薄月の航跡 (オーバードライヴ/ドクタークレフ)
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邂逅 

まさかの新作と参ります!
今回はコラボ企画、設定立案は白雪紫音 先生(Twitter: @Sirayuki_Shion)です。

それでは『薄月の航跡』――――――抜錨!



 昼下がりというのは万国共通でやる気が削がれるものであるらしい。暑すぎるから、眠いからなど理由は異なるだろうが、大体そういう風に体ができているように感じる。

 

「……眠い」

 

 芝生に面した木陰のベンチという絶好の位置を確保した彼も例にもれずやる気を削がれているところだ。手にした薄いタブレット端末からは『深海棲艦? 謎の目撃証言』やら『四月一日(わたぬき)内閣不信任決議案提出』などの話題をただ流すだけで興味をあまり引くことはない。それらを注視すべきなのはわかっていても、午前中のカリキュラムを終え、昼食を食べ、午後からフリーだと頭に入らないのである。

 

「やるべきことは、ある……」

 

 あるのだが、手につかない。

 目の前の公園の芝生の青さを見て木のベンチに背中を預ける。土曜ということもあり子供の姿も見える。潮の香りもどこか混じる風が心地よく眠気を誘った。寸胴の警備ドローンがゆったりと公園の中を巡回している。

 

「子どもは元気だなぁ……」

 

 バトミントンのシャトルなどが宙を舞い、海鳥の声が響く。平和そのものだ。それを享受できることのなんと素晴らしさよ。

 あっ……

 

「……ん?」

 

 まどろみの最中に子供の声が割り込んだ直後、彼の目の前を紙飛行機が高速で目の前を通過した。

 

「うわっ!」

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 紙飛行機はベンチの背もたれに当たって落ちる。それを追うようにしてパタパタと一人の女の子が駆けてきた。見覚えのない白い制服は何処かの小学校の物だろうか。緑色の角襟に細いリボンで前を閉じた清楚なセーラー服にパスケースを吊った小ぶりなポーチ。赤茶色のキャスケット帽がどこか浮いて見える。

 

「ごめんなさい、怪我してないですか?」

「いや、大丈夫だよ。紙飛行機の狙い外れたかな?」

「はい……ごめんなさい」

「いいよいいよ、謝らなくて。綺麗に折ってあるね。手作り?」

 

 彼がそう聞くとどこか申し訳なさそうな顔が照れたように変わる。少し紫色が混じる茶色い髪を跳ねさせる少女はこくりと頷いた。

 

「うーん、真っ直ぐ飛ばすだけならウィングレットつけるだけで大分飛ぶよ」

「ウィングレット……?」

「少しだけいじってもいいかな、この飛行機」

 

 そう言うと彼女が頷くのを確認してタブレットを下敷きに翼に手を加えていく。翼端を折り曲げて角度をみる。指先に載せて重心を確認するなどいろいろに手を加えていく。

 

「少し重心が後ろよりかな……」

 

 バックから書類用クリップを取り出して紙飛行機の機首に止めた。もう一度正面と横から確認。

 

「よし、これで少しは安定するかな……っと」

 

 それを手に持って芝生の方に押し出してやると、そのまますいと風に乗り、まっすぐ芝生に向けて滑空していく。

 

「おー!」

 

 それを追うようにして走る少女を見て彼は笑った。

 

「すごーい!」

「これで大分安定して飛ぶと思うよ」

「これだけで真っ直ぐ飛ぶようになるなんてびっくりなのです。ありがとうございますっ!」

 

 その反応に目を細めて「どういたしまして」というと少女が改めてベンチの方にやってきて、横に座った。それに戸惑う。そんな気配を彼女も感じ取ったのか、こてんと首を傾げた。

 

「? 誰かの席だったりするのです?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「なら少しだけお話しませんか? 今日は睦月の妹たちもいなくて退屈なのです」

 

 そう言う少女は何処かいたずらっ子のようなクリンとした目を細める。

 

「……じゃぁ少しだけな。俺は上妻正敏(こうづままさとし)。よろしくね」

「睦月です。よろしくお願いします。こうづまさん……って呼んでいいですか?」

 

 目を細めて笑う少女――――睦月との最初の出会いはあまりに急に、それでも平凡に始まった。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「……反応が途切れた?」

 

 再探知をかけろ、と仄暗い空間に響く。照明が落とされ、ディスプレイだけが辺りを照らす空間は異様な緊張感に包まれていた。

 

「どこかに水温躍層(サーモクライン)があるかもしれん。怪しい影がないか徹底的に捜索をかけろ!」

「了解!」

 

 威勢のいい声が返ってくる。それを聞いてその場の責任者が溜息をついた。そしてそれが志気に関わると思い溜息をついたことを後悔する。

 

「お疲れですか? 艦長」

「いや、ただもどかしいと思っただけだ」

 

 そう略式の作業帽をかぶった男が言う。

 

「甲種指定害獣が現れてから早十幾年、未だに陸周辺部を守るだけで精一杯の現状だ。それも、あんな兵器を投入して、だ」

 

 そう言って横の男を見やる。

 

「なぁ、水雷長。この状況をどう見る」

「……瀬戸内まで侵入しているとは正直考えにくいです。ただの魚群である可能性が高いのでは?」

「楽観視はできんだろうよ。万が一にも哨戒線を越えてきたのがいれば、日本の重工業を支えるこの内海が戦場になるんだぞ」

「ですが……ありえるのでしょうか?」

「万が一にも億が一にも可能性を否定できないならばその可能性から潰し、最悪の事態を避ける。それが軍隊というものだろう。探せ」

 

 そう言った直後に部屋にいた通信員が声をあげた。

 

「艦長! 《にちなん》より緊急の通信です!」

「繋げ」

 

 すぐに男が司令卓の受話器をあげる。

 

「こちら《なんぷう》、《にちなん》送れ」

『こちら海洋情報収集艦《にちなん》座上中の敷島准将だ。こちらの観測員が甲種指定害獣と思しき影を発見。貴艦の四時方向一五ノーティカルマイル、数最低十六、確認できるか』

 

 そういわれ目の前のスクリーンを見やる。

 

「こちらでは確認できない」

『了解。こちらで捕捉中だがルートからして広島か呉、ないし(ひろ)方面に向かっているものと思われる。緊急戦闘配備への準備をされたし』

 

 それを横に男が眉をひそめる。会話に聞き耳を立てていたらしい。

 

「……《にちなん》はこちらの五マイルも前方ですよ。こちらでも捕捉できない対象を補足できるでしょうか」

「《にちなん》は海洋情報収集艦だぞ。レーダーやソナーの性能はこちらと比較にならん。それにあの艦には『アレ』が乗ってる」

 

 そう言って通信を返す。

 

「こちら《なんぷう》了解した。緊急戦闘に備える」

『対応感謝する。現時点をもって本艦は緊急戦闘に備え試験情報収集任務を中断し、敵勢力を追尾する。貴艦の左舷側を通過することになる。注意されたし。通信終了』

 

 一方的に切られた通信を受けて、僅かに嫌な顔をする水雷長に男はどこか苦笑を浮かべた。

 

「准将とはいえ何様のつもりですかね? こちらの指揮権ないでしょう」

「だからこそ『準備されたし』とだけ言ったんだ。越権指示ギリギリだがね。これで何もなかったら笑い飛ばして終了だ」

 

 ただ探針音だけが響く暗闇の世界で戦闘用意が静かに整えられていく。探針音の回数だけが時の流れを伝える。そして――――――

 

「呉防海域に高度警戒命令発令! 呉軍港沖に甲種指定害獣の存在を確認!」

「呉地方総監部より第一種戦闘配備命令!」

「来たか」

 

 男が小さく舌打ちをした。

 

「敷島准将の情報は正しかったな。対艦戦闘用意。これより本艦は甲種指定害獣の漸減を開始する。右舷四点回頭用意、かかれ!」

 

 後に呉沖甲種指定海獣対処行動、通称第一次呉沖海戦と呼ばれる戦闘の始まりであった。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「じゃぁ上妻さんは大学生にゃし!」

「しがいない学生だけどね」

 

 そんなことを言ってタブレットを上妻は持ち上げる。

 

「一応情報工学の専門だからコンピュータとかかな、専門は」

「へー、文月ちゃんみたいー」

「文月ちゃん?」

「うん。睦月の妹の一人なんだけど、コンピュータ使うのが上手なの」

 

 上妻の隣でベンチに腰かけ足をぷらぷらと振る睦月はそんなことを言って笑っている。上妻は合わせるように笑みを浮かべる。電源を入れっぱなしのタブレットからは『難民関連法案今期可決は絶望的か』などのニュースフラッシュが流れている。

 

「でも、今日はみんなちょっと出かけてるから睦月は一人なのね。いつもならみんなでこの公園に来るんだけど」

「だから一人で公園に来てたんだ。ってことは地元の子?」

「うーん、引っ越してるから生まれは違うんだけどにゃぁ」

 

 どこか猫っぽい語尾を付ける彼女。どことなくほんわかとした印象を受ける。

 

「そういう上妻さんは呉の人?」

「生まれは音戸(おんど)だからあっちの島だね」

「でも訛ってないんだねぇ、なんとなくこっちの人って『何々じゃけぇ!』とか『おんどりゃぁ! そこ退けやぁ!』とか言ってるような感じが……」

「任侠映画じゃないんだから」

 

 そう笑った刹那、タブレットに赤い警報表示が現れた。サイレントモードにしていた設定を無視して大音量で電子音のサイレンが鳴る。

 

「にゃっ⁉」

「……甲種指定海獣警報⁉ ここ内海だぞ⁉」

 

 エリア警報・甲種指定海獣が接近しています。速やかに安全シェルターに避難してください。

 

 そんな表示が出ているタブレットを乱雑に仕舞う。その横では睦月が呆然とした表情を浮かべていた。

 

「どうして……三つも哨戒線を越えてくるなんて……!」

 

 直後、風切り音がすると同時、閃光が光る。爆発音が届く。 その時差一秒以上二秒未満。おそらく五〇〇メートル以内。衝撃波の残滓らしい突風が吹いたほうを見ればどす黒い煙が膨らみながら昇るところだった。

「……! 睦月ちゃん、こっち!」

 

 ベンチを蹴るようにして立ち上がり、睦月の手を引く。

 

「うにゃっ⁉」

「早く避難するんだ! 殺されるぞ!」

 

 そう言う間にも市街地の方から煙が上がる。子どもの泣き声が公園のいたるところから響く。睦月が上妻の手をゆっくりと放しながらそれを振り返る。上妻は彼女がまだ付いて来ていることを確かめながらも走り続けた。

 

「一番近いシェルターはどこだ⁉」

 

 上妻はたすき掛けにしたタブレットポーチから薄い板状の機械を取り出した。それを首に叩き付けるように当てるとそれが首に沿って丸まり、首元を戒めるチョーカーようになる。生体電気を読み取り、パイロットランプが点灯。同時に上妻の視界には薄い青のフィルタがかかるように情報が表示されていく。

 

―――――スーパーリンカー 正常に起動しました 生体認証 上妻正敏 正規登録ユーザーです

 

 直接脳内に響く合成音声を聞きながら、上妻は奥歯を噛み締めた。使えるようになるまでの数秒がもどかしい。

 ネットワーク接続確認。視界に周囲の地図をオーバーレイ、付近の安全シェルターの位置を表示。最短経路検索。

 

「七〇〇メートル先⁉ 広域避難場所にシェルター作ってねぇのかよ! なにやってるんだようちの行政!」

 

 そう言いながら公園の外に出る。もう一度振り返り、睦月の方に手を伸ばす。

 

「たぶん脚は俺の方が早い! 背負ってやるから急ぐぞ!」

「……上妻さんは先に行ってください。行かなきゃいけない場所があるのです」

「はぁっ⁉」

 

 素でそう叫んでしまい、睦月が肩を怯えたように竦めたのを見て一瞬しまったと思い。すぐにそれを否定した。

 

「なに言ってんだよ! 深海棲艦がここまで来てるんだぞ⁉ 馬鹿なこと言ってないで逃げるんだよ!」

「大丈夫ですよ。睦月はこれでも正義の味方なのです」

 

 子供じみた理由。正義の味方なんて、なんて子供だましな。

 

 それでもなぜか声をかけられなかった。その刹那に彼女は背を向ける。その道の方向は――――――呉市街地。今ちょうどまさに化物が攻撃を加えているところだ。

 

「この先七〇〇メートル道なりに直進すると安全シェルターがあるはずです。そこに逃げてください」

「あ、待て―――――!」

 

 上妻が無理やり彼女の手を掴もうと手を伸ばす。それを軽々と避けて彼女は笑う。

 

「紙飛行機、ありがとうにゃし!」

 

 そう言って駆けていく彼女、それを追いかけようとして、遠くに落ちた爆音に足を止めてしまう。その間に彼女は交差点を曲がり、街中へと消えていく。

 

「くっそ……」

 

 七〇〇メートル、全力疾走で二分、それで安全圏が確約される。今会った女の子のことなど忘れて走れば自分はほぼ間違いなく生き残れる。出会って十分も経ってない少女のために命を危険にさらす理由がどこにある。

 

 すごーい! ありがとうございますっ!

 睦月です。よろしくお願いします!

 大丈夫ですよ。睦月はこれでも正義の味方なのです。

 

 

 ――――――紙飛行機、ありがとうにゃし!

 

 

「くそったれっ!」

 

 自分のお人好しさに腹がたつ。

 首元のチョーカーに触れる。モード切り替え、パフォーマンス優先に設定。市街地に向け、走る。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「……すこし厄介かも、にゃぁ」

 

 そう言ってビルの後ろ、植栽の影を駆けていく。周囲にはシェルターに向かう人が我先にと駆けていく。それを横目に睦月は反対方向へ走る。信号の看板を確かめる。カソリック教会前。

 

「あと、六二〇メートル。見つからずに行けるかにゃぁ……」

 

 息を整え、意を決し、走る。見つかったら集中的に攻撃される可能性が高いし、準備がないから見つかれば一巻の終わりだ。今はまだ撃たれる訳には行かなかった。

 

「安全なところに避難してください。安全なところに避難してください」

 

 そう言ってまわる警備ドローンを尻目にかけていく。隣ブロックに砲弾が落ちたのかビルからガラスが降ってくる。それをよけるようにビルの壁際に寄った。十何階からの鋭利なガラス片はアスファルトにも難なく突き刺さる。当たり所が悪ければ簡単に天国行きだ。

 一通り落ち着いたところを見計らって走り抜ける。交差点を超えた。あと五〇〇メートルくらいか。

 

「嬢ちゃん! 早く避難するんだ!」

 

 後ろから声がかかるが無視。無茶だとわかっている。そうだとしても、私は――――。

 

「……行かなきゃ」

 

 海上で水柱が立った。やっと海上部隊の攻撃が始まった。間に合うか。

 次の交差点に出る。直後に何かに躓いて地面が迫る。

 

「ふにゃっ!?」

 

 擦った肘を気にしながら顔をあげ、目を見開いた。自らに影が落ちている。

 

「駆逐ハ級後期型……⁉」

 

 のっそりと足をついて見下ろすそれ。――――深海棲艦の濁った瞳が睦月を見下ろしていた。

 

 喰われる!

 

 起き上がりながら腰の後ろに手を回しても、ポーチを叩くだけだった。一瞬歯噛みして足の痛みにバランスを崩す。

 

「――――――――睦月ちゃん!」

 

 響いた声に一瞬動きを止める。声の響いた方向を見ると猛スピードで走ってくる警備ドローンと―――――

 

「上妻さん⁉」

 

 ドローンが其のままのスピードを保って駆逐ハ級に体当たりする。百何十キロもあるドローンが時速七〇キロで体当たりをかけるのだ。いくら怪物といえども姿勢を崩す。睦月がそれを呆然と見ていると両脇から抱えるようにして持ち上げられた。強引に抱えられたせいで少し息が苦しいが、そのまま交差点の対岸まで連れていかれ、下ろされた。同時に怒号が降ってくる。

 

「全く! 遠くまで行きすぎだバカ!」

「バっ、バカとは失礼にゃ!」

「そんな噛み噛みで言われても迫力ねぇぞ」

 

 上妻はそう言って首のチョーカー型のデバイスに触れ、溜息を一つついた。その合間にも目線は周囲を走る。

 

「上妻さん、何を……」

「警備ドローンの運用プログラムをクラックした」

 

 早口でそう言って睦月の方をちらりと見る。

 

「今回は正当防衛なり緊急避難でチャラにしてほしいね。で?」

「え?」

「深海棲艦に囲まれた状況で無謀な嬢ちゃんは何をする気なのかな?」

 

 そう言って軽く笑いながらチョーカーからコードを引きだす。それをタブレットに接続。

 

「なんで、来ちゃうんですか、まったく」

「こんなところまで一人で来る女の子に言われたくないね。で、どこに行く気だい?」

「――――――――呉海軍基地、です」

「……本気で言ってる?」

「はい」

「海岸線だよ?」

「でも睦月は行かないといけないんです」

 

 睦月がさらりと言いきった。刹那逡巡するような表情を浮かべ、「あぁもう」少々自棄な雰囲気で髪をかきむしる上妻。

 

「乗り掛かった舟だし、見捨てられん。付き合うけど本当にそこに行く気か? 睦月ちゃんまったく、とんでもない女の子と知り合いになったもんだ」

 

 そう言って上妻は立ち上がり、睦月の手をとって走りだす。どこからともなく現れた警備ドローンが彼らを守るように追従する。遠くにまた煙が立つ。次の角を曲がれば海軍基地の門が見えるはずだ。

 

「……っ!」

 

 目の前を砲弾が走る。とっさに後ろを走る睦月の頭を抱え込んでしゃがみ込む。直後、鈍痛、鼓膜を破らんばかりの爆音。

 

「……大丈夫かい睦月ちゃん」

「上妻さんこそ無茶しないでください!」

「……まったくだよ」

 

 誰のせいだと言いかけて上妻は言葉を飲み込んだ。脇腹かどこかに破片が当たったのか痛みが激しい。だがなんとか立ちあがり笑って見せる。耳の上というか目の横というか、そこをアスファルトかなにかの破片がかすったらしい。血が頬を伝う感覚がある。ついでに左耳がどうもくぐもって聞こえる。

 

「……いくぞ」

 

 どこか泣きそうな睦月の背中を軽く押して立ち上がる。

 

「――――行くんだろ? もうすぐそこだ」

 

 右手で脇腹を押さえ、角から頭を出す。砲弾でひび割れた道路を渡る。思ったより痛みが激しい。

 

「こっち!」

 

 歪んで開いた通用ゲートに何とか体を滑り込ませる。柵に残った血の跡に睦月は辛そうな顔をした。海岸線の向こうは文字通りの戦場へ向けて近づいていく。

 睦月が手を引くようにして一つの建物へと連れてきた。地面にめり込んだかまぼこ型の建物は倉庫のようにも見える。その入り口の脇にある電子パネルに睦月がパスケースをかざす。飛び出してきた読み取り機に人差し指を差し込むと、OPENの表示が灯ると同時。ドアが重い音と共にスライドした。

 

「ドアが開いた……?」

 

 それに驚きつつも、睦月に「入って」といわれ考えるのをやめた。中は真っ暗だが上妻たちが足を踏み入れるとスイッチの入る音と共に徐々に順に明かりが灯ってゆく。それを見て上妻は言葉を失った。

 

「これは……」

 

 目の前には思ったよりもがらんとした空間が広がっていた。反対側の壁際から建物の中ほどまで水路が六本引かれており、緩やかに揺れる水面が天井の高光度ハロゲンランプの明かりを照り返している。

 

「びっくりした?」

 

 どこか悪戯っ子のような笑みを浮かべて睦月はそう言うと、壁際にある大きなコンソールに手をかざす。火が入って明るく灯る操作パネルに睦月が触れると同時、大量のリストが表示される。

 

「……やっぱりこれしかないけど、ないよりはずっといいかにゃぁ」

 

 どこか諦めたような声色でリストの一つを呼び出した。

 

「古い装備だけど今は時間を稼げれば……」

 

 睦月はそう呟きながら、表示された緑の実行ボタンに触れて振り返る。後ろに立っていた上妻に手をかけそっとコンソールの影に座らせると、水路の一本に向けて走り出した。

 

「ここなら安全だから上妻さんはここにいて!」

「睦月ちゃん……君は……」

「正義の味方!」

 

 誇らしげな笑みでそう言う睦月を見ながら、上妻は自分の体重を支えられずにコンソールに体重を預けた。その視線の先で睦月が振り返らずに駆けていく。

 

「音声認証! DDMK-01! システム・スタンバイ!」

 

 建物内部に反響した声に反応するように、睦月の背後の床がせりあがった。警告灯の黄色い光が乱反射し、駆動音と一緒に警告音ががなりたてる。

 

「ずっと使われてなかった艤装、うまく使えるか……」

 

 それでも私が守らなきゃ。

 

 せりあがった床の下から現れたコンテナの扉が開き、現れたのは――――鋼鉄の塊。それが睦月の背中を覆うように動き、接続が行われる、床の一部がせり上がり足元を覆う。同時に横からせりあがったアームが彼女の太ももに何かの箱状の鋼鉄の塊――――魚雷発射管を取り付けていく。

 

「睦月が出なきゃ始まらないんです! スーパーリンカー起動! システムアクティベート!」

 

 少女が背負うには明らかに大きな装備。それを背負って少女は前を睨む。コンテナから勢いよく飛び出してきた主砲を手に取った。それと同時に視界に短い一文が表示された。

 

―――――ALL SEQUENCE / CMPL

 

 

 

「第七十五試験艦隊旗艦、睦月! 出撃です!」

 

 

 

 

 

 

 




いかがだったでしょうか?

感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回は戦闘編

それでは次回お会いしましょう。


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戦渦

さて、第二話と参りましょう。
第二話にして、戦闘回。
それでは、抜錨!


「睦月がオンラインになった? 繋げ」

 

 そう言って受話器を取り上げた。

 

「睦月、聞こえているな?」

《提督! 遅れました!》

「いや、貴様の方が早い。こちらは文月が気付いてくれておっとり刀で戻っているところだ。おかげで試験兵装テストはキャンセルだがな。こちらの到着予定時刻は三十五分後、ヒトヨンヨンゴー」

『了解なのです!』

「戦闘を許可する。睦月型の意地、見せてみろ」

 

 そう言って受話器を切る。

 

「出遅れるとはもどかしい」

「それでも司令官が一番乗りみたいよ?」

 

 返ってきた答えを聞いて振り返れば、幼さを残しながらもどこか妖艶な雰囲気を見せる少女が立っていた。

 

「文月が気付いたからいいものの、完全に懐に入られてしまうとは大恥をかいたな、後でお上になんといわれるやら」

「哨戒パトロールに出てない私たちが言われる筋合いはないと思いますけど」

「責任問題で喧々するのは軍部のお家芸だからな。巻き込まれるのは覚悟してるさ。うるさい上層部だけをピンポイントで狙撃してくれるなら深海棲艦に感謝したいな」

 

 そう言うと少女がクスリと笑う。

 

「誰かに聞かれたら査問に呼び出されますよ? 敷島司令官?」

「貴様が望むならどこにでも言うがいいさ」

 

 口の端を歪めそう言うと、少女はどこか苦い笑いを返した。

 

「もっとも、会議も査問もここを凌がねば始まらん。敵は幾重もの哨戒網を潜り抜けてきた奴らだ。軽視もできんだろう」

 

 少女の方を見るとにっこりと笑った。

 

「睦月ちゃんの主艤装は今修復中で使用できません。今残っていて、睦月ちゃんが使える装備はユニットハンガーに保管中の旧式艤装だけです。おそらくはそれを使っていると思われますが……」

「……今の睦月が使っても艤装が追い付かんか。如月」

「はい」

 

 名前を呼ばれた少女――――如月は姿勢を正した。

 

「如月に特殊兵装前線代表権を譲渡、睦月の救援に向かえ。前線指揮は睦月と合流の後、睦月に移譲しろ」

「特殊兵装前線代表権の委譲確認。――――それでは」

「急げ。母港を焼かれてはたまらんからな」

 

 如月が敬礼して、踵を返した。それを見送って、前を見やる。

 

「我々も急ぐ。最大船速で前進を」

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「重いっ……!」

 

 そう言って槓桿を引いて次の弾倉の初弾を叩き込む。睦月は対爆掩体の中で足を止めたまま向かってくる深海棲艦を撃つだけで精一杯だった。弾倉を二回交換、倒せたのは一体と芳しくない。それに敵がここにいると気がつかれたために奥からどんどん深海棲艦が寄ってくるのが危機感に拍車をかける。

 

「早く海上に出ないと上妻さんが危ないのに……!」

 

 睦月が出撃しようした建物の出入り口に深海棲艦が張り付いていたとは思ってなかった。そんなことをいっても仕方がないのはわかっているが、ぼやかずにはいられない。

 それでもやらなければならない。電子スコープを覗きこむが反応までのタイムラグが大きすぎて使いものにならない。旧式艤装で処理能力が追い付かないのだろうか。第一、とっくに想定使用レンジを割っている。予測演算装置が無駄に空回りする。舌打ちをして再度引金を引いた。大きく左に逸れる。自動照準では追いつけない。

 

「―――――なら、マニュアルで!」

 

 数歩下がる。海に向かう水路の縁ではバランスがとりにくい。少しでも距離を取ろうと後方に下がる。艤装の後端がカツンとコンテナに触れた。

 その刹那、視界の端で何かが動いた。

 

「睦月ちゃん! それって照準の問題!?」

 

 そう声をかけられ睦月はあまり考えず頭を横に振り、直後に聞こえた足音に後悔する。

 

「……!」

 

 それが睦月の脇に走りこんできたのだ。周囲に隠れる場所はなく、もろに敵の射線に飛び込みながら睦月の足元にスライディングをかます。

 

「きちゃダメですっ!」

「守られっぱなしは性にあわないんだよ!」

 

 上妻は首筋のチョーカー型端末からコードを引き出し、一瞬迷ったように手を止めた。

 

「早く隠れてください! ここ危ないんですよっ!?」

 

 それには答えず艤装をなぞり、小さく「ビンゴ」と呟いた。そこを持ち上げコードを差し込む。

 

「ひゃっ……!? な、何を……」

「三〇秒保たせて! なんとかしてみる!」

 

 同時に足元に乱雑に置いたタブレットに光が灯る。緑色のレーザーが地面に投影され地面のコンクリートにキーボードを表示した。

 

「ごめん、これ借りた!」

 

 その声と共に視界の端を見覚えのあるものが過り、とっさにスカートのポケットに手を突っ込んだ。そこに入れてたはずのパスケースが抜かれている。いつの間に、と睦月が思う間もなく軍のセキュリティシステムのコード入力画面が表示された。そこに睦月のコードが表示された直後、いくつも画面を経ないと表示されないはずの管理者権限ページがいきなり表示される。

 

「単純なリングプロテクションシステム、睦月ちゃんはリング3……これなら潜れる(・・・)

 

 管理者権限ページから見たことのないページが現れる。いくつもの意味不明なスクリプトが高速で流れていく。時折色付きの文字が現れ、それがどんどん書き換えられていく。

 

「やたら無駄の多いプログラムだこって……」

 

 脂汗を浮かべながらそう言う上妻の様子を盗み見る。すでに太ももあたりまでは真っ赤に染まっている。そんな怪我を負ってまで睦月を守ろうとし、今も敵の射線に飛び込んできたのである。

 

「上妻さん……」

 

 彼に睦月にそこまで付き合う義理はないはずだ。今日初めて出会って、紙飛行機を飛ばして、少し話しただけの仲。放っておいても誰も責めないはずだ。

 それでも彼は、飛び込んできたのだ。

 

 

 

 それが、わからない。

 

 

 

「なんで、そこまで……?」

「嫌だったか?」

 

 呟きに答えが帰ってきてそっちの方を見てしまう。血と汗でぐっしょりと濡れた横顔を見る。その間にも手はキーボードの上を跳ねまわる、その数瞬後、視界のスクリプトが減っていき、《SUCCESS》の一文が表示される。

 警告文が一瞬現れて消えた。直後背後のコンテナで跳ねた敵の弾が明後日の方向に消えていく。視線を前に戻すと深海棲艦が水路に向かってきていた。慌てて引金を引く、甲高い金属音が響いた。

 

「当たった!?」

「最適化完了。これで大分マシになったはずだ」

 

 そう言ってキーボードから手を放す。直後改めての接近警報。光学照準器が瞬間的に距離を弾き出し、照準位置を知らせる。引き金を引けば、照準通りに突き刺さる。倒れたのを確認して、睦月は周囲を確認した。とりあえずここを目指していた敵影はなくなった。

 

「リングプロテクションの位置づけを変更してある。ハイパーバイザーモード起動中だから睦月ちゃんは今リング-1、武装システム全てへの介入が可能な状態だ。普通ならロックされているはずの機能もすべて使えるようにした」

「……?」

 

 睦月は目をぱちくりさせていた。その様子を見て上妻が苦笑いを浮かべる。

 

「俺にできるのはこれぐらい……だな」

 

 そう言ってプラグを抜いた。バーチャルキーボードの投影が終われば、手を伝った血潮がまだらに落ちているのがはっきり見えた。

 

「行けるか?」

「はいっ!」

 

 釣られたように笑う睦月は彼の瞳孔の開き方が微妙に異なることに気が付いて顔が青ざめるのを感じた。

 

「上妻さん!」

「……戦時だってわかってたはずなのにな。震えが止まらねぇや。睦月ちゃんはこれでいけるかい?」

「そんなことより!」

「聞け!」

 

 上妻は声を張ろうとしたらしい。それでも睦月に届くのがやっとの声だ。

 

「かりそめの平和の中で生きてたって思い知った気がする。これから戦場に君を送り出すなんて、本当はきっとしちゃいけないことなんだろうと思う」

「そんなことない、よ……」

 

 だといいがな、と上妻は笑う。睦月の頬に触れようとしたのか左手を伸ばし、血に染まっているのを見て、止めた。

 

「大人のエゴを押し付けるだけかもしれない、それでも今は君たちに頼るしかない。頼む。この街を、守ってほしい」

「……うん。任せて」

 

 上妻はその答えを聞いて薄く笑うとそっと目を閉じた。

 

「戦場にこんなかわいい子を送り出すなんてさ。地獄行きかな、これは……」

 

ぐったりした彼を見て睦月は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。手に持った主砲を一度置く。

 

「上妻さん。みんなを助けて、すぐ戻ってきますから」

 

だから……それまで待っていてください

 

 汗で冷えた彼の体をなんとか抱え、コンテナの影まで運んだ。彼からの返事はなく、血が手に残る。制服に血がついて、奥歯を噛み締めた。

 

 私を守って流した血だ。私が流すべき血のはずだ。私には守れるだけの力があるはずだ。

 

 傷口を簡単に縛る。応急処置の仕方をもっと習っておくんだったと思ってももう遅い。この乱雑な応急処置でいつまでもつだろう。

 

「行ってきます。待っててほしいのです」

 

 

 死なせてたまるか。

 

 

 睦月は駆け戻り、砲を取ったそのままの勢いで海に飛び出していく。外に出ると昼下がりの太陽が燻された雲を場違いに照らしている。その中を全速で駆けていく。最大船速三七ノット。

 

「すごい……!」

 

 滑るように駆けながらプログラム自体の書きかえでここまで変わるものかと痛感する。脇に敵の砲弾が着弾。衝撃波すら利用するかのように前に飛び、相手との間合いを掴む。この時ばかりは軽装甲で軽い体に感謝した。膝のクッションを活かして着地と同時に腰だめに構えた。光学照準機が距離を瞬時に弾き出す。目標は六二〇メートル先、ゼロイン距離からプラス一二〇メートル、若干上に照準、引き金を引く。ヒット。攻撃の沈黙を確認、取舵。

 

「これ、照準だけじゃない! 駆動系のプログラムにもちょっと調整入ってる!」

 

 そう言わずにはいられない。ほんのちょっとの調整でここまで変わるか。反応のタイムラグがコンマ以下だが明確に縮まった。

 一瞬ちりっとした違和が走る。とっさに目の前の海面を蹴って急減速をかけると目の前を衝撃波が通過した。僅かに耳に残響が残る。鼓膜が抜かれた訳ではなさそうだがツンと抜けるような痛みが走る。かなり大きな影を遠くに認める。あれは―――――――

 

「……軽巡へ級!」

 

 ここまで来て確信する。敵は巡洋艦と駆逐艦を中心とした水雷戦隊。この編成なら睦月と呉の地方守備隊、戻ってくるはずの睦月の原隊である第七十五試験艦隊で対応可能だ。敵の航空戦力が出てこないだけ対応がしやすい。

 

 

 その思い込みが、仇となった。

 

 

 弾倉を見る。弾薬には弾種確認用の黄色い識別線、中身は形成炸薬弾だ。これなら相手の装甲を抜いてダメージを叩き込める。槓桿を引いて初弾を装填、閉鎖、そしてそれを構え――――――

 

 真後ろに盛大な水柱が立った。

 

 着弾の衝撃じゃない、飛翔音も聞こえなかった。とっさに振り返り、息を飲む。

 

 駆逐ロ級がまるでイルカのように水上に飛び上がっていた、その瞳が睦月を睨む。銃を振ろうとして間に合わないことを悟る。

 

「――――――」

 

 本当に焦ったときは声を発する余裕もないことを初めて知る。ロ級が口を開いた。そのまま喰われるか、砲撃を受けるか。

 

 目をつむりかけて、耐えた。目をつむるな。抗え。

 

 その直後、無線がノイズを返す。

 

 

―――――――レコメンドファイア。

 

 

 それが響いた直後、ロ級の頭がぶれた。爆裂の音はなく、相手の目を正確に潰す。

 それを認めた数刹那後、ターンという軽い音が響いた。吹っ飛んだ方向から支援射撃の方向を見遣る。その先には戦場の煙で燻された空気を割るようにして急速にシルエットが近づいて来る。

 

 あの弾、正確な射撃精度、これは――――――

 

「―――――――徹甲弾! 如月ちゃん!」

『危なかったわね、睦月ちゃん。第七十五試験艦隊、これより戦闘に参加するわね』

 

 如月と呼ばれた声がどこかホッとしたような声を返す。

 

『一番古い装備引っ張り出して大乱闘なんて睦月ちゃん結構無茶するのねぇ……』

「だってこれぐらいしか使える装備がなかったのですっ!」

『本部はそうよね。でも大丈夫』

 

 そう言って睦月の隣に飛び込んでくる如月。睦月とお揃いの角襟セーラーに長い髪が潮風に揺れる。花びらを模した髪飾りが戦場には少々似つかわしくない華を添えていた。それを安心した笑みを見ていた睦月を如月が認めると、どこかぎょっとした表情を浮かべて如月が駆けてきた。

 

「睦月ちゃん大丈夫!? どこかの組長を刺した帰りみたいになってるわよ!?」

 

 その表現にどこか噴き出しそうになり、その血の出どころである彼のことを思い出した。気が萎む。

 

「大丈夫……これ、私の血じゃないから」

「……?」

「提督たちは?」

「今は亀ヶ首の沖あたりね。私たちが少し先回りしたの。そろそろ早瀬瀬戸側から皐月ちゃんたちが回り込むはずよ――――如月より七十五試験艦隊司令部、睦月と合流しました」

『確認している。変更点が一つ。特殊兵装前線代表権はそのまま如月行使しろ。睦月はそのまま遊撃に当たれ』

「如月了解しました」

「睦月了解なのです」

 

 睦月が半分笑ってそう言うと如月が少し驚いたような表情を浮かべた。

 

「あんまり嫌がらないのね?」

「指揮を執るのは大変なのです。たまには如月ちゃんも四苦八苦するがよいぞ」

 

 にゃしし、と笑う睦月に如月がくすりと笑う。

 

『話してていいのか?』

 

 無線の奥の声が半ば事務的に告げると同時、敵の駆逐艦2隻分の砲撃が猛ったように睦月たちを目指す。それを見た二人が海面を蹴り、躱す。弾の装填を確認すると、二人とも一斉射で敵を黙らせた。

 

『敵は水雷戦隊主体だ。さっさと潰してこい。食い残しは許さん。それと』

 

 睦月、と、妙に優しい声が呼びかける。

 

『ユニットハンガーにいる民間人の護衛及び確保も忘れるなよ』

 

 一瞬背筋が凍るような感覚を覚える。ばれていた。

 

「えっと……あの、提督……?」

『まもなく文月が情報支援を開始するぞ。呑まれるな』

「うえっ!」

『そんなにあたしのリンクいや……?』

「そうじゃないけどっ!」

 

 無線の奥に悲しそうな声を聞いて、睦月が慌てたように叫ぶ。

 

「……あの、優しくして、ね?」

『大丈夫だよぉ! ちょっと見るだけだから』

 

 どこか舌足らずな声の直後、首の後ろに軽い衝撃が走った。如月も一瞬片目を瞑る。

 

『リンク完了ぉ。みんな大丈夫?』

 

 文月の声がどこか近くから響くような感覚。それを感じると同時に視界に敵の情報がフィルタリングされていく。

 

「毎度毎度、この情報量はすごいわよねぇ……」

 

 如月がそんなことを言うと無線の奥が笑った。

 

『こんなのたいしたことないよぅ?』

 

 絶対そんなことない、と心の中で突っ込んだのは私だけじゃないはずだと睦月は思う。どこか苦笑いの如月の表情もそれを裏付けているんじゃないだろうか。

 

『さて、おしゃべりは終わりだ。お前たちには給料分はしっかり働いてもらうか』

 

 感情を抑えた声が無線に響く。

 

『どう攻める、如月』

「そうねぇ、七十五試験艦隊は呉湾に侵入した深海棲艦の掃討を最優先にします。各海道の再封鎖を地方総監部に要請してください」

『すでに完了。五十二戦隊が展開中だ』

「文月ちゃん、今のみんなのスペックを回して頂戴?」

『はーい』

 

 データを受け取ったのか、如月は一瞬悩むようなそぶりをみせた。

 

「長月ちゃん、菊月ちゃんは呉廠火工部前の集団へ、皐月ちゃん望月ちゃんはそのバックアップ。私と弥生ちゃん卯月ちゃんで民間港沖の集団を掃討します。三日月ちゃんは文月ちゃんと《にちなん》の直掩を。敵は水雷戦隊よ、競り負けていい相手じゃないわ。睦月型の意地を見せましょう!」

『了解っ!』

 

 一斉に返事が返ってくる。睦月が如月に視線を送ると如月が笑って頷いた。如月が手にした主砲の装填装置を動かした。徹甲弾が装填されているはずだ。

 

「それじゃ、如月ちゃん」

「私がバックアップね、慣れない装備だけど大丈夫?」

「お姉ちゃんを舐められたら困るのです」

 

 そう言って睦月は笑って前に出る。戦域への再突入。市街地の近くに向かおうとする個体を後ろから撃ちつける。それを見た如月がどこか笑う。

 

「あの旧式ユニットで、よくあれだけ動けるわねぇ」

『ちょっといじってるのかなぁ』

「えっ?」

 

 のほほんと帰ってきた文月の声に聞き返すも文月はどこか上機嫌なまま答えない。如月の溜息一つ。

 

「さて、こっちもいきましょうか。文月ちゃん、リクエスト・サイティングサポート、睦月ちゃんたちの背中を守るわよ」

『りょうかーい!』

 

 そう言って肩に銃床を押し当てる。サポートハンドの左腕は軽く添えるだけ、体に馴染んだ感覚だ。

 

「――――――リンク開始」

『えぐぜきゅーと、なうっ!』

 

 如月の視界にいくつもの情報が現れては消える。風向風速はもちろん、気温、湿度、目標の移動予測まで表示され、それらの情報の海に飲まれそうになる。それを深呼吸で押さえつけた。

 

「――――――。」

 

 心拍数が下がる。感情をフラットに持っていく。一番危険度が高いのは睦月の右手側、呉工廠造船試験部沖の駆逐ハ級か。

 静かに引金を引き絞る。プルは2.4キロ。閾値となるその数字より多くの力を籠めれば撃鉄が落ちる。そして、超音速の線で銃口と標的を結ぶのだ。

 狙い通りどうと崩れ落ちる駆逐ハ級。それを見とどける間もなく次の獲物を探して如月は場所を移動していく。槓桿を引き、空薬莢を排出、次弾装填。

 

「案外手ごたえないわね」

『そうだねぇ、ばれないように隠れてくることに特化したのかもね~』

 

 無線の向こうでは文月のほのぼのとした声が響いている。常に平常運転な仲間の声に如月は笑みを含んだ。

 

『どうしたの?』

「なんでもないわ。次いくわよ」

『りょうかーい!』

 

 

 睦月たちが呉港周辺に侵入した敵勢力を一掃するまで、あと三十二分のことだった。

 

 

 




いかがでしたでしょうか?

感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回は少しは落ち着いた話になるのかな……?

それでは次回お会いしましょう。


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再会

第三話は少し落ち着いた話になったかな……

それでは、抜錨!


 

 

 鈍痛も数が増えると激痛になる。

 

 

 そんなことが寝起きの頭をよぎると同時に、上妻は呻きを上げた。

 

「……どこだここ」

 

 声を出そうとして少々喉が痛いことに気が付いた。ベッドに横たえられているらしいが、上妻にはここがどこだかさっぱりわからない。ベッドの横には点滴器があるから医療機関であるのは間違いなさそうだ。高い位置にある窓にはどうやら鉄格子がはまっているらしく、普通の病院じゃなさそうなのが少々気がかりではある。廊下側には巨大な鏡とドアが見える。

 

 上体を起こそうとすると左の脇腹に違和を覚える。やはりどこか張る感覚だ。それでも耐えられない痛みではなく、ゆっくりと体を起こした。ベッドの上にはKOZUMA Masatoshiとなぜかローマ字表示のスリップが差されている。

 

「……とりあえず、だれか呼ぶか」

 

 誰にでもなく呟いて、ナースコールを押すと、ほどなくして薄緑の作業着を着た看護婦がやってきた。

 

「お目覚め? 気分は」

「少し脇腹が張るくらいですけど……あの……」

「ここはどこか、今は何日か、とかかしら?」

 

 どこか愛想の悪い看護婦が診察用具を手早く広げながら質問を先回りした。

 

「今日は五月一六日、キミがここに収容されてから三日が経ってるわ。失血でなかなか危険だったのよ? 生きてるだけでも感謝しなさいな」

 

 そう言いながら脈をとったり喉の奥を見たりと結構強引に見ていく。

 

「ここは呉地方総監部内特殊医療室、呉市内がいろいろ壊滅状態のなかで個室が与えられるんだから、結構なVIP待遇よ?」

 

 喉に突っ込まれていた木の棒が抜けるのを待って口を開く。

 

「……呉海軍病院じゃないんですか?」

「まぁね、ここはそこの分室扱い。あんなところにいたらアンタ逃げるかもしれないわけだし」

「逃げるって……俺はなにも……」

「軍施設への不法侵入及び、軍事機密情報への不当なアクセス及び改竄。身に覚えは?」

「……」

「答えられないならそういうことよ。私は知らないし知りたくもないけど、そういう内容に触れた人物を深海棲艦のおかげで重傷者でパンクした呉病院に入れるわけにはいかないってわけ。おわかり?」

 

 そう言うと診察用具を雑に片づける。本当にこんな簡単な診察で大丈夫なのかこちらが不安になる雑さだ。

 

「隔離病棟だけどまぁ現状だと一番快適な場所なはずよ? トイレはそっち。自殺されないようにひも系統は全部取っ払ってあるからズボンずり落ちやすいけどまぁ問題ないでしょう。それに」

 

 看護婦がそう言って上妻を覗きこんだ。

 

「艦娘の子を助けようと見栄を張ったんでしょ? その代償ぐらい背負って見せなきゃその子が泣くわよ?」

 

 それじゃ、しばらくしたら医者がくるから。といってその看護婦は出ていった。扉が閉まると錠の落ちる音が聞こえる。隔離病棟というのは本当らしい。

 

「……軍施設への不法侵入及び、軍事機密情報への不当なアクセス及び改竄、か」

 

 言われてみればそうだ。傍から見ればそう解釈されてしかるべき状況だ。

 

 

 

「――――それでも、間違ってない」

 

 

 

 上妻はそう呟き、両の掌をじっと見つめる。溜息をついてゆっくりと横になった。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

 それから二日間は特に何も起こらなかった。

 

 退官間近といった雰囲気の医者から退院まで一週間かからないだろうという診察を、若いものはいいねぇと愚痴入りで聞かされてからは急速に体力を回復していった。娯楽といえばが毎朝届けられる電子新聞のプリント版くらいしかなく(インターネットなどは使えないように封鎖されているらしい)、時間をかなり持て余す以外は確かに快適だった。

 広島から安否確認で妹が飛んできたらしいというのをあの愛想の悪い看護婦から聞いた。上妻の扱いが一応被疑者なので面会はできないから追い返したらしい。かなりしおらしい妹さんで似てないのねとは看護婦の談――――余計なお世話だ。

 

 そんな中迎えた三日目の夕方、ドアをノックする音が聞こえてきた。顔を向けるとドアではなくマジックミラーが透けていて、その向こうにどこか気恥ずかしげな少女が立っている。緑色の角襟セーラーには見覚えがあった。壁の横にある受話器を上げているのでどうやらこちらと通話ができるらしい。上妻もベッドサイドにある電話の受話器を上げた。ここでの会話は記録され、必要とされた場合はしかるべき手続きを経て云々という自動音声が流れた後電話がつながる。

 

「久しぶりってわけでもないかな、睦月ちゃん大丈夫?」

『……それはこっちのセリフです。上妻さんこそ大丈夫ですか?』

「時間があり余って退屈だ」

 

 そう笑えば、つられたように睦月も笑った。そして、お互いに黙り込んでしまった。

 

「……なぁ」

『……あのっ』

 

 同時に声をかけて、同時に黙る。

 

『上妻さん先どうぞ、です』

「こういうときはレディーファーストじゃない?」

 

 そう言うと少しためらうような間が空いた。

 

『あの時……なにをしたのです?』

 

 あの時といわれて、上妻は少し言葉に詰まった。何を指しているのかはすぐに思いあたる。睦月に連れ込まれた建物でのクラッキングだ。

 

『上妻さんがいじってから、艤装が軽くなったみたいに感じたのです。ほんとに体が軽くなったみたいに感じて……』

「……うまくいってたんだな、よかった」

『え?』

 

 上妻が目線を少し下げて笑った。

 

「睦月ちゃんの使ってたプログラムにデバックを一通りかけて密結合でデバックが難しいところは初期化の後で再構成。ついでに武装の管理権限をリング3からリング-1へ移行してハイパーバイザーモードを適用。全システムの介入権限を掌握。それを使って余分な外部フィードバックを一時的に停止、スタンドアロン運用が可能なところはそれで動くようにして無駄な通信を減らして、その分を外部演算装置とのリンクに充てて、デバックで浮いた余剰リソースと一緒に照準とか駆動系の演算に回して……」

 

 そこまで話していると睦月の頭から煙が出ているのを見て苦笑いを浮かべた。

 

『えっと、つまりどういう……』

「要は睦月ちゃんの使ってたシステムの無駄を省いて、使いやすいように変えたってこと。軍用プログラムをどうこうするのは初めてだったから正直不安だったんだけどね」

 

 そう言うが睦月はどこか納得していないようだった。

 

「趣味でプログラミングとかをしてたけど、役に立ってよかったよ。睦月ちゃんのIDの権限が結構高かったのも助かった。最初から武装関係の制御権限あったし、管理者権限も楽に掌握できた」

『……あの、それに関して聞きたいことがあるんですけど……』

 

 なぜか妙にかしこまった様子で目線を下げる睦月に上妻は首を傾げる。顔が赤く染まっている睦月は緊張しているのか、妙な間が空いた。

 

『そのですね、女の子のスカートからパスケースを抜き取るのも、その……趣味の類だったりするのです……?』

「……ちょっと待って、何だって?」

『……上妻さんは女の子のスカートをまさぐる趣味とかあるんですか?』

「いやいやいやいや!?」

 

 その言いぐさに焦る上妻。

 

「そんな趣味ないから! あってたまるかそんな趣味!」

『本当ですか……?』

「そんな目で見るな俺を! クラッキングに必要だったから借りただけで……」

『でも男の人がスカートのどこにポケットがあるのか知ってるのって珍しくないですか?』

「妹がいるからたまたま知ってただけだって!」

 

 信じろよ! と素で叫ぶが睦月は黙りこくったままだ。まずい、このまま強くいっても逆に怪しいか? でも誤解を解かなければならないし……

 

「もう勘弁してくれよ……」

 

 どうあがいても怪しく見える気がして上妻が頭を抱えると受話器の奥から吹き出すような笑い声が響いてきた。

 

「……?」

『もう、上妻さん必死すぎなのです……!』

 

 そう言うとツボにはまってしまったのかずっと笑い続ける睦月。しまいにはお腹を抱えるようにして大笑いしている。

 

「もしかして……」

『……てへっ』

 

 そう言ってちょろっと舌を出す睦月に毒気を抜かれてしまったのか、上妻は力なく笑った。

 

『実は三笠さんに男の人でスカートのこと知ってるのって珍しいなって言われてたのです』

「……なかなか面白い方だね」

 

 辟易した様子でそう言うと、また睦月のツボに入ったのか肩を揺らして笑う。

 

『確かに面白い人かにゃぁ。あー、こんなに笑ったのも久々なのです』

「……そうなのかい?」

 

 そう聞くと睦月は笑顔で首を縦に振った。

 

『最近はいろいろ忙しかったし、ここ数日はてんてこ舞いだったのです』

「そうなんだ?」

『でも、睦月は正義の味方だから頑張ったのです』

 

 そう言うと睦月は笑みを上妻に向けた。

 

『上妻さんも無事に間に合ってよかったのです。睦月が戻った時にはもう顔は土気色だし、唇真っ青だし、体温も下がってるし、本当に怖かったのです』

「……そんなに危ない感じだったのか?」

『ですです』

 

 それを聞いて左手を脇腹にあてた。最新医療をつぎ込んだ成果なのか、だいぶ痛みはとれていた。急に大きく動かさなければ傷を意識することは無いぐらいには回復している。そんなことになっていたとは今さら想像はつかない。

 

『あの……上妻さん』

「どうした?」

 

 そう聞き返すと、ガラスの向こうの睦月の顔はどこか深刻そうな色に変わっていた。

 

『後悔……してませんか?』

「こうかいって……悔いるって意味の方だよな?」

『いったい誰がここでクルーズの方の航海を言いますかっ!?』

 

 反射的に叫び返してしまったのか、顔を赤くして俯く睦月。どこか戸惑うような間を置いて口を開く。

 

『……上妻さん、睦月を助けてくれたのに、こんなところに監禁されてるなんて、おかしいのです。もしかしたら、この後もずっと軍の監視を受けなきゃいけなくなるかもって聞かされて……とんでもないもの背負わせちゃった気がして』

「なんで俺が後悔してる前提で話を進めるんだ?」

 

 だってっ、と噛みつかれて上妻は続ける言葉を失った。

 

『もしかしたら、睦月のせいでずっとこの後このことを引きずらなきゃいけないかもしれないんですよ。この後も、ずっと……』

 

 上妻は噂レベルでしか知らないが、海外への移動制限や、通信の傍受など様々な制約を受けると聞く。今後の生活には様々な制限が入るかもしれない。

 

 それでも。

 

「俺は後悔してないぞ、睦月ちゃん」

 

 そう言ってベッドから立ち上がり、廊下の窓へと寄っていく。電話機ごと持ち上げて近くに寄ると、なんとか近くまで寄れた。

 

「テレビアニメとか、見ることあった?」

『……?』

 

 いきなりの話題転換に頭が追い付かないのか睦月はどこかぽかんとした表情を浮かべたままこくりと頷いた。

 

「日曜日とかに流してたヒーローもののアニメがあるだろ。男の子っていうのはみんなどこかそんなヒーローに憧れるものでさ、ヒーローになれるかもしれないってチャンスがあったら実際に頑張っちゃうんだ。それが身の丈以上でも、なんでもね」

 

 難儀なものだけどな。と上妻はどこか自嘲的に笑った。

 

「それにさ。こんなかわいい子が、正義の味方って言って、大の大人が震えあがるような敵を相手にして飛び込んでいくのを見てさ……不謹慎だけど、かっこいいと思った。あんな子を死なせたくないと思ったし、今も思ってる。だから頑張った」

 

 そう言われてどこか複雑そうな顔をする睦月。上妻は窓ガラスにそっと手を伸ばした。彼女に触れることは叶わないが、それでも少しでも近づいてみたかった。

 

「俺は俺なりの正義の味方になろうとしただけだよ。それだけだ。その結果に満足してるし、後悔なんてしてないんだ」

『本当に?』

「本当に」

 

 睦月がガラス越しに手を重ねてくる。透明度の高いガラスは想像よりも厚みがあり、互いの熱が伝わることはなかった。

 

「そう言えば、睦月ちゃんの方は大丈夫だったの?」

『にゃ?』

「あのあと、何もなかった?」

 

 そう聞けば睦月は少し渋い表情を浮かべる。

 

『民間人を許可なくハンガーに入れるとは何事だーって少し絞られたのです。でもきっと上妻さんに比べれば軽いものなのです』

「怪我とかは?」

『上妻さんの血で制服が一着駄目になった以外はなんともないのね』

「う、すまん」

『いいのです。……初めて、睦月が誰かを守れたって実感できたの』

 

 そう言う笑顔はどこか儚げだ。

 

『睦月が戦うようになってから、結構時間が経ってるんだけど、深海棲艦と戦う中で、誰かを守れたって思えるときって実はないのね。睦月の所属は新兵器の試験とかを行う部署だから直接戦うことは少ないし、戦うとしてもずっと向こうの海の上で、陸なんて見えないところで戦うことがほとんど。結果としてみんなを守ってても、どこか実感がわかないのです。でも、今回は上妻さんを守れたから、守れてよかったって思うのです』

 

 そう言う睦月の笑顔を見て、上妻はどんな顔をしたらいいかわからなかった。

 

 この少女にどれだけの重責を預けているのだろう。この少女の細い両肩にどれだけの責務を押しつけているのだろう。

 

『……だから、上妻さんが生きててくれて、本当に嬉しいのです。それが、ほんとに……』

 

 感極まったのか、言葉尻が震える。泣き声を聞かれたくないのか、ガラスの向こうで通話口を押える彼女を見て、僅かに目を伏せる。看護婦が言った一言が頭をよぎる。

 

 

――――艦娘の子を助けようと見栄を張ったんでしょ? その代償ぐらい背負って見せなきゃその子が泣くわよ?

 

 

 どれだけ守られてきたのだろう。呉が戦火を免れていたその背景で、どれだけの犠牲があったのだろう。それを守り、今、目の前の男を守れてよかったと泣く少女に、どんな言葉をかければよいのだろう。

 

 かけるべき言葉が見つからない中で、幾許かの時間が流れた。

 

『……みっともないところ見せちゃいました』

 

 どこかバツの悪そうな顔をする睦月に首を振って応える。

 

「そんなことないよ」

『ほかの人に言っちゃ嫌ですからね?』

 

 はにかんだ彼女に笑い返すと、彼女がいきなり横を向いた。何だろうと思うと海軍の制服……開襟の制服だから水兵ではないのだろう……を着た男がやってきた。睦月とその男が敬礼を交わし、何かを言っている。受話器からは何かを話している声は聞こえるが、内容は聞こえなかった。

 

 しばらくして男が睦月から受話器を受けとった。

 

『上妻正敏だな?』

「そうですが……」

『敷島准将が君と会いたいそうだ。早く用意をしたまえ』

 

 どこか高圧的にそう言われ眉をひそめそうになったが、どこか不安げな睦月の表情を見て踏みとどまった。

 

「用意といっても……服もないんですが……」

『……わかった。なにか着る物を用意させよう』

 

 すぐに用意された服はいかにも軍用とわかるものだった。肩には階級章でも通すのかそれ用の布が打たれ、スラックスも生地が厚めの丈夫なものだった。着替え終わったタイミングを見計らってか(実際マジックミラー越しに監視していたのだろう)、病室のドアがタイミングよく開かれた。外に出ると小銃を持った兵士もいて、少々げんなりだ。

 

「行くぞ」

 

 顎で指されるようにして連れていかれる。上妻の後ろを睦月がピッタリとついてきた。

 

「もしかして、睦月ちゃんも来るの?」

「敷島提督は、睦月の上官だから、一緒に呼び出されてるの。どうなるのかにゃぁ……」

 

 そういう睦月はどこか不安げだ。そんな睦月の様子も上妻のどこか硬い雰囲気も気にしないように男が先導する。一度建物の外に出て夕陽の中を連れていかれたのはレンガ造りの古い建物だった。入り口の脇には木製の看板が掛けられ『海軍呉守備隊第一分庁舎』とある。

 どこか軋んだ音がする板張りの廊下を進む。東向きの廊下は時代遅れな電球式の明かりが灯り、どこか時代に取り残されたような感覚がある。

 

「ここは……」

「呉鎮守府で最初にできた建物なんだって。もう設備が古いから鎮守府守備隊とか連合艦隊構成戦隊とかの基本機能は隣の本庁舎とか第二庁舎とかにあるのです」

 

 睦月の小声の解説に上妻はどこか納得したように頷いた。木枠の窓には空襲時のガラス飛散対策らしいテープが張られており、先の戦闘で壊れたらしい窓には応急処置的に、ベニヤ板が打ちつけられていて少々痛々しい。

 

「この建物に、睦月ちゃんの上官が……?」

「うん、ちょっと厳しい人だけどね。提督、怒ってないといいなぁ……」

 

 睦月の目が泳ぐ。かなり不安らしい。

 上妻はかなり長い廊下を進みながら考える。俺に会いたいといっていたらしい提督とはどんな人だろう。上妻の頭の中では提督といえば、東郷平八郎ぐらいしか浮かばない。どんな人が待っているか皆目見当もつかない。

 廊下の角を曲がった突き当り、窓もなくなり薄暗い廊下の突き当りのドアの前で道案内をしていた男が足を止めた。睦月に顎をしゃくるようにして入るように指示を出す。ドア枠の上には『第七十五分室』と記された安いセルロイドの札がかかっていた。

 

 睦月は恐る恐るドアをノックする。するとすぐに「――――入れ」と返事が返ってきた。

 

(――――――女性の声?)

 

 上妻が意外に思う間にも、睦月がゆっくりとドアを開けた、西日が射しこむ部屋は風に揺れるレースカーテン越しでも眩しいほどに明るく、木や漆喰を使った部屋を照らしていた。

 上妻の目に真っ先に飛び込んできたのは二列に並んだ人の影だった。背格好は皆睦月と同じくらいに見える、どこかあどけなさを残す九対の双眸が上妻の方を見た。中に青紫色や、きれいなピンク色、薄い緑色など珍しい髪の色の子が混じっている。

 睦月がリードするように入っていく。それについていくようにして部屋に入っていくと、線香のような香の匂いがふわりと鼻をついた。そのままゆっくりと前に進む。部屋の壁には呉近郊の海図が大きく掛けてあり、天井近くの一番目立つところには部隊徽章らしいエンブレムが光っていた。北斗七星を抱く三日月紋を守る二つの錨、そのエンブレムの前に―――――その提督は座っていた。

 

「――――――。」

 

 落ち着いた色合いの髪は肩にゆったりとかかる長さであり、軍服を着ていなければどこかの令嬢といわれても違和のない風体の女性が、机に肘をついて指を組んでいた。開襟の制服の袖には幅広の金モールが映える。顔の前で組んでいた手を下ろした。金色の双眸鋭く、上妻を見て――――

 

 

 

「海軍准将、特殊艤装研究課付属第七十五分室室長、敷島三笠だ。貴様が上妻正敏か。待っていたぞ」

 

 

 凛としたアルトでそう言うとどこか不敵に微笑んだ。

 

 

 




いかがでしょうか?

感想・意見・要望はお気軽にどうぞ。
次回は提督とのお話メイン?

それでは、次回お会いしましょう。


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対峙

さてさて、いよいよ提督の登場です。

それでは、抜錨!


 

 

 

 睦月の目の前で三笠が組んだ手を解く。

 

「病院で休んでいるところ悪いな、どうしても早いうちに顔を合わせたくてね。睦月がわざわざ軍敷地まで連れ込んだ男がどれだけ美形か確かめておきたかったんだ」

 

 そう言われて、睦月の顔が一気に赤くなった。睦月と同じ緑色の角襟セーラーを着た少女がくすりと笑う。

 

「ち、違いますっ! 連れ込んだんじゃなくて上妻さんが後から勝手に付いてきたのですっ!」

「なんだ、ストーカーだったわけか」

 

 真顔でそう言った三笠に少女たち数人が噴き出した。

 

「睦月姉ぇ、一応命の恩人にその言いぐさはないんじゃない?」

 

 赤いフレームが目立つ眼鏡をかけた少女が欠伸をかみ殺しながらそう言った。

 

「そうそう、嘘はいけないわよ、睦月ちゃん? 戦闘が終わってからユニットハンガーに取って返して、呼吸あるのに人工呼吸しようとしたりするしねぇ」

「き、如月ちゃんっ!」

 

 睦月が腕まで真っ赤にしたまま、同じ制服の少女の名前を叫ぶが、当の呼ばれた本人はどこ吹く風だ。

 

「むっちゃんがそこまで積極的だったなんて知らなかったぴょん!」

「睦月姉さん大胆ですね……」

「卯月ちゃんもそんなこと言わないっ! 三日月ちゃんも信じちゃダメ!」

「でも人工呼吸しようとしたのは本当だよねー」

「なんで文月ちゃん知ってるの!?」

「あの時まだ如月ちゃんとリンクしてたから見えてたよぉ?」

「だからあれはただ上妻さんが死にそうになってたから焦ってただけで……べつにそんなやましい意味合いは……!」

「そろそろ口を噤んだほうがいいぞ睦月姉。ひたすら墓穴掘るだけだ」

「にゃ、にゃあああああああっ!」

 

 銀にも見える白い髪を揺らす少女にさらりと言われ睦月が撃沈。周囲に笑いが起こった。

 

「……そんな男の実物を眺めてみてどうですか?」

「そこまで整った顔立ちではないな。顔の良し悪しで睦月が連れてきたならその感性が少々興味深い」

「……だから提督、そんな理由じゃないってずっと説明したのに……」

 

 すでに疲れ切った表情を浮かべる睦月に三笠が鼻を鳴らした。

 

「冗談だ。睦月が連れ込んだ男というだけでも興味深いが、それ以上の理由がないわけないだろう」

 

 そう言って三笠は一枚の紙を机から取り上げ、ひらひらと振った。小さい文字がびっしりと並んだ紙を見て、上妻は僅かに眉をひそめた。所々に蛍光マーカーが引いてあるところを見ると、三笠の前に誰かがそれを確認し、三笠に提出したものなのだろう。

 

「このコード、見覚えがあるだろう?」

「睦月ちゃんの使っていたプログラムコードですね」

「正確には貴様が手を加えて改変したコードだ。これを見てOS担当がひっくり返っていたぞ。コードがトータルでかなり短くなったんだから本職としては悔しいだろうが、問題の本質はそこじゃない。これにかけた時間だ」

 

 そう言うとすっと目を細める三笠。

 

「攻勢防壁を含む軍の防壁を4.3秒で突破して管理者権限を掌握、そのあと一分かからず照準システムの改変、動力リソースとその制御プログラムの改変も完了させた。しかも大きなバグもなく改変した。控えめに言っても特A級の実力と言っていいだろう。――――貴様、何者だ?」

「……軍の権限があればわかるかと思いますが」

 

 硬い声で返すと、三笠は表情を変えずに口を開いた。

 

「それでも貴様の口から聞いたほうが早いし手っ取り早いからな」

 

 夕日に薄雲が差したのか部屋の明るさが一気に下がった。三笠の金色の目が強く光ってみえる。

 

「……経済産業省公認でホワイトハッカーをやっています。まぁ、薄給なので小遣い稼ぎ程度にしかなりませんが」

「小遣い稼ぎ程度でこの仕事ができるならば貴様は搾取されているのを自覚するべきだ」

「学生なのでその程度でも結構な稼ぎなんですよ」

「所属は?」

「国立情報先端技術大学院大学」

「JAISITの呉キャンパスか」

 

 それを聞いた三笠が含み笑いを浮かべる。

 

「貴様、持病は?」

「……ありません」

「視力は?」

「右1.2、左1.0です」

「家族は?」

「広島に妹と祖母がいますが、他には。……いったい何が聞きたいんです?」

 

 そう聞かれて三笠が笑みを深めた。

 

「単刀直入に言おうか。上妻正敏、私の部下になれ」

「……はい?」

 

 あっけにとられていると三笠が表情を変えないまま続ける。

 

「甲種指定害獣――――通称『深海棲艦』が現れて一五年が経ってもなお、人間は制海権を回復することができずにいる。その状況を打開するには様々な条件が必要だ。情報・兵站・人員・時期・地理的条件・エトセトラ・エトセトラ。さまざまな条件を揃えることが必要になる」

 

 そう言って三笠が両手を改めて顔の前で組んだ。ゆっくりと部屋の明るさが回復していく。日没が近いのか射しこむ光がどんどん赤みを増していく。

 

「天候などは操作不可能な要素だが、操作可能な要素も多々ある。そしてそれらの根源にあるのは優秀な人材であり、高性能な武装であり、それを組み合わせて効率的に動かしていくシステムだ」

 

 そう言いきって三笠が立ち上がり、デスクの後ろの壁に設えられたキャビネットに手を掛けた。

 

「それらのどれが欠けたとしても軍隊はまともに機能しなくなる。そして、現状の日本国海軍はまともに機能しているとは言い難い。優秀な人材を縛り付ける階級主義、利権に塗れた軍産複合体、戦場の足を引っ張る文書主義……挙げればきりがないが、どれも保身と自衛のためのシステムだ」

 

 キャビネットから取り出したのは黒漆に金メッキが映える鞘に収まった短剣だった。それを手に三笠が続ける。

 

「そうして馴れ合いのようなシステムに頼った結果が今の日本だ。最低限のシーレーン防衛をした後には、ただ保身のため、国際社会での体面を保つための活動でしかない。その日和見の結果として、今でも沖縄と択捉を除く外洋島嶼部は未だ奪還できず、国際貿易は大航海時代の方がましといった状況だ。それを打開するために、現状に警鐘を鳴らすことができるような部隊。即ちこれまでの軍組織とは異なるシステムが必要だ」

 

 ゆっくりと柄を引き抜くと赤い夕陽を照り返す銀の刃が現れる。

 

「独立攻勢、最優先ライン、保身と自衛のためではない、階級なしの実力主義。その精鋭部隊には貴様のような一芸に秀でた特殊な事情を持つ人材が必要だ」

 

 銀の刃に反射した夕陽が上妻たちを照らした。

 

「海軍のかの字も知らない俺をスカウトする気ですか?」

「そうだ」

 

 上妻の問に三笠は即答。驚いた顔をしたのがばれたのか睦月の方をちらりと見て三笠が続ける。

 

「組織というのは高度に特殊化すればするほど緩慢な死を迎える定めにある。統一の規格のみで構成されたシステムは、小さな想定外ひとつで機能しなくなり、外的要因の変化に対応できないまま死に絶える。それを防ぐためには常にさまざまな因子を取り入れ、可塑性を保つ必要がある。貴様はまだ学生で、軍にこれまでかかわりがなかった人間だ。ただ十数分話しただけの少女のために命がけで飛び込んでくるようなお人好しで、高度なクラッキング能力を持つ。そんな奇特な人材はこれまでの部隊には存在しなかった。このロートルだらけの部隊にこそ必要な人材だ」

「ロートル……?」

 

 上妻が部屋を見回す。部屋の中には彼と三笠を除けば、睦月たち、ローティーンにしか見えない子どもの姿しかないのだからある意味当然のことかもしれない。

 

「兵器というのは常に最新のシステムに対応するべく頻繁にアップデートされていく。そうして新たな価値観や規格に取り残されるまで酷使を続けられる」

「……?」

 

 どこか薄ら寒いものを感じたのか上妻の表情が硬くなる。睦月はそれをどこか不安な目で盗み見た。

 

「貴様はハッカーだそうだから、わかりやすい例えを出してやろう。貴様が電子空間に繋がり、睦月に介入するのに使ったそのデバイスは何だ?」

 

 質問の意味を図りかねていると、答えを待たずに三笠が口を開く。

 

「スーパーリンカー……今、軍民共に広く使われているブレイン-コンピュータ・インターフェースだ。それにより様々な情報を直接、高度にやり取りすることが可能になった。ならばそれを使うために必要な条件はなんだ?」

 

 短刀を鞘に半分戻して三笠は笑う。この問もまた上妻に答えを求めていない。

 

「答えはシンプル――――規格だ。情報のやり取りだけじゃない。情報の生成から・暗号化・圧縮・送受信・解凍・解読、そしてその情報の活用とその結果を受けて新たに生成される情報……すべてが0と1で構成される電子空間において、物事が意味消失を迎えないためには、ルールに適合し、規格に合致せねばならない。その鉄則に則って今のシステムは動いている。貴様が行ったプログラミングもまた、現在有効な規格に適合し、現状機能しているシステムに乗せたからこそ、睦月は前回の戦闘で成果をあげ、生き残った」

 

 短刀がパチンと小気味良い音を立てて鞘にはまり込んだ。

 

「だが、貴様が乗せたプログラム……それが今後も最善であるとは限らない。いつしかそれが下策となる日は必ず訪れるだろう。技術革新、戦略の変化、地域差などの要因によって、最善は毎秒ごとに変化し続ける。現状の最善はそれらが変化すれば当然時代遅れになる」

 

 短剣を右手の上で弄んでいた三笠がすっと目を細めた。

 

「当然、規格にはそれらに対応するためのバッファが確保されている。しかし現状の規格では対応できない状況が発生したなら、それは使えなくなる。待っているのは次の規格へのバージョンアップだ。道理だろう? そうして次の規格に対応できないものが現れたらどうなると思う?」

 

 三笠は再び短刀を引き抜いて鞘を机に置いた。そして刃を包み込むように左手を添える。そっとその手を開けば左の薬指からわずかに血がにじんでいた。

 

「そんなもの危なっかしくて非効率だからパージされる。民間ならシステムサポートの打ち切りとでもいえばわかりやすいか?」

 

 そうして浮かんだ笑みは――――どこか自嘲の色が混じっていた。

 

「ここに居る貴様を除く全員が、すでにその域に入っている」

「……どういうことです?」

「言い換えるならば貴様を除く全員が人間として扱われていないということだ」

 

 にわかには信じがたいことを言われ、上妻が息を飲む。

 

「睦月」

「にゃっ!?」

 

 いきなり話題を振られると思っていなかったせいで、飛び上がるほど驚いた睦月が慌てて姿勢を正す。

 

「貴様の所属は?」

「日本海軍連合艦隊隷下第七十五試験艦隊、です」

 

 それを聞くと三笠がすぐ切り替えした。

 

「第七十五試験艦隊という名前の部隊はどこに存在する?」

 

 そういわれ、睦月は無表情に頷く。

 

「第七十五試験艦隊という名前は通称で、そんな名前の部隊は正式には存在しないのです」

「そのとおり。海軍のどこを探しても第七十五試験艦隊という名前を見つけることはできない。理由はいたってシンプルだ。――――彼女たちは軍という組織において人ではなく物として登録されているためだ」

 

 そういって三笠は薄く微笑んだ。ぞっとするような冷たい笑みだった。

 

「日本海軍 連合艦隊直属 開発隊群 艦艇開発隊隷下、搭載艤装研究部 特殊艤装研究課、第七十五分室の備品。それが彼女たちの実態だ。軍組織の中で艦隊配備型特殊兵装――――通称『艦娘』は兵器であり、各部隊に配備される備品として管理、運用されている。軍産複合体で研究・開発された戦闘兵器は備品として管理されるからだ」

 

 上妻の手が強く握りこまれるのが見えないのか三笠はどこか上機嫌にも取れる声色でつづけた。

 

「この子たちに与えられるのは姓名、性別、血液型などが打ち抜かれたドッグタグではなく、シリアルナンバーと使用部品の形式が記載された管理コードだ。人の形をしていても、求められるのは機械としての性能と効率、そして成果のみ。そうして第一線でこの国の最低限の平和を守ってきたのがこの子たちだ」

 

 そう言って両腕を広げた。

 

「旧式化した結果、最前線で戦うには少々非効率が発生した。そうして送りだされたのは新しい規格へのバージョンアップのための試験を行う、特殊艤装研究課第七十五分室、即ち今貴様がいるこの場所だ。テスターとして様々な兵器を運用する。万が一事故が起きても惜しくはない素材としてうってつけだったわけだ」

 

 最前線じゃないからと言って楽でもないんだ。とどこか楽しそうに三笠が笑う。

 

「この子たちは後数年もしないうちに軍用兵器としては完全に取り残される。旧式兵器の末路は二つに一つだ。発展途上国への売却か、スクラップか。遠くない未来にこの子たちに降りかかる現実がそれだ。もっともそれまで生き残っていればの話だがね」

「……黙って聞いてれば、人を物みたいに言いやがって」

 

 上妻の低い声が床を這うように響いた。

 

「そうやって、子どもを食い物にして国のためとか未来のためとかほざいてるのかよ」

 

 声が震えているがその感情が何なのか睦月には理解できなかった。

 

「紙飛行機で遊んで、笑って、妹思いで……そんな子どもを戦場に追い立てるのがあんたらの正義か!」

「そうだ」

 

 三笠が即答し、上妻が怯む。

 

「正義なんてものは言ったもの勝ちだがね。これらの残骸の上に我々は平和を築く。そうすることで、この国の最低限を守ってきた。この国の純粋で残酷な貴様のような偽善者さえも守ってきた」

「本当にそれが正義だと思ってるのか?」

「ハッ!」

 

 それを聞いた三笠が怒気を交えて鼻で笑った。くるくると彼女の右手の上で回っていたむき身短刀がピタリと動きを止めた。彼女の声が太く響く。

 

「では聞こうじゃないか、仮初の平和に踊らされた偽善者よ――――貴様の思い描く理想の正義とはどんなものなのか」

 

 そう言った直後、短刀が鋭い音を立てて机に突き刺さった。

 

「そんなものがどこにある」

 

 地を這うような重さを持って三笠の声が響いた。鋭い感情が彼女の双眸をよぎる。

 

「ありもしないさ、どこにも!」

 

 怒った彼女の声が飛ぶ。

 

「夢幻は寝てから言え。そんな口だけの甘い理想がかなうならとっくに世界平和だ!」

 

 三笠は一気呵成にそこまで言うと、息を整えて再度口を開いた。

 

「最大多数の最大幸福、民主主義の原則に乗っ取った行動だ。それを愚直に守ってきた我々を正義と呼ばず何と呼ぶ? 何の疑問を感じることなくただそれを享受してきた貴様に非難される筋合いはない」

 

 机に刺した短剣の柄に手を置いて、三笠は冷めた目で上妻を見た。

 

「これらがなければ日本はとっくに干上がっていたはずだ。石油・石炭・天然ガス、鉄鉱石にボーキサイト、イットリウム・ネオジウムをはじめとするレアアース類……この国に必要不可欠な鉱物資源にとことん恵まれないにも関わらず、我が国が未だ技術大国として生き残り、高度なインフラと高い市民自治を維持できているのはなぜだ? それを我が物顔で享受しているのは誰だ? それを貴様はどう評価する?」

 

 トントンと短剣の柄を叩く音が言葉の間を埋めていく。

 

「ここの備品の活躍が人様の目に触れないということは世の中がある程度の水準を取り戻したということだろう。自らの周りが快適になれば、それがどんなプロセスを踏んで得られたものかは関係ないわけだ。そんな現状をただ消費する市民の一人である貴様はどんな高説を垂れてくれるんだ?」

 

 そう問われても上妻に答えるべき言葉は無かった。ただ意地でも目線を逸らして溜まるかと歯を食いしばる。

 

「……そこで言い返せないなら、そこが貴様の正義の限界だ」

 

 三笠がどこか穏やかにそう言うと。机に刺さったままの短剣を引き抜き、鞘に戻した。

 

「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった。このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである」

 

 そう言いながら短剣を上妻の方に差し出した。

 

「この世界においての正義とは力だ。力のあるものが正義を定義し、それを成す。自らの正義が正しいと思うならそれに見合った力を手に入れるほかに方法はない」

 

 上妻の手にそれを押し付ける様にして持たせ、言葉を継ぐ。

 

「無知で善良な市民のために、これを消費していくこの状況を貴様が憂うならば、貴様は今後の身の振り方を決しなければならない。自らの安い正義とちゃちな使命感に従い、ハッカーとしてどこかにリークするか? 目と耳を塞ぎ、口を噤んだ人間として社会に戻るか? それとも」

 

 私の部隊に来て内側から変えるか? とどこか挑発的な口調で問いかける。

 

「貴様には私から二つの選択肢を提供できる。一つ目はその短剣、使い方は任せるが、少なくとも気にいらない奴の臓物を抉るぐらいはできるだろう。二つ目は――――」

 

 そう言ってデスクに置かれたのは一枚の書類だった。上妻に向けておかれたその書類の一番上にタイトルが見えた。――――海軍士官候補生学校入学宣誓書。

 

 

 

「もし、その力を手にしたいと願うなら、この書類にサインをしろ。私が貴様にその力を与えてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

 司令官室を去った上妻を軽く見送って三笠が苦笑いを浮かべた。

 

「……すまなかったな、睦月。熱くなりすぎた」

「いえ……そうなるって少し思っていたのです」

「……まったく、人のことを笑えんな」

 

 そう言いながらも三笠はどこか疲れたように椅子の背に体重を預けた。椅子が抗議するようにギシリと鳴る。

 

「案外彼は司令官と似ているところあるんじゃないかしら?」

 

 どこか乾いた笑みを送る如月がそう言えば、三笠はどこか遠くに目の焦点を合わせた。

 

「平和、か」

「……提督?」

「……あれで手駒が確保できるなら安いものだろう。なぁ睦月」

「ふぇっ!?」

 

 また顔をどこか赤くする睦月を見て諧謔心を一通り満足させる

 

「それにしても司令官、期待する人にきつくあたる癖、何とかしたほうがいいんじゃないのー?」

「不満か、望月?」

「んや? 不満なんて無いよー。けどさぁ、それであの人がムキになったらどうする気だったの?」

「その時はそれまでの男だということだ。感情的になることは悪くはないが、感情に従うあまり、機会を失すような馬鹿の居場所はここにはない」

 

 そう言ってどこか不機嫌そうに三笠が鼻を鳴らす。如月がデスクに置かれた紙を見て微笑んだ。

 

「なら彼は合格ね?」

「知らん。使えない奴ならすぐにパージするだけだ」

 

 そう言いつつも三笠の口の端には笑みが張り付いていた。

 

「貴様らはどう思った?」

「結構熱い人だったわねぇ。嫌いじゃないわよ?」

 

 如月が笑えば視線を送られた望月が肩をすくめる。

 

「まぁいい人なんじゃないの? 良くも悪くも」

「芯の強いひとかな……って思いました。」

 

 薄い青色の髪を揺らしてそう言う少女の後ろから抱きつくような姿勢で桃色の髪の少女が続ける。

 

「まさかしれいかんと言い合うとは思ってなかったぴょん!」

「司令官と真正面からぶつかって意見曲げなかったもんね」

「しれーかんと言い合うなんて勇気あるよねぇ」

「卯月に皐月に文月、私をなんだと思っている?」

 

 問い返せばとっさに肩をすくめる三人組に溜息をつく。それに苦笑いしながら黒髪を跳ねさせて少女が笑う。

 

「司令官も芯の強いところもあるので、これから賑やかになるかもですね」

「嬉しそうだな、三日月」

「仲間が増えるのはいいことです。それだけ戦いにも幅が広がりますし」

「だな。それは喜ばしいことだ」

 

 緑色という珍しい色の髪の隣では、白に近い銀髪の少女が腕を組んでいた。

 

「だが……わざわざ軍属を選ぶというのは、少々愚かな選択かもしれんがな」

「菊月ちゃんは、あんまり嬉しくないのぉ?」

 

 文月が聞き返せば、菊月はどこか複雑そうな顔をした。

 

「軍属になるということは、何かを失うことになるかもしれないということだろう。それを背負わせていいのかと思うとな」

 

 その言葉に目線を下げるのは睦月だ。

 

「良かったのか、にゃぁ……」

「今更なんだ? 罪悪感にでも駆られたか」

 

 三笠はそう言って鼻を鳴らした。

 

「ここに来ると決めたのはあの男の判断だ。貴様らがそれを憂う必要はない。他人の決断に勝手に判断を下し、それを止められた、変えられたと思うのは、傲慢というものだぞ」

 

 三笠はそう言って睦月の頭に左手乗せた。驚いたのか睦月が「にゃふっ」と変な声を漏らす。

 

「あの男の判断がどう出るか、それが何を意味するかは後にならなければわからない。それでも今は新たな仲間が来たことを祝っても問題はなかろう」

 

 そう言う三笠の目線の先には上妻正敏と右上がりの癖の強いサインと拇印が押された紙があった。

 

 

 

 

 

「――――ようこそクソッタレな戦場へ、上妻正敏特務技官候補生」

 

 

 

 

 

 




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それでは、次回お会いしましょう。


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