アルマちゃんのクロスボウ (芋一郎)
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一話 出会い1 〇

ミッドランド王国とチューダー帝国。百年の長きに渡り、この両国の間では激しい争いが続いている。

 

いわゆる百年戦争。

 

そしてその百年戦争が百年続いているなら、それは即ち終戦まで目と鼻の先ということ。

にも関わらず、ミッドランドはチューダー侵略に必要不可欠なドルドレイ攻略への目処は未だたっておらず、チューダーもまた然り。

しかしここで気づいて欲しいのが、中世ヨーロッパにおいてこの百年戦争を繰り広げていたのはフランスとイギリスであるということだ。

ミッドランドやチューダーなどという国は、歴史の教科書のどこを探しても載っていない。

 

つまりフランスもイギリスも関与していないこの世界の百年戦争が、ちゃんと百年で終わる保証はどこにもないのである。

 

 

 

 

神経を研ぎ澄ませる。

俺の潜んでいる茂みの向こう側にある水辺。今そこに、ようやく一羽の鳥が羽を休めた。

あの青みがかった鳥はなかなかに美味いし、その上大物。ここからの距離も約10mと程よい。

 

この獲物を逃がす手はない。

 

長時間の潜伏で弛緩していた神経を研ぎ澄ませ、クロスボウの引き金に指をかける。

既に弦、矢、共に万全の状態である。

 

俺はよく狙いをつけ、獲物が再び動き出す前に引き金を引いた。

 

ーービン!

 

「キュッ」

 

一瞬で途切れた甲高い鳴き声。

矢は狙い通りに獲物の腹へと命中していた。

 

俺は喜び勇んで茂みから飛び出すと、早速腰からナイフを抜き取って血抜きに入った。と言っても首の裏から刃を入れて動脈を切れば、あとは逆さまにして三分ほど待つだけで、解体は村の大人にやってもらうのだが。

 

「慣れたもんだぜ」

 

そう呟いてからひと思いに一刺し。

刃は上手く動脈を切断し、血が滴り始める。俺は鞄から両端を結んだ紐を取り出すと、片方は獲物に。もう片方は適当な木の枝にかけて放置。血が出切るまでの間、湖でジャブジャブと手を洗った。

 

「ふむ。とても可愛い」

 

水面に映るのは痩せっぽっちで小柄な、しかしホットでキュートな金髪の女の子である。

 

「ふっふっふ。この美少女戦士アルマちゃんの前で無防備に横っ腹を晒した報いだ、名もなき鳥よ」

 

ビシリと豹のようにカッコいいポージングをする。今の俺を第三者が目撃すれば、そのあまりに女神な光景に感涙して鼻水を垂れ流しながらひれ伏すことになるだろう。

 

「あーそれにしても三分長い。何で子供のころの三分ってこんなに長いんだろう」

「まるで昔は大人だったみたいな言い草だな」

 

突然かけられた声。

俺は素早く振り向くと、足元のクロスボウを確認して舌打ちした。

 

クロスボウはその構造上、一度矢を放てば次の矢を放つまでに一分ほどかかってしまう。

クロスボウの先端にあるあぶみに足にかけて弦を引き、矢を取り出して台座に固定、射出体制をとって狙いをつける。

ここまでに一分かかるのだ。

 

つまり俺はこの小ぶりなナイフ一本で、目の前の甲冑を着けた男と渡り会わなければならない。

 

このやけに整った顔をした男とーー

 

「ってあれ、男...か?」

 

波打った白銀の長髪を無造作に流している、恐らく十五歳くらいの少年。

フリルやレースのついた服でワルツでも踊っていればピッタリなのだが、その体に着用しているのは無骨な甲冑。酷く不似合いであった。

唯一腰の細身のサーベルだけはそれっぽいが。

 

「ここから一番近い村へ案内して欲しい。君に危害を加えるつもりはない。もちろんその村にも」

 

穏やかな口調だったが、それだけで信用するにはこの男は不審すぎる。

 

「そう言って賊と化す輩を、俺は三人は見た事がある」

「食料の補給をしたいんだ。この通り武器も捨てよう。君に預ける」

 

そう言うと一切の迷いなくサーベルを投げ捨てる少年。その顔には余裕の笑みが浮かんでいて、俺は非常に気分を害した。

 

「駄目だ」

 

そう返すとクロスボウを拾い上げ、鞄から新しい矢を取り出す。

 

「お前がその鎧の下に武器を隠しているかもしれないからな」

「鎧も脱げと?」

 

弦を引き上げて矢を台座に固定。

これであとは引き金を引くだけだ。

 

「違う。まず裸になってそこの湖にダイブしろ。そして向こう岸にタッチしてからバタフライで戻って来るんだ」

 

無理難題を吹っかけつつ、少年に狙いをつけて構える。距離は先ほどと同じ約10m。比較的板バネが弱いこいつでも、十分に引きつければ殺傷能力はちゃんとある。

 

「その後ブリッジしながら好きな子の名前百回叫んで、その次は全身を使ってウミガメの産卵を表現して。んでそれが終わったらーー」

「酷いな。オレ、君に何かしたか?」

 

そう言ってニッコリと笑う少年。

見ろ。相手が女となるとすぐにこれだ。だから俺はイケメンが嫌いなのだ。特にこんなスカしたエセ爽やか野郎は。

 

それにーー

 

「あんた傭兵だろ。それも貧乏傭兵団の一員。そりゃ村にも入れたくない」

「へぇ、なぜそう思う?」

 

余裕ぶった少年に苛立ちを感じつつも話を続ける。

 

「近くこの近辺で戦がある。聞く限りでは、貴族の見栄の張り合いが原因の小規模なものらしい」

 

少年は口を挟むつもりはないようだ。

 

「こんな辺境の、それも小さな戦。得る報酬は少なく、大義による名声もない。しち面倒な貴族同士のいざこざだ。こんな戦に首を突っ込むのはな、小規模な。新興の。団長が無能の。これらのどれかが当てはまる弱小傭兵団なんだよ。そして弱小傭兵団なんてのは総じて常時金欠だ」

 

得意になってそう説明する。

この中世ヨーロッパの世界、それも田舎村に生まれ落ちて十二年。

一時は村に染まり切ってしまったかと思ったが、やはり現代人の育ちのよさというものは隠しても滲み出るものらしい。

まずいな。この明晰な頭脳を買われてミッドランドの宰相に任命されでもしたらどうしよう。

 

しかし現代文明人である俺の完璧な推理に、中世原始人に過ぎない少年は生意気にも異議を唱えてきたのだった。

 

「だがそれはオレが傭兵だったらの話だ。君は根本の部分の説明を。オレが傭兵であるか否かの説明を怠っている」

「甲冑姿で何を言う」

「華々しい戦ばなしに魅せられた若者がどうにか剣と甲冑を手に入れて、腕を頼りに身を立てようと故郷を飛び出す......このご時世、そんな命知らずはどこにでも転がっているさ」

 

まるで自分事のようにスラスラと述べる少年。

 

「自分がそうだと?」

「さぁ? それを今から君が説明してくれるんだろう?」

「うぐっ...」

 

まずい。押され気味だ。

俺がこいつを傭兵だと思った理由?

知るか。だって完全武装だったからそうかなーって思っちゃったんだもん。

 

少し焦りつつもその理由とやらを探す俺だったが、ふと顔を上げた瞬間、少年の口元が嘲笑に歪んでいることに気がついた。

 

「おい、何を笑ってやがる」

「はは。いや、所詮は田舎娘の浅知恵か。そう思ってさ」

 

そのあからさまな侮蔑に、俺の頭は一瞬で沸騰した。

 

「てめぇ! 自分の状況がわかってんのか! 俺がこの引き金を引けばーー」

「思うようにいかなくなればすぐに手を出す。まるで子供。いや本当に子供だったな」

 

やれやれ、と言いたげに首を振る少年にさらに怒りがつもる。しかしここで矢を射かければ少年の言を肯定しているようなものだし、何より事態の顛末を知った傭兵団の報復が怖い。上手く誤魔化されてはいるが、こいつは傭兵で間違いないのだ。こいつの態度や雰囲気からいってこれだけは絶対なのである。

 

「賭けをしよう」

「......?」

 

確証となる理由が見つからずに唸るばかりだった俺へ、少年がそう持ちかけた。

 

「君が村の場所を教えないのは、オレのことを傭兵だと思っているからだ。戦のない傭兵団は盗賊も同じ。村をその餌食にする訳にはいかない......そういうことだろう?」

「そ、そうだよ! 俺は村の皆の為にやってるのに! なんで所詮は田舎娘の浅知恵とか言われなきゃならない!」

 

少し半泣きだった。前と比べて、この体は涙腺が緩いのである。

 

「だから賭けをしよう。さっきの一射は見事だった。君の得意なクロスボウで、この首飾りを狙って見せてくれ」

 

服の下に隠していたのだろう。少年が胸から取り出したのは、不気味な赤い石のついたネックレスだった。

人間の顔のパーツを目隠ししながらとりつけたような正気を疑うデザインである。

 

「キモッ」

「ははっ。ベヘリットって言うんだ。何でもこれを持っていれば世界を手中に収めることができるらしい」

 

少年はそう言うと、そのキモイデザインのネックレスを丁度石が己の心臓の位置にくるように体の前でぶら下げた。

プラプラと揺れる赤い石は酷く頼りなく見える。

 

この状態で射てということらしい。

大方自分の命という盾で俺の狙いを狂わせる心算だろうが。

 

「お前、頭大丈夫?」

「大丈夫とはいえないかもな」

「そりゃそうだよ。こんなことで命賭けるやつなんて初めて見たもん。それに勝負が公平じゃない。いくらなんでも的が小さすぎる」

 

別にあんな真似をしなくても、そもそもクロスボウでこの距離から。あんな3センチほどの的に狙って当てるなんて不可能である。しかも俺ほどの腕ならその狙いも大きくそれることなく、矢は高い確率で少年の心臓付近に突き立つことになるだろう。

 

少年はマグレ当たりで負けるごく僅かな可能性を潰すため、己の命を差し出したのだ。

 

「勘違いしてるようだな。この石に当たれば君の負け。外せば君の勝ちだ」

「はぁ? じゃあ空にでも向かって射てば俺の勝ちになるのかよ」

「その通り」

 

子供のような笑みである。

 

「でも狙うだけ狙ってみてもいいんじゃないか。ダメもとでさ。もしかしたら当たるかもしれないだろ?」

「......当たったら俺の負けになるんだけど」

「そうか。当たらなかったら俺は死んじまうだろうな」

「だから適当なところにーー」

「怖いのか? 人を殺すのが」

「............別に」

「空に向かって撃つか?」

「............」

 

「俺が怖いんだろ」

 

ーービン!

 

マズイと思ったときには、もう石を狙って引き金を引いていた。

 

「っ!」

 

矢は一切の躊躇いもなく首飾りへ。いや、少年の心臓へと向かってゆく。

 

殺してしまう。初めて人を。

 

「よ、よけろ!」

「............」

 

きんっ。

甲冑にクロスボウの矢が突き立った音ーーではない。

 

「ば、馬鹿な...」

 

振り子のように大きく揺れる赤い石。

矢は少年の斜め後ろにある木の幹に突き立っていた。

 

「嘘だろ......」

「ふぅ。賭けはオレの勝ちだな。ほら」

 

ぽいっ、と軽い調子で放られるネックレス。

 

「え、うわっ!?」

 

俺は咄嗟にクロスボウを放り出し、両手でそれをキャッチした。そして自分で自分のとった行動に驚く。こんな石のために、壊さないよういつも大切に扱っていた相棒を放り捨てるなんて。

 

「............」

 

しかしあんなものを見せられた手前、俺にはこの石が、この不気味な首飾りが。尋常のものであるとはどうしても思えなかった。だから地面に落とすことを躊躇った。クロスボウを捨ててまでキャッチした。

 

「一体なんだってんだよ...」

 

その時だ。

飾りだと思っていた石の目が、突然ギョロリと見開いたのだ。

 

「ひっ!」

 

あまりの気持ち悪さにネックレスを取り落とす。

 

「あ、悪趣味すぎる!」

「そいつは人質さ。君の村から、俺たちが出て行くまでの」

 

つまり賊まがいのことをするようなら好きにしていいと。これが俺の手にある限り、村には手を出せないと。そういうことか。

すでにこの石に対してある種の力のようなものを感じてしまった俺には、これ以上ない説得力だった。

 

「本当に無体を働く気は無いんだな......って俺たちって! やっぱりお前傭兵なんじゃねぇか! 傭兵団ごと来るつもりなんだろう!」

「もともと傭兵であることを否定した憶えはないさ。それにオレは賭けで勝ってる。その前の言葉遊びには何の意味もない。それに君、何故だか最初からオレが傭兵だと確信していただろう?」

「ぐっ...!」

 

石を拾い上げてその表面を見る。

僅かに縦長の傷がついていた。

 

あのとき少年は、首飾りの紐の部分だけを持って石をぶら下げていた。

ただ矢が当たるだけでは駄目なのだ。矢をうまく逸らす角度、位置で上手く当たらなければ......。

 

再び顔を上げる。

少年は絶えず子供のような笑みを浮かべていた。

 

「グリフィス」

 

少年がよく通る声でそう言う。

 

「......お前の名前か?」

「そう。君は?」

「ゴロログデブデピトロ」

「わかった。ゴロログデブデピトロだな」

「......アルマだよ」

 

この少年、どうも気に入らない。しかし勝てる気もしない。

俺は大人しく悪趣味な首飾りを首から下げると、少年に習い石を服の下へ隠した。

 

「村に何かしたらこいつをハンマーでペチャンコにするからな」

「それは困るな。団員には規律を徹底させることにしよう」

「規律ねぇ」

 

傭兵にとってそんなもの、あってないないようなものだ。しかしこの少年は気に入らないし勝てる気もしないが、何故か、信用に値する。そう感じてしまうのだ。

 

「お仲間は?」

「ここから少し東にいる」

「多分そっちのが近いな。先に合流するぞ。案内しろ」

「わかった。途中急な崖があるが」

「この辺は俺の庭だ。余計な気は回すな」

 

獲物の血抜きはとっくに済んでいる。

いつもの森にいつものクロスボウ。

いつもの獲物に......風変わりな傭兵。

 

「あ、これ持って。重いから」

「美味そうな鳥だな。ちょっと狙ってたんだ」

「やらんぞ」

 

もしかしてこいつなら。

俺はそんな淡い期待と共に東へ足を向けると、傭兵グリフィスの後を早足でついて行くのだった。

 

 

 

そしてこのときには既に、俺の運命は取り返しのつかないほど狂っていた。否、狂わされたのだ。

 

因果の糸によって。

この胸のベヘリットによって。

そして目の前の少年、白い鷹グリフィスによって。

 




主人公の挿絵です

頑張って描いたやつ


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雑なやつ


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二話 出会い2

鷹の団。

団員数四十名。平均年齢十八歳。

団長に至っては女のような顔をした優男で、この中でも輪にかけて若い。

はっきり言ってミッドランド中を探してもこんな巫山戯た傭兵団はここ以外でどこにもないだろう。

 

「これが傭兵団? 悪ガキの集まりじゃないのか」

 

故に。俺が鷹の団の面々を前に開口一番でそんなことを言い放ってしまったとしても、それは仕方のないことではないだろうか。

 

「......」

 

流石に怒ったかと少しビビリながらグリフィスを伺う俺だったが、当の本人はくつくつと楽しそうに笑みを零すばかりで一安心。

しかし団長が幾ら呑気でも、団員たちの気性は一端の傭兵よろしく荒いようだ。俺のような小娘に悪ガキの集まりだと揶揄され、団員の内の何人かは早くも額に青筋を浮かべて怒り心頭の様相を呈している。

一発触発とまではいかないが、いきなり剣呑な雰囲気。

 

そんな居心地の悪い空気の中、ソバカス顏の少年は歩み出てきた。

 

「おいおい、くそ生意気なお嬢さんだな。グリフィス、どこから拾ってきたんだ?」

 

団員代表で一発殴りに来たかと身構えたが、どうやらこちらを面白がっているようである。俺は非常に気分を害した。

 

「拾ってきただ? 人を子猫ちゃんみたいに言ってんじゃねぇぞソバカス野郎。雰囲気だけは一丁前に二枚目気取りか? あ?」

「ぶっ、はははっ! ひでぇ!」

 

ソバカスがなぜか爆笑した。

許せん。

 

「具体的に言うと好きになった女を親友に掻っ攫われるけど時に手を貸し時に壁となって立ちはだかり最終回ですれ違う二人の為に自分の気持ちを打ち明けて感謝はされるが結局振られて最後は余り物の女とくっつく少女漫画の横恋慕キャラ......から顔の良さを引いた残りカスみたい。惨めで可哀想」

「......初めまして口の悪いお嬢さん。ジュドーだ」

 

今度はヒクヒクと頬を引きつらせながらの自己紹介であった。

やっと己の分というものを弁えたらしいが、俺の気はまだ済んでいない。

 

「初めましてジュドー。アルマだ。アルマ・ド・アルペンハイム」

「なっ!? き、貴族か!?」

 

ざわり。

四十人の団員たちが一斉に驚きの声をあげた。単純な奴らである。

 

「馬鹿どもめ。嘘だ」

 

一瞬で怒号に変わった。

 

「グリフィス! その舐めたガキの身包みひん剥いて、木に吊るしてやろうぜ!」

「いいや、村についたら肥溜めに沈めてやろう!」

「ぬるい! ここはオレに任せろ! 女の体に生まれて来たことを後悔させてやる!」

 

四十人もの武装した戦争屋にこうまで凄まれ脅されている状況。普段の俺なら速攻で踵を返して逃げ出して......いや、そもそも怒らせるような真似自体しないだろう。

 

しかし今日の俺は一味違う。

 

「ほほう。グリフィス君。君の団員がこの俺に向かってあんなこと言ってるけど、注意したほうがいいのではないのかな? ん?」

 

いやらしくそう言って、隣のグリフィスに見せつけるようにポンポンと自身の胸を叩いて見せる。

そう。今の俺にはこの気持ち悪い首飾りがあるのだ。これさえあればグリフィス、ひいては鷹の団など恐るに足りず。

 

「はっ! おいガキ、お前みたいなまな板でウチの団長を籠絡できると思ったら大間違いだぜ!」

 

しかし何を勘違いしたのか。若い団員が見当違いのことを抜かしはじめた。

もちろん俺は胸部にある首飾りを誇示したかっただけであり、そこに性的な意味合いは一切含まれていないのだが......もうそんなことはどうでもいい。

 

「てめぇ童貞コラ! 俺がグリフィス如きを籠絡できないとはどういう了見だ!」

「ど、童貞じゃねぇけど!? それと見たまんまだろうが! お前みたいなチビガキの胸で団長が満足できるか!」

 

それは余りにも無知な、愚か者の言い分だった。

 

「馬鹿が! むしろ俺くらいの歳の子がいいんだろうが! 未だ固く閉ざして花開かない、幼くも美しい蕾!それを開花を待たずして無残にも摘み取る背徳感ったら! お前らそれを知らずして一人前の男気取ってんじゃねぇぞ!!」

「ーー!?」

 

少年が絶句する。

覚悟を持たないまま俺の前に出るからそうなるのだ。

 

「って怒るとこはそこなのな。まな板やらチビガキやらについては触れなくていいのか?」

 

すごすごと引き下がる若い傭兵を見送っていると、ソバカスのジュドーが呆れた様子でそう尋ねてきた。

 

「は? だってお前、俺をよく見てみろよ」

 

ソバカスどころか鷹の団全員が目を向けてきた。

 

「......仕方ない。サービスしてやるか」

 

俺はその場で両膝をついて、甘える猫ちゃんのポーズをとってやった。

 

「見ろ、このロリ可愛さ。これなら胸などいらん」

「いや。女は肉付き良い方が断然いいって」

「......なに?」

 

俺のこの姿を見たにも関わらず性癖が歪まないだと?

ソバカス野郎の分際でこの俺の魅力に抗いやがったのか。

 

「......ちっ」

 

俺は肩を片方だけはだけさせると、続いて地面に尻をつけてペタンと座り、足首は外、膝は内といわゆる女の子座りの体勢をとった。

そしてそのまま膝の間に両手をつき、上体をやや前のめりにしてから保護欲のそそる上目遣いをきめこむ。

仕上げに熱に浮かされたような表情で頬を染め、瞳を涙で濡らし、呼吸を荒げ、下品になり過ぎないよう僅かに涎を垂らした。

 

媚薬入りアルマちゃんの完成だ。

 

「......目覚めたって言ったら、どこ触ってもいいよ」

 

熱い吐息と共にそう囁く。

この世にこれで落ちない男はいない。

 

しかしおかしい。

ソバカスのブツがどれだけ待っても勃起しないのだ。

勃ってもわからないほど粗末なモノなのだろうか。

 

「目覚めねーよ」

「なんでだよ!」

 

全力の誘惑でも駄目だったらしい。

 

「うわーん! ホモで粗チンのWコンボ野郎ー!」

「どんな泣き方だ!」

 

その後、ふて腐れる俺に数名の団員がロリコンに目覚めた旨を告げてきた。適当に流していると何だが襲われそうな雰囲気になったので速やかにグリフィスの下へと向かった。

 

危なかったが、ズタズタにされたプライドは少しだけ回復した。

 

 

 

「なぜあんな真似をした」

 

村まであと数十mといったところ。

先ほどの若い傭兵の騎馬に同乗させて貰っていた俺が、村長から入村の許可をとるため馬上から降りると同時。前列にいたグリフィスがそう話しかけてきた。

 

「これからの鷹の団にはロリコンが必要になってくるんじゃないかと思って」

「とぼけるな。お前、最初明らかにあいつらを挑発していただろう」

「そう怒るなよ。さっきお前にやり込められた分フラストレーションが溜まってたんだ。悪かったな」

「オレと初めて会ったときもそうだったな。俺を傭兵だと確信して、異常なほど毛嫌いしていた」

「............」

「傭兵に対して、過去に何かあったのか?」

「別に。いいから早くついて来いって。あ、団長以外のヒラはここで待ってろ。村長に話つけてきてやるから」

 

余計な追求を受ける前にさっさと歩き出す。グリフィスはもう何も言わず、黙って俺についてきた。

 

「あ、護衛する! します! いいっすよね、団長!」

「......好きにしろ」

「うっす!」

 

後ろからガチャガチャと鎧を鳴らしながら嬉しそうに駆け寄ってくる若い傭兵。村までの道中、馬上で楽しくおしゃべりしていたら仲良くなったのだ。

焦げ茶の短髪に高め背丈の十六歳ほどの少年。名はドミニク。

 

「村長ん家まで行くのに護衛なんていらねぇよ。第一何で俺につく。お前の大将はグリフィスだろ」

「まぁ固いこというなって。それにああ見えて団長の剣の腕は鷹の団一だからな。それこそ護衛の必要なんてねぇ」

 

俺は少し後ろを歩くグリフィスへと目をやった。その貴公子然とした姿からは、やつが優れた剣士だとはとても想像できない。

 

「嘘つけ」

「ああ。嘘みたいな話だがな」

「本当かよ。グリフィス、お前ってマジで凄い剣士なの?」

「ああ」

 

俺の問いにグリフィスはあっさりと首肯した。そこには何の気負いもなく、まるでそうあることが当然とでもいうような、堂々たる態度であった。

 

これがイケメンの余裕ってやつか。

俺は戦慄した。

 

「おいドミニク。お前も将来あんな男になれよ。無理だろうけど」

「待て待て。オレの武勇伝を聞けば、お前もそんなこと言ってられなくなる」

 

ドミニクがそのまま己の武勇伝を語りだす。

 

曰く、凄腕の傭兵十人を相手どって孤軍奮闘した。

曰く、分厚い鉄の剣をなまくらで断ち切った。

曰く、とある大国の姫君に剣の舞を披露した。

 

「つまんね。もうちょい捻れよ」

「!?」

 

ドミニクが目を見開いた。どうやら本当で言っていたらしい。程度の低いギャグかと思ってついダメ出ししてしまったじゃないか。

 

「な、なに言ってんの? 事実だから捻りようがないんだけど!?」

「ドミニク、その辺にしておけ」

「しかし団長!」

「お前の与太話を団の中で笑ってないのはオレくらいのものだぞ」

「いっそ笑って欲しい!」

 

ドミニクが赤面してその場にうずくまる。

道の真ん中で遊ぶなと注意したら黙ってついてきた。

 

 

 

「ついた。ここだよ」

 

馬鹿をやっている内に村長宅に到着した。

俺は古びた木の扉をドンドンと叩く。

 

「村長お客さん。入っていいか?」

「構わんぞ。入れて差し上げろ」

「わかった」

 

三人で屋内へと入る。

もちろんここは貧しい農村。例え村長宅でも他の家より特別大きいわけもなく、目当ての人はすぐ目の前にいた。

白髪頭の初老の男性。

名はダンという。

 

「って何がお客さんだ! バッチリ帯剣してるじゃねぇか! 盗賊か!?」

「いや、傭兵だよ」

 

村長の濃い眉がピクリと動いた。

 

「なに?」

「傭兵だよ、傭兵団。村に入れて欲しいんだってさ」

「アルマ。お前、傭兵を村に連れてきたのか」

 

冷え切った声だった。

 

「だからそうだっつってんだろ」

 

瞬間、左頬に強い衝撃。

俺は軽々と吹き飛ばされ、壁に頭を強打した。

 

「ア、アルマ!」

 

ドミニクの叫び声が響く。

 

「出てけ! さっさと消えろ傭兵ども! この村で貴様らにやっていいものは水の一滴だってありはしない!」

 

正に鬼の形相である。

とても初対面の人間に向ける顔ではない。

 

「よくも抜け抜けと来られたものだ! ふざけるな! どこまで我々を虚仮にすれば気が済む! 貴様らがこの村でやったことは未来永劫許されることのないーー」

「ダン殿」

 

気が狂ったように喚き散らしていた村長だったが、その涼しげな声に思わず口を噤むことになる。

もちろん声の主はグリフィスだった。

 

「......え、き、貴族さま?」

 

グリフィスのその容姿に気がついた村長が、ポカンと口を開けて惚けた。まるで絵本から飛び出した妖精を見ているかの反応だ。

 

「鷹の団団長のグリフィスと申します」

「あ、あんたが傭兵どもの頭だと?」

「はい。といってもまだ五十人にも満たない新興の傭兵団ですが」

 

グリフィスはそう言うと、見るもの全てを虜にする微笑を零して村長へと頭を下げた。

それは欠片も卑屈なところがない、あまりにも優雅な一礼だった。

 

「本日は我が傭兵団に入村の許可を頂きたく参りました」

「......なぜ」

「兵糧が心もとなく、兵にも疲れが」

 

グリフィスの訴えに村長が怒りに震える。

しかし地面に伏せる俺と、それを助け起こすドミニクを見て己を律するように歯を食いしばった。

 

「......西にしばらく行ったところにウチなんかより大きい村がある」

「私たちの進行方向は東です。エッガース辺境伯が傭兵を募っていると耳にしましたので、その戦列に加えて頂こうと」

「......あんな戦に加わりたがるほど馬鹿には見えねぇが」

「まぁ、ついでではありますね」

 

にっこりと人好きのする笑みを浮かべるグリフィス。それを真っ正面から見た村長は先ほどと正反対、眩しそうに目を細めた。

 

「......やめとけ。今あっちは色々と危ねぇ」

「色々とは?」

 

その問いの答えは返ってこなかった。

 

「若輩の集まりとはいえ、私たちも傭兵です。これから戦に加わろうというのに、知りもしない脅威にいちいち怯えていてはーー」

「いいから死にたくなかったら来た道を戻れぇ!!」

 

バン! と力強く叩かれる木のテーブル。ドミニクの肩がビクリと跳ねた。

 

「出てけ! 二度と来るな!」

 

そして再び火が付いたように叫び出す村長。グリフィスはその様子をしばらくの間冷静に見据えていたが、一向に収まることのない癇癪に一分ほどで踵を返した。

 

「......それでは失礼。ドミニク、アルマに肩を貸してやれ」

「え? いえ。でも」

「手当てのために一度連れて帰る」

「わ、わかりました!」

 

「帰れ! 帰れぇぇ!!」

 

村長の奇声ともつかない叫び声に送り出され、家を出る。

俺たちは何の収穫もないまま、団員たちのいる村はずれの森に戻るしかなかった。

 



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三話 出会い3

日が暮れて一時ほど。

炊事の匂いが漂い始めた鷹の団の天幕群から少しばかり離れた場所で、俺はグリフィスと共に火を囲んでいた。

 

「聞かないのか」

 

俺が炎の揺らめきを目で追いながらそう尋ねると、グリフィスもまたこちらを見ようともせずに口を開く。

 

「何をだ」

「村長の......いや。俺たち村の人間の、傭兵に対する悪感情について」

「それについては想像できる」

 

先ほどまでと変わらない冷静な様子で、グリフィスは淡々と語りだした。

 

傭兵は盗賊と同じ。

戦ともなれば雇い主の元勇敢に剣を振るうが、ひとたび戦場から遠ざかれば酒を飲み、女を抱き、喧嘩騒ぎで人を殺す。そして稼いだ金が尽きれば次の戦場へ。

ではその戦場がなければ傭兵たちどうするか。言うまでもなく、近隣の村々を襲う。酒を奪い、女を犯し、一方的に人を殺す。

しかし今の時代、ミッドランドどチューダーの百年に及ぶ戦争で、傭兵団は餌場に事欠かない状態。

民衆が以前に比べて傭兵に怯え、苦しめられることは少なくなった。

 

そこまで話してグリフィスは一息ついた。

暗闇の中、その端正な顔が炎のぼんやりとした灯りに照らされている。

 

「しかしその反面、国境付近の村々は酷い有様だ。特に東、チューダーとの国境いはな。何せ国中、大陸中の傭兵が、頻発する紛争目当てに集まってくる。ミッドランドにつき、チューダーにつき、血で血を洗う殺し合いを繰り広げる」

 

「ーーああ」

 

話の間もずっと火の揺らめきを眺め続けていた俺だったが、自分でも知らず、グリフィスの話に割り込んでいた。

 

「戦の度に畑を踏み荒らされる。重い税を課せられて、時には戦火まで及ぶこともある......でも、これは仕方ない。国境いに住んでる人間にとっては当たり前のことで、この村でも百年続いてきたことだから」

 

しかしこの十年で状況は更に悪くなった。

主な戦場が移ったのか、新しい道が開拓されたのか。理由は定かではないが、この村は目に見えて傭兵を迎える機会が多くなったのだ。

 

「あいつらは軍隊じゃない。規律がない。人の村で好き勝手に騒いでは何でもかんでも脅しにかけて奪っていきやがる。それを何とか宥めすかして媚び売って、村の若い女をあてがって、ようやく東へ。戦場へ送り出す。頼むから全員チューダーのクソ野郎共にブチ殺されて下さいってお祈りしながらな」

「............」

「それを何度も繰り返すんだ」

 

グリフィスは何も言わない。

 

「それでも村のみんなは耐えてた。俺が物心つくずっと前から。でもな、どうしても許せない事件が起きた。忍耐強い辺境の農民を憎しみに駆り立てる事件がだ」

 

七年前。

飯を貪り、酒を飲み干し、気に入った女を無理矢理犯して去って行った傭兵団が、僅か三日の内に戻って来るという珍事があった。ようやく追い出せたと安心していたのもつかの間、また踏み躙られる日々が始まるのかと肩を落とす村人たちの間を、奴らは騎乗したまま疾風のように駆け抜けてゆく。

 

背後から迫る残党狩りへの時間稼ぎの為に、家々に火を放ちながら。

 

「残党狩りも傭兵だ。血に興奮した奴らは目に付いた村人を殺し、犯し、金品を略奪し、好き放題に暴れてから東へと帰っていった」

 

運よく火が回り切る前に雨が降ってきたこともあり、村は致命的な被害を被った訳ではなかった。

しかし徐々に鎮火してゆく炎を死んだように眺め続ける村人たちの腹の底。そこには黒い憎悪の炎が尽きることなく燃え盛っていた...。

 

「それがあの村長の態度の原因か」

 

グリフィスは何でもない風にそう言った後、俺へと鋭い視線を向けてきた。

 

「鷹の団に入村の許可など降りるはずがないと、最初からわかっていたはずだが?」

「......まぁ。でも案内しろって言われたし」

「とぼけるな。アルマ、お前はオレに何を求めている」

「............」

 

思わず口ごもる。

果たしてこの先を本当に言ってしまってもいいのか。

 

「まだ信用できないか」

「......仕方ないだろ。こっちはこれまで散々お前たち傭兵に好き勝手されてきたんだ。確かにあんたらは傭兵団にしちゃ気がいいし、心も広いんだろう。奇跡のような真似も見せて貰った。でも...」

 

言葉を切り、黙り込む。

数分の間、焚き火のパチパチという音だけが、二人の間で響いていた。

 

「......ふぅ、いいさ」

 

いつまでも渋っている俺にグリフィスがあっさりとそう言った。表情もいつの間にか柔らかいものになっている。

 

「追求するような真似をしちまったな。何か力になれればと思ったんだが」

「......力に、なってくれるのか?」

「そうだな、明日の昼頃には出立するつもりだから、それまでに踏ん切りがついたら言ってみるといいさ」

 

ポン、と。

子供にするように頭に手を置かれる。

 

「なっ...!」

 

とっさに払いのけようとしたが、久々に感じた人の体温に動きを止めてしまった。

 

「アルマ、お前はまだ子供だ。一人で何で何でもしょいこもうとするな」

「......う」

 

そしてゆっくりと撫でられた。

思わず目を細め、その心地よい感触を享受してしまう。

 

思えば今世での両親が亡くなって以降、このように他人と触れ合った経験はほとんどない。

前世の記憶があったおかげで俺は普通の子供のように大人を頼る必要もなくこれまで生きてこれたが、それは逆に人の温もりを遠ざける要因にもなっていた。

 

「さ、触ってんじゃねぇ」

 

故にそう言って一歩引くまでの数秒間、グリフィスの手はずっと俺の頭の上にあったのだった。

 

「耳が赤いぞ」

「......くっ!」

 

自慢の金髪を引っ掴み、急いで両耳を隠す。

 

「ははっ、今度は顔が赤い」

「てめぇ! 馬鹿にしてんのか!」

 

思わず手が出た。

しかしグリフィスは俺の手首を掴んでパンチを防ぐと、そのままグイっと引っ張り、何と己の胸へと抱え込んだのだ。

 

「しばらくこうしてろ」

「離せロリコン!」

 

それはもう暴れまくった。

しかし意外なほど強い力で抱きしめられているせいで、振りほどくことができない。

 

「大変だったな」

「たった今大変だよ!」

「茶化すな。顔を見ればわかる」

 

グリフィスが俺の背丈に合わせて腰を屈める。ちょうどお互いが肩口から顔を出し合う、まるで恋人同士が抱き合っているかのような格好である。

 

「お前がどんな過去を背負っているのか、オレは知らない」

「......っ」

「何を思い悩んでいるのかも、この村の問題も知らない。でもな」

 

体を少し離され、しかしその分顔同士が近づく。ともすれば唇が合わさるような距離。

 

「アルマ」

「な、なんだよ...」

 

真摯な光を宿した瞳が俺を捉える。

それは見るものを魅了し、そして判断力を奪う光だった。

 

「オレはお前が気に入ってる」

「何を......」

「力になってやりたいんだ」

「や、やめろ」

 

グリフィスが俺の左頬に手を添え、言った。

 

「俺を信じろ」

 

そのとき、俺の中でこの男への好意がーーいや、この男を肯定する全ての感情が一気に膨れ上がるのを感じた。

 

「......!?」

 

火を吹かんほどに赤面し、それを悟られぬよう顔を逸らす。しかしグリフィスはそれを許すまいと俺の顎先を掴み、ゆっくりと己の眼前へ引き戻した。

 

「や、やめろ」

「嫌か?」

「嫌じゃないけど......って違う! 嫌だ! 離せ!」

「本心から言ってるのならすぐにでもそうするさ」

「じゃ、じゃあ離せ!」

「わかった。離さない」

「何でだよ!!」

 

俺はそれからしばらくの間この一方的な抱擁から逃れようともがいていたが、やがて無駄だと悟り、ダランと両腕を垂らしてされるがままの体勢となった。

 

「もういいか?」

 

するとそれを合図にグリフィスが口を開く。

 

「俺のセリフなんだが」

「そうか」

 

グリフィスの両腕がそれまでの力強さが嘘のように緩められ、離れる。

それが少し寂しいように感じられ、俺は一瞬、縋るような視線を目の前の男に向けてしまった。そしてそれを自覚し、すぐに体ごと顔を背ける。

 

「......ったく、そんなに俺が魅力的だったか?」

「ああ。悪かったな」

「ふ、ふん。まぁ男なら仕方ないな、美少女だし」

「そうだな」

 

優しげに笑うグリフィスを横目で見やる。

 

「だから、これだけ俺に骨抜きなら......話してもいいかもしれない」

「いいのか?」

「......お前が信じろって言ったんだろ」

 

実際このまま手をこまねいていても状況は悪くなるばかり。それなら現状、最も信頼できるこの男に全てを託すのも、決して悪い手ではないと思うのだ。

 

「話すよ」

 

 

 

先ほど同じように焚き火を間に挟んで座り直す。

しかし今度はお互いに目をしっかりと合わせて言葉を重ねていく。

 

両手には木のカップ。

なみなみと入れられたホットワインで唇を湿らせてから、俺は口を開いた。

 

「俺たちの村は七年前のあの事件以降、表面上はこれまでと同じように振舞いながら、水面下で同士を募っていた」

「同士?」

 

グリフィスが訝しげにそう尋ねる。

 

「同じく戦......特に傭兵への恨みが強い者のことだ」

「............」

「農具の代わりに剣を持ち、戦術を学び、四年かけて戦備を整えた」

 

グリフィスは何も言わず俺の話を聞いている。

 

「そして俺が九歳のとき」

 

ここから先は、本来なら決して口にしてはいけないタブー。

 

「村人による傭兵狩りが始まった」

 

最初の頃は傭兵へ温かい飯を配膳してその中に毒を盛ったり、寝込みを襲い喉笛に剣を突き立てる。その程度だった。

しかし次第に、東へと向かう傭兵団を背後から奇襲をしたり、矢を浴びせかけたりと行動は過激になっていった。

罠を仕掛け、地形を利用し、策を練る。そこまでくれば戦と変わらなかった。

 

「それが二年続いた」

「露見したのか」

「ああ。お前が戦列に加わりたいって言ってたエッガース伯爵にな。村は伯爵が呼び寄せた傭兵団まで狩っちまってた。そこからバレたんだ。でも、伯爵は村を罰しなかった」

 

むしろ傭兵を狩る度に報奨金を渡すとまで言われた。

 

「ただしそれは、いま伯爵と敵対関係にある貴族、ビュルス伯の麾下につく傭兵を狩った場合だ。それ以外に手を出せば......」

「なるほどな。オレが何事もなく村から返されたのはエッガース伯爵に味方すると明言したお陰か」

「そうだ」

「エッガース伯は傭兵狩りを妨害工作として利用した。お前たちは哀れな農村の民から一転、金を受け取り貴族の為に戦働きをする立場となったわけだ」

 

グリフィスが言わんとしていることは容易に察せた。

契約で人を殺し、褒賞を得る。

これではまるで傭兵そのもの。

 

「......ああ。傭兵を憎みながら、しかし傭兵とやることに変わりはない。村はこの状況を何とか打開したいと考えていた」

「............」

「剣を持って気が大きくなっちまったんだろう。一部の村の若いのが独断で...その...」

 

傭兵狩りよりもよっぽど危険な秘密に信頼が揺らぎ、つい言いよどんでしまう。

 

「そういえば、エッガース伯爵の三女が三月前の狩りに同行してから行方不明なのだとか」

 

グリフィスが助け舟を出すように、もう躊躇うなと引導を渡すように呟いた一言によって背中を押された気がした。

 

「......そうだ。今この村で監禁されてる」

 

三ヶ月もの間輪姦され続け、正気を失った貴族の娘。

当初は誘拐してきた数名の村人は大いに非難され、現に処罰も受けた。

しかし頭の痛くなることに、徐々にこの三女を利用して伯爵を傀儡にする、といった馬鹿げた案を唱える声が大きくなってきているのだ。

 

「成功するはずがない。だからその前に…」

「俺たちに救出して欲しいということか」

「そうだ。そしてこれは鷹の団への利益にも繋がる」

 

令嬢をエッガース伯爵への手土産とすれば、鷹の団は誘拐された令嬢の救出という大変な栄誉を得ることになり、予定を変更してエッガース伯と抗争中のビュルス伯につくことにしても敵対貴族の娘は格好の取引材料になるだろう。盗賊団から救出した、という大義でも掲げておけば(事実その通りなのだが)卑怯者の謗りを受けることもない。

 

令嬢は完全に気が狂っているし、もし正気に戻ったとしても自分を攫った傭兵崩れが実はただの農民だったなどと思いもつかないだろう。

 

しかしーー

 

「エッガース伯につくなら誘拐の件を、ビュルス伯につくなら傭兵狩りの件を漏らさないことが大前提になるわけだな」

「ああ」

「そして話を聞いた以上、もう断ることはできない。もし断ったり、村が不利になることを漏らせば鷹の団が傭兵狩りの標的となる」

 

我ながら酷い申し出だった。

 

「......」

「いいさ、聞いたのはオレだ」

 

特に気にした様子も見せずにそう尋ねるグリフィスは、その優しげな口調と裏腹に表情を引き締めてゆく。

 

「それで令嬢の監禁場所は?」

「そのために村へ連れて行った。村長の家の地下だ。入り口から見て左上隅の床板を調べてみてくれ。簡単に抜けるはずだ」

「なるほど」

 

グリフィスは関心したようにひとつ頷いた。

 

「傭兵狩りの戦力は?」

「兵110騎馬50。クロスボウはほぼ全員が持ってる」

「夜間の警備体制は? 兵はどの程度分散している?」

「高台には見張りが張り付いてる。でも西側から回り込んで死角に隠れながらなら、五十人程度なら気ずかれずに接近できる。兵っていっても普段はただの農民だし、それぞれに家がある。詰め所のようなところはあるけど、突然の奇襲には咄嗟に動けないだろう」

「なるほど。じゃあーー」

 

その後も幾つかの質問に答えた結果、グリフィスは、兵力差は大きいが、策を練り闇に紛れて奇襲を行えば人一人攫う程度容易だろう、という結論を下したのだった。

 

「そ、そうか!」

 

思わず喜色ばんだ声をあげてしまい、慌てて首を振る。早とちりは禁物だ。まだこの企みの成功が決まったわけでもないのに。

しかしこの三ヶ月間、俺は本当に行きた心地がしなかったのだ。

あの厄介な令嬢をどうにかしようにも子供一人ではできることは限られ、また頼りになる外部の人間にはとんと心当たりがない。

 

だが、これでようやくひと時の安寧が保証されるかもしれない。

 

「グリフィス。あ、ありがとう」

 

顔を背けてそう言う俺に、グリフィスもまた端整な顔に笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「ああ。こちらこそありがとう。これで俺たちの任務は完了だ」

「え?」

 

とん。と、グリフィスに首の後ろを叩かれる。

平衡感覚を失い、傾いでいく己の体と、それと並行して遠のく意識。

 

そしてガシャガシャと耳障りに響く、数百人ほどの行軍音。

 

「……ぁ」

 

遠のく意識の中、プレートメイルの胸に鈍く光る、エッガース伯爵家の紋章が視界の端を掠めた。

 



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四話 出会い4

思うに、異世界という言葉はあまりにも陳腐だ。

 

数々の創作物で使い古された手垢の付いた表現であるし、何よりリアリティがない。

漫画かアニメの世界にでも迷い込んでしまったならともかく、ここは歴とした現実。夢あふれる魔法や心踊る冒険などあろうはずもないし、今のところ幼馴染みの美少女もいない。御都合主義なストーリー展開など期待できない紛れもないリアルなのである。

 

そう、そして何と言っても悪名高い中世ヨーロッパ!

 

戦争、処刑、疫病、貧困、身分、差別、宗教、魔女狩り。

 

枚挙に暇がないが、これでもほんの一端。平成の日本をのんべんだらりと生きてきた俺など、その一端に触れただけでも百回死んで余りあるほどだろう。

さらに辺境の貧村に生まれて両親は幼い内に逝去。性別はこの時代地位の低い女である。

人生ハードモードであることは言うまでもない。

 

しかしだ。

俺は懸命に生きた。

未開な中世の生活の中、ごわごわとした麻の布の服に身を包み、農作業に狩りにと奔走して。

 

もちろん、村人たちの助けは必要不可欠であった。

 

正直に言うと、ろくに字も書けず簡単な計算にも手こずる彼らのことを、俺は心の内で長い間見下していた。

しかし直に触れてみればわかる。

閉鎖的な村の中の、偏屈な村人たちだからこそ、彼らは身内に対して温かな顔を見せる。

両親を早くに亡くし、誰にも懐こうとしなかった俺の世話を、村人たちは文句を言うでもなく焼いてくれた。

 

だからこそ助けたいと思ったのだ。

 

愚かな人たちだった思う。

妙なプライドなど捨てて、このまま伯爵の犬を続ければ幸せになれたのに。身の丈に合わない真似をして、身の丈に合わない地位を求めてしまった。

 

村は今、未曾有の危機を迎えている。

俺が何とかしなくては。

見つけたのだ。他とは違う奴を。

この世の理からーー絶対的な不文律のようなものの外からこちらを眺め、超然と振る舞っているかのような人間を。

 

良かった。これで村は助かるだろう。

 

ありがとう、鷹の団。

本当に感謝するよグリフィス。

 

だってここは、俺の第二の故郷なんだから。

 

 

 

 

「鷹の団か…」

 

煌々と明るく照らし出された森の中。乱れなく整列した兵士たちを背後に控えさせ、エッガース伯爵家の三男、ダニロは呟いた。

眼前に広がるのは炎に包まれた小村だ。近頃エッガースの屋敷で話題となっていた傭兵狩りの村だった。

 

ダニロは此度、父であるエッガース伯からこの村への襲撃任務を任じられていた。

 

当初は伯爵の退屈凌ぎのための余興として用いられていた傭兵狩り。しかし予想以上に武力を蓄え、謀反の動きも見え出した。

よって、本日敢え無く解体処分と相成るのである。

名目はエッガース伯爵家の三女を拉致した罪…ということらしいが、その三女の存在など、立場的には実兄であるところのダニロにとっても初耳であった。

そういば三ヶ月ほど前、年頃の使用人の娘がひとり屋敷から姿を消したらしいがーー順当に考えて、本件と無関係ではないだろう。

 

「相変わらず父上も悪趣味なものだ」

 

ダニロがそう言って薄ら笑うと、騎馬でもって夜襲を行っていた鷹の団四十余名が、北へ向って退却を始めるところであった。いや、退却に追い込まれたといった方が正しいか。

引き際を誤ったらしく、傭兵狩りの兵八十ほどを引き連れての必死の退却戦である。

 

「やはり無理だったのです」

 

鬼の首をとったかの様子で憤然とそう言ったのは副官のエドガーであった。

 

「だから申したのです。そもそも、奴らは情報収集のために雇ったに過ぎませんでした。それを…」

 

くどくどと続けられる副官の苦言。

その一切を耳に入れることをせず、ダニロはあの若い団長のことを思い浮かべていた。

 

……一目で惹かれた。あの魅力に。

 

まず断っておくが、ダニロに男色家の気はない。

故に彼が感じ取ったのは、グリフィスから発せられる資質の気配だった。

 

あの父などとは比べるべくもない。

人の上に立つべき者の、圧倒的な王者の資質。

 

だからこそ己の直感を確かめるため、鷹の団に単独での夜襲を任せた。傭兵狩りとの兵力差は倍以上。地理の面でも圧倒的不利。

それでもあの男なら、と思った。

 

しかしその期待も、あの無様な姿を見れば覚めた。

 

「夜襲自体は鮮やかなものだったのだがな。後が続かなかった」

「我らの任は傭兵狩りの壊滅です。あれでは警戒させるだけさせて、敵戦力の殆どが残ったままではないですか。そもそもダニロ様、殲滅戦に数で劣る隊をお使いになるなど用兵の何たるかをまるで分かってーー」

「あーわかったわかった。私が間違っていたよ」

 

副官の呈する苦言を、ダニロはひらひらと手を振って遮った。これ以上部下の前での説教は勘弁願いたかったのである。

 

そして二人がそうしている間にも、鷹の団の戦況は悪化の一途を辿っていた。

 

今にも尻を食い付かれそうで慌てふためいて、隊列もガタガタ。彼らがいかに動揺しているかがありありと表れている。

さらに言えば今は夜である。悪視界、おぼつかない足元に加えて追手側には地の利がある。どう贔屓目に見ても、傭兵狩りが追い付くのは時間の問題だった。

しかし兵力差は歴然である。一度背を見せてしまった以上、このまま逃げるしか選択肢はあるまい。

 

「…………」

 

あの男から感じた何かは間違いだったのだろうか。

ダニロは少々落胆しながらも、己の責を全うしようと命を下した。

 

「まぁいい。我らが横っ腹を叩けば伏兵の真似事にーー」

 

西から伏兵だ!!

 

叫んだのは誰だったか。

突如として闇から浮かび上がったのは二十の騎兵隊。炎に赤く照らされながら、勢いをそのままに一本の槍となって傭兵狩りの背後へと襲いかかる。

 

「ほほう」

「これは…」

 

ダニロと副官が感嘆の声を上げる中、前を行く鷹の団が伏兵に連動して瞬時に反転。

あっという間にお手本のような挟撃が成された。

 

「これは…余計な世話だったか」

「ダニロ様、あの先頭の男…」

 

伏兵の指揮を務めている、黒髪の若い男を指して副官が呟く。

 

「確か、近頃この辺りを荒らしていた盗賊団の頭です。確か名は…コルカス」

「ほう」

 

あのタチの悪い悪餓鬼どもを、鷹の団が丸ごと吸収したか。

 

ダニロが関心する中、先ほどまでの逃げ腰から打って変わって鷹の団の攻勢である。

後ろに気を取られて目の前の敵に徹しきることができないでいる傭兵狩りと、策が成り、戦意の高い鷹の団。

今や完全に形勢は逆転し、傭兵狩りは防戦一方であった。

 

「見事……しかしそれにしても傭兵狩りの動揺が大き過ぎはしませんか?」

「ああ、これは恐らくーー」

 

予め敵兵の数を知らされていた為だろう、とダニロは語った。

 

鷹の団の団長は大胆にも傭兵狩りの村へ直接乗り込み、自ら情報収集を行ったらしい。その際に傭兵狩りの中枢を担う人物、またはそれに近しい者に、自軍の戦力でも漏らしたのだろう、と。

 

「誤報。我が傭兵団は少数なので、存分に油断して下さい、ということでしょうか」

「そういうことだ」

 

多勢はそれだけで戦意を呼ぶ。戦意があるからこそ突然の夜襲でも持ち直すことができたし、恐怖ではなく怒りが勝った。何を寡兵如きがと、剣を持って戦うことができた。

しかしそこで伏兵。数の利での勝利を確信していたからこそ、失意の程は大きい。

 

そうなれば相手は元農民。決壊は早かった。

 

前後合わせて二十人を一方的に斬られると、傭兵狩りは武器を捨て、我先にと戦前逃亡を選んだのである。

 

しかし逃げるにしても北と西には敵兵。南は火の海。

 

となれば残るは一つ。

 

「我らのいる東の森だ」

 

唯一残された退路が遮蔽物の多い、しかし自分たちの良く知る森。

恐慌に煽られた傭兵狩りが悩む理由はなかった。

 

「ダニロ様。敵兵、来ます」

「ふっ…なるほど。我らが二枚目の伏兵という訳か」

 

結局、この村の人間は最初から最後まで弄ばれるだけの人生だった。

最初は傭兵、次に伯爵、そして最後に鷹の団グリフィス。

彼らはただ運が無かっただけだ。

生まれた場所が悪かった。ただそれだけの理由で、その一生を憎しみと絶望の内に終わることとなる。

 

その最後の瞬間に抱く不の感情とは、一体如何程のものなのだろうか。

 

「……ふん」

 

ーーこうはなりたくないものだ。

 

「全軍、抜刀!」

 

ダニロの強い声が、暗い森の中に響いた。

 

 

 

 

「起きろ、アルマ」

「んっ…」

 

目を覚ますと、そこは鷹の団の天幕の中だった。日は完全に暮れていて、どうやら短くない時間、寝入ってしまっていたようだった。

 

「立てるか」

「……あぁ」

 

何故だか足元がおぼつかず、声をかけてきた男の肩を借りて立ち上がった。

 

「来い。お前に見せたいものがある」

 

男が俺を支えたまま、ゆっくりとした動きで歩き出す。

 

「…………」

 

記憶が錯綜している。

意識を失う前に何をしていたのかを正確に思い出せない。

終始ぼんやりとしていて、意を決し微睡みから抜けきろうとすれば、余計なことは考えるなという内なる声に抑えられてまた元に戻る。

その繰り返し。

 

故に。俺は頭に靄がかかった状態のまま男に諾々と従って、ただ足だけを動かしていた。

 

「…………」

 

俺を連れるこの男は、どうやら天幕を抜け、村の方へと向かっているらしい。

意識が混濁しているせいか、周囲がやけに騒がしい。喧騒が聞こえてくる。鎧姿の大勢の人影が姿を現し、いつもの見張り塔が黒い燃えカスになっているようにも見える。

 

徐々に輪郭をはっきりとさせていくそれらを、何となく認識したくないと思った。

 

意識を逸らすため隣に首を巡らせると、そこには俺に肩を貸して歩く男ーー鷹の団団長の姿があった。

 

「グリ…フィス…?」

 

そうだ、俺はこの男と取引をしていたのだ。

 

頼るものがなく、打ちひしがれていた俺へ、グリフィスはまるで聖者のように救いの手を差し伸ばしてくれた。

どれほどの喜びだっただろう。

俺はその瞬間、傭兵グリフィスに魅せられてしまったのだ。

 

叶うなら共に連れて行って欲しかった。

例え村の為とはいえ、傭兵に村の秘密を全てうち明かし、裏切りともとれる行動をとった俺を皆は許しはしないだろう。

であるなら、村が救われたことを信じ、鷹の団団員となり、グリフィスの元に付くのも手だと思ったのだ。

 

この男は大物になる。

その道中には、きっと多くの困難と栄光が待ち構えていることだろう。

その栄光の一端を俺も掴むことができれば、もしかすれば村を本当の意味で救うことも出来るかもしれない。

皆との和解も叶うかもしれない。

 

 

そんな、夢を見た。

 

 

「てめぇアルマ! 裏切りやがったな!」

「殺してやる! ふざけやがって! 殺してやる!」

「ううっ…アンタのせいで夫が死んだ……フリッツのことよ! 息子も! 母も!」

「アルマ…な、何で…酷い…酷い…」

「こっちにこい糞餓鬼! 殺してやる!」

「アルマ! 裏切り者が!」

 

怒号。

 

廃墟となった家々に未だ燻る残り火に照らされ、広場に集められた村人たちの怒りに満ちた形相が浮かび上がる。

 

憎しみに支配されたその姿はよく見知ったものだ。

ただ一つ違いがあるとすれば、今回はその矛先が傭兵ではなく、俺に向けられているということか。

 

「うっ……うぅっ…」

 

グリフィスから腕を離され、俺はその場で崩れ落ちた。

 

涙が止まらなかった。

 

「て、てめぇ…グリフィス…グリ、フィス…」

「安心しろ。お前には情報提供の功により温情がかかるよう、俺から雇用主に掛け合っておいた」

「騙した…騙しやがったなこのクソ野郎…!」

「ああ、悪いな。俺たちはエッガース伯側の人間だ」

 

グリフィスは顔色ひとつ変えず、平時通りに応答した。

 

「さぁ、今のうちに最後の別れを済ませておけ。そのためにお前を連れてきた」

 

伯爵家の兵団によって拘束され、地に転がされている村人たち。

 

これから彼らの処刑が開始される。

 

「アルマァ!!」

 

一際大きな怒号に驚いて振り向く。

その憎しみに満ちた声の主は、血まみれで横たわる村長のダンだった。

 

「貴様っ…恩を仇で返したな!」

「ちっ、違っ…」

「両親のいないお前にとって、俺たち村人は親そのものだった! お前はそれを、今から皆殺しにするのだ! この親殺しめ!!」

「違う! 騙されたんだ!」

 

生き残った皆の鈍く光る目が、こちらを向いた。

 

「俺も騙されたんだ! ほ、本当は助けようと思ってしたことで……まさかこんなことになるなんて思ってなかっーー」

「死ねよ」

 

小柄な人影にそう言われた。

よく世話になっていた隣の家の子、ルディだった。

片親で、父親を知らず育ったルディ少年は、早く大きくなって母の役に立ちたいと良く漏らしていた。

 

「母ちゃん、返せよ」

 

今その母親の頭部を、小さな膝の上に乗せている。

 

言うまでもなく、こんなつもりじゃなかった、で済む話ではない。

 

「殺しておくべきだった…」

「……え?」

「アルマ、お前を殺しておくべきだった。お前の母親が死んだあの日に」

 

深い後悔を滲ませる声音で、ダンがそう言った。

 

「な、なんで…」

「お前は昔から変わり者だった。子どもらしからぬ言動を繰り返し、大人顔負けの狩猟の腕を見せ、訳の分からぬ言葉を喋り…」

 

処刑の順は村長のダンからだ。

強引に兵たちにひっ立たされ、木で作られた簡易的な絞首台へ連れて行かれる。

 

「みな、お前のことを不気味に思っていたよ」

「う、うそ…」

「嘘なものか。だから両親のいない幼いお前が負担になっても、口減しに殺せなかったのだ。お前の正体が実は悪魔なのではと、みな警戒していた」

「…………」

「そして、我々の予想は当たっていたようだーーこの悪魔め」

 

村人たちを見る。

同じように「悪魔め」と、その目が告げていた。

 

「今思えば…お前が生まれた頃からか。村によく傭兵が来るようになったのは」

 

ダンが台座に乗せられ、首縄をかけられる。

 

「あれをやったのも、お前だったのか」

 

エッガース兵団の一人が、羊皮紙片手に罪状を読み上げる。

 

ダンは涙を流していた。

 

「いったい何の怨みがある? 何の目的があってこんなことを…」

 

兵が羊皮紙を仕舞い、絞首台の台座を支える兵に合図を送る。

 

「悪魔の子め…殺しておくべきだった…」

 

つつがなく残りの処刑も終わらせるため、早々に台座が外され刑が執行された。

 

「がっ…」

 

硬い首縄がダンの首筋に食い込む。

顔色が真っ赤になり、真っ青になり、そして痙攣が始まった。

 

「殺して、おく…べき、だっ…」

 

ーー親とも思っていた人だった。

仲良くなりたくて、とっくに覚えていた獲物の解体をよく頼んだ。その代わりに肉を置いていき、お前は村一番の猟師だと褒められることを期待した。

 

しばらくして、ダンは死んだ。

 

「ダ…ン…」

 

その双眸は最後まで俺を捉えて離さなかった。そして、そこにあったのはただ憎しみだけだった。

 

 

 

 

残り村人たちは数人同時に刑がなされた。

木に吊るされた死体は神に呪われたものとされるため、みな斬首刑を望んだが、数が多すぎるという理由でその大半が絞首台によって処理された。

大人も子供も分け隔てなく、みな一人の悪魔を怨んで死んでいった。

 

刑が終わる頃、俺はひとり広場で蹲っていた。

 

見渡す限りの木々に、かつての顔見知りたちが吊るされている。

地獄のような光景だ。

そして、その地獄を作り上げた一人はまぎれもなく俺だった。

 

「グリフィス…」

 

グリフィスはもういない。

鷹の団は伯爵の兵団に先駆けて村を出て行った。

 

「グリフィス…!」

 

ただ一つ俺に残ったものがあるとすれば、もう、このどうしようもない復讐心だけだった。

そしてその相手こそが、この地獄を共に作り上げたーー

 

「……?」

 

不意に、胸元に違和感を感じた。

引っ張り出すと、そこにはまだ真紅に光るベヘリットが残っている。

 

確かこれは人質だったはずだ。

鷹の団が村に危害を加えないための…

 

「……! は、はは…何だ、俺は騙されてない。グリフィスは初めから、こんな石コロなんて要らなかったんだ。俺にくれてやるつもりで……だったら…約束も…破ってない…」

 

全部、俺が間抜けなだけだった。

 

復讐は見当違いだったのだ。

 

「……死のう」

 

立ち上がろうとする。

力が入らず、尻餅を付いた。

そしてその拍子に何かを蹴ってしまった。

 

ガシャンと音を立てて転がったのは、クロスボウだった。

 

板バネの強い、子供では到底弦の引けないものだ。もちろん、俺程度の力では扱うことなど出来ない。

しかし、そのクロスボウの弦受けを見れば既に弦がかかっている。後は矢を乗せて引き金を絞れば、それで射出体制が完了となる状態だ。

 

クロスボウをコッキングしたままにしておくのは、安全面、使用寿命の面から射手が避けるべきことの一つ。

故に俺がそれを直そうとクロスボウを手に取ったのは、己も射手であるからこそ出た、無意識の行動であった。

 

「ーー!!」

 

そのクロスボウ台座には、鷹の刻印が記されていた。

 

瞬間、俺はグリフィスの残したメッセージを理解する。

 

鷹の印。

ベヘリット。

そしてコッキング状態のクロスボウ。

 

「ク、ククク…そうか、そういうことか…」

 

約束を守って大切にしていたネックレスを手放す?

どうやら、グリフィスはそんな殊勝な男ではなかったらしい。

 

「ああ、受けてやるよ。今度こそ当ててやる」

 

クロスボウを引っ掴み、震える足を無理矢理立たせて歩き出す。

奴の目的地はエッガース伯爵領。

方角さえ分かれば、どの道を使っているのか割り出すのは簡単だ。

 

……分かっている。悪いのは俺だ。

愚かにも初対面の人間を信用し、村を救おうと思い上がり、失敗を犯し、親代わりの村人を皆殺しにした。

 

だからそのせめてもの償いに、俺と、そして裏切り者グリフィスの命を捧げる。

 

これは挑戦状だ。

 

一射限りの復讐許可証。

 

「朝の再現にはならない。ベヘリットは今、この胸にあるんだ」

 

 



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五話 出会い5

グリフィス率いる鷹の団六十余名は、数刻前に目的を達成したのち、エッガース伯爵領に向けて行軍している最中にあった。

 

夜間の行軍は本来なら避けるべきである。

足元を取られる。夜襲への警戒の必要がある。目的地を見失いやすい。

思ったよりも行軍距離が伸びず、その労力に見合わない成果しか得られない。

故に木々生い茂る暗闇の中、兵全員が騎乗のものではないということも相まって、団は未だ村周辺の森から脱し切れていなかった。

 

そんな団の縦に伸びた隊列の前方、栗色の馬の上に、全体の指揮を執る白銀の髪の青年の姿がある。

 

傭兵団鷹の団団長、グリフィスである。

 

しかし平時と異なり、続く団員がその後ろ姿に向ける目はどこか懐疑的であった。

先ほどから自分たちの団長の見せる、らしくもなく手元に広げた地図に四苦八苦している様子。

それが明らかに行軍速度が伸びない一因であるように思えるのだ。

 

しばらくして。

すぐ後ろでその姿を眺めていた一人、団の中では比較的新参のコルカスが、とうとう我慢の限界を迎えて口を開いた。

 

「グリフィス! なに手間取ってんだらしくもねぇ! オレが変わりに団長やってもいいんだぜ!?」

「おいコルカス…」

 

古参の短剣使いジュドーに諌められ、ブツブツと言いながらも怒りを鎮めるコルカス。

新参者で元盗賊頭。グリフィスを特別だと思う気持ちはあるが、その忠誠心は未だ薄かった。

 

「……ったく」

 

一息ついたジュドーがふと団の後ろに視線をやると、そこにはコルカスと共に鷹の団に入団した元盗賊の悪餓鬼たちの不満顔がある。

それを少し不安に思ったジュドーは先頭を行くグリフィスの元へと馬を駆けさせ、その肩を軽く叩いた。

 

「よう、どうしたよ」

「いや…な。少し道に迷っちまったらしい」

 

少しも悪びれた様子なくそう言ったグリフィスに、ジュドーも半眼で応える。

 

「嘘つけ。あいつらにゃ分からないだろうが……俺たち、もうずっとこの辺りをぐるぐるしてるぜ。お前がそんなミスをするかよ」

「うーん、しないか?」

「無理がある」

 

二人が顔を合わせ、笑い合う。

 

「お前のそういう、分かってても何も言わずについて来てくれる所、得難いと思うよ。いつも感謝してる」

「誤魔化すなよ。あの嬢ちゃんを待ってんだろ。珍しく気に入ってる感じだったもんなぁ……アルマだっけ?」

 

ジュドーはあの生意気だった少女の、全てを明かされたときの絶望に満ちた顔を思い出した。

 

「無理だろ。来ないと思うぜ? かなり怨まれてたし」

「怨んでるからこそ来るのさ」

 

うげー悪趣味ー、と嫌な顔をするジュドー。

 

「もしこの場に現れたとして、どーやって入団させんだよ。剣で一刺しさせてやるつもりか?」

「剣じゃなく矢だな。今まさに俺の眉間を狙ってる頃だろうさ」

「おいおい…」

 

途端に辺りの警戒を強めるジュドー。

 

「……あの子、腕の方はどうなんだ? クロスボウ持ってたよな」

「かなり良い。天性のものだろう、隠れ潜むのが上手い」

「へぇ…天性の狩人ねぇ」

「狙うものを変えれば天性の暗殺者さ。戦場での働きに期待だな」

「はぁ?」

 

過大評価の過ぎるグリフィスに、ジュドーが眉を寄せる。

 

「あの子の細腕で剣が振れるとでも? 見た感じかなり痩せ細ってたぜ?」

「筋力は必要ない。ただ引き金が引ければそれで良い」

「だが戦となったらそれだけじゃ済まねぇだろ。腕っ節も必要になる……それにクロスボウだけ使わせても、弦の強いやつとなりゃ引くときに力がいるぜ」

「そうだな。だから戦場では、アルマに二人の護衛を付けることになるだろう」

 

ジュドーが目を見張る。

 

「護衛だぁ!?」

「ああ。護衛役はーー」

 

グリフィスが言うには、二人の護衛役はアルマの代わりに剣を振るい、そしてクロスボウの弦を引く役割を担うのだという。そうすることで力のないアルマでも板バネの強い、飛距離のあるクロスボウを使うことができるのだと。

 

アルマの働きはただ人差し指を動かすこと。それだけなのだと。

 

「…………」

 

その説明に、ジュドーは呆れを通り越して驚いていた。

グリフィスがここまで言うからには、あの少女にはそれだけの才能が秘められているのだろう。

ということはつまり、ジュドーにはただの村娘にしか見えなかったあのアルマが、護衛役含め三人分の戦働きをするということになる。

 

「三人分なんてものじゃないさ。上手くいけば五人、十人…」

 

その先を、グリフィスは敢えて口にすることなく飲み込んだ。

 

「……まじで?」

「まじで」

 

二人が顔を見合わせる。

今度は片方が笑っていなかった。

 

「ジュドー。流石のお前も信じられないか」

「そりゃあな……こう、具体的な理由とかないのか?」

 

その問いかけに、グリフィスは一つ頷く。

 

「今朝……もう昨日だな。アルマと初めて会ったとき、あいつは狩りの最中だった。オレは林の中に潜むあいつに、不覚にも全く気付けなかったよ。獲物に矢が突き刺さるまで……オレたちが30フィート(約9メートル)ほどしか離れていなかったにも関わらずだ」

 

グリフィスがさも愉快そうに話すのに対し、ジュドーは中々ピンとこない。「普通気付かないよな?」と頭を捻っている。

その様子を見て仕方ないと肩を竦めたグリフィスは、これ以上の説明を諦め、代わりにこの暗闇のどこかに潜んでいるであろう少女に想いを馳せた。

 

「さぁ、入団試験だアルマ。オレを失望させてくれるな」

 

 

 

 

死を覚悟した人間の足は早かった。

 

まず、疲れを感じない。

息切れが酷くなっても、足が痛んでも、不思議と休みたいという気持ちが湧いてこなかった。

この後に訪れるであろう死の苦痛に、体が備えているのかもしれない。

俺はそんな取り止めのないことを考えながら、森の中をひた走っていた。

 

「(エッガースの兵団は1時間くらい前に追い越した。鷹の団が村を出立したのは兵団の数時間前。普通に考えればまだ追いつくはずないが……こんな挑戦状叩きつけてきたくらいだ)」

 

手元のクロスボウへと目をやる。

 

「(絶対にいる! 追いつけるはず!)」

 

一層踏み込みを強くする。

既に葉や枝で切れて身体中傷だらけだが、そんなことはどうでもよかった。崖を転がり落ち、木の根に引っかかり、幹に肩をぶつけ。

それでも尚走り続ける。

 

そして、もう夜が明けようかとした頃。

 

「……っ!」

 

いた。

鷹の団。

そしてその先頭に立つグリフィス。

 

エッガースの領地ではなく、村の方へと向かって、荒れた獣道を逆走している。

 

やはり奴は、俺を待っていた。

 

いま俺と奴は向かい合うような状態。このままでは射る前に、こちらの存在を知られしまう。

 

咄嗟に道の傍にそれ、草木の中に身を隠した。

そして、その途端に深い疲労を自覚して足が止まった。

息はひゅーひゅーと今にも止まりそうなほどに荒れ、両足は頼りなく震えて既に立てそうもない。

しかし、それでも尚この体を支えているものがある。

 

憎しみだ。

あの傭兵への果てない憎しみ。

この俺を裏切り者にしくさりやがった憎っくきグリフィス。

 

今だけは、今だけは全ての責任を奴になすり付けよう。

 

村長が死んだのはグリフィスのせい。

村人が死んだのはグリフィスのせい。

俺がみんなから責められたのはグリフィスのせい。

 

「グリフィス…グリフィス…グリフィス…」

 

荒れた息を無理やり押し殺した。

もう、一秒だって長く奴をこの地上に存在させていたくなかった。

 

動かないはずの足を動かす。

酸欠と怒りで朦朧とした頭に無理やり血を回し、血走った目で理想的な射撃場所を探す。

 

……見つからない。

 

しかし焦らない。

勿論この身を焦がすような怒りは、その全てが奴への害意となって俺の五体を支配している。

 

それを意志の力で押さえ込む。

 

「(まだだ…場所が悪い。機を待て…)」

 

空が、ほんの僅かに白み始めてきた。

夜が明ける。

 

「……っ」

 

途方も無い恐怖と焦燥感だった。

このまま夜が終われば奇襲は一気に難しくなる。

そうなれば俺は万全を期して次の夜を待つだろう。

 

この疲労と憎しみ、そして皆の怨嗟の声を背負って丸一日を過ごすことになる。

 

とても耐えられそうになかった。

 

「(嫌だ……早く、早く殺させろ…グリフィスを……そしてその次に俺を…)」

 

真っ赤な目で周囲を見渡す。

 

……あった。

 

小高い崖の上。

グリフィスの進む獣道を見下ろすようにして、二本の木々が並んで生えている。

 

「(あれだ…!)」

 

俺は山猫のような身のこなしでそのポイントへと陣取った。

この真下をグリフィスは通過する。しかしそれでは近すぎる。

 

二十五メートル。

最低でも距離二十五までは奴を引きつけよう。

 

「(夜が明ける少し前…奴らの警戒が緩む…その瞬間こそが好機)」

 

グリフィスとの距離は未だ六十メートルほど。まだ遠い。

体を伏せ、不自然にならないよう注意を払って葉を寄せる。

 

五十メートル。遠い。

矢を台座に固定し、射撃体制をとる。

 

四十メートル。遠い。

引き金に指をかける。

 

三十メートル。遠い。

引き金を絞り始める。

 

二十五。

 

二十四。

 

二十三。

 

「……っ」

 

そして、その時はきた。

 

 

ーーこれは当たる。

 

 

機が来たとき、自然とそう確信が持てた。

何度か経験したことのある感覚。

大物に出くわしたとき、大人数の前で腕を競ったとき、食べ物が早急に必要だったとき。

総じて「何があっても絶対に外せない瞬間」にこの万能感はどこからともなく現れ、そしていつでも俺に最高の結果をもたらしてくれた。

 

呼吸が和らぐ。

心臓の鼓動が緩やかになる。

体は緊張を残したまま。

しかしそこに殺意はない。

憎しみは遥か彼方に置き去りにされた。

体温が下がる。

無機質になる。

狙いなどつけなくとも良い。

全て無意識がやってくれる。

 

確信がある。

この一撃は必ず当たる。

 

 

俺はグリフィスを殺す。

 

 

ビン。

 

ーー射った。

いつの間にか矢は飛び出していた。

まるで人差し指に独立した意識があって、そいつが俺の脳に許可を求めることなく引き金を引いたようだった。

結果は見ずとも分かる。

なぜならこの人差し指に住まう住人は百発百中の射手。ひとたび姿を表せばその狙いから逃れる全てを許さない。

故に、いま目標へと向かって飛翔するあの矢は絶対必殺の一撃。

 

心臓、首、頭。

どの急所に狙いをつけたかなど、そんなもの俺には知る由もない。また知る必要もない。

 

結果さえあれば良い。

グリフィスの死という結果さえ。

 

「(当たれ…!)」

 

俺の全てが宿った一撃。

絶対に外れることのない、絶対に避けきれない死を与える一矢。

 

それは、間違いなくグリフィスの心臓へと突き刺さった。

 

「あ…」

 

グリフィスの体が、傾いでいく。

 

「や、やった…」

 

野鳥がざわめき、血飛沫が舞った。

 

「!! き、奇襲だ!」

「団長! 大丈夫ですか!?」

「グリフィス! 野郎、どこから撃ってきやがった!」

 

突然の攻撃に、他の団員たちは目を覚ましたように警戒を始めた。

しかしそんなことはどうでもいい。

弦を引けない俺では二射目は望めない。やつらが何をしようと何もできないし、するつもりもない。

また居場所など知られようが構わない。もう隠れる理由もない。もともと死ぬつもり。嬲られようと、それはそれで俺にはお似合いの最後だろう。

 

グリフィスを殺した。

次は俺の番だ。

 

「グリフィスは大丈夫なのか!?」

「団長は!」

「どうなってる! 死んじまったのか!?」

 

慌てふためく団員が、口々に死んだのか? などと馬鹿なことを聞いている。今の光景を見てまだそんなことを言っているなら、奴らは史上最高のノロマ傭兵団だろう。

奴は死んだのだ。

 

「グリフィスは無事だ! 俺たちの団長は生きているぞ!」

 

ーー!?

 

俺は立ち上がり、今の一撃の行く末を追った。

 

「は、ははは……何だ、ちゃんと死んでるじゃねぇか…」

 

矢は確かに、鎧越しにグリフィスの心臓へと突き立っていた。

奴も目を閉じて倒れ伏している。血も流れている。

そしてあれ程の威力、手応え。

心臓まで達するには十分過ぎるほど。

 

グリフィスは死んだ。

俺の復讐は成された。

 

「……?」

 

待て。

矢と鎧との間に何かが挟まっている。

 

赤黒い何か。グリフィスの血に染まって、てらてらと光る……あれは鳥の死骸?

 

「居たっ! そこだ! その崖の上!」

「あんなとこから…」

「どうでもいい! 誰か引きずってこい!」

 

そうだ、鳥の死骸。

ということは、あの流れる血はグリフィスの血液ではなく、野鳥のものということか?

 

奴は……生きている?

 

「…………」

 

グリフィスが目を開いた。

奴はこちらを見て、間抜け面を晒す俺を無邪気に笑った。

矢は鎧を貫いていたわけではなかった。死骸が血液で鎧へと張り付いていたため、そう見えていただけだったのだ。

 

二度目の奇跡。

 

「……ありえない」

 

射線に野鳥が入った。

なるほど、それならば何とか納得はできる。たまたま運が悪かっただけだと。そういうこともあるかもしれないと。少なくとも理屈の面では。

 

問題は、夜が明け切る前の暗い空に、夜目が利かず、まだ活動しているはずもない鳥が飛んでいたということだ。

 

一体、何が彼らを突き動かしたというのだろう。

 

「……っ」

 

俺は咄嗟に胸元のベヘリットへと手をやっていた。

そうせずにはいられなかった。

 

一度目はこれだった。

この真紅のネックレスに弾かれ、俺の矢は奴の心臓から外された。

 

だから勘違いしていた。

 

「……ベヘリットじゃない」

 

そう、俺が見た奇跡の正体はこんな石コロなどではなかった。

 

「グリフィスだ。グリフィスが特別だったんだ」

 

二度起こるものを、人は奇跡とは呼ばない。

グリフィスの身に起こる全てのことは、紛れもない必然なのだ。

 

運命、神、そんな超常の何かを味方につけた、決して犯されることのない絶対の存在。それが奴。奇跡の正体。

 

俺は、ようやくグリフィスに敵わないことを悟った。

 

 

 

 

「よう、さっきぶりだな。アルマ」

「……」

「随分と憔悴している。よほどオレを殺したかったんだろう」

「……」

「簡潔に言おう。鷹の団に入れ」

「嫌だ」

 

掠れた声で即答した。

 

俺は今、両腕を二人の団員に固定され、立膝をつかされてグリフィスと対面している。

グリフィスの隣には昼に会ったソバカスの男、ジュドーもいて、興味なさ気にこちらを見ていた。

 

「アルマ」

 

グリフィスに名を呼ばれる。

しかし俺は、もう目を合わせることもしなかった。

グリフィスに対する戦意はもうポッキリと折られてしまっている。俺の中のヒエラルキーの上位に、この男は君臨していた。

 

もう、歯向かう気力も湧いてこない。

 

「殺せよ…」

 

だからそれだけ呟く。

喉が乾燥していて声を発するだけでも痛かった。

 

しかしグリフィスはそんな俺に頓着せずに言葉を続ける。

 

「鷹の団に入れ。戦で功を立てれば、あの気の毒な村人たちのために墓をたててやることもできる」

 

真っ平らな感情の中で尚も浮かんできた怒りに、思わずグリフィスを睨み付けた。

 

「気の毒だと…お前がそれを言うのか」

「言うさ。使えるものは死人でも使う。奴らにはお前を勧誘するためのダシになって貰おう」

「誰が入るか! 今ので完全に心に決めた! 俺はお前の望む行動の一切を取らない!」

「それは無理ってやつだな。何故ならお前は、もう既に俺の期待通りの反応を返してくれた。アルマ、お前も傭兵狩りの連中と同じだ」

「てめっ…!」

 

挑発されている。

俺の怒りを再熱させようとしているのだ。言い返せば思う壺。視線を切り、何を言われても反応しないのが最善。

 

「話さないつもりか?」

「…………」

「そうか。おい、猿轡を噛ませろ。舌を噛まれても面倒だ」

 

グリフィスはそう言うと、次々に指示を飛ばしながら団員たちの中へと消えていった。

 

「(長期戦にするつもりか…?)」

 

そこまでして俺を団に入れたいのか? そもそも、奴は何故そこまでして俺に拘る?

 

「弓の腕だとよ」

「……!」

「よう。昼に会ったろ、ジュドーだ」

 

敵意を込めて睨む。

グリフィスならともかく、こんなソバカスにまで見下されて黙っている理由は無かった。

 

「おーこわっ、グリフィスには妙に従順だった癖に。しかし…ふーん、このちんちくりんが天才暗殺者さまねぇ……とてもそうは見えねぇけど」

「……?」

「初耳か? あいつがそう言ってたぜ。お前は生まれながらの殺し屋なんだとよ」

 

勝手に決めんじゃねぇよ。

そう思って目に力を込める。

 

「信じられねぇよな。だがグリフィスの言うことだ。あいつの言うことは何でも当たる……まるで最初からそうなることが決まってたみてぇにさ」

「…………」

 

奇しくもそれは、俺があいつを仕止め損なったときに抱いた感情と似通っていた。

 

「だから多分、これからお前もグリフィスの言う通りになるぜ。ってことでこれからよろしくな新入り!」

 

ぽん。と頭を叩かれる。

即座に振り払おうとしたが、身動きがとれずに断念せざるを得なかった。

 

ジュドーは格好をつけてその場から去っていった。

 

そして、そのまましばらく時間は経過する。

 

俺はその間、猿轡の上から水を飲まされたり、鷹の団の団員たちに件の射撃ポイントへと連れていかれたりしていた。

無理矢理場所を移されたときは陵辱展開かと身構えたものだったが、しかしそんなことはなく、寧ろ気の毒な目で見られる始末だった。

気になって視線の主を辿ると、どうやら俺の右腕を抑えていたのがドミニクーー俺とグリフィスと共に村へと向かった男だーーであったらしい。睨み付けると、黙って目を逸らされた。

 

「来たぞ!」

 

そうこうしていると、眼下が何やら騒がしくなった。

聞こえるのは馬蹄の踏みしめる音。金属同士がこすれ合う音。馬車の車輪が凸凹の地面を進む男。

 

俺たちを置いて鷹の団が行軍を再開したのか? そう思ったが、グリフィス含む鷹の団は獣道の上でぴくりともしていない。

行軍音は、獣道を辿って村の方角から聞こえていた。

 

「エッガース兵団だよ。団長は、あんたにこれを見せるために待機してたんだ」

 

俺の腕を拘束したまま、ドミニクがそう説明する。

眼下では、エッガース兵団の指揮官らしき人物とグリフィスとが親しげに会話をしていた。

 

「(これが俺に見せたかったものだと…?)」

 

グリフィスが頭を掻いて地図を差し出す。

指揮官は大声で笑い、グリフィスの肩を叩いた。

指揮官が親指で隊の後ろを指差す。付いて来いと言っているらしい。

グリフィスは恐縮して断り、頭を下げた。

 

「(あの男、勘違いしている…グリフィスは別に道に迷ったわけじゃない。俺を待っていたんだ。そもそも奴がそんな間抜けじゃないことくらいすぐに分かるだろ。凡人のくせにグリフィス見下してんじゃねぇよ。お前もヘコヘコしてんじゃねぇぞクソが。テメェそんなタマじゃねぇだろ猫かぶってんじゃねぇよボケクソコラ)」

 

何故だかイライラしていると、ドミニクに小声で話しかけられる。

 

「違う。団長じゃない。あれだ。あれを見てくれ」

 

ドミニクが指差したのは、エッガース兵団が引き連れる馬車だった。

質素な作りながら、それが貴婦人用のものであることは一目瞭然で、隊の中央に守るように配置していることからも、その中にエッガースの三女がいることは明白だった。

 

「(お前たちも罪のない貴族の令嬢を拉致した、人のことを言える立場じゃない……そういうことか?)」

 

グリフィスの狙いを推察し、下らないと口の中で吐き捨てる。

何をするかと思えばてんで見当違いである。今さらそんなもので俺が揺らぐはずがない。

そうやって、何故か失望の感情を抱く自分を不思議に思っていると、令嬢を乗せた馬車に動きがあった。

 

「(えっ…)」

 

どこからか飛来した二条の銀閃のあと、馬車の後ろを覆っていたカーテンのような布が地面に落ちる。

 

その馬車の中に、鷹の団が救出したはずの令嬢の姿は……無かった。

 

「(……?)」

 

見渡しても、貴人用の馬車は他に見当たらない。

困惑する俺を尻目に、エッガース兵は慌てて布を掛け直すと、兵団は足早にその場を去っていった。

 

「猿轡をとってやれ」

 

いつの間にか、眼下にいたグリフィスが俺の隣まで来ている。

動揺して気付けなかったらしい。

いや、何を動揺する必要がある。

簡単なことだ。貴婦人用の馬車は囮だった。令嬢は他の馬車に寝かされていた。

 

「見たか? お前たちが大事に仕舞っていた伯爵令嬢の正体を」

「……黙れ」

「伯爵はお前たちを潰す正当な理由を得るため、偽物をお前たちに掴ませた。鷹の団があの地下牢から救出したのは、元はただ使用人だ」

「嘘つくな」

「本当さ。現に、馬車の中に令嬢の姿は無かった。今頃、お前の同郷と肩を並べて吊るされているだろう」

「うるせぇよ」

「お前たちは何から何まで伯爵の手のひらの上だった。気付いているんだろう、本当の仇に。真に憎むべき相手に」

「うっせぇんだよ!!」

 

叫ぶ。

現実が受け入れられない。

 

そもそも、俺が鷹の団に令嬢の救出を依頼したのはそれが勿論本物で、発覚すれば村は唯では済まないと考えていたからだった。

そのため危険を冒して傭兵と接触を持ち、それがこの結果に繋がった。

 

しかしその前提さえも覆るとなると「村の為」という俺の唯一の免罪符さえ無かったものにーー

 

「それは違う」

 

グリフィスが俺の両頬を掴み、断言した。

 

「もし令嬢が本物だったとしても、お前の行動は村に何の利益ももたらさなかった。何故なら、全ては初めから決められていたことだったからだ」

 

この目を見てはいけない。

これは一種のマインドコントロール。

グリフィスは他人の感情の芽を思い通りに成長させる術を持っているのだ。

そうやって人の心の中へと容易く上がり込み、思い通りに操る。

 

しかし、抗いようがなかった。

 

この目を見れば楽になれる。

それがわかりきっていたからだ。

 

俺はグリフィスと目を合わせ、その声を聞いた。

 

「伯爵だ。全ては伯爵の陰謀だった。お前の村は大きな力を持つ者の操り人形にされ、そしてその通りになった。人形の一人であるお前が何をしたところで、その結果が変わるはずはもなかった」

 

グリフィスの瞳が、悔しそうな色を見せる。

 

「俺も伯爵の人形の内の一人だ」

「お前も…?」

 

グリフィスの不死性、絶対性を信じる俺にとって、それは単純な驚きだった。

 

「そうだ。例え鷹の団が今回の作戦に参加せずとも、俺たちの役目は別の者が負っていただろう。お前とオレが出会おうと、そうでなかろうと、どちらにせよ村は壊滅していた」

「…………」

 

確かにその通りだ。

鷹の団に変わる傭兵団など掃いて捨てるほどいるし、もし俺がその傭兵団を信頼できず内通者とならずに済んだとしても、作戦は続行されていたはず。

グリフィスの言うとおり、どちらにせよ村は壊滅していた。

 

「で、でも、そういう問題じゃない。理屈じゃないんだ。俺は…俺は感情で動いている。復讐っていうのはそういうものだ。俺はお前が憎いから、お前を殺すんだ」

「ならば何故、伯爵を野放しにしておく?」

 

その問いかけは、俺の心に抉りこんできた。

 

「何故お前たちの村にとっての諸悪の根源を見ようとせず、下っ端も甚だしい俺たちにその怨みの全てをぶつけようとする。何故それが失敗すれば諦めて死を選ぶ。何故だ。そも、お前が最も憎むべきは一体誰なんだ」

「…………」

「いい加減、見ない振りをするのは止めろ」

「…………くそ…」

 

薄々分かってはいた。

しかしその強大さに、貴族という看板に無意識に怯え、目を逸らし続けていた。

 

「お前が真に復讐を果たすべきは、エッガース伯爵だ」

 

俺と同じ平民であるはずのこの男は、毅然としてそう言い放った。

 

「オレにはできるぞ。今は無理でも、いつかお前の前にあの肥え太った豚を引き摺り出すことが。お前の復讐を遂げさせてやることが。だから来い。その日が来るまでオレたちに協力しろ。鷹の団に入れ、アルマ」

 

強い眼差しだった。

 

「…………何で、そこまで俺を。天才暗殺者だって? そんなの本当に信じてるのか?」

「ああ。しかしそれだけじゃない」

 

グリフィスの手が伸びる。

思わず身構える俺の頭を掴み、その胸にかき抱いた。

 

「言っただろ、お前を気に入ってるってさ」

「…………」

 

正常な判断などできない。

昨日今日と、色んなことがありすぎた。

村を裏切り、皆に責められ、育ての親に悪魔と蔑まれ、全てを失って復讐を誓った。それすら失敗に終わり、今その仇の胸の中で涙を流している。

 

「グリフィス…お前を、許してはいない……いくら言い繕ったところで、実行犯はお前だ。お前への復讐は必ず果たす…」

「構わない」

「利用するだけだ…お互いに。俺は伯爵を殺すため、お前は戦場で俺を使うため」

「それでいい。さぁ誓え、鷹の団の一員になると、お前の口から言ってみろ」

 

抱擁したまま俺を見下ろし、今まさに俺という人形に糸を括り付けようとしているグリフィス。

そこに慈愛の気持ちは欠片もない。あるのはただ、目の前の有用な駒をどう手に入れるか。ただそれだけだった。

 

「…………」

 

どうやら俺は、あのジュドーとかいうソバカス男の言う通りになってしまうらしい。

まぁそれもいいだろう。

 

しかしその前に、この男にはさせておくべきことがある。

俺は胸元からベヘリットを取り出し、目の前に掲げた。

 

「誓おう。俺は鷹の団に入団し、お前に尽くす。だからお前も誓え……この俺の復讐を必ず果たさせると。伯爵の首を必ず俺に取らせると」

 

グリフィスの言うことはその全てが現実のものとなる。

であるなら、今ここでこの男が明言さえすれば、俺の復讐が叶うことがこの瞬間に決定するのだ。

 

グリフィスはニコリと笑んで、ベヘリットを受け取った。

 

「ああ、誓おう。伯爵の首をお前に捧げる。そしてお前が鷹の一翼であり続ける限り、オレがこの誓いに背くことはない」

 

取引はなった。俺の復讐が確約された。

これで俺は、この男を決して裏切ることはしないだろう。

 

「ようこそアルマ、鷹の団へ。オレたちはお前を歓迎する」

 

 

 

この日、俺は憎むべき相手の元に下った。

なるようにしてそうなった。

 

全ては初めから決められていること。

グリフィスとの出会いも、村人の死も、鷹の団への加入も。

 

そしてその結末さえ。

 

運命という巨大な流れに、人はいつだって飲み込まれることしかできない。

 

俺たちは今日も、このあらかじめ定められた一本道を往く。

そこに無限の可能性が広がっていると信じ込んで。

 

 



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六話 違和感

今回はほのぼの回です


その姿は、一枚の絵画のようだった。

 

 

「貴族の生まれ……それがそんなに偉いのか?」

 

朝焼けの空を背負い、絶対の権力者であるはずの貴族に刃を向ける傭兵の姿がある。

日を受けてきらきらと煌めく白銀の長髪。強い意志を宿す鋭い瞳。おとぎ話の騎士のような悠然とした佇まい。

その神々しい光景は、ともすれば馬上より貴人を見下すその不敬すら、正しいことのように感じさせた。

 

鷹の団団長、グリフィス。

その救世主の如き傭兵の名だった。

 

 

 

 

右の小指を失い痛みに悶える貴族の後ろで、あられもない姿の少女が尻餅をついて、馬上のグリフィスを呆然と見上げている。

その目鼻立ちは俺ほどではないにせよ(決して個人的憶測ではない!)非常に整っていて、彼女が貴族に何をされようとしていたのかは一目瞭然であった。

 

「……ふん」

 

女になって初めて解る、男の下半身の浅はかさよ。

俺は親指を首元に持って行き、そのまま掻き切るジェスチャーをした。

 

「そんなエロオヤジ死んで当然だね! グリフィス、そのまま下の小指も叩っ切っちまえ!」

「ヒ、ヒデェ…」

 

後ろからジュドーの気の毒そうな声が聞こえてくる。

何故あんな男を庇うようなことを言うのか。

 

「小指仲間か?」

「誰が小指仲間だ!」

 

ジュドーは必死に強弁した。

お察しである。

 

 

ーーそもそも、事の発端はグリフィスがその蛮行を見咎めたことより始まった。

 

俺が鷹の団に入団してから一週間。

雇い主を求め国境いを転々としていた団は、その延長で山間にある農村へと立ち寄ろうとしていた。

この一週間。ただ馬上で揺られ続ける日々に早くも辟易としていた俺は、喜び勇んで(自分が傭兵だということも忘れて)ご厄介になろうとしたのだが、グリフィスがその場にいないことに気がついてふと我に帰ったのだ。

辺りを見渡してみると、村へと続く街道の脇に、乱肌蹴た服の少女と小指を失くした貴族、そして血の付いた細剣を構えるグリフィスの姿があった。

 

 

「つーかグリフィスの野郎、何をチンタラしてやがんだ? さっさと殺っちまえばいいのによ」

 

コルカスが面倒そうにそう言った。

 

「でも一応相手は貴族だし、殺すのはマズイんじゃ…」

「バカ、頭使えよリッケルト。グリフィスのやつ、もう貴族の指を斬り落としちまったんだぜ? ここで始末しとかねぇと後が厄介だろうが。それに…」

 

チラリと、貴族が乗っていたであろう豪奢な馬車を見やるコルカス。

そこでは他の団員たちが、馬車から金品を頂くため忙しなく働いていた。

御者はとっくに冷たくなっている。

 

「せっかくの軍資金。返すわけにゃいかねぇよ」

「そりゃそうだけどさ…相手は貴族だし…」

 

尚も不安気なリッケルトに、短期なコルカスが怒鳴り散らす。

 

「だー! てめぇも男ならビビってんじゃねぇ! そら、アルマを見ろ!」

「え、俺?」

 

突然、名前を呼ばれた。

 

「まだ入団して一週間! にも関わらず、自分も略奪に参加してぇとさっきからウズウズしてるじゃねぇか!」

「ハッ!」

 

しまった。俺としたことが、長い貧乏暮らしのせいでタダで手に入る金目の物に手がワキワキとしていたようだ。恥ずかしい。

 

「新入りだからって遠慮するこたぁねぇぜ、アルマよ。お前も馬車に行って、銀貨の一枚でもくすねて来な……このオレさまのように!」

「あーっ! コルカスいつの間に! さっき軍資金にするって言ってたじゃんかー!」

 

コルカスが懐から取り出した三枚の銀貨に向かって、リッケルトが取り返そうとぴょんぴょんと跳ねている。

そんな楽しげなコントの傍、俺はというと頭を抱えて屈辱に打ち震えていた。

 

「(こ、この頭から爪先まで品性下劣で説明のつくようなコルカスに、自らの意地汚さを自覚させられるとは…!)」

 

貧乏だ。全ては貧乏暮らしが悪いのだ。

この十二年間の自然児生活で、俺は文明社会人としてのプライドを失ってしまったらしい。

 

しかしだ。

 

「おっ、剣がある。こんな一品お貴族様にゃあ勿体ねぇぜ」

「護身用だろうな。生意気に弓までありやがるぜ。こっちは結構使い込んでるな…いらねぇや。捨てちまえ」

「おーい財布見つけたぞ。金貨がザクザク入ってる」

「俺にも見せろ!」

「テメェがめるつもりだろ!」

 

騒々しく、しかし手際よく略奪を働く団員たちを見て、やはり居てもたってもいられなくなる。

 

「(相手は貴族だし…レイプ未遂犯だし…俺も傭兵に馴染まなきゃだし…)」

 

自分の心に正直になる。

略奪してみたい。

 

「よう、邪魔するぜ!」

 

俺はさっそく馬車の窓から上半身を突っ込ませると、目に付いた拳大の綺麗な箱を開け放った。

そして皆がそうするように、大声でその中身が何であるかを叫んだのである。

 

「ほっほー! 見ろよ砂糖菓子だぜ! これは俺が食うからな! 早いもん勝ちだ!」

 

甘いものは大して好きではないが、この時代糖分は貴重だ。

しかも食物は換金し辛い為、こういう細々したものは最初に見つけた者が食べて良い決まりになっていた。

 

こいつらも泣いて悔しがるだろう。

 

しかしそんな俺の予想に反し、車内は爆笑の渦に包まれた。

 

「ぶはっ、菓子って…! 随分と可愛らしい略奪もあったもんだな!」

「金貨の前に飛びつくのがそれかよ!」

「いやぁ、俺は何だか安心したぜ。こいつも女だなーってな。これからはレディアルマと呼んでやろう」

 

「「「よっ、レディ」」」

「クソが!」

 

泣いて悔しがった。

もうこんな野蛮人のような真似、誰がするか。

 

俺はそのまま菓子の入った箱を握りしめ、グリフィスたちの元へと駆けた。

この菓子をあの可哀想な少女にプレゼントしてやろうと思ったのだ。

さすがにもう、グリフィスもカタをつけているだろうと。

 

「その剣をとれ。そして戦え。君の誇りのために」

 

だが、その場にたどり着いたとき。

そこに哀れな少女を助ける騎士の姿はなかった。

グリフィスは剣を地面へ突き刺さし、あろうことかそれを少女に持たせようとしていたのだ。

もちろん、貴族もそれを黙って見ているような馬鹿ではない。

貴族が、遅れて少女が続けざまに地に刺さる唯一の凶器へと飛び付き、もみ合うようにして転がった。

 

まさに、凶行が起ころうとする直前であった。

 

「おい! 何してんだよ!」

 

先ほどまでの馬鹿を忘れてそう問い詰めると、グリフィスはこちらをチラリと見て含み笑んだ。

 

「心配するな。お前のときとは違って、今度はきっちり助けるさ」

「なっ…! くっ…呑気に構えてる場合じゃねぇって言ってんだよ! このままじゃあの子…!」

 

抜き身の剣を間に挟み、尚も少女と貴族はもみ合っている。

 

「おい助けるんだろ! 早くしろよ!」

「必要ない」

「はぁ!? ……ま、まさかお前、あの子に殺らせるつもりなのか? さっき助けるって…」

「手段ならくれてやったさ。あとの結果はあの子次第だ」

「……くそっ」

 

この鬼畜野郎に任せてなんていられない。

俺は腰から短剣を抜き取り、もみ合う二人に向かって走り出した。

 

直接人を殺すのはこれが初めて。

緊張に喉が鳴った。

 

「やめろ!」

 

後ろから肩を抑えられ、急停止を余儀なくされる。

一瞬グリフィスの仕業かとも思ったが、肩にかけられた褐色の指にその持ち主を思い当てる。

 

「キャスカ! 何で止めんだよ!」

「いいから黙って見てろ!」

 

黒い短髪に黒の瞳。

鷹の団の女剣士、キャスカが俺の行く手を阻んでいた。

 

「グリフィスは戦えと言った! だったら、きっとあの子はグリフィスに救われる!」

「何を…! 現に黙って見てるだけじゃねーかよ、あのバカは!」

「それでいいんだ! 何も命を救うことだけが助けになるとは限らない! グリフィスはーー」

 

少女が隙を突いて剣をもぎ取った。

貴族の指が欠けていることが有利に働いたのだ。

 

「やあぁぁ!」

 

そして一線。

貴族の額に浅い傷が入る。

 

「ひ、ひぃぃ!」

 

貴族は怯え、逃げ出した。

支配者であるはずの貴族を、ただの村娘が追い払ったのである。

 

「う、うぅ…うっ…」

 

剣を握ったまま疲れと恐怖で涙すら流す少女に、グリフィスは歩み寄り、その肩に暖かい毛布をかけてやった。

 

そして何も言わず、ただひとつだけ大きく頷いた。

 

たったそれだけ。

たったそれだけで、少女の泣き顔はどこか誇らしげなものへと変わった。

 

少女は、自らの力で己が誇りを守りきったのだ。

 

「アルマ」

「あ、えっ、なに?」

 

その美しい光景に思わず見惚れていると、背中を向けたままのグリフィスに名前を呼ばれた。

 

「始末しておけ」

 

簡潔極まりないその命令に、俺は惚けたまま、しかし忠実に頷いた。

 

 

 

三十分後。

グリフィスの命を遂行するため、言い換えるなら驚くほどの手際で馬を奪い逃走した貴族に追いつくため、俺たちは道のない山の中へと分け入っていた。

もちろん土地勘のない俺たちがそんなことをすれば、たちまちの内に迷子となり、命令達成どころか自らの命すら危うくなる。

 

しかし山の中を共に行くこの少女。

先ほどグリフィスに救われたグリットが道案内を務めてくれるお陰で、心置きなく大胆なショートカットを敢行することができていた。

 

「ここは足場が崩れやすいから気を付けて」

「わかった」

「ああ」

 

俺たちはグリットに言われるまま、岩に登り、川を飛び越え、木々を伝う。

道案内はこのグリットが自ら申し出てのことだった。

グリフィスによって自らの内にある誇りを自覚した少女は、これまでと違い、その双眸に強い力を宿していたのである。

 

「しかし…なぁキャスカ、何でアンタまで付いてくんだよ」

「グリフィスからの御達しだ。何でも、お前は満足に弓すら引けない非力者だから、せいぜい助けてやれと」

「…………」

 

グリフィスめ、いちいち腹の立つ奴だ。

俺はそう吐き捨てた。

 

「アルマ」

「なに?」

「お前は……その、グリフィスを憎んでいるのか?」

 

「あたり前だろ」

 

我ながら冷たい、全く感情の篭らない声だった。

 

「で、ではなぜ鷹の団に入った。なぜ、ああも親しげにグリフィスに接っせられる。なぜ…」

 

ーーお前はこんなに、グリフィスに信頼されている。

 

キャスカはかき消えそうな声でそう呟き、それ以上は話そうとしなかった。

その呟きは俺への質問というより、自問であったように感じた。

聞いた話によると、キャスカが鷹の団に入団したのは今から半年前。

グリットと同じような形でグリフィスに助けられ、その縁で入団を決めたのだという。

 

半年前までただの農民に過ぎず、また未だ十三歳と幼いキャスカの初陣は、当然まだである。

そんな中、同性で歳下の俺にはこのような任務が任され、心中穏やかでないのだろう。

 

剣の腕は既に団の中でもトップクラス。しかし未だ団長から実践の許可は下りない。

グリフィスに助けられ、グリフィスの役に立ちたいと人一倍考えているキャスカだからこそ、その焦りの程は大きいのだ。

 

そんな益体も、根拠すらないことを考えている内に、俺たち三人はとある開けた岩場へと差し掛かった。

まだ緑が残る森林部から木に隠れて目を凝らすと、岩場の地面には長さ五十メートルはある巨大な一文字の亀裂が刻まれていて、丁度十の字を作るように、そこに木造の橋が架かっている。

 

あれは? と尋ねるキャスカに、グリットはしっかりとした口調で説明を始めた。

 

「最近、この辺りでとっても大きな地揺れが起きたんです。村の大人たちは、あの亀裂はそのせいで出来たんだろうって……すぐに橋は架かったんですけど、うまい具合に標高の高い山岳の間に出来たものだから、あの一本橋を通らなきゃ向こう側へは渡れないんです」

「なるほど…つまりこの先にあの貴族の住処があり、奴は必ずこの橋を通ると、そういうことか」

 

グリットが肯首し、キャスカが納得したように頷いた。

確かに、ここは絶好の待ち伏せポイントである。

 

しかし腑に落ちないのはあの一文字。

本当に地震による亀裂なのだろうか。

 

激しい揺れで真っ二つに割れたにしては溝の形がなだらか過ぎるし、また亀裂の間隔も広い。

 

そう、まるで巨大な蛇が一瞬だけ姿を現し、そこにいたかのようなーー

 

「アルマ! 来たぞ!」

「! ああ、分かった」

 

キャスカが弦を引き、そのクロスボウを俺が受け取る。

 

馬鹿なことは考えない。

そもそも、あの溝の幅は五メートルはある。そんな巨大な蛇が自然界に存在するはずがない。

 

「……ふぅー」

 

頭を空にする。

鼓動が段々とゆっくりになり、心が無機質になる。

 

距離六十。

 

五十。

 

四十。

 

三十。

 

そういえば、初めて人を殺す。

 

既に目標へと突き刺さった矢を眺めながら、そんなことを思った。

 

 

 

 

村に戻った俺たちは、グリットに見送られて出立した。

キャスカがやたらと共に来ないかとグリットを勧誘していたが、彼女は結局頷かなかった。

 

傭兵も良いが、グリフィスに貰ったこの心の強さを生まれた村のために使いたい。

グリットは笑ってそう答えた。

 

「キャスカはあの子に自分を重ねてたんだろうな」

 

俺を後ろに乗せながら、馬上のジュドーは言った。

俺が山の中でキャスカに愚痴を言われたと漏らした結果だった。

 

因みに俺はまだ馬に乗れないため、行軍中は誰かの世話にならざるを得ないので、このような状態なのである。あしからず。

 

「あぁ、確かキャスカも貴族に襲われかけて、そこをグリフィスに助けられたんだよな」

 

他所聞きの知識で俺が応じると、ジュドーは膝を叩いて笑った。

 

「そんなもんじゃねぇさ。貴族相手ってとこから、剣を取らされたり、流血沙汰になったとこまで、もう一から十までそっくりだったぜ」

「おいおい、グリフィスの野郎、そんな頻繁にあんなことしてんのかよ」

「少なくともこの半年の間では二回だけだな」

「十分過ぎるだろ」

 

軽口を叩き合って話を進める。

 

「だからよ、あの子に自分を重ねて、つい半年前のことを思い出したのさ。んで、初陣も済ませてない半年後の自分に思い至って、全然成長してない、グリフィスの役に立ってない、隣にはこの一週間で既に信頼の厚いお前がいると。まぁ、そんなとこだろうよ。アイツ真面目だからさ」

「ふーん……あれぇ? へぇ〜、なんか随分と詳しくなーい?」

「茶化すなって」

 

顔色一つ変えないジュドーに「つまんねー」と返して邪推を止める。

キャスカのことが好きなのではと思ったのだが。

 

「つまりさ、団の中であんまギスギスすんなってことだよ。ほら、女ってそういうとこあんだろ? グリフィスみたいな一軍の長がいて、それを…こう、どちらがより寵愛を受けるか…みたいな」

「は? 知らねーよ」

「…………ま、お前相手じゃ心配もいらねぇか」

 

安心したようにそう言われた。

馬鹿にされた気がして腹立たしい。

 

「なんだよ、キャスカが俺に嫉妬してたって言いたいんだろ?」

「あっ。あーあ、何でオレがここまで遠回しに説明したことをストレートに言うかねぇ」

 

ジュドーがわざとらしく空を仰ぐ。

 

「そういうの面倒くせぇんだよ」

「お前ホントに女かよ」

「テメェの背中に当たるこの感触こそが何よりの証拠だよ」

「やっぱり男じゃねぇか」

 

目の前の無礼者の脳天に肘鉄をくれてやった。

この男はこれほど魅力的な俺をぞんざいに扱うから嫌いだ。

勃起不全の疑いがある。

 

「おい、遊ぶな」

「あ、うん。ごめん」

 

流石に目に付いたのか、後ろから追いついて来たキャスカにそう注意を受けた。

 

「…………」

「……?」

 

すぐに謝ったはずだが、まだ何か言いたいことがあるようで、キャスカはモゴモゴと口を動かして俺を見たり見なかったりしている。

 

「そ、そのだな…」

「う、うん…」

 

なんだか俺の方も緊張に飲まれ、妙な空気になる。

 

「あ、明日、馬の乗り方を教えてやる。その、朝方に時間を空けておけ」

 

そしてぶっきらぼうに、そう言われた。

 

意外な物を見た思いの俺は、少々の面映ゆさと共にその不器用な誘いを承諾した。

 

沈黙。

 

気まずいやら気恥ずかしいやら、とにかくそんな空気が流れる。

何か話のタネを探していると、ポケットに略奪品の菓子を見つけた。

やる。と言ってキャスカに渡すと、明日一緒に食べようと言ってくれた。

ジュドーがニタァとした視線を送ってきたので、セクハラをされたことをキャスカに報告し、正当な罰を下して貰った。

 

女同士、何だか仲良くやれそうな気がした。

 

 

 




感想で約束した時系列を載せておきます。


入団順時系列

鷹の団結成
一話の二年前
(グリフィス若干十四歳)

キャスカ入団
一話の半年前
(ジュドー、ピピン、コルカスは既に入団済み。リッケルトはキャスカのあとに入団)

一話
(この時点で鷹の団70人規模)

ガッツ入団
一話の一年半年後
(早くガッツさん登場させたい)


歳の差

主人公 0
キャスカ +1
ガッツ +2
グリフィス +5


一応こんな設定です。
原作との齟齬はありありです。
参考程度にお願いします。



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七話 隠密1

グリットの村を出て十日が過ぎたころ、俺たちはミッドランド貴族であるブルッフ子爵の雇われとなっていた。

 

子爵は騎士身分ながら、でっぷりと肥えた白豚のような中年男性である。

毎日真昼間から寝室に篭り、連れ込んだ女たちと情事に耽っている。そのためいつでも臭い消しの為の香水のたっぷり塗りつけ、すれ違う者の顔を顰めさせていた。

周辺の村々では子爵の屋敷を訪ねた女はみな腹を膨らませて帰ってくると専らの評判であり、最近では近付こうとする者すらいない有様であるらしい。

腰に下げる剣はただのお飾り。

脂肪が収まり切らず甲冑を作り直すこと七回。

政治への興味が薄く、武芸の稽古もせず、好色で、どうしようもない、周囲の人間からの評価も地の底を這っている、そんな肩書きだけは御大層な肉達磨こそ、このブルッフ子爵という男であった。

 

 

そんな豚野郎が、先ほどから俺の体を舐め回すようにして視姦している。

 

場所は鷹の団の天幕群の中に仮設された、臨時の謁見場。

俺たちは今そこに、甲冑を纏って肉達磨から金属達磨と化した子爵と、その臣下、そして数人の護衛を招き作戦会議の真っ最中にあった。

 

「(最っ悪だよ…)」

 

足首から腰周り、胸、首筋を通って顔。それを何度も行ったり来たり。

子爵の嫌らしい視線は生理的嫌悪感となり、俺に鳥肌を促してくる。

この場を飛び出したくて仕方がなかった。

 

「ということで子爵。そこで子爵の私兵団の皆様には、後詰めとして我々の団の後ろへと控えおいて頂きたいのです。そうなれば栄えある子爵兵団の皆様が、下賎な者の血でその誇り高き刃を汚すこともーー」

 

そんな子爵の前で、グリフィスは既に三十分もの間、朗々と今回の作戦について語っていた。

 

最近この辺りを根城に活動を始めた盗賊団をどう叩くか。

グリフィスはそれを、持って回ったような、装飾過多な言い回しで長々と続けていたのである。

 

子爵の鷹の団への依頼は、盗賊団討伐の予備兵ーーとは名ばかりの、事実上の主力部隊の派遣であった。

雇い主である貴族は取り敢えず兵だけは出して、実際に動くのは傭兵団。金を払い、名誉を得る。

そんな良く見かける仕事こそが、団にとっては半月ぶりの。つまり俺にとって初めての傭兵稼業となるのだ。

 

「ーーであるなら、子爵ほどの勇士の方がそのような無法を許されるはずがございません。子爵の領民の今一番の悩みの種であろう、あの憎っくき賊どもを早急に懲らしめるため、是非とも我が献策に応じて下さいませ」

 

珍しく長談となったグリフィスの説明が終わった。

しかし子爵といえばまるで無反応。

どうやら目の前の傭兵の口から発せられる言葉の羅列を、俺を視姦する為のBGMとしていたらしい。

 

脇に控える臣下に耳打ちされてそのことにようやく気がつくと、子爵は名残惜しそうに俺から視線を外した。

 

「ああ、うむ……戦ごとの指揮は、その全てを兵士団長に一任しておる。その者と相談して決めい」

 

「「「(じゃあ何でテメェがここに来たんだよ!)」」」

 

団員の心が一つになった。

 

「……つまり兵士団長殿に意見しても許される程度の権限を、子爵は私にお与え下さると?」

 

グリフィスのその問いかけに、流れで頷きかける子爵。

しかし流石に臣下に引き止められ、かぶりを振る。

 

「いや、そうは言っておらーー」

「何という大胆不敵な御采配でしょう」

 

そこに、グリフィスはすかさず言葉をねじ込んだ。

 

「感服いたしました。流石は音に聞こえしミッドランドの雄。その器の大きさは私ごときでは到底測れるものではありませんでした……なぁアルマ、お前もそう思うだろう」

「は?」

 

そして突然のキラーパス。

子爵の視線が再び俺に戻り、鳥肌がたつ。

 

だがグリフィスの言わんとすることは容易に察せられた。

つまり俺を気に入った様子の子爵を煽て、上機嫌にさせてこれを認めさせろということである。

 

グリフィスから発せられる無言のプレッシャーに負け、俺は男に媚びた愛想笑いを浮かべた。

 

「いや〜、子爵さまってば団長の言う通り、ホントに漢! って感じですよね〜。その甲冑姿も勇ましくて素敵ですし、さすがはミッドランド随一の騎士ですよねぇ~。男性として必要なものを全て揃えてらっしゃるっていうか~逆に手にしてないものが無いっていうか~かっこいいな~憧れちゃうな〜」

 

子爵は途端にご満悦となった。

 

「うむ。そうかそうか。娘、なかなかに見る目がある……よし分かった。私も騎士である前に一人の漢。そうまで言われては、相応の度量を示すほかあるまい」

 

臣下が焦った様子で子爵を見やった。

 

「マルコよ」

「はっ」

 

臣下が返事を返す。

名をマルコというらしい。

初老の、口髭を生やした男だった。

 

「私は此度の族退治を、このグリフィス主導の元で行うものとするぞ。兵士団長にも一言いっておけ」

「し、しかし…」

「口答えをするな! 私に恥をかかせる気か!」

 

子爵が赤豚となってそう怒鳴ると、臣下は厳しい顔で引き下がった。

 

「不忠者め。それで……ごほん。そこにいる娘なのだがな」

「はい。我が団の傭兵に何か」

「譲ってーーってなに、傭兵だと!? 娼婦ではないのか!」

「ええ」

 

グリフィスは涼しげに笑んで、口を開いた。

 

「頼れる弓兵です。今回の作戦にも参加させるつもりでいます」

「!」

 

ーーついに来た。初陣のとき。

 

子爵がポカンの口を開けて間抜け面を晒す中、半ば予測できていたその宣告に心臓が早鐘を打ち始める。

 

初めての戦場。

 

途端に自身の体から漂ってきたように思える死の気配に、俺は震えを隠しきることができなかった。

 

 

 

 

「震えているのか、キャスカ」

「!! グ、グリフィス!」

 

日が落ち、団員たちも寝静まり、そして夜空に星々が瞬くころ。

鷹の団の天幕群から少し離れた森の中で、グリフィスは一人うずくまるキャスカを見つけた。

 

「ご、ごめん。探させてしまった?」

「いや。今日は星が綺麗だったから、少し散策しようと思ってな」

「……そう。やっぱりグリフィスは凄いな。私は駄目…明日の初陣を思うと、とても眠れなくて…」

 

情けないよ。

キャスカはそう言って、自虐的に笑った。

 

子爵との対談後、グリフィスは団員に対して改めて作戦の概要を説明すると共に、明日の作戦の参加者を呼び上げていった。

そしてその中には、初陣のアルマと同じくキャスカが含まれていたのである。

 

「自分が嫌になる…」

 

剣の柄を御守りのように握り締め、キャスカは更に呟いた。

 

剣の稽古は十分にしてきた。

自分は年齢と性別を理由に即戦力にはされなかったが、後発の者で既に戦場へ出ている者は大勢いる。

アルマに至っては若干十二歳。入団して半月。剣を振るったこともないという。

 

本来なら自分は堂々と構えていなければいけないのに。情けない。

その思いでいっぱいであった。

 

「キャスカ。あまり自分を卑下するな」

 

そんなキャスカの震える手を、グリフィスはいつかのように優しく包み込んだ。

年頃の少女の肩が跳ね、頬が染まる。

 

「お前はオレの見込んだ剣士だ。このオレの目が節穴だと思うか?」

「お、思わない…」

「だろ?」

 

グリフィスが悪戯小僧のようにニッと笑う。

その年相応な少年の笑顔に、キャスカも釣られて笑みを浮かべた。

 

いつの間にか手の震えは止まっていた。

 

「……ありがとう、グリフィス。私は世話になってばかりだ」

「礼はいらないさ。オレはただ星を見に来ただけ。でも、そろそろ戻らないとな……あいつらが妙な勘繰りでもしてたら面倒だろ?」

「なっ…」

 

思春期の少女の妄想たくましく、頬の赤みが一層に増す。

 

「みょっ、妙な勘繰りって…!」

「アハハハ」

 

その姿を見て、グリフィスが無邪気に声を上げて笑った。

からかわれたことに気が付いたキャスカは、唇を尖がらせつつもその後ろを雛鳥のようについて行く。

 

キャスカにとってグリフィスは絶対の存在だった。

グリフィスが率いれば、それはどんな負け戦だろうと勝利に繋がる。

グリフィスがひとたび言葉を発すれば、それは全て現実のものとなる。

 

グリフィスは預言者なんだ。

それは常々、キャスカが思っていることであった。

故にその預言者からお墨付きを得たキャスカの心は、既に平時と変わらないほどの落ち着きを取り戻していた。

戦場へと想いを馳せても、もう体が震えることはない。

 

そうすると、今度は先日親交を深めたアルマのことが気がかりとなってきた。

自分と同じく初陣である歳下の少女。きっと不安に思っているはず。

 

「グリフィス。さっき私にしたように、アルマにも声をかけてやってくれないか? あいつもきっとーー」

「眠れない夜を過ごしている。そう言いたいんだろう?」

 

星々の瞬き中に鎮座す巨大な満月を背景に、グリフィスは振り返らずそう言った。

白銀の髪が月の光に透け、まるでグリフィス自体が光を放っているようだった。

 

ーーああ、きっとグリフィスが月で、私たちは星なんだ。グリフィスは、やっぱり私たちを心配して見に来てくれたんだ。

 

その神秘的な光景に、キャスカはそう思わずにはいられなかった。

 

「オレがアルマにかけてやる言葉はない」

 

だからこそ、グリフィスにすげなくそう返されたとき、愕然としたのである。

 

「な、なんで…」

「初陣だ。眠れぬ夜を過ごしているだろう。恐怖に震えていることだろう」

 

「ーーだが、あいつがそれで狙いを外すことはありえない」

 

そこにあったのは、間違いなくキャスカがまだ手にしたことのない、グリフィスによる全幅の信頼であった。

そしてそれは、この半年間グリフィスの一番の剣とならんと努力し続けてきたキャスカにとって、到底聞き流すことのできない言葉でもあった。

 

「グ、グリフィスは…私よりアルマを認めてるから、そう思うの…?」

「いいや。オレはただ信用してるだけさ」

 

そのまま満月を背に、グリフィスは顔だけを振り返らせる。

 

「お前の刃には人を殺す重みがある。対して、あいつの引き金にはそれがない」

 

ーーそれがアルマの強み。強さじゃない。そして強さにする必要もない。

 

あいつはそれでいいんだ。

引き金が軽いからこそ、いざ殺し合いとなれば平気で人を殺せる。

 

グリフィスはそう言うと、天幕へと向けて再び歩み始めた。

 

 

 

 

夜間である。

翌日に控えた初陣にナーバスになり、俺はなかなか寝付けないでいた。

 

「……はぁ」

 

このままでは朝になる。

そんな嫌な確信を抱き、俺は気分転換に辺りの森を散策することにした。この暗い天幕の中で一人いると、ただ悪戯に不安感だけが募っていくだけのように思えたのだ。

 

「湖か…」

 

しばらく散策を続けていると、木々の間から月の光をキラキラと反射して煌めく湖面が目に入った。

 

水に脚を浸からせてリフレッシュするのもいいか。

俺はそう考え、湖へと足を向けた。

 

「!」

 

人影がある。

湖のほとりで一人しゃがみ込んで、肩を落としてぼうっと何かを眺めている。

 

「…………」

 

まず鷹の団の誰かであろうが、確認をとる必要があった。

俺はすぐに逃げられるよう体を緊張させ、その人影に声をかける。

 

「おい、誰だ」

「!」

 

人影が急いで何かを隠した。

しかし警戒した様子ははない。あちらからは月明かりで俺の顔が見えている。仲間だと認識されたのだ。

つまり鷹の団の団員。

俺は安心して、その人影へと近づいていった。

 

「な、何だよ…」

 

そこにいたのは色素の薄い髪をした、十歳前後に見える少年だった。

 

鷹の団が抱える兵卒見習いの一人だろう。

何だか生意気な感じだった。

 

「アルマ…だっけ、お前」

 

少年が言った。

 

「フンッ!」

 

俺は拳骨を落とした。

 

「〜〜っ! な、何すんだよ!」

「テメェ歳下だろうが。お前とか言うな」

 

少年が頭を抑えながら、こちらを恨めしそうな目で睨んでくる。

睨み返すと、慌てて目を逸らした。

 

「……わ、わかったよ。アルマ、これでいい?」

「ほう、意外と素直だなお前。こりゃ良い子分になりそうだ」

 

俺は冗談でそう言って、少年の隣、湖のすぐ前へと腰を下ろした。

そして続け様に靴を脱いで、素足を水の中に沈ませる。

 

冷んやりとして気持ちが良かった。

 

「子分ね……いいよ。何か頼み事はある?」

「はぁ? 何だよ気持ち悪いな……俺に惚れてんの?」

「違う! ……アンタ、明日が初陣だろ?」

 

その、だから……気遣ってやろうと思って。

 

少年はそう言うと、照れ臭そうにそっぽを向いた。

 

「お前…」

「オ、オレは団長に憧れてんだ! だから早く一人前になって、みんなと共に剣を振るいたい! でも、オレはまだガキだから……だから代わりに、アンタらには頑張って貰わなきゃ困る! その手伝いさ!」

 

少年は耳を赤くして、そっぽを向いたまま一息で言い切った。

そこにあったのはただ純粋な労りの感情。

初対面であるはずの少年がくれた、俺への献身であった。

 

「えっと…」

 

突然向けられた優しさに、どう反応を返していいのかわからない。

しかし久しく感じたことのなかった人の温かさに、先ほどまで確かにあった恐怖や不安が和らいでいくように感じた。

だから俺は、もう少しこの少年と話をしたいと思ったのである。

 

「……頼みか。じゃあ、もうしばらくここで俺の相手をしろ」

 

少年は顔を赤くしたまま、短く「うん」と返した。

 

 

それが俺と、このカールとの初めての出会いであった。

 

 

 

 

少年と俺は、この一時間ほどで驚くほど距離を縮めていた。

馬が合うのか、それとも少年が俺に合わせてくれているだけなのか。

定かではないが、少なくとも俺はこの少年と笑い合っている間、確かに初陣の恐怖を忘れられた。

 

「……お前、名前は?」

「え?」

「名前だよ名前。そういや聞いてなかったなと思ってさ。さっさと言えよ」

「カールだけど」

「よし分かった。カール、テメェは今日から俺の弟分だ」

 

お前との縁をこれっきりにするつもりはない。そんな俺の宣言に、カール少年は不満げな声を上げた。

 

「えぇー嫌だよ…。それにさっき子分って言ってたような…」

 

拳骨を落とした。

 

「ううっ…わかったよぉ…」

 

カールは頭を抑えながら首を縦に振った。

最初からそうしていれば良いものを。俺はそう言ってふんぞり返る。

 

「よし。俺のことは兄貴と呼べ」

「はぁ? 姉御じゃないの?」

「……そうだった。そう呼べ」

「わかったよ…」

 

カールが渋々といった体で頷く。

その覇気のない姿に、そういえば初めにコイツ見かけたときもこんなだったな、と思い出した。

 

兄貴分としては、さっそく相談に乗ってやらないわけにはいかない。

 

「なんかお前も……カールもさっきまで落ち込んでたみたいだったけど、何かあったの?」

 

今日会ったばかりの弟分がムスッとして黙り込む。

苛立って拳を振り上げると、慌てて口を開いた。

 

何でも。このカール少年はずっと騎士になる事を夢見ていて、身分の問題でそれが叶わないと気づく歳になってからも、その憧憬の念が消えることはなかったのだと言う。だから自分と同じ平民にも関わらず、まるでお伽話の騎士様のようだったグリフィスに一目で憧れ、一ヶ月前鷹の団に入団したのだとか。

 

カールが全てを話し終えたとき、俺はこの弟分の落胆のわけを悟っていた。

 

「はは〜ん、騎士に憧れてたねぇ…それで今日、実際の騎士様とやらを見て、ガックリきてたわけだ。そりゃガキの頃から憧れてた相手があのブタじゃねぇ」

「ぐっ…」

 

少年の狭い肩が沈み込む。

しかしその落ち込んだ雰囲気から一転。バッと顔を上げると、キラキラとした、まるで物語の主人公を思っているかのような表情を、カールは浮かべた。

 

「でもいいんだ。オレの憧れは、もうとっくに団長なんだから」

 

その瞳はキャスカと、そしてグリフィスを崇拝する何人かの団員たちと同じ輝きを放っていた。

 

「……ふん」

 

おもしろくない。

自覚する。これは嫉妬の感情だ。

 

グリフィス。グリフィス。何にかけてもグリフィス。

この鷹の団の団員の中で、あのお綺麗な団長様に敵うと思っている人間はいない。

みな、何かしらのコンプレックスを刺激されても、団長は凄いと笑って誤魔化して日々を過ごしている。でないと自分があまりにちっぽけに思えてしまうから。

そして、勿論その中には俺も含まれている。

 

故に。それを指摘したことは軽い意趣返しだった。

 

「騎士からグリフィスへ乗り換えた割には、そんな人形を大事に持ってんだな」

「あっ!」

 

カールが慌てて自分の布袋からはみ出ていた手のひら大の人形を隠し込んだ。

 

「なるほど。さっき俺が来た時も、そいつを見られまいとしてたんだな。可愛いねぇ~うりうり」

 

弟分の頭をつつく。

 

「か、からかうなよー!」

 

カールが顔を真っ赤にして、俺は笑った。

初陣への恐怖は完全に消え去っていた。

このあと天幕に戻っても、俺が眠れぬ夜を過ごすことはないだろう。

 

本当に、いい出会いだった。

 

「(お前の持ち主にありがとうって言っといてくれ)」

 

カールが布袋の中に隠した人形。

 

片足のもげた、手垢で汚れた騎士人形に、俺は小さくそう言った。

 

 

 




カールはオリキャラではありません。
グリフィスの転機となったあの少年です。
具体的に言えば後ろのバージンロスt(ry


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八話 隠密2

「では、貴方も御同伴なされるというのですか。討伐隊へ」

「ええその通り。なに、ご心配召されるな。これでも場数は踏んでおります」

 

早朝である。

鷹の団七十と(実質的戦力、騎兵六十)、子爵私兵団百。合計して百七十もの軍勢がズラリと並ぶ子爵領内の草原に、自身もまた甲冑を身に纏い、騎乗の人となった臣下マルコの姿があった。

表面上は親しみのある笑みを浮かべているが、その双眸は目の前のグリフィスを警戒した、鋭い光を宿している。

 

「これは。頼もしい限りです」

「なに、私の出番などありませんとも。昨日決めた作戦を、貴方がたが滞りなく進めて下さるならね」

 

僅かな間の静寂のあと、グリフィスとマルコが共に笑いあう。

その様子はお世辞にも和やかとは言い辛かった。

 

「あーあ、こりゃ面倒なことになっちまったぜ」

 

そんな二人を遠目で眺めながら、自身も戦装束となったコルカスがそう呟いた。

 

「面倒? なんだっていうのさ?」

「バァカ、リッケルト。少し考えりゃ分かるだろ。あのマルコとかいう貴族の犬はなっ、俺たちの本当の方の作戦に気づいてやがって! それを阻止しようとしてんだよ!!」

「コ、コルカス! 声が大きいって!」

 

徐々にヒートアップしていって、終いには大声で怒鳴り散らしたコルカスの口を、リッケルトが大慌てで押さえつける。

他の団員たちもその怒鳴り声が子爵兵に聞こえてやしないか、周囲を見渡す羽目となった。

 

「ったく、アイツはあの短気がなけりゃな」

「意地汚いところも」

「小狡くて金ぐせが悪い」

「寝相の悪さも付け加えとけ」

 

不興を買ったコルカスが団員たちから口々に文句を言われる。

しかしコルカスの怒鳴りたくなるような気持ちも、みな分からなくもなかった。

 

本日の盗賊団討伐作戦。グリフィスの献策という形で決定した、本隊(子爵兵団)が後詰めとなり鷹の団が前衛という陣形の元で行われる掃討作戦の概要は、まず機動力の高い騎兵六十(鷹の団)で敵の野営地を突っ切り、反転、混乱に陥れたところを本隊と挟撃する…というごくシンプルなもの。

敵はただの賊。対し、こちらは全員が何らかの戦闘訓練・経験を持つ百七十からなる戦闘集団。敵兵力が八十という情報からも、策さえ成れば子爵側の圧勝は確実だった。

 

しかし、事はこれほど単純ではない。

そもそもといえば、子爵は自軍の損害を抑えたいが為に傭兵を雇ったのである。

であれば、指揮権を持つ兵士長が「挟撃の号令を出すのは敵戦力の疲弊が高まるまで待ってから」と上から命じられているのは想像に難くなかった。

つまり、兵士長が敵戦力が衰えたと判断するまで、鷹の団の騎馬隊は寡兵での戦いを迫られることになる。そういう可能性が非常に高かった。いや、まず間違いなく起こり得る事実であった。

故にこれを初見で見抜いたグリフィスがあの手この手で指揮権を我が物とし、対等な立場を得たどころか、更には鷹の団の利益が大きくなるよう改変された「本当の方の作戦」を立案したのである。

 

このような経緯で、本来ならば子爵より賜った指揮権を振りかざし、土壇場での作戦変更を狙っていたグリフィスだったがーーどうも、そうも言っていられない状況となったらしい。

 

グリフィスが馬を走らせ、俺たちの方へと寄ってくる。

 

「みんな、見ての通りだ。厄介なことに、あのマルコという男も討伐隊に加わることになった。まずこちらの狙いは知られているだろう」

 

コルカスがほら見たことか、と鼻を鳴らした。

同時に、団員の一人が一同の最も気掛かりとすることを質問した。

 

「団長、俺たちの作戦の方は…」

「もちろん続行だ。あの臣下はオレに任せておけ」

 

グリフィスが頼もしくもそう返す。

不測の事態にも微塵の迷いも見せないその堂々たる姿に、団員たちも胸を張り、眉尻を上げ、口々に了解の意を示した。

 

「よし」

 

団員たちの引き締まった面構えにグリフィスが頷く。

そして大きく息を吸い込むと、細剣を北へと向けて号令をかけた。

 

「それでは目的地までの行軍を開始する! 全軍前進! 但し行軍速度は最後列に合わせよ!」

 

「「「おお!」」」

 

隊列を組み、鷹の団が先行して馬を駆けさせる。

 

……ついに初陣が始まる。

 

キャスカから教わった通りに馬を操ろうと苦心する俺は、その隊列を乱さないよう、神経を尖らせて手綱を取った。

 

 

 

 

「おや、君は確か…」

「え?」

 

行軍開始から三十分後。

俺の姿は鷹の団の最後尾にあった。

 

「そ、その、これは…」

 

いや。正確に言えば、鷹の団の後から続く子爵兵団の先頭、臣下マルコの隣にあった。

下を見ると、俺の跨る馬は呑気に草を食んでいるところ。

誰がどう見ても御し切れていない。

俺は行軍開始一分でキャスカとの乗馬訓練の成果が実っていないことを悟り、それから徐々に後退していき、ついにはこんなところまで来てしまっていた。

 

「う、馬がさ、ちょうど今朝捕まえたばっかの奴で。これがまた言うこと聞かなくてね〜大変大変」

 

俺の苦しい言い訳に、目の前の臣下の眉が寄った。

 

「ほう。夜明けからまだ間もないというのに、野生馬を捕まえ調教を施し蹄鉄まで付けたと。これは朝から重労働でしたな」

「ま、まぁね…はは…」

「嘘は好きません」

 

マルコはそう言うと、俺の背中に手を当ててグッと押してきた。

自然と、背筋がピンと伸びた体制になる。

 

「体を真っ直ぐに。リラックスして」

「あ、あの…」

「昨日は我が主が失礼なことを申しました。その詫びも込めて、少々ご教授致しましょう」

 

イメージとは違う殊勝な態度に少し瞠目する。

勢いに押されその提案を受けると、マルコは自分が元馬小屋住みの召使いである、ということを明かし、馬の扱いは慣れたものと説明した。

更には俺と同じくらいの歳の孫がおり、つい先日乗馬を指南してやったところだと。

 

そんな話を聞きながら、そういえばこちらを見る目がどこか温かだなと納得しつつ、俺はこの臨時講師の指示に良く従った。

 

「揺れに合わせて体から力を抜くのです」

「馬に遠慮をしすぎです。もっと強く蹴って」

「停止させるときは…そう、手綱を引いて……ちがうちがう、前屈みにならない。背筋を伸ばしたまま、背中で引く感じでーー」

 

「まぁ、そんなところでしょうな。まだ言いたいことは山とありますが」

「ぜぇ…ぜぇ…あ、ありがとうございました…」

 

この老いた出で立ちからは想像できないほどのスパルタで、乗馬の技術をしっかり叩き込まれた。

何とも熱の入った、しかし初心者でも解りやすい指導であった。

これではお孫さんも相当大変だなと、俺は内心密かに同情した。

 

「さ、これでもう隊列に戻れるでしょう。お行きなさい。私と長々と話をしていると、お仲間に内通を疑われかねません」

「あー、もう手遅れかも」

 

顎でしゃくり、マルコの注目を促す。

鷹の団の最後尾から、昨夜仲良くなった弟分のカールが、あわあわと忙しなく俺とグリフィス交互に視線を送っていた。

何人かの団員たちも俺を訝しんで見ている。

 

「……申し訳ない。初めは二言三言で済ませるつもりだったのですが、つい熱が」

 

マルコが恥ずかしそうに咳払いし、俺に頭を下げる。

年甲斐もなく赤くしたその頬から、熱の入った原因が俺と孫娘を重ねたからだろうということは明らかだった。

 

「いいって。あいつら、馬に手間取って段々下がってく俺を見ても、楽しそうに囃し立てるだけだったんだぜ。少しくらいハラハラさせてもバチはあたらねぇって」

「……そうですか。では物のついでにもう一つ。荒くれ稼業とはいえ、女性ならば言葉遣いは丁寧に。いいですね」

 

俺はキョトンとして、マルコを見た。

その真摯な様子から、この初老の男が本当に俺を思って忠告してくれたのだと、ありありと伝わってきた。

 

俺はマルコのその柔らかな人柄を知り、つい会話を重ねてしまう。

 

「この話し方は傭兵になる前からさ。もっと言うと生まれる前から……信じるかい?」

「いいえ」

 

即答であった。

俺自身もちろん冗談のつもりで言ったのだが、こうも事実を否定されるのは何だか物悲しい。

 

「しかしもしそうなら、可哀想なことだと思いますな」

「えっ…」

 

予想外の返答に言葉が詰まった。

 

「そうでしょう? あなたはこの世に生まれ落ちる以前に、既に知性があった。すると、そこにはあなたの暮らしが、生活があったことでしょう。この世へは望んでいらっしゃったので?」

「え、えっと…」

 

どうだったか。

元の世界のことなんて、この十二年間ほとんど考えたことがなかった。

毎日その日その瞬間に精一杯。

最後に元の俺に思いを馳せたのはーーはて、いつだったか。

 

いや、それ以前に。

 

あれ?

 

元の俺って、どんなだっけ?

 

「思い出せない?」

「うん…」

「しかしあなたの顔には郷愁の想いが浮かんでいる……良きところだったのでしょう。そして望むなら、ずっとそこに留まっていたかった。違いますか?」

「そう、かな?」

 

救いを求めるような心地で見上げると、マルコは見るものを安心させるような笑みを浮かべて頷いた。

 

しかし違和感。

この男にではない。自分自身の記憶のことだ。

マルコに指摘されるまで気がつかなかったが、そういえば何故か、元の世界のことが思い出せない。

 

いや、正確には言えば思い出したくない?

 

そんな心理が、自分の中で働いているのを、俺は自覚した。

 

「哀れに思いますよ」

 

マルコがそんな俺を見て言葉を重ねた。

思わずビクリと肩を跳ねさせてしまう。

 

「それまでの自分の全てがなかったことにされる……生まれ変わる。それはきっと、想像を絶する苦しみだ」

「…………」

 

再誕の苦しみ。

 

それは長い間、俺の耳に繰り返し再生され、しばらくの間途切れることがなかった。

 

 

 

 

「アルマ、団長がお呼びだぜ」

 

俺がマルコの元を離れ、隊列に戻ってからしばらくして。

グリフィスが伝言役を寄こしてきた。

 

「わかった。すぐ行くよ」

「……おい、まさか作戦を漏らしたわけじゃねぇよな?」

「んなわけねぇだろ」

 

睨んでくる伝言役を睨み返し、俺はマルコに教わった通りに馬を操ると、鷹の団の先頭を行くグリフィスの隣へと並んだ。

チラリと見たその横顔は常の通り冷静沈着で、有り体に言ってしまえば何を考えているかさっぱりわからない。

何となく、あのマルコとは大違いだと思った。

 

「マルコ殿と随分親しくなったようだな」

 

グリフィスがこちらに一瞥もしない内にそう言う。

 

「何だ、妬いたのか?」

「妬きもするさ。苦労して手に入れたからな、お前は。子爵の家中の者に引き抜かれでもしたら大問題だ」

 

冗談交じりに肩を竦めるグリフィス。

その余裕な態度に苛立って、つい脅しかけるような言葉が口を出た。

 

「そうなったらあの人は、お前を殺すよう命令するだろうぜ。頭の良い人だったからな」

「ああ。だからそうして欲しい」

 

ドクンと、心臓が跳ねた。

 

「お、俺は今回…戦場の雰囲気に慣れるだけでいいって…」

「悪いな。お前も知っての通り、そうも言ってられなくなった」

 

グリフィスの冷淡な瞳が、初めて俺を見据えた。

 

 

「マルコが邪魔だ。居なくなって貰いたい」

 

 

 

 

 




展開遅くてすいません…


一話の方に主人公の挿絵を貼りました。
良かったら見てみてください。


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九話 隠密3

ジュドーは鷹の団において古株の一人だ。

以前は旅芸人の一座で投げナイフの技を披露する毎日であった。

その後、一座の公演にフラリと立ち寄ったグリフィスにその腕を買われ、入団する運びとなった。

 

「(懐かしいもんだ)」

 

ふと感慨深く思って周囲をグルリと見渡してみると、二列になって、勇ましく進む騎兵の数六十。その後ろで荷馬車を操る見習いが十人。

鷹の団旗を翻し雄々しく進む、計七十の団員たちの姿が見て取れる。

 

「(何の後ろ盾もない俺たちが、たった二年でよくここまで来たもんだぜ)」

 

個性的な仲間も数多くいる。

 

巨漢のピピン。

元盗賊頭コルカス。

女剣士キャスカ。

未だ見習いのリッケルト。

 

そしてーー

 

「おいアルマ。顔が真っ青だぜ」

「…………」

 

傭兵狩りの村の娘、アルマ。

 

つい半月前に入団したこの娘を、実の所ジュドーはずっと訝しんでいた。

いや、ジュドーだけではない。

先日仲良くなったようだがキャスカも、ピピンも、コルカスは…置いておいて。みな同様にである。

 

何故なら、あまりに普通過ぎる。

 

育ての親にあれだけの怨嗟の声を向けられた大元の原因である鷹の団に対して、例えそれが演技だったとしても、好意的過ぎるのだ。

この半月間、自分たちに何でもないかのように接するアルマを見てーーとても言える義理ではないがーー仇に対する態度がそれでいいのかと、少なくない団員たちがそういう思いを抱き、少々の気味の悪さと共に彼女と付き合ってきた。

 

『もしかしてあいつは、ああやって自分を守っているのかもしれない』

 

そんな中、今朝のキャスカはそう言った。

 

『これまでの知り合いは皆殺しにされて、新しい仲間も全員が仇。普通は耐えられない。だからグリフィスに全ての責任をーー……なるほど。これが昨夜グリフィスが言っていた…』

 

その後何やらブツブツと言いながら去っていったが、言わんとするところの大体は理解できた。

 

「(つまり気遣ってやれってことだろ? ったく、お優しいんだから)」

 

ジュドーはフッと笑うと、馬上で俯くアルマの肩を叩き、ようと声をかけた。

小難しいデリケートな部分は取り敢えず脇に置いておいて、まずは初陣の緊張をほぐしてやろうと考えたのだ。

 

「!」

 

ジュドーの呼びかけに少女はビクリと過剰反応し、見開いた目で声の主を見た。血の気の引いた顔に脂汗を貼り付け、瞳は頼りなく揺れ、どこか助けを求める子猫のようにも見えた。

 

「……えーと、なんだ…」

 

ジュドーはその普段と異なりオドオドとした、何とも庇護欲の唆られるアルマを見て、つい発破をかける為の言葉を言い淀んでしまう。

そして同時に、こうして大人しくしていればの話だが、やはりこの少女は容姿だけは一級品だと再確認した。

 

下から見上げてくる深緑の瞳は薄っすらと涙で潤んでいて、陽に当たり、それ自体が光を放っているかの如く煌めく金髪は目に眩しい。

滑らかで透明感のある、象牙のような肌。直に触れることができれば、さぞ心地よい感触なのだろう。

 

「……その…」

 

それらを意識した途端に、少女の肩に置いたままにしてあった己の手が、何とも居心地悪そうに汗をかき始めた。少し震えてきているようにも感じる。

 

「(……オレはキャスカ派なんだ。ドミニクたち(アルマ派)みたいなロリコン野郎どもとは違うんだよ)」

 

ジュドーは内心の動揺を悟られぬよう、ごく自然にアルマとの接触を断った。

 

キャスカの話によりこの少女への不信感が僅かなりとも薄れたせいか、途端に色目を使い出した己の中の男の性に、ジュドーは切なさを覚えずにはいられなかった。

 

「あー。まっ、気を楽にな。オレが初陣んときもそんなもんだったぜ。だが過ぎちまえば大したことなかった。何せションベンちびりながら震えてただけだったしな、オレ。はっはっはっ」

「…………」

 

アルマは何も答えず、視線を前方へと戻した。

 

「おーい、そこの澄まし顔したお嬢さん。耳の穴はちゃんと開いてますかねぇ?」

「……うるせーな。いま考え事してんだよ」

 

今度は面倒そうにジュドーを見上げ、そう返すアルマ。

 

「考え事って? 敵前逃亡とか?」

「!」

 

再び細い肩が跳ねる。

 

「お、おいおい、その反応は洒落になんねーぜ?」

「うるせぇ! 分かってるよ! 俺はただ、護衛付けられるって聞いてたから……だ、誰になるかなって考えてただけ!」

「ホントかよ……まっ、どうやら今回、オマエのお守りはオレに任されるらしい。お互い気楽にいこうぜ。なっ?」

「……ちっ、クソが」

 

舌打ちをして、苛立たしげに顔を背けるアルマ。

結局ジュドーは、目的地に着くまでの間、ついぞこの生意気な少女とまともに会話を交わすことが出来なかった。

 

 

 

鷹の団と子爵兵団の編成軍が盗賊団の拠点へと向かう道中、グリフィスの発案で、当初の予定にはなかった一時休憩が取られることになった。

その際、休憩の理由として「マルコ加入による指揮権の見直し」が表向きには説明されたが、実際のところ、このインターバルがマルコ暗殺の為の時間だということは、俺にとって明らか過ぎるほどだった。

 

ーーそう、マルコ暗殺は、戦場へ着くまでの間に成し遂げておかねばならない。

 

考えてみれば分かる。

一度戦が始まってしまえば、マルコーーつまり味方の将を失うことは、指揮の面で明らかにマイナスとなってしまう。

それどころか、マルコが死んで指揮権がグリフィス一人に集約された後。前線にいるグリフィスが大声を張り上げ、それが後方で待機する子爵兵団に「全軍前進」と正しく届いたとしても、彼らが咄嗟に行動へと移せる、または移ってくれる保証は何処にもないのである。

故に、鷹の団の真の作戦を決行する為には、どうしても開戦の前に邪魔者であるマルコを暗殺せしめ、子爵兵団の指揮官を予めグリフィスに上書きしておく必要があった。

 

「おーいアルマよぉ! 早く降りて、馬を休ませてやりな。なぁに、お前の背丈が足りなくて、一度下馬したら次は一人じゃ上がれないってんなら、オレが肩車して乗せてやっからよ。はっはっはっ!」

「死ね」

 

俺は名も知らぬ団員の軽口に短く返し、馬を見習いたちに預けたあと、近場の茂みへと向かって歩き出した。その際、愛用のクロスボウは馬の横腹に括り付けたままにしておく。「行動へ移すときは無手で」これは、予めグリフィスに命じられていたことだった。

 

「(自分のことながら随分と冷静だ。俺は受け入れているのか…? あの気の良いマルコさんを殺すことを…)」

 

踵はちゃんと土を踏みしめ、この歩みに淀みはない。向かう先に、マルコへとギロチンの刃を落とす役目が待っていると知っていながら、俺の頭は嫌なほどスッキリしていた。

 

「おい新入り、どこ行くつもりだ。すぐに出発だぞ」

「ションベンだようるっせぇなァ!!」

 

大声で怒鳴りつけて、すぐさま茂みの中へと姿を隠す。そしてそのまま気配を消してジッとする。

 

「…………」

 

しばらく待っていても、団員たちが追ってくることはなかった。どうやら、俺が本当に用を足しに行ったと考えているようだ。

 

暗殺の件は俺にしか知らされていない。彼らに、俺の行動を不審に思わせる訳にはいかなかった。

グリフィスは、こういう汚い部分を団員たちに見せることを嫌うのだ。

 

「じゃあ、なんで俺だけ…」

 

言いかけた言葉を飲み込んで、体を低くしながら隊の後方へと向かう。

グリフィスによって休憩の号令がかけられたこの場所は、すぐ側が森と隣している草原。森側に入れば、身を隠す場所など幾らでもある。

しかしその中で最も理想的なスナイプポイントを取るとすれば、それは先ほど馬上より見つけた……この場所だった。

 

「(倒木によって出来た暗がり…そしてその上に掛かる、雑草で出来た天然のカーテン…)」

 

これ以上ないというほど好条件の揃ったポイントである。

俺は絶好の場所に身を潜めると、茂みの間から、編成軍の前方にいる鷹の団の団員たちを覗き見た。皆の、地面に座り込んで思い思いに体を休めている様子が見て取れる。そしてその中には、地図を広げながらキャスカと談笑しているグリフィスの姿もあった。

 

「(くそ…ずるい……俺だけにこんなことさせて…!)」

 

目を逸らし、今度は編成軍の後方へと視線を向ける。

マルコは、まだ後隊の子爵兵団の先頭で指揮を執っていた。

 

「(……ここから二十五メートルってとこか。スナイプポジションとしてはここが間違いなくベスト。でもこんなところから撃ったら……あっちはあの人数に馬の足だ。間違いなく捕まっちまう。グリフィスはしばらく待機って言ってたけど…)」

 

武器がなければ味方もいない。それにも関わらず、こうやって身を潜め続けていなければならない。

そんな現状に、俺は段々と焦燥感を募らせていった。

 

「……くっ」

 

そして僅かに歯噛みした、その時だった。

 

「よう」

「……っ!」

 

突然の呼びかけに驚愕して振り向く。

いつの間にか、浮浪者のようなボロを身にまとった若い男性が、身を低くしてそこにいた。

 

「アンタっ…!」

「シッ。同業者だよ」

 

不審な男の言葉に眉を顰める。

しかし、こちらには武器になるようなものは一切ない。話を聞くしかなかった。

 

「警戒するな。オレもグリフィスの野郎に雇われた隠密だ」

「隠密…?」

「そう、お前さんの先輩さ。鷹の団のために動く、うす汚い暗部だよ」

 

男はそう言って、ホレ、と自身の内襟を指指す。そこには確かに、鷹の団のエンブレムが見て取れた。

 

「しかし、スゲェ才能だな。グリフィスが惚れ込むのも分かる。オレも最初からここで見てなきゃ、きっとオマエのことに気付けなかっただろうよ」

「おい、暗部ってなんだよ」

「……先輩が褒めてやってるってのに……まぁいい。暗部っつっても、オレの一人部隊だ。ああ、今はオマエと合わせて二人か」

「はぁ? 俺も?」

「なんだ、不満そうだな」

 

男が威圧的に目を細める。

 

「不満だね。そんな辛気臭そうなのは」

「おいおい。まさか、これまで鷹の団が良い子ちゃんだけでやって来たとか、そんな甘ったるいこと考えてる訳じゃねぇよな。覚悟しとけよ。これからオマエも、山ほど汚ねーことさせられるんだからな」

 

男はそう言いながら、続けざまに自身の足元を指差した。目で追うと、そこには青白い顔をした二十歳ほどの男が、ぐったりと横になって倒れている。

 

「死体…か?」

「いや。ヒヨスっつー秘薬を……まぁ、細かい説明はまだ要らんだろ。簡単に言えば、一時的に仮死状態を作り出す薬があるんだが、そいつを飲ませて、お前がここに来る前に転がしておいた」

「……どうして俺がここに来るって分かったんだよ」

「言ったろ、同業者だって。一流の隠密同士なら、一番に隠れたい場所は同じになるのが必然だ」

 

男はそう言って、薄っすらと笑った。

破綻者の笑みだった。

嫌なものを見た気がして、俺は咄嗟に別の質問をする。

 

「お前の目的は何だ。グリフィスから俺と同じ命令を受けてここにいるのか?」

「いいや。俺の仕事は『とある条件の人物』をさらって来て『行軍中の鷹の団に合図』を送り、そして『その周囲で最も暗殺に適した場所』にそいつを置いておくこと。それだけだ」

「?」

「鈍いな。これはオマエの為の策だってことだ」

「……あっ」

 

そこでようやく、俺はグリフィスの策の全貌について、大体の見当をつけることが出来た。

 

まず前提として、この一時休憩はグリフィスのみによって成されたのではなく、目の前の隠密とか名乗る男が送った合図によって、そのタイミングが決められていたということ。

隠密は足元で倒れ伏す仮死状態の男をどこからか用意すると、予めこの周囲で最も理想的なスナイプポイントへと隠しておいて、そして鷹の団が行軍してくると、グリフィスへと合図を送った。

グリフィスはこの場での一時休憩を提案し、俺はその意を汲む。暗殺に最適な場所を探すため周囲を見渡しーー自然と隠密の男が選んだ場所を選択して、その身を潜める。

 

ということは。

 

「……なるほどな。この寝てるヤツが、マルコを殺した犯人になるって訳か」

「ま、そういうことだな。手はずでは、お前が目標を殺ったと同時に、義憤に駆られたグリフィスが、暗殺者を排すためここまで馬で駆けてくる。そんで、そのまま仮死状態のコイツをぶっ殺して、新鮮な死体を作る。お前は凶器であるクロスボウを死体の手に握らせ、木の上にでも隠れて難を逃れるっつー寸法だ。手は込んじゃいるが……これなら鷹の団へ向けられるであろう疑惑の目を掻い潜ることが出来る…ま、そんなとこだな」

「…………」

「犯人の死体が見つかったら、奴らも二人目ーーつまりオマエを血眼になって探す……なんて真似はしないだろう。オマエは安心して引き金を引くことが出来る」

 

隠密の男は、淡々とそう説明した。

これは鷹の団と、そして何よりも俺を守るためにグリフィスがとった処置なのだと。

 

「……アンタ、良くこの短時間でここまで準備できたな。マルコさんが同行するのが決まったのはついさっき……今朝のことだぜ」

「へぇ。オレがグリフィスから命を受けたのは昨日の夜のことだったな」

「…………」

「いちいち驚くな。あのグリフィスがすることだぞ。万一にも、その計画に綻びなんて生じない。それと、いつまでも言い訳を探すなよ。お前もグリフィスに見込まれた隠密なら、情なんぞ犬にでも喰わせて、『マルコさん』とやらを気持ちよくぶっ殺してやることだ」

「……っ」

「グリフィスの期待に応えろよ」

 

睨み付ける俺を無視して、己を暗部だと名乗った男はあっさりと去って行く。

彼がそれまでいた場所には、硬く弦の張った、矢のつがえられた、黒塗りのクロスボウが無造作に置かれていた。

 

「…………」

 

俺は震える手で、それを拾い上げた。

 

「……ごめん、マルコさん」

 

思い出す。

村でのことを。

父代わりであったダンを、村人たちを、そしてエッガース伯爵を。

 

復讐を誓ったのだ。

こんな、今日会ったばかりの老人一人殺したくないからといって、退くわけにはいかなかった。

 

標的に向け、クロスボウを構える。

その標的とは子爵兵団の先頭に立つマルコ。

兵団の団員たちが全員下馬している中、何故か一人だけ馬上の人となっている。

 

「……あ」

 

そうか、と納得する。

あれはグリフィスを待っているのだと。

この一時休憩の正式な名目は指揮権の見直し。つまり、雇われであり、身分的には下に位置するグリフィスは、雇い主側に値するマルコへと、その名目の通りに「指揮権の見直し」を議論しに向かわねばならない。

そうなると、長々と続く隊列の先頭から最後列へと向かうのだ。グリフィスは当然馬を使うだろう。目下の者から見下ろされることになるので、マルコも馬から降りられない。

 

グリフィスとマルコ……マルコが死んでからは、グリフィスのみが乗馬している状態が出来上がる。

グリフィスは真っ先にこの場に駆けつけ、誰に見咎められることなく、偽りの犯人を斬り殺すことが出来る。

 

「(抜かりねぇな…)」

 

もう外堀は埋められていて、あとはこの引き金を引きさえすれば、万事が上手くいく。そんな状況に追い込まれていた。

 

「(グリフィスのせいだ…)」

 

故に、念じる。

鷹の団に入ってから、惨めさや、不安、そして仇と共にいることへの罪悪感を感じる度、俺はこうやって心の平静を保ってきた。

 

「(グリフィスせい…グリフィスせい…グリフィスのせい…)」

 

半月前。俺がグリフィス暗殺を失敗したあの日……俺は既に悟っていたのだ。

 

グリフィスはこう言ったーー「例え鷹の団が今回の作戦に参加せずとも、オレたちの役目は別の誰かが負っていただろう」ーーと。

 

もし作戦を決行したのがグリフィスでなかったら、俺は傭兵狩りの情報をリークすることなく、滞りなく作戦に巻き込まれて、村の皆と一緒に処刑されていただろう。

 

本来は死んでいたはずの俺が、グリフィスによって生かされた。

 

これはつまり『俺が今後何を成そうと、何を殺そうと、その成果や罪の全てはグリフィスに還る』ということなのだ。

 

そうとも。それが当然。極めて自然。

 

グリフィスのせい、グリフィスのせい、グリフィスせい。

 

「……よし」

 

震えが止まった。

 

顔を上げると、丁度、グリフィスが地図を片付けて、後列へ、マルコの元へと向かって馬を走らせているところだった。

 

マルコも、それに気がつく。

 

二人の間があっという間に縮まっていく。

 

まるで命の導火線だと思った。

 

「(ーー今だ)」

 

俺は迷いなく、引き金を引いた。

 



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十話 隠密4

「快晴だな…」

 

澄み渡る青空を仰ぎ、マルコが言った。

マルコの父はブルッフ子爵の馬の世話をする馬屋住みの男であった。

貧しく学もなかったが、しかし清貧を良しとした、幼いマルコにとっては自慢の父親だった。毎日両手を真っ黒にして馬の体を磨く寡黙な父の横顔をみて、マルコは、将来己もこのような男になりたいと、偽りなくそう思ったものだった。

しかし、父はそうは考えていなかった。いち早く我が子の優秀さに気が付くと、当時ブルッフ領内で名の通っていた知識人の元へと奉公に出し、その才を磨かせたのだ。

マルコはその者の下で良く働き、良く学んだ。そしてやがて時が来ると、ブルッフ子爵家の元で事務官として働くようになり、気が付けば、この歳まで勤め上げるに至っていた。

 

「マルコ殿! 鷹の団団長より『一時休憩、指揮権見直しの必要有り』との知らせです!」

「ほう。そのような殊勝な男でもあるまいに。何を考えているのやら…」

「は、はぁ。それで、返答の程は」

「当然、貰えるものは貰っておきます。鷹の団には了解の意を伝えなさい」

「はっ!」

 

伝令役の兵が前方へと駆けていくのを見て、マルコはひとつ嘆息を吐いた。

 

「まったく、この歳であのような傑物を相手取ることになるとは…」

「…? マルコ殿、傑物とは?」

 

そう問いを投げかけてきたのは、ブルッフ子爵兵団の兵士長を務める、本来ならこの討伐作戦に当たり全軍の指揮を司っていたはずの男、ベッカーであった。一平卒からの叩き上げでここまで出世した腕のある剣士で、彼もまた、他の兵士たちと同じようにマルコのことを父のように慕っていた。

 

「……いえ、何も。それよりベッカー。前を行く傭兵団に追い付き次第、全軍に進軍停止の号令を」

「はっ」

 

若いベッカーは素直にそう返事を返すと、前を進む、鷹の団の後塵を見た。

子爵兵団は兵士長であるベッカーとその副官、そして子爵家の重鎮マルコを除き、残る全員が歩兵である。騎馬隊である鷹の団と共に行軍すると、やはり、両者には少々の間隔が開くのは必然。

未だ行軍中にある子爵兵団に対し、身軽な鷹の団は既に休憩の構えに入りつつあった。

 

「……しかしマルコ殿、子爵様も、随分と面倒なことをしてくれましたね」

 

声を抑えつつ、しかしその内にこもる侮蔑は隠そうともせず、ベッカーが言った。

 

「口には気をつけなさい」

「ですが、あの豚が迂闊にも傭兵の口車に乗せられたせいで、尻拭いの為、マルコ殿が盗賊の討伐などに…」

「ベッカー」

 

ピシャリと遮ったマルコに対し、ベッカーは尚も不満気にブツブツと呟く。

 

「……そもそも、我が領内に子爵様を慕っている者など一人たりともおりません……実質ブルッフ領をまとめ上げているのはマルコ殿です。それにも関わらず、子爵様はいつまでたってもマルコ殿を邪険にして……マルコ殿はもっと大きなことをされるべきです。あなたは、あんな暗愚の下で金勘定だけをして終わっていい方じゃない」

「私をここまで取り立てて下さった先代への恩というものがあります……ベッカー、あまり困らせないで下さい」

「……申し訳ありません」

 

不承不承といった風に頭を下げるベッカーを見て、今朝からの行軍で初めて、マルコが穏やかに表情を緩めた。

 

「何も悪いことばかりではありませんよ。現に、先ほどなどは思わぬ出会いがありました」

「出会い……あの少女の事ですか」

「ええ。まるで、アニータが戻ってきたようだった…」

 

節くれだった皺だらけの手の平を胸に当て、マルコが祈りの言葉を口にする。その瞳はうっすらと潤んでいて、何かに耐えてもいるようにも見えた。

父と慕う男の、その痛々しくも安らいだ姿を見て、ベッカーもまた、従軍中にも関わらず優し気な笑みを漏らす。

 

「アニータ。お孫さんでしたね」

「……流行り病で二年前に。結局、馬の乗り方は教えてやれませんでした」

「そうでしたか…」

 

しばらく沈黙が続いたのち、ベッカーが気遣わし気に口を開いた。

 

「お孫さん……そんなに似てたんですか、あのアルマって子に」

「いや。髪の色から背格好まで違っていましたね。だが、あの子は早くに両親を亡くしていて……いつも、暗い目をしていた。もしかしたら、そこが重なって見えたのかもしれませんね」

「……そうでしたか。では、あの少女も…」

「…………」

 

鷹の団の後列にようやく追いつき、全軍に停止命令がかかる。

 

「晴らしてあげたかったですね。彼女の抱える闇を」

 

その数分後、どのからともなく飛来した一本の矢によって、ブルッフ領の潔人と呼ばれたマルコの生命は絶たれた。

 

 

 

風の吹きすさぶ草原。

鷹の団と子爵兵団が、共に不安げな顔を寄せ合い、入り混じって、グリフィス、ベッカー、そしてマルコの遺体を中心にして集まっている。

 

あの後、子爵兵団は大混乱に陥った。

幸いにも、卑怯にもマルコを隠れ撃った下手人は、傭兵グリフィスの手によって迅速に始末された。しかし、長年に渡り子爵兵団の信用を集めていたマルコの死は、当然ながら、兵達に多大な精神的ダメージを与えていた。

 

「……グリフィス殿」

 

ベッカー兵士長は頬を涙に濡らしながら父と慕った男の遺体を抱え、見事仇を討ってくれた傭兵団団長、グリフィスに向かって言った。

 

「大恩、感謝の言葉もない」

「いえ。マルコ殿のような高潔なる方の、その気高い生命が汚い手段で絶たれてしまったこと。それが許せず、気が付けば義憤のままに体が動いていました」

 

目を伏せ、静かに黙祷を捧げながらそう言うグリフィス。

粗野な傭兵稼業でありながら、自分たちが仕える子爵などよりも余程騎士然としたその姿に、束の間悲しみを忘れ、子爵兵団一同は「ほう」と感嘆の溜息を溢す。突然の襲撃に動揺を隠せないでいた鷹の団の面々も、自分たちの団長の堂々とした姿に胸を張って答えた。

 

「ありがたい。貴方という人がこの場に居合わせてくれたことは僥倖だった。……それでは、残念ですが、本作戦は一時中止。屋敷へ戻り、マルコ殿の遺体を安置した後、子爵様の判断を仰ぐことに致しましょう」

 

ベッカーがそう提案して、兵士長として兵たちに撤収の号令を出す。

対し、鷹の団の団長たるグリフィスといえば、その整った柳眉にシワを寄せ、静かにマルコの遺体を見据えていた。

 

「どうしたのですグリフィス殿。さぁ、貴方も部下にーー」

「ベッカー殿。本当に討伐隊を退かせるおつもりで?」

「……? 同然でしょう。我らが編成軍の長となるべき人が倒れた。となれば、それは討伐隊が総崩れになったも同然」

 

グリフィスの顔に、失笑が宿る。

 

「……グリフィス殿。何が可笑しいのです」

「ふふっ……失礼。あまりにもマルコ殿が忍びなく思い、つい…」

 

再び、静かな笑い声を漏らすグリフィス。そのあまりに不謹慎な態度に、恩を忘れ、ベッカーは顔を真っ赤にして怒鳴ろうとして……目の前の傭兵の、その瞳の奥に宿る失望の色に気がついた。

 

「ベッカー殿、質問です。この暗殺者の男……一体どこの者かお分かりになりますか?」

「……さて。我らがブルッフ子爵殿は領民へ多くの恨みを買っておる故な。検討もつかん」

「では、死体を改めてみてはいかがでしょう」

「…………」

 

ベッカーが何人かの部下に指示を出し、暗殺者の身体を隈なく調べさせる。

 

「ーー! ベッカー兵士長! これを!」

 

やがて、作業に当たっていた一人が暗殺者の死体から、乱暴に折り畳まれた羊皮紙を見つけ出した。

部下から受け取ったそれに目を通したベッカーは、しばらくしてから、驚愕の声を上げることになる。

 

「馬鹿な! 盗賊どもに、我ら討伐隊の出兵が知られていただと!?」

 

その羊皮紙には、汚い字で、近くブルッフ子爵が盗賊の討伐隊を結成することと、その際に用いるであろう街道、そして討伐隊指揮官の暗殺を依頼する旨が、確かに書き連ねてあった。

 

本来ならばこの編成軍で指揮権を持つのはグリフィスであるが、まさか傭兵たちを率いる若者にその大役が任されていると考える者はいまい。

ブルッフ子爵家の重鎮たるマルコが狙われたのは、至極当然の事と言えた。

 

「やはり盗賊どもの手の者でしたか……このタイミングでの犯行、そうでないかと思っていました」

 

狼狽えるベッカーを尻目に、グリフィスが確認するようにしてそう呟いた。

 

「それで、ベッカー殿。この一件の黒幕が明らかになった上で、貴方は尚も討伐隊を退かせるべきだとおっしゃるのですか?」

「む…」

「もう理解しておいででしょう。情報をリークした者がいる。盗賊どもにはこのような仕事を生業とする者たちへのツテがある。であるなら、事態はまた引き起こされるーー流石の子爵殿も、今回の話を聞けば容易に想像できるでしょう……次に狙われるのは、自分であってもおかしくないと」

「……っ」

 

ベッカーが、グリフィスの煌々と輝く瞳を見る。

 

「そうなれば……あの保身に長けた子爵殿のことだ。討伐隊はブルッフの屋敷を守る守兵隊へと早変わりすることでしょう。少なくとも、兵士長として信用を寄せられている貴方は、二度と討伐隊として出兵できる立場にはならない。マルコ殿を亡き者にした憎き賊どもへ憤怒の炎を燻らせながら、事が収まるまで豚の世話係を拝命することになる」

 

ベッカーの頭に、今グリフィスに言われた通りの情景が浮かび上がる。

 

父とも思っていたマルコが殺されたにも関わらず、その首謀者は野放しにされ、自身はあの豚のお守り。

再度討伐隊が結成されても同行は許されず……それどころか、賊どもがいつまでもブルッフ領に留まっていることさえ疑わしい。

 

「今なのですよ、ベッカー殿」

「い、今…」

「その通り。いま、今日このとき……貴方が自らの手でマルコ殿の仇を打ちたいと願うなら、その千載一遇の機会は今なのです」

 

グリフィスが、マルコの震える両肩にその手を乗せる。

 

「僭越ながら、鷹の団がそのお手伝いを致しましょう。我ら討伐隊の指揮を執るのは亡きマルコ殿でも、子爵から指揮権を託された私でもない…」

 

「ーー貴方ですよ、ベッカー殿」

 

感情のスイッチを無理やり切り替えられたようだった。ベッカー兵士長の涙に濡れた瞳に、一瞬にして力強い光が宿る。

 

「……グリフィス殿」

「感謝の言葉なら必要ありません。大義の為ゆえに」

「〜〜!」

 

ベッカーが濡れた頬を拭い、面を上げる。そこには自身と同じ悲しみ、そして怒りを共有する勇士たちの姿があった。

 

「傾注!」

 

剣を振り上げて、ベッカーが叫ぶ。

 

「たった今、賊どもの卑劣な行いによって、我らの父、マルコ殿の命が無残にも散らされた! これが許せるか!」

「「「否!」」」

「ここで逃げ帰り、喪に服することのみが死者へと弔いとなり得るか!」

「「「否!」」」

「ならば戦おう! さすれば我らの正義の刃が、愚劣極まる悪賊どもを一人残らず討ち倒すであろう!」

「「「応!!」」」

 

ベッカーの鼓舞に、両団共に拳を振り上げて応える。

編成軍はここに真に一丸となって、勇ましく馬鉄を踏み鳴らしながら、盗賊団討伐のため進軍を再開した。

 

 

 

戦いは一方的だった。

 

まず編成軍は、盗賊団が根城にしていた森の中にある古い廃屋へと辿り着くため、何人かの見張りを躱す必要があった。

そしてここで役立ったのが、投げナイフの名手である傭兵ジュドーと、そして何と言っても、未だ幼い容貌の少女、アルマだった。

アルマは先行して行った索敵により見つけ出された敵見張り兵を、山猫の身のこなしで声も上げさせず殺し周り、見事グリフィスの期待に応える仕事振りを見せた。これには鷹の団、子爵兵団ともに目を見張って驚き、拍手喝采を惜しまなかった。

 

アルマがそうやって森の中にいた四人を倒し、その後、進軍中に遭遇した二人を投げナイフでジュドーが撃破。

討伐隊は、目と鼻の先に敵の本拠地を確認できる距離まで、敵に最低限の戦支度さえ許さないまま接近することを成功させた。

 

そして開戦。

本来の作戦なら鷹の団が先行して敵と当たっていた所だったが、グリフィスの「騎馬隊は横からの奇襲が最も効果的」との発言によって、鷹の団騎兵六十は三十ずつに分けられ、予め森の中に伏兵として隠されることになった。

 

突然の襲撃である。

寝耳に水とばかりに廃屋の前で武器を持って固まる敵八十人に対し、まず子爵兵団の歩兵百が突撃を敢行。その後一当たりしたとほぼ同時に、鷹の団が両翼からはさみ込むようにして、盗賊団の腹を切り裂いた。

これにより敵兵の戦意はガタ落ちし、何とか形だけは保っていた陣形も崩れ、武器を捨て敗走する者が続出。鷹の団は、奇襲後は主にこの敗走兵を馬上から狙い倒すことで安全に戦果を上げた。

 

戦局はそのまま討伐隊優勢で進んだ。

しかし、それでも盗賊たちも必死である。廃屋から隠れて矢を放ち、石を投げ、虎の子の火薬まで持ち出してくる。

結局、森から喧騒が消えた後。実に子爵兵団二十四名が、変わり果てた姿で地へと横たわっていた。重傷軽傷を負ったものも多数いる。

 

対し、鷹の団はこれといった被害のないまま、勝利を掴みとることができたのだった。

 

 

 

夜。

討伐隊の面々は見事討伐成功を果たし、少々の捕虜と共にブルッフの屋敷へと帰還していた。

今、鷹の団の天幕群では団員全員が火を囲み、祝杯を上げている最中。

そこらかしこで活力ある笑顔が弾け、皆、これ程の戦果を上げながら無傷である自分たち鷹の団と、そして団長グリフィスに乾杯の音頭を飛び交わせていた。

 

「グリフィスの策はドンピシャだったなぁオイ、リッケルトちゃんよォ!」

「コ、コルカス…! 声が大きいよっ……もし聞こえたりしたら大変じゃないかぁっ……でも、うん。オレたちの作戦はーーグリフィスが土壇場で作戦を変更。鷹の団が伏兵、子爵兵団が主力になって、安全に褒賞を手に入れるーーっていう本当の作戦は、見事に大成功だった。流石はグリフィスだよね」

「実際、あのマルコとかいうオッサンが付いてきた時と、グリフィスが指揮権の見直しなんて言い出した時にゃあ、オレァ、頭に来ておかしくなりそうだったけどよ…」

「……うん。まさか、殺されちゃうなんて…」

「……チッ、暗くなっちまったな。奴さんのお陰で、俺たちゃ今日も美味い飯が食える。それでいいじゃねぇか……っと、それよりもだ! オイ、アルマ!」

「ーー! あ、うん。なに?」

 

ゆらゆらと揺れる火を見ながら、意識が何処かへ飛んでいたらしい。

声がした方へと振り向くと、炎の明かりに当てられ、顔をオレンジ色に明るさせたコルカスとリッケルトが、笑顔で俺を見ていた。

 

「この千両役者が! テメェがあんなこと出来たなんて知らなかったぜ!」

「凄かったよ。これで鷹の団全員が、グリフィスが何故アルマを重用するのか、理解したと思う」

「……? あんなこと?」

 

思わず、キョトンとして返してしまう。

今日は色んな事があり過ぎたから、具体的に言って貰わねば、あんなことが何を指すのか分からなかった。

 

「とぼけんじゃねーよ。森の中で……お前があっちゅー間に見張り四人をぶっ殺しちまったことだ」

「……ああ」

 

コルカスに言われて、ようやく思い出す。

マルコを撃ったことが重すぎて印象に残らなかったが、そういえばその後に四人殺したのだった。

 

「大したことねぇよあんなの」

「謙遜する必要ないよ。みんな感謝してたんだから。オレたちの被害が少なかった理由の一つは、アルマが次々と見張りを倒して、ギリギリまで見つからずに接敵できたお陰だって」

「まっ、ほとんどグリフィスの成果ってのには変わりねぇけどな」

「コ、コルカス〜…」

 

二人のやりとりが面白くて、思わず吹き出してしまう。

 

「何だ。笑えんじゃねぇか」

「……え?」

「あー、なんだ。お前、あのオッサンと仲良さそうにしてやがったからな。その、落ち込んでやがったら鬱陶しいなーと思ってだな…」

 

コルカスがゴニョゴニョとそう言って、照れ臭そうにソッポを向く。

この自己中を絵に描いたような男が見せた意外な一面に、俺とリッケルトは少々驚いて顔を見合わせた。

 

「ど、どうしちゃったのコルカス……悪いものでも食べた?」

「う、うるせぇ! 食ってねぇよ! オレが仲間を気遣うのがそんなに不思議か!? ええ!」

「いいさ、リッケルト。追求してやるな。俺が魅力的すぎるのが全て悪いのさ…」

「ちっげぇよ!! 誰がこんなチンチクリンのクソ餓鬼にチンコおっ勃てるってんだよ!」

「……何ぃ…?」

 

久々に、カチンと来た。

 

「俺がチンチクリンならテメェはクリチンチンだ! このマロンサイズ野郎が!」

「オ、オレさまのチンチンが栗並みだァ!?」

「おーそうさ! それもむき栗じゃねぇ! 皮ひっ被ったヘナチョコ包茎マロンだよ!」

「よーしアルマァ! てめぇソコで大人しくしてろ! 本当にオレのが一口サイズで済むか、その小ちゃな口ん中ぶち込んで試してやらァ!!」

「も、もう! 止めなよ二人とも! みっともないって!」

 

気がついたら、三人で押し合いへし合いしながら怒鳴り合っていた。

そんな俺たちを酒のつまみにして、周囲からは楽し気な野次と笑い声が飛んで来る。

それに釣られて、俺たちも馬鹿を続けながら笑ってしまう。

 

「だいたいテメーは女の癖に、もっとお淑やかに出来ねーのか!」

「お淑やかって言葉がテメェのデカイ口から出るとは思わなかったよ!」

「やめなってー!」

 

喧騒は続き、乾杯は止まない。

この日、俺は本当の意味で鷹の団の一員となったような気がした。

 

 

「…………」

 

視界の端で、グリフィスが楽しげに俺を見ている。

 

マルコのことは、もう気にならなかった。

 



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十一話 寡黙な男

ほのぼのです


皆さんこんにちは!

鷹の団所属、美少女傭兵のアルマちゃんです!

 

突然ですが、昨今では戦争の影響か、自分たちの村に余所者を立ち入らせることを嫌う、狭量な人達が増えているようですね……何処かで聞いたような話ですが、自分たちで「する」のと「される」のとでは大違い!

 

私は今、とても頭に来ているんです!

 

 

 

「ねぇねぇグリフィス〜」

「駄目だ」

「お願い〜」

「駄目だと言ったら駄目だ」

「お願いだにゃん」

「やめろ。いい加減鬱陶しいぞ、アルマ」

「うっとっ……お、お前! こんな美少女が可愛くお願いしてるのに…!」

 

「……おい、何をやっているんだ」

「あっ、キャスカ…」

 

時刻は昼前。鷹の団の野営地。

天幕の中で地図を広げるグリフィスにしな垂れかかり、甘えんぼ子猫ちゃんモードでおねだりをしていたところ、よりにもよって一番冗談の分からない、大真面目キャスカのお目見えとなった。

俺は一瞬で真っ青になって、体の動きを停止させる。

 

「何をしてる、アルマ」

「いや、これは…あの…」

 

しどろもどろになりながら、弁明を考えつつ目を向けると、キャスカの目尻はどんどん吊りあがっていって、我慢ならぬと今にも大声で怒鳴り散らしそうな様子。

 

素早くグリフィスから体を離し、その場から二歩三歩と後退した。

 

「答えろアルマ! ま、まさか、グリフィスと…そ、そういう関係なの!?」

「ち、違う! だから、これはだな…」

 

入団から三ヶ月が経過し、徐々に団内での恋愛模様にも理解を示しつつある今日この頃。

特にキャスカからグリフィスへの矢印には、他の団員たちと同様、日頃から大きな関心を寄せている俺としては、また、女同士の友人関係を壊したくない身としては、このような説明し難い状況を当人に見られるのは、最も避けるべき事の一つであった。

 

「あの、えーと…」

 

そういう事情もあり、俺がどうしたものかとアタフタしていると、地図から目を離したグリフィスが静かに嘆息して、俺たち二人へと向かって顔を上げた。

 

「安心しろキャスカ、妙な真似はしてない。ちょっとばかり『お願い』をされてただけさ」

「お、お願い…?」

「あー! 言うなよグリフィス! ぜってー言うなよ!」

 

必死に止めに入るが、時すでに遅し。

 

「こいつ、さっき村で入村拒否を喰らっちまったとき、村の子どもから顔面に馬の糞をぶつけられてな」

「うわ…」

 

キャスカが静かに俺から距離を取った。

 

「て、てめぇ…あっさりとバラしやがって…!」

 

俺は両手を握り締めて、射殺さんばかりに目の前の男を睨みつけた。

 

ーーそうなのである。

時は遡って今日の午前中。

この数日、鷹の団はチューダーの地方貴族であるゲノン男爵の元へ、領地紛争参戦の為に向かっていたのだが……その最後の中継所となるはずだったとある農村で、交渉に赴いていた俺とその他数名の団員が、入村拒否を言い渡されてこっ酷く追い出された…という事があった。

そしてその際、見るからに汚らしいクソ餓鬼が、よりにもよって美少女であるこの俺に向かって、馬の糞を投げ腐りやがったのだ。

餓鬼の狙いは命中し、顔面糞まみれになった俺は泣きながら水場へと駆ける羽目となった。

 

……こんな話、あまりにみっともない。

 

よって、事情を知る数人の団員たちを拝み倒してまで噤口令を敷いていたのだがーーこの男、オカマ野郎のグリフィスは、たった今それを、いとも容易く破りやがったのだ。

 

「事情は分かった」

 

顔を真っ赤にして怒る俺を横目で見ながら、キャスカがそう頷く。

 

「じゃあアルマのお願いっていうのは、このことを誰にも言わないでくれという…」

「いいや。団の全員で村のすぐ脇を行進して、自分を馬鹿にした子供たちを驚かしてやりたいそうだ」

「小っさっ!」

 

キャスカが驚きに目を張った。

 

「う、うるせー! お前ら二人とも、公衆の面前で顔面にクソ喰らった経験あんのかよ! 糞女糞女って、餓鬼どもから囃し立てられた経験あんのかよっ!」

「い、いや。だからといってな…」

 

呆れた顔を修正するように咳払いして、キャスカが諭すような口調で言う。

 

「アルマ。お前も最近までは、その村の子供たちと同じ、傭兵を憎む側だったんじゃないのか?」

「……まぁ、うん」

「お前も、例えば馬の糞でもぶつけたいと思うくらい、傭兵を憎んでいた。違うか?」

「そうだけど」

「だったらーー」

 

キャスカの言いたいことは容易に察することが出来た。大方、餓鬼どもの気持ちを汲んで、広い心で許してやれということだろう……全くもって反吐がでる。

 

「嫌だね!」

「なにっ…アルマ!」

「だって俺は人様に馬の糞なんてぶつけたことないし、例えぶつけたとしても可愛いから許して貰えるもんね! しかーし! あのクソ餓鬼どもは全然可愛くねーしムカつくから絶対に許さんッ!」

「何だその理屈は!」

「うるせぇ! グリフィスが協力してくれねーっつーなら別にいいよ! 他の野郎ども誘って行くからよ! ばーか!」

「ま、待て!」

 

キャスカの掴もうとする手をヒラリと躱し、天幕の外へと躍り出る。

 

……これは聖戦なのだ。俺をコケにしやがったあの餓鬼どもは、必ず痛い目に合わせねばならないのだ。

 

「待ってろ餓鬼ども…」

 

俺はグリフィスの天幕を飛び出した勢いをそのままに、野へと駆けていった。

 

 

 

金髪の少女が風のように去った後の天幕には、再び地図へ目を落としたグリフィスと、その背中に向かって言い募るキャスカのみが残されていた。

 

「グリフィス! アルマの好きにさせていいの!?」

「構わないさ」

「でも…!」

「キャスカ。何も、あいつも本当にあんな馬鹿なこと考えてる訳じゃない」

 

信頼を寄せる男の言葉に、キャスカがきょとんとして瞬きをする。その幼い仕草を横目で見て少し笑ったあと、グリフィスはアルマの真意というものをこの少女へと説明した。

 

「ちょっとしたお灸を据えてやるつもりなのさ、アルマは」

「……?」

 

仕返しじゃなくて、お仕置きをしに行ったってこと? と首を捻るキャスカ。

 

「まぁ、そんなとこだ。子供ってのは、口だけで言っても聞きやしないからな。それが一度恥をかかせて追い払った女の子の言うことなら尚更」

「えっと…」

「つまりアルマは、また俺たちみたいな傭兵が来ても、子供たちが今回みたいな馬鹿をしないように『躾け』をしてやるつもりなのさ」

「……あ」

 

キャスカが納得して顔を上げた。

同時に、自身があの少女へ向かって賢しげに言ったあれこれを思い出し、恥ずかしさに顔を赤くする。

 

アルマは、別に馬の糞をぶつけられたことに腹を立てていた訳ではないのだ。いや、その意趣返しの面も多少はあるのかもしれないが、しかしそれが全てではなく、本当の目的は子供たちへの躾け……教訓とも呼べるものを教えてやることだったのだ。

 

先ほどキャスカはアルマの故郷、傭兵狩りの村でのことを引き合いに出して、彼女を説得しようと試みたが、何てことはない。長年傭兵から苦渋を舐めさせられてきた彼女自身が、やはり一番に、傭兵嫌いの子供たちを心配し、慮っていたのだ。

そして今彼らに最も必要なことが『傭兵の怖さを知ること』だと考え、故にあのような行動をとったのだーー

 

「……私、あとで謝らないと」

「必要ないさ。きっと、あいつも気にしてない」

「で、でもーー」

 

キャスカがそうやって、アルマへの謝意を言葉にしようとしたそのとき。天幕の外から、騒がしい馬脚の音と共に、件の少女の楽しげな声が聞こえてきた。

 

「よぉコルカス! ちょっとばかし麓の村へ降りて、暇潰しがてら生意気な糞餓鬼どもをからかってこようぜぇ!」

「はーっ、やれやれ。ガキ相手に憂さ晴らしとは、おめーも趣味がわりーなぁ……乗ったァ!」

「ええー! ちょ、ちょっと二人とも! 本気で言ってるの!?」

「あ、リッケルトも来る?」

「えっ?」

「よォーし、オレさまたち三人で村のガキ苛めてくるか!」

「ええ〜!?」

「ふふ…肥溜めにぶち込んで顔どころか全身糞塗れにしてやるぜ…」

「ひゃっひゃっひゃっ」

「は、離してよ〜!」

 

「…………」

「……グリフィス」

「ああ」

「さっき言ってたことって…」

「全てオレの推論だな」

「……ゴメン。私、いま初めてグリフィスを疑ってる」

「オレもこんなに自分に自信がないのは初めての経験だ」

 

 

 

ダダダッダダダッとリズミカルに蹄鉄が鳴る。音の元は三頭の軍馬。俺を先頭に、コルカスとリッケルトの乗ったもの。そして最後尾に巨漢のピピンを乗せた骨太の馬が、一列になって村までの獣道を駆けていた。

 

「つーかよぉ、ピピンまで付いてくるとは意外だったよな。子供嫌いなのかねェ」

「絶対に違うと思う…」

 

俺はコルカスとリッケルトの話に耳を傾けながら、上達した手綱さばきで馬を自由自在に操る。これはマルコから受けた教えを無駄にしたくないと、日頃から馬術の訓練を重ねてきた結果だった。

 

「(マルコさん…天国から今の俺を見て喜んでくれてるだろうか)」

 

誇らしい気持ちで天を仰ぐと、ふと罪悪感のようなものが湧いてきたので、慌ててその感情に蓋をする。

 

マルコを亡き者にしたのは確かに俺だが、何度も言う通り、その罪の全てはグリフィスに帰すべきことなのだ。俺が罪の意識を感じる必要などない……はずなのだが、そこはやはり大天使アルマちゃん。責任感の強い、思いやりのある良い子。そして、それ故の悩みだった。

 

「(グリフィスのせいグリフィスのせい…)」

 

いつものようにグリフィスに責任転換して心を平静に落ち着ける。

まったく、色んな意味で便利な奴だ。いま奴が死にでもすれば、俺はきっと生きてはいられないだろう。

 

まぁ、それは兎も角として。

 

「…………」

 

チラリと背後を振り返ると、そこには細目にタラコ唇の男、ピピンが、俺たちと同じように馬を駆っている。

 

「(俺あの人苦手なんだけどなぁ〜。何で付いてきたんだろ…)」

 

そんなことを思いながら、再び前方へと意識を集中させる。

 

この三ヶ月で、俺は様々な団員たちと共に飯を食ったり、行軍中に雑談したり、共に戦ったりしてきた(ブルッフ子爵の元を出てから二度の戦場を経験した。目ぼしい活躍はしていない)のだが、その中でもこのピピンとはあまり一緒にいた事がなく、本人が無口な事もあり、何を話して良いのかさえ分からなかった。

 

故に鷹の団の野営地を出る際も、このピピンには声をかけずに来たはずだったのだが……なぜか、気がつけばピッタリと後ろに付けてきている。

 

「(ま、いいか。このデカブツ見せたら、あの悪餓鬼共もちったぁビビるだろ)」

 

そんなことを考えながら、ピピンも組み込んでこの後の復讐プランを練る。

 

まず肥溜めの件だが、落としたそばから糞を投げつけられる可能性が浮上したので、慎重な審議の末却下となった。

……となると、馬で追いかけ回して餓鬼を獲物に狩りの練習でもするのが一番健康的で良いかもしれない。訓練にもなるし。

 

ということで、その旨を下衆な笑いで了承したコルカスと、可哀想だと反論してきたリッケルト、そして無言のピピンへと伝えたのだがーー

 

俺たちが村の前で目的の餓鬼どもを発見したとき、奴らは既に窮地に陥っている最中にあったのだった。

 

「くそガキども! テメェらだな! オレに石を投げつけやがったのは!」

 

そこでは、六人ほどの傭兵風の男たちが、八〜十歳に見える二人の子供(俺に糞をぶつけた兄弟である)相手に詰め寄って、額に青筋と、そして青痣を浮かべていた。

状況から見ると、青痣の方は餓鬼どもの仕業なのだろう。兄弟は怯えて、縮こまりながら周囲を見渡している。

 

……大方、俺を追い払うことが出来て調子に乗ったのだろう。

通りかかった傭兵どもに石をぶつけて、キャッキャと喜ぶ餓鬼どもの馬鹿な姿が目に浮かぶようだった。

 

「…………」

 

周囲を見てみると、何人かギャラリーの村人がいるようだったが、遠目から見ているだけで助けに入る素振りはない。

餓鬼どもの自業自得とはいえ、薄情な奴らであった。

 

「あーらら。もう先客がいるじゃねーか」

 

後からやってきたコルカスが村の様子を見て、そうが呟いた……そのときである。

青痣をつけた男が、拳を振りかぶって兄の方の腹をぶん殴った。

餓鬼はすっ飛んで、木の柵にぶつかってから崩れ落ちる。

 

四十メートルほど離れたこの場所まで、兄の呻き声と弟の泣き声が聞こえてきた。

 

「あ、殴りやがった」

 

コルカスが、見世物でも見ているかのように軽くそう言う。「止めた方がいいんじゃない?」と提案するリッケルトに対しても「バーカ。ありゃオシオキの範疇だよ」と返し、馬上でリラックスした体制をとる。どうやら本格的に観戦の体に入るらしい。

 

そしてそれは、俺も同様であった。

 

「ねぇアルマ、止めた方が……って、何で今パンを食べてるの?」

「餓鬼の泣き顔をおかずにしようかと」

「酷すぎる…」

 

リッケルトに呆れられた。

ついでにピピンも物凄く厳しい顔をしている……子供好きなのだろうか?

 

「……もぐもぐ」

 

それに自分でも、何だかとても嫌な奴になった気分である。

予定では餓鬼を追い回しながら馬上で食べるつもりで、わざわざ配給分を持ってきたのだが……何とも不味い昼食になりそうだった。

 

まぁ、あの大人げない傭兵も、もう二、三発殴る蹴るしたら落ち着くだろう。

ナマハゲと同じだ。幼い頃に教訓として刷り込まれた恐怖が、大人になってから役立つことになるのだ。

今回の場合は、武器を持った相手に逆らうなというーー

 

「おっ、剣抜きやがった」

「えっ」

 

コルカスの呟きに顔を上げると、泣きじゃくる餓鬼の頭上で、ギラリと光る鋭い刃が振りかざされている。

 

「あっ」

 

とっさにクロスボウへと手を伸ばした。

 

俺はいま二本のクロスボウを所有しているが、この距離では自分の力でも弓を引けないような、板バネの強い、飛距離の出る方を使用せねばならない。

そうなれば、当然弓を引く作業は他の誰かにやって貰う必要がある。そこから矢をセットして、狙いを付けて、引き金を……無理だ。とても間に合わない。

 

「……っ!」

ーービン

 

餓鬼を襲う凶刃は、そのまま何の障害もなくーーいや、障害はあった。今しがた何処からか飛来した一本の矢が、その障害となり得たからだ。

 

「ぎ、きゃああ!」

 

何者かが射った矢は、傭兵の振りかぶった右腕に寸分の狂いなく突きたっていた。

 

「クソッ、いてぇ! だ、誰だ! どこから飛んで来た! 村の奴らか!?」

「いや、あそこだ! あの馬に乗った四人組!」

「あ、あんな距離から!?」

「確かに見た!」

「畜生! ぶっ殺してやる!!」

 

途端に六人の傭兵たちが色めき立って、それぞれ武器を手に、こちらへと向かって走ってくる。

 

「…………」

 

今の一撃は、まったく誰がやったかわからないが、本当に見事で芸術的でエキセントリックな、まさにパーフェクトな射だった。

射手はさぞかし凄腕の美少女なのだろうと、この俺が思わず感心してしまうほどに……

 

「あーあ、アルマのやつ、やっちまったよ。どーすんだ、向こう六人だぜ?」

「逃げようよ。倍の人数だよ」

「……リッケルトちゃんよ、お前戦力から自分を抜いてねぇ?」

「だ、だってオレ、初陣まだだし…」

 

「…………」

 

ピピンが、無言でサムズアップしてくる。

 

「……どうも」

 

俺は引き金から指を離し、その小さな賞賛に答えた。

 

今の一射は、別段、俺が神がかり的なスピードでクロスボウに矢を番え射った……などという訳ではなく、このピピンによって成されたところが、その割合の多くを占めていた。

あの時この男は、あの青痣の傭兵の一挙手一投足というものに不穏さを感じとったのだろう。この巨体からは考えられないほど機敏な動きで俺の馬に括り付けてあったクロスボウを取り上げ、怪力で一瞬にして弓を引き、それを俺へと押し付けたのだ。

その後、流れのままに台座に矢をセットした俺は、同じように構え、引き金を引き、今に至ることとなった。

 

「……ふん。別に俺は助けたかった訳じゃないんだからな」

「照れるな」

「はぁ!? 照れてねぇし! それよりてめぇ話せたのかよ!」

「…………」

「何か言えよ!」

 

イライラして怒鳴ると、ピピンがその太い指をチョイチョイとやって、俺に何かを伝えようとしてくる。

 

「……こいつを渡せってこと?」

 

何となく感じ取ってクロスボウを渡してみると……当たりだったらしい。再び怪力でグインと弓が引かれ、それを俺へと返してくる。

 

「ピピンの野郎、戦う気だぜ」

「えーっ、逃げようよぉ」

 

何だかんだ言って、二人も馬上で抜刀する。

 

「……マジでやんの?」

「殺すなよ」

 

尋ねた俺にピピンはそう返してから、走ってくる傭兵六人に向かって、馬を駆けさせていった。

 

 

 

とある農村で巻き起こった小さな諍いの結末は、見事鷹の団の勝利に終わった。

戦果としては、ピピンが三人、俺が二人(二本のクロスボウで一射ずつ)コルカスとリッケルトで一人という結果となり、ピピンに言われた通り死人は出さなかった。

 

餓鬼に石を当てられ、立て続けに俺たちから襲撃を受けるという、何とも散々な目に遭った傭兵たちは、軽く手当をしてやった後、適当に追い払っておいた。

こんな仕事をしているのだ。理不尽なことなど珍しくもないし、何より奴らも石をぶつけられたとはいえ、それだけで餓鬼を殺そうとした。そこには報復の気持ちだけでなく、弱者をいたぶる加虐心も存分にあったことだろう。

正義ぶるつもりはないが、彼らもまた強者からの被害を受けたということで、納得して貰う他ない。

 

そして事態がひと段落してから数分後。

 

「クソ餓鬼コラァ!」

「「痛っ!」」

 

俺はスパーンと餓鬼どもの頭を叩いて、足をかけて地面へ倒し、顔をグリグリと踏みつけた。

人によっては御褒美にしかならないこの行為だが、まだ若いお陰か、兄弟はその深淵を覗き込んではいない様子で、相応に痛がって、抵抗してくる。

 

「ア、アルマ。気持ちは分かるけど、そこまでにしておいたら? この子達も怖い目にあって十分反省してるだろうし…」

「えっ…このあと紐で縛って、村中馬で引きずり回そうと思ってたんだけど…」

「更にそんなプランが!?」

 

驚くリッケルトを尻目に、俺は兄弟を爪先で転がし、仰向けにする。

 

「…………」

 

幼い二人は、両目に涙さえ湛えて、命乞いをするかのようにこちらを見上げていた。

 

その姿と、かつての自分が重なって見えた。

 

「……もう、自分より強いやつに悪さすんじゃねぇぞ」

「「う、うん」」

「イタズラするときは弱者にしろ」

「「わかった」」

「いやいやいや…!」

 

リッケルトがまた何だかんだと口を挟んできたので、二人の情緒教育は任せてピピンの元へと向かう。

 

「…………」

 

相変わらず口を一文字に引き結んだ寡黙な男は、何だか話しかけ辛い雰囲気で、どしんと仁王立ちしてそこにいた。

 

「ねぇ、そういやピピンってさ、何で俺たちに付いてきたの?」

「…………」

 

ピピンが、黙って俺のことを指差す。

 

「俺を心配してくれたのか?」

 

無口キャラを気取っているのか、単に口下手なだけなのか。

ただ一言だけ理由を言えばいいものを、そうとはせず、あくまで『人に気付かせる』といったスタンスを頑として崩さないーー

 

「!!」

 

そのとき、俺は唐突にこのピピンという男のことを理解した。

この男は、決して変わり者でも、言語機能に障害がある訳でもないのだと。

 

「(本当に大切なことは、軽々しく口にすべきじゃない……お前は、そう考えているんだな)」

 

口で説明されれば、確かに理解することは簡単だ。

しかし人間、簡単に理解出来たことは、また簡単に忘れもする。

しかし、自発的に気付かせてやれば……自ら理解をしようとすれば、そうはならない。自ら得た経験は、それを得るまでの過程でした苦労と共に、一生その人の記憶に留まり続けることになるだろう。

 

「……あっ」

 

そして、それは奇しくも、あの餓鬼どもに俺がしようとしていたことと同義であった。

 

教訓を教えるということ。

 

ピピンは決して無口な男などではなかった。『人に気付かせる』を普段から遵守して、そのように行動していたに過ぎなかった。誤解されても、本当に大切なものを教えるため、彼はずっとそうしてきたのだ。

 

「ピピン…俺、今まで誤解して……あれ?」

 

ピピンの指が、先ほどから俺を指差したまま動かない。いや、もっと具体的に言えば、その指の直線上には、俺ではなく、俺の鞄がーー

 

「昼飯、要らんならくれ」

「…………」

 

手渡すと、ピピンは嬉しそうに俺の食べかけのパンをムシャムシャと頬張り始めた。

何でも、配給時に俺がいつまでも食べないで鞄に入れていたから、要らないのだと思って狙っていたらしい。

 

ああ、だから餓鬼の泣き顔でパン食う〜のくだりで厳しい顔してたんですね。

 

「……照れる」

 

ピピンが頬をピンクに染めた。

 

どうやらこの男は、無口キャラと共に食いしん坊キャラまで持ち合わせていたようだった。

どこぞの萌えキャラかよ。

 

教訓として、人の奇行を深読みするなということを学んだ一日であった。

 

 



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