共にしてるってこと!?」

 

「まあ、そうなるか。でもまあ、箒で助かったよ。これが見ず知らずの相手だったら緊張して寝不足になっちまうからな」

 

「……ったら、いいわけね……」

 

顔をうつむかせた鈴音がぼそりと小さく呟くが、一夏の耳には届かない。よく聞き取ろうと彼が鈴音に耳を近づけようとしたそのとき。

 

「だから! 幼馴染みならいいわけね!?」

 

「うおっ!?」

 

突然顔を上げた鈴音に驚き身を引く一夏。あわや強烈な頭突きを食らうところだった一夏は内心冷や汗を流す。顎にあんな衝撃を受ければ脳震盪では済まないかもしれない。

 

そんな一夏をよそに、鈴音は一人で納得して何度も何度も頷いている。

 

「一夏っ!」

 

「お、おう」

 

「幼馴染みは二人いるってこと、覚えておきなさいよ」

 

「別に言われなくても忘れてないが……」

 

「じゃあ、後でね!」

 

そう言うなりピットを飛び出していく。残された一夏は、幼馴染みの考えることはわからないとばかりに首を捻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけだから、部屋替わって」

 

「ふ、ふざけるなっ! なぜ私がそのようなことをしなくてはならない!?」

 

場所は変わって一夏の部屋、時計の針は八を回っている。普段なら静かなはずのこの部屋では箒と鈴音、二人ぶんの声が響き渡っていた。

 

「いやぁ、篠ノ之さんも男と同室なんてイヤでしょ? 気を遣うし、のんびりできないし。その辺、あたしは平気だから替わってあげようかなって思ってさ」

 

「べ、別にイヤとは言っていない……。それにだ!

これは私と一夏の問題だ! 部外者に首を突っ込んでほしくはない!」

 

「大丈夫。あたしも幼馴染みだから」

 

「だから、それが何の理由になるというのだ!」

 

箒の言う通り、鈴音の『幼馴染み』の定義がどうなっているのか非常に気になるところではあるものの、今の話の内容はそれではない。先程から彼女たちの会話を聞いていた一夏は、どうしてこうなったのかを思い出す。

 

夕食も終わり、いつものように寛いでいたところに突然鈴音が部屋に訪れ、箒に部屋を替わるように要求してきたのだ。それから二人で言い合いになり、今に至る。

 

しかし鈴音はどこまでもゴーイングマイウェイであり、箒は人一倍頑固。話が全く進まないのは当然と言えば当然だろう。半ば現実から逃避しかけている一夏は、鈴音の足元にあるボストンバッグに目を向けた。

 

(本当にあいつって私物とか少ないよな……昔からそうだったけど、女子ってもっと小物とかあるもんなんじゃないのか?)

 

以前彼女に家出する用意かと訊いたら本気で怒ったので、それ以来そのことについては触れていないがやはりかなり少ない。このフットワークの軽さも、鈴音という少女の特徴なのだろう。

 

ぼんやりとそんなことを思考していた一夏だが、目の前の光景を見てはっと我に返った。激昂した箒が、ベッドの横に立て掛けてあった竹刀へと手を伸ばしていたからだ。

 

「おい待て―――!」

 

一夏の制止の声も聞かず、冷静さを欠いた箒は振り向き様に竹刀を振り上げ大上段の構え。鋭い踏み込みと共に、無手の鈴音へと勢いよく降り下ろした。

 

竹刀といえど、決してその威力は侮れない。木刀には劣るものの、軽く打たれただけでも相当の痛みが走る。しかも箒は剣道有段者。その剣筋は微塵の鈍りもなく、鈴音の面を狙っての一撃は必中。

 

バシィンッ!

 

すさまじい音が部屋中に響き渡る。

 

「鈴!」

 

「なーにを情けない声出してんのよ。あたしは代表候補生なんだよ? このくらい対処できなきゃ」

 

けろっとした顔でそういう鈴音。見れば、彼女の右腕は赤色の装甲に覆われており、箒の打ち込みを難なく受け止めていた。

 

ISの部分展開。それは、彼女の技術が卓越していることを示す何よりの証拠であり、箒の竹刀を受け止めた彼女自身の反射速度もかなりのものだということ。代表候補生の名は伊達ではないということだろう。

 

「ていうか、今の生身の人間なら本気で危ないよ?」

 

「う……」

 

鈴音の指摘に、バツが悪そうに顔を逸らす箒。しかし鈴音は既に気にしていないといった風にISの装甲を粒子に戻した。部屋を気まずい沈黙が満たす。

 

(―――ん? そういえば約束がどうとか言ってたな)

 

先程、鈴音は一夏に約束を覚えているか、という旨の投げ掛けをしていた。その直後に箒が竹刀を振るったのでうやむやになりかけていたが。

 

「鈴、約束っていうのは」

 

「う、うん。覚えてる……よね?」

 

「えーと、あれか? 鈴の料理の腕が上がったら毎日酢豚を―――」

 

「そ、そうっ。それ!」

 

一夏が、自分との約束を覚えていることに歓喜する鈴音。その約束の内容も彼女にとっては非常に大切なものだったために、喜びも大きかった。

 

「―――おごってくれるってやつか?」

 

だが―――現実は無情だった。

 

「…………はい?」

 

「だから、鈴が料理出来るようになったら、俺にメシをごちそうしてくれるって約束だろ?」

 

一夏は、見事に約束の内容を履き違えていた。鈴音は『毎日味噌汁を―――』といった意味を込めて約束をした。しかし一夏は、単純に鈴音が自分にタダ飯を食わせてくれると思い込んでいた。

 

そのことに気が付いた鈴音は暫しの間茫然とする。だが次の瞬間には、言葉に言い表せない激情が胸の奥底から沸き上がってきた。目頭が熱くなる。視界が白くなる。

 

「いやしかし、俺は自分の記憶力に感心―――」

 

聞こえてきた呑気な一夏の声に、考えるよりも先に体が動いていた。

 

乾いた音が部屋に響く。

 

自分の置かれている状況が理解できていないのか、瞬きをする一夏。それは見ていた箒も同じことで、鈴音がなぜ一夏を叩いたのか把握できていなかった。理由を知るのは、鈴音本人だけ。

 

「あ、あの、だな、鈴……」

 

恐る恐る口を開く一夏。その声を聞くだけで、堪えた涙が一気に溢れだしそうになる。それを抑えたくて、一夏への怒りもあって、約束を覚えていてくれなかったことが、悲しくて。感情の整理もつかぬままに、鈴音は心の声を大音量で吐き出した。

 

「最っっっ低!! 女の子との約束をちゃんと覚えてないなんて、男の風上にも置けないヤツ! 犬に噛まれて死ねッ!」

 

噛み付くようにそう言い放ち、足元のボストンバッグをひったくるが早いかドアから飛び出していった。

 

残された一夏は、じんじんと熱を持つ頬を押さえ、閉まった扉を見詰めることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なによ……なによ……ッ! 一夏のバカッ! 信じらんない! 覚えてくれてると思ったのに……!)

 

人気のなくなった廊下を駆ける鈴音。部屋を飛び出してから走る足は止めない。とにかく一人になりたかった。胸に渦巻く気持ちの整理をつけたかった。ルームメイトに泣き顔を見られたくない―――というよりも、他人にこんな姿を見せたくなかった。

 

向かう先は屋上。

 

夕食後のこの時間なら恐らく誰もいないはず。階段を二段飛ばしで駆け上がり、思い切りドアを開けて夜空の下へと走り出た。

 

そのままフェンスに背を預け、ボストンバッグを床に置く。足の力が抜け、ずるずると座り込む鈴音。そこでようやく、我慢していた嗚咽が口から漏れだした。

 

「っ、ぅぐ……っ! ひぐ……! 」

 

どうしようもない感情の奔流は、涙となって溢れ続け彼女の頬を流れ落ちていく。

 

いくら代表候補生といえ、鈴音も未だに十五才の少女なのだ。ずっと想い続けてきた人に、大事な約束を違えられて泣くなというほうが酷だろう。

 

「なによ……ッ! い、一夏のっ、ばかっ、ばかぁぁ……! あんなっ、やつ、クラス対抗戦でっ、ぼこぼこに、してっ、やるんだからっ……!」

 

両膝に顔を埋め、精一杯の強がりを口にする。だが、次から次へと溢れる涙は一向に止まる気配はない。なまじ心が強かっただけに、一度決壊したものはそう簡単には止められないのだろう。

 

 

 

 

屋上に響く悲しみの鈴音(すずおと)は、しばらくの間止まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




更新が遅れてしまい申し訳ありません。
アクセラさんの専用機を考えていたらいつのまにか時間が過ぎていました(言い訳)
早くお披露目したいです。

感想・評価を下さった方々、誠にありがとうございます。


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十話

「おおおおおおおっ!!」

 

気合いと共に降り下ろされる雪片を軽く避け、スラスターを制御して空中で舞うように距離を取る。白式には雪片弐型以外の武装は登載されていないため、中遠距離戦闘に持ち込めば後は一方的に攻撃を加えることができる。

 

だが、一夏もそうはさせまいと後背部にある一対の大型ウィングスラスターを噴かす。外見に反しない加速力で一方通行との距離を潰しにかかるものの、攻撃の悉くが回避されるかいなされるかのどちらか。完全に一夏が一方通行に弄ばれていた。

 

「くそっ!」

 

「……バカの一つ覚えみてェに振り回しても当たるワケねェだろォが!」

 

全く学習しない一夏に、今度は一方通行が痺れを切らした。

 

右手に提げていたFAMAS ISMを収納、次いでエネルギーライフル『エクレール』を展開。実体化と同時に引き金を絞った。

 

放たれた無数の光線が白式を墜とさんと殺到する。必死で回避に専念しようとするも、一方通行の予測射撃は的確に回避先を狙って放たれる。そうして焦りがさらに被弾を増やし、録な攻撃もできないままに白式はそのシールドエネルギーをゼロへと落とした。

 

「ま、またかよ……」

 

白式のシールドエネルギーはゼロであるのに対し、一方通行の駆るラファールは攻撃に使用した分を除けばMAX。文字通り完勝だ。

 

地面に降り立ちガックリとくずおれる一夏。これで本日通算6回目の敗北だった。そこへ、呆れた顔を隠そうともしない一方通行が降りてくる。―――こめかみをぴくぴくとひくつかせながら。

 

「…………」

 

「す、すまん! いやマジで本気でやってる! でも何が原因で負けてるのかわからないんだって!」

 

「本気で言ってンのかオマエ……」

 

彼は頭に手をやって盛大に溜め息を吐いた。あれだけやって未だに自分の欠点が見つからないとは一体何を考えて戦闘を行っているのか。

 

「こら一夏! 一体いつまで負けっぱなしでいるつもりだ! 一度ぐらい攻撃を当てて―――」

 

「はいはい、箒さんはあちらでわたくしと訓練しましょうか。さ、行きますわよ」

 

「なに!? わ、私は別に訓練などっ―――こ、こら! セシリア! ええい離せ!」

 

操縦者本人の技量の差は言わずもがなではあるが、それを抜きにしても一夏は弱い。白式本体の仕様がピーキーすぎるというのも原因の一つではあるものの、使いこなせば戦力になるのは間違いないのだからもっと本気で取り組んでもらいたいものだ。

 

「……問題は山積みだが、特にスラスターの出力制御、零落白夜使用のタイミングとその用途。その二つをまずはなンとかしろ。そォしねェと何もかもが話になンねェ」

 

かなりの機動力を誇る白式のウィングスラスターだが、なにも常時大出力で噴かす必要はない。寧ろ、そんなことをすればあっという間にエネルギーが食い潰されてしまう。無論、決めるときには全開でもいいのだが、その決めるときにエネルギー切れ、なんてことがあっては洒落にならない。

 

人間は長い時間何かを見ていると、自然とそれに対して慣れてきてしまう。最初は速いと感じた野球のボールも、何度も見れば目が慣れて捉えることができるといった風に。

 

物体が巨大になっても原理は同じ。一夏がずっと10のスピードで動いていればやがて相手はその速さに慣れてしまい、終いには撃墜されてしまうだろう。だからこそ、その『10』は最後までとっておかなければならないのだ。

 

「後は零落白夜だが……オマエ、なンで俺が態々銃を変更したかわかってンのか?」

 

「なんでって……」

 

「……オマエのその剣の特性は『シールドバリアーを無効化して直接ダメージを与えることにより絶対防御を発動させ、エネルギーを大幅に減らす』ことだろォが。エネルギーの集合体であるシールドバリアーを無効化できるって事ァ、エネルギーライフルとかも例外じゃねェ。攻撃をソレで無効化することだって出来るハズだ」

 

「マジかよ……!?」

 

雪片弐型の特殊能力、バリアー無効化攻撃『零落白夜』。それは自身のシールドエネルギーを攻撃用に転換して発動する諸刃の剣であると同時に、当てさえすれば相手に甚大なダメージを与える必殺の剣でもある。

 

エネルギーを無効化させるその特性を上手く使えば、一方通行が述べたようなことも確かに可能ではあるのだ。

 

「操縦技術云々以前にオマエはその機体のコトを全然わかっちゃいねェ。そンなンじゃ何万回繰り返そォが、オマエの負けっつゥ結果は変わンねェよ」

 

「う……」

 

辛辣な言葉だが、一夏自身それが事実であると認識しているために言い返すことは出来なかった。

 

黙りこんだ一夏と、他になにも言うことはない一方通行。二人の間に気まずい沈黙が流れ始めたそのとき、訓練の終了を告げる小さな電子音が響いた。

 

「……時間だな。後は一人でなンとかしろ」

 

「お、おう。ありがとな!」

 

エクレールを収納し、踵を返してさっさとピットへと戻っていく一方通行。その後ろ姿に、一夏は深く頭を下げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訓練も終わり、手早く制服に着替えた一方通行は学園の廊下を歩いていた。向かう先はIS整備室。学園の訓練機を全てここでメンテナンスするため、整備室へ入室できる人間は限られている。入室が許可されているのは教師陣、整備科の生徒、そして―――専用機を持つ生徒。

 

一方通行の専用機は、その武装の特異性により未だに調整段階にある。ある程度までは束と共に進めることが出来たものの、完成が入学には間に合わなかったのだ。残りのプログラムを一方通行本人が仕上げるということになったものの、何しろ量が多い。

 

凄まじい演算処理能力を持つ彼といえど、脳内処理は一瞬でできてもそれを文字として出力するのには時間がかかる。よって、整備室に足を運ぶのももう慣れはじめていた。

 

(……、)

 

歩きながら、先程の一夏との訓練を思い出してみる。

 

我ながらよく喋ったものだとも思うが、言わなければ言わないで一夏はずっと気付かないままだったろう。そんなことで貴重な時間を無駄にされるのも癪なので仕方なしにアドバイスをしたわけだが、果たしてどうか。

 

素質は悪くないだろう。強くなろうという気持ちもあるし、一方通行に教えを乞いに来たのも向上心からくるものだと考えていい。だが、如何せん頭が少しばかり弱い。思考しながら戦闘をするということ、すなわち並列思考が苦手なのだ。

 

人は、ひとつの物事を素早く進める高速思考タイプと様々な物事を同時に進行させる並列思考タイプの二種類に分かれている。

 

両方の思考タイプを持つ一方通行は例外としても、IS戦闘において並列思考が出来ないというのは致命的な弱点となる。相手の動きを常に観察しつつ、自身の機体制御にも注意を払い、周囲の状況を把握する。三つのうちどれか一つでも怠れば、勝利は遠退いていくのだ。

 

その点、一夏は目の前の相手しか見ていない。よく言えば集中しているとも言うが、悪く言えば視野が狭く、周囲に気を配る余裕がない。そういった人間は、例に漏れず搦め手や罠、奇策に弱い。一夏も恐らく不測の事態には対応出来ないだろう。

 

とはいえ、そればかりは結局一夏自身の問題だ。いくら一方通行が鍛えたところですぐに変われるわけはない。その前に、彼にはそこまで面倒を見る気も更々無いのだが。

 

そんなことを考えながら、整備室に入っていく一方通行。利用者の名簿に名前を書き込み、プログラム用のケーブルを一本だけ手にとって椅子に腰掛ける。

 

首のチョーカーにプラグを挿し込み、ホロキーボードと二つのディスプレイを展開。一つは機体の武装データ。そしてもう一つには、膨大な量の数字と文字の羅列。それをざっと流し読みすると、キーボードに指を躍らせる。まるでビデオの早送りのように、凄まじい速度でプログラムが構築されていく。

 

―――そうしてキーを叩き続け、半刻ほどが経過した。

 

ある程度纏まりがついたところで、ようやくディスプレイから目を離し一息つく。時計を見れば、そろそろ利用時間も終わろうとしていた。帰るか、と首をパキポキと回した彼の視界に―――

 

 

 

その少女は、いた。

 

 

 

内側に巻いた、透き通るような水色の髪。気の弱そうな赤い瞳と、その印象をさらに深くしている眼鏡。

 

一方通行から少し離れた場所に立ち、小さく口を開けて彼を見つめていた。表情から察するに、何かに驚いているのだろうか。

 

彼と彼女の赤い瞳が交錯する。恐らくは初対面だろうが、一方通行にはどうも初対面だとは思えなかった。だというのも、

 

(……このツラ、どっかで……)

 

その少女の顔立ちがどことなく見覚えのあるものだったからだ。ハッキリとは思い出せないが、とにかくどこかで見たはずだ。

 

記憶の海を探る一方通行。しかし、その答えが出てくる前に青髪の少女はハッとしたように肩を跳ねさせると、慌てて整備室から走り出ていった。

 

その後ろ姿を目で追うが、やはり誰と似ているのかが思い出せない。ともあれ、利用時間も差し迫っている。一方通行はディスプレイとキーボードを消すと、ケーブルを戻して整備室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なァ、生徒会長っつーのは、学園の全生徒の名前とか覚えてンのか?」

 

自室に戻った一方通行は、隣のベットで寛ぐIS学園生徒会長に質問を投げ掛けてみた。突然の質問に一瞬きょとんとする楯無だったが、すぐに首肯する。

 

「もちろんよ。一年生から三年生まで、全部ね。でも、どうしてそんなこと聞くの? 人探しでもしてる?」

 

「……まァ、そンなトコだ」

 

「ふーん……へぇ……。ね、ね、そのコの特徴とかわかる? 身長とか、髪色とか」

 

にやにや、という擬音がぴったりな笑みを浮かべながら、備え付けの清涼飲料水をくぴっ、と口に含む楯無。その目は『面白い玩具を見つけた子供』そのものだ。

 

それを半眼で捉えつつも、整備室で見た少女の特徴を楯無に伝えていく。

 

「身長は155くらいか。眼鏡で、内気そうなヤツだったな」

 

「ふむふむ」

 

ペットボトルを口につけたまま、斜め上に視線を向ける。恐らくは特徴が該当する人物を探しているのだろう。

 

「瞳は赤、髪色は水色。髪型は内側に巻いたセミロングだ」

 

「―――ブファッ!?」

 

突如、楯無が口に含んでいた飲み物を盛大に噴き出した。およそ女性が出してはいけないような奇声と共に。

 

空中を舞う水飛沫はどこか幻想的で、神秘的だった。蛍光灯の光を乱反射しキラキラと輝く数多の水滴は、あるいは霧となって、あるいは水滴のままで―――

 

 

 

 

―――向かいにいた一方通行に降り注いだ。

 

 

 

 

「―――なァに景気よく人に飲みもンぶち撒けてンだテメェェェエ!! ベッタベタじゃねェかこれどォすンだオイ!? 」

 

「ッゲホ、けほっ、えほ!? ちょっ、待って……変なとこ入った……!」

 

「クッソ……これもォ着替えるしかねェじゃねェか……!」

 

不意の出来事に、全く反応できないまま清涼飲料水(楯無の唾液入り)をモロに被ってしまった一方通行。楯無もかなりの美少女なので、その手の人間にはご褒美となり得るのだろうが生憎彼にとっては不幸な出来事だった。

 

未だにげほげほと咳き込む楯無を軽く睨んでから、びしょ濡れとなった服を洗濯カゴに放り込む。シャワーのノズルを捻り、熱めのお湯を頭から被った。

 

ふと、そこで彼は気が付いた。少女を見たときに感じた既視感の正体。どうりで見覚えがあるはずだった。

 

顔立ちがそっくりというわけではないし、雰囲気もあまり似ていない。というよりも、そもそも髪色や瞳の色で気付くべきだったのだが、あまりにも姉妹で雰囲気が違いすぎたので二人を結びつけられなかったのだ。

 

(そォだ、アイツか)

 

シャツを着替え部屋に戻ると、いつも通りの楯無―――ただし目元に涙が滲んで赤くなっていた―――が、彼と一緒に被害を被ったシーツを変え終わったところだった。

 

「ご、ごめんね透夜くん。おねーさん、ちょーっと不意討ちすぎて……あは、あははは」

 

「……、まァいい。で、オマエがなンで噴き出したのかは知らねェが―――オマエの妹だろ? ソイツ」

 

「……ええ、そうよ」

 

そう答えた楯無の瞳は、どこか憂いを孕んでいた。彼女と彼女の妹との間に何かがあったのは確実だろう。姉妹喧嘩か、もしくは御家の事情か。

 

どちらにしても、彼はそんなことを追及しない。する必要もないし、聞いたところで彼とは何ら関係もないのだから。

 

「何も訊かないの?」

 

「訊いて欲しいのかよ?」

 

「……ありがと、透夜くん」

 

困ったような笑顔を浮かべて、楯無はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日が経ち、クラス対抗戦を来週に控えたある日の昼休み。今日も今日とて屋上で昼を済ませようと階段を上っていく一方通行だが、階段に響く足音は二つ。

 

「なンでついて来てンだ」

 

「あたしの行き先がたまたまアンタと一緒だってだけ。別にいいでしょ?」

 

「……どの口が言うンだっつの」

 

彼の隣にはツインテールの小柄な少女、鈴音の姿があった。

 

一方通行が食堂から出ようとしたときに丁度鉢合わせ、そのまま彼に鈴音がついてきたという構図だ。いつも食堂で昼食を摂っている鈴音にしては珍しく、おにぎりやパン等の軽食をビニールにぶら下げている。

 

一方通行としては煩くなければ別に何人いようと構わないのだが、鈴音という少女がそういった大人しいタイプではないことは十分知っている。だが、そんな理由だけで追い払えるはずはないし、そもそも追い払っても追い払えなさそうである。

 

あっという間の昼食を終え、缶コーヒーを傾ける一方通行と牛乳を三本ほど飲み干した鈴音。

 

「アンタさ。『あの日』、屋上に居たでしょ」

 

不意に、彼女がそう切り出した。

 

彼も、なんとなく聞かれるだろうとは思っていたので然程驚きも動揺もしなかった。

 

「……だったらなンだ?」

 

「……はぁ。やっぱり聞かれてたわけね……うっわぁ恥ずかしー……。透夜、アンタ絶対に言いふらしたりするんじゃないわよ? もしもそんなことしたら、ボッコボコにするからね!?」

 

「別にオマエの恋愛事情なンざ話すつもりも広める気も興味もねェっつの。そもそも俺が居ンのに気付かなかったオマエが悪ィだろ」

 

「う、うるさいわね! あの時は、そう、ちょっとだけ混乱してたからよ! 大体なんでアンタもあんな時間に屋上に居たワケ!?」

 

鈴音の尤もな質問だった。

 

彼女が一夏と一悶着起こしたあの日、彼が屋上に居合わせたのは全くの偶然だった。

 

昼休みに楯無から肉体言語での会話を終えて、午後の授業をサボり、そのまま春の陽気に当てられて熟睡してしまった一方通行。ふと気が付けば周囲は真っ暗、時刻を見れば午後八時。流石に戻るかと腰を上げた時、扉がバタンと勢いよく開き、涙を流した鈴音が飛び出してきたのだ。

 

この時、一方通行は屋上に出るための扉の逆側、間に踊り場を挟んだ位置で寝ていた。つまり、鈴音からは彼の姿が全く見えていなかった。

 

流石にこの時間帯ならば誰もいないはずだと高を括っていた鈴音は、そのまま泣きはらした。一方通行は鈴音の泣き声を聞き、見つかればまた厄介なことになるだろうと思いそのまま待機。しばらくして泣き止んだ鈴音が戻っていき、その後にようやく部屋に戻った、というのが一連の流れだ。

 

「呆れた。っていうかアンタ、授業サボって大丈夫なワケ?」

 

「あンなヌルい内容の授業なンざ受けなくても問題ねェよ。基礎中の基礎も良いところだぜ実際」

 

「へぇ、言うじゃない」

 

すっ、と鈴音の目が細くなる。

 

一方通行の物言いが嘘ではないことを感じると同時に、彼の実力がどれ程のものなのかを見極めるような視線だった。彼女にも代表候補生として譲れない部分があるのだろう。

 

「ま、アンタとはいつか戦うとして。……アンタ、あのバカの訓練してるんでしょ? だったらアイツに言っときなさい。『遺書でも書いとけ』ってね」

 

そう言って立ち上がると、鈴音は早足で扉から出ていく。

 

残されたのは、眉根を寄せて渋い顔をする一方通行。彼のその表情の理由は、怒り状態の鈴音に対抗できるようにどう一夏を鍛えるか悩んでいる―――ことではなく。

 

(面倒臭ェ……)

 

ただ単純に、鈴音と戦う未来がどうあっても避けられないということへの諦めと脱力感だった。

 

 

 

 




更新が遅れてしまい申し訳ございません。
オリジナル回は書くのが難しい、ハッキリわかんだね。
ようやく次回から戦闘です。

感想・評価を下さった方々、誠にありがとうございました。


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十一話

そして、その日がやってきた。

 

クラス対抗戦、第二アリーナ第一試合、織斑一夏VS凰鈴音。

 

どちらも専用機持ちの新入生であり、しかも一人は世界初の男性IS操縦者。アリーナの観客席は文字通り人で溢れかえっており、椅子に座れない者は立ってまで見ている有り様だった。それでも学園の全生徒を収容するには足りず、残った生徒は別室にてリアルタイムモニターでの観賞となっている。

 

そんな状態にもかかわらず、『生徒会長権限』で手に入れた一等級の席に腰掛ける二人の男女。

 

「いよいよね。透夜くんはどっちが勝つと思う?」

 

口元を扇子で隠しつつも、楽しそうに目元を細めながら宙に浮かぶ二機のISを見つめる楯無。それを横目でちらりと一瞥してから、彼女と同様にアリーナへと視線を向けた。

 

ハイパーセンサーだけを起動し、視線を鈴音が操る赤黒のISにフォーカスする。すぐに解析が行われ、機体のスペックが詳細に表示された。

 

―――甲龍(シェンロン)

 

名前から違うなにかを想像してしまわなくもない、中国の第三世代機である。そして、その機体の何よりの特徴は、

 

(衝撃砲……。また面倒臭ェモン積ンでやがるなアイツも)

 

衝撃砲。中国が開発した、重力操作装置を応用した空間圧作用兵器の名称である。大気に圧力をかけ砲身を生成、圧縮された砲身内部のエネルギーそのものを砲弾として撃ち出す第三世代兵装だ。

 

この武装の厄介な点は、撃ち出された砲弾は元より生成された砲身すらも透明であることから、弾道や弾角が非常に予測し辛いこと。よって、撃ち出された弾丸をハイパーセンサーが捉えるのを確認してからでは回避が間に合わないのだ。

 

「……戦術的優位性(タクティカルアドバンテージ)なら凰の方が上だな。雪片と衝撃砲じゃ相性最悪だ。零落白夜があるっつっても、当てられるとも限らねェし当たらないとも限らねェ。案外、勝負つかねェかもなァ」

 

「ほほう、どっちも勝たないってこと? じゃ、おねーさんもそれに一票入れちゃおうかな♪」

 

楽しそうに笑う楯無の言葉が終わると同時に、アリーナ上空で戦いの火蓋が切って落とされた―――

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

鳴り響く鈍い金属音。

 

試合開始の合図と同時に飛び出した俺と鈴は、其々の得物を手に真っ正面から鍔競り合った。鈴の鋭い眼光がすぐ近くで俺を捉えているのが見える。

 

「ふうん。初撃を防ぐなんてやるじゃない。けど―――」

 

鈴が振り回す異形の青竜刀から放たれるのは、縦横斜めと変幻自在に角度を変える斬撃の嵐。しかもそれをバトンのように回転させながら斬り込んでくるために、遠心力もプラスされて一撃一撃が重い。

 

(このままじゃマズい、一度距離を取らないと―――)

 

「甘いッ!」

 

瞬間、鈴の肩部分にある非固定浮遊部位の装甲ががぱっと開いた。内部が光り輝くのを見たのと同時に、そこから衝撃の弾丸が射出されるのをセンサーが捉えていた。

 

 

 

―――だが、俺には当たっていない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「危ねぇ……!」

 

もはや条件反射と化した回避行動を取ったお陰で、鈴の一撃は俺の装甲を捉えることなくアリーナの地面を抉った。ちらりと見てみれば、驚愕に目を見開いている鈴の姿が見える。

 

うん、いや、俺もまさか避けられるとは思ってなかったけど。訓練の成果ってやつだろう。……訓練、鈴科、銃弾、うっ、頭が……。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……よくあんな至近距離で回避できたわね。私でもちょっと無理なレベルよあれ。透夜くん一体どんな訓練したの?」

 

「あン?」

 

気だるそうに頭の後ろで手を組んでいた一方通行が、楯無の言葉に反応して顔をそちらに向けた。楯無は『神業』の扇子を広げて戦闘を注視しているが、その視線は真剣そのものだ。

 

それに倣って一方通行もアリーナ内に目を向ける。そこには、鈴音が放つ衝撃砲を避け続けている一夏の姿があった。そんな一夏の姿を見て、フンと鼻を鳴らす。

 

「……誰が訓練してやったと思ってンだ」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「これが訓練なのか?」

 

「そォだ。オマエはその演算式をひたすら解いてろ。その間に俺が適当に撃つ。それを避けろ」

 

「……それ、めちゃくちゃ難しくないか?」

 

「つべこべ言ってンじゃねェよぶっ飛ばすぞコラ。因みにだが、攻撃を避けられなくても問題を時間内に解けなくてもペナルティだ。―――やれねェなンざ言わせねェぞ織斑ァ」

 

(あ、これ死んだわ)

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

……思い出すだけで震えが止まらないぜ。もうマジで死ぬかと思ったもん。いや、おかげで反応速度が超上がったけどね!

 

「くっ、このっ! ちょこまかちょこまか……! いい加減当たんなさいよ一夏ぁ!!」

 

「悪いけどその頼みは聞けないね!」

 

鈴が衝撃砲を乱射するも、未だに一発も被弾していない。……すげえ、マジで当たらないんだな。やっぱり訓練頼んでおいてよかった。

 

聞くところによると、あの訓練は並列思考能力と危機察知能力の向上に効果のあるものらしい。なんのこっちゃ。

 

でも、効果が表れてるのがハッキリとわかる。今も鈴がどんな動きをして、何をしようとしているのかがわかる。それでいて、機体の制御も損なわれていない。けどそれだけじゃダメだ。

 

鈴が撃って俺が避ける、とどのつまりは千日手。均衡を崩す一手を打たなければ、王将()を取ることは出来ない。

 

今は逃げに徹しているから無事なものの、これでは勝てないだろう。実力では完全にあちらが上なのだから、こちらから攻めに転じなければ。

 

「鈴」

 

「なによ?」

 

「本気でいくからな」

 

雪片を正眼に構え直し、真剣に見つめる。俺の気概に押されたのか、鈴はなんだか曖昧な表情を浮かべた。

 

「な、なによ……そんなこと、当たり前じゃない……。とっ、とにかくっ、格の違いってのを見せてあげるわよ!」

 

鈴が両刃青竜刀を一回転させて構え直す。そして、両肩の衝撃砲が火を噴く―――

 

(ここだ!)

 

衝撃砲が発射される瞬間、スラスターを軽く噴かして射線から外れる。次弾が発射される前に最大出力で瞬時加速を敢行、一瞬で距離を潰しにかかる。

 

俺のすぐ真横を衝撃の弾丸が通過するが、意に介さずに肉薄する。そして、振りかぶった雪片が零落白夜を発動させ―――

 

 

 

 

ズドォォォォオオオンッ!!!

 

 

 

 

刃が鈴のシールドバリアーを切り裂く直前、強烈な衝撃がアリーナを揺さぶった。鈴の衝撃砲が地面を叩いたわけではない。威力が違いすぎる。

 

アリーナ中央で土煙を巻き上げている『それ』に視線を向ける。どうやら、さっきの衝撃は『それ』が落下してきたときのものらしい。

 

「な、なんだ? 何が起こって……」

 

『一夏、試合は中止よ! すぐにピットに戻って!』

 

真剣な鈴の声が飛んでくる。何を、と反論する前に白式のハイパーセンサーがアラートを飛ばした。

 

―――ステージ中央に熱源。所属不明のISと断定。ロックされています。

 

「なっ―――」

 

アリーナの遮断シールドはISのシールドバリアーと同じ素材で作られている。つまり、乱入してきた機体はISのシールドを貫通するレベルの攻撃力を持っているということだ。そして、その機体は俺をロックオンしている。

 

『一夏、早く!』

 

「お前はどうするんだよ!?」

 

「あたしが時間を稼ぐから、その間に逃げなさいよ!」

 

「逃げるって……女を置いてそんなことできるか!」

 

「アンタはただのIS操縦者! 軍属のあたしとは違ってこういうときには避難が最優先なのよ! ……それに、あたしも最後までやり合うつもりはないわよ。こんな非常事態、すぐに先生たちが出撃―――」

 

「あぶねぇっ!」

 

ギリギリのタイミングで、鈴の体を抱きかかえて回避することに成功。直後、光線が一瞬前まで俺たちがいた場所を薙ぎ払った。

 

「ビーム兵器かよ……。しかもセシリアのISよりも出力が上だ」

 

軽く解析した結果を見て戦慄する。あんなものまともに食らえばただではすまないだろう。

 

「ちょっ、ちょっと、馬鹿! 離しなさいよ!」

 

「お、おい、暴れるな。―――つか殴るな!」

 

「うるさいうるさいうるさいっ!」

 

助けた相手にそれはないだろ!? あとシールドエネルギーが地味に減ってんだよマジで止めろバカ!

 

「だ、大体、どこ触って―――」

 

「! 来るぞ!」

 

もうもうと立ち込める土煙を切り裂くように、何本もの光線が放たれる。回避したその攻撃が観客席を覆うシールドに当たったのを見てドキリとしたが、幸い貫通はしていなかったようだ。やはりもっと高出力の別の武装があるのだろう。

 

そして、煙の中からゆっくりと姿を現したその機体を見た俺は思わず呻いた。

 

「……なんなんだ、あいつは……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに、あれ……?」

 

楯無がそうぽつりと呟く。

 

その視線の先には、全身をくまなく分厚い装甲で覆った異形のISが浮かんでいた。あれが乱入者の正体であり、アリーナの遮断シールドを破壊した機体だ。

 

本来スマートな形状をしている一般的なISとは異なり、腕は太く長く、頭と胴体が繋がっている。さらに、顔までも装甲で覆われており、本来目がある場所にはセンサーレンズが不規則に並んでいるだけだった。

 

「とにかく、生徒たちの避難を誘導しましょう。透夜くんも手伝ってちょうだい!」

 

「チッ……」

 

いつもの飄々とした態度は全く消え失せ、凛とした立ち振舞いで生徒を誘導していく楯無。その姿は正に生徒会長に相応しいものを感じさせていた。

 

だが―――

 

「ちょっと……なんで!? なんで開かないの!?」

 

「開けて! ここから出してよ!」

 

「嘘でしょ……逃げられないの!?」

 

人だかりの所々で悲鳴が上がる。

 

後方で指示を出していた楯無と一方通行からは何が起こっているのかを確認することはできないが、何かしらの理由で扉が開かないようだ。原因を確認しにいこうとした楯無のプライベート・チャネルに通信が入った。

 

『更識、聞こえるか?』

 

『織斑先生。状況の報告をお願いします』

 

『恐らくはあのISの仕業だろうが、遮断シールドのレベルが4に設定されている。更に、アリーナから外部へと通じる連絡用通路の扉全てがハッキングを受けて閉鎖状態だ。そちらは?』

 

『一応、生徒の避難誘導を現場に居合わせた鈴科透夜くんと共に行っていますが……このままではパニックになるのも時間の問題でしょう』

 

『やはりな……。今、三年の精鋭たちがシステムクラックを実行中だ。シールドを解除でき次第すぐに部隊を突入させるがそれもいつになるかわからん。おまえたちはそのまま生徒たちの混乱を鎮静させろ』

 

『了解しました』

 

通信を終え、アリーナ内に視線を向ける楯無。そこには乱入者と戦闘を繰り広げる一夏と鈴音の姿があった。

 

ぎり、と歯噛みする。

 

本当ならば今すぐにでも飛び出していきたいところだが、遮断シールドがある以上こちらから手出しは出来ない。学園の生徒会長として、こういった緊急事態に何も出来ないことが歯痒かった。

 

だが、今はそんな個人の感情を優先するときではない。深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。心を平らに均し、感情を心の奥にしまい込んだ。有事の際に感情を昂らせても良いことはないのだから。

 

「嫌! 早く出して!」

 

「痛っ……ちょっと、押さないでよ!」

 

「もっと奥まで詰めれるでしょ!? 邪魔なの!」

 

しかし、冷静になった楯無とは反対に生徒たちの恐怖と焦りはどんどんと高まっていく。行き場を無くしたその感情は膨らみ続け―――やがて、集団パニックという形で爆発しするだろう。

 

(マズいわね……)

 

内心で舌を打つも、良い打開策が見つからない。何か、全員の注意を引き付ける方法があれば。そう、考えていた時だった。一人の一年生がふらふらとこちらに歩いてくる。焦りと不安に染まった視線は一方通行に向いており、一目で平静ではないと見てとれる。生徒は一方通行の側まで来ると、服をつかんで言い寄った。

 

「ね、ねえ、あなた、学年首席なんでしょ? な、なら、なんとかしてよ。どうにかしてあの扉開けてよ!!」

 

大多数の生徒たちに注意を向けていた楯無は、その生徒の行動に気付くのが遅れてしまった。そして、それが切欠となり―――

 

「そ、そうよ! 男なんだから、私たちの為に働きなさいよ!」

 

「専用機持ちなんでしょ!?」

 

「ど、どうせ今戦ってる男だってすぐに負けるわ! 早く私たちを逃がしなさい!」

 

一ヶ所で上がった感情の破裂は、あっという間に周囲に広がっていった。そして、『男だから』という理由によって、何の責任もない一方通行に詰め寄る生徒も複数見受けられる。女尊男卑の風潮に中てられている女性主義者の生徒たちだろう。

 

混乱が混乱を呼び、最早手のつけられない状況になろうかというとき―――

 

 

 

 

「―――いい加減にしなさい!!」

 

 

 

 

ぴしゃりと言い放たれたその一言で、恐慌状態に陥っていた生徒たちが水を打ったように静かになる。凛とした一喝を飛ばした楯無は、厳しい視線でぐるりと周囲を見渡した。

 

「女性が男性よりも偉い? だから助けなさい? 今はそんなくだらないことを言っている場合じゃないでしょう。非常事態が起きたからと言ってすぐにパニックになって、あまつさえ透夜くんに責任を押し付けようとするなんて、偉い偉くない以前に人間として間違っているわ」

 

正論だった。正論すぎて、返す言葉も出てこなかった。今さらに自分のやったことを思い出し顔を俯けるもの、気まずそうに顔を背けるもの、憎らしそうな視線で一方通行を睨むものと様々だったが、楯無はさらに続ける。

 

「それにね。今もこうして、私たちの為に戦ってくれている人がいるのよ? しかも一人は男性。それでもまだ、さっきと同じ言葉を叫べるのかしら」

 

閃光と爆音が轟くアリーナをちらりと見て、そう言った。

 

最早、誰も反論するものはいなかった。否、出来なかった。楯無の言葉には一分の隙も無い。完全に完璧に絶対的に、正しいのは彼女だった。

 

あれだけ騒がしかった観客席が、まるでお通夜のように静まりかえる。気まずい沈黙が流れるなか、その静寂を最初に破ったのは、意外な人物だった。

 

「……ったくよォ」

 

ガシガシと頭を乱暴に掻き、スタスタと歩き出した一方通行。彼の通る道を開けるように、人混みが二つに割れる。

 

「透夜くん? 何を……」

 

楯無の問いかけに、ぴたりと立ち止まる。そして、首だけ振り返ると心底面倒臭そうな表情を浮かべてこう言った。

 

「―――サービスだよ、クソったれ」

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「くそっ……!」

 

肉薄した状態で雪片を振るうが、その斬撃は虚しく宙を切った。これで四回目のチャンスを逃したことになる。

 

「一夏っ、馬鹿! ちゃんと狙いなさいよ!」

 

「やってるっつーの!」

 

ISはハイパーセンサーがあるので死角という死角は存在しないが、やはり後ろからの攻撃には反応しづらいものだ。だというのに、このISはまるで後ろに目があるかの如く攻撃を回避していく。

 

だが―――何か、おかしい。

 

俺の攻撃を避けたその後の行動が、必ず同じなのだ。高速回転しながら突っ込んできて、両腕からビームを乱射する。今までの三回も全てそうだ。

 

四回目のその反撃をかわしながら、そんなことを考える。戦闘中だというのにこんなことを考えられるのもひとえに鈴科との訓練の賜物だろう。

 

「まったく……なんで回避スキルだけそんなに熟達してるわけアンタ?」

 

「いやぁ、なんで……なんでだ?」

 

「あたしに聞くな!」

 

呆れたような鈴の言葉に、自分でも首を傾げたくなる。今までの戦闘で未だに被弾回数どころか掠めもしておらず、シールドエネルギー減少はゼロ。とはいえ、零落白夜の使用によってそれもかなりの数値まで減ってしまっている。

 

「……鈴、あとエネルギーはどのくらい残ってる?」

 

「180ってところね。アンタは?」

 

「230くらいかな」

 

「お、多いわね。なんであたしより高いのよ」

 

訓練の賜物だろう。

 

「ところで鈴。さっきから思ってることなんだが……あのIS、行動パターンが固定されてないか?」

 

「……そう言われてみれば、そうね。一夏の攻撃を避けたら必ず回転攻撃、あたしが砲撃すればビームの乱射で反撃。しかもあたしたちが会話してるときは攻撃してこない……」

 

固定された動き。機械じみた動作。そして人間ではできない動き。考えられる可能性は―――

 

「……無人機体……?」

 

鈴がぽつりと呟く。

 

「やっぱ、そう思うか?」

 

「うん……でも、無人機なんてあり得ないわ。ISは人が乗らなきゃ起動しないもの」

 

「確かにそう知られてる。でも、そう決められているわけじゃない。仮に、もし仮に無人機なら、勝てる可能性はある」

 

俺がそう言うと、鈴がまじまじと俺の顔を見つめてくる。なんだ? なにかついてるのか?

 

自分の顔をISのデカイ手で器用にまさぐる俺に、鈴は何かを懐かしむような表情で口を開いた。

 

「……アンタ、なんていうか変わんないわね、ホント。昔っから無茶な事でも『大丈夫!』だとか言って。―――で、本当に成功させちゃうんだからさ。なら、今回も必ず成功させなさいよ」

 

「……おう! 任せとけ!」

 

「で? あたしは何をすればいいワケ?」

 

そう言って、鈴は獰猛な笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「すごい……」

 

生徒の誰かがそう呟いた。

 

それは私も、そして今ここにいる生徒全員もきっと同じ気持ちだろう。目の前で起こっている光景が、まるで映画のように思えてくる。

 

システムクラック用に、学園のセキュリティシステムにアクセスしてあるホロキーボードを叩く透夜くん。ただし、そのスピードがあまりにも異常だった。つい先程までそのキーボードを叩いていた整備科のエース、薫子ちゃんも目を丸くして驚いている。

 

「た、たっちゃん。鈴科くんて、何者……?」

 

「……私にもわからないわよ」

 

思わず『不明』の扇子を広げて苦々しげに返す。IS操縦技術が高いことは入試の成績を見て知ってる。でも、プログラミングにまで精通しているなんて聞いてないわ……。

 

薫子ちゃんよりも何倍も早く何倍も的確な操作でシステムの奥底へと入り込み、何重にもかけられたカウンタープロテクトを易々と突破していく。

 

多数の生徒が固唾を飲んで見守る中、躍っていた指が不意にピタリと止まった。彼が息を吐いた音が聞こえる。

 

 

 

「―――終わったぜ」

 

 

 

バシュンと、今の今まで固く閉ざされていた扉がその向こう側の景色をさらけ出した。

 

―――早い。彼が作業に取りかかってから一分も経っていない。薫子ちゃんたちが数人がかりで挑んでも解除できなかったあの厳重なプロテクトをたった一人で……。

 

呆気にとられている私たちを置いて、本校舎へ避難していく生徒たちを冷めた目で眺める透夜くん。その姿には余裕すらも感じられる。

 

「あの……あ、あのっ! ……ありがとう」

 

「助かったわ! ありがとね!」

 

「ありがと。お、お礼はちゃんと言えるし!」

 

Спасибо(スパスィーバ)

 

去り際に感謝の言葉を述べていく生徒たちもいたが、彼は億劫そうに手を振ってそれを制した。ともあれ、彼のお陰で生徒たちの安全は確保できたわけだ。

 

「ありがとう、透夜くん」

 

「いらねェよ。っつーか―――」

 

そろそろ終わンぞ、と。

 

アリーナを眺めてそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

「じゃあ、いくぞ鈴」

 

「了解。いつでもいいわよ」

 

短くアイコンタクトをして、頷き合う。

 

突撃姿勢に移行してスラスターを開こうとした瞬間、アリーナのスピーカーから大声が響いた。

 

「一夏ぁっ!」

 

キーン……と尾を引くハウリング。聞き慣れたその声は、ピットにいるはずだった箒のものだ。でもそれが館内放送のスピーカーから聞こえてくるということは……

 

「……うわぁ……」

 

中継室にハイパーセンサーをフォーカスした俺は思わず呻いていた。本来そこで実況を行うはずだった審判とナレーターが床に倒れており、箒がマイクを奪っているようだ。

 

「男なら……男なら、そのくらいの敵に勝てなくてなんとする!」

 

再びの大声。だが、センサーを通じて聞こえるその声は、不安と怒りと焦りをない交ぜにしたような不思議なものだった。

 

「…………」

 

―――まずい!

 

今の館内放送で、敵ISが新たな熱源反応―――つまり、箒を認識してしまった。センサーレンズをそちらに向けて、じっと観察している。オートフォーカスらしき、キュイキュイという機械音が妙に大きく感じられる。

 

言って間に合うわけはない。そもそも箒が素直に言うことを聞いてくれるとは思えないし……。考えている時間なんてない!

 

「鈴! やれ!」

 

「了解!」

 

両腕を下げ、肩を押し出すようにして衝撃砲を構える鈴。反動で機体が吹き飛ばないようにするための力場展開翼が後部に広がった。そして俺は、その射線上に身を躍らせる。

 

「ちょっ!? なにしてんのよアンタ! 」

 

「いいからやれ!」

 

「でも、アンタ―――ああもう! どうなっても……知らないわよッ!!」

 

爆音と共に、鈴が最大出力の衝撃砲をぶっ放した。衝撃の弾丸が俺の背中を叩く直前に『瞬時加速』を発動させる。

 

瞬時加速の原理は、スラスターからエネルギーを放出しそれを一度取り込んで圧縮。そのエネルギーを再びスラスターから吐き出し、その際に得られる慣性エネルギーを利用して加速力を得る。

 

ということは、取り込むエネルギーは別に自機のものだけでなくてもいいのだ。そして、使用するエネルギーが多ければ多いほど瞬時加速の出力は上がる!

 

莫大なエネルギーの塊が背中に直撃し、息が詰まる。体が悲鳴を上げるのを無視して―――俺は、音速の壁をぶち破った。

 

「うぉぉぉぉッ!」

 

雪片弐型から溢れだす、青白く輝くエネルギーの燐光。刀が冠する『雪片』の名の如く、美しい輝きを湛える一振りの光刃と化す。

 

コンマの世界で肉薄した俺は、すれ違い様に一閃。敵ISの右腕を肩口から斬り飛ばした。そこから覗くのは骨や筋繊維の詰まった赤黒い人間の腕―――ではなく、何本も束ねられたケーブル。やはり、無人機だ。

 

ガリガリガリガリッ!! と地面を削り取りながら強制的に機体を反転させる。相手を視界に収めた時には、こちらを向いた敵ISが残った左腕を最大出力形態に移行させてビームを放っているところだった。

 

 

 

―――あれが当たったら、間違いなく、終わりだ。

 

 

 

ゆっくりになっていく視界の中、鈴の悲鳴じみた声が回線を通じて聞こえてくる。そんな時に思い出したのは、幼馴染みの顔ではなく、唯一の肉親である千冬姉の顔―――でもなく。

 

訓練の時、鈴科に言われた言葉だった。

 

 

 

 

 

『―――エネルギーの集合体であるシールドバリアーを無効化できるって事ァ、エネルギーライフルとかも例外じゃねェ。攻撃をソレで無効化することだって出来るハズだ』

 

 

 

 

 

 

 

「―――おおおおおおおおああァァァァァァああああッ!!」

 

思考する暇すらもなく、反射的に零落白夜を発動。迫り来る極大の光線を逆袈裟に薙ぎ払った。

 

青白く発光する刀身に触れた瞬間、嘘のように霧散していく光線。粒子となって舞い踊る光の残滓のその向こうに、倒すべく敵の姿だけが大きく広がった。

 

残り僅かとなったエネルギーを振り絞って、三度音速の世界へと飛び込む。

 

「ぁぁぁぁあああぁぁあああッ!!」

 

最早咆哮なのか絶叫なのかわからない声を張り上げて、雪片弐型を振り切った。硬い装甲を切り裂く感触を感じると同時に、速度を制御しきれずに外壁に直撃する。

 

揺れる視界の中、上半身と下半身に分断された敵のISがハッキリと見えた。

 

「……、はは……」

 

力なく笑いが漏れた。

 

今さらに、自分がどれだけ無茶なことを仕出かしたのかを思い出して膝が笑っている。瓦礫の山に沈んでいる状態の俺と白式だが、シールドエネルギーはもう展開状態を維持できるギリギリの数値しか残っていない。まさに、危機一髪というやつだ。

 

「一夏っ! 無事!?」

 

「おう、なんとか」

 

「―――っ、この馬鹿っ! 一人であんな無茶なことして……!」

 

急いで近づいてきた鈴に怒られた。けど、その表情は泣きそうなのを堪えて無理矢理怒っているような、そんな感じだった。あぁ、心配してくれてありがとよ。

 

「……まぁ、いいか。とにかくお前らが無事で良かっ―――」

 

 

 

 

 

 

 

ズドォォォォォオオオオンッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

地面が、揺れる。

 

巻き起こる土煙。

 

そして、視界に表示されたその通告。

 

 

 

 

 

 

 

―――ステージ中央に熱源四。所属不明のISと断定。ロックされています。

 

 

 

 

 

「嘘、だろ……」

 

 

 

 

 

 

 



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十二話

「あ……っ、新たな熱源反応を感知! 総数四! 場所は―――アリーナ中央ですッ!」

 

「なんだと……!?」

 

アリーナのコントロールルームに、真耶の切羽詰まった声が響いた。そして、普段は絶対に慌てることのない冷静沈着な千冬の、苛立ちを含んだ焦りの声。

 

「織斑くんが撃墜したものと同型のISです! 遮断シールドのレベルは未だ4、加えて連絡用通路へ続く扉が再びハッキングを受けロックされました!」

 

一夏と鈴が全霊を以てようやく倒しきれた無人機。文字通り満身創痍となって打倒したそれが、更に四機も追加された。一夏のエネルギーはもう一桁、鈴も残っているエネルギーは戦闘など到底無理な数値だ。

 

こんな状態で先程のビームを斉射でもされれば、間違いなく二人は物言わぬ屍と成り果てるだろう。エネルギーがなければISは動かない。絶対防御も発動しない。助けに入ろうにも、遮断シールドのクラッキングは未だ終わる様相を見せない。

 

現状、コントロールルームにいる千冬たちから手出しすることは不可能だ。―――ならば、手出しの出来る人間を動かせばいい。瞬時に判断を下した千冬は、再びプライベート・チャネルを開く。

 

『更識、緊急事態だ。そちらから遮断シールドをどうにかして破れないか?』

 

『……、無理でしょう。私のISの火力では、とっておきを使ったとしてもレベル4まで引き上げられたシールドを破壊することは……』

 

楯無が一瞬考える気配を見せて、やがて諦めたようにそう告げた。千冬の表情が凍る。視線が向く先はモニターに写し出されている、今なお瓦礫の山に沈んでいる最愛の弟。シールドエネルギーがほぼ尽きている状態では、実体装甲が少ないISはただの金属塊だ。

 

(一夏……!)

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

(これは……本格的にマズいわね)

 

普段はその性格で他人をからかっている楯無の顔から、余裕という二文字が完璧に消え去った。当然だろう、自分の目の前で人が死ぬかもしれないというときに顔色ひとつ変えない人間がいたら、そいつは人間として大切なナニカが欠けてしまっている。

 

楯無も専用機を持っているものの、彼女の機体は攻撃特化のパワータイプではない。高火力の兵装もあるにはあるが、どちらかといえばテクニックタイプに分類されるものだ。仮に遮断シールドを突破するほどの威力を出せたとしても、恐らくガス欠で戦闘はできない。

 

学園の専用機持ちを緊急出撃(スクランブル)させるか?

 

―――連絡用通路が使えない状態では扉を破壊してこちらに来るしかない。だがそれでは本校舎の生徒たちに被害が及ぶ可能性がある。そもそも、彼女たちでもレベル4の遮断シールドを突破するほどの火力があるかどうか。

 

(……諦めるもんですか。何か、何か手は―――)

 

躍起になって解決の糸口を探す楯無。そうこうしている内にも敵ISが一夏たちを捕捉して攻撃に移ってしまうだろう。楯無を含む、この光景を見ている人間が焦りと絶望を表情に滲ませる中。

 

一人だけ、変わらず冷めた目線でアリーナを眺める人間がいた。

 

一方通行だ。

 

先程、気まぐれで扉のロックを解除したが、一夏や鈴音が危険にさらされても助けにいこうとは思わなかった。錆び付いて動かなくなった彼の心は、知り合って一月程度の人間が死のうが特に思うことはなかった。

 

彼からした一夏の認識は、『男でISを動かすことができる、織斑千冬の弟』程度のもの。それだけで彼が一夏を救いに行く理由にはならないからだ。

 

基本、一方通行は自ら他人と関わろうとはしない。今までもそうであったし、束や千冬、楯無と出会って多少改善されようとも、そう簡単に変われるものではない。人との繋がりが深ければ深くなるほど、失った時のショックは大きくなるのだ。それを知っているからこそ、彼は深くまで人を知ろうとはしなかった。

 

模擬戦の相手になったセシリアも、訓練に付き合った一夏にしても、妙な所で出会う鈴音にしても、一方通行に『友情』『愛情』といった感情は生まれていない。その程度の浅い関係だから、一夏が無惨に殺されようと鈴音が息の根を止められようと知ったことではない。

 

 

 

 

 

 

 

―――そのはず、だった。

 

 

 

 

 

 

 

『一夏たちが死んでも関係はない』と、頭の中で考える。瞬間、胸の辺りがチクリと痛む。何か攻撃を受けたわけではない。病を患っているわけでもない。

 

(……だったらなンだってンだ、この胸の痛みは?)

 

何か見えない糸で心臓を縛られているような感覚。決して激しいわけではないのに、言い様のない苦しさがあった。もう一度、アリーナを眺める。チクリと痛む胸。

 

彼自身、その痛みの名前はわからない。が、痛みの理由はなんとなくだが理解することはできた。

 

―――例え浅い関係だとしても、出会って一月程度の関係だとしても。

 

 

 

『一方通行』という人間を、『学園都市最強の超能力者』ではなく、『一方通行』という一個人として見てくれている、そんな彼等を失いたくはないからだと。そう、心のどこかで思っているからだと。

 

 

 

だから、一方通行は胸を痛める。

 

自らを化物と呼んで蔑もうと、心を閉ざして周囲を拒絶しようとも。例えそうしたところで、絶対不変のその事実は覆ることはない。

 

 

 

 

彼は、どうしようもなく『人間』なのだから。

 

 

 

 

「くっだらねェ……」

 

自嘲気味にそう呟く。

 

一度人と関わることを諦めておきながら、今更人との繋がりを失いたくありませんなどと、自分勝手にもほどがある。だが、その自分勝手を咎める者などここにはいない。彼は、彼の思うがままに考え決めて動けばいいのだ。

 

一方通行は、初めて出来た小さな繋がりを消したくはない。ならばどうする? 目の前でそれが消えようとしているのならば、自分はどうすべきだ? 何をすればいい? 何が出来る?

 

答えなど、わかりきっていることだろう。

 

小さく舌打ちをする。そして、その赤い瞳を再びアリーナに向ける。刹那―――光が、彼の体を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

乱入した無人機たちを呆然と見つめる一夏。一機を墜とすだけでもボロボロになったというのに、それが更に四機も追加されたのだ、悪い夢としか思えなかった。

 

其々の機体が、腕部分に搭載された砲口計八基十六門全てをこちらに向ける。もう、それらを避けきることができるエネルギーなど残ってはいない。恐らく自らを覆っている瓦礫から脱するだけで、白式はその機能を停止させるだろう。

 

詰み、というやつだ。

 

死の淵に立ち、一夏の時間の流れが急速に落ちていく。無人機の一挙手一投足がはっきりと見える。ああ、俺死ぬのか、などと何処か他人事のように思考が浮かんでは消えていく。

 

すぐそばにいる鈴音が急いで引っ張り出してくれようとしているのがわかる。が、一夏が引きずり出されるよりも無人機のほうが早いだろう。

 

そんな一夏の心情など知るよしもない無人機たちは、無情に無慈悲に攻撃を開始し―――

 

 

 

 

 

ドガッシャァァァァァァァァアアアアッ!!

 

 

 

 

 

 

轟音が炸裂した。

 

無人機の光線が一夏たちをバラバラに破壊した音―――ではない。

 

今まさに放たれようとしていた光線は、突然の衝撃と轟音によって無人機の注意が逸れ辛うじて止まっている。しかし、死にそうな状況なのは依然変わらない。

 

「一夏! 無事っ!?」

 

無人機の攻撃が止まった隙を突いて、鈴音が一夏を瓦礫から助け出した。その瞬間、白式が量子へと還る。まさに間一髪だった。

 

「な、なんとか。一体何が起きたんだ?」

 

「わかんない。でも……」

 

そこで言葉を切り、巻き上がった土煙の中心に視線を送る鈴音。恐らくハイパーセンサーで状況を把握しようとしているのだろうが、ISを纏っていない一夏は土煙のせいで情報が得られない。しかし―――

 

ビュオッ! と突如風が吹き荒れ、土煙が吹き飛ばされた。視界を遮るものがなくなり、一夏の目にも『それ』が映る。

 

 

 

 

 

 

「―――俺が潰す。オマエはアイツらを連れて下がってろ」

 

陽光を反射し妖しく煌めく、濡羽色の漆黒のIS。

 

 

 

 

 

 

 

「―――悪いわね。生徒会長として譲れないものもあるのよ」

 

幻想的で神秘的な輝きを放つ、水流を纏う水色のIS。

 

 

 

 

 

それを纏うは、赤き瞳を其々の感情で染め上げた学園都市最強(一方通行)IS学園最強(更識楯無)

 

 

 

 

 

乱入した四機の無人機は、僅か三分で全滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――はい、終わったわよ」

 

その声に、俺は横たえていた体を起こした。

 

現在俺が着ているのは学園の制服ではなく、ISスーツでもなく、病院患者が着るような薄緑色のアレ。それを着た状態で、CTスキャンのような機械を通ったところだった。

 

「目立った外傷はなし。体内に異常もないわ。無茶な動きをした反動で体が参っているでしょうけど、一日休めば治るからしっかり休むこと。いいわね?」

 

赤と青のコントラストが目を引く奇抜な服を着たIS学園保険医、八意永琳先生はカルテらしき紙に目を落としながらそう言った。なんでも、八意先生に治せない病や傷はないらしい。たとえ死にかけでも、明日にはケロッとしているんだとかなんとか。

 

……いや、それもう魔術かなんかだろ。死にかけて学園の保健室に運び込まれるなんていう事態にならないことを切に願うばかりだ。

 

俺がここで検査を受けているのは、無人機との戦いでISが強制解除され生身の体を晒したからだ。ISがあれば操縦者が傷つくことはないが、零落白夜と瞬時加速を連発で使用した上に無茶な切り返し、おまけにアリーナ内壁にまで突っ込んだのだ。

 

そんなことをすればエネルギー切れになるのは当然で、鈴が瓦礫から引っ張り出してくれた直後に白式が待機状態に戻ってしまったのだ。彼女が助けてくれなかったらと思うと背筋が凍る。

 

「ありがとうございました。じゃあ、俺はこれで」

 

「ええ、お大事にね」

 

制服に着替え、圧縮空気の抜ける音を背にして保健室を後にする。すると、扉のすぐそばに誰かが立っているのに気が付いた……、って。

 

「鈴?」

 

「あ、一夏……」

 

ほっとしたような表情を浮かべる鈴。なんだろう、心配してくれたんだろうか。それなら嬉しいけど、『元気そうだしまだ勝負ついてないから今から戦いなさい』とか言われたら流石に逃げるぞ俺。

 

しかし、そんな思考とは逆に彼女が放った言葉は俺の身を案ずるものだった。

 

「体、大丈夫? 怪我とかないよね?」

 

「ああ。疲労が溜まってるだけだから、一日休めばオッケーだってさ」

 

「そう、なんだ。よかった」

 

そう言って笑顔を浮かべる鈴。……失礼な事を考えた数秒前の俺を全力で殴ってやりたい。割と本気で。

 

他の生徒は寮に戻って部屋から出ないように学園から言い渡されているので、廊下には俺と鈴の二人だけ。人気のない廊下を、既に沈みかけている夕陽がオレンジ色に染め上げている。

 

暫し無言で歩いていたが、ふと思い出して立ち止まる。そして、彼女の翡翠色の瞳をしっかりと見詰めて口を開いた。

 

「鈴、その……なんだ。悪かった。色々と。すまん」

 

自分が悪いことをしたという自覚はあるので、どうしても謝らなくては気がすまない。それに、些細なことで今までの関係をぶち壊しにしたくはない。

 

俺の謝罪を受けて一瞬面食らったような顔をしたが、それもすぐに消えて代わりに苦笑が浮かんだ。

 

「それはもういいわよ。それに……三年も前のことなんてそうそう覚えてられないだろうしね」

 

「すまん……記憶力に自信はあるんだが―――あ。今思い出した。正確には『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』だったか。で、どうよ? 上達したのか?」

 

「え、あ、う……」

 

なぜかしどろもどろになりうつむく鈴。その頬が赤く見えるのは夕陽に照らされているせいだろうか。

 

「……なあ、ふと思ったんだけどさ。その約束ってもしかして違う意味なのか? 俺はてっきりタダメシを食わせてくれるとばっかり―――」

 

「ち、違わない! 違わないわよ!? ほら、誰かに食べてもらうと料理が上達するって言うじゃない!? だから、そう、だから!」

 

「お、おう。そうか」

 

「そうよ!」

 

何故か必死になっている鈴は、何かをごまかそうとしているように見えなくもない。でもまあ、本人が避けようとしている話題を態々掘り返すこともなかろう。

 

……そうだ、気になっていることがあったんだ。

 

「こっちに戻ってきたってことは、またお店やるんだろ? 鈴の親父さんの料理、うまいもんな。また食べたいぜ」

 

「あ……。その、お店は……しないんだ」

 

「え? なんでだ?」

 

「……あたしの両親、離婚しちゃったから……さ」

 

目を伏せて小さく呟いた鈴を見て、俺は激しく後悔した。くそ、こんなこと軽々しく訊くんじゃなかった。

 

「あたしが国に帰ることになったのも、そのせいなんだよね」

 

「……そう、だったのか」

 

思えば、国に帰ると俺たちに伝えた頃の鈴はかなり不安定だった。何かを隠すように明るく振る舞うことが多く、俺と五反田でその理由について話し合ったこともあった。

 

考えが浅すぎたんだ……いつも元気な鈴があんなになっていたんだから、精神的にかなり大きなショックを受けたことなんて想像できるだろう。けど、当時の俺は『俺たちや友達と別れるのが辛い』ぐらいにしか思い至らなかった。

 

「一応、母さんの方の親権なのよ。ほら、今ってどこでも女の方が立場が上だし、待遇もいいしね。だから―――」

 

明るく振る舞おうとしている鈴の言葉が終わる前に、俺は彼女の頭にそっと手を置いた。そのまま優しく撫でてやる。さらりとした髪の毛が指の間を流れ、ほんのりと体温が伝わってくる。

 

「一夏……?」

 

「鈴、おまえまた我慢してんだろ? 国家代表候補生っつー役職柄、弱いところとかは見せらんないんだろうけどさ、俺の前まで強がらなくたっていいだろ。なんせ俺たちは―――」

 

「あ、あたしたちはっ?」

 

「―――幼馴染みなんだから」

 

「…………、」

 

こいつは昔からそうだが、自分が困っていても他人をあまり頼ろうとしない。そのくせ周囲にはいつもと変わらないように振る舞って、自分一人で解決しようとする。だから、その負担を少しでも担ってやれれば……。

 

俺の言葉に、鈴は一瞬期待するような表情になり、一転むっすーっとした表情になった。あれ? なんで?

 

「……ふん。……一夏のくせに、生意気なのよ」

 

そう言った直後、ぼす、と胸に軽い衝撃。俺の胸に頭を預けた状態のまま、鈴は小さく呟いた。

 

「……少しだけ。少しだけでいいから、このままでいさせて」

 

「……おう」

 

夕陽は既に沈み、静かな夜が学園を包もうとしていた―――

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

学園の地下五十メートル。レベル4権限を持つ人間しか立ち入ることのできない隠されたその空間に、千冬はいた。

 

「…………」

 

無表情で彼女が眺めるディスプレイには、先程の戦闘記録映像が映し出されている。乱入した無人機たちと戦う楯無と一方通行、そこの部分を何度も何度も見返していた。

 

一夏が最初の無人機を破壊し、そこから四機が乱入。一夏に攻撃を加えようとしたところで、更に一方通行と楯無が遮断シールドをぶち破って乱入(・・・・・・・・・・・・・・)。一夏と鈴音をかばう形で戦闘を開始した。レベル4の遮断シールドを突破したことも相当の驚きだが、本当に驚愕すべきはここからなのだ。

 

動きを見せた一方通行たちに無人機の光線が襲い掛かる。楯無は素早く避けたが、一方通行はそこに悠然と佇んだまま。迫り来る無数の光線が直撃するという寸前で―――光線が跳ね返った(・・・・・・・・)

 

まるで見えない壁があるかのように、一方通行の眼前で逆方向へと跳ね返される無人機の攻撃。何本かはあらぬ方向へと逸れたが、大部分はそのまま軌道をなぞるようにして射手である無人機たちに牙を剥いた。

 

その後スラスターを噴かして突っ込んでいき、まるで弄ぶように無人機を破壊している。楯無と一方通行が破壊した機体は全て原型を留めておらず、一夏が倒した機体が辛うじて解析可能というレベルだ。

 

そこで映像を停止させ、巻き戻して再び最初から。そのサイクルを千冬はかれこれ二時間続けている。彼女の冷たい瞳が見ているのは無人機なのか、それとも一方通行なのか―――

 

「織斑先生?」

 

割り込みでディスプレイに開いたウィンドウ。そこにはブック型端末を持った真耶が映っていた。千冬が一言応じると閉ざされていたドアが開き、いつもより四割ほどきびきびとした動作で入室する。

 

「あのISの解析結果が出ましたよ」

 

「ああ。どうだった?」

 

「はい、あれは―――無人機です。織斑くんが撃墜したものからの生体反応は全くのゼロ。同じく残りの四機からも反応はなかったので無人機と断定してよさそうです」

 

遠隔操作(リモート・コントロール)独立稼働(スタンド・アローン)。搭載した機体など世界中を探しても見つからないし、そもそも机上の空論レベルであるはずのそれが、乱入したIS全てに使われている。学園関係者全員に箝口令が敷かれたことからも、それがどれ程の事態なのかは察することができるだろう。

 

「織斑くんの最後の攻撃で機能中枢が焼き切れていたため、駆動方法は解析できませんでした。修復の見込みもゼロとのことです」

 

「コアはどうだった?」

 

「……それが、登録されていないコアでした」

 

「そうか」

 

やはりな、と続けた千冬に、真耶は怪訝そうな顔をする。467個あるコアの、あるはずのない468個目以降。それがあのISに使われていたと、千冬は予想していたのか?

 

「何か心当たりがあるんですか?」

 

「……ない、と言えば嘘になる。だが、そうと言い切れる根拠もない……か」

 

「それは、どういう……?」

 

「なに、いずれ分かるさ」

 

そう言って千冬は視線をディスプレイに戻す。

 

白髪の少年が無人機を蹂躙する映像を見て、すうっと瞳を細める。その貌はかつての世界最強、その威光を確かに宿していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

同じような扉を幾つも通りすぎ、見慣れた数字の部屋の前で立ち止まる。鍵をあけて中に入り、後ろ手にそっとドアを閉めた。一方通行の息遣いだけが響く静かな室内は、同居人の少女がいないせいか広く感じられる。

 

電気は点けず、窓際に据えられたベッドにどさりと寝転ぶ。ぼんやりとした西陽の残光が窓から差し込み、微かに部屋を照らしていた。それを横目に眺めながら、一方通行はつらつらと思考する。

 

考えるのは、今日の出来事。

 

明確な意思を持って他人のために動いたのは、これが初めてだった。

 

今まで壊すことしか知らなかった自分が他人を救ったという事実は酷く現実味のないものだったし、普段の価値観からして最も遠い行動だと自分でも思う。

 

仮に今の一方通行を、彼の人となりを知っている学園都市の研究者たちが見れば、幻覚を見たとか、この一方通行は偽物だとか騒ぐかもしれない。それほどまでに、彼が取った行動は彼らしくないものだった。

 

しかし、一方通行は『自分を自分として見てくれる存在』を失いたくなかっただけであって、それが『織斑一夏』である必要はない。他人を助ける動機としてはあまりにも歪んでいる。

 

 

 

―――自分のために他人を救う。

 

 

 

それは、突き詰めればどこまでも利己的な、損得勘定の上に成り立つ偽りの正義。

 

しかし、そこにほんの一欠片でも正義が存在しているというのならば。

 

今まで一度も手にすることのなかったその二文字を、一方通行が手に入れたというのなら―――彼が変わり始めているという証拠に他ならない。

 

漸く手に入れることができた小さな小さな変化だが、一方通行にとっては大きな大きな変化。他人からの情が彼を変えたというのなら、いつか自分が情を持ったとき、果たしてどれ程の変化が訪れるというのだろうか?

 

目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出す。

 

(……悪くねェな)

 

ISを装備して暴れ回ったからだろうか、疲労の溜まった体から力を抜く。程なくして訪れた優しい微睡みの中、胸に生まれた小さな暖かさを感じながら―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(人の為に動くっつーのも―――まァ、悪くはねェ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思う。

 

 

 




大変お待たせいたしました。
一月もの間待ち続けて下さった読者の皆様、誠に申し訳ありませんでした!
スランプ気味の中書き上げたので、おかしな点や文章の違和感など、ご指摘やご意見がありましたら遠慮せずに言ってください。
重ね重ねご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。今後とも本作品をよろしくお願いいたします。


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十三話

無人機襲来事件―――少なくともそれを知る人間はそう呼んでいる―――より、二週間ほどが経過した六月頭の日曜日。

 

IS学園からモノレールを乗り継いで数分、駅前と呼ばれ親しまれている繁華街。日曜と言うこともあって人通りも多く、がやがやとした喧騒が耳を打つ。

 

しかし、それもメインストリートに目を向けたときのこと。脇道に逸れれば人の数も一気に減り、華やかな店や派手な装飾は消え、代わりに怪しげな店や隠れた名店といったものがちらほら窺える。

 

そんな、雑踏から切り離された路地裏を一方通行は一人歩いていた。

 

いつもの何の改装も施していないIS学園男子用制服ではなく、黒のズボンに同色の長袖シャツ、灰色の薄いフード付きパーカーという随分とラフな格好だった。

 

世間的に有名なIS学園、そこの制服を着ていれば一目で注目の的になってしまうし、二人しかいない男性操縦者、加えて白髪赤目のアルビノとくれば間違いなく視線の嵐に晒されてしまうだろう。

 

そもそも、一方通行は基本外出を好まない。

 

目立ちたくないのも山々だがそれ以前の問題として、食事ならば寮の食堂でとればいいし生活用品も学園の購買で大抵揃う。ショッピングやレジャーなどといった娯楽には一切興味など無いので、言ってしまえばIS学園から出る必要がないのだ。

 

―――では何故、そんな一方通行が態々人通りの多い場所まで出張ってきたのか。

 

薄暗い裏路地を幾度か曲がり、更に奥まった場所にひっそりと佇む一件の店。その前で立ち止まった一方通行が見上げた先、やけに味のある看板の文字は『ダイシー・カフェ』と読める。

 

カランというドアベルの音に続いて、チョコレート色の肌をした巨漢の店主がいらっしゃい、と穏やかなバリトンで迎えた。

 

店内には他の客も数人いるが、大体は高校生らしい。裏通りのこの店まで来るということは中々いい店ということなのだろうが、生憎と今日はコーヒーを味わいに来たわけではないのだ。ゲームの話で盛り上がっている側を通り抜け、店の隅、ひっそりと置かれた丸テーブルに座る少女の元へと向かう。

 

こっ、と床板を踏む靴音に気付いたのか、こちらに目を向ける少女。しかし、その目は閉ざされたまま開かない。だというのに、しっかりと一方通行の存在を認識しているようだった。

 

「……よォ」

 

他人に興味を示さない篠ノ之束が、唯一『娘』とまで呼ぶ銀髪の少女。

 

「―――お久しぶりです、透夜さま」

 

 

 

 

 

 

 

 

クロエ・クロニクルは、そう言って小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

注文したブラックコーヒーとココアが席に運ばれ、二人がそれぞれ口にして一息ついたところで一方通行が話を切り出した。

 

「……で? 機体を通じたプログラムデータのやり取りじゃなく、態々こンな所まで呼び出した理由は? 直接オマエが伝えなきゃなンねェほど重要なコトなのかよ?」

 

基本的に、一方通行と束との会話や連絡はISの個人秘匿回線で行われている。それを使えば声に出してしゃべる必要はないし、特殊な回線を使用しているので割り込みやハッキングはまず有り得ない。しかし、今回は違う。

 

束が全幅の信頼を寄せるこの少女が、束の命を受けてここまでやって来たのだ。それ相応のヤマがあると見ていいだろう。

 

問いを受けたクロエは口に運んでいたココアをじっくりと味わって飲み、ソーサーにかちゃりと置く。すっ、と姿勢を正し、

 

「理由は特にないそうです」

 

しれっと言い切った。

 

「…………、は?」

 

「強いて言えば、束さまが日本の観光でもしてきたらいいと仰ったので、合わせて透夜さまの機体稼働データを持ってきた次第です。本当はいつものIS間でのやり取りで問題はなかったのですが」

 

つまりは、通常通り学園に居たまま出来ることを、クロエの観光の為に態々街中まで引きずり出してきたということである。一方通行が外出しないことを知っていながら、だ。

 

「『どうせあっくん学園から出てないだろうし、これ以上モヤシにならないようにしてあげないと☆』と、束さまが仰っておられましたので」

 

(―――テメェに言われたかねェっつンだよボケが!)

 

余計なお世話である。さらに言うなら、ラボに閉じ籠ったまま四六時中研究漬けの人間に健康状態云々をとやかく言われる筋合いはない。どちらかと言えば体を動かしているだけ一方通行の方が健康だ。

 

声を大にして叫びたい衝動に駈られたが、流石に店内でそんなことはできない。とはいえ、銀髪と白髪の二人組という時点で大分―――否、相当目立ってはいるのだが。

 

一方通行は舌打ちをひとつして椅子にもたれ掛かると、諦めたように大きなため息をついた。今更束の行動に文句をつけたところで何も変わらないと、経験で知っていたからだ。腹は立てども、その怒りをぶつけようとするだけ時間と労力の無駄である。

 

若干冷めてきたコーヒーを一息に飲み干し、がたりと立ち上がる。財布から代金を抜き出すと、半ば叩き付けるように机に置いた。

 

「どうなさいました?」

 

「帰ンだよ。これ以上ここにいたって時間の無駄だろォが」

 

「でしたら、これを」

 

そう言ってクロエが差し出したのは一つのUSBメモリ。市販のものとは微妙に形が違い、待機状態のチョーカーに直接接続してデータを落とすことのできる特別製だ。勿論、制作者は束である。

 

それをパーカーのポケットに適当にねじ込むと、さっさと学園へ帰るべく踵を返す。しかし、その直前で再びクロエから声をかけられる。

 

「透夜さま」

 

「あァ? まだなンかあンのかよ?」

 

「はい、折角街中まで出てきたことですし、束さまに何かお土産を差し上げたいと思うのです。それで……その、この辺りに詳しい透夜さんに、ご意見を頂こうかと思いまして」

 

それを聞いた一方通行の口角が、僅かに嗜虐を帯びてつり上がる。扉に向かいかけた足を止めて、クロエの耳元で楽しそうに呟いた。

 

「いい土産なら、そォだなァ―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園へと戻って少し遅めの昼食を取った一方通行は、その足でIS整備室へと向かっていた。無論、貰ったデータを元に機体を調整するためである。

 

ISは最強であっても完璧ではない。

 

メンテナンスをしなければ十分なパフォーマンスは出来ないし、機体整備に不備があれば事故も起きる。更に、機体の反応値や武装構成、エネルギー分配など、操縦者自身が設定しなければならないところも多分にある。

 

整備の際には整備士数名と操縦者、それと開発元会社のスタッフといったメンバーで行うのが一般的だが、一方通行の場合は破損部位補修とエネルギー補給以外全て自らの手で行っている。

 

理由をあげるとすれば、機体のソフトウェアが一般人に弄れるような代物ではないからだ。下手にそこらの人間に弄られでもすれば、機体をメンテナンスするどころか逆にメンテ箇所を増やす羽目になる。それ故、彼の専用機は彼にしか扱えない。

 

逆に言えば、どんな些細なことでも自分で行わなければならないという凄まじい手間にもなるわけだが。

 

扉を抜けて見回した整備室の中は休日の午後だからだろうか、やはりいつもと比べて人の数が少ない。とはいえ数人程度というわけでもなく、整備科や勉強熱心な生徒たちが行ったり来たりしている。

 

「おおっ、透夜くんじゃない! 久々だねぇ! 折角だから取材していい!?」

 

一瞬『誰だオマエ』と言いかけたところで、取材魂あふれる台詞を聞いて記憶の片隅から顔と名前を引きずり出した。新聞部副部長にして整備科のエース、黛薫子。確かに整備科ならばここにいても何らおかしくはないが、いたらいたで騒がしいので一方通行の表情は渋い。

 

「射命丸先輩がネタを欲しがっててね、透夜くんなら記事のネタに事欠かないじゃない。というわけで、取材していいかな? って、小首を傾げて可愛らしくお願いしてみるんだけど」

 

「他ァ当たれ」

 

いえーい即答速攻大否定、という叫びを背にし、ラック上に置かれていたケーブルを一本手に取り整備室の奥へと向かう。あまり人が来ないその場所は、作業をするのにうってつけであり彼が好んで使用する場所だ。

 

さっさと調整を終わらせるべく角を曲がったところで―――見覚えのある水色が目に入った。

 

(……妹の方か)

 

女性にしては珍しい名前だったような気もするが、あまり関心もなかったので覚えてはいない。

 

機体を前に、フルカスタムを施した球状ホロキーボードを左右で二つ展開して操っている。余程集中しているのか、一方通行が通りすぎようと近付いても全く反応を示さない。

 

ふと、彼女の眼前に鎮座するISに視線を向ける。白を基調とし、黄色とダークブルーのアクセントが入った涼やかなカラーリング。専用機なのだろうが、腕部装甲や脚部装甲の意匠には所々見覚えのあるものが多い。恐らくは『打鉄』の改良型、第三世代版といったところだろう。

 

そのまま、少女が操っている空中投影形ディスプレイに視線を移したところで、一方通行は眉をひそめた。

 

彼女が行っているのは、操縦者同調機能による命令伝達系統のシステムプログラム。脊髄神経系とのリンクを確立することにより、巨大なISの手足やスラスターを違和感なく動かすためのものなのだが―――

 

(いくら何でも駆動部反応値が低すぎる。ンでもってラファールの稼働データ。打鉄を全距離対応に組み換えようとしてンだろォが……蓄積稼働データの処理もしてねェからコア適性も20%前後。ンだこりゃ、マトモに動くのか?)

 

表示されている情報から分かるのはその程度。しかし『その程度』ですら他人にとっては異常なほどの洞察力と言える。複雑極まりない莫大な量の演算式をものの一瞬で完成させる一方通行からすれば、ISのシステム調整やプログラミングなどは余裕の一言に尽きるだろう。

 

そのまま機体を眺めていると、彼の視線がとある場所で止まった。その先には『KURAMOCHI』、日本のIS開発会社倉持技研の名前が記されている。そして、一夏の白式も倉持技研開発―――

 

(……織斑の機体に人員を割かれ完成が遅延、未完成の機体を一人で弄ってるってトコか)

 

見たところ進行はあまり早くないようだ。このままのペースで続けていつも、いつ完成するかわかったものではない。とはいえ一方通行が関わる必要もないのでその場から離れようとしたときだった。

 

彼がこの場に来てから絶えることなく響いていたタイピングの音がピタリと止む。少女が此方を振り返り、ずっとディスプレイに向いていた赤い瞳が一方通行を捉えている。

 

「……何か、用」

 

「……別に。何でもねェよ」

 

「……ねえ」

 

「あン?」

 

「あなたは……その機体、一人で完成させたの……?」

 

そう言う少女の目は、彼の首もとにあるチョーカーに向いている。思い返せば、一度武装プログラムを組んでいる場面を見られているのでそう思われても仕方ないが、一方通行が行ったのは内面の整備。

 

束がハードを組んで、一方通行がソフトを仕上げたと言えば分かりやすいだろう。だから、彼はそれをそのまま言葉にして伝えることにした。

 

「……俺ァ半分出来てたのを弄っただけだ」

 

「っ、…………そう。……時間を取らせて、ごめんなさい」

 

それだけ告げると、少女は再びディスプレイに向き直ってキーを叩き始める。一方通行もこれ以上ここにいても無駄だと判断し、そのままスタスタと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

―――少女の瞳に浮かんだ、僅かな羨望に気付かないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は六時過ぎ。

 

自分のベッドに寝転がる俺は、なんとなく隣のベッドに視線を向ける。しかし、先週までそこにいたルームメイトの箒の姿はなく、二人部屋を一人で使っているという状態だった。

 

「うーん……」

 

なぜ俺がこうして一人部屋を手にいれることができたのか。

 

時は、少し遡る―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無人機襲来事件より、数時間が経過したその日の夜。保健室での検査を終えて自室へと戻ってきた一夏に、箒が味のない炒飯を振る舞うというハプニングがあった直後のこと。ノックをして部屋に入ってきた真耶がその一言を告げた。

 

「どうかしたんですか、先生」

 

「あ、はい。お引っ越しです」

 

「はい?」

 

なんの脈略もない突然の発言に、疑問符を頭の上に浮かべる一夏。その後詳しく話を聞けば、部屋の調整がついたので箒が部屋を移ることになった―――ということだ。

 

「えっと、それじゃあ私もお手伝いしますから、すぐにやっちゃいましょう」

 

「ま、ま、待ってください。それは、今すぐでないといけませんか?」

 

箒の口からそんな言葉が出るとは思わなかったのか、一夏は少し意外だなぁ、と思う。基本、妥協や反抗はあまりしない箒のことなのですぐに準備を始めると思ったのだろう。言われた真耶も目をぱちくりさせている。

 

「それは、まあ、そうです。いつまでも年頃の男女が同室で生活するというのは問題がありますし、篠ノ之さんもくつろげないでしょう?」

 

「い、いや、私は―――」

 

なおも食い下がる箒は、ちらりと一夏に視線を送る。それだけで幼馴染みの間では何が言いたいのかわかったらしい。

 

「そんな気を遣わなくても、箒がいなくてもちゃんと起きるし歯も磨くから俺のことなら心配しなくてもいいぞ?」

 

「―――!!」

 

―――訂正。全く伝わっていなかったようだ。

 

「先生、今すぐ部屋を移動します!」

 

「は、はいっ! じゃあ始めましょうっ」

 

「俺も手伝おうか?」

 

「いらん!」

 

怒りの元凶である一夏をバッサリと切り捨て、ぶつぶつと文句を言いつつも小一時間で作業を終えてしまうあたりは流石というべきか。対し、急に静かになった部屋に残された一夏は一抹の寂しさを感じていた。

 

(うーん……やっぱり人がいないってのもそれはそれで寂しいなぁ。気を遣わなくてもいいってのは楽でいいんだけど)

 

そんなことを思いながらベッドに入る。だが、すぐにノックが響いた。既にベッドへと入ってしまった一夏は出るか出るまいか迷っていたが、先程よりも荒いノックに跳ね起きる。

 

ドアを開けてみれば、そこにいたのはつい先程別室へと移動したはずの箒だった。むすっとした顔で立っているので、ともすれば怒っているように見えなくもない。

 

「どうかしたのか? まあ、とりあえず部屋入れよ」

 

「いや、ここでいい」

 

「そうか」

 

「そうだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

沈黙。

 

「……箒、用が無いなら俺は寝るぞ」

 

「よ、用ならある!」

 

一夏の言葉に、弾かれたように声を上げる箒。ちなみに現在時刻は九時過ぎであり、周囲の迷惑を考えなければならない時間帯である。

 

「ら、来月の、学年別個人トーナメントだが……」

 

六月末に行われる予定のそれは、その名の通り学年別で行う全員参加のトーナメント戦だ。しかし、誰もが専用機を持っているわけではないので専用機持ちが圧倒的に有利になるのがこの大会だ。

 

「わ、私が優勝したら―――」

 

頬を紅潮させ、びしっと指を突き付ける箒。続く言葉が恥ずかしいのか、目線はまともに一夏を捉えていない。

 

「つ、付き合ってもらう!」

 

それだけ言うと、ポニーテールを翻して脱兎のごとく去っていった。残されたのは、未だに状況を理解できていない一夏のみ。

 

「……はい?」

 

疑問符を大量に浮かべ、間の抜けた声を出すのが精一杯の一夏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんだったんだ、あれ?)

 

未だに箒が言った言葉の真意が分からない。なんか顔赤くしてたし……宣戦布告か? 俺に対する? いやでもなんで?うーん、わからん。

 

「……飯食うか」

 

とりあえずその疑問は一旦置いといて、夕食を取ることにした。弾みをつけて起き上がり、勢いそのままに立ち上がってドアへと向かう。ドアノブを捻ろうとしたところで、扉の向こうからノックが響いた。

 

「一夏、いる?」

 

「おう」

 

「い、いきなり開けないでよ! びっくりするでしょうが」

 

ドアを開けたところに立っていたのは鈴。ノックから半秒でドアが開いたことに驚いたのか、若干のけ反っている。

 

「今から飯行こうと思ってたんだけど……なんか用事か?」

 

「ふふん。まさにそうじゃないかと思って誘いに来てあげたのよ。雨の日に捨てられている犬をかわいそうと思うくらいの優しさは、持ち合わせがあったからね」

 

逆にそれくらいしか優しさがないのか疑問なんだが。

 

ともあれ、断る理由が無かったのでそのまま二人で廊下を歩き出した―――のは、いいのだが。両側から次々と出てくる他の女子達の格好が問題だった。

 

寮生の99%が女子なので、男子の目を気にするという概念が薄いためか肌の露出が多い。ショートパンツにタンクトップ、もしくはパーカー。それならまだいい方なんだが、長めのTシャツをミニスカート代わりにして着るという女子もいるのだ。俺だって健全な男子高校生なので、目線のやり場に非常に困るのである。

 

チラチラと見える肌色をなるべく視界に入れないよう努力しつつ食堂へとたどり着き、中へ入った瞬間に目につくものがあった。1つのテーブルを囲んで、女子たちがきゃあきゃあと騒いでいる。

 

さして珍しくもない光景なのだが、その人数が異常だった。大抵3,4人、多くても5,6人が座れる程度のテーブルだというのに、その三倍程の人数が集まっていてスクラムを組んでいるようにも見える。

 

「あら鈴さん、織斑さん。今から夕食ですか?」

 

と、そこへ英国淑女セシリア登場。同じく夕食に来たらしく、その手には料理の乗ったトレーがある。

 

「セシリアじゃない。ちょうどよかった、あれ何してんの? すっごい盛り上がってるみたいだけど」

 

「さあ……? わたくしも今来たばかりですので、何をしているのかはわかりませんが……。大方、恋占いや何かではありませんの?」

 

そう答えるセシリア。あ、セシリアで思い出したけど、最近俺への接し方が若干柔らかくなった気がする。例えば、少し前まで名字だけで呼ばれていたのだが、『さん』が付くようになった。

 

一度その理由を訊いてみたんだけど、

 

『前までのあなたには、敬意を払う必要はありませんでした。ですが、今のあなたは敬意を払うに値するだけの強さと意思があります。ですから、わたくしも敬意を持って接するのですわ。……でもまあ? 透夜さんには遠く及びませんので、勘違いしないでくださいな。あなたと透夜さんでは天と地ほどの力の差が(以下略)』

 

だそうだ。

 

何が変わったのかは俺自身よくわからないが、代表候補生を務めるセシリアが言うのならばおそらく何かしらの変化があったということなんだろう。いや知らんけど。

 

「そういえば、鈴科はどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」

 

大体セシリアは鈴科と一緒に夕食をとっている。本人曰く『オルコットがくっついてくる』らしいんだが、一人の夕食なんて寂しいじゃないか。今度皆で夕食をとろう、そうしよう。

 

俺の質問に、セシリアは肩を落としてつまらなそうに口を尖らせた。

 

「透夜さんは二年生寮の食堂で召し上がるそうですわ。……もう、折角わたくしがお誘いして差し上げましたのに……」

 

「あー、透夜って部屋二年生寮だったっけ。部屋の先輩にでも誘われたんじゃないの?」

 

「くっ……イギリス代表候補生として、負けるわけにはいかないのですわ……!」

 

「ダメだ聞いてないわ」

 

鈴がやれやれと言った風に両掌を上に向けて肩をすくめる。そうこうしているうちに、俺たちの順番が回ってきた。食券を渡し、チキンの香草焼き定食を受けとる。スパイスの効いたチキンの香りが最高に食欲をそそる。

 

既に料理を受け取っているセシリアを含め、三人で適当にテーブルを確保して食べ始める。下らない話に花を咲かせつつも、楽しく食事を進めていたときだった。

 

「あーーーっ! 織斑くんだ!」

 

「えっ、うそ!? どこ!?」

 

「ねえねえ、あの噂ってほんと―――もがっ!」

 

先程の一団の中で、俺の存在に気付いた女子がなだれ込んでくる。ん? 今噂がどうとかって言ったか? そんでもってその噂とやらは口にしちゃいけないものなのか? ヴォ〇デモー〇か何かか?

 

「い、いや、なんでもないの。なんでもないのよ。あはははは……」

 

「―――バカ! 秘密って言ったでしょうが!」

 

「だ、だって本人だし……」

 

「噂って?」

 

「う、うん!? なんのことかな!?」

 

「ひ、人の噂も三六五日って言うよね!」

 

どんだけ長続きだよ。てかそんな噂するなら直接訊けよ。

 

「な、何言ってるのよミヨは! 四十九日だってば!」

 

いやそれも違うだろ。っていうより―――

 

「何か隠してない?」

 

「そんなことっ」

 

「あるわけっ」

 

「ないよっ!?」

 

見事な連携プレーを決めると、即時撤退していく女子三人。うん、切り替えが早いのは良いこと―――いや違う、そうじゃない。

 

「……なんだったんですの?」

 

「なに? あんたまたなんかやらかしたわけ?」

 

失敬な。

 

「何でも俺のせいにするのはよくないと思うんだが―――あ」

 

「あ」

 

「あってなによ、あって。―――あ」

 

「揃ってなんですの? ―――あ」

 

なんだこれ。コントやってんじゃないんだけどな、俺ら。ちなみに俺、箒、鈴、セシリアの順だ。うん、どうでもいいね。

 

「…………」

 

そう、箒。箒なのだ。おそらく夕食をとりにきたのだろう箒とばったり出くわした。俺と鉢合わせないように遅く来たようだが……そこまでのんびりしていたのか俺。箒は気まずそうに俺から視線を外す。

 

「よ、よお、箒」

 

「な、なんだ一夏か」

 

「…………」

 

「…………」

 

やばい、会話が全く続かん。

 

これが普段通りでたまたま鉢合わせただけならばなんの問題もないのだが、先月の一件以来箒がやたらと俺を避けており話しかけても生返事ばかりなので若干精神的にダメージなのだ。

 

「何、あんたたち何かあったわけ?」

 

「「いや! 別になにも!」」

 

「……狙ってやってますの?」

 

呆れたようなセシリアの突っ込みだが、わざとやったわけじゃないぞ。多分。きっと。メイビー。

 

心の中でそんな下らないことを考えていたのが悪かったのか、箒はぷいっと顔をそらすとそのままカウンターの方へと歩いていってしまった。

 

「あー……」

 

翻ったポニーテールに、なんともいえない気持ちになる。話し合いたいけどなんか気まずい、そんな感じだ。

 

「ではわたくしはそろそろお暇させて頂きますわ」

 

「じゃ、あたしも部屋に帰るから」

 

「ん? おう。誘ってくれてありがとな」

 

「……たまにはアンタから誘いなさいよ、まったく……」

 

「……難易度の高いお話ですわね」

 

「……うっさい」

 

「ん? どうかしたのか?」

 

「なんでもないわよ。じゃあね」

 

「では織斑さん、ごきげんよう」

 

そう言って、二人は寮の方へと歩いていく。……うーん、いつまでも箒とあのままじゃダメだよなぁ、やっぱり。でも一体なんて言えばいいのか。

 

「……まあ、なんとかなるだろ。多分」

 

俺は一人納得して席を立ち、広くなった自室へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、山葵と辛子がたっぷりと入ったシュークリームにかぶり付き悶絶する兎と、それを見て慌てふためくその娘という奇妙な光景が展開されたのは、また別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付は変わり月曜日の朝。

 

大抵朝は賑やかなのが一組の日常風景なのだが、今日はいつにも増して騒がしかった。女子たちが手に手にカタログを持っていたので、恐らくは今日から始まる実践訓練、その為のISスーツの参考といったところだろう。

 

現在も、担任である千冬が壇上で話をしているところだった。

 

「今日からは本格的な実戦訓練を開始する。訓練機ではあるがISを使用しての授業になるので各人気を引き締めるように。各人のISスーツが届くまでは学校指定のものを使うので忘れないようにな。忘れたものは代わりに学校指定の水着で訓練を受けてもらう。それもないものは、まあ下着で構わんだろう」

 

最後に何やらとんでもないことを言ったが、別に一方通行にとってはどうでもいいことだ。

 

(実戦訓練、ねェ)

 

実戦。

 

その意味を本当に理解してこの学園に在籍している人間が、果たしてどれ程いるだろうか。

 

ISは人を殺せる。それも、とても簡単に。弾丸一発受ければ致命傷になってしまう脆い人間の体に、ISを装備してデコピンでもすれば首から上が肉のジャムになる。

 

兵器としての危険性よりも、スポーツとしての万能性が認知されている今日では、ISをファッションや何かと勘違いしている女性や『格好いい』『美しい』という感覚だけを持ち『危険だ』という感覚を持たない女性も多い。

 

―――とはいえ。

 

そもそも、束が宇宙へと進出するために作り出したISを兵器やスポーツ用具として見ている時点で、既に誤った認識をしているのだが。

 

「では山田先生、ホームルームを」

 

「は、はいっ」

 

眼鏡を拭いていた真耶が慌てて千冬と入れ替わり、壇上へと移る。

 

「ええとですね、今日はなんと転校生を紹介します! しかも二名です!」

 

「え……」

 

『ええええええええっ!?』

 

先月に続いての転校生にクラス中が大きくざわめく。一方通行も、周囲の音を遮断しつつ内心思考を巡らせていた。

 

(中国代表候補生の凰は二組に転入した。一組にはイギリス候補生のオルコットが居る。それ以降の転校生は他のクラスに分散させンのが普通だ。それでも態々ここのクラスに集中させてきたって事ァ……まァ、十中八九狙いは俺か織斑か。目的が機体にせよ暗殺にせよ、警戒はしとくか)

 

騒がしい教室の中で一人冷静になる一方通行を他所に、扉が開く。

 

「失礼します」

 

「……………………」

 

入ってきた二人の転校生を見て、教室の中もしんと静まり返り、一方通行は目元を鋭く細めた。生徒たちは興が覚めたのではなく、単純に言葉を失っている。そして一方通行は、単純な警戒と疑問。

 

何故ならば。

 

 

 

 

 

転校生二人の内一人が、男子だったのだから―――

 

 

 

 

 

 




一夏の話になるとギャグシーンしか出てこない不思議。
誤字脱字、ご指摘等ありましたらお願いいたします。


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十四話

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。この国では不慣れなことも多いと思いますが、皆さんよろしくお願いします」

 

転校生の一人、シャルルはにこやかに告げて礼儀正しく一礼した。俺含めあっけにとられるクラスメイト……いや訂正、鈴科だけ普段通りだった。

 

「お、男……?」

 

教室のどこかから、そんな声が上がった。

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方々がいると聞いて本国より転入を―――」

 

人懐っこそうな顔。礼儀の正しい立ち居振舞いと中性的な顔立ち。鈴科も中性的な顔立ちだが、あちらをイケメンと評するならこちらは美青年というのだろう。

 

「きゃ……」

 

「はい?」

 

「きゃああああああああーーーーっ!」

 

歓声と歓声とが重なりあい、ソニックウェーブとなって教室を揺るがした。いや比喩じゃなくマジで。

 

「だっ、だんっ、男子! 三人目の男子!」

 

「しかも全員うちのクラス!」

 

「黒髪黒目の正統派イケメン、白髪赤目のクールイケメンときて次は金髪紫瞳の守ってあげたくなるイケメン!」

 

「ここがヘヴンか!」

 

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

約一名言語機能に異常ある気がするんだが大丈夫だろうか。ちなみに隣のクラス及び他学年から覗きに来ないのはホームルーム中だからだろう。先生方、お仕事ご苦労様です、本当に。

 

「あー、騒ぐな。静かにしろ」

 

「み、皆さんお静かに。まだ自己紹介が終わってませんから!」

 

忘れていたわけではないが―――というよりも、忘れろというほうが難しいもう一人の転校生は、外見からして異端だった。

 

ともすれば白に近い、輝くような銀髪を腰の辺りまでおろしている。しかし、手入れをしている様子は見られず本当にただ伸ばしているだけなのだろう。

 

そして、クラスメイトたちの視線を釘付けにしている左目の眼帯。医療に使われるようなものではない、ガチな黒眼帯だ。

 

開かれている右目は鈴科と同じ赤色。しかし、その視線からは温度が感じられない。俺たち全員に興味がなさそうな、そんな視線だった。

 

「……挨拶をしろ、ラウラ」

 

「はい、教官」

 

突然姿勢を正し返事を返した転校生―――ラウラ。今の今まで一言もしゃべらなかっただけに、クラス一同があっけにとられている。

 

対して、異国の敬礼を向けられた千冬姉は面倒くさそうな顔をして小さくため息をついた。

 

「ここではそう呼ぶな。もう私は教官ではないし、ここではおまえも一般生徒だ。私の事は織斑先生と呼べ」

 

「了解しました」

 

そう答えたラウラは気を付けの姿勢を取るが、その姿はどう見ても軍人、もしくは軍事施設関係者ということが素人目にもわかる。しかも千冬姉を『教官』と呼んでいたからほぼ間違いなくドイツ軍。

 

―――千冬姉は、とある事情で一年ほどドイツ軍隊の教官として働いていたことがある。そのあとは一年くらいの空白期間をおいて、現在のIS学園教員になったらしい。

 

らしい、というのも俺自身が千冬姉から直接聞いたわけではなく、山田先生や他の学園関係者にそう聞いたからだ。本人からは未だにその辺りのことを話してもらってはいない。

 

ただ、姉弟で隠し事があると言うのはなんというか落ち着かない。いや別に寂しいとかではなくて。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

「…………」

 

クラスメイトたちの沈黙。自分の名前を口にしただけで、それ以降は全くしゃべる様子もない。こんな自己紹介ってどうなんだろうか。む? 織斑一夏? 知らない子だな。

 

「あ、あの、以上……ですか?」

 

「以上だ」

 

教室に漂う空気に居たたまれなくなった山田先生が笑顔で訊くが、返ってきたのは無慈悲な即答だった。こらこら、先生をいじめるんじゃない。見ろ、泣きそうになっているじゃないか。

 

そんなことを考えていたせいか、生徒の顔をつまらなさそうに眺めていたラウラとばっちり目があった。

 

「! 貴様が―――」

 

ん? なんだ? つかつかとこっちにやってくるぞ?

 

 

 

 

フォンッ!

 

 

 

 

 

空を切る音が響き、反射的に首を引いた俺の鼻先すれすれをラウラの平手打ちが通過していった。―――は?

 

「……何すんだよ。それがドイツ風の挨拶なのか?」

 

当たらなかったから良かったものの、若干の怒りを込めてそう言うが当のラウラは忌々しそうに俺を睨み付けるだけだ。

 

「チッ……、私は認めない。貴様があの人の弟であるなど、認めるものか」

 

わぁ、聞いた今の? 舌打ちしたよ舌打ち。ドイツ人はコミュニケーションが随分とアグレッシブなんだな。あれか? 殴ってから芽生える友情とやらか? いやんなわけねぇだろ。ファーストコンタクト一分後に殴られて芽生える友情なんて丁重にお断りだ。

 

俺を殴り損ねたラウラは最後に強烈な睨みをくれると、来たとき同様にスタスタと立ち去っていき、空いている席に腰を下ろすと腕を組んで目を閉じ微動だにしなくなった。生憎と鈴科の眼光で慣れているので対した威圧感は感じなかったけど……睨まれ慣れてるってのもどうかとは思う。

 

「あー……ゴホン! ではホームルームを終わる。各人はすぐに着替えて第二グラウンドに集合。今日は二組と合同でIS模擬戦闘を行う。解散!」

 

千冬姉が手を叩く音が、ぱんっ! と小気味よく教室に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームルーム終了後、男子の転校生を一目見んと怒涛のように押し掛けてきた女子たちから逃亡した一夏とシャルル。それを囮にして悠々と第二アリーナ更衣室にたどり着いた一方通行は、ISスーツに着替えつつも思考を巡らせていた。

 

フランスから来たシャルル、ドイツから来たラウラ。

 

大方どちらも代表候補生で専用機持ち。だが、重要なのはそこではなくシャルルのファミリーネーム『デュノア』だ。ISに関わるならば一度は耳にすることがあるであろう、有名なIS開発会社デュノア。つまり、シャルルはデュノア社現社長の息子ということになる―――のだが。

 

(……きな臭ェな。代表候補生且つ男だってンならもっと世間が注目してるハズだ。しかも第三次イグニッション・プランから外されてるフランス、それも経営危機のデュノア社から男が出たとなりゃァ―――)

 

「よーし、到着!」

 

圧縮空気の抜ける音と共に響いた声が一方通行の思考を遮る。そちらに視線を向けると、シャルルを連れた一夏が更衣室に入って来るところだった。思考を中断された一方通行はとりあえずISスーツのジッパーを引き上げ、制服をロッカーに放り込んでから件の転校生シャルルをちらりと横目に眺めた。

 

華奢なシルエット。男子高校生としてはかなり背の低い部類に入るであろう体躯に、うなじで束ねた濃い金髪。そして、半袖の制服から覗くきめ細やかな白磁の肌。

 

『女子っぽい男子』と言ってしまえばそれまでなのだが、どうにも腑に落ちない違和感というべきか、何かが一方通行の中で引っ掛かる。だがその違和感が何かと問われれば―――

 

「あの、僕の顔に何かついてる?」

 

「……イヤ。何でもねェ」

 

「……? そう? えっと、君が鈴科くんだよね。改めて、はじめまして。シャルル・デュノアです。よろしく」

 

「鈴科透夜だ」

 

自己紹介をするが、いつまでも更衣室でのんびりしている訳にもいかない。万一遅刻でもしようものならば千冬の制裁が待っている。既に着替え終わっている一方通行は、更衣室からグラウンドへと続く扉へと向かった。

 

扉が閉まる寸前、もう一度シャルルの方を見やる。あちらも一方通行を見ていたのか、紫の瞳を慌てて逸らした。やはり何かあるなと思いつつ顔から視線を下に下げるも、そこにはISスーツに覆われた滑らかな胸板があるだけだ。

 

思い過ごしと言うにはあまりにも大きな、しかしそうと決めてかかるにはあまりにも些細な違和感。

 

その正体を探る一方通行からシャルルを隠すように、更衣室の扉はしっかりと閉ざされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千冬の話を聞いていなかった鈴音が出席簿による制裁を加えられたものの、特に問題もなく実戦訓練は終了した。だが、重ね重ね言うように一方通行にとっては学園で行われる授業全て復習にすらならない。二時間にわたる訓練を表すならば『暇』の一言に尽きる。

 

とはいえ、専用機を持っているからといって自分達だけ特別授業を受けさせるわけにもいくまい。それは理解できる。何もIS学園は専用機を持つ人間のためだけに運営しているわけではないのだし、将来的にIS関連の優秀な人材を育成するための機関なのだから、専用機を持たない一般生徒にこそ力を注ぐべきだ。

 

それが本当に実戦で役に立つかは別として、元世界最強の師事を仰げるのだから生半可な人材が育つことはまずないだろう。

 

そんなことをつらつらと思考しながら、いつものように一人静かに昼飯を食べようとしたときだった。屋上の扉が開き、聞き慣れた声が彼の耳に届いた。見れば、一夏、箒、セシリア、鈴音、シャルルの五人が屋上で昼食をとるべくやって来たようだ。そうすれば、毎日屋上で食べている一方通行と鉢合わせるのは当然で―――

 

「あれ、鈴科じゃん。折角だから一緒に飯食おうぜ!」

 

という一夏の提案により、彼一人の落ち着いた昼食は一変、計六人での賑やかな昼食となった。箒、鈴音は自分の分と共に一夏の分の弁当を作ってきたらしく、其々が自分の自信作を渡している。すると、セシリアが困ったように眉を寄せて話しかけてきた。

 

「透夜さん? 屋上でお召し上がりになっているのでしたら、せめてわたくしもお誘いになってくれませんこと? 一人で落ち着いた昼食もいいですけれど、やはり食事は楽しく食べるものだと思うんです。……それに、わたくしも透夜さんと昼食をご一緒したいですし」

 

「……、ン」

 

遠慮がちにこちらを諭すような口調に、どう反応を返していいか分からない一方通行はとりあえず小さく頷いた。それを見たセシリアは満足したのか、持ってきたバスケットをごそごそとしはじめる。

 

「わたくしも、今日は透夜さんのためにお弁当を用意してみまして……お口に合うかわかりませんが、よろしければおひとつどうぞ」

 

そう言って差し出されたのは、見るからに美味しそうなBLTサンドだった。一方通行が買ってきたものはお握り系統のものばかりだったので、コーヒーにはあまり合わないのだ。そんなところにサンドイッチの差し入れは正直ありがたい。

 

一方通行は元々ガッツリ食べる方ではないので、セシリアから貰ったサンドイッチの分のお握りを彼女に放り、サンドイッチを食べようと口を開いた時だった。

 

「「…………」」

 

「……、?」

 

一夏、鈴音の二人が何やら微妙な表情でこちらを見ているのに気がついた。正確には、一方通行というよりも彼が手に持つサンドイッチに視線が注がれているようだ。怪訝に思った一方通行は、改めて手に持つモノを検分してみる。

 

何の変哲もない、ただの美味しそうなBLTサンド。

 

こんがりと焼かれたベーコンに、瑞々しいレタス。パンに塗られたマスタードとバターがトマトの水分をシャットし、染み込まないように工夫もされている。近づけて匂いを嗅いでみても、香ばしいベーコンと芳醇な小麦の香りがするだけ。特に怪しい点があるとは思えない。

 

「?」

 

そして、チラリと視線を送ったセシリアからも悪意は欠片も感じられない。こてんと首を傾げて疑問符を浮かべている。思い過ごしだろう、と疑念を頭から追いやり、BLTサンドに小さくかぶりついた―――刹那。

 

「―――ッ」

 

彼の赤い瞳が大きく見開かれる。口に入れたBLTの味が、彼の予想した以上のものだったからだ。舌を刺激するマスタードの辛み。食欲に直撃するベーコンの肉汁。シャキシャキとしたレタスの歯触り。溢れ出るトマトの果汁。口に広がるバターの濃厚な香り。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そんなものは、欠片も感じられず。

 

 

 

 

 

 

 

(―――甘ェ。ンだこりゃクッソ甘ェぞ……オルコットの奴一体何を入れてンだ? 砂糖……はまだ分かる。バニラエッセンス、シナモン……そンでもってこりゃカスタードクリームか? ナニ作り出すつもりだコイツ)

 

むしろここまで甘くしても見た目が崩れていないことに驚くほど、セシリアの作ったサンドイッチは甘かった。甘味を感じるどころではなくスイーツ並みに甘い。どこかの店でデザートとして出せそうな程に。

 

吐き気を催すほどの甘味の塊を辛うじて飲み込み、ブラックコーヒーを半分ほど空けてなんとか口直しに成功する。それでも尚、口の中には若干甘さの残滓が残っていたが。

 

「ど、どうでしょうか? 」

 

おずおずと訊いてくるセシリア。

 

その問いに答える代わりに、一方通行は自らが食べていたBLTの反対側を一口サイズに千切り、それをセシリアの口へと差し出した。眼前に突き出されたサンドイッチと一方通行の顔とで視線を言ったり来たりさせるセシリア。

 

「……あ、あの? 透夜さん、これは……?」

 

「…………」

 

「え、えーと……」

 

「…………」

 

無言で、ただ無言でセシリアの瞳を凝視しつつサンドイッチを突き出す一方通行。瞳に映る感情を文字にすることが出来たならば、そこにはおそらくこう書いてあったことだろう。『食え』と。

 

「……、コホン。で、では、失礼いたしますわ……」

 

果たしてそれが伝わったのか。恥ずかしいのか頬を紅潮させたセシリアが、小さく口を開けて一方通行の差し出すサンドイッチを口にした。瞬間、一方通行と同様に瞳が見開かれる。―――と、いうことは。

 

(……味見ぐれェしろよ)

 

驚愕に目を白黒させて自分の作ったBLTサンド(偽)を二度見しているセシリアを半眼で眺めつつそう思う。大方見た目だけを追求した結果だとは思われるが、せめて味見ぐらいは調理者の義務なのではと思わずにはいられない一方通行だった。

 

「むむ、むー! ―――っ、ぷはっ!?」

 

あまりの甘さ、しかも上品な甘さではなくくどい甘さ故だろうか、涙目で咀嚼しつつもなんとか飲み込んだセシリア。据えられているテーブルの上に置いてあった缶コーヒーを手に取ると、そのまま一気に飲み干した。それでもやはり口内の甘さは消えないようで、眉をしかめて驚愕している。

 

「―――なんっ、なんですのこの甘さは!? 食べられたものではありませんわ!」

 

「オマエが作ったンだろォが。……っつーか何勝手に人のコーヒー飲ンでンだコラ」

 

一方通行が空になった缶コーヒーを指差しそう言った。―――瞬間、セシリアの動きがピタリと停止する。かと思えば、油の切れた錻人形のような動きで首だけがゆっくりと回転した。

 

「……………………、い、いま、なんと仰いました……?」

 

「そのサンドイッチ、オマエが作ったンだろォが」

 

「そこではなく! いえそこもかなり大事ですけど! その後ですわっ!」

 

「あァ? 勝手に人のコーヒー飲ンでンじゃねェよ」

 

からん。

 

と、軽い音を立ててセシリアの手から空き缶がこぼれ落ちた。それを見て異様な気配を感じ取った一方通行だが、どう対応していいのかもわからないので口をつぐんで押し黙る。当のセシリアも、顔を俯けて肩をぷるぷると震わせている。見かねた鈴音がフォローに入ろうとした、その時だった。

 

「……、ふ、ふふ。ふふふふふふ……」

 

「せ、セシリア?」

 

地の底から響くような、感情を含まない平坦な笑い声がセシリアの口から漏れだした。伸ばしかけた手をびくっ、と引っ込めた鈴音が名前を呼ぶも、返ってくるのは機械的な笑い。

 

考えてもみよう、想い人の為にと思って作った昼食は大失敗し、飲みかけのコーヒーを勝手に奪って飲んでしまい、あまつさえ間接……である。セシリアの心中は、察して余りあるほどの羞恥で埋め尽くされていた。

 

「ふふ、ふふふふふふふ―――穴があったら入りたいですわぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!」

 

「あっ、ちょっ、セシリア!? ねぇ! アンタこれどうす……行っちゃった」

 

羞恥で真っ赤に染まった顔をあげると、ドップラー効果を残しながら屋上の出口へと走り去っていってしまったセシリア。残されたのは他のメンバーの昼食と激甘BLTサンド。なんとも言えない空気の中、たっぷり十秒ほど呆けていた一夏が最初に再起動した。

 

「な、なんだ? どうしたんだ、セシリアのやつ」

 

「あー、まぁ、あれよ。いろいろあんのよ、女子には」

 

「きっと恥ずかしかったんだね、オルコットさん」

 

「ふ、不埒だ……!」

 

「鈴科、追いかけなくてもいいのか?」

 

「傷口に塩塗りたくってどうすんのよ。そっとしといてやんなさい」

 

「……っつーかよォ。オルコットの料理がクソ不味いってのを知ってたのは……織斑と凰か」

 

ちら、と横目で激甘BLTサンドを眺めながら、不意に一方通行がそう呟いた。ビビクゥッ! と、名前を呼ばれた二人の肩が跳ね上がる。

 

「ま、待て鈴科! 何も悪意があって黙ってたわけじゃないんだって! なぁ鈴!?」

 

「そ、そうよ! 大体『セシリアの料理不味いから食べないほうがいいわよ』なんて言えるわけないじゃない! そんなことしたら申し訳ないでしょあの子に!?」

 

「……、」

 

慌てて弁明を始める一夏と鈴音を冷めた目で眺める一方通行。隣では、箒とシャルルが『うわぁ……』という表情をしていたが本人たちはそれどころではない。なにせ、自分達を眺める一方通行の瞳の温度がどんどんと下がっていくのがとてもよく見えるのだから。

 

これまでの付き合いで、彼がこういった事に対しての沸点があまり高くないことはよく知っている。だからこそ何とかして彼を宥めようとしていたのだが。

 

「……あァ、オマエらが言いてェ事ァよォっく分かった」

 

だからいい加減静かにしやがれ、と手を振って二人をあしらう一方通行。彼からの咎めも無く、これで再び平和な昼食が訪れる―――筈、なのだが。

 

一夏と鈴音の背中に、嫌な汗が伝った。

 

『え、ちょ、何? なにこれ?』混乱する一夏、『あたしたち許されたんじゃないの? ねえ、ねえ!?』戦慄する鈴音。すっ、と一方通行が指差した先にはセシリアお手製激甘BLTサンド―――

 

 

 

 

「オマエらが、全部食うってコトでいいンだな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その日の昼休みは、何故かブラックコーヒーがよく売れたという。

 

 

 

 

 




これにて今年の更新は終了とさせていただきます。
年明けまで二週間はあるのですが、なにぶん年末年始は予定がギチギチに詰まっておりまして。執筆する時間がとれそうにないんです(汗

それと、重要なお知らせがあります。

一応原作七巻までのプロットは完成していまして、あとは文章に綴るだけという状態なのですが、実は七巻の時点で本作品を完結させるというプロットも完成しているんです。
というのも、現在発行されている十巻以降ストーリーがどうなるかは原作者の弓弦氏しかわからないわけで。そうなると伏線回収や帳尻合わせやらが難しくなるんですね。ですから、ごちゃごちゃしない七巻辺りですとんと完結させるという考えは当初の内から持っていました。
ですが、この作品は読者の皆様に支えられて成り立っているわけですので、是非皆様のご意見をお聞かせ下さい。活動報告に『今後の展開について』を出しておきますので、そこへコメントをお願いします。


※訂正※
原作八巻ではなく原作『七巻』時点での完結プロットでした。何故か勘違いしていたようです、申し訳ありません。


来年も、本作品をよろしくお願いいたします。
それでは皆様、よいお年を。



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十五話

部屋に入り、電気を点ける。

 

柔らかな蛍光灯の光の下に照らし出されたのは、昨日まで使っていた部屋よりも一回り小さくなった居住スペース。入って右手にキッチン、左にシャワー、奥にベッドと机。単純に二人部屋からベッド一つ分のスペースが減っただけの、『一方通行専用部屋』だ。

 

一人部屋だった一夏の部屋にシャルルが割り振られたので、一方通行も様々な理由と理屈を並べ立て申請書を真耶に提出。晴れて一人部屋を手に入れることができた。

 

楯無が何も言ってこなかったことには少しばかりの疑問を抱いたものの、言うことがないなら好都合とばかりにその日の内に移住を完了。監視カメラや盗聴機も見当たらなかったので、安心して過ごすことができる。一方通行は真新しいベッドに横たわると、個人秘匿回線を開いて目的の人物へとコールを送った。

 

相手はすぐに応じた。

 

『キミから通信飛ばしてくるなんて珍しいねぇ。明日は槍でも降るのかなかな?』

 

『聞きてェコトがある』

 

『うわぁいスルーされた! 束さん泣きそう!』

 

相も変わらず一方通行とは正反対のテンションの高さで、篠ノ之束はちっともそんなことを思っていなさそうな声でそう叫んだ。

 

『転入してきたフランス代表候補生についてだ。オマエも知ってンだろ』

 

『……束さんの今までの会話を無かったことにしてるよねあっくん。ま、いいけどね! そんじゃデータ送るよっと』

 

一方通行とふざけたやり取りを交わしながらも、フランス政府のシステムに侵入して戸籍データでも覗き見ていたのだろう。一方通行は送られてきた情報に目を走らせると、予想通りだと言わんばかりに息を吐いた。

 

『いやーしかし国家ぐるみでの隠蔽工作(・・・・・・・・・・・)かぁ。よっぽど切羽詰まってるんだねーフランス。束さんそういうの見てると、この情報を全世界にばら蒔いて完全に再起不能にしたくなっちゃうなぁ♪』

 

楽しそうな声音でさらりととんでもないことを抜かす束。この兎ならば本当にやってしまいかねない、というよりやろうと思えば今すぐにでも出来るだろう。理由は『単純に面白そうだから』の一つだけで。

 

『で? どうするの?』

 

『どォもこォもねェだろ。害がありゃ始末、無きゃ放置。狙いが俺か織斑なのは確実だがな』

 

そう伝えてから、ふと思案する。

 

転入生が来たということは生徒会長である楯無も知っているはず。ならば、男でISを動かせるというシャルルについてもある程度の情報は掴んでいるはずだ。更識家の情報収集能力ならば、隠蔽された情報を拾い上げることくらい容易いだろう。その上で、シャルル・デュノアをこの学園に受け入れたのだとしたら―――

 

(……何か目的があってのコトか、それとも―――)

 

眉をひそめて黙りこんだ一方通行に、今度は束が口を開いた。

 

『もしもーし? 用事はそれで終りかな? なら切るよ?束さんはこう見えても忙しいんだから、主に箒ちゃんの監視とかちーちゃんの監視とかいっくんの監視とかあっくんの監視とかで』

 

『……、』

 

世間一般ではそれをストーカーと呼ぶ。

 

ともあれ、必要な情報を入手することはできたので、これ以上回線を繋いだままにしておく意味はない。万が一にも割り込みやハッキングなどは起きないが、それでも用心に越したことはないだろう。

 

『あ! でも寂しくなったらいつでも連絡していいからね! いつもニコニコ、あなたの隣に這い寄る天災篠ノ之束……どぅぇすっ!』

 

『うぜェ。……あァ、それと、一つ言い忘れてたわ』

 

切ると言っておきながらも訳のわからない台詞を並べぎゃあぎゃあと騒ぐ束を他所に、一方通行は記憶の海を探るように、のんびりと宙に視線をさ迷わせ。まるで、間違えた問題の答えを友人に教えるかのように―――

 

 

 

 

無人機のプログラム、(・・・・・・・・・・)組み直した方が良いぜ(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

そう、告げた。

 

クラス対抗戦で突如乱入し、結果として一夏、一方通行、楯無に破壊された合計五機の無人機体。それを一目見た時から、一方通行はその開発者を束だと決めて疑わなかった。

 

早計だと思うだろうか?

 

しかして、どの国も持ち得ない技術、国籍不明の無人機体、あるはずのないコア。それら全てを『篠ノ之束』と関連付ければ自ずと答えは見えてくるだろう。

 

仮に束が無人機体の開発に成功していなかったとして、束以外の人間が『無人でISを起動させ』『ISコアを造り出す』事ができるだろうか? 答えは断じて否である。

 

束は何も答えないが、回線越しにうっすらと笑みを浮かべている様子が想像出来る。

 

『束さんにはあっくんが何を言ってるのかわからないけど(・・・・・・・・・・・・・・・)、何かの忠告として心に留めておくことにしようかな♪』

 

それを最後に、通信は沈黙した。

 

一方通行は面白くなさそうに舌を打つと、ISを待機状態に戻し、ぼんやりと天井を眺めた。

 

 

 

―――束が無人機を開発したことは確実だが、何故IS学園へ送り込んできたのだろうか?

 

 

 

ここには束が親友と謳う織斑千冬の弟である一夏、それに最愛の妹である箒も在籍している。彼らを襲わせるような真似をして一体何の得があるのか? 事実、箒が放送席に乗り込んだ際には無人機のターゲットにされていた。

 

とはいえ考えてみれば『篠ノ之箒だけは狙わない無人機体』が乱入してきたら、束との関係をまずは疑われるだろうが、それを防ぐためだとしても、やはり束の意図は分からない。

 

(……まァ、どォでもイイか)

 

色々と面倒臭くなってきた一方通行は、考えるのをやめて目を閉じた。そのまま数分寝転んでいたが、不意に空腹を覚えて壁に掛けられた時計に目を向けた。時刻は七時過ぎ。丁度食堂が開いたところだった。

 

むくりと起き上がると、扉に向かう。今日は金曜なので、確か日替わりのメニューはカツカレー定食だったはず―――

 

「……………………………………………………、」

 

ぴたりと一方通行の動きが静止した。次いで、表情が怒りとも呆れともとれない、微妙なものへと変化していく。そのまま十秒ほど同じ姿勢で固まっていたが、やがて諦めたように盛大なため息を吐き、扉を開けた。

 

 

 

―――無意識に好物が出る曜日を覚えてしまっていた自分に心底呆れ果てながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日・午後 第三アリーナ

 

「えっとね、一夏がオルコットさんや凰さん、鈴科くんに勝てないのは、射撃武器の特性を理解していないからなんだ」

 

「射撃武器の特性って……速くて、遠距離まで攻撃できる、じゃダメなのか?」

 

『くっ! このっ!』

 

「うーん、その通りって言えばその通りなんだけど……知っていることと理解できていることは違うんだ。実際、僕と戦ったときもほとんど間合いを詰められてなかったでしょ?」

 

「うっ、確かに……瞬時加速も読まれてたしなぁ……」

 

『いい加減当たんなさいっての!』

 

「一夏のISは近接オンリーだから、中遠距離を得意とする相手とは相性最悪って言ってもいい。だからこそ、射撃武器の特性をより深く理解しないといけないんだ。一夏の瞬時加速は直線的だし、反応できなくても牽制はできるからね」

 

「直線的、かぁ。うーん……」

 

『あああああもぉぉぉおおっ!!』

 

「あ、でも瞬時加速中は無理に軌道を変えたりしないほうがいいよ。最悪の場合骨折したり、それじゃ済まないこともあるから」

 

「……なるほど」

 

『えっ!? ちょっ、何それ―――きゃああああああっ!!』

 

ズドォォォオオオンッ!!!

 

シャルルと話し込んでいた一夏は、悲鳴と共に落下してきた物体に目を向けた。轟音と共にアリーナの地面に出来たクレーター、その中心に倒れ伏すのは赤黒の機体『甲龍』と、操縦者である鈴音。上空を仰げば、一方通行の駆る漆黒の機体がゆっくりと旋回していた。

 

「ったたた……」

 

「おーい、大丈夫か?」

 

顔をしかめながら立ち上がる鈴音。絶対防御に守られているとはいえ、殺しきれなかった衝撃が響いたようだ。しかし、それも束の間のこと。即座に復活すると、様子を見ようと近付いた一夏に驚愕の表情で詰め寄った。

 

「い、一夏! なんなのよあいつ!? 衝撃砲跳ね返すとか常識外れも良いとこじゃない! 攻撃一発も当たらないしどうなってんのよ!?」

 

「ちょっ、落ち着け鈴! 近い近い、近いって!」

 

シャルルが一夏に懇切丁寧な解説をしている間、その上空で模擬戦闘を行っていた鈴音と一方通行。しかし、一方通行は放たれる攻撃を全て回避。焦れた鈴音が最大威力かつ広範囲の衝撃砲をぶっ放したところでそれを跳ね返し、呆気にとられた彼女は直撃を食らい撃墜―――

 

「攻撃の反射なんて聞いてないしそもそも勝負になんないじゃないのよぉぉぉおおお!」

 

「でも、さっき鈴科は瞬時加速中だったけど方向転換してたぞ?」

 

天に向かって吼える鈴音を他所に、一夏は素朴な疑問を投げかけてみた。先ほどのシャルルの話では、瞬時加速を使用している際には直線にしか動けないというが、一夏の目が正しければ確かに一方通行は鋭角的に転身していた。

 

それを聞いたシャルルの目が丸くなる。

 

「ええっ!? い、一夏、それ、ほんと?」

 

「あ、ああ。こう、カクカクッと」

 

「……個別連続瞬時加速……? いや、でもその軌道だと……多分『ライトニング・ダンス』かな」

 

「ライトニング・ダンス?」

 

聞き慣れない単語に首を傾げる一夏。シャルルは頷くと、右手をジグザグに動かしてみせる。

 

「ほら、こうやって稲妻みたいな軌道を描くでしょ? だから、稲妻の舞踏(ライトニング・ダンス)。……でも、今までに成功させたのは織斑先生だけだって聞いてたんだけど……」

 

「え? それって、鈴科が千冬姉と同じくらいIS動かすのが上手いってことか!?」

 

「そう……だね。僕は実際に見たことがないからなんとも言えないけど、操縦技術は国家代表レベルなんじゃないかな」

 

「……マジかよ……」

 

驚愕する一夏。

 

それを横目で捉えながら、シャルルは静かにISの解析機能をオンにした。そのまま視線を上空へと移す。視線の先には、悠然と浮遊する一方通行の姿。

 

(……ごめんね、鈴科くん)

 

心の中で小さく謝罪し、その機体の全てが視界に収まるように調整し―――

 

 

 

「―――ッ!?」

 

 

 

此方を見下ろす一方通行の赤い瞳と視線が交錯した瞬間、氷の手で心臓を鷲掴みにされたような感覚がシャルルを襲った。

 

敵意は感じられない。

 

が、まるで自分のすべてを見透かされているような、形容し難いプレッシャーがシャルルの全身を圧し潰さんばかりに向けられていた。無意識に、アサルトライフル『ヴェント』を握る右手に力が入る。

 

(まさか―――)

 

「―――! ―――ル!」

 

(気付かれてる(・・・・・・)―――!?)

 

「―――シャルル!」

 

「ふぇっ!? あ、な、何かなっ!? 」

 

突然、視界に一夏の顔が入り込んで思わず変な声を上げてしまうシャルル。そのお陰か、全身を押さえつけていた圧迫感が消えていく。一夏は不思議そうな表情で首を傾げた。

 

「どうしたんだ? 呼び掛けても反応しないし。鈴科がどうかしたのか?」

 

「い、いや、なんでもないよ? それで、どこまで話したっけ?」

 

「えーと確か、俺の瞬時加速が直線的だとかなんとか」

 

「ああ、それはね―――」

 

話しながらハイパーセンサーで後ろを『視る』が、一方通行は既にピットへと消えていくところだった。小さく胸を撫で下ろしたシャルルは、頭を切り替えて一夏に改めて説明を始めた。

 

通常、全てのISには拡張領域(バススロット)といって後付武装(イコライザ)量子変換(インストール)するための空スペースがある。そこへ予め武器や弾薬を収納しておき、戦闘時に展開することで武器の携行を必要としないという便利なものだ。

 

勿論機体によって拡張領域の容量は違うが、白式には拡張領域の空きがない。唯一の武装である雪片弐型以外はナイフ一本どころか弾丸一発すら量子変換できないのである。

 

白式の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)『零落白夜』。通常は第二形態から発現するそれを第一形態から使える代償として、拡張領域全てを単一仕様能力の方へと回しているのだ。

 

逆に、シャルルの専用機『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』は基本装備をいくつか外し、その分拡張領域を倍に広げている。様々な武装を自在に呼び出す様はまさに『空飛ぶ武器庫』。

 

元から近接武器しか量子変換しておらず、他の武装は使用不可。ならば、その為の機構は全て取り払ったとて何ら障害はない。つまり何が言いたいかというと―――

 

「……まさか、センサー・リンクまで無くなってるとは」

 

「あ、あはは……」

 

射撃用アシストプログラム、センサー・リンクが見当たらないのだ。目標までの距離や風圧、残弾数などを表示してくれるのだが、それすら無いとなると完全マニュアルでの射撃になってしまう。

 

不安しかない一夏。シャルルからヴェントを渡されるが、軍事訓練を受けるどころかエアガンを握った程度の射撃経験しかない一夏にとって、『銃』という人殺しの為の道具は妙な重さを感じた。

 

そのままシャルルにレクチャーを受けながら、二発三発と仮想標的に向かって引き金を引く。センサー・リンクがあることを前提にして作られているので、ヴェントにはスコープがついていない。

 

視界が阻害されるアイアンサイトに四苦八苦しつつ、最後の一発の空薬莢が地面を跳ねたところで、妙にアリーナ内がざわつき始めた。サイトから顔を離し、周囲を見渡して注目の的を探す。

 

「……………………」

 

はたして、そこには漆黒の機体を纏った小柄な少女、ドイツ代表候補生ラウラ・ボーデヴィッヒが無表情に一夏たちを見下ろしていた。

 

初対面が初対面だっただけに、一夏の顔は僅かに苦々しい。シャルルも、見下すような視線を向けてくるラウラに対して警戒しているのか目元が少し細くなっている。

 

「おい」

 

「……なんだよ」

 

短い呼び掛けの後ラウラはふわりと飛翔し、赤い瞳で鋭く睨め付けながら一夏たちから20m程の所へ降り立った。

 

「貴様も専用機持ちだそうだな。なら話が早い。私と戦え」

 

「嫌だね。理由がねぇよ」

 

「貴様はな。しかし私にはある」

 

ラウラが一夏に対し好戦的なのには理由があり、一夏もまたその理由にはなんとなくだが心当たりがあった。

 

第二回IS世界大会『モンド・グロッソ』。その決勝戦当日、一夏は正体不明のテロリストたちに誘拐、監禁された。決勝戦に出場する予定だった千冬はその報せを聞くや、大会を放り出して一夏を救いだしたのだ。

 

当然、千冬の不戦敗という形で決勝戦は幕を閉じた。その後、千冬は一夏の居場所を掴んだ『借り』を返すという名目でドイツ軍の教官を勤めた。そして、その時の部下の一人が―――ラウラ。そして、

 

「貴様がいなければ教官が大会二連覇を成し遂げただろうことは容易に想像できる。だから、私は貴様を、貴様の存在を認めない」

 

というのが、ラウラの言い分だ。しかし、ラウラと一夏が戦ったとしても一夏には何の得もない。時間の無駄であり、かといって素直に叩きのめされる義理もないのだ。

 

「また今度な」

 

「ふん。ならば―――戦わざるを得ないようにしてやる!」

 

言うが早いか、漆黒のISを戦闘状態へシフトさせたラウラは右肩のリボルバーカノンを一夏に向ける。撃鉄が雷管を叩き、炸薬に点火。薬莢内部の液体火薬が撃発し、バレル内のレールガンプロセスが弾頭を超速で射出した。

 

「!」

 

ゴガギャンッ!

 

だが、その弾頭が白式の装甲を抉ることはなかった。

 

「……こんな密集空間でいきなり戦闘を始めようとするなんて……。ドイツの人は随分と沸点が低いんだね。それともドイツ軍では我慢のなんたるかについて教わらないのかな?」

 

「貴様……」

 

横合いから割り込んだシャルルがシールドで砲弾を弾き飛ばし、瞬時に展開したアサルトカノン『ガルム』を油断無くラウラに突き付けていた。しかし、銃口を眼前にしてもラウラの余裕の態度は変わらない。

 

「はっ、フランスの第二世代(アンティーク)ごときで私の前に立ち塞がるとはな」

 

「未だに量産化の目処が立たないドイツの第三世代(ルーキー)よりは動けると思うけどね」

 

涼しい顔をして睨み合う両者。しかし、それも長くは続かなかった。騒ぎを聞き付けてやってきた担当教師の怒声がスピーカーから響き、それを聞いたラウラの方が先に戦闘態勢を解いたのだ。

 

「……ふん。今日は引こう」

 

そう言って一瞥をくれるとアリーナゲートへと去っていくラウラ。その後ろ姿を見据えながら、シャルルはガルムを収納して構えを解く。

 

「一夏、大丈夫だった?」

 

「あ、ああ。助かったよ、ありがとな」

 

「どういたしまして……っと、今日はもうあがろっか。このままやっても身が入らないだろうし、どのみちアリーナも閉館時間だしね」

 

「そうだな。あ、銃サンキュー。色々と参考になった」

 

「それなら良かった」

 

にっこりと微笑むシャルルに、一夏は妙に落ち着かない気分になるが、ぶんぶんと頭を振って余計な思考を締め出した。目を閉じ、息を一つ吸って吐く。再び開いた一夏の瞳は、これから起こるであろう出来事に備えて真剣な光を放っていた。

 

「えっと……じゃあ、一夏は先に着替えて戻ってて?」

 

「だが断る」

 

これである。

 

どういうわけか、シャルルは実習後の着替えを一夏としたことがないのだ。鈴科とどうなのかは知らないが、何故か自分と着替えをしたがらないシャルル。そんな彼を、男同士の貴重な付き合いを増やしたい一夏がおいそれと見逃すはずもなく―――

 

「ほら、たまには一緒に着替えようぜ?」

 

「や、やだよ」

 

「そんなつれないこと言うなって」

 

「つれないっていうか、どうして一夏はそんなに僕と着替えたがるの?」

 

「というかどうしてシャルルは俺と着替えたがらないんだ?」

 

質問を質問で返すという鬼の所業をやってのける一夏だが、こうでもしなければシャルルが答えてくれないのはここ数日の経験からよくわかっていた。変なところで要領のいい一夏である。

 

「どうしてって……その、は、恥ずかしいから……」

 

「恥ずかしいって……ちょっと細身なだけだろ? それだったら鈴科の方がよっぽど細い―――ん? なんだろう、悪寒が」

 

確かにシャルルは細身の部類に入るが、すべやかな肌の下にはしなやかな筋肉が内包されているのが一目でもわかる。ちなみに一夏は平均的な男子高校生より少し逞しく、一方通行は大分細い。

 

「とにかく、慣れれば大丈夫だって。鈴科も一緒だろうから、三人で着替えようぜ」

 

「いや、えっと、えーっと……」

 

視線を宙にさ迷わせるシャルル。それを見た一夏の瞳がキラリと光った。最後の一押しをするべく、体ごと乗り出して説得にかかる。

 

「なあ、シャル―――そげぶっ!?」

 

が、伸びてきた二本の手によって後ろに引き戻されてしまった。しかも引っ張られたISスーツがご丁寧に頸動脈を圧迫し、呼吸を妨げるというギミック付きだ。

 

「はいはい、アンタはさっさと着替えに行きなさい。引き際を知らないやつは友達なくすわよ」

 

「そうだぞ一夏。親しき仲にも礼儀ありという言葉を知らんのか、まったく」

 

「ちょ、ぅっ! 首、締まっ……! ッ! ッ!」

 

呼吸どころか、気道を締め付けられ言葉も発せられない一夏。酸欠で視界がブラックアウトしつつ、日中幼馴染みコンビに引きずられていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、デュノアさん? 後片付け、お手伝いしますわ」

 

「え、あ、うん。ありがとう」

 

―――英仏コンビは、平和なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はー、終わった終わった」

 

意識を手放す直前で箒と鈴の拘束が緩み、なんとか一命をとりとめ、念願の大浴場が解禁されるという話を聞き、それを伝えに来た山田先生の手をとって大喜びし、シャルルにそれを目撃されるというハプニング(?)があり、白式の正式な登録に関する書類を書かされるという壮大かつ波瀾万丈な―――ごめん嘘、壮大とか波瀾万丈は嘘。

 

「ただいまー。って、あれ? 」

 

自室に入って部屋を見渡すが、先に戻っていたはずのシャルルの姿が見当たらない。……と、思ったのも束の間、すぐにシャワールームから響く水音に気づく。

 

(そういえば、確か昨日ボディーソープが切れたとか言ってたっけ。シャルルのことだから、体を濡らしたまま探しに来るなんてことはしないだろうけど)

 

クローゼットから予備のボディーソープを取り出し、洗面所へ向かう。シャワールームは洗面所兼脱衣所とドアで区切られているので、そこから声をかければいいだろ。

 

そう思って、洗面所に入る。何気無く洗濯カゴに目をやると、いつもシャルルが寝間着に使っているスポーティーなジャージが綺麗に畳まれていた―――のだが。

 

(なんだろうあれ……ハンカチか?)

 

ジャージとジャージの間から、薄いピンク色の布が僅かに覗いている。別にシャルルが何色のハンカチを使っていても何ら問題はないんだけど、何でシャワー上がりにハンカチ?

 

疑問に思い首を捻っていると、向かいからドアの開く音が聞こえてきた。ああ、やっぱボディーソープ探しに来たのか。そりゃ無きゃ困るもんな。

 

「ああ、調度良かった。ほら、替えのボディー……ソー、プ……」

 

ごとん、と。

 

俺の手から、ボディーソープのボトルが滑り落ちた。

 

当然だ。だって、だって―――

 

 

 

 

「い、い、いち……か…………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――シャワールームから出てきたのは、見たことのない『女子』だったのだから―――

 

 

 

 

 

 




あけましておめでとうございます(遅)

更新が遅れてしまい大変申し訳ありません。
頑張ってはいるのですが、なにぶんやりたいことが多すぎまして。あ、それと私もツイッター始めま―――はい、申し訳ありません黙ります。

まだまだ未熟ですが、引き続き本作品をよろしくお願いいたします。





今年一年、皆様のご多幸を心よりお祈りしております

パラベラム弾


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十六話

―――オーケー、まずは落ち着こう。

 

状況を整理するんだ。焦ったってなにも良いことはないからな。鈴科みたいに冷静に行こう。まずは周囲の確認からだな。

 

まず俺。扉の開いたシャワールームに顔を向け、そちらに伸ばした手からボトルが滑り落ちたおかげで半開きな手になっているが、別段問題はないだろう。

 

そして、シャワールームから出てきた見知らぬ女子。緩やかなウェーブがかかった美しい金髪。驚きに見開かれた紫の瞳。目尻は僅かに垂れており、普段通りなら人懐っこそうな笑顔を浮かべているのだろう。

 

しなやかな首。芸術的なラインを描き肩へと繋がっており、細い鎖骨に雫が流れ落ちるのは宛ら芸術作品のワンシーン。美しい丸みを帯びた双丘は、恐らくCカップぐらいだろう。直接触れたわけでもないのに、一目で柔らかいと感じさせる張りがってうおわぁぁぁぁぁ!!!!

 

「きゃあっ!?」

 

ガチャンッ!

 

俺が慌てて後ろを向くのと、我に返った女子がシャワールームに逃げ込むのはほとんど同時だった。……何で女子の裸を見て詳細に解説してるんだろうか、俺は。

 

(待て待て落ち着け、落ち着くんだ。目下一番の問題は、今の女子が一体誰かってことだ。洗濯カゴに置いてあったジャージ、閉まっていた部屋のカギ、金髪に紫の瞳。以上の証拠から考えて、可能性として一番高いのはシャルルだよな……。でもなんで?)

 

疑問符が頭を飛び回る中、不意に脱衣所のドアがゆっくりと開かれる。思考に没頭していた俺は、その音にビクリと肩を跳ねさせた。

 

「あ、上がったよ……」

 

「お、おう」

 

背後から聞こえてくる声は紛れもないシャルルのもの。俺は小さく息を吸うと、覚悟を決めて振り向いた。

 

「―――」

 

女子が、そこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

部屋が沈黙を支配し、かれこれ一時間が経とうとしていた。話しやすくなるだろうと思い一夏が淹れたお茶も、今やすっかり冷めてしまっている。シャルルも一夏もお互いがあちらこちらに視線をさ迷わせており、話が進む気配がない。

 

手に持つ湯飲みに注がれた日本茶、その水面に映る自分の顔を数瞬見つめていた一夏だが、やがてそれを一息に飲み干すと意を決して問いを投げた。

 

「その、なんで男のフリなんてしてたんだ?」

 

簡潔かつ、全ての疑問を解消できる的確な一夏の問い。それを聞いたシャルルは口を開きかけるが、一瞬躊躇った後に再び俯いてしまう。

 

見かねた一夏は身を乗り出すと、シャルルの両肩に手を置いた。突然のことに、シャルルが驚いて顔を上げる。そのアメジストの瞳を真っ直ぐに見据えながら、一夏はなるべく穏やかな声で言葉を紡いだ。

 

「なぁ、シャルル。俺は別に話を聞いたからってシャルルをどうこうするつもりはない。俺が手出しできないようなことだったとしても、一緒に考えることはできる。まぁ、俺が出来ることなんてたかが知れてるけど、それでも俺は―――『友達』が困ってるのを見過ごせない」

 

嘘偽りのない、一夏の言葉。それを聞いたシャルルの目が僅かに見開かれた。そのまま先程のように顔を俯けてしまうが、やがてぽつりぽつりと話し始めたそれは、一夏を驚愕させるには十分すぎる内容だった。

 

曰く、自身は妾の娘であると。

 

曰く、父親の命で学園に送り込まれたと。

 

「引き取られたのが二年前。ちょうど僕のお母さんが亡くなった時に、父の部下がやってきてIS適性の検査をしたんだ。そしたらなんの偶然か、僕のIS適性が高いってわかってね。非公式だったけど、デュノア社のテストパイロットをすることになったんだ」

 

得てして、愛人の子供というのは本妻やその子供からも良い扱いは受けない。例に漏れず、シャルルもまたその内の一人だった。本妻からは泥棒猫の娘と罵られ、その娘からはIS適性が高かったことによる妬みや僻みで様々な嫌がらせを受けていた。

 

デュノア社が経営危機に陥ったのは、そんな中だった。

 

世界三位のISシェアと言えど、ラファール・リヴァイヴは所詮第二世代。如何に高性能であろうともそれは第二世代の中での話だ。第三世代が現行している中、何時までも第二世代ばかりを売りにしていても意味はない。

 

EU統合防衛計画『イグニッション・プラン』から除名されているフランスは、国防の為にも第三世代ISの開発は何よりも優先すべき事なのだが、ISの開発には莫大な経費が必要になる。元々他国に資本力で劣るフランスが悪戯に金を消費し続ける事は悪手なのだ。

 

よって、次回の主力機体の選定トライアルに参加できなかった場合は、国からの援助を全面カットした上でIS開発許可まで剥奪される。事実上の死刑宣告だった。

 

「……だから、シャルルを男として学園に送り込むことで会社の知名度を上げて、金を得ようと思ったってわけか?」

 

「……そうだね。しかも、同じ男子なら日本で登場したイレギュラーとも接触しやすい。可能であればその機体と本人のデータを取ってこい……ともね」

 

「それって―――」

 

「多分考えてるとおりだよ。一夏の白式と、鈴科くんの機体のデータを盗んで第三世代開発の足掛かりにするためさ」

 

まぁ、鈴科くんには勘付かれてたかもだけど、とシャルルは苦笑した。

 

つまるところ、シャルルが学園にやって来たのは全て会社の思惑で、そこに彼女の意思が介入する余地など無かったのだ。例え、彼女がどんな目に逢おうとも。

 

「―――それだけなら、まだ良かったんだけどね」

 

しかし、事態は大きくなりすぎていた。何故なら、シャルルを男として送り込むという馬鹿げた策に、フランス政府までもが協力すると言い出したのだ。戸籍を偽造し、偽の経歴や画像をばら蒔き、徹底的にシャルルが女であることを隠匿した。

 

祖国の為、と言えば確かにそうなのだろう。だが、その方法が余りにも歪みすぎていた。自らが過ごしていた国がここまで腐っていたのかと思うと、シャルルは愕然とした。

 

そうしてIS学園にやって来て、一夏と出会い、女であることが露見した―――というのが全てだった。

 

「とまあ、そんなところかな。でも一夏にバレちゃったし、僕は本国に呼び戻されると思うよ。デュノア社は……まあ、良くて吸収悪くて倒産かな。僕にとってはもうどうでもいいことだけどね」

 

「…………」

 

「ああ、なんだか話したら楽になったよ。聞いてくれてありがとう、一夏。それと、今まで騙しててゴメンね」

 

深々と腰を折って謝罪するシャルルを見て、一夏の心を謎の感情が支配する。その感情がなんだかわからないまま、気がつけばシャルルの肩を掴んで顔を上げさせていた。

 

「いいのかよ、それで」

 

「え……?」

 

「それでいいのか? いいはずないだろ。親が何だっていうんだ? 親だからって、子供の意思まで縛り上げて、自分の言うことを聞かせる操り人形にする権利なんかあるわけないだろ!」

 

「い、一夏?」

 

戸惑いと怯えを混ぜたような表情をするシャルルだが、一夏の胸から溢れ出す感情は言葉となって爆発する。

 

「確かに、親がいなけりゃ子供は生まれない。だからってな、生んだ子供を好き勝手していいはずはないんだ。例え親がどれ程偉くても、どんな理由を並べても! それでシャルルの人生が邪魔されて良いことには、ならないだろうが!」

 

吼えて、一夏は気付いた。これは、シャルルのことを言っているのではない。恐らくは、親に捨てられた自分のこと、そして自分を育ててくれた千冬を思うが故の言葉なのだと。

 

「ど、どうしたの? 一夏、変だよ?」

 

「あ、ああ……悪い。その、つい、な」

 

「いいけど……何かあったの?」

 

「俺は―――俺と千冬姉は、両親に捨てられたからさ」

 

既に知っていたことらしく、ハッとした後にシャルルは申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「……その、ゴメン」

 

「別にいいよ。俺の家族は千冬姉だけって割りきってるから会いたいとも思わないし、俺たちを捨てた親の顔なんて今更見たくもないさ。それより、シャルルはこれからどうするんだ? 国まで手伝った偽造工作なんてバレたらとんでもないことになるだろ」

 

「うん……でも、どっちにせよ何時かはバレるだろうし、下手すればフランスは欧州連合からも外される可能性がある。賠償金とかで事が済めばいいけど、そうしたら完全にIS開発は不可能になるし僕もここにいる理由がなくなるから、国連の監視下に置かれて事情を聞かれた後は牢屋……とかかな」

 

「それでいいのか?」

 

「良いも何も僕には選ぶ権利が無いんだし、仕方ないよ」

 

そう言うシャルルの微笑みは、全てを諦めたような痛々しいものだった。そんな顔を見せられた一夏は益々苛立ちを募らせる。が、ふと何かに気付いて顔を上げた。

 

「……IS学園特記事項第二十一、本学園における生徒は在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする―――!」

 

それは正に一筋の光明だった。かつて楯無が一方通行の素性を探ろうとした時、日本政府が一方通行に手を出せなかった理由であるIS学園特記事項。それが、今こうしてシャルルを守る盾となったのだ。

 

「つまり、この学園にいれば向こう三年は大丈夫ってことだろ? それだけあればなんとかする方法も見つかるはずだ。別に急ぐ必要はないんだからさ」

 

「一夏」

 

「ん?」

 

「よく覚えられたね。特記事項って五十五個もあるのに」

 

「……勤勉だからな、俺は」

 

「ふふっ……そうだね」

 

シャルルは小さく肩を揺らし、ようやく本心からの笑顔を見せる。が、一夏はその笑顔の中に僅かな悲しみがあるのを見逃さなかった。確かに安全は確保された。しかしそれは『シャルル・デュノア』個人に限っての話だ。

 

「……何とかしたいよな。お母さんがいた国だもんな」

 

「っ、……うん」

 

シャルルは目を伏せて、躊躇いがちに頷いた。いくら自分を使って儲けを得ようとしたとはいえ、十六年もの月日を母と過ごした祖国をあっさりと切り捨てられるほどシャルルの心は強くはない。

 

一夏は暫し何かを考え込んでいたが、やがてシャルルの腕をとって立ち上がった。

 

「い、一夏?」

 

「俺らでどうにか出来ないなら、他人の知恵を借りる」

 

「他人の……って、誰の!?」

 

慌てふためくシャルル。しかし、一夏は安心させるように笑って、こう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――鈴科のだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「他ァ当たれ」

 

バタン。

 

「(おおい鈴科ぁっ!? 頼むよ開けてくれ! お前以外に頼れそうな奴はいないんだって! 先生方には知られちゃまずいし、本当に緊急事態なんだよ!)」

 

無慈悲に閉ざされた扉に、一夏は小声で叫ぶという高等技術を披露しつつ扉を叩いた。まさか、用件を言う前に門前払いを食らうとは思っていなかったので一夏の慌てぶりは凄まじかった。

 

後ろで不安そうにしているシャルルには男装用のコルセットを着けてもらっているし、一方通行の部屋は一年寮の端にあるがそれでも他人にバレはしないかと冷や汗ものだ。

 

「い、一夏……本当に大丈夫なの?」

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

「……何だろう、すごい不安になってきたよ……」

 

ぼそっと後ろでシャルルが呟いたが、それどころではない一夏の耳には届いていなかった。なおも必死の懇願を続ける一夏だが、一方通行は聞く耳を持たない。

 

「……まずいな、鈴科が頼れないとなると他にアテが無い」

 

「あら、どうして?」

 

「鈴科以外に、今の状況を理解できて冷静に対策を練れそうな人が居ないからな。逆に、そんな奴は鈴科しか俺は知らない」

 

「ふぅん。なら私じゃダメかしら?」

 

「いや、シャルルは元々―――え?」

 

「え?」

 

「ん?」

 

順に、一夏、シャルル―――そして、聞き覚えの無い女性の声。いつの間にか、一夏たちの横に見知らぬ女性が立っていた。一拍遅れて、一夏が突然現れた女性に対して誰何する。

 

「誰……ですか?」

 

「うん? 私の名前は更識楯無。君たちの長たる、IS学園生徒会長だよ」

 

そう言って、楯無は妖しい笑みを浮かべながら『神出鬼没』の扇子をぱっと広げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「どうしたの皆、黙りこんじゃって」

 

貴女のせいです、と一夏は心の中で楯無に突っ込む。

 

一応、楯無のおかげで部屋に入ることは出来た。しかし、一人で過ごす分には十分な広さでもやはり四人ともなると手狭になってしまう。よって、ベッドには一夏とシャルルが腰掛け、デスクの椅子には楯無が座り、部屋の主たる一方通行が壁に凭れているのだが。

 

シャルルは借りてきた猫のように身を縮め、一方通行を頼ってやって来た一夏でさえも戦々恐々としていた。理由は簡単だ。

 

 

 

 

 

 

『透夜くーん? ちょっと開けてちょうだーい』

 

『……何でオマエまで来てるのかは知らねェが、面倒事持ってくンじゃ『おっ邪魔っしまーす!』―――ごッ』

 

楯無が扉を蹴り開け、すぐ近くに立っていたらしい一方通行を弾き飛ばした。数秒後、無言で起き上がった彼はその右腕に漆黒の装甲を展開し―――

 

『うおおおお待て待て待て落ち着け鈴科ッ! 気持ちは分かるがそれはヤバい! っていうか更識先輩も何してるんですか!? そりゃ誰だって怒りますよ!』

 

『一夏くん、私の事は名前で呼んでいいのよ?』

 

『怒りますよ!?』

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

(帰りてぇぇぇええええ!! 超恐ぇぇぇええええ!!!)

 

結果、視線だけで人を殺せそうな程不機嫌な一方通行とそれに怯える一夏とシャルル、それを見てニヤニヤする楯無という構図が出来上がったのだった。

 

そのまま沈黙が続くかと思われたが、果たしてこの状況を作り出した自覚があるのか無いのか楯無が口火を切った。

 

「さて、一夏くんにシャルルくん―――いや、シャルルちゃんのほうがいいのかな? お二人は透夜くんに一体なんのご用事?」

 

彼女が何気無しに放った言葉に、一夏の体がぎしりと強張った。当然だ。シャルルが女子だということが既にバレているなどと思いもしなかったのだから。

 

そんな一夏の様子に気付いたのか、楯無は苦笑する。

 

「あのね一夏くん。さっきも言ったけど、私はこの学園の生徒会長。生徒のことは大体なんでも知ってるわ。……それに、透夜くんだってシャルルちゃんが女の子だってことは知ってたみたいよ?」

 

「えっ!?」

 

そうなのか? と視線で問い掛ける一夏。一方通行は心底うんざりと言った様子で楯無を睨んでから、無言の肯定を示す。そして、視線を一夏に移すと口を開いた。

 

「……話せ。オマエらを叩き出すかはそれから決める」

 

一方通行にそう言われ口を開きかけるが、その直前で一夏は楯無に目線を向ける。視線に気付いた楯無は、不敵に笑って扇子を広げた。そこには『心配無用』の四文字。

 

「一夏くんが考えてること当ててあげましょうか? 『この人は生徒会長だから、学園に害を及ぼし得る可能性のあったシャルルをただでは済まさないんじゃないか?』でしょ?」

 

「……はい」

 

妙に良く似た一夏の物真似で、彼の心情を言い当てる。殆ど完璧に見透かされていた一夏は頷くしかない。すると楯無は扇子を閉じ、今度は安心させるように笑った。

 

「確かに学園の安全は大事よ。でもそれが―――『生徒一人の安全』を捨てていい理由にはならない。生徒を助けるためなら、私は力を惜しまないわ。だから、遠慮せずに話してみなさいな」

 

要は、楯無がシャルルの味方になってくれるのだ。思わぬところで協力者を得ることが出来た一夏は、シャルルに目線で確認を取る。彼女が小さく頷くと、先程の話を二人に伝えた。

 

シャルルの父親のこと、父親によって学園に送り込まれたこと、フランス政府の策略、それによって本国に出る被害を何とかしたいこと。

 

二人は黙って話を聞いていたが、各々の赤い瞳には違った色が見てとれた。洗いざらい話終えた一夏は大きく息を吐き、反応を待つ。

 

「っつーかよォ」

 

意外にも、最初に口を開いたのは一方通行だった。だが―――

 

「何でオマエは俺の所に来やがった。教師か、それこそオマエの姉にでも頼ればいいだろォが」

 

「……先生方には言えない。千冬姉は―――」

 

「―――迷惑をかけたくねェから頼れませン、ってか? じゃあオマエは、オマエが俺に助けを求めることで俺が迷惑するって可能性は考えなかったワケだ」

 

「それは……」

 

言い淀む一夏。一方通行の口撃は止まらない。

 

「事実だろォが。……デュノアにしても、フランス政府がオマエを女だとバレる可能性を考慮してねェとでも思ってンのか。バレたら即刻切り捨てて、デュノア社の独断行動だとか何とかで知らぬ存ぜぬを突き通すに決まってンだろォが。それを助けたい? はっ、フランス貴族様はよっぽどのお人好しらしィな」

 

「……っ」

 

彼の言葉は正しい。正しいからこそ、言い返せない。

 

「俺がオマエらにしてやる事なンざ何一つねェし、してやれる事もねェ。頼るンならそっちを頼れ。―――俺は知らねェ(・・・・・・)

 

楯無を視線で示してそう言うと、扉を開けて部屋から出ていった。残されたのは、顔を俯ける一夏とシャルル、そして、一方通行が出ていった扉を眺める楯無。

 

沈黙が続くかと思われたが、椅子から立ちあがった楯無は扇子を鳴らすと小さく笑った。

 

「何とかしてって言われたら、何とかするのが私の仕事。―――さてさて、二人は一体どうしたいのかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――透夜くん好きよね、屋上(ここ)

 

後ろから聞こえてきたその声の主を、肩越しに見やる。コツコツと床を鳴らしながら隣に並び立った彼女は、彼と同様に柵に体を預けた。

 

「……話は終わったのか」

 

「ええ。これでシャルルちゃんの身の安全は確保されたし、フランス政府の腐敗の芽も摘めて一石二鳥よ」

 

「そォかよ」

 

少しの静寂。それを破ったのはまたしても彼女。

 

「……透夜くんなら解決策を見つけるのも簡単だと思うんだけど、どうして助けてあげなかったの?」

 

「逆に訊くが、俺が助けを求められて喜ンで手ェ貸すよォな人間に見えンのかよ」

 

「見えるわね。少なくとも私には」

 

「ならオマエの目は節穴だな。生憎俺には慈悲や慈善なンてモンは備わってねェンだわ」

 

そう言って、歩き出す。

 

 

 

 

 

 

「―――そんなに怖い? 他人の好意に応えるのが」

 

 

 

 

 

 

足が止まった。

 

「……言い方を変えるわ。向けられた好意に応えることで、他人と親しくなるのが怖いの?」

 

「……」

 

「透夜くんならなんとかしてくれる、そう思ったからこそ一夏くんはあなたの所に来た。ある意味では、先生方よりも頼れると思って」

 

「勝手な責任転嫁だ。自分じゃどォにもできねェから他人に押し付けただけだろォが」

 

「そうね、そうとも言えるわ。でも、そうなったのは透夜くんが普段から『そう』なるように過ごしていたからよ。透夜くんなら大丈夫、透夜くんなら知ってる、透夜くんなら―――って」

 

「……、」

 

「向けられた好意全てを拒んだところで、後に残るのは孤独と静寂。あなたはわざわざそれを選ぶの?」

 

「……いつから生徒会長ってなァ生徒の心に踏み込む役職になりやがった? 俺がオマエにとやかく言われる筋合いなンざどこにもねェだろ」

 

「じゃあ質問を変えましょうか。―――好意を拒まれた方の気持ちって、考えたことあるかな」

 

「―――ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――こっちに来るな、化物!

 

―――お前なんか友達じゃない! あっち行けよ!

 

 

 

 

 

 

信じていた者に裏切られた。

 

頼っていた者に見放された。

 

仲良くしていた者は近寄らなくなった。

 

向けた好意が、敵意となって返ってくる。

 

それは、その辛さと苦しみは、彼自身が痛いほどに知っている。もう二度と、思い出したくないほどに。

 

「……お節介かもしれない。余計なお世話かもしれない。虚言だとあしらってくれても構わない。それでも透夜くんのために、言わせてもらうわ。―――好意っていうのは、拒んだ方も拒まれた方も、お互いに傷付くの。かといって向けなければ、待っているのは苦しみだけよ」

 

「……、それで、オマエは俺にどォして欲しいンだよ」

 

僅かに力を失った声で、彼は問う。

 

「何も求めはしないわ。あなたを変えられるのはあなたであって、私じゃないもの」

 

彼女は小さく笑うと、おやすみなさい、と言い残して去っていく。

 

扉の向こうに消えた彼女の背中に視線を向けて、彼は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

―――オマエのそれも、『好意』に入るのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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十七話

イメージオープニングテーマ
『蒼の旋律』
『Baby's Tears~DDR superNOVA Japanese edit~』


「そ、それ本当!? ウソついてないでしょうね!?」

 

月曜、朝。

 

教室に向かっていた俺は、廊下にまで響き渡るその声に目をしばたかせた。

 

「なんだ?」

 

「さあ?」

 

隣のシャルル(勿論男装はしている)に尋ねてみれば、当然だがこちらも知らないようで首を傾げていた。

 

「どこか信用に欠けますわね……本当に透夜さんは了承したのですか?」

 

「本当だってば! 学園中この噂で持ちきりなのよ? 月末の学年別トーナメントで優勝したら、織斑くんか鈴科くんと付き合え―――」

 

「俺と鈴科がどうかしたのか?」

 

「「「きゃああっ!?」」」

 

……なぜ話しかけただけで悲鳴をあげられるんだろうか。地味に傷付くぞ。

 

「んで、なんの話だったんだ? なんか俺と鈴科がどうとか言ってたみたいだけど」

 

「う、うん? そうだっけ?」

 

「あら織斑さん。乙女の会話を詮索するのは不躾でしてよ」

 

あははうふふと言いながら話を逸らそうとする鈴と、優雅にかわすセシリア。こういうときは大抵ろくな話をしていないと思うんだが、それを指摘したらしたでまた怒られるから言わないけど。成長したな俺。

 

「じゃ、じゃああたし自分のクラス戻るから!」

 

「ではわたくしも席につきますので」

 

そう言ってその場を離れていく鈴とセシリア。その流れに乗ってか、周囲の女子たちも然り気無く自分の席やクラスへと戻っていった。

 

「……なんだ?」

 

「……さあ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

一方。

 

窓側最前列の席では、表面上平静を装いつつ内心頭を抱える少女の姿があった。―――箒である。

 

近頃、学年末トーナメントに関しての噂が流れていること自体は知っていた。しかし、その噂の内容をよくよく聞いてみれば彼女が唖然とするのも無理はない話であり。

 

『学年別トーナメントの優勝者は、織斑一夏か鈴科透夜と付き合うことができる』

 

(……どうしてこうなった!?)

 

当初は、箒が一夏に対して『学年別トーナメントで優勝したら付き合ってもらう』と宣言したはずだった。その情報がどこかから漏れてしまったのだろう。しかも一体何をどこでどう勘違いしたのか『織斑一夏か鈴科透夜と付き合うことができる』ということになっているのだ。

 

が、鈴科が候補に入ってしまっていることはこの際思考から閉め出すことにする。噂の発端が自分だと露見することがなければ特に何も言われることはないだろうし、そもそも彼が女性と付き合ったりしているところなど想像できない。

 

それに、優勝した女子が一夏ではなく鈴科を選ばないとも限らない。僅かでも一夏が他人と付き合う可能性を低めておいたほうが得策というものだ。

 

ともかく問題は箒と一夏だけの話だったはずのそれが、既に学園中に広まってしまっているということである。先程も、上級生が『学年が違う場合はどうするのか』『表賞式での発表は可能か』などとクラスの情報通に確認しに来ていた。

 

(まずい、これは非常にまずい……)

 

もちろん箒としては、一夏が他の女子と付き合っているシーンなど想像もしたくないが、自分が一夏と付き合うことになったとしても一瞬で学園中に知られてしまうことも想像に難くない。

 

少しばかり古風な口調、武人然とした真面目な性格とて箒も花盛りの十代乙女。同年代の女子たちが抱くような甘酸っぱい理想もしっかりとその胸に秘めているのだ。

 

―――とはいえ、その理想が実現できるかどうかはまた別の話だが。

 

(と、とにかく、優勝すれば問題ない。何ら問題はないのだ)

 

そんな時だった。

 

思い出したくない記憶が、頭の中に浮かんできたのは。

 

(……大丈夫だ。私は成長した。大丈夫、のはずだ)

 

かつて箒は、小学四年生の時の剣道全国大会でも一夏と同じ約束をしたことがあった。が、ついぞその約束が果たされることはなかった。不運にも、彼女の姉―――束がISを公表した時期と重なってしまっていたのである。

 

ISは発表段階から兵器への転用が危ぶまれており、開発者である束を含む親族の保護という名目で強制転居を余儀なくされた。無論、箒たちの意思や都合などお構いなしに、だ。

 

―――ちょうどその時からだろう、箒が束のことを嫌いになり始めたのは。

 

引っ越しを強制され、大会出場をふいにされ、決死の覚悟で交わした一夏との約束も結局は果たせずじまい。どれもこれも、元を辿れば束がISを開発したせいである。

 

しかし束とて、何も妹との仲を悪化させるためにISを造り上げたわけではないのだ。だが、度重なる環境の変化によって心身共に参っていた箒は、その感情の矛先を姉に向けるしかなかった。そうしなければ自分が壊れてしまうと、幼心にも彼女は理解していたから。

 

そんな中で、剣道だけは続けていたのも、それが一夏との唯一の繋がりに思えたからだった。その繋がりを消してはならないと、一心不乱に打ち込んだ結果得たものは『全国大会優勝』という輝かしい栄冠。

 

 

 

 

―――そして、『強さを見失った』ことによる果てしない喪失感だった。

 

 

 

 

決勝戦で叩きのめした対戦相手の涙を見たとき、それは今までに経験したどんな痛みよりも激しく彼女の胸を抉った。

 

あんなものは、力とは呼べない。強いとは言えない。強さとは、『強くある』ということは、何よりも己が知っているというのに。そのはず、だったというのに。

 

(私は……)

 

自問を繰り返す。最早箒には、一夏のことを気にしていられる心の余裕など欠片も残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「はー。この距離だけはどうにもならないな……」

 

休み時間。

 

閑散とした廊下を早足で進んでいた一夏はそうひとりごちた。

 

元々男性IS操縦者というイレギュラーの存在など考慮されていない状態で建築されたIS学園には、男子用のトイレが三ヶ所しかない。つまり、用を足したくなったら教室から一番近くても200m弱はあるトイレまで態々足を運ばなくてはならないのだ。

 

しかし休み時間もそう長くない。悠長に歩いて向かっていたら、一往復する前に次の授業が始まってしまう。なので必然的にダッシュでの移動を試みなければならないのだが―――

 

(廊下を走るな、ってちょっと無理じゃないか? せめて一階降りるくらいならいいから新しいトイレの建設申請書出そうかな……)

 

女尊男卑のこの時世、イレギュラーとはいえ一夏一人の願いなど儚く散るのが定めというものである。

 

(ってやばい! もうすぐ授業始まっちまう!)

 

この際四の五の言ってはいられないと、走り出すため足に力を込めた瞬間。

 

「なぜこんなところで教師など!」

 

廊下の曲がり角、その向こうから響いてきた聞き覚えのある声に一夏は動きを止めた。そのまま足音を殺し、壁に張り付くようにして耳をそばだてる。何せ会話の主がラウラと千冬なのだ、嫌でも気になってしまうのは仕方あるまい。

 

「何度も言わせるな。私には私の役目があり、それを果たしている。それだけだ」

 

「このような極東の島国で一体何の役目があるというのですか!」

 

声を荒げ思いの丈を吐き出す姿は、普段の彼女にはおよそ似つかわしくない光景であると同時に、どこか必死さを感じさせるものでもあった。まるで、離別してしまう親にすがる子供のような―――

 

「お願いします、教官。どうか我がドイツで再びご指導を。ここでは教官の能力は半分も生かされません」

 

「ほう」

 

「大体、この学園の生徒など教官が教えるに足る人間ではありません。意識が甘く、危機感に疎く、ISをファッションか何かと勘違いしている。そのような程度の低い者達に、教官が時間を割いてまで教鞭を取るなど―――」

 

 

 

 

 

 

「―――囀ずるなよ、小娘」

 

 

 

 

 

 

ぎしり、と。

 

低く放たれたその一言は、込められた畏怖と威圧と覇気でもってラウラの身体を一瞬で縛り上げた。ドイツで幾度となく味わってきた、押し潰されんばかりの恐怖。少女が世界で唯一恐れたものは、数年前と何ら変わることなく彼女の眼前に君臨していた。

 

続く言葉を発しようとした口から浅い呼吸が漏れる。透き通るような白磁の肌を、冷たい汗が一筋流れ落ちた。

 

「少し見ない間に随分と偉くなったな。その年でもう選ばれた人間気取りか? 思い上がるのも大概にしておけ」

 

「っ、私は……」

 

辛うじて絞り出した声に、先程までの力はない。

 

あるのはただ、圧倒的な力による恐怖と、大切なものを失うという恐怖のみ。僅かに震えた声が、彼女の心情をなによりも雄弁に物語っていた。

 

「さて、授業が始まるな。さっさと教室に戻れよ」

 

「………………」

 

ぱっと声色を戻した千冬がそう急かす。まだ何か言いたげな表情をしていたものの、ラウラも流石にこれ以上食い下がる気はないのだろう。「失礼します」とだけ言い残すと、早足でその場を去っていった。

 

小さくなっていく教え子の背を眺める千冬。そんな彼女の瞳に浮かぶのは、僅かな悲哀の色。だがそれも一瞬のことで、まばたき一つで思考を切り換えると、先程から盗み聞きをしていた一夏に出席簿を降り下ろすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「「あ」」

 

間の抜けた声が二人分、放課後の第三アリーナに響く。声の主はセシリア、そして鈴音の二人だった。

 

「奇遇ね。あたしこれから月末の学年別トーナメントに向けて特訓するつもりだけど」

 

「あら、奇遇ですわね。わたくしも丁度特訓をしようと思っていましたの」

 

「なら、ちょうどいい機会だし、この前の実習のことも含めてどっちが上かこの際はっきりさせとくってのも悪くないと思わない?」

 

「それは良い考えですわね。では、特訓も兼ねて手加減なしの模擬戦といきましょう」

 

言って、両者は己の主武装を展開、距離を取って対峙する。自然に緊張感が高まり、空気が張り詰めていく。

 

「では―――」

 

 

 

―――『開始』の合図は、突如飛来した超速の砲弾によって遮られた。

 

 

 

さりとてどちらも代表候補生。如何な不測の事態と言えど、無様に直撃を食らうようなことはない。直ぐ様緊急回避行動を取ると、砲弾が放たれた方向へ構え直した。

 

ピットからアリーナへと続くカタパルト。そこには、肩部レールカノンから硝煙を上げる漆黒の機体が佇んでいた。

 

機体名『シュヴァルツェア・レーゲン(黒い雨)』、登録操縦者―――

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ……」

 

セシリアが小さく呟く。その表情は苦いものの、彼女の碧眼はあくまで落ち着いている。

 

「……どういうつもり? いきなりぶっ放すなんて大層なご挨拶じゃない」

 

しかし、こちらはそうはいかなかったようだ。とん、と連結した『双天牙月』を肩に預ける鈴音。両肩の衝撃砲は、既に準戦闘状態へとシフトしている。

 

「中国の『甲龍』にイギリスの『ブルー・ティアーズ』か。……ふん、機体と乗り手が釣り合わなければ、どんな機体もガラクタだな」

 

その言葉に、鈴音の柳眉が跳ね上がった。セシリアも目を細め、彼女の端整な顔が僅かに歪む。

 

「何? ケンカ売ってんなら買うわよ? わざわざ欧州のド田舎からボコられに来るなんて、年がら年中腸に挽き肉詰めこんでるソーセージ中毒者の考えは理解できないわね」

 

「鈴さん、落ち着いてください。あのような挑発、乗るだけ無駄ですわ」

 

既に我慢の限界に達しかけている鈴音は、それでもラウラの挑発を言葉でもって切り返す。セシリアは、ラウラと戦ったところで何の意味もないと考えたのか鈴音を宥めにかかる。

 

が、そんな二人の努力も虚しく、彼女はその赤い瞳の嘲りの色を一層濃厚にして、

 

「はっ……二人がかりで量産機に敗北する程度の力量しか持たぬものが専用機持ちとは。数くらいしか能のない国と古いだけが取り柄の国は、余程の人材不足と見えるな」

 

彼女たちの怒りの炎へ、これでもかというほどにガソリンをぶちまけた。

 

ぶちり、と響いたそれは、はたして鈴音の堪忍袋の緒が切れた音だった。

 

「りょーかいりょーかい。なぁんだ、そんなにスクラップがお望みなら最初っからそう言えばいいのに。―――セシリア、あんたは手ぇ出すんじゃないわよ」

 

「……誠に遺憾ではありますけれど。わたくしと、わたくしの祖国を侮辱した分までぶつけてきてくださるというのであれば、鈴さんにお任せしますわ」

 

セシリアとて、母国を侮辱された怒りは相当なものだ。しかし、挑発に乗って戦えばラウラの思惑通りになってしまう。

 

(……そもそも、どうしてわたくしたちを挑発したのでしょう? 彼女が敵視しているのは織斑さんであって、わたくしたちでは―――)

 

「はっ! イギリスの代表候補生がそのような腰抜けだったとは驚いた。所詮は下らん種馬を誘うことしかできないメスというわけか」

 

 

 

ブヅン、と。

 

 

 

先程よりも数倍不気味な音を立てて、セシリアの堪忍袋の緒が弾け飛んだ。

 

「……わたくしは」

 

ラウラの放った一言は。

 

セシリアにとって絶対に譲れない、逆鱗といってもいい部分を土足で踏み荒らされたに等しかった。

 

スターライトmkⅢのグリップを握り潰さんばかりに力を込めながら、静かに、しかし強烈な怒りを孕んだ声を絞り出す。

 

「わたくし自身がいくら貶され、貶められ、侮辱され、辱しめられようと構いません。ですがあの人を―――透夜さんを侮辱することだけは、絶対に赦しませんッ!!」

 

キッと上げられた彼女の双眸は、静かな湖面を思わせる深い蒼から怒りに荒れ狂う大海の青へと変化していた。

 

ラウラの挑発の目的とか、鈴音を宥めることとか、ここで戦う意味とか、そういった事は全部綺麗に弾け飛んでいた。あるのはただ、大切な者を侮辱されたことに対する怒りのみ。

 

セシリアの怒りを真っ正面から叩き付けられたラウラの口許が僅かな弧を描いた。両手を広げ、自分側に向けて軽く振るう。

 

「とっとと来い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三アリーナへと続く連絡通路を歩きながら、一方通行は思考に耽っていた。先日の一件で楯無に言われた言葉が、彼の胸に妙な凝りを残しているのだ。

 

彼女は、一方通行に『なぜ一夏の頼みを断ったのか』と問うた。

 

出会って一日二日の輩、しかも自分達の情報を盗みに来たスパイ。例え父親に強制されようとも、それで事実が変わるわけでもない。

 

そんな輩を保護するための手助けのみならず、お次はフランス政府の罪を軽くしたいときた。一体どこまでお人好しと世間知らずと正義感を拗らせれば、そんなことをいけしゃあしゃあと言ってのけられるようになるのだろうか。

 

一方通行が一夏の話を聞いて思ったことを要約すると大体こういった内容であり、面倒事に巻き込まれたくなかった一方通行はそのまま断ったにすぎない。

 

(それの何が悪いってンだ?)

 

断って当然、寧ろ何故協力してくれると思ったのかが理解できない。仮に協力したとして、一方通行が得るものは何なのか。無駄な労力と多大な危険を伴って、赤の他人を助けた結果彼に何の得があるのか?

 

訓練に付き合ったり、一緒に食事を摂る程度ならば別段問題はない。問題がないからこそ承諾するのであって、問題があるから断ることの何が悪いというのか。

 

(―――結局何が言いてェンだアイツは。俺に何を求めてンだよ。織斑たちと仲良くお手て繋いでにこにこしてりゃそれで満足かァ?)

 

あの、楯無の優しげな視線が妙に彼の心を苛つかせる。彼女が放った言葉の意味も、彼女が自分を気にかける意味も。『好意』の意味は知っていても、『好意』とは縁のない生き方をしてきた彼にとって、それらは全く理解できないものだった。

 

忌々しげに舌を打つと、ふと自嘲気味に薄く笑って、

 

 

 

(結局、俺みてェなヤツが『普通』を求めること自体間違ってンのかもしれねェな)

 

 

 

刹那、盛大な爆発音が彼の鼓膜を揺るがした。

 

恐らくは、アリーナで模擬戦闘でも行っているのだろう。織斑かオルコットだったらストレス解消するのにでも付き合ってもらうか、と考えながら、いつの間にか到着していた観客席からアリーナ内を眺める。

 

しかし、広がっていた光景は彼の予想と大きく反していた。

 

アリーナのカタパルトに転がされているのはボロボロになった甲龍と、気を失っているであろう鈴音。ISが強制解除されていないところを見ると、絶対防御は機能しているようだがそれでも危険なことに変わりはない。

 

次いで、シュヴァルツェア・レーゲンを纏ったラウラ。所々装甲が破壊されているものの、損傷度合いは低い。ラウラ本人は、何か理解できないものを見るような視線で一点を見つめていた。彼女の視線の先には展開状態を保っていられるのが不思議な程に破壊されたブルー・ティアーズ―――そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでもなお、インターセプターを構えるセシリアの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……解せないな」

 

開放回線を使用しているらしい。疑問を含んだラウラの声が、観客席の一方通行にも届いた。

 

「この状況で貴様が勝つことなど、天地が覆ろうとも不可能だ。だからこそ解せない。無惨に敗北し、それでもまだ貴様が足掻く理由は何だ?」

 

ブルー・ティアーズのアーマーはもうほとんど残っておらず、肌の面積の方が多いほど。六機のビットも全て墜とされ、主武装であるスターライトmkⅢもバラバラになって散らばっていた。握られたインターセプターですら無数の罅が走っており、いつ砕けてもおかしくはない。

 

セシリアの身体からも所々鮮血が滴り、絶対防御すら働いていない。それでもISが強制解除されていないのは、操縦者たる彼女の意思によるものだろう。

 

ちかちかと明滅するスラスターを噴かし、いつ墜ちるかもわからない状態で、それでもセシリアの瞳には強い光が宿っていた。

 

「あなたには……わからないでしょう」

 

「……、」

 

「織斑先生の、背を追いかけてばかりいた、あなたには。……わたくしの気持ちは、理解できませんわ」

 

喋ることすら辛いのか、話す声も途切れ途切れ。誰が見ても、文字通り満身創痍だと判断できる。そんな中で彼女は―――その顔に、笑みを浮かべた。

 

「わたくしも、透夜さんの背を追っています。追い抜けなくとも、いつかは隣に立ち……肩を並べて戦えるように。そして……あの人を、守ってあげられるように(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

(―――俺を、守る?)

 

純粋に、彼は理解できなかった。

 

自分を守ると発言したセシリアが。なぜ自分を守ろうと思うのかが。彼女が自分を守る理由が。地球上に存在する全ての物理法則を把握する頭脳を持っていても、彼女の言葉は理解できなかったのだ。

 

「……ふざけンじゃねェ」

 

吐き捨てるように口にしたそれも、一体何に対して言ったのかはわからない。

 

そして―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故自分がISを展開し、アリーナのバリアーをぶち破ったのかも、理解することはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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十八話

好意とは、何なのか。

 

言葉では表せても、目に見えるわけでも数値化できるわけでもない、曖昧な存在。もしかすれば、存在という表現ですらも語弊があるかもしれない。

 

行きすぎればお節介となり、向けすぎれば執着となり、構わなければ敵意となる。受け手向け手の状態で変化するそれは、捉え方によってもまたその在り方を変える。

 

優しさからくる好意。

 

愛しさからくる好意。

 

親しさからくる好意。

 

存在の定義などなく、千変万化、千差万別。純粋なものも、歪んだものも、多くへのそれも、一人へのそれも、永遠のそれも、一瞬のそれも。

 

持たざるものには、理解できない。

 

持っているものも、全ては知らない。

 

形を持たず、人と人との間を自由気ままに跳び移っていくそれは、答すらも持っていない。

 

結局は、『謎』なのだ。

 

 

 

―――『謎』で、あるのならば。

 

 

 

地球上の物理法則全てを掌握できる力を持っていたとしても、答が導き出せぬのもまた道理。『謎』は解ければ『問い』であり、解けはしないから『謎』なのだ。

 

ベクトルすらも持たないそれを、あらゆるベクトルを操る少年が解き明かす日は恐らく来ない。

 

しかし悩んで苦しんで、もがき足掻いたその先に、彼が自らの答を導き出す日は、恐らく―――

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

舞い散るバリアーの欠片が空気に溶けていく中、一方通行はその身を宙へと躍らせた。

 

最初に部分展開した右腕から光の粒子が溢れ出し、全身を覆い尽くす。一瞬の後、白い光はあの漆黒のISへと変貌を遂げていた。

 

まず目につくのは、一対の大型ウィングスラスター。展開稼働式らしく、その下には一対の小型補助スラスターが付属している。

 

全体的にシャープな印象を受ける細身の装甲は、身体の要所だけを保護するために造られているのか面積はそれほど広くない。

 

白すぎる程に白い彼と、黒すぎる程に黒い装甲。対極を成すはずのそれらは、奇妙な一体感を伴ってそこに存在していた。

 

最強と謳われた彼が駆るに相応しい、篠ノ之束が直々に設えたその機体の名は―――

 

「『夜叉』……、それが貴様の専用機か」

 

既にセシリアが脅威たり得ないと判断したのか、新たな闖入者に対して向き直ったラウラがそう漏らした。その瞳に警戒の色は無く、変わらず侮蔑の色が支配している。

 

だが、そんな視線を向けられた一方通行の顔に浮かぶのは怒りではなく―――困惑。

 

ラウラのことを気にしている暇など無いとでもいうように、眉根を寄せ顔をしかめていた。その視線の先には、今にも限界を迎えようかという状態のセシリア。

 

「透夜さん……、無様な姿を、お見せしましたわね……」

 

「……………………、オマエは」

 

言葉は、続かない。

 

眼前の少女に対して、一体何を問えば自分が求める答えが返ってくるのか。そもそも、自分は一体何がしたくて割り入ったのか。誰に対して何をどうすれば、胸に燻るこの謎の苛立ちは収まるのか。

 

乱入しても動こうとしない一方通行を見てラウラは鼻を鳴らすと、肩部レールカノンを照準と同時に砲撃を行った。

 

そこで漸く思考が切り替わり、着弾する直前でスラスターを噴かしセシリアの元へと向かう。自分でも何故そうしたのかは理解できなかったが、訊きたいことを訊けないまま死なれるのは後味が悪いからだと結論付けた。

 

減速しつつ、すれ違い様に膝裏と背中に腕を差し込みかっ拐う。

 

「……、掴まってろ。落ちても知らねェぞ」

 

「あら……役得、です―――、」

 

ぶっきらぼうにそう言い放つと、セシリアが頬を染めつつも彼の首に手を回そうとする。しかしその腕は途中で力を失い、だらりと垂れ下がった。どうやら気を失ってしまったようだ。

 

一方通行は舌打ちを一つすると、セシリアを抱き寄せるようにして抱え直す。柔らかな彼女の体が密着するが、生憎と彼の心はそんなことで羞恥するほど感情豊かに出来ていない。

 

右手だけでセシリアの身体を支えながら、カタパルトに転がっている鈴音を左手で引っかけ、そのままピット内部へと突っ込んだ。

 

床に二人を寝かせ、軽くスキャンを行い致命的な傷が無いことを確認すると、再びアリーナへと引き返す。そこには、変わらず余裕を漂わせるラウラの姿があった。

 

其々違った光を宿す、紅玉のように煌めく瞳が互いを捉える。

 

「何故攻撃しない」

 

そうして、最初に口を開いたのはラウラだった。

 

「威勢よく横槍を入れて来たにしては、臆病がすぎるようだな。あの女を傷つけられた怒りは一体どこへ置いてきた?」

 

「…………、は?」

 

呆けた声が、一方通行の口から漏れた。

 

怒りの感情は含まれず、ただ単純に、ラウラの放った言葉の意味がわからないといった風な声色だった。

 

あの女、というのはセシリアのことだろう。

 

そして今、自分は理由もわからない苛立ちを抱えている。

 

ラウラの言葉が示すところはつまり、自分が苛立っているのはセシリアが傷つけられたからだということになる。

 

(……、なンで俺が苛立つ必要がある? 負傷したのはオルコットが勝手にやったことだろォが。そこに俺が関係してくる意味が全く―――)

 

 

 

 

 

―――透夜さん。

 

 

 

 

 

何故か、彼女の柔和な笑みが頭の中に浮かんできて。瞬間、その姿は先程の血を流したものへと変わる。

 

キリ、と胸に痛みが走った。

 

この痛みの味は知っている。クラス対抗戦で感じたものと同じだが、しかし僅かに激しさを増して心臓を締め付けている。

 

ではあの時、自分は何を思った?

 

瓦礫の山に沈む一夏に、無人機のレーザーが放たれようとしているとき、自分は何を考えていた?

 

(俺、は―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失いたくない(・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉は。

 

意外なほどにすんなりと、彼の心に溶けていった。

 

同時に、頭の中に漂っていた靄のようなものがサアッ、と引いていく。

 

「く、は」

 

白い空に、紅い三日月が刻まれた。

 

くつくつと肩を震わせ、額に手をやり天を仰ぐ。

 

「そォだよなァ。そりゃ苛つくのも当然だ。ガキでも解る、簡単なコトじゃねェか」

 

先程までの、疑問や疑念といったものは全て消え。

 

胸を縛っていた痛みは何事もなかったかのように。

 

残されたのは、彼女たちを傷つけられた怒り(・・・・・・・・・・・・・)のみ。

 

「―――失いたくねェモノに手ェ出されりゃ、キレちまうのも無理はねェよなァ?」

 

理解した。

 

ここに来て漸く、理解することができた。

 

自分にとっての『大切なモノ』。

 

それは、自分を人間として見てくれる存在。

 

それは、自分の近くに居てくれる存在。

 

それは、自分に笑顔を向けてくれる存在。

 

ずっと望んでいたもので、ずっとずっと手に出来なかったもの。ようやく手にすることが出来たそれが奪われるのが許せなかったから、自分は苛立っていたのだ。

 

そう考えると、頭がスッキリした。長らく解くことの出来なかった難問の答えを導きだしたような、そんな精神状態だった。

 

開かれた紅い瞳が、訝しげな表情でこちらを眺めるラウラを捉える。一方通行の纏う雰囲気が変わったのを感じたのか、警戒を高め僅かに重心を低くした。

 

「で、だ。さっきからオマエ、やたらと俺を挑発してきてるが―――よっぽど愉快なオブジェになりてェらしいな」

 

刹那。

 

ラウラの体は、猛烈な速度でアリーナの外壁に叩きつけられていた。

 

彼が瞬時加速を敢行し、その勢いを乗せた蹴りを自分の腹部にぶちこんだのだとラウラが理解できたのは、絶対防御でも殺しきれなかった衝撃が背中と腹部の両方から響いてきてからだった。

 

ミキサーにかけられたかのように回転しながら吹き飛んだため、視界がぐらりぐらりと揺れている。操縦者保護機能が働き、正常な感覚を取り戻したラウラは視界に映ったものを見て愕然とした。

 

(な、んだと―――ッ!?)

 

セシリア・鈴音との戦闘で消耗していたとはいえ、半分以上残されていたシールドエネルギー。それが、たった一発の蹴りだけでごっそりと削り取られていた。

 

だが、真に驚くべきは蹴りそのものではなく、蹴りの威力を増大させた瞬時加速の速度だ。軍人として訓練を受けたラウラでさえ反応できない程の、圧倒的な加速力。

 

(だが今ので大体の速度は掴めた。ならばセンサー感度をその速度に合わせれば、捉えることは可能だ)

 

体勢を立て直しつつ、ハイパーセンサーの感度を高めに設定する。本来ならばスペースデブリなどの高速移動物体を捕捉するためのものだが、操縦者本人の反応が追い付かないことも多い。

 

反応値の高いシュヴァルツェア・レーゲンを駆るラウラだからこそ行える芸当だ。ぐん、と視界が鮮明になり、接近してくる一方通行に向けてラウラが右腕を突きだした瞬間―――彼の機体がピタリと動きを止めた。

 

ラウラを殴り抜こうとする体勢のまま、見えない糸に絡め取られたかのように微動だにしない。丸っきり無防備な姿を晒したまま、しかし一方通行は口元をニヤリと歪ませる。

 

「成る程ねェ。PICとは逆の理論、対象物の慣性を強制的にストップさせる空間圧作用兵器か。中々面白ェモン持ってンじゃねェか」

 

「この状況で随分と余裕だが、如何に貴様の速度が優れていても動けなければ無意味だろう。何も出来ぬまま消し飛ぶがいい」

 

肩部に装備された88mmレールカノン(アハトアハト)が火を噴く。装填されていたISAP弾が、彼の装甲を穿たんと超速にて放たれた。彼我の距離は僅かに五メートル。動きを止められた状態では、どうあっても回避は不可能。

 

(……やはり敵ではないな。これで―――)

 

「―――終わりだ、とでも思ってンのか?」

 

動きを止める結界、と聞けばさぞ強そうに思うだろうが、実はラウラのそれには意外な欠点があった。

 

シュヴァルツェア・レーゲンに搭載されている慣性停止結界『AIC』は、対象物の動きだけを的確に停止させられるわけではない。名前の表す『結界』のように、そこに入った物体を停止させる空間を作り出しているのだ。

 

仮に、一辺一メートルの立方体があり、それを中心にした一辺二メートルの立方体という形でAICを発動させ、そこに向けて銃弾を撃ち込むとしよう。

 

すると、立方体の表面と結界表面の隙間に出来た50cmの慣性停止空間によって銃弾は停止させられてしまい、立方体まで届くことはないのだ。

 

それを防ぐためには、銃弾を撃ち込む直前でAICを解除するしかない。つまり着弾の寸前、ほんの一瞬だけAICによる拘束が解けることになる。

 

その瞬間を狙い、タイミングを合わせてアクションを起こせば回避なり防御なりを行うことは確かに可能ではあるのだ。―――丁度、今のように。

 

彼女の砲撃と同時に、彼の眼前に青白く発光する光の壁が出現した。そこへ接触した瞬間、黒煙を残して砲弾が消失する。それを見たラウラは、見慣れた現象に対し忌々しそうに吐き捨てた。

 

高電離気体(プラズマ)シールドか……!」

 

ISAP弾の素材に使用されているタングステンの融点は凡そ3400℃。対し、一方通行が展開したプラズマシールドの持つ熱量は数万℃を超える。実弾ではどうあってもプラズマを貫通できない。

 

一旦攻撃を諦め、距離を取ろうとするラウラ。だが、凄まじい悪寒を感じると同時に両腕のプラズマブレードを展開、シールドの向こうから飛び出してきた刃を受け止めた。

 

「……はン、デカい口叩くだけのコトはあるってか。瞬殺しちまったらどうしようかと考えてたぜ」

 

「……抜かせ。突っ込むことしかできない貴様がこの私を破ることなど有り得ん」

 

一方通行が突き出した右腕の装甲が開いており、そこから片刃のツインブレードが姿を見せていた。そのまま一点突破で押しきろうと大出力でスラスターを噴かすが、ラウラは両足のアイゼンを地面に打ち込み、自らを地面に縫い止めることでその勢いに耐える。

 

近距離で鍔競り合う両者。

 

しかし―――その均衡は、直ぐに崩れることとなった。

 

高速で飛来したIS用近接ブレード『葵』が、飛び退いた両者の間に突き立った。突然のことに、二人はブレードが飛んできた方向へ視線を向ける。

 

「……まったく、普段冷静な奴ほどタガが外れると面倒だというのは本当らしい」

 

「教官……」

 

「『織斑先生』だ、馬鹿者」

 

いつもの黒いレディーススーツを纏った千冬が、呆れたような顔でカタパルトに佇んでいた。しかし、そこから二人のいる場所までゆうに30メートルはある。……どうやら投げた(・・・)らしい。170センチはあるブレードを、生身で。

 

「模擬戦をするのは構わん。が、アリーナのバリアーを破壊する事態になられては教師として黙認しかねる。この戦いの決着は、学年別トーナメントでつけてもらおうか」

 

「教官がそう仰るなら」

 

「鈴科、お前もそれでいいな?」

 

横槍を入れられたことによって熱が冷め、冷静な思考を取り戻した一方通行としてはラウラとの決着など正直言って何の興味もないのだが、とりあえず無言で首を振っておいた。

 

「よし。では、学年別トーナメントまで一切の私闘を禁止する。―――解散!」

 

千冬が手を打つ音が、静けさを取り戻したアリーナに鋭く響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医薬品独特のツンとしたにおいが鼻につく。

 

次いで、全身が柔らかなものに包み込まれているのを感じる。どうやら自分は横たわっているようだが、記憶がはっきりしない。

 

確か自分は鈴音との模擬戦を行おうとして、そこへラウラが乱入してきて、ボロボロになるまで抗って、そして―――

 

「つ、ぅ……!」

 

最後の場面を思いだし跳ね起きようとするも、全身に走った激痛によって枕から僅かに頭が上がる程度に留まった。

 

「……起きたか」

 

「透夜さん……」

 

聞き慣れた穏やかなテノールが響き、視線だけそちらへ動かす。自らが敬愛して止まない、あの白い少年がベッドの側の椅子に腰掛けていた。

 

そこでようやく、自分が保健室のベッドに寝かされているのだということに気づく。

 

(まさか、わたくしが意識を取り戻すまで……?)

 

壁にかけられた時計を見る。短針は五を回ろうとしており、少なくともあれから一時間は経っていた。

 

凝り固まった体を解すように首を鳴らしているところを見ると、最初からとは言わなくともそれなりの時間セシリアの側に座っていたことがわかる。

 

「……すみません、透夜さん。わたくしのせいでご迷惑をおかけしました」

 

体を動かせないので言葉だけの謝罪ではあったが、彼は小さく「気にすンな」と呟いた。それだけで罪悪感が消えたわけではなかったが、幾分か気持ちが楽になる。

 

聞けば、鈴音は自分に比べて軽傷。セシリアの傷はあまり軽くはないが、治療用ナノマシンと生体癒着フィルムを投与したため一日安静にしていれば傷も塞がり痛みも引くらしい。

 

機体状況は甲龍、ブルー・ティアーズ共々ダメージレベルCを越えており、凰鈴音及びセシリア・オルコット両名は今回のトーナメント参加は不許可とのこと。

 

「―――特にオマエのはダメージレベルD。破損部位補修よりも一旦オーバーホールしちまった方が早ェらしい」

 

「そう、ですか……」

 

何となく予想はしていたものの、オーバーホールを行うまでの被害となると、イギリスにある製造元まで出向かなくてはならない。そうなると一週間は学園に戻れないだろうし、必然的にこの少年とは会えなくなる。

 

(わたくしの過失とはいえ、それで一週間も会えないだなんて納得が行きませんわ……、はぁ……)

 

「オルコット」

 

「ひゃいっ?」

 

変な声が出た。

 

羞恥で顔が真っ赤に染まるのを自覚しつつ、何事かと思いそちらへ顔を向ける。彼の赤い双眸が、じっとセシリアを見つめていた。

 

「オマエは」

 

一瞬躊躇うように視線を外し、再び戻す。

 

「オマエは……なンでボーデヴィッヒと戦った? オマエがアイツと戦い続けた理由はなンだ?」

 

「……そんなこと、簡単ですわ」

 

―――貴方が好きだから。

 

そう伝えられたら、と切に思うが、やはり恥ずかしさが先に立ってしまう。それに、自分が彼の隣を歩くのはまだ早い。いつか、自信を持って彼の隣に立てるようになったら、この想いを伝えよう。

 

その時はきっと、この羞恥に勝る程の勇気を持っているはずだから。

 

そんな恋心をそっと奥に押しやって、

 

「大切な人を守るため……ただ、それだけですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去っていく彼の背を横目に捉えながら、彼女はぼんやりと思考する。

 

出会ってから今まで一度も見たことのなかったものが、まさかこんなところで見られるとは思わなかった。

 

自分に向けたものではないかもしれない。

 

もしかしたら、単に見間違えただけかもしれない。

 

だけど、それでも。

 

自分の答えに、そォか、と呟いた彼の口元は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんの少しだけ、笑っていたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




機体の詳細はまた後程。
鼻風邪辛いです……


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十九話

四ヶ月っておま……


「しっかし、すげぇなこりゃ……」

 

六月は最終週。

 

トーナメント初日、更衣室のモニターから観客席を眺めていた一夏はそう呟いた。

 

広大な面積を誇るIS学園のアリーナは、余程のイベントがなければ満員になることは少ない。

 

それが今現在は各国政府関係者、研究所員、企業エージェント、スカウトマン、その他諸々の顔ぶれがこれでもかと言うほどに詰め込まれており、今回のトーナメントが如何に大きなイベントであるかを物語っている。

 

「三年生はスカウト、二年生には一年間の成果の確認。一年生にも優秀な人材がいるかのチェックが入るからね。それに、今年は一夏と鈴科くんの二人がいるし、そっちを確認する意味合いも大きいと思うよ」

 

返事を期待したわけではなかったが、すぐ近くから彼のペアであるシャルルの解説が飛んできた。

 

「ふーん、ご苦労なこった」

 

モニターを眺めながら生返事を返す一夏に、シャルルは苦笑しながら彼の隣に腰を下ろす。

 

「やっぱり、ボーデヴィッヒさんとの対戦が気になる?」

 

「そりゃ……まぁな」

 

鈴音とセシリアがラウラと戦って負傷したことは知っている。病室に訪れて安否を確認したときは軽傷だと聞かされたものの、それでも一夏はラウラに対して強い憤りを感じていた。

 

自分一人だけに突っ掛かってくるならまだよかった。しかし、その敵意が周囲の人間に飛び火したとあっては流石に見過ごすことはできない。原因が自分にあるとするならば、自分が彼女を打ち倒すしかなかろう。

 

無意識に固く握り締めていた拳を、シャルルの細い指先がそっと解す。

 

「感情的にならないでね、一夏。彼女には代表候補生の凰さんとオルコットさんを同時に下すだけの実力がある。おそらく、一年の中では現時点での最強だと思う」

 

「いや、違う」

 

「えっ?」

 

少しだけ引き締められた顔でそう告げたシャルルの言葉を、しかし一夏は首を振って否定した。

 

「一年最強は、鈴科だ。あいつは、代表候補生四人がかりで挑んでも勝てるかどうかわからない。それくらいの相手なんだ。もしラウラと戦う前にあいつと当たったら―――」

 

「ストップ、一夏」

 

一夏がその先を口にする前に、シャルルが人差し指を彼の口に当てて言葉を封じた。

 

「戦う前からそんな弱気じゃダメ。勝てる試合も勝てなくなっちゃうよ? 可能性の話をしたってしょうがないんだから、今は一試合目を突破することだけを考えて」

 

「……そうだな、悪い。ありがとな、シャルル」

 

「いいって。これもペアの仕事だからね」

 

そう言って、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。それにつられて、一夏も口許を僅かに綻ばせる。

 

熱血思考で直情的な一夏にとって、冷静な思考を持って物事を俯瞰できるシャルルは正に最高のパートナーと言えた。

 

それはIS戦闘においても言えることであり、近距離で戦う一夏を中遠距離からシャルルが援護し、逆にシャルルが間合いを詰められそうになれば一夏がカバーに入る。

 

互いが互いの利点を殺さずに立ち回ることで、結果として非常にバランスのとれた戦闘局面の展開が行えるのだ。

 

「さて、こっちは準備できたぞ」

 

「僕も大丈夫。いつでもいけるよ」

 

どちらもコンディションチェックは済んでおり、後は対戦表が発表されるのを待つばかりとなった。

 

一夏たちの試合はAブロック一回戦の一組目、つまり全試合の一番最初に行われる。初戦で順当に勝つことができれば、今後の試合のためのモチベーション向上に繋げることができる。

 

とはいえ、一番最初に戦うということは即ち自らの手札を晒すことにも繋がるので、一概にメリットばかりであるとは言いがたいことも確かではあったが。

 

まだ見ぬ対戦相手とどんな戦いをすることができるのか。そんなことをつらつらと思考していた一夏だが、モニターの画面が切り替わったことでそちらに意識を向けた。

 

(俺たちは一回戦だから一番左上……あった。で、対戦相手は―――)

 

そこに表示されていた文字を見た一夏は、数秒固まった後に目を擦り、自らの視界が正常であることを確認した上でもう一度画面を食い入るように見つめた。

 

しかし、何秒見つめても何度目をしばたかせてもその文字が変わることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鈴科透夜&ラウラ・ボーデヴィッヒ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夏の頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡る―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鈴科透夜」

 

「……、」

 

背後からかけられたその声に、一方通行は足を止めると僅かに顔をしかめながら首だけ振り向いた。

 

腰まで伸ばした銀髪にルビーのような赤い瞳、150cmにも満たないであろう矮躯と白い肌、そして左目を覆う無骨な黒眼帯。見間違うはずもない、ドイツ代表候補生ラウラ・ボーデヴィッヒの姿がそこにあった。

 

「聞くところによれば、貴様はまだトーナメントのペア申請を出していないそうだな」

 

「……、だったらなンだ?」

 

「簡単な話だ。私とペアを組め」

 

「あァ?」

 

ラウラの口から放たれた言葉が予想外だったのか、思わずといった風に彼の口から間の抜けた声が上がった。次いで、その言葉の真意を確かめるように訝しげな視線をラウラに向ける。

 

「忌々しいが、トーナメントにはペアでの参加が必須らしいからな。……認めたくはないが、貴様の戦闘能力はこの私とシュヴァルツェア・レーゲンの力を持ってしても苦戦は免れないだろう。貴様が敵に回る可能性を潰せるのならそれでいい」

 

ラウラの目的は一夏を叩きのめすことであり、トーナメントという大義名分を背負って戦える今回のイベントは最高の舞台である。

 

しかし、一度負けてしまったらその時点で脱落のトーナメントだ。彼のことを『厄介な相手』だと判断し、一夏と当たる前に一方通行との試合は避けたいと考えたのだろう。

 

一方通行としては試合など勝とうが負けようがどっちでもいいというのが正直なところだが、いい加減この少女が一夏に向ける敵意があちこちに飛び火し始めている。一夏と二人でドンパチやるのならば一向に構わないが、それで自分の周囲に被害が及ぶというのならば―――話は別だ。

 

「―――必要な書類はオマエが揃えとけよ」

 

「―――ふん。では交渉成立だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(一回戦で織斑のペアか……運がいいンだか悪ィンだか)

 

一方通行は、更衣室ではなく控え室のモニターで組み合わせを確認していた。既に着替えは済んでいるため、あとはペアであるラウラを待っているだけの状態だ。することもなくぼんやりと虚空を眺めたまま、戦力として不満はないがペアを組むには不満な少女を待つこと数分。

 

控え室の扉が開き、グレーのISスーツに身を包んだラウラが姿を見せた。

 

流石は現役軍人というべきか、しっかりと鍛えられた身体に余分な肉は無く、しなやかな筋肉で形作られたラインはどこか小柄な獣を連想させる。

 

「組み合わせは」

 

彼女の問いに、一方通行は目線と首の動きでモニターを示す。その視線の行く先を追ったラウラは食い入るようにモニターを見つめていたが、やがて不気味に口許を歪ませるとピットへ続く扉へと歩き出した。

 

が、すぐに一方通行の声がその歩みを止める。

 

「……よォ、この際だから一つ確認させてくれや」

 

「……何だ」

 

「―――オマエが織斑を狙う理由はなンだ?」

 

一夏の名を口にした瞬間、ラウラの纏う雰囲気が一変する。ゆっくりと振り向いた彼女の隻眼の奥には、憎悪という名の暗い炎が確かに灯っていた。

 

「あの男は教官に汚点を残させた。あの人に汚点などあってはならない。ならば、その原因である織斑一夏を排除するのは当然であり、それが私の役目だ」

 

彼女が吐き出す言葉を黙って聞いていた一方通行だが、やがて大きく息を吐き出すと、

 

 

 

 

 

 

「―――くだらねェな(・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

「……、何?」

 

「仮にオマエが織斑を殺したとして、そンで織斑千冬の汚点が消えるワケじゃァねェだろォが。それともなンだ? オマエのISには事象改変の能力でも備わってンのか?」

 

過去を変えることは出来ない。いくら悔やみ、何度足掻き、何をしようとも起きてしまったことは受け入れるしかないのだ。

 

「だとしたら何だ。私は織斑一夏を排除し、これ以上教官の汚点が増えることを防ぐまでだ」

 

「ほーォ、ンじゃ次に織斑千冬の汚点になるのはオマエだな」

 

「なんだと……?」

 

「仮にオマエが織斑を殺したとして、織斑千冬がオマエに感謝の言葉でもかけてくれるとでも思ってンのか」

 

「っ……、」

 

千冬がラウラにそんなことを頼んでなどいないのは火を見るよりも明らかだ。学園での様子を見ていれば、考えるまでもなくわかることだろう。

 

しかしこの少女はその現実から目を逸らし、一夏を排除することを自らの役目だとすることで使命感に浸り、尊敬する師の気持ちを考えないようにしていたのだ。そんなもの、ただの勝手なエゴイズムでしかない。

 

間違いに気付かずに、取り返しのつかないところまで進んでしまえばもう、首を締め付ける後悔という名の縄は決して緩むことはない。

 

この少女はまだ、引き返せる。

 

今ならばまだ、自らの首にかけた縄を解き、別の道を模索することだって出来るはずだ。

 

 

 

手遅れになった、かつての自分とは違って。

 

 

 

(……何やってンだろォな、俺ァ)

 

彼とて、それこそ勝手なエゴでしかないことは理解している。自分と同じ失敗をこの少女にさせないことで、自分もやり直せたつもりになりたいだけなのだと。

 

なにせ、似ているのだ。どうしようもなく、自分とこの少女は似通っているのだ。

 

同族嫌悪にも似たものだろうか。彼自身が、かつて選択を間違えた自分を責めている以上その自分と同じ道を辿ろうとしているラウラを忌み嫌うのは当然だ。自分の失敗をまざまざと見せつけられているようで無性に苛立ちを覚える。

 

うつむいている彼女の表情は、前髪に隠れてしまい伺い知ることは出来ない。

 

暫しの沈黙の後、絞り出すような声が小さく呟いた。

 

「……貴様に、何が解る?」

 

「あ?」

 

彼がそう返した瞬間。

 

まるで決壊したダムのように、少女の思いが一気に溢れだした。

 

「貴様ごときに私の何が理解出来るというのだ!? 私にはあの人しか居ない! あの人は私を救ってくれた! あの人は私に力を与えてくれた! あの人は私の全てだ! それを、貴様に、貴様が―――!」

 

普段の彼女からは想像も出来ない程に声を荒げ、噛みつくように彼の顔を睨み付けながら、叫ぶ。が、途中で冷静さを取り戻したのか、すぐに言葉は途切れた。

 

「…………いや……、貴様には関係のない話だ。……必要以上、私に構うな」

 

ぼそりとそう告げると再び顔を俯け、足早に扉へ向かうと今度こそその姿を消した。その扉をしばらく眺めていた一方通行だが、大きなため息を一つ吐き乱暴に頭を掻いた。

 

そもそも、自分とて他人のことをとやかく指摘する資格なぞ持ってはいないというのに、今さらどの口が高説を垂れようなどと宣うのか。

 

嗚呼、くだらない。実にくだらない。

 

自分勝手な使命感に囚われている彼女も、他人を矯正することに自らの救いを求めた自分も。自らの失敗をやり直そうとしている時点で、過去に囚われているのは自分の方ではないのか。

 

 

 

 

―――本ッ当に、くだらねェ。

 

 

 

 

言い様のない胸の苛立ちを吐き捨てるように、眉をしかめて小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

『さぁいよいよ始まります、最も注目されているといっても過言ではない対戦カード! 織斑一夏&シャルル・デュノア! 対するは鈴科透夜&ラウラ・ボーデヴィッヒ!』

 

実況席の少女がやたらとテンションの高い解説をする度、アリーナ全体を揺るがさんばかりの歓声が上がる。

 

爆音と呼んでも差し支えないその喧騒に包まれながら、一夏は静かに集中力を高めていた。

 

眼前には漆黒のISが二機。両機ともにカラーリングは全く一緒だが、放つ雰囲気は全くの別物だった。

 

ラウラはピリピリと肌を刺すような冷たい敵意を放っている。対する一方通行は敵意も何も感じられない自然体そのものだが、逆にそれが不気味に感じられる。

 

どちらに対しても、数瞬たりとも油断など出来ない。

 

右手に提げた雪片弐型を握り直し、正眼に構える。

 

重心を下げ、いつでも動き出せるような姿勢へ。

 

―――小さく息を吐く。

 

集中力を極限まで高める。

 

周囲の喧騒が嘘のように消える。

 

―――5。

 

―――4。

 

―――3。

 

―――2。

 

―――1。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――試合、開始。

 

 

 

 

 

 

 

 

純白の機体が、音速を超えて飛び出した。

 

 

 

 




筆が乗らない……大分表現が稚拙になってますね……


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二十話

戦闘シーン特有のこの筆の走りである。


開始の合図と共に飛び出した一夏は、躊躇いなく瞬時加速を発動させる。爆発的な加速力を得た白式は、ラウラとの距離を一瞬で食い潰した。

 

勝負事において先手をとるということは非常に重要だ。スポーツで例えるならば先制点を決めた方のチームが勢い付くように、初手を成功させるかどうかでその後の流れに大きく関わってくる。

 

故に、初撃を当て流れを掴もうという一夏の考えは決して悪くはなかった。

 

が、それを相手がおいそれと許してくれるわけでもない。相手が格上の存在ならば、尚更に。

 

ラウラが手を突き出すと同時に、見えない糸に絡め取られたように雪片の切っ先が止まった。次いで、腕、肩と順に停止していき、やがて全身が凍りついたように動かなくなる。

 

(これがAIC…… 話は聞いてたけど、本当に何にも動かないのか……!)

 

「開幕直後の先制攻撃か。分かりやすいな」

 

「生憎と、俺は小細工は苦手なんでね」

 

「そうか。では消えるといい」

 

ガギン! と硬質な金属音が響き、肩部のレールカノンが照準を定める。しかし、狙われている当の一夏の瞳は砲口など見ていなかった。じっと、ただラウラの右目を凝視している。まるで何かを確認するかのように―――

 

一瞬だけ彼女の意識が一夏に集中したその直後、衝撃がラウラの体を揺さぶった。

 

視線を向ければ、一夏の背後から飛び出したと思わしきシャルルが大口径のアサルトカノンを構えていた。おそらくはフラグ弾による爆発でレールカノンの照準をずらしたのだろう。

 

(……面倒だな。一度下がって―――)

 

瞬間、ラウラの眼が見開かれる。

 

斜め下から首を刈り取る軌道で、青白いエネルギーの刃が迫っていた。何なのかなど確認するまでもない。あらゆる防御を突破する必殺の一撃―――零落白夜。

 

一夏にとって切り札とも言えるそれは、最強の攻撃力を誇る代わりに自らのシールドエネルギーを糧として発動させる文字通りの諸刃の剣。

 

そう何度も連発出来るものではなく、時間をかければかけるほど一夏自身が不利になっていく。故に使いどころは慎重に見極めなければならない。だが逆に当たりさえすれば―――

 

 

 

それで、勝負が決まる。

 

 

 

 

「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

「……ッ!!」

 

全力で後退しようとするラウラの喉元に、莫大なエネルギーの刃が迫り―――

 

(―――浅いっ!!)

 

わずかに零落白夜の切っ先が掠めるだけに留まった。

 

相手が最も油断するであろう、開幕の一撃を防いだ直後の一瞬。そこを突いて一撃で終わらせる。ラウラが一夏を見下していることを利用した、一回限りの作戦だった。

 

千載一遇の好機を逃してしまったことに歯噛みするが、深追いは禁物だ。体勢を崩しているラウラに斬りかかりたいのは山々だが、これはタッグバトル。一対一ではなく二対二なのだ。

 

すぐに来るであろう一方通行の攻撃を警戒して急後退するが―――彼は何も仕掛けてこなかった。彼なら今の一瞬で痛撃を叩き込む程度造作もないだろうと構えていただけに、一夏は安堵よりも先に疑問を抱いた。

 

「……お前は戦わないのかよ?」

 

嘗められているのかと思い、若干棘のある声音で一夏がそう問いを投げた。しかし、当の一方通行は呆れたような視線を一夏に向ける。

 

「……、別に参加したって構わねェけどよ。一人ずつ相手にした方が賢明なンじゃねェのか?」

 

言外に、『相手にならない』と言われたことに一夏は内心歯噛みする。それが事実であることを理解している故に何も言い返せないが、ならばこれまでの訓練が無駄ではないということを示してやろうではないか。

 

一夏の闘志に静かな火が灯る。

 

「……そうだな。それじゃ、おまえを倒すのはラウラを倒した後にするよ」

 

彼自身気付いていないが、昔の一夏ならば今のやりとりで『お前も戦え』とでも叫んでいたことだろう。自らの力を弁えず、相手との実力差を見誤って感情のままに動くのが今までの一夏だった。

 

それが今は、自らの感情を理性で律し、勝つための選択をすることに成功している。そしてそれは―――彼の成長の一端に他ならなかった。

 

「思い上がるなよ雑兵が。運良く隙を突けたからといって、よもや同じ手が二度通じるとは思うまいな」

 

「そんなこと思っちゃいないさ。だから次は―――俺達の力でお前を倒す」

 

「はっ、やってみろ」

 

「ああ、やってやるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――惜しいっ! もう一歩踏み込んでたら直撃だったのに!」

 

「狙いどころは良かったのですが……ボーデヴィッヒさんの方が一枚上手だったようですわね」

 

一層盛り上がる観客席の一角で、そんな感想を漏らしたのは鈴音とセシリアだった。

 

先の一件で機体が酷く損傷したためにやむ無く出場を断念したものの、それがなければ今すぐにでもエントリーしたい程度にはやる気十分である。観戦とはいえ想い人と因縁浅からぬ者との試合であるし、熱も入ろうというものだ。

 

「ってなによ、あいつは戦わないワケ?」

 

「……正直に申し上げるなら、織斑さんとシャルルさんであの二人を同時に相手取るのは無理でしょう。となるとあれは透夜さんなりの配慮、ということでしょうか……?」

 

「そんな気遣いできる奴だったかしら……まぁどっちでもいいわ。それよりセシリア、あんたあのペアについて透夜からなんか聞いてないわけ?」

 

「わたくしも先程知ったばかりですわ。……ですが、何か考えがあってのことなのでしょう。あの人が何も考えずに行動するなんて考えられませんもの」

 

「それもそうか。―――と、動いたわよ」

 

「さて、どうなるか見物ですわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬時に形成した五二口径アサルトライフル『スピットファイア』を構え、突撃姿勢に移行するシャルル。それに追随するように一夏も雪片弐型を構えて突貫する。

 

放たれる弾丸をAICで止めていたラウラだが、距離を詰めてきたシャルルを迎撃するためにAICを一旦解除。二本のワイヤーブレードを射出した。

 

しかし、直撃の寸前でシャルルが上に跳び、同時に新たな武装をコールする。光の糸が虚空で寄り集まり、六〇口径十二ゲージダブルバレルハンドキャノン『マーシャル』を両手に形作った。

 

シャルルが武装の呼び出しにかかった時間は僅かに半秒。集中力とイメージ力を要する武装の呼び出しを一秒以下で、それも戦闘中に行うなど並大抵の技術ではない。

 

彼女持ち前の器用さと高い判断能力に加え、ハイスピード・コールに特化したラファールのバススロット。それらが合わさることで可能になる彼女だけの特殊技能―――名を『高速切替(ラピッド・スイッチ)』。

 

事前呼び出しを必要とせずリアルタイムで武装を切り替えることができるこの技能は、全ての局面で無類の強さを発揮する。

 

ゴン!!という轟音と共に撃ち出された無数の散弾が、空間を圧し潰さんと迫る。回避は不可能と判断したラウラは、弾丸を受け止める不可視の壁を脳裏に形作る。

 

イメージ・インタフェースが彼女の思考をダイレクトに伝え、瞬時に展開したAICの壁が弾丸の全てを停止させた。そのままレールカノンをシャルルに向けて放つが左腕の盾で弾かれ、反対側に着地したシャルルと一夏に挟まれる形となった。

 

正面から降り下ろされる雪片弐型を右手のプラズマブレードで捌き、体を半回転させると同時に六本のワイヤーブレードを射出。

 

うねる軌道で迫りゆくブレード部分が弾丸に弾かれるが、気にも止めずに直ぐ様巻き取りを行いつつ再び半回転。AICで雪片弐型を振るう腕だけをピンポイントで停止させ、動きが止まった一夏を蹴り飛ばす。

 

同時に巻き取りが完了していたワイヤーブレードを二本射出、吹き飛んでいた白式の腕装甲を絡めとる。さらにもう一度体の向きを変え、六二口径連装ショットガン『レイン・オブ・サタディ』と五八口径フルオートショットガン『ジャックハンマー』を構えて肉薄していたシャルルをAICで停止させる。

 

その状態のままワイヤーを巻き取り、勢いよく引っ張られてきた一夏をシャルルに放り投げ、だめ押しとばかりにレールカノンを一発ぶちこんだ。

 

すさまじい轟音が炸裂し、土煙が巻き起こる。

 

(…………、外した、だと?)

 

土煙が晴れたあとに姿を見せたのは重なりあって倒れ込む二人と、その僅か手前に出来た砲弾の跡。今の状態で回避できる余裕はなかったはずだ。では何故外れた?

 

奇妙な違和感を覚えつつも、些細なことだと切り捨てる。たとえ二対一だろうと、自分が優勢なのに変わりはない。

 

(……、所詮は教官の出涸らしか。役立たずの弟など持ってしまった教官もさぞや頭を悩ませていたことだろう。やはりここで殺して―――)

 

 

 

 

 

―――仮に織斑を殺したとして、織斑千冬がオマエに感謝の言葉でもかけてくれるとでも思ってンのか。

 

 

 

 

 

白い少年の言葉が脳裏を過る。

 

それは、その可能性を考えたことが無いわけではない。

 

しかし、それを認めてしまえば自分の生きる意味が無くなってしまうような気がして、たまらなく怖くなった。だから、そのことを極力考えないようにして、思考の片隅に追いやった。

 

だが、先程の一言で嫌でも意識してしまうようになってしまった。

 

こうして、眼前にある織斑一夏の顔が尊敬する師の面影を残していることで尚更に、より強く意識してしまうのだ。

 

(私は…………、)

 

だからだろうか。

 

一夏の顔が妙に近くに見えるのが、体勢を立て直して再度突撃してきたからだと気付くのが遅れた。

 

そしてそれは、致命的な隙を生む。

 

斬撃ではなく捉えにくい刺突で放たれた雪片が纏うは零落白夜の青白い輝き。狙いは胴部分、一番避けにくい場所を選んでいる。更に瞬時加速が発動し、一瞬で最高速度まで加速した刀身が迫る―――

 

「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおッ!!」

 

「嘗、めるなァァァあああああああああッ!!!」

 

ラウラの左目を覆う眼帯、それを剥ぎ取り露になったのは金色に輝く瞳。それが一際強く輝くと同時に、彼女の視覚信号伝達能力が爆発的に跳ね上がる。

 

そしてこの時、ラウラの反射速度は確かに人間の限界を超えた。

 

左腕のプラズマブレードを展開すると同時にAICを発動。零落白夜には無力化されると瞬時に判断し、一夏の体部分を停止させる。それでも伸びてくる刃にブレードを合わせ、辛うじて軌道を逸らすことに成功した。

 

「今だシャルル!!」

 

「―――ッ!?」

 

一夏の叫びに、ラウラは反射的にシャルルの姿を探した。探してしまった(・・・・・・・)

 

視線を外したことによって意識が逸れ、一夏を縛っていたAICの鎖が解ける。そのままタックルの要領でラウラの体に組み付き、両腕のブレードを封じ込めた。

 

そして―――彼女の視界に映ったのは、こちらに迫り来るグレネードランチャーの弾頭。

 

(まさか―――織斑一夏諸共吹き飛ばすつもりか!?)

 

ここに来ての自爆作戦に正気を疑い、自らの腕を抱え込んで離さない男の顔を見れば、獰猛に笑っていた。まるで獲物を捕らえた狼のように。

 

「いいかよく聞けドイツ軍人。日本には神風特攻っていう言葉がある。ちょうど―――こんな風にな!」

 

「貴、様……ッ!」

 

すぐそばまで飛来してきていたグレネードが炸裂し―――

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬の発光と共に、ハイパーセンサーが停止した。

 

 

 

 

 

 

 

(EMPグレネード……ッ!?)

 

Electromagnetic_pulse_jamming、通称EMPジャマー。特殊な電磁パルスを放ち、レーダーや観測機等の電子機器を一時的に混乱・停止させるものだ。

 

零距離で妨害電波を受け、如何なISのハイパーセンサーもほんの数秒だがその機能を停止させた。そして、更に砲声。おそらくは、こちらが本命。

 

一発目のEMPで動きを阻害し、二発目のグレネードで仕留めるつもりなのだろう。

 

(だが直撃よりもセンサーの復活の方が早い。AICでグレネードを停めればいいだけだ!)

 

センサー回復まで残り〇・六秒。間に合うことを確信したラウラは意識を集中させるべく、迫る弾頭に視線を向け―――その行動を心から後悔した。

 

四メートル程離れた地点で爆ぜたその弾頭の中身はアルミニウムと過塩素酸カリウム。その二つの物質が反応した結果―――

 

「―――あああああぁぁぁぁああああっ!?」

 

100万カンデラを超える程の凄まじい閃光が、ラウラの視界を白一色に焼き尽くした。

 

閃光音響手榴弾(フラッシュバン)

 

スタングレネードとも呼ばれるこの非殺傷対人兵器の効果は単純であり、凄まじい爆音と閃光によって相手の視覚と聴覚を奪い動きを止めること。

 

しかしそれは間近で爆発した場合の話であり、四メートルも離れた距離で、ましてや今は日中。効果は薄れてしまうのが当然なのだが、今のラウラにはそれでも十分すぎる程に効果を及ぼしていた。

 

彼女の左目に輝く金色の瞳の名は『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』。北欧の主神オーディンの名を冠するそれは、自らの視覚信号伝達能力と動体反射を爆発的に向上させる、言わば疑似ハイパーセンサーである。

 

つまり、常人の数倍以上鋭敏になった視界に、常人でも耐えきれない程の光が突き刺さればどうなるかなど、考えるまでもなくわかることだろう。

 

「っ、ぐぅぅあ……、っ!?」

 

両目を抑えてから、彼女は自らの腕が自由になっていることに気付く。そして、殆ど本能的な行動で真横に転がった。耳元を何かが高速で通りすぎていくのがわかる。次いで、一夏が驚愕する気配。

 

(敗けられない……私は倒れるわけにはいかないのだッ!!)

 

紙一重で一夏の攻撃を回避したラウラは瞬時に体勢を立て直すと、封じられた視界の代わりにハイパーセンサーを再起動し―――

 

 

 

「―――この距離なら、外さない(・・・・・・・・・・・)

 

 

 

背後に映ったその影に、全身を悪寒が駆け抜けた。

 

盾をパージした左腕装甲に煌めくのは、第二世代兵器中最強の攻撃力を誇る無敵の矛。六九口径パイルバンカー『灰色の鱗殻(グレー・スケール)』、通称―――

 

盾殺し(シールド・ピアース)……ッ!?」

 

「はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああっ!!」

 

ズドンッ!!!

 

一発目。シャルルの咆哮と共に、内臓をシェイクされるような衝撃が背中から腹にかけて突き抜けた。

 

ズガンッ!!

 

二発目。装甲が砕け散り、肺から空気が押し出された。

 

ドバンッ!!!

 

三発目。絶対防御でも殺しきれなかった鈍痛が神経を噛み、ISが強制解除の兆候を見せ始め―――そして、異変は起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺伝子強化試験体C-0037。

 

それが識別上の、私の最初の名前だった。

 

戦うために生み出された『ラウラ・ボーデヴィッヒ』という名の生物兵器は他の個体よりも優秀で、また有能だった。

 

『ヴォーダン・オージェ』と呼ばれる肉眼へのナノマシン移植手術に失敗するまでは、だが。

 

手術失敗による副作用でISへの適合率は上がらず、出来損ないの烙印を押され、部隊内での最底辺へ落ちていくのにさして時間はかからなかった。

 

―――あの人に出会ったのは、そんな時だった。

 

「お前がラウラ・ボーデヴィッヒか」

 

「…………、」

 

初めて出会った日の事は、よく覚えている。

 

「ここ最近の成績は振るわないようだが、なに心配するな。一ヶ月で部隊内最強の地位へと戻れるだろうさ。なにせ、私が教えるのだからな」

 

何を馬鹿な、と暗い笑いを漏らしたら、その場で吹っ飛ばされたことも鮮明に覚えている。そうしてそれから、あの人の下へついて、指導を受けて。

 

本当に、たったの一ヶ月で私は再び最強の座に君臨した。

 

だがその時には、部隊での地位など最早どうでもよかった。あるのはただ、織斑千冬という人間への憧れのみ。

 

その凛々しさに。その堂々とした姿に。そして―――その強さに、憧憬を抱いた。こうなりたいと。こうありたいと。心から渇望し、望み、願った。

 

そしてある時、私は訊いてみた。

 

―――どうしてそこまで強いのですか? どうしたら強くなれますか?

 

私の問いに答えた教官の顔は、どこか嬉しそうで、優しげだった。そんな表情は、今までに見たことがなかった。

 

―――私には弟がいる。

 

―――弟、ですか。

 

―――あいつを見ていると、わかるときがある。強さとはどういうものなのか、その先には何があるのかをな。

 

結局、その言葉の意味はよく理解できなかった。だが、教官をあんな表情にさせる存在がいるということは理解できた。

 

織斑千冬という人間は、強く、凛々しく、堂々としていなければならない。自分はその姿にこそ憧れたのだ。

 

だから私は、教官を変えてしまう織斑一夏を許さない。

 

敗北させると決めたのだ。

 

私の手で、完膚なきまでに叩きのめすと決めたのだ!

 

(力が、欲しい)

 

 

 

ドクン。

 

 

 

『―――願うか?』

 

 

 

 

(織斑一夏を下すための)

 

 

 

 

『汝、自らの変革を望むか?』

 

 

 

 

(誰よりも強くあるための)

 

 

 

 

『より強き力を欲するか?』

 

 

 

 

(絶対的なチカラを―――私に寄越せ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが、間違いだと解っていても。

 

 

 

 

Damage level......D.

 

 

 

 

引き返すにはもう遅すぎて。

 

 

 

Mind Condition......Uplift.

 

 

 

 

かつて白い少年が歩んだ道へと。

 

 

 

 

Certification......Clear.

 

 

 

 

白い少女も踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《Valkyrie Trace System》......boot.

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十一話

「―――うああああァァァァァァああああああっ!!!」

 

突如、ラウラの口から凄まじい絶叫が迸った。次いで、シュヴァルツェア・レーゲンから放たれた電撃が接近していたシャルルを弾き飛ばす。

 

刹那、彼女が纏うシュヴァルツェア・レーゲンにも変化が訪れた。

 

まるで一度完成させた銅像を再び鋳溶かすかのように、シュヴァルツェア・レーゲンの装甲全てがその形を崩したのだ。宛ら黒い水銀のように、どろりどろりと流動しながら質感さえも変化させていく。

 

あまりの光景に呆然とする一夏たちの眼前で、シュヴァルツェア・レーゲンだったもの(・・・・・)はゾルリ、とラウラを飲み込んでいった。

 

繭のようにラウラを包み込んだソレは、生きているかのように規則正しく胎動を繰り返しながらゆっくりと地面に降りていく。

 

そして、地面に辿り着いた瞬間ソレは再び形を変えた。粘土細工を作り上げる工程を早回しするかのように、急速に形を作っていき―――やがて、黒い全身装甲のISに似た『何か』が完成する。

 

ソレはラウラの姿をしているものの、そこに彼女の意思があるとは到底思えない。四肢に最低限の装甲と、右手に提げた一振りの刀。そしてその刀の銘は、

 

「『雪片』……!」

 

かつての世界最強が振るった、雪片弐型の先代とも言える武装。それを何故あのISが所持しているのか。一夏の頭の中を疑問が支配する。無意識に雪片弐型を握りしめ、中段に構え直した瞬間、黒いISが動きを見せた。

 

右手で握った雪片を左腰まで持っていき、左手を添え腰を落とした居合いの型。教本のような美しい姿勢からそのまま地を這うように肉薄し、抜刀。

 

―――曰く、居合いの達人が振るう剣先を肉眼で捉えるのは不可能とも云われる。

 

「ぐッ!」

 

ギャリィィン!!という金属が擦れる耳障りな音を立て、一夏の手から雪片弐型が弾かれた。抜刀の威力を受け止めきれなかったのか、その体勢も大きく傾いている。

 

そして黒いISが流れるような動きで次の型へと移行した瞬間、一夏の疑問は驚愕へと変化した。居合抜き水平斬り、そして大上段からの一閃。

 

それは、紛れもなく千冬の太刀筋だったからだ。

 

黒いISの顔を覆う装甲から覗く、無機質な光を放つ赤いラインアイ・センサーが一夏を捉えた。

 

回避する間もなく雪片が降り下ろされ―――凄まじい衝撃と共に白式が後方へと吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな一連の流れを観察していた一方通行は、静かに思考を巡らせていた。誰の理解も追い付いていないこの状況で、しかし彼はいつもと何ら変わらず冷静なままであった。

 

(見たことねェ変化だが……二次移行じゃねェな。あのチビが乗ってるISの能力ってワケでも無さそォだが)

 

考えられる可能性を脳内でざっとリストアップするが、彼の知る限りISの形を基本骨子から変形させるほどの能力や形態変化は無い。数秒程記憶を漁っていたが、該当するものが無かったために検索を諦める。

 

束の元でISに関する情報を粗方吸い上げている彼が知らないとなれば、それは近頃開発されたものか、若しくは近頃完成したものかのどちらかに絞られる。

 

周囲を見渡せば、シャルルが呼び出して投げ捨てたままになっている武装がそこかしこに転がっている。本来、他人の武装は所有者の許可が無ければ使用することができないようにロックがかかっているが、さして問題はない。

 

その中で残弾ありのものを適当に手に取り、能力で強引にロックを解除すると黒いISに向けた。その瞬間、一方通行目掛けて飛び出していく黒いIS。

 

向けられた武装や攻撃に対して作動する自動迎撃プログラムのようなものだろうとアタリをつけた一方通行は、適当に残弾を撃ち込むと銃を捨てた。

 

反射、もといベクトル操作を行うとエネルギーを多く消費する。出力を上げれば尚更であり、強力な攻撃―――例を挙げればシャルルのパイルバンカー等を連続で反射すれば、相手への大ダメージと引き換えにこちらもガス欠になりかねない。

 

故に、近距離でのカウンターが確実に決められるのは初撃の、しかも相手がこちらの手を知らない場合に限る。

 

(せいぜい全力で攻撃してくれよチビ―――ッ!?)

 

突如、彼の赤い瞳が見開かれた。

 

一方通行へと向かってくるISに対し、横から割り込む形で一夏が突っ込んできていたのだ。当然、無手で構えている一方通行よりも雪片弐型を構えた一夏の方が脅威と判断され、黒いISがぎゅるりとその向きを変え迎撃の姿勢に移った。加えて白式のシールドエネルギーの残りはもう僅かだ。エネルギーが底をつけば命の保証はない。

 

「ンのボケが……ッ!」

 

苛立ちも露わに毒づくと、瞬時加速を発動。今まさに激突しようとしていた両者の間に高速で割り入った。

 

「鈴科!?」

 

一夏が驚愕の声を上げるが構わず、乱雑に腕を振り抜いた。ゴバッ!! という破砕音と共に黒いISが地面とほとんど水平に吹き飛び、一切勢いを衰えさせぬままアリーナ内壁に激突した。シールド一枚を隔てて、観客席で避難を続けていた生徒達が悲鳴を上げてへたり込む。

 

一夏の顔は激情に彩られていたが、一方通行は躊躇無くその胸ぐらを掴み上げた。静かな怒気を孕んだ声が、冷えきったナイフの様に一夏の熱を一瞬で削ぎ落としていく。

 

「……何しに出てきやがった?」

 

「離せよ鈴科。これは、こればっかりはいくらお前でも譲れない……!」

 

「エネルギーはほぼゼロ。接近戦じゃオマエが下だ。かといって遠距離武装なンざ積ンじゃいねェ。そンな状況でオマエに出来るコトがあるとでも思ってンのか」

 

「っ、無い……けど、俺は―――」

 

「そォかよ。ンじゃ話は終わりだ」

 

なんの前触れもなく、一夏の眼前に青白く発光する球状のエネルギー体が出現する。ソフトボール大のそれを見た一夏が怪訝そうに眉をひそめた刹那、エネルギー球が炸裂した。至近距離で放たれたそれは、僅かに残されていた白式のシールドエネルギーを残らず消し飛ばす。

 

「な……っ!?」

 

驚愕に目を見開く一夏、そして彼が纏う白式がその力を失い量子に還った。生身の一夏を右手に掴んだまま、ようやく体勢を立て直したシャルルの元へ飛翔した一方通行は適当に一夏を地面に下ろすと、

 

「デュノア、コイツを見とけ。間違っても戦線復帰させようなンざ考えるンじゃねェぞ」

 

「待てよ鈴科! 俺はまだ―――!」

 

まだ一夏が何かを叫ぼうとしていたが、意図的に声を意識から遮断して黒いISへと向き直る。

 

一夏が戦線に立ったところで出来ることなど何も無いどころか、足手纏いにしかならない。シールドエネルギーは枯渇寸前、決め手の零落白夜を発動する余力すらない状態で一体何ができるというのか。

 

気合いだけでは、感情だけではどうにもならないものがある。それだけで全ての苦難を乗り越えられていけるのならば、人間誰も苦労などしない。

 

自分と一夏、どちらが戦った方が勝率が高いか。それを冷静に判断し、合理的な選択をした。

 

それだけだ。

 

「―――、」

 

息を一つ吐いて、余分な思考を削ぎ落とす。

 

彼の専用機、夜叉に搭載されている武装は三つ。

 

一つは彼の能力『一方通行』を基にした空間圧作用兵器『VROS』、正式名Vector_Reversible_Offensive_Shield(ベクトル反転性攻性障壁)

 

彼の演算パターンをISの演算領域に転写、イメージ・インタフェースとPICを応用することで『ISの武装として』能力を使用できるようにした武装だ。

 

勿論、その気になれば街一つ分の大気の流れすら演算して予測・読み取りを行える程の処理能力を持つ彼の演算能力をそのままコピーすることはできないため、スペックは著しく落ちている。

 

それでも簡単な『反射』や『統一』は行えるため、『かなり強力な武装』の範疇で収まっている。そのおかげで能力の隠蔽に苦労はしていないので、彼としてはさして気にする問題でもないが。

 

もう一つは、四肢の装甲に組み込まれた『展開装甲』と呼ばれるアクティブ・エネルギー・ブラスター。状況に合わせて、機動・攻撃・防御と使い分けることができる万能武装だ。以前ラウラと小競り合いを起こしたときに使用した腕部ブレードがこれにあたる。

 

(さて)

 

そして、三つ目の武装。

 

彼の周囲に、先程のエネルギー球が再び出現した。

 

数は十。

 

それら全てが一瞬圧縮されたように縮まり、

 

 

 

 

 

「潰される準備は出来たかクソチビ」

 

 

 

 

 

斉射された。

 

キュバッ!! というエネルギー兵器独特の空気を灼く音と共に、無数の光線に変化したそれは黒いISへと豪雨のように降り注いだ。地が砕け、砂塵が爆発する。

 

これこそが、VROSと並ぶもう一つの特殊武装。思考感応型射撃システム(・・・・・・・・・・・)『幻月』。

 

言葉通り、照準から射撃までの全てを思考によって操作する武装だ。使い勝手はセシリアのビットと似ているが、彼女のそれとは違い一度の射撃弾数に制限がなく、やろうと思えば百発同時射撃すら可能だ。

 

更に、目視で照準を定める必要がないため対象の存在を感知してさえいればそれでいい。実弾ではないので有効射程は存在せず、ハイパーセンサーの知覚範囲内全てが幻月の射程範囲となる。エネルギーの消費は跳ね上がるが、VROSとの同時展開で擬似偏向射撃(フレキシブル)まで可能なのだ。

 

加えて、一方通行の情報処理能力は並のスーパーコンピューターを軽く凌駕する。

 

死角など存在するわけがなかった。

 

彼はその場から一歩も動かず、それでいて黒いISは歩を進めることすら儘ならない。

 

最早それは戦いではなく、圧倒的火力と暴力的手数に物を言わせた蹂躙であった。

 

やがて、黒いISから紫電が漏れ出る。それは更なる変化を告げるものではなく、IS強制解除の兆候であった。弱っている、と判断した一方通行は幻月の射撃を停止し、弾丸の如き速さで黒いISの懐へと突っ込んだ。

 

最後の抵抗とばかりに雪片が振るわれるが、それも呆気なく反射の壁に阻まれて弾き返される。それを視界の端に捉えながら右手の五指を開き、黒いISへと勢いよく叩きつけた。

 

瞬時加速によって生まれた莫大な運動エネルギー、そのベクトルを統括制御し右手一点に集約させたその一撃は、触れるもの全てを薙ぎ払う悪魔の一撃へと変貌する。

 

ダパンッ!! という、水風船を破裂させる音を何十倍にも大きくしたような爆音が鳴り響いた。黒いISを形作っていたシュヴァルツェア・レーゲンの成れの果てが弾け飛んだ音だった。

 

内部に取り込まれているラウラにダメージが行かない絶妙なベクトル操作で、こびりついていた汚れを落とすように、彼女が纏う黒いISだけを的確に弾き飛ばしていた。

 

「……ぁ、が…………」

 

そうして、黒い繭から白い少女が力なく吐き出され。

 

余りにも呆気なく、異変はその幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見覚えの無い景色だった。

 

等間隔で並ぶ風力発電のプロペラと、聳え立つ無数の高層ビル。本来なら別々の場所にあって然るべきものが一緒になって建ち並んでおり、しかしそれは風景に妙に馴染んでいた。

 

それらを認識してから、ふと自分の状況を確認してみる。

 

まず触覚がない。味覚も嗅覚も感じられない。あるのは視覚と聴覚だけ。そんな非現実的な状況だというのに、起き抜けのように霞がかった思考は違和感を覚えなかった。

 

ただ、私の眼前で展開されているその光景をぼんやりと眺めていることしか出来なかった。

 

ビルとビルの間にある、小さな公園。

 

複数人で固まっている少年たちと、そこから少し離れた位置に立つ白髪の少年。

 

白髪の少年が両手に持つボールを受け取ろうとしたのだろう、グループの中から少し大柄な少年が歩み寄って、手を伸ばした。

 

が、その手が彼に届くことはなく、突然大柄な少年が後方へと吹き飛ばされて蹲った。―――ぶらりと垂れ下がった自らの右手首を押さえながら。

 

白髪の少年は驚いたように駆け寄ろうとするが、その歩みはすぐに止まってしまう。

 

 

 

 

大柄な少年が、化物か何かを見るような視線で彼を見ていたからだ。

 

 

 

 

 

彼だけではない。

 

その隣の少年も、さらに隣の少年も、皆一様に怯えた表情で白髪の少年を見ていた。その瞳に、恐怖以外の感情は映っていなかった。

 

そこで、唐突に場面が切り替わる。

 

街中に佇む白髪の少年。自然体で立つ彼に向けて、黒服の男たちが拳銃を向けていた。彼らの瞳もまた、嫌悪や恐怖、怯えで塗りつぶされている。

 

更に場面が変わる。

 

歩道橋の上に立つ少年。

 

周囲は、まるでテロリストを相手にするかのような様相だった。バリスティックシールドを構えて隊列を組んだ特殊部隊らしき者たちも居れば、アサルトライフルを構えた者や負傷した隊員を治療する者、果ては攻撃ヘリや無人ドローンまでもが彼一人を取り囲んでいた。

 

向けられる敵意。敵意。敵意。

 

それを眺めていた白い少年が何事かを呟くと同時、再び場面が変わる。

 

狭苦しい部屋だった。

 

ポツリと置かれた机と椅子。そこにあの少年が腰掛けていた。

 

前髪に隠れた表情は伺えない。

 

彼は何も言わない。

 

私も何も言えない。

 

ただ、痛々しい程に感じられる孤独と悲しみだけが、実態の無いはずの私の胸を締め上げていた。

 

……これが、お前の犯した過ち……なのか?

 

『……そォだ』

 

……辛くは、なかったのか。

 

『……そりゃな』

 

……では、何故お前はその力を捨てない?

 

『……、さァな。やりてェコトをやれねェまま終わンのは後味悪ィからじゃねェのか』

 

……やりたい、こと?

 

『………………、俺ァ、俺一人の身しか守れねェ。俺の側に居る「他人」は誰だろォと必ず傷付いた。守ろォとして手を伸ばしたって、その手で相手を傷付けちまうンだからよォ』

 

…………。

 

『どォ足掻いたって無駄だと思ってた。普通に過ごすのは無理だと思ってた。けどよォ―――手を、取ってくれたンだ。誰からも拒まれ続けて、他人を拒み続けた俺みてェなクソッタレの手をだ。だから俺は、俺が持つ全てを使って、俺を受け入れてくれたもの全てを守り抜く。そいつらが守りたいモノまで含めてだ。このチカラを、俺じゃなく他人の為に使うことができて初めて、俺がチカラを手に入れた意味が生まれる。その意味を手にするまで諦めるつもりはねェよ』

 

……では、お前はなぜそんなにも強い? 強さとは、強くあるとはどういうことなのだ……?

 

『知るかよ』

 

即答だった。

 

つまらなそうに嘆息しながら、視線をこちらに向けていた。私と同じ、赤い瞳。

 

『そンなモン、オマエ自身で考えろ。他人に自分の解答を求めてンじゃねェよ』

 

……私自身で、考える……。

 

―――強さとは、何なのか。

 

………………あぁ、なんだ。

 

答えは、すぐそこに在ったのか。

 

 

 

 

 

 

―――鈴科透夜。

 

 

 

 

 

誰かを守り、他人を救う為に戦う。それはまるで、あの人のようで。それでいて、そこには揺らぐことの無い強靭な意思がある。

 

私に欠けているものは、きっとそれだ。

 

誰の為に何のために何を求め戦い、その果てに何を得たいのか。そこに私の意思がないから、些末な事で揺らいでしまう偽りの強さしか手に入らないのだ。

 

だが、私に目的などはない。

 

 

 

―――オマエ自身で考えろ。

 

 

 

……そうだな。それなら、ちょうどいい。

 

 

 

 

 

―――私の戦う意味が見つかるまで、お前の側で学ばせてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅ、あ……?」

 

ぼんやりとした光の中で意識を取り戻したラウラは、自分が部屋のベッドに横たわっているのだと気付くまでに数秒の時間を要した。

 

何か、長い夢を見ていたような気がする。最後のやり取りは朧気ながらも覚えているが、その前がさっぱり思い出せない。朦朧とする記憶を総動員して思い出そうとするが、やがて諦めた。と同時、カーテンが開かれる。

 

「目が覚めたか」

 

「教、官……私は、一体……?」

 

「全身に多大な負荷がかかったことで筋肉疲労と軽い打撲がある。動くと痛むだろう、無理はするな」

 

流石に怪我人の頭を叩く程鬼ではないのか、ラウラの呼び方については言及しなかった。しかし、ラウラの言及は終わってはいなかったようだ。

 

「何が……起きたのですか?」

 

全身に走る痛みに顔を歪めながらも、上体を起こしたラウラの眼は千冬の眼を真っ直ぐに見据えていた。やがて千冬はため息を一つ吐くと、他言無用であることを前置きした上で口を開いた。

 

VTシステム。

 

過去のモンド・グロッソの部門受賞者の動きをトレースするものだが、IS条約でその一切の開発と使用は禁止されている。それが、シュヴァルツェア・レーゲンに搭載されていたという。

 

VTシステムを起動させるための条件は三つ。

 

操縦者の精神状態、機体の蓄積ダメージ―――そして、操縦者の願望。

 

それらが揃うと発動するように設定されており、そしてラウラはそれを発動させてしまった。

 

他でもない、千冬になることを望んだが故に。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 

「は、はいっ!」

 

突然名前を呼ばれ、弾かれたように顔を上げるラウラ。そんな彼女に、千冬は静かに問いを投げる。

 

「お前は誰だ?」

 

「私は……、私……は、…………」

 

だが、少女は答えることが出来なかった。

 

ラウラ・ボーデヴィッヒであることを否定し、かといって織斑千冬にもなりきれなかった無様な自分は、ならば一体なんだというのだ。

 

「誰でもないのなら、ちょうどいい。お前はこれからラウラ・ボーデヴィッヒになるがいい。なに、時間は山のようにある。何せこれから三年間は、この学園に在籍することになるのだからな。自分の在り方は自分で考えろよ」

 

そう言って席を立つと、ベッドから離れていく千冬。どうやら仕事に戻るようだった。あれだけのことがあったのだ、やることも山積みだろう。

 

扉に向かう千冬の背中をぼんやりと眺めていると、ドアに手をかけたところで彼女の動きが止まった。何事かと思い疑問符を浮かべていると、

 

「言っておくが」

 

「……?」

 

「お前は私にはなれないぞ。姉としての苦労を知らないお前では、な」

 

ニヤリと笑って、そう言った。

 

そうして今度こそ千冬は部屋を去っていき、残されたラウラはしばらくの間じっとしていたが、やがてその唇から笑いが漏れた。

 

「……ふ、ははっ。何を聞いても『自分で考えろ』か……」

 

やはり似ているな、と思う。

 

強さを持つものは皆そんなものなのだろうか。誰かに頼らず、一人で強くなっていったのだろうか。

 

……まあ、考えることは色々とあるが。

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも、明日から退屈はしないな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の朝。

 

長時間にわたる事情聴取で睡眠時間が削られたことを表すように、盛大な欠伸をしながら教室についた一方通行は、席に座ると夜叉のスペックデータを呼び出す。

 

そこには『SE残量58%』の文字が表示されていた。

 

(……やっぱ燃費の悪さがネックか)

 

VROS・幻月共に、エネルギーの消費量がバカにならない。かといって、拡張領域にその他の武装を積む余裕もない。エネルギー消費のない刀剣や槍などの近接武器ならば話は別だろうが、装備したところでまともに扱える自信はない。

 

ならば銃ならどうかというと、実弾装備はマガジンを携行出来ないので一瞬で弾切れを起こしてしまう。エネルギーライフルはその構造上どうしても銃身が巨大になってしまう。巨大な武器は機動力や小回りを殺すことにも繋がるので、彼の好みではない。

 

ため息を一つ吐くとウィンドウを消し、朝のSHRまで仮眠をとろうとした矢先、

 

「鈴科」

 

「……、」

 

かけられた声がそれを中断させた。視線だけ動かしてそちらを見れば、複雑な表情を浮かべた一夏が立っている。

 

十中八九、昨日の事件の際に一夏を半ば強制的に戦線離脱させたことに関してだろう。何やらあの黒いISに対して思うところがあったのだろうが、一方通行はそれを無理矢理退場させたのだ。文句の一つも言いたくなるというものだろう。

 

(……まァ、予想通りってトコか。さっさと納得させて寝るとする―――)

 

「悪かった」

 

「………………、は?」

 

思わず呆けた声を上げ、一夏を見る。

 

ふざけたり、茶化したりしている様子は一切ない。至極真面目な声音だった。それでいて、申し訳ないような悲しそうな表情を浮かべているのだ。

 

わからない。

 

何故この場面で謝罪の言葉が出てくるのか。

 

文句を言いに来ることは予想していた。罵倒されることも考えていた。だが、一夏が自分を恨みこそすれ謝罪してくる理由がまったくわからなかった。

 

軽い混乱状態に陥っている一方通行を差し置いて、一夏は言葉を紡ぐ。

 

「あの時は感情的になっちまったけど、俺も色々思うところがあってさ。お前に迷惑かけちまったよな、すまん」

 

「……、あァ……」

 

「お前が頑なに俺を戦わせなかったのは、俺を守るためだったんだよな。鈴科は自分のことあんまり話さないだろ? だからって言うつもりは無いけど、知らなかったんだ。お前がそんな事考えてくれてたこととか―――実はすごい心配性だってこととか」

 

「あァ……―――あァ?」

 

惰性で生返事を返してから、聞き捨てならない言葉に対して疑問の声を上げた。何か凄まじい誤解をされている気がする。

 

「他人の事が心配だけど、真っ正面から言うのは憚られるからそうやって冷たい態度を取ってるんだって。それ聞いて俺―――」

 

「待て。なンだその聞いてるだけで鳥肌モンのおぞましい捏造設定は」

 

「え? いや、だって、違うのか?」

 

「違ェよ! ちったァ疑えよありえねェだろ気持ち悪ィ! っつか誰だそンなフザけた情報流しやがった奴は」

 

「楯無先輩だけど」

 

「……オーケー。よっぽど殺されてェらしい」

 

「と、とにかく、今回のことは悪かった。俺ももっと強くなって、お前に守られる必要がないくらいになってみせるからさ」

 

「……そォかよ」

 

それだけ言うと、一夏は自分の席へと戻っていった。

 

(……チッ、更識のヤツ、貸しでも作ったつもりか)

 

脳裏に浮かぶのは、口元を扇子で隠しニマニマと笑うIS学園生徒会長の姿。

 

きっと、アリーナでのやり取りを一部始終見ていて、一夏が自分に文句を言うことを予想したのだろう。そこで、一夏にこんな下らない情報を教え、険悪な空気を取り除こうとしたというところか。

 

テメェは俺の保護者か、と忌々しそうに舌打ちをする。

 

結局、楯無への苛立ちそのままに迎えたSHR。どこか疲れたような顔をした真耶が教室に入ってくるなり、転校生の紹介が始まった。といっても、シャルル改めシャルロットが女子であることを明かしただけだったが。

 

「え? デュノアくんって女……?」

 

「ってことは織斑くん、女子だってこと知ってたの?」

 

「ちょ、ちょっと待った! 確か昨日、男子が大浴場使ったよね!?」

 

ザワザワとした喧騒が一瞬で教室中に伝播したところで、それを遮るように教室の扉が文字通り蹴破られる。そこから勢いよく飛び込んできたのはあまりの怒りにツインテールを揺らめかせる鈴音だった。

 

「消し飛べ一夏ァァああッ!!!」

 

ISアーマーの構築と同時に衝撃砲を展開、最大出力での砲撃。白式を緊急展開した一夏がそれを避け、標的を失った暴風の塊が窓ガラスを木っ端微塵に吹き飛ばした。それでも窓枠が壊れていないのは最新の対衝撃強化素材でも使用しているからだろう。

 

一方通行が少しズレたことを考えていると、ふと横合いから声がかかる。今度は誰だと思いそちらを向けば、そこにはラウラの姿があった。

 

「鈴科透夜」

 

「……なンだ」

 

「今までの非礼を詫びよう。すまなかった」

 

一方通行が何かを言う暇もなく、腰を深く折って謝罪の姿勢をとるラウラ。その動きに合わせて銀髪がしゅるりとしなだれ落ちた。

 

一夏といいラウラといい、今日は訳のわからない謝罪ばかりしてくる。一体どんな心境の変化があったというのだろうか。色々と面倒臭くなってきた一方通行は適当に謝罪を受けると、ラウラに自分の席へと戻るよう促す。

 

顔を上げたラウラはこくりと頷き、

 

 

 

 

 

「解った。それと、これからは貴方の事を師匠と呼ばせてもらう」

 

 

 

 

 

また訳のわからない事を口にした。

 

「……………………、は?」

 

「この国では、師事を仰いだり自らが尊敬する人物のことを、敬意と羨望を込めて師匠と呼ぶのだろう? ならば私に道を示し、導いてくれた貴方は私の師匠足り得る」

 

「……、待て。誰だそンなフザけた知識を教え込ンだ奴は」

 

「? 私が所属する隊の副隊長だが」

 

(…………、別口のバカか…………)

 

頭が痛い。

 

なんだ。なんなのだ。自分の周囲には癖のある人間しか集まらないのか。何故あれだけ一夏に殺意を抱いていたラウラが自分に敬意を抱いているのだ。そんな風になるようなことをした覚えはない。

 

ここまで来るともう、学園都市(あちら)の常識を基本にしながら生活している自分の方がおかしいのではないかと錯覚してしまいそうだ。

 

「「一夏あああああッ!!」」

 

「ぎゃあああああああああああああ!!!!!」

 

怒号と轟音と爆音と衝撃と一夏の絶叫を背に、額に手を当て天井を仰ぐ。

 

―――今日もまた、騒がしい一日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

IS学園、屋上。

 

そこに一人の生徒が立っていた。

 

すらりと伸びた長身に、風に靡く黒髪のポニーテール。

 

篠ノ之箒。

 

彼女は自らが手に持つ携帯電話に視線を落としていた。正確には、そこに表示されている携帯番号に。

 

「―――、」

 

厳しい視線で暫くそれを眺めていたが、やがて意を決したようにコールボタンを押して耳に当てた。電話はワンコールで繋がった。

 

『やあやあやあやあ!! 久しぶりだねぇ! 私はずっとずぅーっと待っていたよ!』

 

「……、姉さん」

 

篠ノ之箒の姉、篠ノ之束。嬉しそうな声音の束とは正反対に、箒の声は苦い。しかしそんなことはお構いなしに、束は話を進めていく。

 

『うんうん、言わなくても箒ちゃんが言いたいことはわかっているよ。―――欲しいんだよね? 君だけの専用機が。勿論用意してあるよ、ずっと前からね。最高性能の特別仕様。白と並び黒と競るその機体の名は―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅椿(あかつばき)

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく二巻終了……!
文句と評価と感想はいくらでも受け付けますので……。
次回に機体データや人物データを挟んでから三巻突入です。……完結まであと何年かかるんだこれ……


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二十二話

執筆途中のものを投稿してしまったので再投稿です。
申し訳ありません。


麗らかな春も終わりを告げ、じわりじわりと夏の暑さが這い寄ってくる六月の終わりのある日。一人、また一人と起き出してきた生徒たちが朝食を摂るために集まる寮の食堂。

 

その片隅のテーブルに腰かける人影が三つ。

 

「……………………、」

 

「……と、透夜さん? 眠いのはわかりますが、朝食を抜いてしまっては昼食まで身が保ちませんわよ? 実践演習もありますし」

 

「そうだぞ師匠、栄養補給を怠ってはいけない。何時なんどき食料が入手不可能な状況に放り出されるかわからないからな」

 

一方通行、セシリア、ラウラと三人でテーブルを囲んでの朝食。セシリアはトーストとベーコンエッグにサラダのセット、ラウラはパンとコーンスープ、ソーセージとチキンサラダをそれぞれ食べている。そして一方通行はミックスサンドとコンソメスープ―――に、手をつけずテーブルに突っ伏していた。

 

正直、朝食を摂っている暇があったら寝ていたい程だ。しかし、さして体が強いわけでもない彼が朝食を抜けばまず間違いなく午前の授業でぶっ倒れるだろう。流石にそんな無様な真似は晒したくない。

 

「仕方ない……ほら師匠、口を開けてくれ」

 

襲いかかる眠気に半ば流されそうになっていると、ふと隣でラウラが動く気配がした。眼を開けて顔をそちらに向けてみれば、ラウラがミックスサンドを手に取って差し出してくるところだった。―――所謂『はい、あーん』というやつだ。

 

「ラウラさん!? 何をしていますの!?」

 

「何とは……見ればわかるだろう? 師匠にサンドイッチを食べさせてやろうとしているだけだが」

 

「ええ見ればわかりますとも! そういうことを聞いているのではありませんわ!」

 

両隣で繰り広げられる口論を聞き流しながら、一方通行はぼんやりと思考する。

 

今でこそこうして顔を突き合わせて騒いでいるセシリアとラウラだが、自分を徹底的に痛めつけた相手と自分が徹底的に痛めつけた相手だ。

 

加えてトーナメントの一件もある。セシリアがラウラを警戒するのは当然だと思っていたのだが、当のセシリアからはそのことを気にしている様子が全く見受けられない。本人いわく、二人で話し合い蟠りを解いたと言ってはいたが。

 

それでも一方通行はラウラを警戒し、数日間様子を見ていたのだが別人かと思うほどの変わりようだった。一度、一方通行も問い質してみたことはある。もう一夏のことは狙っていないのか、と訊ねれば、

 

『興味がなくなった。今となってはどうでもいい』

 

と言う。

 

長い間、他人からの悪意と敵意に晒され続けてきた一方通行は、人が持つ負の感情に敏感だ。そんな彼から見ても、彼女が嘘をついているようには見えなかった。いつまでも警戒し続けるのも無駄骨だと踏んだ彼は、ひとまずラウラの言を信じてみることにした。

 

そこで『信じる』という選択をする辺り、以前と比べて甘くなったものだと思う。が、そこにあまり嫌悪感がないこともまたひとつの事実であった。

 

慣れというのは恐ろしいものだと思いつつ、残されたサンドイッチを取り上げて口に放り込む。瑞々しい野菜の食感とジューシーなハムの旨み、薄らと塗られたマスタードが絶妙なバランスで舌を楽しませてくれる。

 

早々に食べ終え、食後のコーヒーをゆっくりと飲みながら女子二人の口論を眺める。そこにはどうしようもないくらいの『日常』があり、いつの間にかその光景を日常だと感じている自分がいる。

 

(……俺も随分と腑抜けたモンだ)

 

そう自嘲するものの、嫌悪感をほとんど感じていないこともまた事実だ。どこか安心感すら覚える空気の中、小さく呟いた『悪くねェな』の言葉と共に、コーヒーをごくりと飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――校外特別実習?」

 

「そ。確か来週からでしょ? いーなー、私も行きたいー!」

 

その日の授業も終わり、一方通行の自室で寛いでいるときだった。彼のベッドでぼふんぼふんと跳ねる楯無から告げられたその言葉に、一方通行は首を傾げた。

 

校外特別実習。名前から想像するに、学園外でのIS運用に関する訓練のようなものだろうか。それが来週から行われるらしいのだが、正直彼には聞き覚えがない。

 

「ただの実習だろ? そこにオマエが行きてェっつー程の魅力があるとは到底思えねェが」

 

「なに言ってるのよ透夜くん! 初日の自由時間でどれだけ楽しめるか分かってないわね。青い空、白い雲、輝く海。眼前にそれがあって尚楽しまないなんて嘘よ!」

 

「……実習って書いてンのに自由時間があンのか?」

 

「今朝のSHRで織斑先生がおっしゃっていましたでしょう? 有り体に言えば臨海学校ですから、三日間も訓練漬けでは生徒が暴動を起こしかねませんわ」

 

花の女子高生ですもの、と付け加えながら、紅茶とスコーンをトレーに載せたセシリアがキッチンから姿を現す。差し出された紅茶を受け取りつつ、一方通行は今朝のことを思い出してみるがさっぱり記憶に無い。眠気に負けて爆睡していたのだから当然と言えば当然なのだが。

 

(……まァ、どォでもイイか)

 

自由時間と言われても特にしたいことはないので、宿泊施設で惰眠を貪っていても許されるのだろう。そう考えれば案外悪くない。長時間の睡眠は中々に貴重なので、こういった時間を有効活用すべきだ。

 

と、思っていたのだが。

 

「ところで透夜くん、水着は持ってるの?」

 

「あァ? 持ってねェしそもそも必要ねェだろ」

 

瞬間、楯無の目がキュピンと光る。すすす、とセシリアの隣に移動した楯無が何やら耳打ちをすると、セシリアの顔が驚きに染まった。不審に思って見ていると、やがて意を決したような表情を浮かべたセシリアがこちらに向き直る。

 

「あ、あの、透夜さん!」

 

「……、なンだ?」

 

「よっ、よよ、よろしければ今週の日曜日、い、一緒に買い物に行きませんか? 透夜さんは水着をお持ちでないようですし、その……!」

 

「つってもなァ。別に泳ぐつもりはねェし、使わねェモンを態々買いに行くこともねェだろ」

 

「あ…………。……そう、ですよね。すみません……」

 

何の気なしにそう断ると、まるで散歩に連れていってもらえなかった子犬のようにしゅんとするセシリア。全身から悲哀のオーラが滲み出ている。さしもの一方通行もこれには少しだけ気まずくなる。

 

そんな空気の中で、

 

「まったくもう、セシリアちゃんが勇気を出して誘ってくれたっていうのにそれを断るの? あーあ、セシリアちゃんも可哀想にねぇ。よしよし、楯無おねーさんが慰めてあげるわ」

 

これ見よがしに非難の言葉と眼差しを向けてくる楯無と、すがり付くような視線でセシリアに見つめられてしまっては、彼に残された選択肢は一つしかない。

 

「…………、わァったよ。行きゃ良いンだろ」

 

「―――っ! ほ、本当ですかっ? ありがとうございます!」

 

花がほころぶような笑顔、とはこの事だろうか。先程の悲しそうな表情から一転、満面の笑みを浮かべたセシリアが心の底から嬉しそうに言う。自分と買い物に行くことの何処に喜ぶ要素があるのだろうか?

 

「そ、それでは日曜日の朝九時に、正門前に待ち合わせでよろしいですか?」

 

「……構わねェが」

 

ぐっ、とガッツポーズをとるセシリア。その姿は最早どこからどう見ても小動物にしか見えない。千切れんばかりに振り回される尻尾が幻視できそうだ。

 

にしても、買い物。まぁ自分にとって不利益になることもないだろう。利益になることもないだろうが。などと考えながら紅茶を一口。上品な味だが、やはりコーヒーと比べると甘い。

 

街に行くのならば、以前クロエと会った時に入った店にもう一度行ってみるのもいいかもしれない。前回は余裕を持って味わうことは出来なかったが、次はじっくりと吟味してみるとしようか。

 

「ところで透夜くん」

 

「あン?」

 

「私の水着、見・た・い?」

 

「死ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戻ったよ……」

 

「? どうした。まるでサンタクロースに願ったプレゼントが間違って届けられた子供のような顔だぞ」

 

「例えがわかりづらいよ……はぁ」

 

自室でナイフを研いでいたラウラは、戻ってきたルームメイトの沈んだ表情を見て首を傾げた。そして彼女のルームメイトことシャルロットは、重い足取りでベッドにダイブすると枕に顔を埋めて沈黙した。がしかし、ラウラは特に気にすることもなかろうと再びナイフの研磨に戻る。

 

シュリ……シュリ……。

 

静かな室内に、砥石と金属の擦れ合う音が響く。

 

(ふむ。まあ、こんなものか)

 

自分の爪で切れ味を確認し、鞘にパチリと戻す。ホルスターに収め砥石をしまい込んだところで、

 

「……あのさ、ラウラ。ルームメイトが落ち込んでるんだから話くらい聞いてあげようとか思わないの……?」

 

落胆した、というよりかは少し呆れたような声に視線を移せば、半眼でこちらを見つめるシャルロットの姿があった。そんな彼女の視線を受け流すようにラウラは小さく肩をすくめてみせる。

 

「そう言われてもな。私に戦闘以外のことを期待されても困る」

 

「女の子なんだからもうちょっと思いやりがあっても損はしないと思うなぁ。鈴科くんの弟子だーっていうなら尚更だよ? 」

 

「そうか?」

 

「そうなの」

 

「そうなのか。では私はどうすべきだ?」

 

「まずは僕の話を聞いてほしいな」

 

「ふむ。では話してみるがいい」

 

素直にシャルロットの言うことに従い、ベッドに腰掛けて彼女の話を聞く。

 

「今日、織斑先生に言われて一夏と教室掃除してたじゃない?」

 

「していたな。規則違反に対する罰則がその程度など随分生温いものだと思うが。せめてスクワット100回を数セットは……」

 

「はい脱線しない。ドイツ軍のスパルタ話はまたの機会にしようね。それで、掃除してた途中にね? 一夏がその、つ、『付き合ってくれ』って言ったんだよ!」

 

「ほう。……買い物か何かか?」

 

そう予測を立てたラウラ。それを聞いたシャルロットの顔から表情が消える。能面のような無表情でこちらを向いた彼女の口から平坦な声が漏れた。

 

「……ラウラ。それ、深読みしてからの発言? それとも普通に考えた結果?」

 

「深読みも何も、買い物以外の何に付き合うというのだ? ……ああ、訓練か。休日を返上して訓練に励むとは殊勝な事だ」

 

「…………まさかここにもいるなんて……」

 

訓練は大事だ、と頷くラウラを見て、シャルロットは深く深くため息を吐いた。あ、でも鈴科くんも多分同じこと言いそうだなぁ……。と半ば現実から目を背ける。

 

「違うよラウラ! 男子と女子の間で『付き合って』って言葉が出たら、まずはほら、あれだよ! わからない!?」

 

「…………、むぅ。わからないな。では教えてくれシャルロット。男女間での『付き合う』とは一体何を指しているのだ?」

 

「ふぁっ!?」

 

思わぬ反撃に、シャルロットの口から変な声があがった。しかし、問いを投げたラウラの表情は至極真剣だ。純粋な知識欲に溢れた隻眼が真っ直ぐにシャルロットを射抜いている。

 

常日頃から思い描くことはあれど、男女の関係を訥々と語って聞かせるのには流石に抵抗がある。というよりも眼前の少女に話したところで、鼻で笑った挙句に見下してきそうだ。

 

「え、えと……それは、その……」

 

「勿体ぶらなくてもいい。どんな事実であれ私は知識を得ることに恐れはない。さあ、話してくれ」

 

(墓穴掘っちゃったよ……助けて一夏ぁ……)

 

結局、ラウラの無垢な追求はシャルロットが説明の全てを一方通行に丸投げするまで続いたという。

 

 

 



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二十三話

日曜日。

 

見上げる空はからりと晴れ、燦々と照り輝く太陽は激しく自らの存在を主張している。初夏の気候を存分に感じられる朝のIS学園正門前で、セシリアは少年の到着を今か今かと待ちわびていた。

 

服装は淡青色のワンピースに薄手の白いカーディガンとシンプルだが、それを着こなすセシリア自身の素材の良さと相まって、清楚で品のある雰囲気を十二分に醸し出している。由緒正しきイギリス貴族オルコット家の生まれである彼女には『深窓の令嬢』という言葉が相応しいだろう。

 

高級感溢れるレディースウォッチに何度も目を落としつつ、今日のプランを頭の中で組み立てていく。

 

(まさか二人きりで出掛けられるなんて……。そうですわね、まずは透夜さんの水着を選んで、わたくしの水着も少し見ていただいて……昼食もあちらで済ませましょうか―――)

 

「オルコット」

 

「きゃっ!?」

 

考え事に没頭していたせいか、唐突にかけられた声にびくりと肩が跳ねる。慌ててそちらを振り返ると、そこにはいつの間にか一方通行がしれっと立っていた。黒いズボンに同色の長袖シャツ、そして薄手の白いパーカー。なんというか、全体的に見事なまでに白黒だった。

 

セシリアは咳払いをひとつして喉の調子を整えると、太陽にも負けない程の眩い笑顔を浮かべた。

 

「おはようございます、透夜さん。今日は良いお天気になりましたわね。……それと、女性と待ち合わせる時は最低でも定刻の十分前には集合場所にいた方がよろしいですわよ?」

 

「……? その後十分待つことになンだろ? なら時間キッカリでいいじゃねェか」

 

「それだと女性は不安になってしまうものなのです。最低限のマナーとして覚えておかれたほうが、後々役に立つと思いますわ」

 

そう言われても、一方通行にはいまいち理解できない。だったら集合時刻を十分早めればいいだけなのではないかとも考えたが、この手の話は門外漢だ。片手をヒラヒラと振り、彼女の忠告を大人しく受け取ることにした。

 

「……、分ァったよ。頭の片隅にでも留めといてやるからさっさと行くぞ」

 

「はいっ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前の大型ショッピングモール『レゾナンス』。

 

食事、衣類、雑貨、レジャー、本屋、ありとあらゆるジャンルの一流ブランドから格安のチェーン店まで網羅しており、『ここに無ければ市内の何処にも無い』とまで言わしめる程の圧倒的品揃えを誇る。

 

モール中央を貫く広大な通路をセシリアと共に歩く一方通行は表情こそ変わらないものの、視線は先程から左右を行ったり来たりしていた。その視線の先には色とりどりの商品が所狭しと陳列されている様々なテナント。

 

学園都市にもこれに負けず劣らずの巨大なショッピングモールはあっただろうが、こうして実際に内部に入るのは初めての体験だった。何せ『学園都市最強の超能力者』という肩書きが常について回っていたため、人通りの多い所に行けば要らぬ騒ぎが起こる。

 

とはいえ、現在もセシリアの美貌と彼の容姿とでそれなりに目立ってはいるのだが、あちらと比べれば可愛いものだった。故に、人で溢れかえったショッピングモールというありふれた光景が、彼にはとても新鮮に感じられた。

 

「透夜さんはあまりこういった場所へは来られないのですか?」

 

そんな一方通行の様子に気付いたのか、セシリアが小さく微笑みながらそう問いを投げた。心情を言い当てられた一方通行は面白くなさそうに顔をしかめたが、やがて諦めたように息を吐く。

 

「……、まァな。人混みはあンま好きじゃねェし、騒がしいのも出来りゃ避けてェ。そもそも学園の購買で揃うのを態々こンなトコまで買いに来る必要がねェしな」

 

「ふふ、透夜さんらしいと言えばらしいですわね……さ、ここですわ」

 

セシリアに連れてこられた店を見上げれば、来るべき夏に備えて内装を一新したらしい派手な色彩が目に痛い。入り口からでは内部の構造はよく見えないものの、彼にとって迷宮の如き様相を呈しているのは想像に難くなかった。

 

「男性用の水着コーナーは入って右手の方にありますが……わたくしもご一緒したほうがよろしいですか?」

 

渋い顔をする一方通行を見て、微笑を苦笑に入れ替えながらセシリアがそう言う。純粋な善意で進言してくれているのはわかるが、流石にそこまで面倒を見られるのは彼のプライドが良しとしなかった。

 

三十分後に入り口で落ち合うことにして、一歩踏み入ったそこは正に未知の領域であった。

 

前後左右、何処を見渡しても水着。スタンダードなものや奇抜なデザインのもの、機能性に優れたもの、ファッション性を重視したもの、どう見ても水着の役割を果たしていないものと様々だ。

 

その中から、膝下丈でトランクスタイプのシンプルなものを手に取る。素材のことについてはよく分からないが、黒一色で統一された布地の肌触りは非常に心地よい。

 

まァ着られりゃ何でも変わンねェだろ、と適当に籠に放り込んだ。更に直射日光を防ぐために、耐水性の高い白いパーカーを追加で購入。これで一方通行の持つ私服は全て白黒で統一されたことになるが、服に無頓着な一方通行はさして気にすることもない。

 

手早く会計を済ませ入口へと戻った一方通行だが、そこには既にセシリアの姿があった。そしてその隣には、何故か一夏とシャルロットがいる。二人とも私服なので、彼らも水着を買いにでも来たのだろう。

 

「よ、鈴科。奇遇だな」

 

「こんにちは、鈴科くん」

 

談笑している三人に声を掛けるべきか否か考えていると、先にこちらに気付いた一夏が手をあげて挨拶をしてきた。シャルロットもにこやかに微笑んでそれに続く。

 

適当に手を上げてそれに応えると、セシリアに左腕をとられて引き寄せられる。何事かと思い彼女の顔を見ると、頬が少しだけ赤らんでいた。

 

「ではお二人共、ごゆっくり。織斑さん、シャルロットさんをしっかりエスコートしてあげて下さいな」

 

「せ、セシリアっ!」

 

セシリアの言葉に、シャルロットも顔を赤くして何事かを叫びかけたが、そのまま俯いてしまう。そんな二人を尻目に、セシリアに腕を引かれるがまま歩いていくが、その先はどう見ても女性用の水着コーナーだ。

 

「買い終わったからあそこに居たンじゃねェのか?」

 

「女性の買い物は短時間では終わらないのですわ。それに、と、透夜さんにも水着を見ていただきたいと思いまして……」

 

「あン?」

 

最後の方はごにょごにょと呟くような小声になってしまっていたため、うまく聞き取れなかった。がしかし、セシリアは追及を拒むように声をあげる。

 

「と、とにかく! 透夜さんはここで待っていてください! すぐに戻りますから!」

 

引き止める間もなく水着の壁の向こうへと消えるセシリア。追いかけようかとも考えたが、女性用の水着売場を一人で彷徨くのは流石に不味いだろうと思い止る。仕方なく据え付けられていたベンチに腰を下ろすと、セシリアの帰りを大人しく待つことにした。

 

すると、一分も経たない内にこちらに近づく足音が聞こえてきた。時間がかかると言っていた割には随分早いな、と思いながら視線をそちらに向けるが、そこに立っていたのはセシリアではなく見知らぬ女だった。

 

「あなた、暇なんでしょう? これ、片付けておいて」

 

女は手に持っていた数着の水着をこちらに突き出すと、さも当然といった風にそう言い放つ。

 

女尊男卑が浸透している現在では、昔に比べ男の立場はかなり弱いものとなっている。男は女の道具。そう本気で考える女性も決して少なくない。こうして礼節も弁えず傲岸不遜な態度をとる女が良い例だ。

 

とはいえ、一方通行がその風潮に流されるかどうかというのはまた別の話だった。

 

無言で女を眺めていたが、やがて視線を外して無視を決め込む。それを見た女は嘆息すると、見下すような調子で口を開いた。

 

「あなた、自分の立場が分かっていないようね。女性はISを動かせるのよ? 男は黙って女性の言うことを聞いていればいいの、痛い目をみたくなければね」

 

今度は一方通行が嘆息する番だった。

 

確かにISは女性ならば誰でも動かすことができる。だがそれはISそのものがあればの話であり、今この場においては何の交渉材料にもなりはしないのだ。三流の悪役宛らの台詞を吐くこの女が専用機持ちなどありえないだろうし、特別な訓練を受けたわけでもなかろう。

 

相手をするのも馬鹿らしい。

 

心底面倒くさそうな表情を浮かべた一方通行は、自らのズボンのポケットを漁り、それをベラベラと喋り続ける女の眼前にゆっくりと突き付けた。

 

視界を遮られた女の視線が自然とそれに吸い寄せられる。―――IS学園に在籍することを示す、彼の学生証に。

 

それが何であるかを理解した瞬間女の顔から血の気が引いた。先程までの高圧的な態度は何処へと消え失せ、焦りに塗り替えられた表情で学生証と彼の顔とで視線をさ迷わせている。学生証を仕舞い、簡潔に一言。

 

「失せろ」

 

弾かれたようにこの場を離れていく女。

 

『IS学園に所属している』というだけで、あらゆる機関からの干渉を防ぐことができる。それは例え警察や法的機関であっても同じことだ。しかしそれでは生徒がやりたい放題になってしまうため、学園側から措置がとられる。無論それは生徒が罪を犯した場合の話であり、今回のケースは不可抗力だ。

 

だがそれでも『楯突いたら何をされるかわからない』という事実は恐怖を駆り立てる。それを利用し、半ば脅すような形でお引き取り願ったというわけだ。それでも、騒ぎを起こすよりかは十分マシだ。

 

とはいえ、だ。

 

あまり、気持ちの良いものではなかった。

 

―――先刻のように、おぞましいものを見るような目で見られるのは。

 

(…………。今更、か)

 

毎日のように悪意と敵意をぶつけられてきたのだ。以前ならあの程度、気にすることもなかっただろう。知らず知らずの内に心が弱くなっていたということか。

 

複雑な心境だった。

 

彼女たちと過ごしていれば、自分の心が溶かされていく。だが心が溶ければ、以前のように心を凍らせることはもう無理だということも薄々理解できていた。

 

そして、彼女たちからも突き放されるようなことがあれば、最早『人間』に戻ることは絶対にできないということも。

 

―――もし、そうなったら。

 

「…………、どォなっちまうンだろォな、俺ァ」

 

「何がどうなるのだ?」

 

はっとして顔を上げると、ルビーのように輝く赤い瞳と視線が合った。思考に耽っていた時の突然の事態に思考が追い付かない。

 

腰まで流れる銀髪に、軍服のように改装された制服に包まれたしなやかな矮躯。そして、左目を覆う黒眼帯。そこまで確認して漸く現状を理解する。

 

「……ボーデヴィッヒか」

 

「うむ、私だ」

 

ベンチに座り込む一方通行の眼前に立っていたのはセシリアではなくラウラだった。よくもまあ、この短時間の間に悉くセシリア以外がやってくるものだ。

 

ゆるく頭を振って沈鬱しかけた思考を振り払う。

 

「オマエも買い物か?」

 

一方通行の尤もな質問に、ラウラはしかし首を横に振った。水着売り場に来るのに、水着を買いに来る以外の理由があるのか? と首を捻る一方通行。

 

「朝方、偶然師匠とセシリアを見つけてな。二人で何処かに出掛ける風だったので、暇だったからついてきたのだ」

 

流石は現役軍人というべきか、全く勘づかせない尾行は大したものだがつけられる方はたまったものではない。今の今まで一方通行が気付かなかったのだから、セシリアもおそらく気付いてはいないだろう。

 

「すみません透夜さん、お待たせしまし、た……?」

 

と、漸くセシリアが手に数着の水着を持って戻ってきた。彼女はまず一方通行に視線を向け、隣にいるラウラに気付いたところで動きを止めた。

 

「ラウラ、さん? 何故ここに……?」

 

「うん? 何故とはおかしなことを訊く。弟子である私が師匠の側にいるのに理由が必要か?」

 

「わけのわからないことを言わないでくださいな!?」

 

早速口論に発展していく二人。お互い本気で嫌っているわけではないのだが、何せ遠慮深いセシリアと無遠慮なラウラだ。喧嘩するほど仲が良い、とまでは言い切れないが。

 

「失礼な。そもそも私が何処にいようと―――」

 

「あら? オルコットさんに、ボーデヴィッヒさん? 鈴科くんまで」

 

反論しかけたラウラの言葉は、第三者の発言によって遮られた。三人が揃ってそちらへ視線を向ける。そこには私服姿の真耶が立っていた。その後ろにはシャルロット、そして何故か箒に鈴音の姿もある。

 

間違いなく騒がしくなることを感じ取った一方通行と、最早二人で買い物云々の話ではなくなってしまったことに落胆するセシリアのため息が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいラウラ、次はこっちね」

 

「その次はこちらを。あ、それと先程のワンピースとも合わせてみてくださいな」

 

「お、いいじゃん! んじゃああたしはアクセサリーとか見てくるわね。箒、行くわよ!」

 

「私はあまり詳しくないのだが……まぁ、いいだろう」

 

「ボーデヴィッヒさんも女の子なんですから、ちゃんとおしゃれしないとダメですよ? ほら、逃げないでください」

 

「へー、やっぱり服が違うと印象も変わるなぁ。俺も服買おうかな、新しいやつ」

 

「し、師匠っ! 助けてくれ、私では歯が立たん!」

 

結局。

 

一方通行、セシリア、シャルロット、一夏、ラウラ、箒、鈴音、真耶、千冬という、生徒教師入り交じった凄まじい面子になってしまった。現在は、私服を持っていないことが発覚したラウラを女子陣が着せ替え人形にしているところだった。

 

それを少し離れたところから眺めているのは千冬と一方通行。女子特有のああいった空気が苦手な二人は、傍観に徹することで被害から逃れていた。

 

「呼ばれているぞ、鈴科?」

 

「……、勘弁してくれませンかねェ」

 

まあ、千冬から弄られるという予想外の被害はあったが。

 

慣れない敬語で話す一方通行からは、敬語で話さねば制裁を受けるので仕方なく、といった雰囲気がこれでもかと出ている。そんな一方通行を見て千冬は喉の奥で低く笑った。

 

「鈴科。……今の生活は、楽しいか?」

 

視線を向けることなく投げられた千冬の問い。

 

一方通行はすぐには答えない。

 

彼の視線の先には、楽しそうに笑い合う一夏たちの姿がある。それを、何か眩しいものを見るようにして目を細めた。やがて、ぽつりと小さく呟く。

 

「…………、まァ。悪くは、ねェ」

 

「……そうか」

 

暫しの沈黙。

 

それを破ったのはまたしても千冬。

 

「では私は帰るとしよう。山田くんにそう伝えておいてくれ。……あぁ、それと。オルコットに付き合ってもらったのだろう? なら礼の一つでも買ってやるといい。それで今の敬語の件は不問にしておいてやる」

 

ニヤリと笑ってそう言うと、店の出口へと歩いていった。

 

少しの間後ろ姿を眺めていたが、その背中はすぐに人混みに紛れて消えてしまう。何か意図があっての質問なのか、それともただの気まぐれか。

 

どォでも良いか、と切り捨てた一方通行は騒ぐ女子達に視線を戻す。私服の次は水着を選び始めたようで、変わらず着せ替え人形なラウラは半分涙目になりかけていた。

 

まだまだ時間はかかりそうだ。

 

ふと、通路を挟んで向こう側にある店に視線が止まる。見ると、女性用のアクセサリーや小物類等を取り揃えてあるショップらしい。

 

「…………、」

 

一方通行は少しだけ思案すると、やがて店の出口へと向かっていった。

 

 

 

 

 



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二十四話

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。


「海っ! 見えたぁっ!」

 

眠りに落ちていた意識の外で、そんな歓声が聞こえた。

 

にわかに辺りが騒がしくなり、それに引っ張られるようにして意識が浮上してくる。ぐ、と体を伸ばし大欠伸を一つ。寝起き故の緩慢な動きで陽光を遮っていたカーテンを開くと―――

 

「…………、おォ……」

 

思わず感嘆の声が漏れた。

 

IS学園は海を埋め立てた人工島の上に建設されているために海自体は見慣れているが、その美しさが段違いだった。

 

陽光を乱反射して煌めく広大な海は鮮やかなコバルトブルーに染まり、逆に砂浜は真っ白に輝いている。更に水平線からは巨大な入道雲が立ち上ぼり、一面を青白のコントラストで彩っていた。

 

一方通行たちの乗るバスは一路、実習を行うための宿泊施設へと向かって海沿いの道を走っているところだった。幸いにも、実習中に天気が崩れるということもないようだ。

 

「ふふ……♪」

 

「……先程から随分とご機嫌だな」

 

ふと、通路を挟んだ座席からそんな会話が聞こえてきた。見るからに上機嫌なセシリアと、それを眺めるラウラのものだ。そんなセシリアの胸元には、一つのネックレスが光っている。先日、買い物に行った際に一方通行が彼女に贈ったものだ。

 

細く編み込まれたクリアシルバーのチェーンの先に、彼女の専用機『ブルー・ティアーズ』にちなんで選んだ小さな雫型のネックレス・トップがライトブルーの輝きを放っている。

 

それを、時々思い出すように微笑みを漏らしては大切なものを扱うようにそっと撫でている。千冬からアドバイスを受けなかったら考えもしなかっただろうが、手渡したときの彼女の反応はそれはそれは好評だった。

 

「しかし、アクセサリーか……女性らしさというやつを学ぶためには必要なのか……? いやしかし、相手に掴まれやすいものを身に付けるのは……」

 

顎に手を当てて「匍匐の邪魔に」だの「武器としてなら」だの見当違いな呟きを溢すラウラ。しばらくの間そうしていたが、やがて考えることを諦めたのか備え付けの菓子を漁り始めた。

 

「そろそろ到着だ。全員大人しく着席していろ」

 

千冬の声で、わいわいと騒がしかった生徒達が各々自分の席へと戻っていく。それから数分で、バスは目的地の旅館に到着した。

 

バスから降り、長時間同じ姿勢で凝り固まった体を解すついでに旅館を眺める。建設されてからそれなりの年月が経つのだろう、『味』とでも言える年季の入った建物特有の雰囲気が漂っている。

 

「あら、そちらの子たちが噂の……?」

 

「ええ。今年は男子が二人もいるのでご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「……どォも」

 

この旅館の女将、先程清洲景子と名乗った女性に興味深げな視線を向けられ、頭を下げた一夏に続き軽く会釈。一夏に比べたら大分無愛想なものだったが、今の一方通行にはこれが最大限の礼儀だった。

 

女将もさほど気にした様子もなく、穏やかな微笑みを湛えている。職業柄笑顔が絶えないせいか、笑うとより若々しく見えた。

 

「はい、よろしくお願いしますね。では皆さん、お部屋の方へ案内いたしますのでついてきてください。すぐに海へ行きたい方はそのまま更衣室までご案内しますよ」

 

女将先導のもと、ぞろぞろと旅館へ入っていく生徒逹。初日は終日自由時間となっているので、部屋に荷物を置いてすぐに海へと繰り出す者が大多数だろう。

 

「ね、ね、ね~。とーやんとおりむーの部屋ってどこなの~? 一覧に載ってなかった~」

 

聞くだけで眠くなるような間延びした声と共に、クラスメイトの布仏(のほとけ)本音(ほんね)がこちらに駆けてきた。駆けてきた、と言っても速足程度の速度しか出ていない。

 

ちなみに『とーやん』とは一方通行の、『おりむー』は一夏の渾名である。無論、そう呼んでいるのはこの少女だけであったが。

 

さておき、本音が漏らした疑問は一方通行にも答えようのないものだった。なにしろ、本人ですらどこの部屋に泊まるのか聞かされていないのだから。

 

「いや、それが俺たちも知らないんだ。廊下にでも寝るんじゃないか?」

 

「わ~、それはいいねー。それで皆で言うんでしょ~? あ~床つめたーいって~」

 

何故か、一方通行の脳裏に神父服を着た赤髪の青年が思い浮かんではすぐに消えていった。全く面識も見覚えもない相手だった。早くも慣れないバスに揺られた疲れが出てきたのだろうかと二度三度こめかみを揉みほぐす。

 

「ンなワケあるか。そのうち教師から指示があンだろ」

 

「織斑、鈴科。お前逹の部屋はこっちだ。ついてこい」

 

一方通行がそう口にした直後、千冬から声がかかる。一夏は本音に自室へ戻るよう促し、一方通行はそのまま千冬の後を追った。

 

外から見ただけではわからなかったが、旅館の内部は最新の空調設備で快適な温度に保たれていた。板張りの廊下もひんやりと涼しく心地よい。

 

―――ISが世に出てもたらしたものは何も混乱と緊張だけではなく、当時の何十年も先を行く最新の科学技術もその一つだった。未だ記憶に新しい『白騎士事件』に際し、白騎士が運用した荷電粒子砲やエネルギーブレード。その技術の一部を流用した、低コスト且つ高性能な家電や電化製品が山のように出回った。

 

エアコンのない家は殆ど無くなり(エアコンの風に弱い者の為に無風エアコンなるものも開発された)、洗濯はボタン一つですべての工程が自動で行われ、モニターは投影型スクリーンへと形を変えていった。

 

『人類史上最大の技術革新』と称されたのも決して誇張などではない。事実、ISそのものがまだ解明されていないオーバーテクノロジーの塊なのだから。

 

「ここだ」

 

「いや……教員室って書いてありますけど……」

 

張り紙に大きく『教員室』と書かれた部屋の前で、一夏が口許を引き吊らせていた。まさか自分の部屋が教師()と同室だとは思わなかったのだろう。

 

「当初はお前逹二人で一部屋の予定だったんだがな。それだと絶対に就寝時間を無視した女子逹が押し掛けてくるだろうということで、織斑は私と同室。鈴科、お前は山田先生と同室だ」

 

ため息と共に告げられた千冬の言葉に、一方通行は納得するよりも先に少しだけ驚いた。一夏(シスコン)千冬(ブラコン)が同室なのはまあ理解できる。問題は、

 

「山田教諭は同意を?」

 

「ああ。お前だけを一人部屋にするわけにもいかんからな。まあ、お前がそういったことに興味が薄いのは知っているが、念のためだ」

 

人畜無害を絵に描いたようなあの教師にストッパー役が務まるのかとも考えたが、そういえば元日本代表候補生だったなと思い直す。ああ見えて仕事はきっちりとこなすタイプだ。

 

「隣部屋を空けてある。そこを使え」

 

「……了解」

 

千冬と一夏が教員室に消えていくのを見て、一方通行も荷物を担いで襖を開け放つ。い草の香りが漂う畳張りの部屋は二人部屋だというのにかなり広く、海に面する壁は豪勢にも一面ガラス張りだった。

 

窓を開けてみれば、心地よい潮風が頬を撫で、穏やかな波の音が心を落ち着かせてくれる。旅館を建てるには最適な立地だな、と思った。

 

壁にかけられた時計を見れば、短針は十を回ろうとしているところだった。このまま寝ればさぞ熟睡できることだろうが、バスの中で寝ていたため実のところあまり眠くはなかった。

 

―――そォいや、オルコットも海に行くっつってたな。

 

一方通行もセシリアから熱心にお願いされているので、一応行くことにはしている。日除けのパラソルか何かが貸し出しされているだろうし、眺めているだけなら疲れない。

 

ボストンバッグから水着とパーカー、大きめのバスタオルを別のバッグに入れると部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

更衣室へ向かう道中、一夏と箒を見つけたのだが何やら様子がおかしい。険悪な空気ではないことから揉め事や荒事の類いではないらしいが、何とも微妙な雰囲気だった。何とはなしに二人の視線を追い、その先にあるものを視認した一方通行は自分の顔から表情が消えるのを感じた。

 

―――ウサミミが、生えていた。

 

比喩でもなんでもなく、柔らかな黒土の上に機械的なウサミミが二本、『引っ張ってください』の張り紙と共に生えていた。

 

「……な、なあ、箒。これって……」

 

「知らん。私に訊くな。関係ない。一切。微塵も。欠片も。一ミクロンたりともな」

 

関わりたくないのか、箒は全力で否定の言葉を口にするとそのまま歩き去ってしまった。できることなら一方通行も素通りしたかったが、更衣室へ向かう道はここだけだ。

 

加えて、あの動くトラブルメーカーを放置したら何を起こすかわからない。もしあの下に潜んでいるなら、出てきた瞬間半殺しにして千冬に突き出せば大丈夫だろうか。

 

念のためISを準起動状態にしておき、何時でも幻月・VROSを発動できるようにしておく。そうこうしているうちに、一夏が勢いよくウサミミを地面から引き抜いた。てっきり地中に潜んでいるものと思っていたのだろう、腰を落として引き抜いたせいか勢い余って後ろに転がった。

 

もんどりうって倒れた一夏と目線が合う。

 

「お、鈴科か。今このウサミミを―――」

 

「……退いてろ」

 

「え?」

 

困惑する一夏を押し退け、ハイパーセンサーを起動。一瞬にして、超高性能動体感知レーダーが上空から落下してくる巨大な高速飛翔体(ニンジン)を感知。腕部装甲を部分展開し、頭上十メートル地点でVROSを起動。300km/h近い速度で落下してきたニンジンの持つ運動量のベクトルをねじ曲げた。

 

頭上十メートルで方向を変えたニンジンは全く勢いを衰えさせぬまま飛んで行き、遥か遠方の海面で盛大な水柱を吹き上げた。それを確認した一方通行は装甲を消して盛大なため息を吐くと心底面倒臭そうな声で、

 

「織斑」

 

「え、あ、おう。な、なんだ?」

 

「織斑教諭に伝えとけ。(バカ)が一匹侵入してきたってな」

 

「あ、ああ。わかった」

 

一夏が教員室へ向かうのを確認してから、ニンジンを吹き飛ばした方角を鋭く睨み付ける。

 

彼女が自発的にアクションを起こす時は、大抵ろくでもないことが起こる時だと相場が決まっている。自分一人の時ならばまだ良かったが、今回は周囲を生徒逹に囲まれた状況だ。万が一口を滑らせないとも限らない。いや、面白半分に情報をばら蒔くかもしれない。

 

何故。何故今なのだ。

 

―――一体何を企んでやがる。

 

彼の脳裏で、束がニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――どォいうコトだ。学園在籍中の接触はしねェっつー話じゃなかったのか』

 

『……私からはなんとも申し上げられません。束様に直接お訊きになってはいかがでしょう』

 

『逆に訊くがオマエ、あの女が俺の質問に素直に答えてくれるとでも思ってンのか』

 

更衣室で水着に着替えながら、個人間秘匿回線を繋いだ一方通行はクロエを問い詰めていた。常に束の側にいる彼女なら、今回のことについて何か知っているだろうと考えたからだ。しかし、束から口外しないよう厳命されているのか口を割ろうとはしなかった。

 

一方通行の心に苛立ちが募る。

 

『……、まァいい。アイツに伝言だ。もしフザけた真似しやがったら躊躇なく叩き潰す、って委細漏れなく伝えとけ』

 

『……わかりました。ですが透夜さん、今回の件―――ザッ、―――もしもしあっくん? 久し振りだねぇ! さっきは熱烈な歓迎をどうもありがとう!』

 

『っ、束……!』

 

クロエの穏やかな声に一瞬ノイズが走り、次いで口調も声音も全く別の―――篠ノ之束のものに変化した。どうや個人間秘匿回線をハックされたらしい。何故、とは思わない。ISは束が造り出したものだ。自らの作品を操ることに何の不自由があろうか。

 

『くーちゃんに訊いたって無駄無駄無駄無駄ァ! ってヤツさ。何せ私の言い付けはちゃーんと守ってくれるからね、えっへん! なんて素直でかわいい子なんだろうね』

 

『……テメェ、今度は一体何を企んでやがる?』

 

声のトーンが一段階落ちた。

 

前回のように無人機を送り込んでくるわけでもなく、束本人が自分から足を運ぶ。そのことが一体何を意味するのかを想像するのは容易い。間違いなく、混乱が起きる。

 

『企むだなんてひどいなぁ。この束さんの体は隅から隅まで真っ白だぜ? 外出しないし。あれ? そういう話じゃないか。ま、いいや。とにかくねぇ、あっくん?』

 

回線の向こうで、束があの人を食ったような笑みを浮かべるのが想像できた。

 

今回の主役は君じゃない(・・・・・・・・・・・)。何せ、そういう台本だからね。……ま、君次第で配役が変わるかもしれないけど、少なくとも君をどうこうしようなんてことはないよん』

 

『信じると思うか』

 

『別に。それこそ君の勝手だよ。そんじゃ、臨海学校楽しみなよ! ばいびー!』

 

それを最後に、通信は沈黙した。

 

忌々しそうに舌打ちをするとISを待機状態に戻し、制服をロッカーに叩き込んで乱雑に扉を閉めた。そうしてから、一方通行は自分が必要以上に苛立っている事に気が付いた。

 

束が自分の情報を漏らすことを恐れている? それもある。面倒を起こすであろうことに怒っている? それもあるだろう。だがしかし、彼が心から恐れているのは『自分のせいで他人が傷付くこと』だ。周囲への被害を懸念しすぎるあまりに、神経質になっているのだろう。

 

一度大きく息を吐き、肩の力を抜く。

 

ロッカーに鍵をかけ、更衣室を後にする。

 

砂浜に出ると、真夏の陽光に熱された砂が容赦なく足裏を灼いた。一瞬顔をしかめたものの、必要量以上の熱を反射することによって事なきを得た。既に大勢の女子逹がはしゃぎ回っており、カラフルな水着が浜辺に彩りを添えている。

 

すると、ちょうど一方通行と同じタイミングで更衣室から数名の女子が姿を見せた。何やら慌てている様子だ。

 

「ちょ、ちょっとアコ! あんたオイルも無しに浜辺なんて出たら死ぬわよ!? 奈々子、捕まえて!」

 

「ほいさー。はーいアコちゃん、おとなしくしててねー? 大丈夫だよー痛くないよー? すぐ終わるからねー」

 

「や、やめてください! セッテさんもしゅーちゃんも、そうやって私を騙して酷いことをするつもりなんですね!? エ〇同人みたいに! エ〇同人みたいに!!」

 

「公衆の面前で何を口走ってんのよアンタ!?」

 

駄々をこねる一人の女子を残り二人が無理矢理更衣室へ連れ戻す。数秒後、艶っぽい悲鳴が盛大に響き渡った。何も見なかったことにして視線を戻すと、何故か今度は自分が注目を浴びているらしい。

 

一方通行は能力の影響で外部刺激が極端に少なく、そのせいでホルモンバランスが崩れている。筋肉や脂肪も最低限なうえに肉がつきにくい体質のため、非常に細身の体型なのだ。

 

しかし、授業内で筋力増強のトレーニングを行ったり(能力の補助付きではあるが)、栄養バランスの取れた食事や規則正しい生活を強いられた結果、うっすらとだが筋肉質な体になってきていたのだった。加えて紫外線の反射によってアルビノの如く白くなった肌は、ともすれば女子逹の理想の肌。

 

様々な点で、注目の的だった。

 

「あ、鈴科くんだー!」

 

「お肌真っ白、羨ましいなぁ」

 

「ねぇねぇ、後でビーチバレーしようよー!」

 

「このクソ暑い中動きたくねェ。他ァ当たれ」

 

「えぇー!? 鈴科くんのいけずー!」

 

群がってくる女子を適当にあしらっていると、見慣れた金髪が目に入った。簡易的なビーチパラソルの下でサンオイルを塗っているようだ。何でもいいから日陰に入りたかった一方通行からすれば幸いだった。

 

「オルコット」

 

「透夜さん。来てくださったのですね」

 

「来ただけだ。泳ぐつもりはねェよ」

 

あら残念、とふんわり笑うセシリアの水着は、青一色で統一されたホルターネックのビキニタイプ。胸元と首、腰の両サイドをリボンで結ぶもので、パレオを巻いているものの露出度はそれなりに高い。

 

豊かな胸のふくらみに、きゅっとくびれた腰。柔らかなラインを描くヒップから伸びる、すらりとした脚線美。バランスの取れたプロポーションは、なるほどモデルを勤めるだけのことはあると思わせずにはいられない。

 

「い、如何でしょうか? 時間がなくてお見せできなかったものですから……」

 

「……まァ、いいンじゃねェの? 似合ってると思うぜ」

 

恥じらうような上目遣いでそう訊ねられても、服に疎い一方通行はそんな月並みな賛辞しか送ることができなかった。……ともあれ、言われた本人が喜んでいるのだから結果オーライである。

 

「師匠! 師匠ー!」

 

「……聞こえてンだよ大声で師匠師匠連呼すンじゃねェ埋めるぞテメェ!」

 

「痛っ!? な、何をするのだ!」

 

小走りで近寄ってきたラウラの脳天に、割と強めのチョップを落とした。突然の不意打ちに頭を押さえて、涙目で抗議の視線を送ってくるラウラ。

 

「ま、まあまあ落ち着いてよ鈴科くん。ラウラは鈴科くんに水着を見せたかっただけなんだってば」

 

「あ?」

 

遅れてやってきたシャルルが苦笑しながらそう付け加えた。そんな彼女の水着はオレンジのスポーティなビキニ。これもまたリボンで結ぶタイプのものだが、セシリアより若干露出が少ないか。そして、

 

「どうだ師匠、似合っているか?」

 

ふふん、と自慢げに胸を張ってみせるラウラは、一見すると下着に見えなくもない黒一色の水着を身に纏っていた。所々にフリルがあしらわれ、そのままではボリューム不足が否めない胸のふくらみを上手く隠している。よく見れば、無造作に伸ばされていた銀髪もツインテールになっていた。

 

「髪は僕がやってあげたんだよ。そのままでも十分綺麗だったんだけど、折角だから、ね?」

 

「だ、そうだ」

 

「……まァ、いいンじゃねェの? 似合ってると思うぜ」

 

「透夜さん……」

 

セシリアが半眼で微妙な視線を送ってきていたが、一方通行は無言で視線を逸らした。それ以外の賛辞が思い浮かばなかったとかではない。決して。

 

「あれ、皆揃ってどうしたんだ?」

 

「あんたらねぇ、海来たんなら泳ぎなさいよ。それか遊びなさいよ。ってなわけで遊ぶわよ! 人数もちょうどいいしバレーでいいわね」

 

そこへ一夏と鈴音も登場。鈴音はその手にバレーボールを抱えており、最初からその気であったことを隠そうともしていない。レンタルしてきたポールとネットを立て、適当にコートを描く。

 

「んじゃチームは俺と鈴とシャル、鈴科とセシリアとラウラでいいか」

 

「決まりですわね。それでは―――」

 

「待て」

 

制止の声がかかった。

 

全員の視線が声を上げた人物へと集中する。五人分の視線を一身に集めた人物、一方通行は眉根を寄せて顔を顰めた。

 

「いや…………、俺もやンのか?」

 

「そりゃ勿論」

 

「当たり前でしょ?」

 

「当然だろう」

 

「勿論」

 

「ご一緒していただけると嬉しいのですが……」

 

一夏、鈴音、ラウラ、シャルロット、セシリアの一斉射撃である。一方通行の目元がひくっ、と引き攣った。が、そこは流石の精神力で平静を装う―――

 

「まさか師匠……運動、出来ないのか?」

 

「ボール寄越せ。叩き潰してやる」

 

真夏の砂浜で、日独英対日中仏の大戦が開幕したのだった。

 

 

 

 

 



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二十五話

リアルが忙しすぎて時間がとれない今日この頃。


日の長い夏場といえど、八時を回れば流石に辺りは暗くなる。不要な外出はするなと予め言われてはいるが、この時間帯に外に出てもすることはない。大広間での夕食を終え、既に入浴まで済ませてしまった者もちらほらと見受けられた。

 

無論、一方通行もその一人である。

 

(あァー……。クッソ、身体中がだりィ……)

 

首を左右に傾けるとパキパキと小気味良い音が響いた。ラウラの一言に乗せられたとは思いたくないが、無駄に体力を消費してしまったことに変わりはない。高々ビーチバレー程度に何をムキになってンだか、と自分のことながら呆れつつ自室に繋がる廊下を歩く。

 

自室の襖を開くと、中には既に布団が二つ敷かれていた。恐らく真耶がやってくれたものだと思うが、態々生徒の分まで教師がやらなくてもいいのではないだろうか。敷いてくれた当の真耶は恐らく風呂だろう。時間帯からすると、あと三十分程は戻ってこなさそうだ。

 

備え付けの冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、一気に三分の一程を飲み干した。風呂上がりで火照った体に、よく冷えた飲料が心地よい。

 

時計を見れば、就寝時間までにはまだまだ余裕があった。

 

しかし、真耶と同室である以上、この後で何か起こるということもなかろう。明日からは実習に入るのだし、今日のところはさっさと寝てしまおうか。

 

そう思って振り向いた一方通行は、一瞬本気でISを展開しかけた。

 

「やっほ、あっくん」

 

旅館の浴衣に身を包んだ束が、我が物顔で布団の上に座っているではないか。先程まで入浴していたのだろうか、不健康に白い肌がほんのりと赤く上気していた。

 

何時の間に、と心中で舌打ちをする。

 

少なくとも部屋に入った時に気配はなかった。そこから後ろを向いて水分を摂っていた僅かな時間で侵入してきたというのか。

 

「束さんも一本貰えるかな? お風呂上がりで喉が渇いちゃってさ」

 

そんな一方通行の様子などお構い無しに、束が飲料を催促する。一方通行は無言で冷蔵庫からもう一本スポーツドリンクを取り出し、半ば投げつけるようにして束に放った。

 

「ありがとー。ん……、っぷはーっ! いやー風呂上がりの冷たい飲み物は最高ですなぁ!」

 

「……何のつもりだ」

 

「何って?」

 

「惚けてンじゃねェよ。昼間オマエは、今回の件は俺とは関係ねェっつったな。なら何で俺に接触してくる」

 

一方通行の赤い瞳が細められる。

 

束の言うことが真実だとは思っていない。だが、全て戯れ言だと切り捨てるには些かリスクが大きい。束の目的が何にせよ、一方通行が束を無視することはできなかった。

 

束が何の目的もなく行動することは滅多にない。それは彼女と生活を共にした短い期間の中で学んでいる。故に、彼女が自ら腰を上げる時には必ず大きな目的が伴う。

 

そして、その目的を達成するためならば文字通り手段を選ばない。少なくとも、自ら日本に向けて放った弾道ミサイル2341発を、自らが作り上げたISによって迎撃させるという最狂最悪の『自作自演』を行う程度には、躊躇うということを知らなかった。

 

「個人的に会いたかった、っていう答えじゃ不満かい? これでも私は結構キミを気に入っているんだけど」

 

「気に入ってる相手に無人機差し向けるのがオマエの好意ってヤツか? 冗談にしちゃ笑えねェな」

 

「そこを突かれると痛いなぁ」

 

しかし、眼前でカラカラと笑う束からは敵意も悪意も感じられない。

 

本当に、ただ自分に会いに来ただけなのだろうか。

 

未だ心の機微というものに疎い一方通行は、その『自分に会いにくる』ということ自体が彼女の目的だという可能性は思い付かなかった。そもそも自分と会ったところで何の益にもならないだろう、という考えしか出てこなかった。

 

「でも、今回はちーちゃんにも話を通してあるからね」

 

「何?」

 

束が放った台詞に、一方通行は少しだけ驚いた。それはつまり、束がここへ来ることを千冬が認めるに足る程の大きな理由があるということの証明に他ならないからだ。

 

だが、その言葉を素直に鵜呑みにできる程一方通行は丸くなってはいなかった。

 

元より常識の範疇を超えた行動を取る束のことだ。目的のためならば親友だろうが何だろうが平気で裏切るのでないか、という疑念が心中で鎌首をもたげる。

 

そんな一方通行の様子を見て、束は一つため息を吐くと苦笑を浮かべた。

 

「信じないなら、まぁそれでも構わないよん。そんなことはいいから束さんとお話ししようぜ!」

 

「……オマエは」

 

「うん?」

 

一方通行には解らなかった。

 

「何だってオマエはそォ、俺に……いや、俺と、絡みたがる? 他人にゃ一切興味ねェ、知ったこっちゃねェっつーのがオマエのスタンスじゃなかったのかよ。俺にかかずらってる暇があンなら妹の方に行くのが普通じゃねェのか?」

 

束自らが大切だと豪語している肉親と、出会ってから一年も経っていない自分。優先順位がまるで逆だ。なぜ束はそうまでして自分に固執するのか、一方通行には理解できなかった。

 

交友という点でならば、それこそ隣には千冬がいる。一夏とも面識はあるだろうし、少なくとも自分と話すよりも有意義な時間になるのではないだろうか。

 

何の疑問も抱かずに一方通行はそう思った。

 

元より自分には、他人に与えてやれるものなど何もない。対価を求められても、それに応えるだけのものを持っていないのだ。唯一束が興味を持ったこの能力も、気の済むまで研究させてやった。これ以上自分に何を求めるというのか。

 

「……やっぱり、あっくんはあっくんだね」

 

「…………」

 

だから。

 

己を映す束の眼に悲哀が宿ったとしても、言葉の一つもかけてやることはできない。

 

そうして、室内に流れ始めた静寂を破ったのは束だった。何事もなかったかのようにいつもの雰囲気を漂わせた彼女は勢いをつけて立ち上がった。

 

「それじゃ、束さんはここらで退散するよ。はい、プレゼント。キャップとラベルはちゃんと分別するんだよ? 束さんとの約束だ! そんじゃ、ばいびー!」

 

無言のままの一方通行の手に空のペットボトルを握らせると、窓を開け放ってその身を夜闇へと消した。

 

開いた窓から入り込んだ蒸し暑い空気がぬるりと頬を撫でる。ゆっくりと窓に歩み寄って外を眺めてみるが、そこにはただただ暗闇が広がっているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合宿二日目。

 

一方通行たちは、旅館から数キロ離れた砂浜に訪れていた。

 

今回の実習は『ISの非限定空間における稼働試験』を目的としているため、日頃から大きな実証実験が行えない企業がここぞとばかりに追加武装や新装備を送り込んでくる。コンテナを山ほど積みこんだ無人揚陸挺が何隻も停泊している光景は中々にシュールだった。

 

ネームタグを見れば、バレット・ファイヤーアームズ、H&K、アキュラシー・インターナショナル、イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ、コルト・ファイヤーアームズ、S&W等世界的に有名な銃器会社をはじめ、クラウス、コアレッセンス、デュノア、クドリャフカ、スターク・インダストリーズ等といった大手IS装備開発会社の名前も見受けられた。

 

日本の企業の名前が少ないのは、やはりハードや武装ではなくソフトに力を注ぎ込んでいるためだろう。攻撃力ではなく防御力と回避力を取る辺り国柄が出ている。とはいえ、安心と信頼の代名詞とも言えるMADE IN JAPANは今日においても変わることはなく、日本製銃器の愛用者はそれなりに多い。

 

「よし、それでは各班毎に振り分けられたISの装備試験を行うように。専用機持ちは専用パーツのテストだ。くれぐれも稼働データを取り忘れるなどという愚行は犯してくれるなよ」

 

千冬の言葉に生徒たちが動き始めるが、一方通行はその場から動かずに軽く思案する。

 

ドイツの代表候補生であるラウラの元には、本国から送られてきた換装装備(パッケージ)や新型武装が山と積まれている。セシリア、シャルロット、鈴音も同様だ。

 

しかし、一方通行と一夏にはそれがない。

 

専用機持ちとはいえど代表候補生ではない二人には、お抱えの企業もなくその逆もまた然り。更に、両名共に拡張領域に空きが無いため装備テストも満足に行えない状況なのだ。

 

より正確に言うならば、一方通行の機体には拡張領域が必要ない(・・・・・・・・・)ため、VROSの演算領域として使用されているのだが。

 

「篠ノ之。お前はこっちに来い」

 

「はい」

 

ふと、打鉄の装備を運んでいた箒が、千冬に呼ばれてそちらへと向かう。千冬が何事かを口にしかけた時、それを遮る大声が砂浜に響き渡った。

 

「ちーちゃーーーーーーん!!!」

 

「……束」

 

遥か遠方から、すさまじい速度で疾走してくる人影が一つ。といより、束である。砂煙を巻き上げながら、あっという間に千冬の元へたどり着いた束は勢いそのままに千冬へ飛びかかり、

 

「会いたかったよちーちゃん! さあ、ハグハグしよう! 私とちーちゃんの愛を確かめ―――おぶっ」

 

「うるさいぞ、束」

 

アイアンクローで迎撃された。

 

千冬の細い指が容赦なく顔面に食い込み、ミシミシという怪音を立てて骨が軋む。素手で人骨を破壊するほどの握力で顔面を握り潰されているにも関わらず、その拘束を振りほどいた束は何事もなかったかのように箒へと向き直った。

 

「やあやあ箒ちゃん! 久しぶりだね!」

 

「……どうも」

 

喜色満面といった束だが、対する箒の態度は苦々しいというか素っ気ないものだった。しかし束は気にせずに続ける。

 

「こうして直接会うのは何年ぶりかなぁ。見ない間におっきくなったね。特におっぱいが」

 

鈍い音が響いた。

 

「殴りますよ」

 

「な、殴ってから言った! しかも日本刀の鞘で! ひどい! 箒ちゃんひどい! 」

 

頭を抑え、涙目で訴える束。暫くそうしていたが、今度は一方通行に狙いを定めたらしい。にんまりと笑顔を浮かべると千冬にしたように一方通行へと飛びかかり、

 

「あっくん! あっくんなら束さんの愛を受け止め―――ぎゃん!」

 

「黙れ」

 

洒落にならない音が響き、束の体が砂浜に沈んだ。

 

瞬間的に部分展開した腕部装甲で手刀を放ったわけだが、学園内ではないのだし相手が束なら千冬も黙認してくれるだろう。

 

「ぐぉぉう……ま、まさかISでチョップするなんて……流石の束さんも大ダメージだぜ……」

 

ふらふらと起き上がるが、ものの数秒で回復したらしく再び千冬にじゃれつき始めた。本当に人間なのかどうか疑わしくなるような頑強さである。

 

「透夜さん、まさかあの女性は……」

 

騒ぎを聞き付けて歩み寄ってきたセシリアがそう呟く。恐らく彼女もある程度の予想は出来ているのだろうが、話に聞く束の像と実際の束とが結び付かないのだろう。

 

無理もねェかと思いつつ、盛大な溜め息を吐いた。

 

「……まァ、オマエが考えてる通りじゃねェか」

 

「っ! で、では本当に篠ノ之博士なのですか!?」

 

一方通行の言葉にセシリアの瞳が輝いた。

 

大方自分のISを見てもらうチャンスとでも考えているのだろうが、人付き合いという文字を自分の辞書から消し去ったような人間が束だ。何の面識もないセシリアが話しかけようとしたところで、容赦なく切って捨てられるのが関の山だろう。

 

「言っとくが、アイツと関わろうなンて思うンじゃねェぞ。確実に無視される上に、万一興味持たれでもしたら実験動物コース待ったナシだ」

 

「は、はぁ……。透夜さんは、博士とお知り合いなのですか?」

 

「……まァ、色々あってな」

 

「……そうですか」

 

暗に答えたくないのだと言うと、セシリアはそれ以上の追及をやめて素直に引き下がってくれた。良くも悪くも一方通行のことを第一に考えてくれるのでこういう時は助かるが。

 

「それで、頼んでおいたものは……?」

 

「だいじょーぶ、ちゃんと用意してあるよ! それでは皆様、大空をご覧あれってね!」

 

遠慮がちに箒がそう訊ねると、束は大仰な仕草で空を振り仰ぐ。その場に居た全員がつられて空を見上げた瞬間、盛大な砂塵を巻き上げて銀色の何かが砂浜に突き立った。巨大な菱形をしたそれは、束が指を弾くと同時に形を変えてその内部をさらけ出した。

 

そこに鎮座していたのは、一機のIS。

 

流麗な曲線を描く、煌びやかな赤色の装甲。四肢を金の蒔絵に飾られ、目に見える範囲での武装は両腰に帯びている日本刀型のISブレード。そして背後にはスラスターや推進器ではなく、一対の大型バインダーが付属している。

 

「ぱんぱかぱーん! これが箒ちゃんの専用IS『紅椿』! 全スペックが現行機を上回る、束さんお手製の最新鋭機だよ~!」

 

にわかに辺りが騒がしくなるが、一方通行の視線は厳しい。少し離れた場所では千冬も同様に眉根を寄せて顔を顰めていた。

 

彼の『夜叉』も、束が作り上げたカスタムメイドだ。故に現存するどの機体よりも高性能だったが、それを更に上回る最新鋭機となれば、束の言葉通り想像を絶する性能だろう。

 

しかし、箒のIS操縦技術は周囲の生徒と比べて突出しているとは言えなかったはずだ。そこにいきなり最高性能機を与えたとしても、果たしてどうか。

 

アームによって引き出された紅椿に箒が乗り込む。

 

「それじゃ、フィッティングとパーソナライズだけ済ませちゃおうか。箒ちゃんのデータはある程度先行して入れておいたし、最新のデータに更新するだけだからすぐ終わるよ」

 

「……お願いします」

 

「んもぅ、なんでそんなに他人行儀なのさ~。もっとこう『お姉ちゃん♡』みたいな―――」

 

「早く、始めましょう」

 

頑なに馴れ合おうとしない箒を見て何を思ったか。あっさりと引き下がった束は2枚のホロキーボードを展開すると、鼻歌交じりにキーを叩き始めた。

 

「むげーんだーいなーゆーめのーあとのー♪ ……うん、後はプログラムが自動でやってくれるから、しばらく待っててね。あ、いっくん、白式見せてちょ」

 

「あ、はい」

 

一夏が展開した白式にプラグを挿入すると、表示されていた紅椿のデータが白式のものに切り替わった。

 

ISはパーソナライズによって操縦者の情報を読み取り、適応し、より動かしやすくなっていくように自己進化機能が設定されている。その過程で、どういった進化をしていったのかを記録したフラグメントマップと呼ばれるものを構築する。束が呼び出したのはそれだ。

 

白式のフラグメントマップを眺めた束は、興味深そうに目を細めた。

 

「ふむむ、今までにないパターンだね。男女の違いがフラグメントマップの形成に影響してるのは間違いないのかな?」

 

「あの、束さん。何で俺がISを動かせるのかとか、その辺のことってわかります?」

 

「ん? んー……それが束さんにもわからないんだよね。織斑家のDNAだけIS適合率超高いとか有り得そうな話だけど。あ、それならいっくんをISとオーバーシンクロさせれば人と機械が融合したりとかするのかな?」

 

「するわけないでしょ……大体それならなんで鈴科も動かせるんですか」

 

何の気なしに放ったのだろう一夏の問い。

 

一方通行が何か思うよりも早く、束が口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「あっくん? あっくんにはちゃんと理由があるから(・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

ひゅう、と。

 

一方通行の喉から、細く息が漏れた。

 

真夏の太陽に照りつけられているのにも関わらず、冷たい汗が全身から吹き出した。

 

ざわっ……! と足元からナニカが這い上がり、身体中の血管を絞り上げられるような感覚を得た。

 

そもそも。

 

一方通行の素性を明かしても束には微塵のリスクも不利益もない。素性を明かされることを恐れている一方通行を自由に扱うことが出来る良い材料にしかならない。束ならば、自らが楽しむ為に情報を開示するという可能性もある。

 

しかし、彼にとってそれは何がなんでも隠し通さなければならないものなのだ。転移させられた直後の一回以来、他人の前では大っぴらに能力を解放したことがないために知っているのは束一人。

 

故に。

 

束が情報をばら蒔けば、それで彼は終わる(・・・)

 

誰かを護るだとかこの世界でやり直すだとか能力を得た意味とか立場とか人間関係とか。彼に付随するもの全てを一瞬で無に還すことになる。

 

可能かどうかの話ならば、彼が束を肉塊に変えることなど容易い。だがそれを、今この状況でできるかといえば絶対に不可能だ。周囲の『目』を恐れるが故に、彼は行動を起こせない。

 

今の一方通行は、例えるならば軍事大国から核兵器の矛先を向けられた小さな島国に等しい。発射ボタンを押し込むだけで放たれるそれを防ぐ手立てなどどこにも無い。ただ恐怖に震えながら大国の気が変わるのを待つしかないのだ。

 

(な、にを、考えてやがる)

 

読めない。

 

束の思考が、まったく読めない。

 

疑問と恐怖とが頭を巡り、思考をぐちゃぐちゃに掻き回していく。

 

何故このタイミングで、それを持ち出してきたのか。

 

「理由? 理由ってなんですか?」

 

「んー? 知りたい? でもこれは私とあっくんとの秘密だからねぇ。そう簡単には教えられないな☆」

 

「あー……、んんっ。こちらはまだ終わらないのですか?」

 

束が一夏の問いをはぐらかしたところで、箒が話に割り入った。それで話が逸れたのか、紅椿の試運転へと話題が変わる。

 

だからといって一方通行の緊張が解けるわけではなかった。早鐘のように鼓動を刻む己の心臓を無理矢理押さえつけ、表面上では平静を装おうとするが上手くいっているという確証は持てなかった。

 

「それじゃ、試しに飛んでみてよ。箒ちゃんの思い通りに動くはずだよ」

 

「ええ。やってみます」

 

言うや否や、紅椿は凄まじい勢いで飛翔していきあっという間に高度300メートル近くにまで上昇した。最高性能というだけあり、夜叉をも上回る速度だった。

 

「うんうん、いい感じだね。じゃあ次、武装いってみようか。右が『雨月(あまづき)』で左が『空裂(からわれ)』。束さんの懇切丁寧な解説付きでお届けするじぇい」

 

雨月は打突に合わせてエネルギー弾の斉射を見舞う対単一仕様の射撃性近接ブレード。空裂は帯状のエネルギー刃を振った範囲に自動展開する対集団仕様のブレード。どちらも射程は長くないものの、紅椿の機動力はそれを補って余りある。

 

これは憶測だが、『展開装甲』も組み込まれていると見て間違いはない。何度も送っていた夜叉の稼働データから、改良版展開装甲でも開発していたのだろう。

 

「ん……? あれって、もしかして鈴科の……?」

 

「お、気づいたかい?」

 

何かに思い至ったような一夏を見て、束はふふんと自慢げに鼻を鳴らした。

 

「いっくんの予想通り、あれは幻月の特性を応用して作ったものさ。幻月が思考に反応して作動する武装プログラムなら、あの二刀は動作に反応して作動する武装プログラム。考える必要すらなくなったから、戦闘中の余分な思考は更に削ぎ落とされて一石二鳥だね!」

 

「あれ? じゃあVROSは搭載されてないんですか? めちゃくちゃ強力ですよね、あれ」

 

「あぁ、あれは―――」

 

「お、織斑先生っ! たっ、た、大変です!」

 

束が何かを口にしかけた瞬間、真耶の切羽詰まった声がそれを遮った。声に含まれたあまりの焦りに、周囲にいた生徒達が一斉にそちらを振り返る。

 

しかし、当の真耶は余程慌てているのかそれに気付いた様子もなく、手に持っていた小型端末を急いで千冬に手渡す。それを見た千冬の瞳がすっと細められた。

 

「……了解した。山田先生は他の先生方に連絡を」

 

「わ、わかりましたっ」

 

「頼んだぞ。―――全員、注目!」

 

凛と響いた声に、今度こそ浜辺にいた全員が千冬の方に視線を向けた。その視線の大部分は、どうせ大したことではないだろうというものだったが、それは次の言葉で塗り替えられることとなった。

 

「現時刻よりIS学園教員は特殊任務行動へと移る! 本日の実験は全て中止、直ちに片付けを開始しろ! その後各員は連絡があるまで自室内待機! 以上だ!」

 

ざわざわと周囲が騒がしくなるが、再びの一喝によって弾かれたように動き出す生徒達。セシリアや鈴音達代表候補生は、互いにアイコンタクトを取り合って指示を待っていた。

 

ふと、束の姿が目に入る。

 

あの、いつもの人を食ったような笑み。

 

まるで全てを知っているかのような様子で、楽しそうに楽しそうに笑っていた。

 

(何を企ンでやがる……オマエの目的は、何だ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――波乱の幕が開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十六話

「―――では、状況を説明する」

 

薄暗い室内に、千冬の声が低く響く。

 

現在一方通行達がいるのは、旅館の最も奥の方にある宴会用の大広間『風花の間』。本来ならばこんなことに使われるはずのないそこを臨時の作戦本部とし、専用機持ちと教員全員が集められていた。

 

大型の空間投影型ディスプレイを表示させた千冬が続ける。

 

「二時間前、アメリカ・イスラエルが共同で開発にあたっていた第三世代型軍用IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が試験稼働中に操縦者の制御下を離れ暴走、監視空域を離脱したとの連絡が入った」

 

ぴくりと一方通行の眉が跳ねた。

 

アメリカはハード・ソフト、イスラエルは武装関連において世界トップレベルの技術力を持つ。その両国が開発を手掛けたISが暴走するなど、俄には信じ難い話だ。それに、そういった不測の事態に備えてエマージェンシーシステム等が組み込まれているはずだが……。

 

「監視衛星による追跡の結果、福音はここから二キロ先の空域を通過することがわかった。時間にして五十分後。軍や特殊部隊を呼び寄せている暇はない。そこで、我々がこの事態の対処に当たることとなった」

 

(オイオイ。軍の緊急出撃(スクランブル)が間に合わねェとか舐めてンのか。そもそもこォいう時の為のISだろォが。軍の連中は真っ昼間っからファッションショーでもしてやがったンじゃねェだろォな)

 

あまりの平和ボケっぷりに呆れ返る一方通行。

 

結局は、ISの『兵器としての危険性』を軽視した結果だ。『暴走などするはずがない』『操縦者の命令がなければ動かない』という固定観念に囚われ、やがては非常事態への警戒が薄れ、そして今回のようなことが起こってしまうのだ。

 

「私たち教員は訓練機を使用して作戦空域と海域の封鎖を行う。よって、迎撃部隊は専用機持ちに担当してもらう。本作戦の最優先目的は操縦者を傷付けないように救出することだが、必然的に福音の機能を停止させなければならない。故に戦闘は避けられないものと思ってくれ」

 

「……暴走した軍用ISから操縦者を無傷で救出だと?上層部(うえ)の連中は分かってて言ってやがンのか」

 

「……仕方ないだろう。福音の搭乗者はアメリカのテストパイロットだ。彼女が深手を負ってISに乗れなくなれば、アメリカが被る被害は深刻なものになる」

 

呆れを隠そうともせずに呟いた一方通行。それを聞いた千冬も苦い表情でそう返した。いくら元世界最強とはいえ、たった一人で大国の情勢を左右できる程の影響力は持ち合わせていない。一方通行は面白くなさそうに舌打ちをした。

 

「……では、作戦会議を始める。意見のある者は挙手をして発言しろ」

 

「はい」

 

真っ先に手を挙げたのはセシリアだった。

 

代表候補生として、またオルコット家の現当主としてプライドと責任感を人一倍備えている彼女だ、こういった事態に慣れているのも当然といったところか。同じく候補生の三人も、ピリッとした空気を纏っていた。特に顕著なのはラウラだろうか。現役軍人である彼女は、正にこういう時の為に訓練を重ねているのだから。

 

逆に一夏は専用機を持つだけの一般人でしかないので、未だに展開に頭がついていっていないようだ。箒は一応これが異常事態であるという認識はしているようだが、流石に的確な対応を取れるほどではない。

 

とはいえ、一方通行とて二人にそこまでの期待はしていなかった。精々パニックにならないだけマシというものだ。

 

「当該ISの詳細なスペックデータを要求します」

 

「わかった。しかしこの情報は最高軍事機密だ。万が一情報が漏洩した場合、諸君らには査問委員会からの監視が二年はつくことを覚悟しておけ」

 

「了解しました」

 

大型スクリーンに映されていた情報が銀の福音のものに切り替わり、それを基に教師陣と代表候補生組が意見を交わしあう。

 

「……広域殲滅を目的とした特殊射撃型……。軍用と名のつく以上、火力や機動力は一線を越すと考えた方が良いですわね」

 

「航続距離と戦闘時間も桁違いね……燃費の良さも含めて厄介極まりないわ。持久戦は絶対に避けるわよ」

 

「問題はこの特殊射撃武装だね。これだけ高出力のエネルギー弾を連発されたらひとたまりもないよ。防御よりも回避に重点を置いたほうがいいかも」

 

「操縦者側からの操作が無いということは、反動のある動きや無理な機動もシステムが勝手に行うだろうな。流石に単一仕様能力の発現は見られないだろうが……。偵察は行えないのですか?」

 

ラウラの問いに、千冬は首を横に振った。

 

「無理だな。目標は現在も超音速飛行を続けている。辛うじて監視衛星が予測軌道を現在進行形で弾き出せている程度だ」

 

「となると、一撃必殺(ワンアプローチ・ワンダウン)を敢行できる機体で当たるしかありませんね」

 

真耶の言葉に、様々な視線が二人の少年に向けられる。当の二人の反応はそれぞれ異なるものだった。一方通行は特に騒ぐこともなく機体のデータを眺め続けており、まさか自分が指名されるとは思っていなかったのだろう一夏は慌てて立ち上がった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺もやるのか!?」

 

「当然でしょ。あんたの零落白夜は当たりさえすれば確実に墜とせるんだから、使わない手はないわ」

 

「相手のシールドエネルギー出力も未知数な以上、防御を無視して攻撃できるというのは大きなメリットになるからね」

 

「……その通りと言えばその通りなのですけど」

 

「お前は私たちと違い軍属ではない。当然拒否権もある。やりたくなければそれでも構わん。別の策を講じるだけだ」

 

「―――俺だけでいい」

 

そこで、今まで沈黙を貫いていた人物が口を開いた。

 

その場にいる全員の視線を一身に浴びながら立ち上がった少年は、面倒臭そうに首をゴキリと鳴らした。

 

「織斑の零落白夜は外した場合のリスクがデカい上に燃費が悪すぎる。作戦空域に着く前にガス欠になンのがオチだ。俺の機体なら速度も攻撃力も十分だし、システムを弄れば燃費も多少は良くなる」

 

夜叉は全距離戦闘に対応した万能機体だ。加えてVROSに本来の能力を上乗せすれば火力は更に跳ね上がる。強いて言えば近接戦闘用の装備が少ないことぐらいしか欠点と呼べる欠点がないと自覚していた。だがそれも、幻月でカバーできる範囲だ。

 

しかし、そんな一方通行の思考とは裏腹に千冬は眉をひそめた。

 

「……確かにお前の夜叉は高性能だが、一撃必殺と言えるほどの火力は出せるのか? もし失敗した時はどうする? 不安要素が山積みの状態での出撃など危険すぎる」

 

「危険? ド素人を戦場に送り出すよか万倍マシだろ。それに俺の機体は単独行動前提だ。幻月の巻き添え食らいましたじゃ笑い話にもならねェぞ」

 

「何故そうまで一人で行くことに拘るのかは知らないが、念を入れるに越したことはない。―――まず織斑が零落白夜で一撃必殺を狙い、織斑が失敗したら鈴科が狙う。それでも墜としきれないなら二人で攻めろ」

 

クソッたれが、と一方通行は心中で吐き捨てた。

 

素人を戦場に送り込むなど愚策にも程がある。一夏の零落白夜は確かに一撃必殺ではあるが、そもそも当たらなければ意味がない。相手は軍用だ、直線的な一夏の攻撃においそれと当たってくれる程易くはないだろう。

 

単独行動であれば、周囲を気にすることなく存分に力を振るえる。能力も、ある程度までなら行使できる。夜叉は火力と手数に物を言わせた面制圧力に長けているので(無論それ以外もこなすことはできる)、味方を気にしながらではどうしても力の使い方が狭まってしまう。

 

―――他人の目を気にする、というのはこんなにも面倒なものなのか。

 

こうなってしまえばもう、一方通行にはこれ以上反論を重ねることができない。怪しまれるのは得策ではない。

 

「…………、了解」

 

「よし。では具体的な作戦内容に入る。現在、この中で最高速度が出せる機体はどれだ?」

 

「わたくしのブルー・ティアーズが適任かと。丁度本国から強襲用高機動換装装備(パッケージ)『ストライク・ガンナー』が送られてきていますし、高感度ハイパーセンサーも付属しています」

 

「超音速下での訓練時間は?」

 

「二十時間です」

 

高感度ハイパーセンサーは、普段よりも多量の情報を送るために操縦者の感覚を鋭敏化させる。変化を感じられるのは視覚・聴覚・思考速度ぐらいだが、体内を弄られるというのは慣れねば堪えるものがある。

 

それをクリアした上で射撃や格闘、機動を行うのだが操縦者に高い技量が求められるため難易度が高い。セシリアの二十時間という訓練時間は決して少なくない長さだ。

 

「……ふむ。ではオルコット、お前が―――」

 

「うぇいとあみにっつ! ちょっと待つんだちーちゃん! その役目は紅椿にお任せあれなんだぜ!」

 

千冬の言葉を、場違いなほどに明るい声が遮った。声の発生源は真上から。弾かれたように上を見上げれば天井の板が一枚外れており、そこから時代劇の忍者よろしく束の頭が逆さに生えていた。

 

猫のような身のこなしで天井裏から抜け出ると、そのまま一回転して軽やかに着地する束。厄介事が舞い込んできたとばかりに額に手をやって溜め息を吐いた千冬は、それでも無視するわけにはいかない束の発言を言及した。

 

「どういう意味だ」

 

「紅椿はね、パッケージがなくっても超高速機動に対応できる機体なんだよ。展開装甲の出力調整次第で、速度特化型第三世代すらぶっちぎる性能に早変わり☆って感じさ!」

 

束の言葉に呼応するかのように、数枚のホロディスプレイが千冬を囲むように出現した。いつの間にかメインディスプレイも乗っ取ったらしく、先程まで福音のデータが表示されていた画面は既に紅椿のスペックデータに切り替わっていた。

 

「疑問符を浮かべまくってるいっくんの為に、この束さんが直々に解説してあげよう。五体投地して感謝したまえ♪ ざっくり言うと、展開装甲ってのは第四世代型の武装(・・・・・・・・)なのさ」

 

「第、四……!?」

 

ISには、世代によってコンセプトがある。

 

ISという存在がまだ世に出て間もない頃、あやふやな論理や最新技術を一般にも理解できるよう噛み砕き、後の発展の基礎となるよう設計されたのが第一世代。『ISの完成』を目的とされた世代だ。

 

初の純国産ISである『(くろがね)』や、最強の名を世に知らしめた切っ掛けでもある、現役時代の千冬が乗っていた機体『暮桜(くれざくら)』がこれにあたる。

 

第二世代は『後付装備による多様化』をコンセプトにして作られた機体で、各国の銃器会社がこぞってIS武装を開発し始めたのもこの頃からである。ハンドガン、アサルトライフル、カービンライフル、マークスマンライフル、スナイパーライフル、バトルライフル、ショットガン、グレネードランチャー、レールガン、荷電粒子砲、プラズマカノン、レーザーライフル、エネルギーブレード……数え上げればキリがない。

 

IS学園に配備されている『打鉄』、シャルロットの専用機『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』等が第二世代に分類される。『第二世代の完成形』と呼ばれるのがラファール・リヴァイヴだ。

 

現行する第三世代が『操縦者のイメージ・インタフェースを利用した特殊兵器の実装』。操縦者の脳から発せられる生体電気信号を、ISのイメージ・インタフェースが兵器を動かす電気信号として出力する。セシリアのブルー・ティアーズ、ラウラのAIC、鈴音の衝撃砲等がそうだ。

 

以上のどれにも属さないイレギュラーな機体として、第零世代と称されている正体不明のIS『白騎士』、そして一方通行の専用機『夜叉』がある。

 

夜叉は機体こそ確かに第三世代の機構を採用してはいるものの、中身を覗けば到底そんなものでは済まされない。

 

一方通行の脳内で組み立てられた演算式を読み取り、それを機体側に出力する為に最適化されたイメージ・インタフェース。普通ならば『視えすぎる』ことを抑えるためにかけられているリミッターを外したハイパーセンサー。システムアシストを解除し、その分の演算領域までVROSに回したスラスター。

 

全てが『一方通行専用』に設計されている規格外の機体。一方通行という出力の強すぎるエンジンの性能を殺さないように組み上げられたモンスターマシン、それこそが夜叉だ。

 

しかし。

 

夜叉を規格外たらしめている理由はもうひとつある。

 

それが―――

 

「展開装甲は状況に応じて攻撃・機動・防御と役割を変更できる。第四世代型ISのコンセプトである『パッケージ換装を必要としない万能機』、即時対応万能機(リアルタイム・マルチロール・アクトレス)を実現するためには必要不可欠な武装さ。いっくんの雪片弐型やあっくんの四肢装甲とかスラスターにも組み込まれてるよん」

 

「えっ!? 夜叉って、束さんが作ったんですか!?」

 

「そーだよ? あっくんは色々特殊だから、私ぐらいじゃないとあっくんの専用機は組めないのさ。……で、二人から良いデータが取れたから、より発展したタイプの展開装甲を開発してみたらこれが大成功。紅椿は全身のアーマーがこの展開装甲になってるから、もう頭おかしいレベルの強さだよ♪」

 

最早、誰も言葉を発することができなかった。

 

夜叉の強さは誰もが知っている。一方通行の技量も含め、専用機持ちが全員でかかっても勝てるかどうかわからない。そのレベルの機体の、更に上を行く機体。

 

世界記録を叩き出した翌日に、鼻唄を歌いながらもう一度記録を更新するようなものだ。

 

これが天災。

 

これが篠ノ之束。

 

「やりすぎるなと言っておいたはずだぞ、束」

 

「いやぁ、ついつい熱中しちゃってさ。あ、でも流石の束さんもちょっと燃え尽きた感あるから、第五世代とかの開発は結構後になりそうだからそこは安心してもいいよ? いぇい☆」

 

「……話を戻すぞ。束、紅椿の調整にかかる時間はどのくらいだ?」

 

「織斑先生!?」

 

セシリアが抗議の声を上げた。高機動パッケージを装備すれば一方通行に次ぐ速力が出せるのだから、作戦には当然参加できるものと半ば思い込んでいたのだろう。

 

「わたくしとブルー・ティアーズなら、必ず成功させてみせますわ!」

 

「そのパッケージを今から量子変換(インストール)して調整し終わるまで目標がのんびり待っていてくれると思うか?」

 

「っ……そ、それは……。……、わかりました」

 

元々、ISの内部を調整して機能を特化させるためのパッケージをインストールするのにはそれなりの時間がかかる。更にそこからハイパーセンサーの設定やスラスター出力の調整など諸々の整備が入り、大体一時間はかかるのが普通だ。

 

作戦空域まで移動する時間を考えると、今からでは僅かに間に合わない。セシリアは自らのプライドと作戦成功の重さを天秤にかけ、潔く諦めて引き下がった。

 

「ちなみに紅椿の調整は十分で終わるよ☆」

 

「よし。では本作戦はファーストアタックが織斑と篠ノ之、セカンドアタックを鈴科が担当し、目標の迅速な無力化を目的とする。作戦開始は三十分後だ。各員、直ちに準備にかかれ!」

 

パン! と千冬が手を叩き、各々が自分のなすべきことをする為に動き始める。

 

(作戦要員からは外されてしまいましたし……モニタリング用の機材でも運びましょうか。……それにしても、実践経験皆無の箒さんをいきなり投入しても大丈夫なのでしょうか? いくら束博士が作った機体とはいえ、あまりにも―――)

 

『オルコット』

 

立ち止まって思考に耽っていたセシリアの脳内に、突然声が響いた。一瞬驚き、声の発信者である白い少年を探そうとして、すぐに思い止まった。態々個人間秘匿回線(プライベート・チャネル)を開いて通信してきているのだから、他言を憚るような内容だと瞬時に思い至ったからだ。

 

自然な動作で小型の情報端末を持ち上げながら、セシリアも回線を開いて応答する。

 

『どうされました?』

 

『オマエが言ってたパッケージ、この後すぐインストール開始できるか』

 

『……、はい。四十分あれば出撃まで可能ですわ』

 

何故、とは聞かない。

 

自らが全幅の信頼を寄せるこの少年の言を疑うことに意味がないからだ。彼が行うことには何かしらの理由があり、そしてそれが裏目に出ることはない。必ず必要になることだから、この少年は自分にこう言ってきているのだ。

 

『上出来だ。オマエはインストールが済んだら、いつでも出撃できるよォにスタンバイしてろ。他の奴らにもスタンバイしとくよォ伝えとけ』

 

『わかりました。……透夜さんは、そう(・・)なると思われますか?』

 

回線の向こう側で、僅かに考え込むような気配がした。やがて、

 

『少し調べてみたが、銀の福音の予想航路には何も目ぼしい施設や重要なモノがねェ。あるとしたらココ(・・)だが……、考えてみろ。暴走したISが、専用機持ちが集まってる二キロ先の空域をピンポイントで通過するなンざ有り得ると思うか?』

 

言われてみれば、確かにそうだ。

 

暴走と言う割に、付近の施設を破壊したり暴れまわるわけでもなく、何もない方向にただ飛んでいくだけ。しかしその航路の付近には、丁度自分達がいる。では何故真っ直ぐここに向かってくるのではなく二キロ先などという微妙な位置を通るのだろうか?

 

自分の背中に嫌な感覚が走るのを自覚しながら、物資を運び終えたセシリアは恐る恐る自分の推測を少年に伝えた。

 

『……この事件が人為的に引き起こされたものだと?』

 

『だろォな』

 

『ですが……、誰が、何のために?』

 

『…………、さァな』

 

少しの沈黙の後、少年はさもつまらなそうな調子で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どっかのバカが心底くだらねェ理由で起こした、ただの嫌がらせかもな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十七話

午前十一時二十八分。

 

うんざりするほど晴れ渡った青空の下で、三つの人影が砂浜に佇んでいた。

 

「来い、白式」

 

「行くぞ、紅椿」

 

一夏、箒がISを呼び出し、それに続いて一方通行もISを展開した。慣れ親しんだ感覚に身を任せ、展開が完了したのを確認してシステムコンソールを起動。機体の最終確認を行う。

 

(……VROS、幻月共に動作正常。イメージ・インタフェースの伝達ラグは無し。展開装甲は全てスラスター状態で正常稼働。ハイパーセンサー感度良好。……システム異常無し(オールグリーン)、と)

 

「―――しかし、私たちが居たのが不幸中の幸いだったな」

 

ふと、箒のそんな言葉が聞こえてきた。

 

「相手が軍用ISだろうと、私たちならやれる。そうだろう、一夏?」

 

「……そうだな。けど箒、これは訓練じゃなくて実戦なんだ。いつも以上に気を引き締めて―――」

 

「わかっているさ。なんだ、怖いのか?」

 

「そうじゃねぇよ。あのな、箒―――」

 

「心配するな。お前は私がしっかりと送り届けてやるから、安心して戦いに臨めばいい」

 

どうにも浮わついた様子の箒に、先程から一夏が繰り返し忠告しているのだが、暖簾に腕押しである。念願の専用機を手に入れて気が大きくなっているといったところか。さながら親からプレゼントを貰った子供だ。

 

普段の箒ならば抱くのは緊張と自信だろうが、今の箒が抱いているのは間違いなく油断と慢心。はっきり言って使い物にならない。一夏はそんな箒を放ってはおかないだろうし、実質一人で作戦を遂行すると考えた方がいいだろう。

 

しかも、プラスかマイナスかで言えばマイナスだ。何せその二人の援護に回るのは一方通行なのだから。

 

こちら側に来てからすっかり癖になってしまった大きな溜め息を吐いた直後、千冬から解放回線で通信が入った。

 

『織斑、篠ノ之、鈴科、聞こえるか。本作戦の要は一撃必殺(ワンアプローチ・ワンダウン)だ。短時間で勝負を決めろ』

 

作戦の内容は至って単純なものだ。

 

まず一夏と箒が先行して銀の福音と交戦し、零落白夜を使って短期決着を試みる。それが不可能だった場合、一分後に合流する一方通行と入れ替わって交戦。それでも撃墜出来ない場合は、三人がかりで仕留める。

 

「わかりました」

 

「……了解」

 

「織斑先生、私は状況に応じて二人の援護に回ればよろしいですか?」

 

『ああ。だが、お前はその機体を使いはじめてから一時間と経っていない。何かしらの問題が起こらないとも限らないだろうから、無理な行動はするな』

 

「了解しました」

 

落ち着いて返事をする箒。だが声音には隠しきれない喜色が滲んでおり、それが彼女の内心を如実に表していた。

 

『―――鈴科』

 

再び千冬から通信が入る。しかし今度は解放回線ではなく個人間秘匿回線を通しての連絡だった。

 

『見てわかると思うが、篠ノ之は少し浮かれている。織斑にもサポートするように言ってあるが、あいつも余裕があるとはいえん。お前が二人をカバーしてやってくれ』

 

やはり、千冬なりに一夏たちの身を案じているのだろう。作戦開始前には一方通行の実力を疑うようなことを言ってはいたが、この三人の中で最も頼れるのは彼だ。

 

言われるまでもねェ、と胸中で呟く。

 

元より、この力は誰かを守るために使うと決めている。この手の届く限り、自分の持てる全てを使って守り抜いてみせる。

 

 

 

それが、空っぽの『最強』に意味を与えられる唯一の方法なのだから。

 

 

 

『―――了解』

 

『頼んだぞ』

 

ピッ、と。

 

予め設定しておいた、作戦開始時刻を知らせる小さな電子音が鳴った。

 

『では―――作戦開始!』

 

再度切り替わったチャンネルから千冬の号令が下ると同時、一方通行の隣で砂浜が爆ぜた。砂塵が舞い上がり、視界を覆い尽くす。一夏を背負った箒が飛び上がった余波で、砂浜が大きく抉れていた。

 

ものの数秒で目標高度五百メートルに達した紅椿は、監視衛星とのリンクを確立するため僅かに動きを止めると、銀の福音の予想航路へ向けて突き進んでいった。

 

音速を超えた際に生じた爆音が、遅れて耳に届く。

 

ゴキリと首を鳴らし、ハイパーセンサーを通して後方を見る。この状況を観察しながら密かに笑みを浮かべているであろう人物に向けて、

 

(……何を考えてンのかは知らねェが、何でもかンでもテメェの思い通りにいくと思うンじゃねェぞ―――兎)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――見えたぞ、一夏!」

 

箒の声に、ハイパーセンサーを目標にフォーカスする。凄まじい速度で空を裂き飛翔していく目標IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』は、その名が冠する通り陽光を反射して銀色の輝きを放っていた。

 

データには、頭部から生える特徴的な一対の翼状多方向推進装置(マルチスラスター)が唯一の武装と記載されていたが、どういった攻撃方法を取るのかは不明だ。

 

「接触まで十秒だ。必ず仕留めろ!」

 

「わかってる!」

 

雪片弐型を握る手に力が籠る。

 

深く息を吸い込み、鋭く息を吐く。更に加速した紅椿が福音との距離をぐんぐんと詰めて行き、やがて福音を射程圏内に捉えた。

 

雪片弐型に組み込まれている展開装甲の機構が開き、青白く輝く莫大なエネルギーの奔流が溢れ出す。全ての防御を無に還す必殺の光刃と化した雪片を振りかぶり、瞬時加速を発動させて間合いを食い潰す。

 

(この一撃で―――!)

 

大上段からの斬撃を叩き込もうとした刹那。

 

 

 

福音が、こちらを向いた。

 

 

 

(ッ!?)

 

驚くべきことに、福音は全く減速していない。最高速度を保ったまま、後ろ向きに飛び続けている。ともあれ視界外からの一撃が封じられた以上、反撃の用意が整う前に勝負を決めるしかない。

 

「うおおおおおおおぉぉぉぉぉおおっ!!」

 

気合いと共に袈裟懸けに雪片を振り降ろすが、その一撃は虚しく空を切った。アクロバティックな機動で一夏の攻撃を回避した福音が、自らを脅かす『敵』を排除するため牙を剥く。

 

『敵機確認。銀の鐘(シルバー・ベル)起動。迎撃体勢に移行します』

 

感情の無い無機質な敵意が一夏を貫く。

 

時間に余裕はない。こうしている間にも、取手をひねった蛇口のように白式のエネルギーは減り続けている。再度雪片を振るうが、うねるように複雑な軌道を描く福音には焦れったい程に当たらない。

 

見れば、スラスターの末端にある多数の羽根のような部品がカシャカシャと高速で動き続けている。あの部品が別々の方向へエネルギーを放出することによって、細かな機動調整を行っているのだろう。

 

刻一刻と減っていくエネルギー。その焦り故か、一夏が大振りの一撃を狙いにいった。一度下方へと加速、直ぐ様転身して掬い上げるような斬り上げ。体の捻りを加えて斬撃の威力と速度を上げる。

 

しかし、一夏の猛攻が止んだその一瞬の隙を突いて福音が反撃に出る。

 

スラスターの装甲がスライドし、大口径の砲口が顔を覗かせた。射撃の為に翼を大きく前方へと突き出した瞬間、エネルギー弾の暴風が吹き荒れた。

 

「っおォあ!」

 

福音を狙っていた斬撃の軌道を変更し、迫り来る光弾の壁に叩き付けるように振るう。零落白夜のエネルギー刃が光弾を纏めて掻き消し、斬撃の軌道に空白が生まれた。

 

その隙間に体をねじり込み、辛うじて直撃を回避する。福音に勝るとも劣らない無茶な機動だったが、何とか無傷で凌ぐことができた一夏は内心で冷や汗をぬぐう。

 

「箒! 両側から攻めるぞ! 左を頼む!」

 

「わかった!」

 

箒との挟撃で攻めるが、福音の回避性能は桁違いに高かった。回転、加速、転身、後退の四つの動きを同時に、しかも連続して行うのだ。更に反撃まで織り混ぜてくる為に、攻撃ばかりに意識を割くわけにもいかない。

 

「私が動きを止める! 機を窺って決めろ!」

 

「応ッ!」

 

箒が間合いを詰め、雨月・空裂の二刀で猛撃を開始する。袈裟懸け、突き、横薙ぎ、斬り下ろし、逆袈裟、斬り上げ。独楽のように回転しながら途切れることの無い斬撃の応酬を繰り出す。

 

斬撃に合わせて放たれるエネルギー刃と光弾が回避の幅を狭め、更に腕部の展開装甲から生成されたエネルギー刃も福音を狙う。

 

流石に避けきれないと判断したのか、福音も防御を使い始める。

 

「せぇあああああああっ!!」

 

その防御を食い破らんと、箒が剣戟のスピードを上げる。だが、福音も大人しくやられ続けてくれる訳ではない。

 

『La……♪』

 

甲高いマシンボイスが響いた瞬間、スラスターに隠されていた砲口全てが開いた。その数三十六門。それら全てから、先程の光弾がばら蒔かれる。

 

「この程度で……!」

 

それらを掻い潜り猛攻を重ねる箒。防御を抉じ開け、回避先を潰し―――ついに、福音が隙を見せる。刹那、零落白夜を発動させた一夏が瞬時加速で飛び出した。

 

 

 

福音ではなく、海面に向かって。

 

 

 

「一夏!? 何を―――!」

 

箒の驚声を背に、一発の光弾に追い付いた一夏は雪片を振り抜く。光の粒子となって霧散する光弾。その弾道の先に、一隻の船が浮かんでいた。センサーを通して、黒人の男達がこちらを指差して何事かを喚いているのが見える。

 

おそらくは密漁船だろう。

 

だが、一夏に彼らを見殺しにするという選択肢はなかった。『全てを守る』という身に余る正義感が彼を突き動かしていた。考えている暇など、なかった。

 

雪片弐型の輝きが失われ、ただの実体刃に戻る。零落白夜を発動させるだけのエネルギーが尽きたことの証だ。そしてそれは、作戦の要が失われたことの証でもあった。

 

「馬鹿者! そんな奴らなど放っておけば―――!」

 

「箒!」

 

強い調子で箒の言葉を遮る一夏。

 

「どうしたってんだよ。お前は……俺の知ってる篠ノ之箒は、力を手にしたからって周りが見えなくなるような奴じゃないだろ。……そんな事は、言うなよ」

 

「っ、違う、私、は……」

 

何かを堪えるように顔を覆って狼狽える箒の手から、雨月が滑り落ちる。それは海面に落下することなく、光に包まれ粒子へと還った。その現象を目の当たりにした一夏の背筋が凍る。

 

(具現維持限界(リミット・ダウン)!? クソ、やっぱりあれだけの猛攻が少しのエネルギー消費ですむ訳がなかったんだ……ッ!)

 

具現維持限界が示す意味はたった一つ、エネルギー切れ。そして、そんな隙だらけの箒を福音が見逃すはずもなかった。数発で戦車をスクラップにできる程の火力を持つ光弾の、三十六門一斉射。エネルギー切れの状態でそんなものをまともに喰らって、五体満足でいられる保証は万に一つもない。

 

(間に合え……!!)

 

瞬時加速を行えるだけのエネルギーなど残っていない。箒を連れて射線から逃れようにも、あれだけ濃密な弾幕を全て避けきるのは不可能だ。だが、せめて彼女の壁になるくらいならば、今の自分にも可能だ。

 

スラスターを最大出力で噴かし、箒と福音の間に割り込もうと突っ込んでいく一夏。

 

 

 

その真横を、漆黒が通り過ぎた。

 

 

 

一瞬で箒の元へとたどり着いた『黒』は、彼女の腕を掴んで無造作にこちらへ放り投げる。慌てて減速した一夏が箒を受け止めると同時に、光弾の雨が炸裂した。

 

「―――ッ!?」

 

ドグァッッ!!! という爆発音は、衝撃波となって一夏の体を大きく揺さぶった。咄嗟に箒を庇うよう背を向けた自分に小さく称賛を送っていると、煙の向こうから声が届いた。

 

呆れたような、億劫そうな。だがそれでいて、聞くものに絶対的な安心感を与える低い声が。

 

「時間切れだ。オマエらは大人しくすっ込ンでろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一分で既に満身創痍の二人を見て、一方通行は軽く息を吐いた。

 

(元々期待はしてなかったが、撃墜されてねェだけマシか。……にしても、敵の目の前で何してやがったンだコイツらは)

 

『新たな敵機を確認。早急な撃破を最優先に』

 

福音の敵意が、突如乱入した一方通行に移った。ふわりと後退し、翼を大きく広げる。それが一斉射撃の予備動作だということを知っている一夏は、思わず叫んでいた。

 

「鈴科! さっきのやつが来るぞ! 弾種は爆発弾、砲口は三十六っていう規格外の数だ! しかも連射性能が―――!」

 

「オイオイ」

 

呆れたような声音だった。

 

まるで教え子の不出来を嘆くような調子で一夏の言を一蹴する一方通行。その周囲に、青白いエネルギー球が出現した。夜叉の特殊射撃武装『幻月』によるものだ。だが、数は福音の三十六に対してたったの十。

 

(……ダメだ。いくら鈴科でも侮りすぎ―――)

 

「規格外っつーのはな」

 

一方通行の呟きが、一夏の思考を遮った。

 

 

 

 

「こォいうのを言うもンだぜ」

 

 

 

 

ズァアアア……ッ!!と。

 

彼の周囲に浮遊するエネルギー球が、凄まじい勢いでその数を増やしていく。留まるところを知らずに増加し続けるそれは、軽く見積もっても百は超えている。

 

あまりの光景に言葉を失う一夏。胸の中で身じろぎして一夏から離れた箒も、眼前で展開されている光景を見て目を見開いていた。

 

そして、福音も。

 

システムに『恐怖』や『畏怖』がプログラムされていたとでもいうのだろうか。己の矮小さを痛感させられるような圧倒的物量を前にして、呆然と立ち尽くしているようにも見えた。

 

キュバァアッッ!!!!

 

空を灼く爆音と共に、無数の光線が福音に殺到する。

 

次いで、先程のものとは比べ物にならない轟音と衝撃波が撒き散らされた。直撃の瞬間に福音自らも光弾を放って幾らか相殺したようだが、あまりにも数が多すぎた。点や線という小さなものではなく空間そのものを圧し潰されては、自慢の回避性能も生かし切れない。

 

とはいえ、相手も軍用ISだ。シールドエネルギーの上限はかなり高く設定されているだろうし、そもそもが持久戦に耐えうるように設計されているのだ。これだけで戦闘不能になることはあるまい。

 

一方通行の思考に応えるように、黒煙を突き破って福音が姿を現す。スラスター装甲の一部が剥がれ落ちているものの、本体がダメージを受けた様子はない。

 

(……翼で自分を包ンで被害を最小限に留めたか。器用なコトしやがる)

 

もう一度斉射を行うつもりなのか、再び福音が翼を広げた。あの翼から放たれる光弾は確かに強力ではあるが、夜叉の機動性能なら避け切るのはそれほど難しくない。次の反撃で墜とせるだろう。

 

砲口が煌めいた。

 

夜叉のハイパーセンサーが弾道を読み、最も弾幕が薄くなる場所を弾き出す。その計測結果を見た一方通行の眉が訝しげにひそめられた。

 

光弾の数は変わらないものの、先程の斉射よりも密度が薄い。これではどうぞ避けて下さいと言っているようなものだ。何か策があってのことかと思っていたが、単純に面制圧を重視した結果綻びが生まれただけだろう。

 

余裕を持った動きで回避行動を取る一方通行。しかし次の瞬間一気に加速し、態々自分から当たりにいくような格好で光弾の弾道にその身を晒した。

 

VROSを発動させ、明後日の方向に光弾を弾き飛ばす。

 

「……チッ。そォいうコトかよ」

 

そう。

 

今の射撃は、彼を狙ったものではない(・・・・・・・・・・・)

 

福音の狙いは、今しがた一方通行が庇った一夏たちだった。

 

最初に一方通行が福音の攻撃を防いだ際、箒を庇ったことを福音は記憶していたのだ。そして『箒や一夏を攻撃すれば一方通行は必ず防ぐ』という計算結果のもとに射撃を行った。一方通行を直接攻撃するのは難しいと判断し、その周囲を利用して間接的に削っていく。

 

システムが導き出した方法にしては、あまりにも人間らしい戦法。創造主たる人間の思考をトレースでもしているのだろうか。

 

どォでもいいか、と一方通行は切り捨て、瞬時加速を発動させる。ゴァ!! と一瞬で最高速度に達した一方通行が福音に肉薄する。幻月を警戒しているのか、福音も小刻みに機体を左右へ振るようにしながら加速して躱す。

 

滑らかな曲線軌道でうねるように逃げ続ける福音と、鋭角的な直線軌道で最短コースを追う一方通行。そうしながら、片や光弾をフレアのようにばら蒔き追撃を妨害し、片や回避先を狙って牽制の光線を放つ。

 

だが、その追いかけっこ(ドッグファイト)も長くは続かなかった。

 

(チッ、ちょこまかと面倒臭ェ!!)

 

一方通行の姿が掻き消えた。

 

直後、鳴り響く金属音。

 

どういう風にベクトルを操ったのか、VROSを発動させた一方通行の速度が一瞬だけ爆発的に加速し、逃げ続けていた福音に組み付いていた。いきなり横っ腹に強烈な衝撃を受けた福音の進行方向がねじ曲げられ、両者は錐揉み回転しながら海面へと落下していく。

 

入れ替わり続ける視界の中で、一方通行が右腕を伸ばした。

 

福音の翼は、砲撃と機動を兼ねる大型のものと姿勢制御に使用する小型のものがそれぞれ一対。小型のものは肩甲骨の辺りに、大型のものは側頭部に接続されている。

 

狙いはそこだ。

 

付け根の部分を掴み、左腕で福音の頭部を掴んで固定した。

 

ベギビキキバギッッ!!! という怪音が鳴り響いた。

 

ベクトル操作によって強化された彼の腕が、福音の翼を無惨に破壊していく音だった。装甲を砕き、人工筋繊維を切断し、束ねられたケーブルを引きちぎり、エネルギーバイパスを分断する。銀色の破片を撒き散らして、福音の左翼が根本からもぎ取られた。

 

しかし、機械に痛みはない。

 

仮に痛覚が通っているならば発狂しかねない程のダメージを受けても、なおも反撃に移ろうとする福音。無事な右翼を使い、ゼロ距離で光弾をぶちこもうとする。

 

それが放たれるよりも早く、引きちぎった福音の左翼を掴んだまま、一方通行が右腕を振り抜いた。アルミ缶を踏み潰す音を何千倍にも増幅させたような轟音と共に、左翼の残骸が今度こそ木端微塵に砕け散る。

 

当然、その莫大な運動エネルギーを叩き付けられた右翼もただではすまなかった。あまりの衝撃によって内部機構に不調を来たしたらしく、あの幻月の射撃を受け切った翼でさえもその機能を停止させた。

 

『ガ、ギっ―――エネルギーの急速な低下ヲ確認。早急ううナ、脱出―――を』

 

抵抗する術を失った福音の喉を絞め上げ、絶対防御を発動させる。後はこのままエネルギーが枯渇するのを待つだけでいい。少々手こずったものの、やはり敵ではなかった。フルフェイスのバイザーが明滅したのを最後に、福音から全てのエネルギーが失われーー

 

 

 

 

 

 

 

ズドォォオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!

 

 

 

 

 

 

莫大なエネルギーの奔流が、福音を飲み込んだ。

 

喉笛を掴んでいた右腕に激痛が走る(・・・・・)

 

「ッ!?」

 

弾かれたように後退し、右腕を覆う白煙を振り払うと、ISアーマーに保護されていない肘から肩にかけてが火傷のように赤く爛れていた。

 

今の彼は『反射』を適用していない。不測の事態で能力が露見するのを防ぐためであるのと、純粋に必要がなかったからだ。久しく感じることのなかった、ドクンドクンと脈打つように送られてくる激痛が一方通行の警戒を否応なしに引き上げる。

 

(……絶対防御が作動しねェ? イヤ、純粋に絶対防御を突き破るぐれェの火力ってコトか!)

 

触れるだけでダメージを受ける高エネルギーに身を包み、胎児のように体を丸める福音。

 

強固な殻に包まれていた『雛鳥』が羽ばたいた。

 

轟!!! と、福音の全身から、光が吹き荒れた。失われた左翼から新たな翼が生え、残されていた右翼の残骸を食い破って光の翼が現れる。先程までの機械的な翼ではなく、『天使の翼』と称するのが一番しっくりくるような、そんな生物的な外見だった。

 

しかし変化はそれだけに止まらず、補助翼も光の翼に『生え変わる』。手から、脚から、場所を問わず大小様々な光翼が次々と生成されていく。最早福音から翼が生えているというよりも、翼の群れに飲み込まれていると表現した方が適切だった。

 

一夏も、箒も、一方通行でさえも。理解の範疇を越えた進化に、動くことすらままならないでいた。

 

いっそ神々しさすら感じさせる光翼を悠然と羽ばたかせ、福音がゆっくりと顔を上げた。皹割れたバイザーの奥に、確かな殺意が揺らめいていた。

 

破壊の天使が、吼える。

 

『キィィィィィィイイィイイアアアアアアアアァァァァァァァァァアアアアアアァァァァアアア!!!!!!』

 

ビリビリと大気を震わせ、本能に直接危険を叩き付けるような咆哮を受け、ようやく思考が再起動する。だが、福音の変化に対して具体的な行動を起こすにはあまりにも遅すぎた。

 

 

 

 

ドッッッ!!!! と、閃光が爆発した。

 

 

 

 

 

福音を中心として、360度全方位に光弾の雨が放たれた。内包されたエネルギーは、一発でも受けてはならないと一目で感じ取れる程の高出力。光弾はまず、至近距離に位置していた一方通行に牙を剥いた。

 

「チィッ!!」

 

咄嗟にVROSを展開し、降り注ぐエネルギー弾の暴風雨を弾き返すことには成功した。だが、そのせいで残りのエネルギーをごっそりと持っていかれてしまう。VROSは操るベクトルの大きさに応じてエネルギーを消費するため、今の攻撃は本来ならば回避するのが最良の方法だったのだが、密度が桁違いだった。

 

―――そこで、一方通行は気が付いた。

 

自分はVROSで福音の攻撃を防いだ。

 

それはいい。

 

では、

 

受ければ致命傷になりかねないその攻撃を、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夏と箒は、どうやって防いだ?(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――、」

 

呼吸が止まる。

 

後ろを振り返る。

 

ハイパーセンサーで見ることができるはずなのに、そうしなかったのはそこまで気が回らなかったからか。

 

そうして振り向いた一方通行の眼に映ったのは、

 

 

 

 

泣き叫びながら手を伸ばす箒と。

 

 

 

 

グシャグシャになって落下していく一夏だった。

 

 

 

 

 

ぞわ……ッ!!!! と例えようのないナニカが全身這い上がり、心臓を握り潰されたような感覚を得た。内臓が全部ひっくり返ってしまい、吐瀉物を噴き出すのではないかと思った。

 

「……ッ!!」

 

グラグラと揺らぐ眼球でその光景を捉え、守りきることの出来なかった『大切なもの』にフラフラと手を伸ばし、

 

「―――クソったれがァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

胸の内から沸き上がってきた衝動を抑えることもせず、そのまま全力で喉から迸らせた。

 

守れると思っていた。

 

失うことはないと思っていた。

 

心のどこかで安心していた。

 

自分には能力があるから、他人より力を持っているから。そんな下らない、慢心と呼ぶことすら烏滸がましい程の傲慢が、笑いながら一方通行の前でまた『奪った』。

 

あの時、無理矢理にでも自分一人で出撃していれば。

 

自らの能力が露見するのを恐れ、保身に走った結果、取り返しのつかない結果を招いてしまった。

 

「―――篠ノ之ォおおおおお!! 織斑を連れて花月荘まで撤退しろッ!! 全力で、全速でだ!!」

 

「だ、だがお前は―――」

 

「ゴチャゴチャ言う暇があったら動け!! テメェも織斑の二の舞になりてェのか!?」

 

有無を言わせぬ一方通行の叫びに、何かを言おうとしていた箒は口をつぐんで一夏を抱えると、花月荘へ向けて飛翔し始めた。だがエネルギー切れが響いているのか、その速度は酷く遅い。

 

その時、一方通行の個人間秘匿回線に通信が入った。

 

出撃準備を終えたセシリアからだ。

 

『―――全員出撃()せ!! 今篠ノ之が織斑を連れてそっちへ向かってる!! 花月荘まで連れ帰れ!!』

 

『っ、了解しました! ですが、透夜さんはっ!?』

 

回線を繋ぐや否や出された指示に、セシリアは迅速に従った。彼女たちなら、福音の流れ弾にも少しは耐えられるだろう。

 

『……追加で指示だ。絶対に、何があっても加勢なンざ来るンじゃねェぞ』

 

『透夜さ―――』

 

通信を遮断する。

 

これで良い。

 

これで彼女たちまで犠牲になることはない。

 

もう、これ以上はたくさんだ。

 

ガギリと奥歯を砕けそうな程噛み締めて、福音に向き直る。

 

科学によって生み出された人工の天使が咆哮を上げていた。それに呼応するかのように、光の翼がその輝きを増す。それは、まるで殺戮の喜びを表しているかのようでもあった。

 

赤い瞳にかつてないほどの激情を宿した純白の超能力者(レベル5)は、謳うようにポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ブチ、殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十八話

一方通行の中で、何かが吹っ切れていた。

 

能力が露見する?

 

他人から恐れられる?

 

今の生活を失う?

 

どうだっていい。

 

そんなことはもう、本当にどうでもいい。

 

能力が守れるのは自分だけだ。一方通行の周囲が傷付いても、彼には絶対に傷一つつかない。

 

だから、そんな自分を変えると決めた。

 

自分だけでなく他人も守ると誓った。

 

だが、結果はこれだ。

 

最後の最後で自らの保身を優先して『自分を守った』結果、『周囲にいた』一夏が傷付いた。

 

同じだ。

 

学園都市とこちらとで、一方通行の在り方はまるで変わっていなかった。

 

口先だけなら何とでも言えた。誓うだけなら簡単だった。だが心の奥の『拒まれたくない』という気持ちがブレーキをかけ、彼の判断を鈍らせていた。

 

自分が傷付くのを拒んだ結果、他人が傷付き倒れていく。ならば、自分が全ての傷を受け入れればいい。この身を犠牲に、他人が受けるはずだった傷まで飲み込んでしまえば、もう何も奪われないはずだ。少なくとも自分の周囲から何かが消えることはないはずだ。

 

心の奥のブレーキをぶち壊す勢いで溢れ出した激情の奔流が、そのままトリガーとなって一方通行の体を突き動かす。

 

(やってやる。俺のコトなンざどォだっていい。万人に蔑まれよォと、例えアイツらから拒絶されたって構わねェ!! )

 

夜叉のエネルギーは残り一割程度だが、一方通行はお構いなしに幻月を起動させる。残りエネルギーとスラスターエネルギー、夜叉が持つ全てのエネルギーを転換した最大威力の幻月が青空を蹂躙した。

 

夜空を彩る流星のように、破壊の雨が降り注ぐ。

 

対し、福音はこれを迎え撃つ格好を見せた。光翼を自らの体に巻き付け、勢いよく回転しながら翼を開き、病的なまでに白く輝く光弾を無数に撃ち出す。

 

威力は互角、弾数は僅差。

 

ゴゴォォォオオオンッッッ!!!!

 

高密度のエネルギーがお互いを食い破り、腹の底まで響き渡るような強烈な爆発が大気を揺るがした。

 

全てのエネルギーを使いきった夜叉から力が失われ、その機体が光へと還る。

 

だが、

 

それがなんだというのだ。

 

一度目を閉じ、頭の中のスイッチを意識的に切り替える。ISを通して劣化させるのではなく、純粋に彼本来の力を振るえるように。

 

こちら側の科学の結晶がISだと言うのならば、これはあちら側の科学の結晶。忌々しい呪いにも似た、全てを叩き潰す暴虐の象徴。

 

 

 

ベクトル操作能力『一方通行(アクセラレータ)』。

 

 

 

 

たった一人で軍隊を壊滅させる怪物が。

 

学園都市最強の超能力者(レベル5)が牙を剥く。

 

 

 

 

 

ゴッッッ!!!! と暴風が吹き荒れた。

 

その正体は、巨大な竜巻だった。周囲を流れる風のベクトルを操り、破壊的な自然災害を容易に作り出した一方通行は、それを己の背へと接続する。竜巻が持つ膨大なエネルギーを、そのまま推進力に変換する。

 

四本の竜巻を烈風の翼に変えて、一方通行が飛び出した。

 

対する福音の反応は早かった。先程同様、翼を巻き付け回転しながら放つ全方位同時射撃。無数の青白い光弾が一方通行に殺到する。だが、直撃する寸前でそれらは全て弾かれ見当違いな方向へ飛んでいく。

 

「―――しゃらくせェ!!」

 

絶対防御を突き破る攻撃だろうが、『反射』を適用させた彼には届かない。銃弾もレーザーも斬撃も打撃も爆発も放射線も毒ガスも、彼に傷を負わせることなど出来はしない。実際のところ、核ミサイルですら彼の前では無力な花火に成り果てるだろう。

 

爆発で周囲の酸素が奪われたりすればまた話は別だが、単純な『攻撃力』だけで彼の反射の壁を突破することは叶わない。この能力はあらゆる攻撃を跳ね返す最強の盾となり―――また、有象無象を薙ぎ払う最強の矛となる。

 

能力の性質上『一方通行』は周囲に何もない状況での戦闘に向いているとは言えない。だが、向いていないことが戦えないこととイコールではないのだ。

 

弾幕などお構い無しに突き進んだ一方通行が右腕を振るう。風速一二〇メートルにも達する爆風の塊が生み出され、砲弾となって福音を狙う。続けてもう一発、今度は下方に向けて放ち、盛大な水柱を立ち上らせた。

 

ウォーターカッターというものは、水に研磨剤や微粒子を混ぜたものを高圧で放射して対象を切断する。強力な水鉄砲を間近で受ければ痛みを感じるように、水というものは高い殺傷力を持つ。それと同じことだ。

 

舞い上がった水滴に向けて、竜巻の翼を振るう。

 

ドッパァ!!! という轟音が響き、無数の水滴が福音に向けて放たれた。莫大な運動エネルギーを叩き付けられた水滴は、最早ショットガンの連射よりも凶悪だ。当然直撃すれば痛いどころの話ではない。言うなれば、鉄板ですらも穴だらけにする水鉄砲だ。

 

最初の爆風を下方へと加速して避けた福音が更に加速した。両手両足、計四ヶ所同時着火による瞬時加速だ。そのまま光翼を自分に巻き付けて本体ごと回転を始める。翼の先を前方へ向け、被弾面積を極端に減らした姿はまるで光り輝く弾丸。

 

巨大なライフル弾のようになった福音が、水の弾幕を突き抜けた。いくら威力があっても、いくら速度があっても水は水。高エネルギーの集合体である光翼と真っ向からぶつかり合えば蒸発してしまう。

 

システムによって導かれた手段。人の心を介さない故の、最適な方法。だが、人の心を介さない故の弱点も当然持ち合わせていた。

 

それは、『未知』に対する対応。

 

眼前の敵に、射撃では効果を与えられないと判断した。そこまではいい。しかし、福音は知るよしもないことだが、その現象を『跳ね返された』と捉えずにただ『効かない』と大雑把に括ってしまったのは失敗だった。

 

光翼を鋭く尖った形状へ変化させ、一方通行を切り刻むために距離を詰める。一方通行も加速し、真っ正面から福音とぶつかり合った。福音が翼を振るい、一方通行が拳を振るう。

 

結果は明白だった。

 

光翼が一方通行の拳に触れた瞬間、ぐにゃりと形を歪ませて爆ぜた。高エネルギーだろうが未知の進化だろうがなんだろうが、その現象の根幹が『科学』に基づいている以上彼に干渉出来ない道理がなかった。

 

全ての(しがらみ)から解放された最強の超能力者(レベル5)は今、かつてないほどの感動を味わっていた。自分のことを後回しにして他人の為に戦うことが、こんなにも気持ちのよいものだったのか、と。なるほど確かに、織斑が豪語するだけの価値はあるのかもな、と。

 

ゴッキィィィィイイ!!!! という轟音。

 

流星のような速度で放たれた一方通行の回し蹴りが、翳された腕ごと福音の脇腹に炸裂した。砕け散る装甲。M7クラスの竜巻四本分という莫大な運動エネルギーを一身に受けた福音が、高飛び込みよろしく海面へと叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花月荘、風花の間。

 

一際大きな投影型ディスプレイには、監視衛星を通じて撮影されている映像が映し出されていた。無論、現在も数キロ沖合いで戦い続けている一方通行と福音のものだ。

 

そこには、異常な点が一つだけあった。

 

異様な進化を遂げ猛威を振るう銀の福音―――ではなく。ISを展開しないまま、その怪物と互角以上に渡り合う白い少年だった。

 

どういう理屈で何をどうやっているのか、その背中には竜巻のようなものが接続されている。そして、彼の機体『夜叉』の特殊武装、VROSのようにあらゆる攻撃を跳ね返していた。肝心の夜叉は展開されていないのにも関わらず、だ。

 

しかし、その場にいる誰もがその異常を指摘しない。否、指摘できない。眼前に映し出されている現実離れした光景を脳が処理し終わっていないのか、はたまた単純に触れてはいけない何かを感じているのか。

 

それでも流石と言うべきか、一番始めに再起動を果たしたのは千冬だった。

 

「……何だ、アレは」

 

当然、その問いに答えられるものはいない。

 

千冬のすぐ側で一方通行のバイタルデータや機体状況をモニタリングしていた真耶も。代表候補生であるセシリアも、鈴音も、シャルロットも、ラウラでさえ答えることは出来なかった。

 

一方通行の命によって出撃し箒と一夏を回収した専用機持ち達は、当然無断行動を見咎められた。ひとまず一夏に応急処置を施し、千冬から叱責を受けるというところで、一方通行の機体反応が消失したのだ。

 

もしや撃墜されたのかとデータを見直してみれば、そこには想像の範疇を越える光景があった。

 

「山田先生……鈴科の機体状況は」

 

「……………………、えっ!? あっ、は、はい!」

 

未だに思考が追い付いていない真耶は、千冬の言葉が自分に向けられたものだと気付くまでに数秒の時間を要した。無理もない。千冬自身、何のために真耶に指示を出したのかわかっていないのだから。

 

「……シールドエネルギー、スラスターエネルギー共に枯渇。絶対防御分のエネルギーも残っていません。現在は全システム休止状態で待機状態に入っています……」

 

そう報告する真耶も、自分で言っている事と映し出されている映像が合致せずに混乱しているのだろう。そうか、と呟いた千冬は視線をディスプレイに戻して、

 

「……ISの機能が停止した時にのみ発動する単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)か? それとも、発動させたから機能が停止したのか? どちらにせよそんな能力は聞いたことがないが……そもそも、あいつの機体は二次移行(セカンド・シフト)していたのか?」

 

「……福音との戦闘によって発現したっていう可能性はないの? あんだけの相手なら、戦闘経験値なんてどんだけのもんかわからないわよ」

 

「あるかもしれんな。だが師匠程の技術を持っていて、今まで発現しなかったというのも妙な話だが……」

 

「……使わなかったのではなく、使えなかったとしたら話の辻褄は合うかもしれませんわ」

 

「で、でも、こんなに多彩なことができる能力なんて本当にあるの!? 単一仕様能力って、ひとつの事象に特化したものなんでしょ!?」

 

自分たちの知る常識の枠に何とか当てはめてみようとするが、どれも正解に辿り着いているとは思えなかった。その中で、唯一核心を突いた答えを導き出した者がいた。

 

(……では、何か)

 

織斑千冬。

 

だが、その答えは自分でさえ信じられないものだった。

 

(アイツは、一切ISの補助を受けずにあれ(・・)を巻き起こしているとでも言うのか?)

 

セシリアから聞いたところによると、彼は「絶対に加勢に来るな」と言っていたらしい。だが、これでは逆だ。加勢に行かないのではなく、行きたくても行けない。スケールが違いすぎる。福音も彼も、ISとか常識とかそういう枠をとうに越えてしまっている。

 

誰もが何をどうしていいかわからないまま、ディスプレイを見守ることしか出来ない中で、千冬は思い当たる。唯一この事態を説明することが出来るのならば、彼女以外に居るまい。

 

無言で視線をずらしたその先には、一人の天災がいた。

 

楽しそうに、心の底から楽しそうに、もう楽しくて楽しくて仕方がないといった様子でディスプレイを眺める一人の天災が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶつかり合うたびに海水が爆ぜ、大気が震える。

 

変化を遂げた福音との戦闘が開始してから十分が経過していた。押しているのは間違いなく一方通行だが、福音を無力化するまでの決定的な一撃が叩き込めていない。

 

あの機体を、原型を留めないレベルまでグシャグシャに叩き潰すのは然したる労力ではないのだが、中に人が乗っている以上そうはいかない。あくまでも優先順位は『無傷での救出』だ。

 

何度目かになる激突の後、一度下がって距離を取る。

 

(……何度も何度も生え変わりやがって。残りエネルギーはどンぐれェだ? チッ、こォいう時にISがありゃあ便利なンだがな)

 

激突の度に福音の翼を消し飛ばしているのだが、すぐにまた新たな翼が生えてくる。まるでプラナリアだ。当初の予定では、翼を全て消し飛ばした後でシールドエネルギーを削り取るはずだったのだが、こう何度も再生されてはキリがない。

 

一方通行は自らの右手に視線を落とした。

 

あの厄介な光翼を無力化出来る方法があるにはあるのだが、上手くいくという確証はなかった。なにしろ、こういう使い方をするのは初めてなのだから。スポーツの試合で、ふと思い付いた技で決勝点を取りにいくのにも等しい。

 

加えて、大きすぎるリスクが彼の身に降りかかるのだが、その点に関しては全く考えなかった。自己犠牲など今更何をためらう必要があるのか。

 

ふと、福音が攻撃を仕掛けてこないことに気が付いた。見れば同じように距離を取り、何かを喋っているらしい。怪訝な表情で片眉を吊り上げた一方通行は、音、つまりは空気震動のベクトルを操り福音の音声を拾う。

 

『―――までの戦闘記録から、現在の武装では高い効果が見込めないと判断し、直接的な攻撃を一時中断。先程の戦術が有効であると判断し、目標の周囲を検索』

 

「……あァ?」

 

嫌な予感がする。

 

先程の戦術。高い回避能力とVROSを駆使する一方通行を、間接的な攻撃で削ろうとした戦術のことか。

 

つまりは、

 

 

 

『対象名「白式」並びに「紅椿」の機体反応を感知。対象への攻撃が最も効果的だと判断します』

 

 

 

「―――大当り(ビンゴ)かよクソが!!」

 

その音声を聞き取った瞬間、一方通行は全力で福音目掛けて飛び出していた。砲弾のように迫る相手に対し、福音は全く見当違いな方向へ向けて爆発的に飛翔する。情報がなくとも解る、その方向には花月荘が、一夏たちが居る。

 

躊躇っている暇などない。

 

相手が此方から意識を外しているのならば好都合だ。

 

バォ!! という爆音が生じ、一方通行の体が更に加速する。背中の翼を激発させ、花月荘へ向けて飛翔する福音の背に着地―――最早着地というよりは着弾だったが―――する。刹那、見えざる手に叩き落とされたようにガグン、と福音の進行方向がねじ曲げられた。

 

ベクトルを操り、直下海面へと落下する一方通行はその右手で福音の頭部を掴んだ。目を閉じ意識を集中させ、能力を一点に集約する。

 

彼が行おうとしていることは単純だった。福音の機能を完全に停止させ、内部の操縦者を無傷で救出するための最適な方法。すなわち、

 

 

 

 

 

福音への直接干渉(ダイレクトクラック)

 

 

 

 

 

ISは操縦者の生体電気信号を受けとることによって各部を稼働させている。それを逆手に取り、能力を用いて内部へ侵入、福音のシステムそのものを停止させようというのだ。

 

だが、他人の生体電気を操ってISへの干渉を行うなど正気の沙汰ではない。一歩間違えれば操縦者の神経系を根こそぎ使い物にならなくしてしまう上に、複雑に入り組んだ電子の迷宮を突破できるのかもわからない。たった一度の些細なミスが、どれだけの被害に繋がるか想像も出来ない。

 

しかし、一方通行は臆しない。

 

仮にも最強を名乗っていたこの自分が、今更その程度のミスを恐れるものか言わんとばかりに。

 

装甲表面のすぐ下を流れる生体電流の流れを掌握し『向き』を掴む。更にそこから周囲の『流れ』を予測演算し、福音のシステムに侵入。機体全体を稼働させているメインシステムへと辿り着いた。

 

後はこれをハッキングして、機能を奪ってやればいい。

 

(……コマンド実行。ハッキング開始!!)

 

命令を送る。能力を発動させる。稼働データを逆算し、白紙に戻して命令系統をダウンさせるべく、演算領域全てをフル稼働させる。自らを蝕もうとしているものに気が付いたのか、福音の飛翔速度が目に見えて遅くなる。

 

『警告。機体システムへのハッキングを検知。カウンタープロテクト起動。内部情報の保護並ビに侵入経rノ逆算んンンを開始lyrしまsう』

 

体内の異物を排除しようとするが、一方通行の演算速度の方が圧倒的に速い。ザァ!! と触手が広がるように、全てのカウンタープロテクトを起動される前に潰し、重要なシステム群を正確に停止させていく。

 

それでも、未だに解明されていない技術やブラックボックスであるコアの構造が絡む箇所もあるため、予想外に手間を取られる。いつの間にか『反射』を適用させる余力すら無くなり、福音にしがみつくようにしてハッキングを続ける一方通行。

 

『警告。kkkkけいコく。当機たイはハッキングowをrv受けkhfviozqてiiiii』

 

壊れた機械のように音声を発するが、それも最早意味のないものへと変わり果てていた。福音の機能が確実に奪われていっている証拠だ。

 

いける、と確信する。

 

しかし、

 

「―――ォ、アッッッ!?!?」

 

グァ!! と突如視界が激しく入れ替わり、内臓を丸ごとシェイクされるかのような強烈な吐き気が襲った。システムに異常を来した福音が、混乱した命令系統によって暴れ始めたのだ。当然、それにしがみついている一方通行も同じく激しく揺さぶられる。

 

しかし、現在の一方通行は反射を使えない。

 

自らを保護するための反射に演算能力を割けば、ハッキング速度が低下し福音が花月荘へと到達してしまう可能性が出てくる。

 

絶対防御に守られている福音の操縦者と違い、生身の状態でその負荷を受けなければならない。高速で動き回るのではなく、暴れる酔っ払いのような動きだったのが幸いだが、それでも体内をメチャクチャに掻き回されているのだ。能力が無くてはそこらの高校生にも劣る程度の運動能力しか持たない彼が耐えきれるハズがない。

 

(―――ゥオ、ックソが!! このままじゃ先に俺が潰れちまう。……考えろ。福音の脅威を取り除く方法で、尚且つ俺の意識を最低限繋ぎ止められるレベルの演算領域を確保できる妥協案は)

 

既に眼球へ送られる血液が足りなくなってきているのか、視界の隅が黒く侵食されていく。そんな視界の中で、彼はあるものに目を留めた。

 

頭部から生える、危険な輝きを放つ一対の翼に。

 

(―――福音の主武装兼メインスラスターはこの翼。ならコイツさえ奪っちまえば!!)

 

福音のメインシステムから武装システムへとハッキングの対象を変更し、余剰演算領域を自らの生命維持へと回す。血流のベクトルを操り、体を押さえ付ける強烈なGによるブラックアウトを防ぐ。生体電流を操り、三半規管と自律神経系の調子を無理矢理正常に戻す。

 

それでも反射を復活させるまでには至らず、全身を叩く風圧に振り落とされそうになりながらも必死で食らいつく。

 

その時。

 

福音が、翼を大きく羽ばたかせた。出力の低下によって逸れそうになっていた軌道を修正するためだろう。一方通行のハッキングによって、その輝きはかなり弱いものになっている。

 

突然福音が動いたため、それにしがみつく一方通行もバランスを崩してしまう。自分を引き剥がそうとする福音の手から逃れるように位置取っていた場所から、大きく体がはみ出してしまう。

 

福音の手が彼を捉えた。

 

ハッとして振り払おうとした瞬間。

 

 

 

 

 

 

湿っぽい音が生じ、二の腕から先が握り潰された。

 

 

 

 

 

「ごォァァァァァァアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?!?!?」

 

そのまま、潰れた腕を捻り切るように引き千切られる。千切られた粘土のような傷口から噴水のように鮮血が溢れ出し、福音の装甲を真っ赤に染め上げた。

 

最早痛みではなく熱さ。

 

僅かでも気を抜けば気を失ってしまいそうになる程の激痛が脳を灼く。顎が砕けるのではないかと思うほどに歯を食い縛り、使えなくなった左腕の代わりに両足をより強く絡ませ、絶対に振り落とされぬよう体を固定する。

 

急速に血液が失われたせいか、視界が一気に暗くなる。

 

ハッキング終了まで残り9秒。

 

生命維持に回していた演算領域までハッキングに使用する。出血多量に加えて再び襲う過負荷に意識が朦朧とするが、気力で繋ぎ止め演算を加速させる。

 

(―――頼、む。……間に、あ―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

ふっ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方通行の全身から力が失われた。

 

動力が切れた人形のように福音から滑り落ち、海面へと落下していく。

 

鬱陶しかったハッキングが止んだことによって、自由になった福音が咆哮を上げる。その機械音声には明確な『怒り』が滲んでいた。落下していく一方通行を始末するべく光翼を向け―――一際強く輝いた瞬間、跡形もなく霧散した。

 

一方通行が意識を手放すのとコンマ数秒の差で、ハッキングは成功していた。

 

―――まだだ。

 

彼女(・・)を守る為には、あの人間を排除しなければならない。全ての脅威を排除しなくてはならない。彼女を脅かす存在を、全て―――

 

一方通行を追うように海面へと落下していく福音。その腕から僅かな光が零れ、白い少年に向けられる。

 

『対象を排除します。対象を排除します。対象を排除します。対象を―――』

 

「―――させるかぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!!!」

 

刹那。

 

光刃が閃き、福音の胴を薙いだ。

 

一条の流星となって駆け抜けたのは、二次移行(セカンド・シフト)を果たした白式第二形態『雪羅(せつら)』を纏う一夏。その手には、零落白夜の輝きを放つ雪片弐型が握られていた。

 

大型化した四基のウィングスラスターを持つ雪羅は二段階瞬時加速(ダブル・イグニッション)が可能になっている。福音の最高速度すら凌駕する加速力をもって、全開の零落白夜を放ったのだ。

 

防ぐ術もなくまともに一撃を食らった福音のバイザーから光が消え、機体が量子に還る。操縦者であろう金髪の女性が虚空に投げ出されるが、続いてやってきた鈴音が危なげなく受け止めた。

 

それを確認した一夏は下へ視線を向け、目に入った光景に激しく歯噛みする。

 

涙を流しながら呼び掛けるセシリアの腕には、全身を赤く染めた少年が抱かれている。あるはずのもの(左腕)はなく、無惨な傷口を晒したまま眠るように気を失っていた。

 

 

 

午前十一時五十七分―――

 

 

 

後に『福音事件』と呼ばれるこの騒動は、一人の少年の犠牲と共にその幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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二十九話

「―――、」

 

気が付けば、見知らぬ空間に佇んでいた。

 

白い立方体を敷き詰めて無理矢理平らに均したような歪な大地を、無機質な輝きを放つ白い太陽が照らしていた。見渡す限り何もない、果てしなく続く虚構の世界。

 

服装はIS学園の制服。いつもと違う箇所があるとすれば、夜叉の待機状態である黒いチョーカーが首からなくなっていることだった。常につけていたものがなくなった違和感を感じながら首を擦っていると、不意に背後に気配が生まれる。

 

緩慢な動作で振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。歳は十歳程度だろうか、腰まで届く濡羽色の黒髪に黒曜石のような黒い瞳。漆黒と表現するのが相応しい黒のワンピースを身に纏っていた。無表情で佇む黒い少女は、キャンパスに落とした墨汁のように白い世界で浮き彫りになっていた。

 

「……正直、眉唾モンだと思ってたンだがな」

 

自分とは対極的な少女を眺めながら、一方通行がポツリと呟いた。

 

「467個のISコア其々に自我があって、操縦者との同調率が高まると深層心理での接触が起こる……。オマエが『夜叉』のコアってコトで良いンだな?」

 

彼の言った通り、全てのISコアには自我があるとされている。『されている』というのも、確認できた事例が極端に少ないからだ。二次移行が起こる前提条件がこの『コアと接触すること』だと言われているのだが、二次移行を果たした機体は世界でもまだ数機しかいない。

 

長い間ISに乗り続けても二次移行が起こらない操縦者もいれば、短期間で二次移行を果たした者もいる。もしかしたら特定のコアだけが接触可能なのか、それとも操縦者の資質なのか。全ての条件が一定でないために、データの取りようがないのだ。

 

一方通行自身、以前束から聞かされたときには半信半疑だった。機械に自我が芽生えるなどお伽噺の世界ではないのかと。だが実際こうして対面してしまった以上信じざるを得ない。

 

少女はこくりと頷いた。

 

「肯定。私はコアNo.051、登録機体名『夜叉』」

 

「……、『私』ねェ。随分とまァ人間味のあるAIだな」

 

「否定。AIとは違う。私たちISコアは完全に『自分』としての自我を確立している。同じ量の同じデータを渡したとしても、成長の過程に操縦者の心理状態や思考・行動が影響するから同一の進化はしない」

 

「……フラグメントマップか」

 

「肯定。私たちの人格とフラグメントマップはイコールで結ばれている。コアが作成された瞬間に自我は形成されるけど、操縦者がいなければ私たちは成長しない。操縦者が得た経験が多ければ多いほど、操縦者が機体を動かした期間が長ければ長いほど私たちも成長する」

 

「俺がこの機体を使い始めてから、少なくとも700時間は越えてる。その間に得た経験値の量はオマエが一番よく分かってるハズだ。そンだけあってもまだ接触程度にしか漕ぎ着けてねェって事ァ、コアの成長速度ってのは相当遅ェのか?」

 

代表候補生にも劣らないどころか国家代表に並ぶレベルの経験値を蓄えているはずの彼と夜叉だが、それでもまだ二次移行には届いていない。他の機体がどうかは知らないが、自分でさえこれなのだ。二次移行など本当に到達できるのだろうか。

 

しかし、そんな一方通行の考えとは裏腹に少女は首を横に振った。

 

「否定。私たちの成長速度は操縦者との同調率に依存する。コアとの親和性が高い人は少しの経験でも比較的すぐに接触が起こる。だけど―――」

 

そこで言葉を区切り、無表情のまま首を傾げた。

 

「貴方は少し特殊。私と一定以上の同調を拒むように、見えない壁みたいなものが形成されている。コアとの同調は拒めるものではないのに、それでも貴方の『奥』まで踏み込むことができない。だから、私が得られる経験値がかなり少なくなっている。恐らくはそれが原因と予想」

 

それに関しては一方通行にも心当たりがあるために何とも言えなかった。己の能力が、無意識のレベルで機体側からのコンタクトを異物として反射していたのだろう。以前束にも「どうしてあっくんは同調率だけ全く上がらないんだろうね?」と言われたことがあるが、だからといって素直に解除するのも躊躇われた。

 

心に踏み込まれると言うことはつまり、一方通行が胸の内に抱える全てを覗き見られるということなのだ。別に機械に知られたからといってどうにかなるわけでもないだろうが、それでも自分の心を覗かれるのには若干の抵抗があった。

 

二次移行と同調率の課題については追々考えるとして、一方通行が本題を切り出した。

 

「その話は置いておくとして、だ。何故今、このタイミングで接触が起きた。後半は失血のせいで記憶が曖昧になってるが、俺ァ福音とやり合ってたハズだぞ。まさか戦闘中にここに呼び込ンだンじゃねェだろォな」

 

「否定。機体名『銀の福音』との戦闘行為は既に終了し、現在貴方は手当てを受けて寝かされている。銀の福音との戦闘中に貴方の『壁』が少しの間消失した。その間に急いで貴方とのリンクを確立したからこうして話すことが出来るけど、もうじき同じように弾かれる」

 

「……、」

 

これも心当たりはある。全演算能力をハッキングに費やした結果、深層心理のブロック機能までも働かなくなってしまったのだろう。そもそもそんなものがあること自体知らなかったので如何ともし難いのだが。

 

「重要事項の伝達。私は既に、貴方の願いに応えるだけの準備は出来ている。後は、貴方が望むだけ。貴方が本当に私の力を必要としたとき、進化は訪れる。覚えておいて。私たちは、願いによって強くなる」

 

それだけ言うと、少女の輪郭が滲み虚空へと溶けていった。それを合図に、白い世界もボロボロと崩壊を始める。足下の地面が消失し、落下していくような感覚の中で一方通行は小さく呟いた。

 

「……、『願い』か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深海から浮上するように。長い眠りから覚めたように。ぼんやりとしていた意識が段々と覚醒してくる。うっすらと目を開けてみれば、旅館の一室に寝かされているらしかった。既に陽は沈み、窓から射し込む柔らかな月光が部屋をぼんやりと照らしていた。

 

目を覚ましてまず感じたのは、凄まじいまでの倦怠感だった。全身が鉛のように重く、寝かされている今でもだるさを感じる。急速に血を失った影響だろうか。

 

脳虚血による演算機能への影響が心配だったが、幸いなことに不調は見られなかった。とはいえ、こんな状態での能力の使用は控えた方が良いだろう。体を動かすだけでも辛かったが、ゆっくりと上体を起こす。すると、額から何かが滑り落ちた。

 

受け止めようとして左手を伸ばすが―――濡れタオルはそのまま掛け布団の上に落下した。

 

そこでようやく、あの戦闘で左腕を失ったことを思い出す。あれだけ血を噴き出していた傷口にはしっかりと包帯が巻かれ、よく見ればISスーツを着込んでいる自分の体も包帯だらけだった。

 

仕方なく右腕を伸ばし自分の体温ですっかり温くなってしまったタオルを掴んだ瞬間、大きな物音と、次いで水音が彼の鼓膜を震わせた。音の発生源へ振り向けば、セシリアが両手で口許を押さえて立っていた。その足元にはタオルと洗面器が転がっており、ひっくり返された洗面器が大きな水溜まりを作っていた。

 

数秒ほど立ち尽くしていたセシリアだが、ハッと何かに気付いたように一方通行の元へ駆け寄る。その際に水溜まりが彼女のソックスを濡らしたが、そんなことを気にしている様子もみられない。

 

「透夜さん……!? 傷は、体は大丈夫なのですか!?」

 

「……、あァ」

 

「―――っ」

 

その返事を聞いて、セシリアの瞳に涙が溢れた。タオルを握ったままの一方通行の右手を両手で包み、そこにいることを確かめるかのように強く握り締めた。手の甲に暖かい雫が滴り落ちる。

 

そうして俯いた彼女の口から、涙に濡れた心の声が漏れ出した。

 

「……わたくしが。わたくしたちがどれだけ心配したか!! たった一人で戦って、こんな傷まで負って!! どうしてっ、どうしてわたくしたちを頼らなかったのですか!? そんなにわたくしたちが信じられませんか!?」

 

ボロボロと、蒼い雫を駆る少女は涙を流す。ただ、その雫には欠片の強さも存在していなかった。自らの無力を悔い、そして眼前の少年への怒りをない交ぜにした、脆く、儚いものだった。

 

「貴方は強い。わたくしとてそれは百も承知ですわ!! ですが、だからといって透夜さんが一人で戦う必要なんてありません!! 力を持っているからといって、全てを背負う必要もありませんわ!! ましてや軍属ではない貴方には護られる権利があるのです!!」

 

「……、」

 

「透夜さんはわたくしたちを護ってくださいます。ですが、わたくしたちからすれば貴方も護るべき対象なのです!! ……わたくしたちの力が至らないことは認めます。ですが、ですがっ!! わたくしたちの為に、その身を犠牲にするのはお止めください……!!」

 

「…………………………、悪かった」

 

「……ご自愛下さい、透夜さん。貴方がわたくしたちを大切に思って下さるように、わたくしたちもまた、貴方を大切に思っているのです……っ!!」

 

そこで限界が来たのか、握った手にすがり付いて子供のように泣きじゃくるセシリア。それに対してどういう反応をしてやればいいのかわからず、一方通行は困ったように眉尻を下げた。

 

―――それから数分後。

 

おそらくは、一方通行が目を覚ますまでずっと看病してくれていたのだろう。泣き疲れたセシリアは安らかな寝息を立てていた。目元を赤く腫らした少女を眺める一方通行の目は、今までにないほど優しげなものだった。

 

自分の為に涙を流してくれる人がいる。

 

自分の為に怒ってくれる人がいる。

 

自分の事を心配してくれる人がいる。

 

 

 

 

それだけで、十分だ。

 

 

 

 

セシリアはああ言っていたものの、一方通行の考えは変わらない。彼女たちを護れるのならば、この身を犠牲にしたって構わない。

 

ただ、

 

この少女の涙を見るのは、少しだけ嫌だなと思った。

 

小さく息を吐き、目を閉じる。

 

次に開かれた瞳には、鋭い光が宿っていた。

 

セシリアをそっと布団に横たえ、何事もなく立ち上がった(・・・・・・・・・・・)一方通行は畳まれていた制服を羽織ると、薄暗い廊下へとその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局紅椿のデータは全然取れず終い、かぁ。何だかんだであっくんが全部片付けちゃったし、やっぱり凄いねあっくんは」

 

空中に浮かぶホロディスプレイを眺めながら笑みを浮かべる女性。彼女が腰掛けている柵の下には高さ30メートルにも及ぶ絶壁が切り立っており、黒々とした海が渦を巻いていた。

 

篠ノ之束。

 

いつも通りの楽しげな表情でお気に入りの鼻唄を奏でながら、新たなディスプレイを呼び出す。そこには白式第二形態『雪羅』を纏う一夏の姿が映し出されていた。

 

「うーん、いっくんと白式にもびっくらぽんだよ。まさかあんな短時間で二次移行しちゃうとは。しかも操縦者の生体再生まで可能になるなんて、まるで―――」

 

「―――『白騎士』のようだな」

 

束の背後。木々の影から、音もなく千冬が姿を現した。大木に背を預けて腕を組むが、その眼光は束の背を射抜くように鋭く細められていた。そんな千冬の気配を感じ取ったのか、束が肩を揺らす。直接見ずとも、千冬の考えることなど予想できていた。

 

その上で、束はいつも通りに話しかける。

 

「やあ、ちーちゃん。どしたのさ? そんなおっかない顔して」

 

「生憎、下らない話に付き合う気は無い」

 

しかし千冬は束の言葉を即座に切り捨てる。対照的な二人。だが、束の笑みが崩れることはなかった。

 

「……お前の事だ。私が何を訊きたいかなど簡単に予測できているんだろうが、それでも訊くぞ。―――鈴科のアレ(・・)は……一体、何だ。お前はあいつに何をした?」

 

ISの機能が完全に停止していたにも関わらず、ISにも不可能であろう事象を引き起こした少年。千冬はあの不可解な力の原因は束だと考えていた。この天災ならば、この世の物理法則すら超越しても不思議はない。

 

千冬の問いに、束は再び肩を揺らして笑う。イタズラを成功させた子供のような、無邪気な笑い声だった。

 

「そうだよねぇ。そう考えるよね、ちーちゃんなら。うふふ。うん、ちーちゃんの考えは予想できてたよ。でもね―――」

 

この親友なら、きっとそう考えるだろうと思っていた。あの少年について、必ず自分を問い詰めてくると思っていた。確かに予想通りだ。

 

だが、

 

「違うよ、ちーちゃん。全然違う。今回ばかりに限っては、ちーちゃんのその予想は全くの的外れだよ。だって、私はあっくんに何もしてないんだもん(・・・・・・・・・・)。正真正銘、あの力に関しては私は一切関与してないってことを主張するよ」

 

「何……?」

 

千冬の顔に驚愕が浮かんだ。久方ぶりに見る親友の珍しい表情をカメラで収めながら、束はぶらぶらと足を揺らす。一方で千冬は、そんな眼前の束の発言を脳内で反芻していた。

 

束は、はぐらかすことはあっても基本的に嘘はつかない。素直に喋るか、茶を濁すか、黙秘を貫くか。そのどれかだ。そんな彼女が身の潔白を主張するということは、まさか本当に―――?

 

「あー、信じてないね、その顔は。だったら直接訊いてみればいいじゃん、本人にさ」

 

束の言葉に応じるように、千冬の立つ場所から数メートル離れた木陰から、一つの白い影が現れた。色素の抜けた白髪に、獣のような赤い瞳。着込んでいる制服の左袖は、穏やかな夜風に揺られて形を変え続けていた。

 

重傷を負っていたというのに、どういうわけかその足取りにふらつきはない。至って自然体で佇む少年の瞳がちらりとこちらを向いたが、その視線はまたすぐに束へと向かう。

 

「……よォ、クソ兎。愉快で素敵な企みが失敗した気分はどォだ? それともこの結末もテメェの掌の上か?」

 

「企みだなんて人聞きの悪いこと言うねぇ。一体なんの証拠があってそんなことを―――」

 

ハッキングパターン(・・・・・・・・・)

 

その一言で、束の言葉が止まった。そして、その言葉に絶対の確信があるのか、少年の言葉に迷いはない。ただ面倒臭そうに、つまらない謎解きの答えを導き出したかのように、的確に真相を暴き出す。

 

「福音のシステムを走査した時だ。そこかしこに、通常じゃ起こり得るハズのねェバグが幾つもあった。対処しきれねェレベルのシステムエラーを叩き付けてから、その対応で穴だらけになった他の部分を突き崩す―――オマエの常套手段だ(・・・・・・・・・)。今までに一度も突破されてねェからっつって手法を変えなかったのが仇になったな」

 

能力を用いて福音の内部を調べたときに見つけた幾つものバグ。そのパターンは、束が常用するハッキングパターンと全く同一のものだった。以前、束がハッキングを仕掛ける場面を見たことがある彼だからこそ、スーパーコンピューター並の頭脳を持つ彼だからこそ気付くことができた。

 

銀の福音をハッキングし暴走させた犯人。ひいては、今回の事件を引き起こした犯人。世界最狂の愉快犯と称してもなお質が悪い、この天災以外には有り得ないのだ。

 

「……でも、じゃあ何のために? そんなことをしたって、私の得にはならないじゃない? ほら、私って面倒なこと大嫌いだし」

 

「お前の得には、な」

 

次に口を開いたのは千冬だった。

 

「暴走事件が起きたとき、軍事回線に割り込んで虚偽の報告を送る。軍は間に合わなかったんじゃない。そもそも暴走した報告すら来ていない(・・・・・・・・・・・・・)のだから、行動のしようがなかった。そうした上で、自ら開発した最新鋭の機体を妹に与える。福音を生徒たちだけで対応させるよう仕向け、迎撃メンバーに妹を組み込めば、妹は華々しく専用機持ちの仲間入りという訳だ」

 

「……あっは。そこまでバレてたかぁ。まぁキミたち二人なら不思議でもないか。何せ私の親友と、私と並ぶ頭脳の持ち主だからね」

 

「……鈴科が? お前と同じレベルの頭脳だと?」

 

今度こそ、千冬の顔が驚愕に染まった。この天災が他人を認めるどころか、自分と同じ位置に立つことを許すなど、俄には信じられなかった。では、束にそうまで言わしめるこの少年は、一体何者だというのか。

 

そんな千冬の反応を横目で捉えた一方通行は、小さく口角を吊り上げた。いつかはその顔を驚愕に塗り潰してやろうと思っていたが、まさかこんなにも早くその機会が訪れるとは。その点に関してだけは束に感謝するが、それとこれとは話が別だ。

 

「……、一つ言っとくぞ」

 

「何かな?」

 

「俺の事に関しちゃあ、今更何したって構わねェ。くれてやったデータも好きに使え。開発も研究も好きにしろ。だが―――」

 

赤い瞳に危険な輝きが宿る。

 

細い体から放たれた重圧が、この場すべてのものを押し潰すかのように周囲へ広がっていく。

 

「そこに俺の周囲を巻き込むンじゃねェ。オマエのふざけた思い付きがアイツらを傷付けるよォなら、俺は容赦なくオマエに牙を剥く。これは警告だ」

 

一方通行の警告に、束は再び笑い声を上げる。勢いをつけて柵の上に立ち上がると、くるりとこちらを振り返る。いつものように、にんまりとした笑みを浮かべた彼女は楽しそうに言葉を紡ぐ。

 

「それは、無理な相談かなぁ」

 

「……、この場で潰されてェのか?」

 

怪物の殺意を一身に受けても、束の表情が変わることはなかった。大きく腕を広げ、空を仰いだ束は謳うように続ける。

 

「私はね、あっくん。楽しみなんだよ。キミがどういう風に歩いていくのか。どういう道を辿るのか。一度失ったものを取り戻せるのか。見せて、魅せて、私を楽しませてほしい。キミの生き様を見せてほしい。……残念だけど、私じゃキミを変えることは出来なかった。だから、キミを変えられるキミの周囲に嫉妬してるのかな」

 

「……、」

 

「初めて私の考えることを理解してくれたのがキミ。ちーちゃんも私の事を理解してくれたけど、それとは違うんだ。篠ノ之束という人間を理解してくれたのがちーちゃんで、篠ノ之束の考えを理解してくれたのがあっくん。私と対等に語り合ってくれた時の束さんの喜びはどれだけのものだったと思う? ……束さんにもこの気持ちの名前は分からない。恋? 愛? 執着? 依存? その答えを突き詰めるのはさぞかし面白いだろうけど、私と君とじゃ絶対に交わらないってわかってる。だから―――」

 

そこで言葉を切ると、束は真っ直ぐに一方通行を見詰める。背後に満月を背負ったその天災は、無邪気に笑んだ。

 

その笑みは、どこか儚く、蠱惑的で。

 

まるで恋する少女のような、純粋さを秘めていた。

 

「束さんの人生最初で最後の失恋。私からキミに対するささやかな恋の復讐だと思ってね☆ あ、あとその左腕はちゃんと代わりを用意してあるから安心してね。束さんはこう見えて尽くすタイプなのです、えっへん!」

 

一方通行が何かを口にしようとした瞬間、一陣の風が吹く。瞬きの刹那に、神出鬼没の天災は忽然とその姿を消していた。残された二人。一方通行は舌打ちをし、千冬は大きく溜め息を吐いた。

 

徐に、千冬が一方通行へと向き直る。一瞬躊躇うように視線を外したが、意を決したのか重い口を開いた。

 

「鈴科。お前は―――」

 

「……まァ、訊きてェコトは予想できてンですが」

 

一方通行が手を挙げて、千冬の言葉を制する。

 

「…………まだ、話せねェ。いつか、踏ン切りがついたら話すつもりなンで。……アイツらには、夜叉の特殊能力っつゥコトでアンタから伝えといてくれねェか」

 

「……………………、わかった。それと―――」

 

そこまで言うと、千冬が頭を下げる。この少年が帰ってきたら、必ず言おうと思っていたことだ。こんなことで贖罪になるとは思っていないが、生徒を送り出した教師として。一人の指揮官として。

 

「すまなかった。許してくれ、とは言わない。そんなことで取り返しのつくものではないだろうが、それでも言わせてくれ。……本当に、すまない」

 

一瞬面食らったような表情を浮かべた一方通行だが、やがて面倒臭そうにガシガシと頭を掻いた。

 

「……なンつーか、終わったコトを一々言われンのも後味悪ィンで。俺からの頼み一つで手打ちってコトで」

 

「なんだ?」

 

「この敬語。面倒臭ェからナシでいいか」

 

「………………、ふん。まぁ、いいだろう。……そら、旅館に戻れ。これ以上は無断外出でペナルティを負わせるぞ」

 

「……ケッ。変わり身の早ェ教師だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らぬが仏、というやつだろうか。

 

水面下であれだけの激闘があったにも関わらず、翌日には再びのんびりとした平穏が生徒たちを包み込んでいた。当初の目的だった『ISの非限定空間における稼働試験』すらも達成できなかった為、他の生徒からすれば初日に遊び倒して帰るだけ、という何とも気の抜けた校外実習になってしまったわけだ。

 

帰りのバスでざわざわと語り合う生徒たちの喧騒を耳にしながら、一方通行は軽く左手を開閉する(・・・・・・・)

 

昨日の夜、旅館に戻ると彼の部屋に用意されていた、丁寧にラッピングされた箱。蓋を開けた瞬間隣の真耶が悲鳴を上げて卒倒しかけていたが、中身が本物そのものの義手では無理もないだろう。

 

ISの生体同調技術を応用しているらしく、触覚は勿論痛みや温度の差異まで敏感に感じとることができる。動かしてみても違和感はなく、右腕と何ら変わりなくスムーズに動かせる。接続部位を覆い隠す特殊な人工皮膚までついていたのには流石に呆れたが。

 

能力で内部を調べてみても危険な点は一切無く、ただの無駄に高性能な義手だった。

 

一方通行が腕を失ったと知っている者は目を剥くほど驚いていたが、義手だと説明すると一応納得はしてくれた。それでも専用機持ち達から凡そセシリアと同じようなことを長々と言われ、真耶に至っては大号泣しながら単独行動と無茶な突撃を咎められたのは流石に罪悪感を覚えた。どうやら自分は普段強く出ない人間から強く言われると逆らえないようだ。

 

軽く息を吐き、車窓から外の景色を眺める。

 

思い出すのは、義手と共に添えられていたウサギ印のメッセージカード。ご丁寧にハートのシールで封までされてあった。

 

『そうそう、気を付けてねあっくん。またあいつらが動き出したみたいだよん。なんだっけ? あの株式会社みたいな名前のやつ。んーと……あ、あれだ!確か―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――亡国機業(ファントム・タスク)、か」

 

一方通行の呟きは、誰に聞かれることもなく生徒達の喧騒に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて福音編は終了となります。
以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




・福音との戦闘について
この物語を書こうと思った時に、必ずどこかで原作と同じシチュエーションを再現したいと思いまして、どこが一番書きやすいかと考えたときに福音戦に白羽の矢が立ったのです。福音をスクラップにするのは簡単なので『操縦者を無傷で救出』という枷をつけた状態での戦闘になりました。


・夜叉のコアについて
フラグメントマップや人格データ云々については完全な独自解釈です。能力によって同調が阻まれるというのも独自解釈ですが、一夏に二次移行が起こって彼には起こらない理由の説明としてはこれが最適かなと。予想できた方もいるかもしれませんが、夜叉の容姿は幼女です。イメージは読者の皆様にお任せします。要望があればイラスト描きます。


・ヒロイン力限界突破セシリアお嬢
信じられるか? この作品、メインヒロインっていないんだぜ?


・トラブルメーカー束さん
好きな相手にはついついちょっかいをかけたくなるあれの最大規模バージョン(命の危険アリ)です。


・隻腕の一方通行
この作品は毎回無傷で終われるほど柔なシリアスしてません。生身でISの機動を味わってもらった上で、左腕を失いました。ですが義手があるのでイーブンです。


・亡国機業登場
あちら側の難易度だけルナティックでのスタートです。こちらは一方通行がいるのでイージーです。改めて言っておきますが本来の悪の組織はこちらです。





この後は幕間として夏休み編を予定しています。話数は未定です。夏休み編は完全な日常系のお話を予定していますので、何か希望するストーリーがありましたら活動報告にお願いします。良さそうなものがありましたらピックアップしたいと思います。

夏休みが終わればいよいよ二学期突入です。
物語が一気に加速しますよ。



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幕間 -Each summer vacation-
白と妹、時々姉と -The noisy day of a quiet girl-


八月。

 

ほとんどの学校が夏休みに入り、学生たちが其々やりたいことに精を出す時期だ。趣味に没頭する者、部活に打ち込む者、遠出をする者、怠惰に過ごす者、勉学に励む者、アルバイトをする者、友人と思い出を作る者。

 

普段出来ないようなことをしてみたり、普段行けないような場所へ行ってみたり。学生にとって、学校生活での大きな楽しみの一つだろう。勿論、長期休暇には必ず付いてくる宿題という難敵に苦しめられる学生が多いことも想像に難くない。

 

IS学園は八月から遅めの夏休みに入るのだが、夏休みが始まって一週間程度、学園内がかなり閑散とする。というのも、IS学園には外国籍の生徒が多く、長期休暇は母国へ帰省して家族なり友人なりに会いに行く、という生徒が大半だからだ。日本国内ならば週末や連休で顔を出せるが、ヨーロッパやアメリカ等はそうもいかない。

 

とはいえ。

 

そういった事には無縁の生徒もいる。

 

がらんとしたIS整備室で、一方通行(アクセラレータ)は一人機体の調整を行っていた。

 

色々と特殊な身である彼には、帰属する国家も帰るべき家もない。彼の戸籍だって束が適当に偽造したものだし、彼と『夜叉』は事実上無国籍だ。いつか何とかしなければならないと思っているものの、これといって良い案もないのでも問題を先送りにしていた。

 

展開されたホロディスプレイが、文字と数字の羅列を滝のような速度でスクロールさせている。それを見ながら、一方通行はかれこれ数時間キーボードを叩き続けていた。

 

思い出すのは、先日の一件。

 

軍用IS『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が暴走を起こした『福音事件』。結果として福音は停止し、操縦者も無事だった(一夏にキスをして一悶着起こす程度にはピンピンしていた。無論彼は防いだ)のだが、その代償として一方通行は左腕を失っており、現在は義手で補っていた。

 

事件を引き起こした人物は既に判明している。

 

だが、この事件自体表沙汰にできるものではないし、それを公表したところで何の解決にもならない。その人物を犯人だと言える証拠も一方通行の脳内にしか無いのだからどうしようもなかった。

 

そんな彼は今、夜叉の防衛システムの見直しを行っていた。

 

ファイアウォール並の強度を誇る福音の防衛システムを軽々と突破する相手から、堂々と『ちょっかいかけますよ』と宣言されて暢気にしていられるはずがない。隅から隅まで機体を調べ上げ、バックドアやウィルスプログラム等、何か仕込まれているものが無いか念入りにチェックしていく。

 

最後に機体制御を奪われぬように強固なプロテクトを幾重にも組めば終了だ。万一プロテクトが突破されるようなことがあれば、彼自身が能力を用いて対応すれば良い。

 

長時間に及ぶ作業が終わり、椅子に深く背を預けて息を吐く。凝り固まった体をゴキゴキと鳴らしていると、ふと違和感を感じて動きを止めた。どうやら、室内の温度がかなり上昇しているらしかった。

 

それでも一方通行は汗のひとつもかいていない。作業に没頭するあまり、無意識のうちに反射を適用させていたらしい。ホロディスプレイを消し、椅子から立ち上がって出口へと向かう。

 

(熱量反射が働いてるって事ァ、相当暑ィなこりゃ。冷房の故障か? オイオイ、サウナじゃねェンだからよォ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に、目眩のようなものを覚えた。

 

流石に疲労が溜まってきたのだろうか。

 

キーボードを叩く手を休め、目元を揉みほぐす。

 

集中していたせいか、冷房が切れていたことにも気が付かなかった。吹き出た汗で、下着までぐっしょりと濡れていて気持ちが悪い。心なしか、体の倦怠感もある。

 

だが、休んでいるわけにはいかない。

 

一刻も早くこの機体を完成させなければ、到底姉には追い付けない。

 

(……それに、あの人だって一人で……)

 

冷たいシャワーでも浴びてすっきりしようと、ホロディスプレイを消して立ち上がり、道具を片付けようと歩き出す。

 

 

 

瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。

 

 

 

(……あ、れ?)

 

もう一度目を擦ってみても視界の歪みは戻らない。それどころか、ぐるぐるぐるぐると回り始めたような錯覚まで覚えた。平衡感覚が崩れて、足元が覚束ない。立っていることもできず、気が付けば仰向けに倒れこもうとしていた。

 

しかし、次に感じたのは固い床の感触ではなく、ひんやりとした誰かの手。

 

すうっと遠退いていく意識の中、閉ざされていく視界に、白い髪と赤い瞳が映り込んだような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倒れ込んできた生徒を受け止めた一方通行は、手早く生徒の状態を確認する。確か楯無の妹だったはずだが、意識を失っているようでぐったりと力が抜けた体は制服越しでもわかるほどの熱を持っていた。額に手を当て、能力を用いた簡易的なバイタルチェックを行う。

 

(自律神経の変調。体温調節機能の低下。体温の異常な上昇。過発汗による脱水症状。脳への血流低下による意識障害―――熱失神と熱疲労の併発。……結構やべェな)

 

熱中症には四つのタイプがあり、どれも放っておくと命に関わる危険性がある。早急な手当が必要になるのだが、医務室まではそれなりに距離がある。彼女をそこまで運ぶ間に、症状が悪化しないとも限らない。

 

少しだけ考えた一方通行は、周囲を見渡して誰もいないことを確認すると、再び能力を発動させる。電気信号を操って血管を収縮させ、脳への血流をゆっくりと回復させていく。ひとまずはこれで応急処置になる。

 

(後は水分と塩分の補給、それと冷所での休息か)

 

意識を失った人間というのは重心の管理が全く出来ないため、意識のある人間に比べてかなり重く感じる。細身の少女だとしても、大の大人がなんとか運べるくらいだ。

 

とはいえ、一方通行には関係ない。

 

膝裏と背中に手を差し入れると能力を発動。少女を軽々と持ち上げた一方通行はサウナ状態の整備室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふうっ……」

 

よく冷えたスポーツドリンクを一気に半分ほど干した楯無は、いつもより気だるげな表情で息を吐いた。

 

彼女はつい先程まで生徒会室に缶詰め状態で書類の山と格闘しており、やっと一段落ついたところであった。空腹を訴える腹を満たすために食堂へ向かっている最中なのだが、この後も午前に引き続いての後半戦が待ち構えていると思うと脱走したくなる。

 

だがそれをやってしまうとお付きの少女が修羅と化し、次に顔を会わせたら最後、デキル従者の有り難い御説教コース~夏の二時間スペシャル~(ノーカット版)が待っている。しかも上映中はずっと正座というオプション付き。もちろんポップコーンは無しだ。

 

(うーん……気分転換に、透夜くんでもからかいに行こうかしら)

 

ペットボトルを弄びながら、とある少年の顔を思い浮かべる。無表情というか仏頂面というか、不機嫌そうな表情がデフォルトな白い少年。付け加えておくが、彼が不機嫌になる理由は大体楯無のせいである。

 

書類仕事で溜まったストレスを発散するため、ひとまず食事を摂ったら少年を探そうと思いながら廊下を曲がった瞬間、楯無の思考が止まった。

 

二十メートル程前方に、件の少年が歩いていた。

 

それは別にいい。

 

問題は、彼が両手に抱えている一人の少女だ。

 

その少女が楯無の知っている人物であったなら嬉々として後を追いかけたのだろうが、少年に抱えられている少女が予想外すぎる人物だった。

 

己と同じ水色の髪。後ろからではそれだけしか見えなかったが、見間違えるはずはない。学園内にその髪を持つ者は楯無ともう一人しかいないのだから。

 

楯無の最愛の妹、(かんざし)

 

そして今まさに、少年は意識を失っているらしい妹を抱えて部屋の中へと入っていくところであった。

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バキャボパッ、とペットボトルが爆散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……、誰も居ねェのか?)

 

楯無の妹を抱えて保健室にやってきた一方通行だが、室内に人の気配は無かった。腕の中の少女は保健医の八意(やごころ)に任せようと思っていたのだが、これでは帰るに帰れない。

 

面倒臭そうに舌打ちを一つすると、備え付けられているベッドに少女を寝かせて楽な姿勢をとらせ、改めて状態を確認する。体温は高くなっているが汗は出ているので熱射病ではない。意識が回復し次第スポーツドリンクか経口補水液を飲ませればいい。

 

だが、少女の制服は汗でぐっしょりと濡れている。本当なら着替えさせた方が良いのだが、流石にそれは不味いだろうということで却下。衣服を緩めて汗を拭き取るぐらいに留めておくことにした。引き出しを漁ってタオルを引っ張り出し、制服の襟元を緩めるため手をかけようとしたところでふと思い直す。

 

(……、何で俺がこンなコトやってンだ?)

 

熱中症で早急な手当が必要とはいえ、誰か他の人間を呼べば良かっただけなのではないか? 夏休みといっても教師はいるし、千冬か真耶でも呼べばいいだけだ。それこそ、実姉の楯無にでも連絡を入れれば直ぐに駆け付けるのではないか?

 

どうにも、こちらに来てからはお節介が過ぎるようになっている気がする。

 

そんな自分の変化に若干辟易―――

 

「とう、や、くん? 何、してるの……?」

 

「―――あ?」

 

彼の背後。

 

振り向けば、保健室の入り口に楯無が立っていた。

 

この世の終わりを目にしたかのような表情で立ち尽くす彼女の視線を辿ってみれば、自分の手元。

 

 

 

 

 

 

―――ベッドに横たわる少女の服を脱がそうとしているように見えなくもない。

 

 

 

 

 

 

実際は寸前で止まっているのだが、第三者から見てどう思われるかなど考えるまでもないだろう。

 

どうやら神は、一方通行のことが嫌いらしい。

 

「……………………、一つ、言っとくけどよ」

 

「ええ、遺言ぐらいは聞いてあげるわ」

 

額にビキビキと青筋を立てた楯無が無表情でそう言う。なるべく彼女の誤解を招かず、それでいて怒りに油を注がないような言葉を探す。学園都市最高の頭脳をフル回転させて導き出した最適な答えは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……オマエの妹に興奮なンかしねェからな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「銃殺殴殺刺殺。好きな死に方を選びなさい」

 

何故か楯無が笑顔になった。

 

しかもその手にはいつの間にか巨大なランスが握られている。右手のISアーマーも既に展開済みだ。臨戦態勢に移行した楯無は、ともすればこのまま戦闘を始めそうな勢いだった。

 

「テメェ仮にも生徒会長だろォが!! 平然と規則違反かましてンじゃねェぞボケ!!」

 

「うるさいわね!! 白昼堂々女生徒に襲いかかる透夜くんに言われたくないわよ!! あまつさえ簪ちゃんに魅力が無いですって!?」

 

「一言も言ってねェよ!! テメェの耳はただの飾りか!? オマエも妹と同じよォに暑さで頭やられてンじゃねェだろォな!?」

 

話を聞かない楯無に対して段々と苛立ちの混じってきた一方通行の叫びに、楯無の動きが止まる。

 

「…………、え?」

 

「だからオマエの妹が熱中症になってるっつってンだ!! ちったァ人の話を聞きやがれ!! 本格的に頭の整備した方が良いンじゃねェか!?」

 

ようやくまともに会話が出来るようになった楯無に、いつもより八割増しで不機嫌な一方通行がこれまでの一連の流れを説明していく。整備室で簪が倒れたこと、ここまで運んできたこと、誰も居ないので仕方なく処置を施していたこと。

 

全てを聞き終わった楯無は一つ頷くと、

 

「話はわかったわ。後は私に任せてちょうだい」

 

「……何をクソ真面目な顔で無かったことにしよォとしてやがンだテメェ。磨り潰すぞ。大体あンなンでピーピー喚くなら医者はどォなンですかって話だ」

 

小心者なら気絶してしまいそうな顔と声音で続ける一方通行。流石にやりすぎたかと冷や汗を流す楯無は、『反省』の文字が書かれた扇子を取り出してパタパタと仰ぐ。

 

「ご、ごめんなさい。おねーさん、ちょーっと調子に乗りすぎちゃったわね、うん。反省反省」

 

「…………チッ」

 

「……その、透夜くん」

 

「あァ?」

 

申し訳なさそうにちらちらと視線を向ける楯無。さっさと戻って何だかんだで食べ損ねた昼食を摂りたい一方通行は億劫そうに返事を返す。瞬間、楯無の腹から小さく空腹を訴える音が響いた。彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめて、

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の分のお昼ご飯も、持ってきてくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブチィッ!!

 

 

 

「……っつーかよォ」

 

何かが勢いよく千切れる音が響き、一方通行がゆらりと立ち上がった。そのまま無言で楯無の眼前へと歩いていき、ばっくりと引き裂いたような笑顔を浮かべた。勿論瞳は全く笑っていない。

 

「どっかのバカの妹が熱中症でぶっ倒れて、命に関わるかもしんねェっつーから仕方なく保健室まで運ンできてみりゃあよォ、一体何だァこりゃ? せっかく人がらしくもねェ善意で人命救助ってのをしてみたっつーのによォ。大体、何がハイテク技術の塊だっつーの。故障なンぞ起こす冷房そのままにしときやがって」

 

「と、透夜くん?」

 

「ンで、せっかくここまでやってきて、よォやく面倒事も終わりかと思ってみりゃあよォ……何だァこの馬鹿みてェな三下は!? オマエは俺を本気でナメてンのか!? こンなコトなら助けるンじゃなかったぜ最初っから言えよ待ってンのはお礼の言葉じゃなくてポンコツオネエサマの我が儘ですってよォ!!」

 

臨界点を突破した怒りによって言動がぶっ飛んでいる。いつもの冷静な姿など欠片も見当たらなかった。

 

白狂する彼に対して楯無は両手を合わせ、小首を傾げて可愛らしく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……や、優しくしてね?」

 

 

 

 

 

 

 

昼下がりの保健室に、鈍い音が連続した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……、ぅ、ん……」

 

「あら、起きた?」

 

「……八意、先生?」

 

整備室にいたはずの自分がいつの間にか保健室に寝かされていることに首を傾げる簪。そうしているうちに、八意からスポーツドリンクを手渡された。

 

「軽い熱中症みたいね。幸い症状はそこまで酷くなかったけど、ちゃんと水分と塩分は補給しなくちゃダメよ?」

 

「……はい。その……誰が、私をここまで……?」

 

簪の問いに、八意は困ったように頬に手を当てた。

 

「それがね、私がちょっと用事で保健室を空けて、帰ってきたら貴女たち二人がベッドに寝かされてたのよ。まさかあんな短時間で二人も来るなんて思わなかったわぁ」

 

二人……? と簪が隣のベッドに視線をやると、そこには自分と同じ髪色の女性が横たわっていた。うなされているのか、時折呻き声を上げては頭部を庇うようにもぞもぞと蠢いている。

 

「……待って透夜くん、落ち着いてぇ……、簪ちゃんは渡さないぃ……」

 

「……………………、」

 

姉の奇行からそっと目を逸らし、スポーツドリンクを口に含む。甘じょっぱい味が口内に広がり、疲れていた体にじんわりと栄養が浸透していくようだ。一息ついた簪はベッドから立ち上がる。

 

「もう動いて大丈夫なの?」

 

「はい。……ありがとうございました」

 

「ええ、御大事にね」

 

わずかな倦怠感を感じるものの、部屋に戻ってゆっくり休めば体調も良くなるだろう。それに、身体中がべたべたとしていて気持ちが悪い。今度こそシャワーを浴びてすっきりしようと思っていた矢先だった。

 

廊下の曲がり角で、あの白い少年と鉢合わせた。

 

白い髪の向こうから、鋭い赤い瞳がこちらを覗いている。自分のものとも姉のものとも違う、血のように深くルビーのように鮮やかな赤色。このまま見詰めていれば、ふっと吸い込まれてしまいそうな不思議な輝きを放っていた。

 

低く穏やかなテノールが耳に届く。

 

「……、オマエの姉だけどよォ」

 

「……っ」

 

姉、という言葉に身体を強張らせる簪。

 

その言葉は彼女にとって良くも悪くも大きな意味を持っていた。この少年が何をしたと言うわけではない。ほとんど会話を交わしたこともないのだから、姉と比べられるということもない。しかし、過去に何度も何度も言われた言葉が脳内を過り、彼女を否応なしに俯かせる。

 

だが―――

 

「あのポンコツ思考は一体どォなってやがンだ? オマエ妹なンだろ? アイツになンか言ってくれよ。生徒会長がトチ狂ってるせいで下級生が大迷惑してますってな」

 

「……、え?」

 

「それとオマエ、次ぶっ倒れたらそのまま転がしとくからな。あンな面倒二度とゴメンだぜ」

 

ったく姉妹揃ってメンドクセェ、と呆れたように溜め息を吐いて、白い少年はスタスタと歩いていってしまった。あの完璧な姉をポンコツ呼ばわりしたことの衝撃も手伝って、ポカンとしたままその後ろ姿を眺めていた簪だが、やがてとあるワードを脳内で反芻する。

 

『姉妹揃って』、と言っていた。

 

褒められたわけでもなく、あの少年は単純に呆れてそう言ったのだろうが、簪にはそれが嬉しかった。内容はどうあれ、あの姉と同列に見てくれたことが何より嬉しかった。

 

表情の乏しい顔に僅かな喜色を滲ませたところで、ふと気付く。意識を失う直前映り込んだ白。あれはもしや―――

 

(…………お礼、言わなきゃ……)

 

歩き出した少女の足取りは軽い。

 

少年が、自分が放った何気無い一言が少女の救いになったと知るのはまだまだ先。男子の部屋を訪ねたはいいが、緊張してしまって上手く話せなかった少女が赤面するのは、それから二分後のことである。

 

 

 

―――八月の、暑い暑い日の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 




こんな感じで、ISのノリに近い日常系です。
題名は禁書っぽくしてみました。
テーマとしてはリクエストをいただいた『簪との絡み(楯無含めた修羅場あり)』『一方通行のプログラミングスキルの高さ』です。

まだまだリクエスト募集中ですのでドシドシ活動報告にコメントお願いします。

……それはそうと、皆さんセシリア大好きですね(笑)


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英国淑女の優雅な週末ーThe blue drop is strong noblyー

幕間なら何しても許されるって誰かが言ってた()


―――ロンドン・ヒースロー空港。

 

利用者数世界一位を誇る、イギリスの玄関口とも言える国内最大の国際線空港である。ISの進出と共に三段飛ばしで発達した航空技術、その最新鋭の管制システムを導入した民間用大型ジャンボジェットが離着陸を繰り返していた。

 

その広大な空港に、一機の小型ジェットが着陸する。

 

ブリティッシュ・エアロスペースが開発したジェット旅客機BAe146の派生機、BAe446-100。通常80~100人程度が搭乗できるが、この機体は特注品であり中を覗けばその内装に唖然とするだろう。

 

ともすればそのままそこで暮らせそうな程充実した設備を供えた客室。王室にでもありそうな革張りのソファーに豪奢なテーブル、床を覆う最高級の絨毯。どう考えても一般人が乗るようなものではない。事実、乗っているのは一般人ではなかった。

 

扉が開き、タラップが下りた先には既に数十人ものメイドや執事が列になって待機している。イベントか何かと勘違いされそうな光景だが、機内から降りてきた人物を見れば誰もが納得するだろう。

 

一つ一つの動作に溢れる気品。染みひとつない白磁の肌。澄んだ湖のような蒼い瞳。西洋人形のように整った顔立ち。純金を溶かして寄り合わせたような優美な金髪が風に流れ、それを手で押さえる様子はそれだけで万人の嘆息を促す。

 

『お帰りなさいませ、お嬢様!!』

 

主の帰還に、一糸乱れぬ挨拶と共に腰を折る従者たち。それを見て少しだけ困ったように眉尻を下げ、次に懐かしさにその双眸を細め、

 

「―――ええ。ただいま戻りました」

 

イギリス代表候補生にして英国貴族オルコット家現当主、セシリア・オルコットはふわりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お元気そうでなによりです、セシリアお嬢様。スケジュール通りですとこの後本邸で職務の消化となっておりますが、よろしいですか?」

 

「ええ。問題が発生しない限りは、予定通りに進めていきます」

 

「かしこまりました」

 

空港から車で二十分程の場所にあるオルコット家の本邸。周囲を木々に囲まれた緑豊かな邸宅である。その廊下を歩きながら、セシリアの専属メイドでもあり年上の幼馴染みでもあるチェルシー・ブランケットと事務的なやり取りを交わす。

 

一時的な帰国といってもセシリアにはやらなくてはならない仕事が山積みだ。代表候補生という立場上、IS関連で政府や開発元へ出向いて様々なデータ取りや報告をしなければならないし、オルコット家当主としての職務も果たさなくてはならない。

 

未だ十六才の少女が背負うにしてはあまりにも重すぎる責任だったが、今更泣き言を言おうとする程度の甘えはとっくに消え失せていたし、彼女自身のプライドはここで諦めることを良しとしなかった。生来の責任感の強さも手伝って、彼女は立派に当主としての役目を果たしているのであった。

 

執務室の扉を開けて中に入り、黒檀の執務机―――生前の母が気に入って買ったものだ―――に座る。そうすると、両親が蒸発して間もない頃の記憶が甦ってくる。

 

あの頃の自分は、貴族や政治のことなど右も左もわからなかったが、家と財産を守るために死に物狂いだった。朝から晩まで従者たちが付きっきりでサポートに回り、今思えば気の休まる時間などほとんどなかった。

 

サイズの合わないこの机にかじりつき、書類の山と格闘する毎日。同年代の少女たちの中でもとりわけ容姿が整っていた自分を引き取り、性欲の捌け口にしようとしていた男たち。両親が残した莫大な財産を狙い擦り寄ってきた意地汚い女たち。

 

そんな折に自らのIS適性が高いことが判明し、幾ばくかの月日を経て代表候補生という座をもぎ取った。そしてブルー・ティアーズという相棒を手に入れ、更なる高みを目指すためにIS学園への編入を決めて。

 

そこで、一人の少年に出会った。

 

(……思えば、あっという間でしたわね)

 

白魚のような指で机を撫でながら、ぼんやりと思考する。入学するまでに様々な事があったが、入学してから今に至るまでの日々も負けず劣らず濃密な時間だった。ファーストコンタクトこそ最悪だった彼とも、それなりによい関係を築けている(と思いたい)し、他の生徒たちとの交流もよい刺激になっている。

 

ともあれ、

 

「こちらが、本日分の書類になります」

 

ドスン、と鈍い音を立てて机に積み上げられたのは、一抱えもある書類の山。束ねて振るえば鈍器として使えそうな程には分厚い、紙でできたミルフィーユである。なんだか昔のデジャヴですわ、と心の中で苦笑しながら、セシリアは職務に取りかかるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

午前中に代表候補生としての報告を終えたセシリアは、その足でブルー・ティアーズの開発元、ヴィッカース本社へと向かっていた。機体の調整やフラグメントマップデータの更新、BT稼動データの受け渡しなど、こちらでもやることは多い。

 

世界的にも有名なヴィッカース社は、機体だけでなく武装関連や整備員の育成にも力を注いでいる他、IS以外にも艦船や飛行機など様々なジャンルを広く取り扱っている。ヴィッカース本社の横に設営されたアリーナでは新型スラスターの稼動テストを行っていたり、日夜試作兵器が火を噴いている。

 

アリーナ整備室では既にブルー・ティアーズの開発担当と整備員が数名待機しており、その他にもヴィッカース社の専属パイロット達が自分と同じようにデータ取りに勤しんでいた。

 

IS操縦者の中でもっとも名誉のある肩書きは国家代表だが、その裏側は案外黒い。例えば、実力が拮抗している二名が国家代表の枠を掛けて争った場合、実力以外の点も評価対象になる。謂わば国の顔である国家代表は、その役職柄世界に顔を知られることになるため、より美しいほうが選ばれるのだ。

 

そんな七面倒なことはしたくない、ただISが動かせればそれでいい、という操縦者の願いを叶えるのがこの専属操縦者である。新型機体や試作兵器のテスト、あるいはイベント等に出場する際に、国の代わりに会社の名前を背負ってISに乗るのだ。

 

ちなみにセシリアは、実力・容姿・学力・家柄全てにおいて高水準。今のところ、有力なイギリス国家代表候補である。

 

ブルー・ティアーズを展開し機体から降りたところで、横合いから声がかけられた。女性にしては少し低めの、凛とした響きの美しい声だった。

 

「おや、セシリアではないですか。IS学園へ入学したと聞きましたが、こちらへ戻ってきていたのですね」

 

「セイバーさん」

 

振り向いた先にいたのは、ヴィッカース社専属操縦者の中でも破格の実力を持つ女性だった。年はセシリアとそう変わらないというのに、落ち着いた物腰と丁寧な態度、そして他人を率いるカリスマ性とその美貌から国内でも人気が高い。

 

専用機『円卓の騎士(ナイト・オブ・ラウンズ)』を纏い戦う姿は男女を問わず魅了し、対戦相手の悉くを真っ正面から打倒するその姿から『騎士王』の異名を持つ。専属操縦者であるにも関わらず専用機が用意されるというのは異例の事態であり、それが彼女の実力の高さを物語っている。

 

セシリアの尊敬する人物の一人でもあり、越えるべき目標の一つでもあり、また良き友人の一人でもあった。

 

「日本での暮らしもいいものでしょう?」

 

「はい。皆さんとても優しくしてくださいますし、充実した生活を送れていますわ。ご飯も美味しいですし」

 

「その通りです! ええ、まったくもってその通りです!! 日本の食事は世界に誇れるものだ。何故あんなに繊細で、なおかつ深い味わいが出せるのでしょう……? そうですね、久し振りにシロウと日本へ行ってみるのも良いかもしれません」

 

彼女の心情を表すように、一房だけ飛び出た金髪がぴこんぴこんと揺れる。聞くところによればこの少女はとある日本人の青年と同居しているらしく、それはそれは幸せな日々を送っているらしい。そんな恋愛事情も、彼女の人気の一つでもあるのかもしれない。

 

「……と、すみません。話が脱線してしまいましたね。ここへ来たということは、機体のデータ取りもしなくてはならないのでしょう? なら―――」

 

ぴりっ、と空気が張り詰める。

 

「どうですか? 私と模擬戦でも」

 

透き通るような碧眼が、真っ直ぐにセシリアを射抜く。

 

ヴィッカース社のエースパイロットと戦える機会など滅多にない。セシリアにとっても、自分の実力を試す意味でも願ってもない申し出である。

 

口許に好戦的な笑みを浮かべたセシリアは、一も二もなく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備はいいですか、セシリア」

 

「ええ、いつでもよくてよ」

 

アリーナ内にて対峙するセシリアとセイバー。IS操縦者として名高い二人、しかも気色の違う美女の対決が見られるとあって、観客席には大勢の職員達が詰め掛けていた。

 

円卓の騎士(ナイト・オブ・ラウンズ)を纏い、悠然たる佇まいで浮遊するセイバー。ブルー・ティアーズと同じく蒼を基調とした機体は、腰回りを覆うように作られたアーマースカートに、胸当て(ブレストプレート)手甲(ガントレット)を模した装甲も相まって中世の騎士を彷彿とさせる。

 

そして、その手に握る一振りの長剣。実体剣の周囲をうっすらと黄金色のエネルギーが覆っており、神秘的な輝きを放っている。

 

多目的近接エネルギーブレード『カリバーン』。

 

国家代表になれば、格闘部門でヴァルキリーを受賞するのは間違いなしとまで言われる彼女が握るに相応しい一振りである。

 

二人の放つ圧力に飲まれたのか、ざわめいていた観客席が徐々に静まり返っていく。ほどなくして静寂に支配されたアリーナに、試合開始を告げる電子音が鋭く響き渡った。

 

直ぐ様ビットを展開したセシリアだが、その僅かな間に爆発的に加速したセイバーは既にセシリアの眼前へと迫っていた。大型スラスターのパワーを生かし、狙撃手にとっては絶対に踏み込まれたくない間合へ易々と入り込む。

 

カリバーンを腰だめに構えるセイバー。

 

それが勢いよく振り抜かれると同時、刀身に組み込まれた機構が暴風を生み出し前方一帯を薙ぎ払う。剣のリーチよりも遥かに長いそれを避けるには、どうしても大きく回避せざるを得ない。

 

セイバーの後方へ抜ける形で辛うじて回避し、半円を描きながら退避するサークルステップで距離を取りつつスターライトmkⅢで牽制射撃を行う。だが、剣を振るった直後の不安定な体勢にも関わらずセイバーは再び高速で剣を振るい、放たれたレーザーを全て弾き返してしまう。

 

改めて、眼前の少女の人間離れした技量に舌を巻きつつビットに射撃命令を送るセシリア。しかし、ビットから放たれたレーザーは全く見当違いな方向へ向かっていった。見れば、先程まで正常だったハイパーセンサーがまるででたらめな数値を表示していた。

 

これでは、ハイパーセンサーからの情報に頼るビット射撃が満足に行えない。ブルー・ティアーズの強みが封じられてしまったと言っても過言ではない。

 

(メンテナンスは終えたばかり、計器類に異常は無し。すると、あちらの機体の特殊武装かしら? 厄介どころの話じゃありませんわね……!)

 

苦い表情を浮かべるセシリア。対し、それを見たセイバーは満足そうに口角を吊り上げた。

 

「私の『風王結界(インビジブル・エア)』は実弾相手ならば無類の強さを誇りますが、エネルギー兵器に対してはあまり相性が良くない。それを補うために今回試作兵器を追加してみたのですが……その反応を見るに、どうやら効果はしっかりと出ているようですね」

 

セイバーがそう言って腕を薙ぐと、センサーの調子がもとに戻る。試作兵器とやらの効果を消したのだろう。

 

「データは十分取れました。私の望みはあなたとの真剣勝負であって、こんな小細工に頼った戦い方はしたくありませんから」

 

「……どこまでも堂々とした騎士王さまですこと。そこらの男より男前ですわね!」

 

言って、立て続けにトリガーを絞る。

 

何条もの光線がセイバーへと殺到するが、先ほどと同じように最小の動作で避け、あるいは弾いてセシリアの狙撃をいなしていく。死角からの射撃も不意打ちの射撃も、尋常ならざる反応速度ですべて回避されてしまう。どうやっても避けられないタイミングにもかかわらず、だ。

 

―――直感。

 

第六感とも言えるそれは、普通ならば到底信じられたものではないがこの少女に限っては例外だ。未来予知にも近しい精度で相手の行動を先読みできるのだから、常識はずれにもほどがあるだろう。これがある限り、たとえ背後からの奇襲であっても彼女を傷つけることは難しい。不意打ちや奇襲が通用しない以上、純粋に真正面から己の力のみで打ち破るしかないのだ。

 

「どうしましたセシリア。あなたの力はこんなものではないはずです!」

 

「くっ……!」

 

円卓の騎士の高い機動力とセイバー本人の剣技によってじわじわとシールドが削られていく。

 

極限まで突き詰めているものの、実弾兵器に比べ燃費の悪いエネルギー兵器しか搭載していないブルー・ティアーズは持久戦に弱い。もともと狙撃主体の中遠距離型をコンセプトに作られているのだから当然と言えば当然なのだが、それでもエネルギー切れがやってくるのにそう時間はかからなかった。

 

役に立たなくなったスターライトmkⅢを量子に還し、代わりにインターセプターを展開して肉薄する。速度の乗った一撃を容易く受け止めたセイバーはにやりと口元を笑ませた。

 

「勝利への渇望と自身の誇り、あなたの想いが伝わるいい一撃です。ですが―――」

 

甲高い音を立てて、セシリアの手からインターセプターが弾き飛ばされ、体勢を崩してがら空きとなった腹部にカリバーンの柄頭が叩き込まれる。絶対防御が発動し、シールドエネルギーが大きく削られる。更に、ダメ押しとばかりに放たれた暴風の一撃が残りのエネルギーを根こそぎ消し飛ばす。

 

試合終了のブザーが響き、左右に剣を切り払ったセイバーはにこやかに手を差し出す。

 

剣士()の間合いで戦うには、まだまだ経験不足のようですね」

 

「……わたくしは狙撃手ですわよ? 斬り合いをご所望なら、日本のサムライでも訪ねてみなさいな」

 

苦笑しながらそう返し、差し出された手を握る。ほどなくして観客席から二人の健闘を称える拍手が響き始め、アリーナは真夏の暑さにも負けない熱気に包まれていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うぅ、まだ胸焼けが収まりませんわ……」

 

その日の夜。

 

用事を済ませてオルコット邸に戻ってきたセシリアは、ややげんなりしながら自室のベッドに倒れ込んだ。彼女がグロッキー状態になっている原因は言わずもがな、どこぞの騎士王のせいだ。

 

模擬戦の後、積もる話もあるだろうと言うことで昼食を一緒に摂ることにしたのだが、あの少女には一つだけ愛すべき欠点がある。食事の量がとにかく多いのだ。その細身の体のどこに入っていくのか真剣に首を傾げたくなるほど、とにかく食べる食べる。

 

今日も、見ているこちらが胸焼けを起こしてしまいそうな―――実際に起こしたのだが―――量を一人で平らげてしまった。周囲の客の『有名人を見つけたけどなんかとんでもないことになってる』という視線が痛かった。

 

しかも、食事をしている時の表情がそれはそれは幸せそうなものだから制止をかけるわけにもいかない。以前会ったときから全く衰えない食欲、というか気のせいでなければ以前より食っていた。恐るべき少女である。

 

となると、彼女と同居しているという青年はあの胃袋(ブラックホール)をどうやって満足させているのだろうか。

 

とあるカップルのエンゲル係数を想像して一人顔を青ざめさせていると、部屋の扉がノックされる。返事を返すと、チェルシーがティーセットを乗せたトレーを持って姿を見せた。

 

「紅茶をお持ちしましたが、如何ですか?」

 

「ええ、いただくわ」

 

セシリアも英国人として紅茶の淹れ方には自分なりのこだわりがあるのだが、どうしてもチェルシーが淹れた方が美味しいと感じてしまうのが悔しいところである。セシリアが幼い頃からずっと飲んできた味だからだろうか。

 

そんなことを考えながら紅茶を楽しんでいたセシリアだが、ふとあることを思い付く。

 

「ねぇチェルシー、貴女、美味しいコーヒーの淹れ方って知っていて?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多忙だった一週間もあっという間に過ぎていき、再びIS学園へと戻る日がやってきた。また彼の近くにいることができると思うと嬉しかったが、それでも母国を離れるのにはやはり寂しさというか、名残惜しさはあった。

 

丁寧に整備された芝生を踏み締め、セシリアは一人歩を進める。

 

同じような形をしたそれをいくつも通り過ぎ、一番端にある一つの前で歩みを止めた。持参してきた花束を置いて、様々な感情が入り交じった複雑な表情で、それでもなんとか微笑みを浮かべる。

 

「……お久し振りです。お母様。お父様」

 

この小さな墓石の下で、彼女の両親は永遠の眠りについている。三年前に、列車の事故に巻き込まれてこの世を去った。聞いた話によれば、乗客の殆どが亡くなった悲惨な事故だったらしい。

 

女尊男卑の風潮が広まる前から様々な会社を経営し、その手腕で成功を収めてきた自慢の母。そんな母の顔色を窺い続け、セシリアの男性に対するイメージを形作る切っ掛けとなってしまった父。

 

仲が良いとは言えなかった二人が何故その日に限って一緒に居たのかは、三年が経った今でもわからない。訊けばなんだって答えてくれた母に訊ねることは出来ないし、父を問い詰めることも出来はしない。

 

目を閉じて、静かに黙祷を捧げる。

 

過去の記憶が脳裏に蘇ってきて、鼻の奥がかすかにツンと痛んだ。ここでは、この場所ではセシリアも年相応の少女になってしまう。当主として立派に成長した自分の姿を見せたいと思う反面、まだまだ甘え足りなかったかつての自分のぶんまで甘えたいという気持ちが首をもたげているような気がした。

 

しばらくそうしていたセシリアだが、やがて目を開くと墓石に向かって優雅に一礼する。そのまま少しだけ墓石を眺め、心中で両親に別れを告げると踵を返す。

 

歩き出した彼女の足取りに迷いはない。

 

その背中はいつも通り、イギリス代表候補生セシリア・オルコットとしての誇りと自信に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




以下どこぞの腹ペコ王の機体データ

機体名:円卓の騎士
世代:第三世代
分類:近接格闘型
武装:多目的近接エネルギーブレード『カリバーン』
対実弾用弾道婉曲防壁『風王結界』
(センサージャミング仕様)
仕様:高圧縮衝撃風刃『風王鉄槌』




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IS学園新聞部発行『月刊IS学園』特集号

IS学園新聞部発行

 

特集『噂の二人』取材シーンより一部抜粋

 

 

 

 

 

 

 

―――む? 一夏のことについて?

 

突然言われても……いえ、私はそういうのは……! そ、そもそもインタビューなんて慣れていないし、面白いことなんて言えないぞ!? ……な、なに? 音声を流すわけではない? 質問に答えればいいだけですか? ……それならそうと先に……。

 

ごほん。えーと……まずは、長所からですか?

 

ま、まぁ、その。やはり、優しいところ、でしょうか。あいつは昔から誰にでも分け隔てなく接しますから、礼儀を欠かない限りは例え喧嘩した相手だろうと例外ではありません。といっても、幼い頃はかなりやんちゃだったんですが。

 

次……は、今の印象ですか。

 

そう、ですね。男子だからというのもあるのでしょうが、根っからの負けず嫌いなので、努力家、といったところでしょうか。ISのことも、技術だけでなく知識もしっかりと吸収していますし、その熱意とひたむきさは昔と変わりませんね。…………ただ、もう少し他人の気持ちを汲めるようになれば良いとは思いますが。超鈍感、とでも付け加えておいて下さい。

 

……最後に一言?

 

改めて言うほどのことはないのですが……。はい? 一夏のことをどう思うか? それは、その、かっ、か、かっこ―――って何を言わせるんですか!! 終わり、終わりです!! 以上で取材は終わりですから帰ってください!! これ以上変なこと言うなら斬りますよ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――透夜さんについて、ですか?

 

ああ、新聞部の。そういうことでしたら構いませんわ。わたくしでよろしければ何でもお訊きになってくださいな。……とはいえ、あまり変なことを訊かれても答えられませんわよ?

 

……第一印象?

 

そうですわね……まず最初に感じたのは威圧感でした。まぁ、わたくしの態度が好ましくなかったこともあるのでしょうが、肉食獣を前にしているかのような錯覚を覚えましたわ。力を持っていながらそれを誇示せず、自らの圧倒的優位を確立したまま他者をあしらう……そんな感覚でした。

 

今は全然違う……というよりは、正反対ですわ。

 

どう表現したら良いのでしょうか……、なんというか、奪われたくないものを必死に守る子供のような……。あ、いえ、決して透夜さんが子供っぽいとか、そういうことではありませんわよ? ただ、雰囲気がどこか危うい感じもしますね。

 

好きなものですか?

 

コーヒーでしょうか。食後などに飲んでいるのをよく見かけますし。それと、お肉料理も結構な頻度で召し上がっていますわね。後は……味の濃いものでしょうか?

 

最後に一言?

 

……無茶だけはしないで下さいね。わたくし達を守ることが、貴方が傷付いて良い理由にはなり得ないのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――一夏のことについて?

 

別に構わないけど、手短にね? あたしも案外暇じゃないんだから。

 

まずは……性格かぁ。

 

熱血、一直線、直情的、楽天家。どれも当てはまるんじゃない? マイナスな面で言ったら、そうね……ちょっと考えなしに動くところがあるかも。今まではまあ、それでもなんとかやってこれたからいいんだけど……これからのことを考えると、もう少し熟考してから動くべきかもね。

 

得意なこと?

 

家事全般ね。料理洗濯掃除、そこらの女子よりスキル高いと思うわよ。……ま、あいつの家庭事情からすれば当然っちゃ当然なんでしょうけど……これはプライベートになるから教えないわよ。知りたきゃ一夏に直接訊いてみなさい。

 

苦手なこと……。

 

あんまり聞かないわね。ああ見えて飲み込みは早い方だから、教えれば大体のことは出来るようになるわ。今も透夜から色々レクチャーしてもらってるらしいけど、成長速度は結構なもんよ。負けず嫌いってのも関係してると思うけど。

 

最後に一言?

 

ま、あたしたちよりも強くなれるよう頑張んなさい。……守ってくれるんでしょ? あたしたちのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――え? 一夏のこと?

 

はい、いいですよ。って言っても、僕が知ってることなんて皆も知ってることだと思いますけど。……え? 一時期同室だったシャルロットちゃんだから……って、わー! わー! そ、その話はなし! だめです! 忘れてください!!

 

うぅ……一夏の雰囲気?

 

えっと……なんていうか、太陽みたいな感じだね。いつも笑ってて、周りも笑顔にしちゃうし、一夏のそばにいると嫌なことも忘れられるんだ。でもほら、太陽って人間じゃあ動かしようがないでしょ? だから一夏をどうこうしようって思っても、あんまり効果がないんだよね……あはは、はぁ……。

 

あ、すいません。次は、周囲からの評価ですか?

 

他の人たちがどう思っているかは分からないですけど、嫌っているって話はあんまり聞かないですね。表面に出していないっていうだけで、もしかしたら疎ましく思っている人もいないとは言い切れないですけど……でも、一夏のことだからそういうことはあんまり気にしないんじゃないかな。

 

一夏の好物?

 

うーん、なんだろう。基本的に好き嫌いはしないし、どんなものでも美味しそうに食べるから、大体なんでも好きなんじゃないかな? あ、でも『やっぱり和食はいいな』って言ってたことがあるから、和食なんじゃないかな?

 

最後に一言?

 

えーっと……月並みな言葉になっちゃうけど―――いつもありがとう一夏。え、えへへ、なんだか恥ずかしいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――師匠についてか?

 

何故私がそんなことを教えなくてはならない? 知りたければ自分で情報を得るのが当然だろう。大体、こそこそと情報を集めて一体何を……ッ!? …………、まぁ、今回だけは特別だぞ。特別だぞ! ―――そのにやけ顔を止めろ貴様ぁ!!

 

フン! ……で、何を聞きたい? ……師匠のどこが良いか?

 

そうだな……あの卓越した操縦技術や戦闘能力は勿論だが、常に状況を俯瞰できるあの冷静さは素晴らしい。焦りは綻びを生み、その小さな綻びは大きな傷へと繋がるからな。そしてなにより、あの人の強さの根底にあるのは『揺らがない意思』だ。

 

織斑はよく誰かを守ると口にしているだろう? だが、師匠のそれは織斑の比ではない。己が持つ全てを擲ってでも私たちの盾となるだろう。……だが…………、いや。何でもない。

 

次はなんだ? 嫌いなもの?

 

菓子類やクリーム等の甘いもの全般だろうな。テーブルに乗っていても殆ど手をつけないし、コーヒーも必ずブラックだ。それと、物ではないが無駄なことを嫌う。意味のない行動、時間の浪費、成果のない仕事。まあ、誰でもそんなものだろう。私だってそうだ。

 

……最後に一言?

 

―――貴方は私に道を示してくれた。自らの望んだ道を進めと言った。故に私は貴方の側で、貴方の姿をこの眼に焼き付ける。私の、ラウラ・ボーデヴィッヒの人生に意味を与えてくれた貴方の姿を以て、私の進むべき道を探し求めようと思う。だから―――どうか、これからも私を導いてくれ。

 

……なに? ちょっと重すぎる? わけのわからんことを言うやつだ。とにかくこの写真は私のだからな……ふふっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――え? 織斑くんと鈴科くんのこと、ですか?

 

構いませんけど……私もそこまで詳しく知っている訳ではないですから、教師としての立場からしか言えませんよ?

 

普段はどんな感じか、ですか?

 

そうですねぇ……鈴科くんはあまり自分から動くタイプではないので、授業中もそれ以外の時も、結構静かで大人しいですよ。一人に慣れているっていうか、あんまり人付き合いが得意ではないのかもしれませんね。ですから、オルコットさんやボーデヴィッヒさんたちと話しているときはちょっと安心します。

 

逆に織斑くんは、いろんなことに自分からチャレンジしていくタイプですね。その積極性は、教師から見ても大変好ましいと思いますよ。飲み込みも早いので、こちらとしても教え甲斐がありますね。周囲には常に人がいる感じで、どこでもムードメーカー的な役割を果たしています。

 

えぇっ!? お、弟にするならどちらが良いか、ですか!?

 

えぇぇぇ……!? でも、お、織斑くんはもう織斑先生がいますし、そうなると鈴科くん……? もし弟だったら、私のことをなんて呼んでくれるんでしょうか? ……お姉ちゃん、はないでしょうから……姉さん? 姉貴? はぅあぅあぅ……!!

 

―――なにをやっているか、馬鹿者。あまり教師を困らせるな。……なに? 丁度良かった?

 

……織斑と鈴科についてか? 私に訊いたところで、姉目線から答えはせんぞ。

 

織斑は……ISに関しては、素人に毛が生えた程度のレベルだろう。学業の方は並みだな。意欲はあるが、結果が出ているかどうかと訊かれたら……首を捻らざるを得んな。

 

鈴科は、そうだな。操縦技術は中々のものだ。戦闘というものもよく理解しているが、『ISでの戦闘』に関しては若干経験が足りていないか。だがまあ、アイツならその内克服するだろう。学業に関しては、授業態度以外はほぼ言うことなしだな。生徒として見るには一番厄介なタイプだ。

 

そら、質問は以上だ。さっさと帰れ。教師はお前たちと違って暇じゃないんだ。それとも私たちの代わりに仕事を片付けてくれるのか? ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――あら薫子ちゃん。生徒会に何かご用事?

 

え? 透夜くんと一夏くんについて? 私に取材? 珍しいわねぇ。それじゃ、二人のあーんなことやこーんなことをたっぷり教えてあげるわ♪

 

まずは……二人の恥ずかしい話? 変なことから聞くのねぇ……まあ、いいけど。

 

うーん……透夜くんはあんまりそういうの―――あ、あったわ。私と同室だったころの話なんだけどね? 透夜くんって、朝にすっごい弱いじゃない? だから、起き抜けとかは結構隙だらけなのよ。で、暇だったからなんとなーく観察してたら、透夜くんが寝惚けて洗面所の扉におでこぶつけちゃったの! その時の『おァ?』っていう声がまた面白かったのよー! いやー、あれはカメラに収めておくべきだったと後悔してるわ。

 

……え? 何? 後ろ?………………あ、あら透夜くん。ごきげんよ―――痛たたたたたたたたっ!? ちょ、薫子っ、待ちなさい!! 逃げるなぁ!! 待って透夜くん落ち着いて!! 誰かっ、誰か助けていやぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ネタ要員楯無さん。
と、セシリア嬢、11巻表紙おめでとうございます!
誕生日クリスマスイブだったのね……


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人物データ

一章毎に更新していきます。


名前:鈴科透夜(一方通行)

性別:男

所属:日本

IS適性:A

専用機:夜叉

 

篠ノ之束が開発した転移装置によって別世界へと飛ばされてきた、学園都市序列第一位の超能力者。演算能力・情報処理能力・空間把握能力が非常に優れているため、ISとの親和性は世界でもトップクラス。

 

現実主義者であり、相手が誰であろうと歯に衣着せぬ物言いや遠慮のない指摘をする。一夏のように鈍感なのではなく、好意を向けられた経験そのものが殆どないため、純粋な好意を向けられることに慣れていない。

 

過去に犯した過ちを悔いており、自らの手で誰かを守ることに自分が力を手に入れた意味を見出そうとしている。

 

料理はしたこともない。

 

機体

 

和名:夜叉

型式:XX-00

世代:第三世代

国家:n/a

分類:全距離対応射撃型

装備:対実弾用プラズマシールド

思考感応型射撃システム『幻月』

装甲:演算型衝撃拡散性複合装甲

仕様:ベクトル反転性攻性障壁

展開装甲(試製型)

 

シールドエネルギー:660

スラスターエネルギー:980

火力:C~SS

装甲:C

機動性:A+

最高速度:S

燃費:D+

近距離:A++

中距離:A

遠距離:C-

 

展開装甲内蔵大型ウィングスラスター:二基

小型補助スラスター:二基

 

武装データ

 

『展開装甲』

篠ノ之束が開発途中である第四世代兵装、展開装甲の試験運用モデル。背部スラスターと腕部・脚部装甲に組み込まれており、攻撃・防御・機動と状況に応じて使い分けることによって多様な戦法をとることができる。

エネルギー配分の大幅な変更は本来ならばチューニングをしなければ行えないが、能力でシステムの直接書き換えを行えるため例え戦闘中であっても戦闘スタイルの変更が可能。

 

『VROS』

Vector-Reversible-Offensive-Shield

一方通行の演算パターンをISの演算領域に転写、イメージインタフェースとPICの応用によって『ベクトル変換能力』をIS仕様に改装した空間圧作用兵器。

本来の『自身の皮膚に触れたあらゆるベクトルを操る』能力とは事なり、指定した場所に力場を展開し、そこに触れたベクトルを操作する。展開できる力場の数と面積は反比例する。ベクトル操作を行う度に大量のエネルギーを消費する為、無闇矢鱈と展開できるわけではない。

 

『思考感応型射撃システム・幻月』

照準から射撃の全てを思考によって操作する、イメージ・インタフェース系兵器の究極とも言える射撃型特殊武装。強固な『自分だけの現実』と高い空間把握能力を持つ一方通行との相性は抜群である。エネルギー消費は跳ね上がるが、VROSとの併用で擬似偏向射撃が可能。

 

備考

 

『天災』篠ノ之束が一から作り上げた、一方通行の専用機。開発途中である展開装甲や、より発展したイメージインタフェースの搭載など世界水準を大きく上回る最新鋭機。機体そのものは第三世代だが、第四世代の武装を試験的に搭載しているため第三世代後期型もしくは第四世代試験機といったところ。

 

 

 

 

名前:織斑一夏

性別:男

所属:日本

IS適性:B

専用機:白式

 

『世界最強』織斑千冬の弟にして世界初の男性IS操縦者。千冬の弟であることが関係しているのではないかと言われているが、何故彼がISを動かせるのかは全くの不明。

 

熱血思考で直情的であり、自分の実力を弁えない行動をとることも多い。根は善良なのだが些か視野が狭く、自分が他人に及ぼす影響や今後の影響等を考えることが少ない典型的なヒーロー気質の人間。

 

両親に捨てられて以来女手一つで自分を育て上げてくれた千冬を非常に尊敬している。有り体に言えばシスコン。

 

料理の腕はかなり高い。

 

 

名前:篠ノ之箒

性別:女

所属:日本

IS適性:C

専用機:紅椿

 

『天災』篠ノ之束の妹。束がISを開発したことによって転居を余儀なくされ一夏と離別、そしてその束は雲隠れという出来事から実姉である束を嫌っている。

 

武人気質なところがあり、喋り方や考え方が若干古風。全中優勝の経験がある通り剣の腕は凄まじく、篠ノ之流剣術の免許皆伝も近いと言われている。一夏に好意を抱いている。

 

料理の腕は酷かったが最近上達してきたらしい。

 

 

 

名前:セシリア・オルコット

性別:女

所属:イギリス

IS適性(BT適性):A

専用機:ブルー・ティアーズ

 

イギリスの名家オルコット家の現当主にしてイギリス代表候補生。幼い頃両親を亡くして以来、莫大な資産と御家を守るためにISに乗ることを決意した。

 

イギリス貴族らしい自信と優雅さを兼ね備えるが、その実弱点を克服するため鍛錬を欠かさないなど努力家な一面もある。一方通行に対し好意を抱いているが、自らが彼と対等な立場になるまで想いを伝えないという制約を己に課している。

 

料理の腕は壊滅的なまでに低い。

 

 

 

名前:凰鈴音

性別:女

所属:中国

IS適性:A

専用機:甲龍

 

中華料理店の娘という平凡な出から、並々ならぬ努力を重ねて成り上がった中国代表候補生。一時期日本に滞在していたが、両親の離婚を切っ掛けに母国へ戻った。

 

大雑把な性格であり、自身の興味が湧かないことに対しては結構サバサバしている。が、その反面自身がコンプレックスとしている体型の話題を弄られると烈火の如く怒り狂う。一夏に好意を寄せている。

 

料理店の娘だけあって、中華料理は絶品とのこと。

 

 

名前:シャルロット・デュノア

性別:女

所属:フランス

IS適性:A

専用機:ラファール・リヴァイヴ・カスタムII

 

フランスの大企業、デュノア社の社長アルベール・デュノアとその愛人との間に生まれた妾の娘。母の死を切っ掛けに父親に引き取られ、フランス代表候補生となる。

 

温和な性格であり、誰に対しても丁寧且つにこやかに接する。がしかし怒らせると一転、その変わらない笑顔が非常に怖いと言われている。一夏に好意を寄せている。

 

料理の腕は結構高い。

 

 

 

名前:ラウラ・ボーデヴィッヒ

性別:女

所属:ドイツ

IS適性:A

専用機:シュヴァルツェア・レーゲン

 

『ドイツの冷氷』の二つ名を持つドイツ代表候補生。人工的に産み出された遺伝子強化素体であり、ドイツ軍IS配備特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』の隊長でもある。階級は少佐。左目にIS用補佐ナノマシン『越境の瞳』を移植しており、肉眼でも最大2キロ先の標的を捕捉可能。

 

性格は非常にドライ。親しい者に対してはそれなりに素を見せるが、それ以外の者に対してはかなり冷たい。時折間違った知識を鵜呑みにしていることがあるが、それは大体黒ウサギ隊副隊長クラリッサの仕業である。

 

料理の腕はそこそこ。

 

 

 

名前:織斑千冬

性別:女

所属:日本

 

かつて『世界最強』として世界に名を轟かせ、第一線を退いた今もなおその名を知らぬ者はいない、第一回モンド・グロッソ総合優勝者にして格闘部門優勝者。第二回モンド・グロッソの際に一夏が拉致され、それを助けるためにと大会二連覇のチャンスを棄てた。

 

篠ノ之束が唯一親友と呼ぶ人間であるが本人曰く『ただの腐れ縁』。人間離れした身体能力を持ち、生身であってもIS用近接ブレードを軽々と振るう。剣の腕は非常に高く、篠ノ之流剣術の師範代でもある。

 

公私はキッチリと区別するが、唯一の肉親である一夏を気にかけておりその点においては若干甘い。有り体に言えばブラコンである。

 

料理の腕は割と低い。

 

 

 

名前:山田真耶

性別:女

所属:日本

 

IS学園一年一組の副担任。かつては日本代表候補生を務めたこともあり、射撃の腕は一級品。千冬の後輩でもあり、先輩である千冬を非常に尊敬している。根っからの苦労人体質で、最近は書く書類の数が一向に減っていかないのが悩みの種。

 

料理の腕はそこそこ。

 

 

 

名前:更識楯無

性別:女

所属:?

IS適性:A

専用機:?

 

IS学園生徒会長にして、対暗部用暗部『更識』の十七代目当主。文武両道かつ眉目秀麗で、一見すれば完璧超人に見えるがその実いたずら好きであり、度々一方通行などをからかっては制裁を食らっている。

 

トレードマークともいえる、文字が書かれた扇子を持ち歩いているが、それがどういう原理なのかを知る者は極少数。簪という妹がいる。姉妹仲は悪いようだ。

 

料理の腕は非常に高い。

 

 

 

名前:更識簪

性別:女

IS適性:?

専用機:?

 

楯無の妹。姉である楯無との仲は悪い。

 

 

 

 

名前:篠ノ之束

性別:女

所属:?

 

自称他称『天災科学者』。ISの生みの親であり、世界最高の頭脳を持つ。自らの開発によって最愛の妹が憂き目に遭ってしまい、姉妹仲は最悪。しかしそのことに対して束が引け目を感じている様子は見られない。

 

千冬と一夏、箒以外の存在は眼中にない。本人曰く『人間の区別がつかない』とのこと。自分の考えが理解できる頭脳と、超能力という異能を持つ一方通行のことは結構気に入っているらしい。

 

料理はしたことすらない。

 

 

 

名前:クロエ・クロニクル

性別:女

 

束が『娘』とまで呼ぶ少女。どういう経緯で束に気に入られ彼女のもとに居るのかは不明。普段は束の研究室で彼女の生活や研究の手伝いをしている。一方通行とは顔見知り。

 

料理の腕は低いが目下修行中。




気になることや質問等ありましたら感想ではなく、作者に直接メッセージを送って頂きますようお願い致します。


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二章
一話


爆音と共に、両肩の非固定浮遊武装から不可視の弾丸が立て続けに放たれる。紙一重で避けていくものの、雪片弐型の間合いまで接近することができない。

 

「―――っ、くそ! 」

 

「はんっ! 次に来る攻撃が分かってるならいくらでも対処のしようはあるわ! 当たらなければなんとやら、ってやつよ!」

 

福音との戦闘を経た白式は二次移行を遂げているが、それが一概にメリットばかりであるとは言い切れなかった。

 

まず第一に、大型ウィングスラスターが四基に増設されたことによる燃費の大幅な悪化。自らのエネルギーを転換して発動する零落白夜の仕様もあって、元々コストパフォーマンスが良いとは言えなかった白式だが、更にエネルギー消費が激しくなっている。

 

第二の問題として、新たに追加された多機能武装腕(アームド・アーム)『雪羅』。こちらはエネルギーを消滅させるバリアー『霞衣』、大型荷電粒子砲、零落白夜の能力を有するエネルギークローとの使い分けが可能である。が、零落白夜の二刀流なので、やはりというか燃費は倍に跳ね上がる。

 

第三に、遠距離武装の大型荷電粒子砲の使い勝手が非常に悪かった。撃つためにはチャージ時間を要し、その間は他の操作をすることが出来ない上に、連射速度も決して良いとは言えない。一分に五発撃てれば上出来だが、それだけでエネルギーはごっそりと持っていかれる。

 

全てにおいて『燃費が悪すぎる』という大きな問題点を抱えた白式は、とかく持久戦に弱い。よって、安定性と燃費を第一に設計された甲龍とはすこぶる相性が悪かった。距離を詰めようとすれば衝撃砲で接近を阻まれ、退こうとすれば双天牙月による高速斬撃の嵐が放たれる。代表候補生である鈴音は、一夏のようなインファイターが最も嫌う戦い方を熟知していた。

 

「確かに機体は強くなったみたいだけど……あんたにはまだまだ経験が足りてないわね!!」

 

「ぐぅ、おおおおおッ!!」

 

斬撃、衝撃砲、蹴り、斬撃、斬撃、衝撃砲―――。

 

双天牙月の肉厚の刃から放たれる重い一撃を耐えれば即座に蹴りが飛び、それをブロックすれば今度は衝撃砲の連射がシールドを削りにかかる。じわじわと減っていくシールドエネルギーの数値を横目に捉えた一夏が歯噛みした瞬間、今まさに打ち合わせようとしていた双天牙月が量子に還る。

 

「なっ!?」

 

「代表候補生舐めんじゃないわよ!!」

 

パリィが空振りに終わり、体勢を崩した一夏に隙が生まれる。それを見逃さずに素早く一夏の懐に飛び込んだ鈴音の掌底が、装甲に守られていない一夏の腹部に深々と突き刺さった。

 

絶対防御が発動し、シールドエネルギーが大きく減少する。掌底の衝撃が絶対防御を通り抜け、腹部に走る鈍い痛みに顔を歪めた。一夏が反撃の一撃を見舞うよりも早く、腕部衝撃砲『崩拳』が白式のシールドエネルギーを食らい尽くす。

 

鳴り響く試合終了のブザー。

 

悔しそうに眉を寄せる一夏とは対照的に、鈴音は満足そうに腕を組んでニヤリと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長いようで短いような夏休みも終わりを迎え、再び授業に精を出す毎日がやってきた。二学期最初の実践訓練は、一組二組の合同練習で幕を開けていた。

 

午前中の授業が終わり、腹を空かせた生徒たちで賑わう食堂の一角。海を一望できる大窓の近くで、且つ直射日光が当たりにくい席。特に決まっているわけではないが、一方通行は空いていれば基本的にそこへ座る。そして彼を慕うセシリアとラウラが彼に続き、貴重な男付き合いを逃したくない一夏が加わり、そんな一夏の隣の座席を狙って箒と鈴音とシャルロットがしのぎを削る。

 

所謂『いつもの面子』というやつだ。

 

「だー……くそ、なんで勝てないんだ……?」

 

「あれだけエネルギーを食う装備をポンポン使いまくってたらそりゃ勝てないでしょ。ただでさえ燃費悪いんだから、ちょっとはペース配分ってのを考えなさいよ」

 

「ぐぬ……」

 

前半戦・後半戦共に鈴音に敗北を喫した一夏は、不満そうに唸りながら昼食の鯖味噌煮を白米と一緒にかきこんだ。柔らかい身に濃厚な赤味噌が絡まり、鯖の脂がそこに極上の旨味を加える。ふっくらと炊かれ艶々と輝く白米と共に噛み締めれば、お互いの味が渾然一体となってえもいわれぬ多幸感が胃袋を満たした。

 

様々な国籍の生徒が集うIS学園は、流石と言うべきか料理の国籍もかなりのものだ。和洋中はもちろん、フランスやイタリア、ドイツ、メキシコ、フィリピンやオーストラリアと大小様々な国の有名料理や伝統料理を味わうことができる。

 

「ラウラ、それ……えーと、なんていう料理だっけ」

 

「シュニッツェル。仔牛のカツレツだな」

 

「そう、シュニッツェル。一口貰ってもいい?」

 

「構わんぞ。そら」

 

切り分けられたシュニッツェルを頬張るシャルロット。もぐもぐと咀嚼して味わっていたが、やがてその顔が幸せそうに緩んだ。

 

ドイツと言えばソーセージもしくはジャガイモをイメージしがちだが、その影に隠れた美味な料理は多い。

 

挽き肉とほうれん草、玉ねぎ等の野菜をパスタ生地で包んだものをスープで煮込んだマウルタッシェ。白アスパラに卵黄・レモン・バターのソースをかけたシュパーゲル。チーズの代わりにサワークリームであっさりと仕上げたドイツのピザ、フラムクーヘン。余談だが、『クーヘン』はドイツ語でケーキを指している。

 

他にも、数あるソーセージの中でもドイツ国民に最も愛されているニュルンベルクソーセージや、スープというよりシチューに似ている、ジャガイモをたっぷりと使ったコクのあるカトッフェルズッペ。

 

「いくつかはここの食堂にもあったはずだ。一度食べてみるといい。ドイツの料理はどれも絶品だからな」

 

祖国の料理が褒められて満更でもないのか、胸を張って自慢気にそう締めくくるラウラ。そんな彼女の話に興味を惹かれたのか、すぐさま女子たちの料理談義が始まった。

 

「ふむ、ドイツ料理か。だが、やはり日本に来たなら和食だろう。あの繊細で深い味わいは和食ならではのものだ」

 

日本料理代表・篠ノ之箒。

 

大和撫子を体現したようなこの少女はやはり、幼少から慣れ親しんできた味を推した。しっかりと考えられた栄養バランス、季節の野菜や旬の食材をふんだんに使った彩り豊かな料理は世界にも人気が高い。

 

出汁ひとつとってみても、鰹、昆布、椎茸、いりこ、あご、野菜等々。『美味しい食材に美味しい調味料を使えば美味しい料理が出来る』という考えではなく、過度な味付けをせず、素材の味を十二分に引き出して味わう日本食は「引き算の料理」と表される程だ。

 

「ちょーっと待ちなさい。料理って言ったら、中国無しには語れないわよ? 四千年の歴史は伊達じゃないんだから!」

 

中国料理代表・凰鈴音。

 

世界三大料理に数えられる中国料理、すなわち中華は地域によって様々な料理がある。濃い味で塩辛めの北京料理、香辛料を多く使う四川料理、薄味で素材の味を生かした広東料理、甘味が強めの上海料理と大雑把に括っても四つに別れる。

 

調理方法も多様で、炒め方だけでも十種類近く、そこへ調味料を加えて変化を出せばその数は百を越える。それが更に地域に適したものへと細分化し、結果として何万という数の料理が作り出された。

 

かつて国内が無数に分裂していた事とも関わりがあるため、正に料理が国の歴史を表していると言っても過言ではない。

 

「えっと、じゃあ、はい! 中国には負けちゃうけど、フランス料理にもいろいろ系統があるんだよ?」

 

フランス料理代表、シャルロット・デュノア。

 

元は宮廷料理として発達したフランス料理は、様々な種類のソースが特徴だ。そう聞くと高級で手が出しにくいと思われがちだが、気候や名産品の特色を生かした郷土料理も多い。

 

家庭料理の代表とも言えるポトフや、トマトやオリーブオイルを多く使うプロヴァンス料理、バターや生クリーム、リンゴ等を使うノルマンディー料理、ブッフ・ブルギニョン(牛肉の赤ワイン煮込み)で有名なブルゴーニュ料理。

 

バゲットやパン・オ・セグル、パン・ド・カンパーニュ、パン・コンプレ等といった、所謂『フランスパン』も有名だろう。

 

「わたくしの祖国ことイギリスは―――」

 

「座っていろセシリア。英国(お前)の出る幕はない」

 

「扱いが酷くありません!?」

 

待っていたとばかりに立ち上がりかけ、ラウラの痛烈な突っ込みによって涙目になっているのはイギリス料理代表・セシリア・オルコット。

 

「み、皆さんイギリスのお料理をバカにしますけれど、美味しいお料理だってたくさんあるんですのよ!?」

 

そもそも、『イギリスの料理がマズい』という風潮が広まったのはかつての上流貴族達が原因である。

 

十六世紀中頃、宗教改革に伴って現れた支配層、所謂『ジェントルマン』達は自分達と下層民との違いを示すために様々な定義を定めた。その中の一つに『暴飲暴食はせず、質素な食事をすべし』というものがある。支配層が食に関心を持たなければ、その文化が発展しないのは当然だ。

 

そして十八世紀、産業革命が起こり農村に住んでいた人々の殆どが都市部へ移住した。それによって、辛うじて伝えられてきた民衆の伝統料理すら断絶してしまったのだ。

 

がしかし、それも過去の話。

 

イギリスに行ったら必ず食べろと言われるイングリッシュ・ブレックファストをはじめ、挽き肉を包んだミートパイ、ゆで卵を挽き肉で包んで揚げたスコッチエッグ、サーモンやクリームチーズ、ハムや卵を挟んで食べるイングリッシュマフィンサンド、産業革命時の民衆を支えたフィッシュ&チップス等々。

 

「英国の料理が美味しくないというのは昔の話であって、今はそこまで酷くはありませんっ!! ですから料理の話題で村八分にするのはやめてくださいませんこと!? わたくし泣きますわよ!?」

 

既に半泣きである。

 

「冗談だ、そう腹を立てるな。ほら、私のシュニッツェルをやろう」

 

「あたしの麻婆豆腐あげるから元気出しなさい」

 

「半分やろう、青魚は健康に良いからな」

 

「僕のカルボナーラもあげるね。はい」

 

「バカにしてますわね? 皆さんわたくしをバカにしてますわね? 上等ですわ受けて立ちますわ一発で眉間を撃ち抜いて差し上げますから今すぐそこへ直りなさぁぁああいっ!!」

 

「なぁ鈴科、エネルギー消費を抑えるコツとかないのか? このままだと午後も悲惨なことになりそうだ」

 

わいわいと盛り上がる女子達を尻目に分厚いステーキを食べていた一方通行に、一夏がそう訊ねた。白式ほどではないにせよ、夜叉の燃費もあまり良いとは言えない。それでも白星を重ね続けているこの少年からなにかを聞き出せれば、と考えてのことだ。

 

問いを受けて、咀嚼していたステーキをごくりと飲み込んだ一方通行が気だるそうに口を開いた。

 

「消費を抑えたかったらまずは立ち回りを変えるこったな。オマエは回避に無駄なエネルギーを割きすぎだ。対狙撃制動を覚えりゃ消費は減るし、瞬時加速を使わねェ離脱の方法もある」

 

「立ち回り、か」

 

「ンでもって、命中率ゼロのその荷電粒子砲は使うな。余計なエネルギー消費が増えるだけだ。そンなら全部スラスターに回した方が得策だ」

 

「なるほど……サンキュー鈴科! よし、午後は絶対勝ってやるぞ!」

 

気合い十分といった体で食事を再開する一夏と、未だにドタバタと騒ぐ女子達、そしてそれを眺めながらコーヒーをすする一方通行。まだまだ残暑が厳しい九月の昼下がりは、のどかに平和に過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……、ふぅ……」

 

制服に着替え、ロッカーの扉を閉めたセシリアの唇から物憂げなため息が小さく漏れた。

 

午後の実習は軽い空中制動訓練と併せての模擬戦だったのだが、その成果が彼女にとって満足のいくものではなかったのだ。

 

対戦相手に選ばれた一夏の白式は、セシリアのブルー・ティアーズにとって天敵と言っても過言ではない程に相性が悪い。何せ、武装の九割がエネルギー兵器の機体とすべてのエネルギーを消し去る機体だ。仮にブルー・ティアーズのレーザー出力を百倍まで引き上げたとしても、霞衣を突破することは叶わないだろう。

 

早々に火力勝負に見切りをつけたセシリアは、自ら隙を晒すことで一夏に零落白夜を使わせ、エネルギー切れを誘った。だがこれでは『試合に勝って勝負に負ける』というもの。

 

勝ちは勝ちだ。それは変わらない。

 

だが、そんな勝利で喜べるほどセシリアのプライドは安くなかった。自らの実力で、相手を正面から打ち倒さなければ意味がないのだ。機体の相性を抜きにしても、つい数ヵ月前までド素人だった一夏に苦戦するようでは笑い話にもならない。一夏のことを見下しているわけではないが、それでも―――そんな思いがセシリアの心を覆っていた。

 

現在の模擬戦スコアは、上から透夜、ラウラ、シャルロット、鈴音とセシリアが拮抗しており、最後に一夏と箒。第四世代という超スペックの機体を持つ箒が最下位なのは、やはり実践経験が圧倒的に足りていなかったのが原因だ。

 

呼び出した機体データに表示されている『BT稼働率38%』の文字を見て、再び小さなため息が出る。

 

(何が足りないのでしょう……? イメージ? 機体への信頼? 自信? 経験? センス? 技術? 実力?)

 

機動面に関しては、自分が師事する少年に指導してもらい格段に成長した。だが、BT兵器に関してはセシリアの問題だ。あの少年の手は借りられない―――否、借りるわけにはいかない。

 

そこを他人に頼ってしまっては、セシリアがこの機体に乗る意味が無くなってしまう。今までの積み重ねを塵に還すのと何ら変わらない。それだけはできない。やりきれない気持ちを押し殺すように、拳を小さく握り締めた。

 

「何をしている? 皆既に教室へ戻っているぞ」

 

かけられた声に振り向くと、怪訝そうな表情のラウラがこちらへ向かって歩いてくるところだった。考え事に没頭していたせいか、既に更衣室は閑散としており残っているのもずっと駄弁っていた数人だけだ。だが彼女たちも、よく通るラウラの声に慌てて出口へ向かっていく。

 

「……そういうラウラさんは何故ここに?」

 

ふ、と手の力を抜きながら、平静を装ってそう訊ねた。

 

「私としたことが忘れ物をしてしまってな」

 

言いながらラウラは自分のロッカーを開き、何やら一枚の紙切れのようなものを取り出すと大事そうに懐へ仕舞い込む。そうして、横目でちらりとセシリアを見てから扉を閉めた。

 

「セシリア」

 

名前を呼ばれ、顔を上げた瞬間セシリアの額に何か固いものが割と洒落にならない速度で直撃した。鈍い音が響き、一拍遅れてやってきた鈍痛に額を抑えてうずくまる。ぷるぷると震え、じわっと涙まで滲んできた視界にころりと転がる円形の何か。

 

―――ドイツ軍の携帯食料(レーション)だった。

 

「なぁにを考えているんですのぉぉっ!! 事と次第によってはブルー・ティアーズで蜂の巣にされても文句は言わせませんわよ!?」

 

キレた。

 

普段は温厚なセシリアも流石にキレた。そもそも何の脈略も無しに顔面シュークリームならぬ顔面レーションを食らって笑顔のままだったら逆に恐ろしい。勢いよく起き上がったセシリアは早足でラウラに歩み寄ると、その端整な顔を痛みと怒りに歪めて詰め寄った。

 

当のラウラはセシリアの剣幕に全く怯むこともなく、

 

「ふむ。私の睨んだ通りだな」

 

「何が―――!」

 

「そうやっている方がお前らしい」

 

はっ、と。

 

その一言で、熱されていた頭が急速に冷えていくのを感じた。確かに、この少女が理由もなくあんなことをするとは思えない。では―――

 

「……まさか、わたくしを元気づけようと……?」

 

セシリアの問いに、ラウラはニヤリと笑って答えた。

 

「言葉での慰め方など私は知らんからな。だが、効果はあっただろう? 荒療治、というやつだ。辛気臭い面を見せていないで、いつものように振る舞うがいいさ」

 

友人の不器用な優しさに、心が暖かくなるのと同時に頭の中の靄がすっきりと晴れていくような感覚を得た。

 

そうだ。

 

いつまでもぐだぐだ悩むなんて、全くもって自分らしくない。いつだって『自分なら出来る』と信じてやってきた。このセシリア・オルコットに出来ないことはないと、様々な困難を乗り越えてきた。ならば今回も、どうして乗り越えられないことがあろうか。

 

「ラウラさん……感謝しますわ」

 

「なに、礼など要らんさ。……では、私は先に戻っているぞ」

 

銀髪を靡かせ、軍靴の音も高らかに更衣室の出口へ向かうラウラ。その後ろ姿を見送りながら、セシリアは足元に転がっていたレーションを拾ってゆっくりと振りかぶった。

 

ラウラの慰めは純粋に嬉しかった。だが―――

 

「それとこれとは話が別ですわぁぁぁぁああああ!!!」

 

更衣室に、再度鈍い音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二話

全校集会。

 

読んで字の如く、全校生徒を集めて行う集会である。その内容は様々で、定期試験前に勉学の意義を説くこともあれば長期休暇の注意事項、学校行事の日程や内容の告知等々多岐に渡る。IS学園もその例に漏れず、九月の中頃に開催される学園祭についての集会を行っていた。

 

しかし、遊びたい盛り、喋りたい盛りの女子高生たちが百人単位で一堂に会せば騒がしくなるのは必然。360度全方位を女子に囲まれている男子二人、一夏はほんのり引き気味で。一方通行はあまりの喧しさに先程から周囲の音を反射している。その反射された音で一夏の被害がさらに大きくなっているのだが知ったことではなかった。

 

生粋のドイツ軍人として集団行動や規律を重んじるラウラは、周囲の喧騒が心底煩わしいと言わんばかりに直立不動の姿勢のままで眉根を寄せていたが、こちらは数少ない例外だ。

 

―――女三人寄れば姦しいとはよく言ったものである。

 

普通の学校ならばここで何度も何度も教師の注意が飛ぶところだが、そこは流石にIS学園。三年の生徒会役員の静かな一言で、水を打ったように講堂が静まり返った。

 

無音の講堂に革靴の音が響く。

 

その音の主は、全校生徒の視線を一身に浴びながら、芝居がかったように優雅に、一流モデルのように大胆に歩を進めていく。やがて壇上の中央で立ち止まり、少女のように無邪気で、遊女のように妖艶で、聖女のように穏やかな微笑みを浮かべた。

 

講堂のあちこちから熱っぽい溜め息が漏れる。

 

人間、美しさが度を越すと性別の概念が消え去るといわれるがまさしくその通りである。男女問わず魅了する魔性の微笑みは、ある意味では凶器に等しい。

 

そんな生徒たちの反応に満足したのか、少女―――更識楯無は小さく頷いた。

 

「さてさて、今年は予期せぬイベントがたくさんあったから、こうした正式な場での挨拶はまだだったわね。私の名前は更識(さらしき)楯無(たてなし)。この学園の生徒会長を務めているわ。よろしくね」

 

いつものように扇子を取り出し、真横に払う。その動きに合わせて、巨大な空間投影型ディスプレイが壇上に出現した。

 

「さて、今月の学園祭についてだけど、今回はなんと特別ルールを追加したスペシャルなものになっているわ。そしてその内容は―――」

 

小気味良い音と共に開いた扇子には『群雄割拠』。

 

「部活動展の投票で一位に輝いた部活に鈴科透夜または織斑一夏を強制入部させる―――名付けて『各部対抗男子争奪戦』!!」

 

楯無の叫びに呼応するように、ディスプレイに一方通行と一夏の顔写真が大きく表示される。当の本人たちはといえば片方は頭痛をこらえるように額に手を当て、片方はなんとも間の抜けた声を上げた。そんな二人とは対照的に、極上の景品をちらつかせられた女子たちの反応はそれはそれは凄まじく、

 

「うおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

「出し物なら任せて下さい! この沖田さんの超絶技巧で皆さんの注目を一気に―――コふッ」

 

「ちょっ、また沖田が吐血したわよ! 誰か担架持ってきなさい担架!」

 

「アイエエエ!? ナンデ!? 吐血ナンデ!?」

 

「是非もないよネ!」

 

「我々は賢いので、すでに作戦を考え始めています」

 

「み・な・ぎ・っ・て・き・たァァァアアア!!」

 

「ちくわ大明神」

 

「誰だ今の」

 

完全に暴走状態に陥ってしまっているらしく歯止めなど効かない状態である。女だからと侮ることなかれ、むしろ女であるからこその弾けっぷりとも言えるだろう。

 

「……な、なぁ鈴科。これって俺らの了承とか……」

 

「……楯無(アイツ)のやることに常識を求めるだけ無駄だと思うがな」

 

心の底からうんざりした顔で一方通行が目線と首の動きで示した壇上では、騒乱の元凶が無邪気に笑っている。最早諦めの境地に達しかけている一方通行のため息と、楯無の暴挙に対する呆れを含んだ一夏のため息が見事に重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の放課後、楯無が投下した核爆弾発言によって急遽開かれることになった特別HR。文化祭で何を行うかを決めなければいけないのだが、クラス委員の一夏が黒板の前で頭を抱えていた。

 

というのも。

 

黒板には『織斑一夏と鈴科透夜のホストクラブ』『鈴科透夜とポッキーゲーム』『織斑一夏と王様ゲーム』等といった最早個人の願望レベルの案が書き出されており、文化祭での出し物としては斜め上を全力で突き抜けているのである。

 

「―――却下に決まってるだろ!」

 

『ええええええええぇぇぇぇぇええええ!!!』

 

至極まっとうな反対意見を出した一夏に、まっとうではない女子のブーイングが大音量で押し寄せた。

 

「アホか! 誰が得するんだよこんなの!?」

 

「主に私たちが!」

 

「このクラスにしかない利点を生かさない手はないっしょー」

 

「ていうか織斑くんたちが出てればいっそ内容はなんでもいいというか」

 

「そろそろこのクラスだけで男子を占有するなーっていうデモが起こりかねないし」

 

「そんな私たちを助けると思って!」

 

「ちくわ大明神」

 

「だから誰よ」

 

助けを求めようにも担任の千冬は面倒を嫌って職員室に戻ってしまっているし(それでいいのか教師)、真耶に振ってもあまり効果はなさそうだし、頼みの綱になりそうなもう一人は千冬が消えたのをいいことに惰眠を貪っていた。

 

まさしく四面楚歌状態である。聞こえてくるのは楚歌ではなく女子のブーイングだったが。

 

「とにかく! もっと他に普通の意見を―――」

 

「ならばメイド喫茶はどうだ」

 

クラス中の視線がその発言の主、すなわちラウラへと向けられた。無数の視線に晒されたラウラは特にリアクションを返すでもなく、至って普段通りに言葉を重ねる。

 

「先程意見が上がったが、このクラスには男子がいるのだからそれを利用するのは極めて合理的な判断だ。加えて当日は招待券で外部からも客が来るのだろう? 休憩所としての需要もあるだろうし経費の回収も行える。何より師匠と織斑が目当ての客も多いだろう。客受けはいいと思うが」

 

「…………だ、そうだけど、みんなはどう思う?」

 

その変わらない普段の態度と普段の彼女には似つかわしくない会話の内容とのギャップに呆然としていた一夏だが、なんとか再起動を果たしてクラスの反応を窺う。

 

「いいんじゃないかな? 僕は賛成だよ」

 

「……確かに良い案だとは思いますけれど、わたくしが従者の真似事だなんて……透夜さんに仕えるのなら吝かではありませんけど―――」

 

「その鈴科くんに仕えてもらえるって言ったら?」

 

「―――やりましょう。ええ、メイド喫茶、大いに結構ですわ」

 

「だってさ一夏」

 

「お、おう……」

 

反対意見を一瞬で摘み取り、かくして一年一組の出し物はメイド喫茶ならぬ『ご奉仕喫茶』に決定したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼しました」

 

話し合いの結果を千冬に報告した一夏は一礼して職員室を後にした。用事の内容が何であれ、職員室に入るというのはやはり緊張するというか、どこか気を張ってしまうものだ。一夏も例に漏れず、軽く息を吐いて首を回していた。

 

最後に大きく伸びをして、教室へ戻ろうとしたところでその足が止まった。というのも、すぐ近くに見知った顔があったからだ。

 

「やっほ、一夏くん」

 

「楯無さん? 何してるんですか、こんなところで」

 

扉の横の壁に凭れていたのは、全校生徒を焚き付けた張本人の生徒会長更識楯無その人だった。手に持つ扇子には『目標発見』。一夏が自分の顔を指差してみると、楯無は笑顔でこくりと頷く。

 

「ちょっとキミに用事があってね。生徒会室まで来てもらってもいいかな? いいわよね。というわけでレッツゴー」

 

「ですからあの、本人の了承とか……。……いえ、やっぱなんでもないです」

 

苦言を呈しかけて、やめた。一夏の中のあまり役に立ったことのない勘が告げているのだ。『言うだけ無駄だ』と。そして、実際その判断は間違いではなかったりする。

 

「ん、よろしい。……ところで一夏くん」

 

「はい?」

 

「朝の件の交換条件と言ったらあれだけど、私がISのコーチをしてあげるっていうのはどう?」

 

「楯無先輩が、ですか? それはありがたいですけど……」

 

「ああ、そういえばもう透夜くんに教えてもらってるんだっけ。それならなおのこと、私と透夜くんのセットで一夏くんをコーチすればいいじゃない。きっといい訓練になると思うわ」

 

「是非お願いしたいですけども、楯無先輩ってどれくらい―――」

 

強いんですか、と一夏が口にしかけた瞬間、目の前の曲がり角から飛び出してきたのは胴着を着た一人の女子生徒。一歩こちらへ踏み込むと、躊躇うことなく楯無へと鋭い上段蹴りを放った。

 

「なんっ!?」

 

「あらあら、元気ね」

 

あまりの唐突さに思わず硬直する一夏だが、楯無の行動に迷いはない。顔面を狙って放たれた蹴りを身を屈めて避け、それと同時に空手少女の軸足を払う。バランスを崩し、宙に投げ出された少女の腹部に掌底を叩き込んだ。

 

空手少女を撃破した楯無は残心を取ることもなく、背後から降り下ろされた竹刀を紙一重で避ける。竹刀の先が下がった瞬間に踏みつけて動きを封じ、剣道少女の手首を扇子で打ち据えた。たまらず竹刀を手放した少女の手首を掴むと外側に捻り、合気道の要領で勢いよく投げ飛ばす。

 

すると今度は廊下に設置されている掃除用具入れの扉が開き、ボクシンググローブをつけた少女が楯無に襲い掛かった。しかし楯無は動じず、速射砲のような拳撃を軽やかにかわしていく。

 

大振りの右ストレートが空を切り、その隙に楯無はボクシング少女の懐へするりと入り込む。ダン!! と革靴が床を叩く音が響き、鉄山靠(てつざんこう)をまともに食らった少女の体は数メートルほど宙を舞ってから廊下を滑っていき、そのまま沈黙する。

 

二十秒にも満たない、僅かな時間の攻防。

 

だが、その決着の早さが楯無の実力の高さを何よりも雄弁に物語っていた。いつものように扇子で口元を隠して薄く微笑む彼女の笑みが、今は何か恐ろしいものに感じてしまう。

 

「……改めて、ご指導よろしくお願いします」

 

「んふふ♪ ええ、よろしくね、一夏くん」

 

姿勢を正し、きっちりと頭を下げる一夏に対し、楯無はやはりいつものように微笑むのだった。

 

「それでその、一つ質問なんですけど」

 

「ん? なにかな?」

 

「楯無先輩が指導してくれるっていうのは、学園祭の件の交換条件なんですよね。なら、本来の用事って一体なんなんですか?」

 

「もう、焦らないの。ちゃーんと生徒会室に着いたら話すわ。それに、ここで話すよりもそっちのほうが手間が省けていいもの」

 

手間? と楯無の言葉に首を傾げながらも、言われるままに大人しく付いていくことにした。幸い生徒会室は職員室からそう遠くなく、一分もしないうちに重厚な扉の前に辿り着く。ずっしりとした輝きを放つ扉はどことなく威圧感のようなものを放っており、少し気後れしそうになる。

 

そんな一夏の心情などお構い無しに、楯無が慣れた手つきでノブを捻る。そのまま軽く引くと、見た目に反して非常に滑らかな動きで扉が開いた。黄金色の蝶番も軋み一つ立てず、非常に質の良いものだとわかる。

 

「ただいま〜」

 

「おかえりなさい、会長。織斑くんも、ようこそ生徒会室へ。お茶の用意をしますから、どうぞ座って待っていてください」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

まるで実家のような気軽さで入室していく楯無。それに続いた一夏を出迎えたのは、明るい茶髪を三つ編みにし、眼鏡をかけた三年生の女生徒だった。片手にファイルを持ち、背筋をぴんと伸ばした佇まいの、いかにも『仕事の出来る女性』という雰囲気を纏っている。

 

彼女の一言に促され、これまた一目で上質だと感じさせるテーブルに視線を向けた一夏。そこには既に二人の生徒が腰掛けており、

 

「って、鈴科? なんでこんな所にいるんだ?」

 

「あン? 布仏に連れてこられたンだよ。用事があるから来いっつってな」

 

気だるそうに紅茶を啜っている白い少年。HRが終わるまで熟睡していたせいで眠気が残っているのか、大きな欠伸を一つして再び紅茶を啜る。

 

「そ〜だよ〜。かいちょーからのご命令でね〜、とーやんとおりむーを捕獲してきなさい〜って〜」

 

「捕獲って……」

 

そんな彼の隣に座っている一夏のクラスメイト、のほほんさんこと本音の一言に、ひくひくと頬を引き攣らせる一夏。ここにきて、クラスメイトからまさかの珍獣扱いである。世界に二人しかいない男性操縦者、という点でいえば強ち間違いでもないが。

 

そうこうしているうちに三年生の生徒―――本音の姉で、(うつほ)と名乗った―――が紅茶を淹れ、本音が冷蔵庫から人数分のケーキを取ってくる。真っ先に自分の分を取り分ける辺り抜け目ないというか、良くも悪くも平常運転だった。

 

全員が席についたところで、楯無が口火を切る。

 

「それじゃ、改めて最初から説明するわね。といってもそこまで複雑ってわけでもないんだけど、端的に言えばキミ達二人が部活動に入っていないから各部から苦情が寄せられてるの。その対応として、どこでもいいから入部させなきゃいけない状況になっちゃったのよ」

 

「それであんなことをしたわけですか……」

 

「そ。それで、迷惑料っていうわけじゃないけど、私も一夏くんをコーチしてあげることにしたの」

 

「あれ? でも、俺は楯無先輩の指導が対価なんですよね。じゃあ鈴科はどうなるんですか?」

 

「そう、そのことなんだけどね」

 

言葉と共に開かれた扇子には『特別条件』の四文字。ぱちりと扇子を閉じ、そのまま一方通行を指し示す。

 

「透夜くんには、生徒会に入ってもらおうと思ってるの。生徒会に所属する生徒は部活動に所属しなくてもいいって校則で決まっているから、他の部活に透夜くんが貸し出されることはないの」

 

ここまで聞けば破格の好条件だが、流石にそれだけということもあるまい。腕組みをして無言を貫く鈴科は視線で続きを促す。

 

「そしてその条件として、透夜くんには一年生の専用機持ちメンバーの指導をしてほしいの。無論私も手伝うし、全部丸投げなんていうことはしないわ。言っちゃえば、私達二人で一夏くんたちを纏めてコーチする感じね」

 

つまり、一夏とは逆のパターンだ。一夏には苦労を負わせる対価として技術を提供し、一方通行は技術を提供させる対価として苦労を免除する。形は違えど、二人のどちらにも利はある。まさしくWin-Winの関係というやつだろう。

 

「で、でも、もう俺たち二人を貸し出すことにするって公言しちゃったじゃないですか。それなのに今更貸し出しません、なんて言ったら相当荒れるんじゃないですか?」

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。そうならないための布石は既に打ってあるもの」

 

そう言ってパチリとウィンクをする。相変わらず仕事が早いというか、こういう時には手際が良い少女である。

 

「……分かった。その条件で構わねェ」

 

「交渉成立ね。それじゃあ、早速今日から始めましょうか。善は急げ、ってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三アリーナ。

 

急遽集められた専用機持ちたちは、それぞれISを展開して待機していた。最初に楯無が説明をしたのだが、一夏の専属コーチという美味しいポジションをみすみす手放したくなかった鈴音が反発。そこで、専用機持ちの実力を確認する意味も含め、楯無と一方通行対専用機持ちメンバーで模擬戦を行うことになったのだ。

 

「ルールは簡単。私か透夜くん、どちらかのシールドエネルギーを削りきれればあなた達の勝ち。逆にあなた達全員が撃墜されたら私達の勝ちよ」

 

「オイ、何で俺まで戦わなくちゃなンねェンだ」

 

「成り行きよ」

 

「……最初にオマエから墜として構わねェな?」

 

六対二。

 

数の上では圧倒的に一夏たちが有利ではあるが、しかし侮ることなかれ。一方通行の実力は言わずもがな、楯無も生徒会長―――即ち『学園最強』の称号を背負う者だ。生半可な実力で下せる相手ではない。

 

「……なぁ、鈴」

 

「な、なによ」

 

ややげんなりとした表情で、事の発端である鈴音を半眼で流し見る一夏。当の鈴音はそっぽを向いて気まずそうである。

 

「お前、実はバカだろ」

 

「うるっさいわねぇ!! あんたこそ何よ、人の気持ちも知らないでほいほいコーチなんて頼んで! あたしの指導じゃ不満だってぇの!?」

 

「なんで楯無先輩に指導してもらうのに鈴の気持ちが関係してくるんだよ!? しかも鈴たちにも指導してくれるって言ってるんだからいいじゃねぇか! ていうかお前の気持ちってなんだよ!?」

 

「それはっ、そのっ! …………言えるかバカぁ! と、とにかく全部あんたが悪いのよ! この朴念神! 唐変木!」

 

「なんで俺のせいなんだよ!? 楯無先輩の申し出に突っかかってったのはお前だろ!? 俺は普通に指導してもらうだけでよかったのに!」

 

「だからそれが―――」

 

「オイ」

 

「何よ!?」

 

「なんだよ!?」

 

揃って振り向いた一夏と鈴音。瞬間、怒り心頭に達しかけていた二人の表情がみるみるうちに青ざめていく。その視線の先には、無数に浮かぶ青白い光球。

 

夜叉の幻月によるレーザー掃射の前兆である。

 

「―――まずは二人脱落、ってなァ」

 

悲鳴と爆音が、第三アリーナを揺るがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三話

「―――それじゃあまずは、皆がそれぞれ抱えている改善点をおさらいしてみましょうか」

 

ホワイトボードの前に立った楯無が水性ペンで大きく『各人の課題』と書き、その下にそれぞれ専用機持ちメンバーの名前を書き足していく。

 

結局誰一人として一方通行・楯無の両者を下すことが出来ずに完敗した昨日の模擬戦。それを受けて今は、そこで露見した弱点や改善点をハッキリさせ、それをどう克服していくかを再度考えるためのミーティングのようなものを行っているのだ。

 

「まずは一夏くん。もう既に透夜くんから色々指摘されてるとは思うけど、戦況を俯瞰出来るようにすることね。誰が今どこで何をしようとしていて、自分はそれに対してどう動くべきなのか、またはどんなアクションを起こしたらどういう結果になるのか。それを常に頭の中で意識しながら、相手の動きを見極める。一般的に観察眼って呼ばれるものね」

 

例を挙げると、プロバスケットボールのゲームにおいて試合を組み立てる司令塔『ガード』のポジションを担う選手はこれが特に優れている。味方の状況だけでなく、マッチアップしている相手プレイヤーの状態も踏まえた上で針の穴に糸を通すような正確なパスを出したり、時には自分で切り込んでいったりもする。

 

『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』という諺もあるように、観察眼・戦術眼はスポーツに限らずあらゆる場面で真価を発揮することができる。情報は多ければ多いほど、入手が早ければ早いほど有利になるのだ。そしてそれは、IS戦闘においても例外ではない。

 

「それを身に付けるために必要な並列思考と処理速度の強化。後はエネルギー分配と機動面の改善、荷電粒子砲の射撃訓練とそれに伴う射撃制動の訓練などなど。やることは山ほどあるから頑張ってね」

 

楯無がさらりと言うが、それがどれ程の難易度なのかは一夏自身がよく知っている。一方通行の指導でさえギリギリついていけているレベルなのだから、今まで以上に気を引き締めて臨まねばなるまい。

 

真剣な顔で頷いた一夏を見て、楯無は満足そうに笑むと次に箒を指し示した。

 

「次は箒ちゃんね。箒ちゃんはまず機体の実戦経験を積ませることが最優先よ。暇さえあれば動かして、紅椿と自分を馴染ませるの。後は戦い方だけど、流石というか近接戦闘は問題ないわね。でも中距離戦闘はまだ機体スペックに頼りすぎなところがあるから、展開装甲の出力調整と立ち回りを覚えましょうか」

 

「わかりました」

 

凜然と頷く箒。

 

鈴音と同様に一夏のコーチを外されてしまったということに思うところがない訳では無いのだが、それ以上に、福音戦で調子に乗って仲間を危険な目に会わせてしまったという後悔が彼女の中では大きかった。

 

もう二度と同じ過ちを犯さぬように、己を律し得る力を身につけると心に決めていた。

 

「次、セシリアちゃん。セシリアちゃんはブルー・ティアーズの『ビットを動かしている間は自分が攻撃できない』っていう弱点の克服ね。イメージ・インタフェースによる脳への負担を軽減するために、並列思考と処理速度の強化。これは一夏くんと合同で行うから、具体的な事は透夜くんから聞いてね」

 

「はい」

 

「それで、鈴ちゃんは―――」

 

束ねられたコピー用紙を捲りながら各々に指示を出していく楯無の声を聞き流しながら、一方通行はのんびりと窓の外に目を向ける。空はからりと晴れ渡り、そこから降り注ぐ日光を乱反射して輝く海面に少しだけ目を細めた。

 

(……半年、か)

 

彼がこの世界にやって来てから、既にそれだけの月日が経過していた。この学園で過ごす一日は、学園都市での数年をも容易く上回る程に充実し、決して褪せることのない経験として彼の心に刻み込まれている。

 

一度は諦めた、誰も自分を恐れない世界。穏やかな日常。

 

ノスタルジーに浸る趣味はないはずなのだが、あのまま学園都市に居ては一生味わうことのできなかったものだと考えると、どうしようもない疼痛が胸を刺した。

 

今回楯無の要請に応じたのも、この日々を提供してくれた彼女たちへのせめてもの恩返しになれば、という彼にしては非常に珍しい意図があってのことだ。無論、そんなことは死んでも口には出さないが。

 

この陽だまりのような暖かな時間が永遠に続くのならば、それ以上はもう何も望まない。

 

それだけで、自分には十分すぎるのだから。

 

「…………、」

 

「…………?」

 

ふと気が付くと、室内の視線が全て自分に寄せられていた。全員が全員、何かとても珍しいものを見たような表情でこちらを見ている。

 

「……何だ?」

 

「いや……その、透夜くんがそんなふうに笑ってるの、初めて見たなぁ……って思って」

 

楯無にそう言われ窓に映った自分の顔を見るが、そこにはいつもの無表情があるだけだ。そういえば、半年前に比べると少し肉付きが良くなってきたかもしれない。日々のトレーニングの成果だろうか。などと的外れな事を考えていると、楯無がやけに興奮しながら近付いてきた。

 

「ねっ、ねっ! 透夜くん! もう一回! もう一回笑ってみて!」

 

「はァ? 寝惚けたコト言ってンじゃねェよ。っつか離れろ。暑ィ」

 

「お願い! 一回だけ! ちょこっとでいいから!」

 

「……………………、」

 

心底鬱陶しそうに楯無を睨んでから、自分の思う『笑顔』を浮かべてみる一方通行。

 

「怖ッ!!! どこからどう見ても完全に悪人―――痛たたたたたたたたた痛い痛い痛い!!」

 

「よォし。人間の背骨ってのがどこまで曲がるかちっとオマエで実験してやる」

 

「ストップストップ鈴科くん! 折れちゃう! 更識先輩の背骨折れちゃうから! っていうかどこからそんな力出してるの!?」

 

「ふむ、人間の体とはここまで曲がるものなのか。どれ、私も試してみるか」

 

「痛だだだだだだだだだだ!? ちょっ、ラウラ!? 何で俺で実験するんだぎゃああああああああああ!!!」

 

(透夜さん……やっぱり笑顔も素敵ですわね。普段とのギャップもあってわたくし……ときめいてしまいますわ!)

 

「……ホントにこいつらでいいのか不安になってきたわ」

 

「……奇遇だな。私もだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一悶着あったものの、訓練は予定通り開始された。ラウラと鈴音、箒は第三アリーナで楯無が。第四アリーナではシャルロットとセシリア、一夏を一方通行が担当することになった。

 

「……そンじゃまァ、始めるとするか。取り敢えずオルコットはこれを入れろ」

 

そう言って、一方通行はとあるデータをセシリアのISに転送する。セシリアが送られてきたものを早速開いてみると、

 

「……ボードゲームアプリ?」

 

チェスや将棋、囲碁などの様々なボードゲームが楽しめる無料の携帯アプリだった。思わず首を傾げてしまったが、伊達や酔狂でこんなことをする訳でもないだろう。とにかく起動して、手早く初期設定を終わらせる。

 

セシリアが初期設定を終えたのを確認した一方通行は指を二本立てた。

 

「人間の思考ってなァ、言っちまえば『情報の獲得』と『得た情報の整理』の二つのプロセスで構成されてる。ンで、この二つのプロセスを異なる事象に対して同時に行うのが並列思考だ」

 

そのまま、額の部分を人差し指でトントンと叩く。

 

「そのプロセスはココにある前頭葉で行われてるワケだが……オルコット。オマエは紙に書かれた数式を解きながら、同時に流れてる歌の歌詞を記憶できるか?」

 

「……無理ですわ」

 

「なら、数式を解きながらISを動かせるか?」

 

「その程度でしたら出来ると思いますが」

 

「だろォな。ンじゃ何故前者は無理で後者は可能かって話だが、端的に言やァ脳の使用領域が違うからだ。前者は『計算』『記憶』の二つのプロセスが同時に行われてるから脳の処理が追いつかずにどっちも中途半端になっちまう。だが後者は『ISを動かす』っつゥプロセスが無意識のレベルで脳に刷り込まれてるから可能なワケだ。但し何も考えてねェワケじゃねェ。無意識領域で行動できる分、空いたキャパシティで他のことを行う。これも並列思考の一つだが、コッチは織斑向きだ」

 

そこで一旦言葉を切り、赤い瞳をセシリアへと向ける。

 

「対してオルコットに必要なのは、ビットの機動に脳の処理領域を割きながら自分の機動、狙撃にも脳容量を割く、『多数の異なる事象を脳内で同時に進行させる』思考タイプだ。織斑のに比べて難易度は段違いだが、習得できりゃオマエにとって強力な武器になるのはまず間違いねェ」

 

「……!」

 

「『意識領域と意識領域での並列思考』と『意識領域と無意識領域での並列思考』。それがさっき挙げた二つの例の違いなワケだ。前者は目が追いつかなかったりといった理由で物理的に不可能なことも多いが、まァ幸いにもその不可能を可能にできる方法が一つだけあるンだわ」

 

「……ハイパーセンサー」

 

そォだ、と肯定の意を示し、一方通行は再び額をトントンと叩いた。

 

「だがまァ、いくらハイパーセンサーで多くの情報を手に入れよォがそれらを処理しきれるだけのキャパシティがなきゃ意味がねェ。ISでの実践訓練の前に、下準備として脳内の作業レーンを増やすのが先だ。オルコット、チェスは出来るな?」

 

「ええ、チェスでしたらかなりの自信があります」

 

「なら話が早ェ。そのアプリで俺とチェスを指しながら、『ブラインド・チェス』をもう一局同時に行う。但し持ち時間はお互い10秒、その間に両方の盤面を進める早指しだ」

 

『ブラインド・チェス』は目隠しチェスとも言われ、通常のチェスとは違いコマと盤面は使用せず、盤面に割り振られた座標を口頭で告げる事で架空のコマを動かしていく高難易度のルールだ。相手と自分のコマの位置を脳内で全て記憶しておかなくてはならないので、普通の対局の何倍も神経をすり減らす。

 

それだけでも難易度が高いというのに持ち時間は10秒、しかも同時に別のゲームを進めるとなると、最早神業の域にも近い。

 

だが―――ここで妥協してしまっては何の意味もない。

 

「わかりました。必ずやり遂げてみせますわ」

 

力強くそう答えるセシリア。それを見た一方通行は少しだけ口角を持ち上げるが、またすぐに無表情に戻る。そのまま、若干蚊帳の外気味であったシャルロットに視線を移した。

 

「最後、デュノアだが……オマエは尖った性能こそねェが全距離に対応しつつ継戦能力も高ェ、パイルバンカーやショットガンで火力も出せる。だが逆に言えば、持ってる武器と戦法さえわかってりゃ対応し易いって事でもある。……今の所量子変換してある武器はどれだけある?」

 

「ちょっと待ってね、全部展開するから」

 

言うが早いか、両手に銃をコールしては地面へ置きコールしては置きと数回ほど繰り返し、合計二十挺程の銃火器がずらりと並べられる。まさしく武器のバーゲンセールだ。

 

シャルロット愛用のアサルトライフル『ガルム』『ヴェント』をはじめ、『モンターニュ』『レイン・オブ・サタディ』『ネーヴェ』『レオパルド』『イデアル』等々。これだけでも一個中隊に匹敵するほどの火力があるが、それらをざっと見渡した一方通行はフンと鼻を鳴らす。

 

「全部実弾銃か」

 

「うん。燃費もいいし、速射性能も高い、取り回しも楽。強いていえば射程がネックだけど、僕は遠距離戦よりは中近距離に持ち込んで撃ち合うタイプだからね」

 

「悪くはねェ。が、俺みてェな対実弾兵器なンか持ってこられちまえばそれだけでオマエは詰みだ。相手の虚を突く、若しくはコイツらでダメージが与えにくい相手に対する切り札を二、三個持っとけ。それに、有事の際に動くとしたら後方の援護射撃はオルコット一人だけだ。他の奴らもやれねェ事はねェが、交代要員が居るに越したことはねェ」

 

「……わかった。本国の装備担当に良いのがないか聞いてみるよ」

 

一瞬複雑そうな表情を浮かべたシャルロットがそう答えるが、一方通行は何も言わずに視線を外した。他人の事情に首を突っ込むなど御免だった。

 

それぞれの課題を纏めたところで、一方通行は気だるそうに後頭部を掻く。

 

「……ンじゃ、やるとするか。時間は限られてンだ、精々励めよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日をまたいでも尚、煌々と輝き続ける真夜中の歓楽街。その中心に聳え立つ超高層スイートホテルの最上階、夜景を一望できる巨大な窓ガラスの傍に一人の女が立っていた。

 

腰まで伸ばした茶髪に鋭い目付き、成熟した女性らしい肢体に気崩したレディーススーツを纏っている。顔立ちは整っているが、その雰囲気は千冬のようなクールビューティと言うよりは不良のような暴力的な気配を漂わせていた。

 

しばらくの間冷めた目で夜景を眺めていたが、やがて何を思ったか苛立ったように舌打ちを漏らすと、据え付けられていた高級なソファに荒っぽく体を投げ出した。

 

そんな茶髪の女を見て、対面のソファに座っていた金髪の女が苦笑を浮かべる。こちらもかなりの美女だが茶髪の女よりも落ち着きのある雰囲気を纏っており、グラマラスな肢体が薄いドレスで覆われていた。

 

「何をそんなに苛立っているの?」

 

金髪の女がそう問いかけると、さも面白くなさそうに茶髪の女が口を開く。

 

「……言わなくても分かってるだろ。今回の作戦立案はあのガキなんだ、舌打ちの一つもしたくなるさ。おまけにあそこにはアイツも居るんだろ? あのツラを思い出すだけで虫唾が走る。……つーか、新入りの奴らは本当に役に立つのか?」

 

「ええ。本部から送られてきた試作機体のテストも含めて今回の作戦に組み込んでいるけど、実力は確かよ」

 

不意に、部屋の扉が開いた。

 

現れたのは一人の少女だった。二人に比べて随分と幼いが、纏う雰囲気はまるで冷たく研がれた薄刃のナイフ。剣呑な光を放つ赤紫の瞳で二人を一瞥し、手にしていた紙束を乱雑に机の上に放った。

 

それに気分を害した様子もなく、金髪の女は優雅な仕草で紙束を手に取ると薄く笑った。

 

「ご苦労さま、エム。新しい子たちとは仲良くできそうかしら?」

 

「……下らない。私一人で十分だ」

 

不機嫌そうに眉根を寄せて吐き捨てる、エムと呼ばれた少女。不遜な物言いだが、それは自らの実力に対する絶対の自信があることの裏付けに他ならない。

 

しかし―――

 

「ぎゃはははははははッ!! 世間を知らねぇガキはこれだから困るぜ!! はっはははははッ!!」

 

茶髪の女は、侮蔑の感情を隠すこともなくゲラゲラとエムの言葉を嘲笑う。ギロリと茶髪の女を睨めつけると、茶髪の女は笑いながら何かに思い当たったように手を叩いた。

 

「はっ、そうか、そうだったな! お前はまだあのガキと一戦交えたことがねぇんだったか! そりゃめでたいこった、今ならまだ好きなだけ戯れ言吐けるぜ!? ぎゃっははははははッ!!」

 

「あのね、エム」

 

再び腹を抱えて爆笑し始めた茶髪の女に代わって、金髪の女が諭すような口調で言葉を紡いだ。

 

「確かに普段なら、貴女一人でも十分かもしれないわ。けどあの坊やは、あの坊やだけは侮っちゃダメよ。あの坊やの眼前で隙を見せれば、それこそ本当に肉塊にされるわ。貴女が一人で行きたいと言うのなら止めはしないけど、挽肉になる覚悟を持って作戦に当たる事ね」

 

「……、」

 

金髪の女の言葉に何を感じたか、無言のままで部屋を出ていくエム。その後ろ姿を横目に見ながら、金髪の女は手にした紙束を捲っていく。

 

「今回の作戦に使うのは『アラクネ』と『サイレント・ゼフィルス』、『アッシュ』『トゥルエール・センテリュオ』の四機。作戦遂行中の指揮は貴女に一任するわ、オータム」

 

「ははっ、はーっ……ふー……、あー笑った笑った。それに関しちゃ文句はねぇが、あのガキが勝手に突っ込んでっても私は知らねぇからな。ガキの尻拭いなんてゴメンだぜ?」

 

「大丈夫よ、エムも一度戦えば理解するわ。あの坊や―――鈴科透夜は危険だってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




活動報告を更新しましたのでお目通し願います。


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四話

「Qh6です」

 

カツッ。

 

「Rxh6」

 

コツ。

 

「……、Kg7ですわ」

 

カッ。

 

「Qf6+。チェックメイト」

 

「うぅ……っ! き、Kg8ですわ!―――あっ!? あっ、違っ……!」

 

「Rh8#。コッチもチェックメイトだ」

 

一方通行の無慈悲な宣告が告げられると同時、セシリアはがっくりと項垂れた。盤上のゲームが終了してしまったことで集中が乱れ、思わず脳内の盤面と重ね合わせてしまった結果、悪手を打ってしまったのだ。

 

とはいえ、そこでミスをしなければ勝てたのかと問われれば全力で首を横に振らざるを得ない。そもそも、セシリアとチェスを二局指しながら機体のデータを眺めている一方通行が異常なのであって、手加減されているとはいえ何とか食らいついているセシリアは実際よくやっているだろう。

 

軽く息を吐いて背もたれに背を預けた一方通行は、チェスのコマを弄びながら口を開く。

 

「最初に比べりゃァまだマシになったが……今みてェに揺さぶられたりすると弱ェな。何が起きても平常心を保ち続けられるようになれ」

 

「そう仰られましても……中々難しいです」

 

「実戦じゃ精神攻撃ってのも有り得る。それで集中が乱れてビットが使い物にならなくなりゃ援護射撃は来ねェし、援護射撃が来なきゃ前衛は崩れる。オマエはオマエが考えてる以上に重要な役割を担ってンだ。何が起きても平気な顔をしてろ。想定外の事態が起きても、相手がどれだけ強かろうと―――例え味方が墜とされようとも、だ」

 

「……っ」

 

その台詞は、果たして誰のことを指しているのか。

 

真っ直ぐにこちらを見つめてくる赤い瞳を見ていられなくて、思わず目を伏せてしまう。

 

もし仮に、セシリアの眼前でこの少年が撃墜されたとして、自分は平常心のままで居られるだろうか。

 

福音戦で彼の体を受け止めた時の光景は、今なお鮮明に思い出せる。大量に血を流し、死人のように青白くなった顔。彼と自分の体を汚す、絵の具のように生暖かくどろりとした鮮血。あまりにもリアルに蘇ってきた感触を思い出し、薄く鳥肌の立った二の腕をさすった。

 

そんなセシリアの様子を見てか、若干眉をしかめて頭を掻いた一方通行は再び口を開く。

 

「……まァ、そォなれとまでは言わねェ。あくまで例えだ。だがまァ、精神面も鍛えといて損はねェ。頭に留めとけ」

 

「……はい」

 

「……。ンじゃ、小休止にするか。デュアルチェスは脳への負担がデケェから精神的な疲労が蓄積されやすい。これでも食ってろ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

ぽす、と放られたのは学園の購買で売っている板チョコだった。一方通行は立ち上がると、そのままどこかへと歩いていった。

 

その背中を見送ったセシリアはチョコレートの包み紙を開き、小さく一口。瞬間、濃厚な甘さがさぁっと口中に広がっていき、脳に糖分が送られていくのが分かる。無論そんなに早く吸収されるわけはないが、脳を酷使した後の糖分摂取はそれほどまでにありがたい。

 

小動物のようにぽりぽりとチョコレートを食べていると、一方通行が紅茶とコーヒーを手にして戻ってきた。礼を言って紅茶を受け取り、チョコレートの後味を洗い流す。更に一口二口と味わってから、そっと口を開く。

 

「……あの、透夜さん」

 

窓の外に向けていた視線をこちらに向け、「なンだ」と視線で問いかけてくる。一瞬だけ迷ってから、

 

「もし、私が透夜さんの目の前で撃墜されたとしたら……。……透夜さんは、どう思いますか?」

 

刹那、一方通行の目が僅かに見開かれた。そのままじっとセシリアを見つめていたが、やがて目を伏せ、彼にしては珍しくぼそぼそと小さく呟いた。

 

「…………、嬉しくは、ねェな」

 

「つまり、悲しんでくださる、と?」

 

「……………………、まァ、そォなるな」

 

さも言いづらそうに、もしかしたら恥ずかしがっているのかもしれないが、絶対に視線を合わせないでそう言った。対し、それを聞いたセシリアは我が世の春と言わんばかりの笑顔を咲かせた。

 

「そう……そうですか。うふふ、そうですか……それは、なんと言いますか……嬉しいです♪」

 

「 …………、女の考えるコトはわっかンねェわ」

 

何か変なものを見るような目でセシリアを眺めていた一方通行だが、やがて呆れたようなため息を吐いて缶コーヒーをすすった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――今日の所はこれで終いだ。機体の整備とイメージトレーニングは欠かすンじゃねェぞ。織斑は円形制御飛翔(サークル・ロンド)の基本制動、オルコットは後退時射撃制動(エスケープ・シューター)、デュノアは二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)。それぞれ感覚を忘れるな」

 

訓練データを見ながら一方通行がそう告げるが、それに対する返事はない。何故なら一夏達三人は漏れなく全員グロッキー状態でピットに倒れ伏し、息を荒らげて床の冷たさを享受しているからである。

 

一方通行の教え方は非常に上手く、理論的に噛み砕きつつ実践も交えて教えてくれるため一夏にも理解できるレベルだ。しかし、それなら実践できるのかと言うのはまた別の話で、一方通行が教えているのはかなり高度な操縦技術ばかり。

 

それらを習得するには基礎が固まっていなければ駄目なので、基礎中の基礎である加減速に始まり瞬時加速や近接制動、射撃制動などを一から徹底的に。それが出来れば次は円形制御飛翔等の実戦技術、更には螺旋状瞬時加速(イグニッション・ロール)特殊無反動旋回(アブソリュート・ターン)など高難度技術まで行う。

 

それが終わればいよいよ個人の戦闘法に合わせた個人指導が始まるのだが、こちらも相当ハードだ。ギリギリ出来るか出来ないかのラインを設定し、常にそこを目指させる。出来なければ改善点を的確に挙げ、その対処法まできっちりと教えた上でもう一度。

 

怒鳴りも怒りもしない分、「成功させなくては」というプレッシャーをひしひしと感じつつも何とか乗り越えられているのが現状であった。

 

「……、先に戻るぞ」

 

いつもの事かと軽く息を吐いた一方通行は、そう言い残して死屍累々の様相を呈するピットを後にした。もう十分程すれば回復して歩き始めるだろうが、その姿はゾンビさながらである。

 

手早く制服に着替え、整備室へ。利用者名簿には最早常連となっている一方通行の名前が既に書かれており、その横に入室した日付と時間を書くだけという仕様に変わっていた。手間が省けて楽だとは思うが、管理が雑になっているのではないかと気になるところでもある。

 

そして、変わったことがもう一つ。

 

「……、」

 

「……(ぺこっ)」

 

楯無の妹である簪も整備室の常連なので、顔馴染み、というのも変な話だが、いつの間にか接点ができていた。無論、一方通行から話しかけることも、あちらから話しかけてくることもそう多くはないが、目が合うと簪が軽く会釈をしてくるようになった。

 

夏休みの一件が切っ掛けなのだろうと踏んでいるが、別段迷惑という訳でもないし、どちらかというと静寂を好む一方通行からすれば彼女の言動は嫌いではない。むしろ、何故ここまで姉妹で性格の差があるのか不思議に思うくらいである。

 

そんなことを思いながらキーを叩いていると、ふと視線を感じて手を止める。見れば、簪がこちらをじっと見つめていた。

 

「……、なンだ」

 

一方通行がそう訊ねると、ぴくん、と肩を跳ねさせる。どうやら言うべきか言うまいか悩んでいる様子だったが、やがてその唇から鈴を転がすような声が漏れる。

 

「…………その。あなたは……どうして、一人で機体を組み上げようと思ったの?」

 

「……あン?」

 

唐突な質問に、思わず疑問の声を上げてしまった。

 

どうして、と問われれば「そうせざるを得なかったから」と答えるしかない。如何に束と言えど、『自分だけの現実』が絡むような領域までは手を出せないので、一方通行が自分でISのノウハウを吸収して組み上げたのだ。

 

しかし、それを伝えては要らぬ面倒を呼びそうであるし、そもそも馬鹿正直に話したところで信じないだろう。一方通行は少しだけ考え込むと、当たり障りのない返答をしつつそれっぽく聞こえるような理由を作り上げた。

 

幸い簪は訝しむことなく信じてくれたようだが、何故この少女はそうまでして『一人で完成させる』ということに拘るのだろうか。

 

ISの生みの親である束や規格外の頭脳を持つ一方通行は例外としても、ISを一人で組み上げるのは不可能に近い。まして、個人用にフルチューンしなくてはならない専用機ならば尚更だ。

 

そもそも彼女の機体が完成しなかったのは、製造の途中で一夏の存在が発覚し、急遽『白式』を作ることになったために後回しにされたのが原因だ(と一方通行は推測している)。だが白式が完成した今、製造途中の機体を少女に丸投げなどと言うことはまずないだろう。

 

だとすると考えられるのは、簪が意図的に倉持技研からの援助を拒否しているか、開発そのものが中止になり、簪が機体を引き取ったかのどちらか。しかし、ISコアは貴重なため後者はまず無いと考えていい。

 

(仮に前者だとしても一体何考えてやがンだコイツ……。日本の代表候補生なンじゃねェのか? 未完成の機体とそのパイロットに対して何の手も打たねェ日本政府も大概だが……)

 

まァ何にせよ、と息を吐いて、

 

「機体調整の手助けなら他ァ当たれ。オマエが何考えてるかは知らねェが、整備科志望のヤツらにでも声かけりゃ数人は―――」

 

 

 

 

 

「い、要らないっ!!」

 

 

 

 

 

 

突き放すような拒絶を含んだ叫びに、思わず簪の顔を見やる。唐突に響いた彼女の大声ではなく、そんなにも大きな声を出せたのかという事実に一方通行は少しだけ驚いていた。

 

スカートを掴んだ拳をぎゅっと握りしめ、顔を俯けている簪。その表情は窺えないが、心中に感情の嵐が吹き荒れていることは傍目にも予想できた。

 

「……要らない……助けなんて、必要ないの……! そうしなきゃ、一人でやらなきゃ……お姉ちゃんに追いつけない……!」

 

(…………、成程)

 

無意識に漏れたであろう簪の呟きを耳にした一方通行は、何故彼女が頑なに援助を拒み続けるのか、そして何故一人でISを組み上げることに固執するのか、その理由をなんとなくだが理解した。

 

恐らく、簪は実姉である楯無に強いコンプレックスを抱いている。それが楯無の何に対してかまでは分からないが、それなりに長い間コンプレックスを感じてきたことは確かだ。

 

そして楯無は彼女自身の専用機、おそらく未完成状態だったそれを独力で実用化に至るまでに組み上げたのだ。それを知った簪が、姉を越えるためか周囲に認めさせるためかは分からないが、自分も姉と同じことをしようと躍起になっている―――というところだろう。

 

しかし、兄弟姉妹はおらず、また学園都市の学生230万人の頂点に立っていた一方通行からすればその感情は理解し辛い。傍観こそすれ、慰めや手助けなどといった行為は彼の専門外なのだ。

 

「……貴方も、同じなんでしょ……?」

 

「あァ?」

 

ぼそりと、どこか自嘲を含んだ呟きが耳に届く。

 

「お姉ちゃんと比べて……私のこと、不出来な妹だって思ったでしょ……? 側に居れば、あの人の凄さはすぐに分かる……から」

 

簪の言葉を受け、軽く考えてみる。

 

ことある事に厄介事を持ち込んできてはこちらの都合も聞かずに押し付けてきたり、自由奔放に場を掻き回しては後処理を任せて逃げ出したり、人の神経を逆なでするような言葉を浴びせてきたり―――

 

(…………何処が凄ェンだ?)

 

正直彼には楯無の凄さは微塵も感じられなかったが、まぁ妹の立場からすれば感じるところもあるのだろうと結論づけた一方通行は面倒くさそうに口を開いた。

 

「……生憎と俺ァ他人の優劣なンざどォだってイインだわ。オマエとアイツを比べたトコで別にどォとも思わねェし、誰にボーダー設定されたワケでもねェのに不出来もクソもねェだろ。一体何に対してムキになってンだオマエは」

 

「ッ……何も……! 何も知らない癖に、勝手なこと言わないで……っ!」

 

「知らねェし知りたくもねェよ。オマエの悩みなンざ俺には何の関係もねェし、知った所で俺に出来ることなンて何一つねェ」

 

これが、彼の本質なのだ。

 

困っている人間に善意で手を差し伸べることも、親身になって一緒に解決策を考えることもしない。思ったままをただ残酷に率直に伝えるだけ。

 

いくら丸くなっても、いくら甘くなっても、根本的な所はそう易易と変化しない。それが人間というもので、それが一方通行という人間の根幹なのだ。

 

だが―――

 

「……っ、ぅ、……!」

 

「ッ……、」

 

じわりと簪の赤い瞳が潤み、数秒もしない内に頬を伝って数滴の涙が零れ落ちた。ぽたぽたとリノリウムの床を濡らす雫は留まるところを知らず、次から次へと溢れ出てくる。

 

流石に言い過ぎたか、と僅かに顔を顰める一方通行。眼前の気弱そうな少女に向けて、普段一夏達へ向けて指摘するような感覚で言ってしまったのは失敗だった。

 

気丈に一方通行を睨み続けてはいるものの、そこに欠片の迫力もありはしない。一昔前ならば何とも思わなかったのだろうが、これには流石の一方通行も居心地が悪くなってくる。

 

「……、あァー……その、……なンだ。……悪かった。……取り敢えず、拭いとけ」

 

「……ぅ、っぐ……!」

 

セシリアに言われて渋々持ち歩くようになった黒一色のハンカチをポケットから取り出し、簪に渡してやる。素直に受け取りごしごしと目元を拭う彼女の姿を眺めながら、一方通行は厄介な事になったと頭を掻いた。

 

こんな場面を他人に見られては、更に厄介な事になるであろうことは容易に想像できる。となると、簪をここに置いてでもさっさと立ち去るのが最善だろうか。それともいっそセシリア辺りを呼んで丸投げしてしまおうか。

 

あれこれと策を考えていると、不意に整備室の扉が開く。誰でも良いから手短に事情を説明して後は任せてしまおうとそちらを向いた一方通行は、思わず顔を引き攣らせてしまった。

 

「透夜くーん? いるー?」

 

(……よりにもよって楯無(オマエ)かよ……!!)

 

一方通行を探しに来たであろう楯無は室内をきょろきょろと見渡し、一方通行を見つけると同時に彼の陰に隠れた簪を見つけ、そして簪が涙を流しているのに気付いた瞬間一方通行に詰め寄ってきた。

 

「透夜くん……貴方、簪ちゃんに何をしたの? 事と次第によっては容赦しないわよ。今ならまだ怒らないで聞いてあげるから洗いざらい話しなさい」

 

「待て、説明はするから一旦黙れ。頼むからこれ以上場を掻き乱すンじゃねェ。取り敢えずオマエの妹に何かしたワケじゃねェ」

 

「……ひぐっ……違、うの、私が―――」

 

「違う? 簪ちゃんは違うって言ってるわよ! どういうことなの透夜くん!? 見損なったわ、そんな嘘までついて自分の罪を隠そうとするなんて! 私の色仕掛けに反応しないと思ったら、やっぱり簪ちゃんが目当てだったのね!」

 

「オイ、だから―――」

 

「簪ちゃんは下がってなさい、私が守ってあげる。姉として指1本触れさせないんだから!」

 

「……っ! ぅえ、うぁぁん……!」

 

その時、己の堪忍袋の緒が勢いよく弾け飛ぶ音を一方通行は確かに聞いた。

 

「―――だから黙れっつってンだろォがクソボケ共がァァァァああああああああああああああああッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後。

 

ギャーギャーと喚き立てる姉妹の頭に拳骨を落とし、強制的に黙らせた一方通行は仏頂面で椅子に腰掛けていた。その対面には気まずそうな表情の更識姉妹が座っており、三人で円を描くように整備室の隅に陣取っていた。

 

あまりの面倒臭さにブチ切れた一方通行は、全ての誤解の原因を取り除くことにしたのだ。そうすれば姉妹の不仲は解消され、その結果余計な面倒を産むことがなくなるだろうと考えてのことである。

 

「……そンじゃ、全員が理解できるよォに話せ。質問には簡潔に答えろ。認識の齟齬がありゃ即正すからな。まず更識」

 

「な、なぁに?」

 

「……な、なに?」

 

先程激昴したせいか、少々怯えながら二人が同時に反応を返した。そういえば両方更識だったか、と思い直す。

 

「……簪。オマエは何故専用機を一人で完成させよォとしてた?」

 

ストレートな問いに、目を伏せて躊躇う素振りを見せたが意を決したように口を開いた。

 

「……その、お姉ちゃんは、自分一人で機体を完成させてたから……私も、それくらいは出来ないと、って思ったから……」

 

事実か? と確認を取るように楯無を見やる一方通行。しかし、楯無は曖昧な表情で首を横に振った。

 

「え、っと……確かに私の機体は未完成だったし、それを私が完成させたのも確かだけど。でも、全部一人でやったわけじゃないわよ? 薫子ちゃんとか、虚ちゃんとかにも手伝ってもらったもの。そうでなくちゃ、いくら私でも相当時間がかかっちゃうわ」

 

「だとよ。……次、そもそもオマエらが仲違いしてる原因は? 簪、このアホが何かやりやがったのか?」

 

アホ呼ばわりにぷくぅっと頬を膨らませる楯無だが、生憎今の彼女に発言権は無かった。というか、全ての原因は楯無にあるのではと決めてかかっている辺り、一方通行の楯無に対する印象が窺える。

 

「……違うの……。私が勝手に、お姉ちゃんと私を比べて、引け目を感じてて……その、お姉ちゃんに『あなたは何もしなくていい』って言われたから、それで……!」

 

「それはっ。その、十七代目楯無としても、姉としても、簪ちゃんに大変な思いはさせたくないって思ったから! だから、簪ちゃんは危ないことなんてしなくていいのよって思いを込めて……!」

 

「え……? だ、だって、『私が全部やってあげる』って……」

 

「それも同じ意味なの! 御家に関わる危ない仕事は私がやってあげるから、簪ちゃんは安心してねって思いで……!」

 

「…………つまり、アレだな?」

 

二人の言い分を聞いた一方通行は、うんざりと結論を告げる。

 

「オマエらの不仲の原因は、お互いの受け取り方が食い違って起こったただの勘違いだった、ってワケだな?」

 

「……、」

 

「……、」

 

一方通行がそう口にした瞬間同時に目を伏せ、もじもじと手を弄り合わせる姿は成程姉妹なのだなと思わせるには十分であったが、今はどうでもいい。深く深くため息を吐いた一方通行はガタリと椅子を鳴らして立ち上がり、

 

「……俺は帰る。後は好きにしろ」

 

そう言い残し、後ろを振り返ることなく整備室を後にした。

 

秋の日暮れは早く、既に夕陽は水平線にその姿を半分以上隠している。既に人気のなくなった廊下を歩きながら、柄にも無いお節介を焼いてしまった自分と、どこまでも不器用な姉妹に対してもう1度大きなため息を吐いた。

 

(……俺もヤキが回ったもンだ。織斑のお節介が感染(うつ)りでもしたかね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妹と仲直りできた、と満面の笑みを浮かべた楯無が一方通行の元へ報告しに来たのは、その翌日のことであった。

 

 

 

 

 

 

 



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五話

学園祭当日。

 

一般開放はされていないものの、思い切りハメを外すことの出来る数少ない機会だと言うことで生徒達のテンションは朝から天井知らずであった。

 

中でも注目は、二人の男子が執事服姿で接客してくれるという一年一組の『ご奉仕喫茶』。この機会を逃してはIS学園生の名が廃るとばかりに、件の一年一組の教室には朝から長蛇の列が出来上がっているのだった。

 

「いらっしゃいませ、お嬢様。こちらへどうぞ、お席へご案内致します」

 

爽やかな笑顔と共に一夏が丁寧な動作で腰を折る。纏う衣服は黒を基調とした執事服に、シミ一つない白手袋。短期間とはいえ、紳士の国・英国生まれのセシリアに仕込まれた動作は非常に様になっており、思わず女子が顔を赤らめてしまうのも無理はない。

 

室内は、こちらもセシリアが厳選したアンティークな椅子やテーブル。更にはティーカップやソーサー等の食器類まで全て彼女の私物である。つい先刻までただの教室だったはずのそこは、非常にお洒落なカフェへと変貌を遂げていた。

 

一夏が数名の生徒をテーブルへと案内していくと、そこで彼に代わってもう一人の執事が姿を見せる。

 

普段は無造作に伸ばされている白髪はオールバックに整えられ、その下に隠されていた獣のような赤い瞳が鋭く光る。若干着崩した執事服、その襟元からは白い首筋が艶かしく覗いていた。

 

「……注文はなンだ。さっさと決めろ」

 

言葉だけ聞けばとても執事とは思えないが、低いテノールボイスにクールな容姿、面倒臭げな態度とが相まって、その手の女子には堪らないサービスになっているのだった。

 

それだけではない。

 

一年一組の専用機持ちメンバーは誰もが素晴らしい美貌の持ち主であり、女子から羨まれることも多々ある。そんな彼女たちがメイド服を身に纏い、笑顔で接客をしてくれるのだ。これもこれでとても嬉しいサービスである。

 

「はい、かしこまりました♪ コーヒーセット三つですね。少々お待ち下さい」

 

何故か満面の笑みを浮かべ続けているシャルロットがオーダーを取れば、

 

「お湯を注ぐ時は勢いに注意して下さいな。ゆっくり泡立てないよう……そう、そうですわ」

 

何故かコーヒーの淹れ方が非常に上手いセシリア主導の元にテキパキとオーダーが消化され、

 

「ボーデヴィッヒさん、これお願い。三番テーブルね」

 

「了解だ」

 

何故か一年一組のマスコットキャラクター的な扱いを受けているラウラがテーブルへと運んでいく。

 

ちなみに箒もしっかりとメイド服を着込んで接客に従事しているものの、一夏が引っ張りだこなのが面白くないのか常に仏頂面なので色々と台無しである。

 

「……ほらよ」

 

「あっ、ありがとう、ございます……」

 

気だるそうに頬杖をつきながら一方通行がポッキーを差し出せば、顔を真っ赤にした女生徒がそれをポリポリと食べていく。そんな行為をかれこれ一時間程続けている一方通行だが、

 

(…………コレの何処が面白ェンだ?)

 

彼が女心を理解する日は恐らく来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園祭開始から二時間ほどが経過した。昼飯時だというのに客足は全く途絶えないどころか更に列が長くなっているらしい。女子にポッキーを延々と食べさせ続ける作業にとっくに飽きていた一方通行としては面倒なことこの上なかった。

 

そろそろ厄介なのがやって来るだろうし、一夏に丸投げして自分は雲隠れしようかと思っていた矢先だった。

 

「やっほー、透夜くん。皆のアイドル楯無おねーさんが来てあげたわよ!」

 

「帰れ」

 

「その対応は接客業としてどうなの!?」

 

コンマ数秒で入店拒否された楯無が抗議するが、一方通行としては執事服(こんな)姿を見せたが最後、向こう一ヶ月は弄り続けられるだろうと踏んでの対応である。むざむざ相手に餌をやる必要もあるまい。

 

しかし今は営業中だ。騒ぐようなら営業妨害という大義名分の元に容赦なく楯無をつまみ出せる。

 

「で? 何しに来やがった」

 

「えっと……普通にお茶しに来たんだけど」

 

「……チッ。こっちだ」

 

「そろそろ泣いていいかしら?」

 

流石にクラスの出し物までかき乱すつもりはないようで、教室の隅のテーブルに案内してやれば大人しくメニューを眺め始める。普段からこンぐれェ静かだったらいいンだがな、と切に思わずにはいられない一方通行だった。

 

「ふーん……? ……、この『執事にご褒美セット』ってなぁに? 執事『の』じゃなくて『に』なの? 透夜くんに何かあげればいいの?」

 

「……注文した菓子を、俺に食べさせるンだと」

 

「……逆じゃない? 普通」

 

「俺に言うンじゃねェよ。念の為に言っとくが、立案は他の奴だからな。……まァ、それなりに繁盛してンだ、これはこれで需要があンだろォよ。……で、注文は?」

 

「そうね、じゃあ私もこれにしようかしら」

 

「……、あァそォ……」

 

ため息と共にテーブルを離れ、カウンターへ向かう。注文は既に襟元のブローチ型マイクを通じて伝達されているため、すぐに注文の品が渡される。よく冷やしたチョコポッキーにアイスハーブティーだけだが、客にとっての本命はこの後のオプションである。

 

トレーをテーブルに置き、そのまま楯無の対面に腰を下ろす一方通行。そんな彼に、ニコニコというよりニヤニヤという擬音が似合いそうな笑みを浮かべた楯無がポッキーをずいっと差し出す。

 

最後にもうひとつため息を追加してから、一口ポッキーを齧った。

 

甘いものが苦手な一方通行に配慮してか、チョコレートコーティングはミルクではなくビター。冷やされていたチョコレートが口内の熱で溶けだし、じんわりとした苦味が広がる。そこへ、サクサクとしたプレッツェルの香ばしさが合わさってお互いの旨みを引き立て合う。

 

とはいえ、彼にとってはそんな味のことなどどうでも良い。手早く済ませ、楯無から逃れたい一心であった。

 

そんな相も変わらぬ無表情でポッキーを食べ進めていく一方通行を眺める楯無はというと、

 

(……なんか、可愛いわね……)

 

割と普通に癒されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楯無の指名があったとはいえ、今は彼女も一人の客だ。一方通行を長々と拘束する権利はない。商品のオプションをこなし、席を立とうとした矢先に次なる災難が訪れた。

 

「どもどもー、新聞部でーっす! 噂の執事くん達を取材しに来ましたー!」

 

「帰れ」

 

「うわぁい塩対応。でも薫子さんはその程度じゃ折れないわよっ! 嫌だって言っても撮っちゃうんだから!」

 

肖像権という言葉を彼方へと放り投げた新聞部副部長、もとい黛薫子。常にネタを探し回っている彼女からすれば絶好の取材対象だが、取材される一方通行としてはたまったものではない。

 

そろそろ新聞部の活動を制限した方がいいのではないかと真剣に思うが、取り締まる側のトップ(生徒会長)がこれでは望み薄だろう。ノリノリで一方通行とのツーショットに応じる楯無に、本日何度目かの盛大なため息を吐いた。

 

「にしても鈴科くん、普段と全然印象違うわねー。オールバックにしてるせいもあるのかな、びっくりするくらい執事服似合ってるよ。何か感想とかないの?」

 

「帰れ」

 

「うわぁい最早口癖になってるよ。んじゃー次はメイドさんたちとのツーショットねー」

 

一方通行の対応もどこ吹く風、何食わぬ顔でカメラを構える薫子。そしてその背後には、そわそわと何処か気恥しそうなセシリアと、キラキラと期待に満ちた眼差しのラウラ。恐らく薫子の言葉を聞きつけてやってきたのだろう。見れば一夏の所にも箒とシャルロットが押しかけていた。

 

「さて、どんどん行くわよー! じゃあまずはオルコットさんからね!」

 

「で、では、お願い致します」

 

「……手早く済ませろよ」

 

諦めのため息を吐き、自然体で立つ一方通行にセシリアが少し遠慮がちに腕を絡ませる。柔らかな感触と仄かな温もりが服越しに伝わり、一般的な思春期男子ならば垂涎ものの状況なのだが、特に思うこともなく静かに時が過ぎるのを待つ一方通行。

 

だが、セシリアはそうはいかない。

 

(……しょ、少々大胆すぎたでしょうか……?)

 

買い物の際に腕を絡めたことはあったが、あれはギャラリーが一夏とシャルロットだけだったからこそ出来たと言ってもいい。大勢のクラスメイトが見ている中でこんなことをするのだ、人前に出ること自体は慣れていてもこれは流石に恥ずかしい。

 

だからといってここで身を離しては、千載一遇のチャンスを逃してしまうことになる。記録に残るのならば尚更だ。

 

女は度胸ですわ! と覚悟を決め、いつもの微笑みを浮かべてカメラを見る。が、その頬がほんのり朱に染まっていたことをセシリアは知らない。現像された写真を見て、彼女が1人自室で見悶えるのはもう少し先のことである。

 

「はーいオッケー! んー、いい絵が撮れたわー! んじゃ、次! ボーデヴィッヒさん!」

 

「うむ。格好良く撮るがいい!」

 

ドヤっ! とキメ顔で腕組みをして一方通行の隣に立つラウラ。

 

かつての人を拒絶する雰囲気は何処へやら、一方通行が関わると仔犬のようになってしまうこの少女を、他のクラスメイトは微笑ましいものを見るような視線で見守っていた。

 

お菓子をあげればもぐもぐ食べ、一方通行の後をひょこひょことついて行き、一方通行に絡む輩(主に楯無)を威嚇して追い払う。

 

完全に忠犬であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼を過ぎ、ようやく客足が落ち着いてきた頃。一夏と交代で1時間ずつの休憩を貰った一方通行は、人気のない階段に腰掛けてコーヒーを傾けていた。

 

耳を澄ませば、遠くから生徒達の喧騒がかすかに響いてくる。

 

(……よくもまァ朝からぶっ通しで騒げるよなァ。あの無尽蔵のスタミナはどっから湧いて出てンだ?)

 

既に疲れ切っている自分とは大違いだ。

 

純粋なスタミナだけで言えば女子も一方通行も変わらないと思うのだが、テンションさえ維持出来れば限界などいくらでも突破できるのが女子という生き物であることを一方通行はまだ知らない。

 

とはいえ。

 

こういった『学生らしい』行事に参加すること自体初めての一方通行にとっては、下らないと切って捨てることもできないのだ。

 

店員の真似事を自分がすることになるとは思ってもみなかったし、普段自分が何気なく受けているサービスの大切さを知れたような気もする(だからと言って店員に対する態度を変えるほど殊勝な彼でもないが)。

 

正直に言えば、そろそろ自室に戻って惰眠を貪りたいところではある。が、今の彼に出来ることと言えば、与えられた休憩時間を精一杯満喫することと、この後客足が途絶えるのを祈ることのみであった。

 

「……あン?」

 

ふと、視界を影が横切った。

 

反射的に視線で追う。

 

見た限り、自分とそう変わらない年頃の少女だった。

 

身長は一方通行よりも少し低い程度。透き通るアイスブルーの瞳で周囲を見回す度に、腰まで伸びた銀髪がさらりと揺れる。雪のような肌に均整のとれた体つきのせいか、どこか浮世離れした雰囲気を纏っている。

 

服装も、どう考えても動くには適していない淑やかな服。仮に模擬店か何かの衣装だとして、その格好のままこんな所までやってくるはずはない。

 

となると、外部からの来園者。それも、迷子の可能性が高い。

 

内心で舌を打つ。

 

見るからに外国人観光客です、といったオーラ全開の少女。しかもIS学園の学園祭を見に来るくらいなのだから、自分のような存在には興味津々なのだろう。いや、もしくは罵声でも浴びせられるか。どちらにせよ面倒なことには変わりはない。

 

あれこれと考えているうち、件の少女と視線が合った。

 

「―――、」

 

こちらを視認した瞬間、少しだけ目を見開いて驚きを顕にする少女。恐らくは『あの』鈴科透夜だと気が付いたのだろう。そのまますたすたとこちらに歩いてくると、一方通行の眼前で足を止めた。

 

じっ、と蒼い瞳がこちらを見つめる。

 

そして、

 

「―――Есть ли у вас что-то есть?」

 

「……Нет」

 

少女の口から紡がれたのは流暢なロシア語。

 

思わず反応を返してしまってから、一方通行は頭を抱えた。

 

ISの普及と共に、日本語も急速に世界へと広まっていった。今や、世界の共通語と言っても差し障りのないレベルである。

 

それもそのはずだ、ISの生みの親である束がISの解説書を日本語でしか書かなかったからだ。

 

束曰く、

 

『はぁ? 教えてもらう立場のくせしてそれぞれの母国語に訳せとか頭沸いてんの? 読みたければ日本語覚えろよ』

 

よって、ISに携わる者は例外無く日本語が義務教育として刷り込まれている。多種多様な国籍の生徒が在籍するIS学園において、日本人の生徒が会話に不自由しないのはそのためだ。とはいえ、一通りの英語すら喋れない生徒はこの学園に1人としていない。

 

閑話休題。

 

以上のことを踏まえた上で日本語が喋れないとなると、これは相当厄介だ。ロシア語が話せる生徒を捕まえて引き渡すか、迷子センターにでも連れていくのが早いだろう。

 

「……?」

 

こちらを見上げて首を傾げる少女を一瞥してから、一方通行は本日何度目かになる盛大なため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ、く。んむ、ん……」

 

どうしてこうなった。

 

焼きそばやらクレープやら、何故か自分が買い与える羽目になった食べ物を抱えて幸せそうに頬張る少女を見て、一方通行は心の底からそう思った。

 

当初の予定では、手っ取り早く迷子センターに引き渡して休憩に戻るはずだった。はずだった、のだが。

 

『……オイ?』

 

『歩くの、疲れた。お腹へった』

 

『……、』

 

と言って、臨時に備え付けられたベンチに勝手に座り込んでしまい。業を煮やした一方通行が立ち去ろうとすると、

 

『……オイ、離しやがれコラ』

 

『……お腹、へった』

 

『……、』

 

見知った相手ならばここで一方通行の手刀が頭に落とされていたことだろう。もしくは昔の一方通行ならば、最初の時点で音と物理的接触をシャットして歩き去っていたか。

 

(……腑抜けすぎだ。日和ってンじゃねェぞボケが)

 

自分に喝を入れる。

 

如何なる組織からの干渉を受けないIS学園だからといって、ここが絶対に安全な場所とは限らない。一般市民のことなど考えない組織が襲撃してきたら、この場にいる大勢の市民が犠牲になるかもしれない。

 

それを防ぐために―――

 

『……、あン?』

 

隣から袖を引かれ、そちらに視線を向ける。あれだけあった食料品を全て平らげ、空の容器をこちらへ突き出した少女は躊躇いなく言い切った。

 

『……おかわり』

 

『………………、』

 

スッ、と一方通行の右手が持ち上がり、少女の脳天に振り下ろされる直前。

 

「あっ!! や、やっと見つけた!!」

 

声のする方を向けば、こちらに駆けてくる1人の少女。

 

短く揃えた金髪に、意志の強そうなグリーンの瞳。身長は一方通行の隣に座る少女よりも十センチ程低いだろうか。器用に人混みを走り抜ける身のこなしは見事で、ぶつかることなく二人の眼前まで辿り着いた。

 

そうして金髪の少女は、まず空の容器を抱えた少女を見て怪訝な顔をし、次に制服を着込んだ一方通行を見てぎょっとしたような顔をして、最後にもう一度少女を見て青い顔をすると、

 

「す、すまなかったっ!!!」

 

全力で一方通行に頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本っ当に、申し訳ない……!」

 

「……分かったから顔上げろ。目立つだろォが」

 

そう言ってもう1度頭を下げる金髪の少女―――グリゼルダ。

 

色々とありすぎて既に怒る気すら消え去った一方通行は、心の底から面倒臭そうに手を振ってそれを制す。

 

「グリゼルダ、目立つのは良くない。来る前にそう言われた」

 

そして、この騒ぎを引き起こした元凶であるエヴァと呼ばれた少女がどこまでも空気を読まない発言をする。

 

「誰のせいだと思ってるんだこの馬鹿ッ!!」

 

「きゃんっ」

 

身長差のせいか、それとも叩きやすいからか。エヴァの言葉にキレたグリゼルダの平手打ちが、発育の良いエヴァの胸をスパーンと打ち抜いた。そのまま右に左にスパーンスパーンと揺さぶられる二つの果実。

 

「乳か!? この無駄に育った乳か!? これが頭に行く分の栄養吸い取ってるんだな!? よーし分かった今すぐ引きちぎってやる!!」

 

「あぅぅぅうぅぅう!! い、痛い!! グリゼルダ、痛いっ!! 引っ張るのはダメっ!!」

 

エヴァが実は日本語を話せるのだと知った時、思わず彼女の頭に手刀を落としてしまった彼は悪くないだろう。何故ロシア語しか話さなかったのかとグリゼルダに問い詰められたエヴァの答えが『一方通行の外見がロシア人っぽかったから』なのだから手に負えない。

 

一方通行も一方通行で、そのままロシア語での会話を継続してしまったのもよくなかったが、これは不可抗力と言うものだろう。まさかロシア語を話せることが裏目に出るなど誰が予想できようか。

 

魂まで抜け出そうな深いため息を吐いて、ベンチから立ち上がる。

 

「あっ、す、すまない。君を差し置いて……」

 

「……どォでもイイが、次に迷子ンなっても俺ァ知らねェからな。精々目ェ離すンじゃねェぞ」

 

「あ、ああ。今回は本当に助かった。ありがとう」

 

「ごちそうさま、でした」

 

述べられる感謝の言葉を背に、すたすたと歩き去る一方通行。さっさと移動しなければ、また厄介事が舞い込んでこないとも限らない。折角の休憩時間をこれ以上無駄にするわけにはいかないのだ。

 

と、その時。

 

「……………………、」

 

キンコーンと響く鐘の音。

 

時計を見れば丁度二時。

 

彼の僅かな休憩は、こうして終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――より、生徒会主催の演劇―――』

 

校内のスピーカーから、放送部のアナウンスが流れている。それを聞き流しながら、一方通行は自分の教室へと向かっていた。

 

既に休憩時間は終わっているのだから、早めに戻って支度をしなければ小言を言われそうだ。それとも人助けという大義名分を振りかざせばなんとかなるか。

 

(……我ながら何やってンだか)

 

律儀に足を速めている自分を鼻で笑い、曲がり角を曲がろうとした刹那。

 

パン、と眼前で扇子が開いた。そこには『火急』の文字が踊っている。それが意味するところは即ち、

 

「……何の用だ、更識」

 

一方通行の声に応じるように、制服姿の楯無が姿を見せた。確か、一方通行が教室を出る時はメイド服姿ではしゃいでいたはずだが―――

 

「……本当は、こんなことを頼みたくはないんだけどね」

 

そこに、いつもの人を食ったような笑みはない。他人をからかうような、喜色に溢れた声音もない。普段は絶対に見せないような、『裏』の顔が僅かに覗いていた。

 

只事ではない彼女の様子を目にし、一方通行の意識が硬く研ぎ澄まされていく。日常に緩んだ表側から、冷たく重い裏側へと。

 

「何があった」

 

一方通行の声のトーンが一段落ちる。

 

躊躇うように視線を彷徨わせていた楯無だが、やがてその視線は真っ直ぐ一方通行を射抜く。

 

「―――正規ルート以外の方法で学園内に侵入した者がいると報告があったわ。……彼らを炙り出すために、協力してほしいの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡霊の影が動き出す―――

 

 

 

 

 

 

 

 




長らくお待ち頂いた読者の皆様、誠にありがとうございます。
これからもお付き合いいただければ幸いです。


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六話

「どーお? 一夏くん。サイズ合ってるー?」

 

「ええ、まあ……ぴったりですけど……」

 

第四アリーナ更衣室。

 

生徒会で『シンデレラ』の演劇をやるからついてきなさい、と言って一夏が楯無に拉致されたのが十分前。衣装と共に更衣室に放り込まれたのが五分前の出来事である。

 

やや困惑気味な表情を浮かべた一夏が、着替えた服の裾を数度伸ばす。その格好はというと、どこかの国の王子が纏っていそうな豪奢なスーツだった。

 

着る側の素材がいい為か、まず日本では目にしないような服でも結構様になっている。これで爽やかな笑みと共に白馬に乗って現れれば、童話の世界から抜け出した白馬の王子の出来上がりだ。

 

まあ、一夏が乗っているのは白馬ではなく白式なのだが。

 

「あの、楯無さん。つかぬ事をお聞きしたいんですけど」

 

「なぁに?」

 

「……なんで俺のサイズ知ってるんですか?」

 

「それはほら、身体測定のデータをちょこっと」

 

「プライバシーって言葉知ってます!?」

 

職権乱用、ここに極まれり。

 

更識楯無という少女に常識は通用しないのである。というか常識で挑めば返り討ちにされる。なので必要なのは潔く諦める心か、物理的に制裁を加えられる程の実力。

 

悲しきかな、今の一夏には前者しか選ぶ道はないのであった。

 

「はぁ……もういいですよ。はい。わかりました。別に悪用しなければいいです」

 

「あら、潔いのね? 将来悪い人に引っかからないかおねーさん心配になっちゃうわ〜」

 

「はいはい、もう突っ込みませんからね」

 

「む、一夏くんがつれない。これはもう一夏くんに罪をなすりつけて透夜くんをからかうしかないわね」

 

「ちょっ!? やめてくださいよ! 何とんでもないことしようとしてるんですか!」

 

「あははっ、じょーだんよじょーだん。やっぱり一夏くんはリアクションが新鮮で面白いわ〜」

 

「この人は……。っていうか、その透夜はどうしたんです? 休憩に出ていったきり見当たりませんけど……」

 

楯無が誘ったのは一夏1人だけ。この手のイベントにはあまり乗り気でなさそうな彼がいないのは、まぁわからないでもない。しかし折角のイベントなのだから、どうせなら1人より2人の方が良かったな、と思わずにもいられない。

 

「うん、透夜くんはちょっと別件でお仕事。だから主役は一夏くんだけ。そもそも王子様が二人いても王位継承問題とかで絶対内輪揉めに発展して国が荒れるから、そういうのはちょっとね」

 

「妙にリアルな事言うのやめてもらえます?」

 

そもそもシンデレラはそういうお話ではない。

 

「はい、これ王冠。勿論セリフはアドリブでお願いね」

 

「え? 台本とかはないんですか?」

 

「アナウンスでナレーションを流すから、それに合わせてくれればいいわ。さ、始まるわよ」

 

そんな適当でいいのかと不安を感じつつ、言われるがままに舞台袖へと移動する一夏。そっと物陰から舞台の様子を覗くと、席は既に観客で溢れていた。広大なアリーナの半分以上を使って設営された舞台も、かなり凝った作りになっているようだ。

 

(っていうか、こんなに広く作らなくても良かったんじゃないのか……? ちょっとした迷路みたいになってるぞ、これ。準備するのにどれだけ手間かかってるんだ?)

 

何だかんだ言いつつも緊張してきているのか、そんな益体もない思考がつらつらと流れていく。自身で自覚できるまで緊張が高まってきたところで、楯無の声がスピーカーから響き始めた。

 

『―――むかしむかしある所に、シンデレラという女の子が住んでいました』

 

様々な童話で耳にする、使い古された冒頭の語り。幼い頃に何度か聞いた事のあるシンデレラも、最初はこんな感じだった気がする。何分昔の記憶故に、うろ覚えなのは否めないが。

 

どうやらまともな演劇になりそうだぞ、と胸を撫で下ろした一夏の耳に、

 

『―――幾多の武闘会(・・・)を潜り抜け、その身に纏うは舞い上がる灰燼。彼女らが酔うのは戦果か、それとも戦火か。血に濡れた月が登る時、幕を開けるは殺戮の夜―――』

 

「……………………、ゑ?」

 

戦争映画のキャッチコピーか何かだろうか。

 

というか武闘会って何だ。天下一でも決めるのか。

 

思いっきり殺戮とか言っちゃってるし。

 

シンデレラとはあまりにも無縁な血なまぐさい台詞のオンパレード。想定外にも程がある事態に思わずその場で呆然とする一夏の前に、一つの影が舞い降りた。

 

膝をたわめて衝撃を殺し、音もなく着地する姿は熟練の暗殺者を彷彿とさせる。銀糸の刺繍も美しい純白のドレスを纏い、一瞬遅れて栗色のツインテールがふわりと靡く。

 

見間違うはずもない、セカンド幼馴染みこと鈴音。

 

そして、その手に握るのは中国の暗器・飛刀。

 

翡翠の瞳は真っ直ぐに一夏を見つめているが、そこに暖かさはない。快活な彼女とは程遠く、本当に暗殺者のような雰囲気を醸し出していて―――

 

ぞわぞわと、一夏の背筋を嫌な感覚が伝う。

 

警鐘を鳴らす本能に従い、一歩後退りする。

 

その緊迫を壊すように。

 

猛獣の入った檻の鍵を開け放つように。

 

愉悦と喜色に溢れた、楯無のアナウンスが響き渡る。

 

『―――さぁ、灰被り姫(シンデレラ)の狩りを知るがいい』

 

「その王冠、置いてけぇぇぇぇぇええええええ!!」

 

「あっぶねぇ!?」

 

咄嗟にバックステップで飛び退く一夏。直前まで立っていた場所に、無数の飛刀が突き立った。しっかり殺傷能力を備えている辺り、幼馴染みの思いやりが身に染みて涙が出そうである。

 

弾切れを狙ってみようかとも考えたが、大腿部にナイフケースが取り付けられているのが見えた。それにちゃっかり投げた後の飛刀も回収しているので望み薄だろう。

 

ジグザグとバックステップを続けていたが、そろそろ動きを読まれる頃だろうと踏んだ一夏は大きく横に跳んだ。と同時にセットされていたテーブルを蹴倒して壁にし、その後ろに体を滑り込ませる。直後、飛刀がテーブルに突き刺さった。

 

息つく暇もなく、倒した衝撃で舞ったテーブルクロスを引っ掴む。一夏がテーブルの陰から転がり出るのと、ジャンプした鈴音の蹴りがテーブルを叩き割るのは殆ど同時。振り向き様に放たれた飛刀はテーブルクロスを振るって絡め取り、自身は柱の陰へダイブ。

 

後は一目散に逃げる逃げる。

 

誰だって命は惜しいのだ。

 

「あっ! こら待て逃げるな一夏あああ!!」

 

(死ぬ……! 死んじまう……!)

 

目の前で繰り広げられたアクション映画さながらの殺陣に送られる万雷の拍手も、今は全く嬉しくない一夏であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな一夏の姿を遠方より監視する影が一つ。

 

(……確かあちらは遮蔽物の多い区画でしたわね。そちらに逃げ込まれると少々厄介ですし、追い立てるしかありませんか)

 

舞台端に設営された城の屋上にて、彼ら二人のやり取りをスコープ越しに観察していたのはセシリアだ。頭の中で舞台の構造を思い出しつつ、袋小路に追い詰めるルートをシミュレートしていく。

 

セシリアが構えているのはL96A1。英国、アキュラシーインターナショナルが開発したボルトアクション式のスナイパーライフルだ。

 

フローティングバレルによる高い精密性に加え、プラスチック製フレームなので比較的軽く取り回しが良い。祖国の銃ということもあり、非常に扱い慣れた一丁である。

 

スコープの中には、鈴音から逃げおおせて肩を上下させる一夏の姿がしっかりと収められている。その足元を狙い、セシリアは引き金を引き絞った。

 

サプレッサーで極小化されていても尚響き渡る発射音と共に、反動が肩を叩く。

 

突如足元が弾け飛んだ一夏の焦り顔に思わず笑みがこぼれるが、その右手は迷いなくコッキングレバーを引いて排莢、次弾を薬室へと送り込んでいた。

 

続け様にもう一発撃ち込み、慌てて逃げ出す一夏を確認してから身を起こす。狙撃の基本として、一発目を撃ってから同じ場所に長く居座るのは危険が大きい。カウンタースナイプを防ぎ、移動した目標を見失わない為にも『狙撃と移動(ショットアンドムーブ)』は大切なのだ。

 

(しかし、透夜さんが居ないのが残念で仕方ありませんわね……)

 

次の狙撃ポイントへと走りつつ、白髪の少年へと想いを馳せるセシリア。『一夏くんの王冠を手に入れたら、生徒会長権限で好きな願いを一つだけ叶えてあげるわ』という楯無の言葉に奮起して参加したのだが、やはりというか彼の姿は見えなかった。

 

こうなればもう、一夏の王冠を奪取するより道はない。無事に手に入れた暁には二人きりで―――

 

(…………、ああっ! そんなっ、透夜さん! いけませんわ、いけませんわぁぁぁぁぁぁぁっ!!)

 

思春期女子の想像力を侮ってはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気のない廊下に、ヒールの音が響く。

 

音の出どころは一人の女性。ふわりとした茶色の長髪、レディーススーツを身に纏ったその姿はまさに『企業の人間』といったところか。誰かを探しているらしく、時折視線をあちこちにさ迷わせている。

 

暫くして、一つの扉の前で立ち止まった女性。

 

ゆっくりとドアノブへと手を伸ばし―――

 

「『関係者以外立ち入り禁止』って看板が見えなかったンですかねェ?」

 

背後から聞こえたその声に、ピタリと動きを止めた。が、それも束の間のこと。すぐに振り返ると、その視線の先には白髪の少年が佇んでいた。営業スマイルを浮かべ、謝罪の言葉を述べる。

 

「ああ、これは大変失礼しました。何分IS学園へ直接赴くのは初めてのことでして、内部が複雑で困っていたんです」

 

その言葉を聞いた少年は、無表情ながら同意を示す。

 

「……まァ、確かに無駄に広いですからねェ。そのおかげでコッチも色々と苦労したりすることは多いンですわ」

 

「なるほど、例えば?」

 

「例えば? そーォだなァ……」

 

視線を中空に彷徨わせ、少しだけ考える素振りを見せる。数秒程考え込み、「あァ」と何かに思い至ったような声をあげた。そうして眼前の女性に向き直り、

 

「―――入り込んだ害虫を探し出すのには、結構時間がかかっちまうンだよなァ」

 

引き裂いたような笑みを浮かべて、言った。

 

「似合わねェ化粧なンざしやがって、あンまりにも厚化粧だったもンで一瞬誰だか分かンなかったじゃねェかよ。それともあれか? 顔面に石灰振りかけンのが最近の流行りって奴ですかァ?」

 

「……ホンットにどいつもこいつもガキってのは口が減らねぇよなぁ。目上への態度がなってねーんだよ。一々突っかかりやがって、遅めの反抗期か? それともママが構ってくれないから寂しいのか? あ?」

 

それに応えるように、女性の口調が変わった。丁寧な言葉遣いは消え、挑発的な言葉で一方通行の言葉を切り捨てる。

 

「ッは! テメェこそこンな所で油売ってねェで、愛しのスコールちゃンにケツ振ってろ。『殺す』以外の言葉が吐けねェボキャ貧ラジオにゃお似合いだぜ」

 

「……マジで素直に褒めてやるよ。てめぇは人をイラつかせる天才だぜクソガキ!!!!」

 

激昴した女性の背中が盛り上がり、スーツを食い破って装甲脚が飛び出す。そのまま光が全身を包み、巨大な蜘蛛を連想させるISを形作った。

 

細く伸びた主脚。腰部から後方へ突き出したハードポイントはまるで蜘蛛の腹部。四対の装甲脚に、フルフェイスのマスクは複眼を思わせる多数のレンズが備え付けられている。

 

それを見た少年も、自らの専用機を展開する。

 

月の無い夜空を思わせる、濡羽色のIS。

 

緩く両手を広げた彼は口の端を思い切り歪め、

 

「―――悪ィが、こっから先は一方通行だ。侵入は禁止ってなァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如、腹の底に響くような破砕音が轟いた。

 

「っ、何だ……!?」

 

反射的に身を屈め、周囲を見渡す一夏。突然の出来事に、観客席にいた生徒達のどよめきが波のように広がっていく。

 

「シャルロット!」

 

対弾シールドを構えて一夏を庇っていたシャルロットの元へ、ラウラが駆け寄ってきた。流石は軍属と言うべきか、異変への対処は素早い。

 

「更衣室の辺りからか」

 

「うん。この時間帯なら人は居ないはずだけど、音からして相当大きいと思う」

 

「だろうな。ともあれまずは避難が先か。チャンネルを501に合わせて連絡を―――全員伏せろッ!!!」

 

ラウラの鋭い叫び。

 

何故と思う暇もなく体を投げ出すようにその場にうつ伏せた瞬間、舞台の一部が粉々に弾け飛んだ。細かな木片が降り注ぎ、白煙が立ち込める。

 

こうも不測の事態が続いては四の五の言ってはいられない。千冬からの叱責は後でいくらでも受け付ける覚悟で、一夏は白式を展開する。ラウラとシャルロットは既にシュヴァルツェア・レーゲンとラファール・リヴァイヴ・カスタムIIを展開しており、一夏に続いて箒も紅椿を身に纏った。

 

少し離れた位置にいたセシリアもブルー・ティアーズを展開し、鈴音も双天牙月を構えて臨戦態勢に入っているようだ。

 

一夏がハイパーセンサーを起動し、爆発音の正体を探ろうとした刹那。

 

白煙の中から『何か』が勢い良く飛び出してきた。

 

「ッ!?」

 

一瞬、ハイパーセンサーが故障したのかと思った。

 

基本的に、煙幕などの目くらましはハイパーセンサーには効果がない。視覚的な情報が入手出来なくとも、動体センサーやサーモセンサー等のアシストがあるからだ。

 

だが、センサーには何も引っかかっていなかった。白煙の中には、確かに誰も居ないはずだったのだ。だというのに『見えない何か』がこちらへと迫ってくる―――!

 

(考えてる場合じゃない、回避を―――っ!)

 

脳裏を埋める疑問符を無理矢理排除し、意識を戦闘へとシフトさせる。スラスターを噴かせ上空へと退避した一夏の真下、舞台のセットが今度こそ跡形もなく爆散した。

 

瞬間、白式のハイパーセンサーがその影を捉えた。

 

立ち込める白煙の中、陽炎のように揺らめく機影。輪郭だけがぼんやりと浮び上がり、頭部が有るのだろう場所には真紅のモノアイが輝く。それはこちらを捉えた瞬間、一際輝きを増したようにも思えた。

 

一夏が確認できたのはそこまでで、その機体は煙に溶け込むように再び姿を消した。同時に、センサーからも反応が消失する。

 

何時どこから攻撃されるのか分からない恐怖に駆られながらも、声を張り上げる。

 

「皆、気を付けろ! ステルス機が一機、煙の中に潜んでる!」

 

「ステルス機だと……? センサーはどうなっている!」

 

「ダメだ! やってみたけどハイパーセンサーでも捉えられない!」

 

「何っ……!?」

 

動体センサーでもサーモセンサーでも捉えられないとなれば、頼れるのは音か。しかし自分たちもスラスターを使っているし、周囲は未だ生徒達の悲鳴で溢れ返っている。

 

未だに避難の終わらない観客席だが、遮断シールドが降りているので一応の安全は確保出来ている。しかし、前回の無人機の例もあるので絶対に安全だとは言い切れないだろう。

 

早急にあの機体のステルス機能を止める方法を見つけなければ、何をするにも行動を起こせない。こういった非常時に、あの少年ならばどうするか。

 

(くそっ―――!)

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、簡単な話じゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

涼やかに響く声。

 

直後、眼下に広がる煙海が轟音と共に次々と爆ぜていく。何事かと思えば、水色の機体がこちらへ向かって飛翔してきた。それを操るのは、

 

「はぁい、一夏くん。皆も怪我はない?」

 

「楯無先輩!」

 

耳に心地良い、聞く者を安心させる声。彼女のいつも通りの振る舞いが無意識の内に安心感を与え、強ばっていた体から力が抜けて行くのを実感する。

 

年上の余裕、というものだろうか。

 

「話は聞こえてたわ。相当厄介なステルス機みたいだけど、この手の機体への対処法は一つよ。広範囲爆撃で衝撃を与え、ステルス機能を破壊する。これに尽きるわ」

 

おほほほ、と笑う楯無。

 

さらりと言ってのけたが、単機でそれを実行出来るのは先輩か鈴科くらいなのでは? と内心思わずに居られない一夏であった。

 

ひとしきり笑った楯無は、笑顔を消してその赤い瞳を下へと向ける。

 

「さて、今回の下手人とご対面と行こうかしら」

 

爆風で煙の大半が吹き飛ばされ、良好になった視界の中。その一部分だけが、透明度の低いガラスの塊を通したかのように奇妙に歪んでいる。

 

ジジジジ……ッ、という電子音。

 

楯無の言う通り爆破の衝撃でシステムに不調を来たしたのか、装甲表面を覆っていたステルス迷彩が徐々に解除されていく。

 

暗灰色の装甲。ISにはシールドバリアが搭載されているため過剰な装甲は不要なのだが、全身装甲(フルプレート)タイプなのはステルス迷彩の為なのだろう。

 

目に付くのは二対の大型スラスター。そして、細身のシルエットにはおよそ似つかわしくない巨大な双腕だった。肘から先の装甲が極端に分厚くなっており、重厚な輝きを放っている。

 

戦闘力は未知数だが、単独で乗り込んできたのはそれだけの実力がある、ということなのだろうか。それとも―――

 

(まぁ、どっちでもいいわね)

 

そんな思考を、楯無はばっさりと切り捨てた。増援が来たなら対応するし、来ないのならそれでいい。最悪、眼前の敵を倒してから考えればいいのだ。

 

普段ならば絶対に思いつかないような思考が脳裏を巡っていく。

 

結果論とは言えど、何の罪もない生徒達に恐怖を与え、生徒に裏の仕事を頼むという生徒会長として有るまじき行為までしてしまった。襲撃の情報を事前に掴めず、後手に回るしかなかった事実だけでも悔恨の念が耐えないのだから。

 

故に―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「折角の学園祭を台無しにしてくれた罪、その身でしっかりと償ってもらいましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、割と頭に来ているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




※誠に勝手ながら、今回より感想への返信は控えさせて頂きます。ですが、送っていただいた感想は全て有難く読ませて貰っていますので是非忌憚のない意見をお送り下さいませ。


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七話

かつて、一方通行がまだ束の元で動いていた頃。

 

ちょろちょろと周囲を嗅ぎ回る存在を鬱陶しがっていた束は、その対処を一方通行に一任していた。時期を同じくして、束のラボ襲撃の任に就いていたオータムは、そこで初めて眼前の少年と対面することとなる。

 

そして彼女は戦慄した。

 

法に縛られない自分達以外に、ここまで殺戮を躊躇わない者が居たのかと。お遊び感覚で乗っているIS学園の生徒は言わずもがな、軍の連中ですらここまで苛烈ではない。

 

既に半壊していたオータムの『アラクネ』を、一切の容赦なく無数の光線で焼き払おうとした時は真面目に死を覚悟した。報告を受けて飛んできたスコールが居なければ、物言わぬ屍となっていただろう。

 

良くも悪くも、その一戦が彼女を変えた。

 

だから、今のオータムには油断も慢心も驕りもない。

 

それを見せれば敗北すると知っているが故に。

 

両手に握るカタールを振るい、間合いを維持する。八本の脚も射撃と近接を器用に切り替えつつ、四方八方から攻め立てていく。大半はあの厄介な反射の壁に弾かれるが、捌き切れなかった攻撃が何度か夜叉の装甲を掠めていた。

 

そんな嵐のような猛攻に対して、一方通行は思うように攻めきることが出来ずにいた。

 

理由は単純だ。

 

まず、彼の専用機『夜叉』には近接武器が搭載されていない。四肢の展開装甲からエネルギー刃を作り出して応戦することは出来るのだが、如何せん分が悪かった。仮に両手両足を用いたとしても、こちらは四であちらは八。手数ではオータムに軍配が上がる。

 

加えて、一方通行には白兵戦の経験値が圧倒的に足りていない。普段であれば接近戦の間合いに入られる前に幻月の掃射で潰せばいいのだが、こういった閉所で長時間の近接戦闘を強いられるとどうしても粗が目立つ。

 

更に、オータムの駆るIS『アラクネ』は、近接戦闘に特化した第二世代の機体。どういう理屈か、以前とは比べ物にならない程の操縦技術を身に付けているオータムの動きは、接近戦ならば間違いなく一方通行の上を行っている。

 

ならば幻月で対処すればいいのだが、ここで幻月の高すぎる火力が問題となる。不用意に放てば周囲一体を吹き飛ばしてしまう恐れがある為、完全確実に直撃させられる場面でなくては使えない。

 

生徒達の避難が完了しているかどうかも分からないというのに、校舎に風穴を空けるわけにもいかないのだ。

 

「チィッ!!」

 

終始飛んでくる攻撃に苛立ちを募らせた一方通行が、一度大きく後方へと下がった。だが、オータムとてむざむざ距離を取らせるつもりはない。装甲脚の射撃で牽制しつつ、壁も床も天井も関係なく、それこそ蜘蛛のように縦横無尽に跳び回りながら距離を詰めにかかる。

 

(とっとと機動力を削ぐしかねェか。っつか、本格的に近接武器の扱い方も覚えねェとな……ッ!)

 

振るわれる二対の脚。二つは右。二つは左。そして上からはカタールが迫る。

 

決断は早かった。

 

VROSでカタールを弾き返し、その衝撃でオータムの体勢を崩す。踏み込みが甘くなり、若干勢いを失った右の脚二つを腕部装甲とブレードで受け止める。しかし、

 

「がッ、ァ……!」

 

反応出来たのはそこまで。

 

唸りを上げて振るわれた脚は無防備な一方通行の左脇腹に吸い込まれる。装甲で覆われていない部位を攻撃されたために絶対防御が発動し、シールドエネルギーが目に見えて減少する。それでもダメージを全て防ぎ切ることは出来ずに、衝撃が内臓を突き抜けた。

 

その光景を見て口元を歪めるオータム。

 

ようやくまともな一撃を入れることが出来た喜びと、かつて無様に敗北を喫した相手を苦しめることができる悦び。彼女本来の性格も相まって、ゾクゾクとしたものが背を走る。

 

だが―――違和感。

 

「っ!? てめぇ、まさか……っ!!」

 

気付いた時にはもう遅い。

 

叩き付けた二本の脚は、彼の脇腹と左腕の間にしっかりと挟まれていた。全力で引き抜こうとしても、まるで万力に固定されたかのようにぴくりとも動かない。

 

肉を切らせて骨を断つ。シールドエネルギーと引き換えにはなったが、それで厄介な機動を制限できるのならば惜しくはないというものだ。

 

今度は一方通行が笑う番だった。

 

慌てて別の脚を振るうオータム。

 

それが一方通行に届くより早く、彼の右腕が勢い良く薙ぎ払われる。掴まれていた二本の脚をその手に残し、アラクネが砲弾の如く吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳴り響く轟音。

 

突如として乱入してきた暗灰色のIS『アッシュ』。その双腕が振るわれる度に、大気を揺るがすほどの強大な爆発が巻き起こる。放たれる拳打を回避した余波だけでアリーナの地面が掘り返され、鋼鉄製の基礎部分までがその姿を覗かせていた。

 

楯無の専用IS、ロシア製第三世代機『霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)』は、エネルギー伝達性能の高いナノマシンを含んだ水を自在に操ることで攻守の両立を図っている。極端に少ないその装甲とは裏腹に、高い防御性能を誇るレイディではあるが―――

 

「……ッ!!」

 

唸りを上げて放たれた鋼鉄の拳が、思い切り身を反らした楯無の鼻先すれすれを通過していく。

 

後方への力の流れに逆らわぬようそのまま宙返りの要領で体を回転させ、身を起こすと同時に右手に握るランス『蒼流旋』を振るって空いた胴を狙う。

 

その穂先が脇腹を穿つ直前、敵機は思い切り身体を捻って直撃を避けた。結果、楯無の反撃はシールドバリアを掠めるだけに留まる。

 

しかし代償として体勢が崩れ、大きな隙が生じた。好機と踏んだ楯無が追撃を行おうとするも、瞬時に呼び出したスローイングダガーを投擲。楯無が水の盾を展開してそれを防いだ瞬間、ダガーが爆発を引き起こした。

 

追撃を阻まれ、お返しと言わんばかりに蒼流旋に仕込まれたガトリングガンの引き金を引く楯無。内蔵された四基の銃身が勢い良く回転し、視界を覆う黒煙に向けて狂ったように鉛玉を吐き出した。

 

バックステップで距離を取り、機関部から立ち上る硝煙を振り払う。ランスを構え直し、水盾を再構築したところで煙が晴れていく。その向こうには、未だ健在な様相を見せるアッシュが油断なく身構えていた。

 

(―――強い。機体もそうだけど、操縦者もかなりの手練だわ。これだけの人材、一体何処から……)

 

若くして対暗部組織当主の座に就いた楯無。現役軍人であるラウラですら軽くあしらえる実力を持った彼女と真っ向から打ち合い、尚且つ互角に戦える人間などそうそう居ない。

 

加えて、機体の相性も良くなかった。

 

おそらく、圧縮したエネルギーを指向性爆薬の代わりのようにしているのだろう。拳の着弾と同時に対象を爆破する、凶悪極まりない超攻撃型の武装。

 

腕部装甲内部で圧縮した高圧エネルギーを、拳部分の装甲外部に放出・爆破―――爆発の衝撃に耐え、エネルギー圧縮の複雑なプロセスを保護する為ならば両腕装甲の肥大化も頷ける。

 

水盾で防ごうにも、衝撃で飛散してしまうため一撃までしか耐えることができない。再構築するには数秒ではあるが時間を要するので、大人しく回避に専念した方が無難だろう。

 

(完璧なステルス機能。強固な装甲。高い運動性能。範囲の狭い高火力兵装。さしずめ攻撃寄りの隠密潜入型ってとこかしら。こういうタイプ相手だったら、私よりも透夜くんの方が相性良さげなんだけど)

 

持久戦になるよりも、数の利を生かして短期決戦に持ち込むのが得策か。そう判断した楯無は回線を開き、専用機持ちメンバーへと繋げる。

 

『―――皆、仕掛けるわよ』

 

『何か策はあるんですか?』

 

『もちろん。まずはセシリアちゃんとシャルロットちゃんが弾幕を張って相手を牽制。一撃の火力よりも、広範囲を手数で攻めて頂戴。で、箒ちゃんと鈴ちゃんは二人の護衛。セシリアちゃんもシャルロットちゃんも狙われたら構わずに下がっていいわ。私が斬り込んで隙を作るから、ラウラちゃんのAICで動きを止める。トドメは一夏くんの零落白夜で決めるわ』

 

『ですが、そう上手くいくでしょうか? あの操縦者もかなりの実力を持っているようですけれど』

 

『だからこそよ。皆のエネルギーに余裕がある内に勝負を決める。相手の増援が来るかも分からない状況で勝負を長引かせるのは悪手だもの』

 

考えられる可能性としては、時間稼ぎか。

 

なればこそ、早急に仕留めて体勢を立てなくては。

 

『―――行くわよ!』

 

ドッ!!!

 

楯無の合図と同時に鳴り響く銃声の二重奏。

 

シャルロットが呼び出したのは、かの有名な五十口径重機関銃ブローニングM2。携行出来るよう改良が施され、箱型弾倉の代わりにドラムマガジンを採用したISモデルだ。それを両手に握り、スラスターの殆どをリコイルコントロールと姿勢制御に回してトリガーを引き続ける。

 

シャルロットの銃撃の穴を埋めるように、蒼い光条が無数に走る。スターライトMk-Ⅲを構え、周囲に浮遊させたビットからレーザーの雨を降らせるのはセシリアだ。流石に遠隔操作と並行しての射撃はまだ無理だが、こうして固定砲台として使う分には何ら問題は無い。

 

二人の側に待機する箒と鈴も、それぞれ衝撃砲と雨月のレーザーで支援を行っていた。

 

「―――、」

 

降り注ぐ銃撃の豪雨。PICとスラスターをフル稼働させ、重力に囚われない動きで避けていくアッシュ。センサーで弾丸の軌道は読めても、実際にISを動かすのは操縦者本人の意思なのだから実に人間離れした反射速度だ。

 

その弾幕を囮に、地面すれすれを這うように飛翔し接近、意識の外から楯無が刺突を放つ。体捌きだけで躱されるが、それも想定の範囲内。突き出したランスの柄を両手で握り、そのまま真横に薙ぎ払う。

 

けたたましい金属音と共に分厚い腕部装甲に受け止められるが、この一撃もまた布石。弾かれた衝撃で身体を回転させ、呼び出した蛇腹剣を振るう。

 

だが、それこそ敵の思惑通りであったか。

 

蛇腹剣の特性上、ランスとは違い力の伝導率が低い。シールドエネルギーを削りこそすれど、体勢を崩すまでには至らない。故に、ダメージさえ気にしなければ攻撃に転じることも可能なのだ。

 

「っ!?」

 

迫る蹴撃。

 

咄嗟に水盾を構築するが、間に合わない。不完全な水の壁を容易く破ったアッシュの蹴りが、楯無の腹部に突き刺さった。不快な衝撃が突き抜け、水盾の名残が飛沫を散らした。

 

大きく後方へと吹っ飛ばされる楯無。

 

追撃の姿勢を見せたアッシュだが、果たしてそれに気付くことは出来たのか。蹴りを放った己の脚部装甲に、不自然に纒わり付く『水』。そして、楯無の口許を彩る笑みに。

 

楯無が軽やかに指を弾く。刹那、アクア・ナノマシンに内包されたエネルギーが全て熱量に変換され、一斉に爆発を起こした。レイディが持つ唯一の範囲攻撃『清き熱情』。本来ならば閉鎖空間での使用が望ましいとはいえ、場面を選ばなければこういった使い方も出来る。

 

爆破の衝撃で脚部スラスターが破損したか、大きく体勢を崩すアッシュ。その機を逃さず、ラウラが両腕のプラズマブレードを展開して斬り込んでいった。数合の打ち合い。そして、

 

「―――貰ったぞ」

 

展開される不可視の結界。

 

これにも反応する様子を見せたが、低下した機動力では逃れ切る事は出来ずにアッシュの左足がその動きを停止させる。捕食者の罠にかかった哀れな獲物のように、一度PICに捕らえられれば自力で抜け出す術はない。

 

その好機を逃すことなく距離を詰める、純白の機体。構えた雪片弍型の鍔部分がスライドし、青く輝くエネルギーが零落白夜の刀身を形成した。暗灰色の装甲に刃が届くまで、僅か数メートル。

 

分厚く強固な装甲を砕く必要は無い。シールドエネルギーを枯渇させ、動力を奪ってしまえば事足りる。上段に振り上げた雪片が一層輝きを放ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――だめ、離れてっ!!!」

 

鬼気迫る叫びが、鋭く響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その異変にいち早く気が付いたのは、後方より射撃支援を行っていたセシリアだった。

 

何か根拠があった訳では無い。戦闘中に目標から意識を逸らすなど本来ならばあってはならないことだが、それでも彼女にはどうしてもそれを無視することができなかった。彼女の持つ鋭敏な感性か、それとも狙撃手として研ぎ澄まされた勘か。

 

不意に空を見上げた。

 

肉眼では分からないが、アリーナの天井部分を覆っているシールドバリアー。アリーナ内での戦闘時に観客席への被害を防ぐ強固な守り。彼女が意識を向けたのはその向こう。秋晴れの空、ゆったりと漂う雲の向こう側。

 

その雲の一部が、なんの前触れもなく消失したのだ。

 

嫌な感覚と共にセンサーをそちらへフォーカスした瞬間、反射的にセシリアは叫んでいた。

 

「―――だめ、離れてっ!!!」

 

もはや悲鳴に近い、だからこそ聴く者に危機感を与える叫び。それを耳にした一夏がギクリと動きを止めた。次いで動きを見せたのはラウラ。弾かれたように上を見上げると、アッシュの動きを縛っていたPICを解除するや否や一夏に体当たりを食らわせてその場から離れさせる。

 

刹那、アリーナに光の柱が突き立った。

 

轟音。

 

そして爆風。

 

弾道ミサイルでも直撃したのかと思わせるほどの衝撃波にPICの姿勢制御システムすらも役に立たず、木の葉のように吹き飛ばされ、アリーナのシールドに勢い良く叩きつけられる一夏とラウラ。

 

「なっ、んだよ!? 一体何が起こったってんだ!? 何でいきなり爆発なんか……!」

 

「……違います。今のは―――狙撃(・・)ですわ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

IS学園上空、高度2万5000メートル。

 

風景画に上塗りした人影のようにくっきりと浮かび上がるシルエット。蝶の羽のように大きく広げたウィングスラスターが特徴的な青紫の機体がひとつ、空を漂っていた。

 

ガジャゴンッ!! と物々しい金属音を立て、ソレを覆っていた所々の装甲板がスライドする。そこから陽炎すら立ち上るほどに赤熱した内部機関が姿を現し、氷点下の空気に晒されて盛大な白煙を吐き出した。

 

全長14メートル、重量1800キロというスケールを誇り、ISですら扱うのに難儀する規格外の怪物。最早銃というよりも砲と呼ぶのが相応しい威容を放つ対シェルター専用兵器『ディグアップ・バンカーバスター』。

 

核シェルターを穿ち掘り起こす程の威力を求めたものの実用まで漕ぎ着けられなかったものを開発部が拾い、IS用に調整した使い捨てのオモチャだ。一発放つ為のエネルギーチャージに三時間もかかるがそれでも威力だけはそこそこあるらしい。先の一撃で面積の五割強を消し飛ばされたアリーナのシールドも、自己修復許容範囲の限界を超えたのか徐々に崩壊を始めている。

 

『……こちらで着弾を確認。直撃はしなかったけど相当のダメージを受けたみたい。……あと、私も被害を受けた。デトネイターを防御に回してなかったら危なかった、よ?』

 

「知ったことか」

 

回線を通じて聞こえてくる非難の言葉を切り捨て、眼下へ向き直る。長大な移動式砲台を虚空に消し去り、姿勢制御に回していたスラスターを激発させる。一瞬で音速の壁を打ち破った青紫の機体が、流星の如く空を裂く。そのハイパーセンサーには、こちらを捕捉したらしい男の焦った顔が鮮明に映し出されている。

 

不気味に歪んだ口許から、呪詛を吐くかのように言の葉が紡ぎ出された。

 

「―――織斑一夏。私の為に、今ここで死ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一際大きな振動と轟音が耳に届いた。

 

(なンだ……? 今までのとはスケールが違ェぞ)

 

オータムとの戦闘を継続していた一方通行だが、既にアリーナの方へと意識を割けるレベルの余裕を取り戻していた。

 

千切り取ったはずの装甲脚が独立して稼働し、背後から謎の機械を取り付けられてISを奪われるという予想外の事態があったものの、周囲に人目がないのなら好都合とばかりに自前の能力を発動。残った脚をへし折り、無様な達磨になったアラクネに歩み寄る。

 

焦燥を滲ませたオータムが最後の抵抗とばかりにカービンライフルを撃ちまくるが、ただの銃器で反射の壁を突破できるはずもなく全ては徒労に終わっていた。

 

「くそ……くそ、クソっ、クソォォオオオっ!!! 何なんだよテメェ!? 何でISがねぇのに武装が使えてんだよッ!? 剥離剤(リムーバー)は正常に機能した! テメェのISは確かに私が奪ったはずなんだぞ!!」

 

「うるせェよ。大人しく寝とけ」

 

「が……っ」

 

喚き散らすオータムの腹を無造作に蹴りつける。同時にベクトルを操り、衝撃を細かく前後に揺らすことで三半規管に強烈なダメージを与えて気絶させた。地に倒れ付した彼女の手から転がり落ちる夜叉のコアと、40センチ程の機械。恐らくはこれが剥離剤とやらだろう。

 

剥離剤をぐしゃりと踏み潰し、夜叉のコアを手に取った。そのまま普段通りに展開するイメージで意識を集中させれば、見慣れた黒い装甲が姿を現す。が、その際に生じた小さな違和感を彼は見逃さなかった。

 

無理やり引き剥がされた後遺症の様なものだろうか、僅かにだが展開速度が遅くなったように感じた。事が終わり次第一度内部を調べてみるべきだろう。

 

ともあれ、こっちの用事は済んだ。

 

手早くオータムを拘束してアリーナへ急ごうとしたところで、夜叉に通信が入った。今しがた連絡を入れようと思っていた楯無からだった。

 

「更識か。コッチは終わったぜ」

 

『さっすが、透夜くん! お仕事が出来る男の子は、っ、好きよ、私!』

 

一方通行は、回線を通じて聞こえてくる楯無の声を聞いて眉を顰めた。少なくとも、彼女が呼吸を乱すことなど今まで一度も無かったはずだ。余程状況は切羽詰まっているらしい。頭の中をクリアにした一方通行は、必要な情報だけを聞き出すことにした。

 

「敵の数と、織斑達の状況は?」

 

『あっちが二機。こっちは一夏くんとラウラちゃんがもう限界ギリギリよ。二人を庇いながら戦ってるから動きが制限されてるし、セシリアちゃんもなんだか様子がおかし―――から、……や、も――消え―――』

 

「……オイ?」

 

ブツ、という耳障りな音を最後に、楯無からの通信は沈黙した。一方通行の背筋に嫌な汗が滲み出た。

 

ありえない。

 

ISの個人間秘匿回線は、それこそファイアウォール並のシステム強度を持つ。一度繋ぐ度に複雑に組み替えられるプログラムコードをこじ開けてハッキングやジャミングを仕掛けることなど到底不可能だ。

 

(まさか……)

 

再びあの天災が一枚噛んでいるとでも言うのか。亡国機業に手を貸した? 何のために? 凡俗を嫌うあの女が何故?

 

様々な思考が巡るが、意識的に振り払って扉へ向かう。とにかく急いでアリーナに向かわなくては。手遅れになる前に。

 

固く閉ざされていた扉に手をかけ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こうして会うのは初めてになるか、一方通行(アクセラレータ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全身の血が凍り付いた。

 

「―――、」

 

 

呼吸がおかしい。

 

 

 

 

自身の肺が正常に機能しているのかわからない。

 

 

 

加速する心臓の鼓動が五月蝿い。

 

 

 

 

 

一方通行(・・・・)と呼んだ。

 

 

 

 

ただ一人を除き、誰にも教えたことのないその名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと。

 

 

油の切れたブリキ人形のような動きで後ろを向く。

 

 

 

 

 

 

その視線の先に、それは浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

風も無いのに靡く白い長髪。

 

 

 

 

なんの変哲もない、緑の手術衣。

 

 

 

 

 

そこに見えるのに、存在感というものがない。

 

 

 

 

 

 

それは、男にも見えた。

 

 

それは、女にも見えた。

 

 

それは、子供にも見えた。

 

 

それは、老人にも見えた。

 

 

それは、聖人にも見えた。

 

 

それは、囚人にも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『改めて名乗ろう。私は―――アレイスター・クロウリー。学園都市の総括理事長を務めている者だ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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八話

―――待たせたな(cv.蛇)









心の何処かで安心していた。

 

この先、学園都市(あちら)と関わる機会など二度と訪れないだろうと勝手に思い込んでいた。

 

忌まわしい過去と訣別を果たし、新たな道を進んでいけるものだとばかり思っていた。

 

(なンでだよ―――)

 

ギリッ、と奥歯を噛み締める。

 

もしも『神』なんていう巫山戯たものが本当に存在しているならば、それはきっとクソのような性格をしていて―――そしてきっと、一方通行の事が大嫌いなのだろう。

 

かつて、身に余る力を手に入れてしまったが故に、周囲から疎まれ、恐れられ、化け物と呼ばれ迫害された幼い日の自分。止めどなく向けられる悪意と敵意にどれだけ苦しんでいても、周囲の人間は見向きもしなかった。

 

本来子供を守るべき立場にあるはずの大人は、自分の身を守るためだけに銃を抜き、そうして自らの悪意を跳ね返されて倒れていった。そしてそれが、あたかも己が引き起こした災害であると言わんばかりの表情でこちらを睨むのだ。

 

学園都市(あの場所)に、救いは無かった。

 

だから、この世界を選んだというのに―――悪夢の影は、どこまでも彼を追ってくる。まるで、獲物を捕らえる蛇のように。

 

「―――なンで今更、学園都市が出て来やがる……ッ!!!」

 

『何故、とは。ふふ、また随分とおかしなことを言う』

 

全身から怒りの気配を撒き散らす一方通行。いつ爆発しても不思議ではない核爆弾を前に、アレイスターはどこまでも穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

 

『君を使う必要があるから連れ戻しに来た。今までは「その必要が無かったからそうしなかった」だけだ。……まさか、世界一つ渡った程度でこの私から逃げ果せられたとでも思っていたのかね? もしそうなら、些か詰めが甘過ぎると言わざるを得んが』

 

「―――ッ!!」

 

考えが甘かったのだろう。

 

かつて彼は、自らの能力を『路地裏のスキルアウト共が気軽に挑める程度のレベルでしかない』と評した。『最強』という称号は飾り程度のものであり、他者を畏怖させるには足りないと考えていた。あらゆる攻撃を跳ね返し、一撃で相手を打ち倒す文字通り最強の超能力を、だ。

 

しかしそれは、彼自身が己の能力の真価を理解していなかったからに過ぎない。束の言葉を受けて力の可能性を模索した彼は、己の能力の強大さを改めて認識し直していた。なるほど確かに、これなら世界を相手取ることも不可能ではないと思える程のものだった。

 

風を操って竜巻を起こす所か、規模を大きくすれば嵐すら発生させられる。一点に集中させて圧縮させれば高電離気体(プラズマ)の生成も出来る。

 

―――で、あるならば。

 

核兵器よりも強力な力を有した自分を、学園都市(彼ら)がそう易々と見逃すはずもない。

 

泳がされていたのだ。一方通行がこちらの世界へ飛ばされてからの半年間、ずっと。

 

『プランを進める片手間に君の行動を見させてもらっていたのだが……いや、中々どうして面白いものを見せてくれるじゃないか。学園都市に居た頃の君を知っている身からすると非常に感慨深いものがある』

 

「……知ったよォなクチ利くンじゃねェよ。テメェ如きに俺の何が分かるってンだ」

 

やはり、こちらの動きは監視されていたようだ。どういった理屈かは知らないが、眼前の男にとっては次元の壁など取るに足らない障害なのだろう。そうでなければこんな余裕の表情を浮かべていられるものか。

 

穏やかな微笑みを絶やさないまま、アレイスターは続ける。

 

『ふ、癇に障ったかね。ならば、これ以上君の機嫌を損ねる前に本題へ入るとしようか。―――学園都市に戻れ、一方通行』

 

「―――失せろクソ野郎。俺は二度とテメェらと関わる気はねェ」

 

予想通りの要求。

 

予想通りの拒絶。

 

決して相入れることのない両者の主張。

 

そうして、最初に動きを見せたのはアレイスターだった。

 

『……ふむ。本来ならば理由を訊ねるところなのだが、生憎こちらも時間が無くてね。あまり気は乗らないが、反抗するのなら致し方あるまい―――少しばかり教育的指導をしてやろう』

 

「―――ッッ!!!」

 

瞬間、空気が一変した。

 

アレイスターが何かをした訳では無い。不気味な程変わらない笑みを浮かべる眼前の男は、指の一本さえ動かしていない。にも関わらず、言いようのないプレッシャーが全身を押し潰すように伸し掛かってくるのだ。

 

おそらく、一方通行の能力の詳細は筒抜けだろう。あれだけの能力研究所をたらい回しにされたのだから、データなど幾らでも手に入れられる。加えて、『超能力』などという空想の産物を現実に持ち出す学園都市、その長ともなれば己の能力を打ち破る方法を携えていても何ら不思議はない。

 

故にこそ、取るべき戦法はただ一つ。

 

(―――不意討ちの奇襲。どんな手を用意してよォが関係ねェ、使われる前にブチ殺す!!!)

 

己の能力に意識を巡らせる。

 

ベクトル操作によって血液や生体電流を逆流させ、結果として対象を内部から爆散させる悪魔の双手。指先一つ触れさえすれば相手を即死させる、文字通りの一撃必殺。

 

ベギャッ!! という快音が生じた。

 

脚力のベクトルを操作した一方通行が、リノリウムの床板を盛大に踏み砕いた音だった。

 

およそ生身の人間では不可能な速度でアレイスターの背後に回り込んだ彼は、その無防備な首筋へと右腕を伸ばす。彼の細い指先が触れた数秒後には、色水を入れた水風船を破裂させたかのような光景が広がっている事だろう。

 

彼の瞳に、迷いは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、ッりゃぁあ!!」

 

気合い一閃、全身の筋肉をバネのように撓らせて双天牙月を振り抜く。大振りな攻撃はバックステップで容易く避けられるが、構うことなく鈴音は追撃の一歩を踏み出した。手首を返し、流れた力を無駄にすることなく、今度は頭上から斬撃を落とす。

 

しかし、相手も防戦に徹してばかりではない。

 

『―――、』

 

振り下ろされる双天牙月、その柄部分にアッパーカットの要領で拳が叩き込まれた。力の乗った刃部分ではなく根元部分に打撃を加えられたため不快な衝撃が腕に響き、速度も威力も失った斬撃はあえなく不発に終わった。

 

技の出始めを潰されバランスを崩した鈴音の顔面を狙い、アッシュの拳が唸りを上げて放たれる。それを持ち前の反射神経で躱すと同時に双天牙月の連結を解除。二刀の偃月刀へと変化した得物で攻め立てるが、体捌きと必要最低限の防御だけでいなされてしまう。

 

しかし鈴音の本命はこちらではなく、打ち合いの隙を突いて放つ衝撃砲である。最大威力の衝撃砲を零距離でぶち込めば、如何にアッシュの分厚い装甲といえども只では済まないだろう。

 

だが問題は、その隙をどうやって作るか。

 

体術と爆破攻撃を主な武装とするアッシュだが、その攻撃には決まった『型』と呼ぶべきものがない。パターンらしきものもあるにはあるが、それがあまりにも多彩すぎて動きが読み切れないのだ。

 

一度距離を取り、切れかけた集中力の糸を無理矢理撚り合わせる。

 

荒い息を整えて、双天牙月を構え直す。

 

―――しかし、彼女は失念していた。

 

脅威度の高い格闘術を警戒しすぎるあまり、相手が遠距離武器を持っているということを頭の中から排除してしまっていた。

 

ノーモーションでアッシュから放たれた二つのスローイングダガーに、一瞬反応が遅れる。

 

慌てて双天牙月を振るうも間に合わない。辛うじて一つは弾き返せたものの、もう一つのダガーは鈴音の迎撃をすり抜けて左肩の非固定浮遊部位に突き立った。が、ダメージも衝撃も彼女の予想を遥かに下回っている。

 

恐らくは牽制用だろう。ダガー単体では大した脅威たり得ないが、これに気を取られてしまえばアッシュの拳の餌食になる、ということか。そう判断した鈴音は、そこでダガーへ向けていた意識を切った。

 

切ってしまった(・・・・・・・)

 

直後、甲龍のハイパーセンサーが急激に温度を上昇させていく熱源を探知した。警告表示が視界のど真ん中に浮かび上がり、アラートがけたたましく鳴り響く。

 

ぎょっとした彼女が慌てて確認した熱源の場所は、己の左肩付近。

 

鈴音の喉が一瞬で干上がった。

 

(や、ば―――!)

 

ボッ!! という爆音。

 

小さなダガーが起こしたとは思えない規模の爆発によって左肩の衝撃砲が丸ごと吹き飛ばされた。爆発が間近で起こった為、衝撃で大きくバランスが崩れる。

 

その好機を、眼前の敵機が見逃すはずもない。

 

片脚のスラスターが破損していても尚衰えぬ爆発的な加速力。コンマの世界で彼我の距離を食い潰したアッシュが鈴音に肉薄する。直撃を覚悟した彼女の眼前に、真紅の機影が高速で割り入った。

 

「箒!」

 

「やらせるものかっ!」

 

柄打ちで拳の軌道を逸らし、返す刀で一息四閃。鉄さえ断ち切る剣の冴えは、しかし敵機の装甲表面を薄く撫でるのみに留まった。間髪入れず、体勢を立て直した鈴音が残された衝撃砲で追撃を行う。ドン!! と腹の底に響く砲声が空気を震わせ、不可視の弾丸が射出された。

 

しかしアッシュはこれにも反応し、素早く距離を取って直撃を回避する。そのまま流れるような動作で拳を構える姿は、所々の装甲が破損しているもののまだまだ健在な様相だった。対してこちらは数のアドバンテージさえあるものの、シールドエネルギーはお互い五割を切っている。加えて接近戦ではこちらが不利。

 

思わず鈴音の口からため息が漏れる。

 

「全く……どうしてこう、あたしらの周りには強いヤツばっか集まってくるのかしらね」

 

「……それについては同意するが。まさか鈴、勝負を諦めるわけではなかろうな?」

 

疑惑の目でこちらを見てくる箒に、鈴音はふんと鼻を鳴らして言い返す。

 

「バカ言いなさい。アンタだって知ってんでしょ」

 

そう言ってくるりと双天牙月を構え直した鈴音は、牙を剥いて獰猛に笑んだ。

 

 

 

 

 

 

―――女ってのは、諦めが悪い生き物なのよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レーザー兵器独特の、空を灼く発射音が鳴り響く。

 

放たれた熱線はまるで意思持つ生物の如く幾度も軌道を変え、視覚情報を撹乱させながら獲物へと襲い掛かる。BT高稼働時にしか扱うことのできない特殊技能、偏向射撃(フレキシブル)。それを行っているのはブルー・ティアーズを操るセシリア―――ではなく。

 

上空から現れた青紫の機体、サイレント・ゼフィルスであった。

 

セシリアの駆るBT試作一号機『ブルー・ティアーズ』は、あくまでも試験機体でしかない。新規開発されたBT兵器が実戦使用できるのか、射撃精度や燃費は如何程のものか。セシリアのBT適性が高かったこともあって、データ取りに丁度良いだろうと彼女に与えられた機体なのだ。

 

そして、セシリアが半年に渡って送り続けたティアーズの稼働データを元に作り上げられたのが眼前の『サイレント・ゼフィルス』。あらゆる性能がティアーズを上回る、正式なBT二号機である。

 

英国にあるはずの機体が何故ここにあって、誰がそれを操り、なんの理由で襲ってきているのか。どうして自分でも習得していない偏向射撃を扱えるのか。腹の奥底から湧き上がる感情の奔流が、彼女の思考から冷静さを奪っていく。

 

ゼフィルスの操縦者は顔の上半分を覆うバイザーを装着しているため、その素顔までは窺い知れない。だが、唯一覗く口元が嘲笑に彩られているのだけはハッキリと視認できていた。

 

(加速、燃費、機動力、火力……機体性能は全てにおいてあちらが上。BT適性も、恐らくわたくしより……!)

 

必死になって回避行動を取り続けるものの、普段のように精密な機体操作は見られない。以前一方通行にも言われたことだが、心理的な面からの揺さぶりが今の彼女にとっては何よりの弱点であった。

 

『落ち着いてセシリアちゃん! このままじゃ相手の思うつぼよ!』

 

回線を通じて、楯無の声が聞こえてくる。

 

頭では理解している。自分が悪手を打っていることくらい嫌というほど理解している。だが、赤熱する感情と冷静な思考との切り離しが上手くいかない。

 

前衛を担う楯無はゼフィルスから付かず離れずの位置を保ちながら立ち回っているものの、その表情は芳しくない。一夏とラウラのこともあってか、思うように攻めきれずにいるようだ。だからこそ、自分が援護射撃でサポートしなければならないというのに。

 

何とかビット射撃を凌ぎ切り、スターライトMkIIIの引き金を絞る。しかし、偏向射撃でもないただの射撃で高い運動性能を誇るゼフィルスを撃ち抜くのは至難の業だ。平時の冷静なセシリアならともかく、今の彼女の精神状態では誘導も予測射撃もままならない。

 

舞うような機体操作で軽やかに熱線を躱したゼフィルスは、そのまま楯無への攻撃を続行する。セシリアに向けて牽制のビット射撃を放つこともなく、この場で一番脅威度の高い楯無から仕留めることにしたらしい。

 

それが、ますますセシリアの心を揺さぶる。

 

(わたくしも……わたくしだって努力しました! 透夜さんにも様々なことを教えて頂きました! わたくしは、あの人の期待に応えなくてはならないのです……!)

 

だが。

 

でも。

 

そうするには。どうすれば。

 

何をしたら。何をすれば。どこが悪い。何が足りない。考えろ。何が出来る。何が出来ない。どうしたい。勝てるか。いや。勝たなければ―――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――落ち着きなさい、セシリア』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声が、響いた。

 

聞き覚えのない女性の声だった。

 

聴覚からの情報ではなく、脳が直接知覚するような不思議な感覚。近しい例えを上げるとするならば、ISの個人間秘匿回線とよく似ていた。

 

誰何の声を上げようとして、セシリアは自分の口が動かないことに気付く。口だけではない。指先ひとつすら動かすことが出来なかった。固定された視界の中で、楯無とゼフィルスがフィギュアのように動きを止めていた。

 

静止した世界の中で『声』が告げる。

 

『いつか、あの少年に並び立つと誓ったのでしょう? ならばこの程度の壁、乗り越えられずしてどうするのです』

 

子供を叱咤する母親のようでいて、主を諌める忠臣のような、厳しくも確かな温かさを感じる言葉。するりと心に溶けていくような、不思議な感覚だった。

 

しかし『声』の気配のようなものはすぐに薄れていく。引き留めようにも声は出せず、セシリアはただ響く声に耳を傾けることしか出来なかった。

 

『一度だけ、手を貸しましょう。貴女の努力を知る者からの、気まぐれな差し入れとでも思ってくだされば結構です』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――信じなさい、貴女の想いを』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――雫が、落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(―――これ以上は無理ね。セシリアちゃんには替わってもらうしかないか。さっきから透夜くんとも連絡がつかないし、無事だといいんだけど……)

 

変幻自在に軌道を変えて襲いくる熱線を体捌きで躱し、あるいは水盾を構築して防ぎながらも蒼流旋のガトリングガンで牽制射撃を行う楯無。

 

先程、千冬から全生徒の避難が完了したという連絡が入った。これで二次被害を気にすることなく戦闘を行うことが出来るが、彼女とて愛する学舎を更地にするつもりは毛頭無い。とはいえアリーナのシールドは消失している為、楯無やゼフィルスが避けた流れ弾が観客席を粉砕していくのはどうしようもなかった。

 

IS学園は本土から離れた洋上メガフロートに建設されているので、流れ弾が市街地へ飛ぶ可能性は限りなく低いものの、万が一ということもある。あまり派手な戦闘は出来ないというのに―――

 

「好き放題、撃ちまくってくれちゃってっ!!」

 

楯無の心配を嘲笑うかのように、ゼフィルスの射撃は一層苛烈さを増していく。セシリアからの援護射撃も完全に途絶えたため、今やゼフィルスの動きを縛るものはない。

 

ゼフィルスとレイディの機体相性はまずまずだ。レイディには強力な遠距離武装は搭載されていないものの、水盾を駆使すればゼフィルスのビット射撃は防げる。一方ゼフィルスはレイディを懐に入れてしまえば強力な一撃を貰ってしまうため、遠距離から攻撃し続けるしかないのだ。

 

戦況を打破する決定的な動きはないが、膠着状態を維持するならば十分だろう。しかし、それでは埒が明かない。千冬は直に教員達が増援に向かうと言っていたが、それまでに逃げられてしまっては元も子もない。

 

多少無理矢理にでも、勝負を仕掛けなければ。

 

後方で一夏とラウラを護衛しているシャルロットに、セシリアと交代してもらうべく回線を開いた瞬間。ゼフィルスの周囲を漂うビットの一基が、青白い熱線によって撃ち抜かれた。機関部を的確に破壊され、小さな爆発と共に砕け散るビット。

 

楯無が弾かれたようにそちらへ顔を向けるのと、ゼフィルスの操縦者が鬱陶しそうにそちらを向くのはほとんど同時であった。

 

視線の先。銃口から白煙を立ちのぼらせるスターライトMkIIIを構えたセシリアの顔に、先程までの不安や揺らぎは感じられない。両の瞳を彩る蒼はどこまでも深く、吸い込まれてしまいそうな輝きを宿していた。

 

セシリアから楯無へと回線が繋がれる。

 

『―――まずは謝罪を。先程は情けない姿をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした』

 

「それはいいんだけど……もう、大丈夫なの?」

 

『はい。わたくしがサポートしますので、楯無先輩は今まで通り前衛をお願い致します。さっきの今で信頼など出来ないかもしれませんが……どうかわたくしに、もう一度チャンスをくださいませんか』

 

「……ええ、分かったわ。それじゃあ援護射撃、任せたわよ!!」

 

今のセシリアならばきっと大丈夫だろう。

 

根拠は無いが、楯無はそう確信していた。

 

蒼流旋を構え突撃姿勢に移行した楯無は、思考の隅で少しだけ考える。あの短時間で彼女に一体何が起こったのだろうか。普段の彼女からは想像もつかない程に―――焦っていた、という表現が適当なのかは分からないが、あれほど取り乱していたにも関わらず、一転今は不思議なほど落ち着いている。

 

加えて、その瞳。

 

(……まるで、透夜くんみたいな眼をするのね)

 

赤と蒼の違いさえあれど、二人の瞳はとてもよく似通っていた。凪いだ湖面の如く湛えた理性の光と、その奥に燃ゆる赫赫たる決意の焔。感情を暴走させることもなく、然して捨て去ることもせず。

 

 

 

―――故にこそ、それは己が力となる。

 

 

 

一瞬の加速。

 

距離を詰めにかかった楯無に対し、ゼフィルスは高速で後退しながらもビットを展開する。一基墜とされたものの、その射撃が依然として脅威であることに変わりはない。

 

襲い来る熱線の嵐に対し回避行動を取ろうとする楯無の耳に、セシリアの声が届く。

 

『そのまま追撃を。露払いはお任せ下さい』

 

決断は早かった。

 

弱めかけたスラスターを激発させ、更なる加速を行う。自ら弾幕の中へと突っ込む形になった楯無に殺到する熱線。囲むようにして迫るそれらを加速した状態で躱すのは不可能に近いだろう。だがセシリアは任せてくれと言った。ならばその言葉を信じるのみ。

 

そうして次の瞬間起こった出来事に、楯無は思わず目を見開いていた。

 

(ちょっ……と嘘でしょ!?)

 

何せ、迫り来る五つの熱線全てが楯無の後方より放たれた別の熱線によって相殺されたのだから。

 

以前、クラス代表決定戦の折に一方通行がセシリアのビットを無目視射撃(ブラインドファイア)で撃墜していたが、セシリアが行ったのはそれを遥かに上回る文字通りの神業。

 

不規則に動き回る細い熱線を狙って撃ち抜くだけでも至難の業だというのに、それを五つ。しかもセシリア本人だけでなく、扱いの難しいビット射撃も含めて。更に言えば、セシリアは偏向射撃を使っていなかった。

 

 

 

ただ純粋に、恐ろしい程精密な予測射撃だけで今の絶技を成功させたのだ。

 

 

 

ゼフィルスの操縦者もこれには流石に驚いたのか、一瞬動きを止める。しかしそれも束の間のこと。すぐに第二射を放ち始めるが―――先程と同じ光景が繰り返されるだけであった。

 

三回目も、四回目も。

 

軌道を変えようともタイミングを外そうとも、ゼフィルスの射撃は尽くセシリアによって撃ち抜かれ、粒子となって霧散していく。先程まで雑魚だと思って見下していた相手に封殺されているという事実が、ゼフィルスの操縦者の神経を逆撫でていく。

 

「雑魚が―――調子に乗るなァっ!!」

 

初めて、ゼフィルスの操縦者が声を上げた。

 

声質からしてまだ幼い少女だろうか。しかし、憎悪と怨嗟に塗れたその声は凡そ少女が出したものとは思えなかった。

 

沸き上がるドス黒い怒りに任せ、セシリアに向けてビット射撃の雨を降らせる。が、射撃とは例外なく水もの。冷静さを欠いた状態では偏向射撃も単調になり、避けることもさして難しくはない。

 

危なげなく回避したセシリアは薄く微笑む。

 

「よろしいのですか? わたくしより警戒するべき相手が貴女の近くに居りますけれど」

 

ハッと我に返るがもう遅い。

 

セシリアが作った隙を逃さず、肉薄した楯無が蒼流旋を振るう。纏わせたアクア・ナノマシンが高速振動する水の刃を形成し、見た目よりも凶悪な攻撃力でゼフィルスの複合装甲を容易く破壊していった。

 

間髪入れずに空いた手を伸ばし、ゼフィルスの喉笛を掴んで引き寄せる。

 

にやぁ、という擬音がつきそうな笑みを浮かべて、

 

「サービスよ。全弾持っていきなさい?」

 

躊躇なくガトリングガンの引き金を引き絞った。

 

耳をつんざくような轟音と共にゼフィルスのシールドエネルギーがゴリゴリと削り取られていく。一瞬で弾倉の中身を撃ち尽くした楯無は、あっさりと追撃を諦めて距離を取ると蒼流旋を構え直す。

 

「……ふぅん。悪の組織でも、ピンチに助けに入るくらいの仲間意識はあるのね」

 

先程まで楯無が居た場所には、鈴音と箒が相手をしていたはずのアッシュがゼフィルスを庇うように佇んでいた。あのままゼフィルスを深追いしていれば、横合いから思い切りぶん殴られていただろう。

 

「ここまで来て、逃がすわけないでしょ……!」

 

「ああ……奴はここで仕留めておくべきだ」

 

アッシュの後を追うように、鈴音と箒も合流する。

 

二人とも大分消耗しているようだったが、アッシュの装甲も所々砕け、ひしゃげている。鈴音と箒が死に物狂いで奮闘した何よりの証だった。

 

これで四対二。

 

数の上ではこちらが有利だが、油断はできない。奴らの狙いが一夏か一方通行か分からない以上、二人ともこの場に居てくれれば何の不安要素もなく戦うことが出来るというのに。

 

再度、通信を試みようと回線を開き―――

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那、轟音が炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

アリーナの一角が弾け飛び、そこから何かが勢い良く飛び出してくる。

 

すわ新手か、と警戒を最大まで引き上げた楯無だったが、それは楯無に届く前に地面へと落下していた。そのまま二度三度とバウンドし、土煙を巻き上げながら十メートル程地面を滑り、楯無の眼前でようやく停止した。

 

もうもうと立ち込める土煙が、風によって吹き飛ばされていく。そうして姿を見せたものを視認した瞬間、楯無の心臓は一瞬だが確かに動きを止めた。

 

形の良い唇から、浅い呼吸が漏れる。

 

震える喉を無理矢理動かして、ようやくその言葉だけを絞り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とう、や……くん…………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夥しい量の血溜まりに沈む、白い少年の名前を。

 

 

 

 

 

 



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九話

「―――ごぶッ、が、ぼォあ……ッッ!?!?」

 

絶叫の代わりに、開いた口から鮮血が滝のように噴き出した。

 

何が起きたのか理解できなかった。

 

アレイスターが腕を僅かに動かした、と知覚した瞬間には、一方通行の腹部が真一文字に切り裂かれていた。凄まじい衝撃を内包した一撃によって彼の身体は綿埃よりも軽々と吹き飛ばされ、更衣室の内壁をぶち抜いてアリーナ内部へと放り出されていた。

 

もはや激痛などという言葉で形容できるレベルではない。灼熱の半田ごてで内臓を直接掻き回されたか、あるいは溶けた鉛でもぶちまけられたか。少しでも気を抜けば直ぐにでも意識が飛びそうな程の『熱さ』に脳髄を灼かれながらも、一方通行はなんとか状況を整理しようと必死に頭を回転させる。

 

彼の能力『一方通行』は熱量、電気量、運動量など、地球上に存在しているありとあらゆるベクトルを自在に操り掌握することができる。地球上で起こる全ての事象は物理法則によって成り立っているため、その法則さえ理解していればベクトルの掌握は容易い。

 

後は事象を数式に置き換え、変数を書き換えて再出力すれば、その改変の結果として反射や統一が行える。

 

だがそれは、あくまでも『既存の法則』が基準である場合の話。

 

読み解いた事象が、彼の頭脳を以てしても理解不能な『未知の法則』から成り立っていたとしたらどうか。定めるべき数式も書き換えるべき変数も求めるべき解も、言葉では説明出来ない不鮮明で曖昧な『何か』で補完され、それでいて正しく世界に出力されている。

 

学園都市における能力とは、平たく言えば途中式を書き換えて別の解を導き出すということ。だが今の状況は、解だけを教えられて「この解に至るまでの途中式を答えよ」と言われているのに等しい。

 

ともすれば、その『解』すらも合っているかどうか分からない、そんな原因不明の一撃だった。

 

(クソったれが……量が多いとか演算が複雑だとかそォいう次元の話じゃねェぞ。もっと別の、大元の部分が決定的にズレてやがる!! 何だ、あの野郎は一体何を持ち出してきやがった!?)

 

ザクロのように裂けた腹部から流れ出る血を能力で止め、痛覚の信号も遮断する。常人ならばまず間違いなくショック死する程の傷と出血を抱えながらも、能力で身体を無理矢理動かして一方通行は立ち上がる。

 

視線を巡らせれば、数メートル程先に楯無が呆然とした表情で佇んでいた。他にも箒や鈴音、セシリア、少し離れた位置に一夏とラウラ、シャルロットの姿も確認できた。どうやら全員無事なようだが、この状況に理解が追い付いていないのだろうか。皆一様に呆然としたまま動かなかった。

 

どちらにせよ、このままここに居てはアレイスターとの戦闘に巻き込まれる。あの不可解な攻撃の前では、絶対防御など何の役にも立たないだろう。流石の一方通行も、アレイスターを相手にしながら彼女たちを守り抜ける自信は無かった。

 

口の中に溜まった血を吐き捨て、

 

「更識、今すぐ全員アリーナから退避させろ。このままここに居りゃ巻き込まれるぞ」

 

「……退避、させろ?」

 

一方通行の放った言葉を耳にした楯無の表情が変わったことに、彼は気が付かなかった。自分が開けたアリーナ外壁の大穴、その向こうに目を向けたまま続ける。

 

「あァ。出来る限り遠くまでだ。少なくとも10キロは離れた場所まで移動して、そこで待機しろ。野郎の狙いが俺だけなら、手出しさえしなけりゃオマエらに被害が及ぶことはねェハズだ。教師にも増援は要らねェって伝え―――」

 

しかし、彼の言葉は最後まで続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――バカなこと言わないでッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

悲鳴にも似た楯無の叫びが炸裂したからだ。

 

いつにない剣幕に、驚いたように彼女の顔に視線を戻した一方通行は、そこでようやく楯無の変化に気がついた。普段は楽しそうな笑顔を絶やさない楯無の顔には、一方通行が初めて目にする明確な『怒り』が浮かんでいた。

 

だが彼は、その怒りが何によってもたらされたものなのかを理解することは出来なかった。

 

「あなた、自分が今どういう状態か分かってるの!? そうやって立っていられるのも不思議なくらいの重傷なのよ!? そんなボロボロの身体で、まだ戦うつもりなの!?」

 

「…………、そォだ。これは、俺が撒いた種だ。俺一人で始末をつけなくちゃならねェ。だからオマエらはさっさと撤退しろ」

 

「何を言ってるの!? 撤退するべきは透夜くんの方よ!! 早くISを展開しなさい、そうすればまだ命だけは助かるから!!」

 

「……更識」

 

「これ以上あなたを戦わせはしない。自ら死にに行くような真似は、私が許さない!! 無理矢理引き摺ってでもあなたを戦場から―――」

 

「更識」

 

感情のブレーキが効かなくなり始めた楯無の言葉を、不自然な程に穏やかな声が遮った。

 

思わず言葉を詰まらせた彼女の瞳と、彼の瞳が交錯する。腹の傷など、痛みなどまるで感じていないような、普段通りの無表情。しかし、楯無にはそれが今にも泣き出してしまいそうな子供のように見えた。

 

これはきっと、彼の『我儘』だ。

 

いつだって合理性と論理性を重視して行動してきた彼が、自分の意見をここまで押し通そうとすることなど一度たりともなかった。だからこそ、初めての我儘くらいは聞き届けてあげたいという気持ちはある。

 

(……でも、だからって!! そんな、そんな頼みを聞いてあげられるわけないでしょう!! 透夜くんをここに一人残して行くことが彼の為になるのだとしても、私は―――ッ!!)

 

頼む(・・)

 

「っ―――」

 

その短い一言に、果たしてどれ程の思いが込められているというのか。ダメだと言って切り捨てることは簡単なはずなのに、楯無はどうしても否定の言葉を口にすることが出来なかった。伸ばした腕も、届かない。彼の痩身を捕らえるはずだった鋼の五指は、ガキリと虚空を握り潰すだけであった。

 

そうして場を支配しかけた静寂を、聞き覚えのない第三者の声が破る。

 

『ふむ。お約束とはよく言ったものだが……わざわざ追撃せずに待っていてやったのだ。別れの挨拶は済ませたのかね?』

 

ずぐん、と。

 

言葉では形容し難い重圧が楯無の全身を刺し貫いた。

 

声の主は、緑色の手術衣を纏った銀髪の男だった。今の今まで何も無かった場所に、そこにいることが自然であるかのように立っていた。

 

外見こそ確かに男の姿をしているが、それを『人間』と呼ぶことに楯無は強い違和感を覚えた。眼前のそれと自分が同じ存在であるとはどうしても思えなかった。例えるなら、精巧に作られたマネキン人形。幾ら外見を整えようとも、中身が決定的に異なっている。

 

この男は、もはや人という枠組みに収まる存在ではない。

 

敵対した瞬間に己の死が確定すると、理屈ではなく本能で察した。

 

「透夜、くん」

 

こんな化け物のような存在が、何故彼を狙うのか。何故彼が狙われなくてはいけないのか。彼はこれと戦おうとしているのか。本当に勝てるのだろうか。彼は自分たちに何を隠しているのか。

 

疑問が頭の中を巡り、訊きたいことが無数に浮かんでくる。ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情を乗せて楯無がなんとか言葉にできたのは、少年の名前のみであった。

 

返答は短かった。

 

「―――行け」

 

それだけを口にすると、彼は男に向き直る。

 

楯無はまだ何かを言いかけたが、堪えるように口を引き結び、後方で佇む専用機持ち達へと振り返った。誰もが納得いかないという表情だった。きっと理解しているのだろう。例え全員がこの場に留まったところで、足手纏いにしかならないことを。いの一番に異を唱えそうな一夏でさえも、悔しそうな表情で俯いていた。

 

最初に動き出したのは楯無だった。緩やかな挙動で、鋼の翼がふわりと浮き上がる。そうして、未練を断ち切るかのように一瞬で加速すると、最高速度で空の彼方へと飛翔していった。それを皮切りに、一つ、また一つと背後の気配が遠ざかっていく。

 

周囲に視線を巡らせれば、青紫の機体と暗灰色の機体も既にその姿を消していた。あちらもあちらで、突如現れたアレイスターの脅威を感じ取ったのだろう。敵ながら引き際は弁えているようだ。

 

最後の気配が消失したのを感じると、一方通行は小さく息を吐いた。

 

これで後顧の憂いはすべて消えた。

 

後は、訣別を果たすだけ。

 

汚泥のようにまとわりつく忌まわしい過去に、ケリをつける時だ。

 

『改めて言っておくが』

 

静まり返ったアリーナに、その声はよく響いた。

 

『大人しく学園都市に戻ることを勧めるぞ? 君では私を倒すことは出来んよ。先程の一撃を防げなかった時点で、君の敗北は確定しているのだからな。それとも、ご自慢のISで一発逆転でも狙っているのか? どちらにせよやめておけ。その玩具が役に立たないことくらいは、君も分かっているだろう』

 

ただ淡々と、事実だけを述べるアレイスター。

 

確かに、一方通行はアレイスターの攻撃が何によるものかを理解出来ていないし、ISを展開したところで焼け石に水だろう。反射さえ貫通する攻撃を、絶対防御程度で防げるわけもない。

 

だが、

 

 

 

 

 

「―――勝利条件の違いだ」

 

 

 

 

 

一方通行の顔に焦りはない。

 

「向こうで聞いた話だが、『量産型能力者』なンてのを作り出そうっつゥ計画があったらしいな。それが成功したのか失敗したのかまでは知らねェが、まァ大方頓挫したンだろォよ」

 

まるで世間話をするかのように、言葉を紡ぐ。

 

「もしも成功してりゃ、テメェがわざわざコッチまで出張って来る必要性がねェ。新しい『一方通行』を作り出せば済む話だからな。って事は、超能力者(レベル5)を人工的に作り出す技術は未だに確立されてねェって訳だ」

 

『……、やれやれ。私も暇ではないんだ。時間稼ぎの下らない問答に付き合うつもりは―――』

 

「そンな訳で一つ提案なンだが」

 

呆れたように肩をすくめるアレイスターの言葉を遮るように、一方通行はゆるく両手を広げる。

 

その顔には、引き裂かれたような笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『一方通行(この能力)』を、俺の脳細胞ごと生ゴミに変えちまうってのはどォだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ッ、まさか―――!!!』

 

一方通行の考えを理解したアレイスターが、初めてその表情を崩す。

 

アレイスターの目的は『一方通行という能力を学園都市に持ち帰る』こと。ならば、その『一方通行』という能力自体が消えて無くなれば、アレイスターの目的を達成することは出来なくなる。DNAを使って能力を複製することも不可能な以上、彼の能力が失われてしまえば終わりだ。

 

既に発動準備は終わっている。

 

後は命令ひとつで能力が神経回路を焼き切って、アレイスターの野望を打ち砕く。どの道反吐が出るような計画でも立てているのだろうし、それを防いでこれ以上の悲劇を減らせるのならそれでいい。

 

 

 

最後の最後、脳裏に幾人かの顔が浮かんできたが、一方通行の決意は揺らがなかった。

 

空を仰ぎ、誰に向けるともなく小さく呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あばよ(・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――山田真耶は、学園の地下シェルターにあるオペレータールームで必死にキーを叩き続けていた。

 

10分程前に、学園をモニターしていたカメラが1つ残らず砂嵐に塗り潰された。原因は全くの不明。計器類をチェックしてみたが、狂ったようにデタラメな数値を叩き出し続けていた。

 

加えて、カメラの不調と同時に専用機持ち達との連絡も一切取れなくなっている。何度もコードを変えてコンタクトを試みてみたが、全て徒労に終わっていた。

 

ISの通話回線は、生半なジャミングやハッキングで妨害できるようなものではない。だからこそ、それが繋がらないとなれば叩き付けられる不安や焦燥は凄まじいものになる。

 

もう何回目かも分からないエラーを吐き出したモニターを悲痛な表情で見つめ、それでも再度キーを叩く。何かをしていなければ、生徒達への罪悪感で心が押しつぶされてしまいそうだった。

 

真耶の感性は、一般的な教師のそれと変わらない。

 

千冬も教員免許を取得してはいるが、彼女は元世界最強のIS乗りだ。ドイツ軍の教官を務めていたこともあってか、その感性はどちらかというと軍人に近い。『IS学園教員』として見るなら千冬だが、『教員』としてなら真耶だろう。

 

善行をすれば我が事のように喜んで、非行に走れば胸を痛めながらもしっかりと叱責する。危険なことをしようとすれば全力で引き止め、悩んでいれば親身になって相談に乗る。作戦の成功か生徒の安否かをとわれれば、一も二もなく後者を選ぶ。そんな人間だった。

 

故にこそ、彼女が願うのはたった一つ。

 

(お願いです……皆さん、どうか無事で……!)

 

祈るようにキーを押し込む。

 

モニターに『接続中』という文字が浮かび上がり、僅かな沈黙が室内に流れた。そして―――回線が繋がったことを示す、緑色の『通話中』の文字が点灯する。一瞬呆けた真耶だったが、慌ててマイクを掴み取ると無我夢中で呼びかけた。

 

「あ、ッ―――み、皆さんっ! 聞こえますかっ!? 聞こえているなら応答してください!!」

 

しかし、スピーカーからはサーッという静かなノイズしか流れてこない。半狂乱になって呼びかける真耶の表情は、今にも泣き出してしまいそうな童女のようだった。

 

「鈴科くん! 織斑くん! 篠ノ之さん! オルコットさん! 凰さん! デュノアさん! ボーデヴィッヒさん! 更識さん! 返事をしてください!! 誰か、誰でもいいですから!! お願いです……応答、してください……!!」

 

返事はなかった。

 

ずらりと揃えられた最新鋭の通信設備は、ただただ沈黙を貫くのみだった。マイクを握り締めたままくずおれる真耶。絶望の暗雲が彼女の心を覆い尽くそうとしたとき、

 

 

 

『……―――ぃ』

 

 

 

声が聞こえた。

 

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった相貌を跳ね上げる。

 

気の所為などではなく、確かに応答があった。意味のある言葉として聞き取ることはできなかったが、誰かが真耶の呼びかけに応えようとしているのだ。

 

もう一度マイクに向けて応答を求めてから、全神経を集中させて耳をすませる。どんな小さな反応も聞き逃すまいと、呼吸すら止めて。跳ねる心臓の音すらも煩わしく感じるほどだった。

 

そして―――

 

『……か……! い……先生! ―――山田先生!! 聞こえますか!? 山田先生!!』

 

「更識さん!! 良かった、無事だったんですね……っ!!」

 

あまりの安堵に足から力が抜けてしまいそうになるが、まだやらなくてはならないことが多すぎる。通信さえ繋がれば情報交換ができる。そうすれば状況の把握と、優先事項の設定も行える。

 

現在の状況を聞き出そうとした真耶が口を開く前に、楯無の焦った声が飛んできた。

 

『山田先生! そちらの、第三アリーナの状況はどうなっていますか!? 透夜くんは無事なんですかッ!?』

 

「え……? ちょ、ちょっと待ってください! 更識さん達は今第三アリーナに居るんじゃないんですか!?」

 

食い違う認識。

 

まずは両者の持つ情報の擦り合わせからだと判断した真耶は、先程からカメラが使いものにならず、地上の状況が分からないために専用機持ちとのコンタクトを取ろうとしていたこと。そして、謎の通信不良の為一切の連絡が取れず、今ようやく回線が繋がったという旨を楯無に伝えた。

 

楯無曰く、アッシュ及びサイレント・ゼフィルスとの交戦中に正体不明の謎の男が乱入。その男の狙いは一方通行であり、巻き込んでしまうことを恐れた彼が専用機持ち達を逃がし、致命傷を負った彼一人だけがアリーナに残ったという。

 

それを聞いた真耶の背筋が凍った。

 

思い出されるのは福音事件。暴走し異様な二次移行を果たした軍用ISに対して、彼は手負いの一夏と箒を逃がし、たった一人で戦い抜いた。用意しておいたはずの援軍を拒み、手助けは不要だと切り捨てて、全てのリスクを背負い込んだ。その代償として、彼の左腕は海の藻屑と消えたのだ。

 

どうにも彼は、他人が傷つくことは恐れる割に、自分が傷つくことには何の躊躇いもないらしい。自己犠牲というわけではないが、とかく危険なことは自分一人で何とかしようとする。他人を守る為ならば、躊躇なく自分の命を差し出してしまいそうな危うささえ纏っていた。

 

幾ら強大な力を持っていても、真耶にとっては彼も大事な生徒の一人であることに変わりはない。そんな彼が、自分から命を捨てに行くような真似をしようとしているのだ。

 

「どうして……」

 

俯いた真耶の口から、小さな呟きが漏れた。

 

直後、

 

 

 

モニターが回復する。

 

 

 

ようやく己の役目を全うしたカメラ群は、渦中の第三アリーナの様子を鮮明に映し出していた。

 

破壊された更衣室。粉々に砕けた観客席。大穴の開いた内壁。散らばる瓦礫。そして、アリーナ中央に咲き誇る、不気味な程に鮮やかな大輪の血華。

 

その赤い花弁の褥に沈む人影が一つ。

 

鮮血で斑に染められた白髪と、線の細いシルエット。横一文字に切り裂かれた腹部は赤黒く変色しており、近付いて見てみれば腹腔に収まる臓器の一部が顔を覗かせているはずだった。

 

出来の悪いスプラッター映画を見せられているような気分だった。眼前の光景がとても現実のものであるとは思えなかった。復旧したバイタルモニターから鳴り響く『心肺停止』のアラートが、何処か遠く聞こえていた。

 

呆然と立ち尽くす真耶。

 

その耳に、声が届く。

 

 

 

『―――やぁやぁ、これはまた派手にやったねぇ』

 

 

 

ISの開放回線ではない。アリーナをモニターしているカメラがその声を拾っていた。

 

『全身の生体電流を逆流させて自殺ー、だなんて考えるかな普通? 死ぬにしたってもっとマシな方法考えなよ。おかげでシェイクしたプリンみたいになってんじゃん。ちょっとは治す方の身にもなれってんだい』

 

気が付けば、そこに立っていた。

 

横たわる少年のすぐ傍に、いつの間にか佇んでいた。

 

『でも、キミは死なないよ。私が死なせない。こんなくだらない、三文小説も真っ青なバッドエンドなんてこの私が認めるものかよ』

 

常識を変革し非常識を実現する、神出鬼没の大天災。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――ヒーローには、幸福な結末(ハッピーエンド)がお似合いなのさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

篠ノ之束は、そう言って笑った。

 

 

 

 

 

 

 



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十話

許して下さいお願いします投稿しますから!


波乱と激動の学園祭から三日が過ぎた。

 

闘争の爪痕を色濃く残していたアリーナは完全に修復され、壁に空いた大穴や崩れ落ちた天井等も元の姿に戻っていた。実際にあの場に居合わせた者でなければ、ここで文字通りの死闘が繰り広げられていたなどとは夢にも思わないだろう。

 

以前にも一度無人機の襲撃があったおかげで耐性が出来たのか、実質的な被害がアリーナの半壊だけということで生徒たちの混乱もすぐに沈静化した。楽しみにしていた学園祭が台無しになってしまったことに憤りはすれど、それをいつまでも引きずるような輩は片手で数える程しか居なかった。

 

大きく変わったことと言えば新築同然の輝きを放つアリーナくらいで、それもまたすぐに日常へと溶け込んでいくのだろう。

 

IS学園は、学園祭前と変わらぬ様相を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――騒動の中心に居た者を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み、喧騒に包まれる食堂の一角。

 

いつもの様に専用機持ち達が集まり食事を摂っているものの、その雰囲気は常のものとはまるで異なっていた。

 

食欲がない訳ではない。

 

料理が不味い訳でもない。

 

ただ一つ、セシリアとラウラの間に出来た空席が、彼女達の食卓から笑顔を奪い去ってしまっていた。一流の料理店にも引けを取らないはずの学食も、今はどこか味気ないものに感じられてならなかった。

 

誰もが無言で箸を動かす中、最初に食事を終えたのは鈴音だった。ラーメンのスープを豪快に飲み干し、空の丼を片手に席を立つ。

 

「ごちそーさま。ところでさぁ、今日の放課後第四アリーナ借りて訓練しようと思ってんだけど、あんた達どうする?」

 

言いながら、集った面子を見渡す鈴音。

 

「御一緒しますわ」

 

「右に同じだ」

 

「僕も行くよ」

 

それに参加の意を示したのは、代表候補生の三人。表情こそ変わらないものの、その瞳には確かな炎が宿っている。が―――

 

「俺、は……いい」

 

誰もが彼女たちのように、強くあれるとは限らない。

 

顔を俯けたまま絞り出すように紡がれたその声は、普段の快活さとは程遠いものだった。隣に座っていた箒も、そんな彼の姿を心配そうに見守っている。それこそ、見るものが見れば解ってしまう。

 

 

 

織斑一夏の心は折れている、と。

 

 

 

元々彼は、情に篤く義を重んじる人間である。友人が困っているなら一も二もなく助けるし、傷付けられたならば遠慮なく怒りを露わにするような、そんな男だ。

 

ただ単に友人が怪我を負わされただけであれば、それこそ彼は義憤と闘志を燃やすであろう。だが今回は、流石にスケールが違いすぎた。直接一方通行の身体を見た訳ではないが、アリーナの地面に広がった夥しい血液を見てしまえばどれだけの惨劇があったのかなど容易に想像がつく。

 

『ISには絶対防御がある』。生命の危機に瀕することは絶対にないという前提の上で戦ってきた彼にとって、『死』というものを濃密に想起させる鮮血の色と臭いは到底耐え切れるものではなかった。福音事件で多少の耐性はついたと思っていたが、そんな考えはとうに消え去っていた。

 

『戦闘』というものが、本来生命のやり取りであることを一夏は身を以て理解し始めていた。ISというフィルターによって、その為の覚悟が出来ていなかったというだけの話だった。

 

とはいえ、それは彼に限った話ではない。選りすぐりの生徒が集うIS学園とて、そこまでの覚悟を持った人間などほんの一握りしか居ないのだから。

 

 

 

そしてその一握りこそが、代表候補生。

 

 

 

大国の旗を背負う素質があると認められた、文字通りのエリートである。彼女らと一夏とでは、その身に背負うものの重さが違うのだ。

 

そして彼女らもまた、それをよく理解していた。

 

「一夏」

 

鈴音が名を呼ぶ。

 

優しい声音だった。

 

「今はそれでもいいわ。それが普通の反応だもの。友達のことを心配するなんて当たり前のことで、全然悪いことなんかじゃないんだから」

 

でもね、と彼女は続ける。

 

「ここでずうっと泣いていたって、それでアイツが戻ってくるわけじゃない。いつかはその気持ちにも折り合いをつけて、前を向かなきゃいけない」

 

「…………、」

 

彼は答えなかった。

 

元より鈴音も、これしきの言葉で彼の傷が癒える訳では無いと知っている。発破をかけて尻を蹴り上げるのは得意でも、言葉を尽くして慰めることは自分では出来ない。少なくともそれは自分の役目ではないと理解しているから。

 

『……箒。アンタが傍に居てあげて。今の一夏には多分、同じ目線で話せる相手が必要だわ』

 

『あ、ああ……分かった』

 

だからこそ、割り切れる。

 

アイコンタクトを取ると共に個人間秘匿回線を開き、箒に彼のことを任せる旨を伝えた。今となっては恋敵だろうと関係ない。想い人が立ち直ることを最優先に、その役目を受け渡した。

 

ふと、今まで黙っていた一夏がぽつりと呟いた。

 

「……強いな。お前らは」

 

それは、一夏の心からの言葉だった。

 

技術的な面もある。精神的な意味合いもある。自分と年の変わらぬ学友に対する感嘆と尊敬の念を込めた、純粋な賛辞であった。常であれば面食らって赤面のひとつでもしそうなものであったが、鈴音は軽く肩を竦めて返事を返す。

 

「別に強かないわよ。表面化してないだけで、結構頭来てんのよこっちも。立場上あたしらが守らなきゃならない一般人に守られて、何も出来ずに退避してただけ。自分で自分が許せない。そう考えると、悲嘆に暮れてるヒマなんて無いってるだけよ」

 

んじゃまたね、と言い残し、今度こそ鈴音は食堂を後にする。その後にセシリア、ラウラ、シャルロットが続き、テーブルに残ったのは箒と一夏だけとなった。

 

思わぬ所で二人きりという状況が出来上がってしまったが、そこに色恋の気配など微塵もない。鈴音にはああ言われたものの、なんと言葉をかけて良いのか分からない箒は困ったように眉尻を下げた。

 

「一夏。……その、だな」

 

 

 

「―――何も、出来なかった」

 

 

 

腹の底から絞り出したような声だった。

 

「何も出来なかったんだ。……あいつを残して行ったら絶対に後悔するって解ってた筈なのに。結局俺は、福音の時から何にも変わっちゃいない。肝心な所で役に立てないまま、ただあいつに守られてるだけだったんだ……ッッ!!」

 

そこで初めて顔を上げた一夏の顔は、今にも泣き出してしまいそうな程くしゃくしゃに歪んでいた。

 

怒り。

 

悲しみ。

 

悔恨。

 

自責。

 

無力感。

 

言葉を紡げば紡ぐほど、胸中に渦巻く感情の奔流が溢れ出しそうになる。自分の弱さを改めて突き付けられているようで、それが堪らなく情けなかった。喉の奥から唸るような声を吐き出す一夏は、己の表情筋が決壊しないよう歯を食い縛って必死に耐えた。

 

入学当初の、ただ周囲に流されて過ごしていた時とは違うのだ。達すべき目標を据え、超えるべき壁を設定し、至るべき場所を見つけた。迸る熱意を鋼鉄の決意で固め、こうあれかしと己を鼓舞して研鑽を重ねてきた。

 

織斑一夏という男は、確かに強くなっていた。

 

だが、果たして。

 

 

 

 

 

―――それに、意味はあったのだろうか(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

幾ら技術を身につけても、それでもまだあの背中には届かなかった。未だに守られているという事実に変わりはなく、言うなれば親の庇護下で育つ子供のようなものだ。安全の保証された環境で幾ら背伸びをしようと、それで何かが変わる訳ではなかった。

 

荒れる幼馴染みの心を感じ取った箒は一度口を開きかけて、やめた。自分が口下手なのはよく理解している。今の彼に安っぽい同情の言葉を掛けたところで、何の解決にもなりはしないと直感でそう思った。

 

だが、役目を任された以上は果たさなくてはならない。

 

(……今の一夏に、必要なこと。下手な慰めは不要。感情の沈静。違う、無理矢理消しては意味が無い。昇華させるのがいい、か。別の何かに。方法は? 言葉では薄い。と、なると……)

 

箒は心理学など全くと言っていいほど分からない。それでも、今まで見てきた『織斑一夏』という男の精神性や人間性から、直感的に的確な処方箋を導き出すことに成功していた。

 

数秒程思考を回した彼女は、弾き出した結論に対して思わず心中で嘆息する。こんな時でさえも行き着く先が『コレ』とは。まあ、一夏も全くの未経験というわけでもなし、お誂え向きと言えば確かにそうではあるが。

 

冷め切ってしまった味噌汁を一息に飲み干すと、箒は空のトレーを持って立ち上がる。それに反応してか、一夏の常より幾分か輝きを失った瞳がこちらを向いた。

 

「一夏。少し付き合ってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飴色に磨き抜かれた板張りの床。静謐な空気に満ちるその空間は、踏み入っただけで心が引き締まるような、ある種の神聖ささえ漂わせていた。

 

「放課後まで部活はないからな。少し貸してもらえるよう部長に頼み込んできた」

 

そう言って箒は己の両脚を包んでいたニーソックスを脱いでいく。よく鍛えられているにも関わらず少女としての柔らかさを感じさせる、シミひとつ無い健康的な柔肌が露になった。思わずそこに吸い寄せられる視線を逸らしつつ、一夏も靴下を脱いで裸足になる。ひんやりとした感触が足裏に伝わり、懐かしむように何度か床を踏み締めた。

 

箒に連れられやって来たのは、本校舎より少し離れた位置に建てられている剣道場だった。理由を訊ねても、曖昧な返しで茶を濁されてしまうので途中から諦めていた一夏だが、いい加減に話してもらわねば困る。

 

「……なあ、箒。そろそろ説明してくれてもいいんじゃないか? 流石に今は剣道なんてする気分じゃないぜ」

 

まるで読めない幼馴染みの考えに苛立っているのか、僅かに棘のある声音で一夏がそう零した。それを敏感に感じ取りつつも、箒はあくまで自然な態度で振る舞い続ける。

 

不安定な今の彼は、何を理由に暴発するか分からない。それがどんな方向に作用するのかまでは読めないが、少なくとも良い影響が出そうにないのは明らかだったから。

 

「ああ、すまない……だが、そうだな。敢えて言うとするならば……これがきっと、今のお前に必要なことなんだと、私は思う」

 

その言葉と共に、箒は一本の竹刀を差し出した。

 

差し出された竹刀の柄と箒の顔とで視線を行き来させ、困惑したような表情を浮かべる一夏。当然だろう、こちらは剣道はしないと言っているのに得物を差し出しているのだから。

 

それでも、箒の瞳にふざけた色は微塵もない。伊達や酔狂で促しているわけではなさそうだと感じた一夏は、渋々ながら柄に手をかけて竹刀を受け取った。

 

それを見届けた箒は薄く微笑むと、一夏に背を向けて歩を進めていく。五歩を数えた所で振り返り、片手に提げていた竹刀を構える。

 

腰を低く落とし、根を張る大樹のように床と己とを縫い付ける―――機動を捨てた代償として、全方位からの攻撃を完全に防ぎ切る為の、徹底的な守りの型。

 

そうした上で、箒は言った。

 

「―――打ってこい。お前が腹の中に抱えている思い全て、ここで吐き出していけ」

 

ピクリと一夏の肩が震えた気がした。

 

しかし箒はそれ以上口を開くことはせず、黙って構えを取り続ける。打ち込んでくるならばただ受け止めるだけだし、立ち去るというのならそれも良し。剣で語れ、などと言うつもりもないが、これで少しでも何かが好転すればと思っていた。

 

沈黙が続く。

 

十秒か、二十秒か。

 

果たして―――動きはあった。

 

長く、引き延ばすような吐息が彼の口から漏れた。肺の空気を全て吐き出し、最後に一息吸い込む。ゆっくりと竹刀を持ち直し、正眼に構える。

 

 

 

「…………悪い。力加減、できそうにない」

 

 

 

直後、疾走。

 

箒が取った間合いを一歩で踏み潰し、大上段から竹刀を振り下ろす。型も何もない、ただ力に任せた荒々しい一閃。空を裂き唸りを上げて迫る剛剣を、箒は真正面から受け止める。

 

それは最早、打撃音というより炸裂音だった。

 

受け止める用意がなくてはたたらを踏みそうな程の衝撃だったが、細やかな体重移動を駆使して衝撃を分散させる。次いで床板を踏み締め、勢いを失った一夏の竹刀を押し返すように跳ね上げた。

 

無防備な胴が晒されるが打ち込むことはせず、即座に構え直して二の太刀への備え。崩された上体を腹筋だけで元に戻した一夏が再度踏み込み、袈裟懸けに一撃を放ってくる。耳を劈くような破裂音が響き渡り、彼の竹刀が弾き返される。

 

弾かれるのを見越して後ろに傾けていた重心を軸に、その場で足を踏み変え真横からの薙ぎ払い。冷静に反応した箒は手首を返し、柄を上に鋒を下に。峰にあたる部分に片手を添え刀身の半ばで受け止めた。

 

鋸を引くように竹刀を抜き去り、その勢いで竹刀を払い除ける。文字通り息つく間もなく飛んできた唐竹割りを真っ向から打ち返し、一夏が繰り出す暴風雨のような剣戟を悉く捌き続けていく。

 

(ああ―――)

 

一層苛烈さを増していく続く打ち合いの最中で、箒は己の胸が締め付けられるのを感じていた。一太刀受け止めるごとに、柄を握る手が熱を帯びていく。まるで、竹刀を通して彼の想いが伝わってきているかのようだった。

 

(これは怒りだ。一夏の怒りだ。自分自身を焼き尽くすような、烈火の如き怒りだ。例え私達が万の言葉を尽くそうとも、お前こそがお前自身を許さないのだろう)

 

言葉は無くとも理解はできる。

 

剣で語るなどという時代錯誤なものではなく、ただ純粋な事実として。箒は、一夏の心を正確に読み取っていた。荒れ狂う激情を振るう竹刀に乗せ、鳴り響く炸裂音こそ己の叫びであるのだと言わんばかりに打ち込んでくる一夏。その瞳に映る色を見れば、それで事足りた。

 

十を数え二十を数え、打ち合いは百を超える。五時限目の開始を告げる鐘が鳴ったが二人の耳には届かない。ただただ剣を振るい続け、やがて三百に届こうかという所で―――終わりは唐突に訪れた。

 

打ち込んだ竹刀を弾かれ、その衝撃に耐えきれず後方へたたらを踏む一夏。歯を食いしばって再度踏み込もうとするが、限界を迎えた脚がガクンと崩れ落ちた。慌てて竹刀を床に突き立て支えにするが、それに縋る力すら己の身体には残っていなかったらしい。

 

蹲るように床へと倒れ伏した一夏。体力の限界だと判断した箒は構えを解き、僅かに額に滲んだ汗を拭う。暫くの間、互いの息遣いだけが道場に響いていた。

 

「はぁッ! はぁッ! はッ、はぁっ……っぐ、く、そォ……っ!」

 

やがて、荒い息に嗚咽が混じる。

 

汗を吸った前髪が垂れ下がって鬱陶しいが、彼にとってはそちらの方が良かったのかもしれない。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を箒に見られずに済んだのだから。

 

「畜生ッ……戦いたかった、あいつと一緒に戦いたかった!! 俺も強くなったって、俺も戦えるんだって証明したかった!! 守られてるばかりはもう嫌なんだッ!! なのに、なんで、なんでッ!! なんであんなに、遠いんだよ……ッッ!!!」

 

皮膚を食い破らんばかりに握り締めた拳を床に叩き付ける。熱い鈍痛が走るが、それすらも臓腑を焼き焦がす怒りに飲み込まれていく。

 

その、魂を削るような彼の叫びを聞いた箒は、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。彼がここまで心乱されている本当の理由は、ただの無力感だけではない。その根底にあるのは別のものだ。彼が置かれている立場故に、嫌という程感じてしまうその感情。

 

(そうか―――劣等感、か)

 

彼自身も、無意識の内に感じていただろう。

 

どこへ行っても付き纏う『世界最強の弟』という肩書きの重さ。例え彼が嫌悪せずとも、その重圧は確実に彼の背に伸し掛っていた。

 

出来て当然。やれて当然。弱いままでは許されない。

 

何せ、世界最強の弟なのだから(・・・・・・・・・・・)

 

だから彼は努力した。背負った看板に泥を塗らぬよう必死に足掻いた。輝かしい姉の栄光に掻き消されぬよう、自分の価値を証明せんがために。彼には強くならなければならない理由があったから。

 

 

 

 

 

 

―――では、もう一人は?(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

自身の後を追うようにして現れた、二人目。

 

特別な家系でもない。何かを期待されているわけでもない。看板を背負っているわけでもない。努力しなくてはならない理由もない。

 

それでも、彼は強かった。

 

最初は、自分も負けていられないと気炎を巻き上げた。良い目標が出来たと、努力する理由が一つ増えたと喜んだ。

 

そして、一月が経った。

 

―――良いだろう。高い壁こそ超える甲斐がある。

 

 

 

 

更に一月が経った。

 

―――まだまだ努力が必要だ。もっと頑張らなくては。

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――焦るのはよくない。まだ時間はある。

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――果たして、自分は強くなれているのだろうか。あまり実感がない。

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――どうして届かない。何が足りない。これ以上何をすればいい 俺は

 

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――あれ なんで また 遠くなって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしても、比べずにはいられなかった。

 

自分と彼ではきっと、価値観も思想も理念も背負うモノもその重さも違う。それでも、同級生で、同じ男で、IS乗りだ。条件としては殆ど変わらない。なのに何故、こうまで差がついてしまうのだろうか。

 

努力すれば努力した分だけ、彼我の差が浮き彫りになっていく。無様に藻掻く己の遥か先で、彼は自分には出来ないことを平然と成し遂げてしまう。常人ならば足の竦むような自己犠牲すら躊躇わず、己が身を戦火へと投じていく。

 

……考えてしまう。

 

幾ら手を伸ばしても届かないのならば。

 

努力しても追い縋れないのならば。

 

彼一人が居るだけで事足りるならば。

 

今日まで自分が積み重ねてきたものは―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全て、無駄だったのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――大丈夫だ」

 

ふわりと、柔らかいものに包まれる。

 

壊れ物を扱うかのような手つきで、一夏は箒に抱き寄せられていた。様々な液体が彼女の服を汚すが、構うことなく彼の頭を胸元に抱く。そのまま二度、三度と背中を撫で、安心させるように優しく叩いた。ほのかに甘い香りが鼻腔を擽り、ぐちゃぐちゃになっていた頭に暖かく染み込んでいく。

 

彼女の顔を見ることはできなかったが、聞こえてくる声は確かな慈愛に満ち溢れていた。

 

「届かなくても良い。追い付けなくても良い。奴のようになれなくても良い。お前がお前として頑張ってきたからこそ、救われた人間は確かに居るんだ。お前の目に映らなくとも、お前を映しているものは居るんだ。だから、その……なんだ。……あまり、自分を卑下してやるものではない。でなくては、自分自身が報われないだろう?」

 

「…………ほう、き」

 

「それでもまだ自分が許せない、認められないというなら、そうだな……お前の代わりに、私が許し続けよう。私が認め続けよう。織斑一夏が刻んだ轍には確かな価値があったのだと、その研鑽に意味はあったのだと、お前自身が胸を張れるまで声高に叫び続けよう」

 

そう言って、強く強く彼の身体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

「―――皆の為に頑張ってくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

「ぁ、あ」

 

限界だった。

 

双眸から熱い液体が溢れ出る。

 

食い縛った歯の隙間から、堪えきれない嗚咽が漏れる。

 

一切の虚飾を省いた純粋なその言葉は、荒んでいた彼の心にこれ以上なく染み渡っていった。最早恥も外聞もなかった。箒に縋り付き、彼女の制服を握り締め、声にならない声を上げてみっともなく咽び泣いた。

 

涙混じりで訴えられるその声に、箒は短く肯定の言葉を返していく。「ああ」「そうだな」「良く頑張ったな」「偉いぞ」―――その一言一言に込められた思いが嘘ではないと証明するかのように、優しく背中を撫で続けた。

 

そうしながら箒は、静かに思う。

 

(……私にはきっと、お前の懊悩を解消してやることはできない。それでも、一時の止まり木となることくらいはできる。辛くなったら止まればいい。動けなくなったら休めばいい。お前が再び羽ばたけるようになるまで、私がお前の背を支えよう―――それが、私に出来る唯一の恩返しだ)

 

儚くも確固たる、不器用な少女の決意。

 

 

 

 

 

それが少年に届くことはなくとも、彼女の優しさは確かに彼の救いとなっていた。

 

 

 

 




箒ちゃんの母性爆発回。


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十一話

放課後。

 

昼休みの宣言通り第四アリーナの借用申請を済ませた鈴音は、更衣室に向かうべく一人歩を進めていた。小柄な体躯が揺れる度に、栗色のツインテールが遅れて靡く。半自動的に足を動かしながらも、彼女の思考は別の場所にあった。

 

あの日学園を襲った正体不明のIS。青紫の機体も暗灰色の機体も、並の操縦者とは一線を画した操縦技術と戦闘技術を有していた。代表候補生として血反吐を吐くような鍛錬を積んできた自分達でさえ、束にならねば到底太刀打ちできないような強さ。

 

暗灰色のIS『アッシュ』は、鈴音と箒の二人で。青紫色のIS『サイレント・ゼフィルス』―――最重要機密であることを固く念押しされた上で、セシリアがその名を打ち明けてくれた―――は、楯無とセシリア、シャルロットの三人で。それだけの戦力を並べても、撃退するのが精一杯だった。

 

人数配分だけで見れば、三人を相手取ったゼフィルスが一番の驚異になるだろう。しかし、一夏とラウラを守りながらの戦闘に加えて、セシリアの不調。機体の相性もあまり良くはない。そんな悪条件が重なった中で、撃退にまで漕ぎ着けた楯無達の技量をこそ賞賛すべきだろう。だが―――

 

(……問題なのは、アッシュとかいうISに乗ってた奴)

 

鈴音の甲龍も箒の紅椿も、射撃武装を搭載しているがベースは近距離型。細かく言うなら紅椿は全距離対応型だが、乗っている箒自身がインファイターなのでこちらも近距離型となる。そしてアッシュも、見た限りでは近距離戦闘がメインだった。牽制のダガーがあるくらいで、目に見える遠距離武装は積んでいなかったはずだ。

 

主となる武装は両腕の特殊兵器。高圧エネルギーを拳打と共に解放し炸裂させる、シンプル故に強力な兵装。恐らくは第三世代兵装だろうが、あんなものは見たことも聞いたこともない。何かしら対策を考えておかねば、こちらの武装ごと粉砕されかねないだろう。

 

しかし、機体の性能もさる事ながら、真に警戒するべきはその操縦者だと鈴音の直感は告げていた。

 

(会長さんとやり合って消耗してたってのに、あたしら二人をものともしなかった。甲龍の情報は手に入れられるとしても、紅椿の情報なんて何一つ出回ってない。初見じゃまず対応出来ないはずなのに、アイツはその場で対策を完成させかけてた(・・・・・・・・・・・・・・・)。もし、あそこでアッシュがゼフィルスの援護に行ってなかったら……)

 

天性の戦闘勘を有する鈴音をして明確に『勝てない』と感じさせる相手は、一方通行と楯無に続いてこれで三人目。自分の見立てが間違っていなければ、アッシュの実力は国家代表クラスだ。まともにやり合って勝てる相手ではない。

 

そもそも、あの機体は戦い方からして異常だった。

 

相手の武装は拳。故に必然的に体術を用いた格闘戦になるのだが―――

 

(なんなのよアレ。スタイルが混ざりすぎてて動きが全く読めなかった……それどころか、こっちの出方に合わせて混ぜる技術を変えてきてた。使ってるのは既存の技術なのに、やってることが意味不明なのよ)

 

八極拳にマーシャルアーツにムエタイにカポエイラ、システマに極真空手にボクシング。ありとあらゆる格闘技から抜き出した技術を掛け合わせ、全く別の戦闘スタイルをその場で作り出していた(・・・・・・・・・・・)

 

鉄山靠に派生する右フック。回し蹴りから繋ぐ上段足刀蹴り。顎を狙う掌底からハイキック。肘打ちと同時に放たれる踵落とし。正拳突きかと思えばローリングソバットに変わる。リズムもテンポも体捌きも技も、一挙動ごとに別物に変化していくのでは予測のしようがない。

 

(本国の情報部問い詰めても知らぬ存ぜぬ突き通されるし、そんなに秘密にしたいことなワケ? こちとら実際に被害被ってんですけど? ちょっとくらい情報くれたっていいじゃない事件は会議室じゃなくて現場で起こってんのよ現場で!!)

 

思わず頭を掻き毟りたくなる。頭皮と髪が痛むのでやらないが。代わりに、遣る瀬無い感情を無理矢理溜息に変換して深く深く吐き出した。ぐるぐると回る思考を意図的に切って頭の中をリセットする。

 

そうこうしている内に、更衣室の前まで辿り着いていたらしい。スライドドアが鈴音の動きに反応して開き、向こう側の景色をさらけ出した。自分が一番乗りかと思っていたが、既に先客がいるようだ。見慣れた金の長髪が揺れ、ついでにその豊満なバストも更衣の動きに合わせてふるふると揺れていた。

 

「引き千切っていい??」

 

「鈴さん疲れてます?」

 

太陽のような微笑みにも関わらず汚泥のように濁り切った友人の瞳を見て、思わず真顔で安否を気遣うセシリア。開口一番猟奇的な発言をぶちかました当の鈴音は頭を振ると、額に手をやって天を仰いだ。

 

「大丈夫。大丈夫だから。うん。あたしは平気よ」

 

「……到底そうは見えなかったのですけれど」

 

「大丈夫だって。っていうか、そういうアンタは結構平然としてるのね。てっきりもっと取り乱すモンだと思ってたんだけど」

 

セシリアが一方通行に好意を寄せているのは最早周知の事実だ。想い人があのような姿になってしまった彼女の精神的ダメージは想像を絶する。鈴音とて、もしも一夏が同じような目に遭ったらまず間違いなく平静を保ってなどいられないだろう。

 

だというのに、眼前の少女はあまり堪えた様子がない。自身の感情を表に出さぬよう全て隠しきっているというのなら大したものだが、果たして。

 

鈴音の言葉を受けたセシリアは、眉尻を下げて僅かな苦笑を浮かべた。

 

「勘違いをして頂いては困りますが、透夜さんの身を案じていないなどということは誓ってありませんわ。ただ、わたくしにはわたくしのやるべき事があり、それを果たすべき責務があるというだけです。それこそ鈴さんの仰っていた通り、わたくしが慌てたところで透夜さんの容態が良くなるわけでもありませんもの」

 

「……ふぅん?」

 

翡翠色の双眸がセシリアを捉える。

 

鈴音も、どちらかと言えば感覚に頼るタイプだ。セシリアやラウラ、シャルロットのように理論的に物事を捉えるのは正直苦手である。しかし、その不足を補うよう常人以上に研ぎ澄まされた感覚が、眼前の少女の変化を敏感に感じ取っていた。

 

あくまで感覚故に言葉では上手く言い表せないが……佇まいや所作にこれといった変化は現れていない。強いていえばもっと内面の、彼女自身の在り方を構築する柱のようなもの。セシリア・オルコットという少女を形作っていた幾つかのパーツが、形はそのままに性質だけが変わっているような感覚。

 

詰まる所、この一件を経て彼女の中でも何かしら思うところがあったということなのだろう。それが良かれ悪しかれ、彼女から語るつもりがないのなら此方も余計な詮索はしない。そう結論づけた鈴音は、脱いだ制服の上着を勢い良くロッカーに放り込んだ。

 

「話変わるけど、アンタんとこのサイレント・ゼフィルスだっけ? アレについて何か有益な情報無いの? 仮にもティアーズの後継機体でしょ」

 

「それが……」

 

セシリアの口から語られたのは、凡そ鈴音が体験したことと同じような内容であった。本国の情報部に問い合わせても芳しい反応は帰ってこず、噛み砕いて言ってしまえば『此方で対処するからお前は余計な事をするな』という警告だけ。代表候補生はあくまで候補生でしかないとはいえ、それにしても対応が冷たすぎた。

 

考えられる可能性としては二つ。

 

一つは、国の技術の結晶とも言えるISが強奪されたという事実を出来る限り広めたくないがために、意図的な情報統制を行っているか。今日においては国力を示すひとつの指標となったISを失ったと知られては、国連やIS委員会に何を言われるかわかったものではない。欧州連合における地位も急転直下間違いなし、加えて各国企業からの信用も失ってしまう。

 

ISひとつで国が傾きかねないとなれば、隠蔽したい気持ちも良く分かる。

 

そして、もう一つ。

 

「―――この件が到底わたくし達の手に負えないものか、ですわね」

 

「そうね。正直、あたしもそんな気はしてる」

 

第三世代型のIS。凄まじい技量を持った操縦者。英国から機体を盗み出し、IS学園に殴り込む行動力とそれを可能にする戦力。極めつけは、あの不気味な手術衣の男。

 

今までに得られた情報から、今回の襲撃の裏には何か大きな組織が存在していることは二人にも予測はできた。しかしそこにあの男が加わることで、加速度的に不透明度が増してしまう。

 

仮に、男と襲撃者達とが繋がっているとする。では何故わざわざあのタイミングまで待っていた? ゼフィルスとアッシュの二機が損傷する前に仕掛けてくることも出来たはずだ。それをしなかったのは、何か出撃に条件があったからか。それとも別行動を取ってまで達成したい『何か』があったからか。最大戦力たる一方通行を引き付けておくための陽動か。

 

そもそも、奴らの目的は何だ。襲撃を仕掛け、一方通行を潰し、それだけか? 男性操縦者を狙ったものならば、あの場で一夏だけ手にかけなかったのは不可解だ。どういう理屈は知らないが、ISの絶対防御すら無効化できるあの男なら容易く行えたはず。一夏を殺してしまうと何か不都合があったのだろうか。それとも逆に、一方通行の存在が邪魔だったということか?

 

考えれば考える程、あらゆる情報が怪しく思えてくる。

 

しばらく難しい顔で考え込んでいた二人だが、やがて鈴音がため息をついてヒラヒラと手を振った。この手の話はどうにも苦手だった。誰かを疑うとか此奴が怪しいとか、出来ればあまり考えたくはないのも事実だった。が、

 

「なんにせよ、アイツに話を聞くのが一番早いと思うわ。襲ってきたIS達のことも変な男のことも、何かしら知ってるはずよ。そうでなくちゃあの場面であんなこと言えるはずがない。……例え知ったところで何も出来ないとしても、何も知らないまま傍観してるなんて真っ平御免だっての」

 

「透夜さんがあえて話さなかったのも理由はあると思いますが……事ここに至って、これ以上隠し続けるのも無理があるでしょう。透夜さんのことは篠ノ之博士に任せるしかないとして、ともかく今は……」

 

「わーってるわよ。とりあえず、ゼフィルスとの戦闘記録と映像送っといて。アッシュもそうだけど、考え無しに戦って勝てる相手じゃないわ。早いとこ対策を練らないと」

 

「そうですわね……あくまでわたくしの所見ではありますが―――」

 

鈴音と情報を交換しつつ、来るべき脅威に備えて意見を出していくセシリア。そんな彼女の頭の片隅に、先程の鈴音が口にした言葉が微かに引っかかっていた。直接的なそれではなく、その言葉からふと考えてしまったことだ。今まで明確に意識したことはなかったが、改めて考えてみる。

 

彼のことを想い始めたあの時から、今に至るまで。輝くばかりの記憶のページを1から捲り直して―――気付く。

 

あの少年が、自分のことについて話したことが一度でもあっただろうか。あまり口を開かず、こちらから話題を振ることが多かったとはいえ、半年間も話に登らないことなどあるのだろうか。彼の近くに居た時間が最も長いであろうセシリアでさえ、彼について知っているのは『学園に来てからのこと』だけだ。それより前のことは、一度たりとも耳にした覚えがない。

 

卓越した操縦技術。ずば抜けた観察眼。篠ノ之束との繋がり。冷静な戦闘倫理。秘匿されている過去。常軌を逸した情報処理能力。襲撃者との因縁を匂わせる、『俺が撒いた種』という言葉。まるで死に急ぐかのような自己犠牲。

 

どれもこれもが、芋づる式に疑念へと変わる。

 

彼が敵だとは思えない。

 

思いたくはない。

 

彼は味方だ。

 

……少なくとも、今は。

 

混乱しかけた思考を一旦放棄して、負の連鎖を止める。窓の外に視線を投げ、自身の内から意識を逸らす。それでも無意識的に浮かんできてしまうその疑問は、至極簡潔且つこれ以上ない程的確なものであった。

 

(結局のところ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――透夜さんは、何者なのでしょう(・・・・・・・・・・・・・・)?)

 

 

 

 

 

 

 

 

見上げた空を、分厚い雲が覆い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様……どういうつもりだ」

 

怒気を孕んだ声が静かなピット内に響いた。

 

声の主は、エムと呼ばれる黒髪の少女。怨嗟に濁った眼で睨み付ける視線の先には、豊満な肢体をISスーツに押し込めた銀髪の少女が佇んでいる。アイスブルーの瞳をぱちぱちと瞬かせた少女―――エヴァは、質問の意図が分からないとばかりに可愛らしく小首を傾げた。

 

「どう、とは?」

 

「何故あの場面で撤退したのかと訊いている。 私はまだ戦えた。織斑一夏を殺す絶好の機会を、貴様がみすみす潰したんだぞ……ッ!!」

 

「あなたの機体は、更識楯無との戦闘によってかなり損傷していた。私も消耗していたし、途中で乱入して来たあの男は只者じゃない。スコール達との通信も出来ない状況で戦うのは無謀。だからあの場は撤退が最善だったし、あそこにあなた一人残したところで意味はない。だって―――」

 

撒き散らされる怒りの気配もどこ吹く風といった様子で、エヴァは彼女の怒りの炎に容赦なくガソリンを投下する。

 

「貴女、弱いもの」

 

その言葉を聞いた瞬間、エムは迷わず懐からハンドガンを引き抜いていた。眼前の少女に突き付けると同時に引き金を引く。後でスコールから何と言われようと、今はこの不愉快な口を黙らせることが何よりも先決であった。乾いた発砲音が響き、放たれた九ミリ弾が少女の柔肌を食い破り、頭蓋を砕き、脳漿を引き裂いてぶち撒ける。

 

そんな凄惨な光景を想像したエムの視界に入ったのは、銀色の旋風だった。

 

同時に、銃を握っていた右手に鈍い痛みが走る。

 

鞭のような回し蹴りによってハンドガンが弾き飛ばされたのだと理解したのは、床に落下したハンドガンが金属音を奏でてからだった。

 

「他人の言葉に激昴するのは、それが正しいと感じているから。この距離で銃を抜くなんて、図星を突かれたのがよっぽど悔しかったのね」

 

「貴様……っ!」

 

ゆっくりと脚を下ろしたエヴァの言葉に益々苛立ちを募らせるエムだったが、赤熱する思考に反して身体はそれ以上動くことができずにいた。いくら近距離では銃より格闘の方が強いといっても、それを実際に体現できる者が果たしてどれだけ居るか。

 

その点で言えば、エヴァの反応速度は常人のそれを遥かに上回っていた。

 

突然勃発した美少女二人による小競り合いに、ピット内で機体の点検を行っていた整備員達からどよめきが起こる。両者共専用機を与えられている時点で部隊での地位はトップに近いため、そんな二人の間に割って入る度胸のある人間は居ない。

 

そもそも、亡国機業に属している時点で真っ当とは言えないことを仕出かしてきた輩達だ。喧嘩の仲裁などするはずもなく、自分の身に火の粉が振りかからないことだけを祈る自分本位の人間ばかりであった。

 

そんなピット内の緊張を破ったのは、ジェットエンジンめいたスラスター音。それを耳にした整備員達が慌てて己の持ち場に戻ると同時にカタパルトのシャッターが開き、鮮やかな山吹色の機体がピット内に姿を見せた。

 

ドレス状に重ねられたアーマースカートで膨らんだ下半身とは対照的に、上半身の装甲はすっきりしておりISスーツとは違うゴムのような材質のスーツが喉元までを覆っていた。

 

その腕には茶髪の女性―――オータムが抱えられており、意識を失っているのかその四肢はだらりと垂れ下がっている。

 

『救護班、搬送頼む。気を失ってるだけだから、部屋まで送り届けてやってくれ』

 

「分かりました」

 

ボイスチェンジャーによって変質した機械的な声がフルフェイスのヘルムから流れ、それに反応した周囲の構成員がオータムをストレッチャーへと移乗させる。そのままピットの奥へと消えていく救護班の後ろ姿を見送ると、軽やかな動作でISから降り、顔を覆い隠していたヘルムを脱ぐ。

 

揺れる黄金色の短髪に、意思の強そうなグリーンの瞳。女性らしい柔らかさを備えながらも程よく引き締まった体躯は、野山を駆ける牝鹿を思わせる。少女―――グリゼルダの姿を認めた瞬間、エヴァの表情がふんわりと綻んだ。

 

「おかえり、グリゼルダ。怪我はない?」

 

「ああ。お前たちが派手にドンパチやってくれてたおかげで出番は無かったよ。っていうか、開発部の傑作品を初戦でボロボロにしてやるなよ」

 

「そ、装甲が薄いのが悪い……」

 

「……開発部が聞いたらブチ切れそうな言い分だな」

 

目を逸らしながら言い訳を口にするエヴァに、呆れたような半眼を向けるグリゼルダ。そんな二人のやり取りを冷めた目で眺めていたエムだったが、やがて踵を返すと足早にピットから立ち去っていった。

 

その後ろ姿を怪訝そうな眼差しで見送ったグリゼルダがエヴァに半眼を向ける。

 

「ったく……お前ら、また喧嘩してたろ」

 

「……ふー、ふー……」

 

「いや吹けてないからな口笛。あとそんなコテコテな誤魔化し方で騙される奴なんてこの世界探したって一人も居ないと思うぞ? つーかどっから仕入れてきたんだその無駄知識」

 

吹けもしない口笛を吹こうとして口を尖らせ、目線を泳がせるエヴァに冷静にツッコミを入れるグリゼルダ。対するエヴァは大変ショックだったようで、がっくりと床に崩れ落ちた。

 

「そ、そんな……学園で知り合った赤い髪の男の人は『これでどんなピンチも乗り切れる!』って言っていたのに……!」

 

「だから一般人と無駄な接触は控えろって言っといただろうがこの馬鹿ッ!」

 

「あぅぅぅうっ! ぐ、グリゼルダ痛い! 引っ張るのはダメっ!」

 

能天気なことを口にする相方の豊満な胸を鷲掴み、ぎちぎちぎちぎちと捻りあげる。完全に八つ当たりだったがそんなのは関係ない。持たざる者の恨みを思い知れ。

 

そんな二人の仲睦まじいやり取りは、横合いから響いた第三者の声によって中断されることとなる。

 

「ふふ。相変わらず仲が良いのね」

 

身体のラインが浮き彫りになるドレスを纏った金髪の美女。亡国機業IS実働部隊『モノクローム・アバター』部隊長ことスコール・ミューゼルが通路の暗がりからその姿を現した。

 

突然現れた事実上のトップに、呆けていた構成員達が一斉に最敬礼の姿勢を取る。軽く手を振ってそれらを制したスコールは、足元に転がっていたハンドガンを拾い上げ、残弾を確認するとセーフティをかけて懐にしまい込んだ。

 

「あの子にも困ったものね……あなた達みたいに素直だったら少しは可愛げもあるのだけれど」

 

エムの消えていった通路につい、と視線を送ってそう呟くスコール。まるで母親のような言葉を口にする彼女に対し、どう反応したものかと困惑するグリゼルダと胸を庇って涙目で座り込むエヴァ。

 

そんな部下の様子に気が付いたのか、スコールは二人に向き直ると薄く微笑んだ。

 

「帰って来て早々悪いのだけれど、作戦報告をお願いできるかしら。ISの通信が途絶するなんて滅多にないことだから、心配だったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………、そう。そんなことがあったのね」

 

場所は変わり、作戦司令室として扱われている広い一室。

 

作戦行動中、スコール達本部との通信が途絶していた間に起きた出来事を事細かに語ったグリゼルダは、乾いた喉を紅茶で湿らせた。茶葉の事などまったく分からないが、上司が態々淹れてくれたのだからそれなりに値の張るものなのだろう。

 

最高級のアールグレイをまるで風呂上がりの麦茶か何かのように飲み干したグリゼルダの隣では、エヴァが茶請けの菓子をもりもりと平らげている。口元についた菓子の欠片を指で示してやりながら、グリゼルダはスコールに問いを投げかけた。

 

「結果的に作戦はご破算になっちまったが。あの男も(あね)さんの手駒……って訳じゃあなさそうだな」

 

「私の知り合いにマネキンはいないけれど、確かに興味深くはあるわね。お互い鈴科透夜を狙っているのだとしたら、一応コンタクトくらいは―――」

 

「やめとけ姐さん。アレは、私らがどうこう出来るもんじゃない。エヴァと私で意見が一致してんだ、アレには関わらない方がいい(・・・・・・・・・・・・・)ってな。アレは触れちゃいけない類の奴だ」

 

スコールの言葉を遮って、グリゼルダがそう告げた。少し驚いたような表情を浮かべるスコールだったが、やがて小さく笑うと肩を竦めてみせる。おどけたような仕草も、彼女が行うだけで優雅に見えてくるのだから不思議なものだった。

 

「アナタたちがそう言うなら、やめておきましょう。それよりも、考えるべきは鈴科透夜かしら。オータムじゃあ歯が立たないみたいだし、次はアナタたちに相手をしてもらうわけだけど……機体の感触はどう? 何か要望があれば開発部に伝えておくけれど」

 

「装甲が薄い」

 

「……だ、そうだ」

 

ソファーの上で体育座りをしていたエヴァが、出し抜けにそう呟いた。彼女に宛てがわれた『アッシュ』は高い機動力と強固な装甲を有している。亡国機業が保有している機体の中でもトップクラスの防御力を誇る、と開発部が太鼓判を押していたはずだが―――

 

「どんな乗り方をしたらそう感じるのか、私にはちょっと分からないのだけれど……まあ、そう伝えておくわ。アナタは?」

 

「私は特にない。挙動も素直で乗りやすい、いい機体だよ」

 

「それは良かったわ。―――さて、今回の作戦はこれで終わりよ。追って指示を出すから、それまでは各自ゆっくり体を休めてちょうだい」

 

「了解」

 

短く答え、スタスタと歩いていくグリゼルダの背を慌ててエヴァが追いかける。二人が消えていった扉を眺めていたスコールだったが、やがてその口元が妖しく弧を描いた。

 

今回の襲撃は前哨戦に過ぎないが、それでも十分すぎる成果を持ち帰ることができた。

 

戦える。あの二人は優秀だ。手札を切るタイミングさえ間違えなければ、鈴科透夜を仕留めることもそう難しくはないはずだ。そうすれば、証明できる。自分がしてきたことに間違いはなかったのだと証明できる。私の事を嘲笑った奴らに、私が正しいのだと証明できる。

 

「ふ、ふふ―――」

 

肩を揺らし、スコールは笑う。

 

その宝石のような赤い瞳に、微かな狂気を滲ませて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうするの? グリゼルダ」

 

スコールの居た部屋を出てしばらく歩いた所で、エヴァがそう訊ねてきた。その瞳に不安の色や疑念はなく、ただ純粋に今後の方針について訊ねているだけ。視線を天井に向けたグリゼルダは、耳に届く笑い声に顔を顰める(・・・・・・・・・・・・・)。きっと隣の少女の耳にも聞こえているはずだった。

 

「……どうするったって、なぁ。姐さんが目的を果たすまではそれに付き従うしかない。どの道ここから出ていった所でする事も行く所もねーんだ、私たちにはな」

 

どこか諦めたような声音でそう答えた。きっと彼女は色々なことを考えているのだろうけれど、自分には難しいことはあまりよく分からない。ただ、彼女と居るのは心地が良くて、それを失うのは嫌だった。

 

「私は、グリゼルダが居ればいい」

 

床に落としていた視線を少し横にずらし、小さくそう漏らした。

 

相方の素直な気持ちを受け、一瞬呆けた様な顔になるグリゼルダ。しかしそれも束の間のことで、すぐに小さく笑ってエヴァの頭をくしゃくしゃと掻き回した。

 

「わっ……?」

 

「小っ恥ずかしいことを平然と言うよなぁお前。世の男ならイチコロだぜ、まったく。そんなに私のことが気に入ったのか?」

 

「うん。グリゼルダの部屋、お菓子いっぱいあるし」

 

「お前ほんとそういうとこだぞ」

 

 

 

 

 

 



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十二話

ごうごうと、雨が降っていた。

 

秋という時期を考慮すれば差程珍しくもない、全てを洗い流すような豪雨が叩き付けるように学園に降り注いでいる。夜という時刻も相俟って、配置された街灯が雨粒のカーテンの向こうでぼんやりと光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな雨の中、更識楯無は佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濡れ鼠という表現が相応しいのだろう。頭に顔に腕に手に体に脚に、傘も持たない彼女を雨は容赦なく濡らしていく。既に下着まで侵食した水気は多大な不快感を与えてくるが、それを気にすることもなく、彼女はただ只管に雨に打たれ続けていた。

 

どれくらいの時間が経ったか分からない。

 

それでも、こうして冷たい雨に体を晒していれば、無理やりにでも思考を止めることが出来た。耳朶を打つ激しい雨音と、視界を遮る闇。勝手に回り始める頭を掻き乱し、集中力をぶつ切りにしてくれるそれらが今はありがたかった。

 

ぱしゃり、と。

 

耳が、雨音とは違う音を拾い上げた。

 

けれど楯無は其方を向かない。どうせ、音の主など分かりきっているのだから。

 

その音は真っ直ぐこちらに近付いてくる。そして、楯無のすぐ側にまで到達した直後、降り注いでいた雨が、頭上に翳された傘に遮られた。

 

「―――お体に障りますよ」

 

更識家第十七代目頭首である己の専属従者にしてIS学園整備科のエース、布仏(のほとけ)(うつほ)が心配そうな声音で忠言を呈する。

 

しかし楯無はその言葉に反応を返すこともなく、微動だにしないまま夜の闇を眺めていた。普段の彼女からは考えられない態度であったが、虚は主の心中を理解しているのかそれ以上何も言うことはなく、傘を携えたまま静かに傍らに控えている。

 

十分か、二十分か。

 

互いに何も言わぬまま、時間だけが過ぎていく。

 

雨は、まだ止まない。

 

「―――私は」

 

先に口を開いたのは楯無だった。

 

「私はこの学園が好き。この学園に在籍している以上は誰も傷つけさせないし、誰も不幸にしたくはない。その為の努力は惜しまないし、その為の努力はしてきたつもりよ」

 

「存じております」

 

「でも、どうしてかしらね。あの子は、進んで傷を負いに行っているように見えるの。『誰かを守りたい』っていう想いはある。それは確かよ。けどその裏に、まるで自滅願望でもあるんじゃないかって思うくらいには、自己犠牲を厭わない。……いいえ、きっとあの子は、自分の生命の価値を低く設定している。あの子の思う『大切なもの』と自分を天秤に掛けた時に、躊躇うことがないように」

 

「それは……」

 

「ええ。はっきり言って異常よね。真っ当な価値観を持っていれば、まず辿り着くことのない考え方。誰だって死にたくはないし、自己犠牲にだって限度があるわ。でも……彼が守りたいと思う未来の中に、きっと彼だけが居ない。自分はいつ終わってもいいと本気で思っている。私には、それが許せない」

 

度を超えた自己犠牲。聖人君子でもなければ不可能なそれを平然と行うあの少年に対し、楯無が感じたのは燃え盛るような怒りと心を抉るような悲しみだった。

 

人の価値観はそれぞれだし、幸せの形も違う。自分が感じているこの感情もただの綺麗事で自分勝手なものだと理解している。

 

けれど、それでも楯無は受け入れられなかった。仮にそれが彼にとっての幸せなのだとしても、それ以外の幸せの形を見つけてやりたかった。色々な事を経験して、色々なものを見て、この世界はまだまだ広いのだと教えてやりたかった。

 

だからこそ、あのような別れなど絶対に認めない。彼が目を覚ましたら頬を引っぱたいて、ありったけのお説教を叩き付けて、それからだ。もう二度と自分の生命を擲つなんて考えられなくなるくらい、楽しい思い出を作ってあげたい。

 

それに―――妹と仲直りできた恩返しすらも、まだできていないのだから。

 

(『他人の幸福が自分の幸福』だとか考えてるなら、その考えは甘いと言わざるを得ないわよね。だって私の幸福は『学園に居る全員が幸福を得ること』なんだもの。キミが幸せにならないと、私も幸せになれないんだなぁ、これが)

 

我ながら随分と子供じみた考えだとは思う。けれど、自己犠牲の英雄(ヒーロー)という振る舞い(ロールプレイ)をする彼への当てつけとしては丁度いいのではないだろうか。

 

過去に何かがあったとしても、今更それを聞き出すようなこともするまい。傷口を無理矢理穿り返すよりも、別の事に意識を向けてもらう方が建設的だ。

 

しかしそれは、単なる一時しのぎでしかないことは楯無にも分かっている。過去は決して消えず、忘れることも出来ない。いずれ本人が折り合いをつけて、割り切ることができるようになるまで。

 

(―――それまでは、おねーさんが面倒見てあげないとね)

 

気付けば、雨は止んでいた。

 

分厚い雲の切れ目から、月が姿を覗かせている。

 

傘を畳んだ虚が、何処から取り出したのかバスタオルを差し出してくれていた。礼を言って受け取り、取り敢えずはたっぷり水を含んだ髪からタオルを当てていく。

 

「なんだかちょっとスッキリしたわ。やっぱり一人で抱え込むのは良くないわね。愚痴みたいになっちゃってゴメンなさいね、虚ちゃん」

 

「ええ、本当に。貴女方の悪い癖ですよ。お嬢さまも簪さまも、何でもかんでもお一人で解決しようとしますから。一体なんの為に私や本音が居ると思っているのですか?」

 

「あらま薮蛇―――っくしゅん! うー、なんか急に寒くなってきたわね……」

 

「当たり前です。このままでは本当に風邪を引きますよ。生徒会室の浴室を温めておりますので、そちらをお使い下さい。後ほど着替えをお持ちしますから」

 

「嘘……私の従者、優秀すぎ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に目に入ったのは、黒曜石のような双眸だった。

 

人形のように整った顔に能面の如き無表情を貼り付けて、黒髪の少女がじっとこちらを覗き込んでいる。目覚めた瞬間ホラー映画宛らの光景を目の当たりにすれば悲鳴のひとつも上げそうなものだが、寝起きのような頭は驚愕より疑問を優先したようだ。脳内に大量の疑問符を散りばめる己を他所に、黒髪の少女―――『夜叉』の仮想人格たる少女は口を開く。

 

「―――質問。貴方が覚えている最後の記憶は何か」

 

抑揚のない声音で紡がれたその言葉は、ぼんやりとしていた意識を叩き起すのには十分すぎた。バネ仕掛けのように飛び起きて、鋭く周囲に視線を走らせる。白い立方体で構成された大地、灰色の空、白い太陽。

 

かつて銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)と文字通りの死闘を繰り広げた際に入り込んだ、己の深層心理の具現である精神世界。何故ここに、いや違う優先するべき事は他にある。

 

心拍数の跳ね上がった仮想の心臓を押さえつけ、押し殺すように言葉を絞り出した。

 

「野郎は……アレイスターは、どうなった」

 

「解答。個体名アレイスター・クロウリーは、あの後すぐに姿を消した。他機体の活動記録(アウトログ)からも戦闘の記録は見当たらず、彼の出現時に観測された不可解な磁場の乱れと重力子、解析不能な力場と同様な現象が観測されている。恐らくは元の世界へ帰還したものと推測される」

 

「…………、」

 

「報告。アレイスター・クロウリーによる発言の記録がある。再生するか否か」

 

「……聞かせろ」

 

「了解」

 

再生開始―――と夜叉が口にした直後に、あの忌々しい男の声が夜叉の口から流れ出した。

 

「『―――成程。これもまた「失敗」……、という訳か。まあいい……いや、君も……運命―――手出しはせんよ。精々……火花が奇跡に―――証明してみせるがいい』―――再生、終了」

 

砂嵐のような、ノイズ混じりの音声だった。内容も途切れ途切れで要領を得ず、何かの意図が含まれていたとしても到底読み取れはしないだろう。果たしてアレイスターは何を目的としてこの言葉を残したのか。

 

眉根を寄せ、険しい表情を浮かべる一方通行。熟考する主を差し置いて、夜叉は構うことなく話を進めていく。

 

「提案。貴方が倒れた後の出来事の説明。現在貴方が置かれている状況の把握を最優先するべきだと推測される」

 

(倒れた後……そォだ。俺ァ確か能力使って自殺したハズだぞ。全身の神経回路を焼き切ったンだ、普通じゃどォやっても助からねェ。それがなンで今こォしていられる?)

 

未だ尽きぬ疑問を解消するためにも、とにかく情報が必要だ。目線で続きを促せば、彼女は淀みなく喋り始める。

 

「前提。まず第一に、貴方の肉体は確かに一度生命活動を停止させている。脳も心臓も破壊され、間違いなく即死状態だった。だけど、貴方の肉体は創造主によって修復され、現在は自発呼吸を行うまでに至っている」

 

「は、ァ……? ちょっと待て、今オマエが言っただろォが! 脳死どころの話じゃねェ、脳実質そのものがグチャグチャに破壊されてンだぞ! そこから蘇生出来る可能性なンざ億に一つもありゃしねェだろ!!」

 

「詳細な説明。現在、私と貴方のコア・シンクロ率は93.62%を記録している。二次移行を行うには十分な数字。私は創造主の補助により限定的な二次移行を果たし、発現した生体再生機能を用いて貴方の肉体を修復した。現在は、私が取り込んでいた記憶・人格・意識等の情報を肉体に転写している途中。進行度は99.84%、あと6分45秒で全工程が終了する」

 

淡々と紡がれた言葉に、さしもの一方通行も驚愕を隠し通すことが出来なかった。人工的な死者の蘇生、それもあれだけズタボロになった状態から記憶や人格まで元通りに修復するなど正しく神の御業と言っても差支えはあるまい。束が常識外れなのは知っていたつもりだったが、よもやここまでとは。

 

あまりの驚愕に思考から冷静さを欠いたものの、それが収まるにつれ次第に理論的な思考が回転を始める。

 

生体再生機能そのものに関しては、一夏の駆る白式の第二形態『雪羅』が既に発現している為今更驚きはしない。流石にエネルギー供給等の補助は受けているだろうし、先程夜叉が述べた進行率から逆算すれば現実世界では凡そ三日が経過している。

 

擬似的な二次移行、これはISの創造主たる束が居るのならば難しいことでもないのだろう。記憶や人格の複製及び転写も、言ってしまえば電気信号による情報のやり取りでしかない。そも、IS自体が操縦者の電気信号で動いている以上、シナプス間の信号を受け取れない理由はないのだから。

 

問題は、夜叉とのコア・シンクロ率。

 

90%を超えたことが、ではない。

 

最初に夜叉を起動して以来、1%たりとも上昇することは無かった―――否、上昇するはずのなかった(・・・・・・・・・・・)それが、人工的にとはいえ跳ね上がっているという事実。

 

 

 

 

即ち―――能力の消失。

 

 

 

 

 

「報告。心理障壁の消失。並びに、以前まで観測されていた微弱な電磁波―――貴方が『AIM拡散力場』と呼称していたものも同様に消失している。貴方の定義する『能力』というものに関連するデータは、私の演算領域に転写した演算パターンだけ」

 

「…………、そォか」

 

感情の揺れは、自分でも驚く程に小さかった。否、どういう気持ちで受け止めればいいのか測りかねているが故と言った方が適当だろうか。

 

確かに、この力を恨んだことはそれこそ数え切れないほどある。こんな力さえなければ、普通の人生を歩むことだって出来たかもしれないのだから。けれど、能力が一夏達と出会う切欠となったのもまた事実。あの時ISを起動することが出来なかったなら、束の玩具にでもされていただろうか。

 

何にせよ単に忌み嫌うにしては、己と『一方通行』との関係は複雑に過ぎた。能力が失われたことは事実として受け止めておいて、早いうちに今後の方針を固めておかねば。

 

能力によるアシストを失った今の己は、頭は良いが身体は貧弱なただの男子高校生だ。ISを動かし続けるのにも体力は必要だし、ISを使えない状況下に陥った場合何も出来ずに死ぬ、などと笑い話にもならない。基礎能力の向上は急務だろう。能力ありきの力任せな従来の戦法ももう使えない。自身の技術と得物の相性を考え、独自の戦術を確立していくしかない。楯無かラウラ辺りから武器の扱いや体術を手解きしてもらうか―――

 

「質問。否、確認」

 

「……、あン?」

 

思考の海に潜っていた意識を引き戻す。

 

相も変わらず感情を読み取れない無表情で、夜叉がじっと此方を見据えていた。星月の無い夜空を思わせる二つの瞳に、対称的な()が映る。

 

「頼るべき力は失われた。絶対強者の名は棄てた。天界の翼は地に墜ち、泥濘に塗れ、輝きを無くした。天上へと続く道は消え、大いなる扉は閉ざされた」

 

幼い唇から、謳うように言葉が紡がれていく。

 

機会の如く平坦なその声音には、しかし今までとは異なる確かな意思が宿っていた。

 

「―――だが。翼は未だ健在である。目指す宙は未だ続いている。この先如何なる障害が立ち塞ごうとも、貴方が己が信念を貫き通すと言うのなら。誰かを護る為に立ち上がり続けるのなら。私は、この身の総てを以て貴方の願いに応えよう。我が主、我がマスターよ。

 

 

 

―――再び蒼空を翔る覚悟はあるか?」

 

 

 

「決まってンだろ」

 

即答だった。

 

答えなど、考えるまでもなかった。

 

「やる事は変わらねェ。俺の持つ全てを使ってアイツらを護り抜く。アイツらが護りてェモンまで全部含めてな」

 

胸に刻んだ嘗ての誓い。

 

能力を持った意味だとか、過去の巻直しだとか、御大層な大義名分も今となっては必要ない。

 

ああ、そうとも。

 

 

 

 

 

 

―――大切なものを護るのに、何か理由が必要か?

 

 

 

 

 

 

「―――了解した。ならばこそ、なればこそ。私は貴方の翼となって、何処までも翔くことを約束しよう」

 

そうして変化は―――否、進化は訪れた。

 

世界に彩が満ちていく。中天に輝く太陽は暖かさを取り戻し、吹き抜ける風が頬を撫で、空が蒼空へと塗り変わった。白い大地は変わらずだったが、それが今は雲ひとつない空との対比で一層映えている。

 

生まれ変わった世界の中で、黒い少女は薄く薄く笑顔を浮かべていた。

 

「報告。たった今、蘇生プログラムの全工程が終了した。同時に、正式な二次移行の完了を確認。覚醒後、機体データの確認を推奨。また、シンクロ率の上昇に伴って私との通信が可能になっている。必要があれば個人間秘匿回線の要領で呼び出して」

 

程なくして、指先から光の粒子が立ち上り始めた。己を構成するものが解けていくように、段々と向こうの景色を透過させていく。

 

「帰還を推奨。貴方の帰りを待っている者の中に、精神状態に乱れが観測できる者もいる。逆に言えば、マスターが皆に愛されている証左。私もマスターの専用機として、皆に挨拶しておくべきだと思う」

 

「変な真似するンじゃねェよ。大人しくしてろ」

 

「……そう」

 

何故そこで微妙に残念そうな顔をするのか。

 

突然感情豊か(?)になった夜叉を呆れた目で眺めながら、かつてと同じ感覚に身を委ねる。

 

落下しているようにも浮かび上がっているようにも感じる、眩暈に似た一瞬の浮遊感。

 

同時に、胸中に湧き上がる感情を知覚して。

 

それが『喜び』に連なるものだと理解して。

 

ガキかよ、と独り言ちた彼の口元は。

 

 

 

 

 

 

―――確かな笑顔に彩られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……終わりませんよ?


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十三話

ゆっくりと、瞼を開く。

 

ぼんやりと霞む視界を、何度か瞬きを繰り返すことで鮮明に塗り替える。恐らくは集中治療室か隔離室にでも放り込まれているのだろう、少なくとも視界に映る天井に見覚えはない。

 

身体は酷く重かった。

 

(丸三日も寝てりゃ当然……いや、作り直した弊害か?)

 

凝り固まって軋む関節を無理矢理動かし、何とか上体を起こす。その拍子に、身体中に貼られていた電極パッドやら何やらが数本纏めて剥がれ落ちた。詳しい事までは分からないが、バイタルや脳波を計測していたと思しきそれらが剥がれたということは―――

 

バガン!! と、部屋の扉が文字通り吹き飛ばされた。

 

厚さ十センチはあろうかという強化金属を蹴りだけでぶち抜いたその人物の正体は、酷く憔悴した表情を浮かべる束だった。機械的なうさ耳は忙しなく動き回り、常よりもくっきりと刻まれた目元の隈が一層窶れた雰囲気を醸し出している。

 

ベッドの上の己を視認すると、ふらりと一歩こちらへ踏み出す束。一歩、また一歩と歩を進め、ベッドまで残り数歩という所まで近付いた直後、

 

 

 

「あ゛っ゛く゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛う゛う゛ん゛!!!」

 

 

 

跳んだ。

 

両腕を大きく広げ、顔中を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした束がこちらに向かって勢い良くダイブしてきた。涙ぐむとかそういう生易しいものではなく思いっ切りギャン泣きしている。それもそれで結構アレな光景だが問題はそこではなく、元より貧弱な身体かつ病み上がりの彼が成人女性一人分のボディプレスを受け止められるはずもない訳で。

 

彼にとって幸いだったのは、寝ていたベッドが予想以上に沈みこんでくれたことと、顔面に直撃したのが二つの柔らかい膨らみであったことだろうか。緩衝材とまではいかないが、それらが物理的ダメージを減らしてくれたのは確かだった。寝ていたのが床とかだったら間違いなく再び生死の境を彷徨っていたはずだ。

 

「あっくん! あっくん! あっくん! あっくぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ…ああ…あっあっー! あぁああああああ!!! あっくんあっくんあっくんぅううぁわぁああああ!!! あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いだなぁ…くんくんんはぁっ! あっくんの白色アルビノの髪をクンカクンカしたいお! クンカクンカ! あぁあ!!間違えた! モフモフしたいお! モフモフ! モフモフ! 髪髪モフモフ! カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!! あっくんの穏やかな寝顔かわいかったよぅ!! あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!! ふぁぁあああんんっ!! 無事に蘇生できて良かったねあっくん! あぁあああああ! かわいい! あっくん! かわいい! あっああぁああ! 後遺症も特に無いみたいで嬉し―――いやぁああああああ!!! にゃああああああああん!! ぎゃああああああああ!! ぐあああああああああああ!!!」

 

「ハシャいでンな鬱陶しい」

 

馬乗りのままぐにぐにもにもにと柔らかな双丘を押し付けて機関銃のようにまくし立てる束の顔面へ、左の五指を勢い良く突き立てた。そのまま義手の出力に任せて万力の如く頭蓋を締め上げてから、壁に向かって思い切りブン投げた。

 

しかし腐っても天災といったところか、蜘蛛のように四肢を広げて壁に着地した束は、軽やかに床へと降り立ち無駄にイイ笑顔でサムズアップを決めた。

 

「いやっほう超痛ぇ!!」

 

「発情期にしちゃ随分と遅ェンじゃねェか?」

 

「兎は万年発情期だゾ☆」

 

「そォかよ。一人で盛ってろ」

 

病み上がりの自分とは対照的にテンションが振り切れている束にそう言って、意識を身体の内に向ける。

 

かつては息をするよりも簡単に読み取れた血液の流れや生体電気の流れはもう感じなかった。常にコーティングのように皮膚を覆っていた能力の膜も、もうない。触れた指先から物体の情報を解析することも出来なかった。

 

これで良い。

 

これこそが、己が望んでいたことなのだ。

 

掌に落とした視線を握り締めた。

 

(……ここからだ。ようやく俺はゼロになった。ようやく俺はやり直せる。頼みの綱がコイツ製ってのがちっと気に食わねェが……少なくとも今後の調整は全部自分でやらねェとな。兎の介入を想定して、外部からのアクセスを全て弾くようにプログラムを組み直す。ンでもって、平時の自衛手段と新しい戦闘法の確立か。ハッ、やる事分かるとやる気が出るねェ)

 

「ふんふん、バイタルは安定。脳波の乱れもない。臓器の変調もなく及び高次脳機能も問題なし、と。各部の関節がちょっと凝り固まってるくらいかな? 筋力低いのは元からだもんねー」

 

いつ復活したのか、ベッド脇で医療機器のモニターと顔を突合せていた束がそう言った。その後もあれこれと作業を行っていたが、問題ないと判断したのか満足そうに頷いた彼女は片足を軽く上げて人差し指を突き付けた。

 

「―――ヨシ!(現場兎) ひとまずの仕事は片付いたし、束さんはそろそろお暇するとしようかな。ちーちゃんには連絡入れてあるから、そのうちこっち来ると思うよ。束さんは引き続きキミを観察してるから、何か用事があってもなくても呼んでくれていいからね! ばいびー!」

 

言って、束は自分がぶち破った入口から姿を消した。別段呼び止めるつもりも無かったが、いやにあっさり引き上げたな、と一方通行は訝しむ。もっと執拗に絡み続けてくると思っていたのだが……まあ面倒は少ないに越したことはないだろう。

 

千冬を呼んであると言っていたし、そもそも一方通行はここが何処かも分からないのだ。ともすれば学園地下に設けられた施設かもしれないし、本調子ではない身体を引き摺って出歩くのも億劫だった。

 

軽く息を吐いて、再度身体をベッドに預ける。

 

決断は早かった。

 

(……寝るか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――びえええええええええええええええええええええええええええええええん!!!!! あっくん生きてて良かったよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

「あの、束さま。お気持ちは分かりますが、何故私を抱き締めておられるのでしょうか……?」

 

「ふえええええええええええええん!!!! 失敗したらどうしようとかもし蘇生できなかったら細胞レベルで解剖して研究したいけどそうするとあっくんの身体がただのタンパク質に成り下がっちゃうよどうしようとか考えてたけどとにかく良かったよぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

「…………束さま」

 

「ぐず……なに?」

 

「お腹は空きませんか? 食事を摂れば気持ちも落ち着くはずです。まだ、簡単なものしか作れませんが……」

 

「……く」

 

「く?」

 

「く゛ー゛ち゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!!!!!!」

 

「いえですからあの束さま―――ッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮眠からの目覚めは相当に刺激的だった。

 

眠っていた一方通行の姿を見た専用機持ち達が、再び昏睡状態に陥ってしまったのかと勘違いをして必死に呼びかけてきたり。千冬が教員としてどうかというレベルのドスの効いた声で何処ぞの兎を電話越しに脅迫していたり。そんな中で起き上がってみれば右頬に楯無のビンタが炸裂し、次の瞬間飛びこんで来る彼女達を見て強烈なデジャヴを感じたり。止まらない涙と鼻水を一方通行の胸元に擦り付けてくる楯無を掴み上げて放り投げたり。

 

結局、全員落ち着いて話が出来るようになったのはそれから十分程が経過してからのことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――それで?」

 

千冬の一言で、緩みかけていた空気がピンと張り詰める。

 

この場に居るのは一夏、箒、セシリア、鈴音、シャルロット、ラウラ、楯無、千冬、真耶。先の事件に関わることとなった主要な面子である。そして、良くも悪くも事の発端の一因を担っているのが一方通行であるという意見は一致していた。抱える思いはそれぞれだが、まずは話を聞かないことには始まらないということで、千冬が口火を切るに至ったのである。

 

「お前は何を隠している?」

 

「オマエらは何を知りてェ?」

 

「……、三つある。一つはお前の素性。一つはお前が使っていた不可解な力について。一つはお前とあの白い男との関係についてだ」

 

質問を質問で返されたことよりも、隠すつもりなど無いと言わんばかりの一方通行の反応に一瞬片眉を上げる千冬。僅かな逡巡を挟んでから、恐らくは中核を成すであろうそれらの情報の開示を求めた。

 

束は、彼女達に何も言わなかったのだろう。一度は遊び半分でバラそうとしたこともあるというのに、今回は何も伝えず姿を消している。相変わらず考えが読めない女だった。

 

ともあれ、千冬が述べた三つの情報。

 

それを説明するにはどうやっても一方通行の過去―――即ち、学園都市と能力について触れなくてはならない。あれだけひた隠しにし続けてきた己の過去を、彼女達に伝えなくてはならない。

 

目覚めてから、覚悟はしていたことだった。もしも本当に『やり直し』を望んでいるのなら、それは避けては通れない道であるのだと。

 

ここで逃げるか、誤魔化すことを選択するのは簡単だ。お人好しな彼女達のことだ、無理矢理聞き出そうとしたりはしないだろう。だがそうすればきっと、この先一生彼女達を騙し続けていくことになる。

 

それならば全てを話した方がいい。罪悪感を抱えて生きるくらいなら、全て伝えてしまった方が良い。そうに決まっている。そんなことは分かっている。分かりきっている。

 

(……今更何をビビってやがる。そォいう保身がテメェの身を滅ぼす事になるって思い知っただろォが。同じ轍を踏むぐれェなら、いっそ踏み越えてみせる程度の気概は持っとけチキン野郎が)

 

自分で自分の尻を蹴り上げれば、幾分か気が楽になった。この期に及んで隠そうとする考え自体がふざけた思考だというのに。

 

顔を上げ、彼は静かに語り始める。

 

 

 

 

まず、自分がこの世界の人間ではないこと。

 

天災の手で招き寄せられた、平行世界の人間だということ。

 

そこに存在した学園都市という街と、科学によって実現された超能力。

 

かつては能力者達の頂点に立っていたことと、自分が持っていた能力の軍事的・経済的価値。

 

それを取り戻そうと追ってきた学園都市統括理事長アレイスター・クロウリー。

 

そして、アレイスターの追跡を振り切るために自ら命を絶ったこと。

 

 

 

 

話を終え、ゆっくりと息を吐いて目を閉じる。

 

果たして彼女たちは一体どんな貌をしているのだろう。半年間付き合ってきた相手がおよそ常人の枠に当てはまらないような存在と知って、どんな反応をするのだろう。

 

怖くないと言えば嘘になる。

 

ただ、彼女達に何と罵倒されようと受け入れるだけの覚悟は決まっていた。

 

そんな彼の告白を聞き届けた彼女達は、

 

 

 

 

 

「科学で解明された超能力ねぇ……何か夢を一つ壊された気分だわね」

 

「まあ、ISも結構オーパーツみたいな所はあるし。そう考えると科学の力って凄いね」

 

「しかし、そんな大層な力を姉さんに調べさせて良かったのだろうか……あの人のことだから、近いうち絶対に碌でもない事を仕出かすぞ」

 

「あー……すっげぇ分かる。束さん、自分の知らないことは許せないタイプだろ?」

 

 

 

 

 

超能力という話題をネタに、雑談さながらのやり取りを交わしていた。そこに、彼が想定していたような恐怖や怯えは欠片も見当たらなかった。

 

化け物と罵倒するでもなく、世迷言と嘲笑するでもなく、純然たる事実として受け止めた上で「そういうこともあるのだろう」と納得しているのだ。

 

己の予想の斜め上を行く反応に、思わず呆けた表情を晒す一方通行。

 

「お話を聞く限り、透夜さんが何かしたわけではない(・・・・・・・・・・・・・・・)のでしょう? 凄まじい超能力を手に入れたこと。統括理事長に追われていたこと。それらをどうして透夜さんの非であると責められましょうか」

 

「つまりは師匠の才能が優れていたというだけのことだろう? 恥じることなど何もない、寧ろ胸を張るべきことだと思うが」

 

誰一人として、彼を非難する者は居なかった。こちらを見る眼も、身を案じる声音も、何一つ変わっていなかった。

 

何も、変わらなかったのだ。

 

「―――ッ、俺はオマエらを騙してたンだぞ!? 俺が居なけりゃ無駄な争いに巻き込まれることもなかった!! 余計なリスクを負う羽目になる事もなかったンだ!! 俺が原因の片棒担いでンのは火を見るよりも明らかだろォが!! それをなァ……ッ!!」

 

一方通行自身、何故こうも声を荒らげているのか理解出来ていなかった。己の過去を話し、そして受け入れられた。言葉にすればそれだけのことで、そこに否やなどあるはずがないというのに、胸の蟠りが一層大きくなっていくような気がした。

 

シーツを握り締め、顔を俯ける一方通行。

 

「鈴科くん……」

 

「まったく……また別の方面で面倒な奴だな。―――更識」

 

「……良いんですか?」

 

「構わん。本人の希望だ」

 

心配そうな真耶とは対照的に呆れ顔の千冬は楯無を呼ぶと、一方通行へ向けて軽く顎をしゃくった。念の為確認を取る楯無だったが、千冬のGOサインを受けてベッドへと歩み寄っていく。

 

二人がやり取りを交わしている間意識を自分の内側へ向けていた一方通行は、眼前に立った楯無の意図を掴めない。顔を直視できずに、視線を下方へ固定したまま項垂れていた。

 

そんな彼に、楯無は優しく語り掛ける。

 

「透夜くん。顔、上げてくれない?」

 

言われるがままに俯けていた顔を上げてみれば、彼女の赤い瞳と視線が交錯した。それを確認した楯無はにっこりと笑顔を浮かべ―――強烈な平手打ちを御見舞した(・・・・・・・・・・・・・)

 

彼女が動いたと知覚した時には左頬を破裂音と衝撃が襲い、思い切り頬を張られたのだと理解が追い付いた時には脈打つような痛みと熱が顔半分を覆っていった。肉体のスペックを存分に活用して放たれた一撃は、白い肌にくっきりと紅葉を刻み込んでいる。

 

その結果出来上がったのが、再度呆けた顔を晒す一方通行と、手首をぷらぷらと振る楯無と、フンと鼻を鳴らす千冬と、おろおろと慌てる真耶と、呆れと驚愕が半々な専用機持ちである。

 

「今ので貴方の贖罪はおしまい。気は済んだかしら?」

 

「……贖罪、だと?」

 

楯無が口にしたその言葉を、噛み締めるように呟く一方通行。

 

「自分のせいで他人に迷惑をかけた。自分は他人を騙していた。だから自分は責められて当然……透夜くんが言っているのはこういうことよ」

 

でも、と彼女は続けて、

 

「あなたが悪意を持って何かをしたの? 超能力で私達が不利益を被ったかしら? それとも、私達を騙していたことが後ろめたい? 私達に責められなかったことが心苦しい? いずれにせよ、秘密一つ隠していたくらいであなたをどうこうしようだなんて思わないわ」

 

「そういうことだ。大体、大人が仕出かしたことの責任を子供が背負う必要があるか馬鹿者。向こうではどうだったか知らんが、此処ではお前達に責任を被せることなど有り得ん。規則を破れば話は別だがな」

 

「鈴科くんは真面目さんなんですから、少しくらい肩の力を抜いてもいいと思いますよ? 難しいことは全部先生たちに任せて、皆さんは元気に学生生活を送ってください!」

 

心に、何かが入り込んでくる。

 

凍り固まった己の心をその暖かさで溶かしながら、一番奥の深い部分に優しく手を差し伸べてくる。 自分から踏み出す事も出来ずに足踏みを続けていた己の手を、引いてくれようとしている。

 

それでも、ここまでされても尚その手を握るための勇気が、あと少しだけ足りない。こちらから距離をとっていたくせに、今更その手を取っても良いのだろうか。

 

臆病な心を奮い立たせ、一方通行は口を開く。

 

 

 

 

 

最後の赦しを得る為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は……ここに居ても、いいのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――、』

 

肯定以外の答えは聞こえなかった。

 

それを耳にした瞬間、胸の辺りで生まれた熱が一気に喉元まで競り上がってくる。固く口を引き結んだが、出口を求める熱は涙となって瞳から勢い良く溢れ出した。指先で掬い取っても袖口で拭っても、止まる気配のない滴は次々と彼の頬を濡らし、零れ落ちて服までも濡らしていく。

 

悲壮感は無かった。

 

代わりに胸中を埋め尽くすのは、今まで感じたことのない暖かさ。過去を知っても拒まず、罪はないのだと諭し、あまつさえ此処に居ることを赦してくれた。能力もない、この世界にとって異物でしかない自分に居場所をくれた。

 

「ッ、は―――ンだよ、こりゃァ」

 

止まらない。あの日を境に枯れ果てたはずの涙は、湧水の如く滾々と溢れてくる。過去の負債を洗い流すかのように、ささくれ立った傷跡を清めるかのように、止めどなく流れ続ける。

 

当の一方通行は嗚咽を漏らすことも、顔を歪めて叫ぶこともしなかったが、十年間溜め込んでいたものを吐き出すかのように泣いた。それに反比例して、不思議と心は軽くなっていった。

 

途中で楯無やセシリアが頭を撫でたり、優しく抱擁してくれたりもした。常ならば突っぱねていたかもしれないが、今は何故かとても安心できた。暖かな太陽に照らされているような、そんな感覚だった。

 

時間にして、およそ三十分。

 

体中の水分を使い切ってしまうのではないかと心配になりかけた頃になって、ようやく涙腺の氾濫は収まったらしい。それでも、未だ気持ちの整理はついていなくて、心に生まれた感情の名前も分からないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくともまあ―――悪い気分ではなかった。

 

 

 

 




感情を失ったキャラが再度感情を獲得して涙を流す展開って最高にエモいと思うんですけど上手く表現出来てますかね(オタク特有の早口)


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十四話

明けましておめでとうございます。
今日は1月38日だからセーフですね。


薄緑の光に照らされた連絡用通路に、複数の怒号と絶叫と銃声とが連続する。

 

「―――HQ!応答願う、HQ!」

 

「クソッタレが! こんな豆鉄砲じゃ話にならねぇ!」

 

「いいから撃てッ! 隊長が来るまで時間を稼げ!」

 

「畜生がぁッ!! 無線が全部妨害されてやがる!! 救援要請が出せねぇ!」

 

「口よりも手を動かせってんだよ! ああクソ、おいッ!予備の弾倉は―――!」

 

最新鋭の銃火器で身を固め、過酷な訓練を生き抜いてきた屈強な男たち。米軍特殊作戦基地『名前のない基地(イレイズド)』に所属する彼らは、現在進行形で何者かの襲撃を受けいていた。

 

分かっていることは三つ。

 

ひとつは、襲撃者がISを使っていること。

 

ひとつは、その操縦者がまだ幼い少女であること。

 

 

 

ひとつは―――このままでは自分達が全滅すること。

 

 

 

男達が握るアサルトライフルから吐き出された弾丸はしかし、襲撃者たる少女の柔肌を食い破ることはない。如何に高性能であろうとも、小銃程度ではどうやってもISのシールドバリアーを貫通できない。

 

言うなれば、弩級戦艦にゴムボートで挑むようなものだ。敵う敵わないの話ではなく、そもそも同じ土俵にすら立てていない。象が足元のアリを気にしないのと同じように、この場において絶対強者である少女はまるで彼らを『敵』として認識していなかった。

 

文字通りの無駄な抵抗を続ける男達を冷めた瞳で一瞥すると、傍らに浮遊していたレーザービットが灼熱の閃光を解き放った。人間を一瞬で炭化させる程の熱量を内包したそれは、彼らの足元を薙ぎ払うように赤い線を床に刻み込む。

 

溶けたバターのように原型を崩していく合金性の床板を見て、「逃げろ」だとか「退避」だとか叫んだ者が居たかもしれない。が、その声が届くよりも早く、それら全てをかき消すような爆音と炎熱とが通路に吹き荒れ、大の男達を木の葉のように巻き上げた。

 

直撃ですらない、攻撃の余波でこれだ。

 

ある者は衝撃で意識を刈り取られ、ある者は四肢の骨を折られ、ある者は瓦礫の破片が腕を貫いている。ダメージの大小はあれど、一通りの無力化には成功しているだろう。

 

(―――面倒だな)

 

惨状を作り出した襲撃者―――エムは、ISのスキャニング機能を閉じて内心独りごちた。

 

今回の作戦に参加するにあたって、上司のスコールからは予め『相手を殺すな』と命令されている。裏社会に身を置いているくせに、無用な殺生は控えるという考えがエムには理解できなかった。

 

抵抗するなら殺せばいい。人を殺める罪悪感など初めから持ち合わせていないのだし、殺さぬように手加減をするのも面倒だ。生かしておいたらおいたでまた面倒臭いことになる。かといって命令に背けば、体内に仕込まれたナノマシンによって自分が死んでしまう。それもまた面倒だ。

 

こんな任務など脳内花畑の銀髪(エヴァ)いけ好かない金髪(グリゼルダ)にやらせておけばいいというのに、何故自分が参加する必要があったのか。

 

苛立ちが募る。

 

このまま眼前の雑魚共を嬲り殺しに出来るならば、少しは溜飲も下がったろうに―――。

 

そこまで考えた彼女が、部分展開状態だったサイレント・ゼフィルスを完全展開するのと、ゼフィルスがアラートを飛ばしたのと、連絡通路の壁が粉微塵に吹き飛ばされるのは全くの同時だった。

 

熟練したIS乗りならば展開など半秒足らずで行える。即座にバックブーストをかけ後退し、壁をぶち抜いて現れた何者かの攻撃を回避する。目標を見失った一撃は空を切り、反対側の壁へと勢い良く着弾した。

 

金属の擦れる耳障りな音と共に生成されたクレーターを横目で捉えながら、返す刀で最大出力のレーザーを乱射する。ゼフィルスがアラートを鳴らした時点で、相手がISだということは判明していた。

 

故に、牽制の射撃ではなく殺し切る為の射撃。

 

直撃すれば如何にISだろうと無傷では済まない。かといって避ければ後ろの男達が死ぬ。目標を最短最速で撃破する、合理的かつ冷徹な判断。

 

迷いなく突き付けたその選択肢を、

 

 

 

 

「舐めんなクソガキ」

 

 

 

 

鋼鉄の拳が粉砕した。

 

放たれたレーザーを裏拳で弾いて霧散させながら、大柄な機体が尋常ならざる速度で猛然と突っ込んでくる。

 

機能性を突き詰めた武骨なシルエット。装甲各部に備えられた、多種多様な兵装を搭載する為のハードポイント。噴出口を六つ揃えたシリンダー状の推進装置が四基。

 

データとしては知っている。

 

汎用性と安定性を極限まで高めた機体の名は『ファング・クエイク』。

 

そして、暗がりの中で尚色褪せぬ輝きを放つ黄金色の短髪を振り乱す彼女こそ、この基地における最大戦力。

 

 

 

 

―――アメリカ代表(・・・・・・)イーリス・コーリング。

 

 

 

 

国家代表候補生ではなく、国家代表。文字通り、国の旗を背負う操縦者。生半可な努力と才能では決して手が届かない、世のIS乗りにとってはある種の到達点とも言えるその肩書き。

 

しかし、エムの顔色は変わらない。

 

彼女にとって肩書きなど意味を成さない。例え御大層な肩書きが有ろうと無かろうと、結局は最後まで生き残った者が勝者となるのだから。

 

反応は迅速だった。

 

ビットの射撃では決定打にならないと判断し、主武装である六十八口径ハイブリッドライフル『スターブレイカー(星を砕くもの)』をコール。機関部のジョイントによりエネルギー弾と実弾を撃ち分けることが可能なソレに、高性能爆薬を詰め込んだ特殊榴弾が装填される。

 

爆発による自傷ダメージを軽減する為、多角的な軌道を描いて更に後退。流れるような動作で射撃姿勢に移行し、ライフルを構えたエムの眼前に。

 

イーリスの獰猛な笑顔が迫っていた。

 

「―――ッ!?」

 

心臓を握り潰されたような感覚が走る。

 

エムから見れば、まるでコマ送りの動画を見せられたような気分だった。有利な間合いを保ち、こちらへ近寄らせずにエネルギーを削り切るつもりだったというのに、逆に相手の射程に収められた―――!

 

剛拳が放たれる。

 

超速振動により対象を粉砕するそれを迎撃出来る武装はない。生半可な武器ではスクラップにされるのがオチだ。何より、既に射撃姿勢に移ってしまっている。迎撃は間に合わない。

 

はずだった(・・・・・)

 

横合いから突っ込んできたビットが一機、ファング・クエイクの前腕部分に激突した。と同時、内部に仕込まれていた高性能爆薬が点火。爆風によって拳撃の勢いを殺し、更にはゼフィルスのバックブーストを手助けするかのように機体を押し流した。

 

結果、詰めた間合いを再度離されてしまい。イーリスは腕にまとわりつく黒煙を振り払うと、改めて眼前の襲撃者を見据え拳を構え直した。

 

(―――なるほど。機体性能に頼ったお子様かと思えば、見かけによらず場慣れしてやがる。此処に乗り込んでくるだけの技量はあるってことか)

 

内心で警戒度を一段階引き上げる。咄嗟の判断にも関わらず、最善とも言える成果を叩き出して戦況を建て直す判断力。先程の多角軌道も見事な操縦だった。

 

となれば、恐らく一筋縄ではいかないだろう。

 

イーリスの直感はそう告げていた。

 

「いつまで呆けてんだ! 動ける奴は重傷者を連れてさっさと離脱しろ! ナタルん所で手当受けたらそのまま防衛ラインに加われ!」

 

「りょ、了解ッ!!」

 

弾かれたように動き出す部下達をセンサーで捉えつつ、今度は襲撃者に対して通話回線を開く。

 

「……あー、一応聞いといてやる。大人しく投降するつもりは?」

 

『…………、』

 

返答は沈黙(ノー)だった。

 

イーリスとて、テロリストから返事が返ってくるとは思っていないし素直に従うだろうなどという考えは欠片もなかった。この問いも形式上仕方なく、という意味合いが強い。

 

そもそも、だ。

 

 

 

「―――まあ、そんなことだろうと思ってたけどよ。私も少し暴れたい気分でな。初回サービスってことで、今回は半殺しで勘弁してやる」

 

 

 

投降しても、無傷で済ませるつもりはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ナノマシン照合完了。周囲に敵影、熱源なし。デルタ及びエコー、フォックストロット隊です。見る限り負傷者が多いようですが」

 

「イーリのことだから、どうせ私に丸投げしたんでしょう。中に入れて、重傷者優先に手当を。大まかでいいから戦況を聞き出して」

 

「了解しました。隔壁開放しろ!」

 

「隔壁開放、了解」

 

重い音を響かせ、ゆっくりと隔壁が開いていく。

 

完全に開ききらないうちに隙間から倒れ込むようにして姿を見せた男達へと、包帯や治療用ナノマシンを携えた医療班が駆け寄っていった。それを横目で捉えながら、再度イーリスへの通信を試みる。

 

(……やっぱり駄目ね。この基地全体を覆う程のジャミング装置なんて考えられないけれど、そっち方面に特化したISなら或いは、ってところかしら)

 

サーッというノイズを返すだけの無線機を眺め、ナターシャ・ファイルスは思わずため息をついた。

 

緊急用の周波数に変えてみても駄目だった。ISの通信回線ならば繋がるかもしれないが―――。

 

そんなことを考えながら歩いていたからだろう。慌ただしく動き回る隊員の誰かと肩をぶつけてしまった。相手が部下とはいえ、謝罪をしようと振り向いたナターシャの思考が一瞬、停止した。

 

自身の周囲に誰一人として人影はない。

 

少し離れた位置で応急処置をしているか、壁際に寄って機械を弄るか歩哨に立っているかだ。

 

では、一体。

 

 

 

 

―――自分は今、何とぶつかった?(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

「―――総員、戦闘配置ッッ!!! 」

 

号令は悲鳴に近かった。

 

隊長であるナターシャの尋常ならざる叫びに、弾かれたように武器を構える隊員たち。負傷者を庇うように陣形を組み、数秒で迎撃の姿勢を取る。

 

(透明化? 光学迷彩? 熱源探知(サーマル)では感知できなかった! 考えられるのはISの特殊兵装―――ッ、だとしたら! この区画に侵入された時点で私たちはほぼ詰み(・・・・)―――!)

 

瞬時に叩き出した結論に背筋が凍った。

 

頭の片隅で手遅れだと分かっていても、ナターシャは即座に指示を飛ばす。

 

否、飛ばそうとした。

 

「―――っぐぁ、……ッ!?」

 

「隊長ッ!?」

 

ナターシャの身体が浮き上がる。端正な顔立ちが苦痛に歪み、ばたつかせた脚が空を蹴る。床から1m程で上昇は止まったものの、喉元を締め付ける冷たい圧迫感は未だ消えない。

 

傍から見れば突如ナターシャが浮き上がったようにしか見えないが、当の本人は自分がどれだけ絶望的な状況に放り込まれたのかを理解して笑いそうになった。

 

周囲の部下達はこちらへ銃口を向けているものの、そこからどうすれば良いのか分からず困惑している。そんな彼らを無能と罵ることは出来まい。何せ相手はISで、しかし姿は見えず、更に上官をいつでも殺せるような状況なのだから。

 

『アメリカ代表、ナターシャ・ファイルス。此方からの質問は一つだけ』

 

絶望を上書きするように、声が響く。ボイスチェンジャーによって変質した機械的な音声が己の名を呼んだ。

 

何かが動く気配と共に、ナターシャの右腕が真横に伸ばされ、中空に固定される。勿論、彼女の意志とは無関係な動きだった。

 

骨の軋む鈍い音。

 

ISならば、人骨程度マッチ棒の如く粉砕できるだろう。だからこそ、言葉にせずともこの先の展開など容易に想像ができた。

 

 

 

 

 

 

 

『―――銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)は、何処にある』

 

 

 

 

 

 

 

 

虚空に、深紅のモノアイが輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――そも、篠ノ之流剣術の掲げる理念とは、突き詰めれば徹底的な『受け身の剣』に帰結する。逸らず、焦らず、ただ只管に機を窺い、一手で決着する。膂力で劣る女が男を斬る為に求めたのは力ではなく巧さ。―――遡ること四百年、戦国の世で生み出された女の為の剣。それが篠ノ之流の起源だ」

放課後、第四アリーナ。

 

箒の解説を噛み締めるように胸中で反芻した一夏は、右手に握る雪片弍型に視線を落とした。今日に至るまでの己の剣は、あくまで剣道の延長線上にある術理を以て振るっていたに過ぎない。

 

十年近くにもなる過去の記憶を引きずり出し、埃を落とし、ISを装備した上で戦えるよう彼なりにアレンジを加えた、剣『術』と呼ぶには烏滸がましいシロモノだ。

 

しかし、それでは足りない。

 

何も知らない素人にならば、成程多少は通用するだろう。しかし、度重なる事件の中で一夏より格下の相手が居たことなど一度たりともありはしなかった。そして恐らく、この先もまた同じだろう。

 

(……戦いなんて、無い方がいいに決まってる。けど、そんな甘い考えじゃまた同じ轍を踏む。それじゃ駄目なんだ。それじゃまた誰かが傷付く。……俺は無敵のヒーローなんかじゃない、ちっぽけな人間だ。全ては無理でも、俺の手の届く範囲の仲間くらいは守れるようになりたい。何も出来ずに見てるだけなんて、死んでも御免だ)

 

故に、今こうして教えを乞うている。

 

刀剣を用いた戦闘法はお互い同じ。但し、対人戦闘という点に関して言えば彼女の方が何倍も長けている。

 

その理由が篠ノ之流剣術(これ)だ。

 

「道場で教えていた篠ノ之流は、長い年月を経て試合用に汎化されたものだ。本来の篠ノ之流は、形からして異なる。私も一通りの型は会得しているが……まだまだ理想には程遠い、未完成の剣だ。それでも良いのだな?」

 

「ああ。俺の力になるのなら、今は何だって糧にしたい。だから頼む」

 

「承知した。では構えろ。好きに打ち込んでこい」

 

箒の声に、雪片弍型を構える。そして、同様に構えを取った箒の一挙一動を見逃さぬように意識を集中させ―――思わず顔を引き攣らせた。

 

(構えに全く隙が無え……! 崩せるビジョンが浮かばねえッ)

 

一夏とて、代表候補生達に揉まれ続けてそれなりの実力を身に付けている。その中で戦術眼、観察眼も磨かれていき、戦いの機微を感じ取れるようにもなった。

 

だからこそ分かる。

 

上下左右何処から打ち込んでも、カウンターで切り返される未来が明確に想像できる。

 

(落ち着け……箒も言ってたように、本来の篠ノ之流は受け身の剣。無闇矢鱈に打ち込んでも不利になるだけだ。ならこっちから誘い出して、逆にカウンターを狙いに行く!!)

 

スラスターを撃発させ停止状態から一気に加速。

 

構えた刀を振り下ろす直前でサイドブーストをかけ、右側へ回り込む。そのまま横薙ぎに刀を振るうが、これもまたフェイク。ギリギリ当たらない斬撃を見せ、箒からの攻撃を誘発する。

 

 

 

 

はずだった(・・・・・)

 

 

 

 

(…………、は?)

 

気付けば刀を振り切っていた。

 

フェイクでも何でもない大振りの横薙ぎ一閃。ギリギリで保っていたはずの間合いはゼロになり、致命的な隙を致命的な距離で晒している。

 

そして当然のように、首元には刀の切っ先が突き付けられていた。

 

生身ならそのまま首が飛び、ISでも絶対防御が発動するだろう。

 

(待て待て待て何で俺打ち込んでんだ!? フェイクで誘うつもりで、それで……ダメだ、何がどうなったのかさっぱり理解できねえ!! けど気付いたら打ち込んでた!!)

 

「不思議そうな顔をしている所悪いが、私が行ったのはお前と全く同じことだぞ?」

 

刀を退かした箒が苦笑する。その言葉に振り向いた一夏の顔には「信じらんねぇ」と大書してあった。

 

「同じ……? 同じったって、特別な構えも何もしてなかったし、俺の動きに合わせてこっち向いただけだろ」

 

「む。言葉で説明するのは不得手なのだが……そうだな。お前は先程、私から刀を振らせようとして揺さぶりをかけただろう」

 

考えを見破られていたことに若干悔しさを覚えながらも素直に首肯する。

 

「自分の動きで相手を誘うため『吶喊』『右への回り込み』『横薙ぎ』を用いていた。私はそれを『視線』『剣先の動き』『重心の位置』『呼吸』……まあ挙げるとキリがないのだが、そういったモノに置き換えていただけだ」

 

「いや……は? じゃあさっきのは、攻撃を誘ってた俺が逆に誘われてたってことか?」

 

「そうなるな。あからさまな隙を見せればそのまま殺される。だから隙を明確な隙と認識させぬよう、意図的に僅かな綻びを作る。緊迫した空気の中で見出した隙を逃さないよう相手は打ち込む。どこから打ってくるか予め分かっているのなら、それに動きを合わせれば良い」

 

隔絶した実力差がある相手にはあまり通じないがな、と締め括った。

 

言うなれば、一種の精神操作に近い。

 

相手の意識に上がらない程度の所作を用い、無意識に『打ち込める』と思わせる。それが相手に誘導されたとは気付かぬまま打ち込んでしまえば、己が紅の褥に沈む。

 

甘美な誘いに乗った者を尽く絶命させる、一刀必殺の殺人剣こそが篠ノ之流の真髄である。

 

無論、その高みへ至る為には並々ならぬ努力と常人以上の剣才が必要になるのは言うまでもない。そして、それを扱えるという事実こそが篠ノ之箒という剣客の実力を如実に示していた。

 

「この技術を体得して初めて形稽古に移ることを許されるのだが……その話は置いておくとしよう。今日の所は理念と術理さえ頭に入れておけば良い。明日からは日々修練だぞ」

 

「応ッ!……て、明日から? 今日はやらないのか? まだ五時半だぜ」

 

学園の食堂は夜八時に閉まる。なのでいつもは七時頃に鍛錬を切り上げ、着替えた後夕食を摂りながらフィードバックを行うというのが習慣になっていた。だというのにこんなにも早く切り上げられては、新しい目標が出来て気合十分の一夏からすれば不完全燃焼この上ない。

 

不満を口にする一夏だが、箒は首を横に振って武装を量子化した。

 

「鍛錬に励むのは良いことだが、我々は学生だ。本分である勉学を疎かにしてはそれこそ本末転倒というものだ」

 

「勉学って……どうしたよ急に」

 

「急にも何も、もうすぐ中間試験だろう。随分と余裕そうだが勉強の方は進んでいるのか?」

 

ぴたっ、と。

 

持て余すやる気を発散するように雪片を素振りしていた一夏の動きが停止した。何事かと訝しげに眺めていた箒だったが、合点がいったのかその眼が湿っぽい半眼に変化する。

 

「一夏」

 

「……なんだ」

 

「山田先生が試験の告知をして下さったのはいつだった?」

 

「……ええと、二週間前だな」

 

「その試験開始日はいつからだ?」

 

「……三日後だな」

 

「もう一つ質問いいか。……今までの十日間、どこ行った?」

 

「君のようなカンのいい幼馴染は嫌いだよ」

 

「お前お前お前ェェェーーーッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

織斑一夏、人生最大の危機であった。

 

 

 

 



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十五話

「じゃあ問題。国際IS競技大会モント・グロッソ第1回大会において、各部門における部門優勝者(ヴァルキリー)の名前と機体名は?」

 

「えーっと、格闘部門がティファ・ロックハートと『セブンスヘブン』。射撃部門がリザ・ホークアイと『ブラックハヤテ』。機動部門がミカサ・イェーガーと『フリューゲル』。で、近接部門優勝者かつ総合優勝者(ブリュンヒルデ)が千冬姉と『暮桜』……だよな?」

 

「正解。じゃあ次はIS技術工学Ⅱの分野からだね」

 

「げっ、ここ苦手なんだよなぁ。整備科のカリキュラムだけで良いだろこんなの……」

 

「バカ言ってんじゃないわよ、自分が乗るもんの仕組みくらい覚えときなさい。まずは世代別の駆動部反応値とPIC出力値の復習。その後は教科書一通り読み返して一般教科いくわよ」

 

「セシリア、少しいいか? この問なのだが、弾道ミサイルの飛距離を伸ばすためであれば用いるのはTHOR推進剤が妥当ではないのか? 正答ではHCLI推進剤となっているが……」

 

「ああ、良くある引っ掛け問題ですわね。この手の問題で注目するべきは飛距離ではなく最高到達高度です。距離を伸ばそうと思えば必然的に高度も必要になりますから、低温・低酸素状態おいても安定して燃焼する推進剤が適しているのです」

 

「ISに搭載するような小型のミサイルならば特に問題はないがな。そもそも量子変換してしまえば外界の環境など関係なしに何処でも運用できる。管理の難しい化学兵器も劇毒も、誰に悟られることなく持ち運べる。あらゆる兵器を過去にしたというキャッチフレーズも頷けるというものだ」

 

「なるほど……しかし、そうならない為のアラスカ条約だろう?」

 

「……私も軍属故、大っぴらに言うことではないのだがな。アラスカ条約(それ)の強制力も万能ではないということだけは覚えておくといい」

 

「ッ……、そう、だな。心に留めておく」

 

「ラウラさん……」

 

「…………」

 

「なんでお通夜みたいな空気になってんの?」

 

「きゅ、休憩! 一旦休憩しようか! ねっ!?」

 

シャルロット渾身のフォローが炸裂し、各々伸びをしたり飲み物に口をつけたりとリラックス態勢に入る。特に、今回の試験において最も成績が危ぶまれている一夏は、先程から根を詰めていたせいもあってか思いっ切りダレていた。

 

「っ、あ”ぁ”〜…………」

 

「凄い声出すわねアンタ……」

 

両腕を目一杯伸ばして伸ばして伸ばして、一気に弛緩しテーブルにべちゃりとへばりつく。そうしてから、顔だけ横に向けて視線をぐるりと巡らせた。

 

土曜日の午前ということもあり、食堂内は随分と人が少なかった。自分たちと同じように何人かで勉強しているグループもちらほら見受けられるが、大半の生徒は自室に缶詰状態だろう。

 

暫くの間ぼんやりと景色を眺めていた一夏だったが、ふと思い出したように体を起こす。

 

「そういや、透夜(・・)は来ないのか? セシリアが声かけといてくれたんだろ?」

 

「お誘いはしましたが、先に用事があったようでして。終わり次第合流してくださるということでしたから、時間的にはそろそろかと思いますが……」

 

「はぁい、皆。勉強捗ってるかしら?」

 

セシリアの声に応えるように、新たな声が響いた。

 

聞くものを安心させ、無意識の内に心を許してしまうようなある種のカリスマを含んだ朗らかな声。その場にいる全員の視線を一身に受け止めながらにっこりと笑うのは、生徒会長更識楯無その人だった。

 

「楯無先輩。それに透夜も。もう用事は済んだのか?」

 

「あァ」

 

楯無の後ろから、気だるそうな返事が返ってきた。

 

線の細い痩躯と病的なまでに白い肌と髪、見るものを射竦めるような鋭い瞳は血液をぶちまけたように赤い。日常の風景において否応なしに浮き彫りとなる特徴的な容姿の少年―――鈴科透夜は、いかにも眠そうに欠伸をひとつ噛み殺した。

 

 

 

―――先の一件で、彼は一度命を落としている。

 

 

 

しかし、神出鬼没の大天災・篠ノ之束の手によって生還を果たし、今もこうして学生生活を送ることができている。そして、彼と束の関係についても、彼が秘匿していた過去と合わせて事件に関わった者全員が知る所となった。

 

もっとも、だからといって腫れ物に触るような扱いになった訳でもない。言ってしまえば、彼女たちも殆どが複雑な環境で育ってきた者たちばかりだ。彼が感じてきたもの全てを理解することはできないが、少なくとも同情や憐憫を必要としている訳では無いということは理解できていた。

 

今まで通りに接する者、逆に関わりを増やす者と其々だったが、皆一様に受け入れたことは確かだった。

 

「うんうん、順調に進んでいるみたいでおねーさん安心したわ。もしも難航してたら透夜くんにお手伝いさせようと思ってたけど、その心配はないみたいね」

 

卓上に広げられた教科書やノートを見渡した楯無が快活に笑う。後ろで微妙な顔をしている一方通行には気付かず……いや、気付いてはいるだろう。

 

「それでね、ちょっと皆にお願いがあるんだけど―――休憩も兼ねた食前の運動、してみない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「束さんお手製の第四世代機『夜叉』、その第二形態……か。ちょっと想像つかねぇよな」

 

第三アリーナ。

 

機体の調子を確かめるように左手を握ったり開いたりしながら、一夏がそう呟いた。

 

「第四世代の完成系、紅椿の第一形態ですら一線を画した性能ですからね。白式・雪羅と並ぶか、それ以上のモノになると見てまず間違いないでしょう」

 

「加えて乗り手があの師匠だ。機体性能に振り回されるようなことも無いだろう。それこそ、ここに居る面子全員で挑んでも戦力的に優位だとは全く思えんな」

 

「無策で挑むっていうのもアレだし、連携ペアだけ決めておこうよ。機体相性で考えると……セシリアと一夏、僕と鈴、ラウラと箒って感じになると思うんだけど、どうかな?」

 

「いいんじゃない? 多対一よりは動きやすいわ」

 

「私も構わないぞ」

 

『話は纏まったみたいね。試合データは簪ちゃんが記録してくれるから、後でみんなの所にも回しておくわ。各自有効に使ってちょうだい』

 

楯無の言葉に、観客席に座っていた水色髪の少女が小さく会釈する。予め楯無の妹ということは伝えられていたので、一夏たちも軽く目礼を返した。

 

返したのだが―――

 

「ねえ一夏。なんかあの子すっごいアンタのこと睨んでるんだけど……またなんかやったの?」

 

「『また』ってなんだよ『また』って。うーん……初対面のはず、なんだけどなぁ。あの子には悪いけど、流石に記憶にない事を謝るのもちょっと違うだろ」

 

親の仇でも見るかのような眼光で睨み続けられては精神衛生上非常に宜しくないことは確かだった。こちらの記憶にない以上、あちらから説明してくれるのならば双方納得する形での謝罪も吝かではないのだが。

 

「まあ、あの子が何か悪いことしてる訳でもないし、俺が睨まれてる分には別にいいだろ。集中だ集中」

 

「あ、今ザキ唱えた」

 

「いちか は おびえている!」

 

「お巫山戯はそこまでだ。……気を引き締めろ」

 

ラウラの言葉に口を噤む。

 

そうして、全員の視線が一点に集まった。

 

アリーナの中央。自然体で佇む白い少年を光が包み込んだ。時間にして僅か半秒、瞬きのうちに鎧が顕現する。

 

鴉の濡羽を思わせる漆黒から一転、陽光を反射し眩く煌めく白金の装甲。芸術品のような意匠を施されたそれらは華美でありながら派手でなく、洗練された美しさを備えている。

 

背部にあった二対のウィングスラスターも消え、機体がよりコンパクトに纏まったように感じられる。しかし、代わりの推進装置となるような機構は見当たらない。

 

では一体、何がその役割を担うというのか?

 

 

 

そんな彼らの疑問は、驚愕と共に解消される事となる。

 

 

 

機体背部の装甲が一部展開し、そこからエネルギーが放出される。無秩序だった流れは徐々に収束していき、やがて左右一対の巨大な『翼』を形作った。光そのものを束ねて形にしたようなソレは、絶えず輪郭を変化させながら明確な役割を持ってそこに留まっている。

 

生物のような温かさはなく、しかし唯の光でもない。

 

その幽世の輝きを、一夏達は知っている。

 

ヒトの手を離れ尋常ならざる進化を遂げた、破壊を振り撒く銀色の天使。

 

 

 

―――『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』と酷似していた。

 

 

 

「……機体名『極天』、及び展開型多機能武装装甲『白翼』。ISの進化など予測出来るはずもないのだが、まさかあの光を再び目にすることになるとはな……」

 

いち早くスキャンを走らせたラウラが呻くようにそう呟いた。

 

出来れば思い出したくない記憶ではあるが、さりとて忘れるには大きすぎる爪痕を残した銀の福音。それを彷彿とさせる輝きを宿し、白翼は悠然と広がっていた。

 

そもそも、彼にとっても因縁浅からぬ相手だろう。それが一体何故―――?

 

疑問はあったが、今は後回し。

 

『ルールは単純。透夜くんのシールドエネルギーがゼロになるか、あなた達全員のシールドエネルギーがゼロになればおしまい。それじゃあ―――開始!』

 

「シャルロット、援護任せた!!」

 

「了解―――!」

 

先ず仕掛けたのはシャルロット・鈴音ペア。

 

機体相性は悪くない。互いに速射性の高い射撃武装を有し、エネルギー兵器を持たない為燃費が良く継戦能力が高い。直感的な戦法で柔軟に立ち回る鈴音と持ち前の技術で的確なサポートを行うシャルロット。並の相手であれば、数分と持たずに撃墜されるだろう。

 

並の相手であれば、の話だが。

 

(アイツは近接格闘が得意ってワケじゃない。あの白翼がどういう性能かは分かんないけど、至近距離での乱打戦に持ち込めば勝機はある! だから―――)

 

(―――まず足を止めさせる! 『夜叉』と変わらず超火力の武装があるのだとしたら、そもそも使わせないよう彼のリソースを割いてしまえば良い!)

 

思考がリンクする。

 

連携は無駄なく、そして効果的に行われた。

 

距離を詰める鈴音が衝撃砲を放つ。夾叉弾が左右への逃げ道を封じ、後方には既にシャルロットが放ったグレネードランチャーが緩い放物線を描いて落下してきている。これで残るは頭上への離脱か迎撃の二択。

 

目に見える得物はない。

 

ならば、重視するのは一撃の重さより機動性と手数。導き出した結論に従って双天牙月の連結を解除し、一気に肉薄した。

 

理論も術理もない我流の剣術なれど、積み上げた経験と天性の戦闘勘がその一撃を最適化する。打ち込む場所、タイミング、角度、速度。どれをとっても文句無しの一閃が、白金の装甲に叩き込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

(―――あ、ヤバい(・・・・・))

 

 

 

 

 

 

 

瞬間。

 

鈴音は全力で回避行動を取っていた。

 

体勢が崩れるのもお構い無しに、思い切り身を捩って進行方向を変える。同時にスラスターを激発させ、とにかく距離を取った。

 

脳内で警鐘がうるさい程に鳴り響いている。鈴音が己の直感に従って後退したそのコンマ数秒後、彼女の居た空間に無数の光の羽根が突き刺さった。

 

目を灼くような閃光が炸裂し、爆風が身体を叩く。

 

煽りを受けて吹っ飛ばされそうになりながらも、何とか持ち堪えて構え直す。が、顔を上げればそこには息付く暇もなく第二波が迫ってきていた。

 

「鈴、下がって!!」

 

直撃の寸前、物理シールドを二枚重ねで召喚したシャルロットが光弾と鈴音との間に滑り込んだ。一瞬で針山と化したシールドを投げ捨て、残りのシールドを構えたままバックブースト。投げ捨てたシールドが爆散するのを視界の隅で捉えながら、片手で鈴音を引っ掛けてさらに距離を取る。

 

距離を取ったはずだというのに―――眼前にはもう、彼の赤い双眸が獰猛に輝いていた。

 

シャルロットの思考が一瞬で混乱する。

 

(速いってレベルじゃないッ!! 回避―――いや、この距離なら盾殺し(シールド・ピアース)で迎撃できるッ!!)

 

右腕部装甲と一体化していたシールドをパージ。物々しい金属音と共に、絶大な威力を誇る鋼鉄の牙が装填された。

 

例え第四世代機だろうと、直撃すれば無傷では済まない。

 

文字通りの切り札を躊躇なく切り、必殺の意思を乗せて勢い良く右腕を突き込んだ。

 

 

 

 

 

「―――貰うぜ、ソレ(・・・・・・)

 

 

 

 

 

視界が白く染まる。

 

「使い道が単純なのは悪くねェ。接近戦の手札としちゃ十分だ」

 

振り上げられた白翼が盾殺し(シールド・ピアース)をかち上げ、軌道を逸らしていた。

 

傾く重心、そこへ更に射出の反動が加わり致命的な隙を晒す。肝心の鉄杭は虚空を穿ち、防御も回避も追撃にも移れない無防備な体勢。

 

『指令を受諾。武装プログラム新規構築完了。仮称「穿光」試運転開始』

 

「……態々知らせる必要あンのか?」

 

彼のISから少女のような機械音声が響いた。それに対して一方通行は軽口を叩きながら、右腕を後方へ引き絞る。奇しくもそれは―――シャルロットが盾殺し(シールド・ピアース)を打ち込む前の挙動に良く似ていた。

 

腕部装甲が展開し、形を変える。

 

小型のカタパルトのような機構へと変貌したソレに、極光が装填された。先程の光弾と同質の輝きを持つエネルギーが収束していき、一本の(弾丸)となる。

 

次に何が起こるのかなど、分かりきっていた。

 

「シャルロット避けてぇえええッ!!!」

 

悲鳴じみた鈴の叫び。

 

それを耳にするまでもなく、シャルロットは被害を最小限に減らすべく行動を起こしていた。

 

崩れた体勢のまま、量子格納していた手榴弾をありったけ展開する。目くらましのように視界に散らばったそれらをひとつでも起爆すれば、ほぼ間違いなく全て誘爆するだろう。この距離と手榴弾の量からして、シールド全損とはいかずとも半分程度は消し飛ぶはずだ。

 

そしてそれはシャルロットだけではなく、一方通行にも言えること。

 

「チィ―――」

 

舌打ちひとつ、狙いを微調整して右腕の光杭を打ち込んだ。

 

手榴弾の隙間を縫うように放ったせいで直撃こそしなかったものの、ラファールの左肩装甲を根こそぎ抉りシールドエネルギーを一割程持っていく。

 

装甲を貫いてなお勢いを失わない光杭は、そのままアリーナ反対側に着弾。先程の光弾を遥かに凌駕する強烈な爆発を引き起こした。

 

「模擬戦で使うにはちょっと威力過多なんじゃないかなっ!!」

 

咄嗟の機転で窮地を乗り切ったシャルロットが半ばヤケクソ気味に叫びながら、アサルトライフル『ガルム』を両手に展開する。そこへ体勢を立て直した鈴音も加わり、また二対一の構図となった。

 

一瞬だけ視線でやり取りを交わし、再び攻勢を仕掛けていく二人。対して一方通行はアリーナ中を超速で飛翔しながら攻撃を避けつつ、所々で光弾をバラ撒く。

 

 

 

 

 

その光景を、一夏は食い入るように観察していた。

 

 

 

 

 

目で追いながらも思考を回し、脳内でシミュレートを行う。

 

一方通行の動きをイメージし、そこへ現在の自分を投影し、彼我の技術と戦術を加味し、自分が切れる手札を確認し、それら全ての変数を詰め込んだ上で、自分ならばどう戦うか。

 

(つっても白式の武装上、近距離で立ち回ることに変わりはねぇ。後はどう攻撃を当てるか……いや、違うな。攻撃よりも回避(・・・・・・・)、か? まずは墜されないことが先決な気がする)

 

刹那の内に結論を弾き出した一夏は、隣の幼馴染に水を向けた。

 

得物は刀、間合いは近距離。その剣に宿る術理こそ真逆ではあるものの、戦闘スタイルは最も近しい。こと観察眼においては相手の動きを操る篠ノ之流剣術を修めた彼女が特に優れているのだから、その所感を聞いておきたかった。

 

問いを投げられた箒は、整った柳眉を僅かに険しくしながらも口を開く。

 

「恐らく中遠距離では一方的に嬲られるだろうな。着かず離れずの間合いを維持し、彼処から攻撃してくるのを待ってカウンターでの一撃離脱戦法(ヒットアンドアウェイ)になるだろう。意識としては『仕留める』ことよりも『生き残る』ことに比重を置いた方が良い気がする」

 

「ああ、俺もそう思う。透夜はエネルギー系統の攻撃手段しか持ってないみたいだし、あの白翼も上手くいけば零落白夜で消し飛ばせる。カウンターを取れれば一気に試合を決められるかもしれない」

 

基本的に、IS戦闘において一撃必殺は存在しない。シールド残量にもよるが、シャルロットの盾殺しでさえ数発打ち込まなくては削り切る事は難しい。それも、此方の損傷が軽微であることが前提だ。

 

ダメージを受ければその分機動性は下がり、取れる行動も限られてくる。そうすれば、切り札を切る事すら難しくなってくるだろう。

 

しかし、零落白夜だけがその不可能を可能にする。

 

最もエネルギー消費の激しい絶対防御を強制発動させることで、一撃で戦闘不能にまで追い込める。更に、あらゆるエネルギーを消し去るという特性を転用して即席の盾とすることも可能だ。機体相性で言えば、白式は夜叉に対してかなり強気に出られる。

 

勿論、使い所を誤ればただの自傷になってしまう諸刃の剣であることには違いない。が、決めるべき場面で決めることが出来たとしたら―――

 

「そのくらいは師匠も分かっているだろう」

 

「一夏さん、機体性能の違いが戦力の決定的差ではなくってよ?」

 

「なぁ、お前らどっちの味方してんの?」

 

『―――人が必死でバトってる最中に漫才やってんじゃないわよ腹立つわねぇ!! ぶっ殺すわよッ!?

 

 

 

……そこに勝機があるのかもしれない。

 

 

 

 

 



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十六話

ちょっとくらい投稿しても……バレへんか……()


「凄かったわねー、今日の一夏くん」

 

夜。

 

夕食を終え、ベッドで寛いでいた一方通行の元へ訪ねてきた楯無。部屋主の許可を待たずに上がり込んできた彼女を叩き出そうとするも、巧みな身のこなしでのらりくらりと回避し続けられてしまい結局部屋に居座られてしまう始末である。

 

悲しいかな、現在の身体能力ではどう足掻いても楯無を相手取ることはできなかった。

 

「鬼気迫る、って言うのかしら。あの場の誰よりも勝利に対して貪欲だったのは間違いなく彼だったわ。やる気があるのは大いに喜ばしいことではあるんだけど、空回りしないかちょっと心配になるわね」

 

「そォか。とっとと出てけ」

 

あーんひどーい、とわざとらしく叫びながら身体をくねらせる楯無の姿に、一方通行は溜め息を吐く。

 

 

 

最近、周囲に人が増えた。

 

 

 

セシリア、ラウラ、楯無の三人は言わずもがな、それ以外の面子とも交流することが多くなった気がする。一夏、箒、鈴音、シャルロットの専用機組に加えて、教員である千冬や真耶までも何かと関わるようになった。

 

食事の誘いから勉学の師事、模擬戦の相手に機体整備の話し合い等々。元々他者との交流を避けていた節のある一方通行からすれば、忙しなくて落ち着かない。対応するのも面倒ではあるが、少なくとも嫌な気分ではなかった。

 

「箒ちゃんと一緒に特別な訓練しているって聞いてはいたけど、まさか篠ノ之流剣術の指南までしてるなんて思わなかったわよ。透夜くんも結構驚いたんじゃない?」

 

「……、」

 

言われて、今日の模擬戦を思い出してみる。

 

二対一の変則マッチの後、一夏が再度模擬戦を申し込んできたため承諾した一方通行。『極天』の性能テストもまだまだ不十分であった為ちょうど良いと思っていたのだが、その予想は程なくして裏切られた。

 

一夏の動きが目に見えて変化していたからだ。

 

その前の戦闘で手を抜いていたという訳ではないだろうし、あちらとしても初の実戦投入だったのだろうか。『白式』の高い機動力と零落白夜の攻撃力を生かし、隙を見付けて一点突破する従来のスタイルではなく、此方の動きを誘い出すかのような引き気味の立ち回り。

 

今まで通り、一夏の吶喊に合わせて放ったカウンターに対して更に後出しでカウンターを合わせてくるなど流石に想定外だった。

 

相手の出す手を窺いその場で対応する受動的なカウンターとは性質が異なり、相手の動きを誘導し此方が選択肢を決定させることで成立する、謂わば能動的なカウンター(・・・・・・・・・)

 

今のところ全戦全勝のスコアを叩き出してはいるものの、まともに一撃を食らったのは随分と久方ぶりだった。

 

「私が思うに、透夜くんは観察眼と空間把握能力がとても優れている反面、武術とか格闘術みたいな至近距離での対応や反撃が苦手なんじゃないかなあって思うんだけど、どう?」

 

楯無が口にしたことはまさに、一方通行が現在問題視している事柄そのものであった。物心ついた時から超能力に頼り切った生活をしてきているのだから、基本的な身体能力だけでいえばその辺の男子高校生よりも低い程である。

 

箒や鈴音の戦い方を見れば分かるように、生身の状態で扱える戦闘技能がISに乗った状態で扱えない道理は無い。さらに言えば、二次移行を果たした一方通行のISには明確な近接武装が搭載されていない。主武装である『白翼』を用いれば接近戦もこなせない事はないのだが、機体性能に任せて力押しになっているのは否めないのである。

 

押し黙る一方通行の姿を見て苦笑を浮かべた楯無は、座っていた椅子から一方通行が腰掛けるベッドに歩み寄ると、彼の隣に腰を下ろした。

 

「いざと言う時のためにも、手ほどきくらいは受けておいた方がいいんじゃない? おねーさんでよければ付き合うわよ? セシリアちゃんやラウラちゃんも、頼めば協力してくれるんじゃないかしら」

 

「……、勝手にしろ」

 

「んふふ、りょーかい♪」

 

いつまでも問題を先送りする訳にもいかない。かといって、素直に楯無に教えを乞うのも癪ではあるので凄まじく微妙な表情を浮かべる一方通行。楯無はといえば、先程までの苦笑をイタズラな色に塗り替えて楽しそうに笑っていた。

 

 

 

―――変わったな、と楯無は思う。

 

 

 

学園祭での事件以降、彼の纏う雰囲気が確かに変わってきているのを肌で感じていた。入学当初の、触れれば切れるナイフのような鋭い空気はなりを潜め、僅かずつではあるが彼からも此方に歩み寄ろうという姿勢を感じられるのだ。

 

捨てられていた野良猫が徐々に人に懐いていくかのような錯覚に、楯無の胸の奥がじわりと暖かくなる。彼が敵意と悪意に囲まれて過ごしてきた十数年という歳月、与えられるはずだった愛情の万分の一でも肩代わりしてあげられれば良いと思った。

 

(変わったのは私も、かしら。特定の生徒に対して贔屓しちゃうのは、生徒会長としては失格かもしれないけど……あれだけ発破を掛けたんだから、最後まで面倒見てあげないと。)

 

そうして一方通行を見遣る楯無の視線はどこまでも優しく、慈愛に溢れていた。実妹である簪に向けるものに勝るとも劣らないそれは、彼女本来の気質の表れであると言ってもいいだろう。生徒会長や更識家当主の更識楯無ではなく、ただ一個人の更識⬛︎⬛︎(⬛︎⬛︎⬛︎)として。

 

(……もし弟がいたら、こんな感じなのかしらね)

 

不器用で、無愛想で、無表情で。素っ気ないくせに意外と優しくて、ひねくれているくせに寂しがり屋で。そんな手のかかる『弟』を放っておけないのは、ある意味では自然なことなのかもしれない、と思う。

 

だからこそ、彼女はまだ気付けない。

 

その感情の名前が『⬛︎愛』であることに。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――で? 要件はなンだ」

 

緩んでいた空気を意図的に切り替える。

 

それを感じ取ったのか、楯無も居住まいを正して表情を引き締めた。小さく咳払いをしてから、『裏』の情報について語っていく。

 

「……ついさっき入ってきた情報なんだけど、米軍の特殊作戦基地が襲撃を受けたわ。対応は迅速で、国家代表二名が応戦したみたいだけど……防衛は失敗。僅か二十分で基地は完全に無力化され、パイロットは片方が重傷、更に当該基地に保管されていたISが一機強奪されたわ」

 

銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)か」

 

「ええ。凍結処理待機中の所を狙われたみたい。件の襲撃者達は基地から120kmの地点でシグナル消失(ロスト)。同時に福音の機体反応も消失したわ」

 

「……動かせンのか?」

 

「不可解な点はそこなの。ナターシャ・ファイルスの専用機だった以上、コアの初期化をしなければ動かすことさえ出来ないはずの福音を何者かが弄ってコアネットワークから切断したのよ。システムそのものへの干渉なのか、機体操作なのかまでは分からないけどね」

 

そこで一度言葉を切り、整った柳眉を僅かに顰めた。

 

「……そんな事が出来るのは、篠ノ之博士くらいだと思っているんだけど。あの人のことを知っている貴方から見て、今回の襲撃に関係していると思う?」

 

「ねェな」

 

「あら即答。理由を聞いても?」

 

遅過ぎる(・・・・)。仮にあの女が必要に駆られて動いたとしたら、それこそ一瞬で片が付く。米軍の防衛網なンざクソの役にも立たねェだろォよ。アイツの思考回路はガキと同じだ、自分が欲しいと思ったモンはどンな手段を使ってでも手に入れる。しかもそれを実行出来るだけの能力が有るのが厄介極まりねェ」

 

「……本当に詳しいのね、貴方」

 

「はっ。化け物同士、通じる所があンだろ―――っ?」

 

肩に軽い衝撃。

 

不意打ち気味のそれに流されるように上体をベッドに投げ出した。柔らかく沈み込んだ身体を起こすよりも先に、動きを封じるかの如く楯無が覆い被さる。

 

顔の横に両手をついた彼女のシルエットが照明を遮る。

 

己のそれとは僅かに色が異なる赤い双眸が、真っ直ぐに此方を見つめていた。

 

「透夜くんは化け物なんかじゃないわ。私達と同じ、心ある一人の人間よ。だから……無意味に自分の価値を貶めるのはやめなさい」

 

「…………、」

 

「何度だって言うわ。私は―――私たちは何があってもあなたの味方よ。『気持ちは分かる』なんて言えないけど、透夜くんを大切に思っている人たちのこと、忘れないで」

 

困ったように眉尻を下げる楯無の、白魚のように細い指先が頬を撫でた。むず痒い感触から逃れるように顔を背けるが、不思議と嫌な感覚ではなかった。

 

互いの呼吸が聞こえるほどの至近距離。

 

「ね……さっきの話、覚えてる?」

 

「……あン?」

 

「透夜くんの苦手な、至近距離での対応についてのお話。……ほら、おねーさんが手ほどきしてあげるって、言ったでしょ? 出来ることから始めていかないと、ね―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

学園寮・廊下。

 

足音を殺し、人目を避けるように廊下の角から角へと移動する人影がひとつ。両手に参考書やノートなどの勉強道具を抱え、隠密作戦もかくやという身のこなしを見せるのはセシリアだった。

 

向かう先はもちろん、一方通行の自室。

 

昼間に行った座学の中で、今ひとつ理解が及ばなかった部分について確認したかったのである。また、その後の模擬戦においての戦闘機動についての改善点を聞きたいということも理由のひとつではあった。

 

(『定期試験に向けての対策』に『模擬戦のフィードバック』。部屋を訪ねる理由についてはごく自然なものですわ。そして、夕食後であることを考慮すれば寝巻きであることも当然。透夜さんのお部屋もあまり広くはありませんから、デスクでお互いが密着してしまうのも偶然。そして甘い空気と共にお互いの距離が縮まるのも必然ッ! 流石はわたくし、完璧なプランニングですわね)

 

脳内シミュレート(ガバガバ理論武装)を済ませつつ、音もなく廊下を進んでいく。もしも教員に見つかれば叱責は免れないが、そんなリスクを負ってまで行動に移さなくてはならない理由が彼女にはあった。

 

それは、

 

(最近、透夜さんとお話する時間が取れていません。これは由々しき事態ですわ)

 

ぷくぅっ、と不満げに頬を膨らませる。元の顔立ちが整っているセシリアがやってもただ可愛らしいだけなのだが、彼女は至って真剣に遺憾の意を表明していた。

 

先の学園祭以降、一方通行は楯無率いる生徒会の所属となっている。全校集会で発表した『部活動へ男子を貸し出す』という条件も、学園祭自体がご破算になってしまったため有耶無耶になってしまった。そして、ここぞとばかりに楯無が生徒会長の強権を発動。

 

一方通行を生徒会に引き入れることとし、それによって暴徒と化した生徒たちには予定通り一夏を部活動の助っ人として貸し出すことで沈静化。多少の不満はあるが貸し出し自体が無くなるよりは、ということで落ち着いたのである。

 

これで一方通行は生徒会、一夏は部活の助っ人という、楯無が思い描いていた通りの構図となった。なったのだが―――

 

(ことあるごとに楯無先輩に呼び出されていますし、透夜さんと楯無さんが二人でいる所を見かける頻度も増えました。お仕事が忙しいと言われてしまえばそれまでなのですけれど……、……可能性としては、捨てきれませんわね)

 

セシリアの第六感が告げていた。

 

ともすれば、ライバル(・・・・)が増えるかもしれない、と。

 

そんなことを考えている内に、一方通行の部屋へと辿り着く。小さく咳払いをして喉の調子を整え、手櫛で前髪をセット。服装におかしな所がないか手早く確認。最後にふんすと気合いを入れて、扉をノックしようとしたところで、

 

『―――』

 

(……話し声? 既にどなたかいらっしゃるのでしょうか)

 

扉の向こうから僅かに聞こえる声。くぐもっているせいで声の主までは判別できないが、おそらくラウラか楯無だろう。ラウラであれば特段気にすることもないが、もしも楯無だった場合は―――二人きりで、どんな話をしているのだろうか。

 

そうではないと信じたいのに、思考は悪い方悪い方へと進んでしまう。扉へ伸ばしかけていた手を引っ込めて、かわりにそっと耳を近づけてみる。

 

(だ、大丈夫ですわ……きっと、ラウラさん辺りが遊びに来て―――)

 

『―――ほら、力を抜いて?』

 

『っ、おい……!』

 

『こんなに硬くなってる……大丈夫、おねーさんに任せなさい……』

 

『く、ぁッ……!』

 

「ぶち殺しますわ」

 

セシリアは激怒した。

 

必ず、かの邪智暴虐の生徒会長を除かねばならぬと決意した。セシリアには恋愛が分からぬ。セシリアは、イギリス代表候補生である。ISに乗り、己を律して暮らしてきた。けれども邪悪(負けフラグ)に対しては、人一倍敏感であった。

 

一瞬で腕部装甲を展開し、ドアノブを掴んで蝶番ごと引き千切る。転がるようにして部屋の中へと踏み入り、ベッドの上で想い人を組み敷いている楯無を捕捉。服は着ているのでいかがわしいことをしていた訳ではなさそうだが、それはそれとしてセシリアは普通にキレていた。

 

「ちょ、ちょっとセシリアちゃん!? どうしたのいきなりって危なぁ!?」

 

慌てて身を引いた楯無の鼻先を刃が掠める。洒落にならないくらいに殺意全開の一撃に楯無の顔が引き攣った。背中にドッと冷や汗が噴き出す。対するセシリアは穏やかに微笑んでいるが、その額にはビキバキと青筋が浮き出ていた。

 

「ええ、ええ……お二人はマッサージか何かをされていたのでしょう? わたくしの早とちりであったことは認めます」

 

「だったらそれ(インターセプター)仕舞ってほしいんだけど……」

 

「ですがッ! わたくしを差し置いて透夜さんとの距離を縮めようだなんて言語道断ですわッ! 如何に楯無先輩といえど、そのような羨ま―――羨ましいこと、天が見逃しても私が見逃しません!! さぁ、貴女の罪を数えなさいッ!!!」

 

「言い直せてないしキャラがブレてる!? ああもうっ、透夜くんが絡むとポンコツになるわねこの子!」

 

結局、騒ぎに気付いた千冬が鎮圧しに来るまで小競り合いは続いた。

 

 

 

 

 




活動報告あげてます(震え声)


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十七話

2年近く放置してたのに沢山の感想や評価を頂いて嬉しい限りです。
日刊ランキングまで載ってて何だこれはたまげたなぁ()


「まずは連絡事項だが、今月末に開催される『専用機限定タッグマッチトーナメント』の要項についてだ。該当者には後ほど個人端末に要項を転送しておくので確認しておくように。次に、中間試験の成績と追試についてだが―――」

 

教壇に立つ千冬の声を聞き流しながら、一方通行は欠伸をひとつ噛み殺した。3日間かけて行われた中間試験も今日で終了し、勉強という枷から開放されたせいか教室内の雰囲気もどこか浮ついている。

 

教室の前の方では精魂尽きた一夏の抜け殻と、それを心配そうに眺める箒とシャルロットの姿がある。試験期間中、一方通行の部屋で度々開催された勉強会ではほとんど一夏の教育に時間を費やしていたのだが、基本的に専用機持ちは元々の地頭が良い面子ばかりである。

 

その点、勉学の出来に関して言えば一方通行は文字通り次元が違う。スーパーコンピュータを軽く凌駕する演算能力と記憶力を有する彼にとって、IS学園の試験など呼吸をするよりも簡単だ。

 

だが、ここでひとつ問題が発生する。

 

一方通行の頭脳は優秀である。問いを見れば答えが分かる。考えるという過程を挟まずに最短距離で正答に辿り着いてしまうのだから、解き方の説明を求められたところで解説ができない。なので、

 

『なぁ透夜、ここの問題でちょっと分からない部分があるんだけどさ』

 

『……ほらよ』

 

『? え? あ、いや、正答じゃなくて、途中式っていうかエネルギー効率の計算式の方を知りたくてだな』

 

『……?』

 

『……????』

 

質問した方とされた方が揃って疑問符を浮かべるという事例が多発していたのである。一方通行としては至って普通に教えているつもりだが、一夏は宇宙に放り出された猫のような顔だった。

 

呼吸の仕方を教えてくれと言われて説明できる人間が果たして存在するのか、という話である。

 

「―――では、以上でHRを終わる。号令」

 

ふらふらと立ち上がった一夏の号令で、一日のカリキュラムが終了する。教室内の喧騒が増し、試験の出来や躓いた箇所などを話し合う生徒たち。IS学園といえど、試験後の教室は普通の高校と何ら変わりはなかった。

 

「お疲れ様でした、透夜さん。放課後のご予定はもうお決まりですか?」

 

凝り固まった身体を解すように伸びをしていると、一方通行の席まで歩いてきたセシリアがそう尋ねる。首を鳴らしながら脳内で直近の予定をリストアップしてみるが、特にこれといって急ぎの用事は思い当たらなかった。

 

「……特にねェな」

 

「では、宜しければわたくしたちと対人戦闘の訓練を行ってみませんか? 以前楯無先輩も仰っていましたが、基礎的な理論を覚えておくだけでも損は無いと思いますわ」

 

「セシリアの言う通りだ。近接格闘術(CQC)はあらゆる場面、あらゆる戦場で役に立つ。幸いにして教導役には事欠かないからな、師匠のお手並みを拝見させてもらおうではないか!」

 

セシリアの提案に同調するように、得意気に腕を組んだラウラがそう締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと。

 

「弱いな……」

 

「だ、大丈夫ですか透夜さんっ」

 

一方通行が貧弱すぎて話にならなかった。

 

(クソが……分かっちゃいたが、今の俺じゃ路地裏のチンピラにも太刀打ちできねェ。ハッ、さンざ能力に頼ってきたツケが、まさかこンな所で回ってくるとはな)

 

まずは一方通行の戦闘能力を確認しようということで、ラウラと軽く手合わせを行うことになったのだが。彼女に触れることすら出来ず、一方的に畳の上に転がされ続けること3分程。一方通行のスタミナ切れによってあえなく試合終了となった。

 

道場の床に顔面からぶっ倒れたまま、早鐘を打つ心臓と乱れた呼吸を必死に整える。ひんやりした床の感触が今は心地良い。

 

「ふむ、瞬発力や筋力は並以下。観察眼と空間把握については変わらずだが、思考に肉体が追いついていないせいで腐っている。これでは織斑一夏にすらフィジカルでねじ伏せられてしまうぞ」

 

「あのラウラさん。もう少しオブラートに」

 

「正確なフィードバックを行わずして成長はあるまい。師匠もそれを望んでいるはずだ。だがしかし、これは中々……」

 

「……ラウラさん?」

 

顎に手をやり、何かを確かめるように小さく頷く。そんなラウラの様子を見て、セシリアは形の良い眉を訝しげに潜めた。とても良くない予感がした。

 

「いや、普段は手も足も出ない師匠をこうして手玉にとっていると思うと……その、なんだ。正直興奮する

 

「ラウラさん……!?」

 

大切な友人が恍惚とした表情で新しい扉を開きかけている事実にセシリアは愕然とした。ちょっと事件性のある叫びも出た。

 

華奢な肩を掴んでがくがくと揺さぶれば、赤い隻眼にいつもの冷静な光が戻る。願わくば彼女には純粋なままでいて欲しいとセシリアは心の底から思った。

 

そうこうしているうちに、放置されていた一方通行が必要最低限の体力を回復してのろのろと立ち上がる。あらかじめ用意しておいたタオルとドリンクを手渡しながらも、セシリアは話を戻して対策を講じる。

 

「真正面からの殴り合いは避けるべきでしょう。純粋な打撃ではなく、関節技や投げ技を中心に組み立てた方が良いと思います」

 

「同感だな。となると、柔道や合気道の方が参考になりそうだが……私やセシリアでは畑違いか。箒を呼んで指南を頼むとする―――む?」

 

ラウラが携帯端末を取り出すのと同時、道場の扉が開かれる。ひょっこりと姿を見せたのは制服姿の楯無であった。一拍遅れて、その後ろから楯無と似通った顔立ちの少女―――簪も顔を覗かせた。

 

「出ましたわね」

 

「人のことラスボスみたいに言わないで欲しいんだけど……」

 

先日のマッサージ事件以降、楯無を目の敵にしているセシリアが縦ロールを逆立てて威嚇する。楯無は引き攣った笑みで応じるが、扱いが完全に黒幕のそれであった。簪はというと、完璧超人だったはずの姉が割と雑な扱いを受けているのを見て唖然としている。

 

こほん、と空気を切り替えるように咳払いをした楯無は『進捗どうですか』と書かれた扇子を広げた。

 

「それで、進捗はいかが? 対人戦闘の訓練してたんでしょ?」

 

「ええ。まずは方向性を定めるにあたって、投げ中心に学んでみてはどうか、と話していたところですわ」

 

「まあ、透夜くんの身体じゃあねぇ」

 

「うるせェよ……」

 

先程から好き放題言われまくっている一方通行が忌々しそうに吐き捨てるが、疲労のせいかいつもの迫力はなかった。

 

ふむ、と楯無は少しだけ思案して、

 

「じゃあ、簪ちゃんが適任かしら」

 

「―――え?」

 

妹の名を呼んだ。

 

ここで自分の名前が出るとは思ってもいなかったのか、ぽかんとした表情で目を瞬かせる簪。セシリアとラウラも楯無の言葉を半信半疑といった顔で聞いていたが、かぶりを振ったセシリアが簪に問う。

 

「簪さん、と呼ばせて頂きますわね。簪さん、貴女はこういった技術に詳しいのですか?」

 

「え、と……詳しいっていうか、その」

 

「更識の人間は、幼少期から例外なく戦闘技術を叩き込まれるの。護身・捕縛術から殺人術まで、あらゆる分野からエッセンスを抽出して独自に発展させた総合格闘技術―――言うなれば『更識流』かしら」

 

要人警護から暗殺まで、日本の裏社会に身を置く更識家。脈々と受け継がれてきた歴史の中で磨かれ、練り上げられてきた超実践的な殺戮技巧。効率良く人体を破壊し無力化する技の中には、柔道や合気道から着想を得た技も数多く存在する。

 

「私も教えてあげられないこともないけど、護身なら簪ちゃんの方が精通しているわ。技術さえあれば肉体の不利は関係ないし、透夜くんにちょうどいいんじゃないかしら」

 

「で、でも。お姉ちゃんが教えた方が……私なんて、そんな」

 

「自信を持って、簪ちゃん。これは身内贔屓じゃなくて、ただ単に事実の問題として話しているのよ。あなただって、鍛錬に手を抜いていたわけじゃないでしょう?」

 

「それは……そうだけど」

 

姉妹の仲が元通りになったとはいえ、彼女の内気で控えめな性格が一朝一夕で変わることはない。誰かのために何かをするどころか自分のことで手一杯だった簪からすれば、そんな自分があの白い少年にしてあげられることなんてない。そう思っていた。

 

ここで再度否と告げれば、優しい姉は無理強いすることなく別の案を提示してくれることだろう。そうすれば、自分にかかる重責や負担はなくなる。

 

(……でも)

 

姉の陰に隠れてばかりの、今まで通りの自分。

 

 

 

(―――それで、いいのかな)

 

 

 

そんな自分を変えるために今まで頑張ってきたはずだ。いつかは姉の背に追い付いて、そして追い越すために。少しずつでも前に進むために必要なのはきっと、一歩を踏み出す勇気なのだ。

 

逃げていても始まらない。

 

息を吸って、きゅっと拳を握る。俯いていた顔を上げれば、赤い瞳には確かな意思が光っていた。

 

「……分かった。やってみる、ね」

 

小さく、しかし確かに告げられた返事を聞いて、楯無は穏やかに微笑んだ。

 

「さて、透夜くんはどう? 簪ちゃんの指導を受ける気はあるかしら?」

 

「誰が教えてもやることは変わらねェンだろ。更識……、()がその気なら好きにしろ」

 

瞬間、セシリアの首が物凄い勢いで簪の方へ向けられたが、簪は気付かないふりをした。大方『わたくしよりも先に下の名前で呼ばれるなんてどういう了見ですか???』とか思っている。瞳孔全開の碧眼が普通にホラーだった。

 

一方通行としては特に含む所はなく、姉妹が同じ場に居ると呼び分けが面倒なので下の名前に切り替えただけなのだが、一夏とは別ベクトルで女心に疎い彼がそんなことを気にするわけもない。

 

「師匠、ひとついいだろうか」

 

ふと、ラウラが声をあげた。

 

「更識簪を名で呼ぶのなら、私のことも姓ではなく名で呼んでほしい。それに、ボーデヴィッヒよりもラウラの方が短くて呼びやすいぞ?」

 

「でしたら透夜さん、わたくしのこともセシリアとお呼びくださいませ。呼び方と関係性は連動するものですし、半年もの付き合いになって姓名だけというのも悲しいですわ」

 

「……別に、構わねェけどよ」

 

ただ単純に名前で呼んで欲しかっただけのラウラの提案に、これ幸いと乗っかる形となったセシリアの提案。こだわりのない彼からすればどっちも変わらないのではと思ったが、彼女らが強く勧めてくるものに対しては深く考えずに従った方が良さそうだと今までの経験から学んでいた。

 

思わぬところで名前呼びを達成出来たセシリアは天を仰いでガッツポーズを決めており、ラウラはそんな相方を不思議そうに眺めている。少なくとも英国淑女とは似ても似つかないリアクションだった。

 

「……お姉ちゃん、私、オルコットさんに背中撃たれないかな」

 

「名前呼び……ふーん。ふーん……」

 

「お姉ちゃん???」

 

隣で微妙に頬を膨らませている姉を見て、簪は真顔になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん……今日は、この辺で。また明日にするね……」

 

第3アリーナの整備室で、先程からディスプレイと睨み合っていた簪が疲れの滲んだ声でそう告げた。

 

近接戦闘の訓練開始から1週間が経過したが、なにも毎日行っている訳ではない。来るべきタッグマッチトーナメントに向けて、ISでの訓練や機体の調整などやることは多い。お互い専用機持ちであるし、簪は正式な日本代表候補生だ。政府関係者や企業の上層部が仕上がりを確認しにくるだろう。

 

しかし、彼女の専用機『打鉄弐式』は未だに完成まで漕ぎ着けられていなかった。トーナメントまで10日を数えるばかりだというのに、だ。

 

製造元の倉持技研が一夏の『白式』に人員を割いているため人手が足りず、『打鉄弐式』の調整が遅々として進んでいないというのは簪本人から聞いていた。

 

なので、楯無の『霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)』と一方通行の『極天』の機体データを参考にしつつ、プログラミングに長けた一方通行をアドバイザーに据えて、『打鉄弐式』を完成させてしまおうという話になったのである。提案は楯無だが、意外にも簪がこれを承諾。一方通行も『極天』の調整を行う片手間であればと了承し、放課後はアリーナか整備室か道場に缶詰めとなるのがここ数日のルーティンとなりつつあった。

 

簪の発言を受けて、キーボードを叩いていた一方通行が視線だけそちらへ向ける。

 

「ンで? 仕上がりはどォだよ」

 

「八割くらい、かな。マルチロックオンシステムの調整が、想像以上に大変……」

 

「当たり前だろォが。本来ならダース単位でエンジニア集めて組ませるモンを1人でやろうって発想がまずぶっ飛ンでンぞ」

 

「だ、だって……」

 

「別に責めてる訳じゃねェ。オマエが拘る理由に関しちゃ聞いてるし、俺もソレに納得したから手ェ貸してンだ。っつか、今更ヤジ飛ばされたぐれェで日和ってンじゃねェよ」

 

「…………鈴科くんの、意地悪」

 

他人を悪く言うことすらも慣れていないのか、責めるような視線を向けてくる簪の言葉なぞ彼にとっては痛くも痒くもない。むしろ、姉と違って張り合いがない分いつもの調子で口を回さないように気を遣わなくてはならない。また泣かれて楯無から制裁を喰らうのは御免だった。

 

舌戦では勝てないと判断したのか、ぷいっと顔を背けた簪は弄っていたプログラムを中断。代わりに、色彩鮮やかな映像作品―――いわゆるアニメの鑑賞を始めた。

 

内容は至ってシンプルな勧善懲悪のヒーローもの。ヒロインが悪の組織に攫われて、絶体絶命のピンチからヒーローが颯爽と助け出す。簪は王道のシナリオが好きだった。

 

どんな困難、どんな壁に突き当たったとしても必ず打破してくれる。周囲を閉ざす暗闇を鮮烈に切り裂く光。過剰なまでのヒーローへの憧れはその実、姉という壁に直面していた彼女が抱いた深層心理の裏返し。

 

無論、(こいねが)ったところで叶うとは限らない。

 

そう、思っていた。

 

「―――ねえ、鈴科くん。ヒーローって、いると思う?」

 

唐突に投げかけられた質問に、鳴り続けていたキーの音が止む。

 

視線をディスプレイに固定したまま、一方通行は少しだけ考えて。

 

「いねェよ。ヒーローなンざ存在しねェ」

 

少女の問に否を突き付けた。

 

だって、幼き日の一方通行(自分)は救われなかった。

 

現実は非情だ。全てをひっくり返すデウス・エクス・マキナなんて存在しない。暖かな理想を思い描いたところで、結局は冷たい現実に食い潰されてしまう。

 

 

 

「―――私は、いると思うな。ヒーロー」

 

 

 

少女は是と答えた。

 

だって、確かに自分は救われた。何の気なしに掛けられたただの一言で、塞がっていた世界が広がったような気さえした。小さな背中に伸し掛っていた期待と重責を全て吹き飛ばして、ありのままの自分を見てくれたのだ。

 

例え救った方に自覚がなくても構わない。

 

本人に伝えたところで、鼻で笑われてしまうだろうけど。

 

更識簪という少女にとって、白い少年はどうしようもなくヒーローだった。

 

「はっ。もし居るンなら、是非ともそのツラ拝ませてもらいてェな。さぞや自己犠牲の精神に溢れて説教くせェことだろォが」

 

「ふふっ……そうかな。意外と口が悪くてぶっきらぼうだったりして、ね?」

 

一方通行は微妙な表情で簪を見た。簪は気付かれやしないかと内心ハラハラしていた。

 

「……、オマエの中じゃヒーローってなァ悪党とイコールなのか?」

 

「見ようによっては、そう見えるかも」

 

「……相変わらず女の考えるコトは分っかンねェわ」

 

 

 

 

 

 




ちなみに日常パート→タッグマッチ→最終章予定です
あくまで予定なので


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十八話

一年生寮、食堂。

 

「うーん……」

 

いつもの席に腰掛けた一夏は、目の前のテーブルに鎮座する焼き鮭定食(ご飯大盛り)をつつきながらなんとも言えない声をあげた。

 

トーナメントの開催を明後日に控えた土曜日の今日は、最終調整前の休養日となっていた。これは学園側から正式に通達されたものであり、今日に限っては学園内のアリーナも使用禁止となっているのだが、端的に言って一夏はやる気を持て余していた。

 

(理由は分かるけど、せめて調整飛行くらいはさせてくれねーと勘が鈍っちまうぜ。箒から教わったアレはもう少しでモノに出来そうだし、近接戦闘機動(マニューバ)のスラスター出力も馴染ませたいし……あー訓練してぇ)

 

一度は己の弱さに打ちのめされた彼だったが、幼馴染みや周囲の人々の助けを借りてしっかりと立ち直っていた。訓練にも一層真剣に打ち込んでおり、暇さえあれば少しでもISを動かして経験値を積もうと努力を重ねていた。

 

というか、寝ても醒めても訓練とISのことばかり考えるようになっていた。藍越学園を受験する予定だった時すらこんなに真面目に取り組んだことはない。半ば訓練中毒のようになっている自覚はあるが、少しずつでも前に進んでいるという手応えが心地良かった。

 

前までのような焦りはないが、今は強さへの渇望と勝利への貪欲さが彼にとっての原動力だった。

 

そこへ、金銀コンビことシャルロットとラウラが姿を見せる。

 

「おはよう一夏。お休みなのに早起きだね」

 

「おう、おはよう。早起きなのはそっちもだろ、まだ七時だぜ?」

 

「休日だからといって怠惰に過ごすのは性に合わんのでな。平時から高いパフォーマンスを維持する為には、規則正しい生活が必要だ」

 

「それに関しちゃ全面同意するけどさ。鈴科にも言ってやれよ」

 

師匠は特別だ、と言って席につくラウラを苦笑いで迎える一夏。横にずれてスペースを空けてやれば、シャルロットがこれ幸いとばかりに一夏の横に陣取った。ほかほかと湯気を立てるポタージュと格闘するラウラを眺めながら食べ進めていると、不意に小さな笑い声が耳に届く。

 

鈴を転がすようなその声の出処は、隣に座るシャルロット。

 

「シャル? どうしたんだ?」

 

「一夏ってば、『訓練したい』って顔に書いてあるよ? やる気に溢れてるのはいい事だけど、今日くらい肩の力を抜いた方がいいんじゃないかな?」

 

「……俺、そんなに分かりやすいか?」

 

「割とね」

 

自分が思っている以上に心中の不満が顔に出ていたらしい。が、指摘された一夏としてはそんな自覚などあるはずも無いので、取り敢えずいつもの5割増くらいで表情を引き締めて朝食に戻る。

 

今からトーナメント出るのか? と言わんばかりの凛々しい顔で焼き鮭を解す様はシュール極まりないが、ラウラは火傷した舌を冷ましているしシャルロットは『これはコレで良いか』と想い人のキメ顔に見蕩れているので突っ込む者は居なかった。

 

「おはよー……って、どんな顔して飯食ってんのよアンタ」

 

「何故劇画調になっているんだ……?」

 

そうこうしているうちに幼馴染コンビこと鈴音と箒も朝食の席に加わる。こちらもこちらで一夏の顔面によって少なくないダメージを受けているのだがそこは流石に幼馴染。その程度で一喜一憂するほど耐性が低い訳ではなかった。

 

「おはよう2人とも。ちょっと一夏が訓練中毒になりかけてるって話をしてたんだ」

 

「おいおい、情報操作は良くないぜ。それに、ここはIS学園なんだから休日も鍛錬を怠らない優等生として褒められて然るべきじゃないか?」

 

「その発言がもう中毒者のそれだぞ」

 

箒からド正論をぶちかまされ、一夏は無言で顔を逸らした。何かしら理由をつけて自分の行動を正当化しようとしている辺り、割と手遅れな感じではあるのだが。

 

「まあ、一夏の考えも分かるさ。なにせ私達の相手は全員が全員格上だ、対策を積んで困るということもないだろうからな。だが、気負い過ぎて本番で力を発揮できないのでは、それこそ本末転倒だぞ」

 

「わかってるって。もう二度と無様な敗北は晒さねぇ」

 

獰猛な笑みを浮かべる一夏と涼しい顔でそれを諌める箒。今回の専用機持ち限定タッグマッチトーナメントにおける6組のペアのうち、機体スペックではツートップの2人。しかし、周囲からの評価としては『そこそこ』止まりなのが現実だ。

 

一夏の白式は高機動高火力の代償として全体的な燃費が悪く、カタログスペックを十全に活かすためには緻密なスロットルワークを要する。第二形態へ移行したことで可能になった二重瞬時加速(ダブル・イグニッション)に切り札の零落白夜と、どれもエネルギーを食うものばかり。使い所を誤ればあっという間にガス欠になってしまうが故に、手札の切り時を作る試合運びに注目が集まる。

 

箒の紅椿(あかつばき)は、実姉である束の手によって作られた正式な第四世代機。現行する機体の中でも頭一つ抜けた性能であるが、搭乗者である箒自身は稼働時間が少なく、ISでの戦闘経験という面においては他の面子に劣る。

 

しかし、彼女はIS乗りであると同時に剣客である。数百年をかけて磨かれてきた実戦剣術・篠ノ之流の使い手にして後継者。相手がISに乗っていようと動かしているのは人間である以上、意識の間隙を突崩す篠ノ之流が通じない道理なぞ無い。

 

機体性能に頼ったルーキーと呼ばれるか、オッズを覆す下剋上を果たすか―――期待値の高まる一夏&箒ペア。

 

「フッ、威勢の良いことだ。だが、戦いとは気合いや根性だけでどうにかなるものではない。お前達には悪いが、一足早く観客席からの眺めをプレゼントしてやろう」

 

「これでも国の旗を背負ってるんだ。そう簡単に負けてちゃ代表候補生なんて名乗れないし、肩書きだけじゃないって所を見せなくちゃね」

 

気炎を吐く一夏たちに対し堂々と構えるラウラと、彼女の口元についたソースを拭ってやりながらも静かな闘志を燃やすシャルロット。

 

ドイツ軍IS特殊部隊『黒兎部隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)』の隊長にして現役軍人であるラウラは、代表候補生達の中でも指折りの実力者である。一時とはいえ、かの織斑千冬から直接指導を受けて鍛えられたIS技能は間違いなく一級品。

 

遺伝子強化素体(アドヴァンスド)という出自に加え、『越境の瞳』による並外れた動体視力。冷静な判断力と戦闘思考を兼ね備え、『ドイツの冷氷』の通り名に違わぬ活躍が期待される。

 

シャルロットは持ち前の器用さと即応力によって、どのような戦場であっても安定した戦いが可能だ。自身の得意な交戦距離を維持し、高速切替(ラピッド・スイッチ)を活かした付かず離れずの戦法は『砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)』と呼ばれ高い評価を得ている。

 

以前行われた学年別タッグマッチでは、相方の一夏をサポートしながらもラウラへ決定打を与えるという好戦績を残しており、今さら彼女の実力を疑う者はいないだろう。

 

欧州屈指の実力者が肩を並べた、攻守ともに隙のない構成―――ラウラ&シャルロットペア。

 

「ったく、朝っぱらから火花散らしちゃってさぁ。いつからアンタ達そんなバトルジャンキーになったワケ? いーからさっさと食べなさい、冷めるわよ!」

 

「はい……」

 

鈴音はといえば、そんな4人を半眼で眺めながら中華粥をパクついていた。トーナメントの相方がこの場に不在ということもあってか、実に彼女らしい自然体の振る舞いだった。なんの捻りもなく普通に叱られ、しわくちゃになった某電気ネズミのような顔で食事に戻る一夏。

 

そんな光景を見ていた周りの生徒から『お母さんだ……』と思われている事などつゆ知らず、問題児達を黙らせた鈴音は腕を組んで嘆息する。休養日の意味分かってんのかしら、と半ば呆れつつも何か妙案は無いかと思考を巡らせて―――不意に指を弾いた。

 

「そうだ、折角だから皆でどこか出かけない? 学園に居たってすることないし、全員の予定が合うことだってそんなにないし。休養日だってんなら、それらしく楽しませて貰おうじゃない」

 

「おっ、いいな!」

 

「ふむ。確かに、ここに居てはどうしてもISに意識が向いてしまうからな。出かけるというのは私も賛成だ」

 

「僕も賛成。ラウラは?」

 

「師匠が行くならば私も同行しよう」

 

ブレねぇなこいつ、と思いつつその他4人は即座にアイコンタクト。ラウラを引きずり出すには一方通行を説得しなくてはならないのだが、攻略法は意外と簡単なのである。

 

まずは狙うのは彼ではなくセシリア。それっぽい理由をつけて彼女を丸め込んだら、セシリアを利用して一方通行を陥落させる。何だかんだ彼女に甘い一方通行であれば無下には断れないハズだ。最悪泣き落としで封殺できる。そうして一方通行が落ちれば、後は自動でラウラもついてくるという訳だ。

 

(分かってるわね、アンタ達)

 

(OK、セシリアを口説くのは任せろ)

 

(一夏今なんて言ったの?)

 

(……すまん、今のは俺の言い方が最悪だった)

 

(介錯してやる。そこへ直れ)

 

(箒お前、目がマジなんだけど。怖ぇよ)

 

一瞬で段取りを組み上げて、そうと決まれば後は主役を待つばかり。ほどなくして、

 

「おはようございまきゃああああ!?」

 

「くァ……、ン?」

 

柔らかい微笑みを浮かべたセシリアと大あくびをかます一方通行が現れ―――一瞬でセシリアが拉致されていった。寝起きで頭の働いていない一方通行はぼんやりとその姿を見つめていたが、ほどなくして緊張した面持ちで帰ってきたセシリアと、その背後でイイ笑顔を浮かべた一夏と鈴音を見て。

 

面倒なことになりそうな気配に、小さくため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セシリア、これはどうだ? 断熱性と保温性に優れ、内層に強化アラミド繊維を仕込んでいる。拳銃弾程度ならば防げるだろう」

 

「あのですねラウラさん。普段着なのですから、もう少しお洒落に気を遣ったものを選んでくださいな。というか何処から持ってきたんですの?」

 

「奥の軍用コーナーだが」

 

「……何故そんな箇所があるのかは疑問ですが、とにかく返してきてください」

 

「む、そうか……」

 

駅前の大型ショッピングモール『レゾナンス』。

 

以前、臨海学校に向けて水着を新調するために訪れたこの施設に、一方通行達は再度足を運んでいた。

 

朝食の席で流されるままに予定を決められ、身支度を整えて再出撃したのが2時間前。行きのモノレール内で挙がった冬服の話題の中で、一方通行が冬用の衣類を持っていないと判明したのが1時間前。『ならばこの際買ってしまおう』と全員で洋服店を巡り始めたのが30分前の事である。

 

一夏、箒、鈴音、シャルロットの4人はボトムスやシューズを探しに別コーナーへ。アウターやコート類については一方通行、ラウラ、セシリアと、

 

「……えっと。私、服はそんなに詳しくないんだけど」

 

所在なさげに佇んでいる簪の4人で選ぶこととなった。

 

朝食の際、たまたま通りかかった簪にセシリアが声をかけ、それならば一緒にと連れてこられた簪。元々予定もなく、アニメ鑑賞に耽ることになっていただろうから来ること自体に否やはないのだが。

 

「多方向からの視点は必要でしてよ、簪さん。わたくしとラウラさんだけではどうしても偏りが……というか、ラウラさんはあまり当てになりませんので」

 

「そういうことなら、まあ。けど、そんなに期待はしないでほしい……」

 

「目指せ読者モデルですわね」

 

「ハードル高いね……」

 

やいのやいのと高級そうなブランドを片っ端から漁っていく彼女たちを尻目に、一方通行は疲れた表情で缶コーヒーを傾けていた。10分おきくらいで何着かの服を持ってきては更衣室に放り込まれ、着せ替え人形にされているのだ。肉体よりも精神的な疲れが強かった。

 

一方通行としては着られれば何でも変わらないだろうというのが正直な感想なのだが、その程度で彼女らが止まるはずもなく。今は備え付けのベンチで体力回復に努めることしか出来ないのである。

 

(たかが服選びにハシャぎ過ぎだろォが……。っつか、コイツらの体力はどっから湧いて出てきてンだよ。外付けバッテリーでもついてやがンのかァ?)

 

腕時計に目を落とすが、短針はまだ11時を過ぎた辺り。昼飯の時間には切り上げるとしても、最悪あと1時間は付き合わされることになりそうだ。此方に来てからすっかり癖になってしまっている、諦めの混じったため息が漏れた。

 

少しでも気晴らしになるものはないかと思い、ぐるりと周囲を見渡してみるが目に入るのは服、服、服、そして子供―――

 

「……、あン?」

 

視認した風景に違和感を覚えた一方通行の口から、疑問の交じった声が漏れた。

 

ショッピングモールなのだから、子供が居ることは不思議ではない。しかし、保護者らしき大人の姿も見当たらず、不安そうにきょろきょろと周囲を探している様子を見れば嫌でも予想はつく。

 

大型商業施設において頻発する親と子の遭難。

 

つまりは迷子である。

 

レゾナンスの広さを考えると探し出すのは相当に骨が折れるだろうが、別段迷子になったからといって命の危険がある訳ではない。そのうちに店員か誰かが見兼ねて声を掛けるだろうし、わざわざ首を突っ込むこともあるまい。

 

『検索。目標との近似DNAを保有する個体……周囲に該当なし。周辺状況から見て、あの子供は「迷子」であると判断する。声を掛けた方が良いのでは?』

 

(勝手に出てくンじゃねェよ。っつか、オマエは俺のツラ見てから言ってやがンのか? それともあのガキを泣かせてェだけか?)

 

勝手に起動して余計な事を始めた『夜叉』のコア人格に対して苦言を呈する一方通行。平坦な声が頭の中に直接響いてくるような感覚には未だ慣れないが、少なくとも夜叉が提示した案に彼が乗るメリットは無さそうだった。

 

自分が無愛想なのは自覚しているし、声も低く目付きも悪い。そんな人物が泣きそうな幼女に声を掛けている場面など、傍から見れば完全に事案である。アナウンスされるのは迷子の放送ではなく不審人物の通報だろう。

 

どちらにせよ、この場に留まって要らぬ面倒を呼び込むよりはセシリア達と合流してしまった方が良いだろう。そう結論づけると、空になった缶コーヒーを捨てに行こうとして立ち上がり、

 

「あ、あの……お母さん、知りませんか……?」

 

「……………………、」

 

他ァ当たれ、という言葉をすんでの所で飲み込んで。吐き出す溜息の代わりに、大きく天を仰いだのだった。

 

 

 

 

 

 

 




ッエーイ


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十九話

迷子の少女―――外見年齢から考えるに幼女と表現するのが正しいだろうか―――に助けを求められた一方通行は、当初の予定通りひとまずセシリア達と合流することにした。

 

子供に直接声を掛けられて無視を決め込めるほどのクズになったつもりはないが、かといって子守りが出来るのかと聞かれても首を横に振るしかない。そもそも人付き合いが得意ではない彼が、ある種何を考えているのか分からない子供の相手など出来る訳がなかった。

 

「さっ、さっきまでは、一緒にいたの。お母さんがトイレに行っちゃったから、ひとりでお洋服見に来てっ、はぐれちゃって、それで……っ」

 

「オイ待て。落ち着け。……とりあえず、オマエの親探しは手伝ってやる。オマエの口振りから察するに、はぐれてからそう遠くへは行ってねェハズだ。運の良いコトに人手はあるし、探す手段も豊富にある。だから泣くンじゃねェ」

 

必死に状況の説明をしようとする辺り、思ったよりもしっかりしているようだ。しかし、話しているうちに感情の抑えが効かなくなり始めたのか、上擦った声が交じる。目尻にはうっすらとだが涙も滲んでおり、いつ決壊してもおかしくはない。

 

慌てて宥めにかかる一方通行。優しい言い回しなど出来ないので、口から出てくるのは事実を列挙しただけの拙い励まし。最後に付け加えられた一言が紛うことなき本心だった。

 

「ぁぅ……お母さん、探してくれるの……?」

 

「あァ」

 

「私、ちゃんとおうち帰れる……?」

 

「あァ」

 

そこまで聞いてようやく安堵したのか、きゅっと唇を引き結ぶと涙をぐしぐしと袖で拭った。そのせいで目元が赤くなっているが、どうやら今の一連の流れは彼女の中で『泣いてない』判定のようだ。

 

なんとか音響兵器の炸裂を防いだ一方通行は、安心と疲労を半分ずつ混ぜ合わせたような溜め息をつく。

 

ほんの僅かなやり取りだけでこの有様である。分かっていたことではあるが、やはり自分には荷が勝ちすぎている。早く誰かに対応を任せなければ、そのうちにこちらが心労でぶっ倒れそうだ。

 

携帯電話を取り出し、数少ない連絡先の中からセシリアへと電話をかける。動き回って人目につくのも避けたい所であり、もしも母親が探しに来た際入れ違いになるのを防ぐにはこれがベストだろう、という考えからだった。

 

「オルコット、聞こえるか」

 

『セシリアとお呼びください』

 

コイツも面倒臭ェなオイ、と一方通行は思った。

 

「……、セシリア。急ぎの用だ。迷子のガキを保護したンだが、俺じゃ手に余る。頼めるか」

 

『わかりました、すぐに向かいます』

 

きっかり1分後、戻ってきたセシリアに事の顛末を説明する。とは言ってもインフォメーションセンターまで送り届けてもらうだけなので、大したことでは無いのだが。

 

説明の最中、件の幼女は一方通行の服の裾を握り締めたまま彼とセシリアとで視線を往復させていた。正確には、絹糸のような美しい金髪に、だが。

 

「きれい……」

 

思わず、といったような感想だった。

 

幼い少女は皆、美しいものに心惹かれる。それが物であれ人であれ、純粋な心で美しいものを美しいと思える年頃だからこそ、金髪碧眼のセシリアがまるで童話のお姫様のように見えたのだろう。

 

惚けたような表情で眺めていた幼女だが、2人分の視線が集中したことを感じたのか慌てて俯いてしまう。その様子を見ていたセシリアは優しく口元を緩ませ、幼女に歩み寄ると膝を折って目線を合わせた。

 

「お褒めに預かり光栄ですわ、小さなお姫様。よろしければ、貴女のお名前を教えてくださいませんか?」

 

「……みずき、です」

 

「では、みずきさん。わたくしと、こちらのお兄さんとで貴女のお母さんを探すお手伝いをいたします。ですが、そのためにはみずきさんの協力がなくてはいけません。まずは、受付で呼び出しのアナウンスをしてもらいましょう。さ、お手をどうぞ」

 

「っ、うん!」

 

落ち着いた雰囲気と柔らかい声色で、あっという間に幼女―――みずきの顔に笑顔が戻る。差し出されたセシリアの手を握ると、そのまま腰辺りに突撃するかのように抱き着いた。空いた手でみずきの頭を撫でるセシリアは、実に『お姉さん』と呼ぶに相応しかった。

 

普段は……否、一方通行が絡むとポンコツになるだけであって、素の彼女こそ教養のある落ち着いた令嬢なのだ。まあ、ポンコツになっている割合の方が多い訳だが。

 

「では行きましょう透夜さん。ラウラさん達には一夏さん達と合流して頂くようにお伝えしてありますので、みずきさんの対応はわたくしたち2人で十分かと」

 

「あァ? オマエが居ればむしろ俺は要らねェだろ。せっかくオマエに懐いてンだからそのまま―――」

 

そこまで言いかけた一方通行の動きが止まった。

 

片方の手でセシリアの手を握ったみずきが、もう片方の手を一方通行へ向けて突き出しているのだ。彼が手を取ってくれることを信じているのか、その瞳には一点の曇りもない。

 

そんな視線から逃れるようにセシリアを見るが、彼女も彼女で優しく微笑むだけだ。

 

たっぷりと逡巡してから恐る恐る右手を伸ばすが―――しかし、その手は小さな掌に触れることなく宙を彷徨った。

 

脳裏に過ぎるのは、かつての記憶。

 

自分のチカラが初めて他者を傷付けてしまったあの日。

 

確かあの時も、同じような光景だった。ボールを取ろうとして突き出された誰かの手が、数秒後には捻くれた粘土細工のようになっていた。まだ悪意も敵意も知らなかった頃に起きた惨劇だからこそ、心の柔らかい部分に棘のように引っかかっている。

 

今の自分に能力はない。ISだって意図しなければ展開できない。だから、この手を握ったところで何も起きないはずなのだ。それでも、自分が手を触れることで、幼い命を傷付けてしまわないかと、心のどこかで二の足を踏んでいる。

 

臆病だと、考え過ぎだと言われてしまえばそれまでだ。しかし、彼にとっては決して軽んじることのできぬ可能性の話。

 

頭では分かっている。けれど、あの日の光景と眼前の掌がどうしようもなく重なってしまって――

 

 

 

 

そんな彼の懊悩を、掌に触れた暖かな感触が吹き飛ばした。

 

 

 

 

ハッとして視線を落とせば、みずきの小さな手が自分の手をしっかりと握っていた。彼の冷たい指先を融かしていくように、子供特有の高い体温がじんわりと伝わってくるが、それだけだ。恐れていたことは、何も起こらない。

 

無言で繋がれた手を眺めていると、みずきと視線がかち合う。一方通行の心中など知るよしもない彼女は、手を繋いだまま無邪気に笑っていた。まるで陽だまりのような笑顔だった。

 

「おにいちゃんの手、つめたいね」

 

「……そォかよ」

 

告げられた、あまりにも無垢な言葉に対し。どう反応を返して良いのか分からないままに紡がれた返答は、結局いつもと変わらないぶっきらぼうなものだった。

 

「ふふっ。お兄さんが迷子にならないように、しっかりと握ってあげていてくださいね?」

 

「うんっ!」

 

引っ張られるままに足を踏み出す。

 

先程までの恐怖はもう、いつの間にか消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ばいばい、おねーちゃん! おにいちゃんも!」

 

ぶんぶんと大きく手を振るみずきが、こちらへ向けて何度も頭を下げる母親に手を引かれていく。セシリアは胸の前で小さく手を振って応え、一方通行は居心地悪そうに首を鳴らした。

 

インフォメーションセンターまで来てみれば、同じく呼び出しをしてもらおうとしていたらしいみずきの母親と出会したのだ。最初こそ猜疑の視線を向けられはしたが、提示したIS学園の学生証と、みずき本人の証言もあって誤解は直ぐに解けた。何か謝礼をしたいという母親の申し出をセシリアがやんわりと断り、そうして迷子事件は特に何事もなく幕を下ろしたのだった。

 

ようやく面倒事から解放された一方通行は大きなため息をつく。それを見たセシリアは微笑を苦笑に入れ替えつつも「お疲れ様でした」と労をねぎらう。どちらかと言えば巻き込まれたのは彼女の方なのだが、そんなことで目くじらを立てるほどの器量ではない。むしろ、一方通行と2人になれる口実が出来て丁度良いとさえ思っていた。

 

「意外とは思いませんが、小さな子供が苦手なのですね」

 

「……あの純粋さが苦手ってだけだ。ちっとばかし喋っただけで、どォしてあそこまで信頼し切った目を向けられンのかが分っかンねェ」

 

「まだ善悪の区別もつかない年齢ですが、それ故に偏見というものを知りません。みずきさんは、透夜さんの本質的な優しさを見抜かれたのでは?」

 

「優しさだァ? 俺にそンなモンが備わってるよォに見えンのか?」

 

胡乱気な表情で隣の少女に視線を移すが、彼女は真面目な顔で続ける。

 

「透夜さんが偽悪的に振る舞うのは、他人を自分から遠ざけることで、強過ぎる力によって他者を傷付けないためだとわたくしは思っています。そして、その力を求めて寄ってくる者たちに巻き込まれないようにするためでもあると。そうやって周囲の人を守ってきた貴方が優しさを持ち合わせていないなどと、果たして誰が言えましょう」

 

「……、」

 

「悪意を持って接すれば、同じだけの悪意が跳ね返ります。それが善意であってもまた同じ。無論、全てがそうであるとは言いませんが、かつて透夜さんが傷付けてしまった人々もそうだったのではないかと、わたくしは思うのです。ですからどうか、今一度……信じてみてはどうでしょう。貴方の優しさは、きっと誰かに届くはずですわ」

 

学園都市(あの場所)には、悪意しかなかった。

 

向けられる感情はすべからく彼を害するものだったし、そうでなくても自分から歩み寄ろうとする者は居なかった。馬鹿共が一方的に貼った『悪』というレッテルが彼らの鏡写しであることも無視して、さも自分たちは被害者なんですといった顔で喚き散らす。

 

だが、この世界はどうだろう。

 

向けられる敵意がまったくのゼロというわけではない。が、向こうと比べればほんの些細なものであり、一方通行という個人に向けてというよりも『男性』というカテゴリに向けてのもの。

 

彼が怯える理由など、今はどこにもありはしないのだ。

 

押し黙る一方通行を見て何を思ったのか、セシリアはバツが悪そうに視線を逸らし、そのまま腰を折った。色素の薄い金髪が一拍遅れてしなだれ落ちる。

 

「ぁ……っ、申し訳ありません。わたくし、勝手なことを……」

 

「……いや。オマエは間違っちゃいねェよ」

 

彼とて、それが勝手なエゴでしかないことはとっくに気付いている。一夏を始めとした学園の人間たちは、学園都市の腐った人間達とは違うのだと。そんな彼ら彼女らを信じ切れず、いつまでも疑心暗鬼になったまま拒み続けている自分こそがガキなのだと。

 

過去にケリをつけるなどと口にしながら、最も過去に怯えている。未練を断ち切ったつもりの哀れな人間。それが今の自分だ。

 

(……どいつもこいつも、簡単に人の心ン中を読むンじゃねェっつの。それでいて強制はしねェ、変わるのは俺次第だとか言いやがる。チッ、やりにくいったらありゃしねェ)

 

心中でぼやいてから、不安そうな色を碧眼に載せたセシリアに向き直る。真っ向から言うのは抵抗があったので、顔だけはあらぬ方向へと向けたまま、ぼそりと告げる。

 

「……善処はする。期待はすンな」

 

「っ、はい!」

 

ぱっと咲いた笑顔の花を眺めながら、一方通行はぼんやりと思考する。今でこそこうして談笑している彼女も、入学したての頃は自分を敵視していたのだ。案外、人が変わる切っ掛けはその辺に転がっているのかもしれないな、と思った。

 

そこへ、着信を知らせる小さな電子音が響いた。音の出処はセシリアの携帯らしい。こちらへ一言断ってから携帯電話を取り出した彼女は何度か画面に指を滑らせると、やがていつものように微笑んだ。

 

「皆さんのお買い物が済んだようです。どんなコーディネートをしてくださるのか、楽しみですわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんというか、見後に真っ白になってしまったな……」

 

「でも、ちゃんと似合ってるから不思議なもんよね」

 

「……戦隊もののホワイトみたいだね?」

 

雪原迷彩(スノーデジタル)か。確かにこれからの季節には実用的だな」

 

「うん、ラウラはもう黙ってようか」

 

「とても良くお似合いですわ。着心地のほうは如何でしょうか?」

 

一方通行とセシリアが迷子の相手をしている間に、他のメンバーはしっかりと服を選んでいたらしく。再度試着室に放り込まれた一方通行の姿を見て、それぞれ感想を口にする。一部は感想にすらなっていなかったが。

 

そんな一方通行の格好はといえば、フード部分にファーの付いた白いコートの中に、ダークグレーのタートルネックニット。コートと同じく白い細身のボトムスにスニーカーと、全体的に真っ白だった。

 

着込んでいる枚数は少ないものの、素材が良いのか思ったよりも暖かい。腕を回してみても窮屈さはなく、冬物にありがちな重たさもほとんど感じない。デザインも性能にも文句はないため、さっさと購入して終わらせたい一方通行は曖昧に頷くと財布を取り出した。

 

「幾らだ」

 

「ん? ああ、支払いは俺たちが持つから大丈夫だぞ。日頃から世話になってるし、感謝の気持ちってことで遠慮なく貰ってくれ。まあ、こんなので返し切れるほどの恩じゃないんだけどさ」

 

そう言って、一夏は快活に笑う。一方通行とて、別段金に困っている訳ではないので払う分は払う、と口にしかけて、やめた。先程セシリアにああ言った手前、これは素直に受け取っておくのが吉なのだろう。

 

「……、悪ィな」

 

「気にすんなって。さっ、それじゃあ飯でも食いに行こうぜ! 皆もそろそろ腹減ってきたんじゃないか?」

 

「でしたらこの近くに丁度いいカフェがありますわ。食事も出来ますし、なによりマスターの淹れるコーヒーは絶品でしてよ。わたくしも淹れ方を教わっておりますが、あの技術ばかりは盗める気がしませんもの」

 

「セシリア、そんなことしてたの? 道理で如月さんが『コーヒーはもう飲みたくない』って言ってた訳だよ……」

 

「え? ていうかアンタ、ちゃんとコーヒー淹れられるの? 実は泥水でしたとかいうオチじゃないわよね」

 

「喧嘩なら買いますわよ鈴さん」

 

笑顔のまま額に青筋を浮かべたセシリアが鈴音を締め上げ、慌てて仲裁に入るシャルロットと箒。それを呆れた視線で眺めるラウラと苦笑いの簪、財布を見てちょっと顔を青くしている一夏。

 

そんな騒がしい休日の一幕は、秋晴れの雲のようにゆっくりと流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「―――うーん、これぞ青春ってやつかな? 束さんには縁のないものだったけど、キミは学生らしい生活を存分に謳歌するといい。なにせキミにはその権利があるんだからねぇ」

 

モニターの光に照らされた美貌が、薄らと笑みを形作る。

 

「さて、あっくん。キミは今、ようやくスタートラインに立った訳だ。キミを『一方通行(アクセラレータ)』たらしめていたチカラも、過去の楔も無くなった。一方通行……ううん、キミはもう『鈴科透夜』だ。キミの物語はここから始まる。キミだけの、キミが描く物語が」

 

彼女は詠う。

 

どこまでも無邪気で純粋な、まるで夢見る少女のように。

 

「舞台は私が整えよう。役者は既に揃っている。台本(シナリオ)は勝手に組み上がるし、後は開演を待つばかり。少し手を加えさせてもらうけれど、私の役目はこれでおしまい。ここから先はしがない観衆(オーディエンス)として、特等席で楽しませてもらおうかな」

 

彼女は想う。

 

願わくば、その夢の先を魅せて欲しいと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――期待してるよ。とびっきりの幸福な結末(ハッピーエンド)ってやつをさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無垢なる悪意が、胎動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十話

なげーよホセ(約一万文字)


そして迎えた、タッグマッチトーナメント当日。

 

会場となる第一アリーナには秋の清涼な空気を吹き飛ばす程の熱気と歓声が渦巻いており、これから行われる試合の注目度の高さを物語っていた。

 

常であれば1学年丸々収容できる観客席も今日に限っては満席だ。運良く座席を確保できた生徒と、立ってまで観戦したいという生徒でごった返しており、それでも入り切らなかった生徒達は第二アリーナのリアルタイムモニターでの観戦となっていた。

 

一段高くなったVIP席には各国の上役や国連機関の役人など錚々たる顔ぶれが並んでおり、一般席にも企業エージェントやTV局のスタッフ達が生徒に交じってすし詰めとなっている。春先に行われたタッグマッチトーナメントも相当な盛り上がりではあったが、それを上回る程の熱量がアリーナを満たしていた。

 

そんな、騒がしい観客席の一角に。通り過ぎた者が2度見するくらいの―――正確に言えば、そこにいる面子だけで小国を制圧できる程の戦力が集まっていた。

 

「うーん、すごい盛り上がりねぇ。メディアの前に出るのはまだ2回目ってこともあるけど、やっぱりネームバリューが違うのかしら。ラウラちゃんやシャルロットちゃんは慣れてると思うけれど、一夏くんと箒ちゃんにとってはプレッシャーかもしれないわね。簪ちゃんも、緊張してない?」

 

「うん、大丈夫。それより今は……試合の方が、気になるかも」

 

二年生、ロシア国家代表・更識楯無。

 

一年生、日本代表候補生・更識簪。

 

仲違いを解消した姉妹は、互いにペアの相手としては理想といっても良い。前衛後衛のバランスが取れた機体の相性も十分であり、総合的な戦力として高く纏まっている。不安要素としては簪の専用機『打鉄弐式』の完成が危ぶまれていた点であるが、とある少年の助力を受けてなんとか完成まで漕ぎ着けられていた。

 

「認めるのは癪だけど、間違いなく今日一番のカードよね。企業からしても、一夏と箒の機体データは喉から手が出る程欲しいモンでしょうし」

 

「良くも悪くも、この試合がお二人の評価を決定づけると言っても過言ではないでしょう。前回のトーナメントと似通った部分はありますが、だからこそ実力の変動が浮き彫りになります。ただ……願わくば、お二人にはそういったことを気にせずに挑んで欲しいものですわね」

 

一年生、中国代表候補生・凰鈴音。

 

一年生、イギリス代表候補生・セシリア・オルコット。

 

類希な戦闘勘を有する鈴音を前衛に据え、セシリアが後方から射撃支援に回るというスタンダードな戦闘スタイル。しかし、シンプル故に付け入る隙が少なく、打ち崩すには純粋な突破力か、相応の対抗策ないし奇策を用意する必要があるだろう。

 

「……先輩、ウチらもなんかそれっぽいこと言った方が良さそうっス。居眠りしてる場合じゃねーっスよ」

 

「んぁ……? オレらが今から気にしたところで何が変わるわけじゃねぇし、なるようになんだろ。それよりこっち来いよフォルテ、抱き心地のいい枕が無くて困ってんだ」

 

二年生、ギリシャ代表候補生・フォルテ・サファイア。

 

三年生、アメリカ代表候補生・ダリル・ケイシー。

 

互いの専用機の特性を組み合わせた堅牢鉄壁のコンビネーションをして『イージス』と称される、学園内でもトップクラスの実力者二人。ダウナーな空気を纏うフォルテと気だるそうなダリルだが、その自然体の姿こそが彼女らのベストコンディションである。

 

「や、人のこと抱き枕扱いすんのやめてもらっていいっスか?」

 

「そーよそーよ、抱き心地なら透夜くんの方が断然良いんだから。ねっ、透夜くん?」

 

唐突に水を向けられた一方通行は、面倒くさそうな表情で楯無を見た。その顔には「一々巻き込むな」と書いてあったが、楯無は無視してにっこりと微笑んだ。

 

訳あって今回のトーナメントへの出場は見送っている一方通行だが、その戦闘能力は折り紙付きだ。理論派の到達点とも言える、高い情報処理能力と空間把握能力によって組み立てられる戦闘理論。戦況を把握し、相手の思考を推測し、行動を制限し、攻撃を振るい、あるいは防ぐ。ただそれだけのプロセスを極めて高い精度で実行し続ける―――言葉にするのは簡単だが、果たしてそれを可能にできる者がどれだけいるか。

 

個としての単騎戦力で見るならば、学園最強である楯無をも凌駕するポテンシャルを有する。しかし出回っている情報は一夏以上に少なく、今回もその実力を見せる機会はなさそうだった。

 

なにせ、彼の駆る機体が機体である。

 

篠ノ之束が手がけた第四世代相当の機体に、取り込んだ福音の武装プログラムによって変質した第二形態『極天』。見るものが見ればそれがどのようなものか分かってしまうが故に、アメリカやイスラエルの関係者も出席するこの場で機体を露見させる訳にはいかない。

 

日本国籍だって束が偽装したものなので実質無国籍、しかも二人目の男性操縦者。ただでさえ複雑な立場をより悪化させるのは防ぎたい、という学園側の措置だった。無論多くの反発もあったが、全て千冬の元で握り潰されていた、というのは彼の預かり知らぬところである。

 

「……楯無先輩? その口振りですと、透夜さんを抱き枕にして寝た事があると捉えてよろしいのですね?」

 

「……、あー……まあ、そうね?」

 

「そうですか。墓前のお花は何がよろしいですか?」

 

「え? 私もう死んでる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

アリーナの喧騒が僅かに耳に届く。

 

引っ張られるように、内側に向けていた意識が表層へと浮上する。

 

閉じていた眼を開けば、クリアになった思考がゆっくりと回り始める。

 

身体に不調はない。愛機のコンディションチェックも済んでいる。各種武装、スラスター稼働も万全だ。全身を血潮のように駆け巡る闘志を感じながら、一夏は軽く右手を開閉する(・・・・・・・・・)

 

「む……一夏」

 

「ああ、分かってる。ちょっと気持ちが昂ってるだけだ」

 

同じピットにてその様子を見ていた箒が咎めるような声を上げる。が、当の一夏が先んじて内容を口にしたことで「ならばいい」とすぐに引き下がった。

 

姉や幼馴染からは悪癖と言われる、この右手を開閉するクセ。彼自身も無意識に出てしまっているものなので制御が出来ないのだが、大抵これが出ている時にはしょうもないヘマをやらかすのが恒例だった。なるほど確かにその通りだろう、試合を前にして、気持ちの昂りが自覚できる。

 

その状態を自覚できている(・・・・・・・)のだ。

 

闘志を燃料に気炎を巻き上げる自分と、頭の中でそれを客観的に俯瞰するもう1人の自分。優れた選手は常に冷静な自分を頭の中に飼っているというが、言い得て妙だ。

 

心は熱く、頭は冷静に。

 

戦いに赴くには理想的なコンディションだった。

 

『試合開始時刻となりました。各選手は指定のカタパルトより順次発進準備をお願いします』

 

スピーカーから真耶の声が流れると同時、物々しい金属音と共にカタパルトレールが起動する。

 

「来い、白式」

 

「行くぞ、紅椿」

 

光の粒子が弾け、白と紅が顕現する。

 

幾度となく空を駆け抜けた愛機。既に展開時間は半秒を割っている。

 

ぶるり、と背中が震えた。

 

恐れではない。緊張でもない。戦いを前にして高揚する心の臓腑が四肢から熱を吸い上げ、反比例するように頭の芯が冷えていく。最後にもう一度ステータスウィンドウにざっと目を通してから、カタパルトに両足を載せる。

 

「先に行くぜ。それと、箒」

 

「なんだ?」

 

「勝つぞ」

 

唐突に投げ掛けられた言葉に、箒は目をぱちぱちと瞬かせていたが。やがて口端を笑ませて大きく頷いた。

 

それを確認し、一夏は前傾姿勢を取る。視界に表示された発進ボタンを視線認証(アイ・コントロール)で押下した瞬間、電磁カタパルトが作動。『白式』の脚部を噛み止めたまま猛然と加速し、純白の機体がアリーナ内部へと飛翔する。

 

 

 

直後、アリーナが揺れた。

 

 

 

(うおっ!? な、なんだ……?)

 

一夏が姿を現した瞬間、ただでさえ騒がしかった観客席から爆発的な歓声が上がる。まだ試合が始まっていないにも関わらず、弾けた感情が物量すら伴って機体を叩いた。少し遅れてやってきた箒も、予想外の盛り上がりに若干困惑している様子だ。

 

「さしずめ僕らが悪役(ヒール)ってところかな?」

 

「そうむくれるな。簪が言うには、昨今はダークヒーローというものも流行っているらしいぞ」

 

「それはちょっと違うような気がするけど……」

 

対面のカタパルトから、タイミングを同じくして姿を見せたシャルロットとラウラ。耳を劈くような歓声は主に一夏達へ向けられた期待の色が濃く、空気は彼女らにとってアウェイに近い。が、そんな瑣末事に気を取られてリズムを乱されることもなかった。

 

試合開始のカウントダウンまで、二言三言交わす程度の猶予はあるだろう。解放回線を開いた一夏は因縁浅からぬ少女へと言葉を紡ぐ。

 

「こうやって対面するのは、公式戦じゃ二度目だな」

 

「そうだな。最初は新兵だと侮っていたものだが、今やしっかりと兵士の顔つきになっている。お前の成長には目を見張るものがあるぞ」

 

「随分とリップサービスが良いな。褒められたって油断はしねーぞ」

 

「フッ……前回は私も無様な姿を晒してしまったが、今やもう迷いはしない。―――全霊でお前を叩き潰してやろう」

 

眼前の白い少女から、目に見えぬ戦意が重圧となって放たれる。会場の空気を上書きするような重く冷たいそれを、しかし一夏は獰猛な笑みを以て歓迎した。

 

ああそうだ。自分よりも強い相手でなくては意味が無い。強者を打ち倒し自らの糧とする。そうしなければ強くなんてなれやしないのだから。

 

対峙する両ペアの丁度中間地点に浮かぶカウントダウンが数を減らしていく。

 

一夏が愛刀『雪片弐型』を呼び出し、箒が腰の二刀を抜き放つ。ラウラが眼帯を外してプラズマ手刀を展開し、シャルロットがアサルトライフルを構えた。四人の放つ重圧に飲まれるかのように歓声が小さくなっていき、張り詰めた空気が最高潮に達し―――カウントがゼロになる。

 

試合開始と同時に飛び出したのは一夏。

 

スラスターを激発させ爆音と共に加速した純白の機体が、余波だけで地を抉りながらラウラへと肉薄する。機体のパワーを十全に活用した瞬時加速(イグニッション・ブースト)―――

 

 

 

 

ではない(・・・・)

 

 

 

 

予想外の加速力に、ラウラの目が見開かれる。

 

が、そこで硬直して隙を晒してしまうようでは代表候補生など名乗れない。意思に先行して身体は動く。

 

機体の加速と抜刀の威力を乗せて振るわれた白い刀身にプラズマ手刀を合わせ、衝撃を後方へと受け流してみせた。虚を突かれながらも迎撃を間に合わせたラウラだったが、内心は少なくない衝撃に襲われていた。

 

(想像以上に速い……ッ! 瞬時加速特有の溜め(・・)がないからリズムが狂わされる! つくづく厄介だな、展開装甲とやらは!)

 

無論、慮外の加速にもタネはある。

 

福音戦を経て二次移行(セカンド・シフト)を果たした『白式』は、雪片弐型に組み込まれていた展開装甲の機構を一部取り込んでいる。『零落白夜』発動のため攻性エネルギーの放出に偏ったものであったが、機体側の展開装甲は本来の機能を取り戻していた。

 

攻撃・防御・機動の各種役割を操縦者の意思ひとつで切り替えられる兵装、それを搭載した第四世代機。すなわち、即時対応万能機(リアルタイム・マルチロール・アクトレス)

 

今の超加速は、『白式』のスラスターに加えて展開装甲を追加スラスターとして稼働させていたが故のものだった。

 

開幕直後の先制攻撃か(・・・・・・・・・・)分かりやすいな(・・・・・・・)!」

 

生憎と、俺は小細工は苦手なんでね(・・・・・・・・・・・・・・・・)!」

 

聞き覚えのある挑発に覚えのある返答を投げつけ、即座にサイドブーストをかける。直前まで一夏が立っていた場所に弾丸の嵐が降り注いだ。

 

「僕も忘れないでほしいかなって!」

 

「忘れる訳ねぇだろ……ッ!」

 

勢いそのままに回避運動へとシフトし、右へ左へと小刻みに機体を振って狙いを散らす。味方の時はあれ程頼もしかったシャルロットの射撃を紙一重で躱しながら、一夏は舌を巻く。彼女自身の戦闘能力も然ることながら、援護に回られた時の厄介さが段違いだった。

 

「箒ィッ!!」

 

「任せろ!」

 

声を張り上げ相方を呼べば、紅の機影が飛び込んでくる。翳した腕部装甲からエネルギーが放出され、薄く引き伸ばされた状態で収束、固定化。形成された紅色のエネルギーシールドを構えたまま、シャルロットへ向かって箒が突撃していく。

 

アサルトライフルの弾丸程度では、高密度のエネルギーで編まれた盾を破ることはできない。接触した端から蒸発していく様子を視認しながらも、射撃の手を休めることなく武装を呼び出し(コール)

 

連装ショットガン『レイン・オブ・サタディ』に装填したのは通常の散弾ではなく、衝撃と貫通力に重きを置いた特殊な一粒弾(スラグ)。弾頭に特殊加工を施すことで叩き付けられた衝撃を貫通させる、『鎧通し』の技術から着想を得た新型弾薬だ。

 

一夏と箒、互いに近接武装がメインとなる機体。多少の牽制は可能であるとしても、こうして無理矢理に間合いを詰めてくることは織り込み済みだった。

 

(そして、その手段は『機動力での踏破』か『防御での強行突破』の二択! 至近距離での攻撃力は確かに脅威だけど、接近する際にまず頼るのは技術じゃなく機体! 箒が土俵に上がる前に叩き落とすッ!)

 

後ろ手に提げていた銃身を勢い良く抜き放つ様はガンマンの早撃ち(クイックドロー)さながら。響く轟音は、銃声というよりも砲声に近かった。

 

ライフル弾ではないため弾速はやや落ちるが、それでも回避は間に合わない距離。直撃すればシールド越しでも相応のダメージは入るだろう。

 

 

 

そんなシャルロットの思惑を断ち切るように、銀閃が迸る。

 

 

 

箒が右手の刀を振るったのだと認識した時にはもう、必中を期して放たれた弾丸は真っ二つに分かたれていた。脳の理解が追いつかないまま二度、三度と引き金を絞るが、箒が刀を振るう度に断ち切られ、あるいは弾かれて無力化されていく。

 

まるで漫画のような光景に、観客席がどよめいた。

 

「ちょ、はぁっ!?」

 

「お前の意識が向く先、視線が向く先、銃口を向ける先―――つまりはお前の狙う場所。撃たれる場所さえ分かれば、真っ直ぐ飛んでくる弾ほど斬りやすいものもあるまい!」

 

理解し難い光景を見て、およそ彼女らしくないレスポンスを上げたシャルロット。対する箒は至極真面目な顔で理解不能の理論を振りかざし、二刀を閃かせて弾丸を弾き返しながらぐんぐんと距離を詰めていく。

 

(いやいやいやおかしいって! 弾だよ? 音速超えてるんだよ!? しかも特殊弾頭なんだから当たったら刀の方が砕けるはずなんだけど!? え、日本のサムライって皆こんなことできるの? っじゃない、止められないならとにかく回避! この位置はマズい、距離を取らないと!)

 

混乱しかけた思考を引き戻し、迎撃から回避に切り替えてバックブースト。両手にアサルトカノン『ガルム』を呼び出し弾幕を展開する。一点の火力よりも面での制圧を狙った最初の構図に戻り、戦況が膠着した(・・・・・・・)

 

(ラウラと合流……いやダメだ、一夏と箒を近くに置いたらこっちが纏めて吹っ飛ばされかねない! 隙を見てラウラのフォローをしつつ、箒をこの場に縫い止める! タッグマッチだけど、この場においては2vs2じゃなくて1vs1が最善!)

 

『ラウラ! プランC2でお願い!』

 

『っ、了解した!』

 

事前に決めておいた合図。それぞれがターゲットを定めてその場から動かず、その代わりに相手の連携も取らせないことを目的とした一人一殺の形。機体スペックで劣る以上個々人の技量が試される戦略だが、シャルロットの狙いはそこではない。

 

紅椿の展開装甲は、攻撃にしろ防御にしろ全てがエネルギーの性質を有する。つまりは何かしらのアクションを起こす度にエネルギーを消耗するため、持久戦に弱い。対してラファールは燃費と安定を突き詰めており、実弾故の弾切れこそ懸念されるが継戦能力ならばこちらに軍配が上がるだろう。

 

最初こそ苛烈な攻撃も、時間経過とともに有利になっていくのはこちら側だ。そう結論付けて、シャルロットはガス欠を狙って削り続ける持久戦へと舵を切った。

 

「銃撃を刀で弾くなんて流石に驚いたよ。日本のサムライって凄いんだねっ!」

 

「なに、鍛錬次第で誰でも出来るさ!」

 

序盤の探り合いを過ぎて戦いは佳境へと差し掛かる。更なる興奮を求め、アリーナの熱気も際限なく高まっていく。一夏と白式の超加速に、箒が見せた弾斬り。開始早々見せつけられた大技に気を取られ、誰も気が付かない。

 

この戦況こそが、意図的に仕組まれたものであることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シィィ―――!」

 

呼気と共に振るわれた刃が、黒い装甲を断ち切らんと唸りを上げる。太刀筋は鋭く、並のIS乗りでは防ぐことすらままならないだろう。しかし、彼が相対しているのは間違いなく並のIS乗りではなかった。

 

「ただ速いだけの斬撃など―――!」

 

神経伝達物質の活性化を促し、結果として肉体の反応速度を爆発的に向上させる戦闘用ナノマシン『越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)』。最大稼働状態を示す金色の輝きを放ちながら、一夏の剣戟を捌くと同時に的確な反撃を差し込んでいく。

 

一撃一撃の威力は長刀を振るう一夏の方が上だが、小回りと手数ならば二刀を扱えるラウラが有利だ。加えて、彼女の手足たる武装はそれだけに収まらない。

 

肩口を狙って突き出されたプラズマ手刀を『雪片弐型』で弾き返す。その後隙を狙い、うねる生物のような動きでワイヤーブレードが二本、僅かな時間差をつけて飛んでくる。刀を引き戻していては間に合わない。握っていた柄から左手を放し、裏拳の要領でブレードの側面を叩いて軌道を逸らした。シールドエネルギーが僅かに減少する。

 

拳を振り抜いた勢いそのままに機体ごと回転。右手に残った『雪片弐型』でもう一本のワイヤーブレードを払い除け、続くラウラ本体の攻撃は空中で転がるようにして回避。最小限の被害で彼女のキルゾーンから抜け出した。

 

(ッ、今のを防ぐか! 動きのキレ、判断力、どれをとってもあの時とはまるで別人だな、織斑一夏……!)

 

(『白式・雪羅』はカタログスペックなら『シュヴァルツェア・レーゲン』を上回ってる! それでも押し切れないのは純粋に操縦者の技量、経験値の差! とにかく戦い方が抜群に(うめ)ぇ!)

 

ラウラの駆る『シュヴァルツェア・レーゲン』は武装こそ全距離に対応した構成だが、彼女自身の得意とするレンジは近距離から中距離。ワイヤーブレードとAICによって相手の行動を制限し、限定的な空間において自らの有利な状況を作り出せる。

 

つまり―――ラウラ・ボーデヴィッヒと1vs1で戦うこと自体、本来は避けるべきなのだ。

 

以前のタッグマッチトーナメントで一夏がラウラに対してあそこまで食い下がれていたのは、ひとえに相方のシャルロットの援護があったからに他ならない。

 

両手のプラズマ手刀と六本のワイヤーブレードを躍らせ、絶え間の無い攻撃を振らせる様はまさに黒い暴風雨。箒の教えにより防戦の技術も跳ね上がっている一夏だが、それでも刀一本で凌ぎ切るには限界がある。八対一ではどうやっても手数が足りない。

 

単純な計算だった。

 

(ぐ、ぎ……ッ!)

 

脳が焼き切れそうな感覚を無視して一心に刀を振るう。僅かなミスがそのまま決定打になりかねない状況。クリティカルヒットこそ防いでいるものの、捌ききれない攻撃が機体を掠めている。純白の装甲が徐々に削り取られ、シールドエネルギーがじわじわと減少していく。

 

「認めよう、今のお前は紛れもない強者だ! だが、私には負けられない理由がある! あの人に……否、あの人を超えるまで―――負けられないのだッッ!!」

 

「そ、んなもん……! 俺だって幾らでもあるんだよッッ!!」

 

弾けた感情が刀に乗った。

 

斬撃が加速する。横薙ぎで左の手刀を逸らした。脱力させた手首を返し、瞬時に刀を引き戻して大上段唐竹割り一閃。防御から最速で攻撃に転じる、篠ノ之流剣術『一閃二断』。

 

雪片弐型が大気をも裂く勢いで振り下ろされ―――踏み込んだ足が、不自然に停まる(・・・)

 

(AIC……ッ!? こんな斬り合いの最中に!?)

 

慣性停止結界(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)

 

指定した対象または座標に特殊な力場を構築し、力場へ進入した物体の運動量を強制的にゼロにさせる『シュヴァルツェア・レーゲン』の特殊兵装。警戒していない訳ではなかった。

 

しかし、イメージ・インタフェース兵装はその出力次第で発動に要する集中力が変動する。例えば鈴音の『甲龍』に搭載されている衝撃砲は、空気を圧縮して打ち出すという仕組みとしては単純なもの故に連射が効き、殴り合いながらでも射撃は可能だ。

 

だがAICはその強力な性能と引き換えに、発動には多くのリソースを割かなくてはならない。だからこそ一夏は多少のリスクを負ってでも至近距離の乱打戦を仕掛け、AICという札を切らせないようにラウラの集中力を斬り合いへと向けさせていたというのに、何故―――!

 

抱いた疑問の答えは、彼自身がよく知っているハズだった。

 

一夏が劇的な進化を遂げたように。

 

見た目こそ変わらねど、ラウラもまた進化している。

 

それだけの話だった。

 

踏ん張りを崩され、軸の傾いだ斬撃はプラズマ手刀で容易く弾かれる。雪片弐型が回転しながら天高く打ち上げられ、体幹を崩された胴体はがら空きだ。

 

そのまま長刀の間合いの更に内側、腕も振るえない超至近距離へと潜り込む。万一を警戒して確実に反攻の芽を潰し、尚且つ追撃を打ち込めるポジションへと。

 

防御も回避も間に合わない。

 

誰もがそう確信した。

 

斬撃が装甲を砕き、シールドエネルギーが激減した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ってたぜ、この時をよォ……ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『白式』のシールドエネルギーは5割を切っている。装甲もひび割れ、度重なる無茶な機動によって駆動部も悲鳴をあげている。だが、それら全てを無視して、一夏は凄絶な笑みを浮かべていた。

 

雪片弐型は未だ宙を舞っており、彼が手に持つ武装は無い。

 

だが、ラウラの視界で弾ける青白い燐光を見間違えるはずはない。あらゆる防御を無に返す必殺の光刃―――『零落白夜』。彼の切り札ともいえるその輝きが何故、左手から零れている(・・・・・・・・・)―――!?

 

「な、んだ、それは……ッ!?」

 

「お披露目する機会に恵まれなかったんだけどな。初陣としては大金星だろ……!」

 

右の腕部装甲と比べて一回り大きくなっている、左前腕部分の装甲。そこには二次移行によって新たに追加された『白式』唯一の遠距離攻撃手段、多機能武装腕(アームド・アーム)『雪羅』が搭載されている。

 

一発の燃費の悪さ、一夏自身の射撃センスも相まってほとんど使っていなかったその武装に、新たな項目が追記されているのに気が付いたのはつい最近。

 

―――『零落白夜』と同様の性質を有するエネルギークロー。

 

一夏はその存在をペアである箒にのみ伝え、どのようにして活用すれば良いか頭を捻らせた。威力こそ高いが、リーチは『雪片弐型』に劣る。故に、完全確実に当てられる状況を作り出すまでその存在を悟られる訳にはいかなかった。

 

貫手のように揃えた五指が、青白い光と共に『シュヴァルツェア・レーゲン』の肩口を抉っている。シールドバリアを濡れた紙のように貫通し、絶対防御が発動。エネルギーをゴリゴリと削り取っていく。刺し違える形にはなったが、それを抜きにしても余りあるほどのリターン。

 

(新たな武装、それはいい!だが不可解なのは今の反撃! 完全に崩された体勢からあれ程正確な反撃を打ち込むなど、予測していなければ不可能(・・・・・・・・・・・・)な……いや待て、まさか―――ッ!?)

 

即座に身体を捻り、牽制のレールカノンを放ちながら後退する。幸いにして追撃はなかった。あちらも体勢を立て直したいのだろう。

 

視界の端に浮かぶ数値を見れば、残りのシールドエネルギーは3割を切っていた。同時に、脳裏に浮かんだ仮説に愕然とする。

 

「誘われた、ということか……!」

 

「ご名答。もう少し悩んでくれても良かったんだけどな」

 

苦々しく呟くラウラ。身体に溜まった熱を吐き出すように息をついた一夏は、再度呼び出した『雪片弐型』を構えた。今までの我流剣術とは異なる、明確な『理』によって構成された型。

 

甘美な毒のように懐へ誘う篠ノ之流の構え。

 

「さて―――文字通り、反撃開始といこうか……!!」

 

 

 

 

 

決着は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十一話

完結まで何年かかるんですかねコレ


ラウラと一夏が激闘を繰り広げる傍ら。

 

勝るとも劣らぬ程に鎬を削り合うのは、必殺の間合いへ踏み込むために攻め立てる箒と、安全圏を維持する為に防戦に徹するシャルロット。

 

箒が右手を閃かせれば、鮮やかな紅色の攻性エネルギーが虚空へと収束。小刀の形を取ったそれらは箒の斬撃に一拍遅れ、空を斬り裂いて飛翔する。

 

唸りを上げて迫る刃の群れに対し、シャルロットの対応は至極冷静なものだった。展開装甲の攻撃に合わせて距離を詰めようとする箒を牽制射撃で足止めしつつ、瞬時に呼び出した物理シールドで紅の刃を受け止める。

 

瞬く間に針山となったシールドを切り離し(パージ)と同時に蹴り飛ばせば、突き立っていたエネルギー刃が炸裂。特大の手榴弾と化したそれは、大量の破片と爆風で周囲一体を蹂躙した。

 

たまらずバックブーストをかけて被害を防ぐ箒だが、結局エネルギーを浪費したのみで距離は詰められず。残心の構えを取ったまま、絞り出すように細く息を吐いた。

 

視界の端に映るエネルギー残量は、致命的な被弾はしていないにも関わらず既に3割を切りかけている。高い性能を誇る代償として、動作ごとにエネルギーを消耗する展開装甲の唯一の弱点であった。

 

(まずいな……ここまで徹底的に待ちの姿勢を崩さないとは。持久戦はこちらが圧倒的に不利な以上、何処かで攻勢に出なくてはならないが)

 

狙うならば短期決戦。

 

それで仕留め切れなければガス欠となり箒は脱落、残る一夏が二人を相手取る形になってしまう。あちらの戦況は一夏に傾きかけているものの、決着するまで箒のエネルギーが持つという保証もない。

 

仕掛けるか否か。

 

試合の分水嶺となり得る選択に、箒が意識を僅かに割いた刹那。

 

「―――考え事なんて随分と余裕だね?」

 

「ッ!?」

 

響く柔らかな声は眼前から。あれだけ遠かった間合いを1秒足らずで食い潰したシャルロットが、二丁のショットガンを此方へと突き付けていた。

 

どうやって、とは思わない。瞬時加速(イグニッション・ブースト)という基本的な技能を彼女が習得していないはずが無かった。そしてその基本的な技能は、ここぞと言う時に真価を発揮する。

 

逃げ続けていた動きから一転、懐へ潜り込むための超加速。動作の緩急を思考の隙間へ差し込まれれば、いかに箒といえども対応は一瞬遅れてしまう。そして、シャルロットにとってはその一瞬で十分だった。

 

耳を劈くような轟音が三度。一粒弾(スラグ)から散弾へと換装されていた連装ショットガン『レイン・オブ・サタディ』から、その名の通り無数の鉛玉が豪雨のように降り注ぐ。

 

エネルギーシールドを編み上げる暇はなかった。そして、点ではなく面として迫る散弾を全て弾き返すのは物理的に不可能。破城槌のような衝撃が横っ腹を叩き、紅い装甲が砕け散る。シールドエネルギーが激減し、遂に総量が1割を切った。

 

(しまった……っ!)

 

墜とされる(・・・・・)

 

明確な敗北のビジョンが脳裏を過ぎり、しかし抗うことだけは止めない。すぐさま体勢を立て直し、来るべきシャルロットの追撃に対して全霊で回避行動を取った。展開装甲は使えない。残り僅かなエネルギーをこれ以上消耗するなど自殺と何ら変わりない。

 

シャルロットの右手に握られたショットガンが虚空へと消え、新たな武装が出現する。やや小振りのライフルは、最早虫の息となった箒を倒すにはいささか威力過多であり―――彼女の狙いを理解した箒が反射的に叫ぶのと、銃口から弾丸が放たれるのはほぼ同時。

 

「避けろ一夏ぁぁああッ!!」

 

 

 

 

 

 

幼馴染の声に反応できたのはもはや奇跡だった。

 

一挙手一投足も見逃すまいとラウラへ注いでいた意識をぶった斬るかのような叫び。何がと思うより先に身体は回避行動を取っていた。が、音速を超えて飛来するライフル弾を後出しで躱せというのが土台無理な話である。左へサイドブーストをかけた瞬間、右肩装甲部分が耳障りな音を立てて吹き飛んだ。

 

「うぉ、お……ッ!?」

 

動き出しを潰され、衝撃を受けたことで錐揉み回転する機体をなんとか制御して体勢を整える。揺れる視界の中で、エネルギー残量が3割を切ったことを愛機が知らせてくれていた。

 

シャルロットからの援護射撃によって、掴みかけていた『流れ』が途切れる。

 

その好機を逃してくれるほど、眼前の少女は甘くない。

 

攻撃を誘発し迎撃にて仕留める篠ノ之流剣術。そこに宿る理念術理こそ分からないが、ラウラは培ってきた戦闘勘によりおおよその仕組みに当たりをつけていた。

 

(恐らくは迎撃に特化した戦闘スタイル。此方の動きを誘導し、後の先を取る能動的なカウンター。攻め込む程に疑心暗鬼になるという訳か)

 

隙だと思ったそれが仕組まれたものであり、待っていたのは痛烈な反撃。一度でも経験してしまえば、無意識に躊躇いが生まれる。例え本当に攻め入る隙だったとしても、それを判別する術はこちらにはない。

 

だが、あくまでそれは互いの得物が刀剣だった場合の話だ。

 

シュヴァルツェア・レーゲンの非固定浮遊武装(アンロック・ユニット)に搭載されたワイヤーブレード六基と大型レールカノン。そこにAICを組み合わせて退路を絶てば、構築されるのは逃げること能わぬ絶死の領域。

 

攻めてくるのを待っているなら逆に攻めてこさせれば良い。白式のレンジ外から一方的に封殺すれば、高威力のカウンターだろうと意味をなさない。しかし、ラウラのエネルギーも残り少なく、出力次第だがAICも撃てて1、2回だろう。

 

故に、この場における最善手は一夏を仕留め切ることよりもシャルロットの援護を受けられる位置取りを崩さないこと。零落白夜がある以上、一撃でひっくり返される可能性は捨てきれない。

 

ラウラは一夏の動きを注視し、シャルロットの位置関係を脳内に浮かべ。シャルロットはラウラに目を配りつつ、援護射撃を行う機会を窺っていた。

 

 

 

―――満身創痍の箒を差し置いて。

 

 

 

(私は、何をしているんだ)

 

荒い呼吸を整えることもせず、どこか色褪せた視界でゆるりと周囲を見渡した。相手を任されたシャルロットを削ることも満足に出来ず、いいようにしてやられた。挙句の果てには一夏への加勢まで許してしまう体たらく。

 

一夏の力になりたいと、都合よく姉を利用してまで最高性能の機体を手に入れたというのに。これでは力になるどころか、ただの足枷に過ぎないではないか。

 

挫折して。絶望して。それでもと前を向いて歩み続ける彼の心を守りたいと、彼の涙を受け止めたあの日に誓ったではないか。血反吐を吐くような一夏の想いを、こんな軽々しく反故にして良いのか?

 

(あの言葉を嘘にはしたくない。一夏の枷になるような真似はしたくない。だが、私の……私だけの力(・・・・・)では不足なのだ)

 

心のどこかで過信していた。

 

自分ならば出来ると。ありとあらゆる悪意や障害から彼を守ることができると、何の根拠もなしに信じ込んでいた。

 

事ここに至ってようやく理解できた。彼を『守る』などという傲慢な考えではなく、同じ目線に立ち、彼の背を支える為に必要なもの。それはきっと、彼と同じ高みへと羽撃く翼なのだ。

 

刀を握る手に力が籠る。

 

(だから―――頼む、紅椿。不甲斐ない主ですまないが、私と共に戦ってくれ。私に力を貸してくれ。私が勝つ為じゃない。あいつを……一夏(だいすきなひと)を助ける為の力を―――ッ!!)

 

エゴも私欲もない純粋な感情の発露。

 

故に、願いは届く。

 

 

 

主の想いに呼応して、椿が花開く(・・・・・)

 

 

 

四肢の装甲と、背部のバインダーが大きく展開した。エネルギーを放出する為の機構が組み込まれたそれらから、見たことの無い黄金色の粒子が立ち上る。荘厳でありながらも暖かさを感じさせる、春の陽射しのような光。

 

装甲表面を滑るように広がっていく光はやがて全身を包み込み、紅い機体を眩い黄金へと染め上げた。鉛のようだった身体に活力が漲り、視界が拓けていく。

 

明らかな変化―――否、進化の徴候。

 

管制室で機体状況をモニターしていた真耶が、箒の身に起こったことを理解して目を剥いた。

 

「し、シールドエネルギーが回復!? 装甲の破損箇所も修復されています! 外部からのエネルギー供給もなしに、こんなことって……!」

 

エネルギー回復能力、あるいは自己修復機能(オートリペア)。どちらもISの能力としては凶悪の一言に尽きる。何故ならば、ほぼ負けないから(・・・・・・)だ。

 

相手が幾ら強力な武装を積んでいようと関係がない。エネルギー切れによる敗北がない以上、相手のガス欠を待っているだけで勝敗は決する。シャルロットが箒に対して取った戦法のスケールを極端に大きくすればこうなるだろうか。

 

無論、何かしらの制限はあるだろう。しかし、煮詰まってきたこの戦況においては。4人が4人とも消耗していたこの状況においては、盤面を全てひっくり返す文字通りの切り札となり得る。

 

(単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)『絢爛舞踏』……これが、紅椿(おまえ)の力なのだな)

 

どくり、と脈打つような高揚感。

 

元よりこの機体に備わっていたものなのか、それとも箒の感情に呼応して発現したものなのかは分からない。いちISに備わるものとしては間違いなく破格の能力。

 

扱い方は、まるで最初から識っていたかのように頭の中に入っていた。エネルギー残量も展開装甲を用いた戦闘が十二分に可能なレベルまで回復している。スラスターに火を入れ、箒は勢い良くスタートを切った。展開装甲は既に機動特化へと役割切替(ロールチェンジ)されている。

 

「っ、シャルロット! 織斑を狙えッ!!」

 

「了解―――!」

 

箒の身に起きた変化こそ理解出来なかったが、自分たちにとって喜ばしくない何かが起きた事だけは理解できた。ラウラの思考をダイレクトに読み取ってAICが起動。不可視の鎖で以て一夏の身体を虚空へと縫い止めた。

 

ラウラの大型レールカノンとシャルロットのライフルが同時に火を噴く。箒のカバーが間に合うよりも早く殺到した弾丸が白い装甲を撃ち抜き、白式のエネルギーがゼロへと落ちる。

 

 

 

「―――ああ、今度は間に合った」

 

 

 

そのはずだった。

 

放たれた二発の弾丸は、都合四つに分かたれて地面に転がっていた。鏡のような断面が、秋晴れの空を映していた。

 

「すまない一夏。無様を晒したな」

 

間に合わなかったはずの迎撃を間に合わせて見せた幼馴染の背中を呆然と眺めていた一夏。優しく肩に置かれた紅椿の武骨なクローから、黄金色の粒子が白式へと流れ込む。視界の端でエネルギーが半量程度まで回復したのを見て、一夏は思わず顎を落とした。

 

「箒おま、なんっ……はぁ!?」

 

「説明は後だ。まずは勝つぞッ!!」

 

「っああもう、ちゃんと後で説明しろよ!」

 

疑問はあれど、今は彼女の言う通りだ。雪片弐型を構え直し、憑き物が落ちたかのような顔の相棒と共に、三度戦場へと飛び込んだ。

 

「気が早いな、もう勝ったつもりか……ッ!」

 

「甘く見ないで欲しいなッ!」

 

明らかに形勢が傾いた事を感じながらも、ラウラとシャルロットの戦意は衰えるどころか更に勢いを増していた。この程度の逆境を跳ね除けずして何が代表候補生か!

 

極限まで研ぎ澄まされた集中力が思考を加速させる。世界の流れが遅滞し、神経がスパークしている。相手の手札と此方の手札から勝利への筋道を逆算し、打つべき手を導き出す。

 

迫り来る二機に向けてシャルロットが放り投げたのは、今しがた呼び出したグレネード。流れるようにライフルを構え、ベルトに繋がれた内のひとつを撃ち抜けば爆煙と共に視界が埋め尽くされた。

 

ハイパーセンサーがあるとはいえ、目で見えないという事実は想像以上に戦術的効果を生む。相手の連携を乱すため、初手で視覚情報を遮断するのは当然だった。

 

しかし、彼らの進撃はその程度では止まらない。黒煙を切り裂いて現れたのは鮮烈な紅。全身にシールドを展開した箒が矢面に立ち、その後ろに一夏がぴったりと追従している。

 

そのまま弾かれたように二手に別れ、シャルロット目掛けて突撃してくるのは箒だった。その機動は鋭く、到底試合終盤のものとは思えない。十全にエネルギーを使える紅椿とは違い、燃費の良いラファールも流石に余裕はない。数分前と比べれば飛翔速度が落ちているのが目に見えて分かるはずだった。

 

ここに来て初めて、シャルロットは迎撃を選択した。

 

振るわれる刀を物理シールドで受け止め、予め呼び出しておいたショートブレード『バレット・スライサー(弾斬り)』を、装甲の薄い首元目掛けて突き立てる。絶対防御の発動による大幅なエネルギー消費を狙いつつも、長刀での払いが間に合わない箇所を選んでいた。

 

防御が間に合わないと見るや、箒はそこから更に一歩を踏み出す。シャルロットが振るったブレードの更に内側へ入り込むように、自らの肩を腕へと叩き付けて斬撃の勢いを殺した。刀剣を用いた近距離戦闘において、こと彼女の右に出る者は居ない。

 

(まだ、だ!)

 

パシュッ、という軽い炸裂音と共に物理シールドが切り離された。その衝撃で受け止めていた刀を弾き飛ばしつつ、シャルロットが切ったのは正真正銘最後のカード。

 

鈍色の光を放つ、六九口径連装型パイルバンカー『灰色の鱗殻(グレー・スケール)』。

 

単純な攻撃力ならば第三世代をも凌ぐ無敵の矛に必殺の意志を乗せ、左腕を全力で突き込んだ。炸薬が爆ぜ、鉄杭が装甲を打ち抜く感触が伝わり。

 

 

 

エネルギー切れを知らせるブザーが高らかに鳴り響いた。

 

 

 

「……ようやく、届いたか」

 

シャルロットの放った一撃は、箒が展開したシールド六枚のうち五枚を貫通した所で止まっていた。『盾殺し(シールド・ピアース)』の異名が示す通り高密度のエネルギーシールドさえも穿ってみせたが……最後の一枚を突破するよりも僅かに早く、箒の一太刀がラファールのエネルギーを削り取っていた。

 

刺し違えるような格好であれど、その実明確に勝敗は決していた。

 

シャルロットの戦闘不能を確認した箒は、一夏の援護に向かうためすぐさま転身する。その背をぼんやりと眺めながら、シャルロットはおどけたように肩を竦めた。

 

「はぁ……土壇場でパワーアップなんてズルいよ箒。漫画やアニメじゃないんだから。…………ゴメンね、ラウラ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

箒とシャルロットの戦いが決着したことを意識の端が捉えていた。

 

切り結び、無数の火花を虚空へ散らしながら二人は笑う。紛れもない強敵であると互いを認めているからこそ、打ち倒し糧にせんと喰らいつく。

 

そんな夢現のような時も、終わりを迎えようとしていた。

 

「そろそろ、決着(ケリ)つけようぜ……ッ!!」

 

「良いだろう、来い……ッ!!」

 

箒からの回復を受けた一夏のシールドエネルギーは既に三割程度まで減少しており、恐るべきは劣勢でありながらもそこまで削ってみせたラウラの技量であった。

 

白式の武装は、第一形態から増設されているとはいえ『雪片弐型』と左腕の『雪羅』の二つのみ。ラウラの操るワイヤーブレード六本とレールカノン、両手のプラズマ手刀とAICを潜り抜けて一発ぶち込むことができれば一夏の勝利だ。

 

スラスターを激発させ、爆音と共に白が加速する。

 

同時に展開されるのはワイヤーブレードによる包囲網。行く手を阻み逃げ道を塞ぐ、一夏の行動を制限するための空間制圧術。ひとたび飛び込んでしまえば抜け出すのは容易ではないが、そんな考えは既に一夏の思考から消え失せていた。

 

「シィィ―――!」

 

鋭い呼気。

 

銀閃が奔り、一本のワイヤーブレードが半ばから断ち切られる。僅かに生じた空白地帯へ身体を捩じ込むようにして、包囲網を突破した。雑技団のような機動に、アリーナ中が総立ちになる。

 

ワイヤーを巻き取っている暇は無い。間合いは詰められる。

 

牽制の88mmレールカノン(アハトアハト)はコンパクトなバレルロールで躱した。身体に掛かる猛烈なGを、奥歯を噛み締めて耐える。駆動系統をぶち壊すかのような無理な機動に、機体が悲鳴を上げているのが分かった。

 

(砲撃の間合いは抜けた! あとはプラズマ手刀とAIC……!)

 

彼我の距離は50mを残すのみ。

 

どんな動きに対しても反応出来るよう構えていたラウラの知覚が、飛来する投射物を感知した。そこそこの大きさだが質量はない。片手のプラズマ手刀で弾き飛ばし―――飛んで来たものを見て驚愕した。

 

(雪片弐型!? 自らの得物を手放すなど、奇を衒ったつもりか! だが、甘い……ッ!!)

 

予想外のブラフ。彼とその機体を知るものであれば少なからず効果はあるだろうが、それでも意識を逸らし切るには足りなかった。刀を投げ放った一夏は、ラウラの懐へ潜り込むために更に加速している。

 

その手には、瞬時に量子へ返して再度呼び出した『雪片弐型』が握られていた。

 

胴を狙った突き。機体の加速と速い初動を組み合わせた一撃は鋭いが、ラウラはもう片方のプラズマ手刀を振るって撃ち落とす。それこそが一夏の狙いだった。二の太刀を仕込んだ左手を突き出し、守る手段を喪ったラウラへと叩き込む。

 

「―――二度は、喰らわんさ……ッ!!」

 

だが、それは一度見た技だ。

 

四肢は動かずとも意識は残り、意識が残ればAICは発動する。物体の有する運動量を強制的にゼロへと落とし、動きを縛る不可視の停止結界。元より痛手を受けた技、警戒しない道理は無かった。

 

開いた指先が停る。

 

伸ばした腕が停る。

 

身体が停る。

 

脚が停る。

 

「これで―――!」

 

 

 

 

この距離なら、外さねぇ(・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

え、と声が漏れた。

 

展開されたAICによって一夏の動きは停められている。右手の雪片は振るえない。伸ばされた腕も、零落白夜の性質を有する左手の五爪も沈黙している(・・・・・・)。だというのに、ラウラの本能は煩いほどに警鐘を鳴らしていた。

 

一体何が、と疑問を浮かべ―――左掌にある砲口と、目が合った。

 

燃費の悪さと命中率の低さから、模擬戦ですらほとんど使われていなかった白式唯一の遠距離武装・荷電粒子砲『雪羅』。雪片と零落白夜をもブラフとして組み込み、こうしてAICを使わせることで初めて有効打になり得る、謂わば第三の太刀―――!

 

回避も防御も間に合わない。

 

「俺達の、勝ちだ……ッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タッグマッチトーナメント第一回戦

 

勝者・織斑一夏&篠ノ之箒ペア

 

 

 



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二十二話

「……本当に、宜しいのですか?」

 

「んー? 何がだい?」

 

「このままでは、束さまが透夜さまに恨まれることになってしまいます。私が敬愛するお二人が仲違いをされる、というのが……私には、心苦しいのです」

 

「……やさしいねぇ、くーちゃん。まぁ本音を言えば、束さんだってあっくんともっと仲良くしていたかったよ」

 

「っ、でしたら……!」

 

「でもダメなんだ。束さんはあっくんしか見えないけど、あっくんは束さんだけを見てくれない。きっと周りにいる有象無象まで守ろうとする。その在り方はまさしく英雄(ヒーロー)そのもの。だけど、英雄が英雄である為には―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倒されるべき悪党が、必要なのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それらは唐突に現れた。

 

試合終了のブザーが鳴り響き、割れんばかりの歓声に揺れるアリーナ。激戦を制し、互いの健闘をたたえ合う一夏たちから少し離れた位置に、まるで最初からそこに存在していたかのように佇んでいた。

 

都合四機のISらしきもの(・・・・・)

 

長槍と大盾を携えた赤色の機体。身の丈に迫る大鎌を携えた黒紫の機体。長大なライフルのようなものを携えた白い機体。そして、三機よりも一回り大きな体躯を誇る黒金の機体。

 

異変と呼ぶにはあまりにも静かで、しかし無視するにはあまりにも大きすぎる異物。困惑のどよめきが広がるアリーナ内部が未だパニックに陥っていないのは、謎の機体が現れてから何も動きを見せていないのと、アリーナの遮断シールドで護られているという安心感があるが故だろう。

 

しかし―――

 

「……なあ、アイツらも俺達の勝ちを祝いに来てくれたと思うか?」

 

「完全武装かつアポイントなしで突入してくることをサプライズと呼ぶのであればな」

 

緊張に汗を一筋浮かべながらも、心を平静に保つため敢えて軽口を叩いた。ラウラもそれに乗っかりつつ、視線は闖入者へと固定されている。試合終了直後のこのタイミング、すなわち誰もが具現維持限界(リミット・ダウン)すれすれの状態。

 

戦闘になれば万が一にも勝ち目は無いどころか、絶対防御を発動させる為のエネルギーすら確保出来ていない。相手の攻撃を受ければ生身の肉体へ直接ダメージが通り、銃撃も斬撃も全てが致命傷足り得てしまう。

 

更に不気味なのは、シールドによって隔離されているアリーナ内部への侵入経路。以前襲撃してきた無人機とは異なり、遮断シールドを突破してきた様子は無い。まるで、空間転移でもしてきたかのような―――

 

そこまで考えた一夏の意識が強制的に引き戻される。微動だにせず無反応を貫いていたISのうち、黒金の機体がゆっくりと腕を掲げた直後、バチン、という紫電が小さく迸り。

 

アリーナの遮断シールドが消滅した。

 

「…………、え?」

 

まるでしゃぼん玉を割ったかのように、直径数百メートルにも及ぶ広大なシールドが瞬きのうちに無力化された。あまりにスケールの違いすぎる事象を目の当たりにした一夏の思考が一瞬、止まる。

 

『―――総員、直ちに地下シェルターへ退避しろッ! 緊急事態につき専用機持ちはIS及び全武装の使用を許可する! 最悪校舎を破壊しても構わん、教員と連携し人的被害を最小限に抑え込めッッ!!』

 

スピーカーから放たれた千冬の鬼気迫る声によって、ようやく事の重大さを飲み込んだ生徒達が弾かれたように動き出す。我先にと出口へ殺到する生徒たちとそれを誘導する非戦闘職員、SPに囲まれて何かを騒いでいる各国の要人らしき者たち。

 

遮断シールドがなくなった以上、戦闘の余波で彼らに被害が及ぶ可能性がある。全員の避難が完了するまでの間、なるべく派手な戦闘は避けつつも侵入者たちの注意を引き付けて時間を稼ぐ必要があるが―――

 

「っ、シャルロット!!」

 

四機のうち、長槍を構えた赤色の機体がエネルギー切れのシャルロットへ向けて突撃する。警戒していない訳ではなかったが、気力も体力も消耗しきっているのだ。いち早く気が付いたラウラが叫んだが、意思に反してシャルロットの身体は重く、迎撃には到底間に合わない。

 

(あ、これ、まず―――)

 

 

 

「―――させるかよォ、クソったれがァ!!」

 

 

 

己の死を幻視したシャルロットの眼前で、純白の閃光が炸裂した。

 

観客席から直接飛び出してきた一方通行が、加速の勢いそのままに赤色の機体へと蹴りをぶち込んだ。素早く構えられた大盾によって直撃こそ防いだものの、衝撃は殺せずに地面を削り取りながら大きく後退する。

 

ふわりと着地した一方通行。その身に纏う専用機『夜叉・極天』の背から伸びる極光の翼が、彼の苛立ちを表すかのように強く明滅している。

 

(まァ来るとは思ってたンだ。あの兎が何時までも大人しく静観してるワケがねェ。最近動きを見せてなかったのは、このガラクタ共の開発にご執心だったって所かァ?)

 

『スキャン終了。データバンクに登録されたものに該当するコア反応および生体反応は観測できず。あの四機は創造主の手による無人機体と断定する』

 

赤い瞳が敵機を捉える。

 

同時にスキャニングを行っていた夜叉から伝えられた情報は、一方通行が考えていた仮説を裏付けるものであった。有人機なら半殺し程度に留められようが、無人機であると確証を得られた以上手加減する必要など何処にもない。

 

束には命を救われた恩があるが、それとこれとは別の話だ。今回の襲撃がどのような目的であれ、それによって誰かが傷付くというのであれば彼は一切の容赦をしない。螺子の1本まで徹底的に叩き潰すだけだ。

 

既に楯無が指示を出し、一夏たちをピットへと連れていっている。観客席には防戦に定評のあるダリルとフォルテのイージスコンビが陣取っている為、余程のことがない限り流れ弾は気にしなくても良いだろう。

 

現状戦力は一方通行と楯無、簪、セシリア、鈴音の五名。箒が使用していたエネルギー回復の単一仕様能力が再度使用できるのかは不明だが、まず無理だろォなと一方通行は判断した。仮に使えれば一夏達の戦線復帰が望めるが、最初からアテにするものではない。

 

(黒と紫がどンな機体か分からねェ。初見殺しの性能なら厄介だが……)

 

見た限りでは白い機体が射撃型、赤い機体が近接型。黒と紫は見た目での判別は難しいが、少なくとも一方通行と夜叉であればどんな攻撃をしてこようともある程度は耐えることができる。その間に相手の手札を引きずり出し、攻略の糸口を掴めれば良い。

 

問題は誰が相手をするか―――

 

「白い機体はわたくしが。援護射撃を封じるには丁度良いかと」

 

金の長髪を靡かせて、セシリアが一方通行の隣に並び立つ。ブルー・ティアーズを纏った彼女の穏やかな碧眼には、常とは異なる強い光が宿っていた。それを目にした一方通行は何かを言いかけていた口を一度噤み、ややあって言葉を紡ぐ。

 

「頼む」

 

「ええ、撃ち抜いてみせます(・・・・・・・・・)

 

嫋やかな笑みと共に返ってきた力強い宣言に、一方通行は口の端を僅かに持ち上げて応じた。

 

かつての自分であれば、こうして誰かを頼ることなど有り得なかっただろう。だが、一人で出来ることには限界があると痛感した今、必要なのは独りよがりの自己陶酔ではないのだから。

 

「凰、赤いヤツを抑えろ。簪は凰のサポートでイイ」

 

「オッケー。援護頼んだわよ、簪」

 

「うん……頑張ってみる」

 

近接戦闘に強い鈴音には赤い機体を任せ、無人機との戦闘経験が無い簪はサポートへ回す。彼女の性格では怖気付く可能性もあるため、直接的な殴り合いは避けた方が良いだろうという判断だった。

 

「じゃあ、私と透夜くんの相手はあの二機ってことね」

 

「……、仕事は済ンだか?」

 

「避難完了まで15分って所かしら。ただ、強力なジャミングのせいで政府への応援要請が出せてないの。発生源を潰すか、向こうが異常を察知してくれるのを待つしかないわ」

 

遅れて合流してきた楯無だが、その表情は芳しくなかった。襲撃者がこの四機だけとは限らない以上、学園側の戦力だけで対応出来る範囲にも限界がある。エネルギーは回復できても弾薬や武装は有限であるし、動ける人員の確保だけは外部に頼るしかないのだ。

 

だが、結局のところ自分達がやる事は変わらない。この場で侵入者達を叩き潰してしまえばそれでお終い。逆に此方が負ければ学園諸共海に沈められるだけだ。

 

一方通行は面倒臭そうに嘆息すると、首に手を当ててゴキリと鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「スクラップの時間だ。纏めてゴミに出してやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「分からない!? 分からないってどういうこと!?」

 

「……申し上げている通りです。確認できた四機のISに関して、我々学園側が持ち得る情報はほとんどゼロ。襲撃に対しての防衛機構は備えておりましたが、恐らくはシールドを解除されるよりも前に無効化されていました」

 

「されていました、じゃないでしょう!? ならさっさと救援要請を送るか、私たちだけでも逃がしなさいよ!」

 

学園の地下シェルターに設けられたVIP専用の一角にて、耳障りな金切り声と僅かな苛立ちを含んだ声が響く。前者は派手なドレスに身を包む肥太った女のものであり、後者はそれに対応している織斑千冬のものであった。

 

一回戦終了後に突如として乱入してきた正体不明の四機のIS。以前にも同様の襲撃事件があったが、アレは目撃者も少なかったため学園内と一部の関係各所に報告されているだけ。たった今眼前で喚き散らしている女の反応を見るに知らされていないのだろうし、千冬にとっては知らせる義務も義理もなかった。

 

今回のトーナメントには生徒だけでなく外部の企業や兵装会社の重役達も顔を見せている。その中には女尊男卑の思想に染まり切り、権力を傘に着て私腹を肥やす者も少なからず存在していた。もちろん手腕によってのし上がってきた傑物も居るだろうが、この養豚場の豚のように無駄な贅肉とプライドばかり蓄えた女がそれと同列だとは到底思えない。

 

有事の際の責任と指揮権を預かっている千冬は最初の避難指示を出した後に生徒の誘導を他職員に任せ、立場上相手にしなくてはならない要人たちの避難誘導と説明を行っていた。

 

『世界最強』を背負っていた彼女を側に置いておけば何かあった時も安全だろう―――緊急事態時のマニュアルからはそんな思惑が透けて見えた。IS学園が設立された時に、上層部でどんな政治的やり取りが行われていたのかは想像に難くない。

 

「ちょっと、聞いてるの!? 」

 

「……ああ、失礼。今後の対応策を考えておりまして」

 

「男性操縦者だか何だか知らないけど、そもそもあんな得体の知れない不気味な人間がIS学園に居ることがおかしいのよ! 全身真っ白で、まるで化け物(・・・)じゃない! 今回だって、どうせそいつが手引きしたに決まってるわ!」

 

その瞬間、千冬の拳が顔面にめり込んでいた。

 

鼻骨を砕き前歯をへし折り、粘っこい血液を撒き散らしながらもんどりうって転がる女の様子は滑稽で、まるで出来の悪いピエロのように思えた。

 

―――そんな、脳裏を過ぎったあまりにもリアルで爽快感を覚える光景に自嘲をしつつ。手のひらに爪が食い込むほど握り締めていた拳から、千冬はそっと力を抜く。

 

(今の言葉をあいつらの誰かが聞いていたら間違いなく殴り飛ばしていただろうがな)

 

感情に任せて自制できないようでは子供と同じ。それこそ、目の前の女と変わりはしない。生徒に必要のない重責を負わせ、教師が責任を放棄していたなどとあっては論外だ。

 

「あなたが言った通り、生徒が犯罪者と通じているのであれば厳正な処罰を下させて頂きますが……憶測だけでそのような物言いをされたとあれば、此方も相応のやり方で対処させて頂きます。勿論、何かしらの根拠があっての発言とみて宜しいのですね?」

 

「な……何よそれ。まさかアナタ、男なんかを庇うつもり!?」

 

「私はIS学園の教師です。学園を、生徒を護る義務がある。これは感情の話ではなく事実の問題です。……話を戻しますが、このシェルターから海中への脱出ポッドはあります。ですが、襲撃があの四機だけとも限りません。脱出途中やその先で襲われる可能性もゼロではない。それでもと言うのであればご案内しますが……どうされますか?」

 

「っ……!!」

 

口をついて出た言葉を正論で切り返された挙句、提示されたのは命の危険が伴うような脱出方法。堅牢な防壁で守られたここから逃げ場のない海中へ放り出されるなど冗談ではない。『世界最強(ブリュンヒルデ)』に守って貰えると考えていたというのに、その本人は生徒たちを優先するだのとのたまう始末。

 

怒りと羞恥で真っ赤になる女だったが、その肩に第三者の手が添えられた。

 

「まあまあ、そこまでにしておきましょう? 織斑さんの言う通り、ここで犯人探しをしていても仕方ないわ」

 

「ミュ、ミューゼル氏……」

 

波打つような豪奢な金の長髪に、妖艶な光を放つ赤い瞳。ドレスに包まれたグラマラスな肢体からは隠しきれぬ色香が立ち上っている。聞くものを陶酔させるような甘い声色で女を宥める姿は落ち着いているが、その余裕が千冬の警戒を僅かに引き上げさせた。

 

荒事に慣れている。しかもかなりの場数を踏んだ実力者。IS企業の肩書きを持ちながら操縦者としても一線級の人間など、世界でも数える程度しか居ない。

 

「かと言って、IS学園のセキュリティをこうも易々と突破してくるなんて……確かに内通者が居てもおかしくないわよねぇ。もしかしたら、この中に潜んでいる可能性だってあるかもしれないわ?」

 

女の言葉に室内からどよめきが起こる。からかう様な調子で放たれたその言葉は、この場の人間を疑心暗鬼にさせるのに十分過ぎる力を持っていた。沈静化させられそうであった空気を掻き乱され、千冬は内心で舌を打つ。

 

「……余計な混乱を煽るような真似は控えて頂きたい。万が一の場合は私も防衛に回りますのでご安心下さい。何が起こるか分かりません(・・・・・・・・・・・・)ので」

 

「ふふっ。ええ、そうして貰えると助かるわ。何が起こるか分からない(・・・・・・・・・・・)もの、ね」

 

これで、千冬は身動きが取れなくなった。

 

この女は明らかにクロだ。目的がどうあれ、学園地下まで侵入を許した時点で詰みに近い。機密区画には無人機のコアなど表に出せない情報なども存在する。千冬が地上に上がって戦線に参加してしまえばこの女を止める手段が無くなってしまう。

 

かといって、こんな閉所でISを展開されて暴れられれば崩落の危険性もある。中にいる者達も無事で済む保証はない。幸いにしてあちらは仕掛けてくる気配は感じられないため、こうして睨み合う形で均衡を保っておくことしかできなかった。

 

「でも、地上で戦ってくれている子達の安否が心配ね。アリーナの様子は監視カメラか何かで見られないのかしら?」

 

「…………、」

 

ミューゼルと呼ばれた女の言葉に、千冬は無言でモニターに映像を回す。従うのは癪だったが、自身も状況を把握したかった。壁面に埋め込まれたモニターに、謎のIS四機を相手取る一方通行たちの姿が映し出される。

 

アリーナ内部の損壊箇所は多いが、見る限りでは彼らの消耗は少なかった。正体不明のISを相手にしながらも食い下がってみせている時点で、並の国家代表と比較しても何ら遜色のない実力を有していると言っても過言ではなかった。

 

「これは……予想以上ですな」

 

「そうね。候補生と侮っていたけど、ロシア代表の更識楯無に見劣りしていないわ」

 

「あの白い男が乗っているISはなんなの……? あんなIS見たこともないわよ!?」

 

先程とは別のベクトルで騒がしくなる室内。多くはセシリア達代表候補生に対しての評価を覆すものと、一方通行に対する好奇の反応。そして、男性であるが故に向けられる侮蔑と嫌悪の視線もあったが、先のやり取りもあって露骨さはない。

 

精神を落ち着けるように深く息を吐く。

 

(十中八九、奴らは無人機体。束が差し向けてきたものであることは確実だが、この女は何者だ? 束が他者の手を借りるとも思えん。更識が言っていた、学園祭の襲撃者達と同勢力と考えるのが妥当か? そうなると狙いは鈴科、だが何故わざわざ地下へ侵入してきた。私の足止めもあるだろうが……)

 

答えの出ない推論ばかりが頭を巡る。

 

かぶりを振って思考を振り払い、改めてモニターへと目を向けた。ただ見守ることしかできない自分が情けない。

 

 

 

世界最強(ブリュンヒルデ)』の称号が、今は酷く重いような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十三話

感想と評価ください(乞食)


IS学園・第三アリーナ。

 

「ああもう、硬すぎるでしょこいつ……ッ! 埒が明かないわよこんなの!!」

 

「そ、そろそろ準備、完了するから! 一旦下がって、仕切り直そう……!」

 

赤色の機体と打ち合う鈴音が珍しく―――彼女にしては本当に珍しく、愚痴とも泣き言ともつかない叫び声をあげた。援護に徹する簪は鈴音を宥めつつも、乱れた呼吸と跳ねる心臓を抑えるのに必死だった。

 

今回の投入に当たって作成された四機の無人機体は、束が最初に作り出した『ゴーレム』シリーズから改良を重ねられた最新型だ。大きな変更点としては全ての性能が平均上程度だった旧型から、あえて性能を偏らせることで大幅な戦闘力の向上に成功している。

 

単騎での戦闘も勿論のこと、対多数の状況になった場合は他の機体とも連携を行えるよう戦闘プロトコルも一から組み直されていた。そして、機体を作成する上でモチーフとしたのはギリシャ神話における十二柱の神々。

 

司る権能を束が自己解釈し、機体の特徴や武装として落とし込んだものがこの『オリュンポス』シリーズである。

 

赤色の装甲で身を固め、大盾と長槍を携えた機体の名は『アテナ』。都市の守護、戦略と知恵を司る女神の一柱。強固な装甲と堅牢な盾で以てあらゆる攻撃を受け止める難攻不落の移動城塞。

 

言葉にすればそれだけではあるが、しかしそれだけで理不尽な程の耐久性を実現させていた。さらに攻撃性能も低い訳ではなく、こちらの一撃に対し的確な反撃を差し込んでくる。

 

「っ、来た……! 鈴、八秒後に衝撃砲、あとはそのまま下がって!!」

 

「りょう、かい……ッ!」

 

簪の専用機『打鉄弐式(うちがねにしき)』は、学園に配備されている第二世代の訓練機『打鉄』を倉持技研が改良した第三世代機だ。防御性能を重視した打鉄とは異なり、安定性と汎用性を重視した設計でありその武装も遠近に対応したものとなっている。

 

中でも独立稼働型誘導噴進弾『山嵐』は、マルチロックオンシステムによって絶大な破壊力に指向性を持たせた『打鉄弐式』の虎の子とも呼べるシロモノだ。小型のミサイルを絨毯爆撃ではなく集中的に叩き込むことで、驚異的な破壊力を発揮する。

 

簪の手元に届いた時点では未完成だったそれは、既にとある少年と姉の助力によって完成へと漕ぎ着けられていた。

 

「おっ、らぁぁあああッ!!」

 

そしてきっかり八秒後、至近距離で打ち合っていた鈴音が動きを見せる。二刀に分離させていた双天牙月を連結させ、身体の回転を乗せた一撃を気合と共に思い切り叩き込んだ。渾身の一撃は盾によって防がれ、『アテナ』を僅かにノックバックさせるに留まった。

 

構わず衝撃砲を連射し、反撃を潰すと同時に強制的に盾を構えさせて足を止めさせる。

 

しかし鈴音のその猛攻は、次なる一手の繋ぎに過ぎない。

 

「照準固定―――全砲門、一斉射……!!」

 

機体両側の非固定浮遊武装(アンロック・ユニット)が花開き、都合四十八基の小型ミサイル群がその姿を見せる。鈍色の弾頭が主の命令を受け、白煙を吐き出して飛翔した。

 

一発一発に個別の弾道を入力されたそれらは複雑な軌道を描いて迎撃を困難にする。四方から迫る破壊の雨を前にしかし『アテナ』は動じない。無人機故に焦りという感情を持たず、ただ無感情に無感動に行動を選択する。

 

かちかちかちかちとセンサーレンズが瞬いた刹那、ミサイル群が虚空へと縫い止められた(・・・・・・・・・・・)

 

彼女たちにとっては良く見慣れた現象。何より、先程目にしたばかりである黒き雨を駆る少女の力。細かい事を考えるよりも先にそのカラクリを看破する。

 

「AICっ!? なんでこいつが……!?」

 

「そん、な……!」

 

伝承に曰く、女神アテナはその手で討ち取ったメデューサの首を神盾アイギスへ埋め込んだことで、メデューサが有する力を扱うことが出来るようになったという。

 

神話の擬似再現―――物体の運動量を強制的にゼロへと落とし静止させる特殊兵装。『石化の魔眼(スティシス・マギア)』と名付けられたソレは、AICとは比較にならないほどの出力を誇る。発動に要する集中力も問題にならず、複数箇所へ同時に展開することも可能なのだ。

 

大盾を降ろした『アテナ』が右手に握る長槍を無造作に振り抜いた。穂先から放たれたエネルギー刃がミサイルのひとつに触れると同時、連鎖して全てのミサイルが誘爆する。腹の底を震わせるような轟音が響き、赤熱と黒煙が視界を覆い尽くした。

 

(どうしよう……『山嵐』でもあの防御を突破できないなら、私たちだけの火力じゃ倒せない! このままじゃジリ貧になって、エネルギーが先に底を尽く! どうしよう……どうしよう……っ!?)

 

現状の最高火力とも呼べるカードが通用しなかったという事実が、簪の思考から冷静さを奪い取っていく。代表候補生とはいえ本物の戦場に身を投じたことなどない彼女にとって、立っているだけでも全身に伸し掛るプレッシャーで足が笑ってしまいそうだった。

 

この状況をなんとかしなくてはいけない。それは百も承知だ。だが、具体的にはどうやって? あの機体の防御力は生半可な攻撃では崩せない。二人で挟撃したとしても、どこまで通用するか分からない。むしろ中遠距離の間合いから相手の土俵に踏み込むリスクの方が高いのではないか?

 

どうする。

 

どうする。

 

 

 

 

 

「―――簪ッ!!」

 

名前を呼ぶ声。

 

急に大きくなった喧騒が鼓膜を叩く。

 

自らの視界を埋める赤色。無人機が構える武骨な長槍が真っ直ぐに此方を狙っていた。

 

「―――ぇ、あぁッ!?」

 

半狂乱になって振りかざした超速振動薙刀『夢現(ゆめうつつ)』が、奇跡的にその一撃を受け止めた。電動ヤスリに金属を擦り付けたような耳障りな音が響く。咄嗟のことに混乱する頭では体勢の立て直しもスラスター制御も録に行えず、鍔迫り合う格好でぐんぐんと押し込まれていく。

 

数秒と経たずして、既に無人となっていた観客席へ轟音と瓦礫を巻き上げながら激突した。身体を突き抜ける衝撃に肺の空気が絞り出され、息が詰まる。

 

「ぁ、かっ……はぁ゛ッ!」

 

何とか酸素を取り込もうと喘ぐ簪が涙に滲む目を開いた瞬間、無人機と視線がかち合った。額と額が触れ合いそうな程の超至近距離。此方を凝視するレンズには、何の色も映さない無機質な殺意だけが宿っていた。

 

悪意なら受け流せたかもしれない。

 

敵意なら奮い立てたかもしれない。

 

だが、初めて感じた純粋な殺意は少女の心を蝕むには十分すぎた。

 

(こ、わい。こわい、怖い。怖い、怖い怖い怖い……ッ! なんでっ、何でこんな……っ!? 分かんないよッ、何なのこれ、どうして……!?)

 

歯の根が合わない。『夢現』の柄を握り締めていた両手から血の気が引き、力が抜けていく。

 

馬乗りになった無人機が再び槍を構えるが、最早それに反応するだけの気力は彼女に残されていなかった。こぼれ落ちる涙を拭う事もできず、迫り来る恐怖をせめて感じないようにと目を逸らして。

 

 

 

―――もう1つの赤色が、砲弾のように飛び込んできた。

 

 

 

簪を組み敷いていた無人機が横殴りの衝撃を受けて吹き飛ばされる。

 

迎撃を無理矢理間に合わせるため使用した瞬時加速(イグニッション・ブースト)、それによって生じた運動エネルギーを青龍刀に乗せて叩き込んだのだ。バットをフルスイングするかのような乱暴な太刀筋が彼女の必死さを物語っていた。

 

無人機を間合いの外に弾き出したことを確認すると、少なくないダメージを負っているはずの簪の安否を確認する。

 

「簪っ、大丈―――」

 

言葉は続かなかった。

 

かたかたと、小刻みに震える身体をかき抱くその姿を見て、翠玉のような瞳を吊り上げた鈴音は一瞬何かを叫ぼうとした。が、ゆっくりと視線を伏せると同時に口を閉ざし、言葉を飲み込む。

 

代わりに、瓦礫の山に沈む簪を静かに抱え起こすと、双天牙月をくるりと回して無人機へと向き直った。

 

「あたしはアイツを足止めするわ。アンタがまだ動けるなら一緒に戦って」

 

「……むり、だよ。これは競技じゃないんだよ!? もしかしたら、鈴だって死んじゃうかもしれない! それなのにどうして戦えるの!? どうして平気でいられるの!?」

 

「決まってんじゃない」

 

間髪入れずにそう返されて、問うた簪が思わず言葉を詰まらせた。

 

瓦礫と土煙を吹き飛ばして、体勢を立て直した無人機が飛び込んでくる。

 

鈴音の反応は早かった。スラスターを全開にして疾走し、突き出された長槍を真っ向から叩き落とす。連結を解除し二刀となった双天牙月を操り、防御を食い破らんと苛烈な連撃を加えていく。

 

「守りたいヤツがいる。隣に立ちたいヤツがいる。バカで能天気でお人好しでどうしようもない唐変木だけど……あいつと一緒に居たいから。あいつと過ごす日常(セカイ)を守りたいから!! それがあたしの戦う理由ッ!!」

 

青龍刀の重厚な刃による質量攻撃。斬撃の嵐とも呼べるような猛攻を受け、『アテナ』がカードを切った。複眼が煌めき、横薙ぎの一撃が振るう腕ごと不自然にその動きを停止させる。自らの意思とは異なる動きに引っ張られ、体勢が傾いだ。

 

差し込まれた長槍を上体を反らして避けると同時、左脚のスラスターが激発。無人機の腹部目掛けて爪先を蹴り込んだ。蹬脚(とうきゃく)―――中国拳法における蹴り技の一種。直感的な姿勢制御と類希な戦闘勘が、存在するはずのなかった反撃を作り出す。

 

直撃―――防御は間に合わない。戦闘開始から一切の攻撃を叩き落としてきた城塞の如き堅牢な守りを穿ち、遂に本体へとその手が届く。蹴りを放った姿勢から更に右肩の衝撃砲を展開。不可視の弾丸が無人機の顎をかち上げ、攻撃を与えたことで『石化の魔眼』による拘束が緩む。

 

録な反動制御も出来ないような姿勢、至近距離で炸裂した衝撃波の煽りを受けて全身が軋んだ。ミシミシとどこかの骨が嫌な音を立てるのを無視して、構えた大盾を逆脚で蹴り飛ばす反動で距離を取る。

 

小柄な体躯に似つかわぬ気炎を迸らせて、赤色の龍が吼えた。

 

 

 

 

「あんたにもあるでしょ、戦う理由が―――!!」

 

 

 

 

胸の奥で熱が燻っている。

 

折れたはずの心が、立ち上がれと叫んでいる。

 

(私の、戦う理由)

 

荒い呼吸を何度か深呼吸して無理やり整える。

 

(私は、お姉ちゃんみたいな天才じゃない)

 

震える指先は力を込めすぎて白くなっていた。

 

(私はわたし(更識簪)。それ以外の誰かにはなれない)

 

どくどくと脈打つ心臓の鼓動が煩いけれど、それでも。

 

(だからこそ、私は……)

 

頬を伝う涙を拭い、精一杯の虚勢を込めて敵機を睨み付ける。

 

 

 

 

お姉ちゃん(更識楯無)の妹であることを、胸を張って誇りたい……!!」

 

 

 

それは、更識簪という少女の根底にある想い。

 

優秀な姉。大好きな姉。自慢の姉。いつしか比べられることが苦痛に感じるようになってしまっていたけれど、思い返せばいつだってその感情は彼女と共にあった。

 

更識の修行も、代表候補生になったのも、勉学に励んできたのも。あの人と肩を並べて歩いていきたかったから。置いていかれたくなかったから。自分が良い評価を受ければ、それだけ姉の評価も良くなるはず。そう思っていたはずなのに、いつの間にか目的と手段は入れ替わってしまっていて。頑張る理由も分からなくなってしまっていた。

 

そんな折に、とある少年によって姉妹の確執はあっさりと解消されてしまい。行き先を失った感情だけが宙ぶらりんのまま、こうして覚悟も出来ずに戦場へ立っていた。

 

忘れかけていた熱、その矛先を定めてしまえば驚く程に身体は動いた。四肢に活力が漲り、手先の震えは止まる。転がっていた『夢現』を拾い上げ、機体の状況を確認する。シールドエネルギーは三割ほど減損しているが、各種兵装と駆動系統は生きている。戦闘続行に問題はない。

 

スラスター再点火。主の意思に応え、鋼鉄の翼が飛翔する。

 

「良い顔になったじゃない」

 

「うん……もう、大丈夫。私も戦える」

 

隣に並び立った簪の顔を見て、鈴音は肩で息をしながらもニカッと笑った。イタズラを思い付いた悪童のような笑顔だった。

 

「そ。んじゃまあ手始めに―――あの邪魔な盾、ブチ抜くわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所は変わり、第三アリーナ。

 

白い機体の相手を引き受けたセシリアがここへ戦場を移したのは、ひとえに周囲への流れ弾を警戒してのことだった。無人の観客席は放たれたレーザーによって抉られ破壊され、整えられた景観は見る影もない。

 

セシリアが対峙する白い機体の名は『アルテミス』。

 

月と貞淑を司り、狩猟の神として崇拝される一柱。『矢を注ぐ女神』とも称され、多くの伝承において弓と矢を持つ姿で描かれていることから、その機能を射撃へと特化させている。

 

黄金の弓と矢を模した長大なライフルに、付き従う獣達を表す四機のシールドビット。有する特殊兵装は『新月の瞳(エナマティア・セレーネ)』―――超高精度ハイパーセンサーによって筋肉の収縮から視線の動き、果ては呼吸や心音までをも検知し情報として集積。それらを元に対象の動きを予測演算する戦闘補助システム。

 

予備動作とも呼べないレベルの動きの起こりは、意識・無意識に関わらず完全に消すことは不可能。故に放たれる射撃は必中であり、相手が何処を狙っているのかも手に取るように分かる。正確無比な行動予測はもはや未来予知にも届き得る程であり、誰が相手であっても確実な優位性を保持することができる。

 

 

 

 

 

 

 

それを、セシリアが一方的に封殺していた(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

六十七口径エネルギーライフル『スターライトMk-III』の引き金を絞れば、鮮烈な蒼い光条が空を灼く。

 

それと同時に『アルテミス』は回避機動を取っており、既に射線から外れていた。射撃前にセシリアの全身から読み取った筋収縮のデータから、ライフルを構える先とトリガーのタイミングは予測してあった。

 

導き出された弾道をトレースするようにエネルギービームが迸り―――滑らかな弧を描いて、その弾道が捻じ曲がった。

 

BT高稼働状態時のみ可能となる、BT粒子への意識的干渉。イメージ・インタフェースによる制御と操縦者の技量など、様々な条件をクリアしなければ扱えないとされる偏光(フレキシブル)射撃。長らく彼女を悩ませていたBT稼働率の低迷は、学園祭の襲撃事件を境に爆発的に跳ね上がっている。

 

同時に、セシリアは愛機の中に『意識』とでも呼ぶべき何かが生まれたのを感じ取っていた。言葉もなく、目に見える訳でもないそれは、時折道を示すようにセシリアの意識に混じってくることもあった。

 

物事を理論的に考える彼女にとっては今ひとつピンと来ない現象ではあったが、それが『ブルー・ティアーズ』そのものなのだと言う事だけは不思議と理解出来た。

 

『アルテミス』が避けたその先を狙い、光条が迫る。どういう理屈か回避が意味を成していないと判断し、シールドビットでの防御に切り替えた。軌道を再演算―――導き出された狙いは左肩。展開したビットがエネルギーシールドを編み上げて、射線に身を躍らせる。

 

その防御をすり抜けて、無人機の顔面を光条が撃ち抜いた。

 

都合六度目の直撃。

 

『アルテミス』の戦闘プロトコルが小さなエラーを吐き出した。

 

おかしい。先程から、予測された結果と着弾地点がズレている。演算システムもシールドビットも正常に稼働しているというのに、蒼い機体の射撃が防げない。扱っているのは単純な偏光射撃、武装に何か特殊な細工が施されている様子もない。

 

理由は不明。だが、回避が悪手であるということを理解した『アルテミス』が一転、攻勢に出る。相手の射撃が避けられないのであれば、そもそも射撃する暇を与えなければ良い。構えたライフルの機関部から黄金色の粒子が立ち上る。

 

攻撃の予兆を感じ取ったセシリアがスラスターに火を入れた。重心を落とし、視線は周囲の状況を把握するため僅かに動く。体幹と下肢の力みは姿勢制御のため。あらゆる情報を取り込み解析し統合し分析して弾き出した『ブルー・ティアーズ』の回避軌道。

 

月の光を凝縮したかのような輝きを放つエネルギーレーザーが、独特な発射音と共に空を裂いた。予測されたルート全てを塞ぎ、必ずどこかで被弾するよう計算され尽くした不可避の弾幕。馬鹿げた熱量の収束は装甲を溶解させ、防御を貫く必滅の光であった。

 

 

 

だからこそ、全てのレーザーを踊るように潜り抜けたセシリアの姿を確認した『アルテミス』の内部で致命的なエラーが生じた。

 

 

 

『―――?? ? ?』

 

当たらない。当たるはずだった。当たったのか? 避けられ――ない、はず。演算に狂いはない。予測された結果に間違いはない。では何故、眼前の機体は健在なのか。避けられたから。何を? 此方の射撃を。どうやって? ―――……不明(エラー)

 

「わたくしは今、極めて不愉快です」

 

声色は壮絶だった。

 

噴火直前の活火山のような煮え滾る怒りを孕み、凪いだ湖面のように穏やかな語り口という矛盾。相反する二つの感情を完璧に制御することに成功しつつも、セシリアは生まれてから感じたこともない程の憤怒を感じていた。

 

絶対零度の視線が戦場を切り裂き、白き機体を睥睨する。

 

「―――その力、透夜さんのものですわね(・・・・・・・・・・・)

 

相対してからたった数度の撃ち合いで生じた違和感。それは相手が動く度、此方が動く度に大きくなっていき、やがて彼女は確信を得る。こちらの狙う先が見えているかのような動き、そしてこちらの動きを回避先まで完璧に把握して放たれる鋭い一撃。

 

どれもこれも、あの白い少年の動きと重なって見えた。

 

そして事実、特殊兵装『新月の瞳』は一方通行(アクセラレータ)の演算・思考パターンを元にして作られている。彼がこちらの世界へ飛ばされてからIS学園に入学するまでの期間、衣食住の対価として自らの能力を研究材料として差し出していた頃に収集されたデータ。

 

学園都市における七人の超能力者(レベル5)の頂点。例え半年前のデータであろうとも、その桁外れの演算能力と情報処理能力を戦闘用に書き換えたものが並であるはずがなかった。代表候補生どころか、国家代表すらも余裕で下せる程の凶悪な機体として仕上がった。それこそ、元となった少年とその機体でなければ歯が立たないくらいに。

 

 

 

―――笑わせるな(・・・・・)

 

 

 

セシリアの怒りを意に介さず、『アルテミス』が再度射撃を放つ。先程よりも濃密な弾幕であったが、必中であるはずの予測射撃は虚しく空を抉るのみ。

 

陽光を背負い、蒼い少女が月の女神を見下す。

 

「回避先、移動先を読んでの射撃なのでしょう? ですがわたくし、どう動いたら(・・・・・・)撃たれるか(・・・・・)など、嫌という程知っておりますので」

 

数えるのも億劫になるほど撃墜された。無意識のクセや得手不得手など隅から隅まで洗い出された。そして何より、回避予測に用いられるのは半年前の彼のデータ。ここに立っているのは半年後のセシリア・オルコットだ。

 

他ならぬ彼の手によって成長を果たした彼女自身が、かつての彼に敗北するなどあってはならないことだった。

 

あの人の動きはもっと速く、もっと迅く、もっと疾かった。

 

あの人の思考はもっと鋭く、もっと深く、もっと敏かった。

 

何人を足元にも寄せつけない隔絶した強さ。動きと思考の先を読み切る観察眼と卓越した絶技。戦闘思考によって支配する理論派の極地。自分が憧れ、心と脳裏に刻んだ彼の強さは断じてこんなものではない!

 

 

 

「透夜さんの戦いを、戦術を、戦略をッ!! 誰よりも近くで見てきたこのわたくしにッ!! 比べることすら烏滸がましい模造品をぶつけるなど、決して許されぬ愚行と知りなさい……ッッ!!!」

 

 

 

沸点を飛び越えた感情が『壁』を突破する。

 

搭乗者と機体の共鳴が最大限に高まり、搭乗者の想いが一定のラインを越えることによって発現する特異現象。

 

観測された例は少なく、世界でも十の指で数えられる程度とも言われる至高の領域、人機一体の究極。

 

 

 

 

 

―――それを『二次移行(セカンド・シフト)』と呼ぶ。

 

 

 

 

 

目を灼く程の眩い蒼光が迸った。

 

装甲が光の束となって解け、再構成―――滑らかな曲線で構成されていた従来の装甲に加え、肩、胸部、腕部に鋭角なエッジを描く装甲が追加される。

 

腰周りを覆うアーマースカートと相まって、さながら中世の騎士を彷彿とさせる気品と優雅さを漂わせる。

 

主武装のエネルギーライフルはより洗練されたスマートなフォルムへ。ブルー・ティアーズの代名詞ともいえるビットはその数を増やし、機体背面に並んだ蒼き雫の総数は十二機。

 

腰部に備わっていたミサイルビットは排され、その全てが大型のマルチロールビットに換装されていた。

 

装甲各部のクリスタル・パーツから溢れ出る蒼いBT粒子が、神々しくも鮮烈に戦場を彩る。

 

―――ブルー・ティアーズ第二形態『湖の乙女(レディ・オブ・ザ・レイク)』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、踊りなさい。このセシリア・オルコットと『ブルー・ティアーズ』が奏でる円舞曲(ワルツ)で―――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




セッシーの決めゼリフめっちゃすこ。
ようやく二次移行させられて大変満足しております。
『湖の乙女』はティアーズ+妖精騎士ランスロット+ストライクフリーダム的な感じでイメージしてます。


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