問題児たちが異世界から来るそうですよ? ━魔王を名乗る男━ (針鼠)
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一巻 YES! ウサギが呼びました!
僕の名前は


 足元に広がる血溜まり。むせ返ると異臭と散らばる肉片。この世に地獄があるのなら、少なくともそこは地獄の一つに数えれられるものだった。

 惨劇の舞台に佇むのは独りきりの少年。

 顔立ちこそ整った良いとこの育ちを思わせるが、格好は安物の着流し。漆黒の髪を髷に結わず無造作に流すザンギリ頭。風貌はまるで浪人のようだった。

 

 少年の手には一振りの刀が握られていた。柄から切っ先まですでに拭い切れない血に塗れている。それら血の源泉は足元に広がる骸である。

 この惨状を生み出したのは彼。

 転がっている者達は彼を殺しにやってきた者達で、ならば返り討ちにした彼に罪はないかと言われれば……それでも人はやりすぎだと言うだろう。人の為せる所業ではないと慄くだろう。

 

 斬られた者は最低でも体を十以上に分断され、拳あるいは蹴りを受けた者は腐った果実のように無残に潰されていた。

 どこを見てもどす黒い血に侵された空間で、しかし少年の瞳は惨状を映してはいなかった。濡れた黒瞳はひたすらに虚空を見つめる。まるで夜空を眺めるが如く、虚ろに見つめ続ける。

 

 辺りは火に包まれていた。床が、天井が、転がる骸諸共、この惨劇そのものを無に帰すように炎は広がる。

 

 それでも、と彼はぼんやりと考える。

 きっと自分だけは生き残るだろう。これからやってくる人を斬り殺し、押し潰し、火は衰えることなく建物を燃やし尽くしてさえ自分は生き残るだろう。この程度で死ねるなら、遥か昔に死んでいる。

 

 少年は、彼は、僕は――――やはり独りだった。

 

 

 

 

 

 

「あー……つまらないなぁ」

 

 床に寝転んでぼやく。

 ひんやり冷たい道場の床は気持ちが良くて好きだ。いつもなら、『神聖な鍛錬の場であるこの場所でそのような!』とかなんとか、がみがみと小五月蝿い説教をされるものだが、今時分は彼一人きり。誰の小言も受けることはなく存分にだれていられる。

 だがしかし、暇であるのだ。

 

 この時代、十七となれば立派な成人。それが昼間っから鍛錬もせずにゴロゴロと、しかも道場でなんて。誰かに見られればまた『あのうつけ殿下は……』と聞こえるように嫌味を言われたことだろう。

 そのことに同意はしよう。けれどそれで彼が自身を省みるかと言われれば、否である。

 

 ごろり。また寝返りをうつ。

 うつ伏せのままジタジタと足をばたつかせて、不意に止まる。小鳥のさえずりが道場に響く。

 

「つまらない……」

 

 一体何度同じことを呟いただろうか。思い出せはしない。少なくとも、このぼやきが飽きてしまうほど彼は飽いていた。

 繰り返しの日常に。ハリのない平穏に。この世界に。生活に。

 

 ――――己の()()()()()()()()()

 

 彼はすでに知っていた。これから自身に起きる出来事、そのほとんどの顛末(てんまつ)を。どこで? と問われればこう答える。夢で、と。

 

 言えば誰もが笑うだろう。もしくは嘆くだろう。遂にあの男はここまで狂ってしまった、と。

 しかし事実なのだ。見たのは一度きり。一から十まで細かく見えたわけではない。

 それ以外の、見た夢全てがそうであるとは彼も思ってやしない。それでも、あのとき見たあの夢だけはこれから起こる出来事なのだと確証もなく確信している自分がいるのだ。

 その上で彼は思った。己の一生、正確には十数年に及ぶ生の歩みを先読みした感想は……なんてつまらない人生なのだろう、だった。

 

 夢の中の自分は、幾度となくあえて窮地へと赴く。周囲は無謀だ不可能だと叫ぶ戦の数々を、夢の自分はその全てに勝利する。()()()()()

 

 夢で見た出来事、その全てが楽しくなかったわけではない。いくつかはにわかに心踊るモノもあった。ありそうだった。

 けれどそれももう無くなってしまった。結末を知った物語を、一体どうやって楽しめというのか。

 

 勝つことがわかっている戦を繰り返し、挙句部下に裏切られ最大の窮地に追い込まれて尚、彼は生き残るのだ。

 夢はそこで終わったのでその先どうなるのかは知らない。だがはたして、寿命以外に迎える最期があるとは思えない。いや寿命という時間でさえ、自身が滅びる姿を想像することが出来なかった。

 

 そうして夢の中の自分と、その夢を見ている自分はふと思ったのだ。

 

 永遠に続く平坦な道を歩く人生。――――それは堪らなくつまらない。

 

「?」

 

 再び寝返りをうって、指先になにかが触れた。首を横たえてそれが何なのかを確認する。

 

「手紙……?」

 

 上体だけ起こしてその手紙を手に取る。

 見慣れない形状のそれは赤い蝋で封されている。刻印はされていない。――――いや、そんなことよりも気になることは別にある。

 こんなもの、彼が道場にやってきたときは確実になかった。だとすればこれが置かれたのは彼がここにやってきた後からになる。

 しかし、彼がここにやって来てから誰も道場にはやってきていない。少なくとも、彼はそれを感知していない。

 

 それはつまりどういうことか。何者かが、自分に気付かれることなくここにこの手紙を置いていったのだ。

 これは偶然ではない。何故なら、この手紙には彼の名前が記されている。

 

 それを考えて、彼は明確に口を笑みに変えた。何時ぶりか思い出せない、心からの笑みを浮かべた。

 

 封を破いた。無造作に。贈り物を待ち焦がれた子供のように封を破り捨てて中身をさらけ出した。

 中に綴られた文章に、彼は益々その笑みを深めるのだった。

 

『悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。その才能(ギフト)を試すことを望むのならば、己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、我らの《箱庭》に来られたし』

 

 次の瞬間、世界は変わっていた。

 

 雲に触れられるほどの高所に突如投げ出された眼下には、見たことのない世界が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 問答無用で高所から叩き落とされた少年だったが、彼が落ちた場所は湖だった。無論、それだけでの理由であれだけの高度から落下して助かったわけではない。水面へ接触する少し前、まるで待ち構えていたかのように張られた水膜のようなものが緩衝材となって勢いを殺したからこそである。

 おかげで少年に怪我はなかった。しかし水に落ちれば濡れるは道理。

 

「うわぁ、道着がびちゃびちゃだよー」

 

「まったくよ信じられないわ! 問答無用で引きずり込んだ挙句空に放り出すなんて!」

 

「右に同じだクソッタレ。場合によっちゃあれでゲームオーバーだぜ」

 

「大丈夫? 三毛猫」

 

 少年の声に応える――――実際応じたわけではないが――――声があがる。

 周囲を見渡せば、彼と同じく湖の浅瀬に落下したらしき者達の姿があった。

 

 少年を除いて、男が一人。女の子が二人。ついでに猫一匹。

 

 少女の一人。赤い布で髪を両脇に結った方は、勝ち気そうな顔立ちで、現在はありありと不満と怒りを顔に浮かべていた。

 もう一人の方は表情の変化は希薄なものの、やはりこの理不尽な扱いに僅かながら怒りを覚えているのか、不機嫌そうな雰囲気を漂わせている。ちなみにこちらの少女は腕に猫を抱いており、時折その猫へなにやら話しかけていた。まるで猫と会話をしているかのように。

 最後に、少年と同じくする男児。同じくする、といってもそれは性別と年齢――――推定ではあるものの――――ぐらいで、その他はまるで似ていない。目の痛くなるような明るい髪。丈夫そうではあるものの、機能性に優れているようには見えない服。極めつけは先程から時折出てくる聞き慣れない異国の言葉だ。

 

 猫を除けば、全員見た目は少年と同年代くらいの子供達だった。しかし少年自身を含め、風貌からして誰も彼も共通点は見つけられない。

 

 と、そこまで彼等彼女達の観察を終えて、少年はさらに視界を広げる。

 自分達の落ちた大きな湖。それを囲う森林。

 よくよく見てみれば草木もまるで見たことのない形をしている。というより、空気そのものが違う。

 明らかにここは先程までいたはずの道場ではなくなっている。

 それに、落ちている最中ちらりと見えた。巨大な天幕に覆われた、これまた見たことのないような街が。

 

「――――ちょっと貴方!」

 

 思考を一先ず中断し、呼び掛けられたようなので顔を向ける。声をかけてきたのは二人の少女の内、気が強そうな方の少女だった。

 

「レディの前なのだからもうちょっと気を遣いなさいよ!」

 

 少女は顔を背け、時折チラリと向けられる横目で睨んでくる。その頬がほんのり赤い。

 

 言われて少年は己の格好を確認。すでに水辺からはあがっており、今は水気を含んだ道着の上を脱いで絞っている。つまり、腹にさらしを巻いてるとはいえ半裸姿。

 どうやら彼女はその姿に文句を言っているらしい。

 

「ああ、ごめんごめん」

 

 ようやくそれを察した少年は絞っていた上着をパン、と広げて羽織直す。実は次に袴も脱ごうとしていたと言ったら、多分彼女は烈火の如く怒るのだろう。

 

「はっは!」

 

 それを見ていた金色の髪の少年が、未だ顔を赤くしている少女を見てニヤニヤといやらしく笑う。

 

「意外と初心なんだな」

 

「五月蝿いわよ」

 

 少女がキッと睨みつけると少年はわざとらしく肩を竦める。それでも口元はまだ笑っていた。

 

「ここ……どこだろう?」

 

 ここまでの経緯を終始無関心に眺めていた猫を抱える少女が、初めて面々に向けて口を開く。……いや、もしかしたらこれも独り言だったのかもしれないが。

 

「まあその前に念の為確認しときたいんだが……お前達にも変な手紙が?」

 

「そうだけど。――――まず『オマエ』だなんて呼び方訂正して。私は久遠(くどう) 飛鳥(あすか)よ。以後気を付けて」

 

 鋭い眼差しで真っ直ぐ射竦める少女。少女ながら思わず頭を下げそうになるほどの迫力を放つが、相変わらず少年の方は軽薄な笑みを浮かべ続ける。

 

 再び衝突する二人。どうやらこの二人はウマが合わないらしい。雰因気はどこか似たものを感じるのだが。いや、だからこそそりが合わないのか。

 

「それでそこの猫を抱えている貴女は?」

 

 埒が明かないと思ったのか、ふんと鼻を鳴らして少年から視線を逸らして猫をあやす同世代らしい少女へと質問を向ける。

 

春日部(かすかべ) 耀(よう)。以下同文」

 

 表情と同じく抑揚のない語調で自己紹介を終えた。

 

「じゃあそこの野蛮で凶暴な貴方は?」

 

「高圧的な前振りありがとうよ。ご紹介与った通り、野蛮で凶暴な逆廻(さかまき) 十六夜(いざよい)です。粗野で凶暴で快楽主義者の三拍子揃った駄目人間だから、用法と用量を守った上で適切な態度で接してくれお嬢様?」

 

 挑発的な、それにしては所作が憎らしいほど礼儀正しい十六夜の自己紹介。おまけに最後は

 

「そう。取扱い説明書をくれたら考えてあげるわ、十六夜君」

 

 思わぬ返しだったらしく十六夜は一瞬目を丸くして、次の瞬間にはヤハハと声をあげて笑った。

 

「ハハ、マジかよ。今度作っとくから覚悟しとけ」

 

 それぞれの自己紹介を傍から聞いていた少年は早速この世界に来れたことを喜んでいた。

 元の世界では日々褪せていた日常。それがここにきてからというものの戸惑いを覚えるほどに潤っていくのを感じる。

 見たことのない土地。植物。空。世界。

 幼少のとき、親に黙って禁じられていた山へ遊びにいったときのような、かつての胸の高鳴りを思い出す。

 

 そしてどうやら少年と同じく『手紙』に呼び出されたらしい三人。飛鳥、耀、十六夜と名乗った彼女等は、元いた世界にはいなかった不思議な存在感を放つ。

 特に彼、逆廻 十六夜という人間とは気が合いそうだと少年は思った。粗野で凶暴で快楽主義者とはまるで自分のことのようだ。ただ彼は自分にはない知性も教養も兼ね備えているようなので、そこは少しだけ羨ましい。

 

(羨ましい……)

 

 そう感じて、彼は心底驚く。自分が他人を羨むことなど一度たりともなかった。

 いつからだったか、少年は他人に興味を持つことがなくなった。誰も彼も同じに見えて仕方がなかった。

 けれど彼等に対しては違う。十六夜だけではない。飛鳥や耀のことを、もっと知りたいと思う自分がいる。他人に惹かれる自分がいる。

 それが驚きだった。

 

「それじゃあ残るはあんただぜ」

 

 十六夜の言葉に、はっと少年は現実に引き戻される。

 

 十六夜の興味の視線。飛鳥の鋭い視線。耀の好奇の視線。

 三者三様の視線を受けて、心なしか緊張する少年だった。それもまた新鮮だ。

 

 けれど、そんな彼等の注目に彼が気圧されることはない。十六夜とも違う、実に子供のような無邪気な笑顔を浮かべる。

 

「僕の名前――――の前に、さっきからこっちを見てる()()が気になってしょうがないんだけど」

 

 自己紹介を後回しに、少年は湖から少しばかり離れた草陰を指さした。

 

 実は、少年達がこの湖に落下してからずっと、あそこに気配を感じていた。獣ではない。人特有の感情を宿した視線が、少年の鋭い感覚に引っかかったのだ。

 

 言葉の通り少年は気になっていたことを口にしただけだ。だとしても、それを告げても()()()()()()()()()()()()

 

「なんだ、貴方達も気付いてたの?」

 

「まあな。かくれんぼじゃ負けなしだぜ?」

 

「風上に立たれたら嫌でも気付く」

 

 むしろ当然だというような返事だった。その反応は彼等の只者ならぬ存在感を証明するものであり、益々もって少年が彼等に対する興味を抱く理由にもなった。

 

 ただ一人、茂みに隠れる『何者』かだけは予想外だったようで、がさりと大きく音をたててしまうほど驚いていた。

 しかしそれも仕方がない。決してそれの身の隠し方が未熟だったわけではない(熟練されていたというわけではないが)。ただ彼等の勘が鋭過ぎた。

 

 はたして、日頃川遊びで慣れている少年を除いて、理不尽で問答無用の湖落下に軽い殺気を伴った視線に、茂みから出てきた者は大いに震えていた。――――()()()()震えさせていた。

 

「や、やだなぁ皆々様。そんな狼みたいな顔で睨まれると黒ウサギは死んでしまいますよ? ええ、ええ、古来より孤独と狼はウサギの天敵にございます。そんな黒ウサギの脆弱な心臓に免じてここは一つ穏便に御話を聞いていただけたら嬉しいでございますヨ?」

 

「断る」

 

「却下」

 

「お断りします」

 

「裸みたいな恰好してるね」

 

「あっは、取りつくシマもないですね。というか裸みたいってなんですか!?」

 

 茂みから現れたのは彼女自身が名乗ったようにまさしく『黒兎』であった。長い耳。フサフサの黒髪。けれど、その兎は特徴的な部分を除いて人間の姿をしていた。

 

 両手を挙げて降参のポーズを取る黒ウサギ。しかしその目はじっくりと少年達を観察している。品定め、というべきか。

 見た目の愛らしさとは裏腹に、中々油断ならないと密やかに笑う。

 

「そこのウサギにこの状況を説明してもらう前に、やっぱ自己紹介は終えちまおうぜ」

 

「そうね」

 

 提案した十六夜は、言いながらも黒ウサギを逃さないよう逃げ道を塞ぐように彼女の背に立つ。彼女も逃げるつもりはないのか反論もなく大人しく座っている。

 再び、黒ウサギを加えた四人の視線が少年へ集まった。

 

(……嬉しいなぁ)

 

 自然、口元がにやける。

 

 ここにやってきてまだ時間は僅か。そこですぐに出会った人物達は、かつていた世界では決して会えないだろう逸材ばかりだった。

 戦が、力こそ全てであったあの世界でさえ満たされなかった少年の心。それが、彼等相手では僅かばかり言葉を交わしただけで容易く潤っていく。

 

 ならば一体ここにはあとどれくらい、自分のこの渇望を満たしてくれる存在がいるのだろうか。

 考えるだけで期待が膨らむ。胸が高鳴る。

 

 だからこれは彼等だけではない。これから先出会うことになるであろう者達へ向けた、謂わばこの世界へ対する挨拶。

 

 それぞれが領土を治め、数多の大名が覇権をかけて争う乱世の時代。その時代を正面から力でもって制するはずだった男。

 

「僕の名前は――――織田(おだ) 三郎(さぶろう) 信長(のぶなが)だよ」

 

 これは、この箱庭の世界に新たな魔王が召喚された物語。




どうも!初めましての人もそうでない人もこんにちわ!

遂に問題児シリーズ二次書いちゃいました。アニメも始まってテンション上がりっぱなしです。はたして完結するのか!?そも原作完結してないじゃん!そして私は四月より社会人ですけど更新出来るの!?
そんな全てを丸めて食べて知らん顔しながら書いていきます!(おい)

アニメ効果できっとこれから先、俺なんかの駄作と比べ物にならないくらい素晴らしき作品たちが生まれるのを楽しみながら、私は私の精魂果てるまで書いていきます!!
どうぞ生暖かい目でヤハハと笑いながら読んでやってくださいませ。

ではこれからよろしくです。


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つまらない奴

『ようこそ皆さま《箱庭の世界》へ! 我々は皆様にギフトを与えられた者だけが参加できる《ギフトゲーム》への参加資格をプレゼンさせていただこうかと召喚いたしました』

 

 これが黒ウサギが説明の冒頭で述べたセリフだった。

 

 箱庭の世界とは、暇を持て余した神々の遊戯が執り行われる世界。世界軸と呼ばれる柱に支えられたこの世界の大きさは恒星に匹敵する。

 ここで行われる神魔の遊戯――――それがギフトゲーム。

 人の身に余る異才を駆使して争われる戦い。

 

 遊戯の仕組みは至極単純。主催者(ホスト)が開き、参加者(ゲスト)が参加する。

 主催者が定めたルールに従いゲームをクリアすれば参加者の勝ち。勝てば主催者が提示した賞品を得る。逆に負ければ、参加者は相応の何かを支払う。

 

 仕組みこそ単純なものの、遊戯の種類は千差万別。参加人数、勝利条件、敗北条件……時に知恵を、時に力を、時に運を試される。

 同様に、賭ける物も金銭に始まり土地、権利、人……才能さえも賭ける対象になり得る。

 有用な人材、又は才能を得ればより上位の遊戯に参加することも可能。逆に失えば戦力は大幅に下がることとなる。

 

 箱庭には無数のコミュニティと呼ばれるものが存在する。小さい規模のものでコンビ、大きなものとなると国家。例外に、単独でコミュニティを名乗る者達もいるそうだ。

 

 そして異世界者――――つまりは信長達のような者達は皆、いずれかのコミュニティに属さねばならないらしい。

 

 黒ウサギは最後にこう締め括った。

 

『YES。ギフトゲームは人を超えた者達のみが参加出来る神魔の遊戯。箱庭の世界は外界より格段に面白いと、黒ウサギは保証いたしますよ』

 

 信長にとってそれは、それだけで充分な回答だった。ここが、かつていた世界より面白くあれと願う彼にとって。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ。十六夜もだけど、黒ウサちゃんもすっごい速いねー」

 

「素直に感心するわ」

 

 今し方、黒ウサギが脱兎の如く駆けていった方向を見つめて信長と飛鳥は感嘆の声をあげる。

 

 場所はすでに湖から離れており、信長も落下中ちらりと見つけた巨大天幕へ向かって歩いていた。その際、途中で『ちょっくら世界の果てを拝んでくる』なんて台詞を残して勝手にいなくなってしまった十六夜。その後彼の不在に気付いて、嘆きから怒りにガラリと変わる感情表現豊かな黒ウサギが、黒髪を緋色に変化させて物凄い速度で駆け出して今に至る。

 ちなみに、信長の黒ウサギの呼称は『黒ウサちゃん』に自然に決定された。

 

 それにしても、と僅かばかり信長の笑みに変化が生じる。それは飛鳥や耀、誰にも気付けないほど、しかし確実な変化。

 ほんの僅か、その笑みに()()()()()()()

 

 先に行ってしまった十六夜、それと今し方駆け出した黒ウサギ。どちらも人外の脚力だった。黒ウサギは見た目からして人間ではないものの、要所に目を瞑れば胸の大きい可愛い少女。十六夜とて普通の少年だ。

 それがどうだろうか。

 単なる脚力の話であるが、信長は今の二人を見て勝てないと思った。生まれて初めて他人を見て敵わないと思わされた。

 

 それはとても新鮮な体験で――――

 

 ザワリ。

 

「どうしたの? 三毛猫」

 

 一瞬ではあるが空気の変化を気取ったのか、耀の腕の中で三毛猫がフシャーと歯を剥いた。

 

 ニコリと、信長は爪を出して本気で引っ掻こうとする三毛猫に自分の手をじゃらつかせる。

 

「見慣れない場所で驚いてるのかなー?」

 

「…………」

 

「どうしたの?」

 

「君のこと、嫌いだって」

 

「――――この子が?」

 

 コクリと頷く少女。その口ぶりはまるで彼女には猫の言葉がわかっているかのようだった。

 

「なんでかな?」

 

「……危ない奴だから、だって」

 

「へえ」目を細めて「賢いね」

 

 言葉とは裏腹に、なおも三毛猫をあしらう信長。

 首を傾げている耀は、三毛猫が感じ取った『それ』が理解出来なかったようだ。

 

「ウサギは箱庭の創始者の眷属。基礎である身体能力だけでなく、様々なギフト、他にも特殊な権限も持ってるんです」

 

 三毛猫を()()()のをやめて、信長は前を向く。

 

 黒ウサギに案内されて辿り着いた天幕の入り口で待っていた少年は、年頃に似合わない人の良さそうな笑顔で出迎えた。

 

「僕はコミュニティのリーダーをしているジン=ラッセルです。齢十一になったばかりの若輩ですがよろしくお願いします」

 

 ペコリと頭を下げて自己紹介をするジン。この礼儀正しさといい、丈の合わないボロボロのローブを羽織った姿はどこか微笑ましい。滑稽で。

 

「皆さんのお名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 まさか心の内で貶されているとは思いもよらないだろうジンは、声変わりもまだの高い声で丁寧な口調を紡ぐ。それが尚更滑稽なのだと知らず。

 

「久遠 飛鳥よ。猫を抱いているのが」

 

「春日部 耀」

 

「それで僕が織田 三郎 信長。好きに呼んでいいからねー」

 

 各々の自己紹介を終える。

 それに満足そうなジンは天幕の入り口へと手を差し向ける。

 

「それではこちらから――――」

 

「君も出来るの?」

 

「え?」

 

「黒ウサちゃんみたいに速く走ったり、さ」

 

 尋ねられたジンはまん丸の目をさらに丸くしてキョトンとする。しかしすぐに大慌てで首を横に振る。

 

「い、いえ! 僕には無理です!」

 

「だろうね」

 

 あっさりと信長はジンの言葉を肯定した。まるで初めからそんな期待はしていなかったとばかりに。

 

 温厚そうなジンもこれには些か頭にきたのかむかっとした顔を見せたが、信長はすでに興味を失ったようで周囲にばかり目をむけている。

 

「黒ウサギも堪能くださいと言っていたし、御言葉に甘えて先に箱庭に入りましょう。エスコートは貴方がしてくださるのかしら?」

 

「あ、はい!」

 

 飛鳥に促されはっとしたジンは、怪訝だった顔を愛想笑いに戻す。その際、ちらりと信長の方を見た。

 

(……この人苦手だ。でも我慢しなくちゃ。この人達がいなくちゃ僕達は――――)

 

「……っ!?」

 

 そのとき、向けていた視線が信長の目と合ってしまい慌てて目を逸らす。

 別に目があったからといってどうってことはないはずだが、何故だろうか。まるで自分の心の内が見透かされてしまいそうで。

 

 その後、ジンは極力信長と距離を置くように歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外門と呼ばれる天幕の入り口を潜ってまず最初に信長を驚かせたのは、天幕の内側からでも空が見えることだった。外から見た時は何も見えなかったのに。

 ジンの説明によれば、この箱庭を覆う天幕は内側からだと不可視になるそうだ。なんでも直接太陽の光を浴びられない種族の為だという。

 

(太陽の光を浴びられない人ってどんな人なんだろう?)

 

 ジン達の話題に唯一ついていけない信長は気分を紛らわせるように周囲を見渡す。

 

 箱庭の世界は家ひとつとっても信長がいた世界とはまるで違った。

 こちらには藁の屋根に土壁といった農家も、木造屋敷も見当たらない。色彩豊かな石材で、それぞれが特徴的な形をした家々が建ち並んでいる。

 

 そして建物以上に目を奪われるのはここに暮らす人。――――いや、信長には彼等を『人』と呼んでいいのかどうかすらわからなかった。

 二本足で歩き、表情豊かに談笑する姿はまるで人間そのものだが、彼等彼女等は皆尻尾や角を生やしていた。信長も知る獣もいれば、見たこともない姿の者もいる。

 異国人とはいえ所詮海を隔てた程度の外国の人間しか知らない信長にとって、この光景は中々に衝撃的だった。

 

「信長君」

 

 あと少し放っておいたら十六夜同様ふらふらと何処かに行ってしまいそうだった信長を声が呼び戻す。

 我に返って振り向くと、そこには先程までジンと会話していた飛鳥がいた。

 

「なにかな、飛鳥ちゃん」

 

「飛鳥ちゃん……」

 

 異性から『飛鳥ちゃん』などと呼ばれたことのなかった少女は、信長の呼称に大いに戸惑った。

 

 一方、あくまで本人的には自然に名を呼んだつもりの少年は、話しかけておきながら一向に喋ろうとしない飛鳥を不思議そうに眺めるしかない。

 

 コホン、と飛鳥は咳払いを挟んでようやく口を開いた。

 

「信長君、貴方――――本当に()()織田 信長なの?」

 

 その話題に興味があったのか、ただ後ろを歩いていたもう一人の少女も足を早め二人との距離を詰める。興奮する三毛猫を宥めるように撫でながら。

 

「うーん」

 

 飛鳥からの質問に、そして背後の少女の眼差しに、今度は信長の方が戸惑ってしまう。

 

()()、かはわからないけど……僕は間違いなく信長だよ」

 

 実は、この世界にやってきてからした自己紹介の後も、彼女達の反応はこういったものだった。それは今ここにいない十六夜も含めて。

 彼女達はよほどこの名前に覚えがあるらしい。しかし、信長が彼女達と会うのは間違いなく先程の湖が最初だ。

 ならば名前だけがひとり歩きしているのだろうか。

 

 ――――何にせよ、そうなると訊きたいことが生まれる。

 

「じゃあこっちからも質問」

 

「なに?」

 

「飛鳥ちゃん達の知ってる僕って、どんな人?」

 

 彼女達の知る自分。もしかすれば同姓同名の他人かもしれないが興味が湧くのは自然だろう。

 

 尋ねられた飛鳥は細い腕を組んで上を向く。

 

「戦国時代……えーと、私が生まれるより昔にあった戦ばかりの時代の武将よ。数の不利を覆し、劣勢をはねのけ、最期は部下に裏切られ天下統一を目前に死んでしまうの」

 

 飛鳥の話は信長にとってとても興味深くあると共に驚くべきものだった。なにせその話の『織田 信長』という男は間違いなく自分――――否、()()()()、これからなるはずだった自分の姿だった。

 最期の結末を除けば、彼女の話す男の生涯はほぼ夢の内容そのままだ。

 それが一体どういう意味を持つのか。

 

 頭が悪いわけではないものの、頭を使うことを極端に面倒臭がる信長はすぐにその意味を考えることを放棄する。

 暴いたところで何になるとも思えない。

 

 それでもまあ、素直に驚いてはいるのだが。

 

「もう一つ訊いていい?」

 

「いいわよ」

 

 意味深に沈黙していた信長から二度目の質問を受ける。その目は先ほどよりずっと真剣な光を帯びていた。

 飛鳥は無意識に生唾を飲み込む。

 

「飛鳥ちゃんって意外と胸大きいよね」

 

「「…………」」

 

 完全無欠に絶句した。後ろで聞き耳を立てていた耀まで絶句した。

 

 痛々しい沈黙を、飛鳥の呆れ果てたため息が破った。

 

「もう一つ思い出したわ。織田 信長はとんでもない大うつけだったそうよ」

 

「ああ、じゃあそれはやっぱり僕のことかもね!」

 

 否定するどころか、恥じるどころか、何故か誇らしげに胸を張る着流しの少年に、飛鳥と耀はこの瞬間同じことを思っていた。

 

 これがあの織田 信長とは思えない――――いや、思いたくない……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 街の大通りを進み、女性陣の――――主として飛鳥の――――指名で話し合いの場に選ばれたのは、六本傷の旗が掲げられた洒落た雰囲気の茶屋であった。

 

 目録に並ぶ品名に始まり、見るも食べるも何もかもが初めて尽くしの信長は、猫族女性店員のオススメである紅茶とスフレチーズケーキなるものを話そっちのけでつついていた。

 

「ガルド」

 

「口を慎めよ。東区画最底辺の名無し風情が、この俺を呼び捨てに出来るとは驚きだ」

 

 そんな折、視界にズイッと入ってきた大柄な体躯の男。次いで、対面の席では男を見るなり険しい顔をするジンの顔があった。

 

「かつての森の守護者だった貴方なら相応の礼儀で返したでしょうが、今の貴方に敬意を払う気にはなれません。それに僕達のコミュニティの名前は《ノーネーム》です。《フォレス・ガロ》のガルド=ガスパー」

 

 出会ってから間もないが、この少年がこうもあからさまに他人を嫌悪するのは珍しいことなのではないか、と信長は思った。

 ズズ、緑茶とはまた違う渋みだが、悪くない。

 

「口を慎めと言ってるだろうが小僧。コミュニティにとって誇りである名と旗印を奪われた時点でお前等は終わったんだよ。それなのに過去の栄華を忘れられず、恥知らずにも今尚コミュニティを名乗り続けるってのは、まったく(たち)の悪い亡霊だぜ」

 

「――――ストップ」

 

 これ以上は言葉だけでは済まなくなると感じ取ったのか、飛鳥が制止に入る。

 

「貴方達の仲が悪いのはよくわかったわ。その上で質問したいのだけれど」

 

 キリッと刀のような鋭さすらある飛鳥の眼差し。その視線の先は礼を失したガルドという大男――――ではなく、ジンへ向いていた。

 

「ねえジン君。ガルドさんが指摘している、私達のコミュニティが置かれている状況というのを説明していただける?」

 

「それは……」

 

 一転して苦い表情で言葉を詰まらせるジン。

 

 それに対して、弱った獲物を見つけた肉食獣のようにニヤリと歯を剥いて笑うのはガルドだった。

 

「よろしければ私がご説明致しましょうか、レディ? コイツラの今の状況ってやつを」

 

 最早、ジン達が何かを隠しているのは明らかだった。

 そしてそれは信長にとって予想通りでもある。

 

「やっぱりね」

 

「やっぱり?」

 

 眉をひそめて、飛鳥は今度は信長を睨む。

 

「貴方も知っていたの?」

 

()()って言ったでしょ。知らなかったよ、僕も」

 

 慣れない手つきでフォークでケーキを切り分け、口に放り込む。

 

「でも2人がなーんか隠してるってことぐらいはわかった」

 

「それが貴方のギフト?」

 

「さあね」もう一口頬張って「昔から目ざとい方ではあるけど」

 

 飛鳥はそれでもしばらく信長の横顔を見つめ続けた。しかしやがてその視線をふっと切る。一先ず嘘はついていないと信じてくれたのか、はたまた一旦保留としただけか。

 

 兎に角、今はこの似非紳士風の大男に、ジンのコミュニティの『状況』とやらを聞くかどうかだ。

 どうやら彼とジンは仲が悪いらしい。となればもし、今ジンのコミュニティが何かしらマズイ状態にあるのだとすれば彼は喜々としてその状況を話してくれることだろう。ジン達が信長達に隠しておきたかった恥部まで知る限りを赤裸々に。

 

 信長はジンや黒ウサギの不審な動きを見抜くことは出来ても心までは読めない。現状、説明役としてガルドはうってつけと言える。

 

 同じような答えに至ったのか、飛鳥も最終的にはガルドへ説明を許した。それなのに気が乗らなそうな顔をしているのは、個人的にガルドが嫌いだからか。

 すぐ顔に出てくる辺り、多分彼女は素直な性格なのだろう。

 

 可愛いなぁ、とこっそりと信長はにやける。

 

 ガルドの説明はまずこの世界の『コミュニティ』という在り方から入った。

 

 コミュニティはまず箱庭で活動する上で『名』と『旗』を申告する。特に旗はコミュニティの縄張りを示すのに大変重要なのだと語る。

 例えば、今信長達のいるこの茶屋はこの六本傷の旗印の縄張りということだ。

 

 要は家紋や陣旗のようなものか、と信長は解釈する。

 

「その理屈でいくと、この近辺はほぼ貴方達のコミュニティが支配していると考えていいのかしら?」

 

 飛鳥の問に、ガルドはいやらしく笑って首肯する。

 

 ガルドの胸の刺繍と、周囲の店に掲げられた旗印は同じもの。ガルドが《フォレス・ガロ》のリーダーであるなら、この地域の支配者は彼ということだ。

 

 それには信長は少しばかり驚きを禁じえなかったが、口を挟むことなくケーキを頬張る。

 

「さて、ここからがレディ達のコミュニティの問題。実は貴女方の所属するコミュニティは、数年前までこの東区で最大大手のコミュニティでした」

 

 もちろんリーダーは今とは違いますがね、と嫌味らしく強調する。

 それに悔しそうにローブの裾を握るジンだが、言い返すことはしなかった。

 

 フン、とガルドはつまらなそうに鼻を鳴らし話を続ける。

 

「そんな先代のコミュニティは奴等に目をつけられたんですよ――――魔王にね」

 

「「…………」」

 

「嫌だなぁ。なんで飛鳥ちゃんも耀ちゃんも僕を見るのかな?」

 

 何故か疑うような目で2人に見られた。

 

 何のことかわからないガルドは不思議そうにするものの続ける。

 

「魔王とは、この箱庭において正しく天災。逆らうのはもちろんのこと決して目をつけられちゃならない存在です。《主催者権限(ホストマスター)》という特権階級を持つ修羅神仏にゲームを挑まれれば誰も断ることは出来ない。奴等はあらゆるものを、まるで暴風雨のように奪い、破壊していく」

 

 故に天災。故に魔王。

 

 話しているガルドの声にも緊張が窺える。かつてその目で見たことがあるのか。それとも目の当たりにせずともこうなるのか。

 それほどに魔王という存在はこの世界にとって恐怖の象徴だということだ。

 

「なるほど。理解したわ」

 

 飛鳥が答える。

 

 過去はどうであれ、今は最低限の地位も名誉も持っていないジン達が信長達を召喚したのは、彼のコミュニティの復興の戦力として。

 しかし、呼んだはいいが信長達が必ずしもジンのコミュニティに入るとは限らない。コミュニティとして主張するべき最低限の『名』も『旗』も持たないジン達に、この世界で信用があるとは思えない。信用が無ければ遊戯の開催は当然として、下手をすれば参加すら許されない。

 

 だからこそ、ジンや黒ウサギはこのことを頑なに隠したかったのだろう。少なくとも、信長達から色好い返事を貰えるそのときまで。

 

「私は黒ウサギが不憫でならない。『兎』といえばこの箱庭で《箱庭の貴族》とまで呼ばれるほど強力な種族。どこのコミュニティでも破格の待遇で愛でられるべき存在なのに……彼等はろくな活動もせずに彼女を使い潰している。亡霊でなければ寄生虫だ」

 

「それで?」

 

 言い負かすことに悦に入るガルドへ、今まで傍聴していた信長は尋ねる。

 

「ガルドさん――――だっけ? 懇切丁寧に説明してくれた貴方は何が目的なの?」

 

「察しが良くて結構」

 

 口を裂いて笑う。

 

「よければ兎共々、我がコミュニティに入りませんか?」

 

「なにを――――!」

 

「テメエには聞いてねえ、黙ってろ!」

 

 遂に黙っていられなくなったジンが椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がるも、ガルドのひと睨みで押し黙る。

 

 ガルドは信長達に向き直るとコロリと表情を微笑みに変える。

 

「焦らずともレディ達は30日間この箱庭で自由が約束されています。両者のコミュニティを充分視察した後に結論を――――」

 

「結構よ。私はジン君のコミュニティで間に合ってるもの」

 

「「――――は?」」

 

 妙なことに口を揃えたのは犬猿の仲といっていいジンとガルドだった。

 

 一方で、飛鳥は紅茶を一口含んで長話から人心地つく。

 そうしてからずっと沈黙している耀へ笑いかける。

 

「春日部さんはどうかしら?」

 

「別にどっちでも」

 

 耀は素っ気なく答える。

 

「私はこの世界に友達を作りにきただけだもの」

 

「あら意外。なら私が友達1号に立候補してもいいかしら?」

 

 提案する飛鳥を、耀は上から下まで見回して、

 

「……うん。飛鳥は私の知る女の子達とちょっと違うから平気かも」

 

 小声ながら、信長には耀の声色に少しばかり喜びが混じっているように聞こえた。

 そしてここはこの2人と御近付きになる絶好の機会である。

 

「なら僕は耀ちゃんのお婿さんに立候補しちゃおうかなー」

 

「無理」

 

「無理!? 嫌だじゃなくて無理なの!!?」

 

 予想以上にあんまりな答えだった。

 

「それじゃあ友達2号で我慢しとくかー」

 

「……それならギリギリ」

 

「うわーい、耀ちゃんって意外とキツイんだね!」

 

 一度目はしょんぼりしたものの、2度目はいっそ笑った。信長という少年は中々打たれ強いのである。

 

 クスクスと笑う2人の少女。

 

「――――お楽しみ中に失礼ですが」

 

 激情を押し込めた声で、ガルドが割って入る。

 

「理由をお聞きしても?」

 

 実際、ガルドは今にも暴れださんほど内面怒り狂っていた。

 才能有りしとはいえ、新参者……それもこんな子供に無視されるのは相当に気に障ったらしい。

 こめかみを痙攣させながら、それでも必死に紳士――――だと思ってる――――らしい振る舞いで微笑みを続けるのは、ガルドにとって最後の理性か、はたまた自尊心を保つためか。

 どちらにせよ、

 

(つまんない奴)

 

 すでに信長はこの男に対する興味は失せていた。

 それに比べて、

 

「私は裕福な家庭も約束された将来も、およそ望みうる全てを捨ててここに来たの。それをたかが一地域を支配して満足しているだけの貴方に、それも組織の末端として迎え入れてやるだなんて慇懃無礼に言われて魅力的なわけがないでしょう?」

 

 彼女達は本当に面白い。

 

 飛鳥、それに耀という少女も。どちらもガルドに対する気負いも無ければ怯みもしない。どころか信長同様歯牙にもかけてやしないだろう。

 断言してもいい。仮に飛鳥や耀がガルドの誘いに乗ったとしても彼は絶対に彼女達を乗りこなせない。器じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

「もういいよ。がる……がるお? えーと、筋肉だるまさん。説明はもう充分。ご苦労様」

 

 血走った目でガルドは信長を睨む。

 それを彼は紅茶の一飲みで涼しげに流した。

 

 人のことを言えた義理ではないが、大した根性だと飛鳥は感心していた。

 

「ジン君に義理があるわけじゃないけど、別に貴方に義理があるわけじゃない。それなら暑苦しい貴方のコミュニティより、飛鳥ちゃんや耀ちゃんに黒ウサちゃんみたいな可愛い女の子がいるコミュニティの方がずっといい」

 

「ただの人間如きが……この俺を誰だと――――」

 

「――――お前こそ」空気が「何様だ」

 

 変わった。

 

「……っ!?」

 

 ガラリと空気が変わった。まるで熱帯夜から、突然南極にでも放り出されたような。

 

 この空気を作り出したのは間違いなく()だ。

 

「たかが獣畜生が、一体誰の上に立つって? 身の程を知れよ」

 

 口調だけではない。姿形はそのままなのに、まるで別人のようだった。

 

 ガルドはたじろいだ。そのことにガルド自身が驚いているようだった。

 たかが人間だと、子供だと侮っていた目の前の少年に、言葉ひとつで気圧されていることに。

 

 飛鳥も気持ちは同じだ。

 今のこの体の震えは、はたして何なのか。わからなかった。

 

「飛鳥ちゃん、訊きたいことはもう終わり?」

 

 こちらへ話しかけるそのときには、すでに信長の雰囲気は最初に出会ったときと同じ、柔らかなものに戻っていた。

 震えも、いつの間にか止まっていた。

 

 今の顔とさっきの顔。一体どちらが本当の彼なのか。そして、()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

 それはこれから先知っていけばいいと飛鳥は無理矢理結論づけてガルドへ向き直る。

 

「貴方にはまだ訊きたいことがあるの。――――『貴方はそこに座って、余計なことは喋らず私の質問に答え続けなさい』」

 

「……っ!?」

 

 飛鳥の宣告を受けて、ガルドはガチリと口を閉じて尚且つ椅子に座る。

 今の状況からガルドが彼女の言葉に大人しく従うはずはない。実際ガルドはなにかに抑えつけられるかのように不自然に体を揺らして椅子に座らされている。

 一連の行動に誰よりも驚いていたのはガルド自身だった。

 

 飛鳥はつまらなそうにため息をこぼす。

 

「質問するわ。貴方はこの地域を『両者合意』によるギフトゲームで勝利し支配していったと言ったわね。でもね、私はここで行われるゲームのチップは様々だと聞いたわ。それを、コミュニティそのものを賭けたゲームなんて早々あるものかしらね、ジン君?」

 

「やむを得ない状況ならば、稀に……」

 

「そうよね。そんなこと箱庭に来たばかりの私にだってわかるわ。だからこそ主催者権限を持つ魔王は恐れられている。それなのに、それを持たない貴方がどうしてそんな大勝負ばかり出来たのかしら。 ――――『教えてくださる?』」

 

 再び少女の魔性の言葉に、強制的にガルドの口が開かされる。

 

 それを見て周囲の者達も段々とわかってきた。久遠 飛鳥の命令には絶対逆らえないのだ、と。それこそが彼女のギフト。

 

「き、強制させる方法はいくつかある。一番簡単なのは女子供をさらうこと。それでも応じない連中は周辺のコミュニティを従わせてからゲームをせざるを得ない状況に追い詰めていく」

 

「常套手段だね」

 

 涼しい顔で同意を示したのは信長だけだった。飛鳥を含め、他の者達は揃って苦い顔をする。

 

「それで? そんな手段で傘下に収めても彼等は従順に従ってくれるかしら?」

 

「各コミュニティから数人子供を人質に取ってある」

 

 予想されていた言葉だったとはいえ、飛鳥の顔つきが厳しいものに変わる。

 

「……子供はどこ?」

 

「もう殺した」

 

 周囲がざわつく。

 

 ガルドは手をついたテーブルに罅を入れながら、憤怒の表情で飛鳥の言葉に従い口を開き続ける。

 

「初めて連れてきたガキは泣き喚くから殺した。次は自重しようかと思ったがやっぱり我慢できずに殺した。けど身内のコミュニティの子供を殺したとなれば組織に亀裂が生まれる。だから遺体は見つからないように腹心の部下に喰わせて――――」

 

「――――『黙れ』」

 

 ガチン、と再びガルドの口が塞がれる。

 もうこれ以上、目の前の下衆が口を開くことを飛鳥は許せなかった。

 

 別に、飛鳥という少女は無償の愛を振りまくような聖人君子などではない。見ず知らずの他人の為に駆けずり回って、己の血肉を切り分けてまで他人を助けることなど出来ない。

 生まれた時代も戦時中というわけではなく、すでに終戦時。暮らしも満帆。

 飢えも知らず、争いにも縁遠い。

 ただの少女だ。

 

 ――――しかし、()()()()()()()

 

 ただの少女だからこそ、普通に怒れる。

 子供を、弱者が虐げられることを怒り、わかりやすい悪事を憎む。

 そこにまどろっこしい理屈や信念などない。

 ただただ人の情として、常識として、犯した罪は、相応に裁かれるものだと考える。

 

 だから、彼女はもうこの男を許すつもりがなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 信長から見て、わかりやすいぐらい飛鳥は怒っていた。耀も、表情の変化が乏しいかと思いきや今は凄まじい嫌悪をガルドへと向けている。

 おそらくこの場のほとんどの人間が彼女達と同様の怒りを、もしくは嫌悪を抱いていた。

 けれど、信長だけは少しだけ違っていた。

 

 信長のいた世界では人質というのはさして珍しいものではない。ただし、それは単に弱点としての捕虜というより、むしろ大切に扱い恩を与え帰し、いずれ自身の支配下に置こうという考えだ。

 ただ反逆の抑止力として預かるのとは違う。

 

 それ以前に、信長は今のガルドの子供殺害について特に思うことはないというのが本音であった。

 人が死ぬことなどは信長にとって珍しいことではない。不憫だとは思うが、たとえそれが子供であっても。

 

 それにギフトゲームとやらが未だどんなものなのか理解は出来ていないが、それが戦いで、勝者と敗者が出る以上、その結果なにがあろうとそれは仕方のないことだ。

 勝者は強かったから勝った。敗者は弱かったから負けた。それ以外理由はない。

 そして負けたものはなにをされようとどうしようもない。何故なら、敗者は()()()()()()()()敗者なのだ。逆らえる道理は無い。

 負けた方が悪い。

 

 これは別に信長という人間が冷たいわけではない。

 彼が生きた戦国という時代は、そういう時代だったのだ。

 

 まあ、それでも信長が少々特殊な、ともすれば極端な考えの持ち主だというのは否定出来ないが。

 

 信長はガルドのやり方を否定しない。勝者は何かを為す権利が与えられるから。

 ただ、その上で彼はこうガルドを評価する。

 

 ――――やはり底の見えたつまらない男だ、と。

 

 結局ガルドの根っこにあるのは、支配による多少の優越感と怯えだ。箱庭以前の世界で飽きるほど見てきた有象無象の地方領主大名達と同じ。

 そう考えるとあの逞しい肉体が逆に滑稽で笑えてくるというものだ。

 

「ジン君、箱庭の法がこの外道を裁くことは可能かしら?」

 

「難しいです……。ガルドの行いは間違いなく違法ですが……裁かれるまでに箱庭の外に逃げ出してしまえばそれまでです」

 

 全てを捨てて逃げ出す。それも裁きといえなくもない。

 

「そう」

 

 飛鳥は短く呟く。

 

 そうして唐突にパチンと指を鳴らした。

 それが合図だったのか、ガルドがつんのめるように動き出した。――――解放されたのだ。

 

「この小娘ェェェェ!!」

 

 解放されて数瞬呆然とし、次の瞬間調度品を破壊して立ち上がった。

 するとガルドの姿がみるみる変わっていく。逞しい肉体はさらに膨れ上がり、人間の姿から虎の姿へと。

 

 信長が知る由もないが、ガルドはこの箱庭で、通称ワータイガーと呼ばれる獣のギフトを有する混在種であった。

 

 ガルドは唾液を振りまくほど興奮した様子で飛鳥を睨む。

 

「テメェ……どういうつもりか知らねえが、俺の上にいるのが誰かわかってんのか! 箱庭第六六六外門を守る魔王が俺の後見人だぞ!」

 

「はぁ」思わず、信長はため息をついてしまう「かっこ悪いなぁ。他人の名前がなきゃ喧嘩ひとつも出来ないの? たかが人間、たかが《ノーネーム》相手にさ」

 

「殺すっ!」

 

 ガルドの矛先が一気にこちらへ向く。

 丸太のような豪腕の先に伸びる短剣のような爪を喉元へ突き立てる。

 

 しかし、それは脇から割って入った短髪の少女によって止められる。その華奢な体に一体どれほどの力があるというのか、倍以上の体格をした獣人の腕を容易く捻り上げるとその場で押さえつける。

 

 耀は相変わらず抑揚の無い調子で言った。

 

「喧嘩はダメ」

 

「いやいや耀ちゃん、()()とは喧嘩をする価値も無いよ」

 

「だとしても避けるか迎え撃つ素振りぐらい見せなさいよ。春日部さんが止めなかったなら貴方死んじゃってたわよ? 腰のそれは飾りではないのでしょうに」

 

 飛鳥の視線は信長の腰にさがる刀を見ていた。

 

 信長は襲われてから今もまだ、立ち上がる素振りすら見せない。

 

「飛鳥ちゃんと耀ちゃんに見蕩れちゃって」

 

「どうだか」

 

 素っ気なく返される。耀はクスリとだけ笑ってくれた。

 

「さて、これからの話をしましょうか」

 

 飛鳥はそう前置きして、今も耀の下で藻掻くガルドへ話しかける。

 

「私は貴方のコミュニティが瓦解する程度では満足出来ないの。貴方のような外道はズタボロとなって、己の罪を後悔しながら罰せられるべきよ」

 

 微笑みすら浮かべて飛鳥は告げる。しかしその目は一切笑っていなかった。

 

「だから提案なのだけれど、私達とギフトゲームをしましょう。貴方の《フォレス・ガロ》存続と、私達《ノーネーム》の誇りと魂を賭けて、ね」

 

「な……」

 

「そんな!」

 

 その言葉はこの場の者達を驚愕させるには充分なものだった。

 ガルドの不義は明白。時間と共に箱庭の裁き、少なくともコミュニティの瓦解は確定している。

 放っておけば破滅する男に彼女はこう言ったのだ。――――逃げる機会を与えてやると。

 しかもわざわざ彼女自身リスクを背負ってまで。

 

 不合理だ。――――だが、故に面白い。

 

 信長は自分でも知らず笑っていた。

 飛鳥は己の手でガルドを破滅させるつもりなのだ。時間の経過による瓦解も、逃亡の末の消滅も生温い。明確に、決定的に、確実に、自らの手で(ガルド)を敗者にして破滅させる。

 

 一方で、ガルドはこの申し出を受けるしかない。すでにガルドに退路など無く、むしろ飛鳥の申し出は袋小路からの唯一の抜け道だと言っていい。

 しかし、それでもガルドは素直に喜ぶことなど出来なかった。

 その理由は簡単で、彼女達にどうやっても勝てる気がしなかったからだ。

 

 言葉ひとつで自由を奪う飛鳥のギフト。

 ギフトの詳細はわからないが、とてつもない身体能力を持つ耀。

 

 コミュニティのトップである自分が逆らえないものを、一体どうして自分より格下の部下が逆らえるというのか。

 現状、たとえどんなに自分達に有利なゲームを仕掛けたとしても勝てないと悟ってしまった。

 

 そしてなにより、

 

「ほら、早く答えなよ」

 

 ザ、ザ、と耳元に近付いてくる足音。それはわざわざガルドの視界に入るように止まり、しゃがみこんだ。

 

 ガルドはまるで魅入られるように地面に抑えつけられたまま顔を上げた。

 飛鳥のギフトに操られたのとは違う。これはもっと根源的な理由。

 目の前に、氷のような微笑を浮かべる少年の顔。彼は顔を近付けそっと耳打ちした。

 

「でないとここで殺しちゃうよ?」

 

「…………ッッ」

 

 弱者は敗者。敗者はたとえ何を失おうとも抗うことは出来ない。

 今までガルド自身が強いてきた真理が、まさに彼を殺そうとしていた。




アレンジにしてもちょっと説明が多くてオリジナリティが薄すぎました。反省。
普段の書き方なら原作知らない人には不親切な説明ぶっ飛ばしなのですが、ここ吹っ飛ばすと内容スカスカになってしまいそうで。おかげで一話五千文字くらいが目安だったのに一万近くいってしまいました。さらに反省。

>次話はいよいよ皆さんお待ちかねの駄神様のご光臨!!


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黒ウサちゃんの胸の大きさが知りたい

 信長、黒ウサギ、十六夜、飛鳥、耀、ついでに三毛猫の5人と1匹はとある商店を目指してペリペット通りを歩いていた。

 

 ガルドとの一件の後、世界の果てとやらから帰ってきた十六夜と黒ウサギと合流。何故か上機嫌だった黒ウサギに、ジンが事のあらましを説明すると彼女は一転泣いて叫んだ。

 

「なんであの短時間に《フォレス・ガロ》のリーダーに喧嘩を売る状況になってるのですか!? しかも日取りは明日!!? 敵のテリトリー内で戦うのですか!!!? 一体どういう心算があって――――ちょっと聞いているのですか!!!!?」

 

『ムシャクシャしてやった。今は反省してます』

 

「黙らっしゃい!」

 

 およよ、と崩れ落ちる黒ウサギにジンが慰めるように声をかけるのだった。

 

 そんなやり取りの後、黒ウサギはジンを先に本拠に帰して信長達をある場所に案内すると言い出した。目的地の店は《サウザンドアイズ》という名のコミュニティが運営する支店。黒ウサギ曰く、《サウザンドアイズ》は箱庭の東西南北・上層下層全てに精通する巨大商業コミュニティで、ギフトの鑑定などもしているらしい。

 明日、ガルドとの遊戯にあたって己の力を正しく理解することは必須だと黒ウサギは主張する。

 

 しかし、本音をいえば信長はその『己の力』というやつにさして興味はなかった。故に必要性を感じていない。

 おそらく他の面々も同じような思いなのか、その顔にやる気はみえない。

 

「それにしても、十六夜ってばずるいなー」

 

 道中に箱庭に関する質問を黒ウサギにしながら歩いていた一行。

 信長はジト目で先ほど合流した少年へ向ける。

 

「抜け駆けだなんて。僕も行けばよかった」

 

 世界の果てを見るために一時集団を離れていた十六夜は、一足先にギフトゲームをクリアしてきていた。相手は水神と呼ばれる蛇で、無論勝利してきた戦果は黒ウサギが大切そうに抱える水樹の苗。なんでもあの苗は無限ではないものの貴重な水を生み出せる代物らしい。

 どういった構造なのか、信長には想像もつかない。

 

「そりゃ悪かったが、ありゃ成り行きでな」

 

 ヤハハと気軽に笑う十六夜。

 

「だけどお前らだって俺をのけ者にゲームを取り付けたんだ。これで相子だろ」

 

「のけ者って……なにを言ってるのですか?」

 

 先頭を歩いていた黒ウサギが、なにやら不審なその会話に嫌な予感を抱きながら訊ねる。すると十六夜は当然といった顔で答えた。

 

「今回の件はこいつらが売った。奴らが買った。人様の喧嘩に手ぇ出すほど無粋じゃねえさ」

 

「あら、わかってるじゃない」

 

 飛鳥はまだしも耀までもコクコクと頷いている。

 

 そんな中で、信長だけがひとり浮かない顔をしていた。

 

「どうしたの信長君。なにか不満?」

 

「んーまあねー」

 

「そうです! その通りです! 信長さんの言うようにここは皆さんで力を合わせて――――」

 

「やる気が起きなくてさぁ。それにあれぐらいなら飛鳥ちゃんと耀ちゃんで充分だと思うし」

 

 黒ウサギには悪いが、信長はすでにガルドとの戦いに興味は失っていた。すでにガルドの底は見えすぎるほどに見えてしまった。

 勝負はやってみないとわからないというが、今更あれ程度に士気は上がらない。

 さらに今回は飛鳥や耀もいる。彼女達2人だけでも充分おつりがくるというのが信長の分析だった。そしてそれはおそらく正しい。

 

「そう……まあ信長君がいなくても問題ないわ。実際私ひとりでも平気でしょうし」

 

「もうちょっと、もうちょっとチームワークとかをですね……」

 

 ウサ耳をしなだれさせた黒ウサギがしくしく泣いていたのを、問題児達は気付いていながら無視するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まっ」

 

「待ったなしでお客様。うちは時間外営業はしていません」

 

 蒼い生地に向かい合う女神の絵が描かれた旗を掲げる商店――――《サウザンドアイズ》支店の店前で箒を手にしていた割烹着姿の女性店員は、伸ばされた黒ウサギの手をにべなく払って店の札を『本日閉店』にひっくり返した。

 

 この通り、信長達はまったくもって歓迎されていなかった。

 

「閉店時間の5分前に客を締め出すなんて!」

 

「文句があるなら他所へどうぞ。ついでに今後貴方達の出入りを禁止します。出禁です」

 

「このぐらいで出禁とか御客様を舐めすぎなのですよ!」

 

「世知辛いねー」

 

 冷めた目と侮蔑が込められた声ではっきり拒絶を示す女性店員。その間も店仕舞いの手を止めないのだから容赦が無い。

 

 ウルウルと涙目の黒ウサギが可愛いくも可哀想で、信長は少しばかり口を出すことにする。

 

「けど商売人ならもう少し商売根性見せないと。この店の底が知れるよ?」

 

 ピクリと店員の眉根が跳ねる。

 明らかな挑発に対して、割烹着の店員は嘆息つく。

 

「いいでしょう。確かに『箱庭の貴族』と呼ばれる兎を無碍にするのは失礼でしたね。店内で入店許可を行いますのでコミュニティの名を伺ってよろしいでしょうか?」

 

 一度は入店を許可する言葉をもらえてぱぁ、と顔を明るくする黒ウサギだったが、店員の後半部分の言葉に言葉を詰まらせる。

 

(ああ、なるほどね)

 

 その反応に信長は疑問を抱くものの、すぐに理由に思い当たる。

 

 十六夜は一向に名乗らない黒ウサギに代わって堂々と名乗りをあげる。

 

「《ノーネーム》だ」

 

()()()、《ノーネーム》でしょうか?」

 

 《ノーネーム》というのは正しくはコミュニティの名前ではない。名を失ったその他大勢を示す総称に近しい。おまけにジンのコミュニティは旗すら無い。つまりそれは、自分達を証明するものが何ひとつ無いということだ。

 

 商売というのはなにより信用で成り立っている。それはいつの時代も、どんな世界も変わらないはずだ。

 名も無い。旗も無い。自分達を証明するものを何ひとつ持たない相手に商売など出来るはずがない。それが多くの信用と信頼を集める大手の商業コミュニティであるなら尚更。

 

「…………」

 

 それでも、これから先を思えば一時の恥など忍ぶべきだと。

 黒ウサギが強く引き結んだ唇を開こうとした瞬間、

 

「いやあああああほおおおおおおお!! 黒ウサギィィィィ!!」

 

 着物風の服を着た真っ白い髪の少女が店の扉を蹴り破って飛び出してきた。そのまま黒ウサギの腰辺りに抱きついて勢いのまま黒ウサギ諸共街道を転げ、最終的に向こう側の浅い水路に落ちた。

 

「おお! また可愛い女の子が!」

 

「信長君てあんな小さな女の子までありなの?」

 

「……不潔」

 

「誤解しないでよ二人とも。可愛ければ年齢なんて関係ないよ!」

 

「「いや誤解してない」」

 

「そう?」

 

 飛鳥と耀、2人からの冷たい視線を浴びながらずぶ濡れになりながら組んず解れつの和装美少女と黒ウサギを温かく――――本人的には――――見守る。

 

「ちょ、ちょっと白夜叉様! いい加減離れてください!」

 

 むんずと白夜叉と呼んだ白髪少女の頭を掴み、黒ウサギは全力投擲する。流星のような勢いで戻ってくる少女を十六夜が足で受け止めた。

 

「お、おんし、飛んできた初対面の美少女を足で受け止めるとは何様だ!」

 

「十六夜様だぜ。以後よろしく和装ロリ」

 

「ああ、僕のところに来てくれれば優しく受け止めてあげたのに」

 

「おおう……何故だ? 久方振りに身の危険を感じたぞ」

 

 信長の視線にもぼやきにも気付かず、されどブルリと少女は体を震えさせる。

 

「貴女はこの店の人?」

 

 一連のやり取りに呆れたようにため息を吐いて眉間の押さえた飛鳥が白夜叉へと話しかけた。

 白夜叉は飛鳥を見るなりちんまりとした胸を張る。

 

「おお、そうだとも。この《サウザンドアイズ》の幹部様で白夜叉様だよご令嬢」

 

 見た目と違いまるで老獪な口調で答える。その目がいやらしく細められた。

 

「仕事の依頼ならおんしの発育の良い胸をワンタッチ生揉みで引き受けるぞ」

 

「引き受けません」

 

「是非とも見学させてください!」

 

「引き受けませんと言ってるでしょう」

 

 目を輝かせて挙手する信長。

 割烹着の店員だけが冷静にツッコミ続けた。

 

「ほほう、おんし見所があるな。名はなんというのだ?」

 

「信長だよー」

 

 ニコニコと笑顔を振りまく信長。

 白夜叉は頭の天辺から足下までねぶるように見ると、ニヤリと口端を上げて笑った。

 

「なかなかどうして、面白そうな童子だな」

 

 白髪の少女はそれから十六夜達も見回して益々笑みを深めると、装飾見事な扇子を開いて踵を返す。

 

「まあいい。話があるなら店内で聞こう」

 

 どうにかこうにか入店を許可された信長達。その背中を、割烹着の店員だけが憮然とした顔で睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金の穂波が揺れる。白い地平線を丘が覗く。森林の湖畔。

 

 足元から呑み込まれる。景色が変わる。

 

 流転。流転。流転。

 

 投げ出されたその先には何者にも踏み荒らされていない純白の雪原。凍った湖畔。

 

 水平に太陽が廻る世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 思い出すだけで信長は感嘆のあまり吐息を漏らす。

 

 先ほど白夜叉に見せられた光景はそれほどまでに衝撃的で、そして心震えるものだった。まさか世界そのものを所持しているなんて思いもしなかった。

 あれが白夜叉。大きく7つに区切られるこの箱庭の世界で、四桁以下最強を自称する階層支配者。

 

 はたして、元の世界で小さな島国を奪い争っていたなどと言ったら彼女はどういう反応をするのだろうか。

 

(笑われちゃうかな。それとも呆れられるかな?)

 

 肌が泡立つ。心音が五月蝿い。体が疼いて堪らない。

 

 この感情に名前をつけるならなんなのだろうか。知っているはずなのに、もう遥か昔のことで思い出せない。

 ただ、ひとつだけ言えることがある。それは、今の自分では白夜叉には勝てないということだ。

 

 かつての世界ではそんな相手に巡り合うことなどなかった。そもそんな相手がいたなら箱庭の招待に応じる必要などなかった。

 それはきっと十六夜達も同じ。

 信長達は皆、元の世界が窮屈で仕方なかった。挫折も敗北も知らない。故に達成感も勝利も知らない。

 それはなんて退屈な日々なことか。

 

「信長さん、なにを笑っているのですか?」

 

「うん? 笑ってる……そっか、僕は今笑ってるのかぁ」

 

「???」

 

 首を傾げて気遣うような目を向ける黒ウサギ。優しい彼女に信長は指をさして教えてあげる。

 

「なんでもないよ黒ウサちゃん。それよりもうすぐ決着がつくみたいだよ」

 

 示したその先で、大空を駆ける鷲の翼と獅子の下半身を持つ獣――――グリフォンと、その背に乗る信長とはまた異なる世界からやってきた少女、耀の対決が決着しようとしていた。

 

 ゲームの山場に必死に声援を再開する黒ウサギ。

 

 信長は耀の応援をしつつ、もうしばらくこの名前のつけられない感情に身を委ねることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギフトゲーム名《鷲獅子の手綱》

 

 プレイヤー一覧、逆廻 十六夜、織田 三郎 信長、久遠 飛鳥、春日部 耀。

 

 クリア条件、グリフォンの背に跨がり、湖畔を舞う。

 クリア方法、『力』『知恵』『勇気』のいずれかでグリフォンに認められる。

 敗北条件、降参か、プレイヤーが上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

 

 《サウザンドアイズ》印。

 

 

 

 

(この小娘……)

 

 グリフォンは笑うとも驚くともつかない感情を背の少女に抱いていた。

 単なる人の娘。そう侮っていなかったかといえば、間違いなく侮りはあった。ましてやそんな少女に己の誇りを賭けろとまで言われては尚更。

 彼女が命を賭けると言い出したときは少々驚いたが、少女の命と自身の誇りが同等であるなど考えられなかった。

 

 このグリフォン――――名をグリーという――――は《サウザンドアイズ》の正式なメンバーではない。とある事情からこの東区へ流れつき、白夜叉の好意でここに身を置かせてもらっている客分に過ぎない。

 故に、恩人が連れてきた客人の命を奪う気などグリーには到底無かった。無論試練に手を抜くつもりもないが、勝ったとしても見逃すつもりだった。

 

 しかし、それは自身の驕り以上に侮辱であったと気付かされる。何らかの奇跡を宿しているのは間違いないとはいえ、少女はその細い体でグリフォンの飛行に堪え、山脈を越え、そして今こうして湖畔まで試練をやり遂げた。

 それだけではない。少女はなんとグリフォンの大気を踏みしめる恩恵まで得てしまう。

 

 少女だけが、最初から最後まで純粋だった。心の底からグリー(相手)を尊敬し、その誇りを尊重し、この試練にひたむきに挑んでみせた。そしてなにより、

 

「ありがとう。とても気持ち良かった」

 

 少女は、春日部 耀は笑ってそう感謝の言葉を伝えてきた。

 彼女はこのゲームを楽しんでいた。

 

『私の負けだ。全てにおいて』

 

 仲間のもとへ戻る耀の背を見送る。彼女のギフト、その源である首飾りに白夜叉が並々ならぬ興味を示していた。

 

 ふと、こちらに近付く気配に気付く。

 

「近くでみるとまた一段と大きいなー。迫力も凄いや」

 

 それは耀の仲間らしい少年だった。白い羽織と紺の袴の道着姿。後ろで束ねた髪を尻尾のように跳ねさせて、幾分幼げな眼差しでグリーをジロジロと見て回る。

 その視線に悪意も敵意も無く、ただただ子供のような好奇心だけが伝わってくる。

 別段見られることに嫌悪を感じないグリーは為すがままにしていた。

 

「凄いなー。空を踏むんだっけ? こう?」

 

 よっ、はっ、とその場で跳んだり跳ねたり。

 どうやら耀がそうしたように、グリフォンの大気を踏むギフトを再現しようとしているらしい。

 

 思わず苦笑が漏れた。これもまた嘲りのつもりは無く、むしろ目の前の少年の純真な姿に親が感じるような温かな感情。

 

「うーん違うな」

 

 それは次の瞬間、戦慄に変わる。

 

「えっと――――こう?」

 

『!?』

 

 グリーの双眸は自然上を追った。その目で見たものが信じられなかった。信長が空を()()()

 

 数秒の浮遊の後、信長は音もなく着地した。

 沈黙を、彼の恥ずかしそうな笑顔が破る。

 

「やっぱり君や耀ちゃんみたいにはいかないや。僕じゃあ跳ねるのが精一杯だよ」

 

(精一杯だと……?)

 

 グリーは呆然と呻く。

 

 今、信長は確かにグリフォンのギフトを使った。信長自身が言うように、それは拙く、グリーや耀のように空を踏みしめるとまではいかなくとも、しかし確かに大気を掴んで跳んだ。

 この箱庭で、他者のギフトを模倣するギフトは稀有ではあるものの存在する。実際耀はグリーのギフトをコピーしてみせている。

 だが、はたして信長のそれは模倣なのだろうか。

 

 何かが、どこかが違って思える。

 違和感を覚えるグリーは、そこにもうひとつの疑問を抱く。何故自分はその程度の違和感がこうも無性に気になっているのか。

 

『貴様は、何者だ?』

 

 耀や『箱庭の貴族』とは違い、幻獣であるグリーの言葉は信長には通じない。それを忘れるほどグリーの心は乱れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信長も私と同じギフトを持ってたの?」

 

 なにかを言いたげなグリフォンから目を切って振り返ると、こちらはどこか期待に似た眼差しを向ける耀が詰め寄ってきた。

 彼女達も途中からだが信長のしでかしたことを見ていたのだ。

 

「違うよ。僕のはただの真似事。耀ちゃんみたいにこの子とも喋れないしね」

 

 グリフォンを指して苦笑する信長。

 

 耀は『そう……』と、ほんのちょっぴり残念そうだった。

 

「よくもまあ、これほどキワモノが揃ったものだ」

 

 傍目から見ていた白夜叉が、呆れたとばかりに額を叩く。

 そんな彼女へ黒ウサギがそろりと伺う。

 

「白夜叉様でも鑑定出来ないのですか?」

 

「ぐ……鑑定は専門外どころか無関係なのだが」

 

 改めて4人を観察する白夜叉。

 間違いなく4人とも素養は高い。けれど自分にはその素養を正しく測る物差しが無い。

 

「おんしらはどこまで自分のギフトの力を把握しておる?」

 

「企業秘密」

 

 まず十六夜が即答する。

 

「右に同じく」

 

「以下同文」

 

 続いて飛鳥、耀と並び。最後に信長が真面目な顔で、

 

「黒ウサちゃんの胸の大きさが知りたい」

 

「うむ。黒ウサギの胸のサイズは――――」

 

「話が逸れすぎでしょう!?」

 

 何処から取り出した黒ウサギのハリセンが諸共はたく。

 

 コホン、と咳払いで仕切り直す白夜叉は信長達を正面から見据える。

 

「何にせよ主催者として、星霊のはしくれとして。試練をクリアしたおんしらに恩恵を与えねばならん」パチンと扇子を閉じて「ちょいと贅沢だが、コミュニティ復興の前祝としては丁度良かろう」

 

 白夜叉が柏手を打つと、4人の前に光り輝く札が現れる。そこにはそれぞれの名前と恩恵を示す呼び名が刻まれていた。

 

 コバルトブルーのカードに逆廻 十六夜・ギフトネーム《正体不明(コード・アンノウン)》。

 

 ワインレッドのカードに久遠 飛鳥・ギフトネーム《威光(いこう)》。

 

 パールエメラルドのカードに春日部 耀・ギフトネーム《生命の目録(ゲノム・ツリー)》《ノーフォーマー》。

 

 そして信長の前にも彼等同様にカードが現れた。

 

 他の光を呑み込まんとするほど一層強く放たれる光の色は黒。そこには信長の名前と共に、彼のギフトネームを示すもうひとつの名が刻まれていた。

 

 ――――《他化自在天(たけじざいてん)》、と。




ストック考えずに更新飛ばしまくりでこんばんわ。無論ずーとこのままのペースは無理でしょうが、気分が乗ってるときはバンバカ書いてしまうというのが私なので。
四月になればおのずとペースは落ちるのだし、今のうちにテンションあげて行こうぜ!おー!

>作者が初めて知った豆知識!(読まなくてもなんの問題なし)
これを書くにあたって信長さんを色々調べて書いているわけですが、信長さんといえば魔王!それでギフトネームもそれにあやかった名前にしようと調べた結果……《他化自在天》となりました。
これは坊さん達に呼ばれ、後に自身も名乗った第六天魔王という呼び名の別称とでも思ってください。欲界の六欲天、最高位の名です。

これだけじゃわけわかんないですよね!けど大丈夫です。つまりかっこいいだね!これで万事解決です。


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暇だったから

 ためらうように昇る十六夜の月を見上げ、ジンはため息を零す。

 頭上の月と同じ名を冠する少年の、先ほどの言を思い出していた。

 

 『打倒魔王』を掲げるコミュニティ。しかもその神輿をジンにするという十六夜の策。

 

 たしかに彼の言うように、今や旗も名もない《ノーネーム》は有象無象の中から自らを主張する手段を持たない。となれば、リーダーの名を売るというのは唯一であり最も合理的な手段であるというのはジンにだって理解出来る。

 しかし、それはどうしても自分には荷が勝ちすぎるとジンは不安を感じていた。

 所詮自分は子供で、1人では力も知恵も勇気も足りない。ろくにコミュニティをまとめあげることも出来ない。

 

 それでも、ジンは『あの頃』が忘れられなかった。自分達だけではないみんなの憧れだった『ノーネーム』の本当のリーダーや仲間達が誇りだったあの頃。楽しかったあの日々が。

 だから今日までコミュニティを解散させずにいたのだ。

 無力を承知で、恥を承知で。

 

 だがそれすらも甘いと、先ほど十六夜によって気付かされる。己の考えの浅はかさに。

 それでも不安は募る一方。今でも自分はリーダーに相応しいとは思えない。

 

 ――――だとしても、やはり諦めきれない。

 

「その為には絶対十六夜さん達の力が必要なんだ」

 

 彼は明日のガルドとのゲームに敗れればコミュニティを抜けると言った。未だ正式に加入していない十六夜達にはその権利があり、それを止める権利がジン達にはない。もとより騙してでもコミュニティに入れようと礼を逸したのはこちらだ。

 今更情に訴えることは出来ない。

 だからこそ明日は負けられない。

 

 不安と期待を胸に、ジンは目的地であるコミュニティ敷地内の噴水前にやってきた。かつては人々の笑顔が溢れ栄えていたその場所には、今は瓦礫と砂と灰だけが積もっている。

 まるで何百年と打ち捨てられたこの荒廃した景色は、ジンの大好きだったコミュニティを潰した魔王による所業。それも僅か3年しか経っていないというのに。

 

 ジンの表情が歪む。ここに来る度に、あの楽しい日々を思い出すと同時に苦い絶望を突きつけられる。

 一刻も早くこの場から立ち去りたいと思いながらジンは辺り見回すと、目的の人物が朽ち果てた噴水の縁に腰掛けているのを見つけた。

 

「信長さん」

 

 呼びかけると信長は目だけで見て、すぐに視線を他所に戻してしまう。

 

 素っ気ない信長の態度にジンはさっきとは違う意味で顔を顰める。目の前の少年は何故か自分にだけ冷たく接しているように思える。先刻コミュニティの子供達と顔合わせを見る限り子供が嫌いというわけではないようなのに、どうしてかジンにばかりは突っかかるような、もしくは無視するような言動を取っているように思える。

 

 それでもこれからは一緒にやっていく仲間なのだからと、ジンは精一杯の笑顔を作る。

 

「探しましたよ、こんな所にいたんですね」

 

「なにか用?」

 

「お風呂空きましたよ」

 

「そう、わざわざありがとー」

 

 ニコリと信長はこちらへ笑いかける。しかしそれが上辺ばかりのものにしか思えない。

 

(やっぱりこの人は苦手だ……)

 

「――――なにか悩み事かな?」

 

「え?」

 

 伝えることは伝えたので、さっさとこの場を去ろうとしたジンだったが、信長の言葉に思わず足を止めて振り返る。

 こちらを見つめる信長の表情から、彼がなにを考えているのかジンにはわからない。

 一方で信長はケラケラ笑った。

 

「顔に出すぎだよ。素直なのは良いことだと思うけどねー」

 

「う…………」

 

 ジンは恥ずかしくなって顔を俯かせる。

 けれど次に信長から飛び出た言葉にジンは顔を上げざるを得なかった。

 

「僕はね、まだ悩んでるんだ。このコミュニティでやっていこうかどうか」

 

「そんな!」

 

 その発言はジン達にとって最悪のものだった。万が一、明日ガルドのゲームに負け十六夜がコミュニティを抜け、今また信長まで抜けてしまえばコミュニティの再起は難しくなる。

 信長の実力は未だ未知数だが、戦力とあてにした2人に抜けられるのだけはどうしても避けなければならない事態だ。

 

 ここで選択肢を間違えてはならない。どうしても信長にはコミュニティに残ってもらわねば。

 

 ジンは深く呼吸をして気を落ち着かせて、荒廃した土地を見つめる信長の横顔に尋ねた。

 

「それは僕達のコミュニティが弱いからですか?」

 

 黒ウサギがいるとはいえ、現在ジン達のコミュニティは東区最底辺といっていい。不本意ながらガルドの口からこの箱庭の世界を説明された今、そんな最底辺のコミュニティに属するデメリットは計り知れない。

 しかし信長は苦笑する。

 

「名が無かろうと掲げる旗が無かろうと関係無いよ。むしろ飛鳥ちゃんや耀ちゃん、黒ウサちゃんみたいな可愛い子がいるんだから文句なんてあるはずがない。子供も大好きだ。コミュニティに不満は無いよ」

 

「それなら!」

 

「でも強いて不満があるなら――――」

 

 信長は嘲るように笑ってみせた。

 

「君が気に入らないから、かな?」

 

 ジンは言葉を詰まらせる。喉に物を詰まらせたような顔で、なんとか口を開く。

 

「……それは、僕が子供だからですか?」

 

「そんなことを言っている時点でジン君は間違ってるのさ」

 

「どういう意味ですか?」

 

 呆れたように、信長はあからさまにため息をついて噴水の縁から立ち上がる。『いいかい?』と物分りの悪い教え子にゆっくりと告げる。

 

「子供だからとか、弱いからとか、そんな()()()ばかりする君に一体誰が本気で協力してあげようなんて思うのかな?」

 

「……っ」

 

「魔王を倒したい。仲間を取り戻したい。……なるほど立派だと思うよ。でも君はそれを成す為に今まで一体なにをしてきた? 御大層な理想ばかり吠えて、いざとなれば子供だからと、無力だからとなにもしてこなかったんじゃないの? その結果今どうなってる? 理想ばかりは立派な君の言葉を守ろうと、黒ウサちゃんだけが今もずっと傷付いてる。そしてそれすらジン君は『仕方がない』と良しとしてる」

 

 信長から嘲笑すら消えた。この世界にきて初めて見る彼の冷めきった目。

 

「黒ウサちゃんは優しいからなにも言わなかったんだと思う。飛鳥ちゃんや耀ちゃんも。みんなはどう思ってるかは知らないけど、君が嫌いな僕ははっきり言うよ」

 

 いつの間にか目の前に立つ信長は、顔を近付けて凍えるような怒りを込めて告げた。

 

「無能な将のもとで死ぬのは御免だ。それはこれ以上ないくらいつまらない無駄死だから」

 

 沈黙が流れる。項垂れるジンと何も言わずそれを見下ろす信長。

 

「…………ますよ」

 

 やがて、虫の声も聞こえない死に絶えた静寂の中、ジンの震えるようなか細い声が零れる。

 

「聞こえないよ」

 

 が、それすら冷たくあたる信長。

 

 それで感情に火が着いたジンは勢い良く顔をあげて信長を真正面から睨んだ。

 

「そんなこと貴方に言われなくてもわかってますよ! 僕は無能だ! だから黒ウサギだけが、彼女だけがいつも傷付いてばかりいた! でも! でも仕方がないじゃないか! 僕だって本当は戦いたかった……」

 

 普段の敬語をかなぐり捨てて感情を爆発させたジン。その両目から悔しさのあまり涙が溢れていた。

 

「でも僕は子供だし、黒ウサギや貴女達みたいな強力な恩恵も力も無い」

 

「なら最初から大将なんて名乗るな」

 

 ビクリ、とジンは後退る。

 

 切り捨てるように言い放ち、信長は何度目かの嘆息をつく。

 

「ジン君がコミュニティの他の子供達と同じ立場だったならなにも言わない。思う存分無力に嘆けばいい。僕だって同情するし、慰めたと思う。でも君は曲がりなりにも大将だろうが。誰かの命を背負うと決めた瞬間、言い訳も弱音も言う権利は君には無くなったんだよ」

 

 戦国時代という、ある意味でこの箱庭と同じ『争い』でのみ全てを決していた世界で、いつも背負う立場だった信長だからこそ重みのある言葉だった。

 

「教えてあげようか? 無能な将のせいで最初に死ぬのは将じゃない。いつも最初に死ぬのはそれに従う人間だ」

 

 まあ、それを本望と思うかどうかは本人の勝手だけどね、と付け加える。それが黒ウサギを指しているのだというのはジンにもすぐわかった。

 事実、今日までコミュニティのために真っ先に傷付いてきたのは彼女だ。

 

 しかし黒ウサギは決して文句も弱音も吐かなかった。それは彼女が強いからだと思っていた。『箱庭の貴族』として、箱庭の創始者達の眷属として、強靭な肉体と強力な恩恵を持つ彼女。憧れたかつてのリーダー達のように選ばれた者だからだと。

 彼女はただ優しかったのだ。辛くなかったはずがない。不安じゃなかったはずがない。それなのにいつも黒ウサギは笑っていた。

 

 それに気付かされた。いや、気付いていたのに気付かぬふりをしていたのだ。今までずっと黒ウサギの優しさに甘えていた。それが楽だった。

 諦めたくないからと理想ばかり口にして、しかし厳しい茨の道の先頭をいつも他人に進ませていた。終わらない道だと、どこに向かっていいのかもわからないのに。今日までずっと。

 

「ふっ……く……」

 

 涙が止まらない。握りしめて、力が入りすぎた拳から血が滴るも、今は痛みすら感じる余裕は無い。

 情けない。悔しいと感じる権利すらないのだとわかっている。それでも己の不甲斐なさにジンは涙を止めることが出来なかった。これでは信長や十六夜に覚悟が足りないと言われても仕方がない。

 

「ひとつだけ、お節介を焼いてあげる」

 

 一向に泣き止まないジンを見かねて信長は言う。その声が、ほんの僅か優しさを帯びたように感じられた。

 

「ジン君はたしかにひとりで戦える力はないかもしれない。それでも決して無力じゃない」

 

「……?」

 

「君はひとりじゃないでしょう? 道に迷えば黒ウサちゃんが手を握ってくれる。倒れそうになったら飛鳥ちゃんが支えてくれる。空が飛べなければ耀ちゃんが翼になってくれる。目の前に障害が現れたら十六夜が砕いてくれる。君の力は君個人の力だけじゃない」

 

「でもそれじゃあ……」

 

「甘えることと頼ることは違うよ」

 

 優しく、されど厳しく信長は告げる。

 

「腕力が足りないなら頭を使え。必要だと思うなら嘘も覚えろ。そして覚悟を決めろ。命を背負うなら、時には背負った命に死ねと言える覚悟を。君に賭けた彼等の命を十全に使いこなすことが、君にとって強くなることだから」

 

「僕の力は、僕個人の力だけじゃない……」

 

 そんな風に考えたことは一度もなかった。

 

 ジンは袖の長いローブでゴシゴシと目を拭う。ぼやけた視界で、しかと信長を真正面から見つめる。

 

「わかりました。そして誓います。僕はもう二度と泣かないし、俯きません」

 

 『でも』とジンは続け、

 

「仲間の命を捨てる覚悟は出来ません。命を賭ける必要があるならまず僕自身の命を賭けます。だってこれは僕の理想(わがまま)だから」

 

 それがジン=ラッセルの覚悟だと。

 

 すると信長は初めて笑った。無関心なそれでもない。嘲笑でもない。初めて彼はジンに向けて笑顔を見せた。

 

「自分の我儘に命を賭ける、か。将としては最低だけど……僕個人としては好きな考え方かな」

 

 そういえば、こうして信長の顔を真っ直ぐ見るのは初めてだったかもしれないとジンは気付く。

 

「お願いがあります」

 

「なに?」

 

「今でなくても構いません。もしいつか、信長さんが僕のことを認めてくれたら、そのときは僕のコミュニティに正式に入ってもらえませんか?」

 

 ジンは真剣だった。

 さっきまでのような戦力云々は関係ない。今は本気で信長に仲間になって欲しいと願っている。

 

 信長はおもむろに腰の刀に手をかけると、少しだけ刀身を見せるように抜く。

 

「約束するよ。そのときはもう一度考えてあげる。ジン=ラッセルが織田 三郎 信長を従えるに足る人物かどうか」

 

 その言葉と共に、甲高い音を鳴らして刀を収める。

 

「はい!」

 

 ジンには、今はそれだけで充分な答えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(将としての覚悟、か)

 

 ふふ、と信長は内心で笑う。その言葉があまりにも滑稽に響いたからだ。何故なら、偉そうなことを言った自分こそがおそらく最もその覚悟とは程遠い存在なのだから。

 

 弱者はただ奪われる。力が無い者は、たとえなにを失おうと抗う機会さえ与えられない。

 戦国時代という、ある意味でこの箱庭と同じ『争い』でのみ全てを決していた世界に住んでいた信長だからこそジンの将としての在り方に怒りを抱いた。それは本心である。

 

 だがそもそもとして、信長は今まで一度たりとも自分が将だと思ったことがない。生まれた立場上、自身はいつも誰かの命を背負う側であったが、正直そんなもの迷惑でしかなかった。というより知ったことではない。

 一生に一度きりの人生。ひとつ限りの命。

 自分自身の為に使わなくてどうするというのか。

 

 実際夢の中の自分――――正しくは信長が歩むはずだった未来の自分は、幾度と無く自ら窮地に飛び込んでいる。

 そこには勝利の確信も、部下や家族の命の気遣いも一切無い。

 あるのはただただ自身の快楽を求めて。

 

 将としてこれほど最低な者はいまいと、前を歩く少しだけ成長した少年の背を見ながら自嘲的に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガルドの身をクリア条件に、指定武具で打倒!?」

 

 門前に貼られた契約書類(ギアス・ロール)を読んで、黒ウサギは思わず叫んだ。

 

 これはつまり、ガルドはこのゲームに限り絶対の不死性、もしくは盾を獲得したということだ。己の命をゲームに組み込むことで絶望的とさえ思えた飛鳥達との戦力差を埋めた。

 勝負は如何にしてその指定武具を見つけ出し、それをガルドに突き立てるかに絞られる。

 

 他にも不安はある。

 ガルドが選んだこのゲームの舞台。彼等の居住区を埋め尽くす鬼化した森。

 

「やっぱりここは信長さんにも参加していただいて……ってあれ? 信長さんはどこデスか?」

 

「あぁ? あいつなら今朝、『ちょっと外を散歩してくるねー。お昼は黒ウサちゃんの手料理が食べたいな』って言い残して出て行ったぞ」

 

 もう黒ウサギには叫ぶ気力すらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしておんしがここにいる?」

 

「暇だったから」

 

 道着姿の少年は幼い笑顔でそう答えた。彼の背後では、来訪者を止めきれなかったことに割烹着の女性店長が歯噛みしている。

 

 信長は先日に続いて《サウザンドアイズ》の支店にやってきていた。

 しかし本来なら彼はここにいていい人物ではない。

 

「小耳に挟んだ噂が真なら、今日おんしのコミュニティは《フォレス・ガロ》とのギフトゲームではなかったか? というか、おんし自身が参加者だろう」

 

「つまらなそうだから抜けだしてきちゃった」

 

 てへ、と舌を出して答える信長。

 さすがの白夜叉も口端がひくついた。

 

 『箱庭の三大問題児』と呼ばれた白夜叉といえど、己のコミュニティが決闘に等しいゲームをしているのにそれをすっぽかして『暇』と抜かす輩の気は知れない。

 

「ていうのは半分冗談で」

 

「半分なのか」

 

「あの程度の相手なら飛鳥ちゃん達で充分でしょ。僕までいたら役不足」

 

「まあ、な」

 

 それには白夜叉も同意だった。《フォレス・ガロ》の悪行は時折耳にしていた。いつか証拠を揃えて相応に罰するべきだとは考えていた。

 ガルドの力量も、コミュニティの戦力も把握している。ここ七桁の最下層で中の上といった彼等では、鍛えあげられていない原石のままの飛鳥達でも相手にならない。

 

「おんしがゲームに参加していない理由はわかった。だが、ここに来た理由はなんだ?」

 

「白ちゃんと遊びたくて!」

 

「白ちゃんとはまた……」

 

 かつての『白き夜叉の魔王』である彼女を知る者からすれば青ざめる場面だ。そうでなくても四桁以下最強の階層支配者といわれる自分を白ちゃん呼ばわりする者はいない。実際後ろの女性店長は卒倒している。

 

「今忙しかったかな?」

 

「んにゃ」

 

 しかし、そんな風に懐かれるのも嫌いではない。

 

「丁度仕事も一段落したところだ。少しならば相手をしてやろう」

 

「やったね!」

 

 両手を挙げて喜ぶ信長。女性店長だけが不満気だった。

 

「ではどんなゲームにするかの」

 

 ズズ、と茶を啜ってから白夜叉は考えを巡らせる。すると信長がはい、と手を挙げた。

 

「ちょっと待ってて」

 

 信長は道着の懐に手を突っ込んでまさぐるとそれを取り出した。

 

「サイコロ?」

 

 正六面体に1~6の点が掘られたそれは箱庭でも特に珍しくない賽。それが2個、信長の手に乗っている。

 続いて信長は自分に出された茶をグイッと飲み干すと、空いた湯呑みに賽を投げ入れた。

 

「今日は僕の遊戯に付き合ってよ」

 

「ほう」

 

 箱庭にやってきた当初なら兎も角、今日日、最強とまで言われた白夜叉が例外を除き他人のゲームに参加することはほとんど無くなった。というのも彼女が強すぎるのが原因である。

 この箱庭にも人々が生活する上で最低限のルールというのは存在する。そのひとつに、格下のゲームにあまりにも格上の者が参加するのは控えるようにというのがある。理由はもちろんバランスの問題だ。結果のみえたゲームなど見ていてもまるで面白くはない。

 つまり白夜叉がゲームに参加するには、まず彼女に見合うゲームを用意しなければならない。

 

 そこで、信長が提案したゲームはなるほど妥当といえるものだった。

 

「まずこの湯呑みに僕が賽を入れる。それで賽を振って、2つの賽の合計の目が偶数か奇数か白ちゃんが当てるの。どうかな?」

 

「力でも知恵でも勇気でもない。純粋な運のゲームというわけか」

 

 たしかにそれなら実力差に意味は無い。

 

 ニヤリと白夜叉は笑う。

 

「でもいいのか? 私は運も強いぞー?」

 

「それは楽しみだねー」

 

 一歩も譲らない信長もまた笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿馬鹿しい、とキャッキャと楽しげにゲームの内容を話す2人を信長の後ろから見ていた女性店長は内心で吐き捨てた。運に任せたこのゲームであっても主の勝利は確定しているのに、と。

 

 信長が持ちかけたゲームは確かに運の要素がほとんどだ。湯呑みに隠した賽の目を当てる。それも偶数か奇数の2択。何らかの抜け道が無い限り――――たとえば透視の恩恵など――――確率は揺るがない。

 ゲームの選択は悪くなかった。しかし場所が悪い。

 信長がひとつミスを犯したとすれば()()()()()()()()()()()()

 

 ここは《サウザンドアイズ》の支店であると同時に白夜叉の領域である。それは白夜叉の意志に拘わらずあらゆる結果が主に味方をする。

 白夜叉自身の地の運もたしかに強いが、土地の加護が与えられるここで勝負が行われるかぎり、運のみのゲームで主に勝つことは不可能だ。

 

 そして、それを教えてやる義理は無い。この箱庭において無知による敗北は自身の責任に他ならない。不死を殺せといわれたゲームをクリア出来ないのは、不死を殺せないプレイヤーが悪いのだ。

 今回でいえば白夜叉の領域で安易にゲームを始めた信長が悪い。

 そも彼女にとって白夜叉は味方。むしろ鴨がやってきたとほくそ笑むのが正しい反応だ。

 

「では契約書類を作るか」

 

 ゲームのルール、賭け金(ベット)を記す絶対遵守の誓約書。

 この世界においてゲームを行うならば必ず必要となる。

 

「別にそんなのいいよ」

 

 だというのに、信長はあっけらかんと言い放つ。

 

「いいって……おんし」

 

「今回はそんなに大層なものじゃないし。それに白ちゃんは約束を破るような人じゃないでしょ?」

 

 その言葉はあまりにも無邪気で、さすがの白夜叉も女性店長も毒気を抜かれる。

 

「昨日今日知り合ったばかりだというのに随分な信用のされようだのう」

 

 無条件の信頼。それに白夜叉は嬉しそうに、こそばゆそうにはにかんだ。

 

「でも白ちゃんが僕を信じられないっていうなら仕方がないけど……」

 

「いや、いい。おんしがそう言うなら、私もおんしを信用しよう」

 

 白夜叉の言葉に信長は嬉しそうに笑った。

 そうして賽を湯呑みに投げ入れる。

 

「じゃあ始めるね」

 

「おいおいちょっと待て。ルールはともかくまだ互いに何を賭けるかも決めていないぞ!?」

 

「ああ、そういえばそうだったね。でもまあ僕が賭けるのは決まってるしさー」

 

 信長は手を止めずカラカラと賽が湯呑みの中を転がる。

 

「ほう、なにを賭けるのだ?」

 

 純粋な疑問として白夜叉は尋ねた。一時とはいえ楽しい遊び。いつもより幼い無邪気な顔。

 

「えっとね――――」

 

 それが、消失する。

 

「僕の命」

 

 トン……、と湯呑みの口を下に畳に振り下ろす。

 

「――――おい」

 

 静寂を破ったのは白夜叉の声。それによって呆然としていた女性店長も我に返る。そして同時に寒気を覚えた。

 

「おんし、今なんと言った?」

 

 先ほどまでの幼い顔など雲散霧消していた。鋭い双眸。冷えきった声音。

 白夜叉は湯呑みに目もくれず、正面の少年を睨んでいた。

 

「冗談ならば今すぐ取り消せ。私は笑える冗談は好きだが、笑えない冗談は心底嫌いだ」

 

「冗談なんかじゃないよ。僕が賭けるのは、この命」

 

 胸の上に手を置いて答える。

 

 霊格の弱いものならばそれだけで押し潰されかねない白夜叉のプレッシャーの中、信長は一切変わることない無邪気な笑顔のまま受け答える。

 それは、明らかに異常だった。

 

「これは大層なものではない単なる遊び、ではなかったのか?」

 

「そうだよ。これは単なる遊び」

 

「はぁ……」

 

 まるで会話が噛み合わないことに、白夜叉は重い重いため息を吐き出す。

 

「己が言っている意味がわかっているか?」

 

「もちろん!」

 

「ならば私も命を賭けろと? すまんが、階層支配者として、契約書類も介さないこんないい加減なゲームで命を賭けることは出来ない」

 

 その通りだ、と女性店長は内心安堵する。万が一にでも白夜叉が乗ってしまうことを想像したが、さすがにそれはなかった。

 むしろ、白夜叉はせっかくの機嫌が損ねられて、逆に怒りすら抱いているようだった。

 逆に今度は怒りの対象である信長を心配する女性店長だったが、

 

「あは! 違う違う」

 

 彼女は怪訝に眉をひそめた。

 

(笑っている?)

 

 肩を揺らして、堪えるように時折笑い声を漏らす信長。

 

「別に白ちゃんは何を賭けたっていいよ。なんならそこにある和菓子でもいい」

 

 そう言って、信長は白夜叉の茶請けに彼女が出した羊羹を指さした。

 今度ばかりは彼女の怒りも頂点に達する。

 

「馬鹿にするのもいい加減にしなさい!」

 

 気付いたら薙刀を背中に突きつけて怒鳴りつけていた。

 それほどまでにさっきからの彼の態度は、ふざけているのを通り越して白夜叉を侮辱している。

 

「たかが菓子ひとつと命だなんて、いくらなんでも釣り合うわけないでしょう!」

 

「そうだね」

 

 首だけを動かして、信長はこちらを向いた。その顔はやはり、笑っていた。

 

「だから賭けるならお菓子ぐらいが丁度いい。僕はただ白ちゃんと遊びたいだけなんだから」

 

 会話が成り立たない。使っている言語は同じはずなのに、彼と自分ではまるで会話が出来ない。

 はたして原因は自分か彼か。

 

 間違いなく、異常なのはこの男だ。

 

「なら」

 

 柄を握る手に汗が伝った。

 

「なら、貴方は何故命を賭けるのですか?」

 

「そんなの決まってる」

 

 次に出た信長の言葉に、今度こそ彼女と白夜叉は戦慄する。

 

「その方が()()()()()()()

 

「っ……!!」

 

 彼女は確信した。この少年は、今ここで殺すべきだと。

 

 この少年はいつか絶対に害となる。コミュニティにとって、白夜叉にとって、箱庭にとって。

 あまりにも無邪気で、純粋だったが故に今に至るまで気付けなかった。その身に宿す身の毛のよだつほど強大な狂気に。

 そしてこれほどの狂気を今に至るまで感じさせなかった異常性に。

 

 彼女とて大手コミュニティの支店を任されるほどの人物。それが商業コミュニティであれ、決してそれは『弱い』という結論にはならない。

 

 今なら倒せる。殺せる。

 

 背後を取った上にすでに切っ先を突きつけている。対して信長は座ったまま、武器も抜いていない。

 絶好の機会。

 それなのに、

 

(何故、手が動かないの……!?)

 

 切っ先が震える。主人に牙を剥く害だと確信しているのに体は凍りついたように動かない。

 

 それ以前に信長はこちらを見てすらいなかった。始めから彼が見ているのは白夜叉だけ。

 

 それだけではない。白夜叉の世界が、主に絶対の加護を与えるはずの領域が歪んでいる。

 原因は知れている。信長しかいない。

 

 はたして彼の狂気が白夜叉の領域を上回ったというのか。

 

「ねえ白ちゃん。本気で、遊んでよ」

 

 薄い瞼の向こうに覗く漆黒の双眸。

 真正面からそれを見据える白夜叉は、以前の会話を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十六夜、というたか」

 

「なんだ?」

 

 耀とグリフォンの勝負を終え、それぞれに白夜叉からギフトカード渡された後、心労が限界突破した黒ウサギが耀に抱きついて喚く光景を白夜叉と十六夜は少し離れた位置で眺めていた。

 視線は向けないまま質問する。

 

「あれは、一体なんだ?」

 

 白夜叉の視線は先程から1人の人物に注がれていた。美人が抱き合う絶景を、自分達とは別の位置からホクホク顔で眺めている少年。

 白と紺の道着に草履姿。ゆるみきった笑い顔をずっと浮かべる優男。白夜叉が好む和の世界からやってきたと思われる異邦人。

 彼のことが、白夜叉はどうしても気になった。ともすれば、《正体不明》などという奇天烈なギフトネームを発現させた隣の少年よりも。

 

「おんしも充分イレギュラーだが、奴は――――()()()

 

 この箱庭でも類を見ない一級品のギフト保持者である彼等の中で、一際彼に気を惹かれたのは、彼だけが血の臭いを纏っていたからだ。

 

 本当に血の臭いをさせているわけではない。それならば五感の優れる耀や黒ウサギが気付く。

 白夜叉の感じたそれは――――血を求める獣の魂。

 

(あるいは、鬼か……)

 

 間違いなく人の、それもまだ十数年生きたばかりの少年を、白夜叉は最初に会ったとき人ならざるものだと見誤った。

 あの歳でどうしてあんな空気を纏えるのか、と。

 

 問われた十六夜は十六夜で軽薄な笑みで返した。

 

「間違ってなけりゃ、あいつは俺のいた世界の歴史の中で、最も戦に明け暮れた男だ。一度会ってみたいとは思ってたが、まさか叶うとは思わなかった」

 

 ヤハハ、と笑う彼は続ける。

 

「それにしても魔王打倒を掲げたこのコミュニティにあいつがやってくるてのは、なんつうか妙なもんだ」

 

「どういう意味だ?」

 

「あいつのギフトネームにもなってただろ? 《他化自在天》ってのはあいつが当時呼ばれていた異名の別称だ。あいつは――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(第六天魔王――――たかが人間が、欲界の王を名乗るか!)

 

 自然、白夜叉の口角は上がった。

 

 何故ひと目みたときから信長に惹かれたのか。それは彼が自分と同類なのだと理解した(わかった)からだ。

 何故なら白夜叉という己もかつて呼ばれていたのだから。――――魔王、と。

 

 そう、織田 信長は魔王だ。それはこの箱庭における、主催者権限という特権を乱用する荒くれ者を指す俗称ではない。彼の本質。魂と言い換えてもいい。

 己の欲を、快楽を満たすために他を顧みない最低最悪の破綻者。

 彼等は己を満たすためならば平気で何もかもを捨てられる。一瞬の快楽のために己の命すら天秤にかけられる。

 

 信長の力はまだ未熟だ。――――が、その身に宿す狂気は箱庭で最悪と呼ばれる魔王達にも引けをとらない。そんな男の手綱をはたして《ノーネーム》が握れるのか。

 かつての、いや失踪した今でも唯一無二の盟友である()()のコミュニティを案じつつ、しかし今だけはそれを忘れて白夜叉はこのゲームに埋没する。油断をすれば喰われる。そもそもとして、

 

 ――――こんな楽しいゲームは久方振りなのだから。

 

 久しく忘れていた高揚感が彼女の身を震わせる。本来の力は未だ封印されたままなれど、魂まで衰えたつもりはない。

 

「かっ、吠え面かくでないぞ小僧!」

 

 領域の加護が消えた今、勝負は真に五分と五分。

 

 白き夜叉が笑う。そしてまた、覇道を歩むはずだった少年も笑った。

 

 王が2人、賽にその欲を投じる。




閲覧ありがとうございます。

>地の文少なくて台詞が多いなぁと思いつつ、直さないのはご愛嬌です。可愛くはないですが。

前半は良い信長!後半は悪い、もとい魔王な信長でした。特に後半の部分はもっと信長君を怖い、お手本通りな魔王にしてやりたかったのですがどうでしょうか。残念な信長君にはなっていなかったでしょうか。
『命を賭ける』は耀の二番煎じだったんですが、信長さんが賭けそうなのってやっぱりそれっぽいかなぁと思ったので強行致しました。

え?ガルドさんですか?
彼の出番は終わりました(!?)。ええ、人狼らしくいい噛ませ犬だった姿はアニメで観られるでしょう。是非是非ご覧あれ!もしくは原作をもっていない人は原作もご覧あれ!!


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可愛ければなんでもいいよ

 《サウザンドアイズ》から戻ってきた信長を迎えたのは黒ウサギの音速ハリセンツッコミだった。

 

「《フォレス・ガロ》とのゲームをすっぽかしてどこに行っていたのかと思いきや……信長さん貴方って人は! 貴方って人はああああああ!!」

 

「――――そのへんにしてあげなさいよ黒ウサギ」

 

 バシンバシンとハリセンを往復させる黒ウサギと何故か嬉しそうになすがままの信長。

 それを止めたのは短い嘆息混じりの飛鳥の発言。

 

 それで黒ウサギもようやく手を止めた。

 

「YES……まあ結果として、信長さんのおかげで春日部さんの治療は最高の環境で行えるわけですしね」

 

 グスンと鼻を啜る黒ウサギ。

 

 《ノーネーム》と《サウザンドアイズ》のゲームは事前の信長の読み通り《ノーネーム》が勝利した。ただひとつ読みが外れたことといえば参加者の一員たる耀が負傷したことだった。

 合流するなりそれを聞いた信長は黒ウサギを通じて白夜叉へ連絡をつける。白夜叉が二つ返事で頷いて、耀は《サウザンドアイズ》へ運ばれた。《ノーネーム》にも治療器具は揃っているが、使えるのは黒ウサギだけ。向こうの方が器材も人員も充実している。傷も残さず半日ほどで戻ってこれるそうだ。

 

 それにしても、正座している――――させられている――――信長はふむと唸る。

 信長の予想ではガルドの逃走による不戦勝。もしくは飛鳥達の圧勝だった。

 その予想を覆したのは何者かによるガルドへの助力であったらしい。

 

 その人物はまずゲームルールに己の命を組み込むという入れ知恵だけでなく、『鬼化』なる文字通り鬼の恩恵をガルドに与えた。

 結果、ガルドの牙は本来であれば届くはずもなかった耀に届いた。

 

 少しだけ、ほんの少しだけ信長はガルドを見直した。たとえ誰かの助力があったればこそとはいえ、彼は自分の予想を超えてきたのだから。

 

「いいやよくねえ」

 

 遊戯をすっぽかしたことを、ちょっぴり勿体無く感じていた信長の傍らで、先程から十六夜だけが憮然とした顔をしていた。

 半眼で睨まれる。

 

「そんな面白そうなことを抜け駆けしやがって」

 

「ごめんごめん」

 

 両の手を合わせて首を傾げながら謝る信長。十六夜の怒気に対してあまりにも軽い。

 

「そ、そういえば十六夜さん!」

 

 空気が硬くなるのを敏感に察知した黒ウサギが話題を逸そうと必死に声を張り上げる。

 

「ジン坊っちゃんが提案した例のゲームですが」

 

「例のゲーム?」

 

 信長が口を挟む。

 

「黒ウサギ達の仲間が賭けられたゲームでございます。――――それがどうやら主催者の意向で延期……ひょっとするとこのまま流れてしまうかもしれないとのことです」

 

「そりゃまた何故?」

 

「なんでも巨額の買い手がついてしまったようです」

 

 シュン、と項垂れる黒ウサギ。

 十六夜は苛立たしげに舌をうった。

 

「上層でも指折りのコミュニティつっても所詮は売買組織ってわけかよ、しらけさせてくれやがる」

 

「仕方がありません。《サウザンドアイズ》は群体コミュニティですから。白夜叉様のような直轄の幹部が半数。傘下のコミュニティの幹部が半数。今回はその傘下のコミュニティが主催でしたから」

 

 再び、十六夜は露骨に舌をうった。

 

 商業コミュニティの傘下にある以上、彼等の多くは損得勘定で動く。一度提示した景品を、参加者まで募っておきながら直前で引っ込めるなど信用を失うことは必然だ。それがどこのコミュニティであれ、そこに《サウザンドアイズ》という巨大な看板がある以上、最も泥をかぶるのは《サウザンドアイズ》。となれば今回ゲームを主催していた幹部には相応の罰則が下るはずだが……。

 それだけ魅力的な商談だったのだろうか。

 

 たとえ同じ旗本にあろうとも一枚岩ではいられないということらしい。

 

「それでその仲間ってどんな人なの? 女の子? 可愛いの?」

 

 根っから商売人でもない信長は参加予定もなかったゲームの行方などぶっちゃけどうでもいい。

 その手の話より気になったのはその景品になる予定だった人物。つまりは黒ウサギ達の仲間について。

 

 尋ねられた黒ウサギはというと、その人物の顔を思い浮かべたのか、先ほどまでの暗い顔を一転、まるで初恋の相手を語るようなだらしない笑顔に変えた。

 

「彼女は黒ウサギの先輩でとても可愛がってくれました。見た目は、そうですねえ。スーパープラチナブロンドの超美人さんです!」

 

「本当に? ならちょっと行ってさくっと奪って来ようか?」

 

「NO!!」

 

 本当にやりかねない信長に飛びつくなり全力で引き止める黒ウサギ。実際あと少し遅かったら飛び出していたかもしれないので、彼女の判断は正しい。

 

「近くにいるのならせめてもう一度話したかったのですが……」

 

「ねえねえ黒ウサちゃん」

 

「なんですか? 奪いにいくのは駄目ですヨ?」

 

 ちょんちょん、と無遠慮に黒ウサギの肩をつつく信長は、その指で窓の外を指した。

 つられてそちらを見た黒ウサギは目をまん丸にした。

 

「『すーぱあぷらちなぶろんど』の超美人さんて――――ああいうの?」

 

「レティシア様!?」

 

 思わず黒ウサギは跳び上がる。

 

 窓の外、宙に浮かぶ少女。

 まるで精巧な西洋人形のように整った容姿。長い睫毛。可憐な瞳。

 そしてなにより目を奪われるのは、金糸のような流れる頭髪。思わず眩い黄金色の光が幻視出来てしまうほど彼女の髪は美しかった。

 

 信長はじっと少女を見つめる。

 初めてだった。異性を前に思わずため息が出たのは。

 

「――――――――」

 

 窓の向こうで口をパクパクさせるレティシア。伸ばした細い人差し指が窓の鍵を示していた。

 

 大慌てで黒ウサギが窓の鍵を開けるとレティシアは慣れた動作で中に入ってきた。

 床に足を着けるとバサリ、と羽を大きく震わせる。翼。蝙蝠のような翼だ。

 彼女もまた普通の人間ではないのだろう。

 

「こんな所からの入室ですまない。どうしてもジンに見つからず黒ウサギに会いたかったのだ」

 

「そ、そうでしたか。――――すぐにお茶を淹れますね!」

 

「構わずともよいよ。今の私は他人に所有される身分に過ぎないのだから」

 

 しかし黒ウサギはレティシアの言葉を取り合わず疾風となって部屋を出て行く。それにレティシアは苦笑を零していた。

 

 黒ウサギの先輩というには彼女よりずっと幼いレティシアは、しかし口調や何気ない仕草は貫禄を感じさせるものがあった。

 そんなアンバランスさが、信長にはどうにも愛らしく思えた。

 

「わ! わっ! 本当に美人さんだー! 是非とも御近付きに――――」

 

「君が十六夜か。どうした? 私の顔になにかついてるか?」

 

 露骨な無視っぷりに両の手を床について項垂れる信長。

 

 それを見たレティシアがクスクスと悪戯っぽく笑っていた。

 

「冗談だよ信長。君達のことは白夜叉殿より聞いている」

 

 そう言ったレティシアの顔が僅かに真剣味を帯びた。

 

「私は君達2人に会いたかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は君達2人に会いたかった」

 

 レティシアはそう告白して2人を見据える。

 

 すると、じっとこちらを真っ直ぐ見つめる十六夜の目が気になった。彼は顎に手を当てて、まるで評論家のように厳かな声音で告げた。

 

「たしかに、前評判通りの美少女だ」

 

「ありがとう。しかし観賞するなら黒ウサギも負けてないと思うが?」

 

「あれは愛玩動物なんだから、弄ってなんぼだろ」

 

「ふむ。否定しない」

 

「否定してください!」

 

「可愛ければなんでもいいよー」

 

「信長さんはもっと節操をもってください!」

 

 いつの間にやら復活していた信長。それと戻ってきた黒ウサギ。

 黒ウサギの手には人数分のカップが揃えられたティーセットがあった。

 

 黒ウサギに注がれた紅茶を受け取る。そっと口をつける。

 温かい。そしてなにより懐かしい気持ちが胸を襲った。願ってはならないことを、思わず願ってしまうほどに。

 

「それで、何かあったのでしょうか?」

 

 一息の後、真剣な面持ちで黒ウサギが質問してくる。先ほど自分自身を『所有物』だと告げた瞬間から、彼女にはある程度の事情が呑み込めている。

 そう判断しつつ答えた。

 

「用というほどではない。新生《ノーネーム》の実力がどれほどか見に来た。ジンに合わせる顔がないのは結果として仲間を傷付けてしまったからだよ」

 

 それは全て偽らざる本音である。

 

 十六夜や白夜叉、そして信長達が楽勝であると予見した先の《ノーネーム》と《フォレス・ガロ》のゲーム。たしかに結果は《ノーネーム》の、飛鳥達の勝利で終わったものの、お世辞にも楽勝だったとはいえない。

 耀は負傷し、一時は間違いなく押されていた。

 

 それもこれもガルドの力がゲーム前より大幅に上がっていたことが理由だ。仲間を頼らず、策に頼らず、理性を捨てただただ牙を剥いた。

 その原因こそレティシアである。

 レティシアはゲーム前、ガルドに接触し彼に『鬼種』の恩恵を与えた。更にゲームルールを改変しガルドに一矢報いさせた。

 

 しかしそれは決してガルドの為ではない。

 全ては《ノーネーム》……仲間達を案じて。

 

 風の噂でジン達がコミュニティを再建しようとしていると聞いた。最初は何を愚かなことを、と嘆いた。あれほどの屈辱を、そして仲間を失う恐怖を味わってまだ抗う無謀に、筋違いの怒りすら湧いた。

 しかし、彼女の耳にもうひとつの噂が舞い込んできた。

 

「神格級のギフト保持者がジン達のコミュニティに加入した、と。そう、君達のことだ」

 

 レティシアは2人の少年を見据える。

 

 神格級のギフト保持者。それも複数の戦力が集まった。

 それを知ったとき、何としてでも再建を辞めさせようとしていたレティシアの思いに躊躇いが生まれた。

 

 名も顔も、人格も知らない彼等彼女らが本当にコミュニティを救える存在であるか否か。それを知る為に彼女はガルドを当て馬とした。そのために彼に力を与えた。

 

「結果は?」

 

 十六夜の問い。

 

 レティシアはフッと笑った。

 

「わからない。ガルド程度では当て馬にもならなかった。それに、ゲームに参加していた彼女達はまだまだ青い果実同然。肝心の君達がゲームに参加しなかった」

 

 ゲームに参加していた少女達。飛鳥と耀も十二分に才ある者だと思う。

 しかし彼女達だけでは到底ジン達のコミュニティを救うことは出来ない。いずれ、かの魔王がやってきたとき、間違いなく諸共殺される。

 故にレティシアの本当の目的は白夜叉にして未知数だと言わせた2人の少年の力を見極めることだった。

 

(特に……)

 

 レティシアの視線は信長へ向く。

 

 レティシアはすでに白夜叉自身の口から、彼女に勝ったという少年について聞いていた。

 かつて数多の修羅神仏を滅ぼし、今も最強の階層支配者として君臨する白夜叉。彼女に真正面から勝てる存在など、少なくともこの箱庭の中層以下にはいない。

 そんな白夜叉に、この少年は勝ったのだという。

 

 不意に視線が合うと、彼は照れたように後頭部を搔く。

 

「いやぁ、そんな熱い視線向けられると困っちゃうなぁ。婚約を前提にお付き合いしてみる?」

 

 実際に目にした彼は、なんというか残念極まりなかった。

 

(本当にこれがあの白夜叉に勝った男なのか?)

 

 信じられない。負けたと本人から聞いてそれでも信じられなかった。

 それどころか、これなら飛鳥や耀という少女達の方が将来性がある分よっぽどマシだ。

 

 最強の階層支配者を降すほどの存在。そんな人物がコミュニティに入ってくれたなら安心だと期待していた分、彼女の落胆は大きかった。

 そうしてはたと思い出す。

 自分を逃がす手引をしてくれた白髪の少女の、ここへやってくる直前の台詞を。

 

 ――――ヘッドフォンの童子の方は期待していい。

 

 そしてもう一言。自身を降した少年について、彼女は苦い笑みを浮かべた。

 

 ――――多分、凄いガッカリするぞ。

 

(そういえば言っていたな)

 

 正しく言葉は得ていた。

 覇気もなくヘラヘラと笑い、何気ない身のこなしから多少武術の心得があるようだがその程度。

 白夜叉のように普段ふざけていても力のある者は否応なく強い気配のようなものを感じるのだが、目の前の少年からはそんな凄みはまるで感じない。

 

(これはやはり謀られたかな)

 

 レティシアは陰鬱に笑う。

 柄にもなく冗談を真に受けてしまったことと、膨らませていた期待がその分大きい失望に変わった。

 

「その不安を解消する方法、ひとつ心当たりがあるぜ」

 

 そんなレティシアへ、もうひとりの異邦人たる金髪の少年は口端をつり上げて言った。

 

「自分で試せばいい。俺達が魔王と戦って倒す実力があるかどうか。なあ――――元・魔王様?」

 

 一瞬レティシアは思わず呆気に取られてしまう。

 十六夜の提案にいち早く反応したのは信長だった。

 

「あ、ずるい十六夜! 僕は!?」

 

「お前は一度抜け駆けしてるだろ。それにこっちはこの吸血ロリを取り戻すゲームすらお預けでさすがにストレス溜まってんだよ」

 

 レティシアの不安を除く、というより主に今の発言の後半部分が本音なのは明らかだった。

 

 十六夜の言い分に文句を言いながら渋々と引き下がる信長。

 2人して今ここで戦うこと自体は決定事項のような物言い。心配症の黒ウサギはそれにまた喚いている。

 

「…………」

 

 それを眺めて、レティシアは笑った。

 

 ガルドを利用して力量をはかろうなどと回りくどいことをしていたのが馬鹿らしくなった。この世界はいつだってシンプルなのだ。

 そしてなにより、この子供等はこのゲームを楽しもうとしている。それだけで充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲームは一撃の後決着となった。

 

 黒ウサギにとって大先輩、かつてコミュニティを支えたプレイヤーのひとりであるレティシア。ただの人間でありながら神格を持つ蛇神を素手の一撃で打ち倒した十六夜。

 

 2人が真正面から争えば地形までも変わりかねないとハラハラしていた黒ウサギだったが、レティシアが投擲した投槍を十六夜が拳で打ち返す所業に唖然とする。瞬後、かつてのレティシアならばいくら虚を突かれようともこの程度で倒されるはずがないのに、槍が目前まで迫ってなおいつまでも無防備な姿を見て考えるより先に彼女は飛び出していた。

 

「黒ウサギなにを――――」

 

「やっぱり!」

 

 間一髪槍の直撃からレティシアを救い出し、決闘への横槍に激怒する彼女の手からギフトカードをひったくる。

 疑念は確信に変わった。

 

「ギフトネームが変わってる……」

 

 レティシアを見ると、彼女は気まずげに目を逸らした。

 

 レティシアから神格が消えていた。つまりそれは、かつて魔王と恐れられた力のほとんどを失っているということだ。

 鬼種のギフト、それとカードに多少の武具は残っているものの、神格を始めとする彼女の恩恵は残っていなかった。

 

「ハッ。道理で歯応えがねえわけだ。他人に所有されたらギフトまで奪われるのかよ」

 

 苛立ち混じりの十六夜の問に、しかし黒ウサギは首を横に振る。

 

「いいえ。武具に宿るそれとは違い、恩恵とは神仏や精霊から受けた奇跡。謂わば魂の一部です。たとえ隷属されようと合意無しにギフトを奪うことは出来ません」

 

 そう、つまりレティシアは自ら己の魂を切り売ったのだ。ギフトは、この箱庭で生きるためには何より必要となる力だ。それを何故?

 

「そんなの、彼女がここにいることが答えに決まってるじゃん」

 

 今まで大人しく決闘を眺めていた信長が、しゃがみ込んだ格好で手慰みに地面を弄っている。

 

「信長さん、それは一体どういう意味ですか?」

 

「え?」

 

 黒ウサギとしては純粋にわからないことを質問しただけだったのだが、問われた信長は質問の意味がわからないというようにぽかんとする。

 質問の意図がわからなかった彼は質問に質問で返した。

 

「レティシアちゃんは今誰かの『モノ』なんでしょ? そんな彼女がここにやってくるまでに()()()()()()()()()()()()?」

 

「それ、は……」

 

 それでようやく察した黒ウサギに、信長は真顔で続ける。

 

「世の中に無為の報酬なんてあり得ない。なにかを得るには絶対に代価が必要になる」

 

 ただし人の価値観がそれぞれによって違う以上、代価が相応とは限らないけど……と付け加える。

 

 黒ウサギにもわかった。再会したときレティシアは言った。自分はコミュニティの再建を止める為にここにやってきたのだと。

 災厄の魔王によって所有物となった(隷属させられた)彼女が、一時とはいえ自由を得る為に何を代償としたのか。

 彼女は、レティシアは己の魂を切り売ったのだ。

 

 一体それはどのような思いだっただろう。どれほどの痛みを、屈辱を、彼女はその身に受けながら今ここに立っているのだろうか。

 

「黒ウサギ……」

 

 気遣うようにかけられたレティシアの悲しげな声が、余計に黒ウサギの体を震えさせた。

 

 ぽん、と俯いた頭に重みがかかる。

 見上げると、黒ウサギの頭に置かれた右手とは反対の手で後頭部を搔く十六夜がいた。

 

「まあ、話があるなら一旦屋敷に戻ろうぜ」

 

 それが彼なりの優しさだと気付いて黒ウサギも懸命に頷く。

 

 屋敷に戻ろうとする4人の頭上から、突如褐色の光が落ちた。

 いち早く気付いたのはレティシアだった。

 

「ゴーゴンの威光!? 見つかったか!」

 

 レティシアの口から飛び出したワードに黒ウサギはぎょっとする。

 言葉を発する間もなく、黒ウサギを含めた3人はレティシアによって突き飛ばされる。レティシアだけが射線に残ってしまう。

 

「駄目です! 避けてくださいレティシア様!」

 

 黒ウサギの叫びは虚空に響くだけだった。褐色の光を浴びた瞬間、黒ウサギの目の前でレティシアは石像と化した。

 

 黒ウサギは光が差し込んだ遠方を睨む。

 そこには予想した通りゴーゴンの御首を掲げた旗印と翼の生えた空駆ける靴を履いた騎士甲冑の男達。その数たるや10や20ではない。100に届く数の騎士が空を埋め尽くす。

 彼等の正体はコミュニティの名を《ペルセウス》。《サウザンドアイズ》の傘下にあり、現在レティシアを所有するコミュニティだ。

 

 石化したまま地面に横たわる少女に、黒ウサギは駆け出しそうになる体を掻き抱くようにして自制した。レティシアは死んだわけではない。ただゴーゴンの光によって一時的に石化させられているだけだ。

 箱庭のゲームによって所有物となったレティシアが、主の命も無しにこんなところをぶらつくことは許されていない。もし今ここで彼女を庇おう者なら《ペルセウス》だけではなく《サウザンドアイズ》までも敵となりかねない。

 己のコミュニティを守る為にも、それだけは避けなくてはならない。

 

 幸い、騎士達にとって黒ウサギ達は眼中に無いようで石化したレティシアに群がっている。

 

「と、とりあえず御ふたり共本拠に逃げてください!」

 

 一先ず黒ウサギは近くにいた十六夜の腕を引っ張って本拠へ逃げようとする。

 しかし、

 

「なんで?」

 

 信長だけが一向についてくる気配が無い。

 きょとんとした顔で、呑気に首を傾いでいる。

 

「彼等は《ペルセウス》のコミュニティの者達です! 《ペルセウス》は今のレティシア様の主……そして、《サウザンドアイズ》の幹部を務めています! 彼等と争えば……」

 

 焦燥から矢継ぎ早に話す黒ウサギだったが、最後の言葉を口に出すことは出来なかった。

 

 今あの騎士達と争えば、最悪の場合《サウザンドアイズ》そのものを敵に回すことになる。商業コミュニティとはいえ上層を根城にする《サウザンドアイズ》と争えば、今度こそコミュニティは壊滅させられるだろう。

 なによりも、今までコミュニティの危機になんだかんだと手助けしてくれた白夜叉と争うことは、彼女にはどうしても出来なかった。

 

「その兎の言う通りだ」

 

 騎士達のひとり、おそらくこの集団のリーダーであろうゴーゴンの首を持つ男がこちらに意識を向ける。石化したレティシアの回収を部下に任せて

 

「我々の邪魔をするな。その吸血鬼は箱庭の外で待つコミュニティに売り払う大切な商品だ。なるべく傷をつけたくない」

 

「外、ですって……!?」

 

 サァ、と黒ウサギは自分の顔から血の気が失せる音を聞いた。

 

「一体どういうことです! 彼女達ヴァンパイアは――――《箱庭の騎士》は箱庭の中でしか太陽の光を浴びれないのですよ!? それを外に連れだしたら――――」

 

「黙れ。我らが首領が決めたことだ。部外者が口を出すな」

 

 男は冷ややかな目で黒ウサギを見下ろす。

 そも始めから彼等は黒ウサギ達など意にも介していない。その証拠に、本来であれば如何なる理由であろうと他人の本拠を無断で踏み荒らすこの行為は最大の侮辱行為だ。傘下とはいえ、信頼を第一とする商業コミュニティならば尚の事。

 それを彼等は平気で行い、謝罪はおろかその本拠の黒ウサギ達に上から目線で『部外者が口を出すな』、だ。

 

 さすがの黒ウサギも黙ってはいられないと口を開きかけた瞬間、

 

「五月蝿いよ」

 

 ブルリと寒気が走った。

 

 無意識に意識が引き寄せられたのは、ひとり黒ウサギ達とは離れた位置で立ち尽くす少年。

 

「信長さん……?」

 

「貴様、今なにか言ったか?」

 

 黒ウサギの呟きは、上空からの男の威圧的な声に掻き消される。

 怪訝に顔をしかめた男の視線は、黒ウサギから信長へ移る。

 

 本当に先ほどの信長の発言が彼等に聞こえていないとは思えない。

 しかし、信じられないという意味でならば、彼等は本心から信長の発言を疑っていたのだろう。そんな言葉を言うはずがない、と。

 

「五月蝿いって言ったんだよ」

 

「っ……!!?」

 

 その期待は砕かれる。

 

 信長の表情からは色が消え失せていた。

 

「君達の事情なんて僕にはどうだっていい。それよりも……他人の領土を踏み荒らしておいて、あまつさえ人様を見下ろして勝手に喚くなよ」

 

 ――――何様だ。

 

 黒ウサギは見た。百を超える軍勢が間違いなく気後れしていた。

 信長には飛鳥のように言葉で他者に干渉する類の恩恵は宿していない。今のは単なる気当たり。しかしたったそれだけで、彼は目の前の軍勢を僅かとはいえ退かせた。

 

 薄っすらとした笑みを浮かべる信長。けれどその表情には今までのような陽気さとは真逆な印象しかない。

 寒い。ここ一体の気温が下がったような錯覚。体温までも奪われる感覚。

 

「――――っ、己の旗も名も守れなかった奴等が!」

 

「ならさぁ」

 

 消えた。

 

「自分の命すら守れない君達はなんなんだろうね?」

 

 再び信長が現れた場所は、歯を喰いしばって吠えた男の後ろ。グリフォンの空を踏みしめるギフト――――不完全ながらそれを得たが故の大跳躍。

 だがしかし、それ以上に今の動き。

 

(疾い――――!!)

 

 嘲笑混じりの言葉と共に、信長は腰の鞘から刀身を抜き放つ。

 振り返る間もない。刃は男の首を容易に落とす。

 

「だからやめろってーの」

 

 黒ウサギを含めた全員の予想は、しかしもうひとりの異邦人の少年によって覆される。

 

 十六夜は、騎士の背中を取った信長のさらに後ろを取っていた。

 こちらはグリフォンのギフトではなく自前の跳躍力で。

 

 十六夜に気付いた信長は薙ぎ払う動作を中断。咄嗟に鞘を掲げる。

 そこへ振り下ろされる拳。

 空を飛ぶギフトに迫る大跳躍然り、超人的な身体能力より発揮される一撃に鈍い音をさせながら信長が落下する。

 信長がグリフォンのギフトを完全にモノにしていたならば空中で踏ん張ることも出来ただろうが、あくまで不完全でしかないそれでは為すがまま吹き飛ばされる。

 

 頭から真っ逆さまに地面に激突かと思いきや、信長は直前で体勢を入れ替えて足を下に向ける。再びグリフォンのギフトを発動。

 ふわりと、完全に勢いを殺して音もなく着地する。

 

 見事な受け流し方だった。

 それに直撃したときの音こそ凄かったが、見たところ拳によるダメージもほとんど見えない。無理に力に逆らわずにいなしたのだろう。

 

「邪魔しないでよ、十六夜」

 

 信長に遅れて地面に下りた十六夜へ声を投げる。

 相変わらず口調は穏やかで、しかしその顔はありありと不満を訴えていた。

 

 ガリガリと十六夜は後頭部を搔く。

 

「落ち着けよ。いま《サウザンドアイズ》――――白夜叉と争いたくねえって黒ウサギが言っただろう? つかこの俺が我慢してんだからお前も我慢しろよ」

 

「聞こえなかった? 邪魔するなって言ったんだよ」

 

 拒絶を露わにする信長の声音は冷えきっていた。始めから問答など求めていないと。

 

 一瞬怪訝に歪んだ十六夜の顔が、見る間に笑みに変わる。好戦的な獣の笑み。

 

「嫌だって言ったら?」

 

「そうだね」

 

 不意に信長が構えを解く。

 

 それに黒ウサギがほっ、と安堵したのも束の間、

 

「なら一緒に死んじゃいなよ」

 

 瞬間的に懐まで踏み込んだ信長の剥き出しの凶刃が十六夜を下から襲う。

 黙っていれば胸を斜めに斬り上げた鋼は、しかし十六夜の右足が押さえ込んでいた。

 

「上等だ。ならやってみな!」

 

 予期せず2人の問題児がぶつかり合う。




>閲覧ありがとうございました!今回はなかなか展開が浮かんでこなくて四苦八苦しておりました。……まあもう一つの作品が事故ってテンションダウンというのもありましたがね。

>知ってましたか皆様!実は五話にして信長君まだまともに戦ってないんですね!びっくり。
てなわけで初の戦闘が次回で、しかも相手が仲間の十六夜っておいおいてな感じですが次回をよろしくお願いします。


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賛成!!

 繰り出した右の薙ぎ払い。首を狙ったそれを十六夜はしゃがんで回避。刀を翻して袈裟斬りに移行――――しようとしたところを緊急停止。首を横に倒した直後、耳元で空気が唸る。突き出された拳が大気を穿った。

 

 信長は流れる冷や汗をそのまま、今度こそ袈裟に刀を振り下ろす。銀閃となって肉を断つはずの刃を、十六夜は一切躊躇わず上から落とした左肘で弾く。お返しとばかりに今度は回し蹴り。

 刀が弾かれた瞬間に後ろへと跳んでいた信長は紙一重で躱す。しかしカマイタチとなった蹴撃に、パックリと着流しは真一文字に裂けていた。

 

 一秒にも満たない刹那の攻防。

 

 

「はは! 素手で刀を防ぐとか出鱈目過ぎるよ」

 

「俺の動きについてこれるってのも充分出鱈目だと思うがな!」

 

 

 言葉を直後には両者の間合いは再び零へ。刃と拳が交錯する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あり得ないのですよ……)

 

 

 黒ウサギはやや離れた所からその戦いを見ていた。壮絶なその光景に唇が震える。

 

 ふたりの動きはすでに人の域を超えている。そも、十六夜の超人さは水神との戦いですでに見せてもらっていた。素手で神格持ちを倒す彼に今更驚かされることも無い。

 だが、信長は違う。

 信長の身体能力も確かに人間離れしてはいる。が、それは十六夜はもちろん、黒ウサギや耀と比べても明らかに劣っている。それでいて彼が十六夜の動きについていけているのは偏に彼の『眼』だ。

 視野の広さも去ることながら、その動体視力と優れた観察眼で十六夜の僅かな動きから次の行動を先読みしているのだ。また、彼だけが唯一何らかの武術に精通しているらしいというのも、彼の図抜けた予測の一因なのかもしれない。圧倒的な身体能力の差を、彼は予測と経験でカバーしているのだ。

 

 ――――だが黒ウサギが、彼女が顔を青ざめさせている理由は()()()()()()()()()

 

 彼等は本気だった。本気で相手を殺す為に攻撃している。今の一撃も、その前の攻撃も寸止めするつもりなどさらさら無い。瞬後相手の急所を貫く斬撃を、粉砕する拳撃を、彼等は躊躇いもなく繰り出している。……そのことが黒ウサギには信じられなかった。

 

 黒ウサギから見て彼等の仲はそう悪くなさそうだった。相性でいえば十六夜と飛鳥に、個人では感情の起伏が薄そうな耀に不安があるぐらいで、彼等男性陣にはそれほど不安はなかった。どちらも問題児には変わりないが。

 

 さっきまで談笑していた相手を、名を名乗りあって意気投合していた相手を、今は互いに相手の命を刈り取ってしまって構わないとばかりに刃と拳を繰り返し交換する。

 

 なにより、彼等は笑っていた。

 

 肌を掠めた冷たい刃の温度を感じても、山河を砕く拳が耳元を通り過ぎても。

 一瞬の判断の迷いで死に直結するやり取り。

 互いの体に徐々に増えていく傷で朱に染まっていきながら、彼等は歯を剥き出しにして笑うのだ。

 

 仲間の為ならば煉獄の炎にさえ飛び込む覚悟を持つ黒ウサギにとって、目の前の光景は理解の範疇を超えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっ!」

 

 

 鋭い吐息が聞こえた瞬間、十六夜の視界の端に鋼の刃が映った。膝を折って体勢を低くする。すぐ頭上で切り裂かれる風の音。ブチブチと逃げきれなかった金の頭髪が目の前を舞った。一歩、踏み込んだそこは信長の懐。

 

 

「終わりだ」

 

 

 髪を切られた怒りを握り込んだ拳に込める。かつて異空間を叩き壊した、星さえ砕く一撃。

 

 かつてない、同じ人間でありながらの強敵を目の前にした十六夜は自らも気付かずリミッターを外しかけていた。

 

 けれどそれは信長も同じこと。

 

 

「甘いね」

 

 

 口元は笑っているくせに眼だけは刃のようにギラついた光を放つ。

 信長は踏み込んだ十六夜の足を思いっきり払った。常人ならば強靭な十六夜に蹴りを入れれば、蹴った方の足が折れるものだが、信長はきっちり踏み込んだ左足、その膝裏へと狙い定めて撃ち込んだのだ。

 

 

「チッ……!!」

 

 

 刀への警戒ばかりで下への注意が散漫になっていた十六夜は僅かに体勢を崩す。十六夜はそのまま倒れてしまえばよかった。或いは攻撃動作を完全に放棄するべきだった。

 十六夜はその場にとどまろうと踏ん張った。倒れまいと踏みとどまった。倒れはしまいと踏ん張ったその僅かな硬直を、信長は待っていたとばかりに狙い撃つ。何度も繰り返された首への斬撃。まともに刃が通じるかわからない十六夜を殺すには、とにかく急所を狙うしかないと彼はわかっていた。

 

 十六夜が戦いの素人であることなど信長はとっくの昔に見抜いていた。同時に自分とは比較にならない十六夜の身体能力にも。

 十六夜ほどの膂力があれば全力での攻撃など不要である。その半分ほどの力でも充分に信長を破壊することが出来るというのに、彼は感情の赴くまま、隙だらけの全力攻撃の溜めを作った。そこにつけ込んだ。

 

 体を硬直させたいま、今更回避しようとしても間に合わない。はたしてこの刀で首を落とせるか。落とせたとして、それで十六夜が死ぬのか。そんなこと信長にはわからない。でも、もし首を落として生きていたらとりあえず首を踏み潰して粉々にしてみよう、そんなことを考えながら刃を振り抜く。

 

 

「――――ッめんなあああああ!」

 

 

 体勢は崩れていた。動きも止まっていた。溜め込まれた力のほとんどが霧散していた。

 

 だというのに、十六夜の拳はそれでも第三宇宙速度に匹敵する速さで絶妙なカウンターで信長の刀をかち上げた。尋常ではない衝撃を横っ腹に受けた刀は根本から折れて上空へ投げ出される。

 

 振り抜いた刀。手元に残った柄と鍔、僅かに残された刀身を見て信長は苦笑を浮かべた。

 

 

「本当に出鱈目過ぎるよ、十六夜は」

 

「お互い様だろ。今のはちょっとやばかった」

 

 

 表面上笑みを作りながら、一体何時ぶりかもわからない冷や汗が十六夜の背を伝った。スピードもパワーも間違いなくこちらが上。それなのに躱しきれない、詰め切れない。

 これがかつて一度は日ノ本を統一しかけた男。戦国の世を力でもって治めた魔王。

 

 得物を失った信長は、しかし降参の意志を微塵も見せない。信長にとって刀は所詮道具。あればよし。無ければ無いで構わないといった風だ。精々今だって、刀が短くなった程度にしか思っていないのだろう。

 だから油断はしない。熱くなりすぎた頭を冷やす。されど昂揚する心は滾らせたままに。

 

  再びぶつかり合う為にどちらともなく一歩前に踏み込もうとしたそのとき、

 

 

「いい加減にしやがりませ。この、お馬鹿様方あああああああああああああ!!!!」

 

 

 仲間同士の殺し合いに遂に耐え切れなくなった黒ウサギが、緋色の髪とウサ耳を逆立てて、涙ながらに雷の槍をこちら目掛けてぶん投げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信長と十六夜のひょんな殺し合いからすでに一週間。非戦闘員の子供達を除いてノーネーム全メンバーが、《ペルセウス》の本拠地、白亜の宮殿の前に揃っていた。

 

 当初、レティシアを所有するコミュニティ、ペルセウスの頭首はレティシアの返却を賭けた遊戯を拒否した。利点が無い、と。

 しかし唯一つ彼が出した条件、黒ウサギとの交換であれば要求を受け入れると言い放った。当然ノーネーム一同は却下。

 

 ならばどうするか。どうにかしてレティシアを取り戻す方法を模索していた面々の前に、ふらりと行方を眩ませていた十六夜が持ってきた二対の宝玉。それは英雄ペルセウスに挑戦するための証の秘宝であった。彼はたったひとりで試練たる遊戯を突破し、見事正面からペルセウスに挑む権利を得てきたのだった。

 

 ――――が、歩を進める信長はむくれっ面だった。

 

 

「ぶー。十六夜抜け駆けこれで二回目だからねー」

 

「文句があるなら一週間前の続きでもやるか?」

 

 

 ニヤリと笑う十六夜。望むところだ、と言いたいのだが信長は困った顔で器用に笑う。

 

 

「そうしたいのは山々なんだけどねえ」

 

 

 チラリと見やった先、黒ウサギが信長に負けず劣らず頬をふくらませてこちらを睨んでいた。その目が若干潤んでいるのもばっちり見えている。

 信長と十六夜は顔を見合わせて、互いに肩を竦めた。

 

 一週間前、信長と十六夜に落雷を落とした黒ウサギが直後泣き喚いて珍しくふたりで狼狽えたのは記憶に新しい。余程仲間同士の殺し合いが嫌だったのか。

 

 

「また雷落とされるのも困るし、今回は大目にみてあげるよ」

 

「は、黒ウサギには随分優しいんだな」

 

「僕は昔から友達には優しいよー」

 

 

 ただ、それ以外に容赦がなかっただけである。

 

 

「特に女の子には!」

 

「十六夜さんだって仲間じゃありませんか!」

 

 

 ウサ耳を逆立てて抗議の声をあげる黒ウサギ。

 信長は首を傾げる。

 

 

「んー、十六夜はほら、『宿敵』と書いて『友』と読む! ……感じ?」

 

「仲良くしてくださいよぉ……」

 

「半分だけね」

 

「そりゃありがとうよ」

 

 

 くつくつと喉奥で笑う十六夜。カラカラと信長は笑った。黒ウサギだけはまだ納得がいかなそうな顔をしていた。

 

 

「お楽しみ中失礼するけれど、そろそろ敵陣よ?」

 

 

 黒ウサギを含めて騒がしい面々を飛鳥が宥めるという珍しい構図。黒ウサギだけが『す、すみませんでした』と申し訳無さそうにウサ耳を下げる。無論、男子ふたりは弁える様子は無い。

 

 

「それより信長君」不意に飛鳥が「本当によかったの? 私と一緒に露払いの役回りだなんて」

 

 

 今回の遊戯の役割は大きく分けて三つ。ジンと共に敵の首領を倒す。それを補佐し、見えない敵とやらからも守る役。最後に、大多数のその他大勢を蹴散らす役割だ。前者ふたつの役はどうあってもジンと行動して敵本陣を目指すのだが、最後の役割だけは完全な別行動。おまけに最大の敵との対決の可能性は無いと言い切っていい。

 

 飛鳥は十六夜からの忠告もあって最後の露払いの役を請け負った。五感に優れる耀はジン達の補佐。そして十六夜がルイオスとの対決。

 本来なら飛鳥も耀も大一番を任されたい気持ちがあったが、適材適所というものがある。――――というのは建前で、正直飛鳥達ではルイオスの相手は難しいだろうという判断であった。彼は飛鳥の《威光》のギフトに抗ったそうだ。格下相手となれば圧倒的なギフトも、同格以上となると並みの身体能力しか持たない飛鳥には厳しい。加えて、最も厄介なのはルイオス自身では無いとも聞く。

 

 兎に角、本音を言えば見返してやりたい気持ちを堪えて、飛鳥と耀は今回全面的に補佐の役割を渋々受け入れた。しかし信長だけは違った。彼だけは、自らルイオスとの戦いを辞退したのだ。

 

 

「僕じゃあ石化の攻撃を防げないからね。それに相手が本当に白ちゃん並なら、僕じゃあ手も足も出ないで殺されちゃうよ」

 

「意外」耀が目を丸くして「信長はそんなこと考えない人だと思ってた」

 

 

 強大な敵だろうとなんだろうと、誰かれ構わず牙を剥くものだと思われているようだった。事実この場の誰もがそう思っていた。

 

 

「僕は勝負っていうのをとことん楽しみたいんだ。赤ん坊を殺したってなんの張り合いもないでしょう? その逆だって同じさ。一瞬で殺されちゃうなら楽しむ暇なんてないもの」

 

 

 でもまあ、

 

 

「……いざ目の前にいたら、我慢出来なくなっちゃうと思うけど」

 

 

 最後の呟きは誰にも聞かれることはなかった。

 

 

「得物はなくて平気か?」

 

「平気。いざとなれば木の枝でだって相手は殺せるんだよ?」

 

 

 はたしてそれで神や英雄を殺せるかはさすがに試したことはないが。

 

 白亜の宮殿を目の前にして、大きな門扉が信長達の前にそびえ立つ。

 

 

「ひとつ提案があるんだけど」

 

 

 門扉へ近付くみんなへ、信長は口を開く。

 

 

「黒ウサちゃんは僕の可愛い友達だ。レティシアちゃんもすっごく可愛い女の子だった。そんなふたりを泣かせたあいつらが、実はとても許せない。だから、僕はただひとつだけを取り返すだけじゃあ物足りない」

 

 

 言わんとしていることを、問題児たる三人はいち早く理解したらしい。未だ理解に及ばない黒ウサギとジンは首を傾げている。

 信長は続ける。絶えず笑っていた。しかし、声音だけは冷えきっていた。

 

 

「どうせなら徹底的にやり尽くそうよ。壊して奪って、泣かせて這いつくばらせて……涙ながら許しを乞うた目の前で、僕は全てを壊してやりたい」

 

 

 恐ろしいほど歪みない笑顔だった。それがひとりではない。

 

 

『賛成!!』

 

 

 十六夜の前蹴りが門扉を破る。開戦の合図は盛大だった。

 

 ペルセウスのリーダーは正真正銘の外道である。それなのに、黒ウサギはほんのちょっぴりルイオスに同情してしまうのだった。




閲覧ありがとうございました。

>……ええ、色々言いたいことはあるでしょう。十六夜とのバトル短い、《ペルセウス》とのゲームが無い、つかルイオス出てきてない、女性陣出番少ない、黒ウサギもっと弄ってくれ。

ええ、まったくですよねほんと!

>後半二つは是非とも今後に期待してください。応えられるかはわかりませんが、必死に黒ウサギを辱めてやりましょう。前半三つは、もうどうにもなりませんですはい。
一応ペルセウス戦の構想はあって、信長は飛鳥と一緒に囮&攪乱の大暴れだったのですが……実際それだけならいらないのではないかと途中で思い至りました。ルイオスの方にいかないと重要性も少ないですし。
飛鳥ファンの皆様にはとても悪いことをしました。ごめんなさい。

>まま、何はともあれこれで一巻は完結です。二巻以降もこんな感じの書き方をしていくので、もし気に入ってくれたなら二巻以降もよろしくお願いします。

それでは!


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おまけ

あまりにもあんまりだったので、途中まで書いてやめていた《ペルセウス》戦の内容です。終わりが尻切れ感なのはご愛嬌ということで。

漫画のラフ画気分というか、没ネタのおまけとして読んでくだされ。


 《ペルセウス》のギフトゲーム概要はざっと以下の通り。プレイヤー側はホスト側のゲームマスターを除いた人間に見つかってはならない。ただし見つかっても失うのはゲームマスターへの挑戦権であってゲームそのものを続行することは出来る。《ノーネーム》はゲームマスターであるジンが誰かに見つかる、もしくは降伏すれば敗北となる。

 

 本来このゲームは百人規模で挑み、一握りをホスト側ゲームマスター、ルイオスの前に到達させることがゲームの攻略法である。

 しかしジンを含めてもたった五人しかいない《ノーネーム》は明確な役割分担が必要となる。ジンと共にルイオスを倒す者。彼等をそこに導く索敵と撃退の役。そして最後に、最初から失格覚悟で大多数を相手にする囮だ。

 

「はっはー! 捕まえた」

 

 グリフォンの大気を踏みしめる、その劣化ギフトで空を跳ねた信長は羽の生えた靴を履く騎士の頭を掴んで重力のまま引きずり落とす。有無を言わさず大地へ叩きつけた。

 気絶させた騎士を打ち捨て、空を舞う騎士達を眺めながら信長はつまらなそうにため息を吐く。

 

「勿体ないなー。立派なギフトを使ってるのに――――」

 

 砕いた破片を何気なく周囲に放ると、破片が『何かに当たって跳ね返った』。

 

「しま――――がっ」

 

「使ってる君達がお粗末すぎるよ」

 

 先に虚空から苦鳴が漏れ、衝撃で兜が取れた騎士が虚空から現れた。ハデスの兜――――不可視のギフトだ。信長は兜を拾い上げると指で回した。

 

「この兜は透明になってるだけで、別に本当に消えてるわけじゃないんでしょ?」

 

 信長の言う通り、ハデスの兜は姿を透明にするギフトであって透過するギフトではない。それは騎士達が使うレプリカも、近衛が使っている本物も変わらない。本物の兜であっても音や臭いを消せても、手を伸ばせば触れることは出来る――――ということは、石の破片が当たれば跳ね返る。そこに敵はいる。

 

「それにね、本当はわざわざこんなことしなくていいんだよ」

 

 騎士達の姿は間違いなく見えてない。それなのに、今度は破片を投げて探ったわけでもないのに、信長はまるで見えているかのように『虚空へ向けて拳を振った』。顔面を殴られた騎士が錐もみしながら倒れた。

 

「何故!? 貴様見えているのか!!?」

 

「もちろん。――――『君達が歩く度に足元で舞う塵が丸見えだよ』」

 

 なんてことはないように彼は言い放った。さすがの騎士達も言葉を失った。

 理屈としてはさっきの破片を使った索敵と同じ。そこに実体がある以上、彼らが動いて起こる現象までは消えない。故に足音は消せても動いた拍子に動く塵までは消せない。

 しかしこの白亜の宮殿は砂地ではなく石床。それも今は戦闘中だ。歩いて起こる程度の塵埃が巻き上がる瞬間を見極めるなんて芸当、一体誰が出来るというのか。

 

「貴方、そんなことが出来るなら春日部さんと一緒にジン君を守っていた方が良かったのではないかしら?」

 

 水樹の枝に腰掛ける飛鳥が尋ねる。

 

「あっちは十六夜がいるから平気だよ。僕は飛鳥ちゃんを守ってあげる」

 

「結構よ。間に合ってるわ」

 

「あれ? 怒った?」

 

 心外とばかりにふいと顔を逸らす飛鳥は鬱憤を晴らすように水で宮殿をさらに破壊する。信長は苦笑して、気付いたときには空中の騎士の背後を取っていた。

 男が気付くより先に振り上げた拳を薙ぎ払う。殴られた騎士は鎧を砕かれ、柱をへし折り、壁を抉ってようやく停止した。それは星を砕くには遠く及ばないまでも、『どこか十六夜の馬鹿げた力にも似ていた』。

 

 驚いている飛鳥に向けて、信長は朗らかに微笑む。

 

「それに僕、目立ちたがりだし」

 

「そうね」フッと飛鳥も笑う「それなら精々派手にいきましょう!」

 

「止めろ! 奴等を止めろ!」

 

 本来のギフトゲームなら本拠の私財は全て宝物庫に保管するのだが、今回は急に過ぎた。計り知れない価値を持つ品々が信長の暴力で破壊され、飛鳥の水に押し流される。

 

 宮殿外の騎士達の半分近くを素手で叩きのめした信長はほぼ浸水した一階から逃れるように宮殿広場の石像の上に飛び乗った。剣を構える初代ペルセウスの像だ。不遜にも像に腰掛ける少年は如何にも高そうなクリスタルの壺を片手で弄んでいる。

 周囲を取り囲んだ騎士が壺を見るなり顔を青ざめる。

 

「やめ――――」

 

「やーめない」

 

 弾んだ声で信長は騎士達の目の前で壺を破壊してみせた。粉々になったクリスタルは水に流されていく。騎士達は憤怒の顔で信長を睨んだ。

 

「貴様あれにどんな価値があるのかわかっているのか!!」

 

「わかってないのは君達だよ」

 

 クスクスと、信長は口元を歪ませた。

 

「もしかして君達はまだ、僕達がレティシアちゃんを取り戻しただけで終わると思ってる?」

 

 騎士達は彼が何を言わんとしたいのかわからない。彼等は仲間であるレティシアを取り戻すためにこのゲームを仕掛けていたはずだ。仮に彼等がこのゲームに勝利すれば、奪った《ペルセウス》の旗印と彼女を交換するつもりだろうと。それが余計に彼を楽しませた。滑稽だと言わんばかりに。

 

「冗談じゃない。『この程度で終わらせるわけないだろう』」

 

 ゾクリと、言い知れない悪寒が走った。

 

「僕達の領地を侵して、旗を貶して、レティシアちゃんを苦しませて――――そして黒ウサちゃんを泣かせた君達をたかが一度の敗北で終わらせるつもりなんてない。何度でも、何度でも……奪って奪って奪って奪って奪って、奪い尽くして壊し尽くす。賭けるものがなくても続けるよ。永遠と。君達の生きる気力がなくなるまでず-っと、ね」

 

 それは奇しくもこの後十六夜がルイオスへ宣言するものと同じものだった。ならばこれは総意だ。《ノーネーム》は《ペルセウス》を――――潰す。

 

「悪魔め……!」

 

「違うよ。僕はね――――」薄く、信長は微笑む「魔王を名乗るつもりだから」




結局ルイオスとアルゴールの出番はありませんですね(笑)


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二巻 あら、魔王襲来のお知らせ?
本当に頑丈だね


 早朝、信長はひとり本館裏手にいた。正面に見据えるのは地面に突き立つ丸太。太さはおおよそ人の胴回りほど、天辺が2メートル程の高さにあるそれに向かって信長は鋭く踏み込む。

 握った拳を左、右と丸太のほぼ中央部に打ち込む。丸太が僅かに後ろに押され軋みをあげるなか、続け様左右の衝撃。一瞬で放ったのは上段蹴り。まるで二撃同時に当たったかと錯覚するほどの鋭い蹴り。

 半歩後退。一瞬時間が止まったかのような静寂の後、

 

 

「――――――――」

 

 

 気付けば丸太の上部が破裂。すでに信長の右拳は振り抜かれていた。ここに誰かが居合わせたなら、まるで時間が飛んだように思えただろう。

 

 丸太の裂け目から拳を抜いて、信長は憂鬱げにため息をついた。

 

 

「やっぱり相手がいないと面白くないなぁ」

 

 

 戦国時代よりこの箱庭に召喚された少年、織田 三郎 信長はここしばらくの平穏に明らかに鬱憤を溜めていた。

 

 現世で暇を持て余した信長が黒ウサギ達からの招待に応じてこの箱庭にやってきて早幾日。目に入る全てが未知のものであった彼にとって、ここが極楽浄土かと思うほど日々を楽しんでいた。しかし、一度世界に飽きた人間が毎日満足出来るような刺激などいくら箱庭といえどありはしなかった。

 

 《ペルセウス》とのいざこざ以降、どうにも歯応えのある出来事が無い。街で見かける簡単な遊戯も最初こそ楽しかったが、やはり()()()()()()()()()というのはそうそう出会すことは叶わなかった。

 

 鬱憤晴らしに体を動かそうかとこうして適当な丸太を殴ってみるが、やはり気は晴れない。どころか余計に増した気がする。

 

 刀でもあれば違うか、と考えるも同じことだとすぐさま自己否定。

 そも、信長にとって刀の有無以前に剣術に流派などなく、同じく弓も槍もそして無手も、技という技など持たない。

 体は鍛えていた。研鑽を積んでいなかったわけではない。しかし技を編み出し、磨く必要はなかった。だがそれも少し考えればそれは当然のことである。

 

 なにせ彼は、何もしなくても誰よりも強かったのだから。

 

 剣は斬るもの。槍は貫くもの。弓は射抜くもの。拳は敵を砕くもの。

 

 信長にとって武とは、敵を討ち倒す手段。ただそれだけでしかない。故に敵にその刃が届かなくては意味が無い。

 確かに優れた技は存在する。しかし実戦でそれを使う場面は果たして何度あるのか。一度敗れればそれで死ぬかもしれない戦場で果たしてその機会は巡ってくるのか。たとえその機会に幸運に恵まれたとして、それを満足な条件で繰り出せるものか。そも、その技を相手に知られていたとき辿る末路は敗北しかない。信長はそんなふうに考えてしまう。

 

 実際は、武術とは幾通りの手札を揃え、たとえ知られていても相手に刃を届かせる試行錯誤を含めて『技』と呼ぶのだが。

 

 なんにせよ、かつての世界では誰よりも強かった男が誰かに教えを請うことなどあろうはずがなかったわけだが。

 

 

「信長?」

 

 

 呼ばれて半身振り返る。振り返った先に立っていたのはどこまでも澄み切った綺麗な瞳でこちらを見つめる信長と同じ異邦者、春日部 耀と、こちらは耀よりもずっと小さな女の子、狐耳と尻尾を忙しなく動かす割烹着姿の獣人、年長組筆頭であるリリだった。

 

 

「おはよー。耀ちゃんにリリちゃん」

 

「おはよー」

 

「おはようございます! 信長様!」

 

 

 ぬぼーっとした相変わらずの調子の耀。それとは対照的に小さな体を目一杯使って元気よく挨拶を返してくるリリ。どちらも可愛いな、と信長の心が癒やされる。

 

 

「ふたりともこんなところにどうしたの?」

 

 

 このふたりはコミュニティ内でも信長同様に比較的朝が早い組だ。しかしこんな朝早くにこんな場所にやってくる理由はわからない。

 ちなみに、朝に弱いのは飛鳥。遅いのは十六夜である。

 

 

「えと、飛鳥様の朝食にハーブティーを淹れて差し上げたくて!」

 

 

 耳をパタパタ。彼女の気張り様を表している部位である。

 

 信長はリリの視線を追って、見つける。裏手の一部にちょこんとある菜園を。

 植物の知識に疎い信長にはその草花の種類はわからないが、リリ達の目的がそれであることは見て理解出来た。

 

 

「『はーぶてぃー』ってお茶のことだっけ?」

 

 

 信長はリリに質問する。どうやら召喚された者の中では最も無知らしい信長だが、元より未知のことに対して貪欲な為、最近ではどんどん知識を蓄えている。

 

 

「はい! すっごく良い香りがするんですよ!」

 

「へえ……」感心して唸る信長は「なら後で僕にも淹れてくれる?」

 

「喜んで!」

 

 

 正に花が咲いたようなリリの嬉しそうな笑顔。対照的に、にへらとだらしのない信長の笑顔。

 しかしふたりの雰囲気は決して悪くはなく、和やかな空気が流れていた。

 

 

「信長とリリは仲がいいね?」

 

 

 若干蚊帳の外であることに悲しみを抱きつつ、妙に仲の良いふたりに疑問の眼差しを向ける。それに対して突然焦りだしたのはリリだった。リリをはじめとした子供達は、常日頃から黒ウサギにコミュニティ内での上下関係というものを大切にするよう言い聞かせられている。それというのも信長達の誰もがそういったことに頓着しないからだった。

 だから、耀の指摘にリリはてっきり無礼をしてしまったのではないかと思ったのだ。実際はただの興味から出た質問なのだが。

 

 慌てふためいているリリに返答の余裕はなく、代わりに信長がだらしない顔のまま答えた。

 

 

「うん。なにせひとつ屋根の下で、同じふとんで寝てるからねー」

 

「!?」

 

「の、信長様!!?」

 

 

 表情の変化が乏しいと思われていた耀の反応は驚天動地とばかりに硬直し、一方リリは顔を真っ赤にして先ほどまでとは違う理由であわあわと困惑していた。

 

 信長の言葉に嘘はない。召喚された者の中で信長だけが唯一、本館ではなく子供達と一緒の別館で寝起きしている。本来ならコミュニティの稼ぎ頭にして花形であるプレイヤーには相応の権利として個室が割り当てられる。実際他の三名はそういった対応を受けているし、黒ウサギは信長にも部屋を用意してくれた。しかし、雑魚寝の方が落ち着くのだという信長の我儘に、黒ウサギの方が渋々と要求を飲んだのである。それでもあくまで一時的に、という条件付きで。

 

 硬直から立ち直った耀はリリの手をとる。

 

 

「え? あの、耀様……?」

 

「行こうリリ。黒ウサギにちゃんと相談しないと。このままだと私達のコミュニティで取り返しのつかない犯罪が起きる。絶対」

 

「うわー。なんか耀ちゃんの僕を見る目が凄い据わってて怖い」

 

「の――――信長様! 後でハーブティーお持ちしますぅぅぅ!!」

 

 

 半ば誘拐事件の如くその場を去っていくふたりに呑気に手を振って別れを終える。

 

 ふたりの姿が完全に見えなくなってから、信長の意識は再び菜園へと向けられる。とある夜、仲良くなったリリが話してくれたことを思い出した。

 ノーネームが魔王に滅ぼされる前、ここには大きな農園があったらしい。そしてその農園の管理者こそリリの母親であると。

 しかし魔王によって作物は根こそぎ死に絶え、大地は殺され、リリの母もまた他のメンバー同様魔王に連れ去られてしまったらしい。

 

 黒ウサギの話では死に絶えた大地を蘇らせるには強力な恩恵が必要とのこと。

 

 

「無理じゃないってのが凄い話しだけど」

 

 

 あの夜、懸命に泣くのを耐えながら話してくれた少女の姿を想起する。次いで、瑞々しい土の上で泥だらけになりながらはしゃぐコミュニティの子供達の光景を幻視する。

 

 

「……あそこが元に戻ったら、みんな喜んでくれるかなぁ」

 

 

 そのぼやきにそれほど大した思いはこめられていなかった。ただ、思いついたことがそのまま言の葉になった口から零れてしまっただけのこと。故に、なんとかするあてもなければ、そのあてをわざわざ探すことも無い。

 

 

「さて、と」

 

 

 しばし菜園を眺めていた信長はしゃがんでいた体勢からすっくと立ち上がる。

 

 天幕の向こうで陽も充分昇った。先ほど耀達は飛鳥のもとへ行くと言っていたのを覚えていたので、ならばと信長は十六夜とジンを起こしに行こうと思い立つ。ふたりはここ最近朝までずっと地下の書庫に入り浸っている。どうせ今朝もそこだろうとあたりをつけて、信長は草履を履いた足を踏み出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジン君生きてる?」

 

 

 返事がない。ただの屍のようだ。

 

 寝起きの側頭部に三回転してぶっ飛ぶほどの威力の飛び膝蹴りを喰らえばそうなるのも仕方がない。

 

 事の始まりは信長が十六夜とジンを探しに地下の書庫にやってきたことに遡る。案の定調べ事をしてそのまま寝落ちしているふたりを見つけたまではよかったが、あまりにも気持ち良さそうに寝ているものだから起こすのが憚られた。信長にしてはかなり珍しいこの気の遣いがジンにとって不幸を呼ぶ。

 

 とりあえず起こすのを保留にして信長が適当な本をパラパラと読んでいたところに新たな入室者が現れる。先ほど別れた耀とリリに加えて今は赤いドレスを着こなす少女、久遠 飛鳥がいた。

 妙に浮足立った彼女は書庫の机に突っ伏して寝ている十六夜とジンを見るなり飛び膝蹴りをぶちかます。一瞬早く目覚めていた十六夜はそれに気付くと隣で寝ていた小柄な少年の首根っこをむんずと掴むと、躊躇いもなく盾にした。後の惨事は先ほど述べた通りである。

 

 

「お嬢様、寝起きにシャイニングウィザードは止めとけ。俺は頑丈だが御チビは命に関わる」

 

「盾にしたのは十六夜さんですよね!?」

 

 

 しれっと言い放つ十六夜に意外に早く復活したジンが猛抗議する。

 

 

「いいなージン君、飛鳥ちゃんに蹴ってもらえて。どうだった? 可愛い女の子に膝蹴りされてみて?」

 

「信長さんはなにを言ってるんですか!!?」

 

「五月蝿いぞ御チビ」

 

 

 信長的には本心から羨ましがっているわけだが。

 

 ノーネームにおいてツッコミ気質の性なのか、意外な頑丈さを発揮するジンを十六夜は五月蝿いの一言で理不尽に気絶させる。理不尽である。はたして、蹴った当の本人である飛鳥はまるで気にした様子はなく、信長と十六夜に一通の手紙を見せる。

 

 どれ、と手紙を読む。双女神の封蝋ということは、この手紙は白夜叉からのものだとわかる。手紙の内容は北と東の階層支配者による共同祭典――――《火龍生誕祭》への招待状だった。

 リリが言うにはこの生誕祭というのは、北の鬼種や精霊達が作る工芸品の展覧会及び批評会が主だが、他にも様々な遊戯の開催が行われる大祭なのだそうだ。

 

 話を聞くなり俄然気持ちが昂揚してきたらしい十六夜達。

 

 

「北? 北に行くって本気ですか皆さん!?」

 

「本当に頑丈だね、ジン君」

 

 

 手加減していたとはいえ十六夜の一撃からこれほど早く意識を取り戻したジンに信長は呑気に感心する。一方でジンは決死の顔で首を横に振って十六夜達に訴えかけていた。

 

 

「駄目です! というか無理! 無理です!! コミュニティのどこにそんな蓄えがあると思ってるんですか!?」

 

 

 今更語ることもないがノーネームは貧困コミュニティである。信長達の加入により幼い子供達を含めてまともに食べさせる程度には生活水準をあげることは出来るようになった。ここらの地域支配者に等しかったガルドのコミュニティを壊滅し、またペルセウスを打倒した信長達ではあるが、未だ充分な蓄えが出来るほどの収入は得られていないのである。

 

 またこのときの信長達は知らなかったが、別の地区に行く場合使用される境界門にはそれなりの通行料が必要となる。それをポンと払えるほどの貯蓄は無いのだとジンは訴えていた。

 

 

「諦めて下さい。だから僕達は皆さんに北の大祭を秘密にして――――あっ」

 

 

 しまったというジンの顔。秘密? と致命的な失言を耳聡く聞きつけた十六夜達は一様に笑顔だった。ただ、その笑顔に温かさは感じられない。

 

 

「……そっか。こんな面白そうなお祭り秘密にされてたんだ。ぐすん」

 

「毎日毎日コミュニティの為に頑張ってるのに残念だわ。ぐすん」

 

「ここらで一つ、黒ウサギ達に痛い目を見てもらうのも大事かもしれないな。ぐすん」

 

 

 耀、飛鳥、十六夜の順に明らかな嘘泣きで発言する。

 これは非常にまずいと悟ったジンが最早藁にもすがる思いで目を向けたのは、唯一十六夜達のダイコン演技に付き合わなかった信長であった。

 

 

「い、いいんですか信長さん! 皆さんが勝手に抜け出したりしたら黒ウサギ達が悲しみますよ!?」

 

「黒ウサちゃんやレティシアちゃんが?」

 

 

 常日頃から女の子の味方を自称する彼ならば、と一縷の望みをかける。せめて彼が味方になってくれれば十六夜達を食い止められるかもしれない。

 望みを託した着流し姿の少年は、傾げていた首を戻して朗らかに微笑んだ。

 

 

「泣いてる黒ウサちゃん達も可愛いよね」

 

「お、怒るかもしれませんよ!?」

 

「怒ってる顔もきっと可愛いと思うんだぁ」

 

 

 駄目だこの人は、と項垂れるジンだった。

 

 

「御チビは案内役で連れて行こう」

 

「え?」

 

 

 そうこうしている内に話がまとまってしまったらしい。小柄とはいえジンの体を軽々と持ち上げて肩に担ぐ十六夜。次いで飛鳥と耀は、言葉を挟む事もできずひたすら狼狽えていた狐耳の少女を囲んだ。

 

 

「ではリリには黒ウサギ達に手紙を渡してもらおうかしら」

 

 

 この問題児達を相手に少女に抵抗しろというのはあまりにも酷な話だった。

 

 この約1時間後、逃げた十六夜達を捕まえられなければコミュニティを脱退するという脅しの文面と、二枚目三枚目の紙にびっしり綴られた黒ウサギとレティシアへの恋文、律儀に最後まで読んだ黒ウサギの絶叫が農園に響くのだった。




閲覧ありがとうございました。

>というわけで二巻スタートです。一巻では光を浴びれなかった女の子達といっぱい絡ませたいですが、とりあえず書きながら展開を考えるスタイルなので閃き任せ。一体どうなることやら私にもようわからんです。が、絡ませてみせる!頑張って!

ではでは二巻もよろしくお願いします。

>第二回!作者が初めて知った豆知識!(読まなくてもなんの問題なし)

一巻の時点で言い忘れていましたが、なぜ信長が三郎?と思った人もいるでしょう。調べた結果は彼が三男坊だからというめちゃくちゃそのままの理由でした。
ちなみに皆さんも聞き覚えのある上総介というのは受領地の名前らしいですよ。


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僕は耀ちゃんのことが大好きだよ

「お引き取り下さい」

 

「店員さんは相変わらず綺麗だねえ」

 

 

 会話にならない。怒りのあまり店員はこめかみをひくつかせた。

 

 いつものように店先で掃除をしていたところにふらりと現れた人物に対して、彼女が露わにしたのは明確な敵意であった。普段から愛想が足りないと主人に嘆かれるし、彼女自身、自分がこうした接客に向かない性格をしているのは自覚している。

 しかし、今目の前に現れた人物に対してだけは、普段の無愛想とも違った。それは最早大袈裟ではなく殺気。

 

 彼女にとってこの男は――――織田 信長は、客などではない確かな『敵』であるのだから。根拠ならある。彼の名前だ。

 

 織田 信長。

 

 箱庭ではそれなりに知られている名である。人間でありながらこの箱庭に過去三度に渡り召喚され、その全てで魔王となった生粋にして救われない異端者。

 

 彼女が信長に初めて会ったときも、このあどけない顔で笑む少年に言い知れない危険性を感じ取った。働く店の特性上、様々な神仏や悪魔などと会う機会のある彼女だが、信長はそのどれとも違う寒気とどうしようもない嫌悪を掻き立てた。いつも以上に素っ気なく追い返そうとしたのもそれが原因だったと今ならわかる。

 

 信長は、いつか間違いなくこの箱庭の害となる。それはつまり、彼女の主人たる白夜叉が願う箱庭の存続とは反する要因だ。

 だというのに、白夜叉はどうしてか彼を気に入っている。自分にすらわかることを白夜叉ほどの者が気付けないはずはないのに。ただ、それでも彼女は、信長を白夜叉に会わせるのが嫌だった。

 

 

「ねえねえ、店員さんってなんて名前なの?」

 

 

 こちらが敵意を剥き出しにしているというのにどうしてこう馴れ馴れしく近付いてくるのか。気付けないほど鈍感なのか。――――否、この男は気付いた上でこうなのだ。向けられた敵意をも心地良いと敢えて近付いてくるのだ。

 異常だ。変態だ。ますますもって気に入らない。

 

 

「答える義務はありますか? 例えあっても答えたくありませんが。――――お帰り下さい」

 

「えー……じゃあ僕はなんて呼べばいいの? 可愛い店員さん?」

 

 

 信長はひとつ頷いて、

 

 

「それもそれでいいけど」

 

「話しかけてこなければ問題ないかと。顔も見なければ尚良いですね」

 

 

 徹頭徹尾、噛みあうはずがなかった。

 

 

「やっふぉおおおおおおお!」

 

 

 いい加減、店員の堪忍袋が暴発寸前で、そろそろ薙刀を抜きかけたそのとき、店の2階から奇声と共に飛び出す小さな影。空中で二回捻りをくわえた見事な技を魅せて着地した。

 

 白髪の美少女。彼女こそがこの店の主であり、箱庭下層にて最強と謳われる者――――白夜叉。

 

 

「ようやく来おったか。待ちくたびれたぞ」

 

「こんにちは、白ちゃん。相変わらず可愛いね」

 

「かっかっ、もっと褒めていいぞ!」

 

 

 無い胸を張って鼻高々といった主人と、やんややんやと囃し立てる信長。

 隠し切れない疲労のため息を店員はつくのだった。

 

 

「ん?」白夜叉はなにかに気付いたのか辺りを見渡して「なんだ、おんしひとりか?」

 

「?」

 

「――――白夜叉様」

 

 

 白夜叉の言葉の意味を掴めず首を傾げる信長。

 

 店員は努めてそれを視界の外に追いやり、口を開けば残念過ぎるセクハラ上司へ尖らせた唇で言葉を注意を飛ばす。

 

 

「窓から飛び出すのはおやめ下さいと再三申し上げたはずですが」

 

「すまんすまん。――――で、信長ひとりなのか?」

 

「うん? 呼ばれてたのって僕だけじゃなかったっけ?」

 

「ああ――――っておんし、それはペルセウスとのゲームのすぐ後だろう。一体あれから何日経ったと思っておるのだ」

 

 

 白夜叉ほどの者に呼ばれたとなればどんな用事を差し置いても出向くのが道理である。箱庭における彼女の地位を考えれば当然だ。

 それを、大した用事も無いのにすっぽかしたも同然で放置していた信長の方が異常なのである。

 

 幸い、白夜叉は己に対する無礼ならば大抵は笑って済ませる。現に今も、信長の呑気さに呆れこそすれ怒りは見えない。むしろ怒っているのは主人を蔑ろにされたと思った店員だ。

 

 

「ごめんごめん」

 

「まったく。私の呼び出しをすっぽかす輩なぞ下層はおろか中層にもいないというのに……」

 

 

 『まあいい』とやはり白夜叉はあっさり流す。

 

 

「中に入れ。他の者もぼちぼちと来るだろう」

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 主人が招き入れた以上、最早どうしようもない店員は不承不承と頭を下げる。だが、その鋭い視線は最後まで和装の少年の背中に突き刺さり、彼もまたそれに気付いた上で微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー……畳の匂いは落ち着くなぁ」

 

 

 通された部屋は以前と同じ和室。白夜叉の好む趣味はどうやら信長の世界のものと非常に近いらしく、普段から着ている着物を始め、この客間にも信長にとって見慣れたものが多い。

 逆にノーネームの館は基本的に西洋式で、目新しいもの好きな信長もそれはそれで気に入っているが、やはり落ち着くのはこちらだろう。今も普段着を和服にしているのもそれが理由だ。

 

 出された緑茶――――嫌々そうに店員の女性が持ってきた――――を口にする。するとクツクツと笑う声があった。

 

 

「いやいやすまん。やはり絵になるなと思っただけだ」

 

 

 上座に、肘掛けに寄りかかって座っている白夜叉は喉を鳴らして笑った。

 

 

「北の生誕祭の招待状は読んだか?」

 

「うん! ありがとう。みんなすっごく喜んでたよ!」

 

 

 『みんな』というのがはたしてノーネーム全員であるかといえば甚だ疑問であり、ここに黒ウサギがいれば腕で大きくバッテンを作って『NO!!』と叫んだことだろう。

 

 

「そうかそうかそれは良かった。だがまあ、北のことは皆が来てからにするとして――――おんしを呼んだのは先日のゲームの報酬を与えようと思ったからだ」

 

 

 白夜叉の言うゲームというのは、以前彼女と信長、二人の間で行われたひとつのゲームのことである。契約書類も交わさない、故に箱庭の履歴にも残らない。互いの信用だけを条件にひっそりと執り行われたものであった。

 

 ルールといえば、ただ賽子二個転がして、出た目が偶数か奇数かを予想するだけの単純なもの。結果は白夜叉が外し、信長が当てた。

 

 白夜叉はそのときの報酬を与えようと言っていた。しかし勝者である信長は腑に落ちないような、不思議そうに首を傾げていた。

 

 

「報酬ならもう貰ってるよ? 耀ちゃんの治療してもらった。それに美味しいお茶菓子も貰ったしね」

 

「そうはいかん。それぐらいではおんしが賭けたモノには到底釣り合わん」

 

 

 あのとき信長が賭けたものは自身の命。しかも、対戦相手である白夜叉には何も求めない無償の対価として、だ。

 

 信長にしてみれば白夜叉と戦うことそれ自体に意味があり、勝敗そのもの、ましてや報酬などに興味は無いのだろう。

 そのことに充分気付いている白夜叉だが、それで良しとするのは彼女の矜持に関わる。

 

 

「へえ、嬉しいね。たかが『名無し』の小僧の命に、随分高い値を付けてくれるんだ」

 

「正当な評価だと思っとるよ」

 

 

 わざわざ自分を貶めるように『名無し』と名乗った信長に対して、白夜叉は驚くほどあっさり信長を認める発言をする。それには信長の方が虚をつかれたようにぽかんとした顔をする。

 

 してやったりとばかりに、白夜叉は口端をつりあげた。

 

 

「それともなにか? おんしにとって私からの勝利とはその程度でしかないのか? 私はそれくらいの価値なのか?」

 

 

 それには信長も苦笑と共に肩を竦めた。

 

 

「そう言われたら受け取らないわけにはいかないね」

 

「おう。それでよい」

 

 

 カッカッと扇を仰いで笑う白夜叉。はたして、これではどちらが勝者なのかわからなかった。

 

 満足気な顔で白夜叉が柏手をひとつ叩くと虚空から木箱が出現する。木箱はゆるゆると下降すると信長の前に置かれた。

 信長が窺うと、白夜叉は頷く。どうやらこれがゲームクリアの報酬らしい。両手で蓋の両端を挟んで持ち上げた。

 

 木箱の中身は一着の道着だった。白夜叉に促されて信長は道着を手にすると、

 

 

「わぁ」

 

 

 思わず声が漏れた。

 

 驚いたのはまず軽さだ。厚そうな生地なのにまるで重さを感じない。それに柔らかい。よく伸び縮みするので着てもほとんど動きを阻害しないだろう。

 上は白。下は黒の袴と帯。見た目は今信長が着ているものと同じようだが中身はまるで違う。

 

 

「凄い! 凄いよ白ちゃん!」

 

「無論」

 

 

 一瞬で虜にされた信長に自慢気に胸を張る白夜叉。

 

 

「デザインはおんしのものに合わせた。だがなんといっても凄いのはその素材だ」

 

「素材?」

 

「元々は一柱の気紛れな神がしでかしたことだった。何の変哲もない一枚の布に獅子が噛み付いても破けないほど丈夫になる恩恵を与えた。それを面白がった他の神が耐火の恩恵を、また別の神がならばと耐氷の恩恵を!!」

 

 

 暇な神々は面白がった。耐暑の恩恵を与えれば、今度は耐寒の恩恵。斬撃に刺突に強い恩恵を。

 

 

「そして遂に完成した。あらゆる環境に対応し、どんな場所でも快適に過ごすことの出来る神秘の結晶たる布が! だけど、着物は洗うのが大変よねー……とお思いの貴方!」

 

 

 なんかノッてきたらしい。

 

 

「ご安心めされよ! これはどんな汚れも水洗いだけであら不思議。醤油の染みも残らずサッと綺麗に! しかも速乾性に優れているから一度パッと振るだけでもう乾いているという優れものなのだああああ!!」

 

 

 もうなんかこれから電話番号とか言い出しそうな勢いだった白夜叉だったが、一息に喋りすぎて限界だったらしい。ぜえぜえと息を乱して、しかしやりきったとばかりに笑っている。

 一方で信長は『おーすごーい』と言いながらパチパチと拍手をしている。正直所々理解出来なかったが水をさすのは悪いと彼なりに空気を読んでみた。

 

 乱れた息を整えた白夜叉は、まだ陶酔気味でにやけた口元を扇で隠した。

 

 

「本来なら着物のどこかにコミュニティのシンボルか名を記すのだが、今のおんしらなら()()が丁度良かろう?」

 

「………………」

 

 

 無地の道着を見つめる信長。

 

 確かに、現在何もかもを失っているノーネームならば無地というのはある意味シンボルとなる。

 

 

「ねえ、白ちゃん」

 

「ん?」

 

「入れて欲しい言葉があるんだけど」

 

 

 その後、北への交通手段を探して途方に暮れていた十六夜達がサウザンド・アイズにやってきた。それを出迎える白夜叉と信長。貰ったばかりの道着に袖を通して現れた信長の背には四字が刻まれていた。

 

 ――――天下布武。

 

 意味は、己が武を以って天下を奪る。

 

 この瞬間、彼はこの箱庭に住まう全ての者に喧嘩を売った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで北に着いたぞ」

 

 

 北までの距離、実に九十八万キロという途方も無い数字に困り果てて足を運んだ十六夜達。目当ての和服少女が現れるのは当然として、そこに仲間の姿に多少なり驚いたのも束の間、さらに驚かされることになった。

 

 柏手ひとつ。

 

 白夜叉が一度手を打った。ただそれだけですでにここは北の地だと彼女は言う。

 場所は店内。疑い半分……というか疑いしか無い子供達の視線に、意地悪そうに微笑を浮かべた少女は外を見るよう促した。

 

 言われるまま扉を開けると、

 

 

「――――ぁ」

 

 

 誰とも知れぬ声が漏れた。

 

 外への扉を開けた途端頬を打つ熱風。最初に目についたのは天をも分かつほど高く聳え立つ赤い壁。北と東を分かつ壁だと教えられ、ならばあの壁も途方も無い距離まで続いているのかと思うと、一度は登ってみたいと子供心に信長は思った。

 

 赤壁の天辺から視線を下ろせば、数多のランプの光が溢れる橙色の街が広がっていた。

 炎と硝子。

 黄昏に染まる街は筆舌に尽くしがたい美しさをもっていた。

 

 ノーネームが本拠とする東とは生活様式が違うとは聞いていた。――――が、信長が考える国の括りとこの箱庭ではまるで違うのだと改めて思い知らされた。最早これは別世界だ。

 

 

「今すぐ下りましょう! あの歩廊に行ってみたいわ!」

 

「あは。飛鳥ちゃん、子供みたい」

 

 

 それは信長だけが抱く感想ではなかったらしい。

 

 いつも以上に瞳を輝かせた飛鳥の横顔は恋する少女のように赤らんで見えた。

 

 育ちの違いか、問題児と呼ばれながら仲間の中では最も礼節を重んじ、常に淑やかさを心掛けている彼女はそんなことを忘れてしまうくらい興奮しきっていた。歳相応の無邪気な様子は見ていて実に可愛らしい。

 

 

「ふ、ふふ、フフフフ……」

 

 

 そこへいつの間にか降臨した緋色髪の黒ウサギ。

 

 

「ようぉぉぉぉやく見つけたのですよ、問題児様方!!」

 

「逃げるぞ」

 

「逃がすか!」

 

 

 いち早く黒ウサギの接近に気付いていたのは三人。内ひとりである十六夜は未だ舞い上がっている飛鳥を抱き抱えて宙に身を投げる。遅れて耀。ほぼ同時に黒ウサギが跳んだ。

 

 

「おんしは逃げんのか?」

 

 

 黒ウサギに気付いていた他二人。白夜叉は同様に気付いていながら一切逃げる素振りを見せなかった信長へ質問する。

 

 

「これ以上苛めて、黒ウサちゃんに嫌われるのは嫌だからね」

 

 

 元より本気で逃げるつもりもなかったのだ。からかうのはここらが頃合いだろうと判断した。

 

 退くことを知らない十六夜は一体どこまで逃げるのだろうか、などともう他人事のように考えている信長。表情からそれを察した白夜叉は相変わらずなものだと苦笑する。

 

 さて、信長を除いた問題児と黒ウサギの追いかけっこ。少々壊れ気味だった黒ウサギの執念が実ったのか、一瞬跳ぶのが十六夜より遅かった耀の足に黒ウサギの手が届いた。

 

 

「ふ、フハハハハハハ!!」

 

 

 少々どころかなんか『魔王モード』みたいになってしまった黒ウサギは、着地と同時に耀のことを振り回して信長と白夜叉に向けて投擲した。

 その意図を察した信長が前に出るなり両の腕を大きく広げた。

 

 

「耀ちゃん! 安心して僕の胸に飛び込んで――――ぶふぉっっ!!?」

 

 

 類稀なる身体能力の賜か、はたまた野生の本能が危険を察知したが故の火事場の底力というやつか。空中で体勢を立て直した耀は膝を抱えて三回転してから両の足をピンと揃えて突き出した。はたして、彗星の如き速度で揃えたつま先は信長の腹部に突き刺さる。

 

 体をくの字に折って吹き飛ぶ信長。

 耀はというと、信長を蹴りつけることで見事に速度を殺すと、もう一度宙返りして地面へ着地した。両の手は天を向いていた。

 

 

「ふふん」

 

 

 ちょっと自慢気だ。

 

 

「………………」

 

 

 痙攣してうずくまっている信長と悦に入っている耀。両者を眺めて、白夜叉は口を開く。

 

 

「とりあえずおんしら中に入れ。茶と菓子くらい出すぞ」

 

「いただきます」

 

 

 シュバッ、と続く耀。信長からの返事がなかったが、そんなことを気にするふたりでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この和菓子美味しいねえ」

 

「ズルい。信長、それ私よりひとつ多く食べた」

 

「おかわりくらい出してやるから喧嘩するな……」

 

 

 忙しく菓子を頬張る童子ふたりに微笑ましげに口元を緩ませる白夜叉。

 

 しかしその表情がやや曇る。

 

 

「なるほど。あの鬼事はそういう経緯であったか」

 

 

 茶を出しついでにふたりから事情を聞いた白夜叉は、パチンと扇を閉じる。

 

 

「だが脱退とは穏やかではないのぉ。少し悪質過ぎるとは思わなかったか?」

 

「う……」

 

 

 尋ねられた耀が菓子を喉にでも詰まらせたような反応をして、バツが悪そうに顔を逸らす。彼女とて、最初こそ隠し事をされていたことに怒ったのは事実だが、時間が経ち冷静になるにつれ、また追ってくる黒ウサギの必死な姿を見せつけられて、少しやり過ぎたのではないかと自覚していたところの指摘だった。

 

 

「で、でも黒ウサギ達も悪い。お金が無いって最初から言ってくれれば私達だってこんな強行な方法は取らなかった!」

 

 

 だが、自覚していても突いて出たのは反論だった。泰然としていても彼女だってまだ子供なのだ。

 そして白夜叉は、それがわからないほど見た目と違って子供ではない。

 

 

「普段の行いが裏目に出たとは思わんのか?」

 

「そ、れは……そう……だけど」

 

 

 らしくない真面目に諌める白夜叉に、さしもの耀も反論出来ず俯いてしまう。

 

 コミュニティの救世主だ神格級のギフト保持者なんだと持て囃されようと、彼女の精神面はまだまだ子供だ。調子に乗りすぎてしまっただけとはいえ、己の罪をすぐに認めるには未だ幼いのだろう。

 

 ――――が、いつまでも意固地になるほど幼くもなく、最後には己の非を認めることの出来る聡い子だとも、白夜叉は信じている。

 

 

(――――だというのに、こいつときたら)

 

 

 少女の葛藤を、珍しく神らしい態度で見守っている一方で、彼女はもうひとりの少年を見て呆れ返った。

 

 

「あぁ……お茶が美味しい」

 

 

 信長は罪の意識など砂粒ほども感じていなかった。この少年の場合、耀と違ってその場の感情に流されてやり過ぎてしまったとか、或いは意地になって謝れないとかそういうのでは無い。

 

 ある意味で信長の精神は耀達よりずっと成熟しきっている。生きてきた時代か、或いは環境の影響なのか。彼はずっと大人の対応というのを理解している。ただ、理解しているだけでその気は無いだけだ。

 耀達が突っ走って脱退を仄めかしたときも初めからこうなることがわかっていた。わかっていながらそれに乗っかり、されど黒ウサギの負担にならないギリギリを見計らってお終いにする。

 それどころか今は葛藤している耀を見てニヤニヤしている。どうせ苦悩している姿も可愛いとか思ってるに違いない。タチが悪いたらない。

 

 

「そういえば、大きなゲームがあるんだっけ?」

 

 

 信長がさも思いついたように尋ねてくる。その真意は図れないが、白夜叉は乗ってやることにした。そも、その話の為に耀をここに呼んだのだ。

 

 

「おおとも。おんしには是非参加してもらいたいものがある」

 

「私?」

 

 

 耀は首を傾ぐ。

 

 白夜叉は袖から一枚の羊皮紙を取り出す。

 それを耀と信長はふたりで覗き込む。

 

 

「造物主の決闘?」

 

「生命の目録のような創作系のギフトでもって行われるギフトゲームだ。展示会でもよかったが、そちらはもう期限が過ぎておってな。まあ、たとえ力試しのゲームでもそのギフトなら充分勝ち抜けると思うのだが……」

 

 

 随分と長い間、食い入る様に羊皮紙を見つめる耀。

 

 やがて、顔をあげた少女の真っ直ぐな瞳が白夜叉へ向く。

 

 

「ねえ白夜叉」声には不安が見え隠れしていた「優勝したその恩恵で、黒ウサギと仲直り出来る……かな?」

 

 

 そう問われて、目を丸くしていた白夜叉はふっ、と微笑む。その笑顔は慈愛に満ちていた。

 

 

「出来るとも。おんしにそのつもりがあるのなら」

 

 

 本当は、黒ウサギならばそんなことしなくても許してくれると知っている。彼女がとても優しい兎だというのは、昔から見ていて充分にわかっていることだからだ。

 

 だがそれを白夜叉が伝えたところで、目の前の少女の幼い顔に浮かぶ不安と罪悪感が本当の意味で消えることはないだろう。下手をすれば負い目に思いかねない。

 

 黒ウサギは間違いなく許す。わかりきった結末だが、耀が己の暗い部分に向き合い、そこから一歩前に踏み出そうとしているならば、白夜叉はそれを見守ろうと思った。

 きっとそれは彼女達の絆が一層深まることに繋がるという確信があるから。彼女達の優しさと強さを信じて。

 

 

「うん。なら出場する」

 

 

 願わくばこの少女により一層の幸福あれ、と思いながら白夜叉の意識は隣の少年へと向いた。

 

 

「――――おんしはどうする?」

 

「僕?」

 

 

 まるで他人事とばかりに聞いていたらしい彼は首を傾ぐ。

 

 

「おんしらの宝物庫には生命の目録とまではいかなくとも上級の創作系ギフトとてあるだろうよ。それに大会にはサポートも認められている。選手としてでなく耀の補佐として出場してもいい」

 

 

 かつて栄華を誇ったノーネームの宝物庫には未だ数多くのギフトが眠っている。その大半に使い手がおらず、正しく宝の持ち腐れとなっている。だが信長ほどの力の持ち主ならば、それらを使える可能性は充分にある。

 また、造物主の決闘参加者には一名だけ補佐が認められる。別に連れてこなくても良いのだが、大会で上位を目指す者ならばまずパートナーを連れてくるだろう。

 

 白夜叉から見て、信長と耀の相性はそう悪く無いと思う。戦い方こそやや近接に寄ってしまうが、実質万能型の耀と視野の広い信長ならば、射程外から一方的な攻撃を浴びせられるか、或いはよほど格上の相手でなければ優勝の目も僅かながら出てくるかもしれない。そんな期待すら抱いてしまう。

 

 だが、返ってきた反応は予想と違い煮え切らないものだった。

 

 

「楽しそうではあるけどねえ」

 

「てっきり二つ返事かと思ったが」

 

 

 『うーん』と悩む素振りを見せる信長。――――否、悩んでいるのではなく信長は耀を窺っていた。

 

 

「耀ちゃんが僕のこと必要だっていうなら」

 

 

 それに対して、しばし考え込んでいた耀は信長に向き直ると、小ぶりな頭を横に振った。

 

 

「ごめん。このゲームはひとりで戦いたい」

 

「そっか。頑張って!」

 

 

 断ったことに対する悲痛を見せる耀。

 対照的に、さして気にした様子もなくむしろその答えを予想していたように労いの言葉をかける信長。そんな彼の目が今まで見たことないほど優しく細められる。

 

 

「でもね耀ちゃん。これだけは覚えておいて? 僕は耀ちゃんのことが大好きだよ」

 

 

 今まで見たことない表情で、面と向かって『好き』などと言われた耀は顔を沸騰させて目をぐるぐる回した。これがいつものおちゃらけた雰囲気で言ったならばいつも通り受け流せていただろうが。

 

 思わぬ展開に出歯亀根性丸出しでニヤリと笑っていた白夜叉だったが、白夜叉の存在も、耀の反応もまるで気にした様子はなく信長は続ける。

 

 

「だから君がひとりで頑張りたいって言うなら全力で応援する。でもね、辛い時は辛いって言って? 無理だって思ったら頼って。僕も、ノーネームのみんなも耀ちゃんの味方だから。どんなに傷付いたって一緒に笑っていたいと思う――――友達だから」

 

 

 耀は耐え切れず顔を俯かせた。

 

 初めてだった。動物達以外でこんな言葉をかけてくれる人はいなかった。それが今は沢山の友達が出来た。それだけでも、この箱庭にやってきて良かった。心からそう思える。

 

 

「やはり主達はすでにこちらにいたか」

 

「レティシア……」

 

 

 かけられた声に振り返ると、影のような翼で飛翔するレティシアがいた。

 

 翼で空を叩き、ゆっくりと大地に足をつける。レティシアは白夜叉に向き直ると深々と頭を下げた。

 

 

「白夜叉殿、先日の一件では多大なご迷惑をかけました」

 

「よい。私とて大したことは出来なかった」

 

 

 かつてレティシアが《ペルセウス》によって商品として売り飛ばされようとしていた頃、ノーネームが十六夜達の召喚を期に復活したと聞いて逃げ出す手引をしたのが白夜叉だった。

 

 ちなみに、《ペルセウス》とのゲームを経て無事ノーネームへと帰った彼女の役職はメイドである。今も可憐なメイド服を纏っている。

 

 

「十六夜と飛鳥がいない、か。黒ウサギもいないところを見るにまだ逃走中か」

 

 

 はぁ、とため息をつくレティシア。耀は居心地悪くそっぽを向き、白夜叉は苦笑する。そんな中、手を挙げたのは信長だった。

 

 

「案内しようか? 大体の方角はわかるよー」

 

「信長、裏切るの?」

 

 

 むっ、と眉根を寄せる耀へ信長はコロコロ笑う。

 

 

「僕は昔から困ってる女の子がいると放って置けないんだよ」

 

「……馬鹿」

 

「――――なら、頼めるかな。信長」

 

 

 今回の追いかけっこを仕掛けてきた張本人からの申し出に、しかしレティシアは疑い無く微笑だけで受け入れた。あくが強くとも純粋な主達の中でも、とりわけこの少年だけは元より真意が読み難い。考えるだけ無駄だというものだ。

 

 

「じゃあ耀ちゃん、遊戯(ゲーム)頑張ってねー! 絶対応援行くからー!」

 

 

 走り去っていく信長の背を見送る耀は、確かに笑った。




閲覧どうもありがとうございます。
それと気付いたらとんでもないぐらいの数のお気に入りやら評価やら感想やらに感謝を通り越して戦々恐々。ニヤニヤしながら有難く拝見してます。ありがとうございます!

>ちょっとフラグっぽかったですね。そんなつもりはなかったのですが。
小説って書いてるときは半ば酔ってるから気にならないけど、改めて読んでると赤面しそうなセリフあったりしますよね。大好き発言とかいやっほーですよ(意味がわからんほど恥ずかしいの略)


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逃げようか

 街を駆ける二つの影。

 

 信長は人混みを避けるために屋根の上を。

 レティシアはさらにその上。漆黒の翼を背から生やして信長に追走する形で飛行している。龍影――――彼女に残された恩恵の中でも特に使い勝手の良いものである。

 

 二人は硝子の歩廊に沿いながら街の中央に座するモニュメントを目指していた。レティシアとの合流前、飛鳥があれを特段輝いた目で見つめていたことを信長が覚えていたからだ。

 仮に見つけられなくとも、あそこからなら街を見渡せると考えていたのだが、先行していた信長はモニュメントで一休みしている十六夜と飛鳥を見つけた。

 

 

「見つけたよ」

 

 

 どうやら保険は無用だったらしい。

 

 先行する信長の報告に一先ず安堵するレティシアだったが、状況は決して自分達に優しいばかりではなかった。

 

 続け様に信長が報告する。

 モニュメントの二人目掛けて猛突進する、怒髪天の如く緋色髪を迸らせた黒ウサギの姿を。

 

 

「ついでに黒ウサちゃんも」

 

「あのペースではあちらの方が接触が早そうだな。主殿、悪いが先に行かせてもらうぞ」

 

「はーい」

 

 

 言うやいなや、レティシアの龍影が大気を一叩き。一気に速度を上げて信長を置いてけぼりにした。

 

 その姿を、信長は物欲しそうな目で見送る。

 

 

「僕も飛べたら便利なのになぁ」

 

 

 独りぼやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「観念してもらうぞ、飛鳥」

 

 

 黒ウサギ急襲からほとんど間を置かず告げられた言葉。飛鳥がそれに気付いた時には、我がコミュニティが誇る金髪美少女吸血鬼に羽交い締めにされていた。

 テンションマックスの黒ウサギ相手では、流石の十六夜もこちらを庇うことも出来なかったらしい。

 

 残念、と飛鳥は嘆息を漏らして両手をあげる。どうやら自分はここで脱落のようだ。

 

 

「貴方が最後の一人よ十六夜君! 簡単に捕まったら許さないわよ!」

 

「了解、お嬢様」

 

 

 ヤハハと笑いながらサムズアップで応えた十六夜は、さらにボルテージを上げた黒ウサギ……いや、赤ウサギを引っさげて更に街中に入り込んで逃走。黒ウサギもそれを追った。

 

 飛鳥の抵抗が無いことを感じたのか、ぶら下がるようにこちらを捕まえていたレティシアが拘束を解いて地面へ降りた。

 

 

「まったく、飛鳥達の悪ふざけには肝が冷える」

 

「ごめんなさい。少しやり過ぎたわ」

 

 

 耀同様、多少の罪悪感を抱いていた飛鳥は素直に謝罪の言葉を口にする。

 

 やれやれと首を振るレティシア。

 苦笑を浮かべる飛鳥。

 

 その二人の耳に聞き覚えのある声が飛び込む。

 

 

「あーすーかーちゃああああああん!!」

 

 

 ようやっと追いついた信長は屋根から大ジャンプ。

 高所から高所へ。

 そこから重力によって地面に引きつけられる速度を利用。両の腕を翼のように大きく広げて、信長は飛鳥へと抱きつこうとして、

 

 

「――――『その場で地面に跪きなさい』」

 

「ぐへッッ!!?」

 

 

 そのまま地面にダイブした信長。

 半ば石畳にめり込んでいる間抜けな姿に、飛鳥とレティシアは呆れたようにため息をついた。

 

 

 

 

 

「裏切るなんて随分じゃない、信長君」

 

「裏切るだなんてとんでもない! 僕はいつだって可愛い子の味方だよ!」

 

 

 信長がレティシアと共に現れたことに飛鳥がジト目で睨むと、信長はいっそ胸を張って答えた。

 

 可愛い子の味方。

 だから最初は飛鳥達の悪巫山戯に乗っかり、今度はレティシアに協力したとの言い分だった。

 

 

「それ、胸を張っていい言葉じゃないわ」

 

 

 ここまで堂々と言われては優柔不断とも言えず、最早怒る気にもなれない飛鳥はただただ呆れる。

 これが故郷の教科書で学んだ『織田 信長』と同一人物なのかと、本気で疑う。

 

 そんな飛鳥の憂鬱顔も愛しいとばかりにニコニコしている信長は、手元のものにパクリとかぶりついた。途端に表情を驚きと幸せそうな笑顔に綻ばせる。

 

 対して、同じものを持っている飛鳥は、自身の手にあるそれを見て難しい顔をした。

 

 

「飛鳥はこういった食べ物は嫌いだったか? クレープというのだが」

 

 

 飛鳥の顔が優れないことに気付いたレティシアが窺ってくる。

 

 三人は時間潰しに観光と腹ごなしを兼ねて街を練り歩いているところだった。その際通りがかった露店でクレープを買ってくれたのはレティシアなのだ。

 故に飛鳥の顔を見て、どこか申し訳無さそうになっている彼女へ、飛鳥は首を横に振る。

 

 

「いいえ違うのよ。とても美味しそう。美味しそうなのだけれど……」

 

 

 改めてクレープを見下ろす。

 

 生クリームの上にスライスした果物を列べ、チョコソースやいちごソースがかけられたそれを薄い生地と包んでいる。ふんだん生クリームは今にも溢れんばかりである。

 飛鳥とて女の子。大食漢の耀ほどではないけれど、甘いものは好きな方だ。だが、

 

 

「どうやっても口元が汚れてしまいそうで」

 

 

 故郷では正真正銘のお嬢様であった飛鳥。礼儀作法は物心ついた頃よりみっちり仕込まれている。

 立派な淑女たれと常に身だしなみひとつにも気を付けている彼女には、汚した口元を衆目に晒すなど、そんなあられもない姿を見られることを躊躇っていた。

 

 

「まあ、箱庭の外からやってきた人間のほとんどが飛鳥のような反応をするものだ。故郷とは文化も思想も種族も、なにもかもが違うのだからな。――――信長は違うようだが」

 

 

 飛鳥の隣りで未知の食べ物を臆しもせず口に運ぶ信長。彼のいた時代を考えれば飛鳥以上に困惑してもおかしくはないのだがそんな素振りは無い。ぺろりとクレープを平らげた。

 

 

「あ、レティシアちゃん口についてるよー」

 

「ん? ああ、ありがとう」

 

「信長君は馴染みすぎよ」

 

 

 信長がレティシアの口元についたクリームを指で拭い、それを口にパクリ。

 レティシアもレティシアでまるで動じずに、むしろ当たり前のことであるかのように受け答えをしている。

 

 見ている飛鳥の方が赤面していた。

 

 

「…………」

 

 

 未だ一口も食べられずにいるクレープ。遂に意を決してかぶりついた。

 

 まだ少し温かさの残る生地。生地が破けると冷たいアイス、トッピングしたバナナとチョコレートがいっぺんに殺到する。

 案の定、口が汚れた。

 

 

「美味しいわ」

 

「それならもっと笑いなよー」

 

「ふんっ! ――――あら? あれ何かしら」

 

 

 顔を背けた向こうで、露店を彷徨うとんがり帽子の小人を見つけた。

 

 

「はぐれの精霊、か? 珍しいな」

 

「はぐれ?」

 

「あの類の小精霊は大抵群体精霊だからな。単体で行動することは滅多にないんだ」

 

 

 そんな話をしている矢先、視線に気付いた精霊は慌てた様子で三人の視界から逃げ出した。

 

 それを見た飛鳥は半ば反射的に体が動かす。持っていたクレープをレティシアに渡した。

 

 

「わっ!? あ、飛鳥?」

 

「残りはあげるわ。ちょっと追いかけてくる!」

 

 

 初めて見る精霊に胸踊らせて街中をかき分けるように駆け出したのだが、ピタリとその足が止まる。

 

 

「でもそれ、信長君にはあげちゃ駄目よ?」

 

 

 顔を振り向かせず念押しするように告げてから、飛鳥は再び精霊を追って走りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく」

 

 

 非常に行動的な主にレティシアは肩を竦め、しかし愛らしい子を見るような暖かい微笑みでそれを見送った。

 

 それに最後の言葉。

 問題児だと言われながら彼女もやはり女の子かと、レティシアは笑みを溢す。

 

 さて、と彼女は手元のクレープを見比べる。

 片方は半分ほど残っている。こちらはレティシア自身の。そして一口だけかじられているのが飛鳥に渡された方だ。

 

 食べきれなくはないが、流石にこれでは食べ過ぎになってしまう。

 

 

「一つ片付けてくれるか? 私の残りで悪いが」

 

 

 レティシアは自分の残った方を信長に差し出したのだが、信長は中々受け取らない。

 

 

「?」

 

「……うん、ありがとー」

 

 

 受け取るまでの妙な間に不審がるレティシアだったが、信長は受け取ったクレープも大した時間をかけず食べきってしまう。

 一体なんだったのか。

 考えるも答えは出なかった。

 

 

「あ」

 

 

 信長の声に意識を現実に戻す。

 頭上を見上げる信長の視線を追うと、十六夜と黒ウサギがちょうど真上を飛び跳ねるところだった。

 

 追いかけっこもいよいよ佳境のようで、遂に二人の一騎打ちにまでなっていた。

 まともな戦いならば十六夜だろうが、どうやらゲーム内容は特殊な鬼ごっこ。

 黒ウサギの身体能力の高さは十六夜に勝るとも劣らず。駆け引きも加わるならば充分黒ウサギにも勝ちの目はあるだろう。

 

 

「十六夜も黒ウサちゃんもやっぱりすっごいねー!」

 

 

 お祭り騒ぎとなった街に混じってはしゃぐ信長。まるでその姿は実年齢よりずっと幼い子供だ。

 

 レティシアはそんな無邪気な横顔を眺めながら、彼等について考えてみる。

 

 困窮極まった黒ウサギ達が召喚した四人の異邦人。

 レティシアにとってかけがえのないコミュニティを、そして自分自身を救い出してくれた恩人達。

 

 彼等彼女等は逸材だ。それもこの箱庭でも一級品のプレイヤーであることは間違いない。

 無論まだまだ経験不足は否めない。殊更、飛鳥や耀は。――――が、そんなもの些細なことだと言わせてしまう才能が、光がある。

 

 そう、十六夜達は光だ。

 ジンにとって、黒ウサギにとって、レティシアにとって、コミュニティとって。

 

 そして何れは……。

 

 

「うーん。どうして黒ウサちゃんのお尻は見えないんだろう」

 

 

 ガクッ、と真面目なことを考えていたレティシアはその発言に強制的に現実に戻された。

 

 問題児達の中でも彼は他の3人とは違うベクトルで残念だ。

 

 

「信長、そんなことばかり言っているといつまで経っても異性と恋仲にはなれないぞ」

 

 

 人差し指を立てて、正しく母親のように諭すレティシア。

 

 だが、信長は真顔でこう答えた。

 

 

「え? 僕もう結婚してるよ」

 

「そ、そうなのか?」

 

 

 思わぬ発言に目を白黒させる。

 

 しかし驚愕はすぐに興味心へとすげ替わる。

 

 

「どんな御人なんだ?」

 

 

 この奔放な少年の伴侶だ。さぞ出来た人に違いないと思っていたレティシアは奇妙な光景を目撃する。

 

 女性を語る上では閉じることのない信長の口が、確かに強張った。

 

 極めて珍しい反応にレティシアはまたしても目を瞬かせる。

 

 つい、とレティシアから目を逸らした信長は虚空を見上げる。

 

 

「…………凄いよ」

 

「凄い、とは?」

 

 

 重ねて問う。

 

 

「僕の事が大好きなんだ」

 

「良いことじゃないか」

 

「もちろん嬉しいよ? でも好きで好きで好き過ぎて、僕の為なら国も家族も……ううん、日ノ本そのものを滅ぼすのも多分躊躇わないんだ。実際それで実の父親の国を落としてるし」

 

「………………」

 

「何が凄いって、そんな性格なのをみんなに気付かれてないってことだよね。みんなには内気で病弱で気立ての良い良妻って感じなんだ」

 

「それはその……凄いな」

 

 

 恋は盲目などというが、愛した男の為なら家族も国もいらないとは。

 顔も知らない女性を想像し、レティシアは僅かに身震いした。

 

 

「さすがはマムシのおじさんの娘って感じだよー」

 

「マムシ?」

 

 

 信長の奥方は蛇神の化身か何かなのだろうか、と実際にはかなり見当はずれな予想をしていたレティシアの手を突然信長が握った。

 

 

「さてレティシアちゃん――――逃げようか?」

 

 

 何から、とは続かなかった。

 

 暴れすぎた十六夜と黒ウサギを捕まえる為に出動してきたのは、北の階層支配者《サラマンドラ》の赤竜部隊だった。

 

 己の所業にようやく気付いて、しかし時既に遅し。

 ウサ耳を抑えて悶えている黒ウサギを遠目に、レティシアは心の中で合唱するのだった。




切りどころが難しくてかなり短くなってしまいました。すみません(汗)もしかしたら次回更新した後に、ここの話と次話を統合するかもしれませんが、ご了承くだされ。

>閲覧ありがとうございました。さてさて、前話は耀だったので今話は飛鳥とレティシアにスポット当ててみたわけですが、どうでしょう。繰り返しますがフラグではないですからね(笑)

>実は結婚してたんだぜ信長君。ちなみに十七歳で結婚は史実なので嘘ではないですよ。ちなみにちなみに、帰蝶さんというのは世間的には濃姫と呼ばれている女性です。資料が少なかったので、どうせだからととんでもない女性設定にしてしまいましたw
信長君は追われる恋より追う恋の方が好きなようです。決して彼女のことが嫌いなわけではないですが、唯一苦手な女性です。


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言わないよ

 火の都が照らす北の夜空は東の空とはまた違った趣がある。

 そんなことを考えながら、信長は街の大通りを疾走していた。傍らを、蝙蝠のような翼を広げて飛ぶレティシアもいる。

 

 昼間十六夜達を探していたときのように再び街を巡る二人。

 違う点があるとすれば、昼間は人通りが多かった通りを避けて屋根の上を走っていたこと。もうひとつは、レティシアの顔に浮かぶ焦燥感だろう。

 

 

「ほらほらレティシアちゃん、顔が怖いよー」

 

「う、む……」

 

 

 見かねた信長が、自身の眉間を指で示す。

 指摘されたレティシアは、平静を装う余裕すら無くしていたことを自覚すると、一度瞼を閉じて深く息を吐く。

 

 信長達がこうして街を走り回っている理由は、昼間に別れてから一度も戻ってこない飛鳥を心配してのことだった。

 

 

「僕もほっんとうに心配だよ。あの可愛さだもん。誘拐とかされて売り飛ばされてたらどうしよう!」

 

「あまり怖いことを言わないでくれ。ぞっとしない」

 

 

 しかし、レティシアが案じているのは正しくその通りのことなのだから。

 幼い子供や見目の良い者の誘拐は箱庭では珍しくない。

 だがこの北の都は治安が良い方だし、何より今は生誕祭の最中。並の神経を持っていれば、下層最強の白夜叉まで来ている今、事を起こそうとは思わないはずだ。

 

 

「それはそうと主殿、本当に白夜叉の話は聞かなくてよかったのか?」

 

 

 不安を誤魔化すように話題を変えたレティシア。

 

 

「平気平気。僕頭悪いから、難しい話はわからないし。面倒くさいのは十六夜に任せる!」

 

 

 屈託なく笑う信長。

 

 運営本部では、白夜叉がノーネームを北へ招待した理由、魔王襲来の可能性について話し合いが行われている。二人はそれを抜け出してきたのだ。

 レティシアはまだいい。箱庭でも古参に入る彼女は、今更魔王とのゲームをレクチャーされる必要は無い。それに今の彼女にとって大切なものは、なによりも仲間の命だ。

 

 だが信長は違う。

 

 未だ対魔王どころか、ギフトゲームの経験値が圧倒的に少ない彼こそ、白夜叉のレクチャーを受けるべきなのだ。

 それなのに彼はここにいる。

 

 頭を抱える黒ウサギを思い浮かべ、思わず苦笑してしまうレティシアだった。

 

 

「そうか。なら飛鳥が行きそうな所に心当たりは無いか?」

 

「んー」

 

 

 腕を組んで考える信長。

 

 北にやってきたのは信長も初めて。心当たりと言われてもそも知識が無い。しかし同じ好奇心旺盛な問題児として、信長の思考と飛鳥の思考が合致するかもしれないと考えた。

 

 

「やっぱり面白そうなところかなー。あ、昼間の歩くキャンドルみたいなのがいっぱい置いてあるところとかないの?」

 

「展示物が多い場所、か。確かこの先の洞穴に、作品を展示した会場が――――悲鳴?」

 

 

 まだ少し遠い。が、確かに騒ぎが起こっているようだった。それも今まさにレティシアが口に出そうとした展示場のある方角から。

 

 何やら嫌な予感を覚えるレティシア。

 

 

「なにかあったみたいだね。先行って様子みてくるねぇ」

 

 

 言うやいなや、舗装された石床を踏み砕く脚力で信長の姿はあっという間に見えなくなる。どうやら昼間は抑えて走っていたようだ。

 前とは立場が逆転してしまい、レティシアも急いで向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一足早く展示場である洞穴の入り口に着いた信長。やはり騒ぎはここらしく、今も続々と人が逃げ出すように這い出てくる。

 そこへ信長はまるで躊躇いなく飛び込んでいった。

 

 洞穴の中はそれなりに広い。展示物を壁際に並べ、なお余りある空間。もしかしたらここは他の展示場の中でも目玉の会場なのかもしれない。

 

 すでにほとんどの者が逃げ去ったのか、入り口以来、奥へ進めどまるで人に会わない。まあ邪魔でしかないのでいないに越したことは無いかと考える。だがまあ、誰もいないというわけでもなさそうだ。

 

 

「音……?」

 

 

 先ほどから聞こえてくる音色。最初はどこかの展示物から聴こえているのかと思ったが、違う。この音には人を感動させようという想いは伝わってこない。

 ただただ不快な、それなのに誘われるように耳を傾けてしまう魔性の音色。

 真っ当な芸術を競うならば、こんな作品の参加はよしとしまい。

 

 音は洞穴を反響していて、どこから聴こえてくるのかわからない。果たしてこの騒ぎと関係あるのか。

 

 信長がそんなことを考えながら回廊の奥へ進んでいると、突然開けた場所に出た。周囲への警戒に速度を緩めて、その先に赤いドレスの少女を見つけると、一度は緩めた駆け足を全開にする。

 

 

「ばあ!」

 

「の、信長君!?」

 

 

 横合いから飛鳥の視界に飛び出す。

 すると飛鳥は目を丸くして驚き顔を作り、ふっと表情の筋肉をゆるめるとその場にへたり込んでしまった。

 

 

「あれ? なにやらお疲れ様??」

 

「ええ、ちょっとね……」

 

 

 見れば黒ウサギから譲り受けたドレスは汚れにほつれと無残な有様。彼女自身にも少なくない傷が見える。

 それでも大きな怪我はないことを確認して、信長は飛鳥を背に、今まで彼女が相対していたものに目を向ける。

 

 目。目目目目。

 至る所、それこそ視界を埋め尽くさんばかりの光の群れだった。

 その正体は、夥しい数の鼠。

 

 数百。数千。最早数えるのも億劫だ。

 

 

「むむ」

 

 

 人差し指と親指で顎を支えるようなポーズを取る信長。至極真面目な顔で。

 

 

「飛鳥ちゃんの魅力に気付くなんて、鼠ながら天晴!」

 

「褒めてるとも思ってはいないけど、嬉しくないわ」

 

 

 飛鳥は十六夜や耀達のような出鱈目な身体能力が備わっていない。ただの鼠が相手とはいえ、肉体としては非力極まる彼女には、剣一本でこれほどの大群を相手することは出来なかったのだろう。

 それでも彼女のギフトならどうとでもなりそうなものだが。

 

 

「さてさて」

 

 

 飛鳥がギフトを使わなかった理由は置いておいて、信長は考える。自分もまた広範囲を一掃出来るようなギフトを持っていない。鼠達が襲ってくるならば、ひとつひとつ潰していくしかないのだが、

 

 

「それはちょっとめんどくさいよねぇ」

 

 

 こんな有象無象を蹴散らしたとて、何も楽しくなさそうだ。

 それに、潜んでいるのは鼠ばかりでもない。

 

 ふとあることを思い出した信長はおもむろに懐を弄るが――――その動作は途中で止まる。

 

 正面の鼠の大群をよそに、信長は後ろを振り返った。

 背後に庇った飛鳥が目を開いて驚いている顔がある。そのさらに向こう。

 

 

「ちょ、ちょっと信長君!?」

 

 

 突然の無謀な行動に慌てた飛鳥。敵を目前によそ見をする信長を窘めるより先に鼠達が我先にと走り始めた。

 床に壁。天井までぎっしり覆い尽くす鼠は、波となって襲い掛かってくる。

 

 それなのに、信長は動こうとしない。

 

 このままではマズイと、力の入らない足に喝を入れて立ち上がろうとして、首筋に感じた悪寒に思わず飛鳥まで振り返ってしまった。その瞬間、

 

 闇が一瞬視界を覆い、やがて晴れていった。

 

 理解が追いつかない飛鳥は呆然と顔を前に戻し、また声を失う。鼠の群れが跡形もなく消えていた。

 代わりに、自分と信長を背に庇うように現れた金髪の麗人。

 

 

「鼠風情が……」開いた口に覗く牙「我が同胞に牙を向けるとは分際を知れ! 術者は何処だ!? 姿を現せ!!」

 

 

 裂帛の怒声に応えるものはなかった。

 

 いつの間にか、奇妙な音色が消えていた。

 

 

「退いたか」

 

「貴方……レティシアなの?」

 

 

 初めて出会ったときのような拘束具に似た奇形の服に深紅のレザージャケット。しかしその外見は、今までとは似ても似つかなかった。

 年端もいかない小柄な少女だった見た目が、今は妙齢の美女となっていた。変わらぬ点といえば、相変わらず目を奪われる美しさを持つ金糸の髪か。

 

 呆けたように問いかける飛鳥に、怒りを鎮めたレティシアが微笑む。

 

 

「ああ。だがどうしたんだ? あの程度に手こずる主殿ではあるまい」

 

 

 正直、今の今までレティシアに似た別人かもしれないとも思っていた飛鳥だったが、見た目は変われど返ってきたのが普段と同じ口調だったことにどこか安堵し、そして同時に先ほどの壮絶な力が彼女のものだと思い出して、小さく笑った。

 

 

「貴方、凄かったのね」

 

 

 それは情けない己に向けた嘲弄だった。

 

 

「な」怒っていたこともあり、鋭さすらあったレティシアの顔付きがガクッと崩れた「主殿、褒められるのは嬉しいが、その反応はさすがに失礼だぞっ! これでも私は元・魔王にして吸血鬼の純血! 誇り高き《箱庭の騎士》! あの程度の畜生いくら相手にしようと――――」

 

 

 レティシアの脇を高速飛翔する石礫が、彼女が振り返るより先に、背後の鼠を仕留めた。

 

 動かなくなった鼠を見て、今度こそ敵がいなくなったことを確認したレティシアは、石礫が飛んできた方へ――――いや、投げた人物を見やる。

 

 

「ありがとう信ながああっ!!?」

 

「なにそれなにそれ可愛い綺麗すっごーい!!」

 

「こら! 突然抱きつこうとしないでくれ!」

 

 

 どったんばったん途端に騒がしくなった洞穴で、飛鳥は胸元の精霊の頭を撫でながら笑みを零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コホン、と白夜叉は咳払いを一つ。

 

 

「それでは皆のものよ。今から第一回、黒ウサギの審判衣装をエロ可愛くする会議を」

 

「始めません」

 

「始めます」

 

「始めませんっ!」

 

 

 白夜叉に悪乗りする十六夜を、黒ウサギが速攻で断じる。日も沈んだ頃合、サウザンド・アイズ来賓室に集まった白夜叉とノーネーム一同。実はこの前に、サウザンド・アイズの店員に風呂場に叩き込まれた飛鳥。それに続いて風呂場へ入ってきた黒ウサギ達。それを堂々と正面からのぞきに来てズタボロにされた信長のエピソードがあったりもしたのだが、今はその後の話。

 

 

「そういえば黒ウサギの衣装は白夜叉がコーディネートしてるのよね。なら私の着ている赤いドレスも?」

 

「おお、やはり私が贈った衣装だったか。あれは黒ウサギからも評判が良かったのだが……」難しい顔で至極残念そうに「あれではせっかくの美脚が見えない」

 

「白夜叉様の異常趣向で却下されたのです!」

 

 

 ブー、と頬を膨らませる黒ウサギをカラカラ笑いつつ、白夜叉は思い出したように尋ねた。

 

 

「そういえば黒ウサギ。実は明日から始まる決勝の審判をおんしに依頼したいのだ」

 

「あやや。それはまた突然ですね。何か理由でも?」

 

「うむ。おんしらの大暴れで《月の兎》が来ていることが公になってしまってな。皆も明日からのゲームで見られるのではと期待が高まってしまっているのだ。なので黒ウサギに正式に審判・進行役を依頼させて欲しい。別途の金銭も用意しよう」

 

 

 なるほど、と一同が納得する。黒ウサギが深々と頭を下げる。

 

 

「わかりました。明日のゲーム審判・進行、この黒ウサギが承ります」

 

「感謝する。……それで審判衣装だが、例のレースで編んだシースルーの黒いビスチェスカートを」

 

「着ません」

 

「着ます」

 

「断固着ません! ああーもういい加減にしてください十六夜さん!」

 

 

 茶々を入れる十六夜。ウサ耳を逆立てて起こる黒ウサギ。はて、と白夜叉が首を傾げた。

 

 

「あの小僧はどうしたのだ?」

 

 

 いつもなら十六夜に続く形で黒ウサギを引っ掻き回す少年の姿がないことに気付いた。答えたのはハリセン片手の黒ウサギ。

 

 

「信長さんですか? 話し合いがあるとはお伝えしたのですが……その、難しい話は任せると言って外へ。申し訳ありません」

 

 

 申し訳なさそうにへにゃりとウサ耳をたれさせた。

 四桁以下最強と謂われる彼女の呼びかけを無視してすっぽかすなんて、聞くものが聞けば卒倒ものだ。それも彼は昼に続いて二度目である。

 

 

「よいよい。とはいうものの、昼間の話の続きをしようと思っていたのだが……あやつは本当にやる気があるのかの?」

 

 

 昼間とは飛鳥が鼠に襲われていたときのこと。話の内容はこの祭典に魔王が現れるかもしれない、というものだった。彼女がノーネームに依頼したのは、彼女とサラマンドラに協力して襲来する魔王を撃退して欲しいということだった。

 信長には一応魔王がやってくるかもしれないとは伝えているものの、その他詳細の一切を聞かないつもりなのか。

 

 

「大丈夫だろ」

 

 

 常に飄々としていて、仲間であっても心の底を悟らせないあの少年の本心を問われるも誰も答えられなかった中、そう断言したのは十六夜だった。かつて命を賭け戦い、彼自身、数少ない自分の同類とさえ感じた十六夜だけに確信があった。魔王が現れれば信長は絶対戦う、と。

 

 

「あいつは多分誰よりも魔王ってもんに興味持ってると思うぞ」

 

「ほほう。何故じゃ?」

 

本物(・・)がどんなもんか。かつての自分がどんな風に周りに見られてたか。気にならねえ方が嘘だろ」

 

 

 ヤハハと笑う彼の目は、しかし決して笑っていない。はたして十六夜の言葉を、信長の真意を理解出来たものがこの場で何人いただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜がくれば皆寝静まる東とは違い、北の都は夜が来ても街全体が煌々と輝いていた。その明るさからか、人も未だ多く出歩いて賑わっている。

 炎の光に彩られる都は昼も夜も眠らない。

 

 昼は人々に活気を与える太陽のような光。対して夜は、人を惑わす魔性の光にも似ていた。

 

 そんな街の上空。東とを隔てる境界壁。

 その縁に信長はいた。

 足を投げ出し、草履の足をぷらぷらと揺らしている。

 

 見える景色はさぞ絶景だろうが、信長が見ているのはさらに上に座す月だった。

 

 

「――――――――♪」

 

「こんな所で月見とは随分趣味が良いじゃねえか、坊主」

 

 

 人影が増えた。信長の他に境界壁の上に四つ。

 

 四人はまるで統一性の無い格好だった。

 

 一人は露出の覆い白装束の女。

 一人は斑模様の服装の少女。

 一人は唯一人の形をしていない、穴の空いた巨兵。

 

 そして、今し方信長に喋りかけた、軍服姿の男――――ヴェーザー。

 

 

「………………」

 

 

 声を掛けられて一瞬視線を向けた信長だったが、何を言うでもなくすぐに興味を失ったように再び夜空を見上げる。

 その態度に殊更反応したのは、白装束の美女――――ラッテンだった。

 

 

「なーにあの子、可愛くなーい」

 

「まあまあ、いいじゃねえか」

 

 

 剣呑な雰囲気を醸し出すラッテンをヴェーザーが宥める。背後の斑模様の少女と巨兵は沈黙を続ける。

 

 一歩、ヴェーザーが信長に歩み寄った。

 

 

「本来ならまだ姿を晒すつもりはなかったんだが、俺がお前と話したくて無理言ったんだ。聞いてくれよ」

 

 

 再びヴェーザーが話しかけるも、やはり信長は反応しない。それでも沈黙は是として、ヴェーザーは話し始める。

 

 

「お前、俺達の仲間になれよ」

 

 

 ヴェーザーは腕を左右に広げる。

 

 

「俺達は仲間を探してる。とりあえずはここにいる連中を丸々呑み込むつもりでいる。――――が、お前は話がわかりそうだったからな。先に声をかけた」

 

 

 信長はこちらを見ない。しかし口ずさんでいた鼻歌は止まった。

 ニヤリと、ヴェーザーの口端が吊り上がる。

 

 

「一目見りゃわかる。お前は俺らと同類だ」

 

 

 ピクン、とようやく信長が反応を示した。

 

 

「……同類?」

 

「ああ。お前は、弱者を守り讃えられて満足する奴じゃねえ。俺達と同じ、壊し、奪う側だ。そうだろ?」

 

 

 同類を歓迎するように獰猛に笑うヴェーザー。

 彼には確信があった。この少年が、単なる人間の枠に収まらないだろう異端児であることは。

 

 しかし信長は一向に返答を出さない。反応の素振りも無い。

 

 二人のやり取りを眺めていたラッテンが、肩を竦めてため息をついた。

 

 

「答えはノー、みたいね」

 

 

 それでもヴェーザーだけは諦めきれないのか、重ねて言葉を連ねようとして、

 

 

「――――昼間の鼠は君達の?」

 

 

 急な質問に、口を開けたまま黙るヴェーザー。

 一方で、ラッテンはニコリと笑った。

 

 

「ええ私。素敵な催しだったでしょう?」

 

「ふーん」

 

「……本当にむかつく」

 

 

 聞いておいて、然程興味は無いような信長の態度にはっきりと怒りを覚えるラッテン。

 

 

「魔王……ふふ、魔王様だって」

 

「?」

 

 

 何かを呟きながら肩を揺らす信長に、ヴェーザー達は顔を見合わせて首を傾げる。

 ラッテンが、唇を尖らせて言う。

 

 

「ちょっと本当にこの子大丈夫なの? 頭のネジ外れちゃってるんじゃない?」

 

「黙ってろよ」

 

「はいはい。どうぞご勝手に」

 

 

 肩を竦めるラッテン。

 

 ――――彼等は気付けなかった。

 

 いや、普段の信長を知らないのだから気付けないのは当然の話だった。

 

 ラッテンも、そして後ろにいる斑模様の少女も、どちらも美と付く容姿の女性である。それなのに、彼女等を前に信長は一切そのことに関する反応を示さない。その異常性に、気付けない。

 

 何かないか。ヴェーザーが信長を誘う言葉を探していると、カタカタと鳴る音に舌を打った。

 

 

「おいシュトルム、その音――――」

 

 

 言いかけて、止まった。

 

 背後で気配が膨れ上がる。どす黒い気配。

 ただ立っているだけで汗が噴き出す。

 

 風穴の巨兵シュトルム。

 ラッテンの人形として、或いは使い勝手の良い尖兵として、唯一感情など持たないはずのそれが、震えていた。

 

 

「っっっ!!?」

 

 

 振り返ると共にヴェーザーは武器である棍に似た巨大な笛を構える。ラッテンも、長いフルートを抜く。

 

 何も。信長は何もしていなかった。

 体勢は変わらず、相変わらず空を見上げている。

 

 ただ、彼から溢れ出る真っ黒な光。そして濃密な殺意。

 殺意が具現化でもしたように渦巻き、圧に耐えきれなかった石壁が軋み、割れた。

 

 

「僕、楽しみにしてたんだぁ」

 

 

 遅々とした動作で信長は立ち上がる。

 

 

「修羅神仏だその化身だと謂われてたのは会ったことがあった。幾度となく壊して殺してきた。――――でも、僕と同じ『魔王』とは出会ったことがなかった!」

 

 

 ケラケラ笑う。コロコロ笑う。

 

 月を背に、引き裂くように吊り上がる口端。

 

 

「そう、僕等は同じだよ! だから教えてよ。僕はどんな風に見られてたの? どんな風に笑うの? どんな風に戦って――――どんな風に死ぬのかな?」

 

 

 漆黒が、より一層濃くなる。

 

 狂い笑いは止まらず、闇空へ響く。

 

 

「……済まねえ、マスター」

 

 

 ヴェーザーは、己の思い違いを認めた。

 

 

これ(・・)は駄目だ。こいつは誰かに飼えるような奴じゃない。首輪を着けようとすれば、逆に喉元を喰い破られる」

 

「――――ならここで殺すわ」

 

 

 答えたのは、常に沈黙を守っていた斑模様の少女――――ペストだった。

 信長の放つ濃密な殺意にも、顔色ひとつ変えない。

 そうして彼女からもまた、信長に似た黒い瘴気のようなものが溢れ出した。

 

 それを見たからか、信長の興味は一転、少女に向いた。

 どちらも視線を逸らさない。

 

 

「やめようよ」

 

 

 不意に、信長が口元を歪めたまま提案した。

 

 

「今日はもうやめよう。今ここで戦うのは、君達も嫌なんでしょう?」

 

 

 信長の言葉通り、今こうして参加者に接触するのは本来の作戦からすれば絶対のタブー。それでも信長の本質を見たヴェーザーが仲間にすること懇願し、ペストが許可したのだ。

 

 

「残念だけど、私達がここにいることを知られた以上、貴方を生かしてはおけない。仲間になる気が無いのなら大人しく――――」

 

「言わないよ」

 

「……なんですって?」

 

「誰にも言わない。そんなつまらないことしない。君達が襲ってきて僕達が迎え撃つ。それが今回の遊びの始め方なら、僕はそれを待ってるよ」

 

 

 いよいよもって、ペストも信長のことがわからなくなってきた。

 

 今回のギフトゲームは、まず奇襲だ。最初の一手で最強の階層支配者たる白夜叉を封じる。

 それこそが勝敗を決する最重要の鍵だとも思っている。

 故にペスト達の存在が、白夜叉に露見することだけは避けねばならない。

 

 

「そんな口約束信じられると思ってるの?」

 

「同じ『魔王』の(よしみ)じゃない」

 

「馬鹿にしてるの?」

 

「えー……駄目?」

 

 

 敵の存在を知らせない馬鹿などどこにいる。

 

 何より、ペストの内の何かが訴えている。目の前の少年は、今ここで殺すべきだ、と。

 

 ――――それなのに、何故体が動かない?

 

 

「本当か」成り行きを見守っていたヴェーザーが「本当に俺達の存在をバラさないか?」

 

「うん!」

 

 

 屈託ない笑顔で頷く。子供のような笑顔で、しかし充満する殺意はまるで衰えない。

 しばし、黙っていたヴェーザーはやがて武器を下ろした。

 

 

「退こう、マスター」

 

「ちょっと本気!?」

 

 

 仲間の行動に驚くラッテン。

 

 

「ここでこいつ相手に暴れれば、騒ぎに気付いて本当に白夜叉も出てくる。ゲームが発動されてなけりゃ、今の俺達じゃあ全滅だ」

 

 

 ペストは何も言わなかった。しかし、持ち上げていた袖を下ろす。瘴気も消えていた。

 そのまま四人は闇夜の中に消える。

 

 

「――――あはっ!」

 

 

 昂ぶる何かを抑えつけるように胸を掴み、信長は月に笑いかけた。




いつもより遅い十二時投稿でしたが、閲覧ありがとうございましたー。

>ちょっと真面目な内容でした。真面目に書こうと思うと文章が変になっちゃいますねぇ(泣)
フライング気味にハーメルン登場です!あれ?このサイトと同じ名前ですね。

グウゼンダナー。

>またまた切りどころが難しくて次回分どこで切ろうか今から悩んでいます。


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楽しませてよね

 境界壁舞台区画。ギフトゲーム造物主の決闘が行われるこの場所で、信長達は一般席ではなく舞台を一望出来る特別席にいた。本来ここで観戦出来るのはこの街の統治者であるサラマンドラはもちろん、下層では別格視されている白夜叉ぐらいなのだが、一般席に空きがないことを知ったサラマンドラ頭首が取り計らってくれたのだ。

 

 

「ありがとうねー、サンドラちゃん」

 

 

 礼の言葉を口にしながら信長が手を振る先には深紅の髪を頭頂部で結ったまだ幼い少女。豪奢な衣装もまだまだ服に着られている感じが否めないが、頭に生えた龍角は立派なものである。彼女こそサラマンドラ頭首、サンドラ。そしてジンの幼馴染でもある。

 

 

「いえ、白夜叉様の大切なお客様ですから」

 

 

 気安い信長の態度にも穏やかな微笑みで応えるサンドラ。公共な場ということもあって畏まった調子だが、信長的には昨日ジンとの再会の際に見せた年相応の方が好みだ。まあ、そんなことを口走ろうものならサンドラの背後の控えている兄であり側近のマンドラが黙っていないだろうが。

 殺気立って睨んでくるマンドラに対しても信長は手を振るが無視された。ふと、今度は隣でそわそわしている飛鳥の顔を覗き込む。

 

 

「どうしたの飛鳥ちゃん。(かわや)?」

 

 

 メキリ、と飛鳥の容赦ない回し蹴りが信長の側頭部を撃ち抜いた。

 

 

「昨夜の話を聞いて落ち着いてなんていられないわ。相手は格上なのでしょう?」

 

 

 スカートの乱れを直して何事もなかったかのように話を進める飛鳥。周りも『あれ』については何も言わない。

 

 呆れ笑いの白夜叉が答える。

 

 

「ウィル・オ・ウィスプもラッテンフェンガーも本拠を六桁に構えるコミュニティ。今回はおそらくフロアマスターから得るギフトを欲して降りてきたのだろう」

 

「……白夜叉から見て春日部さんの勝てる可能性は?」

 

「ない」

 

 

 厳しい戦いだということは飛鳥とてわかっていた。しかしまさかこうも断言されるとは思っていなかったのか顔を強張らせた。

 それに、彼女が心配しているのはなにもゲームの結果のことだけではない。昨夜のジンの話では、相手のコミュニティは魔王の可能性があるというのだ。つまり場合によっては耀は単身で魔王に対さねばならなくなる。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

 いつの間にか復活していた信長が言った。

 

 

「黒ウサちゃんが審判してくれてるし、耀ちゃんは強いから。絶対大丈夫だよ!」

 

「信長君……」

 

 

 さっきまでふざけていたかと思えば、こうして気遣った言葉をかけてくる。どうして彼はこうなのだろうか。

 そんなことを考えていたらいつの間にか消えた息苦しさに飛鳥は小さく笑った。

 

 

「そうね。その通りだわ」

 

 

 今はただ一生懸命友人のことを応援しよう。不安にさせてしまっていたとんがり帽子の妖精を撫でながら飛鳥は舞台を見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長らくお待たせいたしました! 火龍誕生祭メインゲーム、造物主の決闘の決勝をはじめたいと思います! 進行及び審判は、サウザンド・アイズ専属審判でお馴染みの黒ウサギがお務めさせていただきますよ!」

 

 

 舞台上で黒ウサギが笑顔を振りまくと途端会場から割れんばかりの歓声が響く。

 

 

「うおおおおおお月の兎が本当にきたあああああああああ!!」とか「黒ウサギいいいいお前に会うためにここまできたあああああ!!」とか「今日こそスカートの中を見てみせるぞおおおおおおおおお!!」

 

 

 などの歓声というには首を傾げる内容の。おかげで黒ウサギが怯んでいる。

 

 

「そういえば白夜叉」有象無象の歓声でハッとした十六夜が「黒ウサギのミニスカートを見えそうで見えないスカートにしたのはどういう了見だ。チラリズムなんて古すぎるだろ。昨夜語り合ったお前の芸術に対する探究心はその程度のものなのか?」

 

「馬鹿じゃないの?」

 

 

 という飛鳥の冷たい言葉は届かない。

 

 

「フン。おんしも所詮その程度か。それではあそこの有象無象と変わらん」

 

「へぇ、言ってくれるじゃねえか。つまりお前には、スカートの中を見えなくすることに芸術的理由があるというのか?」

 

「考えてみよ。おんしら人類の最も大きな動力源はなんだ? エロか? なるほど、それもある。だがときにそれを上回るのが想像力! 未知への期待! 渇望だ!! 小僧よ、貴様ほどの漢ならばさぞかし多くの芸術品を見てきたことだろう! その中にも未知という名の神秘があったはず! 例えばそう! モナリザの美女の謎に宿る神秘性! ミロのヴィーナスに宿る神秘性! 星々の海の果てに垣間見えるその神秘性! そして乙女のスカートに宿る神秘性!! それらの神秘に宿る圧倒的な探究心は、同時に至ることの出来ない苦汁を併せ持つ! その苦渋はやがて己の裡においてより昇華されるッ!! 何者にも勝る芸術とは即ち――――己が宇宙の中にあるッ!!」

 

 

 ズドオオオオオンという効果音が聞こえてきそうな雰囲気で、十六夜は衝撃を受けて硬直した。

 

 

「なッ……己が宇宙の中に、だと……!?」

 

 

 打ちひしがれる十六夜に白夜叉はそっと近寄りその肩に手を置いた。

 

 

「若き勇者よ。私はお前が真のロマンに到達出来ると信じているぞ。さあ、この双眼鏡で今こそ世界の真実を――――」

 

「馬鹿ああああああ!!」

 

「ふぐぉ!?」

 

 

 双眼鏡を手渡そうとした白夜叉を信長は渾身の拳で殴り飛ばした。

 

 

「な、なにをする!?」

 

「白ちゃんの馬鹿! 間違ってるよ! 芸術はそんなところには存在しない」

 

 

 ほう、と口を拭った白夜叉は凄みのある笑みを浮かべる。

 

 

「昨夜まで『萌え』すら知らなかったおんしが芸術を私に語るか」

 

「たしかに僕は二人に比べて芸術の知識に疎い。でも二人が間違っていることはわかる! 二人は勘違いしているよ。たしかにスカートの中は魅力的だ。でも……でもそれはそこに女の子がいるからこそじゃないか!」

 

 

 ピクリと二人が反応を示す。

 

 

「僕達が本当に見たいのはスカートの中なんかじゃない。スカートを見られて恥ずかしがる女の子を見たいんだよ!」

 

 

 今度こそ、二人は衝撃を受けたようだった。

 

 

「昨日の黒ウサちゃんを見てわかった。黒ウサちゃんはスカートの中が見えないのをいいことに全然恥ずかしそうにしてなかった。それじゃあ駄目なんだ! 想像してごらんよ。跳んだり跳ねたりする度に顔を真っ赤にしてスカートの裾を押さえる黒ウサちゃん。みんなの視線が気になってウサ耳をへにょらせる黒ウサちゃん。――――見えればいいってわけじゃない。でも、見えなければいいわけじゃない!!」

 

 

 ガクッ、と今度は白夜叉が膝をついた。かつて魔王と恐れられた彼女が完全に膝をついていた。

 

 スカートの中は見えないからこそ己が掻き立てる妄想力により最大の魅力が発揮されると思っていた。だから彼女は見えないことに価値があるとしてあのスカートを作り黒ウサギに渡した。しかしそれは誤りだった。

 

 見えなければいいわけじゃない。

 

 見えそうで絶対に見えないスカート。それはクリア方法が存在しないゲームと同じだ。ゴールの無い迷路など一体誰が遊んでいて楽しいと思うのか。頑張れば見える……だからこそ探求者達は命を懸ける。見られてしまうかもしれない……そう思うから少女達は恥じらい、その姿がまた探求者達の心を煽る。

 

 スカートの中を追い求めるばかりに肝心なことを忘れていた。スカートの魅力とはそれを着る者がいてこそなのだ。ただ揺れるだけのスカートに価値はない。本当に大切なのはそれを履く女の子だということを。

 

 

「私は……私はなんてことを」

 

 

 白夜叉は悔やんだ。マジ泣きだった。

 見えないスカートは黒ウサギから恥じらいを奪った。結果、今まで一体何度彼女から生まれたであろう芸術を潰してしまったのか。それは決して許されることではない。

 

 己の罪に悔やむ少女の肩にそっと手が置かれる。

 

 

「白ちゃん、顔を上げてよ」

 

 

 おずおずと白夜叉は顔を上げた。見上げた先で、信長もまた泣いていた。マジ泣きだ。

 

 

「大丈夫。これからいくらだって芸術は生まれる。黒ウサちゃんが……ううん。可愛い女の子がいる限り芸術は無限なんだから」

 

「信長……」

 

 

 十六夜も加わり、三人は熱い抱擁を交わした。

 

 ……………………。

 

 

「し、白夜叉様?」

 

「見るなサンドラ。馬鹿がうつる」

 

 

 飛鳥にいたってはもう三人の存在そのものを意識から消していた。

 

 

(あれ? なにやら悪寒が?)

 

 

 舞台上で、ブルリと黒ウサギはウサ耳を震わせるのだった。

 

 そうして造物主の決闘、決勝が開始される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそったれ」

 

 ウィル・オ・ウィスプのプレイヤー、アーシャ=イグニファトゥスは悔しそうに吐き捨てる。

 

 白夜叉によって舞台は移動され木の根に囲まれた《アンダーウッドの迷路》が開始された。対戦相手の耀はまず序盤に舌戦でアーシャの冷静さを奪い、感情任せにぶっ放し続けた攻撃手段である火炎の正体も看破してみせた。天然ガスを導火線に放ってくるそれは風のギフトでガスを吹き飛ばされてしまえばどうやっても火は耀に届かない。木の根の迷路も嗅覚その他五感が鋭い彼女ならば容易くゴールに着けるはずだった。――――ただ、耀にとっての誤算はアーシャが連れていた者の存在だった。

 

 

「後はアンタに任せるよ。やっちゃってジャックさん」

 

 

 今までアーシャに付き従っていたはずのカボチャのお化け。てっきり彼女が操る人形かと思っていたそれは、

 

 

「嘘」

 

「嘘じゃありません。失礼、お嬢さん」

 

 

 先行していた耀の眼前に突如現れた。ジャックの真っ白な手が耀を薙ぎ払う。勢いを殺せず木の根に背中から激突し肺の中の酸素が全て吐き出される。

 

 

「……っ!」

 

「さ、早く行きなさいアーシャ」

 

「悪いねジャックさん。本当は自分の手で優勝したかったけど……」

 

 

 こちらを見るアーシャの顔にはありありと見える不満。言葉の通りこの展開を、彼女は本意と思っていないようだった。そんな彼女を先ほどまで騒ぐだけだったカボチャのお化けは紳士的な口調でたしなめる。

 

 

「それは貴女の怠慢と油断が原因。猛省し、このお嬢さんのゲームメイクを見習いなさい」

 

「うー……了解しました」

 

「待っ」

 

「待ちません。貴女はここでゲームオーバーです」

 

 

 走り出すアーシャを追おうとするとジャックが立ちはだかる。ランタンのかがり火が耀の周囲を囲む。先ほどまでの手品じみたものではない。――――本物の悪魔の炎。

 

 

「貴方は」

 

「はい。貴女のご想像はおそらく正しい。私はアーシャ=イグニファトゥス作のジャック・オー・ランタン()()()()()()()。貴女も警戒していた――――生と死の境界に権限せし大悪魔、ウィラ=ザ=イグニファトゥス製作の大傑作! 世界最古のカボチャ悪魔、ジャック・オー・ランタンにございます」

 

 

 ヤホホー、と笑うジャック。

 

 耀は直感してしまう。彼には勝てない。ジャックのかがり火の瞳はすでに生命の目録を看破している。そも切れる切り札も無いが、あったとしても今の自分ではいくらあっても太刀打ち出来ない。

 首に下がるペンダントを一瞥し、耀は静かにゲーム終了を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つお聞きしても?」

 

 ゲームの終了を、熱に浮かされた観客達の歓声が知らせる。その場を立ち去ろうとした耀をジャックの声が止めた。

 

 

「このゲームは一人だけ補佐が認められています。同士に手を借りようとは思わなかったのですか?」

 

「…………」

 

「余計な御節介かもしれませんが、貴女の瞳は少々物寂しい。コミュニティで生きていくうえで誰かと協力するシチュエーションというのは多く発生するものですよ」

 

 

 ふと彼女の頭の中で今回のゲームのサポートを申し出ていた少年の顔が思い浮かんだ。

 

 ――――でもね耀ちゃん。これだけは覚えておいて? 僕は耀ちゃんのことが大好きだよ。

 

 多分ジャックが言いたいことは信長と同じだ。仲が良いのと、協力出来るかどうかは話が違う。協力は相手に負担を任せるということだ。相手を信頼し、相手に信頼されなければ成り立たない。耀は自分で傷を負うのは我慢出来ても友達が傷付くのは見たくない。だから今回も一人で参加した。

 それでも、もしいつか彼等に背中を任せたいと思えたそのときこそ、彼等を真に仲間だと呼べるのだろうと思った。

 

 でもね、辛い時は辛いって言って? 無理だって思ったら頼って。僕も、ノーネームのみんなも耀ちゃんの味方だから。どんなに傷付いたって一緒に笑っていたいと思う――――友達だから。

 

 

(一緒に傷付いて、一緒に笑う……)

 

 

 耀はくるりとジャックに振り返る。

 

 

「よかったね」

 

「はい?」

 

「私の仲間がいたら、絶対私達が優勝してたから」

 

 

 やられっぱなしが悔しかった彼女のせめてもの反撃だった。しかしその言葉は決して嘘ではない。十六夜でも、飛鳥でも、レティシアでも、そして『彼』でも。もし一緒にいてくれたらこの悪魔を相手でも負けはしなかったと、彼女は本気で信じていた。

 

 ジャックはカボチャの中の火の瞳をキョトンとさせて、やがて楽しそうに笑った。

 

 

「ヤホホ! これはまた、本当に余計なお世話だったようで」

 

 

 ウィル・オー・ウィスプは迷える御霊を導く形の功績で霊格とコミュニティを大きくしていった。その癖でつい声をかけてしまったが、彼女にはどうやら蒼き炎の導きは必要なかったらしい。だがそれはジャックにとってとても喜ばしいことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負けてしまったわね、春日部さん」

 

「ま、そういうこともあるさ。気になるなら後で励ましてやれよ」

 

 

 目に見えて気落ちする飛鳥と軽い調子で笑う十六夜。

 

 

「シンプルなゲーム盤なのにとても見応えのあるゲームでした。貴方達が恥じることは何も無い」

 

「うむ。シンプルなゲームはパワーゲームになりがちだが、中々堂に入ったゲームメイクだったぞ」

 

 

 階層支配者二人が励ます中、信長は一人遥か上空を見上げていた。

 

 耀の戦いは惜しかった。あの南瓜の悪魔も相当に強い。今度機会があったなら耀と一緒に再戦を挑んでみようか、などと考えていた。

 

 ――――しかし、それは()()()()()()()()()()

 

 空から雨のように撒かれた黒い封書。それに気付いた辺りが騒がしくなる。

 それら雑音を無視して信長は大きく両腕を広げる。まるでその黒い手紙を嬉々と受け入れるように――――否、現に彼は嬉々として受け入れた。待ち望んだ遊戯への誘いなのだから。

 

 

「楽しませてよね、魔王様」

 

 

 黒い紙の雨を浴びながら、信長は壮絶な笑みを浮かべた。




閲覧ありがとうございまっす。うす。あざます!

>ってなわけで、遂にハーメルン襲来!初の魔王戦と相成りました!

>ゼオンさん、以前信長を造物主に出そうか迷ったといった理由が今話の前半です。あの馬鹿馬鹿し過ぎる討論に参加させたいが為に造物主参加を取りやめました。ね?しょうもない理由でしょ!(胸を張っています)

というか前半のお馬鹿が際立って最後かっこつけても台無しだよ!駄目だよ信長君!!w


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初めまして

『ギフトゲーム名《The PIED PIPER of HAMELIN》

 

 プレイヤー一覧、現時点で三九九九九九九外門・四〇〇〇〇〇〇外門・境界壁の舞台区画に存在する参加者・主催者の全コミュニティ。

 プレイヤー側・ホスト指定ゲームマスター、太陽の運行者・星霊、白夜叉。

 ホストマスター側勝利条件、全プレイヤーの屈服・及び殺害。

 プレイヤー側勝利条件、一、ゲームマスターを打倒。二、偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

 

 《グリムグリモワール・ハーメルン》印』

 

 

 

 

 

 

 

 最初の異変はバルコニーで起こる。

 

 突如吹いた黒い風が白夜叉を包み込む。他の者は一挙に周囲へと弾き出されてしまった。

 舞台側へと吹き飛ばされた信長達。飛鳥を庇って抱えた格好で着地した十六夜が、神妙な面持ちで言う。

 

 

「魔王が現れた……そういうことでいいんだな?」

 

「はい」

 

 

 こちらもまた苦い顔をした黒ウサギが答える。

 

 

「白夜叉の主催者権限が破られた様子は?」

 

「ありません」

 

 

 白夜叉はとある予言から魔王の襲来を知り、これに備えていた。彼女の持つ主催者権限によって定められていたルールは3つ。『主催者権限を持つ者は参加者となる際に身分を明かさなければならない』『参加者は主催者権限を使用することが出来ない』『参加者でない者は祭典区域に侵入出来ない』、だ。

 黒ウサギがいる以上誤魔化しはきかないはず。ならば、

 

 

「連中はちゃんとルールに則ってここに立ったわけだ。はっ、さすが魔王様。期待を裏切らねえぜ」

 

 

 軽薄に笑う十六夜。しかし、その瞳に今までのような余裕は感じられなかった。

 下層最強と呼ばれる白夜叉をも出し抜いた敵の襲来。彼にしても未だ状況の理解に追いついていないのだ。だとしても敵は待ってはくれない。

 

 

「ここで迎え撃つの?」

 

 

 と飛鳥。

 

 

「ああ、だが全員でってのは具合が悪い。サラマンドラ(向こうの連中)も気になるしな」

 

 

 サンドラをはじめ、サラマンドラは信長達とは反対側に弾き飛ばされていた。

 敵の戦力も未知数な今、戦力は多いに越したことはない。

 

 

「では黒ウサギがサンドラ様を捜しに行きます。十六夜さんとレティシア様、それと信長さんで魔王に備えてください。ジン坊ちゃん達は白夜叉様を」

 

「任されたよ」

 

 

 応えた信長が懐からギフトカードを取り出したのを見て黒ウサギがギョッとする。

 

 

「の、信長さん駄目です! 『あれ』は切り札にとお貸ししたものです!」

 

 

 黒ウサギの慌てように周囲の面々は訝しげに首を傾げる。唯一彼女の言葉の意味を理解している信長は、肩を竦めるなりカードを懐へ戻した。

 それでほっ、と安堵した黒ウサギは自身のギフトカードから一本の刀を取り出した。

 

 

「これを使ってください。神格こそ宿していませんが、信長さんの力にも耐えられるはずです」

 

 

 受け取った信長は鞘から刀を抜き、ブンッと無造作に一振り。刀身に向いていた視線を黒ウサギへと向けた。

 

 

「ありがとう」

 

「なんでもいいが準備はいいか? 俺が黒いのと白いの。そっちはデカイのと小さいの――――異存は?」

 

「無いよ」

 

「問題ない」

 

 

 信長、レティシアと答えるのを確認して、十六夜は石床を破砕しながら跳躍。

 

 

「こちらも行こう、信長。……信長?」

 

 

 返事が無いことに振り返ったレティシア。ぼんやりと空を見上げる信長はその視線に気付いたのか誤魔化すように、にこりと笑う。

 

 

「うん、行こうか」

 

 

 信長の反応の鈍さに疑問を覚えながら、しかしレティシアは近づきつつある敵に意識を向ける。彼の瞳に不吉な光を見たことを心の隅に置きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「主殿はデカブツを頼む!」

 

 

 言うやいなやレティシアは漆黒の翼を広げて一直線に突っ込む。手前にいた陶器の巨兵をすり抜けて。

 当然巨兵も黙って通さないとばかりに動き出した。

 

 

「BRUUUUUUU!!」

 

 

 全身に空いた穴から空気を吸い込み大気を乱す。巨人の奇声に応じた大気は暴風となって荒れ狂った。

 

 

「君の相手は僕だよ」

 

 

 レティシアへと伸びた腕を足場に駆け上がる信長。腕の根本付近まで駆け上ったところで跳躍。先程黒ウサギに渡された刀はすでに抜き身。巨兵の首に向けて振り下ろすも、鈍い音。

 刀身は巨兵の表面を僅かに削ぐことしか出来なかった。

 

 反撃とばかりにもう一方の腕を振り抜く巨兵。空中で身動きが出来ないかと思われた信長だが宙空を蹴りつけて跳躍。紙一重で回避。そのまま背面に回ると連撃。――――が、やはり信長の攻撃は鈍い音を響かせるに終わる。

 

 地面へと着地した信長は困ったように頬を掻く。

 人体でいえば無防備な首と背中を斬り付けてこの様。打ち込んでみて改めてわかったが相当な硬度だ。刀の方が刃こぼれしなかったことが幸いだったか。

 

 ふと、肌を撫でる悪寒に信長は視線をそちらへとやる。

 

 

「やったか!?」

 

「やってない」

 

 

 信長が巨兵と戦っている間に、レティシアは斑模様の服を着た少女と相対していた。レティシアの槍が少女の体を貫いた――――かのように見えた。槍の先端は少女を僅かに持ち上げるだけにとどまっていた。

 少女の口元には凄絶な笑み。黒い風が彼女を中心に渦を巻いていた。

 

 

「痛かった。凄く痛かった。でも許してあげる。……あ、あと前言撤回。貴女はいい手駒になりそう」

 

「っ!!?」

 

 

 危険を察知し即座に離れようとしたレティシア。だが少女は槍の穂先を握って離さない。吸血鬼であるレティシアと同等、いやそれ以上の膂力を斑模様の少女も有していた。

 少女から発せられた黒い風がレティシアを包み込もうとし、少女はなにかに気付いて退いた。前髪を掠める銀色の閃光。

 

 先程までの楽しそうな顔から一変、無表情に戻った少女が目で追う先。ぐったりとしたレティシアの腰を抱き寄せた信長を見た。

 

 一瞬、目があった信長はにこりと笑い、視線を腕の中にいるレティシアに落とす。

 

 

「大丈夫? レティシアちゃん」

 

「すまない主殿」

 

 

 もう大丈夫だ、と意思表示するレティシアを下ろす。それでも覚束ない足元に気付いたのは少女だけではない。一歩前へ、レティシアと自分を遮るように信長は立った。

 

 

「初めまして」

 

 

 場違いなほどのんびりと信長は少女にそう喋りかけた。

 

 ちっ、と少女は胸中で舌をうつ。よくもまあぬけぬけと言い放つこの優男に苛立ちを覚えたからだ。

 この少年は魔王襲来を知りながら本当に黙っていたのだ。そのおかげで白夜叉を欺き、こうして敵戦力を分断させることも出来た。少女達にとっては理想的な奇襲が成立した。

 しかしどうにも胸がざわめくのは、この少年の真意が未だはかれないからか。

 

 

「……ええ、初めまして」

 

 

 元より社交的な性格をしていない少女だが、いつにも増してその態度は冷たい。この場に仲間の誰かがいればそのことにも気付けたかもしれない。

 

 

「ねえ」おもむろに信長は問う「君がハーメルンの魔王様?」

 

 

 そういえば、あの月夜で会ったとき自分は彼に正体を明かしてはいなかった。それでも力量を感じれたからこそ外見からは少女にしか見えない自分にこんな質問をしたのだろうが。

 

 

「違うわ。私のギフトネームの正式名称は《黒死斑の魔王(ブラック・パーチャー)》よ」

 

「そう。なら可愛らしい魔王様、今度は僕と遊んでくれない?」

 

 

 今し方吸血鬼を圧倒した少女を相手に、信長はまるで気負わずそう申し出た。

 しばし、少女は眼下の信長をじっと眺め、やがて小さく息を吐いた。

 

 

「せっかくのお誘いだけどお断りするわ。本命の方をあまり放置する気は無い。それに――――」少女の瞳から温度が消える「シュトルムにすら勝てない貴方では力不足よ」

 

 

 陶器の巨兵――――シュトルムが信長を背後から襲う。

 

 次の瞬間、少女は驚愕に見舞われる。

 

 

「避けてください、信長様!」

 

 

 どこに身を潜めていたのか、龍角を付けた赤毛の少女、サンドラが飛び出すと炎熱をシュトルムに向かって放った。魔王の少女を倒すべく背後に忍び寄っていたが、信長の危機と見て飛び出してしまったのだ。

 炎熱は魔王少女の脇を通り抜けて真っ直ぐシュトルムへと向かっていく。まだ幼いとはいえ龍角を宿したサラマンドラの頭首。その炎はレーザーもかくやとばかりに大気を焦がして進む。直撃する――――そう確信した目の前で、炎熱は()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「――――――――」

 

 

 事態を理解出来ず誰しもが硬直するこの場で、唯一感情を持たない人形であったシュトルムは躊躇わず巨大な手で信長を押し潰そうとする。だが、その腕が振り下ろされることはなかった。

 

 一刀両断。ずるり、とシュトルムは頭頂部から左右に泣き分かたれた。

 

 崩れていくシュトルムを視界の端で確認しながら、少女の視線は刀を持った少年から外さない。無論、やったのは信長だ。

 

 

(さっきまで傷をつけるのが精一杯だったはずなのに)

 

 

 何をした。シュトルムが柔らかくなったわけではない。なら信長の方が何かをしたのだ。

 さっきまで手を抜いていた。そうそれが一番しっくりくる理由なのだが、ならば何故そんなことをするのかという疑問が新たに浮かんでくる。

 

 ――――また、だ。

 

 また、少女の胸の内になにか棘が刺さったような不快感がおきる。あの月の夜も。そして今も。

 この少年を見ていると心の内がざわつく。

 

 ああ、苛立たしい。

 

 

「さっきまでは手を抜いていたということ?」

 

 

 自身の動揺を悟られぬよう会話を投げる少女だったが、今度は信長の方が何も答えない。ギリ、と口端を噛む。

 

 

「もうお喋りは終わり? なら手早く終わらせましょうか。太陽の主権者である白夜叉の身柄。それに」少女はチラリと背後のサンドラを見やり「星海龍王の遺骨。全て私達が貰うわ」

 

 

 己も標的であったことが意外だったのか、一瞬驚いた顔をしたサンドラだったがすぐにまた戦闘態勢を取る。時間を経て回復したレティシアも影を背に備える。

 それらを前にまるで意に介した様子も無く泰然とした魔王の少女は一層色濃い黒い風を纏わせて――――しかし、直後轟いた雷鳴が彼女の動きを止めた。

 

 

『《審判権限《ジャッジ・マスター》》の発動が受理されました! これよりギフトゲーム《The PIED PIPER of HAMELIN》は一時中断し、審議決議を執り行います。プレイヤー側、ホスト側は共に交戦を中断し、速やかに交渉テーブルの準備に移行してください! 繰り返します』

 

 

 空に響く黒ウサギの声。

 

 

「フン、無駄なのに」

 

 

 少女はそう吐き捨て、黒い風を引っ込める。

 

 一方でどこか安堵したようにも見えるレティシア達。そんな彼女に、空を見上げたまま信長は問う。

 

 

「これはつまり、戦いは終わりってこと?」

 

「いや、一時的なものだ。審議の後、日取りを決めてゲームは再開される」

 

「そう――――」

 

 

 ――――よかった。

 

 最後に呟いた言葉は、今後の方針を考え込んでいたレティシアには聞こえていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を瞑り、耳を立てていた黒ウサギが、やがて苦々しい顔を横に振った。

 

 

「箱庭からの回答がありました。此度のゲームに不正、不備は……」唇を噛み締め「一切ありません」

 

 

 当然とばかりに微笑む斑服の少女。逆にノーネーム、サラマンドラ達の顔色は優れなかった。

 

 今回参加者側――――つまりは十六夜達が不服を申し出たのは白夜叉の拘束。ルールには彼女も参加者と明記しながら未だ封印から解放されていない。参加条件を満たしていないというが、その情報が不十分ではないかと訴え出たのだが、結果はこの通りだった。

 

 正直、十六夜としては予想の範囲内である。真っ先に思い浮かぶであろう白夜叉の拘束が、こんなあからさまな不正であるはずがない。

 

 さて、と少女は口を開く。

 

 

「私達は必要な条件を満たして有利にゲームを進めていた。それをそちらの言いがかりで中断されたのだから、当然条件を付けるわ。ルールは現状を維持。――――問題はその日取りよ」

 

「……再開は日を跨ぐと?」

 

 

 訝しげに問う黒ウサギ。

 

 参加者側からすれば奇襲に近いゲームの開始に、命令系統もままならず浮足立ち後手に回り続けた。てっきりその体勢が整わぬ内に再開されるかと思いきや、少女が申し出たのはまるで逆だった。最長の1ヶ月後。

 

 

 (妙だ……)

 

 

 十六夜は考える。魔王側にとって、現状優勢のまま即時再開、蹂躙する方が明らかに得だ。それを体勢を整えるどころかゲームの謎解きすら可能なほどの日数を経て再開させる意味など無い。

 サラマンドラのメンバーがどこかほっとしている中、十六夜は一瞬の思考の後、気付いた。

 

 

「待ちな」

 

「待って下さい」

 

 

 声をあげたのは十六夜とジンだった。十六夜はジンの顔を立てる意味もあってあっさり譲った。

 ジンは強張った顔で、しかし真っ直ぐ少女を見た。

 

 

「主催者に問います。貴女の両隣にいる男女が《ラッテン》と《ヴェーザー》と聞きました。そしてもう一体が《(シュトロム)》だと。なら、貴女の名前は《黒死病(ペスト)》ではありませんか?」

 

「……へえ」

 

 

 少女の嘲笑が、ジンへの興味に変わった。

 背後に控えていた軍服の男、ヴェーザーが口笛を吹いて賞賛した。

 

 

「ええ、正解よ。貴方の名とコミュニティを訊いてもいいかしら?」

 

「ノーネーム、ジン=ラッセルです」

 

「そ、覚えとく。でも一手遅いわ。ゲームの日取りは私達が決めるともう言質を取ってる。勿論、参加者の一部にはもう病原菌を潜伏させているわ」

 

 

 参加者側の顔色が一斉に青くなる。少女の恩恵がそのまま黒死病と酷似したものであるならば、早くて2日には発症。1ヶ月後には誰も生き残ってはいまい。

 

 なるほど、とここにきて十六夜は敵の真の目的を理解した。彼等自身が言ったようにグリムグリモワール・ハーメルンは新興コミュニティ。ペストとて、魔王を名乗っていてもまだ日が浅いのだ。

 故に、彼等はこれを条件に参加者を諸共己の配下にしようとしているのだろう。

 

 十六夜以外の者達も状況を理解したと見て取ったのか、ペストは交渉を次の段階に移した。

 

 

「ここにいるのが参加者側の主力、ということでいいのかしら?」

 

「……ああ、正しいと思うぜ。マスター」

 

 

 ヴェーザーは一瞬妙な間をあけて答えた。少女自身も、十六夜達面々を順に眺めて、なにか言いたそうな空気を感じた。

 誰かを探している?

 

 

「なら話は早いわ。白夜叉は当然としてこの場の全員」それと、とまた妙な間をあけて「残りの者からもこちらが選んだ者に限り、私達傘下に入るというなら全員命は助けてあげましょう」

 

 

 確定だ。彼女達には目当ての人物がいる。それは白夜叉、それとサラマンドラの頭首であるサンドラの他にいる。

 それが誰かまでは十六夜にはわからないが、これは隙になる。彼女達がこちらの命を材料に交渉してくるのなら、こちらもその命を取引のチップにしてやればいい。

 間違いなく彼女は妥協する。その隙を、刺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギフトゲーム名《The PIED PIPER of HAMELIN》

 

 プレイヤー一覧、現時点で三九九九九九九外門・四〇〇〇〇〇〇・境界壁の舞台区画に存在する参加者・主催者の全コミュニティ(《箱庭の貴族》を含む)。

 プレイヤー側・ホスト指定ゲームマスター、太陽の運行者・星霊、白夜叉(現在非参戦のため、中断時の接触禁止)。

 プレイヤー側・禁止事項、自決及び同士討ちによる討ち死に。休止期間中にゲームテリトリー(舞台区画)からの脱出を禁ず。休止期間の自由行動範囲は本祭本陣営より五百メートル四方に限る。

 ホストマスター側勝利条件、全プレイヤーの屈服・及び殺害。八日後の時間制限を迎えると無条件勝利。

 プレイヤー側勝利条件、一、ゲームマスターを打倒。二、偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ。

 

 休止期間、一週間を相互不可侵の時間として設ける。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

 

 《グリムグリモワール・ハーメルン》印』

 

 以上が改正後のルールである。黒ウサギの参加、それと勝利条件に時間制限を設けることで、ジン達は黒死病での死者の出ないギリギリの日取りでの決着を勝ち得たのだった。

 しかし終ぞ、彼女達が生かしたいこの場にいない誰かはわからなかった。




閲覧感謝感激です。(注、今週のアニメネタバレあり)

>というわけで言いたいことは今回は色々言いたいことがありますがその前に……

アニメのペルセウス戦のハイライト感っぱねえええええッス!!

いやいや、思わず(笑)とついてしまうほどにハイライトでしたね。側近を倒すときの耀の誘い込む作戦もないですし、アルゴールさんもやったことといえば力比べと石化光線!だけで、お城を変化させちゃうのも『実は私まだ本気だしてないんだからね!』的な可愛い強がりもありませんでした。
アルゴールさんをFateのライダー的な美人を期待していただけにあの顔は残念だった。ただの化け物だった……。いや勝手な妄想なのはわかってるんですけどね!ねっ!!

てか最後の食卓で振舞われていたのまさかクラーケンさんではありませんか!!!?

>アニメも次は二巻突入……ですよね?あの白夜叉と十六夜の芸術談義が早く見たいです!

あ、更新分の言いたいこと言うスペース無くなりました……。


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こういう生き方しか出来ないだけだよ

 交渉が行われた日から2日が経った。それはつまり、早い者でペストが潜伏させた黒死病が発症する時間が経過したことを意味していた。すでに参加者側からは発症者が続出している。

 対処として隔離用施設を設け、患者は順次そこに収容しているが、このまま増え続ければいずれパンクするだろうことは明白だった。

 

 またゲームの謎解きも難航していた。十六夜とジンは交渉の後から連日書庫に篭っている。黒ウサギも彼等の食事の世話などをしながら協力しているが未だ誰一人ハーメルンの謎は解けていない。

 

 そんな中、信長は謎解きには一切関わっていなかった。元より生きていた時代が一番古い故にメンバーの中でも圧倒的に知識に疎い。今更本に齧りついてみたところで、そんな付け焼き刃の知識はジン達の役には立たない。ならばと、丸投げしているのだ。

 

 というわけで信長は耀やレティシア等と共に隔離施設の者達の看病を手伝うことにした。感染を防ぐために直接の接触は避けているが、毛布や薬を運んだり、新しい隔離施設を整えたりとやれることには事欠かない。

 

 今は休憩を貰って割り振られた部屋で休んでいる。

 

 

「増えてきたな……」

 

 

 苦々しく呟くレティシア。なにが、とは誰も言わない。

 

 この二日間で感染者は爆発的に増えた。これからももっと増えるだろう。幸いというべきではないが、ノーネームからは感染者が未だ出ていないが、それも時間の問題だとレティシアは考えている。

 それに心配事はそれだけではない。――――飛鳥が敵に捕まったのだ。

 

 ラッテンという白装束の女に拉致されたらしい。といっても今すぐ命を奪われることはないだろう。魔王軍のこのゲームの目的は自軍戦力の増強。飛鳥ほどの逸材をむざむざ失うような真似はしまい。少なくともこのゲームの間は無事なはずだ。

 むしろ心配なのは、

 

 

「耀、飛鳥なら心配ない。あれほどの才能を傷つけることはしないだろう。だから、あまり気に病むな」

 

「……うん」

 

 

 明らかに意気消沈している耀。飛鳥が攫われたとき、側にいたのは耀だった。飛鳥は耀とジンを逃がすため、自らを敵に差し出したのだ。

 守れなかった。守られてしまった。

 己の無力さがどれほど悔しいものかは、レティシアもよく知っていた。

 

 

「――――信長?」

 

 

 ふと、壁際に座っていた信長が立ち上がる。すると俯く耀の側へと歩み寄った。いつもの戯れなら注意しようと思っていたレティシアだったが、どうにも様子がおかしい。

 信長は耀の目の前までくるとしゃがみ込み、突然耀の服を脱がせ始めた。

 

 

「な」

 

 

 『なにを』と、レティシアは言葉を続けることが出来なかった。何故なら見てしまったから。

 はだけた胸元。露わになった鎖骨の辺りに浮き出た黒い斑点を。

 黒死病が、耀に発症していた。

 

 思い返していればおかしかった。十六夜に次いで超人的な身体能力を持つ彼女が、あれしきの仕事で大量の汗をかき、息を切らしていた。苦しげな顔も、てっきり飛鳥を連れ去られたことに対するものかと思っていたが。

 

 

「な、何故言わなかったのだ耀!」

 

 

 そう口にして、レティシアも本当はわかっていた。何故彼女が黒死病のことを黙っていたのかを。

 耀はこのままゲームに参加するつもりなのだ。

 飛鳥を救う為。そしてノーネームを勝たせる為に。

 

 もし、もしレティシアが黒死病を発症していたら、そのときはやはり自分もそのことを隠してゲームに参加しようとしていただろう。

 

 だが知ってしまった以上、黙っているわけにはいかない。

 

 

「サンドラちゃんに部屋を用意してもらおう」

 

「ま、待って!」

 

 

 自ら剥いた服を優しく正し、信長が立ち上がると耀は縋るようにその手を掴んだ。高熱によって苦しいだろうに息も絶え絶えに、それでも必死な目で。

 

 

「私も……戦いたい」

 

 

 戦いたい。戦わせて欲しい。

 みんなを守りたい。飛鳥を救いたい。

 自分だってノーネームの一員なのだから、と。

 

 レティシアは唇を噛んで口を噤む。かつて己の魂を切り売りしてここに戻ってきた彼女には、今の耀の気持ちが痛いほどにわかってしまうから。

 それでも、ここは止めるべきだ。たとえ理不尽でも、横暴でも、自分の行いを棚に上げようとも耀を止めるべきなのだとわかってもいる。止められるのは自分しかいないと。

 

 だから、あまりにも意外だった。

 

 

「無理だ」

 

 

 信長があまりにもはっきりとその申し出を切り捨てたのが。

 

 

「無理じゃない」

 

 

 耀は食い下がる。一層強く信長の手を握る力が入る。

 

 はぁ、と大きく信長はため息をついた。

 

 

「今そんな調子じゃあ、5日後には意識も朦朧として戦うどころかまともに動けないよ」

 

「それでも戦う。たとえ、私が死んでも!」

 

「耀! それは――――」

 

「足手まといだ」

 

 

 今まで聞いたことのない信長の声に、レティシアのみならず先程まで梃子でも動かないという意志を見せていた耀もたじろいでいた。その表情は、信じられないというのと同時に悲痛なものだった。それでも信長は容赦なく続ける。

 

 

「自分が死んでもいいなんてのは弱い奴の戯言だよ。僕はそういう考え方が一番嫌いなんだ。そんな人と僕は一緒に戦いたくない」

 

「……っ」

 

 

 耀の唇が震えた。一番言って欲しくない言葉を、一番聞きたくなかった人から言われてしまった。

 

 

「信長は、私を……頼ってくれないの?」

 

「甘ったれるな」

 

 

 泣きつく耀を、信長は一喝する。

 

 

「命を懸けて戦うことと、初めから死んでもいいと思って戦うことは全然違う。それは初めから勝つ気が無いのと同じさ。勝つ気も無いのに戦場に立つなんて、僕なんかよりよっぽど大うつけだよ」

 

 

 渇いた音が部屋に響いた。耐えかねた耀が信長の頬を打ったものだった。しかしそれは傍から見てもあまりにも弱々しく、遂に力尽きた耀が前のめりに倒れた。そのまま床に倒れるかというところで信長の腕がそれを防いだ。

 信長は耀の背中と足に手を回して抱き上げると、部屋のベットに耀を寝かせる。

 

 

「サンドラちゃんに部屋を用意してもらうね。レティシアちゃんは耀ちゃんをお願い」

 

「ああ……」

 

 

 いつもと同じ笑顔で部屋を出る少年を、レティシアはただただ苦々しい顔で見送るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうちょっと優しく言ってやりゃあよかったんじゃねえか?」

 

 

 信長が部屋を出ると、扉のすぐ脇で壁に背を預けて十六夜が立っていた。どうやら一部始終聞いていたらしい。

 信長は苦笑を浮かべる。

 

 

「昔から説得って苦手なんだよねぇ」

 

 

 そう、昔から。

 部下に裏切られ、同盟相手に裏切られ、弟にさえ裏切られた。

 

 

「僕も十六夜ほど口が達者ならもうちょっと違う未来があったのかもね」

 

「ハッ、俺もそれほど説得は得意じゃねえけどな。交渉で追い詰めるのは好きだが」

 

「それにね」と信長は「このまま耀ちゃんを見殺しにしたら、僕飛鳥ちゃんに嫌われちゃうし」

 

「ま、そりゃそうだ」

 

 

 ヤハハ、と笑った十六夜は――――次の瞬間信長の腕を取ると袖を捲り上げる。その下に見える黒い斑点を見つけて、十六夜は冷たい目で笑う。対して信長は平然とそれを見返した。

 

 

「なにかな?」

 

「命を捨てる奴は嫌いなんじゃなかったか?」

 

「そうだよ。でも僕ってば、命を懸けて戦うのは大好きだから」

 

 

 それを聞いた十六夜は腕を放す。肩を揺らして言う。

 

 

「大したタマだ。さすがは天下統一を目前にまでした男ってわけか」

 

「違うよ。こういう生き方しか出来ないだけだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲーム再開の前日。耀は特別に充てがわれた個室のベットの上にいた。ノーネームで唯一黒死病が発症してしまったが故に。

 本来ならば他の発症者同様に一箇所に押し込まれるところなのだが、ノーネームは白夜叉の招待客で、かつ今回の主戦力になるコミュニティメンバーだからこその特別扱いだ。

 

 

「ゲームクリアの目処は立った?」

 

 

 問い掛けた先は、ベット脇で椅子に座り読書している十六夜。ギフトを無効化する彼はどうやら黒死病に感染することもないようで平然とここにいるのだ。耀にしても一人は退屈なので話し相手になってくれるなら有り難いので文句も無い。

 

 

「大まかには、な」

 

 

 そう答えた十六夜はしかし険しく眉を寄せる。

 

 

「――――が、核心はまだだな」

 

 

 コミュニティの中で最も博識であり、常に先へ進む彼にしては珍しく苦戦しているようだった。

 

 十六夜曰く、考察自体はすでに終わっているのだが、解釈が多すぎて参加者の中でも答えが絞り込めていないらしい。その中のどれかは答えなのは間違いないが、それを検証する時間ももはや無い。

 

 

「なら真実は置いておいて、十六夜的にはどれが偽物だと思うの?」

 

「ペストだな」

 

 

 核心はわかっていない、という割には即答だった。

 

 

神隠し(ラッテン)暴風(シュトロム)地災(ヴェーザー)……どれもが刹那的な死因だが、黒死病だけは長期的な死因として描かれている。《ハーメルンの笛吹き》は1284年6月26日という限られた時間で130人の生贄が死ななければならないんだ」

 

 

 黒死病の発症は早い者で2日、遅い者でも5日程かかる。発症の時点でこれだけの個人差があるのだから死亡するまではさらにずれるだろう。つまりは刹那的な死が起こり得ないペストはハーメルンの笛吹きではない。

 ならば彼女を倒してしまえばいいのだが、十六夜は2つ目の勝利条件の一文が気になっていた。

 

 ――――偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ

 

「その一文も部分的には解明出来てるんだがな。この伝承ってのは一対の同形状で『砕く』と『掲げる』ことが出来る。なら考えられるのは碑文と共に飾られたステンドガラスだ」

 

 

 それこそが魔王達がこの祭典に侵入した方法でもある。白夜叉が講じたルールをすり抜けた存在――――それは出展物。彼等は己を出展物としてこの祭典に潜り込んだのである。

 そちらはすでに裏も取れており、十六夜達以外のノーネームの名義で100以上のステンドグラスの出展があった。

 

 と、そこまで話して十六夜は両手をあげた。

 

 

「だがここまでだ。ペスト以外のどれを砕いて、どれを掲げればいいのかわからん。もういっそ明日は運を天に任せて魔王を倒しちまうかな」

 

 

 まるで魔王そのものを倒すことは問題無いとばかりの言いようは相変わらずである。

 

 耀は素直に感心していた。謎は解けていない、と言いつつここまでの考察は完璧に思える。真実まではあと一歩まで来ているはずだ。

 得ている情報は耀も同じはずなのに、やはり彼は別格なのだと思った。

 だからこそ妙なものを見たと笑ってしまった。いつだって泰然としている彼が子供っぽく拗ねていることが。

 

 笑われていることに気付いて癪に触ったのか、一転意地悪げに十六夜は笑う。

 

 

「ちなみにあいつは謎解きにも参加しないで、毎日昼間はぼーっ、とこの部屋を見てるぜ」

 

「……別に信長のことなんて聞いてない」

 

「おやおやぁ? 別に信長だとは一言も言ってないぜ」

 

「ッ」

 

 

 抱きかかえた枕に顔を半分埋める耀。不覚だった。

 

 

「許してやれよ。あいつだって悪気があったわけじゃねえんだからよ」

 

 

 十六夜のフォローにも、耀は答えない。というより本音は答えられないのだった。

 すでに耀自身わかっている。悪いのは自分で、信長はなにひとつ悪くない。

 

 もしあのまま信長が病のことを黙ってくれていてゲームに参加出来たとしても、きっとなんの役にも立てなかっただろう。それどころか仲間の足を引っ張った可能性が高い。

 

 でも、だからこそ……己の過ちに気付いているからこそ合わせる顔が無い。子供のような我儘を吐いて、状況が悪くなったら叩いてしまった。そんな自分のことを、彼は今どう思っているだろうか。

 

 

「白夜叉はどう?」

 

 

 下手な話題のそらし方だったが、十六夜は察して合わせてくれた。

 

 

「例のバルコニーに封印されたままだ。参戦条件も結局わからず仕舞い」

 

「でもどうやって封印したんだろうね。夜叉を封印するような一文がハーメルンにあるのかな?」

 

「まさか。夜叉はどっちかっていや仏神側だ。それに白夜叉は正しい意味の夜叉じゃないらしい。本来持ってる白夜の星霊の力を封印するために仏門に下って霊格を落としてるんだと」

 

「本来の力?」

 

 

 今のままでも充分規格外と思えた彼女には、さらに上の力があるというのは耀には驚きだった。

 

 

「ああ。なんでも白夜叉は太陽の主権を持っているらしい。太陽そのものの属性と、太陽の運行を司る使命を――――」

 

 

 言葉を途中で止めた十六夜はしばし硬直したかと思うと今度は物凄いスピードでさっきまで呼んでいた本を読み始める。

 

 

「そうか……これが白夜叉を封印したルールの正体か。なら連中は1284年のハーメルンじゃなく……ああ、くそ。完全に騙されたぜ」

 

 

 独り言を呟いては納得する十六夜。

 

 

「ナイスだ春日部。おかげで謎が解けた。あとは任せて枕高くして寝てな!」

 

「そう。頑張って」

 

 

 部屋を出ていこうとする十六夜は、一度は完全に出た体を頭だけ戻して、

 

 

「俺もお嬢様に怒られるのはごめんだ」

 

 

 そう言って今度こそ部屋を出て行く。

 

 ああまったく……。本当に彼は察しが良すぎる。

 

 ベットに入り直すと、今まで話を窺っていた三毛猫が枕元に寄ってくる。

 

 

『あの小僧……本当に信用して大丈夫なんかなぁ、お嬢』

 

「大丈夫だよ。彼はああ見えて仲間想いみたいだし」

 

 

 謎も全て解けたようだし、次に目を覚ましたときはみんなで美味しいご飯が食べられることだろう。みんなと……。

 

 

「ねえ三毛猫。どうしたら信長と仲直り出来るかな?」

 

 

 すると三毛猫はあからさまに嫌な顔をした。

 

 

『わしはあいつが嫌いや。だからお嬢があいつと仲良うならんでもいい』

 

 

 フン、と鼻を鳴らす三毛猫。のそのそと耀の腕に収まるように体を丸めて寝る体勢を作る。『でも』と続けた。

 

 

『でも、お嬢が死んだらわしも悲しい。だからもうあんな無茶はせんで欲しい』

 

「……うん。ごめん」

 

 

 ここにも一匹、心配をかけてしまっていた。本当に自分はダメダメだ。

 三毛猫をギュッと抱きしめながら瞼を閉じる。

 

 素直に謝ろう。それがきっといい。

 でもきっと彼は素知らぬ顔で恍けるのだろう。いつもみたいにふにゃっと笑って、なんてことはないように接してくれるのだろう。

 

 その光景があまりにも鮮明に想像出来てしまったものだから、思わずクスリと笑いが漏れてしまった。そのまま眠りに落ちる少女には、死の刻印を植え付けられた恐怖など一切感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一週間前の喧騒が嘘のように静まり返った街並み。もう間もなく約束の期限が経過し、ゲームが再開される。

 宮殿広場に集まった参加者は僅か500。全体の一割ほどにしかならなかった。

 

 不安にざわつく参加者の前に、やや緊張した面持ちのサンドラが立った。白夜叉が戦闘参加不可能である今、参加者側の最大戦力はサラマンドラ。となれば頭首の彼女が矢面に立たなくてはならないのだ。たとえそれが年端もいかない少女であったとしても。

 

 

「今回のゲームの行動方針が決まりました。マンドラ兄様、お願いします」

 

 

 入れ替わりに前に出たマンドラが皆に作戦を伝える中、宮殿広間を上から見下ろしていた黒ウサギと十六夜。

 

 

「なんだ黒ウサギ、浮かねえ顔してるな」

 

「はい……。もしもこのゲームに敗れれば私達のコミュニティは事実上の壊滅です。残された子供達を思うと」

 

 

 もしこの戦いに黒ウサギ達が敗れれば、約定通り自分達は魔王軍の尖兵となる。それはあくまでも黒ウサギ達であって、ノーネームというコミュニティは吸収されない。そうなれば残されるのは非戦闘員として置いてきた子供達だけ。彼等だけでこの箱庭を生き残ることは、どう考えても無理だ。

 

 しかしそれはここにおいて特段珍しい話ではない。魔王に敗北し、親を失った雛が死ぬことなどこの世界ではざらだ。

 だから、今この場において黒ウサギが悔いているのは十六夜達に対してである。

 以前白夜叉は言った。魔王と戦うなら力をつけろ、と。今のままでは羽虫の如く蹴散らされると予言していた。それなのに黒ウサギは今日まで彼等にコミュニティの益にしかならないゲームだけをさせていた。どれも難易度はそれほど高くはなかった。

 

 確かにそれらはコミュニティの生活を潤すのに必要なことではあった。だが、それが十六夜達の成長に繋がったかといえば、否である。元からの才能だけで越えてしまえる試練で、一体どうして成長出来ようか。強くなることが出来ようか。

 

 結果耀は病に倒れ、飛鳥は捕まった。

 

 全ての責任は自分にあると黒ウサギは悔いた。だからこそ、このケジメをつけるのも自分でなくてはならない。

 

 

「十六夜さんお願いがございます。聞いていただけますか?」

 

「聞くだけなら」

 

「魔王の相手は黒ウサギに任せてもらえないでしょうか」

 

 

 十六夜がどれほど魔王との戦いを切望していたかは知っている。その上でその役を譲って欲しいと願い出た。

 

 

「勝算は?」

 

「あります。……いいえ、もし無くても……たとえ相討ってでも!」

 

「なら却下だ」

 

 

 ばっさりと十六夜は切り捨てた。

 それでも食い下がる黒ウサギの唇に、人差し指を押し付け黙らせる。

 

 

「これはある大名様が言っていた言葉なんだが」白々しく前置いて「『自分が死んでもいい』なんてのは馬鹿が吐くセリフなんだそうだ」

 

 

 しゅん、とうさ耳を折る黒ウサギ。ニヤリと十六夜は笑った。

 

 

「それに悲観しすぎだ。お前が考えているほど状況は悪くない」

 

 

 どういう意味なんだと言いたげな黒ウサギの視線に十六夜は続ける。

 

 

「敵の目的が人材の確保なら自然タイムオーバーを狙った消極的な動きになる。となれば?」

 

「……敵は分散し、こちらは各個撃破しやすくなるのです」

 

「聡いのはポイント高いぜ、黒ウサギ」わしわしと頭を撫で回し「まずサンドラと黒ウサギ、それともう一人ぐらいをつけてペストを押さえる。その間に俺とレティシアでラッテンとヴェーザーを倒す。主力が集まったところで黒ウサギの切り札でペストを倒せればベストだな」

 

 

 確かにそれが考えうる限り最善だ。

 

 

「でも」と黒ウサギが「十六夜さんはそれでいいのですか?」

 

 

 誰よりも魔王との戦いを切望していたのに。

 不謹慎ではあるが、これほどレベルの高いゲームなればこそ、十六夜を満足させられるかもしれない。

 

 

「別に構わねえよ。魔王と戦う機会はこの先まだある。今回は帝釈天の眷属の力ってやつを拝ませてもらうさ」

 

「YES! 帝釈天様によって月に導かれた月の兎の力、とくと御覧くださいまし!」

 

 

 黒ウサギがむん、と拳を握る。

 ようやく調子が戻った彼女に気分良く笑う十六夜だったが、不意にぽつりとこぼす。

 

 

「ま、不安が無いわけじゃあねえがな」

 

 

 その独り言に思い当たる節があった黒ウサギもまた顔を暗くする。

 ふたりの視線は自然、宮殿の屋根の上へ。その縁に腰を下ろし漫然と空を見上げる和装の少年へと集まった。

 

 

「ここ数日はずっとあの調子です。黒ウサギがご飯を持っていってもほとんど食べないですし」

 

 

 昼は耀の病室の前に。夜は空の月を見上げて。

 

 ゲーム中断以来、信長の様子は明らかにおかしかった。

 てっきり十六夜同様、魔王とのゲームを心待ちにしているかと思ったのに、ゲームの日取りが近づくにつれて彼の覇気はみるみる失われていく。当初は戦力に数えていたサラマンドラの連中も、昨日の作戦会議では信長を戦力外として切り捨てた。

 

 ペストと交戦したときも、暴れ具合はいつも通りだったがどうもテンションが低かったとレティシアが言っていた。考えられる可能性といえば。

 

 

「やはり信長さんでも、魔王との戦いは怖いのでしょうか」

 

 

 黒ウサギの言葉に十六夜は適当な相槌をうちながら、内心ではそれはあり得ないと断じていた。たかがあの程度にビビるタマでは無い。だが、それならばあれが今何を考えているのかは十六夜にもわからなかった。

 

 しかし気になることがひとつだけ。

 

 確かに信長の覇気は日に日に薄れている。魔王に恐怖し、戦意を失ったのだと言われても仕方がないほど。だが、覇気こそなくなれど引き換えに近づき難い雰囲気を纏っている。それも日に日に強く。

 まるで、抜身の刀をつきつけられているような……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――、一体いつからだっただろうか?




はい閲覧ありがとうございます!

>えーと、あれは誰だ?本日はらしくない信長君でお送りしましたが、マジでこいつ誰だといった感じになりました。いつもの変態が書きたい衝動に駆られております。
おまけに今回は色々拾って指摘されていたダイジェスト感を無くそうとしてますがどうですかね。原作をちょこちょこ変えてるとはいえそのまんまなのが難しいところです。

>マズイことが発覚しました!このままだと耀とばかり絡んでしまいます!だって、だって飛鳥はどっか行っちゃうんですもの!ついていったらハーメルンと戦いにくいんですもの!!
飛鳥ああああ!!あなたは何処にいいいい!!

>おそらく二巻はあと二話ぐらいで終わりです。順調にいけば。


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一体いつからだっただろうか

 突然の地鳴りがゲーム開始の合図であった。地鳴りと共に景色が光に包まれる。

 次の瞬間には天をつくばかりの境界壁も、巨大なキャンドルランプも忽然と姿を消し、代わりにまったく別の街がそこに広がっていた。

 

 

「これはまさかハーメルンの街!? なら十六夜さんの推理は正しかったというわけでございますね」

 

「謎を解いても意味は無いわ」

 

 

 黒ウサギ、サンドラ、信長の3人が足を止める。敵の主力プレイヤーを前に堂々と姿を晒した斑模様のワンピースの少女――――黒死斑の魔王、ペスト。

 

 

「ただ黙ってステンドグラスを捜させるわけないでしょう?」

 

「いえ、ここで貴女を倒しても黒ウサギ達の勝ちですヨ?」

 

 

 らしからぬ挑発を放つ黒ウサギを、ペストは鼻で笑った。悠然と微笑む少女から黒い風が噴き出す。

 

 

「残念だけど、それも無理ね」

 

「サンドラ様!」

 

 

 後ろで窺っていたサンドラが炎を放つ。同時に黒ウサギも疑似神格(ヴァジュラ・)金剛杵(レプリカ)の雷撃をペストに向けて撃った。

 神格級のギフトによる同時攻撃。

 

 それを、ペストは黒い風を一薙ぎするだけで打ち消した。

 

 

「まさか、この程度で全力とは言わないわよね?」

 

 

 見下し、嘲弄するペスト。死の風は無尽に吹き荒れる。

 

 

「あの風は黒ウサギとサンドラ様で抑えます。信長さんはその隙を突いて下さい!」

 

 

 サンドラが声を出して応え、信長は無言だった。やはり、信長の様子がおかしい。

 そう感じた黒ウサギだったが今更それを待ってくれる状況ではない。いや、たとえ相手が待ってくれても黒ウサギ達には時間が無い。

 

 その後も真正面から火炎を放ち続けるサンドラに対して、黒ウサギは跳躍を繰り返しあらゆる方向から雷を撃つ。

 しかしペストは動かない……というより、動く必要が無いというようにただ風が炎を、雷を掻き消す。再びその隙を突いて信長がペストの懐に飛び込む。振り下ろした刀を、ペストは片手で受け止めた。

 

 

「馬鹿にしているの? それともこれが全力?」

 

「…………」

 

「やっぱり買いかぶりだったみたいね」

 

 

 はぁ、と落胆したようにため息を吐くペスト。その背後から触手のようにうねる風が信長を襲った。

 

 

「信長さん!」

 

 

 寸でのところで後退するも僅かに掠ったのか、屋根に降り立つなり信長は片膝をついた。

 

 

(やっぱり信長さんの動きが悪いです。いつもならあの程度簡単に躱せるはずなのに……)

 

 

 チラリと見たサンドラも息が上がり始めている。

 彼女にとっても初の魔王とのゲーム。いやそれどころか、生まれた頃より類稀なる才を持つ彼女にとっては同格以上の相手との実戦が初めてなのかもしれない。肉体的疲労より、精神的な疲労の方が大きいはずだ。

 

 ここは一旦間を取る必要があると判断した黒ウサギはペストに向けて問いかける。

 

 

「黒死斑の魔王、貴女の正体は神霊の類ですね」

 

「え?」

 

「そうよ」

 

「えっ!?」

 

 

 2人のやり取りに思わずサンドラは声を上げる。黒ウサギの突然の発言にも、それをあっさり肯定するペストにも、だ。

 

 神霊ともなればあの星霊、白夜叉と並びうる霊格の持ち主ということだ。箱庭最強種の一つ。それが彼女の正体だというのか。

 

 

「貴女の持つ霊格は『130人の子供の死の功績』ではなく、14世紀から17世紀にかけて吹き荒れた黒死病の死者――――『8000万人もの死の功績を持つ悪魔』」

 

「はっせん……」サンドラは息を呑んで「それだけの功績があれば神霊に転生することも――――」

 

「無理です」

 

「無理よ」

 

 

 敵味方同時に否定されてサンドラはシュン、とうな垂れる。

 

 

「最強種以外が神霊に転生するには『一定数以上の信仰』が必要となります。如何に規格外の死の功績を積み上げても神霊にはなれません」黒ウサギは一拍置いて「ですが、信仰とは別に恐怖という形でも構わないのです。恐怖もまた信仰足り得る……。しかし後の医学が『黒死病(あなた)』を克服する手段を見つけてしまったことで、貴女は神霊には成りきれなかった。だから、最も貴女を恐怖する対象として完成されていた形骸として《幻想魔道書群(グリム・グリモワール)》の魔道書に記述された《斑模様の死神》を選んだ――――」

 

「残念ながら所々違うわ」

 

 

 黒ウサギが時間稼ぎを狙っていることはペストも気付いていた。しかし時間稼ぎは彼女にとっても望むところ。ペストはその上で語った。

 

 

「私は自分の力でこの箱庭にきたわけではない。私を召喚したのは魔王軍、幻想魔道書群を率いた男よ」

 

 

 一気に黒ウサギの顔に驚愕が浮かぶ。

 

 

「8000万もの死の功績を積み上げた悪魔……いいえ、8000万の悪霊群である私を死神に据えれば神霊として開花出来ると踏んだのでしょうね」

 

 

 その彼は、ペストを召喚する間にギフトゲームでこの世を去った。

 

 

「私……いいえ、()()が主催者権限を得るに至った功績……この功績には、死の時代に生きてきた全ての人の怨嗟を叶える特殊ルールを敷ける権利があった。黒死病を世界中に蔓延させ、飢餓や貧困を呼んだ諸悪の根源――――怠惰な太陽に復讐する権限が!」

 

 

 8000万もの怨嗟に応えるべく太陽に復讐を。彼女の願いはあまりに深く、あまりに無謀で、あまりに大きい。

 

 黒ウサギは背中に冷や汗が流れるのを感じた。いよいよもってこのままでは打つ手が無い。サンドラの火炎も金剛杵もペストには効かない。おまけに信長の様子もおかしい。これでは切り札を出す隙は作れない。

 

 

(十六夜さん……)

 

 

 いつも颯爽と現れては出鱈目な力で薙ぎ倒していく少年を思いながら、黒ウサギは8000万の怨嗟と対峙する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな振動が街を揺らす。交戦していたペストの手が止まった。

 彼女には月の兎のような便利な耳は持ちあわせていない。しかし彼女達は魔道書を通じて互いを感じ合っていた。――――その感覚が消えた。

 

 ラッテンとヴェーザーが負けた。やがて応戦していた敵の増援がここに集まってくるだろう。それでも負けるとは思わないが。

 しかし、ステンドグラスを守りながらとなると話は違う。

 

 ペストはひとつの決断を下す。

 

 

「止めたわ」

 

 

 刹那、黒い風が天を穿つ。雲海を消し飛ばした風が街を包んだ。空気は腐敗し、鳥は落ち、鼠が死に絶える。先ほどまでとはまるで違う。

 奪うのではなく――――死を()()()()

 

 危険を感じた黒ウサギが咄嗟に放った金剛杵の雷撃をも一瞬で消し飛ばす。拮抗など許さない。先程までとは違う濃密な気配。それを見て慌てて黒ウサギとサンドラは逃げ出した。

 

 目で追うペストの指先の動きに導かれて死の風が吹く。逃げ惑う2人の少女を無視して、屋根でしゃがみ込む少年に向かった。

 

 

「信長さん!」

 

「駄目! 黒ウサギ!」

 

 

 取り残された信長を助けようと、死の風の渦に戻ろうとする黒ウサギをサンドラが引き止める。

 屋根に肩膝をついて咳き込む信長。やはり彼は調子が悪かったのだ。もしかしたらすでに黒死病が発症していたのかもしれない。

 だが今更それに気付いたところで遅い。

 

 ペストは黒い風の中心にいる信長を見据え、己の失敗を改める。思えば彼に執着したことが交渉で隙を作ってしまった原因だった。ならば、そのけじめをつけるためにまず彼を殺す。

 それが己の甘さで失った忠臣達へのせめてもの手向けと信じて。

 

 

「死ね」

 

 

 少女の簡潔な命令に風は応える。渦はその隙間を縮めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一体いつからだっただろうか?

 

 目にする景色が全て色褪せて見えるようになったのは。

 

 春の暖かさなど感じない。

 夏の生命力など湧いてこない。

 秋の鮮やかさなど目に映らない。

 冬の空はただただ空虚に見えた。

 

 昔は違った。野山を駆け回れば獣を見つけただけで大騒ぎした。洞穴を見つければ未知の世界を夢想し胸を高鳴らせ、木の実は格別のご馳走だった。

 なによりも同年代の仲間と泥に塗れて相撲をとり、刀や弓を学び競い合うことは楽しかった。

 

 あの頃は他愛ないなにもかもに一喜一憂していたはずなのに、いつからかそれはなんの刺激も与えてくれなくなった。

 理由は明らかだった。――――信長が特別だったからだ。

 

 誰も信長には敵わなかった。同年代の子供では束になっても相手にならなかったのだ。赤子と腕相撲をして勝ったところで本気で喜べるはずもない。負ける要素の無い勝負のどこに感動を抱けというのか。

 

 決定的だったのは、信長にとって初陣となる三州吉良大浜での今川との戦。敵の数は2000。対してこちらは800。

 決死の顔付きの者が並ぶ陣中で、信長だけは笑みを抑えられなかった。心臓を高鳴らせながら、当時持てる限りの力を尽くして挑んだ初陣が――――圧勝だった。

 

 信長は呆然とした。

 勝利に沸き立つ家臣達。褒め称える父親の声。

 なにも耳に入ってこなかった。

 

 なにも変わらなかった。あれほど待ち望んだ本物の戦はしかし――――今までとなにも変わらなかったのだ。

 

 織田 三郎 信長はようやくと理解する。この世界において自分という人間は異質なのだと。

 見ているものが違う。聞いているものが違う。

 世界から感じ取るあらゆるものが、常人のそれとは違っていた。

 

 同年代に限らず、家臣や両親、名だたる武将達でさえ終ぞ理解されなかった。出来なかった。

 故に異端だ、と。

 

 唯一近いものが見えていたのは美濃より嫁いでくる帰蝶という名の少女だったが、彼女は信長の事以外見ようとはしなかった。

 

 自分が孤独なのだと理解した信長の人生はただただ虚しいだけだった。いくら自分が命を懸けようが、決して負けないのならば最初から懸けていないのと同じだ。さらに不幸だったのは、信長という人間が平凡な日常に幸せを感じられなかったことだろう。

 

 信長は別に死にたかったわけではない。むしろ誰よりも『生きる』ことに貪欲だったといえよう。しかし死を感じられないのに、一体どうやって生を感じればいいのか彼にはわからなかった。

 だから彼は戦い続けた。戦だらけの時代で、戦いに明け暮れた。そうして積み上がったものは、なにも感じられない勝利だけだった。

 

 そんな信長にとって、この箱庭への召喚は天啓に等しかった。十六夜に白夜叉、そして黒ウサギのコミュニティを壊滅させたという魔王。

 次元違いの格上の存在は、久しくなかった震えを思い出させてくれた。

 

 それなのに彼の空虚が満たされなかったのは、十六夜は仲間で、白夜叉は優しくて、魔王はどこにいるのかもわからなかったから。

 

 そんな空虚が、この数日少しずつ、しかし確実に埋まっていくのを信長は実感していた。理由はわかっている。発症した黒死病の斑を己の体に見たときから。

 あれほど感じることが出来なかった死が、こうも容易く近づいてくる。

 

 体は重く、視界は霞んでいる。それなのにどうして……。

 

 

「止めたわ」

 

 

 自分を囲む黒い風。感覚でわかる。あれは――――『死』だ。

 死を明確な形にしたもの。

 

 あれが僅かでも掠れば、自分は病の進行を待たずして死ぬ。

 

 

(これだ……)

 

 

 あれこそが信長が願ってやまなかったもの。ようやく、ようやく信長は実感出来たのだった。

 

 

(ああ、そうだ。これこそが――――()だ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信長さん!!」

 

 ペストの死の風が、参加者を庇ったサラマンドラのメンバー諸共信長を呑み込んだ。

 

 

「あ……あぁ……」

 

 

 力なく黒ウサギは膝をついて項垂れる。目からは涙が溢れ出た。

 

 

「また……また仲間を失ってしまいました……」

 

 

 故郷で両親を失い、助けてくれた恩人のコミュニティは崩壊した。そして今また大切な同士を目の前で失った。

 なにが帝釈天の眷属か。なにが箱庭の貴族か。

 仲間のひとりも守れず、いつも失って泣くことしか出来ない自分が憎くて堪らない。

 

 

「く、黒ウサギ! あれ!」

 

「え?」

 

 

 サンドラに肩を揺すられて顔をあげる。彼女が指差す方向には倒れたサラマンドラの戦士達。そう、信長がいない。

 何故。ペストのギフトは死を与える強力なものだが、死体を掻き消すものではない。事実サラマンドラの死体は残っている。ならば一体、

 

 

「どこに――――っ!?」

 

 

 怪訝に眉をひそめたペストは、背後の気配に瞬時に気付いて対応する。振り下ろされる刀をなんとか防御。

 

 

「信長さん!!」

 

 

 喜々と叫ぶ黒ウサギ。どうやって躱したのかはわからない。でもそれは確かに信長だった。それだけで彼女はまた涙を流した。

 

 一方で、奇襲を防がれたことで一旦下がるのかと思いきや、信長は再度刀を振り上げる。

 

 

「舐めるな!」

 

 

 ペストの振り払うような左腕の動きに連動して、風の刃が信長へ放たれる。形状はどんなものであれ、触れれば死ぬことには変わりない。

 黒ウサギでさえ逃げの一手だったそれを、あろうことか信長は向かっていった。紙一重。身を低く潜り抜けてペストの懐へ踏み込む。

 

 予想外の行動に動きが止まるペスト。それでも、刀の動きにだけ注視して備えていたいた思考は、次の瞬間素手で殴り飛ばされたことで真っ白になった。

 

 

「な……がっ!?」

 

 

 十六夜には劣るとはいえ常人を遥かに凌ぐ膂力による打撃は確かにペストにダメージを与えた。それは肉体的にはもちろん。精神的にも大きな傷を負わせた。

 堪らず風を全方位に噴出させたペスト。しかし信長は嘲笑うように軽い跳躍で間合いを取るだけだった。

 

 ふわりと、重さを感じさせない身のこなしで着地した信長。

 

 

「く」

 

 

 ぶるりと震えたかと思うと、次の瞬間喉をそらせて哄笑をあげた。

 

 

「あっはっはっはっはっはっは!!!!」

 

 

 今までとは決定的に何かが違う。だがペストにも、黒ウサギにも、それが一体何なのかがわからなかった。

 

 その考えがまとまらない内に、再び信長が地を蹴った。やはり望むのは接近戦。

 

 

(あり得ない)

 

 

 未だ、ペストは自身に起きたことが信じられなかった。それでも本能は即座に迎撃の構えを取る。

 

 空中に身を投げ出している信長へ殺到する漆黒の風。信長は宙を蹴ると風に向かって前へ跳ぶ。宙返りの様に体を捻り、またしても紙一重で風をやり過ごした。

 

 

「また……!!」

 

 

 叩きつけるかのような刀の一撃。

 それを交差した腕で受けた瞬間、腹部が爆発したかのような衝撃。信長の蹴りだった。

 

 吹き飛んだペストだったが、あわや建物に激突する前に風を操って制動をかける。攻撃を受けた腹を抑えながら、信じられないものを見るように信長を睨んだ。

 

 

「貴方……正気? 素手で私に触るなんて」

 

 

 ペストの言い分は最もだった。

 

 さっきの拳と蹴りの攻撃。もしペストが例の風で体を守っていたら、信長が体に触れた瞬間その場で決着はついていた。

 だからこそペストは武器の攻撃しか警戒していなかったし、黒ウサギ達にしても、最初から遠距離戦にこだわっていたのだ。

 

 それなのに、

 

 

「……こう…………じゃない」

 

 

 刀を持つ右手とは逆の手で鉄片を掴んだ信長。ペストの声すら聴こえない様子でそれを幾度か無造作に振っていたかと思うと、それは起きた。

 

 

「こうだ」

 

 

 バチン、と紫電が走った。黒ウサギが目をまん丸に見開く。当然だ。今自分はあり得ない光景を見ている。

 

 

「も、もしかしてあれは……私の……私の疑似神格・金剛杵?」

 

 

 見紛うはずがない。規模は小さい。感じる霊格も圧倒的に低い。しかし、あれに宿っているのは確かに帝釈天の雷だった。

 

 紫電を纏った鉄片を信長は槍のように投擲。

 だが、黒ウサギのものが通じなかった相手に、さらに威力の落ちた信長のものが通じるはずが無い。ペストが腕を一薙ぎするだけで鉄片は朽ちた。

 

 

「まだまだ!」

 

 

 信長が駆け出す。ペストに対して直進するのではなく、大きく円を描くように走る。その際手近なものを拾い上げてはペストに投げつける。なんとそれら全てに帝釈天の雷が宿っていた。ただの石ころひとつにまで。

 

 

「ありえない……ありえないのですよ」

 

 

 帝釈天の眷属どころか、その存在すら知らなそうな信長があの雷を使えるはずがない。なら、あれを為しているのは彼に宿るギフトだ。

 グリフォンのときのように、黒ウサギのギフトを見よう見真似でコピーしてみせた。

 

 いや、はたして信長のギフトは本当にコピーなのか?

 

 相手のギフトをコピーするギフトは決して珍しくない。身近な者でも例えば耀などは、友達となった動物達の能力を自身に反映させることが出来る。超人的な身体能力に、鋭い感覚器官はそれらを複合させているのだ。

 信長もまた確かにグリフォンのギフトをコピーした。だが、彼は完全にそれを模倣することは出来なかった。風を操り、空を踏みしめるグリフォン……信長がコピー出来たのは、精々数度空を蹴ることくらいだった。

 それに信長はグリフォンのギフトをコピーすることは出来ても、耀の動物と話すことの出来るギフトはコピー出来なかった。飛鳥の威光も、対人には多少の強制力があったがギフトを操るまでには至らなかった。

 

 コピーの精度もバラバラ、条件もまるでわからない。こんなものが本当にコピーのギフトと呼べるのか?

 

 

(十六夜さんも大概ですが、信長さんのギフトは一体なんなのですか!?)

 

 

 それに対する答えは、いつまで待っても得られなかった。

 

 

「くっ」

 

 

 次々と投げつけられる雷の(つぶて)。こんなもの、百も千も投げつけられても脅威にはなり得ないが、目くらましとしては有効だった。

 

 

「目障りよ!」

 

 

 痺れを切らせたペストが大きく腕を薙ぐ。漆黒の風が前面に展開され、礫の雨を一掃。そのまま津波のように大きく両端に開いた風が信長を包み込む。逃げ場は無い。

 

 

「はあっ!」

 

 

 袈裟斬りに一閃。

 十六夜のように完全無効化とはいかずとも、信長の模倣なら無形のギフトにも干渉程度なら出来る。死の風は斬り裂かれ、信長は窮地を脱する――――が、

 

 パキン、と振り切った刀が半ばから折れたかと思うと粉々に朽ちていく。

 

 考えてみればそれも当然のこと。神霊に迫るペストの死の風と幾度となくぶつかれば、神格すら宿していない武具では最早保たない。

 

 ようやく、余裕を取り戻したペストが微笑をたたえて尋ねた。

 

 

「貴方のギフト無効化は、素手でも有効なのかしらね?」

 

 

 言うなり、風が信長の周囲を囲む。

 

 信長のギフト無効化は完全ではない。精々無形の風に干渉程度に抗えるだけ。素手で触れば待っているのは死だけだ。

 

 

「これでもう逃さない」

 

 

 勝利を確信したペスト。

 死の風に曝され、武器も失った信長は――――()()()()()()()()()

 

 

「っ!? もう死になさい!」

 

 

 背筋を走った悪寒を振り払うように、再び笑みが消えたペストは遂に風をけしかける。風は全方位から信長を呑み込み――――そして霧散した。

 

 

「…………は?」

 

 

 神霊に迫る死の恩恵が……帝釈天の雷も、サラマンドラの炎すら殺した死の風が、今目の前で掻き消えた。

 黒い繭を喰い破るように内側から溢れ出すのは紅蓮の炎。

 

 炎の中心で、信長はまだ生きていた。

 

 信長が左手に持つ漆黒のカードから炎は溢れ出していた。まるで喰らうようにペストの風を平らげた炎は、やたら構わず周囲のものを際限なく焼き尽くす。

 信長が右手をカードに添える。

 掴んだのは柄。カードを鞘に、ゆっくり引き抜いたのは長刀。炎はあの刀から生まれていた。

 

 幼いサラマンドラでもわかる濃密な気配。神格級の武器、それも相当な業物だ。火龍である自分が恐れるほど苛烈で凶暴な炎。

 

 

「黒ウサギ、あれは一体なんて名前のギフトなの?」

 

「……レーヴァテイン」

 

 

 震える声で答えた黒ウサギはしかしこちらを見ていなかった。唇を震わせて、青い顔で叫んだ。

 

 

「駄目……駄目です信長さん! 言ったじゃないですか! その刀は、その炎は――――()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」




……閲覧ありがとうございます。

>今だ僕らの信長君が帰ってきません。ちなみに次回もまだ帰ってこないかも。ああ、白夜叉と十六夜との馬鹿馬鹿し過ぎる馬鹿話が馬鹿に懐かしい。

でも!やっぱりバトルって書いててテンション上がりますよね!

やや信長君のギフトが紹介されてましたね。コピーだと思っていた人も多いでしょうが、違いますよー。完全に解明されるのはずっとずっと先ですが。
というか原作で十六夜君のギフトすらまだまともに解明されてませんからね。

そしてそして武器も登場。いやはや相変わらずの厨二全開ですよ!全力疾走ですけどなにかありますかないですよねないに決まってます!!
この武器についての説明は次話に込みなので、もしその手の質問やらあった場合は後々にお願いいたします!

>てな感じで次話もバトル続行ですが、バトル自体は確実に次で終わります。
そのまま二巻をまとめるかどうかは、まあまた書きながら決める感じなのであしからず。


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だから僕は、君が怖くて堪らない

 《木蛇殺しの魔剣(レーヴァテイン)》。北欧神話において世界樹の頂に座す雄鶏ヴィゾーヴニルを殺すことが出来る唯一の武器とされている。またレーヴァテインを保管する女巨人、シンモラの夫スルトルがラグナロクで振るった剣ともいわれている。

 

 ――――彼が抜いたのはまさしくそれであり、同時に()()と呼ばれるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死の風。黒死病8000万人もの犠牲者の悪霊群であり、黒死斑模様の死神として形骸化したペストだからこそ扱える破格の恩恵。

 帝釈天の眷属である月の兎と、幼いとはいえサラマンドラの頭首であるサンドラを同時に相手にしても圧倒してみせた。たとえ相手が最強種の一角であろうとも、今の自分なら渡り合える。そう思っていた。

 

 

「あっはっはっはっはっはっは!!」

 

 

 哄笑と共に紅蓮の炎が逆巻く。

 炎の渦から姿を現したのはたったひとりの人間。

 

 子供のような無邪気で弾んだ笑声。それでいて放たれる殺意は身が凍るようだ。

 

 

「そうだ! そうだった! 僕はこうやって笑うんだった!!」

 

 

 なおも狂ったように笑う信長は、悪鬼の笑みを浮かべて真っ正面からペストに突っ込む。

 放った死の風を炎の刀で悉く斬り払われる。

 

 何度も信長を殺せそうな機会はあった。触れれば死を確定させるペストの風に対して、先程からの信長の戦法はほとんど正面からの特攻。

 力負けしているとは思えない。もう少しで殺せるはずだ。

 

 それなのに、

 

 

(止まらない……!)

 

 

 すでにペストには、サンドラや黒ウサギを相手取ったときのような余裕はなかった。必死に刀を押しとどめる一方で、刀を押し込む信長は歯を剥いて獰猛に笑う。

 

 

「僕は今戦ってる! 君と本当の戦をしてる!!」

 

 

 顔を近付け、さらに間合いを詰めようとする信長。大刀を武器とする彼にはすでに間合いは十分。これ以上詰めても不利でしかないはずなのに。

 不利有利などという理屈は、すでに彼の中に存在していなかった。

 

 

「君が怖い……。偽物なんかじゃない、君は本物の魔王だ! だから僕は、君が怖くて堪らない!!」

 

 

 怖いと言いながら前へ。顔には笑みを。

 言動と行動が噛み合わない。考えていることなんて一切理解出来ない。

 

 そうだ。ペストもまた、目の前の男が――――怖い。

 

 

「調子に、乗るな!!」

 

 

 両の腕を広げる。広げた腕を交差させて振り抜く。

 ペストの腕の動きに連動するように、風の渦が左右から信長を挟み込む。

 

 死の暴風に晒されながら、信長は湧き上がる感情を抑えられずにいた。

 

 心臓の鼓動が早い。肌が粟立つ。呼吸はままならず、体は情けなく震えっぱなしだ。

 寒いのか。それとも暑いのかもわからない。

 

 そう、これが本当の戦だ。

 

 敵の刃が喉元に突きつけられている。

 こちらが速いか。それとも向こうの方がより速いか。

 

 互いが互いの命を狙っている。死が隣り合わせの緊張。命を懸けた闘争。

 

 今まで誰も信長の命を奪える者はいなかった。どんな条件を揃えようとも、誰も相手にならなかった。

 ――――それが今目の前にいる。

 ペストは、信長を殺しうる者だ。

 

 

「箱庭……! 本当に、本当に本当に本当に本当に、ここはなんて……なんて素晴らしいところなんだろう!!」

 

 

 炎と踊る。天に叫ぶ。

 

 ペストは強い。信長を殺せるくらい強い存在だ。

 ここには彼女以上に強い存在が、あとどれほどいるのだろう。

 

 白夜叉は強い。今の信長では如何な策を巡らせても軽くひねられるだろう。しかし彼女もまた箱庭最強を名乗らなかった。白夜叉すら敵わない存在……。

 

 想像するだけで身の毛がよだつ。

 これから先そんな修羅神仏を、化物を相手にすることは――――、

 

 一体どれほど怖い(楽しい)ことなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分とまあ愉快なことになってやがるな」

 

「十六夜さん!」

 

「なにあれ? 信長君てああいうキャラだったかしら?」

 

「飛鳥さんも! ご無事でなによりです!」

 

 

 黒ウサギは耳によってゲームの状況をほぼ全て把握している。十六夜の右腕が潰れていることも、飛鳥が新たに従えた巨兵ディーンのことも。

 彼等が無事勝利を収めたことは知っていても、こうして再び会えたことが嬉しくて滂沱の涙を流した。だが、安心は同時に溜め込んでいた不安を思い出させた。

 

 

「の、信長さんが! このままだと、信長さんがこのままだと死んでしまいますぅぅぅぅ!!!」

 

「落ち着け黒ウサギ。簡潔に説明しろ」

 

 

 グスンと鼻をすすって、黒ウサギが信長が使う刀について語る。

 

 レーヴァテイン。あれはかつてのノーネームがあるギフトゲームに勝利し、得た恩恵であった。しかし魔剣はただ一度の使用を以ってコミュニティリーダーの命令のもと宝物庫に封印されることとなった。理由は単純。――――あまりにも危険過ぎたのだ。

 

 レーヴァテインは使用者の霊格を喰らって能力を引き出す。その威力は絶大だが、使用者が未熟ならば使い手さえ喰い殺す。

 故に魔剣。

 

 黒ウサギが聞いた話ではメンバーのひとりが試しに使ってみた瞬間、東門の一部が消し飛んだらしい。もし火を消し止められなければ七桁の外門そのものが無くなっていたと、当時のメンバーが笑いながら話してくれた脇で幼い黒ウサギはうさ耳を震えさせていたものだ。

 

 ペルセウス戦の後、十六夜とのいざこざで刀を失った信長を宝物庫に連れて行った。元々武器にこだわりは無いと信長自身が言っていたが、かつてのメンバーが集めた宝物庫の武具なら必ず力になると思って。好きなものを選んでいいと言った黒ウサギだったが、まさか信長が即答であれを選ぶとは思わなかった。

 一応は止めたが、信長の強い要望もあり、切り札として使うのを条件に渡したのだ。

 

 しかし今ならわかる。このときの判断は間違いだったと。

 黒ウサギはあのギフトのことを甘く見すぎていたと知った。こうして目の当たりにしたあのギフトの禍々しい気配。あれは外に出してはならないものだった。

 何者にもなびかない。使い手など現れない。

 あれはそういう類の恩恵だ。

 

 

「お嬢様もあの刀のことは知ってたのか?」

 

「……ええ」

 

 

 飛鳥は不快そうに鼻を鳴らして答える。

 

 

「宝物庫にあったほとんどのギフトは私には従わなかった。話しかけてもまるで無視しているみたいに」でも、と続けた飛鳥の顔が厳しいものになる「あれだけは違ったわ。自分を使え、お前を殺してやる、喰わせろ……と剥き出しの殺意を向けられた」

 

 

 飛鳥はあのギフトを選ばなかった。いや、選べなかった。

 今の自分では御しきれない力だと判断したのだ。正直に言えば臆したのだ。

 プライドが高い自分がそう認めてしまうほどに、あれは禍々しい空気を纏っていた。

 

 

「ようするに、このままあの刀を使い続ければ」

 

「間違いなく信長さんは死んでしまいます」

 

「でも信長君て意外と馬鹿じゃないし、引き際は弁えていると思うのだけれど……」

 

 

 そう、『普段の信長』なら。

 

 3人は今も狂ったように笑いながら死の演舞を踊る信長の姿に釘付けになる。普段の飄々とした態度とはまるで違う。

 はたして信長は今も正気なのか。正直判断がつかないでいた。

 

 十六夜は肩を竦める。

 

 

「なんにしてもこのままじゃあいられない。――――黒ウサギ、作戦は続行か? やると言ったのはお前だ。お前が決めろ」

 

 

 十六夜と飛鳥の視線を受けながら、黒ウサギは考えた。

 おそらく今この場で無理だと言えば、十六夜は右腕の怪我をおしてペスト討伐にかかるだろう。それが悪いことだとは思えない。しかし――――。

 

 

「皆さんは信長さんのサポートを」

 

 

 十六夜が再度問うた。

 

 

「それはあいつを信じるってことか? あいつが正気じゃなけりゃあ、仮に隙を作れてもお前の切り札は切れないぞ」

 

「はい」グイッ、と涙を拭った黒ウサギは決断する「私はレーヴァテインの狂気より、信長さんを信じます!」

 

 

 力強い笑顔で応える黒ウサギ。十六夜もまた獰猛な笑みを浮かべる。

 

 

「オーケーだ、黒ウサギ」

 

「でもどうするの? このままだとさらに死者が出るわ」

 

「ご安心を! 今から魔王とここにいる主力――――まとめて月までご案内しますよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まあ、気持ちはわからないでもない)

 

 

 炎と風が吹き荒れる戦場を眺めながら、十六夜は信長の心境を察した。

 

 箱庭へと召喚された十六夜達は、誰しもが元の世界に飽いていた。飛鳥も耀も、己の力を持て余したから箱庭への招待に応じたのだ。

 だがその中でも、織田 三郎 信長を名乗ったあの少年は十六夜達の中で最も元の世界で生き難かったのではないだろうか。

 

 耀は動物達と話すことで、飛鳥は籠を飛び出すことで退屈を少なからず紛らわせていた。十六夜も、()()がいてくれたから、世界の未知を探すことで己を満たせていた。

 しかし信長には誰もいなかったに違いない。

 彼女のような導き手には出会えず、そも彼は戦いでしか飢えを満たせなかった。

 

 群雄割拠の戦国時代。血を血で洗う戦の日々。

 もし信長が常人程度の力しかなかったら、そこはなんと居心地の良いものだっただろう。だが信長は並外れていた。彼にしてみれば戦乱など、子供がちゃんばらごっこしているようにしか思えなかったのではないだろうか。

 そんなものに、命がけの戦いなどありはしない。

 

 いくら信長が賭け金(ベット)を積み上げようとも、彼の座るテーブルには誰もいない。誰も気付くことも出来ない。彼は一度たりとも配られたカードを開いたことすら無かった。

 

 それでも時代は信長に戦うことを求めた。それが彼にとって『戦い』ですらないと気付けないまま、勝利とも呼べないモノが積み重ねられていく。

 考えてみればそれはとてもストレスがたまる話だ。

 毎度カードは配られていながら、開かれることはなく勝負は終わってしまう。何度も何度も。

 

 ――――だが、今このとき現れたのだ。

 

 初めて信長の存在に気付く者が現れた。同じテーブルに着くものが現れた。

 

 これでようやく彼はカードを開くことが出来る。待ち望んだゲームが始められる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黒ウサちゃん言ってた通り、これはとんでもないじゃじゃ馬だねぇ」

 

 

 信長は右手に持つ刀を見ながら言う。こうしている今も体中の力がこの刀に吸われていくのがわかる。黒死病で瀕死になっているところにこれだ。正直目の前がチカチカする。頭はクラクラするし、呼吸は苦しい。

 でも、

 

 

(ああ、楽しいなぁ……)

 

 

 楽しい。楽しくてたまらない。

 

 このままこれを使い続ければ危険だとわかっていても、ペストとの戦いにはこれが必要なのだ。ならば手放す理由は無い。

 

 一転、周囲の景色が切り替わる。

 

 石碑のような白い彫像が乱立する荒野。辺りには星が巡り、天には箱庭の世界があった。

 

 

「チャ、月界神殿(チャンドラ・マハール)!? 軍神(インドラ)ではなく今度は月神の神格を持つギフト……!!」

 

 

 顔面を蒼白にしたペストが叫ぶ。

 

 ここはどうやら月の上らしい。空に浮かぶ黄金の大地。これはまた痛快だ。

 ――――と、いつもならば踊り喜ぶところだが、今の信長は目移りなどしない。今見えているのは敵総大将(ペスト)ただひとり。

 

 信長は刀を構える。

 

 

「いくらでも喰らうがいいよ。その代わり、僕にお前の力を寄越せ!!」

 

 

 一層勢いを増した炎がペスト目掛けて立ち昇る。

 黒ウサギの恩恵に動揺していたペストはそれに気付いて死の風で応戦。喰らえば喰らうほど勢いを増す炎を片っ端から殺していく。

 

 

「くっ!!」

 

「本物の魔王様、君は本当に怖くて強かった」

 

 

 叩きつけるような剣撃に歯を食いしばって耐えるペスト。

 

 

「出来ればずーっとこうして君と戦っていたいけど、もう正直僕の方が限界なんだ。だからもう終わりにしよう」

 

「ならさっさと死ね!」

 

 

 ペストの腕の振りに呼応して風の刃が放たれるが、信長を取り巻く炎がそれらを喰い尽くす。同時に、ペストを守っていた風の壁が斬り裂かれた。

 

 もう防ぐ術は無い。

 信長は高く刀を振り上げて、

 

 

「ごほっ」

 

 

 信長の体勢が崩れた。

 

 そのとき、彼女が考えて動けたとは思えない。敗北を覚悟した彼女を動かしたのは――――8000万の執念か。

 

 

「私は……()()()()()、負けるわけにはいかない!!」

 

 

 死の風が信長を貫いた。

 

 グラリと信長の体が傾く。頭から真っ逆さまに地面に落ちていく信長を、今まで周囲を取り巻いていた炎が寄ってたかって襲いかかった。炎に巻かれて姿が見えなくなる。

 最後は使い手すら喰らうとは、おぞましい。

 そう思ったペストは目を見開く。

 

 炎が内側から弾けるようにして開けた。再び姿が見えるようになった信長の手には先程までの長刀は無い。しかし代わりに大弓があった。

 

 

「……っ」

 

 

 疑問に思うべきだった。レーヴァテインが北欧の神話であるのに、なぜあれは『刀』という形状を取っていたのかを。元よりあれに形など無い。神話でも、明確に形状を記されたものなど無かった。

 

 

「いえ、今はそれより回避を……!?」

 

 

 気付いたときにはすでに遅い。炎の壁がすでにペストを囲んでいた。炎のアーチが彼女の逃げ道を塞いでいた。

 

 

「ありがとう、ペストちゃん」

 

 

 大弓を番えた信長が口にしたのは感謝の言葉だった。炎の矢が放たれる。

 

 矢は大気を切り裂き、苦し紛れの死の風をも突き抜けてペストの胸を貫いた。

 たとえ形状が変わっても、これの特性は変わらない。矢は内側からペストを炙り、喰らわんとする。

 

 

「が……こんな、もの!」

 

 

 それでもこの程度ではペストを殺せない。――――そんなこと、彼は承知の上だった。

 

 

「上出来よ、信長君」

 

 

  炎のアーチで逃げ道を潰したのも、矢で動きを止めたのも全てはこの瞬間の為。

 

 『叙事詩・マハーバーラタ』の大英傑、カルナが手にしたと伝えられる『必勝の槍』。太陽神の息子であるカルナが、生来持っていた不死不滅の鎧と引き換えに得た、ただ一度のみの奇跡を宿す――――穿()()()()()()()()()()

 

 ディーンの力を借りて、黒ウサギに託されたギフトを飛鳥が放つ。アーチの始点から終点にいるペスト目掛けて。

 

 轟と響きをあげた軍神の槍と共に、魔王を称した少女は爆ぜて散っていった。




九話ってさすがに長すぎたぁ、とか思いながら次話にエピローグ。
というわけで十話で二巻終了となりますね。閲覧ありがとうございます。

>今回は楽しく愉快に信長君にははっちゃけていただきたかった。彼の安否は如何に!(白々しい)

>めちゃくちゃ余談に彼のことを補足しますと、信長君は別に戦闘狂とかではないのですよ?まあ噛み砕いた感じでいうと、怖いもの見たさで肝試しをやってみたり、怖がりながら絶叫マシーン乗ってみたり、十六夜君とは少しベクトルが違った刺激を欲していたわけです。

信長はドSではなくドMだったんだね!(台無し)

>ちなみに、レーヴァテインの伝承やらがあやふやなのも史実です。明確になっていないものって本当にアレンジ加えやすくていいですねぇ


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ごめんなさい

 ギフトゲームの終幕から48時間後。魔王軍、グリムグリモワール・ハーメルンは完全消滅し、街は祝勝会一色に染め上げられていた。黒死病に侵されていた者達もペストの敗北と同時に回復した。元々病というより、呪いに近いものだったので、原因であるペストが消えれば効力も消えるのは必然だ。

 

 かくして病人がすっかりいなくなり、隔離施設がもぬけの殻になった中で、ひとつだけ明かりの点いた部屋があった。信長の部屋である。

 

 

「あー……暇だなぁ」

 

 

 枕に頭をうずめてぼやく。黒死病こそ治ったものの、その間に無茶した体力までは戻らない。戦いの決着と同時に気を失っていた信長は、こうして安静を言い渡されたのだった。――――と、そこへ扉が叩かれる。

 

 

「入っていい?」

 

 

 耀の声だった。信長が応じると扉がそろそろと開けられる。やたら慎重に扉を閉めて振り返ったかと思うと、目が合えば咄嗟に逸らされてしまった。顔を俯かせたまま信長のいるベットの近くまでくるが、そこで止まってしまう。

 

 

「どうしたの? 座れば?」

 

 

 なにやら様子のおかしい耀に首を傾げながらも椅子をすすめる。やはり無言で、椅子に腰を下ろした。沈黙。

 

 

「具合、平気?」

 

 

 ようやく口を開いた耀。顔はあげてくれない。

 

 

「うん! 元々怪我はしてなかったしねー。耀ちゃんの顔も見れて元気百倍!」

 

「そう」

 

 

 終了。

 

 

(あ、あれー?)

 

 

 クスリと笑ってくれるか、もしくはいつもみたいに呆れた反応でもしてくれれば会話も発展しようものだが、どうにも続かない。いつもと違う耀の様子に背中に嫌な汗を流す信長。

 ふと、耀がなにかを持っていることに気付く。串焼きがのった大皿だった。

 

 

「それ持ってきてくれたの?」

 

 

 言われて思い出したように耀はコクリと頷いて皿を差し出してきた。

 

 

「わあ、ありがとう! 実はお腹ペコペコだったんだよねー」

 

 

  串を1本手にとって先端に突き刺さった肉に噛り付く。――――美味しい。

 とても単純な料理のようだが、ただ焼いているだけでもないようだ。なんの肉かわからないのが少々気になるところだが。

 

 

「凄くおいし――――」

 

 

 いよ、と言いかけて驚いた。皿に載っていたもう1本の串焼きが消えている。いや、あるのだがなにも刺さっていない串がポツン、と置いてあるだけ。ふと見た少女は相変わらず表情に変化は見えないものの、その頬はリスのように膨らませてもぐもぐと動かしている。

 

 

(あ、全部くれるわけじゃないんだ)

 

 

 もしかしたらこの1本も本来はあげる予定ではなかったのかもしれない。悪いことをしてしまったか、と考えながら食べかけを返すわけにもいかず、次に齧りつこうとして、

 

 

「ごめんなさい」

 

「んあ?」

 

 

 あんぐり口を開いたまま首を傾げる。耀は思いつめたような瞳でこちらを見ていたかと思うと、やがてまた顔を俯かせる。むしろ串焼きを取ってしまって謝るのはこちらではないのかと、見当はずれなことを考えていた信長に対して彼女は繰り返す。

 

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさいって?」

 

 

 耀は膝の上に置いた手でぐっ、と拳を作り意を決したように信長の目を見る。

 

 

「私、信長の言葉の意味をちゃんとわかってなかった。信長に甘えてた」

 

 

 ああ、と信長はようやく彼女がなにに思いつめていたのか理解した。黒死病にかかっていたことを隠して遊戯に参加しようとしていた彼女を信長が諫めたときのことを言っているのだ。あれから彼女なりに考えて、こうして謝りにきてくれたのだろう。不安そうな顔を浮かべる彼女は、一体自分がどんな反応をすると思っているのだろうか。

 子供のように怯える姿が少し可愛らしい。

 

 

「えー、なんのことー?」

 

 

 ケラケラと笑って信長は誤魔化すことにした。元々自分は偉そうに説教出来るほどの人格者なわけでもないのだ。

 

 

「許してくれるの?」

 

「許すもなにも、僕はなにも覚えてないよ」

 

 

 そんな反応に、耀は何故かため息を吐いて、その後クスリと笑うのだった。

 

 

「わかった。――――じゃあ信長も謝って」

 

「………………え?」

 

「謝って」

 

 

 満面の笑顔で耀はそんなことを言うのだった。その笑顔にどこか迫力を感じるのは錯覚だと思いたい。

 

 

「僕が、耀ちゃんに?」

 

「うん」

 

 

 当然だとばかりに頷く。一体何について謝ればいいのか。信長はしばし考えて、

 

 

「串焼き取っちゃったこと?」

 

「違う」

 

 

 即答された。

 

 

「十六夜に聞いた。君も黒死病にかかってたって」

 

 

 ギクリ、と信長の体が揺れる。同時に理解した。彼女の笑顔が怖い理由を。

 耀は変わらず怖いくらい完璧な笑顔で信長に詰め寄る。

 

 

「謝って」

 

「で、でも僕は別に嘘をついたわけじゃ……」

 

「でも黙ってた。謝って」

 

 

 怖い。いつもよりずっと怖い。

 冷や汗をダラダラ流してこの場の解決策を模索して、

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 土下座が一番だという結論に達した。彼女は満足そうに一つ頷く。

 

 

「うん。許さない」

 

「あれえええええええええええ!?」

 

 

 まさかの判決だった。

 

 

「許してくれないの!?」

 

「うん。許さない」

 

「僕は耀ちゃんのこと許したのに?」

 

「だって信長覚えてないんでしょ?」

 

 

 してやったりと勝ち誇る耀。これにはさすがに困った信長は、

 

 

「あ、はははは」

 

 

 もう笑うことしか出来なかった。

 

 

「わかったよ。耀ちゃんのお願いなんでもひとつきいてあげる」

 

「きかせてください」

 

「……耀ちゃんのお願いをなんでもひとつきかせてください」

 

「よかろう」

 

 

 殿様にでもなったように見えない扇子を扇ぎながらふんぞり返る耀。信長はもうどうにでもなれと諸手を挙げて苦笑した。

 とりあえず、今度ご飯を奢るということで一時的に許してもらえることになった。それでほっとした信長は知らない。目の前の少女の胃袋が、名だたる戦国武将達をも寄せ付けない猛者だということを。

 

 

「信長さん体の御加減はどうでございますかー! 栄養たっぷりのニンジンスープを持ってきました」

 

 

 部屋に突入してきた黒ウサギ――――だけではない。

 

 

「あら、割と元気そうね。パイを持ってきたのだけれど食べられるかしら」

 

「疲れなど酒を飲めば吹き飛ぶぞ。おんしのために私の秘蔵コレクションから持ち出してきたのだから飲め!」

 

 

 飛鳥に白夜叉と続々と部屋に入ってきた。一気に騒がしくなった部屋を眺めて、信長は今日いくつめだかわからない発見をする。

 信長は笑っていた。戦いでもなんでもない、彼女達を見るだけで彼は心の底から笑えていた。

 

 

(ああ、本当にここは楽しいところだなぁ)

 

 

 改めて、箱庭に来れたことに感謝した




~if~耀ルート

(謝った後……)

「頬叩いちゃってごめんね。痛かった?」

 シュンとうな垂れる耀。

「大丈夫大丈夫。あ、でも耀ちゃんが優しく手で撫でてくれたら僕嬉しくて叩かれたことも忘れちゃうか――――」

 柔らかな感触がかつて叩かれた右頬に触れる。
 思わず固まってしまう信長の視界で、耀の顔が獣の如き速さで離れていく。

「もう痛くない?」

 首を傾げてはにかむ少女。信長の呆け顔にしてやったりといった感じだが、その顔は真っ赤だった。
 さすがの信長も呆然としてしまい冗談を返せない。それにますます恥ずかしくなったのか、耀は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がる。

「た、食べ物もっと持ってくるね!」

 言うや否やドアからではなく窓から飛び出してパーティーが行われている広場へ。

 部屋に残された信長は右の頬を名残惜しそうに撫でる。

「うーん。不覚にもドキッとしちゃった」

 パーティ会場を駆ける少女もまた、そのとき同じように唇を撫でているのだった。


>上記は当時リクエストで感想欄に書いた耀ちゃんルートキスエンドでした。

ここより下あとがき

>耀ちゃんエンドかと思いましたか。残念、ハーレムエンドでした。

>閲覧ありがとうございますー。
この二巻は耀ちゃんとの絡みが多かったのでどうせだから最後まで絡ませてみました。ちなみに、耀ちゃんにフラグがたっていたら彼女からキスが(うわ、やめろ。なにをする)

>というわけで二巻終了です。三・四巻では是非とも飛鳥と絡ませてあげたい!


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三、四巻 そう……巨龍召喚&十三番目の太陽を撃て
一話


 《黒斑模様の魔王(ブラック・パーチャー)》とのゲームから早一ヶ月。《ノーネーム》一同は今後の方針を話し合うために今まで使われることのなかった本拠の大広間に集まっていた。

 

「どうした? 俺よりいい位置に座ってるのに随分と気分悪そうな顔してるじゃねえか、御チビ」

 

 大広間中心に据えられた長机、一番奥の上座から一つ手前の席に腰を下ろしている十六夜はニヤニヤと笑う。

 

「だ、だって旗本の席ですよ? 緊張して当たり前じゃないですか」

 

 当然ながら最も奥の上座にはリーダーのジンがいる。強張った顔で十六夜に言い返すのだった。

 ジンは当然ながら、十六夜が次席に座るのも考えてみれば当然で、水神を倒しての水源の確保、レティシアの奪還、ついこの間のゲームでは謎解きだけでなく神格保持者となった悪魔、ヴェーザーをも倒した。

 黒ウサギを例外とするなら最もこのコミュニティに貢献しているといっていい。

 

「それで? 今日集まったのはどんな話し合いなのかしら?」

 

 そんな十六夜より一つ手前には飛鳥。彼女が従える新しい仲間、ディーンとメルンによって死んでいたコミュニティの土地が蘇りつつある。その功績が認められて彼女は二番目の席に座っているのだが、その顔に不満が見えるのはやはり一番でないことが理由らしい。それでも十六夜の凄さを認めているから、不満こそあれ納得はしている。無論いつまでもそこに甘んじるつもりがないのは明らかだ。

 そんな彼女の次にいるのは三毛猫を抱き抱えている耀。そこから順に黒ウサギ、メイドのレティシア、年長組み代表のリリ。そして、

 

「ふぁ……むにゃむにゃ」

 

 リリのすぐ脇で、長机から少し離れた所の椅子に腰掛けて大欠伸をしているのが信長だった。

 

 当初、彼が座る位置は飛鳥と耀の間だった。水源の確保、土地の再生といったコミュニティの生活に大きく関わるような目立った功績こそないものの、《ペルセウス》とのゲームのときも、《ハーメルン》とのゲームのときも、ここぞという場面で彼の力はコミュニティに多大な貢献をしている。特にペストとの戦いでは実質たった一人で彼女を追い詰めたといっていい。

 それに飛鳥も耀もレティシアも、そして黒ウサギも、誰もが彼に一度は救われている。直接的に命を救ってもらったこともあれば、心を救われたこともある。

 だからもし彼が飛鳥に代わって二番目の席に置かれても、きっと誰も異論は唱えなかった。それを断ったのは彼自身。

 

 この期に及んで彼はまだ自分は《ノーネーム》の正式メンバーではなく客分扱いで構わないと言うのだ。それはつまり正式な仲間であることを拒否したとも取られ、特に黒ウサギなどは悲しそうな顔をした。

 しかし、驚くことにそれを認めたのはジンだった。黒ウサギ達は知らないが、ジンと信長はかつて約束している。ジンが立派な将となったそのとき、彼は正式にジンの仲間になってくれると。そしてその言葉を信じているからこそ、たとえ立場は客分であってもジンは信長を正式なコミュニティのメンバーとして扱おうと決めている。

 

「――――つまりだ」

 

 リリによるコミュニティの現状報告を終え、話題は黒ウサギのあげた農園の特区に関することに移る。メイドであるレティシアが引き継いで話す。

 

「主達には特区にふさわしい苗や牧畜を手に入れて欲しいのだ」

 

「牧畜って、山羊や牛のような?」

 

「そうだ。都合のいいことに、南側の《龍角を持つ鷲獅子(ドラコ・グライフ)》連盟から収穫祭の招待状が届いている。連盟主催とあって収穫物の持ちよりもギフトゲームも多い」

 

「珍しいものや面白いゲームがいっぱいってことだね」

 

「その通りだ」

 

 信長の言葉に彼女は頷いて席に着く。《ノーネーム》も噂が噂を呼んで他にもいくつかギフトゲームへの招待状が届いている。今レティシアがあげたものなど、前夜祭からの招待であり、さらに費用は全て主催者持ちという破格の待遇。十六夜の立てたコミュニティ復興の作戦が早くも効果を現していた。

 

「方針については一通り説明は終わりました。……ですが、一つ問題があります」

 

「問題?」

 

 黒ウサギはとても言い難そうに目を泳がせて、

 

「この収穫祭ですが、二十日間ほど開催される予定で、前夜祭を含めれば二十五日。約一ヶ月行われることとなります。この規模のゲームはそう無いですし、出来れば最後まで参加したいのですが、コミュニティの主力が長期間不在なのはよくありません。なのでレティシア様と一緒にせめて御一人残って欲しい――――」

 

「「「「嫌だ」」」」

 

 ですよねー、と苦笑いを浮かべる黒ウサギ。楽しいこと間違いないお祭りを、この問題児軍団がお預けなど耐えられるはずがない。視線でジンに助けを求める。

 

「では日数を絞らせてください」

 

「というと?」

 

「前夜祭を二人、オープニングセレモニーからの一週間を四人、残りの日数を前夜祭に参加出来なかった二人で参加するというのはどうでしょう」

 

 これなら平等の日数を全員が過ごせる。

 

「悪くはないが訂正がある」そこに口を挟んだのは十六夜「俺は是非とも全部の日数を過ごしたい。お嬢様達も同意見だろ?」

 

 視線で窺うと三人共に頷く。

 

「前夜祭と、本祭一週間後の人数は三人」

 

「それだと二人だけ全部参加出来るよね?」

 

 耀の疑問に彼は大仰に頷き両腕を広げる。

 

「ゲームで決めようぜ。前夜祭までの期間で最も戦果を挙げたものが優先的に日数を決められる」

 

 それはとてもわかりやすく、何より不満もあがらない。行きたければ権利を勝ち取れ、という彼の挑発に飛鳥も、耀も、もちろん信長も承諾したのだった。

 

 

 

 

 

 

「その草履素敵ですね」

 

「うん? ああ、白ちゃんにこの前のギフトゲームで活躍したご褒美として貰ったんだー。履きやすくて僕も気に入ってるの」

 

 にへらと笑いながら片足をあげてみせる。ペストをたった一人で食い止めた褒美として白夜叉の方から信長に願いを訊いてきた。それに対して彼が求めたのは着物に次いで履物。とはいっても、着物のような特殊な素材で作られた物が早々あるわけもなく、これはそれなりに丈夫ではあるがただの草履。彼はそれで充分だと言ったが、白夜叉の方がそれでは働きに対して不足過ぎるとして褒美は後々ということになった。『おんしには借りばかり増えていきよる』とは、草履を受け取った後の彼女の弁だ。

 

 複数の神の恩恵を得た着物に草履、腰に差した刀の形をとったレーヴァテイン。彼の姿はそのまま彼の世界の名残である和服姿で整えられていた。こちらに来て珍しい物にはいくつも気を惹かれたが、やはり服は自分にあったものがいいと思ってのことだ。

 

「あ、あの信長様!」

 

 大通りを空を見上げながら歩いていた信長は呼びかけに応じて視線をそちらへ。隣を歩く狐耳の少女、リリが不安そうにこちらを見上げていた。

 

「いいんですか?」

 

「なにが?」

 

「な、なにがって……」

 

 問い返されて思わず困惑するリリ。二人は今街に買出しにきている。買出しはいつもリリを含めた年長組一人と、大人が一人付き添う。たとえ慣れ親しんだ街でもガルドのように人攫いがないとも限らないからだ。

 いつもならその役目は黒ウサギかメイドのレティシアなのだが、二人共少し手が離せない様子で声をかけられずに途方に暮れていたリリを見つけた信長が自分がついていくと言ってくれたのだ。

 

「信長様のお気持ちは嬉しいですけど、今信長様達は大切なゲームの最中じゃないですか」

 

 それを邪魔してしまうのは心苦しい、と少女は俯く。

 

「なに言ってるんだい。リリちゃんみたいな可愛い女の子と買い物に行く以上に大切なことなんてないよ」

 

 信長の言葉に思わず赤面してしまうリリは再び顔を俯かせる。そんな反応を楽しみながら彼は続ける。

 

「それに実は僕、今回のゲームはあんまりやる気ないしねー」

 

「え!?」

 

「だってどっちにしたって本祭の一週間と前後どっちかには行けるわけだし。それに」

 

 ――――今回は魔王と楽しく愉快に戦えるわけでもないし、なんて過激な発言はさすがに幼いリリの前では言えない。不自然な間に少女が首を傾げるので笑って誤魔化す。

 

「ま、とにかくそれだけあれば僕は充分楽しめると思うから。今回は他の三人に譲ることにしようかなって」

 

「はぁ……」

 

 それでも理解の出来ない少女は生返事する。それも仕方ない。彼の考えることを理解出来るものなど、ここ箱庭でも何人いることやら。

 彼女にしてみれば一日でも早く、一日でも多く祭典に参加したいと思うのだからその反応も当然だった。

 

 そんなとき、角から飛び出してきた小さな人影がちょうど角にさしかかろうとしていたリリとぶつかった。

 

「きゃっ!」

 

「おっと」

 

 背中から倒れそうになる少女の背を支える。

 

「大丈夫?」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

 よほど驚いたのか目をまん丸にしながら感謝の言葉を口にするリリ。本当に律儀な女の子だ。

 リリを立たせて、信長は目の前へ視線をやる。リリとは逆に跳ね飛ばされたようでしりもちをついて打った腰をさすっている少年。彼が角から飛び出してきた人影の正体だろう。そんな彼の頭部にはまだ小さいながら牛の角が生えている。いわゆる牛のギフトを得ているリリと同じ獣人の子供だ。

 

「おいおい子牛君、元気なのは結構だけど気をつけないと駄目だよー」

 

 信長はたしなめながら少年にも手を差し伸べる。少年は差し出された手を見て、信長の腰に差した刀を見て、最後に顔を見上げた。

 

「た、助けてくれ!」

 

 はてさて、少し面倒なことだろうかと思いながらも、信長はゆるみきった微笑みを浮かべて少年の言葉に耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 少年は名前をミルと名乗った。事情を聞いてみれば、彼はあるギフトゲームで敗れたらしい。正確には彼の母親が。

 

「家の土地は少し特別なんだ」

 

「特別?」

 

「普通、畑に種を植えれば芽を出して実を作ったり花を咲かせるだろ。けど家の畑は――――種を生むんだ」

 

 種を植えて種を生む、ミルの説明に信長とリリは首を傾ぐ。

 

 詳しい話を聞いてみると、ミルの土地は種、もしくは苗を一つ植えれば翌日にはそこに十の種が。十を植えれば百の、といったように植えたものを生むものらしい。希少なものになると日数が必要であったり増える数が少なかったりするらしいが、それでもその価値は計り知れない。希少なものになれば一つ手に入れるだけでも大変な苦労がかかる。それを無条件で増やすことが出来るのだ。たとえ希少でなくても、わざわざ金銭を払って新しい種や苗を買わずともいいというのだから。

 

「あいつらはそれを狙ってやってきたんだ」

 

 『あいつら』。ミルがそう呼ぶ奴等を信長に倒して欲しいと彼は頼んできたのだ。

 

「あいつら、俺を人質にして母ちゃんに無茶なゲームをさせて無理矢理土地の利権を奪ったんだ」

 

 今やその《種を生む土地》は彼らの物となっているらしい。しかも彼等はその土地で違法な植物の種子を増やして売りさばいているのだと、ミルは悔しそうに言った。それに文句を言おうとした母親は大怪我を負わされ、今は床に伏せっているらしい。

 

 ――――正直、信長には関係もなければ興味も無い話だった。たとえその連中がどんな卑怯な手を使ったのだとしても負けた方が悪い。

 だから信長は彼を助けるつもりなどなかったのだが、

 

「信長様お願いします。ミル君を助けてあげてください!」

 

 必死にリリは頭を下げる。それにはミルも驚いていた。赤の他人に過ぎない自分のことで少女が必死に頭を下げる理由がない。理解が出来なかったのだろう。

 

 しかし信長は以前リリの過去を聞いている。彼女は、彼女の一族は稲荷の神に連なる豊穣の一族。代々《ノーネーム》の土地を任されているのはそれが理由だ。そんな彼女も魔王によって土地を失い、母親を連れ去られてしまっている。そんな自分とミルを重ねてしまったのだろう。

 そして、可愛い女の子からの頼みをはたして信長は無碍に出来るだろうか。出来るはずもない。

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

 緊張した面持ちである建物の前でミルは立ち止まる。賑わうペリベッド通りからやや離れた裏手は雰囲気は暗く、雰囲気も淀んでいるように思える。常日頃から黒ウサギに街の裏手には行かないようきつく言われているリリはかなり強張った表情で信長の手をぎゅっと握っている。つまりここはそういった連中の吹き溜まりだということだ。

 ミルが一歩前に出て扉を開く。中から流れてきた淀んだ空気にリリが思わず顔をしかめた。

 

 ここは元々酒場だったのか、中にはいくつもテーブルとイスが乱立している。そのうち数脚に男達が座っている。灰色の煙が部屋に充満し、空の酒瓶が床に打ち捨てられ、荒れ果てた店内に相応しい荒んだ者達が店を占拠していた。

 すると一番奥で煙草のようなものをふかしていたサングラスをかけた男がミルの来訪に気付いた。

 

「よー、誰かと思えばこの間の牛のガキじゃねえか。んん? 後ろのお二人は見覚えがないなぁ」

 

「今日はうちの土地の権利書を返してもらいに来たんだ!」

 

 ピクリと、男の瞼が跳ね上がる。

 

「……ほほう、そりゃあつまりなんだ」

 

 ゆっくりと椅子から腰を上げる男の姿が見る見るうちに変貌していく。完全に立ち上がる頃にはオオトカゲの姿へ変わっていた。

 

「母ちゃんの仇討ちってわけかぁ」

 

 トカゲ男は腹を抱えて笑い、呼応するように仲間達も下卑た哄笑を上げる。

 

「なにが可笑しいんだ――――がはっ」

 

「ミル君!」

 

 トカゲ男の蹴りが深々とミルの腹に突き刺さりその場に崩れ落ちる。

 

「ケッケッ、舐めんなよ糞ガキ。お前にはもう賭けるもんなんざねーだろうが。それとも」男の目が信長に向く「そこの兄ちゃんが代わりになにか賭けるか? こんな何も持ってねえ糞ガキのためなんかによー」

 

「うん。いいよ」

 

「「は?」」

 

 一瞬、部屋にいる者達の時間が止まった。

 

「く、ケッキャキャキャキャ! こりゃ面白え! なにを賭ける? 金か? 土地か? それともギフトか?」

 

「僕の命」

 

「の、信長様!?」

 

「言ったな小僧! もう取り返しはつかねえぜ!」

 

 信長とトカゲ男、二人の頭上に《契約書類(ギアス・ロール)》が出現する。

 

『ギフトゲーム名《偽者を暴け》

 

 プレイヤー一覧、織田 三郎 信長。

 ゲームマスター、ザイル。

 クリア条件、偽者を暴き真実を掴め。

 敗北条件、プレイヤー側が偽者を暴けなかった場合。上記の条件を満たせなくなった場合。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

 

 《フォレス・リザード》印』

 

 信長が《契約書類》を確認した直後、光が視界を潰した。再び目を開いたとき目の前には――――リリが二人いた(・・・・・・・)




>二巻の耀ちゃんキスエンドが知りたい人は二月十八日の感染爆発さんの感想を見るとちょろっと書いてありますですよ!なぜ最初に書いたかって?こんな私の独り言に等しいあとがきを読んでくれている奇特な方が果たして何人いるかわからないからですッッ!!

>あとがきの前に今週のアニメより……今までで一番楽しかった(感涙)
白夜叉のエロ素晴らしさと女の子達の素肌タオル着物見れただけで感無量でありました!

>本当にあとがき。
閲覧ありがとうございましたー。ぼちぼち忙しくなりつつあり、仕事が始まったら今回ぐらいか、もしくはもっと遅い執筆ペースになるのかなぁといった感じでした。まあ、今回は慣れないオリジナルを書いているから、妄想はあってもそれを整理出来ずに四苦八苦というのも原因でしたが。

まま、出来れば五巻の水着回まではなんとか四月前に終わらせたい。というか書きたい!……という願望と欲望と皆様の応援を糧に頑張りたいです。

ぴーえす>花粉症が辛いです。


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二話

「わお」

 

 信長の目の前には可愛らしい狐耳が四つ、ぴょこんと立っている。同じく可愛らしいまん丸の目で互いを見つめた二人のリリは同時に叫んだ。

 

「信長様私が本物です!」

 

「違います信長様! あっちの私は偽者です!」

 

 自らを本物だと訴える右のリリと、相手を偽者だと叫ぶ左のリリ。姿かたちだけでなく声までそっくりだった。

 

「どっちかが本物で、本物を選べばあんたの勝ちになる!」

 

 二人のリリを指差してそう言ったミル。それを見たトカゲ男、ザイルは嗜虐的に笑った。

 

「ケッケッ、そんでお前の母ちゃんはお前を選べなかったんだよなぁ」

 

 悔しそうに唇を噛むミル。かつてのゲームでは人質に取られた彼が分身させられ、彼の母親が挑戦者だったのだろう。そしてミルの母は彼を見つけられず、敗北した。

 下卑た哄笑をあげるザイルだったが、ふと《契約書類》の名を見て驚愕した。

 

「待て。待て待て待てよ。織田 信長だと……? まさかテメェ、あの(・・)《ノーネーム》の織田 信長か!?」

 

 ザイルの言葉に《フォレス・リザード》の仲間達までざわめく。わけがわからず首を傾げる信長。ザイルは額に手を当てて再び笑い出しす。

 

「わかるわけねえよな。テメェ自身はあのゲームに参加していたわけじゃねえし、俺も出てなかった。だけどなぁ、俺達は忘れねえぞ?」

 

「?」

 

「俺達はお前達が潰した《フォレス・ガロ》のメンバーだったんだよ!」

 

 《フォレス・ガロ》は信長達が箱庭にやってきて最初に喧嘩を売った相手だった。リーダーのガルドは東区周辺のコミュニティの子供を攫い無理矢理ギフトゲームを仕掛けて勢力を拡大させていった。それを飛鳥のギフトによって暴露させられ、彼女達の逆鱗に触れたガルドはギフトゲームにて飛鳥達と対決。後、ガルドの死亡をもってコミュニティは解散した。

 旗を奪われ傘下に加えられていた者達はジン、正確には十六夜の策略によって解放され、再びコミュニティとして活動している。感謝されこそすれ恨まれることはありえない。つまりザイル達は傘下のコミュニティではなく、《フォレス・ガロ》のコミュニティだった者達ということだ。《フォレス・リザード》はつまり、《フォレス・ガロ》の残党が集まって出来たコミュニティなのだ。

 

「お前ら名無しがガルドを潰しやがってくれたおかげで、俺達は毎日毎日こんな薄汚え場所でコソコソ生きてかなきゃならなくなったんだ。余計なことしやがって畜生が……」

 

「…………」

 

「――――ッとか言えや!」

 

 ザイルが近場にあった椅子を怒りのまま蹴り飛ばす。壁に激突した椅子は粉々に砕け散った。剥きだしの憎悪に、リリとミルはたじろいだ。

 一方で、ザイルだけでなく《フォレス・リザード》全員の殺気を受けている本人は、

 

「ごめん。覚えてないや」

 

 あっけらかんと言い放った。

 

 ブチリ、とザイル達から何かが切れた音が聞こえた。彼等にしてみれば今まで一時も忘れることのなかった怨敵。その相手の口から『覚えていない』と言われた。ただそれだけでも彼等にしてみれば許せないが、それだけではない。信長はガルドとのゲームには結局参加していなかった。だから本当に覚えていなくても仕方が無いといえば仕方無いのかもしれないが、彼はおそらくあのときゲームに参加していたとしてもきっと今と同じ台詞を吐いたのだとザイルは察してしまった。ザイルにとって一生を狂わされたあのゲームは、彼にしてみればなんでもない覚えておく価値もない出来事だったのだ。それが許せない。

 

「……覚えとけ。テメェは必ずミンチにして喰ってやる」

 

 額に血管を浮き上がらせ、血走った目でザイルは言う。

 

「――――さて」

 

 信長は意にも介さず微笑を浮かべて二人に増えたリリに向き直る。相変わらず自分が本物であると訴える二人。二人の顔を一度ずつ見てから信長は一つ頷いて、二人同時に斬り捨てた(・・・・・・・・・・)

 その行動に誰もが息を呑む目の前で、斬り捨てられた二人のリリは煙のように消えてしまった。

 

 つまりどちらも偽者。

 

「信長様!」

 

 ザイルとは別の《フォレス・リザード》のメンバーの手を振り払ってリリが飛び出す。涙を浮かべながら信長の胸に飛び込む。

 

 ――――それを信長は再び斬った(・・・・・・・・・・・)

 

「な!?」

 

 今度こそ全員が驚愕した。斬られたリリは呆然と己の胸からあふれ出す血を見つめて、

 

「ぎ、ぎゃああああああああああ!!」

 

 野太い叫び声をあげた。

 

 床に倒れるなり傷口を押さえて転げまわるリリの姿が見る見るうちに変わっていき、やがて爬虫類系のギフトを宿した小男に変わる。否、戻った。

 男が転げる拍子に短剣が床に落ちた。もしあのまま信長に抱きついていたらそのままその剣で彼を貫くつもりだったのだろう。致命傷を負い続行が不可能となればルールに従い信長の負けとなっていた。

 

「なんでだ! 何故偽者だとわかった!?」

 

 ザイルが叫ぶ。信長は血糊を払った刀を鞘に戻しながら答えた。

 

「僕が女の子を見間違えるわけないよ――――と、言いたいところだけど実際は違う。最初の二人も、彼の変化も見分けがつかないほど完璧だった。だから君に教えてもらうことにした」

 

 信長が指差したのはザイル。

 

「俺、だと?」

 

「人質を取って子牛君の母親とゲームをするくらいの君ならまず対等な勝負をしてくるはずがない。なら最初の二人の内どちらかが本物なんて運任せなゲームのはずがないよね」

 

 だから最初の二人はどちらも偽者。そうして次にまるで本物かのように現れたリリ。

 しかしそれも実は偽者。むしろこちらがザイル達にしてみれば本命で、見破ったと思わせて隙を見せた挑戦者を負傷させてゲームの終了を狙う。

 

「だから僕は君の表情から、これが偽者だと見破った」

 

 本物がわからないなら知っている者に教えてもらうだけ。いくらなんでもあからさまな表情はしないだろうが、いくら隠そうとしても信長の洞察眼ならその違和感程度容易く見破ることが出来る。そしてこの策が破られた今、ザイルにこれ以上の手が無いこともお見通しだった。

 その証拠に、ゲームの終了を告げるように信長の手元に賞品として土地利権書が出現した。これでゲームクリアだ。

 

「信長様!」

 

 今度こそ、男達の手から逃れたリリが信長の胸に飛び込んできた。おそらく最初の発光の瞬間に連れさられたのだろう。

 

「ごめんなさい信長様。私足手纏いになっちゃいました……」

 

 ゲームの対象でもあった彼女は、だからこそザイル達も手出しが出来なかった。それがわかっていても幼い彼女は恐ろしかったはずだ。泣きじゃくる少女の頭を優しく撫でる信長。

 

「ところで子牛君」

 

「あ、ああ」

 

 呆然としていたミルは信長に呼ばれてハッとする。そんな彼に信長はごく自然なことのように尋ねた。

 

「君、この人達とグルでしょ?」

 

 ミルとザイル、それに泣いていたリリまでその発言には驚いた。涙で目を腫らしたリリは困惑した様子でミルと信長を交互に見る。

 

「君はゲームの最初にこう言ったよね? 『どっちかが本物だ』って。でも変じゃないかな。君は一度このゲームに参加しているんでしょ? それも分身の対象として。――――なら少なくとも、最初の二人が本物でないことぐらい(・・・・・・・・・・・・・・・・)知らないはずがないよね(・・・・・・・・・・・)

 

「嘘、だよね。ミル君」

 

 俯く彼はリリの言葉に応えない。応えられない。体を震えさせて、必死に拳を握り締めている。やがて彼は震えた声で告白を始めた。

 

「あいつらに協力してもっといいギフトを手に入れられれば土地は返してくれるって言ったんだ」

 

 彼の役割は二つ。一つは同情を引いてザイルのゲームにプレイヤーを参加させること。もう一つはゲームのミスリード。ホストであるザイルはゲームについて嘘は言えないし、彼の仲間が言ったところで挑戦者は信じない。

 しかし挑戦者側であるミルの言葉なら信じる。そもそもこのゲームは彼を救うために参加したゲームなのだから。

 

「ねえ、もう一つゲームをしようか」

 

「なんだと?」

 

 信長の言葉にザイルが怪訝な顔をする。

 

「ホストは僕でプレイヤーはあなたとこの子牛君。勝った方にこの権利書をあげる」

 

「そんな!」ミルが叫ぶ「俺のために戦ってくれたんじゃないのかよ!?」

 

「君が先に僕達を裏切ったんだからこれで御相子でしょ?」

 

 言葉を詰まらせるミル。誰にだってわかる。今の彼に文句を言う権利なんてない。

 

「……ルールは?」

 

「子牛君が僕に一撃入れたら子牛君の勝ち。君はそれを邪魔すればいい」

 

 それはつまり信長とザイルが仲間で、ミルは二人を相手にたった一人で戦うということだ。

 

「乗ったぜ!」

 

 信長を相手にしなくていいとわかった途端合意を示したザイル。信長は再度ミルに問いかける。

 

「さあどうするの? といっても、これを受ける以外君のもとにこの権利書が戻ることはないけどね」

 

 そう、この勝負に勝つ以外ミルの元に土地が戻ることはない。そして母が傷を負っている今、土地を取り返す以外で彼等親子がこの箱庭で生き残る術は無い。こんな子供を働かせてくれる場所も簡単には見つからないだろうし、よしんば働けても二人分の生活を支えられるわけがない。

 最初から彼には頷くしか選択肢は残されていなかった。

 

『ギフトゲーム名《弱者の一矢》

 

 プレイヤー一覧、織田 三郎 信長。ザイル。ミル。

 ルール説明、ミルが信長に一撃与えればミルの勝利。ミルが一撃を与えられないままゲームを続行出来なくなった時点でゲームは終了。

 

 宣誓、上記のルールに則りギフトゲームを行います。』

 

 

 

 

 

 

 当然のことながら、ゲームは一方的なものだった。ザイルの一方的な暴力にミルは血を流して床に倒れこむ。元々大人と子供では力に差があるのは人間であろうと獣人であろうと同じだ。

 リリは始め、信長はミルに怒っているのかと思った。騙されたことを怒ってこんなゲームをしたのかと。

 けれど少女の知る信長は自分が騙されたからなんてつまらない理由でこんなつまらない報復は絶対しないはずだ。なら何故か、その答えはどうしても出ない。

 

「あぐっ!」

 

「ミル君!」

 

 幾度目かわからないザイルの拳にミルは無様に床に這いつくばった。顔を腫らし、節々から血を流している。最初こそ信長に向かっていっていたが、今やただ体を丸めて耐えるだけ。

 

「ほらほら子牛君、頑張らないと負けちゃうよー」

 

 ミルから見ればザイルを挟んだ数メートルの距離。椅子に座りながら他人事のように声をかける着物姿の少年。

 きっと信長にはなにか考えがある。そう信じている。でも、少女にはもう限界だった。

 

「信長様! もうやめさせてください! これ以上やったらミル君が死んじゃいます!!」

 

 涙を流して訴えるリリ。信長は白々しい声援をやめて、床にうずくまったまま動かないミルを一瞥する。退屈そうにため息をついた。

 

「そうだね、これ以上は無駄みたいだねぇ。なら子牛君、さっさと降参しちゃいなよ」

 

 ピクン、と少年の体が震えた。

 

「殺されちゃう前に降参すればいい。それでこのトカゲさんにこれまで通りこき使ってくださいと泣いて頼むか、それとも土地も怪我をしたお母さんも見捨てて箱庭の外に出ればいい」

 

 言葉が進むごとに信長の声は冷え切り、遂には緩んだ笑顔も消失してミルを見下ろした。

 

「毎日震えて、己を蔑んで、一生を過ごせばいいよ」

 

「あんたみたいな強い奴になにがわかるんだってんだよ!」

 

 ガバッ、と顔をあげたミルは泣きながら信長に訴えた。

 

「俺は子供だし力も弱い! 頭が良いわけでも凄いギフトを持ってるわけでもない! そんな俺がどうやったってコイツラに勝てるわけないだろ!」

 

「だから言ってるでしょ。毎日震えて、そうやって自分を貶して生き続ければいいって。君にはそれがピッタリだ」

 

 その言葉は何よりも痛烈に少年に響いた。

 

「そうやって言い訳ばかりしてる君より、リリちゃんの方がずーっと強いよ」

 

「え?」

 

 いきなり話にあげられたリリは驚いて尻尾を逆立てる。いくらコミュニティの中で年長といえど、力比べで彼に勝てるわけがない。

 

「だって僕がついてるもん」

 

 呆気に取られるリリとミル。

 

「……そ、それはあんたみたいな強い人が味方にいるから」

 

「そうだよ」当然だとばかりに信長は言う「でも君には一生得られない強さでしょ? だって僕はリリちゃんの味方になりたいとは思うけど、君の味方になろうとは思わないもん」

 

 ハッとしたミルは俯いて黙り込む。

 

「体格も筋力も君はリリちゃんより強いかもしれない。でも君は絶対リリちゃんに勝てない。それはたとえ君が強力なギフトを得ても変わらない。――――背中ばかり見せて逃げ回る君に、立ち向かうことを知っている彼女が負けるはずがない」

 

 リリは立ち向かった。母を失い、仲間を失い、代々任せられていた大地を失い、それでも少女は戦ってきた。幼くして年長組の筆頭として子供達をまとめて、小さいながら土地を耕し守ってきた。

 それがどれだけ辛く厳しい道のりだったか。あの小さな体にどれほどの重しとなり傷を負わせてきたのか。想像できるなどと無責任なことをいうつもりはない。

 それでも彼女は笑うのだ。毎日ごはんが食べられると笑う。再生していく大地を朝早くから夜遅くまで泥にまみれながら笑う。明日が待ち遠しいと言って笑って眠る。

 

 そんな彼女だからこそ信長は味方をする。したいと思う。

 

「ケッ、こっちはなんでもいいってんだよ」

 

 冷たく吐き捨てるようにザイルはそう言うと、未だうずくまったままのミルを見下ろす。

 

「オラ、さっさと降参しろよ。そうすりゃこれからも使って――――うぉ!?」

 

 ミルは突然立ち上がったと思ったら頭からザイルに突進する。子供とはいえ牛の獣人、それに油断していたこともあってザイルはもろに鳩尾を打たれて息を詰まらせた。

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

 雄叫びと共にさらにミルは踏み込んだ。

 

「調子に、のんなッ!」

 

 二度は無いというようにザイルはミルを蹴り飛ばす。壁に背中からぶつかりズルズルと沈黙する。

 

「ケ、さあこれで終わりだ。さっさと権利書を」

 

 信長へ振り返ったザイル。信長は指を差して示した。ザイルが顔を戻すとミルは再び立ち上がっていた。

 

「お前さ」ピクピクとザイルの瞼が痙攣する「うぜえよ!」

 

 振り下ろした拳がミルの頬を打つ。二、三歩よろめくが、今度は倒れなかった。

 

「ああああああああああ!!」

 

 倒れるどころかミルの拳がザイルを打った。反撃を予想していなかったザイルは簡単に膝が砕けてしりもちをつく。呆然としたままたった今殴られた頬を撫で、ようやく理解した。

 

「こ、このクソガキィィィィィ!!!!」

 

 凄まじい咆哮と共にザイルは力任せにミルを殴った。反逆など、反抗など想像だにしていなかった者からの反撃に無様な醜態を晒してしまったザイルは完全に頭にきていた。倒れこんだミルに容赦なく追撃を加えた。

 

 それでも今のミルは諦めなかった。戦うことを初めて知った彼は、がむしゃらにザイルの足にしがみつく。このゲームで彼が勝つには彼が信長に攻撃を当てなければならない。ザイルにいくら歯向かっても意味は無い。

 だとしても彼は離さない。意味がないとかあるとか、今更そんなこと関係ない。彼は今戦っている。必死になって戦っている。

 

「いい加減にしやがれ」

 

 足にしがみつくミルをもう一方の足で蹴ったり殴ったりするも離れないことに苛立ったザイルは遂に腰のサーベルを抜いた。このゲームはミルが一撃を与える、もしくはミルがゲーム続行不可能となれば終了だ。それはつまり彼の死亡も含まれる。

 今まで相手が子供だからとそれなりの自制心があったようだが、それも今のザイルには無い。

 

「最後だ。離せ」

 

 ミルは震えた。歯の根が合わない。足はガクガクだ。体中痛いし、殴られて腫れたのか左目が見えない。それでも、

 

「いや、だ」

 

「そうか。なら死ね」

 

「ミル君!」

 

 冷たい宣告と共に振り上げたサーベルはミルに向けて振り下ろされ――――止められた。剣を握るザイルの手を掴むのは信長だった。

 驚愕するザイルへ微笑んで、信長の回し蹴りがザイルを吹き飛ばした。

 

「信長様!」

 

「な、んで?」

 

 本心から困惑するミルは信長に尋ねた。

 

「ん? ほらやっぱり君が死んでリリちゃんが泣くのは嫌だし」ケラケラと笑いながら「それに今の君なら味方をしてあげてもいいかなって」

 

「ふ、ざけんな」

 

 信長は前に視線を向ける。蹴られた横腹を抑えながらザイルが立ち上がる。

 

「このゲームは俺とあの牛のガキのゲームのはずだ! お前はむしろ俺側だろうが!」

 

「あれー? でも、僕が君の味方になるだなんてルールは書いてないよねぇ」

 

 ニコニコと彼は平然と言い放つ。信長の言う通り、たしかに《契約書類》に彼がどちらかの味方になるとは書いていない。ミルに攻撃をされたらゲームは終了だが、それが信長の負けであるとは限らない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「そんな……こんな茶番が……俺がこんなガキに……!」

 

「さっきも言ったでしょ。『魅力』も立派な力さ」

 

 信長に殴られたザイルは壁をぶち破り沈黙した。

 

 

 

 

 

 

 ミルと別れた信長達は当初の目的である買い物を済ませると帰路についていた。その間もリリは手に持った紙を眺めてはずっとニコニコしている。

 

『騙していて悪かった』

 

 ゲーム終了後、ミルはいの一番に頭を下げてそう謝った。事情はどうであれ彼が信長達を騙していたのは事実。そして一歩間違えれば信長の命はなかったのだ。

 それでも当の信長はすでに終わったゲームに興味なさそうなのだから相変わらずだ。

 

 彼は取り戻した土地の利権書をしまい、別の証書を渡して言った。今後《ノーネーム》の苗や種の買い付けを任せて欲しいと。特殊なモノも依頼があれば例の土地で必ず増やしてみせると。彼はボロボロだったが、初めて会ったときよりずっと男前だった。

 

「じゃあそれ、僕とリリちゃんの成果ってことで十六夜達とのゲームに報告しようか」

 

「え? で、でも私はなにもやっていないですし……それにこれぐらいの成果じゃ」

 

 ――――おそらく十六夜達には勝てない。

 

「そんなことないよ」

 

 リリが言いかけたところで信長は先んじて言う。

 

「リリちゃんがいなかったら僕は彼を助けようとは思わなかった。それにこれは胸を張っていい立派な成果だよ。ね?」

 

 信長が微笑むとリリは目をまん丸にして、次の瞬間花が咲くような笑顔をみせた。どちらかといえばこれが今回の一番の成果だったと言えなくも無い、と信長は心の中で思う。

 リリが前を向いて歩き始めたのを確認して、ふと先ほどの台詞を思い返す。

 

『彼女がいなければ助けようとは思わなかった』

 

 嘘ではない。リリがいなければきっと自分はあそこまで完璧にミルを助けることにはならなかっただろう。でももしかしたら手は出さなくても口は出してしまったかもしれない。

 ミルは少しだけ似ていた。弟に。

 

 信長の弟はとても平凡だった。普通に優しくて、普通に厳しくて、普通に兄が大好きな弟だった。それ故に彼は信長の非凡さに誰よりも苦しんでいた。

 兄に追いつこうと頑張って、それでも追いつけなくて、普通に苦しんで――――普通に壊れてしまった。

 

 努力が無駄だと知り、世界は優しくないことを理解し、運命の残酷さを呪った。

 結局弟は何もかもを諦めた。努力を諦め、期待に応えることを諦め、戦うことを諦めた。

 結果彼は人形同然の廃人となり、権力争いの御輿(道具)として扱われた。その後……。

 

 戦うことを諦めて、ただの道具に成り果てようとしていたミルをどう思っていたのか。哀れだと思ったか。それとも怒りが湧いたのか。

 信長自身にも結局よくわからなかった。

 

「信長様……」

 

 リリは俯き気味に名前を呼んで言った。

 

「手を、繋いでもらってもいいですか?」

 

「――――うん」

 

 繋いだ手をとても小さくて、とても温かい。

 沈んでいく夕日を眺めながら信長は少しだけ故郷を思い出していた。




閲覧ありがとうございますー。

>ふふふのふ、これはまあ三巻の十六夜君の過去編代わりだと思って読んでくだされ。けど次回より本編復活です!信長君のキャラがもう真面目に偏りすぎてぶれぶれなので次回は是非とも『いつもの』信長君を描きたい!!いや書いてみせる!

>感想を読んで、皆さんの信長君のリスペクト具合に思わず笑ってしまいました。女の子なら一発でわかるでしょ、とかもうギャグパートならその通りの展開でしたよおっしゃるとおり(笑)

>では次回は変態の……じゃなくていつも通りの信長君を乞うご期待!


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三話

 最近特に見慣れた《サウザンド・アイズ》で黒ウサギは大人しく正座をして待っていた。隣には艶やかな黒髪の持ち主の和服の美女が同じように正座をして座っている。

 実は彼女の正体は彼等問題児達が箱庭にやってきて早々十六夜が打ちのめした蛇神である。そして先ほど十六夜と正式なギフトゲームを行い、あえなく破れ隷属させられる身となった《ノーネーム》の新たな仲間でもある。

 

「くそぅ……。この私が、よもやあんな小僧に従わされる羽目になるとは」

 

 リベンジどころかその身さえ手中に奪われてしまった彼女は先ほどからこの調子。屈辱からプルプルと体を震わせている。その視線がキッ、とこちらに向けられた。

 

「ええい黒ウサギ! 貴様先ほどからニヤニヤしてからに! それほど我の醜態が愉しいのか!!」

 

 歯を剥いて怒る彼女の目には涙が。あの問題児きっての問題児に隷属させられたのは他人事ながら可哀想だと思うが、黒ウサギは両手を挙げて顔を横に振る。

 

「い、いえいえそんなことはないのでございますよ! ……に、ニヤニヤしていました私?」

 

「していた」

 

 黒ウサギは手で顔を挟んでゆるんでいるらしい顔を引き締めようとする。が、無理みたいだ。なにせ自分は今とても嬉しいのだから。

 今回の南の収穫祭の参加日数を賭けた戦いは彼等も本気のようでそれはとてつもない成果を挙げている。先ほどあげたように十六夜は蛇神である彼女、白雪の隷属。飛鳥は牧畜として山羊を十頭手に入れた。耀は以前北で一度対決した《ウィル・オ・ウィスプ》からの招待を受け、ゲームに見事勝利。炎を蓄積できるキャンドルホルダーを獲得した。信長も最初はやる気が無いように見えたが、『種を生む土地』という特殊な農地を持つ人と農作物関連で契約を交わしている。他の三人に比べれば少々見劣りする戦果かもしれないが、これから特区の農地を作ろうとしている今、種や苗を増やすそれはとても魅力的だ。それになにより、一緒にいたリリが嬉しそうだった。勝負には負けてしまうだろうが、それだけで充分過ぎる価値を持つ。

 

 こうして《ノーネーム》が名実共に大きくなっていくことが黒ウサギは本当に嬉しい。この間までは明日の食べ物さえ心配していたはずなのに、それが今やこの東区で再び名を馳せるコミュニティとして再興しつつある。否、再興したといっていい。それどころか、かつての仲間を再び取り戻せるかもしれないと本心からそう思えるようになった。正直諦めかけていたそれが現実の希望となる。それが彼女には嬉しくて仕方が無い。

 

金糸雀(カナリア)様は今のコミュニティを見て喜んでくださるでしょうか)

 

 かつての仲間、そして黒ウサギにとって恩人である女性を思い浮かべてまた口元がゆるんでしまうのだった。

 

「すまない、待たせたな」

 

 ハッ、と黒ウサギは思考を現実に戻す。座敷に入ってきた白夜叉は二人の脇を通って定位置である上座に腰を下ろす。

 

「御無沙汰しております」

 

「ふむ、久しいな白雪よ」

 

 まず深々と頭を垂れる白雪。彼女に神格を与えたのは白夜叉であり、つまり彼女にとって白夜叉こそが主である神。神様の神様というのもおかしな話だが。

 白夜叉は黒ウサギを見るなりニヤリと笑った。

 

「白雪がここにいるところを見ると、あの小僧は見事ゲームをクリアしたようだな」

 

「YES! それどころか隷属させてしまいました」

 

 白夜叉は呆気に取られたように口をポカンとさせる。ク、と小さく笑った。

 

「それはまた相変わらずよな、あいつも」

 

「あ、あれは我が少々油断したまでです! それにあの小僧の無茶苦茶さときたら思い出しただけでも!!」

 

 うがー、と怒り覚めやらぬ彼女を見てさらに愉快そうな白夜叉だった。

 黒ウサギは苦笑しながら改めて白夜叉に尋ねた。

 

「ところで黒ウサギ達はどうすれば? 十六夜さんに白雪様を白夜叉様の所に連れて行けばわかると言っていたのですが……」

 

 黒ウサギは十六夜に言われて白雪を連れてここへやってきた。詳細を聞いても後のお楽しみと濁らされてしまったので彼女は本当に何も知らない。

 質問された白夜叉は一つ頷く。

 

「その件については用意に少々時間がかかる。他の連中が来る頃までには用意しておくさ」

 

「はあ……」

 

 要領を得られず生返事する黒ウサギ。

 

「それよりも、おんし達に重要な依頼がある」

 

 途端に真面目な顔になる白夜叉に、思わず二人は面食らう。

 

「非常に危険な依頼じゃ。しかしおんし達なら、いやおんし達でなければ任せられない! 頼めるか?」

 

「我が主神の為ならばこの命に代えても成し遂げてみせます」

 

「黒ウサギも十六夜さん達ばかりに頼っていられません。私に出来ることならば!」

 

 白雪、黒ウサギの二人は覚悟を持って応える。二人の返答に思わず目頭を押さえる白夜叉。

 

「おんし達の覚悟は充分伝わってきた。ならば任せるとしよう。――――入れ」

 

 そう言うと彼女は二度拍手を叩く。すると障子を開いて一人の少年が現れた。その人物を見るなり黒ウサギは目を丸くする。

 

「の、信長さん!?」

 

 現れたのは信長だった。てっきり本拠にいるものだと思っていた彼の登場に、この瞬間から黒ウサギのウサ耳は警報を鳴らしていた。

 信長は完璧な作法をこなしながら入室し、黒ウサギ達には目もくれず白夜叉の脇に跪く。

 

「例のものは?」

 

 と白夜叉は問い、

 

「ここに」

 

 忠実な僕の如く彼は二つの木箱を捧げる。神妙に頷く白夜叉は箱を受け取り中を取り出すと二人に見せつけた。

 服だった。着物だった。――――ミニスカの。

 掲げられた服の後ろで下卑た笑みを白夜叉は浮かべていた。

 

 決断は早かった。

 

 黒ウサギが即座に立ち上がると部屋からの脱出を図り障子の方へ。白雪は未だ状況が吞み込めず立ち上がることすらしていない。助けてやりたいが構っていては共倒れだ。非情な決断を下した黒ウサギだったが、向こうの反応はさらに早かった。

 

「逃がすな信長!」

 

「御意」

 

 障子の前へ立ちふさがる信長。

 

「一体貴方はなにをしているんですか信長さん!」

 

「我は忠実なエロと萌えの化身にゴザル。決して信長などという大うつけではないナリヨ」

 

「馬鹿にするならせめてキャラを統一してください!」

 

「ミニスカ最高」

 

「それは欲望に忠実になっただけでしょうがこのお馬鹿様!」

 

 スパーン、と黒ウサギのハリセンが炸裂。

 

「まあ待て黒ウサギ」

 

 ジリジリと間合いを取る黒ウサギにミニスカ着物を片手に白夜叉が呼びかける。

 

「これには深い事情があるのだ。全てはそこの小僧のためなのだ」

 

「信長さんの?」

 

「うむ。おんしも知っておる通り、信長は他の連中よりずっと文化も技術も遅れた時代からやってきている。異世界にやってくるなどという突飛なことに、実は一番戸惑っていたのだ」

 

 信長が十六夜達よりずっと昔の時代からやってきた人物であるというのは黒ウサギも聞いている。同じ世界の人間とも最も交流が少なかった時代だったとも。それが外国の人間どころか突然神々が跋扈する異世界にやってくれば、たしかに一番戸惑うかもしれない。

 

「でもそれとその着物とどういった関係があるのですか?」

 

「懐かしかったんだ」

 

 信長は消え入るような声で告白した。

 

「白ちゃんの部屋は凄く僕の故郷に似ていたから。もしみんなが着物を着てくれたら、この寂しさが薄れるような気がして……」

 

「信長さん……」

 

 普段飄々としている彼からはそんな不安など微塵も感じなかった。いや、彼の強さがそれを感じさせなかったのか。

 故郷の寂しさはきっと彼だけでなく他の問題児達も感じているはずだ。箱庭にやってきた後悔こそしていなくとも、故郷が特別なのは誰も同じだ。かくいう黒ウサギだって《月の兎》としての故郷、そして二つ目の故郷であるあそこを特別に感じているのだから。信長達があまりに強すぎるからそれを忘れていた。

 黒ウサギは今一度彼等のことを大切にしようと誓いながら、どうしても訊きたかったことを訊ねた。

 

「でもなんでミニスカなんですか?」

 

「「ミニスカが好きだから」」

 

 スパパーン、と二度ハリセンが閃いた。

 

「お馬鹿ですか!? いえお馬鹿でしょう!」

 

 胸を張る白夜叉と何故か照れる信長。褒めていない。

 

「わ、我が主神、さすがに我もこのような格好は……」

 

「ええいつべこべ言うな!」

 

 白夜叉の姿が消える。

 

「へ?」

 

 再び姿を現した白夜叉は白雪の背後に回っており、目にも止まらぬ速さで彼女の白地の着物を引っぺがし、手にしていた着物&ガーターソックスをこれまた早業で着替えさせていた。

 

「ひゃあ!?」

 

 仮にも神があられもない声を上げてへたり込む。着物は元々少ない布地に加えサイズがあえて小さめに作られていた。透き通るような白い肌と隠しきれない二つのロマンの塊がこれでもかと存在を主張している。

 

「芸術の世界は広くて深くて……大きいなぁ」

 

「こんなものが芸術であってたまるか!」

 

 胸元を押さえながら叫ぶ白雪。その顔が赤い理由ははたして怒っているからなのか恥ずかしいからなのか。間違いなく後者であるわけだが。

 

「女の子の服を脱がしてエロイ衣装に着替えさせる、これぞ選ばれし者に与えられしギフトだ」

 

「そんなギフトしょうもなさすぎです!」

 

 律儀に黒ウサギがツッコミを入れたその瞬間、キュピーンと信長の目が光る。隙を見せた黒ウサギの衣装を白夜叉もかくやという速さで脱がすと素早くもう一方の衣装を着替えさせた。

 しかし思い出して欲しい。白夜叉の戯言がとりあえず真実だとして、彼が出来るのはあくまで他人のギフトを見よう見真似するものであるということを。

 

 要するに着替えは中途半端だった。脱がすまでは完璧だったものの、着替えさせた着物はスカートがまくれあがっており下着が丸見え。上は左肩が規定よりさらに下にずれていて、あとほんの少し下に落ちると見えてはいけない先端部分が見えてしまいそうな感じだった。

 

「★□※☆▲ッ!?」

 

 黒ウサギは声にならない声をあげてスカートを直しずり落ちた肩を直しながら白雪同様にその場に座り込む。

 目を回さんばかりの黒ウサギの一方、信長と白夜叉はそっちのけで神妙な顔をしていた。

 

「やっぱり白ちゃんみたいに上手くいかないや」

 

「カッカッ、より精進せよ」

 

 ズパーンッッ!

 

 雷の槍が馬鹿二人を貫き水流が障子ごと吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

「コンセプトは悪くなかったが、今度は俺にも一言相談をだな」

 

 スパン、と十六夜にハリセンが一発。

 

「あーあー、せっかく白ちゃんと一生懸命考えて作ったのになぁ。似合ってたのに」

 

「これ以上その話題を延ばさないでください!」

 

 スパパン、とハリセンが二発。

 

 信長と白夜叉が障子ごと押し流された辺りで十六夜達は到着した。結局皆にその醜態を晒す羽目になってしまった黒ウサギはウサ耳を真っ赤にしながら実力行使で口を塞ぐのだった。ちなみに服装はいつものに戻っている。

 

「いやあの服も今日の話に無関係ではないのだ」白夜叉は焦げた髪を弄りながら「実はあれは今度建てる新しい施設の正装にと信長と相談して作ったのだ」

 

「施設の正装!? あのエッチな着物もどきがでございますか!?」

 

「大丈夫だよー。施設は真っ当なものらしいから」

 

 あの服が真っ当じゃない自覚はあるのか、と黒ウサギは頭を抱えた。

 

「ここ最近東区には魔王が現れておらんからな。ちょいと地域の発展に協力しようかと思ったものはいいものの、さてどこから手を加えようかと悩んでいたところに十六夜から提案を受けての」

 

「発展にはまず潤沢な水源だってな。この間の旱魃(かんばつ)騒ぎでどこも水の工面には苦労しているみたいだったしな」

 

 かくいう《ノーネーム》も今でこそ毎日皆で風呂だなんだと水を使っているが、信長達がやってくるまでつい最近までは随分苦労していた。土地柄からして水に恵まれているわけではないのだから仕方が無いといえばそれまでだが。

 

「そこで一つ、《階層支配者》の権限を使って大規模な水源施設の開拓を行おうというわけだ。十六夜には水源となるギフトを取りにいってもらったのだが……よもや隷属させてくるとは思わなんだ」

 

 ぐ、と悔しそうに顔をしかめる白雪。十六夜と白夜叉の契約ではこのまま白雪の身柄を施設完成まで引き渡すというものだった。

 

「さて、これで契約成立だ。白夜叉、例のものを渡してもらおうか」

 

 そう言って十六夜は不敵笑いながら白夜叉に手を差し出した。言われてみれば施設は《ノーネーム》のためというよりは東区の地域全体のため。白雪を引き渡す、ひいては水源を提供する代わりに得るものこそ十六夜が欲しているものということだ。

 

「わかっておる。――――ジン・ラッセル、おんしに渡すものがある」

 

「僕ですか!?」

 

 突然名を呼ばれたことに驚くジン。

 

「うむ、これはコミュニティの代表がその手で受け取らねばならんものだからの」

 

 促されるまま白夜叉から渡された羊皮紙を読んで、ジンは硬直した。不思議そうに首を傾げた黒ウサギが後ろから首を伸ばして覗き見て、同じく表情を強張らせた。

 

「が、外門の、利権証? 僕らが《地域支配者(レギオンマスター)》!?」

 

「それってつまりどういうこと?」

 

 イマイチ二人が驚いている理由が吞み込めていない信長が純粋に訊ねると十六夜が答える。

 

「一つは街に未だ残ってるあの趣味の悪い置物が消えて、俺達のシンボルが置ける。二つ目は北に行くとき問題になった《境界門(アストラルゲート)》の馬鹿高い使用料を払わなくて済む。それどころか他の連中が《境界門》を使うとき料金の八十パーセントをこっちがいただけるってわけさ。――――《地域支配者》ってのはお前の故郷で言うところの大名みたいなもんだな」

 

「へぇ。それは凄いや」

 

 素直に信長は感心した。これで《ノーネーム》は恒久的な、それも莫大な収入源を得たと同時に名実共に七層東区の筆頭となったわけだ。掲げる旗やコミュニティの名が無くてもジン・ラッセルの率いるコミュニティとして名が広まっていくことだろう。

 それと何より信長が感心したのがこのタイミングでその権利を手にした十六夜の計算高さ。実力こそ認めても未だ名無しと蔑む者も少なくないが、貴重な水源の確保を実現させた今異議を申し立てる度胸のある者はおそらくいないだろう。

 やはり彼は飛鳥や耀とは別格だ。それを再確認すると心の奥底で燻っていたそれが揺らいだのを感じた。

 

(おっと、悪い癖悪い癖)

 

 左手が腰に下げるレーヴァテインの柄に触れていた右手を掴んだ。あやうく抜いてしまうところだった。もちろん抜いたところで十六夜は倒せない。何せそれに気付いていながらニヤニヤとこちらを見ているのだから。

 

「黒ウサギ?」

 

 羊皮紙を見てから沈黙してしまった黒ウサギを心配してジンが声をかける。フルフルと震えていた彼女は顔を上げるとガバッ、と十六夜に抱きついた。

 

「凄いのです! 凄いのです凄いのです! 凄すぎるのです十六夜さん!!」

 

 ウッキャー! と奇声じみた悲鳴を上げるハイテンションな黒ウサギ。いきなり抱きつかれて面食らっていた十六夜だが、今はその感触を思う存分楽しんでいる。

 

「ああん、いいなぁ十六夜」

 

 こんなことならもっと気合入れて戦果をあげるべきだったか。

 

「ねえねえ白ちゃん、ちょっと今から凄い恩恵が手に入るゲーム紹介してよ。具体的には十六夜に負けないくらい」

 

「ううむ、そんなことを突然言われてものう」

 

「半分あげるから」

 

「半分?」

 

 信長は黒ウサギを指差して、

 

「左半分は白ちゃん。右半分は僕が触るってことで」

 

「ちょっと待っておれ。今すぐ太陽の主権を賭けたゲームを全力でセッティングしてやる」

 

 ズパーンッッ!!

 

 再び雷の槍が馬鹿二人を貫いた。




タララッタッタラー!信長君は『女の子の服を脱がしてエロイ衣装に着替えさせる(劣化ver.)』を覚えた。

>毎度閲覧&感想ありがとうございます。
これこそが信長君だとばかりの第三話でした。いやぁ、白夜叉が出てくると執筆が進む進む。けれど話は進まない進まない(笑)

>原作を知っている人にとっては謎だっただろう、何故黒ウサギと白雪は抵抗しながら大人しく着物を着ていたのか。これが真実だったんですね(絶対違う)
そして信長君のギフトの無駄遣いですね。再現率で言えば一番高いかもしれない(凄くどうでもいいですね)
やっぱりこのキャラの信長君が書きやすいです。

>アニメより。
ついにペストちゃん降臨!そして意外とシュトロムのデザインかっこよかったです!もう爆散したけどね!!


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四話

 宴を終えた夜、三毛猫は眠った耀に抱きしめられていた。

 

 ――――私はあんまり凄くないね。

 

 耀は寂しそうな声でそう言っていた。三毛猫が知っている彼女は二人いる。一人は動物達に劣らない能力を得た強く、優しい耀。もう一人は、歩くことさえ出来なかった初めて出会ったときの耀。今の彼女はまるでその頃の姿だった。

 耀はここ最近特に悩んでいた。自身がここ一番で活躍出来ないことに。十六夜が水を用意し、飛鳥が蘇らせ、信長が特区のための準備をしている農地に彼女だけが関われていないことを。己の弱さを、思い悩んでいた。

 

 だから彼女は今回の勝負で誰よりも勝ちたかった。一日でも長く南の収穫祭に参加して多くの幻獣と友達になり力をつけると同時に農地のための種や苗を獲得して、自分は《ノーネーム》の一員であると皆に認めて欲しかった。――――いや、違う。そんなことをしなくても、コミュニティの誰もが耀のことを仲間だと認めてくれている。それは彼女自身わかっている。

 彼女はきっと安心したかった。今回の勝負で一番になることで、自分は足手まといではなく立派な主力の一人だと自分自身に認めさせたかった。

 

 結果は負けてしまった。当初の目的である収穫祭の参加日数は最大を獲得出来たものの、飛鳥と共にクリアした戦果でさえ(・・・・・・・・・・・・・・・)一番にはなれなかった。彼女はそれが悔しかった。

 

 

 

 

 

 

 信長が談話室にやってくると飛鳥が一人で紅茶を傾けていた。

 

「飛鳥ちゃん一人? 耀ちゃんは?」

 

「もう寝てしまったようね」

 

 ふーん、と言いながら信長は飛鳥の正面の椅子に座る。彼女は一瞥し、なにも言わない。同席を許してくれたと受け取ると、信長もカップに紅茶を注ぐ。

 

「一言ぐらい断りを入れるのが礼儀よ」

 

「飲んでいい?」

 

「どうぞ」

 

 あくまで形式的なやり取りを終え信長は改めて紅茶を傾ける。故郷では味わったことのない香りと渋み。最初に飲んだときは少々驚いたものだが、今はそんな新しい刺激の一つ一つに心が潤う。

 

「そういえばリリちゃんも見ないけど、もう寝ちゃったのかな?」

 

「あの子ならレティシアと十六夜君と一緒にお風呂に入ってるわ」

 

「あ、ちょっと急用を――――」

 

「座りなさい」

 

「……はい」

 

 一度は立ち上がった信長だが、飛鳥の一声で大人しく座り直す。不満そうに唇を突き出す。

 

「なんで十六夜君はよくて僕は駄目なの?」

 

「貴方は少し危険な香りがするのよ」

 

 微妙な顔をする飛鳥。信長はクンクンと自分の臭いを嗅いでいた。

 

 そんなやり取りもそこそこに、しばらく二人は無言で過ごしていた。沈黙を破ったのは信長。

 

「耀ちゃん落ち込んでるみたいだったけど大丈夫だった?」

 

 ズズ、とカップを両手で支えながら紅茶を啜る。その向こうで、飛鳥がなんともいえないキョトンとした顔でこちらを見ているのに気付いて首を傾げる。

 

「なにかな?」

 

「……いえ、ちょっとね」

 

 気を取り直そうと飛鳥はカップを傾けるが、中身が空っぽだったようで眉をひそめる。信長がティーポットをすすめると彼女はカップを差し出す。

 注がれた紅茶に視線を落としながら彼女は訊いてきた。

 

「信長君って意外と気の付くほうなのね」

 

「好きな女の子限定だけどね」

 

 彼ならばそう言うと思っていた飛鳥は思わず小さく笑った。そうしてひとしきり笑った彼女はとつとつと話し始める。

 

「春日部さんだけじゃないのよ」

 

「ん?」

 

「私だっていつも貴方達に嫉妬してる。自分の力不足に不安を感じているの」

 

 一度どころではない。ガルドとのゲームで耀が自分を庇って傷付いたとき。ペルセウス戦で囮にしかなれなかったとき。北でラッテンに負けたとき。

 耀のように動けたら。十六夜のように博識であったなら。信長のように――――。

 それが無いものねだりだということもわかってる。隣の芝は青く見えるとはよく言ったものだ。

 

 そんな自分が少し前向きになれたのはメルンとディーンのおかげだ。彼女達がいてくれたから飛鳥は今のままで頑張っていこうと思えるようになった。それでも今でも時々思ってしまう。ディーンを手に入れて確かに自分はコミュニティに貢献出来た。

 けれどそれは自分自身が強くなれたわけではない。もし信長達のような力があったなら、と。

 

「みんな同じじゃつまらないよ」

 

「え?」

 

「人は絶対平等なんかじゃない。持っているお金も、領地の広さも、友達の数、寿命――――才能もね。同じ努力をしたって報われない人もいれば報われる人もいる。最初からそんな努力をしなくても全部上手くいってしまう人だっている」

 

「それは……とても理不尽ね」

 

 かつては彼女自身がそれだった。多少の努力で何もかも上手くいってしまう世界。彼女の言葉に是としか答えない世界。それが今や彼女の方が羨む側の人間だ。

 

「でもね、不平等だからこそ人はみんな違っている。違うからこそ刺激がある。刺激があるからこそ、僕達は生きていられるんだ」

 

 刺激のない世界がどうであるか、信長はよく知っている。そんな一生がどれだけ長く感じるものなのかも。

 

「飛鳥ちゃんが僕を見て思うように、君も耀ちゃんも僕に無いものをいっぱい持ってるよ。そしてしっかり生きている。だから僕は飛鳥ちゃん達が大好きなんだから」

 

 そんなことを言い放つ信長の顔を飛鳥は直視することが出来なかった。今自分が情けない顔をしているような気がしたから。

 それを察してくれたかどうかはわからないが、彼はそろそろ寝ようかなと言って席を立つ。扉に向かって歩く彼の背をそっと見つめながら彼女はため息を吐き出す。

 

 耀のことを相談するつもりだったのに、何故かこちらが励まされてしまった。はたして向こうにその気があったかわからないが、少なくとも飛鳥の気持ちはずっと楽になっている。それを自覚すると余計に悔しい。久遠 飛鳥は、一体いつからこんなにか弱い女の子になってしまったのかと。

 どうにも彼を相手にすると調子が狂ってしまう。自分の知らない自分が出てきてしまう。

 

「信長君、貴方の寝室は左でしょう。右にはお風呂場しかないわよ」

 

「………………」

 

 右に向きかけた彼は大人しく左へ進んだ。飛鳥はふっと微笑んで、

 

「ありがとう、信長君」

 

 小さく呟きながら紅茶を飲む。注いでからそれなりに時間が経ってしまったはずだが、それは妙に温かかった。

 

 

 

 

 

 

『ということで代わりによろしく』

 

 収穫祭への出発の朝、一向に姿を現さなかった十六夜はそう言って信長を送り出した。そんな十六夜の頭にはお馴染みとなったヘッドフォンではなくヘアバンドが載せられている。どうやら昨夜、彼が入浴中にヘッドフォンが無くなってしまったらしい。皆で夜通し捜したが見つからず、結局彼は前夜祭には参加しない予定だった信長と参加日数を交換する形になった。

 

「それなのになんで信長さんが不機嫌なんですか?」

 

 《境界門》を目指す道すがらジンは訊ねる。全日程に参加出来るのは嬉しいことのはずなのに、本拠を出てからの信長は不満顔だった。

 

「だって、せっかく前夜祭の間はレティシアちゃんが僕だけのメイドになってくれるはずだったのにー。はっ! まさか十六夜はそれを妬んで僕と交換するなんて言い出したのかも!?」

 

「結果的にこうなってよかった気がするわ」

 

「うん」

 

 飛鳥は疲れたように額を押さえ、耀は神妙に頷いた。

 しばらく歩いて門前の人だかりが見えてくる。それと一緒に見えた門前の虎の彫像を見るなり飛鳥は顔をしかめる。

 

「収穫祭から帰ってきたらいの一番にこの彫像を取り除かないと」

 

「ま、まあまあ、それはコミュニティの備蓄が充分になってからでも」

 

「なに言ってるの黒ウサギ。この門はこれからジン君を売り出す重要な拠点になるのよ。まずは彼の全身をモチーフにした彫像と肖像画を」

 

「お願いですからやめてください!」

 

 本当にやりかねない飛鳥の提案に顔を青くして抗議するジン。それに飛鳥は残念そうにため息を吐き出し、

 

「じゃあ黒ウサギを売り出しましょう」

 

「なんで黒ウサギを売り出すんですか!」

 

「……じゃあ黒ウサギを売りに出そう」

 

「なんで黒ウサギを売りに出すんですか!!」

 

「買った!」

 

「買わないでください!!」

 

 スパンスパンスパン、と朝から絶好調なハリセンさばき。十六夜がいなくても、彼等問題児は相変わらず絶好調に問題児だった。

 

 

 

 

 

 

 《境界門》を経て南へやってきた《ノーネーム》一同は現在グリフォンの引く戦車で遊覧飛行中だった。何を隠そう信長達を出迎えたこのグリフォンは、以前白夜叉のゲームで耀と戦った彼である。

 

「うわー本物はやっぱり違うなぁ。僕と違って本当に空を走ってる!」

 

 戦車には乗らず直接グリフォンの背に乗せてもらっている信長は無邪気にはしゃいでいる。すると、一人自身の力で空を走る耀が二、三グリフォンと会話をして信長に伝える。

 

「グリーが褒めてくれてありがとうだって」

 

 楽しく空の旅を満喫するその後ろで、肉体がひ弱なジンと飛鳥は楽しむ余裕すらなく風圧によって振り落とされないよう必死にしがみついているわけだが。ちなみにグリーというのはこのグリフォンの名前である。彼はここ南の出身だったらしい。

 

 グリーの背を跨いで見下ろす《アンダーウッド》はまた絶景だった。遠目からでも圧巻される水の大樹。網目のように張り巡らされた木の根に包まれた地下都市。北が火の街ならこちらは水の街といったところか。

 

 信長達を街に送り届けたグリーは再び空へ舞い上がり行ってしまった。参加者に害を為す可能性がある殺人種、ペリュドンが境界を越えて街に近付いているので彼の騎手と共に追い払ってくるとのことだ。

 グリーを見送った信長達の前に、再び顔見知りが現れた。

 

「お前耀じゃん! お前らも収穫祭に」

 

「アーシャ、そんな言葉遣いは教えていませんよ」

 

 カボチャ頭のお化けジャックと西洋人形のようにヒラヒラした服を着る少女アーシャ。北で出会った《ウィル・オ・ウィスプ》のコミュニティだった。

 

「アーシャちゃんこんにちわ。いつも可愛いね。カボチャさんは相変わらず美味しそうだね」

 

 さっそくいつも通りの信長だが、信長を見るなりアーシャの方は些か緊張しているようだった。無理も無い。なにせ彼女が知っている信長はペストと戦っていたときの狂気じみた彼の姿だ。あのときの信長は初めての戦いに少々テンションが上がりすぎていたわけで普段とは随分違っていた。

 信長自身その自覚はあるものの、女の子にあからさまに避けられると結構傷付く。ゆるんだような笑顔のまま、どんよりと落ち込んで壁に向き合ってしまった。

 

「なあ、ジャックさん。あれ本当にあのときと同じヤツなのか?」

 

「はてさて」

 

 あまりのギャップに戸惑う二人。

 

「それよりさ、耀は出場するギフトゲームは決めたか?」

 

「ううん。今来たばっかり」

 

「それなら《ヒッポカンプの騎手》には出ろよ!」

 

 耀達は聞きなれなかったが、なんでもヒッポカンプとは水を走る馬のことらしい。水上水中を駆ける彼等に乗って行われるレースが《ヒッポカンプの騎手》と呼ばれるギフトゲーム。

 

「前夜祭の中じゃ一番大きいゲームだし、なにより北のときのリベンジだ! 絶対に出ろよ」

 

「検討しとく」

 

 耀とアーシャがそんな会話を交わしている一方で、ジャックはフワフワと麻布の体を浮かしながらジンのもとへ近付くと礼儀正しく頭を下げた。

 

「ヤホホ、お久しぶりですジン=ラッセル殿。いつかの魔王戦ではお世話になりました」

 

「い、いえこちらこそ!」

 

「それに例のキャンドルホルダーに伴う大量受注と、是非とも今後とも御贔屓に願います」

 

 互いの挨拶もそこそこにジン達はジャック達と共に主催者へ挨拶に向かうこととなる。

 

「ほら信長君、いつまでショック受けてるのよ」

 

「アーシャちゃんに嫌われたー」

 

 見かねた飛鳥が引きずるようにして信長も主催者のもとへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「旗が七枚? 七つのコミュニティが主催してるの?」

 

 本陣営があるのは大樹の中腹。水式エレベーターで大樹を昇りその先の通路を進んでいる途中に見えた《龍角を持つ鷲獅子》の旗を指差して耀が訊ねる。

 

「残念ながらNOですね。《龍角を持つ鷲獅子》は六つのコミュニティが一つの連盟を組んでいると聞きます。中心の大きな旗はおそらく連盟旗ですね」

 

 徒党を組む利点は信長でもいくつか簡単に思いつく。限定的な利害の繋がりである商売取引などよりは強い繋がりであるため、リスクの分散はもちろんより大きな規模のゲーム主催も可能となる。

 けれどそれらの利点以上に彼等が連盟を組む理由は魔王の存在だろう。たった一つでは相手にならなくても、六ものコミュニティが集まれば対抗出来るといった具合だ。

 信長の時代でもそういった同盟は多くあったものだ。ただし、彼の場合は徒党を組まれる側だったわけだが。

 

「《ノーネーム》……もしや《ノーネーム》の久遠 飛鳥様でしょうか?」

 

 本陣営受付にいた樹霊の少女がそう訊ねてきた。

 

「そうだけど、貴女は?」

 

「私は火龍生誕祭に参加していた《アンダーウッド》の樹霊です。飛鳥様には弟を助けていただいたと聞きまして……」

 

 ああ、と飛鳥は思い出す。信長とペストの戦闘中、それに巻き込まれそうになっていた少年をたしかに彼女は助けていた。

 

「その節はどうもありがとうございました! おかげでコミュニティ一同、誰一人欠けることなく帰ってくることが出来ました!」

 

「それはよかったわ。なら招待状は貴女達が送ってくださったのかしら?」

 

「はい。大精霊(かあさん)は眠っていますので私達が送らせていただきました。他には《一本角》の新頭首にして《龍角を持つ鷲獅子》の議長であらせられるサラ=ドルトレイク様からの招待状と明記しております」

 

 少女が口にした名は一同も聞き覚えのあるものだった。思わずジンに振り返った飛鳥が訊ねる。

 

「もしかして《サラマンドラ》の……?」

 

「え、ええ。サンドラの姉の、長女のサラ様です。まさか南側に来ていたなんて」

 

 そういえば、南の景観の一部に北で見た水晶技術に似たものがあったのを思い出す。

 

「もしかしたら北の技術を流出させたのも――――」

 

「流出とは人聞きが悪いな、ジン=ラッセル殿」

 

 聞き覚えの無い女性の声に一同が振り返る。途端熱風が顔を撫ぜた。炎熱の発生源は空から現れた褐色肌の美女、その二翼から放たれていた。

 《一本角》の新頭首にして、《龍角を持つ鷲獅子》の議長。本来ならばサンドラに代わって《サラマンドラ》の頭首となるべきはずだった女性。ここ《アンダーウッド》を再建した救世主――――サラ=ドルトレイク。

 

「サラ様!?」

 

「久しいなジン。――――それと」

 

 ジンを見るなり快活な笑顔を浮かべていた彼女の顔が些か曇る。視線の先で、ニコニコと笑う少年は気軽に片手を挙げてみせた。

 

「この間ぶりだね、サラちゃん」

 

「ちゃん付けはやめてくれと言ってるだろう、信長」

 

 口元を引くつかせるサラは慣れない呼称に恥ずかしそうに顔を赤くした。そんな二人のやり取りに、

 

「「…………え?」」

 

 一同が声を失った。




閲覧ありがとうございまッス!

>全国の飛鳥ファンの皆様お待たせしました。ようやく彼女にライトを当てる日がやってきました!
ワーワー!ヒューヒュー!!
まあ最後までライトを浴びせることが出来るかはわかりませんがね。(リングに物を投げないでください)

>書いてみて思いましたが三巻すっごい書き難いですね。どこを削っていいのやら、というのもありますし場所が頻繁に変わるのでそれに信長君をついていかせるかと毎回悩みます。
こんなことで四巻大丈夫かと今から心配でなりません。誰よりも私が。


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五話

 サラに本陣営へと招かれた《ノーネーム》と《ウィル・オ・ウィスプ》。一同がそれぞれ席に着く中で、信長だけなんとも居心地の悪そうなぎこちない笑みを浮かべていた。というのも原因は飛鳥と耀の刺すような視線だ。

 

「つまり信長君は私達に内緒で南へ来てたのね。いい度胸じゃない。十六夜君にも教えてあげたらさぞ面白いでしょうね」

 

「ずるい」

 

「いやだなぁ、内緒だなんて。僕は白ちゃんに頼まれておつかいに来ただけだよ」

 

「それでも黒ウサギにくらい一言あってもいいではありませんか」

 

 珍しく、二人に加えて黒ウサギまで不機嫌だった。頬を膨らませてそっぽを向く姿は可愛らしいことこの上ないが、やはり自分が嫌われてしまうのは気持ちが暗い。信長は泣きそうな笑顔でサラに視線で助けを求めた。苦笑するサラ。

 

「そのくらいにしてやってくれ。彼の言葉は事実だよ。滞在を勧めたが皆に悪いと用を終えるとさっさと帰ってしまったよ」

 

 サラの弁護に三人の顔から幾分怒りの色が溶ける。それでも完全に許すまでは出来ないようで、微妙に恨めしい視線だけが残った。

 ひとまずはほっとしたものの、この収穫祭までに名誉挽回しようと決める信長だった。

 

「ありがとう、サラちゃん」

 

 自分の弁護をしてくれた彼女は、精悍な顔つきを悩ましげに歪めて眉間を押さえた。

 

「構わないよ。……だがサラちゃんはやめてくれ」

 

 ニコニコと笑う少年。どうにも改める気には見えない。

 サラはアーシャの傍らでフワフワ浮いているカボチャ頭の悪魔へ目を向ける。

 

「ジャック、やはり彼女は来ていないのか?」

 

「はい。ウィラは滅多なことでは領地を離れませんので」

 

 残念そうに息を零す。

 

「そうか。北側の下層で最強と謳われるプレイヤーを是非とも招いてみたかったのだが」

 

 『最強』という言葉に思わず信長達の耳が反応する。

 

「《蒼炎の悪魔》、ウィラ=ザ=イグニファトゥス。生死の境界を行き来し、外界の扉にも干渉出来るという大悪魔。……噂では《マクスウェルの魔王》を封印したという話まである。本当なら六桁どころか五桁最上位といっていい」

 

「へえ、それは凄く面白そうな人だね」

 

 いつもと変わらない声音で、薄い笑みを貼り付ける信長。一瞬部屋の空気が軋んだ。

 そのことに部屋の大半の人間は気付けなかったが。

 

「ヤホホ……さてどうでしたか。そもそも五桁は個人技より組織力を重視致します。強力な同士が一人いたところで長持ちはしませんよ」

 

 ジャックの言葉の通り、この箱庭でのし上がるにはたった一人強いプレイヤーがいても難しい。《ペルセウス》のときのような多人数制のゲームもあるし、そのたった一人が無効化されてしまえばどうしようもなくなるからだ。ペストはそのために戦力をかき集めようとしていた。

 

「私の角が気になるか?」

 

 キラキラした瞳で見つめる耀に気付いてサラが訊ねる。耀は素直に頷いた。

 

「うん、凄く立派。サンドラみたいな付け角じゃないんだね」

 

「ああ、私のは自前だ」

 

「あれ?」信長は首を傾げて「でもサラちゃんって《一本角》の頭首なんだよね。それなのに角が二本もあっていいの?」

 

 サラは三度呼称を改めさせようとするが、遂に諦めたのかため息を零した。

 

「我々はたしかに身体的な特徴でコミュニティを作っているが、頭の数字は無視して構わないことになっている。でなければ四枚の翼を持つ種などはどこにも所属出来ないだろう?」

 

 なるほど、と信長達が納得する。

 

「私もこの角を切り落とすのは遠慮願いたい。――――他には役割に応じて分けられるかな。《一本角》と《五爪》は戦闘を担当。《二翼》、《三本の尾》、《四本足》は運搬。《六本傷》は農業・商業全般といった具合にな。それらを総じて《龍角を持つ鷲獅子》連盟と呼ぶ」

 

 素直に感心した声を信長はあげた。彼のいた世界では同盟は一時休戦の延長ぐらいの意味合いしかない。当然ながら裏切りも多かった。

 互いの不足部分を補い、それぞれの特色を活かすこちらの繋がりはよほど強そうだと思えた。

 

 はて、と耀が小首を傾ぐ。

 

「それなら《六本傷》は何を指してるの?」

 

「モチーフである鷲獅子が負っていた傷と言われている。コミュニティの組み分けとして全種を受けているのではないか? 商才や農業の知識というのは普通に生きているだけでは手に入らないものだからな。収穫祭でも《六本傷》の旗を多く見かけることになるだろう。今回は南側の動植物を大量に仕入れたと聞いた。後で見に行くといい」

 

 動植物、それを聞いた耀はじっと黒ウサギを見つめた。

 

「ラビットイーターとか?」

 

「まだその話を引っ張るのですか!? そんな愉快に怖ろしい植物があるわけ」

 

「あるぞ」

 

「あるんですか!?」

 

 ウサ耳を逆立て愕然とする黒ウサギ。

 

「じゃあブラックラビットイーターは?」

 

「だから何で黒ウサギをダイレクトに狙うんですか!?」

 

「あるぞ」

 

「あるんですか!!? どこのお馬鹿様がそんな対兎型最強プラントを!?」

 

「どこの馬鹿と言われても……」

 

 チラリと信長の方を見やるサラ。それだけでなんとなく《ノーネーム》の一同は理解した。

 サラが執務机から発注書を取り出すと黒ウサギはひったくるようにそれを奪った。

 

『対黒ウサギ型ラビットイーター:ブラック★ラビットイーター。八十本の触手で対象を淫靡に改造す――――』

 

 グシャリ、と発注書は彼女の手によって握り潰された。

 

「――――フフ。名前を確かめずともこんなお馬鹿な犯人は一人シカイナイノデスヨ。おつかいというのはこういうことだったのですね……の・ぶ・な・が・さ・ん?」

 

 ゆらりと幽鬼のように体を揺らめかせた彼女の黒髪が心情を現すが如く緋色に染め上げられる。

 

「サラ様、収穫祭に招待していただき誠にありがとうございました。黒ウサギ達は今から向かわねばならない場所が出来たので、これで失礼させていただきます」

 

「そ、そうか」若干気おされたように苦笑いを浮かべるサラ「ラビットイーターなら最下層の展示会場にあるはずだ」

 

「ありがとうございます。それではまた後日です!」

 

 言うや否や信長を除いた三人の首根っこを引っ掴んで脱兎駆けていく黒ウサギ。行き先は明白。今まさに生まれようとしている自身の天敵を討ちにいったのだろう。

 信長は残念そうに肩を落とした。

 

「あーあー、バレちゃった。後で驚かせようと思ったのに」

 

 いきなり目の前に己を穢すためだけに生まれた怪植物が現れればそれはさぞ驚くだろう。背筋が凍るほどに。

 噂に違わず、噂以上に苦労を強いられているらしい《箱庭の貴族》に、ジャックやアーシャ、それにサラは同情の念をそっと贈るのだった。

 

 黒ウサギは一直線に展示場へ向かおうとするだろう。しかし彼女は南に来るのは初めてだと言っていた。真っ直ぐ進んでも最短距離でとは行くまい。

 それに比べて信長は前回来たときに展示場の位置は把握している。身体能力に差はあれど向こうは三人も引きずっている。先回り出来る可能性は高い。

 

「待ってくれ信長」

 

 失われようとしている芸術を守るべく黒ウサギを追おうとした彼の背をサラの声が止めた。その声はさっきまで以上に真剣なものだった。

 

「例の件について聞いておきたい」

 

 例の件、という彼女の言葉にジャックとアーシャは首を傾げていた。彼等への説明は後にと考えているサラはひとまず説明を省いて信長の背を見つめる。

 何せことは《龍角を持つ鷲獅子》だけではない。南側の地そのものの命運を賭けた彼女と白夜叉のゲームについてなのだ。

 

 実は先月、信長達が北でペストと戦っていたのと同時期、この地にもとある魔王が現れた。その魔王によって《階層支配者》が討たれたのだ。つまり今現在、南側には守護の象徴たる《階層支配者》がいない。

 それを憂いて白夜叉に代行の選定を頼んだところ彼女はこう提案してきた。《龍角を持つ鷲獅子》の五桁昇格、それに伴う《階層支配者》の就任。無論無条件ではない。収穫祭という大規模なこの祭を成功させることで堂々と名乗れという白夜叉の試練という形の激励。信長がこちらにやってきたのも、それを伝える使者としてだった。

 

「ゲームの成否を決めるのは白夜叉様か? それとも、お前か?」

 

 はたしてその問いは、彼女がどういった腹積もりで放ったものだっただろうか。それはサラ自身わからないでいた。

 そんな彼女自身気付いていない心奥底の不安を知ってか知らずか、信長はまるで悪魔がそうするように甘い響きをもって告げた。

 

「最終的な判断はもちろん白ちゃんがするけど――――もし僕を楽しませてくれたら……」

 

 あえて途中で濁した言葉。ぞっとするような生ぬるい風が肌を撫ぜた。

 まるで水中で空気を求めるように口を開いたサラだったが、そこから言葉を発することはせず閉じた。一度は閉じた瞼をそっと開く。

 

「いや、()を楽しませて成功させるさ」

 

 声に震えは無かった。

 

「ちぇ」

 

 ふて腐れた子供のように口を尖らせて、信長は部屋を出て行く。

 

 

 

 

 

 

「今の話が何のことか御聞きしても?」

 

 信長が部屋を出てしばらく、サラが口を開かないのでジャックから質問した。アーシャは今の空気に当てられたのか(・・・・・・・)放心しているようだった。

 

「夕食時に《ノーネーム》も交えて話そう。その件について相談したいこともある」

 

 答えた彼女の声に最初現れたときのような覇気は感じられない。そっと腕を抱く後姿は儚さすら感じた。

 

「信じられるか?」

 

「はい?」

 

「初めて彼に出会ったとき、彼は真っ先に私に決闘を挑んできた」

 

 今でも鮮明に思い出せる。待ち焦がれた白夜叉からの使いとして現れたゆるい笑顔を浮かべる着物の少年。彼は挨拶と白夜叉からの伝言を伝えると、まるでついでのように言ったのだ。

 

 ――――一つ僕と命を賭けてゲームをしない?

 

 最初は怒りすら感じた。この非常時にそんなことを言い出すことにも、こんな軽々しく命を捨てる愚か者に。何故こんな人物が白夜叉の使いなのかと。

 しかしそれは彼の眼を見て改めることとなる。

 禍々しい狂気の色を孕んでいるのに、その瞳は驚くほどに純粋な輝きを放っていた。

 信長が腰の刀を抜くと、まるで彼の心を体現するように炎が踊った。

 

「彼は本当に子供のようにただ無邪気にゲームを挑んだだけだった。ただそれだけだった」

 

 大人になれば多くの者が忘れてしまう無邪気さ。無謀さ。失敗を怖れ、敗北を怖れ、大人は現実を見て生きていく。

 多くの者がそうしている中、彼のような人間は極々少数だ。たかが十数年とはいえ、少なからずそんな計算は生まれてしまう。

 いつまでも挑戦を忘れない、既知ではなく未知を迷わず進む彼の生き方は羨ましささえ感じる。――――それだけならば(・・・・・・・)

 

 彼は、信長はそれら全てをわかった上で命を賭けていた。

 

 子供が無謀なのは決して恐怖を知らないわけではなく、経験が少ないため己の中で上手く線引きが出来ていないから。相手が強いか弱いか判断することもなく、それが自分の手に負えるかどうかわからないからだ。

 しかし信長は、それらの線引きが明確に出来ているにも拘わらず、それを無視してあっさり線を越えて行く。それも己の命などという、取り返しのつかないものを差し出して。それなのに、死を望んでいるようには見えない。

 

「炎を見て怖いと思ったのは生まれて初めてだったよ。火龍であるこの私がだ」

 

 サラは自嘲するように笑っているようだった。腕を抱いた彼女の体は小さく震えていた。彼女とて負けるとは思っていない。十中八九勝てるだろう。《龍角を持つ鷲獅子》議長の席はそう軽いものではない。

 それでも予感があった。否、そんな彼女だからこそ感じることが出来た。この少年と戦えばお互いだけでなくこの土地そのものがただでは済まないと。故に彼女は決闘を断った。それをあっさり受け入れた彼の反応もまた驚くべきものだったが。

 

 彼女がそう言うと、ジャックは愉快そうに笑った。

 

「私が彼の戦いを見たのは北の聖誕祭の一度だけです。正直魂が震えました。あれほど純粋な殺意を振りまく生き物を私は初めて見ました」ヤホホと彼は笑い「コミュニティの皆さんは彼を心から信頼しているようでした」

 

 《ウィル・オ・ウィスプ》の招待を受けてくれた耀と飛鳥にジャックは伝えた。信長には気をつけた方がいいと。すると彼女達二人はあからさまに怒ったのだ。仲間を、友達を悪く言わないで欲しいと。

 サラが彼を拒否しきれない理由もそこにある。短い時間だったが彼と語らい妙な居心地の良さもあった。子供のような彼を愛らしいとさえ思えた。

 

「……本当に、不思議な少年だ」

 

 どちらとも知れず口にしたのはまさしくその通りだった。

 子供か鬼か、はたして本当の彼はどちらなのか。

 

 

 

 

 

 

「黒ウサちゃん、まさか僕が君と戦う日が来るなんて思ってもみなかったよ」

 

「黒ウサギは予感しておりました。いつか貴方様とは決着をつけなくてはならないと」

 

 黒ウサギはすでに《疑似神格(ヴァジュラ)金剛杵(レプリカ)》を取り出して臨戦態勢。相対する信長も刀の形で腰に帯びている《レーヴァテイン》の柄に手をかけている。互いの闘気が中心でぶつかり合い奇妙な風を起こしていた。

 緊張した面持ちで二人を見守るジン。これは二人の問題。手出しが出来ないことに歯がゆそうに拳を作る。

 

「手加減は致しません。黒ウサギは信長さんに打ち勝ち、そして――――絶対その奇天烈な植物をこの世から滅してやるのですよおおおおおおおお!!」

 

 緋色の髪をなびかせて槍で示した先。信長の背後でウネウネと蠢く大きさにして五メートルを優に超える怪植物。名をブラック★ラビットイーター。

 

「なにを馬鹿なことを言ってるんだ黒ウサちゃん! これは僕と白ちゃ……とある偉大な神様が君のために作ったのに! そう、謂わばこれは僕達の黒ウサちゃんに対する愛の結晶なんだよ!」

 

「今まで見たことも無い真面目顔でなにトチ狂っていらっしゃいますか! それに愛の結晶というより願望の塊でしょう!」

 

「頑張って信長」

 

「シャラップなのです耀さん!」

 

 半分以上面白い見世物として見物しているジンを除いた二人。

 

「どうしてもわかってもらえないの?」

 

「貴方様方の悪趣味を認めるつもりはございません」

 

 ならば仕方がない、とスラリと信長は刀を抜いた。途端全てを喰らい尽くす業火が彼を取り巻くように現界する。魔剣と呼ばれし暴食の炎。

 さすがの黒ウサギもぎょっとする。あの炎は主の命を喰らって燃え盛る。こんなくだらないことで命を懸けるのかと。理解が出来ない顔をする彼女に向かって信長は宣言する。

 

「僕にとっては命を懸けるべき戦いだ。この命に代えても黒ウサちゃんの触手プレイが見たい。是非とも見たい!」

 

 最早言葉は不要とばかりに信長は腰を落とす。彼は、本気だった。唖然とする黒ウサギ。

 

「ちょっと信長君」

 

 戦いを黙って見守っていた飛鳥が少年を呼ぶ。彼女は驚愕の事実を口にした。

 

「燃えてるわよ。貴方の愛の結晶」

 

 ラビットイーターは盛大に燃えていた。

 

「ああああああああ!!」

 

 元々特別広いわけではない展示室。信長の命を喰らって発現した炎はすぐに行き場を失い背後の怪植物に飛び火すると手加減なしに喰らっていった。枝の触手、花弁の触手、樹液の触手とあらゆる触手をくねらせながら巨大な食兎植物は遂に傾斜し完全に倒れた。

 がくりと両膝をついてうな垂れる信長。黒ウサギは金剛杵をしまうと胸を張ってピースした。

 

「正義は勝つのです」

 

 かくして、ブラック★ラビットイーターは炭も残らずこの世から去った。少年の涙は止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 談話室を後にした信長はあてがわれた寝室に荷物を放ってから適当に施設内を散策していた。今日はいやに目が冴えていて眠れる気がしなかった。

 昼間皆で回った収穫祭は中々に楽しめた。今回の目的である苗や牧畜もそれなりに目処はつけてある。何より買い物に楽しむ可愛い女の子達が見れただけでそれなりに満足している。

 

「………………」

 

 まあそれでも、やはりどこか満たされない部分があるのも事実だった。まるで信長の気持ちに呼応するように腰に差した刀もカタカタと震えていた。

 この箱庭にやってきて故郷では味わえなかった様々な経験をした。渇いていた心は潤い、まさしく今生きているのだという実感が湧いている。その上、尚上質な快楽を求めるのか。

 

「罰当たりなのかなぁ」

 

 返答は当然無く、呟きは夜闇の静寂に溶けていく。

 

 そのとき突然地面が揺れた。否地面だけではない。宿舎そのものが揺れていた。

 

「信長君!」

 

 音を聞きつけて部屋から飛び出してきた飛鳥と鉢合わせる。互いの視線が重なった瞬間、頭上の天井が崩壊した。咄嗟に後ろに飛び退いた信長。

 そうして天井を突き破ってきた物を確認して、思わず首を傾いだ。

 

「腕?」

 

 それはまるで人間のような、しかし決して似つかない巨大な腕だった。




閲覧ありがとうございます。

>本当は昨日更新出来そうだったんですが、WBC白熱しすぎてそれどころではありませんでした!明日も頑張れ!

>アニメより
ペストちゃん可愛いラッテンさんマジ美人ヴェーザーさんなんか光ってるの回でしたね。ハーメルン同士の絡みシーンはアニメの方が好きでした。眼福でありまする。エンドカードのペストちゃんも美人ちゃんでしたね!
……でもやっぱり光ってるヴェーザーさんはかっこ悪かったぜ。ちょっとオーラ出てるぐらいでよかったんじゃ

>さてさて次回から三、四巻が本格的に始動!そろそろ信長君も真面目モードになります!多分ね!


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六話

「な、なによこれ!?」

 

 突然の事態に戸惑いを隠せない飛鳥。天井を見上げた彼女はぎょっとする。

 宿舎の天井から姿を現したのは仮面の奥から覗きこむ濁った眼。しかしそれはたしかに人間としての造形を保っており、事実それは人型であった。ただ、その体躯は彼女とは比べくも無く大きい。彼女の優に五倍以上はある。はたしてこれを同じ人間であると言うべきか、彼女は迷った。

 

「箱庭には大きな人がいるんだねー」

 

 腕を挟んだ向こう側で同様に巨人を見上げる信長はなんとも暢気なものだった。

 

「飛鳥ちゃん、耀ちゃんの様子を見に行ってあげて。上手くすれば黒ウサちゃんとも合流出来るかもしれないし」

 

 彼の言う通りたしかに耀は心配だ。

 

「貴方はどうするの?」

 

「僕?」

 

 チン、と澄んだ音が一つ落ちる。瞬間、巨人の腕が肘から落ちた。

 それだけではない。斬られた部分を始点に巨人が燃えた。鮮血も、絶叫をも吞み込んで巨人は炎上する。

 

 飛鳥は目が離せなかった。燃え盛る巨人にではない。頬に巨人の鮮血を浴びた微笑む少年から目が離せなかった。

 

「上の様子を見てくるね」

 

「……すぐに追いつくわ」

 

「うん。待ってる」

 

 信長の笑みはいつも通りだった。彼は巨人が空けた穴から大気を蹴って地上を目指す。その背をじっと見送る飛鳥の目には、彼女自身わからない感情が渦巻いていた。

 ディーンを得て追いついた、いや正直実力として上かもしれないと驕った考えを改めさせられた。今の斬撃を飛鳥はまるで目で追えなかった。つまりあの瞬間、彼が敵だったなら自分は殺されていた。なんの抵抗も出来ず、もしかしたら自分が死んだことすら理解出来ないまま。

 

「………………」

 

 悔しい。そう、この気持ちは己の無力を恥じている。ただそれだけのはずだ。それ以外は何もない。

 まるで自分に言い聞かせるように飛鳥は繰り返しながら耀の部屋へ向かって走った。地鳴りはまだ止まない。

 

 

 

 

 

 

 地下都市から地上へ上ってきた信長を迎えたのは月明かりを照らす水樹の幻想的な光。そして怒号と血の臭いだった。

 地上はすでに乱戦にもつれ込んでいた。暴れまわる巨人を相手にバラバラと戦う《龍角を持つ鷲獅子》。どうやら指揮系統が混乱しているようでお粗末な戦闘が辺りで散発している。聞いていた割に脆いその姿に若干落胆していると、

 

「信長君!」

 

 空から落下してくるのは赤き巨兵。そしてその肩に乗る飛鳥。その奥の上空には耀の姿が見えた。

 地面へ着地したディーンは飛鳥の指示を忠実に実行する。

 

「――――叩き潰しなさい」

 

「DEEEEEEEEEN!!」

 

 手近な二体の巨人へ突進するディーン。仮面を着けた頭部を鷲掴み地面へ叩きつける。堪らず手を振りほどこうとする巨人達だがディーンの膂力に為す術もなく振り回され、挙句投げ捨てられた。

 

「凄いね飛鳥ちゃん!」

 

 瞳をキラキラ輝かせて称賛する信長。彼がディーンの戦闘を目の当たりにするのはこれが初めてだった。話に聞いていた以上に強い。

 

「ありがとう。でも力試しをしたいならまた今度よ」

 

「さすが。お見通しかー」

 

 舌を出して茶目っ気に笑う信長。自分の力がどれほどこの紅の人形に通じるのか、試してみたいというのは目を見ただけで飛鳥には丸わかりだったらしい。彼女にしてみてもこの状況下でそんなことをされては堪らないといった表情だった。

 

「残念」

 

 言って、信長は今度こそ刀を全て抜く。己の背丈に迫る長刀は全貌を現すと同時に業火を生んだ。

 炎を纏いながら跳び上がる。グリフォンの大気を踏みしめるギフトを劣化して得た大気を跳ねる大跳躍。人外の大きさを持つ巨人の頭上を取る。

 仮面の巨人はこれまた巨大な剣を横に構える防御の構え。

 

「しっ!」

 

 長刀は重厚な巨人の剣をまるで紙のように断ち切る。それだけに留まらず巨人を頭頂部から股間部へ一閃。雨のような血飛沫を撒き散らしながら巨人の体は左右に泣き別れた。

 信長の着地と同時に刀は形を変える。今度は大弓。その場で弦を引き絞り放たれた炎の矢は三人の獣人と戦闘中だった巨人の頭部を横から貫く。

 炎上しながら傾斜する巨人は、地面へ到達する前に灰となって消滅した。

 

「GYAAAAAAA!」

 

 仲間を殺された怒りか、信長に三体の巨人が包囲しながら肉薄する。各々の武器を振り上げた彼等は、次の瞬間バランスを崩して倒れた。膝から下が消失していた。

 

「遅いよ」

 

 驚くほどに穏やかな声音と共に炎の波が倒れ伏した巨人達を呑み込む。貪るような徹底的な炎上が鎮火した後には肉片どころか血の一滴すら残らない。痕跡を残さない虚無の惨状にはただ一人、微笑みを絶やさない少年だけが残された。敵だけでなく味方までも戦慄していた。

 それでもそれを好機と見たのは、精鋭らしい装飾を身につけた巨人達を相手していたサラだった。彼女は巨人を押し返すと翼を広げて戦場の上空へ立つ。

 

「主催者がゲストに守られては末代までの名折れ! 《龍角を持つ鷲獅子》の旗本に生きるものは己の領分を全うし、戦況を立て直せ!」

 

 叱咤に応じた者達が高らかに威勢の良い声をあげる。たった一声で戦場を変えた。その瞬間を見極めたこともさることながら、サラの存在感はやはり他の者とは一線を画している。

 

「やっぱり滞在中に一度くらいは戦ってみたいなぁ」

 

 熱を帯びた声で信長は空を見上げながら零す。

 

 刹那、琴線を弾く音が鼓膜をうった。すると唐突に発生した濃霧が戦場を覆った。

 顔をしかめて周囲を見回す信長。確保出来る視界の距離は精々数メートル。自然発生なわけがない。当然敵の仕業だろう。

 

「GYAAAAAAA!」

 

 信長は即座に横に跳んだ。寸後、濃霧を切り裂いて巨大な刃が先ほどまで信長のいた場所を吹き飛ばした。

 現れたのは巨人。ただし先程までの仮面だけの類ではなく、サラを足止めしていた精鋭兵。甲冑に似た鎧を着込み、手には長い柄の先に反り返った刃を着けた武器、薙刀を持っている。

 

「くっ、ディーン!」

 

 見れば飛鳥の方にも装飾を纏った巨人が、それも二体向かっている。それだけではない。他の巨人達が鎖を使ってディーンの動きを封じている。どうやら敵はディーンを危険だと判断したらしい。

 

 大気を踏んで巨人の眼前へ跳んだ信長は長刀を振り下ろす。全ての敵を一撃で斬り伏せていた刀は、しかし巨人のかざした鎧の腕に阻まれる。

 

「!」

 

 空中で動きが止まった信長へ今度は巨人の薙刀が襲う。刀を構えて受けるが、足場もない空中で踏ん張ることもかなわず吹き飛ばされる。地面を砕いてようやく止まる。

 

「いてて」

 

 粉塵をかき分けて起き上がる。口端から血が伝う。斬撃は完璧に止めていたためダメージは少ない。

 やはりこの巨人は他の仮面だけの巨人達とは違うらしい。少しだけ楽しくなった信長はもう一度真正面から斬りかかってみる。長刀を一撃はやはり鎧を断ち切れない。

 ならばと炎を襲わせる。巨人は上体を捻り、薙刀を一閃。あえなく炎は蹴散らされる。

 

 敵は勝機とみたのか薙刀を振りかぶって接近してくる。単純な腕力も他の巨人より上だ。まともに受ければ潰されかねない。

 唸りをあげて振り下ろされた巨人の一撃は斬るというより大地を破砕。クレーターを作った粉塵の先に、信長の姿は無い。

 

「……!?」

 

 巨人の顔が歪む。足元に大木ほどありそうな太い塊がいくつも落下した。それは巨人の指だった。

 続いて右足の感覚が消えた。バランスを失い倒れる体を支えようと突き出した右腕。その真下に信長は現れた。鎧が覆われていない関節部分を狙い、傾斜する巨人の体重も利用して刀を切り上げる。完全な切断こそされなかったものの、半ば以上斬られた腕では体重を支えきれず巨人は無残に倒れ伏した。

 カチリ、という音を聞いた巨人は倒れた自分の頭に古めかしい長銃を突きつける少年を見つけた。

 

「少しだけ楽しかったかな」

 

 言葉と共に引き金が引かれる。近距離で、しかも鎧ではなく仮面部分を貫通した炎の弾丸は身動き取れない巨人の命を奪った。

 

 風穴を空けて巨人の絶命を確認した信長は手に収まる武器を眺めた。筒状の先端から火薬を使った凄まじい勢いで鉄を発射するそれは銃と呼ばれる代物。彼の時代では最先端の武器として存在していた。無論これは信長によって《レーヴァテイン》が形を変えただけであるため、本当のそれとは違い火薬も必要なければ弾丸も炎そのもの。弓が内側から炎上させるものならこちらは貫通に特化しているという違いがある。

 

 再び《レーヴァテイン》の形を刀に戻すと信長は飛鳥の救援に向かおうとしたが、すでに必要なかった。

 全滅。ディーンを押さえていた巨人も、今さっき信長が戦っていたのと同じ精鋭の二体も、等しく惨殺されていた。飛鳥ではない。巨人達は全て斬り殺されていた。

 飛鳥と呆然とした周囲の惨状に呆然とした様子の耀を見つける。同時に彼女達の近くに立つもう一人の女性を見つけた瞬間、信長の肌が泡立った。

 白銀の鎧を巨人達の返り血で汚した彼女は、それでも輝きを失わない。むしろ奇妙な魅力すら感じた。

 

「――――――――」

 

 幻獣達によって濃霧が払われ、巨人達の姿が消えても、しばらく彼を包む炎は消えなかった。

 

 

 

 

 

 

「魔王の残党?」

 

 宿舎の惨状を見るなり気を失ってしまった耀を担いで飛鳥と信長は救護施設として設けられた区画へ耀を運びこむと、先ほどの巨人の正体について知っていた信長は飛鳥へ話していた。

 

「十年前にここを襲った魔王の残党らしいよ。サラちゃんはその抑止力として僕達と《ウィル・オ・ウィスプ》に協力して欲しいんだって。――――はい、出来た!」

 

「ありがとう。でも魔王の撃退は《階層支配者》の役割ではなかったかしら?」

 

 信長に巻いてもらった腕の包帯を撫でながら、お礼の言葉と疑問を口にする。

 

「やられちゃったらしいよ。ちょうど僕達が北で戦っているのと同じ時期に襲ってきた魔王に」

 

 だからこの収穫祭はサラ達《龍角を持つ鷲獅子》が南の《階層支配者》になるための白夜叉と行われているゲームなのだと信長は説明する。巨人達の目的はかつての復讐、それとサラ達が持つあるギフトを奪うためだという。

 慣れない説明役に信長が辟易し始めたとき、耀の意識が戻った。

 

「気分はどう? 春日部さん」

 

 耀はまどろむような目で信長と飛鳥を見るといきなり不安そうな顔になった。その理由を信長達は知っている。

 

「春日部さん、これについて説明してくれる?」

 

 飛鳥が差し出したのは見覚えのある炎のエンブレム。それは十六夜がいつも身に着けているヘッドフォンにあったマークであり、そしてそれは彼が探していたはずの物の残骸でもあった。

 

 彼女が意識を取り戻す前に、信長も大体の事情を飛鳥から聞いている。耀が己の無力さに悩んでおり今回の収穫祭に強い意気込みを持っていたこと。飛鳥と共に《ウィル・オ・ウィスプ》のゲームをクリアして、それを飛鳥の承諾のもと彼女個人の戦果として申告していたこと。

 だからそれをも上回った十六夜への嫉妬から耀はヘッドフォンを隠したのではないかと信長、それと少なからず飛鳥も思っていた。

 しかし飛鳥の問いかけに彼女は首を横に振って答える。信長から見ても彼女は嘘をついていない。それでも事実十六夜のヘッドフォンは彼女の荷物に紛れ込んでいた。

 

「犯人の臭いとかわからないの?」

 

 信長の提案にはっとした二人。エンブレムを鼻に近付けた耀は一瞬目を見開き、やがて複雑そうな表情を浮かべた。どうやら犯人はわかったらしい。それでも彼女には何故この臭いの持ち主が犯人なのかわからないようだった。

 そんなとき、カーテンの向こうから声がかかる。

 

「えっとっと、《ノーネーム》の春日部 耀さんと。ここでいいですか、三毛猫の旦那さん」

 

 覚えのある声に、にゃあにゃあとこれまた覚えのある鳴き声。途端表情を歪ませた耀を見て、なんとなくだが信長にも犯人の察しがついた。理由までは興味もないし、自分に何が出来るとも思えない。それ以前にあの十六夜が本当に犯人がわからなかったのか今更ながら甚だ疑問だ。

 白状した三毛猫の理由を聞いた耀は、一旦閉じていた瞼を開けて飛鳥を見る。

 

「やっぱり犯人がわかっただけじゃ駄目だ。何とかしてヘッドフォンを直さないといけない。……手伝ってくれる?」

 

「ええ、勿論」

 

 二つ返事で頷く飛鳥。自分の出番は終わったとこの場から立ち去ろうとする信長の着物の袖を耀と飛鳥が掴んだ。

 

「信長君、まさかこのまま春日部さんを放っておくつもり?」

 

「え、でも僕に出来ることなんて無いよ」

 

「前に頼っていいって言ってくれたよね?」

 

「い、言ったけどさぁ……」

 

 珍しく慌てる信長。物の壊し方なら生まれたときから知っているが、何かを直したことなど一度も無い。それに家族相手ですら仲良く出来なかった自分が誰かの仲を取り持つだなんて出来るわけがない。

 

「いざとなったら貴方が代わりに十六夜君に殴られてあげなさい」

 

 茶化すような飛鳥の台詞に苦笑いを浮かべる。戦うのなら喜ぶべきところだが、制裁の代わりになれというなら一方的に殴られろということだ。万一にでもそうなればさすがに何発も持つまい。

 

「た、多分何も出来ないよ?」

 

 少女二人は本当に珍しいものを見た気分だった。いつになく弱気な彼が本当に珍しかったのだ。

 

「大丈夫。一緒にいてくれればいい」

 

 そんな風に言われてしまえば承諾しないわけにはいくまい。信長は困った笑顔を浮かべて上げかけた腰を戻した。

 

 その後、黒ウサギ達とも合流してヘッドフォンを直すより代わりの品を用意しようという相談が行われる中、信長はぼんやりと考えていた。今更ながら何故だろうかと。何故彼女達は自分を受け入れてくれるのだろうかと。

 

 織田 三郎 信長という人間は外れている。人間という道から果てしなく道を踏み外している。それを自覚出来てしまっていることそれ自体が破綻しているのだ。

 十六夜、飛鳥、耀。彼等もまた人に身に余るギフトを宿して生まれた。しかし人間としては真っ当だ。一緒にいるからわかることだがどこまでいっても彼等は人間らしい。そんな彼等と一緒にいると、尚更自分が人間らしくないと思い知る。

 別に今の自分が嫌いなわけではない。それでもこんな自分を受け入れてくれる周りが理解出来ないでいた。もし逆の立場ならこんな歪んだ存在は怖ろしくて堪らない。そんな自分を飛鳥は羨ましいとまで言ったのだ。

 以前ならこんなことを考えることもなかった。何故なら信長を対等な存在として認める者など世界に存在していなかったのだ。そも歪んだ自分は母にすら受け入れ難かった。それも仕方がない、と割りきれてしまうことも異常なのか。

 

 答えは出ないまま、再び巨人の襲来を告げる地響きが都市を揺らした。

 また戦いが始まる。思い悩む思考とは裏腹に体は喜びに打ち震えている。高鳴る心臓が、少しだけ鬱陶しく感じた。




閲覧感謝でございます!

>以前にも零しましたがこの三・四巻は本当に難しい。どう動かしていいのやらさっぱりのまま書いております。後々矛盾や無理が出てくるかもですが、そうしたら是非とも教えて下さい。

>銃が登場しましたが随分あっさり。信長といえば銃。銃といえば信長なのに少し勿体無かったかなぁ、とグチグチと。

>さてさて、後の『連中』とはどうやって絡ませようか、今から頭を悩ませています。マジでどうしよう……


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七話

「まったく、信長君は一体何を考えてるのかしら!?」

 

 地表を目指して走る一同。いの一番に駆け出すなり皆を置いて地表へ飛び出した少年を思い出して飛鳥は腹を立てる。状況がわからないうちは固まって行動するべきだという注意を呼びかける暇もなかった。

 ようやく地上へ上がった彼女達が目にしたのはほぼ壊滅状態にある《一本角》と《五爪》。警戒の鐘からいくらも経っていないのに、これはあまりにも妙だった。

 

 すると一頭のグリフォンがこちらへ向かって飛んできた。耀の口ぶりからそれがグリーだと判明する。雄々しく艷やかだった羽も乱れ果て、後ろ足には怪我も窺えた。その姿はそのままこちら側の劣勢を物語っていた。

 飛鳥は戦場を見渡す。目立つことこの上ない四文字の漢字を刻んだ背中は発見出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 何体目かしれない巨人が足元に転がる。四肢を斬られたもの、体の一部が炎上しているもの、完全に灰になって形すら残っていない死体がまばらに打ち捨てられている。

 地表に出るなり例の琴の音を聞きつけた信長はその源目掛けて戦場を駆けた。道すがら巨人共を斬りつけながら。

 琴の音と戦闘、繋がりを問われれば勘だとしか答えられない。強いて言えば北で出会ったラッテンが笛の音でネズミを操っていたようにこれも何らかのギフトなのではないかというのが勘が働いた理由だ。案の定、音に近付くほどに巨人の出現率が高い。

 

 不意に音にならない笑いが零れた。ついさっき自分自身が歪んでいると自覚しておきながら、こうして戦いが起こればいの一番で駆けつけて危険な臭いのする方へ自ら進んでいる。そしてそんな自分をまるで気味が悪いと思えない。むしろ心は躍り、体はすこぶる調子が良い。

 

「ハハ」

 

 今度はしっかりと声を出して笑った。――――瞬間、視界の端で何かを捉えた。半ば反射的に構えた刀に衝撃。足を止める。

 濃霧の先に人型のシルエットが見える。目を凝らせばそれが白銀の鎧を纏った女性であるとわかる。さらにえば彼女は飛鳥を救った人物だ。どうやら向こうも信長の存在に気付いたらしい。

 

「貴方も敵でしょうか?」

 

 斬りかかってきた後の言葉とは思えない。非常識過ぎる質問に、しかし彼もまた非常識で答える。

 

「敵だなんてとんでもない。僕は女の子とは仲良くしたいと思ってるよ。君ともね」

 

 鎧の女性の反応は無い。仮面で最初から顔は見えないが、見えても特に変化がないのだろうな、と思えるほどの無反応だった。

 

「どうやら敵ではないようですね。すみません」

 

 抑揚のない声で彼女は謝罪する。もしかしたら飛鳥と一緒にいたときのことを思い出してくれたのかもしれない。

 

「気にしてないよー。でもそうだなぁ、良ければ名前を教えてくれない? ちなみに僕の名前は織田 三郎 信長」

 

「フェイス・レスです」

 

「フェイちゃんだね! 名前と一緒に是非とも顔も見てみたいところだけど――――」

 

 信長の刀が閃く。ほぼ同時にフェイス・レスと名乗った女性の剣も閃いた。交差する剣閃は互いを避けて相手の背後へ。濃霧を切り裂いた先で、巨人が倒れた。

 

「強いね」

 

 返答はない。構わず続ける。

 

「どうかな。ちょっと僕と戦ってみない?」

 

「私も貴方には少し興味があります――――が、この状況でそれは止しておいた方が身のためです」

 

 再び琴線が弾かれる。信長がそちらへ視線を向けるとフードをすっぽりかぶったローブの人物が一体の巨人の肩に乗っていた。大きさだけなら信長達と同じ人間。少なくとも巨人ではあるまいが、その光景を見る限り間違いなく巨人側の人物。つまり敵だ。ちなみにフードから覗ける特徴を見る限りその人物は女性だった。

 

「うーん。嬉しくて困っちゃうなぁ」

 

 無論、女性に囲まれたこの状況が。ふとフードの奥で女性が笑ったように見えた。

 ぞろぞろと現れる巨人達。それも誰も彼もが装備類に身を固めている。前回のことを踏まえるならそれが巨人達の精鋭と雑兵を見分ける方法だ。それが少なくとも十体。

 

「これでも嬉しいですか?」

 

 フェイス・レスまで微笑を浮かべる。意外とお茶目なのかもしれない。

 

「GYAAAAAAA!!」

 

 巨人の咆哮と共に二人は後ろに跳ぶ。信長は着地と同時に前へ。前回の戦いで巨人達の力量はわかっている。十という数は厄介だが、それもフェイス・レスがいれば問題にならない。

 その計算はいきなり狂わされることとなる。ローブの女性が弾いた琴の音。途端意識がぐらついた。

 勢いが緩んだ信長目掛けて振り下ろされた曲刀は、横合いから当てられた剣戟に弾かれた。

 

「ありがとう、フェイちゃん」

 

 一旦下がって礼を言う。彼女の手にはまるで鞭のように不規則な動きをする奇妙な形の剣。後に聞けばそれは蛇腹剣と呼ばれているらしい。

 

「それにしても急に眠くなってきたよ」

 

 微睡む瞼をこする。一日二日寝なくても鍛えているのだが、この急激な眠気は妙過ぎる。おまけに戦闘中に。

 

「気を付けてください。おそらくあの竪琴のギフトです」

 

 ローブの女性が持つ黄金の竪琴を示して彼女は言う。

 

「睡眠の誘惑……おそらくあれで見張りの意識を奪ったのでしょう。それにそれだけではないようです。どうやら巨人達の士気の高さにも影響を与えているようですね」

 

「意外とお喋り好きなんだね。よく喋る女の子は好きだよ」

 

「無口でも好きなのでしょう?」

 

 否定はしなかった。

 

 それにしても、フェイス・レスの分析が当たっているとして、士気の操作に睡眠の誘発。ラッテンの笛といい、楽器というのはよくよく精神に関するギフトが多いらしい。音楽が人を魅了するのは見たことがあったが、それも本当は使っている楽器がそもそも特殊だったのかもしれない。

 思考の合間にも後方から錫杖を振って放たれた氷の槍を躱す。

 

「それなら」

 

 信長は急加速。その方向はローブの女性。

 音を止める術は無い。ならば音を発している楽器、もしくは演奏者を先に排除すればいい。当然、そんな単純な攻略法を敵が見逃しているはずがない。控えていた新たな二体の巨人が信長の進路を塞ぐ。

 巨人の存在を確認しても信長の速度は緩まない。邪魔をするならまとめて斬り捨てるまで。

 左の巨人の棍棒をやり過ごし、槍を持つ右の巨人へ斬りかかる。勢いのまま両断するつもりだった。

 

「無駄ね」

 

 言葉はローブの女性のもので、再び琴線が弾かれる。

 

「士気の操作は何も巨人達にだけ作用するものではないわ。貴方達の喜鬱さえこれは操れる」

 

 初めて聞いた女性の声はそれこそ奏でる竪琴のように魔性の響きを帯びていた。

 戦意を削がれれば自然と力は落ちる。それも信長達は知らないが、竪琴の効果は近くで聴けばそれだけ大きな影響を受ける。

 無理矢理であっても戦意を上げられた巨人の腕力と戦意が落ち込んだただの人間。勝敗は火を見るより明らかだ。

 

 ――――相手がただの人間であったなら。

 

 振り下ろされた刀は空気を焦がすほどの炎熱を帯びて巨人の槍と衝突。拮抗など一瞬もなかった。鋼鉄の槍は溶解しながら切断され、延長線上にいた巨人に至っては血を沸騰させて倒れた。

 唖然とする女性の目の前で、白い蒸気を切り裂くように血糊を払った着物の少年は薄い笑みを浮かべて言った。

 

「君みたいな人を相手にやる気がなくなるなんてありえないよ」

 

「……それは嬉しいわね」

 

 冷や汗を流す女性は何かに気付くと即座に巨人の肩の上から飛び退いた。瞬後、巨人の首が蛇の如く伸びてきた剣によって跳ね飛ばされる。見れば女性が信長に気を取られていた数秒の間にフェイス・レスは五体の精鋭巨人を片付けていた。

 

「さすが《クイーン・ハロウィン》の寵愛を受けた騎士かしら。少々分が悪いようね」

 

 言うなり彼女は琴線を弾く。次の手を打たれる前に竪琴を狙う信長だったが、またしても巨人達によって阻まれる。身を呈して割り込んできた巨人達を炎で一掃し、尚も女性に近付こうとする信長。

 

「下がって!」

 

 らしいとは思えないフェイス・レスの張り上げた声に素直に停止。飛び退く。直後降り注いだ雷は巨人達を巻き込みながら大地を破砕した。あのまま追っていたら今頃巨人達と同じ末路を信長も辿っていたところだ。

 

「また会いましょう」

 

 クスクスと笑う女性はそう言葉を残して濃霧の先に消えていく。追いたいところだが残った巨人達が立ちはだかる。倒した後では追いつくまい。

 

「せめて名前だけでも聞いておきたかったなー」

 

 本気で残念がる信長。

 その後フェイス・レスと共に残りの巨人を片付けた辺りで戦場を覆っていた濃霧も薄れ始めた。

 

 

 

 

 

 

 時間は進み、戦闘から明くる日。陽も沈んだ宿舎の前で、今まさに殺し合いが勃発していた。

 

「ふ、フフフ……よくも堂々と私の前に現れたわね。その度胸は認めてあげる」

 

 かつて北で多くの者を絶望へ貶めた少女、《黒死斑の魔王(ブラックパーチャー)》は死の風を身に纏いそこにいた。目の前にはニコニコとご機嫌そうな信長。

 

「ペストちゃん怒ってる? なんで?」

 

「自分の胸に聞きなさい」

 

「わからないなー。あ、そのメイド服似合ってるね」

 

「この馬鹿武将ォォォォ!!」

 

 放たれた黒い風を信長は軽やかに躱す。彼の言葉通り、かつて魔王と呼ばれた少女は一度は魂まで砕かれながら復活し《ノーネーム》の前に現れた。メイド服姿で。

 

 北でのギフトゲーム、《The PIED PIPER of HAMELIN》の全ての勝利条件をクリアしたのでペストは隷属という形で箱庭の奇跡によって復活を遂げたのだ。ゲームに大きく貢献した《ノーネーム》に彼女は隷属相手として白夜叉からジンに送られた。

 

「あの屈辱の日々を忘れはしないわ。白夜叉と貴方の玩具にされてあんな……あんな格好を!!」

 

 思い出したのか羞恥に顔を赤くするペスト。

 

「メイド服も良かったけどナース服っていうのも僕は好きだったなー。あ、あとブルマも可愛かった――――」

 

「死ねええええええええ!!」

 

「まったく、何をしているのだ」

 

 狂ったように荒れ狂うペストの風を嘲笑うように躱す信長。そんな二人に声をかけたのはこちらもメイド姿の金髪美少女であった。レティシアは呆れたように肩を竦める。

 そしてペストを見つけるなり納得したように老齢な仕草で唸る。

 

「なるほど。そういうわけか」

 

「こんばんわ、レティシアちゃん」

 

 殺されかけているのに余裕たっぷりな信長の挨拶に相変わらずだと小さく笑いながら挨拶を返す。一方で肩で息をするペスト。キッとレティシアを睨みつけた。

 

「荷物を置いたらジンの部屋に来なさい。その後は主催者に挨拶よ!」

 

 怒鳴りつけるように要件を伝えると彼女は大股で宿舎に戻ってしまう。これ以上殺りあっても無駄だと思ったらしい。残念そうに手を振って見送る信長。不憫だと思わなくもないレティシアだった。

 信長はレティシアを見て、周囲を見回したと首を傾げた。

 

「十六夜は?」

 

「南の景観を抱きしめにいってくるそうだ」

 

 冗談めかしたような言い方だが、信長の方は納得して相槌をうつと空を見上げる。南の水樹の景観は圧巻の一言に尽きる。彼ならまずはしゃいでいたに違いない。

 ふと、信長はレティシアの表情にいつもとは違う陰を見た。まるでこの世の絶望を知ってしまったような、どうにもならない世界を恨むような陰鬱な表情を。『どうかしたのか』、そう訊こうとした彼の耳に再びあの竪琴の音が届く。加えて声。

 

 ――――目覚めよ、林檎の如き黄金の輝きよ。目覚めよ、四つの角のある調和の枠よ。竪琴よりは夏も冬も聞こえ来る。笛の音色より疾く目覚めよ、黄金の竪琴よ――――

 

「な、ん……」

 

 レティシアの体が傾く。信長は駆け寄ろうとして、止まる。倒れかけたレティシアの体を支えたのは先日戦場で出会ったローブの女性。

 

「また会いましたね」

 

「運命っていうのもあながち信じる気になるよね」

 

 最後のときのように口元を押さえて微笑する女性。信長も柔和な笑みを浮かべながら腰の《レーヴァテイン》にすでに手をかけている。無論女性の方もそれに気付いている。だからこそ間合いを広く取っているのだ。

 次いで地響き。周囲も騒がしくなってきた。十中八九、巨人の来襲だろう。

 

「仲間が気になるかしら」

 

「ううん。みんな強いから大丈夫だよ。それにもし死んじゃったらそれまでだったってことだよ」

 

「冷たいのね」

 

「人間の一生なんてほんの数十年だよ。どんなに気を付けていたっていずれは死ぬ」

 

 でも、そう続けた信長は鯉口を切って刀を抜いた。

 

「目の前で仲間の命をみすみす奪わせるつもりもないから――――とりあえず、レティシアちゃんを返してもらえるかな?」

 

「こちらもこのドラキュラさんには用があるの」

 

「そっか――――」

 

 大地を破砕する勢いで地を蹴った信長。間合いは一気に狭まり刹那の間に刀の間合いに入った。半月を描くよう下から襲いかかる刃は、空を裂いた。

 

「!?」

 

 驚きに目を開く。周囲を探り、上空を見上げる。

 レティシアを抱えた女性はどういったギフトによるものなのか空を飛んでいる。出来損ないのグリフォンのギフトしか持たない信長ではもう追い縋れない。

 

「こんにちわ!」

 

 前触れ無く突然眼前に現れた少女の笑顔。何を考える前に放った斬撃は、やはり何も捉えられない。

 

「ああびっくりした。躊躇いないですね。うん、でもそれは正解です。今のところ私は貴方の敵ですから」

 

 再び現れた少女は信長の目の前ではなく数メートルの間合い離した前方にいた。ノースリーブの黒いワンピースを着込んだ黒髪の少女。見た目だけならとても可愛らしい普通の少女だが、腰に下げたベルトにはいくつものナイフがぶらさがっている。

 それになにより異常なのは明白だ。二回だ。警戒していた信長の間合いに現れ、剣戟を躱した。そのどちらも信長は彼女の姿を目で追えなかった。

 

「その口ぶりだと、まるでいつか僕が君の仲間になるみたいだよ」

 

「はい! だから迎えに来ました」

 

 ――――仲間になりませんか?

 

 少女は邪気を感じさせない晴れ渡るような笑顔でそう言った。




閲覧ありがとうございますー。

>ようやく展開が頭でまとまってきたかなぁ、といった感じです。といっても最後のですが。

>ちょいと早めにリンちゃん登場!
書いてて思いましたがリンちゃんと信長君のキャラがかぶった!リンちゃんに罪はなくかぶらせてしまったのは信長君ですが!
そしてそして、戦い方がフェイスさんとかぶった!これも悪いのは信長君、ひいては私ですが。

>三月中に四巻分までまとめられるのか!月末まで乞うご期待!

>アニメが来週最終回じゃないですか!

>箇条書き過ぎるあとがきでしたー。


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八話

「私達の仲間になりませんか?」

 

 少女はニコニコと無邪気な笑顔でそう言った。それに対して信長の返答は、大木を薙ぎ倒す容赦無い一刀だった。

 

「やっぱり全然動きが見えないや」

 

 振り切ったそこに少女はいない。またしても信長ですら目で追えない速度で射程外へ逃れている。

 勧誘の返答が殺意を持った攻撃。とんでもない話だが、しかし少女の表情には驚きも怒りもない。むしろその返答こそ予想していたとばかりに嬉しそうだった。

 

「私と戦うのは楽しいでしょう? 有り余る力を振り回すのは楽しいでしょう? 私達の仲間になってくれれば相応しい相手を、相応しい戦場を絶対用意してあげられます」

 

 尚も交渉を続ける間も信長の攻撃は止まない。少女が相手であっても躊躇いもなく急所を、全ての攻撃に殺意をもって刃を振るう。並の相手なら一撃で屠るそれを、少女もまるで気していないように軽々と回避しながら言葉を投げる。

 

「今の居場所は息苦しくはないですか?」

 

 ピクリと反応した信長の攻撃が遂に止まる。

 

「はっきり言います。貴方は異常です。少なくとも普通の人と同じなんかじゃない」

 

「僕はただの人間だよ」

 

「肉体的には。でも貴方は間違いなく――――魔王の器です」

 

 沈黙が落ちた。巨人達の雄叫びが、《龍角を持つ鷲獅子》の悲鳴が、遠くの戦場から聞こえる。

 前触れはなかった。ただ今までより――――否、箱庭以来最も速い速度で信長は動いた。

 

「………………」

 

 結果は変わらない。少女は無傷で、何もない空間を《レーヴァテイン》の刃が斬り裂いた。そうなるはずだった(・・・・・・・・・)

 

「これは本当にびっくり……」

 

 初めて少女の声に硬さが出た。彼女の着るワンピース、その裾がほんの少し、しかしたしかに切られていた。

 

「今のも届かないのかー。いけると思ったんだけどね」

 

 カラカラと笑う信長は長刀を肩に担ぐ。その姿を見た瞬間、少女の背を寒気が貫いた。この夜闇すら褪せて思えるほどの怖ろしく美しい、静謐の殺意が彼を包んでいた。

 

「間違いなく僕は人間だよ。まだ(・・)、ね」

 

「……もしかして私のしていることバレちゃってます?」

 

「ううん。全然」

 

 清々しく信長は答える。もちろん嘘ではない。

 

「目で追えないぐらい早く動いているのに髪や服に乱れがないことは不自然だけど、そこから君が何をしているのか僕にはさっぱりわからない。やっぱり頭を使うのは苦手だね」

 

 恥ずかしそうに頭を搔く信長。一方で少女の方はさらに驚きを重ねていた。たった数度の攻防の間にそんなところに気付く洞察力に。正直そこまで気付かれているとなると看破されるのも時間の問題だ。まあ、看破されたとされても対処法が無いことがこの力の最も大きな利点なのだが。

 

「それともう一つ間違ってるよ」

 

「はい?」

 

「僕はこの場所を息苦しいなんて思ってないよ。むしろ」

 

「むしろ?」

 

「居心地が良すぎて困ってるんだよ」

 

 予告の無い前進。振り下ろし。繰り返される攻撃は、やはり同じ結果を繰り返す。刀は何もない空間を捉え、少女の姿はない。ただし今度は完全に少女の姿は消えていた。

 

「今回はこれで諦めます」響き渡るような少女の声「でもまた勧誘しに来ますので! 着物のおにいさん」

 

「信長でいいよ」

 

「はい! 信長さんっ!」

 

 最後は気持ちの良い明るい声で少女の気配は完全に去る。

 

 

 

 

 

 

 《アンダーウッド》上空。吸血鬼の古城・城下町。

 

「随分と遅かったわね、リン」

 

「うん。待たせちゃってごめんなさい、アウラさん」

 

 城下町へ降り立った少女、リンは先に街に降り立っていたローブ姿の女性を見つけると陽気さを無くさない声で謝罪する。

 アウラと呼ばれた女性も少女の明るさは彼女の美徳と思っているので特に注意などはしない。今は完全に意識を失っている《ドラキュラ》、レティシアを抱え直す。

 

「構わないわよ。それで貴方の言う気になる子というのはどうなったのかしら?」

 

「断られちゃいました」

 

 小さく舌を出して恥ずかしそうに笑うリン。

 

「それどころか手痛い反撃まで」

 

 そう言って見せた物を見て、アウラの動揺は目に見てわかるほどだった。リンが出したのは彼女がいつも身に着けているナイフの一本。それが完全に砕かれていた。注意深く見ればワンピースの一部も切り裂かれている。

 

「防げたのはラッキーでした」

 

「リン、貴方ギフトは使っていたのでしょう?」

 

「はい。それどころか向こうは本当に最後までギフトの正体も見破ってなかったみたい。私もあの人のギフト全然わからなかったし」

 

 嬉しそうに語るリン。一方でアウラの表情は暗い。リンのギフトは彼女が知りうる中でも究極に位置するものだ。何せ見破ったところで対処法は存在しない。敵の攻撃は届かず、逆に彼女の攻撃だけがたとえどこからでも届く。そんな出鱈目な力さえ一端に過ぎない。そしてその一端でさえ何者も破れない。

 それを、ギフトの正体を見極めることなく破ってみせた者がいる。その脅威を彼女は案じている。

 

「大丈夫だよアウラさん」

 

 彼女の不安を見透かしたようにリンは言う。

 

「私ますますあの人のこと気に入っちゃいました! だからもし仲間になってくれなかったら、そのときは」

 

 ――――そのときは私が排除しますから。

 

 もし、先ほどのリンと信長の対峙をアウラが見ていたなら思っただろう。今彼女が浮かべている表情は、まるで信長がして表情と同じものだったと。

 

「わかったわ。今は殿下のもとへ急ぎましょう」

 

「はーい!」

 

 一秒前の表情などすっかり消え失せて、見た目相応の女の子らしい賑やかな彼女にアウラは微笑ましく笑う。軽やかに城へ走る少女の背を見守りながらアウラは決意を固めていた。もしその人物が敵に回ったなら、自分こそがこの身を犠牲にしてでも倒す。

 彼女は懐のギフトを確かめるように触れた。《龍角を持つ鷲獅子》から奪ったギフト、《バロールの死眼》。

 

 

 

 

 

 

 戦場は唖然という二文字によって凍りついていた。突然の奇襲、それも二度目となれば大方の戦闘員に被害が広がっている。非戦闘員にも被害が出てしまっている今、絶望にこそ染まることはあれ呆然と戦場を眺めることになろうとは思ってもみなかった。

 理由は戦場を暴れまわる『あれ』だ。

 

「ふぅん。ケルトの巨人と言っていたからてっきり神群を指すのかと思っていたんだが違ったのか。つまりお前らは『巨大化した人類』という枠組みでしかないわけか」

 

 冷静に、そしてどこか落胆した調子でぼやく少年は、まるで木の葉のような気軽さで巨人を殴り飛ばした。比喩ではない。巨人は、己のひざ下もないほどの大きさの少年によって正しく数メートル数十メートル先まで吹き飛ばされてしまった。少年の名は逆廻 十六夜という。

 すると巨人達は十六夜を鎖で縛り上げる。幾重にも重ねて動きを封じ、味方の攻撃に巻き込まれるのも承知で鎖を握る。攻撃をする側の巨人も承知で錫杖を振り上げた。

 そんな決死の覚悟をもった巨人達の覚悟は、業火によって喰い殺される。まさかの十六夜諸共。

 

「ッの野郎……信長! テメェ他人様を焼き殺そうだなんていい度胸じゃねえか」

 

 無事だった。振り下ろした右足が大地を砕き、揺らす。炎は霧散しあとには非常に元気な十六夜だけが残った。巨人達に至っては灰すら残っていない。

 

「あーごめんごめん」

 

 戦場においてこれほど似合わないことはない幼く無邪気に弾んだ声。今まさに仲間諸共巨人を無為に焼き払った人物とは思えない。

 白い着物をなびかせて十六夜の隣に降り立つ彼の名は、織田 三郎 信長。

 

「でも平気なんでしょ?」

 

「服が焦げた」

 

「意外と十六夜って器小さいよねー」

 

「戦国の大名様は謝罪の仕方ってのを知らないみたいだから教えてやる。土下座って知ってるか? こうやるんだよ」

 

 言いながら、十六夜は跳躍して巨人の頭上を陣取ると踵落としを食らわせる。そのまま巨人の頭部をめり込ませて踏みつける。

 それを間近で見ていた信長は朗らかに笑う。

 

「見たことあるね。やったことないけど」

 

 クソ、と十六夜は吐き捨てる。鋭い視線を受けても信長は笑う。

 その間、すでに戦場の三分の一以上の巨人が殲滅されている。二人がしていることは共闘などとは程遠い。ただただ各々の力を思うがままに奮う。それだけで巨人の複数が吹き飛ばされ、焼き払われる。

 あまりの光景に《龍角を持つ鷲獅子》連盟は彼等を救援だと喜ぶことも、恐れを抱くことも出来ず、ただ呆然と眺めていた。

 

「ところで《龍角を持つ鷲獅子》連盟の同士諸兄等は一体いつまでそうしているつもりかな?」

 

 だから不意にかけられた言葉に反応出来る者はいなかった。

 

「見ての通り敵は十人一殺の覚悟で挑んできた。なるほど、一度は落胆したものの見事と言わざるを得ない。それなのに、そんな仇敵を目の前に勇気の象徴《龍角を持つ鷲獅子》を掲げるお前達はどうだ?」

 

「放っておきなよ十六夜。命が惜しいなら後ろに退がってればいいよ」

 

 また一体、巨人を斬り伏せた信長の声は先程とは打って変わって冷め切っていた。

 

「でも、生きるために生きるなんて死んでいるのと同じだと思うけどね。それでいいと言うなら放っておけばいいんだよ」

 

 途端、幻獣達は怒りと共に声をあげた。言葉は通じないが二人の発言に奮起しているのは明らかだった。巨人を薙ぎ倒した十六夜が口元に笑みを貼り付けて信長を見た。

 

「さすが本場の大将は言うことが違うな」

 

「焚きつけたのはそっちのくせに」苦笑する信長「それにさっきの言葉は嘘じゃないよ。生きるためだけに生きるなんて、そんなのは死んでいるのと変わらない」

 

 そしてそれがどれだけ退屈なのかを信長はよく知っている。

 

「GYEEEEEEEEYAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

 二人揃って空を見上げる。雲海を切り裂いて姿を見せる巨龍。人語ではない声は大気を揺らすどころか大地までも震わせ、身動ぎ一つで身を引き裂かれるような突風が巻き起こる。神話でしか知ることの出来なかった伝説の生物が今まさに空を覆っていた。

 

「十六夜」

 

「あん?」

 

「楽しいね」

 

 脈絡のない話に思わず首を傾げる十六夜。その間も信長はじっと空を見上げていた。

 

 ――――私達の仲間になりませんか?

 

 少女の言葉が心の奥底で木霊していた。

 

 

 

 

 

 

 《アンダーウッド》収穫祭本陣営。一夜が明け、大樹の中腹の会議場に複数のコミュニティメンバーが集まっていた。進行役の黒ウサギ。《一本角》頭首にして《龍角を持つ鷲獅子》連盟代表のサラ。《六本傷》頭首代行、キャロロ=ガンダック。《ウィル・オ・ウィスプ》参謀代行、フェイス・レス。そして《ノーネーム》からジン、十六夜、飛鳥、信長の四人だ。

 この場にいない《六本傷》の頭首ガロロ=ガンダック、《ウィル・オ・ウィスプ》のジャックとアーシャ、そして耀までも見つかっていない。情報では休戦の際、巨龍が引き起こした突風に巻き込まれて古城に運ばれてしまったらしい。他数人の子供達と共に。

 

 状況の悪さはさらに続く。会議でサラは巨人族が狙っていたという例のギフト、《バロールの死眼》が紛失したことを報告した。奇襲のゴタゴタの間に奪われたらしい。おそらく犯人はレティシアをさらったローブの女性か、信長が出会った少女のどちらかだろう。

 さらに現在、南側だけでなく白夜叉のいる東、《サラマンドラ》のいる北にも同時に魔王が出現中とのことだ。無論偶然などではあるまい。この一連の襲撃は仕組まれている。孤高であるはずの魔王が明らかに結託して各地の《階層支配者》を狙っている。十六夜は彼等を仮称《魔王連盟》と呼んだ。なんでもペストの一件も彼等が関わっていた可能性が高いらしい。

 

 それら様々な最悪な状況。その全てに輪をかけて《ノーネーム》の気を重くするのは今回の敵のゲームマスターがレティシアだということだ。彼女がわざわざこんなことをしでかす理由はない。だとすればこれも例の《魔王連盟》の仕業。つまりレティシアをさらった女性、それにおそらく信長と戦った少女もその一味だということだ。

 

 ギフトゲーム名《SUN SYNCHRONOUS ORBIT in VAMPIRE KING》。プレイヤー側に敗北条件は無し。当然ホスト側に勝利条件は無い。存在するルールはプレイヤー側の勝利条件とペナルティ事項のみ。一度でもゲームマスターと交戦すれば十日ごとに死と同義のペナルティが課せられる。延々と、プレイヤー全員が死んでもゲームは終わらず、かといってホストが勝つこともなく、終わらないゲームの中で永遠のペナルティが繰り返される。何度も殺されるそれはまさに地獄のような光景だろう。

 

 かつてレティシアは《箱庭の騎士》の所以ともなった功績を手に上層の神仏達に戦争を仕掛けようとしたらしい。同士達はそれを止めたが、彼女は聞かず止めようとする同族を皆殺しにしたという。それが彼女が《魔王ドラキュラ》と自称し、呼ばれた所以であると。

 メイドとして、またコミュニティのメンバーとして、日々コミュニティに献身的に奉仕し、子供達の面倒もよく見る彼女からはまるで想像出来ない話だった。

 

 会議の結論はゲームクリア条件は一旦保留。古城へさらわれた者達を救い出す部隊と巨人から《アンダーウッド》を守る部隊の二手に分かれるということでまとまった。

 解散したその後白々しく『ゲームの謎ならもう解けてるぞ?』という十六夜の発言に、飛鳥と黒ウサギはなんともいえない表情をしていた。




>閲覧ありがとうございまッス!

>十六夜君と実は初共闘。前は結局喧嘩になっちゃいましたからね(笑)

>最後の会議部分はもう介入する余地もなさそうだったのでハイライト感でした。申し訳ない。
それと四巻結末が完全に決まりました。つまり今章のヒロインが決まったというわけです!前回は耀でしたが今回は果たして誰に!?
まま、過程はさっぱりなので結局手探り感半端ないですがね!w

>アニメより。
遂にアニメ終了ー!お疲れ様でしたぁ!!色々とありましたが、まあやっぱり動いてる問題児プラス黒ウサギを見れただけで良かったです。
でも他のアニメに比べてなぜ問題児だけ終わるのがちょい早いのだろう?

>まだ先は長いですが予告。元々予定していた番外編(一、二話ぐらいの)を四巻終わり後に書くことが決まったのと、これまたリクエストがあったペストちゃんお着替え大作戦!(これは一話分)を四巻終わりのおまけで書きます。本編終わってないのに気がはええ!
3月中にせめて四巻まで書いてしまいたい……。


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九話

 アンダーウッド地下大空洞、大樹の地下水門。

 さすがは水の都と呼ばれるだけあって水門も立派なものだった。興味深そうに水門を見上げていた信長の視線を移動する。

 

「はい、終わり」

 

 大きな木造の水門を前に流れる大河。飛び石のように突き出た岩の一つに嘲笑を浮かべながら降り立つペスト。かつての魔王少女は斑模様のワンピースではなく藍色と白のメイド服を着こなし羽のような軽い身のこなしで岩場へ足を下ろした。

 

「ま、まだよ! ディーン!」

 

 そんな彼女と対峙する飛鳥が怒鳴るように叫んだ。ついさっき小突かれた後頭部を擦りながら、大河に足の一部を沈めている従僕の巨兵に指示を与える。ディーンは主人の命に従って敵を討ち果たすべく拳を振る。神珍鉄という特殊な素材で生み出されたディーンの腕がみるみる伸びる。

 熱した鉄がドロドロになったところこそ見たことはあるが、伸縮する鉄など聞いたこともない。信長も初めて見たときは大層驚いたが、この繰り返される光景は見慣れた。

 ペストは僅かな風でディーンの腕を逸らし、伸びきった腕を掻い潜って飛鳥に一気に接近。戸惑う彼女を、今度は強めに背中を押して大河に突き落とした。激しい水飛沫をあげて飛鳥は水に落ちた。

 

 彼女達がこうして戦っているのにはもちろん理由がある。

 事は会議の後、城へ向かう攻略組と防衛組の振り分けを話し合うときに起きた。飛鳥が何よりも先に攻略組へ立候補したのだ。それを十六夜が却下した。

 《ペルセウス》、《グリムグリモワール・ハーメルン》、信長達《ノーネーム》にとって大一番となったどちらのゲームのときも飛鳥は最前線から意図的に外されていた。十六夜はそれを率直に力不足だと断じ、彼女はそれを認めた上で今回だけは退かなかった。友人である耀を救いたい。レティシアを救いたいという強い意志がある。それとおそらく、自分がコミュニティの足手まといではないとやはり心の奥底では認められないのだ。魔王であるペストを下したことも彼女の自信の一つとなったのだろう。だから十六夜はあえてペストと飛鳥を戦わせた。

 結果はこれだ。まるで手も足も出ず飛鳥は水に落とされた。その前も含めればすでに五度以上彼女は殺されている。

 

「意地悪いよねぇ、十六夜って」

 

 岩場に座り込んで観戦する信長は言う。最初から結果はわかりきっていた。

 ディーンはたしかにペストの死の風を防ぐ鋼鉄の体を持っている。伸縮自在の腕。意外と動きも素早い。しかしそれを操る飛鳥は所詮ただの女の子だ。ならば自ずと敵は術者である彼女を狙う。

 飛鳥に耀のような身体能力は無い。かといって戦い慣れていない彼女では戦術の組立もろくに出来ない。

 

「あのお嬢様は口だけじゃ聞かない。ましてや他人の言葉で納得出来るようなタイプじゃないだろ? …………ってもあの斑ロリめ」

 

 ガシガシと苛立たしげに後頭部を搔く彼はバケツを手にしている。何をする気かは知らないが彼もよくよく面倒見が良い。見習うつもりはないが感心する信長だった。

 

 

 

 

 

 

 《六本傷》現頭首代行となっているキャロロ(東区喫茶店の猫ウェイトレス)の案内で辿り着いたのは葉翠の間と呼ばれる大浴場だった。立ち込める湯気の向こうには樹の幹の一部をそのままくり抜いた湯殿。それはまさに大自然と一体になった浴室となっていた。

 

「わぁ」

 

 思わず感嘆の声を漏らす飛鳥。早速堪能したいところではあるのだが、

 

「こら、逃げない」

 

 飛鳥は右手を伸ばして逃れようとする小さな頭を掴む。振り向いたペストは不機嫌そうにこちらを見上げた。

 

「お風呂なんて別に入らなくても平気よ」

 

「そりゃ黒死病と恐れられた貴女が風邪をひこうものなら笑い話でしょうけど、二人揃って十六夜君に洗われるのは笑い話にならないわ」

 

 引きつった顔の飛鳥。ペストも同様にぞっとした様子だった。

 彼の言葉は『俺に無理矢理洗われるか仲良く二人で風呂に入るか』だ。どちらを選ぶかなど考えるまでもない。

 たとえ二人であっても十六夜に逆らえるとは二人共思えなかった。

 

「この際だから隅から隅まで洗ってあげるわ。十六夜君の話じゃ貴女の時代はお風呂が普及していなかったのでしょう?」

 

「………………」

 

 嫌がるペストを無理矢理座らせて頭を洗っていると入口の方から声が聞こえてくる。

 

「YES! とっても素敵なのですよ」

 

 この声は黒ウサギ。それと湯気を奥から現れたもう一人はサラだった。

 二人を見て思わず飛鳥の表情が変わった。童顔の割に体のあちこちがけしらんことになっている黒ウサギに比べればサラの方は少し胸のボリュームが及ばないが、長身に合ったモデルのようなスレンダーさがあった。

 

「スタイルはバランスよ!」

 

「それわざわざ口に出している時点で負けてることにならない?」

 

 飛鳥とペストは互いの己の体を見下ろして、深々とため息を吐き出した。

 以前の出来事もありなんとなく事情を察してしまい、あわあわとする黒ウサギ。サラの方は不思議そうに首を傾げていた。

 

「いやいや、飛鳥ちゃんはこれからもっと成長するから大丈夫だよ」

 

「そうかしら。……いえ、別に気にしていないけれど」

 

「そうです飛鳥さん! 飛鳥さんは私なんかよりずっと素敵な女性です!!」

 

「ペストちゃんだってサラちゃんみたいにはなれないだろうけど、それはそれで需要があるんだって白ちゃん言ってたよ。なんだっけ? 『ろりろり』してる」

 

「そうです! 白夜叉様もそう言って……ん?」

 

「え?」

 

「「「え?」」」

 

 女性陣の時間が止まった。

 

 おかしい。これは絶対おかしい。湯気の向こう、湯船に堂々と浸かっているのはどう見ても信長だ。ありえない。そんなわけがない。堂々と湯に浸かって頭にタオルを載っけてこちらをマジマジと見ているわけがない。

 一体何時から。いつの間に。いやいや、そんなことも関係ない。

 

「さ、サラ様ここが混浴だなんて聞いてませんよ!?」

 

「いや混浴じゃない」

 

「「「出て行けええええええええ!!!!」」」

 

 雷と黒い風と巨兵の拳が炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 大樹の根本から翼を持つ多くの幻獣達が空に飛び立つ。グリーの背に乗った十六夜とその隣には《龍角を持つ鷲獅子》議長たるサラも己の翼で空を飛んで古城を目指す。彼等が救出及びゲームクリア部隊である。その姿を信長は飛鳥と共に見送っていた。

 

「信長君、本当によかったの?」

 

 飛鳥の質問は黒ウサギやジンも抱いている疑問だった。昨夜チームを振り分ける際、十六夜は彼にだけどっちがいいかと彼自身に尋ねた。それはつまり信長ならばどちらに参加しても構わないという意味だった。それに飛鳥が悔しさを覚えなかったかといえば、もちろん嘘になる。

 しかし信長は大して考えることなくこう答えた。

 

 ――――僕は飛鳥ちゃん達と一緒にここを守るよ、と。

 

 ギリギリの戦いを、強敵との戦いを望む信長のことだ。てっきり皆ゲームクリアに向かうと思っていた。巨人族がすでに彼の敵になり得ないことはわかっている今、彼が満足する敵はあの龍ぐらいだろうから。

 

「上には十六夜とサラちゃん、それに耀ちゃんにジャックさんに、《六本傷》の頭首の人もいるんでしょ? 僕まで行ったら余剰戦力だよ」

 

 それならば巨人と龍が生み出す化け物、そして巨人を操る者と戦った方が面白そうだと信長は言う。飛鳥は少し疑わしげに信長の顔を見て、肩を竦めた。

 

「もし私が心配だからというふざけたことを言うようなら、今すぐディーンで古城まで投げ飛ばしていたところよ」

 

「心配なんてしないよ。僕は十六夜以上に飛鳥ちゃんを買ってるもん」

 

「あら、ありがとう。でもそれは何故?」

 

「飛鳥ちゃんは眩しいくらい真っ直ぐだから。弱さを受け止めて、敗北を知ってそれでも強くあろうと己を磨き続けることが出来るのは立派な才能だよ。凄く人間臭くて……憧れるよ」

 

 思っていたよりもまともな答えだったことに飛鳥は思わず目をしばたかせる。そうしてうろんげに流し見た。

 

「負けたことが無さそうな貴方はそんな才能必要ないのでしょうけど」

 

 あはははー、と笑って誤魔化す信長に蹴りをくれる飛鳥。その口元にようやく笑みが浮かんだ。昨夜の惨敗、そして今から始まる戦いに緊張で強張っていた表情が柔らかくなった。内心心配していた黒ウサギ達もそれを見て安心したようだ。

 その数分後、高原の向こうにいたはずの巨人の軍勢が陣営目の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 巨人達は唐突に目の前に現れた。それも以前のような濃霧を発生させての奇襲ではない。本当にいきなり、その場所に現れた。その出現の仕方に信長は覚えがある。例の少女も今のように突然現れて突然消えていた。やはり彼女もこの戦いに関わっているのだ。まさか大部隊をそのまま移動させられるとは驚きだが。

 

「やっぱりこのタイミングで狙ってきましたね」

 

「当然ね。戦力を分散させるこのタイミングは向こうにとって絶好の好機だもの」

 

「後は残った僕らの仕事ですね。――――ペスト!」

 

 ジンの呼びかけに応えて顕現したペスト。戦力が揃ったことを確認した信長がジンに問いかける。

 

「作戦は?」

 

「こちらの戦力を考えれば巨人達は大した脅威にはなりません。問題は奪われた《バロールの死眼》です」

 

 その光を浴びただけで死が確定する最悪のギフト。そんなものを発動させられてしまえばこちら側に抗う術はない。かつてアルゴールの石化を破った十六夜なら別だろうが、彼は現在空で戦っている。

 

「だからここはバロール退治の伝承をなぞろうかなって」

 

 ジンの視線を受けて黒ウサギが察する。

 

「もしかして黒ウサギの出番だったりします?」

 

 ジンが語るバロール退治の伝承とはその名の通り魔王バロールを退治した伝承である。伝承の中で開眼したバロールの死眼は《神槍・極光の御腕(ブリューナグ)》によって貫かれた。それを黒ウサギの《マハーバーラタの紙片》――――帝釈天の槍で再現しようというのだ。

 

「それならそこの男でも出来るんじゃないの?」

 

 ペストが指したのは信長。彼のギフトがどういうものなのかはわかっていないが、他人のギフトをそれなりの性能を残したままコピー出来る。以前の戦いで彼は黒ウサギの帝釈天の雷を再現していた。

 話題にあげられた本人は申し訳なさそうに笑う。

 

「《疑似神格(ヴァジュラ・)金剛杵(レプリカ)》は出来たんだけどさすがに《必勝の槍》までは無理だったんだよ」

 

 それはすでに実証済み。相変わらず出来ることとそうでないものの境界が曖昧なギフトだった。

 つまらなそうに鼻を鳴らすペスト。

 作戦が決まったことを確認して、次は段取り。引き続きジンが進行する。

 

「作戦の初期段階はペストと信長さんで巨人達を混乱させてもらって、飛鳥さんには撃ち漏らしがないようその少し後ろで確実に叩いてもらいます」

 

 飛鳥が頷き、信長がペストに気軽気に手を振る。ペストの方はフン、とそっぽ向いてしまった。

 

「黒ウサギは《アンダーウッド》の頂上で待機。上手く追い詰めて《バロールの死眼》が出てきたら帝釈天の神槍でトドメを刺す……で、どうかな?」

 

「最後の自信無さそうな顔が無ければ言うことなしだね」

 

「ま、無難な作戦ね」

 

 信長とペストの言葉にほっとするジン。

 

「じゃあ行こうかペストちゃん」

 

 腰の鞘から引き抜かれる長刀。それを見て顔をしかめるペスト。彼女にしてみれば自身を敗北させた武器だ。いい思い出であるはずがない。

 

「また一緒に戦えるなんて嬉しいよ」

 

「そう。巨人諸共倒れてくれて結構よ」

 

 つれないペストの台詞にも喜々とする信長。己の内側で熱が滾る。口元はにやけて仕方がない。戦うことが楽しくてしょうがない。

 だからこそ時々不安になる。こんなに幸せでいいのかと。いつまでもこんなに幸せでいいのかと。

 最近は余計な思考ばかりが混じる。こんなこと元いた世界では考えられない悩みだったから。

 

 

 

 

 

 

 巨人が次々と倒れていく。多くの幻獣、獣人達が己のコミュニティを守ろうと必死になっている。無論それもある――――が、それ以上に多くの敵を薙ぎ払うのは戦場の戦闘を進む信長とペストだった。

 ペストの風は一瞬で多数の巨人を無効化していく。信長の炎は一瞬で多数の巨人を灰燼に帰す。逃した敵は後ろの飛鳥とディーンが確実に叩き潰す。まさに一騎当千の働きに、《龍角を持つ鷲獅子》全体が活気づく。

 

「思い出すねペストちゃん。君と戦ったのは僕にとって最高の幸せだったよ!」

 

「ねえ喧嘩を売ってるの? おかげで私は殺されてるのよ」

 

 軽口を叩き合う間も二人共に手は緩めない。それになんだかんだと言いながら互いに死角になる敵をフォローする光景はまるで長年戦場を共にした戦友のようだ。かつて殺し合いを演じた仲とは思えない。

 思わず感心する飛鳥。不意に信長が振り向いた。

 

「飛鳥ちゃん後ろ」

 

 変わらない笑顔で、緊張感もなく告げられた言葉。故に振り向いたそこに巨人が突き出した槍が迫っていようとは思いもしなかった。

 

(せめてもっと慌てた感じで教えなさいよ!)

 

 逆恨みに等しいとわかっていながら思わずにはいられなかった。咄嗟に戦いの前にサラから手渡された紅玉を構えて、それが効果を発揮する前に槍は半ばから切断された。

 

「平気か飛鳥!」

 

「サラ、もう帰ってきたの?」

 

 上空から、攻略組として編成された部隊が次々と戦場に降り立つ。その中に十六夜とグリーの姿だけがなかった。

 飛鳥の言葉に思わず居心地悪そうな顔をするサラ。まさかゲームがクリアされたとは思えないので、何かアクシデントでも起きたのか。それでも十六夜が残っているなら充分か、とここまで考えながら信長は飛鳥から戦場の向こう側へ声を張り上げた。

 

「ありがとうフェイちゃん!」

 

 信長達同様、一騎当千の強さを見せるのは白銀の騎士。蛇腹剣、弓、槍、数多の武器を自在に切り替えて操る戦い方はどこか信長に似ているが、彼女の方がより洗練されているように思える。

 たった今飛鳥を救ったのは彼女の弓だった。

 

「本当に、化け物がうじゃうじゃと」

 

 巨人を片手間に倒しながら、フェイス・レスの強さに戦慄を覚えるペストは内心を隠すように毒づく。

 

「強いよねぇ、フェイちゃん。頼んだら戦ってくれないかな?」

 

 こんな状況でも平然としかねない信長を見て、『貴方もその一人』なのだとペストは心の中でぼやいた。むしろ彼の異常性こそが飛び抜けている。戦闘能力だけでいえば十六夜、黒ウサギ、白夜叉、フェイス・レス。彼女が知っているだけでも彼と同等以上の存在はこれだけいるが、彼の本当の怖ろしさはそこではない。

 戦いを、殺し合いを、純粋に楽しむ狂気じみた思考。己の命をまるで玩具のように扱って遊ぶその恐怖は、戦った者でなければ真に理解出来ないだろう。

 

 正気と狂気で揺らぐ者は多くいるが、信長の場合はすでに狂気に堕ちきっている。その上で平然としているのだ。それを化け物と呼ばずなんだというのか。

 

「待っていたわ、《黒死斑の御子》」

 

 ペストは思考を現実に戻す。敵本陣を切り抜けたのはペスト――――それと信長だ。

 眼前にはかつて巨人族が扱ったという《来寇の書》を広げたローブの女性の姿がある。手には別に黄金の竪琴も。女性――――アウラはペストを見上げて嘲笑を浮かべた。

 

「名無しの使いっ走りは楽しい?」

 

「ええ。少なくとも貴方達より不快ではないわ」

 

 アウラは一度信長を気にしたように目をやって、再びペストへ向き直る。

 

「《ハーメルンの笛吹き》から切り離されて、随分霊格が縮小してしまったようね。今の貴方は神霊には程遠い。もどかしいでしょうに。どう? もう一度私達の元へくれば相応しい器を用意してあげられるわ。貴方が保有する霊群は規格外といっていい。単身で最強種である神霊に成り上がれるほどに。望むなら、数人の部下を与えても。先立って渡したハーメルンの三流悪魔などではなく――――」

 

「――――黙れ」

 

 ペストの衝撃波が儀式を形成していた壁を突破してアウラに傷を与えた。彼女自身気付けないほど意外にも、彼女は怒っていた。

 

「アウラ、私は一つだけ貴方達に感謝していたわ。それは他でもない《ハーメルンの笛吹き》の魔書を提供してくれたこと。その一点に関していえば、私は借りも義理もあった。だから貴女の誘いに一考する価値があった」

 

 だけど、

 

「オマエはたった今それを捨てた。オマエ達にしてみればただの捨て駒でも《グリムグリモワール・ハーメルン》は私達の……()の全てを賭して旗揚げし、彼等が命を捧げたコミュニティよ」

 

 信長は傍らでそれを聞きながら彼女の指に嵌められた指輪を見る。本来彼女は《ハーメルンの笛吹き》とは関係ない。故にそれは彼女の器にしてみればあまりにも弱い。かつて神霊に迫った力は見るも無残なほど弱く成り果てた。

 それでもそれは彼女の願いだった。箱庭へ復活した彼女が隷属させられる条件として、どんな形でもいいからハーメルンの旗を残したかった。

 本当はそんな権限もなかったのにそれを許してくれたのは白夜叉、そして信長だった。

 

 ――――僕は君達(・・)に感謝してるんだ。《グリムグリモワール・ハーメルン》は僕が初めて恐怖を覚えるほど強い相手だった。一生忘れることはない。だからそれで君が少しでも強く在れるというのなら、僕は何も言わないよ。

 

 忘れないと言ってくれた。強かったと。こんな男に覚えていてもらいたかったわけではない。それでも、この旗に殉じて去った彼等を忘れないでいてくれる者がいるならば、自分がまだここで戦う意味はある。

 

 このときペストは気付かなかった。自分が小さく笑っていたことを。

 

「交渉は決裂かしら?」

 

「いいえ決別よ。後は殺し合うだけよ、古き魔法使い」

 

 ペストの言葉を合図にするように本陣を突き破って飛鳥やサラ達《龍角を持つ鷲獅子》の幻獣達が現れる。

 役者は揃う。戦いは佳境へと向かっていた。




閲覧及び、お気に入りが千人超えありがとうございました!!
ここまで伸びたのがにじファンから含めて初めてなのでもうどう驚けばいいのやらわかりません。なので腹芸を披露したいところですが残念。文章で腹芸はお見せ出来ないので変わらぬ作品をお楽しみいただければ幸いです。

>書いてて今更ですがこんなネガティブな信長君はミスったああああ!コンセプトがぶれぶれになってしまかねない魔王らしくない姿に残念です。私が。
まま、これがプロットを立てずに思いつきで文章打ってるツケが回ったというやつですかね。でも書き直しはしません!完結前に書き直すと完結出来ないジンクスあるので、これはもうこのままの信長君でいってもらいます。

>中盤のあれはサービスシーンです。本編にまるで関わってない(笑)
やっぱああいう馬鹿らしいのだと筆が進みますね。

飛鳥の言うとおり女の子はバランスさ!あ、でも大きい胸もいいよね!小さい胸もいいよね!(相変わらず可愛ければいいという真理です)


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十話

「ペスト、貴女は何故巨人族が黒死病に弱いか知っている?」

 

 四面楚歌。全ての巨人が倒され、敵の軍勢に囲まれたこの状況で尚アウラは余裕の笑みを崩さなかった。むしろ、そこには勝利の確信が込められていた。

 

「さようなら《黒死斑の御子》! そして《龍角を持つ鷲獅子》同盟と、その他大勢の皆さん! 不用意に全軍を進めた貴方達の負けよ!」

 

 高らかな宣言と共に掲げられた《バロールの死眼》。そこから視界を塗り潰すほどの光が溢れだした。浴びれば死が確定する光。発動すれば誰も逃げられない。誰もが死を覚悟した。

 

「……死なないね」

 

 信長は光から目を守るように上げていた腕を下ろす。念のため体を見下ろしてみても何の変化も見られない。そもそも死んでいたらこうして話すことも出来ないはずだ。

 

「失敗?」

 

「違うわ」

 

 皆が困惑する中、ペストだけが苦い顔で呟いた。直後巨人達の雄叫びが戦場を覆った。それも一つではない。黒死病によって倒れていた巨人全てが復活していた。

 こうなると戦場深くまで攻め込んでいた信長達は自然と囲まれる形になる。それだけではない。戦力のほとんどがここにいるということは、現在《アンダーウッド》本陣は必然的に手薄になる。そも信長のような主力勢を除けば巨人族一体に複数で当たらなければ戦えないというのに。

 辺りを見回した信長は腕を組んで深く頷く。

 

「まずいね」

 

「そんな呑気に言っている場合じゃないわ!」

 

 発言と行動が噛み合っていない信長に飛鳥が怒鳴る。それはそうだ。このままでは《アンダーウッド》が落とされる。彼女と同じように動揺が広がる《龍角を持つ鷲獅子》を敏感に感じ取り声をあげたのはやはりサラだった。

 

「怯むな! 如何に黒死病から復活したといっても敵も万全ではない。《アンダーウッド》が攻め落とされる前にこの魔女さえ討ち取ることが出来れば我々の勝利だ!」

 

 そう、アウラさえ倒せば巨人達は再びペストの黒死病を効果を受ける。そうなれば再逆転は可能だ。

 アウラは例の儀式場の真ん中から動かない。そして彼女の周囲は澱んだ黒い光が結界のように包んでいた。あれが《バロールの死眼》なのだとするなら、あの光は神霊に迫ったペストの死を与える風と同質のものだと予想出来る。信長は勿論、ペストでさえ今の状態では触れることは出来ないだろう。しかし彼女を倒すにはあの光を突破しなければならない。

 飛鳥は己に付き従う巨兵を見つめる。ペストの風さえはねのけたディーンならば。

 

「飛鳥ちゃん」

 

「こんなときになにかしら! 今ふざけたことを言ったら巨人達の真ん中に投げ込むわよ!?」

 

 思考の最中に声を掛けられたことに、それと復活した巨人達を相手にする余裕の無さから飛鳥は怒鳴り返すように応えた。一方で、声を掛けた当人は戦うどころかどこかあらぬ方向をぼーっと眺めていた。さすがに苛立ちを覚えた彼女は持ち上げた巨人を彼に投げ込んでやろうとディーンに指示を出そうとして、予想もしなかった言葉を耳にすることとなる。

 

「ここ任せるね」

 

「はっ!?」

 

 思わず素の声をあげてしまった。それも当然のことだ。巨人達に最も有効だとしていたペストが敵のギフトによって無効化されてしまった今、巨人を相手に対等以上に戦えるのはディーン、サラ、フェイス・レス、信長ぐらいだ。そのうちフェイス・レスの姿はどうしてか見えない。その上、彼まで戦線を抜けるというのか。

 

「それじゃあ頑張ってねー」

 

「ちょ、信長君!?」

 

 飛鳥が言葉を見つける前に、信長は馬鹿にしていると思うくらい弾けるような笑顔で手を振ると巨人の囲いを斬り伏せて彼方へ走り去ってしまった。その背中を見つめて最早言葉も無く口をパクパクさせる飛鳥。

 

「信長はどこに行ってしまったんだ!?」

 

 空を自在に飛び回って巨人達を相手取っていたサラが戦場を駆け抜ける着物の少年を見かけたのか慌てて飛鳥の元へやってきた。

 尋ねられたところで飛鳥にだってわからない。彼の向かった方向は儀式場でも、ましてや《アンダーウッド》の方角でもない。ならば信長は一体どこに行ったのか。普段からいい加減だし、のらりくらりと掴みどころのないどうしようもない大うつけだが、決して逃げるような臆病者ではない。そも戦いこそ彼がこの世界で求めているもののはずだ。ならば逃げたとは思えない。

 彼には十六夜のような知識や知力は無いが、常人離れした洞察力と直感がある。おそらくそれに『何か』が引っかかったのだろう。ここを離れなければならないほどの『何か』が。そして信長はここを飛鳥達に任せたのだ。彼は十六夜以上に自分を買ってくれていると実際に言っていた。それは飛鳥にとって渇望していた信頼だ。

 

 ――――だとしても、

 

「知らないわよ! ……ええもうまったく、帰ったら覚えてなさいよ(・・・・・・・・・・・)

 

 頼ってくれたのは嬉しいがこんな勝手に行ってしまうのは許せない。説明の一つぐらいして然るべきではないか。

 憤怒と笑顔というサラでさえ若干引いている表情を浮かべて、飛鳥は彼の顔を巨人に重ねて殴り飛ばしていった。

 

 

 

 

 

 

「ふん、正直驚いた」

 

 そう言ったのはまだ十代前半といった白髪の少年だった。戦場が一望出来る岩頭の上、少年はこの場にはあまりにも不釣り合いな身なりの良い格好をしていた。白髪に並んで特徴的な金色の双眸が見つめる先には穏やかな笑顔を浮かべながら長刀を握る信長がいた。

 

 信長が近付いてきていることに彼も途中から気付いていた。仲間からも自分は姿を見られてはならないと注意されていたが、それなのに逃げなかった理由は二つ。一つはすでに気付かれてしまっている以上逃げることに意味が無いと思ったから。もう一つは、自分を見つけたのがどんな人物なのか気になったからだ。結果、目の前の和服の青年がこうしてやってきたわけだが。

 第一印象とすれば、冷えきった殺意と幼気な笑顔が仲間の少女に似ているな、というものだった。

 とりあえず聞きたいことが一つ。

 

「まさか気付かれるとは思わなかった。何故気付いたのか参考までに教えてもらえるか?」

 

 凶器を持った人間に淡々と少年は声を掛ける。落ち着き払った態度もまるで年不相応だ。逆に無邪気な顔で首を傾げる信長の方は実際の年齢よりずっと幼く見える。

 

「勘かな」

 

 あっけらかんと言い放つ信長はしかし、体が震えているのを自覚していた。目の前の少年と相対した瞬間から――――否、彼の存在を明確に感じ取ったときからこの体は震えていた。震えはペストと戦ったとき、最強種の巨龍を目の当たりにしたとき以上だった。まるで化け物の口腔に自ら歩を進めるような気さえした。

 そこまで鋭敏に感じ取りながらのこのこ一人でここへやってきたのは、それが織田 三郎 信長という人間だからだ。

 死を間近に感じるほどに、恐怖を明確に感じるほどに、生きている実感とやらを得られる狂人。それでいて死にたがりなわけでもないのだから、いい加減彼自身、自分というものがわからなくなってくる。今こうしている間も心は大きく昂ぶっており、気を抜けば本能の赴くまま少年に斬りかかってしまいそうだ。

 

「そうか。勘か」

 

「うん」

 

 少年はふむ、と考えこんでしまう。信長の言葉に嘘はないか疑っているのかもしれない。

 信長の言葉に嘘はない。あの敵味方入り乱れた戦場で特定に視線を感じ取れるわけはないし、信長には黒ウサギのような素敵耳は無い。それなのに何故ここへ辿り着けたのかと問われれば、やはり勘だ。そうでないのならこの少年の異様な存在感がそも隠し通せるものではないのか。

 何にせよ、信長は少年のもとへ辿り着いた。辿り着いてしまった。

 

 少年は考え込んでいた姿勢を解く。

 

「それなら仕方がない。次からはもっと上手くやるとしよう」

 

「僕みたいな人がそうそういるとは思わないけどねー」

 

 カラカラと笑う信長。少年も初めて小さな笑みを見せた。

 

「まあな。とりあえずこのままだとリンに怒られる」

 

 信長に油断は無かった。装いこそいつも通りだが、初見から少年がただ者ではないと見抜いていた彼に油断などあるはずがない。少年の一挙手一投足に神経を尖らせていた。それなのに、

 

「悪いが死んでくれ」

 

 ようやく気付けたのは懐に飛び込んだ少年が拳に殺意を込めたときだった。

 

 本能は同士討ち覚悟の攻撃を求めたが、それを抑えこんで咄嗟に腕を交差させる。少年の方は構わず拳を引き込み、放った。

 

 世界が歪んだ。

 

 まるで記憶が飛んでしまったように、気付けば崩壊した岩石に寄り掛かっていた。先ほどの位置よりずっと後方へ弾き飛ばされたようで拳を振りぬいた体勢の少年が遠くに見える。その光景と両腕の痺れが少年の拳の馬鹿げた威力を物語っていた。

 

「へえ」

 

 信長の生存に気付いた少年の瞳に変化があった。さっきまで無感動に輝いていた瞳に、僅かばかり好奇心という光が波打った。

 

「本気でなかったにしろ今ので生きてるのか。なるほど存外――――」

 

 少年の言葉を待たず信長は真正面から斬り掛かる。無謀は承知だったが、これ以上燻る本能を抑えられなかった。

 間合いを詰める速度。刀を振る速度。どれもがこの箱庭に来て以来最速だったと確信する。それを少年は事も無げに裏拳で刀を横合いから弾くと、今度は明確に楽しげに笑った。

 

強かったんだな(・・・・・・・)

 

 その言葉が過去形であったのはこの一撃で確実に仕留めるが故。

 刀を払われた信長が次の行動を取るより速く、山河を打ち砕く――――さながら十六夜のような膂力でもって深々と腹を撃ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 ピンボールのように弾かれた信長は先程激突した岩場までも突き破って彼方へ吹き飛んだ。あの調子では五体がバラバラになっているかもしれない。そうなっても構わないという気で殴った。

 

「少し勿体無かったか」

 

 ――――生かしておけないのなら勧誘してみても面白かったかもしれない。そんなことを考えていたなればこそ少年は心底驚いた。まさか己に向かって雷を伴った拳大の岩石が飛んで来ようとは。

 無造作にそれを避けると土煙の向こうにそれは立っていた。顔面を鮮血に染め上げながら悪鬼の如く口元を引き裂く信長が。

 

「おいおい、あれでも生きてるのか? 一体どんな手を使ったんだ。不死身のギフトを持っているようには見えないが」

 

「昔から体だけは、丈夫なんだよ。頭は残念だっていうのは言われる、けどね」

 

 正直返答を期待してなかっただけにまたしても少年は驚いた。何故なら言葉を返したあれはまるで変わらないのだ。少年によってたしかに死線を彷徨ったはずの直後であっても。肋どころか内臓も確実に痛めているので呼吸音が妙で喋り難そうだが、ただそれだけだ。

 

「今度は、こっちから――――」

 

 信長の宣言を終える前に少年は再び信長の懐へ踏み込んでいた。初撃の形と同じになった。

 先程はこれを防いだ信長だったが、今度は防御など微塵も構えなかった。長刀を横向きに振りかぶる。相討ち覚悟――――否、信長は少年の拳より先にこちらの首を落とすつもりだった。

 振りぬかれた刀は虚空を斬り裂く。

 

「甘い」

 

 僅かに刀の軌道の下へ潜り込んだ少年。膝の屈伸運動のように曲げた膝を伸ばし、掌底で信長の顎を跳ね上げた。

 

「……ッ!」

 

 鮮血が雨のように降った。完全に意識を断った。それどころか命を絶つ一撃。

 

「が、ああああ!!」

 

 その確信を予想通り裏切って(・・・・・・・・)、獣じみた雄叫びをあげて信長は笑う。死に至るどころか一息で三つの斬撃まで放つ。

 少年はその全てを紙一重で躱し、体を懐に潜ったまま横に一回転。遠心力を伴った蹴りが側頭部を蹴り抜く。

 

 縦に横。異なった角度から脳に衝撃を与えられればたちまち動きは止まる。そも少年の一撃一撃が本来必殺足りえるはずなのだが。

 兎角、棒立ちとなった信長に意識が残っているかはわからない。それでも少年は追撃の手を緩めない。握った拳の威力は大地を砕く一撃だ。

 

 ――――にぃ、と信長の口元が歪んだ。

 

 これ以上のダメージは本当に危険だとさすがにわかっているはずだ。それなのに、信長の取った行動は回避でも防御でもなく、さらなる攻撃だった。

 至近距離で眉間に突きつけられた銃口。いつの間にか形を長刀から古めかしい戦国の兵器へ変えていた。引き金が引かれる。明らかに火薬ではない轟音を伴って発射された炎弾。

 しかしそれすら少年は涼しげに首を傾ける動作のみで躱してみせた。

 二人の一度の攻防は刹那の時間で行われる。その僅かな時間で反撃を選択した信長はもはや死に体と成り果て、大地を揺るがす拳は容赦なく信長を貫き、衝撃は足場としていた岩頭の一部を崩落させた。

 

 両手足を投げ出して崩壊した岩石にもたれかかっている信長。血溜まりは秒単位で広がっていた。誰がどう見ても致命傷だと思える光景を前に、それを為した少年は最早感心するように声をあげた。

 

「呆れたな。まだ生きてるのか」

 

「自分でも、びっくり、してる」

 

 そう応えながら血を吐いた。内臓の一つぐらい潰れていておかしくないのだから仕方がない。

 罪悪感の一つもなく冷静にそう判断した少年は躊躇いもなく信長へ近付くと手を差し出した。

 

「なにか、な?」

 

「お前、俺の配下に加われ」

 

 不思議そうに差し出された手を見つめる信長へ少年は告げた。

 

「そうすれば助けてやる」

 

 応じなければ殺す、と言外に語っていた。そも先程までの攻撃全て殺す気だったのだが。

 信長は差し出された手を見て、次いで少年の言葉を聞くとおかしそうに笑った。

 

「せっかくだけど、遠慮する、よ」

 

「何故? この手を取れば今はとにかく死にはしないんだぜ?」

 

「先約が、あるんだよ」

 

 信長は言った。

 

「ずっと、保留にしてるんだけどね。そっち、を断ったときまた、誘ってくれる、かな」

 

「この状況で次があると思ってるのか?」

 

 察しが悪いと怪訝な顔を浮かべる少年が殺意を明確に告げる。それに対する返答は、

 

「さあ?」

 

 頭にくるものだった。

 むっ、とする少年がおかしかったのか益々笑みを深める信長。刻一刻と己の命が削り取られていくのを理解していながらそれは異常な光景だった。そんな男だからこそ、同じく命を燃やすとされるギフトを躊躇いなく使えるのかもしれない。

 

「それにね」

 

 言葉の途中で投げ出されていた右手が弾けるように動いた。抜け目なく握り込んでいた《レーヴァテイン》はいつの間にか銃から刀に形を戻しており、刃は閃光のように駆け抜けた。無防備に思えた少年だったが一足飛びで信長から間合いを離す。

 すでに握力も無かったのか、振り上げた刀はそのまま手をスッポ抜けて上空を回転し、やがて信長の傍らに突き刺さった。

 

「……ハハ」

 

 この男には何度驚かされるのか、少年は驚きを通り越して笑ってしまった。合間合間で血反吐を吐きながらの会話。それなのに、信長の闘気は一向に萎えない。氷点下の殺意も、無邪気な笑顔も、何一つ損なわない。今のだって本気でこちらの腕を切り落とすつもりだったはずだ。

 刀のような美しさすら感じる殺意。そして純粋無垢な子供のような弾むような声音で信長は言った。

 

「――――こんな楽しいのに、途中で終われるなんて出来るわけないよ」

 

 それを聞いた少年はくつくつと体を揺らして笑った。ひとしきり笑い終えると問い掛ける。

 

「一つ訊きたい。お前のような人間にはあのコミュニティは窮屈じゃないか?」

 

 その問いは奇しくも彼の仲間である少女が信長にしたものと同じものだった。

 

「お前は人並みの幸福じゃあ満足出来ない。自覚もあるようだから言ってやるが間違いなく異常だ。破綻している。狂人だよ」

 

 散々な言葉を吐き捨てておきながら少年には悪意も不快感もなかった。むしろそれが正しいというように喜々と告げる。

 

「お前はこちら側にあるべきだ。お前自身の欲求を満たすために。願いを果たすために」

 

 だから俺のもとへ来い、そう続けようとした少年だったが気付いた。

 

「なんだ。気を失ってたのか」

 

 完全に沈黙していた信長。一体いつからだったかはわからない。

 信長へ近付こうと少年が歩み寄ろうとして――――その瞬間、地面に突き刺さっていた刀が形を崩して炎となった。

 魔剣を知るものならば魔剣が気を失った主を焼き殺そうとしていると思えただろうが、少年には違って見えた。炎は信長を囲むだけで火の手を伸ばそうとはしない。それはまるで少年と主を隔てる壁のように広がっていた。

 

「随分と御執心だな。余程そいつの命が美味いのか……それとも余程波長があったのか」

 

 使い手の命を喰らって燃え盛る悪食の炎と呼ばれた魔剣、《レーヴァテイン》。それが今は気を失った信長を守ろうとしている。

 また少年は笑った。しかし今度は何故笑ったのか少年にもわからなかった。魔剣の滑稽な姿にか。瀕死でありながらこの戦いを『楽しい』とほざいたイカレタ青年に対してか。それとも、死に掛けの人間に間抜けにも傷を負わされた自分自身に対してか。

 

 当たったのは二度。一度目は炎の弾が僅かに頬を焦がした。二度目は最後の一撃だ。左手の指先に血が伝っていた。

 

「安心しろ。もう殺す気はなくなった」

 

 死んでいて正しいはずなのに、少年にはもう彼が死ぬとは思えなかった。きっと彼自身死ぬとは微塵も思っていないのだろうとなんとなく、本当になんとなく少年は思った。

 すでに信長に意識はないとわかっていながら彼は声を掛ける。

 

「もうじきゲームが再開される。精々足掻け。巨龍が再び暴れれば何も残らない。そしてそこに勝者がいなければ、それで俺達の勝ちだ」

 

 炎の向こうへ笑いかけた少年は思い出したように最後に付け加える。

 

「ああそれと、俺も中々楽しかった」

 

 そう言葉を残して戦場から姿を消した。




ようやく更新!そして閲覧ありがとうございます。

>今回は徹頭徹尾バトルでしたねー。
そして次回で三、四巻結末です。ラストバトルとエピローグ。なんとか……なんとか残り数日で書き上げなければ!四月はいきなり研修で拉致なので、ここで更新出来ないとこの状態で少なくとも一週間以上空いてしまうんですよ。
上手く筆(指or妄想)が進めば例のペストのおまけも書けるといいなぁ、とか思ってます。

>変更点を一つ。この章の四話でジャックのことを信長君は『ジャックさん』と呼んでおりましたが『カボチャさん』に変更しました。

…………うん、少なくとも現在の本編に一切関係ない変更でした!


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十一話

 大樹の麓。虚空に浮かぶ《契約書類》に記された勝利宣言は《龍角を持つ鷲獅子》を大いに沸かせた。後はロスタイムの間、魔物を殲滅すれば全てが終わる。――――そのはずだった。

 

「巨龍が……巨龍が突っ込んでくるぞぉぉぉぉ!!」

 

 誰かが叫んだ。雲河を泳いでいた巨龍は東南の地平へ急降下したかと思うと突如その進路を変えて《アンダーウッド》へ牙を剥いた。たとえゲームは勝利しても、身動ぐだけで戦況が傾くほどの天災が激突すれば大樹は崩壊する。

 それがわかっていても誰にもどうしようも出来なかった。逃げることすらままならない状況で、唯一人、飛鳥は最前線で巨龍を迎え撃とうとしていた。

 

(十六夜君が……春日部さんが必ずレティシアを取り戻してくれる。だから私は絶対に《アンダーウッド》を守る!)

 

 たとえレティシアを十六夜達が救っても、自分のせいで《アンダーウッド》が壊滅すればきっと彼女は悲しむ。何より飛鳥自身ここが好きなのだ。まだちょっとしかいないがこの素晴らしい景観を壊したくない。そして、友人であるサラとの約束を破りたくない。

 

 ――――ここ任せるね。

 

 フッと笑って少女は呟く。

 

「そうね。任されたのだから完璧にこなしてみせるわ」

 

「馬鹿なことはやめろ飛鳥!」

 

 血相を変えてやってきたサラが叫ぶ。

 

「今すぐここから離れるんだ!」

 

「出来ないわ」

 

 飛鳥の後ろには《アンダーウッド》がある。ここであの巨龍を通してしまえば《アンダーウッド》は間違いなく消滅する。そんなことは誰よりもサラが承知していた。歯を食いしばる彼女は血を吐く思いで叫んだ。

 

「駄目だ! こんなこと自殺行為でしかない!」

 

「たとえ自殺まがいでも! ここで退いたら生涯悔いが残るわ!」

 

 友人の、サラの気持ちがわからないわけがない。この場の誰よりここで巨龍を止めたいと思っているのは彼女なのだ。だからこそ飛鳥はここから退けない。また明日、彼女と共にみんなで笑い合い収穫祭を迎えるにはここで止めるしかないのだ。

 

「……退けないのか?」

 

「退けないわ」

 

「……死ぬかもしれないんだぞ」

 

「それでも」

 

 飛鳥の決意は堅かった。ディーンも主の決意に呼応するように身構える。

 

「………………」

 

 彼女達の決意を正面から受け止めたサラはしばし俯いて沈黙する。やがてもたげた顔には飛鳥と同じ、死を覚悟した意志が垣間見えた。

 

「わかった。ならば私も同じだけの決意を示そう」

 

 サラは腰の鞘から剣を抜くと自身の頭から生える角にあてがった。

 

「サラッ!?」

 

 彼女はそのまま角を切断した。切断面から鮮血が噴き出し髪を濡らすが、それに構わずサラは切った角を飛鳥へ手渡した。

 龍角は火竜にとってグリフォンの翼と同じように命と同じくらい大切な誇りだと聞いていた。同時に霊格を宿す大切な一部なのだとも。それを失った今、彼女は誇りと力、両方を失ったことになる。

 

「龍角は純度の高い霊格だ」痛みに呻きながら「神珍鉄にも融け合う、はずだ」

 

 痛みに耐えられなくなったのか倒れこむサラを飛鳥は抱きとめる。

 

「頼む飛鳥……《アンダーウッド》を、守ってくれ!」

 

 飛鳥の腕にしがみつくサラは何度もそう繰り返す。そこには己の力だけで故郷を守れない悔しさと、それ以上の願いが込められていた。守ってくれ。助けてくれ、と。

 

「――――ディーン!!」

 

 飛鳥の裂帛の声が巨龍の声を掻き消すように響き渡る。サラの龍角がディーンに取り込まれ、伽藍の巨兵に炎の息吹が灯る。

 

「DEEEEEEEEEEEEN!!」

 

 紅の蒸気を上げたディーンは真正面から巨龍を受け止めた。しかし止まらない。轍を刻みながら押し込まれる。

 

「頑張ってディーン!」

 

 主人の決死の叫びに応えるように伽藍に灯った光がより強くなる。大きく広げられた顎を手で押さえ込み、遂に勢いを完全に殺した。――――しかしそこまでだった。巨龍は前に進もうとより強く体を押し込む。ディーンは止めるのが精一杯のようで徐々に押し込まれてしまう。喰いこんだ牙が肩の装甲を砕き、体中に亀裂が広がっていく。

 

「D、EEEEEEEEEEEEN!!」

 

 ディーンは耐えた。それでも、

 

(このままじゃあ……)

 

 傍らでそれを見守る飛鳥は体を震わせる。誰がどう見てもディーンの限界は近い。このままではディーンは砕かれ、巨龍は《アンダーウッド》を蹂躙してしまう。

 ゲームには勝ったのに。こんな結末はあんまりだ。

 熱くなる目を堪えるように飛鳥は必死に歯を食いしばった。

 

「あれー? ディーンってこんなに大きかったっけ?」

 

 ――――そんな声がひょんと背後から聞こえて、飛鳥の中に何より先に沸き上がってきたのは怒りだった。

 

「信長君一体どこに行って――――ってどうしたのよその傷!?」

 

 怒鳴りながら振り返って、目をぎょっとさせた。そこに立っていたのは間違いなく信長だったのだが、その体は血に塗れていた。返り血というわけではないようで、純白の着物が今もじんわりと赤黒く染まっている。腹部も痛めているのか右手で脇腹を押さえ、右足は引きずっている。唯一変わっていないことといえば、そんな痛々しい姿でも変わらない微笑みか。

 遊んでいたとは思っていなかったが、まさか彼がここまで傷を負う結果となるとは飛鳥も予想していなかった。そして同時に希望が潰えた。

 彼ならばこの絶望的状況を覆してくれると声を聞いたその瞬間に期待してしまったのだ。情けないことこの上ない。

 

「信長君、サラを連れて今すぐここを離れて」

 

 ディーンの背を目に焼き付けて今一度自身を奮い立たせる。万が一《アンダーウッド》を守りきれなくても二人だけは守ってみせる。ディーンが戦っている限り彼女自身はここを離れる気はなかった。

 返答は中々なかった。

 

「信長君!」

 

「――――飛鳥ちゃん、僕はどうしたらいいんだろうね」

 

 焦燥に駆られた彼女が再び振り向いた先で、少年は微笑んで真っ直ぐこちらを見つめていた。ただその笑顔がいつもとは違って見えた。

 

「箱庭は凄く素敵な場所だ。みんなと一緒にいるのも凄く楽しい。故郷では絶対満たされることのなかった心が満たされていく。だからね、僕もこんな自分じゃなくてみんなみたいに普通になれるよう頑張ってみたんだよ。――――でも駄目だった。そしてどうやらこれは死んでも治らないみたい」

 

「何を、言っているの?」

 

「嫌われるのは慣れてるんだけど、困ったことに飛鳥ちゃん達はこんな僕を受け入れてくれる。それで逆に不安になっちゃたんだ。僕は絶対いつかこの幸せが物足りなくなる(・・・・・・・・・・・・)

 

 潤いはいつか渇く。そして次は前までの刺激では足りなくなる。それで満たされてもその次は、その次の次は。

 いつか彼女達との日々が色褪せて感じるようになったら一体自分はどうなってしまうのだろうか。わからない。だから柄にもなく不安になる。

 故郷にはそんな贅沢な不安を案じる必要がなかった。箱庭にやってきて毎日が楽しかった。底の見えない少年少女達、己の命を脅かす敵。求めた全てがここにあった。――――けれど、それは一体どこまであるのだろうか? どこまで自分はここで満足出来るのだろうか?

 いつかこの世界ですら満たされない日々が、

 

「――――馬鹿ね」

 

「え?」

 

 信長は目をきょとんとさせてそちらを見る。

 

「馬鹿といったのよ。黒ウサギがいればハリセンの一つでもお見舞いしているところだわ」

 

 飛鳥は心底おかしいとばかりに嘲笑した。そしてはっきりと言う。

 

「そんなことはそのとき考えなさい。貴方らしくもない……訪れるかもわからない先のことで不安がるなんて無駄だわ」

 

 ズバズバと言葉を浴びせる飛鳥はしかし、内心信長の様子に不安に駆られていた。確証のない話だが、この会話の行方次第で彼は彼女達の目の前から去るだろう。別にそれが本当に彼が望んだ結果ならば仕方がないと思う。しかしこの場に限って、それは彼が本当に望んでいる結末ではない。

 そんなもの認めたくはない。

 

「いつかだなんて、そんなつまらない話し(・・・・・・・・・・)聞きたくもないわ。未来も過去も関係無いでしょう。今この瞬間を楽しみなさい!」

 

 力強い飛鳥の声音が心に響く。スッ、と心の靄が晴れた気がした。フッ、と彼女は笑って、

 

「でもそうね……それでも不安なら一つ保証してあげましょう」

 

 フッ、と彼女は笑う。

 

「どんな?」

 

 いつの間にか信長の笑顔はいつものに戻っていた。子供のように無邪気な顔で飛鳥の次の言葉に目を輝かせていた。もう心配は不要なようだ。

 まるで手のかかる子供を相手しているようで、飛鳥は呆れたように小さく笑う。そうして胸に手を当てて、力強く答える。

 

「この先貴方がこの世界に飽きることは絶対ないわ。なにせここには、この久遠 飛鳥がいるのだから。この世界が楽しくならないはずがないでしょう」

 

 恥ずかしげもなく高らかに告げる飛鳥の姿に、さすがの信長も虚を突かれた顔で唖然とし、やがて傷も忘れたように大きく腹を抱えて笑った。

 

「あっはっはっはっはっは! うん、そうだね。こんな可愛い子と一緒にいてつまらないだなんて、そんな贅沢将軍だって言わないよ」

 

「当然よ」飛鳥は温かな眼差しで今一度「安心しなさい。この世界はきっとまだまだ想像がつかないことがたくさんあるから」

 

「うん。黒ウサちゃんと飛鳥ちゃんが言うんだもの。絶対そうだよね」

 

 さて、と一段落終えた飛鳥は改めて前を向く。ディーンはもう完全に限界だ。おそらくもってあと数秒。

 

「まずは巨龍を止めなければこの先を見る前に二人共ここで終わりよ」

 

「大丈夫だよ」

 

 いやに断定的な言い方をする信長。飛鳥がそちらを見ると彼を取り巻くように今まで見たことのないほど大きな炎が燃え上がっていた。

 

「ちょ、ちょっと」それに慌てる飛鳥「その炎って信長君の命なんでしょう!? そんな体でそんな大きな炎を出して大丈夫なの!?」

 

「んー、多分ね」

 

 あまりにも無責任な答えだった。それなのに彼に確信めいた期待をしてしまうのは、これもまた無責任なのだろうか。

 

「飛鳥ちゃんのおかげで今凄く気分がいいんだ。だから大丈夫」

 

「そう。それならいいわ」

 

 飛鳥までも半ば投げやりな返事をした直後、遂にディーンが押し負ける。

 邪魔だった巨兵を蹴散らした巨龍はその勢いで大樹を目指す。途中にいる飛鳥達には目もくれていない。

 

「信長君」

 

 回避も不可。防御も不可。そんな人生で最も絶体絶命な危機敵状況であるはずなのに、飛鳥は何故か微塵も恐怖を感じなかった。

 

「頑張りなさい」

 

「凄くやる気出た!」

 

 《威光》のギフトも何も関係ない。気休めの一言であったのに、彼は言葉の通り一層炎を迸らせた。暗雲を貫かんばかりに立ち昇る炎。それはまるで――――もう一匹の龍のようだった。

 

「痛かったらごめんね、レティシアちゃん」

 

「G……ッッ!!?」

 

 このときの光景を現実として受け止められた者が果たしてどれほどいただろうか。己の目で見た者でさえそのほとんどが後々まで信じることが出来なかった。又聞きならば尚更だろう。

 

 まさか、ただの人間が生身で龍の顎をかち上げるなど。

 

 それを見た飛鳥は呆れを通り越して笑えてきた。彼を飽きさせないためには生半可な努力では足りない。もっともっと自分を磨かなければならないと。それは途方もなく難しい、しかしやり甲斐のある目標であった。

 

 ――――強制的に上を向かせられた巨龍は一点空を駆け昇る。同時に大天幕が開かれる。

 空に近付く黄道の化身はその体を徐々に透過させ始め、心臓に刻まれた神々しい極光が浮き彫りになる。それを待ち望んでいたのは天馬の翼を駆る耀と、両手に光を携えた十六夜だった。

 

「見つけたぞ……十三番目の太陽!!」

 

 最後に信長が見たのは消えゆく巨龍の心臓から零れ落ちたレティシアを抱きとめる耀の姿だった。――――暗転。

 

 

 

 

 

 

 主賓室という待遇とすれば立派過ぎる個室のベットの上で、信長は蛍のようにキラキラと光る極小の精霊を一人眺めていた。彼は巨龍を止めてすぐに気を失ってしまい今に至る。

 

「なんか癖になりそうだなぁ、この展開」

 

 思い返せばペストとの戦いの後もこうしていたような気がする。今後も戦う度にこの様では十六夜辺りに馬鹿にされそうだ。

 そんなことを考えているとコンコン、と扉が叩かれる。これも覚えがある。たしかあのときは耀が部屋を訪れた。

 

「入っていいか?」

 

 レティシアだった。

 どうぞ、と声を返すと静かに扉を開閉して入ってきたのは予想通りレティシアだった。彼女も寝込んでいるという話だったがどうやら意識を取り戻したらしい。彼女が傍らの椅子に腰掛けたのを確認して話し掛ける。

 

「元気そうでよかった」

 

 彼女は困惑した顔をして、苦笑した。

 

「おかげさまでな。私のことより自分のことを心配してくれ」

 

 レティシアは小さな手を伸ばして信長の包帯をさする。何度も何度も。

 

「レティシアちゃんのせいじゃないよ。これは僕がマヌケだっただけ」

 

「いいや。私のせいだ」

 

 彼女は痛々しい顔でかぶりを振る。

 

「付け入る隙を与えてしまったのは私自身だ。私がもっと強ければ――――」

 

「僕がもっと強ければこんな傷は負わなかった」

 

 ハッ、としたレティシアに信長は優しく微笑みかける。

 

「でしょ?」

 

 もし、の話は嫌いではない。夢物語でも楽しい話は大好きだ。しかしそれで悔やんだり悩んだりするのは嫌いだ。意味が無いし、何より楽しくない。

 信長もここ数日はそれで悶々としていたのだが、飛鳥のおかげで吹っ切れた。今思えばなんともらしくない、くだらないと心の中で吐き捨てられる。

 レティシアの方はそんな簡単に吹っ切ることは出来ないようだった。まだ浮かない顔をしている。

 

「一つ訊きたいことがあるんだ。さっきと同じ、今更問う意味のないくだらない話しだ。聞いてくれるか?」

 

「もちろん」

 

「もしあのとき、お前が古城に来ていたら――――お前は私を殺してくれたか?」

 

 ゲームクリアが目前となったあのとき、レティシアは生きることを諦めた。これ以上の被害を出さないために、己の罪を重ねないために、彼女は死を覚悟した。

 しかしそれは叶わなかった。十六夜は言った。自己犠牲の出来る聖者より物分かりの悪い勇者が好ましいと。悲劇など喜劇に変えてみせると。完膚なきまでに救ってみせる、と。――――結果、信長を含めた彼等の優しさによって自分はこうして今も無様に生きている。

 

 けれどもし、あの場に彼がいたらどうだっただろうか。信長は他の三人とは明らかに違う。普段の飄々とした装いとは裏腹に、彼は冷酷な現実における犠牲の必要性を知っている。

 あのとき十六夜達が巨龍を倒せる可能性など皆無に等しかった。失敗していれば二人をこの手で殺していたのだ。そうなれば悔やんでも悔やみきれなかった。だからもしあの場に信長がいてくれたら、彼は自分を殺してくれたのではないかと考えた。助かった今となっては問う意味のない話。

 

 信長はレティシアの質問からまるで間を置かず、ひどく懐かしさを感じる笑顔のまま答えた。

 

「絶対殺さなかったよ」

 

「……やはり、か」

 

 何故だろうか。彼女はそんな答えが返ってくると思った。

 夢見がちな幻想を追うタイプではないと思っていたのに、この答えは何故か予想出来たのだ。

 

 すると突然、信長がこちらに手を伸ばしてきたかと思うと抱きしめてきた。レティシアの顔を胸にうずめるように。

 

「……主殿?」

 

「なに?」

 

「いや、何ではなく……これは?」

 

 これが飛鳥や黒ウサギだったら顔を真赤に発狂して信長は死刑だっただろうが、レティシアは大人しかった。そこはやはり年の功というのだろうか。外見でいえば一番幼いが。

 

「レティシアちゃんて意外と強情で見栄っ張りでしょ?」

 

 随分な言いようにむっ、とするレティシアだったが次の言葉にその気も失せる。

 

「だからほら、誰にもそういうの(・・・・・)見られたくないかなって思って」

 

 ――――ああ、なるほど。

 

 彼女は納得した。そして彼の気遣いに深く感謝した。

 

「万が一ここに誰かがやってきたら主殿が襲ってきたといいわけしよう」

 

「うわぁ、誰が来ても僕殺されない?」

 

 クスクスとレティシアは笑い、信長の胸に顔をうずめてそのまま静かに泣いた。あの頃から堪え続けた涙はとめどなく流れ、中々止まってくれなかった。




>これにて三、四巻完結です!閲覧ありがとうございましたー。
おまけは書き上げられるかまだわからないので、とりあえずこっちをぱぱっとあげてしまいます。

>今回の女子スポットはほとんど飛鳥。最後だけレティシアでした。前回登場させるの忘れてしまいましたので今回はソロステージだぜ!
信長君が無駄にいいとことってるのは見逃してください!

>てなわけで、次の更新は(おまけは例外として)早くて四月八日以降です!それ以上に間が空いてしまうかもですがご勘弁を。
ではでは、皆様も四月からの新生活頑張ってくだされ!


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おまけ

 太陽に殺された八千万の怨嗟。もっと正確に言えば黒死病という呪いに殺されていった八千万の霊群。それがカノジョタチの形である。

 自然災害などという生易しいものではない。数多の平行世界でも必ず起こり得るということは、たとえどんな道を辿ろうとカノジョタチに生きる道は無かったということだ。そんな事実を突きつけられてあっさり受け入れられる者などいない。少なくともカノジョタチの中にはいなかった。

 

 ある男は言った。黒死病の死を縛る宿命は強固だ、と。

 わかっていたこととはいえ事実として認識してしまうと憂鬱になる。しかし、彼は続けてこう言ったのだ。

 箱庭の世界は可能性(異世界)に偏在する空間。ならば、箱庭の世界ならば太陽に復讐を遂げ、この宿命の楔を打ち砕けるかもしれないと。

 

 しかしその可能性を示した彼は、カノジョを召喚した直後に死んだ。かくいうカノジョも、カノジョタチの願いを叶えることも出来ず志半ばで死んだ。――――死んだ?

 

「え?」

 

 ペストの覚醒は間の抜けた声と同時だった。パチパチと目をしばたかせて、彼女は己が生きていることを理解する。

 《サラマンドラ》――――ひいては白夜叉を狙って強襲した火竜生誕祭。しかしそれは《サラマンドラ》とも白夜叉とも別のコミュニティの存在によって阻まれた。結末として自分はインドラの槍に撃ち抜かれて魂の一片も残さず消滅した。……はずだ。いや間違いない。それなのに、何故こうして自分は意識があるのか。

 そして、

 

「な、な……」

 

 ようやく冷静になった頭で辺りを見回す。畳の部屋だ。壁には達筆に書かれた掛け軸やらがあるが比較的物が置いていない。ここが一体どこなのか。どうして自分は生きているのか。――――そんなことどうでもよかった。

 彼女の格好は死したそのときの斑模様のワンピースではなく、メイド姿をしていた。しかもフリフリの。

 

「…………!!!?」

 

 言葉も出ないとは正にこのことだった。何故に八千万の霊群は、《黒死斑の魔王》と言われた自分は、死を与える神霊に迫った死神は、メイド服を着ているのだ。

 

「なんだ。ようやく意識も戻ったか」

 

 その声に彼女は一旦思考を全て断ち切って身構える。そちらを見るとお盆に茶と茶菓子を載せた和服の白髪美少女がそこに立っていた。

 

「白夜叉……」

 

 ありったけの怨嗟を込めた視線と言葉はしかし、ふむと一つ頷いただけで受け流され幼児体型の星霊は親指を立ててやたらいい笑顔をした。

 

「やはり私の見立ては間違っていなかった。似合ってるぞ」

 

 言われて再び自身の格好を思い出す。想い出すとともに顔を朱に染めて彼女は体を庇うように体をよじって後退る。

 

「何言ってるのさ。その服は僕が取ってきたんだよー」

 

 さらに加わる声。その声にペストは既知感を覚えながら、白夜叉に続いて入室した人物を視界に収める。

 

「やあペストちゃん」

 

 着物姿の少年はなんとも軽々しい調子で片手をあげて挨拶してきた。

 

「織田……信長……」

 

 もしかすると白夜叉以上に負の感情を乗せてその名を呼んだ――――のだが、呼ばれた彼はパッと顔を明るくして、ともすれば飛び跳ねるように喜んだ。

 

「うわあ! ペストちゃん僕の名前覚えててくれたの!? 嬉しいなー」

 

「当たり前でしょう。自分を殺した人間のことを忘れるわけがない」

 

 彼女の言う通り、《黒死斑の魔王》は信長に殺された。直接なトドメは別の人間であったが彼女を追い詰め、そのお膳立てを整えたのは実質たった一人。目の前にいる彼だ。

 だからこそペストは白夜叉以上に彼を恨んでいるのだが、当の本人は何故かわだかまりを感じさせないほど友好的に話しかけてくる。おかしいだろう。おかしいよね?

 敵意と殺意と困惑と、もう正直自分で自分がわからなくなってきたペストはひとまずお気楽男を意識の外に追いやって白夜叉へと目を向けた。

 

「これは一体どういうこと? 私は殺されたはずだけど……」

 

「うむ。それはな」

 

 かくかくしかじか、と説明された内容にペストは心底驚かされた。彼女は間違いなく魂まで砕かれた消滅した。しかしギフトゲームのクリア条件の全てを達成されてしまった彼女は隷属の契りが結ばれる。結果としてどうなったかというと、箱庭の力が彼女を蘇らせたのだ。魂まで打ち砕かれた彼女を。

 そんな出鱈目な……と思う反面、この世界ならばそれもありえるのではないかとも思える。それだけの奇跡がこの世界にはある。何せここには運命さえ変えられる可能性があるのだから。

 

「ま、そういうことだ」

 

「わかったわ。わかった。……でも一つだけわからない。――――この格好はなに?」

 

 白夜叉と信長は顔を見合わせて、

 

「「趣味」」

 

「わかった。二人揃って死になさい」

 

 メイド服をたなびかせて噴き上がる黒い風。それは絶対の死を与える――――とまでは今はいかなくとも、肉体を蝕み床に伏せさせるぐらいの力は残した彼女のギフト。しかし、風は二人の直前で何か目に見えない壁に阻まれるようにピタリと止まった。

 

「なんで……!?」

 

 彼女の意志ではない。ならば理由は簡単だ。

 フッフッフ、と悪どい哄笑をあげるのは白夜叉。

 

「おんしは今は隷属状態にあると言っただろう。つまり、今やおんしはまな板の鯉同然じゃ」

 

 ゾッ、と彼女は悪寒が背に走るのを感じた。

 

「さて続けるか。信長」

 

「つ、続ける?」

 

「今ちょっと休憩中だったんだー」

 

 やたらと機嫌の良い二人に益々顔を青白くしたペストは無駄だとわかりながら後退る。

 

「なに。おんしにとっても悪い話ではない。隷属に伴っておんしに相応しい格好を見繕ってやろうかと思ってのう。黒ウサギには似合わんが、おんしに合いそうな衣装あってな」

 

「い、衣装……?」

 

「僕も大変だったんだよー。白ちゃんにペストちゃんのことを聞いてから色んな人達とゲームをして沢山服集めてきたんだー。きっと気に入ってくれると思うよ」

 

 『ほら』と広げられた二人の服を見て、ペストは一瞬意識を失くした。しかしそのまま意識を失うのは危険と判断した体が強制的に意識を繋ぎ止める。

 恐怖に耐えながらそれらを改めて見回す。そこに広げられたのは相応しい服とは到底かけ離れた凶器だ。凶器で狂気な品々が陳列されている。

 

「うん? 信長、この娘にナース服とは中々皮肉がきいているな」

 

「『なーす』服っていうんだ? これはお医者さんごっこ好きのミノタウロスさんがくれたんだ。この『ぶるま』っていうのは猫又さんが。キマイラさんなんて獅子の頭と蛇の頭で『にーそ』派と生足派で喧嘩始めちゃってさー」

 

 あははは、わははは、と世にも恐ろしい会話で盛り上がる馬鹿二人。まずい。これは非常にまずいとペストの本能が最大警報を鳴らしている。

 

「あ、そのメイド服はヘカーテさんて優しくて綺麗な女の人がペストちゃんのことを話したら喜んでくれたんだよー」

 

 聞いてない。聞きたくない。

 彼女は一瞬でこの場にいる危険性を理解すると一もなく逃走を試みる。出口は一つ。彼等が通ってきたあの向こうだけだ。盛り上がる二人をすり抜けて出口へと伸ばされた手は、無情にもあと一歩で止まってしまった。

 

「かっかっ、おんしは今隷属状態にあるといっただろう」

 

 ギギギギ、と錆びた人形のように鈍い動きで首を巡らしたその先で目を輝かせる悪魔が二人。わきわきと動くあの手が無性に嫌だ。

 

「こ、この! 絶対殺す! 殺してやるわ!!」

 

「やめなさい! 後悔するわよ絶対に!」

 

「やめ、」

 

「……お願い……ほん、とう」

 

「………………」

 

 (※あまりにも凄絶なシーンだったため割愛致します)

 

 ――――数時間後、そこには溌剌とした笑顔の二人と着ている優美な衣装とは似つかないボロ雑巾の如く畳の上に倒れこんだ少女の姿があった。

 

「あ、そういえば黒ウサちゃんに頼まれたことあったの忘れてた」

 

「ん? もうこんな時間か。おんしはもうそろそろ帰れ。あらかた衣装は決まったことだしな」

 

「そうだね」

 

 どうやら彼がかき集めた衣装はここに置いておくようで彼は畳の上に所狭しと広げられた服をそのままに店をあとにしようとする。その背を、

 

「待って」

 

 少女の声が止めた。立ち止まった信長と白夜叉は彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「ゲームをクリアされたのは私の落ち度。この命をどう使われようが構わない。――――だけど一つだけ条件がある。どんな形でもいい……ハーメルンの旗を残してもらえないかしら」

 

 ペストは顔をあげない。それはもしかしたら頼むために頭を下げてるのかもしれなかった。それとも今の情けない顔を二人に見せたくない彼女のプライドだったのかもしれない。

 彼女は条件と言ったが、そんな言葉が通る関係ではないことぐらい彼女にもわかっている。すでに彼女は彼等に隷属させられていて、最早どんな仕打ちを受けようとも彼女には文句の一つも言える権利は無いのだ。

 それでも、と彼女は頼み込んだ。

 

「お願い……」

 

「いいよ」

 

「え?」

 

 耳を疑った思わず彼女は顔をあげてしまう。その先で、答えた少年は柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「僕は君達に感謝してるんだ。《グリムグリモワール・ハーメルン》は僕が初めて恐怖を覚えるほど強い相手だった。一生忘れることはない。だからそれで君が少しでも強く在れるというのなら、僕は何も言わないよ」

 

 多分他のみんなもね、そう笑って言って彼は今度こそ店をあとにする。

 

「意外そうな顔をしているな」

 

 ニタニタと浮かべる白夜叉のいやらしい笑みにペストは顔を背ける。

 

「当然でしょう。甘いにもほどがあるわ。隷属させた輩にコミュニティとは別の旗を許すなんて」

 

「ま、あ奴らは端から掲げる旗も今はないからな」

 

 かっかっ、と笑って扇を仰ぐ白夜叉。

 立ち去った彼の背を思い出して、ペストは胸中で繰り返す。本当に甘い、と。でも、

 

「……ありがとう」

 

 小さく。本当に小さく彼女はそう呟いた。

 

「さて、では続きを始めるか」

 

「は?」

 

 なんか良い感じの雰囲気をぶち壊して白夜叉はわけのわからないことを言い出した。ペストは既視感のある悪寒を感じながら彼女の背へ喋りかける。

 

「続きって?」

 

「おんしの着せ替えに決まっているだろう」

 

 当然とばかりの言いようにペストは顔をひきつらせて。

 

「私の服はもう決まったんでしょう!?」

 

「フフ……これからはお子様厳禁の大人の時間。信長(じゃまもの)が去ったところで私の○禁コレクションナンバー12を開こう」

 

 さあいざ挑まん芸術への挑戦! と意気込む彼女は今まで手を付けなかった襖に手をかける。見たくない。あの向こうは見たくない。見てはいけないと誰かが言っている。

 ペストは現実を誤魔化すため自ら意識を手放した。

 

「もう……殺して」

 

 これが少女の最後の言葉――――には当然ならなかったわけだが。




まずい……まずううううううい!

あ、どもども約一週間ぶりです。
思ったよりもやることがたくさんあってきっついなぁと社会人舐めてたわぁ、と実感している私です。
この短いおまけですら文章がガタガタな感じが否めないですが……。

安心してください皆様、これで原作に追いつくかもという心配がなくなりました。やったね!(やってない)
ままま、それでもちょこちょこ亀更新でも続けようと思います。あまりにも失踪期間が長かったり、やむを得ない事情で長期勉強しなくちゃ駄目なときとかは活動報告を書いて連絡致しますので。

更新遅くなってしまい&なりますが申し訳ありません。


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番外編
番外編


※この番外編は設定より執筆衝動を優先しているので一部本編の設定を無視している部分がある&出る予定です。
まあ物語に関わらないおまけなので見逃してください。


 その日、《ノーネーム》一同の朝は唐突過ぎる黒ウサギの一言から始まった。

 

「新しい仲間が増えます!」

 

 朝からいきなりテンション高めに色とりどりの紙吹雪をまき散らしている黒ウサギ。律儀に拍手を送っているリリを筆頭にした子供達と信長の一方で、十六夜達は揃って首を傾げていた。

 

「信長君なんのことだかわかっているの?」

 

「その場の雰囲気で」

 

 飛鳥の質問に正直すぎるが彼らしすぎる返答。十六夜でさえ呑み込めていないこの状況で一体誰が理解出来ようか。いつもならそこら辺の説明も怠らない黒ウサギだが、今日は随分テンションが振り切っているようで置いてけぼりをくらっている面々に気付いていない。

 

「く、黒ウサギ……ちゃんと説明しないとみんなわからないよ」

 

「はっ! そ、そうでした。すみませんっ!」

 

 ジンに指摘されて正気に戻ったのか、恥ずかしそうに顔を赤くして体を縮こまらせる。

 

「それで? 新しい仲間がなんだって?」

 

 いつもならここで《箱庭の貴族(笑)》と弄り倒したいところだが今は彼女の提供した話題の方に興味があるのか十六夜は素直に尋ねる。しおれていたウサ耳がぴょこんと立つ。

 

「増えるのです! 私達に新しい仲間が。それも――――なんとなんと皆さんと同じ異世界から召喚されてくる人間なのですよ!」

 

「おぉ」

 

 信長達から驚嘆の声があがる。

 

「先日『とある主催者(ホスト)』様から御告をいただきまして、新たな召喚を行うことになりました」

 

「そういえば」と飛鳥が「私達って私達以外の異世界人とは会ってないわね」

 

「うんうん」

 

 耀が頷く。

 厳密にはこの箱庭にいるのはそれぞれ別の世界からやってきているので誰も彼も異世界人といえなくはないが、自分達のようにここへ召喚された普通の人間には会わない。見た目は人間そのものでも括りとしては皆獣人。ただの人間はジンくらいなものだ。

 

「そいつは面白そうだな。どんなヤツなんだ? 男か? 女か?」

 

「まだわかりません」

 

 ひどく興味を抱いた十六夜の問いにジンが答える。

 

「僕達が十六夜さん達を召喚したときもそうでしたが、こちらは召喚されてくるものがどういった人間なのか、どんなギフトを持っているか、何一つわからないんです」

 

 黒ウサギ達では特定の存在をピンポイントで選んでこちらへ呼ぶことは出来ない。招待状という入り口を一方的に送るのが精一杯だ。故にもしかしたら召喚されてくるその人物は凶悪な連続殺人犯かもしれない。もしかしたら言葉も話せない赤ん坊かもしれない。――――極端だが。

 

「もしかしたら品行方正、清廉潔白、謹厳実直……まさに皆さんとは真逆の素晴らしい聖人君子かもしれません」

 

「黒ウサちゃん黒ウサちゃん、心の声が口に出ちゃってるよ」

 

 うふふふー、と期待というより己の希望に胸を高鳴らせている黒ウサギ。飛鳥と耀は『こんなに良い子にしてるのに』『ねー』などと白々しい会話を交わしている。

 

「召喚してからのお楽しみってか。そりゃますます楽しみだ」

 

 薄く笑う十六夜。召喚されるものが殺人鬼だろうと聖人だろうが、彼にしてみれば面白ければそれでオーケーだ。――――否、彼等にしてみれば。

 

「それじゃあ今日は新しい仲間をお迎えに行こー!」

 

「「おー」」

 

 信長先導のもと、問題児達が右拳を突き上げる。

 

 

 

 

 

 

「一つ聞いてもいいかしら?」

 

「なんでしょう、飛鳥さん」

 

「貴女達は呼び出す人間を毎回毎回水に叩きこむの?」

 

 飛鳥達のジト目にギクリ、と体を揺らす黒ウサギとジン。

 木々に囲まれた小さな湖。いや、魚などの生物が生息しているようには見えないそれは少し大きな水溜りと言った方が正しいかもしれない。

 この場所に信長は見覚えがある。それも当然だ。なにせここは信長達が初めて箱庭の地へ降り立った場所なのだから。

 

「それとも召喚される者はまず水に飛び込まなくてはいけないという箱庭の法でもあるのかしら?」

 

「ごごご誤解です! 黒ウサギ達は皆さんの安全確保の為にこの場所を選んでるのですヨ!」

 

 必死に弁解する黒ウサギ。飛鳥は思う。ならばまず何故あんな高所へ召喚するのかと。

 

「まあまあ落ち着いてよ飛鳥ちゃん、今回落ちるのは僕達じゃないんだし」

 

 ニコニコと笑う信長は身を屈めて茂みに潜みながら酷い台詞をさらっと言う。

 

「その通りだぜお嬢様。今回被害を被るのは俺達じゃない。それに俺達があんな目にあったんだ。新人にも同じ目にあってもらわなくちゃな」

 

 信長の隣で同じようにしゃがみこんでいる十六夜はヤハハと笑う。

 そう、彼等はかつて黒ウサギがそうしていたように湖を一望出来る位置で身を隠している。以前の失敗は繰り返すまいと今回黒ウサギは落ちてくる異世界人を受け止めてあげようと堂々と湖の前で待とうと思っていたのだが、それはズルいとわけがわからない抗議の声を上げた先輩問題児達によって却下。新人には洗礼が必要だと彼等のとき同様湖に叩き落とそうという意見に決まった。そしてそれを傍観してやろうと。

 ああ、非常にタチが悪い。

 

「ううー……いややっぱり受け止めてあげた方が――――」

 

「来たぜ」

 

 黒ウサギが決断を口にしようとしたその瞬間、十六夜が言う。十六夜の言葉に、視線に、皆の視線がつられて空を見上げる。天蓋外の剥き出しの空を揺蕩う白い雲。それが――――裂けた。

 

「わぁ……」

 

 漏らした声は一体誰のものだったか。雲が裂け、空までもが割れた(・・・・・・・・)

 深い青、否。漆黒、否。濃紺、否。

 何の色ともつかない空が裂けた向こう側。その光景は世界の果てにあった大滝のような自然とは決定的に違う、見惚れるというより圧倒される絶景。

 あの向こうがつまり十六夜が、飛鳥が、耀が、信長が、はたまた誰も知らない世界へ繋がっているということなのか。それも考えるだけで信長の心は踊った。

 

 そのとき、裂け目から一筋の光が落ちる。

 

「人だ」

 

 飛鳥やジンにはまだ見えないが、鷹の視力を有する耀は誰より先にその光の正体を視認した。光は彗星の如く真っ直ぐ落下している。遂に張り巡らせた水膜をいくつも突き破って落下スピードをゆるめると見事に信長達の目の前の湖にダイブした。突き昇る水柱を眺めて、飛鳥は呟く。

 

「私達、よく生きてたわね」

 

 ギクギク、とした二名が誰なのか、最早言う必要はあるまい。

 

「さ、じゃあお出迎えしようか」

 

 無慈悲な洗礼に満足したらしい信長が茂みから体を起こす。他の面々もそれに続いて続々と身を晒す。ワラワラと無造作に異邦者が落下した場所に近付いてようやくその後ろ姿を確認したとき、ピタリと信長の足が止まった。

 

「どうかしましたか信長さん?」

 

 先頭を歩いていた信長が立ち止まったことに不審そうに顔を覗き込む黒ウサギ。彼はいつも通りの笑顏をそのまま凍らせて、前方を見つめていた。そちらを見て、黒ウサギは納得した。

 召喚された者を受け止めるべく指定した湖。そこに座り込むようにして背中を見せる人物こそこの度召喚されし者だろう。上等そうな浅葱色の着物を花のように地面に広げて、ハッとするほどに美しく長い艶やかな黒髪を垂らしている。黒ウサギはレティシアという美しい金糸の髪の持ち主を知っているが、この黒髪も彼女の髪に負けず劣らずの美しさだ。珍しく黒ウサギ自身嫉妬を覚えるほどに。

 そして、振り返った黒髪の女性はそれはそれは可愛らしい容姿をしていた。クリっとしたまん丸の目。小さな体躯。あどけない顔立ち。着ている着物もそうだが、どこかのお姫様のような気品ある雰囲気。まるで人形のよう、という表現がピタリとハマるほどに異邦者は――――可憐な少女だった。

 

 可愛い女の子には目がない信長のことだ。きっと彼女を見て見蕩れているのだろう、そう思った黒ウサギだが、それは違った(・・・・・・)

 

「の」

 

 何故なら最初に口を開き、

 

「の」

 

 脱兎のごとく駈け出して、

 

「の」

 

 濡れた体も構わず飛びついたのは人形のように可憐な少女の方だったから。

 

「信長様ああああああああああああああああああ!!!!」

 

 目に涙さえ浮かべて信長の首に腕を回して抱きついた少女はまだ名乗りもしていない信長の名を呼んだ。唖然とする一同。

 為すがまま抱きつかれていた信長は強張った声で言った。

 

「久しぶり、帰蝶」

 

 彼もまた、名乗ってもいない少女の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「す、すみませんでした。わたくしったら……なんてはしたない」

 

 召喚と同時に信長に抱きついた少女はすぐに我を取り戻したのかその手を放した。落下の際自身が水に濡れてしまっていたことにも気付いたのか顔を赤くして腕で体を隠すようにその場でへたり込んでしまう。それでも横目でチラチラと少年の姿を確認しては頬をゆるめている。一方で、信長の方は思わぬ自体にいつもの笑い顔のまま痒くもない頬を指で掻いている。

 そんななんともいえない雰囲気を打ち破ったのは成り行きを呆然と眺めて、ようやく意識を現実に戻した赤いドレスの少女の言葉だった。

 

「それで、もちろん私達にちゃんと紹介してもらえるのよね、信長君?」

 

「うん。知りたい」

 

「YES! 信長さんにはその義務があるのですよ」

 

 腰に手を当てた飛鳥が信長に問う。心なしかいつもよりその声音が低く、目つきも鋭く見えるのは気のせいだと思いたい信長。飛鳥の背後の耀と黒ウサギの視線も何故かピリピリとした刺を感じる。

 わけもわからない妙な空気に逃げ出したくなる足を押しとどめて、とりあえず彼女達へ傍らで座り込む少女を紹介する。

 

「彼女は帰蝶。僕の故郷がある世界の正真正銘美濃のお姫様だよ。――――あ、今は尾張か。みんなの歴史では濃姫って呼ばれてるんだっけ?」

 

 濃姫、その呼び名は飛鳥達にも聞き覚えがある。戦国時代、『美濃のマムシ』と呼ばれ名を轟かせた大名、斎藤道三。その娘が彼女だ。そして史実では彼女は尾張国――――織田 信長のもとへ嫁いだとされている。

 

「へ、へえ」ぎこちない笑みを浮かべる飛鳥「じゃあその子が信長君の……お、お、奥さんなのね」

 

 なんでこんなに声上擦ってるんだー、と心中で自分自身に突っ込んでいる飛鳥。取り返しはつかないのでそのまま平然とした演技を続行。

 飛鳥の視線が、耀や黒ウサギの視線が信長に集まる。出来うれば彼自身の口から答えが聞きたかった。

 少女達の気持ちを一体どこまで察したかは不明だが、視線の集まりからこの沈黙を破るのは自分なのだと思った信長が口を開こうとして、

 

「にしても凄い確率だな」

 

 沈黙は十六夜の気安い調子に破られた。今度は視線が十六夜にと集まる。気を削がれた信長の意識が十六夜へ。

 

「なにがー?」

 

「考えてもみろよ。あらゆる時代、あらゆる世界と繋がるこの箱庭で、同じ世界の同じ時代を生きた人間が召喚される確率ってのは一体どれくらいなんだろうな」

 

 信長達がそうだったように、箱庭はあらゆる世界、時代から召喚、あるいはそれ自身の意志でやってくる。伝承にこそ覚えはあっても顔馴染みとここで再会する確率など皆無に等しい。たとえば帰蝶が自らの力でこの世界にやってきた、又は黒ウサギ達が彼女を指定していたというなら話は別だが。

 まだまだ箱庭事情に乏しい信長や飛鳥、耀は驚いているものの反応が少なかったが、黒ウサギ辺りがそのことに気付くと目を丸くして驚いていた。それは途方も無い奇跡なのだと。同時に、そんな奇跡の再会を果たした客人を呼び出してずぶ濡れにしたままにしておくことに兎としての、否黒ウサギ自身の生き様に不義理を覚えた。

 

「とにかくこのままでは帰蝶さんが風邪をひいてしまいます。一度本拠に戻ってから改めてお話をしましょう」

 

 勝手に自分を恥じていつも通りに戻った黒ウサギの提案に各々の反応で頷く。そのとき妙な視線を信長へ送っていた帰蝶が何故か残念そうにため息をついたように見えたが、理由はわからない。

 

「ささ、こちらへどうぞ!」

 

 黒ウサギの誘いに小さく頷いた帰蝶は濡れた着物を引きずらないよう持ち上げてあとについて歩き出す。耀の前を横切ったそのとき、耀の鼻がスン、と動く。

 

「花の香り……」

 

 無意識に呟くほどの声量だったが帰蝶にはその言葉が聞こえたようだった。耀の顔を見て驚いたような顔を浮かべて、目が合うと恥ずかしそうに頬を染めて目を逸らした。耀は首を傾げる。

 

「十六夜さん」

 

 女性陣が前を歩き出し、そのあとに信長が続く。その後ろでジンが十六夜に喋りかけた。

 

「さっきわざと話題をそらしました?」

 

「お、わかるかおチビ様?」

 

 楽しそうに十六夜が笑う。ジンは呆れたような顔をした。

 さっき、というのは飛鳥が『帰蝶が信長の妻か』と問うたときである。あのとき帰蝶を含めた女性陣全員が信長に回答を求めた。それがどういった理由からなのかまではお子様のジンにはまだわからないことだが、十六夜があのときわざと話題をそらしたということぐらいには気付けた。

 

「あそこで答えを出したら続きがなくてつまらねえだろ。アイツ等……特にお嬢様辺りのこれからの反応は見ものだしな」

 

 クツクツと悪役じみた笑い方をする十六夜に自分のことでないのに怖気が走るジン。彼はこの件に関してなるべく傍観者でいたいと言った。何故ならその方が楽しそうだから。ジンもまた傍観者の立場でありたいと願う。ただし理由は愉悦からではなく、自身の安全確保のため。そのくらいには彼も懸命だった。

 

 

 

 

 

 

「いやあ、びっくりした」

 

「その割には随分気楽そうですね」

 

 ハッハッ、と本館の屋根の上で高らかに笑う信長。ジト目で突っ込むジンは内心屋根から落ちてしまわないか恐々としている。単なる人間並の身体能力しかもたない彼にはこの屋根から落ちるだけで目も当てられない惨劇となる。

 この場所は元々信長がお昼寝場所として利用していた。そこへ毎日図書室で気が滅入っていた十六夜とジンがやってきてたまに気分転換するようになった。そしてちょくちょく女性陣には聞かれたくないような話をするうちに、やがてボーイズトークの場となったのだ。

 女性陣は帰蝶を浴場へ案内した後、黒ウサギの部屋でガールズトークを始めてしまった。相変わらず無遠慮に部屋へ突入した信長が黒焦げになって追い出されたので、扉には男子禁制という札がかけられてしまった。

 

「お嬢様の反応は予想通りだが、春日部と、まさか黒ウサギまであんな反応してくるのはちょっと意外だったぜ」

 

 そう言ってヤハハと笑う十六夜は、信長同様無遠慮に部屋に入っていたのだが無傷。こういった危機回避能力の高さもずば抜けているらしい。ちなみに、ジンはその場にはいなかった。いたなら黒焦げどころか消し炭にされかねないことを理解していたから。

 

「それで?」十六夜の興味深そうな瞳は信長へ「美濃のマムシの娘……戦国一の大うつけの正妻ってのはどういう女なんだ?」

 

「十六夜さんでも知らないんですか?」

 

 意外そうな声をあげるジン。

 

「濃姫――――帰蝶っていう人物の資料っていうのは現代に全然残ってなかったんだよ。容姿もさることながら性格も、没録も、一度興味があって調べてみたんだが詳しいことはよくわからなかった」

 

 そも有名であったのは彼女の夫、つまりは織田 信長であって彼女自身何を為したわけではない。それでもこれほど史実、逸話と多くの情報があがる信長の近くにいたにしてはあまりにも少なすぎる。少なからず注目はあって然るべきなのに、だ。

 

「正妻っていっても、帰蝶が僕のところにくるのと入れ違いの形で箱庭にきちゃったからねー。彼女と会ったのは三回。まともに会話をしたのは実は一回ぐらいなんだよ」

 

 なんだ、と目に見えて落胆する十六夜。

 

「それでも二つだけ言えることがあるよ。一つは、あの世界で仮に僕と渡り合える人がいたなら、それは彼女だけだった」

 

 信長の言う『あの世界』とは彼の故郷。戦国時代である。最も争いが起きた時代、後の歴史にも名を残す武将達を差し置いて、一度は日の本を治めかけた男は彼女をそう評した。

 

「やっぱりあの人も信長さんみたいに凄いギフトを生まれ持ってるんですね」

 

「違う違う」

 

 信長の話を聞いて生唾を飲み込むジンの言葉に信長は笑って返した。

 

「帰蝶は驚くぐらい普通の人間だよ。飛鳥ちゃんや耀ちゃんと違って、お世辞にも才能なんてものは何一つ持ち合わせていない」

 

「で、でも今信長さんに並ぶくらい強いって……」

 

「――――断言出来るもう一つっていうのは?」

 

 わけがわからず混乱するジン。十六夜はその答えをわかっているのかどうかはわからないが次を促した。

 信長は天幕の向こう側の青空を見上げてはっきりと言い切った。

 

「もう一つは――――帰蝶は飛鳥ちゃん達とは絶対上手くいかないと思う」

 

 満面の笑顔で告げられた言葉にジンはまた胃がキリキリと痛むのを感じた。それは多分これから起こる騒動の予兆であった。




閲覧ありがとうございまっす。

>遂に信長君のお嫁さんがああああ!!

>お久しぶりです……ってほどでもないですかね?大体二週間ぐらいでしたっけ?
ちょい覚えておりませぬが、ようやく書ける時間が出来て書いてはみたものの、久しぶりのお休みなんに頭のなかは仕事のことでいっぱいで中々筆《指》が進まず、悔しいかな全然進みませんでした(泣)
文字数が少ないからもっと進めてから投稿すべきかな、とも思ったのですがあんまり日が空くと展開忘れちゃいますよね。あれ信長くんて誰だっけ?(重症)

ままま、展開も更新ものんびりで、挙句文字数も少ないなんてふざけんなで申し訳ないですけども、これからは一話の文字数が安定しないかもでっす!
場合によって後々統合したりするかもですが、それはそのときになったらにしますか。

>さあさあこの番外編は史実のお嫁さん登場です。え?いきなり原作設定無視?
ジョートーじゃあないですか!!

《番外編二話あとがき》

閲覧ありがとうございまっす。皆様GWはどのようにお過ごしでしょうか。楽しんでいますでしょうか。
私ですか?私はGWってなんだっけ?ゴールデンウォーって意味だっけ、と思える戦争のような忙しさに魂が擦り切れています。大丈夫です。私は皆さんを恨んだりしません。世界の全てを恨みましょう!!!

>さてさて、ほんと展開遅いなと思われても仕方なしな展開の遅さです。二話使って(約七千文字)未だ帰蝶さんまともに喋ってないよ!ちなみに、今までのペースならここで一話区切る感じですかね。
次回は女性陣の秘密の園へカメラが向かいます。彼の勇気を讃え、生存を祈りましょう。

>最新刊出てるよ!という龍神仝さんの情報から昨日空いた時間に本屋に行ってみたら『ああ、ちょっと今在庫ないですね』と言われたので、諦めきれず二店目に言ったら『ああ、ちょっとこちらに在庫はry』。
マジでええええ!!と思った以上に手こずってしまい、結果は取り寄せと相成りました。ただし次に取りにいける暇な日がわからなかったのでお預け。まあ、手に入れても読んでる時間あんのかと問われると『……』ですがね!でも早くこの手に欲しいのですよ!!
知っている人はネタバレ駄目ですよ!!絶対ですよ!!(フリじゃないからね!)

>WEB短編があああああ!
スニーカー文庫の短編がもう見れなくなっていました。肝心のリリのお話がまだ全然読んでなかったのに……。


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番外編②

 男性陣が屋根の上で話し込む中、女性陣は男子禁制と札がかけられた黒ウサギの部屋で顔を合わせていた。

 召喚の際にずぶ濡れとなった帰蝶は例によって白夜叉から黒ウサギに送られた服の一着を纏っていた。それは以前白夜叉と信長が水源施設の正装にしようとしていたミニスカの着物。洋服ダンスには他にも服は色々あったが、こんなものでも着物には違いないと判断したのか、帰蝶自身が顔を赤らめながらそれを選んだ。

 

(それにしても……)

 

 飛鳥は絨毯の上で正座する少女を眺めて思わず唸る。一目見たときから美しいと思っていた天辺からうなじ、背中に流れる黒髪は湯浴みあがりでより一層艶やかに、そして妖艶な魅力を放っていた。加えて小柄な体型と童顔に似合わず大きな胸。露出の多いミニスカの着物が落ち着かないのか恥ずかしそうに頬を染めて裾を掴んでいる姿は正直同性といえどグッとくるものがある。

 

「そんな服しかなくて申し訳ありません。着物はそれ以外無いですが、それより露出の少ない服はいくつかありますよ?」

 

「だ、大丈夫です。むしろ服まで貸していただいて……ありがとうございました」

 

 丁寧に頭を下げる帰蝶に黒ウサギは胸を抉られるような悲壮な顔を浮かべていた。なにせ本当なら彼女を湖に落とさず受け止めることだって出来たのだ。それをあえて見逃したのは他ならぬ自分達。まあ、実際は黒ウサギは受け止めるつもりだったのを飛鳥達問題児が悪魔の囁きをもってして遮ったわけだが。

 

「そうね。黒ウサギやジン君はもっと反省すべきよ。私達のときもそれはそれは酷い仕打ちを受けたのよ」

 

「うん。ずぶ濡れにされた挙句、黒ウサギは陰でそれを笑ってたの」

 

「ちょっと御二人様方!?」

 

 当然の如く罪を黒ウサギ達に押し付けようとする飛鳥と耀。百パーセント嘘ではないにしろ、あんまりの言い方に黒ウサギは涙目で訂正を訴える。無論そんな反応は弄るネタが増えるだけなので無意味と化すわけだが。

 

「改めて自己紹介しましょう。私は久遠 飛鳥」

 

「春日部 耀」

 

「そして私が――――」

 

「我らが《ノーネーム》のマスコット兼愛玩動物兼非常食の黒ウサギ」

 

「違います!」

 

 名誉挽回と勇んで名乗ろうとした黒ウサギは茶々を入れる飛鳥へハリセンを一発。

 

「……じゃあ非常食の黒ウサギ?」

 

「よりにもよってそこをチョイスですか!」

 

 乗ってきた耀にもハリセンを一閃。

 いつも通りのやり取りに、やや萎縮しているように見えた帰蝶がようやくクスリと笑った。その笑顔はこれまた綺麗で、不躾に直視していた飛鳥の視線に気付くとまた恥ずかしそうに首をすぼめてしまった。

 しまった、と飛鳥は思いつつ、しかし少しは緊張も和らいできたようなので会話を続ける。

 

「貴女はえっと……帰蝶さん、でいいのかしら?」

 

 問われた帰蝶は居すまいを正す。

 

「信長様にはそう呼ばれています。でもお城の方々には濃姫、お濃と呼ばれてもいますので、お好きに呼んでいただいて構いませんわ」

 

 思ったよりしっかりとした口調で上品な笑顔と共に帰蝶は名乗った。今の今まで終始おどおどした態度だったので、てっきり気弱なお姫様なのかと思っていたがどうやらそういうわけではないらしい。突然異世界に召喚されたことに当たり前に驚いていたのか。黒ウサギ辺りはそれが当然の反応なのだと言い出しそうだ。なにせ飛鳥達が箱庭に召喚されたときは誰一人として怯えたり狼狽えたり、取り乱す者などいなかったのだから。

 

「帰蝶さんはどうやって黒ウサギ達に召喚されたのかしら? やっぱり例の手紙?」

 

「はい」帰蝶は小さく頷いて「たしか『汝の求めるものはここにある。それを望むなら、己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、我らの《箱庭》に来られたし』といった内容の文がいつの間にか自室に届けられていまして、それを開いたらここに」

 

 そのとき飛鳥と耀ははて、と首を傾げた。彼女の言葉の通りなら、どうやら自分達に届けられた手紙とは少々文面が違うようだ。てっきり同じ謳い文句が綴られているものだと思っていた。二人の無言の視線を受けた黒ウサギが答える。

 

「今回はそういう内容で手紙を出すようにと指示がありましたので」

 

 黒ウサギ自身もその差異の理由までは知らないようだった。大した違いでもないし、違うからといって何が変わるわけでもないのだが、『何故違うのだろうか』という疑問だけは残ってしまった。

 

「あ」

 

「どうしたの春日部さん?」

 

 不意に声を出した耀に一同の視線が集まる。彼女は小さく鼻を動かして、帰蝶の顔を見た。

 

「また花の香り」

 

 今度こそ帰蝶は驚いた顔をした。そして語る。

 

「よくわかりましたわね。梅の香りですわ」

 

 飛鳥もその場で意識を集中してみるがまったくわからない。黒ウサギの方は言われて気付いたみたいだ。

 帰蝶は懐から小指ほどの大きさの小筒を取り出して自身の手のひらに筒を傾ける。数滴液体が伝ってきた。そこに鼻を近づけると飛鳥にもわかった。

 

「香水ね」

 

「こうすい?」

 

 言われて今度は帰蝶が首を傾げる。そんな反応で飛鳥は気付く。彼女の時代にはまだ香水などというものはなかった。つまり彼女は香水という存在を知らないまま、おそらく独自にこれを作ったのだろう。

 

「信長様が好きだとおっしゃった花なのです。初めてあの方に出会ったのも梅の木の下でした」

 

 そう語った彼女は嬉しそうに、気恥ずかしそうにはにかんだ。その思い出は彼女にとってよほど温かく、大切なものなのだろうというのは見てわかった。

 

「でも春日部様はよく気付きましたわね。わたくしは湯浴みからあがったばかりで、それも普段からほんの僅かしかこの香りはつけていませんのに」

 

「耀さんは友達になった動物のギフトを扱えるのですよ! 犬並に嗅覚が鋭かったり、鷹みたいに眼がよかったり」

 

「まあ」

 

 事情を知らない帰蝶へ黒ウサギが自分のことのように誇らしげに語る。それに照れる耀と今まで想像だにしなかったであろうギフトの存在に驚いた様子の帰蝶。

 

「飛鳥様も春日部様のようなギフトというのをお持ちなのですか? それに、その黒ウサギ様は……その」

 

 帰蝶は迷ったように言い淀む。その視線の先は黒ウサギの頭の上に立つ耳。

 

「私もギフトは持っているけれど春日部さんとはまた違うわ。それと黒ウサギのあれは本物の耳よ。よかったら引っ張ってみる?」

 

 冗談ぽく笑って告げる飛鳥。

 

「さ、触らせていただけるんですの?」

 

「え? あ……い、YES……どうぞなのです」

 

 飛鳥に勝手に言われ、それに反論する暇もなく帰蝶に訊かれてしまい渋々許可する黒ウサギ。

 おっかなびっくり手を伸ばす帰蝶。黒ウサギは黒ウサギで召喚人に耳を触らせることにあまり良い思い出がないのでこちらもビクビク怯えている。しかし彼女の怯えとは裏腹に帰蝶はまず優しく指先で右の耳に少し触れると、今度は意を決して手のひらで触り、やがて撫で始める。

 

「ん……む……」

 

 撫でる度にこそばゆさでピクピクと動くウサ耳。その振動と伝わる温かさにこれが本物なのだと驚く帰蝶。黒ウサギの方は優しく撫でられると気持ち良いのか嬉しそうに頬をゆるめていた。

 初めて飛鳥達がここへ来たときも彼女の耳を思う存分引っ張らせてもらったものだと思い出す。最近のことのはずなのに妙に懐かしい。あのときとは随分違う反応だ。

 

「この世界には黒ウサギ様のような不思議な方もいらっしゃるのですね」

 

「ここには他に狐の女の子とかもいるわよ」

 

 ひとしきり撫でで満足した帰蝶の言葉に飛鳥が返すと彼女は益々驚いた反応を示した。獣人の存在は飛鳥も箱庭で初めて見た存在だったのでその驚きはわかる。

 

「次は帰蝶の話しを聞かせて」

 

「そうね、私も聞きたいわ。信長君はそこら辺の話し全然してくれないのよね」

 

 耀の発言に同意する飛鳥。黒ウサギを加えて三人の視線に彼女はやがておずおずと語り始めた。

 予想通りというか、帰蝶の話はほとんどが信長に関してのものだった。というか彼女自身のことはほとんど話には出てこず彼の生い立ちばかり。話を聞く限り彼女が信長と実際出会った数はそう多くなさそうだったが、彼の武勇伝をまるで我が事のように誇らしげに、喜々と語る。それを聞いて飛鳥は改めて信長という少年が、自分とも、耀や十六夜とも違う戦乱の日本からやってきているのだと今更ながら思わされた。そして同時に如何に彼女が彼が好きなのかもよくわかった。

 だから、飛鳥は少し意地悪な質問をしてしまった。

 

「じゃあ帰蝶さんは私達をどう思ってるのかしら。信長君が私達と一緒にいたと知って心配にならなかった?」

 

 自分の夫が――――といっても嫁ぐのと入れ違いで信長は箱庭にきてしまったらしいが――――知らない場所で知らない女の子達とずっと一緒にいたのだ。こんな穏やかな少女でも嫉妬をしたりするのだろうか。いや、正直飛鳥はどういった意図でこんな質問をしてしまったのか自分自身よくわからなかった。どんな答えを期待したのか。冗談ぽく笑ってくれるだろうと思っていたのかもしれない。

 不意に、帰蝶は立ち上がると開け放たれた窓際へ。そして振り返ると一層温かな笑顔と共に、

 

「――――はい。大っ嫌いです」

 

 ニッコリと、まるで飛鳥達のよく知るうつけ武将のように貼りつけた笑顔のまま告げられた。

 

 

 

 

 

 

 大人しそうな雰囲気で、目を合わせるとすぐに逸らしてしまうぐらい恥ずかしがり屋で、でもやっぱり何気ない仕草なんかはお姫様っぽい気品が窺える。そして教科書や資料でなんかで見るよりずっとずっと綺麗な和美人。それが飛鳥が帰蝶に抱いた印象だった。

 お姫様というから一体どんな人物なのかと内心身構えているところがあったので、飛鳥が彼女に抱いたのは比較的好ましいものだったといえよう。おそらくそれは耀や黒ウサギも同じく。

 故に残った問題は帰蝶と、今ここにはいない少年との関係。信長が言うには彼女と夫婦となってすぐに箱庭にやってきてしまったらしく、そも接点も数えるほどしかなかったらしい。――――が、それでも関係に間違いはない。自分の夫が見知らぬ女の子達といた、それだけでいい気分はしないだろう。

 

 しかし実際に会って話した彼女の感じからしてそんな勘違いから激昂しだすとも思えない。実際に今こうして普通に談笑しているわけだし。

 故に飛鳥は少し意地悪そうな顔で質問をしてみた。

 

「じゃあ帰蝶さんは私達をどう思ってるのかしら。信長君が私達と一緒にいたと知って心配にならなかった?」

 

 問われた少女は不意に立ち上がり部屋の窓際へ。窓の取っ手に手をかけて、振り返ると先ほどまでとまるで変わらない優しそうな、穏やかな微笑みで応えてくれた。

 

「はい。大っ嫌いです」

 

 その答えを、帰蝶を除く三人はまるで理解出来なかった。正に硬直したといっていい。

 帰蝶は手にかけていた窓を開け放つ。外気が部屋の中に侵入して三人の顔に風が打ちつけられる。途端、

 

「――――っなにこの臭い!?」

 

 最初に耀。次に黒ウサギ、飛鳥の順に思わず立ち上がった。

 異臭。例えようもない強烈な刺激臭が鼻孔を貫いた。強制的に涙が出るほどの。

 

「毒ですわ」

 

 唯一、窓を背に立っている彼女は簡単に言ってのけた。彼女の指に挟まれた小筒。その蓋は開けられている。先ほどの香水と形状は同じようだが中身が別なのは明らかだ。

 

「こ、の!!」

 

 行動を起こしたのは耀。ギフトにより飛鳥よりよっぽど利いてしまう鼻を持つ彼女はこの場の誰よりこの悪臭に参っていた体を懸命に動かす。

 友だちとなって得たグリフォンの大気を踏みしめるギフト。それを応用し、前蹴りのように足を振って空気を前へ押し出した。窓から部屋に流れていた風の流れが逆流。悪臭入り混じった部屋の空気が一掃された。

 

 飛鳥はゆっくり呼吸する。もう例の臭いはしない。

 

「ふぅ」小さなため息「それもギフトというものですの? 風まで操るなんて本当に凄いですわ」

 

 キッ、と飛鳥は帰蝶を睨みつける。

 

「どういうつもり?」

 

「安心してよろしいですわ。毒といっても一息吸った程度では致死には至りません。軽い目眩がする程度です。……残念なことに」

 

「今更冗談でしたと言い訳するつもりはないってことね」

 

 飛鳥はギフトカードを懐から取り出す。耀もすぐに動けるよう後ろで身構える。

 

「ま、待ってください御二人共!」

 

 彼女達の前に遮るように立ちはだかった黒ウサギ。彼女は飛鳥達に背を向けて着物姿の少女へ問う。

 

「帰蝶さん! 何故こんなことをするんですか!?」

 

「理由は先程もお話したと思いますが?」

 

 はて、と首を傾ぐ。

 

「貴女達が嫌いだからです」

 

「それは私達が信長君と一緒にいるから?」

 

「はい」

 

 本当に穏やかに、朗らかに彼女は笑う。それなのに口に出す言葉は嫌悪だというのだからまったく……まるでどこかの少年を見ているようだった。

 たしかに、彼女が飛鳥達を嫌う理由はある。それで毒をぶち撒ける理由にはならないが、少なくとも嫌う理由ではあった。

 

「で、でも黒ウサギ達は別に信長さんとなにかあったわけじゃ……」

 

「そうなのですか?」

 

 一同は頷く。彼と仲良くはしていたがやましいことをしていないのは事実である。

 

「そうですか。なら、そうなのでしょうね」

 

「いやにあっさり信じるのね?」

 

「貴女達がこういった嘘をつくような人でないことぐらいは先程までの会話で充分わかりましたから。きっと良い人なのだということも」

 

「なら」

 

「でも、わたくしが貴女達を嫌うことに変わりはありませんわ」

 

「な、なんでですか?」

 

「信長様の近くにいる。ただそれだけで嫌いなのですから仕方ないじゃありませんか」

 

 黒ウサギの質問にうふふ、と笑い答える。たしかにその理由だとどうしようもない。

 飛鳥としてはもうどうしようもないと思っているのだが、黒ウサギは諦めきれないようだった。まだ説得を続ける。

 

「しかしこれから先、帰蝶さんは皆さんと一緒にギフトゲームに挑んでいくのですよ!? その仲間を嫌いだからという理由で毒殺しようとするのは……。信長さんだってきっと悲しみます」

 

「ええだから、信長様がそういうのでしたらわたくしはそうしますわ」

 

 一瞬、黒ウサギは説得が上手くいったのだと喜んでウサ耳を立てたが、次の瞬間それは凍りつくこととなる。

 

「信長様が皆様と仲良くしろというのなら、そうしましょう。そのために先ほどのことを謝罪しろというのなら地べたを這おうことも、泥水を啜ることも厭いません。死んで償えというのなら死にましょう」

 

 それが当然のことのように彼女は終始穏やかだった。

 

「でも、今はまだ信長様はわたくしに貴女達とどう接しろとは言われていません。ですので、わたくしはわたくしの感情で貴女達を嫌います。何故なら貴女達を、信長様は気に入っているから」

 

「でも信長が仲良くしろって言ったらそうするの?」

 

「ええ」

 

「嫌いなのに?」

 

「いいえ。信長様がそう言えば、わたくしは貴女達を好きになりますわ」

 

 躊躇いなく頷く帰蝶のことを耀は理解出来ないようだった。友達、というものを誰よりも大切に考えている彼女にとって、他人に言われたから仲良くするなんて理解以前の問題なのだろう。

 しかし飛鳥は少しだけ帰蝶という少女がわかった気がした。

 

 彼女は今まで別に猫をかぶっていたわけではない。さっきまでの姿も、飛鳥が彼女に抱いた印象も、おそらく間違っていない。基本的に恥ずかしがり屋で、穏やかで、優しくて、自分同様外の世界をあまり知らない箱入りのお姫様。――――ただその前提に、何よりも大前提に、彼女には優先すべき存在がある。

 織田 三郎 信長。

 それが彼女の根幹であり、前提であり、絶対。

 

 彼女が飛鳥達を嫌う理由は多分というか間違いなく嫉妬だ。好きな異性が他の女性といる、又はいた。それはその人物の人柄云々に関係はない。その事実だけで嫌う対象になる。

 そこまではただの嫉妬と同じ。しかし彼女の場合は嫉妬――――つまり自身の感情よりも優先すべきものがある。

 だから例えば、信長が飛鳥達と仲良くしろといえば彼女はきっと喜んでそうするのだろう。演技をするのでもなく、無理をするのでもなく、心の底からの好意的な態度になるのだろう。何故なら、信長がそう言ったから。

 彼女には自分の意志が無い。信長に従うということそれが彼女の意志だと言われてしまえばそうかもしれないが、少なくとも飛鳥はそれを自分の意志だと認めるつもりはない。

 

 一歩、帰蝶は三人に向かって進めた。身構える三人だったが、彼女はあっさり横切ると部屋の扉へ。

 

「ここでは全力で戦えません。それに信長様に迷惑もかけます」

 

 外へ。帰蝶は扉を開けると部屋を出て行った。

 残された飛鳥達。

 

「望むところだわ。春日部さんは?」

 

「私もやる」

 

 どこか耀は怒っているようだった。理由を考えて、おそらく飛鳥と黒ウサギ、友達をいきなり殺そうとした行為そのものを怒っているのだろう。飛鳥とてほとんど理由は同じ。喧嘩を売られたなら利子をつけて返してやる。最早信長の身内であるという情けも無い。

 

「私ならさっきみたいな毒もすぐ気付ける」

 

 耀の五感は獣並みに冴えている。先ほどのような完全な奇襲であっても通じなかったわけだ。

 帰蝶がそれ以外の攻撃手段を持ち合わせている可能性はあるが、鋭敏な感覚に加えて超人的な身体能力を持つ耀と、ディーンを有する《威光》のギフトを持つ飛鳥何があろうと対処出来るだろう。

 飛鳥達の有利な点はまだある。帰蝶はまだこの箱庭におけるギフトゲームという戦いの特殊性をわかっていない。経験不足は飛鳥達にも言えるが、それでも一日の長がある。

 

「なら行きましょう――――まさか止めないわよね。黒ウサギ」

 

 未だ、仲間同士で争うことを納得出来ない……したくない黒ウサギだったが、ぶつかり合わねば通じ得ないこともあると信じて、複雑な思いで頷いた。

 飛鳥達が外へ出ると予想外にも彼女は堂々と本館前の広いスペースで立っていた。毒による奇襲を使ったことからてっきり似たような手でくると思っていたが。はたしてそれは油断か。はたまたそれほど自信があるのか。

 

「相談は終わりまして? では、始めますわよ」

 

「待ちなさい」

 

 構えようとする帰蝶を飛鳥の声が制する。

 

「私達は貴女をとことんまで叩きのめして、信長君の言葉がなくとも泣いて謝らせてあげる。――――けれどここは箱庭。決着を着けるならギフトゲームで……っ!?」

 

「飛鳥!? どうし……」

 

 突如、飛鳥と耀が倒れた。

 それに慌てて駆け寄ろうとした黒ウサギの視界も歪んだ。倒れるまではしなかったものの、足が止まる。

 

「な、んで」

 

 倒れた耀が呻く。倒れた理由は明らかだ。間違いなく帰蝶の毒。

 しかし何故。先ほどのこともあって常に警戒していたはずなのに。今だって臭いは――――、

 

「なにも臭いが、しない!?」

 

「気付きましたか?」

 

 何も臭いがしない。毒どころではない。普段するべきはずの草の臭い、風の臭い、こんなに近くにいる飛鳥の臭いさえもしない。

 

「申し訳ありません。先ほどわたくしは嘘をつきました」

 

 帰蝶は隠し持っていた、すでに蓋が開けられた小筒を出す。

 

「先刻貴女達に使ったものは毒ではありません。調合したのは強烈な異臭を放つだけのもの。そう、嗅覚が麻痺するほど強烈な(・・・・・・・・・・・・)

 

 初めから、毒を使う帰蝶は耀の嗅覚を最大脅威と認識していた。人間の感覚からすれば無味無臭とされる毒でさえ、彼女が相手では通じないと。だからまず、彼女の鼻を潰しにきた。

 

「帰蝶、さん……黒ウサギはまだ、ゲームを開始していませんよ」

 

 痺れる体を懸命に支えながら黒ウサギは審判として告げる。それに帰蝶は本当に、本当に申し訳なさそうに、

 

「すみません。まさかこんなに甘っちょろい世界だとは思わなかったので」

 

 そう言った。




お休み利用して書いちゃいました。資格の勉強しろ?ハッハ!なんのことやら。

>あれ?おかしいぞ。この番外編を私はギャグとして書くつもりだったのに落とし所がないぞ?

>注意!これは徹頭徹尾完全無欠に番外編なので、出来事、心情全てが番外編仕様ですと今更ながら警告しておきます。そうでないと少なくとも飛鳥のフラグがバッキバキに信長に立ちまくることになってしまいますからね。
ちなみに、耀ちゃんの出番は五巻にある(予定)ので飛鳥に番外編はスポット当てております。

>爆ぜろ信長!と思っているのは私も一緒ですから!!作者なのに

《番外編四話あとがき》

閲覧ありがとうございましたー!

>ほぼ三週間ぶりになってしまい申し訳なかったです。いやはや、とりあえず一言だけ愚痴代わりに言わせてください。
連休をよこせええええええ!!

>さてさて、前回の更新後、私は次回は帰蝶さんが戦うとかのたまわったけれど……あれ?戦っていなくない?――――否、あれが彼女の戦い方だからセーフ。嘘じゃない《いやほんとごめんなさい(心の声)》

>今回で帰蝶という女の子はわかってもらえたでしょうか?これもヤンデレというジャンルに入るかどうかは私にはわからんですが、これが童顔巨乳和服美人……もとい信長君のお嫁さんです!

>本当ならば二万字前後で二話ぐらいで終わる予定だったのですが、ぶつ切りのせいでどんどん伸びてしまってますね。あくまで番外編なのに。
終わるのはとりあえず次回か次々回か。

>ひとりごと。
もの凄い馬鹿馬鹿しい妄想が働いた。学園モノの番外編。

配役
信長君(主人公)
ペスト(信長の妹)
ジン(弟)
レティシア(母)
(父未定)
十六夜(となりのクラスの問題児)
飛鳥(同じクラスのお嬢様委員長)
耀(同じクラスの飼育委員)
黒ウサギ(担任)
白夜叉(校長)
その他諸々の皆様がいたりいなかったり。

うん。想像するだけなら自由ですもんね。書くとしても後々暇があったらにしましょうか。
実は思いついたのアマデウスさんとペスト妹談義してた時とか言えない(笑)


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番外編③

「甘っちょろい、ですって?」

 

 地べたを這わされる屈辱を噛み締めながら飛鳥が帰蝶を見上げる。否、睨み上げる。

 帰蝶はそれに妙な圧を感じながらもあくまで平静を装い答える。

 

「そうですわ。戦いに待ったが存在しまして? せーので始めなければ成り立たない戦いなど、そんなもの戦いとは呼びません。それがまかり通るのがこの世界だというのでしたら……ここはあの方が居るべき場所ではないですわ」

 

 戦国時代。数多の武将達が覇を競った時代。そこには敵国との争いはもちろん、謀略、裏切り、奇襲、騙し討ち、身内での内紛も茶飯事だった。

 両者の意見を揃えて、日を合わせて規則を取り決めて、そんな整えられた綺麗な戦いなどただの一度も無かった。

 そんな世界を味わってきた彼女にとって、ギフトゲームなんてものは温いと言わざるを得ない。

 

「まあ貴女達は――――」

 

 話を断ち切るように超スピードで耀は帰蝶の背後を取った。体の痺れは取れていないが最後の力を振り絞ってそこを陣取った。彼女の背後――――つまり風上を。

 帰蝶が粉末、もしくは霧状にした毒を扱うなら風向きは彼女にとって生命線。耀のようなギフトでもないかぎり風に逆らって毒を届かせることは出来ない。

 しかし、

 

「な、かっ!」

 

 耀は新たな目眩と視界の揺らぎ、加えて吐き気にその場に崩れ落ちた。

 背後に倒れる耀へ、帰蝶はゆったりと振り返った。

 

「貴女達はそんなものとは無縁で生きてこられたのでしょう。それはとても羨ましいことですわ」

 

 毒は風向きに逆らえない。帰蝶が耀のように風を操る、もしくはそれに準ずる恩恵でも無いかぎりそれは絶対だ。故に彼女は最初から仕込んでいた。一足先に屋外へ出たときに、自分よりさらに風上に予め毒の小筒を。

 それぐらいを仕掛ける時間ならたしかにあった。しかし、

 

「なら、なんであなたは平気なの?」

 

「わたくしは毒と空気を選別して呼吸を行えます。毒を扱うと決めたその日から、それは努力しましたのよ」

 

 耀の問いに応えて、彼女は今一度三人を睥睨する。

 

「もうよろしいですか。こんな茶番は終わらせますわよ」

 

「――――そうね。終わらせましょう」

 

 

 

 

 

 

「あれが濃姫か。そりゃ資料も残らねえわな」

 

 屋根の上で雑談を続けていた十六夜達。すると建物から帰蝶が、しばらくして黒ウサギ達が出てきたことで成り行きを見守っていた。戦いが始まってからは完全に他人ごとで観戦中だ。

 

「そんなのことないよ」愉快そうに眺める十六夜へ信長が「帰蝶は本当は誰よりもお姫様っぽいお姫様だよ。でも、僕が絡むとなににでもなれる(・・・・・・・・)のが彼女なんだ」

 

 恥ずかしげもなく言ってのける。

 

「ちょ、ちょっと! そんな悠長にしてないで止めてくださいよ!」

 

 唯一、身動きが取りたくても取れないジンは二人に叫ぶ。信長は首を傾げて、

 

「なんでー?」

 

「なんでって……」

 

「騒がしいと思えば、主達までこんな場所でなにをしているんだ」

 

 声に振り向くとメイド姿の金髪少女がそこにいた。ジン達がいるのは本館の屋根の上。そんな場所に年端も行かなそうな少女がどうやってやってきたかというと、背中から生える蝙蝠のような翼でだ。彼女は純血の吸血鬼、レティシア。同時に《ノーネーム》のメイド長である。

 

「レティシア! お願いだ。戦いを止めて!」

 

「ジンまでいたのか」レティシアはジンを視界に収めるものんびりと「止めろと言うならそうするが、どちらを止めればいいんだ?」

 

「どっちって……そんなのあの帰蝶さんって方に」

 

「大丈夫だ。おチビ」

 

 十六夜はジンとは対照的に落ち着き払った態度で言い切る。わけがわからない。少なくとも十六夜は、なんだかんだと言いながら仲間が殺されそうなら一に助ける性格だと思っていたのに。

 

「ジン君」

 

 いい加減怒り出しそうなジンの気配を察したのか信長が声をかける。

 

「君には帰蝶がどういう風に見える?」

 

「どう?」

 

「そんなに強そうに見える?」

 

 当然、と答えかけてジンは止まる。実際彼女は黒ウサギを含む三人を圧倒している。でもなんとなく信長が言いたいことを理解してしまった。

 

「帰蝶は全然強くないよ」

 

 信長は言い放った。

 

「あの毒も、知略も、言ってしまえば誰にだって出来る。飛鳥ちゃんみたいな《威光》、耀ちゃんみたいな《生命の目録》……彼女はギフトを何一つ持たない」

 

 彼女には才能と呼べるものはない。黒ウサギには言わずもがな、飛鳥を相手にしてもディーンに毒は通じず、耀の身体能力を前に為す術もないだろう。

 それでも強いて彼女にあったものをあげるなら、才能ではなく努力と運の二つ。努力は草花動物に限らず、ありとあらゆる成分をその身を持って調合と使用を繰り返した気の遠くなるような作業。運は、その最中に命を落とさなかったことだ。

 

 本来、彼女はあの場の誰にも勝てはしない。絶対的優位に立つ今でさえ。

 

 

 

 

 

 

「そうね。終わらせましょう」

 

 そう言って立ち上がったのは飛鳥だった。飛鳥と、そして帰蝶の頭上に一枚の羊皮紙が出現する。

 

『ギフトゲーム名《Stand and Faight》

 

 プレイヤー一覧、飛鳥、帰蝶。

 敗北条件、先に膝をついたら負け。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗の下、ギフトゲームを開催します』

 

 文面を読んだ帰蝶は探るように飛鳥を見る。

 

「なんのつもりですの?」

 

「言った、でしょう」唇に痺れを残しながら「ここは箱庭よ。ここにはここのルールがあるの」

 

 それに、と続けた彼女は口元に嘲笑を浮かべ、髪を手で跳ね上げる。

 

「これは温情よ。まともにやっても勝てない、貴女に、わざわざ勝ちの目をあげようというのに」

 

「なにを――――」

 

「ディーン!」

 

 少女の呼びかけに現れる赤き巨兵。思わず後退る帰蝶は新たな毒を構え、動きを止めた。

 

「カラクリ人形……」

 

 毒が有効なのは生き物にだけ。鉄の巨人に毒は効かない。

 帰蝶は歯を食いしばる。

 

「――――けれど、貴女が毒に体の自由を奪われているのは事実! 貴女程度倒すだけならわたくしにだって!」

 

「受けるのね?」

 

 ギアス・ロールが発光し消える。ゲームが今、成立した。直後、

 

「――――『そこに跪きなさい』」

 

「っ!?」

 

 突如帰蝶の体を不可視の力が上から押さえ付けた。それが飛鳥の力によるものだということくらい、帰蝶にもすぐに理解出来た。しかし、理解出来たところでどうしようもなかった。

 必死にその場で耐え忍ぶ帰蝶。

 

「中々粘るじゃない」

 

 飛鳥は笑う。――――が、彼女とて余裕はない。帰蝶の毒に侵されている事実は変わらない。今だって気を抜けば気を失ってしまいそうだ。それでも彼女は倒れない。

 しかし帰蝶も倒れない。《威光》は格上の人間には効かない。だが格下相手には絶対的な力を発揮する。そして帰蝶の霊格は明らかに飛鳥より格下だ。それでも耐えられているのは彼女の意地という他無い。

 それは驚嘆すべきことだが、飛鳥は落胆したようにため息をついた。

 

「信長君の身内だというから期待していたのだけれど、残念ね。ただ彼の言いなりに生きるだけだなんて」

 

「……貴女に、なにがわかるんですの」

 

 下駄を踏みしめて帰蝶は額に汗を浮かべながら顔をあげる。今まで崩すことのなかった微笑みは今は見る影もない。

 

「生みの親に生まれたその瞬間から政《まつりごと》の道具として育てられたわたくしを……あの方だけが……信長様だけがわたくしを、わたくしとして見てくださいました」

 

 嫌悪しかなかった蝶の名前。いつか他国に嫁ぎ、父の国に利益を伴って舞い戻るよう名付けられた名前。

 自分ですら好きになれなかったそれを彼だけが綺麗だと言ってくれた。

 自国を、ひいては己を繁栄させるために日々争う父を含めた亡者の世界で、彼だけが空を、大地を、草を、花を、人を、悠然と眺めていた。

 綺麗だね、と。可愛らしい名前だね、と。梅の木を一緒に見上げたその瞬間、たったそれだけで、彼女は彼を好きになった。本当にそれだけの理由で。

 

「おかげでわたくしは自分自身を好きになれた。だからわたくしは! 少しでもあの方に近づきたくて……少しでもあの方の近くにいたくて……」

 

 でも、駄目なのだ。それでは駄目なのだ。

 信長にとってあの世界は狭く、色褪せて見えていた。それに気付くことは出来ても帰蝶には何も出来なかった。

 何故なら、彼が求めるものは自分と並べる存在だった。並んでくれるなら仲間として横でも、敵として正面であっても構わなかったのに。

 彼に憧れてしまった彼女には一生辿り着けない。憧れてしまった彼女が辿り着けるのは精々彼の後ろが限界だった。

 

「羨ましかったのです」

 

 ポツリと彼女は零す。

 

「信長様をただ憧れるのではなく対等に立っている貴女達が……あの方が見たこともないような顔で楽しそうに笑っているのが……悔しくて羨ましくて――――」

 

 そこまでだった。彼女の体が完全に崩れ落ちる。

 瞬間、勝利の文字が飛鳥の前を踊った。

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 目を覚ました帰蝶は体を起こして辺りを見回す。場所は織田家の道場だった。外は薄暗い。

 首を傾げる。なにか夢を見ていた気がする。

 信長が姿を消して、彼がよく入り浸っていた道場に足を運んだ彼女はそこで妙な文を見つけた。それを開いたら大空に放り出されて、そして――――。

 

 ぶるり、と体が震えた。時刻はわからないがすでに日は落ちている。少しばかり落ちた気温にこんな薄着では寒くて当然だろう。

 

「あれ?」

 

 帰蝶は自身を見て驚く。その格好に驚いて、次いで床に置かれた文を見つけた。しばらく逡巡してから、意を決して手紙を開ける。

 

「――――姫様!」

 

 道場の扉が開かれる。鼻下から顎を覆う無精髭。甲冑姿の大男だった。

 

「このような場所におられたのですか。昼間から姿が見えず城内は大変な騒ぎだったのですぞ!」

 

「勝家」

 

「信長様に続いて貴女までいなくなられたと――――は、はあ?」

 

 帰蝶は笑った。それはそれは可愛らしい笑顔だったと思う。信長が姿を消して以来、笑うことがとんと無くなった少女の久方ぶりの笑顔。

 それは喜ぶべきはずのことなのに、男は奇妙にも寒気を感じた。まるで、

 

「この国を獲ります」

 

 まるで、今はいない彼の主のような。

 

「善は急げですわ。まず落とすならば美濃ですかしらね。お父様もまさかこのわたくしに寝首をかかれるとは思っていないでしょうし。武田は放っておいてもしばらくは攻めてはこないでしょう。その内に必要ならば足利辺りを担ぎあげて上洛し、後、織田の旗を掲げますわよ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくだされ!」

 

 姿を消して、ようやく見つけたと思ったら突然おかしなことを言い始めた主の妻を、勝家は本気で心配した。彼女が日々毒草やら毒虫などを扱っているのは知っていたので、なにかに当てられたのかもしれないと。

 

「あら、何を待つの? 時間が惜しいと言いましてよ」

 

「い、いえ……たしかに姫様の言葉の通り、我らは織田家を天下にするべくこの血肉も魂も捧げるつもりですが……その」

 

 さあ天下を取ろう。はいわかりました、とはいかない。

 だというのに彼女は止まらない。

 

「なら問題などありませんわ」

 

「勝家殿!」

 

 再び訪問者。男は勝家を探しにきていたようで、帰蝶を見るなり目を丸くして驚いた。普段ならば礼を取るべき場面なのだが、よほど火急なのかそのまま叫ぶように要件を告げた。

 

「今川軍が攻めて参ります!」

 

「なに!? 数は!」

 

「正確な数はわかりませんが……二万とも四万とも」

 

 勝家は言葉を失った。報告しにきた男も見るからに消沈していた。なにせ織田の総戦力はどうかき集めても五千が精々。その少なくとも四倍以上を相手にしろというなら、それは死ねと言っているようなものだ。兵が逃げ出せばさらに数の差は出る。

 降伏か。籠城か。

 織田家でも無双と恐れられる勝家でさえ、その二つの選択肢しか頭になかった。

 

「それはちょうどいいですわ。ではまずは今川を落としましょう」

 

 あっさりと、穏やかな中にいつもより弾みのある声で帰蝶は告げる。

 

「出ますわよ。ついてきなさい」

 

「無茶ですお濃様!」

 

 引きとめようとした勝家の手は止まる。

 

「無茶?」

 

 まただ……また、勝家には彼女の横顔が彼の主君にダブって見えた。

 

「それでは駄目なんですの。この程度で足踏みをしているようでは」

 

 手紙には彼女の愛する彼の字で、たった一文こう書かれていた。

 

 『日の本を面白おかしくしたら僕を招待してください』

 

 ふざけているとしか思えない。しかしこれこそ彼なのだ。

 結局、彼女は信長への憧れは捨てられない。それでも彼のこの命令を果たすには、彼女自身が彼が楽しいと思える世界を自分で考える必要がある(・・・・・・・・・・・)。彼がそう促している。

 それが彼の優しさであることも彼女は気付いている。

 

「まずはこの国を落とします。必要ならばさらにその以上も。けれどそれはあくまで前戯。本番はその先。そしていつか必ずお迎えしますわよ。あの方が一生を楽しく過ごしてくださるような素晴らしい世界に!」

 

 そしていつか彼を迎えたその日にはもう一度、彼に告白をしようと彼女は決心するのだった。

 

 

 

 

 

 

「よかったのか? 勝手に帰しちまって」

 

「うん」

 

 帰蝶が帰っていった空を見上げる信長は頷く。

 己の身に余る霊格に抗った代償に気を失った帰蝶を信長は元の世界へ送り返した。召喚された者は約三十日間箱庭での自由を許される。本当に自由であるならば、帰還も出来ない道理はない。

 帰蝶はたしかに気を失っていたが、彼女は信長の言葉に二もなく頷く。故に信長の意志で彼女を箱庭から元の世界に帰すことは可能だった。無論、彼女がコミュニティに正式に加入していなかったから出来た方法だが。

 

 彼女が自覚している通り、信長は彼女に自分の横か、前に立っていて欲しいのだ。初めて自分の苦悩に気付いてくれた女性――――否、人間だったから。

 憧れを捨てろとは言わない。でも、もっと彼女には自分を大事にして欲しい。信長の言うままにただ生きていたら、それは結局父親の言う通りに生きていた頃と変わらない。

 

 だから彼女にはあっちの世界で頑張ってもらおう。彼女は強力なギフトは持たないが、その意志力は誰とも比較出来ないほど強い。才能なんてなくとも、彼女ならきっと面白おかしい国を創りあげてくれると信じている。そしていつかこの箱庭にいる自分へ招待状を届けてくれると。

 

「の、ぶ、な、が、君?」

 

 メラッ、と背後になにかを感じた信長は振り返る。

 帰蝶が気絶した後、信長が彼女の持っていた解毒薬を拝借して飛鳥達の毒を治した。そうしてから彼女を元の世界にと帰したわけだが。

 そこには飛鳥と耀と黒ウサギと、それとなぜかレティシアまで。

 

「言いたいことは色々とあるのだけれどとりあえず――――一発殴っていいかしら?」

 

 ディーンが吼えた。

 

「私も」

 

 竜巻の如く風が舞い上がった。

 

「黒ウサギもいいですかー?」

 

 帝釈天の雷が迸った。

 

「ん? よくわからんが私もいいか主殿」

 

 影が踊った。

 

「うわーなんかいつにもまして大人気だよ僕。どうしよう十六夜?」

 

 すでにかの少年はいなかった。絶叫と轟音が響き渡る。

 

 これはそう、箱庭にあったかもしれないとある一日……。




閲覧どーもありがとうございました!

>うん満足。帰蝶さんが書けて私は大変満足でした。残念なのは自分の創作力の低さだ馬鹿野郎!!
ギャグ成分が思いの外少なかったのが自分的に残念でしたね。もっとギャグラブコメ的な展開も面白かったかも……。

>さてさて次回はようやく本編に戻ります。えーと……五巻ですね。五巻といえば例の一・大・イベント!!
三・四巻、それと番外編で飛鳥を存分に書けたから次は耀が書きたいですねえ。ま、その場の閃き展開なので結局どうなるかは未知数ですが。
あと三日お仕事頑張ればようやく念願の二連休!ひゃっほう!

毎回書いてますが……勉強しろ俺。


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五巻 降臨、蒼海の覇者
一話


 朝から思わぬ痴態をペストに目撃されることとなったレティシア。いつもながら見事な金髪とフリル付きのメイド服を着こなす見た目十二、三の少女は《ノーネーム》本拠の広間へと足を運ぶ。そこにはズラリと並ぶ少年少女達。

 巨龍の一件よりすでに半月余りが経った。残された爪痕はそれなりに深かったものの取り返しのつかない人的被害は無く、収穫祭についても延期の形となった。その収穫祭も、有志の援助と《サウザンドアイズ》、それになにより南の新たな階層支配者(フロアマスター)、《龍角を持つ鷲獅子(ドラコ・グライフ)》連盟の努力によって復興の目処は早く立っていた。

 

 思うところがないわけでもない。なにせ《アンダーウッド》を半壊させた張本人はレティシア自身なのだから。たとえそれが無自覚であったとしても。

 それでも、もう帰って来られないと思っていたこの場所に、合わせる顔が無いと思っていた人達に、こうしてまた会えることが……この場所にいられることが彼女は嬉しい。諦めていたなにもかもを完膚なきまでに救ってくれた愛すべきマスター達。

 

 沈みかけた気持ちを立て直す。なにせ今から話すのは子供達にとってはとっておきのニュースだ。

 先ほどもあがった収穫祭。それに《ノーネーム》全員(・・)が招待を受けた。この全員とは魔王撃退の立役者である十六夜達はもちろん、ここにいる年長・年少組を含んだ全員である。

 送り主は《龍角を持つ鷲獅子》とある。より正確にするなら議長であるサラ=ドルトレイク。

 三年前の事件を折に、ほとんどこの本拠より出られなかった彼等彼女等にとって、このイベントは絶叫ものだろう。

 しかし同時に、彼等の行動が《ノーネーム》の評判を落とさぬよう釘をさしておく必要もある。

 

 レティシアはまず、ここを取り仕切る長としての振る舞いを見せるように彼等の前に立つに合わせて気を引き締める。

 子供達の筆頭、狐耳を立てるリリが報告する。

 

「レティシア様おはようございます! ね、年長組、全員揃ってます」

 

 どこか一瞬言い淀んだことを訝しみながらもレティシアは応答する。

 

「そうか。皆もおはよう。朝食は食べたか?」

 

「はい美味しかったです!」

 

「今日はご飯と目玉焼きでした!」

 

「レティシアちゃん今日も可愛いね!」

 

「昼食が待ち遠しいですッ!」

 

「それはまだ――――ちょっと待ってくれ」

 

 おかしい。何かおかしいものが混ざっている。

 答えは明確に頭に浮かんでいながら、レティシアはしばし考えるように眉間を抑え、視線をそちらへ。

 

「信長兄ちゃん、でもやっぱり目玉焼きには醤油だと思う」

 

「いやいや素材の味が大事なんだよ」

 

「えー! でもなにもつけねえと味しないじゃん」

 

「俺ソース!」

 

「わたしケチャップ!」

 

 あーだこーだと、目玉焼き論争をしている真っ只中に彼はまるで違和感なくそこにいた。先日の《アンダーウッド》での魔王撃退の立役者の一人……織田 三郎 信長。

 

「信長は飛鳥達と共に収穫祭まであちらにいるのではなかったのか?」

 

 レティシアは尋ねる。《ノーネーム》全員を祭に招待した折、ここには《龍角を持つ鷲獅子》の警備の者が数人いてくれる。つまり以前問題になった滞在日数については最早全員平等となったわけだ。最初から最後まで皆で楽しめる。

 子供達にあっちこっち引っ張られながら、信長はレティシアへ顔を向ける。

 

「うん。でもほら、そうすると収穫祭までレティシアちゃんやペストちゃんに会えなくなっちゃうし」

 

「…………それだけか?」

 

「うん」

 

 満面の笑顔の信長。疲れ果てたようにレティシアはため息を吐き出した。

 魔王を撃退した彼等は南の住人にとってちょっとした有名人となっている。特に戦いに参加していた者達の中にはライバル心を迸らせる者、憧れを抱く者……等など、理由に違いはあれど誰もが興味を抱いている。故に収穫祭が本格的に始まる前から行われるギフトゲームでもかなりの数の誘いを受けていたはずだ。

 それらを袖にして本拠に戻ってきた。それも理由は自分達に会いにきたという。――――いや、違う。本当の理由は別にある。

 

 女の子に会いにきただけ。非常に遺憾だが、彼の場合それだけの理由でここにいる可能性は充分……否、十二分にある。

 しかし今回に限ってはおそらく違うのではないだろうか、とレティシアは思った。

 もしかしたら信長は気付いているのかもしれない。自分が収穫祭に参加するつもりがないことに。

 当然のことだ。たしかに誰も死ななかった。取り返しのつかない被害は無く、レティシアに意識はなく、全てを企んだのは影で動いていた者達だった。――――だとしても、そんな理由でのこのこと自身の手で破壊した祭にどの面下げて参加出来るというのか。それに《龍角を持つ鷲獅子》の中にはレティシアを恨んでいる者だっていように。

 

 まったくもって本当に……。ため息を吐きながら、その実どうしようもなく抑えられない気持ちが彼女の胸を包む。傲慢にも、愚かにも、卑劣にも、不義理にも、彼女は嬉しかった。嬉しくてたまらなかった。

 助けてくれたただそれだけで充分なのにさらに与えられる優しさ。その優しさに、彼女の心はほだされていく。

 

「レティシア様?」

 

「ん? なんだ、リリ」

 

「い、いえなんでもありません!」

 

 それでもやはり行けない。自分には行く資格が無い。

 

 ――――そう改めて心に決める彼女だったが、信長がリリに授けたとある作戦(作戦名はロリっ子上目遣い涙目作戦)によってその決意は脆くも崩れ去るのはすぐのこと。但し、その事実が彼女に知れることはない。それもまた、彼の優しさなのかもしれなかった。…………多分。

 

 

 

 

 

 

 子供達がそれぞれの割り振られた仕事に奔走する。それを微笑ましく見守る三人。レティシアにペスト、そして信長である。

 

「そういえばさっきの話」ペストがレティシアへ顔を向けて「ジン達はともかく黒ウサギまで《アンダーウッド》に滞在中だなんて初耳よ。昨日まで本拠にいたでしょ?」

 

「ああ、黒ウサギは……」

 

 レティシアは不自然に言葉を切って窓から覗く陽光に目を細める。首を傾げるペスト。

 代わりに答えたのはまだ仕事の出来ないほど幼い少女を肩車した信長だった。

 

「黒ウサちゃんなら捕まったよ。白ちゃんに」

 

「…………は?」

 

 ペストは視線を信長に向けて首を傾ぐ。彼の言う白ちゃんとは、ここ東の階層支配者である白夜叉。名実共に下層最強を冠する彼女のことを白ちゃんなどと気安く呼ぶのは箱庭広しといえど信長くらいだ。

 けれど今はそんなことより彼の発言の意味をまったくもって理解出来なかったことが問題だった。

 詳細はまた代わってレティシアが話した。

 

「昨晩白夜叉と連れの者が来て半ば無理矢理……というか主殿はそのときいたのか?」

 

「白ちゃんの店にね。なんか面白いところに行くっていうから僕も行きたいって言ったんだけど……」

 

 『今回のことに限ってはおんしを連れて行くとややこしくなりそうだから駄目だ』

 

「……だってさ。仲間外れだなんて悲しいよー」

 

「どさくさに抱きつこうとしないで」

 

 飛びついてきた信長を蹴り飛ばすペスト。飛びつく前に幼女をちゃんと地面に下ろしている辺り、この男はわかっていてそうしているのが尚苛立たしい。

 

「階層支配者って本当に暇なの?」

 

 年がら年中、娯楽に費やしていそうな駄神――――もとい、東の支配者を見ているとそう思えてならない。

 

「そんなはずはない。巨龍の一件の間、東では魔王アジ=ダカーハの分隊が暴れていたらしいしな」

 

 信長が下ろした幼女をあやしながらレティシアが苦笑しながら答える。その話にペストは目を丸くする。

 

「アジ=ダカーハって《拝火教(ゾロアスター)》の魔竜のこと?」

 

「そうだが?」

 

 アジ=ダカーハとは《拝火教》に記された五大魔王が一角。三つの頭と巨躯を誇り、千の魔術を操るという。しかし真に恐るべきはそこではなく、この魔竜は傷口より自身の分身を生み出すらしい。それも本体より直接分かれた第一世代は神霊級。加えて本体はあらゆる攻撃に対して不死性を持つという反則極まりない。

 結論として対抗策は封印しか手段がなかった。

 

「何それ本気で怖い。箱庭ってそんな大物が首輪もないまま徘徊しているの?」

 

 一度はその箱庭を上り詰めるべく旗揚げした魔王は身を震わせる。

 

「――――へえ、面白そうだね」

 

 ペストとレティシアは振り返る。

 かつて白夜叉より功績として賜った白の道衣と黒の帯と袴。背中には《天下布武》というこの世界に喧嘩を売った四文字を背負う少年は、今の二人の話に怯えるどころか笑みを深めた。

 

「是非戦ってみたいね。本当に、絶対に、死なないのか」

 

 ペストとレティシアは揃って、ゾクンと背筋に寒気が走った。アジ=ダカーハはたしかに怖ろしい。しかし、今この瞬間においては目の前の少年の方が怖ろしい。そう思った。

 

「とはいえその分裂を食い止めたとなるとさすがは最強の《階層支配者》。仏門に神格を返上するや否や一撃で第一世代を五体葬ったとか」

 

 気をそらすようにレティシアは話題を進める。

 

「仏門に神格を返上とか……そこらへんのことは僕よくわからないけど、白ちゃんが前よりずっと強く見えたね」

 

「強くなった、というより戻ったのだがね」

 

「いやーほんと白ちゃんも意地悪いよねえ。でも益々惚れ直しちゃったよー」

 

 ケラケラと笑う信長からは先程のような圧迫感はすっかり消え去っている。彼のギフト同様、彼自身の性質を未だ計りきれないペストだった。

 そのことに気付いているのかいないのか、おそらく気付いた上で触れてこない信長は愉快そうに崩していた顔をぶすっとむくれさせた。

 

「あーあー、やっぱり一緒に行きたかったなぁ。あとでどんな場所だったのか黒ウサちゃんに聞かなくちゃ。せっかく代わりに(・・・・・・・・)連れて行ってもらったんだから(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 黒ウサギが拉致されたのはお前のせいか。心の中で二人のツッコミが重なった。同時に、とばっちりを食った哀れなウサギへ合唱するのだった。




五巻スターッット!原作復活!!そして閲覧ありがとうございます!

>さてさて皆様おまたせしました。五巻突入でございます。
原作でもここはお祭り騒ぎがメインの巻ですし、信長くんも一緒に騒がしてやりたいですな。特に《ヒップカンプの騎手》はどうやって絡ませていこうか。そしてあの眼帯兄さんとの絡みは。そしてそして、水着回とは!!?(しまったネタバレ)

>ようやくの二連休も早くも一日が消費……。悲しくも今日を過ごして明日は仕事……世知辛いぜ!

>番外編は都合によって二話ではなく三話構成にしました。


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二話

「こんにちはキリノちゃん……と、黒ウサちゃん!」

 

 《境界門(アストラルゲート)》で東から再び南へ戻ってきた信長は、まず向かった受付で受付係を務めていた木霊の少女キリノと、キリノと話す見慣れた黒ウサ耳を見つけた。

 

「もう帰ってきてたんだねー」

 

「……あの、信長さん。挨拶早々に黒ウサギの耳を撫でないでください」

 

「何言ってるのさ。本当は毎日……というか常に触っていたいぐらいなのに三日も触れなかったんだから。いっそ切って持ってていい?」

 

「駄目に決まってるでしょう!」

 

 言いながらも信長はウサ耳を撫でては揉みしだいている。特別乱暴にされているわけでもないし、自慢の耳を誉められているからなのか、恥ずかしそうにするものの無下には出来ない心優しき黒ウサギ。しかし彼女は知らない。その三日が、一体誰の発言によって生まれたのかを。知っていればいつもながら素晴らしきハリセン捌きが見られたことだろう。

 信長はざっと周囲を見回して、

 

「みんなは?」

 

「どうやら皆さんバラバラに動いているようなのでございますよ」

 

 黒ウサギの言葉にコクコクと頷くキリノ。十六夜は地下書庫。飛鳥と耀は狩猟祭。ジンはペストや白雪を連れて《六本傷》と会合だそうだ。ちょうど黒ウサギもここにやってきて、どうしようか迷っていたらしい。

 

「黒ウサギはとりあえず手近なところで十六夜さんと合流します。信長さんはどうしますか?」

 

 問われて、うーむと唸る。ジンの会合にはぶっちゃけて興味が無い。話し合いの場に自分が必要だとも思えない。気持ちとしては狩猟祭に参加、もしくは飛鳥達を応援してもいいのだが、キリノの話ではそろそろゲームの方も終わってしまうらしい。

 

「なら僕も黒ウサちゃんと一緒に行こうかな」

 

 地下書庫にも興味は無いが、それならば可愛い黒ウサギと一緒にいた方が潤うと判断した信長だった。

 結論が出たところでキリノが口を開くが、どうにも困ったような顔をしていた。

 

「書庫には水路を渡し船で向かうのですが……今は収穫祭で全員不在で」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるキリノ。いっそ自分で漕ぐよ、と信長が言おうとしたところで別の人物の声が割入った。

 

「なんや、そういうことなら僕がやろうか?」

 

 受付の奥からヌッと出てきた隻眼の男。長身細身。細目をさらに細めて胡散臭い笑顔を浮かべる関西弁の男。

 その人物を見たとき、黒ウサギはどこか既視感を覚えた。しかし彼とは間違いなく初対面である。

 

蛟劉(こうりゅう)様……」キリノは男をそう呼んだ「よろしいのですか? 貴方は《龍角を持つ鷲獅子》の客分なのですから無理に仕事をしなくても」

 

「ええよええよ。困ったときはお互い様や」

 

 蛟劉はキリノの頭を撫でで受付から出てくる。

 

「どうも初めまして《箱庭の貴族》殿。僕は蛟劉といいます」

 

 相変わらず胡散臭い笑みで一礼する蛟劉だが、害意は感じられない。黒ウサギも挨拶を返すと彼は隣へ目をやって、

 

「よろしく」

 

「うん、よろしく蛟劉さん。僕は信長」

 

 ――――わかった。彼に感じていた既視感の正体を黒ウサギは理解した。

 似ているのだ。貼り付けたような笑顔。パッと見凄みのある体格ではないが、さりげない身のこなしから窺える実力者の挙動。この蛟劉という眼帯の男は、信長によく似ていた。

 

 

 

 

 

 

 《アンダーウッド》東南の高原とアラサノ樹海・境界線。夕焼けの下、先刻まで樹海を羽ばたいていた幻獣ペリュドンの群れが連なる荷馬車によって運ばれていた。

 

「狩猟祭、これで優勝出来るかな?」

 

 舗装されていない森を跳ねるように軽快に進む耀は道中尋ねる。

 

「それはわからないけれど、これだけの数なら上位を期待していいはずよ」

 

 答えたのは森には到底相応しくない赤いドレスを纏った飛鳥。彼女は荷馬車の縁に腰を下ろしている。

 飛鳥と耀、そして二人と協力している《六本傷》のコミュニティメンバー。その他にも多くの参加者が集った狩猟祭の発案者は彼女達とコミュニティを同じくする十六夜だった。巨龍の一件の後も、殺人種と呼ばれるペリュドンのような幻獣・魔獣が多く居座り続けた。その駆除を決定した折、彼のならばいっそギフトゲームとして参加者を募ればいいのでは、という案に《龍角を持つ鷲獅子》が乗ったのだ。

 こうして開催された狩猟祭。期間は前夜祭の正午から夕暮れ。勝敗は獲物の総重量。加えて、角つきには加点がある。

 ペリュドンは大きさも申し分なければ加点対象の角つき。加えてこの数ならば、たとえ同盟している《六本傷》と分けあってもかなり上位を見込める。――――その見立ては間違ってはいなかった。ただ予想外だったのは、突出した存在がゲームに参加していた。

 

「おお、すげえなアンタ! こりゃ優勝は決まりだ」

 

 聞き捨てならない発言に二人は揃って顔を見合わせ、止まった荷馬車の前方へ。そこには数多のペリュドンと魔獣の骸。そしてそこに立つ仮面の騎士。

 気配に気付いたのか背を向けていた騎士は耀達に振り返る。

 

「貴女達も参加していたのですね」

 

「それはこちらの台詞よ。貴女はこの手の野蛮なゲームには参加しないものと思っていたわ」

 

 仮面の騎士――――フェイス・レス。《クイーン・ハロウィン》の寵愛者。飛鳥達と同じ人間にして、その実力は先の巨人達との戦いで正に鬼神の如しだった。

 フェイス・レスは小さく肩を竦める。

 

「ええ。私も参加するつもりはなかったのですが……人並みの付き合いというものがありますので」

 

 彼女は現在《ウィル・オ・ウィスプ》の客分でもある。付き合いというのはそのことだろうか。

 

「あいやー凄いですね。私達の収穫量の五倍はあるんじゃないですか?」

 

「五倍?」

 

 そこへ空気を読まずキャロロが割り込んでくると、彼女は不思議そうに首を傾げて飛鳥達の後ろの戦果を見る。見るなり今度ははっきりとため息をついた。

 

「ちょっとお待ちなさい! 他人の戦果を見るなりその態度はどういう了見よ」

 

「失礼。貴女達ならもっと収穫を上げていると思ったので」

 

 つまりそれは、二人の実力が期待はずれだったと言われたようなものだった。当然ながらカチン、とくる二人だったが実際戦果は圧倒的にこちらが負けている。そんな状態で言い返しても益々呆れられるだけだ。

 フェイス・レスは仮面の顔を見回した。

 

「彼はいないのですね」

 

「彼?」

 

 耀が小首を傾げる。

 

「たしか信長といいましたか。――――いや、いるはずないですね。彼がいたならこの程度の戦果であるはずがない」

 

 カチンカチン、とさらに頭にくる耀だったが、口をついて出たのは別の質問だった。

 

「貴女は信長と仲良いの?」

 

 フェイス・レスは黙った。しばらくじっと耀の顔を見つめるなりフッ、と口元に小さな笑みを作る。

 

「さあ?」

 

 今度こそ、確実に馬鹿にされたと耀は悟った。しかしフェイス・レスは構わずギフトカードに戦果を収納すると最後にもう一度振り返って耀達の戦果を見てため息を吐いた。

 

「……飛鳥」

 

「……春日部さん」

 

 もっと狩りに行こう! 二人の言葉と狩猟祭終了を告げるドラの音が重なって茜色の空に響いた。

 

 

 

 

 

 

 精霊達の光に照らされた洞穴。書庫の扉を開いた黒ウサギは後ろを振り返る。

 

「あや? 信長さんは来ないのですか」

 

 船から降りたのは黒ウサギ一人。蛟劉と信長は渡し船から降りてこようとはしない。

 

「うん。別に本には興味ないから黒ウサちゃんが呼んできて」

 

「僕も間違って船が流されたら一大事やからね。ここで待っとるよ」

 

 言いながら蛟劉は愛用の煙管に火を点ける。

 黒ウサギは一瞬悩んだ。実力者と判明している蛟劉と信長を二人にしておくことに。信長は強そうな人物と可愛い女の子には誰彼構わずちょっかいを出したがる。好みもあるようだが、ここで突然暴れられても困る。

 

(……でもまあ、蛟劉さんがその気でなければ平気でございますよね)

 

 蛟劉という人物は短気、もしくは好戦的なタイプでは無さそうだ。そして無抵抗の相手を信長は喜々と斬り殺す人物でもない。

 さっさと十六夜を連れてくれば平気だと結論づけて、黒ウサギは書庫へ入っていく。

 

 バタン、と書庫の扉が閉まる。

 

「さて」

 

 それを確認するや否や立ち上がった信長は懐から漆黒のカードを取り出す。顔には相変わらずの笑み。そして彼の性格もまた、相変わらずだった。

 

「始めようか。蛟劉さん」

 

 蛟劉は座った体勢のまま、呑気に紫煙を吐き出して信長を見上げる。

 

「始めるって、何を?」

 

「嫌だなー。わかってるくせに」

 

 ニコニコニコニコ、笑いながら信長は《レーヴァテイン》を取り出して切っ先を蛟劉の鼻先へ突きつけた。

 

「僕と戦おうよ」

 

 本当に相変わらずだった。もしこの場に黒ウサギがいれば頭を抱えて胃が軋むほどに。

 蛟劉は眼帯に覆われていない隻眼で突きつけられた刀をチラリと見て、やがてクツクツと肩を揺らして笑った。

 

「物騒やんなぁ。信長君やっけ? 悪いけど僕は戦う気はないよ」

 

「どうして?」

 

「見ての通りや」

 

 両腕を広げる蛟劉。

 黒ウサギは覇気が無いと称した。本来なら抑えようと思っても滲み出てしまう威圧。存在感と言い換えてもいい。それが彼には無い。

 

「別に隠そう思うてるわけやないよ。ただもう僕にはその気が無いんよ」

 

「………………」

 

 信長はじっと蛟劉を見下ろす。構える素振りもない。おそらく刀を振り上げ、実際に振り下ろしてみせてもその気はないのだろう。

 

「僕はね、生きているのに死んでるみたいな人が大嫌いなんだ」

 

 洞穴に声が響く。

 

「そか。なら残念やけど、僕は君の大嫌いな人種やね」

 

 自嘲を浮かべて蛟劉は答える。

 信長が切っ先を下ろすと、ちょうど書庫の奥から爆音が響いた。




閲覧ありがとうごぜえまっす!

>まさかの一日二話投稿!ちょいと短めなのは勢いのまま書いてるので調整出来なかったのと、まあ区切りとしてはおかしくないかなと判断しまして。

>蛟劉さん登場。そして蛟劉さん……変換面倒くさいよ、この名前。


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三話

 響き渡る歓声。リリを含む多くの観客の視線を一身に受ける少女は、ただただ無言で同じ動作を繰り返している。それは信長にして凄絶な、そしてある種美しいとさえ感じる光景だった。だからこそ彼女はこの観客達の心を掴むことが出来た。

 けれど問題がないわけではない。それはとても重要……この場においては最も大切なことといっていいかもしれない。

 そう…………信長のお金がそろそろ底をつきかけていた。

 

 

 

 

 

 

 時は少しばかり遡って、信長はもぐもぐと口を動かしていた。

 

「この『しゅーくりーむ』ってやつ美味しいなぁ」

 

 かつての世界では味わえなかった食文化を存分に楽しんでいる信長。立食パーティーは基本無料の食べ放題。元々食べ物に特別な執着を持つタイプでは無かったが、こうも見慣れぬ食材で、食欲そそる香りが立ち込める料理が並べられれば胃も活発になるというものだ。そのくせ彼が手にとるのは尽く主食とは程遠いお菓子なのは如何なるや。

 兎も角、彼は思うままに収穫祭の夜を堪能していた。

 

「でもまぁ」口元のクリームをペロリと舐めとって「一人でお祭りを回るのは寂しいよねぇ」

 

 さっきまで十六夜や黒ウサギといたのだが、彼等とは早々にはぐれた。原因は好き勝手にパーティーに突撃してしまった彼自身にあるのだが。

 みたらしの串団子を二口で平らげ、そのまま所在無さ気にくわえた串を上下に揺らす。

 

「飛鳥ちゃんも耀ちゃんも見つからないし……いっそ舞台裏のサラちゃんと白ちゃんでも誘って――――あれ?」

 

 不意に見上げた空。夜間。それもそれなりに距離のあるそれを見つけられたのは信長の優れた眼があったからだろう。

 耀と飛鳥と《サウザンド・アイズ》の女性店員。空に浮かぶ美少女三人。

 見つけるなり人混みの上に飛び出した信長。屋台の屋根を蹴って、真っ直ぐ追いかけた。

 

「――――の、信長様!?」

 

 追いかけている最中、急降下した耀達。彼女達が地上へ降り立つのと信長がそこへ辿り着いたのはほぼ同時だった。そこには耀だけでなく十六夜と黒ウサギ、それとリリまでがいた。

 

「リリちゃんもいたんだー。レティシアちゃんの方は上手くいった? あ、リンゴ飴食べる?」

 

 パクリ。差し出したリンゴ飴に食いついたのは驚く狐耳の少女ではなく、何故か座った目をした耀だった。

 

「むー。むむむーむむ(行こう。早く行こう)」

 

 何を言っているのかまったくわからない。どうして足元に目を回している飛鳥や女性店員が転がっているのかとか特に。

 けれど問答は無用のようで、彼女は信長とリリの手を掴むなり再び空へ舞い上がる。抵抗する理由もさして無い信長は流されるまま空へ。下方でこちらを呆然と見上げる黒ウサギ、呆れる十六夜へ手を振っておいた。

 

 

 

 

 

 

 そうして辿り着いたのは先程までいた最下層広場より一つ上の広場。以前レティシアが話していた南の名物料理がここで食べられるらしい。なんでも斬る・焼く・食べる、という単純な手法の肉料理。信長の世界よりずっと原始的だ。

 そして出てきた料理はその通り、まさに『肉』を一言で表現した豪快極まりない料理だった。それを、今一人の少女が一心不乱に食べ尽くしていく。比喩ではない。正しく食べ尽くそうとしている(・・・・・・・・・・・)

 並べられる巨大な肉の塊を前に、彼女の存在は完全に浮いていた。テーブルについていたのは耀を除けば皆屈強な男達だったから。しかし今や彼等は無様に転がっている。最初こそ耀に対抗心を燃やして皆必死に肉に齧りついていたのだが、三皿目に突入した辺りで一様に脱落していった。四皿目に突入した者はいない。

 今食べ続けるのは耀だけ。そんな彼女は遂に――――六皿目に突入した。

 

「ば、馬鹿な!? あの小さな口がこの速度で食べ続けられるわけが……!」

 

「いやそれ以前に、もう明らかにあの女の体積より食べた肉の量の方が多いだろうが!!」

 

「そんなこたぁどうでもいい! テメエら! 絶対に負けるわけにはいかねえぞ!!」

 

 勝手に対抗心を燃やすのは料理人達。しかしそれもいつまでのことやら。そしてここにも悲鳴をあげる者が一人。

 

「の、信長様……?」

 

 そろりと覗くリリの視線の先、地面に膝をつく着物の少年の姿が。

 今夜の立食パーティは基本無料の食べ放題。しかしこの名物料理に限ってはお祭りの色が強く、通常通り料金を取っている。ただし今回の売上は《アンダーウッド》の復興資金に当てられるそうなので面白半分、加えて良心から料理を注文する者が多い。

 その話を信長達が知ったのはここについてからだった。料理の値段は決して高くはないが、安くもなかった。

 耀は困った。精霊の追跡によって無料の方の料理はまだろくに食べていない。その空腹を癒すには今の手持ちでは些か以上に心許ない。彼女はクルッと振り返って、

 

『信長』

 

『なーにー?』

 

『約束したよね。お願いきいてくれるって』

 

 にっこー、と笑う耀。

 北でのペストとのギフトゲームの後、たしかに信長は彼女と約束をした。耀に病のことを黙ってゲームに参加したこと。その償いとしてお願いをきく、と。

 しかしまあ、そんな約束など必要なかったと思う。笑った耀が可愛い。可愛い女の子からのお願い。それだけで彼の答えは誰もが予想通りだった。

 

『いいよ! いくらでも奢っちゃう!』

 

 かくして、耀は思う存分肉を喰らい、潤沢に丸々と肥えていた信長の巾着はただの布切れになるまでやせ細った。

 まさか彼女の食欲がここまでとは……。いや、たとえ知っていても信長は断らなかっただろうが。

 

「僕は……」

 

 膝をついた状態でブルブルと震えていた信長は勢い良く立ち上がって、

 

「僕は耀ちゃんが幸せそうだからそれでいい!!」

 

「おおよく言ったにいちゃん!」

 

「いけいけお嬢ちゃん! 料理人共をぶっ倒せー!」

 

 同情の目を向けていた観衆も一転、耀へ声援を送り出す。

 そうか、これが愛なのか……と間違った納得をするリリ。ツッコミが一人いれば教えてくれただろう。あれは『馬鹿』というのだと。

 

 

 

 

 

 

 一種の催しのような賑わいを見せる広場を信長は気分良く見回す。元々彼はこういった馬鹿騒ぎは昔から好きだった。何より耀とリリが楽しそうにしている。世界に退屈を覚えてからは心から楽しめる行事がめっきりなくなってしまって、もっぱら一人寂しく過ごしていたものだ。

 空になった巾着袋をそっと懐に戻したとき、ふとその会話は聞こえてきた。

 

「フン、なんだこの馬鹿騒ぎは。《ノーネーム》の屑が意地汚く食事をしているだけではないか」

 

 そちらを見れば声の主は身なりの立派な大男だった。有翼人というのだったか、皆一様に背中から翼を生やしている。中でも今の声の主、彼等の中で一際威圧感を持つ男の背中からは逞しい鷲の翼が生えていた。

 彼等は観衆に混じって楽しそうに笑う耀を冷めた目で見下し、時折蔑みの言葉を吐き出していく。

 

「所詮屑は屑」鷲の翼の男吐き捨てるように「如何なる功績を積み上げようが《名無し》の旗に降り注ぐ栄光などありはしないのだから」

 

「そんなことありません!」

 

 思わず喧騒が鳴り止むほど大きな声があがる。それは翼の男達に向けられたものであり、男達の視線が集まる。涙が零れそうな目で男達を見つめる狐耳の少女。リリだった。

 

「なんだこの狐耳の娘は」

 

「私は《ノーネーム》の同士です! 貴方の仲間達への侮辱、たしかにこの耳で聞きました! 直ちに謝罪と訂正を求めます!」

 

 珍しく……いや、彼女がここまで怒りを顕にするのを信長は初めて見た。身内からすれば普段からは想像も出来ない彼女を前に、男達は鼻で笑った。一歩前に出たのは取り巻きの一人。

 

「君が誰かなのはよくわかった。――――しかし君もこの御方が誰かわかっているのか? 《二翼》が長、幻獣ヒッポグリフのグリフィス様ですよ?」

 

 《二翼》――――《龍角を持つ鷲獅子》連盟における運搬を担当するコミュニティ。運搬といっても運ぶのは物だけではなく戦車(チャリオット)として戦場を駆ける。先の戦いでも多くの幻獣達が前線に出ていた。

 鷲の翼の男はその長であった。

 男達の正体に一瞬怯んだリリだったが、またしても珍しく彼女は退かなかった。今この場において、相手の立場など彼女にとって問題ではないのだ。故に彼女は重ねて謝罪を要求する。その態度に、僅かばかり苛立ちを募らせた男が叫ぶ。

 

「ハッ、分をわきまえろ。グリフィス様は時期《龍角を持つ鷲獅子》の長になられる御方。《ノーネーム》如きに下げる頭などないわ」

 

「それってどういう意味かな?」

 

 ここでようやく割って入った信長。目の前の観衆が割れて、リリと《二翼》までの道が開ける。

 

「私も聞きたい」

 

 加えて耀も。いつの間にか食事の手を止めて騒ぎの中心にまで来ていた。

 

「劣等種族がぞろぞろと」鬱陶しそうに吐き捨てるグリフィス「あの女から聞いていないのか。あの女は龍角を折ったことで霊格が縮小し、力を上手く扱えなくなった。元々龍の力を見込まれて図々しくも議長の座についていたのだ。それを失えば退くのが道理だろうが」

 

 信じられないといった表情の耀。観衆も、思わぬ真実に動揺が広がっていた。

 そんな中でグリフィス達だけがいやらしく口元を歪めて笑う。

 

「なんなら本人にでも聞けばいい。龍種の誇りを無くし、栄光の未来を自ら手折った愚かな女にな!」

 

「――――訂正して」

 

 それは冷えきった耀の声だった。普段から特別抑揚のある喋り方ではないが、今は普段のそれとは種類が違った。明らかに彼女は怒っている。

 

「サラは愚かな女じゃない。彼女が龍角を折ったのは《アンダーウッド》を守るため……私の友達を守るためだ」

 

 あのとき、サラは命を賭して約束を守ると叫んだ飛鳥を守るため、己の誇りを躊躇わず折ってみせた。その場には信長もいた。

 それを、愚かだと罵るグリフィスに彼女は生まれてより覚えがないほど激しい怒りに包まれていた。

 真っ直ぐグリフィスに近付いてくる耀。それを取り巻きの男が遮ろうとして――――吹き飛んだ(・・・・・)

 

「――――え? あ、がッッ!?」

 

 有翼人とあろうものが、否、空を駆ける幻獣であろう者が無様にも空でもがきながら貯水池へ落下した。

 それを為したのは間違いなく耀。先程までなかった、彼女の足には《光翼馬(ペガサス)》を模したレッグアーマーが装着されており、ペガサスの光とグリフォンの旋風で男を蹴り飛ばしたのだ。――――ただその行為をほとんどの者が目で追えなかった。それほどに速かった。

 

「貴様――――ッ!」

 

 眼の色を変えて耀に掴みかかろうとする別の男。しかし男の伸ばした手は耀に触れることなく、それどころか不意に力無く倒れてしまう。倒れた男の背中には白い蒸気をあげる刀傷。

 鈴の音のような鯉口を叩く音。観衆の、耀の、グリフィスの視線が一挙に集まる。

 

「あのさぁ、無視されると僕も悲しいんだけど」

 

 無言で離れる観衆の真ん中で信長は微笑む。

 耀に睨まれながらもまるで動じないグリフィスは忌々しげに信長を睨んで、

 

「それほどに貴様等はあの女が気になるのか。だがそれも似合いだ。弱者は弱者同士で傷の舐め合いでもしているが――――」

 

「どうでもいいよ、そんなこと」

 

「……なに?」

 

 グリフィスは怪訝に眉を潜める。

 

「余計なことばっかりペラペラペラペラ。僕が最初に訊いたのは君達の内輪揉めのことなんかじゃないよ。そんなことより……《ノーネーム》如きに下げる頭は無いだって? ――――舐めるなよ」

 

 一瞬、信長の顔から笑みが消えた。途端に心臓が止まるような鋭い殺気が突き刺さる。それは直接殺気を向けられていない周囲の者達まで息を飲み、膝を震わせるほどの。グリフィスにして、距離にしてみれば信長より近くにいる耀を思わず頭から消して身構えてしまったほどに。彼女だって怖れるほどではないにしろ、脅威程度には感じていたのにもかかわらず。

 笑みが消えたのは本当に一瞬だった。すぐにまた信長の顔には貼りつけたような微笑みが戻る。冷えきった殺気は変わらないが。

 

「君達は今、一体誰に敵意を向けているかわかってる? リリちゃんを泣かせて、耀ちゃんから笑顔を奪って、せっかく僕も楽しんでいたのに台無しだ。それに比べれば君の《龍角を持つ鷲獅子》の長の座の話なんて心底どうでもいい」

 

「貴様!」

 

「まあそれでも」グリフィスの言葉を遮って「僕はサラちゃんのことも大好きなんだ。彼女はあのとき命を懸けて戦った。捨てたんじゃなくて、生きるために戦った。それを笑う君の声は……耳障りだ」

 

 雷が広場を踊った。

 突如としてその姿を変貌させるグリフィス。鷲の上半身と馬の下半身を持つ幻獣、ヒッポグリフ。稲妻と暴風がグリフィスを中心に荒れ狂う。

 逃げ惑う観衆達。耀と信長、そして少し離れた所にいるリリだけが広場に残る。

 

『思い知るがいい! このグリフィス=グライフこそが第三幻想種、《鷲獅子》と《龍馬》の力を持つ最高血統の混血であると!』

 

「言いたいことはなんとなくわかるけど、何を言ってるかわからないよ」

 

 生憎信長には耀のように動物と会話する術はない。

 雷と暴風を纏うグリフィス。光と風を纏う耀。そして信長は炎を纏った。

 

「来なよ。どうせなら命を懸けて」クスリと信長は嘲笑を浮かべる「――――もっとも、サラちゃんと違って君如き(・・・・)の命を懸けたところで何のことはないだろうけどね」

 

『後悔するなあああああああああああ!!』

 

 三人が間合いを詰める。そこに、

 

「はい、そこまで」

 

 三人の内、誰のものでもない無遠慮な声が割り込んだ。




閲覧ありがとうございますー。

>てなわけで時間差あとがきー。これぞ本当のあとがきですね!(うん。黙ろう)

>とはいうものの書く内容が意外と無かったり……。今回ほぼ原作の場面ですしねぇ。
本当はこのお祭りで耀とデートさせても面白いなぁ、とか妄想していたのですよ。以前の約束で奢らせるのを理由に誘ってみたものの、耀ちゃん実は顔赤いとか可愛い!


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四話

 衝撃による烈風が周囲の物を薙ぎ払う。反射的に腕で顔を庇っていたリリは烈風が収まるとそっと覗き見る。するとちょうどそのとき、互いの拳が交差した耀とグリフィスがすれ違うように倒れ伏した。――――二人共に(・・・・)

 

「よ、耀様!」

 

 相討ち――――否、激突は三人であった。必然そこに残るのはあの着物の少年だけであるはずなのだが、もう一人そこには立っているものがいた。

 

「危ないなぁ。急に飛び出してくるからびっくりしちゃったよ、蛟劉さん」

 

 弾んだ声をあげて信長が笑う。グリフィスとの問答で冷め切っていた彼の表情は、どういうわけか今はいつぞやのペストとの戦いのときのように狂気の熱がこもっている。

 長刀を振るう信長の右腕は振り切る前に停止している。原因はその腕を掴む手。

 手を辿った先で、左目を眼帯で覆う男もまた信長と同じような笑みを浮かべていた。引き裂くように笑う口を開ける。

 

「よう言うわ。割り込んできたのが僕だってわかった途端、斬りつける速度上げたくせに。おまけに軌道まで変えてばっちり首狙ってるし」

 

 信長はニコニコ笑うばかり。しかし否定はしない。

 

「おかげで余裕がなくなって手加減し損ねて二人共気絶させてしもうた」

 

 リリには何が起こったのかさっぱりだったが、今の会話を聞くかぎり二人を気絶させたのは蛟劉らしい。耀の強さはもちろん彼女も知るところだが、グリフィスの強さも漠然とだがわかる。二人の実力差までは自分程度にわかるはずはないのだが、その二人を不意打ちとはいえノックアウトし、加えて信長の攻撃を受け止めた蛟劉がさらに桁違いの強さを持っているのだということもわかった。――――が、何より先に彼女の中に生まれたのは『耀が気絶しているだけ』ということへの安堵だった。

 

 信長と蛟劉。二人の硬直は唐突に解かれた。

 腕を抑えた蛟劉があっさりと手を放したことで、信長も刀を下ろしたのだった。

 明らかに不満そうな表情を浮かべる信長。

 

「もう終わり?」

 

「終わりも何も、僕はこの喧嘩を止めにきただけや。それ以上の理由が無いんやから、その先(・・・)も無い」

 

 信長には取り合わず、蛟劉は次に遠巻きに見ている観衆へ叫ぶ。

 

「ほら、はよ怪我人を医務室連れてったり」

 

 『勿論部屋は別々にな』と付け加える。その言葉に我を取り戻した皆々は動き出す。耀によって貯水池に落ちた者を引き上げ、信長によって斬り捨てられた者をテントの布とテーブルで作った即席の担架に乗せる。こうして見てみると傷を負ったのはグリフィス達側だけだった。

 リリも倒れた耀へ駆け寄る。胸元が規則的に上下しているのを見て改めて安堵の息を漏らした。

 

「耀ちゃんは僕達が連れて行くよ。まあ、平気だとは思うけどね」

 

 言いながら信長が耀を抱き抱える。

 手加減をし損ねた、と蛟劉は言ったが、それでも充分に手加減はしていてくれている。でなければもう少し傷らしいものがあってもおかしくはない。ただしその場合、理由はどうであれ仲間に手をあげられた信長がこのまま大人しく立ち去ることなどなかったわけだが。

 

「――――ああ、でもやっぱりなぁ」

 

「どうしたんですか信長様?」

 

 不意に立ち止まる信長。リリが不思議そうに首を傾げた。

 気付けたのは、ピクリと反応を示した蛟劉だけだった。

 首だけを回して振り返る。その視線の先、二人の手下に担がれる気絶したグリフィスを瞳に捉えて、途端、炎が広場を巻いた。

 

「そいつを生かしておくのは嫌だなぁ」

 

「ひっ!」

 

 悲鳴をあげたのは手下の一人。もう一人も声をあげなかっただけでほとんど反応は同じだ。危うくグリフィスを落としかけて必死に支え直す。

 しかし今や彼等は《レーヴァテイン》の炎に取り囲まれている。入り乱れる観衆を縫うように避けて、正確に彼等だけを補足している。――――いや、実際信長が見ているのはグリフィスだけである。故にグリフィスを見捨ててしまえば彼等の命ぐらいは助かるかもしれない。そう、かもしれない(・・・・・・)

 《ノーネーム》の実力がデマや誇張でないことは最早明白だ。耀の強さにしてグリフィスと同等、もしくはそれ以上。しかしその彼女を前にしたときでさえ、ここまで絶望を感じることはなかった。

 だから、グリフィスの手下達はこの場にこの男がいたことを深く感謝することになる。

 

「やめとこうや、もう」

 

 言葉と共にグリフィス達を囲っていた炎は一部から順に霧散していく。その始点に立つのは蛟劉。この場において唯一、力でもって場を収めることが出来る者。

 

「これ以上はやり過ぎや。やれば完全な敵対行為。《二翼》……いや、《龍角を持つ鷲獅子》を敵に回すことになるで?」

 

 今現在で深い傷を負ったのはグリフィスの手下だけ。この騒動のそもそもの原因がグリフィス達にあることを考慮すれば、この程度ならまだ穏便に済ませることも出来る。しかしここで《二翼》頭首のグリフィスまでを殺してしまえば、さすがに残った《二翼》のコミュニティメンバーは黙っていられないだろう。そうなれば、まだ連盟の繋がりを持つサラ達《一本角》を含めた《龍角を持つ鷲獅子》もまさか放っておけるはずもない。

 これはまだ信長達の知るところではないが、いずれ彼等は連盟ではなく一つのコミュニティとして統合される。そうなる以上、身内がやられて黙っていれば後々の亀裂のきっかけとなる。

 

「君等がサラ=ドルトレイクの名誉を守ろうとしたことは聞いた。でも《龍角を持つ鷲獅子》を敵に回すっちゅうことは彼女も敵になるんやで」

 

「それがなに?」

 

 さらっと、本当になんてこともないように信長は言ってのけた。さすがの蛟劉も隻眼を丸くして言葉を失う。

 

「僕が怒っている理由は彼等が僕達を嘲笑ったことで、サラちゃんのことについてはついでみたいなものだよ」

 

 それでも怒っていることには変わらないけどね、と笑って付け加える信長。

 

「少なくとも僕はサラちゃんと戦うのに拒む理由は無いよー。むしろ嬉しいかな。初めて会ったときから一度は戦ってみたいと思ってたから」

 

「……なら君は、その結果彼女を殺してもええんか?」

 

「うん。なにかおかしいかな?」

 

 周囲は唖然とした。おかしいか、と彼は尋ねた。おかしい。異常だ。

 親しくしていた者を貶されて、それに怒りを覚えるまではまだいい。しかしその結果としてその親しい者まで殺すことになるのを良しとするなど、それを嬉しいとのたまうことを、異常と言わずなんというのか。

 

「とりあえずその鳥馬はあまりにも目障りで耳障りに過ぎる」

 

 ようやく信長という少年の異常性を理解した者達は結果としてより一層彼の殺気に寒気を感じていた。

 ――――唯一人、蛟劉だけはなんとなく信長の言葉を理解出来た。彼にとって親しいことは殺さない理由にならない。たとえ心から愛した者でさえ、彼の理に従えば殺すことに躊躇いは無いのだろう。

 そしてこの場合、グリフィスへの不快感からの殺意と、サラへの高揚感からの殺意はイコールとならない。

 だとすればこの方面から問うても信長の殺意は削がれないと思った蛟劉はチラリと視線を横に動かす。

 

「でもそんなことになれば、隣の狐耳のお嬢ちゃんが悲しむんと違う?」

 

 蛟劉から送られたサインに気付いたリリはハッとして信長に詰め寄る。

 

「は、はい! 信長様が今ここで戦い始めたら嫌です! せっかく仲良くなったキリノちゃん達とこんな形で争うなんて嫌です!」

 

「ならやーめた」

 

 総出でずっこけた。

 

「ほんとうですか!?」

 

「うん。僕がリリちゃんが悲しむようなことするわけないじゃない」

 

 その言葉に嘘はないようで、信長の周囲を旋回していた炎は消え去り、冷たく重苦しい殺意も霧散していた。

 呆気無い終劇。

 

「ほんまに面白い……ちゅーよりけったいな子やなぁ」

 

 呆れたように笑う蛟劉だった。それなのに、言葉とは裏腹にその隻眼にはどこか苛立ちめいた感情が見えた。

 

 

 

 

 

 

 蛟魔王・蛟劉。かつて数多の神仏を相手取ってみせた七人の義兄弟によって構成された魔王軍、七大妖王が第三席。本来なら海で千年、山で千年修行を積むことにより得られる《仙龍》の霊格を半分の過程で済ませるため、生物は決して耐えられないとされる海底火山で千年の修行をやり遂げた男。

 七大妖王といえば、箱庭における魔王の代名詞の一つともされ、又魔王の烙印を押されながら未だ存命する古強者。その一角ともなれば並の者では相手にならない。現に彼の実力はここより遥か上、四桁の上層である。

 けれどそれも昔の話。ある出来事を境に、彼はかつて溢れんばかりに燃え盛っていた闘志も野心も無くした。誰が呼んだのだったか、《枯れ木の流木》。

 

「まったく、言い得て妙やね」

 

 過去の傷に苛まれて抜け殻となってしまったこの体。行く宛もなくゆらゆらと各地を流れる自分は正しく枯れ果てた流れ木だ。

 しかし今日ばかりは少し気分が良かった。というのも、十六夜達にせがまれて語って聞かせた武勇伝。昔の話をすれば仲間を失った心の傷が痛むだろうと最初こそ乗り気でなかったが、話し始めれば存外に彼自身も楽しんでいた。

 やはり、たとえどんなことがあろうともあの日々は、あの熱く楽しかった日々は色褪せることはなかった。

 出来うるなら、またあの日に戻りたいと願う自分がいる。

 

「まったく我ながら女々しい」

 

「誰がだ?」

 

 一人静かに月を見上げて酒を煽っていた背中にかけられた鈴の音のような声。声だけでそれが誰なのかわかったが、蛟劉はあえて振り向き、自分の想像した通りの人物だったことに驚いた。

 

「なんや、随分懐かしい御方の登場やね」

 

「うむ。おんしと会うのは久しいな、蛟劉」

 

 リン、と今度は本当に鈴の音が鳴った。月夜に輝く銀髪を止める鈴付きの(かんざし)。紫色の着物を着こなす絶世の美女。立ち姿は本当に美しいのだが、女性が浮かべる憎たらしい微笑がその全てを台無しにしていた。

 白夜叉は夜風を蹴散らすように無遠慮に近付いてくると断りもなく蛟劉の隣にあぐらをかいて座った。虚空から酒瓶を取り出すと自らで酌をして、一気に煽った。

 

「他の妖王達とは違い、おんしだけはどうしても消息が掴めんかった」

 

「あれ? 僕のこと探してたん? 全然気づかんかったわ」

 

「嘘をつけ」

 

 白々しい物言いに白夜叉は横目で睨みつける。間者を放つ度に計ったように姿をくらましていたのがまさか全部偶然のはずもない。だからこそ今回は絶対に逃さないために、失せ物の探索にはうってつけである《ラプラスの小悪魔》を連れてきたのだ。そうでなければこの場所の特定すら難しかっただろう。

 

「ほな、これで長兄からの遣いも終わりやね」

 

「遣い? 牛魔王から?」

 

 七大妖王が長、《平天大聖》――――牛魔王。蛟劉等の兄にして、《斉天大聖》、美猴王・孫悟空と肩を並べた魔王。

 白夜叉にして悪童と言わしめる彼から、蛟劉は何事かを任されたという。

 蛟劉は懐を手で弄り、一通の封書を取り出す。

 

「これは?」

 

「例の《階層支配者》襲撃件について。北を襲った魔王とその主犯格らしい連中、だそうや」

 

 白夜叉の顔が強張る。その情報は正に今彼女が求めているものだった。

 災厄たる魔王が秩序の象徴である《階層支配者》を襲う。それ自体はさして珍しい話ではない。しかし近頃起きているのはそれよりずっと厄介なことだ。複数箇所の《階層支配者》達を互いに連携が取れないよう同時に、そして最も相性の悪い魔王を計画的にぶつけてくる。偶然とはいえない。なにせ彼女自身も二度襲われ、内一度目、ペストとのゲームではあわや陥落の寸前まで追い詰められた。

 襲ってくる魔王達が実行犯だとするならその背後には必ず糸を引くものがいるはずだ。

 受け取った封書を眺めて考えこむ白夜叉。

 

「んー! ようやく肩の荷がおりた」

 

 肩を回して揉みほぐす仕草をする蛟劉。

 

「百年ぶりに会ったと思ったら手紙の遣いや。まったく人付き合いの荒いで」

 

「仕方あるまい。この封書の中が真実であるなら連中に襲撃される危険もあった。だからこそ、信頼出来るおんしに任せたのだろうよ」

 

 苦笑してそう言う白夜叉。

 それに対する蛟劉も苦笑いを返した。いや、それは自嘲であったのかもしれない。

 しばらくそうして沈黙の中酒が飲み交わされる。ふと、三日月を見上げた白夜叉が尋ねる。

 

「今はどこぞでコミュニティの長をしておるのか?」

 

「はっ、まさか」心底おかしそうに「柄じゃないの知ってるやろ?」

 

「それこそ謙遜だ」対して白夜叉は真剣な顔つきで「星の深淵、海底火山で千年もの修行を経て得た『龍』の霊格。おんしを訪ねる者も多かろう」

 

「それが面倒なんや。このチンケな《覆海大聖》の旗下は一人しか入れんよ」

 

 そう言った蛟劉は笑っていた。しかしその瞳には、言葉には、たしかな拒絶が感じられた。

 かつて己の力不足故に仲間を失った彼は、もう二度あのときのような気持ちを味わいたくなかった。だからもう仲間は、大切なものはいらない。どうせ自分では守り切れないのだから。

 なんという腑抜けだと蛟劉は心の中で自らを嘲笑う。それでも、もう繰り返しは御免だ。

 

「そうだね。僕としても貴方がいればそれで充分かな」

 

 蛟劉と白夜叉、二人が揃って振り返る。闇夜に包まれた木々から月明かりの下に姿を現したのは信長だった。

 

「なんだ。ついてきたのか、信長」

 

 白夜叉が声をかけると信長は軽く挙げた右手を振って挨拶を返す。

 

「こんばんは白ちゃん。――――それに蛟劉さん」

 

 白夜叉は特に気にしたふうもなく、杯を口に傾ける。

 蛟劉の方は、少なくとも歓迎していなかった。というのも、実は蛟劉は彼のことがどうも苦手だった。明確な理由は存在しない。信長と会話を交わしたのは二度。そのどちらも彼は自分に対して好戦的な態度を現した。けれどそれは苦手になる原因ではない。むしろ血気盛んな若者は好きな方だ。

 ならば何故か。彼を見ると、何故か無性に苛立つのだ。どうしようもなく心がざわつく。

 

「……おんしらなんかあったのか?」

 

 妙な空気を感じ取った白夜叉が呑気な調子で尋ねる。

 

「なんにもないよ。ねえ、蛟劉さん?」

 

「ああ、なんもないな」

 

 朗らかに笑う信長。突如、その周囲を炎が取り巻く。夜闇を切り裂いて顕現した炎。

 シャン、と静かな音を奏でたのは、信長が腰の鞘から《レーヴァテイン》を抜いた音だった。

 

「じゃあ蛟劉さん、いい加減相手してよ」

 

 三度目。やはり彼は蛟劉に対して刀の切っ先を向けた。

 相変わらずだ、と呆れたように首を振る白夜叉。

 蛟劉も困ったように笑い首を振った。

 

「だから言うたやろ。僕は誰とも戦う気がない。――――というより、戦う気が起きひんのや」

 

 最早己の中に、かつての闘争心は無い。そんなものは根こそぎへし折れてしまった。

 だというのに、

 

「ふふ、面白い冗談を言うね」

 

「冗談?」

 

「戦う気が起きないだなんて、冗談じゃないならなんなのさ?」

 

 クスクスと、本当におかしそうに笑う信長。

 ざわり……また、蛟劉の中で何かが唸った(・・・)。それが何かはわからないが無理矢理押しとどめる。

 

「何を言いたいのかわからんな。それに君は僕のこと嫌いなんやろ? なんでそない絡んでくるんや」

 

「蛟劉が嫌い? なんで?」

 

「なんでって」困惑した様子で蛟劉は「言うとったやん。死んだように生きてる奴が嫌いって」

 

「言ったよ。大嫌いだねそんな人。――――でも貴方は違うでしょ?」

 

 コロコロと喉を転がすように笑う信長は言った。

 

「だって僕達は似てるもん」

 

 今度こそ間違いなく蛟劉は困惑した。信長の言葉が理解出来なかった。

 

「十六夜達に聞いたよ。蛟劉さんは昔仲間を失ったって。悲しかっただろうね。怒りが込みあげてきただろうね。でもさ、僕も貴方もそんな程度のことで(・・・・・・・・・)戦えなくなるような情に厚い人じゃないでしょ?」

 

 蛟劉の顔から笑みが消えた。同時に噴き上がる怒りという名の闘気が木々を騒がす。

 それに気付いていながら信長は続ける。

 

「怒った? でも本当のことだよ。感情が無いわけじゃない。仲間が傷付けられれば怒るし、悲しければ泣ける……」

 

 『多分ね』と茶化すように笑う。

 

「でもその次の瞬間には、仲間を倒すほどの強敵を前にして喜び笑える薄情な人間だよ、僕等は」

 

「……クックック、こいつはあかんわ」

 

 再び蛟劉の顔に笑みが戻る。ただし冷たい、異物を目にした殺意の込もった冷笑。

 彼はそのまま傍らの白夜叉に向き、

 

「こいつ、今殺さな絶対後悔するで?」

 

 確信があった。目の前の少年はやがて災厄をもたらす。まさしく魔王としてこの箱庭を血に染めるだろうと。

 しかし、秩序の守護者たる白夜叉は蛟劉の言葉に酷薄な微笑を浮かべて答えた。

 

「なら、おんしがやってみるか?」

 

 蛟劉は気付く。彼女も信長の孕む狂気は承知しているのだと。その上で彼女は彼を見逃している。そこにどんな思惑があるのかまでは自分にもわからない。

 そして、もう一つ気付いたことがある。非常に、彼にとって非常に認めたくないことだった。

 自分が信長のことを苦手な理由。彼を前にするとどうしようもなくざわめく心。苛立つ気持ちの正体。

 似ているのだ。信長は自分に。

 あの頃の、『彼女』と共に戦場を駆け回った恐れ知らずの自分と。

 だから、こんなにも苛つく。

 

「今わかった。僕は君が嫌いや」

 

「そう? 僕は貴方のこと好きだけど」

 

 噛み合わない――――否、噛み合ってしまうから嫌いなのだ。

 

「けどあれだよ。僕と戦うときは余裕見せて、そんなヘマはしないでよね」

 

 ため息混じりにそう言った信長はちょいちょいと脇腹を示した。

 

「なんや、気付かれとったのか」

 

 二人だけが通じ合う中、白夜叉だけは首を傾げて信長が示した蛟劉の脇腹を見る。青黒く腫れた傷を発見して彼女は目を丸くした。

 

「おんし傷を負わされていたのか?」

 

 白夜叉に見つかったことにバツが悪そうに蛟劉は苦笑する。

 

「あはは……まったく大した女の子やったで。気ぃ失ってるのに腕の隙間を縫うように一撃入れよった」

 

 実際は本気で殺しにきた信長の一撃を止めるのに気を取られたことも理由の一つだったが。

 白夜叉はしばらく考えこんでいたと思うと突然声をあげた。

 

「オイ、まさかおんし黒ウサギに手を上げたのではあるまいな!?」

 

「「へ?」」

 

 蛟劉達が揃って疑問符をあげた。

 

「ちょ、ち、違う違う! 僕が喧嘩を止めたのはグリフィスの小僧とショートカットの女の子! 名前はたしか……」

 

「耀ちゃんだよ」

 

「……あの春日部 耀がおんしに手傷を?」

 

 困り顔の蛟劉を助けるように答えを教える信長。

 その話を聞いて本気で驚いた様子の白夜叉。この収穫祭の参加者で蛟劉に手傷を負わせられるような手練は極々僅か。それが女となれば該当するのは黒ウサギかフェイス・レスぐらいのものだろうと彼女は考えていた。

 耀はたしかに強い。これからもっと強くなるだろう。それでも、少なくとも白夜叉が知っている彼女では間違っても蛟劉に一撃入れられるほどの力はなかった。

 

「稀にああいう天才児がおるから下層は面白い」

 

 クツクツと笑う蛟劉の姿は僅かにだが、かつて魔王と恐れられた男の笑みに戻っていた。

 

「お、ちょっとやる気出てきた?」

 

「うっさい」

 

 幼子のように声を弾ませる信長を邪険に一蹴。

 それを眺めていた白夜叉はニヤリと笑う。

 

「蛟魔王、それと信長。一つ提案がある」

 

 二人の視線が白夜叉へ。彼女の視線はまず蛟劉へ向く。

 

「おんしが望むなら《斉天大聖》に会わせてやってもよい」

 

「なんやて?」

 

 蛟劉の眼の色が変わる。惨めに漂うだけしかしてこなかった彼の唯一の願い。今のこの腑抜けた自分を変えてもらいたくて今一度彼女に会いたかった。

 

「ただし条件が二つ。一つはサラ=ドルトレイクが《階層支配者》になれるよう手を貸すこと。二つ目は《ヒッポカンプの騎手》に出て優勝すること」

 

 白夜叉はどうしてもサラに南の《階層支配者》になってもらいたかった。それは個人的な感情以上に、これから先起こり得る戦いに備えて。

 グリフィスも決して弱くはないが、それでもサラには劣る。力はあっても『器』ではない。

 次に、白夜叉は信長へ視線を向ける。

 

「おんしもこやつと戦いたいならギフトゲームに出るがいい。ま、ルール上殺しは御法度だがな」

 

「うーん」

 

 唸り声をあげて考えこむ信長。彼としては蛟劉とは殺し合い(戦い)に来たのだ。それをお預けにされた上に用意された戦場は殺しは御法度のギフトゲーム。正直あまり乗り気にはなれなかった。

 

「それにおんしには一つ頼まれ事を受けてもらいたかったのだ」

 

 しかし続けざまの白夜叉の言葉を聞くなり彼はあっさりその頼み事を承諾するのだった。

 こうして、収穫祭初日、三日月の夜は更けていく。




※今回は今後の報告込みなのであとがきを読んでおいてください!

>閲覧ありがとうございましたー。今回は忙しくてちょこちょこ進めていて、結果いやに長くなっていたなぁと書き終わってから気付きました。

>報告!
以前から言っていた資格の勉強を本格的にそろそろ始めようと思います。ので、今度こそ本当に!本当の本当に更新が遅く……というかほとんど止まります。
ちなみに期間とすれば八月後半に試験なので、約二ヶ月。その間に更新があったとしても多分一度くらい!
楽しみにしてくれている皆様には本当に申し訳ないです。
まま、現実逃避でこちらはちょくちょく覗いたりしますがね。

ではまた二ヶ月後!


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おまけ

 ジリリと鳴り響く目覚まし時計を布団にもぐったまま伸ばした手で止める。しばらくもぞもぞと無駄な足掻きをしていたが、やがて観念して僅かばかり重さの残る瞼を持ち上げゆっくり体を起こす。

 ベットから退けて窓をあける。太陽の日差しに目をしばたかせ、雀のさえずりが耳を打ち、ようやく体と意識が覚醒してきた。

 コンコンと部屋の扉が叩かれる。

 

「どうぞー」

 

 声を返すが中々扉の向こう側の人物は入ってこない。

 

「どうぞー」

 

 もう一度声をかける。するとゆっくりノブが回り、ギギと軋みをあげながら扉が開かれる。その向こうからは――――なんともやる気のない虚ろ気な瞳の少女が立っていた。

 白い長袖のブラウスの襟元には赤い棒ネクタイ。紺色のブレザーは少しサイズが大きいのか、袖が手のひらにかかってしまっている。そして、紫がかった髪を縛るリボンとチェックのスカートの下に履いたニーソックスの斑模様が彼女のトレードマーク。

 そんな彼女へ、朝から愉快な声をあげるのは――――高校生、織田 三郎 信長だった。

 

「やあおはよう愛しい愛しい我が妹ペストちゃん! 朝から健気に大好きなお兄ちゃんを起こしにきてくれるなんて僕は世界一幸せものだなぱうっ!?」

 

 ペストの渾身の拳が深々とパジャマ姿の信長を穿った。

 

「あ、ぐ……っふふふ、は……恥ずかしがっちゃってー。可愛いんだーもう」

 

「寝言を言うならそのまま死んで一生寝てなさい」

 

 冷たい視線と言葉を残して、彼女は役割を終えたとばかりに部屋から立ち去る。

 

 

 

 

 

 

 制服へと着替えた信長は自室のある二階からリビングあるの一階へ降りてきた。

 

「おはよー」

 

 先ほどのダメージもなんのその、飄々と敷居を跨いでやってきた彼を横目で見るなりソファーの上で体育座りの格好をしている妹はあからさまに舌打ちをした。

 そんな態度を歯牙にもかけず信長はその足で香ばしい香りと小気味いい音をたてるキッチンへ。

 キッチンを覗いていの一番に目に飛び込んできたのは美しい金髪。今は料理中とあって後ろで束ねているその髪の持ち主は、見た目十に前後といった少女だった。彼女はキッチンを覗く信長の気配に気付いたのか踏み台の上に乗ったまま後ろを振り返り、柔らかな微笑みで迎えてくれた。

 

「おはよう信長」

 

「おはよー、レティシアお母さん」

 

「もう少しで朝食が出来る。待っていてくれ」

 

「はーい。毎朝こんなに可愛いお母さんの手料理を食べられるだなんて、僕は本当に幸せだなぁ」

 

「まったく、朝から親をからかうものじゃない」

 

 あはは、ふふふ、と和やかな朝の談笑が交わされる。

 

「向こうのテーブルにお皿を並べておいてくれ――――ああ、そうだ。ペスト」

 

「………………」

 

「ペストー」

 

「…………」たっぷりの間を取ってから「なにかしら、オカアサン?」

 

「今日はえらく不機嫌だな。なにかあったのか?」

 

「……べつに」

 

 はっ、とやさぐれたように渇いた笑みを浮かべるペスト。

 

「まあいい。もう少しで朝食が出来る。その前にあの子のおしめを替えてやってくれ。さっきぐずっていたからな」

 

「! ええ喜んで」

 

 ここにきて初めて楽しそうにニタリと笑った彼女は足取り軽く隣の母の寝室へ。母の丈には絶対合わない大きなベットの横、木製のベビーベットが激しく揺れていた。それを見たペストは笑みを深めて今度はゆっくりとした歩調でベビーベットに近付く。彼女が近付く度、ベットは激しく揺れる。

 

「さあおしめを替えてあげるわね。貴方は私の可愛い弟だもの。当然よね? ――――ねえ、ジン?」

 

「ば、バブウウウウウウウウ!!!!」

 

 一人の少年の、一人の男の尊厳は、こうして彼女の憂さ晴らしによって粉々にされるのであった。

 

 続く!? 少なくとも次話には続きません。




と、いうわけで現実から逃げると書いて現実逃避な今日この頃。内容もおかしい。

>どうもこんばんわー。そしてお久しぶりです。勉強からちょっと逃げておまけを書いた私はもうだめだ。やる気があるない以前に駄目だ。ダメダメだ。あっははっは!!!

>これは以前言っていた超妄想の学生編。でも前回の本編逸れてグダってしまった失敗を活かしてこれの続きは未定です。
今度からおまけは突発的に。そして四コマを見習って短く!てな感じで唐突に割り込んでくるスタイルにしました。

>さてさて、こうして更新してしまったものの、これで次の更新は今度こそ試験が終わってからなのです。(フラグじゃないよ!)
試験が結局八月末なので、次更新は九月ですかねぇ。それまで問題児最新刊も読むのは我慢!買うけども!!

>追伸
コスモ#こすもさん、以前にリクエストいただいてた交渉場面ですが、途中まではいけましたがやっぱり形になりませんでした。申し訳ないっす。


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五話

更 新 復 活★

今章唯一(の予定)の真面目回


 アンダーウッド・川辺の放牧場。

 穏やかな陽気のもと、眩むような日差しが水面を照り返す。気候と同じように緩やかな流れをした大きな溜池のようにさえ見えるアンダーウッドの川。

 そこに一つの影が浮かび上がり、徐々に大きくなったそこから顔を出したのは、水浴び中の信長だった。

 

「ぷはっ!」

 

 いつもは適当に流している長い髪を大雑把に括った尻尾のような黒髪が、ブルブルと顔を振る動きに合わせて正しく尻尾のように振られる。

 信長がこんな所で呑気に水遊びをしているのには理由がある。

 まず一つは彼が泳ぎたかったから。この理由が理由の大半であるものの、他にも理由はある。彼はとある幻獣を訪ねてここに来たのだ。――――正しくは、信長は彼女達の付き添いであるのだが。

 不意に横を大きな何かが通る。信長は見上げた。水中とはいえ、見上げるほどにそれは大きかった。

 それは馬だった。しかしそれは彼の知る馬の姿とは少々変わっていた。たてがみには魚のようなヒレ。潜ってみれば蹄には薄透明の水かきが見えたことだろう。何より、それは陸をひた走る馬ではなく水辺を棲家とする海馬であった。

 水の上を走る馬。それこそが幻獣、ヒッポカンプなる存在だった。彼等がここに訪れる理由が、この幻獣に会うためだった。

 てっきりそのまま素通りするのかと思えたヒッポカンプは信長の側で静かに止まった。水中で見上げると陸で見たのよりずっと大きく感じる。そんな海馬の背中からひょこりと顔を出す少女がいた。

 

「耀ちゃん!」

 

 海馬の背に乗っていたのは耀だった。彼女の風貌もまた信長同様変わっていた。彼女のは黄色い水着を着用しており、髪も後ろに纏めつつピンで止めている。といっても、変わっているのは髪型だけで、どこかの神様の撥水性の恩恵にかまけていつもの着物姿のまま泳いでいる信長と彼女の変化を同一するのは失礼だったかもしれない。

 

「水浴び気持ちいい?」

 

「うん! やっぱり暑い日は水浴びにかぎるよね。ここは水も凄く綺麗だし」

 

 絶賛しながら器用に耀が乗るヒッポカンプの回りを泳ぐ信長。元々泳ぐのが得意であり大好きな彼の上機嫌な様子に、ヒッポカンプの上の耀は自分も泳ごうかとうずうずしていた。しかし今乗ったばかりのヒッポカンプの背から降りるのも、と迷っていた彼女は信長に呼ばれて下を見下ろす。

 

「耀ちゃん、その水着凄い似合ってるよ」

 

「……ありがと」

 

 真っ直ぐな賛美に思わず赤くした顔を信長の視線からヒッポカンプの背に隠した。

 

 さて、信長達がここに来た理由だが、明日はいよいよこの収穫祭でも目玉である《ヒッポカンプの騎手》のギフトゲームが開催される。ゲームへの参加資格はおおまかに二つ。水上を走る幻獣とそれを操る騎手の存在だ。けれどそう都合よく全てのコミュニティが水棲の幻獣を有するわけではない。かくいう《ノーネーム》も他に漏れず。

 そこで運営側はこの《アンダーウッド》の生息する幻獣、ゲームの名ともなっているヒッポカンプを無償で貸し出している。但し、運営に騎馬を借り入れる場合、参加資格に一文が追加される。『本部に海馬を借り入れる場合、コミュニティの女性は水着必着』……と。当然こんなふざけきった――――本人は至って大真面目――――ルールを加えたのはとある白髪の駄神様である。

 今日ここにやってきたのはゲームで乗るヒッポカンプと参加する女性陣の水着を選ぶため。

 

「!」

 

 ぼんやりとたゆたっていた信長の真横に波が立つ。

 

「ぷはぁ」

 

 そちらに目を向けてすぐ水面から顔を出したのは耀。どうやら結局我慢出来ずに飛び込んだらしい。

 顔の水を拭った耀と目があった。

 

「やっぱり気持ちいい」

 

「でしょ? それにしても耀ちゃんは泳ぐのも上手なんだねえ」

 

「うん。イルカやペンギンとも友達だから」

 

 イルカやペンギン。どちらも信長は知らない動物だが、聞く所によるととても頭の良い鯨の仲間、空を飛べない泳ぐ鳥らしい。未来、もしくは別の世界というのは本当に不思議な生き物が多いのだな、と信長は楽しくなる。

 

「それじゃ黒ウサちゃんのところまで競争しようか?」

 

「いいよ」

 

 信長の挑戦に微笑みと共に受けて立った耀。その手が伸びてある方を指さした。

 

「負けた方があそこのアイス驕り」

 

 川辺にある『氷』の一文字を掲げた出店。

 

「乗った」

 

「ヒポポタママさんもね」

 

「ヒポポタママさん?」

 

 首を傾げる信長の横でヒッポカンプが嘶きをあげた。

 

「この子の名前」

 

「へー」改めて傍らの海馬を見上げて「よろしくね。ヒポタマさん」

 

 にへらと笑う信長。きっと、この場に飛鳥がいればツッコミの一つぐらい入れてくれたかもしれない。

 

「よーし……じゃあよーい、どん!」

 

 今ここで、明日のレースに向けた前哨戦が始まった。信長の号令と共に耀とヒポポタママは水上を走った(・・・・・・)

 

「えええええ! 二人して水の上走るのはさすがにずるくない!?」

 

 信長の悲鳴のような抗議も虚しく、無情にも二人は揃って黒ウサギの元まで辿り着くのだった。しかし彼女達は決してずるをしたわけではない。箱庭風に言わせてもらうなら、水の上を走れない信長が悪いのだから。なお、二人がゴールした際、勢い余って立った波が浅橋でうなだれていた黒ウサギにぶちまけられてずぶ濡れになっていたりもした。

 

 

 

 

 

 

 ヒポポタママの背の上で信長に驕ってもらったアイス棒を嬉しそうに頬張る耀。ヒポポタママも水草を美味しそうに食んでいる。

 そんな二人を、浅橋に腰掛けながらかき氷を突きつつ眺める信長。得意の泳ぎで惨敗したことは悔しいが、彼女達の嬉しそうな顔を見れたからまあ良しとしながら、掬った氷を食べる。美味しい。けど頭が痛い。

 ふと、背中に視線を感じた。振り返って目が合うと、その人物は大きく肩を跳ねさせてしゃっくりのような悲鳴をあげて麦わら帽で顔を隠した。顔を隠してもそれが誰なのかは丸わかりだ。

 

「飛鳥ちゃん?」

 

「………………」

 

 彼女は答えない。うなだれたまま、体を腕で隠すように抱えて縮こまっている。

 彼女の格好も耀と同じくいつもとは違っていた。下半身を大きめの布で隠したそれは耀の水着とはまた違った色気を感じる。もちろん色は彼女のお気に入りの赤。今は水着と同じように赤くなった顔を麦わら帽で隠している。

 何も言わずに向き合うこと十秒足らず。耐えられなかったのはやはり飛鳥だった。

 

「黙ってないでなんか言いなさいよ!」

 

 ヤケクソのように帽子を取ってがなる飛鳥。生粋の昭和女子である彼女には、これほど肌が露出した格好で出歩くのは裸に等しい。無論本当に裸になったら自殺しかねない勢いだが。

 時代が時代であった信長も飛鳥の思考はわからなくもない。わからなくはないが、

 

「なんで隠すのさー? 凄い似合ってるのに」

 

「うんうん。似合ってるのに」

 

 いつも通り、素のままの感想を述べる信長。平常時の飛鳥なら呆れた顔でも浮かべる場面だが、今はそんな余裕もなく喉を詰まらせたように硬直する。一度は吹っ切って黒ウサギが進めるまま水着を着たものの、やはり異性である信長に見られるのは別だった。

 そんなこんなで思考が止まりかけていた飛鳥は、彼女の心情を察した上で楽しそうにしている耀を見つけて僅かに余裕を取り戻す。

 羞恥心を怒りで塗り潰し硬直を解くと、今まさに耀が口の中に迎え入れようとしていたアイスを横から奪い取って一口で平らげた。

 

「ああ……」

 

 悲しそうな声をあげる耀。

 

「酷い、飛鳥」

 

 シャクシャクと咀嚼する飛鳥はフン、と顔をそらす。アイスの冷たさが熱かった顔の温度をいくらか下げた。

 

「それより春日部さん」麦わら帽をかぶり直して「信長君に言うことがあったのでしょう?」

 

「あ」

 

 そうだった、という顔の耀。

 

「信長、私達とチーム組まない?」

 

「チーム?」

 

 ピンときていない感じの信長に飛鳥が尋ねる。

 

「もしかして貴方も明日のルール変更を知らないの?」

 

「うん」

 

 仕方ない、というように説明してくれた彼女が言うに、明日のギフトゲーム《ヒッポカンプの騎手》のルール変更は女性陣の水着着用に加えてもう一つ。参加者は騎馬である幻獣を除いて三人のサポートをつけることが出来ることになったのだ。

 そのルール変更を聞いて、信長は心の中でなるほどと納得した。それは昨夜の白夜叉の言葉を知っている彼だからであり、知らない者達にとってはただ単にゲームがチーム戦となり戦略の幅が広がった、程度にしか感じていないだろう。

 

「騎手は私が。サポートに春日部さんと、まあ十六夜君も誘えば乗るでしょう。それでサポート枠がもう一つ空いてるのだけれど」

 

「お願い、出来ない?」

 

 その言葉に、信長は思わず笑みが零れた。耀は以前、仲間を頼ることが出来ず独断専行で大きな傷を負った。火竜生誕祭では頼ることと甘えを履き違えて叱咤された。飛鳥も、前までならこうも素直に頼ることは出来なかっただろう。それも仕方がない。彼女達は元いた世界で限りなく上位の存在だったのだ。決して少なくない驕りがあった。

 それが今やこうして真っ先に仲間を信じて頼り、信長にまで助力を願うようになった。

 それを弱さと断じる者もいるだろう。一人で戦えない、弱者の馴れ合いだと。

 そうなのかもしれない。しかしこれだけは言える。彼女達は間違いなく変わった。そして変われたということは今より、そして昔より強くなれる可能性を秘めている。変化の無い者にそれ以上の強さは得られるはずはないのだから。

 故に信長は嬉しい。彼女達が今より強くなることが。その可能性を秘めることが。

 いつか彼女達は信長の期待通りに、期待以上に強くなるのかと思うと、嬉しくて堪らない。

 

「気味が悪いわね。何を笑っているのよ」

 

「気持ち悪いよ、信長」

 

「えっへへー」

 

「「???」」

 

 急に上機嫌な信長にわけがわからず顔を見合わせて首をひねる二人。

 

「それで?」

 

「ああ……うん」今度は急に歯切れが悪くなった「ごめんねえ。喜んで! ……って言いたいとろこなんだけど、実は僕やらなくちゃいけないことがあってさ」

 

「そう……」

 

「………………」

 

 彼の性格を鑑みるならてっきり二つ返事かと思っていた二人は僅かに驚いた顔をした後、目に見えて気落ちしていた。それはそれだけ彼女達が信長と共に戦いたいと願っていたからでもある。

 その反応に狼狽する信長は、俯く彼女達の口端がつり上がるのに気付かなかった。

 ドン、と気付いたときは浅橋から水の上へと突き飛ばされていた。

 高々と水柱を立ち昇らせて、やがて水面から出てきた彼の顔は珍しくキョトンとしたものだった。

 

「まったく、こんな可愛い女の子達からの誘いを断るだなんて」

 

「信長のばーか」

 

 彼女達は笑っていた。何故なら彼女達は信長を心の底から信頼しているから。この程度で揺らぐほど弱々しい繋がりなどではない。そう信じているから。

 それは彼女達が信長と同じ位置に立っているからこその笑顔だった。それは彼が、元いた世界で求めて止まず、終ぞ手に入れられなかった対等な存在。

 そんな彼女達の信頼を、まさか信長があんな形で裏切ることになることを彼女達はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、アンダーウッド・貴賓室ではちょっとした宴が開かれていた。

 この部屋は巨龍との戦いで傷を負った英雄、グリーの療養としてサラが用意したもの。

 そこにまず現れたのは十六夜。なにせグリーの傷はグリーが十六夜を庇って負ったものだ。誰よりも彼はその傷を気にかけ、そして称える者であった。その次に現れたのは《六本傷》の元・頭首のガロロ。それとキャロロだった。

 ガロロ達が持ち込んだ酒もいい具合に回り、いつになく気分の良さそうな十六夜はふとガロロに尋ねる。

 

「ところでどうだ? 元・《階層支配者》の参謀だったあんたから見て、女子組は芽がありそうか?」

 

 元・《階層支配者》参謀。何を隠そうガロロはかつての《階層支配者》、ドラコ=グライフの盟友であった。数多のギフトゲームを制し、ドラコと共にこの箱庭で名を馳せた強者の一人。

 それを知った耀は巨龍の一件の後、彼に師事を請う。新たな力を使いこなすため、そして今よりもずっと強くなるため。そしてそれは、大切な友達を守るために。飛鳥も思いを同じくしてガロロに頭を下げたのだ。

 尋ねられたガロロは杯のラム酒を煽り、楽しげに笑った。

 

「ああ、勿論だ。才能だけならありすぎるほどだ」

 

「そりゃいい」

 

「いいことばかりじゃねえさ。――――といっても耀お嬢ちゃんの方はあまり心配いらない。独断専行のきらいはあるが、あの子はほとんど完成されてる。特に手を加えなくても勝手に強くならぁな」

 

「ってぇーと、問題はお嬢様か?」

 

「問題、と言っちまうと可哀想だがな。あの子はあまりにもギフトが特殊過ぎる」

 

 十六夜が空いた杯に酒を注ぎながら続きを促す。

 

「ギフトそのものは凄まじい。だがそれに見合うギフトが無え」

 

 十六夜はまだ飛鳥の新たなギフトの効果をこの眼で見たことはなかったが、なんでも護身用程度に持たされたギフトで神霊級のギフトを打ち消したというのだ。しかし後すぐにそのギフトも壊れた。耐えられなかったのだ。与えられた力に。

 

「安物っつってもタダじゃねえ。それにそんなところでケチっていざってとき役立たずじゃそれこそ意味がねえ」

 

「そりゃそうだ。それにしてもお嬢様も随分変な才能を持ったもんだな」

 

 ヤハハ、と十六夜は笑う。金にしろ労力にしろ、惜しんだ結果死ぬことにでもなれば悔やんでも悔やみきれない。

 とはいうものの、飛鳥がガロロに師事を受けたこの半月で彼女が壊したギフトの数はなんと二十四。神格級のものではないとはいえ決して安物ではないにも拘わらずだ。幸いにも巨龍の一件の礼として、ガロロが壊したギフトについて金銭の請求をしなかったのは本当に助かった。そうでなければ彼女がギフトを使う度、《ノーネーム》での毎日のおかずが一品ずつ減る羽目になる。結末は金欠地獄だ。

 現段階で彼女の全力のギフトに応えられるのはディーンだけ。つまりディーンクラスのギフトが無ければ彼女のギフトはまさに宝の持ち腐れとなってしまいかねない。

 

『変の度合いで言ったらお前もだろう、十六夜。最強種を一撃で屠るなど』

 

 珍しくツッコんだのはグリーだった。もとより只者ではないと思っていたが、今回の一件を間近で見て改めて目の前の少年のデタラメさを知った。それなのにグリーが彼に対して恐怖を感じないのは、彼の強大な力以前に、彼という人間そのものが好ましいと思えるからだろう。彼の不器用な優しさを知っているから。

 和やかな歓談が過ぎる中、グリーの発言を聞いたガロロの表情がどこか強張った。

 

「ああ……そしてあの和服のボウズもな(・・・・・・・・・・)

 

「信長か?」

 

 ガロロの声に先ほどまでとは打って変わった緊張のような硬さを感じ取った十六夜はガロロに向き直る。

 

「でもよ、あいつの場合そこまでぶっとんだもんでもないだろうよ」

 

 信長のギフトの真の力は未だわからないが、今の段階で答えを出すならギフトのコピー。耀のように友達となった動物、といった制約こそ無いものの、コピーの精度はまちまち。それに全てのギフトをコピー可能、というわけでもないようだ。

 汎用性は高いが安定しない。特殊性においても十六夜はもとより、飛鳥や耀と比べても見劣りする。

 十六夜の考えを肯定するようにグリーも頷く。ガロロだけが未だその表情を硬くしたままだった。

 

「ギフトに関してはその通りだ。俺が言ってるのはボウズのルーツさ」

 

「興味深いな。聞かせろよ」

 

 身を乗り出して期待に口元を笑みで形作る十六夜。

 ガロロは数瞬何かを迷ったように間を置いてから、やがて話しだした。

 

「それを話す前に飛鳥お嬢ちゃんのルーツだが……これについちゃなんとなく予想はついてる」

 

 ガロロは本題の前にそう切り出した。

 たしかに、飛鳥のルーツについても気になるところはある。あれだけのギフトを持って生まれた彼女のルーツ。それについて十六夜も是非とも聞きたい内容であった。

 ガロロは言った。彼女は先祖返りの一種であろうと。但しこの場合の先祖返りとは十六夜も知るそれではなく、彼女の出生に神霊、もしくはそれ以外の何者かの奇跡が関わっていたのだろうというもの。それも一度ではなく何度も。

 例えば、子が出来ない人間の夫婦に地母神のような存在が子を授けたりすれば、その子供は夫婦以外に神霊という系統を宿す。するとその子供はちょっとした高位生命になる。

 飛鳥は、おそらくそんな奇跡を十世代近く繰り返した末、生まれた存在だろう。それならば彼女のギフトも頷ける。間違いなく彼女の能力は与える側、神霊達のような力を宿している。

 

「しかしそれが全てってわけでもない」

 

「どういうことだ?」

 

「神霊は血筋じゃなれないのさ。いくら神霊の恩恵を受け続けて生まれた限りなく神霊に近い生命であろうと、そも神仏の類でもなけりゃそれは神霊にはなれない。人が神霊に至るには《一定以上の信仰》が必要になる」

 

 信仰。それは別に感謝し崇め奉るようなものでなくても構わない。たとえ恐怖とう形でも構わないのだ。

 かつて八千万の死という規格外の功績を積み上げたのがペストだった。しかしそれだけの功績を持ってしても彼女は神霊に至ることはなかった。それは黒死病という存在が、やがて人々にとって恐怖する対象で無くなってしまったから。

 偉大な神にしたって、忘れられてしまえば信仰は消え失せてしまう。

 ガロロの話を聞いて、十六夜は益々飛鳥の存在に引っかかりを覚える。彼女は間違いなく人間だ。それもまだ自分と同じ程の年齢のうら若き少女。

 そんな子供が果たしてどんな行いをすれば神霊に至れるほどの信仰を得られるというのか。

 

「ボウズは立体交差並行世界論――――通称、歴史の転換期(パラダイムシフト)を知ってるか?」

 

「前者は。後者は初耳だ」

 

「歴史の転換期は人類だけでなく、一生命体の単位で観測される節目の時期をさす。大規模な戦争や、生態系が変わっちまうほどの天変地異とかな。これは大まかだが起こる時代が決まっている。だからこの時期は歴史の収束を促すため、あらゆる恩恵が生まれる。だからコミュニティのルーツを辿ると伝承、伝説、史実上の人物に行き渡るわけだ」

 

 歴史の収束……いくつもの世界の歴史を一つの結果へと導くためのピースとしてギフトが生まれる。

 

「それがお嬢様になんの関係があるんだ?」

 

「お嬢ちゃんの時代は敗戦直後だったんだろう?」

 

 『ああ、なるほど』。口にはせず、十六夜はガロロの言わんとすることを理解した。

 飛鳥の時代は敗戦直後だった。どんな戦争だったのかはわからないが、それはきっと国中の人間が不安に陥る出来事だっただろうことは間違いない。

 そんな中で生まれた偶像。自分達を救い、導き、よりよい世界を創造する救世主の存在。いや、それは偶像というより人々の願望であったのかもしれない。そしてそんなものもまた、人々の信仰に他ならない。

 飛鳥はそんな偶像を具現化する存在、もしくはその候補者であったのだろう。家柄は五指に入る大財閥。血筋は神霊。器もブランドも十二分。彼女自身が功績を積み上げなくとも、たとえ人々が彼女を知らなくとも、皆が願い求めた存在として、彼女は人々の信仰を得ていたのだ。

 

 しかしそうなると新たに別の疑問が湧く。歴史の収束――――そのために飛鳥が生まれたのならば、他の世界でも同様の事象を確認出来ていなければならない。けれど少なくとも十六夜は《久遠》という名の財閥に心当たりはない。

 その違和感の正体はわからない。だがそれ以上に、今はここからわかる異常性に戦慄する。

 

「歴史の転換期……歴史の収束……。その理論でいくなら信長の在り方は異常だ」

 

『どういうことだ?』

 

「私にもなにがなにやら……」

 

 ガロロの感じた違和感に追いついているのは十六夜だけ。グリーとキャロロは疑問符ばかりが浮かぶ。

 

「いいか? 今の話を基にして考えれば、信長は俺達の中で最も真っ当な召喚をされた。お嬢様の時代、春日部の時代、そして俺の時代でも《織田 信長》という人間は実在し、そしてほぼ同じ生涯を遂げていた」

 

 それは彼と初めて出会った、十六夜達が箱庭に召喚されたその日に確認出来ていたことだ。両親、兄弟、彼に仕えた臣下、彼を裏切り殺した部下も、その後栄える者の名も一致しなかったが、彼の名と一生の記録だけは三人共に同じだった。

 つい先程ガロロが話した歴史の転換期。間違いなく彼はそこに関わる人物であり、立体世界においてペルセウスや蛟魔王といった彼等と同じ存在なのだろう。そして彼は正真正銘その人物として箱庭にやってきた。彼等が知る、歴史の表舞台に出るより前の少年としての彼が。それは、いい。それだけなら何もおかしくはなかった。

 

「だがその理屈でいくなら、あいつはあのまま元の世界にいたなら、戦乱の時代を瞬く間に蹂躙し、最期は天下統一を目前に裏切られ死ななくちゃならない。いいか? あいつは夢半ばで死ぬんだ」

 

『そういう、ことか……』

 

「え? え!?」

 

 そこまで話してグリーもようやく辿り着いた。まだわからないキャロロに向けて、否、十六夜自身己の中で再確認するために口に出してその違和感の結論を話す。

 

「なら――――一体どんな奴があいつを殺せるんだ?(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「あ……」

 

 これが矛盾の正体だった。

 歴史の収束の力は強大だ。かつて黒死病に侵され死んでいった怨念達。如何なる世界であろうとも決して変わることのなかった死を強要された者達。そんな『カノジョタチ』は、箱庭に召喚されてさえ未だその結果を覆せていない。それほどに歴史の収束は、運命は強固なのだ。

 しかしそれならば彼はどうだ。擬似的にとはいえ空を飛び、十六夜という規格外の人間と張り合い、遂に箱庭でも最強種と呼ばれる巨龍を素手でかち上げた彼を、一体どんな手段でただの人間が殺せるというのか。

 斬殺。暗殺。謀殺。奇襲。裏切り。数による圧殺。

 少なくとも、十六夜にはそのどれもが現実味を感じない。たとえ彼以外の全ての人間が結託したとしても、彼を殺せるとは思えないのだから。

 そもそも彼の最期は『部下に裏切られ殺される』だ。しかし肝心の部下は十六夜や他二人の歴史を照らし合わせても皆バラバラの名前だった。それはつまりその存在が歴史の転換期に関わるほどの特殊性を持たないことを意味している。

 信長は飛鳥とは逆だった。その存在が未だ明確ではない飛鳥と真逆。その正体がはっきりしているからこそ、その運命に逆らった存在の異常性が際立つ。あるいは、

 

「お前みたいな存在が同じ世界にいたなら話は別だがな」

 

 ガロロは半笑いで十六夜を見た。

 十六夜は肩を竦める。

 

「いないだろうな。多分」

 

 だろうな、とガロロも言う。

 わかっていたことだ。十六夜ほどの存在もまた、そうほいほい存在するはずもない。

 そうなればこの違和感の解答は二つ。歴史の転換期の絶対性の疑問。そして、

 

「なあボウズ」最後だというようにガロロは問いかけた「あれは本当に《織田 信長》という名の人間なのか?」

 

 彼そのものに対する疑念だ。




お久しぶりでございまする。閲覧ありがとうございます!

>終わったああああああああ!!(色々な意味で)

改めまして、お久しぶりです。えーおまけを除けば約二ヶ月ぶりの更新と相成りました。お待ちしてくださった方々はほんっっっっっとうにありがとうございます。

>書いてるときはそれほどでもなかったですが、禁止するとひたすらに書きたいという衝動が襲ってきました。おかげで今回の更新分は、試験終わって同僚と酒飲んでカラオケ行って寝不足のまま家帰ってから一時間しないで殴るように書いた!結果長くなりましたw
まま、試験終わってもやらなくちゃならないことは色々ありますが、とりまえず停止期間は抜けますので以前ぐらいのペースで書いていくと思われます。

>ちょっと雑談。
執筆禁止中、妄想する時間が増えまして(勉強しろ)書きたい作品が一気に増えましたねー。
禁書は以前から言ってるとして、他には鋼殻のレギオスとか、進撃の巨人とか、なのはの映画二期(?)とか、SAOとか、アクセル・ワールドとか、あと前に書いたISの続きを友達に書いてくれとも言われました。なんでも今度アニメの二期がやるそうな?
衝動のまま書いてもいいけど確実に何作品かは放置になってしまうから迷い中。でも近いうちどれかは書こうかな、と。
まま、そんな感じの復帰&その後予定ですね。
とりあえず、貯まってる小説読もう!デュラララとかSAOとか問題児とか!!!!


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六話

「なるほど。サラも面白い面倒事を任せてくれたもんだ」

 

 《ヒッポカンプの騎手》参加者待機場にて、ジンの口から伝えられたこのゲームの『賭け』の内容に十六夜は楽しげに笑う。

 その内容とは、このゲームに次期《龍角を持つ鷲獅子》の頭首……否、連盟ではなく本当の意味で一つとなった新たな《龍角を持つ鷲獅子》というコミュニティの長の座を賭けるというものだった。もう少し簡単詳しくいえば、グリフィス達《二翼》が勝てばグリフィスが、《ノーネーム》が勝てばサラが、優勝者の指名という形でその座を得ることとなる。

 先日の巨龍の一件で力を失っているサラからすれば、謂わば《ノーネーム》は彼女の代役となる。

 この賭けの裏ではサラやグリフィス、それにこの場にはいない《六本傷》頭首と御意見番の蛟劉による駆け引きがあったのだが、そんなこと関係の無い十六夜は賭けの内容だけを理解して思考を終わらせた。

 

「それにしても」周囲を見渡して「海馬をレンタルした女性陣は本当に全員水着なんだな。白夜叉の発案にしちゃ珍しくまともじゃねえか」

 

 しみじみ語って視線を我らが《ノーネーム》の女性陣へ向ける。ビキニタイプでパレオを腰に付けた飛鳥と、縞柄のセパレートタイプの水着を着た耀。飛鳥は十六夜の視線に恥ずかしそうに顔を赤らめ、耀の方はそれほど気にした様子はなく堂々としている。

 さて、となれば彼女はどこかなと視線を再び巡らせようとして、

 

「お、お待たせしました……」

 

 情けない声と共に更衣室のテントの中からウサ耳が生えた。しかしウサ耳は一向に出てくる気配はなく、遂に痺れを切らしたのはすでに恥を晒している飛鳥と面白半分の耀だった。二人はウサ耳を掴むと容赦なく引っ張り出す。

 

「フギャ!?」

 

 一瞬、十六夜は本心から言葉を失い魅入った。

 黒ウサギの水着はそれほど特別なタイプでもないフリル付きのビキニだった。けれど着る人物が人物なら、そんな普通のものほど着る者の魅力が露骨なほどに際立つ。白い肌、豊満な胸、そそるような美脚。常日頃から凄いとは思っていたが、こうして見ると本当に凄い。いや本当に。

 

「ヤバイわ十六夜君」

 

「ああヤバイな。相当にヤバイ。これは凶器だ」

 

「エロエロだね。エロエロ」

 

「他に言うことはないのですかぁ……」

 

 ちょっと泣きそうな黒ウサギ。彼女は自身の美貌に未だそれほど自覚が無い。故にこんな見苦しい……とまで思わずとも、ここまで方向性が『アレ』に偏った感想だけでは不安過ぎた。

 それに気付いた十六夜はすぐ付け加える。

 

「いや、自信持っていいぞ。《アンダーウッド》全域を見渡しても黒ウサギが一番可愛い。俺が保証する」

 

「そ、そう……ですか……?」

 

 今度は別の意味から顔を真っ赤にする黒ウサギ。十六夜も十六夜で、今度は感想がド直球過ぎる。

 それを知った上でやっている彼は顎に手をあてて言う。

 

「俺としてはこのまま視姦してても満足なんだが……なんか物足りねえな」

 

 ふむ、と唸って思いつく。

 

「そういえば信長の奴はどこだ? あいつにとって今この場は卒倒どころか昇天ものの大イベントだろ?」

 

「信長君ならいないわよ。なんでも用事があるんですって。ゲームのサポートについても昨日断られたわ」

 

 肩を竦めて応える飛鳥。

 道理で、と十六夜は思う。今朝から飛鳥と耀のテンションがイマイチ乗りきらないのはそれが原因か。この場にいない者達も含めて、彼女達は無自覚かもしれないが信長を精神的な拠り所にしている節がある。そこに恋愛感情は今のところ見えないが、いないと不安になるぐらいには頼っている。かくいう十六夜自身も、そしてきっと黒ウサギも、彼がいないだけでこのやり取りにすらどこか物足りなさを感じている。

 これも良い方向の成長、なのだろうか。ニヤリと十六夜は笑う。

 

「そういうことなら信長が悔しがるくらい楽しむとするか」

 

 十六夜の掛け声にノリ良く応じる面々。ちなみに、信長で埋まらなかった最後のサポート枠は蛇神の白雪――――もちろん水着姿――――になった。

 

 

 

 

 

 

「なるほど」

 

「そういう」

 

「ことか」

 

 飛鳥、耀、そして十六夜が三者三様の表情を浮かべる。

 場所は《ヒッポカンプの騎手》のスタート位置。大樹のアーチの下には飛鳥を始め参加騎手達が海馬の背に跨って整列している。十六夜達サポート組は大河の両脇に。舞台袖には黒ウサギや白夜叉が。そしてここから少し離れた観客席へ映像を届けているラプラスの小悪魔達。それらの視線はスタートのアーチの上へ注がれていた。

 人だ。観衆の視線を受けて堂々と腕を組んでそこに立つ少年。馬の尻尾のような黒髪を後ろに垂らし、鍛えぬかれた肉体を晒し、そして――――赤いふんどしを靡かせてそこにいた。

 

「やっほー!」

 

 男らしい格好とは対照的ないつも通りな柔和な笑顔で観衆へ、正確には友人達へ信長は大手を振る。

 

「な、――――なんちゅー格好をしてやがりますかああああ!!」

 

 実況……というか絶叫じみた声をあげた黒ウサギは手にしたマイクをあらん限りの力を込めて大樹の上の信長へ投げつけた。それは見事彼の側頭部を捉え、落下。落ちていく。

 

「本当に、馬鹿……」

 

 はあ、と重い溜息を吐き出すのは飛鳥。当の本人は平静で、何故こっちが恥を晒している気分になるのか。

 あわや大河に落下する直前、飛び出した海馬が信長を受け止める。海馬の背でマイクの当たった部分を擦りながら顔を振る。

 

「痛いよ黒ウサちゃん……。うわぁ! うわぁ!! その水着すっごい似合ってるねー」

 

「これはどういうことですか白夜叉様!!」

 

 文句も続かず黒ウサギの水着姿にテンションを上げる信長。

 そんな彼を無視して黒ウサギは舞台袖で腕を組んで居座る白夜叉へ説明を求める。というのも、選手登録上、今回信長は《ノーネーム》ではなく《サウザンド・アイズ》のメンバーとしてこのゲームに参加しているのだ。となれば白夜叉が関わっていないわけがない。

 

「ふむ」朗々とした調子で白夜叉は唸り「信長には今回私の依頼としてこのゲームに参加してもらったのだ。なに、一時借りるだけだからそう睨むでない。それにジンにはちゃんと話は通してあるぞ?」

 

 シュバッ! っと顔を全力で逸らすジン。彼は言えなかった。最強の《階層支配者》と、未だその実態が計り知れない問題児二人を相手に詰め寄られ、口止めされたなどと。よしんばそうでなくても抵抗の余地などなかったが。

 それを聞くと黒ウサギは涙を引っ込める。彼女の不安は、てっきり信長が《ノーネーム》ではなく《サウザンド・アイズ》に引き抜かれてしまったのではないかというものだった。それが思い過ごしだったならそれでいい。黙っていたのは不満があるが。

 それに白夜叉の言う依頼とは、例の『賭け』に関してのことだろう。白夜叉はサラを《龍角を持つ鷲獅子》の頭首に据えたいと願っている。その為の戦力として信長を配置したのだろうと。

 しかしそれなら疑問が残る。別にこのゲームは同コミュニティから複数チームを選出しても構わないのだ。それなら最初から《ノーネーム》名義でもいいのではないか。

 

「まあしかし」

 

 そんな疑問を浮かべていた黒ウサギは、珍しく口元を引きつらせた笑みをした白夜叉を見る。

 

「あんな格好で出場しろとは言ってないがな。というか、水着必着は女性のみだと言っただろうが! 男の裸なんぞ誰得じゃ!!」

 

「怒るところはそこなのですか!?」

 

 思わずツッコンだ。

 

 

 

 

 

 

「――――ってことでよろしくね、飛鳥ちゃん」

 

 黒ウサギ、もとい司会進行役に注意を受けて大人しくスタート位置に並ぶ信長は当然のように飛鳥の隣へ。比較的楽にここまでこれたのは参加者達が無言のまま信長を避けて道を譲ったから。

 

「あまり近寄らないで信長君。知り合いだと思われるじゃない」

 

「酷いよー」

 

 もう本当に恥ずかしい、と飛鳥は顔を赤くする。何故ふんどし姿の異性と並んでいなくてはならないのか。これならばいっそサポート役の方がよかったと遅すぎる後悔をしていた。

 

「それはともかく信長君、用事というのはこういうことだったのね?」

 

 この羞恥心から意識を逸らすため、だけではないが飛鳥は話を振る。信長は飛鳥と耀の誘いを断ってここにいる。ということはつまり、

 

「それはつまり、今回貴方は私達の敵ということでいいのよね?」

 

 敵意の視線を送るのは彼女だけではなかった。離れた岸の上では耀と十六夜も信長を見つめている。しかし彼女達に裏切られたという怒りはなかった。むしろ笑み。信長と戦えることを喜ぶ様子さえ見せていた。

 そんな敵意を心地良さそうに受け取って、信長もまた同様に笑う。

 

「うん」

 

 頷くなり彼は漆黒のカードを取り出す。――――ふんどしの中から。

 ゴンッ! と飛鳥の拳が信長の顔面にめり込んだ。

 

「やめさなさい!」

 

「……ふぁ、い」

 

『それでは参加者達よ。指定された物を手に入れ誰よりも早く駆け抜けよ。ここに《ヒッポカンプの騎手》の開催を宣言する!』

 

 白夜叉の宣誓。そして柏手がレースと号砲となる。

 そして戦況はすぐさま劇的に動いた。

 

 

 

 

 

 

 ゲームは開始と同時に一つ目の山場に突入していた。

 

「え?」

 

 頓狂な声をあげた飛鳥。彼女の目の前で、フェイス・レスから伸びた蛇腹剣と信長のレーヴァテインがかち合い甲高い音をあげた。

 

「ありゃ?」

 

 そしてまたここにも頓狂な声をあげる者が。

 

「これは失敗失敗。まさか僕と同じこと考える人がいるだなんて」

 

 その寸後、辺りに黄色い悲鳴が重なった。参加者の水着が瞬く間に切り裂かれ、真っ裸となった者達が唯一の隠れ場所である水中へ飛び込んだのだ。

 それで遅まきに飛鳥は理解した。フェイス・レス。そして信長が開始と同時にそれを為したのだと。

 

「なにボケっとしてんだお嬢様! とっととそいつから離れろ!」

 

「っ! ヒポポさん!」

 

 飛鳥は再びの自身の思考の遅さに舌をうった。彼女の呼びかけにさすがの反応を見せて全力回避したヒポポタママ。今まで飛鳥のいた位置を、正確には彼女の水着を狙った軌道を、信長の刃が通り過ぎた。

 

「んもー。本当に邪魔だなぁ、十六夜は」

 

 頬を膨れさせて十六夜を睨む信長。長刀を振るう右手とは反対。左手には石が握られていた。――――否、十六夜から投げつけられたそれを受け止めたのだ。それも二つ。

 そう、一撃目、信長は決してフェイス・レスの剣から飛鳥を守ったわけではない。あれは偶然。同じことを考えていた彼女と偶然飛鳥を狙った剣閃が衝突してしまっただけのこと。その証拠に信長は空いた左手で飛鳥の水着を狙っていた。しかしそれを十六夜の投石が阻んだのだ。

 つまり開始から僅か数秒ですでに二度、彼女は敗退から守られる形で生き延びたことになる。

 

「飛鳥ちゃんの裸見たくないの?」

 

 ポイ、と投げつけられた石を河に投げ捨てる。

 

「見たくないとはいわないが、そんなことになればお嬢様、発狂して自殺しかねないからな」

 

「死ぬほど恥ずかしがってる飛鳥ちゃん……萌え」

 

 駄目だこいつ、とは誰もが思ったことだ。

 

「さて、今回の僕の役割は勝つことじゃないからねえ。白ちゃ……じゃなくてとある偉大な神様に頼まれたのは――――女の子達の水着を片っ端から剥ぐこと! ポロりは水着の基本なんだって言ってたし!」

 

『白夜叉様あああああああああ!!』

 

 マイクを握った黒ウサギが絶叫した。

 

「何故バレたのだ!?」

 

『貴女以外そんなお馬鹿様がどこにいらっしゃいますか!』

 

 本気で驚愕する白夜叉に真面目にツッコミを入れる黒ウサギ。

 

『信長さんが私達のコミュニティの名前で出場しなかったのは、こんな恥辱でコミュニティの名に泥を塗らない配慮ですか……』

 

「恥辱? 違うぞ黒ウサギ。こんな功績(・・)をそちらにくれてやるつもりがなかったのだ。正義はこちらにある――――なあお前達!?」

 

 ウオオオオオオ、と観客達が声援で応える。気付けば声援――――主に男達の――――は信長に注がれていた。彼等の眼には信長は英雄に映っているらしい。

 

『もう帰りたいです……』

 

 グスンと涙を流す黒ウサギだった。

 

「そういうこと。勿論――――」

 

 刹那、信長の脇に滑り込むように現れた翡翠の海馬。すれ違う直前、海馬の背に乗るフェイス・レスの剣が蛇の如く蛇行しながら信長に迫る。

 信長は剣の先端を軽々弾く。同時に信長の乗る海馬はフェイス・レスの海馬に劣らぬ速さで回り込む。フェイス・レスは蛇腹剣を消し、今度は剛槍を握った。翡翠の海馬は主の意図を察して直進。槍を前方に構えて突撃を仕掛ける。

 

 轟音。

 

 真正面から信長は受け止めた。互いの海馬、互いの視線が至近距離で交わり、後退したのはなんとフェイス・レスだった。

 スタート位置から大きく後ろへ。飛鳥もまたそこにいた。

 逆に、ゴールに背を向けてスタート位置の大樹のアーチを背景に構える信長は今し方騎士の槍を受け止めた長刀を肩に背負った。仮面の騎士へ微笑む。

 

「勿論、フェイちゃんの裸も僕は見たいなーって思ってたり」

 

 それはつまり宣戦布告。《クイーン・ハロウィン》の寵愛者に向けて、何たる侮辱。不遜な態度か。冗談でもなんでもない。彼は本気で言っているのだ。

 

「流石、ですね」

 

 しかしフェイス・レスは怒るでもなく笑った。仮面のおかげで口元しか見えないが、たしかに彼女は笑った。

 

「それにそのヒッポカンプ。私の愛馬についてくるとは……。余程の名馬を用意しましたか」

 

「ううん。みんなと一緒で《アンダーウッド》から借りただけだよー」

 

 その発言にはさすがの騎士も言葉を失った。同じ種の幻獣とはいえ、彼女の駆る馬は格が違う。それについてくるあの海馬が単なる貸出とは。どう考えても納得いかない。

 

「それが本当なら春日部がいてどうしてそれに気付かなかったんだ? 実はあのヒッポカンプ、性格がすっげー悪いのか?」

 

 サポートが許されている岸の方で、信長の言葉を聞いた十六夜は隣の耀に尋ねた。動物と会話の出来る彼女は同時にその良し悪しを見極めることに長けている。海馬といえど性格は多様。相性を含めて考えたのではないのかと思ったのだ。

 けれど質問された彼女は訝しげに眉根を寄せる。

 

「うーん。あの子のことは覚えてるんだけど……そのときはあんなにやる気のある子じゃなかったんだよね。というか全然違う。別馬みたい」

 

 別人ならぬ別馬。

 ならば一体なにが。その答えはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの信長が答えてくれた。

 

「彼は僕の親友……いや盟友だよ! 今回の戦にその命を賭してくれると申し出たんだ!」

 

『ヒヒーン!!』

 

「お前、幻獣と喋れたっけ?」

 

「言葉なんていらないんだよ十六夜。僕にはわかる! だって彼も大好きなんだ! 女の子が!!」

 

 沈黙が場を支配した。

 

「普段は全然やる気が無いけど、今回だけは違う。女の子達の裸のため、僕達の夢のため、彼は今真の力を発揮するんだ!」

 

『ブヒヒーン!!』

 

 嘶きをあげる海馬。その眼が濁っている。

 馬鹿と馬鹿、変態と変態が手を結んだそのとき、その力は無限大……らしい。

 

「でも」一つだけ腑に落ちない耀が「なんで私が話しかけたときは駄目だったの?」

 

 きっとあんな海馬を選びはしなかっただろうが、先日彼女が訪れたときもあの海馬は気怠げだった。自分だって女の子なのに。

 

『ブヒヒン(もう少し成長してから出直しなお嬢ちゃん。特におっぱい)』

 

「十六夜、あのヒッポカンプ潰そう。全力で」

 

 メラッ、っと耀の覇気が増した。しかもハードボイルドな声なのがさらに苛立たしかった。

 

「ちょっと信長君!」

 

 岸の上で耀が殺意に燃える一方で、フェイス・レスと共にスタート位置に釘付けにされている飛鳥は叫んだ。

 

「邪魔をするのは構わないけど、それならどうしてアイツ等を先に行かせたのよ!」

 

 彼女が言っているのはグリフィス達のことだった。彼等はこの場にいない。かといって彼等は脱落したわけではないのだ。

 スタート直後の波乱。その間に実は数組だけ運良く抜け出していたのだ。こうしている今も彼等との差は離れていることだろう。

 このレースは収穫祭のお祭りであると同時に《龍角を持つ鷲獅子》の運命がかかったものでもある。優勝した者が《龍角を持つ鷲獅子》の次期頭首を指名出来る権利が生まれるのだ。当然、グリフィスが勝てば己を指名することだろう。そうなれば現頭首であり、グリフィスと不仲であるサラの居場所は奪われる。

 

「どうしてって決まってるじゃないか」信長は真面目な顔で「あんな奴の裸なんて誰が見たいの?」

 

 ――――いや、まあ、その通りなのだが。

 

 男女拘わらず牙を剥いたフェイス・レスとは違い、信長が狙うのは女の子だけだった。

 

「さあさあお話はこれくらいにして早く掛かっておいでよ二人共。そして僕に全てを見せて?」

 

 全て、その意味を理解して飛鳥は思う。この戦いはあらゆる意味で本当に負けられない。




データ

名前《不明》種族《ヒッポカンプ》

詳細《信長の乗る海馬。特に神格を得ているわけでもない普通の海馬。しかし今の状況(女の子がいっぱい)によりその能力はフェイスの駆る海馬と同等の力を発揮している。人型の、特に胸の大きい女の子が大好き。超好き。幻獣のメスに興味はないらしい。声がシブメン》


>閲覧ありがとうございます!

>筆も意欲も止まらない!我慢した分反動がぱないっす。
最後の方の文章形態が壊れてるのはギャグ補正ってことで見逃してください。

>ふと思う、見やすい文章って書くの難しいなぁと。
私の文章の形がコロコロ変わるのは試行錯誤を進行形でしているからなのですが、文章詰まってる方とある程度空白を入れるのどっちがいいのか。
私は割りと詰まってる文章好きなのですが、携帯やPCで読むなら空白は多少なり必要ですよねぇ。
難しい。ああ難しい。難しい。

まあそも、コロコロ書き方変えるのがなにより読みにくいのはわかってるんですがね(汗)
ごめんなさい!!


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七話

「手を組もうぜ」

 

 誰もが耳を疑うほどあっけらかんと岸の向こうにいる十六夜はフェイス・レスに提案した。

 

「このままそこのバカ殿に邪魔され続けりゃお互い負ける。少なくともこれ以上の遅れは致命的になりかねない。そこで提案なんだが、こいつを突破するまでのこの数十メートルだけ手を組まないか?」

 

「まだ一度もぶつかり合う前にその提案するの? ここはもうちょっと熱い展開の後にいがみ合う二人が協力したほうが絵的に映える――――」

 

「いいでしょう」

 

「えー……」

 

 フェイス・レスまでもあっさりその提案を呑んだことに信長も顔をひきつらせる。

 

「しかし、彼は元々貴方達の仲間。突破の隙を狙って一斉に攻撃をしない保証はありませんよね?」

 

「案外疑い深いんだな」

 

 十六夜が小さく笑う。けれど彼女の言葉も最もで、協力するというのは罠で後ろから刺されれば堪らないというのは事実だ。

 そんなことは十六夜も承知している。

 

「安心しろ。協力といっても簡単な話だ」

 

 十六夜は信長が立ちはだかる河を指さす。

 

「あんたはあいつの右から、お嬢様は左から、同時に抜ける。あいつがどっちを攻撃するかはわからないが、もしお嬢様に攻撃がいってもあんたが助ける必要はない。こっちもそのつもりだからな」

 

 要はタイミングを同時にしてかく乱する作戦。相手は一人。こっちは二人なら単純に信長の意識も攻撃もどちらかに傾く。仮に二人を狙いにきても中途半端になるだろう。

 それに信長を挟んでいるのでフェイス・レスが最初に懸念した後ろを刺される心配もない。その為に、彼女には十六夜達がいる岸とは逆側を進むよう進言したのだ。

 単純だが効率的な作戦であった。

 

「いいでしょう。乗りました」

 

 飛鳥も不満そうな顔ながら、この勝負にサラの進退がかかっているからなのか言葉にした不平はあげなかった。

 

「ちょ、ちょっと二人共――――」

 

「よーしいくぞ。せーっの!」

 

 信長の言葉を無視して十六夜が号令をかける。

 

「行って、ヒポポさん!」

 

 それを合図に飛鳥のギフトの恩恵を受けたヒポポタママと翡翠の海馬を駆るフェイス・レスが同時に飛び出す。先の作戦通り二手に分かれて。

 

(ま、まずいかも……)

 

 海馬に跨り迫る二人の女子に気を配りながら、内心で焦燥感を覚える信長。

 

(さすがにあの二人を相手にするのはちょーっと厳しいなぁ)

 

 否、二人ではない。向こうには十六夜もいる。いつの間にか耀の姿が消えているが、それは多分先行しているグループを抑えにいったのだろう。もしかすればグリフィスとの決着を着けに。

 耀がいないにしても相手は三人。それもあの(・・)三人だ。いくら信長といえど荷が重い。

 

「それでも負けるつもりはないけど――――っね!」

 

 信長の海馬は左へ舵をきる。つまりは飛鳥の方へ。

 同時に突撃といってもタイミングがピタリと同じになるわけではない。彼女の《威光》の恩恵を受けたヒポポタママの速度は僅かにだがフェイス・レスの海馬を上回っていた。故に到達するのは彼女が先。

 信長が刀を横に薙ぎ払う。炎の波が水上に生まれて飛鳥の進行方向を塞いだ。

 

「まだ序盤だけど、出し惜しみはしないわ!」

 

 彼女が取り出したのは紅の宝石。生み出されるは同じく火。

 飛鳥の火は前方に立ちはだかる信長の炎を、燃やした(・・・・)

 炎の波は崩れ飛鳥はさらに突き進む。

 

「炎を燃やすなんて……本当に面白いね!」

 

 本来ならあり得ない光景に胸をときめかせる信長は――――馬上で反転。瞬時に構え直したのは大弓。

 放たれた紅蓮の矢は対面から飛んできた光と衝突し、消滅。

 光が飛んできた方向で剛弓を構えるフェイス・レスの姿があった。

 

 続けざまに信長は弦を引き絞る。しかし、その悉くは二人の間に閃光を生むだけだった。

 互いが互いの矢を撃ち落とし、撃ち抜く。

 

「ォ、ラアッ!」

 

 言葉を失うほどの絶技の応酬の最中でも、彼は無粋に愉快に割り込んでみせた。一体どこを破壊してきたのか、身の丈を遥かに超える巨岩をまるで球のように放り投げたのは十六夜。狙いは当然信長――――かと思いきや、

 

「届かない?」

 

 僅かにだが飛距離が足りない。これでは落ちるのは信長の目の前。

 

「――――っ!」

 

 そこまで考えて信長は十六夜の意図に気付く。海馬の背を蹴って空中へ。

 十六夜の狙いは馬の転覆だ。足場がなければいくら信長とて落ちるしかない。そしてゲームの禁止事項にはこうある。水中への落下は失格、と。

 同様に騎馬への攻撃も失格だが、これは直接攻撃を叩きつけるわけでもない。これぐらいの荒っぽさは範囲内だろう。

 

 故に信長は巨岩を弾き飛ばす。もしくは燃やし尽くすために空へ飛んだ。

 しかし、信長が手を加える前に巨岩は半分に両断されてしまった。

 真っ二つに分かれた巨岩。内片方を信長は一刀のもと斬り伏せ、燃やした。

 

「よ、避けてヒポポさん!」

 

 残された一方は斬撃のせいで軌道が逸れて飛鳥の進行方向へ落ちた。直前で大きく曲がったことで僅かに飛沫を浴びるに留める。

 

「やってくれるぜあの仮面め!」

 

 獰猛に笑う十六夜の視線の先で蛇腹剣を引き戻したフェイス・レスがいた。その口元は確かな笑みをかたどっている。

 岩を切ったのは彼女の仕業だ。信長が十六夜の意図に気付いて巨岩を処理する前に彼女は遠く離れたあそこから岩を斬った。おかげで逸れた岩の影響であわや飛鳥が脱落しかけた。

 果たして偶然か。否、狙ったのだ。

 彼女にしてみれば十六夜達も敵だ。あわよくば信長諸共の脱落を狙ったのだろう。

 その考えは正しい。これはギフトゲーム。そして事実、岩を避けるために大幅にロスした飛鳥は序盤のリードを失いフェイス・レスと差が開いている。地力ではあの翡翠の海馬の方が上。

 飛鳥のギフトでヒポポタママを強化すれば再び追いつけるだろうが、その手段は海馬に負担をかける。あれはここぞのときに備えて温存しておくべきだろう。

 

(まだ追えなくはないけど……)

 

 見事突破されてしまった信長は彼女達の背を見てから一瞬、ステージの脇へ視線を送った。そこで椅子に座る白夜叉と視線が合い、彼女は深々と頷いた。それに信長も応えて頷く。

 

「まだ安心するのは早いよ飛鳥ちゃん!」

 

 信長の海馬が嘶きとともに走りだし飛鳥を追う。彼は大きく刀を振り上げた。

 

『ハッ! の、信長選手まだ追います!』

 

 あまりの攻防に実況を忘れていた黒ウサギが我に返るなり実況を開始する。ステージの前をフェイス・レス、そして飛鳥が駆け抜ける。

 その後ろへ続く信長は刀を構えている。飛鳥への追撃だ。――――そのはずだった。

 

『――――ってあれ? 信長さん? どこを狙ってるんですか?? こっちはステージ……』

 

「ア、手ガスベッタああああああああああ!!」

 

『ふぇ?』

 

 酷く棒読みだった。そしてとても力の入った声だった。

 炎が迫る。ステージの上の黒ウサギへ。

 

「NOOOOOOOOOO!!」

 

 マイクを放り投げて全力回避する黒ウサギ。その背後を豪炎が掠めていった。

 全力ダイブで難を逃れた黒ウサギは倒れこんだ体勢のまま先程まで自分のいた位置の焦げ跡を見る。そうしてやがて込み上げてきたように声を張り上げた。

 

「な、何をするんですか信長さん! もうちょっとで当たるところだったじゃないですか!!」

 

「……外したか」

 

「やっぱり当てる気だったんですね! どういうおつもりですか!!」

 

「ふっふっふ。バレちゃあしょうがないよね。これが僕の本当の目的だったのさ」

 

 意味深に肩を揺らして笑う信長。

 

「真っ当にゲームに参加したと見せかけて、実は女の子達の水着を脱がす――――というのも実は真の目的じゃない!」

 

「なんですって!?」

 

「…………いや、女の子の裸が見たいのは本当だよ? そっちが目的じゃないかと言われるとそっちも目的だしでもやっぱり」

 

「そんな葛藤どうでもいいですから!」

 

 唐突に弁解を始めた信長にこんな場面でもツッコミを忘れない黒ウサギ。まさにツッコミの鏡。

 コホン、と前置いて、

 

「白ちゃ――――とある美しい神様からお願いされたのは参加者の女の子達の水着を剥ぐことともう一つ! それは!」

 

「――――それは黒ウサギ、おんしの水着を剥ぐことじゃ!」

 

 信長の言葉を引き継いで喋ったのは実況席の白夜叉だった。

 

「私は火龍生誕祭にて信長に教えられた。エロの神秘とは、真理とは、それを着る者の魅力であると。故に!」

 

 白夜叉は椅子を倒すほど勢い良く立ち上がると、片足を実況席の机に乗せて黒ウサギを指さした。

 

「今こそおんしの魅力の全てが私は見たい! 柔らかな肌! 魔性の太もも! 手にあふれるほどの乳房! 羞恥に赤らんだおんしの顔!」

 

「あ、もういいです」

 

「見たい! 黒ウサギの全てを見たい! 裸見たい! 裸体!」

 

「もういいって言ってるでしょうが!!」

 

 ズパーンッッ!

 

 雷が和服の変態を貫く。

 

「――――とまあつまり、信長にゲーム中、偶然を装って黒ウサギの水着を剥いでもらいたいと私が頼んだのじゃ」

 

「くっ……さすがにしぶといですね」

 

 プスプスと黒煙を立ち昇らせながらも平然と起き上がるなり説明をまとめる。

 しかも今の話では偶然を装うとのことだったが、今の一体どこが偶然だというのか。まさかゲームに参加していないのに我が身の貞操が危機に曝されるとは思わなかった。

 

「信長さん!」

 

 ここはあの駄神は無視して説得するしかない。

 

「――――はどうせ言っても聞かないでしょうからいいです!」

 

「さすが黒ウサちゃんはわかってる」

 

「信長さんのヒッポカンプ!」

 

 彼女が説得の対象に選んだのは信長の海馬。《月の兎》たる彼女は大抵の幻獣と会話することが可能だ。

 

「貴方も誇りある幻獣であるのなら、こんなくだらなすぎる行為に心を痛めているはずです! 今からでも遅くはありません。他の同士達のように全力でゴールを目指しませんか!?」

 

『良いおっぱいだ』

 

「もう嫌です! お馬鹿ばっかり!」

 

 交渉失敗。本気で泣きだした黒ウサギだった。




テンション変わらずこんばんわ!閲覧ありがとうございましたー。

>ヒートアップするレースの行方は如何に!?(どの口が言うのか)


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八話

 《ヒッポカンプの騎手》はゲーム開始前の観客達の予想を大きく裏切る展開を見せていた。なにせスタートからすでに数十分という時が過ぎたにも拘わらず、スタート位置で最も激しい戦闘が繰り広げられているのだから。

 

「せーのっ!」

 

「くっ!」

 

 黒ウサギ――――の水着――――を狙った一閃を彼女は大きく飛び退いて躱す。

 跳ねるように一歩、二歩と下がって金剛杵を振り回す。雷撃が信長を襲うが、今度は信長が跳ねるように躱した。

 

「まだ!」

 

 黒ウサギの追撃に、信長は躊躇わず横へ跳ぶ。そこはステージから大きく外れている。そのまま河へ落ちれば失格だ。それを救うのは青い影。

 すかさず走ってきたヒッポカンプの背に着地する。

 

「ありがとう」

 

 信長は感謝を口にしながら海馬の背を蹴って回り込みながら再び黒ウサギに接敵。

 それを黒ウサギは迎え撃とうとして、

 

「ほらほら黒ウサちゃん、戦況が動いてるみたいだよ」

 

「~~ッ!!」

 

 ラプラスの子らが映すゲームのリアルタイム映像。そこには今まさに耀とグリフィスの因縁の対決が始まろうとしていた。

 

「ああもうズルいですよ信長さん!!」

 

 半泣きで訴える黒ウサギ。彼女の悲痛の叫びは届かない。

 

 未だ、地力で信長は黒ウサギに劣っている。敵への非情さや観察力、経験など信長が優っている部分も多々あるが、今回のゲームのように比較的安全なルールに縛られた戦いでは、身体能力・持っているギフトの数で劣る信長は黒ウサギには勝てないだろう。

 しかし今回ばかりは勝手が違った。

 

 まず一つはヒッポカンプの存在。

 ステージ上に加え、海馬の背を飛び石代わりに水上も戦場と出来る信長に対して、黒ウサギは水上を走れるギフトは持っていない。選手ではない彼女は水に入って泳いでも問題はないが、やはり水辺の幻獣相手に水戦は分が悪い。

 二つ目は黒ウサギは審判兼実況を白夜叉から任されていたこと。

 故に常に片手をマイクで塞がれ、ゲームが動いたなら実況をせねばならない。それは戦いの最中で隙以外のなにものでもない。

 

 まあ実際、ここまできて律儀に実況を続ける必要はみえないのだが、真面目すぎた彼女の良心は我が身可愛さに任された仕事を放り捨てることが出来なかった。どこまでも実直な少女なのか。

 

「うむ、その心天晴じゃ黒ウサギ。安心して身も心も解放するがいい」

 

 ――――本当に、実況を任せておきながらそれを妨害するが如く水着を剥がせることを依頼したあの下衆顔の神様相手ならそこまで義理を果たさなくても誰も文句は言うまいに。

 

 行動スペースの制限、片手を使用不能、思考の分散……ここまでのハンディを背負わされた黒ウサギは明らかに劣勢であった。そも実力は黒ウサギが上とはいっても、信長はまともに戦ったって確実に苦戦させられる相手なのだ。当然である。

 

『ポ・ロ・リ! ポ・ロ・リ!』

 

『おっぱい! おっぱい!』

 

 しかも周囲の人間の大半が敵となれば精神的にもくるものがある。

 

「いい加減諦めちゃいなよ黒ウサちゃん。見られたって減るもんじゃなし」

 

「NO! 黒ウサギの心ががっつり削られます!」

 

 徹底抗戦を意思表示する黒ウサギ。

 しかし耳を震わせながらも必死に抗う彼女の姿は益々可愛い。それが信長、ひいては白夜叉以下観客一同のボルテージを上げることとなるのだから悲惨である。

 

 ――――空気が震えた。

 

「!」

 

「これは……!?」

 

 最初に気付いたのは信長だった。その次に持ち前の耳で黒ウサギが。

 観客達が気付けたのはそのさらに後。

 巨大な波が迫ってきたのを目視してからだった。

 

「つ、津波!?」

 

 黒ウサギが頓狂な声をあげる。

 いくらここが常識外れの大河といえど、津波が発生する理由が見当たらない。

 その答えは、波を引き連れるように走る一頭の海馬とその背の男を見ることで出た。

 

「――――――――」

 

 信長が波に向かって飛び出した。海馬を操り波へ猛突進する。

 すると彼を阻むように津波の前にさらに別の波がせり上がる。

 明らかに不自然な動きだった。

 

「レーヴァテイン」

 

 それに驚く様子も見せず信長は己の愛刀の名を呼ぶ。

 炎が巻いた。

 炎を宿した一閃は眼前の波を斬り伏せるどころか一瞬で蒸発させる。その威力たるや続く波すら巻き込みかねないほどだ。

 白い蒸気が蔓延する。

 

「なんやまだこんなところをウロウロしとったんか」

 

 周囲が靄に包まれる中心点で、信長は男の姿を見た。

 隻眼の男。蛟劉だった。

 

「それとも僕を待ってたんか?」

 

「理由の半分くらいはそうかな」

 

 もう半分は、今更言わずもがな。

 

「いやいや寝坊してもうてこりゃしまったと思うたけど」彼は口端を引き上げて「なんとかなりそうやな。意外と楽勝かもなぁ」

 

「寝坊、ね。そういうことにしておいてあげるよ」

 

 まさか本当に寝坊ではあるまいと信長は確信している。彼をこの戦に引っ張りだす為に白夜叉がこのゲームに賭けた報酬は彼にとってそれだけ価値があるはずだから。

 だからこれはあの男にとっては予定通り。

 未だ意志がかたまらなかったのか。それとも余裕の表れか。

 ――――そんなこと、信長には関係の無い話だが。

 

「それに楽勝とは聞き捨てならないなぁ。このゲームにはフェイちゃんがいる。十六夜がいる。飛鳥ちゃんがいる。耀ちゃんがいる。――――それに僕もいるんだよ?」

 

 一瞬、火傷するほどの蒸気の渦が冷たくなった気がした。

 

「まったく、白夜王も言っとったけど……そりゃお互い様やで? ――――あんまり僕を舐めてくれんなや(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 今度は確実に大気が温度を失った。

 ブルリと信長の身が震える。しかしその笑みに翳りは無い。

 これほどの強敵を前に、恐怖を前に、彼が笑わない理由はない。

 

 おそらくあと数秒で靄は晴れる。

 蛟劉は信長へ背を向けた。どうやらここで戦うつもりはないらしい。このままレースへ参加するのだろう。

 

「止めへんの?」

 

 少し意外そうな顔をする蛟劉。

 

「追いかけたくても水流を操作されてる貴方には追いつけないよ。それに」露骨に間を置いてから「どうせみんなここへ戻ってくるでしょう?」

 

 これは海樹の果実を取って戻ってくる(・・・・・)ゲーム。

 たとえ如何に早く海樹まで辿り着こうが、もう一度この大樹のアーチを潜らせなければ勝ちになりえない。

 参加者を全員倒してから、後でゆっくり果実を取って戻ってくればいいのだ。

 

 蛟劉は目を丸くして、後に苦笑した。

 

「勝つ気がないんかと思ってたけど、そうでもないみたいやね」

 

「冗談。負けるのは大嫌いだよ。僕も……みんなも」

 

「それ聞いて安心したわ」

 

 言うなり蛟劉は海馬の走力、そして大河の流れを操って凄まじい速度で走り出す。

 

『え? え? 今のは蛟劉さん?? なにがなにやらああッ!?』

 

 マイク片手に実況を再開しようとした黒ウサギだったが、迫り来る刃に寸でで気付くと身を捩らせた。

 

「惜しい」

 

 邪気の欠片もない笑顔で刀を振るってくる少年に、色々な意味でゾッとする黒ウサギだった。

 

 

 

 

 

 

『さあゲームも終盤に迫ってきました! ――――そして、この茶番ももう少しで終わりでございますよ!!』

 

 半ば自棄になっているように見えなくもないが、いつになく悪どい笑みで信長を睨む。無論、彼女の水着は未だその秘所を覆っている。彼女にしてみれば彼等の思惑を打ち崩すことが愉快でたまらないのだろう。

 

「なにをしておるか信長! 早く黒ウサギの裸体プリーズ!!」

 

「うーん……まさかここまで戦略的に追い詰めてここまで粘られるなんて」

 

 苛立った白夜叉が堪らず吠える。

 信長にしても、ここまで彼女が躱しきれるとは思ってもみなかった。少し甘く見すぎていたのか。それとも、十六夜達がそうであるように、彼女もまた強くなっているのか。

 

(あぁ……楽しいな)

 

 心が踊る。血が沸き立つ。

 

 そして、黒ウサギが予想以上に健闘したことによって信長は追い詰められていた。

 

『見えてきました皆さん! トップは《ウィル・オ・ウィスプ》のフェイス・レス! 二番手は《ノーネーム》の久遠 飛鳥! サポートの春日部 耀も健在です!』

 

 歓声があがる。すでに目視出来るほどに先頭集団は迫っていた。――――というより、すでにこのレースは彼女達以外残っていない。

 大きく先行していたグリフィス達はレース半ばで耀によって打ち倒された。スタートの遅れを取り戻した蛟劉も、海樹の前で足止めに徹した十六夜とぶつかり、後リタイアを申告した。

 現在残っているのは海樹を獲得しているフェイスと飛鳥。未だまるで進んでいない信長の三名のみ。

 

『どこかの変態とは大違いです! 様々な戦いを乗り越えて、今真のプレイヤー達が戻ってきました! ついでにこの変態を水中に叩き落としてやってください!!』

 

「わー、凄い言われよう」

 

 力の篭った黒ウサギの実況を耳にしながら、改めて気を引き締める。

 

「今度は簡単に通してあげないからね、二人共」

 

 結末は近い。

 

 

 

 

 

 

「呆れた。まだやってたのね」

 

 スタートでありゴールの大樹のアーチ。その近くのステージ上で未だ争うふんどし姿の変態と黒ウサギを見て、飛鳥は顔を引き攣らせた。

 

「飛鳥」

 

 耀の呼びかけで、そんなどうでもいい思考を追いやってレースに再集中する。状況は未だ飛鳥達にとって芳しくないのだ。

 トップのフェイス・レスとの差は約二十メートル。

 追いつけないほどではない。飛鳥のギフトでヒポポタママを強化すればすぐに追いつき、追い抜ける。ならば何故そうしないのかというと、ここまでが彼女の剣の間合いのギリギリ外だからだ。

 このレースで殺しは御法度。故に何の犠牲も厭わなければ飛鳥は勝てる。――――何の犠牲も厭わなければ。

 

 飛鳥が彼女を抜いた瞬間、フェイス・レスはその絶技をもって飛鳥の水着を剥ぐだろう。つまり犠牲とは、飛鳥が全裸であのアーチをくぐるということだ。

 

(それに、障害は彼女だけじゃない)

 

 ゴールの前には信長がいる。彼もまたフェイス・レス同様水着を狙ってくる。まあ彼の場合は脱がすことそのものが目的なのでフェイス・レスと同様、というのは違うが。

 どちらにしろ脅威には違いない。

 

 信長はフェイス・レスの裸も狙っている。ならば、彼女をこのまま先行させて信長とぶつかったその隙を突くか――――

 

「飛鳥」

 

 そんなことを考えていた飛鳥の名を、隣りで並走する耀が呼ぶ。

 

「あの二人に勝とう」

 

 その発言に、思わず飛鳥は笑みを浮かべる。

 

「ええ、そうね。どうせならこれまでの恨みつらみをぶつけて、全員ひん剥いてあげましょう!」

 

 覚悟は決まった。戦略も定まった。後は、

 

「「突っ走る!!」」

 

 

 

 

 

 

 最後の戦が動き始める。

 サポートの耀がフェイス・レスへ向かう。とにもかくにも彼女を抜かなければ優勝はあり得ないと決めたのだろう。

 光翼馬(ペガサス)の輝きと鷲獅子の旋風を纏った耀の動きは凄まじいの一言に尽きる。しかしそれについていくフェイス・レスもさすがだ。

 一方で飛鳥はここが最後と見てヒポポタママにギフトを施し強化。全力疾走でゴールを狙う。

 

『ここまで来てもなお黒ウサギを狙うとは……本当にお馬鹿ですか!?』

 

「いつでも本気なのが僕の長所だよ」

 

 事ここに至っても黒ウサギを狙い続ける信長。

 しかしそれも飛鳥、フェイス・レス、どちらがゴールしてもゲームは終わってしまう。それまでに黒ウサギを脱がして、さらに耀も含めたあの三人を脱がさなくては。

 ――――否、

 

「やっぱり放っておけないか」

 

 少しばかり言葉に悔しさを浮かべながら信長は自分のヒッポカンプの背に飛び乗る。

 思ったよりも二人の速度は速い。

 今は耀の決死の時間稼ぎで飛鳥が逆転しているが、信長の読みではあの二合の撃ち合いが限界。それで耀は負ける。

 

「いい勝負でした。また機会があったら競い合いましょう」

 

 信長の予想通り、そこから二合の撃ち合いを経てフェイス・レスの手によって耀が水面に叩きつけられる。

 すかさず蛇腹剣を手に後方から飛鳥を襲う。同時に、

 

「まずはフェイちゃんの裸もーらい!」

 

「!?」

 

 馬上で長銃の引き金を引いた信長。放たれた弾丸はフェイス・レスの鎧、その留め具目掛けて放たれた。

 どんな達人であっても攻撃のその瞬間は動きが止まらずを得ない。

 絶妙なタイミングから放たれた弾丸はしかし、彼女の翡翠の海馬によって躱される。

 

 ゆらりと、信長は笑った。

 

「ぼん!」

 

 弾丸が爆ぜた(・・・)

 

 攻撃後の硬直時に、仕方なかったとはいえ突然動いた海馬のおかげでバランスを極限まで崩していたフェイス・レス。むしろ、彼女だからこそ未だ落馬しなかった。

 しかしそれも信長の弾丸が爆発したことがダメ押しとなる。

 遂に、穢れ無き白騎士が堕ちた。

 

「……やられましたか」

 

 水上へ顔を出した騎士は、主人を心配して擦り寄ってきた海馬を撫でてやる。

 けれどその身を纏う鎧は健在だった。

 

「むむ、その鎧丈夫過ぎるよー」

 

 あくまで裸にするのが目的であって、殺傷能力を極限まで下げていたとはいえまさか無傷とは。不満そうな顔で抗議する。

 おまけに、蛇腹剣が飛鳥の水着を斬り裂くことも出来なかった。

 飛鳥は予め水着の裏地に例の紅玉を仕込んでおくことで剣までも燃やしたのだ。

 

 これで残るは二人。

 

「さあ後は貴方だけよ、変態!」

 

「でもどうするの? もう奥の手は尽きたでしょ」

 

 長銃から刀に持ち替えた信長は進路を阻む。

 彼の言葉通り、飛鳥にはもうギフトを扱う紅玉は無い。ヒポポタママの強化もこの場において意味は無い。

 このままなら勝てるだろうが、しかし裸は免れない。

 

「いいえあるわ。貴方に相応しい最後の手よ!」

 

 飛鳥に怯えはない。絶望はない。

 これが正真正銘、最後の手だった。

 

 

 

「――――黒ウサギと合コンのセッティングしてあげるから信長君を裏切りなさいヒッポカンプ!」

 

 

 

 ポーイ、とまるで躊躇いなく今まで意気投合していた主を海馬は放り捨てた。

 

 部下の裏切りによって生涯を終える男にとって、これ以上ない相応しい最期だった。

 

「ごきげんよう、変態さん達! 《ヒッポカンプの騎手》は……私達の勝利よ!」

 

 

 

 

 

 

 飛鳥とヒポポタママがゴールを駆け抜ける。

 湧き上がる歓声。高まる熱。

 誰もの視線が勝者へ向かう。あの白夜叉でさえ、ここばかりは視線を釘付けにしていた。

 

 しかし、

 

『ブヒ……』

 

 彼だけは違った。彼だけはブレなかった。彼だけは目的を見失わなかった。彼だけは欲望に素直であり続けた。

 

 ――――行け

 

 どこかで、河に投げ捨てた今は亡き(へんたい)の声が聞こえた気がした。

 

『ブヒヒヒーン!!』

 

 そのとき誰も見ていなかったが確かに走った。

 水上を走る海馬が、水上しか走れない海馬が――――陸上を走った(・・・・・・)

 それは酷く醜い走り方だっただろう。それでも彼は一心に、愚直に、懸命に、歯を食い縛りながら走り続け、

 

「へ?」

 

 遂にそれは届いた。

 飛鳥の優勝に浮かれていた黒ウサギの水着へその想いが届いた。

 

 ほんの一瞬、誰も見ていなかったその瞬間、確かに彼女は生まれた姿を晒した。否、見た者はいる。確かにいた。

 

『ブ、ヒン……(ナイス、おっぱい)』

 

「ふ――――ぎゃあ☆※◯~!!!!??」

 

 白いビキニを口にくわえた海馬は、その瞬間、誰よりも幸せに満ちた顔で陸でピチピチハネていた。

 

 こうして《アンダーウッド》での熱い戦いは明確な勝者と充足者を残し、また黒ウサギに忘れ得ぬ傷を残して終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 ~後日談(おまけ)~

 

 収穫祭最終日。正式に《龍角を持つ鷲獅子》の頭首がサラへ決まった後、最後の飲み食いが行われている。

 そんな中、長い間お小遣いを貯め続けた《ノーネーム》の年長者達、そして、この世界に招待してくれた御礼として十六夜達からコミュニティの功労者である黒ウサギへプレゼントが渡された。

 

「黒ウサちゃん、僕からもプレゼントがあるんだ」

 

「………………」

 

「あれ? 顔が怖い」

 

 彼女はまだ忘れていなかった。《ヒッポカンプの騎手》で最終的にあれほどの赤っ恥をかかされたことを。

 

「僕だって感謝してるんだよ。退屈だった日々を変えてくれたのは黒ウサちゃんだ。だからみんなで送ったのと別に、改めて僕の感謝の気持ちを伝えたかったんだ」

 

 目頭を押さえて声を震わせる信長。

 

「信長さん……」

 

 それを見て黒ウサギも気持ちを入れ替える。たしかに恥はかかされた。――――が、裸くらいなんだ。彼等はそんなものよりもっと多くのものを黒ウサギ達に与えてくれた。

 それに最後のあれは彼が直接的に何かしたわけではないし。

 

「黒ウサギが馬鹿でした。ありがとうございます、信長さん。お気持ち、凄く嬉しいです」

 

 ああ……また眼が熱くなってきたと、目元を擦る黒ウサギ。

 

「うん。受け取って」

 

 そう言って彼は背中に隠していた物を黒ウサギの前に差し出した。

 

『キシャー』

 

「………………」

 

 言葉を失った。

 信長が差し出したのは鉢。そこには土が敷き詰められており、そこには花が咲いていた。

 触手をウネウネさせて、花の中心に牙が乱立していて、何故か黒ウサギを見るなり動きが活発になっている……花?

 

 そして彼女はこれを見た覚えがある。

 そしてもう二度と見たくはなかった。

 

「信長さん、これって」

 

「そう! この子はブラック★ラビットイーター弐号! 奇跡的に残ってた壱号の種から必死に育てた子供! つまり僕と白ちゃんにとっての孫だね。だから可愛がって育てて――――」

 

「可愛がってたまりますかあああああああ!!」

 

 こうしてまた箱庭で一つの種が滅びた。




閲覧ありがとうございましたー。若干駆け足ですがこれで五巻は完です。

>あとがきの前に改変した部分の説明を。
本当はレースは行って戻ってくるものではなく、ゴールはアンダーウッド直下の水門なのですが、信長君が黒ウサギに構ってて動けなかったのでこんな改変にしてしまいました。
でないと最初素通りさせたらあと出番無くなっちゃうし!

>さらにどうでもいいお話。
黒ウサギの裸を見損ねた白夜叉はそれはもう悔しがり、ラプ子達の映像にも残らず、最終日は自棄酒をしましたとさ。

>!!以下、最新巻ネタバレありなので注意!!










アジさん強かったですねえ。次巻の決着が待ち遠しい。
しかし意外だったのはアジさんの性格。てっきりもっとゲスいのか、はたまた人間とか他の種族を見下しまくってるタイプかと思いきや、《悪》なりの矜持を持っていたのですね。
さて、この場面は信長君どうしようかと今から妄想しております。


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おまけ(学園編2)

>今回は連絡代わりに更新なので、オチも何もなし。久しぶりなのに本編でなくてすみません。

>で、報告。
この間からISの二次を書き始めたので、せめてそちらのきりがいいとこまで書いたらこちらの本編書きます。
いよいよウロボロス編に突入です!


「いってきまーす!」

 

「……いってきます」

 

 満面の笑顔で大手を振って家を出る信長。

 対照的に、不機嫌なのを隠そうともしない仏頂面のペスト。

 そんな二人を母である幼児姿のレティシアは玄関で見送ったのだった。

 

 学校へと向かう道すがら、通りがかる人に全員に挨拶をする信長。知っている人、知らない人全員に。

 

「うるさいわ」

 

 おまけに大きすぎる声で歌まで歌ってる。たしかつい最近まで放送されていたアニメのオープニングソング。

 それにはさすがに堪えかねたのか、極限まで気配を消しながらその後ろをついて歩いていたペストは断じる。

 

「なにが?」

 

「存在そのものかしら」

 

 やっぱり不機嫌だった。

 

「なら一緒に歌う?」

 

「本当に、少しでいいから、黙って!」

 

「ようよう、朝からお熱いね御両人」

 

 二人が振り返る。そこに立っていたのは信長達と同じ学校の制服を着る、頭にヘッドフォンを着けてニヒルに笑う少年だった。

 

「おはよう、十六夜」

 

 彼の名は逆廻 十六夜。

 信長達と同じ高校に通う極々平凡――――とは言い難すぎるスーパー高校生。どれくらいスーパーかというと、高校生のくせに世界を一度や二度くらい救ったりしてる。悪魔や天使や魔王や神様と殴りあって。しかも彼の趣味で。

 

「おう。お前もな、斑ロリ」

 

「気安く頭を撫でないで」

 

 十六夜が腰を曲げて目線を合わせ、頭に手をおいてくる。

 明らかに子供に対する扱いに苛立ちながら手をはたく。

 

 刺々しい対応にも十六夜は気にした風もなく、ヤハハと笑った。

 そうして信長を見やり、

 

「にしてもお前は相変わらず人生楽しそうだな」

 

「当たり前だよー」ヘラヘラ笑って「可愛い母親と可愛い妹と毎日暮らしていて、今日から可愛い女の子達がいる学校に通えるんだから楽しくないわけないよ」

 

「悩みなんてなさそうだもんな」

 

「ないない。あるわけないよー」

 

 あはははー、とお花畑でも見えていそうな信長。呼応するように笑う十六夜。もう帰りたい、とぼやくペストだった。

 

 そんなとき、着信音が十六夜のポケットから鳴った。

 

「――――ん? ああ、わかったわかった」

 

「どうかしたのー?」

 

「なんか駅の近くで、頭が三つある竜のエンブレムの暴走族が暴れてるらしい。俺を探してるんだとよ。そういや昨日、ちょっとコンビニ行ったとき路上にバイク並べて邪魔な奴等がいたから……」

 

「殴ったの?」

 

「んにゃ。バイクごと山に捨ててきてやった」

 

 さすがスーパー高校生。暴走族程度、彼にかかればコンビニ行くついでに壊滅させることは容易い。むしろその一度で壊滅しなかった暴走族の方が凄いと言ってやるべきかもしれない。

 しかし悲しいかな。そのチームも今日で解散するだろう。正確にはあと数時間で。

 

「ちょっくら行ってくる」

 

「先生に遅れるかもって言っておこうか?」

 

「いやいい。一限には間に合うだろ」

 

 いや、あと数十分の命なのかもしれない。

 

「それじゃあな」

 

 言うなり地面を蹴って天空を舞う十六夜。一瞬の間ですでに彼の姿は遠く彼方へ離れていた。

 

「それじゃあ行こうか、愛しの妹よ。……あれ?」

 

 振り返ったそこにすでに少女はいなかった。




あーびっくりしました。
なるほど。歌詞ってのも著作権あるのだからそりゃそうですよね。
今度から気をつけようと思います。

ご迷惑おかけしました


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六巻 ウロボロスの連盟旗
一話


 かつて生物が寄り付かないほどに荒廃し、最早蘇ることはないだろうと誰しもが諦めていた《ノーネーム》の田畑。それが今や瑞瑞しさを取り戻した肥えた土が広がっている。といってもそれはまだほんの一部に過ぎないが、それでもやはり、絶望的と思われていたところから一部とはいえ蘇ったのだ。奇跡といって差し支えない。

 

「洋食よ」

 

「和食だ」

 

 そんな奇跡の復活をした水田の真ん中で、睨み合う美少女と美女がいる。どちらも田植え用の作業服を着たていた。

 一人はペスト。かつて《黒死斑の魔王》と呼ばれた少女。

 対するは白雪姫。神格を得た蛇神。

 体格でいえば対照的な二人であるが、立場は面白いほどに似ている。時期は違えどどちらも《ノーネーム》とのギフトゲームに敗れて隷属された身であった。

 

 火花散るほど睨み合う二人の間を右往左往する狐耳の少女、リリ。そしてその傍らで、年頃にしてはあまりにも老けこんだように遠くを見つめる少年こそ、彼女等を隷属する《ノーネーム》のリーダーであった。

 

 しかし、彼は己の立場を改めて鑑みて、ため息を吐き出す。

 やはり自分は器ではない。何故なら、目の前で争う彼女達を止めることが出来ないのだから。それも単なる食事の主食争いで、だ。

 

 生前、畑で麦を育てていたらしいペストは新たな田園開拓の折には麦を中心に田畑を開拓するよう要求した。

 しかしそこに、年長組筆頭にして、《ノーネーム》において代々農園を任されてきた一族のリリが訴える。コミュニティは代々水田を中心に田園を開拓してきたのだと。

 それだけだったなら話はそれほどこじれなかっただろう。基本弱腰であるリリだが、ペストとて彼女の作る料理はお代わりするほど大好きだ。だからあくまで麦と稲、五分五分になるよう要求を通すことで一先ず争いは終わるはずだった。

 そこへ、リリと同じくする和食派の白雪姫が口を挟んだのがいけなかった。彼女はリリとは違い力もあれば性格も強い。必然、ペストと真っ向から揉めて、今や和食一色、もしくは洋食一色の全面戦争が勃発しようとしていた。

 

 ちなみに、ジンは巻き込まれただけである。リーダーなどとは名ばかり。『はは……』と自嘲気味に笑う彼は随分と荒んでいた。

 しかし、と彼は思い直す。己の無力を理由に諦めるのはもうやめたのだ。ここはコミュニティのリーダーとして一つ強気に、

 

「そーれ!」

 

 ばっしゃーん! とペストの顔面に泥がぶちまけられる。

 

「………………」

 

 ジンは色々と諦めた。特に、この場を穏便に済ませることを。

 

「くっそー。信長兄ちゃんつよすぎー」

 

「大人げなーい」

 

「はっはっは! 僕は子供だから本気出してもいいんだよーだ」

 

 きゃっきゃと、リリを除いた年長、及び年少の子供達と遊んでいる少年。

 泥に塗れてもまるで艶を失わない見事な着物をまくり上げ、散切りの髪を後ろで無造作に縛っているのは信長だった。

 

「ぷ……ぶぁっはっはっはっはっは! ざまあないのまな板娘!」

 

 泥に塗れたペストを指さして腹を抱えて笑う白雪。

 

「これに懲りたら大人しく和食派の軍門に――――」

 

 バシャン! と至近距離から投げつけられた泥が白雪姫を硬直させる。

 顔を青くするジンとリリを置いてけぼりに、ペストは泥のついた手を払いながら笑う。

 

「あらごめんなさい。手が滑ったわ。それにまさか、仮にも神格を得ている貴方がこの程度避けれないとは思わな――――ぶっ!?」

 

 再び、ペストの顔面に泥団子が。

 眉間を痙攣させる白雪姫の手には泥団子。

 

「死にたいの?」

 

「出来るものならやってみろ。返り討ちだ」

 

 ゴゴゴゴ、と闘気を纏う二人。そこへ、

 

「あー! ペストちゃんと白雪ちゃんが面白いことしてるぞー! 者共であえー」

 

「「おおー!」」

 

 和食派でも洋食でも女の子の料理なら美味しく食べる信長率いる子供達が、両手に泥団子を掴んで突撃。田植え作業のはずが、瞬く間に泥が飛び交う戦場となってしまった。

 

「リリ、僕はもう駄目みたいだ……」

 

 言ってる間に流れ弾が彼の頭に直撃する。

 

「し、しっかりしてジン君! あ……」

 

 それは誰が投げたのかもわからない一投だった。否、誰が投げたものでも関係なかったかもしれない。

 兎に角それはとある人物の顔面に直撃した。それをリリは目撃してしまった。

 

「――――ほう、随分楽しそうだなみんな」

 

 たった一言。あれほどの馬鹿騒ぎが嘘のように静まり返ってしまった。

 視線が集まる。金糸のような長い髪の見目麗しい少女が立っていた。

 

「どうした? 続けていいぞ。みんながこれほど楽しんで仕事をしてくれるとは私も思わなかった。ああ、本当に嬉しいぞ」

 

 優しい微笑みから告げられる言葉は、内容だけみれば慈愛溢れるものだろう。けれどその声はあまりにも平坦過ぎる。

 

「だが、まさか……いや、まさかだと思うが……まさか、まだ田植えが終わってないということはあるまいな?」

 

 そして頭に当たった泥が頬を伝っているのに、それすら構わず微笑む姿は、あまりにも怖かった。

 

「わ、私はもう自分のノルマは」

 

「黙れ」

 

 なんとか絞り出したペストの訴えを、彼女はやはり慈愛の笑みのまま断ち切った。

 

「よし、ならこうしようか。私も混ぜてくれ」

 

「「!?」」

 

 少女の背後で影が蠢く。龍を象った影はその顎を開いて敵を徹底的に殲滅してみせた。

 

 今日も箱庭は平和である。

 

 

 

 

 

 

「あー楽しかった」

 

 全身ズタボロになりながら朗らかに笑う信長。

 その横のペストは仏頂面で舌を打つ。

 

「本当に嫌い。あんたといると碌な目に合わないわ」

 

 あの後、全員仲良くレティシアにお仕置きされた面々は明日分のノルマまで田植えを続けさせられた。勿論、レティシアの監修の下。おかげで腰が痛い。

 

「……頼むから二人共、召集会のときは大人しくしていてね」

 

 切実な願いとしてジンは言うが、二人は返事をしなかった。たとえ返事をしてくれてもまるっきり信用ならないのでどちらにしても同じことなのだが。

 

 ジン達はこれから北の階層支配者、《サラマンドラ》が治める外門へ向かう。理由は各地の階級支配者が一同に会する召集会へ、《ノーネーム》が招待を受けたからだ。これは名無しのコミュニティにとって大抜擢である。それもこれも、これまで幾度と魔王を退けてきた実績を買われたのだ。

 

「そういえばジン君」信長が「召集会ってやつの内容はなんだっけ?」

 

「貴方そんなことも忘れたの?」

 

「えー、じゃあペストちゃんが教えてくれる?」

 

「死んでもお断りよ」

 

 顔を背けるペスト。かつて彼女が敗れる原因となったからか、彼女達の相性はすこぶる悪い。あるのは信長からの一方的な好意だけだ。

 

「例の魔王連盟についての対策ですよ」

 

 先行きの不安にため息をこぼしながらジンが答える。

 

 魔王連盟。孤高であるはずの魔王達が何らかの意図、あるいは人物によって連なる者達。

 南では《龍角を持つ鷲獅子》の前の階層支配者を討ち、ついこの間レティシアを使って再び《アンダーウッド》襲った巨人達。そして何を隠そうペストの古巣である。

 強力な魔王達が連携を取って襲ってくる可能性がある今、階層支配者達も今まで以上に情報や連携を密にしようと集まったのだ。

 なにせ今はもう、最強の階層支配者と呼ばれた白夜叉はいないのだから。

 

 そう、白夜叉はいない。東の階層支配者を蛟劉に任せ、自身は他の者とは別の線から魔王連盟を見つけ出すため姿を消した。

 故に最近少しばかり暇を持て余している信長。なにせ彼は暇があればしょっちゅう白夜叉の所へ遊びに行っていたのだから。

 

 ちなみに、ここにはいない十六夜達は一足先に北へ行っている。本来なら信長もそこに含まれるはずだったのだが、居残り組の戦力事情、それに何より保護者である黒ウサギの負担を考えて後発組になった。

 

 信長達が魔王連盟について知っていることといえばそのメンバー。正しくは魔王連盟らしき、だが。

 巨人を操っていた魔女、アウラ。耀が戦った、彼女と同じ《生命の黙示録》のギフトを持つ漆黒のグリフォン。黒ウサギ、そして信長も戦った少女、リン。そして、信長を真正面から戦って打ち倒した白銀の少年。

 

 彼との戦いは楽しかった。理由は知らないが、信長は彼に負けたのにこうして生きている。情けをかけられたのか、それとも見逃さなくてはならない状況になったのか。気を失った自分は知らない。

 もし、彼の情けで自分が生かされたのだとしてもそれを屈辱と感じはしない。むしろ嬉しい。再び戦場に立てる機会が与えられたのだから。それは再び彼と戦える可能性があることも意味している。

 

 彼等の情報網が確かなら、今回の召集会もすでに知られている可能性はある。その上で信長は思う。――――否、願った。

 

 どうせなら、彼等が襲ってきてくれはしないかと。

 

 黒ウサギやジンが聞けば不謹慎だと怒られそうだ。なにが面白いのか心中で笑う信長。

 

「信長さん、行きますよ?」

 

「うん」

 

 起こるかわからない戦場に思い馳せながら、信長は境界門をくぐった。




閲覧ありがとうございまっす。

>約一ヶ月。本編だとそれ以上空いてしまって申し訳ないです。
兎にも角にも始まりましたウロボロス編。一話は完全日常で話は一切進んでいませんが。

>そして!ここに障害が二つ!
一つは10月半ばに長期出張が再び!一週間ぐらいですね。人によってはたかが一週間を長期と呼ぶとはまだまだ甘いな、という方もいるかもですが。

そしてもう一つが、展開が頭に浮かんでこない!
いや、場面場面で妄想しているところはいっぱいあるんですが、この序盤は特に浮かばないんですよね。
それと原作がそれぞれの動向を描いて一巻分なのに対して、信長君だけを描写するとこの六巻すんごく短くなるんじゃないかと不安が……。

ま、不安は兎に角書いてからにしましょう(投げやり)
とりあえず六巻以降の私の楽しみはウィラちゃんが出てきてくれること!さあどうやってセクハラしてやろうか!!

ではまた次話でー


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二話

 箱庭五四五四五外門、《煌焔の都》。北の都市の中心に据えられた巨大なペンダントランプは街の象徴であると同時に、たった一つで極寒の環境から人々を守る驚くべきギフトでもある。

 そんな、街の人々にとって守り神に等しいペンダントランプの上にレジャーシートを広げる面々が。

 

「絶景かな絶景かな。前に見たときも思ったが、やっぱりここからの景色は当たりだったな」

 

「ええ本当。炎の光が硝子に反射して、まるで街そのものが宝石箱みたい」

 

 一人は逆廻 十六夜。高所を恐れるどころか縁に足をかけて街を見下ろすのは、箱庭の最強種を素手で消滅せしめる等々やることなすこと全てが規格外の少年。

 少女の方は久遠 飛鳥。赤いドレスの裾を押さえながら少年同様街を見渡す。外見のお嬢様然とした格好ながら、その横顔はどこか少年にも似たわんぱくさが窺える。

 そしてここにはもう一人いる。春日部 耀はさっさとレジャーシートに座り込み、その視線はシートの上のバケットに釘付けであった。

 

「お腹減った」

 

「そうね」飛鳥は苦笑して「私もお腹が空いたわ」

 

「んじゃまあ、遅めの昼食にでもしますかね」

 

「するな馬鹿者共ぉぉぉぉぉ!!」

 

 三人は眼下を見る。

 遥か下で、青筋をたててがなっているのは《サラマンドラ》の参謀マンドラ。ここ数日、彼等彼女等の暴れっぷりに、あるウサギ耳の少女と共にあっちへこっちへ奔走している可哀想な人。

 

「貴様等! そのペンダントランプがどういったものなのかわかっているのか! さっさと降りてこい!!」

 

「ところで春日部、登録したギフトゲームがまだ残ってるらしいな」

 

「話をきけえええええ!!」

 

 聞かない。三人は弁当を食べながら談笑を続行する。

 

「火龍生誕祭でも参加した《造物主の決闘》。今回はリベンジ」

 

「ふふ、応援してるわ」

 

 おにぎりを頬張りながらむん、と気合を入れる耀。

 その姿に母のように微笑む飛鳥は彼女の口元についた米粒を取ってあげようと手を伸ばして、

 

「へえー、それはそれは燃えるね」

 

 後ろから伸びてきた手がひょいと耀の口元の米粒を取る。

 三人が一斉に振り返る。

 

「や! 数日ぶり」

 

 そこで信長が朗らかに笑って立っていた。

 

「うわー! 本当にいい景色」

 

「なんだ信長。もうこっちに来てたのか」

 

 信長は耀の隣によいしょと腰を下ろして、バケットからおにぎりを拝借。かぶりつき、二口で平らげる。

 

「ついさっきね。さっきかぼちゃさんにも会ったよ」

 

「あら、ジャックも来てるの?」

 

「信長、そのおにぎり私の」

 

 ワイワイと、一人加わって一段と騒がしくなる。下のマンドラの絶叫も一層激しさを増すが、誰も一向に聞いちゃいない。

 

「さてと」

 

 買った弁当も食べ終わると十六夜が一同を見渡す。

 

「お嬢様は俺と一緒にジャックに合流するとして」

 

「どうして?」

 

「ちょっとな。お嬢様には内緒でプレゼントがあるんだよ。ジャックが近くに来てるならちょうどいい」

 

 十六夜の話を一切聞かされていない飛鳥は首を傾げる。

 

「御チビは召集会の挨拶回り。春日部はゲームに参加。信長はどうするんだ?」

 

「うーん。特に予定は無いし、耀ちゃんの応援してようかな」

 

 なんなら一緒に参加してみても面白いかもしれない、とコロコロ笑う。

 一同の予定を聞いた十六夜は腰を上げる。

 

「なら一旦解散するか」

 

「十六夜君、エスコートをお願いね。私一人じゃここから降りられないんだから」

 

「あ、僕が抱っこしてあげようか?」

 

「そのいやらしい手つきをやめたら考えてあげる」

 

「――――だったら皆様仲良く黒ウサギが叩き落としてあげます」

 

 一行は振り返る。怒気を迸らせるウサ耳少女。そのまんま、名を黒ウサギ。

 信長は三人に向き直る。

 

「そういえばペストちゃんが黒ウサちゃんを呼びに行ったよー」

 

「それなら来る前に早く行くか。まあ黒ウサギとの追いかけっこも楽しいが――――」

 

「無視ですか!? もう来てます手遅れです御馬鹿様! いい度胸です……まとめてはたき落としてやりますよ!!」

 

 四人の頭を黒ウサギのハリセンが張り飛ばすのを合図に、マンドラと《サラマンドラ》憲兵隊も含めた壮大な鬼ごっこが始まった。

 それを見ていたジンは痛む胃をさすった。青白い顔で。

 

 

 

 

 

 

 舞台区画、《星海の石碑》前の闘技場。歴代の偉大な術者達が残した数々のモニュメントの回廊は何度見ても飽きないといわれる北の名所である。

 そこを並んで歩く耀と信長。

 

「見て見て耀ちゃん! あの氷、七色に光ってる!」

 

 子供のようにはしゃいで回る信長。

 その後ろをクスクス笑いながらついていく耀。

 

 普段はどちらかというと、はしゃぐ耀や飛鳥を一歩退いた場所で信長が見守る形が多い。信長という男の子は意外と物事を達観して受け止めている面がある。そこに自分も飛鳥も安心感を抱いているのだ。

 しかし時に彼も子供のようにはしゃぐ場面があり、そういったときは暗黙の了解で女性陣は母親のように見守るのだ。

 そんな関係はとても温かく、楽しく、居心地が良い。

 

「なにか楽しいことでもあったの?」

 

 無遠慮に顔を覗きこんで訊いてくる信長。

 口元が自然とゆるんでいたのかもしれない。

 

「ううん。なんでもない。――――ほら、あれなんだろ?」

 

 耀は首を振って、次に見えてきた小型のカラクリ人形を示す。それで彼の興味もそれに移ったらしい。

 

 そんな穏やかな時間を過ごしながら、耀はずっとあることを考えていた。

 回廊に並ぶのは作品だけでなく、コミュニティの名と旗も刻まれている。これから彼女も出る予定の《造物主の決闘》の歴代優勝者達のものだ。

 北の者達にとって、ここに名を、旗を刻めることはなによりの名誉である。しかし当然、そこに名を残せるのは優勝コミュニティ、たった一つである。

 この日の為だけに研鑽を重ねた者も多くいる中、果たして自分はその者達に混じって戦ってもいいのか。

 

「耀ちゃん、楽しくない?」

 

 耀はハッとして横を見ると、信長は寂しそうな顔を浮かべていた。おそらく自分は今、考えこむばかりで無表情だったからだろう。

 いや、基本的に自分は表情豊かな人間ではない。――――が、みんな、特に親友の飛鳥や信長はそういった無表情をどうやら見分けているらしい。

 それは嬉しくもあるのだが恥ずかしくもあり……兎に角、今は誤解を解かなくては。

 

「違う。少し考えてたの」

 

 一瞬、考えた。こんな弱音を信長へ吐くことを。

 以前に一度、考えたらずな発言で彼を不快にさせた経験があるから。

 それでも一瞬の後、言うことを決めた。

 

「ギフトゲーム、私なんかが参加してもいいのかな?」

 

「耀ちゃんが……僕達がみんなから非難されるかもしれないから?」

 

 物凄い言葉足らずだったが、彼はそれだけで全てを察してくれていた。特に非難される対象が『耀が』ではなく『みんなが』としっかり解釈してくれていることに嬉しさを感じた。

 信長は耀と歩幅を合わせて横を歩く。

 

「たしかにここじゃあ格上の人が格下のゲームに参加するとすっごい目でみられるからねー」

 

 基本的に箱庭は例外を除いて誰がどのゲームに参加しようが自由である。しかし明らかにレベル違いの者がゲームに参加してしまえば始まる前から結果は見えてしまう。必然他の参加者達はやる気を失くし、主催者とて確実に損するゲームを開きたいとは思わない。実際、耀達も『荒らし屋』として出禁をくらってるゲームがいくつかある。

 故に暗黙の了解として、ゲームに参加する者は自身のレベルに合ったもの、もしくは格上の者が開いたゲームに参加するのは自由とされている。

 

 別に耀としては自分一人が罵られることは構わない。ただ、その対象が他の仲間達にまで向けられてしまうことが怖いのだ。

 以前ならその境界線を三毛猫が教えてくれた。だが今彼はここにいない。巨龍との戦いで負傷し、養生、そして最期の時を《アンダーウッド》で過ごすと決めたのだ。

 悲しいし寂しい、がそれはいい。いつか来る別れだったし、三毛猫も自分も納得している。でも自分一人ではどうしてもその境目がわからない。これからは自分の力でやっていこうと、いくと約束したのに。

 

「ま、でもいいんじゃない」

 

 だというのに、信長はとても軽い調子で言ってのけた。

 

「ちゃんと考えてくれてる?」

 

 少しだけ怒ったように睨むと彼は笑った。

 

「もちろん。僕はいつだって女の子のことだけを考えてるよ」

 

「もう少し違うことも考えて」

 

 冷静に、冷たく言い放つ耀。

 信長は堪えた様子もなくコロコロ笑う。

 

「じゃあ少し真面目に」信長はそう前置きして「ギフトゲームは楽しむことが大前提だと僕は思ってる。なにせ遊戯なんだから。それはきっとどんな時代でも、どんな世界でも一緒でしょ? だから参加は自由なんだ。上級者は格下のゲームに出ないのは暗黙の了解なんて言ってるけど、それが暗黙じゃなくて公の決まり事になっていないのが答えだと思わない?」

 

「そういえば……」

 

 箱庭には無法者とされる魔王という存在がいる。理不尽な災害とまで称される、恐怖の象徴。

 しかしそんな彼等達でさえルールに則っていればゲームに参加出来る。又、主催することが出来る。箱庭は彼等を問答無用で締め出すような真似をしなかった。

 結局、それが信長の言う答え。箱庭は許しているのだ。それが遊戯であるのなら、全てを許している。

 格上だ格下だと一体誰が決めたのだ。その判断は誰が下すのだ。

 そんなもの、誰も決められるはずがない。

 

「耀ちゃんはゲームに出たくないの?」

 

 信長は問い掛ける。優しく。

 

「……出たい」

 

 父親の手がかりが見つかるかもしれない。そういった私情もある。――――が、そういった私情もひっくるめて、自分はこの箱庭のゲームを楽しみたい。

 参加したければすればいい。それが箱庭のルールだ。

 

 その答えに信長は穏やかに、心から微笑みかけてくれた。

 

「なら出よう! 耀ちゃんの格好良いところ、僕も見たいし!」

 

「うん」

 

 なら頑張ろう。そう思ってやる気を上げた彼女だったが、直後信長はいやらしく顔を歪める。

 

「それに耀ちゃんだって――――いたっ」

 

 突然後頭部を擦ってしゃがみ込む信長。

 どうしたのか、と声をかけようとして自分の頭部にも衝撃。

 二人の視線が、ガラン、と音をたてて落っこちた物に集まる。

 

「「金槌?」」

 

 注目すること数瞬、再び両者の頭にどこからともなくそれは打ち込まれた。

 

 

 

 

 

 

 何やら思い悩んでいた耀だったが、どうやら吹っ切ってくれたらしい。それに満足していた矢先飛来してきた金槌。

 後頭部が当たった頭部を擦りながら、信長はじっとその金槌を見つめる。

 

 信長は基本的に常に自分の周囲に気を張っている。言い方を変えるなら如何なる状況に陥ろうとも対処出来るよう心身を緊張させている。それは日常生活、果ては睡眠時においても。

 かつての世界では暗殺など珍しくもなかった彼にとって、それは最早癖であった。

 

 しかし今、彼は如何なる方法でかわからないが奇襲を受けた。まともに金槌を食らったのだ。

 もしこれが殺意ある攻撃だったなら、例えば刃だったなら、自分は今ここで死んでいたということだ。

 まあ、並の攻撃がたとえ無防備でも彼に通ずるかどうかは置いておいて、今問題なのはこの金槌が彼の警戒網を抜けてきたことだ。

 

 表情にはおくびにも出さず、金槌の襲来に最大級の警戒と期待を膨らませていると――――二撃目が二人を襲った。またしても信長の意識にその攻撃は引っかからなかった。

 一方で、二撃目の金槌を拾い上げた耀はとてつもなく無表情だった。拾った金槌がミシリ、と悲鳴をあげている。

 

(あ、怒ってる)

 

 今回はたとえ彼でなくとも気付けただろう。

 

「……大丈夫?」

 

「「!?」」

 

 唐突にかけられた至近距離からの声。驚くままに振り返って、さらに驚いた。

 こちらを覗き見上げるのは少女だった。とても幼く見える顔立ち。だというのにヒラヒラした服の間から窺える少女のスタイルは黒ウサギとタメを張るものがある。体格の比率を考えれば少女の方が上か。

 

 そしてなにより、彼女が近付いてきたことに信長はまるで気付けなかった。

 二度の攻撃に、耀も含めて周囲を警戒していたのに。その間をいとも容易く抜けてこうして声をかけてきた。

 

「可愛いね、君」信長が声をかけると少女はこちらを見上げる「それにとっても面白い」

 

 少女はキョトンと首を傾げるだけだった。こうも無垢な反応をされてしまうとさすがの信長も先制攻撃とばかりに刀を抜くわけにはいかなかった。

 

 信長の思惑も知らず、少女は耀へ向き直る。

 

「貴女もゲーム、出る?」

 

 質問だった。

 耀と一瞬顔を見合わせて、

 

「うん」耀は答えた。

 

「そう。出るんだ」少女はうっすら微笑み「これでコウメイとの約束を果たせる」

 

「……! コウメイって――――」

 

 耀が問い詰めるより先に、少女は目の前から忽然と消えた。

 

「信長!?」

 

「ごめん。全然わからなかった」

 

 言いながらも引き続き周囲を探る。しかし少女の気配どころか痕跡も見つけられない。

 そも、信長は一度たりとも彼女から視線を外していなかった。彼女は正しく消えたのだ。

 素早く動いたわけではない。どちらかといえばそう、

 

「境界門のときの感覚に似てたかも」

 

 その場から消え、別の場所に出現する。線で動いたのではなく点と点を跳んだ。その考えがしっくりくる。

 

「今度会ったらもう一回見てみたいなぁ」

 

 名前ぐらい聞くべきだった。今更ながら悔やむ。

 悔やみながら、彼はずっと上機嫌に笑っていた。

 

「今の女の子、ゲームに出てくるのかな?」

 

 耀もまた色々と考えるところがあったのか、神妙な顔だ。

 最後に少女が口にした名は、たしか耀の父親の名前だったか。

 元々少女の出現前に出場の決意を決めていたとはいえ、益々やる気になる理由が出来たようだ。

 

「頑張ってね」

 

「うん」

 

 耀は頷いて、『ところで』とこちらの顔を覗いた。

 

「さっき、なにを言おうとしてたの?」

 

「うん?」

 

 言われて少し考えて、思い出した。あの少女が現れる前に言おうとしたことだと。

 

「ああ、うん。耀ちゃんは格下のゲームに出るのに不安がってたけど、そも耀ちゃんが勝てるとは限らないしねー。ほら、案外コロッと負けちゃうかも。そうしたら僕が存分に慰めてあげたいなぁ……ってあれ?」

 

 耀はこちらをじとっとした目で見つめ、ぷくーと頬を膨らませていた。

 

「どうしたの耀ちゃん? 可愛い顔して」

 

「じゃあ優勝したら信長にまた驕ってもらおう」

 

「え゛」

 

 蘇る南の地での出来事。空っぽになった巾着袋。

 

「よ、耀ちゃん? でもほらやっぱり遊戯はみんなで楽しく遊ばないと。だから大人気なくいきなり全力とかは」

 

「よし。やる気出た。早く終わらせてご飯食べにいかなくちゃね」

 

 むん、と両拳を握る耀。クルリと振り返ると、べっ、と悪戯っぽく舌を出した。

 少女は軽やかな足取りでエントリー場へ向かうのだった。

 その後ろで、あのときよりずっと心許ない巾着袋を広げる信長だった。




>耀無双

>閲覧どーもですー。

>さて、アドバイスを頼りに視点を耀にしてみたら、すっごい乙女チックになってしまいました。けどいいんです。だって彼女は可愛いから!

>と、いうわけで、一週間の出張いってまいりますので一週間は更新が止まります。
………………あれ?最近の更新速度で一週間止まるのは普通なような?

…………まあ細かいことはいいでしょう。

>ではでは、また次回までー


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三話

「ん?」

 

 信長は視線を何もない彼方へ向ける。周囲の人間は誰一人として彼と同じ行動は取らず、どころか周りは彼一人の挙動など気にかけてもいないだろう。

 それでも、信長だけは感じ取っていた。

 

「今一瞬揺れたかな? さっきも不自然に景色が止まったりしたし……なんだか外は面白いことがいっぱいみたいだなぁ」

 

 完全な独り言を堂々と紡ぐ。

 

 実は今の揺れは、信長にも縁があるとある白髪の少年が翼龍を蹴散らしたもので、その前の景色が止まったように感じたのは今現在この土地を騒がせる神隠しの犯人の仕業だとは彼も知らない。しかしわかる。日常に混じる異変を、違和感を、彼は殊更敏感に感じ取っている。

 それはすでに感覚を超えた、いわば本能で。

 

 外に出ようか、と彼は少しだけ考える。

 きっとこのとき彼が外に出れば件の神隠しの犯人とも、もしくは白髪の少年とも出会えたことだろう。まるで向こうに引きつけられるように、もしくは信長自身の何かが吸い込むように、彼等は出会ったはずだ。

 

「やっぱやーめよ」

 

 だが彼は出て行かなかった。己の渇きを、求め続けた飢えを満たすものがあるかもしれないのに、彼は結局出て行かなかった。

 

「なんてったって今から耀ちゃんの試合だもんねー!」

 

 信長がいるのは闘技場。ここでは今まさに《造物主の決闘》のゲームが始まろうとしている。北でも有数のゲームに、参加者のみならず観客達の数も熱気も半端ではない。そこに仲間が、それも可愛い女の子の友達が出場するというのだから応援せずにはいられない。

 

 しかしそれでも、以前までの彼ならありえなかった行動だ。たとえそこに美女、美少女がいようとも、たとえ大切な友人の晴れ舞台でも、この箱庭に来た当初の彼ならば考える前に闘技場を飛び出していっただろう。

 信長にとって闘争は生きる意味そのものだから。己の命を刈り取ることが出来るほどの相手は何にも代えがたい。

 それなのに、彼はそこへ向かわなかった。

 箱庭に来て以来、あれほど求めてやまなかった生の実感。死への恐怖に、悉くさらされる毎日。渇きは心地良く潤い、飢えは即座に満たされる。

 そんな幸せが、そんな贅沢が、彼の足をここで引き止めたのかもしれなかった。

 

『それでは第一試合、《ノーネーム》所属、久遠 飛鳥! 《ノーネーム》所属、春日部 耀!!』

 

 ステージの中央で、ツインテールを可愛く揺らすアーシャがマイクを手に出場者の名を読み上げる。今回のゲームでは彼女が審判を務めているのだ。

 

「ああ良かった。間に合ったようだ。彼女の晴れ舞台を見逃すわけにはいかないからな」

 

 唐突に、本当に唐突に隣から声が聞こえてきた。声が聞えると同時に気配がそこへ現れた。

 信長は静かに振り向いてその人物を視界に入れる。

 それはそれは目が眩むような格好の男だった。青と赤の派手な外套を羽織った男は、信長の視線に気付いて首を傾いだ。

 

「私に何か用かな?」

 

 どこか薄ら寒さを感じる笑顔で男は声をかけてきた。

 信長はそれを感じ取りながらなお、変わらぬ笑顔で応えた。

 

「誰かの応援?」

 

「んん? 聞きたいかな? 聞きたいかね? なら聞かせてあげようじゃないか!」

 

 言葉が進むごとにテンションが高まっている様子の男は大きく両腕を広げると外套をはためかせる。

 

「それはもちろん、私の運命の花嫁――――」

 

『ウィラ=ザ=イグニファトゥス!!』

 

 ステージ中央のアーシャの声と男の声が重なる。そちらに視線をやると、立っていたのはつい先程まみえた少女だった。

 

「あ、さっきの美少女!」

 

「君もウィラを知っているのか?」

 

「うん。可愛いよねー」

 

「可愛い? 否! ウィラは完璧なのだ! 滑らかでミルクのように白い肌! 無垢な瞳! きっと柔らかであろう青い髪!」

 

「大きいおっぱい! 挑発的な格好であるはずなのに、どこか侵しがたい魔性の魅力!」

 

「聞き心地の良い声! 長い睫毛!」

 

「瑞々しい唇! おっとりした雰囲気!」

 

「細く長い指!」

 

「大きな耳!」

 

 ガシッ、と二人は荒い息遣いと共に固い握手を重ねていた。

 

「まさか私の他にここまで彼女の魅力を理解する者がいたとは」

 

「僕も納得だよ。それほど彼女を想っている君こそ、ウィラちゃんの運命の相手に相応しい」

 

 遂には熱い抱擁まで交わす二人。周囲は一体何事だとどよめくがそれも一時のこと。初戦でありながらメインイベントともいえる試合の熱に浮かされてすぐに気にも留めなくなる。

 

「友よ……いや親友よ……いや! 心友よ! 共に我が花嫁を応援しようじゃないか!」

 

「うん。僕は女の子みんなの味方だけど、今日はウィラちゃんを応援するよ!」

 

 飛鳥や耀が聞こえば怒り狂いそうな発言だったが、今彼女達は近いようで遠い闘技場に立っている。

 

 ド派手な格好は置いておいて、顔の造形だけならかなり整った男は、ここでようやく信長へ尋ねてきた。

 

「心友よ、君の名を教えて欲しい」

 

「僕は信長。織田 三郎 信長だよ」

 

「そうか。私はマクスウェル。心友として、信長にはマーちゃんとでも呼んで欲しい」

 

「よろしくマーちゃん。なら僕のことはノブちゃんと呼んでよ」

 

「おお、ノブちゃん! 初めてだよ。ウィラ以外でここまで気の合う者と出会うのは」

 

「僕もだよマーちゃん。――――さあ、君の花嫁さんを全力で応援しよう!」

 

 二人は今一度熱く固い握手を重ね、次には割れんばかりの歓声を上げた。

 

 そのとき、ステージ中央でウィラはとてつもない寒気に背筋を震わせ、鋭い聴覚を持つ耀は少年の裏切りに拳を握ったという。




閲覧ありがとうございましたー。

>超短くてごめんなさいです。でも次の展開を知っている方々なら、さすがにこのテンションのまま先に進むのを躊躇うのはわかってもらえるはず!だって次はそれなりにシリアスな空気になるのですもの!主に十六夜君が!

>ウィラの素晴らしさを書きたかったのですが、自分のあまりにもな語呂のなさに悲しくなりました。
彼女の美貌を!魅力を!エロさを!全力でお伝えしたかったのですが……無念なり。

>おそらく読者の皆さんも先読み可能だったとは思いますが、信長君とマクスウェルさんは波長が合います。一部例外もありますが、基本相性バッチリです。
それにしてもマーちゃんとノブちゃんてw(←自分で書いといて)


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四話

 ゲームは初手から大変な騒ぎをみせた。ウィラが生み出した地獄の炎。蒼炎の焔が闘技場を呑み込んだ。

 

「先手必勝。一撃必殺。可愛い顔してウィラちゃんって意外と戦い方を知ってるね」

 

「そんなことを言っていていいのかい? 私にとってはどうでもいいが、あの少女達はノブちゃんの仲間なんだろう?」

 

 ウィラの巻き起こした惨状を、まるで自分のことのように誇らしく胸を張るマクスウェルは尋ねてくる。元々信長がウィラではなく耀達を応援しようとしていたのは知っていたからだろう。

 しかし、未だ燃え盛る眼下の炎を眺める信長の表情に怒りも悲嘆もありはしない。

 

「それはあの二人よりウィラちゃんが強かっただけだから仕方ないよね」

 

 なんと冷たい物言いだろう、とそれを聞いた者は思ったかもしれない。仮にも仲間が目の前で殺されて、そんな他人事のような言い方が出来ることは異常だと。

 だが人によってはこう見えるかもしれない。――――彼が彼女達の力を信用しているのだと。

 

「でも、あんまりあの二人を舐めないほうがいいよ」

 

 マクスウェルがその意味を尋ねる前に、闘技場を包んでいた炎が霧散した。否、砕け散った(・・・・・)

 

 炎が突如凍りつき、砕けたのだ。

 闘技場の中心には見慣れぬ球体が鎮座していた。それが光と共に解けて、やがて姿を現したのは赤いドレスを纏う少女だった。その傍らには先ほどの球体の正体らしい、稲妻を纏う獣。

 

「ほう、あの山羊はもしかしてアルマテイアかな」

 

 マクスウェルが驚いたように唸ったので聞いてみる。

 

「凄いの?」

 

「ああ。ギリシャ神群でも指折りの上位の神獣だよ」視線を上にあげて「それにあちらの少女も中々。ウィラの劫火を苦もなく防ぐとはね」

 

 闘技場の上空を飛ぶ耀は獣皮の半被を着込んでいた。おそらく光翼馬の脚甲同様、なんらかの生物を組み合わせて創りだしたものなのだろう。

 耀の半被も、飛鳥の神獣も、信長が見るのは初めてだ。

 本当に彼女達は面白い。見ていて飽きない。気付けば自分の想像を超えて強くなっていく。

 自然と彼の口元に笑みが浮かんだ。

 

「勝ち誇るのは早いぞ心友」

 

 その横顔を見ていたのか、マクスウェルもまた笑う。

 

「我が花嫁の実力とてこの程度では――――ん?」

 

 彼は突然言葉を切ると、耳に手をあてて不機嫌そうに何事か独り言を呟く。

 

「どうかしたのマーちゃん?」

 

「ふぅ、まったく無粋な。ウィラの晴れ舞台だというのに」

 

 ブツブツと何者かに不満を漏らすマクスウェル。どうやら今のはここにはいない誰かと会話をしていたらしい。

 

軍師(メイカー)殿のお呼びだ」

 

「また会えるかな?」

 

「会えるとも。私とウィラを繋ぐ赤い糸とは違うが、君とはそれに似た何かで結ばれているように思えてならない」

 

 問いかけに彼は優雅に微笑んだ。

 信長は心の底からこのマクスウェルという男に惹かれていた。それは可愛い女の子を愛する姿にだけではない。この優男から感じる、冷ややかな殺意に興味があるのだ。

 

「また会おう」

 

 恭しくお辞儀した後、彼の姿は忽然と消えた。

 

 

 

 

 

 

 闘技場で繰り広げられる激戦に会場が湧く声を聞きながら、マクスウェルは暗い通路を進んでいた。その表情は険しい。その感情を表すように、大気の温度が自然、数度下がっていた。

 ふと、その足が止まる。

 

「まったく……いくら軍師殿の命令とはいえ、我が蒼炎の花嫁の晴れ舞台の最中に呼び出すのはどうかと思う」

 

「ごめんなさい、マクスウェルさん」

 

 応えた声は幼い。通路の暗がりから姿を現したのは可憐な少女。まるでドレスのように腰にジャラジャラと短剣を下げた少女は、目の前の道化を見るなりおどけたように舌を出す。

 

「怒ってます?」

 

「無論だ。ウィラは寂しがり屋なのだ。私の応援の声が聞こえなくなって今彼女はとても不安を覚えているだろう。……ああウィラ! いても立ってもいられない! 今すぐにでも君の震える肩を抱いて励ましてやりたい!」

 

「ちょ、ちょっとちょっと! 本当に行っちゃダメですよ!? もうすぐこちらのゲームの開始なんですから」

 

 言って置かなければ目の前の男は本当に姿を消しかねないと思い、リンは慌てて呼び止める。

 マクスウェルはさらに不満そうな顔をするが、どうにか足を止めてくれた。

 ほっ、と息をつきながらリンは思い出したように口にする。

 

「そういえば……良かったんですよ? あのとき別にあの人を殺してくれても」

 

 うら若い少女が口にするにはあまりにも物騒な発言だった。

 それを不審に思うことも、咎めることもなく、マクスウェルは今し方別れた和服姿の少年を思い出して笑った。

 

「とんでもない。彼は私の心友だ。そして同じ女性を想うライバルでもあるかもしれない」

 

 ふはは、と笑う道化にリンは呆れたように空返事した。そうしたリンもまた笑う。

 マクスウェルがあそこに現れたのは偶然などではない。彼女の指示で、あわよくば殺害も許可してあそこに行ってもらった。

 しかし結果は友好を深めて帰ってきた。こんなとんでもない変態と。

 

「やっぱり面白いなぁ、信長さん」

 

 コロコロと笑う少女は思う。やっぱり彼にはこちら側について欲しいと。彼が欲しいと。

 

 しかしなんにしても、今回は信長に構っている余裕は無い。

 

「さあ行きますよマクスウェルさん。予定ではそろそろ――――!?」

 

 突如会場が地響きと共に揺れた。

 

 

 

 

 

 

 はたして、信長がそこにちょうどよく居合わせたのは偶然だったのだろうか。

 

「やあ黒ウサちゃん。ジン君も」

 

 そこには黒ウサギがいた。ジン、カボチャ頭のジャック、サンドラ、ペスト。どこかで見たような気がする輩もいたが、そこは気にしない。

 

「それと久しぶり」

 

 そして彼女達と対峙するように立つ一人の少年を見つけて、信長はいつも通り微笑んだ。――――かつて己を殺しかけた白髪の少年に平然と。

 少年の方も、相変わらず無表情で応える。

 

「久しぶりだな。アンダーウッド以来か?」

 

「あれ? 隠してなくていいの?」

 

「ああ。ちょうど今バレたところだ」

 

「ジン坊っちゃん! 皆さん! 離れてください」

 

 即座に空気が張り詰める。黒ウサギがその手に顕現させた神槍を突きつける。周囲の者達も同様に戦闘態勢を整える。

 黒ウサギを始め、ここには《ウィル・オ・ウィスプ》の参謀ジャック、かつて神霊に迫る力を持っていたペスト、そして信長がいる。もう少しすれば先ほど憲兵を連れたサンドラも戻ってくる。

 

「殿下、大人しく投降して欲しい」

 

 ジンは呼びかけた。

 思わず信長は笑う。――――甘い、と。

 

「取引しようぜ、ジン」

 

 また殿下と呼ばれた少年も笑った。

 

「全員生かして帰してやる。だからジンとペストはこちらの軍門に降れ」

 

 全員が絶句した。否、彼の力を知る信長だけは驚きはしなかった。

 この手練を前に、命乞いどころか脅しをかけてきた。命乞いをするべきはお前等だと、彼は言う。

 

「ああ、でもお前は別だぞ」殿下は信長に向き直り「お前はいつでも大歓迎だ。ただし、生きてる間はな」

 

「ありがとう。君を殺してから考えてみるよ」

 

 炎がその手に収まる。――――と、同時に殿下のプレッシャーに耐えられなかった黒ウサギが動いた。

 

「……っ……覚悟!」

 

「そうか、やるのか《箱庭の貴族》。なら仕方ない」

 

 両の手を広げて無防備な背中を晒す殿下。首だけ巡らせた横顔には泰然とした微笑が浮かぶ。

 怒りのあまり黒ウサギの顔がかっと赤く染まる。

 

 彼女の実力は信長もよく知っている。なかでも今手にしている槍は、穿てば必ず勝利が確定するとんでもない代物だ。

 しかし嫌な予感が胸を過る。

 

「駄目だ黒ウサちゃん!」

 

「穿て……《疑似叙情詩(ブラフマーストラ)・梵釈槍(・レプリカ)》」

 

 雷鳴が轟く。雷光が目を焼いた。

 勝利という運命を宿す超常のギフト。かつて神霊に近付いたペストすら焼きつくした軍神の槍。それを、殿下は防御した様子もなく受け止めていた。

 

「な……」

 

「今日は様子見のつもりだったんだがな。残念だぜ、《月の御子》」

 

 予想だにしない結果に身を強ばらせた黒ウサギの懐に振り返った殿下は踏み込む。そこへ割り込む影。

 

「僕を無視しないでよ」

 

 唯一動くことが出来ていた信長が刀を薙ぐ。

 それを殿下は手で受け止めた。

 

「懲りないな」

 

 一言で切って捨てて殴りつける。

 受けた左腕が軋み、威力を殺しきれず体が後方に押される。

 

 その隙に我に返った黒ウサギが再び槍を振るうが、こちらには一切防ぐ気配のない殿下は生身の首で受けた。

 たとえ『穿てば必ず勝利する槍』だとして、そも貫くことが出来なければ勝利は約束されない。あの槍では彼を傷つけることが出来ない。

 

「ふん」

 

 止まった槍を拳で弾き、今度こそ黒ウサギの懐へ飛び込む殿下。

 

「一瞬だけ時間をやる。死にたくなければ《鎧》を召喚しろ」

 

 ほんの一瞬、たしかに彼は無意味に止まった。

 その隙に太陽の鎧を黒ウサギが纏う。

 それを待った上で、彼は拳を突き込んだ。

 

「が……はっ!」

 

 踏みとどまれたのは一瞬。殿下の膂力の前に木の葉のように弾け飛ぶ黒ウサギ。

 庇おうとしたジャックが後ろに回り、しかし止まらない。あわや激突という瞬間、体を差し入れた信長が二人を受け止めた。

 

「あ、ありがとうございます。信長殿。――――その腕!?」

 

 顔が半分割れたジャックが驚いたように炎を躍らせる。視線の先で、自分達を受け止めた信長の左腕が奇妙な方向に曲がってしまっていることに気付いたのだ。

 

「うん、折れちゃった」

 

 本人はさして気にした様子も無く腕の中の少女を覗きこむ。

 

「おーい黒ウサちゃん、生きてるー?」

 

「がはっ……ごほ!」

 

 呼び掛けに応えることは出来ず、黒ウサギは血を吐いた。生きてはいる。しかし、今はと付け加える必要があるが。

 慌てるジャックが声を張り上げる中、信長は黒ウサギを彼に預けて立ち上がろうとして気付いた。着物の裾を、黒ウサギが握っていた。

 

「ジン、坊っちゃん……耀さん、飛鳥さん」

 

 意識は無い。不死の鎧を纏っていたとしても、《月の兎》が如何に強靭な肉体を持っていたとしても、殿下の力はその全てを上回った。

 だというのに、

 

「逃げてください……信長さん、逃げて……!」

 

 ざわり。

 

 黒ウサギの声を聞いて、その姿を見て、不自然に胸が脈動した。

 

「……本当に優しいね、黒ウサちゃんは」

 

 信長は優しく彼女の指を剥がした。そして彼女の頭をそっと撫でる。

 

「でもごめんね、僕馬鹿だからさ」

 

 炎が揺れる。盛る。より強く、より大きく。

 

「こんな状況なのに、楽しくて仕方がないんだよ!」

 

 いとも簡単に飛鳥と耀をあしらっていた殿下は、飛び込んだこっちに気付くとニヤリと笑う。

 

「今度は手加減してやらないぞ?」

 

「あっそ。でも歯は食いしばってた方がいいよ」

 

「なに?」

 

 怪訝に眉をひそめた殿下が吹き飛ぶ。

 血を吐きつつ闘技場へ突っ込む殿下を追って、彼を吹き飛ばした影が飛び込む。

 その正体を知っていながら容赦なく炎を叩き込んだ。

 しかし一瞬で炎は消え去る。

 

「やっぱり駄目か」

 

「ふざけんなコラ」

 

 残念そうにぼやいたところで節々に憤怒を感じさせる声がツッコンだ。

 破砕された闘技場の真ん中に立つのは十六夜だった。

 

「こうもまともに攻撃を受けるとは……」

 

 いつの間にか突っ込んだ闘技場から離れた位置に立つ殿下。口端からは血を流していた。

 

「それにしても、お前等は仲間同士だろ? 今、殺す気だったのか?」

 

「当然でしょう」

 

 信長は十六夜の傍らへ降り立つ。

 

 そう、当たり前だ。気遣いなど無用。そんなものよりもっと大切なことが今はある。

 だからこそ、十六夜も怒っている。

 

「殺るならきっちり仕留めろ」

 

「ごめんごめん。次はそうするよ」

 

 黒ウサギを傷つけたあの少年を叩きのめす。この怒りはコミュニティの総意だ。彼女を傷付けるとはつまり、《ノーネーム》を敵に回した。

 

 会話を終えて二人は跳んだ。まず到達したのは当然十六夜。無造作に拳を振りかぶる。

 殿下は身構え真正面から拳を受け止めるが、

 

「がっ……!?」

 

 予想だにしない衝撃が守った腕を吹き飛ばす。

 体勢を崩したそこへ肉薄する信長。炎を宿した長刀を振り切る。

 先ほど黒ウサギの槍を通さなかった肌を、長刀は容易く斬り裂いた。鮮血が舞う。

 

 間を置かず次撃――――がそれより早く撃ち込まれた掌打が顎を跳ね上げる。

 真上を仰ぐ信長は、薄ら笑いを浮かべて囁く。

 

「捕まえた」

 

 掌打を放った腕を、信長は刀を手放した右手で掴んでいた。

 ゾクン、と殿下の背筋を悪寒が貫く。

 

 轟音。

 

 闘技場を、否、会場そのものを揺るがす十六夜の剛力。普段から意識的に、また無意識に力を抑えた戦い方をする彼は、このときに限ってその枷を外していた。

 

「あっはっはっは!」

 

 ただ近くにいるだけで身の毛のよだつプレッシャーを感じる。直接こちらに殺意を向けられているわけではないのに、先程から震えが止まらない。

 恐怖を受け入れながら十六夜に続いて殿下を追う。

 

『そこまでだ!』

 

 唐突に、正しく湧いて出たとしか思えない黒竜。

 

「退いて」

 

 だというのに、一切の硬直も無く信長は刀を目の前の怪物に向かって振り抜いた。

 斬撃が黒竜の鱗を切り裂き鮮血を飛ばす。

 攻撃の為に立ち止まった一瞬の間。しかしその一瞬の時間を稼ぐことが黒竜の役目だった。

 殿下の窮地に最も不安要素だったのが信長の存在。彼はかつて、少女のギフトを超えてその刀を届かせたと聞いていた。ならば万一にでもそれをさせないために、今ここで足止めする必要があった。

 

「消えた……!? まさか昼間の野郎か!」

 

「御明察」

 

 振り抜いた十六夜の拳は虚空を穿ち、目の前にいたはずの殿下の体は消えた。そしてそれに応える声があったときには、信長の前にいた黒竜も姿を消していた。

 

 一同が見上げた先に並ぶ影達。その背後にたなびく尾を喰らう三頭の龍の旗。

 《ウロボロス》。

 魔王連盟と呼ばれる、今までの事件を裏で操っていた者達。

 

 黒竜から姿を変える、漆黒の鷲獅子。

 ローブを深くかぶる魔女。

 可憐な少女。

 二色の派手な衣装を纏う道化。

 

 そして、彼等を率いるように前に立つ白髪金眼の少年。

 

 体中を鮮血に染めながら、しかし傷を気遣う少女の支えを断って、彼は不敵にこちらを見下ろす。

 やがて彼から告げられる宣告を、それぞれは様々な気持ちで聞くことになる。信長もまた、再び起こるであろう闘争に胸躍らせるのだった。




>閲覧ありがとうございまっす!

>こちらではお久しぶりですみません。そして予想通り六巻が超速で終わってしまいました。どうしよう。

>まま、まずは今話の感想としては殿下へのリベンジ+初十六夜と共闘(?)でした。当初六巻読んでたときは黒ウサギ虐められて信長君も怒り爆発な展開だったのですが、『あれ?信長君てそういうキャラだったっけ?』と元々変態以外不安定な設定が顔を出してきました。結果はあれです。
熱い展開、私大好きなんですけどね!黒ウサギ虐められて十六夜君と一緒に殿下ボッコも良かったかもと軽い後悔。

>さてさて、ここで困ったことを報告。
先も言った通り、六巻が予想通り超速で終わりまして、原作ストックが足りませぬ。いや、実際原作は8巻まで出てて、つい最近新刊きたんですが……新刊が番外編だったあああああ!
まだ中身は読んでないのですが、最初のイラスト見る限りアジさんの決着があるとは思えないw

――――で、せめてアジさんとの決着、ひいては北の話が終わらないことには書きようがないのです。実際妄想だけなら半ばくらいまで展開は決まってるんですが、見切り発車してここにきてとんでもない矛盾発生してしまうのも困りますし……
というか原作に追いついてしまったパターンが初めてでマジで困惑してます。

とりあえず、時間探して新刊読んで、黒ウサギを愛でながら先を考えようと思います。もしかしたらその間に本編の新刊出てくるかもですし!
そうすれば問題無しですぜ!

ではではー


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おまけ(学園編3)

「可愛い妹よ。大好きなお兄ちゃんを置いて行くなんて酷いぞ」

 

「誰が誰を大好きかもう一度言ってみなさい。この世のあらん限りの苦痛を与えて殺してやるわ」

 

 ツン、とそっぽを向くペスト。彼女は本気で怒っているのだが、信長はそんな彼女の姿も可愛いなぁ、と狂ったことをぼやきながら隣の席に荷物を下ろす。

 彼女達は双子だった。外見年齢が違うとかは言っちゃいけない。言えば身体中に黒い斑点を浮かべて倒れる犠牲者となるだろう。

 ちなみに、双子であるからしてクラスは一緒。席も隣同士だったりする。ペストにとっては死にたくなるぐらい迷惑な心遣いだった。

 

「あら、おはよう御二人さん。相変わらず仲が悪いわね」

 

 かけられた声にペストは顔は向けず、目だけでそちらを見る。立っていたのは予想通り、赤いリボンで髪を結わえた少女の名は久遠 飛鳥。信長やペストのクラスメートの女子生徒である。

 ペスト達を見るなり上品に口元に手をやって微笑む彼女のスカートの丈は学校の規定よりずっと丈が長い。ペスト含め、多くの女子生徒はスカートの丈を学校が定めたそれより幾分短くしてしまう中、足首が隠れるほど長いスカートを履くのは校内でも彼女くらいだ。なんでも『男児に太ももを晒す格好なんて信じられない。恥ずかしくないの?』だそうだ。意外と初心なのである。

 

「おはよー飛鳥ちゃん。それに耀ちゃんも」

 

「……はよー」

 

 ゴシゴシと眠たげな目を長い袖にすぼめた手で擦るのは同じくクラスメート、春日部 耀。こちらは飛鳥とは反対に細い足を惜しげも無く晒している。ただ一点おかしいのは、何故か上は男物の学ランを羽織っていること。この学ランについては追々明かされることだろう。

 

 飛鳥は大あくびをする耀の寝癖を直してあげながら、ふと辺りを見回す。

 

「そういえば十六夜君は?」

 

「十六夜はねー、なんか暴走族に呼ばれてるからちょっと行ってくるって」

 

「そう……可哀想ね、その暴走族達」

 

「合掌」

 

 飛鳥と耀は顔も名も知らぬ暴走族に手を合わせた。暴走族に単身クラスメートが呼び出しを受けたのにこの反応。つまりはあの少年はそれだけ出鱈目なのだ。心配するだけ無駄である。

 それに暴走族にしても憐れみはしても同情はしない。普段人様に迷惑をかけているのだから、いつか天罰が落ちても自業自得だ。

 

「それはそうと、二年から私達のクラス、担任変わるらしいわよ」

 

 あっさり話題を変えた飛鳥。

 

「なんでも去年のマンドラ先生、頭痛と胃潰瘍と不眠症、それに去年の学期終わりには鬱の気も出てたらしいわ。どうしてかしら?」

 

「心配だね」

 

「うんうん」

 

 一同は神妙に唸る。

 

(どう考えても貴方達のせいでしょう)

 

 そんな彼等の話を聞きながらペストは心の内で吐き捨てる。

 去年、この学園に入学してきた信長達だったが、初日にして学園を半壊にするまでの大暴れ。その後もなにかイベントがあれば暴れ、無ければ企画し暴れ、結局いつでも暴れる。本人達は至って純粋に、自分達の欲求に従って動いているだけなので反省はしない。そりゃ胃に穴もあくだろう。

 

「今度お見舞い行こうか!」

 

「ナイスアイデアよ信長君」

 

「じゃあ元気になってもらえるようにサプライズ考えないとね」

 

 やめておけ、と言ってやるほどペストはお人好しではない。担任……否、元担任のマンドラは特別嫌いではなかったが、別段好きだったわけでもない。彼がどうなろうと自分には関係が無い。

 

(南無)

 

 まあ、心の中でそっと手ぐらいは合わせてやろう。欠伸を噛み殺しながらペストはそんなことを考える。

 

 ガラリと教室の扉が開かれる。新しい担任のお出ましだ。いや、生贄の方が正しいかもしれない。

 新しい生贄はウサ耳をへにょらせて教室に入ってきた。




あけましておめでとうございますー。今年もどぞどぞ、よろしくお願い致します。

>(ISあとがき読んでいただいた方は二度目の愚痴ですのですっ飛ばしていいですよ!)小売業なわたくしは年末二十五日から三日までまるで年を越したとは思えない労働っぷりで発狂しております。ようやく休みじゃ休みー!!しかし明日は仕事だぜいやっふぅぅぅぅぅ!!!!

>こちらの更新はご挨拶と生存報告を兼ねましてー。十一月からぷっつりですからねえ。いっそ構想してた問題児の別作品をサンプルで載っけてしまおうかとも思ってますが、まあそれは追々考えるとしましょう。
ちなみにこの学園おまけについては、特に終わりも考えていない本当に適当なペースです。

>さあ皆さん初夢見ましたか?私はなんか全力で走りながら焼きそばパンかっ食らってました。どんな夢で、一体何を意味しているのか!今年の私は如何に!?

改めまして、今年もどうぞよろしくお願いします。今年もより一層、皆様と私を含めましていい年になりますように!


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七巻 落陽、そして墜月
一話


 《ウロボロス》の宣戦布告から数時間。《ノーネーム》を含め《サラマンドラ》全軍は一旦引き、その間に《サラマンドラ》参加のコミュニティが続々とこの《煌焔の都》に集って来ている。他にも《ウィル・オ・ウィスプ》、《ペルセウス》もそれぞれが戦いに備え残っている。

 ほどなくして、かつて《ウロボロス》のメンバーであったペストを連れたジンが彼等と作戦会議を開いている頃合いだろう。

 

 そんななか、相変わらずそういったものに参加する気のない信長はある一室に足を運んでいた。

 

「やあああああっほおおおおお!! 黒ウサちゃん元気ー!?」

 

 ドカンと扉を蹴破るほどの勢いで部屋へ突入する信長。すると常識知らずのそんな行動に怒り狂った黒ウサギが得意武器のハリセンを取り出して素早いツッコミを――――とはならなかった。

 

「あ……信長さん……。もっと静かにしないと周りに迷惑ですよ」

 

 突入後しばらくぼーっとしていた黒ウサギは、ようやくこちらの存在に気付くなり取り繕った笑顔を浮かべる。おそらく本人はいつも通りのつもりなんだろうが、彼女をよく知る者からすれば見ていられないほど痛々しい姿でしかなかった。

 かくいう信長もそう。

 

「………………」

 

 気が削がれたようで、信長は肩を竦めて彼女が横たわる寝台の横に腰を下ろす。そうして手に持っていた皿を差し出す。

 

「ほら黒ウサちゃんの好きな人参スープ。料理人さんに特別に作って貰ったんだ」

 

「……ありがとうございます。でもごめんなさい。今は食欲が無いんです」

 

 いつも天真爛漫。《ノーネーム》のムードメーカーである黒ウサギが落ち込むのにはもちろん理由がある。

 無いのだ。耳が。

 彼女が大切に大切にしている……謙遜の多い彼女が唯一胸を張って自慢しているあのウサ耳が、彼女の頭頂部から消失していた。

 

 原因は、彼女自身が言うには殿下との一戦にあったのだという。あのとき黒ウサギは必勝を約束された《インドラの槍》、そして《太陽の鎧》を同時に使った。なんでもこの二つを同時に使うと何かしらの罰則が与えられるらしい。

 結果が耳の消失――――というより、正確には神気が失せてしまった。

 時間が経てば経つほど彼女は力を失っていく。今でさえ、最早強力なギフトはおろか超人的な身体能力すら失っている。

 

 落ち込む黒ウサギの眼前に、信長はズイッと皿を押し付けた。

 

「……信長さん?」

 

「駄目。黒ウサちゃん戻ってからなにも食べてないでしょ? このままじゃ倒れちゃう」

 

「でも……」

 

「もし君が倒れたら飛鳥ちゃんや耀ちゃんが泣いちゃうよ」

 

「………………」

 

「それでも食べないって言うなら僕にも考えがある。このまま襲いかかって口移しで無理矢理――――」

 

「食べます! 食べますから近付かないでください!」

 

「……うん。冗談だよ。ちょっと傷付いた」

 

 本気で距離を取る黒ウサギに、今度は信長が目に浮かぶ涙を拭う。

 

 冗談だというのをなんとか信じてもらい――――でも少し警戒されてる――――黒ウサギはスプーンで湯気ののぼるスープを掬い、飲む。

 ――――ぐぅ、と途端にお腹が鳴った。

 

「………………」

 

「………………」

 

 妙な沈黙。

 

 フルフルと黒ウサギが震えている。顔を俯かせて、少しだけ見える顔は真っ赤だった。

 

「ぷ。くっくっくっ……」

 

「わ、笑わないでください! だって、だってー!!」

 

 一応悪いとは思って必死に耐えていた信長だったが、遂に堪え切れず噴き出してしまう。それに黒ウサギは涙ながらに抗議するが、我慢など出来ようはずもない。

 

 スープが喉を通って、体がようやく空腹に気付いたのだろう。それほどまでに彼女は思いつめていたわけだが。

 

 抗議は無駄だと悟ったらしい黒ウサギは諦めて食事を続ける。スープは温かく、体に染み渡っていく。僅かながら元気も出てきた気がする。そんな自分に現金なものだと呆れもした。

 

「やっぱり黒ウサちゃんは可愛いねえ」

 

「ぶほっ!?」

 

 ニヤニヤと食事風景を眺めていた信長の突然の発言にスープが気管に入ってむせた。

 いや、実際彼のこういった発言はいつも通りといえばそうなのだが、今は黒ウサギの精神が弱っていることもあって、面と向かって言われるとリアクションが取れない。

 

「……信長さんは可愛い女の子なら誰にでもそう言うじゃないですか」

 

「僕は正直者だからね。箱庭は可愛い子がいっぱいで嬉しいよ」

 

 心から感じたことを言った信長だったが、すると急に黒ウサギは暗い顔になる。

 

「信長さん、箱庭に来たこと後悔していませんか?」

 

 その質問は唐突で、さしもの信長もキョトンとしてしまう。しかしすぐに彼女の視線が信長の左腕に注がれているのだと気付いて、彼女の気持ちを察した。

 信長の左腕は先の一戦で折れていた。けれどその程度、《サラマンドラ》の医療ギフトを用いればすぐに完治する。実際骨はすでにくっつき、布で吊っているのも念の為だ。

 

 それが、彼女は自分の所為であると思っているのだろう。いや、信長の腕だけではない。彼女は今こうして信長達が傷付き、そしてこれから傷付こうとしていることを危惧している。

 敵は魔王連盟――――《ウロボロス》。十六夜に匹敵する力を持つ殿下。その臣下達も只者でないことは《アンダーウッド》の一件で理解している。戦えば無事では済まない。

 

「前にも言ったでしょ」

 

 信長はいつになく優しい笑顔を浮かべた。

 

「僕は黒ウサちゃん達に感謝してる。退屈でたまらなかったあの世界から、君達はこんな楽しい場所に連れだしてくれたんだから」

 

「でもそれは、黒ウサギ達の都合です。コミュニティを救ってもらおうと、最初は騙してまで無理矢理コミュニティに入れようとしました」

 

「別に気にしてないよ。利用されるのもするのも世の常だ」

 

 利用出来るものは利用するべき。

 弱ければ奪われようと虐げられようと文句は言えない。

 勝った者。力あるもの。

 それこそ正義である。

 

 元いた世界であっても、ここ箱庭でも、それは真理であると信長は信じている。だからこそ信長は騙されたことに本当に不満などなかった。

 それに、黒ウサギ達には騙すつもりはあっても悪意は無かったのだし。

 

「もしかして黒ウサちゃん、今の質問みんなにしたの?」

 

 うぐ、と彼女は喉を詰まらせたような顔をする。

 

「……いえ、まだ」

 

「『まだ』ってことはするつもりなんだ?」

 

「…………だって」

 

 まったく、兎は寂しがり屋だといつだか彼女自身言っていたが、本当にその通りだ。これは寂しすぎると死んでしまうというのも迷信だと笑い飛ばせないかもしれない。

 

「大丈夫だよ。少なくとも僕は気にしてないし、箱庭に来れて良かったと思ってる」

 

 それは多分、十六夜達も同じはずだ。しかし信長の口からそれを伝えたところで今の彼女は納得しまい。ならば彼女の気が済むまま、三人にも同じ質問をするといい。きっと、彼女はその度に泣くかもしれない。

 

 信長は椅子から立ち上がる。ここに来る前、十六夜達は鍛錬場で火龍とじゃれてくると言っていた。今更火龍程度に興味はそそられないが、彼等のやることはいつだって心高鳴らせてくれる。そろそろ顔を出したら面白いことになってるかもしれない。

 

「信長さん」

 

 扉に手をかけた信長の背に、黒ウサギからの声がかけられる。

 

「スープ、ありがとうございました。美味しかったです!」

 

 振り返るとほんの少し、彼女は普段のような温かい笑顔を見せてくれた。

 

 信長もまた頬を緩める。

 

「弱ってる黒ウサちゃんも可愛かったけど、やっぱり笑ってるほうがいいね」

 

 

 

 

 

 

 煌焔の都、第三右翼の宮前、鍛錬場。

 

 十六夜が実力でもって認めさせた援軍の化生達。《サラマンドラ》、《ウィル・オ・ウィスプ》など奇しくも全員が集まったのでそのまま作戦会議となった。

 

 そんな中、相変わらず会議には無関心な信長は集団から少し離れていた。

 マンドラを中心に話が進む。熱心な意見が飛び交う光景を石畳に座り込んで眺める信長はぽつりと零す。

 

「呑気だなぁ」

 

「え?」

 

 隣にいたので偶然耳に入ってしまった耀が訊き返す。

 

「いや、この期に及んでこんな場所にみんなで集まって話し合いだなんて、悠長なもんだなーって思っただけ」

 

 最初、耀は信長の言葉の意味がわからなかった。《ウロボロス》の宣戦布告からまだ数時間。それなのに早速駆けつけてくれた援軍のコミュニティ。加えて今は自分達や《ウィル・オ・ウィスプ》もいる。

 魔王連盟《ウロボロス》を相手に決して余裕があるとはいえないが、充分な戦力が揃っているといえる。それもこんな短時間に。

 今もこうして、十六夜のおかげで迅速な統率が取れて、作戦も順調に決まってきている。早ければ明日中にも大まかな方針は決まるだろう。

 それが彼は気に入らないと言う。

 

 耀の表情から彼女が理解出来ていないと察した信長は、自分で言う割にはいつも通りのんびりとした調子で説明する。

 

「人がいっぱい集まって、まだ指揮系統も定まってない。人が増えればそれだけ統制も取り難い。まあ同盟を組んでいると言っても普段は別々の集団なんだから、仕方ないんだけどねえ。」

 

 戦いにおいて数の優位は重要だ。しかし烏合の衆という言葉があるように、ただ数が多いだけでは時に互いが互いの力を削いでしまう場合もある。

 そう考えると、今のこの状況はまさにそれだ。《サラマンドラ》をトップに据えるにしても、他のコミュニティに関しては縦ではなく横の繋がり。いざとなったとき誰が指揮を取り、誰が従うのか――――いや、誰が大人しく従うのか。

 

「………………」

 

 言われてみて、耀も今の状況の危うさを理解しつつあった。

 同じく隣で聞いていた飛鳥の顔を険しくなる。

 

 二人がようやく理解に及んだと判断した信長は、鼻歌でも口ずさむように告げる。

 

「僕がもし敵で、こちらを狙うなら――――今かな?」

 

「っ!?」

 

 なにがしかを感じ取った耀が頭上を見上げる。空はすでに黒い契約書類(ギアス・ロール)で埋め尽くされていた。

 

『ギフトゲーム名《Tain Bo Cuailnge》

 

 参加者側ゲームマスター、逆廻 十六夜。

 主催者側ゲームマスター、      。

 

 ゲームテリトリー、煌焔の都を中心とした半径ニkm。

 

 ゲーム概要、本ゲームは主催者側から参加者側に行われる略奪型ゲームです。このゲームで行われるあらゆる略奪が以下の条件で行われる限り罪に問われません。

 

 条件その一、ゲームマスターは一対一の決闘で雌雄を決する。

 条件その二、ゲームマスターが決闘している間はあらゆる略奪が可(死傷不問)。

 条件その三、参加者側の男性は決闘が続く限り体力の消費を倍加する(異例有)。

 条件その四、主催者側ゲームマスターが敗北した場合は条件を反転。

 条件その五、参加者側ゲームマスターが敗北した場合は解除不可。

 条件その六、ゲームマスターはゲームテリトリーから離脱すると強制敗北。

 

 終了条件、両陣営のゲームマスターの合意があった場合にのみ戦争終結とする。ゲームマスターが死亡した場合、生き残ったゲームマスターの合意で終結。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗の下、《ウロボロス》連盟はゲームを開催します。

 

 《ウロボロス》印』

 

 鷹の目でいち早く契約書類の中を読み取った耀は叫ぶ。

 

「準備急いで魔王が来た!」

 

「なに!?」

 

 空を見上げ、漆黒の契約書類が降り注ぐのを見つけると鍛錬場が騒然となる。まさしく先ほど信長が指摘した通りになるかと思われたそのとき、

 

「狼狽えるな!」

 

 その一声に水を打ったように静まる。声の主は《サラマンドラ》頭首、サンドラの兄にして腹心、マンドラだった。

 

「全員配置につけ! 作戦通りに行動を開始しろ!」

 

「ですがマンドラ様! 準備が整っていない区域はどうすれば……」

 

「そんなものは魔王との戦いにおいて茶飯事だ! むしろ半ばまでとはいえ準備出来ただけでも僥倖。これより先はゲームの進行に合わせて臨機応変に対応しろ!!」

 

「はっ!」

 

 マンドラの一喝によって恐慌に陥りかけた集団に落ち着きを取り戻させる。特に歴戦たる《サラマンドラ》のメンバーは魔王とのゲームにも慣れているのか迅速に行動を起こす。

 

「へえ」そんなマンドラを見て、薄く笑う信長「サンドラちゃんのお兄さん、意外とやるもんだねえ」

 

「意外は余計だ。それより今し方、巨人達の襲来があったと連絡が入った。黒死病の娘と共に迎撃に向かってもらえるか?」

 

「んー、それは無理かなぁ」

 

「なに?」

 

「GYAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

 問い詰めようとするマンドラの声を遮って、野太い雄叫びが都市の中央から轟く。

 

「なんだ!?」

 

「巨人族が都市部に出現!」

 

「馬鹿な!? いくらなんでも早すぎる!」

 

 焦りを吐き捨てながら亜龍達が火龍の鞍に跨って迎撃体制を取る。やや遅れながら応援で駆けつけた者達も戦闘態勢を取る中で、信長――――それとウィラ=ザ=イグニファトゥスだけが虚空を見つめていた。

 

「召喚、氷結結界」

 

 炎の螺旋が漆黒の紙吹雪を巻き込んで収束する。炎の向こうからねっとりとした演技がかった声が響く。

 直後炎の螺旋は氷柱と様変わりし、砕けた。

 

「マクスウェル……」

 

「ようやく我が名を呼んでくれたね。遂に私を受け入れてくれる気になったのかな、我が花嫁よ」

 

 普段ぼんやりとしているウィラが、いつにない硬い声を出す。

 

 すると砕けた氷柱の向こうから、目の痛くなるような青と赤の外套をはためかせる優男が現れた。彼こそが巨人達を都市部へ直接召喚した張本人。ウィラと同じく、境界門を操る悪魔。

 

 マクスウェルは大胆にもウィラの眼前に降り立つとその手を伸ばす。ウィラの髪に触れようとして、蒼炎が主の少女を守ろうと踊る。だがマクスウェルは意にも介さず手を突っ込んで、遂に髪を掬った。

 地獄の炎は間違いなく男の手を焼いている。今もブスブスと肉を焦がしている。しかし彼の顔に苦痛は無く、あるのは歓喜だけ。

 

「ああ……ああっ! やっと君に触れられるだけの力を手に入れられた! この力を得るためだけに、私は時の最果てまで駆け抜けた。この恋心よ君に届けと願い続け――――ウィラ! 私はとうとう君を迎えに来たッ!」

 

「きもい」

 

 少女の拒絶の言葉すら心地良い音色のように聞き酔いながら、なお掬ったウィラの髪に口付けをしようと顔を近付ける。

 

「はーいそこまで」

 

 光の如き斬撃が閃く。一瞬早く察知したマクスウェルは跳躍してそれを躱す。

 

「今だかかれ!」

 

 マンドラの一声に押された火龍達の炎弾がここぞとばかりに空中にいるマクスウェルに殺到する。瓦礫が吹き飛び、塵が舞い、熱風が頬を炙る。

 だが、

 

「ふふ、やはり君とはなにがしかの縁が結ばれているようだね」

 

 粉塵を掻き消して、微笑を浮かべてマクスウェルはそこにいた。火龍達の一斉射撃に、まるで何事もなかったように。

 

「そうは思わないかい? ノブちゃん」

 

 一方で、ウィラとマクスウェルを引き剥がした長刀を肩に担ぎ直して信長は笑った。




>閲覧ありがとうございます

>長らくご無沙汰でございましたー。お久しぶりでございますが、ようやく再開致します。――――が、最新刊お読みの皆様はご存知の通り、今だアジさんとの決着はついていないのですが、さすがに私も我慢の限界で書き始めてしまいます!まだどこまで書くかは決めていませんが、どうぞ再びよろしくお願いします!

>お気付きの方もいますでしょうが、あまりにも問題児を書けなかった私は暇な時間を使って一話から順に書き直しています。まあそっちはメインでないので、しばらくは最新の進行をしていきますのでご安心を。
ちなみに、改丁版(?)は大筋は変わらずともちょこちょこ内容を変えていたり、信長君のキャラを今よりもう少し定着させていたりと所々変えています。お暇があれば読んでやってくだされ。

>ではではまた次話で。


>以下、10巻ネタバレ有りなので注意!!












熱いぜええええええええええええええ!なんかもうオールスターで「え?これ最終回近い??」とか逆に不安になってしまいましたー。まあ一部完らしいので間違ってはなかったですが。
これは熱い!もう胸熱通りすぎて私炎上しちゃってます。
そしてそれでも負けないアジさんどんだけチート性能なんですか。一部完まであと二巻らしいですが、もう早く次をください!


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二話

「そうは思わないかい? ノブちゃん」

 

 赤と青のド派手なコントラスト。目の痛くなるような格好は、しかし役者のような仰々しい仕草と、本人がそれなりに整った顔立ちをしている優男というのもあってそれなりに似合っている。

 ただ、悪く言えば気障ったらしい所作を生理的に受け入れられない人間、それも異性ともなれば鳥肌が立つほど嫌悪の対象となるのは仕方がない。

 

 飛鳥や耀、そしてそんなマクスウェルから狂的な熱愛を注がれているウィラは隠しもせず苦い顔で引いている。ドン引きだ。

 

 そんな中でただ一人、真っ向からマクスウェルに立ちはだかるのは、マクスウェルに負けず劣らずの優男。

 いつも通りなんの悩みもなさそうなお気楽笑顔を振りまいて、布で吊った左腕とは逆の腕一本で身の丈ほどの大刀を器用に肩に担ぐ。担いだ大刀からは、時折吐息のように炎が漏れる。

 

「また会えて嬉しいよ、マーちゃん」

 

「……ま、マーちゃん?」

 

「ノブちゃん……」

 

 何故か敵であるはずの男と親しげに話す仲間の少年に、飛鳥は顔を引き攣らせる。

 

「信長君、貴方あの男と知り合いだったの?」

 

「心友さ!」

 

 恐る恐る尋ねる飛鳥だったが、答えたのはマクスウェルだった。

 突然出された大声に、ウィラが『ひっ』と声を裏返して耀にしがみつく。

 

「私以外でウィラの美しさを隅々まで把握する唯一無二の理解者さ! なにせウィラの容姿だけで優に百を語り合った仲だからね」

 

「いやぁ、照れるなぁ」

 

「信長君、褒められたことじゃないわ。それとウィラが怖がるどころかもう泣いてるからやめなさい」

 

 注意する飛鳥の後ろで、グスグスと耀にしがみついて泣きじゃくるウィラ。恐怖に侵された瞳は、マクスウェルはもちろん、本来味方の味方であるはずの信長にまで向けられている。

 それを上手く擁護出来る自信が飛鳥と耀の二人にはなかった。

 

「だがわからない」

 

 建物の屋根の上で、道化師は芝居がかった調子で額に片手を当てて悩ましげに天を仰ぐ。

 

「ノブちゃん、君は私とウィラが運命にまでさだめられた両想いだと知っているはずだ。その営みを――――どうして邪魔をする?」

 

 仕草からセリフまで、飛鳥にしてみれば勘違いも甚だしいツッコミどころ満載の男だったが、彼女はいつもの調子でそれに茶々を入れることが出来なかった。

 あの眼。

 顔を覆う手の隙間から覗く氷のように冷たい眼。

 魂が凍えるほどの明確な怒気が放たれていた。

 

 ふざけた装いこそしてるものの敵は魔王。それも今や単独で四桁に昇格した悪魔。

 飛鳥や耀はもちろん、信長やウィラにとっても格上の敵。

 

「マーちゃんとウィラちゃんがお似合いなのは認めるよ。でもやっぱり女の子を泣かせるのは駄目だよ。女の子は笑ってるほうが可愛いんだよ?」

 

「ふ、たしかにウィラは泣いているがそれは嬉し泣きだ。彼女はシャイなのだよ」

 

「え、そうなの?」

 

「ちがうぅ……」

 

 涙声で全否定。

 

「違うってよ?」

 

「ノブちゃんは心友の言葉とウィラの言葉、どちらを信じるのかね?」

 

「ウィラちゃん!」

 

 即答だった。

 

「それでこそノブちゃんだ!」

 

 もう馬鹿らしくてやってられない。

 

 いっそこのまま二人を置いてさっさと殿下や黒ウサギをあしらったという少女やらを倒しに動いたほうがいいのではないかと飛鳥は本気で考え始める。

 今この瞬間が無駄な茶番にしか思えなかった。

 

 だから、

 

「だがいくらノブちゃんとはいえ、我が愛しの花嫁との逢瀬の邪魔はさせん」

 

「え?」

 

 失念していた。敵は境界門を操る悪魔。距離など無意味。

 それをようやく思い出せたのは、すぐ後ろから声を聞いたその瞬間。

 

 気付いた時にはすでに致命的だった。

 

「まずはウィラに付きまとう害虫駆除からだ」

 

 炎と氷が牙を剥く。

 

「こーんな可愛い女の子達を虫だなんて、失礼だよ」

 

 再びマクスウェルを引き剥がす斬撃。

 マクスウェルの生み出した炎と氷は信長の刀から生まれた炎に呑み込まれる。さらにはマクスウェルまでも呑み込まんと襲いかかる。

 

「ふん」

 

 つまらなそうに吐き捨てる。

 たくしあげたマントから発生した冷気が信長の炎を凍らせる。

 

「地獄の劫火より温いこの程度の攻撃では私に傷一つつけられはしない」

 

「どうかな?」

 

「!?」

 

 一度は凍りついた炎が氷の中で脈動する。氷を喰い破って飛び出した。

 それはまるで生きているかのようにうねり、マクスウェルの氷を呑み込んで燃え盛る。まるでマクスウェルの霊格を喰らって肥大したかのように。

 

 魔剣、《レーヴァテイン》。

 

「なるほど、悪食の炎か」一歩二歩と飛び退りながら「地獄の劫火より温いと言ったのは訂正しよう。……しかし! 私とウィラの愛ほどではない!」

 

 雄叫びと共にマクスウェルの霊格も増す。先程より強力な冷気が炎を、大気を、空間を捻じ曲げ凍てつかせる。

 喰らう炎と停止の氷。

 

 せめぎ合う二つの力の余波に飛鳥は思わず顔を庇って踏ん張った。

 

 やがて、二つの強大な力の衝突は街の一角を丸々凍りつかせるマクスウェルに軍配があがった。

 

「所詮不透明な伝承の武具に過ぎないその剣程度で我が恋心を砕くことなど出来はしない。それにいいのかい?」

 

 薄い笑みをマクスウェルは浮かべる。

 

「今執行されているルールでそんなに張り切って」

 

「あれ?」

 

「信長君!」

 

 カクン、と突如として信長の膝が折れる。

 額にびっしり浮かぶ汗。気付けば肩を荒らげて息をしている。

 

「いけない! 男の人は無理しちゃ駄目だ!」

 

 慌てたように耀の声が飛ぶ。

 

 その理由は敵が執行したゲームルールによる衰退の呪い。

 加えて信長のレーヴァテインは主の生命力を喰らって炎を生み出す魔剣。奪われる体力は普段の倍ではきかないだろう。

 

『いかん! あの小僧を守れ!』

 

 信長の劣勢を感じ取った火龍達が信長の援護に動く。

 しかしそれを敵が黙って見ているはずもない。ましてや敵の本拠地に、いくら四桁の魔王とはいえマクスウェル単独でやってくるはずがなかった。

 

「いやはや、ここは私達が愛を語るには邪魔者が多すぎる。――――蛮族など不要と思っていたが、どんなものにも使いようはあるものだ!」

 

 うんざりした顔で火龍達を一瞥し、翼のように両腕を広げる。右からは炎、左からは吹雪。

 炎熱と極寒の狭間より、数多の巨人族が雄叫びをあげながら現れる。

 突如都市部へ出現したときと同じ、マクスウェルの境界門をくぐって巨人軍が転送されたのだ。

 

 信長を援護しようとしていた火龍達は現れた巨人軍に対応を余儀なくされる。

 

「信長君!」

 

「信長!」

 

 孤立した信長が複数の巨人に囲まれるのを見た飛鳥達がたまらず飛び出す。

 

「ウィラを連れて何処へ行く気だい、小娘」

 

 そこへ再び気配なく現れたマクスウェル。

 

 道を遮られる。それだけで迂闊に動けない。

 

「君等がどこへ行こうが興味は無いが、我が花嫁は置いて――――ああ、まったく」

 

 悠然と立ちふさがっていたマクスウェルだったが、言葉の途中で呆れのような表情を浮かべると演技掛かった仕草で首を左右に振る。

 その仕草の意味を測りかねて数瞬思考に耽った飛鳥のそれは隙だった。

 

「GYAAAAAAAA!」

 

「しま……っ!」

 

 背後から強襲を受ける二人。

 振り上げた岩石のような拳をすでに振り下ろされていた。

 

 だが、拳は飛鳥を押し潰すことはなかった。

 

「邪魔」

 

 何故ならその前に巨人の体は頭頂部から真っ二つに泣き分かれてしまったのだから。

 

 炎上する巨人をさらに薙いで斬って捨てて、そこに立つのは信長。見れば先ほどまで彼を取り囲んでいた巨人達も血の海を築き上げていた。

 

「信長君……」

 

 飛鳥は素直に信長の無事に喜ぶことは出来なかった。

 彼はいつも通り笑っているものの、その顔色は決して良いとは言えず、今尚尋常ではないペースで体力を失っていることだろう。

 

 巨人達の包囲網の突破。飛鳥を襲う巨人の撃退。その一切に彼は手を抜かなかった。

 衰退の呪い。魔剣の侵食。

 それらを知りながら彼は当たり前のように力を行使した。

 

 味方である飛鳥が気付けるように、だからこそマクスウェルは呆れたように嘲弄を浮かべる。

 

「最早呆れを通り越して感動するよ。けれどノブちゃん、その行動は決して賢いとは言えないよ?」

 

「昔から賢いだなんて言われたことないよ」

 

 ふざけた調子で返す信長。

 

 大丈夫か、などと飛鳥は訊けない。どうせ答えは決まっている。

 彼は戦場を目の前に退く気はない。邪魔をすれば飛鳥とて斬ることに躊躇わない。それが信長という人間だ。

 

 わかっていても、気遣うことはやめられない。

 

「何故だい?」

 

 マクスウェルは尋ねる。

 

「それほどまでに私の邪魔をする理由がわからない。良ければ教えてくれないか?」

 

 マクスウェルはこの期に及んで悠長に会話に興じる。時間稼ぎは体力をすり減らしている信長に回復のチャンスを与え、ウィラを取り逃がす可能性を広げる。明らかに向こうにしてみれば利がない。

 それもこれも向こうの余裕の表れなのだろう。

 境界跳躍があればたとえどこへ逃げようとウィラに追いつける。回復されようと、援軍がやってこようと、撃退出来る自信の表れ。

 

 それらがわかっている飛鳥達だったが、今は迂闊に動けない。この程度の隙を突いたこところで倒せるほど容易な敵ではないのは先ほどの攻防ですでにわかっている。

 張り詰める緊張を保ちながら、彼女達は問われた少年の答えを待つ。

 やがて彼は言い放った。

 

「それはね、僕もウィラちゃんが好きになっちゃったからかな」

 

「は?」

 

「「へ?」」

 

 最初はマクスウェル。次に飛鳥と耀が間の抜けた声を思わずあげた。

 

「……ノブちゃん」底冷えするような声で「悪い冗談はよしてくれ。いくら君といえど――――殺すぞ?」

 

 それは先ほどとは比べ物にならないくらいの殺意と怒り。

 

「冗談じゃないよ。僕はウィラちゃんが欲しい」

 

「本気かい?」

 

「うん。なっといってもウィラちゃん可愛いしさ!」

 

「そんなことは許さない」

 

「なら彼女に聞いてみようよ」

 

「――――ふぇ?」

 

 唐突に二つの視線の的となった青いツインテールの少女は目を丸くする。

 それもすぐに怯えるものとなる。

 

「ウイイイイイイイイィィィラアアアアアアァァァ!!!! 当然、私を選ぶだろう? 君と私は赤い糸で結ばれているのだ。これは運命だ!」

 

「第一印象から決めてました。その大きいおっぱい触らせてください!」

 

 馬鹿馬鹿しいとしかいえない全力の告白が飛び交う。

 

 泣きそうな顔でしがみついた先の耀の顔を見上げている。その表情を見るだけで彼女がなにを言いたいのか、飛鳥はわかる。

 

 どっちも選びたくない、だ。

 

 それには飛鳥も同意する。

 相手はどちらも超弩級の変態。一方はストーカー。一方はセクハラ。

 後者については後ほどきっちりとっちめてやろうと決めつつ、今は答えを出さない限り動く気配はない。選んだ結果どうなるかはわからないが、しかし今出す答えは決まっている。

 ウィラにしてみれば非常に不本意であるだろうが。

 

 視線を合わせて頷く耀も同じ結論らしい。

 彼女が何事か伝えると、ウィラは顔をさらに泣きそうにして幼子のように頷きを返す。

 

「さあ!」

 

「さあ!!」

 

 信長とマクスウェルが詰め寄る。

 先ほどまで殺し合いをしていたくせに。

 

 耀の服の裾を掴んで俯きながらも二人の前へ出るウィラ。震える唇が開く。

 

「…………の」

 

 信長がぱぁ、と顔を明るくし、

 

「…………ま」

 

 マクスウェルが勝利を確信して天を仰ぎ見て、

 

「あ……う……」

 

「頑張って、ウィラ」

 

 今にも声をあげて泣き出しそうなほど怯えきった少女へ耀は献身的に声をかける。

 ウィラはそれに頷き返し、そうして遂にその名を口にした。

 

「の――――の、ぶながぁ」

 

 もごもごと蚊の鳴くような声で、しかししかと答えた。

 

「――――よ、っしゃあああああああああああ!!!!」

 

「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 その瞬間、二つの異なる雄叫びが轟いた。

 

「もういやだぁ……」

 

「ナイスファイト」

 

 胸に飛び込んで泣きつくウィラを、耀は同情の念を抱きながら優しく頭を撫でてやる。

 

「えっへっへー。それじゃあお言葉に甘えてウィラちゃんの胸を――――」

 

 手をワキワキと動かしながらウィラに迫ろうとする信長だったが、突如後ろに跳ぶ。刹那、信長が立っていたその位置を氷の波が駆け抜ける。

 一瞬遅れて巻き込まれたのか、信長の腕を吊っていた布が氷に閉ざされた。

 

 マクスウェルの周囲は炎と氷が踊り狂っていた。それはさながら彼の今の心情を現すかのように。

 

「ノブちゃん、どうやら君と僕が出会ったのもまた運命だったらしい。宿命だ。ウィラをかけて争う生涯唯一の宿敵」

 

「ようやく本気になってくれたね。嬉しいよ」

 

 マクスウェルは氷の表情で、しかし心底無念だというように首を振る。

 

「残念だよ。初めての心友だと思っていたのに。――――しかしいてはならないのだ! ウィラが私より愛する者など!」

 

 ウィラにしてみれば、そんなものはいくらでもいると訴えたかった。むしろ信長達は最底辺の争いなのだと。

 言ったところで聞かないのはわかっている。

 

「僕は今でも心友だと思ってるよ」

 

「決めようじゃないか。どちらがよりウィラに相応しいか!」

 

 刀を抜く信長。

 

 マクスウェルの周囲に濃密な力の渦が生まれる。

 

「見せてあげるよ。ウィラちゃんに選ばれた、ウィラちゃんに選ばれた僕の実力を」

 

「二度も言ったなああああああああああああ!!」

 

 二つの(へんたい)が激突する。




はい、シリアス回でした(←!?

>閲覧ありがとうございましたー。随分と日が空いてしまい申し訳ないです。亀更新改めナマケモノ更新とでも命名してやってください。
ここ数ヶ月は仕事がピーク通り越してオーバーヒートしてるのでまだまだ終わりは見えてこない!!

>てなわけで信長君には耀、ウィラと一緒にマクスウェル戦に参加してもらいます。飛鳥はこの後分かれて巨人達の相手をしてもらう予定です。
そして念願のウィラちゃんセクハラ万歳!!万歳!!
実はこの戦い、新刊まで通して一番の被害者でございます。皆さん黙祷。

>まま、この先も更新は遅いのですが、どうぞ気長に待ってやってください。でも更新遅いぞ馬鹿野郎!という声も受け入れます。どMなので(引き)
それでは次話でー。


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三話

 火龍、化生の連合と巨人達の戦場が都市部中央区画に移りつつあるなか、信長達の戦場はむしろ鍛錬場の真ん中を陣取っていた。

 

 鍛錬場の中央を駆けて突っ切る信長。その先で、薄ら笑いを浮かべて構えも取らないマクスウェルの首を躊躇いなく薙いだ。

 

「危ない信長!」

 

 耀の叫びと刀が虚空を薙ぐのは同時だった。

 振り返れば、氷刃の大波が押し寄せてきていた。

 

 信長の刀、レーヴァテインから炎が生まれ氷の波と激突。真っ白な蒸気をあげて対消滅。

 

「ふっ!」

 

 さらに一閃。新たな炎が生まれ、波がやってきた方向を軒並み飲み込む。

 大地を、壁を焼き尽くす灼熱。

 

「どこを狙っているんだい?」

 

 しかし、声は明後日の方向から投げかけられた。

 

 ゆっくりと信長が振り返れば、瓦礫に腰をかけて足を組んだマクスウェルがいた。

 思わずため息が漏れる。

 

「やっぱり厄介だね、それ」

 

 手慰みに刀で地面を引っ掻きながら信長は困ったように笑った。

 

「本当に瞬間的にその場から消失して、別の場所に出現してるんだね」

 

「ああ、その通り」

 

 マクスウェルは優雅に頷いて肯定する。

 

 空間跳躍。境界門(アストラルゲート)と同じくする、境界を操る全ての者達が持つという転移の恩恵。

 それは最早超スピードとか、つまらないペテンなどでもない。消えたそのときには別の場所に存在している。

 実際、信長はマクスウェルの気配を追いながら戦っているが、なんの痕跡も無く唐突に別の場所から攻撃が飛んでくるのだ。追いきれるはずがない。

 

「おまけに予備動作も無し。制限らしいものも、今のところ見つからない」

 

 フフ、とマクスウェルは笑い、

 

「まさか箱庭(ここ)でずるい、だなんて言葉を口にしないだろうね?」

 

「思ってても言わないよ。それに、困っているのは本当だけど、面白くてたまらない」

 

「それでこそノブちゃんだ」

 

 とは言ったもののどう対応しようか、そんなことを呑気に考えていた信長の目の前でマクスウェルが蒼い劫火に呑み込まれた。

 その炎は地獄から召喚された炎。蒼い劫火は魂すら燃やし尽くす。

 

「私との再会が嬉しくて我慢出来なかったのか? 可愛い花嫁だ」

 

「……きもいぃ」

 

 そんな炎も当たらねば意味は無い。

 

 信長と耀を庇うようにマクスウェルの前に立ちはだかった少女。彼女こそ唯一、この場でマクスウェルに相対することが出来る恩恵の保持者。何故なら彼女もまた境界を操る者。

 

 ウィラにとってこの対峙は恐怖しかなかった。目の前には倒錯した愛情を長年一方的に押し付けてくるナルシスト。それでいて実力があるのだから性質(たち)が悪すぎる。

 故に彼女はパートナーであり保護者でもあるカボチャと共に今日まで逃げまわってきたのだから。

 

 だが、今日ばかりは、少なくとも今この瞬間は逃げるわけにはいかない。自分ひとり逃げることは正直可能だと思う。しかしここには友達がいる。

 一度マクスウェルから助けてくれた恩人の娘。耀だけは、置いて逃げるわけにはいかない。

 

「ああ、怖いのを必死に堪えてプルプルしてるウィラちゃん……萌え」

 

「…………ひっく」

 

「信長黙って」

 

 この場において、ウィラの危険センサーなるものは背後に庇った信長にも反応しているのだから救われない。

 

「さあ、本番といこうか、ウィラ」

 

 陶酔した目でウィラを見るマクスウェル。

 ウィラは寒気の走る体を叱咤して、強く杖を握る。

 

 2人の姿は信長達の目から同時に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼い劫火が召喚されればマクスウェルが跳ぶ。

 炎と吹雪が螺旋に舞えばウィラが跳ぶ。

 

(凄い……)

 

 耀はただ呆然とその戦いを見つめていた。否、

 

(目で追うことも出来ない……!)

 

 五桁最強のプレイヤーと謳われる大悪魔。単独で四桁にまで昇りつめた境界の悪魔。

 2人の戦いは、これまで知る戦いとは文字通り次元が違っていた。

 境界を操る悪魔同士、空間を跳躍する彼女達の動きは、今まで超人的な身体能力と五感で戦ってきた耀には知覚することすら出来ない領域だった。

 

 ウィラ達の戦いにおいてスピードに意味は無い。如何に相手の裏を取るか、動きを読まれないか。

 それはチェスや将棋のような一種の戦略ゲームに似ている。

 

 2人に言わせてみれば、もしくは彼女達以外の転移の恩恵を持つ者達からしても、それぞれ転移の方式や制限が違うのだが、そんな違いなど耀はわからない。

 

「まったく照れ屋だな君は! 恥ずかしがらずに素直に私の胸に飛び込んでおいで!」

 

「絶対イヤ」

 

 返答の蒼炎を吹雪が相克。すかさず追加で拒絶の炎を召喚するも、道化師は炎と氷の渦と共に姿を消失させる。

 消えたと思ったときにはすでに別の場所に現れている。

 

 ここまでの戦いを見る限り、火力はウィラが上。しかし戦況は終始マクスウェルのペースで進んでいるように思える。

 元来戦闘向きとは思えない彼女の性格が災いしているのか、それとも理由はどうであれ単独で四桁になるまで研鑽を重ねたマクスウェルが強いのか。

 おそらくそのどちらも正しい。

 

「ふふ、これがツンデレというやつか。なかなか心地が良いものだ」

 

「もうやだぁ……」

 

 まあ、精神的な疲労がなによりも大きいと思うが。

 

 なにはともあれ、このままでは駄目だ。いずれウィラは追い詰められる。それがわかっていながら耀は動けないことに歯噛みする。

 たとえ今、ペガサスとグリフォンを掛け合わせた具足を顕現して無防備のマクスウェルの背中に猛進したとしても絶対にどこかのタイミングで気付かれる。そして気付いた後、一瞬の時間さえあれば彼等が躱すには充分なのだ。

 

「勝てない、とか思ってる?」

 

 その声にはっ、として横を見ると、信長はいつも通り懐っこい、しかしこういったときに時折見せる冷たさを感じる笑みを貼り付けてウィラとマクスウェルの戦いを見上げる。

 

「大丈夫。僕達にだってやりようはあるんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィラとの戯れ(・・)に、極上の幸せに浸っていたマクスウェルだったが背後からの敵意にはきっちり反応する。

 首だけを巡らせれば、すでに眼球の間近にまで迫った(やじり)があった。

 一瞬。しかしその一瞬さえあれば彼には充分過ぎる。

 

「酷いよマーちゃん。恋敵の僕を無視してお楽しみなんて」

 

「ああ、ごめんごめん」

 

 矢が虚空を穿つ風切り音を耳で聞きながら、マクスウェルは大弓を構える信長を縁の上から見下ろしながら謝罪する。

 間違いなく目で追えているはずのない彼がこちらを完全に向くのを待ってから、次の言葉を投げかけた。

 

「でももう理解出来ただろう? 悪いが君程度では私とウィラの足元どころか影すら踏めない」

 

 それは、実質的な勝利宣告のつもりだった。

 例外を除き、境界を操る者同士の転移の攻防はそれ以外の者にとって知覚することすら許さない正しく別次元の戦いだ。

 パワーもスピードも意味を為さない。必要なのは如何に相手の裏を取るか、だ。

 

 今こうしている今も目の前のツインテールの少女はマクスウェルの次の一手を何十通りも考え、それに対応する準備をしている。それはマクスウェルも同じく。

 そしてそれは相手を理解しようとする行為であり、この瞬間、この場所で、自分と彼女は最も深く通じあっていると言える。それはなんて、

 

(なんて素晴らしい! これを相思相愛だと言わずなんと言う!?)

 

 不倶戴天ではないだろうか。ただしウィラの場合、マクスウェルに抱くのは憎しみではなく純粋な嫌悪感だろうが。

 

「すまないが君との宿縁もここまで――――」

 

「――――そうでもないよ」

 

「なに?」

 

「ウィラそこから離れて!」

 

 視界の端を疾風の如く駆ける少女は、今まで木偶だった人間の娘。輝く具足で空を踏みしめウィラを抱いてさらっていく。

 

 それを怪訝に目で追ったマクスウェルだったが、下からせり上がってくるプレッシャーに自然視線を引き寄せられる。

 

 炎。

 

 視界を埋める荒れ狂った炎。

 炎の性質から、この炎は信長が持っていた刀からのものだろうと分析すると即座にこの場から離脱しようととりあえず数メートル右に動いた。

 

「…………!?」

 

 しかしそこは炎の中。

 

(転移を失敗した? それとも出現場所を誤ったか)

 

 刻一刻と肌が焼かれていく灼熱の中で、恐ろしいほど冷静に状況を分析したマクスウェルは再度、今度は鍛錬場の天井間際まで大きく空間を跳ぶ。

 

 ――――しかしそこもまた炎だった。

 

 それでマクスウェルは信長がしたことを理解した。

 

(やってくれる……。出現場所がわからないからといって、まさか全てを焼くとは(・・・・・・・)

 

 転移の利点は一瞬で移動出来ることともうひとつ、相手は次に一体どこに現れるのかわからないということだ。

 背後かもしれない。上かもしれない。死角に限らず最初の位置から数メートルしか違わないかもしれない。

 360度、いや世界中のあらゆる場所に現れ、消える。

 それを感知出来ない限り一瞬の内に首を落とされるかもしれないのだ。

 

 だから信長は全てを焼いた。マクスウェルの場所を暴くのではなく、現れる可能性のあるここら一帯を火の海にした。

 

 吹雪にて周囲の炎を鎮火したマクスウェルは焼け爛れた頬を笑みに吊り上げる。

 

「なかなか無茶をするね、ノブちゃん」

 

 言ったその先で、上等な着物をブスブスと焦がした信長が微笑を携えていた。

 着物だけではない。信長は体中、確実にマクスウェル以上に火傷のダメージを負っていた。

 

 信長はマクスウェルに攻撃を当てるために周囲一帯を攻撃した。それはマクスウェルに逃げる場所を与えては意味が無い。故に信長は、己が身すら巻き込んで攻撃したのだ。

 その狂気に理屈をつけろというのなら一応はある。

 

 転移の移動可能範囲はなにもたかが数メートル数十メートルというわけではない。むしろ階層すら含んだ境界門と同じ超長距離移動がその本領である。

 つまり、如何に信長が広範囲を攻撃しようともマクスウェルはいつでも逃げることは可能なのだ。ただしそれをしてしまえば同じ空間跳躍者のウィラを逃がす可能性がある。彼女もまた階層を跨いだ跳躍が可能なのだから。

 

 それを見越した上で、マクスウェルがウィラを諦めずここを逃げるはずがないと見切った上で信長は捨て身の攻撃をした。

 ――――と、一応の理屈をつけることは可能だ。だが、やはり自らを殺すつもりで攻撃するのは狂気の沙汰だ。ましてや、マクスウェルの不死性の恩恵を知った上でなど。

 

「せめてこれぐらいしないとどうやら倒せなさそうだからね」

 

 ピクリと、マクスウェルの眉根が反応した。

 

「まだ倒せるつもりでいるのかい?」

 

「当然――――だよっ!」

 

 再び炎がマクスウェルの視界を埋め尽くす。先程より火力が高い。もしかすればウィラの劫火よりも。

 おそらく、また信長は自身を巻き込んでこの炎を放っているだろう。命惜しさに腰が引けるタマではない。

 

 しかし、マクスウェルは気付いていた。この鍛錬場において唯一存在する安全地帯を。

 

 荒れ狂う炎に呑み込まれる寸前、広げた外套から巻き起こる炎と吹雪に包み込まれたマクスウェルの体は消える。

 再び現れたそこは、

 

「っ!!?」

 

 ウィラと耀がいる宙空の一帯。

 

「アハハハハハ! そうだよねえ、いくら君とて仲間は殺せないとみた!」

 

 突如空間の狭間から現れたマクスウェルに、2人の少女は目を丸くするしか出来なかった。そもマクスウェル達の攻防を理解すらしていなかったかもしれない。

 だがそんなこと、マクスウェルにはどうでもよかった。

 ここは今最も安全な場所であり、同時に目的のモノ(・・)に最も近い位置である。

 

「さあウィラ! 我が花嫁よ! 今こそその身を――――」

 

 伸ばされた腕が鈍色の刃によってはねられた。

 

「な……」

 

 マクスウェルの顔が驚愕に一変する。その胸部を、腕を跳ね飛ばした刀が貫いていた。

 

「ようやく捕まえた」

 

 体ごと預けるような格好で刀を突き刺す信長は、先程より一層深いダメージを受けていた。それはつまり彼が先刻と同じ捨て身の戦法を取った証明でもある。

 己を巻き込んで転移を無効化して倒す。転移の恩恵を持たない信長にとって唯一の作戦だったはずなのに。

 

 そうしてマクスウェルはひとつの可能性を頭に浮かべる。

 

「わざと、残していたのか?」

 

 肯定の声は無く、代わりにさらに深く刀を押し込んでくる。

 

 始めから信長の狙いがこの瞬間にあったとしたら。

 我が身も顧みない自爆攻撃。その唯一の穴が仲間の存在であるとマクスウェルは見破った。――――見破ったつもりでいた。

 しかし実際は、転移のタイミングも出現場所も、信長によって誘導された結果なのだとしたら。

 

 ゾクリ、とマクスウェルの身の内で言い知れない悪寒が走る。

 

 信長は、己の命だけでなく仲間の存在も駆け引きの道具に使ったということだ。




閲覧ありがとうございましたー。

>前回更新は一章二話の書き直し、その前後に別作品の更新を挟んでしまったので最新話更新が一ヶ月以上遅くなってしまいました。申し訳ござりませぬ。

>てなわけでVSマクスウェルさんです。ウィラちゃん含めてこの人達との戦いはテレポートだなんてチート能力を如何に攻略するかが鍵なのですが、私にそんな頭を使った戦い方は出来ませんです。
実際、禁書目録とか読んでても思うのですが、テレポートってば能力として最強なんじゃないかと私は思ってるので勝つのって難しいですね。
おまけにマーちゃんは不死性(完全ではないらしいですが)も持ってるだなんてもうほんとチーターですよ!

>さて報告ですが、最新話の更新はここまでがやっぱり限界ぽいですねー。実はマクスウェル戦の後の展開を二通りぐらい妄想しているわけなんですが、原作でこのお話をどう終着に持っていくかで信長くんの行動パターンが変わってきそうで。
おおまかにいってしまえば、アジさんと対面させるかさせないか。それ如何で現在バトル中のマクスウェルさんとの決着の仕方にも変化必要になりそうですし。

てゆーかですよ!原作がまさに盛り上がり最高潮早く続きと焦がれている今、この章の完結が想像出来るはずがないのですよ!!(逆ギレ)

とゆーわけで最新刊早くー!

>ではではまた次回ー


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番外編

この話は『魔王を名乗る男』を連載するので御蔵入りになったもうひとつの問題児シリーズの二次作品です。
なので信長君は出てきません。『次』があるわけではありません。話も一部なので途中からです。そして相当な他作品ごった煮です。

読み飛ばしても今作品の本編とは一ミリも関わらないので問題ありません。

以下は物語前に、せめてもの状況と主人公の設定情報です。



>場面は一巻、ガルド戦。飛鳥、耀、ジンの3人がゲームに参加する。レティシアがガルドに鬼種のギフトを与えているところまでは同じです。

>主人公(オリ主)

名前:シエル。性別:女。その他:とんがり帽子に黒装束というこってこての魔女服。本人も魔女を自称。飛鳥よりも『らしい』お嬢様言葉や仕草をするかと思えば、たまに砕けたりもしてる。


「あらら、随分とまあ様変わりしてしまいましたのね、ガルドさん」

 

 禍々しい森をひとり進んでいたシエルは開けた場所に出るなり、そこに(うずくま)る1頭の虎を見つける。それこそ、いや()を探していたのだ。

 

 シエルの気配を感じたのか、虎は身を起こして牙を剥いて唸る。目は血走り、毛を逆立てて。

 

 ガルド=ガスパー。シエルは目の前の虎をそう呼んだ。

 

 コミュニティ《フォレス・ガロ》のリーダー。かつては逞しい風体の人化の術を好み、小利口な紳士を気取ってみせた男。

 しかし今、その面影は欠片も残っていない。

 剥き出しの口からはだらしなく涎を垂らし、四つ足で地を踏み、その目に理性は消失していた。

 

 その姿は完全に獣と化していた。

 

 唸り声をあげるガルドを前に、シエルは赤い瞳を細めてクスリと笑った。

 

「そんなに怯えないでくださいな(・・・・・・・・・・)。わたくし傷付いてしまいますわ」

 

「っ!? G、GYAAAAAAAAAA!!」

 

 踏ん張った四肢を伸ばして一足跳びでガルドはシエルに襲いかかる。

 

 ヒラリと、漆黒のローブをひらめかせて、シエルはまるで風か水のようにそれを躱す。

 

 猛進していたガルドは開いた大口を閉じて、勢いを緩めること無くシエルの横を通り過ぎて距離を置いた場所で反転する。

 再び、離れた場所で唸り声をあげて警戒する。

 

 その様を、シエルは感情の読み取れない瞳で見つめてから、不意に視線を明後日に向ける。その方向は、つい先程から濛々と煙が立ち昇っていた。

 

「きっともう、貴方の屋敷は焼け落ちてしまいましたわね」

 

 煙の正体は今も続けられている《フォレス・ガロ》と《ノーネーム》のギフトゲーム、その際に《ノーネーム》のプレイヤー、久遠 飛鳥と春日部 耀が屋敷に篭っていたガルドを追い出すため屋敷に火を放ったもの。

 本来ならばそこで追い詰められて終わっていたはずなのだが、運良くガルドは逃げ延びた。

 しかし、ガルド自身わかっていた。所詮それは、精々数分命永らえただけであることを。

 

 このゲームはすでに終わっている。最初から彼女達とガルドとでは勝負にすらならない。

 とある金髪の吸血鬼から鬼の恩恵を得て、さらにゲームに己の命を組み込む裏ワザでどうにか足掻いてみせたものの、それでも届かない。

 最初から結果はわかりきっていた。

 

 それでもガルドはこの勝負を受けねばならなかった。何故なら、そうしなければ結局ガルドは破滅していたのだから。

 飛鳥のギフトによって悪事を暴かれ、傘下にしていたコミュニティの子供を殺したこともバレた。

 たとえこのゲームを回避していても、いつかここの階層支配者たる白き夜の魔王(・・・・・・)の手によって裁きを受けていただろう。それは死よりも恐ろしいかもしれない。

 

 そう、恐ろしい。

 ガルドは何もかもが恐ろしかった。

 

 だから力を求めた。だから全部自分のモノにしたかった。だから汚い手を使っても勝ちたかった。だから支配者になりたかった。

 だからだからだから!!

 

 ――――しかし、今の自分には何も残っていなかった。

 

 恐怖で縛ったコミュニティも、掻き集めた財産も、ハリボテの屋敷も失った。

 人化の術ももう出来ない。人語も理解出来ない。

 

 残ったのは、この姿だけ。この醜い獣の姿だけ。

 箱庭にやってくる前と、同じ。

 

(そうだ。同じ、はずなのに)

 

 僅かに残ったガルドの自我が、そこに違和感を覚える。

 ガルドはかつてとある森の守護者だった。それからこの箱庭にやってきた。

 

 ガルドはただの虎だった。多少その霊格は他の者達より高かったかもしれない。しかし始めから人になれたりしたわけではない。人の言葉を扱えたわけではない。

 今のこの姿はむしろ戻っただけ。あの頃に戻っただけ。それなのに、

 

(なんでこんなに不安になる……?)

 

 ノイズが走った。

 

 森だ。どこか今いるこの森と似ている。しかし脳裏に浮かぶそこはこの森のように禍々しくは無い。

 

 ノイズが走った。

 

 目の前で小さい虎が倒れている。腹から血を流している。苦しそうだ。

 

 ノイズが走った。

 

 なにかがいる。見た目は人のようだ。しかしそれは人ではない。あれは――――あれは――――、

 

「――――G、がAアアAあAAAAああああああ!!!??」

 

 痛い。頭が割れそうだ。頭蓋骨を直接削られているような。

 違う。魂が、ガルドの霊格そのものがなにか(・・・)にガリガリと削られている。

 

 それを傍から眺めていたシエルはぽん、と両の手を叩いた。

 

「決めたわ。わたくし●●●●●●」

 

 すでに人語がわからないガルドには彼女がなにを言ったのかわからなかった。

 しかし内にあるなにかが言った。

 

 『殺せ』

 

 それは本能などではない。そもこれはガルドの意志とは関係無い。これは今自分の自我を貪るなにか(・・・)の意志だ。

 

 抗えない。痛い。死にそうだ。死にたくない。怖い。痛い。怖い恐い恐いコワい――――

 

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」

 

 ガルド()がコワれテイく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で吠えるガルド。その咆哮はすでに声の域を超え衝撃波のように辺りの草木を消し飛ばす。

 けれど、シエルには一切その効果を及ばさなかった。

 

 ニコリと柔和な笑顔を浮かべ、彼女は虚空から一冊の本を取り出す。表紙にも裏表紙にもなんの印字もされていない、ただくたびれた赤いカバーがその年季を示す古本。

 彼女はそれを半ばから開く。

 

「出ておいでなさい――――死を視る不器用な子達」

 

 それは、はたして意味ある言葉だったのだろうか。その言葉に特別な力は感じられず、しかしたしかにそれをきっかけに事象は起きた。

 

 現れたのは女とも男ともつかない、しかし絶世の容姿を持つ人であった。一見でわかる上等な着物に、それを台無しにするように上から赤いブルゾンを羽織っている。ついでに履物はブーツだった。

 

 静かに、それは瞼を開く。

 

「またわけのわからない所に呼びやがって」

 

 開口一番、男口調で彼女は文句を口にした。短い髪をガシガシと掻きながら恨みがましい目をシエルに向けた。

 

「お久しぶりね、式。会いたかったわ」

 

「オレは一生会いたくなかったけどな」

 

 両義 式。それが彼女の名前だった。

 

「クスン。冷たいですわね」

 

 辛辣な式の言葉に顔を覆って泣き真似するシエル。

 式は益々もって冷たい目を向けた。

 

「……本当に苛つく女だ」

 

「あら」

 

 コロリと泣き真似から一転、満点の笑顔を見せる。

 

「わたくし、式のそういう口さがないところ好きよ。ゾクゾクしちゃう」

 

「もういい」

 

 いつ会っても何も変わらないシエルに、最早呆れた式はため息だけ溢して前を向く。相手をするだけ無駄だと察したのだ。

 

「早く終わらせて帰る。――――あれを殺せばいいのか?」

 

 およそ年頃の女の子が口にするべきではないことをさらりと言ってのけ、式の瞳がガルドを映す。

 

「ええ。でも殺すのは中にいるモノだけです(・・・・・・・・・・)

 

 式は怪訝に眉をひそめ、眉間に力が入る。そうして面倒そうに舌をうった。

 

「形のないものは見え難いんだよ」

 

「殺せない?」

 

 その質問に、式ははっ、と嘲るように吐き捨てた。

 いつの間にかその手にはナイフを握られていた。

 

「シエル、あれ(・・)は生きてるんだろ?」

 

 彼女の瞳に映る、彼女の瞳にだけ映る。

 ガルドという名の虎を包み込む黒い瘴気。それは確かにシエルに、式に、害意を示していた。

 ならば、彼女には殺せるのだ。それが生きているなら形があろうがなかろうが。

 

 それ(・・)が視えているならば。

 

「生きているなら、神様だって殺してみせる」

 

 魔眼。あらゆるモノの死を視る魔眼。

 

 直視の魔眼を持つ少女。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガルドは目を覚ました。覚ました(・・・・)と正常に自覚することが出来た。

 

「起きましたか?」

 

 はっと起き上がろうとして、その動きが止まった。

 その理由はその声がやたらと近かったこと。そして、何かが腹の上に乗っていたからだ。

 

「ああー、モフモフですー。思った通り……いや、思った以上の抱き心地ですわー」

 

 トロンとした声で腹に顔を埋めるシエルに、ガルドは体を強張らせて尋ねた。

 

『なにして、やがる』

 

「なにって、勝者にはそれ相応の権利が与えられるべきなのです。それを堪能しています」

 

『そんなこたぁ訊いちゃ……テメエ、俺の言葉がわかるのか?』

 

 言いつつ耳に伸ばそうとする少女の手を振り払い怒鳴ろうとして、ガルドはこの場の疑問に気付いた。

 今、ガルドは人化していない。それはつまり、人語を発する声帯を持っていないということだ。

 何故か戻った理性のおかげで自分が彼女の言葉を理解するのはわかるが、人間の彼女が今の言葉を聞いても『がー』とか『うー』とかにしか聞こえていないはずなのだ。

 

 そんな疑問に、シエルは耳を触ろうとして避けられたことに不満そうに唇を尖らせながら答える。

 

「わたくしに不可能はないですにゃん」

 

『馬鹿にしてんだろ』

 

 ウインクしながら馬鹿馬鹿しい語尾を引っ付けて喋るシエル。悔しいことに、彼女の容姿は整っているのでそんな仕草が可愛らしいのが癪に障る。

 

「はわぁー、幸せ。このまま死んじゃっても未練無しです」

 

『――――本当に死ぬぞ?』

 

 硬質な声でガルドは告げる。

 

 今、シエルの頭部はガルドの目の前だ。無防備に腹に抱きついていたりして、その気になれば頭を噛み砕いてやることも、爪で腸を引きずり出してやることも出来る。

 ましてや今はまだゲーム中だ。彼女は敵で、彼女にとっても自分は敵だ。

 

「にゃんにゃーん。出来るものならやってみにゃさいですにゃ。こんな喉をゴロゴロ鳴らしておいて。カワイイ」

 

『マジで殺すぞ』

 

 キャッキャと体の上で暴れる少女は、先ほどまでとは違い歳相応に見えた。

 

『そういえば、さっきの奴はどうした?』

 

「式ですか? 彼女はやるべきことを終えたらさっさと帰ってしまいました。まったく、折角可愛いのに愛想がないです。幹也さんもよくよく辛抱強いというか……」

 

 ブツブツとなにやらガルドには大半理解出来ないことを言うシエル。

 しかし一点、ガルドにも理解出来ると共に思い出せることがある。

 

『俺は、殺されたんじゃないのか?』

 

 あのとき、意識を失う直前。たしかに式という名の少女の刃はガルドの腹に刺さった。

 あんな短い刃の一撃で、しかし絶対的な結果を突きつけられたのを覚えている。――――死、だ。

 

「彼女が殺したのは貴方の中にいたモノです。貴方ではありません」

 

『俺の中にいたモノ?』

 

「力を得たのでしょう? 六六六外門の魔王とやらから」

 

『っ!!?』

 

 魔王の力を殺した。それは、ガルドにはおよそ信じられない言葉だった。

 

 たしかにガルドは六六六外門の魔王に魂を売った。その魔王は永らく不在で、自分と同じような野望を抱きながら力を持たない多くの者がその名と旗を掲げる。

 だからガルドも実際にその魔王と会ったことは無い。故に直接力を与えられたりしたことはないが、その残滓だけで、ただの獣だった自分が人の身を為し知恵を得ることが出来た。

 三桁に棲まう魔王とは、それだけ出鱈目な存在なのだ。顔も声も知らない相手に絶対服従を誓ってしまうほどに。

 

 それを、殺した。

 

『有り得ねえ』

 

「実際出来たでしょう?」

 

『出来るわけがねえ! ただの人間が……三桁の魔王の力を、たとえ残りっカスのような力だとしても殺すだなんて!』

 

「出来るんですのよ」

 

 クスクスと口元に手をあてて笑う。

 

「だって式は、神様だって殺せてしまう魔眼の持ち主だから」

 

『神を、殺す……?』

 

 それは神霊や星霊、そして龍のような箱庭の最強種ですら殺せるという意味なのか。だとすれば式と呼ばれたあの少女はとんでもない人間だ。いや、そんな力を持った彼女を人間という枠で収めるべき存在ではない。

 

 しかし実際シエルの言うようにすでにこの身に宿る力は消失している。人化の術はおろか純血の鬼種から与えられた力まで綺麗さっぱり。

 それと同様に、六六六外門の魔王の力を得て以来決して消えなかったわだかまる苛立ちや頭の中のもやが今はすっかり消えている。

 

「さてと」

 

 すっかり堪能したのか、溌剌とした顔で立ち上がるシエルをガルドは目で追った。そうして彼女の次の発言に目を丸くするのだった。

 

「用事も済んだことですし、ちゃちゃっとゲームを終わらせるとしましょうか」

 

『出来るわけがねえだろう』

 

 ガルドは即座に言い捨てる。力が消失しても、記憶は残っている。

 

『ゲームはすでに始まってる。これを終わらせる方法はひとつ……俺を殺すことだけだ』

 

 自身の命を賭け金にして作り上げたこのギフトゲーム。ホスト側に降参の敗北は認められていない。

 

 しかし、これは当然の報いであるとガルドは諦めていた。

 今となってはなぜああも非道なことが出来たのかガルド自身わからなかったが、自分はそれだけのことをしでかした。この場の誰もがガルドの敗北を望んでいるといっていい。

 

『だから俺はもういい。最後に正気に戻してくれたことは感謝するが、最後くらい潔く……』

 

「冗談ではありません」

 

 ズズイ、と伸ばされたシエルの人差し指がガルドの鼻を正面から押した。

 シエルは傍目にも不満そうなふくれっ面だった。

 

「記念すべきわたくしの初ゲームが敗北などありえません」

 

『敗北もなにもテメエは――――いや、待て……どういうことだ』

 

 ガルドは意味がわからず彼女に言葉を返そうとするが、そもこの状況が最初からおかしいことに気付いた。

 

(そうだ。なんで)

 

『なんでテメエはここにいる(・・・・・・・・・)!? このゲームの参加者はホスト側の俺を除けばあの2人の小娘とジンだけのはずだ!』

 

 契約書類にはたしかにそう明記したはずだった。あのとき、あの場所で言い争った3人に絞ってゲームを開催した。そこにシエルの名前はなかったはずだ。

 ギフトゲームにおいて契約書類は絶対遵守。審判権限を有する黒ウサギでさえこの状況下で許可無くフィールドに入ってくることは不可能なのだ。

 

 それなのに、今目の前にいる少女は一体どうやってここに入ってきたのか。おまけに参加者でもない彼女は先程から明らかにゲームに手を出している。確実に不正行為である。

 

「なんでもなにも……先ほど言いましたよ?」

 

 クルリと、ローブをはためかせて振り返る少女はその格好に似合う魔女の如き微笑を浮かべて告げた。

 

「わたくし、貴方のコミュニティに入ることに決めました」

 

『な……』

 

「ええ、ええ。だからまずはこのゲームを完全勝利といきましょうか」

 

 シエルの手に出現する赤い古本。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、黒ウサギ。こういうのはありなのか?」

 

 ゲームが行われている森の外で仲間の帰りを待っている十六夜は、厳しい顔で目の前で起こった出来事を尋ねる。

 返答は無い。しかしそんなものがなくとも、隣で唖然とする黒ウサギの顔がこの状況の異常を伝えていた。

 

「こんな……こんなことあり得ないのですよ……」

 

 

 

『ギフトゲーム名《ハンティング》

 

 参加者側プレイヤー一覧、久遠 飛鳥、春日部 耀、ジン=ラッセル。

 ホスト側プレイヤー一覧、ガルド=ガスパー、シエル(・・・)

 

 クリア条件、ガルド=ガスパーの討伐。

 クリア方法、ホスト側指定武具でのみ討伐可能。なお指定武具以外でガルド=ガスパーを傷付けることは不可能。

 指定武具、テリトリー内に配置。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗の下、《ノーネーム》はゲームに参加します。

 

 《フォレス・ガロ》印。

 

 

 

「契約書類を書き換えるなんて(・・・・・・・・)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛鳥と耀は2人で森を進んでいた。ジンには安全な位置に隠れていてもらい、2人でガルドを倒す気でいた。

 一度は先行していた耀が襲われるという危ない場面はあったものの、持ち前の身のこなしと鋭い勘でかすり傷にとどめた。

 本来は屋敷を燃やして追い詰める手筈だったのだが、偶然抜け道が出来てしまい取り逃がしてしまった。

 けれど耀の嗅覚もある。条件にあった指定武具も手に入れた。

 ゲームはすでに終局を迎えていた。

 

 それが《ノーネーム》の勝利であることを、彼女達は微塵も疑っていなかった。

 

「これはどういうことかしら?」

 

 今、2人の前に立ちはだかる者がいる。

 ガルドを取り逃がしてすぐ、耀がシエルという飛鳥達と同じくして黒ウサギに呼ばれた少女の臭いを嗅ぎ取ったのだが、現れた2人はガルドとシエル――――そのどちらでもなかった。

 

「まったく、わざわざ儂を呼ぶほどだからどんな相手かと思って期待してみれば、こんな小娘達とは。シエルの奴もがっかりさせてくれる。のお、セイバー?」

 

「油断は禁物です夜一。しかしまあ、私も女子供に剣を向けることに些か気が引けるのは同意しますが」

 

 一方は浅黒い肌の華奢な女性。忍び装束のような独特の服を着ており、先の発言のように大欠伸までして油断しきっている。

 それを窘めるのは同じく華奢な体格の金髪の少女。こちらは白銀の鎧を身に纏い、冷たさすら感じる無表情で真っ直ぐ飛鳥達を見つめている。

 

「敵はガルドだけだったはずだわ。まさかこの期に及んで不正を働いたの? だとしたらとんだ外道だわ」

 

「いいえ、そうではありません」

 

 飛鳥の発言に答えたのはセイバーと呼ばれた鎧の少女。

 

「この状況は我等がマスターによるものです。……とはいえ、不正ではないと言っても裏ワザではあるのでしょうが」

 

「そこはあの腹黒眼鏡の仕業じゃ。こういうことをさせたらあやつに敵う者はそうはおらん」

 

 今度はセイバーが億劫そうな顔で、夜一は楽しげに笑った。

 『腹黒眼鏡』なるものが誰なのか、そも一体今これがどういう状況なのか、飛鳥にも耀にもわからなかった。

 ただひとつだけわかることがある。これは直感だ。

 

((強い……))

 

 目の前の異色の2人、その実力を感じ取る。

 

「そっちの短髪の娘。おぬし足に自慢があるそうじゃな。ならばちと付き合え」

 

「!?」

 

 耀は一瞬たりとも目を離さなかった。しかし気付けば夜一はその手に見覚えのある髪留めを弄んでいた。

 それは今まで耀が付けていたはずのものだった。

 

「なーに他愛無い児戯じゃ。――――しかし本気でかかって来い。儂は一度も鬼事で負けたことはない」

 

「くっ!」

 

 真剣な面持ちに変わり夜一を追って駆け出す耀。

 飛鳥はそれを援護しようか一瞬迷ったが、とてつもないプレッシャーに強制的に体が硬直させられた。

 

「貴方の相手は私だ」

 

 言い放つセイバーの両手、そこにある目に見えないなにかが力の渦を巻いていた。

 

 この数分の後、ゲームはプレイヤー側のゲーム続行不可能によって終了する。




閲覧ありがとうございましたー。

>さて、まずはお付き合いくださりありがとうございました。
原作の新刊待ちとなりまた更新がストップしてしまうので、その前にもう一回更新しときたいなぁと思ったのでおまけ気分で一発書きしてみました。

>前書きに書いたように、これは問題児シリーズ二次の御蔵入り作品のひとつです。数ある妄想設定の中から信長君のを書くと決めて、妄想のまま終わってました。
大まかな設定としては、チートレベルで強すぎる女主人公とヒロインガルドさん(読者視点になる)。
ちなみに、こちらは二巻の火龍生誕祭で終わる予定でした。

>二次作品を書くのならばいっそ原作ブレイク&いろんな好きなキャラクター出しまくろうかな、がこの作品のコンセプトになります。
一部ではありましたがこの一話だけで『空の境界』『BLEACH』『Fate』『ログ・ホライズン』ですよ!しかも実はこの後、白夜叉さんまで倒してしまいます!!
これ以上のブレイクがあろうか。いやない(反語)
ぶちゃけ衝動で書きたいだけならここでなくても……と思う方もいましょうが、そこはどうぞ許してやってください。

>と、ゆーわけで!
本編再開は新刊待ちとなりますので、お待ちいただいている皆様申し訳ございません。ここまで原作追っかけてきた以上、ここだけは曲げられませんのでご了承ください。
本編は止まりますが、ときどきやってる1話からの推敲や、またこうしておまけやら番外編をふらっと更新するかもしれんですがそのときはまたどうぞよろしくお願いします。

ではでは、また次話にー


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四話

 耀は息を呑んだ。

 攻略がほぼ不可能かと思っていた空間跳躍の恩恵保持者。それを信長は今間違いなく追い詰めたのだ。

 

 信長の本当の強さは戦闘技術や恩恵の模倣などではない。彼の強さは万能とも思える対応力。

 自分や飛鳥には無い豊富な戦闘経験値。優れた洞察眼。信長は未知の敵であってもそれらから即座に対応策を構築し、実行する。

 本人は日頃から自分は頭を使うのは苦手だと言っているがとんでもない。知識こそ最も過去の時代の人間である彼は劣るかもしれないが、こと頭の回転の早さなら十六夜に迫ると耀は思っていた。

 

 刀に弓、鉄砲。そして模倣した恩恵。

 数多の引き出しを用いていつだって戦いを優位に進める信長は間違いなく戦いの天才だ。もし彼に勝てない敵がいるならば、根本的な力に絶望的な差があるような場合。かつて敗北した殿下と呼ばれる超人的な力を持った存在のような。

 

 抱き合うように密着する2人。マクスウェルに寄りかかるように体を傾ける信長が、抉るように刀を横に押し込む。常人ならばこれで致命的な傷である。

 

「!」

 

 しかしマクスウェルの手が柄を握る左腕を掴んだ瞬間、信長は即座に刀ごと体を後ろに引いた。その反応は流石であったが、それでも僅かに遅かったらしい。マクスウェルに掴まれた左腕が、まるで凍傷にでもかかったかのように赤紫色に変色していた。

 

「信長!」

 

 案じるように耀が声をあげると、信長はなんてことはないというようにプラプラ左手を振る。

 けれど下ろした左手は不自然なほど脱力しており、おそらくだが感覚が無くなっているようだった。

 

「これでも死なないのかー。本当にどうしようかなぁ」

 

 片腕を潰されても唯一変わらない笑み。対称的に、マクスウェルから薄ら笑いが消えていた。

 

「いいやノブちゃん、私は君を舐めすぎていたようだ。故に、これから先に油断は無いよ」

 

 刀が引き抜かれたことで一層出血が激しくなってもマクスウェルは顔色ひとつ変えない。やはりこの不死性をなんとかしなければこの敵は倒せない。

 

 パチンとマクスウェルが指を鳴らす。途端、炎が踊り氷が舞った。

 

 炎と氷の螺旋する境界門。先刻巨人達が現れたときのように、今度はそこから美しい造形の少女達が現れた。

 異様なのは彼女達の寸分違わぬ容姿。髪の色、輪郭の曲線、服装に至るまでまるで同じ。

 人ではない。亜人でもない。それは人形であった。

 

「コ……コッペリア?」

 

「――――の、そっくりさんかな?」

 

 思わず口に出てしまった名前に、信長が冷静に否定した。

 

 コッペリア。その名は耀達がかつて南の地で出会ったとある少女のもの。彼女もまた人形であり、あるギフトゲームに縛られていたところを《ノーネーム》がクリアすることで救ったのだ。

 

 目の前の人形達はそんな彼女と瓜二つであった。しかし、信長が言うようにたしかに違う。何故なら彼女達からはコッペリアのような自らの意志というものを感じなかった。コッペリアはたしかに人形だったが感情があった。己の境遇を悲しむ気持ちが、他人を思いやる優しさが。

 目の前の彼女達からはそういった生気が感じ取れない。

 

 召喚した人形達を凝視する耀達をどう思ったのか、マクスウェルは再び凍えるような笑みを浮かべる。

 

「3年前、とある御仁が封印した第三永久機関の成れの果てでね。封印するだけでは勿体無いと私の方で量産させてもらった。なにせ私は単独ではそれほど強い悪魔ではなくてね。――――さあ踊れ、踊る姉妹人形(コッペリア・シスターズ)!」

 

 マクスウェルの号令に従って瞳に光の無い人形達が踊り始める。手から、足から、体の各部に備えた凶器を曝け出して躍りかかる。

 

 耀は身構える。向かってくる3体の攻撃を危なげなく全て躱して1体の胴体を蹴り砕く。続けて体を捻って回し蹴りでもう1体の頭部を破壊。再度仕掛けてきた残る1体の攻撃を横にステップして躱しざま風で吹き飛ばす。鍛錬場の壁面に叩きつけた。

 容易く3体をあしらった彼女の目の前にはすでに5体の人形が迫っていた。

 

 人形達の動きは速いには速いが、幻獣達の力を得る耀には遠く及ばない。それにどうやら攻撃は近接のみ。

 しかし数が多い。

 

 2体倒している間に4体が。それを倒せば今度は10に及ぶ人形が押し寄せてくる。単体での脅威は無くともこれではいずれ捌ききれなくなる。

 

「くっ……!」

 

 そしてそれが最も早かったのは耀だった。

 信長は炎による範囲攻撃で、ウィラは転移による一撃離脱で、それぞれが敵に対処するなか、戦闘方法が近接戦闘に特化する耀は多対一を不得手としていた。加えて、なまじ強い彼女はその場に踏み止まり迎撃し続けてしまう。気付いた時には一箇所に釘付けにされていた。

 

 ニヤリと、マクスウェルの口が歪む。

 

「チェック」

 

(しまった……!)

 

 マクスウェルが歪に笑う。

 

 耀の周囲を20体に及ぶ人形が取り囲み一斉に飛び掛かった。

 五感をフルに活用して具足の輝きを全開に瞬く間に迎撃するも、遂に彼女の網を逃れた1体に背後を取られる。

 

「あ……」

 

 迎撃は間に合わない。逃げ道はすでに新たな人形達で埋め尽くされていた。

 コッペリアに似ている人形が、しかし彼女ならば絶対に浮かべない無感情な顔で迫る。その額に亀裂が走り縦に割れた。中からノコギリのような刃が溢れ出す。

 

 耀を喰らおうと飛びかかってきた人形は、しかし一閃。真っ二つに裂かれた。

 

 周囲から押し寄せてくる人形達も次々と蒼炎に呑まれて炭化する。

 

「大丈夫!?」

 

 ウィラの蒼白な顔が近くにあった。

 そして背後からの人形を倒したのはやはり信長だった。彼は問いかけるように瞳を覗きこんできた。

 

「そうじゃないよ」

 

 ウィラの劫火に守られながら、2人は真っ直ぐ見つめ合う。

 

「耀ちゃんの戦い方は、そういうのじゃないでしょう?」

 

「私の、戦い方……」

 

 蒼炎と紅蓮に守られながら、与えられた時間で耀は精一杯思い返す。自分の戦い方を。

 

 動物や幻獣達、彼等との友情の証に得たこの力。歩くことすらままならなかったこの体が、今はこうして《ノーネーム》でも十六夜に次ぐ身体能力を発揮する。

 強化された身体能力と研ぎ澄まされた五感。北の地で戦ったラッテンのような搦め手でない限り、1対1の純粋な戦いならばあの十六夜にだってそう簡単に敗北するつもりはない。

 

(――――違う)

 

 耀は思い浮かべたそれをすぐさま首を振って払った。信長が言いたいことはそんなことではない。

 

 確かに五感を頼り、超人的な運動力を駆使して戦うそれは自分の今までの戦闘スタイルだ。しかしそれは今この場で通用しない。

 

 ふと問いかけてきた少年のことを思い出す。

 信長は転移を使うマクスウェルを追い詰めてみせた。身体能力だけでいえば間違いなく自分にも劣る彼は、彼自身に出来る最大限を発揮してやってみせた。

 

 自分に、それが出来るだろうか。

 今までどうやって戦ってきた。自分の力とはただがむしゃらに、力任せに攻撃を叩きつけることだけだっただろうか。

 

(私に出来ることは……今まで頼ってきたものは……)

 

 ぎゅっ、と耀は胸にさげた生命の目録を握り締めていた。

 

 そうだ。いつだってこれが自分に力を与えてくれていたのだ。

 父がくれたこの恩恵が、友達となった者達の力を繋ぎ合わせてくれた。

 

「思い、出した」

 

「うん」

 

 満足そうに信長は頷いて、再び戦線に戻る。

 

 もう一度、耀は目録を優しく手で包む。視線は自然と信長の背中を追っていた。

 いつだって力は友達が与えてくれた。父の作品が繋いでくれた。だから、

 

 ――――勇気は君からもらう。

 

「形状、マルコシアス!」

 

 いつだって、みんなの力で前に進むことが自分の戦い方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耀の動きが目に見えて変わったことにウィラは表情を隠しもせず驚いた。速度が上がったわけではない。力が上がったわけでもない。マクスウェルの戦法を前には仮にいくら身体能力を高めようと結果は変わらなかっただろう。

 変わったのは動き出しの早さ。

 人形達が取り囲むより早く死地を脱し、人形達が重なり合った瞬間を見定めて一気に薙ぎ払う。

 

 元々耀の戦闘能力は単体でいえばこの場において最も上だとウィラは思っていた。

 しかし自分やマクスウェルのような境界門を操る者を前にスピードは意味を為さず、また無限に思える人形を召喚する敵の戦術にパワーは必要無い。

 耀とマクスウェルでは絶望的に相性が悪かった。

 

 だが彼女の動きが一変した。巧妙な連携で取り囲もうとする人形達の動きを先読みして抜け出し、逆に重なり合った瞬間を狙いすまして複数体を一撃で破壊する。

 もとより速度は圧倒的。足止め出来なければ人形達では彼女には追いつけない。

 

 最初はただ冷静になったのかと思った。しかし時折空間跳躍でちょっかいをかけるマクスウェルの攻撃にまで彼女は対応し始めていた。それはもう五感の鋭さや予測では説明しきれない。予兆のない転移攻撃を予測することは出来ない。

 

 ならば彼女のこれは一体なにか。

 ウィラはそれを知っている。

 

(コウメイと……同じ)

 

 かつて自分をあの変質者から救ってくれた人物。耀の父親。

 彼は今の耀と同じような動きでマクスウェルの空間跳躍を完封してみせたのだ。

 

 マクスウェルもそのことに気付いている。だからこそ今までにない真剣な目で耀の動きをじっと観察している。全ては彼女の使っているギフトの正体を看破するために。

 

 使っている恩恵は同じでも、コウメイと比べればやはり耀はまだ幼い。動きが正直である以上、その動きを逆算することでギフトの正体は自ずと暴かれる。

 戦闘を苦手としているウィラでさえ彼女が使っているそれが未来視の類であることまでは予想がついている。マクスウェルならば完全にとはいかずとも、そう時間はかからず使用制限諸々まで見極めてくるだろう。

 

 だからこそ、勝負は敵が見に徹している今。そして無論、打つのは逃げの一手だ。

 

 マクスウェルの不死性が予想以上だった。現状、ウィラと耀、信長ではマクスウェルに致命傷を負わせることは難しい。

 ならば逃げる。その隙を作る。

 

「ウィラ!」

 

 そしてその結論は耀も同じだったらしい。

 

 ウィラは耀から演習場を吹き飛ばすくらいの広範囲の全力攻撃を頼まれる。しかしこれがマクスウェル相手に必殺にならないことは耀も承知の上。故にこれが次に繋げる為のものであることをウィラは察した。

 耀は生命の目録からなる火鼠の衣で防げる。信長とて炎のギフトを操る以上問題はないと判断する。

 

「10秒……ううん、5秒時間を稼いで!」

 

 耀がそれに頷くのを確認してから、ウィラは全力の蒼炎を放つ為に精神を集中させる。

 

 耀が未来視――――もしくはそれに準ずるギフト――――を得たいま、この場で最も危ないのは信長であった。彼は先ほど自爆紛いの奇手でもってマクスウェルを一度は追い詰めた。

 しかしそれはあくまで彼が攻めた結果である。

 

 無限に等しい人形の波状攻撃。加えて時折混ぜられるマクスウェルからの転移攻撃。

 それらを前に洞察眼と反射神経、炎の範囲攻撃程度だけでは絶対に防ぎきれない。

 そしてこと守りになれば1回2回の奇策では対応しきれない。防ぐにはある程度永続的な対抗手段が必要になる。それが信長にはない。

 

 それがわかっていたからこそ、ウィラは全力で、最速で精神を集中させていた。

 彼のことは少し……いやかなり……というかマクスウェルと同じくらい苦手だが、それでも友達である耀の仲間なのだ。ならば守ってみせる。

 

 耀が信長のもとへ駆けつけて救援に入る。乱戦覚悟の接近戦で3秒後、信長の炎を糧にした巨大な竜巻で周囲の人形を吹き飛ばす。

 同時にウィラの準備も整った。

 

「召喚――――愚者の劫火!」

 

 最大火力。大地から噴き出す蒼い風は人形達に襲いかかると音もなく灰燼に誘う。

 正しく地獄の炎熱は次元すら歪めかけていた。

 

「すっごーい!」

 

 渾身の一撃に一時放心していたウィラの長い耳が幼く喜ぶ声を聞きつける。耀に首根っこを掴まれて空を飛ぶ信長の姿を確認する。

 まだ戦いは終わっていないと思い出し、ブルブルと顔を横に振って意識を無理矢理覚醒させて耀を見た。

 

「どうするの?」

 

「逃げる」

 

「ええー!!」

 

 躊躇いなく言い放つ耀。信長は明らかに不満気な声をあげた。

 

 最初はウィラも驚いたものの、倒せないと結果が出たいまこれ以上戦っていてもこちらが追い込まれるだけだと納得する。なによりも、これ以上あんな変態と戦わなくていいのなら彼女としても万々歳である。

 

 しかし納得出来ていない者が1名。

 

「逃げるのが悪いとは言わないけど、せっかく楽しくなってきたのに」

 

「ならあのストーカー倒す作戦ある?」

 

「無い!」

 

「なら黙って」

 

 胸まで張って堂々答える信長の頭部を、耀は割りと本気めに殴った。『厳しいなぁ』などと言いながらまだ未練がましくぼやく信長。驚くべきタフさである。

 

「い、急がないと」

 

 ここに来て呑気にも思えるやり取り。頼もしいやらなんとやら。

 だがそんな時間はもう無い。じきに先ほどの劫火も消える。そうなればマクスウェルは次の手を打ってくるだろう。今度こそ、こちらを全滅させる最悪の一手を。

 

 それは承知しているらしく、耀はキョロキョロ辺りを見回して指をさす。そこは第四右翼の宮。丁度マクスウェルの最後にいた位置からは死角になっている場所であった。3人はそこに飛び込む。

 

 ウィラの境界は、ウィラ以外の者が通るならば繋げっぱなしにしていなければ生きている者は通り抜けられない。途中で閉じてしまえば死んでしまうからだ。故にここから追跡不可能な場所へ瞬時に逃げられる方法は無い。

 原始的だが、物陰に隠れてやり過ごすしか無い。

 

 炎が、晴れる。

 

 水蒸気の靄が晴れた向こうで、喜々と笑みを浮かべるマクスウェルを想像してウィラは身震いした。

 いくら5桁最強の大悪魔と謳われようと、中身は戦闘には向かない内気な少女。魔王との命を賭したギフトゲームなど本当は今すぐ逃げ出したいほど怖かった。

 それでもウィラがさっきまで頑張って戦えたのは、彼女が本当に優しい少女だったから。友達である耀を見捨てられない。北の人達を守りたい。その一心だった。

 心優しい彼女は、彼等を見捨てて自分ひとり逃げることが出来なかった。

 

「ウィラ……? ああウィラ!! ――――ウィィィイイイイイイイイイイイラアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 マクスウェルの絶叫が聞こえる。病的なまでに求めた相手が逃走したと知った悲痛と憤怒の絶叫。

 

「っ!!」

 

 絶叫を聞いて、怯えたウィラはほとんど無意識に近くのものにしがみついて顔を埋める。悲鳴でもあげようものなら場所がバレてしまう。そう思って目を強く瞑って必死に声を押し殺す。

 そんな彼女の耳に、そっと手が当てられた。マクスウェルの声が聞こえないように耳を塞いでくれた。

 

(あ……)

 

 しばらくすると、やがてマクスウェルの気配が消える。それから少し遅れて、耳を塞いでいた手も退かされた。

 

 気配が消えたとわかっていても、長年ストーキングされていたウィラの心臓は怯えた小動物のように忙しなく高鳴っていた。

 それでも思考は徐々に平常心を取り戻し、そっと瞼を開けることが出来た。

 

「大丈夫? ウィラ」

 

 一番最初に目に入ったのは、気遣わしげに眉根を下げた耀の顔だった。友達の顔に、急激に安堵したのか鼓動も平時の調子におさまる――――

 

「いやぁ、僕的には柔らかくて温かくてちっちゃいのに大きくて得も言えないくらい幸せなんだけどさー」

 

 ――――のを通り越して心臓が止まった。

 

 耀は現在ウィラの目の前にいる。ならば、今抱き着いている人物は誰か。

 

 ギギギギ、と錆びた人形のような挙動でウィラは抱き着いている人物を見上げる。元の造形は精悍な顔立ちをしていながら、今はそれを台無しにするだらしない笑い顔。

 

「大丈夫?」

 

 はたして、ウィラは抱き着いた相手が信長だと認識すると泡を吹いてきゅう、と気絶した。

 

 ただ、後に気絶から立ち直った彼女ははたと首を傾ぐことになる。マクスウェルの絶叫に自分が怯えたとき、耳を塞いでくれたのが一体誰だったのか。

 耀だったのだろうか。それとも……。




閲覧ありがとうございますー。

>どうもお久しぶりでございます。まずは何より先に、更新停止でご心配をおかけしてしまった皆様申し訳ございませんでした。

>実は今月末に試験がありまして(この間終わりました)、それの勉強で他作品含めて執筆をやめておりました。
ちょうど問題児は原作追いついてしまい停止中、他作品も各々の理由で止まっていて、告知はまあいいかーなんて思っていたのですが、一部感想や果てはメッセージでまでいただいてびっくりしたやらオロオロしたやら。
いやはや本当に申し訳ありませんでした。

>てなわけで、ちょうどよく新刊も出てようやくこの連盟旗&アジさん編を進められます!
新刊読んだ人はわかるでしょうが、最後の部分については次巻がないと調整は必要そうですがとりあえず決戦まではいきます!

>ご心配をかけたり失望されたり罵られたり――――いいとこないな――――作者ではありますが、改めましてどうぞこれからもよろしくお願い致します!

>そして実は、生まれて初めての敗走だった信長君。
殿下君との戦いは敗北であって逃げることはしませんでしたし。


以下、新刊ネタバレ含みますので、駄目な人は上へ逃げてください!!







































まじジャックさんかっけええええええええ!そしてそれすらも呑み込んでしまうアジさんもイケメンすぎる!!

多分現状、私的にベストバウンドです。


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五話

 煌焔の都に、『それ』いた。

 

 火竜達のコミュニティ、《サラマンドラ》が統治する都の象徴ともいえる、高くそびえ立つ活火山。その地下深く。深く、深く、深いその場所。

 まるで地獄の入り口か、はたまた地獄そのものとも思える暗闇と静寂の世界。常人ならば1時間と保たず精神に異常をきたしかねないその場所に、『それ』はすでに200年もたった独りきり。だが『それ』が精神を崩壊させることはなかった。年月も闇も静寂も孤独も、その程度のことで壊れるほどやわな存在ではなかった。それだけで断言することが出来る。それは――――正真正銘の化け物(・・・)だった。

 

 しかしそこに居る理由は、決して『それ』が望んだ結果ではなかった。それはこの暗闇に灯りが灯ればすぐにわかったことだろう。幾重もの鎖がその身を貫きながら縛り、頭頂部から顎にかけて白杭が貫通し縫い止められていた。

 狂えるほどの世界。執拗なまでの縛鎖。それを200年。

 

 その程度、『それ』にとって至極どうでもいいことだった。

 

 この状況は確かに望んだことではない。しかしだからといって助けを乞うものでもない。

 諦観しているわけではない。ただ、本当にどうでもいいと思っていただけなのだ。

 いずれ来るべき時がくればこの枷は外れるだろう。その確信が『それ』にはあった。何故なら己はその為の存在なのだから、と。

 

 故にこの200年。身動ぎひとつせずただ目を閉じて眠っていた『それ』だった――――が、その眼が開かれる。闇に灯る赤い光。対になるように等間隔に。それが3組。

 『それ』の目だった。『それ』は頭部が3つあった。鱗は無い……が象牙色の肌は岩のようであった。肌以外の体の造形こそまるで人のようだが、そこに生える3つの頭部が『それ』の正体を明らかにしていた。野太い長首を辿れば蜥蜴か鰐のような頭が鎮座している。

 

 純血の龍。箱庭の最強種。その一角が『それ』の正体である。――――いや、正体(在り方)でいえばもうひとつあるのだが……。

 

 兎に角、長い年月を停止していた三頭龍は頭部をもたげた。その際、肢体を貫いた鎖が与える激痛より、ジャラジャラと耳障りな音に不快感を得た。三頭龍にとってこの戒めはその程度でしかないのだ。

 

 見上げた先は当然の如く暗闇だった。たとえこの完全な闇の中で目が利いたとしても見えたのは冷たい岩盤であっただろう。

 しかし三頭龍には見えた。否、感じられた。

 戦っている。この上で。地獄の釜の蓋の上で蔓延る有象無象の熱気を。雄叫びをあげ、武器を掲げ。ある者は打算で、ある者は信念を胸に。各々が各々の理由から、宿命から、ぶつかり合い……消えていく。命の灯火が消えていくその様は、生誕祭で吹き消されるロウソクの火より儚くあった。

 

「――――――」

 

 くぐもった重低音。その音は龍が笑った音だった。

 ただ、極めて醜悪だった。極めて邪悪だった。

 そしてそれこそが『それ』の在り方だった。

 

 汝、悪であれかし。

 

 それこそが、それだけが三頭龍に願われた。だから、故に、三頭龍は願われるまま、望まれるまま悪であった。人界のあらゆるものより醜悪に、あらゆるものより邪悪で在り続けた。悪すら呑み込む悪。それが三頭龍の在り方だった。

 

 箱庭の黎明期、世界にまだ天と地が生まれたばかりの頃。数多の神仏が蔓延り生まれた秩序。それと丁度対となるように共に生まれた膿。世界の敵。最初の災い。現在では天災(・・)と称される所以となった、真にそれを体現するもの。

 それこそが、最強種と共に三頭龍が冠する正体。

 

 だからこそそれは想う。願われるままに。望まれるままにそうなった怪物は、まるで祝福するように頭上の者達へ向けて想いを綴った。

 

 ――――この世に災い在れ。

 ――――三千世界に呪い在れ。

 

 終末の顕現者は頭蓋を杭に貫かれていようと構わず笑った。どこまでも醜く。どこまでも邪悪に。

 ただ、その顔にはどこか歴戦の英傑達と同じ面影があった。戦場で強者と出会ったときの、歓喜の笑みに。

 

 

 

 

 

 

 

(――――なんだ?)

 

 三頭龍は、不意にその双眸に怪訝な光を宿した。

 三頭龍は言語を持ち合わせない。それは操るだけの知能を持たないのではなく、人々の望む怪物性を高める為、敢えて話さない。まあ、三頭龍以外いないこの場において、人語の有無など問題ではないのだが。

 閑話休題。

 

 不意に6つの目に宿った怪訝な光。その理由は頭上で行われている戦い――――正確にはそこにいる者達の中に異物が紛れ込んでいることに気付いたからだ。一際強い力を持つふたつの存在。これはいい。異物はそこからやや離れた位置にいた。

 何時の世も、戦場に立つ者は皆何らかの想いを持っている。戦う理由と言い換えてもいい。わかりやすい例は富と名声。俗物であるが故にそのふたつを理由に戦場に立つ者は多い。あとは恩に報いる為の義理や立場故の義務感。肉体を操られていても、精神を侵されていようとも抱く想いは変わらない。ましてや消えやしない。かくいう三頭龍も、己が災いたらんという想いを持っているといえよう。

 

 だが、この異物は違う。なにも感じることが出来ない。生きることに希薄というわけではない。意志の無い人形というわけでもない。気配は間違いなく人間であるはずなのに、それが人間であることが信じられなかった。

 そんな存在が俗物な願いを抱いているはずがない。しかしどうしても何も見えてこない。

 

 ――――早くおいでよ。

 

 気のせいか。この静寂の世界で声を聞いた気がした。

 

(まあいい)

 

 高揚していた気分を削がれながら三頭龍は――――アジ=ダカーハは、解封の時を再び瞼を閉じて待つことにした。

 

 アジ=ダカーハは終ぞ気付かなかった。そもそも何故端からそれを異物と断じたのか。そして何故、それを考えるだけで気分が削がれたのか(・・・・・・・・・)。その理由を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにか言った? 信長」

 

「ううん。なにもー」

 

 耀が尋ねると、信長は相変わらずゆるんだ笑い顏で首を横に振り、再び戦場の街へ目を向けた。

 

「いやぁ、みんな派手にやってるねー」

 

「不謹慎だよ」

 

 む、と険しい顔をする耀。信長はごめんごめんと言いながら、しかし態度を改めることはなかった。喜色満面で戦場を見やる。

 

 マクスウェルを撒いた信長達は一度戦場を一望出来る宮殿へ逃れた。戦っている間は他に気を配る余裕が無かったが、気付かぬ内に戦いは大きな変化をみせていた。救援。信長達側の。

 信長達がいるところからふたつほど区画を跨いだ先に驚くべきことに大津波が発生していた。焔の都、それも陸続きのこの場所で、建物を呑み込むほど大きな水を生み出せる人物を信長は1人だけ知っている。南の地で出会った隻眼の男。七大妖王の一角を担う仙龍、《覆海大聖》、蛟魔王。

 確かちょうどあそこには飛鳥もいたはずだ。あの一帯はもう心配いらない。

 

 しかし変化は良いことばかりではない。時間が、思ったより経過していた。そして戦いは激化する一方。つまり、敵味方問わず被害が目に見えて表れていた。

 実際この宮殿からでも決して少なくない屍が見て取れる。先ほど耀が信長に怒ったのはこれが理由である。

 信長は悟られぬよう隣の少女を盗み見た。戦場を苦い顔で見つめる耀。それでも取り乱したりしないのは大したものだった。時折聞く彼女の世界を思い浮かべる限り、彼女の世界は信長とは違い争いとは縁遠そうな印象だった。しかし彼女は泣き叫んだり、怒鳴ったりせず、ただただ真っ直ぐ戦場を見つめる。

 動揺が見られないわけではない。普段変化の乏しい顔は険しく固まっている。瞳は揺れ、まるで安定剤のように胸にさげた生命の目録をずっと握り締めている。それでも彼女が必死に冷静を保とうとしているのは、戦いがまだ終わっていないことをよくわかっているから。

 

(やっぱり耀ちゃん達は芯が強いなぁ)

 

 きっとあの津波の下では、もうひとりの仲間である気丈な赤い少女が化生や火竜を叱咤激励でもしているかもしれない。思い浮かべるだけでも口元がゆるむ。

 

「信長」耀は戦場を見つめたまま「どっちが勝ってると思う?」

 

 信長はうーん、と考える素振りをみせてから答える。

 

「優勢なのはこっちかな。呪いの件を除けば士気も大分高い。援軍もきたしね」

 

 幾分耀の顔が和らいだ。同じ推測をしていただろうが、口に出して他人に言われてようやく安堵したようだった。

 実際信長の言った通り、戦況の優劣をつけるなら間違いなくこちらが優勢であった。それはここから見える巨人の屍の数が物語っている。耀が今こうして平静を保てているのも味方の死者が想像以上に少ないことと、その少ない味方の骸の中に顔なじみの顔がなかったからだろう。もしいればここまで気丈ではいられなかったに違いない。

 

(どちらにしても、ウィラちゃんより精神面ではずっと強いや)

 

 ウィラはというと、顔面蒼白で耀の服の裾を掴んで震えている。北側最強のプレイヤーといっても得手不得手はあるようだ。

 

 心の内だけでそっとそれぞれの評価を下しつつ、信長は再度戦場へ目を向ける。目を閉じて、静かに空気を吸い込む。

 こうしているだけで強い気配をいくつも感じる。信長の場合、これは恩恵や耀のような鋭敏な感覚器官からくるものではないので、曖昧な、例えるなら第六感といえるべきものである。火竜や化生、敵方の巨人達の雄叫び。飛鳥。ペスト。蛟劉。敵の黒竜や操られたサンドラ。他にも南の地で戦ったアウラやリンという名の少女。これだけの強者が跋扈している。彼等の戦場は先のマクスウェルとの戦いと同等、或いはそれ以上だろう。

 

「……ははっ」

 

 想像しただけで笑いが溢れてしまった。抑えきれない。今すぐにでも目の前の戦場に斬り込みたかった。

 信長にとって生とは死だ。死を感じる瞬間こそ、最も強く生を感じる瞬間だと考えるからだ。前の世界ではただ無為に過ぎていく日々に恐怖を――――否、怖れることすら出来なかった。なにも起きず。なにも成らず。自分が果たして生きているのか死んでいるのか。それすらもわからなくなっていた。麻痺していく心は、その通り生きていても死んでいても同じことだっただろう。

 

 そんな信長にとって最も不幸だったのは、彼がその時代の誰より強かったこと――――ではない。最も不幸だったのは、彼がそんな歪な方法でしか正気を保つことが出来なかったことだった。たとえ彼が世界から逸脱した存在であったとしても、普通のことに喜び、怒り、哀しめたのなら、元の世界であってもなんら問題はなかったことだろう。

 しかしそうはならなかった。織田 三郎 信長は狂っていた。そしてその歪さを、彼自身がよく理解していた。理解した上で受け入れていたのだった。

 

 信長にとって不幸とも思えるその歪な生き方は、しかしこの瞬間においては最大の幸福に変わる。目の前には死が充満している。己と同等、或いは超える強者達が跋扈している。鬼子ともまで呼ばれ蔑まれた彼にして場違い甚だしい、この箱庭の世界でも至上の存在達が剥き出しの闘争心でぶつかり合い、消えていく戦場。その様はとても――――、

 

「――――綺麗だ」

 

 純粋な眼差しで、敵味方の差別なく、心からの賛辞を気付けば口にしていた。

 

 不意にズズン、と宮殿が揺れた。否、宮殿ではなく都そのものが揺れたのだ。その証拠に今目の前で区画一帯が崩壊した。比喩でも誇張でもない。区画が丸ごと瓦礫の山と化していた。古参の魔王達までひしめくこの戦場で尚強い気配を持つふたりの激突。間違いないと信長は確信する。あそこで戦っているのは十六夜と、敵方の大将、殿下だ。

 

「あーあ、また殿下君と戦いたかったなぁ」

 

 信長は切なげに目を細めて、愚痴っぽくこぼす。それは以前、殿下と正面切っての戦いで敗れたから――――だけではない。かつて信長はあそこで戦う両者どちらとも戦った経験がある。だからこそわかる。この戦いの勝者は間違いなく、十六夜であると。

 殿下も充分規格外の力を持っていたが、度合いでいえば十六夜がまず上だ。となれば負けてしまう殿下ともう一度戦う機会はもうないかもしれない。だからこそ信長は残念だと肩を落としたのだ。

 

(いっそ今からあそこに横槍をいれちゃおうっかなー……。あれ? それ凄くいい考えじゃないかな?)

 

 不意に浮かんだ考えに、脳内会議は即時賛成。既決。決まれば疼いた体の赴くままに飛び出そうと手すりに足をかけて、

 

 

 

 ――――絶望の蓋が開かれる。

 

 

 信長はピタリと動きを止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに……これ……?」

 

 信長の行動を首を傾げながら見ていた耀は、突如悪寒に襲われ顔を強張らせる。今にも座り込んでしまいそうなほど震える体をさすることでなんとか宥め、こみ上げる吐き気を必死に堪えた。

 ようやく落ち着いてきたところで視線は無意識に空を仰いでいた。それは彼女の鋭敏な五感が、この正体不明の不調の源をすでに捉えていたから。

 

 黒い雲に覆われていた空に突如吹いた突風が切れ間を生んだ。零れる月明かりは、しかし地上に届くことはなかった。何故ならそれを遮る存在がいた。

 広げられた漆黒の翼。象牙色の肌。三つ又の首。星の如き輝きを持った赤い瞳。

 生物でありながら系統樹を持たない。進化ではなく突如発生した(・・・・)現象とも呼べる唯一の種。

 

「嘘……そんな……龍種の、純血……!」

 

 目の前の光景を受け入れたくないというように頭を振るウィラ。その顔色は元々色白な上に拍車をかけて青白くなっていた。

 

「――――――」

 

 三頭龍が動いた。都を見渡すように三つ首を巡らせて、不意に動きが止まる。漆黒の翼が肥大した。

 

「――――まずい! ウィラ、信長逃げて!!」

 

 耀とて何が起こるのかわかったわけではない。しかし直感に従ったその言葉はこの場の誰よりも早く危機を察知したものだったが――――それですら遅かった。

 翼が一度羽ばたく。たったそれだけ。それだけで空が切り裂かれた。生まれた突風は建物を根刮ぎ浚い、蛟劉の津波も、巨人も火竜も、全てを等しく薙ぎ払った。

 

「きゃあ!?」

 

「ウィラ!」

 

 耀達のいた宮殿も例外なく、羽ばたきひとつで崩壊。宙空へと投げ出される。

 

(風が暴れて上手く掴めない……!)

 

 ウィラを救おうと空中で必死に姿勢を立て直そうとする耀だったが、三頭龍の羽ばたきで風が狂ったように暴れていて上手く身動きが取れない。四苦八苦していた耀の目の前で、ウィラが光にさらわれた。状況を理解するより先に彼女自身もその光に捕まり、気付けばその背に乗せられていた。

 

『掴まって! 今すぐここから離脱します!』

 

 黄金の山羊。光の正体は飛鳥の新しい恩恵、アルマテイアだった。

 

「だ、駄目だ! みんなを置いて逃げられない!」

 

『今の状況を見なさい! あの魔王は本物の最強種! 実力の差がわからないほど未熟ではないでしょう!』

 

 アルマテイアの叱咤に押し黙る。アルマテイアとはまだ出会って間もないが、彼女ほどの神獣が取り乱すぐらいあの龍は危険なのだとわかった。

 

(それでも……)

 

 再度口を開こうとした耀は、はたと気付く。足りない。この場にいるべきもうひとりの姿が無い。

 

「信長?」

 

 眼下で崩壊する宮殿に、彼の姿は見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グチャリ、と嫌な音が耳朶をうった。痛みより先に嫌悪感が湧き上がってきて、だがやはりすぐに壮絶な激痛が十六夜の脳を貫いた。

 

「十六、夜……さん?」

 

 振り向きたくないな、と十六夜は思った。黒ウサギの笑った顔も、怒った顔も好ましいと思っているが、今の顔は見たくないと思った。

 

「十六夜さん!!」

 

「くっ……あ、あああああああああああああ!! 黒ウサギを連れて逃げろアルマテイア!!」

 

 せり上がるものを強引に飲み下し、駆けつける直前見つけた仲間へ向けて叫んだ。気配は一瞬で近くなり、背後から悲痛に満ちた言葉がかけられた。

 

『っ、ご武運を』

 

「ああ。そいつら頼んだ」

 

「や、嫌です十六夜さん!」

 

「駄目だ十六夜!」

 

 黒ウサギと耀の震えた声。その声が遠ざかることで、十六夜はようやく安心して後ろを振り向いた。思った通りアルマテイアの背に乗せられた彼女達はすでに手の届かない距離まで離れている。

 

「ごめん。旗を取り戻す約束は、果たせそうにない」

 

 口から出たのは十六夜自身驚いたことに謝罪だった。

 

(そういや、他人に心の底から謝ったのは生まれて初めてだったかも)

 

 我ながらしょうもない人格だと呆れる。ヤハハ、と笑ったつもりが口から出たのは赤い血だった。

 腹の傷は完全無欠に致命傷。殴りつけた右の拳は、正直見るのが嫌なほど原型をとどめていなかった。

 

(勝てない、か)

 

 理屈ではなかった。自分より体の大きい輩は問答無用で叩き潰してきた。自分より年上の奴だって腐るほどねじ伏せてやった。人間、神様、英雄の子孫。つい最近では人類最終試練なんてゲームもクリアした。

 しかし、目の前のこれはそれらとは違う。違いすぎる。

 作戦があればとか、油断を突こうとか、そういう次元の話ではない。十六夜にとって初めての出会いだった。自分なんかとはあまりにも格が違いすぎる。

 

 十六夜はそれに名を問うた。少しでも時間稼ぎをしたかったのもある。だがそれ以上にそいつを知りたかった。

 三頭龍は名乗る。本来怪物に人語を操る意味は無いと前置きながら、しかし龍もまた高揚していたのか高らかに名乗った。我こそは災厄である。我こそは悪である。我こそは世界の敵である、と。

 

 《拝火教》神群が一柱、アジ=ダカーハ。箱庭第三桁の、魔王。

 

『いざ来たれ、幾百年振りの英傑よ! 死力を尽くせ! 知謀を尽くせ! 蛮勇を尽くし、我が胸を貫く光輝の剣となってみせよ!』

 

 時間稼ぎもそこまでだった。戦いは一方的。紙一重で躱した凶爪に煽られて転倒する。恥も外聞もないと背を向けて逃げるも撃ち落とされる。挙句には憐れみの言葉すら吐き捨てられた。

 十六夜は過去に2度最強種と戦ったことがある。星霊アルゴール。それと巨龍。しかしそのどちらも完全な状態ではなかった。アルゴールは使い手の未熟さから大幅に弱体化し、巨龍は暴走状態でただ暴れていただけだった。

 しかし今目の前にいるアジ=ダカーハは違う。十六夜以上の肉体と知性を備えた真の箱庭最強種たる力を発揮していた。

 

 ――――だからといって、

 

『ほう』

 

 震える膝を叩いて言うことを聞かせる。みっともなく血混じりの唾液を垂れ流そうと、構わず笑ってみせた。

 

「舐めんなよ駄蜥蜴……。もう少し付き合ってもらうぜ?」

 

 だからといって、見下されて黙ってられるほど逆廻 十六夜という人間は大人しい性格をしちゃいない。

 

『………………』

 

 星のような輝きを持つ6つの瞳が十六夜を睨めつけた。すると白杭に貫かれた爬虫類の顔が器用に笑う。

 

『なるほど。どうやら貴様は暴力だけでは折れんらしい』

 

 ならばと、アジ=ダカーハは自身の肩をその爪で抉った。気でも触れたかのような突然の行動に十六夜はしばし無防備に呆然としてしまうが、変化は直後に起こった。バタバタと肩口から噴出した三頭龍の血がかかった部分が不気味に蠢き始めたのだ。大木が、岩石が、溶岩が大地が姿を変えて、瞬く間にそれは3体の双頭龍となった。

 十六夜は以前聞かされた話を思い出す。《アンダーウッド》が殿下達に襲われたとき、白夜叉が戦ったという分身体がいたという。驚くべきことに目の前の3体全てが神霊に近しい力を持っていた。

 そして同時に何故アジ=ダカーハがこのタイミングで分身を生んだのか。

 

「まさか……」

 

『山羊を1匹。人間の雌を2匹逃した。――――追って殺せ』

 

 冷酷な死刑宣告。双頭龍達は本体の命に従って飛び立つ。アルマテイアの逃げた方向へ。

 

「クソッタレ……!」

 

『さあどうする人間よ。これで時間稼ぎをする意味などなくなった』

 

 怒りで痛みを無理矢理忘れて駆け出そうとした十六夜の目の前にアジ=ダカーハが立ちはだかる。逃がす気など毛頭無いのだと。

 十六夜とてこのまま泣き寝入りするつもりはない。分身体といえど今の仲間達ではあれは手に負えない。なんとしてでもここを突破して、アルマテイアを追う龍達を倒す。

 

 温存していた左拳を握る。一撃。一瞬でいい。左腕を犠牲にしてでもアジ=ダカーハの動きを止めてここを抜ける。

 覚悟を決めて足に力を溜めていた十六夜は――――直後アジ=ダカーハがギロリと視線を上へ向けるまで気付かなかった。

 

「フン」

 

 つまらなそうに払った腕。弾いたのは1本の矢だった。

 

「いやぁ、瓦礫に挟まれたときは死ぬかと思った」

 

 時間差で着地したのは道着姿の少年だった。緊迫した場をぶち壊す間延びした口調は相変わらずで、しかしだからこそ十六夜の口元に初めて、僅かながら余裕の笑みが浮かんだ。

 

「信長」

 

 織田 信長。戦場に現れた少年の名。

 飛鳥や耀では駄目だった。無論、黒ウサギやジンでも。しかし信長ならば、この絶望的な状況を打破出来る可能性がある。

 

「信長、よく聞け。春日部と黒ウサギをアイツの分身体が追ってる。俺があの駄蜥蜴の相手をする。その間にお前は黒ウサギ達を追った分身体を――――」

 

 時間がないと、口早に信長に指示を伝えようとする十六夜は信長の肩に手を置いて、直後腹部を襲った衝撃にもんどり打って倒れる。

 

「があ……!! ッッ!??」

 

 瓦礫を破砕しながらようやく止まると、今度は例えようもない激痛がせり上がってきた。腹部を押さえると湿った感触が返ってきた。自身の状態を確認するのも大事だが、今はそれをおしてでも口を開かねばならない。

 

「な、に……しやがる。信長――――っ!!」

 

 今し方十六夜を蹴りつけた左足がゆっくり下ろされる。憤怒の顔で睨みつける十六夜を、信長は微笑で切り捨てた。

 

「邪魔」

 

 それきり、十六夜へ背を向ける。手元の大弓はいつの間にか大刀に戻っており、両の手で柄を握ると切っ先をアジ=ダカーハへと向けた。三頭龍を前にしてなお、信長に気負いはなかった。

 アジ=ダカーハはその様子を黙って見続けていた。不意をうつ瞬間はいつでもあったのに。

 

『仲間ではなかったのか?』

 

「友達だよ。でも、それとこれとは別だからね。足手まといはいらない」

 

 信長の発言に反論の声をあげようとする十六夜だったが、せり上がってきたのは血塊だった。

 

『どちらでも構わん。どちらにせよ結果は変わらない』

 

「違うよ。こっちの方が僕が楽しい(・・・)

 

 三頭龍から笑みが消えた。浮かび上がる感情は不快。怒り。プレッシャーが格段に上がる。

 それに対して信長は怖れるどころか酷薄な笑みを深く、鋭く研いだ。

 

「よかった。ようやく僕を見てくれたみたいで」

 

 重心を下げる。間合いは、すでに一足で飛び掛れる。

 

「織田 三郎 信長。推して参る」




閲覧、感想ありがとうございますー。

>お仕事の方も学生の方もお休みの方もお疲れ様です。
いやはや、最近は亀更新に拍車がかかって申し訳ありませんです。1話更新に約一ヶ月。一体どんな大作でも書いてんだ、ってもんですよね。すみませんたかが一万字程度の駄文でござりまする。

>ようやく信長君とアジさんの出会い。この運命の出会いから彼等は徐々にその心の距離を縮めて……てなそんなぶっ飛んだお話はもちろんありません。バトル突入です。

>これからの展開どうしようかなぁ、と考えながら、明日……てか今日もお仕事いってまいります!ああ、ゆっくりあとがき書きたい。割りと好きなのに。


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六話

「いくよ」

 

 

 宣言した時にはすでに信長はアジダカーハの懐に飛び込んでいた。

 飛ぶように大地を疾空した信長は大上段に大太刀を振りかぶる。

 

 アジ=ダカーハはそれに対して憐れみすら覚えながら右手を掲げた。起こした行動はそれだけ。それ以上は必要無いと判断した。

 

 故に、大太刀が、掲げた右手の皮膚を浅く裂きながら通過したことに、アジ=ダカーハは僅かながらも怪訝な表情を見せた。

 

 

「シャッ!」

 

 

 連撃。

 

 振り下ろした剣閃が、地面に着く寸前に翻り、再度三頭龍の右頭部の首を狙う。

 

 今度こそ確実に刃を掴もうと右手を伸ばし、しかし刀はアジ=ダカーハの予想を裏切り再び掌を浅く斬って離れていく。

 

 信長が後ろに跳んで距離を取る。

 アジ=ダカーハはそれを追わなかった。ただ、傷付けられた己の手を眺める。

 

 

『貴様、何をした?』

 

 

 問いには底冷えするほどの圧力が込められていた。

 

 

『貴様の武具(それ)が私の身に届かないことは不意打ちの初手で証明されたはずだ。それがどうしてこの身を傷付けられた。一度ならず二度までも』

 

「自分で考えなよ。せっかく頭が3つもあるんだからさ」

 

 

 クスクスと信長はせせら笑う。最強種、それも災厄とまで恐れられる最古の魔王相手に恐るべき胆力である。

 

 

『…………』

 

 

 一方で、アジ=ダカーハは問いを投げながら実はすでに答えを出しかけていた。

 三頭龍の伝承にある千の魔術を操るとは、実際に千の術を操るのではなく、アジ=ダカーハの膨大な知識量を示しているのだった。

 

 ただ暴力振るうだけが魔王ではない。

 暴力には暴力を。知謀には知謀でもって捻じ伏せる。

 

 これもまた三頭龍が最強たる所以である。

 

 すでに信長がこの体を傷付けた方法はわかっている。それもかなり単純な方法だ。

 だからこそアジ=ダカーハには信じられなかった。

 

 最初の不意打ちを、アジ=ダカーハは腕で払って退けた。攻撃方法は弓矢。しかしそれは、今信長が振るっている大太刀と同じ恩恵が源である。

 いくら形を変えようが、根本的な攻撃力に変化は無いはず。

 

 ならば、1撃目を、それも不意を突かれたそれを無造作に払って傷ひとつつけられなかった信長の武具はどう足掻いてもアジ=ダカーハの皮膚を貫けないはずなのだ。ましてやこうして直接対峙しての真正面からの攻撃など。

 だが結果は予想を裏切った。

 

 答えは、ひとつ。

 

 

『――――初撃は全力ではなかったのか』

 

 

 そも前提である初撃が本来の威力ではなかった。

 それしか答えはない。

 

 信長の口角がつり上がる。

 

 

「大正解。よく出来ましたー」

 

 

 刀を手にしたまま器用に手を叩く。

 

 アジ=ダカーハと信長の間合いはおおよそ数十メートル。遠くはないが、決して近くはない。

 それは信長がアジ=ダカーハの戦いを見て、実際に相対して測った絶対安全距離。

 なにがあろうと反応することが出来ると判断した距離。

 

 その計算を、アジ=ダカーハはいとも容易く打ち砕いた。

 

 

「っ!?」

 

 

 龍という割に以前見た巨龍とは違ってかなり小さな、だが人間よりは確実に大きい体躯を、信長は目で追うことも出来なかった。

 気付いた時には懐に踏み込まれ、濃密な殺意を伴った拳が下から上へ振り抜かれる。

 

 弾丸のように弾き飛ばされ、家屋を3軒倒壊させた。

 

 

『立て』

 

 

 眼前の粉塵に目掛けてアジ=ダカーハは声を投げる。

 

 今の一撃に耐えられる存在が、はたしてこの箱庭にどれほどいたことだろうか。並の神霊程度ならば塵ひとつ残さず消滅しかねない攻撃だったのだから。

 

 それほどの攻撃だったからこそアジ=ダカーハはあの少年が生きていることを確信していた。

 並の存在ならば塵ひとつ残さず消滅する。それを、原型を残していたが故に弾き飛ばされ建物を破壊出来たのだ。

 

 

「あいてて……。すっごい力。十六夜より凄いかも」

 

 

 アジ=ダカーハの確信通り声はあった。

 粉塵の中心に立つシルエット。

 

 口の端に血を流しながら、しかし信長は五体満足で立っていた。

 

 アジ=ダカーハの一撃が入る直前、信長は咄嗟に刀をアジ=ダカーハの拳と自分の間に差し入れ、尚且つ全力で後ろに跳んで威力を逃した。

 反応が遅れて刀を盾に出来なければもちろん、跳ぶのが早くても遅くても信長の体はよくて胴体が千切れ飛んでいたことだろう。

 

 十六夜ほどではないにしろ人間にしては丈夫な肉体と反射神経、それと信長の勘の良さと運、全てが噛み合って生まれた奇跡だった。

 

 

『今まで幾百幾千幾万の者達が私を討とうと挑んできたが、手を抜かれたことなど初めてだ』

 

 

 砂塵がアジ=ダカーハを中心にとぐろを巻く。まるで龍の怒りに呼応するかのように。

 

 

『屈辱だ。貴様は、その魂諸共砕いて殺す』

 

「はは、怖いなぁ」

 

 

 言葉とは裏腹に、信長は怖じけることも逃げることもしない。それが尚更アジ=ダカーハの琴線に触れる。

 

 アジ=ダカーハの掌から流れ落ちた血液が、先と同じように地面に染み渡ると新たな龍となって立ち上がる。それはやはり神霊級の分身体である。

 

 

『下手な傷を付けたのは逆効果だったな』

 

「かもね」

 

『さて、己の失態で生み出した我が眷属になぶり殺しにされるか。それとも仲間を殺されるか。どちらの方がより貴様を絶望させられる?』

 

 

 悪辣に笑う三頭龍。今更魔王に慈悲などありはしない。

 

 邪悪に歪むアジ=ダカーハを前に、信長は淀みなく返答した。

 

 

「その心配は無用だよ」

 

 

 『なにを』とは続けられなかった。アジ=ダカーハが口を開く前に、本体の命令を待っていた2体の分身体が生み出されるやいなや打ち砕かれた。

 

 

『…………』

 

 

 地面に叩きつけられた龍達はバシャリと血液へと戻り、再び龍の姿を象ることはなかった。

 

 分身体とはいえ並の神霊を軽く凌駕するはずのアジ=ダカーハの眷属を一撃で仕留めたのは、やはりというか十六夜であった。

 アジ=ダカーハに抉られ、信長によって開いた腹の傷からはまだじわりと彼の制服を赤に染めていた。

 

 それでいて尚一撃。

 

 

「凄い凄い。さっすが十六夜だ――――」

 

 

 無邪気に称賛する信長の胸ぐらを十六夜は問答無用で掴みあげた。

 金色の瞳は明らかな憤怒の炎を滾らせていた。

 

 

「どういうつもりだ……?」

 

「なにがかな?」

 

「テメエは!」

 

 

 おどけた態度を改めない信長に、十六夜は歯を剥き出しにして睨んだ。

 

 

「他の連中を殺す気か!?」

 

 

 アジ=ダカーハが耀達に分身体を向かわせた時、信長はそれを追おうとはしなかった。それどころか邪魔だと言って十六夜を蹴り飛ばす始末。

 今だって十六夜が仕留めなければ、厄介な分身体がさらに増えていた。それが次に誰を襲うのかもわからないのに。

 

 

「平気だよ。あれぐらいの敵、みんななら……まあ勝てるでしょ」

 

「そんな保証誰が出来る」

 

「勝つことが決まってる戦いなんて退屈だよ」

 

「誰も彼もがテメエみたいな戦闘狂じゃねえだろうが!」

 

 

 十六夜の絶叫は彼の優しさから出たものだった。

 

 それに対して信長の反応は――――退屈そうなため息だった。

 

 

「随分つまらないことを言うね、十六夜。どうしたの? いつもの余裕がまるで無い」

 

「……信長」

 

「死んだらみんなそれまでだったってだけでしょう? それを、今ここで君が喚いたところでなにか変わるの?」

 

「信長!!」

 

 

 十六夜は傷だらけの右拳を信長の頬に叩きつけた。感情に任せるまま、だからこそ手加減も出来ない一打だった。

 

 信長はその場に踏み止まった。

 十六夜の拳を生身で耐え切ってみせた。

 

 口端から血を流し、冷めた目で十六夜を見る。

 

 

「自分の弱さを他人に押し付けるなよ」

 

「っ!」

 

 

 あの(・・)十六夜が気圧されて後退った。

 

 

「分身体を逃したのも、今もあの三つ首を倒せないのも、全部十六夜の弱さが原因だ。それを僕に当たらないでよ鬱陶しい」

 

 

 信長は口元の血を袖で拭う。

 

 

「さっきから君が喚いてるのは優しさなんかじゃない。君はただ甘えてるだけだ」

 

 

 辛辣な言葉を投げつけて信長は十六夜を押し退ける。彼の目には今、アジダカーハしか写っていない。

 

 

「みんなが心配ならさっさとあれを倒せばいい。僕が気に入らないならぶっ飛ばせよ。我儘を通せるのはいつだって強い奴だけなんだ」

 

 

 それが信長にとっての絶対真理。他人の意志なんて端から気にしちゃいない。

 自分がそうしたいからそうする。

 欲しいから奪う。戦う。

 

 きっとそれが、誰もが信長を純粋に歪みきっていると評価する彼の性質なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――はっ、はっはっはっはっはっ! ったく、たしかに全然俺らしくなかった。粗野で凶暴で快楽主義者の三拍子揃った駄目人間。それが俺だってのに」

 

 

 信長の発言を受けて沈黙していた十六夜は突然腹を抱えて笑い出したかと思うと自分の額をパチンと叩く。

 

 今まで十六夜を相手に正面切ってものを言える者などいなかった。ましてや生き方を語るなど。

 それが出来たのは生涯ただひとり。金糸雀(あの女)だけ。

 

 きっと信長の言い分を聞けば耀や飛鳥は酷い侮辱だと怒るだろう。しかしそれすらねじ伏せればいい。

 強者とは勝者だ。敗者は勝者に従うしかない。

 

 故に何時の世も、何処の世界も、正義は正しいのだから。

 

 

「そうだな。お前の言う通りだ。気に入らないならお前だろうと倒していけばいい」

 

「僕も邪魔だと思ったらさっきみたいに退かすから」

 

「おうそうだ。さっきの借りはのしつけて返すからな」

 

「うん。楽しみにしてるよ」

 

 

 十六夜はヤハハと笑う。

 信長はカラカラと笑った。

 

 互いの思惑は違えど、ひとまず目的は一致している。

 

 アジダカーハを倒す。




閲覧ありがとうございますー。

>どうもこんばんわ。こんな感じでVSアジさん突入でございます。
十六夜君とのタッグは殿下戦に続いて2度目です。でもアジさんチートだからまだ戦力が足りませんね。ほんとあの人(龍)チートです。

>最近時間が無いから更新がー、というわけで、文章のクオリティよりスピードを優先させてみました。今までだとこれを下地に二度書きするんですが、やっぱり携帯小説は速度も大事だと思います。
クオリティ高ければ万々歳ですが、そこは言い訳と思ってお見逃しください。

>さて次回で胸熱なスター大集合まで行ければいいですなぁ、と思いながら禁書とアクセル・ワールドの新刊が私を待っている!
でも仕事は私を待たないでいい!帰ってください!いや帰らせてください!

ではではまた次回ー


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八、十、十一巻 暴虐の三頭龍&そして兎は煉獄へ&撃て、星の光より速く!
一話


 《主催者権限》とは、箱庭におけるある階級の修羅神仏にのみ許された特権であり、これに挑まれれば遊戯を拒否することは出来ない。そしてその特権を悪用して回る者を指して箱庭では彼等を魔王、そう呼ぶ。

 

 しかし、それは実は正しく無い。

 

 《主催者権限》があって魔王が生まれたのではない。《主催者権限》とはそも本当の、本物の(・・・)魔王を打倒するために編み出された秘奥なのだ。

 

 人類最終試練(ラスト・エンブリオ)

 

 《閉鎖世界(ディストピア)》。《退廃の風(エンド・エンプティネス)》。《永久機関(コッペリア)》。そして――――《絶対悪(アジ=ダカーハ)》。

 

 これら最古の魔王にして、それぞれが人類史を……いや世界そのものまでも滅亡に追いやる可能性を持つ凶悪且つ最難度の試練。

 存在そのものが《主催者権限》と同質である彼等は魔王(天災)たる名の通り、百万の神霊に匹敵するほどの力を持っている。おまけに試練そのものである彼等を物的に消滅させるなどほとんど不可能な話だ。

 

 そこで造りだされたのが己の内的宇宙を開放し自身を最古の魔王達と同じように試練と化し、魔王達の霊格そのものを取り込む術。それこそが《主催者権限》。

 そして本来最古の魔王を駆逐する為に編み出された善性たる秘奥を、箱庭の平定後、己の欲望の為に悪用している者達を今では魔王と呼んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アジ=ダカーハはいうなれば箱庭における真なる魔王の姿。天災という所以を己の存在そのもので証明する正真正銘の災厄。

 

 それが、たった2人の少年を相手に(・・・・・・・・・・・・)身動きひとつ取れなかった(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「そらそらそらそら――――ッッ!」

 

 

 幼くも興奮を抑えきれない上擦った声をあげながら、信長は刀を振り回す。一見無造作に、それこそ素人が無茶苦茶に振り回しているようにも思える出鱈目な太刀筋はしかし音さえ斬り裂くほど鋭く、速い。

 

 出鱈目なのは剣だけではない。

 

 地面を、建物の壁を、瓦礫を、時に虚空すら踏み台にして信長は一瞬たりとも動きを止めない。真正面に飛び込んできたかと思うと、次の瞬間には後方から斬撃が飛んでくる。独楽のように体を回転させながら斬りつけてくることもある。

 

 型などあったものではない。

 太刀筋も、身のこなしも、およそ基本とは程遠いそれは、予測不可能な軌跡を描きながらも確実に致命を狙った凶器であった。

 

 

『――――――――』

 

 

 壁を蹴って背後から強襲する信長を三つ首のひとつが首を巡らせて捉える。

 

 アジ=ダカーハは右手を一本の剣のように尖らせると交差法の要領で信長へ突き出した。

 

 すでに宙空に身を投げ出した信長は鼻先まで迫る凶爪を前にして、笑った。

 

 

「当たらないよ」

 

 

 跳んだ。

 

 弾丸のようにただ直進するしかなかったはずの体が不自然に空を跳ねる。

 グリフォンから得た大気を踏み締めるギフトで空中でありながら軌道を変えたのだ。

 

 体を上下逆転させた信長は、頭上に位置する腕を見下ろして、斬りつける。

 全身の筋肉をあまなく使った捻り込みの斬撃は象牙のように滑らかな二の腕辺りを斬る――――が、刃は硬質な音を立てるばかりで逸れていき、しかし僅かに刃先が引っ掻いたような切り傷を残した。

 

 斬撃の勢いをそのままにアジ=ダカーハの上を飛び越えた信長は、アジ=ダカーハの着地を狙った追撃の蹴りまでも、またしても何もない虚空を蹴りつけて距離を取り躱した。

 

 手から地面に降りて、腕の力だけで後転。その後も1回2回と飛び退って三頭龍との間合いが充分に取れたとみなすとようやく止まった。

 

 というのも、数十回と打ち込まれた信長の斬撃によってアジ=ダカーハから流れた血。それが瞬く間に周囲の物質を取り込んで新たな眷属として生まれようとしていた。

 

 今飛び込めば並の神霊級を凌ぐそれらに取り囲まれてしまう。

 そしてそれは、ただこうして黙って見ていたとしても同じ結果となる。

 

 しかし信長は形作られていく龍達に攻撃を加えようとはしない。何故なら、それは向こうの役割だから。

 

 轟音と共に大地が鳴動した。

 

 一体どこから現れたのか。文字通り降って湧いた十六夜の左拳が地面に突き刺さる。――――否、地面の前に彼の拳が刺さっていたのは、建物の瓦礫と大木を呑み込んで今まさに産声をあげる直前であったアジ=ダカーハの分身体だった。

 

 

「ほらほら十六夜。早くしないと囲まれちゃうよー」

 

「――――っのバカ殿! 好き勝手散らしやがって……片付けんのが面倒だろうが!!」

 

 

 気の抜ける信長の声援に怒声を返しながら、十六夜は砕けた右拳以外の全てを使って眷属を殲滅していく。全て一撃で。

 

 まるでそれはゲームセンターのモグラ叩きのようでいて、しかし決められた穴からしか出てこないあんなものよりこちらはずっと面倒だと十六夜は舌をうつ。と同時にさらに1体を砕いた。

 

 粗方、十六夜が分身体を片付けたのを見計らって信長が再度アジ=ダカーハに斬り込む。数十秒後には再び辺りに龍達亡者の声があがることだろう。

 

 さっきからこんなやり取りを延々と繰り返している。

 

 はたしてアジ=ダカーハが本物の不死かどうかはさておいて、アジ=ダカーハの霊格そのものは有限であると信長達は推測した。根拠は、アジ=ダカーハの力が真に無限であるなら分身体が本体に劣るというのがまずあり得ない。無限の力があるならば本体と同格の力を与えた眷属を、いやもうひとつのアジ=ダカーハを造り出せばいいのだから。

 

 しかしアジ=ダカーハはそれをしない。手加減の可能性は低い。何故ならアジ=ダカーハの目的が信長達の絶望にあるのなら、下手な軍勢よりアジ=ダカーハを増やされた方がより絶望するのはわかっているはずだ。

 となれば答えはひとつ。『出来ない』のだ。

 

 ただし、本当にその理由が力の温存なのか、はたまた一度に与えられる力の総量に限界があるだけなのかはわからない。

 

 後者ならばまだアジ=ダカーハの力が無限である可能性は残るが、そうだったなら端から考えるだけ無駄というもの。

 アジ=ダカーハの霊格が無限であろうがなかろうが、あの存在を一撃でもって倒す方が不可能だ。

 

 ならば残る手段はひとつだけ。斬って斬って斬り続けて、ひたすら傷を与えてアジ=ダカーハの霊格を削り取る。

 恐ろしいのは不死性ではなく強大な力の方。削りきったその後で、最終的に生きていようがいまいが関係ないのだから。

 

 信長が削り、十六夜が滅する。

 

 一見考えてみると役割が逆のように思える。レーヴァテインの炎という範囲攻撃を持つ信長に対して十六夜の攻撃方法は体術ひとつ。巨龍を倒したあの光にしても対象は単体。

 複数生み出される分身体を一手に相手するならば信長の方が効率的に思える。

 

 それなのに役割が違うのには、敢えて理由をあげるならふたつ。

 

 ひとつは信長の、というよりはレーヴァテインの攻撃力ではたとえ分身体とはいえ一撃で確実に滅することが難しいから。一度でも討ち漏らせば分身体は数を増やし、被害は他に向かう可能性すらある。

 それならば効率的でなくとも十六夜が1体ずつ確実に潰していった方が結果として被害を抑えられると考えて。

 

 とはいえ、そんなことまで考えているのは実は十六夜だけで、そも信長は分身体が他にいこうがお構いなしなのだ。渋々ながら十六夜が裏方に回るのも仕方がない。

 

 そしてもうひとつの理由を考えて、それに思い至る度に十六夜は顔を険しくする。

 

 

(俺の怪我を考えてっていうのは考えすぎかね? だとしたら人生最大級の侮辱もんだ)

 

 

 黒ウサギを庇ったあの瞬間、本気で放った十六夜の右の拳は無残に砕けてしまった。辛うじて動かすことは出来るが正直見たいとは思わない。

 裂かれた腹部の傷も未だ処置をしていないので絶賛満身創痍である。

 

 信長が、あの完全自己中大名が、はたして十六夜の負傷を庇って、本体であるアジ=ダカーハとの相手を買って出てるとしたら十六夜は精神的に立ち直れない。

 

 

「――――わっは! 今のはやばかった! 死んじゃうかと思ったよ!!」

 

「………………」

 

 

 多分違うだろう。あの少年はただアジ=ダカーハと戦いたかった。それだけだと……思う。

 

 

「アイツの空っぽ頭を理解しようなんざ出来るわけもねえか」

 

 

 諦めたように十六夜はため息を零す。そうして新たに生まれようとしている龍の化身を順繰りに倒すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘は誰が見たとて信長達の優勢だった。そしてそれは戦っている本人達も感じていることだった。

 

 かつてない高揚感を信長は覚えていた。

 

 初めて生死を賭けられるほど追い詰められた戦い。ペストとの死闘も、思えばこの北の大地だった。ここは自分にとって縁深い場所のようだ。

 

 無茶な駆動に筋肉どころか骨が悲鳴をあげている。心臓は高鳴りすぎて口から飛び出してしまいそうだ。呼吸は乱れきっていて、はたして肺が酸素を求めているのかそれとも過呼吸になってしまっているのかわからない。

 

 端的に言って、信長の肉体はすでに限界に達していた。しかし気分は最高だった。

 

 求めれば求めるほど、体は想像通りに動く。世界は止まって見える。

 

 より速く動け。より深く踏み込め。

 

 アジ=ダカーハの動きが遅々として見え、自身の体だけが視認すら追いつかないほど疾くある。

 まるで同じ世界でありながら、時間感覚だけがズレてしまっているかのようだった。

 

 アジ=ダカーハは信長の動きを完全に見失っている。

 年端もいかない単なる人間の少年が、最古の魔王を、天災と称された本物の魔王を確実に追い込んでいる。そしてこのまま一方的に――――、

 

 

 

 

 

『つまらん』

 

 

 

 

 

 その声には強烈な死が満ちていた。

 

 三頭龍の首を落とさんと斬りかかっていたはずの信長は、気付けば陥没した大地の中心に倒れていた。直後、喉奥からせり上がってきたものを堪える間もなくぶちまける。

 

 

「が……ばッッ!!!?」

 

 

 見えなかった。なにをされたのかもわからなかった。

 

 地面をのたうちながら信長が多量の血を吐き出す。

 

 温度の低い6つの目でその様を見つめるアジ=ダカーハは無慈悲なまでに致死の爪を振り下ろす。

 

 

「させるか駄蜥蜴!!」

 

 

 間一髪、現状全ての分身体を潰し終えた十六夜の蹴りが間に合った。第三宇宙速度で放たれた蹴りはアジ=ダカーハの爪先を横から弾いて軌道を逸らす。

 のたうつ信長のすぐ傍らに絶壁が生まれた。

 

 アジ=ダカーハは意識を戦闘不能と判断した信長から十六夜へ移す。

 

 十六夜も、最早この場は死力を尽くすと覚悟を決める。

 

 唯一無事であった左拳でアジ=ダカーハの腹を打ち上げる。

 

 

『っ……!?』

 

 

 龍の口から漏れた初めての苦鳴と、拳の砕ける音が重なった。

 

 

「が、あああああああああああ!!」

 

 

 獣の如き咆哮をあげながら、十六夜は砕けた拳を躊躇わず撃ち続けた。

 地殻変動すら比する十六夜の拳に対してアジ=ダカーハはしかしびくともしない。一体どんな恩恵なのかはわからないが、アジ=ダカーハの肉体は大陸か、或いはそれ以上の質量をその身に有しているとみて間違いない。頑強な十六夜の拳が砕けたのも当然だ。

 

 しかし十六夜は止まらない。

 

 潰れていく拳を見て見ぬふりをし、血反吐を飲み下して十六夜は拳打を叩き込む。

 

 文字通り玉砕覚悟の猛打に、さしものアジ=ダカーハの体もぐらついた。僅か半歩、押し込まれる。

 

 

「ッ――――!!」

 

 

 その僅かな隙に十六夜は全てを賭ける。

 すかさず三頭龍の首に抱き着いて、傾いた巨体を、その自重を利用しながら押し倒す。

 

 

(ここしかない! これを逃せば完全に勝機は無くなる!)

 

 

 倒した体に乗りかかった十六夜は振りかぶった右の拳に眩い光を纏わせる。

 それはかつて最強種たる巨龍を、そしてひとつの世界すら裂いた一撃。

 

 

「これで終わりだ!」

 

 

 極光の柱を逆手に三頭龍の心臓目掛けて振り下ろす。

 

 

『アヴェスター起動――――相克して廻れ《疑似創星図》』

 

 

 アジ=ダカーハが静かにその言葉を紡ぐ。次いで双掌に発生した灼熱と十六夜の極光がぶつかる。

 

 たとえアジ=ダカーハのそれがどれほどの破壊力を秘めていようとも、十六夜の一撃は物質界に存在するあらゆるものを凌駕する。瞬時に灼熱は掻き消され、極光の柱はアジ=ダカーハを貫く――――はずだった。

 

 十六夜の眼前で光と光が混ざり、融け合う。

 

 

「クソ、なんでもありかテメエ!」

 

『終わりだ新しい時代の申し子よ。貴様では、この悪の御旗は砕けない!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば自分が空を仰いでいることに十六夜は気付いた。

 

 どうやら気を失っていたらしい。数分……いや、数十秒ほどか。

 

 覚えているのは最後の力と振り絞った極光の一撃とアジ=ダカーハの灼熱が混ざり融け合い、そして爆ぜたところまで。

 星と星の衝突に等しい威力は余波のみで周囲にあった残りの建物を薙ぎ倒した。見回すまでもなく周りは更地になっているだろう。

 

 そこまで状況を思い出し、確認して、十六夜は思い至る。

 

 

「負けた、のか」

 

『ああ、貴様の負けだ。人間』

 

 

 傍らに降り立つ三つ首の龍を視線だけ動かして視界に収める。

 実に憎らしいことに、こちらは動くのさえ億劫な満身創痍だというのに、アジ=ダカーハは体中に傷はあるものの致命傷には程遠いものだった。

 

 チッ、と十六夜は舌打ちながら、しかし不思議と悪い気分ではないことに気付く。

 

 真正面からぶつかって負けた。悔いなどない。完全な力負けだったのだから。

 

 

「まあ、充分時間は稼いだからよしとするか。あんな蜥蜴程度にどうにかされるタマでもないしな」

 

『それは重畳。流した血が無駄にならずに済みそうだ』

 

 

 何、と問う必要はなかった。

 

 先ほどの激突。そして今尚三頭龍の体から流れる血が周囲の物を取り込み形を成していく。その数たるや両の手どころか足の指を使っても足りない。

 しかもその全てが神霊級の力を持っている。

 

 

「はっ……冗談きついぞ」

 

 

 痛む体を押してなんとか上体だけ起こす。

 

 

「これら全部が神霊クラスだってのか……。テメエ、下層全部を壊そうってのか?」

 

『そうなればそれはそれで一興だ』

 

「ハッ、抜かせ。――――おい駄蜥蜴、お前はなにを考えてる?」

 

 

 すでに喋ることさえ辛いが、それ以外出来ることもない。

 このまままな板の上の鯉を気取るのもいいが、どうせなら最後まで意地を通してやると十六夜は決める。快楽主義者を自称する最後の意地を。

 

 

「お前が本当に破壊活動そのものが目的だっていうならそれでいい。負けたのは俺だ。文句を言える立場でもねえよ。――――だがな、テメエは違う。これだけ激しく戦い、これだけ破壊してなおお前は満たされちゃいない。ならあるんだろ? 他の魔王共と同じ、自分以外は知ったこっちゃねえっていう手前勝手な理由が。お前の目的ってやつが! 冥土の土産に聞かせろよ悪の純神――――お前の正義はどこにある!? 魔王アジ=ダカーハッッ!!」

 

『……瀕死であって尚猛るか。つくづく飽きさせない人間だ』

 

 

 苦笑のようなものを浮かべて、三つ首の龍はふと天を仰ぐ。それぞれの紅玉の瞳が彼方を、星霜の彼方を見つめていた。

 

 

『この身は今日まで視界に入る悉くを打ち砕いてきた。命を、都市を、文明を、秩序を、繁栄を、社会を、犯罪を、社会悪を、蔓延る醜悪と正義を悉くを。嵐の如く、津波の如く、雷雨の如く、世の全てに、一切の差異なく牙を剥いた。だが、私は――――天災ではない(・・・・・・)。天災でしか成しえないはずの破壊を、一個の意志、一個の生命体として衝動のままに振るう者。――――それはもう、天災とは呼べない。世界が一丸となって滅ぼさねばならない巨悪である。故に我が総身、我が悪一文字こそ、あらゆる英雄英傑達が到達する巨峰……!』

 

 

 深紅の瞳は真っ直ぐ十六夜を射抜いた。悪の御旗が激しくたなびいた。

 

 

『踏み越えよ――――我が屍の上こそ正義である……!』

 

 

 善悪の二元論。その片割れに座す者として、三頭龍は世界と対峙していた。




閲覧、感想毎度ながらありがとうございます。

>今回は最後、原作ノーカット板のアジさんをお届け致しました(セリフのみ)。

>さてさてこうして8巻、そして日常編9巻を飛ばして10巻へ突入でございます。というかこの一話で8巻の内容はほぼほぼ終了という悲劇。8巻は飛鳥、耀ちゃんが頑張るお話なので、十六夜と一緒にアジさんと戦っている信長はどうしても関われませんです。悲しいです。
ちなみに、紳士たる皆様が期待しているとは思いませんが、外道マクスウェルさんの鬼畜所業と怯えるウィラちゃんもおそらくこちらではカットになってしまいます。いや紳士の皆さんはきっとよくやったと褒めてくれるに違いありません。胸を張りたいと思います(どや)

>さて戯言もここまでにして、実は原作で最も大好きなアジさんの名台詞でした。

『踏み越えよ、我が屍の上こそ正義である』

かっこよすぎるよアジさん!イケメンだよアジさん!イケメンが3つも並んでるよ怖いよ。でもかっこいいよ!

さあさあそんなアジさんファンの皆様といつか酒を飲み交わしたいと願いながら、次話を書こうと思います!
あ、ウィラちゃん泣かせるの好きな人ともお酒飲みたいな(ド外道)


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二話

 ズタボロとなった十六夜の瞳に最後の光が灯る。

 仲間の為に、瀕死の体に鞭打って1秒でも長く時間を稼ぐと覚悟したのだろう。

 

 アジ=ダカーハは構えも取らずにじっとその様を真っ直ぐ見据えて――――突如、十六夜とを隔つように現れたそれを見上げる。

 

 人工的な建物。先細りが特徴的な尖塔群。

 それだけではない。

 敷き詰められた石畳の都。街中を流れる川。

 そしてなによりも特徴的なのは、街の中央に座す、鐘楼のある巨大な時計塔。

 

 一度はアジ=ダカーハと十六夜によって更地となった街が甦る。いいや違う。現れたそれは煌焔の都ではなかった。

 

 

『――――――――』

 

 

 思考の途中でアジ=ダカーハはその場から跳躍。膝の動きだけで、一瞬で数十メートルを移動した。

 一瞬遅れて、先ほどまでアジ=ダカーハがいた位置を斬撃が襲った。

 

 蛇のようにうねる軌跡。

 そして影の如き漆黒の刃。

 

 躱して尚追い縋る斬撃を払おうと考えて、アジ=ダカーハの首のひとつが上空からの襲撃者を捉えた。

 

 

「気付かれとったか!」

 

 

 似非臭い訛りが混じった口調で毒づいた隻眼の男――――蛟劉は、アジ=ダカーハが攻撃を払うのではなく同士討ちさせようと動くのを察するなり即座に2本の棍で斬撃を弾く。

 しかしそれで終わらず建物の壁を蹴って空中で軌道を変えると再度アジ=ダカーハに襲いかかる。

 

 

『くだらん』

 

 

 海底火山で千年の研鑽を積むことで仙龍の霊格を得た蛟劉の本気の一撃。それはかつて十六夜をして打倒せしめた。

 

 それを、まともに受けながらしかしアジ=ダカーハは微動だにしない。

 

 

「ちょ……マジか!?」

 

 

 躱された、防がれたならまだしも直撃して無傷とはさすがに予想外だったようで、蛟劉は地面に足を着けると瞬時に距離を取るように後退する。

 

 だがアジ=ダカーハとてそう易易と逃がす気はない。

 龍影で形を成す漆黒の翼を広げる。

 刹那、静止状態から一瞬で離れていたはずの蛟劉に追い付いた。

 

 未だ先の斬撃を放った者達が姿を見せていない以上、急襲される可能性をアジ=ダカーハほどの者が予想していないはずはない。故に、目の前に黄金の炎が巻き上がっても驚きのひとつもなかった。

 

 

「今や、焼き払え!」

 

 

 蛟劉の合図と同時に、羊皮紙と共に地面から噴き出した黄金の羽根。それはたちまち灼熱に変わって大地を焦がしながらアジ=ダカーハに殺到した。

 

 それをアジ=ダカーハは完全に無視して突破する。

 

 そも強靭な肉体も去ることながら、《拝火教》に属する者は皆炎熱に強い耐性を持つ。それは悪神であるアジ=ダカーハとて例外ではない。

 

 だからこそ、アジ=ダカーハは灼熱の羽根が己の腕を焼いたのを見て少なくない驚きを得た。

 

 それは傷と呼べるほど大層なものではない。ほんの僅か、痕を残しただけ。

 しかしそれによって三頭龍の動きが寸断された。

 

 そこへ、

 

 

「おおおおおお!!」

 

 

 傷だらけの体から流れる血潮で尾を引きながら、拳を握り締めた十六夜が真正面から殴り掛かる。

 

 蛟劉の攻撃にさえ構えることすらしなかったアジ=ダカーハだが、十六夜の攻撃に対しては腕を掲げて受けた。それだけアジ=ダカーハが十六夜を認めているということなのだが、今回に限っては無意味だった。

 

 

「くっ……!」

 

『その体でよくやる。――――が、これで終わりだ』

 

 

 空いた右手の爪が弓のように引き絞られて――――しかし、それが瀕死の十六夜を貫くことはなかった。

 

 アジ=ダカーハの動きが止まった隙に十六夜の体が何者かにさらわれる。

 ボロ布を纏ったカボチャ頭が、しかと十六夜を掴むと安全距離まで離れていく。

 

 それをあっさりと見逃したアジ=ダカーハは右手で掴み取ったそれに目を落とす。

 鉛の塊。

 先ほど動きを止めたのはこれが横合いから放たれたからだ。当たったところでどうということはなかっただろうが、反射的に防いでしまった。

 

 龍の眼がこれが飛んできた方向を見やる。

 

 

「あーあ、惜しい」

 

 

 建物のひとつからこちらへ銃口を向けていた信長は、言葉とは裏腹に然程残念がるでもなくニタニタ笑みを浮かべていた。

 

 何者の攻撃だったのか。その程度わかっていた。わかっていてしかし、いざそれを目の当たりにしたアジ=ダカーハの紅玉の瞳の温度が下がった。

 

 

『惜しくはない。当たっていたところで貴様如き羽虫の力では我の命には至らない』

 

 

 右手を閉じて、開く。強力な力によって粉塵となった弾丸が風に飛ばされる。

 

 

『それにしても、瀕死の仲間を囮に遠方からとは……つくづく見下げ果てた奴だ』

 

「綺麗事を言う人だとは思わなかったよ。あ、龍か」

 

『……貴様は英雄とは程遠い人間のようだ』

 

「200年前は話せる素振りなどみせなかったのに、随分饒舌になったものだ」

 

 

 鈴の音のように澄んだ声は頭上から降ってきた。

 

 財宝の如き黄金の輝きを放つ金糸の髪。西洋の騎士甲冑を纏った吸血鬼の王――――レティシア=ドラクレア。

 

 

「それとも、それほど地下の暮らしは暇だったのか?」

 

 

 嘲弄するかのように言葉を投げかけるレティシアは、しかし普段とは比べ物にならない覇気を身に纏っていた。

 それもそのはず。大切な仲間を傷付けられた彼女の心は今や憤怒に染まり尽くしている。

 

 

「レティシア、挑発に乗るとは貴方らしくもない。事前の作戦ではもう少し戦況を静観するはずでは?」

 

「いやいや、レティシアちゃんが正解や。今出て行かんかったら街ごと吹き飛ばされてたか――――信長君が殺されとった」

 

「ヤホホ、それはご勘弁願いたいですね。主催者として、開催前に舞台を壊されるなど格好がつきませんヨ!」

 

 

 続いて姿を現したのは全身甲冑姿の仮面の騎士、《女王騎士》――――フェイス・レス。

 ランタンを揺らすカボチャ頭、《パンプキン・ザ・クラウン》――――ジャック・オー・ランタン。

 そして七大妖王が一角、《覆海大聖》――――蛟魔王。

 

 尖塔の屋根に降り立つ3人をアジ=ダカーハは3つの首で見上げる。

 

 なるほど。それなりの数と質を揃えてきたものだと三頭龍は感心した。

 蛟魔王の武勇は言わずもがな、女王の側近騎士に吸血鬼の王。カボチャ頭にしてもそれなりの霊格を備えていることを感じる。

 そして本命は、

 

 

「義兄、それに他の者も軽口はそこまでにしなさい。かの魔王は口上を望んでいます。ならば我らも主催者として、毅然とした態度を見せるのが礼儀」

 

 

 黄金の炎で出来た羽根を羽ばたかせて現れたのは、黒髪を結い上げた美女だった。華美な衣装を違和感無く着こなしたその女性こそ、蛟魔王と同じくする妖王が一角、鵬魔王。

 インド神話にて、かの帝釈天に比する王と願われ生を受けた彼女は邪悪なる龍を喰らいあげるとされる生来の神霊。その恩恵は対神対龍に秀でており、アジ=ダカーハの相手としては絶好である。

 

 

「お初にお目にかかります、《拝火教》の魔龍。私は迦楼羅天(かるらてん)が一子、《混天大聖》――――鵬魔王と申します。短い間ですが(・・・・・・)、以後お見知り置きを」

 

 

 軽い挑発には不可視の圧力が込められていた。

 

 それすらアジ=ダカーハは笑い捨てた。

 

 

『ああ、精々私の記憶に留まるよう揃って足掻いてみるといい』

 

「何?」

 

 

 鵬魔王の眉根が跳ねる。

 

 

『同時にかかってきて構わない、と言ったのだ。魔王とはそも存在そのものが世界にとって不倶戴天の敵である。誰でも連れてくるがいい。いくらでも徒党を組んで向かってくるがいい。その悉くを打ち砕いてくれよう。――――個で群を破れずしてなにが魔王か!』

 

 

 アジ=ダカーハが発する覇気に呼応したように溶岩が沸き立つ。

 

 蛟劉達とて相手が人類最終試練となれば簡単にいくとは初めから思っていなかった。それでもこれだけの戦力が揃った今、なんとかなると楽観していた部分もあった。

 

 その考えが如何に甘かったか痛感する。

 

 眼前の存在は正真正銘の魔王。絶対悪。

 その名を名乗って今尚滅せずに生きている化け物だ。

 

 恐れで体が竦んだわけではない。しかし箱庭でも屈指の強さを持つ彼等でさえ、容易に動くことが出来ずにいた。

 

 蛟劉達がアジ=ダカーハに呑まれかけていることを自覚して危機感を覚え始めた直後、膠着は口上をあげた誰でもない者の手によって破られた。

 

 硬質な激突音は、背後から強襲をかけた信長の斬撃をアジ=ダカーハが右腕で受け止めたものだった。

 

 

「惜しい」

 

『何度も言わせるな。貴様程度がこの御旗に挑もうなど分を知れ!』

 

 

 凶爪が袈裟懸けに切り上げる。

 

 一瞬早く身を引いていた信長は完全に躱すも余波だけで吹き飛ばされボロ布のように地面を転げる。

 

 

「信長!」

 

「不用意に動いてはいけません!」

 

 

 レティシアの悲鳴が響く。咄嗟に駆け寄ろうとしたレティシアを、フェイス・レスが珍しく声を張り上げて制止する。

 

 地面を転がった信長はそれでも刀を支えにして立ち上がった。

 白夜叉から貰った着物は無残に裂かれ、足元は震えて定まっていない。額から流れる鮮血は顔の左半分を真っ赤に染め上げていた。

 

 それでも、彼は口元に笑みを浮かべていた。

 

 

「レティシアちゃん」信長はアジ=ダカーハから目を離さずに「十六夜のことお願いね。多分まだ生きてると思うから」

 

 

 言われてはっとしたレティシアは、少し離れた場所で気を失っている主を見つけると今度こそフェイス・レスの手を振り切って駆け寄る。

 

 直前まで戦っていたはずだが、レティシア達増援を確認するなり遂に気を失ったらしい。元よりこれほどの傷で生きていることが奇跡に等しい。

 それでもいつだって無敵であり続けた彼が、こうも弱っている姿にレティシアは普段の冷静さを失うほど狼狽してしまった。

 

 

『案ずるな。どう足掻こうがこの場にいる者全員、辿る道は同じだ』

 

「かもね。でも違うかもしれない」

 

 

 ボロボロの体を押して刀を構える信長に、レティシアは悲鳴のような声をあげる。

 

 

「ま、待て信長! お前だってもう限界だ! ここは――――」

 

「ここは蛟劉さん達に任せて逃げろ? 冗談でしょ。僕はずっとこういう戦を待っていたんだから」

 

 

 普段ならばレティシアやフェイス・レス、それに迦陵といった女の子達に目移りしていそうなものだが、今は違った。信長の目はアジ=ダカーハしか映していない。

 

 

『わからん。貴様が望むものとはなんだ? 貴様は何故戦う?』

 

 

 十六夜は仲間の為に戦った。口では色々言っていたが、十六夜の行動は全て仲間をアジ=ダカーハから守るために一貫していた。

 

 しかし信長は違う。瀕死の十六夜を囮に使う彼に仲間を守る為などという理由はない。さりとて自ら戦場に身を投じて自衛の為とも言うまい。

 圧倒的な力量差を理解していながら尚退かない少年の真意をアジ=ダカーハは測れずにいた。

 

 はたして自分には考えの及ばない理由があるのか。それとも目的があるのか。

 

 そんなアジ=ダカーハの考えを、信長は嘲笑って吐き捨てた。

 

 

「そんなもの、なんだっていいよ」

 

『なに?』

 

「理由なんていらない。目的なんてない。そんな面倒なもの、勝った後に考えればいい。僕はただ、生きている実感が欲しいだけだ!」

 

 

 信長の発言には、アジ=ダカーハだけでなく他の者達も驚きを隠せないでいた。

 

 

『……願いも無ければ信念すら無い、だと?』

 

 

 理由など無く、目的も無い。

 

 信長にとって戦とは最も死を近くに感じられるが故に生を実感出来るもの。それは彼にとって唯一無二の生き甲斐であり、娯楽。

 

 それはたしかにアジ=ダカーハにとって思いもよらない回答であった。そして、この上なく許せない答えだった。

 

 

『貴様は……貴様はこの御旗に挑む資格すらない!』

 

 

 アジ=ダカーハの覇気が増した。周囲の物質がそれだけで粉々に砕け散る。

 

 

『今一度宣言しよう。貴様は肉体の一切も、魂の一片も残しはしない!』

 

「っ――――」

 

 

 踏み込みに途方もない力を込めたアジ=ダカーハだったが、その一歩で体が沈む。不自然に、まるで自重に潰されるように。

 

 

「まったく。一体どんな言葉をぶつければあの魔王があれだけ怒るんや!」

 

 

 輝く羊皮紙を翳した蛟劉が信長を追い越して飛び出す。フェイス・レス、ジャックと続く。

 

 おそらく、いずれかの遊戯でアジ=ダカーハの動きを制限したのだろうと信長は予想する。

 

 

「謎を解く暇を与えたらアカン! 一気に畳み掛ける!」

 

 

 蛟劉は羽織を脱ぎ捨てて三頭龍の懐に潜り込む。白い呼気を吐きながら、気声と共に拳を突き出す。

 先ほどは棍で殴って、棍の方が粉々になったわけだが、今度はアジ=ダカーハの巨体が僅かにだが浮いた。

 

 いくら蛟劉が仙龍の霊格を宿し、いくら武技に優れていようとも、それだけでは大陸に等しい質量を内包するアジ=ダカーハの巨体は揺らがない。それを可能としたのは彼が発動したゲームの恩恵。

 蛟劉は一時的にだが星霊と同等の身体能力を発揮するというものだった。

 

 千年と積んだ鍛錬の結晶。そして星霊と同等の身体能力を発揮して耐える肉体。

 

 それらに称賛を覚えながら、三頭龍の眼は殺気を光らせた。

 

 

『だが迂闊!』

 

 

 体を浮かされたアジ=ダカーハは上。必然的に蛟劉は下に位置する。

 

 このまま落下の速度を利用しつつ腕を振り下ろすだけで容易く蛟劉の肉体を砕くことが出来る。

 

 

「私が受け止めます!」

 

 

 そこへ割り込んだ仮面の騎士。

 

 彼女は身体能力だけでいえば十六夜おろか耀にも劣る。そんな彼女が真正面からアジ=ダカーハの攻撃を受け止めようとしていた。

 

 アジ=ダカーハは標的が変わろうと攻撃を止めない。

 

 フェイス・レスは呼吸を合わせ、二対の豪槍を構える。無論正面から受け止めるのではない。アジ=ダカーハの攻撃の軌道を先読みして、槍を軌道上にそっと置く。爪の先が当たるか否か、彼女は半円を描くように槍を振るい爪を滑らせた。

 大地を砕き海を裂く力は見事にいなされ虚空を裂いた。

 

 ひゅう、と蛟劉が口笛を鳴らす。

 

 反撃は躱した。次は再びこちらの攻撃の番。

 

 

「さあ、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)の御通りだ!」

 

 

 普段の奇天烈な口調が霧散する。同時にジャックの姿も変化していた。

 

 真紅のレザージャケットを纏い、同色のスカーフで顔を隠す。手にした大振りのナイフを血塗れていた。

 

 ある時代ロンドンを震え上がらせた稀代の殺人鬼は、今やその身に四桁相当の霊格を宿していた。後見人たる聖人の手により新たに作られたその遊戯は極端に難易度が低い。それを代償に得た力だった。

 

 炎をバネに変え、それでもって虚空を蹴ったジャックの速度は十六夜や蛟劉さえ凌駕していた。

 

 

『小賢しいわ!』

 

 

 間断なく攻めるジャックに業を煮やしたか、アジ=ダカーハは怒声をあげて熱波の竜巻を発生させる。

 竜巻は瓦礫を巻き上げ、倒木を焼き尽くし、巨大な刃となって周囲一帯を破壊して無尽に進む。

 

 だが、火力という点でならば蛟劉達の側でもとっておきがいる。

 

 

金翅(こんじ)の炎よ」

 

 

 鵬魔王。迦陵の黄金の炎が彼女自身に巻き付いて、彼女自身が炎の鳥となる。

 

 炎鳥となった迦陵が瞬く間に竜巻を掻き消して、そのままアジ=ダカーハを狙う。

 

 

「今です!」

 

 

 直後、フェイス・レスの蛇蝎の剣閃とジャックの炎がアジ=ダカーハの動きを寸断させる。

 

 その隙を迦陵は見逃さず襲い掛かった。――――が、

 

 

『無駄だッ!』

 

 

 迦陵の攻撃より一瞬早くアジ=ダカーハへの拘束が解かれる。

 

 しかしすでに迦陵は攻撃の動作に入っており、今更中断して退こうものなら逆に無防備な背中を撃たれる。

 ならばこのまま、アジ=ダカーハと正面衝突を覚悟した迦陵だったが、アジ=ダカーハが振り下ろした凶爪はまたも弾かれる結果に終わる。

 

 振り上げた腕を振り下ろす瞬間。溜めた力を解放するその一瞬。溜めから攻撃に移行する刹那。

 切り替わるそこにたしかな隙が存在する。

 まるで絶妙なバランスで保つ塔に、僅かな、しかし致命的な力を加えて倒してしまうような。

 

 信長はその瞬間を完全に見切ってアジ=ダカーハが攻撃に移る前にそれを止めた。

 

 

(中々いい仕事をするじゃない!)

 

 

 怪鳥となった迦陵が初対面の少年を心の中で褒めつつ、霊格を解放する。

 

 

日輪金翅鳥(ヴァーナハ・ガルダ)!」

 

 

 炎鳥が三頭龍へと突撃。衝突。

 

 小太陽に等しい熱量の大爆発は周囲の物を吹き飛ばすのではなく溶解させるほどだった。

 

 ここを勝機と睨んだ彼女は黄金の翼でもって三頭龍を包み込み更に霊格を解放する。

 眼前の大質量たる魔王を倒せるのは己だけだと、決死で挑んだ。

 

 

『温い』

 

「っ!!?」

 

「迦陵ちゃん!」

 

 

 眩い光を斬り裂いて伸びた白濁色の腕。

 

 驚愕に目を見開いて退避しようとする迦陵だったが、一瞬遅かった。振り下ろされた爪の一撃は迦陵の肩から脇腹を引き裂いた。

 

 不死の特性を活かして万が一に備えて接近していたジャックが即座に迦陵を回収する。

 

 

「一旦退くで!」

 

『させると思うか?』

 

 

 漆影の閃断が蛟劉達を襲う。

 

 咄嗟の判断で全員が跳ぶが、三頭龍の狙いは初めから唯一人。

 信長の足を影が絡め取る。

 

 

『貴様はここで死ね』

 

 

 身動き取れないと理解するや迎撃に刀を抜く信長だったが、まともに正面から斬りかかったところで結果は目に見えている。

 誰もが、次の瞬間信長の体が引き裂かれる光景を幻視した。

 

 

「させません!」

 

 

 それを文字通り身を挺して守ったのは人型となったジャックだった。

 

 ジャックが割り込もうとアジ=ダカーハの攻撃は一切弛むことはなく、ジャックの体を一文字に裂いた。

 体から臓物を零しながら鮮血を撒き散らす。

 

 

「――――!」

 

 

 己を守った仲間を、目の前で血を流す味方を。

 

 なんと信長は足蹴にして飛び越えるとアジ=ダカーハへ斬り掛かった。

 

 それは非道と呼べる行動だった。無慈悲に過ぎる行為だった。

 だが確実に虚を突く手段でもあった。

 

 そのはずだった。

 

 

『いい加減目障りだ』

 

 

 パッ、と信長の背中から血の花が咲いた。

 

 背中から生えた白い突起物がズルリと体の中に沈む。

 それは信長の胸に押し付けていた三頭龍の頭が離れていくのに連動していた。

 

 アジ=ダカーハの頭部を貫通する封印の杭。

 その一本が真っ赤に濡れていた。

 

 

「クソッタレ! 撤退や! 今すぐ回収してくれ!」

 

 

 力なく項垂れる信長の体を支えて蛟劉が叫ぶ。

 

 応じるように主催者達と信長の体が霞のように消えた。

 

 残されたアジ=ダカーハは空中に浮かぶ城を見上げる。

 

 

『空間跳躍か。小賢しい真似を』

 

 

 まあいい、とアジ=ダカーハは踵を返す。

 

 今はルールに守られていようとゲームの謎さえ解いてしまえば関係無い。1匹ずつ、確実に炙り出し始末する。

 

 ダラリとこめかみを伝うそれをアジ=ダカーハは無意識に拭う。

 濡れた血は自分のものではない。

 

 

『まずはひとり』

 

 

 その声には相変わらず不快さが滲んでいた。




閲覧ありがとうございましたー。

>信長君撃沈!そしてアジさんがどれだけ信長君が嫌いなのかを書いたお話でした。

>さすがに3人のゲームを書くのは文字稼ぎ甚だしい&面倒(ぶっちゃけるな)なのでやめました。

>いつも原作を読みながら、頭の隅でゲームをクリアしようと頑張っているのですが今まで一度たりとも解けたことがありません!いかに私の頭が残念なのかは今更語る必要もありませんね!(泣)

>さてさて、思った以上に原作がサクサクと消費されていきます。というのも原作は場面転化して十六夜だけではなく耀ちゃんや飛鳥の活躍を書いているからなのですが、こちらでは影響が無い限り、基本信長君がいる場所しか書きませんので仕方がありませんね。
これはもういっそ『星の光より~』も章を一緒にしてしまった方がいいかもしれません。

>とまあまあ、はたして信長君の運命やいかに!?といったところで次話をお待ちください。


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三話

 春日部 耀は現在空中城塞にいた。

 

 十六夜の決死の覚悟で逃された後、アルマの背に乗って避難民の殿を務めていた耀達をまず襲ったのはアジ=ダカーハの分身体達だった。

 耀と飛鳥がそれぞれを相手にし、これをなんとか打ち倒した耀は、新たな力を手にして今度こそ十六夜を助けに行こうと思った矢先異変を感じる。

 

 身に余る過剰な恩恵に、肉体が悲鳴をあげる。それはまだ予想の範疇だった。

 しかし、突如体の自由がきかなくなってしまった。

 混乱した頭でいくつかの可能性を考え、絶望的な真実に行き着く。

 

 生命の目録の恩恵が消失していた。

 

 耀はそもそも病弱な少女であった。ベットの上で1日のほとんどを過ごすほどの。

 それが今ではこうして走り回れるのは彼女の父がある日与えてくれたペンダントの力だった。それこそ、生命の目録。

 

 当時こそ詳しくは知り得なかったが、目録は三毛猫を始め、周囲の動物達の力を蓄え耀に与えた。

 やがて彼女は自由に歩き回れるようにまでなった。

 

 ならば、生命の目録の恩恵が消失すればどうなってしまうのか。

 

 戻ってしまう。自分の力では立ち上がることも満足に出来ないか弱い少女へと。

 

 さらに絶望は続く。

 

 場にいる中で最大戦力であった耀が事実上の戦線離脱を余儀なくされた瞬間、次なる追手として現れたのはマクスウェルだった。

 マクスウェルの目的はウィラだけだ。

 けれどそれは同時に、ウィラを手に入れる為ならばなにを犠牲にすることも厭わないということでもある。

 

 マクスウェルは境界門を破壊し避難民を人質にすることでウィラを追い詰める。途中で駆け付けた飛鳥と、耀と同じく無力と化している黒ウサギまでも箱庭の何処かへ飛ばしてしまう。

 

 みんなの為に、友達の為に、ウィラがマクスウェルに屈服しようかというそのとき、救援が現れた。

 

 空中城塞と共に現れたいくつかの旗。

 

 サラが率いる南の階層支配者《龍角を持つ鷲獅子(ドラコ=グライフ)》を始め、《サウザンド・アイズ》や蛟劉まで。他の旗に耀は見覚えがなかったが、いずれも前者に劣らぬコミュニティであることは周囲の反応からわかる。

 

 そうして間一髪のところを救われた耀達は、避難民と共に一先ず空中城塞へと避難したのだった。

 

 その後の展開を、耀は実際に目にすることは出来なかった。サラから口頭で逐次戦況を聞き、十六夜と信長の元にも救援が向けられたというのも。

 

 あてがわれた部屋で、用意してもらった車椅子の上でただ仲間の無事を願うことしか出来なかった。生命の目録を失えばこうも無力になるものなのかと、己の不甲斐なさが死ぬほど悔しかった。

 

 そんな折、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。転がるように部屋に飛び込んできたのはコミュニティの年長組のひとり。

 いつも信長との相撲で一番多く彼に立ち向かい、そして一番泥だらけになる狼の獣人の男の子だった。

 

 

「…………っ」

 

「よ、耀様っ!!」

 

 

 彼の言葉を聞くなり耀は部屋を飛び出した。

 

 長い廊下を車輪を押して進む。恩恵さえあれば疾風の如く駆け抜けられるものを、今はその半分も進まない。果てしなく遠い。

 それでも耀は歯がゆい気持ちさえ原動力に必死に手を動かして、ようやく辿り着いたのは城の一角に設けられた石造りの倉庫。四苦八苦しながら扉を押し開けた途端――――熱気が頬を炙った。

 

 まるで中で火事でも起きているのではないかと思うほどのそれは、実際目の前で大火災が発生していた。

 かつては武器か宝か、はたまた兵糧を蓄えていたのであろうか、それなりに広いスペースを踊るように火が蹂躙している。

 

 しかしそれに怯むことなく、どころか身を乗り出して部屋を見渡す耀は見つけた。

 

 

「信長っ……!!」

 

 

 部屋の真ん中。最も火の勢いが強い中心に少年が横たえられていた。

 

 彼がお気に入りだと言っていた着物は見るも無残に引き裂かれ、至る所に裂傷や火傷が見られる。顔面は血塗れで、無事な場所などどこにも見当たらない。

 彼を中心に床が真っ赤に染まっていた。

 

 それを見るなり無理矢理部屋の真ん中へ進もうとした耀の肩が背後から掴まれる。

 

 

「やめて置いたほうがいい」

 

 

 耀が振り返る。

 

 そこに立っていたのは山高帽に燕尾服を着た老人だった。

 

 

「死にたくないのならね」

 

 

 この老人のことを、耀は少しだけ知っている。とはいっても数分前にサラから紹介された程度ではあるが。

 

 かつて耀の父が率いた東区屈指のコミュニティ、その古参のひとり。名前はたしか、クロア=バロン。

 

 力を取り戻せるかもしれないとクロアに預けた生命の目録のこと。父のこと。

 彼に訊きたいことは山ほどあれど、今はそんなことより大事なことがある。

 

 

「離してクロアさん! 信長が!」

 

「安心……は出来ないが、よく見なさい」

 

 

 悠長にしていれば信長が火に巻かれて死んでしまう。そう思い掴まれた手を振り払おうともがいていたところにクロアがスッと指をさす。

 促されて、示された先をじっと見てみると、気付けた。

 

 これほど勢い良く燃え盛る火は、どうしてか信長に燃え移っていない。よく見れば、まるで信長を避けるかのように不自然に彼の周りだけが無事であった。

 まるで火そのものに意志があるかのように。

 

 

「どうして?」

 

「あれは彼が持つ剣だよ」

 

「レーヴァテイン?」

 

 

 信長が愛用する武具。

 

 普段は持ち主である信長の意志で刀の形をとっているが、時に主の意志に応じて形を大弓や長銃に変えたりもする。

 そのどれもが本来の形状ではなく、そもレーヴァテインは形の無い武器なのだそうだ。

 

 ならばこの炎こそが、レーヴァテイン本来の姿だというのか。

 

 

「レティシア共々回収した途端この有り様でね。危うく中庭の者達全員消し炭にしてしまうところだった。なんとかここまで運んだが……いやはや、昔と変わらず見境がない」

 

 

 そう言ったクロアは赤く爛れた左手を見せてきた。

 

 

「黒ウサギめ、アレは絶対に持ち出さないようあれほど言っておいたものを」

 

「……暴走、してるの?」

 

「さてね。なんにしても今すぐどうこう出来るものではない」

 

「でもッ……! 信長は怪我をしてる!」

 

「わかっているとも。どちらにしてもあれほどの傷を塞ぐ術は今は無い。頼みのユニコーンの角ももう無いのだろう? ――――それに今の君に一体何が出来るかね?」

 

「……っ」

 

 

 思わず俯いて、力の入らない己の両足が視界に入った。

 

 今の自分は恩恵を持たない普通の少女……いや、それにすら劣る。動かない足で、力を持たない自分ではこの炎をどうにかして信長を助けることなど出来はしない。

 

 

「今は自分の力を取り戻すことを考えたまえ。そうしなければ彼だけではない。ここにいる全ての者が同じ結末を辿ることになる」

 

 

 アジ=ダカーハを倒さなければいずれこの城さえ落とされる。そうなれば戦っている者はもちろん、リリ達や避難民までも全員が死ぬことになる。

 それだけはさせない。させてはならない。

 

 

「……わかった」

 

「十六夜君が寝ている部屋で待っていなさい。そこで生命の目録を返し……そうだな、君の父親についても少し話そうか。それぐらいの時間はあるはずだ」

 

 

 コクリと頷いて、耀は最後にもう一度炎の向こうを見やる。

 

 眠るように床に横たわっている信長の容態はここからではわからない。しかしレーヴァテインがこうして顕現している以上、死んではいないはずだ。

 

 

「必ず君も助けるから。だから、もう少しだけ頑張って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強い子だ」

 

 

 車輪を押して去っていく耀の背を見つめて、クロアは零す。

 

 

「それに良い娘だ。お前の娘にしておくのは勿体無い」

 

『クロア、どうしてあの子に嘘を教えた』

 

 

 薄暗い通路の角から声は返ってきた。

 

 それに別段驚くこともなく、老紳士はおどけたように肩を竦めた。

 

 

「司令室でのことか? それなら嘘を話した覚えはないな。話さなかったことがいくつかあるだけだよ」

 

『どれも重要なことだ。生命の目録のことも。お前が召喚された本当の方法も。それに《ウロボロス》にしても、だ』

 

「なら自分で言いにいけよ。なんでこの俺がテメエの尻拭いをしなくちゃならねえ。うざったい」

 

 

 今までの穏やかな口調が崩れ、つい素の調子が漏れてしまう。

 

 しかしそれがどうしたことか。同士の好で彼の娘にも目をかけてやっているというのに、それをさも当然のことのような物言いに腹が立った。

 

 声は、しばらくの沈黙の後返ってきた。

 

 

『……自分で出来ればやっているさ』

 

「ちっ」

 

 

 どこか震えすら感じた声に込められていたのは悲哀か。はたまた怒りか。

 

 彼の事情についてを知っているクロアとしては、少し意地が悪かったと、どこにも向けられない苛立ちを舌打ちで誤魔化した。

 

 

「まあ確かに。生命の目録についてはもう少し知っておくべきかもしれない。あんな可愛い娘にお前と同じ轍を踏ませるわけにはいくまいよ」

 

『すまない。苦労をかける』

 

「まったくだ」

 

 

 一転、空気を変える為に明るい声色で答える。

 

 

「お前といい金糸雀といい、私に重要な所だけ投げおってからに。少しはこっちの身にもなれ」

 

『す、すまない』

 

 

 心底申し訳無さそうに謝る声の主には、これ以外にも心当たりがあるらしい。あってもらわなくては困るのだが。

 

 

「生命の目録にお前の霊格を込めておけ。使いこなせるかはわからないが、なんにしても必ず必要となる力だ。アジ=ダカーハを倒すにはあの娘の……いや、あの2人が必要だからな」

 

『わかった。生命の目録の件を終えたら俺は一度ゲーム盤を出る』

 

「ならば外のことは任せよう。分身体の双頭龍も機をみて殲滅してくれ」

 

 

 並の神霊級を優に凌ぐとされるアジダカーハの分身体の討伐を、まるでついでとばかりに振るクロアの発言をサラ辺りが聞けば果たして無謀だと非難するだろうか。それとも任せた相手の正体を知れば納得するだろうか。

 

 

「ところで――――お前はこれをどう思う?」

 

『…………』

 

 

 ガラリと空気が変わる。

 

 2人の意識が炎が踊る部屋へ集まる。

 

 

「思い出すな。金糸雀の奴が手にした瞬間、あいつの霊格を喰らって暴走した時のことを。あの時はさすがに肝が冷えた」

 

『笑い話で済むものか。下手をしたら七層ごと消し炭になるところだったんだ』

 

 

 昔を懐かしむように目を細めて笑うクロア。

 

 彼等の話は誇張でもなんでもない真実である。

 

 とあるゲームをクリアして得た神器がレーヴァテインであった。

 レーヴァテインといえば、ファンタジー系のゲームや漫画でもよく見る知名度の高い武器である。

 

 強力であることは一目見て理解出来た。しかしその凶暴性はクロア達の想像を遥かに超えていた。

 

 怖いもの見たさというものか、危険であるのを承知で好奇心に負けて手に取った金糸雀。瞬間、彼女は倒れ周囲一帯が消し炭となった。炎は金糸雀の霊格を喰らって燃え続けた。

 クロア達によってどうにか彼女の手からレーヴァテインを引き剥がし、火を消し止めたときには箱庭外の平原をひとつ。森を2つ焼き払った。もしあれが箱庭の中、街中で起こっていたらと思うとゾッとする。

 

 以来、レーヴァテインはコミュニティの宝物庫で厳重に保管されることとなった。

 

 そのときの話を幼い黒ウサギにしてやり泣かしたのは何を隠そうクロアである。あれは可愛かった。

 

 

『あんなものを扱える者がこの箱庭といえど流石にいまいと思っていたが……まさかこんな少年がな』

 

「ハッ、おいおいそこじゃないだろう?」

 

 

 命を司る死神は酷薄に笑った。

 

 

「レーヴァテインなんてものよりも――――この子供が果たして(・・・・・・・・・)何者なのかって話だ(・・・・・・・・・)

 

 

 そう、問題なのは魔炎ではない。問題なのは今この場にいるはずのないあの少年だ。

 

 

「お前の娘達はたしかに俺達が呼んだ。コミュニティ再建を建前に(・・・)、来るべき時の為に呼び寄せた。だが、あれは違う。本来黒ウサギ達の召喚に――――4人目はいない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――お前は何を望む?

 

 

 夢の中で、信長は声を聞いた。




閲覧、感想ありがとうございましたー。

>どもども、約1ヶ月のサイクルが回ってきました。といってもさすが年末に近づくにつれて文字を書くどころか妄想の暇も与えちゃくれません。悲しい。

>耀ちゃんの戦いとかをすっ飛ばしているので前半はほぼあらすじ。中盤から後半にかけてようやく物語……というより信長君のイレギュラー性が明かされました。
そうなんです。信長君呼ばれていないのです。お呼びじゃないのです(意味違う)

>最後は覚醒フラグを立てつつ、次回はどこまでいけるでしょうか。そして何よりいつ頃投稿出来るでしょうか。今週末とか辺りにでも出来たらいいなぁ、と割りと他人事な希望を呟きつつがんばろうと思います!

>ちなみに、かなり前にちょろっと黒ウサギが話していたレーヴァテインのお話が今回のに繋がるわけです。

>ではでは次回早めにお届け出来るよう……寝ます!おやすみなさい!


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四話

 はたと信長の意識は覚醒した。

 

 そこは真っ白な場所だった。右を向いても左を向いても地平線など見えやせず、上を見ても下を見ても白一色だった。

 

 そもそも天地どころか、信長は今自分が立っているのか座っているのか、はたまた寝ているのかすらわからない。大地が無いというだけでこれほど己を見失ってしまうものなのか。

 しかし足がつかずに不安定かと思いきや、ここはまるで水の中で漂うかのような妙な安心感がある。

 

 故に、信長はそれほど気にすることもなくそのままこの白の世界に意識を漂わせていた。

 

 

 ――――お前は何を望む?

 

 

 声が聞こえてきた。

 

 それは男のようで女のようで、少年のようで少女のような不思議な声の持ち主だった。

 

 声の主に聞き覚えはなかったが、信長は気付けば自然にその問いに答えていた。

 

 

「別になにも」

 

 ――――本当に?

 

「うん」

 

 

 その答えは本心だった。だから迷わず答えられた。

 

 そういえば、アジダカーハも似たような質問をしていたのを思い出す。

 戦いの果てに望むものを問われて、そんなものはなんだっていいと答えたらアジダカーハは大層怒り狂っていたっけ。

 

 しかしそれは本心なのだ。

 

 

 ――――お前は人生がつまらなかったんだろ?

 

「うん」

 

 

 そう、信長は人生に飽いていた。というより、そも自身が生きている実感がもてなかった。

 

 かつて一地方の大名の子供であった頃、信長という少年は他者とは一線を画していた。

 

 信長より剣の腕がたつものはきっといた。頭の良い者も、口が上手い者も。

 商いが出来る者、戦上手な者、人を見る目がある者。

 

 経験は言わずもがな、当時の信長より優れたものを持っている者はおそらく沢山いたと思う。

 

 しかし、そんな程度を誤差だと(・・・・)蹴散らせてしまうほどに信長という人間は世界から逸脱していた。正しく一線を画していたのだ。

 

 見ている景色が違った。聞いている音が違った。

 あらゆる事柄において信長が感じていることは他者とはまるで違っていた。

 

 優秀な人間が一のことから十を学ぶというのなら、信長はそこから万のモノを汲み取っていた。

 

 それは世に言う『天才』というやつだったのかもしれない。

 

 ただし周囲はそれに恐れか嘲りのどちらかしか抱かなかった。抱けなかった。

 

 これがもし常人にでも許容出来る程度の才だったなら、周囲の反応も違かっただろうが。

 

 そしてそれは信長自身の不幸でもあった。

 

 誰にも理解されないということは、誰もいないのと同じだ。

 何をしても、何を話しても、誰も彼も理解出来ない。

 見下しているといわれるだろうが、事実そうだった。

 同時に不幸だったのは、信長という人間がそれに優越感を覚えたりする人間でなかったことだ。

 

 そしてそれはあの日、夢の中で己の未来を知ってしまった瞬間、信長は生きる気力を失ってしまった。

 結局この先ずっと、自分と張り合える存在がいなかったことを知ってしまったから。

 

 ――――しかし、信長はこの箱庭へやってきた。

 

 

「ここは凄い人がいっぱいいた。凄い物が沢山あった」

 

 

 最初に出会ったのは自分と同じ年頃の少年少女。それが元の世界で豪傑と謳われた者達より遥かに強かった。

 

 最強の階層支配者たる白夜叉。初めて自分が理解出来ない強さを持つ者と出会った。

 

 火龍生誕祭ではペストと戦い『死』を感じることで生きている実感を思い出した。

 

 南の地では柄にもなく悩んでいたところを飛鳥に活を入れられたりもした。

 

 フェイス・レス、蛟劉、殿下……死力を尽くして届かない者達がいた。

 

 きっとこの世界にはもっと、信長の想像も及ばないような強者や出来事、刺激が溢れているのだろう。

 

 

「でも僕は満足してる。望みなんてとっくに叶ってる」

 

 

 望むものを問われても、今の自分にはそんなものはない。

 箱庭にやってきて今日までの日々は、元の世界で過ごしたであろう数十年では及びもつかない充足に満ち満ちていた。

 

 だから、たとえこのまま死んだとしても満足……

 

 

 ――――本当に?

 

 

 声の主は笑っていた。つい吹き出してしまった、嘲るような笑いだった。

 

 

 ――――お前、自分が今どんな顔してるのかわかってないだろ?

 

 

 先程から思っていたが、聞こえている声の主の口調が徐々に粗暴なそれに変わっていた。

 それが妙にしっくりするのは、多分こちらの方が素なのだろう。

 

 

「僕の顔? そんな変な顔してるかなー」

 

 ――――鏡がありゃ見せてやりたいもんさ。満足? ハッ、んな物足りなさそうな面(・・・・・・・・・)した奴のどこが満足だってんだよ!?

 

(物足りなさそう?)

 

 

 はて、と首を傾いだ。

 相手の言っていることが本当にわからなかったから。

 

 先程の言葉は本心だ。

 

 願いなど無い。望みなど叶っている。

 

 対等な相手。格上の相手。

 死の恐怖。生の実感。

 

 今のままでも満たされている。そのはずだ。幸せだったと胸を張って言えるはずだ。

 

 それなのに、言われるまま省みて自分の顔はペタペタ触ってみるとその通り不満そうだった。少なくとも満ち足りた笑顔とは程遠い顔をしているようだった。

 

 

「あれ?」

 

 ――――馬鹿言うなよ。思い出してみろ。お前は誰だ? どんな奴だった? 確かにお前は望んだだろうさ。対等な敵を。格上の存在を。生きている実感をどうしようもなく欲していただろうさ

 

 

 声の相手はそれが滑稽だとばかりに嘲る。

 

 

 ――――だがそんな程度で本当にお前は満足してるのか?

 

 

 声の相手は問いかける。すでに答えを知り得ているかのように、確信を持って投げかけていた。

 

 

 ――――もう一度訊くぞ? お前は、本当は何を望んでる?

 

「僕は……」

 

 

 答える前に、白い世界は眩い光に消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けると見慣れない天井を見上げていた。

 

 周囲に人の気配は無い。ただ地響きがここまで届いていた。

 パラパラと散った塵が額にかかる。

 

 意識の覚醒と共に体中から痛みの波が押し寄せてきた。

 

 『痛い』と感じられるということは、つまり自分はまだ生きているらしい。

 

 ボロボロの体。見事なまでの瀕死である。

 

 不意に、投げ出された右手に鼓動が伝わる。

 痛む体を押してなんとか視線を向ける。

 

 血塗れの手は刀の柄を握り締めていた。

 

 トクン、と再び刀が脈打つ。

 

 それはまるで、レーヴァテインが何かを訴えているようだった。




閲覧ありがとうございましたああああ!!

>ちょいと予定がたて込みまして更新遅くなりました。すみませんでした。

>さてさて、こうして覚醒フラグを立ててきまして、次回からはおそらく怒涛の如くバトル展開かと思われます。むしろ戦う以外の描写書いたほうがいいんじゃないかと心配していたりもします。まあ書くのはこれからなんですが。

>実際書き進めてみて、色々自分なりに遠回りしてみたものの、やっぱり展開が少し早すぎるでしょうか。なぜかというと、実質ここまでで『兎煉獄(原作タイトル)』までほとんど終わりましたよ!!多分二度書きすれば、少なくとも文字数は今の3倍くらい増えます。でもシーンは変わりません。
前も一時期陥った問題ですが、やはり信長君いない場所をすっ飛ばすとこんな感じになってしまいます……。

まあこの問題は、ゆっくりリメイクしている部分で修正していけばいいとも思いますが。やはり勿体無い感が半端ない!主人公達の熱い戦い信長君を放り込んでやりたい!――――はっ!?いっそ信長君にナルト的な影分身的な技を覚えさせれば……(やめなさい)

>久しぶりにゆっくりあとがきが書けることに嬉しさを覚えつつ、最近不意に問題児のアニメを観直したりしました。
やっぱり黒ウサギに違和感を覚えつつ、でも当時よりはずっと慣れて見ていたわけです。十六夜君かっけー、坊っちゃんマジゲスいわー、てな感じで見続けて……やっぱり最後はペストちゃん可愛い!!に落ち着くわけですね。くそうぅ、それでも私の一番は耀ちゃんなんだ……!!

あ、でも最近原作読んでて迦陵ちゃんの人気が上がってきています


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五話

「流石だ! 流石は閣下だ! これでもかってぐらい甘い夢を見ている連中に、これでもかってぐらい最高のタイミングで現実を叩き返しつけやがった! 相も変わらず酷い奴だ! ああ……これこそが魔王だ。最っっ高にイカしてるよアンタッ!! これがギフトゲームだ。神魔の遊戯! お前もそう思うだろ? ――――彩里 鈴」

 

「……はい、先生」

 

 

 投げ出した足をばたつかせて子供のようにはしゃぐ男の後ろで、リンはただじっと、凍りついたように微動だにしないで立ち尽くしていた。首だけを巡らせて声をかけられても上の空の返事しか出来なかった。

 それに対して男はなにを感じだとのか、それとも端から興味が無いのか喉奥で笑うのみだった。

 

 この男はリンの師であり、同時に現在リン達も所属している《ウロボロス》に所属する『遊興屋』と呼ばれるリン以上の策士。そしてかつて《幻想魔導書群》を率いた人類の幻想種である。

 

 リン達は今、現在戦闘が行われている仮想ロンドンの都市にいない。しかし戦況を把握出来るのは、男が持ち込んだ千里眼の恩恵を宿した九尾の尾で作られた布によるもの。これがあれば位相のズレたゲーム盤を覗き見ることが出来る。

 

 位相のズレた布の向こう側では現在アジダカーハと、アジダカーハを打ち倒そうと集まった連合コミュニティが戦いを繰り広げている。そして今、連合のひとつにして南の階層支配者《龍角を持つ鷲獅子》の党首であるサラのギフトゲームがアジダカーハによって破られた。複数のゲームルールでアジダカーハの動きを封じていた3つのゲーム、その中でも特に難易度が高いものが僅か1日足らずでクリアされたのだ。

 

 アジダカーハはただ強大な力を奮うだけの魔王ではない。人類の悪意の具現であるあれは人類の総決算たる知識をも備えている。あれにかかればどんな高難易度、複雑なゲームであろうと解けないものはない。

 

 そんな正真正銘の化け物と、殿下は対峙しなくてはならない。

 

 リン達は《ウロボロス》と手を切りたいと考えている。現状は組織がリン達を生かすことに――――というより、正確には殿下に生かす価値があるとして見逃してもらっているようなもの。彼等の気が変わろうものなら容赦なく消される。

 

 だがこの男、グリムの詩人が言うにはここでその価値を示せるなら今しばらく猶予が与えられるのだという。リン達としてはその間にジン達との交渉を進めていきたいのだ。

 

 

「殿下……」

 

 

 だがどれもこれも、結局は殿下が生き残れなければ意味が無い。リン達は彼の為に、彼を神輿として担ぐのだと決めたのだから。

 

 

「ところで先生。」

 

 

 リンはちらりとアジダカーハとは別の映像を見やる。そこはアジダカーハが暴れる戦場の上空。空中城砦。

 連合にとっての本丸にいきなり飛び込んだのは、空間転移を得意とするマクスウェルであった。今や天使――――先生曰く天使モドキ――――になりつつある異形の道化師の急襲に連合本部はかき乱されていた。

 元より主力のほとんどはロンドンの街でアジダカーハと戦っている。ここに残るのは切り札としての役割を持つ十六夜や、支援を主とする非戦闘員ばかりだ。

 切り札は最後まで温存したい。しかし、転移の恩恵を操るマクスウェルが万が一にでも非戦闘員に襲いかかれば彼等ではひとたまりもない。

 

 

「乱入を許すなんて先生らしくないですね。マクスウェルはコウメイという男に任せるのではなかったのですか?」

 

「ああ、それな」

 

 

 ガリガリと頭部をかき混ぜる男。

 

 

「さすがにこれは予想外だったわ。あのコウメイを無視するほど理性がぶっ飛んじまってたのもだが……まさかあんな天使モドキの足止めすら出来なくなってたとはな」

 

 

 落胆。失望。呆れを含めてぼやいた。

 

 一体、彼はこの状況をどういった結末で締めくくるつもりなのだろうか。

 

 リンが得ている情報を鑑みるに、アジダカーハに連合が勝つ可能性は限りなくゼロだ。恐ろしいことに、200年前、それとそれ以前に施された2つの封印によってアジダカーハの身体能力は元来の半分以下まで減衰されている。それでも勝てる見込みは少ない。

 

 理由のひとつはアジダカーハの持つ《疑似創星図》――――アヴェスター。あれは彼自身属する、拝火教における善悪の二元論、それを高速で構築することが可能な相克の恩恵。その内容は敵対する神霊の力をそのまま自身に上乗せしてしまうというとんでもないものだ。つまりたとえどんな強力な神霊がいたとて総体的な力でアジダカーハを上回ることは出来ない。逆に単独においてアジダカーハの力を増強する結果にしかならない。

 迦陵の炎を打ち消したのもこの恩恵によるもの。性能だけでなく、恩恵すら相殺したのだ。

 

 だが、それを掻い潜れる種族がたった1種だけ存在する。ひとつの宇宙観……年代記をアジダカーハと共有する種族。それこそが人類。

 人類だけはいくら数を揃えようとも1体以上を力を模倣されることはない。彼等だけがアジダカーハを打倒し得る可能性を持っている。故に、いやだからこそ、アジダカーハは人類最終試練なのだ。

 

 現在この戦場にいる人類で、アジダカーハを倒せる可能性を持つ者はリンが思い浮かべるだけで精々が5人。しかし実際それを成し得る者を選ぶならたった2人。

 1人はリンの主である殿下。もう1人は主催者側の十六夜。

 

 この2人が共闘するのが最も勝率の高い作戦だと思うが。

 

 

(無理だろうなぁ)

 

 

 アンダーウッドに始まりこの北でも、リン達は十六夜達にとって限りなく悪として敵対行動を取っていた。リン達にもそれなりの理由があったとはいえちょっとやそっとで許されるとは思えない。ましてや背中を預けて共闘など――――

 

 

「!?」

 

 

 ゾクン、とリンは突如襲う悪寒に背中が泡立つのを感じた。例えようもないプレッシャー。その出処はすぐにわかった。

 

 

「せ、先生……?」

 

 

 震えきった声で男の背に呼びかけた。

 

 しかし、男の方は聞こえていないかのように反応をみせず、布地の向こうを睨みつけているようだった。

 先ほどまでの上機嫌が嘘のように、その気配には怒りが滲んで見えた。

 

 

「ったく。キャストも大物。ストーリーも上々。こんな見応えのあるゲームは久しぶりだっていうのに――――どうしてこんな異物が混じってやがるんだ?」

 

 

 リンが覗き込むと、どうやら見ているのは空中城塞、つまりは十六夜達とマクスウェルの戦場。自我を失い今にも暴れ出しそうなマクスウェルと対峙する十六夜。彼我の実力差は歴然であるものの、空間跳躍を使うマクスウェルを十六夜が捕まえられるかどうか。

 非戦闘員の避難を優先した死神クロア=バロンが戻ってくれば話は変わってくるのだが……。

 

 しかしそこに先に現れたのは山高帽に燕尾服の神ではなく、ボロボロの和装をはためかせる黒髪の少年だった。

 

 

「信長さん……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信長?」

 

 

 たったひとりマクスウェルと対峙していた十六夜の目は、今にも飛びかかってきそうな敵ではなく城の頂上付近へ向いていた。足場の少ない崩れつつあるそこに、いるはずのない人間が立っていた。信長だった。

 白の和装は見るも無残な有り様で、血染みも酷くこびり付いている。

 その染みの血のほとんどは彼自身のもので、それだけでどれだけ重傷であったかよくわかる。実際、彼は城に運ばれてから意識は戻らず、処置すらままならず彼の武具であるレーヴァテインの炎に包まれ手を出せなかったという。

 

 はたして、クロア曰く諦めた方がいいとまで言われていたはずの彼は今この戦場に立っていた。右手に例の如く刀を持ち、何故か左手では大きな風呂敷を肩に担いで。

 

 

「……生きていたのか」

 

 

 不意に隣に現れた気配。山高帽子に燕尾服、生と死と快楽の神霊。金糸雀から伝言を預かって十六夜の前に現れたときから人を喰ったような態度の死神は、しかし今はらしくもない厳しい顔つきをしていた。

 その顔に違和感を覚える。仮にも仲間である信長の参戦。ここは増援を喜びこそすれこんな顔はおかしいではないか。しかも今のセリフ、まるで生きていて欲しくなかったかのように聞こえる。

 

 まあ、今はそのことの追求よりやることがある。

 

 

「なんだ、重傷だって聞いてたが案外ピンピンしてんじゃねえか。春日部やお嬢様が知ったらまず殴られるかもな。『心配させて』って」

 

「あー、うん。ごめんごめん。けど本当に死んじゃうところだったんだよ? 三途の川は見えたんだけどさー。生憎文無しだったから連れて行ってもらえなかったんだよ」

 

 

 ヤハハと笑う。少しだけ、現れた瞬間の信長の気配に違和感を覚えたのだが、会話が成立したことで気のせいだったと思い直す。のらりくらりとした性格は死に瀕して変わらないらしい。

 

 

「馬鹿は死んでも治らないってのは真理だな。――――このストーカーをぶっ倒す。手ぇ貸しやがれ」

 

「…………」

 

 

 クロアは何かを言いたげだったが無視をした。

 クロアに信長、そして十六夜。これだけの戦力が揃えばマクスウェルといえどすぐに倒すことは可能だろう。本命の作戦までもうすぐ。あまり時間はかけていられない。

 

 本人こそ自覚はなかったが、十六夜にしては珍しい協力の申し出。それだけこの後に控えているアジダカーハとの戦いはギリギリのものになるという確信からだったのだが、それに対して信長はのんびりとした語調で答えた。

 

 

「ううん。マーちゃんの相手は僕が引き受けるよ」

 

「……あん?」

 

 

 返答は拒否。それに妙な愛称で呼ぶ始末だった。

 

 

「お前、このストーカーと知り合いだったのか?」

 

「まあね。ウィラちゃんの魅力を語り合った唯一無二の心友だよ」

 

 

 カラカラと笑いながら信長は続ける。

 

 

「だから彼は僕にちょうだい。ほら、十六夜にはやることがあるんでしょ?」

 

 

 十六夜はしばし考えこんで沈黙する。確かにここで万全の体勢を整えてアジダカーハへの作戦を開始出来ればそれが最善だが、ここで十六夜が去るということはクロアもここを離れるということだ。マクスウェルの空間跳躍に唯一対抗出来る恩恵を持つのがクロアなのだ。

 マクスウェルの様子から、すでにあれから自我は感じられない。もし信長を無視して城内の者達を襲い始めたら、最終的に倒せても甚大な被害が出てしまう。

 

 そのことは信長も重々承知だったらしく、彼は左手に持っていた大きな風呂敷を示す。

 

 

「だーいじょうぶ。お城の中のみんなには手は出させない。その為の切り札を持ってきたから」

 

 

 やけに自信満々な信長。

 十六夜は数拍置いて、右手で後頭部を掻いた。

 

 

「同情こいて逃がしでもしたら後で女子組にこってりしぼってもらうからな」

 

「それはそれでむしろ僕の方からお願いしたいかもしれない」

 

 

 はっ、と十六夜は鼻で笑った。

 

 

「行くぞ」

 

「本気か?」

 

 

 クロアが訪ねてくる。

 

 

「テメエがあいつを一体どう思ってるかは知らねえが、あいつは俺達の仲間だ。それを抜きにしても、少なくとも今はこれが最善だろ?」

 

「むぅ……」

 

 

 理解はしたが納得は出来ない。そんな顔をしながらも、クロアは境界門を開いて十六夜と2人作戦位置に跳んだ。




閲覧ありがとうございます。

>あけましておめでとうございます!!!ええ、ええ、誰がなんと言おうともあけましておめでとうございます!だって年は明けたのだから!明けたならたとえいつ言ったっていいはずですから!!

あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。更新遅くてごめんなさい。

>さてさて言いたいことは言ったので本編の話題に戻りましょうか。遂に11巻までぶった切っての全力失踪(誤字にあらず)でございますよ!いやいやピックアップは基本信長君だとはいえ、そこだけ切り取るととんでもないショートカットとなるのですね。
しかしこの対決の構想は原作読んでからあったのでどうしても外せないです。原作ではあっさり退場の我らが変態マーちゃん、はたしてこちらではどうなってしまうのか!?そこに乞うご期待くださいませ!信長くんの活躍はそのおまけぐらいに期待していてください。

>改めまして。皆様の2015年は素晴らしいものであることを願っております。


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六話

 クロアによって十六夜がいなくなるのをしっかり見送って、信長は『さて』とマクスウェルへと向き直る。

 

 

「やあやあマーちゃん。なんだか凄い久しぶりな感じがするけど元気だったー?」

 

 

 朗らかな笑顔で、緊張感の無い調子で、信長は無遠慮にマクスウェルへと喋りかける。しかしマクスウェルの反応は薄い。

 

 輝く羽根を連ねた白銀の翼。派手派手しかった外套は穢れのない白一色に変わっている。一々仰々しかった役者然とした面影は無く、今は人形のようである。何より変わってしまったのは目だ。闘技場で愛しい女性を語った彼の目にはウィラを求める熱い炎と、その為なら他の何もかもを犠牲にしても構わないという冷酷な氷の意志を宿していた。あまりにも一途が故に歪な想いの形。

 

 しかし今は見る影もない。そも正気があるのかも疑わしい。ガラス玉が嵌っているだけのように意志を感じさせないその目は何も映していなかった。

 

 

「――――――――」

 

「おっと」

 

 

 不意に体の向きを入れ替えたマクスウェルの鼻先を炎弾が掠める。

 瞬時に刀から銃に変化させたレーヴァテインを抜き放っていた信長は銃口を向けたまま気楽に微笑む。

 

 

「お城の中へは行かせないよ」

 

 

 動きの出鼻を挫いてマクスウェルの逃走を阻止した信長だが、いつまでもそうしていられるわけもない。マクスウェルには転移の恩恵がある。本気で逃げられれば転移が使えない信長に追う術はない。かといって、正気を失っているマクスウェルがこのままこの場に残っていてくれるかはわからない。

 

 だが、その点に関して言えば信長はさして心配していなかった。何故なら信長にはマクスウェルをこの場に引き止める方法があったから。――――否、正確に言えば、『マクスウェルが何を目的にここにやってきたのか』それをよくわかっていた。

 

 

「無視だなんて酷いなぁ。それに、お城の中にマーちゃんのお目当てさんはいないよ?」

 

 

 そう言って先程から背負っている大風呂敷を下ろす。

 

 

「じゃーん!」

 

「…………ふえ?」

 

 

 広げられた風呂敷の中身はウィラだった。目をキョトンと丸くさせて忙しなく辺りを見回している。それも仕方がない。彼女は憔悴しきって部屋で休んでいるところを文字通り拉致されたのだから。

 

 

「こ、ここ……どこ…………????」

 

 

 転移すら出来ないほど弱っていたところを突然暗い場所に押し込められたと思えば、解放されてみれば城の外。動揺するなという方が無理である。

 

 だから、突然目の前に顔の半分が裂けるほど口を広げた化け物が現れても、防戦より怯えるより、ただただ呆然としてしまっても仕方がないのかもしれない。

 

 

「え?」

 

 

 呆然とただ眺めるしか出来なかったウィラ。そんな彼女の眼前で、襲いかかってきたマクスウェルの顔面は横合いから飛んできた蹴りに顔を変形させて吹き飛んだ。城壁の一部を破壊して埋もれていくまで彼女は状況もわからずただ見つめることしかしなかった。

 

 

「あっはは。まったくマーちゃんは堪え性がないなぁ」

 

 

 その場にへたり込んで動けないウィラは眼前を過ぎ去った足を目で辿る。それはちょうど今し方繰り出した右足を信長が静かに下ろすところだった。

 

 いきなり死にかけた。ウィラがその場を動けなかったのは、そのことに対する恐怖で体が麻痺して動かなかった――――だけではない。たった今目の前で起こったことを正しく頭が理解するまでに時間がかかっていた。

 

 襲いかかってきたのはおそらくマクスウェルだ。様相は随分変わってしまったが、あれは最後にジン達と共に対峙した彼の姿だった。あの時より理性を失っているように思えたが。けれど問題なのはそこではない。マクスウェルはある一件をきっかけに、正気を失うと同時に膨大な力を解放してきた。それがあの天使のような姿。しかし、いくら見た目が変わり力を上げようと根本的な霊格(そんざい)は変わっていない。それはつまりマクスウェルの恩恵は変わらず彼の力であるということ。

 

 襲いかかってきたあのとき、マクスウェルは間違いなく空間を跳んできた。ウィラと同じ転移の恩恵。前兆となる動作は必要はとせず、それほど厳しい制限も無い。速度や距離といった概念も無に帰す機動性だけでいえばウィラが知る限り最強クラスのギフト。転移に対抗するにはこちらも同じく転移を使う、或いは耀がそうしたように未来視のようなギフトを使うかだ。たとえそれらが無くても対処法が全く無いわけではないが苦戦は必死である。

 

 ――――しかし今、信長は転移したマクスウェルを迎え撃った。予備動作も無い、超高速すら越える空間転移者を正確に迎撃してみせた。

 

 

(……転移の動きに、ついていった?)

 

 

 繰り返すが、信長が未来視のギフトを使った様子はない。ということはつまり、信長は単なる身体性能だけでマクスウェルの動きについていったということになる。その驚異的な事実にウィラは言葉を失っていた。

 

 

「W、eeeeeeRRRrrrrrrA!!????」

 

 

 そんな彼女の視界に映り込む炎と冷気。信長の背後から、牙を剥き出しにしたマクスウェルが襲い掛かる。言葉を為さない音をハウリングさせたマクスウェルの顔半分が焼け爛れていた。しかしそれは一瞬の内に元の人形めいた整ったそれに復元される。やはり転移同様、不死性のギフトも健在であった。

 

 

「あ――――」

 

 

 『危ない』、そう言おうとしたウィラだったが、信長はわかっていたかのようにマクスウェルの手を体を僅かに横に移動するだけで躱し、返す刀で袈裟斬りに捨てる。

 だがそれでも止まらない。上半身と下半身に泣き別れた状態でもマクスウェルは意にも介さずウィラへ手を伸ばす。

 

 信長はそれすら叩き伏せた。

 

 

「Gィ……ッ!?」

 

 

 苦鳴を吐き出して地面に沈むマクスウェル。瞬時にその姿が虚空に消える。

 

 

「ッッッAAAAAAAA!!」

 

 

 短距離空間転移とでもいえばいいのか。僅か数メートルの範囲を連続移動して信長を撹乱。死角から襲い掛かる魔手を、しかし信長は悉く躱し、いなす。どころかダメージを受けているのはマクスウェルの方だった。

 もう疑いようはない。信長は強くなっている。マクスウェルより遥かに。

 一度目の戦いでは己の身を犠牲にするほどの手段でようやく渡り合っていたマクスウェルを今や圧倒していた。

 

 

「はッ!」

 

 

 一閃。交差した腕の上から振り抜かれた刀の威力に踏ん張りきれず後退するマクスウェル。空中で制止したマクスウェルの体はすでに致命的と思われる傷もあった。しかしそんな傷さえすぐに再生されてしまうだろう。実際傷はすぐに再生し始めた。だが同時に、マクスウェルの体から炎が吹き出した(・・・・・・・)

 

 

「?」

 

 

 腕から、腹から、背中から、体中から吹き出した炎はマクスウェルの傷口を広げるだけでなくマクスウェルをも喰らわんとばかりに踊り狂う。

 

 

「君の不死性っていうのがどれほどかわからないけど、消し炭にしても生きていられるかな?」

 

 

 炎を振り払うように荒れ狂うマクスウェルだが、払えど払えど火は勢いを増すばかり。炎上の中で再生を繰り返すマクスウェルの雄叫びが轟く。

 

 

「ごめんね、ウィラちゃん。どうしても君にはここにいて欲しかったんだ」

 

「ううん。別に構わない」

 

 

 首を横に振るウィラ。実際彼女は本心からそれほど信長に怒りを抱いてはいなかった。マクスウェルを城内に招き入れ無力な人達を傷付ける危険性があった以上、自分を餌にしてマクスウェルを惹きつける作戦は正しい。

 

 

「でも、あんまり役には立てなかった。もうマクスウェルに正気はなかった。私だってことも、多分わかってなかった……」

 

 

 しゅん、とウィラが落ち込んでいるのは自分が役に立てなかったからだ。アジ=ダカーハの時は一番に逃げ出してしまい、先の戦いでも元はといえばマクスウェルを呼び出し境界門を壊させてしまったのも彼が自分に執着したのが原因だった。己の無力が情けなく、悔しかった。

 

 

「それは違うよ。マーちゃんがウィラちゃんのことに気付かないはずないじゃないか。――――ねえ、マーちゃん?」

 

「え?」

 

 

 意味深な言葉を自分ではない誰かに掛けたことにウィラは思わず俯いていた顔をもたげる。炎に巻かれ未だ炎上している影がのそりと立ち上がった。

 

 

「まったく、酷い目にあったものだ」

 

 

 立ち上がったマクスウェルは、その口から先程までの獣のような叫びではない言葉を発した。虚ろだった瞳に知性の光が灯り、表情には僅かな微笑さえ浮かべてみせる。

 咄嗟に臨戦態勢を取るウィラだったが、マクスウェルは手を突き出してそれを制する。

 

 

「慌てることはないよ、ウィラ。この様では君を抱きしめてあげることも出来はしない」

 

 

 言葉の通り、意識こそ戻っても炎は消えていない。今も燃え続ける火はマクスウェルを絶えず侵食している。

 

 

「それに、残念ながら今の私の力では我が宿敵の手から君を奪うことは出来そうにない」

 

 

 フッ、と笑うマクスウェル。

 

 

「正気は失っても意識は残っていてね。いやまったく、最愛の君には見られたくなかった醜態だ。死にたくなる。これではウィラに嫌われてしまう」

 

「元々大嫌い」

 

 

 にべもないウィラの言い草にもマクスウェルは動じない。聞こえているのかいないのか、いや相変わらず都合の良い耳をしているのだろう。

 

 

「さて」マクスウェルは信長に正対する「ノブちゃん、御礼は言わなくていいのだろう?」

 

「なんのことかな?」

 

 

 ケラケラと笑う。

 

 

「僕はここに、マーちゃんと戦いにきただけだよ。これからもずっと、ね」

 

 

 『これから?』と、信長の言葉の意味を理解出来ず首を捻るウィラ。一方でマクスウェルはどうやらわかってるようで、反応は苦笑を浮かべるというものだった。そんな2人の前に一枚の羊皮紙が現れる。魔王であるマクスウェルが主催者権限を用いたのならば黒い羊皮紙だが、それは通常通りのもの。ということは、互いの同意のもとに現れる契約書類《ギアス・ロール》だ。

 そんなウィラに、傍らにいた信長が契約書類を差し出す。流されるままその書類に目を落とし、ウィラは顔を青くした。

 

 

 

 

 

『ギフトゲーム名《恋するあの娘の胸を撃ち抜け(はぁと)》

 

 プレイヤー一覧、織田 三郎 信長。

         マクスウェル。

 クリア条件、プレイヤーは相手を屈服、或いはゲーム続行不可能にする。

 敗北条件、降参、或いは行動不能。また、ウィラ=ザ=イグニファトゥスに対する想いが無くなる。

 クリア報酬、ウィラ=ザ=イグニファトゥスへの告白の権利。

 ゲーム期間、無制限。

 

 宣誓、上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します』

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 言葉が出なかった。というかわけがわからなかった。

 

 

「なに、これ……?」

 

「んー? いやほら、まずは僕とマーちゃんどっちがウィラちゃんの相手に相応しいか決めないとウィラちゃんも困るでしょ?」

 

 

 本気でここから、いや箱庭から逃げ出すべきではないかとウィラは思った。そして改めて目の前の少年が自分にとって味方ではないことを知ったのだった。

 

 

「もちろん受けてくれるよね、マーちゃん?」

 

「……まったく、この私もノブちゃんには嫉妬すら覚える。もし私が乙女であったならきっと惚れていたことだろうね」

 

 

 肩を揺らして笑うマクスウェル。外套を、大きくはためかせた。

 

 

「無論受けるとも! この私のウィラへの想いは、誰であろうと負けるはずはない!! たとえそれがノブちゃんでもね」

 

 

 互いの承認が得られたことで契約書類は再び光となって消える。ウィラの知らぬところでゲームが成立してしまうのは、あくまでも賭けられているのは彼女への告白の権利だから。彼女がどちらの所有物でもない以上、彼女の意志無しで彼女を得ることは叶わないが告白程度の権利ならば無許可で通る。まあ、ウィラにとっては不幸に変わりないが。

 

 あまりの不幸っぷりに泣き喚くのを通り越して放心してしまっている傍らで、マクスウェルは炎に巻かれながら指を鳴らす。すると炎と冷気の境界門が現れる。すると信長はそれに向かって屋根を飛び進む。

 

 

「じゃあねマーちゃん。またどこかで」

 

「ああ、またいずれ。我が最大の宿敵であり、心友よ」

 

 

 境界門をくぐって信長は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一目惚れだった。

 

 一度はその存在は否定され、しかし如何なる者とて自分という存在を完全に否定するには至らなかった。それは同時にある疑問を生むこととなる。

 

 結局自分は何者なのだ?

 

 誰にも否定出来ないということは、誰にも理解出来ないということだ。その存在は不確かで、不透明。延々と解明と否定を繰り返す朧気な現象。それがマクスウェルの悪魔。

 

 自分は一体何者なのか。何処に行けばいいのか。何をすればいいのか。

 自分自身ですらわからない。わからない。誰か教えて欲しい。けれど誰も教えてくれない。自分は誰にも理解されないから。

 

 そんなときに出会った。それは小さな悪魔だった。蒼い灯火の悪魔。

 

 内気な彼女が遠巻きに楽しげに遊ぶ子供達の輪を眺める姿に、恥ずかしがりながらも呼ばれるままとてとてと輪に加わる姿に、子供達と戯れる彼女の笑顔に、マクスウェルは心打たれた。生まれてこの方芽生えたことのない感情に、当時の自分は名をつけることは出来なかった。ただこう思ったのだ。『ああ、彼女が欲しい』と。たったそれだけのこと。しかし唯一、マクスウェルが成したいと思えたこと。

 

 己が誰かはわからない。ならば彼女を求める者でいい。

 何処に行けばいいのかわからない。ならば彼女のもとへ行こう。

 何をすればいいのかわからない。ならば彼女を手に入れよう。

 

 そうだ。それこそが、マクスウェルの悪魔なのだ。

 

 それは奇しくも彼女と行動を共にするジャックと似ていた。だからこそ、マクスウェルは彼が大嫌いだった。出会う時がほんの少し遅かった。しかしそれが彼女との信頼の差を生んだのだと本気で思っていたから。

 

 

「何者でもいい……そう思って仮初めの座にも居座ってみたが、それが私にとっての唯一を奪うというならば必要はあるまい」

 

 

 炎の侵食は止まらない。この炎はマクスウェルの肉体だけではない……その存在、歴史、そのものを燃やし尽くさんとしている。そうなれば恩恵による不死性などに意味は無い。おかげで座から引き摺り落とされこうして理性を取り戻すことも出来た。だがこのままではいずれはマクスウェルそのものを燃やし尽くす。

 この炎はあらゆる存在、たとえそれが如何なる最強種であろうとも燃やし、喰らうのだろう。こんなものをただの人間が使えることに疑問はあれど、それが信長ならばまあいいだろうとも思ってしまう。なにせ彼はマクスウェルの存在を賭けた宿敵であり、最愛なるウィラとは別の、心友であるのだから。

 

 炎の向こうに、今も城のテラスにへたり込んでこちらを見上げるウィラの姿を見つける。上目遣いでこちらを窺う彼女は、どうしていいかわからないといった顔でただただこちらを見つめている。

 

 

「ああ……ウィラ」

 

 

 なんと愛おしいことか。無垢な顔を、柔らかな髪の一本まで、その魂に至るまで全てが欲しい。その全てを自分に向けて欲しい。

 だが、今は駄目だ。結局この力では足りなかった。そも己の存在を消してしまう力など本末転倒である。この炎で自分は消滅してしまうかもしれない。だとしてもその程度で諦めることは出来ない。だからまたやり直そう。何度だってやり直せる。何故なら、

 

 

「そうさ、何度だってやり直せる。今度こそ、君に相応しい力を得て、世界の境界など飛び越えて――――ウィラ! また再び君に逢いに来よう!!」

 

 

 否定と解明を繰り返す。それがマクスウェルなのだから。

 

 炎の中で、マクスウェルは最後までウィラを見つめ微笑っていた。その瞳はやはり歪で、やはり一途に輝いていた。




閲覧ありがとうございました。

>前回更新から随分日を空けてしまい申し訳ございませんでした。実は転職活動しておりまして、中々執筆している時間が取れませんでしたとは言い訳です。はい。
しばらく新天地ということもありリアル事情でまた日が空いてしまうかもですが、先に謝罪とどうぞごゆるりとお待ちいただけると幸いですとだけ言葉を残します。

>さて内容に触れまして。
マクスウェル戦は終了です。まず最初に、マクスウェルについての後半あれこれは完全に創作です。原作では割りと呆気ない退場(再登場あるかもですが)だったので、出来ればカッコイイ退場をしてもらいたい!でもひとりよがりの性格はそのままで!という結果ああなりました。
まあ、こっちもこっちで復活信長君のお披露目&圧倒でしたが、少々無理矢理感あるのはご愛嬌。ちなみに信長君がどこに行ったのかは次回に!

>一部内容補足。
マクスウェル暴走時、信長君だけはマクスウェルの理性が残っている風に喋りかけているのは暴走しているように見えてもマクスウェルはきっちりウィラだけを狙っていたことに気付いてたからです。
もう一点、ウィラが顔を真っ青にしていた契約書類ですが、実はあれはこの一連の事件の中で彼女にとって唯一の利のある内容でもあります。契約が為された以上、2人の決着がつくまで今までのような直接的なストーカー行為が出来なくなったりしてます。報酬があくまで『告白の権利』なのでかなり曖昧な制限ではありますが。それでも契約不履行になるような行為には及べません(的な捏造設定)。

>さてさて、なるべく次は早く更新出来ますよう頑張ります。新生活始まる方も多いかと思いますが、お互い頑張りましょう。ではではまた次回ー。


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七話

『ヌ、ゥッッ!』

 

 

 空中城塞を背景に、アジ=ダカーハを臙脂色の閃光が追い詰めていた。途轍もない速度で大気を焦がし、空間を歪ませるほどの速度と威力を伴った斬撃は大陸と同等の質量を持つ白磁の肌を容易く抉った。

 

 

「神罰は全て覚悟の上!」閃光は――――ジャックは吼えた「この身は元より悪道を生きてきた! ならばその悪道の果てに『絶対悪』を滅ぼせるならば本望ッ!」

 

 

 今の彼の姿はいつものカボチャお化けではなく、『切り裂きジャック』である人型を模していた。その人型となったジャックは己の身を削って今戦っている。髪も瞳も、体の至る所を炎上させた彼はナイフを一度振るごとに、バネの足で空を駆けるごとに肉体が崩れていく。ジャックは命を賭して最期の戦いに挑んでいた。

 

 仕掛けたゲームを半ば以上解き明かされ、不死性を失い半死半生となった彼は最後の策としてゲームの内容を書き換えた。自分に有利になるように、あらゆる力が自分に集まるように。当然そんなことをすればただでは済まない。

 あらゆる可能性が偏在する箱庭で、無間に等しい世界と時代が絡み合ったそれの中から正しく筋立てたゲーム内容を作成出来る者、《詩人》と呼ばれる存在は少ない。無論ジャックはその詩人でもない。

 箱庭のシステムは成立していないゲームを異物(エラー)とみなして排除しようとするだろう。なにより、箱庭を管理する天界はジャックを許しはしない。それだけではない。膨大に膨れ上がった霊格にジャックの肉体は耐え切れず崩壊の一途を辿る。

 

 だが、ジャックはそれで構わなかった。ジャックの行いは、今まで彼が積み上げてきた償いを全て台無しにするものだ。彼を信じてくれた聖ペテロや女王を裏切る行為だ。

 わかっている。償えない罪を更に重ねる悪行。しかし、それでも、たとえ肉体を失おうとも、たとえ天界に追われ再びあの無間に閉じ込められようとも、今この瞬間立ち上がる力が必要だった。立ち向かう力が必要だった。

 

 

(全ては――――)

 

 

 ジャックは不意に思考が止まる。それはことここにおいて迷い(・・)だった。

 

 全てを犠牲にしたこれは、未来永劫の地獄を受け入れたこの時間は、はたして誰の為だったのか。

 コミュニティの子供達。ウィラ。それとも十六夜達……。――――いいや、本当にそうだっただろうか?

 

 自分は結局疲れてしまっただけではないのか。幾つもの子供の命を悦楽の為だけに奪った。ただ普通の愛が欲しかっただけの子供達は娼婦の命を奪った。救われなかった子供達の命を処刑人が奪った。それら全ての罪を背負い償う為に、ジャックはカボチャ頭の道化師として《ウィル・オ・ウィスプ》で子供達を導き続けた。償いきれないと知りながら、永遠に許されないと知りながら。

 

 しかし、今のこの姿はどうだ。髪を燃やし、瞳を燃やし、炎の化身として鮮血の外套を纏い刃を振るう。もう二度となるまいと誓った、暴力と血を求めて命を刈り取る殺人鬼の姿。

 

 

(結局(オレ)は、ただ自分の為に戦ってるんじゃないのか?)

 

 

 子供達を導き、笑わせた道化師ジャックはもういない。ここにいるのは魔王に身をやつした卑劣で最低の殺人鬼。

 許されたいわけじゃない。後悔なんて無い。それでも、今までの行いを台無しにした今だからこそ、ジャックは知りたかった。

 

 (オレ)は一体誰なんだ。

 

 

『――――神のひとりとして認めよう』

 

「?」

 

 

 三頭龍は六つの眼で真っ直ぐにジャックを見据えた。

 

 

『悪にその身を貶めてなお、お前には一片の正義があった。この絶対悪に突きつけた刃の輝きは偽らざる正義であったのだと。私が保証する』

 

「…………」

 

『悪を討つのが悪ならば、その後に残るのもまた悪だ』

 

 

 それでは虚しいだろう? とアジ=ダカーハは不遜に告げる。どことなく笑ったように見えた。

 

 

「――――は」

 

 

 ジャックはこみ上げてくるものを抑えきれなかった。噴き出てきたのはどうしようもない哄笑と、感激。

 

 

「ハハハハハハハハッ!! そうか、保証してくれるか。他ならぬ絶対悪の言葉、これ以上のモノはないな!!」

 

 

 遂に、物質としての肉体が崩壊する。残すは膨張し続けた結果星辰体(アストラル)の塊となったこの魂のみ。肉体はすでに無いのに激痛が体中に走る。まるで灼熱に炙られ続けているようだった。

 

 しかしジャックは止まらない。暴発寸前の霊格を一本の刃として、目の前の悪神に突き立てる。

 もう迷わない。もう見失わない。

 

 何故ならもう、答えは出たのだ。

 

 

「今こそ我が王号を名乗ろう! 俺は――――魔王《南瓜の王冠(パンプキン・ザ・クラウン)》!」

 

『――――アヴェスター起動!』

 

 

 星辰体と星辰体のぶつかり合い。破格のエネルギーがぶつかり合った後には、三頭龍だけが残った。ただし、切り裂かれたその胸には脈打つ心臓が露わになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャック……ッ」

 

 

 最後までジャックの戦いを見届けた耀はもう届かないと知りつつ彼の名を口にした。ジャックは立派だった。己の全てを、文字通り全てを投げ打った彼の覚悟は遂に三頭龍の心臓を暴いたのだ。戦いが終わった暁には、最大の栄誉が与えられることだろう。

 彼の勇気に感服する。尊敬する。だがそれ以上に、悔しかった。

 

 本当は止めたかった。消えて欲しくなかった。一緒に戦いたかった。ウィラの為にも。アーシャの為にも。《ウィル・オ・ウィスプ》の子供達の為にも。

 しかし、出来なかった。アジ=ダカーハを倒さなければ全員死ぬ。それがわかっていたからジャックは最後にコミュニティのことを耀に頼むと言ったのだ。わかっていたから、耀だって見送ったのだ。

 

 

「そうだ……私は託されたんだ!」

 

 

 滲んだ視界を乱暴に腕で拭って正常に戻す。悔やむのは後でいい。今は前を向く。敵を見る。ジャックが残してくれた希望を無駄にはしない。

 

 強い意志で萎えかけた心を立て直した耀はアジ=ダカーハを見た。

 

 

「あれは――――」

 

 

 《疑似創星図》によって星辰体となっていた三頭龍の体が、纏っていた光が収まると共に戻っていく。アヴェスターが停止する瞬間、その背後の空間に炎と冷気が迸る。――――直後、空間を切り裂いて現れたのは信長だった。

 

 

『ヌッ……!?』

 

 

 何れかの感覚で気付いたのか、アジ=ダカーハは高速で体を旋回させる。ほぼ同時に信長が到達。瞬ききの半分ほどの時間の交錯だった。

 

 

「………………」

 

 

 交錯してから数メートルほど進んで信長は宙に立ち止まった(・・・・・・・・)

 

 

『貴、様ァ……!!』

 

 

 大気が震えるほどの怒声をあげたのは、先に振り返ったアジ=ダカーハだった。三頭龍の頭のひとつ、ちょうど耀から見える側の龍の頭は目から夥しい鮮血を流していた。

 

 一方で、命知らずにもアジ=ダカーハに背中を向け続けていた信長は悠然と振り返る。その際鮮血に濡れた左手を軽く振ると、その手に握っていたモノごと(・・・・・・・・・・・・・)炎で焼き払った。

 

 

「まず、ひとつ」

 

 

 『天下布武』。背負った四文字が風ではためく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決して油断などしていなかった。アジ=ダカーハは右頭の目が完全に潰されたのを確認しながら、己自身に問う。油断はしていなかった。不意は突かれたが転移による襲撃を想定していた以上、確実に反応していたはずだった。ならば何故、防ぎきれなかった……!

 

 

『何故、貴様が生きている』

 

「昔から運は良い方なんだ。日頃の行いの賜物かな?」

 

 

 おどけて返す信長だが、そんなことはありえない。アジ=ダカーハは間違いなくこの少年を殺した。不死性を宿さないただの人間が心臓を貫かれ生きている道理はない。

 

 織田 信長。かつて三度箱庭に召喚され、その全てが魔王として召喚されたという生粋の魔王。しかし何れも不死性を宿していたという話は聞かない。一度は悪霊として召喚されたとも聞くが、少なくとも目の前にいる少年は実体を持つ人間である。

 

 度重なる戦闘でズタズタになった着物。はだけて露出した左胸に傷は無かった。

 

 

(死に瀕した者を蘇らせる方法が無いわけではないが――――いや、今はそんなことよりも)

 

「今や!」

 

 

 思考を切り替えた瞬間、機を狙っていた蛟劉とフェイス・レスが動く。拳と蛇腹剣を左翼の龍影で迎撃。右翼はレティシアと迦陵によって失ったが、迎撃程度なら片翼で充分。――――相手が二人だけだったなら。

 

 

「しっ!」

 

 

 空を蹴って飛びかかってきた信長の狙いは応戦で伸びきった左翼の龍影。残る片翼を砕かれれば飛行能力を失い、機動能力が著しく低下する。

 

 

『まずは機動性を削ぎにきたか……だが甘い!』

 

 

 黙ってやらせはしない。信長の進路を塞ぐように開いた五爪で薙ぎ払う。大陸と同等の質量から放たれる一撃。十六夜のような超人的な身体能力。フェイス・レスのような神域の技。どちらも持っていない信長には防ぐことは出来ない。ただ押し潰されるのみ。

 

 

「ッ……」

 

 

 信長は進路を変えなかった。腰に差した刀に手を置いて体を捻る。抜刀術。

 

 

『愚かな!』

 

 

 火の粉を散らしながら抜かれた刃が、街ひとつを容易く崩壊させる凶爪と激突。

 

 

「らぁっ!!」

 

『な……!?』

 

 

 弾かれたのは同時(・・)。信じられない光景にアジ=ダカーハの思考が一瞬止まる。しかし信長は止まらなかった。次の動作へ入ったのは信長が先だった。

 弾かれた体勢をそのまま大上段の構えへ。

 

 アジ=ダカーハは左腕を掲げてそれを受けにいく。信長の剣撃ではこの肉体に正面から致命傷を与えることは出来ない。それは先の戦いで知れている。だから彼は前の戦いでは常に死角から急所を狙い続け、血を流させる役にいたのだ。左腕で受け、右で今度は首を飛ばす。確実に殺す。

 

 

(――――なにを、している……?)

 

 

 アジ=ダカーハはまたしても困惑する。信長に正面からアジ=ダカーハを打ち破る力は無い。この攻撃に危険は無い。そんな思考とは裏腹に、アジ=ダカーハの体は右腕までも守りに備えていた。思考と肉体が別離しているような奇妙な状態。

 絶対悪にあるまじき当惑をよそに、交差された腕に信長の長刀が振り下ろされる。瞬間、アジ=ダカーハの体が僅かに沈んだ。

 

 

(ッ!? 重いッ!)

 

 

 前の一戦とは比べくもない威力。味方を足蹴にしてまで姑息につついてきた前回とはまるで違う。全身全霊の一撃はその余波だけで周囲の建物を崩壊させた。どころか、

 

 

「うえぁッッ!!」

 

 

 刀はアジ=ダカーハの両腕を斬り裂き下段にまで振り切られた。アジ=ダカーハの肉体を遂に正面から切り裂いた。

 

 

『――――貴様一体何をしたッ!?』

 

 

 

 たたらを踏むアジ=ダカーハだったが、踏み止まると同時に反撃。今し方斬られたばかりの右腕で信長の肉体を粉砕するべく突き込む。全力の一撃後で満足な体勢でなかった信長は辛うじて反応するのが精一杯。刀でいなすも威力を殺しきれず刀は手から弾かれた。レーヴァテインを失った信長に、己を守る術は無い。

 

 

『死ね』

 

 

 連撃。突き出した左の五爪は、絶望する信長の顔を消滅させる――――はずだった。またしても思惑は外れる。信長は笑っていた。

 信長の右手に炎が生まれる。炎は刀に。

 

 

「っと!」

 

 

 長刀で受け、さらに体を捻ることで攻撃を逸らす。それだけでなくさらに懐へ踏み込んだ信長の剣閃は左頭の首を深く切り裂いた。

 

 

『が、ァアアア!?』

 

 

 左頭が呻き声をあげる。晒した醜態に憤怒が湧き上がる時には信長はすでに大きく間合いをあけていた。

 

 のそりと、アジ=ダカーハは信長へ正対する。遅々とした動きがアジ=ダカーハの行き場のない怒りを表していた。しかし噴き上がる怒りをアジ=ダカーハは一度鎮める。怒りのまま暴れるのもまた魔王の姿だが、同時に愚策でもある。今は蹂躙するより先に解決すべき謎がある。

 

 

「ふふ、君なら絶対躱さないで受けると思ってたよ」

 

 

 攻め急ぐことはないらしい。これほどまで傷を与えておきながら追撃を仕掛けなかった信長の左肩からドクドクと血が溢れていた。直前の攻撃、逸しきれなかったらしい。決して浅くはなさそうだが信長は意にも介さない。

 

 

「僕は君を勘違いしていたよ」

 

『勘違いだと?』

 

「その見た目にさ。なまじ僕達と変わらない大きさをしていたから僕は間違えた。君は、本当はとってもとっても大きい龍だ」

 

 

 両腕を大きく広げて信長は語る。

 

 

「君の一歩は家屋を潰す。大樹の如き腕のひと薙で町を崩壊させる。その身の丈は、そうだね……お城くらいかな?」

 

 

 何が面白いのかコロコロ笑う。

 

 

「そんなモノを相手に疾さで挑むこと自体間違ってたんだ。だから僕は君をお城並みの大きさだと思って戦うよ。皮の一枚剥ぐのにも全身全霊で打ち込む。中途半端な剣なんてそれこそ蚊に刺されたもんでしょう?」

 

 

 信長の言っていることは正しい。アジ=ダカーハの外見がなまじ人間大をしていたが為に意識し難いが、真の姿は大陸と同等の巨体を持つのである。いくら意表を突こうとも、いくら急所を穿とうとも、本来剣の一突き拳の一打で揺らぐものではない。故に信長の言う通り、アジ=ダカーハに挑むにはまず相応の威力を持たねば話にならないのである。

 速さより威力。それは正しい。だが本来、それでもただの人間が大陸を傷付けることは出来ないのだ。

 

 

(それに謎はもうひとつある)

 

 

 アジ=ダカーハは視線を大地へ。ちょうど真下には先程弾いた長刀が確かに突き刺さっている。だが信長は今もその手にもう一振りの刀を持っている。

 

 

(レーヴァテインが二本あるなどという伝承は存在しない。しかし間違いなくあの二振りは本物だ)

 

 

 本物の、それも超級の神格武具でなければアジ=ダカーハに届く事はかなわない。そして二度の攻撃時、あれは間違いなく焔を纏っていた。この土壇場で都合良く炎の恩恵を宿した神格武装を準備したというのは、ありえなくないが現実的ではない。

 

 思考を巡らせているアジ=ダカーハの目の前で、地面に突き刺さっていた方の刀が炎に形を戻して空を駆け昇る。それは対峙する信長の方へ向かい、溶け込むように信長の体の中へ消えていった。

 

 

『まさか貴様……』

 

 

 その光景で謎は氷解した。やはりあの刀は両方共本物だった。どちらも魔剣――――否、魔炎レーヴァテイン。しかし、あろうことか信長はそれを、

 

 

『取り込んだのか!? その身に神格武装を!!?』

 

 

 すると今まで抑えつけられでもいたのか、刀からだけではなく、信長の体から(・・・・・・)炎が立ち昇る。際限なく溢れ続ける炎を従える言葉を、信長はすでに聞いている。

 

 

「『木蛇殺しの魔剣(レーヴァテイン)』神格解放――――『神殺しの魔剣(レーヴァテイン)』」

 

 

 静かにその名を告げた。




閲覧&感想ありがとうございましたー。

>さてさて、今回は成長回でした!レーヴァテインを出した時からこの真名解放は考えていたので私敵には、ようやくな感じでした。
原作でも、この戦いでは他メンバーも急成長なわけでして、人間辞めちゃうのはこの瞬間しかねえ!って感じでした。

>ジャックさんの戦いはハイライト気味でしたが、やはり外すわけにはいきませんです。ああ、カッコイイぜジャックさん。もう本当なら全文そのまま載っけたく思っちゃったんだぜ。やらんけど。

>ああ、それにしてもレーヴァテインにラグナロクといい、いい歳して中二心は未だ健在でありましたw


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八話

本編訂正報告

先日とある読者様から七話におけるラグナロクについてのご意見いただきまして、なるほどと納得した結果一部訂正致しました。
訂正は以下に。

・真名解放→神格解放

・解放前レーヴァテインを『木蛇殺しの魔剣』、解放後を『神殺しの魔剣』と致しました。しかし呼称はどちらもレーヴァテインで統一。

映像ではなく文章だからこその表現ということで、ややこしいかもですがこれでご了承を。

突然の訂正となりまして申し訳ございませんでした。


「なんちゅう無茶を」

 

 

 信長から受けた出血で新たに生まれたアジ=ダカーハの分身体。双頭竜を相手にしながら蛟劉は以前までとは比較にならない力を見せる信長を見て嘆ずる。

 

 魔剣レーヴァテイン。大樹ユグドラシルの天辺に棲まう雄鶏ヴィゾーヴニルを殺すことの出来る唯一無二の武器と語られるそれは、一説には巨人スルトルがかの戦争で振るった光の剣だとも謂われている。本来拝火教であるアジ=ダカーハに炎熱系の恩恵は効かないが、終末の属性はアジ=ダカーハとも同種。たとえ拝火教といえど終末の属性に耐性は持っていない。それに光の剣は神々の戦争ラグナロクにおいて最後には九つの世界と名のある多くの神々を焼き払ったほどの武器だ。北欧の神は勿論のこと、神であればたとえ如何なる存在であろうと終わらせる力を持っているのかもしれない。

 

 アジ=ダカーハにあの刀が通じるのはそれで納得出来る。だが、今問題なのはそんなことではない。神を、最強種である生粋の神霊までも殺せるほどの恩恵に、単なる人の身が耐えられるはずがない。不相応の力がどういった結末をもたらすのかは先程のジャックでわかりきっている。しかも信長の場合は、その恩恵を『与えられた』或いは『奪った』というわけでもなく『神殺しの魔剣』をそのまま身に宿している。他者の恩恵を一時的に借り受ける程度ならばまだしも、まったく異質の恩恵に対してその身を器に受け入れるなど自殺行為に等しい。肉体は拒否反応を起こし、魔炎は際限なく燃え続けるだろう。

 

 

「最悪、魂まで喰い潰されかねん」

 

 

 見殺しにするわけにはいかない。そう思いながら蛟劉はまずは倒すべき双頭竜へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『正気とは思えんな』

 

「何が?」

 

 

 自身がどれほど無謀な行いをしているのか、そう問いかけたつもりだったが信長は飄々とした態度で受け流す。――――クスリと口角を吊り上げた。

 

 

「なーんてね。わかってるよ。体の中が熱くて堪らない。内側からバリボリ食べられてるみたいなんだ」

 

 

 胸の辺りを掴んで震える信長。立ち昇る炎は時間が経つほどに大きく、勢いを増している。迸る炎に巻かれながら信長は一足でアジ=ダカーハの懐へと踏み込んだ。

 

 

「だからもう我慢出来ない!」

 

 

 反応したアジ=ダカーハの左を潜り込んで躱す。僅かにこめかみの皮膚を削られながら胴を狙った左切り上げ。半歩退いてアジ=ダカーハが躱し、今度は右の腕を振り回す。信長は身を屈めてやり過ごす。数本散った髪の毛を尻目に、屈んだ膝を伸ばしてアジ=ダカーハの肩に刃を振り下ろした。刃が象牙色の肌に食い込むが、そこで止まる。

 

 

「!」

 

 

 飛び退る――――も僅かに遅かった。すでに暴風を伴って左の爪が眼前に迫る。刀を逆さに。盾にするも勢いを殺しきれず弾き飛ばされた。

 

 

「信長!」

 

 

 蛟劉達と共に分身体を相手していたレティシアが叫ぶ。咄嗟に駆けつけようとするも目の前には通常の分身体よりも一回りは大きい双頭竜が立ちはだかる。

 

 

「余所見は関心しません」

 

 

 フェイス・レスが横槍を入れて分身体の気を逸らす。引き継いで蛟劉が追撃を与えた。

 

 

「す、すまない」

 

「いえ。それにご安心を。信じがたいですが、彼はまだ生きています」

 

 

 巻き上げる土煙が炎に飲み込まれる。額から血を流しながら、しかと両の足で信長は立っていた。再び単騎でアジ=ダカーハへ飛び込む。あくまでも接近戦。それもほとんど足を止めて信長は真っ向からアジ=ダカーハと斬り合う。

 

 

「の、信長! 駄目だ! 正面から勝てる相手ではない! 後ろに回り込め!」

 

 

 たった一度でも受け損なえば信長の体はバラバラにされてしまうかもしれない。堪らず叫ぶレティシアの声もまるで届いた様子はない。そんな中、レティシアとは違う理由から戦慄する者がいた。

 

 

「何故だ! 何故信長は正面から打ち合おうとするんだ!?」

 

「あの少年は、本当に頭のネジが飛んでいるのかもしれませんね」

 

 

 普段感情を見せない仮面の騎士の顔に冷たい汗が流れた。

 

 

「彼は敢えて避けないのですよ」

 

「なんだと?」

 

「正しくは大きく躱さないでいる。なにがあったのかはわかりませんが、今の彼ならば充分三頭龍を翻弄し死角から斬りつけることが可能でしょう」

 

「ならば――――」

 

「しかし、躱すことを前提にすれば必然斬撃は軽くなるものです」

 

 

 相手の攻撃を躱して斬る。それはたとえ如何なる武芸者であれ基本であり、達人ほどその見切りに長ける。最小限の動きで攻撃を躱す。紙一重の見切り。だが、信長のそれはそれよりさらに一歩踏み込んでいる。

 

 

「彼は全身全霊での斬撃でなければ三頭龍を斬れないと判断した。結果、全力の斬撃を出すために――――あれだけしか避けないのです」

 

 

 紙一重で躱すのは神業だ。――――が、そこよりさらに一歩内側に踏み込んで身を削るなんて戦法は尋常の精神ではない。

 

 

「おああああ!!」

 

 

 硬質な音をあげてアジ=ダカーハの腕と信長の刃が激突。強靭な皮膚を突き破って灼熱の刃がアジ=ダカーハの腕を焼く。アジ=ダカーハの顔が僅かにひきつった。

 一転、信長が大きく後退。遅れて今までいたそこに黒い槍が降り注いだ。伸びるそれはアジ=ダカーハの龍影。

 

 怒涛のような攻撃もさすがに永遠には続けられない。信長は間合いを大きくとった。

 

 

「っぷはぁぁぁぁぁ」

 

 

 肩で息をするほど消耗した信長の体は一瞬の内に鮮血に塗れていた。ほとんどは自身の血。文字通り身を削る戦い方の鮮烈さがそこにあった。加えて信長に力を与えている代わりにその霊格を喰らい続けている臙脂の炎は勢いを増すばかり。確実に破滅へと歩を進めているはずの少年は、しかし不敵に笑う。

 

 

「なかなかしんどいなぁ。まあ、でもようやく僕を見てくれるようになったかな?」

 

 

 呼吸を整えながら信長は喋りかける。

 

 

「前の戦いじゃあ、十六夜の方ばかりで僕のことなんて眼中に無かったでしょう?」

 

 

 十六夜との共闘時、一時はアジ=ダカーハと渡り合っているかのようだったが真実はなんてことはない。アジ=ダカーハは端から信長など意にも介しておらず、十六夜にだけ警戒していた。信長の攻撃など分身体を生むには都合が良かっただけ。その証拠にその後は一撃で決着だ。不甲斐ない。

 

 

「結構傷ついたんだよー。でも今はこうして向い合ってくれてる。それはつまり、僕も貴方の『敵』になれたってことでいいんだよ――――ねっ!?」

 

 

 袈裟に斬った炎の刃をアジ=ダカーハは素手で握り込む。両者の動きが止まった。

 

 

『その力は貴様の命を削っている』

 

「そうだね」

 

『箱庭の為に、仲間の為に、己の命も惜しくはないと?』

 

「へ? ――――ぷ……あっはっはっはっはっは!」

 

 

 アジ=ダカーハの問いに目をきょとんとさせていた信長は次の瞬間腹を抱えんばかりに大笑いした。至近距離に立つアジ=ダカーハに向かって、笑って笑って、

 

 

「ばっかみたい!」

 

 

 吐き捨てた。

 

 

「箱庭の為、ね。くく……いや、本当に面白いこと言うね」

 

『何がおかしい』

 

「箱庭を守りたいのはそっちでしょう?」

 

『………………』

 

「貴方の戦い方、どうにも理解出来ないんだよねえ。貴方は本当に強い。一対一で戦ったなら、おそらくこの場の誰も勝てない。――――なら、なんでわざわざ全員をいっぺんに相手しようとしてるのかな? しかもわざわざ相手の土俵でばかり」

 

 

 アジ=ダカーハがもし理性の無い獣のような存在だったらそんな疑いはしなかっただろう。知性の無い暴力の化身であったなら、こちら側が上手く嵌めてやったのだと喜んで終わりだ。しかしアジ=ダカーハは獣ではない。その頭脳もまた信長達では遥か及ばない知識が詰まっている。積み重なるペナルティを避けながら、サラが仕掛けた超高難易度のゲームを僅かな時間で解き明かしたのがその証。知性においても力においても、アジ=ダカーハはこの場において最強であることは疑いようはない。

 ならば何故、アジ=ダカーハは今ここまで追い詰められているのだろうか。単体最強ならば1人ずつ確実に戦力となる者を削っていけばいい。究極、唯一対抗出来る十六夜をさっさと倒してしまえばいい。たったそれだけでこちら側の希望は潰える。

 

 

「力には力で。知略には知略で。確かに、相手の土俵で戦って打ち負かす……相手の心を折る戦い方は有効だよ。効果もある。――――でも貴方のそれはやり過ぎだ」

 

『何が言いたい』

 

「なんていうのかなぁ? 貴方はそう、本当は――――負けたがってるのかな?」

 

 

 龍影と爪の攻撃を、信長は大きく後ろに飛び退いて避ける。攻撃を考えていない、ただ間を取るために。

 

 

 ――――最終作戦決行だ。

 

 

 突如ラプラスの小悪魔達を通じて伝えられる十六夜の言葉に戦況は劇的に動き出す。

 

 

「ここまで来たか。なら、僕も覚悟を決めなあかんな」

 

 

 契約書類を手にした蛟劉は眼帯を外して月を見上げる。その体がみるみる海龍へと変じ、同じく龍となった月と交わる。一匹の星龍となった蛟劉は天に吠え狂う。

 

 

「ここが最後の一番だ。主達ばかりに負担をかけるわけにはいかない!」

 

 

 一方で、白夜叉より託された《蛇遣い座》、太陽の主権によって現れた巨龍。かつてアンダーウッドに現れたそれは吸血鬼の王、レティシア=ドラクレアのもうひとつの姿。

 

 

「いやいや凄いね二人共。負けてられないなぁ」

 

 

 月龍と太陽龍。北の空を引き裂く巨大な力を目の当たりにしても信長はアジ=ダカーハから目を離さない。

 

 

「僕がここまでする理由だったっけ? 前に答えたでしょう。願いなんて無い。理由なんてなんだっていい。僕はただこの人生を面白おかしく生きたいだけさ。全力を尽くさない貴方の戦い方は正直僕には理解出来ないけど、強い貴方と戦うのは楽しい。それで戦う理由は充分。なら、それ以外を(・・・・・)気にかける必要なんて無い。――――箱庭の運命も、僕の命も、正直今はどうだっていい」

 

 

 信長から立ち昇る臙脂色だった炎は徐々にその色を禍々しい黒に変える。器である肉体が耐え切れず肉を喰い破る炎を意にも介さず、どころか喜々と受け入れて、信長は笑う。

 

 

「でも、これだけは譲らない。貴方を倒すのはこの僕だ」




いつも閲覧、感想ありがとうございます!!

>さてさて、いよいよもちましてアジさんとの戦いも佳境でございます。次回戦いは決着出来るかなぁ、と思います。なのでそろそろこの一部の落とし所を考えておかねば。でも二部がどういった話になるのかわからないから、誰と合流させておくべきか悩みますね。
ちなみに、一部を終わらせたらしばらくはリメイクと、後は原作サイドストーリー(コッペリアのとか)をちょろちょろーっと書いていこうかなと思ってます。要はシリーズ完結せず続けますよという報告を今の内にしておきます。更新優先度は下がるかもですが。

>この場を借りてひとつ宣伝を。
先日タジャドル・隼さんにお誘いいただいて問題児のコラボに現在参加させていただいてます。総勢40作品オーバーという規模なのでおそらく端役とは思いますが(現状まだ未登場)、お祭りコラボは参加だけでもやっぱり楽しいですねえ。
私も一度なろう時代にSAO作品でコラボ参加&企画をやりましたが、大変でしたが楽しかったです。また何かで出来たら良いなぁと思ってます。

>ではでは、戦い決着まではこのままなので次話もなるべく早くお届け出来るよう頑張ります!


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九話

 ――――人間より素晴らしいものなどこの世に存在しません。

 

 

 かつて、人間を誰よりも愛した彼女(・・)はそう言った。

 

 

『来るがいい英傑達よ! そして踏み越えよ! 我が屍の上こそ正義である!!』

 

 

 月龍と太陽龍。箱庭における現状最高の切り札と呼べる一手を前にしても、アジ=ダカーハは晒された心臓を隠しもせず堂々と立ち塞がる。

 

 何故ならいつだってそうしてきた。試練たるアジ=ダカーハはそれ以外のやり方を知らない。己こそ英傑であると名乗りを上げる者達が、自身の力と内に眠る勇気を振り絞って立ち向かってくる。時に栄誉の為、時に名声の為。友人……仲間、恋人、家族。愛する者を守る為にこの悪の巨峰に立ち向かう。時には勝てないと知りながら、それでも彼等はあらゆる愛する何かを守る為に戦った。

 

 永遠を生きる神には無い人間の儚き輝きと愚直さを知っていたから彼女は涙した。

 

 

 ――――ならばこそ悲しいのです。

 

 

 全ての人の憎悪を背負う為だけに生まれた彼女は、己を糾弾する人をそれでも愛したが故に泣いたのだ。

 

 

 ――――彼等の滅びが、絶対的であることが。

 

 

 そう、人類は滅びる。どうあっても滅びるのだ。拝火教の経典では勧善懲悪を示すものの、それは所詮神霊を視点として綴られたもの。拝火教の枠組みを越えて、より強大な超越者として俯瞰した彼女には人類の結末が見えてしまった。抗うことの出来ない絶対的な滅びの道が。

 

 彼女にそんな力が無ければ、彼女が人を憎んでいれば、そんなことを知らずに済んだのに。何度そう思ったことかしれない。しかし彼女にはそれだけの力があり、彼女は人を憎みはしなかった。罵声を浴び、謂れのない事でさえ憎まれる、あらゆる人の憎悪を背負う為に存在した彼女は人の輝きを愛した。ならば、こんな『もしも』は意味の無い話なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アヴェスター起動。相克して廻れ!』

 

 

 二元論の最速構築。それによって相手の恩恵を含めた性能を自身に上乗せするアジ=ダカーハの疑似創星図。相手の宇宙観の反面を模倣し限定的に行使するこれがあれば、たとえ幾万の神霊を敵にしようともその分だけアジ=ダカーハは強くなる。

 しかし、アジ=ダカーハは即座に異常に気付く。

 

 

『月龍の霊格しか上乗せされていない?』

 

 

 向かい来る二頭の龍を正面に迎え、アジ=ダカーハの頭脳は迅速にこの異常を解析し答えを出した。レティシア達吸血鬼は可能性の時間流から外れて生まれた種族。人類の次の世代の霊長の一角。一方で、太陽龍は人類の残した文明の擬人化、太陽の軌道線上を飛ぶ衛星の化身。最強種でありながら人類の遺産から生まれた巨龍は人類の宇宙観を重ねた存在とも言える。

 アヴェスターは唯一、彼本体と宇宙観を共にするものについては1体以上の模倣は出来ない。

 

 

覇者の光輪(タワルナフ)!』

 

 

 ならばと、伝承において世界の3分の1を滅ぼすとされた閃熱系最強の一撃。アジ=ダカーハの固有する最大の恩恵は巨龍となったレティシアを狙う。

 口腔から放たれた灼熱の極光は、しかし噴き出した黒炎に阻まれる。

 

 

「か……はははははは!!」

 

 

 体の大部分が同じく黒い炎に侵されながら、構えた長銃の引き金を引く。放たれた黒炎がアジ=ダカーハの覇者の光輪と衝突し、やがて呑み込んだ。

 終末論の引き金となるアジ=ダカーハの覇者の光輪。だが信長のそれは、終末を焼き払った炎だ。

 

 まさか一度ならず二度までも自身の最強の一撃を防がれたことにさしものアジ=ダカーハも動きが鈍る。

 その隙を月龍となった蛟劉、巨龍のレティシアが襲う。防御の構えを取ったアジ=ダカーハから血飛沫が舞った。覇者の光輪とアヴェスターは同時には使えない。故にレティシアを仕留めるために一度アヴェスターを停止させていた。

 

 

『アヴェスター起動!』

 

 

 再び疑似創星図を発動させるアジ=ダカーハだが、やはり上乗せされるのは月龍の霊格だけ。

 

 

(何故だ……太陽龍ならまだしも何故あの男の霊格が上乗せされない!?)

 

 

 信長の、正確には信長が扱う魔炎レーヴァテイン。北欧神話においてユグドラシルの天辺に棲まう木蛇を殺せる唯一の武器。或いは神々の戦争を終わらせた終末の炎。どちらにせよアジ=ダカーハの宇宙観を共有するはずのない力。ならばあの力はそっくりそのままアジ=ダカーハに上乗せされるはずなのだ。――――いや、実際多少の上乗せはされている。しかし不安定なのだ。蝋燭の炎が揺らぐように、上乗せされる霊格が安定しない。

 考えられる可能性としてはレーヴァテインが人類である信長と同化していることが原因か。元々は『人』であったアジ=ダカーハに、同じ人類の血を引く者であればアヴェスターを掻い潜ることが出来る。模倣が不安定なのはレーヴァテインの霊格と、同化している人類(信長)の霊格が入り乱れているから。

 

 

(だが、あり得るのか。あれほどの力に飲み込まれるならばまだしも……『人』としての霊格を未だに残していられるなど……!?)

 

 

 極光を撃ち破った信長は長銃でさらに一発の炎弾を放つ。視界を覆うほど巨大な黒い炎。

 

 

『この程度ッッ!』

 

 

 アジ=ダカーハはその場にて迎え撃つ。障害は砕く。敵よりも速く。

 

 咆哮と共に振るわれた爪撃によって黒炎は無残に引き裂かれる。飛び散った炎は地面に落ちてなお大地を貪った。誰よりも醜く、そう願われたアジ=ダカーハにしてその醜悪な炎に嫌悪を覚えた。

 

 視界の端に影を捉える。

 

 

「やっぱり躱さない! 舐めすぎなんだってば!!」

 

『小癪な……炎を目眩ましに!』

 

 

 炎弾を撃つと同時にその後ろを追走していた信長は引き裂かれた炎に紛れて懐へと踏み込む。下段。斬撃が深々とアジ=ダカーハの右足を斬り裂く。

 巨大な敵はまず足から崩す。ここにきて信長は冷静に、冷徹にアジ=ダカーハを追い詰めようとする。トドメは完全に動けなくなったその時で充分だと言わんばかりに。

 

 

『ヌ、ァァァアアアアア!!』

 

 

 半ばまで斬られた右足で沈み込んだ信長の顔を跳ね上げる。小さな塊が宙を飛んだ。それは信長の右耳が千切れ飛んだ物だった。

 

 完全に捉えたはずだったのに僅かに攻撃が早すぎた(・・・・)。アヴェスターによる信長からの不安定な上乗せに力が安定しない。おかげで狙いがズレてしまった。

 

 

『これでは逆効果か……!』

 

 

 アジ=ダカーハが今まで天軍を相手にしても単騎絶対戦力を実現させていたアヴェスターがこんな形で裏目になるなど予想外だった。一先ずアヴェスターを停止させる。

 

 

「っ、はああああああ!」

 

 

 片耳を千切られた程度で今更止まるはずのない信長は悪鬼の笑みで向かってくる。それはおよそ『人』が浮かべるべきものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人類は滅ぶ。そんな人類を彼女は愛し、その悲劇に涙を流した。

 

 『もしも』の話に意味は無い。それが全てであるならば、ならば彼女の涙を少しでも拭う為に、その為だけに彼はなった(・・・)。最古の魔王――――人類最終試練に。

 

 如何なる手段を用いても、彼に人類滅亡の未来は変えられない。ならば人類が滅ぶ要因を明確にし細分化することで、彼等が勝利する未来を造ろうとした。

 その為ならばいくらでも邪悪であろう。誰よりも醜悪であろう。最も業の深い『絶対悪』を背負おうとも、世界の終焉までついていこう。

 

 

(貴方が背負う罪を、私が共に背負いましょう)

 

 

 誰よりも人に憎まれながら、誰よりも人を愛した。拝火教における悪神の母。アジ=ダカーハは彼女と歩む為だけに『悪』で在り続けた。いつか現れる、彼女が愛した人類を救う正義の英雄を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(結末には妥協すまい。人類最強の試練として、最後まで立ちはだかってみせよう。――――だが!)

 

「!?」

 

 

 真正面からの剣撃を、敢えて挑むかのような信長の剣をアジ=ダカーハはいなした(・・・・)。正面から受けるでも反撃の為の回避でもない。

 突如、信長の目の前が闇に覆われる。それがアジ=ダカーハの龍影による目隠しだと気付いたときには死角から放たれた一撃に脇腹が抉られていた。

 

 

「が、はっ……!!」

 

 

 咄嗟に体の位置をずらしていたことで上半身が消し飛ぶことは避けられた。――――が、夥しい血が黒炎と共に腹から流れ出す。

 

 明らかに今までのアジ=ダカーハの動きとは違う。ましてや目隠しからの奇襲などという小細工を、絶対的な力でもって挑戦者を打ち砕くことを至上としていた彼がするはずがなかった。

 

 

『違うのだ。貴様だけは断じて』

 

 

 龍影を広げる。流した血で数多の分身体を侍らせる。

 

 

『貴様のような者が、『あの方』が望んだ存在であるはずがない!!』

 

 

 ここにきてアジ=ダカーハは持てる全ての力を発現させる。

 

 

『なんかえらいことになってるやん』

 

 

 月龍の姿で蛟劉は呆れたように言った。正直な心境を語れば絶望が増した。アジ=ダカーハが常にこちらの思惑に乗ってきてくれていたからこそここまで追い詰めることが出来たといっていい。すでに弱点の心臓を露わにしたといっても未だアジ=ダカーハが最強の魔王でることに疑いはない。

 

 

「余力を残した相手に切り札はきれないでしょ?」

 

『もっともらしいことを』

 

『信長、傷は大丈夫か?』

 

「んー、大丈夫大丈夫」

 

 

 レティシアの気遣いに、抉られた腹を撫でて平気だと答える。実際、傷は決して浅くない。しかしもう感覚すら飛びつつある信長には、今は己の傷より目の前の、正真正銘の本気となったアジ=ダカーハに心奪われていた。

 

 

「じゃあ、あとはお願いね」

 

 

 黒炎の波状攻撃。さらに自身も接近戦を挑む。今までのアジ=ダカーハであったならこれを体で受けた後、馬鹿正直に信長を迎撃する。

 

 

『覇者の光輪』

 

 

 アジ=ダカーハは一切の躊躇いなく灼熱の極光を放つ。牽制程度の黒炎を突き破り、その後ろにいる信長ごと消し去ろうとしてみせた。

 それを読んでいたのは信長も同じ。さっさと炎の後ろから抜け出してアジ=ダカーハの側面へ回り込んだ信長は刀を振りかぶって――――動作を中止。一歩退いた。そこへ割り込んできたのは岩石の分身体。さらに数多の分身体が信長へなだれ込んでくる。

 

 

「君達程度じゃもう物足りないよ!」

 

 

 逆巻く黒炎は分身体達を呑み干す。分身体といえど拝火教たるアジ=ダカーハから生まれたもの。生半可な炎は無効化出来る彼等が無残に灰に変わる。レーヴァテインの炎はこの箱庭においてすでに埒外の力を発揮していた。

 そんなこと、アジ=ダカーハとて承知している。

 分身体の灰を踏み越えて、新たな分身体が信長へ殺到する。今更相手にならないといえどその数は膨大。一瞬で囲いを抜け出すことは出来ない。それを待っていた。

 

 

『覇者の光輪』

 

 

 今更出し惜しみはしない。分身体は足止め。それごと砕くことこそアジ=ダカーハの狙いだった。常に孤高にて多勢を薙ぎ払ってきた魔王が、逆に数にてひとりの人間を抑えつける。

 

 

「!」

 

 

 信長は動けない。破滅を厭わない分身体達の囲いを突破するにはどうしてもあと1秒いる。その頃にはまとめて消し炭になっているだろう。

 

 ――――それもまた、待ち焦がれた瞬間だった。

 

 

『蛇遣い座の恩恵よ……一瞬でいい、奴を拘束する力を!』

 

 

 黄金の巨龍がその体を圧縮して縛鎖となってアジ=ダカーハの動きを封じる。覇者の光輪を使えばアヴェスターは使えない。月龍の力を上乗せされていればわからなかったが、アジ=ダカーハは単体ならば一瞬程度の動きは封じることは可能だ。

 

 

『今だ黒ウサギ! 私に構わず撃て!』

 

 

 レティシアの叫びに応じるように、火龍の一団から並々ならぬ神気が溢れだす。

 

 

『これは帝釈天……いや、月の兎の生き残りか!』

 

 

 空へ跳び上がった黒ウサギ。その手に握られた必勝の槍。それを見たアジ=ダカーハに浮かんだのは驚愕でも感心でも無い。怒りだった。

 

 

『愚かな!』

 

 

 ことここにおいてインド神群、三幻神が担う必中必勝の槍。まともに当たればアジ=ダカーハの体とて問答無用で消し飛ばすだろう。しかしアジ=ダカーハにはアヴェスターがある。今更になって宇宙真理の権能などと。アヴェスターによってあれを模倣、衝突させれば余波だけで龍達は消し飛ぶ。さっきまでアヴェスターを使えなかったのは不安定な力に戦闘が困難だったからだ。

 

 

「我が一族の仇、今ここで晴らします!」

 

 

 滑稽に響く月の兎の覚悟に、尋常ならない憤怒を露わにしたアジ=ダカーハだった――――が、異常に気付く。アヴェスターが起動しない。

 

 

『何故――――いや、まさかそれは』

 

「そうです! この槍は我が主神から生まれたもの! それが意味することはひとつ。この槍は貴方と同じ拝火教の宇宙観を宿した恩恵でもあるのです!」

 

 

 200年前、幼い黒ウサギを逃がすために散っていった同志達の無念。そのことに誰より悔しい思いをしたのは誰であろう黒ウサギだった。己の無力さに、恐怖に屈した非力さに。だが、悔やむのは今日で終わりにする。過去の痛みと今日散った勇気ある同志達の為に。

 

 

「穿て――――疑似神格・梵釈槍!」

 

 

 放たれる速度は第六宇宙速度。星辰体と同等の速度で突き進むそれは瞬きの時間もかからずアジ=ダカーハの心臓を穿つだろう。逃れられぬ敗北。かつてない窮地。

 

 そんなもの(・・・・・)、最古の魔王は嘲笑ひとつで跳ね除ける。

 

 

『魔王を……絶対悪を甘くみるでないわ!』

 

 

 先ほどまでの戦いから自力で星辰体の力を引き出したアジ=ダカーハは星を砕く膂力をもってレティシアの鎖を引き千切る。負けていた。試練は終わっていたはずだった。この土壇場で、最終試練はその壁をさらに高くした。

 星辰体の力を引き出したアジ=ダカーハは、同じく星辰体の速度で槍を躱すだろう。

 

 ならば、誤算だったのは何か?

 

 星の光より速く動けるものはまだいた。

 

 

「ああ、お前なら避けると思ってたよ」

 

 

 逆廻 十六夜。

 

 彼だけが信じていた。必敗の運命さえ自力で覆すアジ=ダカーハの王威を。だから、十六夜は黒ウサギの投げた槍を自分が受け止めアジ=ダカーハに突き立てることを選んだ。一歩間違えば自分自身が死んでしまう。それを承知で黒ウサギは槍を投げ、十六夜はそこに踏み込んだ。

 

 

(これが、人間か)

 

 

 アジ=ダカーハの紅玉の瞳が一瞬穏やかな光を灯した。最後までこの絶対悪に挑み続けた少年。死地へ踏み込んだ一歩。それこそが勇気であると彼は気付けるだろうか。その勇気がいずれ彼等を、彼女が愛した人類を救うのだと気付いてくれるだろうか。

 心残りはある。――――が、この槍は甘んじて受け入れよう。試練を乗り越えた勇者を喜ぼう。

 

 だから、

 

 

『本当の恐怖を知らない貴様にだけは、この心臓をくれてやるわけにはいかん!』

 

 

 すでに死に体となった三頭龍。無事なふたつの首が十六夜とは別に迫っていた少年を捉えた。

 

 織田 三郎 信長。

 

 

「――――あっは!」

 

 

 十六夜の背後から、頭上を飛び越えるように現れた信長の体は殲滅した分身体の血で染まっていた。三日月のように引き裂いた笑み。輝きなど無い、どこまでも深い、光の見えない漆黒の瞳。狂悦に満ちた男はこの死地を土足で踏み込んだ。

 

 この少年には恐怖が無い。苦難を知らない。コミュニティの未来を捨ててまで時間を稼いだ《サラマンドラ》の決死の覚悟も、十六夜と黒ウサギは見せた信愛も、彼にはわかるまい。恐れを知らない彼には、その先に踏み込む躊躇などあるはずがない。

 『想い』などという不確かなものをアジ=ダカーハは語るわけではない。それで全てが上手くいくとも言わない。そんな彼等を砕いてきた者こそ自分という存在なのだから。

 

 それでも、彼等の踏み出した一歩が、死を軽々しく踏みつけるこの少年の一歩と同じはずがない。あっていいはずがない。

 

 一瞬でいい。一瞬あれば十六夜達の槍はアジ=ダカーハの心臓を貫く。

 

 龍影が伸びる。次元を裂きかねない速度に、影の恩恵は耐え切れず形を崩す。それでも砕けるも承知と伸びた刃が信長を襲う。これを躱すにしろ受けるにしろ、どちらにしても時間は稼げる。それで充分――――そう思っていたアジ=ダカーハは驚愕に見舞われる。

 

 肉塊が弾け飛んだ。信長が自ら差し出した右腕。

 

 信長は躱すことも受けることもしなかった。片腕を犠牲にしてなお真っ直ぐアジ=ダカーハへ向かってきた。初めからこの瞬間を狙っていた信長。引き絞られた突きの構え。切っ先が、十六夜の槍より先に脈打つ心臓を狙う。

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 初めて、信長の笑顔が崩れた。困惑の視線の先には刃を貫かれながらも身を挺して受け止めた三頭龍の頭。真ん中以外の頭部が折り重なって、長刀の刃を受け止めていた。刹那遅れて、十六夜の槍がアジ=ダカーハの心臓を貫く。

 決着は、ついた。

 

 無事な真ん中の頭部が侮蔑を口元に浮かべて信長を見据えた。

 

 

『私は、貴様には討たれない』

 

「ちぇ」

 

 

 すでに限界を超えていた信長は糸の切れた人形のように倒れた。




閲覧感想ありがとうございます。

>長かったアジ=ダカーハ編これにて終了と相成りました!!長かったといっても章の話数的には他とあまり変わらないのですがね。次章は原作的にもほぼエピローグな扱いなので9割方終わったといっていいでしょうか。多分次章はいいとこ1、2話で終わるでしょうし。

>さてさて、今話は設定にしろストーリーにしろ人物像にしろ、かなーり捏造と妄想が入り乱れたものになりました。その最たるはアジさんでしょう。感想でもちょろっと書いたように、アジさんの戦う理由が将来的に人類を救う為、人類を救える勇者の誕生ならば、つまり彼にだって『理想の勇者像』ってのいうのがあったと思うのです。まあ、その影響は宗主たる彼女に多分に影響されているでしょうが。
なら、『自分を倒した者こそ正義』というつまりは力こそ正義を言いつつ、やはり認められない者もいると思うのですよ。それが信長君だったというわけです。

>信長君は死んだように生きるのは御免だと常々言っています。これは召喚前、世界との差に軽い廃人だった自分を指しているわけですが、それが箱庭で解消されつつあると思ってますがそれは勘違いです。結局彼は生きる為に戦うでも、何かの為に戦うでもありません。戦うために戦ってます。目的がなければ勝ち負けなんてあるはずはなく、失うものもないので通常躊躇うような『線』だって簡単に飛び越えちゃいます。戦っているだけで満足なわけですから。
そんな彼が人類を救えるか、はたまた救ってくれると託すことが出来るか、出来るわきゃないですよね(笑)

>もう一点捏造設定補足。
アヴェスターについてはもうあれぐらいしか対処法が浮かびませんでした。実際あんなの持ち出されたら勝てないのですもの。この捏造設定ですが、実は信長君とレーヴァテインとの関係やらで辻褄合わせの設定はありますが、それを語るのはまた別の機会にしておきます。

>さてー、次の更新はこっちにするか別作品にするか決めてませんが、ともかく次話或いは次々話で一部完となります。ここまでお付き合いくださった皆様、最後まで宜しくお願い致します。


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十二巻 軍神の進路相談です!
一話


 『ギフトゲーム名《金剛の鉄火場》

 

 参加条件、《サウザンドアイズ》発行金貨一枚。

 

 ※勝敗について。

 一、A~Fグループに分かれて予選を行い、各グループで最も採掘量が多い者が勝者。

 二、以降は勝者6名が採掘した鉱石を奪い合うバトルロワイヤル形式。

 三、予選では複数名で採掘し、戦果をひとりに集中しても良い。

 四、本戦では主催者から金剛鉄の武具を貸し出す。

 五、バトルロワイヤルの勝者は予選・本戦で得た採掘量の集計で決める。

 六、採掘した鉱石はギフトカードに仕舞われる為、カードを奪われることは鉱石を奪われることと同意とする。

 

 ※注意事項

 金剛鉄の不正な持ち出しは反則です。反則行為は全て審判に通達が行くので密輸は諦めましょう。

 

 参加報酬、採掘量に応じて賃金を支払う。尚、略奪分の賃金は採掘した本人に還元。

 優勝者報酬、採掘した金剛鉄で武具を発注出来る。武具以外は要相談。

 

 宣誓、主催者は上記のルールに則り名と御旗の下、公正なゲームを執り行うことを誓います。

 

 同盟代表《六本傷》印』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ノーネーム》が所有する金剛鉄(アダマンテイウム)の鉱山。星の恩恵……本来は神佑地、或いは一等指定の霊地が数百年に一度生み落とすか否かというほど希少なレアメタル。それが名の通り星の数ほど眠る、すでに価値をつけることは出来ない莫大なノーネームの財産。ゲームはここで行われていた。

 

 以前、アンダーウッドにてジンとポロロの交渉の中でこれを掘り出す人員を《六本傷》が提供する、というのが一時的に持ち上がった議題だったが、今回はこれを遊戯として開催した。

 

 一級品の素材である金剛鉄を賞品にすれば人材の確保はもちろん、比例して多くの採掘量が見込める。さらに本戦で武具を使ってもらうことでその性能を広く知ってもらうことも狙い。一石二鳥どころか三鳥も四鳥も狙った、なんとも欲張りな作戦である。

 

 

「さっすがポロロ君だなぁ。こういうまどろっこしいのは僕じゃ絶対思いつかないよ」

 

 

 予選を観客席から眺めながら信長は感心する。その独り言が聞こえたのか隣りにいたリリがヒョコンと耳を震わせてこちらを窺う。

 

 

「信長様なにか言いましたか?」

 

「ううん。なんでもないよ」

 

「……傷が、痛みますか?」

 

 

 額をぐるりと回り、右耳を隠すように巻かれた包帯をはじめ、体中傷だらけの信長はついこの間まで死の淵にいた。アジ=ダカーハとの決戦。その決着の瞬間、彼は意識を失った。空中城塞へ転移されたときから瀕死の重傷を負っていた彼は、レーヴァテインの力を覚醒させて再び戦場へ舞い戻り。三頭龍との死闘を繰り広げた。それは明らかに、今までの信長の力量を遥かに上回る謂わば『暴発』じみた力。器を超えた力の行使。誰もが彼の死を予感していた。――――が、彼は驚くほどあっさりと次の日の朝に目を覚ました。

 そのとき最も泣き腫らしたのが、この狐耳の心優しい少女である。

 

 気遣わしげに瞳を潤ませるリリの耳を左手で撫でる。

 

 

「大丈夫だよ。痛いことはあるけど、僕だって男の子だからね。女の子の前じゃ強がるよー」

 

「あはは、それって言葉にしたら意味ないです」

 

 

 ほっとしたリリは頬を赤らめて撫でられるまま身を委ねる。

 

 

「体の傷は黙ってれば勝手に塞がるからね。僕はそれよりも、せっかく白ちゃんに貰った着物が駄目になったのが残念だよ。あれ気に入ってたのに……」

 

 

 いつも信長が愛着していた着物は以前、賽子遊戯で白夜叉に勝った際、賞品として貰ったものである。あらゆる神の恩恵を宿していたそれも、さしものアジ=ダカーハとの戦いで遂に朽ち果てた。

 今はうぐいす色の甚平を羽織っている。無論なんの恩恵も宿していない。

 

 そんな信長の右側。リリを撫でるのとは逆側の袖はしなだれ揺れ動くだけ。今、そこに彼の腕は無い。

 アジ=ダカーハの最期の攻撃。トドメを狙った信長を牽制する為の影の一撃を、信長は右腕を犠牲にすることで突破した。結果それでも彼の刃はアジ=ダカーハの届かなかったわけだが。

 右腕は溶岩の中に落ちて、もう跡形も無い。この広い箱庭だ。再生の余地はあるだろうが、並大抵の恩恵ではあるまい。

 

 

「………………」

 

 

 リリがそれに気付いて再び気落ちしたのに気付いて、可愛い少女に心配されることに悦に入りながら、しかし信長は彼女の悲しい気を紛らわせることにした。

 

 

「ほらほらリリちゃん。今は耀ちゃんの応援にきたんでしょう?」

 

「そうでした!」

 

 

 ピコーン! と耳を立たせたリリは再び鉱山内を映した映像を食い入る様に見る。ああ、やっぱり可愛いなぁ、とその姿に頬を緩める危ない男がいたとかいないとか。

 

 

 

 今回の遊戯、本来なら主催者側に立つべきノーネームだが、参加者としては歴戦ながら興行については未だ素人である彼等は同盟相手である六本傷へ主催を任せた。――――というのも理由のひとつだが、実はもうひとつの事情の方が理由としては大きい。ジン=ラッセル不在だ。

 彼とペストは先の戦いの最中、殿下の配下であるリンとの交渉に臨んだと信長は聞いている。詳しい内容については知らないし興味も無いが、とりあえず死んではいないらしい。それなのに戻ってこないということは、戻ってこれない状態にあるのか、それとも戻らない理由があるかだ。

 

 

(なんにしてもジン君も逞しくなったよねえ)

 

 

 いやいやこれは喜ばしいことだと、頭首の不在に不謹慎な感想を持つ信長の耳へリリの慌てたような声が飛び込む。

 

 

「信長様信長様! 耀様が……!」

 

 

 どうしたのかな、とラプラスの小悪魔が映し出す鉱山内の映像を覗く。そこには我らがコミュニティの美少女のひとり――――美少女しかいないけど――――、春日部 耀と同盟コミュニティである《ウィル・オ・ウィスプ》のこれまた美少女、アーシャ=イグニファトスが映っている。

 

 

「うん、ふたりともいつも通り可愛いよね」

 

「そうですねえ……って、そうではなくて!」あうあう、と懸命に訴えるリリ「耀様のところにあの方が……」

 

「あの方?」

 

 

 状況としてはこう。地精としての恩恵を駆使して現状トップの採掘量を得ていたアーシャだったが、他参加者の襲撃に合いカードを奪われてしまった。それを耀が助太刀に現れたという感じ。

 

 一応、ルール上予選でも相手の鉱石を奪うことは認めているが、予選の趣旨は全員参加の採掘勝負。力づくは本戦まで控えて欲しいというのが主催者の願いである。まあそれはノーネームや六本傷、主催者側の思惑であって参加者には知ったことではない。もし信長が参加していても多分こちらの手段を選んでいたかも、というのは心の内に秘めておくことにした。

 

 さて、そんな感じで耀と相対しているのはどうやら幻獣のようだった。前半身は鷲、後ろ半身は馬のような形態の幻獣は耀に向かって喚いている。そんな幻獣を見て信長は。

 

 

「馬肉って新鮮なのは美味しいんだよね」

 

「ええ!? わ、忘れたんですか!? ほら! アンダーウッドで信長様戦ったじゃないですか!」

 

「………………」

 

「忘れたんですね」

 

 

 がっくしというリリに後頭部を掻いて笑って誤魔化す信長。そんなこともあったかな、程度には覚えているが、それは結局覚えていないのと同じである。精々、その程度(・・・・)なのだろう。

 

 映像内の幻獣――――グリフィスと耀の会話が信長達がいる観客席側に流れる。

 

 

『驚いた。コミュニティを出てから東へ来てたんだね』

 

『ふん。南側より開拓の余地があると踏んだ迄よ。そしてそれは正しかった。このゲームで金剛鉄の武具を手に入れれば五桁に拠点を移すことも可能! それを貴様等如き《名無し》が……希少な星の恩恵を求めようなど身の程を知るがいい!!』

 

 

 思わず、信長は吹き出した。

 

 

「あっははははははは! 馬畜生で身の程知らずで、おまけに道化だなんて! くくくっ……痛い! お腹の傷が開く!」

 

「の、信長様!」

 

 

 人目憚らず笑い転げる信長にリリは恥ずかしいやらなんやらで顔を赤くする。

 

 実際、グリフィスの言動は正しく道化で、直接言葉をぶつけられている耀やこの遊戯の裏事情を知っているアーシャなんかも微妙な顔をしている。知らないのだから仕方ないとはいえ、なんとも憐れである。

 

 

「はー……笑った笑った。それと、大丈夫だよリリちゃん」

 

「え?」

 

「今の耀ちゃんに勝てる人はそうそういやしない。少なくとも、彼女をただの『猿真似』だなんて侮ってるあのお馬さんには無理かな」

 

 

 信長の言葉を証明するように耀は圧倒的な力の差を見せつけてグリフィスを倒した。それを見て一転、安堵と共に涙を浮かべながら小躍りするリリ。それと、ウサ耳を取り戻して絶賛ウサ耳強調中の黒ウサギの銅鑼の音が予選Cグループ終了、並びに耀の勝ち名乗りをあげた。

 

 

(さてさて、それじゃあ僕なら今の耀ちゃんとどうやって戦うかなぁ?)

 

 

 割れんばかりの歓声があがる観客席で、信長は勝利に困惑する耀の映像を眺めながら、先の戦いでより強く可愛くなった少女とのあるかもわからない戦いを夢想するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当によかったの? 耀ちゃん達と行かなくて」

 

 

 銅鑼の音からしばらくして、予選Cグループ参加者が洞穴から出てくる。その中には当然耀とアーシャの姿もあり、出てくるなり黒ウサギを連れてどこかへ行ってしまった。おそらくは居住区画へと行ったのだろう。

 ちょうど所用でその場を離れていたリリは、予選を勝った耀へお祝いの言葉をかける機会を逃したことに耳をへにょらせ、まだ追いかければ間に合うよ、という信長の提案に首を横に振った。

 

 

「はい。次は十六夜様の番ですし、また入れ違いしたら大変です!」

 

 

 むん、と今度こそ激励の言葉をと張り切る様を微笑ましく思う。そんな少女へ、信長は先程ちょっと足を伸ばして露店で買ってきた焼きとうもろこしを手渡す。

 

 

「はい。リリちゃんの分」

 

「え!? い、いいんですか?」

 

「もちろん」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 ぱぁ、と顔を明るくしたリリがハグハグととうもろこしを食べる傍らで、信長も自分の分を食べることにした。

 

 入れ違いがないように、と会場入口で待っていた2人のもとに十六夜達が現れたのは信長がとうもろこしを食べ終え、リリがあと3分の1を残すくらいの頃だった。

 

 

「十六夜様!」

 

 

 とはまずリリ。

 

 

「やあやあ十六夜。……おはよう?」

 

「ああ、朝っぱらからお嬢様にどやされて参った参った」

 

「そんな! ずるいよ十六夜!」悲愴な顔で叫ぶ信長は「隣りに住んでる可愛い幼なじみに朝起こしに来てもらうのは『はーれむるーと』の第一歩だって白ちゃんが言ってた! 僕まだ飛鳥ちゃんにも耀ちゃんにも起こしにきてもらったことない!」

 

「とりあえず俺とお嬢様は幼なじみじゃねえけどな。頼めばいいじゃねえか」

 

「頼んだことあるよ」

 

「そしたら?」

 

「『だって信長君別に寝坊してこないじゃない』って言われた……」

 

「そらご立派なことで」

 

「信長様! 『はーれむるーと』はわかりませんし、幼なじみではありませんが、お望みなら明日はリリが起こします!」

 

「ありがとうリリちゃん!!」

 

「ああ……なんかあの兎のねえちゃんがいつも疲れてる理由がわかった気がする……」

 

 

 信長と十六夜の掛け合いにポロロが呆れた様子で頭を振る。

 

 

「あれ? ところで『つんでれ』飛鳥ちゃんと『ないすばでぃ』のアルマさんは?」

 

「どこで、んな言葉覚えたんだよ……。お嬢様達は遊覧に行くとさ」

 

「十六夜の旦那に、きっちり勝って来いって激励残して行ったよ」

 

 

 ポロロの言葉ににしし、と笑う信長は十六夜の顔を覗き込み。

 

 

「それじゃあ圧勝してこないとね」

 

「――――さあな。勝負は時の運っていうし。予選はチームプレーも認められてる。まともにやりゃあわからねえよ」

 

「……ふうん?」

 

 

 十六夜の妙な物言いに、信長は眉をひそめた。

 

 

「だ、大丈夫です十六夜様! 私、一生懸命応援します!」

 

「おう」

 

 

 わしわしとリリの頭を撫でくり回す十六夜。

 

 

「ところでさ――――」信長の視線は十六夜とポロロの後ろへ「その人、誰?」

 

「ん? 俺か?」

 

 

 今までのやり取りを傍観していたのは信長同様、東洋系の顔立ちをした歳は三十代頃の男。信長には見慣れぬ格好で、口に咥えた白い棒から煙をふかす。男は口から棒を遠ざける。

 

 

「俺は帝――――」

 

「ちょっとちょっと」

 

「おっといけねえ」ポロロに諌められて訂正「俺の名は御門(みかど) 釈天(とくてる)だ。宜しくな、今代の織田 信長」

 

「僕のこと知ってるの?」

 

「いいや。お前のことは(・・・・・・)知らねえよ。知ってるのは以前に召喚された信長だ」

 

 

 なかなか興味深い話に目を輝かせ始める信長。その間に、そろそろ予選が始まりそうだと十六夜が先に会場へ。ポロロの提案で信長達も中へ入るが、ステージを見たポロロが首を傾げる。

 

 

「あれ? 兎のねえちゃんは?」

 

「そういえば戻ってこないねえ」

 

 

 耀とアーシャと露店街へ下りてから、そろそろ十六夜含めた次グループの予選が始まるのに未だ戻ってくる気配は無い。

 

 

「おいおい困るよ。最悪ゲーム自体は始められるけど、それだと密輸は防げない」

 

 

 元々黒ウサギの審判権限を当てにしての密輸防止のルール。彼女がいなければ不正の防止は完璧にとはいかない。

 

 

「ん? なら俺がやってやろうか?」

 

「帝……釈天さんが?」

 

 

 彼の正体を半ば以上確信を持っているポロロはなるほど、と納得して御門へと審判を依頼する。

 

 

「まあ我が眷属の不始末だしな。どーんと任せておけ!」

 

「でも黒ウサちゃんがいないと華が無いよねー」

 

 

 やたらテンションの高い御門を放って、信長は言う。しかしながらそれにはポロロも同意せざるを得ない。実際彼女のファンもいて、黒ウサギ目当てでここまでやってきている者もいる。そんな彼等も興行成功の大切なお客様だ。それなのに急に変わった審判が男となれば、落胆は大きかろう。

 

 

「よし、リリちゃんに頼もう」

 

 

 信長は言う。

 

 

「え?」

 

「リリちゃんに進行を任せて、御門さんは審判で」

 

「六本傷頭首権限で採用」

 

「む、無理です! 私に進行なんて!」

 

「大丈夫可愛いから」

 

「や、そんな……」

 

 

 顔を真っ赤に俯いてしまうリリ。そんな彼女へポロロは。

 

 

「兎のねえちゃんを助けると思って」

 

 

 その一言は絶大であった。はっ、としたリリは己の羞恥心を捻じ伏せて、緊張に引きつりながらも覚悟を決めた顔つきになる。

 

 

「微力ながら頑張ります! コミュニティの為に!」

 

 

 『でも信長様もついてきてください』と、ひしと手を握られれば信長が行かないはずがない。元よりついていくつもりだったが。

 そんなこんなで4人は予選進行を務めるのだった。




閲覧&感想ありがとうございます!

>これがリリちゃんが進行をしている顛末でした!(嘘ばっかり

>さてさてエピローグ的な最新刊開始です。この調子だと話数は3~4くらいでしょうか。非常に残念ながら、今回は耀ちゃん飛鳥ちゃんの出番は少なめで、珍しく信長君視点多めの展開となりそうです。まあ、いざ書いてみると変わるかもですが。
リリちゃん成分が多いのは癒やしを求めて。物分かりが良いポロロ君てば素敵です。

>ちなみの補足。
信長君は負傷の為、鉄火場のゲームには不参加です。

>ではでは次話でまたー。


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二話

「十六夜様、どこか御身体の調子でも悪いんでしょうか?」

 

 

 マイクに声が入らないように気を付けながら、画面に映る十六夜の顔を見てそう呟くリリ。信長はそれに面食らったように目を瞬かせ、次の瞬間には耐え切れないように笑みが口角に浮かぶ。

 

 

「リリちゃんにまで心配させるようじゃあ、本当に重症だねえ」

 

「どうしてだい? 十六夜の旦那、なにかあったのか?」

 

「いや? 何もないよ。――――どっちかといえば何も出来なかったから、かな」

 

 

 『本当に病気なんですか!?』というリリに体は元気だと宥めて、信長は再度画面に映る金髪の少年を見やる。どこか集中しきれていない面で時折憂鬱そうに息をつく。それを見て何が面白いのか、にやけ面でステージを転がっている。

 

 まともな回答は得られないと諦めたのか、ポロロは思考を次回開催のゲームに向けた改善点に向ける。心配顔だったリリも、十六夜が襲ってきた参加者を返り討ちにしたことで観客と一緒になって歓声をあげる。

 唯一、御門だけが信長の話に続きを投げ入れた。

 

 

「何もということはあるまい。アジ=ダカーハを倒したのは事実だ」

 

「だよねー」ケラケラカラカラ。ステージを笑い転げる「棚ぼただろうと横槍だろうと、最後の最後にそれが明確な決着の形だったなら僕は満足出来る。でも十六夜は変なところで真面目なのかなぁ。己の力とは関係無く巡ってきた勝利っていうのが認められないんじゃないかな?」

 

「…………」

 

 

 逆廻 十六夜よりアジ=ダカーハは強かった。結局、十六夜が気にしているのはそのことだった。

 

 きっと十六夜はあの時の攻防を今でも夢に見ているに違いない。黒ウサギの投槍。槍を受け止め、ジャックによって剥き出しになった心臓をその手で穿つ。――――そんな結末はあり得ないのだ、と。

 毎夜、十六夜は槍を止めきれずにその身を貫かれる。無様に這いつくばった彼を踏みつけ、嘲笑い、アジ=ダカーハは愚か者めと(そし)るのだ。

 毎日。何度も。何度も。それが本来あるべき未来であったのだと言わんばかりに。

 

 あの日、あの瞬間、確かに十六夜に『何らかの力』が味方したことで、本来勝てるはずのないアジ=ダカーハに間違って(・・・・)勝ってしまった(・・・・・・・)

 

 それがどうしようもなく恥ずかしい。身の丈に合わない名誉など、一体誰に誇れというのか。周囲が褒めれば褒めるほど、賞賛を浴びれば浴びるほど、己の惨めさに死にたくなる。全てを懸けてあそこに立っていた者達に対して申し訳ない。無論、生粋の悪たらんと、立場は違えどアジ=ダカーハに対しても。

 

 ――――しかし、そんな悩みは信長に言わせればくだらないとしか言い様がない。十六夜はアジ=ダカーハに勝った。なら、それ以外の答えなど存在しない。

 

 確かに地力はアジ=ダカーハが勝っていたのかもしれない。多くの者が命を賭してアジ=ダカーハを追い詰めていったのも事実だ。敵対していた殿下の協力という、あらゆる要素が十六夜を有利せしめた『何らかの力』があったのかもしれない。それでも、十六夜はアジ=ダカーハに勝った。それが全てだ。

 

 十六夜は勝った。それは強かったからだ。あの時、あの瞬間、如何なる事情があそこに絡んでいたとしても確かに十六夜の方がアジ=ダカーハより強かった。だから生き残った。そこに『もし』を挟む余地は無いし、意味も無い。

 十六夜が言っているのは、単に自分の思う通りいかなかったからと駄々をこねているだけだ。

 

 

「完璧主義者っていうか……うん。傲慢、かな?」

 

 

 敗者が勝者になれないように、勝者もまた敗者にはなれない。それを終わった後にあーだこーだと言っている十六夜の気持ちは、悪いが信長には一分も理解出来なかった。

 

 

「けど、そうかー。ふふ!」

 

「何が面白い?」

 

「いやね? 最初は凄く似てると思ったんだぁ、僕と十六夜。でもいざ付き合ってみると十六夜ってば意外にお人好しでさ。嫌がる仕事や面倒な仕事、別に自分がやりたいわけでもないのにやっちゃったりする」

 

 

 毒にも薬にもならない、というのは言葉の使い方を間違っているかもしれない。退化も進化も無い、なんの変化も見込めないことにも十六夜は殊更顔を突っ込む。そこにはいつだって誰かがいて、十六夜は否定するだろうが彼は他人の為に自身を犠牲に出来る人間だ。信長はそんなことはしない。というより出来ない。面白味もないことにかかずらうなど、例え暇でも御免だ。

 だから違うのだろうと思った。一度は同類と思った十六夜だったが、それはすぐに勘違いだったと訂正した。

 

 しかし、今の十六夜も見て、信長は少しばかりまた彼への認識を改める。

 

 

「傲慢か」

 

「だってそうでしょう? 十六夜はこう言ってるんだ。箱庭の命運より、今ここにいるみんなの笑顔より、十六夜は自分の欲が満たされな(・・・・・・・・・・)かったことを後悔してる(・・・・・・・・・・・)!」

 

「…………」

 

 

 勝てるはずのない悪を倒した。皆の笑顔が守られ、命を賭した英雄達は報われた。それで良かったと、皆が助かって良かったと、十六夜は手放しで喜ぶことが出来ない。アジ=ダカーハが勝っていれば、少なくとも皆が笑っているこの光景はあり得なかった。箱庭の消滅すらあり得た。だから、たとえどんな形であっても勝てたことに喜ぶべきなのだ。本当にこの景色を尊いと思えるならば。

 

 十六夜はおそらくこう思っているのではないだろうか。

 

 自分なんかがアジ=ダカーハに勝つべきではなかった。自分はあのとき、あそこで――――魔王に殺されるべきだった、と。

 

 あれだけの犠牲の上に、これだけの幸せの上に立っておきながら、こうあるべきではなかったと首を振る。

 自分勝手極まりない。飛鳥辺りが聞けば平手のひとつ飛んできそうだ。そしてその自分勝手さこそ、信長が彼を見直した理由だ。

 

 

「やっぱり十六夜は僕に似てるよ。人でなしのところなんて特にね」

 

 

 己の同類に出会えたことに上機嫌に鼻唄を歌う信長。御門はただただそれを見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、採掘ゲームで奪い合い始める馬鹿がこんなに多いとは思わなかったぜ」

 

 

 襲ってきた輩を綺麗に埋めて返り討ちにした十六夜は呆れたように頭を掻く。予選は採掘の人手、本戦は武具のデモンストレーションを画策していた主催者側の思惑としてはこれは誤算だ。予選でも武力による採掘略奪を認めたのは、本戦に腕自慢を残す為だったのだが、これでは肝心の採掘に支障が出る。元より純粋な鉱山夫のために採掘量に応じた換金を約束してあるのだから。

 用意されたゲームに挑むのとは違って、ゲームの運営とは奥が深い。

 

 

(――――本当に、ただ無心に楽しめりゃ楽だったのによ)

 

「――――ああくそ!」

 

 

 らしくない、とガシガシと頭を掻き乱した。

 

 以前の十六夜ならばこんな悩みはしなかった。主催者の思惑も参加者の思惑も、全部知ったことではないと空気も読まず暴れまわっただろう。空気を読んでなにが面白い。そんなものはぶち壊して、周りの奴等をドン引きさせてこそ問題児なのだ。

 傲岸不遜。気随気儘こそ問題児だ。

 

 なのに、十六夜のテンションはゲームが進めば進むほど落ちていく。冷めていく、というのが正確か。

 

 何が原因だったか――――そんなことは考えるまでもない。アジ=ダカーハとの決戦。

 あのとき、最後の攻防で十六夜はアジ=ダカーハの心臓を必勝の槍で貫いた。しかし、本来ならそんな結果にはなるはずがなかった。何故なら、逆廻 十六夜ではアジ=ダカーハには敵わないのだから。十六夜は槍を受け止められずに死ぬ。それがあるべき決着だったはずなのに、それは『何か』によって覆された。力及ばぬものが勝利するという、十六夜にしてみれば恥でしかない決着。

 ジャック達が命懸けで作った勝機も、殿下が手を貸したことも、思えば全てが十六夜にとって都合が良すぎた。そして最後の美味しいところだけをかっさらった。

 

 ――――恥じることは無い。知らぬなら此処で学べ。その震えこそ恐怖だ。

 

 アジ=ダカーハはそう言った。けど、それは違う。

 

 ――――違わぬ。そして忘れるな。恐怖に震えても尚踏み込んだその足、それが勇気だ。

 

 宗主と共に待ち望んだ英雄の誕生。幾星霜の時を、己を試練としてまで待ち、そして報われたと信じて彼は満足して消えていった。

 

 けれど、違うのだ。

 

 あれは恐怖に震えていたのではない。彼等が待ち望んだ英雄が得るべき勝利ではない。あれは……あれらは全て至らぬ十六夜を勝たせる為に『何か』が働いて至った『結果』に過ぎない。あんなもの、断じて『勝利』などではない。

 

 しかし、十六夜はそれを叫ぶことなど出来なかった。この『結果』を否定することは、あの戦いで犠牲になった真なる勝者達への、そして最期まで畏敬するべき魔王であったアジ=ダカーハへの冒涜だ。『結果』だけを掠め取った盗人である自分には、その資格も無い。

 

 

「………………」

 

 

 ふと、十六夜の脳裏にひとりの少年の姿が浮かび上がる。あの戦いにおいて、おそらくは最も自由に戦場を荒らし回り、そして最後までアジ=ダカーハと対等であろうとした少年。

 

 

「もしかしたら俺は、アイツが羨ましかったのかもしれねえなぁ……」

 

 

 その呟きは誰にも届かず、物言わぬ洞穴に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十六夜の予選が決着している一方で、洞穴の最奥、金剛鉄で出来た天然の堅牢に幽閉されていた殿下は現れた混世魔王と話していた。

 

 

「本当の魔王連盟を作らないか、だと?」

 

「おうよ」

 

 

 色々と思惑が外れた結果、虜囚の身を演じている(・・・・・)殿下は、晴れて自由の身となっても別段やることもなかった。《ウロボロス》への反旗にしたって、ただ自分の人生を他人に好き勝手にされたくなかったから。それから解放された今、彼に目的は無くなった。

 

 そんな折に現れたのが混世魔王だった。先の戦いの間は《サラマンドラ》頭首、サンドラの体を乗っ取っていたのだが、殿下の解放を条件にその身柄を引き渡したと今し方本人の口から聞いた。そのことに殿下は怪訝にならざるを得ない。

 先に言っておくなら、殿下とこの猿鬼に確かな繋がりなどはない。殿下達はその目的の為にこの魔王を利用し、彼もまた己の目的の為に一時的な協力に応じたに過ぎない。最初にリンが誘い文句として使った魔王連盟《ウロボロス》の正体にしても、この猿鬼はすでに察している。

 

 それを、何故今こうして迎えにやってくるのか。しかもまだ充分に利用価値のあるサンドラの体を渡してまで。

 

 その問いに対する答えが先ほどの言葉。本物の魔王連盟を作らないか、だ。

 

 確かにウロボロスの正体は孤高であるはずの魔王達が連なったものではない。その正体とはある神群が裏で糸をひいている、魔王の名を隠れ蓑にした紛い物。――――混世魔王はそれを本当に作ってしまわないか、そう言っているのだ。そして殿下にその旗本になれと。

 

 

「何故だ?」殿下は訊く「それでお前に一体なんの得がある?」

 

 

 こんな話を振ってくるくらいだ。混世魔王は殿下の正体にも勘付いている。目を見ればそれくらいは殿下にもわかった。

 だが、だとしても何故。彼の、斉天大聖の敵として、生まれながら敗北を定められた生粋の噛ませ犬たる混世魔王が一体何を望むのか。

 

 

「なにも?」

 

 

 殿下の問いに、犬歯を剥き出しに笑った混世魔王は言ってのけた。

 

 

「それでも理由が欲しいってんなら……俺がそう望まれたからだ。大聖の成長の為、星霊大聖の完成の為だけに生み出されたのか俺様だ。生まれながらの敗北を定められた、生粋の噛ませ犬役の半星霊」

 

 

 しかし、結果として彼女は混世魔王を殺せなかった。その原因は彼女の甘さと混世魔王自身にもある。倒すべき混世魔王()が、生まれながら非才と悪を強要された姉弟であったと知った斉天大聖。そんな甘さも似たのか、どうしても子供の血肉を喰らうことが出来なかったことで怪物(噛ませ犬)にもなれなかった混世魔王。

 

 どちらにしたって中途半端だ。その代償として七天戦争が起こり、彼女は地獄を見た。一方で混世魔王は、温情によって得た自由のなんと空虚なことかと呆然とした。

 

 

「汝、悪であれかし――――呵っ、上等だ。ならなってやろうじゃねえか。俺様を生み出した野郎共が後悔してもしたりないぐらいこの世界を滅茶苦茶にしてやる! その悉くを、百億万度で焼き尽くしてやる!! ……お前さんを選んだ理由は、お前さんならこの箱庭をぶち壊してくれると思ったからだ」

 

「お前のそれは、復讐か?」

 

「それもある。――――が、それだけじゃねえ。俺様は今更どんな結末だろうが受け入れられない。だが、だからといってこの人生に背を向けるってのも無理なのさ」

 

 

 己の人生は、自由にしろ消滅にしろやはり斉天大聖との決着の先にある。ならば彼女に会わなければならない。

 しかし今回アジ=ダカーハがあれだけ暴れても彼女が姿を現すことはなかった。となればもう、奴等が無視出来ないほどの災厄を振り撒いてやるしかない。

 

 

「それにな、これはお前にだって益のある話だ。ウロボロスは今でこそお前さんを放逐しているが、いずれ必ず捕獲しにくる。だからそれすらも悉く踏み潰す為に、俺様とお前で魔王連盟を作るのさ」

 

 

 ニヤリと笑う猿鬼。殿下の黄金の瞳を真正面から見据えて、彼に向かって本当の自由を勝ち取れと吠える。

 

 どれくらいの時間そうしていただろうか。フッ、と殿下は笑みを作った。

 

 

「そうだな。本当の自由とやらがどんなもんかは知らないが……俺を縛ってきたウロボロスの連中の横っ面を全力で殴りつけられるなら、それはきっと最高だろうな」

 

「ヒヒ、そら当然よ」

 

「ならいいぜ。唆されているようで癪だが、小気味いい甘言だった。乗せられてやるよ」

 

「ヒハハハハハ!! ならお前さんのモチベーションは其処に決定だ!」

 

「だがひとつ問題がある。ウロボロスが今すぐに俺を回収しに来たらどうするんだ?」

 

「それは無い。絶対にだ。だが同時にこのままお前を見逃すこともあり得ない」混世魔王は断言する「いいか、よく聞け。これは星霊に纏わる者と一部の神霊にしか知らされていないが――――誰だ!?」

 

 

 背後に気配を感じて振り返る混世魔王。檻の中からそちらを覗く殿下の耳にカラコロと石床を叩く下駄の音が聞こえてくる。やがて暗がりから音の主は現れた。

 

 

「面白そうな話しをしてるねえ」

 

 

 わかりやすいほど弾んだ声音が響く。殿下と混世魔王の殺気に意にも介さず彼は、織田 三郎 信長は、純粋無垢な笑顔を振り撒いて片側だけとなったその手を伸ばした。

 

 

「僕も入れてよ。その魔王連盟にさ」




閲覧ありがとうございまっす!

>さて二話です。思ったよりも時間がかかってしまいましたが、なんとか一週間以内でちょっとほっとしています。

>凄い今更ですがお気に入りが二千越えてまして、びっくらしてました。ここまで続けてこられたのも、読者である皆様がいてくれたおかげです。ありがとうございました!

>さてこうして二話を投稿してみて、改めて信長君と十六夜達との『ズレ』というのは書くのがつくづく難しいですね。こんなときは文才もそうですが、発想力といいますか、才能が欲しい。まあ、才能を欲しがるのは努力前提なので、そこに至ってない私はまずは努力ですけども!

>一応、今回序盤の十六夜君の懊悩云々は作者である私でも原作でもなく、あくまでも信長君の考えるものですのであしからず。実際あそこまで人でなしではないですよ。なので人でなしは信長君だけ(笑)

>さて、予定では次話で今章……ひいては一部完とさせます。終わりどころが実はまだ悩んでいたりするのですが、どうなるかは次回を待つべし!というか、もう次巻を待って書いてもいいような……とかも思いますが。予定は今月中です。

ではではまた次回まで、おさらばです!


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三話

「もうひとつ訊きたいことがある」

 

 

 《サウザンドアイズ》旅館銘湯、少彦名の湯。ポロロ主導のもと行われていた御門の接待はルイオスの完全ダウンを機に一旦お開きとなった。御門の無茶ぶりで泥酔したルイオスを人間形態となった裸漢のグリーが担いで湯殿を出る。接待要員として呼ばれていた女達も合わせて出て行く。次は宴会場での接待で再会となる。

 

 一方で、一向に出る気配の無い十六夜。そしてそんな十六夜の意を汲んだのか同じく湯に浸かったままの御門がふたりきりとなる。早々に十六夜は話を切り出した。

 

 

「なんだ?」

 

「さっきの話だが……ひとつだけ腑に落ちないところがある」

 

 

 御門の軽薄な笑みがスッと消えた。

 

 十六夜が言っているのはつい先程、箱庭の世界と外界の関係性……そしてそのふたつを密接に繋ぐ歴史の転換期(パラダイムシフト)について、独学以外で未だ正しい知識を持たない十六夜に御門が課したゲーム方式の説明。ただ情報として教えるのではなく、必要なヒントを与えながら本人の力で正解へ辿り着かせる、なかなかに感心させられるものであった。

 問いに対してもちろん十六夜は正解を得た。だが、どうしても納得出来ないことがあったのだ。

 

 御門の反応から彼もそれに気付いた上での出題であったと悟る。――――納得出来ないのはひとりの仲間の少年についてだ。

 

 

「アンタのさっきの話が本当なら、アイツはどうなる?」

 

「あいつってのは?」

 

「は、しらばっくれんなよ。――――信長だ」

 

 

 御門は黙り込んだ。十六夜は視線だけちらりとやり、構わず続けた。

 

 

「さっきの出題に倣うならこうだ。『織田 信長』を日本史における歴史の転換期と前提して……1つ、信長の出生は転換期に含めるか。2つ、尾張国の趨勢は転換期に含めるか。3つ、信長が本能寺で死ぬことは転換期に含めるか」

 

「…………」

 

「正解は前2つはイエス。最後だけはノー」

 

 

 まず、『織田 信長』を歴史の転換期とするならば1つ目の出生は当然満たされなければならない事項。同様に2つ目についても織田家の躍進は必須だ。ならば最後の問いはどうだろうか。

 一見、『織田 信長』が本能寺で死ぬことは達せられなければならない事項に思える。なにせ一代で事実上の統一を実現した人物だ。生きていれば何かしらの影響を及ぼすことは間違いない。――――が、それは死んでいなければならないのだろうか?

 

 

「『織田 信長』が生きていれば、そして天下統一の野望を捨てていなければまず間違いなくその後の歴史は狂う。――――が、この武将に関していえば少々特殊で、『織田 信長』の死体は実は誰にも観測されていない」

 

 

 いつぞやの『ハーメルンの笛吹き』のように、『織田 信長』の最期は幾通りもの結末が語られている。十六夜のいた世界でも彼の生存説は根強く支持されていた。

 

 

「となれば転換期のポイントは『織田 信長』の死じゃない。この人物が歴史上から姿を消すこと、だ」

 

 

 もし仮に、このとき『織田 信長』が本能寺の変を生き延び、かつ野望を諦めなければ箱庭へ強制召喚されるのだろう。実際聞いた話ではすでにこの箱庭に数度、『織田 信長』が召喚されていると十六夜は聞いている。

 

 

「――――まあ、これはさっきアンタが出してくれた問題を丸々パクったんだが――――これっておかしいだろ?」

 

 

 本題はここから。

 

 

「アイツは……信長は初めて会ったとき、上総介の名を名乗らなかった。上総介はあいつの領名。家督を継いだ時に与えられるもんだ。それを名乗らなかった。それはつまり、あいつは召喚されたあの時、まだ織田家を継いじゃいなかったってことだ」

 

「…………」

 

「てことは、本能寺の変を生き延びるどころかあいつはまだ歴史の教科書に載るようなこともほとんどしちゃいないってことだ」

 

 

 それはあってはならないことだった。何故なら織田家の躍進は歴史を正しく進める上で必要な事項である。そしてその鍵となるのは間違いなく織田家頭首、後幾百年まで名を残すこととなる『織田 信長』の存在が不可欠であるはずなのだ。

 『織田 信長』はいずれ間違いなく歴史から消えなければならない。しかし、それは裏を返せば、それまでは間違いなく歴史にいてもらわねばならないのだ。でなければ歴史は致命的に狂う。おそらく彼でなければあの戦乱の時代を統一間近までもってくることも、又、次代を担う『豊臣 秀吉』を用いることもなかった。

 

 

「どうしてだ。アイツは何故ここにいる? アイツは本当は……誰なんだ?」

 

 

 元々、十六夜は彼について様々な違和感があった。だが敢えてそれを仲間の前で口にしなかったのは、はたして彼のルーツなど関係無いと思っていたからか。十六夜達は本物の『織田 信長』に出会ったことはなく、あの瞬間共に召喚された信長しか知らない。たとえ彼が何者であろうと、彼が別の何かに変わるわけではないと信じていたから。

 しかし、今こうして十六夜自身のルーツについて悩み、飛鳥や耀について明かされていくなかで考えが変わった。知りたい。信長という男について知りたいのだと、このとき十六夜は自身の思いに気付いた。本当に、今更な話であるが。

 

 十六夜の質問に、御門はしばし沈黙を保った。そうして待った末にようやく開かれた口から出た答えに十六夜は心底微妙な顔をした。

 

 

「わからん」

 

「…………」

 

「おいおい、そんな顔をするな。別にはぐらかそうってんじゃない」

 

 

 不信感丸出しの十六夜に苦い笑みしか出来ない御門。

 

 

「悪いがわからないのは本当だ。――――だが、この際召喚されたことそのものは関係無い。実際歴史の齟齬も出ていないからな」

 

「そんなんでいいのかよ」

 

「今の俺は御門 釈天だしな。どうもしないし……おそらくどうも出来ない(・・・・・・・)

 

 

 肩を竦めてそう言う御門に、十六夜も何も言えなかった。御門がここまで霊格を貶めたのは眷属である黒ウサギを助けたからだと聞いている。元々そうする用事があったから気にするなと本人は言うが、だとしても十六夜がどうこう言える立場にいないのは確かだ。

 

 さて、と湯から体を起こす御門はペタペタと石床を出口に向かって歩く。その背を見送ることもせずにいた十六夜だったが去りゆく御門の一言は確かに聞こえた。

 

 

「羨むのは自由だが、お前とあれは全然似ちゃいないぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔王連盟、僕も入れてくれないかな?」

 

 

 ダメ? とニコニコと腑抜けた顔で首を傾げる和装の少年を、混世魔王は数メートルの間合いをおいて観察していた。この少年を混世魔王は知っている。いや、正確には話に聞いているだけで直接会ったことはなかった。殿下の仲間、リンに聞いた魔王の素質充分の少年。名を――――織田 信長。

 アジ=ダカーハをリンが復活させる前、彼女がもし出来るならば仲間に引き入れたいと言っていたのを思い出す。

 

 

(『織田 信長』っていやぁ、俺様だって聞かねえ名じゃねえ……が)

 

 

 どうしたものか、と混世魔王は顔には出さず胸中で悩んでいた。というのも件の少年、こうして目の前に現れて対峙してみた印象だが、どうにもピンとこない。感じられる霊格は精々が神霊の末端の末端クラス。何気ない立ち振舞いや右腰にさげた刀を見る限り武術を修めているようだが、これも《クイーン・ハロウィン》の騎士フェイス・レスや蛟劉のような神技に達しているようには感じられない。

 強くないわけではなさそうだが、混世魔王すら認めたリンがあれほど言う価値を見出さない。

 

 『織田 信長』といえばこの箱庭でもおよそ三度召喚された経歴がある名だ。その全てが魔王として。人にしておくには勿体無い怪物ぶりだった。しかしその怪物性を、目の前の少年からは感じられない。

 

 

「ふっ」

 

「?」

 

 

 檻の中で殿下が笑ったように見えた。特に今気にする必要はないか、と混世魔王は視線を前へ。

 一先ずは回答しておくべきだろう。

 

 

「嫌だね」

 

「ええー!? どうして?」

 

「当ったり前だろうが。俺様はお前を知らねえ。こちとら新設だが、生憎と誰でもいいってわけじゃねえんだよ」

 

 

 混世魔王の回答は否。リンがなんと言おうと自分はこの少年のことを知らない。仮に知らずとも、殿下やリンがそうだったように相対すればある程度の力量とは測れるものだ。伊達に最古の魔王に連ねてはいない。その上で彼を採点するなら、落第。

 ――――しかし、それはあの姿を見ていなければの話だ。

 

 

(アジ=ダカーハとの戦い……あれは正しく快楽に身を貶した魔王そのものだった)

 

 

 そう、混世魔王は信長とアジ=ダカーハとの戦いを見ている。互角にせめぎ合ったあの戦いを。確かにあの姿にはリンが絶賛する魅力があった。今目の前にいるのがあの時の信長だったなら二つ返事で迎え入れただろう

 しかし今の少年にその面影は無い。霊格の多寡は先程言った通り、何よりあのときの狂性がまるで感じられない。本当に同一人物か疑うほどに。

 

 

「ほれ。わかったら大人しく――――ッ!!?」

 

「あれ?」

 

 

 混世魔王は全力で後ろへ跳んだ。獣としての生存本能が無意識にそうさせた。そうしなければ死ぬ、と。

 

 ドッ、ドッ、と脈打つ心臓。混世魔王は己の胸に手を当てる。滑り気のある血液が手を汚した。

 思い出したように汗が噴き出る。今、間違いなく自分は死にかけた。あと一瞬下がるのが遅かったら混世魔王の上半身は無残に落ちていた。

 

 先程まで自分がいた場所を見やる。殿下の檻の前で、刀を横に薙いだ格好の信長。混世魔王と目が合うと彼は喜色に顔を染めた。

 

 

「お猿さん意外と疾いね! びっくりしちゃったー」

 

「は、そらどうも。――――で? なんの真似だ」

 

「んん? いやぁ、仲間に入れてくれないっていうからさー。ほら、貴方を殺せばその場所を貰えるかなーって」

 

 

 だから殺そうとした。臆面もなく信長は言い放つ。それを見て、混世魔王は自身の思い違いを正す。

 

 

(前言撤回だ。こいつは、正真正銘化け物だ(イカれてる)

 

 

 こうしている今も目の前の少年には一向に変わりない。普通の子供と同じ、無邪気に笑っているだけ。そう、そんな顔で彼は混世魔王を殺そうとした。

 確かに踏み込みは速かった。剣速も同様。しかしそれ以上にこの少年は破綻(・・)している。

 

 

「そういやぁ聞いてなかったな」

 

「ん?」

 

「なんで俺達なんだ? 場合によっちゃあ、お前の今の仲間と殺し合うことだってあり得るんだぜ?」

 

 

 混世魔王の問いに信長は僅かの躊躇いも無く答える。

 

 

「そんなの決まってるよ。そっちの方が楽しそうだから!」

 

 

 少しだけ混世魔王はこの少年を知った気がする。善も悪も関係無い。きっと彼はそれが敵であっても仲間であっても同じ顔で斬るのだろう。今と同じ、虫も殺さないような純粋無垢な狂った笑顔で。

 

 

「お前、わかってて黙ってやがったな?」

 

 

 終始口を挟まなかった殿下へ混世魔王は恨みがましく言い放つ。そういえば殿下も以前この少年とやり合ってるのだと聞かされた。

 

 

「全部が全部お前の掌で終わるのが癪だったんだ」

 

「けっ、意外と性格曲がってやがんな」

 

 

 ヒヒ、と笑いが込み上げてくる。ひとり話題に乗ってこれずにきょとんとしている信長へ、混世魔王は告げる。

 

 

「合格だ、信長。ようこそ魔王連盟に」

 

「わーい! ありがとう、お猿さん!」

 

 

 刀を持ったまま全身で喜びを現す信長。抜身の刀が洞窟をヒュンヒュン鳴らす。危ない。

 

 

「話はついた。もうここにいる理由は無いな」

 

 

 金剛鉄の檻を自ら破壊して出てくる殿下。ふと、信長へ訊く。

 

 

「信長、お前名前どうするんだ?」

 

「名前?」

 

「連盟を名乗るからには名が必要だ。それとも俺様の旗本につくか?」

 

 

 半分冗談、しかし半ば本気の混世魔王の誘い。余程信長のことが気に入ったらしい。

 

 

「そうだねえ」

 

 

 信長はふと思い出して懐からボロ布を取り出す。それはアジ=ダカーハとの戦いで原型を失った白夜叉に貰った着物。一部、こうして残っていたのを回収したのである。そこには辛うじて残された四つの字。かつての、否、いずれ彼が掲げることになるはずだった世界への布告。

 そういえば、と信長は思い出す。確かもうひとつ自分には与えられる名があった。己の欲望に満ち満ちたが故に与えられた、仏敵を示す渾名。今の自分にはちょうどいい。

 

 

「――――《第六天魔王》。そう呼んで?」




閲覧、感想ありがとうございます!そしてそして…………これにて一部完達成!!

>改めまして、これにて原作一部完となります。もう正直原作持ってない人にはとても不親切な書き方をしていて大変申し訳ございません。が、なにはともあれようやく辿り着けました。

思い返せば1話投稿が一体いつだったのか。活報を見る限り2013年の1月末。今は2015年の5月末日。二年以上書いてたんですねえ。そら長いっすわ。
けれどもこうして続けてこられたのは偏に皆様の応援あればこそでした。モチベーションってとても大事ですもの。
この場を借りて改めて、ありがとうございました。

>さてさて、こうして原作は明日第二部スタート的な感じになるわけですね。私としても二部もこうして連載続けていきたいと思っていますが、やはり原作を見てみなければわからないというのが現実でしょう。はたして信長君をぶっこむ余裕があるのか!?
というわけで皆様で新刊わくわくしながら待ちましょう!

……あれ?これって結局今までと同じなんじゃあ。

>兎にも角にも、しばらくは更新控える形になるとは思います。やってない原作番外編なんかも残ってますし、ネタとしてはまだありますが、どうぞ今まで同様のんべんだらり待っていてくださるとありがたいなぁ、と思っております。

ではでは!また次皆様の目に止まるよう、精進忘れず書いて行こうかと思います。


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八巻番外 リリの大冒険
一話


 アンダーウッド収穫祭前夜。売店市場にて。

 

 巨龍となったレティシアの暴走で一時は開催は絶望的と思われた収穫祭だったが、近隣コミュニティの支援物資によりどうにか開催が出来るまで立て直すことが出来た。様々な支援物資はアンダーウッドの土地には珍しいものも多くあるので、今回の祭は今までと違った盛り上がりを見せるだろうと思われている。

 

 そんな折、信長は十六夜とリリと共に売店市場へとやってきていた。そして今は偶然買い物にきていた飛鳥と耀のふたりと合流したところだった。

 

 

「ふーん、十六夜君が料理ねえ。本当に作れるの?」

 

「似合わない」

 

 

 胡乱げな視線を見せるふたりに、心外だと腕を組んで鼻を鳴らす十六夜。

 

 飛鳥達と合流する前の話、復興物資にあった野菜を嬉しそうに抱えていたリリが十六夜が出会い、暇つぶしに料理をしようとしていた彼にリリがリクエストしたのだ。

 

 

「ねー。僕的には十六夜は『腹に入っちまえばなんでも同じだ』とか言いそうだと思ってたよ」

 

「おいおい全員俺様をなんだと思ってやがる。仕舞いには埋めるぞ?」

 

 

 チラリと、疑う眼差しの女性陣を見やる十六夜。口角があがった。

 

 

「ま、きっとそこのふたりより上手いぜ?」

 

「……カチンときた」

 

 

 十六夜の挑発で一転、剣呑な雰囲気を醸し出す女性陣。

 

 

「種目は?」と耀。

 

「欧風。メインはキッシュだから残りは前菜とスープだな」

 

「オーケー。行こう飛鳥!」

 

 

 駆け出す飛鳥達。どうやら勝負は成立したらしい。

 

 

「良かったなリリ。メニューが増えるぞ」

 

「えへへ。やったー、です!」

 

「ああ……飛鳥ちゃんと耀ちゃんの手料理が食べられるなんて。僕もう死んでも悔いないかも」

 

「そういうお前は参加しないのかよ?」

 

 

 先ほど同様、挑発気味にけしかけてくる十六夜だったが、信長はふにゃりと笑って返した。

 

 

「料理はしたことなくてねぇ。どっちかと言えば食べる専門だから」

 

 

 予想していたとはいえ乗ってこなかったことに、けっ、と十六夜は不満そうに吐き捨てる。

 

 その後一通りの食材を仕入れた十六夜と別れた信長とリリは時間までふたりで売店を散策していた。

 但し今物色しているのは食材ではなく小物市場である。

 

 

「うーうー!」

 

 

 通り掛かる店に並ぶ品々を眺めては唸り、また次へと足を進めるリリ。信長はそれを一歩後ろからついてきていた。

 やがて、尻尾と耳をしなだれさせたリリが戻ってくる。

 

 

「どうしましょう信長様。黒ウサギのお姉ちゃんへの贈り物、見つかりません」

 

 

 しゅん、と落ち込むリリ。

 

 実は、ノーネーム一同は普段からコミュニティに尽くす黒ウサギへのサプライズプレゼントを企画していた。それぞれが見繕ったものを収穫祭の際に手渡すつもりなのだ。

 リリはそれを探しており、しかし中々良いものが見つからないでいた。

 

 

「随分苦戦してるねえ」

 

「うぅ……」

 

 

 のぼせ気味の頭を撫でてほぐしてやる信長。ややしなだれた耳の傾きが戻ったリリが撫でられたまま見上げてくる。

 

 

「信長様はもう決めたんですか?」

 

「うん! 今育成中!」

 

「い、育成中……?」

 

 

 一体なにを贈ろうとしているのか。何故か理由の無い寒気に襲われたリリは尻尾を震わせた。

 

 

「お姉ちゃん、あんまり小物とか付けたりしないからキリノちゃんみたいな可愛い髪飾りがいいかなぁと思うんですけど……どう思います?」

 

「いいんじゃないかな」

 

「白と黄色の綺麗な華の髪飾りがあったんですけど……うーん」

 

 

 良い物がないわけではない。だがいざ決めようとすると本当にそれでいいのかと不安が顔を覗かせる。

 リリにとって黒ウサギはまるで本当の姉のような存在。だからこそ、黒ウサギを大切に思えば思うほど彼女を喜ばせてやりたいという思いが大きく、比例して不安は尽きない。

 

 必死に悩むリリが再び商店へと駆けていく後ろ姿を微笑ましく見守る信長。

 

 そんなとき、誰かが叫んだ。

 

 

「うわああああああ! 暴れ牛だああああああああ!!」

 

 

 そんな馬鹿なこと――――と思う隙もなく、爆走する暴れ牛の一団は入り乱れる人を割って街中を通り過ぎる。

 

 

「ひゃ、ひゃああ!!?」

 

「あ」

 

 

 その際、軽く小突かれたように押されたリリはクルクル回ってよろけると、地下都市の断崖の隙間へ落ちてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美味しい!!」

 

 

 スープを飲み干した器をテーブルに置き、信長は言う。

 

 アンダーウッド内部の主賓室にて、急遽昼間始まった料理対決は、結論を先に言ってしまえば耀に軍配が上がった。

 

 正式なゲームではないので審査員はいないが、誰であろう対戦している当人達が対戦相手である彼女の料理を絶賛したのだ。

 

 十六夜は事前の話通り、メインである南瓜のキッシュを。飛鳥が前菜を、そして耀がスープを手掛けた。

 料理対決を聞きつけた――――信長が喋った――――サラとガロロまでやってきて、揃って問題児達の料理に舌鼓をうっている。

 

 

「クッハァー! なんでえなんでえ。こんな芸達者なら調理大会に出なかったのが惜しまれるなあ」

 

 

 持参したラム酒を呷りながら料理を堪能していたガロロがそう口にすると、些か憮然とした表情の十六夜が反論する。

 

 

「……馬鹿言うな。俺のスキルなんざ精々趣味の範疇だろ。もしも出るとしたら春日部一択だろ」

 

 

 十六夜はそう言うが、実際彼のキッシュも中々のものだった。大会に出したとて決して恥ずかしくはないほどの出来栄えだと思う。

 だが、それなりに自信があったものの、耀の料理に自ら『負け』を認めてしまった以上、それを大衆に振る舞うのは彼のプライドが許さない。そう、彼はとても負けず嫌いなのだから。

 

 そしてもうひとり、この結果にしょんぼりしているのは飛鳥だ。

 

 

「そうね、春日部さんがこんなに料理上手だったなんて。私なんて焦がしてひっくり返してしまったのに……」

 

「いやいや飛鳥ちゃん、飛鳥ちゃんの料理だって美味しいよ。ほら、この苦味の中にあるほんのりとした甘みが」

 

「それ砂糖と塩を間違えてるだけよ! ああもうやめて! 食べないでちょうだい!」

 

 

 顔を真っ赤にして料理を取り上げようとする飛鳥と、器用にそれを躱しながら食べ続ける信長が部屋を走り回っているのを呆れた調子で眺めていた十六夜が、どこか上の空でいるリリに気付いた。

 

 

「どうしたリリ? 食べないのか」

 

「……え? あ、はい! いただきます!!」

 

 

 声を掛けられて我に返ったリリが慌てて料理に手を伸ばす。しかししばらくするとまたぼーっ、と虚空を見たまま動きを止めてしまう。

 首を傾げる面々。追いかけっこをやめた信長達も席に戻る。

 

 

「どうしたのリリ。何か嫌なことでもあった?」

 

「信長に変なことされた? 埋めてこようか?」

 

「あれ? 耀ちゃん、僕ってそこまで信用ないの?」

 

 

 一同が――――サラやガロロまで――――揃って首を縦に振ったことに信長は少なからず傷付く。料理の塩気が増した気がした。

 

 

「ち、違います! 信長様はなにもしていません! いつもリリに優しくしてくれます!!」

 

「判決は?」

 

「ギルティ」

 

 

 悲しいかな満場一致だった。

 

 

「――――冗談はさておき」飛鳥が場をしめて「何があったのリリ。普段の貴女らしくないわ」

 

 

 美味しいご飯を前にして盛り上がらないリリは、普段の彼女を知っている者達からすれば異常事態だ。彼女を煩わせているものがあるならば、問題児達は即刻それを排除しようと思っていた。要は皆過保護である。

 しかし、リリの口から話されたのはそういったものでもなかった。

 

 

「あのお店のことでしょう?」

 

「お店?」

 

「はい。……実は今日、とても素敵なお店を見つけて――――」

 

 

 リリがぽつりぽつりと語る傍らで、その場にいた信長もあのときのことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――大丈夫?」

 

 

 リリを追って断崖へ足を踏み入れた信長。幸いにもすぐに再会することが出来た。

 尻もちをついて目を回していたリリに手を差し出して立ち上がらせる。

 

 

「……ここはどこでしょう?」

 

 

 意識がはっきりしてきたリリが辺りを見回す。

 

 そこは地下都市のさらに地下――――というよりは、断崖の隙間に出来た窪みのような空間だった。見上げればアンダーウッドの木の根が網目のように広がっている。

 

 自然が作り上げた秘境――――かと思われたが、それを否定するものを彼女は見つけた。

 

 

「こんなところに……お店?」

 

 

 リリの視線を先。ここの空間の奥まった方に見えるのは人工灯だった。

 

 

「行ってみようか?」

 

 

 何故こんな人気のない場所に、と疑問に思う矢先、信長に誘われたリリはコクリと頷いた。

 

 普通に考えればこんな怪しい店、好奇心と同じくらい危険を感じる。箱庭にはそういった危険な罠も存在している。

 それを考えないほどリリは愚かではない。だが、不思議とあの店からはそういった感覚は湧いてこなかった。むしろ運命の出会いだとさえ思えた。

 

 ……或いは、

 

 

(信長様が一緒にいてくれるからかな?)

 

 

 優しく手を繋いでくれる隣りの少年の存在が頼もしいから、リリは臆病な自分がこんなに落ち着いていられるのかもしれないと思った。

 

 そうこうしている内に店の前まで辿り着く。

 

 店先に揺れるランプの火。聳える黒塗りの扉は金箔で模様があしらわれており、一見では尻込みしてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。

 

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 普通の感覚の人間ならば。

 

 

「の、信長様!? 扉になにか紙が貼ってあります!」

 

 

 ズンズン進んでしまいそうな少年を必死になって引っ張るリリ。これではどっちが保護者かわかったものではない。

 

 言われて開けた扉を信長が見やればそこにはリリの言う通り、一枚の紙が貼ってあった。

 

 

「ゲームクリアした者のみ売買可、ね」

 

 

 そう一文が記されていた。

 

 ということは、ここはゲームによって売買が行われている店ということだ。それ自体は別に珍しいことではない。ゲームの結果如何で値下げをしたり、逆に定価の倍で売り買いが行われたり、或いは景品が準備されていたり、箱庭らしい店というのは多々ある。

 だが、これは少しばかりおかしいと信長は感じた。

 

 今回この祭の主催者は《龍角を持つ鷲獅子》連盟。南の階層支配者に抜擢されるほどのコミュニティが開催する祭で、こんな客を試すような真似許されているのだろうか。

 

 

「ん? あれ? リリちゃん?」

 

 

 いつの間にか姿を消していたリリを探す。すぐに見つかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 外観に違わぬ品々が陳列される店内。その中でも一層存在感のあるのは店の奥、椅子に座らされた蒼い瞳を持つ人形だ。

 だがリリが見ていたのはその人形のすぐ横のテーブル。正確にはその上にある木製のブローチ。

 

 一心にそれを見つめる少女の尾は、彼女の心情を表すようにパタパタ揺れていた。

 可愛らしい姿に頬をゆるませていた信長は、ふと先ほどの人形が手になにか持っているのに気付いた。

 

 

「それがここのゲームの契約書類ですか?」

 

 

 書面に目を落としたいたところにリリがやってくる。

 

 

「うん。――――でも僕にはさっぱり」

 

 

 そう言って紙をリリにも見せるが、彼女も首を横に振った。

 リリは心底残念そうに肩を落とす。

 もしこのゲームが解けたならあのブローチが買えたのに、と。

 

 

「謎解きは専門外だからねえ。次はみんなも連れてきてみようか?」

 

 

 申し訳なさそうに言う信長。彼とすればゲームを解いてリリを喜ばせてやりたいところだが、やはりこういったものは十六夜や耀に任せる他ない。

 

 名残惜しそうなリリの手を引いて落ちてきた裂け目まで戻る。

 リリを先に向こう側に戻してから、信長も出ていこうとしたとき、

 

 

「…………」

 

 

 不意に信長は店の方を振り返る。

 

 薄暗い道。先に見える人工灯の明かり。

 光より闇が多い空間が不自然に揺らいだように見えた。

 

 

「信長さまー?」

 

「――――うん、今いくよ」

 

 

 信長は裂け目を越えて街道に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――

 

 ――――La……

 

 

 音楽の無い歌声が闇に響いた。




閲覧&感想ありがとうございましたー。

>お久しぶりでございます。全作品通しても更新は亀ならぬナマケモノではございますが、まだまだ失踪はしておりませぬよ。多分……これぐらいなら失踪ではない、はず。はず。

>さてさて、エンブリの続刊が中々やってこないのと、リメイクの更新ばかりだと新話待っていてくれている方々に申し訳ないので原作サイドストーリーにちょっと手を出してみたりしました。
特に、物語でも関係深そうなコッペちゃんのお話です。
それほど長くはならないのでおそらくは……全3~4話くらいですかね?

>みんな大好きマッチョは次話です(なんというネタバレ!)

>まあ、ノロノロとこんな更新ですがお暇潰しにしていただけるなら幸いです。


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二話

 結局リリの熱望もあってリリと問題児四人衆、それと丁度その場に居合わせていたサラを伴って例の市場までやってきた。

 

 

「なるほどな」

 

 

 興味深そうに件の亀裂を覗き込む十六夜。

 

 市場という人が溢れかえる場所にも拘らず、決して小さくはない亀裂が放置されている。普通ならばあり得ない話だ。だがどういうわけか、道行く人々はこの場所には見向きもしない。興味が無い、というよりは意識から外れてしまっているようだった。

 

 

「おそらくは人払いの恩恵か呪いがかけられているのだろう」

 

「あら? でも、それなら何故信長君とリリはここを見つけられたの?」

 

 

 サラの発言にはて、と小首を傾げる飛鳥。

 

 

「そ、それは……」

 

「それはねえ、突然暴れ牛が走ってきてリリちゃんを跳ね飛ばしたんだよー」

 

「オイオイ、いくらなんでもそんな出来過ぎた話があるわけ――――」

 

「うわああああああ! 暴れ馬だああああああああ!!」

 

「「…………」」

 

 

 あまりにも荒唐無稽な話だ、とその場にいなかった面々は鼻で笑ったが、その目の前で今度は馬に跳ね飛ばされたリリを見るなりしばし呆然とするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我に返った一同がリリに追いついてその先にある店に入る。

 

 信長達がそうだったように、店内の見事な品々に皆目を奪われる。次いで見た値札に口端をひきつかせるところまで一緒だった。

 

 

「それで、問題の契約書類は?」

 

「あの可愛いお人形さんが持ってるよー」

 

 

 終始ひとり険しい顔をしているサラが、蒼い瞳の人形から羊皮紙を取り、じっと眺める。しかし無理だったのか、早々に耀に羊皮紙を託してしまう。

 

 

「そんなこっちゃ、階層支配者として示しがつかねえだろ」

 

 

 と、十六夜。それにサラはむっと顔を顰めた。

 

 

「……それぐらいわかっている。だが、誰しもがお前や白夜叉様のように万能であるわけじゃないんだぞっ」

 

「サラちゃん怒ってるー。かーわいい」

 

「煽るな、色ボケ大名」

 

 

 ポカリ、と信長を小突く十六夜。

 

 そんなやり取りをしている最中であった。異変が起きる。

 店が揺れ始めたのだ。常人ならば立っているのは困難なほど大きく。

 

 

「ちょっと信長君!?」

 

「んー、この間はこんなことなかったんだけどなぁ」

 

 

 揺れは止まらない。いよいよもって異常事態だと判断した者達がこの場における非戦闘員であるリリを守るように陣形を取る。

 

 

「何かいるぞ!」

 

「リリ、絶対側を離れるな」

 

「は、はいっ!」

 

 

 やや上擦った声をあげて必死に十六夜にしがみつくリリを尻目に、信長も手にレーヴァテインを召喚して戦闘態勢を取る。

 サラが指した先。薄暗い店の最奥へ意識を集中させた。

 

 

「ムキッ!」

 

 

 ――――うわぁ…………。

 

 

 全員の声がハモった。特に女性陣のドン引き感が半端ない。

 

 現れたのは筋肉隆々の人形達だった。

 

 テカリのある小麦色の肌。ムチムチのパンツ一丁の姿で、白い歯をこちらに見せて笑っている。

 

 

「ムキッ? 今ムキって鳴いた!?」

 

「落ち着けお嬢様。今のは多分鳴き声じゃ――――」

 

「マッチョ!」

 

「マッチョ!? 今絶対マッチョって鳴いたわ!」

 

「……ああ、今のは鳴いたな」

 

 

 どうやら、ほぼ全裸の男達がポーズをとって局部をピクピク動かす様は、彼女達にとって恐怖の対象でしかないらしい。

 飛鳥はこの通り、普段表情の変化が少ない耀やサラまでもはっきりと拒絶を示している。

 

 

(どうしたもんか…………ん?)

 

 

 混乱の絶頂のある女性陣。足手まといがこうも多くなってしまった今、流石の十六夜も匙を投げようかと思っていたそのとき、皆を守るように一人前に出る男がいた。

 

 

「信長君……?」

 

 

 怯える少女達を庇うように浅黒い巨漢人形の前に立ちはだかる信長。その背から今までにない気迫を感じ取った女性陣は、一心に彼を見守る。

 自分達を守る為に立ち向かう少年に、言い表せない気持ちが彼女達の心にじんわり広がる。

 

 仲間の視線を一身に背負った信長はマッチョの群れを真っ直ぐ見据え、そして

 

 

 

 

 

 服を脱いだ。

 

 

 

 

 

 耀のかかと落としが信長の後頭部に落ちた。

 

 

「――――ったぁ……。痛いよ耀ちゃん」

 

「何で君まで脱ぐの?」

 

「なんかこう、負けてられないなって」

 

「あんなのに対抗心燃やさないで!」

 

 

 赤ふんどし一丁で、何故かイキイキとした顔でマッチョ達を見つめる信長を女性達は冷めた目で見下ろす。その目がありありと語っている。一瞬でも頼もしいと思った自分が馬鹿だった、と。

 

 

「わかるぜ信長。実は俺も一体欲しい」

 

「わからないくていいのよ十六夜君も! 絶対嫌よ!」

 

「一体だけなら持って帰っても……」

 

「拾ってきたらホームに入れない」

 

「えぇー……。じゃあサラちゃん、《七肉体美》ってことでコミュニティに」

 

「断固拒否する。断固!」

 

「…………かっこいいのに」

 

 

 結局、信長達は断崖から脱出するまでマッチョ達に追い回されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなまたあのお店行っちゃったのー!?」

 

「ああ」

 

 

 昼の一件から後、適当にブラブラ出歩いていた信長は、調理場で十六夜を見つけると彼から耀達があの店に出向いたのだと聞いた。

 それを聞いた信長は、

 

 

「やっぱり耀ちゃん達もあのマッチョ人形が欲しく――――」

 

「違うと思うぞ」

 

 

 十六夜に冷静に返されて不貞腐れる。

 

 

「ゲームをクリアしたっていうからな。春日部達に任せた」

 

「任せたってことは、十六夜も解けたんだ」

 

「まあな」

 

「ふえー、みんな凄いなぁ。僕はさっぱりだよ」

 

「お前の場合、端から考える気が無いだけだろうが」

 

 

 信長は今から耀達を追いかけても無駄だと思ったのか、適当な木箱に腰を降ろして落ち着く。どうせなら十六夜に解説してもらおうと。十六夜が言うように、彼は端から考える気が無い。

 

 まず思い出すのは可愛らしい人形が持っていた契約書類。

 

 特殊な書式だったのは覚えている。

 

 

「えーと、ひとりめのわたしははたらきもの……だっけ?」

 

「『ひとりめのわたしはせかいいちのはたらきもの』だ」十六夜は呆れたように頭を振り「誰の手も借りず動き続けた。でもある日それが嘘だとバレた。わたしととうさんは嘘がバレてこわれちゃった」

 

「二人目は?」

 

「ほぼ同じ。ただ二人目は友達の手を借りて動いていた――――が、今度は偽物だとバレた。だがとうさんとやらはその友達のおかげで働き続ける。そして三人目。これは生まれろと願われ、しかし生まれないことがバレた。とうさんも諦めた」

 

「さっぱりわからない」

 

「まずこの文面の『わたし』。これは創作物のことだ。壊れただの、生まれないってのは文字通りの意味。対して『とうさん』とやらは『わたし』を作る者達。あれは『とうさん』――――つまり製作者達が『わたし』という何かを作ろうとしていたって意味だ」

 

 

 一章は製作者Aの失敗談。

 二章はBの副次的成功談。

 三章はCと『わたし』の未来。

 

 

「このことから、ゲーム主催者は三度に渡って研鑽されてきた特定の人造物、或いは研究成果そのものを擬人化させた霊格だ」

 

 

 十六夜の解説に、信長は素直に感心した。

 

 自覚していたことだが、こういった謎解きはやはり自分に不得手だということ。そして改めて十六夜という少年の能力の高さに。

 

 

「ならこの遊戯は終わりじゃないの? 『わたし』の正体が答えなんでしょう」

 

「いや、おそらくこのゲームはそれだけじゃ終わらない。そこら辺を春日部達もわかってるかどうかなんだが……」

 

 

 そう言っていた矢先、にわかに玄関先が騒がしくなる。十六夜は憂鬱そうにため息を吐き出しながら頭を掻いた。

 

 

「どうやら、わかってなかったらしいな」

 

 

 深刻な表情で耀達が駆け込んできたのはそのすぐ後の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三永久機関。

 

 到達可能と謳われながら、最期は全て幻想だったと諦められた駆動理論。人類にとって理想の終着点のひとつ。

 

 それこそが『わたし』――――蒼い瞳の人形が願われた在り方だった。

 

 だが、実際は時代が進むにつれ理想は幻想に、最期は妄想へと朽ち果てた。残っているのは現実を直視出来ず妄想にしがみつく愚者か、或いはそういった者をかどわかす詐欺師ばかり。

 

 一度は人類の夢とまで担ぎあげられた彼女――――永久機関コッペリアは、最期は尊厳も誇りも存在意義さえも、欲の泥がついた靴で踏みにじられたのだった。

 

 存在することを前提に『永久機関』という名を与えられ、しかし決して辿り着くことの出来ない到達点。

 解答の無い問題。決して越えられない矛盾の試練。

 

 故に、パラドックス。

 

 終わることなき無限の夢。それを狙ってきたのが退廃の風だった。

 

 徘徊する終末論(ラスト・デカダンス)

 最果ての暴君(グリード・クラウン)

 共食い魔王。

 

 神仏、生命、星の輝きまでも喰らい呑み込む、数多の名を持つ箱庭の真なる天災。

 

 

「スミス・パンプキン」

 

「はいはい?」

 

 

 十六夜の案により本物の永久機関に仕立てあげてやると言われたコッペリア。それを実際手掛けるのは北の地でも指折りの鍛冶師、ジャック。

 

 今まで誰も辿り着けなかった未来に連れてってやる。そう言われて彼女は大人しくその言に従った。

 騙されているのではと疑わなかったわけではない。しかし、それ以上にこう考えていた。騙されてでもいいから助けたかったのだ。あの狐耳の少女を。

 

 だから、この質問はそれとは別件。

 

 

「貴方は怖くはないのですか? 相手は本物の魔王です」

 

「ヤホホ、もちろん恐ろしいですとも。ですが、彼等にやってみせると約束してしまいましたからね」

 

 

 無限に腹を空かせたあの魔王にとってコッペリアは永遠に喰い尽くせないご馳走なのだ。だから必ずあの魔王は自分を求めて追ってくる。そうなれば、匿ったこの場所……都市そのものがあの風に喰い殺される。

 

 それを、先程リリと共にいた少年少女達は食い止めに行ったのだ。コッペリアが完成するまでの時間稼ぎの為に。

 

 ジャックの返答にコッペリアは顔を伏せる。

 そうだ。怖いに決っている。

 人形である自分だって、あの魔王は怖いのだ。

 

 だからこそ(・・・・・)

 

 

 ――――貴方は怖くはないのですか?

 

 

 彼は、あの狐耳の少女と一緒に最初に店にやってきた。

 

 

 ――――怖いよ。けどその倍くらい楽しみで仕方がないんだ

 

 

 楽しみだと。最古の魔王、最悪の天災を相手に、恐怖より喜びが勝ると彼は言った。

 

 強がりだったならそれでいい。

 力量差のわからない愚か者でも構わない。

 

 しかし、彼はこうも続けたのだ。

 

 

 ――――君もアレと同じくらい強いんでしょう? ならさ、もし君が本当の座について力を取り戻したときは、

 

 

 彼は楽しそうにこう言った。

 嬉しそうに、言った。

 

 

 ――――そのときは、僕を殺しにきてよ

 

 

 リリとは違い血の通わないはずのコッペリアの体は、しかしその瞬間確かに震えた。それはあの退廃の風と対峙したときと同じ……いや、もしかしたらそれ以上の恐怖が体を貫いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゲームクリアです、退廃の風。よもや貴方では私を滅ぼせない』

 

 

 真っ赤な生地に重なり合う歯車と蕾の御旗を掲げるコッペリア。

 

 それは彼女のパラドックスゲームがクリアされた証明であり、またこの遊戯の仕組みとして組み込まれていた退廃の風の退場を意味するものでもあった。

 

 いくら最古の魔王とはいえ箱庭のルールには殉じなければならない。そもそも、退廃の風は最初からそういったモノだ。

 

 退廃の風は概念だ。

 時間という概念の最果てより訪れ、追憶の彼方へと去るだけの存在。

 

 意志が無い、とは一概に言えないものの、魔王達の中でも特に異質な姿なき魔王。通り過ぎればたとえ星の輝きであっても廃れさせる最凶の存在。また、彼、或いは彼女こそが魔王が『天災』と呼ばれる所以になった原因でもある。

 

 

 ――――あの男の光……

 

 

 知性無き天災。

 

 そう謂われているはずの退廃の風は、先程いた少年の姿を脳さえ持たない体で思い出していた。そうして、面貌を持たぬ顔を笑みに歪ませた。

 

 あの光こそ本物の永久機関(・・・・・・・)に間違いない(・・・・・・)、と。

 

 一体どういう経緯であれがあそこにいたのか。

 永久機関を持つあの少年が本当は何者なのか。

 

 様々な思いを巡らせる退廃の風は彼方へ向かいながら顔無き顔を歓喜に歪めた。いずれまた出会うその時を焦がれて。

 

 

「――――ああ、見つけた見つけた」

 

 ――――?

 

 

 例え紛い物であろうとも、或いは未覚醒であろうとも、永久機関が完成したのを確認したならば試練のロジックとして現界していた退廃の風は一度箱庭の中心へ戻らなければならない。

 だがよもや、その最中に声をかけられるとは思ってもみなかった。

 

 

「突然消えちゃったから会えないかと思ったけど、案外近くにいて助かったよー」

 

 

 感覚器官を持たない退廃の風だが、何らかの方法でその声を聞き取り、またその声の主を認識する。

 子供だった。年の頃はあの永久機関を秘めた彼と同じくらいか。

 

 なにより、見た顔だ。

 先程の場にいたような気がする。

 

 所詮、退廃の風が抱いたものはその程度だった。

 

 生命の目録の光。二つの永久機関。

 

 山程のご馳走を前におあずけをくらってあの場を去らねばならなかった退廃の風は飢えていた。

 決して満たされぬ飢餓。わかっていてもこの飢えは抑えられない。

 だからコッペリアを求めた。あれは無限のご馳走だから。

 

 だが、今はもう無い。

 

 腹が減った。喉が渇いた。

 飢える。飢える飢える飢える飢える飢えて飢えて仕方がない。

 

 だから、迷うこと無く少年へと襲い掛かった。

 感じられる霊格からしても、砂漠に一粒の水を垂らす程度しか価値は無いとわかっていても。

 

 

 ――――ガマン、デキナイ!!

 

 

 対して少年は、手にしていた武器を退廃の風目掛けて放り投げた。

 

 退廃の風は構わず突っ込んだ。

 

 武器ごと少年を呑み込むように、軌跡にあるあらゆるものを退廃させながら。

 

 退廃の風が投げられたものを呑み込んだ瞬間、目の前の少年は穏やかな笑顔を浮かべて言った。

 

 

食べていいよレーヴァテイン(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ――――!?

 

 

 途端、鈍色の風が内側から弾け飛んだ。同時に勢いが消える。

 溢れ出てきたのは光を宿さぬ黒い炎。

 

 知性無き魔王。

 意志無き天災。

 

 人類滅亡……そのタイムリミットを担う最凶の魔王と呼ばれているそれが、困惑していた。

 

 

 ――――喰われて、いるのか?

 

 

 神への信仰を廃れさせ、星の輝きを喰らい、そして人類の研鑽を途絶させる。

 時間という概念の果てに生まれ、追憶に還る暴食の魔王が喰われていた(・・・・・・)

 

 反撃とばかりに退廃の風も炎を喰らう――――が、灯火を持たない漆黒の炎はまるで勢い衰えず、どころか退廃の風が滅ぼすより早く霊格を喰らい勢いを増していく。そうして一度形勢が傾いてしまえばあとはどうも出来ない。より強大になった黒炎は更なる勢いで鈍色の風を貪り続ける。

 

 

「レーヴァテインてさ、いつもは僕に合わせて力を抑えてくれてるんだよね。だから今日は譲ってあげるんだ」

 

 

 削れていく意識の中で、退廃の風は黒炎の主を見る。

 

 

「次会えるのを楽しみにしてるね。ばいばーい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンダーウッド郊外。

 

 信長の前には燻ぶる音さえ聞こえない黒い炎。すでに鈍色の風は跡形も無くなっていた。

 

 やがて炎は刀の形に戻ると信長の腰に収まった。

 

 

「お腹はいっぱいになった?」

 

 

 信長の問いに、腰の刀がカタカタと揺れる。

 

 

「そう、よかった」

 

 

 満足そうだと、信長はニコニコ笑う。

 

 ――――が、やはり本音を言えば退廃の風とも戦ってみたかった。

 十六夜達と戦ったときのことを考えれば、今の自分では羽虫のように蹴散らされて終わりだろうが。

 

 それはつまり、今レーヴァテインが退廃の風に敗北していても同じように信長は殺されていたということだ。

 

 しかし信長の中には、己の力不足を嘆くより新たな恐怖と出会えた歓喜が身の内から溢れだす。

 

 永久機関コッペリア。

 最古の魔王、退廃の風。

 

 ならば、彼等と同格とされる他の人類最終試練は、果たしてどれほどの力を持っているのか。

 

 

「次はちゃんと戦ってみたいなぁ」

 

 

 星空の下呟いたその言葉がそう遠くない内に叶うことになるのを、このときの信長は知る由もなかった。




閲覧ありがとうございます。

そしてそして、皆様明けましておめでとうございます。
こうして今年も活動していられるのも、読者である皆様がいてくれればこそかと思います。

抱負は……抱負は、やめときましょう。
精神的にはもっと更新いっぱい出来るよう頑張りたいです。てか頑張ります。てか頑張れ俺。

>さてさて、そんなこんなで久しぶりの更新となりましたー。
リリちゃんのサイドストーリーですが、あまりコッペちゃんとは絡ませてあげられなかった。

>自分としては最近書いてないのでがっつり戦闘シーンとか書きたい!

>とまあまあ、今年もこんな調子でやっていきたいと思っております。どんな調子だって話ですが、それはつまり適当にダラダラと!です。

それでは、去年よりいっそう楽しく幸せになれますように、応援ではなく一緒に頑張っていきましょう!
また次話にてー。

>追記で

今更だけどエンブリオ2巻出てた!?
丸一ヶ月前ということに、今年いきなり衝撃をうけとります……
とりあえず明日買ってきます。


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ラストエンブリオ編 一巻 問題児の帰還
一話


 どうしてこうなった?

 

 西郷(さいごう) (ほむら)は、目の前の光景を眺めて考えていた。

 

 ゴールデンウィーク手前。世間は早くも連休に浮かれているこの頃。

 愛する兄妹(シスター)とエブリシングカンパニーに提出する研究成果――――本日期限――――に死に物狂いで取り掛かり、約束の十三時より一時間前にようやっと終わったと思いきや、今度は経理報告書――――やっぱり本日期限――――を纏めていないことに気付いて軽く絶望していた。期限のある提出物は前日には終わらせておこうという良い教訓である。

 

 それでも焔が本気でやれば、ましてや有能な兄妹もいればそれもなんとか終わらせられるはずだったのだが、せっかちな出資者(パトロン)様に勘付かれ追い詰められた挙句、経費にこっそり紛れ込ませる予定だったホームの嗜好品を出資者様個人が肩代わりする代わりに貸しをつけられたのである。それも三つ。

 その一つとして、愛する兄妹、彩里(あやざと) 鈴華(すずか)と焔の出資者、久藤(くどう) 彩鳥(あやと)の新宿ぶらりに付き合うことになったのだが……。

 

 

「いやぁ、美味しいねえこれ」

 

 

 焔の目の前に積み上げられていく空皿。すでに尋常でない量だが、実はすでに一度店員さんが皿の塔を回収している。それでいてさらに二つの塔が積み上がっている。それも全てケーキやらの甘いスイーツだというのだから、見ているこっちが胸焼けしそうだ。

 

 

「おう……本当にすっごいねえ。私も甘いものは結構好きだけど、こりゃ敵わない」

 

 

 焔の正面席。花柄の髪飾りで髪を纏め、いつもよりちょっとオシャレをしているものの、やはり動きやすさを重視した格好をした鈴華。隣りで積み上げられる皿の塔を口を半開きにして見上げている。

 

 

「彩鳥お嬢様、これ平気か?」

 

 

 焔は鈴華の隣りに座る人物へ訊ねる。

 

 ブロンドの髪に翡翠色の瞳。絵画から抜け出た女神と言われても納得するほど整った容姿。焔達の出資者にして、世界有数の大企業、エブリシングカンパニーのご令嬢は、どうやら聞こえていないようで、難しい顔をして黙り込んでいる。

 

 

「彩鳥?」

 

「え? あ、はい何ですか先輩」

 

 

 ようやく気付いた彩鳥は、声をあげて聞き返してくる。普段は隙も見せない完璧優等生なのだが。

 

 

「金足りるかって話」

 

「あ、はい。なんとか。食べ放題にして助かりました。危うく持ち合わせでは足りなくなるところでした」

 

 

 そういってピンク色の可愛らしい財布の中身を確認しながら苦笑を浮かべる。

 

 ホームの貧苦を知る彼女は、一緒に遊びに行くとき度々食事などを奢ってくれる。元々焔も鈴華も特段大食らいではないので、普段ならそう大したモノではないのだが、今日は些かイレギュラーがあった。

 

 

「まさかこのご時世に、行き倒れに遭遇するとはな」

 

 

 そう、焔達は行き倒れの少年を拾った。

 

 華乃国屋書店を回った後、軽い食事でもしようかと話になった丁度そのとき、都会のアスファルトのど真ん中にぶっ倒れる同い年くらいの少年を見つけたのだ。

 道行く人々は、誰も彼も見ないふり。無論焔とて、如何にも問題事がありそうなイベントに好き好んで顔を突っ込みたいとは思わない。今はいない彼の()なら、むしろ喜んで顔だけでなく全身飛び込むのだろうが。

 

 とまあ、平穏主義の焔は、ここはスルーが正解だと思っていたのだが、今日はそうもいかなかった。

 品行方正。謹厳実直。清廉潔白たる学園の聖女様は、行き倒れた少年を心配して声をかけてしまったのだ。仕方がなしと肩を竦めつつ、こちらも根っこは世話焼きの兄妹も加われば、もう焔に少年を無視するという選択肢は残されていなかった。

 

 気を失っているのかと思い抱き起こした少年は、存外すぐ口を開いた。『……お腹、空いた』と。盛大な腹の虫と共に。

 

 

姉弟(ブラザー)、私達も大概かと思ってたけど。毎日ご飯食べられるって素晴らしいんだね」

 

「そうだぜ兄妹。俺たち弱者が生きていけるのは、彩鳥お嬢様みたいな心優しい雇い主様がいるからだ」

 

「先輩も鈴華もそういう小芝居はやめて下さい」

 

 

 人情溢れる感動小芝居(笑)に対し、彩鳥はジト目で劇の幕を強制的に下ろす。

 

 焔達としては、感謝をしているのは本当のことなのだが、どうにもふざけてるだけだと捉えられてしまったらしい。

 

 

「――――はぁ、美味しかった。ご馳走様でした」

 

 

 カラン、とさらに皿が重ねられる。だがそれきり、ずっと途切れることが無いかと思われていたそれが聞こえなくなる。

 

 そこでようやく焔は隣りに座る人物をまじまじと見つめた。

 

 高く通った鼻筋。少し野性味がある形の眉。切れ長の双眸。なるほど顔立ちは良い――――が、それを台無しにするのは、まずそのゆるみきった顔だ。ふにゃ、と表現したくなる笑い顔。

 そしてそれ以上におかしいのが格好だ。

 

 眼帯。十字架やらのアクセサリー。黒のロングコート(背中に十字架イラスト入り)。左手には包帯ぐるぐる。右腕は袖に隠しているのか見えない。

 

 

「なに? もしかして病気を患ってるの? その腕とか眼は封印とかされちゃってるの? 疼くの?」

 

「昔から風邪ひとつひいたことないよー?」

 

 

 コテン、と小首を傾げて少年は言う。会話が成り立っていないのは、果たしてわざとなのか。焔では表情から真意を知ることは出来なかった。

 

 

「さてそこな黒歴史さんや。なにか言うことがあるんじゃないのかね?」

 

 

 コホン、とわざとらしい咳をたて、これまた演技がかった言い回しをする鈴華。

 

 正直、何もしていない鈴華が言うことではないが、行き倒れているところを救い腹を満たしたのだ。この場の代金を支払った彩鳥には、感謝の言葉ひとつでも言うのが筋というものだろう。重ねて、何もしていない鈴華が言うことではないが。

 

 厨二小僧は、しばし考えたあと、ポンと手を叩いた。

 

 

「へい彼女、僕と一緒に茶でもしばかない?」

 

「いきなり軟派か!」

 

「……しかも言い回しが古いですね」

 

 

 思わぬ発言に全力でツッコミを入れる鈴華。

 あの彩鳥お嬢様までもツッコミを入れている。侮れない人物かもしれない。――――いや、ないな。

 

 

「しかもばっちりお茶しちゃってるしね」と鈴華。

 

「おお! 本当だ! やったね!」

 

 

 ひゃっほー、と小躍りし始める。見た目通りやはりおかしな人物らしい。これは妙なものを拾ってしまったかと若干後悔し始める焔だった。

 

 

「今更だが自己紹介をしちまおうぜ」

 

「本当に今更ですね、先輩」

 

「そういうなよお嬢様。俺だって圧倒されてるんだ」

 

 

 肩を竦める焔。ふと、感じた気配に視線を向ける。

 

 

「何をニヤニヤしてるんだ?」

 

「んー。なんか懐かしいなぁ、って」

 

 

 何が楽しいのか。少年は尚、焔と彩鳥を見て笑う。

 

 

「それで? おにいさん名前なんていうんだい?」

 

 

 鈴華が話を戻す。彼は満面の笑みで言うのだ。

 

 

「サブロー!」

 

 

 苗字は。

 

 

「もしくはサブちゃんで!」

 

 

 だから本名を名乗れ、と焔は心の中で叫んだ。




閲覧ありがとうございましたー。

>お久しぶりで御座います。さてさてと、まずはなんとご挨拶したら良いかと悩みましたが、やっぱりお久しぶりですというのが正しいかな、と。そして長らくと停止してしまい申し訳ございませんでした。

>一先ず執筆意欲が戻ってきたので書いてみました新章。速度は相変わらず。量も少なくなってしまうかもしれませんが、こうして再開することが出来ました。いやほんと良かった。
ただ大問題なのが、最新刊まで読んだ感想。
最近設定が複雑でよく理解出来ない!やばい!

>とまあまあ、不安いっぱいだけども、あまり気を張らず進めて聞けたらと思います。改めましてよろしくお願い致します。

ではではー


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二話

「ったく、散々なゴールデンウィーク初日だぜ!」

 

 

 日が暮れる頃には燻り始めた空模様に、慌てて孤児院に帰ってきた焔達。帰ってくるなり孤児院の年長組も駆り出して台風対策を施した。そうしてなんとか形になってきた時には、すでに横から叩きつけるような雨が降り出していた。

 

 風は唸りをあげ、門前の枝葉はへし折れている。これは外から物が飛んでくることも考えておかねばならないかもしれない。

 

 

「花壇も植木も滅茶苦茶で植え直し確定だし! 非常食も全滅だ!」

 

「……あのアロエは食用だったんですね、鈴華」

 

 

 嘆く鈴華と、それを慰める彩鳥。そして、

 

 

「いやぁ、災難だったよねぇ」

 

「「なんでいるの!?」」

 

 

 ブルブルと濡れた髪を横着に弾く鈴華に、焔はタオルを投げつけた。次いでお歳暮で貰った新品のものを彩鳥に。自身もガシガシとタオルで水気を取っていると、さも当然のように厨二病行き倒れ少年がそこにいた。

 

 

「え? 僕ずっといたよ?」

 

「は?」

 

「サブロー! 水入ってきたー!」

 

「サブー! さっき積んだ石の城崩れたー!」

 

「よーし! 最終兵器……武ちゃんトンネル開通だー!」

 

「「おー!!」」

 

 

 ドタドタと走ってきたのは、孤児院の子供達。やたら泥塗れでやってきたかと思えば、焔達ではなく得体の知れない眼帯少年を呼ぶ。応えた彼が駆け出すと子供達もどこか楽しそうにそれを追っていった。

 

 

「…………どうなってんだ?」

 

「さ、さあ?」

 

 

 誰か説明してくれと訴えた焔だったが、二人の少女は首を横に振るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんでも彼は焔達についてきた後、子供達と台風対策を手伝ってくれていたらしい。勝手に。

 焔達もそれぞれの作業に手一杯で気付かなかった。

 

 元々こんなボロ孤児院に盗まれるものも無いと、焔や鈴華がいないとき以外は人の出入りに甘いのが浮き彫りになった。

 

 

「出てけ」

 

「そんな殺生な!」

 

 

 焔の一言に衝撃を受けるサブロー。

 

 

「そうですよ先輩。この状況で追い出すのは、流石に夢見が悪いです」

 

 

 このご時世、この日本で行き倒れるような奴だ。帰れる家などあるまい。

 流石に無慈悲だと彩鳥が擁護する。

 

 

「さっすが彩鳥ちゃん! おっぱい大きい子は心も広い!」

 

「今すぐ叩き出しましょう、先輩」

 

「わー待って待って! ごめんごめん!!」

 

 

 一転して据わった目をした彩鳥が、首根っこを掴んで出口へ引きずる。焔より小柄とはいえ異性を軽々引きずる様はぞっとするものがある。

 

 

「あれ?」

 

 

 ふと、彩鳥は何かに気付いたように周囲を見渡す。

 

 

「鈴華はどこですか?」

 

「ん? ……ああ、あいつは学校に行った。食育用の動物達が心配だから見てくるってさ」

 

 

 なんてことはないように答えた焔とは対称的に、彩鳥は驚きに顔を染め上げた。

 

 

「この嵐の中を!? しかも一人で行かせたんですか!!?」

 

 

 いきなり怒鳴られたことに少々焔も驚く。彼女の言い分は真っ当だ。

 外は今や、大の大人はおろか、車でもひっくり返しそうな暴風雨に襲われている。この中をか弱い少女がひとりで出て行ったと知れば誰だって自殺行為だと叫ぶだろう。

 

 普通の少女なら(・・・・・・・)、だ。

 

 さてどう言ったものかと、焔が口を開いたそのとき――――、世界を引き裂くような爆音が轟いた。

 

 

「あー、びっくりした」

 

「今の爆発音……学校から?」

 

釈天(とくてる)さんは! 先輩、釈天さんはどこに行ったんですか!?」

 

「急用が出来て出掛けたまんまだけど……。この天候だし、そう遠くには――――って彩鳥!」

 

 

 携帯を開いて連絡の有無を確認している間に、彩鳥は孤児院から飛び出してしまう。行き先は、おそらく学校。鈴華のもとに行ったのだろう。

 焔は大きく舌をうつ。

 

 

「何考えてんだあのお嬢様は!」

 

 

 壁に掛けてあった合羽を引っ掴んで焔も外へ出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

「あれー? ほむらたちはー?」

 

 

 気付けば置いてけぼりをくらった黒コートに隻眼の少年。

 

 孤児院の子供達が騒ぎを聞きつけリビングへと集まってくる。見れば残っているのは、先ほど知りあったばかりの彼だけだった。

 

 ポツンとひとり寂しく座り込んでいるのかと思いきや、

 

 

「サブロー、笑ってるの?」

 

「んふふふ。いやぁ、随分楽しくなってきたよねぇ! まさかこっちでフェイちゃんに会えるとは思ってもみなかったし。それにあのふたりもすっごく面白そうだ。まるでみんなと初めて会ったときみたい!」

 

 

 座ったまま、落ち着きなく前後に体を揺さぶる姿は中々不気味だったが、子供達はすでに彼への警戒心など皆無で、それどころか変な人だということもしっかり理解していた。

 ユラユラと、体を振るに合わせて揺れる右腕の袖。

 

 

「ねえサブロー」

 

「なーに?」

 

「その左目の眼帯ってなに? 怪我してるの?」

 

 

 年長組のひとりが純粋に案じて投じた質問。

 彼は満面の笑顔で答えた。

 

 

「かっこいいでしょ?」

 

 

 眼帯を外した左目は、怪我の一つもしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそ……くそっ……くそぉっ!!」

 

 

 額から血を流しながら、焔は校舎の廊下を走る。背中には気を失った彩鳥。背中に感じるじんわりと温かい感覚が、今も彼女の腹部の出血が止まっていないことを伝えていた。

 気を失うほどの出血。放置はしておけない。

 その程度のこと焔とてわかっている。わかっていて、重傷の少女を連れ回す理由は背後にあった。

 

 

『GYAAAAAAAAAA!!!!』

 

「なんだってんだあの牛野郎!」

 

 

 頭部に生える二本角。面長な顔。二足歩行――――人と同じ体の機構をしていながら、その様相はまるで違う。細身の下半身の上に、アンバランスな隆々とした上半身が乗っている。見た目違わぬ腕力は、廊下の壁を、床を、まるで発泡スチロールのように破壊する。

 削岩機さながらに迫ってくるあれに焔達が巻き込まれれば、結果は火を見るより明らかだろう。

 

 だが、そうなるのも遠い未来ではない。

 徐々に差が詰まっている。

 

 

(牛の頭に人の体……あれって神話とかに出てくるミノタウロスってやつか? ――――いやいや! どこかの研究所から抜け出してきた化け物の方がまだ現実味がある)

 

 

 違う。今はそんな話をしているときじゃない。

 

 

「お嬢様! 彩鳥!」

 

「っ……」

 

 

 声に応じたのか、僅かに体に掴まる力が強まった。一瞬安堵するも、それで安心し続けられるはずもない。声を出して返事をする余裕すら無いということでもあるのだから。

 

 早く彼女の治療をしなくてはならない。――――が、その為には後ろの化け物をなんとかしなくてはならない。

 単なる人間である焔には、あんな化け物を退治する剣も力も無い。

 

 不意に、焔はあるものを見つけると駆け寄った。

 

 私立宝永大学付属学園。

 

 焔達が通うこの学校は、近隣でも有名な私立大学付属。エブリシングカンパニーが経営に一枚噛んでいるだけあって、あらゆる防衛装置が存在する。特に大学の研究施設棟は、研究成果を守る為にエブリシングカンパニーの研究所と同じ装置を採用している。

 

 

「頼む、動け……!」

 

 

 縋るようにレバーを掴むと、それを下ろした。

 

 途端、校内のあらゆる所から鉄槌を落とすような鈍く重厚な音が響いた。焔が狙った通り、廊下を這いつくばって焔を追っていたミノタウロスの首目掛けて天井から降りてきた防壁が降りた。

 

 

『GIッ!!?』

 

「よし!」

 

 

 厚さ500ミリの特殊複合装甲板。さながら断頭刃のように降りた壁によって、ミノタウロスは動きを止めた。

 本来なら首を落とせるほどの衝撃だが、やはりというか、これほどの化け物となれば動きを止めることしか出来ないようだった。それでも動きは止めた。

 

 焔は彩鳥を抱え直して校舎の外へ。それとタイミングを同じにして、さきほどと同じ材質の防壁が校舎を囲んだ。

 

 

「第三研究所まで行けば治療が出来る。そこから救急車を呼んで、話はその後だ。いいな?」

 

 

 先ほど、焔があのミノタウロスと邂逅する前に見た光景。彩鳥があの怪牛と戦っていた。彼女がミノタウロスの足に傷を負わせていたから、焔達は辛うじて逃げることが出来ていたのだ。

 しかし焔の知る彼女は、間違ってもあんなものと戦える女の子ではない。

 

 訊きたいことは山程ある。――――だがそれよりも今は、彼女の命を救うことが優先だ。

 

 この状況で冷静な判断を下す焔。彩鳥にしても、今そのことを追求されても答えに窮する。故に大人しく焔の言葉に従った。

 

 

「はい。……ですが、先輩……鈴華は?」

 

「言ってなかったが、鈴華は俺なんかとは違う本物の超能力者だ。もし校舎に取り残されててもアイツなら――――」

 

 

 焔の言葉を掻き消すように雷鳴が轟いた。大地が揺れるほどの衝撃。

 閃光に一瞬目をやられた焔が、徐々に回復した視力で見たものは信じ難い光景だった。

 

 

「嘘、だろ……」

 

 

 艦砲すら防ぐ特殊装甲板が、切り裂かれていた。

 

 先ほどの光は雷などではなかった。積乱雲から吐き出されたのは一振りの斧。

 焔の身の丈ほどはありそうな大戦斧。華美な装飾など無い。あるのは中心に嵌めこまれた赤い宝石。しかし、それを見た瞬間、焔は一瞬とはいえ全てを忘れてそれに魅入ってしまった。それほどまでの存在感を、あれは放っていた。

 

 だからこそ、恐怖した。

 

 先ほどの一閃で崩壊した学園。炎の中から歩み出てきたミノタウロスが、大地に突き刺さった斧を掴んだ。

 

 覚悟した。もう逃げることなど出来ない。

 焔は最後の意地とばかりに浅い呼吸を繰り返す後輩を、庇うように抱えた。

 

 

『GYAAAAAAAAAA!!!!』

 

 

 たとえ無抵抗になろうとも、ミノタウロスは容赦しない。咆哮と共に駆け出したミノタウロスは、振り上げた斧を焔達に振り下ろそうとして――――、突如その動きを止めた。

 

 焔の前に立ちふさがったのは、漆黒のコートの背中。大きく十字架が描かれた背に、暴風に激しく靡く右腕の袖。

 

 ミノタウロスの動きが止まった。今更障害の一つ増えた程度で止まる理由など無いはずなのに。

 無力な獲物を前に舌なめずりをしているのか。

 いや、本能のままに襲うこの獣はそんな無意味はことはしない。

 

 なら何故。どうして。

 

 

(なんだ? ……怯えてる、のか?)

 

 

 あれほど荒れ狂っていた怪牛がこうして停止した理由。

焔はミノタウロスの目に見えた感情に疑問を抱く。そして信じられなかった。

 牛の顔から表情など読めやしない。だが、その瞳が僅かに揺れているように見えた。

 

 

『G、GYAAAAAAAAAAッッッ!!!!!』

 

「やめ――――」

 

 

 何もかも遅かった。

 

 何らかの理由で動きを止めていたミノタウロスだったが、雄叫びと共に再始動すると大戦斧を横に溜めた。瞬後、焔が声を出す前に、斧は眼前を通り過ぎていった。無論、そこにいた人物を薙ぎ払って。

 

 

「サブロー!!」

 

 

 数メートルも離れた小屋が崩壊した。土煙はこの雨ですぐに消え、残ったのは瓦礫の山。当然、動くものはいなかった。

 

 今度こそ、ミノタウロスは斧を振り上げた。

 

 ――――そして、それは一陣の風と共に現れた。

 

 

「…………え?」

 

 

 焔は間の抜けた声をあげるしか出来なかった。

 

 その人物は、疾風の如く駆けつけ、特殊装甲板を容易く切り裂いた戦斧を片手で止めた。

 

 ――――だが、焔が素っ頓狂な声をあげた理由は他にある。

 

 自分よりも背丈が高く。鍛えられた背中。

 いつだって、焔の中でその背中は大きかった。何よりも誇らしかった。

 

 牛頭の化け物。

 大地を揺るがす大戦斧。

 

 こんな荒唐無稽な状況をなんとか出来るのは彼しかない。だが、この人だけは絶対駆けつけてこないと思っていた。

 五年前、突然いなくなってしまったのだから。

 

 だけど、

 

 

「――――おい」

 

 

 ああ、でもそうだ。

 見間違えるはずがない。彼の姿を。

 聞き違えるはずがない。彼の声を。

 

 

「テメエ、人の弟に何しやがる」

 

 

 憤怒に染まった声をあげて、逆廻(さかまき) 十六夜(いざよい)は、焔の前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……マジかよ。こうまで他人に振り回されたことなんて俺の人生になかったぞ?」

 

 

 校舎の瓦礫に腰を下ろしながら、天を仰いでぼやく十六夜。見上げた空は、雲ひとつ無い夜空だった。

 

 先ほどまで暴風雨を起こしていた天の牡牛も、大戦斧を振り回すミノタウロスも、さらにカナリヤホームの弟分達までこの場から忽然と消え去った。

 彼等がどこへ行ったのか、十六夜は知っている。だからこそこれは彼には想定外だった。

 

 

「女王よ、全員もれなく箱庭に召喚されちまったら俺はどうやって帰るんだ?」

 

 

 三日前、十六夜はミノタウロスのギフトゲームの最中にこちらへ召喚された。本当ならいずれか箱庭へ召喚される者に便乗してあちらへ戻る予定だったのだが。

 

 途方に暮れるも、それは僅かな時間だった。

 一先ず天の牡牛とミノタウロス、二匹の怪牛が現れた南アメリカでも目指すか、と考えたところで腰をあげる。

 

 さて、(・・)ここからが本番だ(・・・・・・・・)、と。

 

 

「出てこいよ、バカ殿」

 

「――――バレバレかぁ」

 

 

 瓦礫の山の一部が燃えた。

 

 ポッカリと開いた空間に、少年はあぐらをかいて座り込んでいた。

 

 十字架のイラスト入りの漆黒のコート、左目を覆う眼帯、左腕に巻かれた包帯。

 そして、今はその左手に一振りの刀が握られていた。

 

 

「久しぶりだねぇ、十六夜」

 

 

 ふやけた笑顔を浮かべ――――、

 

 織田 三郎 信長は十六夜に斬りかかった。




閲覧感想ありがとうございます。

>前回更新より、ご心配をおかけまして改めて申し訳ございませんでした。そしてたくさんの感想と激励本当にありがとうございました。

>てなわけで二話!一体彼は誰ノブさんなんだと思っていたでしょう?そう、彼こそ信長君だったのです!!
…………知ってましたね。そうですよね。

>厨二っぽい格好をしているのには理由はございません。ちなみに彼の格好の候補としては、昔ながら番長スタイル。もっと昔だぜ殿様スタイル。本当にいるのかオタクスタイル。まさかの女の子スタイル……などなど。
本当に意味はないのでどうしようかなぁ、と悩んでおりました。つまり一番現代でも無難(!?)なスタイルに落ち着いたんですね。

>おまけ。カナリヤホーム台風対策の武ちゃんトンネルは、武田信玄さんのことです。なんか調べてたら信玄さんの治水凄いんだよ、って情報が出てきました。気になる方は検索だ!

>ではでは、次回は十六夜君との激突!?……てな予告をしておこうかな、と思います。それではまた次回ー


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三話

 左手一本で振り下ろされる長刀。

 十六夜は素手でそれを受け止めようとして、刃から漏れ出る火の粉を見るなり顔を顰めて後ろに跳んだ。

 

 空を斬った刃。斬撃の軌跡を、紅蓮の炎が描いた。

 

 

「そーれ!」

 

 

 気の抜けるような掛け声で、しかし放たれるのは冗談ではない火炎の大波。

 空振りした刃を翻して、今度は切っ先を地面に掠らせながら切り上げる。それに合わせて炎の刃が、まるで波のように十六夜を襲った。

 

 

「しゃらくせえ!」

 

 

 一喝。同時に一突き。

 

 十六夜の拳の一突きは、炎の波を消し飛ばすのみならず、周囲の建物を軋ませた。

 

 

「!」

 

 

 懐へ潜り込む影。

 

 炎を目眩ましに、十六夜が迎え撃つのを予測して信長は深く踏み込んでいた。――――だが、読んでいたのは十六夜も同じ。

 大きく振り上げられた右足。

 

 

「やば……っ」

 

「ふんっ!」

 

 

 瞬間、大地が震えた。十六夜の足を中心に、地面が割れた。

 

 

「危ない危ない。蛙みたいにぺしゃんこになるところだった」

 

 

 間一髪躱したらしい信長は、にやけ面は相変わらずで、わざとらしく額の汗を拭っている。

 

 

「……何のつもりだ?」

 

 

 十六夜の質問に、信長は首を横に傾ぐ。

 

 

「なにがー? 僕がここにいる理由? 襲った理由?」

 

「全部だ。ミノタウロスの迷宮のときも(・・・・・・・・・・・・・)邪魔しやがって(・・・・・・・)。――――しかも今度はうちの弟妹分達と一緒にいやがる。何が目的だ」

 

「だってほら、僕魔王連盟のひとりだし? みんなの為にも、競争相手の十六夜は倒さないと」

 

「笑わせんな。その『みんな』とやら――――お前、殺しただろ? 噂になってるぞ」

 

 

 指摘された信長は、薄く笑みを広げた。

 

 

「ちょっとじゃれてたんだけど、やりすぎちゃって」

 

 

 悪びれた様子も無く、隠す気も無さそうに答えた。

 

 信長も名を連ねる組織。彼はその仲間を手にかけている。

 

 それに、と続けて、

 

 

「全員じゃないよ。二人ぐらいかなぁ。向こうから突っかかってきたんだよ? 本当だよ?」

 

「んな、内輪もめの理由なんざどうでもいいっての」

 

 

 魔王連盟の人数が何人減ろうが関係ない。むしろ十六夜にしてみれば減ってくれて大いに結構といった話だ。

 だが、目の前の人物が敵か味方か。

 それだけははっきりさせなくてはならない。

 ましてや、そんな輩を焔達と一緒にいさせるわけにはいかない。

 

 

「変わったね、十六夜。――――いや、変わらないが正しいのかな?」

 

「何の話だ?」

 

「――――まだ引きずってるの? あの三つ首の龍を倒したときのこと」

 

「ッ!」

 

 

 その言葉に動揺した一瞬の隙を突いて、信長は接近。刀を左に薙ぐ。

 

 十六夜は刀を受けない。後ろに跳んで躱す。

 

 

「さっすが。気付いてるんだね!」

 

 

 楽しそうに信長は追ってくる。

 

 今の十六夜に斬撃の類は効かない。その身に宿した獅子宮の恩恵が、あらゆる刃を受け止めるからだ。

 しかし、信長のそれは斬撃にして斬撃に非ず。

 

 

レーヴァテイン(お前の武器)は炎だ。斬撃は無効化出来ても、炎熱の恩恵はそうはいかない」

 

 

 つまり信長の斬撃は斬るのではなく燃やしているのだ。

 拝火教が一柱。炎に耐性があったアジ=ダカーハをして傷つけた魔炎。

 

 いくら十六夜とて、まともに受ければタダでは済まない。斬られはせずとも燃やされる。

 

 

「なまくらかと思えば、存外まだまだ頭は回る。それなのに……。ねえ、そんな生き方してて楽しい?」

 

「なまくらだと……?」

 

「僕はつまらない。つまらないよ、十六夜。本気の君と戦いたい。本気の君を殺したい。もっともっと遊びたい。――――あの時の続きを、僕はやりたいんだ」

 

「何を言ってんだ?」

 

 

 信長の言葉の意味がわからず眉をひそめる十六夜。それに信長は、あからさまなため息をついた。

 

 

「寂しいなぁ。焦がれていたのは僕だけなの? てっきり十六夜も楽しみにしてると思ったのに」

 

 

 がっかりだ、そう言った信長は、レーヴァテインの切っ先を十六夜に向けた。――――否、切っ先ではなく、それは一丁の古めかしい長銃に変わっていた。

 

 

「!?」

 

「つまらないから僕は行くね。今の君と戦うより、向こうの方がよっぽど楽しそうだ。――――ばいばい」

 

 

 伽藍堂の穴から放たれた黒炎。あれは、以前世界の三分の一を滅ぼすとされたアジ=ダカーハの覇者の光輪(タワルナフ)を打ち消したものと同じ。

 着弾させればこちらの世界が致命的な傷を負うことになる。

 

 

「チッ!」

 

 

 十六夜は右の拳を構える。拳に光が収束する。

 斜め上から落ちてくる、世界を終わらせる炎弾を、かつて世界を砕いた拳が撃ち抜く。

 

 衝撃は崩れかかっていた周囲の器物を薙ぎ払い、奇跡的に無事だったものも半壊にまで追いやられた。

 いや、むしろこれだけの被害で済んだことが奇跡だ。

 

 衝撃が収まり、視界を潰していた噴煙が薄まった後には、信長の姿は何処にも見当たらなかった。

 

 

「…………くそ」

 

 

 苦い顔で吐き捨てた十六夜のもとに、その後すぐ御門 釈天が現れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンダーウッド水上都市。コミュニティ、《六本傷》が経営するガーデンレストランに焔達はいた。

 

 ミノタウロスに襲われ、五年も姿を消していた義兄に助けられ、逃げた先でも天の牡牛に襲われ、遂に異世界たる箱庭へ召喚された。

 見たことの無い草木が生え、獣人が闊歩するザ・ファンタジー。向こうでは特殊とされていた自分達がちっぽけに思える不思議が、こちらの世界には溢れていた。

 

 

「――――あ、そうです。この場合はなにも武力で牡牛を倒さなくても良いのです!」

 

 

 こちらへやってきて出会った不思議その一。黒ウサ耳の生えたロリっ子。

 彼女は、こちらへ召喚されてすぐ溺れかかっていた焔達を助けてくれた命の恩人でもある。

 

 

「どういうことだ?」

 

「ギフトゲームで強大な敵を討伐するものは、武力とは別に知恵を絞って戦う方法があるのです! 今回でいえば、相手は牡牛座の化身。例えばミノタウロスならば、その伝承に攻略のヒントが隠されているやもしれません!」

 

 

 焔達がこちらへ召喚されたのは、決して偶然ではない。彼等は――――いや、正確には焔は、あるゲームの参加権を与えられたのだ。

 

 第二次太陽主権戦争。

 

 不思議と超常の力が溢れている箱庭においても、黒ウサギ曰く破格の恩恵を宿すらしい太陽主権。それを奪い合う大舞台に焔は招待されたのだった。

 招待状兼ルールが記された文面を読んで、しかし焔は一時声を荒げた。

 

 焔が与えられたのは、あくまでゲームの予選参加資格。本戦に進むには『黄道の十二宮』、『赤道の十二辰』に属する星獣を一匹以上使役しなくてはならない。

 だが焔にとって見過ごせないのは、このゲームの開催期間。

 この予選にして記された期間は、七年。

 

 焔とてこの異世界に興味が無いわけではない。心が踊らないわけではない。――――が、焔や鈴華がこちらにきてしまったら、彼等の家たるカナリヤホームを守る者はいなくなってしまう。

 

 かつての創立者も、大黒柱だった義兄もいなくなった。

 今、ホームを守っているのは焔達だ。

 彼は己の人生の大半を代償に、彩鳥のエブリシングカンパニーから援助を受けている。焔がいなくなれば必然、援助は打ち切られる。同情的である彩鳥に至っても今はこちらにいるのだ。間違いない。

 

 なんとしてでも帰らなくてはならない。

 

 その為には、まずこのゲームをクリアして、自分達が誤ってこちらへ来てしまったことを主催者に伝え、元の世界に戻してもらわなければならないらしい。

 ならばやる事は決まった。

 

 倒す。

 ミノタウロスを。天の牡牛を。

 

 このゲームをクリアして、孤児院の子供達のもとへ帰るのだ。

 

 

「そうだった。こっちの神様や怪物は、俺達の世界の伝承が形になってる」

 

 

 例えば、目の前の黒ウサギ。

 

 彼女は、今昔物語集に載る仏教説話のひとつ、『月の兎』の末裔らしい。

 このように、ここには焔達の世界の伝承、逸話が元になった神様やら化生、怪物が闊歩しているらしい。

 

 

「それならミノタウロスの伝承をなぞらえれば、ヒントどころか倒せるかも」

 

 

 ぶつぶつと思考を巡らせる焔。そんな彼を見て、黒ウサギは意外そうな顔をした。

 

 

「なんというか、御二人は十六夜さんとは正反対なのですね」

 

「正反対? イザ兄と?」

 

 

 黒ウサギの呟きを聞いていた鈴華が反応する。

 

 

「YES! 実は、十六夜さんのご家族が召喚されるかもしれないと聞いて身構えていたのですが……。焔さん達は、あまりにも優秀なゲストなので。とても優等生でちょっぴり感動してます」

 

「にゃはは。あの人は特別ぶっちぎりダントツで規格外だったからねえ」

 

「ええ、それはもう! 加えて、一緒に召喚されたのも負けず劣らずの問題児様達だったので。黒ウサギの心臓はいつ止まってもおかしくないくらいハラハラドキドキの毎日でした」

 

 

 そう言いながら、しかし黒ウサギの横顔に辛さや悲しみといった感情は一切見えなかった。むしろ楽しそうに、嬉しそうに語る話に、鈴華は一緒になって笑うのだった。

 

 

「私達の先輩? は凄かったんだね」

 

「YES! 北は煌焔の都。南はここアンダーウッドまで。魔王相手に獅子奮迅の大立ち回り! が、同じくらい迷惑を振り撒いておりましたッッ!」

 

「お、おう……。大変だったんだね、黒ウサよ」

 

 

 ウサウサ、と耳を立てる黒ウサギ。

 これは相当な苦労だったのだろう、と鈴華は悟った。

 

 

「けどイザ兄に負けず劣らずかぁ。どんな人達だったの?」

 

「ええと、飛鳥さんというザ・お嬢様と。小柄なのに大食漢の耀さん。それに――――」

 

「おい、黒ウサギ」

 

 

 話の途中だったが、一旦考察を終えたらしい焔が声をかけてきたので中途半端だが話は終わった。鈴華としても今は元の世界に帰ることが最優先なのだから。

 

 

「――――よし、それならなんとか勝ちの目があるかもしれない」

 

「本当!?」

 

「本当ですか先輩!」

 

 

 黒ウサギにいくつか質問をした焔が出した答えに、鈴華と彩鳥が反応を示す。

 

 

「ああ、偶然だが切り札を持ち込めたからな」

 

「……まさか先輩、原典(オリジン)を使うつもりですか?」

 

「それしかないだろ。幸いにもストックはまだある。ひとつなら使っても平気だろ」

 

 

 まだ何か言いたげな彩鳥だったが、焔としては研究材料より、今はゲームの攻略が優先だ。

 

 

「ゲームの攻略については一先ず目処が立った。黒ウサギ、実際俺達が帰る為の方法は何かあるか?」

 

「それならひとつ。皆様を召喚した《クイーン・ハロウィン》と接触するのが良いと思うのです!」

 

 

 焔と鈴華は一瞬首を傾げ合うが、すぐさま思い至った。

 

 召喚のきっかけとなったメール。その差出人のアドレスが、そんな名前であったと。

 

 

「余り表に出る方ではありませんが、一般的には世界の境界を操る女王と呼ばれております!」

 

「世界の境界を操る?」

 

「YES!」

 

 

 ハロウィンとは、西欧に実在した古代ケルト民族による太陽崇拝と収穫祭を祝う催事。彼等は一年を通して輝きを変える太陽の運行に死生観を重ねており、夏から秋にかけて衰え始める太陽が、冬に死に、再び蘇る存在として崇めていた。

 太陽が衰え始める十月三十一日は、世界の境界そのものが不安定になり、祖霊があの世から常世に帰ってくると信じていた。しかし、あちらからやってくるのは、祖霊だけでなく悪鬼羅刹もやってくると恐れた彼等は、自らを化生に擬態することで身を守った。

 

 それがハロウィン。クイーン・ハロウィンはこれが神格化した存在らしい。

 故に、あの世とこの世、境界を与る者なのだと。

 

 

「彼女ほどの御人ならば、帰る手段を知っていると思うのです。そして、幸運なことに、このアンダーウッドでは近日、女王と面会する機会があるのです!」

 

「マジか!?」

 

「アンダーウッドの水は浄水と名高く、中でも朝露の数滴しか取れない水は格別らしいのです。この水が、女王の好む紅茶に良く合うらしく、月に一度使いの方が受け取りにきます」

 

「次はいつ来るんだ?」

 

「明日の夜。上手くいけば女王に御取り成しいただくことも可能でしょう」

 

「ひゃっほー姉弟(ブラザー)! これも日頃の行いの賜だね!」

 

「そうだな兄妹(シスター)! ちょっとご都合過ぎて怖いが、降ってきた幸運は有り難くいただいておこう!」

 

 

 ようやく笑顔が戻った二人に、彩鳥はどこか安堵した顔を浮かべる。

 

 

「方針は決まったらこうしちゃいられないな」

 

「ういさ! 生活費稼がないとね!」

 

 

 拳を突き上げる鈴華。

 

 

「……先輩、鈴華。御二人は参加費の代替になるものは持っているんですか?」

 

「そこはご安心を!」

 

 

 ウサ! 黒ウサギは耳を立てて、

 

 

「御二人は大恩ある十六夜さんのご家族。参加費は黒ウサギのポケットマネーから都合させていただきます」

 

「さっすが黒ウサ! 太っ腹!」

 

 

 衝動的に抱きつく鈴華に、黒ウサギはあわあわと動揺する。

 

 最終的な目標を決め、当面のやる事は定まった。一先ずの金の都合もついたのならば、早速ギフトゲームを参加しようと、先ほど通りがかった出店にでも向かおうとして、

 

 

『ちょっと待ったあああああああああ!!』

 

 

 突如出現する水柱に、一同は呆然とする。

 

 広大な大河に伸びる大きな水柱。さぞ見応えがある。――――あまりにも至近距離でなければ。

 

 

「り、料理が……」

 

 

 あまりにも距離が近かった為、頭上からはスコールのように水しぶきが降り注ぎ、テーブルの上の料理は無残に流されてしまった。

 がっくりと、鈴華が膝をつく。

 

 

「し、白雪様! どうしてこんな無意味ではた迷惑な登場を!?」

 

「格好つけたかったんだろ」

 

「そうですね、先輩」

 

『喧しいわ!』

 

 

 焔と彩鳥の冷めたツッコミに、内心冷や汗を流しながらも黙らせる大蛇の姿をした白雪姫。

 

 実は彼女、焔達が箱庭にやってきて最初に出会った人物でもあり、黒ウサギと一緒に焔達を救出した、実は優しい心の持ち主。

 しかし、白雪姫は晴らすべき恨みをもって今この場にやってきた。

 

 

『貴様、気配が似ていると思ったが、本当に主殿の弟らしいな』

 

「主殿? イザ兄の家族ってなら鈴華もだぞ」

 

「ご飯がー……」

 

『ん? そうなのか。そうは見えんが……。――――まあいい。貴様等が主殿と同郷の者であるというなら、私が受けた数々の屈辱、貴様等で晴らさせて貰おうか!』

 

 

 お断りします、一同声を揃えた。

 

 

『よし! それでこそあの大戯けの縁者よな! これぐらい想定済みだわ!』

 

「いえいえ白雪様。大変言い難いですが、今回ばかりは焔さん達の言い分が真っ当です」

 

『五月蝿いぞ黒ウサギ! それに、いくら主殿の家族だとしても、子供の内から無償で金銭のやり取りをするのは感心せんな』

 

「はうっ!?」

 

 

 最近あの人に似てきた、こんなはた迷惑な登場をした相手に思わぬ正論をぶつけられてただならぬ衝撃を受ける黒ウサギ。

 ここは箱庭。

 力が全てとは言わずとも、生きる術は無償で与えられるべきものではない。

 

 その一点に関して言えば、白雪姫の言い分が正しい。一点に関して言えば。

 

 

『そこでだ。ゲームの経験を積むためにも、この白雪姫が直々にギフトゲームに招待してやろうではないか!』

 

「まあ、俺らとしてはそれは有り難いけど」

 

「それって報酬出るの?」と鈴華。

 

『無論。とっておきの恩恵を用意してやろう』

 

 

 この箱庭で、まだ右も左もわからない中、黒ウサギの知人らしい者のゲームに招待してくれるというならば、焔達には断る理由が無い。

 三人は視線を交わし合って頷く。

 

 

『よしよし。それではゲームの舞台区画まで――――ぶはぁッ!!?』

 

 

 焔達を背に乗せようとしたのか、焔達のいるテラスに頭を近づけようと下げた白雪姫の頭上に、突如弾丸の如き何かが落ちてきた。

 

 再び上がる水しぶき。

 

 目を丸くしている焔達の目の前に、落ちてきたそれは座り込んでいた。

 

 

「あーびっくりした。けどこれが無いと、こっちに来たって感じしないよねぇ」

 

 

 濡れ羽のような髪をさすりながら、彼は何やら小さな声で言っている。

 その人物の登場は、焔にとって驚嘆ものだった。

 

 

「サブロー!?」

 

 

 黒のロングコートに、左目の眼帯、包帯を巻いた左腕。

 外界では厨二病まっしぐらだった見た目も、箱庭ではそう浮いて見えないから不思議だ。

 

 いや、そんなことより、焔は一番に駆け寄った。

 

 

「お前、どうしてここに? 生きてたのか!?」

 

 

 彼は、外界で焔がミノタウロスに襲われたとき庇ってくれた。しかしただの少年に、牛頭の怪物を相手出来るはずもなく、特殊合板を引き裂くほどの無慈悲な一撃に沈んだはずだった。

 

 どうして、何故と思うと共に、それ以上の安堵が広がる。

 

 鈴華、彩鳥とその様子を眺めていた。

 ――――いや、もう一人、それを見ている者がいる。

 

 黒ウサギはまん丸な目で現れた少年を見つめ、

 

 

「え、ええと、焔さん達のお知り合いですか(・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 小首を傾げた。

 

 それにサブローはニッコリ笑う。

 

 

「うん。初めまして、可愛いウサギさん」




閲覧ありがとうございましたー。

>今日はいつもと違う時間に更新です。最近休みなのにお昼まで寝てられないから、朝は運動したり、テレビみたり、時間を潰すのが大変です。

>ほとんど原作通りの説明回になってしまいました。飛ばしてもいいような気もしましたが、焔君達の行動方針が決まる場面ですし、黒ウサちゃん達との仲良いアピールの場面ですし、すっ飛ばすと原作既読者も『あれ?』ってなりそうだったので、微妙にアレンジ入れて書きました。
充分色々すっ飛ばしましたしね。許してくだせえ。

>一週間一回ペースの更新を実現したいですねえ。すでにこの更新は達成出来てないのですが。
でもまあまあ、ゆったり進もうかと思います。

次は第一部で大活躍したあの人(!?)が登場です!!


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四話

 『ギフトゲーム名《ヒッポカンプの水上騎手》

 

 ・参加資格:主催者側が招いた者。

 ・勝利条件:主催者、白雪姫より早く大樹を一周する。

 ・ルール概要:一、参加者側は地図を見て好きなルートを選択してよし。二、主催者側もルート選択は自由だが、海上に頭を上げる際は立ち止まること。三、参加者側は転覆した場合、即座に立て直せばその場で再スタート可。四、ゲーム中は等間隔で相手を妨害することが出来る。

 ・参加者側の勝利報酬:ギフトカードを一枚贈与。及び衣食住の保障。

 ・主催者側の勝利報酬:逆廻 十六夜に今日までの無礼を全て謝罪するよう説得する。

 

 宣誓、上記のルールを尊重し、誇りと御旗の下、ゲームを開催することを誓います。

 

 《ノーネーム》白雪姫 印』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンダーウッド舞台区画、精霊列車の出入り口前。そこが今回のゲームのスタート位置だった。

 

 白蛇、白雪姫とのゲームが決定してから一日が経過している。

 

 彩鳥達が控えている水路の先。アンダーウッドの街は、大規模な観客席やら出店でたいへん賑わっている。どうやら地主達が、ゲームのことを聞きつけて商売に絡ませているらしい。

 なんとも逞しいと、彩鳥は苦笑した。それと同時に、これほどの観客の前だ。不甲斐ない姿は晒せないと気合も入る。

 

 

『ヒヒン』

 

 

 彩鳥の昂ぶりを感じ取ったのか、彼女が跨る海馬――――ヒュトスが一鳴きする。

 ヒュトスは、彩鳥が転生する前に(・・・・・・・)、共に女王のコミュニティに従軍していた特別な海馬である。

 

 本来なら飛鳥に敗北したあの日、記憶を洗い流され外界に転生するはずだった彼女は、どういうわけか記憶を保ったまま久藤 彩鳥として転生を果たした。

 以後、焔のサポートをする為に行動していた彼女だが、かつて最強種をも唸らせた技量は、平和な外界に浸りすぎた為に見る影もない。フェイス・レスとして女王騎士の三席を務めていた頃とは違う。

 

 それでもヒュトスは自分を選んでくれた。気付いてくれた。

 それが嬉しく、そしてこの愛馬に応える為に、彼女は手綱を握ったのだ。

 

 

「ええ、そうですね。お前の期待に応える為にも、二度と負けるわけにはいきません」

 

「――――やあやあ、彩ちゃん。随分気合入ってるねえ」

 

 

 その声に、彩鳥は目を向ける。

 真横につけるように近付いてきたのは、ヒュトスとは別の海馬に跨った焔と同い年くらいの少年。サブローという名の男だった。

 

 彼もまたゲームの参加者。但し、彩鳥達の味方というわけではなく、別枠での参加者だ。つまりこのゲームは、主催者の白雪姫、サブロー、そして彩鳥達の三つ巴という形を取っている。

 

 サブローが近付いてきたことで――――いや、正確には彼の乗る海馬が近付いてきたことで、ヒュトスが不機嫌そうに唸った。

 先日彩鳥達が海馬達の放牧場で訪れた時もそうだったのだが、どうやらヒュトスとあの海馬は仲が悪いらしい。理由はわからないが。

 

 

(先日から気になっていたのですが、あの海馬、ずっと私の方を見ているように感じるのは気のせいでしょうか……)

 

 

 しかも彩鳥の顔よりやや下の方を見ているように感じる。何故か本能的に危険を感じ取ったこれが、ヒュトスがあの海馬を嫌う理由なのかもしれない。

 

 

「サブローさん、先日は先輩と私を庇ってくれたそうでありがとうございました。ですが、今はゲーム開始間際。敵と慣れ合うのは避けた方が良いかと思います」

 

「あれー? そのこと誰に聞いたの? 彩ちゃん気絶してたと思ったけど」

 

「先輩からです。――――それと、その……。そ、その彩ちゃんと呼ぶのはやめてもらえませんか?」

 

「ええーなんで? 鈴ちゃんだって呼んでるよ?」

 

「鈴華は友達同士ですし、それに同性ですから。その、あまり男の人からその愛称で呼ばれるのは恥ずかしいといいますか……」

 

「でも焔が呼んだら嬉しいでしょ?」

 

「なッッッっ!!!!!??!?」

 

 

 顔を真っ赤にして動揺する彩鳥。危うくバランスを崩してヒュトスの背から落ちそうになった。

 

 

「あはは! 本当に面白いねえ。隙だらけの今の君も、凄く可愛くて僕は好きだよ」

 

「……そういう発言は誤解を生むので気を付けた方がいいと忠告しておきます」

 

「誤解なんて無いよ」

 

 

 ジト目で睨みつけても、彼は微塵も臆した様子は無い。美人の怒り顔は、下手な強面よりも怖いといわれるが、大した胆力だ。

 

 

「その、サブローさん」

 

「なぁに?」

 

「初めて会った時から訊きたい事がありました。――――私は貴方に、以前どこかで会ったことがありませんか?」

 

 

 彩鳥は、ずっとこのことを訊くべきか悩んでいた。理由は、この質問自体が変なことであり、また、フェイス・レスであった自分を極力隠そうとしている彼女にとって、それを気付かせる可能性があるものだからだ。

 それでも訊かずにはいられなかった。

 

 ゲーム開始まであと僅か。

 彩鳥は意を決して訊ねた。

 

 

「………………」

 

 

 彼はしばし間を置いてから答えた。

 

 

「もしかして僕、逆ナンされてる?」

 

「ち、違います!!」

 

「冗談だよ、冗談。――――さて、どうだろうね」

 

 

 真面目には答えてくれないだろう、という彩鳥の予想はずばりだった。

 

 

「やはり答えてはいただけないのですね」

 

「そんなことないよ。あ、そうだ」

 

 

 ポン、と彼はわざとらしい所作で手を打ち合わせる。

 

 今度は何を言い出すのか。からかわれても動じないようにと心構えていた彩鳥は、

 

 次の瞬間、背筋を凍りつかせた。

 

 

「剣でも交わせば思い出すかもよ?」

 

「っ!!」

 

 

 その場で剣を抜かなかったのは僥倖だった。一度抜けばそのまま斬りかかっていただろうから。

 

 いや、果たして自分は剣を抜かなかったのか。抜けなかっただけではないか(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「ほら、始まるよ。彩鳥ちゃん」

 

 

 水路を抜けてスタート位置に着く。

 

 荒れた空は、まるで今の自分の心の不安を表しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、焔さん達は随分堅実なゲームメイクをされるのですね!」

 

 

 今回のゲームの司会進行役であり、審判役である黒ウサギはアンダーウッドの屋根を飛び跳ねながら焔達を追走する。

 

 繰り返すように、焔達のゲーム運びは堅実だ。

 

 このゲーム、妨害はありだが、直接プレイヤーに体当りなどの物理的な妨害は無しになっている。となれば基本的な白雪姫の妨害方法は、水神の恩恵を使って海馬の、或いは馬車の足を止めることになる。転覆、座礁辺りだろう。

 

 一方焔達は、安易に小道の水路を通らず白雪姫の位置を把握しながら大通りを進む。水路は街中至る所に張り巡らされているとはいえ、船体が通れるほどの大きさかどうかは地図ではわからない。加えて、妨害があったとき、水路の幅が無ければ避ける事が出来ないからだ。

 選んだルートは工業区画に抜ける道。

 

 最初は、左右から波を起こす妨害。それを乗り切った次は、水柱。

 白雪姫も口ではああ言いながら、初心者である焔達をちゃんと試すように、徐々に難度を上げた妨害を選んでいることには、黒ウサギもひっそり安心した。

 

 そうして次に驚いたのは焔達の対応。いや、正確には、鈴華と名乗った少女の恩恵。

 

 彼女は道中に置いてあったペンキを、近付かずに取り寄せ、またそれを白雪姫に当てたのだ。

 

 

「おそらくは転移系の恩恵……。箱庭でも女王やマクスウェルのような境界を与る者にしか扱えない超レアものですが、外界の人である鈴華さんがそれを扱えるなんて」

 

 

 今度は襲ってきた水柱を、白雪姫に返した。

 

 大きくロスした白雪姫だったが、水中深くに潜って進むと、鈴華の妨害も止んだ。

 どうやら彼女の恩恵は、相手の姿が見えていなければ使えない、或いは精度が落ちるものらしい。

 その証拠に、潜行しながらの白雪姫の妨害に、鈴華は躱すことに使っても反撃には使っていない。

 

 

「おーい、黒ウサの姐さん!」

 

 

 工業区画に一足先に入った黒ウサギは、川沿いから地面に降りると、呼ばれた声に振り返る。

 そこには猫の獣人が二人。

 背の高い、黒ウサギを呼んだ女性がシャロロ。もうひとりの青年と呼ぶにはまだ幼い方が、《六本傷》頭首であるポロロだ。

 

 

「お久しぶりです、シャロロ様。ポロロ様」

 

「ご無沙汰っす」

 

「久しぶり」

 

 

 気安い笑みで返すシャロロ。努めて冷静にポロロも挨拶を返す。

 

 黒ウサギも大きく頭を下げて挨拶する。

 

 

「ゲームは順調ですか?」

 

「YES! 水路にペンキをぶちまけた以外は、概ね」

 

「そりゃ良かったです。六本傷はノーネームに多大な恩がある。――――が、流石にこの工業区画を破壊されたら庇いきれないっすからね」

 

 

 ポロロは周囲をぐるっと見回す。

 

 乾いた笑いで誤魔化すしか出来ない黒ウサギ。彼等ノーネームが誇る問題児達に振り回された者にしかわからない辛苦である。

 

 

「参加者が十六夜の旦那の兄弟って聞いて心配してたんですよ」

 

「いえいえ! ですがその心配はありません! 焔さん達は至って常識人。優等生なのですよ!」

 

 

 ここまでのゲーム展開、加えて黒ウサギ自身が直接喋った印象を二人に伝える。二人も意外そうな反応だった。

 

 

「十六夜さんなら、ゴールまでの道を街を破壊して作ったり。もしくは水路の水を干上がらせて白雪姫様の動きを止めたりしてました。絶対」

 

「ああ、やりそうっすね」

 

「やるな。絶対」

 

 

 三人が遠い目になる。

 

 黒ウサギ達が過去の苦行を思い出していると、シャロロが遠目に焔達の接近を見つける。その際不思議そうな声をあげた。

 

 

「およよ? なんかひとり、見慣れない男の子が混じってないですか?」

 

「ああ、直前にエントリーがあったのですよ。サブローさんという男の子です! サブちゃんさんでも可、だそうですよ」

 

「なんですかそれ?」

 

 

 妙だというのは黒ウサギも同意だが、彼女も彼については上手く説明が出来ないのだ。

 

 このゲームの参加だって、本来なら彼は焔達と同じチームとして参加するか、或いは不参加を示せばいいはずなのに、彼は敢えて白雪姫とも焔達とも別枠として参加したいと申し出た。

 主催者の白雪姫にしても『見慣れぬ童子だが、何故だ。何故か此奴の顔を見ると苛立ってくる』とかいう理由で参加を認めた。

 実際彼女の妨害は、焔達より彼の方が厳しいものが多い。

 

 不思議といえば彼が乗るあの海馬。

 ヒュトスとは別の意味で気難しいあの海馬を、彼は手懐けて乗りこなしている。

 

 あの海馬は、以前のレースで黒ウサギの水着を引剥がしたエロ海馬。

 

 

(そうです。あの海馬を乗りこなせるのはあの方だけのはず……。あれ? あのとき、あの海馬に乗っていた同士は誰?)

 

 

 思い出せない。あの日のレースのことを、黒ウサギはよく覚えているはずなのに、どうしてもあの海馬の主だけは思い出せない。

 黒ウサギのことを邪魔して、最後まで真面目にレースをする気があったのかなかったのかわからない人物。

 

 いや、あの日のレースだけではない。

 

 十六夜達が召喚された日。

 《ペルセウス》とのギフトゲーム。北の地、そしてここ南の地でも一緒に魔王と戦っていたはずの人物。

 十六夜。飛鳥。耀。そして――――、

 

 

「――――黒ウサギの姐さん!!」

 

 

 思考の海に埋没していた意識が、ポロロの声で現実に帰ってくる。

 

 二人が見上げる先を、黒ウサギもその先を見て、驚愕した。

 焔達の進行方向。牛の形をした暗雲が、今にも焔達に襲いかかろうとしていた。

 

 

「あれは、天の牡牛!?」




閲覧、感想ありがとうございます!

>おはようございます、こんにちわ、こんばんわ。皆様お休みはどうお過ごしでしょうか。体調に気を付け、怪我に気を付けながら有意義なお休みでありますように。

>さて4話です。といっても今回それほど進んでおりませんが。この回は前回最後にあった信長君と、既知の人達との関係がわかればいいというだけの説明回です。あと彩鳥ちゃんを赤面させる為の回です(こっちが重要)。

>次回から本格的に太陽主権予選ゲーム攻略に突入、といった感じでしょうか。どうしたもんかと決めあぐねているところも多々ありますが、まあなんとかなるだろうと楽観して進もうかと思います。

>けどとりあえずの希望としては、早く鈴華ちゃんの正体わからないかなぁと。鈴ちゃんとの関係(ご本人様という可能性も含めて)がわからないと、こういった二次創作だと彼女とどう絡ませていいかわからなかったりしますからね。
下手すると大幅に修正しなくてはならないですし。
というか、純粋に早く続き出ないでしょうか。続きが気になって気になってしょうがないのですよ!そして早く一作目主人公三人が揃う姿が見たい!!

>てなてなわけで、こうしてふわふわしたまま続いていきます


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五話

一部変更がございます。

信な……とある厨二病っぽい登場人物の名前ですが、『ノブ』『サブロー』から、『サブロー』一択に致します。
書いていて、特別ふたつも呼ばせる意味が無かったのと、地文で表記に迷ったからです。


 アンダーウッド、地下水脈隠し通路。

 

 焔は、薄暗い道を延々と歩いていた。外では未だ二匹の怪牛が機を窺っているなか、こんな所にひとりでいる理由は、女王、クイーン・ハロウィンに謁見する為である。

 

 ミノタウロスと天の牡牛によりレースはもちろん中止。稲妻に打たれる寸前、鈴華の恩恵で焔と彩鳥はなんとか無事だったが、二人を逃がす為に逃げるのが遅れた鈴華は深い傷を負った。致命傷だったが、幸い、手持ちの原典(オリジン)を投与したことですでに回復している。

 だが、彩鳥に使った分も合わせてこれで二つ失った。

 

 二人は大切な身内だ。使ったことに後悔なんてあるわけない。

 しかし、もし最後の原典を怪牛のギフトゲームをクリアする為に使えば、まだほとんど解明出来ていない星辰粒子体の研究は目に見えて遅れることになる。いや、最悪は研究の打ち切りだ。

 

 こうなってしまっては、あくまで原典使用は最終手段に、出来れば別の方法でクリアを目指したい。しかしホームの子供達の為にも一刻も早く帰りたいのも事実だ。

 

 星獣達が襲ってきたこの大事の最中、女王から焔へ招待状が届けられた。

 焔にしてみれば会わなければならない人物からの招待。不運続きの中の光明だったのだが、聞くに彼女はとても気難しい人物らしい。

 非常事態にも拘らず、風呂に身だしなみにと、小奇麗にしろと口をすっぱく言われた。それこそ、目の前の脅威である怪牛達よりも大事なことだと言わんばかりに。

 それでも最後にポロロは苦々しい顔で、『生きて帰りたいなら逆らうな』という背筋が寒くなるアドバイスを残したのだった。

 

 

「やれやれ、一体どんな奴なんだよ」

 

「可愛い女の子だよ」

 

「――――え!?」

 

 

 独り言のつもりが、応じる声があったことに焔は驚いて飛び退る。

 

 

「サブロー!?」

 

 

 そこにいたのはニコニコと笑う、焔と同い年くらいの眼帯の少年だった。

 

 

「お前、いつからいたんだよ」

 

「ずっとだよ? 後ろからついてきた」

 

 

 ポロロと別れてこの通路を歩いて五分以上経っているのだが、その間ずっと気付かなかったということか。状況の整理とこれからの事に没頭し過ぎたとはいえ、自分の感覚の鈍さに、或いは危機感知能力の低さに自己嫌悪した。

 

 

「いやぁまいったよー。突然雷が降ってきたと思ったら、ヒーさんに身代わりにされて水に落ちるわ流されるわで大変だったんだよー。それで、服を乾かしてたら焔がこっちくるのが見えたからついてきちゃった!」

 

「ついてきちゃった、で済むのかよこれ?」

 

 

 女王の招待状には『西郷 焔を謁見の間に招くように』と書いてあった。人数制限はされてなかったから良い、というのは屁理屈だろうか。

 実際、彼女と面識があるだろうポロロ達は誰一人ついてきていないわけだし。

 

 

「ん? サブロー、お前さっき女王が可愛い女の子って言ったか?」

 

「言ったよー。凄く可愛いって」

 

「知り合いなのか?」

 

「『すいーつ』友達だね!」

 

「……スイーツ?」

 

 

 なんにせよ、彼が女王と知り合いならば連れて行っても問題はないだろう。むしろこれは僥倖。

 気難しいらしいという相手に対し、すでに指定された時間を若干過ぎてしまっている。ならば知り合いらしい彼にとりなしてもらうのが一番かもしれない。

 

 

「――――というか、本当にお前何者なんだよ」

 

「氷の上を滑る子孫を持つ魔王様、かな?」

 

「なんだそれ?」

 

「そんなことより、早く行こうよ!」

 

 

 言われてはっ、とする。確かに、どうにもならなかったとはいえ、これ以上遅れるのは好ましくない。

 

 焔達の進行方向には、一際強い輝きを放つ扉。豪奢なそれを両手で押し開いた瞬間、

 

 

「は?」

 

 

 ガラリと世界が変わった。

 

 頭上から照らされる太陽の輝き。薄い天幕に覆われたそこは、大樹の中でも根の底でもない。そもここはアンダーウッドではない。

 見覚えのない白亜の城の中庭。

 

 

「………………」

 

「ん? どうしたの?」

 

 

 後ろを振り返るとサブローもそこにいた。だが、彼は決して焔の先を歩こうとはしない。

 危険があるから先を歩かせているというよりは、こちらがどのような反応をするのか後ろから眺めて楽しむ為という方がしっくりくる顔だ。

 

 女王に対して助け舟になってくれるかもしれないと思っていたが、どうやら泥船で沈む者を手を叩いて笑う側らしい。

 

 

「連れてきたのは失敗だったか……」

 

「ほら。早く早く!」

 

 

 急かす。しかしやはり、決して先を行こうとはしない。

 

 仕方ないと焔は前を向く。元よりひとりで来る予定だったのだ。それなら最初も後も無い。自分のペースで、自分の思考を信じて進むしかない。

 

 一歩。また一歩と中庭の石畳を踏む。その度に周囲の草花が春夏秋冬を代わる代わる彩る。

 奇跡のような幻想的な風景は、普段であれば心から楽しめたことだろう。

 

 しかし、今はこれほどの業を為し得る人物と会うことに、そして気難しいというその人物の約した時間に遅れていることに、焔は気後れだけでなく、恐れと焦りを覚えていた。

 

 中庭を横断し、目の前の絹のヴェールに手を差し込む。それをまくり上げた瞬間、扉が開き、(・・・・・)再び世界が変わった(・・・・・・・・・)

 

 今度は部屋だ。

 火の灯った暖炉。寝室用のベット。そして部屋の中央を陣取るテーブルの上に、客人を招く為に用意されたティーセット。

 

 窓の外は稲光が見える嵐だった。つまりここはアンダーウッド。戻ってきたということだ。

 

 

「は……はは」

 

 

 その事実を理解して、焔は今度こそ寒気を覚えた。

 

 

(あれほど凄いと思ってた鈴華の物体転移がお遊びに思える日がくるとはな。……俺達なんかとはレベルが違う)

 

 

 女王と名乗る人物は、ほんの余興で世界を渡す転移を行った。

 ハロウィンの化身。境界を与る者。

 ポロロの助言を、今になってようやく理解出来た。

 

 なるほど。これは確かに逆らえば殺されるだろう。

 

 

「ふふ」

 

 

 後ろで笑う声が聞こえる。どうやら彼もしっかりついてきているらしい。

 

 なら、これほどの者と知り合いであるという彼は、一体何者なのだろうかと不意に疑問が浮かんだ。

 しかし今は問いたい気持ちを抑え、何よりもまず女王との対面を果たさなければならない。

 

 焔の目の前には赤い扉と青い扉。謁見の間はまだ先らしい。

 どちらを選べばいいのか。

 選んで進んだとしても、その先はまた別の世界で、正解に辿り着くまで延々と異世界を歩き続けなくてはならないのか。

 

 

「どうやら本当に怒らしたみたいだ」

 

 

 女王にとってほんの意地悪でも、ただの人である焔には致命傷になりかねない。

 

 

「大丈夫大丈夫。お茶目なところはあるけど、意地悪な子じゃないから」

 

「………………?」

 

 

 ということは、これもゲームなのだろうか。

 だとすればノーヒントで運任せなものではないはずだ。

 

 周囲を見渡す。

 暖炉の上にある古時計。当然ながら約束の時間は過ぎていた。――――いや、

 

 

「何か変だ」

 

 

 古時計に近付いてみると、違和感の正体は瞭然だった。

 時計は動いていない。十二時から三分過ぎて止まっている。

 

 三分。その数字が表すのは、

 

 

「俺が遅刻した時間……。てことはもしかして」

 

 

 針に指を当てる。祈りながら、過ぎた長針を押し戻す。約束の時間まで。

 

 

「――――いらっしゃい、西郷 焔」

 

「ッ…………!!?」

 

 

 背後に突然現れた気配に、焔は口から心臓が飛び出る思いをした。

 振り返った先で、今度は呆然とする。

 

 正しく太陽の化身だった。

 

 輝きを放つ黄金の髪。青と緑が溶け合った宝玉のような瞳。

 

 まだこの箱庭のことをよく知らない焔だが、本能的に理解した。

 彼女は神霊などではない。

 

 ケルト神群の太陽の祭事を神格化したものがハロウィン。だが所詮それは、彼女に物質界に干渉させる為に与えられた雛形に過ぎない。

 

 昼と夜。

 生と死。

 

 春夏秋冬を操り、星と星を渡す。

 

 境界を与る者。箱庭三大最強種の一角。

 

 太陽の星霊、クイーン・ハロウィン。

 

 濃密な気配は、ただそこにいるだけで焔の体の自由を奪った。

 

 

「それに貴方まで来るなんて聞いてないわ、ノブ」

 

「美味しいお菓子を見つけたから、是非とも姫ちゃんと食べたくって」

 

 

 ぶす、と女王は顔をむくれさせた。

 

 

「私は女王であって姫じゃないと言ってるでしょう」

 

「可愛いのになぁ。すっごく可愛いと思うのになぁ」

 

「……ならいいわ」

 

 

 いいのかよ、と焔はツッコむことは出来なかった。そんな命知らずな真似など出来ない。

 

 だが、彼女を見た瞬間、まるで鎖で雁字搦めにでもされていたかのような金縛りは、今のやり取りを見てから解けていた。

 

 気付けば女王の目は、焔に向いていた。

 

 

「体はもう自由に動くでしょう? 手間が省けてよかったわ」

 

「は、はい」

 

 

 女王は、手にしたカップを傾ける。

 それで焔は慌てて腰を折った。

 

 

「御初に御目に掛かります、女王陛下」

 

「そんな堅苦しい物言いはやぁよ。せめて女王にして欲しいわ」

 

 

 『姫ちゃんは駄目だけど』と、彼女の視線が一瞬後ろの少年へ向いた気がしたが、焔は敢えて触れなかった。

 

 

「わかった。改めて、初めまして女王。西郷 焔です。それと、約束の時間に遅れてしまい申し訳ありません」

 

「本当に。私と約束した刻限を破って生きているの、貴方で四人目よ。次からは気を付けなさい。――――まあ、どこかの誰かは守ったこともないのだけれど」

 

「あははは。僕の時代には、そんな正確な時間なんてなかったからさー。慣れなくて」

 

「あら? 約束した御茶会を、一ヶ月も忘れてすっぽかしたのはどこの誰だったかしら?」

 

「………………」

 

 

 本気の土下座というものを、焔は生まれて初めて見た。

 

 

「というか、時代? サブローは俺達と同じ時代の人間じゃなかったのか?」

 

「あら? 知らずに連れていたの?」

 

 

 命知らずね、となんとなしに呟いた女王の言葉に、焔は今更ながら、どれほど得体のしれないものと一緒にいたのかと肌を泡立たせた。

 

 

「それは織田 信長よ。箱庭でいえば、今代のというべきなのかしらね」

 

「お、織田……信長!?」

 

「よろしくー」

 

 

 信じられない、と焔は目を瞬かせた。

 織田 信長といえば、日本人の焔からすればそこいらの神様より身近で有名な人物の名前だ。歴史の教科書には必ず載っている。

 

 多くの著書で残虐非道と謳われるあの信長が、目の前の優男だと、言われた今でも信じられない。

 

 

「さて、お馬鹿は放っておいて。――――西郷 焔、席に着くことを許可するわ」それと、と続けて「ノブ、早くしなさい」

 

「何を?」

 

「美味しいお菓子があるのでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、焔は女王にいくつかの質問をした。

 

 元の世界、外界には帰れるのか?

 

 ――――YES。むしろゲームのとき以外は帰ってもらわねばならない。

 

 この箱庭と外界は、何らかの互換関係にある?

 

 ――――概ねYES。但し今回のゲームでいえば、過去の伝承が近代化し再現された結果。問題の根幹は別にある。

 

 ――――今回の一件、本来箱庭は無関係だった。赤道を越える台風も、病害も、飢饉も、全て外界の史実として起こるべくして起こったに過ぎない。何故なら金牛宮の化身が現れる前から、外界ではこの台風が発生していたのだから。

 

 あり得ない。自然界の法則を無視した台風なんて……。

 

 ――――その答えを、貴方はすでに持っている。

 

 それは数日前、焔と釈天が車の中で話ていた内容。自然界のルールでは絶対にあり得ない台風の動き。なら答えはひとつしかない。

 

 この台風には、自然以外の力が働いている。

 

 予想はしていた。だが本当にそうなのか。

 そしてそれが何故箱庭を巻き込んだ事態にまで発展してしまったのか。

 

 その答えは、焔の義兄、十六夜から告げられた。

 

 ――――俺は前にマクスウェルと箱庭で戦ったことがある。そしてそいつは『暖』と『寒』の境界を操る悪魔だった。もし、お前等が研究している第三永久機関(Maxwell drive)に、あの悪魔と同じ能力があるのならば、気圧を操ることが出来るのかもしれない。そしてその人物こそが、この異常気象を引き起こした犯人だ。

 

 その瞬間、焔の頭の中でいくつもの仮説が生まれ、心臓が凍りつくような感覚に襲われた。

 

 いる。焔達以外に、焔の父が残した原典(オリジン)を無くして、星辰粒子体を研究することが出来るかもしれない人物が。

 紛失したと思われていた父の遺品――――星辰粒子体に関する論文を持っていれば。

 

 そしてそれはつまり、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あー……姫ちゃんてば、すっごい楽しそうな顔してる)

 

 

 十六夜とのやり取りの後、吐息がかかるほど近く焔へ這い寄る女王。

 

 瑞々しい唇。透き通るような瞳。

 異性であれば目眩がするほどの美貌を前に、しかし今の焔はそれどころではないくらい心が揺れている。

 

 震える声で、揺れた瞳で焔は再び女王に質問する。彼女はそれを楽しそうに聞き、求められたように答える。

 

 答えが明確になるごとに、真実が見えてくるほどに、焔の顔は傍目にもわかるくらい青くなっていく。

 

 その目をする者を、信長は良く知っている。

 何故なら自分は、かつて多くの者からその目で見られてきたのだから。

 

 

「いつの時代も変わらないもんだねえ」

 

 

 復讐を、仇討を考える輩の目は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満天の星空の下、主のいない迷宮には、少女と青年には僅かに満たない年頃の黒髪の少年がいた。

 

 髪を両端に纏めた美少女は、手にした羊皮紙を見る度に堪え切れず笑いを零し、少年の方はうんざりといった具合で艶やかな髪を掻き乱していた。

 

 

「全く、そう何度も何度も読み返してよく飽きんな、世界龍(クールマ)よ」

 

 

 麻布を羽織った美丈夫は、見た目の年齢にはそぐわない老々とした喋り方だった。実際、その雰囲気は見た目通りの年齢ではない。

 その点でいえば、世界龍と呼ばれた少女もまた、見た目通りのただの人間の少女ではない。

 

 なにせ彼等が呑気に立っているこの迷宮は、あの人喰いミノタウロスの住処なのだから。普通であるはずがない。

 

 

「そりゃそうです」少女はうんうんと頷く「この寒空の下の唯一の娯楽なのですから。――――それより牛魔王、私のことは面倒でも世界王とお呼びください。本名はまだ内緒内緒なのです。クーちゃんでも可です」

 

「じゃあクーちゃんと呼ぼう。――――それにしても、お主にその名をつけたあのうつけ者はどこへ行ったのやら……」

 

「まったくです。ノブ君たら、仮にも仲間を二人も殺して行方を眩ませるだなんて」

 

 

 困ったちゃんです、と頬に手をあてて憂いた表情を浮かべる世界王。

 

 

「見つけたら、キツーーーイお仕置きをしなくてはなりませんね。宜しくお願いしますよ? 牛魔王」

 

「自分でやらんのか……。十六夜と焔の相手だけでも面倒だというのに」

 

 

 件の人物のことを思い出して、牛魔王は疲れたようにため息を吐いた。

 

 

「アレの相手は骨が折れそうだ」




閲覧、感想ありがとうございます。

>さてさて、これにてエンブリ1巻が早々と終わってしまいました。原作者様自身言われているように、説明回だったので、信n……げふん。サブロー君の出番も少なかったです。反省。
………………あ、もう身バレしたので呼んで良いのか。そう!彼こそ信長君だったのです!(どやぁ しかも二回目

>はい、すでに何度も言ってましたね。前のあとがきとかでも。

>十六夜君との小競り合い以外バトルシーンが無かったのも不満でした。やっぱり頭使うより拳とか刀振り回した方がいいですよね!わかりやすいし!

>さてさてさて、という感じで次回から2巻です。2巻導入部は、こちらの5話ラストシーンで使用してしまいましたが。
2巻はミノタウロス攻略戦もとい、褐色美少年攻略作戦の開始です。
驚きでしょう?この二つはイコールで繋がるのですよ?(ネタバレ!)

ではでは、次回もどうぞ宜しくお願い致します。


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二巻 再臨のアヴァターラ
一話


 精霊列車車両最後尾。

 

 

「すっごーい!」

 

 

 今し方、列車を襲った雷撃。しかし列車は、小動もせず走行を続けた。

 

 焔と女王の対談から三日。遂に焔達は行動を起こした。

 といっても、明確な攻略法を見つけて動いたわけではなく、一先ずアンダーウッドから天の牡牛を離すことを目的に、ポロロに掛けあってこの精霊列車を借りたのだ。

 

 

「そりゃあそうっすよ! なんてったってこの《サン・サウザンド号》は、今回の太陽主権戦争での中枢と運営拠点にもなる、ウチのボスの最高傑作なんですから!」

 

 

 我が事のように誇らしげに話すシャロロ。

 

 

「けっさくー」

 

「さいこー」

 

「ばくしょう?」

 

 

 ウッキャー! と、こちらもテンションが高い群体精霊達。

 

 

「これはもう動くお城だね。速いし硬い」

 

「YES!」と、黒ウサギ「本来の用途は貨物運搬なのですが、全体の四十パーセントを金剛鉄(アダマンテイウム)を使った特別製。ちょっとやそっとじゃ壊れません!」

 

「――――でも、攻め手が無いね」

 

「……YES」

 

 

 しょんぼり、耳をしなだれさせる。

 

 サン・サウザンド号は、確かに天の牡牛の攻撃に耐えてみせているが、先ほどから攻撃はしていない。それは天の牡牛に対する有効な攻撃手段を持っていないことの証明であり、また乗組員達も同様なのだろう。

 実際彼等には、魔王クラスと真っ向から戦える力は無い。

 

 サブローの指摘に不安を顔に出す黒ウサギ。

 そこに一際目立つ車掌帽をかぶったシャロロが、愛用の三叉槍を担いで割って入る。

 

 

「霊脈に入って加速しちゃえばこっちのもんっす。超加速した精霊列車に追いつくことは物理的に不可能ですから!」

 

 

 故に今は逃げの一手。

 霊脈に乗るにはシビアな微調整が要る。それを行うには今の速度は速すぎる。しかし天の牡牛を完全に振り切れはせずとも追いつかれることも無い。上手く隙を突いて霊脈にさえ乗れれば、作戦通りならミノタウロスの迷宮までひとっ飛びだ。

 

 腕組みで、えへんと語るシャロロに、サブローは悪気なく笑った。

 

 

「シャロロんちゃんは甘くて可愛いなぁ」

 

「んなぁっ!?」

 

 

 ばっさりな言葉に顎を落とす。

 

 

「逃げるのが悪いとは言わないけど、果たして逃げきれるかな?」

 

「だ、だからこのまま少しずつ距離を離して、霊脈に乗れれば……」

 

「このまま、ならね。――――でも、世の中ってお菓子みたいに甘くはいかないんだよねえ」

 

「残念ながら、そこの殿方の言う通り、甘くはないようです」

 

 

 シャロロの肩に乗っている、列車を運行する精霊とはまた別の存在。

 監視精霊、《ラプラスの小悪魔》――――通称、ラプ子Ⅸはシャロロに天の牡牛とは別の追撃者の存在を知らせる。

 

 

「ここにきて牡牛以外の襲撃者……。どこの物好きっすか?」

 

「まだ距離がある為わかりかねますが、虎の幻獣と騎乗者が一人。物凄い速さで追いついてきています。虎の方は高位の幻獣……いえ、もしかしたら神獣クラスかもしれません」

 

「うへぇ。マジっすか。ということは騎乗者は魔王の可能性も……」

 

 

 最悪だ。星獣と魔王に挟まれるのは最悪な事態だ。

 サブローの言葉の通り、これで呑気に構えていられなくなった。

 

 

「シャロロんちゃん、武器はあるかな? 刀と弓と、あとは槍とか」

 

「え? もちろんあるにはあるけど……どうすんですか?」

 

「働かざるもの食うべからず、ってね。タダ乗りしてるだけっていうのも気が引けてたんだぁ」

 

 

 差し出された武具を装備しながら、サブローは車両の出入り口へ。

 

 

「ちょ、サブローさん! まさか御一人で迎え撃つおつもりですか!?」

 

 

 その行動に慌てる黒ウサギ。六本傷の面々もどよめいていた。

 対して本人だけは、にへらと弛んだ顔でパタパタと手を振っていた。

 

 

「だいじょーぶだいじょーぶ」

 

「ですが! 天の牡牛にはその程度の武具ではダメージは与えられません。それに追ってきている者達だって……」

 

「そうっすよ。ここは車両に乗り込んでくるまで待って、全員で迎え撃ちましょう。最悪、相手が本当に魔王だったらこの最終車両ごと霊脈に入る前に切り捨てれば」

 

「そのことですが、私にひとつ提案があります」

 

 

 警備の都合で最終車両にきていた彩鳥が発言する。

 

 

「おう、どうしたよ巨乳っ子。何か良い作戦でもあるの?」

 

「はい。アレを使ってはどうでしょう?」

 

 

 彩鳥が示したのは、精霊列車唯一の武装といっていい弩砲。

 それにはシャロロが首を横に振った。

 

 

「あー、無理無理。この大嵐じゃあ、甲板にあげたところで落雷に撃たれる。よしんばあげられても当たらない」

 

「鈴華、貴方の出番です」

 

「え? 私??」

 

「貴方自身が砲台になればいいのです」

 

 

 彩鳥の言葉の意味を図りかねて、鈴華を含めて全員が疑問符を浮かべる。

 しかしそれに構わず彩鳥は言葉を続けた。

 

 

「といっても所詮外界の小娘の言葉。全ての策を同時に進めていいかと思います。――――どちらにせよ、時間を稼ぐ必要はあるのですから」

 

 

 彩鳥の鋭い視線に、サブローは薄い笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、白額虎(はくがくこ)とやら。お前の仲間はまだ合流しないのか」

 

 

 そう言葉を発したのは、白毛の虎に跨る褐色肌の美少年。歳は十代半ばといったほどの少年は、その肩に己の身の丈を越える大戦斧を担いでいる。

 彼こそ、怪牛ミノタウロスが、『アステリオス』という名前(ギフト)を取り戻した姿だった。

 

 彼自身は知らないことだが、焔達の学校を襲った際、焔が星辰粒子体の研究の為に飼っていた家畜をアステリオスが喰い、その後出会ったジンという名の少年に、真名を教えられたことがゲームを半ばクリアした形にしたのだ。

 

 己の姿と名を取り戻したアステリオス。しかし取り戻した記憶は完全なものではない。

 それを取り戻す為に、アステリオスは西郷 焔に会わなければならなかった。

 

 動く城塞を追う為に、先ほど名をあげたジンという少年の仲間、白額虎の協力を得てこうして追ってきた。

 だがこの白額虎とやらも彼なりの目的があり、もう一人の仲間を待つという話だったが、一向にそれが現れる気配はない。

 もたもたしていて、このまま逃げられてしまっては元も子もない。

 

 

『致し方ない。あの小娘の小言は後で聞くとしよう』

 

 

 白額虎の方も同じ考えに至ったようだった。

 

 獣の姿でありながら、老成した白額虎の口調。突如加速したと思えば、城塞の横っ腹に突っ込んだ。

 

 

『ぬっ?』

 

 

 しかし、城塞は僅かに大河の線路を脱しただけで、ほとんど損傷は見せなかった。

 

 

『厄介な。どうやらあの鉄の城、金剛鉄で造られているらしい。並大抵の攻撃では破壊どころか止めることも出来んぞ』

 

「ギリシャの至宝で城を作るとは。箱庭には剛毅な輩もいるものだ――――仙虎!」

 

 

 アステリオスの声に反応して、白額虎が眼前に迫っていた刃に気付いて跳んだ。

 側面からの一撃は回避する。

 襲撃者はさらに踏み込んでくる。

 

 

「甘い!」

 

 

 今度はアステリオスが、白額虎の背に跨ったまま戦斧で迎え撃つ。

 金属が打ち合わされる鈍い音。

 襲撃者はあっさり退いた。

 

 この嵐の中、足場の悪い移動城塞の屋根に器用に着地すると、再度跳躍。

 

 

「何者か知らんが、自ら宙空に飛び出すのは自殺行為だぞ?」

 

 

 白額虎により空中でも自在に動けるアステリオスとは違い、襲撃者に足場は無い。このまま撃ち落とせば、名も知らぬ敵は空に投げ出されてそれで決着だ。

 

 

『隙を見せるな怪牛! 来るぞ!』

 

 

 今度はアステリオスの方が、逼迫した白額虎の声に救われた。

 

 襲撃者は、何も無い宙空を蹴って跳躍の軌道を変えた。体を捻った回転斬り。真っ当な剣術というよりは、曲芸のような動きだ。

 

 斧を傘のように頭上に掲げて防御。頭上をなぞるように通過した襲撃者は、今度こそ重力に従って落下していく。追撃をと考えたアステリオスが目で追った先では、落下しながら弓をつがえていた。

 

 一射、二射と放たれた矢は、一本は風に流されあらぬ方向へ。もう一本は白額虎へ届くも、前足の一薙ぎで蹴散らした。

 この嵐の中だということを考えれば充分以上の技量を見せた。

 

 襲撃者は一通りの空中戦をこなし、遂には無事に移動城塞の屋根へ着地した。

 

 

「何者だ、あれは……」

 

 

 いや、アステリオスはあの人物を知っている。

 

 焔の学校を襲ったとき、少女剣士と焔を庇った少年だ。

 そのことを思い出したアステリオスは、ふと己の手を見て驚きに目を開いた。

 

 

「何故俺は震えている……?」

 

 

 指先が、いや体が震えている。

 そうだった。確か初めてあれと対峙したときも、意識も定かでなかったはずのアステリオスは、原因もわからず硬直してしまった。

 

 

『何を呆けている。次が来るぞ!』

 

 

 白額虎の警告に目を向ければ、今度は移動城塞の方に動きがあった。弩砲が甲板から現れた。

 

 

「この環境で弩砲を選んだのは失敗だったな! 仙虎」

 

『おう!』

 

 

 一先ず己の体に起きる異常を忘れ、アステリオスは白額虎の腹を蹴って甲板に突っ込ませる。

 弩砲が出てきたということは、そこに扉と昇降機があるということ。城塞の外壁を崩すのが難しいならば、そこから中に入ればいい。

 

 しかし、

 

 

『ッ……弩砲が、消えた!?』

 

 

 白額虎が振るった爪は虚空を裂いただけだった。先ほどまであった弩砲は、射手諸共消えてしまった。

 

 思わぬ事態に勢い余って甲板を滑る白額虎。金剛鉄の甲板では爪も立てられず勢いが殺せない。

 

 そこへ、再び眼帯の少年が急襲。甲板を意図して滑りながら、勢いをつけて刀を叩きつける。アステリオスがそれを防いだ。

 

 未だ滑る勢いを殺そうと、白額虎は後ろ足で大気を蹴ろうとしたが、その前にアステリオスが腹を蹴って止めさせた。

 

 

「足を止めるな! 囲まれてるぞ!」

 

 

 突如周囲に出現したバリスタの槍の群れ。外れたはずの九発の弾がアステリオス達を囲んでいた。

 

 膂力に任せてアステリオスが眼帯の少年を振り払う。次いで三発、白額虎が一発を撃ち落とす。

 翻ってくる弾が正面から来るよう調整し、今度こそ確実に撃ち落とそうと上空に飛ぼうとする白額虎だが、その前に眼帯の少年が立ちはだかる。

 

 

「そう簡単に逃がさないよ」

 

『クソッ!』

 

 

 空中への退避を妨害されると、そこを再び弩砲のバリスタ弾が襲ってくる。

 それを撃ち落とせば今度はまた少年が仕掛けてくる――――かと思われたのだが、

 

 

「ありゃ? のわああああああああああ!!?」

 

 

 ドンガラガッシャーン、と濡れた甲板の上を見事に滑って壁面へ激突していた。

 

 一瞬呆けてしまう白額虎だったが、好機に気付いて上空へ。バリスタの弾はアステリオスが迎撃し、一先ず安全地帯まで退避することが出来た。

 

 

「いたたたたたぁー……。うーん、僕には平地を滑る才能ないんだなぁ」

 

 

 頭のこぶを擦りながら立ち上がるサブロー。

 

 

「さて、続きをやる? それともこのまま見逃す?」

 

「見逃してやる理由は無いな」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 

 再び空中へ躊躇いなく飛び出してくる。

 この少年が如何なる恩恵を持っているか定かではないが、どうやら白額虎と似た宙空を跳ねる術を持っているらしい。

 それでもこの嵐の中、高速移動している城塞の上を跳ね回るとは正気の沙汰ではない。下手をすれば弾き出されて終わりだ。

 

 

「頭のネジが飛んでいるらしいな」

 

『ああ、コイツは強い。だからこそ遠慮はしない。ここからは――――三人で当たらせてもらう(・・・・・・・・・・・)

 

 

 風の流れが変わっていた。天の牡牛によって起こされていた嵐。その風向きが一点に向かって集中している。その先で、螺旋状に編んだ水流を纏うローブの人物がいる。

 あれが白額虎の仲間であり、この風を操っている術士。

 

 空を自在に駆ける白額虎。

 天候を操る天の牡牛。

 十二星座最強の斧を操るアステリオス。

 そして今、風を操る白額虎の仲間が加わった。

 

 おそらくその実力は、星獣である白額虎と同等。

 こうなってしまえば単なる人である眼帯の少年にはもう勝ち目はあるまい。

 

 転移能力者のサポートがあったとしても、この一瞬、アステリオス達の攻撃が彼を狙う。少なくとも、もう無事にあの城塞に戻ることは叶わない。

 

 ――――そのはずなのに。

 

 

(何故だ……何故笑う!?)

 

 

 少年の顔に恐れはない。

 状況を理解していないわけではない。それでいて、その表情には一片の恐怖も躊躇いも無い。

 

 そのとき、移動城塞から放たれた一条の閃光が、複雑に荒れ狂う気流と水流を掻い潜り、上空の術士の首をはねた。

 

 

『なに……!?』

 

「ふふ」

 

 

 驚愕する白額虎。

 だが、アステリオスだけはそんな中、少年から目を離せないでいた。

 

 まただ。また笑っている。

 

 

「何故笑う」気付けば問いかけていた「助かることがわかっていたのか?」

 

 

 彼は、弾む声で答えた。

 

 

「楽しいからかな?」

 

 

 少年は刀を片手に握り直し、背負っていた弓を構える。空中でありながら器用に矢を番えると放った。狙いはアステリオスでも、白額虎でも無い。首をはねられた、上空の白額虎の仲間の体へ向けて。

 さらに別の方向から。

 先ほど術士の首をはねた銀閃と同じ方向から、同じく矢が放たれる。それもやはり上空の術士に向けられて。

 

 

「ちょいちょい、どいつもこいつも容赦なさすぎでしょ!?」

 

 

 動いた。死体かと思われた体が、はねられた頭部を掴むと向かってきてた矢の雨を躱した。

 

 

「やはり生きていましたか」

 

 

 平然と言ったのは更なる乱入者だった。

 首をはねた銀閃。そして追撃の矢を放った人物。

 

 それはブロンド髪の見目麗しい少女だった。

 

 

「遅れましたサブローさん。鈴華共々、時間稼ぎご苦労様です」

 

 

 剛弓を仕舞い、次に取り出したのは一本の剣。

 それこそ、妖精族の錬鉄術で鍛えられた、彼女の愛剣。

 

 しばしその握りに懐かしさを覚え、顔付きは戦士のそれに戻る。

 

 

「後は引き受けます。どうぞ中へ」

 

「冗談でしょう? こんな面白いこと独り占めだなんてずるいよ、フェイちゃん(・・・・・・)

 

「……ッ!!? 貴方一体どこで」

 

「あれ? 姫ちゃんから聞いてないの? ――――まあいいや。初めての共同作業だね、彩鳥ちゃん」

 

「後で全て話してもらいます」

 

 

 背中を預け合う二人の剣気が、嵐を切り裂いた。




閲覧どもですー。

>さてさてここから2巻突入です。とはいうものの、先の1巻と章を合わせてもいいかなぁ、とも考えております。
まあ、編集するとしたらば一先ず2巻終了してからにするとします。

>と、いうわけで、1巻ラストに引き続き説明が多かったですが、ようやっとバトルシーン書けました!でもまだ信長君がギフトカード取り出していないので本調子とはいえません。
ちなみに補足。信長君は刀と弓と槍と銃が使えます。これは別に特殊な恩恵とかではなく、外界で覚えた技術です。もちろんその技術も神業級のフェイスさんには及びませんが。たまに飛び出る神業はほぼその場限りのセンスです。

>あれですね、書いててなんかしっくりこないなぁと思うのは、第一部は参加者側(挑戦者側)だった信長君が、二部ではまるで一連の謎の答えを知っているが如く立ち振舞をさせているからだと気付きました。つまりあまりふざけられない!!

だからもっと、黒ウサギさんと彩鳥ちゃんの弄られポンコツ可愛いコンビと絡ませなくては!(使命感)

>ではでは、次話はどこまで書きましょうか。どうしましょうか。
ルートが別れるのでどちらに行かせるか迷ってたりします。
原作既読の方もそうでない方も、楽しんでいただければいいなぁ、と願いつつ頑張ります。


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おまけ(学園編4)

 緊張のあまり黒ウサギは扉の前で固まっていた。

 

 

「落ち着いて。落ち着くのですよ黒ウサギ」

 

 

 すーはーすーはー、と深呼吸を繰り返す。その度黒のスーツに包まれた彼女の豊満な体が、主に胸が強調されるように動いているのだが、幸か不幸か今は見ている者はいない。

 

 もちろん、見られることで羞恥心に駆られることが無い黒ウサギが幸で、それを見られなかった欲望の塊達――――例えばここの和装ロリの学園長とか――――辺りが不幸だ。

 閑話休題。

 

 去年は別の学校で副担任として勤めていた黒ウサギ。

 田舎も田舎。都会とは程遠い辺境にある小さな学校で、全校生徒合わせてようやく一クラスといった今にもどこかに統合されてしまいそうなところだった。

 将来に胸踊らせ、夢に燃える若者なればこそ敬遠してしまいそうな職場。

 しかし彼女は違った。

 

 可愛くて、真面目で、熱心で。いつだって誰かの為に頑張る彼女は、教師、生徒問わず大人気の教員であった。また周囲も、彼女に引っ張られて活気を取り戻していた。

 しかしある日、その学校は何者かの手によって半壊させられた。犯人はこの地域で有名な、頭が三つある龍のエンブレムを持つ暴走族だった。

 

 幸い事件があったのは世間的には春休み。怪我人などは出なかった。

 だが建物を修繕し、再び経営する余力は、すでにその学校にはなかった。

 

 卒業前だった生徒達はそれぞれ近くの学校に編入し、教員達も皆校長の伝手で新しい職場に就くことが出来た。

 急なことであったはずなのに、それを為し得たのは間違いなく校長の人望あればこそだった。

 

 

「ジャック先生、黒ウサギは頑張ります!」

 

 

 かつての恩師に誓う。そして新学期前に最後に集まったお別れ会で生徒達に貰ったブローチを握って勇気を貰う。

 

 今日から自分はこの学園の先生。しかもいきなり一人で挨拶だ。

 なんでも去年このクラスを受け持っていた人物が病気で倒れたらしい。結局戻ってくることは叶わず、新学期の幕をひとりで開けることに相成った。役職としては副担任だが、実質担任としてやっていかなくてはならない。

 

 いきなりの大役だ。

 だが、負けるわけにはいかない。怖じけるわけにはいかない。

 そんなことではみんなに笑われてしまうではないか。

 

 

(行きます。行きますよー。イチニのウサギ! で行きます!)

 

 

 うさうさ! と耳に力を入れて、心の中でカウントを始める。

 

 

(イチ、二の……)

 

 

 ――――ドオオオオオン!!!!

 

 

「ウサ……えええええええええええ!!!???」

 

 

 引き違い戸の黒ウサギが立っていたのとは逆側のドアが吹き飛んだ。比喩ではない。吹き飛んだのだ(・・・・・・・)

 

 わけがわからずガタガタ震える黒ウサギ。

 すでに無くなった扉。中の景色は嫌でもよく見える。

 

 見れば、ガラの悪そうな体格がやたらといい鷲のような龍のような顔をした青年と、その取り巻き数人がふたりの男の子を取り囲んでいるではないか。

 

 

(……はっ! こ、こここれはもしやイジメというやつですか!?)

 

 

 とても治安の良かった前職場では縁のなかった学校の暗部。まさか新しい職場で一日目にして直面する羽目になるとは。

 

 

(恐ろしい……恐ろしいところなのですよ都会は!)

 

 

 ちなみに、別にここも都会というわけではない。

 

 

(ですが私は教師。今日からこのクラスの先生なのです! 止めねばなりません。行きます。行きますよー。イチニのウサギで――――)

 

 

「どーん」

 

「ぐはあああ!!?」

 

 

 再び、黒ウサギの真横を人の塊が飛んでいった。

 

 

「ま、まだ何も言ってないのですよー!! というか、あれ?」

 

 

 せっかく振り絞ろうとした勇気を蔑ろにされて涙ぐむ黒ウサギだったが、ようやう彼女は異変に気付く。

 吹き飛んできたのは取り囲んでいる方の少年達だと。

 

 一気に取り巻きが減ったが、最初に目についた体格の良い少年はまだ残っている。

 腕を組んで笑っている。

 

 

「フン、今日こそ貴様のような猿と、最高血統種である――――」

 

「ふぁいやー」

 

「熱ッッッ!!? 貴様やめ」

 

「はいどーん」

 

「ぐっはあああああああああああ!!!!」

 

「ひいっ!?」

 

 

 まだ何か言っている最中だった青年は、先の取り巻きの子達の二の舞いとなった。廊下を突き破って共々プールに落ちた。

 

 

「あーあ、またグリフィス先輩やられてるよ」

 

「懲りないなぁ」

 

「今日は焼き鳥にされたね」

 

「敵うわけないんだからやめとけばいいのに」

 

「根性あるよねー」

 

「いやいや、マゾなんじゃないの?」

 

 

 なんか散々な言われようだ。

 すでにこのクラスでは今の光景は日常の一部で、強面だったさっきの青年に恐れは無いらしい。

 

 

「ふっふっふ。これぞ僕の新武装《レーヴァテイン》!」

 

 

 さっき『ふぁいやー』とか言ってた方の少年。長い黒髪を後ろで縛った童顔の男の子。先端にライターを取り付けた殺虫剤――――※絶対マネしちゃだめ絶対!――――を自慢気に掲げている。

 

 

「こっち向けんな、危ねえから。――――ん?」

 

 

 こちらはなんか適当な掛け声で鷲龍一段を殴り飛ばしていた方。ヘッドフォンを着けた金髪の少年は、隣りではしゃぐ少年を諌めていると、ここでようやく黒ウサギと目があった。

 

 

「お、アンタ新しい先生か? へー、すっげえ美人だ。そのスーツが大変エロい。大変よろしい。ありがとうございます」

 

「いきなりのセクハラ!? 都会は子供までませているというのは本当だったのですね! けど黒ウサギは負けません!」

 

「へえ、黒ウサギって言うのか?」

 

「黙らっしゃい!」うさうさ、と怒りに耳を逆立てる「兎に角、即刻席に座って下さい!!」

 

「席に?」

 

「YES! それから黒ウサギの初仕事! お説教が始まるのです!」

 

「そりゃ無理だ」

 

「まさかの拒否ですか!?」

 

「俺クラスが違う」

 

「早く教室に戻りなさい!!」

 

 

 スパーン、とこれより未来幾度と無く鳴り響くことになるハリセンの第一音が響くのだった。

 

 

「ということは、僕が黒ウサちゃん先生に怒られる記念すべき生徒第一号!? やったね」

 

(ジャック先生、黒ウサギはこのクラスでやっていけるでしょうか……?)

 

 

 こうして、黒ウサギ先生の波乱しかない日々が始まった。




閲覧ありがとうございますー。

>たまにこうした息抜きが無いと生きていけません。

>あまりにも唐突なおまけでした。安心してください。次回更新は本編です。

>このおまけには深い意味も浅い意味もありません。ただただ本能のままに書いていますので(執筆時間30分)。でも決して原作の設定は壊さないという、この狂気が執筆意欲を掻き立てるのです!

>ちなみに学園編信長くんの装備は以下の通り。

・レーヴァテイン(殺虫剤&ライター)→没収
・レーヴァテイン(割り箸鉄砲)→すでに何丁も没収されているがすぐに作ってくる
・レーヴァテイン(なんか適当に長い棒とか)→没収とかもう無理


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二話

 四方八方から飛んで来るバリスタの弾を、アステリオスは片っ端から叩き折って落とす。

 彼が跨る白額虎、途中参戦してきた少女――――申公豹(しんこうひょう)も、それぞれ弾を迎撃する中、アステリオスは冷静に戦況を見極める。

 

 

「敵に空間転移の恩恵を授かる者がいるのは明白。射程は約百二十メートル。弾そのものを飛ばしているというよりは、発射した弾を飛ばしているようだ(・・・・・・・・・・・・・・・)。足を止めれば急所を射抜かれるだろうが、タネが分かればどうということではない」

 

 

 むしろ、アステリオスにとっては先ほどの事の方が問題だった。

 

 途中からやってきた白額虎の仲間、申公豹は、先ほど大規模攻撃をあの要塞に放つつもりだった。他の者はどうでもいいが、アステリオスの失われた記憶を呼び起こす鍵であろう人物、西郷 焔だけは殺させるわけにはいかない。

 場合によってはあの瞬間、白額虎諸共消し飛ばさなくてはならなかった。

 

 

「そうだ。転移の恩恵者はこの際もう敵ではない。今はそれよりも――――」

 

「――――はあっ!」

 

 

 剛槍が風を穿ち飛んでくる。顔を逸らしてひとつを躱すも、追撃にもう一本。

 

 

『させん!』

 

 

 大気を掴んで白額虎が左に駆ける。

 

 二本の剛槍を操るは少女。細身の体。可愛らしい顔に似合わぬ大振りな武器。

 しかし、その槍捌きは見事という他無い。

 

 白額虎は少女の背に回る。空中で体を捻る彩鳥。振り返った彼女の手には、引き絞られた剛弓があった。

 風を穿つ一矢を、白額虎は己が歯で受けた。

 

 

「突っ込め仙虎!」

 

 

 アステリオスの指示を受けて白額虎は駆け出す。真っ直ぐ彩鳥へ。

 射程に入ると戦斧を振り上げ、落とす。

 

 すでに少女の手には第三の武具があった。

 白銀の剣。

 

 構わず振り下ろしたアステリオス。

 彩鳥は剣を縦に構えて受ける。――――否、いなした。

 

 鈴の音のように澄んだ音だった。

 

 まるで抵抗もなく、アステリオスは虚空に向かって斧を振り下ろしていた。

 

 

「終わりです」

 

「お前がな!」

 

 

 横薙ぎに構えた剣を、彩鳥は即座に背後に向けて振るった。

 

 申公豹が放ったのは風の弾丸。彼女の周囲を衛星のように回る宝珠は、《開転珠(かいてんじゅ)》と呼ばれる中華神話に出てくる武器型の恩恵。宝貝(パオペイ)である。

 流体を操る宝珠は、可視化するほどの密度で風を纏っている。

 

 

「さっきは絶技を見せてくれてありがとう。驚きすぎて思わず首が飛んだよ。お返しだ吹っ飛べ首切り騎士!」

 

 

 空中にいる彩鳥へ六つの宝珠が殺到する。

 

 その一つが、横合いから撃ち落とされた。

 

 

「あれ? 斬れないや」

 

 

 サブローが刀で宝珠の一つを斬るも、切断には至らず。ただ彩鳥への軌道から逸れた。

 

 

「ハッ! そんなもので僕の開転珠が斬れるかっての。それにひとつぐらい落としたって……」

 

「いいえ、ありがとうございますサブローさん。その一つが邪魔でした(・・・・・・・・・・)

 

 

 言うや彩鳥の持つ剣が半ばから折れる。――――いや、折れたのではなく分かれた。

 

 蛇腹剣。

 

 文字通り蛇のように、一本のワイヤーのようなものに連なる刃の群れ。

 

 だが、それでも申公豹は余裕を崩さなかった。

 今更彩鳥の腕は疑わない。

 この嵐の中であろうと、踏ん張りの効かない空中であろうと、彼女の剣は過がたず宝珠を捉えるだろう。しかしそれまでだ。

 あの剣に、宝珠を落とすだけの剣圧は無い。

 

 弾かれ終わる。――――そう思っていた申公豹は、その両目を見開いた。

 

 たった一つ。

 彩鳥の剣は、たったひとつの宝珠を撃った。

 

 途端、その一つが隣りの宝珠に。またその宝珠が別の宝珠に。

 連鎖する同士討ち。

 結果、彩鳥は無傷で宝珠の弾丸を突破した。

 

 

「そんな出鱈目……ッッ!?」

 

 

 ゾクン、と申公豹は首筋に嫌な感覚を得た。

 

 背後には、腰だめに刀を構えるサブロー。

 

 

「もう一回首を飛ばしても生きてられるのかな?」

 

 

 一閃。抜き放つ。

 

 刀は振り切られた。しかし、振り切った刀は、半ばから折れていた。

 

 サブローと申公豹の間に割り込んだ白額虎。その牙は、刀身の半分を咥えていた。

 

 

「首とは言わん。両断してやる」

 

 

 白額虎の背に乗るアステリオスが振り上げる大戦斧。

 サブローが折れた刀を投げつけるも、アステリオスは片手でそれを払い退ける。

 

 その一瞬によって、旋回してきた蛇腹剣の切っ先が間に合った。

 

 

「チッ!!」

 

 

 アステリオスの右目に喰らいつこうとする剣先を、体をそらして回避する。おかげで攻撃動作は中断せざるを得ない。

 

 

(――――強い)

 

 

 素直に、アステリオスは評価を下した。

 

 少女の方とは、アステリオスがミノタウロスと化していた状態で一度戦っている。しかし今はそのときとは比べ物にならない強さを見せている。

 

 一方で、眼帯の少年の方はというと、よくわからない。

 

 強い。それは間違いないはずだ。

 彩鳥が来る前までは、彼がたったひとりでアステリオスと白額虎を相手取っていたのだから。

 しかし、それだけではない気がする。

 

 ただ強いだけの少女には無い、得体のしれない何か。

 

 そう、アステリオスの本能は、人の業を越える絶技を見せる少女よりも、この少年の方を警戒しろと騒いでいるのだ。

 

 

「この疑問も、この記憶を取り戻せば解けるのか……」

 

『どうした怪牛?』

 

「いや、なんでもない」

 

 

 答えながら、アステリオスはもう一本の斧を顕現させた。疑似神格(プロト)・星牛雷霆(・ケラヴノス)よりも小さい。元々、こちらは戦いの為のものではないのだから仕方がない。

 

 

「んー? どうかしたの?」

 

 

 動きを止めたアステリオス達へ、申公豹が疑問に思って近寄ってくる。

 

 

「西郷 焔が俺の答えを持っているなら、このまま逃すわけにはいかん」

 

 

 移動城塞の屋根に立つ二人の敵を見下ろしながら、アステリオスは顕現させた両刃斧(ラブリュス)を虚空に突き刺し、捻った。

 

 瞬間、七色の光が溢れでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……!」

 

 

 アステリオスは虚空を斬った瞬間、視界は七色の光に埋め尽くされた。

 回復した視界で彩鳥が最初に見たのは、眼下の浮遊島。大嵐の中、大河を走っていた精霊列車は今や宙空に放り出されていた。

 間違いなくアステリオスの仕業だ。

 彼のラブリュスによって、彼のゲーム盤に引き込まれた。

 

 敵地に呼び込まれたものの、これで彩鳥達の解答は、半分以上当たっているということが証明された。

 後はミノタウロスを倒せばゲームはクリアされる。

 

 

「っと、わわわ!?」

 

「サブローさん! ……くっ!?」

 

 

 走るべき道を失い、ただ落下する精霊列車。当然、屋根の上にいた彩鳥達も足場を失う。

 彩鳥は咄嗟に甲板の突起に掴まることが出来たが、運が悪いことにサブローは外へ放り出されてしまう。

 

 蛇腹剣を伸ばして救出させようとする彩鳥だったが、そこへ白額虎とアステリオスが襲いかかる。仕方なく迎撃する間、もうひとりの敵はサブローへ向かっていた。

 

 

你好ー(ハロー)你好ー(ハロー)。君達のせいでそろそろ僕のフラストレーションも溜まりまくりだよ。だから――――」

 

 

 サブローの腹部を中心に、宝珠が三つ集まる。

 幼い顔は、残忍な笑みを浮かべた。

 

 

「吹っ飛べ」

 

「っ……!!?」

 

 

 大気を極限まで圧縮した宝珠が連鎖的に爆発した。

 

 落ちていく精霊列車から離されるように、ひとりサブローは迷宮へ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……駄目だ。開転珠は完全に奪われてる」

 

 

 完全に迷宮へ落下した精霊列車から少し離れた岩陰で、申公豹は肩を落とす。

 少女の周囲を衛星のように回る宝珠は四つ。当初七つあったので、三つ足りない。

 

 三つの開転珠は、鈴華によって奪われた。彼女自身知らなかったことだが、空間転移で手元に転移させた恩恵を奪うことが出来るものだった。

 それによって精霊列車も、なんとか地面に降りることが出来た。

 

 

『女王騎士だけでも厄介に過ぎるが、特殊な空間転移能力者とはな』

 

「これだけ隠れる場所があると、宝具を扱う僕には天敵だなぁ」

 

『私も、あの女王騎士とは相性が悪すぎる。――――ん? おい申公豹、あの怪牛はどこに行った?』

 

「へ?」少女は小首を傾げる「さっき僕を咥えて逃げたとき飛び降りたけど?」

 

『なに!?』

 

 

 勝手にさせれば、という顔をする申公豹だが、白額虎は怒鳴りつけた。

 

 

『何故言わなかった! 我等の任務はあれを確保しておくことなのだぞ!』

 

「ええっ! 僕聞いてないんだけど!?」

 

『ホウレンソウが出来ぬ奴ばかりか!』

 

 

 一人嘆く虎。否、一匹。

 

 ふー、と気を落ち着かせるように息を吐く。

 

 

『先ほどの影が《影の城》だとすれば、あれも女王騎士のひとり、おそらくスカハサに間違いない。我等だけでは戦力に不安があるが、他の面子を呼んでいる暇が無い以上、今すぐ我等で捜しに――――』

 

「その必要はないわ」

 

 

 二人の前に黒い風が渦を巻く。雲散して現れたのは、斑模様の服を着た少女だった。

 

 

「あ、ペスト」

 

『必要無いとは?』

 

「そのままの意味よ。誘導ご苦労様。もう帰っていいわ。このままいたら巻き込まれるわよ――――本当のミノタウロスの戦いに」

 

 

 ペストがそう口にした瞬間、迷宮そのものが揺れだした。かと思えば今度は、迷宮を形作る白亜の岩塊が変形を始め、やがてその形は巨大なミノタウロスを形作ったのだ。

 

 

『なるほど。本当のミノタウロスはあの童子ではなく、この王墓そのものだったというわけか』

 

 

 ゲームの謎を理解して頷く白額虎。

 道中共にしていた間、アステリオスの異常はこれが答えだったのだ。

 

 はたして、白額虎達の主はどこまで気付いていたのか。兎も角こうしてペストが迎えにきた以上、もうこのゲームに干渉する必要は無いのだろう。

 

 

「あーあー、宝具は奪られるし、あの首切り騎士には仕返しし損ねたし。損ばっか」

 

 

 両手を後頭部に当てて不貞腐れる申公豹。

 

 

「戦果といえば、よくわからない眼帯男を殺しただけかー」

 

「あれがあの程度で死ぬはずないでしょう?」

 

「へ?」

 

 

 『あら?』と、申公豹の発言にペストが声を挟む。

 

 

『どういうことだ? お前はあいつが何者か知っているのか?』

 

 

 怪訝に問いただす白額虎。

 やがてペストは、得心がいったように頷いた。

 

 

「ああ、そういえば貴方達はアイツがあの眼帯をつけてから会ってなかったかしら。――――まったく。いっそ本当に粉々にしてくれれば良かったのに」

 

「???」

 

 

 何やらいきなり不機嫌な仲間の少女に、申公豹と白額虎は顔を見合わせて首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 芭蕉扇を肩に預けて、牛魔王は十六夜が飛んでいった方向を見やる。

 

 

「本当なら俺も駆けつけてやりたいが、焔達にはまだ合わす顔がないんでな。後は頼んだぞ、十六夜」

 

「終わりましたか? 牛魔王」

 

 

 ふわりと、柔らかな風と共に傍らに降り立つ少女。その頭部には立派な龍角。何より、ただの少女にはあり得ない巨大な霊格は、牛魔王すら凌いでいた。

 純血の龍種。

 箱庭の最強種、その一角が彼女の種族である。

 

 

「ああ。もう用は済んだし、俺達もここを出――――」

 

 

 ドオオオオオン、と空から何かが落ちてきた。

 

 

「うわー。やーらーれーたー」

 

「あらあら」

 

 

 砂塵が舞う落下地点。そこから聞こえてくる声に、少女は愉しそうに口端を歪め、牛魔王は顔を顰めた。

 やがて、砂塵は収まり、そこには一人の少年が寝転んでいた。

 

 

「あれ? 誰もいない」

 

 

 巻き上がった粉塵から考えて、よほどの高さから落ちてきたであろうに、少年はケロリとした顔で上体を起こして周囲を見回していた。

 ふと、その視線がこちらと合う。

 龍種の少女を見るなり、ぱあ、と顔を明るくした。

 

 

「初めまして可愛い女の子! 僕はサブロー。是非お友達になりましょう」

 

「ふふふ、相変わらずですね。ノブ君(・・・)

 

 

 牛魔王はポリポリと頭を掻いた。そしてチョイチョイ、と左目を示した。

 

 

「お前、俺達の前で一度眼帯(それ)外しているだろうが」

 

 

 初めはきょとんとしていたものだったが、牛魔王に言われて彼はニヤリと笑う。

 

 

「あ、そうだっけ?」

 

 

 その周囲を焔が巻く。

 

 それなりに距離があって、尚肌が炙られるような灼熱。

 臙脂色の炎が半ばから裂け、再び姿を現した人物は、その装いを変えていた。

 

 赤い衿の見える白の着物。片腕の袖だけ通された緑色の羽織。

 遊ばせていた濡羽色の長い髪は後ろで括られ、左目の眼帯と、隻腕に巻かれた包帯だけは変わらなかった。

 

 ――――信長は、隠蔽の恩恵を宿した眼帯を外すと、柔らかな笑顔で二人を見つめた。

 

 

「こんにちは。クーちゃん、ウッシー」

 

 

 《天下布武》とはためく旗印。

 

 第六天魔王、織田 三郎 信長。




閲覧どうもでしたー。

>さて皆さん、ご報告したいことがあります。緊急事態です。

実はこれでほぼ2巻まで終わってしまった。
実はこれでほぼ2巻まで終わってしまった。(二回言った)

>皆様、信長君がサブローくんだった謎に対して色々な想像ありがとうございます。正解は眼帯の恩恵という……もうなんかみんなの予想の方が立派過ぎて恥ずかしがりながら最後書いてました!!
なにそれ、『縁を焼く』とかちょっとかっこいいじゃないですか!!!!

>まあでもでも、信長君としては黒ウサギ始め、可愛い女の子との縁を永遠に切るというのは発狂ものなので、一時的なものが必要だったわけですよ。
ちなみに、眼帯の詳細とかは次回にします。多分。

>てなわけで話は戻りますが、これでほぼほぼ2巻まで終了なのですね。まあ、ミノタウロス話は一巻からの続きですしね。天の牡牛に関しちゃ原作でも絶賛続行の問題なのですが。
さてさてどうしたものかな、と。

>とはいうものの、原作既読の方は知ってらっしゃるでしょうが、とりあえず現行3巻までなら追いついてしまって平気そうなんですよね。最後の〆的な感じが。
なので一先ずそこまでいっちゃいましょーってな感じです。
何より3巻からは、遂に第一部のアイドルのあの人が……!!可愛すぎるぜちくしょうが!!

>信長君の新衣装は、色合いは教科書に載ってる本物様の格好です。ただ本当は羽織ではなくて、裃(かみしも)。
子供っぽい彼には似合わないので羽織に変更しております。

>原作を微妙に改変したのは、ゲーム盤招待までのタイミングと、十六夜君ふっ飛ばしからの焔君達との合流の時間差と、あとはクーちゃんがゲーム盤離脱のタイミング。
クーちゃんと少しお話させたいが為にそこは変更しました。


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三話

「ふんふふーん♪」

 

「その眼帯……」

 

 

 信長が外した眼帯。見た目は何の変哲もないそれに、牛魔王は鋭い視線を向ける。

 

 

「付けている間、周囲の自分に関する記憶を思い出させない……認識阻害の恩恵が宿っているな。原理としたらペルセウスが持つハデスの兜に似ているか」

 

 

 ハデスの兜。

 

 透明化することが出来るこのギフトは、実際に消えているわけではない。完全に消えるならばそれは透過であるからだ。

 つまりハデスの兜は、装備者を消しているというよりは、周囲の意識を欺いているといえる。

 

 

「一度外すところを見られるか、視覚以外で見破られればそれまでのようだがな。――――貴様、それをどこで手に入れた?」

 

 

 牛魔王が知る限り、信長はこのような恩恵を宿したモノ持っていなかった。ましてや作る技術も無いだろうに。

 牛魔王達が信長を認識出来たのは、一度彼が目の前であの眼帯を外すところを目撃していたからだ。

 

 ちなみに、十六夜も以前にミノタウロスの迷宮攻略中、乱入してきた信長が自ら眼帯を外していたから再び欺かれることはなかった。

 

 

「――――まあまあ、牛魔……ウッシー」

 

「おい、その呼び方は勘弁してくれ」

 

 

 世界王を名乗る少女は、クスクス肩を揺らす。

 

 

「いいじゃないですか。久しぶりの同士との再会ですよ?」

 

「同士、か」

 

 

 胡散臭いものでも見たかのように、牛魔王は胡乱げに信長を見やる。

 

 

「信長よ、お前随分己の名を貸しているようだな? 《アヴァターラ》、《ウロボロス》、《クイーン・ハロウィン》、それに古巣の《ノーネーム》だったか。それ以外にもあるのだろう?」

 

「いやぁ、僕ってば人気者でさ」

 

「褒めてなどいないさ」

 

 

 実際、先に挙げた他に牛魔王が知る限りでもあと四つの連盟に、第六天魔王の名は連なっている。

 それぞれの敵対構図など関係ない。

 

 そしてそのどれもが、今回行われる太陽主権に参加する、或いは関わるコミュニティなのだ。

 

 

「何を考えている?」

 

 

 問に、当然というべきか信長は答えない。鼻歌を唄いながら、指を引っ掛けた眼帯を無造作に回して遊んでいる。

 

 織田 信長。

 

 たかが数十年、それも時代を作るでも終わらせるでもなく生涯を終えた単なる人間の名が、この箱庭で屈指の知名度を誇っているのは理由がある。

 かつて三度この箱庭に召喚された『織田 信長』は、その全てで魔王となった。

 人格は違う。性格も違う。性別も違った。

 

 だが、修羅神仏、悪鬼羅刹蔓延るこの箱庭で、彼という人間は繰り返し戦火を振り撒き続けたのだ。

 

 何度も、何度も。

 

 例え別の時間軸であろうとも。

 例え別の世界軸であろうとも。

 

 『織田 信長』は魔王であり続けた。

 

 かくいう牛魔王も、二人目の『織田 信長』と戦ったことがある。

 

 ――――ならば、この目の前の少年があの『織田 信長』だというならば、油断していい相手ではない。ましてや、飼えるなどとは思ってはいけない。

 安易に手を出そうものなら、こちらの喉笛を喰いちぎられる。

 

 チラリと、牛魔王は隣りの少女を見る。ニコニコと満面の笑顔をふりまくだけで動く気配は無い。

 

 

(さて、どうするかね――――)

 

 

 視線を前に戻した牛魔王の眼前に、切っ先は迫っていた。

 

 信長の位置は遠いまま。

 投げたのだ。彼の武器、レーヴァテインを。

 

 槍投げのように投げられた刀は、しかし放物線を描くのではなく地面と並行に飛んで来る。

 

 信じられない奇行だ。不意打ちとはいえ唯一の武器を、初手に投げつけてくるなんて。

 並の者ならそのまま片眼を失い、頭蓋すら貫かれる。――――並の者なら、だ。

 

 牛魔王はまるで動じずに片足をひいて、紙一重で奇襲を躱す。

 

 

「――――あは!」

 

 

 投擲された刀が眼前で停止した。

 今度は信長自身が間合いを詰めて、先ほど投げた刀を自らキャッチした。出鱈目だ。何もかも。

 

 咄嗟に屈んだ牛魔王の頭上を、レーヴァテインが薙いでいく。

 視線が一瞬交錯する。

 

 口端を歪めながら、信長は刀を手の甲の上で回して切っ先を下に向ける。串刺しにせんと振り下ろす。

 

 あまりにも型に嵌まらない信長の剣術に対し、牛魔王は。

 

 

「そんな曲芸が通じると思うか?」

 

 

 レーヴァテインの切っ先を指先で挟んで止めた。

 

 

「掴んでいいの? 燃えちゃうよ?」

 

 

 レーヴァテインの切っ先から焔があがる。牛魔王の手ごと巻き込もうと火の勢いが増そうと――――、

 

 

「二度言わせるな。その程度が通じると思うなよ、若造」

 

 

 迷宮の大地が、割れた。

 

 牛魔王の踏み込み。右足を中心に、蜘蛛の巣状に地面に亀裂が走る。尋常ならざる力は一切のロス無く伝わり一点に収束する。

 即ち、右の一突き。

 

 信長の体が木の葉のように吹き飛んだ。

 牛魔王の拳は、信長を吹き飛ばすばかりでなく、周囲の迷宮の壁をその拳圧だけで崩壊させた。

 

 これこそ、魔王の代名詞たる七大妖王が長兄、《平天大聖》、牛魔王の力。

 

 

「あやや、まったく容赦ないですね。牛魔……ウッシー」

 

「容赦?」

 

 

 牛魔王の左手に残る長刀。主の手を離れても燻ぶるように燃え続けるそれを、握り潰す。

 

 

「織田 信長相手に容赦か。考えたことなどなかったな」

 

 

 視線の先、粉塵が収まったそこに信長の姿はなかった。

 

 

「逃げた、か」

 

「うーむ? らしくないですねえ」

 

 

 可愛らしい眉を寄せて難しい顔を作るクールマ。

 

 

「ノブ君なら貴方ほどの魔王との戦いは、むしろ何にも優先してきそうだと思っていたのですが」

 

「あの眼帯の恩恵といい……つまりは、その方が都合のいい奴がいる、ということだろうな」

 

「あのノブ君が大人しく言うこと聞きますかね? あのノブ君が」

 

「二回言うか。――――それより、俺達も行こう。天の牡牛は今の内に抑えておく必要がある」

 

「そうですね。いやぁ、本当に今回のゲームは楽しくなりそうでドキワクです!」

 

 

 言葉と同じく足取り軽い少女は、その身を浮かして迷宮の穴へ向かう。

 

 牛魔王もその後を追う。

 ちらりと見た迷宮の中心では、今まさに真の姿を現した白亜のミノタウロスと、大戦斧を振りかぶる焔の姿があった。




閲覧ありがとうございましたー。

>今回は2巻エピローグというよりは、2巻と3巻の接続章というか。本編の盤外ではこんなやり取りがあったのですよー、という補足というか蛇足というか(え

>さて、あまり二次作品でオリジナル要素をぶっ込むのは好きくない私ですが、今回の展開は初めから決めていたのであります。
基本作品書くときは、凄く漠然とではありますが最初と最後だけは考えて書いております。その上で信長君に決着つけるには、そろそろこういったオリジナル要素も混ぜておかないと後々畳みきれない可能性が高くなってきますしね。

>さてさて、さらにご連絡が。前回のあとがきで一先ず3巻まで行っちまいましょうと言いました。

あれ取り消します!

申し訳ないです。というのもやっぱり原作にぴったりくっつくのは書いてて怖いんですよね。いつか取り返しつかない要素書いちゃいそうで。本音言えば今の状態もかなり怖いですし。

>つい最近まで執筆不調に陥って、また原作進むまでストップさせるというのも嫌な感じですが、ここまで長く書いてきたのですし、どうせなら丁寧に進めたいと思います。

>とまあ、次回更新がいつになるかは次の原作最新刊の具合にもよりますが、目指せちゃんと完結!を胸に続けていきますので、どうぞ気長な方はお待ちくだされば。
ではではー。


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