うさぎになる前のバリスタと小説家になる前の青山さん【完結】 (専務)
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「私、あなたのコーヒーが好きなんです」

※あらすじの注意事項をお読み頂いてからの閲覧をお勧めします。








「私、貴方の作るコーヒーが好きなんです」

 

少女は、そう目の前の人に呟いた。

 

「…私はコーヒーを淹れているだけ。とても、作ってるなんて大層なことはしていませんよ。」

 

白い髭が目立つ老人は、そう少女に語りかけた。

 

「…確かに、貴方は淹れてるだけかもしれません。けど、」

 

 

「そこに想いが入るだけで、そのコーヒーは貴方の創作物になると思うの。」

 

 

老人は笑ってそれに答えた。

 

 

 

 

 

石畳みの映える、どこか西洋の面持ちをしたとある街。ここには、様々な人々が持つ能力を活かした、多種多様な店が建ち並ぶ。

ここ、喫茶店『ラビットハウス』もその1つ。そこには、隠れ家のような落ち着きと、それを引き立てる珈琲の香りで満たされていた。

 

「ふぅ…こんなもんかの」

 

オーナーの男性は長年珈琲(コーヒー)を扱ってきたその感覚で、豆を焙煎(ばいせん)していた。この店はそういった手作りにこだわることで、この落ち着きを見せているのかもしれない。

 

「親父、エスプレッソ2つ、入ったぞ」

 

「おぉタカヒロ、すぐ淹れる」

 

親子でこの店を支えて数年、決して繁盛とはいかないが、固定客も付き、安定した売り上げで日々を過ごしていた。

 

「なぁ、今日はあの娘来ないのか?」

 

「あー、まだ書き終えてないみたいでの」

 

「書くのもここでやってたじゃないか」

 

「…最近、あのババ…っと、甘兎庵(あまうさあん)で執筆してるようでな。完成品は真っ先に持ってくると言っておったし、気長に待つさ」

 

「本当親父は甘兎が嫌いだな」

 

「まぁ、なんやかんやの腐れ縁のようなものよ」

 

親子なのに尽きることのない会話は、客にとってはおなじみのBGMのようなものである。

今日も、喫茶店ラビットハウスはひっそりと営業している。

 

ラビットハウスにはその街柄故か、個性的な客も珍しくない。特に近所に学校があることから夕方は学生が多い。といっても、ひっそり営んでるこの店に学生がこぞって来るようなことは稀であるが。

 

「そろそろ学校も終わる頃だろうし、久々に顔を出すんじゃないか?」

 

「はて、彼女は行き詰まると暫く書けなくなる性格。もうしばらく待ってもいいんじゃないかね?」

 

「そんなもんか。…ここは大人が多いからな。学生の若さをたまには目に焼き付けとかないとどーにかなっちまうよ。」

 

「そこがタカヒロの大人になれない所以(ゆえん)。大人の良さを知らぬからの。」

 

「余計なお世話だよ親父…」

 

今日もまた中身のない会話ばかり止めどなく続く。そんな中、扉に付けたベルの音がカラカラと響いた。

 

「いらっしゃ…おぉ!噂をすれば来たか!」

 

「おや、今回は早かったんだなぁ。お嬢さん」

 

ドアの向こうに立つ、有名お嬢様学校の制服。すこしおっとりとした印象を受ける彼女は、数少ない学生の常連客で、

 

「出来たのかい…読ませておくれ。君の新作を。」

 

将来の小説家である。

 

「はい。お髭のマスター!」








お読み頂きありがとうございます。本格小説はこれが初めての投稿になります。至らない点もある上表現なんかもよくわからない始末。拙い文章ですがお付き合いのほどよろしくお願いします。今回は導入ということで短くさせていただきましたが2話から2000文字以上になります。

※追記:見づらかったので地の文と会話文の間に行間を設けさせて頂きました。多少は読みやすくなると思います。


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「私、本を書こうと思うの」

昔から本が隣にあった。

寝る前には母が読み聞かせてくれたし、みんなと遊ぶ時も先生に絵本を読んでもらっていた。

小学校に上がると文字を覚え、自分で読むようになった。

図書委員を引き受け、休み時間は仕事の名目でずっと本に向かっていた。

中学生になるとより難解な本、多彩なジャンルに目を輝かせた。

図書委員長になった時にはオススメの本を紹介するための紹介文を書いた。

私の薦めた本はいろんな人に読まれていき、感想を語ってくる友人と沢山話をした。

高校はとにかく文学に触れたかった。様々な文化や人を見たくて有数の名門校を受験した。

いざ入学すると自分の今までの周りの人とは違ったきらびやかな世界が広がっていた。

新しく出来た友達から自分の知らない本が出てくると興奮して徹夜で読んだりした。

そして、

多くの人と触れ合い、話し、1つの夢を持った。

 

「私、本を書こうと思うの。」

 

私の目の先にはいつも文字が踊っていたと思う。

 

 

 

「君は影響を受けやすいと言われないかね。」

 

白髭の店主は手元にある原稿用紙を目で追いながら、頭の中からそのまま流れ出るように感想を口にした。

喫茶店ラビットハウス。今日もここは馴染みの客がマスターの一杯を楽しみに来ている。しかし、マスターの目の前のL字のカウンター、曲がり角から3つ目の席に迷わず座ってコーヒーを飲む彼女はそれ以外の楽しみも持っていた。

 

「以前マスターがSFなんかも読んでみたいとおっしゃっていたから、チャレンジしてみたのですけど…」

 

「それでこれだけ書けるんだからやっぱり凄いよなぁ。流石は名門校に通う文学少女って感じだ。」

 

「まあ確かに面白いが…君の良さはSFじゃ伝わらない気もするがね。私はてっきりいつものようなささいな日常に根付いている、そんなようなものを持ってくると思っていたよ。」

 

「物を書く人間として、やっぱりいろんなジャンルを書いていきたいなー…って思ったんです。」

 

「かといって初手にSFを書き上げてくるとは…君は本当に書くことが好きなんだねぇ。」

 

「えぇ!」

 

彼女は近隣の高校に通いながら、小説家の夢のために日々、短編を書いてはここのマスターに読んでもらい、感想を聞いてはまた新しいものを書き上げて持ってくる…このサイクルを繰り返すうちに気が付かば常連になっていた。ラビットハウスには希少な高校生の客である。

 

「それで…どうですか?今回のは。」

 

「んー、全体はよくSFの根本的なところを抑えてるし理論や世界観もしっかりしている。だがどうも君の癖というか良さというか、サイエンス性よりも人物に重点を置きすぎている気もするね。SFを書くなら近未来感、科学的世界観をもっと大切にしてもいいんじゃないかね。」

 

「そうですか…」

 

「落ち込むことはない。通してみれば十分な出来だと思うぞ。」

 

「ここまで書けてまだ上を目指すのか…小説家って大変なんだな。」

 

「物書きは幅広いジャンルを押さえるより自分の得意分野、得意な土俵で勝負することだよ。彼女は向いてないってわけじゃないが良さを出すにはこれじゃないかもしれんのぉ。」

 

「勉強になります。マスター。」

 

「ワシは読んで感想を述べるだけなんだがなぁ…」

 

彼女は日々こうして書いたものを持ってきては感想を聞いて、また新しいものを書き上げる。このサイクルは喫茶店の親子2人の日課のようなものになっていた。

 

「小説もいいけどさ、青山さん。そろそろテストも近いんじゃないの?ほら、ここのお客さんもなんか勉強してるみたいだし。」

 

ここの喫茶店は常に落ち着いた空気に満たされている。ここを知る学生は皆時期になるとノートを開いて文字と静かに格闘する様子が見える。つい先日くらいからこの光景が現れてきたところだった。

 

「私はテスト勉強を殆どしませんし、教科書を読めばあらかた内容は入ってきますので。」

 

「だってさタカヒロ。お前学生の頃に勉強なんてしたかね。」

 

「ここを継ぐのは昔から決めてたし、勉強より親父の仕事を見てなきゃ将来に繋がらないからな。」

 

「マスターは学生時代、どのように過ごしていたんですか?」

 

「わしはつまらんことしかしとらん。今のように遊びも充実しとらんかったし、子どもの頃は外で遊んで、お嬢さんくらいになると同じように本に向かってたのぉ。」

 

「マスターは本がお好きだったのですか?」

 

「それしか無かった…というところが本音でもあるが、嫌いだったわけじゃない。結果として今に繋がっていたわけだし無駄なことではなかったと、今は思うがね。」

 

「親父の部屋、今でも本沢山あるしなぁ。」

 

タカヒロは昔見せてもらった書斎を思い出す。壁に付けられた本棚には所狭しと本が並んでいた。どれも年季の入り使い古されたようなものだったが、大切にされているようにも見て取れた。

 

「私も昔から本と一緒にここまで成長してきたようなものです。同じですね。」

 

そういって微笑んだ彼女を見る。

 

「お嬢さん、君はよほど本が好きなんだねぇ。」

 

書くことだけでなく、本そのものが好きなのだと改めて感じた。

 

 

 

 

 

 

彼女が帰ってしばらくすると外は暗く夜になっていた。

 

「親父、そろそろあっちの準備も頼むよ。」

 

「わかった。」

 

喫茶店ラビットハウスは夜になるとバーに変わる。昼間とは一風変わって仕事の愚痴をこぼす人や夫婦のデート、といった大人の社交場のような空間に変わる。珈琲の香りはカクテルの香りに、落ち着いた空気は大人の世界に変わっていく。

 

「タカヒロ、お前そろそろチノのとこに行ってやったらどうだ。あの人も大変だろうよ、どれ、賄いでも作ってやるから持って行きな。」

 

「悪いな、でも一人で大丈夫か?」

 

「構わんよ。ワシにはこいつがいるからな」

 

傍らに鎮座した、マスターの白髭によく似た毛の塊を撫でで言った。

 

「なぁ、ティッピー。」

 

ラビットハウスの語源ともいえるこの店の兎はただ老人の手に身を任せるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「なぁティッピーよ、お前も読んだか?お嬢さんの本」

 

バーも一段落し、ラストオーダーも終えて全ての客を見送ってから、老人はそう語りかけた。

 

「日々なんの気無しに言っていたが、まぁ確かにフィクションではあるが…」

 

ここの常連ならきっと、何度も呟く姿を見ているし聞いている。実に店の名にふさわしい願いではある。

 

「まさかなぁ…」

 

 

 

「人間がウサギになる話を持ってくるとは思わなかったがな。」

 

 

 

老人は明日もここに立つ。




1話が見にくかった気がしたので少し余白を設けました。
今話から2000字overで頑張っていきます。
毎週日曜0時投稿でやっていく予定です。
ちなみにチノは3歳で青山さんは16歳。現行の時代から10年前くらいというぼんやりとした設定です。

…青山さん現在26歳って設定はやり過ぎでしょうか。


※追記:一部誤字を修正しました


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「私、あなたに本を読んでほしい。」

※今作から原作に登場しているものの名前がないキャラ、登場していないオリジナルキャラ等が出てきます。






いつの頃からだったか

思い出せないほど昔の記憶

長年生きたせいか、よほど印象深い記憶以外は酷く断片的にしか思い出せないほどだ。

そんな自分にも大切な、忘れられない記憶がある。

高校生になる直前、これから勉学に勤しむ故すでに先の授業内容に手を出していた時のことだ。

私は母から本を貰った。

参考書の類でも何でもない。名も知らぬ人が書いた1冊の小説。

まるで今の自分のように表紙はくたびれていたが、それだけいかに大切に読んできたかわかるものだった。

 

「私ね、あなたには本を読んでほしい。」

 

父を亡くし、女手一つで自分を高校生まで育ててくれた母は、そう言って手渡してくれた。

今でも大切に書斎の机の引き出しに入れてある。

いつか、自分の息子にも読んでほしいから。

 

 

 

 

 

 

いつも通りの喫茶店の風景、代わり映えしないがそこがここ、ラビットハウスの良い所でもある。今日もここには自分の日常の1コマを彩るためにマスターの一杯を求める人がいるくらいだ。

 

「そういや今日だっけ、保登さんのところ来るの。」

 

「あぁ、夕方くらいから来るはずだし、バーも今日はやらんからタカヒロに任せるぞ。」

 

「久しぶりだな…モカちゃんとココアちゃんも来るしな。」

 

「何っ、モカとココアもか!?」

 

「ちょ、急に大声出すなって親父。」

 

仕事の関係で孫にもろくに会えてないのはここのマスターを務め上げるため、その上今日は以前の客であり息子の友人でもある子の娘2人も来るというのだ、行きたくて仕方ないのであろう。

 

「くっ…今日が明日であればァ…」

 

「なんで明日…あぁ、定休日だもんな。」

 

「自営業に春休みや夏休み、秋休みに冬休み…なんて大層なものも無し、定休日以外元々休む気もなかったが…よりによって今日とは…」

 

ひどく落ち込むマスター。この空間も好きだが、同じくらい子供も好きなのだ。

 

「全く…あ、じゃあさ親父。」

 

「何じゃ…タカヒロ単独でここは任せられんぞ。お前にはチノの世話もあるしの。」

 

涙目で不機嫌な父親に話しかける息子の構図はなんとも微笑ましく、また奇妙であった。

 

「そういじけるなよ…単純だよ。夕方からだし飯がてらここにうちと保登さんちを呼べばいいんじゃん。」

 

「お前らはファミレス行くとか言っていたじゃないか…」

 

「親父にも久々にチノに会って欲しいし、保登さんにも久しぶりにここでコーヒー飲んでもらいたいじゃん。」

 

「でもワシは他のお客さんのとこにも行ってしまうし、邪魔ではないかの。」

 

「たまにはマスターのワガママくらい聞いてくれるさ。もっとも、ここでこうして話してる時点で周りは察しがついてるみたいだけどな。」

 

タカヒロの言葉通り、常連の客はコーヒーもそこそこに二人の会話を微笑みながら見つめていた。

 

「ほ、本当によろしいのですか…?」

 

「私達もタカヒロさんの子供とか見てみたいもの。気にしないでよ!」

 

常連の一人がそう言ってくれた。ここは隠れ家のような喫茶店だ。だからこそ常連客は家族のようにここを愛していて、ここの人を好きでいてくれる。マスターはそれをしみじみと感じていた。

 

 

 

 

 

 

(はて、大丈夫だろうか)

 

タカヒロは保登家が来るので早めに上がらせた。今は一人でコーヒーを淹れている。

 

(あの子は方向音痴だ…地図は持っているはずだし馴染みの街だし…いやいや)

 

マスターは保登さんとの出会いを思い出す。

 

(これから通う高校もわからぬ上帰り道まで間違えてここに寄ったくらいだ…駅にタカヒロがいるが…)

 

「マスター?」

 

(マスターであるワシが行けなかったことに関してなにか言うだろうか…第一そもそもあの子の性格はワシのが知っていたし…)

 

「あのー…」

 

(あのー、そうあの子だ。なにか言うことはないだろうがあっても言うためにここに辿り着くだろうか…いやいや、駅にはタカヒロが…)

 

「…」

 

(沈黙…沈黙?)

 

すでに豆を全て挽き終え、仕事のないハンドミルがマスターの手によって抵抗なく回されてるのに気づいた頃には、目の前にふてくされた馴染みの顔があった。

 

「お、お嬢さん!?」

 

「遅いです、マスター。」

 

頬を膨らまして座っていた女性の手元はいつもの原稿用紙でなく、本が握られていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「何を考えてらしたんですか?」

 

「あぁ…昔の客が娘連れて来るらしくての…久々に孫にも会えるし、落ち着かなくてな。」

 

「あら、では今日は早くに閉めてしまうんですか?」

 

「いや、ここに来るから問題ないわい。」

 

青山さんはサービスとしてコーヒーを淹れてもらっていた。いつも原稿を読んでもらうために来ているが、そもそもはマスターのコーヒーが好きで通っている常連客。今も一息つきながらゆっくりと楽しんでいる。

 

「今日は見たところ新しいものを持ってきたようではないが、その本は何だね。」

 

「ええ、今日はこれを読んで欲しくて。」

 

青山さんが持ってきていたのは一冊の小説であった。最近なんらかの賞を受賞したようで、帯には盛大なアオリ文が明るい色で載せられていた。

 

「本か…最近はお嬢さんのものを読むだけで、新しいものは読んでなかったからのお。」

 

「先日マスターも本をよく読まれると伺ったので、オススメのものを持ってきたんです。」

 

本を薦める彼女の目は生き生きとしていて、そんな眼差しにマスターも幾分か落ち着きを取り戻していた。

 

「この本はですね、とある田舎の町の一人娘が主人公で、作家の夢のために上京する決意をするんですけど、親の反対や学校でのいざこざで思うように行かなくて、それでも夢を諦めきれずに地元で…」

 

マスターは弾丸のように口からこぼれ出る言葉に相槌を打っていた。

 

「…それで、何とか本が出来上がるんですけど泣かず飛ばずで、それでも書き続けるんですけど母親が病に倒れてしまって、実家に帰ると自分の書いた本が全て置いてあって、それで…」

 

黙って聞いているマスター。しかし周りの客も感づいている。

 

 

(((((これ、結末まで話しちゃうやつだ…)))))

 

 

気がつけば彼女の話もそろそろ佳境に入ってきている。それほど好きで何度も読んだのだろう。彼女の話は止まらなかった。

 

「…というお話なんです。とてもいい本ですからぜひ読んで欲しくて…」

 

5分ほど話していただろうか。本の内容は大方聞いてしまった。本来ならばもう読むまでもないが、マスターは違っていた。

 

「ほう、面白そうじゃないか、しばらく借りてもいいかね?」

 

「はい!」

 

社交辞令でなく、本心で言ってることが周りにもわかった。もともと本音をいう人だし、その短い言葉から興味が感じられた。

 

「ちょ、ちょっとマスター?」

 

「はいー。すまんな、ちょっと行ってくる。」

 

「お気づかないなく。」

 

常連に呼ばれてマスターが歩いていく。青山さんはコーヒーを飲みながらスッキリした様子だ。

 

「ねえ、もう話ほとんどわかっちゃったじゃない。あの子オチまで言ってたわよ。ちょっと私感動したわよ。すごくいい本じゃない。」

 

「ええ、ワシもそう思うが…」

 

「もう読む必要ないじゃないのよ!」

 

思わずツッコむ常連客。それもそうだ。もう内容は入っているはずなのだ。

 

「…確かにそうかもしれんが、今のは彼女の感想だし、ワシが読んだらまた別の感想を持つかもしれん。第一、本ってのは読むまで中身がわからんものよ。」

 

「あーなるほどね。なんだ、マスターもたまにはいいこと言うじゃん。」

 

「たまに、が余計じゃ。」

 

微笑みながら青山さんのところへ戻るマスター。彼女と話している彼は、常連客にとってはなんだか安心する絵面であった。

 

「しかし、懐かしいのぉ、人から本を薦められたのは。」

 

「以前もあったのですか?」

 

「昔本を貰ってな。それ以来かのぉ。」

 

「あら、それは良かったじゃないですか。」

 

「良かった?」

 

確かに良かったかもしれないが、彼女の言う「よかった」には別の意味が含まれてるようにも聞こえ、マスターは思わず聞き返した。

 

「ええ。自分の読んだ本をマスターに薦めたってことは、よほどマスターと仲の良いことだったに違いありませんし、マスターを思ってくれてたに違いありません。」

 

大体あたっていた。あの時代、自分は彼女から本当に大切にされて育ってきた。だからこそ、本を通して遺してくれた母の形を、彼女は自分のほんの少しの語りの変化で読み取ったことに彼はさほど驚かなかった。こういう人だ。

 

「…君は、本当に本が好きじゃの」

 

「えぇ、とっても。」

 

マスターは少し昔を思い出していた。あの頃貰った母の本。思えばあの頃は本に賞がつくなんてことは無かった。個人が面白いと思ったものを手に取っていた。だから、あの本もきっと母のお気に入りなのだ。そして、自分のお気に入りである。

 

 

 

 

 

 

 

もの思いにふけるのもつかの間、扉の開く音と一緒に馴染みの顔がやって来る。

 

「親父、連れてきたぞー…って、青山さん来てたのか。いらっしゃい。」

 

「おぉ、やっと来たかね!」

 

マスターの声に力が入る。同時に、懐かしい目がこちらを覗く。

 

「お久しぶりです。マスター。」

 

「うん。よく来てくれたよ。」

 

2人のまだ幼い娘を連れて、昔の面影の残る彼女は入ってきた。

 

「今は保登さん…だったね。そこのテーブルに座りなさいな」

 

「昔みたいに読んでくれてもいいんですよ?」

 

マスターは少し照れくさかったが、呼びやすいのもあるため、彼女が常連客だった頃の呼び方を使った。

 

 

 

「ようこそラビットハウスへ。美久ちゃんや。」

 

 

 

彼女は少し照れて笑った。







3話です。ココアにモカに…いや誰だお前。
原作、アニメ共に執筆段階(8月31日現在)で名前が公表されてないので強引に付けさせていただきました。
名前の原案はすべて飲み物等から引用してるのを参考に、保登(ホット)でも別の苗字でも意味の通る名前にしたかったのですが…無理があるか。
美久(みく)さんは旧姓軽編(かるあみ)です。カルーアミルクから引用しています。結婚後保登美久となりホットミルクになるといった仕様です。旧姓は大人と子供の合間のような、甘いお酒から。嫁入り後は子どもたちを暖かく見守る母のような雰囲気が出るようにしました。いや原作じゃまだなのになに名付け親みたいな説明してんだ。
お読みいただきありがとうございました。


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「私、あなたのおかげで今があるの。」

迷った。もう終わりだ。

今日は高校の入学式だ。新しい制服を着ていた朝が多分一番テンション上がっていたことだろう。

地図の通りに向かったはずが中学校だったし、手元の時計はもう12時になろうとしている。

仕方ない、適当な理由をつけて今日は帰ろう。

途方に暮れながら宛もなく彷徨っていたところ、ひとつの喫茶店が目に止まった。

うさぎのシンボルが可愛らしいその店に、彼女は一目惚れだった。

仕方ないよね。迷子だもん。休憩のために入っても何らおかしくないわ。

頭の中で適当に理由をつけて中に入った。

まばらにお客さんがいるのを目で追いながら、カウンターに腰を掛けると、優しそうなマスターが目の前にいた。

 

「いらっしゃいお嬢さん。ご注文は?」

 

落ち着いた声色と香るコーヒー豆の香りは、落ち着きを取り戻すのに十分すぎるものだった。

後に入学式が次の日であることを知る彼女であったが、この日だけは自分の性格を喜んだ。

 

 

 

時間もそろそろ夕方、いつもならバーに変わる店内も、今日だけはいつもの空気に満たされたままであった。

もっとも、いつもよりも多少、ほんわかする感じではあるが。

 

「うわー!変わらないんですねーここも。」

 

「そう簡単に変わるわけがなかろうに。」

 

「ままー、おなかすいたー」

 

「ここあはがまんができないなー」

 

「二人共落ち着けって…チノを見習えよ。」

 

「…zzz」

 

店の一角、奥のテーブルで2つの家族が久々に会うからか話を弾ませる。

常連客しかいないようなこの店に子供はあまり来ることがない。そのため、周りの客も珍しそうに、また、やさしい目で見守るのだった。

 

「しかし、久しぶりじゃのぉ…いや、子供もいるから当たり前なのか…」

 

「親父は時の流れに弱すぎるぞ。美久さんは今何をなさっているんです?」

 

「夫の影響もあってパンを作ってるの。昔から趣味だったしねー」

 

「ここの大型オーブンもキミが作りたいって言うから設置したものだしのぉ。」

 

カフェにはもちろんコーヒー以外に食べ物だって売っている。厨房には様々な調理器具が並んでいるが、カフェの規模に合わないくらいの大きな業務用オーブンは、パンを作りたいという彼女の希望とレパートリーを増やしたいマスターの希望が合致したので設置したものであった。

 

「懐かしい…まだ残してたんですね。」

 

「美久さんのパン懐かしいなぁ…昔は散々だったっけ」

 

「それは言わないで!」

 

話の尽きない思い出話は常連客も初めて知ることだったり、当事者だったり、それぞれが思いを抱いて耳を傾ける。同時に、マスターが客を大切にしていて、本物の家族のように見守ってくれているのがわかった。

 

「ふふふ…あ、そういえばマスター、あちらの女の子は良いのかしら?」

 

「あぁ、お嬢さんかい。」

 

振り返るとコーヒーを飲みながらマスターに薦めるはずの本を読み返していた。どこまでも本と生きてきた彼女である。それでもまだ読み返すということは、それだけ好きな作品なのだろう。

 

「そうだ、青山さんもこっちに呼んじゃえばいいじゃないか。」

 

「いいわねそれ!私も彼女の話聞きたいわ〜」

 

「ふむ…お嬢さんや、こっちに来ないか?」

 

「…」

 

返事がない。ただの読書家のようであった。

 

「…お嬢さん?」

 

マスターが近寄ってみる。彼女は黙々と本を読み進めていく。気付いていないようだ。

 

「青山さんの集中力はすごいからねー。執筆中なんてコーヒー持っていったのにも気づかないで冷えきったのを飲んだりするし。」

 

「ずいぶんと、不思議な子なのねー」

 

「美久ちゃんほどじゃないじゃろ…入学式なんて間違えんぞ…」

 

「今思い出しても赤面ものよ…」

 

言ってる割に大した動揺を見せないあたり、大人になるとはこういうことなのかと、マスターは感慨深い思いに浸る。

 

「やれやれ…おーい!お嬢さん!」

 

「ふぁい!?」

 

大声で呼ばれて我に返った青山さんは対照的にひどく狼狽えた様子だった。集中していた時の大声はひどく彼女を驚かせたようだ。

 

「君は本を読んでても周りが見えなくなるのかね」

 

「えへへ…何度読んでも新しい発見を生み出してくれるのがこの本の一番の魅力ですから…」

 

「今昔の客が来ててな、小さい子供もいるしここはひとつ、遊び相手にでもなってやってくれまいか。」

 

「喜んで!」

 

ココアとモカに駆け寄ると、子供たちは目を輝かせて待っていた。チノは相変わらず熟睡している。

 

「おねーさんってしょーせつかさんなの?」

 

「ほんよんでるときすっごいたのしそうなかおしてたね!」

 

「ウフフ、二人は絵本は好きかしら?」

 

「「うん!」」

 

「どんなのを読んでるのでしょう…」

 

青山さんは早くも子供たちを本の世界に誘う。たとい文字がまだ読めない子供であっても、絵や言葉で彼女たちの世界は一気にその色を変えるようで、美久さんの持ってきていた絵本を開いて青山さんは読み聞かせを始めていた。

 

「本当にいいの?」

 

「えぇ、この子たちにも本の素晴らしさを知って欲しいですもの。」

 

「助かるわ。ありがとね。」

 

「しっかし、こうしてみるといつもの青山さんとは思えないな…」

 

絵本を読んでいく青山さんは純粋に文学を楽しんでいて、それを子供たちと共有することで喜びも分かちあい、その光景は彼女を一段と大人に見せた。

 

「女性が輝くのは好きなことを一生懸命にやっている時。だからお嬢さんはいつも輝いて見える。」

 

「やだマスター、珍しくかっこいいじゃない。」

 

「でもわかるなー、目をキラキラさせながらも真剣さを失ってないあの感じ。確かに輝いてる。」

 

青山さんのその姿は小説を書いている時や読んでいる時とはまた違った様子で、心の純粋な部分を今まさに目の当たりにしているのがわかるものだった。

 

「私も昔はあんなふうにパンを焼いてたのかなー。」

 

「そりゃそうだ。必死になって粉まみれの体で好きなことをしている時は美久ちゃんもあんな感じじゃった。」

 

「俺は美久さんとここで会ったのは数回しかないからなぁ…」

 

「タカヒロくんは途中で養成学校に行ってたものね。」

 

タカヒロは一時期軍学校に通っていた。死線をくぐり抜けるといった血生臭いことは無かったものの、辛さや苦しみを共有した仲間もできて、本人曰く最高の人生経験であったと言う。

 

「あの時の友達はどうしてるんだ?」

 

「あっちももう子供がいてよ、年齢的にもチノと同じ学校ってのはたぶん無理なんだけど、向こうも楽しそうな感じだよ。」

 

「私もタカヒロくんも親の立場だものね…時間の流れって怖いわね。」

 

「ワシの前で言うか…」

 

こうして青山さんの読み聞かせと3人の昔話はしばらく続くのだった。

 

 

 

 

 

 

「今日はありがとうございました。久しぶりで楽しかったわ〜。」

 

「こっちも美久さんと久しぶりに話せたし、楽しかったですよ。」

 

「昔の客が帰ってきてくれるのは嬉しいものよ。」

 

もうすっかり暗くなって、彼女たちも帰る時間になっていた。連れてきた子どもたちは皆夢の中だ。始めからチノだけはずっと寝ていたのだが。

 

「青山さんもありがとね。絵本一冊しか持ってなかったのに結構話してたけど…」

 

「いえ、即興で話してただけですから…」

 

「即興で!?」

 

絵本を読み終えても時間は余ってしまって、青山さんはその場で物語を考えて語り聞かせていた。小説家の性なのか、本が好きだからなのか。

 

「はぁーやっぱ書いてる人は回転が違うわ。頭の。」

 

「あれ全部即興だったのか…てっきり知ってるやつかと思ってた。」

 

「また来なさい美久ちゃん。お、あとこれ。」

 

そう言ってマスターが渡したのはひとつの瓶。中にはコーヒー豆をすでに焙煎し、挽き終えた粉状のものであった。

 

「疲れたら飲みなさい。毎回来れるわけでもないだろうしの。」

 

「マスター…」

 

美久さんの顔は懐かしむような素振りを見せ、その思いを噛み締めてるようであった。あの頃の自分を思い出しているのだろうか。

 

「私ね、あなたがいたから今があるのよ?」

 

「ワシが何かしたかね。」

 

「ええ、沢山。」

 

制服を着た人間が昼間に来ようが追い返さず、勉強の時は教えてくれ、時にわがままを聞いてくれて、ときに叱ってくれて。彼女の高校時代は常にこの店と共にあった。その3年間は、何物にも代えがたい。

 

「こうしてココアとモカを会わせられたのもあなたのおかげ、今旦那とパン作りをしているのもあなたのおかげ。本当にありがとうございました。」

 

「そんな改めなくてものぉ…」

 

こうしたお礼が言えるのも、時の流れの証。いつかモカやココアが大きくなったらまた来てくれるだろうか。その時は自分の手で珈琲を淹れてあげたいものだ。

 

「また来なさい。美久ちゃんはいつでもうちのお客さんだからの。」

 

マスターはそうして未来に希望を見る。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

 

後始末を終えてカウンターに腰を掛け、自分で淹れた珈琲に口をつける。今日はとても濃い日だった。昔の客が子供を連れてきてくれるとは、人の繋がりの強さを再認識した日でもあった。

 

「ティッピーも懐かしかったんじゃないか?」

 

無言で鎮座するティッピーに話しかける。ティッピーも感慨深そうに目を閉じていた。寝ているだけかもしれないが。

 

「あの子達が大きくなったとき、ワシは現役でやれてるかのぉ。」

 

そういいながら帳簿を見る。売り上げは大したことはない。自分の貯金で始めた道楽のような仕事だ。呑気にやってればいいと思ったが。

 

「そうもいかんか…でものぉ。」

 

雰囲気を壊したくなかった。この空気でやり続けたい。大衆向けでなく、客を楽しませることを大切に、ひとときを大切にしたい。売り上げだけを考えたカフェにはしたくなかった。

 

「…まぁもうしばらくはこのまま続けよう。それがワシにできること、客にできることだ。」

 

明日は定休日だ。ゆっくり考えよう。

 

 

 

「はぁ…うさぎになりてぇ…」

 

彼の独り言を聞くのは目の前の兎だけだった。




今回もお読みいただきありがとうございます。4話になりました。前回の続きですね。
・ご注文はうさぎですか?における所々のネタを要所に挟んでいます。原作では少ししか触れられなかったことを己の妄想力で(こんなことがあったからなんじゃないか)なんて補いながらこの話は書いています。
タカヒロさんが今のような落ち着いたキャラでないのはまだ若いからです。あとはマスターとの差別化もありますが。
次回を楽しみに待っていただけたら幸いです。

・9/19は千夜の誕生日ですので、千夜に関するSSを執筆中です。土日と2連続投稿になりますので、そちらも合わせてお読みいただけたら嬉しいです。

※追記 試験があまりにも忙しすぎて9月中の執筆が滞ってしまい、9/20日の5話投稿は見送らせていただきます。千夜誕はしっかり投稿します。ご迷惑をお掛けします。詳しくは活動報告にてご連絡させて頂きましたのでそちらを参照してください。


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「私、あなたが友達でよかった。」

今作にはオリジナルキャラが出てきます。ご了承下さい。







私立の中学を受験、見事に合格した私。

高校生になっても、今と同じ友達と一緒なんだ。

そんな、小学生の延長のような淡い期待を持っていた。

現実は甘くなかった。

私立ならではの充実した設備のおかげで、授業のスピードは段違いだった。

おかげで、友達とは縁遠い生活だった。元々周りはお嬢様ばかり。自分もある程度は裕福な家庭ではあるものの、勉強で入った私とエスカレーターで登ってきた彼女達とは話が合うはずも無かった。

しかし中学受験で得た知識にプラスして、もともと勤勉な性格の私は授業に関しては対して苦労せず高校生になった。

あと3年間で卒業。

そう考えると気分も落ち込む。友達という友達もいないこの生活のままでいいのか。

図書室で復習をしながら、私はこれからの生活に一抹の不安を覚えた。

周りは楽しそうに青春を送っている。自分は勉強だけでいいのか。

考え事をしながら息抜きに小説を読んでいると、不意に声をかけられた。

 

「その本、好きなんですか?」

 

「ふぇっ!?」

 

唐突な言葉と共に現れた彼女を、今では友達と呼んでいる。

 

 

 

平日の朝、テストを終えた青山さんは図書委員としての大義名分をフル活用するため、意気揚々と図書室に足を運んだ。

彼女にとってテストは日々の読書の成果でもある。教科書や教師の言葉を余すことなく書き記したノートだって、彼女にとっては楽しい書物に変わる。今回もその能力を存分に活かして終えた。

図書室には今年受験の3年生や、すでに受験を見据えた1、2年生がちらほらといるなか、彼女は目的の人物をすぐさま見つけて声をかけた。

 

「凛さん、テストはどうでした?」

 

「ふぁぃ!?」

 

凛と声をかけられた彼女は、テストの復習の真っ最中の集中していた最中に耳元で声をかけられ、おかしな声を上げた。

 

「ふふふ、図書室では静かに、ですよ?」

 

「あんたが脈絡なく声かけるからよ、翠。」

 

彼女は幡出 凛。生徒会の書記をしながら成績のトップを頑なに守り続ける努力家だ。青山さんとは高校からの友達である。

 

「翠は今日もここで本を読み耽るつもりなんでしょ。」

 

「それ以外にもありますぅー。」

 

今どきの子感を出しながら青山さんが取り出したのは今回のテストだった。

 

「…あんた復習とかしないタイプじゃなかった?」

 

「凛ちゃんがやってる見てると私もやりたくなってきて…」

 

「その動機はいかがなものよ?」

 

「それで、凛は今回の手応えは?」

 

「この短い会話の中でアタシへの呼び方コロコロ変えないでほしいわね…」

 

図書室では静かにと言った本人がすでに図書室でおしゃべりを始めている。だが、図書室で勉強しようなんて人は基本イヤホンで音楽を聞いているか、そもそも気にしないかである。テストも終わった日に来る人も少ないので、それを知る青山さんはおしゃべりをやめなかった。

 

「でもいったいどこから勉強したらいいのか、わかりませんねぇ。」

 

「苦手なとことか、間違ったとこじゃないの。」

 

「んー、教科書に乗らないところが出る模試とかならまだわかるのですが、何分その通りに出るものですから、ついー。」

 

「つい、って何よ大概高得点なんでしょ?」

 

「自己採点してないからなんとも言えませんがね。」

 

「まあ私にはかなわないけどね。」

 

「勉強の努力を怠らない人に勝てるとは思ってませんよ?」

 

「アタシの次にできる人が何言ってんの…」

 

青山さんは記憶型と言うのだろうか、とにかく暗記をするタイプだ。それ故に応用は多少苦手なところもある。しかし、使うものは決まっている。何を使うかさえわかれば青山さんは概ね解けてしまう。

一方の幡出さんはとにかく問題を解いて慣れていくタイプだ。参考書や問題集の山は彼女の手によって次々消費されて行く。だから多少の応用も難なく解けてしまう。ここが青山さんとの差である。

この学園のツートップたる2人はこうして毎日図書室を使っている。お互いベクトルは違えどこの空間が最も落ち着くようであった。

 

「幡出さん、生徒会選挙ももうすぐね。」

 

「生徒会長立候補はアタシしかいないけど、ちゃんと支持を集めた上でなりたいものね。」

 

「推薦者が私だし、どーんと構えてればいいですよ。任せてください。」

 

得意気に胸を張る青山さん。物書きである自身の能力からか、幡出さんを良く知る友人としての誇りからか。彼女は推薦者としての自信を持っていた。

 

「あなたに任せておけば安心だけどねー。頼んだわよ?」

 

「楽しみですねー選挙演説。」

 

「楽しんでるのはあなたくらいよ。」

 

今日も、種類は違えど文字に溢れる机の上で、2人は共にいる。

 

 

 

 

 

「今日もあそこに行くのかしら?」

 

「そうですねぇ。特に新しいのができたわけでも無いですけど、たまにはコーヒーのために行くのもいいかもしれません。」

 

「アタシもいってみようかしら。あなたの話を聞いてるとやっぱりこの目で見てみたい気もするわ。」

 

「いい人たちばかりですよ。お客さんもマスターも。」

 

「楽しみねー、久しぶりに息抜きもしたいし。」

 

「テスト終わりのコーヒーは染み渡りますから…。」

 

「なんだか、翠ちょっと老けた?」

 

「大人になった、と言ってほしいものですね。」

 

高校生さながらの会話を交わしながら、2人は目的の場所へと歩いていた。幡出さんはそこに行くのは初めてだ。元々出掛けないこともあるが、勉強していたら遊ぶ時間なんてそうそう生まれない。それこそ、青山さんとの帰宅途中の寄り道程度である。

 

「ほら、あそこがラビットハウスですよ。」

 

「意外と路地入ったところなのね、街の騒ぎもそれほど気にならないし、落ち着くのもわかるわ。」

 

「それほどでも…。」

 

「翠を褒めてるわけじゃないのよ?」

 

「私の常連の店が褒められたらそりゃ嬉しいですもの。」

 

「いいから早く入りなさいよ…。」

 

「あなただってテストの点褒められたらいい気になるじゃないですかー。」

 

「それはちょっと違うじゃないの!」

 

「あらあら…静かにしてないとお嬢様に見られないですよ?」

 

「お互い受験して入ってきた身じゃない!」

 

和やかで微笑ましい対話であった。

 

 

 

 

 

「まぁ全部聞こえておるんだがな。」

 

「なんだかまた楽しくなりそうだな、親父。」

 

意外と筒抜けだったことも知らずに笑い声はドアの向こうからカウンターに届く。







今回もお読み頂きありがとうございます。5話になりました。先週は投稿できずに申し訳ありません。

・今月は公務員試験が立てこんでおり、執筆が満足にできませんでした。それだけの理由なんじゃよ。いや本当に読んでくれる人達には申し訳なさしかないです。
・今回初のオリジナルキャラを登場させました。名前はマンデリンというコーヒーから取ったわけであって湿布とかの会社とは別物ですから。そこ気をつけて。
容姿等に関しては個人的に浮かんでる像はあるのですが、やはり【ご注文はうさぎですか?】の世界観を極力そのままにしたいという考えから言及はしません。絵とか描いてもらったら掲示するかもしれませんが…

次回もお楽しみにして頂けたら幸いです。


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「私、あなたの隣にちゃんと立ててる?」

リアルが落ち着いたので6話です。毎週投稿守ります。たぶん










私がこの学校に入ったのは本が読みたかったから…ってだけじゃない。

勿論その先、進学率の高さや充実したシステム、設備も私をその学校へと誘った要因と言える。

高校受験の難易度はかなり高かった。有名お嬢様私立高校というのもあって、ブランドのような雰囲気も醸し出していたからかもしれない。

でも勉強は嫌いじゃない。本を読むことと差異はないから。知識が入っていく感覚はどんな本を読んでても同じだ。

でも最近、以前より勉強が好きになった気がする。

 

「あら翠、また来たのね。」

 

この声が聞けるから、私は本を読んでてよかったって思えるの。

 

 

 

 

 

「それで、なんであの子は端っこに据わっとるんだね。」

 

昼過ぎの、のどかな空気が漂う店内には新しい顔があった。始めてにしてはどこか、顔が赤すぎる気がする。

喫茶店ラビットハウスは昼も過ぎると大して人もいない。数人が珈琲を飲んで自分のしたい事をしてるだけだ。

そんな自分の時間を過ごす人達に混じって、端っこでちびちび珈琲をすすりながら俯いてる姿はなんとも浮いている。

 

「まさか扉の向こうの話が聞こえてるなんて、思いませんでしたから。」

 

青山さんはいつもの調子だ。恥ずかしがる素振りもなく困った顔だけを作っている。

 

「生徒会長候補にして学園1位の秀才、か…。あんな賑やかな子だとは思わなかったな。」

 

「な、なんで知ってるんですか!?」

 

「そりゃあ、青山さんがよく話してくれるからね。」

 

青山さんが話すことは新作小説の話か最近読んだ本の話、そして学校の話である。本の話はマスターにするのだが、学校の話はマスターより年の近いタカヒロが聞いている。マスターは青山さんの本については熟知しているが、逆にタカヒロは青山さんの学校での出来事をよく知っている。

 

「もうヤダ…完全にキャラ崩壊よこれ…」

 

「あら、私はいつもの凛さんが好きですよ?」

 

「私はアンタと違ってそう本心をさらけ出すタイプじゃ!…あぁ…」

 

どんどんキャラが崩壊していく。もう止まらないとわかったからか、彼女は開き直り始めた。

 

「なんというか…この子と一緒にいるとペースが完全に持って行かれるものですから…ついツッコんで止めないとって衝動に駆られるんですよね。」

 

「気持ちはわかる。逆に君がいなかったら彼女は止まることを知らなかったと思うよ」

 

「むぅー、私だって自制くらいできますよー。」

 

「翠、自分のボケ加減はわかってたのね…」

 

青山さんは天然だ。自覚なしにボケるから基本はわかっていないことのほうが本当は多い。だからこそ、彼女にとってのブレーキと言える幡出さんの存在はかなり大きかった。

 

「すまんの、ちょっと奥で作業が残っててな…お、いらっしゃい。君がさっき怒涛のツッコミをかましてた子かね。」

 

「もう頼むからそのくだりをぶり返さないで…」

 

何も知らないマスターが終わりかけてた流れを戻しつつ、会話は彼女の学校生活の話に変わっていく。

 

「生徒会の選挙はいつなんだ?」

 

「んー、1週間後だったかしら。」

 

「そうね、彼女が私の推薦者になってくれてるんです。」

 

「はえーお嬢さんが。そら安心じゃの。言葉の引き出しの多い人は褒めるのも上手いもんだ。」

 

「ちゃんと私を褒めてくれるかが問題ですけどね…」

 

「私ほど凛さんのいいところを知ってる人はいませんからね。」

 

「すっごい自信だな…」

 

それほど長い付き合いという訳ではない。1年生の頃はまだ面識がなく、青山さんが2年生になってから知り合った。青山さんが1年生の頃は図書委員の活動もあったし、文芸部としての執筆活動もあったので当時は友達という友達も少なかった。それ故に、高校生として初めてと言える友人の存在だから、幡出さんを高校内で最もよく知る人物と自負したいのかもしれない。幡出さん自身も、中学時代から勉強尽くしだったために、人と接することがなかった。幡出さんとしても、青山さんの存在は大きい。

 

「しかし、この子が生徒会長なら、安心するのぉ。」

 

「私もそう思います。」

 

「え、ちょっとアタシ抜きで勝手な評価しないでよ。なんでそう思うの?」

 

幡出さんに自信がないわけではない。しかしそれは自分が今でも生徒会として働いていたり、自分自身まとめ事が嫌いでなかったという主観的な感想だった。想えば、他人からの評価は聞いたこともない。最も、それを知ることができるのが選挙というものであるが。それより前に人の評価を聞いておくのもいいかもしれない。

 

「君と話したことは殆ど無い。今が初めてじゃしの。だが、この少ない時間でも君の人の良さ、優しくてそれでいてユーモアで、思いやりがあって頭も切れる。そんな子なんじゃないかってわかるさ。」

 

「凛さんはこんな私とずっと友達でいてくれて、長い時を共に過ごしてます。もちろん、一生の中の些細なひとときかもしれないけど。それでも、あなたの良い所悪い所、全てひっくるめても貴方は人を指揮する立場、代表の立場にふさわしいと思うんです。」

 

意外だった。幡出さん自身もここまで褒められるとは思っていなかった。ましてや片方は今日話したばかりの老人である。

幡出さんは、この言葉に安心したのか、微笑みを浮かべてコーヒーを飲む。

 

「ならよかったわ。俄然気合が入るってものよ。」

 

「凛さんがやる気になってくれたら嬉しいですね。」

 

「元からやる気しかないわよ。」

 

微笑ましい会話と共に、この喫茶店は時を送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー今日は楽しかったわ。ありがとう、翠。」

 

「礼には及びませんよ、凛さん。」

 

少し暗くなってきた道を2人は歩いていた。あの後も少し何気ない話をしていた。学校のこと、出会いのこと、思えば幡出さんと青山さんが出会ってから、2人の時間はより濃密になったように感じられた。

 

「でも凛さんも努力を怠りませんよね、今回のテストといい生徒会選挙といい。」

 

「アタシはいつでも全力よ。今回のテストなんて今までやってきたことと同じだもの。」

 

「今までやってきた、というのが努力の証じゃないですか、だって…」

 

 

 

 

 

 

 

「新しい女子高生が来て、親父も嬉しかったんじゃないか?」

 

「何言ってんだ、ワシは大人の女性の魅力しか知らんぞ。」

 

「とか言ってよ、ずっとニコニコしてたじゃんか。」

 

「…まぁ、若い子と話せるのも貴重な時よな。」

 

2人が帰ってから、ラビットハウスは今日を振り返っていた。新しい客というのはいつでも嬉しいものだ。心なしか、今日のカウンターにいる2人はテンションが高いようにも見える。

 

「あの幡出さん、すっごいよね。努力の仕方が違うよ。学園1位だよ?」

 

「確かになぁ、特に勉学においては特に頑張っとるようじゃし。」

 

「凄いんだよ幡出さんは。なんてったって、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「3年生の試験を2年生で受けてるんだから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか。ちょっとでも爽快感を味わえていただけたら幸いです。

・ごちうさ4巻を手にして思いつき、脳内で路線を変更しました。青山さんは高2設定と言ったな?アレは嘘だ。ごちうさの原作を欠かさず読んでいる人なら「あーあの人かな?」となるかもしれません。来たるごちうさ2期にももしかしたら出るのかな?つまるところオリキャラで無くなりましたとさ。
・いつもはタイトルを文章内に入れることが多いのですが、今回はテーマのような形にしました。隣に立ててる?というのは学年がひとつ下の幡出さんの心境ですね。

今回もお読み下さりありがとうございます。


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「私だって、この空間が好きなの。」

今度こそほんまモンのオリジナルキャラ出します。








きっかけというのは些細なものだ。たまたま読んだ小説に珈琲が出てきて、たまたま珈琲に興味を持ち、喫茶店巡りが趣味だった時期にたまたまここに行き着いた。

特別舌が肥えてるわけじゃない。喫茶店巡りと銘打っても真実は有名チェーン店の所謂シアトル系コーヒーショップを回ったり、近所の店で豆を買って自分で挽いてみたり。差別化できる対象を多く持ちあわせてもないしそれが理解できる感覚も無い。

それでもここの珈琲はすぐにわかった。違う、と。

香りだの油分だの、豆だの煎り方だの、違いは探せばいくらでも出てくるのだろうが、もっとわかりやすい違いがあった。

 

 

 

「ねぇ、マスター。」

 

「何でしょう、お客さん。」

 

 

 

言わずにはいられなかった。今しがた自分が体感した想いを、作った本人に聞いて欲しかったから。

 

 

 

「私、この場所が好き。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何でまだ書いてないのよ!」

 

字面だけ追えばただの怒号だが、彼女…幡出さんは、カウンターに座って必死に抑えた声で叫んでいた。

 

「だって…演説の内容とかもあったし…ほ、ほら、テストもあったじゃない?」

 

「それはっ!…先月の話じゃないの!」

 

声を荒らげて後に我に返り、再び小声の叫びを放つ。時期は10月…彼女達の学校にはとあるイベントが待っていた。

 

「文化祭まで残り1週間なのよ?部誌の書き下ろしを書くって言って聞かなかったのはあなたじゃないの!」

 

「返す言葉もありません…」

 

文化部の最大の見せ所、文化祭が彼女たちの高校には迫っていた。各部も出し物や発表のためそろそろ調整に入る中、彼女たちの部活は部誌という形で日々発行している小説や短編を各自で1つにまとめて売るというものだった。

 

「文芸部は文化祭の売り上げでしか目立てないのよ?生徒会としても予算を割くのはギリギリなところなのよ。ここで頑張らなくてどーすんのよ。」

 

「凛ちゃんが手伝ってくれると思ってて…私のやる気を出すために…」

 

「会計だったアタシを無理矢理文芸部に引き入れたあなたの言葉とは思えないわね。」 

 

「予算の確保で大切なのは会計係を握ることですし。」

 

「そんなこと聞いてるんじゃないのよ!」

 

幾度目かの彼女達の掛け合いはカウンター越しの彼にも見慣れたように感じられた。初めて幡出さんがここに来てから1ヶ月が経つが、彼女たちはずっとこんな感じだった。

 

「相変わらず仲いいな…」

 

「あ、タカヒロさん…すみません迷惑かけて。」

 

「いいんだよ、たまには賑やかな方がこっちも楽しいし。」

 

「マスターはあちらで何をなさってるんですか?」

 

そう言われて少し先のテーブルを見る。マスターはコーヒーを飲むとそのカップを見つめ、常連客になにやら話をしているようだ。

 

「あぁ、2人とも初めて見るよね。あれはコーヒーを飲んで」

 

「私ちょっと行ってきますね。」

 

「ちょっと翠!」

 

青山さんは幡出さんの静止を気にせずテーブルに向かう。気になることがあると止まらないのは青山さんに会ってから2人とも頻繁に目にしている光景だ。

 

「マスター、何をなさってるんですか?」

 

「おおお嬢さんか。コーヒー占いだよ。」

 

「マスターの占いは当たるのよ?」

 

常連さんが言うには、マスターがコーヒーを飲んで、カップの底についたコーヒーしぶの形や色からその人の未来を占うというものであった。

 

「ちなみに、結果は何だったんです?」

 

「あぁ、えぇっと…想いが漏れだすが、一歩先に進める、ってところかの。」

 

「やだ、想いが漏れだすって…なんか秘密でもばれちゃうのかしら。」

 

そう言って常連さんはマスターと笑っている。青山さんはふと気づいたことを言ってみた。

 

「あのー、貴女、私が来る時必ずいますよね?」

 

「気づいてたの?嬉しいわねー。常連冥利に尽きるわ。」

 

「ここの客が少ないから嫌でも覚えるだろ、白井。」 

 

カウンターから声が聞こえる。白井と呼ばれた彼女は微笑みながら彼を一瞥すると、改めて青山さんに向かい合う。

 

「はじめまして…じゃないけど。ここのロースターをしています、白井(しらい) 翔子(しょうこ)です。よろしくね、青山さん。」

 

 

 

 

 

 

 

ロースターとは喫茶店などと話し合った上で豆をブレンド、焙煎を行い喫茶店に提供するのが仕事だ。バリスタよりもコーヒーに関する知識が深いと言っても過言ではない。青山さんはもちろんこの職業のことは知っていたが、疑問があった。

 

「マスターは自分で焙煎してるんじゃなかったでしたっけ。」

 

「あぁ、豆のブレンドに関しては彼女と話し合ってる。豆を仕入れるのはロースターからなんじゃ。」

 

「昔からここには馴染があったからねー。」

 

「ではここのコーヒーを作ってるのは白井さんでもあるんですねぇ。いつもありがとうございます。」

 

「礼には及ばないわよ。焙煎して挽いて淹れてるのはマスターだし、私は喫茶店に豆を提供してるだけだもの。」

 

「ちなみに昔からって、どれくらい前からなんですか?」 

 

「もう何年になるかの…タカヒロが軍学校から帰ってきた頃よな。」

 

「初めての頃なんて覚えてないわよ、ここに何百回と立ち入ってるんだもの。」

 

青山さんはそれからも彼女を質問攻めしていった。ロースターとして働き始めた理由、ここと出会ったこと、ロースターを目指すまでを。彼女は全て答えてくれた。

 

「ふぅー、ところで青山さん、カウンターのあの子は大丈夫なの?」

 

「あ、幡出さんなら…」

 

振り返るとそこには鬼の形相を浮かべ、原稿用紙を握りしめている幡出さんの姿があった。心なしか髪は逆立ち、背景は真っ赤な炎が燃え盛ってるように感じる。

 

「翠!いい加減戻るわよ!部誌書いてもらわないと困るの!」

 

そう言うと幡出さんは素早く彼女の腕を取り引きずるようにラビットハウスを後にしていった。カウンターには律儀に頼んだコーヒーとしれっと青山さんがやってもらったコーヒー占い代をぴったし置いていっていた。

 

「ここも楽しくなりそうじゃない。マスター。」

 

「…確かにな。」

 

2人は静かにそうつぶやくと、マスターはカウンター、白井さんは自分のテーブルに腰掛け残りのコーヒーを楽しむ。嵐の後は、いつもの時間の流れに戻る。








もう7話になります。おおよその折り返し地点ですかね。

・今回からちゃんとオリジナルキャラを出しました。ホワイトショコラから引用しています。ロースターという職業とは似つかわしくない甘い飲み物ですが、理由は次話の後書きにて書こうと思います。

・ごちうさ2期がいよいよスタートしました。といっても、BSもTOKYO MXも映らず、頼みの綱のエムキャスは非対応ということでニコニコ動画に上がるのを待つことになります。いいもん。原作読んでるからいいもん!
 2期スタート記念のssも書こうか悩みましたが、この回の更新が翌日ということもあり見送りました。仕方無いね。


これからのご注文はうさぎですか?の世界にますますの発展があることを願っています。2期を見て、少しでも青山さんファンが増えて、少しでもこの話に興味を持ってくれる人が増えてくれると幸いです。

お読みいただきありがとうございました。


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「私は、ただあなたの為に、自分のために」

思いの外長くなりそうなので今回は伸びそうです。ちょっとした謎解きも入れておいたので皆さんもやってみてください。あとがきにて解説します。












私がどうしてロースターの道を目指したのか、といわれると、あんまり胸を張って言えることじゃないのよね。

初めは私も喫茶店の経営者になろうとしてた。美味しいコーヒーを作るために頑張ろうって、あの人に少しでも近づけるようにと思っていた。

でも途中から、あの人に近づくんじゃなくてあの人と一緒に仕事したいって思って。

だから私は今まで学んできたことを活かしつつ喫茶店と協力できる、ロースターの道を進んだの。

…まあ、こんなこと言えないからあの子にはもっとまともな理由を話したけどね。

やだ、マスターが一番わかってるじゃない。あの人のことは。

あの人は何も知らないままがいいの。私の本当の事なんて。

そんな悲しい顔しないで。私はもういいのよ。この大好きな空間で一緒に働けてる事実は、私の宝物よ。

あ、宝物で思い出したわ。ねえマスター、ここって地図はあったかしら。なければ私が書くわ。

 

 

 

 

 

あの子達、謎解きは好きかしらね?

 

 

 

 

 

 

「シスト…ですか?」

 

文化祭まで残り5日と差し迫った青山さんはラビットハウスにて執筆中だ。今も端のテーブル席で一心不乱に原稿用紙に鉛筆を走らせている。

幡出さんは今カウンターで珈琲を飲みながら彼女が小説を描き上げるまで付き合っているところだった。

 

「幼い頃は母に地図をもらって街中を探したものですが…なぜ急に?」

 

幡出さんには経験があるようだった。シストとはフランス発祥の宝探しゲームのようなものだ。この街では地図にポイントが書いてあってそのポイントに行ってヒントを得て宝箱に向かい、中身の宝物をひとつ取って自分の宝物を中に入れるというものだ。

 

「うちにも地図があってな…どうだね、2人で気晴らしに行ってきてみたらどうだ。そんな難しい物じゃないぞ。」

 

ここのマスターが幡出さんに渡したのは古そうな紙に書かれたこの街の一部が書き込んである地図だった。どうやらここラビットハウスの近辺のようだ。

 

「お気持ちは嬉しいんですけど、なにせ翠は文化祭の準備で忙し」

 

「なるほど、ここの近くの路地にひとつ目のポイントがありますね、行きましょう凛ちゃん。」

 

「ひゃう!?」

 

さっきまで隅でひたすら新作を書いてたはずなのに、話を聞いていたのか幡出さんの後ろから唐突に話題に入ってきた。青山さんのマイペースは心臓に悪いようで、幡出さんはしばらく呼吸を整えるのに必死だった。

 

「アンタねぇ…相変わらず突拍子もないタイミングで声かけるのはいいとして、新しいのは出来たの?時間ないってあれほど行ったじゃないの!」

 

「あらかたストーリーも定まりましたし、書き始めればすぐですから。それに、小説でも何でも効率を上げるには適度な息抜きですよ。行こうか凛ちゃん。」

 

「ちょ、翠何すんのおおおおおお!?」

 

青山さんは強引に幡出さんの腕を引いて店を後にした。2人共バッグは置きっぱなしなので、戻ってくるつもりなのだろう。

 

「…謎解きが好きかどうかはさておき、凄まじい食いつきだったな。」

 

「私もあそこまでがっつくとは思わなかったわよ…」

 

幡出さんの座っていた席から少し離れたカウンターにいたのは白井さんだった。今回の地図を書いたのも宝箱を置いたのも白井さんだ。

 

「なんで急にこんなことしたんだね。」

 

「なんだか、久しぶりに昔を思い出しちゃってねー。シストも、私にとっては思い出深いもんよ。」

 

「あの頃の地図はワシが書いたんだったか。」

 

「マスターのは謎解きというよりとんちだったじゃない。一○さんでもない限り思いつかないわよあんなの。」

 

「シストの地図は代々継がれるものだからな、ワシが作った地図が後世のワシの子孫にも見られるのかと思うと気合が入ってな。」

 

「まぁ失くしちゃったけどね、あれ。」

 

「酷すぎるわ…全く。白井ちゃんの地図が継がれて行ったらワシもう泣くぞ。」

 

「頑張って準備したしイマドキの女の子っぽい感じにしたからマスターが作ったのより良いと思うけど。」

 

「うるさいわ!」

 

 

 

 

 

 

 

「この辺の筈ですけど…あ、あった!」

 

一方の青山さんたちは早速ひとつ目のポイントについたようだ。中には1枚の紙とエンブレムの外枠のようなものがあった。

 

「この街は店ごとに象徴と言えるエンブレムを外に飾りますから、多分これらを揃えて完成させると宝箱があるお店にたどり着くのでしょうね。」

 

「この紙は…何だろこれ…」 

 

 

 

 

5♡6 J♢K♤3 Q♧2♡10 6♢K 8♤4♧A♡7♢Q♤A K♧3♡J♢4 K♤A♧J

 

ヒント

 ♤A×♧A=♡A=♢A

 K♡8 K♢6 K♤Q K♧6 A♡5♢7♤3♧A =うさぎ

 

 

 

 

「見るからに暗号ね、これ。」

 

書かれていたのはトランプのマークとその数字だった。丁寧にヒントも書かれているが、パッと見で判断できる代物では無さそうだ。

 

「単純に考えればKQJAはそれぞれ13、12、11、1。になるのかな。」

 

「あとはマークだけど…♡Aと♢Aがイコールだから♡と♢は同じ意味を持つんでしょうね。」

 

「♡、♢、♤、♧をローテーションしてるのは意味があるのかしら。」

 

「ローテーションさせるなら♤♢♧♡の順番でしょう。」

 

「じゃあ関係ないのかな…うーん。」

 

2人で考え込んでいると、青山さんが常備してる手帳に備え付けのペンで書き込み始めた。

 

「うさぎが5つのカテゴリーで表されるということはローマ字表記のUSAGIしかないですね…英語は6文字、ひらがなは3文字ですし。あとは前段の数式のようなものは…」

 

ぶつぶつとひとりで語りながら一心不乱にメモ帳にインクを走らせる姿に、幡出さんはただただ圧倒されていた。青山さんが小説を書くときは常に考え込んで書いての繰り返しだ。考えながら書き進めるという行動は見たことがなかったからだ。

 

「…ふぅ、わかりました。♤と♧、♡と♢で(つがい)だったんですねぇ。」

 

「もう解いたの翠?答えは何なのかしら。」

 

「さぁ、早く次の場所に向かいましょう!」

 

「え、ちょっと答えは?どーやって解いたのよおおおおおお!」

 

またも腕を引かれる幡出さんは今日1日ずっとこの調子で振り回されるんだろうと腹を括りつつ、この理不尽な仕打ちに叫ぶことしか出来なかった










本日もお読みいただきありがとうございます。白井さん回は3話に渡る感じです。前回あとがきにて白井さんの名前の由来を解説するつもりと話しましたが、アレは嘘だ。

・まずは小説内の問題の解説から行いましょう。簡単だと思いますが脳内だけで完結させるのは少し面倒くさいものだったと思います。

青山さんの言う通り♡と♢の主に赤色で表記されることの多い2つは+の意味を持ち、♤と♧の黒色が多い2つは−の意味を持ちます。 ♤A×♧A=♡A=♢A というのは −1×−1=+1 という意味でした。これらを踏まえればわかるように、文字列を計算して出てくる数字はAから数えていったアルファベットの数字でした。UはAから数えて21番目なので、K♡8、つまり13+8=21という式なんですね。2つにせず4つにしたのは2つだと簡単だと思ったからです。

・白井さんの名前の由来を書こうとして断念した件なのですが、謎解き場面が多すぎて伏線を貼れなかったのが大きいです。白井さんの真実は最終話手前くらいでわかると思います。

・嬉しい悲鳴と言いますか、国家公務員一般職の一次試験に通ったので現在官庁訪問や二次試験の面接のためにまたも時間のない日々を過ごしています。まだ支障が出るほどではないのですが、2400文字前後が現在のギリギリのラインです。申し訳無え…執筆活動というものに慣れてなくて申し訳ねぇ…!

・後書きがかなり長くなってしまいますが、現在2015/10/17 22:11なのですが、先程ニコニコ配信のご注文はうさぎですか??の1羽を拝見しまして、感動が止まらない故にどうしてもこの感動を伝えたく書き足しました。このssを読まれてる人は多少はごちうさの世界を知ってるかと思います。2期からでも構いません。ぜひ見て欲しいです。キャラクターの可愛さを存分に楽しんで欲しいですし、青山さんがなんと1羽からセリフがあるんです。これには泣きそうになりました。ごちうさに出るキャラクター全員にセリフがあって動きが有ります。1期よりも導入しやすいものだと感じました。是非。

ツイッターなどで最新話の宣伝や日常や自分の好きな作家さんとだらだら絡んでたりするのでフォローしてくれると泣いて喜びます。執筆者名とハンネが違うのは使い分けてるだけだから。うん。

次回も楽しみにしていただけたら幸いです。


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「私の、宝物」

いつもより長くなっちゃったけど許してにゃん。











宝箱を探してる途中、常に頭にあったのは彼のこと。

高校3年生の思い出作りなんて理由で始めたシストだけど、謎解きなんてまともに出来なかった。

彼のことが好きだったかどうかより、彼と彼女が並んで歩く姿に複雑な気持ちだった。

2人とも仲良くて、私も2人が好きで、いつも3人で色んなこと話して、色んなとこ行って、掛け替えのない宝物はポケットにあるこんなものより大切だ。

大切だから、壊したくないし、ずっと抱えて生きていたい。

だから私のもうひとつの想いはここに込めて、宝箱に置いていく。

いつか、この想いが誰かの宝物と変わって、誰かの宝物になったらいいなって。

拙い文章かもしれないけど、ここには今の私が詰まってる。

 

 

 

「おーい白井、あったぞ次のポイント。」

 

「しょーこちゃんの頭脳だけが頼りなんだから。」

 

 

 

2人が呼んでいる。私も行かなきゃ。

これも私の宝物の1つだから。大切な絆だから。

…なんだか、私の手元にはもう宝物が溢れてるみたい。そうでしょ?マスター。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり靴屋でしたね。」

 

「はぁ、わかってたらまず答えを言いなさいよ…引き摺られる身になりなさい…」

 

「何事も猪突猛進が信条ですから。」

 

「嘘つきなさい…猪突猛進なら…さっさと原稿書くでしょ…」

 

靴屋に辿り着いた2人の姿は対照的で、生き生きとしてる青山さんと疲労困憊の幡出さんの2人の図は奇妙なものだった。

靴屋の脇の細道にひっそりと置かれていた木箱を開けると、今度はうさぎのエンブレムと、紙には3つのエンブレムの欠片がバラバラに書かれていた。

 

「これもまた暗号のような要素なんでしょうか…考えてみましょう。」

 

「あー私ここ知ってる、確か帽子売ってると」

 

「ここは喫茶店で一休みしろという暗号ですね。」

 

「翠は何を言っているの?」

 

「ウフフ、この辺にもうひとつ行きつけのお茶屋さんがあるんです。行きましょう凛ちゃん。」

 

「あっ、またこの展開なのね…。」

 

青山さんの無茶すぎる理屈でまたも幡出さんは引きずられるようにして移動する。もはや抵抗は無かった。

そうして向かった先は古風な店構えのところであった。

 

「なるほど、確かにお茶屋さんね。」

 

「ここの茶菓子は美味しいんですよ、抹茶も美味しいですし。」

 

「翠はセンスだけはいいのねー。どうやって見つけてるのかしら。」

 

「適当にフラッと歩いてたら行き着いただけですよ。こんにちはー。」

 

甘兎庵と書かれた看板の下の引き戸を開けると、奥からラビットハウスのマスターと同じくらいの年だろうか、女性が出てきた。

 

「あら青山ちゃんいらっしゃい。そちらは?」

 

「友人の凛ちゃんです。今2人でシストをやってまして、一休みに来ました〜。」

 

「どうも、幡出凛と申します。」

 

幡出さんはその性格からか、律儀に自己紹介をしてお辞儀までする。2人は窓際のテーブル席に座る。

 

「ここは羊羹と抹茶を頼むのが通なんですよ。」

 

「それを決めるのは翠じゃなくてここのおば様でしょうに…」

 

「ここにも長く通ってますから、美味しいものの組み合わせはわかってるんですよ…あ、ほら来ましたよ。」

 

頼んでもないのに店主は青山さんと幡出さんに羊羹と抹茶を出した。オススメなのかわかりきっていたのかは定かではない。

 

「それで、次はあの帽子店でしょうね。そろそろ最終のポイントだと思うけど。」

 

この街のシストはあまり多くのポイントを作らない。せいぜい3つ4つといったところだ。ゴールのポイントも含めるとそろそろ終わりだろうと幡出さんは思っていたのだ。

 

「まぁ妥当なところでしょうね。ところで、急いで出てきたものですから自分の宝物を用意してませんでしたね…」

 

「あっ、忘れてたわ…」

 

シストのゴールには宝箱があり、自分の宝物と中に入ってる宝物を交換する制度だ。やるからにはもちろん宝箱までたどり着きたいし、交換もしたい。

 

「…そうだ、今日のことを小説にしましょう。」

 

「小説?」

 

「短編のようなものを今から2人で書くんです。それを入れていきましょうよ。もしかしたら誰かが読み継いでくれるかもしれませんし。」

 

「そんな時間あるわけ…」

 

「私はメモ帳とペンを常に持ち歩いてる小説家の鏡ですもの。予備のペンだって持ってるしメモ帳は切り離せるようになってますよ。書きましょう凛ちゃん。」

 

「えぇー…」

 

「これも文芸部の活動の一環ですよ。」

 

青山さんはメモ帳から紙を数枚切り取ると、ペンと一緒に幡出さんに手渡した。幡出さんも観念したのか、しぶしぶ罫線にペンを走らせる。青山さんは既に黙々と書き込んでいた。

 

(今日のこと、か…)

 

幡出さんも文芸部員である以上はいくつか文を書いた。でもそれは架空の話で、今日1日の出来事を小説のように書き取るのはなかなか難しかった。

 

(こうして翠と一緒にいることをちゃんと思い返すことはなかったわね。)

 

入学した頃、図書室で勉強をしてる自分の前に突如現れた上級生。仲良くなるうちにいつしか対等な関係になってきた。今では学校の誰より仲の良い親友と言っても差し支えはないし、自分の生徒会長になるための推薦者としてしっかり演説してくれた。彼女には支えられたことも多いように感じる。

 

(たまには…翠に感謝の手紙でも書きましょうかね。)

 

そう思い、幡出さんも書き進める。

 

(彼女に見えない感謝があってもいいじゃない。)

 

そう想い、彼女はペンを走らせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

青山さん達は甘兎庵を出ると、すぐに件の帽子屋に向かった。そこにも木箱があり、中には古びた紙と、ポイントが記されていた。宝箱のマークが付いている。

 

「これは…」

 

「やっぱり次がゴールみたいね、地図的にはラビットハウスにも近いとこじゃない。あのレンガの家跡じゃない?」

 

ラビットハウスには近くに昔建っていたであろう家の壁が少し残った、城跡ならぬ家跡のようなものがある。ツタが生えていたり草が生い茂っていたり、うさぎが日向ぼっこしていたりと、子供の遊び場のようなものになっている。

 

「なるほど…そうですね、行きましょう。」

 

「?、どうしたの翠。」

 

「きっと行けばわかると思います。」

 

何かに気づいたような青山さんはゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ、か…」

 

「恐らくは。ほら、あそこにありましたね。」

 

辿り着いた2人の前には赤地に金の模様がついた宝箱があった。ここには様々な人の宝物が入っている。

 

「早速開けてみますか…」

 

「ちょっと待って凛ちゃん。確かめたい事があるの。」

 

そう言うと青山さんは宝箱を開けて物色し始めた。

 

「ちょっと翠、何やってんの?」

 

幡出さんの言葉も聞かずに中身を見終えると、今度は宝箱を確認し始めた。

 

「…っと、恐らくこれでしょうか。…うん、取られているかとも思いましたが、見つかりましたね。」

 

そう言うと青山さんは何やら手元の紙を読んで、考えこむような仕草をした後に幡出さんの方を向いた。

 

「この宝探し、本当に探すものはもっと別のものかもしれないですね。」

 

 

 

 

 

 

 

午後のひとときを流れるこの喫茶店ラビットハウスで、白井さんとマスターは2人の帰りを待っていた。彼女たちが嵐のように去って行ってからしばらく経つ。

 

「そろそろ戻ってくるんじゃないかの?」

 

「ええ、特に難しいことはさせなかったつもりだけど…」

 

すると、店の扉がカラカラと鳴る。入ってきたのは1人の少女だった。

 

「凛ちゃんじゃない。翠ちゃんは?」

 

「行くところがあるって言ってどっか行きましたね。」

 

「彼女も(せわ)しないからのぉ。」

 

帰ってきたのは幡出さん1人だった。彼女は道中のシストの感想を2人に話した。

 

「…それで、帽子屋に行った後にそこのレンガの家跡に行ったんですけど、」

 

「ちょっと待って凛ちゃん、レンガの家跡?なんのこと?」

 

「なんのことも何もさっきやってきたシストですよ。」

 

「へ?いや、()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

「無い?」

 

「ええ、アレ作ったの私だもの。そんな過程にしたつもりはないわ。エンブレムは?」

 

「あー、途中までありましたね。そういえば最後の1つが見つかってない…」

 

「エンブレムを3つ組み立てたらここの店の看板になるはずなのよ。ゴールはここなのよ。」

 

「だからわざわざうちの看板のレプリカをねだったのかね。」

 

「だからレンガの家跡なんて行かないの。どうしてそうなったの?」

 

「私に聞かれても…あ、でも翠が何か見つけてたみたいだったような…」

 

「ちょっと、なんかヤバイことになってそうね、私行ってくるわ!」

 

「待ちなされ白井さんよ。彼女は大丈夫じゃ。」

 

「なんで言い切れるのよ、問題が変わってたってことは私が彼女達にやらせようとしてたことを知ってるに違いないじゃない。狙ってやってる確率が高いのよ?」 

 

「大丈夫じゃ。信じて待たんか。検討はついておる。」

 

「一体誰なのよ!」

 

「マスターさん、私にも教えてください。翠が何をしているのか。」

 

「…恐らく別の喫茶店じゃろ。彼女に会いに行ってるはずじゃ。」

 

「…彼女ってまさか…」

 

「あぁ、彼女は―」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたですか?」

 

大通りにある店の地下にある隠れた喫茶店に青山さんはいた。目の前のカウンターには珈琲を飲みながらくつろぐ女性がいる。

 

「…私のことは、わかったのかな?」

 

「…」

 

青山さんは沈黙した。しかしすぐに彼女の答えを述べた。

 

「…はじめの地図は確かに古いものでした。恐らくあの喫茶店にあったもので間違いないのでしょう。でもその後の設問の用紙は新しいものでした。問題も、とても昔の問題とは思えません。」

 

「なるほど、続けて?」

 

「…帽子屋の後、本来なら設問かエンブレムの最後のパーツ…ラビットハウスの、ウサギの隣のカップがあるはずでした。ですがそこにあったのはポイントを記した古い紙。この時点でもまだ考える材料、分岐点は残ってましたが、最後の手紙で絞れました。」

 

青山さんが取り出した手紙、封筒には白井翔子と書かれている。中身は一言、こう書かれているだけだった。

 

 

 

 

『私のことがわかったら、下にあるポイントの喫茶店に来て。彼女の本当の宝物をあげる。』

 

 

 

 

青山さんはここまでの考察を話した。自分の中の違和感を、1つずつ溶かすように。珈琲の中に砂糖を入れるように、ゆっくり、着実に、少しずつ。

 

「私が彼女に初めて挨拶された時のあの空気…違和感。彼女の言葉、彼の態度。朝のマスターの口ぶりとすり変えられたであろう問題。古い紙と新しい紙。私が今日シストをすることを知ることができそうな人物で行動に移せる人は限られます。あなたは―」

 

 

 

 

「タカヒロさんの奥様…ですよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 










9話かな?倍近い量になってしまいました。新キャラだと思った?残念、既存キャラでした!

・過去編と言うことで原作時間ではあまり触れられることのなかった人達を出しています。それが彼女たちの親になるんですが。原作を読んでいるとモカと青山さんの年は近いのかな?とも思いますが青山さんは俗に言う美魔女的な立ち位置ってことにしといてください。

・白井さん回がだいぶ長くなっていますね、これも連載という形の強みということでご了承願います。次の回で必ず終わらせるから…いやほんとに。予定は未定って言いますしね。え?白井さん回と言うよりシスト回じゃないかって?そうだよその通りだよ。

本日もお読み頂きありがとうございます。次回は白井さんとタカヒロさん夫婦の過去に迫ります。


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「私の気持ちと貴女の気持ち」










私が彼と出会ったのはもうずっと昔の話。

窓際で本を読んでいる私に彼が声をかけてくれた。

それまでの私はあまり外に出ることもなかったし、人の輪に入っていくようなこともなかった。

彼が私の世界を広げてくれた。

同時に、自分の気持ちというものに、嘘をつくことも覚えていた。

彼と、彼女と、3人で遊ぶことも多くなって、3人の空間があまりにも心地よくて、あまりにも儚くて。

すこしの動きで音を立てて崩れていくような、そんな錯覚さえした。

だから、行動することを躊躇ってたし、嫌だった。

 

 

 

 

「…行ってきなよ。タカヒロのとこ。」

 

 

 

 

 

彼女から、背中を押されるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「理由がまだ見えないわ。」

 

ここは大通りの店の地下にある喫茶店。青山さんは手紙の送り主の言う「彼女の本当の宝物」を求めてやってきた。その条件は「私のことがわかったら」であった。

 

「まず、白井さんと初めて会った時の違和感…って?」

 

青山さんがカウンターに座る女性をタカヒロの妻であると予見した理由の1つだった。青山さんは静かに切り返す。

 

「私が初対面の時、タカヒロさんは彼女のことを『白井』と呼びました。お店に豆を仕入れてくれる人であれば、たとえ年下でもさんをつけるでしょう。少なくとも、彼はそういう人です。

ですから白井さんとタカヒロさんは面識があると感じました。でも白井さんは一瞥するに留めた…恐らく、隠したいことがあったからです。

彼女の性格は思ったことは素直に伝えるように出来ています。以前マスターに本を紹介した後も、小声といえど伝えていたようですし。

タカヒロさんとの関係を知らない私のことを知らん振りで通すとは思えません。ちゃんと、友人であることを話すはずです。」

 

青山さんがマスターに本を紹介した時、興奮のあまり本の内容をほとんど話してしまったことがあった。その時も彼女はマスターを呼んで読む必要はないだろうと言ったのだ。そのようなことを経験しているからか、彼女にはそれが違和感として映った。

 

「なるほどね…でもすり替えなんかはタカヒロにもできると思うけど?」

 

「彼は、彼女の手紙の存在すら知らないと思います。」

 

「へぇ、どうしてそう思うの?」

 

続けざまに質問する女性。青山さんはゆっくりと呼吸をした後にこれらの考えのすべてを話した。

 

「まず白井さんの名前が書かれた封筒…宛名がありません。少なくとも、ポストに投函されたものではないと思います。ポストを介さずに渡せる手紙なんて限られます。恐らく、

 

 

 

 

      恋文…の類いかと。

 

 

 

 

それでも何者かが封筒を持っていた。タカヒロさんに渡したものであれば、それを再利用するようなことはしないはずですし、少なくとも現在彼は妻子を持つ身、子供の頃といえど付き合うようなことはなかったと思いますし、仮に付き合った故に今の奥様と結婚なさった場合でも、彼が手紙をそのままにするとは思えませんでした。」

 

「なるほど…それでもまだ可能性はたくさんあるわ。マスターだって、他の常連客だって可能性はあるもの。彼女の友人だってタカヒロ達だけでは無いはずよ?」

 

「…タカヒロさんの奥様は、きっと、白井さんに背中を押されたのではないでしょうか。」

 

またも沈黙が流れる。青山さんはそれを何と捉えることなく続けた。

 

「推論ですが、白井さんとタカヒロさん、そしてその奥様の3人は仲のいい間柄だったと考えられます。苗字を呼び捨てにできるタカヒロさんはともかく、その後に軍学校に入っている上卒業したらラビットハウスに務めていたわけですから、出会いの場として高校生の時までなのは妥当でしょう。

白井さんと仲のいいまま結婚が出来るのは現在のタカヒロさんの奥様と白井さんが赤の他人か逆にとても仲の良いパターンしかありません。仲が良ければ白井さんの性格上、必ず祝うはずです。後腐れもなく。

逆に白井さんと奥様が赤の他人だった場合、彼女は今こうして喫茶店に行けないと思います。性格的に、全く知らない人とタカヒロさんが結ばれたことを良く思うことはないでしょう。その場合、ここに来ることはないと思われます。全て、彼女の性格を推察しただけなんですけどね。

ですから、白井さんが今こうして彼の仕事場に通える事実と封筒、呼び捨て、タカヒロさんと奥様の出会いの可能性の4件を総合すると白井さんとタカヒロさん、そして奥様は昔から一緒だったと考えるのが普通です。」

 

青山さんの推論のすべてが終わった。今までよりも長い沈黙の後にカウンターに座る女性は口を開いた。

 

「…推論にしては出来過ぎてるわ。そう、私はタカヒロの妻よ。貴方の考えは大まかに正解。よくもそこまで推理できたものだわ。」

 

やはりだった。青山さんの顔色も変わっていないことからよほどの自信があったと見られる。

 

「しょーことタカヒロとは一緒に遊んでたわ。シストも一緒にしたの。はじめの地図と最後のポイントの地図はその時のものよ。」

 

彼女たちがまだ幼い頃、マスターのテンションにつられてシストを行ったのだと言う。最後の宝箱は、マスターの買ってきたもののようだ。

 

「まずはその封筒のことから話さないとね。」

 

そう言って立ち上がると、青山さんの持っていた封筒をそっと預かった。席に置いてあるバッグから手紙を取り出して彼女は語る。

 

「隣に座って?聞かせてあげる。彼女の宝物の全て。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シストを終えた3人はラビットハウスに戻っていつものようにコーヒーを楽しんでいた。今日のあれこれを話して笑い合って、時間はすぐに夕刻になる。

 

「そろそろお前らは帰らなきゃだろ。疲れたろうし帰って休めよ。」

 

タカヒロはいつも周りを見ている。子供らしさもあり、時に大人のような落ち着きを持つ彼はみんなのまとめ役だった。

 

「そうするわー、帰ろっか。」

 

「うん。タカヒロくん、今日はありがとね。」

 

「礼なら親父に言ってくれよ。」

 

「そうね、ありがとー!マスター!」

 

「いいんだ。楽しかったようで何よりだよ。」

 

そうしてタカヒロは店の裏に入っていく。残りの2人も喫茶店を後にした。

帰路につくと口を開いたのは白井さんの方だった。

 

「…もうすぐ、卒業ね。」

 

「うん…」

 

その言葉が何を示しているのか、女の子同士故か彼女達には察しがついてるようだった。

 

「…あんたはいいの?」

 

「っ…。」

 

彼女は焦りにも似た感情だった。でも少し恐怖も混じって、複雑だった。感情を表す行為は、この輪を切ってしまうのではないか。でも言わなきゃ彼は遠くなる。

 

「…私ね、宝物に全部入れてきたよ。自分の気持ち。」

 

「…へっ?」

 

間抜けな声が出てしまったが彼女はそれほど呆気にとられていた。白井さんは感情をそのままにすることができるような人じゃない。思ったことを素直に口にしてくれる人だ。だからこそ、このことは絶対に白井さんが先に動くと思ってたし、彼女は半分諦めていたこともあった。

 

「なんで…なんでそんなこと…。」

 

「なんでって、わかるでしょう?」

 

「…ない。」

 

「…」

 

「そんなの…わけ…」

 

とても小声だったが、白井さんには聞き取れてしまう。そう言うと思っていたから。口の動きや体の震え方で、彼女の感情、考えは手に取るようにわかってしまう。

 

「そんなわけない、そんなの、あるわけない。か。」

 

彼女は黙って頷く。白井さんは言葉を続けた。

 

「私の気持ちを考えてたわ。ずっと。きっと、あなたと同じように。この思いを伝えたら、楽しい時間は帰ってこない。」

 

彼女は黙って聞いていた。いつしか歩みも止まり、暗闇の中を照らす街灯の下で、2人は立ち止まっていた。

 

「私にとっての宝物。それは、彼との未来なんかじゃなかったのよ。」

 

彼女は驚いて目を見張る。そばにいたからこそ些細な行動が彼女の好意を教えてくれた。だから、そんなすっぱりと考えを改められるようなほどではないことも知っていた。

 

「確かに諦めたといえばそうかもしれない。でも私は違う。諦めたより、託したの。あなた達の未来に。」

 

彼女は言葉も出ないといった表情だ。白井さんは続ける。

 

「私の気持ちより、今こうして3人が仲良く過ごしている時間が、空間が、何よりも大切だった。かと言って、もし私が彼と一緒になったりしたら、きっとあなたは離れていく。そう思うもの。だからやめたの。そうならない自然な関係を作るには、あなたが彼と一緒になるしかない。」

 

彼女ははじめ内気な性格だった。白井さんと出会って、タカヒロさんと出会って、彼女は感情を表に出す楽しさを知り、辛さを知った。だからこそ白井さんは、そういう彼女の性格を案じたのだ。

 

「諦めたわけじゃない。何度も言うけど、あなたと彼とが一緒なら、私も嬉しいし、楽しいの。だからさ、」

 

覚悟を決めるかのように白井さんは深呼吸する。その言葉に、迷いは無かった。

 

「行ってきなよ。タカヒロのとこ。」

 

彼女は涙を浮かべて走り出した。

 

 

 

 

 

 

話を終えた彼女は手元のコーヒーを一口飲んだ。青山さんもそれが話しの終わりと感じたのか、彼女に質問した。

 

「…白井さんは、どうだったのでしょうか。」

 

「わからないわ。子供の私達に当時の彼女の気持ちを察するなんてこと出来なかったし。」

 

今の自分から振り返れば当時の自分達は子供に映るのも無理は無かった。子供だから…それほど残酷で素直なことはない。誰が悪いわけでもなく、残るのは結果だけだ。

 

「なぜあなたは白井さんの手紙を持ってるんですか?」

 

青山さんにとってそれが一番の疑問であった。シストの宝箱に入れたなら、普通は一緒に行動していた彼女が手に取ることはないはずだった。

彼女は封筒の中に手紙を戻しながら答えた。

 

「単純よ、取りに行ったのよ。私が彼に告白する前に。私には、彼女の気持ちを知る義務があるって思って。」

 

恋心の原動力は当人に大きな影響を与える。そうでもなければ、人の恋文を勝手に取ったりはしないだろう。

 

「それで、白井さんの宝物って…」

 

「気づいてるとは思うけど、今話した彼女の思い出。この手紙も宝物なんだろうけど、私達のあの瞬間が彼女の宝物だわ。」

 

確信しているような口ぶりで彼女は言い切った。それほど彼女と過ごした時間に自信があるのだろう。

思い出は何物にも代え難い宝物だ。そこに確かにあるのに触れることは出来ないけれど、目を閉じれば見ることができるし、心の中で永遠にそこに在り続ける。

 

「彼女の思い出を形にしたのがこの手紙なの。あなたが入れようとした手紙も、そんなものでしょう?」

 

「…見抜かれてましたか。」

 

そう言うと青山さんはポケットから折り畳まれたメモ用紙を出した。甘兎庵にて書いたものだ。

 

「たまには、彼女に見えない形で感謝を綴ろうと思いまして、ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そんなことが…」

 

ラビットハウスでは白井さんが幡出さんに経緯を話していた。自分の昔のことと、彼らとの関わりのことだ。

 

「でも驚きました。()()()()()()()()()()()()()()…。」

 

「私もよ。まさかタカヒロ達と今でも一緒だなんて当時は考えもしなかったわ。」

 

「白井さん、やっぱり大人ですね。」

 

「なによ、おばさんって言いたいの?」

 

「そうじゃなくて、大人びてると言うか、そうやって未来を考えて選択できる所が大人に見えました。」

 

「そりゃそーよ、伊達に年食ってないもの。あの時の私は…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シストなんて子供がする遊びだろ…なんで今さらやったんだ?親父。」

 

「なに、思い出作りには最適だろうよ。白井ちゃんなんかは特にな。」

 

喫茶店のカウンターに親子はいた。つい先程までは彼女と3人であったが、もう遅いので家に返すことにした。

 

「白井ちゃんのことはいいのか。」

 

マスターは続けた。前から仲の良かった3人の関係を、マスターはなんとなく危惧しているようにも聞こえた。

 

「あの子の告白を受けて、お前は良かったのか?」

 

突然の告白にタカヒロさんは戸惑ったものの、ほぼ二つ返事での受け取りだった。だからこそ、マスターは聞かざるを得なかった。今まで仲の良かったもう1人の女性の選択を取らなかった理由を。

 

「…白井の好意には気付いてたさ。もちろん俺は初めて会った時から白井は友達としてだったし、それ以上にする気もなかった。それを度外視したとしても、今の俺には抵抗もあるし、あまりにも差があった。」

 

 

 

 

 

「中1の俺に高3の彼女は、釣り合わないよ。」

 

 

 

 

 

それは、彼の想いだった。









今回もお読み頂きありがとうございます。10話です。

・いつも前書き終わりの線で区切れていたのが好きだったので適当なネタで前書きを書いていましたが今作の雰囲気に合わなそうなのでやめました。許してね。ついでに5000文字近くなった今回も許してね。

・長らく続いたシスト回も今話で終了となります。ごちうさには珍しい『異性との恋愛苦悩』を扱ったので賛否両論分かれそうな気がします。私自身も異性との恋愛についてをごちうさで書きたくは無かったのですが、過去編ということもあり少し大人な感じを出したく、このような話運びにさせて頂きました。

・白井さんの手紙の内容は個人の想像に任せます。自分で書くには白井さんに申し訳なかったので。皆さんもたまには手紙で思いを伝えてみたらいいのではないでしょうか。

次回以降は最終話に向けたものになります。全ての話が終わったら少し時間を開けてまた何か書こうと思います。その時は応援よろしくお願いします。


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「私、コーヒー以外も好きですよ。」

今話から新シリーズ、いつも通りの2000文字ペースです。








 

「さて、どうしたものかの。」

 

夜の喫茶店にはマスターが帳簿を片手に頭を抱えていた。傍らの女性もため息をつく。

 

「うちとしてもこれ以上の値下げはできないの…ごめん、マスター。」

 

「いいんじゃ、それが商売ってものだ。」

 

喫茶店は心地の良い空間だ。しかし、店である以上そこには経営がつきもの。そこが滞ってしまえば、空間は意味をなさない。

 

「なにか案があったりしないの?このままじゃ、ここはもう…。」

 

女性は口を噤む。それ以上は憚れたようだが、マスターもそれは承知していた。彼は仕方ないと言うように眉を下げながら答えた。

 

「あまり頼りたい相手ではないが…昔の縁だ、きっとどうにかしてくれる。互いに利益のあることだ。」

 

渋々取り出した紙には、なにやらレシピのようなものが書いてあった。

 

「それ…あそことやるの?」

 

「集客が見込めるかはわからんが、これくらいのことは楽しませるという意味でもいいだろう。」

 

そうしてマスターは電話をかけた。

 

 

 

 

「よぉ元気してるか…甘兎よ。」

 

 

 

 

彼の一手は、腐れ縁の頼りであった。

 

 

 

 

 

 

 

「いやー楽しかったですねー文化祭。」

 

秋も深まってきた時期、青山さんは紅葉しつつある街路樹を眺めながら幡出さんと公園にいた。先日の学園祭を振り返っているようだ。

石畳みの町並みに溶け込んだここの公園は、うさぎの憩いの場としても知られ、うさぎを見るために来る人も多い。

 

「部誌も売れたしねー、生徒会としてもこの成功は嬉しいわ。」

 

幡出さんも機嫌がいい。今年の学園祭は例年より多くの人が来場した。生徒会も対応に追われたものの、多くの人から満足の声を聞けたようで、今年は大成功と言える。

 

「部誌、見せに行くんじゃないの?ここであまりのんびりしてても仕方ないでしょ。」

 

「そうですね、行きましょうか。」

 

そうして彼女達は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

辿り着いたのはやはりラビットハウス。ここ最近はマスターに新作を見せる機会も無く、青山さんも久しぶりに読んでもらえると浮足立っている。

しかし、今日のラビットハウスはなにやらおかしい。おかしいというより、変わっている。

 

「甘兎庵コラボ…?」

 

「甘兎庵って、この間のシストの時に行ったとこよね?」

 

文化祭直前の時期にラビットハウスのロースター、白井さんの計らいで行った宝探しにて彼女達はその場所に立ち寄っていた。

 

「なにやら気になりますね…入ってみましょう。」

 

「もとより入る気だったでしょうに。」

 

ラビットハウスに入るといつもの空気と少し違った。見慣れない客も多い。カウンターでは白井さんとマスターが話している。

 

「こんにちは、白井さんにマスター。」

 

「おぉ、お嬢さん。いらっしゃい。」

 

「青山ちゃん、来てたのね。」

 

2人共普通に返事をする。青山さんは気になっていることを話した。

 

「あの、甘兎庵とコラボとは…見慣れないお客さんも多いですし…」

 

「青山ちゃんも食べてみたら?コーヒーあんみつ。」

 

メニューを開くとそこには1ページを使って大々的に売り出しているコーヒーあんみつの表記があった。どうやらコラボというのはこの事らしい。

 

「それじゃあ頂けますか?マスター。」

 

「うぅむ…」

 

「?、なんかあったんです?」

 

あとから入ってきた幡出さんがマスターの異変に気がつく。気が乗らないようだ。

 

「コーヒーあんみつのぉ…素直な感想を言ってくれよ?」

 

「私が率直な感想以外を言ったことはないですよ?」

 

「翠はただ正直者なだけじゃない。」

 

そういった他愛もない話を続けてしばらくすると、奥からコーヒーの香りと共に和菓子が出てきた。あんみつとコーヒーのコラボに青山さんと幡出さんは驚いているようだ。

 

「なるほど…和と洋が見事に合わさった一品ですね…」

 

「新ジャンルの開拓と言っても過言じゃないわねこれ。」

 

「早速食べましょう凛ちゃん。」

 

青山さんは相変わらず行動が早い。言ったと思ったらもう口に運んでいた。

 

「早いわね…落ち着いて食べなさいよ。」

 

母親のような心配をする幡出さんをよそに青山さんは次々のコーヒーあんみつを口に運んでいく。

 

「…んん〜!美味しいですね…なんと言ってもこの」

 

 

 

 

「あんこが。」

 

 

 

 

マスターの顔が固まる。白井さんも苦笑いだ。青山さんは構わずコーヒーあんみつを食べているが隣の幡出さんも流石に頭を抱えた。それでもなんとかフォローをする。

 

「…でも、やっぱりこれらに合わせるためのコーヒーを選んだんですよね?だとしたらやっぱりコーヒーの存在は大きいよなぁ…」

 

「それ、マスターの自信あるブレンドを使ったのよね。」

 

「ごめんなさいマスター。」

 

フォローのしようがなかった。もちろんコーヒーの風味も素敵だが甘兎庵のあんこは絶品であった。マスターの顔から生気が消えていく。年齢も年齢なのでホントかウソか判断しかねる。

 

「まぁ仕方ないわよマスター、甘兎を素直に褒めてあげなよ拗ねてないでさ。」

 

「…ものか。」

 

「へ?」

 

白井さんの励ましもなにやら聞こえていない様子。マスターの後ろには先日の幡出さんの如く炎が燃え上がっているように見える。

 

「負けるものか…コラボ?違うなぁ、互いのしのぎを削る(いくさ)じゃ…!」

 

「…まぁ、やる気が商売に繋がるならいいけどねー。2人とも甘兎でも食べてきなよ。向こうのおばちゃんも喜ぶわ。」

 

「はい〜そうします〜。」

 

青山さんは幸せそうな顔をしている。幡出さんは今日も彼女に悩まされる。そんな日常の変わらぬ1ページ。

 

 

 

続くものだと、思っていたのに。








お読みいただきありがとうございます。最終章と言ったところです。

・2000文字以上書く予定だったのですが何分先週が忙しかったので2000文字に収めました。収めたってか収まっちゃっただけなんだよなぁ

・今まで週に70〜80程度のUAが2周連続で100を超えまして、嬉しい限りです。一節一節が短いのでまとめて読むのにはオススメだと思います。全て書き終えたらだいたい小説一冊程度の量になると思うので、これが完結してから一気読みしてみるのもいいかもしれません。

・メグ誕を忘れており書き損じました。死にたいです。



ラストまで走り続けます。最後までどうかお付き合いをよろしくお願いします。


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「私、まだここにいたい」

 

「あそこが私を頼るとはね…やれやれだよ。」

 

女性が電話を置くと、周囲はまた静けさを取り戻す。

先ほどとある腐れ縁からの便りを受け取った。この店としてもそれで互いの客層を共有できるならそれで良い。

でもきっと彼は覚えていないのだろう。昔の約束を。

ふっ、と笑みがこぼれた。自分にまだその記憶が残っていることに驚いた。もう約束なんて歳じゃないのに。

厨房に向かう足取りは心なしか軽やかで、菓子を作るその目は真剣そのものだった。

一心不乱に作る。口元はやはり、笑っていた。

 

 

 

 

「負けやしないよ…私のあんこをなめんなよ…!」

 

 

 

 

試行錯誤しながら、手を動かしながら、彼女は過去を振り返る。

あの頃の答えを、ここで出すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、またやってるんですね。」

 

最近ラビットハウスに小説を見せに行くよりも遊びに行くことのほうが多くなった青山さん。今日も幡出さんを連れてコーヒーと共に放課後を過ごす気であった。

 

「今度はようかん…か。これまた想像し難いものね。」

 

一方の青山さんは資料を抱えていた。どうやら生徒会の仕事だそうだ。今の時期は卒業式や学校誌と呼ばれるその一年のイベントや各委員会、クラスのコメント等をまとめたものを発行するために対応に追われている。

 

「凛ちゃんもようかんで一息つきながらやれば捗るんじゃないですか?」

 

「んーそうね、今日はゆっくりやっていきますか。」

 

そうして中には入ろうとドアに手をかけた…が、

 

「…?、開きませんね。」

 

「ほら、翠あそこ見て。」

 

ドアの隣、小窓のところに紙が貼ってあった。やけに達筆なそれは、マスターの字なのだろう。

 

『一身上の都合により、本日は休業です。』

 

「何かあったのでしょうか…」

 

「病気とかなら急病のため、って書きそうなものよね…心配ね。」

 

青山さんはマスターが病気でないことはわかっていた。毎日ここに通っているようなものだ。つい昨日も顔を出しているし、マスターの姿を確認している。

 

「甘兎とコラボしているのですし、甘兎庵に行ってみましょう。何かわかるかもしれません。」

 

「そうねー、付き合うわ。」

 

2人は足早に甘兎庵へ向かう。青山さんはその間に今までのラビットハウスを思い返していた。

 

「…」

 

「どうしたのよ翠、考えこんで。」

 

「…いえ、杞憂だと良いのですが…」

 

「?」

 

青山さんの頭の中で、様々な点が繋がっていく。彼女の結論は、彼女にとっても好ましくないものだった。だから、杞憂であってほしい。

 

「…甘兎庵に行けば、わかるかもしれません。」

 

「ちょっと、何を考えてるの?」

 

いつも猪突猛進の青山さんの行動に驚きはしないが、いつもと違う青山さんの表情やラビットハウスの事を考え、幡出さんは漠然と不安に包まれていた。

2人は、足を止めることなく目的地に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します。おば様はいますか?」

 

甘兎庵に入るなり彼女はそう言い放った。幸いにも店には今客はいない。すぐに奥から店主が顔を出した。

 

「いらっしゃい青山ちゃん、来ると思ってたわ。」

 

「あの、それはどういう…」

 

後から来た幡出さんはまだ理解が追いついていないようだ。手元の資料を握りしめ、ついていくことに精一杯だった。青山さんは以前と真剣な表情を崩さない。

 

「…まずはようかんでも食べなさい。あのじいさんと私の2作目さ。感想、聞かせておくれ。」

 

そう言うと、2人を奥のテーブルに案内し、店主は看板を裏返しにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、聞きたいことは数多あるだろうが、大まか、青山ちゃんの考えてる通りだろう。」

 

2人がようかんを食べ終えた直後に彼女はそう言った。幡出さんも幾分落ち着いたようで、青山さんに問いかける。

 

「…ねえ翠、一体何を考えてるの?」

 

「…おば様、ラビットハウスは、

 

 

 

 

     潰れてしまうのですか?」

 

 

 

 

「…へっ、へ?」

 

幡出さんの脳内に軽い衝撃が走る。まだ数月しかいないが、思い入れは多くある。なにより、そんな発想に至る彼女と現状に混乱しているようだった。青山さんは続ける。

 

「以前よりうさぎになりたい等とマスターは言っていました。あの空間は隠れ家…逆に言えば、新規の客を取りづらい立地です。それでもリピーターは一定数いますしそこまでの打撃ではないと考えていましたが…ここ最近はロースターの白井さんとほか数人しか見ないこともありますし、恐らく何らかの形で顧客が来なくなってしまったのではと…一番は甘兎庵とのコラボ商品です。余裕が無くなっているのだと感じました。」

 

「…そう、正解。」

 

落ち着いて答える店主の顔色は一切変わらない。商いを生業にする人間の覚悟なのだろうか。彼女は続けた。

 

「もともとあそこは青山ちゃんが通うより前から経営が苦しくなり始めたのよ。昔の客層はあなた達みたいな若い子だったんだけどさ…」

 

話は、少し過去に遡る。

まだ、ヒゲも白くない頃の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、喫茶店の経営はやはり楽しいな!」

 

そう言いながら背伸びをする。時間は8時、もう喫茶店を閉めた後だった。

 

「父さん、仕事終わったんだね、お疲れ様。」

 

奥から出てきたのは彼の息子のタカヒロ。小学6年生ではあるが、しっかりした子供だ。マスターはエプロンを外しながら答えた。

 

「おうタカヒロ、夕飯は食べたか?」

 

「うん、寝る前に見に来ただけだよ。」

 

「そっか、喫茶店はいいぞ、客の笑顔が見れる。」

 

「楽しそうだね、父さんは。」

 

「楽しくなきゃやってられんよ。」

 

そう笑いながら彼は電話を取る。タカヒロは部屋に戻っていった。

 

「…もしもし?甘兎か?」

 

「私を店の名前で呼ぶのはどうなんだ。同級生だぞ一応。」

 

「いいじゃねえか、もう名前も忘れたわ。」

 

「全く…なんの用?」

 

「今日も近所の学生が来てくれたよ。これじゃ当分はあの約束は使わないな。」

 

「あの約束…まさか、高校の頃のか?」

 

「忘れたなんて言わせねぇよ?頼みの綱は多くあったほうがいいしな。」

 

「どうせ私一本だろう、覚えてるさ。」

 

 

 

 

「ピンチになったら、必ず助け舟を出す。」

 

 

 

 

「覚えてて何より。助け舟を出してやれるくらい店を大きくするんだぞ。」

 

「家は何代続いてると思ってんだ。あんたのが問題だろう。」

 

「一代で甘兎庵よりでかくしてやるさ。俺の淹れるコーヒー飲んだことねえだろ。」

 

「私のあんこだって食べたことないでしょ。」

 

「そうだったな…そうだ、これを追加しよう。」

 

「またなんか思いついたのか。」

 

「あぁ、お互い店がでかくなったらよ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、2つの約束が1回で果たすことになるとは思わなかったけどね。」

 

店主の話は終わった。2人とも聞き入っていたが、先に声を発したのは意外にも幡出さんだった。少しかすれた声で、つぶやくように。

 

「てことは本当にラビットハウスは…」

 

彼女は恐れているようだった。短い時間に多くの思い出をもらったその場所は、彼女にとっても大切なものだったからだ。

 

「まだわからないわ…ウチとコラボしたりしてるってことはまだ立て直せる余地があるって事だ。なに、安心なさい。今日の休業はあのじいさんなりの考えがあってのこと、うまく行かない時には休みも必要さね。」

 

「そうですか…」

 

安心したかのように息を吐く幡出さん。しかし根本的な解決にはまだなっていない。ラビットハウスの経営難は確かである。

 

「経営が傾いている…コラボ…なるほど。」

 

青山さんはメモをとっていた手を止め、手帳を閉じた。先程の真剣な顔とはまた別の、前向きな真剣さのある顔つきになって店主を見る。

 

「ありがとうございます。美味しかったですようかん。特に…コーヒーが。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にやるの?それ。コーヒーとあんみつって…聞いたことないわよ。」

 

暗がりの喫茶店、先ほど甘兎庵に電話をしたマスターが受話器を置いた後、白井さんは疑問をぶつけた。

 

「大丈夫じゃ、一度作ったことがあるものじゃしな。」

 

「へ?てことは、復活させるってことなの?」

 

「いや、売りには出してない。甘兎と昔、約束したからな。これはその時に2人で考えたメニューじゃ。」

 

すこし古い紙に書かれていたメニューを厨房に持って行きながら、彼は遠い昔を思い返した。忘れるわけにはいかない約束。まさか、自分が使うとは思わなかったが。

 

「1つは、困ったら助け合うこと。もう1つは、いつか

 

 

 

 

   2人で美味しいものを作ろうってな。」









12話ですね、本日もお読み頂きありがとうございます。

・甘兎庵の店主が出てきました。名前は付けません。前回チノママを出した時にどーにかなったのでいっかなーと思いました。そもそもマスターの名前も出てませんしね。

・UAが1000を超えました。ひとえに読んでくださる読者様のおかげです。お気に入り登録をしてくれた方々、評価なさってくれた方、青山さんの誕生日ssには感想を書いてくださる人もいらっしゃいました。私自身の原動力にもなっています。本当にありがとうございます。

・何度も言っていますがこの話は11月で一区切りとしています。12月中に別のストーリーを数話上げて次回作に繋げたいと考えています。


少し暗い回ですが、少しでも楽しんでもらえるような作品にしていきたいと思っています。


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「私、知っています。」

残すところあと2話、お楽しみください。







暗がりの喫茶店で老人と女性が話している時、彼もまた、己の葛藤と向き合っていた。

彼の手にあったのは、大切にしていた自分の過去。

深い溜息とともにそれをしまうと、彼は自分のデスクに戻り、1冊のアルバムを取り出した。

そこにあるのは、笑顔の自分と仲間。しかし、その笑顔の先は、彼と、彼の親友しか知らない。

 

「…俺には…」

 

そう呟くと、彼はアルバムを閉じて大切にしまった。ふと、先程まで手にしていたものに目線を落とす。

過去の自分の輝き、青春、仲間。すべてがそこに詰まっていて、懐かしさと同時に訪れる後悔の念に苦しむ。

立ち上がるとそのまま倒れ込むようにベッドに体を預けた。その頭にあるのは、今の自分と、過去の自分。

 

「…俺には…」

 

彼は誰もいない空間に1人、言葉を漏らした。

 

 

 

 

「…もう…資格なんて…ねえんだ…」

 

 

 

 

そうして彼は、深い闇に落とされるような感覚と共に眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は、青山さん達が甘兎庵にて話をしているより少し前の日になる。その晩、マスターは思い切って打ち明けた。

 

「1度な、店を休もうと思うんじゃ。」

 

そこにいたのは息子のタカヒロさんとロースターの白井さんだけであった。経営が日に日に傾いていく現状で休むというのは普通、行わないようなことに思える。この場の残りの2人もそう思ったようで、マスターに意見した。

 

「ちょ、マスターそれ本気?今が頑張りどころじゃない!」

 

「そうだぞ親父、今まで定休日以外休まなかったのに何で急に…」

 

マスターはこうなることを予見していた。自分自身、今まで続けてきたことがささやかな自慢でもあり誇りであった。常に自分の最善のコーヒーを淹れる為に毎日のようにカウンターに立ち続け、毎日のように勉強した。それでも休む理由が1つあった。

 

「…今の経営状況も考えて、開店する日にちを変えようと思ったんじゃ。金土日の3日のみにすれば、今の固定客の皆様も通いやすいじゃろ。その為に1度休んでみて、お客の反応を伺ってみたくてな。」

 

衝撃だった。特にタカヒロさんには信じられなかった。子供の頃、あれほど輝いた笑顔で自分に語ってくれた喫茶店の楽しさ、誇り。それらをある種犠牲にしようとしてる姿に、現状を知りつつも、悲しくなった。

 

「…そっか、そーだよな。」

 

そう言うとタカヒロさんは立ち去っていく。

 

「ちょ、タカヒロ!」

 

慌てて白井さんが呼び止めようとするも、タカヒロさんはそれを聞かずに部屋へと戻った。

 

「…な、…」

 

「ん?何よタカヒロ!ちょっと!」

 

ぼそっと、口から漏れた呟きは白井さんの耳には届かなかった。しかし、マスターは悲しげな顔をして閉店準備を進めた。

 

「マスターもいいの?確かに日を限定するのはいい案かも知れないけど、収益が増えるとは限らないわよ?」

 

この作戦はあくまで固定客を3日に集中させることで無駄を省くものだ。売り上げは変わらないし、週末と言えど3日限定だと新規の顧客を捕まえるのも難しくなる。そもそも、固定客が週末に来てくれるかどうかも危うい。

 

「…タカヒロ。」

 

「?」

 

彼の呟きに反応した白井さん。マスターは、少しずつ話す。

 

「白井ちゃん、君は知るべきだろう。タカヒロの夢と、苦難と、挫折。そのすべてを。」

 

「…どういうことよ、それ。」

 

只事ならぬ雰囲気を感じ取り、白井さんは聞き返した。タカヒロが幼い頃から接してきた。だからこそ、このタイミングで彼の心に踏み入ることを、彼女は戸惑いながらも決心した。

 

「タカヒロは昔な…」

 

老人は、語る。

 

 

 

 

「自分のミスで、友達の光を奪ったんだ。」

 

 

 

 

彼の、過去を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍学校も卒業間近、彼らは最終訓練ということで海外に来ていた。治安も悪く、訓練場の外からも銃声が聞こえる場所だったが、この殺伐とした雰囲気の中で訓練することで実践の緊張感を得る、とのことだった。

 

「この訓練も残すところ1週間。これを終えて帰国すれば君達はこの学校を卒業することになる。それまでに…」

 

訓練を終えての終礼、隊長が今後を話していると、隣の男が小声で話しかけてきた。

 

「…おい、タカヒロ。」

 

「なんだよ天々座、今隊長話してんだろ。」

 

「天々座じゃねえ、俺を呼ぶ時はワイルドギースって言え。」

 

「くだらない話なら即つき出すぞ。」

 

「ちぇっ、連れねーなー。」

 

『ワイルドギース』と名乗る天々座の声を退けていると、隊長に見つかってしまった。

 

「お前ら!人が話してる時は黙って聞いとけ!明日の晩飯抜くぞ!」

 

「へーへー。」

 

「すみません教官。」

 

「お前ら2人の問題児っぷりは最後まで変わらなかったな…」

 

そんな言葉を最後に教官は戻っていった。タカヒロさんと天々座さんもそれを合図に自室に帰る。2人1部屋の宿泊施設で訓練所に寝泊まりしている。この2人は同じ部屋だ。就寝時間前のベッドでの会話はいつもの事だ。

 

「なぁ天々座、お前さっき何言おうとしたんだ?」

 

「お前じゃないワイルドギー」

 

「早く続けろよ殴るぞ。」

 

「…ったく、お前これからどーするんだ?」

 

「卒業したらってことか?」

 

「あぁ、俺はもちろんこのまま軍に務めるつもりだが…」

 

「そうだな、俺は…」

 

突如、銃声が響いた。

しかし、ここではよくある事だ。一瞬の間の後、タカヒロは言葉を続けた。

 

「…なんつーか、この場所も変わんねえな。」

 

「寝る前も起きる時も銃声だしなぁ。」

 

2人がそうして話していた瞬間、先程よりも大きい銃声がした。同時に、

 

《侵入者だ!総員準備!》

 

《繰り返す!侵入者!総員準備!》

 

生徒には聞き慣れた放送であった。訓練は常に何らかの放送で開始されるし、侵入者を想定した訓練も続けてきたからだ。唯一違うところは、訓練でない所。

 

「お前ら!準備だ急げ!」

 

隊長の一声で学生達は即座に準備に取り掛かる。4年間の訓練のお陰で迅速に行うことが出来たが、彼らの心の中には『これが訓練でないこと』に対する戸惑いや緊張があった。

 

「いいか!これは訓練ではない!侵入者を迅速に確保せよ!チームは4人、今日扱った編成で行う!第1班!」

 

「はい!」

 

呼ばれた学生に任務が伝えられる。侵入者は12名、どうやら近辺のギャングを仕切っている大元がここを気に食わなかったようだ。向こうも本腰を入れているようだ。聞いた限りではなかなかの装備である。

 

「次、第4班!」

 

タカヒロ達が所属する班だ。隊長のとこへ向かう。緊張した面持ちだが、覚悟の決まった表情だ。

 

「お前達はB棟の侵入者を制圧、安全の確保だ。訓練通りにやれば問題ないし、お前らの着てるソレは一級品だ。死なねえから安心して迎え撃て。お前らなら勝てる。」

 

「はい!」

 

そうしてタカヒロさんと天々座さんを含む4人はB棟へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、本番だな。」

 

B棟にたどり着いた4人は各配置についている。オペレーターによるともうすぐその場所を通るようだ。作戦の開始は近い。

 

「大丈夫かよ天々座、緊張してへばってんなよ?」

 

「何度言ったらわかる、俺のことはワイ」

 

『お前ら無駄口叩いてんなよ、もうすぐだ。』

 

隊長から通信が入る。2人は気を引き締めてその時を待った。だが、

 

「…っ!やべっ…」

 

「!、天々座!」

 

『おい香風!天々座!』

 

隊長の制止も聞かず、タカヒロさんは声のした方に走った。すると脇から銃声がする。タカヒロさんは瞬時に物陰に隠れ同時に撃ってきた侵入者に向かって発砲する。

 

「…よし、制圧っ!」

 

そうして走って天々座の方へ向かう。その時、隊長から通信が来た。

 

「香風、天々座は無事だ。今2階の階段で座ってる。恐らく別から侵入した奴らかもしれん。人数は3人、さっきお前が制圧した者を抜いて2人だ。」

 

「了解!」

 

通信が終わる頃には既に天々座の元へ着いていた。左腕を撃たれているようだ。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「俺を誰だと思ってんだ。利き腕が生きてりゃ仕留められる。」

 

「うるせえ喋んな。」

 

「うるせえじゃねぇ、俺はワイルド…」

 

突如、階段下から銃声が鳴り響きタカヒロの右側を掠めた。衝撃で通信機が使えなくなってしまったが、構わず2人は急いで階段を抜け、廊下の非常扉へ逃げた。暗い中だったこともあり、タカヒロさんは通信機のみで済んだようだ。相手はこちらを見失っている。相手は、1人。

 

「…行ってくる、お前はそこにいろ。」

 

「馬鹿、そんな勝手なことが…っ!」

 

タカヒロさんはまたも相手と対峙する。訓練所の構図はタカヒロさんの脳内に完璧に入っているため、相手が出てくる所はわかりきっていた。階段を抜けた廊下、そこは自分達を追う時に必ず通らなければならない。

 

「天々座を…舐めた真似しやがって。」

 

そう呟き標準を合わせる。相手が出てきた瞬間、タカヒロさんは発砲した。と、同時に背後で打撲音と発砲音が鳴る。その時タカヒロさんが目にしたのは、自分が仕留めた侵入者、後ろには、倒れ込む侵入者。そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

片目から血を流しながらこちらに微笑む天々座さんの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「翠、今日は開いてないでしょ、なんでまたラビットハウスに行くの?」

 

「裏口は開いてるはずです。タカヒロさんのお家でもありますから。」

 

時は戻り、青山さんは甘兎庵の店主から話を聞いた後、再びラビットハウスへと戻っていた。何やら考えがあるようだが、幡出さんにはまだわかっていない。

 

「ねぇ、また何かわかったの?教えてよ。私だけおいてけぼりじゃない。」

 

「…幡出さんは、タカヒロさんが軍学校に通っていたことは知っていますよね?」

 

幡出さんは通い始めの頃にマスターからその事を聞いた。しかしそれがどう関係するのかわからず、幡出さんは尚も問い質す。

 

「それがどうしたっていうの?」

 

「…詳しくは、この中で話すとしましょうか。」

 

話しているとラビットハウスの裏口、タカヒロさんの家の玄関にたどり着いていた。青山さんは扉をノックする。

 

「はいはーい…って、なんだ青山さんじゃん、どーしたの?ごめんね今日は休んじゃって。」

 

ハハハ、と笑うタカヒロさん、一見いつも通りのようだが、青山さんは言葉を続けた。

 

「タカヒロさん、まだ、あの時のことを引きずっているのですか?」

 

タカヒロさんが止まる。驚愕の表情を押し殺し、さっきの笑顔を崩さない。タカヒロさんは答えた。

 

「何のこと?あの時って言われても、わからないや。」

 

嘘だ、幡出さんは直感的にそう思った。いつも嘘をつく事の無い人だからこそ、些細な嘘は分かってしまう。青山さんは静かに言葉を口にした。

 

「軍学校での、侵入事件ですよ。あの時のことを、あなたはまだ、抱えているはずです。」

 

タカヒロさんは、笑顔を解いて青山さんと向き合った。

 

「…なんで君がそれを?」

 

「そのことを知っているのは貴方と当事者の天々座さん、そしてもう1人いたはずです。」

 

タカヒロさんは目を見開いた。そう、あの時の行動を必ず知る人物があと1人いる。それもそうだ、軍人には上官への報告義務がある。負傷者が出たのなら、尚更だ。

 

「そうです、あなたが軍学校での最後の訓練を担当した隊長、

 

 

 

 

 

青山教官は、私の父です。」

 

 

 

 








お読みいただきありがとうございます。13話です。今回もオリジナルの設定をねじ込みました。

・今週も4名の人にお気に入りされました上、UAが過去に類を見ない速度で上がっていました。拙い文章の上最終話も近いというのに、本当に嬉しい限りです。

・タカヒロさんの今のキャラクターを形付けるきっかけの話です。いささか強引な感じもしますが、自分の脳内で「こうなったらいいな、こうだったんじゃないかな」を書けるのが二次創作なので書いてて様々な感情が湧いてきます。この話を書いている時は特に感じましたね。

・次の話でこのssの本編は終わりとなります。この作品には思い入れが強いので最終話のあとがきは次話投稿の形で今までの話を振り返りながらぽつぽつ書きたいと思います。




次回、ラビットハウスと青山さんがどのように歩んできたか、その集大成と言えるものを書きたいと思っています。何卒、よろしくお願いします。


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小説家とバリスタの昔話

最終話です。あとがきは次話に掲載します。









私の名前は青山翠。青山ブルーマウンテンとして日々の作家活動を行っています。

 

喫茶店でコーヒーを飲みながらアルバイトの子達と話したり、甘味処で店主の一人娘と会話したり、最近出来たハーブティーのお店で女性を観察したり…と。

 

…あれ、最後はいらなかったですか?

 

とまぁ、毎日をつつがなく、のんびりと暮らしています。

 

もちろん、ちゃんと小説家としての活動をしているんですよ?

 

すべての経験は、全部私の為にあるんですから。

 

…え?私が小説家になった理由、ですか?

 

難しいですね…昔から本を沢山読んでて、いつか私も書きたいと幼い頃から思っていましたから。

 

でも、私がやりたいことを貫けたのはとある喫茶店のおかげなんです。

 

とは言っても、ほんの些細な何処にでもある日常でした。

 

そんな、普遍的な、至って特別なことなんてない風景や音、香りや声は、全部私の中にあります。

 

…これを教えてくれたのも、あの喫茶店のマスターのおかげなんですけどね。

 

この万年筆をくれた人なんです。私が高校生の頃でした。

 

その時、その喫茶店は経営が厳しく、他店とコラボをしたりとテコ入れをしていたのですが、なかなかうまくいかなくて。

 

…そうですね、少し長い話ですけど、どうかお聞きください。

 

 

 

 

小説家になる前の私と、うさぎになる前のバリスタの話を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、どこから話してもらおうかしら。」

 

タカヒロさんの家に押しかけた青山さんと幡出さん、玄関での会話から中に通されて、タカヒロさんの書斎に案内された後の光景は、妙に怒っている幡出さんと、その前に正座して並ぶタカヒロさんと青山さんの姿であった。

 

「…凛ちゃん?なんでそんなに怒って」

 

「怒ってません!!!」

 

「ヒイィ。」

 

幡出さんのかつてない大声にタカヒロさんも声を漏らす。青山さんは構わず話を続けた。

 

「もしかして、自分だけ仲間外れにされてる、なんて思ってましたか?」

 

「…だって、翠とタカヒロさんだけで話がずんずん進んじゃって、私何も分からないんだもん。」

 

「俺が話さなかったのもあるし、青山さんは事情が事情だから仕方ないことなんだけどね。」

 

「…だとしても、せめて何が理由で何なのかを説明して欲しかったです。」

 

「んー、仕方ないかな、わかった。話すよ幡出さん。俺の軍学校時代の話。」

 

それからタカヒロさんは幡出さんに事件の顛末を話した。幡出さんは終始頷きながら、表情を変えること無く最後まで聞き入っていた。青山さんは知っていることだったので、隣で傍観するのみだった。

 

「…ってこと。その当時の隊長だった教官が、青山さんのお父さんだったらしくて。」

 

「翠のお父さん、軍人だったのね。」

 

「指導監督が主なので、現場にはそう出ませんけどね。」

 

「…それで、なんで青山さんがうちに来たの?」

 

「…はい。」

 

青山さんは普段の表情のまま続ける。

 

「タカヒロさん、昔はジャズをしていましたよね?」

 

「…そこまで聞いてるのか。」

 

「父はおしゃべりですからね。」

 

タカヒロさんは軍学校時代より前からサックスを嗜んでおり、ジャズクラブでは名の知れた人物であった。しかし、その名はある時を境にめっきり聞かなくなる。

 

「自分のミスで友人に怪我を負わせてしまった…そのことが原因なのかわかりませんが、サックスが吹けなくなったんですよね。」

 

「そうだったの…」

 

幡出さんは驚きながらも表情は崩さない。生徒会長の器とも言える肝の座り方もすごいものだが、青山さんが淡々とタカヒロさんに話すその姿も凛々しいものだった。

 

「…タカヒロさん、またサックスを吹いてみませんか?」

 

「は?」

 

予想だにしない展開であった。自分はもうサックスを辞めて、コーヒーに専念するために父親の跡を継ぐと決めたのに、ここに来てこの提案は驚きを隠せなかった

 

「…君は一体どこまで知ってるんだ?」

 

「父から聞いたことなので、今までのものしか知りません。」

 

青山さんは正直に答える。タカヒロさんは少し寂しさを残した表情で笑った。

 

「青山さんには、叶わないなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『少し考えさせてくれ。』

 

タカヒロさんはそう言って部屋を出た。青山さん達もそれを合図とするかのようにタカヒロさんの家を後にした。幡出さんは青山さんに語りかける。

 

「さっきのお願い、無茶なんじゃないかしら。タカヒロさんの過去の話もあるし、無理させちゃいけないでしょ。」

 

最もな理由だ。タカヒロさんのトラウマを払拭させてまで、青山さんはなぜ彼にサックスを、ジャズをさせたいのか。青山さんは答えた。

 

「私は昔、タカヒロさんのサックスを聞いたことがあるんです。軍学校の学園祭のようなもので、そこで私は初めて生のジャズを聞きました。」

 

幼い頃の記憶を青山さんは語る。

 

「その時の感動がまだ残ってるんです。きっとタカヒロさんの演奏は、心を動かす何かがある。私はそう思ったんです。それを、ラビットハウスで行えば、きっと人が集まるって。」

 

青山さんは過去に聞いた演奏を思い出していた。あのリズムと一体感、すべてを巻き込み魅了するような音楽に彼女は魅入られていた。

 

「どうか、またあの演奏に人が集まる所、見てみたいんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺、大きくなったらさ…』

 

少年は父親にそう笑顔で語りかけていた。バリスタの父親はコーヒーの香りを漂わせながら少年の頭の少し乱暴に撫でた。

 

『そうか、楽しみに待ってるぞ。』

 

そう笑顔で語りかけてくる父親に少年は笑顔を輝かせ―

 

 

 

 

「…ッ、夢か…」

 

夜中、街が静かになってしばらくしてタカヒロさんは起きた。かなりの汗をかいている。タカヒロさんは店のカウンターに行って水を飲んだ。原因は、過去の夢。

 

「…懐かしいな、覚えてるもんだ。」

 

そう言って椅子に腰をかけ、昔を思い返す。あの頃の自分はやりたいことに真っ直ぐで、何があっても挫けないで、いつも頑張っていた。大人になるにつれそれらがやりづらい世の中を知って、今の自分になった。

今の自分は、あの頃のように輝いているのだろうか。

 

「…、やめよう。」

 

雑念を払うかのように頭を降って寝室に戻る。ベッドに横たわると、先程の青山さんの願いを思い出した。

 

「サックス…か…。」

 

そうして目をやると、サックスを入れる黒のケースが目に入る。あの箱の一緒に学校に通い、あの箱と一緒に過ごしてきた。だからこそ、あの箱には思い出が詰まりすぎている。思い返したくない過去と共に。

 

「…ダメなんだ、もう。」

 

そういっておもむろに箱を開け、()()()()()()()()を床に置いた。

 

「俺の過去はもう、捨てちまったんだよ。青山さん。」

 

そうしてまた、眠る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明くる日、幡出さんは塾で勉強をしながら考えていた。先日の青山さんの願い、タカヒロさんの悩み、ラビットハウスの今。ここ最近幡出さんの周りにたくさんの事が起こったような気がする。自然と、考える時間も多くなった。

 

(タカヒロさんは、どーするのかなぁ。)

 

聞いたことは無いが、青山さんはタカヒロさんの演奏がとても好きだったはずだ。あれだけ褒めるのだ、そう考えて間違いはない。

 

(ラビットハウス、どーなっちゃうのかなぁ。)

 

少し、寂しくなった。短い時間に多くの思い出を作ったあの空間に、あの人達に、会えなくなるのは、寂しい。

 

(翠は…どーするんだろ。)

 

考えれば考えるほど、不安が増すばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塾から帰宅途中、1人で帰ることがなんだか久しぶりな気がして、少しの寂しさと共に歩いていると、豪邸から出てくる見覚えのある姿を見た。

 

「…翠、なにしてんの?」

 

「あら、凛ちゃん。塾帰り?」

 

「えぇ…こんなとこに何の用があったのよ。」

 

「少し、お願い事を…ね?」

 

「?」

 

青山さんはまたもお願いをしに行ったらしい。先日タカヒロさんにもお願いをしたのに他にも何があるのか。幡出さんは考えるのをやめて素直に聞いた。

 

「今度は何するつもり?」

 

「…明日になったらわかりま」

 

「今言って。」

 

「…もー、わかりましたよ凛ちゃん。実はですね…」

 

小声で青山さんは幡出さんに話す。幡出さんは驚きながら青山さんに問う。

 

「…できるの?そんなこと。」

 

「…やらなければいけない、そう思うんです。」

 

青山さんは続ける。

 

「タカヒロさんの心と、ラビットハウスの未来と、私たちのためにも。」

 

「私たちの為?」

 

「そう、だって嫌でしょ?」

 

 

 

 

 

 

「あの空間がなくなってしまったら、私達はどこに行けばいいんです?」

 

 

 

 

 

 

そう笑いながら彼女は準備を進める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャツにネクタイ、スラックスにベスト。店に出るいつもの服に着替えながら、彼は決意を決めていた。

 

(断らなきゃなぁ、青山さんのお願い。)

 

サックスが無い以上、そもそも克服なんて出来やしない。あったとしても、それを乗り越えて自分に出来ることなんてたかが知れている。ジャズはあの店に合うものだろう。しかし、自分の腕前に自信がある訳では無い。まして臆している今の自分が、他人を魅了できるような演奏ができるなんて考えてもいなかった。

 

(畳んじまうのかな、ラビットハウス。)

 

悔しさと悲しさと寂しさと、諦め。彼の脳内にはそれしか無かった。

 

(これもまた、運命…って、臭すぎるか。)

 

すこし笑って、いつものように出勤する。

 

「親父ー、今日豆届くから確認しといて…は?」

 

彼の目に飛び込んだ光景は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「タカヒロさん、おはようございます。」

 

「私タカヒロさん達の演奏聞いたことないから、楽しみだわ。」

 

「すごいんだからタカヒロの技術は。」

 

「美久ちゃんもわざわざ来て…ココア達は大丈夫なんか?」

 

「旦那に任せたわ。ひっさしぶりねータカヒロのサックス。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで…皆…」

 

そこにいたのは青山さんと幡出さんとマスター、白井さんに美久さん、いつものメンバーのようで全員が集まることのないような、そんな面々だった。他にも常連のお客さんも多い。さらに、

 

「おせーよタカヒロ、準備できてるぞ。」

 

そこにいたのは天々座さん。タカヒロさんは驚愕していた。

 

「何してんだよ…天々座…」

 

「天々座じゃねーだろ?」

 

「…ワイルド…ギース…?」

 

「初めて呼んだなお前。ほら、こっち来いよ。」

 

天々座さんの手元にはウッドベースが、隣にはサックスがあった。それはタカヒロさんが捨てたはずの、タカヒロさんのサックスだ。タカヒロさんにはそれが見てわかった。

 

「俺にはもう、サックスなんて…」

 

「まーだそんな事言ってんのか。」

 

「だってよお前…お前の右目…俺のせいで…」

 

「誰のせいでもねーよ。」

 

事件のあった日、タカヒロさんが侵入者を相手にしているのと同時に後ろからも来ていた。後を追っていた天々座さんは掴み合いになり、相手の銃で右目をやられたものの、怪我のない右手で銃を構え相手を制圧した。その時の右目のことを、タカヒロさんは己の注意不足と無闇な突貫が原因として、責任を感じていた。

 

「それは俺がもっと注意深くしていたら…」

 

「じゃー仮にお前のせいだったとしよう。」

 

うつむいたタカヒロさんの肩が震える。天々座さんは続けた。

 

「お前の不注意で俺が右目を失った…だから何なんだ?これが原因で俺に何かあった訳じゃない。結婚して、娘もできて、今は軍の指導係だ。何より、お前の命を守れたんだ。右目くらい、くれてやるさ。」

 

「お前っ…そんな…」

 

タカヒロさんは泣いていた。静かに。ただ、今までの思っていた、抱えていたものが少しずつほぐれていくような、そんな感じがした。

 

「いいのかよ…そんな。」

 

「いーんだよ、お前がこいつを捨てた時は俺のが後悔したわ。」

 

そうしてサックスを掲げる。使い古された傷こそあれど、至って状態の良いまま保管されていたことがわかる。

 

「お前のサックス聞かせろよ。俺が助けた命がそんなしょぼい事でひねくれてるなんて、右目が泣くぞ。」

 

そうして眼帯をなぞる。タカヒロさんはもう迷わなかった。いつもの微笑みと共に天々座さんと向き合う。

 

「ありがとな、ワイルドギース。ちょっと付き合ってくれ。」

 

「ん、いつものタカヒロだ。ストラップもうつけてあるから調節してくれ。」

 

タカヒロさんはサックスを構える。目の前には自分の見知った顔、ここから自分の、本当のやりたいことができる。

 

(見ててくれ、親父。)

 

演奏が始まる。タカヒロさんはその培ってきた技術と天々座さんとのコンビネーションでパフォーマンスを魅せた。天々座さんのベースにどこか合わさっていないようで繋がっている絶妙なジャズのリズムを刻む。吹いている時の顔は、輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺、大きくなったらさ、』

 

かつてのタカヒロさんは語った。父に自分の夢を。

 

『ジャズでこの店を盛り上げたいんだ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タカヒロさんの演奏があった日の夜、青山さん達は帰りながら話していた。あの後、演奏を聞きつけた人達がラビットハウスに寄って、沢山の人で賑わった。これであの店も続くことだろう。

 

「翠、お手柄ね。」

 

「私は私のしたかったことをしたまでです。たまたま上手くいっただけで、本当のお手柄は他でもないタカヒロさん達でしょう。」

 

「あなたが呼びかけなきゃ何も始まらなかったじゃない。」

 

2人で今までを振り返る。ふと、青山さんが話し始める。

 

「そういえば、凛ちゃんって私のことずっと翠って喚びますよね。」

 

「?、それがどうしたの?」

 

「私はずっと『凛ちゃん』って呼んでるから、ちゃん付で呼ばれたいなーって思って。」

 

「はぁ、そんなことかい。翠ちゃん。」

 

「…」

 

「翠ちゃん?おーい?」

 

青山さんは震えながら立ち止まったと思うと、しゃがみこんで顔を覆った。

 

「なんか…こう…ちゃん付けは…」

 

「何してんのよ…」

 

「ダメですね。やめましょう。ちゃん付けは禁止です。慣れませんし変な感覚です。」

 

「…ははーん、なるほど。」

 

幡出さんはニヤリと笑う。

 

「…そうねー、次の作品は書き上げたのかしら、翠ちゃん?」

 

「やめてくださいー!」

 

「これいいわね、今度から書き上げなかったらちゃん付けて呼ぶから。」

 

「書きますからー!」

 

2人の楽しげな笑い声が、夜の街に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、お陰様でどーにかなりそうじゃ。ありがとうな、お嬢さん。」

 

「私は出来ることをしたまでですよ、それに、タカヒロさんの演奏がまた聞けて私も嬉しいです。」

 

ラビットハウスはちょっとしたステージを設け、毎日タカヒロさんがそこで夜に演奏をしている。休日は天々座さんも加わっているようだ。

 

「お礼と言ってはなんだが、これをあげよう。」

 

そうして差し出したのは、1本の万年筆だった。

 

「ワシが使ってたものじゃ。使っておくれ。」

 

「いいんですか?」

 

「…お嬢さんは、きっと小説家になる。その時に使ってくれ。」

 

「そんな、なぜそんなことが言えるんですか?」

 

マスターは話す。

 

「前に持ってきてくれたものは、慣れないSFでありながら、よく書き上げたものだ。」

 

このラビットハウスでは色々な事があった。青山さんが最後に持ってきた小説もずいぶん前だ。

 

「美久ちゃん達が来た時は子供に聞かせることで無邪気な反応を知って、その場で話を作る応用力も身につけることが出来た。」

 

演奏を聴いた後に美久さんは今度は娘に聞かせたいと言っていた。ココアちゃんは今兄や姉の真似をして楽しんでいるらしい。

 

「幡出ちゃんとの出会いは君の世界を広げたはずだ。彼女がいるから君はやりたいことをやれている。ワシはそう思う。」

 

幡出さんはいつも振り回されてるように見えるが、青山さんが好きなことを出来るのは、常に幡出さんが側にいるからだ。

 

「シストは楽しかったかい?あの冒険は、君に良い変化を与えただろう?」

 

白井さんとタカヒロさんの奥さんはあの後ちゃんと和解した。青山さんと幡出さんはあの後ちゃんと手紙を宝箱に入れた。シストの地図は全部マスターが保管してくれるようだ。

 

「今回のうちの店のことは人の繋がりや苦悩が渦巻いていた。そういう人の複雑な部分を知ることで、君は1歩、大人になったはずだ。」

 

沢山の人達が関わった今回の1件。タカヒロさんはあれ以来ずっと楽しそうにサックスを吹いている。前よりも少し大人になったようだ。

 

「全ての経験は、必ず君の力になる。君の誰にも負けない経験を、小説に活かしてくれ。この万年筆は、今までのお礼と、ワシの願いじゃ。」

 

「マスターの…願い…。」

 

そうして万年筆を受け取った。黒を基調にしたシンプルなものだ。青山さんは大切に胸ポケットにしまった。

 

「…また、見せに来ます。私の小説。」

 

「ああ、楽しみにしてるよ。」

 

そんなことを喋りながら、青山さんはコーヒーを飲んだ。

今日もこの店には、落ち着いた空気と珈琲の香りが詰まっている。

 

「私、貴方の作るコーヒーが好きなんです。」

 

唐突な青山さんの発言に、マスターは少し笑って答えた。

 

「…私はコーヒーを淹れてるだけ。とても、作ってるなんて大層なことはしていませんよ。」

 

そう言ったマスターに、青山さんは話しかける。

 

「…私、小説が好きです。というより、創作物が好きです。その人が考えて、その人の思いが詰まったもの、そういう所が好きで。」

 

マスターは黙って聞いている。青山さんは続ける。

 

「このコーヒー…確かに、貴方は淹れてるだけかもしれません。けど、」

 

 

 

 

「そこに想いが入るだけで、そのコーヒーは貴方の創作物になると思うの。」

 

 

 

 

マスターは、笑ってそれに答えた。

 

 

 

 








「…と、いうような事があったんです。」

そう言った青山さんがいるのは街の中のとあるカフェのテラス。目の前にはマヤとメグがいた。

「へぇー、さすが小説家!経験が違うねー。」

「青山さんは、そのあとどうしたんですか?」

2人はどうやら学校の課題で仕事をしてる人に取材をして回っているようだ。青山さんは続けた。

「あの後、マスターに作品を見せる前に書いていた小説を雑誌に投稿したんです。そしたら賞をもらいまして…そこからてんやわんやで、マスターには会えずに今に至ります。」

「へぇー大変だな!」

「青山さん、ありがとうございます。」

そうして2人が去っていく。彼女はコーヒーを飲みながら手元の原稿を見る。真っ白だが、彼女はそれを見る度に昔を思い出す。マスターに見せるために原稿と格闘した日々を思い返して、つい微笑んでしまう。

「あっ、先生!まだ書いてないんですか!見つけましたよ!」

「あっ、凛ちゃん。さっきインタビュー受けてたんですよー。」

「もう、凛ちゃんって呼ばないでよ翠。ちゃんと担当さん、でしょ?言わないならこっちもちゃん付けていいのよ?」

「この年になってちゃんは色々キツいですよ…。」

「…懐かしいわね、昔のこと。」

「なに、聞いてたの?」

「少しだけねー。」

昔を思い返して遠い目をする凛さん。しかしすぐに仕事の担当さんに戻る。

「そんなのはいいから早く書いちゃってよね。」

「わかりましたよ…あ、今度一緒に行きましょうよラビットハウス。変わりませんでしたよ。最も、少し可愛くなった気もしますけどね。」

「そうねー、書き終わったらね?翠ちゃん?」

「やめてくださいぃ〜!」

小説家になった青山さんは、変わらず今日も小説を書いている。





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あとがき

こちらは後書きです。本編とは何の関係もありません。いや少しは関係あるけど。








 

 

最終話までのお付き合い、ありがとうございます。

作者の専務です。

お読みになられた方々にはわかると思いますが、普通のあとがき欄にはあのように後日談のようなものを書きたかったので次話投稿の形であとがきにしました。

 

 

【お礼】

 

・まずは最終話まで読んでくれた皆様、本当にありがとうございました。この作品は自分自身初めてのまともなSSで、多くの人に読んで頂き、その反応を見ることが出来て、嬉しい限りでした。作品を読んでくれる人がいる、というのがストレートに分かるのがこのサイトのいい所だと思います。

 

・お気に入りしてくれた方々、ありがとうございました。現在は14名の方にお気に入りしていただいており、お名前を載せたいとは考えましたが、失礼もあるかと思いますので伏せさせて頂きます。皆様には本当に背中を押されているような、常に「書こう!」と思える原動力でした。ありがとうございました!

 

・評価をくれた方もいました。しかも☆9!感動してTwitterではしゃいでいました。この作品を面白いと言ってくださっているように感じ、励みになりました。ありがとうございました!

 

・サイトにて私の小説を取り上げてくれた方もいました。A評価をしてくれ、しかもなんか宣伝してくれてたりして、いやぁ舞い上がっちゃいましたね。本当にありがとうございました!

 

・最後に、私をハーメルンの世界に誘ってくれた相原末吉(あいはらすえよし)。感謝しても仕切れないです。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとう。

 

なにより、読んで下さってる人達皆様に、改めてお礼を。本当にありがとうございました!!!

 

 

 

 

 

 

【きっかけ】

 

・実は以前、台本形式でSSを投稿しました。処女作ですね。あの時は本当にただ書きたいものを書いていたって感じで、次数も少ないしただの知識自慢みたいな感じになってしまい…。その後、暫く離れていたのですがTwitterにてハーメルン作家が楽しそうな絡みをしていて、自分も書きたいなぁって思った時にごちうさの原作を読み返していて、青山さんの回想シーンにマスターに小説を見せているシーンが出てきて、書こう!ってすぐに思いました。

 

・青山さんとラビットハウスの昔話を書いている時、リアルでも様々なことがあり、なんやかんや将来が決まったりとか、誕生日迎えたりとか、色々ありました。まさに青山さんSSを書いている時は自分も青山さんも成長していったような感覚です。

 

 

 

 

 

【最終話について】

 

・最終話、あとがきの部分に後日談を入れたのは何となくです。本編はあれでおしまい。あとがき部分はごちうさを見てる方々ならすぐわかると思いますが、マヤとメグがインタビューして回っていた時ですね。青山さんは諸々をかいつまんで話しています。

 

・うさぎになる前のバリスタと小説家になる前の青山さん、というタイトルですので、最後は青山さんとラビットハウスのお話を書きました。ラビットハウスの経営難からタカヒロさんがジャズで持ち直す話です。原作でもお馴染みの話ですね。最後に全部をまとめるような形は書き始めた頃から想像していました。ラストの青山さんとマスターの話は1話の冒頭ですね。

 

 

 

 

こうしてあとがきを書いたのは初めのお礼を書きたかったからです。特にそれ以外の意味はありません。まぁ最終話が6,000文字だったので、あまりにあとがきをだらだら書いても仕方ないと思ったのでこっちにしたというのもあります。

 

最後になりますが、本当に皆様ありがとうございました!また何か書くと思いますし、絶対にチノの誕生日は書きます。死んでも。また何かしらの形で皆様にSSを見せられれば、と思います。本当に、本っっっっっっ当にありがとうございました!!!!









また、会う日まで|・x・)ノシ






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