Fate/guardian of zero (kozuzu)
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序章 剣の柄
旅立ち。決意。そして、召喚。


「凛、私を頼む。……知っての通り、頼りないやつだからな。……君が、支えてやってくれ」

 

 

朝日を迎え、白く輝きだす丘を背に、赤い外套をなびかせた弓兵は、これが最期だ、と言わんばかりに言葉を目の前の少女に託す。

 

 

「アー、チャー……」

 

 

少女は俯き、目元の雫を拭いながら、託された言葉に応えた。

 

 

「うん……。わかってる。あたし、頑張るから…!」

 

 

顔を上げた少女の顔に雫は残っておらず、晴れやかな笑顔が広がる。

そして、今までの仕返しだ、とばかりに減らず口を叩いた。

 

 

「あんたみたいに捻くれた奴にならないように、頑張るから。きっとあいつが、自分を好きになれるように、頑張るから……! だからあんたも―――!!」

 

 

言いつのろうとする少女の言葉を半ばで遮り、

 

 

「答えは得た。……大丈夫だよ、遠坂」

 

 

いつかぶりに浮かべた、負の感情のない晴れやかな笑顔で、宣言する。

 

 

「俺もこれから、頑張っていくから…」

 

 

 

 

I am the bone of my sword.

 ―――――― 体は剣で出来ている。

 

Steel is my body, and fire is my blood.

 血潮は鉄で 心は硝子。

 

 I have created over a thousand blades.

 幾たびの戦場を越えて不敗。

 

      Unknown to Death.

 ただの一度も敗走はなく、

 

      Nor known to Life.

 ただの一度も理解されない。

 

     Have withstood pain to create many weapons.

 彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。

 

Yet, those hands will never hold anything.

 故に、生涯に意味はなく。

 

    So as I pray, unlimited blade works.

 その体は、きっと剣で出来ていた。

 

 

男は、朝日を背に、体を霧に、溶かしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ああ、戻っていくのだな。

 

 

霧に溶けた男、アーチャーこと、英霊 エミヤ シロウは、体が強力な磁石に引付けられていくような感覚を全身に受け、思考した。

 

 

いや、戻っていくわけじゃない。

決して、今までのように、戻っていくわけじゃない。

 

 

しかして、アーチャーは、シロウは数瞬前の自身の思考を否定した。

 

 

俺はこれから、前に進んでいくのだから。

決して、後ろ向きに、負の感情を背負い、運命に、この世界に引きずられていくだけの存在になど、もう、戻ってくことなど、ない。

 

 

奇妙であり、慣れてしまった感覚が抜け、座が、見えてくる。

無限に続く荒野に、いくつもの刀剣が身体を預け、空には無数の歯車が浮かんでいた。

アーチャーは、荒野の中、一部盛り上がった丘、その頂上にある岩に腰かけ、世界を見上げる。

その顔にいつもの悲壮、ましてや後悔などなく、どこまでも広がってゆく荒野とは対極に、彼の心は澄み渡っていた。

そして、いつくかの時が流れた。

それは、一瞬だったのかもしれない。いや、人が何十回と、生と死を繰り返したのかもわからない。

そんなとき、

 

 

「来たか……」

 

 

世界が、彼を呼んだ。否、彼に命じた。目の前の空間が風に揺れるカーテンのように歪み、彼を誘う。

そして彼は、前に進む決意を胸に、いつも通り、しかし、得た答えを胸に、腰を上げる。

 

 

だが、

 

 

「よぉ、英雄殿。どこかにお出かけかい?」

 

 

振り返った先に、ソレはいた。

 

 

「なんだ貴様……?」

 

 

まず目に飛び込んできたのは、むき出しになった黒色の上半身に所狭しと描かれた、刺青の数々である。

 

 

「俺が何者であるかなんて、そんなことはどうでもいいんだ。要は、あんたは今、言いなりになろうとしてる。この世界の、いいなりにな」

 

「何が言いたい? だから何だ。別に、同情などなら要らぬ世話だぞ?」

 

「そうじゃない。重要なのは、そこじゃあねぇ。お前が、世界にいいように使われて、世界がそれを当然だと思い込んでいるってことだ」

 

「だから、だから何だというのだ? 用がなければ、私は行くぞ。待たせてるんだ」

 

 

言語は理解できるものの、全く話の通じていない男に、アーチャーは対話を諦め、次の世界へと飛ぼうと空間のゆがみへ一歩を踏み出した。

 

 

「まあ、そう焦んなって。要は――――」

 

 

だがしかし男は、それを是せず、アーチャーを、突き飛ばした。

否、突き飛ばそうとした。

 

 

「ッ! 貴様何を!」

 

 

男の突進をサイドステップで躱すと、アーチャーは、彼に意図を尋ねる為、振り返ろうとしたが、

 

 

ズズズ……。

 

 

左腕に違和感を感じ、そちらを見ると、

 

 

「なんだこれは…!」

 

 

左腕が、青白く発行する魔法陣に、呑まれていた。

何とかそれを振り払おうとアーチャーはもがく。

だが、英霊の膂力を用いても、左腕は魔法陣から抜けるどころか、じわりじわりと、アーチャーの身体を呑み込んでゆく。

 

 

「まあ、あれだ、つまりはな。―――俺が世界を嫌っていて、その世界に意地悪をしたかったってワケだよ!」

 

 

ケラケラと笑う。

実に愉快にそうに。

まるで、嫌いな子のおもちゃを盗み、盗まれた子が慌てふためくのを眺める悪戯っ子のように。

何なんだ貴様は!と叫ぼうとするが、既に身体の大半を魔法陣に呑まれ――――

 

 

 

 

ところ変わって、ハルケギニア大陸の、王立トリステイン魔法学院。

メイジと呼ばれる、所謂魔法使いの養成学校である。

石造りの荘厳な容貌と、歴史を感じさせるその佇まいの校舎、そして青々と芝生が茂るその庭に、二年生に進級した生徒の全員が集められ、教師が口を開くのを今か今かと待ちわびていた。

そして、

 

 

「いよいよ今日は、召喚の儀子であります。これは、二年生に進級した君たちの、最初の試験でもあり、貴族として、一生を共にする使い魔を召喚する神聖な日でもあります―――」

 

 

頭頂部を刈り上げ、眼鏡をかけた中年の教師が、生徒たちが心待ちにしていた言葉を発した。

その言葉を聞いた生徒たちは、そわそわと、そしてわくわくと、心を踊らせていた。

そんな中、ピンクの髪と勝ち気な瞳をたたえた小柄な少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ルイズは、緊張と後悔の入り混じった心境で、場を見つめていた。

すると、

 

 

「楽しみだわ~あなたがどんなにすごい使い魔を呼び出すか♪」

 

 

赤い髪と小麦色の肌を持つ少女とは思えない妖艶な体つきをした少女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。キュルケは、挑発的に、かつ嫌みったらしくルイズの耳元でささやいた。

ルイズは、学院で魔法を学びはしているものの、基本的な魔法以外、成功した魔法は未だ、ゼロ。

ただ不発なだけであれば、そこまで揶揄されるいわれはないのだが、発動した魔法が全て爆発してしまうので、他の生徒にはやっかみと皮肉を込めて、『ゼロのルイズ』などと不名誉な二つ名を頂戴している。

そして、昨日そんな二つ名で罵られ、ついカッとなり、きってしまったのだ。

 

 

「私、召喚魔法、サモンサーヴァントだけは自信があるの!!」

 

 

などという啖呵を。

だがしかし、いけすかないツェルプストー家の女の前で、惨めな格好だけは見せられないと、ルイズは虚勢を張った。

 

 

「ほっといて」

 

 

その後、順調に儀式は進み、ついにルイズの番と相成った。

 

 

「ゼロのルイズかよ」

 

「何呼び出すんだ?」

 

「馬鹿、どうせ爆発して終わりに決まってるだろ」

 

 

ヒソヒソ、ザワザワと、自身の陰口を堂々と叩かれるルイズ。

だが、憮然とした態度で、ルイズは準備を進める。

 

 

「大見得切った以上、この子より凄いのを召喚できるのよね?」

 

 

先に召喚し、火蜥蜴(サラマンダー)という大戦果をあげたキュルケが、皮肉っぽく言った。

 

 

「当然でしょ……!」

 

 

言葉では虚勢ははれても、心まではそうはいかず、杖を持つ手が震え、緊張で頬が強張る。

 

 

(お願い…!!)

 

 

ルイズは心中で祈りを捧げながら、杖を頭上高くに振りかざす。

 

 

「宇宙のどこかにいる、私の僕よ!」

 

 

?と、その場に集められたルイズを除く全員の生徒が、怪訝に首を傾げた。

 

 

「神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ!私は心より求め、訴えるわ!! 我が導きに、答えなさい!!」

 

 

そう締めくくると、頭上に掲げた杖で小さく円を描き、そのまま振り下ろした。

そして――――

 

 

 

チュドーーーンッ!!

 

 

 

いつものごとく、爆発した。

被害を被った生徒たちは、

 

 

「やっぱこうなったか!」

 

「ルイズはどこまでいってもゼロのルイズってことだ!」

 

 

ふざけんなーと、口汚く罵る生徒たち。

そしてその爆発によって吹き上げられた土煙の中、金色髪を立てロールにした女生徒、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。

モンモランシーを、天然パーマのこれまた金髪の少年、ギーシュ・ド・グラモン。ギーシュが、やけに芝居がかった所作で、呼びかける。

 

 

「大丈夫かい、モンモランシー? って、どうしたんだい?」

 

 

そんな煙幕の中、呆然と正面を眺めるモンモランシーに、ギーシュは心配と同時に疑問を覚え、尋ねた。

すると、モンモランシーは何も言わず、黙って前方、爆発したその原因となった場所を指さした。

 

 

「うん?」

 

 

するとそこには、

 

 

「に、人間?」

 

 

赤い外套を羽織り、浅黒い肌に、白い髪の、男が倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一話 ゼロの守護者

「こ、これが、神聖で、美しくそして強力な……」

 

 

呆然と呟くルイズ。

すると、すかさずキュルケが口を挟んだ。

 

 

「流石、大見得切っただけはあるわねー。まさか、平民の傭兵なんかを召喚しちゃうなんて」

 

ぷぷ、と嘲笑を漏らすキュルケ。

だが、その笑みも、一瞬で引っこむことになる。

男が、目を開いた。

瞬間、場が凍り付く。

 

 

(な、何なの? この重苦しい空気……!?)

 

 

男は跳ね上がり、鷹のような鋭い目つきで、周囲を見回し、最後に、ルイズにその視線を合わせた。

男に見詰められたルイズは、ガタガタと震え始める。

 

 

(な、なによこいつ…! 視線が、刃みたいに!)

 

 

身体を幾つもの刀剣で刺し貫かれる光景を、その感触までもをルイズは幻視し、幻覚する。

完全に恐怖に支配されていた。産まれてこの方、ぶつけられたことのない、本物の警戒の眼差し。

齢二十にも満たない少女が、耐えられるはずもなかった。

だが同時に、

 

 

(そうよ、私が、コイツを呼び出した。なら、コイツを私の使い魔にしてやる!!)

 

 

震える手足に無理矢理力を込め、急速に乾燥していく声帯に生唾を送り、詠唱を開始する。

 

 

「わ、我が名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ!」

 

 

詠唱が終わると同時に、ルイズは駆け出した。赤い外套を纏い、周囲を警戒すように見回す男の唇へ向けて。

使い魔との契約。それを完遂するには、使い魔との口づけ、つまりはキスが必要なのである。

よって、ルイズは身長差の為か、爪先を精一杯伸ばしても届かないであろう男に飛びかかる。唇を目指して。

そして、飛び上がった瞬間、男の腕が閃き、いつの間にか手にしていた短剣が、ルイズの身体へ迫る。

周囲から短剣の出現により、悲鳴が沸くかと思ったが、

 

 

(なんで、みんな何も言わないの……? ううん、違う。何も言わないんじゃない。何も言えないんだ。早すぎて)

 

 

そう、これは、死を覚悟したルイズの視界が見せる、スーパースローの世界だったからだ。

しかし、この色が抜け落ち、世界が止まったかのような錯覚に陥る世界において、男の腕と、手に握られた黒い亀甲模様の片手剣の速度だけは、いつもと変わらぬ速度でルイズへ迫っていた。

 

 

(そっか、私、死ぬんだ)

 

 

そう覚悟し、目の前まで迫った黒い片手剣を前に、ルイズは今までの自分の人生を省みる。

ゼロのルイズ。出来損ない。不良品。公爵家の面汚し。

誰からも見下げられ、誰にも認められることはなかった。

でも、それでも、ルイズは努力を重ねたいつか、いつの日か、自分が認められる、その日まで。

だが、その望みはついぞ最後まで、叶うことはなかった。

そして、ルイズは瞬きする暇もなく、その生涯を―――閉じることはなかった。

 

 

(え……なん、で?)

 

 

と、思う暇もなく、ルイズは男の唇と、己の唇が接触し、殺しきれなかった衝撃で、前歯と前歯がぶつかり、ガチンと音が鳴る。

そして、契約が完了する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法陣に身体が呑まれ、体中をまさぐられるような不快感の後、アーチャーは覚醒した。

自身が地面に伏していることを認めると、腹筋と背筋を伸縮させ、飛び起きる。

すると、

 

 

(何なんだ、ここは)

 

 

周囲を見渡すと、中世の砦にあるような石造りの塀に囲まれ、ふと視線を逸らすと、これまた中世の物語から抜き出したかのよう荘厳な雰囲気を醸し出す城、というより塔に近しい建造物が自身の目の前にそそり立っていた。

 

 

(少なくとも、日本ではないな)

 

 

聖杯戦争の後、座に呼び戻され、次の戦地へ向かうその途中に、体中に刺青を刺した珍妙な男に嵌められ、魔法陣に呑まれた。

そして、召喚された場所は、少なくとも日本ではない。

自身に与えられた情報を加味し、そして周りを観察する。

そこには、黒いスカートか黒いズボン。そして真っ白なワイシャツの上に黒い外套を羽織った、年端もいかない少年少女たちの姿が。

それだけならば、自身が過去に飛ばされ、この目の前の少年少女たちが霊長の種に対し、何か不都合な行動を起こそうとしており、世界が反応した、と簡単な構図が出来上がるのだが。

 

 

(どういう、ことだ。俺自身への世界の干渉が消えている……?)

 

 

そう、いつもならばある程度の自由は確立されているものの、最後の一線とばかりに、その場でやるべき指令が常に頭に刻まれ続ける。

それが守護者という己の存在の定義である。

しかし現状はどうだ。

いつもなら五月蠅(うるさ)いぐらいに自身に執行を命じる世界の声なき声は聞こえてこない。

そしてもっとも彼を驚かせたのは、

 

 

(何なんだ、あれらは……?)

 

 

目の前に広がる怪物たちのパレード。

かの聖杯戦争でも、ここまでのラインナップは存在しなかった。

目玉に羽の生えた何か。ピンク色で毛むくじゃらな何か。そして、口から火を噴く蜥蜴。

たまに見知った鳥類や、モグラなどのありふれた動物も見かけたが、それを従えるのは、いづれも年端もゆかぬ少年少女たち。

そう、目の前のピンク色の髪を持った、小柄な少女を除いて。

 

 

(攻撃を未だ仕掛けてこない、という事は、今は警戒されているだけなのか、それとも、私なぞ、いつでもどうとでもできるという自信の表れなのか……だめだ。情報が少なすぎる)

 

 

そうアーチャーが思考を巡らせていると、目の前の少女が、何やら小さな杖らしきものを頭上高くに掲げ、ぶつぶつと何かを唱えている。

 

 

(来るか―――解析、開始(トレース・オン)

 

 

アーチャーが身構え、自身に解析を実行する。

 

 

―――魔術回路二十七本確認―――

 

 

 ―――動作可能回路二十七本正常―――

 

 

 ―――魔力量正常―――

 

 

 ―――身体に損傷個所なし―――

 

 

 ―――神経、内臓等も損傷個所なし―――

 

 

 ―――身体機能の異常なし―――

 

 

そして、気づく。

 

 

(受肉している、だと)

 

 

己の体が、受肉し、完全なる一個体として成り立っていることを。

世界からの干渉もなく、霊体でもなく、霊長の守護者でもない。

ただ、英雄の力を持った、人間として。

驚愕の事実を突き付けられていたせいか、反応が遅れ、目の前の少女がこちらに飛びかかってくる寸前に、

 

 

投影、開始(トレース・オン)

 

 

 

使い慣れた夫婦剣干将・漠耶(かんしょう・ばくや)。その片割れ、干将を投影し、飛びかかって来た少女の首にあてがうように振るった。

振るったのだが、

 

 

(何故、そんな目をしている)

 

 

目の前の少女の瞳に、こちらへの害意などはなく、代わりにそこにあったのは、

 

 

(届かぬ理想を前に、それでも諦めなどしない……まるで)

 

 

そう、届かない理想を前に、必死にもがき、苦しみ、決して膝を折らなかった、あの少年に、あの時の自分に、そっくりな目をしていた。

 

 

(……凛、すまない。頑張ろうと思ったんだけど、もしかしたら、ここで終わりかもしれない)

 

 

少女の首を斬り飛ばすはずだった干将を消し、アーチャーは少女を受け入れた。

何故ならば、

 

 

(だけど、この少女を斬ることは、すなわち俺の新たな決意を斬るという事と、同義なんだ)

 

 

そして、少女と、自身が、接触した。

唇と唇で。

 

 

 

 

――――刹那。

 

 

 

「ッ! ぐ、ウグアアアアアア!!」

 

 

 

左手甲に熱が生じ、身体中を這いまわった。

そして、自身の固有結界「無限の剣製(アンリミテッド・ブレード・ワークス)」が、変質していくのを感じた。

拙い、と咄嗟に少女を突き飛ばし、剣の射程から外した。

だが、意識を保つことが出来たのは、そこまで。

変質した結界の内部から、刀剣が自身をグシャリと穿つ、嫌な音を最後に、アーチャーの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二話 二つの月と、二度目の契約

ピクリと、天蓋付の豪奢なベッドに横たえられた男の、指先が動いた。

 

 

「……ここは、寝室か」

 

 

目をゆっくりと開き、首をゆっくりと駆動させ、白髪の男、アーチャーは周囲の様子を伺った。

すると、そこは中世の絵画などによく似た、貴族の寝室の特徴を認め、そして、己に何か拘束などが成されているかを確認した。

結果は、否。

拘束どころか、体中に包帯が巻きつけられ、様々な治療の跡が伺えた。

 

 

「…んぅ、……はふ」

 

 

自身の周囲を警戒するにあたり、近くにピンク色という何とも自然界から外れた色彩の頭髪を持った少女が、ベッド近くの小さなカフェテーブルで突っ伏して眠っているのを見つけ、アーチャーはここに至るまでの経緯を思い出した。

 

 

(そうだ、あの時受け入れた少女に何故か口づけを受け、その後……‼)

 

 

何かが自身の体を変質させ、その結果、急激な変化と変質に固有結界が多量のエラーを発し、暴走状態に陥った。

そこまで思い至ると、アーチャーはベッドを調べる。

すると案の定、掛布団は剣の暴走が収まってからかけられたものだったのか、傷一つないのだが、ベッドのマットレスに至っては、所々が自身の結界からあふれ出した刀剣により、刺し、穿たれ、満身創痍の状態だった。

 

 

(これはすまないことをしたな……だが、最優先事項は)

 

 

――――解析、開始(トレース・オン)

 

 

―――魔術回路二十七本確認―――

 

 

 ―――動作可能回路二十七本正常―――

 

 

――――魔力量、固有結界の鎮静化の為、六割を損耗―――

 

 

――――身体に損傷、胸部、腹部、腕部、脚部。いずれも軽微。修復開始―――終了―――

 

 

―――神経、内臓等損傷個所なし―――

 

 

―――身体機能、二割低下。戦闘に支障はなし―――

 

 

警告1

 

左手甲に解析不能のルーン魔術を確認。これにより、固有結界の変質有―――

 

 

 

(左手甲……これか)

 

 

 

自身の解析により得た情報に従い、寝たきりの状態で左手を目の高さまで持ってくると、そこには情報通り、ルーン文字らしき刻印を視認することが出来た。

解析不能、という事はつまり、星の成り立ちや、神秘などを内包したものなのだろうか、とアーチャーは考える。

それとも、単に自身の魔術とは全く違う体系から派生したもので、自分が門外漢で知識不足なだけ、という理由も考えられる。

だが、どれだけ考えようとも、元となり、基準となる情報が全くないこの状況では、最適解を導き出せるとは到底思えなかった。

 

 

「取り敢えずは、寝具の修復を済ませておくか」

 

 

そう一人つぶやいた彼は、固有結界の変質というリスクを加味しつつ、実験の意味を込めベッドを解析する。

 

 

「―――同調、開始(トレース・オン)

 

 

彼が最も得意とし、それら以外は何もできないと断じる魔術を、行使した。

 

 

――――基本骨子、解明――――

 

 

――――構成材質、解明――――

 

 

――――損傷個所、基本骨子の変更と共に補修―――

 

 

――――基本材質、補強――――

 

 

 

そして、一通りの工程が終わり、アーチャーは小さく息を吐いた。

ベッドを確認するが、見た目も問題なく、軽くたたいて中身も確認するが、特に違和感は感じなかった。

まあ、この段階でこのベッドは補強により、九mm拳銃弾程度では傷一つ付くことのない無駄防弾仕様へと変貌はしていたが。

 

 

(どうやら、魔術の行使、正しくは強化に関してではあるが。……今のところは問題がない)

 

 

満足のゆく結果と、その過程を踏めたことに安堵しつつ、ベッドの近くにある小さなカフェテーブルに突っ伏して眠る少女に再び意識を向ける。

 

 

(……理想と現実の差異、か……)

 

 

かつての自身によく似た、この少女の安らかな寝顔を観察しつつ、体を起こした。

むくりと、上半身を起こし、物音をたてぬように、カーテンで遮られた窓に向かい、歩みだした。

すると、

 

 

「…んきゅ…あ、ふあぁあぁあ~~~……」

 

 

音は立てていないが、アーチャーが起き上った事に反応するかのように、少女は伸びをしつつ、眠気を含んだ息を吐き出した。

そして、それが収まると、窓際に立ったアーチャーに吸い寄せられるかのように瞳が揺れ、視界に彼の姿を収めた。

瞬間、

 

 

「…アンタ、起きたりして大丈夫なの!? ちょっと、ま――」

 

 

寝ぼけ眼を大きく見開き、アーチャーの下へ詰め寄った。

だが、詰め寄ろうとした矢先に、カフェテーブルの脚に足を取られ、はぎゅ!と、世にも奇妙な呻きを上げ顔面から床へとダイブする。

アーチャーはしばしキョトンとその少女を見ていたが、やがてある少女の事を思い出し、顔に哀愁と慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、盛大にずっこけた少女の下に歩み寄る。

間接的にではあるが、この少女との口づけにより固有結界が暴走し、自身が傷を負ったことなど、彼には過去の事であり、目の前の少女が危害を加えてくる存在だなどという思考は、何故か否定される。

そこに、いつものロジカルな理由などはなかった。

今までのアーチャーならば、こんなことはしなかった。

だが、彼はかの「あかいあくま」に宣言してしまったのだ。

 

 

――――俺もこれから、頑張っていくから…

 

 

と。

 

 

なればこそ、アーチャーは歩み寄った少女の前で膝をつき、手を差し伸べた。

 

 

「大丈夫か?怪我などはないな?」

 

「へ?……ああ、うん。その、大丈夫、だけど……って、そうじゃないわよ! あんたの方がよっぽど重症でしょ!? さっさとベッドに戻って寝てなさいよね!?」

 

 

こちらを案じているのはわかるのだが、些か語勢が強いな、とまたもやかの赤い少女との重なりを発見したアーチャーは、意図せずして、声を漏らしてしまう。

 

 

「ふふ」

 

 

「何笑ってんのよ! 笑い事じゃないでしょ、体中から剣が飛び出てて、治しても治しても、折っても折っても生えてくるし!! 本当に大変だったんだから!! わかってるの!?」

 

「いや、失礼。君が、私のかつての知人とよく似ていたものでね。決して、君の心配を無下になどしたわけではないんだ」

 

「き、君って! 貴族の私に向かって、そんな口きいて‼ しかも、こともあろうに、ご主人様である私に向かって……‼」

 

 

顔を真っ赤にした少女は、だがやがて、しゅんと小さくなり、俯いてしまった。

あまりの感情の温度差に、今度はアーチャーは怪訝な表情になり、少女に尋ねる。

 

 

「どうか、したのかね」

 

「そ、その……私のせいで、ごめんなさいっ‼」

 

 

すると、顔を上げた少女は、瞳を涙で潤ませ、唐突に謝罪した。

一体何の話だ、と一瞬アーチャーは首をかしげそうになったが、思い当たる節を見つけ、少女に正か否かを問うた。

 

 

「それは、君が私に口づけをしたことで、私の体から剣が生えてきたことを言っているのか?」

 

「……‼」

 

 

こくこく、と首を縦に振る少女。

 

 

「それは、私にわざとそうさせる為にやったのか?」

 

「……‼ 違う、違うわ! 始祖ブリミルに誓ったって構わない‼ 私、そんなつもりじゃなかったっ!」

 

 

ふるふる、と今度は首を横に降り、必死に否定の意を唱える。

そして、どうしてそうなったのか。

自身の境遇について、生まれた家について。

サモンサーヴァントの儀と、使い魔に関して。

それを聞き終えると、アーチャーは、少し眉間にしわを寄せると、一旦少女から離れ、窓に掛けられたカーテンをシャーと、大きく開け放つ。

そこには、夜の大地を柔らかな光で照らし続ける、二つの大きな月があった。

それを、アーチャーは常時柔らかな笑顔で受け止め、最後まで何も言わず、聴きとめた。

そして、

 

 

「やはり、君は私によく似ている……」

 

「え……?」

 

「いや、こちらの話だ。気にしなくていい。……そういえば、名前を聞いていなかったな。……名前をなんという?」

 

 

振り返り、柔らかな二つの月の光と夜の闇を背に、アーチャーは問いかける。口調に反した、柔らかな微笑みを浮かべながら。

場所は土蔵でも、ましてや館の一室でもなかったが、

 

 

「あ、え、えと、ええと。そう、私の名前は、誇り高き公爵家が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、ルイズよ‼」

 

「そうか、ルイズか。その響きは、君にとても似合っているな。では――――

 

 

―――――問おう。あなたが私のマスターか?」

 

 

少女、ルイズは、満面の笑みで、うん!頷きでもって応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三話 決闘と放蕩 その1

多くなるので、分割。


「さて…契約も済んだところで……少々、こちらの質問に答えてもらっても良いだろうか、マスター?」

 

 

二度目の主従をルイズと交わし、大分ルイズも落ち着いてきたことで、アーチャーはルイズに質疑応答を求めた。

 

 

「早めに終わらせてくれる?」

 

「ああ、勿論だとも。学生の本分である学業に支障をきたすほど、私の夜更かしに付き合わせるつもりは毛頭ないさ」

 

「そう、じゃあいいわ。使い魔の疑問に答えてあげるのも、立派な主人の務めよね」

 

 

本人的には鷹揚に頷いているつもりなのだろうが、身長差がアーチャーと三十は違うため、アーチャーに笑いを誘う。

が、ここで話の腰を折っては、流石にどうかと自制心を駆使し、初めの質問を繰り出した。

 

 

「まず初めに、ここは、なんという国だ?」

 

「ハルケギニア大陸のトリステイン王国よ」

 

(なるほど、知らん)

 

 

この時点で、アーチャーはこの世界が、自分のいた世界のとは全く異なる平行世界であると確信した。

先の二つの月を見た時点からほぼほぼ確定していたことではあるが、現地人の証言と言うのはどの世界と地域でも貴重な情報源となる。それが、虚構だったとしても、その吐いた嘘からも自身の特徴と、性格が出る為どちらにしろ話は聴くに限る。

 

 

「では、先程の会話の中で、貴族という単語が出たが、それはどういう人々を指す?」

 

「あんたそれ、本気で言ってるの?」

 

 

心底常識を疑うような、そんな声音と表情で、ルイズは訊き返した。

 

 

「ああ、どうやら記憶が混乱しているようでね。はっきり言うが、社会常識という見地で見れば、そこらにいる幼児にも及ばないと自負している」

 

 

アーチャーが記憶喪失だというのは、勿論嘘だ。

別に、ルイズを騙してどうこうする、という事ではなく、自身に刻まれたルーン然り、この世界にも魔術が存在する。

それも、こちらとは全く別体系である。というかそもそも、こちらの見地でこれを魔術と言う他に定義が出来なかったのだ。厳密にはあれは化学でも、魔術でもない別の何か、といった方が正しいのだろう。

よって、こちらの技術が他方に露見すれば、面倒事に巻き込まれるのは火を見るよりも明らかだ。

そもそも、こちらの言語が通じていること自体、理解不能の事態なのだ。分かっているフリは絶対にぼろが出る。

であれば、だ。

今ルイズが心底呆れた、というのを通り越し、逆に憐れんだような目を向けられるのが、計算通りなのである。

 

 

「わかったわ。じゃあ、本当に生きていく上で、基本的なことを教えてあげる。面倒だし、一度しか言わないから、聞き逃したら知らないわよ」

 

 

そして、ルイズは語った。

曰く、貴族とはメイジであることが前提条件である。

曰く、メイジとは、魔法(魔術で言う根源の理とは無関係であるようだ)を行使する者たちを指す。

そして、今現在自身がいる場所は、貴族の子供たちが優秀なメイジとなるための養成校であるということ。

 

 

(なるほど、こちらの生活基盤は魔術―――いや、魔法であり、その他の中世レベルの技術が魔法を補っている、といったところか)

 

 

「わかった?」

 

「ああ、了解した」

 

「だから、あんたから魔力は感じられないし、多分野良の傭兵か何かだと思うけど…魔法は使えないんでしょ?」

 

「ああ、魔法(、、)なんてものは、生まれてこのかた行使したことなどはない」

 

 

確認するようにルイズは言う。

そして、僅かな希望を打ち砕かれた、とばかりに失意を表情と言葉ににじませ、アーチャーに忠告した。

 

 

「じゃあ、あんたはここの貴族たちに決して逆らっちゃだめよ?」

 

「それは、聞くまでもないが、社会的に拙いからか?」

 

「勿論それもそうだけど、前提として平民が貴族に勝てるわけないじゃない。だから、逆らったら最悪殺されるわ」

 

 

さも当然、とばかりに口にするルイズだが、アーチャーは心の中で貴族という存在に、落胆していた。

 

 

(……私基準で言えば、魔術とはただの道具だ。ならば、欠点もある。だから、前提としてそれを考えるのは間違いではないのだろうか……?)

 

 

まあ、それは魔法とやらの規模と威力によっては、であるが。

この場では、素直にうなずいておくのが得策だろう。そう考えたアーチャーは、

 

 

「了解した。時間を取らせて悪かったな。これで以上だ」

 

「そう、それじゃあ、あれ、あの時計。……時計ってわかる?」

 

「ああ、知ってはいるがアレは読めんな」

 

 

座っていたカフェテーブルの向かい側の壁に掛けられたそれは、自身の知っている時計とよく似ていたが、文字盤が読めない。

 

 

「あっそう。解ったわ。じゃあ、あの時計の針があそこに来たら起こして頂戴」

 

 

それだけ言うと、着ていた制服と下着を次々と脱ぎ捨て、こちらに放る。

 

 

「洗っといて」

 

 

突き放すように言うと、自身の髪と同じピンク色のネグリジェをかぶるようにして身に纏い、先程までアーチャーが寝ていたベッドに潜り込むと、すぐにすやすやと寝息をを立て始める。

 

 

(使い魔というよりは、やはり召使いと言う方が正しい扱いだな……まあ、それならばそれで、やりようはある)

 

 

そして、寝床が無くなった自身はどこで寝ようか、と考えているとベッドの近くに藁がまとめて山のようになっていることから、

 

 

「まあ、屋根があるだけましというものか」

 

 

そう呟くと、藁の上に腰を据え、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズ、朝だ」

 

「ん…んふぁあああ……ああ、使い魔の……着替え……」

 

「こちらに」

 

 

寝ぼけ眼をこすりながら伸びをするルイズに、アーチャーはあらかじめ用意してあった着替え一式を差し出した。

 

 

「着替えさせて……」

 

「了解した」

 

 

そして、

 

 

 

「ねえ、私いつの間に準備を終えたの?」

 

「さあ、私はマスターの命に従っただけだ」

 

 

眠気が醒めないうちに、気づけば身だしなみを整え終えて、いつものプリーツスカートにブラウス、黒の外套と、学生服姿でいたルイズは、疑問符を頭に浮かべた表情をしていたが、やがて「まあ、いっか」と適当に納得し、何の気もなしに、常に自身の三歩後ろを歩くアーチャーに、目を向けた。

その恰好は、いつの間に着替えたのか、召喚してすぐに見た、黒い衣服と赤い外套というあの格好だった。

その足取りによどみはなく、背筋も芯を入れたかのごとくピンと伸びていた。

 

 

(まるで、家の執事と一緒にいるみたい……)

 

 

その立ち振る舞いに、昨夜のぶっきらぼうな中に、笑顔を浮かべるあの人間と同じとは到底思えなかった。

そんなこんなで、食堂にたどり着き、席に座ろうとすれば、自然とアーチャーは椅子を引いた。

そして、手馴れた様子で膝にかける。

 

 

「きたわよ…噂のハリネズミ男」

 

「聞いたわ。なんでも、契約の儀が完了した直後に、ゼロのルイズに召喚されたショックで、体から剣を生やしたって……」

 

 

ひそひそ、がやがやと、自分たちに向けられる、興味と侮蔑、嘲笑を伴ったBGMが、食堂内に広がってゆく。

 

 

だが、アーチャーは気にした様子もなく、後ろに佇んでいた。

そして、自身は床に置かれた食器とパンを確認すると、

 

 

「これは、私の分かね?」

 

「ええそうよ。普通貴族でもないあんたが、このアルヴィーズ食堂にいられること自体、私の計らいのおかげなんだから」

 

「そうか、それは苦労を掛けたな」

 

 

文句ひとつこぼすこともなく、足元に置かれたパンを一つ手にすると、手でちぎって食べ始める。

何か、調子が狂うと、ルイズは外界の声をシャットアウトしつつ、朝食を終えた。

朝食を終えると、その足のまま、学院の庭に下り立ち、そして、溜息を吐いた。

 

 

「はあ……なんで、皆はあんなに立派な使い魔を召喚したのに…」

 

 

なんで私はこんなのなのよ……と顔に書いたようにアーチャーに目線を向ける。

が、彼は自分のことなど目にもくれず、周囲の使い魔たちと、その主人たる学院生を興味深そうに観察していた。

そして、疑問を持ったのか、こちらに向き直り、

 

 

「ルイズ、この学院では授業はないのか?」

 

「あるわよ。でも、今日はお休み。二年生は召喚したばかりの使い魔とコミュニケーションを取るの」

 

「なるほど」

 

 

そう、今庭には、召喚したばかりの使い魔たちと楽しげに、そして誇らしげに語らい、語らい合う学生たちの姿があった。

そんな時、

 

 

「あら~、誰かと思えば、ゼロのルイズとその使い魔のハリネズミ男じゃない」

 

「キュルケ……」

 

 

赤い髪と、小麦色の肌を持った少女、キュルケが、その赤い髪を燻る炎のように揺らしながら、こちらに近寄ってきていた。

そして、その足元には、幼体とはいえ、見事な鱗と、尾に優雅に火をともすサラマンダーの使い魔、フレイムがちろちろ舌を出し入れし、こちらを伺って来ていた。

 

 

「何しにきたのよ、キュルケ!」

 

「何って、今日は使い魔のお披露目と、その使い魔とのコミュニケーションを取る日でしょう? だったら、ゼロのルイズが召喚した直後、ハリネズミみたいに体から剣を生やしたっていう使い魔を、見物しに来ても別におかしくないでしょう?」

 

 

ルイズは、まるで親の仇とばかりにキュルケを睨み、ねめつけ、威嚇する。

だが、アーチャーは二人の雰囲気などにどうでもいいとばかりに、空気を読まずに質問を飛ばす。

 

 

「ルイズ、あれはなんだ?」

 

「あら、サラマンダーを見るのは初めて? って、よく見ると案外イイ男ね。ルイズの使い魔なんてやめて、私に仕えない?」

 

「大変魅力的な提案ではあるが、昨日の晩。丁度契約を正式済ませてしまってね。……なるほど、それはサラマンダーというのか」

 

 

男なら目の色を変えて飛びつくであろう誘惑だが、アーチャーは全く意に介さず、というか、そんな事よりも、サラマンダーのフレイムに興味津々な様子だ。

これにはキュルケもキョトンとしたが、思い出したかのように口を開いた。

 

 

「ルイズ、そういえばこの平民、近寄って大丈夫なの? 昨日みたいに体中から剣を生やしたりしないの?」

 

「ああ、残念ながら、普段から身体に剣を生やすような高尚な趣味は持ち合わせていないのでな。昨日のあれは、特別というやつさ」

 

「そう、なら安心して寝室に呼べるわね」

 

 

ちろり、と唇を舐め、妖艶な体をくねらせるキュルケ。

ああ、そうだな。機会があったら赴こう、と適当にあしらうアーチャー。

中々自分のものにならないアーチャーに、キュルケがさらなるモーションをかけようとしたその時、ルイズがキュルケの前に立ちふさがり、髪を逆立て激昂する。

 

 

「キュルケ! あんた、人の使い魔を略奪する気!?」

 

「やーね、冗談よ。……けどルイズ。アンタ、よくこんな色男を街で見つけられたわね」

 

「なんの話よ?」

 

「とぼけなくてもいいのよ」

 

 

キュルケは一転、嘲るような目をルイズ向け、嘲笑交じりに語りだした。

 

 

「だって、その使い魔って大方、あなたが自分の儀式を成功したと見せかけるために、街から連れてきた大道芸人かなんかでしょ? だってその証拠に、昨日剣に体中を刺し貫かれたはずなのに、あんなに元気じゃない」

 

「違うわ! ちゃんと召喚したもの‼ それに、あれだって、私のせいじゃないわ、それにあれはあいつのせいで……って」

 

 

勢いよく振り回した指は、虚空を指した。

そこにアーチャーはいない。クラスは消失したものの、単独行動のスキルは健在であった。

 



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第三話 決闘と放蕩 その2

(目玉に大蛇、マンティコアに人間大のモグラ……やはり、お伽噺か何かのようだな)

 

 

各自、使い魔と戯れる学院生を、アーチャーはこの世界の観察を兼ねて散策をしていた。

マスターには一応、少しの間離れると言っておいたので、問題はない。

まあ、聞こえているかどうかはさて置き、だが。

 

 

(世界が私に課していた守護者としての役割。その中で並行世界への移動。厳密には時間軸の移動か。何度か経験しているが、私が知っているそれとは、似ているようで、全く違うようだな)

 

 

守護者として、世界に派遣された先は、地域や時代などの影響により、多少武器と文化の差異はあったものの、いずれも攻撃手段は銃器や刀剣が主体であり、魔法で攻撃を行うものなど、存在しなかった。

その上、月が二つある、などという星の形成に関わる差異はあり得ない。

それは、世界が世界自身を否定するという事に他ならないのだから。

 

 

「せめて文字が読めれば、図書館の利用……いや、流石に貴族でもない私に、蔵書の閲覧は難しいか……」

 

 

ぶつぶつと、一人この世界での身の振り方を考えるアーチャー。

文字は、ルイズに教わるとして、本……それもルイズの教科書を……と、順々にあたりをつけ情報不足を解消するためのアクションを起こそうとした、その時だった。

 

 

「なあ、ギーシュ! お前、今誰と付き合っているんだよ?」

 

「誰と付き合っているんだ?」

 

 

貴族の卓中で、一際大きな集まりを見せている卓があった。

その声量の大きさに気を惹かれ、アーチャーはふと目を向ける。

そこには、金色の髪を天然パーマしたような少年と、それを取り巻く貴族たちの姿があった。

中央の少年は、薔薇を片手にやけに芝居がかった所作で手を広げ、得意そうに答える。

 

 

「つきあう? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くものだからね」

 

 

と、かなり自己陶酔が入った言葉に胸を張り、高らかに謳い上げた。

 自分が特別だと思っている、という箇所。続いて、天然パーマという特徴で、アーチャーの脳内には懐かしき旧友の姿が描かれていた。

 

 

(…ふふ。あの手合いは、存外どこにでもいるのだな)

 

 

 自然と笑みがこぼれ、何も知らないこの世界に、少し親しみが湧いた。

 そして、そんな中、その頭髪がわかめのような貴族のポケットから、何かの液体が入った小壜が零れ落ちた。

 それをうっかり視界にとらえてしまったアーチャーは、自身の深にある部分が反応し、自然とそれを拾い上げ、その少年の貴族に声を掛けた。

 

 

「少年。ポケットから壜が落ちたぞ」

 

 

 壜を片手に声を掛けるが、ギーシュは振りむかない。

 アーチャーは訝しく思い、もしや話に夢中で気づいてないのでは、と思い至り、親切心からギーシュの卓に落し物である、その小壜をおいた。

 

 

「落し物だぞ? 色男」

 

 

 ギーシュはそれを苦々しげに、アーチャーを見つめると、その小壜を卓の隅へと押しやった。

 

 

「これは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」

 

 

 その小壜に気づいた友人たちが、先程以上の声量で騒ぎ始めた。

 

 

「おお? その香水はもしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

 

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分の為だけに調合している香水だぞ!」

 

「そいつがギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは、つまりお前は今、モンモランシーと付き合ってる。そうだな?」

 

「違う。いいかい? 彼女の名誉の為に言っておくが……」

 

 

 と、ギーシュが何か言いかけたその時、後ろのテーブルに座っていた少女が立ち上がり、こちらにコツコツと歩み寄って来た。髪は栗色の長髪で、中々に可愛げのある少女だ。顔立ちは彼らよりは幾分か幼く、またマントの色も違うため、一年生の後輩といったところだろうか。

 だが、二年生は使い魔とのコミュニケーションで休講という事が既知だったが、この一年生は授業に出なくてよいのだろうか?

 

 

「ギーシュ様……私、今日は先生がお休みで、午前は講義がなかったんです。だから、その分ギーシュ様と一緒にいられると……」

 

 

 なるほど、とアーチャーが納得する前に、少女はボロボロと泣き出してしまう。

 

 

「やはり、ミス・モンモランシーと……」

 

「彼らは誤解しているんだ。ケティ。いいかい、僕の心に住んでいるのは、君だけ……」

 

 

 しかし、ギーシュの渾身の言い訳(説得)のかいもなく、ギーシュはパンッと心地のいい破裂音を伴い、ケティと呼ばれた少女に、その手形がはっきりと分かるほど強く頬を叩かれた。

 

 

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 

 涙を拭い、肩をいからせ去ってゆく少女。

 すると今度は、少しばかり離れた席から、金髪を縦巻きにした少女がこれまたカツカツとギーシュに歩み寄ってきた。金髪縦巻き、とアーチャーはある気位の高い同じく貴族の少女を追憶。密かに眉をひそめた。

 

 

(なんだろうか、この世界は。実は私の記憶を頼りに再構成されているのではないだろうな?)

 

 

そしてモンモランシーは、アーチャーにとって見覚えのあるいかめしい目つきで静かに言った。

 

 

「やっぱり、あの一年生に手を出していたのね……」

 

「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のようなその顔を、そのような怒りでゆがませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 

 

 良く回る舌だ、とアーチャーはギーシュに感心したが、モンモランシーは全く意に介さず、卓に置かれたワインの壜を手に取ると、その中身をギーシュに一滴残らずぶちまけた。

 そして、今までは嵐の前の静けさだったとばかりに、激しい口調で吐き捨てた。

 

 

「うそつき!」

 

 

 去って行った少女の背を見送り、ギーシュはハンカチを取り出すと、顔を拭い、

 

 

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

 

 などとのたまった。

 これにはアーチャーも堪らず、小さく噴出した。実は彼は、貴族などではなく、コメディアンの類なのではないか、と。

 その笑いをかみ殺しながら、その場を後にしようとしたが、

 

 

「待ちたまえ」

 

「何かね?」

 

 

 ギーシュは、椅子の上で体を回転させると、スサッ!と足を組んだ。やはり、彼はコメディアンではないのか、吹き出しそうになったが、流石に相手は子供とはいえ、貴族。

 笑いを先程よりも強い意志力で噛み殺しながら、応えた。

 

 

「君が軽率に、香水の壜を拾い上げてくれたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

 

流石に我慢の限界だった。

 

 

「ふ、ふふ、あっはっはっは‼」

 

「何がおかしい!」

 

「いやなに、自らの不手際で二股が露見したというのに、こともあろうに落し物の届け主にびしょびしょに濡れた布を被せるとは……これが笑わずにいられるかね?」

 

 

 アーチャーの皮肉に、ギーシュの周囲にいた友人たちもドッと笑った。

 その事に羞恥を感じたのか、ギーシュの頬に朱がさす。

 

 

「いいかい? 給仕君。僕は君が壜を卓に置いたとき、知らないふりをしたじゃなか。話をあわせるくらいしてくれてもいいじゃないか」

 

「ああ、そうだな。確かにそうだ。だが、あれしきの事で露見するならば、今日でなくとも、近いうちに白日の下に晒されそうだがね」

 

 

アーチャーに言い負かされ、唇をかむギーシュだが、ふと思い出したかのようにニヤリと口端をつり上げ、見下すように言った。

 

 

「ああ、君はゼロのルイズが呼び出したって言う、平民を使い魔じゃないか。あのゼロのルイズの使い魔じゃあ、仕方がないな。何でも、ルイズが儀式で何とか体裁を保つために、旅芸人を買い取ったって話じゃないか。ゼロのルイズも、才能がない(、、、、、)のに、そんな無駄な努力を重ねて(、、、、、、、、)…ああ、君、もう行っていいぞ」

 

 

 その言い草に、アーチャーは少しばかりカチンと来ていた。

 

 

 

才能がない?

 だからどうした。

 

 

 

 

無駄な努力?

 そのない才能を埋めるために、必死に努力をしているというのに。

 

 

「すまないね。機転が利かなかったようだ」

 

「ああ、その通りだよ。納得してもらえたかい?」

 

「納得したさ。だが、一つ奇妙なことがあってね」

 

「奇妙なこと? 何だそれは。言ってみるがいいさ」

 

「いや、そんなに機転の利く貴族様なら、どうしてあの場を得意の機転で切り抜けられなかったのか、とね」

 

 

 またもや、ドッと周りが湧き、笑いに包まれる。

 更に顔の朱が増したギーシュは、ガタンと椅子から立ち上がる。

 

 

「どうやら、貴族への礼を知らないようだね」

 

「生憎、貴殿のような貴族にはお目にかかったことがないのでね」

 

「いいだろう。この僕自ら、君に貴族への礼を教えてやる。……ヴェストリ広場で待っているぞ!」

 

 

 そう吐き捨てると、わくわく様子の周りの友人たちを引き連れ、行ってしまった。

 だが、一人は残留していた。どうやら、アーチャーが逃げないように、見張っているつもりらしい。

 

 

「アンタ、見てたわよ! 何やってるのよ‼」

 

 

すると、一部始終を見ていたのか、ルイズが肩をいからせ、眉を吊り上げ、こちらににじり寄って来ていた。

 

 

「言ったわよね? 貴族に逆らうなって」

 

「何、広場を指定したという事は、地形が変わるような魔法の使用は控える、ということだろう?ならば、やりようは幾らでもある」

 

「な、何言ってるのよ、アンタ?」

 

「精神攻撃系の宝具でも使われれば、流石に苦しくなってくるが……」

 

 

スケールの違いに、ルイズは毒気を抜かれた。

 

 

(ち、地形が変わるほどの魔法を、たった一人で行使できるはずないじゃない……それに、ほ、ホウグって何?話からして、何かのマジックアイテムっぽいけど……あと、精神攻撃系の魔法は禁忌指定のはずよ…それを、まるであって然るべき、とでも言いたげに……)

 

 

 実は自分は、とんでもないやつを召喚してしまったのではないかと、ルイズは戦慄した。



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第三話 決闘と放蕩 その3





 昼下がり、というには少しばかり早い頃合い、魔法学院の敷地内にあるヴェストリス広場。

 

 

「取り敢えず、逃げずに来たことは誉めてやろうじゃないか」

 

「怖くて怖くて、今にも逃げ出してしまいたいくらいだがね」

 

 

 怖くて、という割には、かなり余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な態度である。

 そのことが、ギーシュは気に食わず、

 

 

「いいだろう。早速決闘を始めてやろうじゃないか。その余裕、どこまで続くか見物じゃないか!」

 

「ギーシュ、やめて! 大体、決闘は禁止されてるじゃない‼」

 

「貴族と貴族の決闘は禁止されているが、貴族と平民の決闘は禁止されているわけじゃない」

 

「それは、今までそんな事なかったから……‼」

 

「それとも何かい、ルイズ。この平民の事が好きなのかい?」

 

「そ、そそ、そんなわけないじゃない! ただ、自分の使い魔が怪我をするのを、みすみす見逃せるわけないじゃない!」

 

 

 顔を真っ赤にするルイズとは正反対に、アーチャーは表情一つ動かさず、ギーシュに語り掛ける。

 

 

「貴族殿、質問よろしいかな?」

 

「何だい? もう、謝っても決闘は取り下げたりはしないからね?」

 

「別にそれは良いんだが、決闘の内容。ルールを確認しておきたい」

 

「ルール? そんなの、君が倒れれば、僕の勝ち、それだけじゃないか」

 

 

 何を言っているんだこいつは、と言わんばかりの呆れ顔だが、アーチャーは意に介さず、問う。

 

 

「決闘と言うからには、お互い、怪我をしても、自己責任。これはいいかな?」

 

「ああ、問題ないよ。君が酷い怪我を負っても、君の責任。万が一、いや億が一僕が傷を負っても、それは僕の責任であると、貴族の名の下に宣言しよう」

 

「わかった。……最後に、宝具の使用は有りかな?」

 

「ホウグ?…まあ、大方君の武器といったところだろ?別にいいさ。好きにすればいい」

 

「貴殿は使わないのか?」

 

「そんなものなくても、僕には」

 

 

 言葉を区切ったギーシュは、造花を振る。

 すると、造花から本物さながらに花弁が舞い、いつの間にかそこには、青みが掛かった緑色の金属が出現し、みるみる内に姿を変えて女騎士が甲冑を着込んだような形に成形した。

 

 

「この魔法がある。……言い忘れていたが、僕はメイジ。二つ名は青銅の。従って君の相手は、僕が魔法で製作した、美しきゴーレム、ワルキューレだ。……よもや文句はないな?」

 

 

 さぞ相手は恐怖に打ちひしがれているだろうと、ギーシュは相手の顔を見た。

が、

 

 

「……本当に、これ(、、)が君の武器……ひいては魔法なのか?」

 

 

 そこにあったのは、まるでおもちゃのナイフを手にして、得意げになるっている子供を憐れむかのような、そんなアーチャーの憐憫(れんびん)の眼差しであった。

 プライドを刺激されたギーシュは、造花をアーチャーに振りかざし、ゴーレムに指令を飛ばす。

 

 

「ッ! やれ! ワルキューレ‼」

 

 

 ザッ!とゴーレムは地を蹴り加速。常人には目で追えぬ速度まで達したワルキューレは、その鋭い拳を、

 

 

―――バゴッ!

 

 

 アーチャーの鳩尾に叩き付けた。

 

 

「な、何だ! やはり口先だけか、このへいみ……」

 

 

 言いかけたギーシュは、絶句した。

 何故なら、

 

 

「まさか、本当にこれが、武器だとでも……?」

 

 

 人体の急所、鳩尾を殴りつけられながら、表情一つ変えることなく佇む、アーチャーの姿があった。

 

 

「な、なんだと……!? い、いや、大方その服の下に鉄板でも仕込んでいるんだな?」

 

「そう思いたければ、そう思えばいいのではないかね?そもそも、仮にだが、戦闘中に自らの考えを相手に晒すのは、どうかと思うぞ?」

 

 

 心底呆れた、と言わんばかりの表情。

 そして、その表情から何一つ変えることなく、アーチャーは己の鳩尾に添えられた拳を左腕で掴むと、

 

 

―――バギャンッ‼

 

 

 という、金属が工場で加工されることでしか、聞いたことのない音を立てながら、ワルキューレの腕を握り砕いた。

 

 

「……う、嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ‼」

 

「―――よもや、終わりなどという事はあるまい?」

 

「あ、ああ、当たり前だ! メイジが、平民に負けるなど、そんな事、あってはならないんだ‼」

 

 

 吠えたギーシュは、狂ったかのように造花を振り回す。

 すると、今までと同じワルキューレが、七体まで増え、先程欠損したワルキューレも、腕を直し、さらに直された腕には、同じく青銅でできているであろう、剣が握られていた。

 剣。そう、剣だ。

 アーチャーは、それを視認し、己内部で解析する。

 

 

(何だこの剣は……基本骨子は穴だらけ。構成材質は青銅のなりそこない……こんなもの、剣の形をした粘土ではないか……これが、メイジとやらの実力なのか……?だとすれば、期待外れもいいところだ)

 

 

 そんな思考の中でも、ワルキューレはアーチャーに迫る。

が、

 

 

(数が増えたことで、一体一体の動きが雑になっている。スピードも剣の鋭さも、なっちゃいない……)

 

 

 正面の唐竹を右斜め後方に一歩踏んで躱す。

 後方から振るわれる剣、その剣を振るう腕を後方回し蹴りで砕く。

 右側から来た突きをいなし、胴体を肘で叩き割る。

 躱し、逸らし、いなし、その後にカウンター。

 この流れは、まるで川から海へ流れる水のように不変であった。

 やられてはギーシュが修復し、それをアーチャーが砕く。

 

 

「……もうギブアップか?」

 

「はぁ、はぁ、そんな、っく、僕の、ワルキューレが……!」

 

 

 開始時から全く変わらぬ表情のアーチャー。

 それに対比し、まるでフルマラソンを完走したかのような息切れを繰り返すギーシュ。

 序盤は、平民が貴族にいたぶられる、喜劇を観賞しようと集まった生徒たちだが、その顔は既に皆、真っ青だ。

 何故か?簡単だ。

 

 

 

どこの世界に、まだ幼いながらもメイジを歯牙に掛けず、圧倒する平民など、いるのだろうか?

 

 

その驚愕が、更に深まることになる。

 

 

「……ふむ」

 

 

 

 アーチャーは、顔色一つ変えることなく、自分が砕いたワルキューレの破片から、青銅の剣を拾うかのように見せかけ、

 呟いた。

 

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 

――――創造理念、鑑定――――

 

 

――――基本骨子、想定――――

 

 

――――仮定完了。投影、開始――――

 

 

 瓦礫から、剣を抜き放つかのように偽装し、その手に剣を投影した。

 

 

(……宝具ではないが、一応投影は成功した。結界の暴走もない……。――――なんだ!?)

 

 

――――警告、ルーン魔術の発動を確認――――

 

 

 脳内に示される言葉に従い、ルーンを確認する。

 そこには、僅かながら光を発する、刻印が認められた。

 

 

(何故発動している……?だが、体に変化は……ちょっと待て、何故警戒しているとはいえ、ワルキューレの動きが――――)

 

 

――――動きが、遅い。

 

 

 元々、コントロールが甘く、素手で対処できるスピードだったが、今は、

 

 

(何だ……?何故、奴らは、止まっている……?)

 

 

 そう、ワルキューレが、停止していた。

 否、停止しているかのようにみえた。

 

 

(違う……私の五感が、騎士王(彼女)クラスまで、引き上げられている。騎士王(彼女)クラスまで達した私の五感が、この世界の速度を、上回っている……‼)

 

 

 何故かは、言うまでもない。

 アーチャーは、左手甲を、食い入るように見つめる。

 

 

(この、ルーンが、私の五感を、引き上げているのか……‼)

 

 

 そして同時に、

 

 

(これも十中八九、コイツの恩恵か……ないはずの経験が、私に流れ込んでくる……)

 

 

 今さっき、魔法で製造されたはずのこの青銅の剣から、凄まじいまでの剣の経験が、あふれてくる。

 それも、引き出そうとすれば、幾らでも、だ。

 

 

(何なんだ、一体このルーンは‼)

 

 

 左手甲を、更に睨みつける。

 だが、答えは出ず、出てくるのは、ルーンからの剣の経験のみ。

 

 

(……至急、ルイズに文字を習い、情報を手に入れなければな……まあ、今の段階では身体に害はない。ならば、デモンストレーションといこうか)

 

 

 出ない答えに拘泥するのをやめ、アーチャーは、停まった世界を歩み出した。

 最も、アーチャー以外の人間には、アーチャーが剣を取ってから、姿が霞んだ程度にしか確認することが出来なかったが。

 そんな事は露も知らず、アーチャーは、城壁側からこちらへ来ていたワルキューレの一体に狙いを定め、

 

 

「ふんッ!」

 

 

 敢えて技術も何も使わず、棒切れを叩きつけるかのように上から下へ、銅剣を振るった。

すると、

 

 

――――ガッ!

 

 

 音を立て、粉砕されるワルキューレ。

 だが、それだけでは終わらない。

 その破片は、後方の城壁まで吹き飛び、に大穴を空け、宙の彼方へと、吹き飛んでいった。

 

 

「……パワーは、ヘラクレス並みか…」

 

 

 もはや、呆れ顔でそれを見送るアーチャー。

 このぶんでは、ワルキューレを剣で地面に叩き付ければ、普通に地中深くに陥没してゆくことだろう。

 

 

「幸い、時間はたっぷりとあるようだからな……加減を試してみるか」

 

 

 そう呟き、未だに停止して(アーチャーにはそう見える)いるワルキューレの下へ向かい、

 力の加減を学ぶ。

 頭を軽く、コツンと剣で叩こうとすれば、地面にクレーターを作成し、柄で突けば空洞ができる。

 

 

「あのヘラクレス(筋肉魔神)は、一体どうやって力のコントロールをしていたんだ…?」

 

 

 結論から言うと、無理だった。

 どんなに優しく接触しようとしても、ワルキューレは砕けるか、宙の彼方へ吹っ飛んで行ってしまう。

 

 

「十分か…」

 

 

 呟くと、一旦剣を、地面に突き刺し、手を離した。

すると、

 

 

「お、おい、お前、今の見えたか!?」

 

「見えるわけないって‼ なんか姿が霞んで、ワルキューレが一斉に粉砕されてるようにしか……‼」

 

 

五感が元に戻り、世界は息を吹き返した。

 

 

(つまりは、(これ)がトリガーというわけか)

 

 

 地面に突き刺した剣を眺め、この現象を発生させるのは、剣を握ることであると、自身の脳に書き記した。

 そして、目の前で、造花を振りかざしたままの恰好で硬直しているギーシュに、悠々と歩み寄り、その頭を片手で持ち上げる。

 

 

「ひ……‼やめろ!下ろせ!」

 

「……君は、立場が解っているのかね?」

 

 

 持ち上げた掌に、少しばかりの力を加える。

 

 

「あ、あがが‼ 参った! 僕の負けだ‼降参だ‼」

 

「解ればいい」

 

 

 どさ、とギーシュが地面に落下する。

 その瞬間、まるで悲鳴のように、観客が歓喜に沸いた。

 

 



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幕間  ガンダールヴ

「ちょっとアンタ、やるじゃない! まさかあのギーシュをあんなにコテンパンにしちゃうなんて!」

 

 

 決闘が終わり、観客の波をかき分けるように部屋に戻ったアーチャーとルイズ。昨夜と同じで、互いに向き合う形でカフェテーブルに座った二人。

 興奮した様子のルイズとは正反対に、アーチャーは酷く冷静に、ルイズの言葉に応えた。

 

 

「一つ訊きたいのだが、ルイズ。あのギーシュとかいう貴族……あれは、どの程度のレベルのメイジなのかね?」

 

「え?……えっと、そうね。多分、二年生では平均的なレベル、だと思う。それにあんなに簡単に勝っちゃうんだもの、心配して損したわ!」

 

「……因みに、この学院で一番上等な奴は、私を圧倒できると思うか?」

 

「それは、ちょっとわからないけど……でも、今日みたいなあれ。なんか剣を持ったら、一瞬アンタの姿が霞んで、気づいたらギーシュのゴーレムが全滅! あれがいつでも出来るんだったら、上級生も目じゃないわ!」

 

「そうか……」

 

 

 本当に嬉しそうに、まるで自分の事のように語るルイズだが、アーチャーは全く表情を動かさない。

 ルイズが言っていた、剣を握った瞬間の、魔法の発動。そこからのあり得ないほどの五感と膂力の強化。いや、もはやあれは飛躍と呼んでも差し付けないだろう。

 あれは何だったのか?自分は一体、どうしてしまったのだろうか?やはり、固有結界の変質と何か関係があるのだろうか?

 幾つもの解決の糸口が掴めない疑問を前に、少し前に倒したメイジのことなど、戦闘経験以外は既に切り取られ、頭の片隅に追いやられていた。

 そして、流石私の呼び出した使い魔だわ!とか何とか、昨夜のしおらしい姿など見る欠片もないほど自画自賛を行っていたルイズに、アーチャーは水を指すように言った。

 

 

「ルイズ、私に文字を教えてくれないか?」

 

 

「へ……?」

 

 

 召喚された矢先、そして先の戦闘(?)でも感じていた、情報不足を解消するために、ルイズとのコミュニケーションも重要だが、言語の習得も極めて優先度の高い事案である。

 今まで、何の違和感もなく会話が成立していたが、それは本来ならば、絶対にあり得ない。

 言語とは、生まれた地の文化、環境に大きく影響を受ける。

 ならばこそ、魔法が生活の基盤となっているこの世界が、アーチャーが元いた世界の言語が通じるはずもない。

 だが、現状はどうだ?

 名前を理解し、会話の裏を取り、論争が出来るまでにコミュニケーションが成立している。

 あり得ない。だが、それが起こっているのだから仕方ない。受けいれる。

 だが、このことについてアーチャーは、

 

 

(十中八九、コレも、例の刻印の恩恵なのだろうな……)

 

 

 左手甲に刻まれたルーンを、また見やる。

 今のところ、最初の暴走から、アーチャーに害を成すような作用はなく、それどころか恩恵、恩恵、リターン、リターンと、良いことずくめしかない。

だが、

 

 

(短期的にみれば有益でも、長期に渡ってそれが続くとは限らない)

 

 

で、あれば。

 

 

「私は、ここについて何も知らない。昨日話した通りだ。……そして、言っていなかったが、私は臆病者でね。不安要素は即刻取り除きたくなってしまう性格でね」

 

 

 虚を突かれ、しばし硬直するルイズ。だが、言葉を理解したその時から、瞼が半分下がり、じとーとこちらを見つめる。

 その瞳は、あれだけの事をしておいて、何を言っているんだ、と悠然と物語っていた。

 アーチャーは視線を柳に風とばかりに受け流し、言葉を続ける。

 

 

「それに、今日は使い魔と主人がコミュニケーションを取る日なのだろう?であれば、浅学な使い魔が、博学な主人に教えを乞う。至って自然。ともすれば、人間同士だからこそ可能な理知的なコミュニケーションであると、そうは思わないかね?マスター?」

 

 

 博学な、の部分を強調し、アーチャーはルイズへ提案を猛プッシュした。

 

 

「確かに、そうね……。よし、決めた! アンタは今日一日、私がみっちりと言葉を教えてあげるわ! もう許してって言っても、聞かないわよ?」

 

「お手柔らかに頼む」

 

 

 そう言って、ルイズは機嫌よさそうにむふー。と息を吐く。

 アーチャーは、かの「あかいあくま」と同様に、これからも取扱いには多大な注意が必須だが。

 それでも、アーチャーにはルイズの運転の感覚が、少しずつ掴めてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、アーチャーがギーシュと遊んでいた少し前まで遡る。

 王立トリステイン魔法学院は、魔法の系統になぞられ、火、水、土、風の四つの分棟と、始祖ブリミルが使用したとされる第五の系統虚無を表した一番背の高い本棟のいつつで構成されている。

 その本棟の最上階。

 そこに、学院長室がある。

 そして今そこには、二人の人物がいた。

 内一人は、真っ白な長髪と、それとお揃いの長い口髭を持った老人。学院長、オールド・オスマンは、高級そうなセコイアの机に、頬杖をつき、鼻毛をぶちぶちと抜いていた。

 学院長という大層な肩書をもつオスマンだが、何もない日々は、彼にとって退屈であった。まあ、その退屈が平和の証でもあるのだが。

 そんなオスマンだったが、おもむろに机の引き出しに入った水煙管を取り出し、至福の時はきたれり、とばかりに口に運ぼうとしたところで、その水煙管は宙へふわふわと逃げてゆき、もう一人の人物――――緑の腰まで届くロングヘアーと、理知的な顔立ちの女性。オスマンの秘書、ミス・ロングビルの手へ収まった。

 それを見たオスマンはつまらなそうにつぶやいた。

 

 

「年寄りの楽しみを奪うのが、そんなに楽しいのかね?」

 

 

 重要書類である羊皮紙から目を上げずに、ロングビルは応えた。

 

 

「お言葉を返すようですが、あなたの健康管理も私の仕事の内なのですわ」

 

 

 表情をピクリとも動かさず、言い切った。

 そこで、いつの間にか彼女の後ろに回っていたオスマンは重々しく瞼を閉じ、

 

 

「こうして平和な日々が続くとな、いかに退屈を攻略するかが人生の価値をきめるんじゃよ」

 

 

 深く刻まれた皺は、彼の生きた年数の証であるが、正確な年齢は、誰も知らない。

 百年、いや二百年は生きているのではないかとまことしやかに語られている。

 

 

「オールド・オスマン。退屈だからと言って、私のお尻を撫でまわすのはやめてください」

 

 

 冷静な声でロングビルは非難する。

 なお、目は羊皮紙から外さない。

 

 

「真実とは、一体どこにあるのだろうか……? 考えたことはあるかね、ミス―」

 

「少なくとも、私のスカートの中にはありませんので、机の下にネズミを潜り込ませるのもやめてください」

 

 

 またも非難。するとオスマンは、口を半開きにし、ほげーほげーと意味不明な呻きをあげ、部屋の中を徘徊する。

 

 

「都合が悪くなるとボケたフリをするのもやめてください」

 

 

 今度は目を上げ、鋭い目つきでオスマンを睨む。

 すると、オスマンは気圧されたように一歩後ろに下がると、足元に来ていた小さなハツカネズミはオスマンの足から肩へと上り、首を傾げた。

 それを確認したオスマンは、元の席へと戻る。

 

 

「気を許せる友は、今やお前だけじゃ……モートソグニル」

 

 

 哀愁をにじませた声でネズミ、モートソグニルに話しかける。そしてポケットからナッツを取り出すと、モートソグニルに与える。ちゅうちゅうと、嬉しそうになくモートソグニル。

 

 

「そうかそうか。もっと欲しいか。よかろう……じゃが、その前に報告じゃ」

 

 

ちゅうちゅう。

 

 

「おお、そうか。白か。純白とな……じゃが、ミス・ロングビルには黒が似合う。そうは思わんかね? モートソグニル」

 

「オールド・オスマン」

 

「なんじゃねミス・ロングビル?」

 

「今度やったら王室に報告します」

 

「カーッ! 王室が怖くて、魔法学院学院長が務まるかーッ!」

 

 

 目を剥き怒鳴るその迫力はよぼよぼの老人とは思えなかった。

 

 

「下着を覗かれたぐらいで、カッカしなさんな! そんな風だから婚期を逃すのじゃ、は~生き返るの~」

 

 

 そういったオスマンは今度は堂々と尻を撫でまわす。

 すると、立ち上がったロングビルは、そのまま上司を足蹴にする。

 

 

「痛い。やめて。もうしない。ほんとに」

 

 

ここまでは、日常の一コマである。

だが、

 

 

――――ガァアン!

 

 

「たた、大変です! 学院長!」

 

 

 それは大きなドアの開音と共に現れた闖入者。眼鏡をかけた壮年の魔術講師コルベールによって破られた。

 因みにこのとき、既に二人は示し合せたかのように元の位置へ戻っていた。

 

 

「大変などはない。すべては小事じゃ」

 

 

 無駄に威厳たっぷりな態度で応えるオスマン。

 因みに、先程の人物と同一人物である。

 

 

「これです!」

 

 

 そう言ってコルベールが見せてきたのは、

 

 

「なんじゃ、『始祖ブリミルと使い魔』ではないか。こんな古い本を引っ張り出していないで、たるんだ貴族からもっと学費を徴収するすべを考えたまえ、ミスタ……?」

 

 

 首をかしげる。

 

 

「コルベールです! ですが、今はそんなことは……よくはないですが、とにかくこれらを見てください!」

 

 

 まくし立てるように言って、オスマンは右手には本の記述を見た。

 それだけならば、だからどうした?と訊き返すのだが。

 左手に持った、とあるスケッチを見た瞬間、目の色が変わり、雰囲気が一変する。

 

 

「ミス・ロングビル。席を外しなさい」

 

 

 雰囲気が変わったことを察した彼女は、黙って部屋を出る。

 それを見送ったオスマンは、再び口を開いた。

 

 

「詳しく、説明するんじゃ。ミスタ・コルベール」

 

「はい。オールド・オスマン。こちらは、昨日の『サモンサーヴァント』で呼び出された一人の男の手に刻まれたものです」

 

 

「呼び出された男……あの、契約が完了した途端、全身から刀剣を生やして気を失ったという、アレかの?」

 

「はい。……剣を抜こうにも、抜けず。壊そうとしても一切魔法が効かない。……ミス・ヴァリエールの爆発以外は……。ですが、取り除いても取り除いても生えてくる刀剣。我々は諦めかけましたが、ミス・ヴァリエールが必死に治療を行い、何とか回復いたしました。……その事にも勿論疑問を持ちました。ですが、時間が足りず、調べ、考えても、答えは出ませんでした。ですが……次の疑問……こちらのスケッチ。この謎だけは、何とか」

 

 

 神妙な顔で語るコルベール。

 そして、次の言葉を口にしようとした、その時だった。

 

 

――――ワアアアア!

 

 

 

「……なんじゃ?」

 

 

 オスマンは、普段の学院ではあまり聞き慣れない歓声を庭から聞き取り、『遠見の鏡』と呼ばれるマジックアイテムを使用し、その原因を突き止めた。

そこには、

 

 

「なっ!?」

 

 

 

 コルベールが声を上げた。

 それも仕方のないことだ。何故なら、今さっき話していた人物が、そこでメイジの少年と対峙していたからだ。

 そして、声も聞こえてくる。

 

 

『あの『青銅』のギーシュが、ルイズの呼び出したハリネズミ男と決闘だってよ!』

 

 

 それに追随する他の少年少女たち。

 そして、その声を聞いたコルベールは、血相を変えて叫ぶ。

 

 

「決闘など、今すぐ止めさせましょう!」

 

「いや、待つのじゃ。……少し、様子を見ようではないか」

 

「何を悠長なことを! このままでは、彼が死んでしまう!」

 

「……その記述と、君のスケッチが正しいのならば、そんなことは起こり得まい……じゃろう?」

 

「し、しかし……」

 

 

 なおも言いつのろうとするコルベールだったが、無慈悲にも決闘の火蓋は落とされ――――そして、目を疑った。

 白髪に黒色の肌を持つ平民が、素手でゴーレムを圧倒していたのである。

 そして、決闘は終盤にさしかかる。

 そこで、その平民が、瓦礫の中から剣を拾う。

 

刹那。

 

 

――――ズゥウン‼

 

 

 轟音が鳴り響き、一瞬棟全体が震動する。

 コルベールは机に寄りかかり、オスマンは鏡を倒さぬように支えた。そして、目を開けると、そこには『固定化』によって強化されたはずの壁に、大穴が空き、庭にはクレーターが出来ていた。すわ敵襲か、と身構えたが、そこに外敵の姿はなく、代わりに、優雅に貴族の下へ歩み寄る平民の姿があった。そして彼は、貴族の少年の頭を掴み、片手で持ち上げる。その数瞬後、貴族の少年は負けを認め、地に落ちた。

 それを観ていた二人は、憔悴しきった表情で、顔を見合わせる。

 

 

「オールド・オスマン……伝説の使い魔『ガンダールヴ』は、どんな武器でも使いこなし、千の敵を退かせたと言われています。相手が、最下級のドットのメイジであったとはいえ、これは……」

 

「始祖ブリミルは、呪文の詠唱が長かった。その魔法の強力さゆえにな。であるから、その無力な時間を補うため、ガンダールヴという使い魔を用いた。ああ。その通りじゃが……これでは……」

 

 

 

 

 

 

 

――――――時間を補うどころか、一人で軍隊と張り合えるではないか。

 

 

 

 

二人は、全く同じ感想を抱き、そして同時に戦慄した。

 

 

「この件、私が預かる……よもや異論はないな?」

 

「ええ、勿論ですとも……」

 

 

ここまでの大事、王室に報告し、指示を仰ぐのが筋だ。

だがしかし、単体で軍隊と張り合えるような使い魔を、軍に渡せばどうなるかは、明白だった。

 

 

「彼は、ただの平民だったのかね……?」

 

 

まるで、祈るようにオスマンはコルベールに問いかける。

だが、

 

 

「残念ながら、彼は平民です」

 

「その身から、剣を生やしたというのにか?」

 

「ええ、念のため、というか最初に『ディテクト・マジック』でメイジではないことを確認しました」

 

「……彼を『ガンダールヴ』にした生徒……ミス・ヴァリエールと言ったかの? 彼女は、優秀なメイジなのかね?」

 

「いえ、むしろ無能と言って差し支えないかと」

 

 

そこまで聞いたオスマンは、杖を持って窓際に立ち、遠くを見据えながら、大きな溜息を吐いた。

謎が謎を呼ぶ、とはこの事なのだろう。と、長い人生を省みながら、初めての経験をオスマンは噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一章 契約の制約
第四話 誘惑と驚愕 その一


「……朝、か」

 

 

まだ日も昇らぬ時間帯に目を覚ましたアーチャーは、感慨深げに呟いた。

アーチャーの朝は早い。

といっても、ここ数日間の朝に限定された話だが。

何故ならば、英霊になってから睡眠や食欲、性欲といった基本的欲求から解放されていたので、一日、という概念は彼の中には失せて久しいものであった。

藁が敷き詰められた、簡易的な寝床から、アーチャーは身体を起こした。

眠気はその時には既にすっきりと消えており、稼働し始めた頭から、朝のスケジュールを引っ張り出す。

まずは、固まった筋肉のストレッチからだ。

先も述べたように、今の彼は受肉している状態である。

よって、常に彼の体がベストコンディションになっていることは、あり得ない。

 

 

(自己管理、か。世界に管理されていた私には、二度と縁のない言葉だと思っていたのだが……)

 

 

中々に皮肉が利いているな、と一人苦笑を漏らした。

ストレッチが一通り終わった次は、肉体の点検だ。

 

 

――――解析、開始(トレース・オン)

 

 

―――魔術回路二十七本確認―――

 

 

 ―――動作可能回路二十七本正常―――

 

 

――――魔力量、正常――――

 

 

―――――身体機能、問題なし――――

 

 

――――神経、内臓等正常――――

 

 

警告1

 

 

左手甲に解析不能のルーン魔術を確認。これにより、固有結界の変質有―――

 

 

 

(……まあ、一部を除いて、身体は問題ない……)

 

 

 

そこに居座る、最新の同居人に一瞬目をやり、その刻印に関わる記憶が頭に呼び起こされ、アーチャーは昨日の昼から夜まで続いた、ルイズとの個人レッスンを思い出していた。

 

 

 

(昨日、ルイズの熱心(、、)な指導のおかげで、言語自体はすぐに……というか、教授を受けてすぐにネイティブのような読み書きが出来るようになったな……原因は……まあ、またどうせこいつか)

 

 

最近、理解不能な事象は全て刻印のせいにして、自身は思考停止に陥っているのではないかと、アーチャーは危惧した。

だが、なにはともあれ言語習得がかなったおかげで、本からの情報収集が可能になった。

予想以上に早く言語レッスンを終えたアーチャーに、ルイズは驚いていたが、まあ、アーチャーだし。と勝手に自己完結していたが、それならそれで教えることは沢山あると余計意気込み、ハルケギニアの歴史、国の構成、果てはアーチャーには使えないと解っている魔法の基礎知識までもを叩き込まれた。

その結果、普通の平民以上の教養を身に付けたアーチャー。

しかし、それによって自分の身に起こった事象への疑問は何一つ消えることはなく、それどころか、こちらの世界の魔法の知識という判断材料が増えたため、余計に疑問が増えてしまった。

 

 

(やめよう……私の悪い癖だな、これは)

 

 

答えの出ない問題を、判断材料も手がかりもないのにしてしまう、という癖。

案外、これは自分の根の深い部分から来ているものなのかもしれない。

 

 

(さて、庭には誰もいない……)

 

 

持ち前の視力の良さでもって、庭を見渡したアーチャーは、人影がないのを確認し、庭へ降り立った。

何をするのかと言えば、それは、

 

 

「――――投影、開始(トレース・オン)

 

 

――――創造理念、鑑定――――

 

 

――――基本骨子、想定――――

 

 

――――仮定完了。投影、開始――――

 

 

小さく呟いた彼の両手には、既に陰と陽を具現化したかのような中華双剣の宝具、干将・莫耶(かんしょう・ばくや)が握られていた。

宝具。それは、人の幻想を骨子に作り上げられた武装。

それは、それこそ彼が今持っているような剣のような形状でもあれば、盾、布、鞘、実体のない能力そのもの、なんてものまで存在する。

そして、それら全ての共通点といえば、人智を超えた奇跡を、この世に具現化する。

いわば宝具とは、奇跡を具現化した武装なのである。

 

 

(……宝具の投影。成功したか。外見も中身も、問題はない。……実験は成功か)

 

 

己の投影品である、その双剣、いやその成り立ちから夫婦剣と呼んだ方が正しいだろう。それを魔術的な観点と、肉眼からの評価を付ける。

昨日、とある貴族との戦闘と呼ぶのもおこがましい行為のなか、通常の剣は投影に成功した。

だが、前記の通り、通常兵器と宝具では、どんなに低級なものでも、石ころと、金塊ぐらいの価値の差があり、また投影への負担も段違いだった。

なので、目撃者の誰もいないこの時間を狙い、アーチャーは実験を行った。

この十分な面積のある庭なら、仮に暴走しても、結界から溢れた剣によるが、被害は最低限で済むからだ。

実験の第一段階は成功した。

次は、

 

 

(ルーンの発動は……していないか。昨日の状況から(かんが)みるに、発動の条件は剣を握ることだと推理していたのだが……)

 

 

自身に刻まれた、謎だらけのルーン。

現状で推測されている効果は、ぜんぶで三つ。

一つ、言語についての補助

二つ、肉体の獲得

三つ、固有結界の変質と、戦闘時の身体能力の底上げ

内三つめの効果は、発動した状況が戦闘時、しかも投影後に剣を握った瞬間であった為、剣を握るという行為がトリガーであると確信していたのだが、結果は否。

 

 

(まあ、いい。比較的負担の軽い宝具だが、投影が成功した、というこの結果は大きい)

 

 

正直、あのセイバー並の五感とバーサーカー並みの膂力は喉から手が出るほど欲しいものだったが、無い物をねだっても仕方ない。

そして、アーチャーはその他の些事を頭の隅に追いやり、夫婦剣を握った腕を、だらりと重力に任せおろした。

無形の構え、というやつだ。

そこから、

 

 

「ふっ!」

 

 

左の陰、干将を左から切り上げる。切り上げた直後腕を返し、今度は袈裟懸け。

間髪入れず、空いた空間に右の陽、莫耶を突き込み、突き通した瞬間には、既に剣は右に薙いでいる。

片方が斬撃を放ち、終わった瞬間に出来た隙間に、さらにもう片方を滑り込ませる。

傍目には、アーチャーがまるで踊っているかのような状態に見えたことだろう。天才だ、と持て囃したことだろう。

だが、達人クラスの人間が見れば、その剣技に才能など欠片もなく、ただただ、素朴に、純粋に努力と研鑽のみで構成された、美しくも泥臭い、そんな感想を抱いたことだろう。

自己流の型、のようなものがひと段落し、アーチャーは一つ、息を吐く。

 

 

「すぅ……はぁ――――ッ!!」

 

 

そして、その瞬間アーチャーの雰囲気が変わる。

目の前に仮想の敵を脳内で再現し、彼は戦闘の用意を整えた。

その時だった。

 

 

警告

 

謎のルーン魔術の発動を確認。

 

 

再び、世界がアーチャーに置き去りにされ、その速度を忘れる。

 

 

(……!? なんだ……? 発動した? 何故、いや、そうか!)

 

 

その時、アーチャーはルーンの発動の条件。それを完全に理解した。

トリガー(引き金)だと思っていた、剣を握るというアクションは、その実、一つのファクター(安全装置)に過ぎなかった。真の撃鉄は、自身の心。

敵を前に、己を変えずして、変えるもの……すなわち、戦意である。

考えてみれば、あの時も、いかに動きがとろくかったとはいえ、相手は武器を持っていた。

であれば、戦意が沸くのも当然。

 

 

(こういうのを、棚から牡丹餅というのか?……いや、状況的には一石二鳥を狙ったのだから、問題はない……のだろうか)

 

 

 

剣を振るいながらも、そんな余裕が沸いた。

さて、意図せずして恩恵の一つを手中に収めたアーチャー。

これだけなら、別に悲観すべき点は何もないのだが、いかんせん、タイミングが悪かった。

 

 

「……!」

 

 

庭の端、しかもはたからは死角の場所でそれを行っていたはずなのだが、

 

 

「す、すごい……!!」

 

 

拡張された五感が、その呟きを拾った。

首と眼球が瞬時に動き、対象を目視にて認識する。

そこには、濃紺のワンピースと、白いエプロンを掛け合わせた仕事着、俗にいうメイド服を纏った、黒髪黒目の少女がいた。

少女は、文字通りすごいものを見てしまった、という表情を顔に貼り付け、立ち尽くしていた。

 

 

(しまった……脳内であの狗相手にハイスコアを叩きだして、いい気になっていたとはいえ、気を抜きすぎた)

 

 

そう、ルーンの恩恵で仮想の戦闘相手であるかの青い槍兵に、互角以上の戦いを繰り広げ、調子に乗っていた。

空いたソースを、近辺への警戒ではなく、くだらない皮肉に費やしていたことも、一因。

気抜かり、慢心、色々呼び方はあるが、

 

 

(うっかりしていた……)

 

 

アーチャーは、自身の未熟さを思い知った。

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その二

「すごかったです! 何ですか、あの動き!」

 

 

後悔に身を焼かれるアーチャーとは正反対に、少女は喜劇を観覧し終えた観客のように、きゃっきゃとはしゃいでいた。

見られてしまったことはもう仕方ないと、開き直り、白みかけてきた空のした、庭の隅で歓談に興じていた。

 

 

「昨日も、貴族様との決闘で、てっきりぼこぼこにされて果てには殺されちゃうんじゃないかって、私ひやひやしてたんです!」

 

 

でも、と続ける少女。

 

 

「まさか、あの貴族様を、メイジを圧倒しちゃうなんて、すごいです! 私、尊敬しちゃいます!」

 

 

尚も嬉しそうに語る少女を裏目に、アーチャーは気を引き締め直していた。

 

 

(……いくら今まで襲撃や攻撃がなかったとはいえ、油断しすぎだ。全く、これではかの「あかいあくま」に合わせる顔がない)

 

 

自分は、もっと日頃しっかりしていてはどうかね?などと説教を棚に上げ、自分は今回、戦闘時ならばシャレにならないミスを犯していた。

と、そんなアーチャーの後悔を知る由もない黒髪の少女は、はっと話をやめ、

 

 

「すみません。私、自分の名前も名乗らずにはしゃいでしまって……あの、私シエスタと言います。この学院で、侍女をさせてもらってます」

 

 

シエスタ、と名乗った少女は、羞恥に頬を染め、申し訳なさそうにこちらを伺っていた。

アーチャーは、それを見て、もはやこれまで、と心を決めた。

 

 

「そうか、シエスタ、だったな。私の事は、アーチャーとでも呼んでくれ」

 

「アーチャーさん、ですか。変わった名前ですね」

 

「ああ、そうだな。私も、自身でそう認識している。私が、弓兵(アーチャー)なんてな……。そうそう、会って早々悪いんだが、シエスタ。一つ私と約束をしてくれないか?」

 

「約束、ですか?」

 

 

頬に手を当て、首をかしげるシエスタ。

そこへ、アーチャーはシエスタの瞳を真っすぐに見詰め、耳元で囁いた。

 

 

「先程の、剣の事なんだがね……あれを見たことは、私と君、二人だけの秘密だ」

 

 

いきなり顔を近づけられたシエスタは、収まっていた顔の朱が再びぶり返し、さらにアーチャーの甘い囁き(アーチャー自身はそんなつもりはない)を受け、体中の血液が顔に集まったかのよう真っ赤になっていた。

 

 

「ふ、ふたりだけの…秘密ですか……?」

 

「ああ、そうだ。だから、君が今見た事を、忘れろ、とは言わない。だが、他人に口外しない、と約束してくれないか……?」

 

「は、はい! 私、約束、守ります! 二人だけの、約束!」

 

 

顔を真っ赤にして、アーチャーのお願いを全面的に受け入れるシエスタ。

はたから見れば、悪い遊び人(無自覚)が、純情なメイド相手に、悪さをしているようにしか見えなかった。

 

 

「ありがとう。感謝する」

 

「い、いえ……その、私、お仕事がありますから!」

 

 

アーチャーが止め(再三言うようだが、アーチャーに自覚はない)とばかりに正面から真っすぐに感謝の意を伝えると、少女は逃げるように棟内に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は経ち、人々が朝食を取りに食堂へ向かう道中。

 

 

「ねえ、私、いつの間に着替えたんだっけ?」

 

「私はマスターの指示に従ったまでだ」

 

 

昨日と全く同じやり取りをしながら、二人は食堂へ向かっていた。

だが、昨日と違い、彼らに向けられる視線は様々だった。原因は、言わずもがな。

あれのせいで、視線はルイズではなく、アーチャーへのものが殆どだった。

種類は、感心、羨望といった好意的なものもあれば、嫉妬、畏怖、恐怖、のような負の視線も多く感じられた。

が、それを敢えて無視し、二人は歩く。

遠目で見ているものの、二人に表立ってなにかしようという者は、この場にはいなかった。

ただ一人を除いて。

 

 

「おはよう。ルイズ」

 

 

小麦色の肌に、赤い髪。年齢不相応の妖艶な体つきの少女、キュルケが挨拶をした。

その顔を見たルイズは、嫌そうに眉を少しだけ動かしたが、礼を失することなく、挨拶を返した。

 

 

「おはよう。キュルケ」

 

 

かなり投げやりな挨拶にはなってたが。

それを気にした様子もなく、キュルケはルイズの三歩後ろを歩く、アーチャーにも挨拶をした。

 

 

「おはよう。アーチャー」

 

「ああ、おはよう」

 

 

それに応え、アーチャーも挨拶を返す。

 

 

「昨日の決闘、とってもかっこよかったわ。思わず、この身が炎で焼けてしまうかもしれないぐらいに」

 

 

火照った体を見せつけるかのように、アーチャーでこれでもかとばかりにモーションをかけるキュルケ。

それを見たルイズは、我慢ならないとばかりにキュルケに怒号を飛ばした。

 

 

「ちょっとキュルケ! コイツは私の使い魔なのよ! 誰の許可を得てちょっかいかけてるのよ!?」

 

「強いて言えば、私自身の許可かしら♪」

 

「ふざけないで!」

 

「何よ、私は大まじめよ?こと、色恋(こういう)のに対しては、ね」

 

 

バチバチと、視線で火花を散らす二人。

はたから見れば、一人の男を取り合う二人の女の図というわかりやすい構図なのだが、ことアーチャーはその凄まじいまでの鈍感スキルを用いて、その争いに介入した。

 

 

「二人とも、何を争っているかはしらんが、ここは往来の真ん中だ。やるなら、道の端によるのが―――」

 

「あんたのせいでこうなってるのに、何様のつもり!?」

 

「ああ、ダーリン。そんな空気を読めないところも素敵だわぁ」

 

 

介入したはいいが、ルイズの言葉の矛先が自分に向き、さらにはキュルケには何故か誉めはやされ、状況が余計にややこしくなってしまった。

なお、その諍いは朝食の終りまで続き、弓兵のお腹には何も収まらなかった。

 

 

 

使い魔との触れ合いという名目の休日が終わり、二年生は教室にて、授業を再開させていた。

 

 

「皆さん、昨日はたくさん使い魔と触れ合い、絆を深めることが出来ましたか?使い魔とは、一般的に、一生付き合っていくものです。時に友として、時には家族として、皆さんの生活の支えとなってくれるでしょう。皆さんの使い魔たちを見ることが出来て、このシュヴルーズ、とてもうれしく思いますわ」

 

 

よく大学のキャンパスで見るような階段状になった講堂の教壇で、紫のローブと、如何にも魔法使いと言わんばかりのとんがり帽子をかぶった、恰幅のいい魔女が、笑みを浮かべながら教鞭を取っていた。

 

 

「おやおや、変わった使い魔を召喚したものですね、ミス・ヴァリエール」

 

 

使い魔が待機している

シュヴルーズは、今朝着任したばかりで、昨日のアレを知らない。かつ教師陣は生徒の話を戯言と断じ、受け入れなかった。

なので、純粋に彼女は問いかけたのだ。昨日の決闘騒ぎがなければ、教室は笑いで包まれたのだろうが、今現在教室を支配しているのは笑いではなく、静寂だった。

何かしら反応があると思っていたシュバルーズ。不自然な静寂に若干怪訝な顔をしたが、静かにしているなら、それはそれで問題はないと思い、授業を開始した。

 

 

「皆さん、私はシュヴルーズ。二つ名は『赤土』。これから一年、皆さんに土系統の魔法を教えていきたいと思います。それでは、まずは一年生のおさらいといきましょうか。魔法の四系統はご存知ですね、ミスタ・マリコルヌ?」

 

「は、はい! 火、水、土、風の四つです!」

 

 

突然名指しで当てられ、しどろもどろになりながらも、太っちょの金髪少年、マリコルヌが立ち上がって応えた。

魔法の四系統。アーチャーは、昨日の個人レッスンの内容を復習するかのように、知識を頭から呼び出す。

 

 

(魔法の四系統、か。これは魔術で言う五大元素にあたる要素)

 

 

最も、魔術の元素には、これに属さない架空元素なるものなどもあったりがしたが、それはほぼ個人の特性ともいうべきものなので、今は除外する。

 

 

「そして、皆さんもご存じのとおり、今は失われた系統である虚無を加えた五系統から魔法は成り立っていますね。よろしい。もう着席してもらっても結構ですよ、ミスタ・マリコルヌ」

 

 

緊張からか未だに立ったままのマリコルヌに、シュヴルーズは許可を与える形で席に座らせた。

そして、今出てきた系統、「虚無」。

 

 

(これは、話を聞く限り、ほぼ魔術の根源、魔法に近いものらしいな)

 

 

何でも、大軍を一瞬で消滅させたり、座標移動を可能とする、などという文献がお伽噺という状態で残っており、メイジにとっては神の御業として扱われている。

 

 

「そして、私の系統でもある『土』これは、四系統のなかで、最も重要なポジションを占めていると、私は考えています。何故なら、土の魔法がなければ、重要な金属を生み出すこともできませんし、加工することもできません。大きな石を切り出して、建物を作ることも、また作物を収穫するのも、今よりもっと手間取ることでしょう。理解できましたでしょうか?このように、土系統の魔法は皆さんの生活と密接に関わっているのです」

 

 

そう言って、重々しく咳をしたシュヴルーズ。

その顔はどことなく得意げであった。

だが、

 

 

「すまない。発言よろしいだろうか、ミセス・シュヴルーズ」

 

 

その声を上げたのは、使い魔の席でじっと授業を聞いて自身の知識との齟齬がないかを探していたアーチャーだった。

 

 

「……あなたは確か、ミス・ヴァリエールの」

 

「これは失礼。名乗っていませんでしたな、マダム。ルイズの使い魔こと、アーチャー。以後お見知りおきを」

 

 

やけに芝居がかった所作で一礼したアーチャー。

それを見ていたルイズは、顔を真っ青にして立ち上がる。

 

 

「も、もも申し訳ございません、ミセス・シュヴルーズ! あの使い魔には、あとでお仕置きを……‼」

 

 

必死に弁解するルイズを、微笑みで制したシュヴルーズは、特に気に障った様子もなかった。

それどころか、嬉々として、アーチャーに発言を促した。

 

 

「いいのです、使い魔に質問される、何て珍事は、一生に一回、あるかないかですわ。貴重な参考人として、アーチャーさんには発言を許可しましょう」

 

「ありがたき幸せ。それでは、僭越ながら……土系統が魔法の中心である、というような発言について、些か疑問に思いましてね」

 

「それは、何故ですか?」

 

「前述の通り、確かに土の魔法は偉大であり、人々の生活に深く根付いている。これは確かです。ですが……」

 

「ですが、なんでしょうか?」

 

「土系統の魔法で出来ることは、場合によっては他系統でも十分補うことが可能である、ということです」

 

 

アーチャーの発言に、教室中がざわついた。

それもそうだ。メイジの使い魔とはいえ、一平民が、魔法学院の講師に反駁しているのだから。

教室のざわめきを無視し、アーチャーは語る。

 

 

「ミセス言った例通りに挙げていきますと、まずは貴金属、こちらは別に錬金に頼らなくとも、火属性の魔法と、不純物を取り除く炉があれば、特に問題なく精製できます。次に、加工ですが、こちらは水属性の水を高圧で放つことにより、切断ができ、後は研磨すれば十分に使い物になるはず。大岩の加工も大体同じプロセスを通せば完遂できる。あとは、分かりますね? ミセス・シュヴルーズ」

 

 

ざわめきが一瞬にして引き、再び静寂が訪れる。

誰も、反論する者などいない。当然だ。今語られたことは、全て事実であるからだ。

だが、シュヴルーズはその話を聞き終え、反論した。

 

 

「な、なるほど、確かに……で、ですが! 土系統の魔法の魔法があれば、もっと効率的かつ、正確に事が行えます。であれば、土系統の魔法は必要不可欠なはずです」

 

 

若干うろたえてはいたものの、良い返しだ、とアーチャーは感心したが、その返しは予想の範疇だった。

 

 

「ええ、その通り」

 

「な、なら―――」

 

「何か勘違いをされているようですが、私は別に土系統の魔法がいらない、などと言った覚えはありませんよ? ミセス・シュヴルーズ」

 

 

思わず閉口するミセスシュヴルーズ。

 

 

「私が言いたいのは、土系統の魔法は、別に魔法の中心ではない、ということです。勿論、これは全ての系統に当てはまること」

 

 

一拍おき、

 

 

「別に一系統なくても、多少不便なこと以外は問題はなく、魔法そのものの存在には綻びは生じない。だが、あれば便利。効率がいい。互いの欠点を補いあうこともできる……つまり、四系統は全て、同価値である、ということです」

 

 

ミセス・シュヴルーズは驚愕していた。

魔法の使えない平民に、まさか魔の道を諭されるなど。

ただ、言い分に間違いはなく、反論の余地はなかった。ミセス・シュバルーズの授業は続いたが、終始何かを考え込むかのような素振りを見せ、お世辞にも良い授業ではなかった。

しかし、それを咎められる者などどこにもいなかった。何故ならば、皆が皆、アーチャーの発言に対し、考え込んでいたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その三

ミセス・シュヴルーズの講義の後、教室を退出したアーチャーは、ルイズからありがたい説教を頂戴していた。

 

 

「あんた、何のつもりよ!? 先生に喧嘩を吹っ掛けるような真似をして!」

 

「私はただ、疑問に思った事を質問しただけなのだかね。どうにもプライドが高かったらしいな、ミセスは」

 

 

肩を竦めるアーチャー。

その全く反省の色が見えない態度に、ルイズは、

 

 

「あんたねぇ……‼ 確かに、あんたはあのギーシュ相手とはいえメイジを圧倒しちゃうし、言葉だってすぐに覚えちゃうし、その上先生を相手取って話もできるかもしれない。でも、それとこれとは話が別!……私は貴族。あなたは使い魔。だったら、あたしの恥になったり不利益になるようなことはしないでよ!」

 

 

ぜえはぁと、息を切らすルイズ。

ルイズの怒号を正面から受けたアーチャーは、ふと皮肉気な表情を引っこめると、

 

 

「……マスター。いや、ルイズ。君は今、自身の不利益になるようなことはするな、と言ったな」

 

 

そして、ルイズの目の高さまで膝を折ったアーチャーは、

 

 

「今さっき講義を間接的に受けてきて、確信した。君たちは、魔法を絶対的な尺度と目標としているようだが、それは間違っている」

 

「な!?」

 

「魔法とは、さっき私が言った通り、手段の一つでしかない。火なんてものは、魔法がなくても幾らでも起こせる。魔法で出来ることは、そのほかの手段でも十分に再現が可能だ。であれば、わざわざ回り道をする必要はない」

 

 

信じられないことに、現代魔法史そのものに対する、アンチテーゼを謳う。

 

 

「だから、力を、過信するな。凝り固まるな。力に手段を囚われ、自分の目的とその原動力を、見失うな。それは、自分を狭め、後に自分の首を絞める」

 

 

実感の籠った声で、一言一言を呪文のようにルイズに伝える、アーチャー。

そう、先程の授業。あの場で、わざわざ発言したのは、その為だった。

この世界の魔法は、手段であり、目的ではない。それは、昨日ルイズ自身が、ハルケギニアの歴史が教えてくれた。

自分のいた世界の魔法(目的)と、こちらの世界の魔法(手段)は絶対的に異なる。

だから、教育者たるあの魔女が、間違った意をルイズと、ひいては生徒たちに伝え、それを吸収した彼らが、洗脳されてしまうのを危惧した。

自分が何かをなしたい、と強く願った時。自分が狭く、小さいままであったなら、出される手段と答えは、それに比例してしまう。

自分はもう後悔はしていないが、せめてそのことを理解していたならば。違った結末もあったかもしれない、とアーチャーは思ったのだった。

だから、自分らしくないと自覚しながらも、これは度の過ぎた世話である。この空間は、そういった意見を打ち出す場ではない。それらも解っていながら敢えて発言した。

問題を解決する手段は、一つではない、と。

 

 

「……でも、私は魔法がうまくなりたいの! 今は出来ないけど、出来るようになりたいの‼ だから、邪魔しないでよっ!」

 

 

が、アーチャーの思いは少女に、届くことはなかった。

彼女の境遇、学校での扱いなどは聞いていた。

重ねる努力に見合わぬ評価。周囲から向けられる呆れにも似たなにか。

そんなルイズの姿に、かつての自分を幻視してしまったアーチャー。だが、だからと言って、この発言は、

 

 

(らしくない……本当に、私らしくない…)

 

 

いつもの自分なら、こんな発言はしない。

不用意に外敵をつくるような真似はしない。

だがしかし、目の前のこの少女の為と心で思った瞬間、それは実行に移された。

何かにせっつかれるようにだ。

アーチャーが自身の心でそんな疑問に自問自答していると、ルイズがそんな思考を遮るように口を開いた。

 

 

「次の講義には、出ないで。いいえ、出るな。これは、主人としての命令よ」

 

 

口にされた言葉に一抹の寂しさを感じながらも、それはそれで、彼女らしいのかもしれない。得心はいかないが納得してしまったアーチャーは、

 

 

「……了解した」

 

 

その命令を了承した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきの人……」

 

「何? どうしたの、タバサ?」

 

 

授業が終わり、皆が退出し、次の講義に備えて移動していく中、タバサと呼ばれた青い髪と青い瞳を持った小柄な少女は、読んでいた本に栞を挟み、呟いた。

その呟きを「ダーリンったら、なんて理知的なのかしら……!」と悶えていたキュルケが拾った。

この学年では一番タバサの人となりを理解しているキュルケは、純粋に驚いた。何故なら普段無駄口を全くと言っていいほど叩かないタバサが、呟きを漏らした。それも、ある特定の人物についてのだ。

そこまで考えたキュルケは、ある答えを邪推する。

 

 

「まさか、タバサも好きになっちゃった?ダーリンのこと」

 

 

キュルケの思考回路を回った情報は、そこに一組以上の男女が含まれていれば、自動的に色恋沙汰へと変換される。

 

 

「違う……」

 

「じゃあ何よ?」

 

 

自分で考えるのが面倒になったキュルケは、タバサに直接訊いた。

 

 

「あの人、少し気になる……」

 

「それって好きになったってことじゃない?」

 

 

悲鳴を上げるようにキュルケはタバサの発言に突っ込んだ。

だが、その反応にタバサはふるふると首を横に振る。

 

 

「……違う。そういうのじゃない」

 

「じゃあ、どこが違うっていうの? 何を根拠に、それを否定するの?」

 

 

質問に質問を重ねるキュルケを無視し、もはや話すことは何もないとばかり席を立ったタバサ。

それを追いかけ、キュルケは教室の外へ出た。次の授業は、この土の塔の隣にある水の塔。だが、タバサはその水の塔への道を逆行し始める。

 

 

「タバサ、どこ行くのよ! 次の教室は反対方向よ?」

 

 

 

その叫びを聞いてもなお、タバサの歩みは止まらない。

 

 

「本当に、どうしたっていうのよ」

 

 

途方に暮れたキュルケは、ああ、もう!と癇癪を起したが、次の瞬間にはタバサの後に続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてしまったのだ、私は」

 

 

アーチャーはルイズの命令に従い、授業には出席せずに自問自答を繰り返していた。

じゃぶじゃぶと、彼女の洗濯物を手洗いしながら。

 

 

(私は、思ったことをすぐに口に出す人種ではなかったはずだ。だが、あの場では言わねばならないと、そう思った。いや……そうじゃない。思った? 私は、本当にそう思ったのか?)

 

 

確かに、あの魔女は目的と手段を誤認していた。あろうことか、自分の手段が目的そのものかのような口ぶりで生徒たちにそれを教えようとした。

だが、それがなんだ?

わざわざそれをあの場で告白する必要が、どこにあった?

アーチャーは、自問自答を繰り返す。

洗濯物を手洗いしながら。

 

 

(いや、あの発言は必要だ。何故なら、それがルイズのために……まて、そもそもなぜ私は会ってそれほど間もない少女に、そこまで肩入れしている……? 私は、かつての理想を再度追い求め、突き通すことを決めた。だが、だとしても、いや。だからこそ)

 

 

はたと気づく。

何故自分は、彼女をそこまで大事に思っている?

いや、それはかつての自分と、かつてのマスター()に似ていたから―――――だから、なんだ。

ルイズ(彼女)彼ら(士郎と凛)は別人だ。

頑張ると約束したから―――――ちがう。それは、己の理想と向き合い、尚且つ自身の救いを得ると、そういうものだったはずだ。

 

 

「何なのだ、一体……‼ これは……‼」

 

 

――――ズキン。

 

 

頭に鈍痛が走る。

今考察したもの全てをまっさらに戻そうと、何かが頭を這いずりまわる。

何だ、これは何だ。

深く、答えを得ようとすればするほど、頭痛は酷くなる。

鈍痛から鋭痛。鋭痛から強痛、激痛へと、それは変わる。

 

 

(く、そ……‼)

 

 

解析、開始(トレース・オン)

 

 

―――魔術回路二十七本確認―――

 

 

 ―――動作可能回路二十七本正常―――

 

 

 ―――魔力量正常―――

 

 

 ―――身体に損傷個所なし―――

 

 

 ―――神経、内臓等も損傷個所なし―――

 

 

 ―――身体機能の異常なし―――

 

 

そして、ついに答えに至る。

 

 

――――警告 ルーン魔術による、精神の浸食を確認――――

 

 

今まで恩恵しか与えられていなかった。

が、やはりリスクは存在し、今もアーチャーを苛んでいる。

 

 

(修復、開始……‼)

 

 

――――精神の構造を把握。浸食箇所を発見。修復、開始――――

 

 

――――精神修復、正常終了――――

 

 

精神が、安定する。

頭痛が収まり、思考が戻ってくる。

 

 

(収まった、か。……ルーン魔術による、精神浸食……)

 

 

いつの間にか押し当てていた手を顔から離し、頭痛の過程とその原因から、推理する。

頭痛は、ルイズとの主従を疑ったことから始まった。

そして、関係を疑い、主従の絆にも疑念の目を向けたことにより痛みは激化。

激化したその時点で、解析の網にかかった。

つまり、

 

 

(このルーンが、私の精神を浸食し、想いまでも書き換えた、と?)

 

 

摩耗した記憶の海から、精神系の魔術を掬い上げる。

記憶を簡易的に封印するもの。記憶を改ざんするもの。そもそもの精神そのものを吹き飛ばしてしまうもの。

その方法は多岐にわたる。だが、記憶の改ざんは余程強力なものでなければ、ふとした拍子に揺り戻しが来る。精神の直接攻撃は論外。

であれば、アーチャーがアーチャーたりえる要素と記憶を改ざんではなく、ある一定の尺度により意識を一定の方向へ誘導するというもの。

 

 

(……使い魔は、一度契約を交わせば、主人に絶対服従。だが、人間の使い魔などルイズは知らなかった。そして、ハルケギニアの歴史からも、存在は確認されていない。……あそこにある資料が学院の全てであればだがな)

 

 

交わした契約で、使い魔を縛る。そして、縛った使い魔を使役し、益と成す。

その過程は、まるでアーチャーがその身に受けたサーヴァントのマスターと、令呪の呪いに酷似していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その四

 片手に本を抱えた小柄な眼鏡少女は、頑丈そうな石造りの廊下を歩いていた。

 かつかつと、規則的な靴音が二対。

 

 

「ねえタバサ。どこに行くの?」

 

「……あの人のところ」

 

 

 訊かれたから応えた、とばかりに必要最低限の言葉を返す眼鏡少女、もといタバサ。

 その答えを半ば予想していた二対の内のもう一対。この年代の少女とは思えないほどに妖艶な雰囲気を纏った少女、キュルケ。

 キュルケは豊満な身体を揺すり、はあ。と溜息を吐いた。

 

 

「まあさっきの発言からして、そうだとは思ってたけど。でも、ダーリンがどこにいるかわかるの?」

 

「……探せばいい」

 

「つまりはどこにいるかわからないのね……」

 

 

 再び、はあ。と溜息を吐く。

 タバサがマイペースで、かつ外聞や細かいことを気にしない性格なのは、前々から知っていたキュルケだったが、今回のそれは輪をかけて酷かった。

 授業をサボった。

 言葉にすればそれだけなのだが、この学院には入学したくても出来ない下級貴族の子等が少なからずいる。

 その為、この学院の授業を欠席する者など、殆どいない。

 別に、キュルケは勤勉ではない。なので、正直に言えば授業は面倒で、サボってしまいたいと日常的に思う事もある。だが、貴族たるもの優秀なメイジたれ、という言葉が飛び交うぐらいにはここハルケギニアでは、メイジとしての力は貴族大きな武器の一つである。

 メイジの実力はそのまま自分への評価へと直結する。だから、授業に対する態度は皆真摯であり、真剣である。中には研究の為に学んでいるという変わり者もいるが。

だがしかし、

 

 

「まあ、ダーリンも結構な事を言い出したものよねぇ……そこがまた素敵なんだけど!」

 

 

 頬に手をあて、うっとりとした表情でのたまうキュルケ。

 平常運転である。

 それはともかく、ルイズの使い魔として召喚された平民、アーチャーはとんでもない爆弾を投下していった。

 

 

 

 

 

 

 

『別に一系統なくても、多少不便なこと以外は問題はなく、魔法そのものの存在には綻びは生じない。だが、あれば便利。効率がいい。互いの欠点を補いあうこともできる……つまり、四系統は全て、同価値である、ということです』

 

 

 

 

 

 

 

 言いえて妙である。

 それを聞いた直後は、メイジたちは何かを考えこみ無言が教室を支配していたが、アーチャーとルイズが退出した後に。

 その理論には破綻がある。

 と、クラス中から声が上がり、所詮平民だ。魔法が使えない平民が、何を偉そうに。きっと俺たちに嫉妬しているんだ。と、大体こんな感じの結論にまとまった。

 だが、タバサだけは違った。

 いつもは授業に出席はするが、我関せずのスタンスを貫き、終始読書をしているタバサ。

 そのタバサが、途中から読書の手が完全に止まっていた。

 途中、つまりは丁度アーチャーの発言のあたりから。

 

 

(普段この子が関心を示すのは、本か強力な魔法についての事だけ……そのタバサが……これは本格的に、ひょっとしてひょっとするかも……!)

 

 

 乙女、というか下世話なレベルの邪推をするキュルケ。

 そんな事を知るはずもないタバサだが、ふとそんなピンク色の思考に反応したかのように、その足が急に止まった。

 妄想と現実の狭間を行き来していたキュルケは、その急停止に反応しきれず、タバサにぶつかる。

 

 

「いたっ! ちょっとタバサ、急に止まったら危ないでしょう!?」

 

「……あそこ」

 

 

 

 完全に自分に非があるにもかかわらず逆切れしていたキュルケは、タバサが指さした方向を向くと、そこには窓があり、ガラスを隔てた向こう側に中庭の様子が見て取れた。

 

 

「なによ……って、あれってもしかして、アーチャー?」

 

 

 そこには、水場でせっせと洗い物をこなすアーチャーの姿があった。

 広いようで狭いんだなーこの学院は、と完全に場違いな感想を抱くキュルケだったが、まあ、何はともあれ見つかったのだから結果オーライ。

 

 

(でも、あのタバサが興味を示すなんて、一体どんな言葉が飛び出すやら……)

 

 

 目標を見つけたタバサは、迷うことなく窓を開け、窓枠に足をかけて外に出た。

勿論、マナー違反である。

 幸い授業中なのでそれを見咎められることはないだろうと自分に免罪符をかざした後に、キュルケも便乗して窓から外へ出る。

 近づき、声を掛けようとしたその時、キュルケは思考が停止した。

 

 

「へ?」

 

 

 

 そこには、アーチャーがいた。

 それは間違いない。だが、そこには変態もいた。

 主人の下着を顔に押し当て、苦悶の表情を浮かべるアーチャー。変態だった。変態はしかして、アーチャーであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今までメリットのみが観測されていた、左手甲のルーン魔術。

 しかし、世の中メリットだけのうまい話などあるはずもなく、まさに魔法級とばかりの恩恵に見合った代償が用意されていた。

 それが、精神浸食。いや、精神汚染と言い換えても差し支えはないだろう。

 力の底上げと言語の補助。その代わりに契約を交わした主に絶対服従とはいかずとも、主に好意的な印象を抱かせる。また、思考を改ざんではなく誘導し、冷静な思考を吹き飛ばして行動に移してしまう。

 そう、少し前の自分のように。

 

 

(……恩恵ばかりで、害がなかったこと疑わなかったわけではないが、流石にこれは看過しかねるな……)

 

 

 そう判決を下したアーチャーは、とある宝具の設計図を脳内に広げる。

 破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 さきの聖杯戦争でキャスターとして召喚されたギリシャの魔女が所持していた、剣型の宝具である。

 その形状はおおよそ類を観ないほど奇怪で、つるまきばねの出来損ないです、と言われれば納得してしまうような複雑屈折剣である。しまいには切れ味は普通のナイフと同程度であるが、その形状から果物を切るには少しばかり性格が悪い。

 さて、ここまでかのルーン魔術とは反対にデメリットばかりを列挙していったが、世の中デメリットのみの事象や道具などはそうそう存在せず、したとしてもそれは、通常よりも大きな意味を持つことが多い。

 デメリットばかりのこの宝具。やはりそのデメリットを推してもおいしいメリットがある。それは、

 

 

(あらゆる魔術を初期化する、か……改めて考えなくとも、とんでもない宝具だ)

 

 

 自身の固有結界のことは棚上にあげるどころか、棚の奥に増設した隠しスペースに押し込んだアーチャーは、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)の効果を加味し、自身の左手甲に刻まれたルーン魔術にそれが通用するかを推理する。

 

 

(この世界の魔法が、魔術とは全く違う体系から成り立っているのは理解した。……がしかし、自身の魔術がきちんと動作するのも確認したのだ。であれば、令呪などという規格外の代物を断ったのならば、こちらの系統外の契約を破棄するぐらいどうということはないはずだ)

 

 

 契約を破棄、という部分に反応したのか、ルーン魔術がここぞとばかりに攻撃を仕掛けてくる。

 頭痛に顔を顰め、自然と手が額を掴む。

 

 

(……ッ! 修復開始……! ……っと、これは中々面倒な。先の案を実行するにしても、精神修復と同時並行で行わねばならないか)

 

 

 先の案、と要点を誤魔化すと、ルーンは反応せずに大人しく静観しているようだった。

 つまりは、直接的な表現を用いなければ、強力な精神汚染は行われないようだ。

 だが、常時こちらの精神を見張られているのは中々によろしくない。はっきり言って、不愉快だった。

 と、そんな時、

 

 

「もーダーリンったら、そんなに女性ものの下着が恋しいんだったら、私のをプレゼントするのに……‼」

 

 

 自身の内部に集中していたせいか、外部への警戒がまたも途切れてしまっていた。

 不覚、とアーチャーは死してなお自身の未熟を恥じ、声の主へ向き直った。

 

 

「……何か用かね? ミス……キュルケ?」

 

「そういえば、ちゃんとした自己紹介はまだでしたわね、ミスタ?」

 

 

 そこにいたのは、今朝ルイズと言い合いをしていた赤毛のメイジと、教室の隅で授業中にも関わらず読書をしていた青い頭髪特徴的な眼鏡の少女だった。

 そして、赤毛のメイジ、確かルイズはキュルケと呼んでいたそれは、急に佇まいを直し、スカートの端をつまんで軽く頭を下げた。

 

 

「ゲルマニアの貴族、ツェルプストー家の長女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。二つ名は「微熱」。微熱のキュルケですわ。……お気軽に、キュルケとお呼びくださいませ?」

 

 

 先の軽薄な態度とは打って変わった貴族っぷりに、アーチャーはしばし呆れていた。

 きっと、このようなに様々な仮面と自慢のプロポーションによって、数多の男どもが涙に枕を濡らしたのだろうと、簡単に察することが出来た。

 

 

「わかった、よろしく頼むキュルケ。……私のことは、ダーリン、などという代名詞以外ならば、好きに呼んでくれたまえ。まあ、アーチャーという呼び名が定着し始めているようなのでな。呼び名の統一により、やはりアーチャーと呼んでくれたまえ」

 

 

「ええ、分かったわ。ダーリン♪」

 

「理解した。貴女は話が通じないタイプの人間なのだな。……話が通じないならば、通じないなりの会話というのもありだが、その前に。私が女性ものの下着に飢えている、などという不名誉な発言に対して、異議を申し立てたいのだが?」

 

「ええ? だってダーリン、あなたさっきまでルイズの下着を顔に押し付けていたじゃない。これが下着に飢えていると言わずに、なんというの?……まあ、でも、肉食系のダーリンも、ス・テ・キ♪」

 

「……ああ、そういえば確かに、頬に冷たい感触を感じていたな……」

 

 

 回想してみると、確かに手を額に押し当てていた時に、冷たい感触がやけに広範囲に広がっていた。

 なるほど、その感触は現在進行形で洗濯している主人の下着のものだったらしい。

 

 

「……いや、すまない。そういった邪な気持ちは一片たりともなかった。……ただ、突然頭痛に襲われてな……ああ、今現在、別の理由でも頭痛に襲われている…」

 

「つまりは、邪な考えはなくて、純粋に下着を堪能したかったと?」

 

「そうじゃない。いうなれば、あれは事故なんだ……だから、私が一部業の深い人間などではなく……」

 

 

 と、アーチャーがみっともなく言い訳を続けていると、そこに眼鏡の少女が言葉でもって介入した。

 

 

「……タバサ」

 

「……タバサ? 君の名前かね?」

 

「そう」

 

「あ、あのタバサが、自己紹介をしている!?」

 

 

 突然に会話に飛び込んできた小柄な少女、タバサはシンプルに名前だけを告げる。

何故かそのことにキュルケは驚き、先の会話の内容をすっかり忘れ、「ほ、本当にあなたタバサ?じ、実は偽物だったりして……いえ、これは本格的にダーリンのことを……」などと一人の世界に没入してしまった。

 アーチャーとしてはありがたいのだが、このキュルケという貴族は、二つ名を「微熱」と言ったが実は「急熱」だったりしないのか、とあまりのテンションの上下に若干引き気味だった。

 そんな事は些事だ、とばかりにキュルケを押しのけ、タバサは髪とお揃いのその青い瞳でアーチャーを見据え、率直に尋ねた。

 

 

「……あなたは、何が言いたかったの?」

 

 

 言葉数は少なかったが、率直であり、曲がり一つない言葉の意図をアーチャーは察した。

 ルーン魔術のデメリットによって零れた本音に、何かを感じ取ったのだ。この少女は。

 

 

「……君たちの授業の邪魔をしてしまったようで、すまなかったね。あれは自分に酔った愚か者の戯言だ。気を留める必要はない」

 

「……何が、言いたかったの?」

 

 

 あれは確かに本音であったが、自身の言葉を押し付けていると自覚した今、それを改めて話すことなど、できようか。いや、出来ない。

 そう考え、気にするなと言葉を並べたアーチャーだったが、タバサは引かず、なおも答えを求めた。

 瞳と瞳が見つめ合い、しばしの時間が流れた。やがてアーチャーは嘆息し、

 

 

「解った……これは、愚かな平民の独り言だ。……魔法は、目的じゃない。手段だ。目的に至るまでの手段は、まさに星の数ほどある。……だが、大きな光にかき消された星もある。なに、それだけさ」

 

「……そう」

 

 

 アーチャーの独り言を聴き終えたタバサは、未だにトリップしたまま戻ってこないキュルケをよそに、その場を後にし、水洗いが済んだアーチャーも桶を抱え、物干し場へと向かった。

 その場に残されたのは、未だにピンク色の妄想を吐息と共に吐き出すキュルケのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学園長、来週に差し迫った品評会についてなのですが……」

 

 

 ミス・ロングビルは、今日も今日とて処務に追われていた。

 毎日毎日、魔法学院では彼女を忙殺せんと、様々な書類が持ち込まれ、捌かれていった。

 その中でも特に差し迫った案件と言えば、使い魔のお披露目、品評会であった。

 

 

「院内全域の清掃、壊れてしまった城壁の修理、貴賓席の準備。そして、晩餐会の支度まで、ミスタ・コルベールの指揮の下、全て滞りなく進んでおります……学院長?」

 

「あ、ああ。ええと、品評会の件であったの。それについては、後で書類は既に確認済み。あとはその日を迎えるのみじゃ……」

 

 

 と、報告を済ませていた彼女だったが、昨日から学院長オスマンの様子が、どうにもおかしい。

 何故か、と問われれば。―――――――――真面目なのだ。

 質問された事項には率直に答え、仕事は過剰なまでのクオリティで仕上げる。その上娯楽などには一切手を出さず、常に賢者のように椅子に座ったまま動かない。ミス・ロングビルへのセクハラも皆無。

 並べてみれば、この魔法学院の長たる者の振舞いそのもの。

 これは異常事態である。

 つまり、学院長がまともであることが、まともではない証拠だった。

 

 

「それと、当日の姫様の護衛についてなのですが……」

 

「そ、それについては、宝物庫の衛士を姫様の近衛兵と連携させればよかろう……」

 

 

 オスマンは若干言葉につかえながらも、意見を述べた。

 筋は通っているので、特に訝しむ必要はないのだが、

 

 

(明らかに、姫様という単語に反応したわね……)

 

 

 ミス・ロングビルは目ざとくその事に気づき、心のメモに書き足す。オスマンは姫様、又は王族に後ろめたいことがあると推測される、と。

 その上で、揺さぶりをかける。

 

 

「ですが、オスマン学院長。それでは宝物庫の守りが手薄になってしまいませんか?近頃、土くれのフーケとかいう泥棒が、この学院の宝物庫を狙っている、というのを耳にしまして」

 

「何、問題なかろう。あそこはトライグルクラスのメイジが何人も束になって固定化と対魔法結界を施しておる。衛士も王宮へ体裁を繕っているにすぎん。いかに土くれのフーケといえども、あの守りを突破するのは不可能じゃろうて」

 

「そうでしたわね……」

 

 

 沈黙が訪れる。

 明らかに不自然な沈黙が。

 そして、その沈黙は意外な人物によって破られた。

 コンコン、と扉がノックされ、来客を知らせた。

 

 

「入りなさい」

 

「失礼いたします!わたくし、郵便師のメンビルと申します!ミス・ロングビル宛に、お手紙でございます!」

 

 

 入口でビシと敬礼を決めた青年は、要件を伝えた。

 すると、ミス・ロングビルは私に?と自身を指さし、確認を取る。

 そうです、と返したメンビルは大きく膨らんだ黒い革製のバッグの中身をまさぐり、一通の手紙を取り出した。

 便箋を受け取り、受領書にサインをさらさらと流した後、では! と威勢よく挨拶を終え、メンビルは退室した。

 

 

「珍しいの。ミス・ロングビル宛に手紙とは」

 

「え、ええ。誰からでしょうか……ああ、あの子でしたか」

 

「あの子とは?……ああ、何。言いたくなければ言わんでよい」

 

「いえ、あの子……彼女は私の妹のようなもので、たまに手紙を送ってきてくれるのです」

 

「……ほう。なるほど」

 

 

 それ以上は何も言わず、オスマンは手元の書類に目を戻した。

 やはり、おかしい。そう思いながらも、詮索されないのはありがたい、とミス・ロングビルは様子のおかしいオスマンに首を傾げながらも、自身のデスクに戻り、手紙を開いた。

 

 

(……あの子は、変わりないみたいね。子供たちも元気でやっているみたいね……ああ、また子供を拾ってきたのね、あの子は……黒い髪で、ボロボロの恰好だった、か。……でもまあ、それ以外は特に何事もなく、皆元気に暮らしています、か。……ええ、あなたは平和でなければならない。だからこそ、私は、やらなくてはいけない)

 

 

 手紙を読みながら、彼女は心を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その五





ルーンの性質に触れ、その後ルイズのクラスメイトにあらぬ疑惑を掛けられたアーチャー。

彼が本当に女性用下着に欲情するような真症の変態であれば、弁解の余地はないのだが、生前も死後も、そういった趣味は持ち合わせていなかったので、些か不本意である。

が、元はと言えば周囲を警戒を怠った、自身の身から出た錆である。本日二度目のうっかりである。

 

 

(……実はこのうっかりもこのルーンのせいではあるまいな?)

 

 

と、ルーンを逆恨みする。だが、流石に不運を付与するならともかく、遠坂家秘伝の呪い「うっかり」をルーンに仕込むのは、高度に無駄というか究極的に無意味である。

まあ、幸いあの二人とは今後積極的に関わる予定はなく、過ぎてしまったことであるし、致し方ないか。と、アーチャーは無理矢理自分を納得させた。

そうして、水洗いの終わった洗濯物を手馴れた様子で物干しにかけていく。

赤い外套を羽織り、傭兵然とした男が慣れた手つきで洗濯物を捌いていく様は、傍から見れば中々にシュールにである。

 

 

「よし、こんなこところか」

 

 

そして瞬く間に全てを干し終えたアーチャーは、納得のいく出来栄えだったのか、一つ頷くと空になった籠を抱え、踵を返し部屋に戻ろうと足を踏み出した。

すると、返したその先に、今朝うっかりをやらかして少しばかり強引な説得に及んだメイド(たしか、シエスタと言った)がこちらに進んで来ていた。

その姿は自身の身長を大きく超えるほどに積み上げられた洗濯物で隠されていたが、アーチャーは人よりも少しばかり特別製な目で、時折洗濯物と洗濯物の間から覗く黒い髪を見つけ、今朝のメイドであると判断した。

流石にそれは横着が過ぎるのではないか?とアーチャーは助言したくなったが、先程いらぬ世話で主人から説教を食らったばかりであったため、自重することにした。

したのだが……

 

 

「んしょ……んしょ…っとと、あ、とと」

 

 

ふらふら、ゆらゆら、と足取りと洗濯物が揺れること揺れること。

それでも、それなりに場数を踏んでいるのか、右に、左に、絶妙なバランス感覚で洗濯物の塔を倒壊させずに、こちらまでたどり着いた。

アーチャーはさっさと立ち去るつもりだったのだが、その危なげな運送がどうにも見ていられず、立ち去る機会を逃してしまっていた。

それがいけなかったのか、そもそもシエスタが横着をしたのがいけなかったのか。

まあ、どちらも悪かったとしか言いようがない。

 

 

「んしょ……あ…」

 

「ん?」

 

 

ふと、目が合う。

すると、少女は歩み止め、アーチャーと視線を交換する。暫くそうしていると、今朝のアレを思い出してしまったのか、徐々に顔が朱に染まってゆき、口が小さく開閉する。

 

 

「……あ、ああ……あ!」

 

 

その小さく開閉する口から声が漏れたかと思うと、次第に四肢が震えだした。

震え出した四肢のせいで、洗濯物が揺れる。そのせいで、何もない平地で足を絡ませ、躓いた。

 

 

「あっ!」

 

 

やってしまった!という顔で朱から蒼に変わった顔で、シエスタの身体が前方に倒れていく。

こんなことなら、横着せずに小分けにして運んでいくんだった!とギュッと目をつむりながらシエスタの顔に浮かぶのを見て、アーチャーは嘆息し、

 

 

「何をやっているのかね…」

 

 

倒れゆく身体を右手で絡めとるかのように優しく支え、左手で洗濯塔のバランスを取った。

それだけならば、ありがとう。どういたしまして。の二文でことは終了するのだが、そこは流石、というべきなのか。

回された右手は、たわわに実った少女の果実を上から押しつぶすかのようなポジションを取っていた。

 

 

「ああ、すまないね。まあ、怪我はなく洗濯物も無事だったのだから、安い出費だと割り切ってもらえると助かるのだが……」

 

 

「……え……あ、ああ! きゃあああああ!」

 

 

そんなことをぼやくアーチャーだが、花も恥じらう年頃の乙女であるシエスタは堪らず声を上げる。

やはりこうなったか、と右手に少女、左手に洗濯物を保持したまま、アーチャーは器用に肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

「まあ、こんなものだろう」

 

「あ、ありがとうございました……!」

 

 

どこかまだ顔に朱を残したシエスタは、大きく頭を下げた。

 

 

「気にすることはない。別にシエスタが私にやれ、と命じたわけではないのだからな」

 

 

シエスタが落ち着きを取り戻し、どこか危なっかしい彼女を見ていられなかったアーチャーは、遠慮するシエスタから半ば掠め取るかのように洗濯物を手分けして片づけた。

 

 

「で、でも危ないところを助けていただいて、更に洗濯物まで手伝ってもらってしまったんですから、何かお礼をさせてください!」

 

 

塔になるまで積み上げられていた大量の洗濯物は、全てきちんと竿に干されていた。

時折風が吹き、洗濯物が靡く。ばさりばさりと、すがすがしさ含んだ音が二人に達成感を運んだ。

別に何もいらんよ、と手を振るアーチャーに、で、でも!と食い下がるシエスタ。

そんな時、

 

 

ぐ~~~。

 

 

と間抜けな音を立てアーチャーの腹の虫が食事を催促した。

アーチャーは今朝の諍いのせいで、今日はまだ何も胃に収めて事を思い出した。今の今まで、大事の前の小事とばかりにそのことを忘れていた。

そんな虫の声を聞いたシエスタは、一瞬きょとんとくす、と小さく口に手を当てて微笑んだ。

 

 

「ひょっとして、お腹が空いているんじゃないんですか?」

 

 

ひょっとしなくてもそうである。

 

 

「今朝から何も食べてはいないが、別に行動に支障が出る程ではない」

 

「でも、お腹は空いてるんですよね?」

 

「そう、だな」

 

 

曖昧に頷くアーチャーに対し、シエスタは手を叩き、

 

 

「でしたら、少しお時間よろしいでしょうか?」

 

 

そこから先は早かった。

あれよあれよという間に洗濯物の後片付けを終え、アルヴィーズ食堂の裏、すなわち厨房へと連行されていた。

朝方のピークが終了し、厨房にはまるで戦場での一時休戦に至福を見出す軍人のような空気が漂っていた。

少し厨房を見回し、アーチャーは舌を巻いた。

整った設備、食材の鮮度管理、衛生管理、それらのクオリティもさることながら、

 

 

(これぽっちの少人数で、あの生徒数を相手取るとは……中々の猛者たちのようだな…)

 

 

自身もよく厨房に立っていた経験からか、料理の苦労は人並みには理解があるつもりだ。

その経験から言えば、いくら設備が魔法等で非常に高い水準で整っていようとも、ここの料理人の人数に対し、生徒の数が多すぎる。

並の料理人であれば、その仕事量から半日で音を上げてしまっても文句が言えない状況であろう。

だが、ここの料理人たちはどうだ。

人数が少ないながらも、これだけの仕事を疲労の表情は見せようとも、文句ひとつ言わずにやり遂げる。

まさに、少数精鋭である。

アーチャーが感心していると、シエスタは声を張り上げ、

 

 

「すみませーん! 料理長マルトーさんはいらっしゃいますか?」

 

 

「おお? どうしたシエスタ? まかないの時間にはまだ早―――」

 

シエスタの声を聞き届けたのか、奥から周りの料理人よりも二回りは大きなコックハットを被った、色黒で大柄な男が現れた。

 

 

「その赤い外套に白い頭髪! あのいけすかねぇ貴族のガキを倒したっていう、アーチャーってのはあんたか!?」

 

 

マルトーと呼ばれた男は、アーチャーをその視界に捉えると、目を丸くして、腹から湧き上がるような大声でアーチャーに問うた。

すると、それを聞いた周囲の料理人や使用人たちは一瞬で顔色を変え、アーチャーの返答を待った。

 

 

「……この学院に、私の他に赤い外套と白髪で、アーチャーと言う人物がいないのであれば、それは私の事だろうな」

 

 

――――おおおおおおお!!!

 

 

その返答を待っていた、とばかりに歓声が沸き上がる。

なんだこれは、と困惑するアーチャーに、シエスタが横から告げる。

 

 

「平民で貴族を倒しちゃうなんて、滅多にないことなんですよ? だから、皆アーチャーさんを尊敬してるんです」

 

「……そう、なのか」

 

 

この世界ではメイジは絶対的基準であり、絶対的戦力と認知されている。

実際、魔法がなければこちらの生活はここまでの水準にはなかったであろうし、まあそれについては、ルーンの精神汚染を拭った今、もう否定する気はない。

だが、己がそこまで尊敬される筋合いはほぼないと思っていたアーチャーは、この場の勢いにただただ圧倒された。

 

 

「それでそれで!? 今日はどんな用件でこっちに来てくれたんだ?」

 

「マルトーさん、アーチャーさんはどうやらお腹が空いているようなんです」

 

「なぁにぃい?――――聞いたかてめぇら!」

 

 

おう!とあちこちで野太い声が上がる。

アーチャーはこの空気に口を挟む機会を失い、促されるまま、厨房の椅子に座らされる。

それを見届けた厨房の雰囲気が一変。エンジンに火を入れたかのごとく人が回り始める。

今日の余剰分を算出し、それで作れる最高クオリティの料理を出せと檄が飛ぶ。

そして、アーチャーが着席してから数分後、

 

 

「さあ、たっぷりと食べてくれ!」

 

「あ、ああ」

 

 

アーチャーの前には、湯気を立て存在を主張するシチューの姿があった。

それを前に、ここで手を付けないのも無礼に当たるとアーチャーは確信し、それを口にする。

瞬間、

 

 

「―――うまい」

 

 

その一言が、口をついて出た。

うおおおお!とまたも歓声が上がる。

料理には人一倍敏感なアーチャーだが、文句のつけようのないくらいの仕上がりだった。

下ごしらえ、スパイス、煮込み時間。その全てを取って、完璧だった。

瞬く間に空腹のアーチャーの胃にその全てが収まり、受け取った布巾で口を拭ったアーチャーは、口を開いた。

 

 

「……マルトー殿」

 

「どうした、何か苦手なもんでもあったか!?」

 

「いや、そうではない。ただ、これほどの料理に巡り合ったのは久しぶりだ」

 

「そうかそうか! ありがとよ、我らが剣よ!」

 

 

豪快に頷くマルトー。

周囲に、弛緩した空気が流れる。

 

 

「いや、こんなもんで良ければ、いつでも食べに来てくれ、我らが剣よ!」

 

「ああ、それは良いのだが…我らが剣というのは?」

 

「あんたは俺らと同じ平民でありながら、あのいけすかねぇ貴族のガキを圧倒しちまうような体術と剣術の持ち主だ。すなわち、俺らの剣ってとこだ!」

 

「いや、別に大したことはしたつもりはないのだがな……」

 

「聞いたか、てめえら! あれは大したことじゃねえらしい! いやあ、貴族とは違って、我らが剣は変にえばらねえのよ!」

 

 

流石は我らが剣だ!ああ、そうだそうだ!と口々に(はや)し立てる周囲に、アーチャーはぽつりと、本当に大したことはしていないのだがな……と呟いたが、それは誰の耳にも入ることはなかった。

わいわいがやがや、と弛緩しきった空気が漂い始めた、その時だった。

 

 

「親方!」

 

 

厨房の入口が乱暴に開け放たれ、年若い料理人見習いが、焦燥に駆られた表情で現れた。

 

 

「どうした、今我らが剣と語り合って―――」

 

「緊急事態です! モッカとフェルト、カールが倒れました!」

 

「何だと!?」

 

 

弛緩した空気はこれまた一変し、周囲はどうするどうする!と狼狽する。

話を聞いていると、どうやらその三人は新人で、夜遅くまで料理の練習をしていたらしく、睡眠不足に過労でついに限界を迎えたらしい。

 

 

「くそ、あいつらほどほどにしとけってあれほど……!」

 

「ねえ、どうするの!? お昼には時間はあるけど、下ごしらえとその時間のシフトが明らかに足りないわよ……!」

 

 

ああでもない、こうでもない、喧々諤々(けんけんがくがく)とするが、解決策は見つからない。

それを静観していたアーチャーは、

 

 

「少しいいだろうか?」

 

 

ピタリと、人の動きが止まった。それを確認し、アーチャーは続けた。

 

 

「つまりは、三人分補えばいいと、そういうことかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









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第四話 誘惑と驚愕 その六

いつの間にかUA数が10000に届きそうなほどになっていた件について。


私のもう一つの作品のUA数とこちらを比べて、一体何が違うんだろうと、日々首をかしげていたり……。


 戦場とは、どこにあるものなのか。

 剣と槍が交わり、火花が多数散れば、そこは戦場なのだろうか?

 それとも、思惑や策略が飛び交う場所が、戦場なのだろうか?

 それとも――――

 

 

 

「四列から六列までの材料のカットが終わった。すぐに持って行ってくれ」

 

「わ、わかりました!」

 

「それから、三列目五から八番の席の料理に少々の遅延だ。急がせてくれ」

 

「了解です!」

 

 

 そこは、まさしく戦場であった。

 鍋と調理器具がぶつかり合い、ガツンガツンと音を立てる。

 経過報告と料理完成の怒号が飛び交い、どれ一つ無駄になることなく周囲へ広がってゆく。

 厨房(ここ)は、まさしく戦場であった。

 その中でも、ひときわ回転の速いスペースがあった。

 

 

「鍋の下準備が終わった。煮込みを開始する」

 

「了解です! 煮込み完了まで二十ミール(ミールは地球での分に値する)!」

 

 

 そこには、赤い外套を脱ぎ、身体に張り付くような黒い革タイツの上から、白いコックコートに身を包んだ弓兵の姿があった。

 彼の周りだけ、三人分ほどのスペースが空いていた。何故かと言えば、新人三人が睡眠不足と過労で倒れてしまったからである。

 少数精鋭であった厨房が、阿鼻叫喚の渦に呑み込まれるのは、道理であった。そこで、その渦中に偶然居合わせたアーチャーは、一宿はしていないが、一飯の恩義ということで、助太刀に入った。

 当初は、一人分でも過酷な作業を、三人分こなそうなど無茶無謀だ、と諌める声が上がったが、現状はどうだ。

 三人分空いたスペース。そこを縦横無尽に、かつ計算された動きで、求められた水準以上の作業をこなしているアーチャーがいるではないか。

 

 

「てめぇら! 我らが包丁(けん)に置いてけぼりにされてるぞ! もっと気合入れろッ!! 勢いは上げろ! だがクオリティは落とすんじゃねぇぞ、わかってんな!!」

 

 

「「「「「はいっ!」」」」

 

 

 料理長マルトーが、野太い声で難題を押し付ければ、見習いたちはそれに負けないほどの熱気で応えた。……何かおかしな表現があったようだが、きっと気のせいだろう。

 その興奮で、たまに見知らぬ調理器具がひとりでに材料を刻んでいるという怪奇現象は、誰の目にも留まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~~」

 

 

 午前の授業が全て無事に終わり、ルイズはピンクブロンドの髪を小さく揺らし、溜息を吐いた。

 一人悶々としながら、廊下を歩くルイズ。

 授業を全て欠席せずに出席し、板書などを完璧に取りはしたものの、全ての授業において、ルイズは集中することが出来なかった。今日は先生との軽い顔合わせで、幸い重要な内容を取りこぼすことはなかったが、これは中々に由々しき事態であると、ルイズは認識していた。

 原因は、言わずもながら、アーチャーのあの発言である。

 

 

 

 

『だから、力を、過信するな。凝り固まるな。力に手段を囚われ、自分の目的とその原動力を、見失うな。それは、自分を狭め、後に自分の首を絞める』

 

 

 

 

 現代魔法に対する、アンチテーゼ。

 魔法は絶対ではない、というあの発言。

 まあ、アーチャーが本当に言いたかったのは、目的と手段を取り違えるな。というものだったのだが、ルイズがそれを理解するには、些か成熟が足りていなかった。

 

 

「何なのよ、もう……」

 

 

 心中に渦巻く、よくわからない(もや)を吐くように、言葉をこぼした。

 何が何なのか、分かっていないが、それが何か重要なもののであることは解ったルイズは、また、

 

 

「本当に、何なのよ……!」

 

  

 言葉をこぼす。

 そんな時だ。

 

 

「料理長マルトーが覚醒したぞー‼」

 

 

 誰かが、そんな事を叫んでいた。

 あまりに場違いで唐突な叫びに、ルイズは思考の世界から引き戻される。

 

 

「何かしら……?」

 

 

 その叫びの発生源へ目を向ければ、そこはアルヴィーズ食堂への入口であった。

 悶々としていたせいか、朝から何も食べていないことに気が付いたルイズ。

 そして、現金なものでそれに意識が向いた瞬間、

 

 

―――キュル、キュルルル……。

 

 

 

「……‼」

 

 

 ルイズの小さなお腹から、まるで鳥の雛が親鳥に餌をねだるかのような音がなった。

 なったお腹を瞬時に両手で押さえ、

 

 

(だ、誰かに聞かれてないわよね!?)

 

 

 周りを確認するが、ルイズの方を向いている貴族など、誰もいない。

 その代り、皆食堂の方へ向いたまま、目をつむり、すんすんと鼻を鳴らしていた。

 はしたない、と切り捨てるのは簡単だったが、普段かぎ慣れている匂いに、なぜそこまで反応しているのかと、ルイズは疑問に思い、恥じらいながらも、自身も小さく鼻を鳴らす。

すると、

 

 

 

ブワアアァァアア!

 

 

 

 そんな擬音がつきそうな強烈で、鮮烈な食の香りが身を刺した。

 そして、その匂いにつられ、食堂へ入る。

 慣れた足取りで自分の席に向かい、たどり着いたところで着席する。

 そこには、見慣れた昼食の姿。だが、それは見慣れていながらも、どこか異彩を放っており、いそいそとナプキンを広げ、席に着く。

 見れば、周りも同じように席に着き、始祖ブリミルと女王陛下へのお祈りを待っていた。

 

 

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今昼もささやかな糧を与えたもうたことを感謝します」

 

 

 皆が手をあわせ、祈りを捧げ、料理を口にする。

すると、

 

 

「うあああ! 何だこれは!」

 

「こんな料理、実家でも食べたことがないわ!」

 

「うまい、うまい!」

 

 

 貴族ということを忘れ、料理に夢中になった。

 ルイズは、その反応をみて少々怖くなったが、次第に空腹と興味心に負け、料理を口にする。

 そこから先を、ルイズは覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を終え、皆が呆然と、恍惚とした表情で食堂を後にする中、ルイズはアーチャーも食事をとっていないことを思い出した。

 

 

「あいつ、どこ行ったのかしら…?」

 

「あいつ、というのは君の使い魔の事かね? それならば、今君の真後ろにいるがね?」

 

「……へ?」

 

 

 思わぬところからの返答に、ルイズは間抜けな声を漏らした。

 頭から降って来た声をたどり、恐る恐る視線を上げる。

 すると、椅子の上から、覗き込むように、褐色と白髪が覗いていた。

 

 

「うひゃあ!」

 

「っと」

 

 

 突然のアーチャーの登場に驚き、椅子ごとひっくり返りそうになり、わたわたともがくルイズだが、すかさずアーチャーが倒れないように椅子を元の位置へと押し返した。

 

 

「大丈夫かね?」

 

「え、ええ……じゃなくてっ!」

 

 

 驚きで心臓がばくばくと脈打っている音を聞きながら、ルイズは椅子から立ち上がり、アーチャーに詰め寄った。

 

 

「あんた、今までどこにいたのよ?」

 

「授業に出るな、と主人に仰せつかったのでね。洗濯物を干して、成り行きで厨房の手伝いをしていた」

 

「待って、洗濯物はまだ理解できるけど、どうしたら成り行きで厨房の手伝いになるの?明らかに過程がすっとんでるわよね?」

 

「そうだな、話せば長くなるが……」

 

「具体的には?」

 

「そう、あれは料理見習い三人が、村を発つところから……」

 

「あんたの話が厨房の昔話にすり替わってるんだけど!?」

 

「ふむ、それは不思議な話だな……」

 

「不思議なのはあんたの頭の中よ!」

 

 

 ぜえ、はあ、と息を切らすルイズ。涼しい顔のアーチャー。

 この図からは考え付かないだろうが、アーチャーは彼女の使い魔である。

 と、息を整えたルイズはそこでとあることを思い至る。

 

 

「もしかして、だけど……今日のお昼って、あんたが作ったの……?」

 

「それは正確ではないな。これだけの量を単独で作るのは困難であり、事実、これらの殆どは厨房のコック達が調理したものだ。……まあ、多少私も手を加えたりもしたがね?」

 

 

 つまり、今回のこの騒動は、アーチャー(こいつ)のせいであるらしい。

 今まで授業中に悶々としていたことを、ルイズは一時脳の隅に追いやり、

 

 

「あんた、いったい何者なのよ……」

 

 

 心の底からそう思い、それを口に出した。

 

 

「言っていなかったかね? 私はしがない、弓兵だよ」

 

 

 因みに世間一般の弓兵は、素手でゴーレムを砕いたり、貴族の舌を唸らせるどころか、意識を飛ばさせるようなことはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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幕間 抵抗

 とある弓兵のおかげで、貴族たちが意識をフライアウェイさせた昼の出来事。

 人々は、その事件を『マルトーの覚醒』と呼んでいる。この字面からわかるように弓兵のその密かな暗躍は、厨房と彼の主の間でのみの認識になっている。

 料理長のマルトーは、彼の活躍を大々的に公表しようと試みたが、当の本人が目立つのは苦手だ、と言ってしまっているので、それ以上何も言えなかった。

 主の方はと言うと……まあ、学友が少ないとだけ言っておこう。察してくれれば幸いである。

 因みに夕食の方はいつも通りであり、貴族たちはやはり昼のアレは数年に一度の奇跡だったのか……と勝手に解釈してくれている。

 閑話休題。

 現在、午後の授業は何事もなく終了し、アーチャーはルイズの自室の藁束の上で座禅を組んでいた。

 両足の内腿を天井に向けて足を組み、手は組んだ膝の上に預けた。

 別段彼は仏教徒というわけではなかったが、今から行う作業はこの姿勢が一番適していると判断し、この体勢となっている。

 

 

(では、始めようか……)

 

 

 心中で呟いた彼は、目を閉じて周囲に意識を薄く広く染み込ませてゆく。

 

 

(このフロアにいるのは、私と、隣室のキュルケ。そして名も知らぬ貴族が他に三人といったところか……ルイズは、まだ湯浴みから戻ってくる兆しはない)

 

 

 部屋の四隅に小さく描かれた魔法陣に意識をやり、異常がないことを確認した。

 

 

(人払いの結界を簡易的に張った甲斐はあったようだな……)

 

 

 彼が張ったのは簡易的な人払いの結界。

 部屋の四隅に魔法陣の描かれたガラス板を媒介に、この部屋には用はない。だから近づかない。とそんな簡易的な結界を張った。

 勿論、意識を少し誘導する程度なので、確たる意思を持って抵抗するか、魔術を用いることで、簡単に突破できる。

 何故、もっと強力な結界を張らなかったかといえば、アーチャー自身が魔術を不得手としていることもあるが、もしかすると何かしらのセンサーに引っかかってしまうかもしれない、という今更ではあるが一応の懸念。

 まあ、投影を行使した際に何も感知されていないので、こちらは保険程度である。

あと一つ。範囲はそこまで広くなくてもいい。何故か。

 主人は友達が少ない、とこの一文から察してもらえればいいだろう。

 さて、結界の規模と強度についての疑問は解消されたが、そもそもなぜこのような結界を張っているかと言えば、

 

 

―――解析(トレース・オン)

 

 

―――魔術回路二十七本確認―――

 

 

 ―――動作可能回路二十七本正常―――

 

 

 ―――魔力量正常―――

 

 

 ―――身体に損傷個所なし―――

 

 

 ―――神経、内臓等も損傷個所なし―――

 

 

 ―――身体機能の異常なし―――

 

 

――――ルーン魔術による精神汚染は確認されず――――

 

 

 

(まあ、まだだろうな……)

 

 

 

 結果を加味し、作業を続ける。

 

 

 

 

――――精神構造を解析――――

 

 

――――解析終了。続いて、汚染を受けた箇所を過去のログから算出――――

 

 

――――算出完了。行動原理の分野に多く干渉。また、庇護の感情にも汚染の記録を確認―――

 

 

 

 

(さて、洗い出しは完了した……次は、どこまで出来るか……)

 

 

 

 

―――――過去の干渉データから、ワクチンを生成――――――

 

 

――――生成完了――――――

 

 

 

 そう、アーチャーはこのとき、彼の精神を浸食したルーンの干渉から、自身を守るための対策を講じていた。

 

 

 

(対策、と呼べるのかどうか微妙だな……どれ、実験してみるか)

 

 

 試しに、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)で彼女の刻んだルーンを消せないかという今朝の案を脳内で思考してみる。

 すると、

 

 

 

 

――――ルーンからの精神汚染を感知――――

 

 

 

(やはり来たか……!)

 

 

 

 即座にワクチンを流し込み、干渉を断とうとする。

 

 

 

――――ワクチンを適用―――――

 

 

――――精神汚染の遅延を確認。停止まであと五秒――――

 

 

 

(行けるか……?)

 

 

 

 ファイブカウントにかすかな期待を乗せ、作業を続行する。

 

 

 

――――四―――――

 

 

――――三―――――

 

 

――――二―――――

 

 

 

―――ルーンの精神汚染が再開されました―――――

 

 

(ダメか!)

 

 

 ズキリ、とさっきまでの報復だ、とばかりに激しい痛みがアーチャーの脳を襲う。

 実験は失敗。即座に思考を停止。精神の修復に専念する。

 幾分経っただろうか。それは完全に収まった頃に、アーチャーは一息ついた。

 

 

(これは、一筋縄ではいかないな……随分と立派な首輪をつけられたものだな、私は)

 

 

 座禅を解き、四隅のガラス板を爪先で割った。パキリ、という破砕音は鳴るが、破片は床に散ることなく、まるでそこには何もなかったかのように四散する。

 はあ、と息を吐き出し、窓からこちらを柔く照らす二つの月を見やる。

 

 

「まあ、今はダメでも今後がダメと決まったわけではないか」

 

 

 現実主義者(リアリスト)の彼にしては、希望観測的な言葉が口から漏れた。

 だが実際、アーチャーはこの世界での事を学院の生徒用に解放された図書館の蔵書でしか知らない。だから、今後このルーンをどうにか出来るかもしれないという希望は一応は維持される。

 それまでは、恩恵をありがたく頂戴しながら、精神汚染という名の隣人と仲良くやっていこうとアーチャーは妥協した。

 

 

(さて、そろそろこの部屋の主が帰還を果たす頃合いか。利子はつかずに汚れが溜まるのだ。洗濯物は溜めず、早めに出してほしいものだな)

 

 

 などと若干所帯じみた皮肉を脳内に浮かべながら、主人の帰りを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 















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第四話 誘惑と驚愕 その七

浴槽に、桃色が広がっていた。

どこに行くでもなく、ただただ湯船の中をゆらりくらりと桃色が揺蕩(たゆた)う。

その桃色の持ち主の心を湯船に移しこんだかのように、行き場もなく、ただただ揺蕩っていた。

 

 

「ぶくぶく……」

 

 

湯船というのは半身浴が基本であるが、今のルイズは半身どころか鼻まで湯に沈めてその温かみを殆ど全身で享受していた。

時折、鼻と口が浮き沈みして酸素を補給してはまた湯船に戻っていゆく。

浮き、沈み、浮き、沈む。

傍から見たら、何をやっているんだろう、この子は。と、心配になるが、安心してほしい。

 

 

(あたし、何やってんだろ……?)

 

 

当人も何をしているか理解していないのだから。

何度かそれを繰り返している内に、だんだん意識が朦朧(もうろう)としてきた為、これは拙いと、ルイズは湯船から身体をざばあ、と浮上させた。

突然身体を上げたものだから、健康的だがややスレンダーな肢体からしぶきが飛び、ピンクブロンドの髪が空気でふわりと広がる。

見るものが見れば、妖精のようだ、とその光景に目を奪われるだろうが、ここは、貴族の令嬢たちが使用する学院共用の浴室である。なので、目はこちらに向くが、しぶきが鬱陶しい、と非難の視線しか飛んでこなかった。

ルイズは少しバツの悪そうな顔をしたが、すぐに湯船から離れ、身体を洗う大理石から削り出した琥珀色が全面に広がり、令嬢たちはその琥珀の中で一日の垢を落としてゆくのだ。

浴槽から上がったルイズは、洗い場の空きスペースの一つへと身体を滑り込ませ、洗い場に備え付けられた宝石に手をかざす。呪文はいらない。魔力を当てるだけで良い。これだけなら、流石のルイズも爆発は起こさなかった。

石鹸を魔法で生み出された水に浸し、十分に濡らした後に、両手で泡立てた。

 

 

「はあ……」

 

 

泡立てながら、湯船で「ぶくぶく……」とやっていた溜息を、こんどは水中ではなく、空中に吐き出した。

しゃかしゃか、しゃかしゃか。

こすればこするほど、石鹸の泡は増え、増していく。

泡立てる間に、ルイズは思考の海へと沈んでいった。

 

 

(なんなのよ、あいつは……)

 

 

今日一日、ずっとルイズの頭にあるのは、彼女の使い魔である、彼の事である。

身体に張り付くような革の服に、血が滲んでいるんじゃないかと思うほど紅い外套。

肌はゲルマニア人のように浅黒く、髪はそれとは逆に、降り積もる初雪のように真っ白だ。

最初は、傭兵か何かかな?と推測していたのだが、使い魔であるという事に文句ひとつ言わず、それどころか自分の求める水準以上の仕事をこなす。

理解力、洞察力もおおよそ傭兵のものとは思えないほど優秀だ。それは、昨日彼にハルケギニアの常識やら歴史やらを教示した自分が一番よく理解している。

だからこそ、

 

 

(なんで、あんなこと言うのよ……)

 

 

 

『魔法とは、さっき私が言った通り、手段の一つでしかない。火なんてものは、魔法がなくても幾らでも起こせる。魔法で出来ることは、そのほかの手段でも十分に再現が可能だ。であれば、わざわざ回り道をする必要はない』

 

 

 

はっきりと、まるで吐き捨てるかのように、彼は言った。

実際、彼が伝えたかったのはその後の力を過信するな、の部分なのだが、魔法を信じ、光り輝くことはもう生涯ないのではないか。それでも、ただひたすらに自分を磨いてきたルイズは、その言は到底看過出来るものではなかった。

だから、

 

 

『……でも、私は魔法がうまくなりたいの! 今は出来ないけど、出来るようになりたいの‼ だから、邪魔しないでよっ!』

 

 

自分では、間違ったことは言っていないと、今でも思っている。

だけど、

 

 

(なんでこんなに、頭がもやもやするのよ……)

 

 

はあ、と無意識に息が漏れる。

これだ。これを、ルイズは一日中繰り返していた。

自分は間違ったことは言っていない。だから、自分は悪くはない。悪いのはアーチャーだ。

だが、何かが心に引っかかる。

まるで、身なりを整えパーティに向かう途中、何かが不足している、と不安になるあの心境に似ている。

自分はベストを尽くした。でも、それは本当にベストだったのだろうか。

これで良いはずなのに、これじゃあだめだと、自分が頭の中で二人に分裂してしまったのでは?と懸念するほどに、ルイズの心はかき乱されていた。

 

 

 

『魔法がすべてじゃない』

 

 

 

だったら、自分の今までの努力は何だったのか?

 

 

 

『わざわざ遠回りする必要はない』

 

 

 

遠回りも何も、私はこの道しか知らない。

 

 

 

「何よ……何なのよ……」

 

 

 

ふと、気づけば。手元には、石鹸と自分の両手を覆い隠さんばかりの泡が立っていた。

まるで、今の自分のようだ、とルイズは自嘲し、その泡を肌の表面に乗せるように、身体を洗っていく。

 

 

「……どうしちゃったのよ、私…」

 

 

ふと、湯気で曇った備え付けの姿見を、泡だらけの右手で拭う。

そこには、眉を寄せ、眦のつりあがった、おっかない自分の顔があった。

 

 

(ひっどい顔ね……はあ)

 

 

鬱窟とした気持ちが、更に高まる。

姿見から目線を逸らし、泡を流す。

シャアアーと、魔法で制御された水管が、火の魔法と融合し、丁度いい温度で身体を叩いて泡を流していった。

この泡と一緒に、自分のもやもやも洗い流してくれれば、と益体もないことを考えたが、もう一度溜息を吐いて、湯を止めた。

浴場から上がり、水気を取ってあとは部屋に戻って寝るだけだ。

だが、

 

 

(部屋ってことは、勿論あいつもいるのよね……)

 

 

憂鬱である。

そんな時、

 

 

「くおらぁ! クバーシル! 夜中に勝手に出てくなって!!」

 

 

同じクラスの男子、マリコルヌがフクロウの使い魔、クバーシルの夜遊びを咎め、何やら躾をしていた。

使い魔は、契約が成功すれば、主人に絶対服従。だが、人間や貴族のルールを何も知らない為、少々躾が必要なこともある。

 

 

(躾…?……そうよ、何一人でへこんでたのかしら! ダメなことがあったら、おかしいことがあったら躾をすればいいじゃない! 私は主人。あいつは使い魔。使い魔に振り回される主人なんて、主人失格だわ! 幸い、私の使い魔は平民。言葉は通じるし、頭も悪くない。だったら、躾をすればいいじゃない。あの言葉も、きっと記憶喪失で常識とかが欠落してるだけなのよ。だったら、私が教育しなきゃ!)

 

 

これは名案!とばかりに、ルイズの瞳に光が宿る。

そして、思い立ったが吉日とばかりに自室への帰路を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

部屋にたどり着き、部屋に入ると、アーチャーは窓から月を見ていた。

月の光がその白銀の髪に反射し、幻想的な雰囲気を醸し出していたが、この際それは頭の隅に追いやって、得意の爆発で四散させておいた。

 

 

「今戻ったわ」

 

「ああ、お帰りルイズ。さて、今日の洗濯物はどこかね? 銀行の金貨と違い、洗濯物は溜めても得はない。寧ろ、汚れと言う利子がついてしまうからね」

 

 

皮肉気な表情で、肩を竦めるアーチャー。

口の減らない使い魔である。だが、今日のルイズは一味違う。

 

 

「そう、今日の分はこれよ。そうね、洗濯物は溜めないに限るわ」

 

 

怒るでもなく、言い返し、アーチャーに洗濯物を預けたルイズは、今度はこちらの番だとばかりに口を開いた。

 

 

「そういえば、アーチャー。今日の授業の事についてなんだけど……」

 

 

髪を指に絡めて適当にいじりながら、何でもない風を装い、アーチャーに話題を投げた。

 

 

「……ああ、あれか」

 

「そう、あんたが魔法で出来ることは他の手段でもできるとかなんとか言ってたあれよ」

 

 

淡々と、あくまでも淡々とした口調で続けるルイズ。

アーチャーはと言えば、ルイズに背を見せて洗濯物を素材順に仕分けしていた。仕事には忠実な使い魔である。

ルイズは、ベッドに座って足を組み、「着替えをとって」とクローゼットを顎で示すと、アーチャーはこちらを見ることなくクローゼットからネグリジェ一着と下着一式を取り出し、ルイズがベッドから立ち上がれば、何も言わずともアーチャーは彼女を召し変えた。

本当に、勤務態度だけなら、そこらの執事と遜色ないレベルなのだが……。

 

 

「あんたには、教育が必要ね……。いい? あんたがいたのが、どこの田舎だか知らないけど、この国では魔法が生活の基盤になってるの。……昨日も教えたわよね?」

 

 

暗に、「忘れてないでしょうね?」と自分を着替えさせ終わったアーチャーに目線で訴えると、「ああ、覚えているとも」と頷いた。

着替えが終わったルイズは、ベッドに腰かけ、足を組む。

 

 

「じゃあ、今日のあれはなに? ねえ、私言ったわよね? 貴族たるもの、優秀なメイジであれ。って」

 

「……ああ、そうだな」

 

「そうだな、じゃないの。私が聞きたいのは、どうしてあんなことを言ったのかってこと」

 

「……一時の気の迷いだ。気にするな、と私が言ったら?」

 

「へえ、一時の気の迷いで、あんたはあんなこと言っちゃうんだ? へえ、そう……」

 

 

知らず知らずのうちに、口調が冷たくなっていくのを、ルイズは感じた。

まあ、直すつもりはないが。

 

 

「じゃあ、次も気の迷いでああいうことを言っちゃうかもしれないってことね?」

 

「そうは言っていない。私自身、今日のあの発言は、私にも非があったと認識している」

 

「私、にも?」

 

 

ギン!と、ルイズは視線を尖らせ、アーチャーの全身に突き立てる。

アーチャーは、「ああ、なるほどな」と何やら納得したように頷き、

 

 

「失礼した。あの時は全面的に私が悪かった。ああいったことは、もう言わないと約束しよう」

 

 

左胸に拳を当て、上半身を前傾に頭を下げた。

ルイズはこの仕草と態度に、手ごたえを感じていた。

 

 

(やっぱり、これよ! 躾、そう躾。今までこいつは、躾がなっていなかっただけなのよ。何よ、簡単なことじゃない。……あと、前に読んだ本だと…)

 

 

うんうんと頷き、ルイズは表情と視線をそのままに、足を組み替えて再び口を開く。

 

 

「よし、解っているならいいのよ。……でも、次はないわよ?」

 

「……肝に銘じておこう」

 

 

使い魔の躾方。その一。失敗したら、頭ごなしに怒るのではなく、何故ダメだったのかを根気よく伝え、後悔させること。

その二。

 

 

「……じゃあ、この話題はおしまい。……そういえば、明日は丁度虚無の曜日ね」

 

「そう、みたいだな」

 

「じゃあ明日、あんたに剣を買ってあげる。ギーシュの時にあんた、剣を持った瞬間、すごいことになったじゃない?」

 

「そう、みたいだな」

 

「ええ、そうみたいね。だから、護身用と、私の警護用に、あんたの剣を買ってあげるわ」

 

 

しっかりと叱って反省させた後は、褒美を取らせて、きちんと反省すれば、良いことがあると思い込ませよう。

これを、「飴と鞭」といいます。

これを聞いたアーチャーは、少し考える素振りを見せた後、

 

 

「そうか、それはありがたいな……ありがたく頂戴しよう」

 

「明日の朝一に出発よ。だから、今日はさっさと寝なさい。わかったわね?」

 

「ああ、了解した。私も早めに床に就くとしよう」

 

 

アーチャーは頷き、藁束の上に収まり、背を壁に預けて目を閉じた。

それを確認したルイズは、杖を一振りして、部屋の明かりを消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(眠ったか……)

 

 

ルイズが眠りについたのを気配で確認したアーチャーは、ゆっくりと瞼を開いた。視線を真横に向けると、天蓋付のベッドで、今現在の主人であるピンク髪の少女が、静かに寝息を立てていた。

彼女はこちらに背を向けていたが、アーチャーの優れた視覚と聴覚が、彼女は深い眠りに落ちていることを確信させていた。

 

 

(今日のあの発言は、どうやら彼女の中で戯言として処理されたようだな……)

 

 

ルーンが暴走し、口から滑らせてしまった言葉だったが、あれはあれでアーチャーの本心であった。

あの時こうしていたら、こうじゃなかったら、という彼の自責の念の一つだった。

 

 

 

 

 

正義の味方でありたい。

 

 

 

 

 

 

それが、彼のたった一つの願いであり、願望であり、幻想だった。

人々を救いたい。ただ、泣いている誰かを見たくない。その為に、力が必要だった。

だから――――

 

 

(いや、もういい。私は、答えを得た。であれば、この禅問答は今すべきではないな……)

 

 

安らかな寝息を立てる主人をもう一度だけ見やり、アーチャーは意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルイズは、夢を見た。

そこは、見たこともない場所だった。

 

 

(何? この場所?)

 

 

きょろきょろと、周囲を見渡し、次第に彼女はぼんやりとだが、この世界での視覚を得た。

そこは、荒野だった。

ぱさぱさと、やせ細った大地。枯れた木々。

そこに、一人の男が立っていた。

黒い革の服装に、ボロボロになった旅人用のローブ。その人影は、動かない。一歩たりとも。動いているのは、風に揺れるボロボロのローブだけだった。

何をしているのかと、怪訝に思ったルイズは、その背後から正面に回る。

そして、

 

 

「う、ぁう……?」

 

 

夢の中であるにもかかわらず、ルイズは胃を引き絞るかのような吐き気に襲われた。

その彼は、手に赤ん坊だった(、、、)ものを抱いていた。

その赤ん坊は、異様な姿を呈していた。

まず、頭部が半分しかない。眼球があった場所は抉れ、その断面からはピンク色と、血の赤が入り混じった脳漿であった物が溶けた飴のように垂れてきている。それが時折、びちゃ、びちゃと地面に滴る。

腕も、右腕は肘から先が吹き飛び、骨と筋肉だった筋がむき出しになっている。

腹からは腸だったものがはみ出し、壊れたオーディオ機器のように外界へその管を投げ出していた。

一言で言い表すなら、悲惨。

もはや、人間である部分を探す方が難しい有様。

そんな赤子を、その男は、自分の腕が汚れることも厭わず、愛おしげに、悲しげに抱いていた。

 

 

 

――――狂っている。

 

 

 

この光景を観ていられなくなったルイズは、顔を顰めたまま、目線を外す。すると、今までぼんやりとしていた世界が、鮮明に色を映す。

嗚呼、何なのだ、この光景は!?

ルイズは、気が狂いそうになった。いや、もう既に狂っているのかもしれない。

頭はぐるんぐるんと回り、吐き気は常に自身を苛む。だが、目を閉じようとも、耳を塞ごうとも、世界は彼女にその凄惨な光景を映し続ける。

 

 

「いやああああああ!!!」

 

 

ついに耐え切れなくなったルイズは、頭を抱え。声を上げた。

絶叫。まさにその言葉が相応しい。

咽がつぶれそうになることも厭わず、叫び続けた。

そして、ふと世界が暗転する。

 

 

(何? 今度は何よ……!?)

 

 

半狂乱で周囲を見回すと、そこにあの凄惨な光景はなく、ただただ暗い闇が広がっている。

そして、どこからか、声が聞こえてきた。

ルイズは、顔を上げた。

抱えていた頭を離し、声に聴き入った。

何故なのかは解らないが、とにかく、それが大切な何かだと、ルイズは悟った。

 

 

聴かなければならない。

 

 

半ば強迫観念にも似た何かに背中をせっつかれる。

でも、その声は、非常に不明瞭で、何を言っているのか、さっぱりわからない。

 

 

 

「―――――う――――ていい――に――――ように

やさ―――――ち――――って―――

 ―――――る――を作って―――

 あたた―――――やかな―――

 ―せを―――――すように」

 

 

 

(何!? 何なの!? なのが言いたいの!? ねえ! ねえってば!!)

 

 

聞こえない声を必死に聞き取ろうと、手を伸ばし、耳を澄ませ、声を上げる。

しかし、この世界では、ルイズに知覚することは許されたとしても、干渉は許可しなかった。

よって、どれだけルイズが声を上げようが、手を伸ばしそうが、それは何の意味も成すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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幕間 弓兵の夢

 風が吹く。風が、乾いた風が。

 これは夢だ。夢と認識できる夢、すなわち明晰夢。

 

 

(……これは、あの時か)

 

 

 夢の主は、独白した。

 それと同時に、視界を得た。

 乾いた大地に染み込む紅。そしてそれが、空に昇っていったかのような、真っ赤な夕暮れ。

 その手には、赤子の遺骸を抱き、身じろぎ一つせずに己が成した事象を認識する。

 己が腕の中には、人間という生物の要素を抉られ、吹き飛ばされた赤子の遺骸。周囲にはそれと同程度かそれ以上に人間という概念から外れた存在が散乱していた。

 頭部に矢が一矢だけ貫通しているだけの比較的綺麗なソレもあれば、四肢が非対称に抉れて骨か筋肉がむき出しになっているソレ。

 完全に異様で、異常で、誰一人既視感など覚えないであろう光景だが、ソレらには共通点があった。

 一つ。元は人間という、霊長目人科人属の生物であったという点。

 二つ。ソレらはもう、息をしていないという点。

 三つ。

 

 

 

 ―――――全て、霊長の種に仇名す存在であり、この世界の守護者に命を刈り取られたという点。

 

 

 

 

 

(これが、きっかけだったのかもしれんな)

 

 

 

 正義の味方でありたい。誰もが幸せに笑いあえるように。

 その志は、元は養父、衛宮切嗣のものだった。だが、次第にその願いを、自身の糧、いや、自分自身だと錯覚させ、前に進み続けた。

 その過程で多くを失い、多くを得た。だが、とある事件で自分自身の力だけではこれ以上進めないと判断を下した私は、

 

 

 

「契約しよう。我が死後を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい」

 

 

 

 世界と契約し、英霊の力を得た。

 新たに得た力を用いて正義の味方を突き通し、理不尽な暴力に晒された人々を救い出した。自分の力だけで救えなかった多くの命を助けることが出来た。

 救われた民に笑顔を向けられ、ただ一言、「ありがとう」と告げられた時、

 

 

 

 

 ――――ああ、あの時の選択は正しかった。やっと自分は、正義の味方になれた。

 

 

 

 その時に伝えられた言葉に、何と返したのかは、もう覚えてはいない。

 だが、その時に自分を駆り立てる「人の役に立たなければ」という獣性にも似た焦燥感が、一瞬だけなりをひそめた。

 だが、ほどなくして自分は処刑された。無実の罪ではあったが、特に抵抗はしなかった。自分の身によって助かる誰かがいるのであれば、本望であるし、世界との契約によって死後も人の役に立てるのだからと、私は笑いながら死んでいった。

 今思えば、死に際に笑みを浮かべている自分を処刑人は不気味に思ったことだろう。「こいつは本当に自分たちと同じ人間なのか?」と。

 肉体を失い、魂だけの存在となった私は、英霊の座という新たな器に収められ、守護者としての仕事が始まった。

 

 

 

 

 ――――そして、私が思い描いていた青写真が幻想であると知った。

 

 

 

 

 守護者だ英霊などと聞こえはいいものの、その役目は人類の自滅を防ぐために、世界にとって不都合な人間たちを殺して回る、体のいい掃除屋だった。

 男を殺して、女を殺して、老人を殺して、子供を殺した。

 殺して、殺して、殺して、殺した。

 そこに、人間としての意志はなく、私の意識のみが点在した。

 これがお前の選んだ道だ、選んだ道であるとばかりに、世界は守りたかった人々を自らの手で惨殺する光景と感触を、私に見せ続けた。

 そして人類への奉仕をこなしている間、不定期に私の意志が僅かだが戻り、事を成した後に少しの行動を赦される時があった。

 それが、この夢。

 痩せた地に、痩せこけた人間。

 腕には己が弓で吹き飛ばした赤子の残骸。

 悲しかった。悔しかった。苦しかった。

 

 

 だが、泣くことは許されなかった。

 

 

 それは世界にという意味でもあり、同時にこの選択肢を選び取った自身への責任でもある。

 泣くことは許されない。だが、この赤子のあったかもしれない未来を、夢想するぐらいの権利は――――いや、ない。あるはずがない。

 

 

(そう、この時からだ。私の心に亀裂が生じたのは)

 

 

 そこから先は、早かった。

 それを何度も繰り返すうち、心は摩耗し、元々壊れていた自身の心は砕け散ることさえ出来なかった。

 引き返す道を何度も探し、挫折した。

 だから、

 

 

(私は私を殺そうとした。これ以上私のような存在を世界に創造させないために。だが、)

 

 

『俺はなくさない。愚かでも引き返すことなんてしない。この(幻想)は、決して……! 俺が、偽物であっても。決して、間違いなんかじゃないんだから……!』

 

 

 結果だけ見れば失敗。

 だが、そこでやっと探していたものの答えを得た。

 そう、だからこそ、

 

 

(今更だな……解っているさ。ああ、彼女(ルイズ)とあまり長く付き合うべきではない。彼女に、私の理想(重荷)を背負わせるわけにはいかない)

 

 

 始めは、危惧した。それは、自分と同じような目をしていた。

 故にいつか、不相応な自分の理想に、その身と精神を圧殺されるのではないかと。

 しかし、彼女には彼女なりの芯があり、志がある。

 だからこそ、自分と一緒にいるべきではない。いや、いてはならない。

 

 

(私は、早くルーン(契約)を、消すべきだな)

 

 

 確か、ルイズに教授された使い魔の知識によれば、使い魔が死に至った場合、契約のルーンは消え、新規に使い魔を召喚できるようになるらしい。

 であれば、死せずともルーンが消え、契約が切れれば、彼女は再度使い魔の召喚と契約が可能になるはずだ。理論上は、だが。

 そんな契約に対しての不都合な思考を広げていると、夢の中であるはずなのに頭に鈍痛が走ったので、契約に関しての負の思考を頭の片隅に追いやった。

 追いやってしまったろころで、これ以上夢で何かを考えても無駄であると判断し、この明晰夢の目覚めをじっと待つ。

 

 

(…………)

 

 

 赤子を腕に抱いた男の背中をただただ、眺める。

 すると何の脈絡もなく、夢での視界が暗転する。

 

 

(目覚め、か?)

 

 

 夢がぶつ切りにされ、視界が暗転したことから、目覚めが近いのか、と推察した。

 だが、そんな時だった。

 

 

 ―――――う――――ていい――に――――ように

 

 

 

(…誰だ!?)

 

 

 夢に、異物が入り込むのを感知した。

 

 

 やさ―――――ち――――って―――

 ―――――る――を作って―――

 

 

 声が聞こえてくる。

 だが、言語として認識することが出来ない。

 

 

 あたた―――――やかな―――

 ―せを―――――すように

 

 

 この言葉を最後に、夢は終わりを迎えた。

 

 

 

 

 







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第四話 誘惑と驚愕 その八

「……ん」

 

 

意識が、覚醒していく。夢の世界から、現実の世界へ。

夢の世界での感覚がゆっくりと剥離し、五感が現実の世界を認識してゆく。触覚、聴覚、嗅覚から始まり、身体に感覚が染み渡り、世界の形をアーチャーに伝えた。

最後に視覚が覚醒し、アーチャーは眠りから目覚めた。

 

 

「朝…とは未だ言い難い時間帯か……」

 

 

眠りから覚めたばかりのぼやけた視界で窓の方を見やるが、そこに大地を煌々と照らす太陽の姿はなく、未だ夜の帳が下がったままである。

一旦目を閉じ、眼球を瞼の中で八の字を描くように運動させ、瞼の裏にへばりつくかのような眠気を搔き出す。

寝るのにも体力が必要であり、老人になると体力が低下することから、老人は長く睡眠がとれない。そんな事を昔小耳に挟んだアーチャーは、毎朝誰に言われるでもなく早起きしてしまう今の自分は、まるで老人の様じゃないか、と自嘲したが、

 

 

(そもそも、霊体になってからの年数を年齢の数えに加えれば、老人どころの話ではないか)

 

 

くだらない、とその思考を打ち切り、小さく息を吐いた。

それが合図であったかのように五感全てが完全に覚醒し、アーチャーは背を預けていた部屋の壁から身体を離すと、軽く首や肩を回し、固くなった筋肉を軽く解きほぐしていく。

 

 

(さて……早く起きてしまったものは仕方がない。身体の整備をさっさと済ませてしまおうか。……ああ、どうせなら食堂に手伝いにでも行ってみるか)

 

 

アーチャーの長い一日が、今日も始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズ、朝だ。眠気との逢瀬が甘美な感覚であることは痛いほど理解している。だが、このままでは朝食の時間に間に合わなくなり、今度は空腹との逢瀬を交わすことになるぞ?」

 

「……んん」

 

 

ちゅんちゅん、と小鳥のさえずりが耳を撫で、ルイズは目を覚ました。

身体にのしかかるかのような眠気を抑え、ルイズは目を開けた。目を開けると、窓から太陽の光が寝坊助を咎めるように煌々と差し込んでいた。

ふああ、と小さく欠伸を漏らし、寝ぼけ眼で時計を確認すると、時計は朝食の時間かなり間近を示していた。

普段なら学院の授業があるので、飛び起きて準備をするところなのだが、幸い今日は虚無の曜日。所謂、休日というやつであった。

そこに、昨夜観た夢の影響からか、お腹が空くどころか胃がギュウウと締め付けられるかのような感覚に襲われ、食欲など皆無であった。

 

 

「いい、今日は朝食はいらないわ……食欲がないの」

 

 

そう吐き捨て、ルイズは再び布団にもぐろうとしたが、

 

 

「そうは言うがね、食欲がなくとも朝食はとるべきだ。……とある学者の話では、朝食をとった人間と、そうでない人間では集中力に大きな差が付く」

 

「……」

 

 

だから何だ、と無視してルイズは夢の世界へ逃げ込もうとしたが、

 

 

「そして、朝食の有無は身体の発育に多大な影響をもたらすとも―――」

 

「……起きる」

 

 

身体の発育、というワードにルイズは過敏に反応し、憮然とした表情で布団を跳ね除けた。

 

 

「おはよう、ルイズ」

 

「……おはよう、アーチャー」

 

 

跳ね除けた先には何やらいけ好かない笑みを浮かべたアーチャーが着替えを片手に佇んでいた。

何やら乗せられた感じがして、ルイズは釈然としなかったが、部屋であーだこーだと言い合っていると、本気で朝食に遅刻するので、さっさと着替えと髪のセットを終え(勿論、両方ともアーチャーが行った)、少しばかり重い足取りで食堂に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかしいわ。何故か、朝食の記憶がないの……お祈りが終わって、食事に手を付けたと思ったら、皿が空っぽになっていたの。……ねえ、アーチャー。私、本当に朝食を摂ってた?」

 

「ああ、勿論食べていたとも。それは見事な食べっぷりだったぞ?」

 

「……そう、ならいいんだけど…」

 

 

おかしい、何故だろう、と微妙な表情で首を傾げながら、廊下を歩くルイズ。

一体、誰が何のために何をしたというのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぺらり、と本のページがめくられる。

この部屋には現在、それ以外の音源が存在していなかった。

そして、その音源を生み出しているのは、この部屋の主たる少女であった。

特徴的な青の頭髪を揺らし、ふとタバサは本から顔を上げた。

 

 

「……魔法は、手段。目的じゃ、ない」

 

 

ぽつりと、独り言がこぼれた。

思い出すのは、あの奇妙な雰囲気の使い魔の言。

 

 

『……魔法は、目的じゃない。手段だ。目的に至るまでの手段は、まさに星の数ほどある。……だが、大きな光にかき消された星もある。なに、それだけさ』

 

 

どことなく哀愁を漂わせながら発された言葉は、タバサの胸の奥にスッと収まり、今日この日、今現在も大きく幅を取っていた。

発した本人は「気にするな」と言うが、タバサは何かそれが大事なことのような気がして、忘れることも意識の隅に追いやることも出来ずにいた。

このままではだめだ、と自身に言い聞かせて本の世界に戻ろうとするも、文字の羅列の上を視線が滑っていくばかりで、内容が全く頭に入ってこない。

どうしたものかと、途方に暮れていたその時だった。

 

 

ドンドンドン!

 

 

「タバサ! 出かけるわよ、支度をして‼」

 

 

乱暴にドアがノックされ、タバサが「どうぞ」と言う間もなく(まあ、ノックされていても無視するのが常なのだが)ドアが開け放たれた。

こんな事をするのは、タバサの唯一の友人であるキュルケしかいない。キュルケは入室すると同時にタバサへ用件を一方的に伝えた。

 

 

「……虚無の曜日」

 

「あなたにとって虚無の曜日がどれだけ大切かは解っているわ」

 

 

でもね、とキュルケは自身の豊満な胸に片手を当て、やけに芝居がかった所作で続ける。

 

 

「あたしね恋をしたの! でもあのにっっっくいヴァリエールと出かけたのよ!! あたしはあの二人がどこに行くか突き止めなきゃならないの。わかるでしょ!?」

 

「あの人と……?」

 

 

あの二人、ワードに反応したタバサは、視線を落としていた本から顔を上げ、眼鏡の奥からアイスブルーの瞳でキュルケを見つめる。

 

 

「そうよ! タバサがやけにご執心だったあの人!……タバサには悪いけど、今度の私は本気なの。だから、私たちの事応援してくれるわよね?」

 

「……そういうのじゃ、ない。けど、分かった」

 

 

珍しく、本当に珍しくタバサはキュルケの言葉の意味を理解し、クローゼットから学院生の証である黒いマントを羽織ると、窓を開け放ち口笛を吹いた。

すると、幾分も経たぬうちに小さな点が現れ、徐々に大きくなっていく。点は次第に大きくなり、窓の前でホバリングする。

 

 

「行く」

 

「ありがとう、タバサ! 恩に着るわ!」

 

 

二人とも慣れた様子でそれに飛び乗る。

飛び乗ったのは、青い見事な鱗に覆われた風竜の幼生。タバサの使い魔、シルフィードである。

二人が飛び乗り、背中の背びれに捕まったのを確認した風竜は、翼をはためかせ、大きく上昇した。

そして、上昇気流を器用に捕まえ、大きく上昇した風竜は雲と同じ高度までくると、微速で前進した。

 

 

「どっち?」

 

「えっと、慌ててたから……」

 

「……馬二頭。片方が赤い外套。…食べちゃダメ」

 

 

タバサはシルフィードにそう伝えると、合点承知とばかりにシルフィードは翼で風をかいて加速した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんた、乗馬も出来たのね」

 

「いやなに、少しばかり馬に跨っていた時期があったのでね。昔取ったなんとやらというやつさ」

 

「あんた、記憶が混乱しているんじゃなかったの?」

 

「そのはずだったのだがね。……どうやら、身体を動かしている内に、技術とそれを学んだ記憶を思い出せたようだ」

 

「そういうものなの?」

 

「ああ、どうやらそういうものらしい」

 

 

朝食を無事(?)取り終えた二人は、馬を走らせて隣町まで来ていた。

ルイズは最初、記憶が混乱し社会的常識が幼児レベルまで退行しているアーチャーであったから、自分の乗る馬に二人乗りで行こうと提案したのだが、

 

 

「まあ、どうとでもなるものだよ、こういうものは」

 

 

などと意味不明な事をのたまい、アーチャーは馬に飛び乗った。

学院の馬をダメにしてしまはないかと、びくびくとしていたルイズだったが、意外にも馬の手綱を器用に操り、小一時間ほど自分と並走してくるアーチャーに、その考えは杞憂だったと理解したのだった

 

 

(市場か……どんなものが売られているのか、調査したいところだな)

 

 

街に着くと、全体的に石造りの建物が立ち並び、大通りに沿うように屋台が出ていた。人々は活気に溢れ、そこかしこから威勢のいいセールストークが飛んでいた。

たまに「これはかの有名な~~」などという詐欺の常套句も飛んでいたが、そこは人が集まる市場という場所の宿命というやつである。

どの町でも、どこの国でも市場という場所は物資と情報に溢れている。

売り物を見ればこの国の名産や文化が分かり、相場を見れば国の財政が見えてくる。

なので、アーチャーはまるで田舎から出てきたばかりのお上りさんのような挙動で周囲を観察する。

 

 

「ルイズ、あれは何だ?」

 

「何って、ただの串焼きでしょ? キメラの」

 

「では、あれは?」

 

「あれは……何かしら? 多分…アクセサリー、だと思う」

 

 

などと、歩きがてらルイズに疑問に思った事を尋ねて歩いた。

 

 

「確か、ピエモンの秘薬屋の隣だから……」

 

 

そうして歩いている内に、大通りから少し外れた場所に二人は入り込んでいった。

壁は所々(ひび)が入り、建物が密集しているためか日中にも関わらず濃い影が出来ていた。

スラム、と言うにはそこまで薄暗い雰囲気ではないが、貴族が歩き回る場所ではないことは確かな場所。

どうやら目的地はこの周辺であるらしい。

 

 

(……この町ではあまり、武器屋というものは良いイメージは持たれていないようだな。……さしずめ、武器など魔法に比べれば、と考える人々が多いのが原因なのだろうな)

 

 

「あった」

 

 

ふとルイズが剣の刀身をモチーフにした看板の前で立ち止まった。

どうやら、こちらが今日の目的地らしい。

 

 

「ここかね?」

 

「ええ、ここが今日の目的地。武器屋よ」

 

 

その目的地、武器屋の店の外装ははげ、ところどころ内部の石壁が見え隠れしている。

お世辞にも良い見た目だとは言えない。

正直、学生の身とはいえ貴族が武器を買ってくれるというので、少しは期待していたアーチャー。

その失望を感じ取ったのか、ルイズはバツが悪そうにそっぽを向き、言い訳するかのようにアーチャーに語り掛けた。

 

 

「ここのところ、ちょっと物入りだったの。……きょ、今日は間に合わせってことで、また後日立派なのを買ってあげるわ!」

 

 

言い訳だったはずなのだが、いつの間にか威勢のいい啖呵になっているのは、うちの主人の特性だろう。

いいからいくわよ!と、ルイズはおもむろに扉を開けた。

ギイィといく油を差していない扉特有の摩擦音をドアベル代わりに、二人は店に入った。

すると、店の奥でカウンターに身体を預けていた店の主人が顔を上げた。

赤みが差した鼻に、使い込まれたパイプをくわえた五十がらみの男だ。

 

 

「いらっしゃ……その外套、貴族様ですかい? う、うちはまっとうな商売していますぜ!?」

 

「落ち着いて、私は役人じゃないわ。今日はお客として来たの」

 

「お客、ですかい? こりゃ驚いた! 貴族様がこんなしがない武器屋にご用とは…」

 

「用があるのは私じゃなくて、コイツよ」

 

「ほほう、そちらの御仁で?……ああ、最近宮廷でも下僕に剣を持たせるのが流行っていると小耳に挟んだんですが、なるほどそういうことでしたか」

 

 

店主そっちのけで店の武器を眺めていたアーチャーに二人の視線は集まる。

そのアーチャーはと言えば、

 

 

(……鑑定(みた)ところ、店構え相応品々といったところか。……錬金術が発達しているというから、どれほどの技術かと期待していたんだがな。元いた世界、中世の技術基準よりやや低め、といったところか)

 

 

店に入った段階で視界に入れた武器は固有結界の中に貯蔵されるので、わざわざ武器を買う必要はないのだが、

 

 

(己の魔術は元の世界でも異質であり、異分子だった。であれば、魔術そのものが異分子とされるこの世界での魔術の露見は避けるべきだ。その為に、適当な武器を腰に()いて隠れ蓑にしなければな)

 

 

正直、武器は結界内に文字通り佩いて捨てるほどあるのだが、それではこの世界でも異分子扱いは避けられないだろう。

であるから、この世界の武器が手に入るというのは、アーチャーにとって中々に魅力的な提案であった。

それに、どうやらこの世界に魔術を探知する結界やセンサーなどはほぼないことが確定していたので、適当な武器を買って強化を施せば、それで当面は何とかなるのである。

そんな思考を巡らせていると、ルイズが店内を物色していたアーチャーをカウンターに呼んだ。

 

 

「何かね?」

 

「じゃあミスタ。こいつに似合いそうなやつをお願い」

 

「へい。少々お待ちを」

 

 

アーチャーをちらりと一瞥した店主は、カウンターの裏にある樽からおもむろに一本のシンプルなデザインのエストックを抜き、こちらに手渡した。

 

 

「こちらのエストックなどはいかがでしょう? かの御仁の体格を活かした戦いが出来るかと」

 

 

アーチャー的には、どんな武器でも経験憑依があるので体格や戦術などは度外視なのだが、ルイズは受け取ったエストックをためつすがめつ眺めると、そのまま店主に返してしまった。

 

 

「アーチャー、あんたあの時、もっと太くて長いのを握ってたわよね?」

 

「あの時、というとあのワルキューレとかいう木偶の時かね? まあ、確かにこのエストックよりは幾分か大きいサイズの剣だったが」

 

「ということだから、もっと太くて長いのを持ってきて」

 

「で、ですが……」

 

「いいから、もっと太くて長いのを!」

 

「へ、へい」

 

 

どうでもいいが、淑女が太くて長いを大きな声で連呼するのはどうかと思うアーチャーである。

そして店主が裏で「ち、素人が……こりゃカモだな」と呟いていたが、アーチャーにはしっかりと聞こえた。

暫くして、店主は明らかに装飾過多な刀剣を手に戻って来た。

 

 

「こいつなんてどうでしょう? 店一番の業物でさ」

 

 

アーチャーはそれを受け取ると、鞘から抜く。

柄には所々に宝石がちりばめられ、刀身は黄金。

 

 

「そいつぁかの有名なゲルマニアの錬金術魔術師シュペー卿の作品でさ! そいつに掛かれば鉄だって一刀両断!」

 

 

と、店主は芝居がかった声色でルイズに売り込む。

 

 

「おいくら?」

 

「新金貨なら三千でさぁ」

 

「立派な家と庭付きの森が買えるじゃない!?」

 

「名剣は城に匹敵しますぜ?」

 

 

ルイズはそんな馬鹿な…という表情で愕然とした。

勿論、ぼったくりである。

 

 

(どちらかと言えば迷剣(、、)だな、これは。……まあ、玄関に飾っておく分には適当なのか?)

 

 

面倒なので流れに任せようかと思っていたアーチャーだが、流石にこれは酷い。

そろそろ助言をしようかと思っていたその時だった。

 

 

「おうおう! そんなボンクラ、買ってもすぐに折れちまうぜ、あんちゃん!!」

 

 

ふと、後ろから声が上がった。低い男の声である。

事情(、、)を知っている店主とアーチャー以外、つまりはルイズだけはどこから声が聞こえてきたのかと、周囲を見渡していた。

 

 

「うるっせぇ!てめぇは黙ってろ‼」

 

「ああ!? てめえがなんも知らねえ貴族相手にあこぎな商売してるからだろうが‼」

 

 

店主は店の入り口付近にある樽をねめつけ、怒号を飛ばした。

 

 

「ど、どこよ! 一体誰なの!?」

 

「こっちだな」

 

 

アーチャーは音源である樽に歩み寄ると、その中から一振りの剣が鞘からひとりでに飛び出し、かちかちと音を立てた。

 

 

「てめえデル公! また人の商売の邪魔しやがって‼ もう我慢ならねえ! 今度貴族に頼んで溶かしてやっから覚悟しろや!!」

 

「上等だ、もうこの世にも飽き飽きしていたところだ! 溶かすんだったらやってもらおうじゃねえか、ええ!?」

 

「やってやらぁ!」

 

 

がるるる、と擬音がつきそうなほど憎々しげにその錆びだらけの大剣を睨む店主。

するとルイズは合点がいったようで、目を丸くする。

 

 

「へえ。それってインテリジェンスソード?」

 

「そうでさ、そいつは意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。一体、どこの誰が始めたんでしょうねぇ。剣に喋らせるなんて……。そういえば、旦那はなんで驚かねえんですかい?」

 

「何、最近は未知に耐性が付きつつあるものでね。今更剣がしゃべったところで、驚きはしないさ」

 

「へぇ……? そういうもんですかい?」

 

 

店主が何やら納得のいかなさそうな顔をしていたが、それを遮るように剣が言葉を発した。

 

 

「何言ってんだ、あんちゃん。さっきから店の武器を根こそぎ物色してやがったのに体中をまさぐられるみてぇで、くすぐったかったぜ?」

 

「気づいていたか」

 

「あったりめぇよ!」

 

 

ふむ、とアーチャーは何やら考え込むように顎に手を当てた。

 

 

(……なるほど、一応こちらの魔術を知覚できる物体もあるということか)

 

「お前、名はデル公で良かったか?」

 

「デルフリンガー様だ! 覚えときやがれ!」

 

 

ババン、とこの魔剣に体があれば、ふんぞり返っていたことだろう。

インテリジェンスソード、とその名にたがわぬのであれば、今後情報を引き出すことも可能だろう。

そして、刀身自体も錆び付いてはいるものの、中々しっかりとした造りをしている。ここにある剣の中では、まあまあいい方ではある。

 

 

「店主、こちらをいただこう」

 

「ええ~~~? もっと綺麗で喋らないのを選びなさいよ」

 

「いいじゃないか。喋る剣。大いに興味をそそられる」

 

 

ぶつくさと文句を言うルイズだったが、アーチャーが折れないと感じると、ルイズは渋々といった表情で店主に値段を伺う。

 

 

「これ、おいくら?」

 

「あれなら、百で結構でさ」

 

「随分と安いじゃない」

 

「こちらにしたら、厄介払いみたいなもんでさ」

 

 

ひらひらと手を振る店主。

アーチャーはルイズに預けられていた財布(貴族の財布は使い魔が持つ者らしい)を取り出すと、代金を店主に手渡した。

すると店主は、鞘にそれを入れ、こちらに手渡す。

 

 

 

瞬間、デルフリンガーがその身にわかるほど振動する。

 

 

「どうかしたかね?」

 

 

アーチャーは鞘から少しだけ剣をずらして問う。

 

 

「……お、おめえさん…おれっちを、優しく使ってくれよ……?」

 

「……まあ、善処しよう」

 

 

「ちょ――」

 

ニヤリとアーチャーはほくそ笑むと、刀身を鞘に戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その九

 今後暫く寝食を共にする相棒、錆びついた名剣デルフリンガーとの喜劇的な出会いから一、二時間ほど経った。

 武器屋を出てい以降、相棒(笑)を背に、アーチャーは己の主人であるルイズと共に、市場を散策していた。

 ルイズは明日は授業があるので、直ぐに学院に帰ろうと提案したが、市場調査をどうしてもこの機に終えておきたかったアーチャーは、日が暮れるまでには帰還するという条件の下、市場の散策へ乗り出したのだった。

 

 

「ねえ、アーチャー?」

 

「どうかしたのかね? ルイズ」

 

 

 はぐれやすい為に横一列に並び歩いていたルイズは、視線を今もあちらこちらへ走らせているアーチャーに歩みは止めずに尋ねた。

 

 

「あんた、これのどこが楽しいの……?」

 

「ふむ…。どこが楽しい、か。訊かずともわかることだが……ルイズは退屈なのかね?」

 

「ええ、とっっっっても‼ だって、あんたさっきから屋台に立ち寄っても売り物を買いもしないで商人と話してばっかじゃない。それのどこが楽しいって言うのよ?」

 

 

 ルイズにしてみれば、それは本当に何がしたいのかわからなかった。

 市場を見て回りたいと言うからてっきり、何か買いたいものがあるのかと思えば、立ち寄った店では商品は買わず、それが何なのか、何でできているのか、何のために使うのか、果ては商人はどこから来たのか、などと意味不明な事ばかりを訪ねて回っているのだ。

 使い魔の好奇心に付き合ってやるのも主人の務めであると、そう自分に言い聞かせ、何も言わずに黙ってアーチャーについて回っていたが、もう限界だった。

 だがしかし、その怒りが使い魔に伝わることはなく、アーチャーはいつもの飄々とした態度で応対した。

 

 

「せっかくの休日に退屈を味あわせてしまって悪いが、私は未知というものに敏感な性分でね。本で知識を知りはしたが、実物を見てそれについての個人の見解を聞く機会と言うのは、思いの外貴重なものなのだよ。……解っていただけたかな?」

 

「……意義は解ったけど、納得はできない」

 

「……ふむ。難しい問題だな」

 

 

 ルイズはこの状況が退屈であり不服であるとアーチャーにそれとなく伝えたが、アーチャーが意に介した様子は全くない。

 

 

(はあ……こんなの事なら、あの時さっさと帰る!って言っておけばよかったわ…)

 

 

 心中で溜息と愚痴をこぼすルイズ。

 その表情を横目でさりげなく確認したアーチャーは、

 

 

(歩幅を合わせていたから、身体に疲れはないはずだが、精神のほうはそうはいかなかったか。予定していたよりも早めになるが、仕方ない…一旦、休憩を取るのが無難か)

 

 

 貴重な情報収集の機会であったが、ご主人様の機嫌が斜めになっては後々面倒なことになることがこの数日で明らかになっているので、ここらで休憩を挟むが吉か、とアーチャーは考察し、ふと歩みを止めた。

 アーチャーが急に立ち止まったせいで、ルイズはアーチャーの数歩先で立ち止まり、後ろを振り返った。

 

 

「どうしたの?」

 

「そろそろ昼食の時間だ、と腹の虫が騒いでいてね。露店で何かを買って食べるか、はたまたどこか食堂に入るのが吉かと思い悩んでいるところさ」

 

 

 ルイズは唐突な提案に、きょとんとした表情を作ったが、意味を理解するとパアァと擬音がつきそうなほど綺麗な笑顔を咲かせた。

 余程退屈だったと見える。

 眩しく輝く笑顔を自覚したのか、急にいつものすまし顔に戻り、昼食についてなんてことないような体で語ろうとしているが、言葉の端々には隠しきれない喜の色がにじみ出ていた。

 

 

「そ、そうね! もうお昼時だものね!!……ランチといったら、レストランかここらへんだと、あんまり貴族用のレストランとかはなかったし、何より虚無の曜日に予約なしで入れるところなんて……あるのかしら?」

 

 

 最初は嬉々として語っていたルイズだが、周囲を見渡し、食事をとる場所を探るが、結果は芳しくはなかった。

 また、貴族用のレストランはその殆どが予約制である。なので、休日である虚無の曜日には予約が目いっぱい入っていることだろう。

 それを聞いたアーチャーは、妥協案としてある程度品質が保証された場所での食事を提案した。

 

 

「……ここは、ある程度質の良い平民用の食堂で食事をとるべきではないか?……それに、懐もそこまで豊かというわけではないのだろう?」

 

「……はあ。そうね、今日のところはそれで我慢しておきましょう」

 

 

 平民用、という部分に一瞬眉をひそめたルイズだったが、あまり懐事情が芳しくない事を慮った結果、アーチャーの妥協案に同意したのだった。

 ……同時刻、ルイズとアーチャーを尾行していたキュルケとタバサはアーチャーが剣を購入していった店で、キュルケが自慢のばでぇを駆使して、あの迷剣を金貨千枚で買い叩き、それを嘆いた店主がやけ酒に溺れたのは閑話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は、アーチャーが召喚され、結界の暴走で寝込んでいたところまで(さかのぼ)る。

 

 

「……はぁ…最近は土くれ騒動のおかげさまで、稼ぎが悪くっていけねぇなあ…」

 

「んだな。全く、土くれの奴め。一人でいい夢見やがって。……話に聞いた数だけでもやつぁ、十は貴族の屋敷から宝物を盗み出したそうじゃねぇか」

 

「マジかよ、それ。……俺だけだったら遊んで暮らせるレベルの金が手に入ってんじゃねえか?」

 

「ああ、毎日ふわっふわのパンと、あったけぇ具だくさんのスープが三食欠かさず食えるだろうな」

 

「ちげぇねえ」

 

 

 とある洞窟の中、粗雑で粗野なボロボロの皮やら布やらを体に巻き付けた男達が、最近の稼ぎの悪さを嘆いていた。

 彼らの手元には焼かれてから数時間か数日は経過したのか、少々黒ずみ始め、固くなっているパンと、野生動物と野草が乱雑に煮込まれてはいるが、殆ど水だけのスープがあった。

 それを男たちは対してうまそうにもせずに、ただただ、咀嚼して胃袋に放り込んでいた。

 

 

「んで、こっからはお仕事の話だ。……お前ら、耳穴かっぽじりな。聞き逃して事の最中に味方から矢を尻の穴にぶち込まれたくなかったら、せいぜい意地汚くはしゃいでろ」

 

 

 洞窟の奥で、何かの大型動物から剥ぎ取った毛皮を床に敷き、胡坐をかいたてじっとうつむいていた男が、普段と変わらぬ口調で話し始める。低く、獣が唸るような声だったが、それは洞窟中に広がった。

 瞬間、洞窟内の空気が変わる。

 

 

「なんだおめえら。別に聞いてなくてもいいんだぜ? さっきみたいにわんやわんやしてればいいじゃねえか」

 

「親方……そりゃねえぜ?」

 

「ああ、あんたの話を聞かねぇようなオマヌケは、ここにはいやしねぇさ」

 

「そうかい」

 

 

 親方、と呼ばれた男は、興味なさげに吐き捨てると、俯いていたその顔を上げた。

 その男の顔は、一言で表すなら精悍。

 身体は巌から削り出したかのように重厚な筋肉で覆われ、岩に苔が蒸すかのように剛毛がその身を覆う。

 身体には動きを阻害せぬようにと、最低限の皮の鎧とズボンを纏い、まるで野獣のような様相を呈していた。

 彼らを人は、こう呼ぶ。

 荒くれものの狩人集団「渡り獣」。

 構成員はおよそ三百人。

 その内、五人ほどがメイジである。

 その五人の内、トップに立つのが、今言葉を吐き捨てた男、ガロルド・ル・グザーレである。

 その名から解るように、彼は没落貴族である。

 元々家は名のある貴族であったが、何者かの謀略に嵌り家が取り潰しになった。

 権謀術中が飛び交う貴族社会ではよくある出来事である。

 そして、そういった没落貴族のたどる道と言えば、殆ど相場が決まっている。

 養子にとられ、他の家に引き取られるか。

 奴隷として、売り飛ばされるか。

 邪魔ものと判断され、その場で殺されるか、そうならない為に平民として隠居するか。

 はたまた―――野党や傭兵、盗賊に身をやつすか、である。

 男の場合、最後者。

 貴族の中では特に学のあるほうではなく、見た目にも品が良いとは言えないその相貌。

 だが幸いにして、身体は丈夫であり、体格に恵まれた。

 そして、あまりうまいとは言えなかったが、魔法も行使することが出来た。

 なので、彼は荒くれ者たちを力と貴族社会で培ったその学で従えた。

 

 

「親方の作戦は、ほぼ外れたことがねぇ。なんせ、あんのいけすけねぇ貴族の馬車でさえも攻め落としたほどだ!」

 

「ああ、あんときゃスカッとしたぜ! それに、貴族の子供がいたおかげで身代金をがっぽりと儲けられたしな!」

 

「ああ、あれで女だったら文句なしだったんだけどな!」

 

「おいおい、貴族の女だったらヤれねぇだろ。そりゃ人質として使い物になんなくなっちまう」

 

 

 そう、彼らは強く、更に賢かった。ガロルドは、貴族としては大成することはなかったが、敵を奇襲し、殲滅することにたけていた。貴族として一生を終えたのでは、決して花開くことがなかったであろう才である。

 故に、ありとあらゆる相手にその猛威を振るった。

 貴族、商人、旅人。

 時には、傭兵として雇われたことさえあった。

 その度に数多くの戦績と被害をまき散らした。

 これだけの害が振りまかれれば、討伐隊が結成され、国に滅ぼされてしまっても別段何も不思議はない。

 だが、不思議なことに彼らは生き残った。

 何故か?

 

 

「大丈夫だよ! 先っぽだけ、先っぽだけだから!!」

 

「お前、そういってこの前売るはずだった女一人ダメにしただろうが!!」

 

「ああ!? しゃあねえだろ? 目の前に肉があったら、食わねえわけにはいかねえだろ?」

 

「お前は待ても出来ねえのか? いぬっころでももうちょっとは利口だぜ? 次の狩場まであと少しだったじゃねえか」

 

「へっ! 俺らは元々汚ねえ野良犬以下の(けだもの)だろうが!!」

 

「ちげえね!」

 

 

 どわっはっはっはと、野蛮な笑いが洞窟に広まる。

 そう、彼らはそこらの盗賊やらとは違い、仕事が終わればさっさと退散し、いなくなった場所には麦の殻一つ落とさない。

 それを揶揄し、誰かが言ったのか、獲物を取ったら即退散。まるで渡り鳥のような狩人集団。だから、「渡り獣」。

 暫くやれ、この仕事の時は何が刺激的だった、だの。この時の女は良い味だった、だとかの話に花が咲いた。だがしかし、

 

 

「……仕事だ。――――切り替えろ」

 

 

 ガロルドが声を荒げずに言を吐くと、洞窟内に静寂が訪れる。

 この切り替えの早さこそ、彼らの真骨頂だった。

 

 

「よし。じゃあ、次の仕事だが――――」

 

 

「親方!!」

 

 

 と、静まり返ったところで、かなり焦燥の混じった声がガロルドの言葉を遮った。

 一体、親方の言葉を遮るような愚か者は、どこのどいつだ?とばかりに男たちは声の主へと苛立ちの籠った視線を向ける。

 そこにいたのは新入りの証であるこげ茶のバンダナを巻いたニュービーの姿であった。

 確か新入り達と、数人のベテランは外の離れた場所でで見張りをしており、異常があれば逐一本部であるこの洞窟に知らせる、ということになっている。

 

 

「敵襲です!」

 

「……討伐隊か?」

 

「いいえ、違います!!」

 

「そいつらは、人間か?」

 

「解りません……あれは、本当に人間なのか…」

 

 

 新入りの尋常ではない焦燥に、男たちは目の色を変えた。

 

 

「数は? 構成員の兵科は?……メイジか?」

 

「か、数は一。兵科は多分、槍兵。……メイジ、ではないと思われます」

 

「多分、思われますって! てめぇ、ふざけてんのか!? それも一人如きに、何好きにやらせてんだ! オ〇ってる時にでも襲われたのかこの間抜けが!」

 

「ち、違います!! 違うんです!! あいつは、アレは、そういうものじゃ――――」

 

 

 必死に弁解を試みている新入りだが、その弁解が続くことはなかった。

 何故なら、その新入りの喉を、血も褪せてしまうような真紅の槍が貫いたからだ。

 そして、吹き上がる鮮血。

 槍の貫いた箇所から、まるで華が咲くかのように鮮血が周囲に飛び散る。

 どこか幻想的なその光景に硬直する男達。

 しかして、喉を貫かれた新入りの唇が、微かにうごめく。「にげろ」と。

 見計らったかのように、槍が引き抜かれ、新入りが地に崩れ落ちる。

 槍の主は、その真紅の槍に付着した血糊(ちのり)をまるで汚物のように振り払う。

 その槍の主は、見たこともないような珍妙な格好を、月明かりをバックライトに男達に魅せ付ける。

 全身に張り付くかのような黒い革のタイツには、四肢に絡みつかかのような青白く発光する筋のような模様。

 首付近には、毛先だけが濃紺で、その他は雪のように白い動物の毛皮を、スカーフのように身に纏う。

 そして、その髪は毛先の色と同様に濃紺。

 顔は、口と鼻以外は身体のタイツのような仮面が張り付いていた。

 

 

「な、何だてめ―――」

 

 

 威勢よく片手剣を構えようとした男の声が遮られる。

 確認すれば、男は槍で、その心の臓を貫かれ、既に絶命していた。

 

 

「てめえら!! 敵襲だ、武器を取れ!」

 

 

 一人が怒鳴り散らす。

 すると、まるでスイッチが入った自動人形のように全ての男達の手に武器が取られ、既に陣形まで組まれている。

 

 

「敵は一人だ! 囲んで押し潰せッ!!」

 

 

 血を吐くように命令を飛ばす一人のメイジ。

 その杖先には既に炎球が宿っており、既に飛ばすだけになっている。

 やれ!と、誰かが叫ぶ。

 その次の瞬きを、男たちはすることが出来なかった。

 

 

 

 

 ――――この日、(けだもの)(けもの)に蹂躙された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その十

それは、丁度人々が午前の仕事を終え、午後への活力を得るために思い思いの昼食を取り始めた頃の話だった。

使い魔(アーチャー)の思いもよらぬ暴走(?)の末に、精神的に疲労し始めた主人(ルイズ)

それを見抜いていた使い魔(アーチャー)は、ご機嫌を損ねぬよう一足早い昼食を提案した。

 

 

「まあまあのお店だったわね。ま、まあ、平民のお店にしては、良かったんじゃない?」

 

「……そうだな。平民のお店にしては、な」

 

 

口元をほころばせ、上機嫌に語るルイズの表情と声音が、彼女自身の言葉を真っ向から否定していた。

結論から言えば、アーチャーとルイズの入った食堂は、所謂(いわゆる)隠れた名店という奴だったらしい。

ルイズが平民用、平民用と連呼するので、アーチャーは逆に平民の食堂がどれほどのものであるのか、と疑心に駆られていたが、それは全くの杞憂とものだった。

口では認めようとしないものの、ルイズは食事の間と後は終始ご機嫌である。

今も軽い鼻歌交じりで、馬が預けてる厩舎へと足を弾ませている。

さて、何故このような上等な店を、平民事情に疎いルイズが知っていたのか、と訊かれればそれは、

 

 

(やはり、あの香料の使い方といい、焼き加減と言い、あの店主ただ者ではないな)

 

 

弓兵の優れた五感によるものだった。

どこが優れた店であるかを、この弓兵はその店が排出する店の煙からかぎ分けたのである。

一体、どこの世界に嗅覚だけで隠れた名店を嗅ぎ分ける弓兵がいるだろうか。いや、いまい。このハルケギニアの赤マント以外には。

さて、そんなこんなで昼食を終え、アーチャー自身はまだまだ情報収集を続けたいところであったが、せっかく上げた主人のご機嫌メーターを再び降下させるのは拙い。

何が、と問われればそれは、弓兵の今後の動き的に。もっと具体的に言えば、弓兵の食事事情が。

 

 

(戦時でもないのに、兵糧攻め。しかも味方から……全く笑えんな)

 

 

そう思い、断腸の思いで情報収集を断念した。

だが、アーチャーは今の主人から独立した事を想定し、この町の求人情報を横目で確認し、更に主要な公共施設やらの立地は既に頭に叩き込んだ。

故に、これ以上の戦果は高望みになるだろうと、学院の馬が預けてある厩舎へと向かう道中、己に言い聞かせた。

が、敵は自分自身の中にいるとはよく言ったもので、主人から独立、という思考に反応してか、

 

 

――ズキン

 

 

(―――っ)

 

 

痛みに顔を(しか)め、思わずアーチャーは動きを止めた。

斜め後方の従者が立ち止まったことを悟ったのか、ルイズも弾ませていた足を止め、後方を振り返った。

 

 

「どうかしたの?」

 

「……いやなに、大方昼食を終え胃が消化活動を開始したのだろうさ。少々立ちくらみがしただけだ」

 

 

額に手を当て、精神の解析と修復をこなすアーチャーは、苦し紛れに皮肉にも似た言い訳を吐いた。

そんなアーチャーの胡散臭い言い訳に、ルイズは怪訝な表情を浮かべたものの、

 

 

「そう。まあ、何かあったら言いなさいよ? 使い魔の管理も、主人の立派な役目なんだから」

 

「そこまでのものではないさ。……そうさな、本当に拙いと思った時には、警告を飛ばそう」

 

「分かったわ。その時になったら、早めに言うのよ?」

 

 

いい?と念を押すルイズ。

契約に不都合な思考の部分を精神の奥底に隔離し、ある程度頭痛の収まったアーチャーは、素直に主人の気遣いに感謝した。

どこぞの「あかいあくま」とは違い、打算と計略のない純粋な心遣いに。

 

 

「ああ、すまないな、ルイズ。……存外、君は心優しい性格なのだな。いつの日か家庭を持ったなら、それはとても良い環境になりそうだな」

 

「な!? そ、そんなことわかってるわよ!! 当たり前でしょう!」

 

 

遠回しに「お前はいい嫁さんになれる」と告げられ、ルイズは自身のプライドに反して、赤面しながら口早にまくし立てた。

周囲には「このじゃじゃ馬が!」やら、「お前を欲しいなんて輩は相当なもの好きだな」といった悪口ばかり。

そんな中、使い魔とはいえ人語を理解し、それなりの容姿を持った異性にそんな高評価を受けるのは、かなり新鮮であり、気恥ずかしいものであった。

だがそんなことは露知らぬアーチャーは、何故ルイズが赤面しているのかさっぱりだ、と言いたげな表情を浮かべ、そのせいで厩舎までの道中、主人の照れ隠しに遭い、会話のキャッチボールを全て見送りされてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

その頃、赤と青の凸凹メイジコンビはと言えば、

 

 

「……6、1、4」

 

「目は……6、1、4!!」

 

「タバサ、見て! また当たったわ!!」

 

「くそっ!! また負けた! おい、嬢ちゃんイカサマしてんじゃねえだろうな!?」

 

 

賭場で荒稼ぎしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、首尾はどうだ?」

 

「へえ、お頭。……狙いは、こいつらです」

 

 

緑の平原と並走する二頭の馬を映した水晶に杖を(かざ)し、それを操作していた男に、皮の鎧とズボンを纏い、まるで野獣のような様相を呈した男が、近状を問うた。

薄暗い洞窟の中。そこには、二、三十人程度の屈強な体つきをした男たちが押し合い圧し合い、息をひそめていた。

薄暗い洞窟、といってもそれは、土のトライアングルメイジであるこの集団の長、ガロルド・ル・グザーレにより制作された竪穴式の隠れ家である。

彼らは、「獣」だ。

それも、手負いの。

人智を超えた何者かに襲撃された彼らは、三桁にも上る構成員の半分以上を失い、更には五人いたメイジの内、二人を失った。

あの夜以来、彼らは静かにその牙を研いでいた。来るべき、あの日の何者かへの報復に備えて。

構成員の大部分を失いながらも、彼らは何とかヤツから逃亡することに成功した。

そして、その後日、拠点にしていたあの洞窟から奴がいないことを確認すると、いくつかのマジックアイテムを回収し、今に至る。

 

 

(いや、あれはこちらが逃亡に成功したわけじゃねぇ。奴が、俺らを追う事を止めた。見逃してもらえただけだ……‼)

 

 

ガロルドの目に、復讐の炎が宿る。

薪に、ガソリンを注いだかのような、狂おしいほどに熱く、憤怒が圧縮されたようなその瞳に、周囲の男達数人が「ひっ」という短い悲鳴を上げた。

だが、ガロルドはその炎を心の奥底に押し込め、現状を分析し、溜息を吐く。

 

 

(まだだ。まだ足りん。こんな戦力では、奴の尾に噛みつくことさえままならん)

 

 

だから、彼らは魔法学院に狙いをつけた。

正確には、そこに通う貴族の令嬢、子息に、だ。

彼らを誘拐し、身代金を要求し、牙を研ぐ。

その計画の為、彼らはこの竪穴に隠れ、学院から外出する子供たちの中、護衛と警備が手薄な者たちをじっと待った。

勿論、学院側に悟られぬよう、町への街道の一つに狙いを絞って、だ。

そして、見つけた。標的は、ピンクブロンドの髪をなびかせる小柄な貴族の少女。

護衛らしき人員は、赤い外套の男一人。決まりだ。

 

 

「悪いな、嬢ちゃん、そして男。……俺の復讐のために、その体と血肉、貰い受ける。―――――さあ、野郎ども、狩の時間だ。存分に、敵を食らえ」

 

 

隠密の為、(とき)の声を挙げることは出来ない。

だが、男たちの身体からは、獲物を狙い、牙を研ぎ澄した獣の雄叫びの如き戦意が、滲み出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その十一

 拝啓、お父様、お母様へ、お姉さま方へ。

 

 

 雪が融け、落とした葉の数より多くの芽吹きを迎える今日この季節、いかがお過ごしでしょうか?

 私は、何事もなく壮健に毎日を過ごしております。これも、お母様とお父様に私を丈夫に産んでいただいたからに他ありません。

 今日、この手紙をしたためたのには、一つ大きな話題があるからなのです。

 そう、学年昇級試験でもあり、メイジにとって一生の付き合いになる使い魔を召喚する儀式、サモンサーヴァントの儀。その結果についてです。

 率直に申しまして、私はサモンサーヴァントの儀を滞りなく完遂いたしました。

 ですが、結果は些か異例の事態となってしまいました。

 と、申しますのも、周囲の学友が順調にバグベアーや、フクロウ、などの使い魔を呼び出す中、私、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、人間の。それも、傭兵らしき平民の使い魔を召喚してしまいました。

 名を、アーチャー、と言います。

 当初は困惑し、自身の力量の無さを嘆きましたが、今日、何やらグラモン元帥のご子息であるギーシュ・ド・グラモンを決闘ににて圧倒的な力量と技量で下して見せました。

 本当に、あの時の光景をお見せ出来ないのが残念で仕方ありません。

 そして、その後彼は私に教えを請い、ものの数時間で言語をマスターし、更にはハルケギニアの歴史までもその脳内に掌握いたしました。

 彼は、優秀な使い魔です。

 ですから、どうか心配なさらぬよう。

 ルイズは、壮健です。

 

 

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりの草原を、二頭の馬が並走していた。

 人々が往来し、車輪や人々の足跡が地を踏み固め、自然と形成された馬車道をカッポカッポと二頭の馬が蹄を鳴らして駆けていた。

 一方は、ピンクブロンドの髪と王立魔法学院の生徒の証である黒いマントを風に流し、その道を駆け。

 もう一方は、処女雪のような真っ白な髪、そして戦場の血を啜ったかのような紅の外套を同じく風に靡かせ、同道を行く。

 町を出て、一時間半ほど。

 道が森に入り組む直前まで、二人は会話もなくただただ馬を進めていたが、突然白髪の男、アーチャーが口を開いた。

 

 

「……ルイズ、まずいことになりそうだ」

 

「え?」

 

 

 ふとしたアーチャーの提案に、ピンクブロンドの髪の少女、ルイズが反応する。

 馬上での会話は舌を噛みやすく、あまり褒められたことではないのだが、馬術に秀でたルイズ、生前に生き抜く術として馬術を学んだアーチャーには、特例というものが適用されるのだろう。

 そんな馬上での会話に、疑問を持ったルイズはすかさずアーチャーに質問する。

 

 

「どうかしたの?」

 

「いや何、どうやら厄介ごとが目の前で起きようとしているみたいでね。……猛獣の口内に、態々(わざわざ)飛び込みに行く必要もあるまい。いや、観方を変えれば、既に舌上にいるのかもしれんな」

 

 

 眼前に広がる森を睨みつけるかのように、アーチャーは若干馬の速度を落としながら質問に答えた。

 だが、質問したは良いが、答えは「何かまずそう。いや、もしかしたら手遅れかも」という意の言葉のみ。

 応えが答えになってないじゃない、とルイズは若干苛立ちを込めた言葉で、風を切って平原を往く馬上から再度問いを投げた。

 

 

「だから、何があるのよ?」

 

「まあ端的に言えばだが……悪意ある誰かに見られている」

 

「な!?……はわ、っとと!」

 

 

 思いもよらぬ回答に、意図せずルイズは手綱を引き、馬の足を止める。

 突然手綱を引き寄せられ、急停止を余儀なくされた馬は一瞬ブヒィンと(いなな)きを上げるが、そこは学院管理の馬。嘶きを上げるだけで、騎乗主を振り落さぬよう、二、三歩たたらを踏むとそれで停止した。

 そして、そんな馬とは裏腹に、ルイズは焦燥に駆られ、慌てて周囲を見回すが、不審な人影や使い魔の影はない。

 不審に思ったルイズは、急停止したル彼女の行動を咎めるでもなく数歩先で同じく馬の歩みを止めているアーチャーに、事実を端的に伝えた。訝しそうな視線と共に。

 

 

「悪意ある誰かって? 誰もいないじゃない。……っていうか、なんでそんな事が分かるのよ?」

 

「誰かに見られている、という懸念に関しては私の経験からくる説明の出来ない感覚だ。こればかりは私の経験を信じてもらうしかあるまい」

 

「何よそれ……」

 

 

 毅然と前を向き、応えるアーチャー。だがしかし、先程から質問の応えが答えになっていない。

 はぐらかされている、としか形容できないこの状況に、そろそろルイズは堪忍袋の緒が切れそうだった。

 そんなルイズの思考を先読みするかのように、アーチャーは言葉を継ぎたした。

 

 

「ああいや、別にはぐらかしているわけではない。戦場に立ったことがあるものなら、何度か感じるものなのだよ、この感覚は。だが、それを知らない者にコレを説明するのは難しいというだけさ」

 

「……分かった。じゃあ、ひとまずアンタのソレは信じる。信じるけど……見られているとして、誰に、どこから?」

 

「さてね。まあ、少なくとも友好的な誰かではなく、かつこの平原ではない高見だろう」

 

「結局、何もわからないワケね」

 

「だがまあ……警告する、マスター。この先の森を抜けるのは止めた方が良い」

 

 

 警告。

 町で、彼は言っていた「本当に拙いと思ったら、警告を飛ばす」と。

 だが、ここで森を迂回すれば、学院に到着する頃には日は落ち、二つの月との逢瀬を交わすことになるだろう。

 ルイズは黙考する。

 己の使い魔感覚を取るか、それとも、自分の目と耳を信じてこのまま進むか。

 しかるのち、ルイズは決断した。

 

 

「森を抜けるわ。だって、感覚といっても何か根拠があるわけじゃないんでしょう?」

 

 

 この時、ルイズは慢心していたのだ。

 何故なら、ここは比較的大きな街道。森といっても、定期的に森の調査団が組まれ、盗賊や魔物がいればたちまち討伐隊によって駆除される。

 だから、安全だろう。そう、ルイズは慢心した。

 一瞬、アーチャーは何かを諦めたような表情を浮かべたが、ルイズが瞬きを一つするまでにはその表情は消え、真剣な表情がみてとれた。

 

 

「……分かった。だが、一つ頼み(、、)がある。私の後ろから絶対に出ないでくれ」

 

「わかった。それじゃあ、行きましょう」

 

 

 そう言い、二人は森へと馬を走らせた。

 手綱を弾ませ、馬が地を蹴りあげる。蹴りあげたことにより土煙が舞い、二人の後方を煙幕のように覆った。

 幕が上がり、土煙が消えたその時、

 

 

 

 ―――――ゴウゥウン!!

 

 

 

 森の入口。街へと至る街道が、獣が食いちぎるかのように突然陥没した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、勘づかれるとはな」

 

 

 獣は、地中でマジックアイテム、遠見水晶を横目に独白した。

 振り上げていた杖を下ろし、短く指令を飛ばす。

 

 

「やれ」

 

 

 と。

 森は、今は彼ら領域。

 あの二人組が町へ出かけているその僅かな間に、彼らは森の地中に蟻のコロニーのようなトンネルを開通させていた。

 獣―――ガロルドは、本来ならば日の目を見ることが出来ないメイジだ。

 メイジの魔法は術者の精神力によって発動される。

 だから、魔法を使いすぎれば精神が疲弊し、気絶する。

 メイジならばそこに例外はない。

 だが、ガロルドはその精神力を異常なまでに保有していた。

 メイジが全力全開で魔法を行使できるのは、三十分から一時間であれば優秀であるとされ、二時間持てば天才と謳われる。

 まあ、実際は魔法の威力を調節し、精神力に見合ったものを行使し、行動を継続するため、精神力切れで失神するようなメイジは、二流にも劣る三流とされている。

 

 

 だが、ガロルドは一時間でも、二時間でも、一日魔法を使い続けても失神することがなかった。

 

 

 異常。超常。家の人らは彼を持て囃したが、しかし、それは一瞬で収まる。

 

 

 地面に穴を穿つか、地面を隆起させる。

 彼に行使できる魔法はこれだけだった。

 

 

 土のメイジでありながら、錬金の一つもできず、出来るのは土竜の真似事だけ。

 彼の両親はそんな子の痴態を嘆き、ガロルドがメイジであることを世間に秘匿し、杖も護身用にと使い古した簡素なものしか与えなかった。

 ガロルドは己の無力を悔い、勉学に励んだ。だが、その結果も芳しくない。

 戦略を読み解き、構築すること以外は。

 日に日に彼の体は大きくなっていった。

 大して運動もしていない骨格は頑健に。

 同じく、本を読み、戦術を学ぶことのみをしていたが、筋肉は膨れていった。

 そう、まるで戦場を経験した戦士のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結構遅くなっちゃったけど、それでも案外早く帰ってこれたわ。ありがと、タバサ。あなたのおかげよ」

 

「そう…」

 

 

 赤と青の凸凹メイジコンビは、賭場での一稼ぎを終え、学院へ帰還していた。

 赤髪のメイジ、キュルケの用事が思いの外早く終了し、持て余した時間を賭場で費やした結果、町を出る予定の時間よりも、遅くなってしまっていた。

 なので、これは拙いか?とキュルケがタバサとその使い魔、風竜のシルフィードに帰路を急かし、町を出た時間は予定より遅れたが、学院に着いた時刻はキュルケが決めた帰還時間より一時間は早くなっていた。

 だから、持て余した時間を、キュルケはその礼も含めて中庭でタバサとシルフィードに馳走を振舞っていた。

「何でも好きなのを奢ってあげる」と言ったのに、はしばみ草というとても苦みが強く、大人でも顔を顰めてしまうような山菜のサラダを頼み、それをおかずに本を読んでいるあたり、タバサらしい。

 そんなゆったりとした午後のブレイクタイムは、使い魔のシルフィードによって破られた。

 

 

「キュイ! キュイイ!!」

 

「……どうしたの?」

 

 

 突然にシルフィードがタバサの服の裾を咥え、急かすように引っ張る。

 

 

「ねえ、どこかに行きたがってるんじゃないの? あなたの使い魔。まだ時間はあるし、行って来たら?」

 

「……そう」

 

 

 頷き、青の髪のメイジ、タバサは服の裾を咥えるシルフィードの頭を一撫でし、了解の意を伝えた。

 

 

「……いこう」

 

「キュイ!」

 

 

 

 

 

 何の因果だろうか。

 当初の予定通り、剣を見つくろい、そのまま学院に帰還していれば、彼女はこの時首を縦に振らなかっただろう。

 いや、予定とは未だ未定であるから予定なのだ。

 運命(Fate)の歯車は、動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話 ルイズの間違い

日が傾き始め、徐々に朱く色づき始めた空。

そして、徐々に濃くなり始めた闇を森の木々が、自身の影でもってそれを助長する。

 

 

「結局、何もなかったわね」

 

「……」

 

 

森に馬足を踏み入れる前、少々の問答をしたのを思い返し、半馬身ほど前を走る赤い外套に向けて、ルイズは言葉を飛ばした。

森は既に中間を抜け、あと半刻もあれば開けた街道へ出るだろう。

やはり、自分の感覚は正しかったのだろう、とアーチャーの懸念を杞憂だったのだと、胸中でルイズは断じた。

当のアーチャーは口を開かず、森の入口から変わらぬ姿勢で手綱を操っていた。

常に正面を向き、ルイズの前方を走っている為、彼が今どんな顔をしているのかはルイズには確認できなかった。

いや、そもそもルイズにそんな余裕はなく自身の選択が間違いでなかったことにほっと胸をなでおろしていた。

だから、彼が別に何も言葉を発さなくても、ルイズは特に気に留めることはなかったし、気をとめる余裕もなかった。

すると、突然アーチャーが右手だけを手綱から離し、腰に佩いていた例のインテリジェンスソードの柄に、右手を掛けた。

そして、

 

 

「――――、」

 

 

何事か呟いた。

他人に聞かせるものではなかったのだろう。発した声のボリュームは小さく、言葉は風に流されてしまった。

ルイズは訝しげに首をひねり、「何?何か言った?」とアーチャーに声を掛けようと口を開き、

 

 

――――その口腔を、大気が蹂躙した。

 

 

 

 

「!??!??!!??」

 

 

堪らずにルイズは声にならない叫びを上げた。

視界はぐるんぐるんと意味のない方向へ焦点を散りばめてしまっており、自身の状況を確認する術にはなり得ず、聴覚も轟音に埋められこちらも役に立たない。

唯一残る感覚は触覚。

自分の腹に回された、温かくも雄々しき腕の感触。

その腕の感触を頼りに、なんとか視線を真上に向けると、正面へ鷹の如き鋭い眼光を放つアーチャーの相貌が見えた。

眼光はそのままに、アーチャーは顔をルイズの耳元へ寄せ、

 

 

「そのまま、口を開けたまま着地するまで何も喋るな」

 

 

その言葉で、ルイズは初めて自分がアーチャーの腕の中で宙を跳んでいるという事象を認識した。

何が起きたのは解らない。

取り敢えず、今理解できたのは自分がアーチャーの腕の中で空を飛んでいること、ということだけだった。

そして、その現状でさえもザッという大地を踏みしめる感触でそれが終わりを迎えたのだと悟った。

 

 

「よお、完全に落ちたと思ったんだがなぁ」

 

 

そんな自身の理解が追い付かない状況の中、前(方向感覚が狂っている為、多分だが)から声がした。

焦点が合わず、どこかピンボケした視界でそちらを向くと、そこには獣がいた。

 

 

喰われる。

 

 

脳裏によぎる言葉。未だ焦点が合わず、声の主はよく見えない。

そこにあるのは、貴族である前に自分が人間であると自覚した己が能だけ。

そして、その奇妙な感覚を最後に、ルイズは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その十二

ズシャア、と砂に覆われた地の感触を硬いブーツの底で感知し、アーチャーは周囲を知覚する。

腕に感じる存在を自身の中で確固たるものにしつつ、先ほどから展開していた感覚の触手を外界に向けて伸ばしてゆく。その最中、

 

 

「よお、完全に落ちたと思ったんだがなぁ」

 

 

正面から、声がした。

その方へ視線を向けなおせば、そこには大きく穿たれた穴の淵に足を掛け、獰猛に笑う男の姿があった。

クツクツと可笑しそうに笑いながら、男はアーチャーに問いかける。

 

 

「なあ騎士様。あんた、メイジか?」

 

「……さて、どうかな。メイジであるかもれんし、そうでないかもしれんな?」

 

「クハハッ! ぬかせよ、剣士殿。あの切羽詰った状況で杖じゃなく、剣を抜いた時点であんたはメイジじゃねぇよ。もし、魔法が使えたとしても、あんたはメイジじゃねぇさ」

 

「ほう、その根拠をお聞かせ願えないかな。メイジ殿?」

 

「だってよぉ……あんた、気づいてんだろう? 俺らに包囲されてんのをよ」

 

「……」

 

 

アーチャーはその問いに答えない。

それを肯定を受け取った男は、さらに粗野な笑いを深める。

そう、気づいている。アーチャーは、勘でしかなかった悪意の存在を、今や五感で捕らえきっていた。

森に切り開かれた一本道。左右から覆いかぶさるような木々の隙間から、時折耳が捉える呼吸音。何か液体が付着しているのか、ぬらりと光を曲げながら光る(やじり)の群れ。

囲まれている。

そう、知覚する。

以前の自分であれば、気配や心眼(真)による抽象的な知覚が精一杯だったであろう。

しかし、

 

 

(視界が明るい。風の一撫で、木々の擦れ合い、全てが鮮明だ)

 

 

熱を持つ左手甲を何よりも強く知覚しながらも、アーチャーは独白する。

ルーンによって(もたら)される、五感の強化。

それによって、今現在アーチャーの五感はかの騎士王クラスまで拡張されていた。

そして、それと同時に、

 

 

(……なるほど、意識すればするほど――――彼女を、護りたくなるというわけか)

 

 

ルーンによる精神汚染が、彼の思考を侵してゆく。

目の前の男が、伏兵たちがその戦意を滾らせれば滾らせるほど、感覚は鋭敏になり、同時にルイズ(契約者)護りたい(守護しなければ)という思考が頭を埋めていく。

理性は逃亡しろ、その方がリスクは低い、そう警告する。

だが、本能が、体は、目前の敵と周囲の敵意を殲滅しろと叫ぶ。

 

 

「そんなあんたに、ものは相談なんだがよ……その腕に抱えてるお嬢様を、置いてっちゃくれねぇか?」

 

「……出来ると思うか?」

 

 

それは、相手に向けられた言葉であり、彼自身の現状にも向けられたものでもある。

そして、それを相手が知る由もなく、言の意を否定と捉えた男は、後ろ手で頭をガリガリとやりながら、

 

 

「そうかい……まあ、分かりきっちゃいたんだがよ?一応訊いておいたのさ。じゃあ、まあ―――――トんでくれるか?」

 

 

刹那、無数の敵意が短い笛のような唸りを上げながら、アーチャーに迫る―――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木々に隠れ潜んだ群れの数は、総勢二十。

地中を這う連絡要員とメイジを除けば、手勢の全てだ。その一人一人に麻痺毒を塗った矢と弓を装備させてある。

穴から上半身を出して矢を射るため、すぐに体を穴倉に引き戻せば、同士討ちの危険もない。

道は一本道。敵の足である馬は落とし穴に落ち、使い物にならない。逃げ場は、ない。

 

 

「そうかい……まあ、分かりきっちゃいたんだがよ?一応訊いておいたのさ。じゃあ、まあ―――――トんでくれるか?」

 

 

後ろ手で、ガロルドは頭を掻く。それが合図。周囲に隠れ潜んでいる群れへの合図。

意味は―――――「狩れ」。

 

 

(まさか落とし穴を回避するとはなぁ……落ちた拍子にフライで飛び上がる程度は予想しちゃいたが、まさか生身の身体能力で脱出とは……恐れ入ったぜ)

 

 

そう、ガロルドの魔法で製作した大落とし穴。それを、目標の護衛風の男は、なんと落ちる直前に馬から飛び退き、尚且つ背後から追走していた馬に飛びついた。

そして、落下する馬を足場に騎乗していた己が主人を救出して見せた。一瞬、フライの魔法を使ったかと疑ったが、彼が咄嗟に抜いたのは杖ではなく、腰に佩いたロングソード。なれば、彼はメイジではなく平民ということになる。

おおよそただの人間業とは思えぬ身体能力に、敵ながらガロルドは舌を巻いた。

 

 

(世界は広いってこったなぁ……まあ、あの数の矢を捌き切れるたぁ思えねぇ。で、忠誠心の低いやつなら自分の身可愛さに主人を投げる。が、さっきの問答でそれはねぇと証明された。……なら、こぼれた矢は、自身が盾になって主人を守るしかねぇよなぁ……)

 

 

そして、幸運なことに主人であるピンク髪のメイジは馬から飛び退いた時に頭を強く揺さぶられたのか、気を失っている。

で、あれば。

矢の毒で体が麻痺した男は無力化され、目標を奪取。それで任務完了だ。

そして、合図を呑み込み、木々の隙間から短い風切音が連続する。

これで、(つい)

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そう、誰もが思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブオオンンンンンッッッ!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、旋風が吹き荒れる。

 

 

「ガッ!?」

 

 

吹き荒れた旋風は木々を逆立て、木の葉を抉る。ビュワリビュワリと、大気が声を上げる。

あまりの突風に、ガロルドは意図せず爪先を地にねじ込み、両腕で眼球を庇う。

突風に巻き上げられた砂利が、彼の膨れ上がった前腕に叩き付けれらる。

 

 

(んだこりゃあ!! 突発的なハリケーンか!?)

 

 

前腕を砂利で叩かれる感触が止んだ。

数瞬の後、今度はピタリと風が吹き止む。

前腕を眼前から引き剥がし、ガロルドは視界を得る。そしてその目は、驚愕に染まる。

まるで、どこかの絵画から浮き出たかの様に散った木の葉が舞い、その中心に、彼は佇む。

左手に持った剣を、腰を落として振りぬいたその姿で。

その身体に傷は――――

 

 

 

 

――――ない。

 

 

 

 

その停止姿勢。矢を一矢たりともその身に受けてはいない、その奇状。これらから導き出される結論は、

 

 

(まさか、剣を振った風圧で矢を全て叩き落としたってのか!?)

 

 

そう、彼は叩き落としたのだ。

迫る矢を全て。

彼自身が生み出した剣風で。

 

 

(あり得ねぇッ!! んなこと出来んのは、かの烈風の騎士姫ぐれぇのはずだッッ!!)

 

 

そして、驚愕は連鎖する。

そこにいたはずの彼の姿が、一瞬で掻き消える。代わりに、

 

 

「グギャアアッ!!」

 

「うああぁあ!!」

 

「ああ、あぁァあアアあアア!!」

 

 

一人、また一人と、赤い外套が翻る度に、群れが一本道へと無造作に打ち捨てられてゆく。

そんな馬鹿な。あり得ない。不可能だ。こんなものは想定にはない。そんな、現実離れした現実を否定する言葉がガロルドの脳内に列挙される。

だがしかし、現実は、現状はどうだ。次々と眼前に転がされる己の部下たち。

耳に届く、獣達の悲鳴。

苦し紛れに打ち込まれる魔法の数々が、一瞬の煌きと共に消え去り、その直後に奔る赤線が行使したメイジを道へと打ち付ける。

嗚呼、嗚呼、嗚呼、何だ、何なんだ、これは。

 

 

(なん、何だよ……? 何だって、こんな、こんなことがッ!?)

 

 

無意味な自問が、自答されることはなく彼はただただ、呆然と眼前で繰り広げられる惨状を眺めている事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










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第四話 誘惑と驚愕 その十三

お話の前に。
熊本大震災で被災された皆さま。この度はまことにご愁傷様でした。
微力ながら、震災募金に募金させていただきました。それでどうなるとも分かりませんが、どうか、一刻も早く日常の風景を取り戻される事を、心からお祈り申し上げます。


 一矢一矢に塗られた、毒液がぬらりと怪しげに艶めく。

 空中を滑るようにして飛んでいるこれらを一矢でもその身に受ければ、体の自由と共にルイズの身柄まで失うことになるだろう。

 それは、想像することさえ(はばか)られる最悪の未来であり、絶対に避けねばならない仮定だ。

 だがしかし、アーチャーにはその身を矢が貫くビジョンが一つたりとも連想できなかった。

 

 

(……これが、このルーンの神髄、といったところなのか?)

 

 

 一つ、また一つと彼の後ろへ流れてゆく矢に目もくれず、その矢を放った射手たちへと距離を詰める。

一歩、また一歩と足を出すたびに、射手たちの表情筋が緊張し、顔が強張っていくのが見える。

 矢を一矢射るごとに、その表情はさらに深く、濃くなっていく。

 焦燥。驚愕。恐怖。

 それらの感情が、射手たちの身を焼き、次矢を取る手を震わせている。

 そして、射手達の中の一人とその距離がゼロになる。

 

 

(剣の峰で殴れば、身体ごと吹き飛ぶ。かといって、刃で斬りつけるのは論外だ。で、あるなら)

 

 

 剣を握ったままの手を僅かに開き、射手の衣服を掴む。そして、そのまま切り拓かれた一本道へと投げ出す。

 これらの動作を、何度も繰り返す。

 相手が矢を射ろうが、杖から炎を迸らせようが、お構いなしに続ける。

 一本道に投げ打たれた男達は、身体を丸め苦しげに呻きを上げる。

 誰一人欠けることなく。誰一人その命を散らすことなく、だ。

 

 

(別に、生かしておく理由もない。彼らも、このような稼業に手を出した時点で、覚悟は出来ているだろう。私が手を下さなくとも、役人に引き渡せば自然にその首は飛ぶだろう)

 

 

 分かっている。アーチャーが手を下さなくとも、彼らは役人の手に渡ったが最後、確実な死を迎える。

 因果応報。悪因悪果。

 各々に事情はあるだろうが、成してきた事柄は変わらず、そしてこれからも彼らはその行いを改めることはしないだろう。

 だが、だとしても、

 

 

(それは、私が下すべき誅ではない)

 

 

 心の中で独白し、その上でまた自身に問いかける。

 その行いは、責任逃れではないのかと。

 そもそも、体と心が正常でない今この時に下した決断が、本当に正しいのかと。

 結論は、先と変わらない。

 確かに、命を狙われた。ルーンによる精神汚染の影響とはいえ、庇護対象と断じた命を狙われた。

 生かしておく理由はない。

 だが、殺すべき理由もない。

 ある種の精神異常。精神疾患なのだろう。彼女風に言えば、心の贅肉(ぜいにく)という類のものだ。

 ……あるいはルーンが「彼女に重荷を背負わせるべきではない」と判断し、甘い決断へとこの身を誘導しているのかもしれない。

 

 

(……ある意味、これが理想的な思考と行動なのかもしれんな……)

 

 

 そうして、アーチャーは全ての射手を一本道に晒し終えた。

 一つの動作を終え一呼吸挟んだアーチャーを見計らったかのように、今の今まで沈黙していた剣―――デルフリンガーが大きく振動し、声を発する。

 

 

「あんちゃん! 何かやべぇのが来んぞ!!」

 

「何?」

 

 

その刹那、

 

 

 

 

 

 

 

――――ゾワリ。

 

 

 

 

 

「ッッッ!?!!?」

 

 

鳥肌が立つ。

 

体中が泡立つ。

 

 神経という神経が、捕捉した存在に向けてリソースを大量に消費していく。

 呻きを上げる男達の声が、木々のざわめきが、耳を撫でる風の音が、総てが、悉く、遠退いていく。

 アーチャーが捉えたその存在が立てる音のみが、彼の耳に届く。まとわりつく。

 ざり、ざり、と砂利を踏みしめ、次第にその身を地に深く這わせ、前傾姿勢を取るそれに、意識が引き戻される。

 今までどこかぼんやりとしていた意識の靄が晴れ、頭がスッと軽くなる。

 そうして代わりに、左手甲に刻まれたルーンがこれまで以上の熱を孕む。

 腕の中のルイズ(契約者)を守り通せと。

 

 

「何故、貴様が……!!」

 

 

 正面のそれを睨み、アーチャーは吠える。

 

 

「終わったのでは、なかったのかッ!?」

 

 

 その叫びが届いたのか否か、それはニンマリと口角を上げ、口を開く。

 

 

「Grrr……Guyyyyya―――‼」

 

 

 そうして、その口から洩れたのは、おおよそ声帯から発せられたとは到底思えぬ(けだもの)の咆哮。

 耳をつんざくような咆哮を上げたそれは、手に握られた朱槍と共に空へと跳躍する。

 

 

(もし本当にあれが、ヤツだと仮定するならばッ!!)

 

 

 跳躍のしたその直後、アーチャーはそれの跳躍の意味を推測──否、それを、思い出す。

 そして、瞬時にデルフリンガーを地に突き立て、拳を開いた状態で左手を正面に突き出す。

 その状態から、口早に一節の呪文を唱える。

 

 

「――――I am the bone of my sword.(体は  剣で 出来ている)

 

 

 そのアーチャーの詠唱と動作が完了したと同時に、それは跳躍の最高点で弓の弦を引くかのように、その身を人体の限界まで引き絞る。

そうして、

 

 

突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)ッ――――‼」

 

“熾天覆う七つの円環”(ロー・アイアス)――――!」

 

 

 投擲された朱き魔槍と、七つの花弁を象った紫色の大楯が、暮れゆく空に火花を散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしたの?」

 

 

 タバサは、殆ど日の落ちて薄暗くなった空を飛んでいた。彼女の使い魔であるシルフィードの背に乗って。

 いつもはどこか抜けた調子で、天真爛漫な性格のシルフィード。そんな彼女の様子が、今はどこかおかしい。

 

 

「キュイイ……!」

 

 

 まるで、何かに身体を支配されたかのように、シルフィードは一心不乱に羽ばたきを繰り返す。自身の身体を強打する風に姿勢を低くして目を細める。明らかに、シルフィード様子がおかしい。こんなことは、魔法学院に来てからは初めてだった。

慣れているはずのタバサでさえ、背びれに掴む手に力を込めるレベルなのだから。常人ならば、三十秒も経たぬうちに振り落されてしまうだろう。

 

 

「シルフィード……?」

 

「キュイ……キュイイイイ!!」

 

 

 流石にこれは尋常ではないと判断したタバサ。シルフィードに制止をかけようと声を上げた瞬間、シルフィードが甲高い叫びを上げて雲海に突入する。

 細めた瞼のまつ毛に、雲の中の水滴が張り付く。

 そのうち、視界がぼやける。眼鏡が水滴で曇っているのか、瞼の中に入り込んだ水滴が視界を冒しているのかもいるのかもわかならい。

 これでは視界が役に立たないと判断したタバサは思考を切り替えて、手に感じるシルフィードの固い鱗と背びれの感触を頼りに、力の限りその背に張り付く。

 そうして、幾分か経た後。身体を叩く風の感触と、自身を引き剥がそうと牙を剥く慣性が、静かにそのなりをひそめる。

 

 

「なん……だったの?」

 

 

 体中に水滴が付着し、にわか雨にやられた様な状態のタバサは、曇った眼鏡をブラウスの袖で乱暴に拭き取ると、自身の使い魔を見やる。

 そこに、いつものお気楽な使い魔の表情はない。

 鬼気迫る。その表現をそのまま身に宿したかのように牙を剥き、身体を強張らせるシルフィードの姿が見えた。そして、その視線はただただ、地上に向けられている。

 

 

「……なに?」

 

 

その視線の先にあるのは、

 

 

「……アー、チャー?」

 

 

 街道に続く森の一本道。

 その一角で、赤い閃が奔っていた。閃が翻り、道を横断するたびに何やら盗賊のような身なりの男達が一本道へ打ち捨てられてゆく。

彼だ。間違いなく。

 その速度に、目が追い付いていけずに全容は分からないが、それでも特徴的な紅い外套だけは、見間違えようがなかった。そうしてアーチャーの存在に気づき、更に周囲の状況を確認してゆく。

 先も確認した鬱蒼(うっそう)と茂る森と、拓かれた一本道。そこに、先程は日暮れの薄暗さで見えなかったが、何やら大穴が空いており、これまた粗野な格好の男が前方で巻き起こる旋風を前に独り、呆けていた。ただ、何をするでもなく前方を見据えていた。大方、自身の目の前で巻き起こる光景が信じられないと見える。

 まあ、自分でもこのような光景を口頭で聞かされようものなら、無視して本の世界に没頭するはずだから。

 そして、身じろぎ一つしない男を視界から外そうとした瞬間――

 

 

 

――――ドクン

 

 

 

 何かが、胎動する。

 いや、違う。

 

 

 

 

―――ドクン

 

 

 

 

 これは、

 

 

 

――ドクン

 

 

 この、感覚は―――

 

 

 

―ド、――クン――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

獣が、牙を剥いた。

眠りについていた獣が、ふと目を醒まして、口端を上げた。

 

 

 

その感覚が、タバサの身に刻みこまれる。

 今まで、いくつもの絶体絶命の窮地を脱してきた。

 死ぬかもしれない。そう思うことは多々あった。だが、まだ自分は死ぬことは出来ない。こんなところで、死んでなど誰がやるかと心を鼓舞し、心の中にいる大切な家族の顔を思い出し、前に進んできた。

 だが、これは、この感覚は。今まで掻い潜って来た死線が生ぬるいとさえ思わせるこの濃密なコレは。

 

 

――――殺気

 

 

 これが、殺気。

 喉に剣を突き付け、眼球に針先を翳したところで、ここまでの恐怖と圧力は生まれないだろう。それほど濃密な殺気。

 そうして、男の在り方が変わってゆく。

 身体の心臓辺りから靄のようなものが噴き出て、男の全身に纏わりつき、次第に形を成してゆく。

 最初に心臓から始まり、左腕、右足、左足、胴、首、頭、右腕の順に、靄が固定化され、紺色の素肌に張り付くような衣服、それに次第に銀のラインが奔っていく。

 そうして、最後に開いた右手に靄が集約し、集約されたそこから、何かを掴む。掴んだ瞬間、最後の靄が一気に取り払われ、それは顕現した。

 どこまでも刺し貫くような長槍。何かを欲するような、その朱い色に、タバサは目を奪われた。

 その刹那、一本道にアーチャーが姿を現し、それを確認したのか、雄叫びを上げながらソレは空へ跳躍する。

 耳をつんざくその咆哮に眉を顰めるタバサ。それでも、その視線は二人を離さない。

 そうして、投擲された朱き魔槍と、七つの花弁を象った紫色の大楯が、タバサの視界を彩った。

 

 

 

 



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第四話 誘惑と驚愕 その十四

 傾いた陽の光を掻き消すように、二つの宝具が空に火花を咲かせる。

 七枚の花弁を象った紫色の大楯は死の因果を孕む朱槍を受け止め、鮮血のような花を散らした。

 

 

「───はあぁぁぁぁッ!!」

 

「Guyyyyaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 

 

 裂帛の声が重なり、火花の散りが加速していく。やがて、徐々にではあるが朱槍が紫の大楯にその穂先を埋め始める。じりじり、じりじりとその凶刃が、その苛烈さとは裏腹に獲物(アーチャー)心臓(死の因果)へゆっくりと距離を詰めていく。

 一枚、二枚、そして今三枚。七枚あった大楯の花弁は、残り四枚。さらにその四枚目も今まさに刺し穿たれようとしていた。

 

 

 

(このままでは、押し込まれるッ……!!)

 

 

 右腕に感じる温もり。それを意識し、宝具発動の起点とした左手の五指一掌に更に力を込める。絶対にやらせはしない。その思いを乗せて。

 すると、それに呼応したかのように左手甲に刻まれた刻印が、宿主の腕を焼き尽くさんばかりに光を強める。

 

 

 

 熱い──熱い──熱い──熱い──。

 

 

 熱は左手甲を伝い、左手、肘、上腕と、やがて左腕そのものを焼いていく。

 その熱は、かつて自身が未熟であるが故に味わった、修練の熱に似ていた。そう、炉に晒された鋼の熱。やがて剣へと姿を変える荒々しい業熱だ。

 

 

(理性もなく、首輪の取れた駄犬風情に──!!)

 

 

 まるで熱に浮かされた(、、、、、、、)かのように、アーチャーは目を見開いた。

 その瞬間、

 

 

──キュイイインンンッ!!!!

 

 

 大楯が、花開いた。

まるで、先ほどまでの大楯が蕾か何かだったかのように、大楯が放つ光が強まる。

暮れかけた空と対照に光が森の木々照らし、光源から放射状に紫色の影が延びた。

 そうして、

 

 

──ガギンッ!!

 

 

 高周波な音が森に一瞬で伝播し、また一瞬で消える。

 

 

 弾いた。

 

 

 かの魔槍を、死の呪いを、先の聖杯戦争では片手と魔力の大半を犠牲にほぼ死に体状態で受け止めたあの魔槍「ゲイ・ボルク」を殆ど完全に、弾き返した。

大盾は半壊したが全壊には至らなかった故に、魔力の損耗も以前に受け止めた時とは比べ物にならないほどに抑えられていた。

 そうして、主人の危機を一時的に脱した為か、身体を浮かしていた熱が手甲まで引いていく。

 熱が収まり、冷静な思考がアーチャーに返還された。

 

 

(一刺一殺の呪いの槍を、こうも簡単に……。原因は、十中八九先程の奇妙な感覚か。であれば、これは固有結界の変質に付随する何らかの現象であると見て間違いなかろう。トリガーは、主人の危機といったところか……しかし、冷静な思考を犠牲に強大な力を得る、か。……まるで、狂化の呪いだな)

 

 

 空から再び地に足を付き、ソレは無造作に右手を掲げた。

 そこに弾かれた朱槍が直線を不器用に繋ぎ合わせたかのような複雑な赤の軌道を描き、掲げた右手にストン、と収まった。

 それを確認するより以前、アーチャーは地に突き立てたままのデルフリンガーを無視し、左手に陰剣莫耶を投影。

 通常、夫婦剣・干将莫耶はその手に一組をそろえてこその宝具だ。

 だが、現在右腕はルイズを抱えるのに埋まっており、夫婦剣をその手に備えるのは人体構造的に不可能。そして、いくら前回よりも効率的に運用できたとはいえ、熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)はその七枚の花弁を揃えるのに、決して軽くはない魔力を消費する。

 だが、下手に神秘の内包が少ない剣を構えれば、剣ごと身体を槍に貫かれるだろう。

 故に、最も使い慣れた夫婦剣、その片割れを召喚するに至った。

 そうして投影し終えた莫耶を、右腕に抱えたルイズを庇う様に右足を引き、半身に構える。そして、

 

 

「Guaaaaaaッッ!!」

 

「はああッ!!」

 

 

 両者の距離が一瞬にして無に帰した。

 突き込まれる朱槍、鳩尾、肝臓、咽仏の順に三刺がほぼ同時突きこまれる。

 一突きたりともその身に受ければ、必死の呪いが自身を苛む。

 しかして、アーチャーはその全てをことごとく陰剣莫耶で弾き飛ばす。響く、限りなく間隙の無い三度の金属音。その音を合図に、剣戟は加速の一途を辿る。

 その身に迫る多彩な朱槍の刺突に加え、槍の尻に作られた石附によって繰り出される打撃、信じられぬほどの加速を生む両足からの蹴り。

 それらを刻印によって強化された五感と、膂力を用いて無理矢理に捌き、いなし、振り払う。

 両者、一進一退、いや、アーチャーは右腕にルイズを抱えているため、無茶な挙動は制限される。それこそ、音速域での戦闘などもっての外だ。そんな事をすれば、気を失っているルイズの首の骨が負荷に耐え切れず、ボキリといってしまうだろう。

 故に、アーチャーは今一歩踏み込むことが出来ず、相手の懐には未だに飛び込めない。

 現に今も、相手の槍撃を弾き落とし、その衝撃で相手が仰け反り追撃の機が巡っては来ていた。しかし、リーチで負け、あまつさえ手に護衛対象を抱えたこちらは自身から攻め入ることはリスクが大きすぎる。

 よって、防戦一方とまではいかないが、

 

 

(このままでは、ジリ貧か。……ルイズをどこか安全な場所に退避させることが出来れば、形勢は一気に逆転し得る。だが、奴の目を盗みルイズを退避させることは不可能に近い。

──一か八か、やるか?)

 

 

 この場を覆し得る、起死回生のの一手。

 が、脳内に浮上したその一手をアーチャーは即座に却下する。

 

 

(いや、この場での固有結界の展開はリスクが大きすぎる。変質も未だ不鮮明、魔力も心もとない。賭けは賭けでも、自殺行為にも似た蛮勇か)

 

 

 なれば、この場をどう切り抜ける。

 模索、検索、思索。

 考えろ、考えろ、未来を探せ、確実な未来に手を掛け、足で踏み固めろ。

 無限に続くような剣戟の嵐の中、アーチャーは思考を澄み渡らせる。

そして、その思考の最中、アーチャーは視界の隅──空からこちらを見つめる、二対の瞳を視認し、その存在が瞬時に彼の思考に組み込まれる。

 

 

(賭けであっても、そちらの方が幾分か利があるか。……ならば、)

 

 

 決めた後は、行動あるのみ。

 その言葉を忠実に実行に移す。機は、突進の後に生まれる隙。

 

 

「Gyyyaaaaa!!」

 

 

 迫る、理性なき獣の刺突。踏み出した瞬間に足場は陥没し、その勢いの強さを物語る。そして、それに合わせるように、アーチャーも地を蹴る。

 

 

「ふっ!」

 

 

 そうして、両者の獲物が交差する。

 ガキン、とルイズごとアーチャーを射線に捉えた刺突を力任せに叩き落とす。

 しかし、叩き落としのその反動を利用され、円の軌道を描き槍の石附がアーチャーの側頭部を狙う。

 その反撃を膝をかがめて回避。

 回避と同時、その勢いで地に槍が突き立てられ、相手の膝が折り畳まれる。

そしてその次の瞬間には突き立てられた槍を支柱に、アーチャーの中心線を狙った両足蹴りが飛ぶ。

 

 

「っ!」

 

 

その蹴撃をしゃがんだまま体の中心線を軸にターンすることで躱す。そしてその間、蹴撃の勢いのまま槍を地から引き抜き、相手は数メートル先に両足から着地する。

そうして、

 

 

(……来たッ)

 

 

遂に、機が訪れた。

着地時に折り曲げた両膝をバネに、またしても突進を繰り出す。

 その突進を、待っていた。

 突進の兆候を察知した瞬間、アーチャーは逆に相手方に吶喊(とっかん)する。全力を発揮する訳にはいかないが、彼が今発揮し得る最高速度に一秒とかからずに到達。両者は距離を一瞬にして縮める。

 そして、両者の得物が火花を散らすその寸前、

 

 

「“――――投影、開始(トレース・オン)”」

 

 

アーチャーは目前に無銘の大剣を一振り相手の足元に剣先が向くように投影。その投影が実像を結んだその刹那、

 

 

「ふっ!」

 

 

 大剣の柄頭を靴底で蹴り飛ばす。

 これにより、座標を固定され何の運動力もなかった大剣に、突如として前方への運動能力が与えられる。そして、銘も無き大剣はその場で英雄を殺し得る弾丸へと変貌を遂げた。

 音を置き去りにする速度で迫る大剣。大剣は地に着弾した瞬間その地を穿ち、暴風を晒す。それら一つたりとてその身に受ければ、例えサーヴァントであろうとも無傷では済まされない。

 だが、それは攻撃が当たればの話だ。

 まるで狂ったかのように疾走する槍兵は、大剣の襲撃をいとも容易く掻い潜る。必殺の爆風などまるで元からこの世に存在しなかったかのように。

 突進の速度は緩まない。

 しかし、アーチャーは馬鹿の一つ覚えのように空中への投影を繰り返し、大剣を宙に浮かべては蹴り、浮かべては蹴る。 

 いくら攻撃に威力があろうとも、当たらなければ意味がない。その戦場での真理を体現するかのように、槍兵はアーチャーへと距離を詰めた──

 

 

 

 

 

──はずだった。

 

 

 

 

 

 そう、本来ならば距離は縮まりアーチャーと槍兵は再び剣戟の最中へ戻っていくはずだった。しかし、そうはならない。なり得ない。

 何故ならば、アーチャーと槍兵の距離は縮まるどころか、徐々に距離を離していく。

 横軸ではなく、縦軸に。

 

 

「Gyyyaaaaa!!」

 

 

 縮まぬ彼我の距離に激昂したのか、槍兵は吼える。そして、ようやく横軸ではなく縦軸に距離を離されているという事象を解したのか、自身も縦軸に距離を詰めるべく膝を曲げ、跳躍の前動作を始める。

 そこへ、アーチャーの大剣射撃。

 獣の勘で危険を察知した槍兵は、縦軸への跳躍に用いるはずだった膝のバネを、横軸へ無理矢理に傾ける。間髪入れず、そこへ大剣が着弾。土煙を巻き上げる。

 槍兵は横方向へ跳躍し、槍を樹木に突き刺して足場を確保。

槍兵は否が応にも理解させられた。これは、千日手だ。アーチャーを空へ逃がしたその時点で、所謂「詰み」という状態に移行したのだ。

 そうして、自身の苛立ちを隠せぬ槍兵に、アーチャーは更に距離を稼ぐ。稼ぎつつ、その跳躍などの動作を大剣で牽制。

 

 

「Gaaaッ!!」

 

 

 吠え立てる槍兵。しかし、その声は負け犬のソレに等しい。

 そうして、その状態が何手か続き、終わりは唐突に訪れる。

 槍兵を正面から見下ろした状態で大剣の射撃を行っていたアーチャー。それが、次の大剣の射撃の瞬間に、クルリと身体を反転させる。

 反転したその正面に見据えるのは、

 

 

「……え?」

 

 

 二対の瞳──タバサとシルフィードだった。

 

「……すまない、少々預かっていては貰えないか?」

 

 

返答を待たず、ルイズをタバサへ放る。

 あまりの暴挙に、タバサの思考が一瞬止まる。停止した思考の中、いつの間にか雲の切れ間から除いていた双子月の光が、宙に踊るルイズの桃色の髪を濡らした。

 一瞬、不覚にも綺麗だ、などと場にそぐわぬ感情を切り捨て、理性で以て自身の使い魔に命じる。

 

 

「……シルフィード!」

 

「きゅいい!!」

 

 

 タバサと同じように呆けていたシルフィードだったが、タバサの一喝で目を覚まし、主人の命令を言わずとも実行する。

 放物線を描くルイズの軌道を予想し、その道中にシルフィードという着地点が滑り込む。ぽす、という間の抜けた音を発し、ルイズの身柄はタバサの手中に入った。

 それを見計らっていたかの様に、アーチャーが重力に引かれ始める。

 

 

「恩に着る」

 

 

 その一言を残し、アーチャーは戦場へと落ちていった。

 



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第四話 誘惑と驚愕 その十五

 重力に身体が囚われる。

臓物が体内で揺れ、得も言われぬ浮遊感となって身を苛み、叩きつけられる強風に紅い外套がバタバタとけたましく音を立てる。

まるで生前に数度乗ったことのある絶叫アトラクションのような浮遊感だったが、それを享受していられるほどアーチャーに余裕は与えられていなかった。

 

 

「フッ!」

 

 

強風に呼吸を阻害されながらも、鋭く短く息を次ぐ。そうして自由落下に身を任せながら、投影した黒の洋弓に大小様々な刀剣を番え、矢として目にも止まらぬ早さで速射していく。

常人であれば半秒足りとも持たないであろう矢の嵐。矢が着弾した箇所はまるで月のクレーターを想起させ、その矢の的である槍兵はなすすべもなくそれらを回避することに専念している。

……一見、この状況はアーチャー優勢にも見える。

 

 

しかし、その実は真逆。

 

 

三次元的な挙動が可能な手段を持つ者を除き、殆どの者は自由落下中は大きな方向転換が出来ない。

 一瞬でも隙を与えれば、それが命取りになる。

ルーンによって規格外の膂力と五感を与えられてはいるものの、所詮その身は非才の塊でしかない。まして姿形は変わってはいるものの、宝具の真名解放をしてみせたのだ。奴はアイルランドの光の御子、クーフーリンに相違ない。

 であればこそ、慢心と思考の隙はそれそのまま(敵宝具の真名解放)へと直結する。

ならば油断を抹消し、常に最善策を取り続ける。

イメージするのは常に最強の自分。そこには外敵も、油断も慢心も必要ない。

 

 

「Gruuurrraaaaaaaaa!!」

 

 

 降りやまぬ刀剣の嵐。しかし、槍兵は未だに戦意を失うどころか、獰猛な笑みすら浮かべる。

 突風が吹き付け、常人であれば目を開くことさえ困難な状況の中、アーチャーは神業がごとき精度で矢を連射し続ける。

そうして自由落下に身を任せ、ある程度の高度まで降下したところで、アーチャーは剣の柄を足場に着地の衝撃を抑え一本道へと降り立った。

 元の場所からはやや学院側に寄っている。

 見れば、街道に続く一本道はにはそこらかしこにアリ地獄のようなすり鉢状の穴が穿たれており、まるで巨人か何かが一本道を踏み鳴らして歩いていったかのような様相を呈していた。

 それらに一瞥もくれず、アーチャーは牽制と思考を続ける。 

 

 

(何とかルイズは安全圏、とまではいかないが多少なりともマシな場所へ移した。気色悪いの事この上ないが、幸い奴の目線は私に釘付けだ。このまま、身体強化とルーン魔術の効果に物を言わせ、離脱を試みるのも手だが……となれば、この理性のない獣を野に放つわけだ)

 

 

野に放たれた理性なき獣畜生。その闘争本能の進む先は街か、学院か。

それとも、この街道に留まるか。どちらにせよ、最低で人死に、最悪は街か学院が血に染まって地図から消える。

何やら訳ありで理性を欠き、ある程度弱体化しているとはいえ、神話の英雄クラスの猛者と立ち会えるような実力者がそうそういるとは思えない。

 ならば、離脱は悪手でしかない。

アーチャーはその両手に夫婦剣、干将・莫耶を投影。

僅かに腰を落とし、両腕をだらりと下げて無形の構えを取る。

 

 

(魔力も、そう多く残っているわけではない。……なれば早期決着。それも、相手に反撃の隙を与えぬ必殺の一撃。それを急所へと確実に叩き込まねばならない、か)

 

 

アーチャーの脳裏に、一つの戦術案がよぎる。

そうして、二人の男が相対したと状況が確定した直後、両者の足元が()ぜた。

舞い上がる土煙に紛れ、金属と金属が激突しあった証たる火花が散る。

一つ、二つ、三つと数えるのもバカらしくなるほどの剣閃が弾けては消え、弾けては消える。その様はまるで、四方八方に火の粉を散らす線香花火がごとく。

しかして、線香花火にはない苛烈な戦場の雰囲気を孕んだ二人の戦いは、さらに高速化してゆく。

 

 

(……理性を失いながらも、その速度と技の鋭さに衰えはない。少々落ち着いてきたとはいえ、ヘラクレスの膂力の半分程度の力が今の私にはある。しかし、それを推してなお、善戦するか。やはり腐ってもアイルランドの光の御子、ケルトの大英雄か)

 

 

 木が根元から弾け飛ばない程度に木の幹を蹴って跳躍、同様にして槍兵も加速。

槍兵がすれ違いざまに一撃、とみせかけた体幹への刺突三連撃を、アーチャーは三段突きの要領で力任せに迎撃。

衝撃に耐えきれず、両剣に(ひび)が入る。

迎撃の反動で独楽のように回転しながら、罅の入った両剣を回転投擲。宝具「夫婦剣・干将莫邪」の特性、引き合いを利用したギロチンが、左右から槍兵に迫っていく。

 しかし、槍兵はそれを予期していたかのように空中で腰を回し、右からを朱槍、左からを足で──回転している干将の中心を正確に蹴り抜き──迎撃。両剣を粉砕。その反動で態勢が崩れたかと思えた瞬間、近場にあった樹木でキックターン。息を吐く暇もなく、攻守が逆転。風を抜き去り、音を置き去りに、二者か駆け抜けた軌跡がなぎ倒される木々によって森に刻まれていく。

 もし上空から俯瞰していたとしても、その戦いの軌跡はそう簡単に辿り切れるものではなかった。正確に不規則に蛇行し、直線的かと思えば円運動のように一定周期で衝突、また蛇行。

 光の交わりが幾度も火花と被害を撒き散らし、その後静寂が訪れた。

 両者が木々の合間に降り立ち、それぞれの武器を相手へと構えた。

 

 

「ランサー。いや、ケルトの大英雄クー・フーリン。貴殿にまだ返答できるだけの知性が残っているのなら、一つ問いたい」

 

「Graarrrr……!」

 

「……やはり、答えはしないか」

 

 

 問いに槍兵は答えず、代わりに己が武器に溢れんばかりの闘争心を乗せ、こちらに向けてくる。

半ば諦めていたとはいえ、この世界に呼ばれた理由への大きな手がかりになるかと期待したアーチャーは、落胆しながらも素早く頭を切り替える。

 如何にこの獣を手早く効率的に処理するか。命の灯を消し去るか。

 算段を下し、荒く息を吐き黒い靄のようなものに巻かれたクー・フリンを前に、アーチャーは両剣でXを形作るように構え両足のバネを活かし後方に飛びす去った。当然のように間合いを一足で詰めた槍兵に、跳躍と同時に放たれていた陰陽の剣が胴と首を斜めに両断すべく飛来する。

それを槍を横軸に独楽のように回転しながら踏み込むことでかわし、一息に心臓を刺し穿つたんとする。

が、そうは問屋が下ろさない。

踏み込んだ先には更に飛来する剣の番。これには槍兵も後退せずにはいられず、両足を鉄杙のごとく地面に穿ち転身を試みる。これにより仕切り直しかと思われたが、槍兵はその獣のような勘でもって、自身の死地を予見する。

 

 

「Gruaaa!?」

 

「悪いが、決めに行かせてもらう」

 

 

槍兵が転身を試みた後方のそのルートに、予め設置された夫婦剣のギロチンが回転しながら待ち構えていた。

 

 

「変則、鶴翼三連」

 

 

前方、後方へ飛び出せば飛来した剣に四肢を両断され、かといって上下左右にかわせばアーチャーにより両断される。

己の詰みを感じ取った槍兵は、怒りの咆哮を上げることなく頚を落とされた。



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