オーバーロード二次「+α」 (千野 敏行)
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The undead king
一話


 アッバルは約束の場所への悪路を一人、彼女の出せる全速力で駆けていた。サービス終了まであと三十分しかない――明日提出のレポートに時間がかかり過ぎたのだ。こちらに顔を出してからレポートの仕上げをすれば良かっただろうか、と彼女は今さらながら後悔している。

 そして彼女が着いたのは石造りの遺跡で、かつては神殿としてあったのだろうが今はその面影を遺すのみ。遺跡を囲む毒の沼を悠々乗り越えれば時間は23:37:44。だいたい三十八分かと呟いて、伝言を飛ばす。

 

『モモンガさん、モモンガさん。今よろしいですか?』

 

 返事は思っていたよりすぐに届いた。

 

『アッバルさんこんばんは』

『こんばんは。ナザリックの入り口に着きましたけど、これから私はどうすれば良いのでしょう?』

『ギルドに招待しますから、ギルドに参加したら普通に入ってきてください。第一階層まで迎えに行きます』

『分りました。待ってます』

 

 点滅し始めたメールフォルダを開けば未読メールが一件。【モモンガ さんがあなたをギルド アインズ・ウール・ゴウンに招待しています。参加しますか?――YES・NO】。迷わずYESを選び、アッバルはナザリック地下大墳墓への門を潜り石の階段を下りる。

 はたして、そこには見事な鎧とマントを身に着け美しいスタッフを手にした骨がいた。アッバルは笑顔の感情アイコンを浮かべて骨へ駆け寄り、骨もまた笑顔のそれをポンポンと表示させている。骨のプレイヤーネームはモモンガ、ここナザリック地下大墳墓をホームとするギルド:アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターだ。

 

「モモンガさん、招待有難うございます!」

「私もアッバルさんを呼ぶことが出来て嬉しいです」

 

 アッバルがこうしてサービス終了ギリギリになってギルドに入ったのには理由がある。最近始めたからなどではない――彼女はユグドラシルを二年プレイしている――モモンガとその友人達が作り上げた思い出の詰まった場所を乱したくなかったためだ。モモンガには世話になったからこそ、彼女はモモンガの誘いを断っていた。

 だがユグドラシルのサービスも今日、あと三十分もせずに終了する。最後だから見ていって欲しいと頼まれては断れるはずもなく、アッバルはモモンガに借りたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを指に嵌めた。

 

 

 

 ユグドラシルにおいてアッバルは遅参も遅参のプレイヤーで、彼女が登録をした時にはもう、彼女が先達らとの差を埋めるのは絶望的だった。イベントも減り、初心者クエストを終えればあとはただひたすらレベルを上げるだけの作業ゲー。――そんなとき、アッバルの前に現れたのがアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスター・モモンガだった。

 

「もう辞めようかな、ユグドラシル……」

 

 始めてからまだ一月も経たない頃だった。生産職のプレイヤーがさっぱりいないために、加工することもできないのにクリスタルばかりアイテムボックスに溜まっていく日々にアッバルは鬱屈としていた。美術の成績がアヒルだったアッバルには武器や防具の生産は向いておらず、また彼女の選んだ種族に合う防具類の数は絶望的に少なかった。

 彼女の中で、子供の頃にCMを見て憧れたユグドラシル像が色あせていく。大学に入学したのを期に手に入れたダイブマシンを見る度に金をどぶに捨てたような気持ちになるほど、彼女は打ちひしがれていた。

 その日もログインしたは良いもののやる気が起きず、かつての人ごみなど過去の栄光とばかりに過疎ったはじまりの城下町、中央広場の噴水の縁で丸くなっていた。身咎める者などいないはずだ、どうせNPC以外に誰もいないのだから。だが。

 

「あの、隣に座っても良いでしょうか」

 

 アッバルに声を掛けた相手こそ、モモンガだった。

 

 モモンガはアッバルの現状を知るや、それはお辛かったでしょうと悲しみマークの表情アイコンを浮かべた。私が楽しんで来たユグドラシルをアッバルさんにも楽しんもらう手伝いがしたい、などと提案されたアッバルは目を見開いた。そして驚き顔の感情アイコンを連打する。

 

「古参プレイヤーによる初心者の手助けなんてよくあることですよ。そうだ、もう使わなくなった武器をお譲りしますよ」

「いえいえいえいえいえ、そんなご迷惑をおかけするわけには! 寄生とか姫プとかしたいわけじゃないので!」

「本当にもう使ってない箪笥の肥やしですから」

「いやでも、そんな、悪いです」

「武器は使われてこそです。使ってやってください」

 

 この縁からアッバルとモモンガの付き合いが始まった。

 交流が続きモモンガと話すうち、アインズ・ウール・ゴウンの抱えた問題をぼんやりながら知り得たが、彼女にはどうしてやることもできない。リアルの多忙などでだんだんと消えていったギルメンと、置いて行かれるばかりのモモンガ。思い出の詰まった場所を維持し続けることの寂しさはいかほどのことだろう。

 そして二人が出会って一年が過ぎようとする頃、アインズ・ウール・ゴウンのギルメンで今なおログインを続けている者はモモンガ一人になった。寂しいですねと頭を掻くモモンガをどう慰めたものかアッバルには思い付きようも無く、この親切で愚直な男の横に座り続けた。

 

 数カ月後、新規プレイヤーの登録が停止された。近々サービス終了かとログイン勢が夜逃げのように別のゲームへ去っていった結果、以前よりいっそう過疎化が進み、ナザリック地下大墳墓近くの村からアッバル以外のプレイヤーが消えた。

 

 隣で村を見ているだろうモモンガを窺えば、剥き出しの頭蓋骨はいつも通り無表情だった。そしてモモンガは口にした。アッバルさん、アインズ・ウール・ゴウンに入りませんか? どうせあと二ヶ月かそこらですから。

 モモンガは優しい。優しすぎて……悲しいと思った。だからアッバルは断った。

 

 

 

 モモンガ以外のギルメンが一人としていないナザリック地下大墳墓内を見て、先程の伝言の返事の速さに納得する。モモンガとサービスの終了を共にしてくれる人は一人もいなかったのだ。彼らはリアルが忙しいからこそギルドを辞め、もしくはログインが減っていった。サービスの終了だからといって時間を捻りだすのは難しかったのだろう。

 途中で執事とメイドたちを捕まえて後ろに従え、玉座の間へ案内される。玉座の間は四十メートル以上ありそうな高い天井に繊細なデザインながら荘厳なシャンデリアが輝き、四十一の紅い旗が壁に等間隔に並ぶ、立派すぎるものだった。玉座の横には白いドレスに蜘蛛の巣状のネックレスをした美女NPC。アッバルはモロ厨二病と言いかけて口を噤んだ。

 

 アッバルには自作NPCはいない。知人にAIの製作を頼むほどのことでもないし、過疎ったユグラドシル内で作りたがりと知り合うことも無かった。思い描いたビジュアルを3D化する美術の才能も持ち合わせておらず、有料のデータに手を出せるお小遣いの余裕も無かったため、ポイントだけ残っている。

 

 なにやら美女NPCの装備に関してモモンガが怒っていたようだが、アッバルは直立不動の執事とメイドらの観察に夢中で右から左へ聞き逃していた。どうすればこんなにリアルに作れるのか。よほどの才能があったのだろう、観察をデータに出来る人には尊敬するものだ。

 

「アッバルさん、そろそろですよ」

 

 モモンガはアッバルが執事らの周囲を回りながら観察していたのを見守っていたらしい。優しい声音にアッバルはハッと正気付いてモモンガの傍へ寄る。階段を数段上り、玉座の横へ。座ってみますかと聞かれたが流石にそれはと断った。

 

「彼らが棒立ちというのは味気ないですよね」

「あー、まあ、そうですね」

 

 だがNPCとはこういうものではないのかとモモンガを見やったアッバルに、モモンガは雰囲気だけニッコリと笑む。骨は全く動かず無表情だが。

 

「ひれ伏せ」

 

 モモンガが手を上から下に動かしつつそう口にすれば、執事らは全く同時に跪いた。おお、とアッバルの口から感嘆が漏れる。プロが組んだAIにはこのようなモーションなどお手の物なのか。凄い。

 

「あと三分と少しですね」

「はい。モモンガさんともう一緒にいられないのは寂しいですね」

「また、別のゲームで会いましょう」

「そう……ですね。また別のゲームで」

 

 モモンガの方を見ていられずに真っ直ぐ正面を向けば、壁に並んだ旗がそれぞれ違うマークを掲げていることに気が付いた。旗の数は四十一あることからそれぞれのギルメンのマークなのだろうと理解し、さてモモンガのマークはどれなのかが気になった。

 

「モモンガさん。モモンガさんのマークの旗ってどれですか?」

「ああ、手前のアレです」

 

 モモンガは自らの旗を指差したのち、感慨深いのだろう、旗を一つ一つ確認するように見ていく。

 そして、全てを確認したモモンガがスタッフを握り締める。スタッフの上部から立ち上るエフェクトは苦悶の表情で、モモンガの心情を表わしているように思えたアッバルはモモンガに声を掛ける。

 

「モモンガさん、大丈夫ですか」

「――大丈夫です。すみません、湿っぽくなってしまって」

 

 残り時間は二分。サービス終了は当然ながら、モモンガの思い出が詰まった場所との別れもあと二分。アッバルは口を閉じ天井を見上げる。

 残り三十秒。二人は最後の別れの挨拶を短く済ませた。

 残り十秒。二人とも目を閉じ、強制ログアウトを待つ。

 55、56、57、58、59、ブラックアウト、しない。

 

 アッバルは小さく悲鳴を上げた。腹の下の冷たい石畳の感触と鼻孔を刺激する匂いの氾濫、視野が後方へも広がり鮮明になりすぎた視界。不快ではないそれらの持つ意味が、理論ではなく感覚として理解できてしまったから。

 

「アイエエエエエエナンデ!? ナンデ!?」



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二話

 ニンジャな悲鳴をあげたアッバルにモモンガは両手を上下に振る。

 

「どうどう、アッバルさん落ちついて」

「餅ついてなどおられんですたいモモンガさん!」

「え、も、餅? 臼と杵がないとどうにも……」

 

 自分よりも混乱したアッバルを見たモモンガはこの非常事態において落ちついていた。多くの場合において混乱は伝染するものだが、モモンガはそうでなかったらしい。

 

「サーバーダウンが延期になったのかもしれませんよ。ね?」

 

 モモンガは八本足の蛇がごろごろと右へ左へと転がるのを止め、そのまま抱き上げて玉座に再びすっぽりと座る。バジリスクは成猫から中型犬程度の大きさの小型モンスターであり、その中でもアッバルは一番小さい成猫サイズであるため抱き上げての移動も可能なのだ。ひんやりとして冷たい蛇の肌が手に心地良い――モモンガは無意識のうちにアッバルの柔肌をふにふにと揉んでいた。部位は腹である。

 腕の中で「ちょ、そこは乙女の秘密の場所ですよ!」だなんだと騒いでいるアッバルをまるで無視し、GM側の発表を確認するためコンソールを表示させようとしたモモンガはあんぐりと口を開く。コンソールが浮かび上がらないのだ。

 

「何が……」

 

 自然と手の動きも大胆になり、腕の中から「モモンガさんのセクハラ! 訴えて勝つよ!」などという悲鳴が上がる。水を吸った肉まんに似た弾力と手に吸いつくような肌触りのアッバルは、モモンガにとって揉むに最適なぬいぐるみに他ならない。まさに揉みしだく精神安定剤。――そこで、モモンガは気が付いた。

 

「なんで揉めるんだ」

 

 肩を叩くなどの接触は可能なユグドラシルだが、今のモモンガのように相手の腹を揉みまくるといった行為は出来ない。いや、することは可能なのだが、そういった接触はGMから注意勧告を受ける。勧告を受けるのは十秒以上のハグ、肩を組む、腰や太ももに触れる……といった、誤って・偶然触れたとは言い難い接触全般だ。

 サブミッションを攻撃手段とする前衛もいるため秒数が多目に取られているが、基本的には三秒あたりからアラームが鳴り響くよう設定されているらしい。もちろんのことだが、より性的な色の強いスカートめくり・手のひらでのパイタッチなどは問答無用で垢BANの対象となっている。一度足裏でのパイタッチを試した猛者がいたが、彼は三秒後にユグドラシルから消滅したきり帰ってこなかった。

 今のモモンガの行為はGMによるアラームが鳴り響いていても当然だろうレベルの接触、何もないのはおかしい。

 

「アッバルさん、何が起きたか分りますか?」

「今この場でセクハラが起きてることは分ってますよ」

「あ……。すみません」

 

 体が勝手にという台詞は、某華撃団の隊長ではないのだから言い訳にならない。体が勝手に風呂場を覗くのだから、隊長さんは何者かに洗脳されている可能性がある。しかしモモンガはそうではない。彼は両手をホールドアップして悪意がなかったことを示した。

 

「もしかしてユグドラシルⅡに移行したんでしょうか」

「それならもうとっくに運営から垢BAN一歩前アラームが鳴り響いてると思いますよ」

 

 モモンガが見下ろしたアッバルの瞳は、シャンデリアの光を反射しスノーボールのようにキラキラと輝いている。目の上下のくぼみは柔らかそうで、時折ぱちぱちと瞬きする薄い瞼が皺になっている。口許からチロチロと覗く舌が愛らしい。蛇や爬虫類の愛好家が何故あれらを好むのかモモンガにも理解できそうだ。

 その蛇がジト目になっていると何故か理解できたモモンガは頭を掻きながら小さく頭を下げる。

 

「ですよねえ、本当にすみません。あ、アッバルさんもコンソールを確認してもらえます? どうにも私のコンソールが浮かばなくて」

「私も浮かばない様な気が……浮かびませんね」

 

 二人して予想外の事態に頭を悩ませていると、耳にするりと届く上品な女性の声が響いた。

 

「どうかなさいましたか? モモンガ様、アッバル様」

 

 知らぬ声に名を呼ばれ二人が顔を向けた先にいたのは、プレイヤーの指示に従うだけのNPCであるアルベド……彼女だった。

 

 

 

 アッバルがユグドラシルを始めた際、彼女にはどうしようもない「不足した物」があった。同レベル帯の仲間だ。周囲が高レベルプレイヤーばかりでは、仲間と隙を補い合って高レベル帯のモンスターを倒すといったチームプレイが出来ない。よってアッバルは自然とソロプレイヤーとしての道を歩むことになった。

 

 ユグドラシルでは敵対モンスターを倒すと「スラッシュ」や「AGL+10」などのデータが詰まったクリスタルが手に入る。そのクリスタルを加工することでより強い武器を作ることができるのだが、ここで残念なお知らせがある。かつては多くのアマチュアらが無料で配布していた外装データが有料になっていたり、配布を終了していたりしたのだ。それに加え、現在も配布されている外装データは多くの個人が発表した物であるため、外装に統一性がない。美術の成績ギリギリ2なアッバルに、それらの中から似た外装データを取捨選択するセンスを求めるのは間違っている。武器や防具がなければ高レベルモンスターと戦うのは難しい……。彼女の前に立ちふさがる壁は高い、かに見えた。

 錬金術師。これはチームの後方支援に見えて、実はソロプレイヤーにとって有難い職であった。なにせポーションとクリスタルを組み合わせて手榴弾やドーピング剤を作ることが出来るのだ。投げ付ければMPの消費なく魔法が発動し、飲めばINTが+10。たとえば後衛である魔法職を選ぶなら、適当にローブを着ていればそれらしいロールプレイが可能になる。

 アッバルはウィキでその情報を得るやすぐさま薬師と錬金術師の職業を取得。新たなソロプレイヤーの誕生となった。

 

 ――そんなソロプレイヤー(ぼっち)のアッバルでさえ、NPCはここまで万能ではないことを知っている。当然だ、村や街にいるNPCに話しかけてみれば分る。何度死に戻りしても同じ言葉しか繰り返さない王様を想像すれば容易いだろう。おお勇者よ死んでしまうとは情けない。

 

「何か問題がございましたか?」

 

 繰り返し訊ねる美女、アルベドは、愛しい人に駆け寄る恋人の様に色っぽくモモンガに迫った。そこでモモンガも今まであえて無視していた事実に気付かされる。彼女の口が動いているのだ。

 

「ば、ばいんばいんやでぇ……」

 

 モモンガの膝からアルベドを見上げているアッバルの発言も実は重要な点といえる。ゲーム内では乳揺れなどなかったのだ、歩くたびに上下左右に揺れる胸など戦闘の邪魔でしかないのだから。

 モモンガも自身の口元に手を当てる。何が起きたんだ、動かないはずの部位が動いている。自分のも、アルベドのそれも。アッバルなど舌が何度も口から出入りしている。

 

 垢BANされてもおかしくない接触、やけにリアルな感触、動く瞼に口に胸。ありえないはずのことがモモンガやアッバルを囲みこんでいる。まるで現状を自覚しろ、理解しろと言わんばかりに。

 

「どうすれば……」

 

 顎を引き拳を握りしめたモモンガの視界に、成猫サイズしかないアッバルが映る。モモンガはハッとした。ここにはアッバルが、モモンガが庇護すべき年下の少女がいる。自分がしっかりしなくてはならない。

 アッバルはどうやらアルベドに身惚れているようで、視線がアルベドの胸に固定されている。それが無い者による有る者への憧憬、憎しみ、欲望を含んだ視線だとモモンガが知ることはきっとこれからもないだろう。

 

 最善の策は何だ。このどうしようもない感情を誰にもぶつけたりなどできない。モモンガはアッバルをポンポンと撫でると顔を上げ、下座に跪いた男を呼んだ。

 

「――セバス」

 

 モモンガの膝からでも、やはりセバスらの視線の位置は下にある。常にないモモンガの声色にアッバルは先ずモモンガを見上げ、次にセバスを見やった。玉座を――モモンガを見上げる視線の強さにアッバルは背中から転げそうな圧迫感を覚え、実際にモモンガの膝の上で転がった。息が苦しい。

 必要なことはなんだ、今しなければならないことはなんだ。この異常事態にすべきことは何なのか、モモンガは自問自答した。それは情報を集めることだ、と。

 

 プレイヤーとNPCの関係が変質したかも分らない今、隙を見せて与み易しと思われてはいけない。モモンガは普段よりも一つトーンを落とした声音で続けた。

 

「大墳墓を出て、周辺地理を確認せよ。もし仮に知的生物がいた場合は交渉して友好的にここまで連れてこい。交渉の際は相手の条件をほぼ聞き入れても構わない。行動範囲は周辺一キロに限定。戦闘行為は極力避けろ」

 

 アッバルの目に、モモンガのこの堂々とした態度は頼り甲斐のある大人のそれとして映った。この異常事態である、混乱するのが普通だ。混乱からすぐに持ち直し理性的な判断を下せるというのは、もちろん経験もあろうが、才能の一つである。

 セバスが深く頭を垂れ、モモンガの命令を了解する。モモンガは索敵にプレアデスを一人追加させるよう命令を加え押し黙った。

 

 次にすべきことは何か? 運営との連絡だ。だがコンソールが浮かばない。メールや運営からの公示が確認できない。連絡手段がない。

 

「モモンガさん」

「大丈夫です、アッバルさん。大丈夫です」

 

 アッバルはまだ子供だ。子供を不安にさせてどうする? アインズは自問する。引っ張っていってやるのが大人の仕事、義務じゃないのか。モモンガもアッバルも同じ事態に巻き込まれた被害者同士であるが、モモンガはそう考えていた。生来の責任感の強さだけが理由ではない。そう思い込むことで自分の心を守っているのだ。

 

「いえ、モモンガさん。大丈夫じゃないでしょう。私たちは、ギルドごと異世界に転移しましたよね。間違いなく」

 

 アッバルもなんら根拠なくこんなことを言いはしない。アッバルはアルベドの胸を、剥き出しの腰を、羽根を見た。単なるNPCであったときにはなかったものがあった。透き通るような白い肌の奥、薄らと青い血管があった。唇の皺があった。ノーブラの証拠もあった。

 ただユグドラシルに閉じ込められただけならば、NPCがここまでリアルになる理由が無い。NPCもPCも言うなればデータの塊、一体一体に指紋から何から作っていてはサーバーがパンクする。つまり、ここはユグドラシルの中ではない。

 

 ではここはどこなのか?――昔からあるではないか。異世界転移というジャンルが。異世界転移物といえば果てしない物語だろうが、小説に限らずゲームなどでもその類いのものはたくさんある。主人公が召喚によって異世界へ呼ばれ、悪を倒し王女と結婚するというストーリーは数多く物語られた。召喚された主人公が異世界で異能を得るのも良くある話、銅色のワンコインでゲームを手にした少年がわくわくとかどきどきするワールドで侍にライドオンしたりなんて展開はもはや王道だ。

 

 アッバルはときめいていた。異世界トリップきたわ、と。

 モモンガもときめいていた。アッバルさん恰好良い、と。



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三話

 あえて言う必要も無かろうがアッバルは弱い。アッバルが十体束になってモモンガに挑もうが、それが五十体に増えようが、瞬き一つの間に全滅するほどに弱い。進化の枝を違えて旧支配者の一つたるウロボロスになっていれば結果は違っただろうが、アッバルが選んだ枝は小さな八本足の蛇・バジリスクだった。大型になると小回りが利かず、蛇の姿で城下町などを移動しづらいというデメリットを嫌ったのだ。ちなみにどちらの種族でも人型にもなれるのだが、その機能は死蔵されて久しい。

 アッバルもマゾではない、俺YOEEEプレイがしたいわけではない。どうせするなら俺TSUEEEの方が楽しいに決まっている。だがユグドラシルの運営はこう言っている――『強さが全てではない』と。

 

 ソロで倒すのは難しい、レベル差の大きいモンスターに遠くから第五位階までの魔法を放ち、スラッシュなどの武技が詰まったポーションを投げつけるのは楽しかった。狩人の職業レベルを得て命中率を上げれば笑いが出るほど攻撃が当たり、相手の制空圏外からちまちまと嫌がらせの様に攻撃するのはとても楽しかった。アッバルはプゲラの楽しさを知った。格下の弱い弱いと馬鹿にしてる相手に負けてどんな気持ち? ねえねえどんな気持ち? と煽る楽しさをユグドラシルは教えてくれた。

 運営が言いたかったのはこういうことなんだろう、と考えた。きっと違うだろうが。

 

 このようにクリスタルの消費が激しいアッバルはちまちまと中レベルモンスターを倒してはクリスタルを溜めこみ、錬金術溶液に溶かし、格上を相手にNDKするというルーチンを繰り返していた。

 しかし。

 

「あー、こら、無理だわ……勝てませんわ」

 

 第六階層にある円形劇場、そこでアウラやマーレが根源の火精霊を相手取りそれぞれの武を示している姿を見て、アッバルはそう呟いた。アッバルがユグドラシルにて倒して来たモンスターも所詮はAI、決められた反応しかできない。自ら考え、行動する上位モンスターにはアッバルのような弱者に勝ち目などなかったのだ。ナザリック地下大墳墓内で「圧倒的弱者」の冠はアッバルにこそ相応しかろう。

 モモンガにアッバルが負けるのは当然だ。相手は旧支配者、彼女は一山いくらのバジリスク。相手は武器から防具から揃っている、彼女は手榴弾とドーピング剤のみ。だが、ギルドNPCにも勝てそうにないという、燦然と輝けるドベキングの地位……流石のアッバルも凹まずにはいられなかった。先ほどモモンガの魔法確認時には富士山の頂上にあったテンションも、今やダンボールスキーで斜面を滑り降り、そのまま海面を過ぎて海底火山の麓まで落ちていった。

 

 魔法やアイテムの発動確認を終えたモモンガがアイテムボックスの確認する足元で、アッバルも八本ある足の一本をもにょもにょと動かして自身のアイテムボックスを確認する。薬師として不可欠な道具、錬金術に必要な道具はもちろん、彼女が今までに作ったポーションがずらりと並んでいた。一つも欠けた様子が無いことにアッバルは安堵のため息を吐く。ただでさえ弱いのだ、武器になる物はいくらあっても足りない。

 アウラたちに対抗するには貧弱すぎる己が武器の貯蔵に「貧弱、貧弱ゥ」と力なく呟いたのち、アッバルはまきびしタイプのポーションや煙幕タイプのポーションをピックアップすることに集中した。

 

『アッバルさん、ちょっと良いでしょうか』

 

 モモンガからの伝言に少し肩――四対ある全てだ――を揺らし、顔を上げぬまま返答をする。

 

『いいですよ、どうしました?』

『これからどうするかアッバルさんにも話しておかないとと思いまして。異世界に転移してしまっただろうことは間違いないでしょうが、元の世界へ帰る手段がすぐに見つかるとは思えないので……しばらくはこのナザリックに留まることになると思います。アッバルさんはまだ学生さんですし、留年させてしまったら申し訳ない』

『なんでモモンガさんが謝るんですか、モモンガさんが犯人でもあるまいし。留年ならまだマシですよ、モモンガさんだとリストラされちゃうんですよ! ライオンと魔女みたいな異世界転移だと良いんですけどね、ほら、元の世界に元の時間、元の姿で戻るってヤツです』

『リストラか、考えてもみませんでした……リストラか』

 

 アッバルが横目で見上げたモモンガの顔は煤けている。――だが、帰る手段を見つけても自分が必ず帰るかどうかについて、モモンガに確信はなかった。モモンガには家族は無い、友人もない、恋人なんてもちろんいない。街の中心に建つ限られた者達の楽園(アーコロジー)をぼんやりと羨みながら、職場と家の往復に心と体を削られる毎日。唯一の楽しみは帰宅後のユグドラシル(ちがうせかい)へのログインだったが、そのユグドラシルもサービスを終えた。

 モモンガの、鈴木悟の後ろ髪を引くような物は一つとてないのだ、あの世界には。

 

 ただひたすら命や気持ちを削られて過ごすばかりのあの世界と、危険が待っているかもしれないが未知の広がるこの世界。セバスの持ち帰る情報が待ちどおしい。外は地獄のような世界かもしれないが、ユグドラシルのような世界の可能性もあるのだ。ワクワクとドキドキが待っている世界かもしれないのだ。

 

『でも帰る手段なんて二の次三の次かもしれませんよ。重要なのは、この世界で無事に生きていけるか否かですし』

 

 アッバルはNPCだったアウラやマーレにも勝てないくらい弱い。出来るのはポーションを作ること、第五位階までの魔法を使うことくらいで、バジリスクの種族特性たる即死の魔眼はもう一つ種の階段を上らねば身に着けられない。このナザリックにはアウラやマーレと同程度のNPCが他にもいるらしいから、アッバルの持つ価値はリスポーンするザコNPCレベルだ。

 

 よってアッバルがすべきことは、媚を売ることだ。殺す価値も無いと思われるようにすることももちろん考えたが、その場合「そこにいたら邪魔だから」とか「なんとなくムカついていたから八つ当たりに」殺される可能性がある。

 このナザリックの支配者は誰だ、モモンガだ。ナザリックでアッバルが頼れる相手は誰だ、モモンガだ。ならばアッバルのすべきことは何だ――モモンガから決して離れず、NPCらには無害アピールをすることだ。アウラたちを見る限りNPCらは異世界転移後もモモンガを慕っている様子、モモンガの庇護下にある可愛い蛇を傷つけようとする者は……いないと良いのだが。

 

『アッバルさんの仰るとおりですね。先ずは生き延びることが最優先だ』

 

 モモンガにとって、アッバルは決して弱くないプレイヤーである。ユグラドシルを始めた時期が悪かったために損を被って来たが、もしあと五年早くプレイし始めていればトップランカーの一人になったに違いないだろうにと考えている。

 かつてもソロ職はたくさんいたが、彼らには頼れる生産職プレイヤーがいた。ポーションしかり、武器しかり、きちんとゲームマネーを払いさえすれば薬でも武器でも、ほぼ何でも手に入った。だからこそプレイヤー達は「戦うためだけ」に職業レベルを取得して行けたのだ。だが生産職に限らずプレイヤーというものはシビアだ、ユグドラシルではもう自分のしたいことができない・作りたいものが作れないと判断すれば、新たな舞台へ去ってしまう。彼らを引き留めるギルドやパーティーがないのならなおさらのこと。遅参も遅参であるアッバルに、生産職プレイヤーのバックアップはなかった。

 全てを一人で賄おうと工夫した果てに、今のアッバルがある。確かに弱いだろう、戦闘の最前線など走れないだろう。だが、ただその弱さを嘲笑(わら)うことなど誰にもできない。工夫している人をどうして馬鹿に出来るだろう。アッバルは手段を選ばず、決して驕らず、敵を煽って状態異常を引き起こさせ、自らよりも強いはずの敵モンスターを倒す。アッバルを笑う者こそ、その程度が知れるというものだ。

 

 モモンガ一人では自分の意見に自信が持てなかったかもしれないが、彼女の賛成を得たとなれば自信をもって決断できる。そうとも、目の前にある問題から片付けていくのだ、と。

 

『有難うございます、アッバルさん』

『私、何かお礼を言われるようなことしました?』

『言いたかったんです』

『はあ、はい』

 

 モモンガの突然の礼にアッバルは困惑した。彼女は生き延びるためには仕方ないとモモンガに寄生する気満々であり、むしろ彼女こそ彼にお礼を言わなければならない立場だ。一緒に異世界転移してくれて有難うございます、お陰で生き延びることができそうです、と。

 それが何故か、負の波動Ⅴではなく温もりの波動Ⅲあたりを送られたのだ。異世界転移して狂ったのだろうか? 頭がおかしくなった結果、思考回路が太平洋に平和をもたらすほどの愛に包まれたのかもしれない。アッバルは動く骨に包まれ癒される地球を想像し、見てみたいと思わなくもなかった。モモンガに限らず、地球の自然が蘇るなら誰がしてくれても構わない。

 

 二人から離れた地点でアウラらが根源の火精霊を倒した。ゴウという熱風が吹き、アッバルの軽い体が風にあおられどこぞへ飛んで行きそうになるのをモモンガが慌てて捕まえた。部位は腹である。

 アッバルの腹はストレス解消用ゼリーぬいぐるみに感触が似ている。あれは握り潰す用だが。モモンガはアッバルをずっと握っていたい衝動に駆られ、二度三度ほどニギニギと揉んだ。駄目だ、これは止まらなくなる。モモンガはアッバルに願った。

 

「アッバルさん、すみませんが人型になってもらえませんか?」

「もちろんですとも。私も今そうしようと思ったところですから」

 

 握り潰し殺されるのを圧死というのか何と言うのか。アッバルは死の危険を感じていた。

 

 アイテムボックスから白い布(付加効果無)を取り出し体の上に掛けるや、布の下が風船のように膨れ上がり人の形をとった。体に布を巻き付けつつ身を起こしたアッバルは人の姿をしている――目も口も無く、鼻の穴らしき小さい黒丸が二つと耳だけがある頭部だ。

 セミロングな髪の色は濃紺に前髪の一房が赤く、バジリスクの肌の色と鶏冠の色そのもの。身長は百六十かそこらで低くもなく高くもない。顔が無いこと以外はごく普通な容姿だ。

 

「えっと、アッバルさん話せます?」

 

 返事が無い代わりに、両腕が上がってバツ印を作った。なるほど口が無ければしゃべれまい。

 

「じゃあアッバルさんの紹介は私がしても良いでしょうか」

 

 今度は両腕で大きく丸が作られた。モモンガは頷いた。頷いたのが見えているのだろうか、あとで確認させてもらおう。

 

『ノーマルの耳とゴマ鼻だけ付けてたんですよ、暫定として。そのお陰で耳と鼻は使えるんですけど、視界は効かないし口はないし、違和感が凄いです』

「でしょうね」

『あ、でも、匂いで場所とか物がなんとなく分るし伝言を使えば会話できるし、案外イケる感じです』

 

 果たしてそれで良いのか、そこは妥協してはいけない点ではなかろうか?……アッバルは案外、適当な人なのかもしれない。



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四話

 あとで全員に紹介するとモモンガに言われたものの、見知らぬのっぺらぼうの姿にアウラはこっそりと警戒する。武器も防具も身に着けている様子が無いが、無手の闘士である可能性がある限り安心はできない。なにせ強さは見た目では測れないのだから。

 目や口が無いなんて変なの、と水を飲む振りをしながら考える。目が無ければ見えないし、口が無ければ話せないし物を食べることも出来ない。つつ、と視線を滑らせて肩へ、腰へ、そして漂白されたように白い肌に浮かぶ赤い指輪に目が止まる。アウラらナザリックのNPCがそれを見間違えようはずもない――リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンだ。驚愕のあまり気管に水を入れてしまい、アウラは盛大に噎せた。

 

「だ、大丈夫? お姉ちゃん」

 

 マーレが背中を擦ってくれるが、アウラは自分の今までの行動がどれほど不敬なものだったかと血の気が引く思いだった。あののっぺらぼうは至高の方々の一人なのだ!

 しかし見覚えがない。一度でも会ったことがあれば彼女が誰なのか分っただろうに、いや、至高の御方々がアウラと会ってやる義務など全くないのだ。先ほどのすっきりとしたそれとは違う、脂汗がアウラの背中をじっとりと濡らしていく。

 やばい。アウラの頭の中にはこの言葉がぐるぐると回っていた。

 

 

 モモンガと第六階層の守護者らが和気藹々と話している横で、アッバルは目指せペットの可愛い蛇計画を練っていた。口が無いのは幸いだった、黙って立っていてもおかしくない。

 媚びに媚びるというのは無しだ。今までつかず離れず適当な距離感でいられたものを突然崩すのは危険だ。物事にはなにも適度というものがある――しかし、適度に媚びるというのはどの程度のことを言うのだろう。

 今までに読んだことのある男性向けR18漫画を思い返してみたアッバルだが、不細工なデブが特殊なフェロモンで美少女なクラスメイトや美人教師をメロメロにして(自主規制)という展開とか、義妹が「お義兄ちゃんが……好きなの」と恋愛に至る過程を飛ばして(自主規制)が開始される展開とか、クラスメイトの特殊性癖(M)を偶然知ったことで彼女に(自主規制)プレイを強要し最終的には(自主規制)な展開とか、そんな現実にはありそうもない物ばかりで、彼女の助けとなる知識は全くなかった。

 

 弱さを前面に出すというのはどうだろうか、と考える。弱いから守って欲しいの、きゅる~ん☆――アッバルには無理だ。「きゅる~ん☆」とは声に出して言うのか、それとも効果音なのかさえ分らない。いや、弱いアピールは駄目だ、邪魔なお荷物扱いされてしまう可能性がある。

 役に立てるとアピールするのはどうだろうか。役に立とうと努力する年下の女の子。アッバルの目に光明が見えた。戦闘スタイルもあって、アッバルの職業には錬金術師、薬師、狩人などがある。これらのどれか一つでも役立つと目されればアッバルの身は安全になるのではないだろうか。

 

「おや、わたしが一番でありんすか?」

 

 アッバルのノーマル耳に少女の声が届いた。視界が効かないため彼女には見ることができなかったが、もし視界があったなら大地から影が吹きあがり扉の形をとる様を見たことだろう。そこから現れたのは十代半ばになるかならないかといった年齢の少女で、ファッションに詳しくない者に説明するならばゴスロリに身を固めた美少女、とでも言うべきか。彼女こそシャルティア・ブラッドフォールン。サービス終了前、モモンガによるナザリック紹介時には転移でサックリ飛ばされた場所の守護NPCだ。

 シャルティアの鈴を転がすような甘い声にアッバルは「エロゲ声っぽい」という身も蓋もない感想を抱いた。だいたい合っている。

 

 ぼんやりと立っているアッバルなど視界にも入らなかったらしく、シャルティアはここ円形劇場へ来て早々アウラと口喧嘩を始める。途中「見せられないよ!」になだれ込みそうなエロティックな発言も挟みつつ、だんだんと年相応なガキの喧嘩に変わっていく。とはいえ骨人間ながら大人の体格を備えたモモンガだ、中学生くらいの女の子が色気たっぷりに抱きつき口説き文句を述べたところで、ト○ロに抱きつくサツキのような微笑ましさしかなかった。

 

 次に現れたのはコキュートス。冷気を友とする巨大な昆虫の足元から這い寄る冷風に、アッバルはぶるりと身を震わせた。ペットの可愛い蛇は変温動物ゆえ、寒さを感じると冬眠したくなってしまうのだ。思考が鈍化しうとうととし始めるアッバルだが、ゴマ鼻と耳しかない顔から眠気を察しろというのはどだい無理な話だ。誰もアッバルの眠気に気付いた様子が無い。

 だんだんとモモンガらの話声も遠く感じられるようになり、まさにアッバルが立ったまま眠らんとした時。騒々しかった声が止み、叩きつけるような威圧――害意はないが、アッバルの心胆を寒からしめるのには充分だ――がアッバルを襲った。対象はアッバルではなくその横に立つモモンガだが。

 

 シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、いつここへ現れたのかもアッバルには分らないデミウルゴスにアルベド。彼らがモモンガへ捧げる忠誠心をすぐ横でビシバシと感じ、NPCが決してモモンガを裏切ることはなさそうだと判断する。彼らがモモンガの庇護対象を傷付けるようなことはあるまい。モモンガの庇護下にあれば死ぬことはなさそうだと判断した、その時だ。

 アッバルの信頼はすぐ傍の男に裏切られた。なんとモモンガが絶望のオーラを解放したのだ。弱いとはいえアッバルは100レベルプレイヤーの一人。絶望のオーラによる効果は受けない……はずなのだが、何故か効いている。

 そのオーラの放出を止めろ、とアッバルはモモンガのマントの裾を何度も引く。伝言を使う精神的余裕など全くなかった。

 

 

 どうするのが最善なのか、何をすべきなのか。混乱のあまり絶望のオーラを解放してしまったり後光を背負ってしまったりしていたモモンガのマントを、くいくいと引く者がいた。振りかえれば、その者こそゴマ鼻のっぺらぼうことアッバルだった。何度もガクガクと頷く彼女はまるで「私もついている」と言っているようだ。なんと心強いことか……モモンガは彼女へ(見えていないだろうが)頷きを一つ返した。同郷の、モモンガが守るべき、しかし頼れる女の子。彼女はまたモモンガに勇気をくれた。

 モモンガは映画やテレビで見た偉い人を思い浮かべる。それっぽく行動すればきっとなんとかなる、と良いのだが。

 

「面を上げよ」

 

 モモンガの許しで、守護者たち全員が、まるで揃えたように同時に顔を上げた。彼の脳内に日体大の集団行動が思い出される。

 

「では……まず良く集まってくれた、感謝しよう」

「感謝などおやめください。我ら、モモンガ様に忠義のみならずこの身の全てを捧げた者たち。至極当然のことでございます」

 

 アルベドの言葉を否定する者は一人もいない。つまりアルベドの言葉こそ守護者らの意思に他ならない。忠義、信頼、敬愛……それらの込められた視線に、モモンガの無い喉がネバつく。NPCらはもちろん、友人達と作り上げたナザリック地下大墳墓、同郷の友アッバル、そして自分自身――単なるサラリーマンだった鈴木悟、いや、モモンガの肩には重すぎる荷物だ。

 私もついているよと伝えたいのだろう、アッバルがマントを何度も引いてくれているのが嬉しい。だが、やはり重圧は重圧である。モモンガは言葉に詰まっていた。

 

 言葉に迷っていたモモンガに助け舟を出したのはアルベドだった。そして彼らの見せた真心。彼らを信じ切れずにいたモモンガの疑惑を払拭する、堅く折れぬ忠誠心、それを示した守護者らにモモンガは打ち震えた。仲間たちと築き上げたアインズ・ウール・ゴウンは今なお燦然と輝いている。NPCらはその証拠、その果実、その子供。不滅だ。決して消えぬのだ。アインズ・ウール・ゴウンは彼らの中に、モモンガの中に、生きている。

 

 守護者らにこれからのことを指示し終え、自分に対する評価を訊ねたのち、モモンガはそういえばと背後を振りかえった。ゴマ鼻ののっぺらぼうの手をマントから外させ、その小さい肩を抱いて守護者らに彼女を紹介する。やけにふらふらしているがどうしたのだろう。

 

「彼女は我が友、アッバルという。彼女への対応は私と同じようにせよ」

 

 以上だ、と話を切り上げ、モモンガはアッバルを連れ玉座に繋がる大広間――レメゲトンへ転移した。

 

「アッバルさーん、アッバルさーん?」

 

 重心の定まらないアッバルの肩を掴んで前後に揺らすが、反応が無い。

 

「あれ、もしかして寝てる……?」

 

 気絶しているのだとは露とも思わず、「アッバルさんは剛毅だなぁ」と呟いて今度は自室に跳ぶとソファに彼女を転がした。

 そして一人掛けのソファに自身も座り込むや身も髪もないつるりとした頭を抱え込む。

 

「疲れた……」

 

 モモンガは癒しを求め、アッバルは確固とした立場を求め。

 アッバルの仕事がポケットの中の友達ならぬポケットの中の癒しグッズ兼友人(?)になるのは、間もなくのことだろう。




おまけ

自主規制の中身
乱交にもつれ込む・ベッド上のレスリング・赤ちゃん・モノホン作っちゃおうぜ!


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五話

 異世界に転移して二日目のことだ。メイドたちに提供された朝食に舌鼓を打ったのち、アッバルはミニスカ巨乳で金髪縦ロールなメイドにナザリックを案内された。流石に宝物庫や永眠の危険がある第五階層、守護者らも入ることのない第八階層などは飛ばしたが、ナザリックのほぼ全ての場所を丸一日かけ、ソリュシャンの腕の中で観光した。寒冷地獄から灼熱地獄まで取りそろえているナザリックはまさしく死後の世界、罪に合わせておもてなししてくれそうだ。

 

 観光中、第七階層のデミウルゴスには下にも置かぬ歓迎を受け、アッバルは尻の座りが悪い思いをした。執務室を兼ねるモモンガの部屋ではちょうど書類を届けに来ていたというアルベドが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれ、気付けばアッバルは八本の脚全てにクッキーを抱えていた。

 理由は分らないが、アッバルはこの二人から多大なる信頼を寄せられているようだ。彼ら曰くアッバル様はとてもお優しいだとかなんだとか……。彼女は今のところ、他者に優しさを示した覚えもなければこれといった会話をした覚えもない。もしや持ち上げてから引きずり落とすつもりかとも考え、そんなことはないから褒めるのを止めて欲しいと頼んでみたが、ニッコリ笑顔で「御謙遜を」と流された。

 アッバルは自分を善人だと思っている。異世界転移などという非常事態のため今は下種いことを企んでいたりするし、自分の身を守るためなら友人も利用するつもりだが。身に覚えのない称賛は嬉しく思うよりも困惑してしまう。自分のどこが評価されたのだろうか。

 

 ――そんなアッバルはいま、モモンガがドレスルームで剣を持っては取り落とすという不思議な光景を見ていた。ドレスルームには武器、防具、装飾品などが所狭しと置かれており、もしこの部屋を鑑定のスキルを持った者が見れば、その数の多さのみならず付加効果やデザインの見事さに唖然とするに違いない。

 

『持てませんねー』

『ゲームでの設定が生きているみたいですね。……不気味だ』

 

 モモンガが骨の手を見下ろす姿を横目に、アッバルはその爬虫類の脚を振ってメイドを呼び寄せる。子供が寝る時間はとっくに過ぎていた。夕食を終えてからこちら、モモンガの実験結果はアッバルも知るべきものとして見学していたが、流石にもう眠気が我慢できなくなってきた。

 

『モモンガさーん、すみませんけど私、寝てきますー』

『ああ! こんな時間まで付き合わせてしまってすみません、アッバルさん』

 

 時計の短針はしばらく前に1を過ぎた。日の当たらぬ地下とはいえ昼夜の区別があるナザリックでは既に睡眠をとっている者もいる。アッバルは目をしぱしぱと瞬かせながら前足二本をメイドに差し出す。ベッドに連れていっての合図だ。

 

「モモンガさんおやすみなさい」

「おやすみなさいアッバルさん、良い夢を」

 

 アンデッドとなり眠ることが出来ないモモンガは、こうして眠ることができるアッバルをどう思っているのだろう。憎らしく思っているのだろうか。憎いとまではいかなくとも、羨ましく思っているのではないだろうか。アッバルはメイドの柔らかい胸部装甲に顔を埋め、眠気にぼんやりした頭で考える。アンデッドじゃなくて本当に良かった、と。

 

 アッバルのお布団は執務室の端に置かれた、守護者の一人が作った猫ちぐらだ。中には絶妙な硬さのクッションが詰められ、さあ快適にお休みくださいと言わんばかり。蛇に布団は必要なのかという疑問は当然あるだろうが、今までずっと布団で寝る生活を送って来た者に「布団じゃなくても寝られる体になったんだし、お前、布団無しな!」などと言うのはあまりにむごい所業である。布団で寝る心地良さを知っているアッバルは布団を求め、デミウルゴスが一晩でやってくれました。アッバルはこれからデミウルゴスに足を向けて眠れない。

 

 そして、アッバルが至福の眠りの世界へ発ったあと。猫ちぐらの周囲にはメイドが集っていた。モモンガがどこぞへ出たため執務室には後片付けのメイドらのみが残り、しかしその仕事とて二十分も三十分もかかるものではなかった。

 

「アッバル様、気持ち良さそうに眠っていらっしゃるわね」

「子供ですもの、寝る子は育つと言いますし」

 

 蛇に爬虫類、鶏の要素を詰め込んだバジリスクには瞼があり、眠るアッバルの目を薄い瞼という蓋が被っている。バジリスクは蛇と爬虫類と鶏の良いとこ取りの見た目なのだ、鳥だけに。だがコアな蛇萌え・爬虫類萌えの者らには不評な進化先であったことも確かで、バジリスクを選ぶ者は少なかった。

 

 wikiに書き込んでくれる親切な先達がいなかったためアッバルもサービス終了間際に知ったのだが、ユグドラシルにはエルダー・バジリスクという種があった。プレイ時間や種族レベルなどのいくつかの条件を満たすことで開かれる進化ツリーの先だったのだが、全ての条件を満たした時、既にサービスの終了が迫っていた。進化したとしてもレベラゲの時間もクリスタルの貯蔵もなかったため、アッバルはバジリスクで打ち止めにしたのだ。

 エルダーが年上ならば、エルダー・バジリスクという進化先があるバジリスクは幼生体から成体と言えるだろう。そしてその中でも小型の部類に入るアッバルは他者の目から見ればまだ子供……。良く食べて良く寝て早く大きくなれよ、と見守られていることをアッバルは知らない。

 

 メイドが猫ちぐらを抱え、第七階層、デミウルゴスの元へ運ばんと歩き出す。アンデッドばかりのナザリック大地下墳墓には気温調節などという親切な機能はない。アンデッド以外の者でもこの程度の寒さは平気な者ばかりなのも原因の一つだろう。比較的温かいのはダークエルフの双子が管理する第六階層くらいか。

 アッバルは太陽光で体を温めてから活動する変温動物ゆえ、二日目に執務室で昼寝した際はそのまま冬眠に入りかけた。いくら揺すっても目覚める様子の無いアッバルにモモンガが悲鳴を上げたことはソリュシャンしか知らない。

 そんな睡眠から冬眠まっしぐらなアッバルを平穏無事に目覚めさせるべく、選ばれたのが第七階層「溶岩」だった。うっかりすると八本足蛇の蒸し焼きになるため、第七階層内でも涼しい場所――デミウルゴスが控える執務スペースの奥、火山の一部をくり抜いて作った小さな部屋――に安置されることが決まった。目が覚める頃になると執務室にまた移されるのだ。

 

 猫ちぐらを手に第七階層へ上ったメイドだが、そこにデミウルゴスの姿はない。他の用事で出ているのだろう。デミウルゴスの親衛隊を呼ばい猫ちぐらを渡す。

 

「アッバル様の眠りを妨げることのないよう運んでください」

 

 承りました、と頷いた悪魔種の背中をしばらく見送ると、メイドは踵を返してその場を離れる。

 

 モモンガは甲斐甲斐しく世話をされたり付き従われたりするのを好まないようだ、と、メイドらはこの数日の間に学んだ。先ほども儀仗隊を厭い、付いてくるなと命令までして一人で外へ行ってしまった。しかしメイドらは仕えるべくして生まれた存在、奉仕することなく部屋の隅で埃を被っているなどどだい無理な話だ。

 モモンガに全力で仕えられないことは身を切られるほど悲しいが、モモンガの身代わりがいる。モモンガはアッバルの紹介をした際に「彼女への対応は私と同じようにせよ」と命じたという。つまりモモンガにしたくとも出来ないことをアッバルで解消すれば良いのだ。彼女が泣こうが嫌がろうが知ったことではない、何故なら彼女はまだ子供なのだから。一人になりたい・一人でやりたいなどという子供の駄々は「アーハイハイ」で流してしまえば良い。――異形種というものは欲望に忠実、自分の意思を押し通すためなら他人の都合など知らぬ。

 そう。アッバルにはメイドらに磨かれ、奉仕され、飾り立てられ、メイドらを連れて歩く義務がある。

 

 メイドはうふ、と女性らしく頬に手を当て唇の両端を上げた。ナザリックのNPCらしい笑みだった。

 同時刻。熱いはずの第七階層の一角でぶるりと背筋を震わせた八本足の蛇は……今は夢の中だ。

 

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを起動させ自室兼執務室へ戻ったモモンガは、先ほど部屋を出る前にはあった猫ちぐらの不存在に長嘆息した。猫ちぐらの置かれていた棚の上を撫でてみるも、ただ冷たい板の上を骨が滑るのみ。

 

 ――この世界は美しかった。ナザリックの誇る全ての宝石をぶちまけてもその百分の一も占めることが出来ないだろう、無限大数の星が輝く夜空。草や湿った土の匂い、夜の匂いを孕んだ風が頬を撫ぜる感触、月や星に照らされ暗く輝く葉の一枚一枚……この感動を共有できるだろう相手は今、第七階層で夢の世界を散歩しているところだ。

 

 文明の発展と共に自然の破壊が進んだ結果、星空をはじめ、色々な美しい自然を失った二十二世紀。鈴木悟は草原を踏みしめる感触を知らず、数多くの葉と葉が擦れて降雨に似た音を奏でることを知らず、月光に照らされた自然を知らぬ。彼が生まれ育った現代日本にはそのどれ一つとしてなかったのだ。

 ユグドラシルのナザリックは制限付きの存在で、サービスが終了してしまえばいくら願っても二度と訪れることのできない夢や霞でしかなかった。誰もが現実の生活を持っていて、その合間にユグドラシルという共有の夢を見ていた。偽物の空の下で遊ぶ、期限付きの夢だ。だが今はどうだ? 頭上に広がるのは本物の星空で、頬を殴ってみても夢から覚める様子が無い。夢ではない、現実なのだ。ナザリックは現実の物となり、NPCらには命が宿り、集めた武器や装飾品らはリアルな輝きを得た。

 現代を生きる地球人で、今のモモンガと同じ経験をした者はいるだろうか。月や星の輝きの下でひっそりと息をひそめる自然を見た者は。月に見守られている心地良さを知っている者は。空を失った人類が進むのは滅亡への一本道……。地球の生命力を吸い上げ肥大化した化け物(じんるい)は今に地球を食らい尽し、そして餓えて死ぬだろう。それがまだ遠い未来であれば良いのだが。

 

 現代日本に帰ったとして、アッバルは幸せになれるのだろうか。他人の幸せを決めつけてしまうのは傲慢に過ぎる行為であろうが、DMMO-RPGの中にしか自由のないあの世界で暮らすことが幸福とは、モモンガには到底思えない。

 もし、もしだ。モモンガがそう頼んだなら、アッバルはナザリックで生きていく道を選ぶだろうか。アインズ・ウール・ゴウンはモモンガさんとお友達の場所でしょう、とギルドへの参加を断り続けてくれた親切な彼女は、頷いてくれるだろうか。

 

「くそっ」

 

 手元――棚を殴れば、分厚い一枚板であるはずのそれは薄い合板の様に簡単に折れた。

 

 傲慢だ、とモモンガは自分を嗤う。どんなに綺麗事で包装したところで、モモンガの身勝手な希望でしかない。自分と同じ存在が欲しいのだ。今やモモンガが人間だったことを知っているのはアッバルだけだ。自分のルーツを証明してくれる相手はお互いだけだ。

 甘えだ。甘ったれている。弱いところを見せても絶対にモモンガを裏切ることのできない弱者を囲い込みたいのだ。ぶくぶく茶釜さんやペロロンチーノさんを何故か思い出させる彼女を手放したくないのだ。――昨日の昼など酷かった。ぴくりとも動かないアッバルに、彼女が死んでしまったのかと思った。蛇の心臓の場所など知らないから、ひたすら振り回すばかりだったが、きっと知っていれば全力で心臓マッサージをしただろう。無いはずの脈拍は強く速く、狂乱しかけては沈静化することを何度も繰り返した。歳の離れた妹のような子だ。同じ境遇の、これから共に冒険をする仲間だ。

 

 手放したくないのだ。普通のサラリーマンである鈴木悟はアッバルを、同郷の友・仲間として。ナザリックのギルドマスターたるモモンガはアッバルを、決して裏切らぬだろう幼い同胞として。

 手元が寂しい。柔らかく、しかし弾力があってひんやりと冷たい物が足りない。手を何度も開いては握り、モモンガは一言零す。

 

「あの腹部が恋しい……」

 

 

 第七階層の一角で、八本足の蛇がクシュンとくしゃみをした。とある親衛隊員は仲間に「ここって寒いか?」と訊ね、仲間は「どっちかって言えばクソ暑い」と真面目な顔で答える。そしてその後また聞こえたくしゃみに、親衛隊はアッバルへ手持ちのハンカチを捧げたのだった。



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六話

 モモンガが鏡を前に手で円を描いたり指先を横にスライドさせたりしている横、装飾過多なテーブルの上で、アッバルは分厚くカットされたベーコンと瑞々しいレタスやトマトのBLTサンドを四本の足で抱え込むようにして食べていた。あの猫ちぐらには温魔法か何かが掛けられているのかもしれない、アッバルの今日の目覚めもスッキリであった。デミウルゴスに何か礼をせねばなるまいと考えるものの、アッバルがデミウルゴスにしてやれることなど思い付かない。

 大きく口を開けてあーん、むしゃむしゃと素敵な朝食を楽しんでいるアッバルだが、モモンガは鏡――〈遠隔視の鏡〉というアイテムらしいが、アッバルはユグドラシルで見たことも使ったこともなかった――を前に困っている様子だ。

 

『モモンガさん、さっきから何をされてるんですか?』

『ああ、あのですね……』

 

 訊ねたアッバルに対し、モモンガは苦笑を滲ませた声で「この鏡の使い方の解明が今行き詰っているんです」と伝言を送って来た。なるほど、さきほどから右へ移動したり左へ移動したり、空を見上げたり地を見下ろしたりはしているが、拡大と縮小がなかったのはやり方が分らないためだったようだ。

 〈遠隔視の鏡〉の表面には当然ながら、鏡の前に座るモモンガではなく草原が映っている。朝日に照らされて輝く緑の野原……。アッバルもテレビ番組や動画サイトでそのような映像を見たことがあるが、残念ながら彼女の知る「原っぱ」には土がむき出しの砂漠モドキしかなかった。いま鏡面に映る、風にそよぐ草原でさえアッバルにとっては見慣れぬ光景だ。

 

『私も使ってみたいです。ちょっと急いで食べるんで待っててください』

 

 アッバルはBLTの残りを頬に詰め込んだ。元が蛇であるからして、彼女は量を腹に詰め込むのは大の得意だ。しかし皿を見下ろせば悲しいかな……パン屑や零れた野菜、ベーコンの欠片が皿やランチョンマットに落ちている。零れやすい物を食べるのはまだ難しく、今の体で食べることに慣れるまでは今の様にボロボロ零すだろう。

 アッバルが恐る恐る給仕であるメイドを見上げれば、大きくなるにはご飯を残してはいけませんよ、と注意を受けた。食べ方が汚いと怒られるのではないかと心配したのであって、残したいと思ったわけではない。

 

「あ、でも大きくなりたいわけでもないな」

「屁理屈をこねてはいけません」

 

 アッバルは「ちゃうねん、そうとちゃうねん」とテレビで学んだ関西弁を漏らす。視線を感じてモモンガを見やれば何故か、微笑ましいものを見るような目を向けられていた。明らかにアッバルを子供扱いしている。この食べ方の汚さや先ほどの彼女の言い訳にもならない台詞からその気持ちも分らないではないが。

 

『ダイエットは体に悪いですよ。それにアッバルさんはもう少し食べて肉を付けた方が魅力的だと思いますし』

『ダイエットでも駄々でもありませんからね? 分って言ってらっしゃるでしょう。――で、その魅力って握り心地のことだったりします?』

 

 目覚めて早々に腹を握られたのはアッバルの記憶に新しい。何やらモモンガが凹んでいる様子であったので好きにニギニギさせてやったが、ニギニギはモモンガの持つ権利ではなくアッバルの親切心なのだ。それを取り違えてはいけない。

 モモンガがギクリと肩を揺らし手を上げる仕草はわざとらしく、じっとりと睨むアッバルに彼は愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべている。モモンガの見た目は骨のため、笑っているように思えるのはアッバルの勘に過ぎないが。

 

「おっ!」

 

 モモンガが歓声を上げた。レタスを拾うため視線を落としていたアッバルが顔を向けた、当のモモンガの視線の先には――鏡面に映る映像が拡大されていた。モモンガの動作で拡大と縮小が繰り返されるのを見るに、どうやら先ほどの両手を上げる動作が拡大であったらしい。モモンガはセバスに褒められ照れている。

 先ほどまでとは違い楽しそうに画面を動かし始めたモモンガの姿を横目に、アッバルは食べ落としを口に詰め込んで行く。今の彼女には目の前の朝食の後処理の方が重要、斜め後ろに立つメイドに再びトンチキな方向の注意を受ける前に、さっさと片付けてしまわねばならない。残るパン屑を手に貼りつけては舐め、貼りつけては舐める。時間の余裕がある暇人しかできない後処理だ、普通ならこんなチマチマと食べることはない。

 

「……祭りか?」

 

 モモンガの言葉にアッバルも鏡面を見上げた。鏡面に映る小さな人影が忙しなくあっちへ行ったりこっちへ行ったりする様子は、祭りの準備と言われれば納得してしまいそうだ。

 

「いえ、これは違います」

 

 セバスがモモンガの横に立ち、鋭い視線を鏡面に向ける。セバスの表情を見たモモンガが映像を拡大すれば、そこには一方的な殺戮があった。対抗する術を持たない、見るからに貧しいと知れる者たちと、彼らを屠る全身鎧の集団。騎士の振るう剣が一閃する毎に一人死んでいく。

 子供を抱き込んだ姿で事切れた親、その腕の中で泣いているその子の頭が、今、サックリと割られた。重力で切れ味が増しているのか、脳や骨が砕け飛び散るようなことはなく、滑らかな断面から小さな血の噴水があがった。

 アッバルは手を舐める。パン屑しか付いていない。

 

 アッバルの家庭は蛇を飼育していた。アオダイショウだ。性格は温厚。大人しくハンドリング(爬虫類を手にとること)させてくれる良い子で、アッバルにとっては弟のような存在だった。アッバルがユグドラシルにおいて蛇の異形種を選択したのもそのアオダイショウが理由、蛇になりきってみたいという考えからだ。

 蛇の捕食は気持ちが良い。自分の胴体と変わらぬ直径のマウスを悠々飲み込む姿は爽快の一言に尽き、この蛇のように自分も命を食らって生きているのだと思うと、彼女の背筋はいつもゾクゾクした。――だというのに、あの騎士達ときたらなんだ。食べもしない癖にあんなに次々と殺すなんて、勿体ない限りではないか。蛇は腹持ちが良く、一匹のアダルトマウスで一週間もつ。アッバルもまたしかり……子供一体(あのサイズ)で十日は活動できそうだ。あの村人たちなら何週間、いや何ヵ月分になるだろう? コキュートスに冷凍を頼めば腐らせず保存できるだろうし、死体の山をパッと見た限りでも一年は満足して過ごせそうではないか。

 鏡面の向こうで本来の食料が生産されているというのに、こんなBLT(もの)で腹を満たすなど馬鹿馬鹿しい。この朝食はアッバルにとって、菓子や飲み物で腹を満たせと言っているようなもの。急速に消化が進んだ腹がひきつる様な悲鳴を上げ……アッバルを空腹感が襲う。

 

 はて、と彼女は首を傾げた。いま、自分は人を食べ物として見てはいなかっただろうか。自分も人間なのに、まるでこれでは人間を食料と見ている生き物ではないか。アッバルの顔から音を立てて血が引いていく。

 室内にモモンガの舌打ちが響いた。掌を脂汗で濡らし震えるアッバルの心など知らず、モモンガの声にはただ期待が外れたという不快感しか含まれていない。モモンガはそんな冷徹な人間だっただろうか。もっと繊細で心優しい男ではなかったか。アッバルの知る彼は他人の痛みに顔を曇らすことのできる人だったはずだ。実は寂しがり屋でチキンで子供っぽくて……見上げたアッバルの目に映ったのは、冷静な表情で鏡面を観察するモモンガの顔だった。

 

 アッバルはモモンガを恐れて良いはずだ。アッバルはモモンガを見下げ果てても良いはずだ。だというのに、何故なのか。アッバルは「それで当然だな」と納得して、モモンガに同感していた。人間を躊躇いなく見捨てたモモンガの言葉に同意していた。そして、モモンガが言葉を覆し助けにいくと言い出したことを不思議に思ってしまった。

 

  どうして意見を変えたのか分からず、またもしかすると人を食べられるかもしれないという期待も抱きながら、アッバルは急いでモモンガの背中に飛び付く。

 

「私も!」

 

 アッバルはスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを取り出し転移門を開いたモモンガの背にしがみつき、モモンガの付属品として遠隔地への移動を果たした。食人を期待することは人間の思考としておかしい、と考えたこともすっかり忘れて。

 

 

 

 さて、時を遡ること三日と少し。第六階層の円形劇場にてモモンガへ忠誠を捧げに集まった守護者たちであったが、既にナザリックの主人はどこぞへ転移してしまった後だ。アルベドとシャルティアが睨み合う横、女子会ならぬ男子会が始まった。

 

「偉大なる支配者の後継はあるべきだろう? モモンガ様は最後まで残られた。だが、もしかすると我々に興味を失い、他の方々と同じ場所へ行かれるかもしれない。その場合、我々が忠義を尽くすべきお方を残していただければとね」

 

 デミウルゴスはマーレ、コキュートスを相手にそう語る。アルベドやシャルティアが寵を得る・得ないという問題は、モモンガが他の至高の41人と同じようにナザリックを捨てて去ってしまったとき、彼の後継者を用意できるかできないかに繋がっている。至高の41人に作られた守護者らの地位はアルベドを除けば横並びであり、誰が突出して偉いというものではない。

 もしモモンガもがナザリックを去ってしまったならばどうなるか……守護者らは自死を選ぶ。復活が可能ではないかって? その復活させるのは誰だ。復活のさせ方を知っているのは誰だ。モモンガだ。至高の御方が再びナザリックへ戻るまで、彼らは死という停止を受けるのだ。だが、守護者もNPCも絶えた廃墟に誰が帰りたいと思うだろう。誰かがナザリックを保たねばならず、そしてそれは一人で十分。自死する権利を争う戦いが起こることは間違いない。デミウルゴスはその戦いに勝つ自信があった。

 だが、モモンガが子を残したならその子こそがナザリックの次の主となる。守護者らは忠誠をその子へ捧げ、彼らを生み出した至高の41人を心の宝石箱に大切に保管して、それからも生きていく。至高の41人の作り上げたナザリックは不滅でなければならないのだから。

 

「えっと、そ、それはどちらかがモモンガ様のお世継ぎを?」

 

 世継ぎの作り方など知らぬ様子のマーレはおどおどとそう口にする。もし知っていれば声に照れが混じっただろう。

 

「ソレハ不敬ナ考エヤモシレナイゾ? ソウナラナイヨウモモンガ様ニ忠義ヲ尽クシ、ココニ残ッテ頂ケルヨウ努力スルノガ守護者デアリ創ラレタ者ノ責務ダ」

 

 しかしコキュートスは悪魔の甘言に乗せられる。

 

 コキュートスが守護する氷の世界を駆ける、幼児サイズの骨。その向かう先はもちろんコキュートスで、その固い甲殻に飛び込むや、馬になれ爺、と笑顔を浮かべる。コキュートスは喜んで馬になり、馬のごとく嘶いた。次。ナザリックの玉座に掛けるモモンガを見上げる少年サイズの骨。彼は決意で拳を握りしめ、私もいつか父上のような死の支配者になるのだ、修行に付き合ってくれ爺、と凛々しく宣言する。爺は何度も頷いて、いそいそと剣と防具を取り出した。次。華美な装いに身を包み、剣の腹でコキュートスの肩を叩いた成人サイズの骨。成人して久しい彼は骨格標本のように美しい嫁を連れてきて、父上の次に爺に紹介したかったのだ、と照れる。爺は、爺は胸を喜びで詰まらせながら祝福した。

 コキュートスは甘い夢に浸る。素晴らしい、なんと素晴らしい。果ては赤ん坊サイズの骨を抱き、息子は爺に頼みたい、と命じる骨まで幻視して、コキュートスは泣いた。虫なので涙は出ないが。

 

 そんなコキュートスには見て見ぬ振りをし、デミウルゴスはだが、と続ける。

 

「急ぐ必要はないだろうね。モモンガ様がご紹介なさったアッバル様、彼女はまだ子供だ。もしモモンガ様が去ろうと思われるにしても彼女の成長を待ってからになさるだろうし……百年かそこらは大丈夫だと思うよ」

「は、はい。アッバル様はまだバジリスクですしね」

「見たところ、生まれてからまだ数年といった個体だ……。モモンガ様はアッバル様をどこで拾ってこられたのだろうね。蛮勇の一種かもしれないが、目上に意見できる勇気とシモベに対する寛容を持ち合わせた方だよ」

 

 あの絶望のオーラを誰よりも近くで受けながら、守護者らを守ろうとしたあの姿勢。モモンガの深謀遠慮を理解するには幼いためにモモンガを止めたのだろう。あのようなただの(・・・)バジリスクが。アウラやマーレに吹き飛ばされそうな弱い個体が。守護者らを守ろうとモモンガのマントを必死に引いたのだ。なんという優しさだろう。

 あんなに弱いのに。

 

 その日、守護者たちはアッバルを見守ることを決めた。せめてエルダーに。いや、エンシェントにまで育ってほしい。エンシェントへの道は長い、エルダーから二回進化をせねばならないのだ。だがギガントなどというデカブツにはさせないぞ、あれはエルダーバジリスクが巨大化しただけではないか。無駄に大きいだけの馬鹿に育ててどうする。

 アッバルの望み(ペット化)は本人の知らぬ間にダストシュートへ投げ捨てられた。今はナザリックが転移したばかりで忙しいが、時間を取れるようになれば守護者らによるアッバル育成ゲームが始まるだろう。夢はでっかくエンシェント、が彼らの標語であることをアッバルは知るよしもない。

 

 

 ストレス解消揉みぬいぐるみになれば良かったとアッバルが後悔するまで、あともう少しかかるだろう。



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七話

 転移して最初に刺激された五感は嗅覚だった。緑と土、パン、人の匂い……に混じる、汗と糞尿、血、鉄の臭い。そして次に視覚、日の出すぐの冴え冴えと青い光が満ちる空と、浮かぶ雲。アッバルは空に気をとられ、モモンガのマントから滑り落ちる。青い、青い空だ。写真や映像の中でしか見たことのなかった青空が広がっている。

 美しい空を地面に腹ばいになって見上げつつ、アッバルはほうとため息を吐いた。そして吸い込んだ空気の爽やかさにとまどう。アッバルは清浄機を通した空気しか知らないし、屋外で深呼吸するなど初めてだ。先程はとっさにモモンガのマントにしがみついてしまったが、通常なら人工心肺を着けなければ外界に外出などできない。口許を覆うマスクは、汚染された大気に触れないためのコートは、化学物質を屋内に持ち込まないためのシャワーは……ここではいらないのか。

 

 ユグドラシルで、また転移してからナザリックで見た映像で、知ったつもりでいた「自然」というものは、彼女の予想を遥かに超えていた。

 早朝とはいえ地下のナザリックよりもぬるい気温、ひんやりと彼女の腹へ冷たさを送りくる大地。風は麦畑や木々を音を立てて薙ぎ、辞書の音声でしか聴いたことのない小鳥の歌声が響く。……屋外へ出て、アッバルは異世界転移の素晴らしさを知った。この世の誰よりも幸福な存在になったような気分だ。写真も映像も伝えきることのできない自然との一体感のなんと心地良いことか。見よ、この広い空を。遠く遠く、どこまでも飛んで行けるようだ。空はアッバルが空を駆ける一員となるのを待ってくれている。

 言葉が出ない。彼女の親は自然学者であり、地球上でもまだ自然が残っている地域と自宅とを行ったり来たりしている。アッバルも父親に着いてそこへ行ったことがあるが、まだマシとは言えマスクやコートはやはり不可欠であったし、室内へ入る際は消毒のシャワーを全身に浴びた。地球に残る無惨な自然の姿を知っているからこそ、彼女はこの尊さが苦しいほど良く分かるのだ。本来の姿はこうなのだ、人類が滅ぼしていった、大地を覆うはずのものはこれなのだ。――胸が震え、魂は歓喜した。心の底から湧き上がる自然へ讃歌が両目からこぼれ落ちる。この感動を表現しきる言葉を、残念ながら彼女は持っていなかったのだ。モモンガとこの胸の高まりを共有したく思い、アッバルは彼女の友を見上げる。

 

 だが。自然の美しさに圧倒されていたアッバルに対し、モモンガにはそんな暇などなかった。敵対する相手、全身鎧の男へ手を伸ばしたと思えば、十位階ある魔法の上から二つ目――第九位階の即死魔法〈心臓掌握〉を発動させる。第五位階までの魔法も使い勝手が良い特定のもの以外は覚えてさえいないアッバルだ、〈心臓掌握〉が物騒なハートキャッチ魔法であることしか記憶しておらず、その魔法の難しさ、集束された魔力の濃さ、恐ろしさなど全く知らない。男が心臓を握り潰されて死のうが、四肢を引き千切られて死のうが、どちらも同じく結果が死であるではないか。それよりその死体を食べちゃ駄目か聞かなくては、とさえ考えている。アッバルの思考は一気に食欲に傾いた。

 死体(にく)をくれないものか訊ねようと口を開けかけたアッバルが見たのは、少女らを助けようと歩き出すモモンガの姿だった。もしや、ここからラノベ展開が始まるのか。わくわくとしながら口を閉じ、邪魔にならないように気配を消す。

 

「女子供は追い回せるのに、毛色が変わった相手は無理か?」

 

 モモンガが少女らを背に庇う姿はまるで、ゲームや漫画のヒーローのよう。素晴らしい装備に身を固め、伝説の武器を持ち、虐げられた貧しい者を救うモモンガ。救世主と名乗ってもおかしくない。

 だが、少女らはさっきに増して恐怖の汗をかいているようだ。アッバルは首を傾げる。助けに来たことは明白、何故彼女らは恐怖を感じるのだろう。ヒーローの登場なのだから安堵して当然のはずだ。窮地を救われたヒロインは主人公に惚れるものではなかったのだろうか? 私たちを救ってくれて恰好良い、素敵な方ね、滅茶苦茶に抱いて!と。十分なハーレムメンバー入り要素だと思うのだが。

 

 なにやら魔法の実験をするらしいモモンガを横目に、アッバルは少女たちをじろじろと観察する。年上の方はクラスで一番の美少女、友人に頼み込まれて学祭のミス高コンテストに出て優勝か準優勝するレベルといったところか。年下の方は愛嬌のある顔だ。少なくとも、こうもり傘でやって来ては去っていくしかめっ面の家庭教師の小説がどうしてこうなった、と嘆きたくなるような運命映画に出てくる子役の五万倍は可愛い。

 

 粗末な作りの家の影から現れた騎士が、モモンガの魔法〈龍雷〉に打たれて白熱灯のように白く輝いた。しかしそれも一瞬のこと、焼け過ぎて炭になっただろう肉の臭いが周囲に漂う。これも肉は肉だが、アッバルにはこれを食べたいという気持ちになれない。彼女はグルメではないが、賞味期限がとっくに切れた物を好んで食べるような嗜好を持ち合わせてはいないのだ。腹を壊すと分かっていて食べるという冒険心など持たなくとも構わないだろう。

 バーベキューに使えない炭と化した騎士は地に倒れ伏し、また、他に騎士がいる気配もない。緊急の危険は去ったようだ……というのに何故だろう? 年下の方が、モモンガを恐れて年上の少女にしがみつく力を強くする。それに応えるように年上の少女もきつく年下を抱き締める。ゲームや小説ならとっくに目がハートになりモモンガにときめいているはずなのだが、彼女たちからは脂汗の臭いしかしない。

 アッバルは原因を求めてモモンガを見上げた。見ずとも力ある存在と分かる強者の気配、財力と武力を備えていることが明らかな装備、そして呪文一つで騎士を屠った姿はそれの証明。王子や位の高い貴族に助けられた村娘の構造と全く同じではないか。何故モモンガを怖がるのだろう。

 

 騎士たちが弱くて気が緩んだのか、モモンガの緊張が弛緩している。強者の気配が緩んだ今なら話しかけやすいはずだ、頑張れ、ラブストーリーは突然始まるし、恋のチャンスの神様も前髪しかないのだ。期を逃すなどもったいない、アッバルなら気合いで頬をリンゴに染め、モモンガへおずおずと近寄るだろう。そして、助けてくださって有り難うございます魔法使いの方、とかいう台詞を上目使いしながら口にするだろう。アッバルは自分の身が愛しい、金と力を兼ね備えた男を堕とす努力を絶やすべきではないと考えている。

 だがモモンガは再びキリリと気を張った。エロゲなら選択肢を選ぶまで待っていてくれるが、現実にはそんな優しさなどない。スーパー話しかけやすいタイムは一分もなかった。

 

 こちらを振り返ったモモンガをしっかりと見たアッバルは、その瞬間、自分の思考回路のおかしさに気付く。何故骨の怪物であるモモンガに忌避感を持たないのだろう、何故自分の体が八本足の蛇であることに違和感がないのだろう。アッバルはつい数日前まで人間だったというのに、八本ある足を自在に動かして地を走ることができる。視線の低さを当然と思える。人間を前にすると食料だと思える。さっきもそれを疑問に思ったはずだ、どうしてすぐに忘れたのか。まるであの考えがその場の思い付きでしかない馬鹿らしいアイデアだったかのように、アッバルの思考の表層からすぐに消えてしまったのは何故だ。

 いや、とアッバルは自分の疑問に答えた。もし人間らしい思考回路と常識が残っていたならば、アッバルはとっくに死んでいただろう。絶望のオーラで気が狂っていただろう。ナザリックの怪物たちを見ては泣き叫び、逃げ惑い、救いがないことに絶望して舌を噛んでいただろう。なにせアッバルはただ蛇が好きなだけであって、異形種の見た目を好んでいたわけではないのだ。そう、だから、これはトリップ特典という奴に違いない。ただ体に合わせた常識を身に付けたに過ぎず、そしてそれは必要なことだった。

 

 もしかしなくとも、モモンガもモンスターとしての思考に染まったに違いない。モモンガは優しく親切で、伝言で交わした会話も今までと変わらない、ちょっとチキンなところのあるお兄さんだ。だが騎士たちによる村人の殺戮を放置しようとしたり、騎士たちをああも簡単に殺したり、今も平気そうだったり……仲間以外への親切心というもの、共感というものがほとんどなくなってしまったのだろう。しかし、人間の心を捨てたことは悪いことばかりでもない。異世界転移はかなりの精神的苦痛になったろうし、眠れないことや食事できないこともストレスになる。自分の姿への絶望など計り知れない。この思考の補正はモモンガやアッバルの心を守っているのだ。

 人の心を捨ててしまったのは残念だが、仕方のないことだ。アッバルはそう結論を出した。

 

 モモンガが心臓を潰した騎士の死体を見下ろし、アッバルの知らない魔法を解放した。化学工場で火事が起きた時に上がる煙のような、どす黒い霧が空中から沸き上がる。煙は死体を捕食せんばかりに覆い被さり……一瞬膨れ上がると死体へ溶け込んでいく。死体が下手くそな操り人形のような動きで起き上がると、少女たちから短い掠れた悲鳴が上がった。

 兜の隙間から、吐瀉のごとく闇色のゲルが溢れ出す。ゲルは全身鎧をまんべんなく包み込み、完成したのは漆黒の騎士だ。身長は二回りも大きくなり、胸板の厚さなど先程までの倍はある。動脈のように走る赤い線が脈打つ漆黒の全身鎧に、人間であった時のアッバルとほぼ同じ高さのタワーシールドと、波打つ刀身が美しいフランベルジェを装備している。アッバルも必死に頑張れば倒せそうだ。あくまで必死に頑張ればだが。

 

「この村を襲っている騎士を殺せ」

 

 モモンガが指差したのはウェルダンの死体。

 

「オオオァァァアアアアアア――!!」

 

 モモンガの作った漆黒の騎士が咆哮を上げる。撒き散らされる殺気、周囲の迷惑など考えもしないのだろう。空腹なチーターか、それとも貴族の狩りに慣れた猟犬か、漆黒の騎士は獲物を求めて走り出した。金属同士が擦れる音はすぐに小さくなっていく。

 

「いなくなっちゃったよ……。盾が守るべき者を置いていってどうするよ。いや命令したのは俺だけどさぁ……」

 

 アッバルの存在に未だ気付いていないらしいモモンガが小声で愚痴を溢した。どうやらあの漆黒の騎士は自立して雑魚を狩る召喚モンスターではなく、単なる盾役だったらしい。盾のくせにアッバルよりも恵まれた装備なのが憎たらしい。

 アッバルはそろそろ自分に気づいてもらうべく、モモンガを見上げ口を開いた。

 

 

 

 タイミングを逃し、口を半開きにしたまま困っていたアッバルを拾い上げたのはアルベドだった。外の世界がどのような物なのか……もしやするとナザリックの面々でも太刀打ちのできないモンスターや種族がいるかもしれない。だというのに、ナザリック大地下墳墓強さ番付の最下位を這うアッバルが外へ出てどうするのだ。外は危険が一杯なのだから出てはいけない、と誰かが注意していなかったのだろうか? いや、アッバルはまだ子供だ、注意されていたとしても忘れていたかもしれない。全く子供というものは、目の前のことに夢中になると保護者ら大人が言い聞かせたことなどすっかり忘れてしまうのだから。

 

 その時、アルベドに天啓が下った。腕の中のアッバルを見下ろせば、彼女は居心地の良い定位置を求めてもぞもぞと動いている。――子供。そう、子供だ。子供とはなんだ? 自分とモモンガ、いや先程モモンガはアインズ・ウール・ゴウンを名乗ったからアインズ・ウール・ゴウンだ、彼との愛の結晶のことだ。アルベドの頭は高速回転し始める。そうとも、このアッバルは子供だ。アインズ・ウール・ゴウンとアルベドの子供のようなものだ。つまり予行演習だったのだ。アッバルを強く立派な子に育て上げれば、アインズ・ウール・ゴウンはアルベドの手を握り、こう言うに違いない。「アルベドよ。お前ほど私の子を宿し育てるに適した女はいない。これからは私の妻として、公私ともに私を支えてほしい」と。

 アルベドは胸をときめかせ、自身の輝かしい未来……アインズ・ウール・ゴウンとの甘い結婚生活へ夢を膨らます。予行演習! 正式に妻となる前でも、アッバルの母として、つまりアインズ・ウール・ゴウンの妻として一緒に子育てが出来る!

 

 アインズ・ウール・ゴウンがアルベドが拾い上げたもの――アッバルに目を止めた。そして続く無言。もしやすると〈伝言〉を使っているのかもしれない。無言だというのに、アインズ・ウール・ゴウンが額を押さえるような動作をしたためだ。

 アインズ・ウール・ゴウンは頭を軽く振り、長嘆息した。

 

「食べて良いのは騎士のだけですよ」

「了解しました!」

 

 話し合いは終わったらしい。どうやらアッバルはご飯(ひと)が欲しくて着いてきたようで、ふにふにのお腹が思い出したように地鳴りを発し始めた。子にご飯を与えるのも親の役目、これは頑張らねばなるまいとアルベドは拳を握る。アッバルはまだまだ幼いバジリスク、子育ての道は長い。だが、アインズ・ウール・ゴウンとの甘い日々はそれから永遠に続くのだ。

 

「アッバル様、私のことはどうぞ母とお思いになって下さいね」

「ぇ? あ、はい。……はい?」

 

 言質を取った。アルベドの顔は兜の下で笑み崩れ、口からはくふくふと含み笑いの声が漏れる。アルベドは誓った。きっとアインズ・ウール・ゴウンの気に入る成果を出してみせる、と。そのためには……先ずはアッバルへの給餌か。

 アルベドはアッバルをぎゅうと抱き締める。腕の中のバジリスクはただのバジリスクではない、アルベドの夢を実現するための手段であり、アインズ・ウール・ゴウンとの共通の話題であり、将来への布石であるのだ。愛しく思えないはずがない。

 

 村への行きしな、アルベドが大活躍したのは当然の帰結と言えた。




12日の活動報告にリリカルアッバルという出落ちネタ有。
こちらはPixiv様投稿分より加筆部分がございまして、こちらが今後の統一版です。今後の展開に関わる部分のため、後でPixiv様の七話を修正する予定です。


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八話

 モモンガことアインズやアルベドが殺した騎士の一つから腕だけ貰ったアッバルは、腕を飲み込んでは出して味わっている。バジリスクとしての本来の食事をしたのは初めてのことだ、よほど嬉しいのだろう――が、行儀が悪い。アインズがそろそろ注意をするかと口を開きかけたところで、アルベドがアッバルの平べったい額を突ついた。潰れたような悲鳴がアッバルの口から上がる。

 

「いけませんわ、アッバル様。淑女たるもの食事はマナーを守って品良くしませんと」

「あ、頭が割れるかと……」

「お分かりになりました?」

「分かりました!」

 

 ガクガクと頭を縦に振って応えるアッバルにアルベドは上品な笑い声をあげ、良い子ね、とさきほど彼女が突いた場所を撫でる。……そして何故かアインズの方をちらちら窺っては「くふっ」だのと怪しい声をあげている。アルベドが何をしたいのか、残念ながらアインズには分からない。

 

 抜けるような青空の下、日が頭上近くまで上り、明るい日差しに世界が輝いている。宝石とは違う、その一瞬その一瞬しか保たれない生命の発露がここにある。――水滴を抱いてつやつやと光る野の草に、涼しい木陰を提供してくれる緑も豊かな木々、粗末ながら統一されたデザインが美しい村の風景。デジタルは、DMMOは、現実を制限された範囲でリアルらしく映しただけでしかなかった。アインズたちは、本物に似せた絵を見て満足していただけだったのだ……。

 湿った土の発する匂い、不快ではない麦の緑臭さ、人々の生活臭、そして焼き立てのパンの甘い匂い。アインズはしばしそれらに浸った。目を喜ばす美しい風景、鼻をくすぐる優しい匂い。ああ、外界とは本来こういうものなのだ。結論付け、アインズはほうと一つ嘆息した。

 

 かつて、フランスの田舎の風景はこのようであったらしい。外国なうえ動画でしか見たことのない風景だ、アインズにとって身近に感じられるものではなかったが、長閑で美しい風景だと感じたことは確かだ。アインズにはこれが小麦なのか大麦なのかの区別は着かないけれど、とりあえず畑には麦が植わっている。小鳥の歌と風の音、村の男たちが掛け声をあげながらシャベルで墓穴を掘る音が少し遠くから聞こえる。

 今回の襲撃で村人が数十人死んだ。田舎の村だ、働き手が一人二人欠けるだけでも大変だろうに、老若男女なくこれほど殺されては復興には時間がかかるに違いない――アインズには関係のないことだが。

 いまここに子供の姿はない。アインズの命令に従う善い人食い蛇と紹介したためか、村人たちがアッバルに忌避感を持った様子はないが、人の腕が口を出入りする光景は目に楽しい物ではなかったようだ。十分ほど前、アッバルに興味を示す子供を親や他の大人が引き留め、墓に供える花を摘んでこいと近くの野原へ追いやってしまった。

 

 アインズは墓を掘る者たちに近づいた。墓穴を掘るシャベルは木製で、先端に金属がついているようでもない。一から十まで木で作られたそれだ。彼らは慣れた様子でそれを地面に差し込んでは土を掘るが、金属製のシャベルとの機能の差はアインズの目にも明白だ。

 

 掘り返されて強まる土の匂いはしっとりとし、こんもりと積まれていく土の山からは虫や細長い軟体の生き物が顔を覗かせる。何故だろう、土の匂いなど初めて嗅ぐはずなのに、アインズの胸に郷愁の念が湧き上がる。目の裏、耳の奥に流れる、知らないはずの「田舎」。もう引退したはずの名誉会長やら重役やらが、邪魔でしかないのに会社に現れては、社員の耳にタコが出来るほど何度となく語っていた思い出の風景……。

 

 夏は田舎の祖父母の家に泊まり、近くの川で潜ったもんだ。そんとき沢蟹を捕まえて茹でて食ったんだが、周りはみんな掌くらいのでかいのを捕まえてるのに、俺だけその半分くらいの小さいものしか捕まえられなかったから泣いて暴れた覚えがある。子供で、まあ普段は都市部にいるからな、いつも川遊びしていた従兄弟たちに勝てるわけもなかったんだが。……ああ、川魚も旨かったな。ひい祖父さんから祖父さんが習ったという網を打つ様は本当に見事なもんで、祖父さんが網を打つ度に俺たちは歓声を上げたよ。川原で焼いて食べる魚の味の素晴らしさは表現できん。確か鮎だったかな。

 川も良いがうちの田舎は山だったから、山についてなら思い出がある。田舎の従兄に誘われて入った山で、従兄が足を止めて俺に止まれと手を振ったんだ。何かなと思ったら、従兄の指差す方には猪がいて、小川の水を飲んでたんだよ。遠目だったから子細は見えなかったが、木漏れ日がこう真っ直ぐ猪に射し込んでてな、幻想的とはああいうことを言うんだなと幼心に思った。それから従兄と一緒に息を潜めて、ゆっくり山を降りたんだ。夜には親父と二人で森に入ったな。昼間に塗りつけておいた蜂蜜にカブトムシやなんやが集まっているのをエイヤと網で捕まえて、盆開けには友人連中に見せびらかしたものだよ。

 そうだそうだ、どんどん自然が失われていっている時代だったから、大人もテレビゲームとかをさせるより、自然での遊びをさせようとしたんだよな。懐かしい。俺の田舎は農家だった。放し飼いだが鶏も飼っててな、俺は蝉の羽をむしっては鶏にやった。あいつら、蝉が好物なもんで、そうすると甘えた声でコココーって鳴きながらすり寄ってくるんだ。それがあんまり可愛いんで、張り切って何匹も捕まえては与えたもんだ。そのうち俺が美味い餌くれるって学んだらしくて、俺が祖父さんちの玄関を出るとワラワラ集まってくるようになったんだよ。鶏引き連れて行進なんてこと、クラスでは俺以外に経験のある奴はいなかった。

 うちは――おれのところは――近所の牧場で――老人たちの話は、社員らなど忘れた様子で広がっていったものだった。

 

 自慢話かよ、とアインズは何度となく毒づいたことがある。他の社員たちも羨ましそうに唇を尖らせて、しかし既にタコができた耳をそばだてていた。アインズ――鈴木悟の世代では経験し得ぬ自然を全身で受け止められた年寄りたちの思い出話が、憎くないはずがなかった。羨ましく思わないはずもなかった。だが、聞きたくないわけもなかった。年寄りたちの話を、各々が理想の自然像を想い描く手段としていた。

 屋外で野球に、サッカーに、ラグビーに打ち込む楽しさなど知らない。胸に爽やかな朝の空気を取り込む気持ち良さなど、剥き出しの地面の上を全力で走る楽しさなど知らない。森のしんしんと冷えた空気も、木漏れ日を反射してキラキラと輝く小川のせせらぎも、大樹の北側半分に繁る苔のひんやりと濡れた感触も知らない。川の中から見上げる青空も、裸足で川原を歩く感触も、川底の石を持ち上げて生き物を探す楽しさも……全ては失われて久しく、いまや人類は屋外では生きていけない。アインズは知らなかった。自然とはかくあるものなのだと知らなかった。知らないけれど、想い描いていた。――そして、自然は鈴木悟の予想など遥かに超えて美しかった。穢してはならないと、一歩踏み出すのを躊躇するほどに。

 

 一歩踏み出して見回せば、ここは宝石箱。いや、宝石箱どころではない。万華鏡だ、一瞬一瞬が美しい絵画だ。永久に保存することなどできない砂絵だ。人智を越えた美しい何かだ。

 今、ここにブルー・プラネットがいたならば、彼は瞬きなどできぬと目を見開いて、全てを網膜に焼き付けようとしたに違いない。彼こそこの世界へ来たかったに違いない。しかし異世界転移を果たしたのはブルー・プラネットではなくモモンガ……アインズだった。アインズにはそれが少し悲しく、しかし嬉しく感じられた。

 

 村長がアインズを呼ぶ声がする。村長は村の中心から少し離れた墓地にアインズの姿を認めると、お待たせしていてすみません、どうぞ我が家の中でお休みください、と彼の家へアインズを誘った。アインズはそれに鷹揚に頷きを返し、村長の案内に従う。アッバルがアルベドに赤子のようにあやされているのを見たが、見なかったことにしてアルベドに命令を下す。

 

「アルベドよ、アッバルさんを……そうだな、村の子供たちが帰ってきたら一緒に遊ばせてやってくれ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 そして今度はアッバルに〈伝言〉を繋ぐ。

 

『アッバルさん。アッバルさんには村の子供たちからこの世界の情報を引き出して貰いたいのですが、頼めますか?』

『もちろんですとも。このプリティーでキュートな私にかかれば子供たちなんてメロメロのメロウですよ』

『例えがいまいち良く分かりませんが、ではお願いしますね』

 

 胸を張るアッバルだが、結果を見るまでは彼女の得意分野であるか分からない。アッバルは社会に出ていないため年齢の割りに子供っぽいところがあるし、もしかすると子供同士で仲良くなれるかもしれない……今のところ、それは理想に過ぎないが。

 

 

 葬儀のために村長の家を出たアインズが見たのは、村の腕白小僧に抱えられたアッバルの姿だった。五歳くらいの少女が次は私の番だと小僧の腕を引いている。アインズよりよほど村に溶け込んでいるようだ……子供の輪に加えさせたのは正解だったらしい。

 蜥蜴ならば尾に当たる部分を撫でられては右へ左へ尾を振るため、アインズには何が楽しいのかいまいち分からないが、子供たちは楽しそうに歓声を上げている。――つい数時間前に恐ろしい襲撃があったのだ、子供が笑顔を取り戻せたのは良かった。たとえ親や兄弟が死んでしまったとしても、笑顔を忘れなければいつか乗り越えられる。鈴木悟としての実感だ。

 

 死者たちは神の御元へ召し上げられ、安らかに死後の世界で暮らすであろう、という死者への葬送を終え、先程の話の続きを聞くため村長の家へ戻ろうと踵を返したアインズの視界に、アルベドかアインズの殺した騎士の死体を囲み、斧を振り上げては騎士の肩辺りを切り落とそうとする遊び……ではないだろう何かをしている子供たちの姿が映った。アッバルはどこかと言えば、その子供の円から外れた場所で、五歳くらいの少女に抱き抱えられ子守唄を聴かされている。

 

「うー、切れない……」

「ファイトだよ! バルちゃんのご飯なんだからね」

「悪い奴はバルちゃんに食べてもらわないとなんだよ」

 

 アインズは頭痛がするような思いで〈伝言〉を飛ばす。

 

『アッバルさん、何してるんですか……』

『無実です、冤罪です! 私なにも言ってませんし頼んでませんし!』

『……うたがわしい』

『善い人食い蛇ってことは悪い奴を食べちゃう蛇さんなんだね、とある子が言い出したんです。それで妙に行動力のある子供が薪割り用の斧を持ってきてしまい……ね、私悪くないでしょ!?』

 

 アッバルの声は沈んでいる。怒られると思ったためだろう。……ないはずの脳味噌がキリキリ痛む心地がして、アインズは目の付け根に当たる部分に指先を添えた。仮面を着けているうえ元々筋肉も皮もないので揉むことはできないが、気持ちだけでも揉みたくなったのだ。アッバルは悪くない、子供も悪くない。子供の純粋さが引き起こした不幸な事故だ。――子供の歓声があがる。どうやら無事に切り落とせたようだ。

 

 ああ、手の中が寂しい……。そう思いつつ手を握ったり開いたりすると突如その願望が消える。沈静化したらしい。色々なことがままならないと、アインズは小さく項垂れたのだった。



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九話

 戦士長ガゼフ・ストロノーフを名乗る男とアインズが自己紹介しあっている中、アッバルは大人たちが子供を守るため作った円陣の内部、子供の腕の中にいた。

 

「うう……お腹すいた……」

「バルちゃんシーだよ、シー!」

「うん……」

 

 欲が中途半端に満たされたアッバルは肉に飢え、腹の虫がギーコギーコと下手なヴァイオリンを奏でている。二本目の腕をもらう前ももらった後も、騎士の死体をじっと見つめてぼんやりしていることが頻繁にあった。今のアッバルには足りなかったのだ。

 肉が、胴体が欲しい、もし胴体が駄目なら腕が欲しい。腕も駄目なら指で我慢する。もし指も駄目だと言うならば干し肉や塩漬け肉でも良い。肉が欲しい。そうしたら……そうなれば、ずっと口に含んでいよう。口に何か含んでさえいれば我慢できるかもしれないから。このぐつぐつと煮えたぎるような食欲を、脳味噌を騙せるだろう。アッバルの口は乾上がっていく。

 干し肉や塩漬け肉というものは新鮮さこそないものの、味が凝縮されジューシーで独特の歯応えがあり、持ち運びに良いためいつでもどこでも食べられるという長所がある。アッバルはスパイスを練り込んだものが特に好きだ。ここで、アッバルは喉の乾きに気付いた。普段の彼女ならビールを求めただろう。がぶ飲みしたいわけではないからキルシュビールあたりか。フルーティで呑みやすく、ゆっくり呑むのにぴったりなビールだ。細く背の高いビールグラスをちびちびと傾けてつまむザワークラウトやサラミは最高である。

 

 アッバルは酒が好きだ。つまみも好きだ。未成年の頃から既にグリューワインやホットビールを風邪薬と称してガブガブ呑んでいたし、父親のちょっと高いカマンベール入りチーズたらをかっぱらっては食べていた。元々彼女は飲食物に関してはかなり五月蝿いタイプの人間だった。しかし、今の彼女はそんな嗜好など忘れ、ただひたすら求めていた。喰らい尽くしてもかまわない人間(もの)を、肉を、と。

 アインズとアルベドの積み上げた騎士たちの死体はとうの昔にナザリックに送られ、コキュートスの元で冷凍保存されている。始めこそアッバル自身も楽しく子供と遊んでいたが、次第にそれも疲れてしまった――体力ではなく精神的な疲れだ。アッバルは中途半端な量がゆえの食事に対する飢餓感と、子供の遊び相手という慣れない仕事による疲労感に苛まれていた。やっとナザリックに帰ることが出来ると思った矢先の襲撃、もといガゼフ・ストロノーフの来訪だ。全く美味しそうな名前ではないか、肉料理を思い出す。

 

 だんだんと、疲れつつも世話を見ていた子供たちが美味しそうな肉の塊に見えてくる。まだ乳臭い餓鬼の柔らかい肉が腕の下に、腹の前に、無防備に……無邪気に、回されている。アッバルの思考が乱れ始める。これは肉だ、いや違う、子供だ。アインズが交流しつつ情報を手に入れるようにと言った、食べてはいけないものだ。

 アッバルの本能は仕方がない。本人は気付いていないものの、バジリスクの肉体は食い溜めを求めていた。養分を、肉を摂取せよと本能が叫んでいるのだ。腕を二本食べたではないか?――否。バジリクスの胃袋にとって、あれは間食でしかない。元々アッバルは食べることが好きな性分。本能はその食欲を猛烈に強調し、食いまくれと囁いている。背中に当たるその柔らかい感触はなんだ、腹に回るその柔らかい感触はなんだ、鼻をくすぐる甘い匂いはなんの匂いだ?

 だいぶ西に傾いた太陽は朱く世界を染める。常であれば赤に染まった自然に感動し、震えていたであろうアッバルだが、その赤を血の赤と見た。肉を焼く炎の赤と見た。真っ赤な炎の玉が空に浮かんで、肉を焼こうと赤色光線を振り撒いている。思考が千々に乱れる。さっき何を考えていたんだっけな。

 

 それからどれほどの時間が過ぎたのか。室内へ移動してしばらくじっとしていたと思えば、突然少年――アッバルを抱えた子供だ――が走り、体が激しく上下に揺られた。アッバルは慌てて腹に回された肉にしがみつく。何があってもこの肉は手放さないとばかりにぎゅうぎゅうと。

 

「アインズ様のおじちゃん!」

「……ああ、なんだね」

 

 不思議な呼ばれ方に戸惑ったのか、一拍おいた応えが返された。アッバルはただひたすら肉にしがみつく。この肉は私のものだ。

 

「バルちゃんさっきから元気ないんだ。お腹すいてるんじゃないかな、ご飯あげてくれる?」

「ほう。教えに来てくれたのか、良い子だ」

 

 アインズが子供の頭を撫でれば、子供の口から照れた笑い声があがる。その間アインズからアッバルへ〈伝言〉が入るも、彼女にはそれが何なのかも、言われている言葉の意味も分からない。ただ考えるのは、食べなくてはということ、それだけだった。

 

『アッバルさん、アッバルさーん。あれ、アッバルさんどうしたんですか? 返事してください、アッバルさん。なんなんだ一体……アッバルさん! 返事をしてください! こういう時に限って面倒事がバッティングするんだよな。……本当に空腹なのか? 空腹ってだけでこうなるとは思えないけど……アッバルさん、返事をして下さい。後で幾らでも食べさせてあげますから』

『……食べ? 食べ物?』

『嘘だろ、本当に空腹が原因かよ』

『あ、モモンガさんどうしたんですか?』

『いえ……』

 

 空腹でぼんやりしていただけかと安堵しかけたアインズだったが、先ほどのアッバルの様子は尋常ではない。もしや、ただの空腹ではないのではなかろうか。本能や種族としての特性に関わる何かがあるのではないか。アンデッドになったアインズが眠気も食欲もなくなったように、暴食のようなバッドステータスがあってもおかしくない。

 

「アインズ様のおじちゃん?」

「……いや、なんでもないとも。ほら、アッバルさん、私の手に」

 

 もぞもぞとアインズの手の中に移動したアッバルを無意識のうちに揉みながら、アインズは顎に指を添え考えに没頭する。――目の前に獲物(こども)がいて、またその獲物を捕えるのは簡単。肉は柔らかいし骨も軟らかく消化しやすいだろう。今すぐ少年に飛びかかってもおかしくないほどに本能は栄養を求めている。だが、アッバルは大人しい。圧倒的強者に握られているためだ。負の波動などなくとも、種族として彼女はアインズの足元を這う虫、逆らうなど馬鹿の所業だ。もしアインズとアッバルが同じ第五位階の魔法を放ったところで、悲しいかな、その威力は天と地。ミミズが象に挑むほど愚かと言える。

 それだけ種族差というものは大きいのだ。ホーンラビットがオーガに勝てるだろうか? いくら武装したところで、コボルトがドラゴンに勝てる確率は? 答えは「不可能」、試そうなどとは馬鹿の所業。勝率など計算する必要が無い。同様にして、ただのバジリスク、毒蛇から少しばかり階が上がっただけの種族は、旧支配者たるオーバーロードの前では無力。より本能の強まった状態である現在のアッバルがアインズに逆らうわけなどなかった。――デミウルゴスがアッバルを弱い癖にと考えたのも当然の話、本当に弱いのだ。そして、だからこそその勇気と優しさを称えた。

 

 何故これほどアッバルの本能が剥き出しになっているのだろう。きちんと原因があった――ナザリックと共に異世界へ転移したこの三日間に。

 一つ目の原因は環境の変化だ。ナザリック大地下墳墓の面々はアインズにとって、無表情なそれではあったが見慣れた顔。彼らの性格を知った時のショックも、例えば写真やテレビで見続けてきた芸能人の素を知った、程度のショックでしかない。しかしアッバルにとって彼らは全くの初対面、それも種族としてバジリスクは彼らの足元を這う程度――威圧されないわけがなかった。加え、既にコミュニティの形成された環境に飛び込む形になったことで自分の居場所のなさを感じる。よって、アッバルの安心できる場所はアインズの近くしかなかった。彼は保護者として振る舞っていたし、そういう雰囲気をアッバルの本能も感じ取っていた。だが、精神異常耐性を身に着けていないアッバルのストレスが煙のように消えてくれるわけでもない。彼女の中にはストレスが蓄積していた。

 二つ目はナザリックの温度だ。異常気象になる前、日本において蛇が冬眠するのは十一月頃。その一ヶ月ほど前から食い溜めを始め、養分を溜め込むのが通常だ。ナザリック大地下墳墓第五から第七階層を除く階層の室温は十度前後であり、この室温であれば、例えばアオダイショウなどはとっくに冬眠の用意をしているか、既に冬眠している。アッバルは一度冬眠しかけたため、その晩から「溶岩」にて睡眠を摂るようになったが、普段の生活圏内が寒過ぎた。一時的に「溶岩」の一角で暖められても、それ以上の時間を寒い場所で過ごす生活……この寒暖の差の大きさに蛇の本能が混乱した。冬眠すべきか? それともすべきではないのか?

 

 個としての命に関わる問題によって、本能は理性を上回る。命の存続のためには食べねばならない。食べることは強くなること、食べることは冬を乗り越えられること。

 

 ――そして。アッバルの理性は、恐怖に脂汗を流した騎士らを前に崩壊する。

 

 

 陽光聖典の騎士が放った礫を抱く鉄のスリングはアインズを掠ることがなかった。アルベドがそれを防いだためだ。スリングを当の騎士へ打ち返した彼女の技巧、転移かと見紛う速度を生み出した脚力、バルディッシュを振るう様子はまさに神速。アルベドが蹴った地面はまるで、植えたばかりで根づいていない芝生のように捲れている。あまりにもあっけなく、また当然のことのように行われたそれに、陽光聖典らは吐くはずの息を飲み込んだ。

 

 脳味噌を散らし死んだ仲間、その死因のあまりの荒唐無稽さが信じられず、ニグンは監視の権天使をアインズに向かわせ、ようとした。

 

 ――アルベドはアインズへの攻撃を撥ね返すとき、腕の中に抱えていたあるモノを放り出していた。それは八本足の蛇。長ずれば石化の魔眼を身に着け、歩けば毒の川を作るというバジリスク。その幼生、アッバルだ。

 アッバルは食糧を求めていた。漂う血の匂いにクラクラしていた。恐怖の汗の臭いに酔っていた。アッバルを捕えていた怖い物(アルベド)は彼女を放り出した。全てが彼女に囁いていた。さあ、ご飯の用意ができましたよ。

 

「ば、バジリスクッ!?」

 

 幼生とはいえバジリスクはバジリスク。単なる人間が勝てる存在ではない。バジリスクは騎士達が事前の用意を入念にし、鏡の盾とよく研がれた剣をもってこそ倒せる怪物なのだ。

 バジリスクは目を見開いて、騎士を――頭を砕かれた仲間を確認していた騎士を見つめた。石化はしない。幼いこれにそこまでの能力はまだない。だが麻痺状態に置くことは出来る。アッバルはユグラドシルにおいて麻痺耐性のない上位モンスターを麻痺させ、ちまちまと倒すプレイを好んでいた。ただの人間の動きを止めるなど造作もない。

 蛇は我が身と同じ直径のマウスを飲み込むことができる。自らの直径以上の動物も飲み込める。蛇の体は案外伸びる。

 

 蛇の口が開き、二人の騎士が消えた。一瞬のことだった。

 

「か、かかれぇぇぇぇ!!!!」

 

 監視の権天使がニグンの掠れた指示に従う。天使らは監視と呼ぶよりは襲撃と冠すべき姿だ。全身鎧にメイス、円盤型の盾、足先まで覆い隠す直垂――その持つ固有能力を知らなければ奇妙な名付けだが、監視の天使は視認する味方陣営の防御能力を上げる、言わば視界を武器とするバフ職。名付けに間違いはなかった。

 

 ――蛇に食われるのが先か、仮面の男に殺されるのが先か。陽光聖典の騎士等に与えられた選択肢はそれだけだった。幾人か半死半生で捕らえられたが、彼らを待つのが死であることに変わりはない。陽光聖典らとの戦いはユグラドシルでのゴブリン狩りよりは愉快ではあったが、その後アルベドの質問に気持ちの余裕をもって答えられるほど「つまらない」ものだった。

 五六人ほど食べたと思えばスイッチが切れるように寝入ってしまった腕の中のアッバルを見下ろし、アインズはこの暴食の蛇(バキュームカー)をどうすべきか考える。人肉に理性を失う種族特性ではない、それならばカルネ村で暴走していたはずだ。ナザリックでの食事が足りなかったわけでもない、お代わりは自由だったのだから。原因が何なのか……本人が起きてから共に検証しようと決め、アインズはアッバルをアルベドへ渡す。

 

「くふーっ! そうよね、子供の面倒は妻がみるのよ……」

 

 何故か悶え始めたアルベドを見なかったことにして、アインズは村へ歩きだす。地平線の向こうへ沈んだ日光が雲に忘れ香のように射し、朱色の雲がぼんやりと西の空に浮かんでいる。闇色の東の空には星々が輝き、東から西へ、西から東へと視線を走らせれば空には美しいグラデーションが重ねられている。

 空のカンヴァスは忙しいようだ、見る間に闇色が西の空を侵食して行く。――そして、闇になった。

 

 村の灯りはもう近い。



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十話(改)

 ナザリックへ戻っておよそ一日――アインズが自らの改名を下僕らに宣言してから半日が過ぎただろうか、いまだアッバルは猫ちぐらに寝かされ第七階層にて夢の中だ。よほど消耗していたらしく起きる様子のないアッバルとは彼女が目覚めてから話すとして、今のうちにナザリックのブレーンたちと意見を出し合うことくらいはしても問題あるまい。アインズは執務室へアルベドとデミウルゴスを呼び、彼らへ意見を求めた。アッバルが暴走したことの原因について何か思い付くところはないか、と。デミウルゴスは「実際にその場を見ていたアルベドの意見を先に聞きたい」とアルベドに先を譲り、アルベドは少し首を傾げて顎に手を添え考える様子を見せた後、こう言った。

 

「なんらかの生存本能への刺激があったのかもしれません。例えば飢餓、生命の危機など……」

 

 カルネ村の粗末な家にいたときからアッバルの様子がおかしかったことを思い出す。アインズの〈伝言〉が聞こえていないわけでもなかったのに返事が無く、ぼんやりしていた。あれは暴走の兆候だったのか? カルネ村で生存本能への刺激があったとしても、それが何だったのか分らず、アインズはううむと額に指先を添える。そこにデミウルゴスが口を開いた。

 

「生存本能への刺激なら常に感じているでしょう。なにせオーバーロードたるアインズ様が傍についておられるのです、ただのバジリスクでは生命の危機を感じるでしょうね」

「えっ」

「アインズ様、いかがなさいましたか?」

「いや、なんでもない」

 

 まさか自分が原因なのか。アルベドがおずおずといった様子でこちらを見やったのに手を振って応え、アインズは唸る。デミウルゴスの言う通りかもしれない。アインズはバジリスクという種の弱さを忘れていたのではないか? 何せ、バジリスクスという種は終点に選ぶには弱すぎる下級の種族だ。それに加え、アッバルは種族レベルよりも錬金術師や薬師、採掘師レベルなどの職業レベルで100レベルへ至った生産職系戦闘員。ユグラドシル黄金期ならばトップランカーらに鼻息で飛ばされるほど弱い。

 アッバルとアインズの差を例えるなら、レベル1の勇者とラスボスの魔王を操っていた魔神の間に横たわる強さの差と同程度……青銅のナイフ、皮の胸当てでドラゴンに挑む村の薬師とその相手をする何千年を生きたドラゴンでも良い。単なる村の薬師がドラゴンと同じ室内でリラックスできるだろうか? 気絶して弛緩することならあろうとも、リラックスするのは無理だろう。

 

「デミウルゴス。アッバルさんが恐怖する対象は私だけと思うか?」

「いえ……アインズ様はもちろんのこと、我々守護者やセバスやプレイアデスが相手でも恐怖を感じていると思われます。なにしろアッバル様はバジリスクの幼生、まだまだ弱い生き物です。赤ん坊に本気になるような大人のつもりはありませんが、アッバル様が我々に威圧感を覚えてしまうのはどうしようもないかと」

「では次はアルベドに訊ねよう。これを解決するにはお前ならどうする?」

「アインズ様のお望みの通り、アッバル様を強く育てることで解決いたしますわ。そう、そして私こそがアインズ様の妻に相応しいと証明してみせます。ご期待下さいませ、アインズ様。私、必ずアッバル様を強く、美しく、私のような淑女に育て上げます!」

「あ、はい」

 

 答えになっていない気がするのはアインズの気のせいだろうか。強く育てろなんて言ったっけ? 妻ってどういうことだ?

 

「しかし、恐怖か……弱者が強者に威圧感を覚えるというのは、なるほど生命の危機と考えうるな。他に何か生命の危機を感じる原因となりそうなものはあるか?」

「一つ、可能性として思い付くものがございます」

「ほう……答えよ、デミウルゴス」

「はい。アッバル様をアインズ様がナザリックへ連れて来られました次の日、アッバル様は冬眠されそうになりました。冬眠する獣は食い溜めをするもの……食い溜めせねば冬眠が永眠に変わります。アッバル様の本能は冬眠の準備をしようとしたのではないでしょうか」

 

 言われてみればなるほど、ありえそうだ。アンデッドたるアインズには室温など問題ではないし、そのように創られている守護者らが温度変化について苦言を呈するはずもない。よって、実に残念なことだが、このナザリックにおいて室温の低さが問題となるのはアッバルのみである。

 寝ている間アッバルを「溶岩」に連れて行っていたのも事態の発覚を遅らせた要因だ。寒さによる体調不良だというのに、目が覚めたら快調に戻っていたことで「まだこの体に慣れていないから疲れてしまったんだ」と彼女に勘違いさせてしまったのだ。アッバルを色々な不安から保護しようと考えたアインズは、自分が対処すれば問題ないだろうと冬眠のことを黙っていた――彼女へ伝えていれば事態は変わっていただろうが、本人はそのことに気づいていない。

 

「彼女には人型をとってもらった方が良さそうだな」

 

 人の形であれば防寒対策は容易いし、蛇の体ほど寒さに弱くもない。そう考えを口にしたアインズだが、いや、とまた口を開く。

 

「アッバルさんは人型だと目と口がないんだった……」

 

 ゴマ鼻とノーマル耳はあるが、目と口という重要な部分が欠けている。会話については〈伝言〉を使えば解決するとはいえ、視界が利かないというのがかなり不便であろうことは想像に易い。他のとりうる手段を考えもせず、本人にとってかなりストレスに感じるだろうことを強要するのはいけない。クライアントの無茶な要望、少なすぎる予算、押し付けるばかりで何もしない上司……。うっ、頭が! と思ったところで鎮静効果。

 アッバルにとって良い方策は何だろう、そう考え、アインズは物理的にこのナザリックから離れさせる案を思い付いた。そうとも、外へ連れだしてやれば良いのだ。冷え冷えとした墓地の地下深くと比べれば外は暖かいし、陽光聖典の騎士らから引き出した情報によればバジリスクを威圧する生き物などそういないようだ。アインズはもちろんアッバルはユグドラシルのプレイヤー、未知に尻込みするような性格はしていない。そう考えれば考えるほど良い案と思えてきて、アインズは心の中で自らの良案に拍手した。

 強者の威圧に対する耐性がつくまで、彼女をナザリックから離れさせるべきだ。そうだ、アインズとアッバルであっちこっちなんて良い案じゃあないか? アッバルもアインズ一人ならゆっくりと耐性をつけられるだろうし、視界はアインズが補助してやれば良い。人気のない場所でならバジリスクに戻ってもらって、二人で景色を楽しむなんてことだって出来るだろう。ユグラドシルではできなかった、チームを組んで共にギルドのランクを上げていくような楽しみも可能だ。始めは銅ランクとかFランクで、次第に金ランクとかSランクになるのだ。なんとも楽しそうではないか。それに加えてアインズ自身の目でこの世界を知ることができる。一石二鳥ならぬ三鳥、四鳥五鳥だ。

 

「二人とも礼を言う。あとは私とアッバルさんの話し合いになるからな……彼女が起きるまで他のことをしていようと思う」

「畏まりました。また御用がございましたら何時でも呼びつけてくださいませ」

「アインズ様のお役に立つことこそ我々の存在価値です」

 

 二人が一礼して去る背中に右手をヒラヒラ振りながら見送り、自分一人となった執務室にアインズのハァァと長い溜め息が響く。背もたれを背中が滑り、あまり姿勢が良いとは言えない体勢になる。はっきり言ってアインズ――モモンガも、守護者たちには威圧をビシバシと感じている。下手を打って彼らに裏切られたらと思うと無いはずの心臓が縮むし、裏切られる・裏切られないを別にしても彼らを失望させるのではないか不安がいつもつきまとう。

 彼らを伴わず外へ行く体の良い言い訳にアッバルを使おうと考える自分のいやらしさには溜め息しかない。

 

 アインズは分かっていた。この見知らぬ世界を冒険して回りたいという自分の本音を知っていた。だがそれには守護者らNPCがいると不都合なのだ……異形種が故に人間を見下した態度をとる者ばかりであるという点と、彼らが我が子のような存在でもあるが部下でもあるという点が。人を見下すなよ、勝手に食べるなよと宥めながら好き勝手な冒険ができるか? 無理だ。威厳を見せるべき相手を連れながら気楽に騒げるか? 無理だ。世の中のパパが子供の前でビールをガバガバ呑んで正体を失くしても平気なのは、子供から裏切られる心配がないからだ。「理想の父親像を裏切った父さんには死の鉄槌を下す!」と包丁を振り回し銃を乱射するような、色々な意味で危ない子供などそうおるまい。

 この世界の視察がてらガス抜きしても良いじゃないか、なにせアンデッドに睡眠はなく、夢の世界に逃避することすら許されないのだ。ちょっとの間くらいここを離れて何が悪い……もちろんナザリックを捨てるつもりなど毛頭ないのだが、NPCらから寄せられる期待が重すぎて辛い。アインズはよくあるRPGのラスボス大魔王ではない、日々の仕事に体を酷使するただのサラリーマンなのだ。悪のカリスマを持ち合わせてはいないし、数多くの部下を抱えた経験もない。上司として正しい振る舞いとはどの様なものなのかも分からない。

 

 アインズからすれば、NPCらは我が子のような部下で、裏切られるとかなり手痛い相手。アッバルは同郷の仲間ながら保護対象で、強さやその他色々な要素からアインズを裏切ることはまずない女の子。どちらといる方がより気楽かなど幼稚園児でも分かる。頭が良く、躾られたドーベルマンは従順だろう。だがもし何かあって攻撃されれば……噛まれ所が悪いと火葬場行きだ。ハムスターは可愛いこと以外に役に立つ点はないが、これと言った害にもならない。噛みつかれたら痛いどころではないドーベルマンではなく、可愛いハムちゃんを連れて旅行したいと思っても仕方ないではないか。

 

 

 そんな妄想を膨らましたアインズだったが、悲しいかな、現実は無情であった。至高の御方として称えられ尊ばれるアインズと、ナザリックの基準では弱過ぎて外へ出すのも怖いアッバルの二人旅など守護者らが許すはずもなかった。もちろんアインズの強さを心配してのことではない、アインズの強さについて彼らは過大とも言える評価をしている。ただ、身の回りの世話を全てメイドや守護者らに任せるべき存在であるアインズに供をつけないなど言語道断、ましてや守護者らでは踏み潰してしまいかねないほど弱いアッバルを抱えて冒険など……と、彼の世話をすべき随行がいないうえアッバルという荷物を抱えていることを心配しているのだ。下僕としてアインズを信頼しているからと言って、アインズを心配しないこととイコールになるわけではない。

 アインズと守護者らの攻防……綱引きと言った方がより正しいか、綱引きは守護者らの勝利で決まった。アインズとアッバルの二人旅にメイドを一人随行させることになったのだ。プレアデスから選ぶとは言っても、ユリはメイドらの取りまとめ役であるため除外、ルプスレギナは頭の出来からボロを出しやすいと除外、シズは存在そのものがここの世界観に合わないため除外、ソリュシャンは魔法を使えないため残念ながら除外、エントマは魔法とかそういったこと以前の問題で除外。なんと、連れて行けるメイドにはナーベラル以外の選択肢が無かった。よって拝親子……否、プレイヤー二人の旅に、冷涼な美貌の女が一人付属することが決まった。この旅には復讐すべき柳生一家などいないが。

 

 そのあと。実に二日も夢の世界でゆったり休んだアッバルが目覚めるや脱皮したり、脱皮に際して目が白濁していたことにアインズが悲鳴を上げたり……色々あった。色々なことに驚いたり楽しんだり、まるで遠足の前の晩のようだった。これから夢膨らむ日々が始まるとアインズは信じていた。

 まさか本当にハムスターを連れ歩くことになること、そしてそのせいで恥ずかしい思いをすることなど、アインズはこのとき予想すらしていなかったのだ。

 

 

 

~一巻の終わり~




 後書き。

 来週の予定じゃなかったのかって? 前倒しって素敵な言葉ですよね(目逸らし)研修先でまさかの再会がありましてテンションが上がったのも原因ですが、そういえば次の月曜日ってシルバーウィークだから休日じゃないか、よーし休みはあとで取れば平気さ、風邪引いたけど(頻繁に風邪を引くスタイル)というのも原因です。

 さてさて一巻が終わりました。一巻の終わりって言うことですし、誰が死んだんでしょうね。陽光聖典でしょうか。きっちり一巻の終わりあたりで一巻の終わりになりましたから。
 二巻以降は、ぶっちゃけ、妄想はありますが構想がふにゃふにゃです。悲しいけどこれ、まだ妄想なのよね。お待たせせずにお届けできれば良いのですが……。

 拙作について、こちらの感想欄やPixiv様にて感想や評価、スタンプを頂きました。とても嬉しく、またやる気が出ました。こちらでも改めてお礼を申し上げます。
 拙作、最初は短編で終わらせる予定でした。後は自分の脳内妄想で充分だっちゃ、と考えていたので。ですが感想でちらっと妄想を吐き出してみたら「書けるじゃないですかヤダー」なんて、つまり「YOU書いてみなYO! ME楽しみにしてるYO!」ってことですよね。勝手な脳内補正ですが。

二巻以降はいや本当にまだ妄想しかないので遅くなっても怒らないでください。二巻以降の妄想を活動報告にて吐き出していますので、気になる方はどうぞ活報へ。


追記:うっかり加筆修正前のを載せてしまいました。すみません!分かりやすいよう(改)としております。


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How about アッバル(設定)

イメージ画像

 

【挿絵表示】

 

 

名前:アッバル。名前の由来は蠅関係。

 

年齢:20歳

 

性格:普通の人間関係を結ぶ際は善人(客観的に見た場合)。利己的な面があり、ある意味ではとても人間らしい性格をしている。社会に出ていないため子供っぽいところがあるが、他者を不愉快にさせず「微笑ましい」・「あー、若いなぁ」と思われるタイプ。

 

経験:社会経験皆無。大学に通える裕福な家庭に育った。兄と姉がいる。父親は自然学者であり、ごくわずかに残った自然の保護や研究のため自宅と各地を行ったり来たりしている。その父親にくっついて自然を見ているため、地球に残された自然と異世界に溢れた自然の差に感動。異世界転移での最高のプレゼントはこの世界の自然だと考え、間接的に世界を手に入れるため、ギルド・アインズ・ウール・ゴウンが世界を統一することに心から応援している。でも世界征服とか面倒くさいことはナザリックの皆にお任せのつもり……しかしそうは問屋が卸さず、夢はでっかくエンシェント計画もあって彼女も色々なことに巻き込まれていくのであった。

 

 

モモンガ(アインズ)から見たアッバルさん

 守るべき年下の女の子。同じく異世界転移をした仲間であるため、こっそり心の支えにしているところがある。アッバルやマーレたちの子供っぽいところを見るとほのぼのした気持ちになれるため、そんなすぐに大人になる必要はないだろうと思っている。

 揉むストレス解消ぬいぐるみだなんてそんな、別に思ってなんかいない(目逸らし)

蛇「やめろ」

 

メイドから見たアッバルさん

 モモンガの言葉「私と同じように扱え云々」から、アッバルは好きなようにお仕えして良いモモンガの身代わり人形と認識している。お世話されるのをアッバルが泣いて嫌がっても「子供の癇癪乙。あーはいはい良い子良い子」でスルー。一番質が悪い。

蛇「諸悪の根元はアインズさんだったのか」

 

守護者から見たアッバルさん

 弱い。弱いが、下僕らを守ろうと行動した良い子(支配者層の子供という意味で)。アインズをナザリックにあと最低でも百年は縛り付けてくれる杭。アインズがそのつもり(どのつもりなのかは各自の予想)ならば、自分達も積極的にアッバルを育ててやらねば! 夢はでっかくエンシェント!

蛇「どうしてそうなった」

 

アルベドから見たアッバルさん

 アインズから提示された試金石。アッバルを強く美しく育てることが出来ればアインズの嫁になれると信じており、さあ、グランギニョ……暴走の始まりだ状態。教育のつもりで虐待など異形種では良くあること。

蛇「なんでや」

 

カルネ村から見たアッバルさん

 足が八本! 人食ったぞこいつ! いやでもアインズ様が太鼓判押してるし大丈夫か。……柔らかい! 腹が柔らかい! これは癖になるぜ!

蛇「解せぬ」



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The dark warrior
一話


 物理的に一皮剥けたアッバルだがサイズが大きくなるということもなく、アインズの手にすっぽり収まる適度な腹回りのままだ。とはいえ、冬眠に備えて腹一杯食べたお陰で肉がみっちりと詰まり、感触がビーズクッションからエアーベッドに進化してしまった。包み込むように柔らかいのと同時にちょっと硬い……。だが、そんなバジリスク形態もしばらくはお休みとなる。人間の姿でなければ人の街に入れないためだ。

 

 ナザリックを発つ前から分かっていたことだが、全身鎧のアインズに、顔を隠した視界が利かず口も聞けない少女、それに付き従う冷徹な雰囲気を漂わせる女はどこから見ても変な三人組でしかない。よってアインズとアッバルの協議により彼らのバックグラウンドストーリーが作られた――モモン兄とバァル妹の兄妹愛の物語だ。

 ある遠い国の領主の子として育ったモモン兄とバァル妹は幼い頃から探検が好きで、遺跡やらモンスターの出る森やらを二人で冒険するのを好んでいた。あるとき二人は遺跡に隠し階段を見つけ、冒険に飢えていた彼らは喜び勇んでそこへ入り込んだ。しかしそこには古代の呪いが残されており、バァル妹はモモン兄を庇って受けたその呪いにより声と視力、顔を失う。モモン兄はバァル妹の呪いを解く方法を見つけるため、戦闘面でも頼れるメイドと共に旅に出た。それを追いかけてきたバァル妹も加わり、三人の放浪の旅は今や数年目……。

 こんな設定にしたのにはきちんと理由がある。この国について知識が薄くても納得されやすいこと、カゼフ・ストロノーフ程度で王国一と言われるようなこの国で今までモモンらの名前が売れていなかった言い訳となること、モモンだけがバァルの言いたいことを汲み取れる理由になること、モモンらが人前で食事しない説明になること、この国の魔法や歴史について調べる時に相手を納得させられる経歴であること、ナーベがバァルの世話を焼いたりモモンらを様付けで呼んでも身分上おかしくなく、またナーベに戦闘能力があっても他者に違和を感じさせないこと……等々。これら全てを叶える設定を考えた結果、少しばかり同情を誘う兄妹愛の物語になってしまったのだ。とはいえ、こんな設定を語り歩くつもりはない。ただ何かしら聞かれることがあった際にはこのストーリーを語るようにしよう、と決めただけだった。すぐに無意味に変わるとは二人とも思いもせず。

 

 

 いま、全身鎧の男と彼に比べて軽装だが仮面の少女、彼らに仕える美しい剣士らしき女の三人は周囲の注目という注目を集めていた。それも仕方ない、彼らは冒険者のパーティーとしては異色の組み合わせだったのだ。全身鎧は外形上から性別を窺うことは難しいが、鎧の上からでも分かるその厚い肉体に雄々しい雰囲気、無造作に見えて力強く礼節のある所作から男であろうと推察される。その手に引かれた少女は首を覆う程度の黒髪に黄みがかった肌をしており、部分鎧ながら男と同じデザインの装備を身につけている。上品な灰色をした外套の裾を肩に掛け短剣を腰にはいているが、争いに慣れた様子ではない。明らかに守られる側の子供だ。それは男との立ち位置にも現れており、男の左手と少女の右手が繋がれているのがその証明である。

 ――だが、彼女の一番の特徴はこれらではない。顔全てを覆う仮面だ。仮面は滑らかで白く、細い目に高い鼻梁を持った狐の顔が象られている。目尻に引かれた朱が色っぽい。

 

 実を言うとこの仮面、八年ほど前の夏にユグドラシルで行われた縁日の目玉企画だったじゃんけん大会の参加賞だった。逞しさも美しさも関係ない、ただ運でしか勝ち上がれないそれはなんと優勝するとNPCへ割り振れるポイントが50レベル貰えるという豪華さで、アインズ・ウール・ゴウンの面々ももちろん参加した。勝利を手にしたのは中堅鍛治ギルド所属のドワーフ、彼の幸運を皆羨ましがった。しかしそれも二年前までのこと、運営が新たに設定したイベントにより、誰でも50レベルを手に入れられるようになってしまった。当時既にユグドラシルは他のDMMO-RPGに順位を追われており、ユグドラシルの色々な物はだんだんと価値を下げていったのだ。時の流れは残酷である。

 閑話休題。そんな不思議な二人に付き従うように歩く二十かそこらの女は茶色の外套に長剣をはき、ピンと伸びた背筋が凛々しい。外套に隠された体格が果たして鍛えられたものなのかは外見からでは分からないが、鋭い目付きに雰囲気は戦闘慣れしていることを窺わせる。女も仮面の少女と同じく黒髪で、伸ばしたそれをポニーテールにしている。

 

 三人が三人とも銅のプレートを首に下げ、漏れ聞こえる会話に耳を傾ければ女の「モモン様のお言葉の通りに」だの「バァル様はお疲れではありませんか」だのという声……組み合わせの異色さ、女の態度、その他色々な要素が相まって彼らをより目立つグループにしていた。とはいえ、それは人混みの中に限られる。

 市が開かれ人で賑わう中央広場を抜け、ぱったりと人の減った通りを進んで少しすると、全身鎧の騎士――アインズは冒険者組合で聞いた通りの絵が描かれた看板を見つけた。盾を奥に配し剣と槍を交差させた絵が武器屋であれば、針と糸の絵は仕立屋、炎と鎚ならば鍛治屋だ。アインズが組合の受付で教えられた武装した馬の絵の店、ここは冒険者ご用達の飯屋兼宿屋だという。

 

 店に入った瞬間むわりと漂う酒と食べ物の臭いに、鼻の利くアッバルが呻く声がアインズの背中に届く。薄暗い店内は陰鬱そのもので、掃除の行き届いていない様子は一目見ればお察しだ。何脚も並ぶ丸テーブルは使い込まれて表面が傷だらけ、それを囲む男らの腕や顔も古傷だらけ。それも顔ばかりでなく脛にも傷がありそうな風体の者ばかりだ。ナーベラルはアッバルに断りを入れるや彼女をひょいと抱き上げる。アッバルは視界が利かないため、何か汚いものでも踏んではいけないと思ってのことだ。

 大人しくナーベラルの腕の中に収まるアッバルを一瞥し、アインズは宿の主人であろう男と向き合う。宿か、とガラガラに渇いた濁声が男の口から吐き出される。

 

「そうだ。一泊、三人部屋を頼む」

 

 主人はアインズから視線をずらしてその後ろ、アッバルをじろじろと観察したのち、組合の対応はだから嫌なんだと毒づいた。

 

「止めな、ここはお嬢ちゃんみたいなのを連れて泊まるところじゃねえんだよ」

「ほう?」

「金持ちの道楽なのか知らんが、そんなのを連れて冒険者になるな。悪いことは言わねえからうちに帰れ」

 

 親切なのかそれとも嫌みか、アインズは男の表情を兜のスリット越しに見詰める。これは阿呆を見る目だ。可哀想な阿呆に、なけなしの親切心で助言しているつもりだ。つまり、アインズらはこの男に馬鹿にされているのだ。

 

「ご親切痛み入る……が、不要だ。この子は十分な実力を持つ我々専属の薬師であり、錬金術師。この子なくして我々の旅はありえない」

 

 主人がふんと鼻で笑う気配がした。

 

「錬金術師? その餓鬼が? まあいい、それであんたたちが納得してるならな。銅のプレートなら相部屋で銅貨五枚だ。飯はオートミールと野菜。肉が欲しいなら追加で一枚だ」

「できれば個室が良いのだが?」

 

 主人は傷だらけの眉間に皺を寄せ、アインズを馬鹿にした調子で訊ねる。この街に三軒ある冒険者ご用達の宿のうち、組合がアインズらにこの宿を勧めた理由が分かるか、と。アインズは教えてくれと即答する。こんな小汚ない……と表現するには汚すぎる宿を紹介する理由など分かる必要などあるのだろうか?

 そして、やはり理由などアインズらにとって重要なことではなかった。ここで仲間となる者を見つけるためだというが、こんな場所で探す必要などアインズらにはない。もし今以上の人数でパーティーを組む必要があるとしても、ナザリックから適当に人間の姿をしたNPCを連れて来れば良いだけのことだ。

 

 宿代を渡すべく丸テーブルの間を進む途中、行く手を邪魔せんばかりに足が出された。足の主はアインズの反応を気持ちの良くない薄笑いで待っている。誰も止めないどころか、鋭い視線でアインズの一挙一動を観察している者さえいる始末。彼らに値踏みされているのだ。当然であろう、個室を選んだということは彼らとかかわり合いになるつもりがないということ。仲間として協力し合う間柄にならないと公示したようなものだ。仲間であれば平和的に強さを測ったやもしれないが、ライバルにしかならない者が相手なら喧嘩を売るのが一番早い。彼のしたことはごく当たり前の行動と言える。……まあ、彼らの雰囲気からして、大部屋を選んでいても喧嘩を売られたかもしれないが。

 アインズはこの喧嘩を買う必要があった。喧嘩を避ければ弱者と見られる。それは胆力のことであり、武力のことでもある。アインズは男の足を軽く蹴りあげた。待ってましたと立ち上がり凄む男のプレートは鉄のそれだ。絡み方はなんとも下品、ナーベラルを一日貸し出せば許すという言葉にアインズの口から笑い声が漏れる。まるで世紀末を描いた漫画か何かのようだ。鶏冠か何かのような髪型をした男達が、男達の嫌がらせで粗相した哀れな給侍の少女に絡む。おうおう姉ちゃん、あんたのせいで服が汚れちまったじゃねえか。そうだな、お代はあんたの体で払ってもらおうかゲヘヘヘ。……誰が見ても雑魚のチンピラである。

 

 冒険者にボクシングのような重量制限があるわけでもなし、男は我が身・我が拳を武器とする前衛職、鍛えられた肉体は百キロを越えている。それを軽々持ち上げるなど人間相手なら普通は考えられない。――だが現実のこととして、男は悠々と全身鎧の騎士に摘まみ上げられていた。そしてそのまま軽く振り回される男。周囲の目は見開かれ、「嘘だろう」やら「あいつ人間かよ」という掠れた声を漏らす。全身鎧によって顔も何も分からないものの、若々しい声からしてまだ二十代から三十代前半であろう、そんな若さの男がどのようにしてその強さを手にしたのか。

 

 投げ飛ばされた男はとあるテーブルを巻き込んで床へ転がる。皿や瓶の割れる鋭い音、テーブルの脚が折れる音、そして女の悲痛な叫び声。それを無視して男の仲間とアインズの間で一応の和解が成立したところ、男の飛び込み先にいた女が声を荒げてアインズに詰め寄ってきた。飛んで来た(バカ)のせいでポーションの瓶が割れたから弁償しろ、と。弁償できるだけの金が男とその仲間にはないことなど明白で、女は彼らより懐が暖かいだろうアインズに弁償を求めた。

 アインズらにはたかだかポーション程度で騒ぐなど信じがたいことだが、この鉄プレート女冒険者には痛い出費であったらしい。食費やらなんやらを削ってやっとこさ手に入れたのだと煩い小犬のように噛みつく彼女の言葉に、アインズはむっとした。確かに投げる先を確かめなかったアインズも悪いかもしれないが、大切なものならばきちんと仕舞っておくべきではなかったのか。何が起きるかも分からない、こんな治安の悪そうな酒場でニヤニヤとポーションを眺めているこの女にも責任の一端はあるはずだ。

 しかし、アインズは発想を転換させる。武はさきほど示した。ならば知や慈悲を次に示してやるべきかもしれない。そうとも、今ほど示してやるにちょうど良い機会はあるまい。道具なしでのポーション生成は錬金術師が10レベルを越えなければできない――若い少女にしか見えないアッバルが熟練した錬金術師であることを見せつけるため、アインズは女へ物々交換を申し出た。

 

『アッバルさん』

『はい、どうしましたモモン兄さん』

『バァル、低級ポーションを錬成してくれ。ここの冒険者共に我々の力を見せつけてやらなければならない』

『了解です』

 

 呼び方がナザリックでのそれになっていたことに気づき、アインズは偽りの鼻腔を膨らませて深呼吸した。ここナザリックの外では、互いに呼び間違いのないように〈伝言〉の時から気を付けようと話したことを思い出す。

 

「ナーベ、バァルを」

「畏まりました、モモン様」

 

 ナーベラルがアッバルを床に下ろす。そのアッバルが掲げた右手にはアインズらユグドラシルの民ならば見慣れた小瓶、中に無色透明な液体……錬金術溶液を孕んでいる。冒険者らの視線が小瓶に集中したところでアインズが〈伝言〉で合図を送る。アッバルの手が青く輝くや小瓶の液体は紅色に変わり、周囲からどよめきが上がる。一体何が起きたのか、小瓶の中身が何なのか分からないといった様子だ。

 

「いつもながら流石だな、バァル」

「込める魔力の量、速さ、完成度共にお見事です、バァル様」

 

 アッバルはポーション使いだ。全100レベル中の七割近くを占める職業レベルの中でも錬金術師や狩人レベルなどを取得可能な15レベルまで極めており、クリスタルを溶かしたポーションを敵の攻撃可能範囲外から投げつけたり弓を射かけたりしてモンスターを倒す、というプレイスタイルを取っている。そのためポーションの消費は激しく、作成数に関してはユグドラシルサービス開始時からの生産職プレイヤーに勝るとも劣らぬほどだ。当然ながらポーションの作成に掛かる時間も一瞬である。

 アッバルから捧げられた美しい赤の液体をアインズはそのまま女に下げ渡す。

 

「お望みの治癒薬だ。これで問題はないな?」

「……ええ、これでひとまずは問題はないわ」

 

 アインズがそれを治癒薬と言った瞬間、冒険者らがざわついた。まさかこの一瞬で? いや嘘だろう、そんなわけあるまい。俺は薬草を磨り潰して作ると聞いたぞ。あれは本当に治癒薬なのか。

 そんな冒険者らなど知らぬげに、アインズは宿の主人に銀貨一枚と銅貨一枚を支払う。階段を三階までのぼってすぐ右横だという部屋の鍵を渡され、再びナーベラルに抱き上げられたアッバルを連れ彼は酒場を離れた。薬草でポーションを作るとはどういうことなのか、アッバルと相談するべきことはたくさんありそうだ。



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二話

 漆黒の剣の自己紹介が終わり、アインズが三人を代表して名乗る。

 

「こちらがナーベ、この子はバァル。そして私がモモンです。よろしくお願いします」

 

 互いに頭を下げあった漆黒の剣とアインズらだが、鎧に身を固めたアインズやいかにも戦士らしい佇まいのナーベラルと比べ、子供くさく緩い雰囲気のアッバルはやはり見劣りしてしまう。漆黒の剣メンバーの視線がアッバルに集まっていることに気づき、アインズは「ああ」とを上げて手をポンと叩いた。

 

「バァルは我々専属の錬金術師です。ポーションの作成などで私やナーベの支援をしてくれているのですよ。少々事情がありまして口が利けませんし仮面を外すことが出来ませんが、心優しくて良い子です」

 

 錬金術について詳しくない漆黒の剣らはなるほどと頷く。実はこの時、アインズの思惑から外れたところで、漆黒の剣がアインズらに対して下していた評価が急上昇していた。彼らは錬金術師の仕事について詳しいことを知るわけではないが、錬金術師がパーティーに入ることなど今までに聞いたことがなかった。この街には錬金術師が多いが、その誰も旅などしないし冒険者になってもいない。引き込もって研究することを良しとしている錬金術師がついて行きたいと思うほどの何かをアインズ――モモンが持っているのだろう。共にモンスターを倒すうちにその何かを知ることができるのではないだろうか、と。

 

「そうですか。仕事中に怪我などしたときポーションをお願いしても宜しいでしょうか?」

「仲間ですからね、喜んでお渡ししますよ」

 

 頷いただけのアッバルに代わりアインズが口を開く。ポーションの大盤振る舞いとはなんとも豪華なことだが、もちろん理由はある。アインズらの有能さを外に示すためだ。なにしろナザリックでは一山いくらであった下級治癒薬でさえここでは金貨八枚の価値があるのだ、それを簡単に生成するアッバルの能力と人へそれを譲ることを惜しまないアインズの懐の深さと強さ……悪評は一瞬で広まるが良い評価は堅実に積み上げねばならないもの、使えるものは使うべきだ。

 

 下級治癒薬(なかばゴミ)の価値が分かったのは盗聴の成果だ。実は昨日、陰ながら彼らを警護するナザリックのNPC・エイトエッジアサシンに命じ、ポーションを譲った相手を一時的ながら拘束していたのだ。彼女の口にした「ひとまず」とはどういうことなのか知るために。

 アインズにとって、先のポーション錬成は御披露目であった。叡智と慈悲を示すと同時に、どうだ、うちの子は凄いだろうと触れ回りたかったのだ。保護者の言うことをよく聞き素直で優しく頭も良い……アッバルが聞けば「それは誰のことですか」と真顔で聞き返すような完璧な子供像を、アインズ以下ナザリックNPC陣はアッバルに幻視していた。全く間違いというわけでもないのが曲者で、(そこらの生意気な小学生とは違って)保護者の言うことをよく聞き(小学生よりは物事の道理を知っているため)素直で(自分の損にならない・利益になると判断した相手には)優しく(小中学生よりも)頭が良い――間違ったことは一つも言っていないのだ、ただ比較対象のレベルが低すぎるだけで。そんな良い子が作った一山いくらの下級治癒薬(なつやすみのこうさく)を「それでいい」と言わんばかりの扱いである。アインズとナーベラルは「うちの子を馬鹿にするな」と憤った。当のその子が「あんた達こそ私を馬鹿にしてませんかね!?」と嘆いていることも知らず。

 

 女曰く、通常のポーションは青い色をしており、ポーションの効果は怪我が治る速度を補助したりする程度のものらしい。彼女は宿屋の主人に紹介されてこの街エ・ランテル一番の薬師たるリィジー・バレアレにアインズの渡した治癒薬を鑑定してもらおうと宿を出た……ところでエイトエッジアサシンの網に引っ掛かったらしい。もちろん記憶を操作して解放し、その後のリィジー・バレアレとの会話もばっちり盗聴した。そのうちバレアレ側から接触してくるようだが、それまでに冒険者らしい仕事を一つ二つこなしておこうと依頼を見に来た結果、今に至る。

 それまでは冒険者とはどういうものなのか学ぶため、この漆黒の剣を観察させてもらおう。

 

 

 アッバルは利かない視界の中、アインズらの会話を黙って聞いていた。もしアッバルが本音を言えたなら「ナチュラルに私をsageるのは止めてくれません!?」と叫んでいただろう。彼女はこれでも二十歳、まだ社会に出てはいないが、自分のことを一人の大人だと思っている。その大人を指して「この子は」やら「良い子です」やら、アッバルの自尊心は悪意のない刃に刻まれてキャベツの千切りより傷付いた。中高生へ対し「お客さんにちゃんと挨拶できるなんて偉いね!」と真剣に褒めてみれば分かるだろうが、普通なら縁を切られ家を出て行かれてもおかしくない。

 だが、この子供扱いというものは欠点ばかりではない。「子供だから仕方ない」「子供だから教えてやろう」といった緩い基準で言動を判断してもらえるという利点があるのだ。このように長短あるせいで、反発する気持ちと安心する気持ちが混ざり合い、アッバルはなんとも表現しがたい気持ちになっている。

 

 とはいえ、アインズが相手であれば、言えば子供扱いを止めてくれるだろう。悔しいと思っていること、しかしありがたいと思っていることを伝えれば、きっとアインズも理解してくれるはずだ。アッバルはアインズが狭量な人間ではないことを知っている。仲間に対して懐の広い性格であることも、他者を嫌な気持ちにさせないようにと気遣っていることも知っている。だが、アッバルはきっとこれを口に出すことはない。アインズはナザリックの主だからだ。アッバルはナザリックなくして生きていくことができない弱い個体だ。アインズの心一つで生死が決まる弱い立場だ。今の人間関係にヒビを入れることで、将来の死が決まってしまったら? 人間関係というものは積み重ねであり、現状を維持する努力なくしてはすぐに風化したり、思い出にされたり、恨まれたりもする。アッバルは考えた。アインズとの関係にヒビが入り、NPCらに邪魔だ・面倒だと思われて殺されるよりは、子供扱いされ続ける方がましじゃないか、と。それに子供扱いされることの利益だって捨てがたいではないか。アッバルは知っているのだ、変に期待され過ぎるとアインズの現状のようになる、と。

 だからアッバルは我慢する――石橋を叩いても渡らない性格がゆえに、暴走すると危険だとは自覚しながらも。

 

 話題はいつの間にか漆黒の剣の仕事……モンスターの駆除に移っていた。小鬼やら狼やらは美味しいのだろうか? アッバルはまだ守護者やメイドなどのアッバルよりも格上のNPCにしか会ったことがないが、格下のモンスターは美味しそうに思えるのだろうか。そしてその肉がどんな味なのかも気になる。とはいえ、どうせモンスターを倒すのはアッバルではなくアインズやナーベラルであろうし、漆黒の剣メンバーが共にいるためにバジリスクの体に戻るわけにもいかない。自然を見て回ることなどできるはずがないし、モンスターを食べるわけにもいかないだろう。つまり、アッバルがアインズについて来た意味は全くない。

 目か口のどちらか一つでもあれば楽しめたものを――そう考えたところで、種族進化時に容姿を弄れることを思い出した。美術の成績が先生の温情で水増しされてもアヒルの連続であったアッバルだ、容姿の設定に自信などない。だがアルベドら守護者ならばどうだろう? 彼女らならば素晴らしい顔を作ってくれそうではないか、鏡でいつも美しい自らの顔を見ているのだから。

 だが、一つ問題がある。どうすれば進化できるのか分からないという問題だ。ユグラドシルならばボタン一つで進化できたが、ここではタップすべきボタンがない。アッバル(人型)は明日も真っ暗だ。

 

「黙れ、下等生物(ナメクジ)。身の程をわきまえてから声をかけなさい。舌を引き抜きますよ?」

 

 突如始まった告白劇のせいで隣から溢れ出た冷気にアッバルは身をすくませる。種族として、その他色々な面でプレアデスに劣るアッバルにとってナーベラルは恐怖の対象である。アインズの方がより怖いのだが、だからといってナーベラルが平気というわけではない。どちらも怖いのだ。……彼女曰くのナメクジ(にんげん)が主食のアッバルをナーベラルはどのような存在だと思っているのだろう。怖くて聞けない。

 そして、さあ移動するぞと言われて立ち上がれば、自然にアインズと手を繋ぐよう促された。そして逆の手がナーベラルと繋がれる。連行される宇宙人の写真をアッバルは思い出した。もしくは仲良し親子の図であろうか。とても微笑ましい光景である、アッバルがもっと小さい子供であれば。何が悲しくて自分と似たような身長の女に姫抱きされたり、おてて繋いで幸せ家族の図を作らなければならないのか。餓鬼ではないのだ、餓鬼では。漆黒の剣から生暖かい視線を送られていることに気付き、アッバルは顔がないゆえ心で泣いた。

 

 指名依頼が予想より早くきたり、アインズ(パパ)ナーベラル(ママ)にチョップを入れたり、先ほどまでいたはずの個室にまた戻ったり……アッバルは凧のように右へ左へ移される。こんな目に遭うくらいならカルネ村で騒がしい餓鬼共の世話を見ていた方が何倍もましだったろう、なにせ口が利けないため発言権がなく、目がないため彼らの顔を覚えることも出来ず、ただひたすら椅子に座って子供扱いをされ(ようじプレイさせられ)続けるのだ。また、耐えるべきは恥ずかしさだけではない、アッバルの食欲を誘う(ひと)の匂いにもだ。想像してみてほしい。出来立てで湯気がもうもうとし、胃の腑が絞られるような魅惑の香りを放つ豚の角煮丼……を前にして、箸を持つことも許されないという状況を。もし先日食い溜めをしていなければ、この冒険者組合の建物内はバジリスクによる人間の踊り食い大会で阿鼻叫喚の騒ぎになっていただろうことは間違いない。そしてそのうち討伐されてデッドエンド。誰もが悲しむ結末である。

 

「あの、アインズさん。こんなに若くして一人前の錬金術師として働いているなんて、バァルさんもタレントをお持ちなんですか?」

 

 口が利けないとアインズが説明したため、ンフィーレアはアインズに質問を投げかける。顔が仮面で覆われているせいで年齢の分り辛いアッバルだが、漆黒の剣やンフィーレアはアッバルをまだ十代半ばかそこらの少女と判断していた。目も見えないとアインズが説明したため、彼女の手を引くのは年齢に関わらず必要なことであろうが、ごく自然にアインズとナーベラルは彼女のことを子供扱いしていた。

 身長と言うのはままならないもので、1.8メートル級の十七歳もおれば1.4メートル級の永遠の十七歳もいる。……つまり、ンフィーレアらがアッバルを背の高い子供なのだと判断したのも仕方がない話だった。

 

「いや、タレントを持っていませんよ。この子自身が努力を続けた結果です」

「へえ、凄い……」

 

 アッバルを褒められて鼻の高いアインズを他所に、ンフィーレアはアッバルの狐面をじっと見詰める。雑に切られた前髪の下、目付きは気狂いのそれに似ている。長期の餓えの末に獲物を手にした獣か、それとも自らの芯となるものを全て神に捧げた狂信者か――。数百年、やもすれば千年を超える時の間、薬師らや錬金術師らは神の血を求めてきた。その蓄積された狂気がンフィーレアにリィジーに澱のごとく溜まっている。知識を! 技術を! 時に磨かれた叡智を! その身に秘めた少女。智恵を求める獣は涎をしとしとと垂らし、か弱い少女を狙う。

 そのか弱さが擬態と知るのは、はたして。




 上記の中高校生を相手に~というのは兄と私の間で起きた実話です。当時、兄との縁を切ってしまおうかと思いました。それほどの屈辱ですから、アッバルの我慢もそのうちプッツンすることでしょう。男と一緒に家をd……ゴホゴホ。


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三話

 カルネ村へ向かう道、アッバルは既にこの旅に飽きていた。会話に参加できないうえ、これでもバジリスクゆえ体力が有り余っているというのに幾度も聞かれるこの言葉――疲れたら言うんだよ、休憩を取るからね。アインズはその見た目から体力がありそうに見えるのも当然だろうが、似たような身長のナーベラルには言わずにアッバルばかりに言うとはどういうことだ。差別的な扱いではないか。

 ナーベラルに手を引かれて歩きながら、何度目になるかもう分からないが、この世の無情を嘆く。せめてノーマル目だけでも設定しておけば良かった、と。そうすれば仮面の下から景色を楽しむなどの気分転換が出来たはずだったのに。

 

『アインズさん、何か片手で手遊びできるような物持っていらっしゃいます?』

 

 視界が利かないので景色も楽しめないし、戦力外扱いですから仕事もないし。ただ歩き続けるのにダレてきました、と正直な気持ちを〈伝言〉したところ、アインズはそれはそうでしょうと笑って頷いた。アインズはこの狐のお面のような縁日の景品が確かいくつかあったはず、と考え、ある物を思い出した。荷物袋から取り出したような体を装ってソレを取り出すと、アッバルの空いた手に握らせる。アッバルの手に乗せられたのは祭りや駄菓子屋で人気がある懐かしのおもちゃで、一般的にはペーパーローリング棒や伸びるカメレオン棒と呼ばれている。数年前の縁日にくじ引きで当てたまま忘れ去っていた物だ。捨てるのももったいなくて持ったままでいたのだが、今になって役に立つとは当時のアインズに知るよしもなかった。

 

『確かに手遊びには向いてるかもしれませんけど……なんでこんなの持っていらっしゃったんですか?』

『くじ引きの景品だったんですが、捨てるのがもったいなくて……』

『ああ、分かります』

 

 それは上位賞のフィギュアが欲しくて五回引いた600円のくじが、五回ともH賞の絵付きガラスコップだった時の気持ちに似ている。ガラスコップの柄だけならくじの全種類コンプリートだぜ、などと考えて自分を慰めるものの、やり場のない虚しさと自らのくじ運のなさに対する悲しみに沈んでしまうのはどうしようもない。三年後にオークションかな、などと頭の端で計算している自分を発見してさらに凹み、とりあえず仕舞っておいて気付けばクロゼットの奥で五年放置していたり。似たようなことを一度は経験したことがある者は多いはずだ。

 

 ペーパーローリング棒は伸びたり戻ったりする様を楽しむものであるが、視界がないとはいえ、手元に全ての紙が巻き戻った時の軽い衝撃や伸ばした際の手を引かれるような遠心力は感じられる。ある程度大人になると幼い頃に遊んだ色々なものが懐かしく恋しく感じられるもので、アッバルはこの単純なおもちゃを振り続けた。心の中で「伸びろ如意棒」と唱える程には楽しんでいる。このペーパーローリング棒しかり、ヨーヨーやベーゴマしかり、子供のおもちゃには所詮単純なものだからと馬鹿に出来ない面白さがあるのだ。

 アッバルがペーパーローリング棒をしゅるしゅると伸ばしては戻し、伸ばしては戻しを繰り返していると、戦士のペテルが堅い声を発した。ここらから危険地帯となってくる、気をつけてくれ、と。その言葉にアッバルの手も止まる――周囲の全員が仕事をしている中で遊ぶ居心地の悪さに気づいたのだ。これだから最近の若者は云々と言われるのだ、と。遊ぶのをやめて腰のベルトにペーパーローリング棒を差し、ナーベラルと繋いだ手に力を少し込める。何故かナーベラルに頭を撫でられた。

 

 気を張るアインズやナーベラルに対し、ルクルットが落ち着けと口にする。自分を信用してくれ、体力を無駄に使うな、と。口説き文句が混じっていなければもっと男らしかったろうに。

 

「バァル様の耳にお前の汚い声を聞かせるな、下等生物(ヤブカ)。モモン様、あれを叩き潰す許可をいただけますか」

「ナーベさんの冷たい一言頂きました!」

 

 ルクレットの嬉しそうな声が上がる。ナーベラルはルクルットを扱き下ろしに扱き下ろしているし、他の漆黒の剣メンバーもルクレットを庇ったり叱ったりする様子がない。つまりルクルットはそういう役割を負っているということだ。互いに納得済みであろうことは彼らの態度から分かるから、ルクルットならばその負担の大きい役回りを任せるに足る、というメンバーの無言の信頼が窺える。なにせルクルットのようなメンバーの在不在はパーティーの雰囲気に大きく関わる。よくある漫画や小説のテンプレートな性格設定で考えれば分かりやすいだろう、生徒副会長(きびしい)生徒会書記(だんまり)風紀委員長(いあつてき)学級委員長(まじめすぎ)でパーティーを組んだら遊び心も何もない、ただひたすらビジネスライクで今にも瓦解しそうなチームが出来上がる。だが、そのパーティーにお調子者の気がある阿呆を組み込めばどうなるだろう? 阿呆をフォローするために皆が協力し、仲間意識を育みやすくなるのだ。身の外に敵を作るのと同様、身の内に阿呆を作るのは纏まりを良くする手段の一つとなる。

 だが、正真正銘の馬鹿か阿呆ならば冒険者にはなれない。ルクルットはあえて身の内の阿呆として振る舞うことで、パーティーメンバーのコミュニケーションを円滑にし、全体の雰囲気を良くしているのだ。つまりルクルットはかなり計算をしてこのように振る舞っている……机に向かう勉強とは違った意味で頭が良い人間だ。

 

 自らも計算高い自覚のあるアッバルは、ルクルットの有り様に好感を持った。同病相憐れむではないが、ありのままの自分を晒け出すことが滅多にない者同士の同感と言おうか、同情と言おうか、彼に仲間意識を覚えたのだ。もちろん尊敬してもいる。ルクレットがパーティーの和のためならば自分の恋心も利用するという考えを持っているのか、それとも漆黒の剣とアインズらの関係をより円滑なものにするために気持ちを偽っているのか、アッバルには判断がつかないけれど。

 

「なぁー。やっぱ、ナーベちゃんとモモンさんは恋人関係なの?」

 

 後者か。アッバルはルクルットの軽すぎる詮索の言葉にそう考える。

 

「こ、っこいびと! 何を言うのですか! アルベド様という方が! アッバル様……バァル様もいらっしゃるのに!」

 

 何故か引き合いに出され、アッバルは困惑した。待て、それではアッバルがアインズの子供か愛人のように聞こえる。「アルベド様という愛し合う奥様が! 二人の間にはアッバル様とバァル様もいらっしゃるのに!」もしくは「アルベド様という正妻が! 妾にアッバル様とバァル様もいらっしゃるのに!」とか。

 アインズがナーベラルを叱るももう遅い。アインズが嗜めるとルクルットは謝罪を口にした。

 

「……あー。失敬。ちょっとからかうつもりでした。あー、モモンさんに相手がいて、既にアッバルって子とバァルちゃんが……あー、子持ちでしたか」

『……私、アッバルさんと親子に見えるほど年齢離れてませんよね?』

『もちろんです。血縁としても兄と妹とか叔父と姪とかそんなんです』

 

 二人の内心は置いておいて、残念なことにアインズとアッバルの二人で頭を捻った兄妹設定は崩壊した。客観的に、二人には親子ほどの年齢差があると思われていると分かったからだ。いけない……これでは本当に拝親子になってしまう。口が利けるようになればアインズに「ちゃーん」と呼び掛けるべきなのか。ちゃーん、腹へった。

 

『設定練り直しますか?』

『……もう少しこの世界の情報を得てから考えましょう』

『ですね』

 

 ――とりあえず、親子という設定は決まりだ。

 

 それから半日近く過ぎたろう、ンフィーレアは日が沈む前に馬の足を止めた。竃の用意など野営の準備は明るいうちにしなければならない、アインズらと違って人間は暗闇をはっきりと見通せないのだ。

 

 自然が破壊し尽くされた現代においてキャンプファイヤーは贅沢であり、また屋外で火を囲み踊るなどという行為は危険だとされた。よって二十二世紀現在における小学校の修学旅行最終日は、樹脂製の木に蝋燭を灯すキャンプファイヤーならぬキャンプキャンドルがメジャーだ。本物の焚き火を初めて見たアインズが感動している横で、音だけしか楽しめないアッバルが嘆くのも当然のことと言えた。

 燃える枝の水分がシュワシュワと沸騰し、時折指の骨が折れるのに似たパキリという高い響き、コウゴウという空気が焦げる音。赤や橙、紅、紫と複雑に輝く炎。ぼろ布に濁った油を染み込ませた着火剤はとうに燃え尽き、今は太い薪を中心に細い枝が炎をあげている。

 

 片道たった二日や三日の旅路だ、携帯食料を気前良く使った結果、豆などの乾燥野菜と干し肉がたっぷり入ったスープと分厚く切った黒パンが夕飯になった。黒パンはオート麦や雑穀を練り込んでいて、かなり腹に重いものとなっている。

 信仰する宗教の戒律がどうのと言い訳をして漆黒の剣メンバーと離れて食事を始めたアインズらだが、アインズは骨ゆえ食べられないし、ナーベラルも不要と言ってアッバルに譲った。アッバルは八本足の蛇に戻るや、誰が見てもご機嫌と分かる調子で夕飯を食べ始めた。ひよこ豆、大豆、人参にキノコも入っている。ああ、これぞ野菜のマリアージュ――野菜の重婚は罪ではない、美味なのだ。ただし付け合わせのパンが硬いうえ不味いのが残念だが。

 

 ンフィーレアらに蛇としての姿が見えないようにとアインズのあぐらの上に陣取り、数時間前の小鬼や人食い大鬼の血の匂いや人間(にく)の匂いで切なくなっている腹をスープとパンで宥める。どうやらこの世界のモンスターはアッバルの主食として十分なようで、戦闘とは言えぬ一方的な殺戮の後、アッバルの腸はぎゅるぎゅると音を立てて食欲を主張した。とっさに腹を押さえたアッバルをからかうでもなく、盛大なそれに森司祭のダインは「空腹になるとは健康の証、良いことであるな!」と声を張り、ペテルらも飯が楽しみだと笑顔で頷いた。アッバルの乙女心は少し回復した。

 満腹にはほど遠いものの満足を得られ、アッバルはふぅと息を吐いた。ナーベラルに甲斐甲斐しく口許を拭われる。ナーベラルの視線は優しく、ペットや幼い子供を見るような目をしている。アッバルは「そうだろう、いまの私はとっても可愛いだろう」と鶏冠をその手に擦り付ける。実はですねナーベラルさん、可愛いペットの蛇ちゃんは野菜スープも好物になったんですよ、いまさっき。

 

 この世界の食料は豊かだ。収穫量が多いといったことではない、味のことだ。人工の光と滅菌処理の下に育った野菜と雨晒し風晒しの野菜では味の濃さや野菜自身の強さが全く違い、例えばスープに入っていたキノコは肉厚で柔らかくジューシーだった。美食漫画ならば、豊満な肉体も悩ましい美女が頬を艶やかに染めて「おっほおおおおぉ!」と叫ぶリアクションが起きるだろうほどの濃厚さ。――食べやすさを追求したがゆえに消されていった、それぞれの野菜独特の苦味やえぐみが、二十二世紀の人間の味覚にパンチを繰り出した。考えるな、ただ舌で感じろ、これが自然の食べ物だ。アッバルはそれが涙が出るほど嬉しくて、しかしアインズのことを思って涙を引っ込めた。骨になってしまったアインズにはスープも何も食べられない。

 アッバルはスープやパンを美味しいとも不味いとも言わず、アインズを見上げ口を開く。

 

「やっぱり主食がほしいです、二三人くらい」

「アッバルさんったら食いしん坊ですね……。漆黒の剣を食べるわけにはいかないので我慢してくださいね」

「誠に遺憾である。断固として私はこの理不尽と戦う所存である。賃金あげろー有休をもっと寄越せー」

「交渉は組合を通じてください」

 

 ナーベラルにも漆黒の剣にも通じないだろう、二十二世紀を生きる者同士だからこそ分かる冗談を交わす。アインズは一人ではない。アッバルも一人ではない。だから、アインズが食べられないならアッバルは味を言葉にしない。これはアインズに嫌われたらNPCに殺されるかもしれないからなどではなく、アインズがアッバルの友人だからだ。この世界においてたった一人の同胞、大切にしたいと思うのも当然のことだ。

 アッバルは顎を反らして空を見上げた。

 

「あ、モモンガさん。見てくださいよこの星空。素敵ですね」

 

 アインズも兜越しに夜空を見上げた。

 暗い冥いカンヴァスの上に散った白墨。檜舞台から覗く奈落の底のような――突き落されそうな闇に散らばる、人の数より多い宝石。アインズもアッバルも、水面に映る月を欲しがる子供のようにその空に見入る。日が落ちて気温がぐんと下がった世界に、火のパチパチという音と落ち着いた人の声。静かではないが、静かだ。アインズの手にアッバルの呼吸が感じられる。膨らんでは萎み、膨らんでは萎む小さい腹。夜空の星よりも輝く命はいま、アインズの手の中に確かに存在している。

 アインズがこの世界で初めて手に入れたものはアッバルだ。守るべき同胞であり頼れる仲間であり、それ以上に、心の支えだ。年下の、それも社会人になっていないような子供に愚痴を言いたくない――だから、愚痴を言える間柄というわけではない。しかし彼女の存在は、アインズがたった一人の異邦人ではないことを教えてくれる。アインズの心の柔らかいところを守ってくれている。同じ空を、同じ感動を分かち合える仲間として。

 

「なんと言えば良いのか、言葉が見つかりませんね。美しい、では足りない」

「ですです」

 

 手の中の命の輝きも、この星空も。失ってしまったがゆえ、知らなかったがゆえ、美しく……そして圧倒される。

 ザァ、と空に映る葉の影が揺れた。風の帯が遠ざかり、背の高い草の茂る野原を掻き分け進むような葉や枝の擦れる音も、アインズらとすれ違い去っていった。ざわめきは誰かが泣きながら駆け抜けていく音だ、その後ろを追いたくなる。涙を零し走る誰かを知るため、波に乗る様に風に乗って未知の先へ。

 

 また漆黒の剣らと合流するため、アッバルは人間の姿を取る。暗いも明るいも分らぬ視界と減った腕、失せた口。代わりに手の器用さが上がったとはいえ、人の姿を取るとデメリットが目立つ。アインズとナーベラルに手を取られて立ちあがり、アッバルは焚火の方へ踏み出す。

 誤解が更に深まり、けして埋められぬ渓谷と化しているなど知らぬまま。



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四話

 漆黒の剣メンバーからして、モモンら三人は変なパーティーだった。第三位階魔法の使い手であるナーベ、同様の実力を持つ戦士だというモモン、薬師兼錬金術師で(モモンが称するには)ポーションマスターらしいバァル。たとえばモモンとナーベが同年代であったならばまだ納得も出来ただろうが、年齢がてんでバラバラで、彼らの接点がいまいち分からない。三十前後のモモン、二十かそこらのナーベ、十代半ばであろうバァル……更にナーベがモモンとバァルに傅く様子からして、モモンとバァルの身分は高いようだ。だが、従者というものは一人で二人の世話をするものだっただろうか? モモンにはモモンの、バァルにはバァルの従者がつくものではないのか。貴族に詳しくない彼らには判断がつかない。

 野伏として人や物を観察し慣れたルクルットだが、この三人が一体どのような関係なのか掴みきれていない。訊ねるようなペテルの視線にルクルットは頭を横に振ることで答えた。実際に戦う姿を見てみねばどうにもこうにも、と。

 

 いま彼らに背を向ける美女――艶やかな黒髪とエキゾチックな造作の、ストイックな雰囲気だからこそ感じる色気とでも言おうか、美しいナーベ。ルクルットはそのどこか不器用そうなところに惹かれた。良くも悪くも嘘を吐けないタイプだ……愚直で、大真面目で、信念以外には脇目も振らない性格だろう。

 

「あー、美人だなぁナーベさん」

 

 食料を購入しに組合のカウンターに並ぶナーベらの背中を視界に収め、ルクルットは熱の籠ったため息を吐いた。

 

「顔だけが好きなんてのは嫌われますよ。確かにナーベさんは美人だと思いますけど」

 

 ニニャの苦笑にルクルットはニヤリと歯を見せる。

 

「顔だけなんて言ってないって。顔も好みなの、顔も。全部が好きになったんだよ」

「うわー、うたがわしーですねー」

「不真面目な恋愛ならば応援できないである」

「そうだぞルクルット」

「皆の俺に対する評価低すぎやしない? ときにニニャ君、仲間を疑うとはどういうことかな」

 

 軽口を叩き合い、ニニャの頬を餅のように伸ばしながらルクルットはいい笑顔を浮かべる。この童顔の仲間は男にしては可愛い顔で背も低いが、冒険者は戦士だけではないため見た目ではない。彼は魔法の方面でかなり才能のある冒険者だ。

 特権階級、特に貴族を憎んでいるニニャだが、ルクルットらが心配するほどモモンらへの態度が悪くなることはなかった。――モモンが弱い者(バァル)を守ろうとする姿を見たからかもしれない。弱者を虐げ、傍若無人に振る舞う者をこそ憎んでいるそうだから。

 

 ペテルはパーティーのすぐ横、壁に背を預けて立つ少年ンフィーレア・バレアレを見やる。冒険者として、そして契約を結ぶ相手として真摯な態度をとったモモンよりも、ペテルらが気を付けるべきはこの少年かもしれない。もちろんモモンらは少し奇妙なパーティーだが、秘密を抱えていない人間などいないのだ……その秘密の大小に差はあれど。モモンらを信じると決めたのだから、その期待が裏切られるまでは漆黒の剣はモモンを信じて頼りにするし守りたい。

 ンフィーレア・バレアレの目は獣じみている。ざんばらな前髪に隠れているから分からないとでも思っているのだろうか、狐面の少女を見る彼の目は森に棲むモンスターのそれにそっくりだ。今にも少女を食らい尽くし啜り尽くそうと言わんばかり。

 

 ――ペテルは理解した。ンフィーレア・バレアレはバァルと出会うためにモモンに指名依頼をしたのだ。

 

 バァルに何があるのか知るため、カルネ村へ向けエ・ランテルを出てからずっとバァルらの観察を続けたは良いが、モモンがバァルに明らかに幼児向けであろうおもちゃを与えたり、バァルもそれを喜んでいたり、ナーベが二人の様子を微笑ましそうに見ていたりと三人の関係はやはりおかしい。バァルを子供扱いし過ぎている……もしや、バァルには身体の不具だけでなく、精神面にも何かあるのではないだろうか。生まれつき心の成長が遅い者は貴族も農民も関係なく生まれるものだ。バァルは身体的に不具があるばかりではなく、心の成長も遅いのだろう――そう考えた。

 ルクルットが探りを入れてみれば、どうやらバァルはモモンの娘らしい。ということは、これはバァルの心の成長を正す道具や薬を求めての旅なのだろう。アルベドという妻やアッバルという子を領地に置いて、信頼できる供を一人伴い、バァルを治すために旅を続けているのだ、きっと。……なんとも泣ける話だ。

 

 バァルの幼さをはっきりと理解したのは、モモンらの未来を垣間見たのとほぼ同時だった。身の丈よりも長く厚い剣を二振り、子供が小枝で英雄ごっこをする時のように軽々と振り回したモモン。モモンを信頼しその背中を支える、第三位階魔法を軽々と放ったナーベ。もしや、自分達は新たなる伝説の幕開けに参加したのではないだろうか? 後世へ語り継がれるべき英雄の物語を目撃した、始めの人間なのではないか。

 気迫、鋭く正確な魔法、人として尊敬できる律儀な性格。誰が飲み込んだのだろう、小鬼や人食い大鬼の死体の中に立つモモンが支配するこの場に、唾を嚥下する音が響いた。

 

 だが、ぎゅううう、と響き渡る場の雰囲気を壊す腹の虫。音源はバァルだ。空腹に耐えきれないと言わんばかりに腹を押さえ、小さく首を傾げている。

 ペテルは困惑した。普通なら、そう、普通ならだ……非戦闘員であっても戦いの雰囲気に呑まれ、一時的に空腹などは忘れるものだ。だというのに何故腹の虫が鳴るというのか。それはつまり、戦闘の緊張感を理解できていないということではないだろうか。五、六歳を過ぎればもう理解できるだけの判断力が身に付くはず。ということは、バァルの心は五歳以下なのだ。ならばモモンの焦りも分かろうもの、ペテルももし自分の身内に心が幼い者がいれば、何としてでもそれを治すための方法を探し求めるだろう。生まれつきかと考えていたが、魔法や薬で心の成長を阻害された可能性もあると気付いた。ニニャに魅了の魔法などについて訊ねていたのはこれが原因なのか?

 あの仮面は心の幼い娘の将来を守るためのものなのかもしれない、心が壊れたり幼かったりする者の顔は表情や顔付きが似通いやすい。バァルにいらぬ評判をつけないための仮面なのだとしたら、それはなんと悲しくも優しいことだろう。

 

「空腹になるとは健康の証、良いことであるな!」

 

 ダインの言葉に漆黒の剣メンバーも常を取り戻す。良いフォローだ、ルクルットが先ほどモモンらの関係に棒を突っ込んでしまった手前、バァルについて訊ねて藪蛇になるのは避けねばならない。ルクルットはもちろんのこと、ペテルやニニャも「元気なのは良いことだ」と笑って話を流した。

 ルクルットはンフィーレアの視線に気がついた。ルクルットを見る視線ではない、バァルを見つめる視線だ。あれは子供に向けるべき目だろうか、飢えた獣は小鹿を前にして牙をにんまりと剥き出しにしている。彼が一体何を望んであのような目をしているのか……また、モモンらもンフィーレアのあれに気付いているだろうに無視しているのは何故なのか。首を突っ込んで人食い大鬼に会いたくはないと、ルクルットは頭を振る。彼らの問題は彼らが解決すると信じよう。

 

 

 モモンらが人食い大鬼などを楽々倒し、再びカルネ村への道を進む一行。御者として馬を操るンフィーレアは前髪の下、前方に向けたままの視線を鋭く尖らせた。

 狐面の少女はかつての英雄らの先祖返り……そう、人智を超えた能力で人々を守り導いた英雄達の血を引いているに違いない。そうでなくば、ンフィーレアと似たような年齢の少女がポーションを生成するという耳を疑うような話など信じられないではないか。父親であるモモンもそこらの冒険者など目ではない胆力を持つ男、尊い血筋が羨ましい。神の血を求め、一体どれだけの先人らが涙を飲んできたと思うのか。バァルの錬金が異能であるにせよないにせよ、彼女から吸収できるものがあるならば何でも吸収したいところである。

 バァルは子供の思考力しかないようだし、ンフィーレアが頼めば喜んでポーションを生成するだろう。上手く行けばそれを手に入れることも可能かもしれない。いや、どうやってでも手に入れてみせる。真のポーションを作るためなら、ンフィーレアはどんなことでもするつもりだ。リィジーもそう考えているからこそンフィーレアを送り出したのだから。

 

 そんなことを考えつつ馬を歩かせて数時間、そろそろ夜営の準備をせねばなるまい。バァルの体力を考えて休みを多目にとったことからいつもよりゆっくりした旅路ゆえ、カルネ村に着くのは明日の夕方にかかるかもしれない……二日ほど多目に拘束日数を増やしたのは正解だったようだ。

 明るいうちに馬を止め、仮設の竈に薪や拾った木の枝を並べる。風が通るように枝を組み、ニニャがいるため火打ち石ではなく魔法で着火剤に火を着ける。着火剤は何度も油を濾した布で、元の布の色など既に分からないほど黒ずみ汚れているそれは街のどの家庭にもあるものだ。冒険者らはそれを安く買い取って旅先で使うのだが、今回は街に家を持つンフィーレアが用意した。

 油が染み込んだ布ゆえ、上がる炎の臭いは少し胃にムカムカする。だがそれも少しの間のこと、すぐに火は薪の表面を舐め、小枝は自ら炎を上げ始める。踊る炎は夕陽の橙に染まるンフィーレアの顔をより赤く輝かせる。内包する水分が膨張したのか、ぱきっという音と共に少し太めの枝が割れた。

 

 どうせ行き道は軽い馬車だ、途中で水を汲む必要などないよう十分な水を積んである。昼の休憩時から水で戻していた野菜を使い作ったスープは旅の途中で食べるそれとは思えぬほど豪勢な食事だ。昼食が薄く切った干し肉と雑穀のパンだけだったせいもあり、温かくたっぷりな夕食に誰もが相好を崩した。心まで温まるようだ。ほうと吐いた息もほこほこと熱い。

 スープを食べる途中、宗教的な戒律により少し離れた場所で食事をとるモモンらを簾のような前髪越しに見やる。バァルはモモンの膝の上にいるらしい、彼の広い背中に隠されてしまい全く姿が見えない。甲斐甲斐しくバァルに食事を与えているモモンやナーベは優しい雰囲気で、バァルを可愛がっていることが感じられる。ナーベがモモンの胸辺りに匙を差し出す様子はまるで母親だ。

 

 漆黒の剣メンバーとの交流を深めつつ食事を終え……ンフィーレアが再びモモンらを見れば、モモンは空を見上げていた。ンフィーレアも釣られて見上げたが、あるのは雲一つない明るい空だ、今晩は冷え込むだろう。

 と、一陣の風が吹いた。泣いているような葉擦れの音がモモンらのいる方からンフィーレアらのいる方へ走り、そして過ぎ去っていく。まるでモモンが泣いているように感じられ、ンフィーレアは口を開き、止まった。何で悲しそうなんですか、なんて明らかなことではないか。心の幼い娘を連れての旅路など訳有りに決まっている。何度か口をぱくぱくとさせるも良い言葉が見つからず、ンフィーレアは結局口を閉じた。

 

 ンフィーレアは、自分のしていることが正しいのか分からない。本来の彼ならば、子供を利用するなどという汚い行為はしない。だが、真の神の血たるポーションを見て、触れて、嗅いで、舐めて……研究を進めるためなら彼はどんな汚いことだって出来る。

 ンフィーレアは心の中で謝罪を繰り返した。

 

 ごめんね、厭らしいよね、こんなこと。でも、どんなに申し訳なくても僕は見たいんだ。見なくちゃいけないんだ。本当の神の血の生成、その様子を。――そのためなら僕は、悪魔にだって魂を売れる。

 

 

 バァルならぬアッバルが知れば「そうか、わかったぞ! 犯人はヤスだったんだ!」と髪を振り乱し発狂しそうな誤解だ。だがまあ、隠さねばならないことが多過ぎて、誤解を解く以前にそんな誤解されていることに気付いていないが。アッバルは果たして幸せなのか不幸なのか、それは今のところ誰も知らない。

 彼女の明日に幸あれ。




アインズ→仲間でありストレス解消揉みぬいぐるみ兼子供
NPC→子供扱い・仕えたい欲求解消相手
守護者→\夢はでっかくエンシェント/わーわー!
アルベド→妻になるために育てきってみせる
デミデミ→今はまだ弱くとも支配者層の子供、強く育てねば!\エンシェント/
漆黒の剣→可哀想な子扱いnew!!


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五話

 アインズはアンデッドゆえ睡眠が必要ないし、また火を見ていたかったために寝ずの番に立候補した。ペテルは交代すると言っていたが、アインズには彼を起こす気はなかった。

 燃えろよ燃えろよ炎よ燃えろという歌詞があるのも納得の話、火を見ていると楽しい。もし叶うならばもっと大きな炎にしたいものだが、それを今ここで叶えると山火事になることは必至。大きな火を囲んでマイムマイムをしたというかつての学生らを少しばかり羨ましく思いつつ、火が落ちないよう適当に枝を足す作業を続けた。そしてペテルらを起こさぬまま日の出を見たアインズは「ほほう」とため息を吐く。

 自然の中で迎える日の出のなんと美しいことか……紫がかった暗い空に一筋の光が射したと思えば、その光は次の瞬間に扇のごとく左右に開いた。地平線の向こうでその目蓋を持ち上げ始める太陽の輝き。雲は下方から白く照らされ、濃紺の空をピンクや黄色に近い色をした光が浸食する。空を支配していた夜を追いだし、息を吹き返す様に激変する明け方。――なるほどアポルローンは馬車にて太陽を引くのだ、少しその瞳を覗かせたと思えばそれからが速い。ぐんぐんと昇る太陽は十分もせず全体を現した。橙の光は目を刺すように強く、悪は許さじとばかりにその棘を投げてくる。

 時刻は六時を迎えんと言う頃だ。アインズに温度は分らないが、ナーベによれば深夜三時過ぎから明け方に掛けてぐんと気温が下がったらしい。ナーベごと毛布にくるまり眠ったアッバルは寒い思いをしなかっただろうか? 強い朝方の光に照らされた狐面はより一層白く、まるでアッバルが冷え切っている象徴のようだ。

 

「ナーベ、バァルは冷えていないか?」

「問題ありません、アイ……モモン様。バァル様の表面体温は現在35度3分、スッキリと目覚められるでしょう」

「え……いや、そうか」

 

 え、ちょっと低くない? と口にしかけたが、寝ている間の体温は普段の体温より低くなると聞いた覚えがある。ナーベの言う通り問題ないのだろうと考え、アインズは再び太陽の昇る東の空を見やる。

 かつては、富士山の頂上から見る日の出を誰もが見たがり、富士の高嶺を列を成して登ったという――アインズは知識でしか知らないが。なるほど御来光と言うのも納得だ、神聖な気持ちになる。日光が夜を駆逐して行く様は清々しく、爽やかな気持ちになる。アインズのような闇の怪物が「素敵な朝だね。好きだよボカァ、太陽光」などと言うのは違和感が拭えない気もするが。

 

 朝日という強烈な目覚ましに起こされてか、最初にペテルが目覚めた。日光の眩しさに目を瞬かせている。そして一夜を明かしたアインズを見るや一晩任せたことにハッと気がついた様子で、ペコリと軽く頭を下げた。長年冒険者をしていてもうっかり寝すぎることくらいあるだろう、気にするほどのことではない。アインズはそれに手を振って応えた。

 ンフィーレアやルクルットらがペテルに起こされて始まった朝食だが、アインズとナーベは既に摂ったという体でペテルからの誘いを断った。おかずは昨晩と同じオーツ麦の黒パンに燻製した分厚いソーセージのスライスだ。一晩中絶やさずにいた焚き火の火を竈に移して湯を沸かし、白湯でそれらを胃へ流し込む。モソモソと食べる様子からしてソーセージもあまり美味しくないのかもしれない。楽しむといった雰囲気など全くないまま、十分と掛からず食事は終わった。

 気持ち良さそうに鼻イビキをかくアッバルはアインズが抱き上げて運ぶとし、昨日よりは心持ち速い歩調で道を進む。アッバルは一度起きたのか途中もぞもぞと動いたが、揺れが心地良かったのか歩かない楽を手放したくなかったのか二度寝三度寝し、結局きちんと起きたのは昼前になってのことだ。

 

『おはよー、ござす、アインズさん』

『おはようございます』

『……あ、抱いて歩いてもらって有難うございます。重かったでしょうに、腕疲れてません?』

『いえいえ、重くなんて! 赤ん坊を抱くより楽でしたよ。それに私はアンデッドですから疲れ知らずなんです』

 

 孤児院で過ごす間に面倒を見た赤ん坊――あのぐにゃぐにゃした物体は、小学校低学年の子供たちに「触るな危険」扱いされていた。抱き方を誤って気管を圧迫したとか、重くて取り落としたとかいう前例でしこたま叱られたためだ。高学年になれば抱き上げるための力も体格も出来上がり苦手意識もなくなるのだが、初めて赤ん坊に触れた時は赤ん坊の軟体動物具合にショックを受けた。赤ん坊には「ぐにゃ」やら「ぺしゃ」という擬音が良く似合う。その癖をして騒がしく泣くのだから、赤ん坊の肺には拡声機能でもついているのではなかろうか。施設の誰だったかが言った「小型超高性能スピーカー」には頷いたものだ。

 赤ん坊に比べれば、首が据わり重心の定まったアッバルなど抱いて運ぶなど簡単なことだった。アインズ個人としては蛇の姿でいてくれた方が嬉しかったが、漆黒の剣らがいる手前そんなことは出来ない。

 

 アッバルを地面に下ろし、あと少ししたら昼食を摂ろうという話が出た、その時だ。ルクルットが警告を発した。

 

「おっと、呼んでもねえお客さんがいらっしゃったようだ」

「小鬼の群れか?」

「いや、人食い大鬼である。しかし一体のみ、どういうことであるか……」

 

 ペテルの質問に答えたのはダインだ、彼も険しい表情を浮かべている。人を襲おうというには少ない数ではないか? もしや、何かに追われてこちらへ向かってきているのではないか……それが正しいのなら、人食い大鬼を追うのは何なのか。

 木々を掻き分け現れたのはダインの言う通り人食い大鬼だ、全身ずぶ濡れで息が上がった様子はどう見ても平時の人食い大鬼らしくなく、アインズらの存在に今気付いたのか困惑した様子で足を止めた。後ろを振り返り、またアインズらを向き……やはり何かに追われているのだ。

 

『ねーねーアインズさん、何が来たんですか?』

『オーガですよ。何やら追われているみたいで挙動不審ですが。……そうだ。どうでしょう、アッバルさん、オーガを倒してみませんか?』

『オーガを? それまたどうして』

『私とナーベの強さは昨日示しましたし、今度はアッバルさんの番だということで』

『ほほう、分かりました。それじゃあ錬金からした方が良さそうですね』

 

 英雄にはどれだけエピソードが付属しても構わない――それが肯定的なものならば。英雄の仲間もまた英雄なのだと示すことだ、何を憚る必要があろうか。アインズは人を落ち着かせる柔らかさを込めた声で漆黒の剣らに呼び掛ける。

 

「みなさん、どうせですからバァルの実力も知りたいと思われませんか」

「え、バァルさんの?」

「ポーションマスターなのであろう、何故いまここで……」

「ほう」

 

 ニニャ、ダイン、ペテルの返事。ナーベはアインズの希望ならなんでも叶えると言わんばかりにこちらを向いているし、ルクルットは人食い大鬼を視界に収めたまま「どういうことっすか」と口を開いた。ンフィーレアなどギラギラした目でアッバルを振り返っている。アインズは鷹揚に頷くと、芝居がかった調子でこう言った。

 

「ポーションマスターの実力と言うものを、ここでお見せしましょう。バァル」

 

 ナーベに道を譲られ一歩前へ進み出たアッバルが掲げる右手の内には小瓶、中に彼女が錬成した錬金術溶液がたぷんと揺れている。次に掲げるは左手、クリスタルは第二位階魔法の効果があるそれだ。アッバルが〈伝言〉内でした説明によれば、相手へ巻き付く炎の繩を操る魔法だという。繩炎だったか炎繩だったか、そんな名前らしい。

 アッバルの両手が青く光り……クリスタルは砂と崩れた。禍々しいほどに紅く変わったポーションのみがチラチラと輝き、単なる治癒薬(ヒーリング・ポーション)ではないと主張している。付加された効果は第二位階の魔法だが、ただの人食い大鬼程度に第三位階やら第四位階やらのクリスタルを使うのはもったいないのだ、第二で十分ならそれで良いではないか。

 

 アインズの指示通りに空を舞ったポーションは放物線を描き、しかし人食い大鬼はこの程度の小さなものなど問題ないとばかりに持った剣の腹で叩き落とす――その瞬間、蛇のように剣を這い上がる炎。芯の直径は15cm、体長は3mか、燃え上がる火の勢いでそれ以上にも見える。使い古されたとはいえ剣は剣だ、金属の塊であるはずのそれが蛇に締め上げられ砕ける様は異様の一言。そして鉄を食らってなお腹を空かせた炎の蛇は本当の獲物に目を向ける。

 人食い大鬼が剣の柄を離す暇も与えず、獲物を前にした強き者は大鬼の太い腕を這い上る。生きたまま皮膚やその下の筋肉、骨が燃える衝撃に人食い大鬼の口から絶叫が迸り、しかしそれも直ぐに止んだ。……人食い大鬼の肩口に刺さる、先端は細く鋭く根本に毒溜まりを孕んだ蛇の牙。毒液を注ぎ込むように体内に炎を注ぎ込まれた人食い大鬼の肺は焼けたのだ。白目を剥いて泡を口の端から撒き散らす人食い大鬼は、瞬きの間に炎に喰われ消えた。

 

「流石だな、バァル」

「まさにバァル様に相応しい炎の蛇でした」

 

 アインズは手放しにアッバルを褒めた。雑草には全く焦げた跡などなく、燃やし尽くされたのは人食い大鬼のみ。地面に散らばる剣だけが人食い大鬼のいたことを示す唯一のなごりだ。

 照れた様子で狐面の頬あたりを掻くアッバルの頭を軽く叩くように撫でる。蛇が好きだと言うことは知っていたが、まさか炎をあのように操るとは、視覚的にもセンスが感じられる。毎日見ていたからこそなのだろう。

 

『蛇の動きが凄いですね』

『へへ、上手でしょう? アインズさんが前に魔法がユグドラシルの時と違う感じがすると仰ってたので、見た目も変えられないかなと試してみたんです。同じように創作舞踊部で一人獅子舞も蛇を参考にしたんですけど、あれだけは美術の先生も褒めてくれたんですよ』

『へえ~』

『でも友達には不評でした。妙に動きがリアルで怖かったそうです』

『それはそうでしょうね』

 

 きっと這い寄る混沌のような恐怖だったに違いない。

 

 実を言えば、先程のアッバルの魔法は第二位階を越えていた。本来は単に炎でできた繩を操るだけの魔法だ、蛇のような見た目やあの体の厚みはありえない。しかしそれを可能にしたのがアッバルの錬金術師としての高い能力、魔法を使うのではなく魔力を操り続けた結果である。アッバルは魔力の微細なコントロールにより炎の繩を炎の蛇とするに至った。先に第二位階の〈炎繩〉だか〈繩炎〉であると聞いてしまったがゆえ、彼女の魔法が第二位階ではないのではないかと疑うことをしなかったのだ。あれは繩を操る魔法の延長だとスルーしてしまったのだ。名付けるならばあれは〈蛇炎〉(スニーキングフレイム)、第三位階か第四位階かだろう。

 それでもナザリックでは軽く叩き落とされるのだ、種族の壁は天まで高く果てが見えない。アッバルは泣いても良い。

 

 ――ダインが叫んだ。

 

「まて、何か来るである!」

 

 猛スピードでこちらへ走り来る獣の気配。身構えれば乱立する木々の向こうから軽やかに現れた……巨大なハムスター。

 視界の利かないアッバルは例外として、アインズは一気に緊張をなくした。つぶらで愛らしい黒目がちな二つの瞳に下っし類らしい飛び出た二本の歯、ピンク色の鼻頭、ひくひくと震える長い髭、丸く小さな耳……サイズさえ気にしなければジャンガリアンハムスターにそっくりだ。尾が緑色で長く蛇に似ている異形とはいえ、果たしてどれほどの脅威であるかと言えば、ナザリックの基準ではただのゴミだろう。

 

 大きいだけの可愛いネズミじゃないか、と笑おうとしたアインズはペテルの表情を視界に入れた瞬間、固まった。真っ青な顔色で冷や汗をかき、いかにこのばから安全に逃げるかを探っている。自然にンフィーレアをかばう位置へにじり寄ったのはさすがは冒険者と言うべきか。

 まさかこんなのに恐怖を感じるとはアインズには思いもよらなかった。この世界のレベルは全体的に低いのだということが、これほど明らかな差異として現れるとは……。

 

 とはいえ、あのサイズでもケーブルやガス管を削るネズミだ、体格や体積がウン万倍に増したこの巨大ネズミならば一口で木を噛み千切りそうだ。そういう意味では恐ろしい魔獣と言える。

 

「むむっ? それがしの水場を侵した人食い大鬼はどこへ行ったでござるか?」

「それがし……ござる……」

 

 可愛い声だが、残念ながらアインズにはハムスターの雌雄など分からない。某ということは雄だろうか。

 

『凄く美味しそうな臭いがしますね、この某がござるとかなんとか言ってるのはモンスターですか、それとも人間ですか?』

『モンスターというか、ハムスターですね。ジャンガリアンに似てますよ。大きさは全く違いますけど』

『へー、ハムスター。ねえアインズさん、食べても良いですか?』

『お腹が破裂しますよ』

 

 ナーベラルの背中に庇われたアッバルが気楽なことを言い出す。確かに蛇はネズミを食べるのかもしれないが、こんなに大きなネズミだ、アッバルの瞬間消化がいくら高性能だとしても難しいのではなかろうか。それにアインズは拾い食いは叱るタイプだ。めっ! 汚いでしょ、食べちゃいけません。

 

「も、森の賢王とお見受けする……! 賢王よ、貴方の求める人食い大鬼は死んだ!」

 

 アインズは小さく「えっ」と呟いた。森の賢王……これが? ただ大きいだけのハムスターではないか。

 

「それがしは確かに森の賢王。どういうことか説明しろでござるよ」

「我々の仲間が焼き尽くしたのだ! 知性ある賢き森の王よ、われわれの仲間が人食い大鬼を倒したことでここは収めて頂きたい!」

「むむ、確かにここであの泥棒人食い大鬼の臭いが消えているでござるが……人食い大鬼を倒したその仲間とはどの者のことでござるか? 某はなかなか信じられないでござるよ」

 

 ペテルが言葉に詰まり、ちらちらとアインズを見やる。どうやらこのハムスターに恐怖を覚えている様子のペテルらだ、アッバルがやったとは人を売るようで言えないのだろう。

 

「森の賢王とやら、お前が追っていた人食い大鬼を殺したのは私だ」

「ア――モモン様!」

「ナーベ、お前はバァルを守っていろ」

 

 一歩踏み出し堂々と胸を張り名乗りをあげたアインズに、ハムスターが首を傾げる。

 

「お主、見たところ剣士でござろう?」

「私が倒したものを処分のために燃やした。そういうことだ」

 

 ハムスターはフンスと鼻を鳴らす。じろじろとアインズを観察し、妙案を思い付いたとばかりに目を輝かす。

 

「それならお主の強さ、某に見せてみよでござる!」

「貴様、獣の分際でモモン様を愚弄するとは!」

「ナーベ」

 

 いきり立つナーベを手で制し、アインズはさてどうするべきかと考える。どう見てもハムスターな外見のモンスターだが、人食い大鬼を倒せるだけの力があるからこそ人食い大鬼を追って現れたのだ。ならばモモンがこの賢王を倒す、もしくは調伏すれば更なる名声を得られるのではないだろうか。

 

『アッバルさん、可愛いペットが欲しいと思いませんか』

『可愛いペットは蛇ちゃんだけです』

『あ、はい』

 

 目に見える名声を得るため賢王をペットにしようと考えたアインズだが、アッバルの却下に少しばかり沈む。しかし一度の却下でめげないのが社会人である、言葉を変えて再度提案した。

 

『……自分からついてくる保存食、とか』

『アインズさん頑張ってー!』

「アッバルさんったら正直……森の賢王よ、私が勝った暁には我々の配下になってもらう!」

「それほどの大言壮語を吐くとは面白い奴でござる。その言葉受け取ったでござるよ……! それがしが勝ったならば、その命! 貰い受けるでござる!」

 

 かくして、ハムスターと人間型モンスターの戦いは幕を開けた。

 四足自立歩行型保存食(もりのけんじゃ)にアッバルがボンレスハムと名付けようとしたのを止めハムスケと名付けたアインズのネーミングセンスは、さて、センスが良いと言えるのだろうか。




アッバルに配慮してゆっくり歩いたし休憩もとったため、原作よりゆっくりした旅路となっております。


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六話

 空腹とは健康の証明だ、アッバルはとても健康である。解凍された人間の腕の肉をもっちゃもっちゃと噛みながら、言葉の通りに幸福(にく)を味わうアッバルはいま、ユリに世話を焼かれつつ食事中だ。蛇だというのに羊のようにウメェウメェと鳴いている。

 

 ハムスケを保存食……非常食……いや、動く肉の塊として配下に加えたあと、四時間ほどしてカルネ村へ着いたアッバルら一行。まだ日没まであるとはいえこれからが暗くなるところ、今日は休むべしと、先日の襲撃もあり空き家となった家をそれぞれ割り当てられた。哨戒は小鬼らが行っているため不要だといい、アッバルにとってはただ着いて行って着いて帰るだけの簡単なお仕事の折り返し地点を、固いとはいえベッドの上で過ごすことになった。

 だが、それにママが――ママ志望の者は別にいる、止めよう――いま現在ママのような立場のナーベが否やを唱えた。彼女曰く、こんな薄い布団ではアッバルが冷えてしまう。昼夜の区別などないアインズやそれに従うつもりのナーベは布団で眠るわけがなく、アッバルは一人寝になる。それはいけない。小さい蛇の身一つではすぐに冷えて冬眠してしまうに違いない。

 

「ですので、一度アッバル様にはナザリックへ戻って頂くべきではないかと」

「なるほど一理ある。――アッバルさん、ナザリックで寝ますか?」

「うーん……そうですね、大事をとってナザリックで寝ます。朝になったらまた戻って来たら良いんですよね?」

「ええ」

 

 アッバルの頭の中でパチパチと打算のソロバンが打たれた。――ナザリックへ戻れば肉がある。それをもらえば腹ごしらえになるだろう。なにしろオヤツに最適なお肉(しっこくのつるぎ)良い匂いのする非常食(ハムスケ)が身近にあるのだ、胃はぐぅぐぅ鳴っている。アッバルはいまや餌の乗った皿を前に待てを命じられて一時間の犬のような心地で、この後はもうどうなっても良いから漆黒の剣でもンフィーレアでも食べてしまいたいと思うほどだ。

 どうせ一人寝をすることになるならば、空腹と交流を深めパーティーメンバーに悶々とする夜を送るより、満腹をもって気持ち良く眠りの世界に誘われたい。

 

「分かりました。じゃあ戻ってますね」

 

 そうして今に至るわけだ。ナザリックへ〈転移〉すればすぐにプレアデスへ連絡が行き、アルベドとユリらがアッバルを出迎えてくれた。いまユリは嬉々とした様子でアッバルへあれこれとしてくれている。

 

 アッバルには食事のテーブルを和気あいあいと囲んだ覚えなど薄い。金の力を知っている者は時として、己の身が「家」の金儲けに不要と判断すれば、自身や自身の子すら粗末にできる。彼らはそれを当然として、当然のように生きている。そこに疑問を持つことはない。彼らもそうして育ったのだから。

 母親の悪く言えば放置気味な、良く言えば個々の時間や予定を勘案して各々の自由に任せた三食の提供に慣れたアッバルには、ユリの世話焼きは「そういうこともあるんだな」程度の認識だ。投げやりと言うべきか、自身が面倒な思いをしないのであれば好きにしてくれと考えている。

 

 とはいえ、これはやりすぎではないかとアッバルも思わなくはない……わざわざ部位毎にスライスして提供されなくとも、丸ごと出してくれれば一瞬で腹に消えるのだ。さあ味わって食えとばかりにスライスなどされたら、味わって食べるしかないではないか。三人は食べたいのをこうもチマチマと食べても物足りないこと物足りないこと、良いからさっさと寄越せとキレないアッバルの忍耐力は褒められて良いはずだ。求めているのはおフランスのコース料理などではない、マンガ肉なのだから。

 

「味はいかがですか?」

「あ、はい。美味しくいただいてます」

 

 口の中の生ハム、ではなく生肉を飲み込んだ調度にそう聞かれ、アッバルはコクコクと頷いた。ブラッドソーセージよりは癖がなく、血の滴るレアステーキをより生っぽくしたような――と言うより生だ。少し冷たいのが腹に来るため明日は下痢になること確実、やはり踊り食いが一番なのだろう、生きていれば適度に温かい。

 確かに、スライスされた肉はそのまま食べるよりも温かくなる。コキュートス冷凍庫から出して暫くしたとはいえ、芯はまだ微妙に凍っていて固い。それが薄切りにされることで表面積が増えるため解けて柔らかくなるのだ。分かっているのだ、ユリがそのつもりでスライスにしていることくらい。だが一つ、ユリは勘違いしている。

 

 瞬間消化吸収には多少の冷たさなど関係ない。時間をかけてもっちゃもっちゃと食べる方が冷えるのだ。

 

 アッバルは空気を読める。体が冷えるのではと心配して、部位毎に切り分けるだけでなく甲斐甲斐しくスライスにまでしてくれているユリの心遣いを無視できるほど、アッバルは無神経ではない。一枚一枚丁寧に味わって食べる他ないアッバルは「美味しい」やら「柔らかくて舌の上で肉がほどけるようだ」やら「降り積もる雪の中に出会った秘湯に足の指先をチョンと浸けたその瞬間のような美味さ」やら「うーん、マン○ム」などと、給仕のユリに飽きを来させない感想の工夫に精神力をすり減らした。途中からもう自分が何をどう言っていたのかなど思い出せない。とりあえず色々と言った。

 

 ようよう騎士を二体食べた頃には既に夜明け近く、アッバルはカルネ村にあるベッドから目を逸らして外を見た。眠る時間はもうなく、そして……なんだか腹が痛かった。

 

 

 ンフィーレアがポーションの秘密を探るため近づこうとしたバァルの親モモン、いや、アインズ・ウール・ゴウン。第三位階の魔法を使い、自身ほどもある大剣を振り回し……モモンは単なる英雄ではない、伝説の英雄になるべき存在だ。そんな彼と彼の娘を利用しようとしたことが恥ずかしく、謝罪を受け入れられたあともやはり気は沈んだままだ。

 こちらへ来た時にはいつもエンリの家の軒を借りているのだが、小鬼がいるとはいえ少女二人と同じ屋根の下で一晩を過ごすのは憚られた。しばらく前までは仲良し老夫婦が暮らしていた家を借りて布団に入るも、眠れない。頭が冴えてしまったのだ。

 

 カルネ村へ着いた時は本当に驚いた。小鬼が柵なんて立てて警護しているし、それを従えているのはエンリだという。先日襲撃を受けて村は一度半壊したものの、小鬼の活躍によって以前よりも防衛などの面が強化されたとか。そして――エンリたちを治したアインズ・ウール・ゴウンの真紅のポーション。偶然とは思えなかったのだ、神のポーションに辿りついた者がもし多くいるならば、既にその噂が広まっていてもおかしくないのだから。

 ンフィーレアは鎌をかけ、そして正解を引き抜いた。圧倒的な力で森の賢王を下したモモンはアインズ・ウール・ゴウンであり、アッバルは彼の娘にしてポーションマスター……いや、火炎の錬金術師、妻にして戦士のアルベド、従者であり剣士であるナーベ、そしてペットはまさかのバジリスク。バジリスクをペットにするなど前代未聞、幼生だとしても麻痺の魔眼と致死の毒を持つ生き物なのだ、従えるならまだしもペットとは。

 

 偉大な英雄には、そうならざるを得なかった理由がある。詳しい伝承は知らないが、かの十三英雄も何かしらを背負っていたという。英雄には英雄にしか背負えない責があり、その責を負いながらたった二本の足で立てるからこそ、人を惹きつけ嵐の目となれるのだろう。

 ならば。アインズ・ウール・ゴウンはどのような責を負っているのだろうか。娘の心の成長速度だろうか、それとも他に何かあるのだろうか。

 

 思考に浸かれば、余計に眠気が遠のいて行く……ンフィーレアは半身を起こした。窓から差し込む月光は冷たく、さっさと寝ろと言わんばかり。月の女神が冷徹に描かれるのはこのせいだ、柔らかい月の光などと言う者は多いが、案外あの女は冷たい目をこちらに投げかけている。日光ほどではないが目に突き刺さる月光、ンフィーレアは窓に頭を向け室内を見回す。

 先ず視界へ飛び込んでくるのは老夫婦が使っていたため、背が低く丸みを帯びたテーブルだ。長年の使用で表面は傷だらけ。あのテーブルの上で老夫婦はチーズや堅パンを切り、果物を剥いたのだ。ンフィーレアも小さい頃はお世話になった二人――彼らと会うことはもう二度とない。長らく平和で、他の村に比べてモンスターとの悪縁が浅かったカルネ村、ここを襲ったのは人間だ。

 何故人と人は手を取り合えないのだろう。国同士はしのぎを削り合うのだろう。人が人を傷付けるのだろう。明確すぎるほどに明確な人類の敵がいると言うのに。人類の敵は冒険者が倒しているから、自分たちは陣取りゲームをする、というのはあんまりだ。

 

 それはつまり、人類が纏まらねばならない共通の敵がなくば、人類はいがみ合う道を歩むということではないか。

 人類に必要なのは英雄ではなく、魔王だと言っているようなものではないか……。

 

 ンフィーレアは頭を振る。馬鹿らしい、魔王などいないし、現れて欲しくもない。どうにもならないことを青臭く主張したところでなんになる、力もない癖に口だけは達者な馬鹿がと嗤われるだけだ。理想や義、道に燃え剣を振りまわしたところで、平民出身者がなれるのは騎士まで。村や街の若者がいくら声高く理想を謳ったところで、どうせ志半ばにして死ぬ。そういうものなのだ。

 掛け布団から足を抜き、靴をひっかけてテーブルへ。年代を感じさせる古いテーブルだ、傷だらけなのにささくれだったところなどなく、触れれば柔らかくンフィーレアの指を押し返す。何年も撫でられてきた木の温もりにフゥと一つ息を吐く。

 

「僕は……」

 

 志半ばで死にたくはない。剣や魔獣と相対する勇気などないし、武器を振り回す才能もない。マジックアイテムを十全に使えるタレントはあれど、それを使いこなせる器用さもない。

 テーブルを撫でる。優しい触り心地。

 

「明日も早いんだ、寝ないと」

 

 自分に言い聞かせるように口にする。明日は朝早くから森で薬草の採取だ。昼過ぎにカルネ村を起てば、明日の昼頃にはエ・ランテルへ戻れるだろう。

 そうだ、森の賢王をアインズ・ウール・ゴウン……モモンが下したため、もしかすると薬草の群生地などに案内してもらえるやもしれない。今まで入れなかった場所へも行ける。

 

 そうとも、明るいことを考えよう。不安になることばかり考えているから眠れないのだ、希望に満ちたことを考えていれば、次第に眠気もやって来てぐっすり寝られるはずだ。――ンフィーレアはぎこちない笑みを口許に掃いた。子供ならば誰もが憧れ、一度は我こそが次の英雄よと箒の柄を振り回すもの。しかし現実はどうだ、真の英雄というものは人智を越えた地点にいるのだ。魔法にも精通した剣士は人食い大鬼を息切れ一つなく倒し、従者は第三位階魔法の使い手、その娘は心の成長に難を抱えているとはいえ見事な炎の蛇を操る錬金術師兼魔法使い。

 新たな神話はいまこそ始まる。ンフィーレアはその見届け人の一人として、物語の端からそれを垣間見るのだ。

 

 窓から差し込む月明かりは冷え冷えとして固く、どうせお前は部外者なのだと囁く。お前には無理だ、無理だ、無理だ……馬鹿め。

 神の血に、神の智にほど遠いくせに。お前にそんな価値があるとでも思っているのか? 貴き色の薬(れっかするポーション)しか作れないくせに駄犬は良く吠える。見よ、思い出せ、あの命そのものの色をした薬(まことのポーション)を。あの高みに近づけてさえいないのだ、ポーションの街と他から称えられるエ・ランテルの誰も! お前もお前の祖母も!

 ンフィーレアの笑みがひきつる。

 

「なら……ならどうしろっていうんだよ!」

 

 ンフィーレアがテーブルを叩けば、脚の長さが不揃いなそれはガタガタと鳴った。はっとなり殴った手を片手で包み込む。物に当たってどうする。

 

 月光は応えない。ただ冷え冷えと乾いた目をこちらへ投げやり、声に出すことなくこう言うのだ。

 その貧相な頭はなんのためにある、と。

 

 ンフィーレアは窓を――月を振り返る。目を閉じても視界は明るかった。




次話は1000文字程度のものを連ねた番外です。


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番外:美しく尊き星空の下+α

【うつくしいもの】

 

 人型での顔を作りたいので造作を考えてほしい、そうアルベドを頼ってきた子供に、アルベドは彼女のできる最高の笑みを返した。

 

「お任せください、きっとアッバル様のお気に召す姿を作って差し上げますわ」

 

 アルベドの脳はぎゅんぎゅんと回転する。どんな顔を作るか、アルベドに似せようか……その方がアインズとアルベドの愛の結晶のようではないか? いや、凛々しく雄々しく、この世のどのような者よりも美しい存在であるアインズの娘らしい顔にせねばなるまい。

 

 これからご飯なのだ、とぺったぺった歩いてアインズ(パパ)の部屋へと向かうアッバルとそのお付きをするユリの背を見送り、アルベドは堪えきれずその口を椀型に曲げる。豊満な体をぎゅっと抱き締め天を仰ぎ、衝動のままに笑い声を上げた。

 アッバルは支配者としての心得を知った子供、なにせアインズの横でこれ以上ない見本を学んでいるのだ、支配者らしい態度が身に付かないはずがない。つまり、アルベドが作るのはそれに相応しい顔でなければならないということ。威厳のある顔にせねば……娘は父親に似ると良いと言うから、アインズの顔(アルベドのもうそう)に似せよう。

 

 眉は太めが良い、かと言って太すぎず、凛々しく濃度の濃い眉が理想だ。針金のような眉では格好がつかない。額は適度に広く知性を感じさせるように、額から鼻にかけては深すぎず浅すぎずしかしキリッとした彫りで、真っ直ぐだが柔らかい曲線の鼻は折れぬ心と下僕らへの優しさを感じさせる。瞳は夜空の黒真珠に煌めき、切れ長で理知的な目の形。女の子らしい点も必要だろう、白雪の上に薔薇の花弁を一枚落としたような唇は上品に笑みを掃き、頬はサクラ色。これでどうだ。

 

 こうなると全身を設計したくなるものである。アルベドは目の裏に理想のアッバル(アインズのむすめ)を思い浮かべる。緩い曲線を描く胴から瑞々しく伸びる四肢、アルベドと同じ癖の髪を揺らし駆ける、(妄想の)アインズと似た造作の十二・三歳の少女……生きていて良かった。素晴らしい。

 

 顔はアインズに似せたのだ、体はアルベドに似せても問題あるまい。たおやかな四肢は柔らかく、適度に肉がある。イキイキとした両足は長い。胸はまだ小ぶりでAか、これからの成長で適度なサイズに落ち着くだろう。

 

 絵の得意な司書らに何枚も何枚も描き直させ、アルベドがアッバルへ絵を持ち現れたのは数時間後のことだった。司書に鞭を打って、間違えた無理を言って叶えた狂気てk……驚異的なスピードである。

 それが目に焼き付いてしまったアッバルの未来は……ご想像の通りだ。

 

 

 

 

【いとたかきかた】

 

 デミウルゴスにとり、アッバルとはアインズをナザリックに繋ぎ止める楔である。アインズとどのように出会ったのかは知らないが、至高の御方々がぽつりぽつりと消えていったナザリックを導くアインズ(ひかり)に長いあいだ寄り添ってくれていたことは知っている。アッバルはアインズにとって代え難き存在だと知っている。アインズはアッバルを我が子のように思い、アッバルはアインズを親のように慕う……子の養育に、右も左もわからぬ未開の地を選ぶはずもなく、アインズはアッバルを安心できるここナザリックで育てたいと思っていることも理解している。

 だがアインズはアインズ・ウール・ゴウンを守り名を広めるために忙しい。子の養育にのみ集中できる外界の状況でもなし、アインズに腕は二本しかなく顔も一つで目も二つだ。ならばそれをサポートするが下僕の務めである。いまはまだ転移して日がなく情報収集により全体が忙しないが、二月……いや、一月もすれば足元固めができるだろう。

 

 猫ちぐらで鼻提灯を膨らますアッバルを見下ろし、デミウルゴスは唇の端を吊り上げる。子育てなどに関わったことは全くないが、幸運なことに既にアッバルはアウラやマーレより少し幼い程度だ、言って聞かせることが可能なのは大きい。きっとアインズの言うことを良く聞いて、アインズの役に立つよう動けることだろう。

 

 明日、アッバルはアインズに連れられて外界へ出る。ナーベラルが付くとは言え、まだまだ不明なことの多い外界、本音としてはアインズが出ることにデミウルゴスは反対である。情報収集などいと高き御方にさせることではないのだ、末端が集めたものをデミウルゴスらが精査してアインズの下に上げるというのがあるべき姿なのだから。だがアインズはそうしなかった……未曾有、前代未聞、震天動地の大異変において、最も生存率の高いものが最も危うい場所へ行くべきだとアインズが言ったためだ。

 ナザリックを建てるまでは一介の冒険者として暮らしていたアインズだ、人族その他との付き合い方――差別意識を人間共に見せないことに慣れている。そういう点からもアインズが外へ出ることは適材適所と言えなくもないのだ。ただ納得は出来ないが。

 

 猫ちぐらからは小さいイビキが聞こえる。ぷすー、ぷすーという鼻の音に「ハイレグビキニのねーちゃん……」や「即堕ち2コマバロス」なる寝言が時折。ハイレグビキニやソクオチニコマバロスとは何なのか、デミウルゴスは不明にして知らなが、きっとアインズに連れられて来る前に共にいた者の名前ではなかろうか。アッバルはハイレグビキニ、ハイレグビキニの姉やソクオチニコマバロスらと共に暮らしていたのだろう。そしてある時アインズに出会い、異世界への〈転移〉ぎりぎりでギルドの末席に加わった。何故彼らと別れたのかは……少し考えれば分かることだ。亡くなったのだろう。そしてアインズはアッバルを保護したのだ。

 

 アッバルはアインズをナザリックへ縛り付ける存在だ。少なくとも向こう百年は、アインズはアッバルのためナザリックの主の座に留まるだろう。だがその頃にはアルベドでもシャルティアでも良い、次なる楔を生んでいるはずだ。そう思いたいだけだとも言うけれど。

 アインズにとって「後ろ髪を引かれる何か」がここナザリックに存在し続けなければならない。アルベドやシャルティアがアインズの情けを得るまでの時間を稼いでくれているのは、この小さな蛇の子だ。好意的に思わないはずがない。

 

「立派に育て上げて差し上げましょう、アッバル様」

 

 後日、アインズが「アッバルさんの相手、デミえもんやマーレなら許容範囲内」と溢したことで真剣に悩むことになるなど、この時の彼には知るよしもなかった。

 

 

 

 

【ほしぞらのした】

 

 初めて泊まった木賃宿の窓はやはり適当な作りで、木製の窓を開けようと手を掛ければ窓枠から外れてしまった。これではただの蓋ではないかと笑いつつ窓を床に置き、そこから星空を見上げる。

 

 枠に囲われた星空はまるで絵画か何かだ。星空を四角に切り取ってしまった、古びて味わいのある木枠は額縁だ。さあ、今日は木賃宿美術館の開館記念日、星空鑑賞をしよう。どんな絵画よりも美しい天然の美術、今だけはアインズとアッバルだけのものだ。

 

「ここには星座の概念ってあるんでしょうか? あるなら知りたいものです」

「そうですね……そうしたらきっと、もっと星空を楽しめるのでしょうね」

 

 いつもどんよりと暗い、二十二世紀の空。太陽さえも煙がかかったように輪郭がぼんやりとしているのだ、月など満ち欠けすらわからない。暦の上でだけ「今日は満月です」などと言われても実感など湧く筈もない。過去撮影された夜空の映像を流しながらの報道のなんと悔しいことか。

 イルミネーションとは全く違う、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンとも全く違う、天然に出来た美。計算されていないからこそ美しいそれ。輝く砂を撒いた天球……大気圏を突破して、地球の外に出ねば見られぬ遠い芸術。それを枠に切り取った。

 

「きれいですね」

「本当にそうですね。ここに来て、水面に映る月を欲しがる子供の話がやっと理解できた気がします」

 

 けして手に入らない、空に浮かぶ月。いつも綺麗な顔だけを見せ、裏の醜い顔など隠している。

 

「アインズさんはまんまるおつきさまのパンケーキってご存じです?」

「商品名だけですね……冷凍食品でしたっけ」

「それですそれです。私、あれのオマケが好きで、よく朝御飯用に買ってたんです。宇宙センターで撮られた月の写真が入ってて」

「へえ……」

 

 アッバルの説明に耳を傾けながらも、アインズの視線は空のままだ。たしか「まんまるおつきさまのパンケーキ」は朝忙しい家庭を対象とした冷凍食品で、レンジでチンすればいつでも黄色くて丸いフカフカパンケーキを食べられる、というのが売りではなかっただろうか。だがオマケなんてものが付いていたことを、鈴木悟は知らなかった。興味が薄かったからだろうか。

 ただの月の写真がオマケになる、そんな世界出身の二人。アッバルの右前足がある星を指差す。

 

「あそこの星、繋げたら小熊座みたいですね。小熊と言うより柄杓にしか見えないっていう」

「ああ……言われてみれば」

 

 遥かな昔、羊飼いらが星を繋げ神話を作ったように、アインズらも星を繋げあれやこれやと想像を語る。遥かな後、人族が十代百代世代を交代したとき、彼らの道行きが神話となるなど思いもせず。

 

 

 

【ふぞくぶつ】

 

 二十二世紀某所。バリバリと働く官僚の母親に甘え上手な父親、十歳上の兄と八歳上の姉、同じ敷地内に家を構えながらも交流のあまりない祖父母を持つ少女がいた。年の離れた末っ子がゆえ色々と見逃されてきた彼女は、医者になった兄と、官僚になった姉の姿を見てこう考えた。

 私は二人のように要領が良くもないし、頭の出来も残念だ。悪い意味で父親に似たのだろう。だが愛嬌と空気を読むスキルなら二人に勝ると思う。良い意味で父親に似たのだろう。私は官僚になどなれないし、医者など無理だ。ならばどうしようか。

 彼女は自身の父親を見た。甘え上手で空気を読み、エリート官僚の母親をゲットしたうだつの上がらない自然学者だ。書いた論文は鳴かず飛ばず、主要な研究員ではなく副やらサブやらという研究員。だが幸せな人生を送っている。そうだ、父親の真似をしよう。私が稼がなくても、パートナーがそれ以上に稼げるなら問題はない。

 

 彼女は父親を真似始めた。笑顔、空気を読んで、しかし時にはわざと空気を読まずに。愛嬌と打算の隠れた親切心。交流は手広く、儲けの無さそうな仕事を目指す者を切り捨ててはいけない。縁はどこかで繋がっているのだ。

 医者や官僚ばかりでなく、企業のどら息子とさえ彼女は交流の手を広げた。エロゲ話に花を咲かせ、小難しい話からキーワードだけ拾い上げて学び……彼女は中心だった。彼女を基点に交流の輪は広がった。全ては彼女自身のために、だが効果は全ての者に。

 

 大学にて、私服姿の青年が二人、教室の壁に背を預けぼんやりと前を見ていた。教室内は静かだ。数日前とは全く違い、笑い声と明るさが足りない。

 

「静かだな」

「ああ……」

 

 このご時世において大学まで進んだ、たった数パーセントの選ばれた者たち。端から見て、親の金で入学したような頭の良くない彼女はただの付属物だった。口のさがない者は彼女のことを金魚のふんと言っていた。だが違う。彼女こそが、この大学において文理、学年、性別、夢、親の仕事――そのどれも関係ない一大グループを作り上げたのだ。

 二人は口をつぐむ。彼女はどんな職業も、夢も、差別しなかった。懐の大きな人だった。だから、彼らも互いを色眼鏡なく一人の個人として見られた。

 

 酷い置き土産だ、恩を返すべき相手は突然その生命活動を終えた。酷い置き土産だ、全く、本当に……酷い。

 

「葬式、行くか?」

「行かねぇわけねぇだろ、んなもん」

 

 司法解剖に掛けられた彼女の遺体は、昨日帰ってきたという。DMMO-RPGユグドラシル、そのサービス終了と共に息を引き取った者は彼女以外にもたくさんいる。どうせ彼らと同じ結果しかでない、と簡単な検査しかされなかったのではないだろうか、そんな不安が少し。

 葬式は明日行われるという。参加者はきっと、友人だけで二百を超える。

 

 ――彼女の欠点を挙げよう。一つ目は空気を読めたこと。二つ目は交流を広く持っていたこと。三つ目は差別せず誰もと会話し、友情を築いたこと。

 彼女には才能があった。人たらしという生来の才能だ。その人たらしが他者から好かれる努力をしてみろ、結果は火を見るよりも明らかだ。雪だるま式好意とでも言おうか、そのつもりがなくとも好意が深まっていくのだ。多少下種い考えをもって行動したところで、やんぬるかな、生来の才能は砕けない。いつの間にか天使のように崇められ、尊ばれ、(アガペーの意味で)愛される。彼女はそういう星の下に生まれた。時代と性別が違えば天下を統一していただろう……周囲の尽力によって。

 彼女は項羽にはなれない。そんな力はない。彼女は曹操にはなれない。そんな頭はない。彼女は無理を己が手で可能にする才覚も、無理を押し通す体格もない。だが彼女は、劉邦にはなれた。人たらしで、親切で、自分の弱さを知っている。人任せにするのは気楽で良い、成果が上がれば手を打って歓び、上がらねばしょんぼりしながら相手を慰めるのだ。今度がある、大丈夫だ、今度もお前に任せる。彼女は欲しい言葉を欲しいその時に与える才能の塊、口先で人を動かす天才だった。

 

 だから、彼女はアインズと一緒で本当に良かった。父性愛というストッパーは彼女の洗脳(アガペー)ビームを弱めていた。彼女は脇役(ふぞくぶつ)であるのが一番良い。

 そう、アインズと共にいれば、安心だ。



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七話

 今回、下半分がおまけです。女性向けブラウザゲームネタですのでご注意ください。とはいえ、女性向けとは言い難い何かになっています。円周率とか洋菓子の一つとか麻雀で使うアレとかを表す言葉が乱発されます。


 思っていた通り腹を下したアッバルはカルネ村に留まり、昼過ぎに薬草採集を終えて戻って来たアインズらに拾われ再び旅の空の下を進むことになった。現在アッバルの片手にはでんでん太鼓がデンデン鳴っている。中毒になりそうなほど楽しい。

 コンクリートのそれとは違う、どこに小石やデコボコのあるか分らない道――躓きそうになる度ナーベラルに支えられ、最終的にハムスケの背中に乗ることになった。アッバルを支えるためにナーベラルも乗り、ハムスターに乗る小人二人のような図が出来上がる。

 

 肉の上に乗りながら、ゆらゆらと揺られ進むが、村を出て四時間ほどしたところで今日の旅を止めることになった。既に時刻は五時近い、そろそろ今日の拠点を作らねばならなかった。

 

「明日の夕方にはエ・ランテルへ帰れそうであるな!」

「そうだな。やはり森の賢王をモモンさんが配下に加えたのが大きいよな――ナーベちゃん、乗り心地どうだった?」

「黙れ下等生物(ツリガネムシ)、私に話しかけるな」

 

 軽口を交わしながら仮設の竃やらなんやらを用意していく。今晩の食事はカルネ村にてエンリらが用意してくれたという柔らかめのパンと、やはり豆類のスープだ。

 漆黒の剣から離れ、アッバルがスープを器ごと口に突っ込んでズコーとやっている間に、アインズは先ずユリと、次にアルベドと〈伝言〉を繋いでいた――ちなみに魔法を使うために兜を外して頭蓋骨を晒しているが、頭にタオルを被っているので向こうからは顔も何も見えないだろう、きっと。

 

「……ナーベ」

「はっ」

「彼らが寝静まったら、私はナザリックへ一時帰還する。お前はこちらに留まり、私が戻るまでアッバルさんを守れ」

「はっ。理由を聞いても宜しいでしょうか」

「不確定なことゆえ、まだ話すことは出来ない」

「畏まりました」

 

 カポリと再び兜を被りつつそう言うアインズの真剣な様子に、アッバルはアインズに〈伝言〉を繋ぐ。アインズはこの鎧姿になると自分から〈伝言〉を繋ぐことは出来ないため、アッバルから常時繋ぎっぱなしにしているのだ。

 

『なんだか大変なことが起きてそうですが、大丈夫ですか?』

『大丈夫、だと良いんですけどね。シャルティアが敵対したって報告を受けたんですけど、根拠とかはさっぱりなので聞きに帰ろうと思ってます』

『シャルティアって確か守護者NPCの一人ですよね? NPCが敵対ですか……そんなことあるんですね』

『普通はないんですけど、異世界に転移しちゃいましたからね。そういうバグが出てるのかもしれません』

『私の見た限り、守護者がアインズさんを裏切るとかそんなことするようには見えませんでしたよ。きっと何か理由があるんですよ』

『そう、ですかね』

 

 しょんぼりと凹んだ様子のアインズを慰めつつ、アッバルはシャルティアを思い出す。……はっきり言おう。テアトルムでの挨拶時は声だけしか聞いていないため、執務室に現れて挨拶をしていった少しの間しかアッバルはシャルティアの顔を見ていない。ぼんやりとした記憶の中の姿――ゴスロリの、銀髪でどこかおかしい郭言葉の……。

 

『ああ、シャルティアって偽乳さんですか!』

「ぶぅっ」

 

 肺もないのに咳き込むアインズの膝の上、アッバルはそうだったそうだったと笑顔を浮かべる。何度も会ったアルベドやデミウルゴス、一度見たら忘れないだろうコキュートスはまだしも、アウラやマーレはどちらがどちらか区別がついていない。そんなアッバルだ、思い出せただけマシなのだが、その喩えが酷い。

 ナーベラルが目を剥きながらもすぐさまハンカチを取り出しアインズへ渡したが、元々唾液がないので拭う必要はない。兜をずらし恰好だけ拭ってハンカチをナーベラルに返すと、アインズは膝に座る八本足の蛇を見下ろす。

 

「アッバルさん」

「はい、すみませんでした」

「ご理解頂けているようで幸いです。これからはしないように気を付けてください」

「はい」

 

 アッバルとてわざとではなかったのだが、わざとか否かはこの場合関係ない。人間誰しもうっかりがあるゆえ、絶対に口を滑らせないことは無理だ。滑ってしまった時はきちんと誠心誠意謝ることが重要、本意ではなかったと示さなければならない。アッバルは口から器を吐き出し、心を込めて謝罪した。鷹揚に頷くアインズにほうっと安堵のため息を吐く。

 

 空の器をナーベラルに差し出せば、涎まみれのそれをナーベラルは嫌がる風もなく受け取り布巾で拭い始める。まさに嫁の鏡、もし男だったならナーベラルのようなキリリとした美人で良妻賢母な女性と結婚したいと思っただろう。ルクルットと女の好みが被っており、アッバルは余計に彼へ親近感を覚えている。声が出せたならルクレットの「ナーベさん良い女だよなぁ」発言に激しく頷きながら「分る」と連呼していたはずだ。

 だがアッバルは女であり、少しばかり一般女性とは違った嗜好を持っているとはいえ一応は異性愛者だ。女性を口説いたり堕としたりするのはゲームの中だけで十分、クールな美女がト○顔を晒すCGを見ては「アヘ(自主規制)最高だぜ」なんて思っていても実行に移さないだけの理性と常識がある。ちなみにアッバルは無理やり系も好きだ、二次元に限ってだが。

 

 今晩もまた寝ず番をアインズがもぎ取り、漆黒の剣らが寝入って三十分ほど時間を置いてからナザリックへ一時帰還していった。それに手を振って見送り、寝て起きれば朝である。眠ってしまえば数時間など一瞬のこと、揺すられて目覚めれば、柔らかいナーベ(おむね)に包まれた爽やかな朝だ。アッバルには元から胸などない。

 

『おはようございます』

『おはようございます、アッバルさん。よく眠れましたか?』

『やー、グーシュラーフェン(よくねむれました)

『ドイツ語は止めましょう』

『ウィ』

『フランス語も止めましょう』

 

 ちょっと遊びとして絡んでみただけだったのだが止められた。アッバルは首を傾げ、アインズはドイツ人やフランス人に嫌な目に遭わされたことでもあるのだろうか、と考える。次からはこう言った絡みは止めた方が良かろうと一人頷き、〈伝言〉でも「分りました」と伝える。

 

『で、どうでした?』

『原因はだいたい予想できた感じですね。実を言うとシャルティアの問題をさっさと片付けてしまいたいんですが、そうなるとこの仕事を途中で放棄する形になってしまうので……モモンの信頼が始めて早々にマイナスになってしまうんですよね。本当に後ろ髪を引かれるんですが……』

『こちらを立てればあちらが立たず、と言うことですか』

『その通りです……なんで面倒が重なるかなぁ』

『お疲れさま、おじーちゃん。肩揉んであげようか?』

『あのね、せめてお父さんにしてくれないかな? 涙が出そうだから』

 

 肩を竦めるアインズの鎧をペタペタと叩き、アッバルはアインズを労わる。だが『アニメで見たような可愛い孫娘』の真似は不評のようだ。仕方が無い、パパと娘ごっこでアインズの気持ちが楽になるならば、いくらでも付き合おうではないか。漆黒の剣やンフィーレアからは既に父娘と見られているようだし、パパに甘える娘の真似くらい問題ないだろう。

 

『パッパァ~、わたしぃ、新しいバッグと~指輪と~口紅が欲しいな~』

 

 金属製の腕に自らの腕を絡め、ぶら下がる様にして体を揺らす。アインズが頭を抱えた。

 

『不健全で一時的な親子関係ですよね!? それ、血の繋がりとか市役所に提出する書類とか関係ない親子ですよね!?』

『な、何をおっしゃるやら、わたし、サッパリ分りません』

 

 顔をあらぬ方へ背けながらそう答えるが、そのポーズはつまりアインズの言葉を肯定しているということだ。口笛でも吹かんばかりの様子のアッバルの頭に、だが、アインズの手がポンと乗る。

 

『……有難うございます、アッバルさん』

『からかったのに礼を言われましても。――ちょっとハムって来ます』

 

 アッバルはアインズの手から逃れ、美味しそうな匂いの元に駆け寄る。栄養価だけは高いらしいハムを引き千切る様にして食べるンフィーレアらの横、栄養価も味も良さそうなハムに抱きつき、その柔らかい癖に頑丈な毛並みに頬ずりする。流石は森の賢王と呼ばれるだけはある、皮を剥いでコートにしたら丈夫で暖かいそれが出来るだろう。

 

「な、なんだか姫からブルッとするのが来たでござるよ?」

「気のせいです」

 

 アッバルのすぐ後ろに控えるナーベラルの一刀両断に、哀れ、ハムスケはしょんぼりと項垂れる。ハムスケが実はハ(ムスメ)であることに臭いで気付いているアッバルだが、既にアインズがハムスケと名付けたのだ、異論はない。どうせその名で呼ばれるのは自分ではない。

 

 竃に砂をかけるなど片づけを終え、再びハムスケに跨りエ・ランテルへの道程を進み始めた一行。だが出立して三時間、アインズからの威圧が周囲を圧倒していてみな言葉少なだ。やはりシャルティアのことで焦っているのだろう。とはいえども傍迷惑極まりないことに違いない、アッバルも流石に耐えきれず口を開いた。

 

『アインズさん、落ちついてください』

『落ちついています』

『いえ、今のアインズさんは「燃え盛る程に冷静」とか言っている状態です』

 

 アインズは気になる少女のデートを尾行した戦場ボケ少年ではない、もう三十を過ぎた大人なのだから落ち付かねば。馬上ならぬハム上のため手が届かず、仕方なしに腰に刺したペーパーローリング棒でバシバシとアインズの肩やら背中やらを突く。今日からこのペーパーローリング棒は、伸びるカメレオン棒ではなく伸びるツッコミ棒だ。

 

『今するべきは、護衛の仕事を全うしてさっさとナザリックにとんぼ返りすることです。今のアインズさんは心ここにあらずですよ』

 

 アインズの威圧に圧され、馬の足並みも心なしか速い。馬が恐慌状態にならないのはンフィーレアの技能の高さだろうか。

 契約時に拘束時間を六日間と、行って帰るのに必要な四日より二日ほど多めに見積もられていた――と漆黒の剣とンフィーレアの話から聞いている。それが今はまだ四日目で夕方にはエ・ランテルに着くと言うのだ、丸々六日拘束されなくて良かったではないか。

 

『……そうですね、少し焦り過ぎていたようです』

『そう言う時もあります。アインズさんがシャルティアを大事に思っているからこそ焦るんだと思いますよ』

『そう言って頂けると嬉しいですね。NPCは本当に……みな、皆で悩んで作った我が子ですので』

 

 アッバルはそれに「素敵ですね」と返しながら、守護者をはじめとするNPC全員が全員アインズや彼の仲間であるギルメンの子供だとすると、嫁のバラエティが濃すぎるな、と空気を読まない感想を抱いた。サキュバスで小悪魔だというアルベドと最上位悪魔のデミウルゴスの母親は悪魔で、区別がついていないがアウラとマーレの二人は同じダークエルフから。シャルティアは吸血鬼、コキュートスは……どんな母親から生まれたのだろう。やはり虫の見た目なのだろうが、どこをどうすれば子供が生まれるのか気になるところである。

 ……恐怖公については考えない方が良かろう。

 

 ――圧迫感が薄れたらしく雑談を始めた漆黒の剣らと共にエ・ランテルに到着したのは、その日の十六時頃のことだった。

 

 

 

 

 

 

―以下おまけ。本編には全く関係ありません。千野が遊びすぎた代物、これのせいで本編の書き方が頭から抜けてしまい、画面の前で阿呆顔を晒すことになった原因。

 

『スター・システム+α~刀剣を脱がすゲームにうちの蛇突っ込んでみた(酷い風評被害)~』

 

 

 

 アッバルは本日付でこの本丸の主、審神者となった。審神者名がゲームで使っていたハンドルネームそのもののため、醤油顔の日本人に呼びかけるには少し抵抗を感じる名前だ。担当の役人が「あ、ゲームのHN、アッバルなの? ならそれで良いでしょ、呼ばれ慣れてるだろうし」と入力してしまった。ちなみに改名はできない。解せぬ、誠に解せぬ。

 

 アッバルは本丸に入るや、見事な庭や屋敷を探検する間もなく初めてのお仕事を任された。初期刀の顕現である。管狐だとかいう隈取りフェイスな狐の先導に従い鍛刀部屋へ入り、初期刀として選んだ山姥切国広を呼び起こす。

 

「山姥切国広だ。……なんだその目は。写しというのが気になると?」

「いや、まだ私何も言ってないから」

 

 ジャギ様か貴様、なまってないけど。開幕早々これでは円滑な人間関係など結べなかろうに、山姥切国広は絶望的なコミュ障なのだろう。親近感を覚えちゃうぜ。そうだな、とりあえずは思ったことを口に出す癖は治した方がよろしい。

 

「写しだろうがなんだろうが、ぶっちゃけね、切れれば問題ないのよ、私には。貴方は切れ味が良さそうだと思ったから私は貴方を選んだの。おわかり?」

 

 初期刀として選べる、蜂須賀虎徹、加州清光、陸奥守吉行、歌仙兼定、そして山姥切国広(順不同)。名前の中に「切る」と入っているのは山姥切国広だけである。それも切り捨てた相手が山姥である、山姥キラーKUNIHIROの名前は良く切れるイメージが浮かんだ。この刀ならば、歴史修正主義者とやらも豆腐の短冊切りのようにサクサク切ってくれることだろう。同じ刃物だし包丁の扱いも上手かろう、料理が楽しみだ。――刀剣に全く興味のなかったアッバルにはその程度の判断基準しかない。

 そんなことを知る由もなく、山姥切国広は頬を染めつつ「そうか……」と呟いた。まるで乙女だ。

 

「審神者様、では出陣いたしましょう!」

「うん、頑張れー」

 

 はたして、山姥切国広は半裸になって帰って来た。刀剣男士というものは怪我をする度に積極的に脱げていくスタイル、これが女性型であればイヤーンバカァンな感じになっていただろう。女士の登場はいつだろうか。

 

「ちょっと、ねえ。こんのすけ」

「分っております。鍛刀いたしましょう。山姥切国広様の仲間を増やすのです」

 

 違う。いや、違わないが、違う。

 怪我をした山姥切国広を手入れという名前の魔法を施したのち、鍛刀部屋へ移る。資材を全て50でという指示のもと、鍛刀の妖精さんに資材を渡せば20:00の表示。これもまた手入れ札という魔法のお札で「パイパイパトレーヌ♪」と待ち時間をなくし――現れたのは目の下に隈を蓄えていそうな青い髪の少年である。こんなにパイパイ(おにゃのこ)を求めていたのに、裏切り者め。

 

「僕は……小夜左文字。あなたは……誰かに復讐を望むのか……?」

 

 目下、アッバルが復讐すべく望んでいる相手は政府である。そして女士を生み出さない鍛刀の妖精さんだろうか。別の名前を付けさせろ、おむねを出せと。だがそんなことを他人に、それも出会ったばかりの者に言うわけもない。

 

「今のところ復讐の予定はないね。それにこの山姥切や君には歴史修正主義者と戦ってもらわなきゃいけないからね、復讐するとしてもきっと君を使うことはないかな」

「そうか……」

 

 小夜左文字はふにゃりと微笑んだ。小夜が復讐に利用され続けてきた短刀だなどと知るわけもないアッバルは、何が小夜のつぼだったのか分からず首を傾げる。

 しっかりとした意思を持った、自らの二本の足でしっかりと立つ主。小夜は嬉しかったのだ……この主の下でならば、復讐など考えずにただ本業(たたかい)のことだけ考えていられるだろう。小夜左文字のピュアな心はいつか、アッバルの(おっ)πに固まった考えを切り裂いてくれるはずだ。きっと。もしかしたら。

 

 デレ期に突入した二人……二振り? を従え、お次は刀装なるものを作るとこんのすけに言われ神棚へ。正座をし、ブッダンサラナンガッチャーミとか三法でも唱えれば良いのかと思いつつアッバルがこんのすけを見下ろせば、なんと刀装を作るのは刀剣男士の仕事であるという。ここにアッバルがいる必要はあるのか。

 切りんぐマシーンたる山姥切ではなく目付きのヤバいちびっこに任せてみれば、歩兵上、騎兵上、歩兵並。これが良いものなのか悪いものなのか審神者業初心者なアッバルに判断がつくはずもない。とりあえず誉めておいた。

 

「この刀装は刀剣男士の皆様を守る盾であり、力を底上げするブースターでもあります。折らないためにも必ず刀装を着けて差し上げて下さい」

「上がったり下がったり忙しい語尾だね」

「はい?」

「ううん、なんでもない」

 

 頭の中で「あがってんのーさがってんのー♪」と流れたことは、あえて口に出すようなことでもあるまい。

 

「じゃあ小夜はこの歩兵上、山姥切国広は騎兵上に歩兵並を着けて、またいってらっしゃーい」

 

 さきほど山姥切国広が身ぐるみを剥がれ、とてもセクシーになった曰く付きの戦場へ二振りを送り出す。……五分とせず、相手を消滅させて帰ってきた。テンションが上がると舞うという、誉れ桜なるファンタジー効果を頭上でヒラヒラさせる山姥切国広は、そのイケメンフェイスもありとても眩しい。アッバルは目を細めた。宝塚みたい。いや、桜咲く国(広)ならNewOSKだ。さくらさくら~♪

 

「なんだ……?」

「ん、山姥切国広は凄いなと思って」

 

 ここまで花が似合う美形など、アッバルは初めて見た。桜以外ならユリや鈴蘭が似合いそうだ、清楚っぽいから。

 

「そ、そうか……」

 

 山姥切国広は赤く染まった頬を隠すように布を手繰り、顔を覆う。乙女かな。――一句詠めそうだ。布手繰り 顔覆いたる 山姥切。字数が合っていないうえ季語が無い。やり直し。

 

「こんのすけ」

「はい審神者様、心得ておりますとも! 次の鍛刀ですね!」

 

 違う。あれ、いや、違わないか?

 

「今回からは審神者様がお好きな配合で鍛刀することが可能ですので、そうですね、全て350などは如何でしょう!」

「分かった」

 

表示は2:30、「パイパイポ○ポイプワプワプー」と手伝い札を放れば現れたのはきっちりとカソックで身を固めた青年だった。純和風本丸にカトリックのクリスチャンとはこれ如何に。しかしそれよりも重要なのは胸部装甲と股間の棒のあるなしだ、今回もやはり女体では(おっぱいが)ない。ここはシスター服の美少女が出るべきであったというのに……!

 

「へし切り長谷部、と言います。主命とあらば、なんでもこなしますよ」

「そうか。なら頼りにさせてもらうよ」

「はっ!」

 

 なんでもこなすと言ったのだ、そのうち女装もこなしてもらおう。似合うかどうかが問題なのではない、気持ちが大事なのだ。アッバルのために恥ずかしがりつつも女装してくれるその心が大事なのだ……。パワハラ本丸待ったなし。

 鷹揚に頷くアッバルに跪き、へし切り長谷部は嬉しそうに笑んだ。その笑顔が曇る日は近い。

 新たな仲間:ISDNはせべちゃんの刀装を小夜に頼めば、嬉しそうに玉鋼やらをコネコネ……歩兵上と騎兵上だ。またいってらっしゃいと三振りを追い出したはずが、すぐに帰宅した。今度は小夜の頭上に桜が舞っている。三振りとも無傷だ。

 

「みんなよく切れる刀でとても嬉しいよ」

「そう……」

「主のため、次こそは誉れを持ち帰ってみせます!」

「あんたのために強くなる」

 

 ぶっちゃけむさ苦しいので、次はもっと時間のかかるところに行かせよう、そう決めた。しかしそうなると三振りだけでは不安だ。

 

「六振りで一部隊だというし、もう少し鍛刀してみようか」

 

 満たせ満たせごっこをしながら鍛刀すれば発言と雰囲気がエロい鬼太郎と大太刀持ったショタ、眼帯にスーツ着用の厨二っぽい青年が現れた。にっかり青江、蛍丸、燭台切光忠である。ギョロ目の青髭でなくて本当に良かった。

 ――さて、山姥切にへし切り、燭台切と、名前からして「何かを切りました」と言わんばかりのこの布陣。とりあえず切れれば良いというアッバルの考えが反映されたのだろうか。予想通り名前に「切」が付く燭台切光忠は料理が上手いそうな。我が本丸の食事事情に死角無し。

 山姥退治に使われ、怪物を切った山姥切。復讐のために人の血を浴びた小夜左文字。坊主を棚ごと圧し切ってやったぜ、というへし切り長谷部。幽霊を切ったというにっかり青江。刃零れしたものの蛍の力で復活、またザクザク切れるぜという伝説持ちの蛍丸。ムカつく小姓を切ったらついでに燭台も真二つになった燭台切光忠。……きっと次に来る刀剣は三十六人切りの歌仙だ。ちなみに女性関係のことではない。

 

「ねえこんのすけ、刀剣に女の子はいるの?」

「おりますよ? ですが女士は『しんけん!』、男士は『とうらぶ』となっております」

「明確な住み分けきっつぃわ……」

 

 むさ苦しい刀剣男士らを見ながらアッバルは微笑む。そうとも、飽きたら退職すればいいんだ。そして今度は「しんけん!」に移ろう。

 だってここにはおっぱいが足りない。申し訳ないが、アッバルはBLではなくNLやGL派なのだ。ふええ、百合尊いよぉ……。




 おまけは続きません。ネタを入れたいだけの人生でした。


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八話

 指定したレベル――種族レベルでも職業レベルでも、どちらでも選べる――をゼロにするアイテムがある。アイテムガチャを回しに回したアインズはもちろん、初心者のお助けアイテムとして一人につき一個配られたお陰でアッバルもそれを持っている。

 アッバルはアルベドについ先日、といっても昨日一昨日のことだが、顔の製作をお願いした。数時間後に凛々しい造作の美少女の全体図を持って来られた時には「流石は守護者統括、仕事が速い」と唾を飲み込んだ。そして「でもこれじゃあ十二歳かそこらですよ、想定年齢おかしくない?」という言葉も飲み込んだ。

 アルベドの顔は何故か恍惚に染まり、アッバルにとって彼女は恐怖以外の何でもなかった。

 

 アッバルがエルダーバジリスクになりたいと考えたのは、現在の不便さが要因であった。〈伝言〉でしかやり取りの出来ない状態は、コミュニケーション手段が残されているとはいえストレスが溜まる。

 それに加え、視界が無いのも苦しい。躓きかけてはナーベラルに支えられるたび、人と言うものはかなりの部分で視界に頼って生きているのだと知らされる。進化時に顔などの設定を変えられるのだ、その機会にでも目と口を付けたい。皆の余裕があるときアインズと相談しよう、そう考えていたのだ。

 

 ――いま、アッバルは選択を迫られていた。アインズとナーベがギルドでハムスケの登録をしようというところだということは〈伝言〉で知っている。今すぐ助けに来てもらえるとは思えない。いや、すぐに助けに来てはくれるだろう。彼は仲間思いだ。だが、視界の利かないアッバルがこの狂った女やその仲間らしき男たちから、いま、逃れる手段はないのだ。視界が利かぬゆえ火炎系の薬を投げまくるわけにもいかないのが辛いところ。装備品と言えば腰に差したる伸びるつっこみ棒、懐にはでんでん太鼓……駄目だ、これは詰んでいる。

 人の体とは不便なもの、声の方向でどのあたりに人がいるかは分っても、どの程度の距離で何時何分の方向にいるのかまでは分らない。いくら魔法が使えても、対象を定められなければ意味が無いのだ。人間形態で活動することを想定せず、人間形態にデメリットを重ねることでバジリスクの身を強化していたアッバルは、つまりそれだけ余計に不便なのだ……。

 

『モモンガさん、モモンガさん』

『どうしました、アッバルさん。そちらで何かありましたか?』

『もしギルドで「エルダーバジリスクが出たー」とかなんとか騒ぎが起きた時は、それ私ですのでモモンガさんが倒すふりお願いしますね』

『……ハァ!? ちょ、待って下さい、何が――』

 

 指定した職業や種族を消去するアイテムを頭に念じながらアイテムボックスへ手を潜らせれば、手の中に小さなクリスタル。目で見て確かめられないのがやはり不便だ、だがこれがその消去アイテムであることは間違いない。エルダーへの進化のツリーが開かれたとき、アッバルはこれを長いあいだ手の中でこねくり回したのだから。

 

 クリスタルを砕き、捨てるのは『採掘師』。カンストしている職業だが、今のアッバルが取得している必要は全くない。後悔は少しあるが、ナザリックにいる限り、NPCのみなさんが代わりに採掘でも何でもしてくれるはずだ。有難うナザリック、良い下僕(パシリ)です。

 そして取得する種族は、取得条件を満たしたまま宙に浮かせていた『エルダーバジリスク』。エルダー、グレーターもしくはギガント、そしてエンシェント。進化のツリーにはまだ先がある。だが、いまアッバルが取りうる手段はエルダーバジリスクになるという、上へ伸びる進化の枝。願えば手が届くはずだという確信があった。タップできるコンソールは今やないが、願えば……。

 彼女はその枝へ手を伸ばし、掴んだ。

 

 ――だが期待というものは外れるように出来ている。次にアッバルが知覚したのは、真っ白く狭い中に丸まる自分の姿だった。

 

 

 

 仮面を付けた少女がクリスタルを砕くと、身を守る様に白い膜が現れ彼女の体を覆っていった。まるで卵、表面は濡れたように艶めいており、柔らかそうだ。

 

「モモン殿のことだ、娘の身の安全を第一に考えアイテムを渡していたんですね」

 

 このパーティのリーダー、美男に分類される顔の男はそう口の端を上げる。これで守るべき相手、逃がすべき相手が一人減ったと思っているのだろう。あのニニャと呼ばれた背の小さい少年とクレマンティーヌらの目的である少年・ンフィーレア、そして仮面の少女を逃そうとしていたのだから。

 

「んー、面白そうなアイテムじゃん。斬り刻んでみたくなっちゃう……でも今はぁ、タレント持ちの君! 君だけが欲しいからさー」

 

 だからさ、とりあえず君以外の全員ぶっ殺して、この白いのは君と一緒に持って帰れば良いよね!

 クレマンティーヌは舌舐めずりする。切るよりも突き刺すことに特化した双剣に舌を這わせ、狂喜に染まった目を漆黒の剣らに向ける。デザート(しろいの)は最後でなくては。甘く、滅多に食べられないからこそ余計に美味しく感じられる珍しいデザート。今日ばかりはディナーをさっぱりで済ませよう、この面白いデザートをより楽しむために……。

 

 

 アインズがどうにかギルドに言い訳をしてバレアレの店へ駆けつけた時、既に店内は静かであった。途中で拾ったリィジー・バレアレと共に店の奥、居住スペース兼工房へ踏み込めばムッと籠った血の匂い。ペテル、ルクルット、ダイン、そしてニニャ――彼らの死体が物のように放られていた。死体の中にアッバルの姿が無いことにほっと安堵し、しかし同時に彼女がどこへ消えたのか眉間に皺を寄せる。どこだ、どこに消えた。アッバルはどこへ行ってしまった。連れ去られたのか……もしくはシャルティアを洗脳した本人、ないし本人の所属する団体に洗脳された可能性もないではない。ああ、苛々してくる。

 

 アインズが救うつもりなのはアッバルだけ、ンフィーレアに関しては恩を売るのに使わせてもらおう。リィジーの身柄を報酬として契約し、本格的に彼らの居場所を探る。

 地下水道など行くはずもない。彼らがダイングメッセージなど残せるとは思えないし、奪われたプレートの場所を探れば確実に正解に辿りつける。プレートの位置は街外れの墓地、やはり地下などではない。

 魔法の重ね掛けをして、さあ、誘拐犯をとっちめに行こうではないか。

 

「ナーベラル、アッバルさんはバジリスク形態になっている可能性がある。それと……洗脳されているかもしれん。その時はどんな手段でもってでも気絶させ、無事にナザリックへ届けよ」

「畏まりました」

 

 エルダーバジリスクがどうの、とアッバルは言っていた。身を守るために進化を選んだのだろうか。あのままでは無理だと判断したのだろう、単なるバジリスクでは勝てない、と。

 初心者用に誰もが一つはレベル消去アイテムを配られている。アッバルも持っていたはずだ――どれを消去したのかは分らないが、きっと何かを犠牲にした。アインズがその場におれば、彼女にそんな選択などさせなかったのに。

 

 ハムスケの登録にどれほどの時間がかかるか分らなかったため、ここで休んでいるようにとンフィーレアに着かせた。それが間違いだったのだ。握り締めた手から、ギリィと金属同士が軋む音が響く。ハムスケの登録に引きとめられた、あのたった少しの時間が憎い。この世のどこかにいるやもしれない敵対プレイヤーへの身バレを恐れ、ユグドラシル金貨の換金を躊躇った自分も。潰せば良かったのだ、元の形が分らないように、潰して金塊として売れば良かったのだ。手段はあったのだ。

 

 失くした腸が煮えたぎるような心地。目の前がチカチカとフラッシュし、間欠泉のようにブシュ、ブシュと言葉にならない単語が喉仏を突く。墓場は近い、ああ、アンデッドが――ただ動かされているだけの骨が、砦を襲っている。シャルティアは洗脳され、アッバルは誘拐されたうえ、もしかすると洗脳された。嫌なことほど、面倒なことほど重なるものだ。アインズをわざと怒らせたいかのようだ……敵は皆殺しにしても足りない。

 指を一本ずつ引き千切ると言うのはどうだろう? 両手両足に合計二十もあるのだし、それにどうせ生きては帰さない。ゆっくり失われていく我が身に恐怖し、泣き叫んでくれることだろう。爪先からじわじわ焼いていくのも良い、命乞いする人間の姿が目に浮かぶ。そうだ、ゆっくり半日かけて四肢を引き裂くなんて素晴らしくはないか? ああ、どれも心踊る光景ではないか……。

 

 前線を支える兵士らを越えて墓地へ降り立ち、雑魚以外の何でもないスケルトンを砕き進む。ギルドに預けたままのハムスケがいないお陰で、アンデッド共はアインズに群がることなくただ前へ進むばかり。単純作業しか出来ぬ雑魚スケルトンらの姿には、同じく骨によって構成される存在として憐れみさえ覚える。

 ナーベラルにスケルトンらを砦へ行かせぬよう命じ、着いた先にはリビングデッドのような容姿の男やその弟子か仲間か……フードを目深にかぶった男たち。彼らが口々に訊ねる、一人で来たか否か、どうやってここに犯人がいるか知ったのかなど一円の価値にもならない話題だ。アインズが聞きたいのはただ一つ。

 

「バレアレの店で仮面の少女を捕えただろう」

「仮面の……? ああ、あの白い膜を張った女か。クレマンティーヌ」

「知ってるよー。もしかしてあの子、お兄さんの仲間だった? ごめんねー持って帰っちゃってさ! あの白い膜ってば蛇とか蛙の卵みたいにさ、弾力あり過ぎて刃がぜーんぜん通らないの。表面がヌルヌルして滑るんだよね。いやになるよねー、煮たら蚕みたいに剥けるかなって思ったから今お湯の準備中! でも本人に聞いた方が早いかなー? ねえ、あのアイテムってなんだったの?」

「ほう、蛇の卵か」

「……え、なに、お兄さんも詳しくは知らない感じ? うそー、ソレを人に使わせるー? ま、良いけど」

 

 想像はついた。アッバルは生まれ直しているのだ。さなぎが蝶に羽化するように、アッバルは変態をしている最中なのだ。はたしてバジリスクがエルダーバジリスクに変わる時に蝶や蜻蛉のように変態が必要なのかという疑問はあるが。良かった、〈星に願いを〉でさえシャルティアの洗脳を解けなかったのだ。その対象が倍に増えているかもしれないと考えたアインズの胸中は推して知るべし。

 羽化にどれほどの時間がかかるものなのか分らないが、無事が分っただけで有難い。アインズは兜の下で笑んだ、その時。

 

 ずるる……れるん。

 

 霊廟の奥から、何かを啜りとり舐めるような音がした。続いて建物の奥から聞こえる悲鳴、それも一瞬で途絶える。クレマンティーヌは振り返り、音源を目にするや驚愕を顔に貼り付けた。

 それはバジリスク。体長に対する胴周りの太さを見ると、ただのバジリスクではなくエルダーだろうか? やけに体が小さい固体のためどちらなのか判断がつけられないが、バジリスク種であることは間違いない。真っ赤な鶏冠に深緑の体色、足は八本――何故ここにバジリスクが。目を見てはいけない、鏡を持って戦うべき魔獣。直視できないため戦いづらいと悪名高いモンスターだ。

 

「なんだ、クレマンティーヌ! 中で何が起きている!?」

「ちょっちやばいよ、カジッちゃん。どこから入ったのか分んないけど、いまバジリスクに二人、食べられた」

 

 バジリスクに睨まれる前にと階段をぴょんと跳ねるように降り、クレマンティーヌは口をへの字にしつつカジットへ駆け寄る。その姿にアインズはこれ以上ない愉悦を覚えた。なんとタイミングが良いのだろう、まるでアインズが迎えに来たのに気付いたようではないか。全く素晴らしい。

 

「ふふ、どこから入って来たのか、か。お前たち自身で招いたのさ、そのバジリスクをな」

「――はあ? どういう……まさか、あんた!」

 

 クレマンティーヌに続いてカジットも目を見開く。まさかあれは、始めから罠だったということか。一人を生贄に捧げて生みだした怪物なのか。だとすれば、なんと……なんとおぞましい薬であろう。この鎧の男、カジットよりもクレマンティーヌよりも性質が悪い。彼らはそう判断した。

 

「その通り! あのバジリスクは私の可愛いペットでな……ペットと、ついでに誘拐された子供、その二つを迎えに来たのだよ」

 

 アインズはとりあえず肯定した。彼らがどんなことを考えたのかは知らないが、きっと恐ろしいアインズ像を頭に描いたはずだ。彼らは一歩下がり、しかし、彼らの状況はまた悪化に一歩進む。のそのそと建物の影から姿を現した、丸めの体格をしたバジリスク。それがローブを被った男の一人にバネの如く飛び付き――何も残さず男が消えた。

 

「まいうー」

 

 おおよそバジリスクらしくない鳴き声だが、一人を恐慌状態へ陥らせるには充分だった。アインズは我慢できず噴き出したが。

 

「うわあああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 一人が放ったのは第二位階の炎魔法、火は大概の動物に共通する弱点だ。彼の判断に間違いがあったとは言えない。だが今回、彼の判断は意味を成さなかった。このエルダーバジリスクには火属性への耐性があったのだ。第二位階程度の生ぬるい炎では赤外線治療にもならない。彼が撃つべきは氷結魔法であった、それならば数瞬の足止めができたであろうに。

 次々と消化吸収されていく男たちの姿に、しかし慌てたのはアインズだ。

 

「待て、アッバルさん! 私が殺したと言う証拠を残さなければならないのだ、そろそろご飯は終わりです! めっ! 太るぞ!」

「うー……」

 

 アインズの口調も乱れ、威厳があるようなないような、もはや元の恰好を付けたポーズなど形無しだ。

 カジットは彼の全ての憎しみを込め、アインズを睨む。彼が数年かけて準備してきた全てが、いま、この男のせいで崩されようとしている。許せるか? 否。認められるか? 否。倒せるか? 倒せるはずだ。カジットには奥の手がある。

 

「クレマンティーヌ、奴の隙はわしが作る。お主はその隙を突いてやつを殺せ」

「え、やだ」

 

 いつの間にか少し離れた場所に立っていたクレマンティーヌ、彼女の空気を読まない発言にカジット以下、残った男らが息を飲む。

 まさかこの場で裏切るのか。敵は強大、しかし力を合わせれば倒せるだろう――そう考えていたカジットらに、クレマンティーヌは飄々と言い切った。

 

「だって私、叡者の額冠を使える道具(ひと)が欲しかっただけだし? それに私の足なら逃げ切れるしさー。ぶっちゃけカジッちゃんたち足手まといにしかならないんだもん、仕方ないよ」

「持ち込んだ責任を取らんつもりか!」

「やだなー、責任感なんて持ってたら、元から法国を裏切ったりなんかしないって。んじゃあカジッちゃん、頑張ってねー」

「貴様、それをわしが許すと思うのか!?」

「許すも許さないもないよ、元から単なる協力者ってだけじゃない。あは、変なのぉ」

 

 じゃーねー、といつの間に重ね掛けしていたのか、〈超回避〉や〈能力向上〉、〈疾風走破〉を展開するや、クレマンティーヌは霊廟へ飛ぶ――いや、飛ぼうとした。

 

 アッバルの取得した職業レベルには、カンスト済が三つ、その他に四つあった。カンスト職業の一つであった「採掘師」はエルダーバジリスクになるために消し、残るは錬金術と薬師の二つ。この二つは現状どうでも良い、残る非カンスト職業が問題となる。

 彼女の取得した非カンスト職業は狩人、暗殺者、魔法使い、森司祭。その中で、カンストすれば残像さえ誰の目にも映らず人を殺めることができる職業、それが暗殺者だ。アッバルが取得したレベルはたったの七、しかしその七によって彼女は爆発的な瞬発力を手に入れた。

 ユグドラシルにおいて、アッバルがヒット&アウェイや逃亡によく利用した暗殺者専用スキル〈死之跳躍〉(フライ・トゥ・デス)が、クレマンティーヌを捕えたのだ。ユグドラシル時代、アッバルが暗殺に使うことのなかった悲しいスキルである。暗殺職を極めねば単なる跳躍だから仕方ないといえば仕方ないのだが。ちなみに身に付いたのは瞬発力「だけ」であり、持続力はない。

 

「嘘ォ!?」

「いっただき、したら駄目だった。ねえお姉さん……こっちの予定を(あたま)よくも狂わせやがったな(ひやそうか)

「な、しゃべっ」

 

 ビキニアーマーに覆われた胸部、そこに貼り付いた八本足の蛇がニッコリと笑んだ。

 

「お持ち帰りしたげるよ」

 

 ――クレマンティーヌの記憶はそこで途切れた。




ヒロイン枠に入ったと思われただろうか。だが残念、腹ペコ枠のままである


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九話

今回も下半分――とまでは言いませんが、三分の一程がおまけです。πは驚きの減量。そして今までにない文字数。おまけなど合わせて一万超!


 アッバルがアルベドに頼んだ新しい顔は早々にお披露目となった。もう少しゆっくり決めるつもりだったのだが、なってしまったものはもうどうしようもない。アルベドに渡された紙をそのままコピペして貼り付けた顔はかなりの美少女である。黒々と艶めく瞳、凛々しい眉に柔らかく通った鼻筋、薔薇の唇に桜の頬。ゴマ塩鼻ののっぺらぼうと比べれば月とすっぽん、天と地だ。

 

 だがその白皙の美貌の下半分、口元から下はいま、真っ赤に血で染まっている。

 アインズがスケルトンドラゴン――スケリトルドラゴンだっただろうか、アッバルには細かい名前の区別などつかない――二体を相手に俺TSUEEEEと大剣を振り回し、ヒロイックファンタジーの主人公ばりに輝いている姿を見ながら、彼女はこっそりクレマンティーヌの足を食べていた。生きている物から切り落としたばかりの足だ、サラサラと流れる血はアッバルの口元ばかりか胸元も真っ赤に彩っている。

 

 アインズへの言い訳は用意してある。逃亡防止に食べましたと言うつもりだ。足さえ失くしてしまえばそう簡単には逃げられまい、そうだ、足がなくとも匍匐前進で逃げられるかもしれない。腕も食べておこうか。

 失血死を防ぐため傷口を焼いたが、うっかりスパッツまで燃やした。ノーパン……もしかしなくとも痴女だ、見なかったことにしよう。えっちなのはいけないと思います。

 胸に手を当てて我が身を振り返るべき感想を抱きつつ、クレマンティーヌの腕を切り落とす。上がる血飛沫……太い動脈から、脈動に合わせ波打つように血の噴水が流れる。アッバルの手の中には血に濡れた鎌、アイテムボックスの底に眠っていた低レベル用武器の一つだ。

 クレマンティーヌの体を転がし、残ったもう片方の腕に笑顔で鎌を振り下ろす。今のクレマンティーヌにいくら痛みや刺激を与えても、彼女が目覚めることはない。アッバルが彼女の頭を麻痺させたからだ。バジリスクの固有能力たる魔眼はとても便利である。

 

 足と同じように腕の傷口も焼き、血と焦げた肉の匂いを肺いっぱいに吸い込む。素晴らしい匂いだ。例えるなら子供時代、夏祭りでテンションが上がっている時にフッと香った焼き鳥串の匂い。絡むタレの材料は醤油や豆板醤、ゴマ――強く香るのは醤油の焦げる匂いだ。嗅いだ瞬間ググゥ、と腹の虫が鳴き、子供は親の袖を引き引き店を指差すのだ。アレ買って、と。ウキウキと食べてみたら肉が固いわパサパサしているわで思っていたより美味しくない……そこまで含んでがデフォルトだ。

 血はタレで腕は手羽先だろうか。先ほど食べた足は腿肉、筋肉質で硬かったがそれもアリだ。発達した大腿骨や上腕骨などは少し固めの歯応えがあり、この食感を前の世界の食べ物で例えるならば骨煎餅だろうか。塩焼きにして頂いた鮎の、まるっと残った骨をカラッと素揚げした骨煎餅……高温で熱したお陰で小骨が口に刺さることなく、名の通り煎餅のようにパリパリと食べられる。酒のあてに良い。

 出来るならレモンかスダチが良いが酸っぱい柑橘類ならば許容範囲、果汁をジュワっと絞り、食べるときのあの爽やかさ。七味唐辛子をパッと振ると、唐辛子の刺激とタレの濃さで酒が進む、進む。血のソース(これだけ)でも十分美味しいが、酸味や辛味のアクセントがあれば更に美味しく食べられるはずだ。

 

 魅力的な食べ方を次々と連想してしまい、アッバルの黒真珠の瞳は熱に潤みクレマンティーヌを見下ろす。胸肉なんていかにも柔らかそうだ。どうやって食べよう……皮を残して、脂身を削いでグリルなんてどうだろう。付け合わせは軽い歯ごたえの鎖骨か。ああそうだ、中に野菜を混ぜた 米を詰めて蒸しても良い。すじ肉はすでにほとんど食べてしまったが、腹筋あたりはコトコトと似てカレーかシチュー、カレーなら中辛のルゥにヨーグルトを入れてマイルドな味が好みだ。――だが残念なことに、この女は殺し(食べ)てはならないという。残念だ、本当に残念だ。

 

 アッバルが舌鼓を打っている間に、アインズが華麗に「名前を言ってはいけないある人」似の男を倒したようだ。ギルドに一人残されたサラリーマン(のこってたおとこのひと)の尽力により骨製のドラゴンは大破、例のこの人は物言わぬ死体と化した。

 観戦してくれているとばかり思っていたのか、果てぬ食欲に理性が崩れそうなアッバルを見るや、アインズが「えー」と肩を落とす。

 

「見てくれてなかったんですか?」

「見てましたよ、ちゃんと! ほら、逃げないように足と腕を取ったんですけど、やっぱり不安でしょう。だから絶対に逃げられないように見張ってたんです! とても美味しかったです!」

「アッバルさん……それ自白と一緒です……」

「はい……すみません」

 

 アインズの悲しげな声に流石のアッバルも謝罪した。ノリノリで恰好良く敵を煽り華麗に戦う姿を誰かの目に収めておいて欲しかったのだろう、申し訳のないことをした。アッバルも自分の華麗な姿を見ていて欲しいタイプだ、気持ちは良く分る。

 かなり失礼なことを考えつつ謝れば、アインズの後方からこちらへ駆けてくるナーベラルの姿――闇の中でも昼間の様に明るく見えるアインズらと違い、人族は松明なくば路上の小石が見えない。ナーベラルは砦を守っていた兵士らを置いてこちらへ来たようだ。砦から霊廟までは走っても十分は必要な距離がある、既に日が落ちているうえスケルトンの残骸らで埋め尽くされた道だ、兵士たちがこちらへ来るまでまだまだ時間はかかるだろう。

 

「アイ――モモン様! その者は……」

「アッバルさんだ。エルダーに進化したことで卵にかえってしまっていたようでな……そのまま連れ去られていたらしい」

「アッバル様……なんとお労しい」

「誘拐されましたけど、思ってたより平和で暇でしたよ。卵の中でコピベ作業してただけですし」

 

 ナーベラルがアッバルへ向ける視線は柔らかい。膝を突いてアッバルの顔をハンカチで拭うナーベラルにパフパフしてもらおうと手を伸ばしかけ、口元から胸にかけて血まみれなことを思い出して止めた。

 

「この女はナザリックへ送ろう、こいつに聞きたいことがたくさんあるのだ。ナーベラル、この女をナザリックへ。今だけ指輪を借与する」

「畏まりました。御前失礼いたします」

 

 ナーベラルは頷くと指輪を中指にはめ、クレマンティーヌを掴み上げると〈転移〉で消えた。

 

「アッバルさんにもナザリックへ帰ってもらいましょうか、その格好ですし」

「了解です」

「それと、今回はお疲れ様でした。誘拐されて心細かったでしょう」

「え、と。まあ……リアルで、傷害事件とか誘拐騒ぎとか身近によくありましたし。荒事には慣れてますよ、実は」

「どんなご家庭だったんですかそれ」

「十代くらい続く医者と官僚の家系でして。傷害事件については怨恨のが多かったですね。ちゃんと手術しても死ぬ人はもちろんいますし、恨みなんてあちこちから買いまくり、みたいな。それに単に金持ちを憎んでる人とか、身代金目的の無差別犯とか」

 

 私も銃を携帯していましたよ、と口にする。

 世界全体の治安が悪い二十二世紀だ、日本でも免許さえ取れば銃の携帯は許されている。とはいえ、その免許を取れる人間は限りなく零%に近い。身分のある者が護身用に持つことだけを想定している免許であり、そのため高卒の資格を持つ者であることが免許取得の必須事項だったからだ。

 

 アッバルも通っていた大学には二種類の人間がいた。頭脳で入学資格を得た人間、金で資格を買った人間。アッバルは後者だったが、前者にも後者にも共通することが一つあった。背景に資産があるかどうか――資産家の子や、資産家のパトロンを持つ者であるかだ。中学・高校・大学と計十年分の高すぎる学費は貧困層はもちろん中流家庭でも捻出は困難を極める。しかし中・高・大の校舎は富裕層専用コロニー(アーコロジー)外の、つまり企業の関係者以外が暮らす貧困層の土地にデデンと大きく建てられている。内とは桁が二つ三つほど土地が安いうえ、そこに暮らす貧民など命じて立ち退かせれば良い。ドームに囲われた校舎は貧民らの目の前に悠然と建っているのだ。まるでヴェルサイユを見上げる農夫のように貧民らは「学校」を見上げる。

 

 あそこに通うことができたら……きっと採れたてでシャクシャクした野菜に柔らかいお肉、甘いお米やパンを食べられるのだろう、と。

 

 よって、そこに通う学生らが「金持ちめ」、「貧しい者を搾取するクズに天誅を」と反巨大企業組織から身代金目的に誘拐されたり、殺されそうになることなどよくある話。

 だが、貧困層の子でも小学校時点で宝石の原石と目されればパトロンが付く、こともある。千人に一人付けばマシといった程度ではあるが。選ばれた子は一家・一族の暮らしを引き上げるために死に物狂いで学び、パトロンの下へ就職する。辿り着ける地位は係長まで、しかし使われるばかりの者たちとの差は大きい。彼らにとって大学は未来を手に入れる手段なのだ。殺されてやる余裕など全くない。

 

 そんな状態だ、中高に増して莫大な入学金と授業料を取る大学の警備は当然ながら厳重、校門を入ってからの生徒の命と安全は学校が保証していた。

 とはいえ校門を一歩出れば、大学はその者の命の保証など関知しない。企業の者であれば大学と各アーコロジー間を繋ぐバスがあるが、貧しい者にそのような送迎などあるはずもない。彼らは我が身を己自身で守らねばならなかった。金持ちしか通えない「学校」の生徒だからと無差別に狙う犯罪者も多く、狙われるのはそのような苦学生ばかり……学生や教職員の中で銃を携帯していない者はほとんどいない。取得単位の中には銃の扱い方・撃ち方講座なんていうものまであったのだ。

 アッバルの祖父母は医者だ、所有する病院はアーコロジー外にあり、彼女の暮らす家も外にあった。もちろんアーコロジー内にも家があるのだが。自宅がアーコロジー外(まもられていないばしょ)にあることから苦学生に混じり通学していたアッバルだ、誘拐された程度で泣くような小さい肝はしていない。

 

「それは、なんとも大変そうですね……」

 

 アインズも返事に困ったらしく、捻りだした言葉は苦い。

 

「そういうふうに育ちましたから、大変だとはあまり。だんだん銃の重みに安心を覚えるようになりますし」

「あ、そう……」

 

 先ず銃を携帯することからして縁遠い話のアインズがぼんやりした返事をするのも当然のこと、アッバルはこう締めくくった。

 

「ところ変われば常識も変わるってことですよ」

「あ、うん」

 

 ローマに入りてはローマに従えということだ。先人の言葉は偉大、けだし名言である。

 金持ちには金持ちの常識がある。ある実例を挙げよう――ある人が、立派な日本家屋にお住まいの方に「素敵なお家ですね」と褒めた。するとそのお宅の主人は「いえいえ、私どもは庄屋の家系ではありませんから」と答えた。一般庶民には良く分らない謙遜である。噛み砕けば「庄屋ではない」とは、その周辺を統括していた方のお宅は別にある、ということだ。つまり「そんな褒められるほどの家ではありませんよ。ウチなんかよりもっと地位があって素敵なお宅、余所にありますし。ウチなんて下の方ですよ、下の方。偉くなんて、オホホホホ」と言っているわけだ。意味が分かると少し苛っとくる言葉である。

 そんな言われ方をされてすぐにその意味が分る人間は、そういう世界で育った。帰宅してから頭を捻ってやっと理解できる人間は、そうでない世界で育った。常識とは地方や国ばかりでなく、育ちや資金力でも異なるものだ。それはもちろん、アーコロジーの内と外についても言える。

 

 アインズはアッバルと住む世界が全く違った。受けた教育も、常識として身に付けたアレコレも。アッバルは恵まれていた。アインズは搾取されていた。だがアインズは彼女を羨んだり憎んだりなどできない……元の世界とのよすがであり、ギルメンが次々に消えていく中で彼の心を支えてくれた年下の女の子だから。そして最大の理由を言おう。――彼女はアインズの無学を馬鹿にしなかったのだ。同じ高さで同じ物を見て、そしてあるときこう言ったのだ。モモンガさん、あのとき私を見つけてくれてありがとう。モモンガさんと出会えたからユグドラシルはこんなに面白いんだって知ることができました、と。

 救われるとはこう言うことなのだろう。ユグドラシルをしていて良かったと、目元を覆う機械の下が濡れ頬がひんやりとした。既にアインズはほぼ一人ぼっちに近かった。寂しかったのだ、誰もいないギルドホームは。時々ログインするギルメンもいたが、週に一度あれば良い方、半年以上姿を見ない者ばかりだった。嬉しかったのだ、ここにいる価値があったと知ることができたから。

 

「それなら、ここでは銃なんて必要ないですし気が楽なのでは?」

「そうですねえ……怨恨やら何やらの襲撃に備えなくて良いのはほんと、仰る通り気が楽ですね。それに銃よりも物騒な能力をゲットしちゃいましたし」

 

 アッバルは笑顔を浮かべる。こちらに来て良かったと、柔らかい笑顔を。

 

 

 一分とせず〈転移〉で戻って来たナーベラルと入れ代わりにナザリックへ戻ったアッバルを迎えたのはアルベドで、彼女はアッバルの顔――いや、頭のてっぺんからつま先まで、目を皿のように見開いて観察した。そしてゆるゆると彼女の顔に現れる歓喜の表情……顔の半分以上に口を大きく開いて哄笑する姿は恐ろしいことこの上ない。実を言うとレベル差ができてしまったせいでアルベドから感じる威圧感が増しているのだが、種として進化したお陰か我慢が利くようになった。とは言っても、寝る時は近づかずにそっとしていて欲しいが。

 しばらくしてアッバルが血塗れかつ布を巻き付けただけの格好と気づくやアルベドは顔色を変え、彼女の部屋へとアッバルを導く。

 

 アルベドの使う部屋は新たなギルメンにと用意されたものであるため、さりげなく置かれた備品も品が良く綺麗に纏まっている。扉を入って正面の壁にはアインズ……否、モモンガを表す旗が広げられている。彼女のアインズ個人に対する執着が見てとれようというものだ。

 本来ならばアッバルも部屋が与えられるべきなのだが、ほとんどの時間を外界で過ごす現時点では与えられても意味がない。それに加えアインズがアッバルから目を離すのを恐れていることから、アッバルに個人の部屋はない。現在それで問題が起きていないため、しばらくの間はこのままだろう。

 

「この様な格好でアッバル様を外に出すなんて、ナーベラルは何をしていたの……」

「ナーベラルを責めないでください。私、一度卵に戻ったんで素っ裸になっちゃって。布を巻き付けただけの格好なのはナーベラルのせいじゃないんです」

「なるほど、分かりました。ナーベラルを叱ることはしません。ささ、湯あみいたしましょうね!」

 

 移動した先は浴室。乳白色の壁には時おりピンクや黄色、オレンジといったパステルカラーのタイルがランダムに貼られており目に優しい。床は優しい水色のタイルが隙間なく組まれ、少しざらついた表面は滑り止めだろうと思われる。

 だが湯を出す蛇口は壁際に彫られた人魚の像、その二つの乳房から極太の湯を浴槽へ注ぐという異様なデザイン。……いや、実際に乳房から放水するデザインの噴水はあるけれども、この極太の水量はなんだろう。ミルク風呂に入りたいなどの願望でもあったのかもしれない。是非ともデザイナーとお話ししたかった。

 浴槽は壁に貼り付く半円型で、入ろうと思えば一度に三人ないし四人がのびのびと入浴できそうだ。石の名前は分からないが、浴槽の枠は墨に砂金を散らしたような風合いの岩石を切り出し磨きあげたもの。浴槽の湯は高さが八分目ほど、まだまだ注いでいる最中らしい。

 

 アルベドが「アインズ様と私の間に生まれた愛の結晶、娘と一緒にお風呂……! ゆくゆくはアインズ様と……くふーっ!」と呟いてガッツポーズしているのを横に日光東照宮の三猿になり、アッバルは体に巻き付けていた布を落とす。顎から胸にかけてを鮮やかに彩っていた血は既に乾いており、パリパリという感触が少し不快である。

 アッバルは縮んだ。もちろん身長のことではない、以前も今も百六十センチと少しに変わりはない。そして胸でもない、元から断崖絶壁である。ならばどこが縮んだかと言えば外見年齢だ。アッバルの見た目は二十歳の女性から十二・三歳の少女に縮んでしまった。処理に困っていた腕や脛の体毛の面倒が減ったのは有り難いが、ここまで若返りたいとは思っていなかったのだ。

 

 活動的に伸びる四肢は椿の若葉のよう、古く色の濃い葉の中にパッと目を引く新緑――初々しさと若さ、瑞々しさ、そして命。若さとはそれ事態がエネルギー、夢や希望の詰められた気球を持ち上げる熱量だ。

 この発露は、つい数十分前に作り変えた人造の若さである。そんな若さなどたかが知れる、馬鹿らしい……そう言う者もいるだろう。だがそうだろうか? 人造の美は多くの人を虜にしてきたはずだ。彫刻然り、絵画然り、建造物然り。アッバルは「そのようにあれ」と生まれた。ならばこの姿こそが今のアッバルなのだ。これから伸び伸びと成長する姿が楽しみである。

 中身がどうかは別にして。

 

 眉と眉の間を通り鼻筋を少し逸れて顎先へ落ちる黒髪の房を後ろに流して一つにまとめ、それをタオルでくるりと巻いて押さえる。いまだイヤンイヤンと体を揺らすアルベドは放っておくことにし、アッバルは浴槽から湯を掬い肩からザバリとかける。数日ぶりの風呂だ……桶に溜められた湯に突っ込まれ、ユリ・アルファの手でピカピカに磨かれたことを除けば。

 顎の血を擦り落としながら、アッバルは笑みを浮かべた。某ホモい少年(カ○ルくん)も言っていた――温泉は人類の文化の極みだと。

 日々の疲れはお湯に溶かすに限る。さて風呂に入るなら先ずはかけ湯だ、そして体を洗って浸かろう。

 

 食後の風呂は眠気を誘うものだと忘れていたアッバルが、湯船に頭も沈むまであと二十分。

 

 

 

 

 

 

 

―おまけ―久しぶりにかてきょーリボーンFFを見たので記念に。

 

『スター・システム?+α ver.撃たれては蘇る世界にうちの蛇が転生していた悲劇』

 

 

 

 奥さまの名前はアルベド、旦那様の名前はアインズ。ごく普通とはかけ離れた二人は案外普通に恋をし、ハタからはごく普通に見える結婚をしました。

 でもひとつ明らかに普通と違っていたのは、奥様は魔女で旦那様は骨だったのです! ちなみに娘のアッバルは蛇でした!

 

 アッバルが十二歳のある日、ダーリンことアインズの仕事の都合でアメリカへ転勤することになった。アインズは家族全員でアメリカへ行く気満々だったが、それにイヤと言ったのがアッバルである。アメリカは確かに面白かろう、しかし頻繁に銃の乱射事件が起きるような国になど行きたくない。もう銃はごっつぁんです。

 まだ田舎町ならばアッバルもアメリカ移住を考えたが、アインズの行く先はニューヨークだと言うではないか。加えてアメリカは入れ墨=ファッションという国。「誕生日プレゼントにパパが刺青の店に連れて行ってくれたの!」というアメリカの高校生の話を聞くと行く気が失せるというものだ。

 固すぎる考えやもしれないが、入れ墨のようなものは自分で責任を持てるようになってから自分の金で入れるべきだし、墨を入れた後の弊害などを考えると気楽に入れるようなものではない。弊害を挙げるなら、MRIを受けられなくなることだ。墨に含まれる成分が熱され、入れ墨のある部分が火傷を負うのだ。加え、そこらの無許可の入れ墨屋で墨をさせば肝炎などの病気が感染するおそれがある。服やアクセサリーで十分ファッショナブルになれるだろうに、そんなデメリットを背負うだけの価値が入れ墨にあるとは思えない。

 アメリカを離れ日本で暮らして二十年近いという結婚式の司祭さんは、久しぶりの故郷から帰って来たらこう言った。「離れてる間に従姉も知り合いもマッドになっちゃったよ」と。ちなみに実話というか作者の実体験である。メタな話。

 

 だがイタリアも治安が良いかと言えばそうでもない、長閑な田舎でもなければそこらを残念な破落戸やマフィアがうろついている。例を挙げるなら、街を歩けば背後に幽霊背負ったコロネヘアの青年が無駄無駄言いながら敵を殴っていたり、乳首が見えそうな穴あきスーツの青年がウロウロしていたりするということだ。もしくはスカーフェイスの元軍人なロシア美女が高台から街並みを見下ろし、「この地を制圧せよ」などと部下に指示しているようなものだ。

 そんな場所に一人残るのも心配というか不安だ――アッバルはそこらのか弱い女の子ではないため心配など無用なのだが――そう尻込みするアインズから、アッバルはどこか治安の良い場所でなら一人暮らしを認めるという許可をもぎ取った。

 

 治安の良い場所といえば日本である。アラブの金持ちの中には、我が子を安全な場所で育てたいとして日本に嫁と子供を日本で住まわせている者もいるという。子供を子供だけで外へ遊びに行かせられる素敵な国・日本。日本人は平和ボケしていると言われるが、まったくその通り、例えばアメリカでは子供だけで公園に遊びにいくなど「どうぞ誘拐してください」と言っているようなものである。一晩帰らなくとも思春期で済まされる平和ボケ万歳。

 

 アインズの知り合いに日本人がいることをアッバルは知っていた。バールで知り合い意気投合したらしいその日本人に日本での住居の手配について相談すると、彼は彼の嫁と息子が暮らすという街の不動産を紹介してくれた。アインズパパンは大喜び、だがアッバルは、この時になって少し……不安を覚えた。

 

 並盛町、ずいぶん昔にどこかで聞いた地名であった。

 

 

 晴れ渡る初夏の大空、雲は白くもこもことして大きい。イタリアの学年を終え、アッバルが日本へやってきたのは七月初旬のことだった。友人だけは多いアッバルだ、別れを惜しむ者は多かった。絶対に返事をしろよと言われつつ住所の交換をした結果、彼女のアドレス帳は二百件を超えた。封筒と便箋、郵便切手代で破産する未来が見える。

 

 日本の中学校は学期末、迫る期末試験に泣く学生たちが量産されている。早朝に到着の便で日本に着いたアッバルが並盛に到着したのは八時前のことで、軽いキャリーバックを引き己のアパートへ入るアッバルの耳に「オレはヤマカンで行く。もしもの時の遺書は頼んだ」とか「わぁんママに怒られるよォ! 今まで勉強してなかったんだもォん!」などという声があちこちから届く。

 商店街へは歩いて五分、駅から歩いて十五分の独り身専用アパートは、物をあまり持たないアッバルにとってかなり広々としたそれだ。二十三平米で管理費合わせて三万円、都内ではないとはいえ都心へ電車で二時間という立地の並盛だ、この値段は普通ならありえない。色々と口利きをしてくれた沢田に頭が上がらない。

 

 到着してすぐに始めた荷解きは下校する青少年らの声が聞こえてくる頃に終わった。まだ四時過ぎで日も高い。向こうで買ってきたパスタを手土産に聞いていた住所――沢田のお宅を探すことにする。

 見つけてみれば、沢田家はどこにでもありそうな普通の一軒家である。沢田の話ではイタリアからのホームステイを積極的に受け入れているため幼児から大学生まで色々いるということだ、もう部屋が無いんだよと、イタリアで沢田は申し訳なさそうにアッバルらに手を合わせた。

 

 アインズやアルベドはアメリカンスクールへ行くことを勧めてきたが、アッバルは並盛中への編入を強行した。アッバルは元々異世界の人間であるとはいえ、その元はこの世界に酷似した世界の日本人、日本語なんて習わなくても話せる。

 目指すは中学・高校のマドンナの地位。爽やかで頭が良く将来有望な彼氏を一本釣りすることが目標だ。少人数制であるアメリカンスクールなどに行ってしまったら出会いの可能性が狭くなってしまう、それはいけない。

 

 チャイムを鳴らせば、インターフォン越しに可愛らしい女性の返事。

 

「引っ越しのご挨拶に伺いました」

「あら、少し待って下さいね。今参りますので」

 

 玄関ドアが開くとその向こうにはやはり可愛らしい女性――三十代半ばだろう、笑顔の似合う人だ。沢田家光の紹介で並盛に引っ越して来られたのでお礼に来ました、と土産の入った袋を掲げれば、女性はニッコリと笑んでどうぞ中へとアッバルを促す。

 居間に移れば紅茶と菓子が供され、有り難くそれを頂く。

 

「イタリアからだなんて、遠かったでしょう」

「そうですね……確かに遠くはありますが、それだけの時間をかけて来た価値はあると思います。平和だし、お寿司はあるし」

「そう言ってもらえると嬉しいわ! イタリアで出来ない経験をたくさん積めると思うから、色々とチャレンジしてみてほしいわ。――あ、そうだ、あの人はどう? 元気にしているかしら」

「奥さんの自慢で耳にたこができるくらい元気でしたよ」

 

 まあ! と頬を染める奈々。耳たこと言ったせいで蛸が食べたくなってきた、今晩は寿司屋だ。蛸も頼もう。

 

 紅茶を手にキャッキャと話しているところに可愛らしいタダイマの声、声からして男の子だろうが――何故か硝煙とエスプレッソの臭いがする。居間のドアが開いた向こう、現れたのは幼い子供だ。子供はスーツ姿にボルサリーノを目深に被り、懐には銃を携帯している。大きな瞳がリスかネズミのよう……ハムスケを思い出させる。

 

「リボーンちゃんお帰りなさい! 紹介するわね。アッバルちゃん、この子はリボーンちゃん。息子の家庭教師なの。リボーンちゃん、この子はアッバルちゃん。家光さんの紹介で日本に来たそうよ」

「アッバル・ウール・ゴウンです、よろしくね」

「リボーンだぞ。よろしく頼む」

 

 家光はイタリアでできた一般人の知り合いの子供を、安全な日本で暮らさせてやろうと考えていた。ゴウン家は資産家とはいえ表の住人として振る舞ってきたし、裏の顔など誰も知らないのだから当然のこと。だが、リボーンは「家光の紹介」を裏の住人としてのそれだと考えた。理由は三つある。

 一つ目はアッバルの日本語が流暢であったこと。綱吉の側近となるならば日本語ができていなければならないのだ、事前にある程度会話できるようになっておく必要がある。

 二つ目はアッバルにある程度の戦闘能力があることを見抜いたこと。今生でもアインズやアッバルは世界でも指折りの実力者だ。星の電波を受信する少年が「表・裏関係無しに怒らせたら命がヤバい個人」ランキングを取ったなら、一位アインズ、二位アルベド、三位アッバルとなっただろう。運が良かったことに今まで彼らを怒らせた者は一人としておらず、その実力が発揮されたことはない。ちなみに三人は骨や悪魔、八本足の蛇に戻ればもっと凄い。

 三つ目はアッバルがリボーンにさほど驚かなかったこと。裏の住人であればリボーンのことを知っていてもおかしくない。ゴウンとやらの名前は今まで聞いたことがないが、名を隠して活動している者の方が多いし、偽名の可能性もある。

 

 なぜ報連相しないのだ、家光。貴様はそれでも組織のトップか。

 

「ツナより一つ上だっていうけど、そう見えないわ。もっとお姉さんに見えるわね」

「有難うございます。そう言ってもらえるととても嬉しいです」

 

 なにせ幼児プレイを強要されたことや二十歳から十二歳に突き落されたことがあるアッバルだ、年上に見られる方が嬉しい。

 

 

 

 続くと思うじゃろ? でもこれ、終着点が見つからなくてぶつ切り終了なんじゃ……。実は至高の41人が全員この世界に存在していて、その中のSEとかプログラマがタッグ組んで時代を先取りし過ぎたDMMO-RPGとかサマウォのOZみたいなのを作ってるとか、その会社の重役にアインズが収まってるとか、そんな妄想もしていました。ユグドラシル経由じゃない他の人たちは普通の体だけどユグドラシル経由のアインズやアッバルは人外になってるとか、そんな妄想もありました。たっち・みーさんが某凄い顔なテルミーちゃんの親戚だという設定だって考えていました。名字が巽さんとか、名前が竜美さんとか。

 πに辿りつけなかったのが無念です。おにゃのこを書けなかったことも辛いです。




クレマンティーヌさんを鶏に置き換えたらとても美味しそうな描写になります。是非お試しあれ。
※今晩の日付が変わるまで、五日の活動報告にありますアンケートのご参加をお待ちしております。

追加:コンプティークに載せられた公式設定に合わせるため、明日から一章一話から順に修整してゆきます。はよ……公式資料集はよ……。

追記:全面改定終了


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十話

お知らせ:コンプティークショック(勝手に命名)によりオバロ書籍版の設定が少し公開されたことから、全話加筆修整しました。加筆量の大小はありますがほぼ増えています。


 アインズとシャルティアの戦いは、危ないから近づいてはいけませんと守護者のみならずアインズからも禁じられてしまった。アインズの自室、そのソファに座りテーブルにはむね肉のグリルと付け合わせ、トマトジュースを用意された正面には〈遠隔視の鏡〉。

 

「ホームシアター?」

「ええ。ここで我慢しててくださいね」

「私ってそこまで我慢の利かない子じゃないですよ? 第一怖いですし、ちゃんとここで見てますよ?」

クレマンティーヌ(コレ)

「すみません私は我慢の利かない残念な子です」

 

 テーブルの上でほかほかと湯気をあげる肉を指差され、アッバルは素直に自分の非を認めた。

 

 アッバルがナザリックへ帰還してから五時間ほどした頃、クレマンティーヌが麻痺から覚めた。

 クレマンティーヌは自分の今の姿を知るや狂ったように怒鳴り、全身でもがく様は地に打ち上げられた魚……もしくは突如地上に掘り出されたミミズだろうか。

 だが、手足のないものがよくぞここまで、と感嘆すら覚えるほどの跳ね具合は途中から、デミウルゴスを始めとする嗜虐趣味を持つ者らの肴になり下がった。怨嗟の叫びは天上の歌声、双眸を濡らす怒りの涙は一瞬の儚い命持つ真珠、肉体と床がぶつかり合い奏でられる鈍い響きは太鼓のそれに似ている。彼らはクレマンティーヌの生きの良さ、そしてこのおぞましい芸術を作り出したアッバルを褒め称えた。アインズは彼らの喜ぶ姿に「あ、うん。楽しいなら良かった……うん」と頭を振ったが。

 

 アインズの怒りは方向を見失い、その後のそのそと起床してきたアッバルへ「あー、とりあえず、人の言うことはちゃんと聞くように、うん」と注意するに止まった。運はアッバルに味方していたらしい。

 

「殺す……呪い殺してやる! このクレマンティーヌ様にこんなことをしやがったんだ、精々闇に怯えて暮らすが良い!」

 

 さて拷問か尋問かとその場の面々がわくわくと席を立ったちょうど、クレマンティーヌはそう叫んだ。舌を噛み千切るや勢い良くメイドの足元へ吐き出し、舌足らずな哄笑を上げながら息絶えていった。

 蘇生してやればさぞかし素晴らしい絶望の顔が見られるのではないかという意見も上がったが、こんな面倒そうな女を拷問するより、生け捕りにしたフードの男を拷問にかけた方が手っ取り早い。それに我が家には哀れな欠食児童(バキュームへびちゃん)がいるではないか、とアッバルの食欲が優先された。親切な彼らはアッバルのため、クレマンティーヌを逆さに吊るし首を刈って血抜きしておいてくれたのだ。有難うこのお肉、とっても柔らかいです。

 

 むね肉のグリルを切り分けるのはユリ・アルファの仕事だ。グリルの合わせ、フライドポテトではなく骨が積まれた横にはサワーソースが添えられ、プレッツェルを食べるときのようにどうぞと言わんばかり。

 生ハムのようにスライスされて供されるのは御免だが、このような調理ならいくらでもしてくれて構わない。魔法を重ね掛けしているアインズを鏡越しに見ながらストローに口をつけ、なんとなく息を吹き込みジュースの表面を泡立てる。赤くフツフツと気泡を発する液体は沸き立つマグマを彷彿とさせる。

 

 鏡面に映るシャルティアの……おおよそ武器と呼ぶには相応しくない気がするデザインの物体を見る。良く言ってブキっぽいシャ○プの掃除機、正直な感想を言うならば刺身や寿司の醤油注し。先端がスポイトにしか見えないせいだろう。

 醤油注しに狙われているアインズは魚の切り身か……いや、シャリとは仏の骨のことである。ならばアインズはシャリであり、魚の切り身はどこか別の場所にあるということか。魚はどこだ、魚を出せ! アッバルは特に西京漬けが好物だ。酒精の香りと酒粕の甘味が互いを引き立てあって素晴らしい。辛い酒が欲しくなる。

 

 アッバルの腹がググゥと鳴った。ここ最近、我慢が利かないと言おうか子供返りしていると言おうか、一時「こうしたい!」となると次の瞬間には実行してしまっていることが多い。特に食べることに関してそれは顕著で、このむね肉はもちろん昨晩も四人ほど食べたばかりだというのに、未だ物足りなさを感じている。足りないのだ、まだまだ食べ足りないのだ。あと四十人は必要だと胃が腹が訴えている。

 

 その原因はいくつか考えられる。

 一つ目は進化によって消費したエネルギーを体が補填しようとしていること。だが、これだけでは進化前の空腹感についての説明がつかない。

 そこで二つ目、この体は絶望的に燃費が悪いのではという疑い。蛇はかなり燃費の良い生き物のためこの確率は低いが、あるかもしれないと想定しておいて悪いことはないだろう。

 三つ目は冬眠のために溜め込もうとしていること。だがそうだとすると、既に十数人食べているアッバルがあと何十人も欲するのは溜め込みすぎではないだろうか。

 最後に四つ目、この体が元々飢餓状態にあった可能性。食欲のないアンデッドと違い、生き物たるバジリスクには食事の必要がある。だがユグドラシル時代にアッバルが人間種のプレイヤーに会うことはほぼなく、PKさせて貰ったのはモモンガのみ。モンスターを倒しても手に入るのはクリスタルだけだ。バジリスクとして「何か物を食べた」という経験は一度もない。アッバルはこれこそが原因ではないかと睨んでいる。

 

 アッバルがカルネ村で食べた騎士らは、きっと冬眠を死なずに過ごすには十分な数だった。冬を寝て過ごすあいだ、凍死せずにいられるだけのエネルギーがあった。しかしそのあと、まだ活動可能期間であることをアッバルの体は自覚した。凍える冬(みのりなききせつ)はまだ先だ、と。だからアッバルの肉体は更なる栄養を求めたのではないか……成長するための栄養を。

 同時に、アッバルの周囲は恐ろしいモノばかりである、弱いままではいられないと本能は危険信号を発していた。はやく強くならねば、そのために食べて栄養を得ねば。――そして、十分な栄養を摂らぬまま進化してしまったのだ。取り込んだはずの養分はマイナスに針が振りきれ、いま、アッバルの体は乾ききったスポンジよりも養分(みず)を欲している。

 

 餓えで正気を失わずにいられる理由は、アッバルの肝が据わっているためももちろんだが、最大の理由は「上位者への恐怖」がゆえだろう。アッバルにとって圧倒的強者であるアインズやアルベドに命じられれば、格下が従うのは当然のことである。そしてこれは子供返りの説明にもなる……本能が強まっているのだから。

 そこまで考え、食事の必要性をアインズに伝えなければとアッバルは眉間に皺を寄せた。尋問の末に死んだ騎士らを食べたりと誤魔化してきたが、今のままで良いわけがない。なんらかの時に、なんらかの方法で食肉(ひと)を獲らなければ。食べて、そしてまた進化するのだ。早急に。

 

 〈遠隔視の鏡〉には、アインズがアイスの当たり棒(かきんアイテム)をペキペキと折っては仲間の装備だったという武器を使っている姿。アッバルの背中を流れるのは冷や汗、いや、脂汗だ。こうして客観的に見れば見るほど、アインズとアッバルの間に横たわる絶望的なまでの強さの差は彼女の心臓を締め上げていく。何故って、アッバルにはPVPの経験がない。身近なプレイヤーはモモンガのみだったというのに、どうしてPVPができるというのか。単調なNPCとしか戦ったことのないアッバルに、自律し自立した相手と戦う技能はない。

 死にたくなどない、地に這いつくばる生活などまっぴらご免だ。だが彼の下を離れるという判断などできようはずもない。離別を告げれば殺される……アインズにではない、アインズを盲信する守護者らにだ。彼らはアッバルの行為を裏切りと取るだろう。

 命持つ物としての恐怖。鼠取りの罠に嵌まった鼠の気持ちだ。目の前の猫は自分をいたぶる気で、ニマニマと笑いながらその俊敏な腕を奮う。四発、五発、六発……数えきれぬほどの攻撃に苦しみながら、食われる恐怖とも戦う。死んだら楽になるのか? しかしこの猫に自分を殺す気はあるのか。ただ気紛れにネズミをいたぶっているだけで、飽きたらまたどこぞへ消えるのでは。飽きてくれ! はやく飽きてくれ、どこかへ消えてくれ。

 

 ――だが。アインズに飽きられたら、捨てられたら、アッバルはどうなる。

 

 知っているのだ、アインズは小卒だ。アッバルは親の金で大学まで通っている。嫉妬されていないはずがない、羨まれていないはずがない。

 嫉妬とは、羨望とは恐ろしい怪物だ。人から奪い、人を罵り嘲る正当な言い訳になるのだ。――あの子の家にはお金があるんだから、少しくらい私たちにくれたって良いじゃないケチね。あいつは恵まれてるけど頭悪いよな、兄姉は頭良いのに。

 

 アッバルには勉学の頭などない。だからより一層、人脈を求めた。他人なんてみんな利用できるかできないかの区別しかない。だが、どの人間がどの時にアッバルの助けとなるかは分からない、判断をつけられる目もない。自分以外は誰も彼も頭が良さそうに見える。大学まで来たのだ、九割方は頭の良い人間だ。だから差別しない。皆に等しく、分け隔てなく、同じように親切にする。繋がりとは体力、縁とは権力、友情とは腕力だ。縁を繋いだ相手が困っているときには必ず助けた、少なくとも助けるべく努力した。だから私が困っているときは必ず助けて、私が罵られているときには盾になって、私が苦しいときには共に背負ってね。

 打算だ。打算だとも。だがそれで困る立場の者はいたか? 一人としていなかった。皆に利益があった。だから口のさがない者達は彼女を「金魚のふんのくせに」と、「頭が悪いくせに」と罵っていたのだ、羨んで。いくらでも罵ってくれたまえ、縁を繋ぐ能力に欠けていたのだとしても頭には自信があるのだろう、どうぞ一人で頑張ってくれ。私は人の縁にすがり生きていく。

 

 愛嬌で、優しさで、親しみ易さで、そうして築きあげた蜘蛛の巣状、いや、脳神経のように複雑に絡み合い接続し合った縁。――だが学生生活で築き上げたその縁は、この世界では何の意味もなさない。一人と縁遠くなっても他の友人がいる、という環境ではない。アインズに捨てられたらそこで終わりだ。

 同じ二十二世紀出身の子供であるというだけで、これからずっと庇護してもらえるなどという希望的観測など持てない。進化しなければならない。役に立つことを示さなければならない。飼い犬に番犬としての能力を求めるように、アッバルへも役立つ何かを求めるはずだ。飼い猫にネズミ捕りとしての能力を求めるように、ハリネズミに癒しを求めるように、ただ庇護されるだけの存在でいてはならないのではないか。

 

「ねえユリ」

「はい、どうされましたか?」

「私、強くなりたい」

 

 アッバルは怖がりだ。鏡面の、いま遂にシャルティアへ止めを刺したアインズは強い。だが彼と同等の強さを持つ者達が、彼の下に数多くいる。役に立つと思われなければならない。だが、下剋上すると疑われてはならない。

 アッバルは下でなければならない。アインズより劣らねばならない。可愛い子供でなければならない。使えるペットでなければならない。便利な手足でなければならない。捨てては勿体ないと思わせなければ……殺処分さ(すてら)れないように。

 

 唇を噛む。大丈夫だとも、自分には出来る。死なないために、生きていくために。

 

 

 

 既に、アッバルにしかできない(もみぬいぐるみという)役目があることに、彼女は気づいていないのだ。




~二巻の終わり~
後書きは活動報告に。なお、次話以降の更新はゆったりしたものになることをこちらでも連絡いたします。


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The entremets
一話


※作者は厨二病と唱えながらお読みください。


 アッバルはいま現在、ハニワ顔にかっちりとした軍服、大げさなほどの振る舞いのNPC――パンドラズ・アクターの腕の中で溶けたチーズと化していた。パパ(アインズ)が通路の影からハンカチを噛みながら見ていることなど知らず、パンドラの細長い手の中でぐにゃぐにゃとスライムにされているのだ。

 

「むわー」

Gut(いかがですか)?」

「あー……ぐーと」

 

 「うちの娘が悪い男(かこのいぶつ)に!」という叫び声が上がるがアッバルの耳には届かない。持ち場を離れられないNPCを紹介しようと宝物庫へ連れて行きまだ一時間弱、出会った瞬間から決まっていた二人の運命。

 

 始まりはごく普通、アインズからの紹介だ。武器で出来た眩しい連山を通りすぎ、一つ気合いを入れて墳墓への入り口へ足を踏み出す。

 

「パンドラズ・アクター」

「これはこれはアインズ様……と、横におられるお嬢様は初めてお会いする方ですね」

 

 入り口から三歩ほどの位置で止まり呼び掛ければ、ソファーからくるりと回転しつつ立ち上がり、流麗な動きと言うには大げさでワザとらしすぎる礼――パンドラズ・アクターは顔だけをあげてアインズらの方を見やる。ハニワ顔のため表情は分かりづらいが、なにやら興味津々の様子だ――そしてアッバルもパンドラズ・アクターを目を丸くしながら見ている。

 パンドラズ・アクターからの呼び掛けが「アインズ様」ではなく「アインズ秋刀魚」に聞こえるのはきっとアインズの耳がおかしいからではない。

 

「こちらはアッバルさん、私がナザリックの外で世話になっていた方だ。お前にも紹介しておかねばと思い、彼女の気晴らしもかねて連れてきた。彼女へも私へと同じように扱え」

「かしこまりました、アインズ様。わが創造主たるアインズ様の恩人は私の恩人も同然、Ein schoenes(うつくしい) Madchen(おじょうさま)宜しければこの私に、親愛を込めて貴女をSieではなくDuで呼ぶことをお許し頂けますか?」

「ドイツ語使うなって言ってただろうがパンドラズ・アクター。アッバルさん、これはパンドラズ・アクター、私の作っ――」

「Du bitte!」

「アッバルさん!?」

 

 闇に生きる者たち(ちゅうにどうし)が出会うとき、深淵の歴史(くろれきし)のページは開かれる。出会うべくして出会った運命の相手のように、アッバルはパンドラの元へ駆け出し互いに手を握り合う。見つめあう二人、とはいえ片方は空洞の瞳。しかしそのような些事など二人の仲には関係ない。真実の愛(ちゅうにごころ)があればどんな障害であっても乗り越えられるのだから。

 アッバルを引き留めようとしたアインズの手が宙をさまよった。とても空しい。

 

「はしたないとお思いですか、出会ってすぐにDu(ゆうじょう)を許すなんて」

Nein(いいえ)…これはSchicksal(うんめい)。貴女と私の出会いはきっと初めから定められたものだったのです」

「遠い……アッバルさんが遠くへ行ってしまった……」

 

 ワルツでも踊りだしそうな、そんな滑らかな動きでアッバルの腰へ手をやり自分にもたれかからせるパンドラズ・アクターの手際にはもはや感動しか覚えない。親が童貞を捨てられないままダラダラと三十年近く生きているというのに、どこでそんなスケコマシな技を覚えてきたのか。アインズが遠い目をする中、パンドラズ・アクターとアッバルの厨二心をくすぐる(べつのせかいの)会話は進む。

 

「そう、私たちが出会ったのは運命(シックザル)! 歓迎しましょう同胞よ、私のこともどうかDuでお呼びください」

 

 そしてアッバルを抱えたまま、自身を軸に華麗なターン――と思えば、気づけば跪いてアッバルを見上げている。アインズは顔を覆った。もう見ていられない、恥ずか死ぬ。

 

「ああ、名乗りを忘れた無礼な私をどうかお許しくださいお嬢様。私はパンドラ、パンドラズ・アクターと申します」

「やめて、おれのさんちはもうぜろよ」

「私はアッバルです、Herrパンドラズ・アクター」

「アッバルさん厨二病だったとか知りたくなかった」

 

 手の届かないところに手と手を取り合って飛んで行ってしまった二人を見送りながら、アインズは顔で笑って心で泣いた。帰ってこい、パパはここだぞ。

 

 草臥れた様子のアッバルの気晴らしになればとナザリックの……いや、アインズの汚点、黒歴史の体現、思い出したくない過去の生産物の元へと連れてきたは良いが、まさかここまでハイテンションになるとは予想もしなかった。キャアキャアと嬉しそうに瞳を輝かすアッバルに喜べば良いのか嘆けば良いのか、アインズには分からない。

 ――アインズがシャルティアへの対応に追われている間、アッバルにはデミウルゴスの配下……エロかったり怖かったりするあれらの元でレベル上げをしてもらっていた。エルダー・バジリスクの種族レベルを5にすればグレーターへの扉が開けるのだが、やはりゲームとは違い疲れは溜まるし怪我もする、それに加えてアッバルはポーションや矢を投げたり射かけたりして弱ったところを倒す戦闘スタイルだ。レベルを1上げるのに純粋な戦闘職プレイヤーの十倍以上の時間がかかる。睡眠時間に八時間、三度の食事に二時間、残る十四時間のほとんどをレベラゲに使ったものの、二日で上がったのは3レベル。まだ2レベル足りない。

 

 アッバルは頑張っていた。強くならなければ死ぬとでも言わんばかりに必死な彼女の姿には何故だろう、憐れみを誘われるほどだった。

 だから気晴らしに誘ったのだ。ニグレドは初見ではチビること間違いなしのホラーハウスだから止めて、ギルメンたちの面白い話などの出来る武器庫を選んだ。が、武器や話にももちろん目を輝かせていたが、アッバルがより喜んだのは武器ではなくパンドラズ・アクター。これほど興奮されるとは思いもしなかった。だがまあ……厨二の病を患っているなら仕方ない。

 

「ああ、申し訳ありません、Frau。貴女がお疲れだと気づくのが遅れてしまった私をどうぞお許しください――ソファーがございます」

 

 アインズの精神へ絨毯爆撃どころかクラスター爆弾すら投下して一面を火の海へ変えるパンドラズ・アクターの一挙一動。どこで身に着けたのだか知らないが、少なくともアインズが教えたはずもない大仰なかつ流れるような動作でアッバルを掬い上げプリンセスホールド、そしてソファーへと座らせる。

 

『アッバルさん』

『はい?』

『楽しいですか?』

『かなり楽しいです!』

『あ……そう?』

 

 〈伝言〉で尋ねれば即座に返された肯定の言葉。アインズは精神攻撃でしかない場面に目を閉じた。アッバルが嬉しいなら良かったのだ、そうだとも。アッバルが楽しいのならアインズだって嬉しいとも、たとえSAN値がガリガリと削られ、マイナスに突入そうであってもだ。気晴らしという目的は満たせたではないか――うん、そういうことにしよう。

 

 アッバルの頭をぐいぐいと押してマッサージを始めたパンドラズ・アクターを見ながら、そういえばこいつは自分を無視して平気なのかと考える。しかし、すぐにそれに頭を振った。

 

 アインズは、自分が人に合わせるタイプだと知っている。体調が悪そうだと思えば、自分の欲や望みを押し殺してしまう。サービス終了前のヘロヘロとの会話だってそうだっただろう、あと数十分、三十分で良い、ログインしたままでいてくれれば。共にサービス終了を迎えてくれれば……そう望んでも、口には出せなかった。疲れ切っているヘロヘロの睡眠時間を削るのは申し訳なかったからだ。

 アインズの創造物たるパンドラズ・アクターもその気がある。パンドラズ・アクターはやはりアインズの方を気にしていて、だが疲れているアッバルを優先してやりたいとの思いからソファーに彼女を導いたのだ。その証拠にチラチラとアインズを見ている。

 

 アインズは手を振ることでそれに応え、アッバルはしばらくここで休ませていてやろうと足を伸ばす。つい先日入ったばかりだが、霊廟とその奥、ワールドアイテムをぐるりと見て回ってからまたここへ戻ってこよう。趣味が合って気遣いの上手い(と思う)パンドラズ・アクターと共にいればストレス解消になるだろうし、アインズがここにいて出来ることはない。半時間ほどぶらぶらと時間を潰しても良かろう。

 

 霊廟へ〈転移〉すれば、元の姿からは微妙にズレた姿を晒すギルメンたち……の姿に似せたゴーレムの列。ゆっくりとした靴音を響かせながら進む。

 悲しい場所だ、ゲームを去っていったメンバーの姿を残しておきたくて作った。冷たい場所だ、高い天井に足音が掻き消えていく。まるでこの場所は死体以外の何も、動物だからこそ出す音など許さぬとばかりに。

 

 存在自体が寂しすぎる霊廟を通り抜け、ワールドアイテムを置いた個室に着いて――振り返る。いつか誰かがこのナザリックへ転移してくることがあったら、ここで目覚めるのだろうか。アインズはここを霊廟と名付けた。ならば帰還すべき場所はここしかない。ここで目覚めれば良い。アインズの寂しさを知れば良い。生命としての輝きの全く失せた、人形に息を飲めば良い。アインズは呪詛を口にする。

 

「目覚めるなら、ここで目覚めてくれ」

 

 呼吸する方法すら忘れそうな、人形を相手に暮らす苦しさを知ってくれ。生きながらにして死んでいくような、無為に響く独り言の悲しみを知ってくれ。理解してくれ。苦しみ、嘆き、俺と同じ痛みを感じてくれ。そして抱き締めてくれ、すまなかったと。待たせたなと。そうしたら両腕を広げて抱き締め返し、お帰りと言える。

 

 ワールドアイテムの棚は先日見たばかりであるし、パンドラズ・アクターが常に管理をしているのだ、特段これと言った発見があるはずもない。そろそろ半時間過ぎたろうかという頃、アインズは再び墳墓の出入り口――パンドラズ・アクターの元――へUターン、そして彼の視界に飛び込んできたのは、ソファーの上でぐずぐずに溶けた、というと性的なアレソレ(ウフンアハァーン)を想像してしまうため語弊があるが、見たままを言うならばスライムのような状態のアッバルの姿だった。

 

「お嬢様、とてもお疲れのようですね。腰から肩にかけての筋肉が強張っています」

「んあー」

「ここはどうです」

「うあー」

「ここにあるツボを刺激してやると、肩から頭にかけて走る筋を上手くほぐすことができるのです」

「おあー」

 

 声の長い猫のような声の響く空間。アインズはどんな顔をすれば良いのか分からない、骨に表情はないが。

 アッバルは人型を保てず八本足の蛇に戻っており、足の一本一本をモミモミと揉まれて気持ち良さそうに鳴いている。ここ数日アインズに揉ませてくれないくせをして、パンドラズ・アクターが相手なら揉ませてやっているとは何事だ。思春期なのかなと少し残念に思っていたのに、なぜアインズが駄目でパンドラズ・アクターは許されるのか。人徳の差か? いやいや人徳で言えばアインズが負けているはずがない。そう信じたい。何故だ、どうしてだ。

 

 娘がどこぞの馬の骨に取られる気持ちとはきっと、こういうことを言うのだろう。まだ嫁に出すなんて許さん。デミウルゴスが相手ならまだ許せた、彼なら、まだ、もしかしたら。だが動いてしゃべる黒歴史(パンドラズ・アクター)は駄目だ。いけすかん。コキュートスも駄目だ、彼が相手ではアッバルが冬眠してしまう。マーレはどうだろう?――そうだな、マーレも候補にあげるに相応しい。女装夫(じょそお)だが。

 

 アインズは再び、飛び込むように霊廟へ引き返す。今度は憤然と、がつがつと歩く。霊廟に響くのは癇癪を起した男の足音だ。デミウルゴスに言いたい、アッバル(むすめ)の婚約者候補はお前とマーレだからな、と。でも本命はお前だからな! 本当はどこにもやりたくない、アインズの揉みぬいぐるみでいて欲しいけれど、誰かにやらねばならないならデミウルゴス、君に決めた。

 アインズに自覚はない。その気持ちは嫁の胸を赤ん坊に取られて「嫁さんのおっぱいは俺のなのに!」と嘆く夫の心境そのものだということを。目を掛けていた部下に気づいたら娘を掻っ攫われてしまい「うちの娘をいつの間に! あの野郎いびってやる!」と発泡酒で管を巻く部長の心境そのものだということを。

 

 アインズは沸き上がる苛立ちに霊廟を何周もする。もはや霊廟に先程までの静謐はない。入り口に戻る度に娘が公然とセクハラされているのを見させられるのだ、腹立ちは収まらない。落ち着いてはむかっ腹を立て、気を静めては憤る。ようやっと執務室に戻っても椅子の肘掛けにガツガツと指を叩きつける音が気忙しく響く。うちの子はあいつだけにはやらん。絶対にだ。

 

 

 真面目腐った顔で「アッバルさんの婚約者候補はお前とマーレだ」と言い放ったアインズの正面、呼びつけられて執務室へ出向いたデミウルゴスの困惑は如何ほどのことか。

 

「アインズ様、それは一体」

「お前ならば私の言いたいことを理解してくれるはずだ」

「はっ……」

「下がって良い。マーレへもお前から伝えておくように」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは執務室を辞し、顎に手を添える。マーレへ伝えに行かねばならない。だが、アインズの考えとは? 〈転移〉でテアトルムへ移ればアウラが獣と戯れており、彼女を介してマーレを呼ぶ。

 

「一体どういうことなんでしょう……?」

 

 婚約者候補の話をすれば、困り顔で眉をハの字にするマーレ。

 

「アインズ様のお考えは我々のできる予想など越えて深淵なもの。一つ思い付きはしましたが、きっとアインズ様のお考えの表層しかなぞれていないでしょう」

「えっと、どんなものなのでしょうか」

 

 デミウルゴスはマーレのつむじを見下ろす。アッバルとマーレ、寄り添う二人の姿はまだ想像の中でしかないが微笑ましい。

 

「考えてみなさい、アインズ様が連れて来られたとは言えアッバル様は外様の方。アッバル様は我々に対して今なお緊張されています。婚約という形で身内となったと明確にすることで我々との間の壁を取り払い、よりナザリックへの親近感を覚えさせるおつもりなのでしょう。アッバル様は未来の戦力となる存在、放流してしまうのは惜しい、と」

「な、なるほど!」

 

 年はマーレの方が近いのだ、普通に考えればマーレと婚約を結ばせれば良いだけの話。だがデミウルゴスをも候補に入れるとはどういうことなのか。彼は口には出さなかったものの、一つ、結論を導き出していた。

 マーレで堕とせないようであれば、デミウルゴスがアッバルを堕とせ――アインズはそう言うつもりなのだ。大変な仕事だ。だが、デミウルゴスであれば出来ると信頼されているからこそ任されたのだ。

 デミウルゴスは手を握りしめる。責務の重さと信頼の深さに、彼の胸は熱かった。

 

 

 同じ頃、蛇は悪夢に魘されていた。心地良いはずの眠りは乱され、おぞましいものに飛びかかられて悲鳴を上げる。

 

「この展開知ってる、エロゲとかで知ってる!」

 

 迫り来る巨大なヒキガエル。アッバルの服をその鋭い舌捌きでビリビリに引き裂き、ニチアサの戦う美少女たちの変身シーンがいかに健全であったのか火を見るより明らかなあられもない格好、湯煙もしくはジャ○プのヒゲマーク必須の姿へ剥いていく。餌の癖に生意気だ、蛙は黙って蛇に食べられていろというのに。

 

「アヘ○ダブルピースだけは、それだけは避けたいッ!」

 

 パンドラズ・アクターに起こされ、悪夢から逃れるまであと二分。




SieとDuの違いですが、前者はビジネスライク、後者は友人関係以上の間柄を示す二人称です。また、HerrはMr.と同じ意味です。

※How about アッバルの挿し絵を差し替えました。


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二話

 蜥蜴人を支配下に――その決定を聞いたとき、アッバルの頭に浮かんだのは「蜥蜴が食べられるか否か」だった。食べられるならば興味も湧こうものだが、食べられないのなら記憶に留め置く価値もない。一瞬で消失する料理の数々(ぼうけんしゃたち)に腹を豆狸にしつつ、アッバルは蜥蜴人の味について考える。

 美味しいのだろう、きっと。人食い大鬼や小鬼共も美味しかったのだ、それより知能に優れレベルも高いという蜥蜴人が不味かろうはずがない。なんともわくわくする話ではないか……アッバルには蜥蜴人の徹底抗戦が望ましい、そうすればご飯が増えるのだから。

 

 毎晩パンドラズ・アクターに全身を揉みほぐされるようになって二日、凝りや疲れが解消され体が軽くなったアッバルはいま、エルダー・バジリスクの種族レベルが5になっていた。望めばグレーターに進化できるわけだが、ここで問題が立ち上がった。進化に必要な養分が不足していたのだ。

 進化とは、体というハードを新しくすることである。スマートフォンで言うなれば、数年前の機種を最新のモデルに買い替えることに近い――データ(じが)クラウド(どこか)に保存し、機体(からだ)を更新する。財布に掛かる負担は更新の手数料ばかりではない、機体の価格が一番大きい。つまり、機体を手に入れるために掛かる全ての出費が、アッバルが進化するために必要なエネルギー量の多さと言える。

 

 仮に新しい機種のスマートフォンを八万円としよう。月に掛かる食費は切り詰めた独り暮らしだとしても一万円は欲しいところ、よってスマートフォンの値段は八ヶ月分の食費に相当する。アッバルが最新機種を手にする(しんかする)ためにのは、飢餓状態にない時の食事量が月に大人を四人とすれば、三十二人の大人が要る。それに加えて元々が飢餓にあるのだ、四十人は食べねばアッバルは進化の途中で餓死する。

 しかし、それだけの人間をいますぐ用意することは不可能。NPCらに狩ってきてもらった人食い大鬼なども食べているがまだ足りない。進化にはまだあと数日は待たねばならないだろう。

 

 アッバルは食べすぎてボコンと突き出た腹を見下ろす。消化吸収に優れたアッバルだ、大人の二人や三人食べたところでこんなにはならないのだが、人食い大鬼も合わせて二十人近くも食べれば見た目に現れてしまう。餓鬼か何かのように膨らんだ腹をくるくると撫で、アッバルは一つ冗談を思い付いた。

 執務机で本を読むアインズを振り返り、彼に声を掛ける。

 

「パパー」

「はいはい、どうしたんですかアッバルさん」

 

 最近は父娘ネタをさらりと流すようになったように見えるが、流しているのではなく彼はいまや自身とアッバルのことを父娘関係だと思い込んでいるのだ。それをアッバルが知る日はいつのことだろう。気付いたときにはもう手遅れである、現時点で既に手遅れなのだから。

 

「おめでたなの。パパにも祝ってほしくて」

 

 腹を撫でるアッバルの姿に、アインズは手の中の本を引き裂いた。タイトルは「正しい上司のすゝめ」である。

 

「だからパパ、彼との結婚を許してほしいの!」

「誰だ」

 

 アインズの咽奥から響く低い声に、アッバルは笑顔を凍らせ背筋に脂汗をかく。円滑な人間関係の秘策は「笑顔」である。同じ話題で笑い合うのももちろん良いが、挨拶のときに笑顔を贈るだけでも良い。笑顔を向けられてムカっ腹が立つことは滅多にあるまい、ほとんどの場合は爽やかで明るい気持ちになれる。

 アインズはナザリックの面々を従えるため、ここのところ浮かべる表情がしかめ面ばかり……骨に表情を窺わせるものはないが、纏う雰囲気は分かる。困っていたり威圧的な雰囲気を保とうと頑張っていたり、アインズは大変そうである。だからジョークで和ませようと考えたのだが、結果はこの通りだ。

 

「パンドラか。あいつなのか」

「あ、アインズさん?」

「美しいお嬢様がどうのと言っていたがやはりスケコマシだったのか」

「アインズさん、冗談ですから!」

「パンドラめ、許せん……!」

「ジョークですってば! 聞いて!」

 

 パンドラズ・アクターの元へ行こうと立ち上がったアインズにしがみつき、必死にパンドラの無実を主張する。パンドラが死んだら誰がアッバルのマッサージをしてくれるというのか。心の安寧(あんまさん)は自分で守らねばならない。

 アインズはアッバルの腕に優しく手を添える。

 

「ああ……アインズさん」

「アッバルさん、安心してください。ちゃんとあいつに責任を取らせにいくだけですからね」

「駄目だこのおっさん話を聞いてねえ! ジョーク! ジョークですから!」

 

 分かってくれたのかと顔を緩ませたアッバルだったが、すぐに期待は裏切られた。

 自分の姿が端から「凛々しい美貌がゆえに借金のカタに取られ、子まで仕込まれた可哀想な幼妻」に見えてしまうことを失念したアッバルにも責任はあろうが、たった数日でここまで腹が膨らむはずもないのにパンドラの子種と思い込むアインズもアインズである。鎮静スキルはどこへ消えた。

 

「ああ、なんだ。ジョークでしたか」

「そうですよ、だっておかしいでしょう? こんなに突然お腹が大きくなるわけないじゃないですか」

「ははは、そうですね」

 

 恋人を守りたい中学生な妊婦(アッバル)怒髪天なその中学生の父親(アインズ)の押し問答は五分ほど続き、ようやっと鎮静したアインズにアッバルはへなへなとしゃがみこむ。ジョークが原因で武器庫に鮮血が舞うところだった。

 しゃがみこんだまま額の汗を拭うアッバルに、アインズは「でも」と口にする。

 

「誰かと付き合うときには教えてくださいね」

 

 にこやかにそう言い放ったアインズに、アッバルも笑いながら「もちろんですよ」と答える。――もちろん、教えるわけがない。相手がどんな目に遭うか分かったものではないではないか。パンドラとの仲を邪推しただけでこれである、本命など出来てみろ、相手が存在ごと抹消されかねない。

 アッバルは決意した。ナザリックの中では恋人など作らない――作る気も全くないのだが、ナザリックとは全く関係がない、アインズにバレない相手をいつか……そのうち、何かの機会で、見つけたい。見つかるか分からないが。

 

 騙したお仕置きだと言われ、八本足の蛇形態をひたすら揉まれながらアッバルは考える。

 ナザリックの面々、とくにデミウルゴスら守護者を相手として考えるのは絶対に無理だな、と。

 

 

 

 話し合うべき議事があり「溶岩」へ赴いたアルベドであったが、連絡のあとデミウルゴスからアッバルの婚約について聞かされた瞬間、アルベドの脳に様々な考えが駆け巡った。アッバルはアインズとアルベドの愛の結晶、くれてやるならば正にデミウルゴスかマーレが相応しい。しかしアッバルはまだ幼体だ、保護者の庇護だってまだ必要である――つまり、アルベドがアッバルを導いてやら(のあいてをきめ)ねばならない。

 今はその暇がないゆえにメイドやデミウルゴスの部下らに任せてしまっているが、時間を取れるようになれば母娘の愛あるコミュニケーション(むちうち)をしたり、アインズの娘らしく育てるべく教育をしたりしたいと思っている。アルベドはアッバルの母親(予定)なのだから。

 

 アルベドはデミウルゴスの頭からつま先まで観察する。この男は悪い男ではない、忠誠心も深く、ナザリックのブレーンとしてよくやっている。一つ欠点を挙げるなればアッバルとの年齢差が大きすぎるところだが、逆にこの年齢差のおかげでアッバルを上手に導ける夫となるだろう。マーレもナザリックの守護者として十分な強さと忠誠心を持つが、アッバルを支え導くには年が若すぎる。

 まだ手元から離すつもりはないとはいえ、なにしろ良い嫁ぎ先を見つけてやるのは親の役目。生まれた瞬間から婚約者が決まっているなどよくある話なのだから。それに、アインズがデミウルゴスとマーレという選択肢を示したのはアルベドとの愛の結晶(アッバル)を慮ってのことだろう、優しい親である。

 比較対象を作ることでデミウルゴスの頼りがいある態度などをよりはっきりとさせ、頼り頼られる――そう、アインズとアルベドの間のような関係に導きたいと考えているに違いない。

 

「アインズ様と私のような関係だなんて……くふー!」

 

 自分の考えに我慢できず哄笑するアルベドに、デミウルゴスは一つ嘆息する。

 

「アルベド? 何を考えていたのかは知りたくもありませんが、こういうことですからマーレと私はアッバル様の婚約者候補として彼女に寄り添う場面がこれから何度となく起こるでしょう。これからは我々が負うべき負担を貴方に肩代わりしてもらうこともあると思います」

「ええ、分かっているわ。デミウルゴス、貴方には特にアッバル様のため働いてもらわなければならないのだし。もちろんそれくらいのこと全く構わないわ……アインズ様に寄り添う私、アッバル様に寄り添うデミウルゴス。素晴らしい、夢の二世代同居よね」

 

 至高の御方々も雑談で、イソノ家とやらの良さ、婿入りの二世代同居について語らっておられたことがあるわ、とアルベドは笑む。イソノ家とやらは夫婦に三人の子供がおり、一番上の姉は婿を取り同居、下の弟妹の面倒を母と姉で見るというまさにアルベドが理想とする家族の形をしているという。アッバルにも、いつか生まれるであろうアインズとアルベドの子の面倒を見てほしいと思っている。

 

「私は候補の一人でしかありませんよ、アルベド」

「ええ。でも貴方で決まりよ、アインズ様はきっと貴方にこそアッバル様を娶ってほしいと思われているはずだもの」

 

 自信満々にそう言い切るアルベドにデミウルゴスは眉間に皺を寄せる。アインズはデミウルゴスとマーレが候補であると言ったが、どちらがより望ましいなどは一切口にしなかった。忠実な臣下たるにはアインズの本意を汲み取らんとする姿勢が重要、デミウルゴスは婚約者候補が二人いることを「主にマーレ、マーレでどうにかできなければデミウルゴスが落とせ」という意味であろうと考えていた。しかし彼女の意見は違うようだ。

 シャルティアの件もあり、デミウルゴスはアルベドの「恋する女の勘」には一定の信頼を置いている。彼女の考えるアインズの深謀とはどのようなものなのだろうか。

 

「興味深いですね。どういうことか聞いても?」

「もちろん。候補が二人いるのはね、アインズ様はマーレと貴方を対比させたいと思っておられるの。年齢は近いけど見た目や態度から頼り甲斐がありそうには見えないマーレ、年齢は離れているかもしれないけど頼れることは確かな貴方。まだまだ弱くていらっしゃるアッバル様だもの、身近な者に頼らなければならないことがたくさん起こるはずよ」

 

 アルベドは頬に手を当てる。

 

「デミウルゴス、貴方はアッバル様にマーレとおままごとをさせるつもり? そんなものたった数年で崩壊するわ」

 

 デミウルゴスはなるほど、と頷いた。アッバルとマーレの組み合わせがおままごとだと言われれば全くその通りだ、子供同士の夫婦というより夫婦ごっこにしか見えない。

 それに加え、アッバルが何か壁にぶつかったときにマーレでは相談相手として不足する。別にマーレの忠誠心が足りないとか見た目が頼りないからだとか、そんなことではない。まだマーレは経験が足りないということだ。マーレでは、これからアッバルが直面するであろうナザリックの主人の養い子であるがゆえの壁を乗り越える手助けとなれない。

 マーレが相談相手になれるのは一体何年後のことか。ただでさえ成長がゆっくりな闇妖精、十年や二十年で使い物になれば御の字だが、その間にアッバルが自立・独立してしまったら意味がないのだ。

 

 実のところ、アルベドやデミウルゴスはアッバルの成長速度に舌を巻いていた。レベルを上げるのはそう簡単なことではない――ユグドラシルでの時間というものは、アインズらの感覚とアルベドらの感覚では大きな違いがあった。アインズらの一年が彼らの数十年であり、アインズらの一日が彼らの数十日であった。そうでなくば、七十六歳という設定のアウラたちを創造したアインズらギルメンがユグドラシルを十数年しかプレイしていないことと矛盾が生じる。

 よって、アインズらが数日かけて職業レベルを5稼ぐ姿は、アルベドらから見て数週間かけてレベルを5あげたように見えていた。

 そんな中、アッバルは一週間でエルダー・バジリスクの種族レベルを5に上げた。驚異的なスピード……そしてそれを当然とばかりに、労りはしても褒める様子のないアインズ。当初想定していた「百年の余裕」など無い。アッバルがナザリックを飛び立つ前に、その風切り羽根を自ら切り落とさせねばならないというのに。

 

 マーレの心身の成長や経験の積み重ねなど待っていられない。言外にそう言ったアルベドにデミウルゴスは嘆息する。

 

「アッバル様がマーレを重荷と感じるようになってはいけない、ということですね」

「ええ」

 

 今のうちならばおままごとでも構わない。似合いの夫婦、可愛らしいお内裏様とお雛様になるだろう。しかしアッバルはマーレよりも速く成長していく。ナザリックへ依存してもらわなければならないのに、近いうちに重荷と化す夫を宛がってどうする? アルベドは頬笑む。イソノ家式二世代同居を実現するためにはアッバルにナザリック地下大墳墓にいてもらわねば困る――そしてそれは、マーレには責が重い。

 

「では、そのように動きましょう」

「そうしてちょうだい」

 

 アルベドはスカートの裾を翻し「溶岩」を出る。〈転移〉は使わない。考えをまとめる時間を取りたい。

 

 アインズは石橋を叩いて渡る慎重さと、案ずるより産むがやすしと行動する積極性の二つを兼ね備えた素晴らしい主人だ。そんな男が、現状でアルベドとの間に子を望むだろうか? 答えは否、万難を排してのち、ナザリックの堅牢な地位を確立してからでなければ子という心配の元・関心の対象を作ろうとは思わないだろう。

 アルベドは証明せねばならない。子をきちんと保護監督し、育て上げられる能力を持っていることを。そして二世代同居家族を作らねばならない――アインズの子(ナザリックのたから)を守る者にアッバルも加えなければならない。最大の不安要素(てきたいのかのうせい)は潰さねばならない。

 

「全てはモモンガ様の御為に」

 

 小さく呟くその声を聞いたものは、いない。




あな楽しや、すれ違い。
せ前話にも書きましたが、How aboutの挿し絵を差し替えました。πに挟まる蛇がおります。


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三話

 アッバルを狩りに連れ出して、せっかく溜めた養分を燃やさせるわけにはいかない。アッバルはおうちで暇人に、NPCはお外へ人狩りに出掛けた。待っていればごはんが届くとは宅配弁当のようだ。

 

 人食い大鬼や小鬼以外のモンスターでも、アッバルのご飯に出来るものがあるのではないか。そう考えた親切なNPCの名も無き一体は、森で木の皮やきのこを食料としている猪型のモンスター・グリーンボアを狩ってきた。グリーンボアの気性は大人しく怖がり、しかし一度怒らせると地の果てまで追いかけてくるという執念深い性格をしている。だがあまり頭がよろしくないため罠を仕掛ければ簡単に捕まる。

 とりあえず五頭ほど用意しました、と捧げられた猪肉はやはり一瞬で消え、アッバルの腹が妊娠六ヶ月から八ヶ月になった。あと二ヶ月でおめでたである、もう後戻りは出来ない。

 

「ん、いける」

 

 アッバルの腹を見ては不安げにうろうろと手を動かすアインズのことなど知らず、アッバルは名もないNPC……普段は「溶岩」に暮らすデミウルゴスの部下の部下の部下に頷きを返す。おおよそ人とはほど遠い容姿の彼だが、アインズたちには彼の表情が手に取るように分かった。

 

「でも小鬼とか人食い大鬼のが合ってて良いみたい」

 

 人間を狩るよりも動物型モンスターの方が手っ取り早いのは確かだが、アッバルにとっては人間や人型モンスターこそが主食であり栄養源。ご飯をパンと代えることはできても、キャベツは主食たりえないのだ。このような緊急時にならグリーンボアを摂取するのも仕方ないとはいえ、少しばかり腹が気持ちが悪い。空腹を紛らわすためにお茶をがぶ飲みした時の感覚に似ている。

 食道まで広がる胸焼けを飲み込み、アッバルは血の気の引いた青い顔で微笑む。傍目には望まぬ子を宿した健気な小学生――誰がどう見ても犯罪だ。アインズは「お父さんがお前を大事にしてくれる相手をちゃんと見繕ってやったからな!」と拳を握る。お義父さん止めて。

 

 主食ではなかったとはいえ、グリーンボア五頭はかなりの養分になった。アインズがエ・ランテルとナザリック地下大墳墓を往復している間に、アッバルは冒険者や人食い大鬼、小鬼を食べて必要な養分の七割を満たしている。今回のグリーンボアで九割と少し、あとは成人男性で三人もしくは人食い大鬼で一体といったところか。

 と、ちょうどそこに現れたのはデミウルゴスである。ノックとアインズへの挨拶ののち室内に入ってきた彼はアッバルのご飯(ゴブリン)を四体軽々と掴んでおり、それらを置くと膨らんだ腹を両手で支えるアッバルの前に片膝を突いた。

 

「アッバル様、こちらで十分でしょうか?」

「あ、はい。有難うございますデミウルゴス、ちょうどこれほどで十分でしょう。流石ですね」

 

 距離がやけに近い。視線の高さを合わせてくれるのは確かに有り難いのだが、アッバルはこのところ彼から妙に距離を詰められて困惑しきりである。アッバルには彼に何かした覚えは全くなく、好意を示されても理由が分からぬゆえ困る他ないのだ。アインズが後ろで「やれ、デミウルゴス! こませ!」と腕を振り回していることをアッバルは不運にも気付いていない。

 助けを求めて視線をくれるアッバルに、気が早かったことを知ったアインズはエヘンと一つ咳をつく。デミウルゴスが「では失礼して」と立ち上がり一歩下がった。よく躾のできた部下である。

 

「今ここにはいない者たちを含め、皆の協力あってアッバルさんの進化の用意ができた。特にデミウルゴスら溶岩の者たちはよく働いてくれたと思う」

 

 アインズの言葉にアッバルは首を傾げる。

 コキュートスらは蜥蜴人との問題に掛かりきりでシャルティアは前回の騒動により外出を自粛し引きこもり、アルベドは「ママですよー」などと良く分からないことを言いながらアッバルへ鯖折りを仕掛け、アウラは地下大墳墓内はもちろん周辺の環境整備に精力を注いでいる。パンドラはマッサージ師として良い仕事をしてくれ、マーレは花をくれた。なるほど、この件に関して一番頑張ったのはデミウルゴスとその配下である。

 

「アッバルさん、進化したらやっぱりサイズが大きくなるんですか?」

「さあ……ギガントバジリスクは大きいって知ってますが、グレーターがどのくらいかはさっぱりです」

「ですよね」

 

 だいたいバジリスクを選ぶプレイヤー自体が少なかったのだ。加えてwikiに親切に解説してくれる者などプレイヤーの中でもごく少数、ほとんどはギルメンのみ閲覧できるようにした鍵つきページや掲示板に情報を載せるばかり。バジリスクはもちろん、マイナー種族についてアインズらが持つ情報は限られている。

 敵対モンスターとしてならばどうかと言えば、wikiにも載るギガントやエンシェントならばアインズらもうろ覚えながら記憶があるが、グレーターははっきり言って微妙の一言。目立つ他の仲間に埋もれてしまい目立たない、年の近い長男と長女に挟まれた次男のような可哀想な子がグレーターである。チョロさで経験値扱いのバジリスク、やはりチョロいエルダー、そんなのいたのかグレーター、デカくてウザいギガント、経験値の源なるかなエンシェント。

 ――どちらにせよ情報がない。もしここで卵に戻り、その卵の直径が十五メートルなんてものだったら? 邪魔になるならば〈転移〉させてしまえば良いだけの話ではあるのだが、この部屋や調度品が壊れるならまだしもバジリスクの卵が破壊されるのは困る。卵な君(アッバル)から卵の黄身がコンニチハしてはいけないのだ。リアルぐで○まなど誰も望んでいない。

 

 デミウルゴスが発言の許可を求め、アインズがそれを許した。

 

「私の執務スペースであれば、高さや幅の心配をされることはないかと」

 

 有り難い提案だが、実のところそれは双子のテアトルムやパンドラの控える武器庫の奥でも言えることだ。広く開けた場所であればぐりとぐらのホットケーキになる心配など無用、好きなだけ卵のまま転がっていて構わない。しかしアインズの推しはデミウルゴス、墳墓の前で転がっているなど許されるわけもなかった。

 

 デミウルゴスの案を受け入れ、「溶岩」へ〈転移〉する。

 第七階層は空気中の水分までもが燃えているように感じられる場所だ。紅く燃える空に焼き尽くされた墨色の大地、ドロリと粘度の高いマグマが赤や橙に輝く河はチカチカと目に五月蝿い。河の表面や端には、空気に冷やされて出来たのだろう生コンクリートのようにぼそぼそとした赤黒い塊が浮かんでいる。

 河の元となるマグマはとある山から流れるそれだが、他にも火口があり、時おり間欠泉のように上空へ勢い良くマグマを噴き上げるものから血を流すように脈打ちマグマを垂らすものまで、多種多様な火口が揃っている。そのいつくもの火口から流れるそれが合流した大河には、奈落スライムである紅蓮が潜んでいる。

 歩くのはもちろん飛んでも跳ねても泳いでも渡れない悪魔の大地、それがここ「溶岩」である。

 

 異なる地点を直接に接続する〈転移〉で移動したため哀れ紅蓮はスルーされ、アッバルらはかつて善なる神々を祀っていた神殿へ足を向ける。頭部から腰にかけてを破壊された偶像や台のみ残る像の名残が並ぶ一角は民族同士の戦いに敗れた者たちの悲哀を含んでいるようで、床に転がった戦女神の首は通路を歩む彼らを睨み付けている。睨むしかできぬ敗者の悲劇、既に彼女に武器はない。

 

 神殿の奥、他のデミウルゴスの部下らが最敬礼を捧げる姿を横目に先へ進むのはアッバルはもちろんアインズとデミウルゴスだ。グリーンボアを持ち帰った者はとうに一行から辞し通常の職務に戻っている。アインズの道に従うことができるほど彼の地位は高くなかった。

 機能性とデザイン性のどちらも備えた執務机のある場所は開けており、たとえ直径二十メートルの卵が置かれたところで誰かの邪魔になりそうにない。

 

「前回と同じくらいの時間で孵化できるんですか?」

「さあ……」

 

 アッバルにも分かりようのないことだ、首を傾げる他ない。

 

「最低でも三時間は掛かるんじゃないでしょうか。前回より上位種になりますし、そのぶん余計に掛かるとか」

「ああ、その可能性はありますね。起きそうになったらいつでも〈伝言〉して下さい。飛んできますから」

「了解です」

 

 果たしてアッバルは卵になった。直径は八十センチほどの、楕円形の黒い卵である。

 ――ここまでわざわざ来た意味がなかったことが証明され、アインズは黙ってそれを執務室に持って帰った。デミウルゴスは懸命にも黙り、頭を深々と下げてそれを見送る。

 

 何故だろう、執務室は眼球のないアインズの目にも眩しかった。

 

 

 

 生まれそうとアインズにアッバルから〈伝言〉が届いたのは、なんと一日後のことだった。エ・ランテルに呼ばれてしまいナザリックを離れているアインズはアルベドとデミウルゴスにそれを伝えるように指示し、自身もさっさと街の用事を済ませようと動きを早める。

 そんなに急いでどうなされました、というギルド受付嬢の質問にアインズが「娘が……産まれそうなんです!」と答えたことで、エ・ランテルのギルドでアッバルは妊娠していたという噂が立った。

 

 一方〈伝言〉を受け取った彼ら……アルベドとデミウルゴスはアッバルの安置される、ほとんど使われないアインズの寝室へ入った。寝室は窓のない部屋であることを忘れるほど明るい。天蓋から垂れる重厚なカーテンは柱に纏められ、壁の灯火はベッドの上をもくまなく照らしている。睡眠が必要ないアインズがベッドを使うわけもない、いま彼のベッドを我が物と占領するのは黒い卵である。

 

「どのようなお姿になられるのかしら」

「どんな姿でもお可愛らしいのは確かでしょう」

「私の娘ですもの、当然よ」

 

 懸命なデミウルゴスは口をつぐんだ。アルベドはまだ妻候補ですらないのだが、それを指摘して蛇を出すほど暇ではない。確かに彼女が司書(ししゃ)に鞭打ち図画製作を命じたというアッバルの顔は見事であった、細すぎぬ眉は凛々しく切れ長の瞳は英知に満ち、通った鼻筋は丸く繊細な曲線を描いて女らしい。女性的な美しさ一辺倒ではない、雄々しさをも含んだ容貌だ。ただ守られるだけであることを厭う、守る側の顔だ。その点は称賛に値する。

 

 二人が見守る中、鶏のそれと異なり弾力的で柔らかい卵に切れ込みが一つ走る。そこから穴を広げるように突き出る白い腕、横へグジュリと粘着質な音をたて広がった穴から顔を出したのは、昨日までと同じ顔の子供だ。

 ――アッバルはこの進化の機会に、見た目の年齢をせめて十七程度にしようと考えていた。だがそんな彼女に予想外な壁が立ちはだかる……美術の成績だ。彼女は十七才になったときの顔を想像できなかったのだ。それに気づいたのは卵になってすぐ、残念ながら遅すぎた。顔は現状維持である。

 

 卵を引き裂いて、アッバルはあまりの外界の眩しさに顔を覆う。ここまで明々と照らす必要はあったのか? 暗くても構わなかったのに。

 

「うっ……」

 

 顔を伏せ、唸る。

 

「世界が……白過ぎる……」

 

 サングラスを掛けたことのある者ならば経験のない者はいないだろう、薄茶色に慣れた視界に色付きレンズのない世界は白く明るすぎる。黒い膜に包まれ、薄暗い世界に微睡んでいたアッバルにとり、明るい室内は眩しかったのだ。

 だがこの場にいる守護者二人にはその感覚が理解できない。なにしろ彼らはサングラスを掛けたことなどないし、一般的に暗い室内から明るい野外へ出ると眩しく感じられることは知っているが、それは当然の事象でありその原因について考えたこともない。

 ――そんな彼らに「サングラス外すと世界が白っぽく見えて眩しいね」と言って通じるだろうか。答えは否、残念だが通じるはずなどなかった。

 

 アルベドは考えた。世界が白すぎるとはどういう意味なのか……それはもしやこの世界を憂えているのではないか、と。天上天下あまねくアインズ(よぞら)の支配下にあるべき全てのヒト・モノ・カネ、それらが下等生物(ひるぞら)の下に在ることを嘆いているのだ。

 好意的な解釈であることはアルベドも自覚している。しかしアッバルがアインズを慕って頼りにしていることは誰の目にも明らかであり、軽口で「パパ、お仕事頑張ってね!」「よーしパパ頑張っちゃうぞー」などというやり取りをしていることはメイドから聞いている。

 

 だからアルベドはそう考えることにした。それに娘の躾は母親の役目、もし道を誤りそう(うらぎりそう)になった時には躾てやれば良いのだ、何ら問題はない。

 

 デミウルゴスは愕然としていた。デミウルゴスに「眩しい」経験をした覚えはない。「溶岩」の守護者として生み出されてから彼は気の遠くなるほどの時間を過ごしてきたが、世界が眩しいと思ったことは一度としてない。それは生まれた瞬間からいままで、ずっとのことだ。

 ――だがそれはデミウルゴスだからだ。そうあれと生み出され、至高の御方々とは異なる生まれ方をしたからだ。彼は初めからレベルが100であり、様々なスキルを生まれながらに身に付けていた。だがアッバルにこれらの刺激を無効化するスキルはまだない。

 

 至高の御方々と同じように弱くして生まれ地上を這いずり育ったアッバルの、「自らレベルを捨てる」という行為はどれほどの覚悟を要したのだろう。一人で生き、隠れて暮らすには向いているアッバルの職業……傷付けば自作のポーションで癒し、飢えれば採集し獲物を狩る。ストイックな生き方を満たすにはどの職業も重要で、必要だったろう。だが彼女はそれを捨てた。より高みに上るためとはいえ。

 デミウルゴスは敬意を抱いた。強くなることに貪欲になれる者、目的のために何かを捨てられる者は美しい。覚悟の煌めきと呼ぶべきか、自然とその者は美しくなる。流石はアインズの養い子だ。

 そして彼も決意する。この素晴らしい心を持つ養い子を決してアインズの手元から離れさせるわけにはいかない、じわじわと距離を詰め、それから。

 

 聞けば困惑すること間違いなしな勘違いが深まっていることに、本人(アッバル)が気づくのはいつのことだろうか。しかし、もし気付いて誤解を解こうとしたところで、謙遜としか思われないであろうことは、あえて言うべきことでもなかろう。

 最終破壊兵器・揉みぬいぐるみ(アッバル)の誕生はきっと遠くない。かもしれない。




 現在活動報告にて、お気に入り1000件超お礼リクエストを承っております。というかネタを下さい。


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四話・草原に墓穴二つ

 寄せては返す草の海。数日前降った雨に埃を落とした草は、青い光を放つ太陽の下、水飛沫に似て瞬くようなきらめきを放っている。帯状の風が強く吹いた。風上にいるのはモーゼ、神の力をもって草原を左右二つに分けんとしたのに、数瞬と待たずに草の海は凪へ戻る。

 女でも両手を使えば握れるほどの細い幹しかない、ひょろりと草原に点在する木のその一本――もたれかかるには不安の残るそれの横に腰かけたのは、思春期程度であろう黒髪の少女。そのすぐ隣に座り込むのは大きな頭陀袋のようなローブをまとった男で、深くかぶったフードに隠れて顔は見えない。

 

「ねーねーモモンガさん、周りに誰もいないんですからフードなんて取りません?」

「いませんが、太陽の下で堂々とリッチが日光浴しているというのは……」

 

 違和感が凄いでしょう、と上顎と下顎をカタカタと鳴らすローブの骨ことアインズに、黒髪の少女アッバルは緩く首を横に振る。

 

「こんなに天気が良いんです。骨だって日光浴したい時があっても良いでしょう」

 

 現状でも雨ざらし野ざらしの無念仏にしか見えないという本音を飲み込んで、アッバルは手を伸ばしアインズの頭陀袋ローブを引いた。残念だがローブを着ていたところで骨は骨でしかないのだ、この場にいる間くらいフードを下していても良いだろう。顔も足も一度隠すようになると露出するのが恥ずかしくなってくるもの、初回からこれではいけない。

 

 今日ばかりはデミウルゴスによるレベラゲ祭りは一旦休み、置き手紙一つ残して義理の親子二人は草原で三角座りしている。なんとも平和な光景だ、帰ったら守護者らにしがみつかれ泣かれるであろう未来が待っているが。バケーションと言うには短すぎる休みである。

 気紛れに強く吹いた風にアッバルの黒髪が揺れ、アインズのフードはバタバタと頭蓋骨を打つ。アインズは風から逃れるように顔を風下に背け、しかしアッバルがその後ろ頭からフードをもいだ。つるりと白い頭蓋骨が日光に輝く。見ているだけで気持ちが良いカルシウムの塊。

 

「ちょっ!?」

「パパ、隠せば隠すだけ恥ずかしさが募っていくものだそうだよ!」

「ハゲを気にしている訳じゃないですからね!?」

「え? 私、顔のこと言ったんですけど」

 

 一度止んだと思われていた風がまた吹いた。

 

「……やめましょうよ、この話」

「ええ。リッチは骨格がアイデンティティーですからね。髪なんて必要ないんです」

「ですね。肉も棒もリッチにはいりませんよね」

「そうですとも。……棒?」

「言い間違いです、気にしないでください」

 

 ザザザともゾゾゾとも聞こえる葉の擦れる音が響き、草原が波打つ。互いしかいない、ただ広い草原は静かだ。パッシブスキルに鎮静を持つアインズだが、スキルによる効果と自然に落ち着く感覚は違う。けしてアインズやアッバルから離れないナザリックNPCの視線はやはり、彼らの精神に少しの負担を強いていた。アインズの眼窩に灯る赤い光はちらちらと瞬いており、彼がリラックスしているのが窺える。

 

 ナザリックでは心休まらぬ。なにせあそこはアインズに粉骨砕身し仕えようという気概に満ち満ちた者ばかりなのだ、彼らは何か自分もアインズのために出来ることがないかと、アインズの一挙一動に神経を張っている。見られているアインズにはたまったものではなかろう、監視されているも同然なのだから。

 アッバルは知っている。NPCたちがアインズに狂信的な愛を捧げていることを。数多いる恋のライバルを蹴散らすため、呑み込んでしまった金魚を吐き出したり暴れ牛と相対したりするゲームではないが、彼らは主君(きみ)のためなら死ねる。

 はっきり言って愛が重い。コールタールか、もしくは鍋の底に貼り付いた黒焦げのカラメルソースか。アインズは持ち前の鈍感スキルでスルーしてしまっているが、第三者であるアッバルにはその煮詰め過ぎたどす黒い水飴の全貌が見えている。何事も観客ほど広い視点で見えるものだ。

 

 彼らがアインズに抱いている親愛や尊敬の念(スパイス)は、上手く調理すれば優しい愛(プリンテン)を生むだろうものだ。だが、それらをボウルに放り込みただ混ぜ合わせて焼いたところで、発生するのは重苦しいばかりの悲哀(ダークマター)ばかりなり。哀れ、愛の正しい調理法を知らぬNPCたちは、その自覚なくダークマター(アレンジりょうり)をアインズに捧げるのだ……肥料作りに失敗したコンポスト――吐き気をもよおす悪臭や蛆の湧いた生ゴミと、そのダークマター(どくぶつ)のどちらがよりおぞましいのか、結論は出ないに違いない。

 地下大墳墓という器に際限なく注がれていくコールタールから目を逸らし、一時の心の平穏を求めてアインズとアッバルはお外へ逃げた。パパ、ナザリックはいまごろ阿鼻叫喚だね。

 

「平和ですね」

「ですです」

 

 優しい人たちに囲まれ、美味しいご飯(リザードマン)を食べ、暖かく眠り、適度に運動し、ある程度の知識欲を満たして過ごす、そんな緩い生活はきっとまだまだ先だ。なにしろアインズはアインズ・ウール・ゴウンの名を広めるためにまだまだすべきことがたくさんあるし、アッバルもまたレベラゲや進化やらが待っている。平穏な毎日に手が届くのは一体いつになることやら。

 誰もが思い浮かべる第二の人生。現役からリタイアしたらあそこへ行きたいね、ゆっくりとした時間を過ごしたいねと語る――まるでそれこそが最大の幸福であるかのように。

 

 だが見よ、この平穏な草原を。この心休まる自然の姿を。遠く地上を見守る太陽の輝きを。幸せというものは、すぐ近くにあって、こんな風に手に入るものではないだろうか? 安い幸せにこそ価値があるのではなかろうか。

 青い鳥は鳥籠にはいない。何気ないときに、何気なく見つける心温まる何か。それを特筆すべき記憶と思わず、日常の一つと記憶の川に流してしまえる出来事や想い、それが幸せなのではないだろうか。寒い冬に温かいお茶で指先をぬくめるようにささやかで、いつものことこそが。

 

 大切に思う人と、同じ太陽の下で風の音を聴き草原の波しぶきを楽しむ、こんなことが。

 

 どうしてだろう、胸が熱く燃えるようだ。そんなささやかだが豊潤な幸せを初めて得た激情からだろうか。二十二世紀では既にない、人の手のない自然に囲まれた感動からだろうか。

 這いながらも自らの力で生きてきた男と、人にすがって生きてきた女。低学歴と高学歴、親無し子と祖父母までいる子、友達がいないアインズに友達に囲まれたアッバル。育った環境はこんなに違うのに、二人の心を温かくするものは同じだった。

 ――ああ、幸せとは、優しさとは、こんなにも柔らかく……暖かく、儚いのに心強い。

 

 草が揺れる。風上にいる誰かから風下にいるアインズたちに、優しい葉擦れの音楽を届けて。

 

 ナザリックに帰ったら、NPCたちに料理の仕方を教えよう。いや、一緒に料理をしよう。いまなら幸せのレシピをいくつだって思い付ける。アッバルは笑んだ。ギャルケーや乙女ゲーにはサポートキャラがいるのだ、ならばアッバルがすべきはNPCとアインズの橋渡し。円滑なコミュニケーションが取れるよう、互いへ相手の情報を流す仲人だ。

 ナザリックに帰ったら、デミウルゴスを焚き付けよう。アッバルを手放すつもりはない、たった一人の弱い同胞を守りつつ更に身内へと取り込むのだ。アインズの心の平穏のため、幸せのため、彼女自身のため。彼は可愛い我が子を谷に突き落としたり一人で旅をさせたりなどできないタイプだ。大事に守っていなければ、手のひらから零れ落ちてしまうから。

 

 そして。幸せのため、互いに思いやるがゆえ、アインズは童貞の危機を迎えアッバルは処女の危機を迎える。




 人生初気絶。興奮して眠れないしゅごい!

 お知らせ:インフルにかかりました。もうちょっと休むんじゃよ。


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五話

 この日、アッバルは初めて鍛練をサボった。デミウルゴスの部下らが笑顔で召喚してくれるモンスターから逃げ回り、物を投げつけては必死に遠くへ逃げるルーチンワーク(レベラゲ)も小休止。良く食べ、良く遊び、良く眠る――ここのところ、心身の健康な成長に必要なこの三要素のうち「遊び」が足りない気がするための自主休講だ。

 もちろん「自主」ゆえアインズの許可などあろうはずもない、召喚モンスターは今頃きっと寂しい思いをしていることだろう。

 

 さて、アッバルは【溶岩】にて、マグマに潜む紅蓮に石を投げつける遊びに興じていた。頭の良い先人は言いました、灯台下暗しと。ならばサボるべき場所はここしかない。

 

 石は瞬時にマグマへ溶けるため、紅蓮のライフを1ポイントとして削れない全く無為な遊びであるが、紅蓮は親切にも石が投げ込まれる度に腕らしき物をじたばたと悶えさせている。アッバルの今の気分はイルカにホッケを与えるトレーナーである。

 単純な遊びほど時間を忘れさせるものはない。ヨーヨーしかり縄跳びしかり、単純だからこそ終わりがないのだ。いつまでたってもゴールにたどり着けないイタリア人中年男性配管工による銭拾い(マリオ)は糞ゲーだが、終わらない二重跳びには爽快感を得られる。

 

 アッバルは自然と歌を口ずさみ、口笛を吹き、ダンスとは口が裂けても言えない不思議な踊りをしだす。精神的にある程度成熟してしまうと、人目のない場所では、普段羞恥心によって抑圧された行動をとりたくなるものなのだ。

 子供は大通りで歌っても突然踊り出しても許される身分だが、大人が同じことをすると人混みは割れSNS上にて多くの個人に肖像権を侵害され、果ては濃紺の制服を着た有段者に肩を叩かれる。そして鉄扉の向こう、愉快な仲間に迎え入れられることになるだろう。

 

 全くもって笑えない世の中である。

 

「声高く声高くララ歌え――」

 

 アッバルが歌うのは太陽のマーチ。七男七女の父かつワルツの父でもあるJ(ヨハン)・シュトラウス一世作曲、阪田寛夫作詞のこの歌は、北イタリアの反乱を鎮圧せんと戦場へ向かうヨーゼフ・ラデツキー伯爵の勇猛さを称え鼓舞するために作られた曲「ラデツキー行進曲」に、日本人がその由縁を全く無視した歌詞を付けた歌である。ちなみにこの曲でJ・シュトラウス一世は革命派に嫌われた。

 

 戦場において、若く力に溢れた革命軍に対し、ラデツキーは下馬もせず戦った。「まさに軍人の鑑よ」と褒めたたえられた当のラデツキー、しかしながら当時既にかなりの高齢であった。歳は六十二、十九世紀半ばの平均寿命を考えると此の出征は年寄りの冷や水と言う他ない。そのゆえか、一説によると、彼は馬から下りなかったのではなく下りられなかったらしい。腰でも痛めたのやもしれない。

 「下馬せず戦い続けたラデツキー将軍」という話から受けるイメージは勇猛果敢で雄々しく若過ぎぬ男、しかし現実は華々しい戦果を上げたとはいえ引退の近い老将軍。与えられた少ない情報から組み立てられる虚像と実像のあまりの差よ。

 

 人は自らの知る範囲の情報で相手を測り、理解しようとする。ヨーゼフ・ラデツキーを見よ、大まかな構成要素に間違いはないのに事実とはかけ離れた認識をされている。人が自らの常識のみを信ずる限り、赤いジャムは全てイチゴジャムだ、ラズベリージャムの居場所はない。ペティグリー○ャムは言わずもがな。

 

 相手と異なる認識を土台にする限り、勘違い・誤解・思い込みは必然に生まれる。その誤解は放置すれば次第に肥大化し、始めは小さなずれでしかなかった雪玉は坂を転げ落ちるうち雪崩となる。

 良貨が悪貨を駆逐するようにいつか自然と真実が誤解を解消するだろう、などという期待はするだけ無駄だ。自ら動かずしてチョモランマより高く海底火山より深い誤解が解けようはずはない。

 

 しかし、誠に残念なことだが、他者と自らの認識に大きなずれがあることにアッバルはまだ気付いていない。レベル上げをサボタージュしている暇があるならば勘違いをたださねばならぬ。時間が過ぎれば過ぎるほど認識のすりあわせは困難になるのだから。ちなみにアインズについては既に手遅れ、巻き返しは不可能である。

 だが後悔とは後から悔いるものであり、後の祭りもまた然り。アッバルに予知能力などないゆえ、これからも彼女を待ち受ける勘違いの嵐など知らぬ。悲しいけどこれが現実なのよね。

 

 ところで、楽しい時間ほど過ぎるのは早いもの。鍛錬場から逃げたのは早朝、現時刻はなんと十一時過ぎである。そろそろ帰らねば怒られるとアッバルが後ろを振り返った――そこにはデミウルゴスがいた。

 

「あ……お邪魔してます、ハイ」

「お気になさらず。昼食になさいますか?」

 

 一体何時から見られていたのだろう。アッバルは粛々とデミウルゴスの先導に従い、アルベドの肉体言語的叱責を受け、そして何故か撫でられた。

 自身に注がれる視線の意味を、アッバルはまだ分かっていない。

 

 

 

 鍛錬場にアッバルが来ない――部下にその報告を受けるとほぼ同時、別の部下が困惑を隠せぬ様子でデミウルゴスの元へ駆けてきた。紅蓮の元にアッバルお嬢様が、と。

 アッバルは真面目で素直な子供である。アインズの養い子としての地位を振りかざしたり、憎たらしい我儘を言ったり、尻の青い餓鬼の癖に小賢しい態度を取ったりしたことなど一度もない。養い子だからと委縮しているのではないだろうかと心配していたのだが、どうやら子供らしい側面もきちんとあるらしい。彼女の初めてのサボタージュに、デミウルゴスも怒るより先に安堵を覚えた。

 

 声の聞こえる距離にまで近付けば、どうやら隠れる気はないらしい、アッバルは元気に歌っていた。ときおり地面に転がっている火山岩を紅蓮の潜むマグマの河に放り投げたりと楽しそうである。普段から暇をもて余している紅蓮も遊び相手を申し付けられて嬉しそうだ。

 何ら我が身を脅かすものはない、と言わんばかりに緊張感のないアッバルの様子にデミウルゴスは満足感を覚える。アッバルはサボタージュ先に【溶岩】を選んだ、つまり、アインズに次いでデミウルゴスを信頼しているということだからだ。デミウルゴスの管理監督する場所であれば問題など起こるまいという無言の信頼――彼は眼鏡を外しハンカチで目元を拭う。宝石の瞳が濡れて光に煌めいた。

 

 アッバルはその幼さに似合わず賢く、アインズのことを父と慕うきちんとした感性の持ち主だ。守護者の誰よりも弱い種族の生まれであるのがとても残念である。アインズは養い子の護り手としてデミウルゴスを選んだが、彼女から信頼されるかはデミウルゴスの努力次第……そして彼は信頼を勝ち得たのである。アルベドでもマーレでもパンドラズ・アクターでもない、デミウルゴスの下でアッバルは遊んでいた。これが喜ばずにいられようか?

 

 アッバルはアインズの養い子ではあるが、やはり外様、彼女はまだナザリックでの居場所を見つけられずにいる。よってアインズはデミウルゴスにアッバルとの婚約を言い渡し、アッバルをナザリックに繋ぎ止める楔となるよう命じた。

 アッバルなど本来アインズと関わりがなくば路傍の石ほどの価値も見出だせなかったであろう相手だが、彼女は至高の御方々の止まらぬギルド脱退に疲れていたアインズを支え、慰めた存在。アインズはアッバルを愛で、アッバルはアインズを親と慕う――アルベドとシャルティアを除くNPC全てが乗り越えられず乗り越えるつもりもない、創造主と創造物の壁、その外にいるアッバルへの期待は大きい。これからもナザリックにあってアインズの癒しとなって欲しいと誰もが願っているのだ。

 そんなアッバルが相手だ、デミウルゴスには彼女を大切にできる自信がある。妻として愛すこともしかりだ。

 

 しかし、アッバルと結ばれることはアインズの娘婿、義理の息子になるということでもある。

 アインズを「御義父上様」と呼べるだろうか? 難しい問題だ。仕えるべき相手にそのような馴れ馴れしい呼び方をするなど、身のほど知らずにも程がある。だがデミウルゴスがアッバルを娶らねば他の誰かがアインズをそう呼ぶことになろう、そのようなこと許せるはずもない。

 ゆえに、デミウルゴスは堅く心を決めた、自分こそがアッバルを妻にするのだと。

 

 デミウルゴスはアッバルに視線を戻した。はしゃぐ彼女の容姿は十人が見て十人が頷く美しさだ。エルダーへ進化したことで更にすらりとした四肢に、しかし未だ幼い造作と体格(ナイチチ)。そのアンバランスさが性犯罪者を呼び込みそうだ、とは先日一時帰還したセバスの言である。流石は真性ゲフンゴホッゴホッ(セバス)の発言、デミウルゴスをはじめ守護者らはその指摘に衝撃を受け――まだ弱いアッバルがそのように下劣な犯罪に遭うなど許せぬと怒りに視界を赤く染めた。

 人間のような劣等種に性的な目で見られることからして許せぬというのに、その視線に晒されるのはアインズの養女・アッバルだという。――そもそもアインズとアッバルは養子縁組していないことだとか、これからもその予定はないことだとかは関係ない。戸籍も役所もないこの世においてアインズが「パパだ」と言えば親子であり、「兄だ」と言えば兄妹なのだ。趙高も真っ青である。

 

 守護者をはじめ、ある程度の戦闘力と人に紛れ込む容姿を備えたNPCらの議論は紛糾した。これからアッバルをアインズと共に外出させる際には、アッバル専属の随行者を増やすべきではないか、と。劣等種共の品性の欠片もない視線に晒されてはアッバルが傷付くに違いない。彼女の盾になるべき者が必要だろう。アッバル様は私の胸をパフパフするのがお好きなのよ、だから私が行くわ。なにおうアッバル様は御休みのとき私のおっぱいに顔を埋めて喜んでらしたもの、私こそ行くべきよ。

 これを聞いたアルベドは母子のふれあいが足りなかったのだと思い込み「お母様が今すぐ行きますからね!」等と叫びアッバルの元へ〈転移〉したし、一部NPCはアッバルが産みの親と乳離れできないまま親と別離したのだろうと涙ぐんだ。母性の象徴に執着する彼女の姿はただただ哀れである。

 

 幼いうちに親と望まぬ別離を強いられ、育ての親とも死別などしたのだろう、一人で生きていくためにレベルを積み上げた幼い蛇。だからこそ彼女はあの幼さで身分を弁えているのだ。――異常なほど速いあのレベルを上げる速さからして、彼女はまだ生後十数年ほどであろうに。

 NPCらは酔えぬくせして酒杯を干した。幼い同胞を守るのは成体の義務である。元より仕えるべきアインズの養い子ゆえ全身全霊を以て守らねばならぬと考えてはいたが、あの幼さで生死の淵を往き来し続けた彼女を正しく導いてやろうと決心した。

 

 アッバルの未来はきっと明るい、はずである。




 結婚 とは [検索]


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The men in the Kingdom
一話


 通りを歩く二人――娘の顔を見に行くためと言って何度もエ・ランテルとどこかを往復しているモモンと、数週間ぶりに姿を現した彼の同行者バァルに視線が集まる。手を繋いで歩く姿は仲の良い親子関係を過不足なく伝え、街の者達は微笑ましい彼らに目を細めた。バァルが腹回りをぎゅっと帯で絞った服装をしているのはきっと産後のためだろう。出産と共に儚くなる者も多いのだが、父親に連れられ歩くバァル姿は元気そうだ、彼らは安堵のため息を吐いた。

 

 モモンは伝説の英雄のように強いというのに驕らない。そこらの貴族よりも優雅で、そこらの戦士などと比べるべくもなく強く、神父のように寛容な彼はまさしく現代の英雄。

 子供の頭を撫でてやってくれと願う親たちや握手してくれと頭を下げる冒険者たちに対し、嫌がる素振りなど全くなく鷹揚に頷く姿はみなの尊敬の的だ。孫が産まれてからはより一層優しくなった気もする。孫の性別を聞くと何故か口ごもるのは、もしやすると故郷を滅ぼした相手に情報が行くことを恐れているのではないだろうか?

 国を追われ、守るべき民も既になく大陸を海をさ迷いこの地へたどり着いたのであろうモモンの安寧を守るためならば、エ・ランテルの民はみな口に鍵を掛けるとはいえ、危険を減らしたいと思う彼の気持ちは良くわかる。

 

 菓子を頬張るバァルの顔の上半分はやはり仮面に覆われ、案外大きい口にひょいひょいと菓子が消えていく様子を子供が羨ましそうに見上げていた。しかしバァルはそれに気付くと菓子の袋を二つに分け、年嵩の女の子に手渡す。子供達から上がる礼の声に手を軽く振ってからモモンの元に飛ぶように戻っていくバァルと、立ち止まってそれを待つモモン。そして再び手を繋ぎ歩き出す二人の姿を街の誰もが暖かく見守る。

 その日、赤く輝く真のポーションが、実在も疑わしい伝説から現実にあるものとし改めてその存在を示した。薬師らは悲鳴混じりの歓声を上げ、支配者らはその能力の有用性に身を乗り出す――そのバァルなる娘の力が本物ならば引き入れよ、なんとしても。

 

 

 

 

 

 現在自転車操業なナザリック。出費に対し収入が追い付かない現状をどうにかせんがため、アッバルの作る低級治癒薬(いろつきみず)を売ろうと言う話になった。パフォーマンスは前に一度やっているのだ、バァルが「自分の小遣い稼ぎに」薬屋などに持ち込んでも奇妙と思われるようなことは起こらない――と良いのだが。

 二人ははじめ薬屋へ連れ立って向かう予定であったが、予定は変わって着いたのはアインズがここのところずっと利用している宿の一室だ。扉が閉まり密室となったそこに響いたのはアッバルの低い声。

 

「ねえお爺ちゃん、私、詳しくお話聞きたいな」

「……はい」

 

 ここまでの道すがらあちらこちらから掛けられた優しい声――その年じゃまだお乳の出が悪いだろう、栄養をつけるんだよ、お父さんに孫を抱かしてやれて良かったね云々。意味が分からないアドバイスと押し付けられた食材、これまでお爺ちゃんが黙っていた諸々について説明を求める。

 お爺ちゃんはソファーに膝を揃えて座って小さくなり、仁王立ちの新米ママをおどおどと見上げる。

 

「こ、これには訳があるんです」

 

 そして語られるお爺ちゃんの失言「娘が生まれそう!」と、次の日からの「おめでとうお爺ちゃん」という街の声。何がどうしてそんな噂が立ったのか分からず立ち尽くしている間に噂は公認のものとされ、もしやアレが原因かと思い至ったのはその日の晩のことだった。お爺ちゃんもわざとじゃなかったのじゃ、本当じゃよ。

 

 新米ママもといアッバルは頭を押さえながらアインズの正面に腰かけた。体を投げ出すように座ったためかドサリと大きな音が響く。

 

「ワケは分かりました。……でもモモンガさん、孫なんていないのにどうするんですか? 乳児を誘拐してきて育てるなんて嫌ですよ私」

「私もそんなのは嫌ですよ!! 限りなく乳児に近い存在と言えばヴィクティムとかもいますけど、あれはちょっと……」

「乳児っていうより胎児ですもんね」

 

 それにヴィクティムには翼が生え金環を頭上に掲げている。翼と金環付きの赤ん坊など奇異の目で見られるに違いない、と否定するアッバル。彼女は否定すべき点が一般常識から大きくずれていることに気付いていない、たとえ翼や金環がなかったところで異形は異形でしかないということに。枯れ枝を刺した肉塊のようなヴィクティムを抱き上げて微笑む少女の姿は、あまり一般に許容される図ではなかろう。

 なるほど彼女もだいぶんナザリックに染められているようだ。

 

「でしょう? だからここはいっそ、アッバルさんが本当に子供を産んでしまえば良いのではないかと思うんです」

「恐ろしいことを言わないでください、って言うか誰の子を産めと言うんだ誰の子をよぉ……。それに幼児期って一目で月齢とか分かりますし、今すぐ産むなんて無理ですからどうにもなりませんよ」

 

 子供の成長は速い。一月違うだけで猿顔が人になり、寝返りをし、ハイハイする。それを指摘したアッバルだが、アインズの方が一枚上手(うわて)であった。

 

「ああ、その点は問題ありませんよ。プレイヤー同士の結婚で使う、すぐに子供が生まれるアイテムがありますから」

「ぎょえっ……そういえばそんなのガチャで当たったことがあるような」

 

 その自信に満ちた表情と声は心強いどころか恐怖しか感じないのだが、何故かアインズはやる気満々である。体から始まる恋愛はまだマシに見える、子供から始まる夫婦なんてものを我が身で体験させられそうなこの現状。処女懐胎とは聖母かな? アッバルから生まれる子は神の子などではなく悪魔の子(いぎょうしゅ)だろうが。

 これを如何にして打破すべきか、アッバルの脳細胞が活発に働くものの……答えは出ない。

 

「本気です?」

「本気です」

 

 アインズ曰く、孫が生まれたと噂が立つ前と立った後では街の人々からモモンに向けられる感情が違うという。子を持つ親からの信頼感が増したり、信愛の籠った挨拶をしてくる人が増えたり。より身近な存在として認識されたようだ、と。

 これで子育ての話にちゃんと乗ることが出来れば、よりモモンへの信頼感は増すに違いない……のだが、残念ながらアインズが子供の世話をしたのは施設に引き取られていた間のみ。既に当時の記憶は薄れ、覚えているのはギャアギャア泣きわめく赤ん坊のせいで眠れなかった夜が数えきれないほどあった、という程度。彼らの話に相槌を打つには遠くあやふやすぎる思い出だ。

 

 アインズは、他者とのより親密なコミュニケーションツールとして「孫」が欲しい。そして周囲の認識では「孫」の母親はバァルことアッバルだ。アッバルにも子供について話が振られることがあるだろうゆえ、アッバルは「母」の苦労を知る必要がある……らしい。アインズが必要だと言うからにはきっと必要なのだろう。

 

 アッバルは考える。もしここでアッバルが産むのを断って、どこかの村で乳児誘拐事件が起きたとする。アッバルの腹は痛まないが、きっと母親役である彼女が主にその子の世話をすることになる。――果たして、ただの人間の子供がナザリックで生き延びることが出来るのか? 誰かがうっかり漏らした殺気で心臓発作、死ぬ。アインズとの子供を欲している誰だか(アルベd…)が予行演習だと言ってあちこちへ連れ回し、死ぬ。雨に負けて死に風に負けて死に、氷河の寒さに溶岩の暑さに負けて死ぬ。とりあえず死ぬ。

 ただの赤ん坊にはどうしようもない死亡フラグ乱立のナザリックで、簡単に死ぬ人間の乳児(ウホッいいにく!)を世話する虚しさと大変さは、あえて想像する必要もないほど大変に違いない。むろんこの選択肢は却下だ。

 

 もしアッバルがアイテムで子供を産んだとする。生まれるのは当然ながら異形種ゆえ人間と違ってそう簡単に死になどしないし、ナザリックの面々も身内の子として面倒を見てくれるだろう。アインズが孫だと言ったならば孫として扱われるはず――孫と言うからには、アインズは彼女にパンドラズ・アクター(アインズのNPC)との子供を作らせようと考えているのではなかろうか? パンドラはアインズにとって我が子のようなもの、彼相手ならばまさしくアッバルの産む子はアインズの孫となるだろう。

 パンドラならばアッバルをこれからも甘やかしてくれるに違いないし、面倒見も良い。親となれば積極的に子供の世話をしてくれそうだ。なんと心揺れることか。

 

「産むとしたら、私の相手ってナザリックのNPCですよね?」

「ですね。心配しないでください、アッバルさんのことをちゃんと考えてくれる奴に頼みます」

「それなら、まあ、しましょう。産みますよ」

 

 アッバルには親が子に向ける愛というものがいまいち分からないけれど、女性が契約で子供を産む内容の漫画などもあったから、こういうのもアリなのだろう。たしか親の遺した借金返済の代わりに金貸しの男が持ちかけた契約に判を押し……といった展開だったと思うが、その漫画を読んだのは一年以上前だったため既に記憶の彼方だ。

 契約で子供は産める。同様にして、いらなくても子供は勝手に産まれる。アッバルは漫画からそう学んだ。

 

 ――その日の夕方、ナザリックに帰ったアッバルを迎えたのは、ダチョウの卵のようなアイテムを抱えて微笑むデミウルゴスであった。

 共に帰って来たアインズを見上げれば満面の笑み(を浮かべているような気がする)。引きずり込まれた部屋で両親認証したのち、アッバルはアルベドの元へ飛び込んだ。「双方の同意があれば子供が産まれるアイテムです! 私、妹が欲しいなァ!!」と彼女の手にガチャの外れアイテム(ダチョウのたまご)を押し付けた。出現率が低く、またゲームマネーで買うと高いアイテムなのだが――いかんせん需要が少ないため外れアイテム扱いであり、持っていたことすら忘れていたのだ。

 スキップでアインズの部屋へ向かうアルベドの背中に手を振り振り見送り、アッバルは意気揚々とアルベドのベッドに潜り込んだ。

 

 迷惑メールのように何度となくアインズから届く〈伝言〉の着信音を聞きながら、アイテムが孵化するまでの十二時間、アッバルはアルベドの布団に潜り込み安穏とした時間を過ごした。むろんこれは優しいパパへのプレゼントだ、悪意などあろうはずもない。ないと言ったらない。

 

 

 

 

 

 アインズにとり、アッバルは弁慶の泣き所やアキレス腱と言える存在だ。だが、弱点だからと言って除去することは出来ない。彼女の存在あってこそ彼は仲間の来ないユグドラシルを楽しくプレイし続けられたし、今も唯一地を出せる相手として、下らないことで笑い合える相手として側にいてくれている。ギルドメンバーに勝るとも劣らぬ大切な仲間の一人だ。

 モモンガはリアルにて家族や友達といった人との縁(しゅうちゃく)を持たず、ユグドラシルにてやっと友を得た。初めての友、初めてのチームプレイ、初めての秘密基地、初めての、初めての、初めての……。しかし得たと思ったはずの友達はだんだんとログインの回数を極端に減らし、またはゲームを止め、姿を消していった。

 

 そこに現れた小さな友人は一回のプレイ時間こそ短いが、毎日のようにログインしてモモンガを喜ばせた。チャットログに残る彼女の「こんばんはー」「あれ、モモンガさんいない? 残念……」「そろそろ落ちます。おやすみなさい!」。たとえ会えなくとも、この三行が嬉しかった――既にギルチャは友人からのレスがつかぬまま数ヶ月過ぎることも多かったから。ひたすら続く『モモンガさんがログインしました』『モモンガさんがログアウトしました』の羅列、スクロールしてもスクロールしても同じ言葉の繰り返しでしかないギルチャを確認するのは五日に一回になり、七日に一回になり……。

 

 エ・ランテルの住民たちの勘違いはアインズにとって渡りに船だった。アッバルに教えた住民とのより深い交流手段と言うのも間違いではないが、一番の目的は彼女をナザリックに引き留めることだ。もっともらしい言い訳をすれば案外チョロいアッバルは頷いてくれる。実際、「良く分からないけど分かった」と言わんばかりの顔で了承したのだから、アインズの目論見は半分成功した。もちろん残る半分はデミウルゴスへの永久就職の実現、数年内にはアイテム産ではない孫を見たい。

 結婚アイテム産のNPCは総合レベルが1で固定かつ三歳児ほどの大きさと知能までしか得られないため、当然ながらナザリックで自然発生(POP)するNPCよりも弱い。それの世話を焼けば焼くだけ、愛情を持てば持つだけ、アッバルはそれの安全のためナザリックから離れられなくなる。まあ、そんなもの(NPC)などなくとも、三つほどもっともらしい理由を挙げれば丸め込まれるのがアッバルなのだが。打てる手は打っておくべきだろう。

 

 アッバルは数十分前ナーベを伴にし、ポーションを卸すためギルドへ行った。室内は静かだ、屋外の喧騒が遠い。多くのことを任せたせいで忙しくしているであろうデミウルゴスに、アインズは〈伝言〉を送る。

 忙しくしている中すまないが、今日の夕方に三十分で良い、時間を捻出してくれ、と。

 

『畏まりました。アインズ様のご予定に勝る用件などございません、なんなら一時間空けましょう』

『いや、そんなにはいらん。して欲しいことには三十分も必要ないのだ』

 

 屑アイテム置き場で埃を被っているであろう巨大な卵。特にナザリックの面々には無用の長物であった結婚システムの専門アイテムであり、一組につき一つしか使えないイースター・エッグ。イースター・エッグと言う名からこの卵の中に何か良いアイテムが入っているのではと、これを割った者がいた。しかし卵から溢れ出たのはアイテムではなく――羊水と、まだ指に水掻きを持つ未熟な胎児。

 この一部始終が動画共有サイトに流れたところイースター・エッグを使いたがる者は激減、結婚システムは利用され続けたものの、子供を作ろうと言うプレイヤーはほぼ消えた。運営はエロについては規制したが、グロについては寛容どころか自ら率先して発信していた節がある。

 しかし、それでも使ってみようとする者はいる。彼らの証言と証拠画像によれば、卵からは『両親』の要素を受け継いだ赤ん坊が産まれる。金髪碧眼のエルフと黒髪赤眼の夜叉の間には黒髪碧眼の角が生えたエルフが出来たらしい。異形種が使うとどうなるのか、恐ろしいような気になるような。

 

 夕方、地下墳墓へ戻ったアインズらを迎えたのは当然ながらデミウルゴスであった。イースター・エッグを抱える彼とアインズをキョロキョロと見比べるアッバルに笑みかけ、優しく背中を押す。デミウルゴスなら大丈夫だ。彼以上に忠誠心が強く信頼のおける男性NPCはいないし、彼のことだからアッバルとのこと(こんやく)についてもきちんと考えているだろう。

 眼を真ん丸にして口をあんぐりと開けアインズを見つめ続けるアッバルはデミウルゴスに手を引かれていき、アインズはその背を見送ったのち自室に移動した。十二時間後が楽しみだ。

 

 ――イースター・エッグを手に迫るアルベドに、そのアイテムから産まれる子は三歳程度の大きさにまでしか育たないこと、レベルが一しか与えられないことを強調してなんとか説得し、アインズは「妹が欲しい」とかぬかした娘に〈伝言〉を発する。アッバルさん返事しなさい、お父さんは怒っています。

 

 むろん自分のやったことは棚上げである、人とはそういうものだ。




エ・ランテル
みなさんA「あんなに強いし装備も立派なんだからきっと元々は領地持ちの貴族か王族だったに違いない!」
みなさんB「でもここにいるってことは国を滅ばされたとかしたんだ! きっと!」
みなさんC「追っ手もいるんだ、間違いない!」
アインズ様「うん(´・ω・`)?」

蛇「モモンガさん、私のことsageすぎ!」
骨「うん(´・ω・`)?」
蛇「えっ、無意識? 無意識?」


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二話

 デミウルゴスは頭脳のみならず忠誠心も随一の男である。彼はその良く回る頭でアインズ・ウール・ゴウンと彼の支配するナザリックの利益を求め続けているが、現状、彼はじめ守護者らの働きは芳しいものとは言えない。

 スクロール用に飼育している両脚羊らの皮はまだ質が悪く利用範囲が狭いし、「魔王」の準備も既に整っているとはいえ、計画が実行されるまでは単なる口先のことに過ぎない。他にも任された仕事は多いが、どれもこれも成果が出るまでまだ少しかかる。コキュートスのミスについても、この世界の蒙昧な異形種らを殺さず支配するテストケースとして誤魔化せたが、プラスマイナスで言えば誰が見てもマイナスだ。

 

 アインズに胸を張って報告できる成果がない。実績がない。至高の御方々の手ずから創造された守護者だというのに、出来て当然の結果をアインズに捧げられていない。アインズの役に立てていない現状に気が重くて仕方ない。

 そんな時にアインズから新たに下された命令は、先に命を下されていたアッバルとの婚約と目的を同じくするものだった。しかしやはり、すぐに成果をあげられるものではなく、成果を得られるには時間の掛かるものだ。――デミウルゴスが任されたのは、アッバルがイースター・エッグで「孫」を作るための父親役。親の片方がペア解消の意思を表せばとたん露と消える命はなるほど、アッバルへのこれ以上ない楔だと言えよう。

 

 一つ目の利点は彼女の愛情を人質にできることだ。下僕らにも心を砕くアッバルのことだ、それが自分の面影を残した幼児であればより一層愛情を覚えることだろう。だがナザリックを去れば、つまりデミウルゴスと別れれば「孫」は消える。彼女がそれを望まないことなど日よりも明らかである。

 二つ目の利点は彼女の弱点を増やせることだ。「孫」を守るにはアッバル一人では心許ないが、ナザリックにて暮らす限りアッバルと「孫」の身は安全だ。「孫」を連れてナザリックと袂を分かったとして、「孫」を守りながら生きていけるほどアッバルは強くないし、NPCの追跡は優しくない。いつデミウルゴスがペア解消を表すか怯え、心身を削りながら「孫」を守り続けられるとは思えない。

 三つ目の利点は上の二つとは少し毛色が異なる――デミウルゴスへの親近感が湧きやすくなることだ。両親の要素を継いで生まれる「孫」だ、アッバルにも似るであろうが当然デミウルゴスにも似る。愛情を感じている相手と似た存在へは親近感や愛情が湧きやすいものゆえ、「孫」はアッバルを絆す良い触媒となってくれるはずだ。

 

 時間を決めてナザリックへ帰還したデミウルゴスは、部下からイースター・エッグを受け取りアインズとアッバルを迎えた。彼らが仲良く腕を絡ます姿はまさに親子だとはいえ、本当の親子になれるはずもなし。アインズはアッバルを愛しているがゆえ不安要素を全て取り除きたいのだろう。可愛い娘が彼を裏切ることのないように、ナザリックへの敵意を持つことのないように。

 棘を一つ一つ取り去るような作業だが、その作業さえ終われば美しくか弱い薔薇となる。アインズは虎を飼い猫にしようと望んでいるのだ――もちろん、ナザリックの面々に牙を向けぬだけで、人間共にとっては虎でしかないだろうが。

 

 デミウルゴスは二人へ深々と頭を下げ、出迎えの挨拶を口にする。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様、アッバル様」

「ああ、出迎えご苦労――デミウルゴス」

「承知しております。さあアッバル様、こちらへ」

 

 手を引けば簡単についてくるアッバルはまだ弱い。その弱いうちに首輪を付け、楔を打ち、教え込むのだ。お前の家はここだ(アインズをうらぎるな)、と。

 

 両親として認証をすればイースター・エッグは一瞬ぼんやりと緑色に輝いた。デミウルゴスの仕事は多い、まさかアッバルに持たせるわけにもいかぬとイースター・エッグは部下が運ぶようにと指示し、すぐにまた外界へ出る。「孫」への興味はもちろんあるが――だからと言って仕事を疎かにする訳にはいかないのだから。

 

 

 

 

 アルベドの居室は新たなギルメンが入ってきた時のための予備であるため、部屋の広さはもちろん内装に至るまで他のギルメンのものとも同じだ。メイドらは毎日のように百あるギルメンの部屋を掃除し、必要ならば暖炉に火を入れる。たとえ部屋の主がギルメンでなくとも当然それらは行われ、ベッドは焼き石を入れた目の細かい鉄の籠を潜らせ温められている。アルベドは寒さなど苦でもない身ゆえ必要のない心配りだったが、今日ばかりは役に立った。

 変温動物であるアッバルがそこで寝たからだ。

 

 アルベドのベッドにて過ごす間、アッバルは八本脚の蛇の姿となっていた。疲れきってしまったとき、眠気で動きたくないときは蛇の姿になるのが癖になってしまったのだ。そうすればNPCらが拾って猫ちぐらに入れてくれる。甘やかされ過ぎているなど言ってはいけない、レベル上げのため動けなくなるまで召喚モンスターと戦わされているのだから。

 外界は夏とはいえ寒いナザリック、冬眠などさせぬよとばかりに布団は蛇を温める。

 

 そんな小さな蛇であったが、布団の中をもぞもぞと移動して親鳥よろしく卵に覆い被さってみたり転がしては上下を変えてみたりと、なかなかどうして親らしいことをしている。彼女は高校生のときクラスメイトが鶏の有精卵を孵化させようとしたのを手伝ったことがあるのだが、適切な湿度や温度管理、定期的な卵の回転が必要なことを覚えていた。もちろん育てた鶏は若鶏の甘酢掛けにし、クラス全員の腹に収められた。

 アッバルは普段ぐっすり眠って朝まで起きない良い子だが、それが何故途中で起きては卵を転がせたかと言えば不定期な迷惑メール(アインズからのメッセージ)のおかげだ。〈伝言〉が来る度に半覚醒し卵を抱きしめたり転がしたり、良いアラームに使わせてもらったのだ。ただブツ切れの睡眠のため朝食後も眠気が失せないのが問題だ。

 

 アッバルは寝ぼけ眼でスプーンまでバリムシャと噛み砕いて朝食を終え、再びアルベドのベッドにダイブする。未使用のためかアルベドの体臭は全くなく、このままではベッドはアッバルの縄張りになりそうだ。

 朝食を食べてからまた布団を被り寝るその姿はなんとも堕落しきっている。

 

 ――そして朝食後すぐ、孵化まであと一時間ほどという時間、アルベドの寝室にアインズが現れた。アッバルを起そうとする名なしのメイドには手を振って下がらせ、こんもりと膨らんだ布団を剥ぐ。そこには直径十五センチほどの卵と、それにぺたりと貼り付いて鼻提灯を膨らませるアッバルの姿。腹のあたりを持ち上げればぐんにゃりと垂れて伸びる彼女を持ちあげ、傍付きのメイドには卵を運ぶよう指示する。

 アッバルはぐっすり眠っているらしい、布団から取り出されたというのに起きる様子がない。しばしその場に立ち止まりむにむにと手の中のシリコンもどきを揉む。低反発クッションのように手に馴染み、温かい布団の中に潜り込んでいたお陰かほんのりとした熱が手に感じられる。

 

 ……ああ、これだ。これが足りなかった。アインズの空洞の胸を爽やかな風が吹き抜けていく。天井を見上げる様に少し顎を反らし、この心地よさを全身で受け止める。

 アインズはここのところストレスが溜まっていた。一人になれる時間は少なく、すべきことは多い。彼には癒しが必要だった。だいたい何故パンドラは良くてアインズが揉むのは駄目なのか。こんなに柔らかくて気持ち良いのだ、パンドラなど按摩にかこつけてこの感触を楽しんでいるに違いないというのに。

 

 もしこの場にメイドがいなければ、アインズはベッドに倒れこみ「あ゛ー、癒されるー」等と言いながらゴロゴロと転がっただろう。しかし残念なことにショートヘアのメイドがキリリと真面目かつ輝いた顔でアインズの後ろに控えているゆえ、そんな姿など見せられるはずもない。

 至高の四十一人の長、最後のギルメン、現在唯一のプレイヤー――これらの肩書と肩書から生まれたアレコレが彼の肩にのしかかり、彼の自由な裁量や行動を制限している。NPCらの信奉する『偉大なる支配者』はそんな格好の悪いことはしない、と。

 自分で自分の行動を制限し、どんどん引き返せないところへ来てしまっていることについては、アインズは目を背けている。いつか直視せねばならないが。

 

 だいたい『ぼくのかんがえたさいきょうのまおう』プレイというものは時々だから楽しいのだ、何ヶ月もずっと続けるものではない。地の自分を殺し求められる姿を演じ続ける息苦しさ……大きな感情の変化は沈静されるとはいえ、火傷はたとえ小さくともジクジクと燻り続けるものなのだから。

 熱を持った傷口に蝿が集り蛆が湧き、何度叩き落としても何度潰しても、無駄なことをと蝿は嘲笑う。膿んだ傷口がある(ナザリックにいる)限り、蝿の温床にされ続ける(ストレスはきえない)のに、と。

 

 何も考えず揉んでいたい。子供時代、プチプチとかエアークッションと呼ばれる梱包材をひたすら潰し続けたときのように無心に揉んでいたい。

 この感触がナニを想起させるのかについてはわざと考えない――爆死する未来しか見えない。三本目の脚がお世話にだとかそんなことは絶対にない。絶対にだ。

 

「……ああ! 起きないな。アッバルさんは朝食を摂ったのだろ?」

「はい」

 

 揉みに揉んでいたのを、これは起こすつもりだったのだと早口で言う。どうやら癒しとしょうもない言い訳に意識が飛んでいたらしい。

 

「何度となく目を覚ましては卵の上下を入れ換えたりなさっていたので、睡眠時間が普段より短くていらっしゃるようです」

「ほう?」

 

 鳥は卵を温める際に腹の下で卵を転がすのだと

動物番組で見たことを思いだす。ずっと同じ状態では良くないとか……鶏冠のあるアッバルの一部は鳥類ゆえ、親鳥らしく抱卵したのだろう。

 アインズの頭に「なるほど、だから鳥頭」という言葉が浮かんだが、失礼な表現であると思い自戒する。

 

 ちなみに鶏は三歩あるけば恩を忘れると言うが全くそんなことは嘘っぱちで、少なくとも二分は忘れない。それだけではない、誰に従うべきか(こわいやつ)や、誰に喧嘩を売って良いか(おまえ おれの パシリ)等もきちんと覚えている。

 アッバルの名誉のためはっきり言っておこう。アッバルは鳥頭ではない、平均より少し上な程度のスペックを持つ凡人だ。ただ興味のあることの範囲が狭く、学校で行われる授業に面白さを感じていなかっただけで。もちろんアッバルの一番は女性の双丘――頼み込み、縋り付いてまでして揉ませてもらった双子山は数え切れず、硬いサブレから良く揺れるスポンジまで多種多様だ。それゆえ彼女は一目でバストサイズを見抜き、バストから対象の年齢をも当てる。無駄に研鑽された無駄な技術とはまさにこのことだ。

 暴論でもそれらしい理由を三つも挙げられれば「そういうものなのか」と騙されてしまう単純思考の主であることに違いはないのだが。

 

「このままでは、アッバルさんは卵の孵化を寝過ごしてしまうかもしれん。執務室へ連れて行こう」

「畏まりました。今すぐ猫ちぐらを用意いたします」

「いや、このまま持って行こう」

 

 手の中でスライムのように項垂れ伸びる蛇を揉みつつ踵を返した。アインズは部屋に戻るとNPCらを下がらせ、蛇を膝に置いてつんつんと突いたり揉んだりする。イースター・エッグは執務机の上にデデンと置いて孵化を待つ。

 どんな子が生まれるのだろう? イースター・エッグを割った動画はアインズも見たため、中身が人族の胎児であることは知っている。人型で生まれて人のように育つのか、それとも異形で生まれ異形として育つのか。異形として生まれるならばどのような姿になるだろう――アッバルは爬虫類のミックスに鶏冠を付けたような見た目で、デミウルゴスは尖った耳と悪魔の翼に尾を持つ巨大な蛙だ。要素を混ぜてみよう。

 

 その一、鶏冠の生えた蛙。アッバルの餌としか思えないのは気のせいだろうか。

 その二、尖った耳と刺の尾を持つ八本足の蜥蜴。なんだか強そうだ。

 

 アインズは後者が好みだ、それの腹回りはアッバルと同じ感触に違いない。

 だんだんとその二以外は認めないとさえ思い始める。娘は思春期なのか父親に腹を揉ませてくれないが、孫は三歳までしか育たないゆえいつまでも柔らかい腹をお祖父ちゃんに揉ませてくれることだろう。

 柔らかい孫よ来い――そんな身勝手なことを考えていたためだろうか? アッバルがアインズの膝の上で惰眠を貪るなか、割れたイースター・エッグから現れたのは……蛇に似た別のもの。

 ガラスのように硬質な瞳、濡れてぺたりとした羽毛に包まれた長い体に三対の翼、蛇の顔をした二本足のこれは……。

 

「け、ケツァルコアトル……?」

 

 雛ゆえ絶対にコレとは言い難いが、これはケツァルコアトルではなかろうか。ケツァルコアトルとはアステカの言葉で「羽毛を持つ蛇」を意味し、マヤ文明ではククルカンとも呼ばれた農耕神だ。ユグドラシルにおいては倒すべきモンスターの一つとしてしか登場しなかった――いや、進化のツリーが見つけられていなかったのかもしれない。

 羽毛持つ蛇ということはつまり、鳥の要素を備えた蛇だ。もう一ついるだろう、ここに、鳥の要素を備えた蛇が。

 

「バジリスクの進化先だった、ということか!?」

 

 ケツァルコアトルは農耕神であるのと同時、人類に火を与えた創世神でもある。アッバルは薬師の職業レベルを有しているし、デミウルゴスのスキルや魔法は火のものばかり。アッバルとデミウルゴスの良いとこ取りをすれば生まれる可能性がないではないが、それはあまりに都合が良すぎやしないだろうか。そう考え、いいやと頭を振る。

 

 イースター・エッグからは両親の要素を受け継いだユグドラシルに実在するモンスターが生まれる、と考えればなんらおかしくはない。鶏冠の生えた蛙はいないし、八本足の蜥蜴や蛙もいない。三対の翼は八本の脚のうち六本が翼に変化したと考えれば、このモンスターが生まれたことにおかしな点はないのだ。

 つまりアインズはナザリック地下大墳墓において最高の組み合わせを、そうと知らずに引き寄せたことになる。

 

 雛は机の上をチイチイと鳴きながら這い回り親を求める。体長は十五センチほどだが、膨らんだ腹部と羽毛からもっと大きく見える。摘み上げてアッバルの腹の上に置いてやれば擦り寄って目を閉じた。

 

 アッバルが不在の時にはアウラやマーレにこれの世話を任せよう。農耕神なのだ、収穫率数パーセント上昇のような能力があるやもしれない。色々と調べてみたい、知りたい――アインズは自分がわくわくと浮き立っていることを自覚した。ユグドラシルでは最後まで開かれなかった進化の森に、初めて自分が分け入るのだ、と。

 

 アインズはまだ知らない。この「孫」すらも遠望深慮の一部であると思い込まれることを。

 アッバルもまた知らない。一応はアッバルの子である存在がアウラのペットと化すことを。




アウラ「三歳児並みの頭があるの? なら良いペットに躾られるね!」
ケツァ「両親に愛されるため生まれたはずでした」


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三話

 エ・ランテルへの人の流入が以前より倍増したらしい。らしいと言うのもアッバルには興味がない事柄だったためで、人のする噂話を漏れ聞いてやっと「へえ、そうなんだ」と一つ頷きすぐに忘れる程度のことだった。

 ――とはいえ、薬師や錬金術師からアッバルへの熱烈なラブコールが増えていることについては、アッバルも知らないはずがなかった。

 

「ばっ、バァルさん! ぼきゅと真実のポーションにちゅいて」

「黙れイトミミズ。バァル様の名を呼ぶな、視界に映るな、息を吸うな」

 

 時刻は昼を過ぎ、三時を回って少しした頃か。小遣い稼ぎとしてギルドに低級治癒薬(マイナーヒーリングポーション)を二三本売ったのち市場の外周に並んだ木製のテーブルと椅子に腰かけ、出店の一つからタダで貰った鈴カステラもどきに舌鼓を打っていたアッバルの元に、この街でも名の知れた薬師や錬金術師が現れては追い払われ現れては追い払われしている。

 ナーベラルのキツい言葉で追い払われたいから声を掛けてきているのか、それとも何度追い払われようとも諦めきれない不屈の研究者魂がそうさせるのか。後者であればまだ良いが前者であれば気持ちが悪い。後者であることを切に願おう。

 

「ねえナーベ、私お肉食べたいな。あの美味しそうな匂いのする串肉とか」

「バァル様、これ以上買い食いされますと夕食が入らなくなります」

「ぬうん……」

 

 バァルのお小遣い稼ぎという名目で行われているポーション売買だが、売り上げの六割ほどはナザリック外活動資金として吸い上げられている。身の安全と安定した食料供給等を考えるとむしろアッバルはもっとアインズに支払うべきであろうが、小遣いを稼いでいるという外形を保つためにはアッバルも何かしらで金を使わなければならない。

 よって、バァルが無計画に浪費しようとし、ナーベが止める。自然にその流れが生まれた。

 

 席を立って周囲に手を振りその場を後にし、財政状況を考えるとあまり嬉しくない価格設定の宿に向かう。アダマンタイト級冒険者としては当然の宿とはいえ、それは養うべき部下のいない身軽な立場であればの話。小銭を数えて深く沈んでいたアインズを見ていたアッバルも気を揉んでいるのだが、彼女に出来ることは少ない。アッバルが気を揉むのではなく、アインズがアッバルを揉めば彼のストレスなど一発で解消するのだが。

 

「お帰りなさいませ、バァル様、ナーベ様。お手紙が二通、こちらに届いております」

 

 宿の主人が差し出した手紙の文字は、残念ながらこの場にいるアッバルとナーベラル二人とも読めない。とはいえ中に何が書かれているかは二人とも知っている。似たような手紙はもう既に両手両足の指の数よりも来ており、セバスの翻訳によれば「素晴らしい錬金術師であるバァル殿を専属として迎え入れたい。給料はこれたけ出す」と言っているのだ。

 

 突き返せば角が立つので、アッバルは手紙を受け取るだけ受け取り、セバス翻訳に回している。勧誘以外の手紙の可能性もあるからだ、今のところ勧誘以外の手紙など一通もないが。

 ――しかし。今朝、そのセバスと行動を共にするソリュシャンから、セバスの裏切りの可能性があると言う報告が上がった。もし本当にセバスが裏切っていてアッバルに何かがあってはいけないからと、アインズ一人転移してしまったため、アッバルはナーベラルとエ・ランテルでお留守番なのだ。

 

「ナーベラル、セバスってどんな人?」

 

 アインズが身を切るような思いをしながら借りている無駄に豪華な一室に戻ると、アッバルはナーベラルにそう訊ねた。

 アッバルが分かるのはナーベラルやユリ等のメイド数名にアッバルの母親になりたいらしいアルベド、子作りさせられたデミウルゴスとその配下数名、時々お世話になるアウラにマーレ、アッバル専属按摩師パンドラくらいだ。偽乳さんことシャルティアのような例外もいるが、他のNPCとはあまり言葉を交わしたことがないため名前はおろか性格も顔も把握できていない。

 セバスについては、顔と名前は分かるという程度だ。

 

「そうですね……先ずはセバスの略歴からお話ししましょう。セバスことセバス・チャンは至高の四十一人のお一人であるたっち・みー様が創造された、私やユリ・アルファ等のメイドを監督する執事です」

「ほうほう」

「たっち・みー様が弱者救済、正義執行を理念として掲げられていたことから、創造物たるセバスも同様の傾向が見られます」

「ほえー」

 

 たっち・みーのことをモモンガから聞いたことがあるが、「異形種狩りが横行していた時期に出会った恩人」という程度のことしか知らない。そんな理念を掲げる男だったということも今初めて知った。

 

 アッバルはユグドラシルを始めた時、種族選択などの確認もあってwikiやプレイブログを読んでいる。それにはこのアインズ・ウール・ゴウンの悪評や悪口、ギルメンを名指しして非難するコメントはもちろん、客観的に見たギルメンの性格などもあった……のだが、彼女はそのどれもほとんど覚えていない。

 というのも、サービス開始から既に十年ほど過ぎていたためユグドラシルに関する情報量が膨大であったこと、巨大ギルドのギルメンとまさか自分が出会うことになるなど考えてもみなかったためプレイヤー情報に興味がなかったこと、とりあえず蛇に関する種族さえ分かれば良いというスタンスでほとんどの記事を読み流していたこと――そして、アッバルの記憶スペースが洗面台のごとく、一定量を超えると上部の排水溝から流れ去っていく方式だったことが理由だ。

 必要ならばその時その時にwikiれば良いじゃない、という現代っ子思考であったのも原因の一つかもしれない。

 

 とはいえアッバルは人の話はちゃんと聞ける女の子である。女の子というには少し年齢があれだが、勉学に関する知識量がそこらの中学生に負けるので、女性ではなく女の子ということにしよう。テストの点は悪くても、アッバルは人の話に相槌を打ちウンウンと頷くことに定評のある女の子なのだ。

 セバスの性格の話から話は広がり、ナーベラルが語ったのはアインズ・ウール・ゴウンの輝かしい栄光、ギルメン四十一人が全員揃っていた頃のきらめき。

 

 NPCから見たプレイヤーは、まさしく神そのものだった。地底を這いずる価値しかない低級モンスターから最上級モンスターへと自らを高め、世界の敵(ワールドエネミー)を屠り、四十倍近い人数の侵入者共を追い返した。英雄譚に語られるべき英雄、最新の神話の当事者、NPCらの創造主。

 

 アッバルは納得した。ナザリックNPCらは自らを選ばれた民だと思っているのだ、と。

 アッバルが通った中学、高校、大学――そのどれにでも選民思想を持った者達はいた。彼らの主張を簡単に言えば「アーコロジーに暮らす我々は偉い」だ。ご先祖様のやった地球破壊で多くの人々が地獄に叩き落されたことなど彼らには関係なく、豊かさを鼻にかけ、貧しい身分に生まれた者達を嘲笑う。だが、彼らの選民思想に根拠はない。ただ親が、祖父母が豊かだったから、彼らも豊かだっただけだ。

 逆転、NPCらはどうか? 英雄に、神に望まれて生まれた。そのようにあれと作られた。生を受けた時から完璧で、完成していた。まさしくNPCらは選ばれた民だ。

 

 そして選ばれた民だからこそ、彼らがアインズを裏切ることはない。自らの足元を崩したがる馬鹿でもない限り。

 

 窓の外は橙色に染まり、日没まであと僅かといったところか。

 

「ナーベラル、そろそろ夕飯食べに行かない?」

 

 宿の食堂はそろそろ夕食を提供していることだろう。




蛇「なんだ、狂信者の群れかよ。知ってた!」

繋ぎのためもあり短くなりました。すみません。


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四話

 アダマンタイト級冒険者という金満男の娘が使う金をケチっていては格好がつかない、とアインズが言っていた。よってアッバルはそれだけの価値があるものならば迷わず買うし、高過ぎる金額設定の食事に文句を言うこともない。特に後者に関しては、無用な出費だと彼女が思っていてもだ。

 アッバルの泊まる宿の食堂――食堂と呼ぶと庶民的なそれに思えるが、実際はこの国で五つ星のレストランと変わらないそこ――では、カップルで来れば一晩で金貨に羽が生える。他者に翼を授ける能力はまさに赤い牡牛も真っ青だ。

 しかしそんな強気な価格設定でも客は途切れないし、宿の者は価格に見合うサービスを提供していると自負している。

 

 話は変わるが、美味しいと有名な店の料理と家で奥さんが作った料理を食べ比べたら、コストパフォーマンスも味も奥さんの方が高得点……なんてことはままありうる。とはいえ、外食と家庭料理を比べることは間違っているのだが。

 

 アッバルが人間だったとき中学や高校を狙っていた、貧困層出身のはずなのに何故か武器をかなりの数揃えていたテロリストたちの主張によれば、格安レストランでも「値段が高すぎる」らしい。原価は150円もないくせになんで500円も取るんだ等と主張し、値下げしろと騒いでいた。

 少し考えれば分かることだが、その150円に人件費を含む諸費用は含まれていない。店を動かすには人がいる、店舗はいつか老朽化するし設備は定期的に買い換えが必要、そして紙布巾などの消耗品ほど高い買い物はない。500円には500円の理由がちゃんとある。

 

 それを加味してもこの宿の料理は無駄に高いが。

 

 夕食を終えて部屋に戻ってきたアッバルを、セバス吊し上げ会ならぬセバスの愛人採用集団圧迫面接をしてきたアインズが出迎えた。一次のES及び常識試験や二次の面接を飛ばした内々定用の役員面接にツアレニーニャは半死半生だったが、そんなことはアインズにもアッバルにも関係ない。その程度のことはセバスが慰めれば万事解決なのだ。

 セバスに銭入れを押し付けてきたアインズにアッバルが手渡すのは今日の売り上げの六割――二本分で金貨二十四枚。研究のためならいくらでも出すぜ、と餓えた犬のように涎を垂らす研究者達が多いお陰で、一本金貨二十枚という値段でも次々売れる。全く素晴らしい金蔓共である。

 

「いつも有難うございます、アッバルさん。これがなかったらもっと酷いことになってましたよ」

「ですよね」

 

 大商人の我儘娘というソリュシャンの設定のせいで無駄に消えた金は、果たして一体金貨何枚になるのだろう。果たしてどこまでが本当に必要な出費だったのか……きっと考えない方が良い。

 

「そういえばお爺ちゃん、知ってます?」

「まだお爺ちゃんじゃないですから。で、何をですか?」

 

 先日からアッバルは何度かアインズを「お爺ちゃん」と呼んでいる。そのくせ我が子(ケツァルコアトル)のことはすっかり頭から抜けている――彼女は幸せな脳みその持ち主である。お祖父ちゃんも孫のことを思いだしてあげて、まだあれから二日も過ぎていないのよ。

 

「じゃあパパ。お金って寂しがり屋だから、たくさんあるところには集まるけど元々少ないところからはどんどん飛んでいくそうですよ」

「ああ……どこかでそんな話を聞いた覚えがありますね」

 

 強力な磁石に吸い寄せられる砂鉄の量は多いが、ただの鉄に寄ってくる砂鉄はない。また、魅力的なハーレム主人公には多彩な女性が群がるのに、根暗なモブには親しい女幼馴染みさえいない。持てる者はより手に入れ、持たざる者にはいつまで経っても何もない……残念ながらこれが現実である。

 

 ――そんな悲しい会話をした翌日の早朝、アインズはレエブン侯なる貴族から依頼を受けた。アッバルは治癒薬(ヒーリングポーション)を錬成できる錬金術師、傷ついた仲間を癒す必要があるかもしれないからと同行することになり、アインズの固くて広い膝の上に座り王都へ向かう。

 

 空飛ぶ絨毯ならぬ空飛ぶ透明板に乗り丸一日近くかけてやっとこ着いた王都だが、眼下には柱のような黒い炎が踊り狂っていた。巨大な炎というものはそこに存在するだけで風をまとうもので、ゴオゴオと唸る強い風を下から上へと吹き上がらせている。

 黒炎からは煤が多いという予想に反し、魔法の炎ゆえだろう、上空にいるアッバルらに届くのは頬を焼かんばかりの熱風と瞬く火の粉のみである。だがその炎は一分と保たず消える――これだけの勢いがある炎だ、燃料(・・)はすぐに尽きたに違いない。

 

 ナーベラルが現場へアインズを送ったのち、彼女に抱き上げられてアッバルも現場へ。仮面を付けただけのデミウルゴスが去っていく背中を見送り地面に降り立つ。

 

 三人はイビルアイと自己紹介し合い、復活魔法の説明からこれまでの経緯……イビルアイらが蟲のメイドを追い詰めた話になった。アッバルの記憶に蟲のメイドなどいなかったため理解がワンテンポ遅れたが、アインズらの反応から見てその蟲メイドはナザリックのNPCのようだ。

 口を挟むわけにもゆかず、しかし何が出来るわけでもない。そしてすぐ近くから香る空腹を刺激する匂い。アッバルは彼女最大の現実逃避――おやつに逃げる。

 

「バァル、何をしているんだ」

「お腹空いた『主食がすぐ横にあるのに食べられないので』」

「そうか。なら今の間に食べちゃいなさい『ああ……』」

 

 〈伝言〉しながらラスクの先端でイビルアイの仲間を差せば、納得したと頷くアインズ。

 英雄の身内効果なのか、アッバルが食べている姿を見せるとその店の売り上げが伸びるらしい。屋台の者達は毎日のように店の商品をくれる。昨日は鈴カステラ、今日はラスク。明後日はまだエ・ランテルに帰れそうにない。

 

 アインズとナーベラルがちょっとタンマ、と作戦会議のためその場を離れた時もそこに留まりバリバリムシャムシャと食べていれば、何やらイビルアイがアッバルを見つめていた。口の中の物を噛み砕きながらそちらに顔を向ける。

 

「バァルと言ったな。貴方はモモンさんの……えーっと」

「ん? パパの?」

 

 アッバルの言葉は、「モモンとバァルはどんな関係なんだ?」と直載的に言えず口ごもったイビルアイの繊細な乙女心を傷付けた。清らかな乙女というものは一般的に、清らかな身の上(バツなし、コブなしという意味)であることを相手に求めるものだからだ。

 一般的な感性の持ち主であるイビルアイとてそれに外れず、彼女の夢の中では、お姫様(イビルアイ)を颯爽と迎えに来る王子様が子持ちだなんてことは想定外であった。

 

「パパか……そうか」

 

 だが同時に、イビルアイにとってその程度の障壁は存在しないも同然であった。彼女の運命の王子様が未婚で子供もおらず結婚適正年齢バッチリである確率など元から低い。ちょっと想定外だっただけで。

 ――そう、イビルアイとモモンは出会うのが少しばかり遅かっただけ。こうして出会えたのだからそれで充分ではないか。モモンが既にオーバー30(推定)かつ子持ちであることなど、二人の愛の前には関係ない。どんなに分厚く高い壁も愛の力で打ち砕いてみせる。愛の力は凄いのだ。

 

 優しく聞こえるよう、イビルアイは余所行きの声でアッバルに話しかける。

 

「バァルちゃん、新しいママが欲しくはない?」

 

 早速モモンの娘(バァル)の篭絡にかかったイビルアイを止める者は、今のところいない……かと思われた。

 

「え、いいです」

「えっ」

 

 悩むこともしない即座の断り文句。なんと、第一にして最大の障壁はアッバル本人。

 アッバルはドラマやアニメのストーリーなんて二日を待たず記憶から抜けていく脳みその持ち主だが、鉄板設定や鉄板の台詞くらいは覚えている。「新しいママが欲しくない?」等と尋ねる女はだいたい後妻の座を狙っているものだ。そして後妻というものはだいたい先妻の子供をいじめる設定である。その方がストーリーが盛り上がるのだ。

 アッバルはマゾではないゆえ、好き好んでいじめっ子(予定)を家庭に迎え入れる性癖はしていない。

 

 まさかこうも瞬時に斬り捨てられるとは思ってもいなかったイビルアイは言葉に詰まる。そして信じたくなかった予想を独りごちる。

 

「ではやはり、ナーベが『新しいママ』なのか……? だから要らないということなのか?」

 

 彼女はちらりとモモンの横に並ぶ美貌の女――ナーベを見やる。推定三十以上のモモンと、いっても二十代半ばだろうナーベ。堂々とした立ち居振る舞いからしてモモンは貴種であろう、そして彼に迷いなく従うナーベは従者で間違いない。主人と従者が恋仲にならないと誰が保証できるだろうか? あの距離の近さを見ろ、ただの主従と言うには近すぎる。そしてあの胸も見ろ、男は大きい方が好きなんだろう?

 よって、イビルアイは彼女にとってとても辛い結論を導き出した。先ず、モモンは何らかの訳あって冒険者に身をやつした領主か国主だ。そうでなければおかしい。次にバァルはモモンと彼の先妻の娘。最後に、ナーベは従者から後妻に収まった女だろう、と。

 あの女(ナーベ)をいかに蹴落とすか。それが問題だ。女としてのスペックはこちらが劣っているのだから。

 

 ぶつぶつと独り言に忙しいイビルアイの横でアッバルはラスクを齧る。彼女にとって鈴カステラもラスクも空腹を宥めるには程遠く、ただ「何かを食べている」という感覚を満たすだけの効果しかない。

 

 アッバルは今、口中に唾液を溢れさせていた。なにせすぐ近くには脂肪分は少なそうだが肉の総量は多い女戦士と、細身で肉の少ない盗賊職だろう女の死体がある――もちろんそればかりではない。表面上は何もないように見えて、王都には死とその残り香が溢れていた。享楽のための死、貧困のための死、政争のための死……パン屋の扉を潜れば様々なパンの匂いに肺が満たされるように、王都に飛び込んでからずっと、アッバルの鼻孔を(ごはん)の匂いが擽っている。

 目を覚まし、夜間ずっと寂しんぼうしていた胃の訴えに従い向かう朝食のブッフェ。会場となるレストランには一口サイズのオムレツや焼き立てのパン、銀色の深い器にボイルされたウィンナーなどが並び、奥の奥にはチョコレートタワーや小さなケーキが見える。アッバルにとり王都はまさしくブッフェ会場、様々な味覚が彼女の舌の上で踊る時を待っている。

 

 今ここを離れて踊り食いに行くか? いや、それはいけない。仮面のデミウルゴスやナザリックのNPC蟲メイドによってこれほど大々的になされた襲撃はつまり、何らかの作戦が行われていると考えるのが順当だ。それがどんな作戦なのかは分からないが、見るからに腹の中が真っ黒なデミウルゴスのすることゆえ、ある程度予想はつく。アッバルの踊り食い祭りより酷い惨状が王都に広がるのだろう。

 邪魔をするつもりはなくとも、結果的に邪魔になった場合、どのような目に遭わされるかなど考えたくもない。

 

『ねえねえパパパパー、さっきのあれってなんの作戦だったんですか?』

『それが、パパも知らないんですよ』

『まじですか』

 

 アインズに〈伝言〉を飛ばせば、今ナーベラルがデミウルゴスに聞いているところだとのこと。

 

『お互いに連絡しあっていないと連携が上手く行きませんからね。まあ、デミウルゴスがナザリックのためにならないことをするはずがないので、そこらへんは心配していないんですよ』

 

 守らなければならない上司としての威厳や頼れるパパの地位。これらが合わさった結果、アインズは開き直った。デミウルゴスが何を目的としてこんなことをしているのかは知らなかったけれど、それはデミウルゴスを信じて任せていたからなのだ。もし何か悪い結果が出たとしても、部下の責任は上司がとる。それで何も問題ないだろう? と。

 ――格好良いことを言っていても、事前に報告を受けていなかったことや現時点でデミウルゴスの手綱を握れていないことに違いはない。しかし賢明なアッバルはそのことに言及せず、どのような計画が進行しているのかは後で情報を共有することにして〈伝言〉を終えた。

 

 手元を見ればもうラスクはなく、アッバルはラスクの入っていた紙袋を折り畳んだ。これから何に巻き込まれるのか、巻き込まれた結果どんな目に遭わされるのか。彼女としてはなるべく安全な場所で安穏としていたいのだが、それは無理というものだろう。

 

「お待たせしました、イビルアイさん」

「あ、いいえ! 全然待っていな、いません! 大丈夫ですモモン様!」

 

 仮面のせいでイビルアイの表情は見えないが、星やハートマークを飛ばしそうな声だ。

 なるほど、漫画でよくある「きゅるーん☆」とはこういうことだったのか。確かにきゅるーん☆ミでキュンキュン☆である。三次元でこれほどこの効果音が似合う女をアッバルは初めて見た。ちなみにリアルで彼女の身近にいたのはほとんどが肉食系である。恋に恋するような乙女なんていなかったのだ。

 

 ――アインズに抱き上げられ腕に座ったアッバルを、イビルアイが心底羨ましそうに拳を握り見上げていた。




忘れられた孫、彼(彼女?)はどうなったのだろう?


 アッバルもデミウルゴスも、親として子供を育てる時間的余裕や精神的余裕はない。特にデミウルゴスなど各地を飛び回っており、子育てなどする暇はないだろう。
 というわけで、アインズはイースター・エッグから生まれたケツァルコアトルをアウラに預けることにした。第六階層には森もあれば畑もある、なおかつアウラはテイマーの職持ちだ。躾を任せるにはもってこいだろう。

「アウラ、お前を見込んでこの子の躾を頼みたい」
「えっ、この子? わあ……ケツァルコアトルですか!? 分かりました。アインズ様のお役に立てる子に育てますね!」

 世の中には乳母に子育てを任せる身分の者もいると本に書いてあったし、アインズは現在ナザリックの主人だ。自ら子育てをする身分ではなかろう――はっきり言って子育てなんて孤児院時代だけで十分だ。やれミルクが熱いだとかおむつを替えろだとか、院の職員達に命じられてやらされたアレコレは彼にとって楽しい思い出ではない。時々面倒を見て時々可愛がる……金持ちや上流階級っぽいだろう。

「ああ、頼んだぞ」
「誠心誠意、アインズ様のご期待に応えるため頑張ります!」

 ケツァルコアトルの悲劇はこの時点から始まっていたのだろうか、それとも生まれた時からだろうか。アインズは言い忘れていたのだ――その蛇がアッバルとデミウルゴスの子供だということを。




翼蛇「わあい、ペットデビューだね!」


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