ボクは仗助、 君、億泰 (ふらんすぱん)
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とある公園 と とある山にて

ジョジョでバカな話を書きたくて作りました。処女作です。 追記 この話は一話二話を結合した少し書きなおしたものなので少し読みにくいです。


 

 今日も誰にも相手にしてもらえず、一人公園のベンチに座り、夕食までの時間をつぶす。

 

 それは父親が事故で入院してからの少女の日常。

 母は経営している喫茶店がいそがしく、兄姉はその手伝いに父の看病。

 一人、出来る事もやらなければいけない事もない少女は邪魔にならないようにここでボーっとして過ごしている。

 皆にそれぞれの理由があるのはわかっているのだ。

 別に少女――高町なのはのことを家族が嫌いになったわけではない。だからといって不満がないわけではなく、寂しくないはずがなかった。

 もしかしたらこんなことを思う自分は悪い子では、いや悪いのは自分に寂しい思いをさせてる家族のほうだ、など考えても仕方ないことが、浮かんでは消え、浮かんでは沈む。

 

 そんな沈んだ思考のため、周りの子供たちに混ざって遊ぶことも出来ず、公園の砂場に目を向けると、なにやら二人の男の子が見詰め合っているではないか。

 唇と唇がくっつきそうなほど顔を近づけた二人。

 少女が知るはずもないのだががんをつける という不良の示威行為の一種である。

 身長はなのはより高いが顔にある幼さから、同年代であることがわかる。

 一人は、三白眼で短髪の少年。

 ガムをかんでるのか、くちゃくちゃ音がしていて、乱暴そうな印象がある。

 もう一人の少年は、フランスパンを頭にそのまま乗っけたような奇異な髪と強いまなざしが特徴だ。

 剣呑な雰囲気を醸し出す二人の周りには誰も近づけず。運の悪いことにいつもそこらでお喋りしているおばさんたちが今日に限って不在だ。

 別になのはが止める義理などないのだが、目の前で人が傷つくのを見過ごしたら、もっと自分のことを嫌いになってしまいそうだった。

 そう思い口論を始めた二人に向かっていく。

 

 ――この行動をのちに、とても悔やむことになる。

 ●

  

 

 少女がベンチから砂場の二人に向かう途中に不自然なくぼみや、何かが砕けているのを見つけたが、今はそんなことより破裂寸前の二人の空気が気になった。

   

「ザ・ハンド! ってヤベェ!」

 

 仲裁しようとなのはが二人の間に飛び込む。

 するとどうしたことか、少年は二人とも、とても、そうとてもまずい事をしでかしたような表情を浮かべていた。

 戸惑うなのはは、必死ではあったが己はそんなにひどい形相をしていただろうかと頬に手をやり確かめる。

 手で表情をほぐし、少女が暴力を振るうこと、悪口がどれほど人を傷つけるかを二人に説明する。

 その間も存外素直に首を上下させている。

 拍子抜けだったが、たった一人で乱暴な男の子二人の喧嘩を止められたことで少し得意な気分になり、鼻歌を歌いその日は帰宅した。 

 去り際に三白眼の少年がフランスパン頭に、

 

「仗助、治せないのか?」

 

 と言っていたのが気になるといえば、なのはは気になった。

 

 ――玩具でも壊してしまったのだろうか。

 

 

 ●   

 

 

 帰宅後、妹を見た姉が悲鳴をあげた。

 姉の取り乱し様に混乱するなのはの肩を掴み洗面台までひっぱていく。

 何事かとなのはは鏡を見た。

 

 ――今朝、家を出る時までは確かにあったはずの母親譲りの栗色の髪。

 それが頭頂部に大きな線を描いてごっそりと無くなっている。

 そんな鏡の中にいる逆モヒカンの少女は引きつった笑みでこちらを見つめていた。

 

 鏡の中の少女となのはは、同時に気を失った。

 

 ●

 

 これは、なのはの姉である長女――高町美由紀が体験した出来事。

 

 翠屋の店主である彼女達の父親が入院する前の話になる。

 少し複雑な話になるが、美由紀の家は古い実践剣術を伝える家であった。

 養父は美由紀の伯父にあたり、こちらはこちらでまた実践の技を伝える家系である。

 当然技を伝え残すことをは義務であり、それぞれの家の長子である、また長子であったはずの、義兄、恭也と美由紀は幼い頃から鍛錬を義務付けられていた。

 といっても、兄や美由紀が本気で拒否すれば、優しい両親はそれらを強制することはなかっただろう。

 

 ただ、ヒーローに憧れる歳頃の男の子は進んでそれらを受け入れ、仲間はずれになることを恐れた内気な妹もくっついていただけのこと。

 それが今日までの惰性で続いていく。 

 

 その少女の判断を、花も恥らう女子高生である美由紀は今日も近所の山でサルの如く跳びはね、トレーニングをしながら後悔しているのである。

 

 ●

 

 この日はいつも指導してくれる兄が用事のためおらず、陽射しも手伝ってか稽古にも身が入らない。

 美由紀は川辺に足を晒してのんびり横になっていた。

 そんな折、かすかな足音と気配に気づき体を起こす。

 近所の山といったが、結構険しく、人が入ってくることはあまりない。

 気になり、辺りの様子を確認しに行ってみる。

 すると川から少し離れたところにある大きな木の下で二人の男の子が何やら作業しているのを見つけた。

 一人は少し乱暴そうな子。もう一人は長い突起を乗っけている変わった子だった。 

 年はうちの妹とおなじくらいだろう。

 秘密基地でも作っているのだろうと微笑ましく様子を見ているとこちらに気づき、何やら美由紀を指差し相談を始める。

 

 「君たちこんな山奥まで入ってきたの? お父さんやお母さんは一緒なのかな?」

 

 山奥に保護者もなく子供だけでいるのは危ない。

 もしも少年達しかいないのなら、町までを送ってあげようとやさしく笑顔で話しかける。

 

 ――そう、笑顔で。

 

 ここで一つ確認しておくべきことがある。

 美由紀の母は年よりも若く見え近所では評判の美人奥様であり、美由紀の妹はそんな母親譲りの容姿を与えられていた。

 当然、間にいる美由紀もそう悪いものでは決してないはずだ。

 

 更に、美由紀の実母も養父の話によれば、見目麗しい方だったと酒の席で、こぼしたのを聞いたことがある。

 だから、美由紀が自分の容姿に対してささやか自信を持っていてもそう的はずれなことではないだろう。

 

 

「うっせえな 余計なお世話だ メガネブス!」

 

 

 ――リーゼントの少年の心ない暴言は美由紀の心を傷つけた。

 なので、内気な美由紀は、手のひらをしっかりと握りこみ、硬い拳を作ることにした。

 

 

「胸と背中の区別がつかない体型で説教足れんじゃねぇよブス!」

 

 

 ――ギョロ目の少年が吐き出すいわれのない中傷。

 きっと彼の目にゴミが入ってしまったのだろう。

 それを可哀想に思った美由紀は、後ろにある川で少年の瞳を洗ってあげることにしようと考える。

 美由紀の体型に対してあらぬ勘違いをするほどなので念入りに数時間ほど頭ごと沈めてあげるべきだ。

 

 

「こらー、女の人にそんなこと言ったらだめでしょう」

 

 けれども、この歳頃の男の子が年上に対して反発してしまうのも知っている。

 なので聖母マリアの如き寛大さで、女性の体型を皮肉ってしまった少年達に最後の慈悲を与える。

 そうして発せられたのは、美由紀の想像以上に感情のない己の平坦な声えだった。

 

 ――だからその後も続々と吐き出される美由紀の胸部に対する事実無根の中傷に、ちょっとこのあたりに幼児が二人埋められても神様は目を瞑ってくださるはずだ。

 

 ●

 

 神を恐れたのか、それとも青筋を立てた眼前の美由紀にビビったのか、少年達はこの場から逃げ出した。

 当然、神の代行者として彼等に罰を与えなければいけないので美由紀もすぐに追いかける。

 ――ちなみに彼女の家は正月には神社に参り、クリスマスもしっかり祝うジャパニーズ仏教徒である。

 

 日々の鍛錬のお陰で、体力はそこらの一般男性よりもあると自負しているのだがなかなか少年達を捕獲することが出来ない。

 

 そして、逃げる二匹の悪魔が振り返りながらまたも少女の慎ましやかな胸を指差し笑う。

 

 美由紀は当然、心の中のキリストも雄叫びをあげ奴らを許すなと応援してくれた。

 

 少女の努力が実を結び、ついに体力が尽きたのだろう、最初に彼らがいた木の下で二匹の悪魔がちぢこまっている。

 ――ああ、マリア様 いま生贄を二匹そちらに送りとどけます、喜んでください。

 敬虔な信者どころか、どちらかといえばブッディストである少女の血生臭い贈り物を聖母が喜んでいくれるかは、甚だ疑問だ。

 

 そこら辺に疑問を持たずに、美由紀は二人に飛び掛った。

 

 踏み出した一歩が地面に沈み込む。

 落とし穴だ。

 しかしそんな子供だましでは、毎日の訓練と神の加護を授かった美由紀には通用しない。

 地面が沈むよりも先に飛び上がった。

 

 

 ――はずなのだが、突風でも吹いたのか不自然に体が穴に引っ張られる。

 

 重力に捕まった美由紀の背、天を仰ぐと二匹の悪魔が笑顔で手をふっているのが見えた。

 

 

 穴の中、彼らが用意してくれた蛙や蛇や蜘蛛のおかげで、美由紀は悲鳴を上げる間もなくすぐに眠りについてしまった。

 

 

 ●

 

 

 蛙の体液が顔にこびりついたまま、家に帰った涙目の妹。

 その理由を聞いた兄は、子供に虚仮にされた情けない妹にため息を吐いた。

 そして熱く長い説教と道場でいつも以上にきつい鍛錬をプレゼントしてくれたのだった。

 

 



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ボクは仗助   君は億泰

 二歳の誕生日 人と違うことに気づいた

 

 一ヶ月経って、母が母でないことに気づいて、彼が彼でないことを知った。

 二ヶ月経って、少年は自身を誤魔化し、家族に秘密を持った。

 再び生を受けたことを神様に感謝はできなかった。

 

 少年の名前は東方仗助。子供の身体と、大人の心を持つ、 前世があるアンバランスな幼児である。

 

 生まれ変わりと言うものが本当にあるとは知らなかったし、知りたくなかった。

 前世であっているのかわからないが少年は普通の男子高校生だったと思う。

 死んだ理由どころか自分の名前も思い出せない。

 少年の秘密は、母や祖父との間に距離を感じさせていた。

 それは当然のこと。少年は祖父と母から最愛の息子と孫を奪っているのだ。

 

 三歳の誕生日ついに耐え切れなくなって少年は自殺を決意する。

 少年は自身の罪の大きさから、苦しんで死ぬ事を選んだ。

 悩み考えだした答え。

 それは少年の罪を精算するにふさわしい死に様。

 少年が選んだのは、餓死であった。

 覚悟決めた少年はその日の夕食から一切口に入れないことを誓った。

 

 ――夕食、ピーマンを残すなと、母にこっぴどく叱られた。

 必死に口を閉ざす、決意の息子に、母はフォークで口元にピーマンを押し付ける。

 激しい攻防の末、母の愛は尻を叩く積極的なものになり、少年の苦手な野菜が一つ減った。

 

 こうして第一回目の自殺は失敗に終わった。

 少年の意思はダイヤモンドより脆かった

 

 ●

 仗助は一人公園のトイレの隅で泣いていた。

 昨日の自分の無様な姿の所為だ。

 身体だけ見れば、たしかに仗助はまだ子供だ。

 しかしその精神は大人である。と本人は思っている。

 ――昨日までは。

 未だ癒えない傷の痛みに仗助の心はささくれだっていくのは仕方がない。

 尻の痛みのせいで、ベンチに座ることさえできないのだ。

 仗助が叱られる時は必ず、説教と臀部の打撃。

 母は息子の青い尻に何か恨みでもあるのだろうか。

 

 時刻は午後二時、公園に数人の子供たちが遊ぶ姿が見られる。

 仗助は混じって遊ぶ気にはなれず、辺りをぼんやりと見回す。

 そして、一人、皆の輪からはずれた目つきの悪い子供に気付いた。

 年は仗助と同じ三、四歳といったところだろうか。

 仗助も、他人のことは言えないが、親も連れず公園に遊びに来ていい年ではない。

 勘違いでなければ、悪意を持って仗助を睨みつけているように見える。

 ――親はどんな躾をしているのだろうかと、嘆きながら、仗助は負けじと睨み返した。

 子供は仗助に小走りで近寄ってくる。

 

「たく、その年でメンチきるなんざ、親はどんな躾してんだ。 俺様が礼儀を教えてやるよ」

 

 ――そして、とんでもない言いがかりをつけてきた。

 

 仗助は他所の家の教育方針を蔑む性根に呆れてしまう。

 自分が先ほど思ったことは置いておいて。

 

「へっ、びびって声もでねぇの ぐべ!」

   

 

 ――言葉の途中、油断している子供に、気持よく仗助のストレートが決まった。。 

 殴ってから悩む。

 ――この半笑いで鼻血をだしてるゴミをどうしたものかと。

 

 ●

 

 

「大抵のことは誠意を持って話し合えば何とかなると思うんだ」

「わざわざ俺を、ゴミ捨て場に突っ込んだやつの台詞じゃねぇな」

 

 ゴミ捨て場に移動させた後、そこらに沢山あるゴミ袋で周りを囲ったため、子供からは据えた臭がする。

 

 鼻を抓みながら、言い訳をした仗助に、怒り心頭といった顔で子供は鼻息を鳴らす。

 仗助は彼の怒声を右から左に流し、血管が浮いて愉快な顔になっているなと感想を浮かべていた。

 一通り、怒りを吐き出した後、彼は仗助の顔を確認するようにじっと見つめてきた。

 

「――お前の顔どっかでみたことがあるんだよな、うーん。」

 

 

 古いナンパの手口だろうか。

 血迷っているのならば、もう一度殴ったほうがいいのだろうかと、仗助は思案する。

 仗助が筋違いの暴力をふるう前に、なにか思いついたのだろうか、子供は公園の前の店に走っていく。

    

 

「なあ、お前って東方仗助じゃねえか!うわ信じられねえ、なんでジョジョの奇妙な冒険の主人公がここにいるんだ?」

 

 それ聞いたとき仗助は衝撃を受け、前世で読んだ漫画の主人公と全く同じ、自分の事に思い至った。

 

 ――だが、それはそれとして、このギョロ目の子供は買ってきたフランスパンを仗助の頭に乗っけたのだろう。

 

 

 億泰との衝撃の出会いから二年がたった。

 億泰は、仗助に、とても大きい悪影響と、家族に対する適当な接し方を教えてくれた。

 

「たしかに俺らには前世の記憶って言うものがあるよ。だからといってお袋の股から産まれたのも確かだし、血だって繋がってる。何でこれで他人だなんて思えるんだ?」

 

 この言葉に納得したという訳でもなかったが、億泰とその母親を二年も観察していると、二人の間にある絆が感じられ、ならば同じ境遇の仗助もそれを信じていいような気がしていく。

 改善していく仗助の親子関係。

 もっとも、仗助が一方的に、壁を作っていただけで、母と祖父は気にも留めていなかった。

 仗助は、家族の絆を間接的に与えてくれた友人を見上げる。

 

「仗助ぇー、うぷっ 吐きそうだ おろしてくれよー」

 

 庭から生えた立派な木に吊るされてる億泰。

 これも絆の一つなんだろう。

 仗助は、億泰の母の独特な愛情表現に感心していた。

 

「なに、うんうん頷いてるんだよ、おろせよー」

 

「仗助ちゃん、お庭をはいてくれてありがとう。集めた落ち葉で焼き芋しましょうか」

 

 億泰の母親は、長い黒髪にパッチリした目、年相応に見えるが、どこか言動が子供じみた優しい人だった。

 

「お袋ー、俺も食べてーよー。て何で落ち葉を俺の真下に持ってくる!! 悪かったうちの母ちゃんにダイエットなんて必要ないです!」

 

 億泰の母は吊るされている息子の謝罪が聴こえないかのように振る舞い、笑う。

 仗助は、彼女の言動に愛があることを知っているので、あえて何も言わない。

 

「仗助、何でさっきから目をそらすんだよ。アチ、あちち お袋髪が燃えてねえか!!」

 

 煙攻めにされて、必死に懺悔する億泰。

 億泰の母親の愛情は、仗助の母の尻ビンタと同じくらいに恐ろしかった。

 

 この頃までには、少年達は自分たちが暮らす世界と、ジョジョの奇妙な冒険の相似と相違について話し合い、互いにわずかにしか物語を覚えてないことを知った。

 覚えていたのはスタンドという超能力者、その中でも強力で印象に残っていた物や、物語の大まかな流れのみ。

 そして物語の中の地名と、仗助達が暮らす地名が異なっていることから、まったく関係ない世界なのかもしれないという推論まででた。

 海鳴と言う場所、物語とは違い生きている億泰の母と、二人とは別居している父と兄。

 関係ないならそれで話が終わるのだが、ひとつ絶対に確認しなければいけないことがある。

 ――それは物語の敵役、ディオ・ブランドーの存在だ。

 その存在を確信させる事件がこの後に起こる。

 それは仗助達が小学校に入学する前の事だった。

 

 ●

 

 それは、健康がとりえの仗助が三日三晩高熱にうなされて、億泰が見舞いに来たその日の晩のことだ。

 仗助の携帯の電子音が響く。

 

「俺の部屋にコスプレして顔をマスクで覆った男がいる」

 

 億泰の切羽詰まった救難要請。

 

「それがどうした、僕の部屋には、スーパーマッチョでハートをあしらった鎧を着た大男がいる!」

 

 助けを求められた仗助も涙声で叫ぶ。

 

「おい、どうすりゃいいんだ? 助けてくれよ!」

 

 仗助だって助けて欲しい。

 怪しさ満点のマッチョマンの侵入を許した防犯のザルさを嘆く。

 大人であってもどうすればいいのか迷ってしまう状況で、子供にしては気丈な胆力を引き絞って指示を出す。

 億泰に、相手が誰で何をしたいのか 交渉し聞き出せと命令する。

 億泰は何も反応がないと、仗助に次の指示を要求してきた。

 仗助の方の大男も筋肉を震わせる以外は彫像のようにじっと動かない。

 ――それでもなにか目的があるはずだ。

 目的もなく幼児の部屋に仮装した大男が立っているだけなんて、怖すぎる。

 ――何か手がかりはないのか。

 よく観察するよう億泰に指示を出し、仗助も大男に視線を合わせた。

 

「仗助! 服だ、このマッチョ野郎、服に$¥マークが書いてある、そうか、こんだけ全身で主張しているってことは、この野郎の目的は金だな」

 

 電話口から何か物が割れる音が響く。

 

「おう、貯金箱を投げつけたら消えたぞ そっちはどうだ?」

 

 億泰の助言に、あらためて男の全身をみる。

 はちきれんばかりの筋肉をハートの鎧で覆っている。

 \$マークから連想されるのが現金なら、ハートマークは愛。

 つまり状況から察するに、この大男は、ホモでショタ野郎で目的は仗助の瑞々しい肉体なのだろう。

 

「よし、仗助も、そいつが望むもの投げつけてやれ! そうしたらいなくなるぞ! おい、聞いているのか! おい、仗助?」

 

 ――焚き火の中に身を投げ、神に捧げた兎の御伽話を思い出した。

 

 その後の結末に考えが及び、その場で仗助は思考を手放す。

 自分の身を守るように布団にくるまって失神した。

 

 ●

 

 

 翌朝、仗助は気が付いてすぐ、服が脱がされた痕跡がないか調べ、安堵する。

 それから一週間、億泰が

 

「思い出したんだけど、あれってスタンド能力じゃねぇか?」

 

と言い出すまで仗助が母の寝床に潜り込みガタガタ震えていたのは家族だけの秘密だ。

 



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奇縁 

 私立聖祥大学付属小学校に億泰と共に入学することが決まって、仗助の母も祖父も喜んでくれた。

 入学式には仕事を休んでまで来てくれた二人に仗助は確かな愛情を感じる。

 きっとこれから二人に貰ったものを少しづつ返していくのだろう。

 それが家族なのだ。

 母親同士気が合うのか、仲の良い母と億泰の母を置いて、少年達だけで家路につく。

 その途中、大柄で白髪、白鬚の老人と改造学ランを着たこれまた見上げるほどの身長の青年に道を尋ねられた。

 どうやら初めて海鳴に訪れたらしく駅までの道がわからなくなったらしい。

 老人はイギリス人で息子に会いに、青年は彼の孫で同伴しているのだという。

 顔色でも悪いのだろうか、仗助は体調についてしつこく質問されたのが印象にのこった。

 数分言葉を交わしたあと、この道をまっすぐ行けば駅があると伝えると、日本人には馴染みのない大げさな礼をいわれ、別れる。

 道中、億泰が無言だったのが気になり、尋ねてみるも、彼自身、先ほどであった二人組の何が引っ掛かっているのかわかっていない様子だった。

 

「ところで仗助、あっちって駅と反対方向じゃなかったっけ?」

 

 ――仗助は期待を裏切られたのだ。

 道案内してくれた親切な子供に何の礼もしない輩には至極まっとうな処置であると鼻を鳴らす。

 これはその後、少年達の身に起きた災難の話だ。

 

 

 少女には絶対、話してはいけない秘密がある。

 少女には絶対、他人に知られてはいけない秘密がある。

 

 だから少女に、本当の意味での友人は一人もいない。

 そもそも裏側に秘密を貼り付けた笑顔は偽物でしかない。

 なら少女の学校生活が孤独なものであるのはしかたのない事だ。

 

 ――だけど、目の前の光景はあんまりだ。

 少女は二度と友達なんか欲しがらないと誓う。

 だから、だからどうか神様、彼女だけは助けてと祈る。

 分不相応に彼女の友達になりたいと願ったことの罰は少女だけが受けるべきだ。

 紫髪の少女――月村すずかが何度願ってもただ時間が過ぎていくだけだった。

 すずかは不安に揺れる瞳を、縛られ転がっている同い年の金髪の少女に向ける。

 今、二人の少女は拘束され、知らない車の後部座席に詰め込まれている。

 

 私立聖祥大附属小学校の入学式の後、すずかは、その日本人ばなれした顔立ちのせいでクラスメイトと馴染めず孤立している彼女に声をかけ、二人で迎えの車から逃げて近くの公園で話をした。

 姉である月村忍が、友達を作っても良いと言ってくれたために魔が差してしまったのだ。

 少女――アリサ・バニングスもすずかを意識していたからなのか、少女達の話は盛り上がっていった。

 理由は異なるが、すずかと同じようにクラスメイトとの間に距離を持つアリサなら友達になれるかもしれない、そう思ったのだ。

 

 そろそろ帰らなければ、月村家に仕えるメイドのノエルが心配するだろう時間になり、二人で公園の出口に向かった。

 すずかがはっきりと憶えているのはそこまで。

 揺れる景色の中、最後に見たのはすずかの後ろから伸びる手と、アリサの口に布を押し当てている黒い服の男だった。

 

 すずかたちは誘拐されたのだ。

 必死に体をずらして、窓から外を見ても、木が茂っていることしかわからない。

 どこを走っているのだろう。

 ほかに走っている車は見当たらないので、私有地なのだろうか。

 

「気がついたのかい、嬢ちゃん達。もう少しで依頼人のところだから、おとなしくまっていてくれよ」

 

 助手席の男がすずか達に話しかける。

 すずかは怖くて仕方ない。

 隣には凶悪な誘拐犯に怯えるアリサがいるのだ。

 だからすずかが自分勝手に挫けていいはずがない。

 少女達にはたかだか数時間の交流しかない。

 だが、それでもすずかはアリサを好ましく思ってしまった。

 ならばすずか自身がどれだけ傷つこうとも、絶対にアリサだけは守る。

 そう堅く誓う。

 

 ――そしてとなりで震えているであろう彼女に目を向ければ、そこには青い目の般若がいた。

 すずかは、恐怖からあわてて目をそらす。

 確か、彼女はすずかと同じ世間知らずのご令嬢ではなかったか。

 心臓を落ち着かせる間にも、マシンガンの如き罵声が黒服に浴びせられていた。

 涙目になっているのがすずかにも分かる――黒服の男が。

 誘拐犯にしては情けないのでは。

 すずかはとても思った。

 

 そんな折、一台の車が横を走ってくることにすずかは気づく。

 日常生活では重荷にしかならない吸血鬼の身体。

 その恩恵を受け、子供離れした力で拘束を弛め、抜けた手で車の窓を開ける。

 すずかは出せるだけ、ありったけの大声を使うつもりだった。

 

 だが眼前、すずかの目に飛び込んできたのは。

 

 ――黒い車の後部の窓枠に腰掛け、上半身を出しているクラスメイトの少年たち。

 刈上げパーマと黒フランスパンという珍しい髪型の少年達が箱乗りをしている異様な光景だった。

 

 

 すずかは言葉を失った。

 だがそんなことはどうでもいいと思い出し助けを求める。

 

「虹村君、東方君、警察に電話して! 私たち誘拐されたの!」

 

 高速で走る車、幸いなことに彼らにすずかの声は伝わった。

 

「ああ、わりぃがそいつは無理だ。携帯は前の野郎が持っててな」

 

 不幸なことに意図は伝わらなかったらしい。

 そんな悠長なことを言っている事態ではない。

 誰の携帯だろうと構わないと伝えようとしたところ、続く仗助の言葉がすずかを絶望に叩き込んだ。

 

「いや、奇遇だね。ちょうど僕たちも拉致されてる最中なんだ」

 

――少女の顔から表情がなくなった。

 

 

 ●

「この部屋でおとなしくしてろ、ひっく うう、」

 

 そういって閉じ込められた部屋で、三十分は過ぎただろううか。

 何かの工場だったのだろう施設の奥にあった部屋。

 拘束はとかれたのですずかとアリサはどうにか逃げ出せないかと部屋の探索をしたがパイプ椅子と壊れた棚があるということしかわからなかった。

 唯一あるドアの向こうには、先ほどまで泣いていた男が見張りに立っている。

 というか心細い状況で必死に頑張っている少女達の手伝いもせず、男子二人は何をしているのだろう。

 

「あんた達、さっきから手伝いもせず、部屋の隅で何やってるのよ」

 

 すずかも憤慨し、アリサの後を追って二人に近寄る。

 仗助達がしている奇妙な行いにすずかは首を傾げる。

 端的に説明するならば、床に置かれた六つの財布、その中から金を取出し、きっちり二等分して懐から取り出した少年たちの財布に収めたのだ。

 

「何あんた達、お金でもとられたの?」

 

 アリサは、少年達が盗られた金を確認しているのだと思ったようだ。

 しかしそれでは不自然なことがある。

 床に転がった幾つもの財布。

 持ち歩くには数が多すぎる。

 それに六つの財布は子供が使用することの少ない革の財布だ。

 そういった物を持つ子供もいるのかもしれないが、先ほど二人が懐から出した物は可愛らしい動物デザイン。

 小学生らしいそれこそ仗助達の物に思える。

 ならば残りの財布は一体誰のものなのか。

 

「ねえ、その財布って大人物だけど、本当に二人の持ち物なの?」

 

 すずかは尋ねる。

 誘拐されていた時にも飄々としていた二人の表情に初めて警戒の色が現れる。

 そうまるで、名探偵が推理を披露するときの悪役の様だなとすずかは感じた。

 

――だから我慢できなかった。

 

 この状況で、誘拐した悪人にではなく、助けあうべきクラスメイトに阿呆な態度をとる二人に。

 理不尽に抗う意思を込めたすずかの拳が、二人の顎をとらえた。

 

 

 ●

 

「これからどうしよう、鮫島が誘拐されたことに気づいてくれるといいんだけど」

 

 床に転がってる二人を無視して、少女達は相談する。

 隣の部屋から聞こえた話では、敵は誘拐専門の業者で、偶然重なった複数の依頼で、まとめてすずか、アリサ、仗助の三人を拉致したようだ。

 令嬢であり、吸血鬼でもあるすずかには誘拐される心当たりがあり、アリサも裕福な家庭なのでそこから理由が伺える。

 仗助はここで初めて誘拐される心当たりに気づいたらしく、顔を青くしている。

 今更になって怯える、呑気な頭の彼を、三人に巻き込まれてしまった億泰が元気づけている。

 顔に似合わず友達思いのようだ、などとすずかは感想を浮かべる。

 

 内容は分からないが億泰の励ましで仗助が立ち直る。

 それを確認すると億泰は彼の母親に帰宅時間が遅れる旨を連絡をしていた。

 

「おう、仗助といるよ。ちょっと遅くなるかもしれない」

 

 ――ズボンのポケットから出した携帯電話で。

 

 アリサが億泰の頭を壁に叩きつけた。

 

 ●

 

「うん、そうよ鮫島。誘拐されたの! どこか山奥の廃工場、GPS? ついてるわ。わかった待ってるからね」

 

 連絡から一時間も経たない内に、事件は解決。

 警察に連行されてく犯人たちが

 

「くそ、俺はちゃんと携帯は取り上げたはずだ。俺のせいじゃない」

 

 などと、仲間で言い争いをしてるのが見られた。

 すずかは強く抱きしめられ、姉の腕の中にいる。

 安心し涙が溢れる。

 姉に報告する。

 今日、苦しみを分かち合って、友達ができた。

 すずかと同じように、母親に抱きしめられているアリサを見た。

 

 それと初めて人に暴力を振るった。

 それは黙っている。

 

 仗助達を迎えに来ていたのは日本人にしては大柄すぎる老人と青年という珍しい組み合わせ。

 少年達が顔を青くしているのを見て、すずかの胸があたたかい気持ちになってしまった。

 



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正義って? (呪いのデーボ登場)

「クレイジー・D!」

 

 実像を持った精神の塊、魂の具現であるスタンド。

 そのスタンドが持つ個々の能力。

 仗助のスタンドの”治す”と"治した部位が固定されたほうに高速移動する”力によって半分に砕けたピアスが飛んでいく。

 向かう先は、飛行機の中で出発を待っているジョセフ老人のポッケの中に忍ばせた片割れのもとへ。

 ピアスには、仗助達が知りうるディオや部下のスタンド能力、ザ・ワールドに唯一対抗できる可能性が空条承太郎にあることを記した紙を結んで。

 誘拐事件の時、再度顔を合わせたこの二人がジョセフと承太郎であることに気づいたのは億泰だった。最初はでたらめな道案内のお礼に来たのかと思い仗助は顔を青くしたが、そうではなく、偶然誘拐計画のことに気づいて助けに来たとのこと。

 拉致されたあの部屋でも気づいたのだが、やはりこの事件の裏に、ディオが関わっているだろうと嫌な確信をする。

 少年たちの背筋が寒くなる。

 己達のスタンドのことが二人にばれて、戦いに巻き込まれたら只じゃすまない。

 そう思った少年たちは、全力で無力な子供を装った。

 

「オラ、夕ご飯はサンドイッチが食べたいど、ぐへ ぐへへ ししし」

 

 ――そのあまりの無邪気さにか、老人とその孫はしばらく言葉も出ないようだった。

 

「――うむ、ああ、これも何かの縁じゃ。不信な物や人を見かけたらこの番号にかけるといい。わしの知り合いが守ってくれるよう手配しておこう」

 

 そして、少年たちにSPW財団と記された名刺をよこした。

 明日の十二時の飛行機で空港から発つことを告げられ、警察署の前で別れる。

 老人は最後まで自分が仗助の父親であることを言わなかった。

 少年は特に感慨を持つことはない。

 それよりも目の前に迫りつつある吸血鬼ディオの存在に危機を抱いた少年達はは、その物語の主役であるジョセフ一行が必ず奴を葬ってくれるようサポートすることを決心する。

 ――しかし、直接ディオや部下の能力を伝えたら、なぜそんなことを知っているのかと疑問を持たれる。

 そして、否が応でも血なまぐさい戦いに巻き込まれていく。

 そういった面倒事を一切拒否するつもりな、二人なので匿名で行えるこの方法をとった。

 苦労らしい苦労は、別れ際に、ピアスを忍ばせることくらい。

 時刻は十二時、空港の入り口で、仗助たちにとって都合の良い戦士たちの未来がよきものであることを勝手に願った。

 

「おい、聞いたか 飛行機が故障で飛ばないらしいぞ。いや本当かどうかわからないが、紙切れが窓ガラスぶち破ったらしい」

 

「はぁ、そんなことあるわけないだろ、何言ってんだ!」

 

 原因に何ら心当たりがない二人は、急ぎ足で空港を後にした。

 

 そして空港のからの帰り、億泰が放った一言。

 

 これが、今回の事件の始まりになる。

 

 

「そういや言うの忘れてた。誘拐犯の奴らが言ってたんだけどよ。海鳴に住んでるらしいぜ」

 

「なにが?」

 

「ディオの手下」

 

 

 

   ● 

 

 

 

 時刻は深夜二時。

 あの後、なんで飛行機が出る前に思い出さないんだとか、そもそも忘れること自体があり得ないと億泰に説教を垂れる。

 

「次から、気を付けろよ」

 

「お前もな」

 

「反省しろよ」

 

「お前がしたらな」

 

 取っ組み合い疲れ果てて、ようやく二人は己の安全のために行動を始める。

 

 まず初めに、専門家に頼るべきだと、名刺を使い、SPW財団に電話をかけたのだが。

 

「だめだ、仗助、でやがらねぇ」

 

 昨夜かけた、たかだか二・三十回のいたずら電話。

 その程度で職務を放棄する社員達に、この会社の未来が暗いものであると子供心に嘆く。

 結局いざ問うときに頼れるのは己のみ。

 誘拐犯から盗み聴いた名と、表札を確かめる。

 二人は変装して吸血鬼の潜む屋敷への潜入を試みた。

 もちろん正義のためではなく、少年特有の好奇心と冒険心。

 

「億泰、まずは現金だ。宝石とかは換金ルートを持たない僕らじゃどうにもならん!」

 

「仗助、お前頭いいな。確かに悪人は警察に届け出がだせないし、ディオの組織は金もってそうだからな」

 

 ――そして己の懐を満たすために。

 取り放題だなと喜ぶ億泰。

 二人は、屋敷の壁に、無断で穴を作り侵入した。

 

 そして行きがけの駄賃であって、本来の目的は敵の戦力の分析にある。

 と自分に言い聞かせるふりをし、しっかりと目を皿にして金庫でもないかと物色を始める。

 何が二人をこうさせるのかというと――誘拐犯の財布がしけていた事とと因果関係があるように思える。

 

 他人様の屋敷での冒険中、誰にも会わず、順調に事が進んでいたのだが、仗助達は、はついに敵と遭遇する。

 

 

    ●

 複数のモニタに囲まれた屋敷中央の部屋。

 仗助達の同級生、月村すずかによく似た、髪の長い大人の女性がそれを真剣に操っている。

 少女の姉、月村忍は緊張した面持ちで爪を噛んでいる。

 現在月村の屋敷には厳戒態勢が敷かれていた。

 気になる彼と今日は、いっぱいお話しできたなぁ、なんて自室のベッドで忍が悶えていた時に事は起こった。

 屋敷のメイドであるノエルから、庭のセンサーが反応を示したという報告があがる。

 忍ははすぐに妹を起こし、ノエルを庭に向かわせる。

 一般人にしてはやや迅速な対応。

 屋敷の奥の頑丈な扉の中、月村姉妹は報告を待っていた。

 

「おねぇちゃん、ノエル大丈夫だよね?」

 

 瞳を潤ませる妹。

 

 無理もない、この少女はほんの数日前にも誘拐にあっているのだ。

 

「もう、ノエルが負けるはずないでしょう」

 

 忍は元気づけるため、明るい声でかえす。

 

 だからと言って行った内容が間違っているわけではない。

 

 一見、只の女性にしかみえないノエルだが、その実、人外を相手取る力を持った自動人形なのだ。

 月村の家系は、ちょっと特殊な事情があり外に敵も多い。

 だがそのすべてから彼女は姉妹を物理的に守ってくれていた。

 だからたった今、何も不安に思うことはないのだ。

 

「おねぇちゃん、ドアの向こうに誰かいる」

 

 外の気配に悟られぬよう小さくなった妹の声。

 そんなはずはない。 

 屋敷の扉や窓のセンサーは反応していない。

 だが、すずかだけではなく、忍にも扉の外の気配が感じられた。

 

「おねぇちゃん、どうしよう」

 

「すずかはここにいて、大丈夫すぐに戻ってくるから」

  

 中に入られては、すずかを守ることはできない。

 そう判断し、忍は妹の握る手を放しドアを開け廊下に飛び出した。

 そして後ろ手に扉を閉じる。

 

――そこにいたのは二人の不気味な人形の仮面をつけた子供だった。

 敵なのか、そうではないのか。

 表面上、余裕を持った態度で招かれざる客人に対する。

 

「あなた達こんな夜遅くに、当家に何の御用かしら」

 

 顔にいくつものイボがついた醜悪な仮面だった。

 成人女性と、子供が二人。

 本来ならば恐れるものは何一つないはずだった。

 それでも深夜の広い屋敷の廊下で、脈絡もなく出会うには結構、きつい存在である。

 訳のわからないものに対する恐れを隠し、忍は二人に問いかける。

 心中、ずっとノエルに助けを求めながら。

 

 ●

 

 

「――俺様は呪いのデーボ。ディオ様に任務の報告をするため、ここに立ち寄っただけだ」

 

 ふむ、よくわからない。

 とりあえず日本語が通じることがわかったので、忍は会話を続ける。

 そして得た情報をつなぎ合わせていく。

 ある程度話を把握した忍は一番の疑問を突きつける。

 

 

「ええっと、つまり、ディオって誰なのかしら?」

 

 

 息を切らせるという事はできないが、それでもノエルは急いで来てくれたのだろう。

 

 

「忍お嬢様、申し訳ありません。遅くなりました。 お怪我は?」

 

 

「大丈夫、私もすずかも問題ないわ。でも」

 

 

 ノエルを労い、彼女が到着するまで目の前で罵り合っている侵入者に忍は呆れた視線を向ける。

 仮面にひびが入るほど、頭をぶつけ合っているふたり。

 先ほどまでの不気味さはなく、小気味良く響く仮面の音、どこかコミカルな動きもあって笑えるくらいだ。

 

「で、いいかげん説明してもらえるかしら、不法侵入のお二人さん!」

 

 この侵入者が全くの勘違いで月村家に乗り込んできたというのがそろそろ理解できてきた。

 精一杯の笑顔な忍に、二人が一メートルほど後方に下がる。

――なぜだろう、とても失礼に感じる。

 二人は微笑む忍の顔面を指差し何か相談していた。

 

「――、お、お前等は、本当にディオ様の事を知らんのか。今から外の仲間に確認してくるが、嘘ならば――殺す!」

 

 内容の割に、迫力のない声。

 忍はそろそろこの侵入者の実力を大したものではないと判断し始めていた。

 だがそれは甘い。

 その言葉と同時に、忍の体に異変が起こる。

――これは殺意なのか。

 今まで月村に敵対するものとは異質の殺気。

 忍に戦慄が走る。

 背筋に悪寒が走ることもないし、体が震えることもない。

 だがこめかみにジリジリと痛みがあると錯覚する。

 忍は思った。

 まるで、両拳で、頭を挟まれ、ぐりぐりとされているようだ。

――そう昔流行ったウメボシをされたみたいに。

 

 それだけではない。

 圧迫され息苦しくて仕方ない。

 忍は荒くなった呼吸を整えるため、口で息をする。

 鼻は使えない。

――その息苦しさは、まるで鼻の穴に二本指を突っ込まれてるかのようだ。

 だから、一歩も動けない。

――そしてファリンは主の鼻の穴が異様に膨らんでいることに首を傾げていた。

 二人が外に歩いてゆくと息苦しさがきえる。

 その場にへたり込みそうになるのを堪え、赤くなった鼻で、忍は指示を出した。

 

 

「ノエル、私も戦う。あなたも覚悟を決めておいてね。ちょっと厄介なやつみたいね」

 

 

「お嬢様、あの」

 

 

「だめよ、一人でなんて許可しないわ。ファリンにすずかと一緒に逃げるよう言って」

 

 主の言葉を遮ることなど滅多にないノエルを制し、忍は戦う意志を告げた。

 戻ってくるであろうあの不気味な子供達から、妹を守るためにノエルの横に並ぶ。

 

「お嬢様!!」

 

 主の行動に納得できないのだろうか、ノエルが声を上げた。

 

「防犯カメラとのリンクで確認しました、申し訳ありません。逃亡を許してしまいました。」

 

――肩透かしを食らった忍は、しばらく動かなかった。

 そして、馬鹿にされたのだと気づく。

 危険な気配がなくなったことに気づいた妹は、扉から顔を覗かせて、満面の笑顔の姉を不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 



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君は本当にこの鉄の塊が空を飛ぶと思っているのかい

――盗みに、ではなく、町の平和を守るために、立ち向かった翌日の放課後。

 

 仗助と億泰は教室の後ろの端にある己の席で昨日のことを話しあっていた。

 

「いや、誘拐犯の奴らは確かに”海鳴に住む月村って奴らは吸血鬼だ”って言ってたんだよ。信じてくれよ」

 

 億泰がここまで必死に訴えるなら、聞き間違いではないのだろう。

 しかし、

 

「なぁ、それってある種の比喩だったんじゃないかな」

 

 仗助の考えはこうである。

 あの言葉は、血液を栄養とする吸血鬼を指しているのではなく。

 月村家の住人は、人の血を啜って生きてるような人でなしであると、罵倒していたのではないか。

 それに、億泰も少し考えて鼻を鳴らした。

 

「ああ、なるほど。ケッ、紛らわしいこと言ってんじゃねぇよ。しかしそうすると、月村って奴らとんでもないな」

 

 

 誘拐犯にまで、悪評が伝わってるなんて、とんでもない外道どもだと、二人はこの場所にいるはずもない月村家を罵る。

 

 とすると、昨日奪ってきたこれらも無駄にならないだろう。

 

 

 

「ねえ、なんでアンタ達は、すぐ隣ですずかの陰口を語ってるのよ!!」

 

 目を向ければ、隣の席の金の髪の毛の子供が腕を振り回し、猿のように怒っていた。

 

   ●

 

 

 

「すずか、どうしたの、今日ずっと元気がないじゃない」

 

 と友人のアリサが顔を覗き込んでくる。

 すずかは昨日の事件で思い悩んでいた眉間をほぐして、笑顔を向ける。

 

 ――いけない、心配をかけてしまっただろうか。

 

 

「ううん、何でもないの。昨日夜遅くまで、本を読んじゃって、ちょっと寝不足かな?」

 

 とすずか。

 アリサはしようがないわね、すずかに苦笑する。

 

 朝食の席、昨日の出来事について、姉であるか忍から説明があった。

 

 まだ、判明していなこともあるが、昨日の侵入者は子供が二人。

 彼らは呪いのデーボと名乗ったらしい。

 その名に覚えのない月村家の面々は首を傾げる。

 ながらく、血族以外の関係を絶っていた月村家。

 だから事情に疎いし、それ故に、接触を図ってくる者もいない。

 困ったときのと、叔母のさくらに確認したところ、デーボは裏の世界で有名な殺し屋ということだ。

 

 少年たちが残したもうひとりのディオという名前は聞き覚えがないそうだが。

 

 それを聞いてすずかは不安に押しつぶされ、泣きそうだったのだが。

 

 

「うーん、たぶん違うんじゃないかな。これは勘だけど、殺し屋にしてはどこかそう、全身から醸し出す空気が――アホっぽかったわ」

 

 とは姉の意見。

 ちなみにメイドのノエルもコクコク頷いていた。

 対峙した二人がそういうのなら、顔すら合わせなかったすずかに言えることはない。

 

――じゃあ、殺し屋ではないその二人は何なんだ。

 それに答えられるものはいないことはわかるので、朝食のトーストと一緒に、疑問を飲み下す。

 

 

 昨日の出来事もあり、学校は休んでもいいと言われたのだが、つい先日できたた友達に会いたい。

 すずかは眠い目をこすり、頑張って登校した。

 

 終業のチャイムがスピーカーから聞こえる。

 授業内容が耳から耳に抜けていった。

 やはり昨夜のショックは強かったらしいと実感したすずかは、放課後の鐘の音で、頭を勉学から遊びに切り替える。

 両手の平で、顔を挟み、ゆっくりとほぐす。

 

 

 

「月村って奴らとんでもないな」

 

 

 さあ、嫌なことは忘れて、子供らしく遊ぼう。

 その出鼻をくじいたのは、すぐ隣から漏れていた少年たちの声だった。

 

 ●

 

 

 

 目を向けるとそこにいたのは、先日の誘拐事件のとき御一緒した、仗助と億泰だった。

 

 クラスのでは、狭い。

 少年たちは、この学校内の異端児だった。

 

 彼らはとても目立つ存在だった。

 

 まずその容姿。重力に宣戦布告を叩き付けたような髪型、太い眉、確固たる意志を持った瞳。

 ――本当に同い年なのだろうか、と常々アリサは疑いを持っていると漏らしていた。

 

 入学式時に、そのハンバーグのような髪型を注意された時など、

 

「――寝癖です。」

 

 の一言で押し切ってしまった猛者である。

 

――後日、全校朝礼の時、指導した教頭のカツラが宙に浮かび、爆発した。

 それ以降、教師から黙認されているが、この件とまったく無関係のはずである。

 

 もう一人は、刈り上げられた両サイドに、真ん中は、パンチパーマ。

 細い眉、何を考えているのかわからない三白眼――これで小学生を名乗るのは詐欺行為になるのではないだろうか、などと失礼な感想が浮かぶ。

 

――ちなみに、億泰が指導を受けた時は「宗教上の理由です」とふざけたことをいっていたのを隣の席のすずかは記憶させられていた。

 

 

 すずかはこの二人とどのように接していいのかわからなかった。

 

 それはクラスメートも同じようで、彼らが二人を避けるのも手伝って、誘拐事件以降、すずかと少年の間に交流はなかった。

 

 

 

 そんな二人の口から出た己の名前。

 すずかは聞き流せず、体の向きを換えた時。

 

 

「何クラスメートの悪口言ってるのよ!!」

 

 すでに、アリサが二人に突撃をかけていたのだ。

 

 

 ――その友情は嬉しいが、いささか短気すぎないかと心配になる。

 

 

 弾丸のような友人を止めるべく、すずかも慌てて三人の方へ。

 

 

 仗助と億泰は何言ってるんだという顔で、アリサのことをみている。

 

「はぁ? 俺らはべつに、クラスメートの悪口なんか言ってねえよ」

 

 億泰は怪訝な瞳で、吐き捨てる。

 

「いま、月村って、言ったじゃない。あたし、ちゃんときいたんだからね」

 

 アリサの一言に困惑する億泰。

――なんだろう、私もたしかに、自分の名をきいたのだけど。

 

 視線が合い、疑問符を浮かべる億泰とすずか。 

 いまだすれ違いに気づかない、二人をおいて、何かに気づいた、アリサのボルテージがグングン上がっていく。

 

 

 

「――まさかあんた達クラスメートだけならまだしも、一緒にあんな目にあった私あたしたちの名前まで、憶えてないなんてことはないわよねえ?」

 

 アリサの語尾は跳ね上がっていた。

 

 ――アリサちゃん、そんなことあるわけないじゃない。

 

 さすがにそれは失礼にすぎる。

 すずかは、このクラスで一番最初に覚えた男子の名は彼らのものだった。

 

 一緒に、あんな経験をした仲だ。

 アリサに続いて、友人になれるかもしれないと、少し舞い上がってしまったことも思い出される。

 そういった乙女心を踏みにじるような悪行。

 ――なにより、事件の後に、精一杯の笑顔で自己紹介し直した女の子のプライドが許さない。

 

 

「あれ、どうしたの東方くん、すごい汗だよ。はい、このハンカチ使いなよ」

 

 差し出したハンカチを受け取る余裕が仗助には、ないようだった。  

 はっと何かに気付いた。

 そして仗助は、不敵な笑みをこちらに向ける。

 

 

 

「いや、いいよ。まったく億泰はともかく、ぼくはそんな失礼なことはしないよ、。な、名前を忘れるなんて――話題にししていたのはたしかだけど、、べつに悪口を言ってたわけではないんだよ――だから、そう真っ赤になって怒らないで、落ち着いてよ、月村さん」

 

――本当だろうか、たしかにすずかの耳は悪口を聞いたのだが。

 

 そして仗助は『我が事のように』怒るアリサを宥めようとしていた。

 それをまったく怒っていないすずかが冷ややかな目で見つめている。

 

 ●

 

「おい、大丈夫かよ、仗助」

 

――おまえはいいよな、すぐに怪我が治って。

 

「いや、治してくれたのおまえだけどな」

 

 

 仗助は億泰に背負われ、月村邸がみえる丘までやってきた。

 

――あの二人は、本当に聖祥に通うお嬢様なのだろうか。

 

 アリサの平手打ちはともかく、すずかの少女とは思えないいボディブローが足にきて、仗助は歩けなくなってしまった。

 

――大体あの金髪は何なのだろう。

 月村の悪口であんなに怒っていたので、これは話題の御本人だと仗助は思ったのだが、見事に外れたらしい。

 というか名前の一つや二つで、暴力に訴えるなど、ちょっと、常識がないように思える。

 それの意味するところは。

 

 

「ああ、間違いねえ。聖祥にも、いたんだな、不良って」

 

 珍しいものが見れたと億泰が頷く。

 

 

「まあ、これで遠慮する必要はなくなったけどね」

 

 そういって、昨日、屋敷に無造作に置かれたていた札束、その端をちぎったものを出す。

 そのまま持ちだしていたら、当然、犯人が、あの時、侵入した仗助たちだと、ばれてしまう。

 故にこの手段をとった。

 

「よし、この位置なら、この前の飛行機みたいにならねえな。窓も開いてるぜ」

 

 双眼鏡をもつ億泰が言う。

 

 

――月村よ、今まで、お前たちが犯した悪行で得た金、弱き人々の代わりに頂戴させてもらう。

 

 心のなかで、悪党一家に断罪の言葉を述べる。

 

 

「クレイジー・D!!」

 

 仗助の背から、浮かび上がった幻像。その筋骨隆々な左腕が、切れ端に触れると、時を巻き戻すように異常な修復が始まった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 玄関前、すずかは、己のつま先を見つめている。

 今日の事を少し反省してる。

 暴力に訴えるなど、人として恥ずかしい。

 

 が、己でも不思議なのだが、あの二人に関しては驚くほどに自制が働かないのだ。

 

――まあ、あの二人にも原因はあるんだけどね。

 

 言葉で諭しても、反省しないことは教師とのやり取りを見ればわかるし、少女たちが不自然に笑いだしたことに、察したのか、足払いを噛まして即座に撤退する鮮やかさ。

 せめて、逃げるときに、すずかに対する罵詈雑言がなければ、あんなにも拳に力がはいることもなかっただろうに。

 

 

「えっ、泥棒に入られたの!」

 

「ううん、屋敷の中に入られたけど、何も盗られてなかったの。ファリンがしまい忘れてた現金も無事だったんだって」

 

 

 昨日から神経をすり減らすようなことが続いて、うっかりアリサに昨日の事を喋ってしまった。

 だけど、アリサも仗助たちのおかげで気力を削られていたのか、いつもの勢いがない。

 

 

「でも不用心ね、現金をそのまま出しておくなんて」

 

 

 

「うん、だから、朝、すぐに金庫の中にしまっておいたんだ――だ、け、ど、?」

 

 

 言葉の途中、すずかは、空を呆然と見上げていた。

 ちなみにアリサも同様。

 

――轟音と共に、二階の壁ぶち破り、空に羽ばたく黒い金庫。

 

 そんな少女たちの非日常と、少年たちの日常。

 

 



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初めての敵

 これはジョセフ一行が日本に戻り、生き残っていた花京院が、なぜか海鳴に引っ越してきた、春のお話。

 

 三年生になり、夜更かしという悪癖が付いた仗助と億泰は、こっそり家を抜け出し、よくコンビニ前とかでこうやって駄弁っていたりする。

「これって、間違いなく弓と矢だよなぁ」

 

 億泰は、花京院からもらった写真を見せる。

 これが、今日の相談の主題である。

 

「いや、なにこれを見付けたら、僕に知らせてほしいんだ。これは少し危険なものでね。べつに命に関わるわけではないんだが、知り合いが日本に持ち込んでから行方知れずになってしまっていてね」

 

 そう言って渡された写真。

 

 二人が、成長するとともに、不自然なほどに忘れ去っていく”ジョジョの奇妙な冒険”の記憶。

 

 そのことに気づき、憶えてることをノートに記したときには、すでに一ページにもならなかった。

 

 そんな紙切れの中に、しっかり綴られていたキーアイテム”弓と矢”。

 

 これに貫かれたものが、スタンドを発現させる厄介極まりないもの。

 

 

「ああ、しかもこの海鳴にあるらしい。ディオの手下か誰かが持ち込んだはしらんが、ホントどうしたもんか」

 

 花京院が海鳴市に引っ越してきたことを含めて考えると、それは確実なものに思える。

 

 しばらく考えても答えは出ず、深夜に小学生が来ているのを見逃してくれてるバイトのお姉さんに礼を言い、二人は家路についた。

 

 

    ●

 

「なあ、億泰、なんで僕らが、こんな目に合うんだろう。スタンドの事は極力隠してきたんだが」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないと、っ!! 思うんだがよお!!」

 

 深夜の並木道を、塀を軽く超す巨躯が駆け抜けていった。

 自然界ではありえないフォルムをもった黒い何かが仗助達を追いかけている。

 逃げまわっていた仗助はスタンドを発現させ応戦する。

 

 唸り声と共に、敵のスタンドが地面に叩き付けられた。

 

 クレイジー・Dのパワーに感心している億泰とは違い仗助はどこか焦っている様だった。

 

「これだけ痛めつけても本体が出てこないのが問題なんだよ。もしかしたら遠隔自動操縦型かもしれねぇ」

 

 

 スタンドのルール、その一つに本体から離れる程にパワーを失っていくというものがある。

 

 敵があまり歯ごたえがなく、本体が見えないので遠隔操作型だと、仗助は考えたのだろう。

 スタンドが傷つけば本体も傷を負う。

 黒いスタンドが遠隔操作型であるならば、このまま痛めつけて、本体が焦り飛び出してくるのを捕獲するだけでよかった。

 

 しかし、例外がある。

 

 それが”遠隔自動操縦型スタンド”だ。

 こちらはパワーに制約がない上に、重要なのは本体にダメージが反映されないという点だ。

 

 つまり、たとえスタンドを破壊したとしても、本体は無傷で逃げおおせることが出来るのだ。

 本体を潰さなければ、この場で勝利しても、一時のものでしかなく、また襲撃される可能性が残る。

 

 

「億泰、ここは俺に任せて、おまえは、本体をたたけ。しかし潰れても元に戻るなんてずるいスタンドだな!」

 

 

 スタンドで敵を押さえつける仗助を背に、億泰は急ぎ本体を探すべく走り出す。

 

 すると十数メートル先の角を曲がったところに、二人の子供がいるではないか。 

 露骨に怪しい。

 億泰の言えた義理ではないが、深夜に子供がいるべきではない場所にいる。

 それだけでも、今の状況で黒と断定するには十分な根拠だった。

 

「おいおい、こんな夜遅くに出歩いちゃダメじゃねぇか!!」

 

 言葉と同時に、手加減したザ・ハンドの拳を少年に飛ばす。

 

 少年はなんの反応もできず吹っ飛ぶ。

 ――スタンドが見えていない。はずれだと、さっさと見切りつけて億泰は少女に視線を移した。

 

「どうしたよ、少年! そんな飛び跳ねて、いいことでもあったのかよ!!」

 

 同じように飛ばしたザ・ハンドの拳。少女の手前、今度はそれが何かに遮られた。

 ――ビンゴだ。

 億泰は威嚇と余裕を貼り付けた挑発的な笑みを浮かべた。

 

「嬢ちゃん、テメェが本体か、ボコボコにされたくなきゃ、とっととあっちの黒いでかいのを解除しろや!!」

 

 また見えない壁が、先程よりも強い一撃を防いだことを確認する。

 

 億泰の纏う空気がひりつく。

 少女の肩にのっかていたイタチがさっきから、億泰の目の前をちょろちょろしているのがうっとおしい。

 

「そうです、わたしにそんなつもりはありません!!」

 

 

 少女は億泰の最後通告を否定した。

 

 解除する気はないということか。

 それは、つまり。

 

「つまり、俺のザ・ハンドに勝つつもりかよ。ああん、なめるなよ!!」

 

 億泰の笑みが崩れ、それが白い少女との開戦の合図になった。

 

    ●

 喫茶翠屋の次女が深夜徘徊をしている。

 

 不思議な声に助けを求められ、家を飛び出した高町なのは。

 

 途中、同じように、不思議な声を聞いたクラスメイトの真と一緒に。  声が導いたのは、昼間助けたフェレットがいる動物病院だった。

 そこでの出来事をなのは生涯忘れることはないだろう。

 二足で立ち上がるだけならともかく、歩き出すは、喋り始めるはの小動物に、なのはの目が飛び出てしまいそうだった。

 

 フェレットは魔法使いで、戦えない自分の代わりになのは達に戦って欲しいと頼み込んできたのだ。

 時間がないと色々と込み入ったことを省略し、必死に頼み込んでこられる。

 

 傷ついた小動物を放っておけない心優しい少女は、了解し、一つしかない魔法の杖らしきものを受け取る。

 

 フェレットの念話を受けたものだけがそれを扱えるという話なのだが、声が聞こえたはずの真は、それはなのはの物だといって、ぐいぐいと押し付けてくる。

 

 戦う役目を全力でなのはに擦り付けてくる情けない友達にため息が出るが、そこはそれ、くよくよしていてもしようがない。

 幼なじみの少年にたまにある強引さに呆れながらも、気を取り直し、走りだしフェレットの後を追う。

 

 

≪早く、もうジュエルシードは暴走しているみたいなんだ!!≫

 

 

 そんな少女達の前に現れたのは、なのはが想像していたフェレットの天敵である猛禽類ではなく、同じクラスの少年、虹村億泰であった。

 

 意外な人物と、意外な時間に、意外な場所。

 

 その突然の出会いに、呆然としてるこちらを無視して、億泰は近づいてくる。

 

 戸惑うなのは達を気にせず、億泰は無遠慮に二人を観察してきた

 

  

「おいおい、こんな夜遅くに出歩いちゃダメじゃねぇか!!」

 

 なのは一人に戦わせようとした天罰か、何もない所で真が派手にこけた。

 

「どうした、そんな飛び跳ねて、いいことでもあったのかよ!!」

 

 

≪なのは!シールドをはって、早く!!≫

 

 すこしばかりいい気味だと内心、思ってしまったことを恥じたなのはにフェレットが警告を発した。

 警告の意味がわからない。

 それでも急ぎシールドを張ろうとするのだが、勝手がわからない。

 

 だが杖自体に意思があるのか、なのはを補助して光の盾を作った。

 突然、衝撃がなのはを襲う。

 見えない何かがシールドにぶつかり、なのはを後ろに押し出した。

 

 なのはには何が起こったのか皆目検討がつかないのだが、とった行動が、億泰の雰囲気を硬質なものにかえた。

 

 ≪フェレットさ~ん、どうして虹村君が怒ってるの!!≫

 

 争い事の経験がないなのはに、その空気は耐え難い。

 怖くなったなのはは、念話でユーノに助けを求める。

 億泰が一歩、なのはに近づいた。

 

 

「嬢ちゃん、テメェが本体か、ボコボコにされたくなきゃ、とっととあっちの黒いでかいのを解除しろや!!」

 

 

 なんで怒っているのか、なにをいってるのか全然分からない。

 でもボコボコにはなりたくないと、なのはは思った。

 

≪黒いのって、暴走体ですか!! その力、あなたはこの世界の魔導師ですか。誤解です、あれは僕らが操ってるものではありません。僕らに争うつもりはないんです!!≫

 

 ――まったくその通りである。

 

 フェレットの言葉通り、なのはに争う意思も力もない。 

 はやく億泰の誤解をとこうと、フェレットの言葉になのは続く。

 

「そうです、わたしにそんなつもりはありません!!」

 

 なのはキッパリと戦う意志がないことを宣言したのだ。

 だから億泰が笑顔を浮かべた時にはほっと胸を撫で下ろした。

 

 

「つまり、俺のザ・ハンドに勝つつもりかよ。ああん、なめるなよ!!」

 

 そして笑みが、怒号に変わった時には泣き出しそうになる。

 

 何事もすぐに投げ出してはいけないと両親に育てられたなのはだが、今度ばかりは魔法使いをどうやったら辞められるのか誰かに尋ねたかった。



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一発だけなら、誤射

 

「おいおい、さっきからハエみたいに飛び回るだけか。そんなんじゃ俺には勝てねぇぞ!」

 

 億泰は敵に挑発の言葉を投げる。

 

 スタンドを使い砕いたアスファルトを投げるも、光る壁に阻まれどうにもならない。

 

 空を飛ぶことができる敵のせいで、戦闘が膠着してるのだが、

 

「くっ、なのはちゃん! 俺はどうなってもいい。だから逃げるんだ――あ、すいません、声大きかったですか?」

 

 そこは問題ではない。

 

「なら、続けますね。――なのはちゃんの足手まといになるくらいなら、ここで死んだほうがましだ。――えっと、まさか殺されたりなんて」

 

 そういった残酷なことはしない。

 億泰は考える。

 

 先ほどまでころがっていた少年が上半身だけをおこし、芝居がかったセリフを少女に向けているのはなぜなのだろう。

 

 

 仗助があの黒いスタンドを倒し、こちらに来るまで、少女の逃亡を防ぐための人質になってもらっている現状、特に問題はないんだけど。

 

 ――やけに協力的だ。

 

 なにか企んでいるのかと億泰がひと睨みするのだが、

 

 

「えっと、そんなに見られると、照れるんですが」

 

 

 ――ただの頭の悪い少年にしか見えない。

 

 

 少女の方から、牽制に放たれる光の玉も、ザ・ハンドの拳ですべて叩き落とせる。

 問題といえば、少年の言葉が届けば届くほど、彼女の顔が険しくなっていくことぐらいだ。

 

「真君!! ちょっとは逃げる努力ぐらいしてよ!!」

 

 

 億泰もそう思う。

 

 俺に力があれば、と少年が嘆くのだが、そういうことも関係ない。

 億泰が呆れていると、いたちと見詰めあっていた少女が、地面に降りた。

 何かするつもりなのか、警戒と少しの興味がわいた。

 少女のスタンドらしき杖に今まで以上の光が集まっていく。

 集まる光の大きさに、ちょっとヤバいかもと思ったとき、杖から閃光が走った。

 慌て、空間ごと削り、消滅させる切り札――ザ・ハンドの右手を振るう。

 だが、思ったような衝撃がない。

 

「おいおい、ちゃんと狙って撃てよ、って!」

 

 億泰の横を通り過ぎるピンクの光に安堵するも、白い少女の姿がなくなっている。

 慌て探せば、億泰の後ろ数メートルに降り立つ少女。

 どうやら大砲を撃ち、の隙を狙って億泰を飛び越えたらしいが、何が狙いなのか。

 人質の少年がこちらにある限り戦況はかわらないはずだ。

  

 だから、少女の横に少年が倒れてる事に気づき億泰は驚いた。

 

 

 ――やられた。少年はさっきまで動けないふりをしていたのだ。

 

 あのバカな芝居で億泰を油断させ、少女の大砲のどさくさにまぎれ逃げる。

 気づいた時にはもう遅く、白い少女は、肩に少年を担ぎ飛んで行ってしまった。

 追うすべはなく、億泰は、出し抜かれたことを悔しく思う。

 だがその一方で一つ不可解なこともあった。

 

 ――どうでもいいことなのだが、少女の担ぎあげた少年から、焦げたような匂いと煙が上がっていたことである。 

 

 

 

 翠屋次女の肩に乗っているイタチは焦っていた。

 なのはと敵魔導師の戦いは膠着している。

 彼女は、初めてとは思えない戦いぶりを見せているのだが、少年には一歩も二歩も届いていない。

 なぜだかわからないが、敵は魔力弾を撃たず、それが彼女をぎりぎりで生かしている。

 

 ≪くっ!早く暴走体を封印しないといけないのに!!≫

 

 暴走体の気配は動いていない、被害がでるまえに、――動いていない、その事実に気づきフェレット――ユーノ・スクライアは警告する。

 

 ≪なのは!大変だ、彼には仲間がいる!!≫

 

 活動している暴走体を足止めしている人間がいるのだ。

 なら先ほどから、積極的に攻めてこないのは、時間稼ぎなのだろう。

 暴走体の気配が消えていく。

 ユーノはジュエルシードが封印された事を悟った。

 

 

≪なのは!彼の仲間が来る、魔法初心者の君には荷が重い。ここは逃げるんだ!≫

 

 

「でも! 真君が捕まっているの!――真君!! ちょっとは逃げる努力ぐらいしてよ!!」

 

 もう一人の協力者である真をなのはは叱咤する。

 ユーノのせいでこの世界に散らばったジュエルシード。

 万全ではないと言い訳し、ユーノが自分勝手にも協力者にしてしまった少年を見捨てるなどできようはずがない。

 捕まってしまった少年は、恐怖のあまり異常な行動を取り始めている。

 

「ねえ、フェレットさん。さっき言っていたけど、この魔法って人に撃っても大けがはしないって本当?」

 

 そうだとユーノが頷きかえすと、彼女の杖に光が集束されていく。

 

 それは砲撃魔法。

 魔法を覚えたての少女が使えるはずのないそれが、目の前で行使される様を見て、なのはの才能にユーノは戦慄する。

 

 ――でもなんで、今まで使わなかったんだろう。

 

 同時にそんな疑問も浮かんだ。

 

 疑問の答えはすぐに分かった。

 なのはは敵ですら傷つけるのを厭うたのだと。

 そんな優しい少女に助けられたことを感謝し、戦わせていることを後悔した。

 だがなのはに、人を傷つけたという重荷を背負わせるべきではない。

 ユーノに軽くできるかは、わからない。

 

 だが、それでもなのはが撃ったのではなく、己が撃たせたのだと。

 

 それだけは伝えないと、ユーノは固く誓う。

 

 

 ――桃色の閃光が放たれた。

 敵の魔導師ではなく、その横で声あげているもう一人の協力者にむかって。

 

 

  ●

 

 

 少し頭が混乱している。

 

 今、ユーノ達は、集束魔法によって吹き飛んだ真を回収して、なのはの家の近くの公園に移動した。

 

 真はまだ目を覚まさない。 

 香ばしい匂いをさせプスプスいっているのでとても心配だ。

 

 だがそれよりもユーノには気がかりなことがある。

 

 ≪……えっと、なのは。君、真の事を≫

 

 

「うんっ! 初めての魔法だから失敗しちゃった。次は気を付けるね にゃははは!」

 

 満面の笑みを返すなのは。

 

 ――彼女の戦いぶりをみるに、ミスらしいミスはなく、とても初めての戦闘、初めての魔法行使には思えない。

 

 

「うんっ! 初めての魔法だから失敗しちゃった。次は気を付けるね!!」

 

 

≪そ、そうなんだ。偶然当たって、偶々真が吹っ飛んで、幸運なことに人質から逃げられたんだね……≫

 

 そうだ彼女は今日初めて魔法に触れたんであって、真にあたったのはただの事故に違いない。

 なのはに伝わるよう何度もユーノは頷き肯定の意思を表現する。

 

 ――だからこれは不注意なのだ。

 先程からユーノに向けられている杖を下してくれるようになのはに願った。

 

 これがユーノ・スクライアと高町なのはの始まりの夜の出来事である。

 



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挿話 風の向こう側

 図書館前の長い道路。

 

 唸り声をあげる車輪、吹きすさぶ向かい風、すべてが奴の味方をしている。

 しかし、まだレースは終わっていない。

 図書館入口前の交差点で、スタンドを使い加速、強引に内に入り億泰を跳ね飛ばす。

 

「仗助、おまえじゃ、俺の成金号にゃ勝てねえよ!」

 

 

 すぐに態勢を戻し追いついてくる。

 

 直線じゃ勝負にならない。

 今の接触でどこかぶっ壊れてくれりゃいいのにと仗助は吐き捨てる。

 

 操るマシンの差がありすぎる。

 

 なんでこんな賭けをしてしまったのだろうか、仗助は愚痴りたくなる。

 

 理由がないわけではない。

 

 別居中の父親に買ってもらったというピカピカのMTB、年相応にそれを喜ぶ億泰。

 

 自慢する億泰に嫉妬したのだろう。

 

 中身も体の年齢に影響を受けているのか、片親で父のいない仗助にはその赤いフレームが眩しくて仕方なかった。

 

 

「おお!なんだボーっとしやがって、やっぱそんなマシンで戦いを挑むのが無謀ってことにようやく気付いたのか?」

 

 

 ――そんなわけないだろうと、余裕を見せるために笑う。

 

「言ってろ、ラスト一周。最後に前を走っているのは、僕と相棒に決まっているんだよ!!」

 

 

 モヤモヤした気持ちを置き去りにするため、マシンに力を込める。

 

 

 仗助の気持ちに呼応して、限界を超えたスピードで車輪がうなり声をあげた。

 そんなどうてもいい午後の話。

 

 

 車椅子の少女――八神はやては読み終わった本を閉じ時計を見る。

 

 針は遅々として進まず、そのため、図書館の静寂に混じる子供たちの話声が気になる。

 

 学校帰りに寄ったのだろうか、読書の邪魔にならない程度のはしゃぎ声。

 

 両親が居らず、障害の事もあってか、それらが決して自分のもとにはやってこない宝石に見えてしまう。

 

 

「……あほらしっ、次の本とってこよ」

 

 車いすを動かし、目当ての棚に行く。

 

 ――あった! 

 少し高いところにあるそれは、小さな魔女のお話。

 

 ちょっと前に流行って、ようやくこの図書館に入ったのだが、いつも貸し出されていて、上巻しか借りられずそのまま時間がたってしまった本。

 

 活発な魔女の女の子が、イタズラして怒られたり、頑張っている男の子を影から応援したりするそんな物語。

 

 でも、女の子のまわりにはいつも暖かい笑顔や笑い声にあふれていて、読むだけではやての中にもその熱がわけてもらえる気がして大好きだった。

 

 

「よっ、ほっ!ダメや、」

 

 手を伸ばすも、もう少し届かない。

 

 顔なじみの司書に頼もうかと思案していたその時、横から本に手が伸ばされる。

 

 その子の髪型の奇抜さが強すぎて言葉が出なかったが、すぐに気を落ち着けて礼を言う。

 

「あの、ありがとうな」

 

 

 

 ――リーゼントという一世代古い髪型の少年は、はやてに微笑みを返し、本を一つ上の棚に入れ替えロビーのほうに歩いて行った。

 

 

「ちょっ! まてや!! そうや、そこのリーゼントのおまえや。なにキョロキョロしてんねん。そんな奇特な頭、おまえ以外に居らんわ!」

 

 

 ――心臓飛び出る程にといえば大げさだが、なかなかの理不尽さに戸惑ってしまう。

 

 どういうつもりだと問いただせば、障害者に対して優しくするのは、本当の意味での優しさではないと講釈をたれてくれた。

 

「同情されるのは確かに気分悪いけど、意地悪するのはちがうやろ!」

 

 

 ――ナイス突っ込みと嬉しそうな少年。

 

「顔真っ赤なのはおまえのせいじゃ、指さして笑うな! ――なに、そろそろ行っていいですかって。はぁ、ええよ。もう疲れたわ」

 

 はやてが声を荒げたのは久しぶりのことだった。

 

 ただ去っていく背中を見送る。

 

 

「司書さん呼びにいこ」

 

 

 

 結局本を自力で取ることをはやてはあきらめた。

 

 

 

 ――少し眠ってしまったみたいだ。

 

 ロビーの窓から入る夕日に気が付く。

 そして尻の下の柔らかさに首を傾げた。

 

 はやてはたしか向こうのテーブルで本を読んでいたはずだ。

 

 ロビーのソファーに横になってる自分。

 

 誰かが気つかって運んでくれたみたいなのだが、心当りがない。

 

 

「ああ、やっぱりMTBには、勝てないか。いい線いってたんだけどなぁ。」

 

 

「いや、まだラスト一周残っているんだわからないぜ」

 

 

 ――なにごとだろう。

 図書館にいた子供たちがみんな窓に寄って何かを見ている。

 

「何見てるんですか?」

 

 

 はやてはすぐ横でソファーに膝をついてる男の子に聞いてみる。

 

「ああ、さっきまでここらうろついていたかわった髪型の子達がいたろ。彼らが図書館周りの道でレースをしているんだ。いやぁ信じられないくらいスピードが出でるんだ、

君も見てごらんよ」

 

 

 そう言って指さす手の方向に体をひねってみると、窓のすぐ外を赤い弾丸が通り抜けっていった。

 

「ぶっ!! ちょっと速すぎやろ。今、スクーターのおばちゃん抜いてたで!!」

 

 

 到底、自転車では出せないスピードに興奮する。

 

 あんなスピードでレースなんて、娯楽の少ない小学生には楽しすぎるではないか。

 

 はやてもはしゃぎたくて背中がムズムズする。

 

「ほら、いまもう一人がくるよ。さっきまで追いついたり離されたりの繰り返しだったんだけど、そのたびにマシンの体当たりが見られてね、そこがまた熱くさせるんだ」

 

 

 こういうときは負けてる方を応援したくなるのはなぜなのだろう。

 

 

 

「ほら、がんばり~、はよ追いつきなや、応援しとるよ!」

 

 

 窓から声援を送ると、見覚えのあるリーゼントの少年が手を振ってくれる。

 

 

 ――それがうれしくて、さらなる加速で目の前を通り過ぎていく車いすの背中が見えなくなるまではやては手を振リ続けた。

 

 

「で、何か言い訳があるなら言ってみい!」

 

 

 自転車持っていなかったからという、言い訳ですらない、ただの事実を車いすの持ち主に、仗助は話す。

 

 

「やからって、他人様のもん勝手に持っていくなや!!」

 

 

 気持ちよさそうによだれ垂らしていたから起こすのは躊躇われたという仗助の善意も付け加えたのだが、少女はお気に召さないようだ。

 

 

「よよ、涎なんて――ちょっとそこの棚の右端の本とってもらえんか?」

 

 

 急に笑顔になった少女。

 これくらいの年齢の子供はすぐに熱くなたっり、冷めたりする。

 

 大人である仗助が折れてやるしかないと、本を探す。

 

 取った本は厚く、なかなかに難解で、仔狸みたいな顔の少女には不釣り合いに思える。

 

 

「ありがとな、これで許したるわ。」

 

 

 これ位大したことじゃない、気にするなと格好を付ける前に、少女は分厚い本を、仗助の頭に振り下ろした。 

 

 

 ● 

 

図書館でひとり寂しく本を読みに来たはずが本でリーゼントをしばくことになった。

 はやての日常としてはありえないくらいに珍しい午後。

 

 はやての気がおさまってから、レースのせいで車いすに故障がないかどうかチェックして家路につく。

 

 今日は、己のコンプレックスを気にせずに人としゃべれた珍しい日になった。

 

 相手が風変わりだったのも後押しをしてくれたのだろう。

 

「私は、八神はやて。まあ、こんなんやから、学校にも通えてなくてな、よくこの図書館にいるねんで、その、今度会ったら声かけてくれるとうれしいな」

 

 

 車いすを指し、勇気を出してしばいた少年とその友達に声をかける。

 

 

「ああ、ぼくは、アリサ・バニングスて言うんだ。うん、父が英国の人でね、ハーフになるんだ。えっ、名前が女の子みたい。――気にしてるんだからあまり言わないでくれよ」

 

 全然気にしているように見えないので、謝罪するべきかはやては迷う。

 

 

 もう一人さっきまでアリサとレースをしていた此方も変わった髪型の少年も続いて名乗る。

 

「アリサ君の友達で月村すずかっていうのよろしくね。」

 

 聞き覚えのある名前。

 だがそれ以上に、語尾に気持ち悪さを感じる。

 それに男につけるには響きが可愛らしい。

 

「酷い、私こう見えても立派な女の子よ!!」

 

 すずかの主張に頭痛を覚え、目頭を押さえる。

 ほんの少し下げた頭を謝罪と受け取ったらしいすずか。

 

 

 

「ううん、気にしないで。わかってもらえればそれでいいの。私たちもう帰るね、うちでペットのノエルがお散歩を待ってるの、じゃまたね」

 

 

 必死に表情を殺し、はやては手を振って二人と別れる。

 

 ――二人の姿が見えなくなったあとすぐに、はやては車いすのポケットから携帯を取り出した。

 

 

「ああ、そう、はやて。うん、すずかちゃんの知り合いにリーゼントはわからんか、フランスパンが、そう!その子――」

 

 

 すずかとの電話を終える。

 密告者は、おもしろい縁ができた事を喜び、意地の悪い笑みを浮かべた。

 



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ジョースターの血脈(お買いもの編)

『全身が痛くてベッドから出れないよ。今日は欠席します。昨日はなのはちゃんが助けてくれたんだよね、ありがとう。ところで、僕の体の異常になにかこころあたりがないだろうか? いや、どうも虹村君につかまって以降の記憶があいまいでね』

 

 彼からのメールに『それは不思議だね』とだけ返し、なのは携帯を閉じる。

 朝のHR前の時間。

 昨日の事が気になり、朝早くに来たのに、相談するべき同じ当事者である少年は欠席。

 せめて、ユーノだけでも一緒にいてくれれば心強かったのだが、カバンに入れるところを兄に見つかり、なのはの部屋に監禁されている。

 ユーノは、クラスメイトの虹村億泰と話がしたいと言っていた。

 昨夜の出来事が、一体どういった事件だったのか。

 それを把握するためだ。

 

 だけどなのはは、遠慮したかった。

 

 億泰がクラスの異端者であること、それ自体に思うところはなく、嫌っているわけではない。

 そもそも、高町なのはという少女の性質上、他人を嫌うといったことはあまりない。

 

 だが、億泰の顔を見ると、どうしようもない寒気が、なのは頭に走るのだ。

 理由のわからない衝動に、なのは一人では動けずにいた。

 

 幸いというかなんというか、億泰は、いつも遅刻ギリギリにしか来ないので、それまでにこちらから接触をとるかどうするかを決めておきたい。

 

──顔を合わせたら、いきなり襲ってきたりしないよね?

 

 さすがにそんな事はないだろう。

 だが、あの小学生らしからぬ髪型を思い浮かべるに、可能性がないとは言えない。

 不安な内心を隠して、なのははクラスメートと笑顔でお喋りをしていた。

 

 

 

 そんな折、大きな音と共に教室の前のドアが開け放たれる。

 

 お喋りの声がなくなり皆の注目を集めたことを確認すると、ほかの男子に比べ頭二つ三つ、大きなシルエットが二つ、教壇にむかっていく。

 心の準備ができていたはずなのに、つい目をそむけてしまったのはしょうがないと思う。

 と云うか、そんなかよわいなのはを、この状況に一人きりにするなんてどういうことだろう。

 

 

 男の子であるならば、体調が悪かろうが、真は這ってでも来るべきだし、ユーノもその前歯でドアを齧って穴を開けるくらいしてほしい。

 億泰の相棒の東方仗助が窓際まで歩きクラス全体を見回している。

 

 別に彼の方を見ていたいというわけではないのだが、先ほどから、教壇の前でこちらを睨みつけてくる億泰の瞳を躱していたら自然とそちらを向いてしまった。

 

「おら! 全員こっちに注目しろ。今面白いものを見せてやるからよ。」

 そう言って彼は、懐から出した何かに、ライターで火をつけ軽く前に放り投げた。

 

 

 ──耳が痛い、火薬のはじける音が教室を覆い尽くし、煙のにおいが漂っている。

 突然の奇行。

 

 皆が呆然と、億泰を見ている。

 

 それと同じように億泰が目を丸くしてなのはを見つめていた。

 見られる心当たりはある。

 だが、見られた上で、首を傾げられる心当たりはない。

 

 億泰が、疑問符を浮かべ、なのはも首をかしげる。

 

──なにかしてしまったのだろうか?

 

 首を傾げた億泰の顎に、アリサ・バニングスの右フックが襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天高くつきだす右! そびえたつ山の如き左!

 

 全身を躍動する筋肉の叫び!

 

 そして、最後に黄金の角度を持って示す人差し指!

 

 腰回りと尻を引き締める。

 

 ≪ ワムウ!! ≫

 

 仗助のスタンドが、引き締まった体躯で、遠い遠い昔に存在した謎の生命体のポーズを決める。

 

 その完成度に、仗助は満足げだったが、感動に泣き叫び、褒めそやすこともなく、クラスメイトは億泰の方を見ていた。

 それに、若干の不満が残らないわけではない。

 だが、本来の目的は別にある。

 仗助も、名も知らぬ茶髪の小娘の方を見た。

 

──ああ、これは億泰の勘違いだな。

 彼女は、仗助の芸術に反応もせず、億泰と見つめ合っていた。

 

 つまりスタンドが見えていない。

 

 億泰は自信満々だったが、そういうこともあるだろうと、仗助は思っていた。

 

 

 なんせ、この年頃の少年少女は、男女の性による顔つきの差も少なく、皆が似たような顔をしている。

 億泰は昨夜敵対したスタンド使いが クラスメイトだと、断言していたが、茶色の髪の同年代の少女という情報だけで、特定できるものではない。

 

 だから当てが外れたことを、仗助はそれほど悔やんではいない。

 だけど億泰は、白目を剥いて落ち込んでいた。

 少し大げさすぎると、仗助はため息をつく。

 

──ついでとばかりに、アリサの左アッパーが仗助の顎を突き上げた。

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか、放課後になっていた。

 保健室のベッドから、職員室へ。

 爆竹の件で呼び出された億泰と合流し家路につく。 

 

 ≪なんで、新任の私のところに問題児が集まっているんですか!!≫

 

 職員室から若い女の泣き声が聞こえた。

 仗助は大変そうだと、同情する。

 

 二人は、知り合いのコンビニのお姉さんの紹介で、駅近くの骨董屋の爺に、昨日の黒いスタンドからえぐりだした石を見てもらった。

 

 だが、宝石や、まして金になる鉱石の類でもないとのこと。

 

 あまり期待はしていなかった。

 黒いスタンドは殴ろうがちぎろうが、すぐに回復したが、外側から見てもわかる光を出すこの石をえぐり出すと霧のように消えてしまった。

 後に残った石はしばらく安っぽい光を放っていたが、何回か地面に叩き付けると、玩具が壊れるように光らなくなった。

 

 それから今まで、うんともすんとも言わない。

 敵のスタンド能力と関係は薄いように思える。

 

「しかし仗助、その石は残念だったな。高く売れりゃあ、最近寂しくなった懐が暖まる所だったのによ。おい仗助、先にいくなよ!」

 

 億泰の足取りは、ふわふわしていた。

 放課後になるのに、まだまっすぐ歩けないらしい。

 担任の教師は、二人を呼び出す前に、あの金髪をどうにしたほうが良いと思う。

 冗談ではなく、傷害事件を起こしそうだ。

 

「で、その石どうするんだ?海で石切りでもするか」

 

 ──へっ! この仗助様になると、こんなゴミでも金に換えられるんだよ、億泰君。

 どうやってかって? こほん、まず、頭の悪そうなチンピラをそこらの汚い路地裏から二三匹拉致ってくるだろ。そうしたら、この宝石はとても強い力を持っていて、懐に入れておくだけで、金は入るは、女にもてる、背丈は伸びるし、痔は治るときたもんだ! と並べ立てる。

某、金のネックレス(よく雑誌の裏についてるやつ)と同じ効果だ。

 そうすると、馬鹿どもが聞きかえす、どうしてお前がつかわないんだと。

 いや、聞いてくれたか、知り合いのばかな金髪が、教師との間に身籠って、密かに堕す金がいる。だから泣く泣くこれを手放すと。

「というわけで十万でどうだ!!」

 そうすると馬鹿が、それはお見通しだといった態度で、高すぎると馬鹿笑いをする。

 そこで、いくらなら買うと聞くと、これでもかってくらいの安値を吹っかけてくる。

 ここでこちらが、常識持ってるのかと小ばかにして笑い、そんな値で売ったら、僕の家族は飢え死にすると、首を掻っ切るジェスチャー。

 なお、この時点で最初の金髪はどうなったのかとか気にしてはいけない。

 普通の人はこの時点でほかの店に行くのだが、路地裏産の馬鹿はまだ騙されていることに気づかない。

 ここから値段交渉が始まり、まあ馬鹿の少ない懐から一万でも取れりゃあ儲けもんだといったところか。

 

──と、得意げに仗助が説明するのだが。

 

 少しインテリジェンスを億泰に見せつけてしまったかと、仗助が鼻を鳴らす。

 きっと億泰が、尊敬の眼差し向けてくるだろう。

 

 それを受け止める心構えをしてから、億泰を見る。

 

「──億泰、僕の右手にあった石ころが、いつの間にか十数枚の紙幣に変わっているのはなぜかな?」

 

 億泰が指差した先には、鼻歌を歌いながら、角を曲がる、犬耳(アクセサリー?)を付けた美人がいた。

 

 

 

 

 女性のもとに駆け寄り、仗助は全力で土下座する。

 額が額だ。

 さすがに、面識のないそこいらの一般人を騙すには、金額が大きすぎる。

 事情を話し、警察には言わないでほしいとお願いする。

 

「いや、アンタ、正直だねえ。よし! そんなアンタにご褒美だ。この石、アタシが買い取ってやるよ。なに気にすることはないよ、アンタみたいな誠実な人間に出会えたんだ。今日は幸運な日だよ!」

 

 

 

 日本人ではない顔立ちに、露出の多い服装。

 海鳴の街には、少し異様に映る。

 だが、言葉も通じるし、言動も普通。

 千円札を仗助に握らせると、小走りで去っていった。

 

 騙されたのに、それを簡単に許し、お金までくれた。

 

 仗助は、あんな優しい人間がいることに感動し、騙したことを悔やんだ。

 

「なあ、あの人、話してる最中、ずっとわらいをこらえてなかったか。格好もそうだが、なんか胡散臭くなかったか?」

 

 億泰は人を信じることを覚えた方がいい。

 仗助は、人を信じる心のない友人を不憫に思った。

 あんな優しい人を疑うなんて、きっと億泰の心は腐りきっている。

 

 それに、仗助はとても賢いので騙されるはずがない。

 そう説明すると、億泰が鼻で笑った。

 その態度に、説教を垂れながら、二人は近くの喫茶店に入っていく。

 看板には『翠屋』と書かれていた。

 

 ●

 

「ただいま、満席となっております。どうぞ、お帰りください!」

 

 女子高生などで賑わっているが、座席にはすこし余裕があるように見える。

 

「店を出て五十メートル先のファストフード店などいかがでしょうか?」

 

 黒髪で三つ編みのきれいな店員さんにでてけといわれた。

 

「店員が失礼をしました。奥の席にどうぞ」

 

 背の高い整った顔の青年が女性を押しやり、二人を席に案内してくれる。

 だが、その程度の謝罪で二人が許すわけもない。

 

 

「おいおい、さっきの店員はなんだ! いくら美人だからってあの態度はないだろう」

 

「そうだぜ! 外見だけよくたって、子供にやさしくないのは最低だ」

 

 大きめの声で騒ぎ立てる。

 店員になだめられながら、奥のテーブル席へ。

 

 しばらくたつと、さっきの女性店員が水と注文を聞きにやってきた。

 

「いやぁ、さっきはごめんね。前にちょっといやなことがあってね。でも美人なのにあの態度はなかったよね。ごめんね、私、美人なのに。というか、美人でごめんね」

 

 満面の笑顔で対応され、文句を言うこともできず、黙っていることしかできなかった。

 テンションの浮き沈みが激しい人らしい。

 

≪恭ちゃ~ん! コンタクトに換えて正解だったよ~≫

 

 ケーキとコーヒーに舌鼓を打ちながら、昨夜の事を話し合う。

 だが、あの少女を見付けぬ限りできることは無いという結論しか出なかった。

 

「君たち、すずかの友達よね。相席いいかしら?」

 

 そういって、強引に相席してくる紫の長髪の女性だった。

 切れ長の瞳の整った顔立ちは、日本人以外の血を感じさせる。

「忍さん! ちょっと強引ですよ。君たちごめんね」

 

 仕方ないなぁ、といった様子でこちらも座席に座り込むショートの女性。

 少したれ目で優しそうな笑顔で、こちらは順日本人といった感じの雰囲気。

 仗助の見覚えのある、この近くの高校の制服を着ていた。

 

 こうして、この後の事件のきっかけとなる少し変わったお茶会が始まった――ところで、すずかとは、誰のことなのか、仗助は少しばかり考え、すぐに忘れた。



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みんながみんな目撃者

 僕らを窓際に押しやり、億泰の隣に忍さん、此方には那美さんがつめてくる。

 軽く自己紹介をした限り、忍さんは僕らのクラスメートのお姉さんで、那美さんは彼女の高校の頃の後輩だとか。

 クラスメートの月村が男だったか、女だったかすら覚えてないので、どこか曖昧な受けごたえが続く。

 忍さんの反応から、僕らとそれなりに親しいことが窺えるのだが、クラスに親しい子など居ただろうか。

 もしかして、昼休みになると親切にも、僕と億泰の軽食など買ってきてくれる前の席の彼だろうか。

 いや、忍さんの容姿とすずかというどちらかというと女の子らしい名前で一人連想される子がいるのだが、

 

「あの子、おとなしくてどっちかというと消極的でしょ。だから異性の友達なんて珍しくて、あなたたちの話を聞いて、印象に残っていたの」

 

 うん、じゃあ違うな。

 あの暴力的なガキは頭のリストから除外する。

 月村という名前に覚えはあるので、何かしら接点はあったのだろうが、思い出せず、冷めてしまったコーヒーに口を付ける。

 億泰の方を見ると、先ほどから、何やら必死に踊り狂っているので呆れるしかない。

 そんな呑気な頭の億泰と違い、年上のお姉さん方と話をなんとかつないでいる僕が馬鹿らしくなる。

 同年齢の起伏のない体つきのお子様達と違い、メリハリのあるシルエットと年上の女性の甘い香りが僕の顔を赤面させ、正直しどろもどろなのだが、それでもここまでの時間は、振り返ってみればとても楽しいものだったのだろう。

 話の内容も、クラスの出来事に始まり、僕の家庭の事で、母が仕事の研修か何かでこれから数日、店屋物が続くなどという愚痴、他にはここ最近海鳴の未成年の間で広まっているミイラババアなどの怪談話など他愛のないことが続く。

 

 だから何の気もなしに那美さんが放った、

 

「ええ! 忍さんのお家に、泥棒が入ったって本当なんですか!」

 

 という問題発言が忍さんの目を丸くさせ、僕の脳裏に月村家での出来事を思い出させてくれ、コーヒーカップを床に落とすことになる。

 

 

 

 

 

「仗助くん、大丈夫、怪我はない? 今、店員さんを呼ぶわね」

 

「いえ、大丈夫です。コーヒーは丁度飲み切っていたし、カップも割れてませんし」

 

 動揺で落としてしまったカップを拾いながら、億泰の方に、視線で合図を送る。

 億泰はようやく気付いたのかといった呈で、呆れた視線を返してくるのだが、わかっていたのなら、すぐに教えろよ。

 

「那美ちゃん、あなたどうしてそのことを知っているの? 警察に被害届も出してないから、知っているのは身内だけのはずなんだけど」

 

「えっ、そうなんですか? でもさっきから、億泰くんが必死にジェスチャーしているのを解読したらそうなったんですけど」

 

 

 えっと、呑気だなんて思ってごめんね、億泰。

 

 年上の美人さんの鋭い追及の目が、必死に狭い客席で目をそむける億泰に向かう。

 

「億泰くん、なんで知っているのか、お姉さんにわかりやすく教えてもらえないかしら? あら、仗助くんも何か知っているの?」

 

 馬鹿、こっちに目を向けるな! 飛び火するだろうが。

 そこいらの男性なら、軽く虜にしてしまいそうな笑顔がこちらに向くのだが、引き攣った笑みしか返せない。

 

「そうだ! 僕たちそろそろ塾の時間なんで、申し訳ないんですが、お暇させてもらいます」

 

「おお、そうだった! ジュクの時間なんでよ、悪いなお姉さん。……えっとそこ通して貰えねえか」

 

 すんなり道を開けてくれた那美さんとは違い、笑顔でどっしりと道を譲らない忍さん。

 そうだった、あの時も確かに強い意志を見せてくれた。 

 焦る億泰に、白々しく、いいことを思いついたという顔で、

 

「あら、ちょうどいいわ。今、車を呼んだの。二人とも塾まで送ってあげる。ふふ、子供は遠慮なんてしなくていいのよ」

 

「……ええっと、よく考えたら塾に入ってなかったので遠慮します」

 

「……ああ、俺の通っているところはこの前、潰れたんだった。今思い出した。 ……那美姉ちゃん、なんで何もない所でこけてるんだ?」

 

 逃げ道が着実につぶされる。

 何か言い訳を、

 

「そうだ! す、すずかから聞いたんだ」

 

「そう、今、すずかの携帯にかけるから少し待ってね」

 

「い、いや、すずかの話しているのを偶然聞いたというか、何というか」

 

 下手な言い訳がどんどん道をつぶしていく。

 このままでは、住居不法侵入とか、窃盗などの罪で、少年院に直行だ。

 新聞デビューを果たす僕。

 母や祖父の悲しむ顔が見える。

 いや、まだ決定的なボロは見せてないはずだと、席に着きなおし、落ち着こうとカップに口を付け、飲み干してしまっていた事に気づく。

 

 

 

 そんな僕らをあざ笑うかのごとく、

 

「ところであなた達、『呪いのデーボ』って知っているかしら?」

 

 忍さんの絶望的な言葉が耳に響く。

 

 またも動揺し、カップを落とす僕。

 テーブルの下で陶器の砕ける音が不快だが、弁償するのは、いやなので治し、テーブルの下から顔を出す。

 

 

 

「ええっと、那美ちゃん。私に何か恨みでもあるのかしら?」

 

「うええ、忍さん、違うんです。吃驚しちゃって。え! 何にですか? えっと何でしょうね? あははは……ごめんなさい」

 

 

 そこには紅茶まみれの忍さんと必死に謝る那美さんの姿があった。

 

 

 

 なにが、あったか知らないが、ヒートアップしていた忍さんが落ち着き、先ほどの言葉もなかったことに出来ないかと口を紡いで待っている。

 のだが、出方を窺っている原因は僕らや忍さんを無視して、

 

「……ほら、もう一度出てきて、私はあなたの味方だよ」

  

 とか

 

「ここは、あなたのいる場所じゃないの。未練があるなら私に話して」

 

 や

 

「お願い、あなたが成仏してくれないとこの子にも影響が出るの。あなたはこの子の身内の人なのかな?」

 

 

 と僕の隣で中空に囁いている優しそうなお姉さん、もとい、電波お姉さん。

 

「あ、あの那美ちゃん。あなた疲れているみたいだし先に帰ってくれていいのよ?」

 

 忍さんの気遣った問いに、那美さんではなく、頷く僕と億泰。

 

 三人の生暖かい視線に気づき、慌てて何やら弁解を始めるお姉さんには悪いが

 

「違うんです、私そんな病気とかじゃなくて。ああっ! 仗助くん、さりげなく離れていかないで!!」

 

 

 ひっ、う、腕をつかまれた。

 自分を落ち着かせるためか、一気に紅茶をあおる那美さん。

 それを宥める忍さんに隙ができる。

 億泰もそれに気づいたのか、二人にばれないようにスタンドで合図を送ってくる。

 頷き、テーブルの下を通って逃げてきた億泰と共に全力で店の入り口に、

 

「ああ、あなた達、待ちなさい! はあ、もうしょうがないか……所で那美ちゃん、やっぱり私になにか恨みがあるんじゃない?」

 

 

 店の入り口から、追って来ることのない、なぜかまた紅茶まみれになっている笑顔の怖い忍さんと、テーブルの下で土下座している那美さんが見えた。

 

 

 

 

 

 その次の日の休日の昼間、昨日の事と忍さんたちが話してくれた怪談について億泰と電話で相談する。

 ミイラババア、それ自体は特になんの珍しさもない怪談なのだが、これにある要素が加わってとても物騒なものになっている。

 ○小学校の何々君が、人気のない暗い夜道で、顔を包帯で覆った老婆に出会い、弓で射ぬかれて気を失ってしまう。

 なのに、気が付けば老婆は居らず、深く残るはずの矢傷もほんのかすり傷程度だったという不思議な話。

 この最近はやりだした怪談にある可能性を見出した僕らはこの後、調査を始めるのだが、

 

 

 

 

「おーい仗助。わしゃ、今手が離せないんじゃ。代わりに、応対しといてくれ」

 

 

 爺ちゃんの言葉に、ブザーの鳴った玄関に向かうと

 

 

「こ、こんにちわ。私はファリン・K・エーアリヒカイトです。えっと」

 

 

 美人のメイドさんが現れた玄関に背を向け、

 

 

「おい、じじい! 母さんが居ないからって、孫もいるこの家に、何、デリヘル頼んでやがる!」

 

 

 っていうか、その枯れた歳で、メイドとかマニアックすぎるわ!

 

 

「仗助! 人聞きの悪いことを大声で叫ぶな! ご近所の噂になるだろうが」

 

 爺ちゃん、今の拳骨、かなり本気だったよな。

 涙が出てきたぞ。

 

「ばかもん、非番じゃなけりゃあ、どたまに風穴開けとるぞ。あーすまんが、どこかの家と間違えとりゃせんかね?」

 

 

「あ、あのちが」

 

 

「んんっ、君ちょっと年齢を確認させてもらっていいかね。こういったことをしていい年じゃないんじゃなかろうか?」

 

 

 真っ赤になって何かを言おうとするデリ嬢。

 

 

「ち、違うんです。私は、主人の紹介で奥様の代わりにここ数日の夕食の支度をしに来たメイドのファリン・K・エーアリヒカイト と申します!!」

 

 

 半泣きのメイドさんに、ああ、朋子の言っていた家政婦さんの、と納得していた祖父に、メイドと家政婦は180度違うものじゃないかなと納得できない僕は、もしかしたら頭の固い人間なのかと、真剣に悩む小学三年生なのだった。

 

 

 

 

 

 




霊とスタンドの関係に悩んだんですが、今回の話はジョジョ的設定ではグレーまではいかないと思ってます。


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友達を蹴ってはいけません

 物語の中に生まれる、そんな不思議な事を経験したことはあるだろうか。

 その問いに答えられるのは、俺だけで、これから先にもいないかもしれない。

 周りのどの子どもより早く物心がつき、二度目の生を授けられたことに気づく。

 不思議とその事実は俺の中に何の波紋も起こさず、優しい両親の元、退屈で幸福な幼年時代を過ごす事となる。

 前世と言ったらいいのだろうか、おぼろげにしか、其れをおぼえていなかったのが、今振り返るといい土台になったのだろう。

 

 転機、というものがあるのなら、それは両親の他愛ないお喋りの中に混じっていた『海鳴市』という単語だろう。

 その前世では、実在していないはずの日本の市。

 そこから、縄で縛られているようにつながって思い出される、一つの物語。

 地図を引っ張り出し懸命に何かを探す、小学生に上がる前の一人息子。

 首をかしげこちら見ている親に、明日、近所の散歩に一人で行く旨を告げる俺だった。

 

 この後、難色を示した親を説得し、物語の主役のもとを尋ねたことで、俺の物語が始まったんだと思う。

 

 主役になろうとか思っていたわけではないが、動物園のパンダを観に行くような気安さがあったことは否定できない。

 

 

 それから時は過ぎ、物語が物語として進むように何度か便宜を図ったのだが、ことごとく裏目に出て行った。

 たとえば、入学式の日に、喧嘩しているあの彼女の親友になるはずの二人。

 彼女たちの喧嘩をまえになぜか立ち止まっているなのは。

 仲裁しなくていいのかと聞くと、

 

「あのね、喧嘩するってことはお互いに譲れないものがあるってことなんだよ。だから、軽い気持ちで間に入るべきじゃないんだよ!」

 

 いきなり説教を喰らい、何も言えなくなっている俺をしり目に、意外なほど早く、二人の喧嘩は収まっていった。

 物語通り進まないことに、怒りや焦りは出てこず、ああこれが現実なんだな、と俺はどこかがっかりしていたんだと思う。

 だからなのはの額にびっしり付いている汗や、深く追及してこないことに安堵している顔を見てもなんとも思わなかった。

 

 この時、物語のような都合の良い幸福も、理不尽に浴びせられる不幸もこの世界にないことを知り、一度、俺の熱は冷めたんだと思う。

 それから、物語に関する知識が急速に抜けていき、この世界の住人となっていく僕の中に再び燃料を叩き込むことになるのが、あのジュエルシード事件だった。

 

 事件に突っ込んでいき、自分にも魔法の力があることを知り、テンションが上がっていく。

 そこからまた始まる俺の物語。

 うろ覚えではあるが、物語の一幕であったはずの、そんな特別な日の事。

 

 

 

 その日は、俺の所属するサッカークラブ、翠屋SCの試合の日だった。

 同年代の者より優れた運動神経で、四年生を押しのけレギュラーに成った俺。

 ユーノは家でお留守番らしいが、その分なのはが応援してくれる。

 彼女だけでなく、なぜか観客としているアリサとすずかに、張り切っていた俺は、前半にワンアシスト、ワンゴールを決め絶好調だった。

 

 しかし、その幸福を砕きにやってくるものが訪れた。

 

「桜台SC、二人交代です」

 

 審判のホイッスルと共にフィールドに現れる同級生とは思えない大柄な体躯。

 ふてぶてしい態度で交代する選手とハイタッチを躱す。

 何かに気づき、翠屋の応援席から、桜台に移る二人が見え、そういえば、このクラスメートと妙に仲が良かったなぁと、試合とは関係ないことが頭に浮かんだ。

 

 魔法関係で虹村くんとは、因縁があるのだが、向こうはこちらの事をなぜか覚えていないらしく、そのことはスルーする。

 

 

 

「ところで仗助、おまえ、サッカーのルールは解っているよな?」

 

「まかせろ、前の時に少しかじっていた気がする。サッカー用語なら大体わかっているはずだ」

 

「ふむ、言ってみろ」

 

「『ボールは友達』『ファールは技術』『難しいことはぶっ殺してから考える』」

 

 やばい、どれ一つサッカー用語ではない上に最後に至っては、どんなスポーツにも適用できない。

 

「……グレートだぜ。さぁ、さっさと終わらせて飯食いに行くぞ!」

 

 敵がルールを理解できてないことで、ここまで不安になることがあるなんて知らなかったよ。

 

 

 向こうのボールで後半が始まる。

 あの二人のツートップみたいだ。

 

「仗助! 俺の必殺シュートを見せてやる。名付けてキックオフシュートだ!」

 

 そういって、開始早々、高らかに足を振り上げる虹村くん。

 それは、必殺技の名前ではない。

 だめだ、こっちもサッカーに詳しくない。

 

 しかし、彼の身体能力のおかげか、すごい勢いでボールが発射され ……こちらのツートップの間にいたMFの先輩が吹き飛んだ。

 

 

「……ナイスブロック」

 

 

 東方くん、其れでごまかすつもりなのか!!

 

 脳震盪らしく、ベンチに戻される先輩、気を取り直し、ゲームが続けられる。

 

 こっちのフイールドにドリブルで切り込んでくる東方くんを止めるべく突っ込んだDFが、宙を舞う。

 呆然としてしまったが、すぐに気を取り戻し

 

「審判、ファールです!」

 訴えるが、そこにはありえない角度に首を捻っている審判と

 

「悪いな、丁度、他の方向を見ていたらしいぜ」

 

 FWなのになぜか隣にいるクラスメートの姿があった。

 

 

「勝てばよかろうなのだァァァァッ!!」

 

 そして、東方くんの雄たけびが上がる。

 

 

 萎縮してしまっている先輩たちの中で、ただ一人立ち上がる者がいた。

 彼は翠屋FCのキャプテンであり、同時にエースでもある。

 体格的には劣るものの子供とは思えない気迫で、皆に活を入れていった。

 

「仗助、勝つためには様々な手段があるが、その中で最も有効なものは……」

 

「言わなくてもいいよ、僕でもわかる。……相手のエースをつぶすことだ」

 

 さっきまでの俺らだと思うなよ! キャプテンがくれた勇気のおかげでそんな脅し怖くもなんともない。

 

 二人の方に向かっていく彼の背中は輝いていた。

 息を吸い込み大きな声で宣言する。

 

 

「お前等! うちのエースの真をつぶせると思うなよ! 背番号八番の黒髪の短髪の奴がうちのエースだ。女子にも人気があって、うらやましい限りだ。後、GKの奴もうちのエースだ。最近マネージャーと仲がいいうちの鉄壁だ。お前等には絶対負けないぞ!」

 

 ……おいキャプテン

 

 

 

 試合は激しい物となった。

 特に俺とGKの彼は何度も吹っ飛ばされ、そのたびに、監督が抗議するのだが、運悪く審判が見ておらず、却下される。

 

 

「おい、億泰あれ見てみろ」

 

「おお、ヤバイな」

 

 

 そんな折、何かを指さした、謎の会話の後、二人は腹痛でトイレに消えていった。

 

 結局、試合は桜台の圧勝。

 けが人も脳震盪を起こした彼以外は軽い物だった。

 まあ、なぜか審判がムチ打ちになって救急車に運ばれたらしいのが不思議な事だった。

 気になることは、なぜか逃げて言った二人、彼の指差した方向には、観戦に飽きたのかどこからか見つけたバットを素振りしていたアリサ以外、特におかしい物はなかったのだが。

 

    ●

 

 

 

 

 腹痛を理由に金髪のバットから逃れた僕らはほとぼりが冷めるまで川沿いの道の脇に隠れていた。

 

「くそ! こんなもの!」

 

 声と共に何かが僕の頭にぶつかる。

 

「痛いじゃないか、誰だ!!」

 

 隠れていた草むらを飛び出し大声を上げる。

 声に驚き逃げ出したのは、今日の相手チームのGKじゃないだろうか。

 幸い血は出てなく、痛みもすぐに治まったので、追うのは勘弁してやった。

 アイツがいるということは試合は終わったのだろう。

 今日の報酬をもらうため、母の紹介の監督さんのもとに向かった。

 

 

 

 報酬の千円札三枚を貰いぼろいバイトだと喜んでたところを金髪に見つかり、ご機嫌伺いの為、報酬でご馳走するため、この前行った、ケーキのうまい喫茶店へ。

 なぜかおとなしい、金髪を気にしつつも、注文を済ませる。

 ここの店長だろうか、さっきからおっさんが凝視してきていたのだが、厨房から出てきた女性に耳を引っ張られて、奥に行ってしまう。

 春は変な大人が湧くんだな。

 

 一息つき、億泰がトイレに行ってるとき、

 

「あ、あの東方くん、その髪」

 

 ウエイトレスの服を着たふざけたガキが、ふざけたことを言ってきたので、睨み付けお引き取り願う。

 

『えっ、なのは 、目が赤いけどどうしたの? ユーノくんを連れてくるって、お店にはダメだって……行っちゃった』

 

 

 店に入った時から何か言いたそうにしている金髪に、話のタネにこちらから促す。

 

「バニングスさん、で話があるんだろう? 言ってごらんよ」

 

 ようやく覚えた彼女の名前と共に、

 

「えっと、私はフェイト・テスタロッサと言います。あなたの」

 

 ……やばい、間違えた。

 

「何言ってるんだい!! 僕はちゃんとテスタロッサさんといったよ! 大体誰だよ、バニングスなんて変な名前」

 

「え、あの、そうじゃなくて、あなたの髪」

 

 勢いでごまかせそうだ。

 

「髪? いや、この髪型だとしっくりきてね。そういえばさっきと髪型が変わっているね。とても似合っているよ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 冷や汗が流れる。

 その後は会話もなく、ごまかしきれたのか解らないまま沈黙が続く。

 

 億泰の長いトイレに焦れていると、

 

「はぁはぁ……おや、奇遇だね! アンタも休憩かい? 合席させてもらうよ!」

 

 扉を開け放ち、全力疾走の後のように息を切らせたこの前のお姉さんがいた。

 なんでその位置から、店の奥の僕に気づく!

 

 色々疑問があったが、それは置いといて、強引に、席に着くお姉さん。

 この前の事もあり、好感を持っていた僕は、話が弾むことにうれしさを覚えた。

 その上別れ際に、

 

「この髪型、アンタに似合っているよ。群れのボスみたいだ」

 

 

 と、頭を撫でてくれた。

 力が強く、少し、ぐしゃぐしゃになってしまったが、初めて褒められたのでほおが緩む。

 

 あれ、

 

「その石。まだ持っていたんですね? あの、邪魔になっていませんか」

 

 お姉さんの右手に光るそれを見付け、気になったので聞いてみる。

 

「えっ、えっとそんなことは気にしないっでいいんだよ。あ、あたしこの石が気にっていてね」

 

 突然どもりはじめた、お姉さんに首かしげ、さよならを言う。

 

 そんな楽しい一日が過ぎ登校すると、なぜか怒り狂っている金髪。

 

 気を静めようと名前を呼び掛けると……ボコボコにされた。

 

 なぜだろう?

 

 




何とか書きあがった。小説家になろうの方でオリジナルをもう一つ今週中にあげるつもりなので、そちらの方も暇があれば見てやってください。好き勝手やったものにするつもりです。ペースは遅いですがしっかり上げていくつもりなので、これからもよろしくです。ご意見ご感想お待ちしてます。 ふう、やっと原作を進めることができた


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リーゼント豚とパーマ豚は出荷されました

『ごめんなさい。忙しくてお弁当を作れなかったの。だからこのお金で何か買って食べてね。母より アリスへ』

 

 体育の授業が終わり、更衣室で着替えて教室に戻る。

 そして、すずかと席をくっつけて開けたランチボックスの中に、この紙切れと五百円玉が一枚入っていたのだ。

 

「アリサちゃん、どうしたの? その紙って引き千切ってよかったの?」

 

 通学カバンからお弁当を出したすずかが首をかしげてこちらを見ている。

 すずかに少し待ってと、手を上げ、教室を見回す。

 ちょうど、廊下に出るところだったお目当ての人物を見付け、

 

「そこの二人、止まりなさい! ああ、高町さん達じゃなくて、問題児二人組の事よ!」 

 

 逃がさないよう、机の間を走る。

 問題児とはっきり明言したのに何を思ったのか、自分たちとは無関係だと判断した彼奴らは廊下を歩いていく。

 

「億泰に仗助、逃げるな!!」

 

 その、もうちょっと仲良くなったら、名前で呼んであげようと思っていたのに、咄嗟に出てしまった。

 動揺して赤くなった顔をごまかすため、立ち止まりこちらを見ている二人を詰問する。

 

「あんた達、私のお弁当盗んだでしょう? 白状しなさい!」

 

 少し上擦ってしまった声に、ますます顔が赤くなる。

 私の顔色に言及することなく、心外だとばかりに、億泰が、

 

「あのなぁ、何の証拠があってそんなこと言ってるんだ。大体、母親が朝忙しくて弁当作れないことぐらいあるだろう。購買に行く金だって入ってただろうが」

 

 ……こう見えて成績のいい億泰がたまにバカに思えてくる。

 

「なんでアンタが、私のランチボックスの中身を知っているのかしら?」

 

 私の一言に固まる馬鹿と、馬鹿から距離を開ける薄情な仗助。

 青くなった億泰が、

 

「じ、仗助から聞いたんだ。な、なぁ仗助。っていない! アイツが食ったんだ。信じてくれよ、アリス」

 

 友人を驚くほどの早さで売りさばく。

 私は笑顔で、

 

「お! 信じてくれたのか。まったく仗助はいやしい奴だなぁ。じゃあ俺はこれで」

 

 億泰のボディに拳を叩き込んだ。

 

「私はアリサよ、さっさと購買でパンでも買ってきなさい!」

 

 うずくまる億泰の頭に五百円玉を落としてやる。 

 その時、私の後ろ、教室の入り口で、

 

「東方くん、うちね、両親がいないんだよ、知らなかったんだね。後、いい加減に名前覚えてよね」

 

「……えっと、パンでいいんだよね? ちょっとひとっ走りしてくるよ」

 

 という会話が聞こえる。

 振り返るとそこには、走ってく仗助と、手に持っている紙切れをどうしようかと、少し困った顔の親友の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 よろよろ立ち上がった億泰に、パンの種類はアンタが好きなものでいいから、適当に買ってきてと言いつけ、屋上に向かう。

 備え付けのベンチに座り、人質代わりに預かったアイツの弁当を広げ、フォークを突き刺す。

 

「あ、アリサちゃん、それ、虹村くんのお弁当だよ。勝手に食べたらまずいよ」

 

 慌てて注意してくる親友に、

 

「すずかも早く食べといたほうがいいわよ。それによそのおうちのお弁当って興味がわかない」

 

 唐揚げをフォークで口に運びながら、促す。

 しばらく迷っていたすずかも、美味しそうに億泰の弁当をほおばる私に触発され、仗助のおにぎりに手を伸ばす。

 二人でお弁当談義に花を咲かせていると、屋上の扉が開き、億泰たちが出てきた。

 パンの入った袋片手に、屋上を見回し、こちらに気付き、歩いてくる。

 自分のお弁当が食べられている事に文句を付けてくるが、

 

「うるさいわね、アンタは購買で買ってきた、好物のパンでも食べればいいでしょう」

 

 そういって、億泰の買ってきたパンを譲ってあげる優しい私。

 

「でもアンタの好みちょっと変よ。『一つで三百六十五日分の野菜が摂れる苦汁パン』なんて買っている人初めて見たわ」

 

 私の呆れた視線に、ぎこちない笑顔を返す億泰。

 ……やっぱり、馬鹿なんじゃないだろうか、コイツ。

 

 

 

 

 緑というより、絵具をすべて混ぜたような黒い塊を咀嚼している億泰。

 その隣で、何も付けずに、食パンをモソモソほおばっている仗助。

 二人は視線に何らかの要求を込めている様だが、あえてそれに気づかないで、会話をつづける私とすずか。

 内容は次の休日の過ごし方だ。

 久しぶりにすずかの家の猫たちに会いたくなったので、その事を伝える。       

 だったら昼からいっしょに遊び、その日の夕食も食べていけばいいとすずかは言う。

 

「えっと、アンタたちも、遊びに来てもいいのよ?」

 

 つい、ぶっきら棒な言い方になってしまったが、二人を誘ってみる。

 

 すずかが何かを言おうとしたが、その前に仗助が、話し始める。

 

「その日は先約があるんだ悪いね。うちの家政婦さんの知り合いの家に招待されているんだ。ああ、億泰も一緒にね。……億泰、吐くならトイレ行けよ!」

 

 億泰が、口元を抑え、ふらふらした足取りで出口に向かっていく。

 無理して、完食したようだ。

 食べ物を無駄にしないというその根性だけは褒めてもいいかもしれない。

 親友の体調には興味がないのか、仗助は話を続ける。

 

「いやぁ、大きなお屋敷の持ち主らしくてね。家政婦さんと仲が良くなった僕に会いたいと言っているらしいんだ。ゴチソウを用意してくれるらしい。気前のいい人もいるもんだね」

 

 珍しくテンションの高い仗助の自慢が見られた。

 クラス内で交流のある私やすずかしか知らないことだが、この二人、結構いぢ汚く、即物的なものに弱い傾向があるのだ。

 

「金持ちのゴチソウってどんななのかな。楽しみで仕方ないな。もしかしたら満漢全席とかだったりするのだろうか?」

 

「さすがにそれは用意できないよ」

 

「いや、冗談だよ。さすがにそれは無いよね。ああ、そういえば、屋敷の場所を聞いていなかった。どうしよう? 電話で聞いておかないと」

 

 会話の途中なのに、もう時間がないといった様子で慌てている。

 

「お休みの朝には迎えの車を家の前に送るから大丈夫だよ、東方くん」

 

 そんな仗助を宥めるすずか。

 

「そうなのかい? 金持ちの間ではそういうシステムになっているんだね。いや、忠告ありがとう。君たちも、楽しい休日を過ごせるといいね」

 

「うん、私とお姉ちゃんたちも、楽しみにしているね」

 

 一通りの会話の後、ようやく仗助は首をかしげる。

 

「なんて言ったらいいんだろう? 今、会話がかみ合っていなかったかい?」

 

「かみ合わない会話の方がよかったの? 仗助」

 

 察しの悪い友人を正してあげようと思ったが、私の隣、すずかが人さし指を口元に押し当て、沈黙の合図を送ってきた。

 

 察しの良い私は、先程の言葉で納得してしまった仗助を見守り、次の休日を楽しみにするのだった。



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告白の夜1

 休日の天気は快晴、雲一つなく、太陽の温かく優しい光が、月村の屋敷の庭で、戯れる私たちと猫を包んでくれる。

 屋敷の庭には木々が生い茂り、緑のじゅうたんで、格闘技を繰り広げるやんちゃな子たちもいれば、テーブルの下の陰で、いくら声をかけても動かない、岩のような子もいる。

 時刻は一時をまわった頃だろうか、昼食は早めに済ましてきたので、先程から、私の足に一生懸命頭をこすり付けてくれてる子を構ってあげようか。

 私が相手をしてくれる事に気付いたのか、腹を見せ、なでろと要求してくる。

 すずかと目を合わせ、苦笑して、小さな暴君の命令に従い、その御腹を撫でさせて頂くのだった。

 

「二人ともお茶を持ってきましたよ。ほら、みんなのご飯も用意したから、お嬢様たちを、休憩させてあげてね?」

 

 そういって、両手でトレーを持った月村家のメイドであるファリンが庭に出てきた。

 すずかの話ではここ何日かは、知り合いのところに、出張していたらしく、私が顔を見るのは久しぶりになる。

 ファリンは月村の家の使用人で、長いきれいな髪に、くりくりとした大きな瞳の、かわいらしい女性だ。

 もう一人のメイドのノエルと姉妹で月村家に仕えている。

 冷静沈着な姉とは反対に注意力散漫な所があるが、いつも一生懸命仕事をこなす、好感を持てる人物である。

 そんなとりとめもないことを考えて、ファリンに目を向けると、彼女の足元めがけ、一匹のミサイルが発射される。

 声を上げる間もなく、ファリンの足に被弾し、紅茶のポットやティーカップを乗せたトレーが宙を舞う。

 大惨事を防ぐべく、ファリンのほうに一歩踏み出す、私とすずかに、

 

「大丈夫ですよ、ていやぁぁ!」

 

 まのぬけた声で私たちを制止した彼女は、これまたまのぬけた声で中空にあるトレーに手を伸ばした。

 声を飛ばされた私たちは、そのあとの光景をただ眺めているしかなかった。

 まず、トレーの取っ手に彼女の右手が伸びる。

 ……が勢いよく回転するトレーに、はじかれる。

 突き指をしなかっただろうか、そんな私の心配をよそに、運よく先程の接触で勢いを失くしたトレーを左手でつかみ、まだ宙に浮いている茶器一式に叩き付けた。

 

 

 叩き付けた!?

 

 運悪く石畳の上に飛んで行ったそれらが乾いた音を次々と奏でる。

 

「ふふっ、わかっていますよ。今聴こえているのは、かつてのドジな私が生み出した幻聴にすぎないのです。一人前に成長した私には傷一つなくそこにあるポットも、汚れひとつついてないカップも見えています!」

 

 声に確かな確信を乗せ、彼女は目の前にあるトレーを胸の高さまでかかげる。

 トレーの端から端に目を滑らせ、何も乗っていないことを確認した彼女は、首をかしげる。

 そしてもう一度トレーを確認した彼女が、不思議そうにこちらを見たので、茶器の残骸がある石畳を指さして見せる。

 トレーをテーブルに置き石畳に近づきしゃがむファリン。

 理解できないといった顔で二つに割れたカップの割れ目同士をくっつけ片手を離す。

 カップがくっつくはずもなく、庭にまた乾いた音が響いた。

 その時になってようやく彼女の瞳に理解の色が宿る。

 

「ええっ! なんで割れてるんですか? 信じられません!」

 

 私も信じられません、あなたが。

 

「トレーで完璧にキャッチしたはずなのに、いったいどうして?」

 

 叩き付けたからです、あなたが。

 

『だって仗助君のところだと……』

 小さな声でぶつぶつ何かを呟いている。

 私とすずかの視線にようやく気付いたのか、ファリンは箒とちり取りを求め屋敷に走っていく。

 その背中を見つめながら、

 

「どうしたのよ、あれ。何かの病気なら早めにお医者様に見せたほうがいいわよ」

 

 すずかに問う。

 親友は苦笑して、

 

「ううん、そのファリンがお屋敷の外で仕事をする機会があってね。まだ一度も食器を壊したりして無いんだって。それで、変に自信を持っちゃって」

 

 ファリンを見送った。

 私は割れた破片に興味を持ち近づこうとするミサイルの首を掴み膝に乗せる。

 叱ろうと子猫に顔を近づけるも、ここまでの大惨事になったのは、どちらかというと、あのメイドに原因があるのではと思い、何も理解してない頭をやさしく撫でてあげるのだった。

 

 

 

   ●

 

 

 

 

 残骸の掃除を済ませ、改めて用意されたお茶ですずかと談笑しているときに彼らはやってきた。

 ファリンから知らせを聞いて、私たちは玄関間に行く。

 すずかのお姉さんの忍さんもすでについていて、同い年ぐらいの男の人にあいさつしているところだ。

 その隣、迎えに行っていたノエルの両隣で、手をつないだ状態のクラスメートがいた、なぜか目隠しをされていたが。

 

「ねえ、ノエルさん。そろそろ、アイマスクを外してもいいかな? サプライズだって言われたけど、もう屋敷についたんでしょ。挨拶もしたいし、いいよね?」

 

 ノエルは忍さんに目配せをした後、それを了承する。

 なんだ、そういった意図があったのか。

 誘拐という単語が頭をよぎったが、月村家の人たちの人柄をよく知る私は、バカなことを考えたと、思わず笑みこぼす。

 

「おい仗助、見てみろよ! なんか意味もなくでかい花瓶がおいてあるぞ。うっは、絨毯の手触りとかありえねえ!」

 

「おい、億泰、あんまりはしゃぐな。まだ挨拶もしてないんだぞ」

 

 アイマスクを外した億泰があたりを見回し興奮している。

 それを仗助がたしなめようとするが、一緒になって絨毯に手を付けているあたり、説得力がない。

 ようやく満足したのかノエルのところに戻り、背負っていたリュックから何かを取出し、両手で、差し出す。

 

「ほ、本日はお招きいただきありがとうございます。これはつまらないものですが」

 

「あら、そんなに気を使わなくてもいいのに、でもありがとうね。そろそろ顔を上げてくれるかしら?」

 

 その言葉に、仗助が頭を上げ改めて忍さんと顔を合わせる。

 

「はぁーい、元気だった。月村家へようこそ。またあえてお姉さんとてもうれしいな!」

 

 忍さんと仗助たちは知り合いだったのだろうか。

 満面の笑顔の親友の姉と目を大きく開いて固まっている二人に、どのような関係なのか、推測が立たない。

 固まっていた二人が頷きあい、百八十度回転し、扉に走っていく。

 

「仗助様、億泰様、こちらは玄関ですよ。庭に紅茶とお菓子を用意しますので、どうぞそちらへ」

 

 いつのまにか、扉の前にいたノエルに腕を引かれ、庭に向かう二人。

 手を引かれるのが余程恥かしいのか、必死に振りほどこうとしている。

 そんなクラスの問題児が見せる態度が微笑ましい。

 まあ、涙目になっているのはさすがに大げさだとは思うが。

 

 

 

 

『そうね、あなたたちに話があるんだけど、それは夕食を食べた後、うん、高町くんとの話のあとにしましょうか』

 

 仗助たちにそう言い残し、忍さんは屋敷の二階に歩いて行った。

 恋人なのだろうか、目鼻立ちの整った、がっしりとした青年とノエルも後を追う。

 

 ようやく恥かしさから解放され、落ち着いた二人はすごい勢いでテーブルの上のクッキーを口に放り込んでいる。

 

 それを見て軽くガッツポーズをしてしまった。

 

「ふたりとも、そのクッキーおいしい?」

 

 私の問いかけに、頷くのも面倒くさいのか、仗助と億泰は片手をあげ返事とする。

 笑いをこらえながら、

 

「そう、それはよかったわ。わざわざ、鮫島をコンビニにまで走らせた甲斐があったわね」

 

 ネタ晴らしをする。

 いつも、いたずらされてばかりの二人にささやかな仕返しが決まったと、喜びがあふれてくる。

 悔しがっているだろう二人に目を向けるとそこには、ぽろぽろと涙を流す億泰と無表情で目から光彩の失くなった仗助がいた。

 焦るわたしとすずか。

 

「も、もう、アリサちゃんたら冗談がきついんだから」

 

 とっさの機転を利かせる親友に喝采を送る。

 

「そ、そうね。少し悪趣味だったかしら?」

 

 冗談で済ませてしまおうとする私の横ですずかが一生懸命証拠品を口の中に詰め込んでいく。

 そんなすずかにあっけにとられていた二人が、空になったお皿に文句をつけるが、

 

「ご、ごめんね。急にお腹がすいちゃって。えっ、意地汚い? ……そうだね。はずかしいよね」

 

 仗助の何気ない一言にすずかが落ち込む。

 申し訳なく思うが、クッキーのかけらをほっぺに付けたすずかをフォローする事は出来なかった。

 

 顔を下に向けているすずかの努力を無駄には出来ない。

 ファリンにクッキーのお代わりを頼む。

 

「はい、わかりました。ふふ、みなさんよっぽど気に入ったんですね、このコンビニの……」

 

「ノエル! ファリンがティーセット一式を故意に破壊したわよ!!」

 

 苦しまぎれの私の声に、空から天使が舞い降りてきた。

 

「皆さん二階から失礼しました。ファリン、後で話があります。私の部屋に来なさい」

 

「うう、違うんです黙っていたんじゃなくて、お姉さまの機嫌がいい時を見計らって言おうと思ってたのにぃ」

 

 そう言って落ち込むファリンと屋敷に戻っていくノエルの背中を見る。

 二階のテラスを見るがあそこから飛び降りたのだろうか。

 

 

 よく知っていたつもりでも、人は人のことをちゃんと理解できてないのかもしれない。

 

……まあ、そんなことはともかく、場の空気を吹き飛ばしてくれたあの冷静メイドに、感謝の念を送る。

 ただ、口をあけ固まっているこいつらをどうしたものか?

 

 私だって固まりたいのに。

 




少し中途半端な位置で終わります。前半なんでコメディは少な目かな。すいません、もう一作品の残りも今夜中にはあげれるようにしたいです。では


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告白の夜2

眠いので推敲一回だけ、二回目はまた今度


 空を飛んできたこと以外は、品行方正であった姉に叱られ、ファリンの背筋が引き伸ばされる。

 あの後、ノエルは何事もなかったように二階に戻っていった。 

 去り際のファリンへの耳打ちが、更に彼女への圧力になったみたいだ。

 紅茶とクッキーのお代わりを持ってきて、私とすずかより、気持ち億泰と仗助のそばに控えている。

 億泰と仗助はお代わりのクッキーを平らげ、ようやく満足したのか、興味を団子から、月村邸の広く大きな庭に移している。

 意地汚いという同級生の男子から受け取るにはあまりにも不名誉な称号を与えられた友人の肩を、慰める意図を込めて軽くさする。

 猫たちも主人の異変に気付いたのか、すずかの足もとにすり寄ってくる。

 一方で、そんなすずかの事などこれっぽっちも気にしない二人に、一言もの申そうかと、歩みを向ける。

 私が近づく前に億泰が、

 

「ファリン姉ちゃん、ちょっとお手洗いに行ってくるよ」

 

 ファリンに断わりを入れる。

 億泰が席を立とうとするのだが、

 

「ああっ、ええっと、ごめんね。悪いんだけど一人づつじゃなくて、二人いっぺんに行ってもらえるかな? じゃないと、監視が、ではなくて、うんと、そう一人にして迷子にでもなったら大変でしょう。だ、だから……」

 

 ファリンは両手をせわしなく動かし何かを伝えようとするのだけど、うまく言葉にできないのか、口ごもってしまう。

 そんなファリンに笑顔を向けて、仗助が提案する。

 

「大丈夫です。僕と億泰は大親友なので、一人を残して逃げたりしません。だから、片方が人質になるので、それで許してくれませんか?」

 

 何やら物騒な言葉が、彼の口から飛び出したのだが、ファリンは気にしない。

 それどころか、安心したように、

 

「そ、そうですか、なら大丈夫ですね。男の子同士の友情って良いですね」

 

 それらの単語を無視してしまった。

 すずかと目を合わせると、彼女は私に苦笑を返す。

 なんだ、ただの冗談か、そう判断し紅茶に口を付ける。

 

「じゃあ、悪いけど僕が先に行ってくるな。親友」

 

「ああ、信じてるぜ、俺のメロス」

 

 二人の少年は固い握手を交わす。

 そうして、走り出す仗助を見て私は思う。

 メロスは二度とここには帰ってこないのだろう。

 彼はお屋敷とは逆方向の庭に向かって走り出したのだから。

 

   ●

 

 予想に反して、十分経たないうちに仗助は戻ってきた。

 それも、かなり急いでいたのか、息が上がっており、彼の自慢の髪なのだろうか、頭に葉っぱなどを付けながら。

 

「あ、それ私の紅茶だよ、仗助くん」

 テーブルにあるすずかのカップを掴み飲み干してしまった。

 仗助のデリカシーの無さに、すずかの顔が少し赤くなる。

 彼のことを注意しようとしたのだが、それより先に仗助がすずかに詰め寄る。

 仗助は、すずかと屋敷と猫たちを見回してから、慎重に言葉を選んでいるのかゆっくり一言一言を確認しながら質問する。

 

「えっと、月村の家ってお金持ちだよね。やっぱり餌とかにもお金をかけているんだよね?

ほ、ほら、この猫たちも毛並とかがいいよね」

 

 唐突なほめ言葉だったが、すずかは喜び、礼を言う。

 すずかにとって猫たちも家族の一員なのだろう。

 それにどの子も、ブラッシングなど欠かさず、手入れが行き届いてるためとてもかわいらしい。

 彼にもそれが通じたのだ。

 

「いやぁ、やっぱり食べるものがいいんだろうね、栄養が行き届いていると、大きくなるんだろうね……四、五メートルぐらいに」

 

 何かを小声でつぶやいた後、仗助はすずかに険しいまなざしを一瞬送った。

 気をよくしたすずかは気づいてないようだが、なんだったのだろう。

 私が疑問に思っている間に、今度は億泰が出発しようとしていた。

 

「いいか、億泰。この方角にまっすぐ行くんだぞ。そうすれば、問題ない」

 

 後ろから両手で億泰の頭を挟み、敷地内の森に向ける。

 やはり、トイレにはいかないようだ。

 

「わかったぜ、仗助。ってお前ら、足を引っ掻くな。また今度遊んでやるからな。ファリン姉ちゃん、怒られても元気出せよ」

 

 走り出す億泰のあとを何匹かの猫が追うが、ファリンはその子たちの首をつまみこちらに連れてくる。

 森に消える億泰の背中を見つめすずかは仗助に笑みを向ける。

 

「億泰くん、気付かなかったね。仗助くんもかわいい悪戯するんだね」

 

 すずかの言葉に私も同意する。

 普段の悪戯がひどすぎるのだ。

 それに比べれば今回の物は、とても穏やかなものだった。

 億泰のベルトの後ろに、すずかの家にあった猫じゃらしの玩具を巻き付けるくらいの軽いもの。

 やはり、親友には手加減するものなのだろう。

 そんな仗助の背中を見た私は、彼が返ってきたときから注意しよう思っていたことを指摘する。

 

「森になんか入るから、あんたの服、破けちゃってるわよ。これ、枝か何かにひっかけたのかしら?」

 

 注意した仗助の背中のシャツに、三本のきれいな縦線が入っていた。

 

 ……理由は分からないがまた十分後、闘牛の如く、走ってきた億泰が、仗助にラリアットをさく裂させる。

 億泰の沸点は思いのほか低いらしい。

 今度から、少し注意が必要だ。

 青空なのに雷鳴がとどろく今日この頃、私はそう心にとどめた。

 

   

 

「金持ちってあれだな、ワシントン条約とかぶっちぎりなんだな。でも庭であんなの放し飼いにしない方がいいぞ」

 

 億泰の忠告に、すずかは首をかしげている。

 たぶん、月村の家に対して、失礼なことを言っているのだろうが、要領を得ないので、なんと言って叱ればいいのかわからない。

 男二人は、すぐ横で熱く討論をしている。

 議題は、『過剰な栄養による個体差』がどうだとか、『船による密輸の特殊ルート』がどうだというものだ。

 私達は全く興味がわかなかったので、猫たちと再び戯れることにする。

 二人の話し合いに決着がつくころには、夕食の時間になるだろう。

 

 夕食は庭でのバーベキューパーティーだった。

 億泰と仗助はコース料理を期待していたらしい。

 ガッカリしていたのだが、一口肉を食べると、一心不乱に、箸を動かしている。

 唯一の男手である高町さんが、火を起こし、具材を焼いていた。

 忍さんの高校での同級生だったらしい。

 恋人なのかと尋ねると、忍さんは顔を真っ赤にし否定する。

 私が思うのは失礼かもしれないが、その仕草は年上とは思えないかわいらしいものだった。

 色恋沙汰が気になる微妙なお年頃というやつだ。

 すずかも興味津々、といった様子で質問を続ける。

 照れて逃げ回る姉と、それを追いかける妹、姉妹を暖かく見守るうちに、夕食は幕を閉じた。

 空に上がった星を見て、その輝きに今日は楽しい日だったことを胸に刻み、私とすずかは頷き合った。

 

   ●

 

 蒼い月が、窓から二人を覗き込んでいる。

 窓を背にして、振り向く女、彼女のきれいな髪がふわりと流れる。

 女の姿は月明かりに照らされ、幻想めいている。

 二人は言葉もなく、ただ、視線を交わらせ、時間が過ぎて行った。

 ほんの数分、いや、長く感じたが数十秒も経っていないだろう。

 女は胸に手を当て強い意志を瞳に宿し、告げる。

 

「高町くん、聞いてほしいことがあるの、そう、月村の家のこと。前にすずかが誘拐されたことがあったよね。あの時も高町くんは、協力してくれた。それに私の気持ちにも、決着をつけないとね。」

 

 女は愛を告げる。

 

「私とすずかは普通の人間じゃないの、世間一般的にいう吸血鬼と呼ばれる存在なの」

 

 男は女の言葉に胸を震わせた。

 

「人の血液を口腔から摂取することによる尋常じゃない治癒力、人間には到底まねできない身体能力、それらを持ち合わせた化け物、それが私たち、高町くん、そんな私だけど受け入れてもらえるかな?」

 

 男は両手を広げ、女を抱きしめ熱い口づけを、交わす。

 

 

「いや、ちょっと待て月村」

 

「うん、高町くんがどんな答えをだしてもいいの。だから正直な気持ちを」

 

「……そうじゃなくて」

 

 男の瞳には情熱の光が、月も雲に隠れ、二人を邪魔するものはない。

 青年の決意の瞳が『私』の視線とぶつかる……私!

 

『いて、アリサ、俺からじゃ全然見えないぞ、ちょっと場所かわれよ』

 

『億泰、あまり騒ぐな、ただでさえ、梯子の上で不安定なんだから……ってアリサ、いきなり降りてくるな、ちょっと、落っこちただろうが、億泰が』

 

 億泰が梯子か地面に落ちる時に大きい音が響く。

 彼を心配するより、窓の内側から忍さんの伸びた手が私と仗助の頭に固定されていることの方が大きな問題だろう。

 羞恥と怒りで真っ赤になった忍さんに、どのような言い訳も通用しないのだろうな。

 私は人生に幕を引く覚悟を決めなければいけない。

 願わくば、彼女の恋の行方も、私たちの処遇も、穏やかなものになるといいのに。

 

   ●

 

 私と仗助と億泰は、広間の壁を背にして正座をさせられている。

 私の後ろに空間があると、彼ら二人が、そこに隠れようとするためだ。

 広間には月村家の姉妹にメイド達、そして、高町さん、今、月村家にいる人間がすべて顔をそろえた。

 すずかは、ファリンの後ろに隠れ窺うようにしてこちらを見ている。

 すずかがトイレに行っている隙に、決行したのだが、仲間はずれにしたことを怒っているのだろうか。

 私も積極的に覗いたわけではなく、たまたま、仗助たちが梯子を持ってきていたのに気付いて流されただけなのだ。

 そう、心の中で言い訳を紡ぐも、これでは絶対納得してくれないだろうと頭を捻る。

 彼らは開き直り、逆切れすればごまかせないかと私に提案してくるも、それを採用するほど私はおろかではない。

 赤みが多少引いた顔を引き締め、忍さんが私たち三人を見回す。

 部屋の空気が重い。

 いつも明るい空気を振りまくファリンでさえも、緊張している。

 私は何か重大なことを見落としてしまったのだろうか、忍さんの厳しい眼光に、不安になる。

 忍さんがゆっくりと口を開いた。

 

「三人ともさっきの話を聞いてしまったのね。……アリサちゃんあなたには今日この場で選らんでもらうわ。私たちと契約し、一生、秘密を守り共に生きていくか、今この場で私たちの記憶を暗示により封じ込め、赤の他人として生きていくかを」

 

 何を言っているのだろう。

 私には忍さんの言葉が理解できなかった。

 助けを求めようとすずかを見ると、彼女は声を押し殺し泣いていた。

 その時になってようやく、あの部屋での忍さんの告白の内容を理解する。

 他人の秘密を覗き見る興奮と、余りに現実的ではない話だったため、流してしまったのだ。

 もう一度確認のために忍さんに、話を聞く。

 説明はより丁寧なものに変わったが、求められる答えに変わりはない。

 私はどうすればいいのだろう。

 吸血鬼などという伝承の中にしか存在しなかった生き物と、毎日一緒に、時間を過ごした彼女が重ならない。

 私は彼女を拒絶することも、受け入れることも出来ない。

 ふと、すずかの姿が目に入る。

 彼女は、先ほどから泣き続けていた、私が離れることを悲しんで、私の親友が泣いていた、肯定されることを一ミリも考えず。

 そこにいたのは、吸血鬼なんてお伽話の住人ではなく、初めて会った時から、泣き虫だった、私の初めての友人だった。

 少しも期待されてないことに腹を立て私は答えを出す。

 彼女の泣き顔にお日様をもたらすのが私の仕事なのだと。

 

   ●

 

「そう、アリサちゃん、ありがとうね。これらからもすずかの親友でいてあげて」

 

 忍さんは両手で私の手を握ると、うるんだ瞳で、頭を下げてきた。

 私は恐縮してしまう。

 彼女の友人であることは、何も特別なことではないのだ。

 忍さんが離した手を、すかさず、すずかが握りしめる。

 まだ目許は赤いが、それでもいつもの彼女の笑顔だった。

 

「億泰様、よく冷えたオレンジジュースです。どうぞ」

 

 ノエルが億泰にジュースを渡していた。

 仗助がうらやましがりそれを見ていた。

 

 

 

 

 

「さて、じゃあ次は君たちの番ね、ノエル、扉に鍵をかけなさい」

 

 ノエルがドアに回り、こっそり逃げようとしていた彼らの道を阻む。

 すずかの握る手に力がこもる。

 私が受け入れたんだから、あの二人も案外、簡単に懐に入れてしまうかもしれない。

 

「えっと、じゃあ、消す方向でお願いします。……出来るもんならな」

 

「おう、早く頼むぜ。見たいテレビがあるんだから、ちゃっちゃっとしてくれよ……昼間出歩いているくせに、あんたたちが吸血鬼のわけがないだろう」

 

 彼らの軽い返事に声が出ない。

 まったく、信じてないようだ。

 私は月村の家の人たちの人柄を知っているので、彼女たちがうそを言っていないのが心で理解できる。

 信じていないという事は、契約が出来ずこのまま記憶を消されてしまうのだろうか。

 すずかの涙腺がまた洪水を起こした。

 彼女の握力がまし、握られている私の手が痛い。

 仗助たちの態度が気に入らなかったのだろうか、忍さんの笑顔に圧力が加わる。

 

「……大丈夫よ、あなたたちの記憶は消さないわ。だって仗助くんも億泰くんも裏の世界について、すでにご存じなんでしょう?」

 

 してやってりといった忍さんの笑みに、二人の顔がこわばる。

 続けてノエルに合図をだし、部屋の中央にある液晶に映像を映し出す。

 

「ちょっと前のことになるんだけど、うちの屋敷に強盗が押し入ってきたのよ? 物騒よね、二人もそう思うでしょう?」

 

 そろって機械のように頷く億泰と仗助。

 画面には、不気味な人形の仮面を付けた少年だろうか、二人の姿とそれに対峙する忍さんとノエルがあった。

 

「これって、あなたたちなんでしょう?」

 

 どこか、からかうように言葉を続ける。

 

「あら、そんなに首を振るとむち打ちになるわよ。気を付けないとね。証拠、そう証拠ね。

もちろんあるわよ、ファリン、だしなさい」

 

 後ろに控えていたファリンが持っていたものは、画面中の人物が着けていた不気味な仮面だった。

 

「はい、仗助くんの部屋で見つけました。ええっ、泥棒じゃありませんよ! 朋子さんにちゃんと許可はもらいましたよ!」

 

 ファリンの言葉を聞き仗助の膝が崩れる。

 朋子さんとは仗助の母親のようだ。

 億泰に支えられ、彼はふたたび舌をふるう。

 

「母さんにプライベートについて注意することは、後にするとして、よく見たらそれ画面の物と違いませんか? みんなに確認してもらえるように頭の上に掲げてください、ファリンさん」

 

 同じものに見えるのだが、私たちはテレビを見てもう一度、ファリンが掲げるそれを確認しようとする。

 

 瞬間、お面が粉々に爆発四散する。

 皆が驚く中、

 

「わ、私のドジが、パ、パワーアップしている!」

 

「ファリン、あなたは少し黙っていなさい、皆さんお怪我はありませんか?」

 

 火の手がないのに爆発、いや、何か衝撃を受け、砕け散ったように見えた。

 しかしみんなに目で問うも、誰もそれを目撃していない。

 全員が注目していたにもかかわらず。

 

「あれぇー、なくなっちゃいましたね、証拠」

 

 汚い笑顔を張り付けた二人の少年がいた。

 修復するにもあれだけ粉々になっているとどうにもならない。

 

「忍お嬢様、破片の数が明らかに少なくなっています。これでは修復できません。ところで億泰様、こちら新鮮なトマトジュースになります、いえ、ご遠慮なさらずに」

 

 最初は遠慮していたが、億泰は勝ち誇った顔でトマトジュースを飲み干す。

 仗助がファリンに自分の分も欲しいとコップを指さしている。

 

「っく、まだよ、億泰くん。私はあなたの正体に気付いているのよ! 私たち吸血鬼が血液を摂取すると、異常な回復をみせることは話したわね。ところで億泰くん、あなた、学校では怪我が絶えないそうね。すずかに聞いてるわよ。さっきも梯子から落ちた時に、腕に擦り傷があったわよね、見せてもらえないかしら」

 

 忍さんには、今の話がジョーカーだったのだろう。

 億泰に近づくと、袖をまくりあげる。

 そして高らかにうたう。

 

「あなたの正体は私たちと同じ吸血鬼、そして仗助くんはその契約者。擦り傷一つないこの腕がその証拠よ!」

 

 つかみあげた彼の腕には、見ているこっちまで痛くなるような擦り傷がはっきり残っていた。

 自分の見たものが信じられないのか、ノエルに顔を向けると、

 

「ノエル、足りなかったみたいよ」

 

「はい、お嬢様。億泰様、こちら新鮮な輸血パックになります、さあ、グイッとどうぞ」

 

「いや、飲まんし、だからいらないって! 仗助、ノエル姉ちゃんを止めるのを手伝え!

 この、くそ、なんだ、腕が外れない、このゴリラみたいな怪力はどうなってやがる!」

 

 必死に抵抗する億泰と、億泰からノエルを引きはがそうとする仗助。

 結局、無理やり血液をのまされた億泰の腕から傷跡が消えることはなかった。

 

 

   ●

 

 いま私たちは億泰の家と仗助の家の中間にあるらしい公園にいる。

 ノエルの車で、家まで送り届けれる途中に一緒に乗っていたすずかの提案だった。

 話し合いの結果、二人はグレー、吸血鬼のことを口外しないという事でしばらく様子見という形になる。

 いろいろな事がうやむやに成ったが、それでもこうやって今日と同じ明日が来るのだから、贅沢を言うこともないだろう。

 ノエルを車に残し、ベンチに腰を掛け、すずかが言う。

 

「ごめんね、みんな今日はありがとう。お礼をちゃんと言いたくて、それとあの場所だと仗助くんたちは答えてくれないんじゃないかなと思ったの」

 

 すずかは礼を言うと真剣なまなざしで二人に問う。

 

「話し合いの最初から最後まで、お姉ちゃんは気づかなかった些細なこと。私はそれが気になって仕方がないの。仗助くん、億泰くん、二人は私たちが吸血鬼だってことは認めなかったけど、一度も吸血鬼の存在は否定しなかったね。私の気にしすぎだったらいいんだけど、二人は私たち以外の吸血鬼にあったことがあるんじゃないの?」

 

 まったく、とても長い一日だったがまだ終わらないらしい。

 親友の追及の言葉に、私も視線を彼らに移すのだった。

 

 




これで今月中に二作品とも更新できた、もう一つの方がお気に入り数とか人気出ているがこちらも頑張ります。ご意見感想お待ちしてます。


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出会い、収束

推敲一回だけ、二回目はまた今度  


 昼間の子供たちの喧騒がなく、夜の公園はただ、風がブランコを小さく揺らす音、市によって植えられた木々の葉が揺れる音しか聞こえない。

 親友は、胸に手を当て、確信の宿る瞳で彼らを見つめていた。

 公園を照らす三本の街灯のうちの一本を挟んで私とすずかが、仗助達と対峙するように立っている。

 すずかの追求は的外れなものではなかったのだろう、確かに思い返してみれば、彼らは一度も吸血鬼の存在は否定していなかった。

 忍さんたちは、屋敷に侵入したのは彼らであると、認めさせることに躍起になっており、その違和感に気付けなかったのだ。

 仗助と億泰は、こちらに聴こえない様に、体を寄せ合い、小声で相談をする。

 一度こちらに視線をくれた数秒後、億泰の指示に仗助が手を上げ応え、こちらに言葉をよこした。

 

「ああ、確かに僕たちは吸血鬼が現実に存在することを知っている、もっとも、見たことはなくすべて伝聞なんだけどね。」

 

 予想していたよりかなり早く、そして素直に彼らが吸血鬼の存在を認める。

 最悪、彼らが口先三寸でごまかす場合を想定して、握りこんでいた拳をほどく。

 あまり暴力は好まないたちである私は心から安堵する。

 

「……そこで、なぜかガッカリしているアリサは置いといて、説明することにしようか。

ところですずか、今から話すことは、絶対に忍さんには話したらいけない。それだけは約束してもらっていいかな?」

 私に対して大きな誤解をしている仗助は、すずかと目を合わせ、意思の確認をする。

 すずかは首を傾げ、なぜ姉に話してはいけないのか、そう問いを返す。

 

「いやぁ、忍さんみたいな『ホンモノ』に、他に吸血鬼がいるなんて言ったら、どうなることか。もし秘密にできないなら、この話は此処で終わりにするしかないだろう」

 

 確かに彼女の姉は本物の吸血鬼だが、その事と秘密にしなければいけない因果関係がわからない親友は、顎に人差し指を当て、考え込む。

 当事者では気付けなくて、第三者だけが気付くことは、そこまで珍しいことではない、私は仗助の失礼な物言いを理解し、ここに忍さんが居れば確実に張り倒されるのだろうな、と息を吐き、肩を落とす。

 これ以上、関係ないことで時間を取られると、ただでさえ遅い帰宅に、母もいい顔をしないだろう、いいたいことをこらえ話の先を促す。

 すずかも、理解は出来なかったが、姉に話すかどうかは、後で自分の判断で決めればいいやと、納得したようだ、約束を破ることを前提で頷いている。

 私も人のことは言えないが、この二人との約束は反故にしても何ら問題はないと考えていた。

 親友と暗黙のうちに意見の一致をとりなす。

 

「今から話すことは絶対に内緒だよ、といっても何から説明しようか。まずは、そうだな、本当の吸血鬼がどういったものから話そう」

 

 仗助は左手の指を一本ずつ折り、そのたびに吸血鬼を吸血鬼足らしめる特徴をを上げていく。

 曰く、常人にはない膂力、人間の血液を摂取する事による栄養補給、この二つは忍さんも説明していたことなので私たちは相槌を打つ。

 その後に続く仗助の言葉、中指に薬指が曲がると、私たちの首も一緒になって横に曲がってしまう。

 曰く、日の光を浴びると灰になり、目から体液を圧縮して、人体に風穴を開ける事が出来る。

 極めつけは、体から首を切り離しても、そのまま生命活動を維持することができるというものだった。

 目を丸くし横にいる親友の顔を見ると、こちらのもの問いたげな視線に気づき、懸命に首を水平に振る。

 本当にそんな生物がこの世にいるのだろうか。

 私の疑いの目に気付いた仗助が、得意気に鼻を鳴らす。

 

「だから言っただろう、忍さんが吸血鬼のはずがないって。大体初めて会ったのも真昼間の喫茶店だったしね。それに吸血鬼の最後の何匹かは、ほんの数年前に絶滅したはずだよ」

 

 仗助の言葉は根拠に裏打ちされているのか、私たちに説得力を振るう。 

 私は仗助の、話の初めから気にかかっていたことを問う。

 

「なんであんたたちは吸血鬼のことを詳しく知ってるのよ?」

 

 そう、吸血鬼の生態や、歴史についてよりも先に、彼らがそれを知り得ているという事が私には、不思議でならない。

 確かに、平均的な小学三年生とは言い難いが、それでも私の知る限り、彼らはただの一般人なのだ。

 私の当然の問いに、億泰は仗助の肩を小突き、お前が説明しろと、指図する。

 仗助は渋々といった顔で私たちにその理由を説明した。

 

「わかった、でも順序だてて、説明した方が分かりやすいから、最初から説明するよ。その中に僕が吸血鬼について知ってる理由も入ってくるからね。まずは、吸血鬼の起源から話そう。それは、僕たち人間が誕生するよりも以前にさかのぼる」

 

 彼の説明は、私の予想外の物であった。まさか、人類史以前の話が出て来るとは。

 いきなり飛び越えた時代にすずかも驚いている。

 そんな昔に吸血鬼が存在したのだろうか。

 

「いや、違うよ。その時代にいたのは、ええっと、分かってるよ、億泰。なるべく、血生臭い表現は使わないよ、子供が泣きだすと困るからね。続きを話すね、人類が生まれる前から活動していた生物、まあ、こいつらが、吸血鬼を生み出す方法を作ったんだ。呼び名がないのは、不便だから、ここでは生産者とでもして置こう。彼らが己のために生み出した存在、それが吸血鬼」

 

 人ではないものが吸血鬼を生み出した、その事実に、私は再び疑問を突き付ける。

 すずかも興味深げに、私と同じ様に彼らに問うた。

 何のために彼らは吸血鬼を、生み出したのか。

 やはり、吸血鬼の膂力をもちいた世界征服とか壮大なものなのだろう。

 私も親友も、映画の予告編で期待するように仗助に詰め寄る。

 特に、すずかは目を輝かせている。

 話半分で聞いているので、格好いい背景があると、それはそれで興奮する。

 親友もそこは同じなのだろう、自分の一族の起源について期待を寄せる。

 

「いや、食用として」

 

 すずかの膝が崩れ落ちる。

 無言ですぐ横のベンチに腰かけると、構わないで下さいとばかりに、口をへの字に曲げ、顔をそらす。

 仕方がない、私の正体は闇夜を支配する不死の王なんだと期待してついてきたら、スーパーのお肉コーナーのパック詰めを渡されたのだ。

 私なら、恥ずかしさのあまり、登校拒否になる。

 そんな、親友の反応に首を傾げるも、無視し、彼は説明を続ける。

 

「生産者は長い時間を生きる存在だ、吸血鬼以上の力を持ち……いや、彼らのことはどうでもいいか。結局のところ一度吸血鬼は絶滅するんだ、生産者が作るのをやめて、え、なんでやめたかって? そりゃ、四人しかいなくなったからじゃないかな、ほら、今の日本の職人さんだって後を継ぐ人がいないから、伝統技術が廃れていっているだろう」

 

 昔も今とあまり変わりはないのかもしれない。

 歴史が繰り返される儚さを思う。

 

「吸血鬼は絶滅したけれど、今から百年ちょっと前の英国で復活を遂げる。生産者が吸血鬼の製造法を残していたんだ。まあ、その製造法を、発見したのが僕のご先祖様なんだけどね」

 

 ここで彼らが、吸血鬼について知ってる理由が来るのか。

 これからの話は蛇足になるが続けるのかと仗助は私たちに聞いていくる。

 いつの間にやら、復活したすずかと、興味深い話になってきたと、頷き続きを待つ。

 

「英国紳士の家に生まれた僕のご先祖様とその家に来た養子の出会いが吸血鬼を復活させたんだ」

 

 語り手は此処からが物語の始まりだと語調を強めた。

 私の想像の中では、きちんとした身なりを整えた紳士風の仗助と、こちらも英国紳士といった億泰、二人が出会う。

 

「この養子が製造法を用いて、吸血鬼になるんだ」

 

 ……億泰を舞台裏にどけて、スーツを着たすずかを舞台に上げる。

 

「時代に再び吸血鬼が大量に登場する、これが吸血鬼の復活」

 

 吸血鬼とは結婚とかを行い、徐々に増えていくものではないらしい。

 すずかは鍬を持って、畑を耕す、収穫期を迎えると土の中から大量のすずかがはえてくる……想像の空にはばたく私を親友がいぶかしげに見ている。

 結構失礼な妄想にふけってしまった。

 

「で、ご先祖様が剣やら拳やらで、また絶滅させるんだけど」

 

 剣を持ち、すずかたちの首をはねる悪鬼仗助。

 親友は青くなり私の後ろに隠れる。

 私も若干、引いていたのだが、勇気を振り絞り仗助を糾弾する。

 

「あんたは何か吸血鬼に恨みでもあるの!」

 

 私の問いに、なんで自分が責められているのかわからないと彼は疑問符を浮かべる。

 

「……えっと、いや理由なら確かあった、そう、父親と飼い犬を殺されたんだ!」

 

「え、それだけ? それで吸血鬼を一族郎党皆殺しにしたの!」

 

 私の剣幕と発言に、彼は自分の説明を振り返る。

 動揺する彼は億泰に振り返り、確認する。

 

「あれ、なんだろう、僕の説明って、どこか変だったかな?」

 

 億泰は何も間違ってないはずだと言葉を返した。

 その言葉に自信を取り戻した仗助は私たちに顔を向ける。

 

「いやぁ、何を二人とも興奮しているのかな? これでまた吸血鬼は絶滅するんだけど、そのご先祖様の孫の代で生産者が復活して、それに伴い彼らもまた作られるんだ。でもその孫が拳やらマシンガンで頑張って生産者ごとやっつけたんだ!」

 

 笑いながら、銃口を泣き叫ぶ月村家の人々に向ける魔王仗助。 

 熱弁をふるう彼に私は再び問う。

 

「で、その孫は吸血鬼に何をされたの?」

 

「うん、親友を殺されたんだ、ひどいよね」

 

 億泰のたった一つの命と、何人ものすずかや忍さんの命、割に合わない。

 マフィアもびっくりの報復だ。

 ハンムラビ法典も真っ青、目には目をとか言っている場合ではない。

 すずかは気を失いかけ、私に倒れ掛かる。

 

「それで最後にその孫の孫と、実は逃げのびて、隠れていた最初の話の養子とその仲間の吸血鬼がこの前戦って、今度こそ吸血鬼は全員いなくなったとさ、めでたしめでたし」

 全然、めでたくないが、私は話を聞いた者の義務として尋ねる。

 

「その孫の孫は吸血鬼に何をされたの?」

 

「それは、確か……そうだ! 母親に病気をうつされたんだった」

 

 風邪の時に仗助のそばに行っては絶対にいけない、私たちは胸に誓った。

 

「だから、忍さんたちは絶対に吸血鬼じゃないんだよ。残っていた吸血鬼は海外で全員灰になったからね。億泰、そっちは終わったのか?」

 

 彼は、これですべての話が終わったと手をたたく。

 仗助が、ベンチで携帯をいじる億泰に確認する。

 そういえば話の最中に億泰がどこかに電話をかけていた。

 

「いや、仗助、電波が混線してるみたいで、警察署に繋がるんだ。しかも掛けるたびに、受付の姉ちゃんが説教しやがる、仗助お前が掛けてくれよ」

 

 まだ震えたままのすずかを介抱している私を横目に仗助は電話を掛ける。

 家にでもかけるのだろうか、それならノエルが連絡を入れていたので大丈夫だと、公園の入り口の車を見ると彼女がいない。

 

「ったく、すずかの為なんだぞ。もうちょっとしっかりしろよ、億泰。もしもし」

 

『はいこちら海鳴警察署です、仗助様、どのようなご用でしょうか?』

 

 仗助は首を傾げる、夜の公園の静寂のおかげか携帯の音声が響いて私たちにまで聞こえる。

 本当に警察署に繋がったらしい。

 ところですずかの為とはどういうことだろうか。

 そもそも、彼らはどこに掛けようとしていたのだろう。

 

『はい、確かにここは海鳴警察署です、間違いありません。ところで仗助様、他人の秘密を安易にばらすことは、人間として最低の行為になります。絶対にしてはいけません。特に身体的特徴であれば、仗助様億泰様ともに、墓の中まで持っていくべきです。そもそも肌の色や眼の色からくる差別などが人の争いを生むので……』

 

 仗助は携帯から耳を離し、億泰に同意する。

 

「確かに、混線してるな。どうしようか? 今日中に終わらせた方がいいと思うんだが」

 

 携帯からは受付嬢の説教がまだ続いている。

 仗助が億泰の方に近づいて行っても、携帯の女性の声が小さくならない。

 これはおかしいと、耳を澄まし音源を探す。

 ベンチから、三メートルほど離れた木に重なるように隠れたメイドが一人いた。

 メイドは三十センチほどの手持ちのアンテナを掲げ、無線に向かって熱心にそしてひそやかに言葉を続ける。

 ノエルは細身ではあるが、半身しか隠れていない。

 私は初めて、彼女に確かなファリンとの血の繋がりを感じた。

 すずかは先に気付いていたのだろう、私に向かってばらさない様にと唇に指を立てる。

 気を取り直し、仗助に尋ねる、どこに電話を掛けるのかと。

 まさか、忍さんとの約束をこんなにも早く破り通報するといったこともないだろう。

 

「いや、チャイルド電話相談室に掛けるんだけど、もしくは救急病院でもいいのかな?」

 

 誰か怪我を、そうだ億泰が、擦りむいていたのだった……でも、ファリンが手当てをしていたんじゃなかったっけ?

 

「ああ、今日中じゃないと、すずかが可哀想だろう。『友達の身内が自分は吸血鬼だって、宣言したんだが、どうしたらいいんですか』って。さすがにこんな深刻な問題、子供たちだけで処理するのは、危険すぎるからな。すずかも落ち込まないで、お姉さんの病気の回復に協力するんだぞ。僕たちはそういう事には偏見はないけど、世間の目は厳しいからな、なるべく早めに病院に行って治した方がいい。『ホンモノ』の患者をみたのは初めてだけど、これで対処は間違ってないと思うよ、後は精神科の先生に相談してしっかりプランを建ててもらいな」

 

 愕然とする私たち。

 言葉の意味を理解したすずかは鯉の様に口をパクパクさせ、身振り手振りで何かを伝えようとするが、形にすらならない。

 

『理解しました、ただいまの発言を屋敷の方に転送したところ、十分以内に激怒したお嬢様がこちらに着くそうです、あと、これも指示されたことなのでお許しを』

 

 携帯の音声が説教ではなくなったことに気付いた億泰と仗助がそちらに目を集中する……その後ろ、音もなく近づいたノエルの拳骨が、二人に叩き落された。

 こうして、この日の出来事はなぁなぁのまま終わったのだ。

 すずかと私にとっては最悪の結末ではなかったが、それでももう少し何とかならなかったのかと、二人は目を合わせため息をついた。

 

 

    

 

      ●

 

 人が賑わう時間を抜け、休日の部活帰りの学生たちがくるまでのアイドルタイム、喫茶店翠屋の店主である高町士郎はコーヒー豆をミルにかけ、その香りを味わいながら店の入り口を眺めていた。

 妻である桃子は厨房で、午後の追加分のケーキを用意している。

 店主ではあるのだが、調理技術は高くなく、下手に手を出すと邪魔になるので、客がいないとこうやって豆を砕くことしかできない。

 暇を持て余す店主に、出番だとばかりにドアに備え付けのベルが鳴った。 

 顔を出したのは昔ながらの馴染み客とその連れだ。

 馴染みの客は、初老の警察官の東方良平、海鳴の平和を何十年と守ってきた正義の味方だ。

 士郎に挨拶をし、すぐそばのカウンターに腰を下ろす。

 連れの男は見たことはないが、娘の美由希と同じくらいの年齢だろう。垂れ下がった前髪に学生には不釣り合いなサングラスをかけている。

 良平の知り合いにしては年が離れているが、士郎も干支でいえば二回りも離れているのでそこは突っ込めない。

 二人はホットを注文すると周りの客が聞き耳を立てていないことを確認し、士郎に話しかけてくる。

 良平の渋い顔から、愉快なことではないと察した士郎がウェイターをしている息子に後を任せると、店の奥のテーブルに誘導し、そこで話を始めた。

 良平の連れは花京院と名乗り、今回の事件の協力者だという。

 事件とは物騒な単語が出てきた。

 気を引き締める士郎に、花京院は胸のポケットから数枚の写真を取出し、テーブルに広げる。

 その中の一枚を取りこちらに見せる。

 

「この男を知ってますね、高町さん。あなたと良平さんが刑務所に叩き込んだ『片桐安十朗』です。」

 

 写真の中の男は確かに見覚えがあるものだった。

 十年以上前に、この町で強姦、強盗を繰り返した犯罪者通称アンジェロのものだった。

 だが、こいつがどうしたのだろう。

 息子を攫おうとしたアンジェロを激怒した士郎が制圧したのだが今さら、そんな男の写真をみせられても仕方がない。

 アンジェロには死刑判決が下されたはずだ。

 もう、二度と顔を見ることもないだろう。

 

「ええ、確かに死刑判決が出ています。そして、執行日は五日前の夜、アンジェロはその日にこの世から別れを告げるはずでした。しかし、死刑執行当日にアンジェロは刑務所から脱走しました」

 

 花京院の言葉に、士郎の顔が曇り、良平の渋面はさらに渋いものになる。

 

「ええ、確かに刑務所からの脱走など本来ありえません。職員は何重にも人の出入りチェックしてますし、囚人の管理も徹底しています。ですが、協力者がいたのならどうか。それでも困難なことに変わりはありませんが、僕はそういったことを可能にする人物に心当たりがあります。監視カメラにその人物が一瞬ですが写っていました」

 

 そう言って花京院はテーブルの写真から一枚を取り中央に放る。

 写真には一人の老婆が写っていた。

 日本人ではないが、人種を見ただけで判断できる目がない士郎には自信が持てない。

 

「彼女の名は『エンヤ』僕と仲間たちが壊滅した犯罪組織の一員でした。そして、彼女は復讐のために仲間を集めているらしい」

 

 その一人がアンジェロなのだろう。

 そしてここでようやく、彼らが士郎を訪ねた理由が分かった。

 

「アンジェロの目的は復讐ですね、私と良平さんへの」

 

 その注意を促すため花京院はここに来たのだろう。

 士郎の返答に彼は首を横に振る。

 

「いいえ、ちがいます。高町家と東方家への復讐なんですよ、だから僕等は協力しなければいけないんです。あなた方の家族の身の安全のために」

 

 その忠告に、改めてアンジェロの下衆を思い出す。

 良平の握るカップが先程からコーヒーがこぼれそうなぐらい震えている。

 怒りをこらえているのだろうか、それとも家族の身を案じ後悔しているのだろうか。

 良平は、士郎に誠実な目を向け、頭を下げる。

 

「士郎君、済まない。これは警察の怠慢だ。君や君の家族にこんな迷惑を! しかし、警察も今回の捜査には全力を注いでいる。だから君たちの家族に護衛を付ける許可がほしい、

プライベートは犠牲になるが、安全のためだ、どうかこの通りだ、頼む」

 

 年上の人間に下げられる頭は、とてもすわりを悪くする。

 士郎は、良平の人柄を理解している。

 彼がここまで頭を下げる必要などないのだ。

 彼も被害者であるのに。

 それを良平自身理解してなお、彼の頭は上がらない。

 士郎は彼の中の正義を理解する。

 言い訳を良しとしない潔さを。

 

「良平さん、わかりました。どうか、頭を上げてください。こちらこそお願いします。どうか私の家族を守って下さい」

 

 士郎のその言葉に、良平は肌色に光る頭頂部をゆっくりと戻す。

 そのやり取りを気にもせず、花京院は写真を右と左に分けていた。

 

「終わりましたか、ではこの写真を見てください。右は僕と友人で捕まえた人間なのでさらっと目を通してくれればいいですよ。左が今現在エンヤに協力していると思われる組織の人間です。この写真はそちらで保管しておいてください。なに、そこまで深刻な顔をしなくても大丈夫ですよ。僕の友人はパワフルで頼りになりますからね、それにこちらの財団からもボディガードが派遣されてます」

 

 財団とは何かわからないが、彼の所属する組織のことだろう。

 穏やかな社会である日本で異質な実戦を経験したことのある士郎だからこそ彼のことを理解できた。

 一見、奇妙な出で立ちの優男に見えるが、命のやり取りを経験したことのあるもの特有の鋭さがある。

 警察官である良平よりも顕著に。

 写真を受け取った士郎の方を見ながら、良平が無線に声をかける。

 

「ああ、実は、うちの孫の方にはもう私服警官が張り付いておってな。君のご家族は今、全員翠屋におるのかな? すでに店の周りに数人が見張りについておる。店の中に呼びたいんじゃが、かまわんかね?」

 

 休日は家族全員で店を回しているので、みんな店内にいる。

 そういえば、末娘の顔が見当たらない。

 なのはは友達と遊びに行くとでかけたらしい。

 美由希が教えてくれた。

 事情を話してすぐに迎えに行こうか、そう判断し娘の携帯に電話を掛けようと、士郎が店の奥に行こうと腰を浮かしたとき、良平の声が上がる。

 

「なにぃ、仗助を見失った! お前それでも警官か? なにをやっとるんじゃ!」

 

 良平の怒声に士郎だけではなく店の客も何事かと目を向ける。

 それに気付いたのか良平は声のトーンを下げ、無線のさきの相手に事情を尋ねた。

 

『いえ、尾行しているのがばれてしまって、その時に正体を明かすのもやむなしと判断し、警官であることを話すと、その……一目散に逃げ出しました』

 

 肌色に光る頭部に手をやり、天を仰ぐ老警察官。

 バカ孫と罵り呆れる声が同じテーブルの二人にのみ届いた。

 

『変装のつもりなのでしょうか、可笑しな仮面をつけて逃げるところを目撃。捜査官数名で海鳴海浜公園まで追い詰めたのですが……そこで光とともに消えました。いえ、私も信じられないのですが、確かに捜査員全員が光の中に消えるのを目撃しています』

 

 胡散くさげな良平の横、彼だけは真剣に報告を聞いている。

 士郎は確かに聞いた、彼が舌打ちをするのを。

 胸騒ぎを感じた士郎は、急いで末娘の携帯に電話かけるのだった。

 




次が無印の仗助側のクライマックスかな。文字数が回を追うごとに多くなっていく。
ご意見感想お待ちしてます。


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収束、安定

推敲一回だけ、二回目はまた今度  一万字近くになったので、推敲が大変です。
今回は山場なのでコメディー色はかなり少ないです、ご容赦ください。次からコメディーに戻れるかも。


 数多にある次元世界を管理し秩序を守るという名目のもと組織された時空管理局、その管理局の提督であり、次元航行艦アースラ艦長であるリンディ・ハラオウンは思いもよらない危機的状況にあった。

 管理外世界、地球から届いた救難信号をもとにクルーを急がせ可能な限りの速度で、次元の海をわたってきたのだ。

 只の救難信号ならここまで急かすこともない、そういうと人聞きが悪いが、事態は考えられる限り最悪の物であった。

 もはや滅んだ世界の技術で作られた遺産であり、それ自体が世界を滅ばす引き金であるロストロギア・ジュエルシードが、この魔法技術の無い地球にばら撒かれてしまった。

 報せを聞いたときは眩暈がした。

 例えるならば、世界の滅亡のスイッチを赤子のそばに放置している状態と何ら遜色がない。

 地球についたときは、レーダーで安否の確認はしていたが、モニターの前に広がる文明の姿に拳を握りこんでしまうほどに歓喜した。

 実の息子であるクロノ・ハラオウンと臨んだ任務が凄惨なものではなかった、それは母親としての気遣いなのだろう。

 艦長である自分の指示をクルーが待っている。

 気心の知れた彼らは、彼女が安堵した事に気づき、何も言わず待機していたのだ。

 その気遣いに感謝し、そして年長者であるリンディが年若い彼らにこれ以上の恥かしい姿は見せられない、彼女はオペレーターであるエイミィに周辺の魔力反応について尋ねる。

 

「っ、ロストロギアの反応ありました! これは魔導師が二人交戦中。ジュエルシードを奪い合っているようです」

 

 彼女の報告とともに、画面に二人の少女が映し出される。

 歳はクロノよりもいくつか下に見える。

 茶髪の白い魔導師と金の髪の黒いマントの魔導師。

 彼女たちは高い魔力と魔導技術を駆使し、争っていた。

 しかし、黒い魔導師の方が見る限り洗練した技術を持っており、徐々に追い詰めていく。

 白い少女がとうとう撃墜される。

 それと同時に封鎖結界にほころびが出来た。

 結界は白い魔導師が構成したものなのだろう。

 彼女の意識が無なくなる事でその効果が無くなる。

 リンディはすぐに愛する息子に指示を出す。

 

「クロノ、すぐに現地に行き結界を再構成……は、現実的じゃないわね。エイミィ、あの結界内にいる人間を全員アースラに転送して頂戴。抵抗はされるでしょうが、最悪でも一人確保できればそれで問題ないわ。今は結界外の人間に、魔導技術が漏えいすることの方が問題よ! 急いで!」

 

 リンディの指示にエイミィはすぐに公園内のマーキングを終え、転送を開始する。

 結果として、転送ポッドには白い魔導師だけではなく、抵抗が予想された黒い魔導師まで、転送された。

 リンディは、武装局員を数名連れ、彼らに事情聴取するため転送ポットに向かったのだ。 ここまでは何ら問題がなかったのだ、彼女らの中に通報者がいる可能性もあるし、何らかの情報は得られるだろう。

 荒事になったとしても問題なく制圧できるだけの人員もいる、艦で一番の空戦魔導師である息子も艦橋に控えているのだからと。

 

 

     ●

 

 彼女は油断していた、魔力反応はエイミィの話では四つ、多くても五つであると、だから目の前の光景が信じられない。

 転送ポッドの前の廊下に、先行した局員が全員横たわっているその光景と、そしてリンディのすぐ後ろに不気味な白い仮面をつけた二人組が陣取っている。

 仮面は石膏なのか、白く冷たい印象で線のような細い瞳と厚ぼったい唇、それに生えた牙がある。

 彼らは首筋を手で押さえつけ、リンディを拘束していた。

 事態に気付いた彼女がすぐに魔法を展開しようとしたのだが、発動するまでのラグの間に捕まってしまったのだ。

 彼らの目的は分からないが観察するに、転送されてきた全員が同じ勢力の人間ではないようだ。

 廊下の奥にはこの世界での学生服だろうか、それを纏った学帽の青年と、その横に気を失った少年が横たわっている。

 青年は、廊下側、転送ポッドの入り口にいる集団を警戒し睨みつけている。

 集団はちょうど、青年と私たちを挟んだ中央に位置していた。

 顔を包帯で覆い杖をついている老婆を真ん中に右には薄い髪ので人相の悪い中年の男が、左にはクロノと同年代だろうウェーヴのかかった長髪を流し、顔の左半分に雷をかたどった刺青をしている少年が立っていた。

 彼らの足元には先程の魔導師二人が気を失い倒れている。

 金の髪の少女のすぐ近くには彼女の使い魔も寄り添っていた。

 学帽の青年が一歩足を進める。

 

「それ以上近づくんじゃねえぇよ! 承太郎! このガキを殺すぞ、ああん」

 

 老婆のしゃがれた声が廊下に響く。

 老婆の声は怨嗟に満ちており、確かな殺意がある。

 彼もそれを理解し、少女の安否を気遣い、歩みを止めた。

 青年は彼女たちの仲間なのだろうか、リンディにはここにいる者たちの関係が分からない。

 特に、今自分の後ろにいる者たちと彼らの関係が。

 仮面の二人はリンディと同じように彼らに注目していた、いや視線の方向を観察すると承太郎と呼ばれていた青年の方に比重が置かれている。

 彼らが小声で話しかけてきた。

 

『すいません、お姉さん、しばらく人質にさせてもらいます。絶対に危害は加えないので、お願いします、後この建物の出口はどこですか? いや侵入する気はなかったんですけど、気が付いたらここに』

 

 予想以上に高い声に、この二人がクロノとそう変わらない年齢だと気付く。

 彼らの声音から、暴力的なものは感じられないのでリンディは交渉をすることに決めた。

 そう、彼らの口調が紳士的な物であったから、交渉の余地があると判断したのだ。

 決して、最近は誰も呼んでくれない『お姉さん』という呼称に気を良くしたわけではない、と誰に対してかわからない言い訳が彼女の心の内でなされる。

 クロノには慎重に行動を起こすように念話で忠告をした。

 密談の最中に事態は動いた。

 承太郎の説得に老婆が激怒したのだ。

 

「DIO様がワシを裏切るはずがない、そんなことも分らんのか! 見てみよこの体を。肉の芽が暴走はしたが、ワシの命は消えておらん。それどころかあの方を以前より近くに感じられる。これはDIO様の愛なのじゃ。そんな、お優しいあの方をお前たちは殺した。ワシの息子だけでは飽き足らずに。これが許せるはずがないじゃろう! 承太郎、お前の次はポルナレフを殺そう。全身に針を突き刺し息子と同じ苦痛を与えてやる。くくく、、Jガイルもあの世で首を長くして待っておる事じゃろうに」

 

 包帯を引きちぎった老婆の顔は、緑の植物と人間の肉が混じり合った気色の悪い物だった。

 老婆の周りを霧が漂い始める。

 承太郎が、そしてリンディの後ろの彼らも体を硬くする。

 そして暴力が唐突に始まった、誰もそれに反応することは出来ず、老婆は驚愕し、すぐ後ろの彼を振り返る。

 リンディに見えていたのはすぐ横の刺青の少年の手のさきから発生した電気の塊が老婆の胸を背中から貫いている光景だった。

 

「ああ、もうウザったいんだよ、ババア! 早く死ねよ。お前のせいで隠れていたオレまで見つかっただろが! その老い先短い命で責任とれよ」

 

「な、何をするのじゃ、音石。スタンドを与えた恩を忘れたの……か、かはっ」

 

 最後の力を振り絞り音石に振り向いた顔を、彼は邪魔だとばかりに蹴り飛ばす。

 

「何言ってるんだ、これはオレの力だろう、何に使おうがオレの勝手だ。面白そうだから、邪魔者を消すついでに付き合ってやっただけだ、エンヤ。なのによー何でオレの姿が見られちまってるんだ。それはババアの責任だぜ。悪いことをしたら罰を受けなきゃいけねえ、子供でも知ってる理屈だ」

 

 音石は次に中年男性に高圧的に声をかける。

 

「アンジェロ、あんたはどうする。オレに刃向うか? 元々こんなババアに義理なんて必要ないぜ、オレに従うんだろう!」

 

 力関係を悟ったのか卑屈な笑みを張り付けアンジェロは言葉を返す。

 

「ああ、わかった、あんたに従う。俺はこの高町のガキと、東方良平の娘と孫をむごたらしく殺せれば問題ない」

 

 アンジェロは茶髪の少女の髪を掴み下卑た顔で音石に同意する。

 改めて承太郎と向かい合い、彼は鼻を鳴らした。

 

「おい、アンジェロ、この嬢ちゃんたちを逃がすなよ。ちっ、予定外の労働に反吐が出やがる。さっさと終わらせてこの建物にいる目撃者を皆殺しにするか」

 

 今日の夕食のメニューを何にするか、そんな気楽さで、音石はアースラのクルーを殺害すると宣言した。

 リンディは彼らのことをすぐにクロノ達に報告しようとする。

 彼らは、この世界の危険人物だ。

 承太郎と音石が対峙する中、誰にも注目されることなく彼は歩みを進めた。

 出口を探していたことに加え、リンディに危害を与えることもなかったので、仮面の二人は積極的にこの戦いに加わる気はないとあたりを付けていたのだ。

 対峙する彼らもそう判断していたのだろう、そのため誰も彼に反応できなかった。

 靴音が近づいたことで、ようやく音石が仮面の男に気付いた。

 

「ああん、なんのつもりだ! っていうかてめーは誰なんだ! 承太郎の後に殺してやるからしばらく端の方で震えてまっ」

 

「どけよ、僕はそこの下衆に用があるんだ。邪魔するならその長い髪引っこ抜いて、電球にするぞ!」

 

 音石の発言を遮る形で仮面が罵倒をする。

 

「おいおい、ガキども俺を無視するなんて どうやら教育が必要なみたいだな」

 

 ポケットに突っ込んだ手をだし、承太郎も足を踏み出す。

 承太郎に音石、そして仮面の少年、三人が睨み合い廊下の真ん中で対峙する。

 仮面はもう一度忠告した、そこを退けと、『二人』に向かって。

 

 瞬間、空気が弾ける音が響き、承太郎と音石の顔が大きく動く。

 リンディには感知出来なかったが、仮面の少年の攻撃だったのだろう、二人は血の混じった唾を吐き、顔を上げる。

 

「ああーやべぇ、あいつ、キレちまってる。家族のこと持ち出されちゃしょうがねえか。おい、姉ちゃん、ほっとけないから俺もいくわ、危ないから早く避難しろよ」

 

 リンディの横で彼女を拘束していた少年は、そういうとのんびりした足取りで彼らの方に歩いて行った。

 拘束を解かれた彼女はこのままでは彼らを止める力が足りないと、応援を呼び合流するために、廊下を走る。

 アースラの艦長であり魔導師でもありながら、何もできなかった己の無力さを嘆いて。

 

 

   ●

 

 片桐安十郎、通称アンジェロ、犯罪者であり死刑囚である彼が海鳴を訪れたのは復讐のためだった。

 何の恨みがあるのかは知らないが、彼を刑務所なんかに送ってくれた警察官と喫茶店のマスターに。

 神は見ていてくれたのだろう、世の中の理不尽をそれ故に、死刑台から彼を救い出し、復讐するための力まで授けてくれた。

 だが、とんとん拍子には事は進まなかった。

 海鳴に入ってすぐに承太郎に捕捉され、仲間の一人は倒されてしまう。

 これはやばいと人質でもとろうかと、エンヤと近くの公園に入る。

 目の錯覚か景色が歪んだと思ったらすぐ近くに、誘拐の機会をうかがっていた高町の娘がいた。

 アンジェロは己がスタンド『アクアネックレス』を水と同化させ、彼女の呼吸を奪い拘束した。

 同じようにその横で戸惑っている金髪の少女もたやすく眠りに落ちる。

 その瞬間景色が光に包まれ建物の中に移動する。

 

 そして、今、眼前では三体のスタンドが激しい殴り合いをしている。

 承太郎、音石、仮面の少年、彼らはの競り合いは水と同化し、奇襲をかけることしかできない非力なアンジェロでは巻き込まれるとひとたまりもない。

 三人の実力は拮抗している。

 だが、場を支配しているのは仮面の少年だった。

 スタンドのパワーにおいては彼の物が一番ではあるがそれが理由ではない。

 彼だけが桁違いの気迫を放ち、防御よりも攻撃に重点を置いている、いや、捨身とも言える状態で拳をたたきこむ。

 その大振りの一撃を躱すために、他の二人の攻撃に精彩が無くなる。

 傷ついているのは明らかに仮面の少年なのだが、冷や汗をかいているのは承太郎と音石だ。

 そろそろ逃げる算段でもつけなければと、アンジェロは自分の目の前にある細い少女の首筋を握る。

 だめだ、今ここで殺しても意味がない。

 憎き高町士郎の眼前で笑いながら首をへし折ってやるのだ。

 仮面の大砲が決まり音石がこちらに吹っ飛ぶ。

 

「はぁはぁ、よくもやってくれたな! 少々甘く見てたぜ、だがお遊びはおしまいだ。おい、ガキ、起きやがれ! さっき公園でやったように雷を起こせ、早くしろ!」

 

 音石は金髪の少女顎を掴み揺さぶる。

 

「お前、フェイトから離れろ―! ぐはっ」

 

 目を覚ました女が殴りかかるが音石の電気を操るスタンドに蹴り飛ばされる。

 音石は自身の足で倒れた女をさらに踏みにじった。

 

「ああっ、やめて。言われたとおりにするから、お願い、アルフに酷いことしないで」

 意識が戻った少女は音石に懇願する。

 顎を掴む力を強めると、少女の杖から閃光が放たれた。

 その光のすべてが音石のスタンドの中に消える。

 瞬間、切れかけの電灯が、最新式のそれ以上の光を放つようにスタンドが発光する。

 

「くくく、もうこれでお前らはオレに指一本触れることすらできない。オレのスタンドはパワーでもスピードでもお前らを上回った。遊んでないで全力で殺してやる。オレは反省すると強いぜ……」

 

 ニトロをぶち込んだマシンのごとき打撃が承太郎を廊下の反対側まで吹き飛ばす。

 まるで反応できてない。

 アンジェロの顔に笑みが浮かぶ。

 さあ、早くさっきから俺を睨んでいたそいつをぶち殺してくれ、アンジェロは内心ビビッていたことを認めないためにも仮面の少年がぶちのめされるのを切望する。

 承太郎以下のスピードしか持たない彼が音石の攻撃を防ぐことは出来ず先程のフィルムの焼き直しとなり、ふっとばされる。

 

「ハハハ、さあ、すぐにとどめを刺してやる、この後にも殺しの予約でいっぱいなんだよ、そろそろ終わりにしよう」

 

 音石の哄笑が廊下に響いた。

 

「いてて、やべえな、承太郎さん、気絶してるし。はぁ、ったく、熱くなるもんじゃないな。そろそろ終わりにしようか、億泰!」

 

「あいよ、じゃあこれで王手の一つまえ、ザ・ハンド!」

 

 今まで気づかなったが、もう一人の仮面がふっとばされた仮面のちょうど反対側の廊下に歩いてきた。

 彼のスタンドの右腕が地面を抉るとすっぽりその部分が消滅する。

 同時に音石に捕まっていた少女が瞬間移動も同然の速さで彼のもとに飛んできた。

 

「なんだ、そのガキを取り上げたからと言ってオレのスタンドに勝つことは出来ないぞ、恐怖でそんなことも分らなくなったのか」

 

 訝しげに仮面たちの顔を見回す。

 

「ああ、わりぃ、狙いがずれた。今度はこっちを狙うことにするわ!」

 

 再度、空間が削られる。

 ただし、今度瞬間移動したのは、音石の『スタンド』だった。

 ますます、困惑する音石。

 

「なんだ、お前から殺してほしいのか、じゃあリクエストにお応えしようか」

 

「おい、間抜け、遠隔スタンドの弱点に気付いてないくせに、態度がでかいんじゃねえか。まあ、いいか、そうだな、仗助、この間抜けをぼこぼこにするのに何秒かかる? 三秒、そいつはナイスだ。間抜け、さあ、三秒間俺をぼこっていいぞ、遠慮するな。俺は仗助にぼろ雑巾にされたお前をゆっくりズタボロにするからよ!」

 

 その言葉にようやく音石は自分の失態に気付く。

 本体とスタンドを離し過ぎた。

 そのために無防備な体を仗助にさらしてしまったのだ。

 音石に向かってくる仗助とそのスタンドに慌てて、自分のスタンドを戻す。

 大丈夫だ、雷で強化されたスタンドならまだ間に合う。

 事実、彼のスタンドの速度は速い。

 一撃位もらうのは仕方ないが、どうにかなる。

 

「だから、遠慮するなよ、俺を殴っていけばいいだろう。つれねぇな、くそ野郎」

 

 ガオンという音が響くと、猛スピードで本体に向かった筈のスタンドはスタート地点に戻される。

 

「き、貴様等、よくも、よくも―プギャァァァアアアアアアア」

 

「てめーは地獄に落ちろ、ドラ、ドラララララララララァ!!」

 

 音石の体が壁をぶち抜き、部屋の中に吹っ飛ぶ。

 音石の血しぶきを伴い、高らかな勝利の叫びが木霊する、彼のスタンドが咆哮を上げた。

 

 

 

ーーー音石明 スタンド名 レッド・ホット・チリペッパー 再起不能

 

 

 

  

 

  ●

 

 アンジェロはなのはとフェイト抱え走っていた。

 一刻も早くあの二人から逃れるために。

 あそこから音石が負けるとは予想できなかったため、まだ距離が離せてない。

 出口を探すも、それらしいものが見当たらず、彼の焦燥が増す。

 復讐のために、そしてばらして遊ぶために連れてきた少女たちが足かせになる。

 我慢すればよかったのだが、この嗜好を我慢できるならもともと犯罪者にはなってない。

 

「ぐはっ」

 

 背中にドロップキックをもらい倒れるアンジェロ。

 曲がり角のさきは行き止まりだった。

 最初から気づいていた、彼らの狙いは音石ではなく自分なのだと。

 戦闘中も二人の視線が長い時間アンジェロから外されることはなかった。

 

「おい、何逃げてるんだ、アンジェロ。僕らの用がまだ終わってないんだよ」

 

 仮面を外した幼さと悪意が混在する顔、ここになってようやく気付く、こいつは東方仗助、アンジェロが調査していた東方良平の孫だ。

 そうか、東方の孫なのか、なら付け入る隙がある。

 アンジェロは落ち着きを取り戻し、慎重に言葉を選ぶ。

 

「なぁ、俺を一体どうするつもりだ、どうせ大したことは出来ないんだろう。そうだ、今見逃してくれれば、もう東方には関わらない、約束するぜ。もしこれ以上やるなら、お前らの家族をどんな手を使ってでも不幸にしてやる! お前らが俺を殺せない以上これが落とし所じゃないか」

 

 アンジェロは考えた、警察官である良平の孫である仗助に殺しは出来ない。

 しかし、彼らの力が自分を圧倒しているのも確かな事実だ。

 ならば、今は口八丁手八丁で逃げ切り体勢を整え、この借りもまとめて返すべきだと。

 なに、あの正義感の強い良平の孫だ、無抵抗ならそこまでひどいことはしないだろう。

 そうあたりを付けて、笑うアンジェロの顔が歪む。

 仗助の一撃がアンジェロの左手の指を五本すべてへし折ったからだ。

 

「ああぁ、何をするんだ、お前ら俺みたいな屑を殺しても、刑務所に入ることになるんだぞ、わかっているんか!」

 

 仗助は笑顔でうなずく。

 

「うん、僕だってそれはなるべく御免だ。でも、怒りが収まらないんだ。だからお前を全力で殴る、僕のためにも死ぬなよ、アンジェロ」

 

 仗助が足を踏み出す。

 アンジェロはスタンドにではなく、この少年の気性に恐怖を抱く。

 だめだ、話が通じない、早く何とかしないと。

 

「見ろ、そこの高町の娘の口を! オレのスタンドを張り付けた、お前らが何かすればこいつらを殺すぞ、指一本動かす、ぐうぇぇぇ!」

 

 アンジェロの右手の指がすべて逆方向に曲がっている。

 

「アンジェロ、人質を取られたら仕方ないな、正当防衛ってやつか、その子を救うためにお前を殺すしかなくなったじゃないか、僕を喜ばすなよ!」

 

 アンジェロの全身から脂汗が噴き出す。

 

「わ、わ、わかった、もうこいつには手を出さない、だ、だ、だから命だけは助けて」

 

 仗助の笑顔は先程から一ミリも変化がない。

 アンジェロの頭を掴み目線を合わせる。

 

「そうか、じゃあ、お前の気がまた変わって、この娘を殺したくなる前に、アンジェロ、お前を殺そう」

 

 何を言っているんだ、アンジェロには理解が及ばない。

 アンジェロは億泰にすがりつく。

 

「あん、こいつが人殺しになってもいいのかって、そりゃ駄目だわ。だから俺がお前の死体をしっかりこの右手で削り取って消してやるから安心しろ。なに、親友に決まってるだろう、なら、こいつが殺し損ねたら、俺が殺してやるのが友情だろう?」

 

 こいつも理解できない、いや違う、アンジェロは理解した。

 こういう人間を見たことがある、正確にはこの状態の人間を知っているのだ。

 キレている、冷静に話が出来ていたので気付かなかったが、話の通じなさでわかった。

 最初から彼らはキレていたのだ、ならば自分は殺される、だが、一人で死んでなるか。

 アクアネックレスになのはの首を掻っ切るように指令を出す、が一足遅く、仗助のクレイジーDが意識ごとアンジェロを壁に叩き付けた。

 意識が失われる中アンジェロは体が壁と同化していく恐怖を味わう。

 ……ああ、こんなことなら復讐なんてするんじゃなかった。

 

ーーー片桐安十郎 スタンド名 アクアネックレス  再起不能

 

 備考 アースラ船内において一部の壁が『アギ……』としゃべるなどの苦情が艦長に殺到、本部に戻り次第、壁の交換作業がされることに決定。

 

 

 

   ●

 

 高町なのははまどろみの中にあった。

 フェイトとの決闘のあとからこの状態が続いている、夢でも見ているのだろうか。

 

「おい、仗助誰か来たぞ、仮面をつけろ」

 

 決闘には勝てたのだろうか、彼女とちゃんと話がしたい。

 

「フェイトは無事なのかい! そうか、あんたたちが助けてくれたんだね、礼を言うよ。えっ、出口かい。いや、転移するしかないけど、転移が分からないって、どうやってここに入ったんだい。まあ、いいか、アタシが送ってやるよ。ところであいつも仲間なのかい? その白い奴じゃなくて、廊下の先からすごい形相で走ってくる帽子の男。違う、急げって? 大丈夫だよ、アイツが来る前に転移は終わるって、うわっ、いつのまにか目の前に! ああもう、跳ぶよ!」

 

 光に包まれるのを感じる、まだ夢の中らしい、早くあの子に会いたいな、次は絶対仲良くなってみせる、彼女の存在がすぐ隣に感じられ、それがなのはに、願いが成就することを確信させ、彼女にいい夢をみせたのだった。

 

   ●

 

「っと、ここでいいのかい? 早く離れておくれよ」

 

 そういった彼女の腰に手を回していた僕と億泰。

 本当に離しても大丈夫なのだろうか、シッカリ地面に足がついていることを確認してから恐る恐る、手を離す。

 光に中から飛び出すと目の前にあったのは青い空だった。

 どんな原理かはわからない、しかし僕らは確かに空を飛んでいた。

 あっけにとられる中、一番に僕が気を取り戻し、承太郎さんを海にたたきおとす。

 意外なほど簡単に彼は落ちて行った、彼も動揺していたのかもしれない。

 大波乱な一日だった、そういえば、彼女とは何かと縁があるらしい。

 犬耳のお姉さんを見る。

 

「じゃぁ、この借りは必ず返すからね、フェイト起きて、行くよ。ああ、ところで、イヌ科の生き物は嗅覚が鋭いのが有名だけど、知ってたかい? そう、匂いだけで、誰なのか判断できるくらいに。またね!」

 

 そういってお姉さんと女の子は飛んで行った。

 最後の話は何か意味があったのだろうか。

 時計を見るとかなりの時間が過ぎていた。

 早く帰らないといけない、がこの女の子はどうしたものか。

 億泰が公園の前の団地のごみ箱を漁っている。

 

「仗助、これで問題ないだろう、後は警察に公衆電話から一報いれておけばいい」

 

 確かにこれなら、親御さんも無駄な心配はしないだろう。

 犯罪者に誘拐されかけたなんて知ったら、倒れてしまうに違いない。

 

「ところで仗助このガキ見おぼえないか?」

 

 億泰が首を傾ける。

 

「美由希さんとこの妹さんだろう、苗字が一緒だし、妹がいるって言ってたからな」

 

 僕の言葉に納得する。

 彼女の手に缶を握らせて準備完了。

 缶の中に残っている液体を唇に垂らしておいた。

 お腹がすいた、早く家に帰ろう。

 

   ●

 後日談、

 高町一家が警察からの一報を受け、現場に急ぐ。

 アンジェロのこともあり、みな末娘のことを心配していた。

 だからこそ信じたくはなかった。

 警察からの『お宅の娘さんが飲酒して、公園のベンチで酔いつぶれているのを発見した』とのことに。

 現場に着いてみれば、缶チューハイを片手に幸せそうに夢を見る娘の姿があった。

 衣服の乱れはなく、そういった心配はないのだが、小学生の分際でこれはさすがにない。

 自宅で目を覚ましたなのはは長くきつい説教を受けることになり、言い訳をしようにも魔法のことは話せない。

 彼女は初めて大人たちがたびたびぶち当たる理不尽というものを知った。

 




これで無印のクライマックスです。感想ご指摘お待ちしてます。もう一作もしこしこ書いてます。


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意地っ張りの末路

ようやくシリアスじゃない話、でもストーリは進みます。推敲一回だけ、二回目はまた今度


 あの事件から数日がたった。

 事件当日の夜は僕の怪我や、警察から逃げ出したことについて、祖父や母達が僕らを激しく尋問したのだが、そこはあれだ、いつもの頭の悪い子供のふりをして乗り切る。

 彼らは騙されたのか、はたまた呆れたのかはわからないが、当日以降、追求してくることはなかった。

 大勝利といっても過言ではない戦果を得られたのだが、その代償は決して軽いものではない。

 怪我自体は軽い打撲で済んでおり、全治二週間で治ると診断された、これは問題ない。

 代償というのは、安らぎが奪われたこと、最近とみに僕と億泰が行くところ、行きつけのコンビニであったり、美由希さんのいる翠屋に、サングラスの垂れ髪と、背の高い学ランの男達がいて、新聞を買っていたり、似合わないかわいらしいケーキなどを食べているのだ。

 最初は偶然かと流していたのだが、二度三度、四度五度と続くといやでも気づく。

 コソコソしているのなら、まだ僕らの心情として許せなくもないのだが、目が合うと、じーっとこちらがそらすまで見つめてくる。

 なんだろう、証拠以外すべてそろっているから、早く自白しろと脅されている気分に、いや、実際脅し以外の何物でもないのだろう、そう僕らに圧力をかけてくる。

 だが争いからは何も生まれない、どこかの誰かの言葉を思い出し、億泰と二人、満面の笑顔を並べて見つめ返す。

 すると、承太郎さんの手にあるカップにひびが入り,花京院さんのサングラスが鈍く光る。

 笑顔があれば言葉はいらない、らしいが言葉があるのに、彼らと和解できないのはなぜなのか。

 僕は近くを通った店員さんに、空になったコーヒーのおかわりを頼んだ。

 

「他のお客様の迷惑になるから、せめて同じテーブルについてほしいんだけど、見なよ!花京院くんと仗助くん達の間のテーブルにお客さんが誰も座ろうとしないんだよ! 大体、知り合いなのになんで離れた席についてるの?」

 

 美由希さんのおっしゃる通り、三つ並んだ窓際のテーブル席、その端の僕等と彼らの席にはさまれるテーブルには誰もいない。

 時刻は午後五時をまわり、ちょうど部活帰りの学生で賑わう時間である。

 事実、問題の席以外は、お茶を楽しむ女学生で埋まっているので言い訳のしようがない。

 顔見知りではあるし、片方は親族でもある、だからといって、こちらに責任があるような言い方はやめてもらいたい。

 それに、なんでこっちにばかり注意しに来るのだろうか。

 美由希さんはトレイを片手に持ち、顔を承太郎さんから隠していた。

 

「いや、花京院くんはともかく、横の人怖いし。それにあのカップ三つ目だよ! 何したのかは分からないけど、早めに謝っちゃいなよ、どうせ君たちが悪いんでしょ」

 

 美由希さんは最初から僕たちに責があると決めつけていた。

 僕と億泰は、美由希さんからの不当な評価に眉をしかめる。

 初めて会った時から、彼女は色眼鏡で僕らを見ている、そのうち誤解は解くとして、今はこの場を乗り切らなければ。

 そうじゃないと、いい加減ストレスで、ニキビの一つでも生えてしまいそうだ。

 

「ええー、誤解ですよー、僕らは普通の小学生なんでー、あんな怖いお兄さんに睨まれる心当たりなんかないですよー」

 

「そうだぜー、きっと―、誰かほかの奴とー勘違いしてるんだろうー、俺たちみたいな特徴のない奴らなんてー、海鳴には、五万といるぜー」

 

 店内に僕達の大きな声が響く。

 億泰のセリフはやや棒読みだったが、僕の演技力でカバー出来ていた。

 ばれないよう、横目で彼らを確認したいのだが、丁度美由希さんが壁になっていて見えない。

 彼女は額に手をやり溜息を吐く。

 

「……だから、なんで喧嘩を売るのかなぁ、ああ、もう、花京院くんの隣の人も、いいかげんカップを壊すのやめてください!」

 

 磁器の割れる高い音が響く中、僕らはその場を後にすることにした。

 レジで精算中、億泰が、僕の演技にケチをつけてきた、演じる才能のない奴は、見る才能もないらしい。

 そそくさと僕らは翠屋を後にする。

 こうして多くの事件のあった5月が過ぎていく。

 

 ●

 

 八神はやてには友達がいない、いやいなかった。

 そんな当たり前が崩れたのがついこの間のことであるとは、はやてにはとても思えなかった。

 

「ごめん、はやて。何もいわないで、しばらく泊めてもらえないかしら? ちょっとパパと喧嘩しちゃって」

 

 そう言って連絡の一つも入れないで泊まりに来る友達がはやてにはいなかった、しかも二人も。

 八神家の玄関には共通の友人を通して知り合ったアリサが大きなリュックを背負い、申し訳なさそうに手を合わせていた。

 自分を頼ってくれたのは素直に嬉しく、礼儀をわきまえている友人を無碍に出来るわけもなく、リビングに招く。

 とりあえず紅茶でも入れようと台所にはやては向かった。

 その途中、冷蔵庫から勝手に麦茶を出して飲んでいる礼儀をわきまえていない方の友人に声をかける。

 

「仗助くん、アリサちゃんの後に事情聞くから、テレビでも見て待っといて」

 

 了解したと、相槌を打ち、お客様用の煎餅の袋を開ける仗助を見て、はやては思う。

 友人の家に泊まりに行くという行為はもっと期間を過ぎてから行われるものではなかったかと。

 これが今の八神はやての交友関係である。

 

 

 リビングのテーブルにアリサが座り、紅茶を飲んでいた。

 先ほどまで怒涛の勢いで、はやて相手に、父親に対する不満を一欠片も惜しむことなくまくし立てていたので、喉が乾いたのだろう。

 彼女の話を要約するとこういう事になる。

 三年生になって初めての今日の授業参観とその後の面談に仕事のため彼女の父親が出席できなくなった。

 特に面談に関しては、以前から約束しており、必ず出席すると父親も胸を叩いていたらしい。

 アリサの父母は二人共多忙なため、仕方のないことなのは彼女も理解できるのだが、約束したことを破ったのが許せないと彼女は言う。

 母はできない約束はしないと一貫して態度を変えないため、アリサにも納得できる、だからこそ、安易に結び、それを破った父親を許せない。

 両親のいないはやてには贅沢な悩みに見えるが、それはそれ、本人の境遇にならなければわからないこともあるのだろう。

 はやては彼女の聞き役に徹する。

 

「今度という今度は許せないわ、パパの顔なんて見たくもない。それに、すずかの家だと、すぐにバレて、連れ戻されちゃうからここしかないの」

 

 だから、お願いと、友人が頭を下げて頼んでくる。

 はやての家には彼女一人しか住んでいないのでお客様が来るのは歓迎することである。

 それに明日ははやての誕生日だ。

 ここ数年祝うこともなかったが、二人が居てくれるのなら、ケーキぐらい買ってもいいかもしれない。

 楽しい想像の中、リビングの床に寝転がって、はやての少女漫画を読んでくつろいでいる仗助と目があった。

 そういえば彼はなぜうちに泊まりに来たのだろうか。

 

「いや、僕の方も授業参観に」

 

 はやては意外に思う、彼もそんな普通の理由で家出をすることに。

 

「母さんが出席してしまったから逃げてきたんだ」

 

 はやては仗助の言葉を聞き間違えたかと、もう一度彼の顔を伺う。

 事情がわからないはやてとは違い、アリサが納得したと、ため息を吐いた。

 

「いや、普段は爺ちゃんが来てくれてたんだけどね、たまたま母さんの仕事に都合がついたって。だから、面談をすっぽかしてそのままここに来たんだ」

 

 仗助曰く、祖父は疑わしきは罰せず、と言った人なので問題はないが、母親は信賞必罰を是とするので何かと都合が悪い。

 特に仗助は母親に嘘がすぐバレるので、三者面談は、刑事裁判と何ら変わりがないという。

 仗助の焦り様から、普段の彼の生活態度を想像するのは容易い。

 それが学校に通っていない彼女には面白く、つい口に出る。

 

「もう、仗助くん、授業はちゃんと静かに聞かなあかんよ」

 

 はやての言葉にアリサが首を振り補足する。

 

「こいつら、授業態度は真面目にしてるわよ。問題なのは、ええっと、そう、うちの学校の教頭は小言が多くてね、子供のことを理不尽な理由で叱りつけたり、年若い私達のクラスの担任に嫌味をネチネチつける嫌なやつなの。そんな教頭が、ここでは太郎くんにしましょうか、小学生には思えない奇異な髪型をした太郎くんを叱りつけたわけよ。教頭は前から自分に敬意も恐れも払わない太郎くんとその友達の次郎くんのことが気に食わなかったんでしょうね、もうね、鬼の首をとったかのように、普段の素行が悪いだの、髪型がどうだとか、長く説教をしたらしいのよ。その締めくくりがまた有名なんだけど、校庭にある二宮金次郎像を指さして、私が君たちの頃にはこれぐらいの努力は当たり前だっただの、彼を尊敬するように私のことも尊敬しろだの、言うわけよ」

 

 アリサの話は仗助と関係無いように思うが、はやては黙って続きを促した。

 

「でね、教頭がようやく満足した後に、太郎くんが一言つぶやくの『先生は二宮金次郎のことが大好きなんですね』って。教頭は胸を張って頷いたそうよ。その放課後、教頭の車の助手席に金次郎像がシートベルトを着用して乗っていたそうよ。真っ先に教頭は太郎くんたちの仕業だとがなり立てたんだけど、誰も取り合ってくれなかったわ。当然ね、だって何百キロもある銅像を子供にどうにか、いいえ、大人だって移動させることは難しいわ。

次の日、これは聞いた話なんだけど、職員トイレで用を足していた教頭が個室から出ようとするとドアが何かに引っかかって開かないの、珍しい外開きのドア、扉の前に何かが邪魔しているために三時間近く閉じ込められたらしいわ。運が悪いことにその日に限って誰もそのトイレを利用しなかったらしく、清掃のおばさんが来るまで一人ぼっち過ごしたの。おばさんは驚いたでしょうね、ドアの前にある大きな銅像に」

 

 もしかしたらこれは怪談話なのだろうか、はやては興味が湧いてくる。

 アリサの視線が仗助の方に向いていたが、彼は大して面白くもないニュース番組に顔を向けている。

 

「こうなってくると、教頭の八つ当たりが、ひどくなるってみんなが心配していた次の日、教頭は学校にこなかったの。まあ、予想がつくと思うけど、教頭の自宅の玄関を塞いでたらしいわよ、金次郎像が、3つも。それから今日まで、教頭は休職中、太郎くん達は元気に登校してるらしいわよ、ねえ、太郎くん」

 

 聞いていないようで聞き耳たてていたのだろう太郎くんが、テレビを消し、顔をしかめる。

 

「ったく、僕も億泰も無関係だって何度も言ってるだろう。アリサはちょっとしつこいよ」

 

 心外だとばかりに、彼が不平を漏らす。

 アリサは片目をつむり、言葉を続けた。

 

「……私とすずかがあんた達が楽しそうに銅像を運んでいるところを見ちゃったんだけど」

 

「……え、嘘だろ!」

 

「ええ、嘘よ、でも」

 

 マヌケは見つかったようだ。

 そこから始まった二人の言い争いを横に、はやては今日の夕飯は人数が多いので、季節外れであるが、前からしてみたかった鍋料理に挑戦することを決めた。

 

   ●

 

 誰が悪かったのだろう、八神家のリビング、テレビの前ではやては考える。

 楽しくも騒がしい夕食の後のことだ。

 まずアリサの挑発がいけなかった。

 アリサの家から持ってきた三つのDVD、そのすべてにR15のマークが入っていたことも彼女の罪の一つに数えるべきだが、この

 

「はっ、もしかして怖いのかしら、仗助。そうね、今この場で、『僕は幽霊が怖いんでホラー映画は見れません』って言うなら勘弁してあげるんだけど、んん、どうするの?」

 

 という挑発が、最後の命綱を断ち切ったのだ。

 はやては思う、この時点で、仗助とアリサの二人をとりなしていればこの後の惨劇は起こらなかったと。

 こういう言い方をされれば、必ず挑発に乗る単純な頭を所有している彼が後先考えずに、承諾したこと。

 それを面白がり眺めていたはやてにはこのあとに起こりうる事を想像出来ず、二人を煽ってしまったこと、これがはやての罪。

 結局、誰が一番愚かであったのかと考えると、仗助の弱点を見つけたとはしゃぐアリサにも、受けて立つと胸を張る仗助にも、そして、呑気に二人の争いを楽しんでいた自分にも、誰ひとりとして、CGを駆使された最先端の技術に耐えうる胆力を有していなかったことが愚の骨頂と言える……ソファーで寄り添うように固まった三人の真ん中にいるはやては後悔していた。

 

 映画のスタッフロールが流れても誰も口を開こうとはしない。

 仗助ははやての手を握って硬直したまま動かず、アリサにいたっては、両耳を手で塞ぎ、はやての胸に顔を押し付けている。

 ここまでするくらいなら、映画を途中で止めればいいと思うのだが、お互いの張った意地がそれを邪魔しているのか、全てを再生し終わってしまった。

 時刻はそろそろ零時を回るところだ。

 はやてとしては、早く部屋の明かりをつけてもらいたい。

 演出の一環として、全員で家の明かりを一つずつ消して回ったのだが、映画を見終わった今それがとても心細い。

 この映画を見てしまったことは失敗であったが、三人で見たことは成功だった。

 もしも、一人で見てしまったら、広い家の中にポツンと取り残される自分を想像して、また寒気に襲われる。

 身震いするはやてに、アリサがようやく映画が終わってることに気づいた。

 

「えっと、提案があるんだけど、今日はみんなで一緒の部屋に寝ることにしましょう、いいわよね、ねっ!」

 

 アリサは必死にはやて達の同意を求める。

 はやてに異存はなく、仗助にいたっては壊れた水飲み鳥の様に首を縦に振り続ける。

 二人の顔色は青くなっており、鏡で確認はできないが自分のものも大差ないのだろう。

 三人で寝るには個室のベッドは広くないので、ここに寝具を持って一晩を明かすことになりそうだ。

 か細い声で、アリサがトイレに行くと部屋を出て行った。

 三本目のあの内容の後に一人でお手洗いに行けるなんてと、はやては感心したが、よく考えると二本目の後半から彼女は映画をまともに見ていなかったことを思い出す。

 はやても我慢していたことに気づき、一人では心細いので、恥ずかしいが、仗助について来てもらおうと頼むも、

 

「僕はこれから一生トイレには行かない! 絶対にだ!」

 

 自分でも理解していないだろう発言を彼が自信を持って垂れ流す。

 仕様がない、アリサが帰ってきたら付いて来て貰おうと彼女を待つ。

 彼女が出て行って、一分も経たないうちに、乱暴な足音でアリサが帰ってきた。

 ここから洗面所までは間違っても息を切らす様な距離ではないのだが、彼女の額には汗が滴っている。

 アリサは目にも涙を浮かべ、口を開くも言葉にならないのか、はやて達には何も伝わらない。

 はやてが背中を擦り落ち着かせる。

 

「……え、えっと、あのね、あの、はやての部屋がね、光ってるの。私達、ちゃんと電気を消したわよね、なのに、ぼうっとはやての部屋から明かりがついたり消えたりするのが廊下から判るの、ねえ、なんで、どうして、教えてよ!」

 

 話を終えると瞬間三人共が笑顔になった。

 人は理解できないものにあったときは笑うしかなくなるというが、この三人のものもその類であった。

 引きつった笑みではやてが問う。

 

「もう、仗助くんたら、そんなイタズラあかんよ……え、いたずらしてない、うそつかんでもいいんよ、怒らへんから、……やから、いたずらしたっていえや!!」

 

 はやての理不尽な怒声が響くが誰もそれを咎めない。

 アリサの見間違いということもあるのだろうが、先ほど彼女の戻ってきたドアの隙間からかすかな光が差し込んでいる。

 彼女の言うとおり家の何処かで何かが点滅した光を放っているのは間違いない。

 すでに三人とも涙を流していた。

 はやては願う神様どうしたらいいんですかと、天に向かい。

 

『主、どちらにおいでですか?』

 

 神に答えを願ったら、若い女性の声がはやての耳に響く。

 

「……な、なんや、アリサちゃん、今、なにか言った?」

 

 どう考えてもアリサのそれとは違うのだが、彼女に確認する。

 はやての言葉を聞き、彼女自身も含め、その後ますます青くなる三人。

 このままいくとショック死する人間が出るかもしれない。

 

「いい、はやて、それは幻聴よ、まだ聞こえるですって。あのね、よく考えて、もし、もし万が一、それが幻聴でなかったら、この家にその『いる』事になっちゃうじゃないの。そんなことになっても誰も幸せにはならないのよ!」

 

 アリサの言に、はやては納得する。

 たしかに彼女の言うとおりだ、それにこの科学が全てを解き明かした今の時代に、そんなナンセンスなものがいるはずもない。

 だから、先程からはやてにしか聞こえないこの声にあらたに、もうひとり若い女性のものと、少女の声に男性の渋いものが加わったのもただの空耳なのだろう。

 

「……無理や! アリサちゃん、やっぱり聞こえるよ! どないしよー」

 

 はやての泣き言にアリサが携帯を取り出し何処かに掛ける。

 

「鮫島、私よ、お父様と仲直りすることに決めたわ。私が大人に成ることに決めたの、……そんなお世辞はいいの、大急ぎで迎えに来なさい! はやて、私、今日は帰ることにするわ、ごめんなさいね」

 

 真面目な顔で外道なことを言い放つお嬢様。

 はやては逃がすまいと彼女にすがりつく。

 

「アリサちゃん、親子喧嘩はしっかり最後までやった方がいいってテレビでえらい教授さんが言ってたわ、やから、こんなすぐに仲直りするのは良くないって、今日は家に泊まっていって、てゆうか、逃さへん!」

 

 二人を止めることなく仗助は荷物をまとめ始めていた、どうやらアリサに付いて行くつもりのようだ。

 

「せや! アタシ今日が誕生日なんや、やからプレゼントはいらんから代わりに一緒にいて! お願い、友達やろ!」

 

「はやて、プレゼントがいらないなんて、そんな寂しいこと言わないで、親友でしょ。一緒にいるだけなんてチンケなもの贈るわけにはいかないわ、ちゃんと豪華なプレゼントを遅らせてもらうから、楽しみにしていてね。だからこの手を話して頂戴!」

 

 仗助はカバンに荷物をまとめ終わったのか、ドアの前に一人歩いていく。

 そうして、ドアに近づいてくと彼が倒れた。

 

「……はやて、ごめんなさい、私もう限界みたい。また会えたらいい……ね」

 

 そう言葉を残し、ドアの方を見たアリサも気を失う。

 

「……いややなぁ、これみんなでアタシのこと騙してるとかやったら笑って許すのに、違うんやろうな。よし、覚悟はできた、どんと来いや!」

 

 なけなしの勇気を集め、はやては彼らが見たであろう何かを見るためにドアに目をむける。

 はやて自身理解している、自分が二人と同じぐらいに臆病であることを、だからこの後に、彼女が気絶をするのも自明の理であった。

 薄れていく意識の中で、ドアの隙間から覗く四対八の恐ろしい瞳に、みんなが気を失うのは仕様がないとはやては納得し、トイレを済ましておけばばよかったなと後悔するのであった。

 




無印の後日の細々した説明はまた後の回で、、もう一方は少し詰まってます。ストーリーではなく、呼称の方がわからなくなって、ネットで調べてるんですが、待ってくれてる方すいません。感想ご指摘お待ちしてます。


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主は盾になり、守護獣は吠え、騎士は剣を突き立て、残りは傍観する

 誰かに頬を引っ張られ、はやての意識が覚醒する。

 

「ヴィータ、さすがにそれはやり過ぎだ」

 

 自分はいつ眠ってしまったのだろうか、頭に感じる柔らかさから、ソファーに横になっていることに気付く。

 寝室ではなく、リビングで眠ってしまうとはだらしない。

 昨夜ははしゃぎ過ぎてしまった。

 初めての友人達との一夜を思いはやての顔に笑みが浮かぶ。

 ソファーで同じように眠りこけている二人の顔を見ながら、はやては外がまだ暗いことに気付いた。

 時計を見ると、まだはやてが気を失ってから、半時程しか過ぎていない。

 ――気を失ってから、そう、はやては気絶していたのだ。

 少女は事実から全力で目を背けていたのだが、リビングの真ん中に跪いている四人の『現実』からは逃げられない。

 四人の中、長い髪を紐でくくり後ろに下げた彼女が、はやての瞳を見ることなく、頭を垂れたまま、発言する。

 

「闇の書の起動を確認しました。我らヴォルケンリッター、主のもと、御身を守り、闇の書の収集を行います。主よ、なんなりとご命令を」

 

 一説には、死者に言葉を返したものは、地獄に引きずり込まれるという。

 これは東洋、西洋にかぎらず、有名な話である、死者の手を取ってはならない、死者の国の物を食べてはいけない。

 神話の中に共通して語り継がれているだけにきっと意味があるのだろう。

 ――つまり何が言いたいのかというと、彼女の宣言をはやては無視しすることに決めた。

 なるべく視界に入れないよう、それでいて不自然にならない程度に、横目で彼女たちを気にしながらはやては体をずらし車いすに乗る。

 

「ああもう、こんなとこで寝たら二人共風邪引くよ、ちゃんと寝室で寝な、アカンよ」

 

 はやてはどちらかが起きてくれることを願い、独り言にしては大きな声で、つぶやく。

 

「それならば、私が運びましょう、主よ、寝室はどちらですか?」

 

 犬耳をつけた大柄な男性の霊がはやてに答えるが、それも無視し、はやては車いすを走らせる。

 はやての額を汗が流れる、動揺を彼女たちに悟られてはいけない。

 そう判断し、彼女たちをいないものとして扱うはやての一人芝居が行われる。

 日が昇るまでの辛抱だ、朝の日差し、陽の光が照らせば彼らも消えることだろう、古今東西、霊が活動する時間は夜と相場が決まっているのだ。

 アリサと仗助はぐっすり眠っているので連れ出せない。

 まあ、霊を認識しないという点においては、意識のない彼らのほうが、はやてよりも安全である。

 今夜は寝室に籠もり、リビングには近づかないようにしよう。

 寝室を目指し一直線に、はやては車いすの方向レバーを倒した。

 速すぎず遅すぎないスピードで彼女たちを振り切る、ここではやては一つのミスを犯した、いや、正確に言うならばミスではないのだろう。

 彼女たちを霊として扱い、存在しないものとしていたのならば。

 

「主、なにかご不満がありましたか? ううん、もしや、ザフィーラがなにか失礼でも?」

 

 緊張した声が、束ねた髪の女幽霊、シグナムから発せられる。

 はやてはそれも無視し、レバーを倒す。

 ソファーからリビングの出口に続く最短のルートに男性の幽霊が立っていた。

 不自然に迂回することが出来ないはやては彼の中を通り過ぎるしかない。

 数十秒後、盾の守護獣に体当たりをかまし続ける風変わりな主に彼女らは困惑し、車いすがいつまでも前に進まないことにようやく、はやては気づいた。

 

 ●

 

「主はやてよ、ご理解いただけましたか? 主、私達の下半身が何か?」

 

 シグナムの説明が手短に済ませられる。

 その最中にも、はやては彼女らの足の有無を必死に確認していたのでは、シグナムもうかばれない。

 『魔法』やら、『闇の書』など、かなり胡散臭い単語が上がっていたのだが、はやてにはそんなことよりも気になることがあった。

 幽霊でないことは理解した。

 では、こんな夜遅くに子どもたちしか居ない家に忍び込んだ彼女たちは一体何者なのだろうか。

 はやては思う。

 ここは慎重に彼女等に対応しなければいけない。

 自分たちは魔法使いであり、はやてがその主であるなどという、言い訳を信じるほど自分は馬鹿ではない。

 しかし、一方で、彼等は非力でしかない子どもたちに実力行使をしてこない。

 そして真剣に、小娘でしかないはやてに言葉だけではない敬意を払っているのが理解できた。

 悪人ではないと信じたい、幸か不幸か、はやては回りにいる人のせいで、人の悪意よりも善意を重きとする人間に育っていた。

 ただ、悪人でないとするならば、いったい彼女たちは何者なのだろう。

 似たような黒い服、タイツを着ていて、深夜に家に忍びこむような常識外の行動を取る。

 

「……病人」

 

 はやての口から言葉が漏れる。

 思考のまま流れてしまった言葉であるがそれが正しいように思える。

 そうか、それならば彼女たちの奇怪な言動や、空想話、統一された服装にも納得がいく。

 はやては己の中で完結した答えを持ち、同情を彼女たちに向ける。

 四人ははやての言葉を待っていたようだ。

 彼女たちのごっこ遊びに付き合って上げてもいいのだが、病院の人たちも抜けだした彼女たちのことを心配していることだろう。

 はやては彼女たちを保護してもらうために電話機に手を伸ばす。

 ここから一番近いハヤテの掛り付けもいる病院で間違いないだろう。

 その時、八神家の呼び鈴の音が響いた。

 そうだ、気を失う前にアリサが執事である鮫島を呼びつけていた。

 はやては焦り、彼女たちを特にザフィーラを見る。

 子供しか居ないはずの家に彼女たちがいることを知られれば、いい結果にはならないことは簡単に想像できる。

 彼女たちのためにも穏便に済ませたいのだが、そのためにも成人男性であり、屈強な体躯を持つ彼だけはどうにかしたほうがいい。

 鮫島から大人三人と子供一人を隠すのは難しいが、ならば彼だけでも隠してしまおう。

 はやてはザフィーラに何処かに隠れてくれるようにと説明する。

 

「つまり、この格好でなければいいのですね、それならば」

 

 はやては、彼の隠れる場所と、彼女たちの素性をどうにかでっち上げようとしていたため、気もそぞろであったが、さすがにザフィーラの発光には気づいた。

 光の中、男が消え、獣が姿を現す。

 はやては目を閉じ唸り、右手で自分の頭を軽く叩く。

 その後、己の頬を思い切り抓り、涙目の顔でシグナムに問う。

 

「ごめんな、さっきの説明、最初からもう一回お願いできる?」

 

 玄関から痺れを切らした執事の呼び声が聞こえた。

 

 

 ●

 

「そう、アタシの親戚なんやけど、仲良うしたってや」

 

 自分の声は震えていないだろうか、うまくごまかせているだろうか、はやての体温が低くなる。

 リビングのソファーに座るアリサたちとはやての視線が交わる。

 はやての後ろには付き従うようにシグナムたちが無言で控えていた。

 穴だらけの説明ではあったが否定できる根拠もない、はやてが親戚と言うならばそれを認めるしかない。

 今日この時をやり過ごせればそれでいい、嘘を塗り固めるだけの時間が確保できるのだから。

 はやてはじっと二人を、特にアリサを観察する。

 友人達の力関係を鑑みるに、彼女さえ納得したのなら、この場を収めることが出来る。

 仗助が騒ぐかもしれないが、それはいつものことなので特に気にすることではなかった。

 アリサは口をへの字に結び、こちらを見つめてきた。

 シグナムたちのことについて質問するつもりなのだろう。

 大丈夫、焦ることはない、早まる鼓動の音、体内からの警鐘が彼女の耳に届かぬよう、はやては祈る。

 素直に魔法のことを話す気はない。

 シグナムに教わったテレパシーで口裏を合わせることが出来るのだ、どんな言葉をアリサに突きつけられようとも、彼女たちのことをはやては守ってみせる。

 言葉とともにアリサの視線の矢が放たれる。

 後ろの皆を守るためはやてはすべて受け止める所存だった。

 主の気持ちを悟り、守護騎士が前に出ようとする。

 しかし、優しい主はそれを手で制した。

 大丈夫、私に任せてと。

 

「つまり、今夜のことは全部、はやての仕込みだったてことよね? 嫌だ、私、すっかり騙されちゃったわ。怯える私達はさぞ滑稽だったことかしら。ふふ、覚悟はできてるんでしょうね」

 

 守る必要どころか矢はすべてはやてに突き刺さった。

 アリサの笑顔は引きつっていた、全力で維持された笑顔である。

 少しでも気を抜いたら、般若が顔を出すに違いない。

 予想外の疑いに困惑するはやて。

 盾になる覚悟はあっても、屍になる気はさらさらない。

 

「いや、ちが、そうや! DVD! 持ってきたのはアリサちゃんやろ、やから、あたしが計画したわけやない!」

 

 反論ができないのかアリサが整った眉を歪め、気勢いを下げる。

 

「アリサ、テレビの下のデッキに、これがあったぞ!」

 

 眩暈が起こる、なぜ彼はいつも余計なことしかしないのか。

 彼が持ってきたそれは、興味があって録画したはいいが、一人で観る勇気が湧いてこず、放置していた怪奇特集の番組を焼いたものだった。

 再び少女の瞳に鈍い意思が燻ぶり、彼女につき従う悪魔はDVDを持ち、こちらを挑発する様に小踊りを始める。

 少女の事はおいておいて、誤解が解けたら、仗助に制裁を加える事を、はやてはその小さな胸に誓った。

 

「やだ、仗助、あんたも偶には、気が利くじゃない。さぁ、はやて、尻をこちらに向けなさい、って仗助、布団たたきは必要ないわよ、戻してきなさい」

 

 バットが無かったからと代わりに仗助が持ってきたのだが、アリサはそれを受け取らず、五本指をきっちり揃え、平手での素振りを始める。

 素手であることに彼が不満をこぼしていた。

 気心の知れた友人達の狂気を、はやては垣間見た。

 親友という言葉をくれた少女が、風切り音を響かせながらはやてに近づいてくる。

 ああ、神様、親友とは斯くも恐ろしいものなのでしょうか、はやては自分の無知を嘆いた。

 アリサがまた一歩近づくと、今度はテレパシーではない肉声で彼女の声が発せられる。

 

「誤解です、主は、いえ、はやてちゃんは今回のことを知りません。私達が悪いんです!」

 

 後ろに控えていた、守護騎士シャマルが高く優しい声で訴える。

 同時にはやてを守るように守護の獣ザフィーラがアリサとの間にゆったりとした足取りで、風格を伴い割り込んだ。

 彼女たちは偶々、サプライズで隠れてはやてを驚かそうとしただけで、アリサたちを怖がらせるつもりはなかったと弁明する。

 先ほどまで無言でいた大人たちが、急に子供の話し合いに水をさしたことでアリサも落ち着きを取り戻す。

 はやてはこの歳になって臀部の打撃によるトラウマを抱えなくて済みそうだと、話し合いで中断した刑の執行を喜ぶ。

 ただ一人仗助だけが、アリサの後ろで布団たたきを見詰めていた。

 

「――仲間が増えると思ったのに」

 

 彼の期待のこもった眼差しがはやてと叩き棒に、交互に飛ぶが、刑を免れた少女はその意味を理解できない。

 まぁ、理解できたからといって、どうということもないのだが。

 

「はやて、この子、何て言うの?」

 

 少年から目を移動させ、少女を見ると、ザフィーラの顔を覗きこんでいる。

 大人であるシグナムやシャマルにはまだ警戒を解いていないが、アリサは獣には心を許した。

 彼をとっかかりにして、打ち解け、今日のことは有耶無耶にしてしまおう、あの二人は興味が他の対象に移ると、途端に前のことを忘れてしまうシンプルな頭をしている。

 はやては、黒い思惑を胸に秘めザフィーラの名前をアリサに告げる。

 

「ん、ああ、違う違う。名前じゃなくて犬種。――っていうか、この子、犬でいいのよね?」

 

 ザフィーラの首に抱きつき、アリサはこちらの答えを待っていた。

 そう言われ、改めて彼を観察するも、犬にも見えるが、犬にも見えない。

 はやては適当に、でっち上げることにした。

 法律上、犬であって困ることはないが、犬じゃなくて困ることはあるのだ。

 

「ええっと、確かボルゾイとか」

 

『主、私は誇り高き守護獣であって、犬ではありません!』

 

 はやての頭のなかに、抗議の声が飛ぶ。

 しかし、ここは堪えてもらうしか無い。

 

『ザフィーラ! 主が望まれたのだ。ならばお前は今日この時より、犬として生きる覚悟を持て、それが我らヴォルケンリッターの有り様だ!』

 

 シグナムは説得、いや、ただ決定事項を伝えただけだった。

 そこまで大げさな事だったのだろうか。

 小学生でしか無いはやての肩に、載せる荷物をこれ以上増やさないでほしい。

 はやてはザフィーラの助けを求める視線を無視しようとするも、罪悪感から、慰めにもならない言葉を掛ける。

 

『犬やって言っても、ほら、血統書付きってことにするし。ボルゾイってスラっとしてて格好いいし、それに賢いんやで!』

 

 今日から、犬の人生を送ることになった彼が目を輝かせ、しっぽを勢い良く振り始めた。

 

『なんと、そうなのですか! 主の言葉に異を唱える気などありません! ですが、賢く格好良いのですか』

 

 全くその通り、とても賢いのだ――犬畜生にしては。

 わざわざ口にする必要のない都合の悪い事実は飲み込む、はやては大人の分別を持っていた。

 はやての心労を無視する様に、アリサは否定の言葉を告げる。

 

「何言ってるの? この子、ボルゾイじゃないわよ。私、犬には詳しいけど、この子は見たことないわね。まさか、はやて、違法な動物じゃないでしょうね」

 

「ええっ! いややわぁ、ちょっと勘違いしてもうた。ええっと、だから、その、そう!――雑種や」

 

 苦し紛れの言い訳がとんでもない事になった。

 はやては目をそらした、眼前にいる少女ではなく、彼女の隣にいる雑種犬から。

 

『ふむ、シャマル、ザッシュとは、何なのだろう? どことなく先ほどのボルゾイと同じく賢く、鋭利な響きがあるが』

 

 犬は仲間に期待のこもった瞳をくれる。

 

『えっと、あの、そのね、ザフィーラ』

 

『ザッシュではない雑種だ。どこかの馬の骨と馬の骨の股から生まれてきたという意味だ、理解したな、雑種犬!』

 

 シグナムの言葉に顎が抜けたかのように口を開ききったザフィーラ。

 目からは困惑の色が見え、文句を言おうにも、先ほど堂々と主の命に背く気はないと宣言した自らの言が首を絞める。

 

「そう、雑種なんや、やから、ちょっと変わってるんよ! でも間違いなく犬や、ほら、ワンって吠えるし、な、ザフィーラ、ほらワンや、わかるやろ!」

 

 まだ忠誠心が足りないのだろうかと、自らの主が与えた試練に、戦慄するザフィーラ。

 ザフィーラは忠義と誇りを天秤にかけてくれたのだろうか、そして細く鳴いた、キャィンと。

 

「ああ、やっぱり犬なんだ。そうよね、そうポンポンと狼とかが飼えるはずないわよね、こんな日本で、やっぱりあの緋色の子も犬だったのよね。でもこの子もなかなかハンサムよね、ほら、お手。そうよ、もうちょっと、後はその上げた足を私の手に置くだけよ、頑張って」

 

 無邪気な友人が軽い気持ちで、絶望を彼の葛藤する前足に要求する。

 シャマルともう一人の守護者である少女のヴィータは目を覆い、静観する。

 シグナムはザフィーラの瞳の訴えを受け止め、鷹揚に頷ていた。

 助けてくれるのだろうか、ザフィーラは守護騎士としての絆を思い出したのか潤んだ瞳でシグナムを見つめていた。

 厳しい言葉もあったがそれも全てはやてのためであり、本来この二人には断ちがたい絆があるのだろう。

 守護騎士の将であるシグナムが自分を見捨てるはずがないのだと、ザフィーラは彼女の静止の言葉を期待するようにお座りの姿勢を保っている。

 

「何をやっているのだザフィーラ。早く前足を差し出せ、主の友人がお待ちかねだぞ。簡単だろう、お前は『格好良く賢い』犬なのだからな」

 

 シグナムは何よりも、そう全てにおいて主を優先する、この場合も。

 召喚されたその夜、ザフィーラは誇りをすべてドブに捨てることになった。

 ザフィーラの前足がアリサの手に降りると同時に、彼の頭と耳も垂れ下がる。

 

「わ、私はシャマルです! はやてちゃんの、親戚で人間です!」

 

「アタシはシャマルの妹のヴィータだ! ええっと、血統書付きだ!」

 

 鼻息荒く、二人が名乗りを上げる。

 変な設定を付けられては堪らないと、我先にと口から出たのだろう。

 はやては大人の小ずる賢さと、口に出したことに責任を持つことの厳しさを知った。

 二人の後にシグナムが自己紹介をする、その間中、我が家の飼い犬は力の限り吠えた。

 念話ではないその叫びをはやてと守護騎士の女性三人は理解した。

 彼はこう叫んでいたのだろう、『裏切り者』と。

 シャマルとヴィータは葛藤していたが、シグナムが鋭い眼光を放ち言った。

 

「賢い犬は吠えない!」

 

 シグナムとザフィーラの間には何らかの確執があるのだろうか。 

 容赦の無い刀の美しさを持つ彼女と、石像と化した犬を見てはやての冷や汗が止まらなかった。

 

 

 ●

 

 八神家の玄関先に待たせていた執事の鮫島は、長時間待たされていたにも関わらず、悪態の一つもつかなかった。

 アリサは完全にはやての言を信用したわけではないが、危険がないことを理解したのだろう

 ザフィーラにじゃれて満足したその後、顔色を青く変える。

 

「はやて! ごめんお手洗いを借りるわね!」

 

 お化け騒動やらのお陰で忘れていた尿意をアリサは思い出したのだ。

 走りだした、彼女が廊下の途中で派手にすっ転ぶ。

 

「はやて、悪い、トイレ貸してもらう、ふう、あとチョットで漏れるところだったよ」

 

 ごめんあそばせと、優雅に礼をし、足払いをして転ばせたアリサの横を通りぬけ――ようとした仗助の右足をアリサの左手が掴んで離さない。

 また始まった二人のじゃれあいに、はやては苦笑し、ヴォルケンリッターに念話を贈る。

 

『ごめん、みんな、アタシがトイレから出てくるまでその二人をしっかり拘束しとって』

 

 因みにこれが、闇の書の主が、その守護騎士に与えた最初の正式な命令になる。

 こうして八神はやての、初めてのお泊りの夜は賑やかに過ぎていった。

 



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海鳴に住む人々

事件が起こるつなぎの回


 聖祥付属の教室にチョークの音が響く。

 教師が黒板に記した数式を見て、少女はそれをノートに書き取っていく。

 すべて写し終えた後、高町なのはは視線をある男子生徒に固定した。

 

『うーん、なのはさんの見間違いということはないのかしら? なのはさんのデバイスを中継してサーチしたけど、彼の体内にリンカーコアは存在していないわ。他に考えられるのは、なのはさんの遭遇した何者かが、偽装魔法でその虹村くんの姿を被っていた可能性もあるわね。あの襲撃者達も魔力を隠蔽していたようだし、色々と疑問が残るわね』

 

 こちらの世界にやってきた次元航行艦アースラの長であるリンディ・ハラオウンはなのはの推測にそう答えてくれた。

 あの日、少女の魔導師として初めての戦い。

 幼なじみの男の子と、喋るフェレットだけで立ち向かった事、ジュエルシード事件を振り返り取り残されていた出来事。

 事件が解決された今も、その謎は宙に浮き、誰も回答を出せないままであった。

 加えて、なのはは気絶していたため、詳細は後にユーノから聞き齧っただけであるが、アースラが複数の魔導師に襲撃される事件もあったのだ。

 そちらも未解決であり、容疑者の一人も探し出せていない現状だとか。

 少女としては、その襲撃の後、自分を酩酊状態に偽装し公園に置き去りにした憎い人物が気になる。

 悲しい事件であったがそれを通して友情を育んだフェイトによると、なのはの恩人でもあるらしいのだが、素直に感謝できない。

 身に覚えのない飲酒に対する両親の説教に始まり、心配からか兄妹のスキンシップが過剰な物になったこと、それらすべてを引き起こした人物に思うところが出来るのは仕方のない事だ。

 共に、アースラの中に転移し、事件の渦中にいたはずの幼馴染の彼が楽しそうにアースラの艦内での歓迎の様子を話してくれたことも、その思いを募らせる。

 幼馴染の真は、アースラ艦内のメカニックに興味津々といった様子で、なのはの顔色の変化に気づかず話を続けてきた。

 いい加減、意地悪の一つでも言ってやろうかとする少女であったが、少年がデバイスを貰えなかったと不満を漏らした事によりかろうじて回避される。

 胸元にある己に忠実なデバイスを握り締め、ちょっとした優越感から、仮マスター登録すれば、少年も魔法を使うことが出来ると、なのはにしては珍しく上から目線で提案がなされた。

 喜ぶ彼の表情に、元は素直な子供であるなのはの溜飲も下がる。

 それでも、鬱屈した思いは晴れはしなかった。

 あの日の魔導師を見つけることで解決することではないのだが、もやもやしたものを己の身のうちに残すよりは健康にも良い。

 そう結論づけたのだが、リンディからの報告により手がかりが途絶えてしまった。

 自分を襲った魔導師に、助けてくれた魔導師、そのどちらも霧となる。

 視線を再び少女は件の少年、虹村億泰に向ける。

 彼は別段、期待した怪しい行動はとっておらず、立てた教科書を壁にして少し早い昼食の時間を過している。

 握ったペンシルの尻で頬を突付き、眉根を寄せると、授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 

  ●

 

 放課後の海鳴市、図書館へと続く道を、車椅子の少女が、走って行く。

 歩道は昨夜の雨のせいか少し濡れており、浅い水たまりを通るときに、足元が濡れないように注意しなければならない。

 借りた本を返した後に、友人達と合流し、目的地である月村家を訪問するのだ。

 車椅子の少女、八神はやては、首を曲げ、顔だけ後ろを向き、電動のそれを押している人物に声をかけた。

 彼はつい最近増えたはやての家族ではなく、今日で十日目になる居候であった。

 家を出る時から同道している彼に、苦笑し少女が話を振る。

 

「仗助くん、そろそろ、家に帰ったほうがええんちゃう? 親御さんも心配してるはずやろ」

 

 そう勧告するも、はやてとて彼を無理に追い出す気はない。

 別段深刻なことではないのだ、制服などの最低限の日用品は、母親の居ない昼間に取りに帰り、八神家から登校もしている。

 夜になり、家に母親が戻る時間だけ八神家にて過ごす、それがここ最近の彼の日常になっていた。

 車椅子を押している彼は渋面を作り、何かを説明するように、人差し指で宙に絵を描く。

 

「こう、なんて言うかな、最終的に母さんの怒りを、家出した息子に対する心配が上回るのが理想かな」

 

 なかなか都合のいい考えでいらっしゃる、彼の目論見がうまく言ってるのかどうか、はやては尋ねる。

 先程よりもさらに眉間にしわを寄せ、彼はつぶやいた、唯一連絡が取れる祖父の話によると、日に日に母の機嫌が悪くなっていると。

 子供の浅知恵が大人に通じるのはフィクションの中だけだと少女は思い、励ましを込め、車椅子の取っ手にある少年の手に自分のものを重ねた。

 

「しっかり押せや、居候。やないと、親御さんにうちの場所、チクるで。ホレ、返事は笑顔で、わかりましたやろ」

 

 無理に追い出すことはないのだ、同級生の男の子を小間使いにするのは、はやての知る限りとても貴重な経験なのだから。

 鼻の穴から、必要以上の呼気を出し笑みを作る友人を見るのは気分がよく、お姫様気分を堪能できる。

 八神はやては両親を失って以来、久方ぶりの我が儘を聞いてくれる身近な人間に、心の底で感謝する。

 ただ、感謝の割には、指示する言葉にためらいがなく、彼の胃を的確に痛めつけているのが解せないといえば解せない。

 

 道の途中、コンビニの前ではやてはアリサと合流する。

 アリサの家の車はいつも、これでもかと光沢を放っているのでわかりやすい。

 車から降りてきた彼女は、はやてと挨拶を交わし、目的地が同じなのだからと乗車を勧める。

 車椅子のはやてでは、屋敷までの坂道は長く厳しいものになる。

 電動であるとはいえ、車で行けるのならそちらの方がいいだろう。

 友人の気遣いを、少女は首を横に振り辞退する。

 

「大丈夫や、心配せんといて。最近いい『人力』のエンジンが手に入ってな、慣らしもかねとるんや。ほら、コンビニから戻ってきた」

 

 エンジンは、アリサに気づくと、手を上げ挨拶をし、はやてに頼まれたお茶を渡す。

 渡す瞬間も、笑顔を絶やさぬ、なかなか我慢強いエンジンだった、それとも製造元が余程怖いのか。

 二人のやりとりを見て、アリサは首を傾げるが、特に気にするでもなく、運転手に声をかけ、友人達と一緒に歩いて行く旨を伝え帰らせる。

 因みにこのあと仗助は、のどが渇いていたアリサのためにふたたびコンビニに戻ることになる、はやての指示で。

 

   ●

 

 行儀が悪いが、仗助の行きつけのコンビニの前で、二人は買ったお茶を飲み終える。

 仗助はコンビニの店員と話し込んでおり、なかなか戻ってこない。

 立ったまま飲食をすることに抵抗があるのか、アリサは道路の手すりに腰をもたれかかるようにして、一息入れた。

 話題は今日、彼女らの学校で行われた身体測定のこと。

 

「何がムカつくって、あの二人、終始女言葉で、互いのバストサイズを図り合っているのよ、しかも、私とすずかの計測結果を勝手に盗み見て、鼻で笑うし。周りの男子もいつの間にか真似しだすし。ああ、もう、本当、男子って子供なんだから! 大体、私の胸の膨らみと、あんた達の筋肉で押し上げたそれを一緒にするんじゃないわよ!」

 

 自分の物には夢が詰まっていると小学生らしい慎ましやかなそれをアリサは主張する。

 アリサの話を聞き、はやては相槌を打ちながら、手元にあるペットボトルであふれる笑みを隠す。

 自宅で孤独に教材と向い合うだけのはやてには分からないが、怒りという感情の発露でさえ、貴重なものに見えてしまう。

 昔の自分なら笑顔で感情をやり過ごすだけであったが、友達がいることで余裕が生まれ楽しく彼女たちを観察することが出来た。

 まだ気が収まらないのか、アリサの口上は激しくなる。

 

「その上、クラスで一番のスタイルの持ち主が女子からじゃなく男子から出たって勝ち誇るし、その子の幼馴染の高町さんは身長が同じ位なのに体重が十キロ近く自分のほうが重いって落ち込むし」

 

 その少女は災難である、アリサの激昂ぶりを見るになのはだけでなく、彼女もからかわれたのかもしれない。

 はやては落ち着けるため、アリサの話の隙を突いて、質問を挟む。

 

「そら、お気の毒に。ところで高町さんて、ふくよかな子なん?」

 

 はやての問に、自分が興奮していたことを自覚したアリサが否定する。

 

「そんなことないわよ! 彼女が太っているなんて、標準よ、標準! ……私と余り変わらない体重だし。そう、あの男子が軽すぎるのよ絶対! ほら、見てみなさいよ! あの身長で、私達より軽いってのが異常なのよ!」

 

 その最中、はやてに向けられていた視線が道路を挟んだ通りの向こう側に移っていた。     

 アリサの指す方を見ると、同年代とおぼしき少年が、息を切らしながら、歩道を駆けている。

 その後ろを追いかける栗色の髪の少女を見ながら、首を傾げ、はやては呟いた。

 

「ところで、なんであの子、スカートを振り回しながら、駆けてるん? 後ろの子のやろ、多分」

 

 はやての呟きは、別段、アリサに問いかけたものではなかったが、次の言葉に詰まってしまう。

 はやての言葉通り、向かい側の歩道をかけていく同級生はオレンジ色のスカートを振り回していた。

 その後を追う少女は怒りからか、はたまた羞恥から、赤面しており、右手で上着を限界までずり下げ下着を隠し、左手の玩具の杖を振りまわす。

 玩具は安物では無いようでプラスッチックではなく、鈍い金属の光沢を発している。

 

『危ないよ、なのはちゃん! 少し落ち着いて、どうして怒ってるのか訳を話してくれなきゃ、どうすればいいのかわからないよ!』

 

『真くん、なんで私が怒っているの本当にわからないの? 嘘つき、そうやって私をからかってるんだね。……だったら、手加減する必要はないよね、レイジングハート、ターゲットをロックオン、いい加減、私のスカートから手を離せぇぇ!!』

 

 上演される喜劇を鑑賞し、アリサは言葉を失う、無論、感激したわけではない。

 

『ちょっと、なのは! インテリジェントデバイスは、直接、殴ったりするためには制作されてないから、だからといって魔法を放てってわけじゃなくて! とりあえす頭を冷やして、僕のマントで下半身を隠しなよ。真も、その奇行に何か意味があるの? もしかして、この次元世界特有の儀式だったりするの? ……ああ、もう、誰か助けてよ!』

 

 なのはの後ろから、新たな役者が舞台に上がる、色素の薄い髪をおかっぱにした、どこかの民族風な意匠を身にまとった、柔らかい瞳の少年であった。

 この年頃の子らしい、まだ性差が顕著ではなく少女でも通用する愛らしい顔は、残念なことに涙で曇っている。

 正答が見つからないことを嘆き、周りの誰かに答えを求めるも、この状況を解決に導く答えなどあるのだろうか。

 立ち止まった周りの大人達も、誰一人答えを出せず、少年を見守ることしか出来なかった。

 学校というものは、ドラマや小説で読んだとおり非日常の塊らしい、車椅子の少女は自分が通学出来ないことを、今ほど、残念に、そして妬ましく思うことはない。

 あのおかっぱの子は留学生だろうか、はやては尋ねる。

 未だ言葉を失っていたアリサがようやくはやての問に答えてくれた。

 

「え、えっと、多分違うんじゃないかしら、あの二人も、もしかしたら私のクラスメートと似た人なんじゃないかな……」

 

 走り去る役者たち、真偽はともかく、先程からのはやての複数の疑問に、アリサが出せた答えはたったこれだけだった。

   

 ●

 

 

 店員との会話をようやく終えた少年がコンビニから出てきた。

 仗助は、通りの向こうに焦点を合わせ呆然とした二人の視線の先を追うも、特段面白い景色があるわけでもない。

 怪訝に思いながら視線をゆっくり回転させる少年に釣られ、アリサも頭を動かす。

 その途中、はやての肩越し、コンビニの隣のドラッグストアに知己の顔を見つける。

 確か、親友の姉である月村忍の友人であったはずだ。

 アリサは月村家で挨拶を交わしたことがある程度の付き合いであった。

 商店の立ち並ぶ景観に不釣り合いな赤と白の巫女服が悪い意味で存在感を主張している。

 巫女の女性、神咲那美はドラッグストア前の車道に背を向けるようにして、声を上げていた。

 その隣にいるのは、誘拐事件の時に仗助たちを迎えに来た学帽で目付きの鋭い男性だった。

 那美は顔だけを横に向け、平時の温和な態度を崩し、彼を叱りつけている。

 

『いいですから、こういったことは私達専門家に任せて、一般人は黙っていてください。本当に危険なんです、って、私の話を聞いてますか、だからなんで溜息を付くんですか!  

 それってとても失礼だと思います、やれやれって、それはこっちの科白です!』

 

 アリサの見る限り、那美の気勢が上がれば上がるほど、男性の吐くため息の量が増えていくに違いない。

 二人はどういった間柄なのだろう、野次馬根性で隣にいるはやてに声をかけようとして気づいた、彼女がいない。

 慌てて反対側を向けば、小走りで道の端を走っている仗助と、上半身をひねりアリサに向け手を振っている少女がいた。

 

 空のペットボトルをコンビニのゴミ箱に捨て、全力で追いかけ、文句をいう。

 はやては素直に謝罪の言葉を述べるも、仗助は苛立っているのか、アリサの言葉を無視した。

 小声でブツブツ文句をいう少年の様子から、日常、からかい目的による無視ではないことに気づいたアリサは彼のつぶやきに耳を傾ける。

 

「っくそ、なんで僕がこそこそしないといけないんだ、早く帰れよ。大体、きれいなお姉さんを侍らせて、両手に花だとでもいうつもりか!」

 

 ただの嫉妬か、アリサは興味を持ったことを後悔する。

 なにか思いついた様子のはやては仗助の肩を叩き、指先をアリサと己に交互に向け、笑顔を見せる。

 少年の哄笑が、道行く人々が振り返るほどの大きさで響く。

 

「さて、そろそろ、待ち合わせ場所に行こうか」

 

 仗助の押す車椅子の脇にかけられた鞄の中から何か凶器になる物を探すはやてを尻目に、アリサは先程から感じている違和感に気づく。

 

「ねぇ、仗助、制裁は後にするとして、なんで両手に花になるの? それは誤用じゃない?」

 

 確かにおかしい、はやても気付き仗助の顔を見る。

 二人の視線に困惑しながら仗助は己の頭を軽く掻いた。

 

「いや、あんな美人二人に、囲まれてるんだから、おかしくないと思うんだけど。えっと、君たちからしたら、那美さんも、あのチョーカーをつけた人も美人に入らないの?」

 

 仗助にからかっている様子はない。

 アリサとはやては記憶をさらうも、承太郎と那美のそばにそんな人物はいなかった。

 

「そういえば、近所のおばちゃんに聞いたんやけど、あの辺り、昔、一家惨殺事件があったんやって、仗助くんよく知ってたなぁ」

 

 仗助の話した人物の容姿に心当たりのあるはやて。

 当然、近所のご婦人方と交流がない仗助が知っているはずもない。

 仗助は指を三本立て、確認の意味を込め、二人に見せる。

 少女たちの建てた指の本数を数え、仗助の顔から血の気が引き、それに釣られるように、アリサとはやての顔も青くなった。

 そこに声が掛かる、ドラッグストアの前から追いかけてきた那美を見るやいなや、三人は悲鳴を上げ逆方向に疾走した。

 残された巫女は独り言ちる。

 

「……あれ、いやだ。私嫌われてるのかな、まさかね。っあの違います、あの子達は知り合いで、だから、からかってるだけなんです!」

 

 巫女は焦り弁解する、市民の義務として、携帯で通報をしている近所のおばさんを制止するために。

 

 

   ●

 

 海鳴駅の近く徒歩一分にあるホテルの一室、魔導杖を振り回す幼馴染から逃げ切った少年は部屋の隅の机に向かう主の用意してくれた紅茶で一息をついた。

 

「ふむ、やはり、これが最初のページになるのかな、それ以前の物は読めないな。いや君の言うことを疑うわけじゃないんだよ」

 

 机とセットの回転椅子を回し、二十歳前に見える青年はこちらの様子を窺ってきた。

 手には本から破り取ったのか、数枚のページの切れ端を持っている。

 男は取材と休暇を兼ね、この部屋に泊まっており、少年は出来うる範囲、積極的に彼を手伝っているのだ。

 なぜなら、少年はつい最近知り合ったとは思えないほどに彼のことを『信頼しており』、真が『自ら、己の秘密を打ち明ける』位に『信用できる』人物なのだから。

 そう、真は、自分が前世の記憶を持っていることも、この世界が真の知る創作物と酷似していること、魔法についてすべて一つも余すことなく彼に打ち明けた。

 特に、世界が、創作されたものであることを話した時などは、彼が怒り出すのではと危惧していたのだが、逆に感謝され、目を丸くしたものだ。

 不思議に思い、怖くないのかと訪ねてみれば、

 

『世界が作り物だとして、それで僕の作品がつまらなくなる訳じゃないだろう、いやむしろいい刺激になる』

 

 そう楽しそうに、どこから出したのか、破り跡の付いた紙を熱心に読み込んでいたのが印象的だった。

 今も彼の作品のためにこれから起きる事件について、覚えている限りを彼に話しているところだった。

 青年が原稿に取り掛かり、彼のつけているギザギザの切れ込みの入ったヘアバンドは趣味が悪く無いかと思案していると時間が過ぎていった。

 

「ああ、やはり僕にラブコメは向いていないらしい、なんであれで女が好感を持つのか全く理解できない。君にも苦労をかけたのに悪いね、謝罪するよ」

 

 帰り際、青年の言葉に、すこし自分の知っている漫画の話をしただけのことなのに目の前の人物が謝ってきたことに違和感を感じたが、今日は母の弟が仕事の都合で海鳴市に引越してくる大事な日なので深く考えることもなく別れの挨拶を告げる。

 

「今度は高町なのはって子も、連れてきなよ。彼女は君の知る物語の主人公なんだろう」

 

 連れてくるのは構わないが、今現在、なのはは真の理解できないことで激怒している。

 困難であることを彼に伝え、ほとぼりが覚めたらその時にと約束を交わす。

 

「でも先生、本当に女の子って理解できないですよね、『わざわざ衆人環視の集まる場所でスカートを捲って』あげたのに怒りだすんですよ。普通なら、照れて赤くなるはずなのに」

 

「ああ、確かに、君の知る漫画の中なら、確実に好感を持つ出来事なんだがね。もしかした照れ隠しなんじゃないかな」

 

 なるほど、先生の言にも一理ある、そう思いなのはの顔を思い出すと確かに照れて、顔を真赤にしていたように思えてくる。

 そういえば、学校の身体測定で、『十キロ近く痩せた』真に複雑な視線を向けていた。

 そういった思いから素直に喜びを出せなかったのだろう。

 疑問が氷解し、晴れやかな顔で挨拶をして、部屋を出て行く。

 何かを思い出した先生の制止を聞かずに。

 

 

 ●

 

 少年の出て行った部屋、伸ばした手が行き場を失い宙を彷徨う。

 自分の呼びかけを無視したのは真なので責任は彼が取るべきだと考えなおし完成した原稿のある机に向かう。

 原稿の横、彩飾華美な絵の雑誌を手に取り、部屋の主『岸辺露伴』はため息を付いた。

 

『まったく、突然、パンツを見られたり、胸を揉まれて、なお、主人公に好感を抱くヒロインの気持ちは理解できないね』

 

 内心、そんな悪態が露伴の口から出そうになる。

 だが、独り言が増えるのは脳味噌の足りない頭の硬い爺さんみたいだと、偏見を持つ彼は言葉を飲み込んだ。

 部屋に備え付けの電話を取り編集部に掛ける。

 露伴にラブコメを描いてみないかと愚かな提案をした愚図な担当に断りを入れるためだ。

 その頃になると、少年の『本』に書き記した命令を消してやることを忘れたことはすっぱり露伴の頭の中から消し飛んでいた。

 この事により、某喫茶店のウェイトレスがいらぬ恥をかくことになるのだが、誰も真相を知らない。 

 

 

 




補足 岸辺露伴  漫画家、自分の漫画を見たものを本にすることが出来、その人間の人生の情報を読むことが出来る。また文章を書き足すことによって、その人間の意志を操ることが可能。
ジョジョ側の重要人物が登場する回になりました。いろいろな事件が同時進行しています


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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 序

  寒さが強くなり、道行く人の吐いた息も白くなる十二月、温かい病室の中、透明の息の少女。

 かかりつけの海鳴大学病院の個室に何ら不便があるわけではないが、だからといって不満が出ないわけがない。

 つい最近出来た心配症の家族や友人達に不安を与えるのが申し訳なくて、少しだけ嬉しい。

 病室の窓から外の景色を眺めているとノックもなしに扉が開く。

 入ってきた少年は漫画や携帯ゲームやら暇つぶしになる道具を入れたリュックを脇に置きベッドに腰掛けるはやての病状を尋ねてきた。

 たまたま仗助が八神家に訪問中ににはやての病状が悪化したことで責任でも感じているのか、彼は頻繁に病室を訪れていた。

 そしていつもの習慣になっているのだがはやての元を訪れるたびに少女の手を握り、病気が治ったか聞いてくる。

 すぐに完治するものならこんなに長い付き合いにはなっていない。

 普通なら度重なるそれに文句をいうのだが彼の思いのほか真剣な眼差しと自分より大きい無骨な手に握られることが別に不快ではなかったのではやては付き合うことにしていた。

 彼の用意した漫画などはいつでも、それこそ面会時間の後の孤独な時間に遊べるので今は仗助の学校での話を優先させ聞いている。

 決して話し上手ではなく、加えて彼と彼の悪友に都合の悪い部分を隠しているのかところどころ話の繋がり無かったりする。

 それでもはやてを楽しませようとしている事が理解できるので口は挟まない。

 話が面白いというか彼等の日常自体が可笑しくあるのも、その一端を担っているのだろう。

 仗助の話が一息ついた頃、花瓶の水を替えに行ったシャマルが友人達を伴い戻ってきた。

 

「はやて、あんたの家に寄って、着替えを持ってきたわよ。具合の方はどうなの?」

 

 病室内に入ると友人は首に巻いたマフラーを取り仗助の横にある椅子に腰掛ける。

 シャマルは時間の許す限りはやてのそばに控えており、シグナムやヴィータ、それにザフィーラは用事がありここしばらく家を留守にしがちであった。

 そんな八神家の住人に代わりはやての着替えを持ってきてくれたアリサに礼を告げる。

 

「あはっ、そんな大したことあらへんよ。シグナムもシャマルも大げさに言うんやから」

 

 心配して顔色を確かめるために覗きこんできたアリサを作った笑顔で安心させる。

 ただの強がりだった。

 病院に担ぎ込まれた夜は今迄はなかった胸を掻き毟るような痛みに泣きだしてしまいそうだった。

 もし家にいるのが少女一人だったら痛みと孤独で死んでしまっていたのではと思うほどに。

 あの時ほど守護騎士に、八神はやてに出来た家族に感謝したことはない。

 皆を落ち着かせ直ぐにかかりつけの病院に連絡を入れたシグナムに、病状を確かめるためにその温かい手で触れてくれたシャマルに、何も出来ないと涙をこぼしていたが決して無力でなく自分を励ましてくれたヴィータの声に、自分を担いで病院まで運ぼうとした意外と慌てん坊のザフィーラに。

 世界は冷たく厳しいがそれなりに優しくもあると信じさせてくれる。

 物心ついた頃から自分の手の中よりこぼれていたものがようやく帳尻を合わせてくれた。

 ならばこれくらいの病に負けていられるはずがない。

 はやてはいつ襲うともしれない胸の痛みに打ち勝つべく、己が手に入れたものをもう一度確認する。

 じっと顔を見られていたシャマルは微笑みを返し、アリサは照れたのか目をそらし、仗助はバツが悪そうに備え付けのテレビに視線を移す。

 クリスマスも近いその日、はやては自分の病気が早く治るように昼間の星にそっと願いをかけた。

 

  ●

 少年が電源を入れたテレビに皆が視線を集めている。

 少女二人もお喋りを打ち切りじっとアナウンサーが読み上げるニュースに集中していた。

 別段、彼等が普段から政治経済に耳を傾ける様な奇特な小学生であるわけではない。

 ならばなぜ、それはテレビの中の女性が発する内容が彼等の生活圏内に密接に関係するものであるからだ。

 『海鳴市の悪魔』

 今年の秋頃に日本中を震撼させた凶悪犯。

 若い女性を狙って殺し、手首を持ち去っていくという猟奇殺人事件。

 警察の公式発表で明かされたその舞台は八神はやてが住む海鳴市なのだ。

 殺された女性の数は具体的にはわかっていないが、現在確認できたものだけで十人にも及ぶ。

 犯人とされる吉良吉影の自宅で発見された女性の手首から被害者の身元を割り出している最中であった。

 確認されている限りで一番新しい被害者が今映されているエステサロンの女性店長。

 海外のエステテイシャンコンクールで賞を取っていた前途有望な彼女の死を画面の中の人々が口々に嘆いている。

 彼女だけが被害者の中で唯一手を奪われてないこと、殺害現場に死体が残されていたことでスタジオのコメンテーターがあれやこれやと議論していた。

 次に切り替わった画面には逃走中の『吉良吉影』の生家が映しだされていた。

 何ら隣にある民家と大差のない屋敷。

 ここが凶悪犯罪者が少年時代を過ごした場所だと紹介されてもピンと来ない。

 それを確かめるように吉良家の表札にレンズが合わされ近所の住人の証言が流される。

 民家から出てきた警察官に捜査状況を問いただす記者が映るがこれといって新しい証言はなかった。

 

「ねぇ、ちょっとあそこにいるのって、那美さんと仗助の知り合いじゃないの?」

 

 アリサが声を上げ皆の確認を取るように発言し、警官の後ろ学帽の男と神社以外では場違いな巫女服を纏った女性に指を合わせた。

 二人は取材陣よりも警察官に近い場所で話をしていた。

 一見すると関係者にも思える立ち位置であるが、年齢的にも職業的にもそれはありえない。

 まさか一介の学生と神社の巫女が警察に協力するはずもなく、たまたまレンズに入ってしまったのだろう。

 警察に怒られはしないかと聞こえるはずがないのだがアリサは早く移動するようにテレビの中の二人に注意を促す。

 ふと何も反応を返さない少年を怪訝に思いはやては彼に声をかける。

 仗助はアリサの指さした箇所を食い入る様に見つめていた。

 

「……あのさ、君達。ここらへん、那美さんの前に」

 

 いつもの気勢を失った仗助は何かを尋ねようとして途中で質問を飲み込む。

 ――やな予感がする。

 彼が青くなっている心当たりに見当がついてしまった己が恨めしい。

 ここ最近仗助と行動を共にすることで要らぬ神経が鍛えられてしまったのか。

 詳しくなる非日常は魔法の世界だけで十分なのだが、思うようにはいかないものだ。

 精神衛生のためはやては黙殺することに決めたのだが、空気に鈍感な人間は必ずどこかに存在しているものなのだ。

 

「何もないけど、どうかしたの? 仗助、顔色が悪いわよ。病院に来て具合が悪くなるってあんたどうしようもないわね。って、はやて何よそのアチャーって顔は?」

 

 そうこの病室にも。

 

 ちなみにアリサの発言の後の仗助の説明によると彼が指さしたところには半透明の女性たちが那美を囲むように立っていたらしい、そして彼女たちは片方の手首から上がなくなっていたそうだ。

 

  ●

 

 病室に特大の悲鳴が上がったことによりお叱りを受けた日から幾日が過ぎたのだろうか。

 あの日ちょうど回診をしていた石田医師が何事かと駆けつけてくれたのだが、事情を話すと苦笑し叱った後に『いい友達を持ったわね』と残し去っていった。

 その時は幽霊騒ぎで深く考えなかったが、まぁはやてとしてもそれを否定することはしない。

 病室が騒がしくない今この時に、ゆっくり出来るということがどれほど幸福なことか少女は知った。

 病室に少女以外がいないのに孤独ではない、はやてはそのことに感謝し今日も大切な友達が来るまで、病室の床に平積みにされた漫画に手を伸ばす。

 

 今日一番に病室の戸を開けるのは誰なのだろう。

 シャマルとシグナムは今日は用事があるらしく遅れて病室を訪れることになっている。

 となると、ヴィータか女友達二人になるのか。

 アリサとすずかも入院してからかなりの頻度で訪問してくれる。

 毎日訪れる八神家の面々とは比べると少ないもののそれでも十分以上にはやてのために時間を割いてくれていた。 

 申し訳なく思い自分の都合を優先するよう言ったのだが、嬉しい事に聞き入れてもらえなかった。

 笑顔で断りの返事をくれる友人に目頭が熱くなり、それをまたからかわれる。

 温かい想い出に浸るはやてを現実に引き戻したのは廊下から聞こえる大きな足音だった。

 

 乱暴に開け放たれたドアから顔を出したのは橙色の髪を後ろで編み込んだ愛らしい顔の少女、年の頃ははやてよりも下、鉄槌の騎士でハヤテの家族の一人、八神ヴィータが駆け込んできた。

 いつもは満面の笑みをはやてにむけてくれるのに少女の顔は憮然としていた。

 はやての横になるベッドに飛び付くと悔しさに涙をためながら事情を話してくれた。

 

「仗助と億泰の奴がひどいんだぜ! あたしには何もくれないのに、ザフィーラにばっかりいろいろ買ってやってずりぃよ!」

 

 少女はこの世の理不尽を一心に引き受けたようにはやての病人服の裾を離さない。

 はやてにも心当たりがあった。

 あの二人、仗助と億泰はある年齢に線を引き、それ以上とそれ以下で徹底的に扱いに差をつけている。

 例えばシグナムとシャマルには聞き分けがよく、はやてとヴィータ、また友人二人などの頼み事には露骨に顔をしかめる。

 それでも友人関係が続いているのは決してはやて達の扱いが酷いのではなく、シグナム達のそれが上等なだけだと気付いたからだ。

 どうも仗助達は男性と女性と子供で対人関係を区別、固定しているようなのだ。

 同い年で女性であるはやてが『子供』のカテゴリに分類されているのは納得出来ないが同様の扱いを受けているのが自分だけではないので、それもこの二人の個性だと少女は諦めていた。

 だが、精神が幼いヴィータはそれに納得できなかったのだろう、彼女を含めたはやて達が女性であることを一度じっくりと叩き込むべきではと苦悩する。

 

 ヴィータの頭をなで、下を向いていた視界を持ち上げると友人達がぞろぞろと病室に入ってきた。

 仗助にアリサとすずか、その後ろには珍しく億泰の顔も見れた。

 彼らが入ってきたことに気付いたのかヴィータは少年二人を指さし糾弾する。

 

「あいつら、なんでザフィーラには優しいんだよ! ……そりゃ、シグナムとシャマルはわかるよ。あいつらは美人だし、スタイルもいいし」

 

 ヴィータの気勢は後半に連れておとなしくなる。

 召喚された当初は常識がすっぽりと抜けていた守護騎士であったが、日常を過ごすうちに生活に必要になる一般的なものを学習していた。

 一番習熟に難のあったヴィータでさえ、美人が優遇されるという悪習を理解するに至ってしまったことをはやては少し後悔している。

 ヴィータは勘違いしているが、決して彼女の造形がシグナムたちに劣っているわけではない。

 むしろ年齢を差し引きすればシグナム達を超えることだって出来るかもしれない。

 悔しさに歪むヴィータの顔。

 これははやてが仗助達を叱りつけなければ収集がつかないのでは。

 少年達に目をやれば気まずそうに目を逸らす。

 ここまで小さな子供が泣き喚く様子にさすがに思うものがあったのだろう。

 これならば、ヴィータの怒りを収める事に協力してくれそうだ。

 泣き喚くヴィータにどのような仕打ちを受けたのか訪ねてみた。

 それを受け、まだ言い足りないのかヴィータの発言は続く。

 

「だから、あたしは言ってやったんだ! シグナム達みたいにしろとは言わない、せめてザフィーラと同じ扱いをしろって! なぁ、はやて、あたし間違ってないよな? なのに、仗助と億泰はそれを拒否しやがる! おまけにアリサとすずかもあいつらの味方なんだぜ。でも当然、はやてはあたしの味方をしてくれるんだろう?」

 

 泣き止み、こちらに期待の視線をよこすヴィータ。

 ――うん、幼気な少女を犬と同列に扱ったら八神家は警察や児童相談所のご厄介になってしまう。

 その後ろには、説得できなかったことを両手を合わせ謝る友人達の姿があった。

 

「……まさか、はやてもあたしの味方をしてくれないのか? で、でも、こいつらあたしからフライドチキンを取り上げたんだ、まだ一口も食べてないのに、せっかくザフィーラが分けてくれたのによ! なぁ、はやて、言ってやってくれよ」

 

 自分の味方であるのが当然という体でヴィータの主張は続くが、はやての雰囲気が変わったことに気付いたのだろう最後は早口で切上げる。

 頬をかきはやてはヴィータに尋ねる、肝心な部分だ。

 ――そのフライドチキンをザフィーラがかじったのかどうかと。

 

 

  ●

 

「そうかぁ、ザフィーラはふえーせいなんだな。うん、憶えたぜ! 仗助達は意地悪で言ったんじゃないんだな? ――その悪かったな、勘違いして。ところではやて。ふえーせいってどういう意味なんだ?」

 

 数分間の説明の後、自分が不当に下に扱われていたわけではないと知ったヴィータは笑顔を取り戻しはやての腕に絡みついている。

 ヴィータの発言をさすがに看過してはいけないと気付いたのか、反省すると約束した仗助達に彼女の機嫌は大分回復した。

 はやてはヴィータの質問に汚いってことだよと軽く説明し胸を撫で下ろす。

 他所様にあのような発言が漏れれば八神家の信用が失墜しかねない。

 ヴィータに二度と先のような発言をしないようにきつく釘を刺す。

 

 弛緩する空気が漂う中、再びドアが開きシグナムが入ってきた。

 笑顔で挨拶をする友人達だが、一人、億泰だけが感心した風にシグナムの顔を見つめている。

 

「しかし、シグナム姉ちゃんって本物の女の人にしか見えないよなぁ」

 

 感嘆の声とともに唐突に核心を突かれ、冷や汗が流れる。

 今この少年はなんといったのか。

 シグナムが女性にしか見えないとは、どういった意図の発言なのだろう。

 はやては同じように身体を固くしたヴィータに目配せをする。

 確かに守護騎士達は人間でなく闇の書の魔法で構成された生命体であり、本物の人間とはいえない存在である。

 だがなぜ億泰がそのことを知っているのだろう。

 この世界には魔法はなく、シグナム達の存在を看破できるものは魔導師だけ。

 ならば、億泰は魔導師を擁する時空管理局の人間なのだろうか。

 彼らと闇の書の主が対立してきたことは聞かされている。

 はやては魔力を収集することで最強の力を得る闇の書を必要としていないこと、守護騎士達にも戦意がないことを伝え、見逃してもらえるよう説得できないかと彼の顔色をうかがった。

 

『シグナム! 実力行使は待って、私が説得する』

 

 胸元にある待機状態の魔法デバイスに手をかけようとするシグナムを制止し、億泰の目を見る。

 彼ははやて達の表情が硬質なものに変わったことに気付いたのか、取り繕うように早口で言葉を続けた。

 

「ああ、別に俺はそういうのに差別の意識はないから安心しろよ。似合っているならそれでいいだろう。今どき授かった性別と心のそれがずれてるなんてよくあることだろ」

 

 はやては彼の発言を飲み込めず、シグナムは胸元にある待機状態のデバイスに手をかけたまま動けないでいる。

 

「家族四人と一匹、ボロボロの三畳間のアパートで肩寄せ合って手を取り合い暮らしてるんだろう、それはとても立派なことなんだぜ。あれだろ、一杯のかけそばを四人で分けあったのを聞いた時はちょっと涙が流れちまったぜ。シグナム、シャマルのねぇちゃんははやてと自分たちの手術費用のためにオカマバーで働いていることだって別に恥じることじゃないぞ!」

 

 億泰は励ますようにはやての肩を軽く叩き、流れていない己の涙を拭うふりをする。

 彼の語った昭和物語はでっち上げもいいところである。

 当然、シグナムもシャマルも立派な女性であるし、はやての家は彼女一人で暮らすには孤独すぎるほど大きい、そして蕎麦ならば過日に大きな海老の二本付いた天麩羅蕎麦を分け合うことなく一人一杯ずつ美味しく頂いた。

 一体誰から聞いたというのだろうか、尋ねようとしたのだが、それより先にシグナムとはやての視線がこっそりと病室からでていこうとする少年に固定される。

 二人の視線に釣られたのか、億泰の瞳が退室しようとした仗助を見つけしばらく沈黙した。

 

「仗助くんにとったら八神家はそうとう狭苦しい場所やったんやね、そんなら無理に泊まってくれんでも良かったんよ」

 

「ふむ、仗助。勘違いしているようだが、私はベルカの騎士として雄々しく振舞っているだけで、身体はちゃんと女性形だ。スカートを履いているのだって女性になりたいという願望があるわけではなく、元々女性だからだ。胸だって膨らんでいるだろう、分らなかったのか?」

 

 はやての皮肉、決定的に勘違いしているシグナムの訂正の言葉を受け、仗助の歩みが止まる。

 納得の行く説明を吐き出させるためにとシグナムに目配せで仗助を拘束するように指示を与えるのだが、口をつぐんでいた億泰がそれよりも先に彼に詰め寄る。

 

「てめぇ、仗助! はやての家から遠ざけるために俺を謀りやがったな! ってことは、シグナム姉ちゃんもシャマル姉ちゃんも普通に美人な女だし、はやての家は快適に過ごせるぐらいにでっかいんだな? くそったれ、それでも親友かよ。こうなったら今すぐはやてん家の半分を俺によこせ。それで今回のことは水に流してやる!」

 

 怒りの咆哮を上げる億泰の八神家に対する所有権要求にはやてはの額に青筋が走る。

 

「バーカ、誰がやるか! あの家はもう僕の物だ。シャマルさんもシグナムさんもザフィーラも冷蔵庫の中身から、日の当たる庭の昼寝スッポトまで何一つやらん。羨ましいか?  何が快適かって、ちょっとぐらいのイタズラなら優しくシャマルさんが叱ってくれたり、落ち込んだふりをするとシグナムさんが優しく頭をなでてくれたするんだ。あの二人はもう僕の姉同然、絶対渡してたまるか! だいたい誰がザフィーラにブラッシングをかけあの毛並みを維持していると思っているんだ! ……ああ、そこのはやてとヴィータならやらんこともないぞ、それで我慢しろ」

 

 仗助の図々しい物言いに、はやては近くにあった投げつけるのに丁度いい花瓶を手元に引き寄せた。

 白い花瓶は大きさもあり、重量、硬さどれをとっても申し分がない。

 仗助達のやりとりと無表情のはやてに、ことの成り行きを察したヴィータが花瓶を持つ手とは反対側の袖を引っ張る。

 

「なぁ、はやて。仗助が冷凍庫に勝手にストックしてる高そうなアイスクリーム、帰ったら全部食べちゃっていいいよな? アタシ、前から狙ってたんだ」

 

 食べ過ぎを理由に一日に摂っていい氷菓の量を制限されているヴィータが瞳を輝かせていた。

 八神家の主はついでに台所の食器棚の上に同じように備蓄されている少年のスナック菓子に対する裁量権もヴィータに移譲する。

 

「大体、億泰、お前にはもう月村の屋敷を全部譲っただろ。それで満足しないなんて贅沢なんだよ」

 

「ああっ! あんな変人屋敷で釣り合うわけねーだろ! だったら代わりにすずかの家やるから、はやての家をよこせ!」

 

 失礼な物言いは八神家だけではなく月村の家までも巻き込んだ。

 はやての横からすずかの白く可愛らしい手が伸び花瓶を奪い取り生けられていた見舞いの花を抜き病室の窓から水を捨てた。

 充分に水を切ったそれを手に億泰の後ろ移動しゆっくりと花瓶を振り上げる。

 

「いや、最初は訪ねるたびにうまいご馳走を用意してくれたんだがよ。最近はレバーやらほうれん草とか緑黄色野菜とか大量に食わせようとするんだ。なんか脂っこいものばかりだと美味しくないって。すずかは果物を食べたほうが好みだからって林檎とか勧めてくるんだが、俺は別に林檎が好きじゃないって言っても聞いてくれないしよ。全く自分の好みのものばかり押し付けてたまったもんじゃないぜ。――それによ、あの変人屋敷に来訪することで心理的ストレスが俺様に貯まるらしくてよ、毎回貧血で倒れちまうんだ。まぁ、毎回家まで送ってくれるのだけは感謝するがよ」

 

 億泰は感謝の言葉を最後に述べ、照れくさそうに鼻の頭をこする。

 失礼な発言をあれだけしたあとなので今更世辞を後ろにつけてもすずかの怒りが収まるとは到底思えなかった。

 だがすずかは花瓶を下ろし中に花束を戻す。

 彼女の顔が横を向く。

 視線をはやてから逸らしたのかと思ったが、そうではなく彼女の隣、ベッドに腰掛けてすずかを凝視しているアリサから逃げ出そうとしたのだ。

 

「――すずか、億泰もそしてあなたも別に林檎が特別好きってわけじゃなかったわよね?」

 

 確認の言葉の後、アリサはそそくさと逃げようとする彼女の肩を掴んだ。

 はやてはすずかの瞳が泳いでいる理由を考えたが、億泰の話の中で気になるところはなく、彼の好物を勘違いしたくらいでアリサが怒るわけもない。

 

「――うん、あのね、林檎で育てたほうが私としては最高の味だと思うんだ、はは。――だって、お姉ちゃんが採れたては美味しいって自慢するんだもん! そのくせ、恭也さんの一滴も分けてくれないし……ってアリサちゃん、痛い、痛いよ! 私の頬はそんなに伸びません!」

 

 すずかはアリサにに頬をつねられながらも、贅沢は一度覚えると我慢できないとはやてにはわからない言い訳をする。

 林檎で育てた牛肉が甘い香りを放ち美味であると本で読んだことがあるのだが、話の流れ上どう関係するのか。

 以前来訪したことのある月村邸の大きな庭を想像し、そこで牛でも飼育しているのではとはやては益体もない考えを浮かべる。

 引っ張られるすずかの白く餅のように伸びた肌を見て己の頬を擦り、アリサの手加減のなさ思い出す。

 

「ええっと、じゃあ私、花瓶の水を換えてくるね? それじゃ~」

 

 すずかは断りを入れ、アリサの説教から逃げ出し病室の入り口に足早にかけていく。

 それを白い目で見ていたアリサは溜息を吐き、呆れたように見送った。

 先の二人の会話の内容が分らずはやてがそれを尋ねても、アリサは曖昧に微笑むだけ。

 まぁ、人には他人に言えない秘密があるものかと、友人から受けた軽い疎外感をごまかしていたはやてに入り口からすずかの声が届く。

 

「はやてちゃん、お客さまだよ。あ、すみませんこんな入口に立ってたら邪魔ですよね。

二人共もいい加減喧嘩を止めなよ。廊下にまで声が響いてるよ。あと億泰くん、あまり怒りすぎるとストレスで血が濁るから気をつけないとダメだよ」

 

 二人の喧嘩を仲裁するすずかはなぜか億泰の体調にのみ気遣いを見せる。

 その少女の後ろにいる人物に視線を向けはやての身体が硬直する。

 開いたドアの前、廊下側から一歩もこちらに入ってこようとせず、彼はただそこに佇んでいる。

 一体いつからそこにいたのだろう、厳しさと悲しみをたたえた双眸、強く握りこまれた拳は震え、はやての言葉をただひたすらに待っていた。

 

「バカ、そんな所にいたらお客さまの邪魔でしょ。仗助、億泰、ちょっと道を開けなさい。

――あぁ、はやての着替えを持ってきてくださったんですね」

 

 彼の左手にある代えの着替えを入れた袋に気づいたアリサが男を紹介しろとはやてを促す。

 確かに、彼とアリサたちには面識がないことになっているので共通の知人であるはやてが仲介するべきなのだが、彼とははやての間には目に見えない緊張があり、言葉を出すと張り詰めた糸が切れてしまいそうで少女は閉口してしまう。 

 沈黙を破ったのは彼の方だった。

 はやてを気遣ったわけではなく、彼のうちから溢れてくる、猜疑、苦しみから逃れようとした結果だったのかもしれない。

 だが絞り出した声は低く、確りと病室にいる全員に届いた。

 

「――あるじはやて、私はそこまで汚れた存在だったのでしょうか? 封印が解けたその日よりあなたはずっと私をそんな目で。では皆がテーブルで食事を摂っている時、私一人だけが床に食器を置かれていたのも。外出から帰ってきた時に皆が先に居間に向かうのを尻目に私だけが濡れ布巾で足を拭わなければいけなかったのも。風呂場のシャンプーが私と皆で分けられていたのも、私が『不衛生』だからなのですか。あるじよ、お答えください! あなたは誇り高き守護獣である私を何だとお思いなのですか?」

 

 闇の書の従者、守護獣ザフィーラの問いにはやては言葉がない。

 いや、ザフィーラだけが同じテーブルで食事をしない理由は、召喚時よりしばらく仗助が八神家に滞在したためにザフィーラが獣状態を維持するしかなく仕方なく。それよりあとは一度染み付いてしまった床下での食事をわざわざかえる必要も不満も出なかったためである。散歩帰りのザフィーラの足を拭くのは彼だけが素足で外出するため。シャンプーに関しても、体毛の量が多いザフィーラのために特別に犬用のお得シャンプーを購入しただけなのだ。

 八神家の皆がそれを疑問に思わず日常を過ごしていった。

 ただの区別であり、ザフィーラを汚いなどと思ったことはない。

 声を大にして言いたいが、周りにある他人様の視線のせいでそれが出来ない。

 アリサとすずかは見知らぬ成人男性の衝撃の発言に目を点にして八神家の面々を見つめている。

 仗助と億泰は喧嘩を中断しはやて達に注目し、シグナムはザフィーラの落とした替えの下着が入った袋を開き中身を確認していた。

 ヴィータは病室の空気が突然重くなったことに目を白黒させている。

 あるじであるはやてはまわりの面々を、同時にザフィーラを納得させる言葉を探したのだが、そんな都合の良いものがあるはずもなく室内の空気は頑として動かない。

 

 ――だから、それははやての言葉ではなかった。

 

「あら、みんなはやてちゃんのお見舞いに来てくれたのね。って、ザフィーラ、病院の入口まで届けてくれればいいって言ったでしょう。もう、この病院はあなたみたいな『ペット』は衛生のために立入禁止なのよ」

 

 残酷な宣言を受け、激情のままに咆哮を上げ走りだすザフィーラ。

 何事かと病室のドアを開け入室し、彼を見送った悪気の一切ない女性、守護騎士シャマルは不思議そうに彼女等のリーダーであるシグナムに尋ねた。

 

「ああ、大した問題はない。ザフィーラにはあとで機嫌伺いをすればいいだろう」

 

「そうなの? じゃあ、今晩はブリーダー推奨の高めの缶を開けてあげることにするわ」

 

 ザフィーラの扱いが愛玩動物であり、それが八神家の共通認識であることにさほど驚きがないことにこそはやては若干驚いた。

 

 

「ねぇ、はやて。今の人、泣きながら走っていったけど、大丈夫なの?」

 

 アリサは弛緩しつつあるはやて達に戸惑っていた。

 笑いながら大丈夫だとごまかし、アリサの視線から逃げるように窓に目をやった。

 病室の外の景色はちょうど中庭を走るザフィーラが見える。

 ザフィーラは全身から蒼光を発し、四足歩行の獣に転身した。

 

 はやてより先に驚きの声は隣から上がった。

 はやての視線を追うように外を眺めていたのか、金の髪を振り乱し友人がザフィーラのいたところを指している。

 

「は、はやて。い、いま、人間が犬に変身したわよ! あなたも見たわよね?」

 

 幸いにも中庭に人はなく、はやての病室で目撃していたのはアリサのみ。

 ならばとるべき対抗策はとてもシンプルで簡単なものだった。

 

「――は、はっ、アリサちゃん、何突拍子もないこと言ってるん? 人間は人間、犬は犬。そんなマンガやゲームやないんやから、突然進化したりせぇへんよ。何や今日のアリサちゃんはお脳がメルヘンですなぁ」

 

 友人達と楽しく過ごすうちに学んだこと。

 小馬鹿にし笑いを堪えるような表情を作りはやては親友を挑発する。

 当然沸点の低い彼女は数瞬で頭に血を上らせ、直前に起きた錯覚とも思えた非現実を忘却してくれるだろう。

 支払う代価ははやての左頬、伸ばされたアリサの手に以前摘まれた時のことを思い出し顔がこわばる。

 最近仗助たちだけではなく、友人の女性組にも手加減が効かなくなっているのではなかろうか、アリサの将来と己の頬に被るであろう痛みに同様の不安が浮かんだ。

 

 ――当然、不幸は家族で分かち合うべきなのだ、原因である守護獣にも痛みを分け与えよう。

 闇の書の主はシャマルにザフィーラの今週の餌は缶入りのものではなくカリカリフードにするように命令する腹づもりだった。 

 

 

 ●

 

 

 雪は降らずとも聖夜を楽しく騒がしく仲間たちと過ごせた。

 はやての病室にアリサとすずかが用意した大きめのケーキは箱から取り出されると瞬く間に子供たちの胃袋の中に収まっていく。

 あらかじめ病院の職員と隣の病室の入院患者にことわりを入れて小さめのクラッカーを鳴らす。

 間一髪、仗助達が持ってきた花火セットは火をつける前にシャマルに没収された。

 火災探知機のある病室内で行われかけた蛮行。

 はやて達は火の恐ろしさを、仗助達は本気で焦ったシグナムの鉄拳の重さを学ぶことが出来た。

 騒ぎを聞きつけた宿直が石田医師ではなかったことは幸運である。

 彼等の悪行を知らない新人の医師は見事にけむにまかれ戻っていった。

 過ぎ去ってみればイタズラの秘匿、共有は甘美なものであり、赤い帽子の好々爺が存在しないことを知っているはやてでもこんなに騒がしい夜であればと期待し寝床につく。

 

 ――そう、いまだ治らぬ病気を忘れることの出来る一日だったのだ。

 肌寒い風がはやての方を通り過ぎて行く。

 少女は病院の屋上、冷たいコンクリートに直接腰を下ろしている。

 彼女の下に描かれた光を放つ魔法陣がはやてをこの場所に連れてきた。

 わけがわからぬまま辺りを見回し、庇護者である守護騎士達を探す。

 最初に見つけたのは仮面を付けた二人の男、次に目に入ったのは魔法によって空中に磔にされた少女の家族だった。

 驚きシグナム達のもとへ駆け寄ろうとして少女は地べたを這いずる。

 いくら病院が清潔を保っているとは少女の姿はすぐに砂や汚れがつき、黒くなっていった。

 そんなことはどうでもいい、はやては肌が接する地面が体温を奪っていくことなど気にもとめず、家族の元へ這った。

 

「闇の書の主、八神はやて。お前は知っているのか? もうお前の病気が治ることはない」

 

 這いつくばる少女を嘲り仮面の男はゆっくりと守護騎士に近づいていく。

 

「そう、君の命が助かることはない。守護騎士達が必死に闇の書を完成させ君の命を救おうとしていたのだが、それも無意味に終わった」

 

 男が紡いだ真実は少女の心を引き裂くものだったが関係ない。

 日に日に短くなる発作の間隔、無理に作った主治医の笑顔。

 そんなことはとっくに気付いている。

 必死に目を背けていただけだ。

 

「――もう私のことはいいんです。死ぬのは怖いけど、とっても苦しくて、泣き出したくなるけど我慢するから。お願い、私の家族を傷つけないでください」

 

 少女の口から出た言葉は彼女の願いであったが、本音ではなかった。

 ただの諦めの言葉。

 家族のいなかったはやての精一杯の妥協の懇願。

 これからの人生すべてを諦め、ただ一時のやすらぎを願う。

 細い蝋燭で世界を照らそうとする悲しい行為。

 

 

「お願い、お願いします。私はどうなってもいいから、私の家族を返してください」

 

 這いつづけ仮面の男たちの前に来た少女は額を地面にこすりつける。

 

「残念ながらそれは出来ない。闇の書が完成しなかった今、彼らが存在する意味がなくなてしまった。無駄なものは廃棄する。それが嫌なら止めてみせるがいい」

 

 白い手袋で覆われた男の手がヴィータの胸を貫く。

 はやては制止しようと手を伸ばすが空にいる彼等に届くはずがない。

 ヴィータの苦悶の声が木霊する。

 はやては彼女の名を叫び、仮面の男の行為を止めるために頭にあった髪飾りを手に取り投げつける。

 少女の精一杯の抵抗は意味をなさず、鉄槌の騎士の身体は光の粒にかわり、空に溶けていった。

 誰の助けもなく、何の力もない。

 ザフィーラが、シグナムが、そしてシャマルの叫声がはやての心を抉っていく。

 空に消える守護騎士達。

 この広く冷たい世界から家族がいなくなり、はやてはまた一人になった。

 少女の頬を伝う涙は冷たい風のせいで乾いていく。

 己の動かない足を見た。

 家族を助けられなかったことは悲しみ持ってきた。

 ただそれ以上に、はやては動かないこの両足が憎くて仕方ない。

 己を孤独から連れ出してくれた彼女たちのために何一つはやては出来なかった。

 ただの子供でしかないはやてに彼女たちを救うすべはなかった。

 それは理解できる、それでもこの両足が動けば、無駄な抵抗をすることが出来たのだ。

 少女の投げつた髪飾りが男の頭に命中し不快な思いをさせることが出来たかもしれない。

 そんなほんの僅かなさざ波程度の力すら世界は少女に与えてはくれなかった。 

 

 ――動く足が欲しい。

 世界のどこにでも行ける健常者と同じものが。

 

 ――大きな拳が欲しい。

 少女に不幸を強いた存在を、家族を奪った者を同じように不幸にする硬く尖った拳が。

 

 屋上にかすれた少女の笑い声が響く。

 そんな都合の良い物があろうはずがない、世界ははやての些細な幸せにさえ目くじらを立ててきたのだ。

 もはや、はやてに出来る事は屋上を囲む飛び降り防止の柵を超え、本当の両親と先ほどいなくなった家族の元へ会いに行くことだけだろう。

 

 いや、柵は高く作られているため、それすらも無力なはやてには難しいかもしれない。

 

 再び流れる己の情けなさと家族に対する申し訳無さの涙。

 

 ――だが無情な世界は力なき少女の願いを叶えてくれた。

 

 光を放ち少女の眼前に浮かぶ魔法の本。

 開かれる無限のページ。

 

 家族を想い紡がれた暖かい願いを無視し、もう一つ、少女の欲したものを残酷な世界ははやての手元に放り投げてくれた。

 

『我は闇の書の主なり 我の手に絶望を』

 

 少女が欲した世界の果てを、世界を跨ぐことすら出来る翼を。

 少女の家族を奪った者を叩き潰せる大きなとても大きな、世界すら壊せる握り拳を。

 

『闇の書、解放』

 

 

 



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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 前編

 

 少女のささやかな願いが世界に否定された聖なる夜。

 

 時空航行艦アースラの艦橋、中空に映し出されるメインモニタを息を呑んで誰もが見守っていた。

 第一級ロストロギア、発展しすぎた文明が残したとされる遺産。

 厳重に管理、封印されてしかるべきもの。

 その一つである闇の書の暴走がモニターのさき、第九十七管理外世界で姿を表した。

 幾多の悲劇を生み出してきた力は銀色の髪の天使になり海鳴市の空に浮かんでいる。

 民間人の被害を抑えるために空間固定結界を施すように指示は出していたが、それ以外に出来る事はなくアースラの艦長であるリンディはモニターを睨みつけていた。

 輪廻転生を繰り返し、大破壊の爪痕だけを残していく闇の書、前回の被害者の中にはリンディの夫であるクライドがいた。

 現在の闇の書の主に思うところが全くないとは言えないが、彼等を含めた犠牲者を極力出さずに闇の書を封印する事こそが、伴侶として管理局員として尊敬していたクライドの無念を晴らすことになるであろうと信じている。

 モニタの中で黄色の魔力光が弾ける。

 紫光の闇の書の周りを旋回し幾度と無く接触しては弾かれていた。

 常駐戦闘員が息子であるクロノ・ハラオウンしかいない現状、闇の書の拘束は、嘱託魔導師であるフェイト・テスタロッサに頼りきっている。

 発動後すぐに闇の書を発見できたことは幸運であった。

 もともと、アースラスタッフが魔導師襲撃事件と闇の書の捜索のために第九十七管理外世界近辺に艦を駐在させていたこと、仲間割れのためか闇の書起動後の攻撃がリンカーコア収集の協力者である仮面の男たちに集中していたこと、これら二つの要素が合わさり海鳴市には被害が出ていない。

 正式に養子になるのはまだ先のことだが、既に寝食を共にした少女の戦いを歯を食いしばり観戦するしかなかった。

 クロノは仮面の男達を拘束後、事件の真相、解決方法を求め奔走している。

 仮面の男達攻撃対象を見失った闇の書がその牙を周りに向けないようにフェイトは囮になりクロノが戻るまでの時間を稼いでいた。

 歯がゆい思いがリンディの胸をよぎる。

 アースラの艦長である彼女に出来る事は少ない。

 彼女に出来る事、思いつくことには全て犠牲がつきまとってしまう。

 アースラには対闇の書用に搭載された魔導砲アルカンシェルがあったが、それの使用には甚大な被害が避けられないため一児のいや、二児の母になる身として絶対に使ってはならない。

 なればこそ、今彼女は事態が動いた時にどんな対応でも出来るように心を落ち着かせなければいけない。

 長期戦になることを見越して、スタッフの一人に全員分の飲み物を持ってくるように指示を出した。

 

「あの先生、いい加減お座りになったらいかがですか? スタッフの皆も緊張していますので、大人しくしていてください」

 

 視界の端、モニタ近くにチラチラと入り込む影に文句をつける。

 複数の画面とスケッチブックの間、視線を交互に動かしていた男がようやくペンを置きリンディに不満たっぷりの瞳を向けてくる。

 風変わりな卵の殻にも見えるヘアバンドを巻いたこの男は現地協力者の一人としてアースラに招集されていた。

 非魔導師である彼が何の役に立つのかは甚だ疑問だが、リンディ自らがたっての願いで招き入れた人物だ――いつお願いに出向いたのか、記憶は曖昧なのだが。

 こちらからお願いしている立場なのであまり強気に出るのもどうかと思い、機嫌伺いに彼の分の飲み物も用意させる。

 部下から湯呑みを受け取った時に忠告を無視した男がオペレーターであるエイミィの視界を遮っていモニタを覗きこんでいるのが目に入る。

 

「大変です、艦長! 結界内に民間人の反応が複数あります」

 

 エイミィは焦燥をあらわにモニタに光点を表示させる。

 思わず力が入ってしまったのだろうか、分厚い湯呑みが砕け散り、持ってきた部下を驚かせリンディの制服に緑色の染みが広がった。

 

 ●

 

 少女にとっての聖夜の始まりは終業式の後に、兄姉や幼馴染の男の子にフェレットのままの相棒、戦いの中で心を通い合わせて親友となった金色の髪の女の子と一緒に我が家で開いたクリスマスパーティーだった。

 高町なのはが助力する一連の事件には一向に解決の糸口は見つからなかったが、かと言って日常を疎かにするわけにはいかない。

 パティシエである母があらかじめ作っておいてくれたクリスマスケーキを皆で囲み、軽めの食事でキリストの誕生日を祝う。

 もっとも、彼女たちの年齢、国籍、住んでいる地域を考えるとただ単にクリスマスという日を祝っているだけなのだろうが。

 軽食をつまみながらのお喋りで会は過ぎていった。

 途中、幼馴染の真が椅子に蹴つまずき、飲み物をなのはにぶち撒け服を着替えることになったが、それも含めて楽しい時間だった。

 終わりには真がなのはとフェイトに髪飾りをプレゼントしてくれた。

 クリスマスの習慣がない世界で生きてきたフェイトに、プレゼントを贈るよりもまだ受け取ることだけしか知らない年頃のなのは。

 贈り物を用意していないことを理由に受け取りを遠慮しようとしたが、笑って気にするなと押し付けてくれた。

 小さいが女性らしくお洒落に興味が無いわけではない二人は礼を言い、それを手の中で弄ぶ。

 幼馴染のこういった卒のないところになのは好感を持ち、時に羨ましく思う。

 姉の美由希はわかりやすく囃し立て、少女二人の顔を赤く染めた。

 少々、しつこい姉に注意しようと思ったのだが、物欲しそうになのはの手の中の髪飾りに視線をくれていることに気付き、言葉を飲み込んだ。

 なのはの知る限り姉は家族以外の異性から贈り物をもらったことも、したこともない。

 日が落ちる前に会が終わり、この後は皆それぞれの家族のもとで聖夜を祝うことになる。

 ただ一人、兄、恭也は綺麗に包装された袋を手に最近出来た恋人と過ごす予定だった。

 玄関を出ようとする恭也の脚に縋りつき妨害する美由希は冗談めかしていたが、兄の額に流れる冬場の汗から考えると、本気だったのかもしれない。

 どうにか、姉を振りほどき走って行く兄の背中と怨嗟の言葉を残す姉を眺めながら、こうはなるまいと、なのはは若干失礼な想いを胸にいだいた。

 

 ●

 始まりはアースラからの緊急連絡をユーノが受けたこと。

 母に断りを入れ、すぐにアースラ内部に転送してもらう。

 リンディの迅速な説明、既に状況は導火線に火がついている。

 闇の書、守護騎士、それらの説明は事前になされていたが、どこか楽天的に考えていたのかもしれない。

 隣にいるフェイトと頷き合い出撃するべく、胸元の待機状態のデバイスに手を伸ばす。

 伸ばした指、なのはの手が宙を迷う。

 この時になってはじめて、なのははレイジングハートが失くなっている事に気付いた。

 動揺する少女を残して、使い魔のアルフとともにフェイトは海鳴の夜空に飛んで行く。

 なのはは不思議そうにこちらを見やるフェレットに事情を説明した。

 

「わかった、なのははここで待機していて。デバイスがない君よりも、僕のほうが早くなのはの家に戻れる。必ず見つけてくるから、それまで早まった真似はしないでね」

 

 なのはに念を押しユーノは転送の魔法陣の中に消える。

 モニターに映るフェイトと闇の書の戦い。

 それに参加できない自分の不甲斐なさを噛みしめる。

 事件に巻き込まれた、少女には力があった、だから戦ってきた。

 必要とされてきた事が、魔力を持っていた事が、自分の戦う理由であると勘違いしていたことにこの時になりようやく気付けた。

 自分は巻き込まれたのではない、常に自分の意志で歩いてきたのだ。

 

「あの! 予備のデバイスはありませんか?」

 

 なのはの決意はやんわりと否定される。

 リンディは初めてのデバイスで出撃することの無謀と、インテリジェントデバイスであるレイジングハートとストレージデバイスの性能差を教えてくれた。

 意気消沈するなのは。

 

「ああ、君が高町なのはかい? ふむ、焦る気持ちはわかるが、これでも飲んで、少し落ち着きな」

 

 彼は初めて見る顔だった。

 少女にコップを差し出す青年は独特の着こなしをしており、アースラの制服を着用していないので立場が分らず、戸惑ってしまう。

 緊迫した状況下で何が楽しいのかニヤニヤと笑いながら、受け取ったなのはの反応を伺っている。

 

「あ、ありがとうございます。……あの、これって」

 

 口腔内に拡がる慣れ親しんだ苦味と過剰なまでの砂糖の甘味。

 突然のことで飲みきれなかった真緑の液体が口の端から少し噴き出している。

 

「ん、やっぱり飲めたもんじゃないな。いや、異世界の人間がくれたものだから味見してみようと思ったんだが、薫りや色味からどう考えても抹茶にしか見えないんだよ。それにあの艦長が砂糖を幾つにするか尋ねてきたもんだから、あなたと一緒で構わないと言ったら角砂糖を信じられない量、溶かしやがった。世界的に見れば緑茶に砂糖を入れる民族のほうが多いんだが、さすがにそんなものを飲むほど僕の味覚はいかれていないんでね。――なんだよ、睨むなよ、笑顔でいないと僕が悪口を言っているとこっちを見ている艦長に気づかれるだろ。ほら、早く笑えよ」

 

 ハンカチで口元を拭うなのはにかなり図々しい要望を突きつけてくる名も知らぬ男。

 呆れたようにこちらに視線をくれるリンディに男は笑顔で手を振っている。

 彼の我儘になのはの気勢が削がれたのか、焦燥が鳴りを潜めた。

 

  ●

 

 なのは達が観戦する二人の戦いは闇の書にその天秤を傾け始める。

 高速機動で大出力の魔力砲を乱射する闇の書を翻弄するフェイトであったが、結界内で発見された民間人を庇うために防壁をはりその足を止める。

 彼等は複数人いるために彼女とアルフだけでは手が足りない。

 囮の役割をこなせずにその閃光を受け止めるフェイト、彼女の魔力量では闇の書の相手にはならない。

 フェイトの苦悶の声になのはは強く拳を握りこむ。

 もはや、一刻の猶予もない。

 初めて使用するデバイスであろうとアルフと協力して民間人を逃がすことくらいは出来るかもしれない。

 なのはが提案しようとした時に何か紙切れのようなものがサーチャーがを遮り、モニタを黒く染める。

 一瞬、頭頂部の禿げ上がった初老の男性の顔が映り込んだ気がしたが、気にするまもなく事態が動く。

 闇の書の手のひらから透明の魔力球が大きく波紋のように全方位へ広がっていく。

 民間人を守るため、その身を晒しぼろぼろになった親友の少女は息が上がっているのか、その波紋から逃れられない。

 

『フェ、フェイト、逃げて! 早く!』

 

 使い魔の悲痛な叫びとなのはの届かない悲鳴の甲斐もなく、球体に触れたフェイトは光に分解され消えてしまった。

 主のために咆哮を上げ突撃するアルフ。

 

「――大丈夫、フェイトちゃんのバイタルはまだ健在だよ! 闇の書の内部空間に閉じ込められているみたい」

 

 オペレーターのエイミィの説明になのははほっと胸をなでおろす。

 

『って、そういう! 事は! もっと早く! 言っておくれよ!』

 

 無謀にも特攻を試みた狼の使い魔は闇の書の砲撃対象になったために、無数の魔力弾を器用によけながら青い顔で抗議を叫ぶ。

 

『あはは、ご、ごめんね。でももうひとつ朗報があるからそれで許して。通信が入ったよ、クロノくんが海鳴に帰還したってね!』

 

『ユーノです! なのはレイジングハートが見つかったよ! 今、真と一緒にアースラに戻るから』

 

 左右のモニタにはそれぞれ、執務官であるクロノ、人間型に戻ったユーノと幼馴染の男の子の顔が映っている。

 ――さぁ、反撃の時間だ。

 フェイトを助けるべくなのははアースラの転送室に走った。

 

  

 ●

 

 これは夢なのだと少女は理解した。

 とてもやさしくて穏やかで、だからこそすぐに現実でないことに気づく。

 自分と同じ金色の髪を青いリボンで結った『姉』に、いなくなってしまったはずの『母』と楽しい食卓を囲む。

 ついには一度もフェイトに微笑みかけてくれることのなかった母が笑顔で料理を取り分けてくれた。

 彼女の身代わりとして作られたのに、その役割すら全うできなかったフェイトをアリシアは妹だと言ってくれる。

 嬉しかった、だから涙が頬をつたい、拭っても拭っても枯れることはない。

 頬いっぱいにプレシアの手料理を咀嚼し、くしゃくしゃになった自分の笑顔では心配する『家族』を安心させることは出来なかった。

 

 やりたいことは沢山あった、手をつないで道を歩いたり、掃除をする母の後ろを姉と一緒に手伝って回ったり、夜ベッドの中で母の腕に抱かれて眠ること。

 そんな当たり前のことをフェイトは噛み締め享受していく。

 だが、時間は限られている。

 だから最後にすることだけは、しなければいけないことだけは、最初に決めていた。

 

「――お母さん、愛されてあげられなくてごめんね。そして私を生み出してくれてありがとう」

 

 母の望みに応えられなかったことへの謝罪、そして一縷の愛さえ与えられなかった自分がたった一つだけ、そう、たった一つだけ感謝しても許されること。

 その正当な一つをプレシアとの絆として、母への想いを言葉に込める。

 それを受け取った母は困ったように微笑み光となって掻き消えた。

 いつの間にか景色は無くなり、どこまでも暗闇の続く場所にフェイトは立っている。

 光源は見当たらないのにフェイトと対峙するように立つアリシアの姿は明瞭であった。

 共に過ごした時間がない、いや面識すらない彼女に残していく言葉が見つからない。

 

「フェイトはいま、幸せ?」

 

 そんなフェイトを見かねたのか自分よりも背の低い姉が歩み寄ってくる。

 アリシアの質問を己の中で噛み砕き答えを探すのだが、真摯であろうとするほどにフェイトには自分が幸せであるのかがわからない。

 

「あぁ、ごめんね。フェイトを困らせるつもりなんかじゃなかったんだよ。えっと、じゃあ、もっと簡単な質問。海鳴の町は好き?」

 

 この質問になら答えられる、フェイトは誇らしげにささやかな自慢をする。

 

「うん、まだわからないけど、大好きな人達の、大切な友達の暮らす町だから、これから好きになっていけると思う!」

 

 海鳴に来て数ヶ月、まだまだ歩いたことのない道は沢山あるし、出会っていない人たちはいっぱいいる。

 それでも、なのはの暮らしてきたこの町を、家族になるかもしれないリンディやクロノとの思い出が作られていくこの町をきっと好きになれる。

 

「そっか、じゃあもうこの場所は必要ないよね、外にあなたが幸福になれる居場所があるのなら。――そうだ、私はフェイトのお姉さんだから、フェイトの暮らすこの街を守ってあげるね。フェイトは私の妹なんだから、私やお母さんに気兼ねしないで絶対に幸せにならなくちゃダメだよ!」

 

 姉の決別の言葉、泣きそうになるフェイトを強く抱きしめてくれる。

 姉の背はフェイトよりも低いため胸に押し付けるように右手で頭を抱え込んでいた。

 奇跡のなのか、幻なのかはわからない。

 だが、フェイトの姉は暖かい幻想の中に彼女を引き止めることなく、送り出そうとしてくれた。

 フェイトは優しい姉の見送りの言葉に頷く。

 いつの間にか姉とお揃いだったはずの服は戦うためのバリアジャケットに、その左手には母から与えられたインテリジェントデバイスが握られていた。

 バルディッシュ、と相棒の名を呼ぶ。

 慣れ親しんだ彼との応答、雷の大鎌になったバルディッシュで空間の出口をつくろうとしたフェイトをアリシアが慌てて制止する。

 

「ちょっと待って、フェイト! 悪いんだけど隣の部屋で遊んでいる子たちも連れてってあげてくれるかな。多分あなたと一緒にこっちに来ちゃったんだと思うけど」

 

 アリシアの指差す方には先程まではなかったはずの扉が佇んでいた。

 壁すらない影の中、白い扉だけが存在を密やかに主張する。

 フェイトがいる場所はおそらく闇の書の内部、他にも取り込まれた人間がいるのならば、

救出しなければ。

 

「私もいかなきゃいけないところがあるから、これで本当にお別れだね。ばいばい、フェイト」

 

 そういってこちらもいつの間に出来たのか黒い扉に手をかけるアリシアを振りかえり、感謝の言葉を残す。

 

「その、あえて嬉しかったよ。ありがとう――『姉さん』」

 

 見送ってくれた姉が、フェイトの作り出した都合のいい虚像なのかそれとも聖なる夜の奇跡なのかはわからない。

 ただ、彼女と過ごした嬉しかった思い出だけを胸の中に秘め少女は一歩踏み出した。

 

  ●

 

 木々の溢れる緑の世界。

 フェイトがくぐった扉の先にあったのは、日が沈みかけた夕暮れ、ちょうど自然と人の暮らす町の境目だった。

 森の入口に寄り添い立つ二つの人影。

 彼らが姉の話していた取り込まれた要救助者だろうか。

 確認を取るために数歩近づいたフェイトは見覚えのある彼らの顔に息を呑む。

 片方はフェイトの通う学校のクラスメートであり、使い魔のアルフ曰く、アースラ襲撃事件の折、少女を助けてくれた少年。

 フェイトは特に気にはならなかったが、なのはによるとこの世界でもかなり珍しい頭部を前面に押し出した奇異な髪型からすぐに彼だとわかった。

 事件の際に仮面で顔を隠していた彼を気遣い、顔を隠していた事情を考え人目を忍んで彼等二人に礼を告げたのだが首を傾げられてしまった。

 もしやアルフの勘違いか、まったく覚えがないと言った様子の二人。

 とぼけているようにも見えず、闇の書事件が忙しくなり時間が流れてしまった。

 そして彼の胸に頭を押し付けすすり泣いている普段着のミニスカートの女性。

 後ろに括った桃色の髪の束と凛々しく切れ上がった瞳がどうしたことか今は垂れ下がっている。

 闇の書事件の重要な参考人、守護騎士のシグナムだ。

 仗助は身長で勝る彼女の頭を先ほどのアリシアとフェイトのように自分の胸に押し付け慰めている。

 

「シグナムさん、しょうがないよ。これが最良の選択だったんだ、もう『コイツ』を自然に返してやろう」

 

 そう言って彼が向ける視線の先、シグナムの足下にはキャリーケースが置かれている。

 ケース入り口の檻に黒く光る獣の瞳が覗いている。

 シグナムは闇の書の収集をめぐり交戦したフェイトが視界の中に入ってもまるで反応を返さない。

 おそらくフェイトが過ごしたあの家が本物でなかったのと同様にこの場所や彼女も闇の書によって作られたものなのだろう。

 その証拠に仗助はフェイトに気づくと犬を追いやるように、下に向けた手の平をしっしと振って応えてくれた。

 フェイトの思いが反映されたのがあの世界ならば、この場所は彼にとってなにか意味のあるものなのだろう。

 当事者である彼等の元から数歩遠ざかりちょこんと体育座りをするフェイト。

 少女は逸る気持ちを隠し成り行きを見守ることにした。

 

 ようやく泣き止んだシグナムは決意を込めた眼差しをケースに向け、檻をひらく。

 彼女は中から飛び出してきた獣の首輪を外した。

 シグナムの靴に頭を擦り付けてくるそれを泣き顔で叱りつけ森に帰す。

 森への歩みの途中、何度も繰り返し振り返る獣を何度も檄を飛ばし、ようやくそれが視界から消えた時にシグナムは崩れ落ちる。

 彼女の肩を支え、芝居がかった決意の言葉を少年は発した。

 

「シグナムさん、これでよかったんだよ。アイツも人に飼われるより自然の中で暮らす方がいいに決まってる。これからは僕達だけでアイツの分も楽しく暮らしていこう。ほら、八神の家でシャマルさんもザフィーラも待っている、早く帰ろう」

 

 彼の言葉に頬を染めるシグナムは偽者だと知っていても違和感が拭えない。

 抱きしめ合う二人、空にある夕陽の隣には『fin』の文字が物理法則を無視して輝いている。

 それをただポケーっとしてフェイトは眺めていた。

 たまに、あの獣はなんという種類だったのかなど瑣末な疑問があがるのみ。

 空中に浮かんだ文字が空に紛れると同時に世界がぼやけ始める。

 森の木々を始めとした風景が霧散し、ただポッカリと闇だけが残った。

 残されたのは少年とフェイト、これでようやくこの闇の書の世界から脱出できる。

 フェイトが彼の手を取り世界を破壊しようとした時にそのか細い声が耳に届く。

 

『――テスタロッサ、頼む、私の、言葉を』

 

 とぎれとぎれに聞こえてくる言葉はどこから。

 辺りを見回せば、先ほどまで少年がいた場所に僅かな光が集合し人の姿を形作っていく。

 現れたのはシグナム、それも普段着でなくフェイトの見慣れた甲冑姿。

 

『ここに存在した私の似姿。それにバラバラになった私のコアの一部を紛れ込ませることが出来た。すまないテスタロッサ、こんなことを頼めた義理じゃないことはわかっている』

 

 

 幻ではなく確かに意思の宿った瞳がフェイトに懇願する。

 魔導師と騎士として戦った時に受けた気迫とは違い、淡い光を放つ姿は今にもなくなってしまいそうな頼りないものだった。

 

『主を、救ってくれ。もはや今の私には、ただ消えていく私達には何も出来ないのだ。テスタロッサ、頼む』

 

 彼女の望みはたったそれだけ。

 彼女の騎士としての誇り高さを知るフェイトだからこそ、敵であったフェイトに頼み事をする筋違いを抑えこんで縋りつくこと、その行為がどれほどの苦渋の上のことか理解できた。 

 もとより無駄な犠牲者を出す気はない、それにただのプログラムではなく心を持つ彼女がここまで大切にする闇の書の主が悪人とは思えなかった。

 フェイトが了承の意を伝えるために頷くと、シグナムは微笑んで闇に溶けていく。

 無駄なこととわかっていながらも、消えていく彼女を助けようとフェイトは手を伸ばしてしまった。

 

 ――ただ、フェイトの伸ばしたそれよりも先に、少女よりすこしばかり大きな手のひらが守護騎士の腕を掴んだ。

 

 ●

 

 闇の世界、吸収する壁はないはずなのに中心に立つ三人の周りには音がない。

 疑問符を浮かべ沈黙するフェイト、彼女の瞳の先には手足を動かし体調を確かめるシグナムの姿があった。

 残された最後の機会を消費し、覚悟を持って消えていくはずだった彼女は、確りとした重量感を伴った現実を持ってそこに存在していた。

 

「で、仗助。お前は何をしたのだ?」

 

 確認が終わったシグナムは簡潔に閉じられた世界にいる最後の一人を厳しく問い詰める。

 

「えっと、あれ、シグナムさん。いつの間にこんな所に! 僕も閉じ込められてしまって途方に暮れていたところなんだけど」

 

 

「――で、仗助。バラバラになった筈の私のコアが完全に修復され、管制人格の支配から独立しているわけだが。お前は! 私に! 何をしたんだ?」

 

 今はじめてシグナムに気付いたといったていの仗助。

 とぼけているとわかるようにしか見えないとぼけ方をする少年におなじ質問を投げるシグナムの額には青筋が浮かんでいる。

 少年は助けを求めてかフェイトの顔を見るが、何に困っているのかわからないので少女は手が出せない。

 シグナムを一瞬にして現在の状態に戻すことはフェイトには出来ない、ならばこの場所にいるもう一人の仕業であると考えるのは自然なことだった。

 だが、それを隠すのはなぜなのだろうか、それがわからないので助け舟の一つも漕いでやることがはばかられる。

 だからシグナムの追求から彼を逃したのはフェイトではない。

 

「って、何だ、この影! 冷たい! 敵のスタンドか!」

 

 彼を切り離したのは地面から這い出てきた質量のない影。

 無数の手となり仗助の身体に巻きつき壁の中に吸い込む。

 突然の事態に動揺し、バルディッシュを振り上げた頃には彼の姿は跡形もなくなっていた。

 

『――主は大変お怒りです。彼には少々お仕置きを受けて頂きます』

 

 空間に響いた声は、フェイトが外で戦っていた闇の書の管制人格のものだった。

 彼を助けなければと焦るフェイトを手で制するシグナム。

 

「今は闇の書の暴走を止めることが先決だ! ――それにさすがに主のあの配役はない。あれは怒って当然だ」

 

 頭痛を堪えるように頭を抱える仕草をしたシグナムは手に持っている首輪を地面に捨てる。

 事態の飲み込めないフェイトは首輪に付いているネームプレートを読んだ。

 ――そういえば疑問に思っていたあの獣の正体を思い出した。

 学校からの帰り道に友人と遭遇したことのある可愛らしい丸く膨らんだしっぽにつぶらな瞳を憶えている。

 確か『狸』だとなのはは教えてくれた。

 都会には生息しておらず、海鳴では見ることが出来たのは珍しいと彼女が喜んでいたのが印象的だった。

 転がった名札には丸文字で平仮名三つ『は・や・て』と綴ってあった。

 

 

 

 ちなみに仗助が消えた後の空間に、これまたいつの間にか白い扉が存在を主張していた。

 

 アリシアの『あの子達』という言葉を思い出し、まだ要救助者がいるはずと、扉をそっと開き中を覗く。

 

 そこにあった光景にフェイトは既視感を憶えた。

 フェイトを助けてくれたもう一人の少年。

 刈り上げた両横にてっぺんのパンチパーマが特徴的なクラスメートの男の子。

 彼が抱くのはすすり泣いている守護騎士の一人シャマル。

 そしてやはり足下に存在するキャリーケース。

 役者こそ変わっているが、演目は先程と同じもの。

 ただ仗助の時のような森ではなくフェイトの知らない建物の前だった。

 

「って、この影は何だ! 冷てえ! ってか、すっげー痛いぞ!」

 

 億泰を拘束する影は仗助のものより心なしか強く大きいものに変わっている気がした。

 フェイトが駆けつけるより早く闇に飲み込まれる少年。

 助けられなかったことを悔いるフェイトにシグナムの溜息が聞こえる。

 

「ああ、先程も言ったが、まずはこの空間を脱出することにしよう。大丈夫だ、アイツも主の友人にそうひどい事はすまい。仗助達の救出はその後だ。――ところでテスタロッサ、この施設はどういった目的のものなんだ?」

 

 シグナムの変な落ち着き具合に肩透かしを食らったのかフェイトの熱も冷めてしまった。

 ただ、彼女の疑問に此方の世界にはまだあまり詳しくないフェイトは答えることが出来ない。

 フェイトの雷光の鎌とシグナムの炎の連結刃が空間を切り裂き脱出口をこじ開けた。

 飛び出していくフェイトの頭の片隅にどうでもいいしこりが残る。

 

 ――『海鳴市保健所』とはあの小さな『狸』とどのように関係する施設なのかと。

 



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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 後編

 海鳴の夜空、世界に亀裂が走り、轟音を上げ雷光と火炎が巻き起こる。

 亀裂の中から黄色と紫の光が飛び出した。

 守護騎士シグナムと、フェイトである。

 シグナムは辺りを見回し、自分がどこにいるのかを確認すると、すぐに闇の書を、主であるはやてを探す。

 暗雲立ち込める空を支配する王は、シグナムの遙か上空で、ただ赤き瞳から涙を流していた。

 彼女の動きを牽制していたのは、守護騎士達の魔力収集を妨害してきた魔導師だった。

 なのはとクロノは管制人格の周りを飛び交い、的を絞らせない。

 火力に圧倒的な差がある彼等は時間稼ぎをしているのだろう。

 シグナムは嫌な予感がした、刻限が来れば、最悪な結末を迎えるのではと。

 

「あっ、シグナム! 待ってください!」

 

 フェイトの制止の言葉を無視し、シグナムは彼等の争いの真ん中に踊り出る。

 

「待ってくれ! 筋違いなのは承知のうえで頼む! 主を助けて欲しい!」

 

 突然のシグナムの出現に彼等は驚いて動きを止めた。

 だが、すぐに己を取り戻し、なのははシグナムの方に飛んでくる。

 確かに争ってきた少女にとって自分は敵なのだろう、今更、言い訳のしようがない事実である。

 多少の傷みには耐えるつもりである。

 傷つき、それでもなお、主の笑顔のために、説得を諦めるつもりはない。

 だから、彼女の言葉には、不覚にも涙がこぼれてしまった。

 

「大丈夫です、私も、私達は彼女を助けるためにここに来て、戦っているんです。だから、あなたも一緒に彼女を救う方法を考えてください!」

 

 シグナムを追い越し、シールドを張って、闇の書からの攻撃を遮り守ってくれた少女は、力強い笑顔で、シグナムの心を肯定してくれたのだから。

 

 ●

 数的有利を確保したことによって、戦況はシグナム達が優位に立ったかにみえた。

 だが、黒い翼の王の御前にて闇の書のページが開かれる。

 光る文字からは言葉にするのも悍ましい肉の塊が次々と溢れていく。

 その中心にいたはずの管制人格すらも飲み込み、暴走した防衛プログラムは、巨大な多頭の蛇として顕現する。

 首の一つ一つが魔法を放ち、魔導師達を分散させていった。

 

『シグナムさん、その、闇の書の主さんを助ける方法思いつきましたか? ああ、もう頭を潰しても直ぐに元に戻っちゃう、これじゃあきりが無いよ!』

 

 桃色の閃光が空に弾ける。

 通信を介して皆、頭を悩ませるのだが、一向に名案は思い浮かばなかった。

 シグナムも炎剣で蛇の頭を切り落とすのだが、信じられないほどの速度で修復されてしまう。

 

『誰か、意見はないのか。出来ればアルカンシェルは使いたくない、いや絶対に使わせない!』

 

 決意に満ちたクロノの宣言に、仲間たちは強い同意を返すのだが、それ以上の言葉は出てこなかった。

 

 互いの戦力、魔力の削り合いになったのだが、防衛プログラムがその勢いを衰えさせることはなく、諦めの言葉を決して口にしないシグナムたちの表情にも陰りが見え始める。

 

『あの、守護騎士の方は初めまして、ユーノ・スクライアです。アースラで現地協力員をしています。って話があるのは僕じゃなくて。真、大丈夫、君、疲労で失神してたんじゃないか、無理はしないでね。その状態で念じれば皆に君の声は届くよ』

 

ユーノと名乗った少年の後に続き、またも同年代であろう男の子の声が響いた。

 

『すみません、代わりました、真です。そこにいる守護騎士の方とは初対面ですが、闇の書の主を助けたいのなら、今は俺を信じて、指示に従ってもらえますか?』

 

『真、何をやっている! 一般人は引っ込んでもらえないか! 今は作戦任務中だ。大体、艦長の許可はとっているのか』

 

 

 クロノの指摘はシグナムの耳には入ってこない。

 彼女は真の言葉を反芻し、嘘だったら許さないとの言外の響きを載せ尋ねた。

 

『――真とか言ったな、私は主を救うことが出来るのか?』 

 

 強い意思を秘めた言葉、だがその一方でシグナムの顔には縋りつくような弱さが見え隠れしていた。

 

『大丈夫です、絶対に彼女は貴方の下に帰ってきます。物語を知っている俺が断言するんです、間違いありません!』

 

 そんな簡単に安請け合いして良いものではないのだが、決定事項を伝えるような気楽さが彼の言葉にはあった。

 

 ――そうだ、決定事項なのだ。主を助ける以外にシグナムに選択肢はない。ならば主が救われることを事実として信じる他にない。

 

   

『わかった、私はお前の指示に従う。どうか主を救ってくれ!』

 

 ――今日はよく頼み事をする日だ、それも平時ならプライドの高い自分は初対面の人間になど弱味を見せることはなかったのだが、シグナムは嬉しそうに苦笑を漏らす。

 

『だから真! なぜ皆が君の指示に従うことを了承すると思っているんだ! 艦長、これは一体どういうことなんですか?』

 

 このような危機的状況下で無視されていることに腹をたてたのだろう、クロノは怒り、抗議の相手をリンディに変える。

 

『いや、あのね、クロノ、母さん、真くんの判断に従うべきだと思うの。いえ、分かるわよ、管理局の人間としてこの判断がありえないってことは。――でもね、おかしいの、まるで相手がパーを出すことが事前にわかっているのに、グーしか出せないジレンマっていうか、ええっと、母さんも何を言っているのか自分でわからないわ。でも最近こういうい事がよくあるの、歳のせいかしら? んん、そうね、岸辺先生に漫画を見せてもらってから? ――ああ、もう、クロノ、質問はしないで、彼に素直に従いなさい、命令です!』

 

 リンディの言い訳だか、相談だったのか訳の分からない命令はクロノが口ごたえする間もなく捲し立てられた。

 

『――わかった、命令なら仕方ない、僕も君の指示に従うよ。早く解決しないと病院にも用事ができたからね』

 

 クロノの若干諦めの入った言葉に、誰が入院するのかを問う声はなかった。

 なのはやフェイトは憐憫の混ざった視線を離れた彼に向けていた。

 

 ●

 

『まずはじめに、闇の書の動きを止める。このままじゃ、結界の外に出て大事になりかねない』

 

『でも、真くん、さっきから何度も、全力の砲撃をしているのに、すぐ回復しちゃって、どうしようもないんだよ?』

 

 その言葉の際中にも、桃色の光線が夜空に飛び交う。

 なのはの言葉にはシグナムも同意した。

 闇の書の生命力は想像以上にとてつもない。

 

『いや、違うんだ、詳しく言う時間はないから端折るけど、この回復力には闇の書以外の原因があるんだ! シグナムさん、フェイト、一番後ろの方で他の蛇の頭に隠れるように息を潜めている二匹の所に向かって!』

 

 真の指示に従い、敵の攻撃の合間を縫い、シグナムとフェイトは飛んで行く。

 確かに隠れるように体を丸めているこのピンクの蛇の頭は怪しすぎる。

 頷き合い攻撃を仕掛けようとすると、それを庇うように青色の頭が立ちはだかる。

 まずはコイツから始末しようとする二人に、真は慌て警告する。

 

『気をつけて、そいつはシールドや防御結界を一切無視した攻撃を仕掛けてくる。回避のみに徹して、防御はしないで!』

 

 ――そういうことは、早く言って欲しい。

 青色の蛇を待ち構えていたシグナムは、慌てる。

 物語の傍観者のように、次々と的中させていく真に、はやてを救うと言う彼の言葉が信憑性を増していくが、それと同時に忠告通りの危険も増えるのだ。

 奇怪な音とともに、シグナムのシールドが破られる。

 

「シグナム! 大丈夫ですか!」

 

 空中に投げ出されじたばたと手足を動かすシグナムを支え、フェイトは蛇に魔力弾を飛ばし遠ざける。

 礼を言い、すぐに態勢を立て直したシグナムは、確かに見た。

 

「――なあ、テスタロッサ」

 

「その、はい、シグナム。多分、見間違いじゃないと思います。――今も踊っているし」

 

 目を疑ったのだが、間違いないとフェイトも後押しをしてくれた。

 

 ――こちらを挑発するようにくねくねとその長い身体を動かしている二匹の蛇。これだけならば、そう気にすることはなかった。

 だが、その二匹の動きが一ミリのズレもなく合わせられているのなら、もはや安い挑発に間違いない。

 

『駆けよ、隼!』

 

 バカにされていると理解し沸騰したシグナムはそのすべてを買い取り、デバイスの第三形態の弓矢で二匹の胴体を射抜いた。

 

  ●

 

『で、この後はどうすればいい?』

 

 シグナム達の猛攻により防衛プログラムの前進は止まった。

 真の助言通り、あの二匹を黙らせると、防衛プログラムの自己修復は目に見える程に衰えていった。

 排除し尽くすには難があるのは変わらないが、それでも目に見える成果は皆に力を与えてくれる。

 

『えっと、それはユーノが説明します』

 

『ええっ、なんで僕が! 真、実は何も思いついていないんじゃあ? 

ちょっと、わかったよ、わかったから、僕だけに回線開いて大声出すのはやめてくれ!』

 

 念話でユーノの咳払いが伝わり、皆が彼の説明を待った。

 

『ううん、闇の書の主を助けて、暴走体を制圧する方法ですよね……あれ、本当に何も思いつかないんだけど、いや、僕になら分かるってそんな買いかぶられても。ええっと、取り敢えず最低限、管制人格が発現した後に闇の書の主の意識が目覚めているって条件が揃わないことには、何も出来ないし。っでそれが出来たとしても周りの肉体を削いでコアを剥き出しにしないと破壊すら出来ない。コアが残っている限り闇の書は再生し続けるんだよ、破壊に手間取っている間に暴走臨界点を迎えたらどうしようもないし』

 

『ユーノ、ナイス! 皆、聞こえたね? 全員、まずは闇の書の主をたたき起こすことに全力を尽くしてください! 』

 

 ユーノの自信なさげな自問自答を引き継ぎ真が断言する。

 

『真くん! 起こすってどうすればいいの、まさか、大きな声で呼びかけるわけじゃあ』

 

『その通り! 呼びかけて、なのはちゃん! ほら、別のクラスの不登校の子にクラスの皆が迎えに行って大きな声で呼びかけをしたって聞いたことがあるだろう、あの要領でお願い!』

 

 ――えっ、その子、年度が変わってから一度も登校している姿を見たことがないんだけど。

 という、なのはの不吉な言葉に、疑うようにシグナムは目を細める。

 なんとも言えない無言の抗議を無視し、真は発破を掛け皆を動かした。

 

 確かな根拠があるようには思えない作戦だった、だけど、今宵は聖夜、奇跡を願うには絶好の機会だ。

 そして信じ望んだ者にのみ偶然は必然に変わる。

 

『――うるさい、ほっといてんか!』

 

 皆が念話で呼びかける中、響いたのは、多少、ぶっきらぼうではあったが確かなはやての声だった。  

 

 

 ●

 

 静かで、暗く、寒くはない、そんな場所にはやてはポツリと一人、膝を抱えてうずくまっていた。

 自分を追い詰める人間も、足が動かないはやてに無関心な雑踏も存在しない世界。

 快適であるはずのそこで、はやては居心地の悪さを拭えなかった。

 誰かに責められているようで、辺りを見回すのだが無人の闇が広がるだけ。

 だからひょっとしてこの非難は、はやて自身が自分を責めているだけなのかもしれない。

 とても長い時間ここにいるが、どこでもないここを離れる気は起きず、さりとて、モヤモヤとした気分が晴れることはない。

 楽しい思い出を頭の中に浮かべ、打ち消そうとするが、それを失ったことが悲しく、やはり沈み込んでしまう。

 

 この世界の王様はすべてから逃げ出す一人ぼっちを望んだが、それに耐えられるほど強くはなかった。

 皮肉なことに、楽しかった事をこれ以上、外の世界の無情な運命に奪われないために作ったこの場所で、少女は静かにそれを失っていく。

 

「やっぱり、一人ぼっちになってしまったんやなぁ」

 

 はやては声に出し事実を確認する。

 もう、外の世界にも、どこにもはやての家族はいない。

 あとは此処でゆっくりと朽ちていくだけなのだ。世界への復讐は闇の書が終わらせてくれるのだろう。

 だが、いつになったら自分はいなくなれるのだろうか。

 運命に翻弄され続けた少女は、長い走馬灯だとため息を吐き、再び目蓋を閉じる。

 今度こそ楽しい夢を見れるように願いながら。

 

 

 だが、声が、閉じた世界には異質な音がそれを妨げる。

 

『闇の書の主よ、聞こえるか! 聞こえたら返事をくれ!』

 

 それは真面目そうな印象を与える少年の声だった。

 

「――うるさい、ほっといてんか!」

 

 家族の温かい声を想像していたはやては割り込んできた彼にそっけない返事をする。

 

『どういうことだ、なんで僕の声だけが? いやそれはいい、君は闇の書の主なんだな。なら頼むどうにかして此方側に来てもらいたい!』

 

 また外の世界がはやてに手を伸ばしてきた。

 どうして、世界ははやてに構うのだろうか、そんなにも自分は愉しい見世物なのかと腹が立つ。

 

「いやや! 話はそれだけ? やったらご苦労さん!」

 

 話は終わりとばかりにはやては耳をふさごうとする。

 だが、それでは相手が納得できなかったらしい。

 

『君は今の状況がわかっていないのか! 闇の書のせいで多くの人間が被害を被る瀬戸際なんだぞ!』

 

 男らしくなく非難の言葉をグチグチと並べ立てる彼に、はやてのお腹に溜まったものが疼きだす。

 

『確かに君の境遇には同情もする。だが、世界はいつだって、願うようには動いてくれない。こんなはずじゃなったことばかりだ。ずっと前から、誰にだって平等にそうだった。それから逃げるのは君の自由だ。だけどそれに他人を巻き込んではいけないんだ! 運命に立ち向かっている人間を邪魔する権利は誰にもない!』

 

「そんな正論は知らん! 私にはいつも冷たいだけだった運命も世界もどうなってもいい! だって、運命に抗った先に何があるっていうん? 教えて、足の動かない、家族もいない、一人ぼっちの弱虫な私が、幸せになれないってわかりきった未来にどうやって足を進めたらいいん?」

 

 そうだ、いつだって決まりきった運命は予定調和の悲劇と、ささやかな幸せを奪うことしかしてこなかった。

 はやてのような絶望した弱い人間は、おためごかしにしか見えないクロノの正論になど絶対に説得されてやらない。

 

『――決まりきった運命なんてない!』

 

 決意を露わにするはやてを後押ししたのは念話ではなく肉声、それもすぐ近くから聞こえてきた。

 

「いや、運命は決まってるだろう、なあ、仗助?」

 

「ああ、当たり前だろう。じゃないと僕は僕でいられないよ、億泰」

 

 

 いつの間にかこちらに歩いてくる男友達二人の見馴れた笑みが、ひどく場違いに思えた。

 

 ●

 

 二人がどこから現れたのか、なぜはやての隠れ場所にいるのか疑問は尽きなかった。

 だから口ごもってしまったはやてより先に仗助が口を開ける。

 

「ところで、はやて、出口がどこにあるのかわからないかな? 歩けども歩けども景色が変わらなくていい加減うんざりしているんだ。早く外の空気が吸いたいよ」

 

 二人ははやての隣にどっこいしょと腰を下ろす。

 先ほどのクロノとはやての遣り取りを理解していないのだろうか。

 

「ええか、仗助くん、億泰くん。外の世界はもう間もなく滅びることになるんよ。やのになんで二人はそうのんびりしてるの?」

 

 自分とは温度の違う二人、それが癪に障り、はやての語気は少々強くなる。

 

「えっ、だって、滅びないだろ、世界?」

 

 それが常識だとばかりに、何の重さも感じさせない口調で仗助はのたまった。

 それはおかしい、さきほど彼等ははやての運命論に賛同してくれたのではないのか。 

 ――ああ、理解力に乏しいのか。

 はやては懇切丁寧に、今、少女の闇の書で世界が滅びようとしていることを語って聞かせた。

 はやての口調は話を強調するもので、無力だった自身のたった一度の世界への反逆を誰かに自慢したかったのかもしれない。

 

「仗助くん達の少ない脳味噌でもこれでわかったやろ、つまり、今から世界は」

 

「滅びない」

 

 なんで、そうなるんだろうか、頭を掻きジト目で二人を睨む。

 はやての視線に屈したわけではないのだろうが、仗助は説明する。

 

「だって、すっごく、絶望的な状況なんだよな?」

 

「うん、すごく、とっても。かつてないくらいの規模で、地球が消し飛んで、太陽が爆発して、地獄から魔王が復活して、生きとし生けるものが皆、ゾンビに変わるくらいに!」

 

 二人の態度が気に入らず、意地になって話を盛るはやて。

 

「おう、だったら、絶対に世界は大丈夫だろ!」

 

 仗助と目を合わせた億泰までもがはやてを否定する。

 

「なんで、二人共、そんなこと言うん? だって、運命は決まりきっているって同意してくれたんやないの?」

 

 ――仗助は自信に満ちた、はやてには眩しい強者の笑みを浮かべた。

 

「ああ、そうだよ。『運命は決まりきっている』、それは疑いようもない。――だからこんなにも僕達に都合がいいし、こんなにも愉しいことしかないんだよ、世界には!」

 

 はやての中の何かが音を立てて崩れていく。

 少女はそれを守るように焦り言葉を続けた。

 

「だって、闇の書が発動したら、すべての物質を飲み込んでいくんや、それはどうするん?」

 

「発動したらどうにもならないなら、きっと奇跡が起こって誰かが止めてくれる」

 

「そんなん無理や! 闇の書の防衛プログラムはおっきくて、強いんや。まずそれをどうにかせな、それが出来るん?」

 

「だったら、力じゃなくて、知恵の廻る誰かが、起死回生の一手を考えつくに違いない」

 

「戦おうとする人はいるかもしれん。でも、人数が圧倒的に足りなかったら、知恵を貸してくれる誰かが逃げ出してしまったら?」

 

「そん時は、伏線の登場だ。敵だったはずのライバルが爆弾を抱えて特攻してくれて一件落着!」

 

「――なんで、なんで、君達は絶望的な状況でそんなに未来を信じられるん?」

 

 世界の終末、その最中。繰り返す質問の解答はどれも根拠の無い世迷い言ばかり。

 だが、それでも強い彼等を意識すると弱いはやての常識が、孤独だった世界が間違っていると錯覚してしまう。

 はやての質問を面白がった二人は今度は自分たちで問答を繰り返す。

 

「お姫様が毒りんごをかじったら?」

 

「王子様が必ずやってくらあ」

 

「たとえガラスの靴がなくったって?」

 

「灰かぶりぐらいの美人なら、そこらの金持ちを引っ掛けて幸せに暮らすさ!」

 

「九回裏、ツーアウト、最後のバッターが怪我をしていたなら?」

 

「腕の一二本と引き換えに、バックスクリーン直撃の同点弾だ!」

 

 世界はそういう風にできていると彼等は笑いながら唄う。

 本人は気づいていないのだろうが、いつの間にかはやての口元が緩んでいる。

 彼等の言葉にはやての絶望が陰り、図々しくも希望がその頭だけをちょこんと出してしまった。

 

 ――もしかしたら、自分にもまだ幸せな未来が残っているのでは。 そう錯覚してしまう。

 

 希望と絶望どちらがより強いのか? そんなの希望に決まっている。

 弱者であれば弱者であるほどに希望は甘く感じられ、そして足を無理矢理に引きずり込む。

 十の絶望、百の絶望と数を増やしても、たった一つ希望が見えれば人はそれに期待し縋り付かずにはいられない。

 絶望が一色で世界を覆ったとしても、ほんのわずかな希望の染みがそれを台無しにしてしまう。

 

「一回、死んだ僕達がここにいるって奇跡があるなら、この世界は当然、僕達のものなんだ。神様に依怙贔屓されているのにこれ以上何を恐れるっていうんだよ!」

 

 意味がわからない世迷い言だった。 だけど否定することができない。 はやてが支配する一人ぼっちの世界に二人増えて、多数決で王様の意見は却下される。 孤独な女王様は、偉くも強くもなくて、むしろ寂しがりやでとても弱い。 人を遠ざけて、そして助けてくれる人を待っていた。

 だがはやてはそれでも希望に手を伸ばす事を躊躇ってしまう。

 だから最後の勇気をもらうために、はやても二人の問答に参加する。

 

 

「やったら仗助くん、億泰くん、もしも何の力も持っていないか弱い女の子がおって、家族を失くして身よりもないどうしようもない状態でも、だったとしても、――前に進めば驚くような幸せを、神様は用意してくれてるんやろか? それに二人の目の前に彼女が現れたら助けてあげてくれたりするん?」

 

 胸に手を合わせ答えを待つ。

 祈る相手は神ではなくこの二人というのがはやてには心強かった。

 

「そんなの知らん、見捨てるんじゃないか? 神様が贔屓しているのは俺達だし、別に仗助も俺も善人ってわけじゃないしな!」

 

 突き放したような一言にはやての希望が砕け散った。

 ここまで見事に運命は自分をあざ笑うのかと。

 

「ああ、さすがに面倒見切れないよ。その女の子が『友達』ってならともかくね」

 

 はやて震える手のひらを握りこみ、二人の前に来た、この世界だけのことなのだろうが、自由に歩ける足で一歩一歩、力を入れて。

 

 

「お、驚かすんじゃないわ! ボケェ! ちょびっと涙が出たやんか!」

 

 そうしてはやては己の『友達』二人に泣きながら笑顔で拳を叩き込んだ。

 

 

 ●

 

 なぜ殴られたのかを理解していない二人は憮然としてはやてを見つめていた。

 説明するには恥ずかしいし照れくさいので、はやてはそれを無視する。

 希望を手に入れたはやては、友達のきつい視線など物ともしないのだ。

 

『ああ、そちらのゴタゴタは終わったのか、だったら説得を続けたいのだが』

 

 じっと待っていたのだろうか、クロノの通信が入る。  状況は変わらない。変わったのは、はやての心情だけ。  消えてしまった守護騎士たち。 本当に、それが永遠の別れになったのか、そうではないのか。  それすらも確かめずに絶望していた自分を、愚かなやつだと、今のはやては笑い飛ばす。

 

「うん、もう大丈夫! 説得はいらへんよ、ちょっと価値観が百八十度回転する出来事があって、今の私は、生きる気満々や! ところでどうやったらここから出られるんかな?」

 

 腕をぶんぶん回しながらはやてが問うも、反応が芳しくない。

 

『すまない、君が目を覚ました時点で、それはどうにかなるものとこちらは考えていた。それ以外の準備はできているので、それはそちらに任せる』

 

 無責任なクロノの言葉、普段のはやてならば文句を垂れるのだが、今は違う。

 仗助達風に言うのならば、これはこれからはやてが歩き出す奇跡の逆転劇のための演出の一つにすぎないのだ。

 任せろ、と胸を叩き辺りを探る。

 

「主よ、あなたは絶望を乗り越え、前に進むのですね。ならば、貴女を惑わす希望から守るためにあったこの腕はもう必要ないのでしょう」

 

 透き通る鈴の音のような声だった。

 後ろからはやてを覆うように抱きしめているので顔は見えない。

 彼女の手ははやての耳を隠すように当てられていた。

 

「うん、私は前に進むことにしたよ。やから、力を貸して、いや、違うな。あなたも一緒に行こう!」

 

 振りかえり、闇の書の管制人格と対面する。

 彼女ははやての想像通りの優しい顔をしていた。

 

「私は暴走し、あなたを喰い尽くし、奪うことしかできなかった。そんな私でもいいのですか?」

 

 管制人格は表情を曇らし、懺悔し、許しを請う。

 

「大丈夫! 敵の幹部が味方に鞍替えすることもあるらしいんや。やからいつでも私のことを一番に考えてくれていたアンタなら何の問題もない!」

 

 赤い瞳から今度は歓喜の雫を落とし、笑顔のまま彼女ははやてに重なっていく。

 彼女のとてつもない力と想いがはやてに流れ込んできた。

 それはこれから起こる逆転劇を後押しする追い風に違いないと信じて疑わない。

 

「ああ、ありがとう。あなたの名前はリインフォース。私の打った白球を場外にまで送ってくれる祝福と喝采の追い風。エールリインフォース!」

 

 デバイスが展開し、はやての目の前に十字架を型どった一本の杖が浮いている。

 これは、はやてがホームランを打つための強力なバットだ。

 

 力強く両腕で何度も素振りをする。

 

 すべてが自分を中心に動き始めた感覚で溢れ、鼻息荒く、興奮した様子のはやて。

 

 ――まだまだ、風は鳴り止まない。

 

『はやて、はやて! 聞こえているのか! クロノなどと話していないで私に無事な声を聞かせてくれ、お願いだ!』

 

 念話を通して必死な声がはやてに届く。

 それは聞き慣れた家族の声。

 

「えっ! シグナム! なんで……彼女、無事、やったんや」

 

 もう何度目になるかわからないが今日一番の驚きがはやてを襲う。

 涙はまだ早い、だがそれでも弱虫なはやてはすでに鼻声であった。

 

『彼女だけではありません』

 

 リィンの声に続き、虚空に映しだされる映像には、はやてと同じ様に、くしゃくしゃの泣き顔を見せているシグナムがいた。

 そして、その後ろ、光るベルカ式の魔法陣から、いなくなってしまったはずの家族が、どんどん召喚される。

 

 打席にはいるはやて、そしてなんと都合のよいことだろうか、塁上は逆転のランナー達で埋め尽くされてしまった。

 

「さあ、いこうか! ナイトゲームを盛り上げに!」

 

 

 ベルカ最強の魔導書とその主が脚光を浴びる舞台に躍り出る。

 

 

 

 ●

 

「響け、終焉の笛。ラグナロク」

 

「これが私のフルパワー、スターライト」

 

「いくよ、プラズマザンバー」

 

 かくて世界の危機は救われる。

 

『ブレイカー!!』

 

 海上の防衛プログラムに降り注ぐ、魔力の雨。

 三人の少女の全力は、肉塊を削り、コアをむき出しにする。

 

 鎧を失ったコアはシャマルに捉えられ、ユーノとアルフの魔法で軌道上に転送される。

 そしてアルカンシェルの空間歪曲でその存在を消滅させる。

 消滅の確認がオペレーターのエイミィから報告され、皆の緊張が解けた。

 成功を確かめ合うために、互いに笑いあった後、海鳴海浜公園にはやて達は降りていく。

 

『おーい、アンタ何やっているのよ! ってはやてだけじゃない! シグナムさんも、シャマルさん、ヴィータまで、なんで皆飛んでるのよ! すずかにはわかる? 説明しなさい、アンタこういうファンタジー担当でしょ!』

 

『アリサちゃんは、吸血鬼のことなんだと思っているのかな。って今はそれどころじゃない、軽く物理法則を無視しているはやてちゃんのほうが一大事だよ! あれって降りてきているんだよね? ゆっくりと墜落しているんだったら、怪我するかもしれないよ!』

 

 そこにはなぜか友人のすずかと、アリサがいる。

 騒ぎながら、こちらを指差す二人に、これは言い訳できないとはやては苦笑した。

 

 地面に足をついた瞬間、すぐに駆け寄って来たアリサは息がかかるほど顔を近づけ問い詰めてくる。

 

「いい、私はたとえアンタが宇宙人だろうと友達をやめる気はないわよ、安心しなさい! でも、そうね、それ以上となると心の準備が必要になるから、少し待ってほしいわ!」

 

 宇宙人のそれ以上とは一体何なのか? それ以下もわからないが、はやてに気を使ってくれているのは理解できた。

 何一つ欠けること無く、絶望は希望に逆転負け。

 はやてにとって生まれて以来最高の一日だった。

 だから一緒に降り立ったフェイトが難しい顔をして唸っていることなど気にならない。

 

「はやて、アンタの顔見れば、色々大変だったのはわかるけどこっちはこっちですごいことになってたんだから!」

 

 

 そして、アリサのこの一言が楔になる。

 

「ところで、はやて、仗助達知らない? 途中ではぐれちゃって探してるんだけど――はやて、アンタすごい汗よ、大丈夫なの?」

 

 ――はやては興奮して忘れていた、あの二人のことを。

 

『あれなんでこんなところで真くんの叔父さんが寝ているのかな?』

 

『ああ、そうだ! なのは、要救助者が……』

 

 なのはの疑問を無視し大声を上げたフェイトが青い顔で空を見上げる。

 釣られて皆も天をみる。

 

 はやて、シグナムの顔は固まり、フェイトの目が水気を帯び始めた。

 

 三人が見ているのは軌道上、アルカンシェルが防衛プログラムを蹴散らしたであろう場所。

 皆が不思議そうに三人に注目するのだが、誰も口を開くことはなかった。

 長い沈黙が辺りを支配する。

 

 

  ●

 

 

 不幸中の幸い、仗助と億泰はシャマルとユーノのサーチによって海鳴の海に二キロの地点で発見された。

 しかし、冬の海水は冷たく彼等の体温を容赦なく奪っている。

 予断を許さない状況であり、必死にシャマルが魔法で治療を施している。

 すずかとアリサは二人に寄り添い声をかけ続けていた。

 低体温症だけでなく、彼等の体には感電した痕や焦げた痕跡、石化している様子まで見られた。

 それを発見した後、治療にあたっているシャマルを除く魔導士組に何とも言えないやな雰囲気が漂う。

 

『一体誰が二人をこんな目に合わせたのよ! これって殺人未遂じゃないの!』

 

 アリサの怒声に、特にはやて、なのは、フェイトの三人が体をびくつかせる。

 確かにこのまま二人の命が消えてしまったら事故というのは無理がある。

 拳銃を乱射している所にたまたま人が歩いてきたんですなどという状況を事故というにはいささか苦しすぎる。

 

 ――『殺人事件』、物騒な単語が皆の心を駆け抜けていったに違いない。

 

 皆が皆の視線を気にしながらも最初に発言したのはマントを羽織った男の子、ユーノだった。

 

「なのは、だから僕はいつも言っていたじゃないか! 加減は大事だって! それをあんな馬鹿みたいに、ポンポン全力で撃つからこんなことになるんだよ!」

 

 裏切り者を見る目でなのはは少年を睨みつける。

 なのはの洒落にならない眼光にユーノはビビり口笛を吹き、情けなくも素知らぬ顔をした。

 

 次に発言したのはシグナムだった。

 

「いや、これは責任逃れではないのだが、仗助達の傷をみるに、最後の三人の大魔法が死因、いや、決めてになったのではないだろうか?」

 

 シグナムの意見に三人以外の人間は皆、納得の表情を浮かべた。

 シグナムに悪気はないのだろうが、はやては余計なことをと舌打ちをしてしまう。

 それに気付いた守護騎士達がシグナムを小突き、ようやく理解した彼女の顔から血の気が引く。

 

「うえっ、ううぅ、リンディさん、クロノ、ごめんなさいー、わ、わたし、家族になるって、約束したのにっ」

 

 号泣するフェイトをよそに、なのはが抗議する。

 

「で、でも、私、実は最後の一撃は少し手加減をしたんだ。だって、海鳴の海、そして私が暮らしてきたこの町が大好きだし!」

 

 彼女の主張は責任を他人になすりつけるものだった。

 一際、懐疑的な視線を向けていたユーノはなのはに睨まれると、すぐにアルフの後ろに隠れる。

 

 はやても負けていられない。

 

「やったら私も手加減したよ。なんて言ったって防衛プログラムは闇の書の、守護騎士達の仲間でもあったんや。当然やろ!」

 

 これは嘘ではない。

 自分の幸せのために、彼、もしくは彼女を犠牲にすることに抵抗を憶えていたのは事実だ。

 守護騎士達は、はやてを支持するよう示し合わせたように頷く。

 

 数の上では優位に立った。

 順当に行けば次はフェイトの番だ。

 端整だった顔は鼻水と涙ですごいことになっている。

 それを隠そうともせずにフェイトは発言する。

 

「ごめんなさい! 私は皆を、海鳴の町を救うために、手加減なしの、全力の一撃を、は、放ちました! わ、私のせいなんです!」

 

 言い逃れではなく、素直に罪を認めての謝罪、はやて達の罪悪感をチクチクと刺激する。

 

「ああ、そういえば、思い出した、私も、うん、ちょっと力が入りすぎたかもしれへんわ!」

 

 ひよる闇の書の主。

 裏切り者を見る目でなのはは睨み、はやては逸らす。

 

「うーん、そういえば、私も全力だったかもしれないよ、いつも通りに!」

 

 続くなのはの前言撤回に、そら見たことかと得意気に鼻を鳴らすユーノがバインドで簀巻きにされた。

 

 やはり、なんとも言えない空気が残ってしまう。

 

 ●

 

 ――そんな折、耳を澄ませば、独り言が聞こえる。

 皆が音源を探し、すぐ近くだということに気づく。

 喋っていたのフェイト、相手は誰も居ない。

 それもそのはず、フェイトはまだ新しい携帯電話を耳に当て、泣き声混じりで、通話している。

 

「あ、あの、イタズラなんかじゃないんです。真剣に聞いてください。なんで怒ってるんですか? 私の年齢はさっきも言いましたが、九歳です!」

 

 フェイトは誰と会話しているのだろうか、皆が疑問に思うが、恐らく友達にでも相談を持ちかけたのだろう。

 皆が注意を払っていたわけではない。

 だから親友を気にしていたなのはが一番に気付いた。

 

「あ、あの本当なんです。私は人を殺しました! 自首したいんです!」

 

 フェイトから携帯をひったくり、イタズラです、すいませんと吹き込み警察への電話を切る。

 

「な、な、何やってるの! フェイトちゃん!」

 

 国家権力との会話でなのはの動悸は未だかつてないほどに激しくなっている。

 

 なのはの行動を理解したフェイトは己の暴走を止めてくれた彼女に感謝の抱擁をした。

 

「な、なのは、私、何もわからなくなって気がついたら! と、止めてくれてありが、とう」

 

 心底、親友の純粋さが恐ろしい。

 彼女の暖かさを感じながらもなのはの背筋には冷たいものが走った。

 

 再び、大泣きするフェイトに、ますます収集がつかなくなった現場。

 

 だが、救いの手は振り下ろされる。

 

「怪我人がいるのよ! 静かに出来ないのアンタ達は! はぁ、もう、はやて。こいつらが死にそうだから、あんたがパニックになるはわかるけども、そろそろ落ち着いてくれない。動揺しているせいで、さっきから、めちゃくちゃなこと口走ってるわよ! って、それで落ち着けたら苦労はないか。じゃあ仕方ないわね――ええっと、同じクラスの高町さんとテスタロッサさんよね? 先に謝っておくわ、ごめんなさい」

 

 何のことだろうと、アリサを見ていれば、振り上げた拳をはやての頭上に叩き落とす。

 鈍い音が響き、はやての悲鳴が聞こえる。

 今度は、二人に近づいてくる彼女、その拳がなのはの頭部に飛んでくる段階でようやく理解できた。

 

 ――同い年の少女のものとは思えないほどに硬く、重かったが、その痛みのお陰でようやく三人は正気を取り戻すことが出来たのだった。

 



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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 後編 2

 

 横たわる二人の少年達の体からは殆どの傷がなくなっていた。

 だがそれに反して、治療を施しているシャマルの顔色は深刻なものだった。

 それゆえはやては二人の容態を訊くのを躊躇ってしまう。

 

「――ごめんなさい、すべて外傷は塞いだんだけど」

 

 シャマルの謝罪は誰に当てたものではなく、ただ、己の無力を恥じているように思える。

 誰も声を出せない。

 一度、口から言葉が漏れれば、それは慰めであり、またシャマルに対する叱責になってしまいかねない。

 そしてなにより、呼吸が浅く細くなっていく二人の命に対する諦めになることを誰もが恐れていた。

 

『ねえ、空条くん! こっちこっち、急いで! うん、彼女達が指しているから、この人に間違いないけど――でも、もう』

 

 だからこの声は、ベンチに横たわった仗助達の傍を囲むように立っているはやて達のものではなく、そこから少し離れてしゃがみ込んでいた真の叔父に近寄っていく紅白の巫女装束の女性のものだった。

 女性ははやても見知った顔の神咲那美、そして彼女が呼びかけている先には、名前を大声で呼ばれたことが不愉快そうに、行儀悪くポケットに手を突っ込んだまま小走りに歩いてくる学ランに身を包んだ男がいた。

 闇の書の結界がなくなったことで一般の人間もちらほら顔を見せ始めてくる頃なのだろう。

 それを考え治療魔法を行使しているシャマルを除いた皆は、すでにバリアジャケットを解除していた。 

 

「あれ、すずかちゃんにアリサちゃん、それに確かはやてちゃんだっけ? こんな時間に何をしているの? クリスマスだからってあんまり遅くまで出歩くのは関心しな――この二人どうしたの? ちょっと、すいません!」

 

 はやて達に近寄る那美は、ベンチの少年達に気付くと、シャマルに断りを入れ彼等の顔色を確かめるように頬に手を伸ばす。

 ただの高校生に医術の心得があるわけではないだろうに、外傷の塞がった少年達を確認しただけで、那美は顔を強張らせた。

 

「――誰の仕業? 違う! そんなことを言ってる場合じゃないんだよね。二人の身に何があったのか、詳しく話してくれるかな、出来る限り迅速に!」

 

 那美は一刻の猶予もないと、一同の顔を見回す。

 事件とは何の関係もない彼女が言い当てたその事実に、当てずっぽうなのか、それとも確信を持っているのか判断がつかず、誰も下手なことを喋れない。

 焦れた彼女が説明を求め、一歩足を進め、責任ある立場の大人組である守護騎士達を睨む。

 

「あ、あの那美さん。わたしが話します。やけど、詳しくは話せない事情があるんで、そこんところは見逃してください!」

 

 守護騎士を庇い、はやては声を張る。

 バリアジャケットを解除すると、健常者と同じように動いていた足は再び力をなくしはやては地面に座り込んでしまった。

 ただ、それでも、今日手に入れた絆と希望を失ってはいない。

 そんな少女の強さと事態の緊急性が、那美にそれ以上の追求をとどまらせた。

 

 ――原因が魔法であったということを伏せて、仗助達の身になにがあったのか、はやては説明する。

 といっても、魔法についてははやて自身そこまで詳しいわけではない。

 電気ショックを受け、炎に焼かれたり、大爆発に巻き込まれたのち、真冬の海に放置された。

 言葉を紡ぐうちに聞き手の那美の顔面は蒼白になり、横に控える学ランの男性は、それでもかろうじて生きている仗助たちに呆れた視線を向けた。

 一つ一つ、被害を確認していくうちに悲壮になっていく那美の顔色。

 それが己を責めているように感じられ、語るはやてが今日手に入れたはずだった強さも頼りなく萎んでいく。

 改めて、部外者から事の残酷さを指摘されると緊急性が薄れさせていた罪悪感が湧いてきてしまう。

 彼女たちの魔法と、それらが巻き起こした惨状を隔てる認識の壁を壊し、地続きにしてしまったのだ。

 心細くなったはやては、いつの間にか出来ていた大きめのタンコブを擦りながら、助けを求めシグナム達に顔を向けた。

 はやてが手に入れた絆、それは決して失われはしない。

 少女の知る限り、強く、賢く、優しく、頼りになる家族に寄りかかろうとする。

 強く、賢く、優しい、加えて誠実でもあるシグナム達は、当然、少女と同じように、良心の呵責に耐えるように胸を抑え苦しみ悶えていた。

 

――案外頼りにならないなと、今日一日で図太さも成長したはやてが他に拠り所を探そうとするも、那美の発言がそれを遮る。

 

「結論から言います。仗助君達はこのままじゃ、衰弱死します。現代医療ではどうにもならない問題が彼等に起きています。病院に連れていってもどうにも出来ません。――たった一つの方法を除いては」

 

 はやて達、子供組ではなく、大人達に言い聞かせるよう、那美は丁寧な言葉遣いだった。

 

 ●

「――ここにある二人の体から、心、精神、魂魄、色々な呼ばれ方をしますが、生きていくために必要なそれが、遠くに離れてしまっているんです」

 

 それは、ここにいる魔導士の誰一人として知りえないルール。

 那美の言葉の真偽を確かめようと、皆が唯一の医療魔導士であるシャマルに注目するが、彼女の知識では判断出来ず首を振る。

 ここにある仗助達の魂と呼ばれるものが、魔力による衝撃で肉体を離れたというのだ。

 

「幸い、肉体と魂の繋がりは切れていません。仗助君達が、取り返しの付かない一線を超える前に現し世に呼び戻せれば――」

 

 そこで言葉を切ったのは、出来なければ無事では済まないという意味なのだろう。

 賭けるのははやてを救ってくれた阿呆な友人二人の命。

 那美の戯言を切り捨て病院に運ぶべきなのか、魔導士たちには確信が持てない。

 だから決断したのは賢い方の親友二人。

 

「はやてちゃん! 億泰君達は一刻を争う時なんでしょ。正直、幽霊とか魂とか、わたしも半信半疑だよ。でも那美さんは信じていい人だと思う。少なくともこんな状況で冗談を言うような、意地悪さも度胸も持ち合わせている人じゃないよ!」

 

 すずかははやての決心を促す。

 

「そうよ! 私も那美さんが嘘をついているように見えないわ。試させて駄目だっらすぐに救急車を呼べばいいだけ。ううん、念の為に救急車は呼んでおくわね。来るまでに、那美さんの治療が何の効果もないようなら、彼女も二人と一緒に病院に叩き込めばいいだけじゃない! 違う?」

 

 アリサもはやてに頷いてくれた。

 この場の決定権は、責任ある大人達にではなく、倒れた少年達の友人であるはやて達にある。

 仗助達は三人の友達だ。他人の手で失わせていいわけがない。失敗していいのは彼らの友である少女達だけなのだ。

 少女達の可愛らしい我儘に、異を唱える者はその場にはいない。

 

「――そやね、じゃあ、頼んます。私達に手伝えることはありますか?」

 

 はやては頭を下げた後、那美の顔を覗きこむ。

 

――その決断、二人分の命を三人で背負った少女たちの瞳に、大人達は気圧されて一歩後ずさった。

 

 ●

 

「――だめ、呼びかけただけじゃ戻ってきてくれない」

 

 少年二人の間に膝を折り、彼らの手を取り祈るように瞳を閉じていた那美。

 

「はやてちゃん、黄色い救急車も百十九番でいいんだっけ?」

 

 彼女の言葉にはやての隣にいるすずかはにっこりと笑いかけ尋ねてくる。

 これ見よがしに、携帯のボタンを一つずつ押していった。

 焦り、那美が弁解をする。

 

「違うの! まだ手段は残っているわ。えっと、すごく危険な方法になるんだけど――」

 

「そうだよね、那美さんが裏切るわけないよね。早とちりしちゃった。――ごめんね、私やお姉ちゃんって裏切りには必要以上に敏感になっちゃって」

 

 謝罪のわりに、冷めた視線をすずかは浴びせ、那美の続きを待つ。

 普段から約束事に厳しい友人にアリサは疑問をもっていないようで、はやては疎外感を覚えるが、いまはそれどころではない。

 

「呼びかけだけじゃ足りないなら、直接二人の魂の後を追って、捕まえてくるしか方法がないけど、それには私を含めて二人以上の協力が必要で――」

 

 一人は、送り出し引き返すための命綱を固定する役目。それを負うのは那美自身、そして問題になるのはもう一人。

 仗助達の後を追い、彼らの無意識を通り、この世との境界線から手を引き連れ戻してくる役。

 それを可能にするには仗助たちと同じように、肉体から精神を分離させること。

 これだけでも危険なのに、その上、彼らを追いかけ、あの世の淵にまで足を踏み入れることになる。

 本来は術者二人以上で行われ、素人にさせるべきではない危険な役割だと那美は言う。

 おそらく、仗助達の命と、助けに行く者の命を天秤にかけたのだろう、馬鹿な提案だったと那美は首を振る。

 命を助けるために、命をかけるという愚かな行為を、誰も他人にしいることは出来ない。

 

 

「俺が行こう。――身内の尻拭いをするのはじじいだけで間に合っていたんだがな」

 

――それでも、自ら手を挙げる者はいる。人のために命をかけるという尊いそれを愚かだと、心から笑う者は人類史上きっと誰もいなかったに違いない。

 

 承太郎と名乗ったその男は、魔導士達の輪を横切って、那美とはやて達の下に歩いてきた。

 男は仗助の顔を一瞥した後、わずかな笑みをこぼした。

 それはいつも羨望を向けていた、家族に向けるぬくもりに似ているとはやては感じた。

 

――だから『他人が勝手に、私の友達に命を賭けるな!』と文句を言えず、じっと黙っている。

 

 それに気づいたのだろう、男ははやて達三人の頭に手をポンと置き、悪いなと小声で謝罪する。

 仗助達に向かっていく男の背中は大きく、格好良くて、さまになっていた。  

 

――だけど『……あの、空条くんはちょっと』と那美に献身を断られる姿は、間が抜けていて少女達は吹き出してしまった。

 

 ●

「おい、女。なんで俺じゃあ、駄目なんだ? 説明しろ」

 

 男の表情に変化はないが、語気の強さから、苛立っているようにも思える。

 内心、はやて達小学生に笑われたことが堪えているのかもしれない。

 容姿は男前なのだ。その鋭い目つきは、気の弱い人間なら逃げ出してもおかしくはない。

 そんな承太郎に、那美は抗議のむくれ顔を突きつける。

 

「ねえ、いい加減名前で呼んでって言ってるでしょう! 女だとか、そこのだとか、私は何度、空条くんに自己紹介すればいいの!」 

 

 那美は両手を腰にやり、憤慨を露わにする。

 剣幕から、言葉通り何度目かの抗議なのだろうに、承太郎は気にもせず、溜息で那美の答えを待った。

 

「はあ、もういいよ。――で、空条くんじゃあ、ダメな理由だよね。そんなの簡単だよ! いい? 二人の魂は、この世との境界近くに立っているんだよ。私の呼びかけに応じないってことは、もしかしたら、二人は自分達の状況もわかっていない危うい状態かもしれないの。そんなギリギリのところに空条くんが助けに行ったらどうなると思う?」

 

 承太郎は顎に手をやり考えるが、思い当たることはなかったのだろう、那美の答えを待った。

 

「――あなたの顔を見た瞬間に逃げ出して、最後の一線を飛び越えちゃうかもしれないでしょ、あの二人は!」

 

――舌打ちをして、腕を組んだままもたれ掛かるようにベンチに腰を落とした彼の姿は、どこか拗ねているように見えた。

 

 ●

 

「――ごめんなさい、こんな危険なことをあなたみたいな子供にやらせるなんて」

 

 那美に謝罪の言葉を向けられ、はやては首をふる。

 肉体から離れた魂、精神の世界――境界で彼らを探すには、心のつながり、縁を頼りにするしかない。 

 そしてこの場にいる面子の中で仗助達との強いそれを有しているのははやて達三人だけだと那美は述べた。

 

「私なら、問題ないですよ。今日のおっきな借りは、今日のうちに返しておきたいんで」

 

 アリサとすずかを抑え、はやてが役目を買って出た。

 親友二人は、下半身が不自由なはやてに、重荷を背負わせまいと渋ったが、少女の意思が堅い事を悟ると、それ以上口を出すことはなかった。

 

「なに、あんた。あいつらに借金でもあるの? そんなの踏み倒しちゃいなさいよ。わたしが許すわ」

 

「違うよ、アリサちゃん。はやてちゃんはいっぱい迷惑かけられているから、お礼参りがまだまだ残っているって言っているんだよ」

 

 アリサの理不尽な物言いと、すずかの得意げな誤解。

 それをわざわざ正す必要もないと、はやては口の端を弛める。

 今夜、はやてが救われたことに対する感謝の言葉も、その数倍もある日頃の恨み辛みもまだ伝えていないのに、いなくなってもらっては困ってしまう。

 だから、命を賭けることに躊躇いはない。

 たとえ賭けに負けても、アリサの言うとおり踏み倒してしまおう。

 それくらいの奇蹟なら、まだ十二時を回っていない現在、願ってもバチは当たらないだろう。

 シグナムは止めても無駄だと解っているのだろう、何も言わずはやてを抱きかかえ、横たわる仗助達の間におろしてくれた。

 他の面々、シャマル、ヴィータ、ザフィーラも、心配するような、それでいて無茶な主に呆れているような顔をしている。

 

 数刻まえ、足りているものが何もなかった絶望と比べ、今はあの二人以外のすべてが揃っている。

 

 だからはやては安心して、とても小さくて、吹けば飛ぶような絶望に飛び込んでいく。

 

 ●

「いい、はやてちゃん。あなたは、仗助君達の通った心の道を頼りに、それを辿って彼らを連れ戻してくるんだよ。だから、仗助君達の影響がその身に強く出るの。もしかしたらその世界では声や姿は今のあなたと全く違ったものになるかもしれない。それどころか、霧のような不確かな存在にまでなって、二人に気づいてもらうことさえ難しいかもしない。でも決して声を出すことを止めないで。諦めなければあなたの想いはきっと届くから。魂のみの世界では、それが何よりも力になるんだよ」

 

 那美の忠告を反芻し、はやては頷く。

 那美は巫女服の袖口から赤い糸を取り出し、己の小指に結ぶと、もう片方の端をはやての小指に。

 

「そしてこれが、はやてちゃんと私、つまりこの世界とを繋ぐ道標になるの。二人を見つけたら帰りはこの糸を頼りに帰って来ること。――もし、二人を見つけ出せなかったり、あなたが危ないと感じたら、その時ははやてちゃんだけでも必ず戻ってくること、いい?」

 

 最後の提案は、笑顔で無視し、はやては続きを待った。

 

「――最近の小学生ってなんでタフな子が多いのかしら。とにかく、何があってもこの糸はなくしたり、ちぎったりしないこと。じゃないと――」

 

 そこから先を那美は告げなかったが、おそらくあの世に行ったまま戻れないということだろう。

 あえて尋ね返すことはしない。

 

「じゃあ、準備はいい。あなたの夢を道に変え、それを二人と繋げて、精神を送り出すから、寝てくれる?」

 

 那美の言葉に応と返し、はやては目を瞑る。

 

 

――目蓋を開け言った、眠れない。

 

「ええっと、こればかりは私にもどうしようもないんだけど。はやてちゃん、ガンバ!」

 

 可愛らしく両拳を胸に応援してくる那美。

 そんな年上の態度にイラッとした所為か、はやてはますます眠れない。

 一刻を争う状況、なのに焦れば焦るほど、晴れていく眠気。

 素直に眠れないはやてを助けてくれたのはやはり親友だった。

 

「はやて、ここは私に任せなさい」

 

 自分の出番だと、アリサははやての背に回る。

 

「アリサちゃん、急いでんか、お願い!」

 

 アリサの意図に気づいたはやては身を委ねる。

 

「はやてちゃん、行ってらっしゃい」

 

 親指を立てて見送ってくれるすずかはアクション俳優みたいで格好よくて。

 だからそれに笑みを返し、親指を立てる自分も格好よく、そして、すずかの瞳に映る、はやての背後から細腕を首に回すアリサも格好いいはずだ。

 

「必ず連れて帰るから、ちょっとだけ待っててな!」

 

 なのに、守護騎士を除いた魔導士達は、はやて達の日常よくある光景を、表情に畏怖を貼り付け窺っている。

 不思議に思ったが、尋ねるより前に、はやての首に圧力がかかった。

 

――アリサのバックチョークは、思いのほか早く、そして優しく、はやての意識を奪ってくれる。

 いつも、おいたをした仗助達を絞め上げるのと同じように。

 



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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 後編 3

更新です。どうしても物語の全容がわかるのが最終話付近になるのでわからないことはわからないままで我慢していただけるとありがたいです。







 おかしな夢を見た。

 

 知らない夜道を、一人歩いている。

 はやて達とのクリスマス会の後、帰宅せず、仗助と共にイルミネーション輝く街を見に繰り出したはずである。

 パンチパーマが妙に似合っている少年――億泰は小学生が一人でいるには不用心な時間帯なのに、特に焦ることもなく、堂々と道の中央を通る。

 知らない通りであったが、見慣れない風景ではない。

 一つ道を曲がって大通りに出ることが出来れば、すぐに目的地に着くことだろう。

 

――どこに行くつもりだったのだろう

 

 肝心なそれも道を進むうちに思い出すだろうと、気にも留めない。

 

――なにか起こらなかっただろうか

 

 一番新しい記憶は、はやての病室で皆でクリスマスを祝ったこと。

 そこからこの場所に来ることになった経緯も、憶えていない。

 なのに分からないことがあれば仗助に聞けばいいと考えることはしない。

 思考を放棄しているわけではなく、割り切っているといったほうが正しい。

 無鉄砲に厄介事に首を突っ込んでいる億泰だが、その実、振りかえり、仗助がついてきていることを確認してから意思を固める。

 ある種の依存関係。

 だから、現在の状況が分からないことよりも、仗助がいないことのほうが重要であった。

 

 なので道の先、赤いポストに背を預けている仗助を見つけると、小走りになるのもしかたない。

  

「億泰、お前はどこへ、行くんだ?」

 

 再会してすぐに、仗助が尋ねてくる。

 それは億泰が尋ねたかったことなのだが、聞いてきたということは仗助も道に迷っているのだろう。

 今来た道を戻るのも億劫だったので、進行方向のままに億泰は歩みを進める。

 だが、足音が一つしかない。

 振り返ると仗助はポストの前から一歩も動いていない。

 いつもなら、ついて来てくれる仗助が足を進めないことで、億泰は不安になった。

 

「別に道が間違ってるわけじゃないよ。ただ、僕は、もう進まなくてもいいんじゃないかって思ってるだけなんだ。億泰、お前はまだ走り足りないのか?」

 

 行くなら一人で決めて、一人で行けと、仗助は言う。

 それは突き放しているようで、それでいて、億泰のことを思っていてくれているようでもあった。

 

「なあ、億泰。最悪な終わり方ってどんなだろう?」

 

 仗助の問いかけ、それはとても大切なことだった。

 

「僕らに起こった奇蹟。二度目の人生を台無しにしないために考えなければいけないこと。それは何だと思う?」

 

 億泰は考える。

 

――楽しいこと、嬉しいことは一瞬で、それがあれば幸福だとはいえない。

 同じように、苦しいこと、悲しいことも喉元を過ぎれば風化していくだけ、それがあればかならずしも不幸というわけではない。

 それらは人生の道程にある、些細な輝きに過ぎない。

 

 ならば大切なのは道の半ばではなく終着点。

 

――だから、『己の一度目の死に様』を億泰は思う。

 

「ああ、僕もぼんやりとしか憶えていない。でも、億泰。それでも、残っているものがある。それが僕達が二度目の人生を歩む上での動力源になっているのは分かっているだろう。

それは決して、人生に満足したというものではなく」

 

――何も果たせなかったという後悔であった。

 若くして死んだであろう、一つ前の億泰達。

 心に刻み込まれているのは、幸せでも、不幸せでもない。

 精一杯、一生懸命、全力で生きてこなかったという悔しさ。

 

 行ってみたい場所、やりたい事、欲しい物、それらはきっと、どんな人生を歩いてきても、残ってしまうものなので無視できる。

 

 だけど、真剣に生きてこなかったという思いは、いつまでも、それこそ、今際の際、死んだ後ですら、億泰の背中にしがみついて離れない。

 

――だから、最悪っていうのは

 

「人生における障害に全力で立ち向かわなかったこと。きっと神様は、それをやり直させてくれるためにこの舞台を用意してくれたんだ。僕は勝手にそう思っている」

 

 抽象的な話であったが、億泰に反論はない。

 だが、なぜ今、そんな話をしなければいけないのか。

 

――億泰は問う。このまま走り続けていては駄目なのかと。

 

 仗助の言葉を借りるなら、億泰は全力で走っている最中なのだ。

 ぶっ倒れるほどの苦労を背負った、底抜けに楽しく、危なかっしい時間を過ごしている。

 

 困難な障害があれば、少ない脳みそを絞り華麗に隙間を通り抜けたり、時には壁を体当たりでぶち破ってきた。

 

――そんな楽しい日々をこれからも続けていくことに何の疑問があるんだろう。

 

「さっきも言っただろう。それは過程にすぎない。肝心なのは終わり方だって。いいか、知恵を使ってやり過ごしても、いつかは通り抜けられない壁が現れる。同じように、力技で打ち破っても、きっと跳ね返される日はやってくるだろう。その時になって、壁に囲まれたまま、その内側で力を出せず、心折れ、膝を抱えているなんて、それでいいのか?」

 

 ――それは、きっと誰もが経験する普通の人生なのだろう。

 だからこそ、特別なはずだった、楽しく生きている自分たちには似つかわしくない。

 けれどだったら最高の終わり方とは何なのだろう。

 

 困難に力を向けても、無数にあるそれらはきりがなく、一つ壁を打ち破って得られるのは一瞬の勝利のみ。    

 知恵で、かわし続けることも出来ず、いつかは心が折れ、満足することは出来ない。

 最期の最期に、胸を張って全てに全力で立ち向かい逃げなかったと誇ること、後悔なく満足し続けて人生を終える方法なんて存在しないのでは。

 かといって諦めて逃げても、それは前の人生と変わらない。

 

 ――では、最期まで、力一杯、生き続けるなんて無理な話なのか。

 

「違うよ、億泰。その方法は確かにある。なに、簡単な事だよ。目の前にある壁に走って飛び込めばいいだけさ。精一杯の助走で、頭から突っ込むこと。――そうやって、『壁に頭突きをかまして、首をへし折って死ねばいいんだ』 そうすれば、力を出し切れない後悔もなく終われる。そう、満足して生きる最良の方法ってのは、選べるうちに死に様を自分で決めるってことなんだ」

 

 説明を終えた仗助に、億泰は首を傾げる。

 仗助の言葉に賛同出来なかったからではない。

 

 ――なぜか迷子の二人が人生論を語り合っている不可解な状況に対してだ。

 

「そういや、なんで、そんなことを考えたんだろう? でも、そうだな。僕は向こうの道を行くよ。ついて来るかは億泰が決めな」

 

 そういって、先程は気づかなかったポストの脇の小さな路を仗助が指した。

 大事な相棒はけっして億泰を焦らせることをしなかった。

 いつもなら、何の躊躇いもなく、それこそ億泰は仗助の前を歩いていたことだろう。

 

――億泰はちょっと考えて言った、海鳴に行くと。

 

 そう答えたことに特に理由はなかった。

 しいてあげるのなら、身体が冷えてきたので、早く家に帰って温かいスープでも飲みたいというものだろうか。

 

 仗助は笑っていた。なぜだか億泰は悲しかった。

 

 

 ●

 

 億泰が踵を返そうとした時、ズボンの裾を引っ張られる。

 仗助の気が変わったのかと喜んで振り返るが、それにしては引っ張られた位置が地面に近すぎる。

 視線を下にずらしてみると、一匹の獣が億泰のズボンに噛み付いていた。

 それは小さな狸で、億泰は最近どこかで見かけた気がする。

 足を振り回し、撥ね退けようとするのだが、しっかり喰らいついて離れない。

 

「てめえ、この害獣、人間様の足をなんだと思ってるんだ。さっさと離れないと、保健所に叩きこむぞ!」

 

 億泰が脅す。

 だが、まるで理解でもしているかの如く、億泰の言葉の後に引っ張り目的だった狸のそれが攻撃に変わり肉に食い込む。

 

 しばらくして涙目になった億泰に満足したのかは分からないが、今度は仗助のもとに走り、同じように裾を引っ張った。

 意外に動物好きな仗助はされるがまま、彼のズボンに夢中になっている狸の後ろにそっと近づき、億泰は首をつまみ上げた。

 引掻かれないよう腕を伸ばし、顔から充分に狸を遠ざける。

 このまま、家路の途中、保健所に寄って行こうかと考えたが、それはさすがに面倒だ。

 だから、億泰は、動物好きな彼に、狸を差し出した。

 

「ああ、なんだ。一人じゃ寂しいだろ。こいつも連れて行けよ。さすがにザフィーラの代わりにはならないだろうけどな」

 

 仗助が大事に飼っている大型犬に比べたら小さく威厳もない狸だが、いないよりはましだろう。

 笑顔で受け取り、ペット慣れしている仗助は、狸の脇の下から腕を差し入れ、見動きがとれないように持ち上げる。

 自分の意志では前足後ろ足共に動かせないことに愕然とした様子で、狸が鳴き喚く。

 もう片方の手で仗助が背中を撫でるのだが、一向に落ち着く気配がない。

 野生動物が人間に慣れていないだけかと思ったのだが、先程、積極的に近づいていきた狸にしては、あまりに抵抗が激しい。

 それを不自然に思った億泰が、ようやくその理由に気がついた。

 

――億泰は親切心から、暴れる狸のその後ろ足、煩わしげに結ばれた『赤い糸』を千切ってあげた。

 

『大変、はやてちゃんの生命活動が薄弱になっていく! どうして治癒魔法の効果がないの!』

 

『シャマルさん、落ち着いてください。まだ、この糸を引っ張れば、彼女の魂を呼び戻すことが出来……なんで切れているの?』

 

『ねえ、すずか。はやてがうわ言で、億泰を罵倒しているんだけど、またあのバカが何かやらかし、た、の、よ、ねっ!』

 

 良いことをした。もしかしたら近いうち、億泰のもとに狸が恩返しに来るかもしれない。

 億泰は友人と別れ、光りさす道を歩き出した。

 

 

「――っていう夢を見たんだ」

 

 億泰の話を聞き終えたアリサ達の表情が強張った気がする。

 理由は見当もつかない。

 まだボンヤリする意識では、ここがどこなのかわからない。

 すぐそこにある海、見覚えのあるベンチから、海浜公園であるかもと当たりをつけていると、こちらを気の毒そうに見つめながら巫女姿の女性が億泰の手を握っている。

 那美が手を離すと、億泰の小指には赤い糸が結ばれていた。

 

「那美さん、準備は終わったの? じゃあさっさとやるわよ!」

 

 いつのまに後ろに回ったのか、アリサの声がすぐ耳元で響く。

 

「いい、億泰。今度は三人で帰って――いいえ、どんな手を使っても、最悪はやてだけは帰らせなさい。じゃないと、あの子が不憫すぎるでしょ、わかった? じゃあ行くわよ! って、こら、首周りに腕を差し込んで防御するんじゃないわよ!」

 

 億泰は本能で危険を察知し、アリサのバックチョークを阻止する。

 

 

『テスタロッサさん、ごめんね。緊急事態なの。さっき持っていた杖を貸してもらっていいかな?』

 

『――え、えっと、いいけど。バルディッシュ、セットアップ。でも、何に使うの、すず、か――』

 

 億泰とアリサの必死の攻防。

 二人の体格を考慮すれば、男子である億泰に軍配が上がりそうなものの、アリサの細腕に見た目以上の筋力があるのか、それとも彼女の技術が優れているのか、互角であった。

 そういつも負けていられるかと、かなりどうでもいいことに億泰は奮起する。

 

「アリサちゃん、そう、もうちょっと左側に固定してくれると位置がベストなんだけど。まあ、いいかな。危ないから動かないで、ね!」

 

 億泰は眼前、降り注いでいた街灯の明かりが遮られたことに気付く。

 いつのまにか締めることから、拘束することに移行しているアリサの腕。

 見上げれば、黒く光る奇妙な杖を上段に構えたすずかの姿が目に入った。

 

 ●

 

 少年は夢を見た。

 

 どこか見覚えがある、だけどやはり知らない道を億泰は歩いていた。

 痛む頭頂部を擦りながら、首を傾げる。

 この原因不明のたんこぶのせいかはわからないが、自分がなぜここにいるのか、どこへ向かおうとしているのか思い出せない。

 

 一番新しい記憶は、クリスマス会を行う病院への道で仗助と合流したこと。 

 直前になにか頼まれごとをされた気もするが、それを考えると、たんこぶの痛みがひどくなり、どうも従う気になれない。

 

 思考しながら億泰が歩み進めていると、道の先、赤いポストの前に仗助を見つけた。

 

「おーい、仗助! やっぱり、俺も一緒に行くぞ、って――」

 

 何故か口から出た言葉、その意味を考えようとするどころではない。

 ポストの前には仗助だけではなく、もう一つ人影があったのだ。 

 その上、その人影に仗助が襲われている。

 人影は身長から大人とわかり、小学生の仗助を腕力で抑えこもうとしている辺り、只事ではない。

 仗助に加勢するために走り距離をつめる。

 そんな億泰の頭上、放物線を描き、小動物が飛んでいった。

 

 

 争いに巻き込まれ投げ飛ばされた害獣は『もうどうにでもしてくれ』といった諦めの表情を浮かべていたように見えたが、億泰に狸の気持ちなどわからないので、ただの想像にすぎない。

 

 小動物に対する非道な行いを許せなかったのか、仗助が体当たりをしかけるのだが、それより先に人影の振り下ろした凶器が彼の頭に命中する。

 言葉を発することなく仗助は崩れ落ちた。

 それを確認した後に長髪を掻き揚げ、今度は視線を億泰に固定する。

 胸騒ぎがする。

 

「はん! お、俺は、テ、テメエのことなんか、全然怖くねえぜ、バ、バーカッ!」

 

 ――本当は、すごく見覚えのある凶器がとっても怖かった。

 

 

 ●

 

「皆、三人が目を覚ましたわよ!」

 

 アリサは右腕を肩から上げ、手のひらを、すずかと打ち合わせた。

 明るい声と乾いた音が夜の公園に響く。

 

 仗助達の友人であるアリサ、すずかに加え、守護騎士達の表情から険しさが抜けた。

 それは、クラスメートでしかないフェイトも同様で、安心から力が抜け、その場に座り込む。

 すぐ横で、肩を並べていた高町なのはは良かったねとこちらを気遣う笑顔を浮かべてくれた。

 それにフェイトは安心し、アースラ襲撃事件で、暴漢から助けてもらった礼すら言っていないことを思い出す。

 礼どころか、ほんのすこし前に、洒落にならない雷魔法をフェイトは少年たちに叩き込んでしまったのだ。

 詫びは時間が経てば経つ程にその誠実さを風化させ、罪を大きくすることをフェイトは知っていた。

 

 立ち上がり、大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。

かける言葉は、まず体調を気遣うもの、そしてアースラでの感謝、最後に死亡一歩手前まで追い込んだことに対する謝罪。

 指折り数え、内容のぶっ飛び具合に挫けそうになるのだが、フェイトは己を鼓舞し、気を引き締める。

 

「身体機能に異常なし。仗助君たちの健康状態に問題はありません。これなら、病院で治療を受ける必要もないわね。はやてちゃんも意識はしっかりしているし、心配いらないわ――って、そんな二人共、まだ一応安静にはしていないと」

 

 念の為にと魔法で三人の状態を確認していたシャマルの制止を聞かずに、仗助と億泰が歩き出す。

 だが体調がすぐれないのか億泰はすぐに立ち止まり、地面に腰を下ろしていた。

 そんな億泰を残し、仗助は皆の顔を見回してから、まだふらつく足取りでフェイト達のいる方に向かってきた。

 邪魔になってはいけないと、フェイトとなのは左右に移動し、道を開ける。

 だが、仗助が立ち止まったのは左に避けたフェイトの目の前だった。

 少年は睨めつけるように、フェイトの頭から爪先まで観察する。

 よく考えれば、クラスメートであるのに自己紹介すらしていないことを思い出す。

 フェイトがクラスメートであることすら気づいていないのかもしれない。

 フェイトは、まず己が何者であるかを二人に伝えなければいけないのだ。

 

「――君か?」

 

 

 だから首を縦か横に降るだけで答えられる質問は、フェイトの想像と少し違っていた。

 

「あ、あの、私はフェイト・テスタロッサって言います。今年度から二人のクラスメートで、以前にアースラで」

 

 それでも、フェイトは生真面目に最初に建てた順序どおり、自己紹介から始める。 

 

「どういたしまして」

 

 それを遮る仗助の答えに、フェイトは聞き返す。

 

「よくわからないけど、とりあえずどういたしまして――それよりちょっと、この指のこの部分を見てくれるかな?」

 

 フェイトが感謝を伝える前に、仗助は受け取りの言葉を返してくる。

 不審に思うべきなのだが、それより先に相手の指示に律儀にもフェイトは従ってしまう。

 仗助が指示したのは彼の右手。

 曲げた中指を、親指に引っかけ輪を作っている。

 フェイトにはそれがどういった意図なのかわからない。

 もしやこの次元世界特有の風習なのか。それならばと、言われた通りじっくりと観察しようと更に顔を近づける。

 

 フェイトの頭蓋骨から小気味良く甲高い音が響いた。

 

 

「――あ、あの――すごく、イダいよ」

 

 その場にしゃがみ込んでいたフェイトは立ち上がり、両手で額を抑えながら涙目で訴える。

 戦闘で受ける痛みとは別種の衝撃。致命傷にはいたらないのだが、防御をする暇すら与えない無慈悲な一撃は、どういった拷問なのか。

 

 

 

「ん、それでチャラにしてやる。女性に『スタンド』で攻撃はしない主義なんだ。君は運が良かったね」

 

 仗助は用は終わったと、守護騎士達の方へ歩いて行く。

 スタンドとはリンディが用意してくれた学習机にあるあれのことだろうか。

 彼の『電気スタンド』で殴る宣言に、フェイトは冷や汗を流していた。

 心配して駆け寄ってくる使い魔のアルフを、大丈夫だと手で制す。

 フェイトにとってこの痛みは当然のものなのだ。

 すごく、すごく、とても痛かった。

 それでも、フェイトが雷撃を撃ちこんで致命傷にまで追い込んだことを許すには、吊り合わない。

 だから、きっとこれはこの町に来てからフェイトが沢山もらった優しさと同じもの。

 結局まだ何も伝えていないことに気づき、慌てて仗助の背中に頭を下げる。

 

 

「あ、ありがとう! それと、ごめんなさい!」

 

 仗助は一度だけ振り返り、そのままシグナム達と話を続けていた。

 その素っ気なさは、フェイトへの気遣いなのだろう。

 

――罪悪感は消え、フェイトの気持ちは軽くなっていた。

 

 なのにアルフの方を見ると、難しい顔をしている。

 不思議に思い、フェイトは彼女の視線を追った。

 

 視線を辿るとフェイトに手招きをよこす億泰の姿があった。

 

――フェイトの気持ちは重くなった。

 

「フェ、フェイト。あたしが代わりに行こうか?」

 

 従者の進言に首を振ったフェイト。歩き出す彼女の靴音は弾まず、低いものだった。

 

 ●

 

 億泰は無言だった。

 フェイトが両手で額を隠したまま彼のもとに走ってきたからだ。

 別に罰を逃れようというわけではない。

 フェイトは自己紹介や謝罪、感謝を述べることで、痛みが引くのを待って欲しかっただけなのだが、すでに億泰は指で輪っかを作っている。

 フェイトの目は、億泰の顔とその輪っかの間を忙しなく動く。

 覚悟を決め、両手をひらき、まだ赤い額をさらけだす。

 目を閉じ、両拳を握り、震えながら身構える。

 

「あー、そこまで、ビビられるとやりにきいな。――わかった、いいよ。今回は勘弁してやる。ったく、俺って優しいよなぁ」

 

 彼の言葉に、フェイトは焦る。

 ここまで罰を軽くしてもらったのに、それすら免除してもらうなど虫が良すぎる。

 撤回してもらおうと、フェイトは目を開いた。

 

 フェイトの頭蓋骨から小気味良く甲高い音が響いた。

 

 ● 

 

 二度目だろうと痛いものは痛い。特に不意打ちは。

 のたうち回るフェイトは、去っていく億泰に気づく。

 

「――あ、ありがとう。あと、ごめん、なさい」

 

 地面に尻を付けたまま頭を下げたため土下座に近いのだが、痛みが判断力を奪っていた。

 罪を考えれば軽すぎる罰なのだが、それとは別に、だまし討ちされたことで釈然としない感情が生まれる。

 だが、これで謝罪は一応なされたのだと、フェイトは気にしないことにした。

 

「おーい、そこの金髪の子。そう、アンタのことや!」

 

 ベンチに座る闇の書の主に声をかけられた。

 フェイトの身体が条件反射で震え上がる。

 はやてから罰を受けるいわれはないのに、仗助達のこともあって過剰反応が出る。

 フェイトは深呼吸してから、手招きするはやての方へ。

 途中、嫌な予感がしてフェイトは足を止めた。

 

「え、えーと。何か用事ですか?」

 

 警戒し、先に用件を問う。

 

「あ、うん。もうちょっとこっちに来てんか――私、足が不自由なん。手間かけさせて、ごめんな」

 

 はやては謝罪の言葉の後に、悲しそうに己の脚を示した。

 失礼なことを言ってしまったと反省し、フェイトは彼女に近づく。

 

「ところであんた、野球のボールみたいに、投げ飛ばされたことってある? あれって、普通に空を飛ぶ何倍も怖いんやで。――そう、もう少し顔を私の前に近づけてくれると助かるわ。ああいったことのお返しはちゃんとせな、あかんと思うんよ。――あれ、顔にゴミが付いてるよ。そこじゃなくて、そっちでもなくて。ああ、もう、取ってあげるわ」

 

 はやてが手を伸ばしてきた。

 フェイトはゴミが取りやすいようにはやてに顔を近づける。

 だが、はやての腕はフェイトの顔を通り過ぎ、後頭部にがっちりと固定された。

 

 後ろに首を振ったあと、勢い良くはやての額が迫ってくる。

 

――人を疑うことを覚えようと、フェイトは思った。

 

 そしてはやての頭はとても硬かった。

 悲しくないのに出てくる涙を拭いながら、抗議のためにじっとはやてを見つめる。

 

「これで私も、チャラでいいよ。恨むんやったら――を恨んでな」

 

 はやての言葉は、頭の鈍痛と耳鳴りでよく聞こえなかった。

 

 

 仗助と億泰、そしてはやての無事が確認されたことで空気が弛緩する。

 集団はそれぞれに気心がしれた者達に分かれていった。

 なのは達アースラ魔導士組は事件の事後処理を話し合い、その隣、はやてと守護騎士は、アリサとすずかの質問攻めに苦笑いを返していた。

 二組の話し合いから少し離れた芝生の上に残りの一組が陣取っている。

 

 学ラン、学帽の男、空条承太郎は腕を組み、煙草を吹かしていた。

 徐々に煙草が短くなっていく。

 承太郎はその時間を相手への猶予としているのか無言である。

 

 だが言い訳、説明のために与えられた時間を、仗助は濡れて乱れた髪型を手櫛で直すことに精を出し、隣の億泰は噛んだチューインガムを膨らましては、破裂させ、膨らましては破裂させることに忙しい。

 承太郎の話に集中していないのではなく、そもそも聞く気がないということを態度で如実に表している。

「――で、ガキ共。今夜、起こった事件にお前らはどう関わっているんだ?」

 

 表情は変わらないのだが、いい加減焦れたのだろう、承太郎は煙草を踏み消した。

 承太郎の眉間の皺が深くなっていくのは、いつのまにか仗助の口からもガム風船が膨らんでいるためだろう。

 承太郎は掌で拳を包み骨を鳴らした。

 風船が破裂するたびに人工的な甘い匂いが辺りに広がる。

 一触即発といった空気に耐え切れず声を出したのは、この中で一番まともな神経を持っている者だった。

 

「空条君もちょっと落ち着いて、大人げない態度は取らないの! 二人がまだ小学生だって分かっている? 仗助君達も、今夜起こった事件は、冗談じゃ済まされないんだよ。 知っていることがあったら素直に話してちょうだい、お願い」

 

 最後の一人、赤袴の那美は、承太郎には毅然として、仗助達には精一杯優しく諭すように対応する。

 承太郎は舌打ちをして拳を収める。

 那美の誠実な態度が通じたのか、少年達は顔を見合わせて頷いた。

 

 

 ――そして仗助達は踵を返し公園の入口に走って行く。

 

 

 ――袴姿に見合わない速度で那美が追いつき、タックルをかました。

 

 

 



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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 後編 4

  ●

 

「少々、口の滑りを良くしてやる。今夜の事や、この町で起こった他の騒動の話もそれからだ」

 

 承太郎が近づいてくる。

 

「ちょっと、那美さん。この大人、小学生に暴力をふるうつもりだよ! 黙ってみていていいの?」

 

 何某かの疑いは持っているのだろうが、決定的な証拠、確信に至るまでのそれを与えたつもりはない。

 仗助の懇願が聞こえないのか、那美はすまし顔で袴に付いた土埃を払っている。

小学生にしては立派な体格であるとはいえ、二メートル近くある承太郎の前では文字通り子供同然。

 だからといって大人しくしていられるはずがない。

 どうにかタイミングを見計らって再度駆け出そうと仗助は試みる。

 だが、仗助はバランスを崩してその場に勢い良く尻餅をついてしまう。

 承太郎の鋭い眼力に怯えたからではなく、呆気にとられる彼らの横を走り抜けていく相棒に突き飛ばされたからだ。 

 

「ああっと、那美姉ちゃん。悪い! 今夜はどうしても外せない大切な用事があるんだ。すっげー大事なお客さんが来る予定だから、俺は帰らせてもらうよ。こいつは置いていくから、後は勝手に話し合ってくれよなー」

 

 言葉の最後は距離が広がったので小さくなっていく。

 億泰の裏切り行為から我に返った那美は逃すまいと駈け出した。

 

「って、こらー待ちなさい! 大事なお客さんって、誰なの? 待たせてしまうようなら、私が一緒に謝ってあげるから。――はぁ! 待たせてるのはサンタさんって、大丈夫。億泰君のところには絶対来ないから、ちょっと止まりなさい!」

 

 繊細な子供ならトラウマになりそうな発言で那美は億泰を追い回す。

 注意が逸れた。

 仗助はゆっくりと後ずさり、方向転換をする。

 

「おい、急いで帰る必要はないぜ。――テメエのような悪ガキのところにもサンタは来ねえだろうからよ」

 

 仗助の進路に心ない大人が立ちはだかる。

 

――不快だった。

 

 仗助はこの男に何一つ危害を加えていない。

 後ろをつけ回されることすら許容してあげた。

 

 なのに今度は、僅かな疑念だけで、大人顔で不躾な尋問をし、仗助達より優位な立場にいる――と勘違いしている。

 

 仗助は警察官である祖父から学んだのだ。

 理不尽には立ち向かうべきだということを。

 右腕に力を込め、肩から大きく二回転させる。

 

「どうやら、素直に言う事を聞く気はないみたいだな。しかし、仲間を置き去りにしていくだなんて、いいダチを持ったもんだな」

 

 承太郎の皮肉にその通りだと頷き、仗助はズボンのポケットに手を突っ込む。

 真冬の外気に手がかじかむからという理由ではない。

 ただ態度が悪く見える以外にメリットはなく、両腕が素早く使えないので転んだ時には怪我をしやすい。

 不良ですら喧嘩となれば、両手を出している。

 だが戦うと決めたのならば、自身の腕など何の戦力でもない。

 それを教えるため、そして必死に隠し通してきた秘密をさらけだすのは何よりも承太郎の鼻をあかすため。

 そして示すのだ。

 これが仗助の臨戦態勢である。

 

――戦いに際し、自身の肉体を行使しない。それはすなわち、精神力で物質に直接の影響を与える者――スタンド能力者であるということを。

 

 少年の肉体、頭部が、肩が、腕が、二重に見える。

 仗助の身体から染み出してきた影が、一回り二回り大もきくなる。

 異形、精神の発現、『幽波紋』クレイジー・ダイヤモンドが姿を見せた。

 所々にハートを模った意匠、頑強な体躯、そしてなにより、仗助と同じ自信に満ちた眼差しは承太郎を睨みつけている。

 

 スタンドの出現に恐れ慄いているだろう様子の承太郎を、仗助は鼻で笑った。

 

 ●

 承太郎は驚いていた。

 眼前の少年が操る見覚えのある屈強なスタンドにではない。

 少年が得意気な顔でそれを見せびらかしていることにだ。

 最初は小学生には不釣り合いなその力を誇示しているだけだと誤解したのだが、どうやら、承太郎が、『今の今まで。怪しいことこの上ない。決定的な証拠以外のボロは全て出してきた、とても迂闊な小学生の正体』それに全く気が付かない愚かな人間であると思っているようなのだ。

 目が曇っているのか、脳みそが腐っているのか、あるいはその両方か。

 大人が小学生を何度も追い回すことなど、確信がなければ行わない。

 常人であれば気付く事実が全く目に入ってない仗助を見ると、承太郎の中に一抹の不安がよぎった。

 スタンド使いの強さは意志の強さによって決まる。

 それを承太郎は、凶悪なスタンド使いとの戦いの旅を経て理解した。

 当然、承太郎は己の中にある正義の刃を、確固たる信念を持つ己の強さを知っている。

 それを仗助が持っているかは、一見しただけで判断できない。

 意志の強さとは曲がらないこと。

 戦いの年季を積んだ老獪極まる老いぼれ、仲間のために自らを犠牲にできる占い屋、妹の復讐を不屈の精神で成し遂げたとぼけたフランス人、そして前足を一本失いながらも承太郎達を敵の本拠地まで案内してくれたコーヒー味のチューインガムが好物の犬。

 思い浮かべたその誰もが強力なスタンド使いだった。

 

 ならば仗助の中に彼らと似た信念を感じたから承太郎は不安に思ったのか、そうではない。

 強固な意思にはもう一つの側面がある。

 そしてそれを持ち合わせた存在に承太郎は幾度となく苦しめられた。

 それは、思い込みの激しさである。

 信念にどんな悪意にも耐える力があるようのと同様、思い込みにもそれらに抗う力があった。

 そもそも思い込みの頑なさは、耐える以前に、悪意だけでなく誠意すら届かないこともある。

 己を正しい、己が強いと信じて疑わない人間の強さはうんざりするほどだ。

 まして、その頑なさとスタンドの相性は最悪なほど、最高だ。

 凶悪という言葉が似合いすぎるかつての敵達と、仗助の姿がかぶる。

 ならば眼前の仗助の強さも未知数。

 仗助の眼に宿る戦意と頑なさに、承太郎の油断は消える。

 仗助が一歩踏み出せば、承太郎も同じだけ距離を詰める。

 

――互いの拳が届く距離になって笑った仗助の顔が、今度はいけすかない祖父のものに似ていると感じた。

 

「――やれやれだぜ」

 

 承太郎は、仗助に血のつながりを思い出し、そして厄介事をすべて押し付けてくれた笑顔の祖父を恨み、握る拳に力を込めた。

 

 

 ●

 

 仗助が雄叫びを上げ、クレイジーダイヤモンドが右フックを繰り出す。

 轟音を鳴らし、承太郎のスタープラチナに向かってくる拳を避け、カウンターの右ジャブを合わせた。

 それを可能にしたのはスタープラチナの高い動体視力、精密性などではなく、まして承太郎が積み重ねた戦いの経験でもない。

 承太郎が不可思議に思うほど、破壊力にしか重きを置かない見え見えの大振りだったからである。

 クレイジーダイヤモンドに叩きこまれた一撃をフィードバックしたため、仗助の鼻から一筋の血が垂れてきた。

 仗助の視線には非難するような色が見える。

 戦いの最中なので、お門違いもいいところだ。

 だがよく観察すれば、恨みがましい視線は承太郎を追い越しその後ろに注がれている。

 

「合図は送っただろ、何やってんだ! なんでさっきと同じことが出来なくなってるんだよ。この鼻血はどうしてくれるんだ、億泰!」

 

 承太郎が振り返れば、すぐ後ろ、一メートルの距離もない場所に億泰がポケットに手を突っ込み立っている。

 そして宙には、彼の物だと思われるスタンドが、¥のマークの入った左手を振り上げた状態で停止していた。

 那美を撒いてきたのか、彼女の姿がない。

 

「ち、ちげえよ! 俺はたしかにこいつのスタンドに後ろからザ・ハンドの拳を叩き込んでやろうとしたんだ。な、なのに急に躰が動かなくなっちまって! ど、どうなってるんだ。仗助、助けてくれえ!」

 

 金縛りにあったと、青い顔で億泰は助けを求める。

 よく目を凝らしてみれば気づいたことだろう。

 ザ・ハンドの各関節部に、緑色の紐が巻きつき、力の流れを阻害している。

 

 

「ふう、異変を察知して急いで走ってきたんですが。この様子では、終わってしまったようですね、承太郎」

 

 申し訳無さそうにサングラスを外しながら頭を下げた、承太郎の戦友の最後の一人。

 先程、思い浮かべた仲間たちの中に彼――花京院典明の顔だけなかったのは、承太郎が忘れていたわけでも、嫌っているわけでもない。

 

 ――丁度、公園の入口に走ってくる特徴的なウエーブの前髪が目に入り、思い浮かべる必要などなかったのだ。

 花京院の遠隔操作型スタンド『ハイエロファントグリーン』がその躰の下半身を紐に変え、急襲しようとする億泰のスタンドを拘束している。

 彼の存在に気づいたからこそ、承太郎は油断などせず、無防備な背中を晒していたのだ。

 

「なに、舞台には立てなかったが、一番面倒くさい後始末には間に合ったんだ。問題ねえぜ」

 

 それに『舞台』に間に合わなかったのは承太郎も同じこと。

 文句をいう筋合いはない。 

 

「うがー! 躰に巻き付くな! このマスクメロン野郎が!」

 

 拘束しているものの正体に気づいた億泰が怒声を上げ、力技で外しにかかる。

 気付かれた以上、近距離パワー型のスタンドを完璧には拘束する力のないハイエロファントグリーンは、躰を引き千切られる前に逃げ出す。

 花京院のスタンドは億泰を回りこむように避け、本体の元に戻ると、編み込まれていき、完全な人型に集合する。

 億泰の言葉通り、その頭部の形状は網目のある翠の果実に酷似していた。

 

「たしかに、この後始末は厄介そうですね。どうしてこのような状況に?」

 

 億泰の頭越しの質問。

 成り行きとしか言いようが無いのだが、あえてそれは言わない。

 

「――ただイタズラを叱るだけだ。ガキの躾は大人の責任なんでな」

 

 だからもっともらしい理由を承太郎は選んだ。

 納得したわけではないのだろうが、溜息を付いた花京院はスタンドを構える。

 

「だったら、なあ億泰。糞みたいな頭の硬い、鬱陶しい大人に反抗するのは――」

 

「――ああ、真面目で勤勉な俺達、子供の義務だ!」

 

 仲良く軽口を突き合わせ、自信に満ちた二人の少年。

 少年達は後ろには進まず、前に足を踏み出す。

 逃げることを諦め、覚悟を決めたようだ。

 そしてその意思の塊が、承太郎と花京院に襲いかかった。

 



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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 転換

更新遅くなって申し訳ない。 物語が終わりに向かってるために難しく、空いた時間でつまりながらですがちょこちょこ書いています。




 □

 きしむような躰の痛み、花京院は膝をついてしまう。

 トレードマークの前髪は乱れ、顔にはいくつも青あざがあり、唇の端からは切れてしまったのか血が垂れている。

 街灯の明かりを頼りに辺りを探り、サングラスを拾い、掛ける。

 このような夜間にもかかわらず外さないことを考えると、目に障害があるのだろう。

 だがサングラスの右レンズが砕けていることに気付くと顔をしかめる。

 傷ついているのは顔だけではない。

 学生服はところどころ破け、砂で汚れている。

 修理では間に合わず新調することになるだろう。

 花京院は視線を上げ、同じようにボロボロになっている戦友を見た。

 承太郎自慢の改造学生服は胸の部分が大きく裂けており、やはり買い直すしかない。

 いつも頭に載っているはずの学帽を探しているのだが、見つからないようだ。

 諦め、近くのベンチにゆっくりと腰を下ろした。

 承太郎はズボンのポケットを何度も確かめる。

 おそらく煙草を探しているのだろう。

 激しい戦闘の影響で、落としてしまったのだ。

 花京院が、近くの芝生に転がっているのを見つけ放ってやる。

 礼も言わず受け取ると、先程とは反対のポケットに手を入れた。

 承太郎は舌打ちをすると、受け取った煙草を箱ごと握りつぶし、近くのゴミ箱に投げつける。

 

――お気に入りのライターも失くしたようだ。

 

 腹立ちまぎれに投げた紙製の箱は、ゴミ箱を大きく通り過ぎ、芝生に転がっている少年の一人に当たる。

 普段であれば、ぶつけられたことに対し必要以上の抗議をしているであろう少年達は何も言わない。

 

――煙草をぶつけられたのはどっちだろう。

 転がる少年達を見てそう思ったのは、花京院が忘れっぽいからではない。

 二人の少年の面構えが、見分けがつかない程よく似ていたからだ。

 もちろん、二人に遺伝子上の繋がりはない赤の他人である。

 

 ――だから見分けがつかないというより、誰だかわからないほどにそっくりなだけだった。

 殴られすぎて信じられない程大きく膨らんだ頬。

 もはや瞳が隠れるほど青く腫れた目蓋。

 そして分厚くなった唇のおかげで、双子になってしまった仗助と億泰。

 仰向けになり、大の字に躰をなげだしている。

 花京院が、転がった煙草をゴミ箱に入れなおすために近づくと、何やら恨み言でも吐きすてているようなのだが、腫れ上がった頬のせいで、理解できない発音になっていた。

 

――小学生にここまでやる必要があったのだろうか。

 

 そう問われれば、花京院も承太郎も即座に頷いていることだろう。

 四肢が痙攣し、逃げ出せないでいる二人を放って、花京院は承太郎の座るベンチによろよろと歩いて行った。

 

 

 そもそも承太郎が海鳴市を訪れたのは、ある人物の安否を知るためであった。

 ジョースター家の宿敵である吸血鬼の復活。

 その影響によりジョースター一族に連なる者に、超常の力が発現する。

 吸血鬼と戦う上で、それは強力な武器となるが、制御できない者にとっては毒ともなる。

 承太郎に祖父ジョセフ・ジョースターが恩恵を受ける一方、母であるホリィには植物の棘の形として発現し、蝕んだ。

 承太郎達は余命を宣告されたホリィを助けるために日本を発つ決意をする。

 だが、出発の時になってジョセフが寄り道を提案した。

 どこか歯切れが悪い祖父を怪しく思い、問い詰める。

 結果、承太郎は祖父の年甲斐もない浮気と、年下の叔父の存在を知ることになる。

 

 祖父の行いに呆れはしたが、その子供も母のようにスタンドの暴走に苦しめられている可能性がある。

 根底には正義感が流れる承太郎が見過ごして置けるはずもなく、ジョセフに同行した。

 それが東方仗助との出会いであった。

 幸いなことに、仗助は健康体であった。

 子供らしく外で遊びまわっている様子に、ジョセフをも胸を撫で下ろす。

 ジョセフは自分が父親であると名乗り出ることはしなかった。

 この年頃の子供に浮気だとか、認知がどうとか、生臭い事実を伝えるのも酷な話である。

 道を尋ねるふりをして少しの交流を持つ程度に収める。

 ジョセフは初めての親子の会話に感動しているようだったが、その息子はというと終始、胡散臭いと不審者に向ける瞳をしていた。 

 承太郎の危惧した通り、仗助が教えてくれたのは間違った道順だった。

 たかが、子供のイタズラに承太郎は腹を立て追いかけたりはしない。

 だからたまたま正しい駅への途中で仗助達を見つけたことも幸運だったのだろう。

 承太郎が目撃したのは、仗助とその友達の少年が、大人の男達に、車に押し込められているところだった。

 走り去っていく車を追いかけるが間に合わなかった。

 だが仗助を誘拐する人物には心当たりがある。

 奴らがどうやって仗助の存在を知ったのかは知らないが、承太郎達に対する人質にする気なのだろう。

 ジョセフのスタンドの念写能力を使い行方を探し、大人二人の足で、急ぎ仗助達の救出に向かった。

 もっとも、承太郎達が駆けつけた時にはすでに警察が現場にいて犯人たちを締めあげていた。

 ジョセフの念写以上に早い警察の到着、救出された少年達のどこか余裕のある態度。

 腑に落ちないものがあったが、出発を急ぐ必要のあった承太郎は確かめることはせず、空港に向かう。

 離陸する飛行機の内部に、舞い込んだ紙切れ。

 承太郎達の旅を支援する目的としか思えない情報が書いてあった。

 

 それを調べるために、吸血鬼を倒し、旅が終わった後も、またこの海鳴を訪れることになる。

 そしてこの平穏な都市でいくつかの事件に巻き込まれて、承太郎は仗助達がスタンド能力が目覚めていること。そして時期的にあの助言の紙を寄越した人物であると推測したのだ。

 こうして事件が終わった今、そもそもの目的も一辺に解決できた。

 

「ふう、なかなか大仕事だったよ。しかし、これで彼らが悪人ではないことを確認できた。

まあ、悪ガキではあったがね」

 

 スタンド使いであるかどうか、そしてスタンド使いであるならば、その強力な力を扱うにふさわしい人間かどうかということだ。

 ことさら善人である必要はないが、悪党に持たせておくには危険すぎる力だ。

 それを見極めるために、今の戦いは無駄ではなかった。

 全力で承太郎達を叩きのめそうとしていたが、致命傷になるようなものは一つもなく、眼や喉、金的などといった破壊されたら後遺症が残る部位への攻撃も控えている。

 それは相手への気遣いにほかならない。

 超えてはいけない一線を自分に課している辺り、人を踏みにじることをなんとも思わない悪人ではないようだ。

 それは承太郎達も一緒で、だから最後まで抵抗する少年二人を、殺さずに動かなくなるまで殴るハメになってしまったのだが。

 

「花京院、一つ間違っているぞ」

 

 概ね同意はするが、指摘はしておく。

 

「なにがだい? ムカつくガキだったが、悪人というには――」

 

「悪ガキじゃない。クソガキだ」

 

「――承太郎、君も似たようなものだと思うがね。――おっと、このまま、彼らを放っておいたら風邪を引いてしまう。治療と説教に適した暖かい場所は――ふむ、どうやら君の言う通りだ。あの往生際の悪さは確かに、クソガキだ」

 

 ――花京院の視線の先に目を向けると、傷ついた相棒を担いだ億泰が走り逃げていくところだった。

 

 ほんの少し目を離した隙に逃亡を図ったらしい。

 あそこまでギタギタにしたのだからといった油断もあったのかもしれない。

 足音を立てずにゆっくりと歩いていたのだが、二人に気づかれたとわかって億泰は足を速める。

 一気に捕獲するには難しい距離まで離れたことを確認するとこちらに向き直った。

 

「てめえら! 今日はよくもやってくれたな! 大の大人が、いたいけな小学生二人にムキになって恥ずかしくないのか? ああん!」

 

「ふ、ふごー! ふご、ふが、ふごご!」

 

 いつの間にか元通りになった顔で、億泰は罵声を浴びせる。

 腫れたままの唇で必死に仗助が頑張っているのだが、何を言っているのかはわからない。

 

「いや、仗助。お前は喋らなくていいからな。その口じゃ、大声出すと痛えだろ? 俺が代わりに伝えてやるから。――おい、お前ら! 今から仗助の言葉を伝える。心して聞けよ!」

 

 仗助を背負い代弁までしている億泰を、承太郎達は友達思いだなと感心する。

 

「ふご、ふご!」

 

「まずそこの前髪ロン毛! 今度会った時にはその似合っていない頭を丸刈りにして、全裸で海鳴の海を遠泳させてやる。そしてその様子を写真に撮って、ネットにアップしてやるから覚悟しとけ!」

 

 仗助は一言二言しか発していないのに、やけに長い億泰の口上。

 デタラメを言っているのかと思ったが、仗助の両手の中指がしっかりと立てられているので、的外れでもないのだろう。

 

「そんで隣のホモに好かれそうなマッチョ。そうだよテメエだよ。仗助の身内だと思って手加減してやれば調子に乗りやがって、実力で勝ったと思うなよ。それと、いつ会っても学帽つけてるよな。てっきり禿げているんだと思ったがよ。いま見る限り、俺の勘違いだったな、悪い。だが、お前の学帽は似合っていると俺は思うぜ。――だから、お詫びとしてお前の頭、河童みたいに永久脱毛して、一生、帽子を外せないようにしてやるぜ。そんでお前の学校やご近所にハゲを隠しているって言いふらしてやる。喜べよ! って仗助が言ってるぞ」

 

 億泰は承太郎を指さした。

 今度の仗助は一言すら発していないが、両親指を下に向け首を掻っ切る仕草をしているので正解と言って差支えないのだろう。

 

「花京院、仕置きの内容が決まったな。どうやら丸坊主にするのと」

 

「河童ハゲがご所望らしいね。なに、人を散髪した経験はないが楽しそうだ。なんとかなるだろう」

 

 ベンチから腰を上げて、承太郎は花京院の横に並ぶ。

 それに合わせて、億泰は背を向け逃げ出した。

 

「空条くん、お説教は終わったのかな? はやてちゃんが仗助君達と話がしたいっていうんだけど」

 

 那美は諍いが終わったと判断したようで、少女達を連れて戻ってくる。

 承太郎達の戦いは一般人には認識できず、人間が不自然に吹っ飛んだり、叩きつけられたりしたように見える。

 事情を知らない少女達が遠巻きに観戦していてくれたのは那美のおかげのようだ。

 承太郎は、公園の入口に走って行く億泰の背中を指さす。

 那美は慌て口に手を当て、大声で少年達の名前を呼んだ。

 

『那美姉ちゃんのバーカ! その阿呆共に味方するなんて、この裏切り者。初詣は絶対に姉ちゃんの神社に行ってやらないからな。おぼえていろよ!』

 

『うん、年始は甘酒を無料で配っているから、億泰君も仗助君も、飲みにおいでよ。じゃあ、良いお年を!』

 

 億泰の悪態を無視し、那美は手を振って見送る。

 

『二人共、今日は本当に、本当に、ありがとうなー!』

 

 その隣、シグナムに胸の前で抱きかかえられたはやても全力で両手を動かしていた。

 去っていく二人に気づいたのだろう、フェイトも走ってきて見送った。

 

 そんな少女達を微笑ましいものを見る目で眺め、花京院が問うてくる。

 

「承太郎、説教はなしにして、逃してしまっていいのかい? まあ、これだけの人に感謝され、見送られていることは評価できる。それに、君の正体を明かしていないのに身内だって知っていた。十中八九、彼らのどちらかが、空港で情報をくれたスタンド使いに違いないと思うよ。それさえ分かればもう監視の必要もないだろうけど」

 

 花京院の言う通り、能力の確認もできたし、人間性にも及第点をつけてもいいだろう。

 だけども、それは仗助達を追わない理由ではない。

 

「なんだ、花京院。別にガキ共を追いかけて締めあげてもいいんだぜ?」

 

 承太郎が煽れば、花京院は苦笑いを返した。

 

――そしてその場にへたり込む。

 追いかけないのではなく、追いかけられない。

 精一杯の力で余裕がある風を装い立ち上がっていたのだ。

 それは承太郎も同じこと。

 もちろん大人の意地にかけて子供に負けるつもりはない。

 だが異様に早く回復していた億泰に気付かれれば、負けはせずとも二人の頭髪の無事も保証できない。

 ハッタリが成功したと冷や汗を流す花京院と、承太郎は顔を見合わせる。

 

「――くそったれ、あんな厄介極まりないクソガキを身内に持った奴は、どうしようもなく不幸だな!」

 

 承太郎は舌打ちをし、吐き捨てる。

 花京院は何とも言えず、ただ気の毒そうに苦笑していた。

 

 

「なあ、仗助。はやてが礼を言ってるんだが。――ああ、そんなわけないよな。悪い俺の聞き違いだ」

 

 背負っている仗助の、なにか感謝されるようなことをしたのか、という問いに億泰は勘違いだと認める。

 はやてを怒らせるような心当たりはあるものの、感謝されるような覚えは一欠片もない。

 去り際の大声は怒声だったのだろう。

 フェイトの方に関しては、感謝される理由があると教えてもらったのだが、こちらも全く心当りがない。

 思考に埋没していく億泰を呼び戻したのは肩に走る痛みだった。

 恨みがましく仗助に振り返る。

 目蓋の腫れで瞳こそ覗けないものの、億泰の肩に歯を突き立て噛み付いているので、怒っていることは、文字通り痛い程わかる。

 クレイジーダイヤモンドによって回復した億泰と比べ、仗助はいまだ痛みに蝕まれている。

 怪我の原因である承太郎達にはもちろん、自分以外の怪我しか治療できないといった己の理不尽さにも腹を立てているのか、憤懣やるかたないといった様子だ。

 このままでは、健康体である事を理由に、億泰にまで因縁をふっかけてくるやもしれない。

 自分の身を心配する億泰を無視し、仗助は腫れた唇での器用な発音方法を見つけ、恨み言を吐いていた。

 

「――この報いはッ、償わせてやるッ。必ずッ。僕が、何十年かかっても。奴らが幸せの絶頂に、駆けつけ。必ず台無しにしてやるぞ!」

 

 両手をわなわなと震わせて、耳元に低い声で呟かれると、億泰の背筋が寒くなるので勘弁して欲しい。

 

――だけど、その恨み言で一つだけ引っかかりを覚えてしまった。

 普段なら、億泰は気にも留めはしなかっただろう。

 自分でも理由はわからない。

 だが、どうしても気になり、億泰は尋ねた。

 

「――なあ、仗助。本当に『何十年』かかってもいいのか? じゃあ、『これを』終わらせなくてもいいんだよな?」

 

 なぜ時間を気にしたのか、これが何を指しているのか、終わりとは何なのかはわからない。

 

「馬鹿野郎! 億泰は許せるのか! 無抵抗の子供に暴力を振るって、居丈高に振る舞う大人らしからぬ態度を。絶対に終わりになんてしてやるもんか! 僕達の手であの二人を地獄のどん底に叩き込んてやるんだ! いいな!」

 

――大事ななにかが戻ってきた。

 仗助を背負う億泰の足取りが早く強いものに変わっていく。

 それを了承の合図ととった仗助は、誓いを立てる様に拳を突き上げた。

 

 皿の上には饅頭が一つしかない。

 分け合うことを友情だという人がいる。

 だが、一つしかない饅頭を奪い合い、勝った者が得られる魅惑の味。

 羨望を向けてくれる相手がいるからこそ、互いを思い、分けあった半分の饅頭にも劣らないものになることだろう。

 結局、あの夢の中で、億泰は、仗助がいなくなることを寂しく思ったわけではなかった。

 億泰が楽しんでいるこの世界を仗助が否定したことが悲しかったのだ。

 億泰が極上の饅頭を食べている横で、それに何の価値もないとゴミ箱に叩きこまれてでもしたらどうだろう。

 美味しい饅頭も、味わう気分になれはしない。

 楽しい物を見せびらかしあい、優越感を感じること、そんな友情も確かに存在するのだ。

 

 ――まだ多い人通りの中心を、怒った顔で拳を突き上げる一人と、嬉しそうに笑顔で彼を背負うもう一人。

 今宵迷い込んだ不思議な世界については特に疑問を持つことはなく、海鳴の街を二人は歩き、救急箱を求めて家路を急いでいた。 

 

 

 

 勇気とはなにか。

 本やテレビの中のヒーローは日夜、強大な悪役に立ち向かうことで子供達にそれを示してくれる。

 悪が大きければ大きいほど、ヒーローの反撃に子供達は胸をときめかせる。

 だが、巨大な敵に立ち向かうだけでは、勇気とは言えない。

 十九世紀、凶悪な吸血鬼との戦いに散ったイタリア人の男は言った。

 闇雲に強大な敵に立ち向かうだけでは、意思なく人間の血を吸おうとする蚤と変わらない。

 本当の勇気とは、恐怖を知ること。

 そして、それを克服し、支配すること。

 敵がどれほど醜悪で残酷で強靭であろうと、人間は本能からくる恐怖を抑え、立ち向かうことが出来る。

 男はそれこそが本当の勇気であり、それを持ちえる人間を讃える歌を歌った。

 

 人間の本質は幾つ時代が過ぎようとも変わらない。

 

 ならば、海鳴市での事件、この聖なる夜にもっとも大きな勇気を示したものは誰なのだろうか。

 それは超常の力、スタンドをその身に宿す二人組の少年だろうか。

 だが彼らは決して恐怖を知ろうとはしなかった。

 盲目に自分を信じ続けられる強さを持つ少年達にとって、恐怖が何であろうと、それこそ、地獄からの魔王であろうと、凶悪な殺人犯であっても等しく無意味なものにしてしまう。

 それが善行であるうちは愚かだと決めつけられないが、勇気ではないだろう。

 

 ならば、夜空を駆け、闇の書という脅威に、魔導の杖を従え立ち向かった少女達だろうか。

 少女達は立ち向かう相手の強大さを痛感し、それでも怯むことなく友のため、家族のために戦った。

 敵の強さを知り、そして歩みを進めた彼女達の胸には確かに輝く勇気があった。

 だが少女達は賢かった。

 だから恐怖に対し、最も効果的な手段を実行出来たのだ。

 

 それは、仲間の手をとること。

 決して、一人では立ち向かわないこと。

 何も力を合わせて相手を上回ればいいと言っているのではない。

 たとえ合わせた力が蚤の一噛み程度のものだったとしても、握った手は孤独を遠ざけ、恐怖に打ち勝つ武器になる。

 共に戦い、共に死んでくれる誰かが隣にいる。

 それは恐怖を小さくしてしまう最も賢い方法だった。

 

 友と仲間と常に一緒であった少女達に必要だったのは、大きな勇気ではなく、種火になる程度の物でよかった。

 

 つまり、大きな勇気とは、敵がとてつもなく巨大な悪だと理解し、それでもたった一人、孤独な戦いを強いられたものが必要とするものなのだ。

 

 

――この夜に起こった事件、その最後の一つ。

 知る者の少ない、孤独な戦いを語ろう。

 この夜の出来事で唯一、思い遣りがなく、殺意で溢れる人殺しの事件を。

 

 ただ、ややこしい事件なので起こった出来事を順番に並べていくことにする。

 ところどころ、時間が飛んでいるかもしれないが、それは仕方がない。

 なぜならこの事件の当事者ですら全ては把握していないのだ。

 事件について一番の理解を示しているのが、全てが終わった後に問答無用でその当事者を『本』にして、喜々として『読んだ』漫画家だというのが笑い話にもならない。

 

 では、『時系列順』で正しいのかはわからないが、最初に起こったその出来事から説明しよう。

 

 ●

 

 すでに日は落ち、もうそろそろ子供が一人で出歩くには適さない時間。

 そんな街中を一人早足で歩く少年がいた。

 つい最近、魔法使いを始めた幼なじみと、彼女の親友の少女。

 そして幼なじみの兄姉を加えた五人で開いたささやかなクリスマスの宴を楽しんだ帰り。

 選ぶのにかなりの時間を掛けて、それでも気に入っていもらえるかどうか不安だったプレゼントも喜んでもらえて、少年は大満足で街を行く。

 なのはの幼なじみである真が向かっているのは、自宅ではない。

 駅を挟んでちょうど反対側にある一軒家を目指しているのだ。

 そこには、数カ月前に仕事の都合で引っ越してきた母の弟が暮らしている。

 小さい頃から、といっても今でも十分小さいのだが、よく真と遊んでくれた。

 口下手ではあったが、幼い子供に真剣に付き合ってくれる叔父を真は大好きだった。

 

 並ぶ他の家よりも古めかしい、悪く言えば罅が入ったボロい壁の門を抜けて、玄関の前に立つ。

 人付き合いの悪い叔父にクリスマスの予定はないと決めつけた優しい母が、我が家のホームパーティーに出席させるというので、真がサプライズで迎えに来たのだ。

 寂しくテレビでも見ているであろう叔父は、可愛い甥を歓迎してくれることだろう。

 その喜んだ顔を想像し、真はチャイムを鳴らそうとした。

 

 何かに気づき、真はそっと扉に耳を近づける。

 家の中から叔父の話声が聞こえたのだ。

 叔父の声は普段とは違う熱を含み、家にいる客人の正体に容易に想像がつく。

 真は左手に持ったビデオカメラのスイッチを入れた。

 なのは達とのパーティーの思い出を残すために使ったのだが、容量はまだ十分に残っていた。

 不用心ではあるのだがよく利用している郵便受けの裏にテープで貼り付けられていた合鍵で、扉をそっと開ける。

 真は靴を脱ぎ、壁に背を預けながら廊下を歩き、リビングを目指す。

 大半は好奇心だが、叔父を祝ってあげたいという気持ちも少なからずある。

 リビングのドアの隙間からそっと覗き込んだ。

 薄暗い明かりは燭台に刺さった蝋燭のもの。

 叔父は料理が出来る方ではないので、テーブルに並んでいるのはデリバリーだろうか。

 こちらの顔が赤くなるほどに、叔父の愛の言葉は止まらない。

 隙間からは角度的に叔父しか見えず、テーブルの向かい側にいるであろう女性の姿は確認できない。

 だから叔父が手を伸ばし、彼女の手をとった時には真は盛り上がってしまって、ついドアに体重を預けてしまった。

 隙間の空いたドアに抵抗があろうはずもなく、真はそのままリビングに倒れこむ。

 イタズラが見つかったと真は誤魔化すように笑う。

 視線を叔父から横にずらした真には理解できなかった。

 だって、叔父の握った手は細く綺麗で、形の良い爪には紅いマニュキアが塗られていた。

 だからきっと叔父の相手は美人に違いないそう思った。

 でも残念なことに彼女が美人かどうか真には分らなかった。

 真に女性の美醜を判断できるほどの人生経験がないからではない。

 

――なぜなら、その綺麗な手は途中で千切れており、テーブルにある手首だけで、彼女の美しい姿を想像するしかなかったからだ。

 

 




短めですが、区切りが良いのでここで終わります。コメディが少ないので、書いていて慎重になってしまう。
次話はなるべく早めにを心がけます。


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ひとりぼっちの勇気 1

本当に全くコメディ要素のない回ですけど更新しました。そこが好きな人はすみません。でも都合上は入れなきゃいけない話でした。話の都合上、上手く切れなくて、一万字オーバーで更新するんですが、そのせいで次の話は短くなってしまいます。七千文字づつ、二話で更新できれば一番いいんですけどね。






 ただ叔父の家に遊びに来て悪戯心が顔を覗かせただけだった。

 だからこんな意味不明な状況に真は動揺する。

 叔父を問い詰めるべきか、それとも踵を返して一目散に逃げ出すべきなのか。

 少年は判断できず、その場で立ち上がることすらしない。

 

「身内が失礼をした。ふむ、愛しい君に紹介しておこうか。彼は私の大切な姉の息子で、愛するべき甥だ。ああ、二人の聖夜を台無しにされたからといって、怒らないでくれよ。まあ、怒った君もまた美しいので、私としては問題ないんだがね」

 

 叔父の口から出る歯の浮くような言葉の数々。

 普段であれば背中が痒くなるようなものだが、この状況では異常すぎる。

 

「ははっ、そのビデオカメラで私と彼女の愛を記録してくれるつもりなのかな?」

 

 余裕の表情でビデオに手を伸ばしてくる。

 真は危険を感じ、後ろに転がり庇うように懐にビデオを抱える。

 そしてもう一度叔父と、彼の握る手首の生々しさを確認した。

 それは玩具などのジョークグッズでは決してない。

 女性の手首、数カ月前この海鳴を舞台に起こった事件報道。

 真の優秀な頭脳が、理解したくもないことを教えてくれた。 

 

「連続猟奇殺人犯! 吉良、吉影――!」

 

 

 海鳴市で起こった若い女性のみを襲い、手首を収集する殺人鬼が目の前にいる。

 そしてどのような方法かは分からないがそいつは叔父の顔を貼り付けて、叔父として生活しているのだ。ならば。

 全てを理解した真の瞳から叔父を思う涙、そして言葉にならない吐息がこぼれた。

 

「ふむ、どうやらバレてしまったようだね。君は賢い子だな、本当の叔父さんの行方についても理解したらしい」

 

 涙の意味を理解し、叔父の顔でそいつは、叔父が絶対にしない表情で愉しそうに笑った。

 大切な家族と同じなのに、だからこそ吐きそうになるほどに嫌悪感しか湧いてこない。

 真は一歩ずつ後ずさり、入り口に移動する。

 

「ああ、それにその冷静さ。本当に君は賢い子だ。普通の子供ならパニックになり、無防備な背中を見せ一目散の逃走しようとするのに、私を警戒しながら、ゆっくりと逃げる機会を窺っている。――そうだな、それにその映像が私を破滅に追いやれるということを理解し、大事に確保しているのは、抗う意志があるということだ。どうだい、大声で泣き叫びでもすれば、誰かが助けてくれるかもしれないよ」

 

 吉良は薄ら笑みを浮かべ、真を挑発する。

 たしかにこのような状況で普通の子供なら、無防備な背中を晒して逃げ出すし、殺人の証拠などよりも、自分の命を優先する。

 いや、子供でなくとも、パニックを起こし、大した行動は取れないだろう。

 二度目の生を生きた真だから出来たのかもしれない。

 だがそれだけ。

 小学生に、成人男性を拘束する手段などない。

 今、真の手にある映像は、殺人犯を追い詰めるための刃にはなるが、少年を暴力から守る盾になりはしない。

 乾いていく口内、大声を上げて、助けを呼ぶことも考えたが、冬の外気の侵入を防ぐため閉じきった家の内からでは、隣人の家にまで確実に届く保証はない。

 せめて家の中心であるリビングからではなく、廊下でならば。

 攻撃ではなく、自分を守るために、手近にあった花瓶を投げつける。

 それに吉良が怯んでくれた間に、踵を返し全力で走りだす。

 

 ――だが、運悪く、いや真は恐怖していたのだ。緊張し、部屋の入口にあった電気コードを見落として、つまずき転んでしまった。

 

 すぐに起き上がればまだ間に合ったかもしれないが、転んだ拍子に飛んでいったカメラの安否を気遣い遅れてしまう。

 そして容赦なく伸びてくる殺人犯の右手。

 吉良の手には凶器はなかったはずだ。

 攻撃に耐え、逃げ出せるように覚悟を決める。

 

 ――だが、真の命を奪うための拳も、拘束するための腕も、何一つ飛んでこなかった。

 

「おいおい、大丈夫かい。さあ、これは君の大切な落とし物だ。受け取ってくれ」

 

 殺人鬼は拾ったカメラを真の掌にポンと置いた。

 

 ●

 

 そんな殺人鬼の奇行に驚いていたのは何も真だけではない。

 廊下に飛び出した真と吉良吉影、その二人を天井付近から観察している人間がいたのだ。

 いや、人間というのは正確ではない。

 上空にあったのは一枚の写真。

 風のない室内でゆらゆらと舞い上がっているそれの中には、寝巻き姿の頭頂部が禿げた老人が写っていた。

 ありえないことに写真の中の老人は左右に頭を移動させながら、慌てていた。

 写真の人物が動き出すことなど決していない。

 あるとするならば、それは超常の力、スタンド。

 

 老人の名は『吉良 吉廣』

 スタンド名は『アトム・ハート・ファーザー』

 

 苗字から分かる通り、数年前、癌により死亡した吉良吉影の実の父親、その幽霊だった。

 写真に写った空間を生命エネルギーごと隔離することが出来るスタンド。

 死亡後は己の魂を写真の中に閉じ込めて、こうやって息子の吉良の殺人を暖かく見守っている。

 

 偶然手に入れたスタンド能力を与える弓矢を使い、あの手この手で、あらゆる危険から息子を守ってきた。

 しかし今回ばかりは打つ手がないと諦めかけていたのだ。

 海鳴市での暮らし、吉影の穏やかなそれを決定的に崩壊させた二人の男女。

 空条承太郎、そして神埼那美。

 異常に鼻の効く那美と、圧倒的なスタンドパワーを誇る承太郎に吉影は追い詰められた。

 だが、隙をつき、瀕死の逃走。

 目をつけていたエステティシャン、辻彩の店を襲い、彼女のスタンドで、引っ張ってきた通行人と顔を入れ替えた。

 そして、入れ替わった本人を演じ、何も問題のない生活に戻ったはずだった。

 だが、ここで厄介な推察が上がる。

 なぜこうも簡単に吉影の正体がバレたのか。

 ほとぼりの覚めるまで、殺した女の手首を入手し弄ぶ趣味は控えようとしていた吉影が、我慢できずに手を出してしまった時にそれは判明した。

 一見、完璧な手際だった。

 通行人、そして過去、現在の自分にまるで接点のない女性を選び、誰にも目撃されない殺害現場を用意した。殺害後の死体でさえ、吉影のスタンド『キラークイーン』で爆弾に変えて木っ端微塵、痕跡の一つも残していない。

 だが、殺人から数十分後、現場から帰る歩道で、吉影は、見覚えのある急ぎ足の男女とすれ違っている。

 これで、答えが出た。

 

 ――神埼那美は、殺された人間の居場所がわかるスタンド使い、もしくはそれに似た能力なのだろう。

 中途半端な能力ではある。

 対象を自由に選べるならともかく、死んだ人間のみの追跡。

 だから顔を変えた吉影は安穏と暮らすことが出来たのだ。

 

 だがこの被害者を突き止める能力は殺人犯との相性が最悪だった。

 しばらくまた我慢の日々が続いたが、やはり限界にきた吉影は、海鳴の外での獲物の調達を行う。

 もちろん、那美の能力の効果範囲がわからない現在、承太郎達が普段海鳴市にいるからといって大丈夫だとはいえない。

 それに彼らが二人きりだとは限らないし、たまたま殺した獲物のそばに那美の協力者がいないとは限らないのだ。

 クリスマスの夜、これはある種の賭け。

 それに勝利して体に入れた至福の時間だった。

 海鳴から遠く離れた地で見つけた好みの女性。

 平穏な日々を送る地から遠く離れた場所で小さくなった彼女を捕獲しての殺人はどうやら那美に気づかれることはなく、もしくは彼女たちが現場に来る前に逃げおおせることができたのか。

 だが、良い目が出たあとの裏目。

 この少年が現れてしまった。

 当然、殺すことは出来ない。

 海鳴市内でのこと。殺せばたちどころに、承太郎達が現れ、真との関係からばれて吉影は終わりだ。

 だが、殺さなければビデオの映像で吉影は捕まってしまう。

 だから次善策は、ビデオを奪い、殺さずに真を拘束してしまうこと。

 

 ――だが、吉影は目の前の少年に命綱であるビデオカメラを手渡してしまった。

 

『おお、なぜなんじゃ! 吉影よ、早くそのガキの足をへし折り、拘束しろ!』

 

 吉廣は嘆き、息子に呼びかける。

 だが、吉影は一切の暴力を働こうとはしなかった。

 訝しがるが、警戒を解かず、真は後ろに下がる。

 そして懐から携帯を取り出した。

 

 

「ああ、そうか。電話の相手は警察か、それとも家族かな。誰かは知らないが一応、おまえに警告はしておいてやろうか。やめておけ」

 

 ようやく聞けた息子の楽しそうな脅し、だがそれを怯えととったのか、かえって真の決断を後押しした。

 三つのボタンを素早く押して、吉影から目を離さない。

 

 ――だが、それが繋がる前に携帯が独りでに二つにへし折れる。

 

 携帯以外に被害はなく真は無事だ。

 真は手の中、突然、逆向きに折れ曲がった携帯に意味不明なことだったろう。

 それ以上に吉廣は驚いた。

 スタンドの力があれば、携帯を壊すことなど容易いことだ。

 だが、スタンド使いである吉廣にすら、いつスタンドを使ったのか分らなかったのだ。

 本来、スタンドを行使するなら力ある幻像が確認できる。

 もし見えなかったとしたら、それは特殊なタイプのスタンドであるということ。

 だが、吉影のスタンドは近距離型で、その例外ではなかったはずだ。

 混乱する父親を残して、忌々しいと吉影は舌打ちをした。

 

 ●

 

「ああ、残念だ。どうやら君の携帯は『わたし』が壊してしまっていた『らしい』」

 

 吉良が何に対して落胆しているのか、そしてどうやって携帯を破壊したのか。

 その両方を理解出来ないことに、真の背筋は凍りつく。

 外からの干渉はなく、真の手のひらの中、見えない力が働き、破壊された。

 幼なじみの少女が使用する魔法と同じ、この世界に属しない力だろうか。

 推測している時間はなく、恐怖によって震える膝を、戦うためではなく生き延びるために無理やり抑えこむ。

 そして、助けを呼ぶべく――いや、ただの伸びてくる得体のしれない殺人鬼の手が恐ろしかっただけだ。

 それを必死に振り払って、走りだす。

 目の前にいる叔父の顔を持つ男はただの人間ではない。

 そこいらの隣人でしかない一般の誰かではだめなのだ。

 そう、自分も街も救ってれる特別な誰かを見つけなければ。

 未知の恐怖と、それに抗う理性。

 天秤にかけるには重すぎる現実。

 それを無視し、誰に助けを求めれば良いのか。

 その人はどこにいるのか。

 考えがまとまらないまま、目指す場所もなく少年は夜の街に消えていく。

 

 ――それを逃がしたはずの殺人鬼は、顔を歪めることはなく、ただゆったりと彼を追って歩き出した。

 

 ●

 幸せとはなんだろうか。

 それは、巨万の富を得ること。

 絶世の美女を傍らに置くこと。

 そんな誰もが羨むことなのだろうか。

 それとも、平凡ながらも、互いを理解し合える伴侶を作ること。

 豪勢な食卓ではなく、食べ飽きたお袋の味。

 きっとそのどちらも幸せであるのだろう。

 人によっては頂きに上がっていくその瞬間、そして頂上で見る景色を幸せとするものもいれば、傾斜のきつい登りもなく、深く空いた谷底も通らない、そんな平穏こそ幸せだというものもいる。

 この聖夜、ほんの少し前に『首を絞められ死んだはずの少年』を追いかける男――吉良吉影は後者だった。

 激しい喜びはいらない。その代償として絶望から遠ざかる。動物としての生き急いだ一生ではなく植物としての平穏を享受する。

 それが吉影の望む人生だった。

 そんな慎ましやかな彼の人生のたった一つの楽しみ――それは魅力的な女性から美しい手首を分けてもらうこと。ささやかな楽しみを根こそぎ奪っていったのは、憎き、神埼那美、空条承太郎だった。

 彼らは、海鳴市に暮らす吉影をあと一歩というところまで追い詰めた。

 最悪なことに、家に保管していたその当時の『恋人』が彼らの手に落ちたことにより、警察にまで追われることになる。

 吉影に備わった超常の力『キラークイーン』――触れた物を爆弾に変えるスタンド能力によって、今までの『恋人』達は手首以外の証拠の一切を残すことなく木っ端微塵にしてきた。だが、その一人との『別れ』が承太郎達の手によって破滅的なものになったのだ。

 平凡な人生に必要な、住居、社会的地位、それに付随する労働、その大半を奪われた吉影が逃げ延びることが出来たのは、幽霊になってもそばに居てくれた父のおかげ。

 父――吉良吉廣は息子の殺人性癖を理解し、守ってくれた。

 吉廣は海鳴市に住むスタンド能力者の大半を把握していた。

 その中から、窮地を逃れるために必要な者を選び出し、吉影は女性を幸せにすると評判のエステ店に駆け込む。

 そこで、店主であり能力者である辻彩を脅迫し、彼女の力で、道で適当に拉致した男性と顔を『交換』した。

 そう、顔を代え、街の人混みに紛れる吉影を補足することは出来ず、承太郎達から逃げおおせるはずだった。

 だが神埼那美の能力が、逃げ果せたあとでも吉影の行動を縛り付け、恋人探しを制限する。

 その後も父は、『弓と矢』を使い、承太郎達を倒すための能力者を見つけ、彼らを苦しめていたらしいのだが、吉影はその詳細を知らない。

 それ以上に吉影が、恋人との逢瀬を渇望し苦しんでいたからだ。

 若い女の肌を裂きたい。切り取った手首を舌や口内で舐りつくしたい。

 麻薬ですら、峠を越えれば衝動は薄れていく。

 だが吉影の欲望は時が経てば経つほどに濃厚で、狂おしい物に変わっていった。

 食事はストレスで何度も戻し、頬がこけて、日に日に睡眠時間が短くなっていく。

 我慢の限界を迎え、殺人犯は一世一代の賭けに出た。

 厄介な那美の能力の範囲外であると信じ、海鳴から遠く離れた地で新しい『恋人』を作る。

 手首を奪い死体を爆破しても、承太郎達に足どりを掴まれることはなく、賭けには勝ったはずだった。

 新たな恋人との甘い聖夜の逢瀬。

 恋人のために、手料理を振る舞い、血のように赤いワインで喉を潤す。

 

 ――しかし、それは開始からわずか十分で終わる。

 

 無粋な闖入者――吉良吉影が奪った顔の持ち主、その甥である少年によってだ。

 少年の手にあったのはどこにでもあるビデオカメラ。

 そのレンズは吉影と手首の仲睦まじい姿をしっかりと写していた。

 

 そこから先の事は詳細には覚えていない。

 気がついた時には、絞殺された少年の死体が転がり、吉影は己の爪をかみ、動揺を抑えようと必死になっていた。

 

 少年を生かしておくことは出来なかった、がそれが最悪の事態への引き金になることも予想できた。

 それでも、大声をあげ、助けを呼ぼうとするその声を、吉影は恐れたのだ。

 隣家の人間がほんの少しでも不審に思えばアウト、拘束しなければならない者が増える。

 彼らをキラークイーンの力だけで、生きたままという条件で、拘束することは不可能に近い。

 焦る吉影、少年の喉を締めるスタンドの両腕に必要以上の力が入ってしまのだろう。

 

 その結果、得たものといえば、ほんの少しの時間。

 それすらも、玄関にのドアを乱暴に叩く音で、終了する。

 

『ああ、なんということじゃ! 不味いぞ、吉影よ。奴らがやってきた!』

 

 奴らとは誰なのか。

 そんなものは決まっている。

 承太郎と那美のことだ。

 早すぎる到着は、何の偶然か。

 タイミングが悪くこの家の近くにいたのだろう。

 

 次に吉影が取った行動は、ただ人さし指と中指の爪をしゃぶるように噛み続けること。

 吉影の爪が割れ、血が噴き出している。

 子供の頃から動揺した時、喚いたりせず、その代わりに見せる癖。

 たとえ、いま玄関の扉の前にいる二人と対峙すれば、それだけで吉影はすべてを失うことになる。

 たとえ、二人を殺すことができたとしても、その際の戦闘の痕跡は残ってしまう。

 

 それに携帯電話で、すぐに吉影の情報は承太郎の仲間や警察に伝えられることだろう。

 

 顔の割れた吉影は一生追われ続けることになる。

 キラークイーンは強力なスタンドだ。だが、一度漏れた情報までどうにかする手段は持たず、決して万能ではない。

 人の命を弄んできた殺人鬼に、ようやく絶望が届けられるのだ。

 

 ――今宵は聖夜、人の口からは神に捧げる祈りの歌が。

 そして祈りはこの一夜に、これから様々な奇跡を呼び寄せる。

 

 ――それは、両足が不自由な少女の、世界の終わりを願う悪夢だったり。

 

 ――それは、魔導の杖を抱きしめた黄金の少女が、見送ってあげられなかった母と顔しか知らない姉と過ごすあたたかな楽園だったり。

 

 ――はたまた、終わりを願った張本人のくせに、素知らぬ顔で家族と一緒に世界を守った、満面の笑顔の車椅子の少女だったり。

 

 ――なぜか、海で瀕死で見つかった男の子たちのために、命を賭けなければいけないと、意気込む三人の少女たちの固い決意。そして都合よくそれを可能にした一人の巫女がその場に居合わせたこと。

 

 そのどれもが、何か一つかけていれば絶望にかわっていた。きっとその偶然は、たしかに聖なる夜の奇蹟だったのだろう。

 

 

 だが、皮肉なこと。

 この夜に始まった奇蹟の大安売り。

 それを誰より先に手にした幸運な人間はここで震え上がる殺人鬼だった。

 

『吉影よ、何をしておる! もう、何をしても無駄じゃ、今は全力で逃げるしかない! あの女、神崎那美は、警察とも繋がりあるようじゃ。死因を偽装することもできんし、そんな時間もない。今ここで運良く、あの二人を始末することが出来たとしても、その時間で、奴らの応援が駆けつけることだろう。四面楚歌、大勢のスタンド使いや警察に逃げ道を潰されること。そのような状況になるのだけは避けるんじゃ。今は、耐え忍んで――』

 

 父の切羽詰まった忠告。

 

 ――だが、耐え忍んでどうなるというのだろう。

 この状況から逃げ切れたとしても、まっているのは、常に警察や、承太郎達の追跡の目に怯え続ける逃亡生活。

 

 吉良が望む、静かで穏やかな安心の人生。

 そのささやか幸せを諦めろというのか。

 

「――まるか、諦めてたまるか! 私は、決して! この海鳴での平穏を逃したりはしない!

 いいか! 絶対にだ!」

 

 霊体の父が封じ込められている写真を掴み、吉廣に、そして自分に言い聞かせる。

 父は聞き分けのない息子を憐れむように涙を流し、それでも再度説得をと、体温のない死人の手を吉影に伸ばした。

 

 ――吉廣のパジャマの裾から黒い矢がこぼれる。 

 

「は? な、何が!」

 

 吉廣の疑問の声は、勝手に動き出し、吉影の左手に刺さった矢――スタンド能力を発現させる力をもったそれが、寄生虫のように、皮膚の下を移動していくことへの驚きだった。

 

 腕に潜った矢は、そのまま吉影の首筋、頸動脈を横切る。

 

「カハッ! な、こ、これ――?」

 

「こ、これは一体? 吉影をスタンド能力者に変えた時のように、再び矢が、吉影を選んだのか?」

 

 ただ、『矢』が吉良吉影を貫いた。

 それ以上のことは起こらなかった。

 

 ――文字通り、そこから後には何もない。

 

 だから語ることは何もない。

 これがこの夜の終わりだった。

 世界はそこまでだったのだ。

 

 ――そう殺人鬼吉良吉影が追い詰められた一度目の世界は。

 

 

 そして今、吉影の眼前には逃げていく子供の背中がある。

 

 吉影が『知っている』通りの『時刻』に、吉影と恋人との逢瀬を邪魔し。

 吉影が『一度見たことのある』恐怖を滲ませたその顔で、必死に『少年自身、初めてになる』『何度目かの』殺人鬼への抵抗を続け、助けを探す姿がそこにはあった。

 

 

 それが、殺人鬼の執念が発現させた奇蹟の能力――第三の爆弾、バイツァダスト(負けて死ね)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 □●

 

 触れたものを爆弾に変える第一の能力。

 

 小型の戦車のような姿、熱源を探知し、自動的に追尾、自身を中心に爆破する遠隔自動操縦の特性を持つ、キラークイーンの一部。第二の爆弾『シアーハートアタック』

 

 そして今宵手に入れた、時間を吹き飛ばす最強の第三の爆弾『バイツァダスト』

 

 これらが揃い、キラークイーンはあの窮地をひっくり返した。

 

 この吉良吉影が絶望した時にだけ発動する新たな能力で、殺人鬼は爆風に乗って時間を遡る。

 真っ青になって死んでいたはずの偽の甥っ子は、元気よく、またあの扉から転がり込んできた。

 起ってしまった最悪を、全てやり直しにする反則じみた力。

 

 スタンド使いではない一般人にキラークイーンを憑依。

 そしてその人物の意志に関係なく、彼が吉良吉影のことを口にしたのを聴いたもの、彼から情報を得ようとするものは、皆、それがどんな力を持つスタンド使いであろうとも、瞬きもできないほどあっという間に爆殺する。

 そしてその爆発は、一時間という時を巻き戻すのだ。

 

 吉良を追跡する者にとっては避け得ぬ罠。

 追い詰めるために集めたはずの情報の中にこれを混ぜるだけで、彼らはこの世から一人もいなくなるのだ。

 

 しかもその時間に失われた物、そして命は『運命』として固定される。

 一度、バイツァダストの発動中に、死んだものや壊れたものは、何度、時が巻き戻ろうとも、壊れた時刻が訪れる度に、何の原因もなしに再び壊れる。

 たとえば、それは、まだ能力のことを理解していなかった吉影自身が慌てて壊した少年の携帯電話だったり、はたまた、某次元航行艦の艦長が大事にしている湯のみだろうと、一度壊れてしまえば、赤子を扱うようにどんなに大切にしても前触れもなく砕け散ってしまう。

 

 これは吉良吉影にとって、都合の良すぎる力。

 

 デメリットといえば、繰り返す時間を吉影が認識できないこと。

 発動中は、憑依された者を、殺人鬼自身を含む外敵からすら守るために、吉良吉影本人を守るスタンドがなくなり、無防備になってしまうこと。

 

 だが、これらは特に気にする必要はない。

 吉影を追う者達は、問答無用で攻撃を加えてくる悪人ではない。

 目の前にいるのが、殺人鬼であるという確信を得るまで強行手段は取れず、情報を集めることを優先する生ぬるい正義の味方たちなのだ。

 

 一緒にいる甥っ子を指して、こう言えば良い。

 

『私はこの子の叔父です。疑うのならこの子に確認してみてください』と。

 

 それだけで、時間は巻き戻り、死体が増えていく。

 

 

 そして繰り返す時間の中、少年がせっせと死体を積み上げてくれる。

 

 ――そう、海鳴に、吉良吉影の平穏が戻る時まで。

 

 だから、今はゆっくりと、少年の視界に常に自分が見えるか、見えないかといった速度で、彼の後を追えばいい。

 

 そうしていれば助けを探す少年はきっと、吉影のために、承太郎や那美を死体に変えてくれることだろう。

 隠し切れない笑みをしまうために、右手で顔をほぐす。

 それでも邪悪なそれは消えはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ●□

 

「どういうことだ? 人がいない?」

 

 そう吉影がポツリと呟いたのは、偽りの甥である真を追いかけて、街の中心、駅に向かう途中の事だった。

 

 街に明かりは存在する。

 クリスマスの電飾なども有り、普段よりも明るいくらいだ。

 だが、それを楽しむべき人間が何処にもいない。

 

「それに、響いているこの破壊音は、一体?」

 

 途切れることのない澄ませなくてもわかるその音は、大小繰り返し、吉影の耳に届いてきた。

 あれは、なにか光がビルの合間を飛んでいるのか。

 この距離ではそこまでしか判断できず、進むべきか、戻るべきかどちらが最良なのか。

 

 そうしている間にも、肩で息をし、真は必死に走り続ける。

 明かりがついているのに、やはり誰もいないビルの外階段を真は上がっていく。

 あの空の光が、危険なものなのか。

 そしてそれは、触れるべきではないものなのか、それとも放置しては不味いものなのか。

 高いところならば確認できるかもと、吉影も少年のあとを追う。

 

 ビルの屋上。

 そこから見えたのは、光を纏い空を駆る、二人の少女と。

 それを撃墜せんと、光線を放つ、銀色の髪の女だった。

 

 ――あれは何なのだろうか。

 

 吉影は言葉を失う。

 殺人鬼の力とは違う、陰惨としたもののない、気高くあたたかい生命の光。

 屋上の柵に寄りかかった真も目で追っているので、不可視であるはずのスタンド能力以外の物か。

 しばし呆けていた吉影は、逃げ場のない真がこちらを睨んでいるのに気づく。

 

「吉良吉影! ここからなら、彼女の力を借りられる。俺に手を出そうとしても無駄だぞ!」

 

 敵意に満ちた瞳。

 彼女とは空を飛ぶ、三人のうちの誰かなのだろう。

 

 真は先程までの恐怖に引きつった顔ではない。

 飛行や光線を放つ謎の力。

 たしかに彼女たちが敵に回れば、吉影を倒すことも可能かもしれない。

 少年の強気も理解できる。

 

 ――もっとも、『敵に回る』ことさえ出来ればの話なのだが。

 

 それを理解せずに、こちらを睨む真は、滑稽な事この上ない。

 

「ふむ。君はまだこの『無敵』のバイツァダストについて理解していないのかな? 携帯が壊れたということは一回は時を繰り返しているはずだ。少なくとも今は二周目より多いはず。君は理解力のある子供だと思っていたのだが――懇切丁寧にこの能力について説明をしてあげたほうが良いのかな?」

 

 空の上、吉影達に無関係な戦いを続ける彼女たちは、こちらのことに気づいてはいない。

 真が大声で呼び掛けないかぎり、巻き込まれることもないだろう。

 

 吉影は、少年に手を出さず、じっと見守る。

 空に浮かぶ彼女たちが何なのか、好奇心はある。

 だが吉良吉影が静かに暮らすためには排除するべきだろう。

 じっと少年が彼女たちに助けを叫ぶのを待った。

 

 ――だが、少年は下を向き動こうとしない。

 

 何だ、いまさら声も出ないほど怖気づいたわけでもあるまい。

 首を傾げるも、圧をかけるため、彼のもとに一歩踏み出してみる。

 

「――きゅ、う、は、ち」

 

 すると、俯く少年の口から小さな声が漏れている。

 

「何だ? 助けを呼ぶならもっと大きな声を出すべきじゃないか?」

 

 吉影は最初、それを少女達へのものだと思った。

 

「――ろ、く、ご――している」

 

「何だって? もう少しボリューム上げてくれないか」

 

 ――顔を上げた少年と、殺人鬼の視線が交差した。

 

「――理解している。さん、に」

 

 そこで気づく。

 少年が俯いていたのは腕に巻いた時計を確認するため。

 

 ――ゼロ

 

 カウントダウンよりも早く、少年が走る。

 逃げるためにではなく、吉良に向かって。

 

 助走をつけた、頭からの体当たり。

 

「っく! 何のつもり、だ!」

 

 大人と子供。

 体格差のある吉影を吹き飛ばすことは出来ず、それでも不意を疲れ数歩よろめいたせいで、右手の柵に押し付けられた。

 だが、それだけ。

 そこから柵を超え、吉影を落とすことなどできるはずもない。

 

「ふん、これで終わりか? まあ、子供にしては頑、張っ、」

 

 少年の抵抗を嘲笑うつもりだった吉影の言葉が止まる。

 真が笑っていることに気づいたからだ。

 

「おい、何がおかしい!」

 

「理解、している。って言ったんだよ」

 

「何?」

 

「だから、おまえの能力については、『懇切丁寧に』過去のおまえが教えてくれたって言ってるんだ! そっちこそ、理解力がないのか!」

 

 腰に抱きつき、今度は少年が殺人鬼を間抜けと罵る。

 そこで初めて、吉影は真から注意を離す。

 小さく憐れな羊でしかなかった少年を収めた視界を、上に向ける。

 驚愕し、その場を離れるため、少年を突き放そうとするが、真はそれを許さない。

 

 

 ――吉良と真の頭上、歪曲し、落ちてくる紫の魔導の光が二人を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●

 だが、屋上の二人は無事だった。

 

『っく、あなた達、こんなところで何をしているんですか! ここは危険です、早く逃げてください』

 

 そう警告を残して、すぐにフェイト・テスタロッサ、その場を飛んで離れる。 

 

 ――一般人である吉良吉影と真の二人。彼らに直撃するはずだった闇の書の砲撃魔法を、金の髪の少女はシールドで守り、言葉を返す暇もなく颯爽と飛び去っていく。

 

 

 二人のことを残して離れたのはこれ以上戦いに巻きないためなのか。

 

「ふふ、たしかに彼女は頼りになる。君だけじゃなくてこの私まで救ってくれたんだ! ああ! お礼を言いそびれてしまったね。今度代わりに伝えておいてくれないか。残虐非道な殺人鬼が感謝しているってね!」

 

 冷や汗を流した殺人鬼は、目論見が外れ絶望しているだろう少年を確認するために、視線を下げた。

 

「――吉良吉影、おまえはやっぱり理解力がないのか? じゃあ、俺も説明してやる。あの闇の書の攻撃は無差別にばらまかれたものの一つでしかないんだよ!」

 

 

 ――少年の瞳に抵抗の火は消えていない。

 

「なっ!」

 

 理解し、殺人鬼の顔から笑みが消える。

 

「だから、ここまでおまえを連れてきた。あの魔法は俺たちを狙ったわけじゃない」

 

 コンクリートの床に亀裂が走る音がする。

 

「そう、本当は、『誰もいない』この屋上に放たれたものだったんだ」

 

 真と吉影がいたから、フェイトは砲撃を防いだのだ。

 

 本来、『助けるべき人がいない屋上』、それをわざわざ守る心優しき魔法使いは存在しない。

 

 

「ああ、屋上に向かう砲撃を、『誰も防いでくれなかったんだよ』!」

 

 亀裂と亀裂が交わり、二人を支えていた床は一気に瓦解する。

 

「あれだろ。つまり、この屋上はおまえの言う破壊の『運命』で固定されたんだよな!」

 

 運命の力によって崩れていく屋上から脱出しようと、吉影は足を伸ばす。

 だが、彼のシャツの裾を、真は思い切り引っ張る。

 

 殺人鬼は少年を睨みつける。

 少年は、これから訪れる痛みに対する恐怖を押し殺し、目を見開いた。

 

 崩壊していく地面。

 

 ビルの屋上から二人は真っ逆さまに落ちていく。

 




バイツァダストって原作でも説明されていないところがあるのでそこは少し補っています。次回も読んでいただけると嬉しいです。


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ひとりぼっちの勇気 2

 
 更新遅くて申し訳ないです。
 感想返信も、次話投稿の際にまとめてするようにしていて、遅れました。

 この作品だけでなく、他の二次創作やオリジナル作品が皆様の暇つぶしになるように、これからも頑張ります。



 ★

 

「くはあっ! はぁ、はぁ」

 

 崩れた屋上。

 そのビルの下、落下した瓦礫が散乱する場所で、男は立ち上がる。

 まず屋上を見上げ、己が落ちた高さを確認する。

 手で額を擦れば出血が、呼吸が苦しいので吐いた唾液には血が混じっている。

 

 ――殺されかけた。

 

 承太郎たちのようなスタンド使いにではなく、ただの一般人、それも己が無力だとバカにしていた子供なんかに。

 あと、ほんの少しキラークイーンを出すのが遅れていれば。

 ビルの一階にあったビニール製のひさしに乗っかり衝撃が殺されていなければ。

 

 まず間違いなく吉良吉影はここで、潰れて肉塊になっていた。

 

 それを考え、背筋が寒くなる。

 そしてそれはすぐに羞恥と怒りに変わった。

 己の怪我の状態を把握するより先に、あの忌々しい弱い子供を探す。

 吉影と同じように瓦礫の間に埋もれていた小さな影は見つかった。

 

 多少汚れているようだが、一見して致命傷になるような失血は見られない。

 それでも、この高さだ。

 打ち付けられた衝撃で内側はぐちゃぐちゃかもしれない。

 少年の生死を確認しなければ。

 

 確かめるため、吉影は、寝たように動かない少年の腹に蹴りを入れる。

 蹴られた少年は仰向けにひっくり返り、苦しげに呻いた。

 

 ――幸運だ。

 

 それは、ビルから飛び降りても生きている少年のことではなく、この溜まった鬱憤をぶつける対象が残っていた吉影が、だ。

 

「おい、小僧、早く起きないか! 今の私は、おまえを起こすのもしんどいんだよ!」

 

 起こすことが目的なのか疑わしいほどの威力で、少年は蹴られ、踏みつけられている。

 暴力と口汚い罵声を浴び続けた少年は、転がり体を地面に打ち軽く嘔吐する。

 呼吸が苦しくなり、咽び、ようやく少年の目が開いた。

 

「――死、んでない?」

 

「ああ、共に生きていたことを喜ぶ気にはなれないが、ね!」

 

 焦点が戻った瞳に、無事な吉影を映し、少年の顔が歪む。 

 意識があることを確認し、彼の脇腹につま先をめり込ませる。

 

 ――そうだ。その顔だ。

 

 屋上で見た、吉影を対等だと錯覚し、勝てる相手に挑むようなものではない。

 吉影が殺してきた、無力な弱者の顔。

 口から、今日食べたであろうクリスマスのケーキを撒き散らし、のたうちまわる。

 

 弱者に出来るのは、滑稽に苦しみぬく姿で、吉影を愉しませることだけ。

 それが面白かったなら、生きている時間が長くなる。

 もっとも、これから死ぬまでの時間が長ければ長いほど苦しみは続くのだ。

 

 ――夜空に、雷鳴が響いた。

 

「そうか、あの正体不明な女のこともあるんだったな」

 

 また巻き込まれてはたまらない。

 このボロ雑巾のような甥を連れて、移動するべきか。

 安全な場所で詳細を聞き出せばいい。

 

 襟を掴み無理矢理に立たせる。

 吉影の口から出た『彼女』という言葉に、少年の瞳に意思が戻る。

 

「何だ、まだなにか、『彼女』で策があるのか? それとも、『彼女』が大切なお友達だからなのかな? だったら、叔父としてしっかり『挨拶』をさせてもらおうかな」

 

 殺人鬼の口角は異常なほどに釣り上がり、笑みを作る。

 

「――違、う。彼女は友達なんか、じゃない」

 

 かすれた声。

 それでも少年の反抗の意思はしっかりと伝わってくる。

 

「ああ、庇うために、嘘をついても無駄だ。大丈夫、おまえには、ちゃんと彼女の体が、ちりひとつ残さない煙に変わるところを見せてやるよ!」

 

 少年の瞳を見つめ返し、睨むことしか出来ないその無力さを嘲笑う。

 そして、また暴力で少年の意思を踏みにじる。

 また空を見上げると、吉影は乱暴に少年を引きずり連れて行った。

 

 今は潔く引こう。

 あの少女たちも承太郎と同じ敵だ。

 だから、未知を潰し、彼女たちの情報を調べつくし、誰にも知られないように消す。

 ゆくゆくはこの海鳴の街で、吉影の正体を探る者の全てを。

 

 ――それは綿密に慎重で労力が必要な、だが遠足の計画を立てるように、愉しい作業。

 

 誰に隠す必要もないのだが、吉影は手を当て、歪む口元を隠した。

 

 ――この先は誰に怯える必要もない。バイツァダストで無敵の吉良吉影になるのだ。

 

『あー、おじさん、ちょっといいですか? 僕、友達を探してるんですけど。すっげーガラの悪い、横を刈り上げた、短いパーマのダサい髪型の小学生、見ませんでした?』

 

 

 この無人の閉じた世界。空にいる彼女たち、それ以外には、吉影と真しかいないと固定概念があった。

 だから、向こうから歩いてくるこの頭に馬の糞を乗っけたような、ダサい髪型の、ガラの悪い少年の接近に気づけなかった。

 

 ガラの悪い少年は、不自然なほどに笑みを貼り付けて動かない。

 当然、吉影が引きずっている真も目に入っているはずだ。

 

 ――吉影は次に口にする言葉を慎重に選ぶ。

 

 それは少年の背に浮かぶ一つの影のせい。

 幽鬼のような人型のシルエットが筋肉で膨れた腕を組み、少年を守るように待機していた。

 目の前にいる少年が、吉影の正体に気づいていないはず。

 しかし、疑いくらいはもっているかもしれない。

 頬に付いた血を、袖で拭い、吉影は少年に対峙する。

 

 ――それが殺人鬼と、クソガキ、いや、この時点では、悪ガキとの邂逅。

 

 ――そして、この出会いも、聖夜の奇跡の中の一つに数えられる。

 

 

 

      ●

 

 相変わらず、人の気配が極端に少なく寂しい、夜の世界。

 

 異常な空間において、その少年はただ吉影をじっとを観察しているだけだった。

 目が合って以降、距離を詰めようとはしない。

 吉影は辺りを確認し、彼以外に人がいないことを確かめる。

 

 この場で少年を始末することも考えたのだが、相手の強さ、能力もわからな状況では一抹の不安が残る。

 吉影は慎重な男であり、それでここまで生き延びてきたのだ。

 

 そもそも、この少年が吉良吉影の敵かそうではないのかわからぬその状態での攻撃は、いらぬ厄介を呼びこむことになりかねない。

 厄介事とは彼に仲間がいる場合。

 もしくは、この場で目立ち、吉影の敵である承太郎達に存在を知られること。

 その上、ビルの屋上から落下した怪我。

 今は興奮状態で痛みを抑えこんでいられるが、決して軽傷ではない。

 静かで穏やかな暮らしを望む殺人鬼としては、彼を殺すことよりも体制を立て直すことを優先したい。

 

 

 幸い、キラークイーンは発動させていない。

 彼にとって吉影はただの通りすがりの一般人であるはずだ。

 このままやり過ごすことはできないか。

 

 その場合にネックになるのが、吉影が引きずるボロボロの真。

 少年がそれに憤りをおぼえる善人であるなら、どういった行動に出るのか。

 

 だが彼に悪を憎む心があるなら、いきなり攻撃を仕掛けてくることはないだろう。

 たしかに、児童に暴力を振るうことは悪なのかもしれないが、それを暴力で押さえつけることもまた悪なのだから。

 吉影の正体が連続殺人犯であり、そして凶悪なスタンド使いであること。

 このどちらかがばれないかぎり、一般人、それも正義の味方と呼ばれる存在は決してスタンド能力を行使することはない。

 正義とはそんな生優しい存在だと、吉影は経験で知っている。

 

 なら、目の前の脅威に対して、吉影はどういった人間であるべきか。

 善良な市民だろうか。

 だが傷ついた真がいる。

 いまさらそれは無理だろう。

 

 なら、残るのは、

 

 ――悪意を持った一般人などどうだ。

 

 行き過ぎた躾で、子供を虐待している大人、といったところが適当だろう。

 

 吉影は仮面を被る。

 

「何だい、他人の家庭の躾をあまりジロジロと見ないでくれるか!」

 

 この、異常な状況を理解できていない単細胞で、子供を人の目がある場所で殴りつける、浅慮な愚か者。

 それが、今の吉影。

 

 少年は、吉影の罵声に近い難癖を気にしたふうでもない。

 

「ああ、いや、別にそういうつもりじゃなかったんですけど。その子もお兄さんも、酷い怪我をしているみたいだから気になって。大丈夫なんですか? 良かったら、僕が治しましょうか?」

 

「『治すって』『救急車でも』呼んでくれるのか? 結構! このくらいの傷、ほっておけば治る。で、用はそれだけか。なら、もうほっといてくれ!」

 

 鬱陶しい厄介者を見る目で、少年を睨みつける。

 ちなみにこのくらいの傷とは、吉影のことではなく、そこで転がっている真のことだ。

 これで怯んでくれるだろうか。

 それとも、憤り反発するか。

 

 少年はそのどちらでもない。

 

「いやぁ~、お兄さん。このまま逃げようってつもりですか? それは駄目でしょう! だって、僕はしっかりと見ていだんですよ。あれって躾ってレベルじゃなくて、ズバリ虐待じゃないですかぁ」

 

 

 少年はそれが重大なことだと言うように、にやにやと笑う。

 

「これって、警察に通報するべきかな。いや、児童相談所か? でも、通報されたらお兄さん、困りますよね?」

 

 別に確認のための質問ではないのだろう。

 それはほぼ決めつけに近い声音で、吉影の弱味であると宣言する。

 

 ――吉影は口元の笑みを押し込める。

 

 警察や児童相談所に、虐待の嫌疑で目をつけられること。

 それは厄介なことであるが、『殺人鬼の正体』に直結するものではない。

 目をつけられるのは真の叔父としてであり、吉影の正体には何の影響もない。

 精一杯反省している態度を見せれば、それ以上の追求もないだろう。

 隠れ蓑としての顔に幾ら泥をかぶろうとも、吉影の弱味になろうはずがない。

 計算通りだった。

 

 

 ――だからこそ吉影は、露骨なまでに狼狽した顔を晒した。

 

 弱みを握られ、焦る大人の態度を、だ。

 

「――き、君は何が言いたいのかね?」

 

 笑いそうになる内心を隠し、目の前の小学生に重い声を出す。

 少年は、こちらが追いつめられたと勘違いしたのだろうか。

 

「ああ、でも、僕の勘違いってこともあるんですよね。たしかに最近の小学生は、阿呆な奴が多いから、体罰が過剰になることも有ります。僕の友達も、阿呆なことをしては、よくバットを持った金色のチビに追い掛け回されてたりしますしね――そうなると、これが体罰なのか虐待なのか。普通の幼ない子供な僕には判断が難しいなあ――何か、あと一つ、判断材料があればいいなぁ。ねえ、大人なら、わかりませんか?」

 

 少年はそう嘯き、何かをこちらに伝えようとしていた。

 少年の要求しているものがわからず、思案した。

 だが小さくも露骨に振られている少年の手。

 その親指と人差し指で作られた輪っかで、教えてくれている。

 

 ――それを見て、吉影は少年が善人ではない事を知った。

 

 口止め料を寄越せと言っているのか。

 この小学生は、赤の他人の虐待の事実より、自分の懐を暖めるほうが重要な人間なのだ。

 承太郎たち、正義の味方とは何ら関わりのない者なのだろう。

 逸る気持ちを抑え、渋るようゆっくりと財布を懐から取り出す。

 それに目を輝かせる少年を忌々しいと睨み、取り出した紙幣をくしゃりと握りつぶし差しだす。

 

「受け取れ。これで黙っていてくれるんだろうな?」

 

 大人をやり込めたと、少年は勝ち誇った笑みを隠そうともしない。

 だが、愚かな大人を演じきり、勝ったのは吉良吉影。

 今宵、承太郎に追いつめられるという運命を克服し、その次に甥の決死の抵抗すらも退けた殺人鬼は笑う。

 このまま、真を引き連れて『恋人』待つ我が家に戻ろう。

 祝うべき事はたくさんあるし、クリスマスはまだ終わっていない。

 今度は『彼女』と吉影と甥の三人で食卓を囲み、楽しい時間の続きを愉しむのだ。

 殺人鬼の前途には黒く輝かしい未来が広がっている。

 それは誰もが願う、取るに足らないささやかで穏やかな幸せ。

 だが、万難を排してようやく手に入れた吉影の瞳には眩しい光を放っていのだ

 

 

 ――その輝きは、吉影の目を眩ませる。

 

 順風満帆はずの道に、小さな石ころが転がっていることを気づかせない。

 

「――あ、うう。あ?」

 

 吉影の顎が外れたように動かない。

 視線の端に、小さな石が転がっている

 

 地面の冷たさを頬で感じて初めて、吉影は己が無様にうつ伏せに転がっていることに気がついた。

 そして、少年は殺人鬼を睨みつけ、こちらにゆっくりと歩いてくる。

 揺れている視界にその顔を確認し、吉影はたった今、彼のスタンドに殴り飛ばされたことを思い知った。

 

  ●

 

 ガタガタする奥歯を口腔内の血と一緒に吐き捨て、少年を睨みつける。

 揺れる脳みそを無視し、手をついて立ち上がった。

 

 ――なぜ己が攻撃を受けたのか。

 理由はわからない。

 吉影は、完璧に狡っ辛い大人を演じきったはずだ。

 だがそれを看破するなにかを少年は見つけたのだろう。

 

 ならばしかたがない。

 吉影の大切な未来のため、この場で彼を消す必要がある。

 幸い、この閉じられた世界なら少年を排除する時間も、証拠を消すための時間も、充分にある『らしい』。

 

 ――いや、必要というのは間違っている。ただ、この少年がもがき苦しみ、命乞いをする姿が見たいだけなのだ。

 

 少年は追撃を放つことなく余裕を持ってゆっくりと歩いている。

 殴った感触を確かめるかのように、少年は己の腕を肩から大きく二回振り回す。

 先ほどの目にも留まらぬ一撃。

 少年の後ろに立つスタンドはそのスピードに圧倒的な力、恐らく近距離パワー型。

 それも同じタイプである吉影のキラークイーンを上回っている。

 正面から殴りあうことは得策ではない。

 だが、吉影が負けるはずなどない。

 簡単なナンバープレースを解くように。

 慎重に思考し、戦術を立てていく。

 歩みを止めない少年に対して、吉影は一歩下がる。

 

「何やってるんですか? 僕が殴ったんだから、今度はそっちの番でしょ? ほら!」

 

 ――何を言っているんだ、この間抜けは。

 

 己の頬を軽く叩いて、こちらに向けてくる。

 しかも彼のスタンドも全く同じ動作をトレースしていた。

 

 ――ただのバカなのか。

 

 驚きはすぐに収まり、次に罠を疑う。

 キラークイーンを己に有利な距離まで誘き寄せたいのか。

 だが露骨過ぎる。

 他に考えられるの相手のスタンドの特殊能力、その攻撃の射程。

 いや、それはない。

 もしも必殺や、吉影を拘束することができたならば、それは油断していた出会い頭に叩き込むべきだ。

 となると、やはりおびき寄せるための挑発か、子供特有の根拠のない万能感からくる慢心――つまりただのバカであるか。

 

 キラークイーンの手で触れさえすれば、対象を爆弾に変えることができる。

 吉影の手の内がばれていない内に、リスクを取ってでも誘いに乗るべきか。

 警戒と思考が絡まる中、何の躊躇もなく少年は、また一歩、また一歩と近づいてくる。

 

 相手が無警戒過ぎると、こちらの反応まで遅れてしまうらしい。

 気がつけば少年は、吉影の手が届く距離に立っていた。

 

 ――それは、仗助のクレイジーダイヤモンドの拳が必ず当たる距離。

 

 ――そして、吉影のキラークイーンが少年を爆殺するには充分な間合い。

 

 身長差で吉影は見下ろし、仗助は見上げる。

 二人の視線が交差した。

 

「――早くしろよ、のろま!」

 

 ――ああ、望み通り殺してやるよ、間抜け。

 

 キラークイーンの手が少年に伸びる。

 少年とクレイジーダイヤモンドは、腕を組んだまま動かない。

 だから、少年は必ず死ぬ。

 絶体絶命の危機。

 ――だから少年は絶対に死なない。

 

 そしてまた、吉影は冷たい地面に転がっていた。

 まるで理解できない。

 コンクリートに圧迫された肺。

 元からあった空気が、呼吸の邪魔をしているように思えた。

 脳が揺れて、胃液が逆流した。

 口から流れた液体にはディナーの一部が混ざっている。

 

 ――少年は動かなかった。

 

 それは断言できる。

 奴のスタンドの能力か。

 

 ――現実はもっと単純。

 

「おいおい、誰がのろまだよ、まったく。なあ、仗助。合図のとおりにこのおっさんをぶん殴ちまったが、良かったのか? あとで怒られるのは俺、やだからなあ」

 

 なんとか首を横にして、視界に少年を映す。

 息を押し殺して忍び寄った第三者の影、彼が後頭部を殴打しただけのこと。

 

「ああ、構わない構わない。――って、あれぇ、お兄さん、怒っているんですか? あっ! もしかして、『そっちの番だ』って、億泰に言ったのを、勘違いしました?! 普通に考えれば、敵に無防備な腹を見せるわけ無いでしょう。なのに、ははっ、あんた本当のバカですかぁ?」

 

 少年は軽く指で己のこめかみを叩き、頭は大丈夫かと心配してくれた。

 口調こそ丁寧だが、眼元、口元が緩んでいた。

 

 ありえないほど神経を逆なでされる。

 殴られた衝撃で、今度は反対の奥歯が取れかけていた。

 吉影はそれを噛み砕く。

 回復をまたずに、地面に爪を立てて起き上がろうとした。

 

 

 

 

 ●

 

「で、仗助、アイツ何?」

 

 ザ・ハンド、その一撃を受け数メートル吹っ飛んだ背広の男を指して、億泰が尋ねた。

 

「たぶん、悪人。で、スタンド使い。つまり、僕らの悪役」

 

 とてもわかりやすい説明。

 クリスマスの夜。

 はやてが入院する病室でのクリスマス会。 

 八神家の面々とアリサとすずか。

 室内での花火は止められてしまったがそれなりに楽しんだ少年たち。

 はやて、アリサ、すずかにヴィータは、まだ小学生だし、ささやかなパーティーは早い時間にお開きになった。

 サンタが少年たちの枕元にプレゼントを置いて行くまで、まだだいぶ時間がある。

 だから、少年二人は街に繰り出す。

 大人が見ても綺麗なイルミネーションは、子供には、その倍は輝いて見えた。

 二人で肩を組み、クリスマスソングを歌いながら通りを歩いたり。

 途中、コンビニに寄って、七面鳥でなくフライドチキンを購入したりと、まあ楽しそう。

 

 きっかけはなんだったか。

 それは二人の名を呼ぶ声が聞こえたような。

 女の人の声だったような、気のせいだったような。

 億泰は聞いたと主張したが、仗助は気のせいだと言う。

 気がつけばいつの間にか人が全く消えてしまった街。 

 

 ビルの間から見上げた空には不規則に動く飛行物体が。

 あれは宇宙人の乗り物ではないかとはしゃぎ、状況を不審に思わず、それを追いかけるよう、二人は走りだす。

 

 その途中、建物が崩れていたので、様子を見に来た。

 

 そこにあったのは崩れたコンクリートの瓦礫と、一方的に子供に暴力を振るう大人の姿だった。

 それは億泰たちが普段見慣れ、受け慣れたものではなく、たぶん誰も笑顔にできない類のもの。

 子供同士の諍い、大人と大人のみっともない喧嘩、はたまた、子供から大人への力の行使。

 それならば、眺めるだけで憤りもしなかっただろう。

 常識はそれなりに、良識は持ち合わせている。

 

 億泰は鼻を鳴らし、子供からの大人への暴力がいかに楽しいかをあの大人を使って実践してあげようとした。

 だが、それを相棒が止める。

 抗議をしようとするが、口を閉じるよう指図された。

 

 そこからは、億泰に待機させ、大回りに反対側から、件の二人に近づいていく。

 

 ――そして仗助のクレイジーダイヤモンドが、大人の顎を殴り飛ばした。

 

 億泰はその光景を見て、胸がすくと同時に、相棒が怒ってやり過ぎたと焦る。

 一般人に対してのスタンドでの過剰な攻撃。

  子供であることを楽しむため、二人にあった暗黙のルール。

 それを破ったことに、驚きはしたが、倒れた男から現れた力ある幻に、そういうことかと納得する。

 そのまま仗助が己に男の注目を集めている内に、忍び足で後ろから殴り倒した。

 

 だが理解できないことがある。

 

「なあ、仗助はなんでこいつがスタンド使いだってわかったんだ? だって、こいつスタンドをずっと隠していたんだろ」

 

 仗助が先手をとれたのは、この男が己のスタンドを出現させていなかったから。

 ゆっくりと近づいていった仗助を攻撃する機会はいくらでもあったはずだ。

 それをしなかったのは己の正体を隠すためだろう。

 

 億泰には彼がスタンド使いであることがわからなかったし、男も一目見ただけの仗助にそれがばれているとは思っていなかった。

 

 二人のやり取りにも、なにか怪しい素振りがあったようには見えなかった。

 

 

「いや不自然なところはなかったな」

 

 

 ――じゃあ、なぜ殴った。

 

 億泰の疑問が声に出さずとも伝わったようで。 

 

「そうだな。こいつは子供を人目があるかもしれない屋外で殴りつける短慮な人間だ。億泰、子供に暴力を振るう大人ってのはどういった奴だと思う?」

 

 仗助の問いに、億泰は少し考えて答えを返す。

 

「あれだろ。自分より弱い奴を見下し、人権を認めないタイプとかじゃないか?」

 

 腕力で考えれば下位に位置する子供は、社会的に守られるべき存在だ。

 それを攻撃できる人間は常識が欠如していると考えて間違いない。

 

「僕もそう思う。そして、虐待を僕に目撃されて、躾だと言い訳し、隠蔽を図る。卑劣という言葉が良く似合う。その上、こちらが要求すれば、金を払ってでも、それを隠し逃れようとする」

 

 スタンド使いではなかったとしても、とりあえず殴っておいてかまわない人物だと思う。

 

「なあ、億泰。おまえ、身長いくつだっけ?」

 

 いきなり話題が飛んだ。

 億泰は二学期に行われた身体測定の数値を思い出す。

 

「ん、まだ百六十には届いてなかったけどよ?」

 

 仗助はどこぞの探偵のように、指を立てて、歩きまわる。

 

「そう、僕もそれぐらいだ。そしてこの男はそれよりも二十センチは高い」

 

 仗助は指を一つたてる。

 

「金銭を払ってまでも虐待の隠蔽を図ったこと」

 

 わざわざ指摘しなおすということは、口止め料を払った男の行動は正しくないのだろう。

 億泰は合点がいったと、人差し指で、立てた仗助の指先を弾く。

 

「つまりあれだろ、金は必要ない。この人気がない状況を利用して、さくっと始末して海にでも沈めちまうことが最良で、それを選ばなかったのは不自然だってことか?」

 

 

 ――と、近い未来で深く冷たい冬の海に沈められる少年は、その苛酷さを知らぬまま、得意気に答えた。

 

「虐待の罪を隠すためなのに、さらに重い殺人を犯してどうするんだ?」

 

 

 

 ――言われてみればそうか。  

 

「まあ、金を払う必要がないと言うのは正解。というか、小学生の告げ口なんて、気にするほどのものかな」

 

 

「おおっ!」

 

 億泰の目から鱗。

 そうだ、その通りだ。

 証拠一つもない、十にも満たない子供の証言などに、どれほどの信用があろうか。

 億泰は知っている。

 同じ言葉でも、小学生というだけで、どれほど軽く扱われるかを。

 月村邸、隠してあった戸棚のシュークリームを食べたのは自分ではないと言っても。

 枯れ葉を集め、焼き芋のため、倉庫にあったガスバーナーを使い、そのせいで月村の庭一面が火の海になった時。

 億泰の、『推理小説的に言えば、優等生のすずかが逆に怪しいのでは』という証言も。

 洗濯機に柄物が混ざっていたせいで、忍のお気に入りのシャツがピンクに染まった時、こればかりは全く身に覚えがなく、どう考えても狼狽している家政婦のファリンが目を逸らしているのが怪しかった時も。

 

 どの場面でも億泰のせいにされ、子供の無力さを味わってきた。

 

「いや、でもよ。こいつがそんなこともわからない程にバカだってことはないのか?」

 

「それは最初、僕も思った。でも出会った時、言葉を発するまで少し間があったのが気になった。こちらを観察するような瞳。少なくとも相手の情報を引き出そうとする思慮はあった。それなのに次にこちらをなじる言葉。これだけなら、確信はなかった。でも会話を続ける内に――」

 

「そうか、ついにボロが出たんだな! で、そいつの言葉のなにがおかしかったんだ?」

 

 いい加減、答えを待つだけのワトソン役に焦れていた。

 億泰は答えを吐き出させたい。

 

「いや、会話は続いたよ。矛盾することもなく、なにもおかしいところはなかったよ。最後の最後までね。それが答えだ」

 

「おい、だからいい加減に――」

 

 億泰はわからずに苛立つ。

 

 

「たく、察しが悪いな。だけど、時間切れか。あなた、思ったよりタフですね」

 

 億泰越しに、仗助が話しかける。

 

 ――ぼろぼろになっても、殺意を瞳に、立ち上がる殺人鬼に。

 

「交渉をして、口止め料を渡す。それも丁寧な言葉づかいまで使って、根気よく。それは後ろ暗いことがあるならおかしいことではないよ。でも今回に限っては違う。そもそもそれら全ては――」

 

 億泰は身体を男に向ける。

 

「――対等な大人に対してやることだろ?」

 

 

 仗助も億泰の隣に立つ。

 

「なあ、おかしいよな。自分より弱い者に容赦のないクズが。腕力的に弱者であるはずの小学生の僕を前に。いちいち交渉なんかして、お金まで渡してしまう。普通なら、ニ、三発殴って、脅しつければいい。証拠がなければ、子供の証言なんて白を切り通せる。違和感を持ったのは、そんなクズで狭量な大人が。見るからにひどい怪我なのに、質問に律儀に答え、最後までずっと僕との会話に付き合ってくれたことだ」

 

 ――それは酷い矛盾。

 

「不自然さがないやり取りこそ、全くの不自然だった」

 

 殺人鬼が、その全てに完璧な悪い大人として丁寧に対応しようとすればするほど、相手を小学生扱いしていないことがわかってしまう。

 貫くべきは気にも留めない無反応。。頭の悪いガキなど無視してさっさと病院でも何でも行ってしまうべきだった。

 怪我をしているのならそれが最も自然なはずだ。

 乱暴に、そして狡猾に、少年を邪険に扱うことが、この状況では一々言葉を返すこと自体が。

 

「だからさあ、最初から『視えて』いたんだよね。このおかしな世界で警戒のために出しっぱなしだった僕のクレイジーダイヤモンドが」

 

 それが雄弁に少年たちを脅威だと語っている。

 億泰は少し気になった。

 

「でもよお、それは情況証拠で、怪しいってだけで、決定的なものじゃないよな。もし間違っていたらどうするつもりだったんだ?」

 

「ん、自信はあったよ。でも万が一間違っていても、こんな屑が大怪我しようが僕は痛くも痒くもないし」

 

 それもそうかと納得できた億泰は笑う。

 

「っで、見事、僕の推理は的中した。つまり、あんたは敵ってことで問題ないですよね!」

 

 やはり笑っている仗助。

 

 正体を見破られた悪役が襲いかかってくるのを、二人は受けて立った。

 

 



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ひとりぼっちの勇気 3

 □

 

 車が一台も走っていない車道。

 街灯の明るい道を、肩をくっつけたまま二人の少年が疾走する。

 

 彼らが通った道、その後方には、コンクリートが抉れた大きなクレーターがあった。

 これでは車が走るのに支障をきたしてしまう。

 だが、隔離された世界では誰も文句をいうものはいない。

 

 だから気にせず、少年たちのすぐ後ろに爆発がまた起こる。

 

――それは、戦車、いや、サイズ的には戦車の模型か。

 

 キャタピラがついたずんぐりむっくりした身体。砲塔の代わりに尖った鼻の不気味な顔が張り付いていた。

 

 先程まで不敵に笑っていた割に無様にふっ飛ばされた少年たちは一目散に逃げていた。

 

 戦車のくせに陸を走らず、空を飛び、少年たちを追い回す。

 

『コッチヲ、見ロッ!』

 

 自意識過剰なストーカーが吐きそうな科白。

 その合成音的な声は自らが放つ光と爆音に掻き消えてしまう。

 

 それ自体が爆発しているはずなのに、壊れることなくまた追いかけてくる、というずるい能力。 

 爆風に、少年たちの服の背中が焦げている。

 その焦げが比較的薄い方の少年。

 

「じょ、仗助! あ、あいつ卑怯じゃねえか?! こっちは素手なのに、爆弾って!」

 

 仗助を庇っているためか、呼吸が荒い億泰が、顔を真赤にして叫ぶ。

 先程から体当たりを受ける度に、四肢のどれかが吹っ飛びそうな激痛と不快感に耐えている。

 発狂しないのは痛みを敵に対する怒りに変えてなんとか堪えているからか、たんに少年が我慢強いのか。

 仗助のクレイジーダイヤモンドで服ごと体を直してもらえるとしても、そう何度も味わいたいものではない。

 

「そ、そうだな。こっちは正々堂々、素手で殴りかかったのに。子供相手にそれはない。億泰ちょっと文句行って来い!」

 

 少年たちにとって二対一は卑怯ではないらしい。

 

「あいつがその間、あの玩具をおとなしくしさせてくれていたらな!」

 

 その煙が晴れた、だいぶ後ろに敵本体の姿が見えた。

 毛のない蝋で固められた肌の猫顔の人の形。

 それが敵のスタンドの本体であるキラークイーン。

 視界に映るが、絶対にこちらの攻撃が届かない距離にいて、笑う余裕を取り戻していた。

 

 こうなると初撃に投げられた、爆弾に変えられた百円硬貨にビビって後退してしまったことが悔やまれる。

 あのまま、距離さえ詰めていたなら、爆発を封じることができたのに。

 

 悔やんでも、爆発に巻き込まれない十分な距離を作ってしまった現在。

 弾数の尽きない爆弾相手では逃げるしかない。

 

「ど、どうする仗助? このままじゃ、二人揃って黒焦げだぞ?! いっそ二手に分かれるか?」

 

「駄目だ! あの強力な爆弾相手に囮をやれるのか? 一発で絶命されたら、さすがの僕でも治せない!」

 

 二人はせめてもの抵抗と、そこいらに転がる瓦礫を拾い、スタンドの力で投げつける。

 高校球児も真っ青といった速度ではあるのだが、近接パワー型のスタンドの妨害を貫いて本体に届くほどではない。

 

「おい、また来るぞ!」

 

 二人はダンスのパートナーのように手を握りあったまま、同じタイミングで路上に駐車されているトラックの下に頭から滑りこむ。

 

――メコォ!!

 

 鉄が曲がる音が響いた。

 第二の爆弾、シアーハートアタックは、軌道上のトラックの尻にめり込み、回避することなくそのまま直進を続ける。

 普段の二人なら、この間抜けと指をさして笑いそうなものだが、ゴキブリのように必死に這って逃げていた。

 トラックの先頭に抜けると、またすぐに走る。

 エンジンが掛かっていないはずなのに、ゆっくりとトラックが動きだした。

 

『コッチヲ、見ロォ』

 

 トラックが斜めに逸れて移動しそのまま電柱に衝突すると、後ろからの圧力で二つに折れ曲がる。

 

――そして近くに違法駐輪しているママチャリを拝借し、二人乗りを始めた少年たちに、狙いを戻す。 

 仗助が前で立ち漕ぎ、サドルに億泰が座る。

 二人、ペダルの外と内で半分ずつ、一緒に漕いでいた。

 

「どう、億泰。引き離した?」

 

 漕ぐことに必死、後ろを見れないので、億泰に尋ねた。

 答えはなく、代わりにペダルに掛かる力が増した。

 仗助も、その意味を理解し、振り絞る。

 

 シアーハートアタックに、仗助と億泰の命がけの競争。

 最初に音を上げたのはその誰でもなかった。

 

――ガチャリと終わりを告げる音。

 

 続いてペダルが空回りする。

 

 

「――仗助」

 

「なに?」

 

「チェーンが切れた」

 

「知ってる」

 

 観念して仗助が振り返ると、追いついたシアーハートアタックの突進を、億泰のザ・ハンドが受け止めていた。

 

――また爆発する。

 

 空に浮かんだ、誰かのママチャリのフレームに、分解した籠に車輪。

 そしてこんがり焼けた億泰と、仗助も吹っ飛んでいく。

 

 落っこちたゴム製のタイヤは弾んだ。

 が、一緒に飛んだ少年たちは潰れたように地面に弾まない。

 

 背中からの爆風。

 前に乗っていた仗助は、比較的に軽傷で済んでいる。

 それでも、火傷はしているし、打ち付けられた衝撃で視界は揺れていた。

 それら肉体からの警告を無視し、すぐに相棒の姿を探す。

 

 億泰は近くに同じように転がっている。

 

――服は焼け、背中が剥き出しで、焼き加減はレアといったところか。

 あまりの惨状に、少しバカな感想が浮かぶが、そんなことを考えている暇はないと、生死の確認もせずに、スタンドで億泰を掴む。

 

 フイルムの逆回し、それ以下の短さで服ごと億泰が元の姿に戻る。

 

――なんでこいつ生きているんだろう。

 

 その光景。

 

 仗助のクレイジーダイヤモンドは、その一部に触れることさえできれば、どんな怪我でも一瞬で回復させることができる。

 それがものであっても、たとえば壊れた玩具の人形の足に触れると、本体パーツが飛んできて、合体し元に戻った。

 それに近い光景を人間で見せられているのだ。

 友を助けられる自分の能力に感謝するが、その凄さに頼もしさより若干の薄気味悪さを覚える。

 

――八方塞がりだ。このままではいずれ。

 

 弱気な思考が仗助をよぎるが、頬を己で叩いて追い出す。

 

――僕たちが負けるはずがない。

 

 比喩表現などではなく、自分が神さまに愛されていることは生まれた時から承知している。

 だからきっと、この状況から脱出するための手段はどこかにあるはずだ。

 ただ、それを見逃しているだけ。

 

 相棒の顔を見てみろ。

 

「っく、そったれ! 仗助、なにか思いついたか? まだなら早く逃げるぞ!」

 

 耳鳴りがする中、なんとか億泰の言葉を聴きとる。

 何度、傷を負おうとも、決して諦めはしないで、仗助の判断を待っている。

 全快した億泰は、仗助が動かないのを怪我でもしたのかと、相棒の肩に首を入れ補助する。

 

 

――せめて、自分のスタンドに強力な攻撃が備わっていれば。

 

 あの頑丈な戦車が爆発する前に一瞬で破壊できるだけの力があれば、そう願ってから少し首を傾げた。

 

――それだけの猶予しかなかったから。

 

 

 視界の中、想像よりもずっと近くシアーハートアタックが迫っている。

 宙を飛ぶそれには、本来必要のないキャタピラの喧しい駆動音。

 

 油断していたのか。

 たびかさなる爆音のせいで耳がやられ気づけず、仗助はシアーハートアタックの接近を許してしまう。

 億泰の頭越しに迫る爆弾に、相棒は気づいていない。

 

 億泰がいくら傷つこうが、仗助さえ無事なら、致命傷以外、何度でも回復させることができる。

 だから守るべきは、仗助自身。

 それは億泰だって納得済み。

 

「おおっ?」

 

 スタンドの腕で突き飛ばされた相棒が、きょとんとした顔でこちらを眺めていた。

 

――なのに、仗助は間違えてしまった。

 

 それは、ここまでの至近距離ではさすがに致命傷は免れないと相棒を案じてしまったからか。

 それとも、何度も己を庇わせてしまったことを、不公平に思ったからか。

 たんに、親友が痛みに顔を顰める姿が気分の良いものではなかったから。

 

 深い考えがあってのことか、それとも浅慮にすぎないのか。

 

――どうか、あまり痛くありませんように。

 

 恐らく、仗助自身、わかっていないのだろう。

 憤るでもなし、後悔するでもなし。

 

――万が一、僕が死んでも、生き汚い『億泰』なら負けはしないだろう。

 

 自覚していなかった自分のお人好しさ、いや間抜けさに、引き攣った顔で笑いながら、仗助は頭を守るように、スタンドで壁を作る。

 

 爆発に巻き込まれることを恐れずに、慌てこちらに駆け寄ろうとする億泰。

 それより先に、クレイジーダイヤモンドに張り付いたシアーハートアタックが、白く輝きだした。

 

 

 仗助は爆発に呑み込まれた。

 

 

 空気が流れ、スタンドの炎が消えていく。

 

 億泰は笑っていた。

 

――仗助が守ってくれた。

 

 それは、まったく冴えない選択だった。

仗助のスタンドは二人にとっての生命線。

 億泰が前に出るのは暗黙の了解だったし、それで仗助が一方的に楽をしているなんて思っていない。

 先程まで憤っていたがそれは、敵の攻撃にであって、仗助にではない。

 億泰は仗助のことを理性的な人間であると評している――もちろん、自分と比べてという話だが。

 その彼が身を呈して庇ってくれた。

 億泰が自身の尻も拭えない無能だとでも思ったか、と罵るべきか。

 親友の予想外の親切に、感謝するべきか。

 

 この行動が、彼の優しさからなのか、甘さなのか。

 

――きっと人間らしさなのだろう。

 

 それを責めるべきではない。

 きっと善悪関係なく存在するまぎれ。

 

 敵と遭遇してから今ままでの必死の逃亡。

 億泰と仗助が傷つき、誰かのママチャリが大破した、その積み重ねが。

 

 たった一つの間違いで、一瞬にして。

 

――無駄になったことに、億泰は気がついた。

 

 だから、億泰は笑っている。

 それで、なかったことにできるとは思っていないが、他にどうするべきだったのか。

 

 はれた視界の向こうの相棒はとても怒っていた。

 

 目を細くし、それを億泰の物と合わせようとするが、逸らしておく。

 目の端で仗助の無事を確認する。

 

 上着は背中が部分がごっそり失くなっていたが、内着は残っている。

 トレードマークの髪も、焦げてはいるが形を維持できているなら、そう酷い怪我はしていないだろう。

 

「いつだ?」

 

「――へ?」

 

 仗助の簡素な質問。

これだけで、正しい答えをなど、些か理不尽過ぎる。

 だけど、疑問で返した億泰は、答えを知っていてすっとぼけた。

 

「もう一度訊く――いつだ?」

 

「んー、ついさっき?」

 

 

 本当に、先ほどのことだった。

 呆けているような仗助を心配し、彼に肩を貸した時。

 

――俺のスタンドに強力な攻撃があったなら。

 

 追い回されているいらいらが、すとん静まる。

 何かを忘れていた。

 

 それを完全に思い出したのは、仗助のスタンド、その『右手』で突き飛ばされたから。

 

 そして、億泰は理解した。

 

――それがあれば、起死回生とかではなく、そもそもここまで追いつめられる必要がなかったこと。

 

 言い訳をさせてもらえるなら。

 それが、まったく日常生活の役に立たないから。

 

 いつも月村邸に無断侵入する時も、鍵を壊すのはスタンドの腕力だけで事足りるし。

 使ってしまうと、仗助でさえ直せないので返って不便であった。

 

 仗助のなんでも治せる能力を羨ましく思ったことも、実はしばしば。

 

 粗大ごみ置き場から、家電を調達、直して、フリマで売り払った時などは、金にならない強力な力など無用の長物と、疎ましく思うことすらあったかもしれない。

 

 使用する機会がなくなれば、遊ばなくなった玩具のように、押し入れに仕舞ったまま、存在すら忘れてしまう。

 

 それはきっと子供には当たり前のこと。

 

――だけど、まあ、怒られるんだろうなあ。

 

 スタンド――ザ・ハンド。

 能力は右手で削りとった物を、この世界ではないどこかに消し飛ばしてしまうこと。

 物理的に存在していた証拠さえ残さない、無慈悲で強力な、この状況にまさにうってつけの力。

 そこに転がっている戦車もどきは、頭から後ろをごっそりと削られて、爆発すら起こせない。

 仗助を襲った一撃も、恐らく火薬に当たる部分がなくなったので、威力が著しく低下したのだろう。

 

 ボロボロに崩れ回転していないキャタピラ。

 なのにスーッと浮き上がり、遠い本体に戻っていく。

 

「ま、まずそれを捨てろ。い、いまは、こんなことをしている場合じゃないだろ? な?!」

 

爆発によって撒き散らされていた手のひらより少し大きめの、そして尖ったコンクリート片を握り、振りかぶっている親友。

 

「大丈夫だ、すぐに治してやる」

 

 

 表情を変化させないせいで、よけいに恐ろしい仗助の視線を躱しつつ、彼に無理やり肩を貸す。

 憶えていなかったのは仗助も同じじゃないかと思いもしたが、火に油となるかもしれないので、そこは指摘しなかった。

 

「――億泰、僕の記憶力は知っているよな」

 

 後で報復する、忘れるなよと、警告の言葉。

 億泰は、胸をなでおろす。

 

――もちろん、億泰は相棒の記憶力を『とっても』信頼している。

 

 だから億泰は安堵の溜息を吐いた後、晴れやかな顔で。

 仗助はそんな相棒を見て怪訝な表情で、コンクリート片を捨てずに、己のポケットに閉まっていた。

 

 

 肩を組んだボロボロの少年たちは、意気揚々と殺人鬼の後を追いかけ始めた。

 

 

 

「おら、逃げろ逃げろ! おっ! 当たった。これで、三発目な!」

 

 空にはまだ、紫と金色の光を放つ飛行物体が、高速で駆けまわっている。

 それから見下ろした地べたには、比べると芋虫並みのスピードで、少年たちと殺人鬼が追いかけっこを続けていた。

 

 殺人鬼は五体満足ではないようで、少年たちの方も、一人が怪我人のせいか、歩みは遅い。

 無傷の億泰が、先に相手を追い詰めればいいのだが、そこは殺人鬼の爆弾の威力がネックとなる。

 億泰だけでは、万が一が考えられるし、それに一人になる仗助が狙われる可能性だってある。

 

 だから億泰にできることなどこうやって。

 

――唇に歯を食い込ませ、恨みの篭った視線を向ける殺人鬼に、適当にそこいらに転がっているものを投げつけて遊ぶくらいか。

 

 ザ・ハンドの左手で振りかぶって投げる高速の石ころや、ゴミ箱から拝借した空き缶。

 その殆どが、敵スタンドに防がれているのだが、いくらかの足止めにはなっている様子。

 

逆に、相手がバラ撒く爆弾は、爆発までの速度より、ザ・ハンドが削り取る方が早く、少年たちの進行を遅らせる程度にとどまっている。

 

 怪我の度合いから見て、殺人鬼の背に二人が追いつくのも時間の問題だった。

 

――だけど少年たちにとって、今日は本当に珍しい日だった。

 

 いくつかのビルの角を曲がっての狭い道路。

 殺人鬼の進む、そのさらに先、本当に間の悪いことに小さな人影があった。

 都合の悪いことに、それは少年たちの身に覚えのある顔ぶれ。

 

 殺人鬼の足が早まる。

 それを見て、怪我人の仗助を残し、億泰が走る。

 

 だが、それを阻むため、爆弾に変えられた硬貨が飛んできた。

 億泰にとって脅威にはならない。

 かといって、対処しないわけにはいかず、ザ・ハンドで削り取る手間がかかる。

 

 それはたった数秒。

 だけど、傷ついている少年とその後ろにいる少女二人を、スタンドで拘束するには充分過ぎる時間だった。

 

 

 

 

 

 

 アリサ・バニングスにとってのクリスマスが、和気藹々と家族で迎えるものから、なにが起こるかわからないびっくり箱に変わったのは、ちょうど二年前からだった。

 目まぐるしい毎日が幸福なのか、不幸なのか、考える事。

 それが無駄であると悟ったことが大人への第一歩なのかもしれない。

 

 アリサの時間に、同じ場所で過ごすぬくもりをくれたのが、すずかとはやてなら、そこへ叩き込んでくれたのは億泰と仗助。

 もっとも、あの少年たちが、それをなしたという自覚を持ってるはずもない。

 だから感謝はしているが、伝えたことはない。

 それは隣りにいるすずかも、病気で入院しているはやても一緒。

 別に示し合わせてのことではないのだが、これに関しては素直に感謝させてくれない少年たちに責任がある。

 

 イルミネーションの光のせいであまり星の見えない都会の空を眺め、ぼんやりとそんなことを思ったのは、駅から伸びる大通り。

 病院でのパーティー、その後始末をせずにさっさと逃げた少年たちのせいで、少し遅くなった帰り道。

 家の迎えの車を断っての夜の散歩は、どちらが言い出したことだことだったか。

 塾などで、夜に外出する子供が増えたといっても、やはり子供だけでは目立ってしまう。

 服などの買い物は大人と一緒が当たり前の小学生にできることなどたかが知れている。

 

 それでも寒空の下で、店内に入らず、ショーウインドウを眺めるだけでも、とても楽しかった。

 だがいつまでも楽しんでいるわけにはいかないのが真面目な小学生のつらいところ。

 視線を夜空から、手元の時計に戻し、針を確認して、すずかに向ける。

 

――その時になって、いつのまにか人気がなくなっているのに気がついた。

 

「――何か、クリスマスのイベントでもやっているのかな?」

 

 すずかは首を傾げる。

 そこに人が集まっているせいでは。

 だけど、店員までいなくなっているのは、腑に落ちない。

 

 二人で辺りを見回してみる。 

 

「あっ!? あっちの方にだれかいた――けど」

 

 すずかが、駅の方への道を指差している。

 つられて、アリサも見るのだが、すでに人影はない。

 

「ほんと? じゃあ、行ってみましょうか」

 

 人以外のすべてが正常に活動している無人の街。

 歓迎されていないような気分にさせられ、少し不安になる。

 なにか考え込んでいるすずかの手元を引っ張って、アリサは歩き出した。

 

 

 急かすアリサに牽かれながら、すずかは自分の見た人影のことを考えていた。

 少女の見間違いでなければ、あの長い髪の女性はふっと煙のように消えてしまった。

 真冬の夜に怪談など、季節外れも良いところ。

 だから、意外に怖がりな親友に話せずにいた。

 それと、もう一つ気になったこと。

 人影を追っかけている状況では、気にしても仕方ないのかもしれない。

 

――消えた彼女が手を下から振って、こちらに来るなと警告をしていたように見えたことも。

 

 

 そんなすずかのちょっとした心霊体験をふっ飛ばしたのは、角を曲がってすぐのこと。

 もちろん、目の前に血塗れの女性が登場したわけではなく、それより小さな人影を発見したから。

 その人影は、すずかたちと同じくらいの背丈で、脚を引きずりながら進んでいる。

 服はところどころ破けていて、遠目からも、尋常ではない状態に思えた。

 

 心配し駆け寄る二人。

 距離が近づき、顔を確かめれば、クラスメートの男の子だった。

 億泰や仗助と違い、良い意味で目立っている少年。

 必要以上の交流はないが、高町なのはや、転校生のフェイト・テスタロッサとよく一緒にいるのを見かける。

 

 少年は、駆け寄った二人の間をすり抜けて行く。

 

「――急がなきゃ、ころ、した、二人の、時間が――間に合わなく」

 

 途切れ途切れの声。

 アリサたちを無視したのではなく、眼に入らないほどに意識が朦朧としているのか。

 顔には擦り傷、大きな出血など見当たらない。

 だからといって大丈夫だと安心できるはずがない。

 

「すずか、救急車、電話!」

 

 倒れそうになる少年を支えて、アリサ。

 いまさら、携帯の存在を思い出し、すぐにボタンを打つ。

 目に入った電柱に書かれている住所、それを電話の先に正確に伝える。

 

 少年は少女たちの制止を何度も無視し歩いて行く。

 それを放っておくわけにもいかず、二人もゆっくりとした足並みで進む。

 そのまま、五分くらいが経った頃だろうか。

 

「――だから、駅近くのファストフード店のすぐ前です! もう着いて探しているって言われても」

 

 電話に耳を当てたまま、周囲を見回すすずか。

 アリサも一緒に探すが、どこにも救急隊員の姿はない。

 それどころかやはり人っ子一人いない。

 

「だから、いたずらじゃないっての! そっちこそ、あたし達をからかっているんじゃないの?! こっちだって困っているのよ!――大人なんだから、それくらいそっちでどうにかしなさいよ!」

 

 すずかからひったくった携帯で、アリサは悪態を吐く。

 

――なにか自分たちの常識の外の、思いもよらぬ状況に巻き込まれているのでは。

 

 携帯に向かって怒鳴りつけているアリサを見ながら、すずかは思考する。

 だが状況に対して、自分たち小学生にできることなどたかが知れている。

 

 それに街に人気がないだけでは、その推測が正しいかどうか、それが危険なものなのか、判断する材料が少ない。

 

「救急車が来る気配もないし、ここにいてもしようがないわね。こうなったら」

 

 直接病院に連れて行くしかないか。

 すずかはアリサとは反対の肩を担いで、少女二人が少年を挟む形になる。

 

「って、ちょっと、大丈夫?」

 

 病院の位置は彼の進行方向と同じ。

 少年の足並みに合わせ、そこから通りを一つ進むと、少年の足取りが止まった。

 少年の容体が悪化したのかとアリサが焦る。

 すずかは考える。

 まだまだ病院は遠い。

 せめて誰か大人が通りかかってくれれば。

 

――少女の切なる願いが届いたのだろうか。

 

 行く先に、携帯を耳に当てながら、歩いてくる男がいた。

 

 子供が大人を頼りにする。

 それが当たり前の社会は、きっと賞賛されるべきなのだろう。

 

 だから、すずかもアリサもほっと表情を崩す。

 そして子供らしく無警戒に、その男に手を振り声を上げた。

 男はこちらに気づくと、『笑み』を浮かべる。

 怪我でもしているのか、少しおぼつかない足取りで、なのに早足で三人に近づいてきた。

 

 彼の後方には、つい先程別れた男の子たちの姿もある。

 仗助と億泰は、すずか達の姿に気がついたのか、ぎゃあぎゃあと騒いでいた。

 少年たちがうるさいのはいつもの事なので、少女たちは気にもとめなかった。

 

――近づいてきた男は笑顔のまま、怪我をしている少年を蹴飛ばし、呆然とするアリサの長い髪を一括り掴み上げる。

 

 強引に髪を引っ張られ、アリサが転ぶ。

 浮かべるいやらしい表情。

 まともな大人ではない。

 だったら、すずかの取るべき行動はなんだろう。

 大きな声をあげ助けを呼ぶことか。なんとかアリサを引き離し、逃げ出すべきか。

 もちろん、立ち向かって取り押さえるなどという無謀なことはしない。

 だけど賢い少女は、その思いつく選択肢のどれも選べない。

 大切な親友に振るわれた暴挙に対する怒りはある。

 だからすずかはわからなくなっていた。

 なぜ自分が動き出さないのか。

 

 ――心は抵抗を試みているのに、小さな体が磔られたかのように動かなくなっている理由も。

 

 

 



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