ストライク・ザ・ブラッド ー暁の世代ー (愚者の憂鬱)
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予兆と胎動

久しぶりに復帰いたしました。
また気紛れにやりますので、皆様も暇なときにお目汚しの方お願い致します。


 青々と茂る竹林の中を、濃密な闇が充している。

 この日天に登っていた筈の丸々としたカンボクの実は、今は薄い雲に覆われて、煌々と降り注いでいた光はすっかりなりを潜めていた。そこは最早、一寸先も見通せない暗黒の世界と化していた。

 そんな森に灯をともすかのように、甲高い金属音と赤銅色の光が幾度となく瞬く。

 光は一拍の間に一度、二度、三度と数を増やし、やがて十を超えるようになった時、一際大きな金属音と共に二つの影が森を飛び出した。

 

 ズン‼︎と轟音を響かせて着地したのは、異国風ながらも何処か『和』を感じさせる外套に身を包んだ巨漢。自身の背丈ほどの巨大な野太刀を肩に担ぎ、歯をむき出しにした獰猛な笑みを浮かべている。

 

 それに対して、踵を地面に突き立てるようにして勢いを殺し、洗練された無駄のない動きで白銀の槍を構えたのは、艶やかな黒髪を肩口で切り揃えた絶世の美女。しかし彼女の服装は、彼女自身の髪色と同じ漆黒のスーツで、あたりを覆う深緑の木々の中にあって、その姿は些か景観を損ねているといっても過言ではなかった。

 

 向かい合い互いを睨んでいた二人は、数秒の沈黙の後どちらからともなく再び激突した。

 

 女は呪術と、生涯の伴侶から『授かった』力を持って地面を蹴り出し、人間の姿形をしているにもかかわらず、種としての限界を超えた文字通り異様な速さで槍を振るう。

 負けじと大男もその槍先を悉く見切り、野太刀で弾き、身を捻って躱し、隙をついて返しの斬撃を繰り出した。

 獲物同士がぶつかり合い、火花を散らすたびに、竹林に強風が吹き荒ぶ。

 きゃりぃぃん‼︎と鈴が鳴るかのような金属音が響き、女が突如後方に跳躍して大男との距離を空けた。

 顔を顰め謎の行動を訝しむ大男を冷たく見据え、唇を僅かに開き、囁くようにその『口上』は告げられた。

 

「第四真祖の血の従者 暁雪菜が汝の枷を解き放つ…」

 

「‼︎?」

 

 血相を変えて女に飛び付き、そうはさせまいと頭に向けて太刀を振り下ろす。

 しかし、頭蓋を叩き割る筈だったその軌道は、女の鼻先数十センチのところで白銀の槍に阻まれた。

 

「来なさい! 獅子の黄金(レグルス・アウルム)‼︎」

 

 閃光、雷撃が迸る。

 無数の千鳥が鳴いているような音が響き、やがてその奔流は巨大な獅子の姿に変わった。

 

「ぐぅ……ッ‼︎」

 

 獅子は大男を呑み込み、なおも直進を続ける。力任せに腕を振るいようやく大顎から抜け出した時、大男の外套からは焦げ付いた匂いと煙が立ち上り、感電による無数の火傷が刻まれていた。

 両手両膝を地に付き肩で息をする男は、土煙の向こうから近づいてくる女の影を睨み付けた。

 

「安心してください、殺しはしません。拘束した後に少々話を聞かせて貰うだけです」

 

「…くく…随分と甘いのう、眷属の女よ。暁雪菜と言うのか?」

 

 名前を明かされた不快感に一瞬眉を顰めて、雪菜はその問いかけを努めて無視し、未だ顕現させていた獅子の黄金(レグルス・アウルム)の前脚で上から押し潰し口を聴けないように拘束した。

 脚にフィットする黒のズボンのポケットから携帯端末を取り出す。もう二十年来の付き合いになるかつての恩師の女性に連絡を取ろうと考え、ふと動きを止めた。

 果たしてこの電話は繋がるのか。

どうやら大事かことを失念していたようだ。

 今雪菜がいる場所は、深まった森のど真ん中である。更に言えば、この世界はそもそも雪菜が元いた世界とは次元を異にしている。案の定、電源を入れた携帯はさも当然のごとく一本のアンテナも立っていなかった。

 頭を抱えたくなる思いで、雪菜が大きなため息を吐いたその時。

 

 目の前の森で、巨大な火柱が上がった。

 

「な……ッ!」

 

 少し遅れて轟音が雪菜の全身を叩いた。

 烈風が吹き荒れ、森をかき乱す。

 拘束している大男にも注意を配りつつ、爆煙の方向に向き直り愛槍『雪霞狼』を構えなおした。

 

「くくかかかっ! ようやっと来たか産不姫(うずひめ)!」

 

 ウズヒメ? 聞いたことのないその名前を、記憶の中にある文献、情報から探るが、全く見当が付かない。

 雪菜は、炎上する森を背景にふわふわと不可思議な動きで上空を浮遊しながら接近してくる人影を見た。

 

「何をしておるのじゃ、伏見彦(ふしみひこ)。情け無い」

 

「いやぁすまなんだ! なんせ『隷獣』が使えんからの! 今」

 

 ウズヒメと呼ばれたその女は、恐らくフシミヒコという名なのであろう雪菜が拘束している大男をたしなめた。

 フシミヒコと似た意匠の着物と、薄い衣に身を包み、真っ白な顔、その唇には赤々とした口紅を塗っている。

 どれ、

 そう呟いたウズヒメが、体の前に突き出した右手の人差し指を曲げる。

  すると一瞬の間をおいて、雪菜の獅子の黄金(レグルス・アウルム)が音もなく掻き消えた。

 

「いやはや、其処の女よ。なんの因果か知らんが、そちはこの別世界に紛れ込んだようじゃ。先程はその男が情け無い戦いを見せて済まんかったの。どうじゃ提案なのだが、今回は妾の顔に免じて立ち去ってはくれんか? 」

 

 底冷えするような微笑を讃えて、提案とは名ばかりの命令を飛ばす。見た目こそ美しい女だったが、滲み出る底知れない圧力が、言外の強制力を伴って皮膚を撃った。

そして、

 

 獅子の黄金(レグルス・アウルム)を、なにを手こずることもなく無力化するなんて……。

 

仕掛けが一切わからない能力。

 背後では、外套についた土汚れを軽くはたきながら、フシミヒコが軽々とした動きで立ち上がっていた。

 久方ぶりに感じる死の気配に、僅かに足が後退する。

しかし、着物の女はすでに雪菜に興味をなくしていたようだ。宙で踵を返して、元の爆炎の方向に去っていく。

 そうじゃ、と思い出したようにウズヒメは付け加えた。

 

「妾の名は産不姫(うずひめ)。いずれそちの世界にも訪ねるであろう」

 

「そういう訳だ、暁雪菜。我が名は伏見彦(ふしみひこ)。次は己れも全身全霊を持ってお前と戦おうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁の帝国(ライヒ・デア・モルゲンロート)

 十年前の人工島『絃神島』は、第四真祖という強大な力を持つ男を王として祭り上げ、急発展を遂げた。今や世界最先端の技術力を誇る、有数の魔族特区である。

 ここ数年の埋め立て作業でその国面積を増加させていた暁の帝国、その首都。かつて絃神島だったときから縁の深かった国、日本の影響が強いこの帝国では、基本的な街並みもほぼ日本国となんら変わりはなかった。

 夜空を穿つようにそそり立つビル群の中で、一際異彩を放つ建物があった。

 白を基調とした北欧風の意匠。三階建てと高さに関しては特筆するところがないが、代わりに横の広さはかなりのものであった。明らかに本館とわかる建物の周りに、離れのような建物が幾つか並んでいる。

 作り、色、雰囲気。どれを取っても日本に馴染めていないその巨大な館は、何を隠そうこの国の皇帝、第四真祖『暁古城』とその血族が住まう領域だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「零菜ー? 雪菜さん帰ってきたってよー」

 

 緑がかった金の長髪をサイドアップに纏めた美女暁萌葱が、自室で不貞寝をしているであろう少女に定期報告のようなものを伝える。

 ドア越しに行われたそれは、彼女の意識を無理矢理に覚醒させるには十分なものだった。

 

「萌葱ちゃんっ!博士の監視カメラでママの動向をリアルタイムで伝えて!」

 

 高速で道場着に着替えながら部屋から飛び出してきたのは 暁零菜。

 皇帝 暁古城とその妃 暁雪菜、旧姓 姫柊雪菜との間に生まれた一人娘である。

 しっかりと帯を締めて小走りで廊下を進む。萌葱もその後を追いかけてきた。

 

「毎回毎回、あなたも大変ねぇ」

 

「全くよ! ホンットに堅物なんだからあの人。言いつけ通り、勉強とか訓練とかしてないときに遭遇するとすごく機嫌悪いの。いっつもタイミング測って体面作るこっちの身にもなってって感じ!」

 

 零菜は、雪菜のことが嫌い、というわけではない。

 母親としても、国のために働く攻魔官としても尊敬しているし、幼い頃から今まで変わらず目標とすべき人として慕っている。

 それでも、零菜だって年頃の女の子である。必要以上の束縛や強要は、思春期の子供にとって非常に大きなストレスとなる。暁雪菜は良い意味でも悪い意味でも直情的で頑固な人間なのだと、共に過ごした十数年の歳月の中で理解していた。

 それもあるけど、と心内で繰り広げられる愚痴大会は止まらない。

 自分と母はあまりにも容姿が似過ぎていると感じるのだった。

 以前雪菜から、雪菜が学生だった頃の写真を見せてもらったことがあった。目玉が飛び出んばかりに驚いたものだ。まさに生き写し。中学三年生の姫柊雪菜は、一目見ただけで零菜との血縁が分かるほどに、瓜二つであった。違うところといえば、父から受け継いだ瞳の色と胸部のボリュームくらいのものだ。今でこそ学生時代と髪型を若干変えているとはいえ、それ以降毎朝鏡を見るたびにドキッしてしまうようになった。

 

「あ、」

 

 突然萌葱が惚けたような声を上げた。

 なに、と尋ねると、監視カメラチェックの為に先ほどからずっと手に握っていた携帯端末を、零菜に投げて寄越してきた。

 

「雪菜さん、今夜は先客があるって♡」

 

 人の悪い笑顔を浮かべて、萌葱がワザとらしく甘ったるい声で言う。

 一体全体なんだ、と訝しげに端末を覗き込むとそこには、娘として非常に気まずい、いや、実の娘だからこそ、あまり見たくない光景が生々しく映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 謎の二人組との戦闘から一日。

 

「古城さん」

 

「ああ、雪菜か。お帰り」

 

 柔らかな笑顔で雪菜を迎えたのは、現暁の帝国皇帝にして最強の吸血鬼、黒のワイシャツに黒いスーツズボンを着た、暁古城その人だった。

 真祖としての性質から、外見こそ学生時代から全く歳をとっていないが、積み上げてきた経験、乗り越えた修羅場が彼に王としての威厳と落ち着いた雰囲気を滲ませていた。

 

「早急に伝えなければいけない事があります」

 

「……何があった?」

 

 二人の間に張り詰めた空気が流れる。

 今二人がいるのは古城の書斎。高価な家具や装飾こそ無いものの、落ち着いた雰囲気と一切の無駄がない、正に今の暁古城を体現したような部屋だった。

 

 雪菜が、昨日体験したことの全てを語り始めた。

 国外での活動の途中、不思議な空間を発見し、そこに入っていったこと。そこで出会った大男と戦闘になったこと。後から合流したもう一人の女が持つ強大な力のこと。自分がその女の気紛れで生きて帰ってこれたこと。

 その全てを語り終えた時、雪菜は古城に優しく包み込むように抱きしめられていた。

 突然のことに思わず赤面し、胸を蝕んでいた未知の敵への不安と恐怖が溶け出していくのが分かった。もう二十年近く付き合っているのに、未だに"こういう"ことをされるのには慣れない。

 対称的に、古城の方は学生の頃に比べて"こういう"スキンシップを取ることに躊躇いが無くなっていった。

 思えば当然のことかもしれない。

 今や古城の女性関係は、浮気だとか不倫だとかの領域をはるかに超えている。雪菜を皮切りに複数の女性と正式に結婚をして、既に何人も子供がいるのだ。まぁそれももちろん、一国の王だから実現し得たことなのだろうが。鈍感でムッツリだった学生時代からしたら驚愕の変化だ。

 

「何はともあれ、お前が無事で良かった」

 

 背中に回された、男らしいごつごつとした掌が、雪菜の髪を梳く。自分が大事にされている、愛されている、その事実がわかっただけで、雪菜は体の芯から温かな熱が発生するのを感じた。古城は鼻先がくっつくほどの距離で真っ赤に染まった顔を見つめた。雪菜も蕩けた眼差しで、古城の青い瞳を見つめ返した。

 

「……せ、んぱい……」

 

「未だにそう呼ぶ時あるよな、お前」

 

 雪菜がゆっくりと顔を近づけて、唇を重ねようとした時。

 古城が不意にズボンのポケットから携帯端末を取り出した。

 

「取り敢えず、うちのやつらには連絡入れとかないとな。最近顔を合わせてないやつらも居るし、明日の昼には全員集合して貰おう」

 

 思わずキョトンとしてしまう。

 古城は、国の指揮者として当然のことをした。雪菜の話に出てきた敵が、何時この暁の帝国を襲撃してきてもおかしくないとなれば、情報の即時伝達は重要なことだ。

 それでも、誘惑されてから思い切り肩透かしを食らった気分になった雪菜は、黒とピンクのドロっとした感情が湧き出るのを感じた。

 じっと様子を見ていると、古城は端末から誰かに電話をかけるつもりのようだ。ボタンをタップし、コールするまでを見計らって、シャツの襟から覗く古城の首筋に吸い付いた。

 いつもとは真逆のその行為に、雪菜は言語化が困難なほどの背徳感を覚えた。

 

「っ……おい、雪菜…」

 

「ずるいです、せんぱい…わたし、だって」

 

「……全く、仕方がないな、雪菜」

 

 コール期間が終わり、相手が電話に出た。

 それでも二人の熱は止まらない。

 古城は通話状態の携帯を片手に持ったまま、もう片方の手を雪菜の腰に回し、書斎の椅子に深く腰掛けた。

 雪菜が古城のシャツのボタンを外し、同時進行で自身もスーツを脱ぎ、ワイシャツのボタンに手を掛けた。

 

「久しぶり。元気してるか、紗矢華」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作と比較した時の相違点、また違和感など感じましたら是非質問ください。こっからもバンバンオリキャラ出そうと考えております。全部が全部、要件を呑めるかは分かりませんが、できるだけ読者様の意見に沿おうと考えております。

個人的に、雪菜はタガが外れたら一番淫乱だと思うんですよね。
あー吸血してぇ。


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異次元の真祖編Ⅰー①

うーん、他の人の作品を見てても思うが、みんなが持ってて私が持ってないものはなんだろうか。何もかもか?

ラクガキが趣味だったりするので、オリ皇女たちはいずれ絵書いたりしようと思います。


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そして描いてみたのがこちらである。
オリキャラかと思ったか?
残念。アラサーママ達である。


 翌日。

 昨晩、両親の情事を偶然目撃してしまった零菜は、如何ともしがたい胸焼けを覚えて、鳴り出した目覚ましを止めて二度寝を決行した。今は朝の7:00。夏の超大型連休に入って一日目、まだまだ眠れると考えたからだ。

 

「何をしてるんですか、零菜」

 

「うわぁ! ママ‼︎?」

 

 しかしそんな怠慢を、教育ママ 雪菜が許すはずもなく。忍者の如き気配遮断スキルでいつの間にか室内への侵入を許してしまっていた。

 

「だらしないですよ、若い子が」

 

 一応、自分の年齢に関しては割り切っているのか、と見た目は二十代前半のギリアラサー美女に内心で突っ込む。

 

「ママこそ、昨日あんなにシてたのに疲れてないの?」

 

「? なにがですか」

 

「…べつにぃ」

 

 シラを切っているのか、それとも本当にバレてないと思っているのか。これ以上の深入りは互いに得がないことを悟った零菜は、言葉を打ち切った。

 零菜の自室は、古城が生活する本館の二階にある。そもそも、零菜をはじめとする古城の家族は、外での任務が多い妃たちも例外に漏れず皆本館に部屋を持っていた。幾つか存在する離れは、使用人達の部屋、もしくは来客用か倉庫のような役割しか果たしていなかった。

 ベッドから頑なに出ようとしない零菜を無理やり引き摺り出し、手早く着替えるようにと言った雪菜は足早に部屋を後にした。

 

「これから親族会議があるから、あなたも来なさい。今日は紗矢華さんや夏音ちゃんも、皆集まります」

 

「かのねぇも⁉︎」

 

 去り際の言葉に、零菜は思わず声を大きくした。

 叶瀬夏音は、零菜が小さい頃から慕っている、雪菜の元同級生だ。現在は暁の帝国と友好な関係にある北欧のアルティギア王国に在住し、外交大使の役割を果たしていた。

 夏音をはじめとする、久しぶりに会える面々の顔を想像し、つい口元が緩む。

 零菜は早速着替えをはじめた。

 

「そっか、紗矢華さんが来るなら亞矢音(あやね)も来るよね。あの子マザコンだし」

 

 そのあまりの両親への依存心から、無理矢理零菜たち皇女が多く通う学び舎、彩海学園の寮にぶち込まれた同学年の妹のことを思い、げんなりとする。あの娘のファザコン&マザコンぶりはもはやゾッとする度合いのものだ。

 零菜は特に深く考えることはなくいつもの彩海学園中等部の制服に着替え、足早に自室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 暁紗矢華は上機嫌だった。

 早朝の、暁の帝国首都高速を走る黒塗りの車に乗る彼女は、昨夜かかってきた電話のことを思い出す。

 深夜の航空便でこの国に入り空港近くのホテルにチェックインしたのは、午後11時。夜も深まったそんな時間帯に屋敷の使用人を呼び出すのも悪い気がした紗矢華は、任務の長旅で疲れていたこともあって、そのままホテルで一泊することにしたのだ。

 ゆったりとした白い部屋着に着替え、いよいよ寝ようかと思ったその時、件の電話はかかってきた。

 

『久しぶり。元気してるか、紗矢華』

 

「こ、古城?」

 

 思わぬ便りに、つい口角が吊り上がった。

 電話口から聞こえてくる男性的な低音に、愛おしげに目を細める。

 

「な、何よ突然。私の声が聞きたくなったってワケ?」

 

 声のトーンが上がりそうになるのをなんとか自制し、あくまで澄ました態度をとる。周囲の人間から『ベタベタのツンデレ』と賞されていた紗矢華の恋愛スタンスは、暁家に嫁入りして、子供をもうけてもなんら変わることはなかった。

 

『ああ、そうだな。もう数週間声も聞いてなかったし、そろそろと思ってな。しかも聞いたら、お前ついさっきこの国に帰ってきたんだろ?』

 

「悪いわね。本当は直帰したかったんだけど、どうしても疲れてたし、こんな夜中じゃあんたにも悪いと思って」

 

『お前は、変なところで遠慮がちなとこがあるっ…よ…な』

 

「え? なに、どうしたのよ古城」

 

『いや、なんでもっ…なっ……い』

 

 突然、古城の声に呻き声のような淀みが出始めた。

 小声で、『ちょっと待て』などと聞こえてくることから、古城の近くに誰かいるのかと思い至ったところで、決定的な声が聞こえてきた。

 

『先輩…? 誰と電話してるんですか?』

 

 その声の主は、紗矢華が実の妹のように可愛がってきた幼馴染み、今は同じ男を夫に持つ同僚でもある女性だった。

 あの苦しげな声は喘ぎ声だったのか、と気付いた紗矢華は、羞恥と怒りで顔を真っ赤にした。

 

「この変態真祖…女との電話中に他の女とヨロシクやってるんじゃないわよ。しかもよりによって雪菜なんて…!」

 

『…え‼︎? ちょっ…先輩‼︎? もしかして今喋ってるの…』

 

『まぁ、そういうわけだな……』

 

 それ以降、雪菜の声が電話口から一切聞こえなくなった。

 逃げたか、それとも恥ずかしさのあまり気絶したわね、と予想して、紗矢華は本題に戻った。

 

「で? あんたのことだから、本当に私の声が聞きたくなっただけ、なんてことはないんでしょう? 何の用よ」

 

『そんなに拗ねないでくれよ紗矢華。そ、そうだな。まぁ今日はアレだし、明日皆集めるからその時に話すよ』

 

「何がアレよ、何が!この後も雪菜とアレをアレしたりするの‼︎?」

 

 震える手で通話を切ろうとした時、古城もそれを電話越しに察したのか『待て待て!』と遮ってきた。

 

『お前、そろそろ誕生日だろ。明日から数日空けてくれたら、絶対に祝うよ。なんでも言うこと聞いてやるから』

 

 …本当に、この男は。

 出会ってからの二十年で、随分な手腕を身につけたものだ、と内心で毒付いた。

 そんな手に引っかかるものかと吐き捨ててやりたい気持ちと、誕生日を覚えてくれていたことに飛び跳ねて喜びそうになっている気持ちがせめぎあっている。

 自分でももう何が何だか分からなくなり、ついしばらく黙りこくってしまっていたらしい。

 

『……紗矢華さん?』

 

 そっと様子を窺うような古城の声が聞こえた。

 

「うるさいバカ!最低!」

 

 うっ、と言葉に詰まった古城の反応を見て、ざまあみろと意地悪く笑う。

 

「言ったからには凄いことしてもらうわよ! おやすみなさいっ… あなた」

 

 相手の反応を確認しないうちに通話をこちらから切る。頰がほんのりと熱い。気持ちとは裏腹に、体の方はもう満足してしまっているらしい。

 安い女だ、と自分でも思った。

 だがこれで、これからの睡眠は仕事の疲れも全部吹き飛ばして、自分を完全なコンディションに整えてくれることを確信した。しばらく携帯を眺めてにやけてから、紗矢華はベッドに深く潜り込んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 紗矢華が玄関門に到着した時、それを真っ先に出迎えたのは紗矢華の一人娘 暁亞矢音だった。

 

「お母様ぁ〜〜〜〜〜‼︎」

 

「うわっちょっと亞矢音!」

 

 出会い頭に正面から腰にタックルをかましてきた愛娘をなんとか受け止めて、ゆっくりと地面に下ろしてやる。

 

「会いたかったっ。寂しかったぁぁ〜〜‼︎」

 

「もう、全然親離れできてないじゃない」

 

 呆れながらも優しく頭を撫でてやると、えんえんと涙を流していた亞矢音も、その感触をじっくり堪能するために目を閉じた。

 我が子とは、いつになっても可愛いものだ。少し記憶を遡れば、まだ産まれたばかりの無垢な赤子の頃を思い出す。

 

「ほら、泣かないの」

 

 茶色の長髪を毛先できっちりきりそろえた髪を撫でて、父親譲りの碧眼の端にためた雫を拭ってやると、亞矢音はやっと泣き止んだ。

 

「お帰りなさい、お母様」

 

「ただいま、亞矢音」

 

 そんな微笑ましい母娘のやり取りを、少し離れたところからじっと見つめている少女がいた。亞矢音と同じタイミングで寮を出て、同じタイミングで暁邸にやってきたその娘もまた、暁の帝国の皇女であった。

 

「お久しぶりです。紗矢華さん」

 

奏麻(そうま)ちゃん?新学期が始まって以来かしら!」

 

 父親と同じく、青みがかった白髪を短く切ったボーイッシュな少女が挨拶をした。

 彩海学園中等部の制服をキッチリと着た亞矢音に対して、下を同じく彩海学園指定のスカート、上にTシャツの上から半袖のパーカーを着ている 暁奏麻は、男性モデルにも負けじと劣らない爽やかな顔に、困ったような笑顔を浮かべた。

 

「すいません。この夏でなんとか親離れさせようと思っていたんですけど……」

 

「気にしなくていいわ。この子のソレはもう半端なことでは揺るがないだろうし。私も最近は若干諦めかけてて……」

 

「そうよ奏麻! 私のことは私が決めるのっ」

 

 奏麻はそうですか、とため息をついた。そんなに強い意志があるなら、確かにもう無理かもしれないと思ったからだ。

 亞矢音は、学校でも何かにつけて「古城君が…」「お母様の…」となんでもないような日常の話をクラスメイトにするのだ。最初のうちは、家内の自慢なんてしたらイジメに遭うのではと同じクラスの奏麻は心配していたが、我が国の国王が誇る圧倒的な支持率と、盲目的な女性ファンたちにとって亞矢音の話はむしろ歓迎すべきものだったこともあり、それも杞憂に終わった。

 紗矢華の腕に自分の腕を絡ませて、鼻歌交じりに屋敷に向かう亞矢音を、数歩後ろから追いかける。だが、どうしてもお節介焼きの本質がある奏麻には、心に僅かにつっかえている不安が拭えていなかった。

 

「…やっぱり、大丈夫かなぁ。空から見てる? 母さん、僕に力を貸して」

 

 未だ存命の実の母に縁起でもない願い事をして、奏麻と二人は古城の書斎に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、緊急ダヨ!暁家全員集合!
何気に浅葱が一番好き。


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異次元の真祖編Ⅰー②

時差ボケキッツー……。

古城の嫁は後何人出そうか。

あ、落書きです。

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「あ、古城君」

 

「…なんだ、零菜か」

 

 古城の書斎に向かった零菜が長い廊下を歩いていると、暁の帝国の皇帝、父親の暁古城に出くわした。

 声をかけた時、ポケットに何かをしまったような動きをしていたことから、直前まで入用の電話でもしていたのだろうと思った。

 

「むぅ、なんだとは何よ。失礼な」

 

「いや、他の娘はともかく、お前とはほぼ毎日顔を合わせているからな。よく言えば一番馴染み深いし、悪く言えば面白みがない」

 

「わざわざ悪く言わないでよ⁉︎」

 

 もー!と可愛らしい顔を膨らませてぷりぷり怒る娘の頭を、少し乱暴に撫でてやる。

 しばらくは黙ってされるがままだった零菜も、やがて「髪が乱れるよ!」と言って、ごつごつとした手を払い除けた。

 

「そういや、お前は何でこんなとこに居るんだ? 今は亞矢音も奏麻もいるだろう。みんなで外に遊びに行ったらどうだ」

 

 不思議に眉を顰めて聞いてくる古城に、零菜は呆れ顔で返した。

 

「今から何か大事な会議があるんでしょ? 私も参加するの。ママにもそうしろって言われたし」

 

 そう言い終えると、古城の顔つきが変わった。眉間にしわを寄せ、強張った表情になる。

 

「そうか、雪菜がそう言ったのか…」

 

 そして小さくため息を吐くと、いつもより少し低い声で、言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 

「お前が参加する必要はない。子供は元気に外で遊んでるのがいいと思うんだが」

 

 古城の言葉に、僅かに険があるのを敏感に察知した零菜は一瞬驚き、身構えたが、それでも一歩も引かなかった。

 

「どうして? 私だってもう中学生だし、ママは私の歳の時には古城君と一緒に闘ってたんでしょ。それに、萌葱ちゃんに亞矢音、奏麻だって呼んでるのに、私だけ仲間外れ?」

 

「あいつらも参加させるつもりはない。今回用があるのは、お前の母さん達であって、まだ半人前のお前たちまで人手として考えるほど、この国は貧しくないんだよ」

 

 半人前、という言葉に反応して、零菜は父の顔を見た。そこにはいつも通りの落ち着いた表情が張り付いていたが、やはりどこか"いつも通り"でない何かがあるように感じられた。

 純白に彩られた廊下に、静寂が満ちていく。しばらく向かい合っていた二人だったが、やがて古城の方から、零菜に背を向けて廊下を歩き出した。

 

「間違っても、"自分だって闘える"、なんて考えるなよ」

 

 去り際にそんな言葉が聞こえた。

 まるで突き放すような、普段の古城からは考えられない冷徹な態度に思わず面を喰らうが、雪菜監修のもと積み上げている厳しい訓練の日々を真っ向から否定された気になった零菜は、一瞬で頭に血が昇るのを感じた。

 

「なんでそんなこと言うの‼︎?私だって毎日辛いけど、いつかママみたいな攻魔官になってこの国の為に働きたいって…そう思って頑張ってきたッ‼︎」

 

 遠くなっていく背中に吠える。

 それでも父の歩みは止められない。

 

「今日の古城君なんかおかしいよ‼︎何があったの⁉︎」

 

 やがてその姿は、長い廊下の突き当たりを曲がり、零菜の視界から完全に消えてしまった。

 

「……私だって、」

 

 一人残された広い空間に、僅かな嗚咽の混じった消え入りそうな声が響く。

 

「私だって……っ」

 

 小さな雫が、俯いた顔の頰を伝い、床に敷かれた黒い絨毯に吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古城の書斎の隣室には、会議やレセプションの為に用意された、屋敷全体の中でも比較的広い部屋があった。

 上から見て0の字を描くような、巨大な木張りのテーブルが中心に据えられたその部屋に集まったのは、古城の呼び掛けに答えた五人の妃とその従者数人、アイランドガードの最高責任者と、王宮の重職者数人だ。

 全員が入室し、与えられた席に座ったのを確認してから、暁古城は口を開いた。

 

「急に集まってもらって悪かったな。まぁうちの女性陣は前々から集まる予定があったわけだが」

 

 まずは聞いてくれ、と言って、右隣に座っていた雪菜に目配せをした。

 神妙な面持ちの雪菜は、自身が経験したかつてない敵の危険性について、ひとつひとつ淡々と話を始めた。

 

 

 

 

 

「……雪菜さんでダメなら、それこそもう古城がやるしかないんじゃないの?」

 

 全てを話し終えた後、凍りついた会議室の空気をはじめに打ち破ったのは、古城の左隣の席に陣取っていた妃の一人 暁浅葱であった。

 学生時代の派手な金色から、少し色素の抜けた黒髪に染め直して、ゆったりとしたロングスカート、白いワイシャツの上からゆったりとしたベージュのカーディガンを羽織った美女は、言葉を続けた。

 

「だって、そのウズヒメって女は第四真祖の眷獣すら簡単に無効化する手段を持ってるし、もう一人の男も雪菜さんが戦ったときは万全のコンディションじゃなかったってことでしょ? そんな出鱈目な連中、私たち『血の従者』が向かっていったところで、できることなんて限られてると思うけど」

 

 雪菜とその隣に座っている紗矢華は、浅葱の冷静な言葉に悔しげな顔を作ったが、なまじ正論であるために反論ができないでいた。

 

「俺が思っていたこともだいたい同じだ。だが、見てわかる通り俺はこの世に一人しかいない。今や人工島の域を超えつつあるこの国の広さでは、いざ奴らが仕掛けてきた時に、たった一人で対応しきるのはまず不可能だろう」

 

 第一、その『奴ら』がいつ攻めてくるのか、明日なのかそれとも遥か遠い未来なのかも分からないのでは、対処には更に骨が折れる。ただの一人も国民から被害者を出さないように、古城はずっと最良の方法を考え続けてきた。

 そしてついに、一国の指導者として取るべき方針を決めたのだった。

 

「何てことはない。ここに巻島さん、アイランドガードを呼んだのは、この国中のありとあらゆる監視防衛システムを利用して、奴らの侵入をいち早く察知できるようにしてもらうためだ」

 

「…やはりそういうことでありましたか。古城殿」

 

 巻島と呼ばれた、アイランドガード最高責任者である初老の男は、深いシワの刻まれた顔に不敵な笑みを浮かべた。

 

「確かに骨は折れるかもしれませんが、そういうことならお任せください。必ず、古城殿の期待に応えてみせます」

 

「悪いな、頼むぜ巻島さん」

 

 ガラの悪い笑みを交わす二人を他所に、他の会議参加者たちは、ぽかん…という擬音が似合いそうな、あっけにとられた表情を浮かべていた。

 要はこの男、「敵が現れたら一人の犠牲者も出さないうちに自分が死ぬ気で駆けつける」と言っているのだ。確かに、次元を超えて現れる敵は観測、捕捉することが難しい。どうあったって後手に回るのは確実なので、対策できることは現段階でほとんどなかった。

 

「古城、本当に自分だけでなんとかするつもりなのかい?」

 

 ここに来て初めて口を開いたのは、浅葱の隣に座っていた妃の一人 暁優麻だった。

 茶色の短髪に黒のサマードレスを着て、美しいというよりは格好良いイメージを与える麗人は、ずっと俯いていた顔を上げ、哀しげな目で古城を見る。

 もとより古城の決めたことに反論するなど考えてもいなかったが、いざ本当にやる気になったところを見ると、どうしても心配する心の方が勝ってしまった。

 

「そうですっ! もし古城さんに何かあったら、私……!」

 

 勢いよく席を立ち上がり古城に駆け寄ったのは、会議に参加していた妃たちの中でも一際若い印象を与える、白いセーターにジーンズを履いた小柄な女性、 暁結瞳。

 服の上からでも分かるほど大きく膨れたお腹は、彼女が今最も大事な時期を過ごしている妊婦だということを物語っていた。

 

「今は国の危機だ。そして俺は曲がりなりにもその国王を任されてる。敵は強大。多分俺でも一筋縄ではいかないだろう。俺が国のために自分を犠牲にするのは当然のことだし、義務でもあるんだ」

 

 そして、一拍置いて力強く言った。

 

「確かに、うちの子供たちは吸血鬼としても呪術師としても一流の力を持っているかもしれない。だがそれでも、未来ある命をぬけぬけと危険な戦場に投げ出すことがあってはいけない。俺はそう考えてる」

 

 古城の脳裏には、今朝の零菜の顔がずっと焼きついて離れなかった。

 その言葉に、雪菜をはじめとする妃たちは一様に複雑な思いを抱いていた。

 彼女らは皆、すでに子供を持っていたからだ。

 それぞれが脳裏に、自分の娘の顔、あるいはこれから生まれてくる新しい命のことを思い浮かべる。

 

「それに今からも、時間はかかるかもしれないが、次元の歪なり穴なりを感知できる技術を使った防衛装置も制作、実装を急がせる。その辺の努力も怠るつもりはない」

 

 古城の気迫に、会議室は静まり返っていた。

 

「絶対に、誰も死なせねぇ。ここから先は…俺の戦争(ケンカ)だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、久々に聞いたね。古城のあの言葉」

 

 愉快げに笑いながら、優麻が言った。

 会議を終えた妃たち五人は、さっそく巻島と打ち合わせのため部屋を出て行った古城を目で見送ってから、そろって退室した。

 言葉を交わしながら廊下を歩む五人を、少し後ろから従者の女性数人が付いてきていた。

 

「本当に、無茶ばかりするんだから。あのバカは…」

 

「でもそんなバカだからこそ、私たちが手伝ってあげないと」

 

 呆れ顔を隠すことなく、深いため息とともに浅葱が呟くと、紗矢華もそれに続いた。

 結瞳もそんなやりとりを見てコロコロと笑っていたが、その中で雪菜だけが浮かない顔をしていた。

 

「……どうしたの?雪菜」

 

 最も付き合いが長いからか、雪菜の感情の機微に敏感な紗矢華は、暗く俯いた顔に気付いて話しかけた。

 

「いえ、たしかに古城さんも心配なんですけど、あれは多分…零菜と何かあったんだと思います」

 

 雪菜は四人に、今朝娘に会議室に来て自分らとともに参加しなさいと言ったことを話した。

 最初はきょとんと呆けていたが、やがて四人はそれぞれ得心がいったという顔をした。

 

「十中八九それだろうね」

 

「会議に参加しようとした零菜ちゃんと一悶着あったってワケね…まぁこればっかりは古城の気持ちも分からないでもないけど」

 

「やっちゃいましたね…雪菜さん」

 

「だ、大丈夫よ雪菜! なんとかなるっ、古城も気にしてないわよきっと! 元気出して!」

 

「うぅ…」

 

 方向性のバラバラな四人の言葉に、思わず胃が痛くなる。もしかしたら、いやもしかしなくても、自分が娘と夫の仲違いの原因となってしまったのだ。

 雪菜も、決して悪気があって行動したのではない。

 態度にこそ出していなかったが、最近の零菜の稽古に立ち会ううちに、「そろそろ一人前と考えてもいいかもしれない」と思い始めた雪菜は、こんな言い方は大袈裟かもしれないが、一種の成人の儀のようなモノとして娘を会議に呼んだのだ。

 零菜の方はその会議内容を全く知らなかったはずなので、半ば懇親会のように考えていたかもしれないが、自分の言葉が足らなかったことが回り回って現状を作り上げたと思い、痛烈なまでの後悔を感じていた。

 

「私、ちょっと今から零菜のところに行ってきます…」

 

 現在地を詳しく知っているわけではないが、この家のどこかにいるはずだ。会ったところでなんと声をかけたらいいか雪菜には分からなかったが、このまま知らぬ存ぜぬを通す気にもなれなかった。

 

「と、取り敢えず、ガンバってください! 雪菜さん」

 

 早足で他の四人をぐんぐん突き放していく背中に、結瞳の応援の声が投げかけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

「…ねぇ皆、コレどういうことだと思う?」

 

 雪菜が離脱した後、ポケットの中で起こった振動に気付いた浅葱は、取り出した携帯端末を見ながらしばらくフリーズした後、険しい表情で周りの女性たちに声をかけた。

 何事かと三人が一斉にその液晶画面を覗き込む。

 そこには、『麗しのお母様へ♡ タレコミ燃料投下☆』という件名のメールが、動画を添付された状態で受理されていた。

 

「コレ、萌葱ちゃんからかい?」

 

「それがどうしたのよ浅葱さん」

 

 二人の言葉に会えて何も答えず、黙って動画の再生ボタンを押す。

 

 そこには、昨晩監視カメラに捉えられていた、古城と雪菜の情熱的な逢瀬の一部始終が収められていた。

 

「……あちゃあ」

 

 優麻はわずかに頬を染め苦笑いを浮かべ、

 

「なっ……な、や、やっぱりあの電話の後、しっかり本番を……‼︎」

 

 紗矢華は羞恥に顔を真っ赤にしながらも、顔を隠した指の間からしっかり動画を視聴し、

 

「ず、ズルいです。抜け駆けっ! あっ、でも私今デキないし! でもでもっ!」

 

 結瞳は悔しげな甲高い声を上げた。

 

「こういうことがあることを見越して書斎にカメラを設置してたけど、正解だったようね」

 

 浅葱はふんっ、と鼻を鳴らし動画の再生を止め、メールの送り主である愛娘に『褒美を使わす。今度パフェでも食べに行きましょ』と返信した。

 動画での雪菜の行為は、所謂反則である。妃たちが古城と寝る時、彼女たちは古城の知らないところで密かに取り決めたルールを持っていた。まぁ大層なことを言っているが、ようは『浅葱は毎週火曜日。あるいはあちらから誘いをかけてきた時』とか『優麻は水曜日。あるいはあちらから誘いをかけてきた時』など、全員に平等に逢瀬の機会を与えるための配慮に過ぎないのだが。

 雪菜が割り当てられた日は毎週金曜日。監視カメラによると、その日は木曜日であった。

 

「コレは、雪菜さんには何かしらのペナルティを背負って貰う必要がありそうね……」

 

 不気味な含み笑いをこぼしながら、浅葱の脳内はすでに如何に趣向をこらせた罰を与えるか、それにのみ没頭していた。

 

 

 

 




話の進み、遅いですか?それとも早いですか?
それともそれ以前の問題ですか?

誰かオラに文才を分けてくれ。


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異次元の真祖編Ⅰー③

フラグの回収とストーリーの進展。

両立って難しい……。


空には最高点に登った太陽。その光が辺りのあらゆるものに反射して、まるで景色そのものが宝石のように輝いている。

 

「あっつー……い」

 

広大な面積を誇る暁邸の中庭。

そこに、学校でよく見かけるオーソドックスなタイプの屋外五十メートルプールがあった。

せっかくの夏休み、姉妹が多く集まった久々の機会に何かみんなで楽しめることをしようと、水着に着替え泳ぎに来た四人の皇女たちだったが、言い出しっぺであったはずの萌葱はプールサイドでぐったりと青空を仰いでいた。

 

「ひっさびさのアウトドア……。やっぱり色白美人吸血鬼には日差しが強すぎたかしら」

 

「萌葱姉さん、わざわざ"色白美人"とか言わないで、素直に"引きこもりモヤシ"って認めなよ……」

 

隣で肩で息をしながらツッコミを入れたのは奏麻だった。

先ほどまで、個人メドレーを延々と繰り返し泳ぐと言う体力お化けっぷりを披露していた奏麻も、一息入れたくなったのか今はプールサイドに上がっていた。

 

「……水着似合ってるわよって言おうと思ったけど、やっぱ辞めたわ。この脳筋妹」

 

「ああそう。姉さんは似合ってるよ、そのビキニ」

 

「うっさい、ばか」

 

事実、萌葱は明るい黄色のビキニを完璧に着こなしていた。ここが民間に解放された海水浴場であったなら、男たちが放っておかないだろう。

自分でも顔の造形にはそれなりの自信がある。その点に関しては母や、父方の親族に多々存在する美女たちの遺伝子に感謝するところだ。だがそれとは対照的に、ボディラインには今ひとつ自信を持てなかった。

四肢も長ければ、脂肪のつき具合も標準より少し細め、腰のくびれも十分にある。

ただし、胸元に限り全国水準と比べてもかなり控えめ。

今プールサイドにいる姉妹たちの面々でも、一番年上だというのに胸は一番小さい。

萌葱は、隣に座る濃い青地のビキニとホットパンツの水着を着た少女の胸元をジトっと見つめる。

健康的に少し焼けた肌のソレは、やはり自分のより二回りは大きかった。

 

「そんなに気にしないで。大きさが全てじゃないと思うよ」

 

「だからうるさいのよ!もう」

 

気付かれていたか、と歯軋りをしながら奏麻の額にチョップを入れた。続けざまに、その無駄に豊かな胸を揉みしだいてやろうと飛びかかる。

 

「くっ…中三のくせに、中三のくせにっ‼︎」

 

「三歳も年上なのに大人気ないことしないでよっ! ちょ、力強っ⁉︎ 誰か助けて! 実の姉に乱暴されるーーっ!」

 

 

 

 

 

 

 

「元気ないわね、姉様」

 

ピンクと黒のチューブトップ型の水着を着て、遊びに来てからずっとテンションMAXで泳いでいた亞矢音は、プールサイドに腰掛け膝から先を水に浸からせたままボーっと虚空を見つめている零菜に気付いた。

 

一時間ほど前。古城の誘導で一部屋に集められた亞矢音たちの元に、目を赤くした零菜が苛立ちをぶつけるように力強くドアを開けて入ってきた様を見た時は、全員揃って驚いたものだ。

事情は全て聞いた。その時初めて零菜以外の三人は、親族たちが大事な会議をしていることを知ったのだが、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませている姉妹を三人がかりで慰め、気分転換も兼ねて姉妹で遊ぼうと萌葱に連れられてプールに来たはいいものの、その心は未だ晴れ晴れとはいかないらしかった。

 

「何度も言うけど、古城君だって姉様が嫌いだからそんなこと言ったんじゃないのよ。それは姉様だって分かってるでしょ」

 

「……分かってる、そんなこと」

 

足を水から出し、膝を抱えて俯く。

年子の妹にここまで心配をかけているようでは自分もやはりまだまだ子供か、と自虐的なことを思った零菜だったが、突如顔面を襲った冷たい衝撃に思考が強制ダウンさせられた。

 

「ちょっと……! なに、いきなり⁉︎」

 

「何時までもうじうじしない! 古城君には一緒にお話しに行ってあげるし、いつかは姉様のことだって認めてくれるわ」

 

プールの中にいた亞矢音は、零菜の足首を掴んで無理矢理水中に引っ張り込む。

大きな飛沫が上がり、お尻から水面にダイブした零菜はびしょ濡れになって再び浮かんできた。

深緑色のビキニの上から大きめの白いTシャツを着た体は、水でシャツが体に張り付いて下の水着が透けてとても煽情的な姿になってしまった。

 

「ぷはっ、ちょっと! もうあなたねぇ……」

 

亞矢音は続けざまに文句を言いだした零菜の頬を両手で押さえて、互いの鼻が触れ合うほどの距離で綺麗に澄んだ瞳を覗き込んだ。

零菜の顔が、僅かに朱に染まる。

十秒にも一瞬にも感じられる間見つめ合っていた2人だったが、やがて零菜の方から亞矢音の手を退けてプールから上がった。

 

「分かった、分かったよっ。もう気にしない…」

 

「…………そう」

 

私じゃダメだったか、と水面を見つめて呟き、シャツの水気を絞り足早に去っていく背中を見送っていると、不意に零菜がその歩みを止めた。

少し遠くで何やら取っ組み合っていた一番上の姉と妹も動きを止めている。

なにごとか、とプールサイドに乗り出して零菜の視線の先を見ると、

 

そこには、馴染み深くも懐かしい、亞矢音たち皇女にとって第二の母と言っても差し支えない二人の人物が立っていた。

 

「あれあれー? どこに行くの、零菜ちゃん」

 

「何かあったのですか?」

 

「……おばさん…かのねぇ…」

 

皇帝 第四真祖の血を分けた妹 暁凪沙と、北欧 アルティギア王国に在住する暁の帝国外交大使 叶瀬夏音。記憶の中にある数年前の姿と全く変わらない女性たちであった。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

「ねぇ、その動画僕にもくれない?」

 

「あら、何に使うつもり?」

 

「何にって決まってるわけじゃないけど、まぁ武器は多いに越したことはないよ」

 

「あ、私も欲しいです!」

 

「ふぅん……二人とも何か考えがあるの?」

 

「さぁ、どうでしょう」

 

「えぇー……? そうですね私はぁ、まぁ自分用っていうか……欲求不満になった時用っていうかぁ」

 

ふふふふふ……と地の底から響くような悪どい笑いを交わす三人の女性を、紗矢華は引きつった顔で見ていた。

 

「あなたたち…古城はいいけど、あんまり雪菜に酷いことしないでちょうだいね」

 

妹分がどんな目に遭わされるかあまりにも心配になってそう言った瞬間、脳裏に雷に撃たれたような閃光が走る。

 

古城と、雪菜の……盗撮動画、は、ハ、ハ◯撮り…………?

 

よくよく考えて口にすると凄まじいインパクトだ。

紗矢華は背骨を舐めあげられるような淫靡な響きに今更気付き、衝撃を受けていた。

愛している男と、妹のような親友のハ◯撮り。

彼女の目には、先ほど一瞬だけ見たその動画の、半裸で互いの体液を交換しあう古城と雪菜の姿が未だに焼きついていた。

 

「ちょ、ちょっと紗矢華さん……あなた大丈夫?」

 

「……疲れてるのかな?」

 

「目が…目がヤバイですよ、紗矢華さーん…?」

 

今度は逆に自分が引きつった顔で見られていることにも気付かず、紗矢華は頭を抱えて悶絶し始めた。

心の中で、良心と純粋な親愛が、一種の寝取られのような背徳的下心とせめぎあっている。

怖いもの見たさもある、だが雪菜には悪い、でも自分も妃の一人であって引け目を感じることなどないのでは……。でも雪菜の嫌な顔は見たくないし、でも古城が自分以外の女を抱く時の姿も見てみたい……。

そんな自問自答がぐるぐると頭の中を回り、やがて紗矢華が下した結論は、

 

 

「ねぇ、あの……。やっぱりその動画、私にも頂けないかしら……?」

 

 

 

 

 

 

 




あくまで机の上にあるレベルを超えないラクガキ。

完全に自己満足です。

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異次元の真祖編Ⅱー①

キャラが多いェ……。
まぢ動かしにくい。

頑張れ雪菜ママ。


 どこまでも続くかのような海洋。

 かすかな島影すら見えない夜の海のど真ん中に、白い装束を身に付けた二人の人影があった。

 空には流麗な正円を描いた月が浮かび、暗闇の世界にぼんやりとした灯を点している。

 

「なんじゃ、少し座標がずれたかのぅ。妾もこう見えて抜けているところがある、ということか」

 

 海面を踏み締めて直立するフシミヒコの肩に座ったウズヒメが、口元に手を当ててクスクスと笑う。月下のその姿は、まるで御伽噺の中の一場面のような、幻想的かつ妖艶な美を醸し出していた。

 

 

「無理もあるまい。こうも立て続けに次元跳躍を繰り返していれば、いずれは疲れも出てくるというものよ」

 

 フシミヒコは左肩に乗る華奢な着物姿の女に気を遣ったのか、あえて利き手でない右腕をもたげて、立派に蓄えられた顎髭をなじり、むぅ、と難しげな表情で微かな弧を描く水平線を睨む。何かを探していることが直ぐに察せられるその顔に、ウズヒメは再び笑いをこぼした。

 

「なぁに、言うほどのものではないわ。疲れの方もずれの方もな。……どれ、少し上に昇ってみぃ」

 

 言われた通り、フシミヒコがその筋肉質な足に身に付けた高下駄で水面を蹴り、風を切って月天に昇っていく。ぐんぐんと高度を上げていくと、やがて二人が顔を向けた先の水平線から、巨大な黒影が頭を出し始めた。

 

 太平洋に浮かぶ巨大な人工島、暁の帝国。

 世界最強の吸血鬼 焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)の継承者が治め、魔族と人間が混在する魔族特区だ。東京から南方三三〇キロ、人口は二十年前の倍にも及ぶ百二十万人。

 かつては島国日本の一部に過ぎなかった小さな領土は、今や数多の種族が共生する、正に帝国と呼ぶにふさわしい一国家となっていた。

 

「くくかかか……。此処が暁雪菜の世界か、ええのう! 強者の気配がごろごろしておる」

 

「あまり羽目を外し過ぎるでないぞ、伏見彦。あくまで妾たちの目的は『世界の収束』にある……邪魔者を潰すのは、その過程に過ぎん」

 

「分かっとる分かっとる! しっかし背骨が疼く! 嗚呼、兵どもが己れを呼んでいるぞ!」

 

 反響する物が一切無い虚空に雄叫びが轟く。

 ウズヒメは、全く聞く耳持たぬでは無いか、とこめかみに手を当てて悩ましげに呟いた。

 共に旅を続けて最早幾星霜、こと闘争に関しては異様な執着を見せるこの男の性質はなんら変わるところは無かったようだ。

 ウズヒメは、左手に持っていた細い黒糸を海に投げ出した。

 暁雪菜の髪。

 それは、この世界では数日前、二人にとってはもう数ヶ月前の戦闘で回収された、白銀の槍使いの毛髪であった。

 この世界に飛び移るための道標として使った物だったが、今はもう用済みだ。

 

「うむ!」

 

 フシミヒコが、肩に乗ったウズヒメを降ろした。手首回りだけで彼女の胴ほどの太さを誇る剛腕であったが、その手つきはまるで絹を織る者かのように繊細で優しげな挙動だ。

 ウズヒメは直ぐに男の意図を察して、つんとした表情で不満を漏らした。

 

「なんじゃ、一人で行くのかえ?」

 

「悪いのう、まぁ暫くは疲れを癒すついでに見ていろ! お前が来ては何もかもが直ぐ『終わって』しまう」

 

 そう息巻いて右の袖を捲る。

 

「ふんッ!」

 

 短く鼻から息を吹くと、露わになった無骨な筋肉に覆われた腕が黒く変色し、その表面を血管のような赤い線が走った。

 あたりの大気がうねる。どす黒い霧のような力の奔流が渦を巻き、一つの『塊』に押し固められて、

 

 現れたのは、天に広がる夜空と同じ色をした、小柄な人影だった。

 

天之常立(アマノトコタチ)

 

 人影は力なく脱力したまま、自身が召喚された天高き虚空から自由落下を始め、やがて夜の海に音もなく吸い込まれていった。

 かかか! と響いた陽気な声の方に、これまでの光景を傍観していたウズヒメが向き直った。

 

「そこそこのを放った……まぁ三百から五百といったところか」

 

「良いのか、もしこれであの島の全ての物が壊されたとしたら、うぬの楽しみは水泡とかしてしまうぞ」

 

「なぁに、勿論己れも付いて行く。そんな事はなかろうが、もし本当に島の者が全て成す術なく薙ぎ倒されるようであれば……」

 

 先刻まで浮かべていた無邪気な子供のような笑顔から一転、獲物を狩る狩人のような獰猛で鋭い笑みで、フシミヒコは言う。

 

「所詮、その程度のことだった……それだけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零菜が目を覚ますと、そこは寝室だった。

 締め切ったカーテンの隙間から、朝日が溢れている。

 馴染み深い自室の景色は辺りに無く、いつもは一人二人が寝転がるともう許容面積の限界を迎えるベッドも、今零菜が寝ているのは、十人二十人が寝ていてもまだ余裕があるかも分からないほど巨大なものになっていた。

 来客用の部屋、つまりここは別館だ。

 そう気付いて寝台から出ようとすると、右手を誰かに掴まれていることに気が付いた。

 

「……凪沙おばさん…」

 

 最早育ての親と言って差し支えない、親愛なる叔母の姿がそこにあった。薄い部屋着に着替えて、すうすうと健やかな寝息を立てている。

 思えば、自分が父親を『古城君』と呼ぶようになったのもこの人の影響だったと、姉妹が物心ついた頃を思い出し、つい笑みをこぼした。

 仕事で家を開けることが多かった零菜たちの母親は、勿論無理にとは言わなかったが、その度に凪沙に予定を空けてもらうよう頼み、凪沙の方も喜んで姪っ子たちの面倒を見たという。お陰で一国の妃たる雪菜たちは、未だに凪沙に頭が上がらないでいた。

 まぁこの話には、『叔母の口調を真似した愛娘たち漏れなく全員から君付けで呼ばれる父親(皇帝)』という悲しい状況が作られたというおまけ話もあったりする。

 なにはともあれ、彼女も暁の姓を持つ大事な家族であった。

 

「…でも、なんでおばさんが横に……っていうか‼︎?」

 

 徐々に朦朧としていた意識が覚醒し始め、現状の異常さと、それに伴う昨晩の記憶がクリアになってきた。

 辺りを見回すと、見慣れた姉妹たちの姿、かのねぇこと叶瀬夏音と暁凪沙。皆一様に広大なベッドの上で半裸だったり薄着だったりと、年頃の女の子大人の女性があられもない姿で熟睡している。

 

「そうだ……プールから上がった後、萌葱ちゃんの部屋のカラオケマシーンで皆で歌いまくって、飲み物に何故かチューハイが混ざってて、それで……うっ!」

 

 そこまで思い出して、突如頭痛に襲われた。

 昨晩の記憶の中で暴れまわっている女性たち。二日酔いで頭が殴られたような痛みを感じながら、どうやら自分もその例外に漏れることはなかったらしい、と嘆息した。

 取り敢えず水を飲んで落ち着こうと、部屋を出て厨房に行こうとした時、ドアを開けてすぐ目の前に『自分』が立っていた。

 

「……鏡?」

 

「まだ酔いが抜けてないのかしら、この不良娘は」

 

「あ、なんだママか……ってイタタタタタ‼︎」

 

 千切れんばかりに耳を引っ張られ、思わず涙目で手足をばたつかせる。

 

「なんだとは何ですか、失礼な」

 

 雪菜が手を離すと、真っ赤になった耳を押さえて、弾かれるように母から距離をとった。

 少し前に同じようなやり取りを誰かとしたような既視感のある光景だったが、この後始まるであろう雪菜のありがたいお説教のことを思うと、そんなことは割とどうでもよかった。

 朝から気が滅入るなぁ、と小さく呟く。雪菜の耳に入りでもしたらなおのこと面倒だ。そんな細やかな抵抗の数秒後、案の定雪菜の口から、最早十五年間で聞き慣れてしまった怒声が飛んできた。

 

「いくら夏休みとはいえ浮かれすぎです! 学生の本分は勉学と鍛錬! あなた昨日は一度も道場に行っていませんね⁉︎ 確かに一日サボるくらいなら、姉妹が多く揃ってつい羽目を外し過ぎるのもわかります! でも飲酒にまで手を染めるなんて‼︎ お陰で話があったにもかかわらず、私は今の今まであなたとまともに会話ができませんでした! 少しは自重しなさい! そんなこともできないように、私はあなたを育てた覚えはありません‼︎」

 

 雪菜の言葉の最後の方で、零菜の体が一瞬、わずかに震えた。

 その通り、全てその通りだ。

 雪菜の説教には、反論するとよりヒートアップするという厄介極まりない特性があった。いつも通りなら、ごめんなさいと言い続ければいつかは収まる。ようは台風のような天災と同じなのである。

 しかし、痛みに歪んだ涙目は、次第に眉間に皺を寄せ始めた。薄っすらと影も落ち始める。

 今回の零菜は、一切下手に出ようとは思っていなかった。

 昨晩の大騒ぎで凪沙や夏音が慰めてくれた思いが、起き抜けの説教嵐で掘り起こされかけていたからだ。雪菜の説教は、息継ぐ間も無くなおも続く。

 雪菜は、父の顔、母の声、様々な思考、思いが頭の中をかき乱し、まるで三半規管を壊されたかのような感覚に陥っていった。

 ああ、もうやめて。

このままじゃ私、きっと酷いことを言ってしまう。

 ママ、

……古城君。

言葉が、想いが、トンネルを反響するように頭蓋の中を乱反射して、やがて、思考が真っ黒に塗りつぶされる。

 

 そして、決壊の時は突然訪れた。

 

 

 

 

 

「育てた覚えは無いとか、偉そうなこと言わないでよッ‼︎‼︎」

 

 雪菜が、口の動きを止めた。

 驚愕に染った瞳を見開く。零菜も初めて見る表情だった。

 

「普通の親が子育てに費やす時間の半分も体験してないくせに‼︎ いっつも凪沙おばさんに任せっきりで‼︎」

 

 先ほどから騒がしくしすぎたのか、背後のベッドから微かに物音がすることに気付いた零菜だったが、一度堰を切った思いは、留まることを知らずに矢継ぎ早に溢れてくる。

 もう、止まれなかった。

 

「学校の友達がずっと羨ましかった‼︎ 普通に遊んで、普通に勉強して、普通に毎日を過ごして、普通に…親子で一緒に居る皆が‼︎」

 

「皆がそんなことしてる間に、私はずっとママに従って槍を振るってた‼︎ 手が血豆でいっぱいになって、皮が擦りむけても、ずっとずっとずっと‼︎‼︎」

 

「なんでそんなに強くならなきゃいけないの……⁉︎ そう思ってたけど私は我慢してた‼︎ ママが見てくれてて嬉しかったから‼︎」

 

「私はママじゃない……。どれだけ姿が似てても、ママが獅子王機関で血の滲む修行をしてた頃の、姫柊雪菜じゃないッ‼︎‼︎ 」

 

「そうしたら、今度は古城君が……。どんなに辛くても、私が歩んできた人生なのに、ママが教えてくれた、ことなのにッ‼︎」

 

 気が付けば、先ほどまで寝ていた夏音と凪沙たちも目を覚まして、零菜たちを見ていた。

 振り返った時、凪沙の悲しそうな顔と目が合い一瞬息が詰まったが、飲み込みかけた言葉を、最後の力で振り絞った。

 

「私はどうしたらいいの……どうして認めてくれないの‼︎? ………………どうして、」

 

 瞳を震わせて黙っていた雪菜が、鋭く息を呑んだ。恐らく本能と勘で察したのだろう。呼吸が際限なく早くなっていく。

 今にも娘の前から逃げたしそうになる体を、必死にその場に縛り付けて、

額にじわりと嫌な汗を滲ませ、それでも雪菜は言葉を待った。

 

 

 

 

「どうして私は、ママと古城君のところに生まれてきたの‼︎‼︎?」

 

 

 直後、零菜の頬に鋭い痛みと閃光が走った。突然の衝撃に対応しきれず、崩れかけた体制をなんとか片足で踏ん張った。

 霞む視界出前を見ると、目の前で雪菜が肩で息をしながら、涙目で腕を振り抜いた姿勢を取っている。

 ぶたれたのだと気付くまでに数秒を要した。

その瞳は、殴られた当人よりも驚愕に染まっている。きっと、思わず取ってしまった行動なのだろう。

 真っ白な頬を、一筋の煌めきが尾を引いて落ちる。

 それは気丈な母の、生まれて初めて見る泣き顔だった。

 

「……ごめんなさい」

 

 下を向いたまま、全速力で駆け出す。

 背後から自分の名を呼ぶ声が複数聞こえたが、そんなことは構わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ

 

「イェーーーーイ‼︎ いいねーッ! 零菜ちゃんも奏麻ちゃんもサイコーだったよー‼︎」

 

「いぇーーーーい、でした」

 

 ノリノリでタンバリンを叩き鳴らす凪沙に対して、平坦な声ながらも温かい笑顔で拍手を送る夏音。

 二人の母代わりの女性と皇女たち四人は、なぜか部屋にカラオケマシーンを置いている物萌葱の部屋に集まり、日が傾き始める夕方から馬鹿騒ぎをしていた。

 

「ふぅ、ふぅ、ありがと」

 

「いやぁ、本気で歌うと結構キツイね、コレ」

 

 若者向けロックバンドの新曲を全力で歌い切った二人は、乱れた息を整えながら、厨房から勝手に持ち出したペットボトルで喉を潤した。

 もう大人だというのに懐かしい子供番組を歌う凪沙と、一度も聞いたことのない謎の洋曲を統一性なく歌う夏音の番が巡ってくる度に、正直なんとも言えない空気にはなったが、それでも全員が日頃積もっているであろう鬱憤を爆発させてはしゃいでいる。

 もう全員で何順したかも覚えていない。皆歌うたびに熱がこもるのか、時間が経つごとに一枚ずつ服を脱いでいく。折角プール上がりに私服に着替えた皇女たちも皆一様に薄着で、オシャレはほぼ無意味なものと化していた。

 

「よし! じゃあ次は私たちね! ほら歌うよ亞矢音‼︎」

 

「ええっ⁉︎ で、でも私この歌知らないわよ、姉様」

 

「ノーーリが悪いこと言っちゃダメダメ‼︎ あ、でも亞矢音ちゃんがどうしてもって言うなら、『この後ずっとメイド服着て私たちにご奉仕させる』で手を打ってもいいよ? さぁどっちがいい? 歌かな、メイドかな、それとも別のコスプレかな‼︎?」

 

「頑張ってください、楽しみにしてます」

 

「うぅっ……」

 

 亞矢音は顔を赤くして硬直していたが、待ち兼ねた萌葱に引き摺られながらセットポジションに着かされた。どうやら否応無しに歌わされる展開のようである。

 

「亞矢音ー。かのねぇもこう言ってることだし、頑張ってー」

 

「僕からもお願ーい」

 

 面白がってダメ押しとばかりに声をかける零菜と奏麻。そんな様子を、凪沙と夏音はホッとした思いで見ていた。

 どうやら、少しは元気になったらしい。

 悩みなさい。悩んで、悩んで、そして大きくなりなさい。

 キラキラと輝く笑顔を見せる娘たちを見て、二人は感慨深い思いを抱くのだった。

 

「ち、違うのお姉様、私本当は……歌が…」

 

「あーもう知らん! 行くよ! 3、2、1、はいっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめん、ごめんね亞矢音……」

 

「ま、まさかこんなことになるなんて」

 

「君に…こんな、秘密があったなんて……」

 

「あ、亞矢音……あなた」

 

 萌葱が深刻な表情で、本気の謝罪の意を示す。それに、凪沙、奏麻、零菜も続いた。

 

「ふふふ、そうよ、私、度し難いほどの音痴なのよ…………………意外と姉妹でカラオケに行ったことってなかったわよね…………」

 

 知らなくて当然よね……。

 膝を抱え込んで床に座り、際限なく落ち込んでいく亞矢音の背中を、全員でさすって慰める。

 確かに酷いものだった。全ての音階を同じだけズラして歌い切るその手腕は、むしろ才能なのではと皆に思わせたほどだ。

 日頃は両親への愛を遠慮なく、且つ無差別にクラスメイトにばら撒く稀代の『逆親バカ』(奏麻命名)も、こういった方向の羞恥心は流石に持ち合わせているようであった。

 

「? 皆さん何を言っているのですか。亞矢音さん、とっても素敵な歌でした」

 

 本気で言っているのか……と、皆、亞矢音ですら信じられないものを見るかのような目で夏音の方を見た。

 キョトンとした表情から察するに、どうやら本気らしい。全員の視線を受けて、流石に夏音も何らかの異常に気付いたのか、とにかく誤魔化すように少し頬をほころばせた。

 それは夏音からすれば、僅かに微笑んだに過ぎない。

 それでもその笑顔が、その時亞矢音には菩薩のように見えたという……。

 

「夏音姉様……、今度一緒に買い物に行かない? 二人で」

 

「? いいですよ?」

 

「い、いきなりどうしちゃったの、亞矢音ちゃん……」

 

 凪沙のツッコミが、静まり返った部屋の中に響いた。




毎度恒例、落書き。


【挿絵表示】


家族写真その1。

正直、あとがきで何言っていいかわかんないから落書きのっけてる感はあります。


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異次元の真祖編Ⅱー②

実は第1話や第2話など、既に掲載している話の中でも、読み直して目についたところには修正を入れています。
しかし文を書くのって本当に難しいですね。
自分で自分の作品を読み返すと、それが痛いほど分かります。


「さーさー娘っ子たち! 集まれーっ‼︎」

 

「……何をするつもりなんだ、凪沙」

 

 遡ること数分前。

 仕事がひと段落ついたことだし、久々に読書でもしようかと思っていた古城の下に、突如開け放たれた自室の扉から、妹と娘たちが勢い良く雪崩れ込んできた。

 何事かと驚愕したが、萌葱が仕事机の中をごそごそと探り、亞矢音が机上のインクを倒し、奏麻がちょっと転んだだけで号泣したりと、あれよあれよと姦しい女性たちにわちゃわちゃと翻弄され、気が付けば何故か一人掛けの椅子に座らされていたのだった。

 

「先に言っとくが、この部屋の片付けは手伝って貰うぞ、凪沙」

 

 椅子の上で腕を組んで、少々威圧的に約束を取り付けようとする。

 

「えぇー……、それこそ娘に手伝ってもらいなよ、やったの私じゃないし」

 

「どんだけ大人気ねーんだお前は!」

 

 思わず声が大きくなってしまった。

 見た目はそれなりに成長したが、中身は全く変わらないな、と口には出さずに悪態を吐く。いや、成長というよりは単に中学生の姿を縦に伸ばしただけか、現に体の起伏は全く成長していない。第一そんな風にきゃっきゃと落ち着きがないから嫁の貰い手も出てこないん……

 そこまで考えて、視界を眩い閃光に遮られる。古城は突然の外的刺激に思わず身体をビクッと震わせてしまった。

 

「うおっ、眩しっ⁉︎」

 

「なんか失礼なこと考えてたでしょ、古城君」

 

「い、いや、別に……?」

 

 図星を突かれ、しどろもどろになって返答する。やはり女の勘とは恐ろしいものだ。その驚異的なまでの的中率は、ここ十年で周りの女性たちから嫌という程思い知らされた。

 しかしさっきの光はなんだったんだと、凪沙の手元に目をやると、そこには黒いカメラが握られていた。

 しかもプロのカメラマンが持っているようなしっかりした作りの一眼レフである。

 果たして妹にそんな趣味があっただろうかと記憶を遡るが、カメラが関係する事柄は何も思い出せない。ではまさか、わざわざ買ったというのか。

 

「今日から一週間、萌葱ちゃんと、亞矢音ちゃんと、奏麻ちゃんと、零菜ちゃん。全員ママが仕事だからいっぺんに預かることになったの! 私って信用されてるでしょ」

 

 はぁ、と間の抜けた返事で返すと、案の定気に食わなかったのか、凪沙は肩に掛けた一眼レフを構えて、再びフラッシュを焚いてきた。

 

「凪沙FLASH‼︎」

 

「うぉ! だから止めろって、目がクラクラするだろ‼︎」

 

「古城君があんまり失礼な態度とるからですぅー‼︎」

 

 大体ねぇ、と腰に手を当てて凪沙が説教を始める。それはまだ幼い頃から、妹がよくとるポーズだった。

 

「本当は父親の古城君が責任を持って面倒見なきゃダメなんだよ! いくら王様で忙しいからって! 萌葱ちゃんは最近落ち着いてきたけど、ほら、亞矢音ちゃんは紗矢華さんいないと直ぐに古城君のところに行きたがるし、奏麻ちゃんは一度泣いたら優麻さんか古城君がいないと中々泣き止まないし、零菜ちゃんだって……」

 

「……ああ、分かってるよ」

 

 自分よりも娘に詳しい妹に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 そう、言われなくても分かっている。

 凪沙は暗に、『何故娘と距離を置くのか』と聞いているのだ。忙しさにかこつけて育児をサボりたいわけではない、愛してないなどそれこそ有り得ない。

 ただ古城にも、愛しているからこそ思うところがあるのだ。

 ズボンの太腿の辺りを掴まれる感覚に気付いて、目線を向ける。どうやら零菜がしがみついてきたらしい。親指をくわえて、じっと古城の顔を見上げている。

 古城はそんな零菜を見て微笑み、撫でてやろうとして、僅かにためらい動きを止めた。

 

「…なんで撫でてあげないの……?」

 

「………………。」

 

「古城君は、何を怖がっているの?」

 

 少しだけ顔を歪めた凪沙の問いかけに、ふぅ、と小さく息を吐く。今度は躊躇してしまわないよう勢いを付け、零菜の腰の下に腕を通し、しっかりとした手つきで抱き上げた。すると零菜はキョトンとした顔を、花が咲くように笑顔に変えて、無邪気に笑い声をあげた。

 古城はそっと零菜の手を取り、何かを確かめるように何度か軽く握る。

 

 優しくて柔らかい。

 自分とこの子が、同じ生き物とは思えない。

 

「…こんなに小さくて柔らかい体を抱く度に、いつも思うんだよ。俺が触れるだけで、一歩間違えるだけで、この子はすぐに死んじまうかもしれない。今まで、自分の力に戸惑いこそすれ、ここまでの恐怖を感じたことはなかった」

 

 それは古城が五年間ずっと胸の内に抱えて、妻の誰にも言い出せていなかった想い。

 凪沙がそれを聞くことができたのは、一重に兄妹の絆が成せたものか。

 

「いつの間にか当たり前になってたんだ。人間なんて簡単に殺せる力を振るうことが。初めて萌葱を、小さな命を抱いた時にやっと思い出したよ……忘れてただけだ、俺はずっと、バケモノだった」

 

 だから、

『守らなければ』、と。

 それは自ら皇帝になる決意をした時よりも、ずっと重い誓いだった。

 娘たちに害を成す存在を全て遠ざけて、ひとつ残らず潰す。幸せな人生を送らせてやる。たとえその「害を成す存在」が、「自分自身」であっても。

 その誓いこそが、バケモノがその子供たちに示すことのできる唯一の愛の形だと、古城はいつの日かそう考えるようになった。

 

 気付けば、抱き抱えている零菜以外の娘たちも古城の周りに集まっていた。

 萌葱は本棚を荒らして落ちてきた文庫本のせいで髪の毛がボサボサに乱れているし、亞矢音は頰に黒いインクを付けている。奏麻は泣き腫らして真っ赤な目を、古城のシャツの裾で拭っていた。それでも今は皆一様に、あふれんばかりの笑顔だ。

 嗚呼、なんと愛おしいのか。今この一瞬の笑顔を守るために自分は命も投げたせる、そう思わせるほど心は震えているのに、古城が浮かべた哀しげな顔は、むしろさらに悲痛で歪んで行った。

 喉をせり上がってきた暗い想いが口を突いてしまわぬように、奥歯を力強く噛みしめていると、突如重く鋭い衝撃が体の中心を貫く。

 

「……っが‼︎?」

 

 その衝撃の正体は直ぐに判明した。

 凪沙の正拳突き、しかも鳩尾にだ。

 学生の頃はずっと貧弱だったはずの妹の、正確かつ抉るような威力の拳に、零菜を床に降ろしてから、古城は膝を折って地に伏し、そのまま悶絶し始めた。

「ホンットに今までの古城君らしくない! ようは親バカ拗らせちゃってるだけじゃない!」

 

 またも腰に手を当てて怒鳴る凪沙。

 

「お、お前こそ……そんなに直接的な武力を振るってくる奴だったか……ッ‼︎?」

 

 全く痛みが引かずに床にうずくまったままの父親の姿を流石に心配に思ったのか、四人の娘たちは戸惑いながらも、一斉に古城の背中をさすり出した。

 

「ぱぱ、だいじょうぶ?」

 

 姉妹の中で一番年上の萌葱が話しかける。

 

「あ、ああ、凪沙おばちゃんが突然空手王に目覚めたりしなかったら、大丈夫だったかもな…」

 

「あれ、ダメだよ萌葱ちゃん! さっき教えた通りパパじゃなくて『古城君』って呼ばなきゃ」

 

「あ! そうだった。こじょーくん」

 

「おい⁉︎ 俺の娘に変な洗脳教育を施すな!」

 

 俺はお父さんかパパって呼ばれたいんだよ、と抗議の声を上げながら、未だガクガクと笑う膝を無理矢理押さえつけて立ち上がった。

 非常にまずい。このままでは他人に、娘たちから名前を呼ばれたところを見られた時、「この国の皇帝は家内になめられている」とか思われてしまうかもしれない。

 なんとかして止めるさせるよう凪沙を説得しようとする古城。しかし先の一撃でかなり弱体化させられてしまった第四真祖は、あれよあれよと気付けば再び椅子に座り直させられていた。

 

「もうっ! 動かないの! 何のためにわざわざ椅子に座らせたのか察してよ」

 

「何のためって……何のためだよ?」

 

「……あんなに沢山奥さん娶ったのに、恋愛面では成長してても鈍感なのは変わらないんだね」

 

 やれやれ、と大袈裟なジェスチャーで諦念を示してくる妹に若干イラッとしながらも、あえて無視を敢行する。

 凪沙は手元の一眼レフをバシバシと叩いて、その存在を強調した。

 

「か・ぞ・く・しゃ・し・ん‼︎ 萌葱ちゃんから聞くところによると、拗らせ系子煩悩 暁古城君は娘たちとあまり写真を撮らないんだって⁉︎ 今アルティギアにいるクロアちゃんとリリアナちゃんには悪いけど、今から一枚撮るから!」

 

「あぁ、そういうことか」

 

 ようやく納得した。

 凪沙はわざわざ、これから撮る親子の写真のために、あれほどに本格的なカメラを購入したのだ。

 

「ほら、萌葱ちゃんが五歳で、零菜ちゃんたちもだいたい三歳でしょ? 七五三も兼ねてさ」

 

「でもいいのか? クロアとリリアナを待ってからでも……」

 

「ラ・フォリアさん今ちょっと国のことで忙しくて、次コッチに来れるのいつになるか分からないんだって。二人もお母さんと一緒に行きたいって言うだろうし。いいの! 今度は古城君の子供たちフルコンプリート版で撮り直すから!」

 

 えへへ、といつまでたっても変わらない明るい笑みをこぼす凪沙。

 申し訳ないような、ありがたいような、もう少し金の使い方を考えろと言いたいような思いになる。

 普段はそんなもの、使わないくせに。

 本当にこいつは……。

 

「凪沙」

 

「? なぁに?」

 

「ありがとう」

 

「……本当になによ、もう」

 

 凪沙は気恥ずかしさから微かに頬を赤く染めて、小さくそう呟いた。

 やはり買ったばかりで慣れないのか、色々なボタンを無造作に押されたカメラが、レンズを伸ばしたり変な音を出したりと目まぐるしく変化する。

 しばらくしてようやく準備ができたのか、よしっ、と言って、古城たちに向き直りカメラを構えた。

 

「はーい! みんなもっと寄って寄って!」

 

 その言葉を受けて、きゃっきゃと声を上げながら娘たちが古城に身を寄せる。古城もまた、それをそっと受け入れた。

 しかし、やがて聞こえるであろうシャッター音に身構えた古城であったが、五秒待てど十秒待てどフラッシュは焚かれない。訝しげに凪沙に視線を投げかけるが、凪沙は凪沙でカメラを構え、レンズを覗き込んだまま動かなかった。

 

「……おーい、凪沙?」

 

「古城君」

 

「ん? お、おう」

 

「……古城君の気持ち、分からなくもないよ」

 

「………………。」

 

「だから、いつか。この子たちが一人前になった時には」

 

 そこで一度、凪沙は息継ぎをする。

 その指は力がこもりすぎて白く滲み、

 その声は何かを堪えるように微かに震えていた。

 

 

 

「ずっと……ずっと一緒に居てあげて」

 

 

 

 

 数秒後、軽快なシャッター音と暖かな光が、古城の世界を覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼い頃の夢を見ていた気がする。

 叔母と姉妹たちと、そして父の夢。

 茶色い革張りのソファーで目を覚ました零菜は大きく伸びをして、無理な体勢での睡眠で負荷をかけていた体を解した。

 昨日の朝、初めて母と本気の喧嘩をした零菜はあてもなく走り出し、王宮が保有している首都の外れの高層ビルに逃げ込んだ。

 元々萌葱がメインで使用しているそのビルの最上階にある研究室まで、主である姉にこっそりコピーしてもらった本人認証カードでセキュリティを解除して忍び込んだ零菜は、外れに置いてあった仮眠用のソファーを見つけ、泣き疲れと全速力でそこまで走ってきた疲れもあって、直ぐにそこで泥のように眠りについたのだった。

 

「あーあ、今日どうしよっかな」

 

 部屋を出た時のままの姿の零菜は、現在下着の上からタンクトップとホットパンツを着ただけの非常に露出度の高いものだ。

 よくこれで街中を走り抜けたものだ、と自分で昨日の自分に感心する。

 今居るこのビルも、偶々昨日今日と建物全体で休業だったから良かったものの、もし研究員たちが絶賛勤務中だったらと思うとゾッとした。

 着替えを求めて、ソファーの隣に無造作に置いてあったロッカーを開けてみる。運がいいことに、そこには恐らく萌葱の予備と思われる彩海学園高等部の制服がハンガーにかけてあった。

 

「……でも服があったところで、家に帰る気にはならないなぁ」

 

 零菜自身、既に昨日ほど気持ちが落ち込んでいる訳ではなかった。

 だが、あれだけのことがあってのだ。ほんの一日やそこらでは、この気不味さが拭えるとは到底思えなかった。

 家には帰れない。だが止む終えず制服を着るのなら、皇女である零菜が一人で街中に繰り出していては目立ってしまい、引いては捜索に来た邸の使用人たちに直ぐに見つかってしまうかもしれなかった。そうなると、必然的に今日の行き先はほぼ一つに絞られるのだが。

 

 ふと脳裏に、何故かは分からないが昨日の母の姿が浮かび上がった。

 その口が放った言葉も、一つ一つハッキリと思い出せる。

「あなたに話があったのに……。」

 確か、そう言っていた。

 一体話とは何だったのだろうか。

 そこまで思い出して、そんな母の涙の映像まで連鎖で掘り起こされ、一気に気分が落ち込む。このままではいつまでも嫌な気分のままだ、と自分で自分の頬を張って気合を入れた。

 そうだ、有耶無耶にしなくていい。

 自分の中で気持ちの整理を付けてから、ちゃんと自分の意思で謝りに帰ろう。

 

 零菜は手早く制服に着替えて、夏休み真っ只中の彩海学園に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁零菜がビルを出たのと時を同じくして、ある『物体』が、暁の帝国東海岸に流れ着いた。

 半ばまで砂に埋もれた、直径一メートル程の黒い球体。

 深く海底を潮の流れにのってやってきたそれは、ただの鉄の玉などではなかった。

 球体が、ぐにゃりと歪む。ドロドロの溶岩のように姿を変えたそれは、やがて全長一・七メートル程の、細身な人の形に再形成された。その体表は、分厚い雲のかかった夜空のように黒かった。

 凹凸のない顔面に、クレヨンで表面に書き殴ったような丸い双眸が浮かび上がる。その間を分かつように、今度は縦十字に伸びた鋭利な口が開いた。黒い人影はギョロリと、眼球のない眼で辺りを見渡す。動き、姿、雰囲気の全てが、言語化できない異質の恐怖を醸し出す。

 この物体が現れたのが、一般開放されていない海であったのが幸いだった。もし魔族に耐性がない一般人がこの黒影の姿を見たのなら、その異様な光景は一生記憶の中に鮮烈な恐怖として、消え去ることはなかっただろう。賑やかな海水浴場は、阿鼻叫喚の嵐になっていたはずだ。

 

「ぉ…おおぉお……ぉお…ぉ……」

 

 黒影は、地の底から響くような呻き声を発してながら、西に向かって歩き始めた。

 緩慢な動きながら、その歩みには一切の迷いが感じられない。まるであらかじめ目的地が決められているようだ。

 

「ぉぉおぉ……ぉおぉ…お……ぉ…」

 

 砂浜を抜け、森に入っても、その歩みは常に一定の速さで続けられる。

 やはり黒影は、どう歩けば『目的』に最短で到達できるかを全て理解していたのだ。

 全ては、宿主たる男の思惑。

 (つわもの)たちへの小手調だった。

 

「あ……ぁぁあ…か………っ…つ……き…」

 

 漆黒の隷獣 『天之常立(アマノトコタチ)』は、やがて森の闇の中に溶け込み、そして姿を消した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あぁ、また戦闘か、次は。
本当に書きにくいんだよなぁ。
まぁんなこと言い出したら、常に書きやすいと思って文を書いてることなんてないんですけどね。

因みに隷獣は、眷獣の表記間違いとかじゃないです。
あえて名称の違いを出しました。


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異次元の真祖編Ⅱー③

バトル……。お前ってやつぁ……。
書きにくいったらありゃしないぜ。

寝不足で書いたので、誤字、変な文目立つかもしれませんが、よろしくお願いします。
え?いつも変だろって?

HAHAHA


 夏休みとあって、正午を迎えた彩海学園は人も疎らといった様子だった。

 赤道に近い島国である暁の帝国は季節に関係なく年中熱帯気候であったが、今日の太陽はいつになく燦々とその恵みを地表へと降らしている。

 元来、夜の魔族『吸血鬼』は日差しを嫌う傾向にある。その証拠に、最強の吸血鬼たる現『第四真祖』の男も、普段からフード付きの衣類を好んで着用し、日中は概ねそのフードで頭部を隠して生活していたという。

 しかしそれは、あくまで「出来ることなら日差しに当たらないようにしたい」という程度のものだ。仮に日光が吸血鬼を殺傷できるほどの力を持っていたとしても、実際には不老不死と驚異的再生能力を有する彼らにとって、さしたる害にはならないのである。

 つまり、

 

「あっつー……」

 

 その吸血鬼の血を半分継いだ少女、暁零菜にとっても、強すぎる直射日光は得意なものではなかった。

 昨夜の寝床であった萌葱の研究室を出てモノレールに乗り込み、通い慣れた学び舎彩海学園に到着した零菜は、遠くの景色で陽炎が揺らめくのを眺めながら、中等部の本校舎に向かっていた。

 当初の予定では校庭や体育館の辺りをブラブラしようかと考えていたが、あまりの暑さにクーラーが恋しくなったのである。

 舗装されたアスファルトの通路をおぼつかない足取りで歩いていると、道の横に並べられたタッチパネル式自動販売機が目についた。これは買うしかない、と思って駆け寄り、丁寧に横に陳列されたサンプルのパッケージを見ていると、一つ、大事なことを忘れていたことに気付いた。

 

「……モノレール代でもう殆ど小銭ないじゃん」

 

 暁家では、子供たちへの支援金には『月払いのお小遣い』制が導入されていた。配給される金額も、子供たちが各学年のクラスメイトたちのお金事情を聞いてから、不自然に思われない程度の金額に設定してある。

 これは、学生の頃から一般的な生活の範疇でしか金を扱わなかった世帯主 暁古城の強い要望により実装されたものである。

 彼が、「小さいうちから下手に大金持たせてると、ろくな大人にならない」と日頃から何度も言っていたのを、零菜も聞いたことがあった。因みにその度に、一国の皇帝だというのにケチくさいな、と思っていたのは秘密である。

 故に、日頃からまとまったお金は全て財布に入れていた零菜は、貴重品類を全て家出前に自室に置いてきていたので、ポケットを漁って何故か入っていた少量の小銭でモノレールに乗車したのだった。

 

「このままじゃ、熱中症で死んじゃうよ……」

 

 自販機に両手をついて、がっくりと肩を落とした。皇女が飲み物を買うお金が無くて死亡、なんて報道されでもしたらたまったものではない。

 あ、私不死身だった、と思い出したように呟く。しかし辺りを見回すと一切の人気が無いこの一角では、誰からの反応も得られなかった。

 

「へぇ? で、そんな不死身の姉さんは、こんなところでなにやってるのかな?」

 

「うわぁ‼︎」

 

 ついさっき人気が無いと確認しただけあって、突如聞こえた声に零菜は思わず声を上げて驚いた。

 

「やっぱりここだったか、萌葱姉さんの推測は当たったね」

 

「そ、奏麻……」

 

「亞矢音も来てるよ。二人で手分けして探してたから、もう少ししたらここに来ると思う」

 

 そこに居たのは、1年近く歳が離れているが同学年の妹だった。ダンガリーシャツと白いショートパンツに身を包んだ爽やかな美少女は、ポケットから取り出した小銭を自販機に押し込み、適当な清涼飲料水のボタンを二回タッチした。下に取り付けられた受け取り口に、中身の入ったペットボトルが落ちてくる音が二回、立て続け響いた。

 奏麻は、『なし汁ソーダなっしー』と書かれたパッケージのそれを、一方は零菜に向かってひょいと投げ、もう一方は自分で開けて飲み始めた。

 零菜は、奏麻が飲み口から口を離すタイミングを見計らって、先ほどから疑問に思っていることを質問した。

 

「一応聞くけど…なんでここが分かったの?」

 

 すると、キャップを閉めながら奏麻が呆れ顔で言った。

 

「あのねぇ、あの萌葱姉さんだよ? 姉さんの研究室なんか使って、姉さんにバレないわけないだろ」

 

「……うわぁ、そっか」

 

「制服に着替えたことから、学校に向かうだろうってことも推理されてたよ」

 

 確かにそうだ、と零菜は思った。

 あの『電子の魔女』の愛娘が、自分の身の回りのセキュリティ管理を怠るはずが無い。きっとあの研究室にも監視カメラがどこかに設置されていて、その映像から零菜の動向を把握したのだろう。

 

「本当は、零菜があそこに着いてすぐの段階で分かってたんだ。僕と亞矢音は迎えに行こうとしたけど、『少しだけそっとしておいてあげよう』って、おばさんと夏音さん……あと、雪菜さんが」

 

 零菜は、その言葉を聞いて思わず発生した胃の不快な痛みに、鋭く息を吸った。喉が震えて、心がざわつく。心配そうに見つめてくる奏麻を傍目に、しばらく俯いていた。

 一晩を越えたところで、やはりどうしても、母 雪菜の涙は頭に焼きついて離れないままのようであった。

 

「僕も、無理に帰ろうとは言わないよ…でも、みんな心配してる。雪菜さん、ずっと元気無いんだ」

 

 母は今どんな顔をしているんだろうと想像して、すぐいたたまれない気持ちになって思考を投げ出した。想像しなくたって、零菜にはありありと感じられた。

 きっとあの白く美しい顔を、酷く悲壮に歪めているのだろう。

 零菜だって、そんな母の姿は見たくないと思った。それでも、今帰るわけには行かない。きっと今帰ったって、それは問題の解決にはならないからだ。

 ではいつならばいいのか。と、心の中でもう一人の零菜が問いかけてきた。

 そうだ。

 いつ帰ったって、何も変わらない。自分は問題を先延ばしにしているだけだ。嫌なことから、辛いことから逃げ出してしまった現在の自分こそが、父の言った『半人前』の証拠になっていると、誰よりも零菜自身が分かっていた。

 

「私は……」

 

 答えの出ないまま、先ほどから沈黙したままの奏麻の顔を見る。

 

 しかし、ここで零菜は異変に気付いた。

 

 奏麻の視線が一点に釘付けになったまま、その瞳を大きく見開いている。

 頰にはじわりと汗を滲ませていたが、それが暑さのせいではないと、直感的に零菜は悟った。

 明らかに、尋常ではない反応だった。

 

「……なんだ、アレ……⁉︎」

 

 奏麻の視線の先にいたのは、黒い人影。

 光を全て呑み込んでいるような黒に、全身を染めた何か。それが、二人の二十メートルほど離れた先のアスファルトの上に力無く立ち尽くしていた。

 変装か、それとも特殊メイクかとも思った。確かに大都会の学園内でその風貌はかなり目立っているが、この地は元より魔族特区である。超常的力を振るう知的生物に溢れる暁の帝国では、異常が日常であるといっても過言ではない。

 しかし、本当は零菜も気付いていた。

 信じたくなかっただけなのだ。

 未だかつて出会ったことのない、異質の恐怖を。

 

「……奏麻」

 

「分かってる。僕も今気付いた」

 

 微かに震える足で、二人はゆっくりと黒影と距離を縮める。

 真に特筆すべきはその気配であった。

 言語化不可能の恐怖。視界に入れているだけで鳥肌がおさまらないような、体の内側にぬるりと直接滑り込んでくる気配。

 そしてもう一つ。

 黒影からは、一切の魔力が感じられなかった。

 

「どういうこと? アレは魔族じゃないの?」

 

「分からない…分からないよ」

 

「……じゃあ、」

 

 零菜は、自身の愛槍にして眷獣、『槍の黄金(ハスタ・アウルム)』を召喚し、黒影に穂先を突きつけた。黄金色の閃光が迸り、左手に零菜と同じほどの全長をほこる雷槍が収まった。

 現在の距離はおよそ十メートル。

 槍による近距離攻撃と、雷撃による近、中距離攻撃を得意とする零菜から言わせれば、十分に必殺の間合いである。怪しい動きを見せた瞬間攻撃を開始する、と零菜は決めていた。

 喉をせり上がってきた、一際大きな緊張の塊を呑み込んで、先ほどから微動だにしない背中に問いかけた。

 

「聞こえるわよね、あなた……何者?」

 

「………………………………………………」

 

 粗方予想はしていたが、返事は無かった。

 魔力が感じられないという事実が指し示す可能性は二つ。

 一つは、相手が直前で体内の魔力を、何かしらの方法で消耗し切っていた場合。

 そしてもう一つは、その相手がそもそも魔族では無い場合だ。

 現状況で最も可能性が高いはずなのは後者である。

 だか、それは無い。

 それだけはあり得ない。

 目の前の黒塊が放つ気配が、何よりもそれを雄弁に語っていた。

 ゆっくりと、黒影が振り向いた。

 その顔面を視界に捉えて、奏麻と零菜はもう何度目かわからない戦慄を感じた。

 

 筆で書き殴ったかのような、虚ろな二つの眼。鋭利な刃物で切り込んだかのような十字の口唇。

 

 疑念が確信に変わった瞬間でもあった。

 この物体は、人間では無い。

 

「……おぉぉぉ……おぉぉお……」

 

 掠れた重低音の呻きが聞こえてくる。

 それは明らかに、十字に裂けた深淵から発せられていた。

 

「お…お?……お……お……お!……お‼︎?」

 

「⁉︎ 様子が変だ…逃げよう‼︎ 零菜‼︎」

 

 何かに気付いたかのように、突如声を大きくし痙攣し始めた黒影を前に、奏麻は零菜の手を取った。突然の出来事に思わず体勢を崩しかけた零菜を、それでも強引に向き直らせる。

 

 この時既に奏麻は直感的に予測できていたのかも知れない。

 これから待つ真の脅威。

 隷獣『天之常立(アマノトコタチ)』の真価を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『龍の尖兵(トゥバン・エグザシタス)』‼︎‼︎」

 

 奏麻と零菜が天之常立に背を向けて走り出した直後。

 無数の光矢が二人の頭を掠めて、漆黒の隷獣に殺到した。

 抵抗も気付いた様子も見せないままに、体に幾つもの風穴が空く。それは四肢を分断し、人型の原型をバラバラに吹き飛ばした。

 

「うわぁ‼︎? 今度は何‼︎?」

 

「ちょっと‼︎ もう少し余裕を持った射撃をしてよ亞矢音‼︎」

 

「助けてあげたのに文句言わないのッ‼︎」

 

 二人の前に、見慣れた顔の妹 暁亞矢音が私服で、更には不満気な様子で立っていた。

 その背後には彼女の眷獣、百頭一対の翼竜『龍の尖兵』が四体顕現している。

 亞矢音の背後に回るまで走った二人は、濃密な緊張感から解放された弾みで、膝からアスファルトに崩れ落ちた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「あの黒い変態、まだ居たのね⁉︎」

 

 零菜は亞矢音の言葉に初めはポカンとしながらも、一拍おいてその意味を理解した。

 

「あ、亞矢音も見たの? アレ」

 

「見たも何も、さっきいきなり興奮した雄叫びをあげて、いきなり襲ってきたのよ。まぁ、対面した段階で『式神』のようなものだと分かってたから、躊躇わずに壊したけど」

 

 式神とは、呪術の一種である。

 紙などの依代となるものに呪術的施しと魔力を込めて、擬似的な生命体のように変化させ、様々な用途で使用される。比較的初歩的な技術で、攻魔官も頻繁に使用するものである。

 亞矢音の母親もとい修行教官は、元獅子王機関の舞威姫 暁紗矢華であった。

 零菜と奏麻とは違い、日頃から呪術の訓練に重きを置いて鍛錬している亞矢音には、『謎の黒い変態』の正体を対峙しただけで断片的に明かすことが可能だった。

 

「でも、怖くなかったの? その…よく分かんないけど怖い! みたいな……」

 

「零菜、語彙力が残念なあまりに、何が言いたいのかあまり伝わってこないよ」

 

「それはきっと、私にはアレの正体が分かったからよ。ほら、人間は未知なるものに根源的恐怖を感じると言うし」

 

 あまり釈然としない亞矢音の返答と、失礼極まりない奏麻の苦言に、むぅ、と思わずぶーたれる零菜。しかしその反面で、あれほど自分と奏麻が感じた正体不明の恐怖に屈することがなかったのか、と思うと、素直に亞矢音を賞賛していた。

 呼吸も落ち着き始めた頃、零菜と奏麻は立ち上がって、膝の埃をはたいた。

 

「とりあえずもう大丈夫でしょう。一応この付近を一度見て回って、それから古城君たちのところに連絡をい……れ…………」

 

 言葉を言い切る前に、亞矢音が表情筋を硬直させていく。

 奏麻と零菜もその顔から、まさか、とおおよそを察した。

 そう、それは『式神』では無い。

 そんな生易しいものでは断じて無い。

 

 バラバラになった無数の肉片が、釜が煮立つような不気味な音を発しながら膨張していく。

 やがてそれは、それぞれが分割される前の元の大きさになり、再び人の型を形成した。

 

「嘘、でしょ…? 私の『龍の尖兵(トゥバン・エグザシタス)』が効いてない……!」

 

「再生能力、いや、分裂能力か」

 

 辛うじて冷静に分析をした奏麻をよそに、二十七体に増えた黒影が、一斉に一歩前に出た。それに合わせるように、零菜たちは一歩退く。

 乗り越えたはずの恐怖に、今度は亞矢音までもが飲み込まれかけていた。

 

「おおおおおおおおぉおおおおおおおお‼︎‼︎」

 

 なんの前触れもなく、二十七のうちの一体が、天に向かって絶叫した。

 

「おおおおぉぉおおぉぉおおおおおおお‼︎‼︎」

 

「ぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお‼︎‼︎」

 

 二体、三体と続いて、ついには全ての黒影が悲鳴にも聞こえる雄叫びをあげ始める。

 亡者たちが奏でる絶望の輪唱に呼応するかのように、黒影たちの中央に球体の闇が発生した。

 

「あれは……魔力⁉︎ そんな、だってさっきまでは……!」

 

「そんなことどうでもいいわッ! コレは私たちじゃきっとどうにもできない。今は引いて古城君たちに……」

 

「ッ! 二人とも、何か来るよっ!」

 

 三人の焦燥など知る由もなく。

 突如爆発的に体積を膨張させたそれは、

 三人を飲み込み、

 校舎を飲み込み、

 やがて、彩海学園の全てを飲み込んだ。

 

 

 

 

 




ちょっと、いや、しばらくは今回の戦闘の続き、かもですね……。
どうしたらもう少し読みやすい文にできるでしょうか。


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異次元の真祖編Ⅱー④

いやーすいません遅くなって。
新学期始まってしまいまして。
てんやわんやでしたわ。
ははははは。

はぁ……。


 暁萌葱はモノレールに乗っていた。

 二十分ほど前に絶賛家出中の三女を迎えに四女、五女を向かわせたは良いものの、なんやかんや思い悩んでしまい、どうしても心配になって堪らず家を飛び出したのだ。「あんまり大人数で行っても、威圧しちゃうだけでしょ」などと澄まし顔で言ってしまった手前、今更追いかけていることを知られたらどんな反応をされるか大体予想はできていたが、それでもいいと覚悟を持って決めたことだ。

 本人は必死に隠してはいるが、ようは『シスターコンプレックス』なのである。

 

 

「……いや、別にホントは心配とかじゃないし。ちょっと帰りにお使い頼もうかなーと思ったけど、携帯の充電切れてたから直接言いに行こうかなー……みたいな」

 

 誰かと一緒に乗車しているわけでもないのにわりかし大きな声で謎の言い訳を喋っている美女は、ワンピースの上から来た白衣も相まって人も疎らな車内で一際目立っていた。

 しかし当の萌葱はそんな周囲に気付いた様子もなく、なおも落ち着きなく乗車口の前をウロウロしている。やがて車内に到着アナウンスが鳴り響き、彼女の目的地 彩海学園が近いことを示した。

 モノレールが一つ前の駅からずっと通っていた高層ビル群の中を抜け、比較的見晴らしの良い中、低層の街並みが乗客たちの前に現れる。首都近郊のような、巨大な人工物が持つ迫力に溢れている訳ではないが、自然と建物が適度に調和した風景だ。だが、現在高校生活三年目の萌葱にとっては、通学中に幾度となく見てきたものである。

 別段何を思うこともなくふと視線を窓の外に放り出した萌葱は、

 そこで思わず、目を見開いた。

 

 明らかに異質な『暗闇』が、街のど真ん中に我が物顔で居座っていたからである。

 

 モノレールが減速を始める。

 巨大なドーム型をしたそれは、遠目に見ても半径百メートルはあった。

 車窓から目視されたその異常事態に、他の乗客たちもざわめき立つ。どうやら見間違いではないらしい。現実を再確認し、開きかけのドアをこじ開けるようにして萌葱は駆け出した。

 否応無く、動機が早くなる。背筋がザワザワと躍動し、指先は僅かに震えだした。

 

 ああ、コレが俗に言う『嫌な予感』か。

 

「あの辺り……思いっきり彩海学園じゃないッ‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬の出来事であった。

 零菜は、空を覆う赤黒い天蓋を見上げていた。辺りは日没寸前の如く、薄い闇が満ちている。

 ここは彩海学園ではないのか。

 自分は、あの黒い化け物に何処かへ連れて行かれたのではないか。

 そう考えてから、両隣に立つ見慣れた家族に気付いた。亞矢音も奏麻も、一様に目を見開いて周囲を見回している。きっと二人とも同じく状況が全く把握できていないのであろう。

 対照的に、二人の顔を見て段々と気持ちが落ち着いてきた零菜は、黒影が何をしたのかを大体理解し始めていた。

 

「……結界…?」

 

 そこは彩海学園、零菜たち三人は何処に連れて行かれたでもない。曇天の夕闇のような色の物質で、ただ閉じ込められたのだ。その証明のごとく、校舎、アスファルトの道、先刻飲み物を買った自販機、全てが闇に飲まれる前の位置のままである。

 次に平静を取り戻したのは奏麻であった。

 

「……分からない。取り敢えず古城君に電話はで……」

 

「……今から掛けてみるけど、期待はしない方がいいと思うわ。ここまで大掛かりな仕掛けのくせに電波は遮断してないなんて、抜けてるにもほどがあるもの」

 

「……きそうにも無いね、やっぱり」

 

 気が付けば、亞矢音もなんとか気持ちを持ち直して、携帯端末から救援を呼ぼうと試みていた。

 しかし、合成音声から突っぱねられては掛け直し、突っぱねられては掛け直しを三回繰り返したところで、ついに折れてしまった。

 どうやら懸念通りのようである。

 本格的に、三人が顔を付き合わせての作戦会議を開催しようとした時、零菜は電波の有無などより、ずっと前から気になっていた疑問を──他の二人に答えられるとも思っていなかったが──念の為に投げかけた。

 

「ねぇ、さっきまでの黒い人たち、今はどこにいるか分かったりする?」

 

「……。」

 

「……。」

 

 こちらもやはり懸念通り。

 

 急に居なくなるなんて、そんな都合のいいことがあるはずが無い。

 

 辺りに、再び緊張が迸る。

 三人の皇女たちは、突如周囲に湧き出た無数の人影を認識して、

 

「おいで、『槍の黄金(ハスタ・アウルム)』」

 

「現れなさい、『龍の尖兵(トゥバン・エグザシタス)』」

 

「行くよ、『(ル・ルージュ)』」

 

 それぞれが、『真祖』の血族の証明たる『眷獣』を呼び出した。

 眷獣とは、不老不死の魔族『吸血鬼』の力の象徴。異界から召喚される魔力塊であるそれは、多くの場合獣や伝説上の生物など、人外の姿を持ち、絶大な威力を振るう。

 しかしまた、召喚に必要な対価も大きい。眷獣の原動力は、生物の命そのもの。一度の召喚に、膨大な寿命を削る必要があるのだ。

 故に眷獣は吸血鬼の固有技能と言うよりも、「無限の寿命を持つ吸血鬼たちにしか使えない」と言った方が正しいのかもしれなかった。

 三人それぞれの元に、黄金の槍、五頭の翼竜、深紅の西洋鎧に身を包んだ騎士が現れる。

 

「どうする? また攻撃してもバラバラになって再生するでしょ、多分」

 

「……とにかく落ち着いて対処しよう。この辺りには少ないけど生徒も何人かいるはず。その子たちを避難させる。何をするにしてもまずそこからだよ」

 

「名案ね、奏麻。そうね……じゃあ、まずはこいつらをなんとかしなきゃ」

 

 相変わらず身の毛のよだつ気配を醸し出している複数の黒影たちは、三人を囲うように展開されていた。じりじりと、少しずつ擦り寄り、包囲を小さくしていく。

 

 最初に動いたのは零菜。

 緊張で汗ばむ手で槍を強く握り、天に掲げる。途端に、黄金の穂先から雷撃が迸り、真っ白な閃光は次々に黒影を呑み込んで行った。

 

「私が陽動、続いてッ‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼の強靭な膂力で民家の屋根を飛び移り、ものの数分で闇の結界の外周に到着した萌葱は、見事に的中してしまった『嫌な予感』に大きく舌打ちをした。

 

「やっぱり……。真っ黒で中が見通せないけど、この向こうは学園だったはず……」

 

 屋根から路上に飛び降りて、結界に駆け寄る。勢いもそのままに底の厚いブーツで思い切り蹴り付けるが、衝撃は自分の身体に返ってくるばかりで、当の結界はビクともしていなかった。

 

「なんなのよ、もうッ‼︎」

 

 無駄だとは分かっていても苛立ちを我慢出来ず、今度は握った拳で、重心を乗せた渾身のストレートを撃ち込む。ゴキン、と鈍い音が響いた。

 

「いったあ⁉︎」

 

 やはり、生み出されたのは手の激痛だけであったらしい。

 

「ホントになんなのよぉ……! 零菜たちに電波は繋がらないし‼︎」

 

 しかし直接肌で触れたことで、眼前の結界が固体化した魔力であることを確認した。

 もしかしたら、物理的に突破するのは難しいのかも知れない。

 そう思い至った萌葱は左拳を庇い涙目のまま、唯一持ち得た強行突破の手段、自身の『眷獣』を召喚した。

 

 萌葱の背後から青い粒子を散らしながら、その輪郭が浮かび上がる。

 人型の女性の姿。

 身体に僅かな布を纏い、顔の上半分を仮面で隠したそれは、軽やかな動きで宙を舞い、結界に掌を押し当てた。

 

「ハッキングを開始しなさい。『天女排斥(スピカ・プロデティオン)』」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 瞬間、膨大な量の情報が萌葱の脳に押し寄せる。『天女排斥(スピカ・プロデティオン)』が宿主である萌葱を介して、謎の黒い結界の解析及び操作権の強奪を開始したのだ。

他人の魔力の強制操作。

それこそがこの眷獣の真骨頂。

 他に直接的な戦闘能力は備わっていない。

 しかし、「それで十分だ」と萌葱は考えていた。

 事実、彼女が母から受け継いだ、電子戦における天賦の才能を持ってすれば、ハッキングに必要な情報処理と操作など造作も無いことだ。

 

「中々やるわね……だけど!」

 

 今までに無いほど堅牢に結びついている術者との回線を、無理矢理引き千切ろうと試み、並行して術者の正体についても情報を吸い上げていく。

 魔力とは、その人にとっての血液のようなものである。血液に型があるように、糖分や塩分の濃度に個人差があるように、魔力もまたその持ち主の性質を体現するのだ。

 しかし、ここで初めて萌葱は顔を顰めた。

 術者のことが分からない。情報を読み取ることはできても、所々に靄がかかっているような感覚がして、断片的なことしか解析出来ない。

 

「どうなってるのよコレ、相手はホントにこの世の生き物でしょうね…⁉︎」

 

 正体が掴めない、という薄ら寒い恐怖を内心から払拭するために、萌葱はヤケになって解析の手を更に速める。

 そして、頭の片隅で考えた。

 

 思えば何もかもがそうだ。

 現状は何もかもが謎すぎる。

 敵は零菜たちの居場所を知っていたのか。

 何故襲ってきたのか。

 目的は何なのか。

 今もどこかで、様子を見ているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白いことをしておるな、娘」

 

 

 

 

 

 

 何かに弾かれたかのように振り返る。

 背後から聞こえたその野太い声の主は、すぐ眼前。

 見上げるほどの巨躯を誇る男が、白い異国の外套を目深く被り、鋭く尖った眼光をより一層細めて、興味深い物を見るかのような顔でじっと萌葱の瞳を覗き込んでいた。

 

「お前さん、己れと同じ『鬼』だな」

 

 あまりの威圧感に、萌葱は一寸たりとも体が動かせない。

 猛烈な死の予感が皮膚を叩く。

 震える喉で、辛うじて何か言葉を紡ごうとした時、被せるようにして男は三度目の口を開いた。

 

「して、娘。お前己れと闘えるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 




娘たちの眷獣の説明は、次回以降本編でしっかりとやっていこうと思っています。
頑張って週二回ペースでは更新したいですけど、
したいんですけどねー……。


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異次元の真祖編Ⅱー⑤

どうしても余裕が……。
高校生にはキッツイで。


 咄嗟に眷獣を消して、抵抗の意思がないことを示す。

 

 時間を稼がなければ。

 

 真っ白に塗り潰された脳内で、萌葱が思ったのは只それだけ、されどあまりに危険な賭けであった。

 対峙しただけで既に解る。

 自分は、この男に確実に敵わない。

 それは、眷獣が一切の有効な攻撃手段を持たない萌葱だからというだけの話ではなく、恐らく熟練の攻魔師でも手も足も出ないであろう、絶対的な強者の気配を男が発しているからであった。

 萌葱は、今にも勝手に折り畳まれそうになっている自らの膝に血が滲むほど爪を立て、努めて余裕を持った表情を形成してから、挑発的な口調で言葉を紡いだ。

 

「あら、ずっと私をこっそり見ていたのかしら? あまり良い趣味じゃあ無いんじゃない?」

 

 応援がいつ来るのか、そもそも来たところでこの巨漢に対応出来るのかは定かではなかったが、萌葱は胸中で、現状の最重要目標を『妹たちを救うこと』から、『恐らく結界の術者である眼前の男の撃破』に変更していた。

 勿論、彼女にその目標を達成する力は無い。

 しかし、後続の者たちに情報を伝えることと、対処に必要な時間を作ることぐらいはできると考えていた。

 男は暫く黙っていたが、唐突に言葉を返した。

 

「……まぁ其れに関しては返す言葉も無い、というものだな。それよか、己れの質問に答えよ娘。お前さん、荒事は得意かの?」

 

「……」

 

「いいから答えよ」

 

 なんだってのよ、と内心で萌葱は毒付いた。

 全く会話に乗ってこない。

 このままでは最短コースで殺されてしまうではないか。

 生命の危機に瀕した肉体がかつてない程に活性化し、思考が加速していくのを感じ取った萌葱は、それでも必死に、急速かつ慎重に、最適解となる言葉を探した。

 

「いいえ、持っているモノは『吸血鬼』の身体能力だけ。きっとあなたには敵わないでしょうね。他の人が到着するのを待ったら?」

 

 嘘ではない、すべて真実である。

 萌葱はこの土壇場で、敢えて一切の嘘を吐かずに話すという作戦に打って出た。

 その場凌ぎの嘘ではいつかボロが出て、会話がスムーズに運ばないかもしれない。より会話を長引かせることが目的であった。

 

「そうか、お前たちは"こちら"では『吸血鬼』と呼ばれるのか。では我が『天之常立(アマノトコタチ)』に何かしていたのはお前の『隷獣』ということだな」

 

「……何を言っているのか、よく解らないわね」

 

「それもそうだ、よし娘。始めるぞ」

 

(人の話を聞きなさいよ!)

 

 思わず口を出そうになる。

 どうやら作戦は既に失敗したようだ。

 騙し切れない緊張の汗が一筋、頬を落ちた。

 すぐ後ろには漆黒の壁、眼前には謎の大男、逃げ場はどこにもない。

 しかし、あまりに事が思い通り運ばない苛立ちと、一周回ってしまった死の恐怖が互いを打ち消しあって心に余裕を生み出したのか、萌葱の思考はより冴え渡っていった。

 

「だから、私じゃ楽しめないわよと暗に言ってあげたのに、なんで気付かないのかしら。待っていたら、その内強い人なんてここに死ぬほど来るわよ」

 

 もしかしてオツムは残念なの? と、出来得る限りの侮蔑を顔に浮かべてみと、男は難しげに短く唸り、何かを考え出すかのように口元の髭をなじった。

 果たして、乗せることに成功したのか。

 一瞬、薄い影をその顔に落とした後、男は笑った。

 

「なるほど! よし解った。では己れは此処で他の兵が集まるのを待つとしよう」

 

「は……お解り頂けた……の…?」

 

「? 何を驚いているのだ、お前が言うたことであろうが」

 

「あっ」

 

 慌ててコホン、と咳払いをして、萌葱は元の"何にも、全く動じていない"とでも言いたげな表情を顔に貼り直した。

 正直ダメかと思った矢先、呆気なく相手が術中にかかったのだ。萌葱からすれば、先ほどまでの緊張感との落差もあり、つい間の抜けた声が出てしまうのも仕方がないことだった。

 その場にどかっ、と座り込んだ男は、今までの殺気が嘘のように、人が良さげで豪快な笑顔を浮かべ、饒舌に話し出した。

 その背丈は、立ったままの萌葱よりも尚大きい。

 

「いやー、煩わしい! 確かに遠目に見ていたお前の隷獣は、攻撃が得意そうには見えなかった。なに、顔見知りに近い『気』をお前さんから感じたものだから、つい興奮気味になってしもうたわ!」

 

 意外に良い人なのか……、と萌葱は今日何度目か解らない戸惑いを感じた。

 しかし、彼女も自身の目的を忘れたわけではない。

 予想外の友好的な態度に、「もしかしたら話し合いが可能かもしれない」と考えて、会話に乗ったフリをして説得しようと試みる。

 

「顔見知り? どういうこと」

 

「お前の中に在る『気』。その半分を構成するものが、己れの出会った或る槍使いの中にも混じり込んでいた、というわけだ。いやーこれはとんだ偽物を掴まされた!」

 

「それはとんだ災難ね……」

 

「いや全く!」

 

 くくかかかか、と特徴的な笑い声をあげる男。

 偽物、などと称され内心萌葱はむっとしていたが、そんなことに逐一目くじらを立てている場合ではない。

 

(アマノトコタチ……結界のこと?)

 

(私の半分を流れる気…魔力?)

 

(槍使いに混じっていた……)

 

(……古城君と、雪菜さん?)

 

 僅かな情報の断片を推測で繋ぎ合わせ、やがて一つの答えを出す。

 

「あなた、雪菜さんと以前接触したことがあるのね」

 

「! やはりその女を知っていたか! 答えよ娘」

 

(……喰いついた……!)

 

 確かな手応えを感じた。

 この男の目的は妹の母親。

 それならば、と萌葱は一気に畳み掛ける。

 

「いやぁ、その女と闘いたくて己れは此処まで来たのだ! して娘よ、今奴は何処に居るのか!」

 

「ええ、奇遇にも、すぐに連絡が取れるくらいに私の身近にいる人よ。何なら今すぐに呼んであげましょうか」

 

 本人の居ないところで勝手に売りに出すような行いに罪悪感は禁じ得なかったが、それでも構わないと萌葱は考えた。

 今は結界に閉じ込められている妹たちが最優先。それに、義理の母にあたるあの攻魔官がそう簡単に殺られるとは思えないし、第一にそんなことは夫である皇帝 第四真祖が許すはずが無いのだ。

 

「ただし、代わりにこのよく分からない結界を解除してくれないかしら。このままだと、色々と少し困るのよ」

 

 敢えて多くは語らず、ただ交換条件として提案する。

 この時萌葱は、男は多少悩むそぶりは見せようとも、まさか断るはずはあるまいと確信していた。

 だが、男はさも当然とも言いたげな顔で答えた。

 

 

 

「何を言う。己れがお前の言うことを聞いて何の利点があるのだ」

 

 

 

「……な、」

 

 絶句。

 まさに、開いた口がふさがらないといった様相。

 萌葱は目に見えて焦り始め、思わず言葉も早口になる。

 

「なんで⁉︎ あなたさっきは私の提案を聞いて……」

 

 男は突然、不快感に襲われたかのように眉間に深い皺を刻んだ。

 

「あまり図にのるな小鬼めが。己れはやりたいようにやる。強者ならばまだしも、弱者の願いを聞き入れるのに、逐一事情を加味するなど意味のないことだ」

 

「でもっ、あなたは雪菜さんと闘いたいんでしょ! だから私なら……」

 

「くどいぞ、餓鬼‼︎」

 

 まるで音の壁のような檄が萌葱の全身を叩いた。その顔は、一層焦りを加速させていく。

 

(まだ五分も時間を稼げていないのに……!)

 

 更に、男は言葉を続けた。

 

「己れがお前を見逃したのは、手応えのない相手だとすぐに分かったからだ。まさかお前の言葉を鵜呑みにしたわけがあると思っていたか?」

 

 男の感情を現したかのように、突風が辺りを吹き荒ぶ。

 それが男が深く被っていた外套を捲り上げ、巌のような顔と口元の髭を露わにした。

 ゴツゴツとした頬骨、薄く張り付いた無数の切り傷痕、デフォルトで眉間に寄っている皺、まさに鬼を連想させる様相をしていた。

 

「結界など所詮は暇潰しよ……。中にいるのはお前の姉妹であろう。そんなことは閉じ込めた段階で分かっておったわ! 第一、本当に結界を解除するつもりなら、お前を見逃した段階でそれと同程度の力量と予測される小娘共も見逃すはずだろう。どうせ己れと闘ったところで大して楽しめるはずもないからな」

 

 男は、先刻とは打って変わった獰猛な笑みを浮かべて、萌葱を正面から見据えた。

 元来、男はそういう質であった。

 自分と渡り合える強者にこそ認める価値がある。その他のものは彼にとってただの有象無象だ。

 

「己れには見えるぞ、あの闇の中が、手に取るようにな。どれ、教えてやろうか、『今中で小娘らがどんな目にあっているか』を」

 

 呆然自失で脱力していた萌葱の身体が、その言葉を聞いてピクッと震えた。

 やがてその震えは全身に広がる。顔は俯いていて、影が落ちていた。

 

「弱者に選択の余地など与えられるべきではない。人間は力を得て初めてその命に価値を持つ、それ以外は全て虫けらも同然だ!」

 

「……ざ…け……」

 

「貴様は耳元を飛ぶ藪蚊を、わざわざそっと捉えて逃がすか⁉︎ そんなはずはない! あまりに力量差が開いた生き物同士が対峙した時、強者はそこに一切の感慨など感じ得ないものなのだ!」

 

「……いで…よ……」

 

「だがそんな羽虫共でも、己れの暇潰し程度にはなる! 実に爽快だ! 翅をもがれ、地を這いずり回る下等生物を眺めるのはな!」

 

「ふざけないでよ‼︎‼︎」

 

「どれ! お前の翅も捥いでやろう‼︎‼︎」

 

 萌葱は怒りのままに魔力を放出し『天女排斥(スピカ・プロデティオン)』を召喚した。

 しかし、男は一切慌てた様子を見せずに虚空を握る。紫に光る粒子を迸らせ、その手の内に大ぶりな野太刀が発生した。

 超至近距離での激突。

 側から見ればどちらに部があるかは明らかであったが、今の萌葱にそんなことを客観的に判断する心の余裕はもう無かった。

天女排斥(スピカ・プロデティオン)』が、その『魔力強制操作』の力を持つ両腕を伸ばして、男の頭に掴みかかろうと試みるが、大きく腰をひねって円環状の斬撃が放たれる。

 それは『天女排斥(スピカ・プロデティオン)』の両腕を斬り飛ばし、力余って萌葱の胸部をも横一文字に裂いた。

 

「…………あ……ッ………」

 

 大量の血が体内から逆流し、口から溢れた。萌葱は、瞬く間に形成された温かい血溜まりの中に崩れ落ちた。

 

「弱い。なんと弱いのか小鬼よ…」

 

 刀を握った腕を下ろして、男は足元の萌葱を見下ろす。

 その女の姿は既に、風が吹き漏れているかのような呼吸音を出し、虚ろな目で空を仰ぎ見ているだけである。

 せめてあと十年出会うのが遅ければ、もしかしたらということもあったかも知れない。あまりに突然すぎる幕引きに、少しばかり後悔を感じながらも、喉笛を切り開きトドメを刺そうと太刀を構え直し、

 

 女の口角が、僅かに上がっていることに気付いた。

 

 萌葱が視界いっぱいに広がる晴天に捉えたのは、逆光を背負い黒く染まった、小さな影。

 だが、吸血鬼の視力を持つ萌葱には、それが何なのかはっきりと分かっていた。

 軍事ヘリ。遥か上空のその機体には、『暁の帝国』を象徴するエンブレムが刻まれている。

 

 そして"何か"がそこから投下され、やがて衝撃が立続けに三回起こった。

 未だ状況を把握できていない男は訝しげに、その衝撃が起こった方を睨んでいる。

 萌葱は、血で粘つく喉で、それでも笑顔で。

 この世で最も信頼している男の名を呼んだ。

 

「……お、とう……さ………」

 

焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)』の継承者にして皇帝。

 第四真祖 暁古城。

 そして、暁の帝国が誇る二人の攻魔官。

 暁雪菜、暁紗矢華。

 

 コンクリートに蜘蛛の巣状の亀裂を刻んで現れたのは、史上最強の吸血鬼と、その従者たちであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




普段はノリで『古城君』って言うけど、大事な局面では知ってか知らずか『おとうさん』って呼んじゃう萌葱。
さて、次はずっと古城のターン‼︎

……になるかな?


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異次元の真祖編Ⅱー⑥

駄目だ、最近疲れ始めてます。

いや、続けるぞ!

きっと意味なんてないけど、なんとなく続ける!

せめて週一を目指そう。


「……お前は‼︎?」

 

 驚愕と歓喜を織り交ぜたような表情で、巨躯の鬼 フシミヒコは野太刀を構え直した。

 真っ直ぐと見据えるのは、黒髪の槍使い 暁雪菜。

 全快ではない状態であったとはいえ、彼にとって雪菜は、一度敗北を喫した相手である。

 

「くくか……暁雪菜ァ……‼︎」

 

 それ以外の周囲の人間を全て意識から消し去り、ただ眼前の因縁を断ち切らんが為。フシミヒコは全身に力を込めて屈み、今にも雪菜に飛びかかろうとしていた。

 

 されど、はじめに動いたのは意外な人物。

 

「雪菜‼︎」

 

 傍に立つ槍使いの名を呼んだのは、薄い紫のスーツに身を包んだ美女、暁紗矢華であった。

 

「私がアレを引き離すわ、あなたは萌葱ちゃんを!」

 

「! 解りました!」

 

 指示を飛ばして、肩に掛けたギターケースのような物から愛剣『煌華麟』を取り出し、紗矢華は前のめりに駆け出す。

 常人離れしたその脚力は、踏み締めた地面を叩き割り、瞬時にフシミヒコの眼前にまで彼女を運んだ。

 

「何ッ⁉︎」

 

 想定外の人物の、想定外の動きに意表を突かれたフシミヒコは、咄嗟に野太刀を振るって応戦する。

 しかし、腕を振りぬく前に水月に喰らった強烈な掌底打ちに、思わず身体を折り曲げ、体勢を崩しながら大きく後退した。

 

「ぐぬぅッ……!」

 

 その呻きに、美女は僅かに口角を吊り上げた。

 

「あら、見た目の割に頑丈では無いのかしら?」

 

「……お、のれェッ‼︎」

 

 耳を突いた挑発的な言葉に一瞬硬直したフシミヒコが、牙を剥いて上体を起こそうとするよりも前、紗矢華が力任せに振り下ろした『煌華麟』による追撃が無防備な後頭部に直撃した。

 重金属同士がぶつかり合ったかのような轟音と衝撃波が迸り、巨躯が顔面からコンクリートに叩き付けられる。

 されど。

 側から見れば確実に有効打だが、紗矢華の顔は晴れない。

 擬似的空間切断を得意とする『煌華鱗』が敵を"斬れていない"ことが、本来ならばあり得ないことであるからだ。

 

(この男、何かトリックを持ってるわね)

 

 地面に這い蹲る男の後頭部に、目立った外傷が無いことを目視した紗矢華は、突如左脚に強烈な圧迫感を感じた。

 見れば、丸太ほどの太さの剛腕が紗矢華の脚を掴んでいる。

 

「おおおおおおおおおおおおおッ‼︎‼︎」

 

「しまっ……⁉︎」

 

 まるで竹刀を振るうかのように。

 鬼の形相を湛えたフシミヒコが起き上がり、紗矢華を地面に叩き付けようと腕を振り下ろす。

 咄嗟に受け身の体勢を取った紗矢華は、間も無く自身を襲う猛烈な衝撃を想定したが、

 

 一陣の風となって突っ込んで来た黒の槍使いが繰り出す、高速の回し蹴りが、先にフシミヒコの顔面を捉えた。

 

 頭蓋を大きく揺さぶられたフシミヒコは膝から崩れ落ち、紗矢華の脚を掴む力も思わず緩んだ。

 その隙を見逃さなかった紗矢華は、空いている右脚を縦に振り抜いて、正面真下からフシミヒコの顎を蹴り上げる。

 骨を砕く音が、辺りに反響した。

 先刻から立て続いていた頭部へのダメージに、遂に耐えかねたのか。

 フシミヒコは大地を揺らし、やがてその巨体を仰向けに倒した。

 

「雪菜! 助かったわ」

 

 フシミヒコの腕を振り払い綺麗に着地した紗矢華は、無二の親友へ声を掛ける。

 

「萌葱ちゃんは古城さんに預けてきました。傷も既にほぼ塞がっています」

 

「そう……良かった……」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、紗矢華は直ぐに武器を構え直す。

 鬼は、依然戦意を喪失していない。今にも起き上がらんと身体を震わせている。

 しかしそこで、傍の雪菜の表情がおかしい事に気付いた。

 怒り、焦燥、そして不安。

 幾つかの負の感情が綯い交ぜとなったその顔は、まるで今にも泣き出しそうな子供のように、紗矢華の瞳には映った。

 

「……この男は、結界を解除する方法を持ち得ているでしょうか……」

 

 雪菜が、血が滲まんばかりに愛槍『雪霞狼』を握りしめている。

 その視線は、すぐ側に聳え立つ漆黒のドームに向けられていた。

 意図を察するまでも無く、それは紗矢華にだって分かっていることだ。既に事のあらましは、大凡予測がついている。

 

 "あの子たちは、結界の中にいる。"

 

「一刻も早く撃破しましょう、紗矢華さん。あの子たちを……助け出す為にも」

 

「勿論。誰の娘に手を出したのか、すぐに思い知らせてあげるわ」

 

 二人の視線の先で。

 顎骨を再生させながら、フシミヒコはゆっくりと起き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古城は血塗れの萌葱を抱えて、人智を超えた者たちの戦闘から距離を置いていた。

 今や、金属のぶつかり合う音や爆発音は、民家を何十軒も隔てた向こうから、僅かに響いてくるだけである。

 

「……おと…さ………」

 

「あんまり喋るな、傷に障る」

 

 抱きかかえた腕の中で苦しげに呻く娘に、古城は静かに告げた。その顔は、悲痛に歪んでいる。

 傷の治りが遅い。

 無尽蔵の再生力は、吸血鬼のアイデンティティーの一つである。萌葱が仮に胸元を斬り付けられたとして、普段ならば、一瞬とまではいかずとも数分で完治するはずだ。しかし、実際に喰らったのは数分前の攻撃を、萌葱は今もなお治癒し続けている。

 

(……あのデカい男、魔術も使うのか。流石に面倒だな……)

 

 恐らく、武器に施された何らかの魔術的な力が、再生を遅延させているのであろう。直ぐにでも解呪しなければ、何が起こるか分からない。

 幸いにも、現状『危険』と断定できるものは周囲に無い。

 離脱させるなら今だ、と古城は考えた。

 

「専門家に見せたほうがいい……入江さん‼︎」

 

 名前を呼ばれた、防弾チョッキや自動小銃などの装備に身を包んだ女が、古城の後方から駆け寄ってくる。

 入江 雅。

 アイランドガード最高責任者 巻島の右腕と呼ばれる、現役の女性戦闘員である。

 

「萌葱を頼む」

 

「御命令とあらば。このままヘリまで運びますか?」

 

 古城の隣に立った入江は、ゆっくりと丁寧な動きで、萌葱の身体を受け渡された。

 

「ああ、そのまま直ぐに病院に運んでくれ。それから、解呪師の手配も」

 

「……了解しました」

 

 入江の凛とした表情に、僅かに緊張の色が浮かぶ。普段は冷静沈着、与えられた任務を黙々とこなす麗人も、皇帝の力強い依頼の意思を過敏に感じ取っていた。

 古城の言葉の通り、少し遠くにある、上空のヘリが垂らしている梯子を登ろうと、入江が踵を返した時。

 腕を組んで難しい表情をしていた古城の裾を、何かが引っ張った。

 古城と入江が、同時にそれに気付く。

 そこには、萌葱が大きく肩を上下させて、必死に古城の腕を掴んでいる姿があった。

 

「萌葱⁉︎」

 

「お嬢様‼︎」

 

 まさに、息も絶え絶えといった風貌で、口を小さく開閉している。

 あまりにか細いその声を聞き漏らさぬよう、古城は萌葱の口元にゆっくりと耳を寄せた。

 

「ごめん、おと……さん…。私…なにも、できなか…た」

 

「……‼︎」

 

「中に……れい、なたち……が、いる、の…」

 

 萌葱の指に、一層の力が入った。

 苦痛。不安。

 そして何より、悔恨。

 妹たちを守ろうとしたのに、目的を達成できず、結果として助けられてしまったのは自分であった。そんな事実への想い。

 

「やっぱり、私た…ち…、弱いのかな……」

 

 自らの非力さを悔やみ、萌葱の目には涙が浮かんでいた。

 

「おと…さ…の側に、いちゃ…ダメなのかな…」

 

 その言葉に、思わず鋭く息を飲んだ。

 憶えていたのか、と。

 古城は遠い昔の記憶、娘たちと撮った唯一の写真のことを思い出していた。

 暁 古城が吐き出した想い。

 暁 凪沙が言った言葉。

 何てことはない日常の、何てことはない一幕。

 当時五歳であった萌葱は、きっと彼女にとっては些細な出来事だったはずのそんな想い出を、未だ鮮明に記憶していたのだ。

 

『ずっと……ずっと側にいてあげて』

 

 気が付けば、古城は思わず萌葱の手を強く握り返していた。

 

「……そんなことねぇ……!」

 

 いつぶりかも分からない、温かい雫が頬を伝うのを感じていた。

 

(俺は大馬鹿野郎だ……‼︎ 傷付けるのが、傷付くのが怖かった。全て俺が招いた結果だ‼︎)

 

 きっと萌葱は強くある為に、妹たちを守るために、強大な敵に立ち向かったのだろう。

 あるいはその妹たちも、すぐ近くの漆黒の闇の中で、今なお強くあろうとしているのかもしれない。

 孤独な父の、側にいてやれるように。

 やり場の無い憤りが古城の中で暴れ回る。

 他でもない、自分自身への憤り。

 

「一緒だ! ずっと……一緒だ」

 

 叫ぶように、絞り出すように、想いを紡ぐ。

 それを聞いた萌葱は、安心したのか。ふわりと儚い笑顔を見せた後、ようやく全身から力を抜いて、気を失ったかのように眠りについた。

 

「…暁様……」

 

 消沈した声で、入江は古城を見た。

 古城は深く俯いたまま、袖で顔を拭う。

 やがて顔を上げた時、そこには泣きべその皇帝の姿など見る影もなかった。

 

「……入江」

 

「‼︎ はっ‼︎」

 

 その威厳に満ちた声色に、入江も思わず一瞬で表情を引き締めた。

 古城の顔は、強い意志を感じさせながらも、どこか穏やかな表情を浮かべていた。

 まるで、悟りを開いたかのような、晴れやかな姿である。

 

「周辺の避難状況は?」

 

「八割方完了しております!」

 

「……そうか」

 

 応えるやいなや、古城は着ていたスーツの上着を脱ぎだした。

 無造作にそこらに投げ捨てて、下に着ていたシャツの袖も捲る。

 

「……暁様?」

 

「久々に本気で戦う。早いとこあの黒い結界を破らねぇと」

 

「……は、いや、しかし……そうしますと民間の被害が……!」

 

「大丈夫だよ、もちろん此処では戦わねぇ」

 

 慌てて受け答えする入江を他所に。

 古城は腰に手を当て、すぐ側に聳え立つ黒壁を見上げる。

 

「ここでは、な」

 

 そして再び視線を戻し、入江を見た。

 

「『空隙の魔女』を呼んでくれ」

 

「……は、」

 

『空隙の魔女』南宮那月。

 一流の攻魔官にして、古城たち元彩海学園高等部の教師であった女性だ。

 彼女は暁の帝国建国にも携わり、現皇室の面々と共に多くの困難を退けたが、現在は表舞台から姿を消し、その後の行方も知れていない。

 

 以上が、一般に閲覧ができる情報に記された、『空隙の魔女』についての内容。

 深い事情を知らない入江は、古城の口から予期せぬ名前が飛び出したことに混乱していた。落ち着いた印象を与える整った顔立ちが、訳も分からず強張ってしまう。

 無理もないことであった。

 南宮那月の名前は、最早暁の帝国全土において、伝説の中にしか存在しないものなのである。

 しかし古城は、さも当たり前のような顔で言葉を続けた。

 

「浅葱か優麻、あとは結瞳か。電話番号はこの中の誰かに聞いてくれたら解る」

 

「? ⁉︎ ⁇ は、は?」

 

「なに、あの人のことだ。元教え子のお願いなら、なんだかんだ文句は言いつつも、きっと応えてくれるさ」

 

 皇帝 暁古城は、童心に帰ったかのように悪戯な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝突。

 

 衝撃。

 

 轟音と共に、砕けたコンクリートの破片が飛び散る。

 

「紗矢華さんっ‼︎‼︎」

 

「解ってる‼︎」

 

 振り下ろし、突き、前蹴り、斬り払い。

 住宅街を抜けた、小さな自然公園の中。そこで、人智を越えた高速の攻防が繰り広げられていた。

 紗矢華がフシミヒコの正面左側、雪菜が正面右側から、高速で攻撃を繰り出しながら肉薄していく。

 フシミヒコはそれに合わせて段々と後退していくが、攻撃自体は全て受け切っていた。

 

「かかかかカカカ‼︎‼︎ なんと言うことはない‼︎ 二人掛かりだと言うのなら、己れが二人分の攻撃に対応したら良いだけのこと‼︎‼︎」

 

「うっさいわね、どんな、理屈、よッ‼︎」

 

 事実、フシミヒコの動きのキレは先刻の戦闘開始時よりも、何故か格段に上がっていた。

 まさか本当に"対応"したとでも言うのか、と紗矢華は苦々しげな表情で連撃を繰り出していた。

 

「嬉しい誤算だ! まさかお前たちほどの使い手が複数いるとは‼︎‼︎ 先ほどは少々面食らってしまっていたが、これよりは一切、見苦しい姿は見せんぞ‼︎‼︎」

 

「だからうるさいのよ、アンタ‼︎」

 

「……フッ‼︎」

 

 短く息を吐いて、雪菜が『雪霞狼』を突き出すも、フシミヒコは難なくそれを躱す。

 

「速い…やっぱり勘違いじゃない! 今まで手を抜いていたっていうことですか……‼︎」

 

 雪菜は戦慄した。

 顎を砕いても即再生する生命力。

 真祖の眷属二人掛かりでも仕留めきれない武術。

 前情報で知ってはいたが、かつて雪菜が一度闘った時、この鬼は万全ではなかった。

 まさか、これが真の実力だというのか。

 

「不味い…あまり戦いを長引かせたら…‼︎」

 

 "手遅れになってしまうかも知れない。"

 

 じわり、と。雪菜の額に焦燥の念が滲み出す。

 現状、雪菜と紗矢華は、彩海学園を覆う謎の結界の効力、正体を知らない。

 しかし、中の様子が全く分からない以上、何が起きていても不思議では無い。そう考えたからこそ、二人は眼前の鬼を打倒することに急いているのであった。

 

「そらッ‼︎‼︎」

 

「ッく‼︎」

 

 危うく紗矢華の脇腹を掠めかけた野太刀を、雪菜が槍で弾き飛ばした。

 

「紗矢華さんッ。気を付けて‼︎」

 

「ごめん、雪菜!」

 

「ほうほう、仲睦まじいなァ、長い付き合いなのか? 暁 雪菜」

 

「……ッ‼︎」

 

 雪菜は常に紗矢華の動きをカバーすることに重きを置いていた。紗矢華に隙が出来たら敵の攻撃を代わりに防御、余裕がある時に自身も攻撃を繰り出す。

 しかし、混戦している三人の中で割と余裕を持っていた雪菜だけが、あることに気付いていた。

 野太刀が獲物を捕らえ損ねて、地面を抉る。

 剣が逸れて、民家の生垣を破壊する。

 槍が振り回されて、電柱を切り倒す。

 ここ数分の間続いていた戦闘が、住宅街に明々と爪痕を刻み始めていたのだ。

 

(このままでは、街にも住民にも被害が拡大する……! 避難警告は既にアイランドガードに依頼済みだけど……!)

 

 国を護るべき攻魔官。しかも皇帝の妻ともあろう者二人が、揃いも揃って大量破壊行為に加担してしまったとなれば、流石に弁明の余地がなくなってしまう。

 古城が国民から圧倒的な支持率を得ているとは言え、それは反抗勢力がゼロという訳ではない。少数ながらも、彼らは確かに存在しているのだ。

 何よりも、罪のない人々が巻き添えで命を落とすなんてことがあっては、当の本人たちにも看過できることではなくなってしまう。

 

「何をつまらない事を考えておるのだ、暁 雪菜」

 

「‼︎⁉︎」

 

 考え事をしている内に集中力を削がれたのか、この時雪菜はフシミヒコが放った野太刀の一撃に、僅かに反応が遅れた。

 刃が、無防備な構えの雪菜に殺到する。

 

 避けられない。

 

 加速した思考の中で、ゆっくりと近づいてくる死を目の当たりにした雪菜はそう悟った。

 

(………零菜……、)

 

 脳裏に愛娘の姿を思い浮かべ、兇刃が首筋に飲み込まれていく様を想像。

 

「……ごめんね、零菜」

 

 普通に愛してあげられなかった。

 駄目な母親だった。

 娘を想い、体から溢れたのは、その場には居ない人間への謝罪の言葉と、一粒の雫。

 

(結局、あなたに、謝れなかった……ーー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「らしくねぇぞ、馬鹿」

 

 死の運命を切り裂いて。

 緋色の双角獣が、フシミヒコの身体を側面から吹き飛ばした。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 




なんか新作書きたい……。

そもそも皆さんは作品を書く時どうしてますか?

やっぱり時間をかけてじっくり推敲して、そんでもって一話8000字とかの方がいいんでしょうか。



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