瑞鶴奮闘記(完結) (冷しゃぶ)
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第一話

ずいずい可愛い。
そんな私は赤城さん推し。


「きた! 瑞鶴きたぁ!」

 

 

 私が目を覚ましたと同時に、貴方は興奮した様子でそう叫んだわね。

 嬉しかった。そりゃもう、あれだけ露骨に喜んでる様を見たらね。こっちもつられて自然と口元をゆるませちゃうわよ。

 

 未だに向こう側で「よし! よし!」って握りこぶしを作りながら騒いでいる貴方に、そこまで嬉しかったのかなぁ、と内心苦笑いを浮かべながら、私は前から決めていた台詞を口にする。

 

「翔鶴型航空母艦二番艦、瑞鶴です!」

 

 多分だけど、あの時の私はいつもより良い笑顔を浮かべていたと思う。

 

 それが貴方に伝わらなかったのは……残念ね。

 

 本当に、残念。

 

 

 ◆

 

 

 見上げる。

 

 私の瞳を射ぬくように、真っ青な空に浮かぶ太陽からまっすぐ日差しが降り注ぐ。

 

「……まぶしっ」

 

 何を当たり前なことを言ってるのか、と我ながらアホらしく思う。

 これでもかとばかりに自己主張をするあいつから顔を逸らすと、次に視界に現れたのはどこまでも続く水平線。きらきらと光る水面に、不規則に引かれた白い線がゆらゆらと揺れている。

 

 ここでもあいつは自己主張するのか、と再び空を見上げて目を細める。

 

 やっぱり、眩しかった。

 

 

 

 

「瑞鶴」

 

 不意に、背後から私を呼ぶ声がした。

 

「翔鶴……姉さん」

 

 振り向きながら答えると、彼女はどこか寂しそうな顔をみせ。けれどすぐに、いつもの穏和な表情に戻り。

 

「もうすぐ出撃の時間よ」

「ああ、もうそんな時間か。わざわざ教えに来てくれてありがとう」

「あ……っ」

 

 なにか言いたげな彼女を置いて、私は一人、桟橋の上を歩き出す。

 途中でちらりと後ろを盗み見ると、そこにはさっき浮かべた寂しげな顔をしながらこちらを見つめる彼女の姿が。

 

「……、……」

 

 それを無視して、私は歩く。

 

 どうして彼女があんな顔をするのか。

 私はそれを知っている。知りながらも、見て見ぬ振りをする。

 

 そうしないと、きっと私は深入りしてしまう。引き返せないところまで入り込んで、そしていつか、受け入れてしまう。

 

 それだけは、ダメなんだ。

 

 

 ◇

 

 

 遠退いていく妹の後ろ姿を見つめる。

途中であの子が振り向いたような気もしたけど……多分気のせいだろう。

 

 「はぁ」と無意識にため息が出た。

 

「翔鶴さん」

「っ! あ、赤城さん?」

 

 いつのまにこんな近くにいたのか。 

 振り返ると、そこにはどこか気まずそうに笑う赤城さんが立っていた。

 

「ごめんなさい、驚かせてしまって」

「い、いえ。気づかなかった私も私ですし……ちなみに、いつからそこに?」

「翔鶴さんが瑞鶴さんに話しかけたところからですね」

「ほとんど最初からじゃないですか……。まったく気づかなかったです」

 

 「一航戦の隠密を舐めてはいけませんよ」とおちゃらけた様子で胸を張る赤城さんに、さっきまでの沈んだ気持ちが幾分か楽になる。

 

 きっと赤城さんは、私が落ち込んでいるのに気づいていたのだろう。事の成り行きは初めから見ていたようだし。今のちょっとしたおふざけも、私を少しでも元気付けるためにしたのだろう。

 

 そんなさりげない気遣いに、敵わないな、と改めて思う。

 

「瑞鶴さんは……変わらず、ですか」

「はい。変わらず、私を姉と呼んでくれません」

「…………」

「口では、言ってくれるんです。姉さん、と。けれど、あれはただ私の名前に添えただけの、なんの中身もない記号です。本当の意味で、あの子が私を姉と呼んでくれたことは……」

 

 表面上では姉と呼び、しかし内心では姉としてすら見ていない。

 

「正直、私にはその違いはよくわかりませんが……」

「それは仕方ないかと。姉妹である私自身、どうしてそう思うのか、よく判りませんし」

 

 姉妹艦だからなのか。たとえ口や顔に出なくとも、なんとなく、お互いの気持ちが理解できる時があった。

ただそれもできる時があるだけで、常に互いの気持ちがわかるわけではない。

 

 「艦娘にはまだまだ謎が多い」とは、このことを相談した際の提督の言葉だ。

 

「赤城さん。私は……どうすれば、いいんでしょうか」

 

 瑞鶴と仲良くしたい。一緒に買い物に行きたい。他の姉妹艦のように、なんの気兼ねなく、何気ない会話をしたい。

 

 何より、お姉ちゃんと呼んでほしい。

 

「けど、それらは全部私の我が儘なんですよ。自分勝手で、瑞鶴のことなんて考えない、ただ自分のやりたいことを押し付けたいだけの願望なんです」

 

 瑞鶴自身は、私と仲良くしたいとは思ってないだろう。

 あの子が建造されたその日から、私は一度たりとも、瑞鶴が誰か他の艦娘と積極的に関わっている姿を見たことがない。

 

 あの加賀さんが突っ掛かった時すら、軽く受け流して気にも留めなかった程だ。あれには私含め、赤城さんや偶然居合わせた二航戦の方々も目を丸くして驚いたのを覚えている。

 

「私はあの子に、どう接すればいいんでしょう」

「…………」

 

 赤城さんは、なにも言わなかった。

 

 

 ふと、空を見上げる。

 

 さっきまでさんさんと輝いていた太陽は。

 

 今はもう、雲に隠れて見えなかった。

 

 

 




ちょっと文字数少ない気もしますが、こんな感じでいいんですかね。


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第二話

続けて更新。



 

「見た見た提督さん! これが五航戦の本当の力よ! 瑞鶴には幸運の女神がついていてくれるんだから!」

 

 

 初めてのMVP。

 向こう側にいる貴方は、すごく満足気な表情を浮かべていて。

 それを見た私もなんだか嬉しくて、ついつい顔をニヤつかせた。

 

 

「五航戦。たった一度MVPを取ったくらいで調子に乗らないことね」

「なによ、自分が活躍できなかったからって嫉妬してるの?」

「嫉妬? なぜ私が七面鳥相手にそんな感情を抱かなければならないのか、理解できないわ」

「っ、ふっ、ふん! 追い詰められたらそうやって七面鳥七面鳥言ってればいいと思ってんでしょ。言っとくけど、私がいつまでもそんな挑発に乗るとは思わないことね、この元戦艦焼き鳥空母!」

「焼き鳥……頭にきました。こっちに来なさい五航戦、今一度上下関係というものをその鳥頭に叩き込んであげます」

「そんなのお断りよ! 翔鶴姉、後はお願い!」

 

「えっ、ちょっ、瑞鶴!?」

「うわー、相変わらず仲良いねーあの二人。そして翔鶴不憫」

「まあ本格的にヤバくなる前に止めるかぁ。そういえば飛龍、赤城さんは?」

「間宮さんとこ。夜食もらいに行ってくるって」

「飛龍さんも蒼龍さんも呑気にお喋りしてないで加賀さんを止め──!? あっ、まっ、待って加賀さん! 室内で艦載機はマズ──」

 

 

「ははははっ!」

 

 こんなバカ騒ぎを、もし貴方が向こう側から見れたなら、いったいどんな反応をしただろう。可笑しそうに笑うかな、それとも呆れる? 怒る……は、ないか。

 

 いつの日か、貴方と一緒にこんなバカ騒ぎをしてみたいなあ。

 

 眠気を我慢しているのか、船を漕ぎながらも半目でこちらを見つめている貴方に、私は大きな声で告げる。

 

「提督さん! 日付、変わっちゃったよー!」

 

 

 

 

「提督。第二艦隊、無事帰投しました」

 

 提督執務室。

 

 きらびやかな装飾品があるわけでもなく、いたってシンプル、もしくは質素ともいえるその部屋で、私は正面の椅子に座る男に坦々と報告を済ませる。

 愛想がない、と翔鶴姉さんには言われたけれど、わざわざそんなものを振り撒く必要はないと思う。

 

「ご苦労様。……ところで瑞鶴、最近調子はどうだ?」

「普段通りですけど」

「……あー、そうだな、他の子達とはうまくやれてるか?」

「作戦に支障がでない程度の関係は保っています」

「そうか……んー」

 

 何なのだろう、この質問は。いつもなら労いの言葉ひとつで退室を許可されるはずなのに……。

 確認の意をこめて提督の隣──本日の秘書艦である電に目を向けるも、なぜか顔を背けられるし。

 

 私、何か問題行動起こしたっけ。

 

「……翔鶴とは、どうだ?」

 

 あ、そういうこと。

 

「どうして提督が私とあの人との関係を知りたいのか判りかねますが、先程も言ったように、作戦に支障がでない程度には良好です」

「む……」

「質問は以上ですね。では」

 

 口ごもる提督を尻目に、一礼してから部屋を出る。

 扉を閉める際、隙間から提督と電がなにやら話しているのを目にしたけど……まあ、どうでもいいか。

 

 

 報告を終えたことで、今日の私の仕事は終わり。

 ……他の艦娘に会うのも面倒だし、とっとと部屋に戻るかな。

 

 そんなことを考えて歩いていると、歩みの先に見知った顔がひとつ。

 

「…………」

「どうも」

「ええ」

 

 一航戦、加賀。

 

 相変わらず仏頂面ね、とは口に出さない。この加賀に、そんな憎まれ口たたいてやらない。

 

「……一人で何をしてるのかしら」

「提督への報告。それじゃ」

 

 これ以上ないくらい面倒な相手だ。さっさと離れるに限る。

 

「待ちなさい」

「!」

 

 ……驚いた。まさか呼び止められるとは思わなかったから、つい足を止めちゃった。

 

「なんですか。私、出撃から帰ってきたばかりで疲れてるんですけど」

「…………」

「……何もないようなので、失礼します」

 

 踵を返し、一航戦に背を向ける。

 用事もないのになぜ呼び止めたりしたんだか。

 

 ……部屋、戻るかな。

 

 

 

 

「あなたが瑞鶴ね。私は一航戦、航空母艦の加賀よ。艦隊の足手まといにならないよう、せいぜい頑張ることね」

 

 

 初めて瑞鶴に出会った時の、私の台詞。

 

 今思うと、あの時私は浮かれていたのだろう。

 いつだったか、演習や提督の秘書艦として他の鎮守府に赴いた際、そこに所属する加賀と瑞鶴を見かけたことがあった。

 

 その時彼女らは──端から見れば実に阿呆らしいやり取りをしていたのだが、私はそんな二人の様子を、なぜか羨ましいと思ってしまった。

 

 くだらないことで言い争い、罵り合いながらも、どこか楽し気な雰囲気をまとっていた、あの二人を。

 

 

 別段、今の鎮守府に不満があるわけではない。赤城さんとは仲良くやれている。二航戦や翔鶴、他の空母や艦種の子達とも良好な関係を築けていると思う。

 

 不満はない。けれど、心のどこかで一抹の寂しさを覚えていたのも、また事実だった。

 

 比較的初期の頃に鎮守府に着任した私は、周りの子からみれば先輩という立場になる。だからだろう、殆どの子が私に対して一歩引いた距離感から接するのは。

 

 赤城さんや一部の子達を除いて、私と対等な立場で接してくれる者は少ない。

 だからこそ、私は求めていたのかもしれない。

 あの鎮守府の加賀や瑞鶴のように、気兼ねなく、馬鹿みたいなことをやり合える相手を。

 

 それなのに。

 

「あ……、翔鶴型二番艦、瑞鶴です。よろしくお願いします」

 

 まるで「貴女になど興味がない」とでも言いたげな態度で、あの子は私を一瞥しただけだった。

 

 

 

 

 ──ノックを三回。

 

「誰ですか」と室内にいる電からの問い掛け。

 

「加賀です」

「どうぞ、お入りくださいなのです」

 

 静かに扉を開く。

 入り口に向かい合うように置かれた執務机の上は……きちんと整理されてるようね。感心だわ。ダンボールだった頃と比べると雲泥の差ね。

 

「すまないな、非番だというのにわざわざ呼び出して」

「いえ。それで、私に何か?」

「……瑞鶴のことなんだが」

 

 なんてタイムリーな話題なのか。

 

「君の目から見て、彼女はここに馴染めているだろうか」

「……本来、そういう艦娘達の人間関係を含め、貴方は把握してなくてはならないはずなのだけれど?」 

「はは……それはわかってるんだがな。どうも俺は瑞鶴に嫌われているようでな。会話すらあまりしてくれなくて……」

 

 嫌われている? どういうことかしら。

 ……それよりも。 

 

「提督、まさかあなた、直接本人に聞いたの?」

 

 問うと、返ってきたのはなんともいえない曖昧な笑み。隣の電は苦笑い。

 

 ……何をやっているんだか。

 

「提督。一般に、“あなたは周りと馴染めていますか”、と聞かれて、素直に“いいえ”と答えられる者はそういないと思うわ」

 

 逆に“はい”と自信満々に答える者も少ないでしょうけど。

 余程人との付き合い方に自信があるか、はたまた周りに目を向けずに自己中心で物事を図る愚か者か。

 

 ……いや、今重要なのはそこじゃないわね。

 

「それで、瑞鶴はなんて?」

「作戦に支障がでない程度には良好、だそうだ。事実、特にこれといった問題が起きたなんて報告もない」

「……まあ、間違いではないわね。ただ──」

「ただ?」

「問題が起こるようなほど、深く関わってる相手がいないというのも、また事実よ」

 

 姉妹艦である翔鶴とすら、碌に会話をしようとしないのだ。

 

 もちろん、私とも。

 

「悪いけれど、瑞鶴に関して私にできることはないわ。それは他の空母も同じ。赤城さんも、二航戦や軽空母の子達も、皆避けられてるようだから」

「……そう、か。んー……」

 

 あごに手をあて、眉間に皺を寄せる提督。

 恐らく、瑞鶴の話題を提督に持ち掛けたのは翔鶴だ。先日赤城さんも相談に乗ったと言っていたし……「力になれなかった」とも言っていたが。

 

 ──それにしても、どうしてあの子はここまで露骨に私達と距離を置こうとするのだろう。

 私とは……まあ、仕方ない。初対面があれだったわけだし、好意的に見てもらえるとは思わない。

 

 なら他の子はどうだ。正規空母の中で瑞鶴と一番早く出会ったのは赤城さんと聞いた。けれど、その時何か気に障るようなことをしたとは聞いていない。その次の翔鶴も、二航戦も、ただ普通に挨拶しただけと言っていた。

 

 翔鶴に関しては、念願の姉妹艦の着任に感極まって抱き付いたそうだけど、そこは姉妹なのだし、嫌われるような行為ではないはず──。

 

「…………」

 

 そもそも、あの子は本当に私達を嫌っているのだろうか。

 普段の言動から避けられているのは理解できる。しかし避けられはせど、露骨に嫌悪感をあらわされたことは一度もない──と、思う。

 

 ……いや、私がそうであってほしいと思いたいだけ、かしらね。

 

 提督の前だというのに、ついため息をつきたくなる。

 ああ、まったく。どうして私が五航戦のことなんかでここまで頭を働かせなくてはならないのだ。

 

 

 ……。まあ、今さらかしらね。

 

 

 




ずいずいの出番が少ない。


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第三話

一話あたりの平均文字数一万の作者さん、本当尊敬してます。


 

 

「ねえ瑞鶴ー、夜戦行こうよー、夜戦ー夜戦ー」

 

「だあああっ! うっさいわよかっ……川内! 今日私はお休みなの! わかる? お、や、す、み。貴重な休日になんであんたに付き合って夜戦しなきゃなんないのよ!」

 

 

 いつもの川内とのやり取り。

 間宮さんの食堂で、あの夜戦バカはどういうわけだか執拗に私を夜戦へ誘いに現れた。こっちがご飯を食べていようが誰かと話していようが関係なしにだ。

 私だけ、ということでもなかったけれど、誘われる頻度は私がダントツで一番だったような気がする。

 

「えー、そんなこと言わずに行こうよ。あの夜戦だよ?」

「いやどの夜戦よ」

 

 夜戦は夜戦でしょうに。

 

「だいたい今何時だと思ってんのよ。ヒトフタマルマル、お昼よお昼。真っ昼間から夜戦なんてできるわけないでしょ」

「むう……」

「そんな不満そうな顔しても無理なものは無理」

 

 そもそも提督さんの許可が出ないと夜戦できないし。

 

「じゃあ昼寝しようよ!」

「はあ?」

「だから昼寝! 今から寝て夜に起きれば夜戦できるじゃん! それならいいでしょ!」

「よくないわよ。私、午後から翔鶴姉とショッピング行く予定だから」

「えー」

 

 余程不満だったのか。それとも相当夜戦欲が溜まっていたのか。川内は私の背中に抱きつくよう、首に腕を回して密着してきた。

 そして耳元で「夜戦」を連呼。

 

 ……なんだこれ、何かの罰ゲーム?

 

 いつもならここらで止めに入る川内型の他二人はいないし、周りの子達は我関せずで助けにきてくれそうな様子はない。好き好んで夜戦バカに絡まれに来るような輩はいないのだ。

 

 くそう。

 

「ねえ瑞鶴ぅ。夜戦ー」

 

 無視よ。無視するのよ瑞鶴。

 翔鶴姉も言ってたじゃない。時には引くのも女の嗜みだと。……あれ、ちょっと違うか?

 ええいっ。とにかく今は我慢よ。このまま相手にしなければ、いつかは飽きて標的を変えるはず。

 耐えろ私。あなたは誇り高き五航戦でしょ。どこぞの頭が固くて融通がきかなくてすぐに怒る焼き鳥空母なんかとは違うということ、今ここで表明してやるわ!

 

「瑞鶴ぅうう。ずいっずいっ瑞鶴ー。夜っ戦しようよー」

 

 こいつぶん殴っていいかな。

 

 ……ああ、わかる。今私の首筋に鼻を押し当てているであろうこのバカが、見る者を不快にするニヤニヤとした笑みを浮かべているのが、私にはわかる。見えないけど。

 

「ねーえー」

「──ああもうっ! わかった! わかったわよ! 今度一緒に昼寝ぐらいしてやるから、とりあえず今は離れなさいよ暑苦しいっ」

 

 折れた。

 ごめん翔鶴姉。五航戦の誇り、守れなかったよ。

 

「……ま、今はそれでいいか」

「ただし、非番の日だけよ。それ以外の日は絶対付き合わないから」

「ん、いいよ。それじゃ約束。次の瑞鶴の休みの日は一緒に昼寝して夜戦に行くこと」

「勝手に夜戦増やすなバカ」

 

 

 ──結局。

 

 あの時の約束は、果たせていない。

 

 

 ◆

 

 

 お昼。時間はヒトフタマルマル。

 

 時折風に乗って運ばれてくる潮の香りを感じながら、私は一人、鎮守府の外を歩く。

 この時間、出撃や遠征に出ている子達を除き、艦娘達の殆どは昼食を取るため食堂にいる。中には暇を潰すために辺りをぶらぶらと徘徊してる子もいるが、それも少数だ。滅多に会うことはない。

 つまり、あまり他人と関わりたくない私にとって、簡単に一人になれるこの時間帯はとても都合がいいのだ。

 

 整備されたアスファルトの歩道をゆっくりと進みながら、ふと近頃身の回りに起きている変化について考えてみることにする。

 

 まず休みが増えた。前触れもなくいきなりに。

 当然、提督に理由を聞いた。

 

「積極的に作戦に参加してくれるのはこちらとしてもありがたいが、休息を取るのも大切なことだ。たまには翔鶴や他の子達と外出でもしてきたらどうだい?」

 

 露骨すぎる。 そうまでして提督は、私を……あの人と近づけたいのか。

 

「…………」

 

 苛立ち。自然と歩調が速くなり、歩幅も大きくなる。

 

 ほんと、余計なことをしてくれる。本人は私達のことを思ってやってるんだろうけど、実際にはあっちのことしか考えていない。私の意思なんて関係なしに、さもそれがいいことであると疑わない、一方的で独善的な行為だ。

 

 ありがた迷惑もいいとこね。

 私はここにいる連中と仲良くなる気なんて、欠片もないのに。

 

 

 気がつけば、舗装された道は終わっていて。

 歩く度にさくさくと心地よい音を出す砂浜を、一歩一歩、その音を確認するようゆっくり足を踏み出す。

 

 そして、思う。

 

 ──ああ、気持ち悪い。

 

 

 足元に向けていた視線を、今度は前へと移す。

 今まで何度も、何度も耳にしてきた、波の音。幾度となく目にしてきた、どこまでも続く水平線。

 

 ──ああ、やっぱり、気持ち悪い。

 全部、全部、気持ち悪い。

 

 

「あれー、瑞鶴じゃん。何してんのこんなところで」

 

 砂浜に座り、ただボーッと海を眺め始めてから、しばらく。

 背後から声を掛けられたけど、私は無視を決め込む。今は誰の相手もしたくない。こいつ相手ならなおさらだ。

 

 けれど、そんな私の心境などいざ知らず。

 砂を踏む音はだんだんと近づいてきて……ピタリ、と止まった。

 私の横で。

 

「ねえ、なにしてんの?」

「…………」

 

 私の顔をのぞきこんできたそいつから、いつかのあいつの面影をみる。雰囲気も、はつらつとした笑みも──何もかも、あいつと似ている。 違いといえば服装くらいか。

 

「おーい、聞こえてるー? もしもーし」

「……、なによ」

 

 口に出して、後悔。

 なぜ返事をしてしまったのか、なんて、今さら考えたところで意味はない。

 

「あ、やっと反応してくれた。さっきから話し掛けてるのに返事も何もしてくれないからさー、てっきり寝てるのかと思ったよ」

「こんな場所で眠るはずないでしょ。バカじゃないの」

 

 吐き捨てるように言って、立つ。

 お尻についた砂を手で払い除けていると、横からまた、あいつと同じ声。

 

「そう? 意外と気持ちいいかもよ。ここの砂ってきめ細かいし、ごつごつした石ころなんかも少ないし」

「なら寝れば?」

 

 これ以上こいつの相手はしたくない。

 

「ん? どこ行くの?」

「さあ? 私にもわからないわ」

「あはは、なにそれ」

「……。それじゃ」

「ああっ、待って待って!」

 

 誰が待つもんか。

 あいつは……どうやら追いかけてまでは来ないようだ。どうして私を呼び止めたのかはわからないけど、一度無視された程度で諦めたんだ。そこまで大事なことでもないのだろう。

 

 そんなことを思っていた矢先。

 

「瑞鶴ー!」

 

 私を呼ぶ声。

 足は、止めない。

 

「今度暇な時でいいからさ! ここで一緒に昼寝でもしようよ!」

「っ──」

 

 …………。

 

「あんたなんかとは死んでもごめんよ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「…………」

「川内姉さん?」

「んー」

「こんな場所で寝転がって何やってるんですか」

「昼寝」

「……別にお昼寝するのはいいですけど、せめて部屋に戻ってお布団の上で寝ませんか? 汚れちゃいますし、なによりこんな強い日差しを浴びてたら日射病になっちゃいます」

 

 困ったように苦笑いを浮かべる妹に、そりゃそうだ、と同意してから体を起こす。

 髪の毛やら服やらに付いた砂を払いのけ、「ぅんーっ」と固くなった体を伸ばしてほぐす。

 

「どうしてこんな砂浜でお昼寝を?」

「なんとなくよ、なんとなく」

「なんですかそれ」

「……そうだね。強いて言うなら……本番に向けての予行演習、かなぁ。やっぱ直に砂の上に寝るのはダメだね。シートかなんか敷かないと。あとは日差しを遮る傘みたいな……ビーチパラソルだっけ。あんなのも必要かなー」

 

 そこでチラリと隣にいる神通を見ると、頭に疑問符を浮かべて可愛らしく首を傾げていた。うん、まあ、当然の反応だよね。流石に今の会話で理解されるとは思ってないし。

 ならどうして口にしたのか、って聞かれると、それはそれで困るんだけど。

 

「あの……姉さん。すいません、今の話ではいまいち話の内容がわからなかったんですけど……」

 

 だろうね。

 

「んー」

 

 さて、どうする。この子の前で瑞鶴のことはあんまり話したくないんだよなぁ。

 ……まあ今回は神通に関係するわけでもないし、大丈夫か。

 

「いやー、ちょっと前に瑞鶴と話してね」

「! ……瑞鶴さんと、ですか」

 

 ありゃ、やっぱりこうなるか。

 

「なに、神通ったらまだ瑞鶴に苦手意識持ってるの?」

「いえ、別に苦手ってわけじゃ……ただ、その……」

「いいよいいよ、無理に言葉にしなくても」

「す、すみません」

「いや謝らなくてもいいんだけど」 

 

 私の妹ながら、どうしてこう気弱なのか。戦場に立つ時とは大違いだ。

 

「他の子もそうだけどさ、瑞鶴のどこにそんな苦手になるような要素があるかなー」

 

 神通含め、鎮守府内には瑞鶴のことを意識的に避けている子達は少なくない。特に駆逐艦あたりが多いと私は思ってる。

 ただそこまで露骨に嫌ってはいないようで、神通みたいに“少し苦手”って感じみたいだけど……その理由がわからない。

 

「……目、です」

「め? めって、この目?」

 

 自分の眼球を指差しながら聞き返すと、こくり、と神通は小さく頷いた。

 

「瑞鶴さんの私を見る目が、あまり好きじゃなくて。なんと言いますか、私を見てはいるんですが、私自身を見ているわけではなくて……」

「ごめん、よくわかんない」

「うぅ」

 

 神通を見ているようで見ていない……。うん、さっぱりわかんない。

 瑞鶴を避ける他の子達も似たような理由なのかな。今度何人かに聞いてみるか。

 

「川内姉さんはありませんか? 彼女からそんな目で見られたこと」

 

 言われて、少しだけ記憶をふり返ってみる。

 私を見ているようで見ていない目……うーん、そもそもそれがどんなものかいまいちわからないのに、いくら記憶をふり返ったところで意味があるとは思え────あ。

 

「そう、いえば」

「何か思い当たることでも?」

「ん、まあ……」

 

 瑞鶴と初めて顔を合わせた日。

 あの時、あの子は…………。

 

「姉さん?」

「……いや、なんでもない。ところで神通、お昼御飯はもう食べた?」

「へ? いえ、まだですけど」

「じゃあ今から食堂行って一緒に食べよ! その後は夜戦に備えてもう一眠りしないとね!」

「だ、駄目ですよ。食べてすぐ横になるのは体に悪いんですから、せめて一息ついてからにしてください」

「えー」

「姉さん!」

 

 「あはは、わかってるよ」と口にしつつ、いつもながら必要以上に心配性な妹に内心苦笑する。

 

 ……それにしても、“目”、ね。

 あの時はあまり気にもしなかったけど、確かに言われてみれば、瑞鶴の私を見る目はおかしかった。

 ただあれは、神通が言うような理解し難い類いのものじゃなくて。

 

『や、あなたが翔鶴の妹さん? 私は川内型一番艦、川内だよ。一番好きなことは夜戦! よろしくね!』

『っ……翔鶴型二番艦、瑞鶴です。……よろしく』

 

 

 ……。やっぱり、わかんないや。

 

 

 

 




口調はこれでいいのだろうか。
ある程度調べてはいますけど、わからないところはわからないんですよね。
まあ、そこらへんは勝手に捏造してますけど。


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第四話

口調はこれでいいのだろうか。


 

「瑞鶴先輩!」

「……ねえ、前から言ってるけど、その瑞鶴“先輩”ってのやめてくれない? あとここでは静かにしなさい」

 

 一人で鍛練をしていた最中、弓道場の入り口から聞こえた声に振り返ると、そこにはこの鎮守府の中で唯一私を先輩と呼ぶ空母の姿があった。

 

「あ……すみません、つい」

「ついじゃないわよ。まったく、今は私一人だから口煩く咎めるつもりはないけど、もし一航戦……特に青い方がいたら、間違いなくお説教タイム突入よ?」

「うっ、加賀さんの説教はいやだなぁ。前なんて……」

 

 以前やらかした時に受けた一航戦による説教を思い出したのか、ぶるる、と体を震わせる後輩。どうやらトラウマになっているようだ。気持ちはわかる。

 

「で、葛城は何しにここに来たのよ」

「あっそうでした。瑞鶴先輩! 私を鍛えてください!」

「却下。あと先輩いうな」

 

 私の返事に、葛城は「そんな!?」と心の底からショックを受けた反応をする。この様子だと断られるとは微塵も思っていなかったようだ。

 

「あんたに教えれる程、私は練度も高くないし場数も踏んでない。どうせ教わるなら赤城さんや加賀さんにしなさい。その方があんたのためになるわ」

「う……それは、そうかもしれませんけど……私は瑞鶴先輩に教わりたいんです!」

「だから先輩いうな」

 

 なんだか背中がむず痒くて仕方ないのよ。

 

 

「あのね、あんたがどうしてそこまで私に拘るのかは……まあ、だいたい察しはついてるけど、私なんかより一航戦の人達に師事した方が絶対に葛城の成長に繋がるわ。あの人達が嫌なら飛龍さんや蒼龍さん、翔鶴姉……私より強くて教え上手な人ならいくらでもいるでしょ」

「……でも、私は……葛城は……」

 

 ぎゅ、と服の裾を掴みながら俯く後輩に、私はついため息をつきたくなると同時に、ふと昔のことを思い出す。

 

 

『一航戦──ましてやあいつに教わるなんて絶対にいや! 翔鶴姉がいい!』

 

 ──あの時の翔鶴姉の瞳には、当時の私は今のこの子みたいに映っていたのかな。

 

 

「……、一度だけ」

「!」

「一度だけなら、あんたの鍛練に付き合ってあげる」

「本当ですか!?」

 

 おおう、いきなり元気になった。

 

「一度だけよ? 何度も言うけど、私よりずっと経験があって強い人は沢山いるの。だから私にばかり拘らないで……」

「やった! あの瑞鶴先輩と一緒に──あ、あのっ、早速みてもらってもいいですか!?」

「え、いや、あのね、話は最後まで聞いて──」

「葛城、すぐに準備してきます!」

「いやだから、話を聞いて…………あ」

 

 

 私は見た。慌てて弓道場を出ようとした葛城が、今まさにここに入ってきた人とぶつかり、尻餅をついてしまったところを。

 私は聞いた。ぶつかった相手もまた、葛城と同じように尻餅をついて……あの子と、そして道場内にいた私を見て、こう呟いたのを。

 

 

「頭にきました」

 

 

 なんて理不尽。

 

 

 ◆

 

 

 見る。

 

 狙うは一点。射抜くべき対象以外の不要な情報は頭から、視界から、耳から、すべて弾き出す。

 

 射法八節。弓道においての基本法則。動作七節に、最後の“心”を加えて計八節。

 戦場では一から八までの節を律儀に守ってられる程の余裕はない。けれど今私がいるのは命の危険のない道場だ。基本を振り返りながら矢を射る余裕は十分ある。

 

 構えに入る前に、かつて私に射を教えてくれたあの人の姿を思い浮かべる。

 今の私は、果たしてどこまであの人の背中に近づけただろうか。いや、もしかしたら離れているかもしれないわね。慢心せず、常に向上心を持っていた人だ。私の記憶の中の姿は、もう過去のもの。

 ……今のあの人は、いったいどれほどの高みにいるのかな。

 

「…………」

 

 ──構える。

 ──狙うは一点。

 

「────」

 

 離し、放つ。

 

 ──中る。

 

 そして、残心。

 

 本来ならここで今の射についての反省なり、改善点などを探すなりするのだが。

 私はただ、射抜くべき的の中心から少しずれた位置に突き刺さっている矢を見つめながら、まったく別のことを考えていた。

 

 ……あの人は、今の私を見て、なんて言うだろうか。

 

「まあ」

 

 褒められるなんてことは、まずないだろう。

 きっといつもの仏頂面をみせながらこう言うんだわ。

 

『まだまだね。その程度で私を追い越すなんて、笑わせてくれるわね、五航戦』

 

「ふん、いつか追い抜いてやるわよ、一航戦」 

 

 そのためには、早くこんな場所から帰る方法を探さないと。

 ……今のところ、その方法どころかきっかけすら掴めていないのだけれど。

 

 前途多難もいいところだ、と、自然と口からため息が洩れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その場に居合わせたのは、まったくの偶然だった。

 

 間宮さんの所で久しぶりのアイスを堪能し、食後の運動でもと一人弓道場へ足を運んだ私は、道場内に人の気配があることに気付き。

 誰かしら、とそっと扉を押して中を覗き見たら、そこには最近よく話題に上がるあの人がいた。

 

 ──わ、わっ、瑞鶴さんだ……っ。

 

 運の良いことに、ちょうど射をするところだったようだ。

 

 翔鶴型二番艦、瑞鶴さん。

 文字どおり翔鶴さんの妹さんで、他の艦娘達と最低限しか関わらず、いつもどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出してるから、駆逐艦から怖がられて少し避けられている、私と同じ正規空母の先輩だ。

 

 そんな瑞鶴さんは、あまり人前で矢を射ることはない……らしい。あくまで聞いた話だから本当かどうかはわからないけれど、私はあの人がここにいるのを見るのは今が初めてだから、案外信憑性は高いのかもしれないわね。

 

 普段は二つに結んでいる髪をおろし、見慣れないストレート姿は斬新で、いつもより大人の女性に見える。別に普段の姿が子どもっぽいってわけじゃない。むしろ大人だわ。寡黙だし、クールだし、かっこいいしっ。

 

 ……っと、いけないいけない。妄想の世界に浸るのはここまでよ葛城。

 意識を頭の中から目の前の光景に切り換える。するとタイミングよく瑞鶴さんは構えに入って────。

 

「うわあ……っ」

 

 感嘆。無意識に肺からは空気が洩れ、興奮からかいつもより激しく脈打つ心臓の音が耳に届く。

 瑞鶴さんの射は、ただただ基本に忠実なものだった。それだけなのに、私は今の一連の動作に魅せられた。

 

 基本に忠実。口に出すのは簡単だけど、それを完璧なまでにこなすのは容易ではない。私に今の瑞鶴さんと同じことをしろと言われてもまず無理だ。

 私の知る限り、あそこまで美しい射ができるのは一航戦の二人くらいね。

 ……そういえば、今の瑞鶴さんの動き、どこか加賀さんに似ていたような気が……いや、たぶん気のせいね。瑞鶴さん、誰からも教わってないって聞いたし。

 

 ──あれ?

 

 ならどうしてあそこまで綺麗な射を瑞鶴さんはできるのだろう。誰からも教わってないってことが本当なら……まさか独学!?

 

「ねえ」

「ひゃわ!?」

 

 驚愕。

 

 気付いたらすぐ目の前に瑞鶴さんがいた。

 予想外の事態に驚き尻餅をついた私を、目の前にいる先輩は呆れたような目で見下ろす。

 

 うぅ、憧れの瑞鶴さんの前で尻餅なんて。恥ずかしくて顔から火が出そうだわ……っ。

 

「……、さっきからこそこそと何をしてるのかと思えば。百面相の練習なら他所でやってくれる? 気が散るわ」

「っ、すっ、すみません! あの、わ、私も少し体を動かそうかなと思いまして! そしたら瑞鶴さんがいたので、少しばかり見学させて頂こうかなと! 覗きとかっ、そんな疚しい気持ちは一切なくて……っ」

「どうでもいいから、まずは立ちなさいよ」

「はっはい!」

 

 急いで立ち上がり、改めて瑞鶴さんと対面する。

 ……うん、やっぱり髪型がいつもと違うからか、普段と印象が全然違うなぁ。

 

「何で人の顔見て呆けてるのか知らないけど、やるんでしょ、あれ。私はもう終わるから、後は好きにしなさい」

「あ……ま、待ってください!」

 

 思わず。そう、思わずだ。ここから立ち去ろうとした瑞鶴さんの背中に、私はつい声をかけてしまった。何も考えてないのにっ。

 

「……なによ。何か用?」

 

 呼び止めておいて用件を喋らない私を訝しんだのか。 眉を寄せる瑞鶴さんを前にして、私の背中を嫌な汗が伝う。

 

 ──まずい、まずいわ。「実は何も用なんてありません」なんて、今の瑞鶴さん相手に口が裂けても言えないわ。言ったら何をされるか……ああ、想像すらしたくないっ。

 何か、何かないの葛城! 今あなたの前にいるのはあの憧れの大先輩なのよ。聞きたいことや話したいことの一つや二つあるでしょ!

 こんな機会もう滅多にこないだろうし──、そうだわ!

 

「瑞鶴さん、時間がある時でいいんですけど、私の射を見てもらえませんか?」

「…………」

 

 無言。

 

 口内が渇き、唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえた気がした。

 

「悪いけど」

 

 ついに放たれた瑞鶴さんの言葉に、思わず体が跳ねる。

 

「私、これから暫くは忙しくなるから、あんたの相手はしてられないの」

「──そう、ですか」

「ええ。だから頼るんなら私以外の人にしなさい」

「はい、そうします……急に呼び止めたりしてすみませんでした」

「それじゃ」

 

 俯く私の横を、あの人は颯爽と通りすぎていった。

 

 ──ショック、だった。心のどこかで断られるとは思っていたけど、実際に面と向かって拒否されるのは中々にきつい。

 ましてや相手があの瑞鶴さんなのだから、ショックの度合いも他の人と比べて一段と重い。

 泣かなかった私を褒めてやりたいくらいだわ。

 

「……よし!」

 

 いつまでも引きずってなんかいられないわよ葛城! せっかく瑞鶴さんの射を見れたんだから、あの光景が瞳に焼き付いているうちに練習よ、練習!

 

 ……あぁ、でもやっぱりショックだなあ。

 

「……それにしても」

 

 これから忙しくなるって言ってたけど、近いうちに大規模作戦の予定なんてあったかしら。

 

 今度誰かに聞いてみようっと。

 

 

 

 




弓道についてはにわか知識満載です。

私の中での瑞鶴に対する葛城はこんな感じ。露骨すぎた気もしますが、史実があれですし。


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第五話

安定しない文字数。


 私が思っていたよりも、世界は残酷だったらしい。

 

 ありふれた日常。皆で騒いで、笑って、たまに喧嘩なんかしたりして。

 時間はまちまちだったけど、ほぼ毎日向こう側にいる貴方と顔を合わせて、出撃して、演習して、怪我してドックに放り込まれて。

 そんないつも通りな毎日を、これから先もずっと送れるのが当たり前だと思っていた。

 

 けれど、そんな私の世界は一瞬にして姿を変えた。

 

 一見すると何ら変わらない。人も、海も、空も、妖精も、身体も、中身も、記憶も、感覚も、何一つ普段通りだ。

 だが、違う。違うのだ。人も海も空も──この世界すべてが偽物だ。形だけ同じのまがい物なんだ。

 

 気持ち悪い。

 

 どうして私はこんな目に遭っている。どうして私はあんな偽物達と毎日毎日顔を合わせて話をしなくちゃいけない。どうしてあいつらは私に関わろうとする。

 あれは私の知ってる先輩じゃない。あんたは私の知ってる後輩じゃない。お前は私の知ってる友達じゃない。

 

 ……貴女は、私のたった一人の、大好きだった姉じゃない。

 

 誰があんたらなんかと仲良くするか。誰がお前達なんかと触れ合うもんか。

 いつか絶対こんな世界から抜け出して、私は帰るんだ。

 私が大好きな人達がいる、あの日常へ。

 

 それまでは、使えるものはなんだって利用しないとね。

 

 

 ◆

 

 

「艦娘の着任記録、ですか」

「ええ。そういうのって録ってないですか? もしあるなら見せてもらいたいんですけど」

「ありますけど……そんな物見ていったいどうするんですか?」

「ちょっと気になることがありまして」

「……まあ、特にこれといった機密は記されていませんし、構いませんけど。ただあまり詳しくは書いてありませんから、そこはご容赦くださいね」

 

 デスクを漁り、ひとつのファイルを取り出した大淀は私にそれを差し出した。

 受け取り、中に目を通す。

 

 艦娘の名前、艦種、建造、もしくは海域にて突如として生まれ保護された日時。これだけ判れば問題ない。大淀は詳しく書いていないなんて言ったが、むしろこれ以上何を書けば詳しくなるのか。

 

 さておき。

 

 注視するべきは日時と場所だ。私と同じ日に建造された艦娘は……いない。突如として生まれた──元いた場所では“ドロップ”と提督さんは呼んでいたが、それも無し。

 

「……他の鎮守府のものは見れますか」

「ここを含め、各鎮守府の情報は全て大本営が管理しています。提督の許可があれば、閲覧も可能ですけど……」

 

 提督ね。

 さてどうするか。あまり不可解な行動を取れば怪しまれることになる。

 今は別の理由から私に接触してきているからそういう目で見られてはいないけど、それも次からは変わるだろう。今回の大淀との会話は間違いなく提督に伝わる。他ならぬ大淀の口から。

 ただそれでも、私の予想ではまだ疑惑の域には至らないはずだ。せいぜい珍しいことをするな、くらいのものだろう。

 短く浅い付き合いだけど、ここの提督がお人好しだっていうのは私にもわかる。基本的に人を疑わず、一度身内だと判断すれば甘くなる。私からすれば危ういの一言だが、他の艦娘達から言わせればそこが親しみやすい理由らしい。

 

「それにしても、貴女といい赤城さんといい、珍しいものに興味を持ちますね。着任記録なんて、私みたいな補佐役の艦娘以外は興味どころか存在すら知らない子もいるくらいですよ」

 

 「あ、だから興味を持つんですかね。知った時に」と何やら一人で納得した風に頷く大淀だが、私はそんな彼女の所作よりも気になることができた。

 

「ねえ大淀さん、これ、赤城さんも見たの?」

「ええ、随分前のことですけどね。確か……赤城さんが着任して少しした頃に、瑞鶴さんと同じように私を訪ねてきたんです。“他の子達のことを知りたいから、記録を見せてほしい”って」

「……それで?」

「これまた貴女と同じで、他の鎮守府のことも知りたいと頼まれたので提督が閲覧許可を出しました。ただそちらの方の理由は前者と違い、当時の演習相手を知るのが目的だったようですけど」

「へえ」

 

 あの人が、ね。

 

 …………。

 

「これ、返します」

「もういいんですか?」

「はい。ありがとうございます」

 

 記録を手渡し、通信室を後にする。

 

 さて。あの一航戦の片割れは今どこにいるのか。

 ……どうせなら、それも大淀に聞いておけばよかった。

 

 

 ◇

 

 

 脱力。

 

 椅子の背もたれに体を預けて一息つく。

 

 彼女の相手をするのは疲れる。前はそうでもなかったというのに、ここ最近の提督や他の子達の話を聞いた後では必要以上に神経を使ってしまう。

 しかし、なるほど。神通さんの言う“目”とはあれのことか。

 私を見ているようで見ていない。あれはまるで興味のない物か何かを見る目だ。大概に人に向けるような類いのものじゃない。

 

 どうして今まで気が付かなかったのか……。

 

「…………」

 

 彼女の目は確かに不気味だ。一部の駆逐艦の子達が避けるのも頷ける。ただあの視線からは敵意や嫌悪といった感情は伝わってこなかった。私がそう感じただけかも知れないが、そこだけは妙に気にかかる。

 

 ──敵、ではない、とも言えない。身内を疑いたくはないが、そういう目線で見る立場の者が一人はいた方がいい。

 できるならば提督に任せたいところではあるんですが……駄目ですね。性格上無理がある。すぐ顔や態度に出そう。下手したら本人に直接問いただしそうだ。

 

「やれやれ」

 

 あの甘い性格は好ましくもあるんですが……まあ、そういう欠点を補うのも、補佐役の私の務めなんですけど。

 ただ私一人では些か荷が重い。

 

 ……今度加賀さんあたりでも引き込みますかね。

 

 眼鏡を外し、眉間に寄った皺を解すように軽く指先で揉む。

 

 ──それにしても、翔鶴さんはまた難儀な妹を持ったものだ。片方は歩み寄ろうとし、もう片方は同じだけ離れようとする。提督も姉妹仲を取り持つためにいろいろと画策しているようですが、瑞鶴さんのあの様子を見る限り、今のところ何をしても無駄でしょう。むしろ逆効果な気がしないでもない。

 

 かといってそれらの行為を止めるつもりはさらさらない。私自身、瑞鶴さん関連の問題に対する解決案が浮かんでいるわけではないし、何より不用意に首を突っ込んで自ら心労を重ねたいとは思わない。

 

 翔鶴さんには悪いけれど、私は傍観者の立場でいさせてもらおう。

 

 デスク周りの整理を終え、ゆっくりと席を立つ。

 

 時刻はヒトゴーフタマル。

 休憩がてら間宮さんの所にでも行こうか。そして串団子とお茶でも頼んでゆったりしよう。今日の分の仕事はまだあるが、それも微々たるもの。初めのうちに重要な書類などの処理は終わらせておいたし、近頃は深海棲艦の動きも穏やかだ。多少休憩の時間を延ばしても問題はない。

 

 さあストレス発散といきましょうか、と意気揚々と通信室を出ると、すぐ目の前に提督の顔が。

 

 ──どうやら、あの美味しい串団子を堪能できるのは、またの機会になりそうだ。

 

 

 




たぶん今作のヒロインは瑞鶴。攻略する側は……誰でしょうね。


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第六話

大和型と阿賀野型で爆乳戦隊を踊る動画を視聴。ぷるんぷるんだった。
瑞鶴、瑞鳳、葛城、大鳳、RJで爆乳戦隊を踊る動画を視聴。泣いた。

そして今話は少々手こずりました。


 

 勝った。

 

 高揚感。達成感。肩で息をしつつ、顔には自然と笑みが浮かぶ。隣に立つ姉も私と同じなのだろう。目を合わせると、額に汗を浮かべながらニコリと微笑みを返してくれた。

 他の子達も、皆一様に晴れやかな顔をしていた。傷を負い、服は破れ、艤装もボロボロだというのに、嬉しそうに表情を緩めている。

 

 帰ろう。

 

 誰かがそう言って、みんながそれに頷く。

 

 そうだ。帰ろう。そしてその後は何をしようか。

 まずは提督さんに報告かな。「褒めてくれるかな」と翔鶴姉に聞くと、クスクスと可笑しそうに笑われた。なんで?

 

 その次は──あの一航戦にでも会いに行くか。癪だけど。

 翔鶴姉は「きっと褒めてくれる」と言うが、それはあり得ないと思う。赤城さんが一日何も食べ物を口にしないくらいあり得ない。そもそもあの人が私を褒めている姿が想像できない。

 そのことを言うと、また翔鶴姉は可笑しそうに口元を緩めた。

 

「加賀さんだって人を褒めることはあるわよ。ただその人の前でしないだけで」

 

 ……それはつまり、私がいない場では私のことを褒めていると? あの一航戦が? 口を開けば小言ばかりのあの鉄仮面が? 翔鶴姉には悪いけど、それだけは信じられないわ。

 

「素直じゃないわね」

 

 ……うっさい。

 

 微笑ましいものを見る目で私を見つめてくる姉から顔を逸らす。

 その時の私の顔は、きっとだらしないものだっただろう。

 

 

 ◆

 

 

「ねえ、ちょっといい?」

「あ、はい……っ、ず、瑞鶴さん!?」

 

 驚きに目を見開き、二歩後ずさって私を見るのは駆逐艦吹雪。

 私が話し掛けると、たいていの駆逐艦連中は今のような反応をする。偶然耳にした情報によると、どうやら私は多くの駆逐艦から恐れられてるらしい。

 特に何かした記憶はないけど、向こうから勝手に距離を置いてくれるのだから、避けられている現状はむしろ好都合だ。必要以上に関わらなくて済む。

 

「赤城さん、どこにいるか知らない?」

「あ、赤城さん、ですか? ついさっき食堂の方へ行くのを見ましたけど……」

「そう。急に呼び止めて悪かったわね」

 

 おどおどしている吹雪を置いて歩き出す。

 

 ここではただの一駆逐艦の吹雪だけれど、私本来の居場所である向こうでは、初めて鎮守府に着任した艦娘──いわゆる初期艦だった。錬度も高く、幼い姿ながらも率先して皆のまとめ役を務めていた彼女を、私は素直に尊敬していた。

 ……が、ここではただの駆逐艦。改二でもなく、特にこれといって役目を担っていることもない、ただの艦娘。

 

 ──そういう些細な違いを見るだけで、この場所が私の居場所ではないと嫌でも認識させられる。

 まあ、同時に感謝もしている。それらの差違を見つける度に、私に向こうのことを思い起こす切っ掛けを与えてくれているのだから。

 

 

 食堂にたどり着き、まずは目的の人物を探す。

 現在の時刻はヒトサンマルマル。もっとも艦娘達がこみ合うピークは過ぎているが、それでもまだ食堂内には多くの子達が席に座り、各々食事なり会話なりしている。

 

 ……入り口付近にはいない、か。

 

 一通り周囲を見渡すが、どこにもあの人の姿はなく。

 となれば奥のカウンター席の方か、と足を踏み出すと、何やら先程までの喧騒が止み、次第に周りがざわつき始めた。

 どうやら普段から食堂に足を運ばない私が今この場にいることに驚いているようで、「うそっ」やら「なんで」と言った声がちらほら聞こえてくる。

 

 それらを無視して、奥へと足を進める。疑惑、困惑、いろいろな視線を浴びる中、私の瞳は目的のあの人の姿を捉える。

 

 予想通り、彼女はカウンター席にいた。

 

 そして、私をまっすぐに見つめていた。

 

「…………」

 

 近づき、見下ろす。私は立ち、向こうは座っているのだから、この形になるのは当然で。

 彼女の隣にいる青い色の片割れが何やら喋りかけてきているが、そんなものは私の耳には届かない。意識の外へと追い出す。

 

「話があります」

「今からですか?」

「できるなら」

「……いいでしょう。ちょうど食事も終わったところですし」

 

 言って、席を立った彼女と改めて視線を交わす。

 向こうは私を見下ろし、私は向こうを見上げる。背が低いのは私の方だから、この形になるのは必然だ。

 

「できれば二人きりでお願いします」

「初めからそのつもりですよ。ということなので、加賀さんは着いてこないように」

 

 「赤城さん!?」と咄嗟に席を立つ加賀を尻目に、私と隣の彼女は歩き出す。

 食堂を出る際、チラリと背後を盗み見ると、私達を追うべきか追わないべきかで悩み挙動不審になっている加賀がいた。

 

 ──ああ、そういうところは変わらないんだな。向こうも、こっちも。

 

 

 

 いつかの射抜くような日差しはなく、空の半分は灰色の浮遊物で覆い隠されていた。

 風でなびく髪の毛が鬱陶しい。頬に貼りついていたそれを手で払いのけ、そのまま後ろに流す。髪を括ってはいるが、風向きのせいで変に前へ流れてくる。

 ふと横にいる彼女に目を向けると、同じように手で髪を後ろへ流していた。ただ私と違い、その顔にはどういうわけだか楽しそうな笑みが浮かんでいる。

 

 食堂でこの人に声を掛けた後、私は彼女を連れて桟橋まで来ていた。ちらほらと艦娘の姿は見えるが、声の聞こえる範囲にはいないことだし、二人きりと言っても間違いはないだろう。

 

「たまには、こうしてただ海を見つめるのも悪くないものですね」

 

 晴れやかな天気でないのが少し残念ですが、と、赤城さんは微笑んだままこちらを振り向いた。

 

 桟橋の縁に腰を下ろし、足をぶらりと垂らす。隣では私に座るように勧めた赤城さんが足をぶらぶらさせながら水面を見つめている。

 

「瑞鶴さん、最近調子の程はどうですか?」

「……普通ですよ。特に問題はありません」

「それはよかった。……ああ、そういえばこの前葛城さんが貴女のことを話してましたよ。初めて瑞鶴さんの射を見た、ととても興奮していました。余程嬉しかったんでしょうね」

「そうですか」

「実はこの話、翔鶴さんにもしたんですよ。そしたら──」

「赤城さん」

 

 ──ピタリ、と話す声が止まった。

 露骨なまでの会話の誘導。私の心に余裕があればもう少しだけ聞き流してもよかったけれど、今はこんな茶番に付き合ってられない。

 

「単刀直入に聞きます。貴女は──私と、同じですか?」

「…………」

 

 無言。

 互いに瞳を見つめ合い、そして互いに視線を外さない。

 

「どういう意味か、なんて今さら聞き返すのは無しですよ」

 

 この人は私が二人きりでと話を持ちかけた時、“初めからそのつもりだった”と答えた。それはつまり、私達以外の人前では話せない内容だとあらかじめ知っていたということ。いや、知っていたというより察していた、かな。まあそこはどっちでもいい。

 ここで重要なのは私にとって人前で話せないことはなにか、だ。そんなもの、考えるまでもなくひとつしかない。

 

 そしてわざわざ“人前では話せない私の事情”に赤城さんが付き合ってくれた理由は──この人自身が、私と共通の秘密を抱えているから。

 

 ……ただ単に私に配慮してくれただけとも考えられるけど。

 

「…………」

 

 赤城さんは、まだ口を開かない。

 もし私の当てが外れていて、今の考察がまったくの見当違いだとしても誤魔化すことはできる。それが切っ掛けでこの人に頭のおかしい奴扱いされようが、周りにそういう噂が流れようがどうでもいい。避けられるのも今さらだし。

 

 ただまた一から調べ直すことになるのは……きつい。ちまちまと、周りに不審がられないようにと注意しながら、ようやく見つけた現状を打破する可能性なんだ。

 違ったとしても諦めるつもりはないけど、私がいつまで耐えられるかわからない。

 

 だから、お願い。どうか──。

 

 

「……この鎮守府に身を置いてから、もう随分経つ気がします」

 

 ──!

 

「気がついたら、この鎮守府近海で立ち尽くしていて。そんな私を初めに見つけてくれたのは加賀さんでした。初対面で、その時はあまり言葉を交わせる状況ではなかったのですが……たった一言二言話しただけで、嬉しく思えたのを覚えています。

 前の──元いた世界では、私は加賀さんと出会うことはなかったので、その反動もあるのかもしれませんが」

 

 言った。確かに、言った。

 今この人は、私の聞き間違いではなければ。

 

「恐らく瑞鶴さんの考えている通りです。私は以前、此所とはまた別の──世界。そう、“世界”にいました」

 

 

  ◇

 

 

「そこは、貴女のいた場所はっ、どんな──!」

 

 突然の動きに反応することもできずに、私は瑞鶴さんに肩を掴まれた。余程力をいれているのか、服越しから掴まれているにも関わらず私の皮膚にくい込んだ指先の痛みに、思わず顔を歪めてしまう。

 

「教えて赤城さん! 貴女はどうして此所に、いやどうやって──ああ違う違う違う、そうじゃないっ、そうじゃなくて──っ!」

「っ……落ち着いて瑞鶴さん。詳しく話しますから」

 

 彼女の手をそれとなく外そうとするも、まるで絶対に離さないと言わんばかりの力でさらに掴まれる。

 艦娘である私の体は普通の人間より丈夫だ。多少の衝撃や攻撃に痛みを感じることはない。けれど、同じ艦娘の瑞鶴さん相手では話は別。

 流石にこれ以上強くされるのは御免だ、とこちらもそれなりの力を加えてみたが、やはり離れない。

 

「瑞鶴さん、肩、痛いので、手を……っ!」

 

 言葉は、最後まで出てこなかった。

 今にも泣き出しそうな顔で。けれど、どこか嬉しそうにも見える笑みを浮かべる瑞鶴さんを見て。

 私の口は、紡ぐ言葉を忘れた。

 

「…………」

 

 安堵と、期待。

 この子がここまで表情を変えたのを見るのは初めてだ。

 

 そしてそれだけで確信する。

 私と違い、この子にとって“元いた世界”はとても大切な場所だったのだろう。

 

 不意に、瑞鶴さんが顔をうつむかせた。変わらず私の肩を掴む手は離さないが、もうあまり気にならない。

 うつむく彼女は、なにやら小さな声で呟いているようで。

 

「やっとだ……提督さん(・ ・)、翔鶴()……やっと……」

 

 

 …………。

 

 ごめんね、翔鶴さん。

 やっぱり私は、貴女の力になれそうにない。

 

 

 そしてごめんなさい、瑞鶴さん。

 

 




なんかすごいシリアスになった。


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第七話

久々更新。
一度行き詰まったら自分でも驚くほど続きが書けなくなる。


 

 ここは、どこだ。

 

 海面に立ち、唖然とする。

 

 見渡す限り何もない。いや、海のど真ん中なのだからそれは当たり前か。

 

 違う、そんなこと今はどうでもいい。

 

 意味がわからない。

 

 なんで、私は、あの時、誰かに、足を、掴まれて。

 

 翔鶴姉? どこにいるの? 他のみんなは? 

 

 わからない。わからない。誰もいない。なんで、なんで?

 

 誰か答えてよ。

 

 

 …………。

 

 あの日からどれだけ経っただろう。

 鎮守府の艦娘に保護されて、何一つ理解できないまま流されて。

 周りには私の知ってる顔はあっても私を知ってる人はいなくて、姉も先輩も後輩も仲間もみんなみんな偽物で。

 そしていつだったか、私は理解した。

 

 ──ああ、私は独りなんだ。

 独りぼっちになってしまったんだ、って。

 

 

 ◆

 

 

 頭の中が真っ白になった。

 ようやく見つけた、私の世界に帰る方法への手がかりになるかもしれない人。

 赤城さんの口から発せられた言葉に、思考が一瞬停止する。

 

「……いま、なんて?」

「落ち着いて、落ち着いて聞いてください瑞鶴さん。私はなにも知らないんです。元いた世界への戻り方も、どうして私やあなたがこの世界に来たのかも。答えどころかその“さわり”すら、私は知らない」

 

 え……え?

 なん、うそ、どうして……何を、何を言ってるの、この人は。

 

 知らない? なにも? だって、だって貴女は、私と同じで、私と同じように帰る方法を……あ、れ?

 

「っ……瑞鶴さん、私はあなたと違って、元いた世界への帰り方を探そうとはしませんでした。向こうの世界は、私のとってそこまで執着できる──好きな場所でも、なかったので」

 

 ──待て、待て。

 

 なら、この人は。

 

「あなたにとって、向こうの世界はとても大切な場所なんでしょうね。露骨なまでに周りと距離を置き、実の姉である翔鶴さんすら遠ざけてまで拘るくらいには」

 

 やっと見つけられた、可能性は。

 

「ごめんなさい。残酷ですけど、私はあなたの力になれません」

「…………」

「ねえ、瑞鶴さん。ここでは、この世界では、駄目ですか?」

「…………」

「元の世界を諦めてとは言いません。ただもう少し……ほんの少しでいいので、この世界を、ここにいる皆を受け入れることはできませんか?」

 

 …………。

 

「瑞鶴さん」

「なによ、それ」

「──え?」

「なんなのよそれ。ここにいる皆を受け入れる? 貴女は私に、こんな気持ち悪い世界で、毎日毎日偽物と顔を合わせてのうのうと過ごせって言うの?」

 

 見る。

 ただ一点、隣にいる女の眼球を、見る。

 

「偽物……?」

「そうよ。ここにいる人達は私の知ってるみんなじゃない。みんなと同じ顔をしただけの別人。それを偽物と言わないでなんて言えばいいの?」

「ッ──あなたは、ずっと……」

 

 ああ、ああ、そうだ。何を勘違いしていたんだ私は。

 自分で口に出して今までの間違いに気がつく。

 

 ──そうだよね、皆偽物なんだっけ。この人も、私の知ってる赤城さんじゃなくて、ただ私と同じように別の世界から来ただけの赤城さんと同じ顔をした別人だった。

 こんなのに一瞬でも仲間意識を持った自分を笑い飛ばしたくなる。

 

 結局、こうなんだ。

 味方なんていないんだ。仲間なんていないんだ。

 私はやっぱり、独りぼっちなんだ。

 

 赤城から視線を外し、ゆっくりと立ち上がる。なんだろう、驚くほどに冷静だな、今の私。おかしいな。

 

「あ、瑞鶴さ──ッ!?」

 

 空を見上げる。さっきまでは半分くらい雲に覆われていたけれど、今はその範囲が七割くらいに増えていた。

 さて、これからどうしよう。期待していた当ては外れたし、また一から調べるかな。ああそうだ、今度は少し方向性を変えるか。鎮守府にはもう手懸かりは無さそうだし、後は──海、かな。うん、海だな。もしかしたら私がこの世界に来た時にいた海域に何かあるかもしれないし。

 問題はそこに行く許可が下りるかどうか。任務なら別だけど、単独で、しかも私情で出撃するのは……多分無理だな。あのお人好し提督が許す筈がない。

 

 まあ、いざとなったら無視して出るけど。

 

 足を踏み出す。雨も降りそうだし、屋内に戻ろう。

 後ろから何やら赤城に声を掛けられたけど、私が振り向いたらどういうわけか口を閉ざしてしまった。理由はわからない。

 何を話そうとしたかは知らないが、もうあの人に用はない。

 

 ──風が強くなってきたな。

 なびく髪が頬にかかる。邪魔くさかったから手で払いのけると、どうしてか払った手が濡れていた。

 

 おかしいな。雨、まだ降ってないのに。

 

 

 ◇

 

 

 冷たい。

 肌にへばりつく髪の毛をそのままに、空から落ちてくる雨粒によってできる波紋をじっと見つめる。

 

 どうして、こうなってしまったのか。

 

 ついさっきまで私の隣にいた彼女はもういない。

 

「…………」

 

 初めて見た、彼女の本当の顔。いや、実際には二度目か。

 感情を表に出さず、常に無表情。まるで加賀さんみたいだ、と出会ってからしばらくの間は思っていた。

 けれどいつだったか、あれは加賀さんとは根本的に意味合いが違うことに気がついた。片方は単に感情表現が苦手なだけ、もう片方は……内に秘めた思いを隠すために作られた、仮面。

 一見するとなんら違和感はないそれに気づけたのは、私が度々瑞鶴さんの様子を見ていたからだろう。

 

 ……まさか私や鎮守府の皆を偽物として見ているなんて思いもしなかったけど。

 

「…………」

 

 しとしとと降っていた雨は、段々と強くなってきた。

 その様子を眺め、頭の中では「いい加減戻らないと」と思うのに、不思議と体が動こうとはしない。

 

 そんな時、また浮かび上がるのはあの疑問。

 

 どうして、こうなってしまったのか。

 

 ──瑞鶴さんの元いた世界。そこが果たして私が元いた世界と同じなのかはわからない。

 この世界に来て初めて知ったことだが、私は向こうに対する愛着をほとんど持っていなかった。出撃もなく、遠征もなく、演習もなく、提督と顔を会わしたのはほんの数回。

 毎日毎日意味もなく漠然と過ごしていた向こう側に、どうして愛着など抱けるものか。

 

「…………」

 

 しかし、それはあくまで私の事情。瑞鶴さんは違う。違った。

 詳しいことはわからない。どんな生活を送っていたのか、どんな人達と日々を過ごしていたのか。それどころか、私は彼女の好きな食べ物すら知らない。

 そんな私だけれど、先程の瑞鶴さんの様子から……理解できてしまった。

 

 あの子は、愛している。今でも変わらず、元いた世界を。

 

 私達よりも。

 

「…………」

 

 本当に、どうしてこうなってしまったのか。

 

 私はただ、少しでもあの子達の仲が良くなって欲しかっただけなのに。

 

 

 …………。

 ふと、音が聞こえた。ちらりとそちらに目を向けると、駆け足でこちらに向かってくる青い色が雨粒の先に見え。

 その表情は視界の悪さで見えないけれど、きっと怒ってるんだろうな、というのは日頃の付き合いから察することができる。

 

 

 ──上を向く。

 

 雨が降っていてよかった。

 

 

 




そろそろはっちゃけた話を書きたい


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第八話

久々更新



「聞いてよ翔鶴姉! さっき赤城さんがね──」

 あら、それは良かったわね。

 

「あ、これなんか翔鶴姉に似合うんじゃない?」

 そ、そう? ちょっと大胆すぎないかしら?

 

「あーもうっ、また負けたあ! ちょっと一航戦! もう少し手加減してくれたっていいじゃない! 翔鶴姉もそう思うよね!?」

 ごめんなさい加賀さん、また瑞鶴がわがままを……。

 

「私と同じ艦隊の時、どうして翔鶴姉ばかり被弾するのかな……?」

 それでいいのよ。

 

「ひーまー。翔鶴ねぇー、どこか遊びに行こうよー」

 そんなだらしない格好するのやめなさい。

 

 

「ねえ、翔鶴姉」

 なあに、瑞鶴?

 

 

「ねえ、翔鶴姉」

 …………。

「返事してよ」

 

 

 ◆

 

 

 着弾。

 奇声のような悲鳴のような断末魔をあげて、最後の深海棲艦は海の底へと沈んでいった。

 周りで他の子達が声を掛け合っている中、私は最後の深海棲艦が沈んだ箇所を見つめる。

 

 そして、落胆。

 

 あぁ、また違ったか。

 

 空母ヲ級。あれも違った。

 周囲に他の深海棲艦はいないようだし、今回はこれで終わり。後は帰投するだけ。

 

 ……また見つからなかったな。

 

 

 

 

 赤城との会話から半月。

 変わったことと言えば、私の捜索範囲が鎮守府から海へと移ったこと。加賀がやたらと私を睨むようになったこと。

 他には──赤城が頻繁に接触してくるようになった。罪悪感なのかなんなのか、自分から話しかけておきながら気まずそうな雰囲気を出すのはどうにかしてほしい。面倒くさいし、何よりあれのせいで私は加賀から睨まれるのだ。正直関わってほしくないから、すぐに会話を切るようにしている。

 

 ……後は。

 

「ねえ瑞鶴、今度のお休み、このお店に行かない?」

「行かない」

「じゃ、じゃあ此処は? 瑞鶴に似合いそうなお洋服が」

「いらない」

「そ、そう……あ、ならちょうどお昼時だし、間宮さんの所でご飯でも一緒に──」

「お腹減ってないから」

「……、……」

 

 ようやく諦めたのか、この世界の姉は静かに部屋を出ていった。

 

 あの日以来、どういうわけかあの人はやたらと私に構うようになった。

 一緒にご飯食べに行こう、一緒にお出掛けに行こう。他にもいろいろ言われたが、そのすべてを私は断った。もし私が向こうの立場ならとっくのとうに諦めているだろう。

 けれど、あの人は未だ諦めずに私に声をかけてくる。

 どこか遠慮がちに、優しく語りかけるように。

 

 翔鶴姉と同じ顔で。

 

 

「…………」

 偽物のくせに。

 

 

 

 時刻はヒトキュウマルマル。

 鎮守府にいる艦娘達の足音が部屋の前を通過する。恐らく食堂にでも向かっているのだろう。駆逐艦のドタバタと走る音が一際大きく耳に届く。

 早めに食事を済ました私があの流れに乗ることはない。「たまには他の人と一緒に食事を取ればいいのに」と間宮に言われたけど、この鎮守府に好き好んで私に近づく人はいない。むしろ避けられている私に、いったい誰を誘えと言うのか。

 ……ここ最近、毎日のように声をかけてくるのがいるけど。

 

 「ふぅ」と、ひとつため息。

 

 相変わらず向こうに帰る方法は見つからない。海に出て、私が現れた海域周辺を通る際には周りの隙を突いていろいろ探してはいるのだけれど、それらしい手掛かりは一つもない。

 海に潜れば何かあるのかもしれないけど、生憎私は潜水艦じゃない。底に落ちる時は沈む時くらいだろう。

 

 ──潜水艦といえば。

 

 こちら側ではよく潜水艦の子達を見かける。あっちだとほぼ毎日オリョール海に資材集めに出ていたから、あまり顔を合わせる機会はなかった。

 それでも仲は悪くなかったし、伊168……イムヤとは、互いに暇な時間が重なればちょくちょく一緒にお茶なんかしたりもした。

 が、ここではゼロ。誘ったことも誘われたこともない。

 それは今後も変わらないだろうな。

 

 さておき。

 

 どうすれば元の居場所に帰れるのか。こちら側に来た方法と同じ手段を使えば戻れそうではあるけど、そもそもどうやってこの世界に来たのかも判らない。というか覚えていない。

 肝心なところでなんて役に立たないんだ私の脳みそは。

 かろうじて記憶にあるのは、足を引っ張られたということだけ。

 

 ともかく。

 それらしい情報は鎮守府にはなく、海の方も望みは薄い。

 

 ……ああ、きついなぁ。

 

 二段ベッドの下へ腰を下ろし、そのままぼふっ、と体を横に倒す。

 

 ──時々、思う。

 私は、帰れるんだろうか。

 このままずっとこんな世界に閉じ込められたまま、なんてことにならないだろうか。

 

 そんな最悪な未来を欠片でも想像する度に、ぞわり、と身体中に悪寒が走る。不安が募る。泣きそうになる。

 

 その度に思い出す。私の帰るべき場所を。

 

 鎮守府の外観、内装。部屋から見える外の風景に、毎日みんなと一緒にご飯を食べる食堂の匂い。

 艦娘のみんな。画面越しに見る提督さんの笑顔。

 赤城さんに、蒼龍さんに飛龍さん。

 他の空母の人達に、犬みたいに私の後をつけてくる後輩。暇があれば絡んでくる夜戦バカ。

 

 ……厳しくて口煩い、私の目標。

 

 ──大好きな、姉の顔。 

 

 振り返る。記憶を。瞼を閉じて。

 何度も、何度も。繰り返し、暗闇の中にあの場所の光景を映し出す。

 

 ……大丈夫、大丈夫だ。まだ思い出せる。大事な記憶は、まだ私の中にある。

 

 目を開ける。

 真っ先に視界にとび込んできた蛍光灯の光に、目が眩んだ。

 

 

 

「瑞鶴……?」

 ──!

「泣いてるの?」

 

 ……失態だ。

 なんて最悪なタイミングで戻ってくるのよ。

 

 眼を動かして確認すると、部屋の入り口にはこの世界の姉が立っていて。

 早足で近寄ってくる彼女を横目に、私は思わず深いため息を吐いた。

 

 

 ◇

 

 

「だから、なんでもないってば」

「でも……」

「しつこい」

「うぅ」

 

 妹に冷たい目で見返され、思わず言葉に詰まる。

 

  ──近頃、瑞鶴との距離がさらに離れた気がする。

 そのことについて相談すると、いつものように赤城さんや二航戦の方々に励まされ、扶桑姉妹には「不幸ね」と同情され。

 お酒に酔った龍譲さんが「一発ぶちかます」といきり立つのをなんとか宥めつつも食事を済ませ、自室へと戻った私の目にとび込んできたのはベッドの上で泣く妹の姿。

 

 困惑した。それはもう、困惑した。驚愕もした。

 

 どう、え、なんでっ、瑞鶴ッ、泣いて、えっ、え!?

 

 一度も見たことがない妹が泣く姿を前に、私の体は完全に硬直していた。

 

 どうすればいいの!? 慰める!? 泣いてる妹の慰め方なんて知らないわよ!?

 …………、落ち着け、そう、落ち着くのよ翔鶴。

 瑞鶴だって泣く時くらいはあるわ。そう、なにもおかしなことではない。

 いったい何が原因で泣いたのかは判らないけど、今私のすべきことは慌てふためくことではない。

 

 落ち着きを取り戻した後。

 どうして泣いているのかと問いかければ、返ってきたのは目に“ゴミが入ったから”といういかにもその場しのぎな内容で。

 そこで納得できなかった私が、さらにもう少し深く追求した結果、瑞鶴に睨まれるという今の状況に至る。

 

「何度も言うけど、本当になんでもないの。翔鶴姉さんが気にする必要も気に病む必要もないから、その思い詰めた顔やめてよ」

「で、でもね瑞か──」

「くどい」

「うぅ」

 

 ──あぁ、赤城さん、私はいったいどうすればいいのでしょう。

 久し振りにここまで長い会話を妹とできたことに喜ぶべきなのか、相変わらず素っ気ない態度をされることに悲しむべきなのか、はたまた無視されないだけマシだと安堵するべきなのか。

 

「……ちょっと。いつまで私の顔見てるのよ」

「へ……? あ、ご、ごめんなさいっ」

 

 咄嗟に謝罪の言葉を口にし、私は瑞鶴から顔を背けた。

 直後、小さくため息をつく音が聞こえたけど……お、怒らしちゃったかしら。

 

 恐る恐る、ちらり、と妹を盗み見ると、彼女は私に背を向けて横になっていた。

 ……怒りの形相で睨まれてないことに胸を撫で下ろす。今瑞鶴にそんな顔されたら、たぶん耐えられない。間違いなく泣くわ、私。

 

「…………」

「ず、瑞鶴? もう寝るの?」

 

 返事はない。

 一瞬もう眠ったのかと思ったけれど、寝息は聞こえないし、恐らく無視されただけだろう。

 ──睨まれるのも辛いけど、無視されるのもなかなか堪えるわね。今さらだけど。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。

 気まずい。

 

「あ、う……」

「…………」

 

 何か、何か話題はないかしら。

 いっそ私も寝てしまえばいいのだろうけど、今を逃すと瑞鶴ともうこんなに長く会話する機会は来ない気がする。

 そこでふと思い付いたのは、つい先程食堂で加賀さんから聞かされた話。

 

「そ、そういえば、さっき食堂で聞いたんだけどね。なんでもこの鎮守府近くの海域に()が出たって目撃情報があったみたいで、近々隊を編成して調査に向かうみたいなのよ」

 

 正直、こんな話題に反応されるとは思わなかった。

 

「それでね、その姫が出た海域が、貴女が保護された場所みたいで──」

 

 いつものように短い言葉でつまらなそうに返事されるか、無言で無視されるかのどちらかだろうと、そう思っていた。

 瑞鶴がこちらを振り向くまでは。

 

「ねえ」

「──あ」

 

 その抑揚の無い声に、ゾクリ、と背筋が凍った。

 

「その()って、どいつ?」

「え──あ──」 

「そいつの艦級。答えて」

「──、空母、棲姫」

 

 恐怖。

 口内が渇き、無意識に生唾を飲み込む。

 真っ直ぐ私を捉える瑞鶴の瞳から目を離せなくて──……。

 

 

 ……気が付くと、いつの間にか瑞鶴はさっきまでの様に私に背を向けて横になっていた。

 私は、小さな声で何度も姫の名前を口ずさむ妹の前から、しばらく動くことができなかった。

 

 

 




fgoにハマった。
そして相も変わらずシリアス。作者的にはまだまだ軽い方ですけど。


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第九話

fgoのぐだぐだイベントやってたら遅れたよ





 

 

 

 カンゲイスルワ  ワタシ。

 

 

 

 ◇

 

 

 空母棲姫。

 正直、はっきりとそいつだったとは覚えていない。

 けれどそんなことはどうでもいい。

 あの海域に、今まで現れなかった敵がいる。今はそれだけ判ればいい。

 

 

 

 調査は第一艦隊、第二艦隊によって行われる。

 幸いにも、私は今回の調査に第二艦隊の一員として組み込まれた。理由は聞いていない。特に申し出をしたわけでもないけど……まあ、ただ単に比較的練度の高い私を選んだだけかもしれない。

 厄介なのは、同じ艦隊に加賀がいること。第一艦隊の方には姉と赤城の二人もいるが、そちらは別ルートから探索することになっている。あまり意識する必要はない。

 

 やはり問題なのは加賀だ。下手に不審な動きを見せれば目を付けられる。今は別の意味で目を付けられているけど。

 ──まあ、最悪解体されなければいいか。

 生きてさえいれば、まだ──……。

 

 

 

 

 

 空を見る。

 

 晴れ。清々しいほどに雲がない。が、大淀の報告によれば作戦海域に近づくにつれ天候が崩れる可能性があるらしい。

 できれば雨は降らないでほしい。

 

 ……それにしても。

 

「…………」

「…………」

 

 なんなの、こいつ。

 私の隣に無言で直立する加賀の真意が掴めず困惑する。

 私以外にも周りにいろいろいるじゃない。なんでわざわざ隣に立つ?

 遠くから私達を見つめて何やらこそこそ話している他の第二艦隊の連中を横目に、小さくため息を洩らす。

 

「……。赤城さんは──」

 

 ?

 

「──なにも、話してくれなかったわ。あの時、貴女とどんな話をしたのか」

「…………」

「私は貴女が何を考えているのか判らない。理由は知らないけど、赤城さんからも無理に聞き出すのはやめてほしいと頼まれたから、そういうこともしない」

「…………」

 

 鋭い視線が、私を見据える。

 

「正直、気にならないと言えば嘘になるわ。貴女と赤城さんがどんな話をしたのかも、ここ最近の貴方の不可思議な行動も」

「…………」

「瑞鶴。私は──この鎮守府が好きよ。人も、匂いも、見渡す景色も、全て好ましく思っている」

「…………」

「だからこそ、この場所に害を及ぼすものを私は許さない。徹底的に追い詰めて、手を出したことを後悔させる。それが例え同じ艦娘であってもよ」

「…………」

「話はそれだけ。……もう時間ね。精々足を引っ張らないようにしなさい」

 

 独りで好き勝手喋り終え、加賀は他の面子の下に歩いていった。

 

 ……この鎮守府が好き、か。

 そういうことを平然と口にするのは、向こうのあいつと違うわね。

 あんな素直じゃなかったし、あいつ。

 私と同じで。

 

 

「…………」

 

 私にだって。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 姫が現れた海域へと進む。

 

 なんとなしに空を見上げると、確かに、抜錨した時より雲の量が増えている。大淀の報告通りだ。できれば外れてほしかった。

 

 

 今回はあくまで調査が目的だ。

 例の姫が本当にいるのか、いないのか。

 実在した場合は一度引き返し、万全の体制で戦いに臨む必要がある。艦隊の再編成から始まり、主力の居ない鎮守府の防衛やら、交戦することで生じるであろう様々な問題に対する備えやら、まあいろいろと大変らしい。姫を相手にするのは。

 

 この世界の姫はその辺にいる普通の深海棲艦とは一線を画す存在だ。単独で練度の高いとある鎮守府の主力艦隊を壊滅させた、なんて話を風の噂で聞いたこともある。当時は深く気に留める余裕なんてなかったけど、今にして思えば、あれほど重要な──というか判りやすい手掛かりをよくもまあ見逃していたなと、我ながら呆れてしまう。

 

 私自身、向こうでも何度か姫と戦ったことはあるが、噂に聞いたほど酷い目に遭った記憶はない。それが運が良かったおかげなのか、提督さんの采配の良さによるものなのかは判らないけど、少なくとも全滅させられたなんて経験はない。

 

 ……もう随分とこんな世界で過ごしてきたけれど、深海棲艦に関して言えば、そこまで向こうとの差違を見つけられていない。

 艦種、艦級、あの歪な姿に、私達艦娘と敵対関係にあることも、全て向こうの世界と一緒。

 

 

 ただひとつ、姫という存在だけが、ズレている。

 

 

「もうそろそろ目撃情報のあった海域ですけど、特にそれらしい影はないですねー」

「そうですね。しかし油断は禁物ですよ」

 

 私の前を行く駆逐艦二人の会話が耳に届く。

 

 ……もうすぐだ。もうすぐ私が立ち尽くしていた場所に着く。この悪夢の始まり、あの忌々しい海域に。

 これまで何度も任務の際に通ってはいたけれど、その度に身体の奥から沸々と怒りにも似たなにかがこみ上げてくるのは何故だろう。

 

 無意識に握り拳を作っていた手を緩め、周りに悟られないよう静かに呼吸を繰り返す。

 緊張? 興奮? 自分でもよく判らないが、前へ進む毎に心臓の音が大きくなっていく。

 バクン、バクン、と、次第に音を刻む間隔も短く、そして速くなる。

 

 今まではここまで激しくなることはなかったのに、どうして。

 

 

「それにしても、情報にあった姫どころか他の深海棲艦も見当たりませんね」

「そうね……少し妙だわ」

 

 駆逐艦と加賀の会話が、私の心臓の音と共に耳の中を通り抜ける。

 確かに妙だ。此処に来るまでに数回見かけただけで、途中からめっきり姿を見なくなった。

 海の底に身を隠しているんじゃないかとも思ったが、駆逐艦の探査にもそれらしい影は引っ掛からなかった。

 

 それにしても。

 

 

 

 ──ああ、五月蝿いなあ。

 

 ドクンッ、ドクンッ、と。我が心臓ながらなんて忙しない。

 落ち着けと何度言い聞かせても一向に静まる気配もない。まるでそこだけ私の体ではないみたいだ。

 

 

「本当に姫はこの海域にいたのでしょうか」

「第一艦隊の方からもそれらしい報告はあがってないようです」

「もしかしたら、既にどこか別の場所に移動してしまったのでは?」

 

 

「いるわよ」

 

 

 一瞬の間を置いてから、私の顔に視線が集まる。

 

 姿は見えない。三百六十度、水平線の先まで見渡しても姫の姿はない。

 

 けれど、いる。

 絶対に、奴はいる。

 

 破裂しそうな程高鳴る胸を手で押さえつけ、限界まで瞼を開いて再び周囲を見渡す。

 

 困惑した様子の第二艦隊の面々が視界に映り込んでは消え、眉をひそめてこちらを見つめる加賀も同じく通り過ぎ。

 

 そしてとある一点で、私の首の動きは止まった。

 

 

 

 

 遥か彼方。

 

 見つめる先にあるのは。

 

 海面から顔を半分だけ出して私を見つめる。

 

 二つの赤い、点。

 

 

 ──それと目が合ったと脳が認識した時には。

 

 私の体は、飛び出していた。

 

 

 




キリがいいからここで切る。
二千文字から三千文字くらいが個人的にはちょうどいい。


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最終話

先月、やっと提督に着任することができました。
初めて来てくれた正規空母は飛龍さん。瑞鶴は未だ来ず。姉の方は三番目に来てくれたけど。

一応、最終話です。



 

 

 ◇

 

 墜ちる。

 奴の機体が、私の機体が、堕ちて、堕ちて、堕ちて、落ちる。

 私の周りを必死に飛び回る妖精から「落ち着いて」と宥められるが、そんなものに耳を貸すつもりはない。

 所詮この子達も偽物だ。私とずっと一緒にいたあの子達ではない、この世界のまがい物。代替品。

 

 そんな奴らが私に命令するなっ。

 

 

 

 火を吹きながら落下してくる艦載機を避けつつ、出せる限界値の速度でアイツに接近する。

 互いに空母。近くで殴り合う必要なんてないけれど、今の私はアレと視線が交差した時から自分を抑えることができそうにない。

 

 制空権? 隊列の編制?

 

 どうでもいい。

 

 ただアイツを殺したいただアイツを殺したいただアイツを殺したい。

 我ながら不自然なほど尋常な殺意、憎悪。今の私にあるのはそれだけだ。

 

 敵艦載機からの攻撃がすぐ横を掠める。

 

 確かに。確かに、アレは他の深海棲艦とは違う。

 攻撃の苛烈さ、威力。そして何より、憎らしいほど己の存在を主張する、あの威圧感。

 ますますぶち殺したくなる。

 

「ッ──ちぃっ!」

 

 一発受けた。

 被弾ヶ所は左肩。飛行甲板は幸いにも炎上なし。まあ今さらここが燃えようがもう発艦できる機体はないのだが。

 

 ──不意に、アイツと再び目が合った。

 

 その赤い瞳で私を見つめ──ニタリ、と口元をつり上げ。

 

 それを見て、私の中の憎悪がまた一段、濁りを増した。

 

「全艦載機っ!」

 

 私の叫びに合わせ、敵艦載機の迎撃に専念していた機体が、一斉にアレに向かって進撃する。

 守りはいらない。ただアイツを撃て。ただひたすら──アイツに攻撃し続けろ!

 

「──ッ」

 

 再び被弾。

 回避が疎かになっている。

 

 が、もうすぐだ。

 

 もうすぐ、アレの、前に。

 

 

 

 弾幕の雨を強引にかい潜る。

 近づくにつれて段々と攻撃が激しくなり、私の体も至るところが傷で埋め尽くされていく。

 

 が、それは向こうも同じこと。

 全機を攻撃に回したおかげなのか、アイツもそれなりに被弾している。

 だがそこはやはり姫。あれだけ食らっておいてまだ小破程度しかダメージを受けていないようだ。

 

 ──下手したら小破すらいってないかもね。

 

 未だに私の首にすがり付く妖精は「引き返せ」と提案してくる。“ダメ”、“無理”、“無謀”……“みんな一緒に”?

 

「うるさい!」

 

 掴み、放る。

 みんな一緒? そんな人達がどこにいる。

 

 みんなは──私にとっての皆は、どこにもいない。

 

 避ける。避ける。避ける。中る。避ける。避ける。受ける。中る。中る。避ける。

 

 何度同じことを繰り返したか。何度同じ動作を繰り返したか。

 

 ──そして。やっと。漸く。とうとう。ついに。

 

 

「空母棲姫ぃ……ッ!」

 

 

 歯を噛み締める。

 すぐそこにいる憎くて憎くて堪らないクソッタレは、恐らく憤怒に染まっているであろう私の顔を見て、可笑しそうに口角をあげ、上を指差──。

 

「ッ──ギ、いっ──!」

 

 私が見たのはそこまでだった。

 

 直上からの一撃。狙われたのはついさっき負傷した左腕。咄嗟に上に構えた左腕。

 血飛沫が顔に付く。激痛。激痛? 激痛。

 

 

 見る。腕がない。

 

 

「だぁかぁらぁああ!」

 

 残った右の拳を握る。

 身体の左側を前に。腕を引き、腰を捻り、目を見開き、痛みは無視し、思いきり、全力で、全速で。

 

「どうしたああああああ!」

 

 解放。

 

 澄ました顔面目掛け、体重をかけた一撃を。

 響き渡る鈍い音。弾幕の発射音よりも遥かに小さい音が、私の耳を支配する。

 

「ぐっ、ぎっ、──ッ!」

 

 勢いを殺せず前に飛び出し、海面を転がる。

 視界がぐるぐる回転する。なんとか手を水に付けて勢いを止めようと試みるも、まったくそんな気配はなく。

 ある程度転がった後、なんとか体制を整えた。

 

「ッ────!」

 

 激痛の走る左肩の付け根を押さえる。

 そこで始めて、足首から下が海に沈んでいることに気がつく。

 

 ……まあ、無理もないかな。コレ、どう見ても大破どころの話じゃないし。

 

 視線を肩から外す。

 空母棲姫は……海面に仰向けで横たわっていた。

 

「なにしてるっ!」

 

 いつのまにか私の周りで待機していた妖精達に指示を出し、余裕ぶって仰向けのまま動かない奴に向けて攻撃を再開する。

 戦艦ならまだしも空母である私に殴られたくらいで倒せるような奴じゃない。だけどアイツは倒れている。

 

 ふざけやがって……!

 

 四方から囲むように攻撃を浴びせる。

 

 気がつくと、私の膝から下が海に沈んでいた。

 この様子だと自力での帰港は無理かな。誰かに曳航……いや、たぶんそれもないか。

 そもそも、今の私に選択肢は二つしかないし。その内のひとつは意地でも引くつもりはないけど……。

 

「…………」

 

 そのためにも死んでも沈んでやるもんか。

 さっきからじわじわと迫る倦怠感を気力で払いのける。

 

 空母棲姫は……。

 

 見ると、ふらり、と、立ち上がっていた。

 倒れている際に撃ちまくったのが効いたのか、私が殴った時よりも体に刻まれた傷は深く見える。

 それでもまだまだ沈みそうには見えない。ただただ無表情で無機質な瞳を私に向け続けている。

 そんなアイツの顔に、何度目かになる苛立ちがふつふつと沸き上がってくるのを自覚し──そこでふと、疑問。

 

 どうしてアイツは何もしてこない。

 

「…………」

 

 敵の艦載機は私の艦載機の迎撃に徹しているが、肝心の私への攻撃が来ないのは何故だ。

 攻撃に回す機体が無いようには見えない。余裕か? それとも何らかの罠か……。

 

 判らない。わからない。頭が回らない。

 

「ぐうぅ……っ!」

 

 膝まで沈んでいた脚を海中から振り上げる。

 足底を海面に付けるが、ものの数秒で再び海中へと沈んでいく。

 

 ああ、これはもう……。

 

 まともに浮くことを諦める。

 今の私に何ができる? アイツは未だ健在。私の目測が確かなら、徐々にこちらに近づいてきているように思える。視界が霞んできてよくわからないけれど、たぶんそう。

 

 艦載機は──殆ど堕ちてしまったようだ。乗っていた妖精は無事だろうか。……無事だといいな。

 

「…………」

 

 何もない。

 私にできることは、何もない。

 

 何かないのか。

 沈む前に。この忌々しい海に沈む前に、アイツに一矢報いる方法は──。

 

 

 

「……、ドウシテ?」

 

 

 ──あ?

 

 

「何ガ……気二食ワナカッタノ?」

 

 

 急に何を……。

 

 

「ココニハ皆イルジャナイ。貴女ノダイスキナヒトモ、皆……ミンナ、イルジャナイ」

 

 

 

 

 ──音が、消えた気がした。

 

 どういう意味だ。気に食わない? 皆いる? 一体アイツは何を言いたいの。

 待て、待て。ココ──此処って言ったか。なら向こうは?

 私の大好きな人? 翔鶴姉、提督さん、鎮守府のみんな。私のいた世界の、皆。でもいない。ここにはいない。

 

 ならアイツは。

 アイツが、やっぱり──。 

 

 思考が巡り、時間は進む。

 ゆっくりと近づいてくるアイツを、私はただただ見据えていた。

 

 そして、気が付けば。

 太股まで沈んだ私に目線を合わせるように、アイツはわざわざ人の目の前でしゃがみこんでいて。

 

 真っ赤な瞳に白い肌。

 そこでふと、コイツの顔つきが誰かに似ているような気がした。

 

 ──誰?

 

 

「ネェ、ナンデ? ドウシテ?」

「ッ──あんな偽物寄越されて、気に入るはずないでしょうが……っ」

「ニセ……モノ」

「そうよ! 偽物! 偽物! ニセモノッ! 全部全部っ、見た目が同じだけの気持ち悪いまがい物!」

 

 

 叫ぶ。

 

 思考が止まり、感情が沸き上がる。

 痛む身体を動かして、隙だらけなコイツの首へ腕を伸ばし。

 今出せるありったけの力を込めて握り締める。

 

「お前が! お前のせいで私がっ──私がどれだけっ、あんな──!」

 

 締める。締める。締める。

 片手で、白い首を、細い首を。

 

「死ね! 死ね! 死ね……! 死──ねえ……っ!」

 

 霞んでいく視界。

 抜ける。力が。落ちる。体が。

 

 ああ──、ああ。

 

 私はここで沈むんだ。目の前にいるコイツを、ずっと探していた敵を殺すこともできずに、こんな海で死ぬんだ。

 

 あの時みたいに。

 

 ……あの時、みたいに?

 

 

「──あ」

 

 

 もしかしたら。

 

 もしかしたら、ここでコイツの手によって沈めば、向こうの世界に戻れるかもしれない。

 

 そうだ、そうだよ。どうしてこんな単純なことに気がつかなかったんだろ。

 私はコイツに足を引っ張られてこちら側に来たんだ。そして気がついたらこの海域にいた。

 

 今の状況とまったく同じ……!

 

「ははっ」

 

 やった。やった。

 

 帰れる。帰れるんだ。私の居場所に。あの明るくて大好きな世界に、また。

 

 鎖骨から下は海の中。もう体の殆どは沈んでる。全て沈むのも時間の問題ね。

 ……あぁそうだ。沈む前にコイツの顔をもう一度見ておこう。もしかしたら向こうでまた遭遇するかもしれないし、その時のためにしっかりと記憶しておかないと。

 

 閉じかけていた瞼を上げる。

 

 ぼやけた世界。眼を動かし、アイツの顔を見る。

 

 紅い瞳に白い肌。

 首に真っ赤な手跡を付けたソイツの顔は。

 どこか、私に似て────。

 

 

 

 

 

 途端、爆音。

 水飛沫が顔にかかる。

 

 

 同時に体が引っ張られた。

 何に?

 

 首を後ろに回す。

 見知った顔。

 

 姉。

 

 

「瑞鶴!」

 

 

 声。

 変わらない、替わらない、声。

 私が大好きな姉の声。私が大嫌いな人の声。

 

 

「しっかりして! あぁ、なんでこんな──っ」

 

 

 泣きそうな声。

 やめてよ。そんな声聞きたくない。まるで翔鶴姉が泣いてるみたいじゃない。

 

 

「瑞鶴! 瑞鶴……ッ!」

 

 

 どうやらこの人は私を引き上げようとしているみたいだ。無駄なのに。

 私はもう沈みかけ。たった一隻(ひとり)ではどうもできない。

 

 それに、どうにかされるつもりもない。

 

 まるですがり付くように私の腕を掴んでいる手を払いのける。

 

 

「──え?」

 

 

 唖然とした声。

 

 目が開かないからどんな顔をしているかは判らないけど、多分こんな顔だろうな、というのは不思議と想像できる。

 

 ……いや、不思議でもなんでもないか。

 

 

 だって、この人は私の──……。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 

 声が、聞こえた。

 

 

 懐かしい声が。

 

 

 目を開く。

 

 

 瞳に映り込んだのは──。

 

 

 

 

 

 

 【瑞鶴奮闘記 完】

 

 

 

 




 いろいろ言いたいことがあるでしょうが、これにて【瑞鶴奮闘記】は完結です。ここまで付き合ってくれた読者の方々に感謝を。

 ありがとうございました。


 いろいろと散りばめられた伏線は敢えて回収していません。というか、この物語は基本的に瑞鶴視点で進んでましたから、回収不可だったりします。いやまあ、私が瑞鶴を“そういうふうに”動かせば回収できるんですけどね。やりませんけど。
 別視点なら可能でしょうが、書くかどうかは未定です。

 最終話の前書きにもありますが、作者は執筆途中に提督に着任しました。原作ではまずあり得ない設定なんかもありましたが、そこはそのまま突っ切りました。
 二次創作の醍醐味って、それぞれの作者さんが考えたいろいろな設定が組み込まれた作品を楽しむことにあると思うんですよ。私だけかな。

 さて、【瑞鶴奮闘記】
 当初の予定ではもっと明るい話になる筈だったのに……どうしてこうなったのか。
 瑞鶴が偽物の世界の皆と仲良くなるルートもありました。限りなく低い可能性ですけどね。ちなみにそのルートへの鍵を握っていたのは赤城さんだったり。今回は見事にその鍵を大海原に放り投げましたが。


 とまあ、これ以上長々と綴るのもあれなんで、ここで終わりにします。

 最後に改めて。

 ありがとうございました。




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