仮面ライダー鎧武 The Genesis of Children (裏腹)
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Episode.01 Pandora's box

『君たちに、楽園の長となるチャンスを与えよう』

 

 ――世の理を探究する者を証す、白の衣を纏った男は、ただ一言。

 空虚な箱の中、焦点が合っても確かにあてのない嘘つきの眼差しで、子供たちにそう言った。

 時に争い、されどこのなんでもない日常を共に過ごし、楽しみを分かち合っていた――子供たちに。

 そうして災いを呼ぶベルトは配られ、人々の世界に彩りを添えたその錠は、一瞬にして子供たちの幸福を封じ込める箱の鍵へと変わってしまった。

 

 

 

 それからだ。

 

 

 

 子供たちから、笑顔が消えたのは。

 

 

 

「…………」

 

 雨雲にびっしりと埋め尽くされた、鉛色の空。さめざめと泣く子供の涙のように、沢山の雨粒はざーざーと降り注ぐ。

 先ほどまで夕陽で乾ききっていた芝は、もはや見る影もないまでに濡れそぼった。

 そんな雨の中、傘も差さずに、少年は一人立ち尽くしていた。

 彼が落とした視線の先にあったのは、胸に風穴を開けた――いや、『開けられた』銀髪の少年。

 くたりと首を投げ出して、儚く開かれた口はまるで何かを言いたげだった。大きな瞳は、輝きを失くしたままで、虚ろをぼやり仰ぐ。

 いくら揺すっても、どんなに叩いても、どれだけ言葉をかけても、その横たわった細い躰が再び動き出すことなどないと、少年は知っていた。

 

「…………ッ」

 

 それでも、彼は認めたくなくて。受け止めたくなくて。

 胸の不格好な穴からひとしきり溢れ出た真紅の液体は、すでに周囲の緑を塗りつぶした後。それはこの雨でも落ちそうになくって。

 言葉も発さず、ただずうっとそれを見つめる少年の目は、水気を含んで伸び切った前髪に覆い隠されていた。が、それでもそこから伝わる感情は、誰にでも容易に推し量れた。

 なぜなら。

 少年は雨なんて単語では片づけられないほどに温かな雫を、頬に流していたから。

 

「……く、っう……あ……っ」

 

 声にならない声で、むせび泣いていたから。

 

 

 

 崩れ落ちてから初めて見上げた世界は――想像したよりも、ずっと真っ暗だった。

 

 

 

『さあ、楽園への鍵のために――争うんだ』

 

 

 

 ――あの日聞いた死神の言葉を、子供たちは忘れない。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――今でも、彼は夢に見る。

 素っ気ないとも、冷徹とも取れるそんな動作で、男にアタッシュケースを手渡されるシーンを。

 灰のジャケットの上に黒く長いベストを羽織り、さらに重ねるように黒の帽子を被った――そんな男に手渡されるシーンを。

 男はそのこじゃれた帽子をさらに手で押して深く被り、いつも決まってこう言うのだ。

 

 

『――起っきろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』

 

 

「!!?」

 

 

 彼はその柔く高い声で、耳を引っ張られるようにして夢から覚めた。

 反射で体をびくりと震わせて目をかっ開いた瞬間、映った少女。に布団を引っ張られ、少年はたまらず、

 

「うわあああああああああああっ!?」

 

 情けない声を上げ、ベッドから派手に落ちた。どしん、という衝撃が室内を走り、ほどなくしてついたしりもちは少年自らの手で撫でられた。

 

「いってて……」

 

 ふわふわと浮遊する意識の中。

 寝起きでいまいち状況の整理がつかないものだから、窓から差し込む日差しにも負けず、あたりをきょろきょろと見回す少年。

 何とない白の壁、天井、それらで作られたほどよく広い空間、そこの各々適した場所に配置された、家具一式――なんの変哲もない、マンションの一室だ。

 時刻は午前一一時過ぎ。小鳥のさえずりなどとうに聞こえなくなっている、そんな時間。

 そして、

 

「いい加減にさぁ……、早起きしてみなよ」

 

 目の前には、自分の自堕落さを見てあきれ返る一人の少女。

 ぼふっ。奪われた布団が、床に放られた。その音で、少年は気づく。

 何も変わらない。いつも体験している、いつもの事だ、と。

 

「ほら、朝ごはんできてるよ――コータ」

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「んぐ、んぐ」

 

 眠気が振り切れないまま、食卓に向かった。

 テーブルに並べられた皿。ベーコンエッグにサラダ、スープと、少年はフォーク片手に均等に手をつけていく。

 昼食なのか朝食なのか、よくわからない時間の食事を、胃に放り込む。

 

「おいしい?」

「うん」

「スープの味付け、ちょっと変えてみたんだけど、どうかな?」

 

 テーブルを挟み“コータ”と呼ばれた少年の向かい側に座る少女――『高司(たかつかさ)茉優(まゆ)』が、にっと笑って感想を訊ねる。

 日光を受けて煌びやかに輝く色白な肌と、金のショートヘア。小柄な身の丈に、少年の青のエプロンは似合いにくく。

 

「ああ……、うん、うまいよ」

「うわ、なんかテキトー」

「ちが、リアクション薄いだけだって」

 

 訝るような面持ちの茉優を前に、今更なつまらない自己紹介をする彼は、名を『杠葉(ゆずりは)光汰(こうた)』。

 大きな目に、小さな口、どことなく軟弱さを感じさせる痩躯と耳の下まで伸び切った黒髪は、むしろ男性的というよりかは中性的といえる。

 くまがプリントされた可愛げなパジャマが、余計に彼の線の細さを強調する。

 彼の返事は声が暗くて、まるで勢いがない。簡素に表現するなら「パッとしない」。見かねた茉優は溜息を吐き、「もう!」と。

 

「もーちょっとシャキッとしなよ、今日は初バイトでしょ?」

 

 そう言ってしまうのも、無理はないのかもしれない。

 されど少年の顔色は何一つ変わらず、活気などどこにもなくて。

 

「んー……、そうだな」

「そんなんで阪東さんと会うの? そんな終始会社に身を捧げて過労死した社畜みたいな顔で?」

「例え細かすぎだろ」

「『コータと久々に会える』って、阪東さん楽しみにしてるんだよ? もう少しだけ元気に」

「ああ、そういやお前こそバイトは?」

「今日休み! 話そらさない!」

「あ、スープおいしいよ」

「えっほんと……? じゃなくて! だから話をそらさない!」

「ちょっとリモコン取って」

「あ、うん……って、ボクの話聞けよ~~~~!!」

 

 茉優がむきになってばんばん、とテーブルを叩いて鳴らす音は、図らずも小気味よい。

 

「光汰もう19でしょ!? ボクは好きで光汰の世話してるかもしんないけどさ! もう少し大人の自覚を持ってさ! 自立のために自分と向き合うべきだと思うわけで! だから要するにボクが言いたいのは――」

(なんか面白そうな番組再放送してないかなー、っと)

 

 そんな相手の態度もどこ吹く風、光汰は自分の好みの番組はないかと、テレビへ向いたリモコンに記された数字を手あたり次第に押してチャンネルを合わせる。

 

「とまぁいろいろ言ったけども! 要するに何が言いたいかっていうとボクは――」

 

 お世辞にも豊富といえないボキャブラリーを必死にかき集めた、糠に釘な説教を締めようとした時のことだ。

 

「…………」

「……コータ?」

 

 茉優から見えた光汰の横顔が、ほんの少しだけ険しくなった。少なくとも彼女はそう感じた。

 忌むべき存在を前にしたかのような、或いは恐怖の対象を遠ざけたがっているかのような――――「どうかしたのか」と訊くよりも先に、彼女は彼の視線の先に注意を向けた。

 

『国際宇宙センターと共同で開発してきた重力制御装置も、日本時間本日午前八時に完成し、ユグドラシルコーポレーションによる人々の夢を乗せた計画も、ようやく折り返し地点となりました』

 

 テレビに映るのは、昼のニュース。

 テロップで「ユグドラシル、月面都市開発計画の50%を完了」と表示されており、箱の中のキャスターはただ淡々と、その旨を自分たちに詳らかに伝えていた。

 何を言うでもなく、するでもなく、静寂のままに画面を冷めた眼差しでじっと見据える光汰。

 それを確認するやいなや、茉優は苦虫を噛み潰したような表情のまま、言い淀む。彼のあの相好の意味を知るからこそ――。

 

「関係ないね」

 

 ぼそり、と吐き捨てるようにそう放って、視線をテレビから逸らした。

 

「コータ……」

「いいんだよ、もう終わったこと――」

 

『ビーーーートライダーーズ! ホットライーーーーーーン!』

 

 それも束の間、再びテレビは彼らの注目を集めることになる。一人の壮年の男の活気だらけの叫び声によって。

 

『ハロー! ザワメシティ! 食事を求めて腹の虫も鳴き出す平日の昼時、諸君はいかがお過ごしかな?』

 

 先ほどのニュース番組に割り込むようにして突如始まった『BEAT RIDERS HOTLINE』という番組。

 緊急特番か、はたまた電波ジャックか――いずれも否。

 進行形でまくしたてるように口喧しく喋っている色黒の男は、バンダナに色眼鏡にヘッドフォン、極め付けに派手な柄物のシャツと――まるでDJのような出で立ちをしていた。

 されど少年少女にとってこれは何も珍しいことではなく、むしろ「またか」という反応さえ来ていいほどに、この番組と“男”は此処『沢芽(ざわめ)』という町に、深く浸透していて。

 

『ビートライダーズは、今日も元気にドンパチやってるぜ!』

 

 言葉を紡いだ男がニッと笑った直後、映像は切り替わる。

 どこかの駐車場だ。それも広い。

 数秒のブレのあとに、固定された画面。その先に映るのは。

 

「ぐおわあッ!!」

 

 吹き飛ばし、吹き飛ばされた、二つの人影。

 しかしそれらはただの人影ではなく、全身にスーツを纏い、その上から鎧を着こんだかのような風貌で、ともすれば何かのコスプレに見えなくもない、そんな奇妙な格好だった。

 

「駆紋戒斗! 今日こそテメェの首を貰い受ける!」

 

 起き上がり叫んだのは、深緑のスーツに、無数の鋭利な棘を伴ったメタリックグリーンの鎧を纏った者。顔面にあしらわれたフェイスゴーグルの意匠があらくれ者を思わせ、実に印象深い。

 

「フン……未だ俺に敗北どころか、掠り傷一つ与えられない雑魚が、ずいぶんと大きく出たな」

 

 それを挑発する、深い夕焼けを彷彿させる赤のスーツに、鮮やかな黄色の鎧を纏った者。アクセントの銀もあるのか、どことなく西洋甲冑のような意匠を覗かせ、右手に携えた長槍(スピアー)を構える姿はさながら騎士。

 テレビ画面からでははっきりと視認できるわけではないが、二人を囲う、観客という体のよろしい野次馬もぽつぽつと見受けられた。彼らは騒ぎ声で、その存在を自ら証す。

 両者は大衆を文字通り蚊帳の外に相対し、反目しあう。

 そうしてる間にも、刻々と時が積まれ、重なっていく。視線の牽制。もはや一触即発。

 

 騎士の方が、軽く突き出した得物のスピアーを、くいくいと。

 

「の野郎ォォ!」

 

 手前に二回揺らした。

 その刹那、あらくれ者が有無も言わさぬ勢いで近場の車をひっつかみ、騎士へとぶん投げた。

 それは戦闘開始の合図。

 不本意な使われ方をした軽自動車がまるで怒り狂ったかのように不規則に回って虚を抉り、騎士めがけて突進していく。

 上がる歓声。冷たく重い塊は鈍い音を立てて空気を突っ切った。

 

「フン……」

 

 騎士はその様相を一瞥、次いで鼻で一笑し、メートル単位の跳躍でそれを優に回避する。そして、

 

「はッ!!」

 

 重力を味方にあらくれ者の元まで一気に落下し、スピアーをその巨躯に叩きつけた。

 ガキン。

 乾いた音と共に伝わる確かな手ごたえ。でもそれは単純なヒットではなくて。

 ふるふると震える騎士の長槍の先にあったものは、二振りの鋸状の剣――彼の、得物。

 その見てくれは持ち主の鎧のように、なんとも棘々しい。

 

「おいおい、俺様がただボコられてるだけだと思ってたのか」

「どうやら貴様、学習能力はあるらしいな……今日の今日まで、気づかなかったぞ」

「――ぬかしやがれ!!」

 

 二人は互いに互いの武器を離し、しかしほどなくして二度目、三度目とぶつけ合う。

 飛び散る火花が、迸る金属音が戦を演出する。

 

『さあさあお立ち会い! 本日の演目はバロンVSフーリガン! あのにっくきバナナに負け続けて約一年、いつか、いつかはと夢見た下剋上ォ! 今回こそは実現なるか!? みんな、応援してくれよな!』

 

 場所は違えど傍観する二人の前に再びDJの男が現れ、視聴者に向けて煽り口上で両者の闘争をさらに盛り上げる。

 SNSと連動しているのか、画面上をすいすいと流れるコメント。「ぶっつぶせバロン」「負けるなレッドホット」「サガラうっせぇwwww」等、内容は攻撃的なものから純粋な応援メッセージと、様々で。

 

「コータ……」

「……ダー」

「?」

 

「アーマード、ライダー」

 

 光汰は何をするでもなく、ただ一言、物憂げにぼそりと呟いた。

 そう――これは何かの撮影でも、遊びでもない。れっきとした戦いなのだ。

 傷つけて、傷つけられる。彼は知っている。

 今テレビの中で争う彼らが身に着ける“これ”も、コスプレなんかではなく、まごうことなき強化服で。

 そうして鎬を削り合う彼らを、光汰はそう呼んだのだ。

 

 

 

「クッソ……!」

 

 依然続く黒の箱の中の激戦。

 騎士(バロン)は暴徒(フーリガン)の不規則で荒唐無稽な猛攻を時に打ち払い、すり抜け、確実な対応力を以てして、余裕綽々と処理していく。

 じれったさからか「おら!」と声を荒らげて放った上からの一閃。だが歴戦の騎士はそれすら弾き飛ばして見せる。その鮮やかさに魅せられ、見物人は大きな歓声を上げた。バロンが勢いづく。

 ついに焦ったフーリガンが、左手に持ったもう一振りの鋸を振りかぶるも――遅かった。

 させまいと彼の二振りの剣の片割れをすかさず叩き落とす。そして、

 

「どうしたノロマ――、これで一回死んだぞ」

 

 続け様に留守になった懐に、その尖った切っ先を向ける。

 叩き落された剣はカランカラン、と乾燥したアスファルトをむなしく転がり、持ち主に敗北の未来を暗に示しているようにも見えた。

 

「ぐっ……!!」

 

 フーリガンの思うように勝負を運べない怒りと焦燥が、頂点に達する。

 震える右手が、己が腰部に巻かれたベルトのバックルに伸びた。そこにあったブレード型の装飾を一回倒す。すると。

 

『――ドリアン・スカッシュ!』

 

 気のせいなんかじゃない。バックルから音声が木霊した。

 続けざまに光り輝き始めた、暴徒の鋸状の剣。

 察しがいい者なら、すぐに気づく――必殺技だ。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 フーリガンは猛牛が如き咆哮を挙げた瞬間、バロン狙ってがむしゃらにそれを振り回す。

 

『おっとフーリガン、ついに捨身の攻撃だァ! どうするバロン!?』

 

 コメントでサガラと呼ばれたDJが、状況を見た通り事細かに伝える。何となしに見ている光汰と茉優にも、もはや彼は理性を二の次にしているとわかった。

 確かに狙いはあるのに、あてもなく振るわれる刃。当然だ、バロンは避けているのだから。

 

「はァッ! せいッ!」

 

 思考を放棄した、猪突猛進と呼んで差し支えない戦い方をする相手だ。彼からすれば隙など見つけるのは容易いことだった。

 くるり逆手に持ち替えたスピアー。

 襲いくる眼前の阿呆の武器をいなす。

 腹に渾身の回し蹴りを食らわせる。

 またも吹き飛び無様に地を舐める巨躯。

『埒が明かない』と、誰もがそう思い始める前に――。

 

『カモン! ――バナナスカッシュ!』

 

 奴に引導を渡す。騎士の見据えた相手。数メートル先の暴徒。

 フーリガンとまったく同じプロセスで、バロンも必殺の態勢に入った。

 撫でられた槍身は瞬く間に湾曲した黄金(こがね)のエネルギーを纏う。それは甚大で、逞しい。

 ギュオオ、と溢れ出るエネルギーが大地を滑る風と共に吹き荒ぶ。

 

「あ……」

 

 敗北を悟った者の言葉とは、なんともあっけなくて。

 同じように、積み重ねたこれまでの戦いが嘘だったかのように、決着も一瞬で。

 

「――せいィィィィィィィィィィ!!」

 

 

 それほどまでに、圧倒的だった。

 

 

 構えた次の一瞬、辺りは強烈な光と轟音に包まれる。それは散り際の叫びすら、混ざるのを許してくれなかった。

 

『決まったァァァァァァァァァァ!!』

 

 サガラの声の張り上げと共に、観客も最高潮のテンションで、最大の歓声を上げた。

 視界が晴れるころには、フーリガンは消えていて。

 代わりにその場所に残っていたのは、苦しげに呻く赤いキャップを被った若い男だった。

 

「クソッ、タレが……!」

 

 地に全身を貼り付け、悔しげに地面を握り拳で叩く。

 歓声も、敵の無様な姿もお構いなしに、赤いキャップの男――いや、たった今までフーリガンだった男『曽野村(そのむら)』に、歩み寄るバロン。

 彼の真横で空を仰ぐ、赤い錠前のようなものを拾い上げた。

 

「……マンゴーロックシード、か。こいつをもらっていくぞ」

 

 バロンは“ロックシード”と呼称したそれを手に持ってから、「くそ」だの「ちくしょう」だのと汚いワードを並び連ねる曽野村を背に、駐車場を立ち去った。

 それを合図に、映像は再びサガラへと戻る。

 

『やはりバロンは強かった! 対するレッドホット、絶体絶命! 後がない! ランキング一位と最下位の激突、結果は予想通りになってしまったが、お前らの応援でレッドホットを再び列強チームへと返り咲かせてやってくれ!』

『それじゃあ、今回のパーティはこれにてお開きだ! See you next time!』

 

 この別れのセリフを最後に、光汰宅のテレビの電源は落ちた。

「……アホらし」。ただ一言、宙に舞った少年の言葉。何に対してかは、明白だった。

 テーブルの上に広げられた複数の食器は、気が付くといずれもからっぽで。光汰はすっと席を立ち、

 

「ごちそうさん」

 

 茉優を一瞥してそう言った。

 

「うん、おそまつさま」

 

 対して茉優は返事をしたあとに、気まずそうに「後片付け、するね」と付け加える。

 

「………………」

 

 水の流れる音、茉優がキッチンへと移動したあと。

 身支度の合間に、おもむろに開いた机の引き出し。

 中には眠るように、バックルがただ一つ座していた。それはほんの先程まで彼が見ていたものと、見てくれが一緒で。

 

 

 自分が“アーマードライダー”と呼んでいた戦士達の腰についていたのと、まったく一緒で。何一つ違わなくて。

 

 

 それはまた、彼に夢の男を思い出させる。

 思い出したくもない顔を、思い起こさせる。

 

『戦え――』

 

 いつか言われたあの言葉を、また耳朶に呼び覚ます。

 

「……っ」

 

 これ以上は見ていたくないから。聞いていたくないから。

 全て捨てて、逃げ出したくなるから。

 

 少年はそっと、握った取っ手を押し返した。

 

 

 

 

 

 沢芽市――――この町はアーマードライダーという存在が現れてから、変わってしまった。

 いや、厳密にはもっと前から。

 災いの箱が中身を解放し、引き換えとして子供たちの日常を閉じ込めた、その時から。

 

 其の箱の中身、名を『戦極ドライバー』という――。



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Episode.02 Strength

 すたすた、という足音。

 ぷんぷんとにおう車の排気ガス。

 潜り抜けていく街路樹。

 ビルの谷を忙しなく流れる、人の奔流。

 二人は、彼らが作る昼下がりの雑踏の波に乗って。

 

 

『ロックシード! 君もインベスを呼び出し、インベスゲームだ!』

 

「ほら、もっと早く歩く!」

「だから、押すなってば……」

 

『戦ったインベスは経験値が溜まり、成長、進化していく!』

 

「察せよ……、足が向かないんだって」

「だからってモタモタしてたら、遅刻しちゃ、うで、しょっ!」

 

『強力なインベスを育て上げ、ライバルと差を付けろ!』

 

「わかった、歩く! ちゃんと歩くから押すなよ恥ずかしいなぁ!」

 

『人々の夢を叶える企業、ユグドラシルです。本日は新製品情報を――――』

 

 聞き慣れた、なんて言葉じゃ済まないほどに、しみついた街頭ビジョン。垂れ流しにされているのは、発売から数年経つ今現在も世界的に大流行しているバトルホビー“ロックシード”の広告だ。

 

 手のひらサイズの錠前の形をしたアイテムで、解錠するとどこからともなく『インベス』という特殊な力を持った生命体が出現する。

 そしてそれを操り、戦わせ、勝敗を競う――というのが基本的な遊び方になっている。

 インベスが戦うたび、その召喚機となるロックシードには経験値という隠しパラメーターが溜まっていき、それが一定量を超えると、レベルアップする。

 また、レベルアップを重ねたインベスは戦闘力が上がるのはもちろんのこと、外見、能力も変わり、進化することもある。そうして必然的に、同じようにそのインベスを宿すロックシードのデザインも変わっていき、より上等なものへと――ランクアップする。

 これが、ロックシードというもの。

 ちなみに、ロックシード一つ一つに『インベスが人間を絶対に襲わないプログラム』が組み込まれているので、安全面も折り紙付きだ。

 開発段階では「傷を負わされた生物が植物化していく」「ロックシードを手放した瞬間にコントロールが利かなくなる」等といった問題点もあったようだが――、開発元のユグドラシル・コーポレーションにとっては、遥か昔の話。

 今や国、文化、老若、男女を問わずに世界中で売れている超ロングセラー商品である。

 

「んで、どう?」

「……なにが?」

 

 自分をのぞき込む童顔に向け、訝しそうに小首を傾げる光汰。

 途中、よそ見したがゆえに危うく人にぶつかりかけて一言「すみません」。

 

「久々にがっつり街歩くでしょ? どんな気分かなーって」

「特にない」

「うわ、寂しいやつ、このヒッキー」

「ほっとけよ……」

 

 二人はちょこちょこと口を止めて歯切れの悪い会話を続けつつも、人の海を往く。

 

 沢芽市――言わずと知れた日本の首都『東京』の市区町村の一つである地域。総人口、約一八五〇〇〇人。

 そのうちの約二一パーセントが、二十歳未満の若者で占められているというのがこの町最大の特徴であろう。

 通称『若者の町』。

 中心に位置する地区『羽々根(はばね)』には、先も名を述べた玩具事業を主に掲げる大企業『ユグドラシル・コーポレーション』の本社が存在する。建物は末広がりなタワー状になっており、それは沢芽のどこからでも視認できる程度には、天高く造られている。

 そして当然、この町の住人たちも――。

 

「いっけー! シカインベス!」

「力の差を見せつけてやれ! ヘキジャインベス!」

 

 皆インベスゲームで白熱している訳で。

 ロックシード発祥の地ということで、常に外部以上の熱がある。

 元気にまみれた、いやむしろ元気以外他にない子供たちが、今まさにインベスゲームを行っている最中だ。

 無邪気に弾む声と、がちゃり、と小気味よく響く懐かしい解錠音。それは光汰と茉優の足を止めるには十分すぎた。

 二人が見守る子供たち。が見守るインベス。争うそれらは人型でありつつも体色がカラフルで、細部のディテールが異形且つ攻撃的。

 結果として人間から著しく離れたその姿は、まさしく怪物と呼んでも差し支えがない。されど全体を見れば洗練されたこの独特なデザインこそが、人気の秘密なのかもしれない。

 

「俺たちも、あんな風に騒いでたんだっけ」

 

 ふと呟いた彼の表情を、茉優は見逃さなかった。

 今こうして見える微かで柔和な笑みは、ずっと彼女が見たかったもの。あの日々を懐かしむもの。

 茉優はくすりと笑って、光汰の横顔から子供たちへ、視線を戻した。

 

「……お前今、笑ってなかった?」

「んーん、べっつに」

「いや嘘つけ、にやけてんじゃん」

「にやけてない。そんなことより早くいくよ」

 

「置いてかれても知らないよ!」と付け加え、飛行機のように両手を広げて走ってく。

 そんなどこか楽しげな少女の後姿を、少年は何も知らないまま追いかけた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「光汰ァァお前ェェェェェ!」

「うえっぐおっぐあっぐごっぐぞっく」

 

 外観と違わず、小奇麗な店の中。いたるところにちょこちょことなされた植物の装飾がいいアクセントだ。入ってすぐのところに鎮座するフルーツで作られたタワーは、真っ先に客の目を引く。

 バイト先に訪れるやいなや、雇い主から問答無用でヘッドロックをかけられるのだから、社会というのは恐ろしい。

 自分は遅刻でもしたのだろうか。そう考えながら虚ろに見つめる時計。午後一時すぎ。

 フルーツパーラー『DrupeRs(ドルーパーズ)』は、今日も今日とて繁盛していた。

 

「一年ぶりじゃねーか! 相変わらずほっそいなァァァちゃんと食えよぉぉ!!」

「バンドウサン、シンジャウ、オチルオチル」

 

 茉優が朗らかに笑む傍らで光汰をヘッドロックする、おじさんとお兄さんの中間といった風の男――『阪東(ばんどう)清治郎(きよじろう)』の瞳は、実に輝いていた。理由はすぐに察せる。

 顔見知りも顔見知り、数年来の付き合いの人間と一年越しの再会を果たしたとなれば、誰しもが喜んでしまうものだろう。

 己のいかつい腕を連続でタップされた阪東は、ようやっと光汰が苦しんでいることに気づき、彼を解放する。

「おっと悪い悪い」と言う阪東に対し、噎せながら頷く光汰。

 

「――さて、んじゃあ働きますか!」

 

 ひとしきり笑った茉優は、意気盛んに両手を叩き合わせた。

 

「働くのはいいけどお前、給料は出ねーぞ?」

「ふふーん! いいんだよ、今日は新人教育だからね。ボクはタダ働きしてあげる!」

「へっ、ナマ言いやがって! ミスんじゃねーぞ!」

 

 そしていそいそとDrupeRsのロゴが入った特製エプロンを着用し、あわただしくメモとペンを片手に客へと注文を取りに行く。

 その様子をぼんやり眺めながら、阪東は重たげに口を開く。

 

「災難、だったな」

 

 光汰はそこから放たれたものが、自分に対するものだと理解していた。故に返す。

 

「……いえ」

 

 同じように、茉優を遠くで望みながら。

 

「話は聞いたぜ」

「そう、ですか」

「大変だったろ。でも、よく戻ってきてくれたな」

 

「きっと茉優も喜んでるぜ」とは、阪東がさらに繋げた言葉。

 それを何となく耳に入れた光汰だったが、時間差で気になって無視もしきれなくなってしまって、再び聞き返す。

 

「……え?」

「あいつさ、ずっと『光汰がいつ戻ってきてもいいように、ここだけは守る』って、頑張ってたんだぜ」

「……――――」

 

 小さな吸気をす、と一つ。彼は何かを言おうとした、間違いなく。意思を伝えようとした。

 だけど今は。

 

「とりあえず、おかえり。光汰」

「……はい」

 

 それを引っ込めて、ただ自分の帰りを優しく受け入れてくれる言葉に、安らいでおくことにした。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「いらっしゃいませ」「かしこまりました」「お待たせいたしました」「ありがとうございました」

 店内の喧騒は人気の証だ。少なくとも、閑古鳥が一羽侘しく鳴くよりかは全然いい。

 その中を飛び交う数々の敬語の大半は、従業員のものだというのは言わずとわかる。

 席を案内し、オーダーを取り、配膳し、空いたテーブルの後片付けをして。

 勤務から約二時間――依然客足は絶えず、相も変わらず新人には厳しい環境だが、茉優のサポートもあってか少しずつ板についてきた。

 

「光汰、ボックス席。キャラメルミックス」

「はい」

 

 キッチンの阪東から渡されたパフェを盆に乗せ、光汰は椅子とテーブルの群れを早足で抜けていく。

 オーダーがあったのは、店内奥のボックス席のようだ。

 

「お待たせ致しました、キャラメルミックスになりま――!」

 

 大きなテーブルに横長な椅子という組み合わせには似つかわしくない、おひとり様。

 しかし彼はその光景に絶句したのではない。むしろ問題は、その人間だった。

 

「よう、久しぶりだな」

 

 灰のジャケット。

 

「元気してたか?」

 

 長い漆黒のベスト。

 

「ハハッ、怖い顔だなァ」

 

 そして帽子。

 陽を葬りし暗夜を彷彿させるその姿を、彼は片時たりとも忘れたことはない。

 なぜならずっと憎み、忌んできた――自分の運命を狂わせた相手なのだから。

 

「せっかくの再会だぞ? もちっと笑えよ――杠葉 光汰クン」

「シド――……」

 

 空いている方の手の拳を握り締め、怒りをぐっとこらえる光汰。そのような彼の態度、心境などお構いなしに、シドはテーブルに置かれたパフェを食し始めた。

 

「何しに来た」

「おいおい、俺は客だぜ? そんな言い方はないんじゃねえかい、店員さん?」

 

 男は憎たらしく笑み、あくまでも客と言い張って軽薄に言葉を紡ぐ。

 遅々として戻らぬ光汰の様子を見に来たのだろう、やがて茉優も訪れた。

 

「シド、アンタまた……!」

 

 その瞬間、血相変えて前にでようとした茉優をそっと押さえて止める光汰。

 光汰だけでも、茉優だけでもない。二人にとって最も因縁が深い相手――それが目の前の男。シドという男。

 沢芽市各地を転々とする、ロックシード売りの男。

 彼が、彼こそが、ビートライダーズと呼ばれていたインベスゲームを楽しむ若者たちに、戦極ドライバーを配ったのだ。

 少年たちの日々を、奪い去ったのだ――。

 光汰は憤怒、怨恨、憎悪、恐怖と、時間が経つごとに上乗せされてないまぜになっていく感情を、歯を食いしばって抑制する。

 心中穏やかでない二人を「まあ落ち着けよ」と、なだめるシド。

 

「今日は商売もしねえ。あいにくこいつも空っぽでな」

 

 そう言いながら、自分の隣に置いたアタッシュケースをコンコン叩く。

 ならばなんだと言うのか。二人の疑問がさらに深まる。

 

「ただの客として来たわけじゃないのは、間違いじゃないだろ」

「あー、まあ、そうだな」

「じゃあいったい、何がしたいんだ」

「あー……、最近、改造ロックシードが出回っててな。なんか情報がねえかなってな」

 

 少し濁されてから、提示された『改造ロックシード』というワード――二人も初めて聞く言葉だった。

 眉をひそめる彼らに、シドは続ける。

 

「なんでも、俺らが仕込んだ『インベスが人間を襲わねえ』ってプログラムを削除して、もらえる経験値の上限(キャップ)を取っ払ったトンデモ仕様のロックシードらしい」

「なに……? なんだってそんな」

「知るかよ」

 

 途中で、内心吃驚する光汰の発言を遮って。

 そして手元で揺らすスプーンに反射した空間をなにとなく目に入れながら、

 

「ま……少なくとも既に人的被害が出ていて、こっちとしても商売あがったりなのは間違いねぇわな」

 

 ようやっと問いかけに答えた。

 要するに人間を襲えて、際限なく強くなっていくインベス……その脅威と危険性は、一聞だけで簡単に想像がつく。

 しかし彼らとて有用な情報はない。そればかりか、改造ロックシードなどというものが存在したなんて事実は今しがた初めて知った。

 

「……悪いな、そっちに有益な情報は何も出せそうにない」

 

 だからこその、この返答。

 それに仮に何かを知っていたとしても、向こうの都合通りに事を運ばせるというのはなんとも癪で、きっと彼は教えない。

 我ながら子供っぽいと、思う。それでもそれは彼にできる、ささやかな抵抗かもしれない。

「んん、そうかい」と背もたれにどっしり身を預けて、だらしなくパフェの塔を崩すシド。から目を離し、光汰は身を翻した。

 

「食うもん食ったらとっとと消えろ……、顔も見たくない」

 

 続けてそのように吐き捨て、歩を進める。

 ――尤もその足も、数秒足らずで止まることになるのだが。

 

「ビートライダーズもちらほら襲われてるらしい」

 

 彼の一言で。

 

「……関係ない」

 

 ピタリ動かない光汰だが、その口だけはしっかりと。

 その言の葉を聞いたシドは、小馬鹿にするように大笑いを始めた。

 皮肉たっぷりで不快感を煽る笑声(えごえ)に対し、目を閉ざしてダンマリ決め込む光汰を、茉優は隣で不安げに見守る。

 

「関係ねぇことはないだろ、お前らだって元々はそうだった。ドライバーだって持ってる」

「………………」

「あぁ……『あのゲーム』の始まりからもう一年だ――あれからチームは壊滅して、吸収されてでだいぶ減ったぞ」

「くっ……!」

 

 茉優は歯を食い縛って振り返る。それは「いい加減にしろ」という意思を込めてのものだった。

 しかし大の男が、そんな子犬のような少女の威嚇などに屈するはずもなく。その悪態は自重するどころか勢いを増すばかり。

 

「なぁどうだい。敵も消えてったここいらで、インベス退治がてらお前らも混ざってみないか? ――鎧武(ガイム)」

 

 不意に光汰の背中にぶちあたったのは、ビートライダーズ――自分たちがかつてそう呼ばれていた頃に、大きく掲げた御旗の名前。

 そして今はもう戻らない、居場所の名前。

 せっかく長い時間をかけて記憶の海の底へ底へと沈めたのに、思い出は一瞬にして浮かび上がる。毎日ロックシードを片手にインベスゲームに明け暮れていた、あの頃の記憶。

 楽しかった日々。確かに今日を生きていたはずだけど、不確かな明日が楽しみで楽しみで仕方なかった日常。次の日も、次の次の日も、そのまた次の日も――ずっとずっとあの幸せが続くと考えていた、あの時間。

 光汰はそうやって溢れ出る記憶を、唇噛み締める痛みで再び封じ込め――いや、紛らわし、

 

「……お断りだ」

 

 肩越しにシドを見ながら、その無情な誘いを素気無く振り払った。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 約三年前、ユグドラシル・コーポレーションが始めた月面都市開発計画――プロジェクト『新天地(セイルトゥ)()の船出(ロンティア)』。

 端的に説明すると、宇宙進出によって人類のさらなる発展と革新を促す事を目的とした計画。

 自社の売り文句「夢を叶える企業」に忠実に沿った大規模なプロジェクトだ。ここまではいい。

 問題はその先で――開発を完了した新天地は、果たして誰が治めるべきか、という疑問が生まれてしまった事。

 そこでユグドラシルが出した回答は『強く賢い、新しき者』――――つまり、未来ある心身共に強靭な若者という答えに至った。

 そこからはトントン拍子だった。

 沢芽という“新天地の長の選定の場”の決定。子供たちを戦わせるインベスゲームの一歩先をいったシステムの整備、またそれに伴う肉体強化デバイスの開発。

 そうして一年前。ついに完成を迎えた戦極ドライバーは、沢芽に点在するビートライダーズ各チームに、一つずつ配られることとなる。

 

『楽園の王座を懸け、最後の一人になるまで戦え』という言葉と共に――。

 

 

 

 紅い空が影を伸ばす。カラスは鳴いて、子供たちの帰宅を急がせる。町の各地では、夕刻を知らせるほの温かいメロディーがゆったりと流れゆく。

 まっすぐ家路を往く社会人も、もたくさ寄り道する学生も、みんなみんな今だけは同じ時を過ごしているのだと実感する。

 窓のすぐそばに置かれたソファ。そこに仰向けに寝そべって、入り込む夕明りから目を庇う。

 光汰の表情は、曇っていた。

 バイト初日は恙無く終わったし、特にへまをした訳でもなければ、極端な疲れがある訳でもない。

 ただ、それでも、彼の面持ちはどんよりとしている。

 

「あちちっ」

 

 キッチンから仄かに漂う、おいしい匂い。ぐつぐつと何かを煮込んでいるような音も聞こえる。

 味の煙からまだ献立こそ推察できないが、芳しい醤油の香りから和食に間違いはなさそうだ。

 料理をする茉優の背中を一瞥して、光汰はもう一回ソファに身を沈める。

 

 会いたくもない人間に会ってしまった。

 これがきっと、この鬱々とした気分の原因の一つだろう。

 そしてもう一つは――――沢芽にまた、暗雲が立ち込めてるというのを知ってしまったこと。

 腐っても自分が育った町、無関係だと主張しつつも、放っておくにはまだ情が残ってしまうようで。

 でも、何も出来なくて。自分で、自分が何かをする権利などないと思うから。自己嫌悪がジレンマを容赦なく引きずり回す。頭の中でこんがらがってみっちりと詰まる「自分は許されてはいけない」という言葉。

 だって彼は――。

 

「ねえ、コータ」

「……なんだ」

 

 呼び止める茉優の声も、どこか翳りが感じ取れる。

 けれども、今の光汰にそれに気づけるだけの余裕はなかった。

 

「シドの言うことなんか、気にしなくていいからね」

「わかってるよ」

 

 彼女は流し台。彼は天井。お互い別々の方を向いた会話は、それだけでどこかすれ違っているようで、なんとも寂しい。

 そして光汰は、彼女からなかなか出ない会話の本題に、苛々が募る。

 あまりにじれったくて「何が言いたいんだ」と、小さく呟いた。

 

「――もう、どこにも行っちゃ、ダメだよ」

「!」

 

 ボロボロに傷付いた少年を絆す、少女の一言。

 一度壊れて、バラバラに砕け散って、もはや本人ですらどんな形か思い出せなくなった彼の心を――彼女は今でも探してる。

 まざまざとそれをわからされて、指が震えた。

 わかってるんだ。わかってるんだけれど。

 

「もう、十分傷付いたじゃない」

 

 うぬぼれなんかじゃない。本当に自分を救おうとしている人間がいる、と。そう思えば思うほどに、胸が締め付けられるように痛んで、苦しくて、息が詰まる。

「許されちゃいけない」と「戻りたい」のせめぎ合いは、本心をかんじがらめにした。

 ――例えば、こんな話。

 自分がもっともっと強くて、誰かにとっての希望で、ちゃんと誰かから必要とされて、何かを成し遂げられる人間だったなら。ヒーローみたいだったなら。

 救われてよかったのか。許されてよかったのか。

 現実の自分が、一番なりたかったもの。もし本当にそれになれていたなら――“僕”は戻ってもよかったのか。

 

「みんな、コータを拒まないから。コータを待ってるから」

 

 情けない、情けない。

 彼はいつだって逃げてきた――自分にとって口当たりのいい、優しい世界だけで生きてきた。いつだって苦しいことや辛いことは、「誰かがやってくれるだろ」なんてのたまって、目を逸らしてきた。

 どこで一歩踏み出すのが正しいのか。どんな風に前に進むのが正しいのか。そもそも自分にそんな資格はあるのか。

 あまりに逃げすぎて、もうどうすればいいのかさえ、わからなくなっていた。

 

「――……よ」

「……?」

 

 だから。

 

 

「――うっとうしいんだよ!!」

 

 

 また、突き放してしまった。

 

「……!」

「理由もないのに! 優しい言葉かけんなよ!」

 

 差しのべられた手を、払いのけてしまった。

 

「俺は裕樹(ゆうき)を殺したんだぞ――お前らの居場所を、奪ったんだぞ!?」

「…………」

「そんな奴を誰が許す? 誰が受け入れる? お前だってッ!」

 

 きっと、彼女にだけは「許す」とでも、言ってほしかったのかもしれない。

 惨めで馬鹿な話。

 立ち上がった光汰は、爆発して溢れ出る感情を思うがままにぶつける。室内に、彼の震える怒号だけが虚しく響いた。

 

「哀れむなよ……、嘘はもういいんだよ……」

 

 ピクリと一回、軽く跳ねたまま固まって動かない。そんな彼女の後姿に、少年は切れ切れの息で。

 

 

「もう、ほっといてくれよ!!」

 

 

 とどめの一言をぶつけた。

 無音。それはほんの数秒だけだったはずなのに、どうにも長く感じられ、時が今という一瞬を過去に流すたびに、少年は罪悪感に蝕まれた。

 我に返れどもう遅い。

 小さく「ぁ」と漏れた声に、後悔の念が混じっていた。

 背中で見えないが、確かに聞こえたカチリ、とガス台の火を止める音。続けざまに鳴る水流の音は、きっと蛇口から。茉優はあっという間に料理の後片付けを終えた。

 

「そっか――コータにとって、ボクの言葉は苦しかったか」

 

 そして小さく呟いた。

 彼が何かを返す前に、茉優はただ一言。

 

「ごめんね」

 

 そう残して、いつものにっこり笑顔で振り返った。

 ――隠しきれなかった涙を、頬に伝わせながら。

 

「ま――……!」

 

「ってくれ」。いくらひりだそうとしたって、出せない言葉。やがて掌がそれを越えて前に出た。それでも遠ざかる彼女を掴めなくって。

 そのまま彼女は、光汰の部屋を出ていった。

 

「………………」

 

 ――ユグドラシルより戦極ドライバーを渡されたビートライダーズは、皆その力に魅せられた。

 光汰と茉優がいたチーム“鎧武(ガイム)”のリーダーであり、光汰の親友でもあった『角居(すみい)裕樹(ゆうき)』も、その一人だった。

 まるで何かに憑りつかれたかのようにドライバーの力を愉しむ裕樹を危険視した光汰は、彼を止めんとインベスゲームを挑み、戦った――そしてその果てに、彼を死なせてしまった。

 

『あの時、死なせなくとも止められたかもしれない』

 

 この悔恨と罪の意識こそが、彼を長きに渡って縛り付ける鎖となっているのだ。

 

 

 

 ただそれでも、確かな優しさを持って接してくれた人間を突き返すのは、褒められたことではない。

 それは光汰にもよくわかっていた。

 

「最低だ、俺……」

 

 省みたところでもう遅い。誰もいなくなった部屋で、ちゅうぶらりんになった独り言。

 力なくどさっ、とベッドに倒れこみ、天井をぼんやり見つめる光汰。

 何をしよう。謝ろう。明日。

 その前に彼女がせっかく用意してくれたものだし、夕飯に手を付けよう――。

 そう思った時だ。

 

『きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 

 突如聞こえた耳を劈くような女の悲鳴に、光汰は飛び起きずにはいられなかった。

 そうして「なんだ」、と言う前に頭は勝手に回り始める。

 伝わった声の大きさから考えるに、場所はおそらく外。それもすぐ近く。

 

 ――嫌な予感がする。

 

 光汰は現状を確認したところで、胸で渦巻く不穏な感覚が告げる通りにロックシードを持ち、マンションを駆け足で出た。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「こ、こないで……!」

 

 マンションすぐ下の歩道。腰を抜かして消え入りそうな声で、ある眼前の存在を拒む少女がいた。

 

「グヴヴゥ……」

 

 そんな目に見えるほど怯える少女の意思など知らないで、インベスという怪物は彼女にひたひたとにじり寄る。

 牙と爪は鋭く尖り、体表に細かく敷き詰められた半金属の鎧は、なにやら鱗のようで。半端に伸びた首と歪むだけ歪んだ長い顔は、相対する者に薄気味悪い印象を与える。夕陽(せきよう)の色付けは、緑の体色には実にミスマッチ。

 セイリュウインベスが、そこにいた。

 足元には砕け散ったロックシード――しかしモチーフのフルーツすらわからないほどにバラバラにされていた。おそらくこれが彼女の抵抗の痕跡だろう。

 

「い、いや……なんで、なんで人を襲うのよ……」

 

 絶望にまみれたその問いかけも、無残に夕影に沈んでいく。

 セイリュウインベスは、彼女の連続的に漏れる二酸化炭素の「は、は、は」という音を、牙同士をかち合わせる音で消してみせる。まるで助けなど呼ばせないと言わんばかりに――。

 

「ヴヴ……ガア゙ア゙!!」

「いやああああああああああっ!」

 

 そしてセイリュウインベスが少女を食い殺さんと駆け出した。

 

「こんの――ッ!!」

 

 次の瞬間のことだった。

 彼女の視界にいた怪物が、いつしか金髪の少女にすり替わっていた。

 正体は悲鳴を聞きつけ、駆け付けざまにインベスにタックルをくらわせた、茉優だった。

 

「ウアガァ……!」

 

 助走たっぷりの体当たりだ――ダメージこそないが、ふっ飛ばす衝撃だけならなかなかに。

 わずかにできた(いとま)で「大丈夫!? 立てる?」と少女に訊ねる茉優だったが、少女は相好を恐怖に歪め、瞳に涙を浮かべることしかできない。そんな中で必死に幾度と頷く。

 どうやら足が竦んでいるようだった。

 

(こいつが噂の、改造ロックシード……!)

 

 前もって話を聞いているだけあって、茉優の判断も早い。

 だが、それを知ったところで何をできるでもない。一年前の裕樹の死を境にチーム鎧武は解散、同時に茉優もインベスゲームを引退し、ロックシードなど持っているはずもなく。

 

「くっ!」

 

 ダメもとでまさぐったポケットにも何もありはしない。

 のんきな真似をしている間にもセイリュウインベスはその身をもたげて、こっちを向く。

 どうする――。

 

「グ?!」

 

 ようやく起き上がったセイリュウインベスだったが、今度は背後から石ころをぶつけられた。

 そうして本来の獲物に背を向けた怪物の先には、

 

「コータ!?」

 

 茉優が名前を呼んだその人物に、間違いはなくて。

 

「その人連れて逃げろ!」

 

 駆け付けた光汰はダメ押しにもう一度、セイリュウインベスめがけて石ころを投げる。

 ダメージは要らない。注意さえ引ければ。

 

「でも、コータはどうするの!」

「来るまで時間稼ぐから、警察連れてこい!」

「警察でどうにかなるの!?」

「わかんない……!」

「そんな!」

「なんとかする! ――だから逃げろ! 早く!!」

 

 茉優は戸惑いつつも、一際語気を強めた光汰に促されるがまま、彼女を背負って一目散に逃げ出した。

 手立てなんてない。それは茉優だけでなく、光汰も一緒だ。

 だが、今はこうするしかないと思う。

 

「そうだ、そのままこっちだけ向いてろ、バケモノ……」

「ガアァァァアアアア……」

 

 茉優と少女が無事逃げおおせたのを確認し、光汰は新たな獲物――即ち自分を狙うセイリュウインベスに話しかける。

 眼だけをきょろきょろと動かし周囲を把握するも、インベスを操作しているマスターが見当たらない。これだけで話し合いに応じる気はないのだとわかる。

 相手が身を小さく屈めた事で、いよいよ少年も逃げられなくなった。

 防衛本能が鼓動という警鐘を鳴らす。これは間違いない、襲い掛かるつもりだ。

 

「ヴオオオオオオオオオオオオ!!!!」

「ッ!!」

 

 そう思った途端に突っ込んでくるのだから、期待を裏切らない。悪い意味で。

 抉れるアスファルトの音。

 セイリュウインベスが地を蹴った瞬間、光汰は一気に酸素を吸い込んで目をかっ開き、手の中にあったヒマワリロックシードを勢いよく解錠した。

 

『バトル、スタート!』

 

 音声が鳴ると、目と鼻の先の空間に一時的な裂け目が出来上がる。

 腕を振りかぶる龍の怪物と、両腕で自身を庇う人との間に割って入った怪人が、その研ぎ澄まされた鋭利な爪をがしりと止めた。

 

「キュゥウウウゥ……!」

「グヴアアアアア!」

 

 額面通り面と向かった力比べと鳴き声勝負。

 光汰が召喚したのは、全身が丸い灰の外殻に覆われただけのシンプルなデザインの――固有名称を持たない低レベルの初級インベス。

 それはセイリュウインベスよりもうんと頼りない体躯ではあるが、肉薄した敵を威嚇できるだけの威勢はある。

 だが所詮は“それ”だけ。

「どうするか」なんぞと考える暇すら与えてくれそうにない。

 殺意に満ちた気配に、正規のインベスを遥かに超えた筋力――一目すればすぐわかる。

 通常インベス、それも低レベルなんかに勝てやしないなんてことぐらい。

 

「キュ、キュ……!!」

「ガア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!」

 

 裏打ちするように、セイリュウインベスが均衡をむりくり崩し始めた。掴まれた右腕をさらにぐいいと押し込む。

 させまいと踏ん張る初級インベスだったが、その様子はただ大人の力を前に見苦しくもがく子供でしかなかった。

 これが改造ロックシード。

 圧倒的な力。

 玩具の範疇を、逸脱していた。

 

「キュゥウウゥゥ!!」

 

 光汰が敗北を確信してその場から離れた直後、初級インベスがざくり、とその爪でひと突きされる。あっけなく力負けして腹部を貫かれ、うめき声を上げながら光の粒となって消滅していく。

 無限数に散らばった光の粒子から現れたセイリュウインベスが、眼光を飛ばしていた。

 次はお前だ――そう言われているような、気がした。

 

「やっぱり、こうなるのかよ……!」

 

 太陽は光汰を見捨てて西へ西へと逃げてって、気付けばもう日没はすぐそばで。世界から徐々に消えゆく光は、彼をどん底に叩き落す。

 ひっきりなしに起こるまばたき。万事休すか。

 

「…………ッ」

 

 まだだ。

 光汰は間抜けに空いていた口を閉じた。そして至急腰のポーチに手を突っ込んで、たちまち手にひやりと伝わる感覚を縋るように握りしめた。

 そしてポーチの中から引き引いたその手の中に在ったのは――戦極ドライバー。

 こうなるのは目に見えていた。だからこそ持ってきたのだ。

 まだ望みはある。でも彼には、

 

「……動け」

 

 その望みを叶えるだけの、覚悟がなかった。

 ドライバーを握る手を震わせながら、彼は自分に「動け」と。何度も言い聞かせる。

 ついさっきまで普通に動いていた自分の体が、まるで別人のもののようにコントロールが利かなくなって。こわばった筋肉が脳の命令をずっと拒んでる。

 バックルをたかだか腹に付けるだけなのに。

 無情にもセイリュウインベスはこちらに向かって歩いてくる。ダメだ。いけない。せっかく取った距離がもう詰まる。

 

「おい動け、動けよ!! お前死ぬぞ!! このままだと死んじまうぞ!!?」

 

 無理もない。ずっとずっと拒み、逃げ続けて、封印してきたものだから。

 そんなその場しのぎな言葉で。

 その日暮らしみたいな動機で。

 何も変わる訳がない。

 されど少年は手中の材質不明な塊に爪を立て、空に向かって叫んだ。

 

「頼む動けよ――――動いてくれよォォォォォ!!!!」

 

 日が完全に沈んだ。ついに、彼の手は動くことはなかった。

 脱力した掌から落とされた戦極ドライバーが、地面を侘しく転げた。

 目の前に立ったセイリュウインベスが、膝から崩れ落ち泣きじゃくる光汰を見下ろす。そしてゆっくり、腕を振り上げ――。

 

「………………」

 

 下ろした。

 つもりだった。

 

「グ……!!!!」

 

 またしても、邪魔が入ったのだ。

 腕をにがっつりと組みついた、もう一本の腕。太さは平均、間違いなく人のモノだった。

 

「フン!」

「グァア゙!」

 

 怪物に腕を組みつかせたその人間は地についた足を踏み張って、上半身をぐわんと回し、あろうことかそれを投げ飛ばした。

 その尋常ならざる力の主が、少年の前に立った。光汰の目がそこへ行くのも必定であった。

 

「――腰抜けか、或いは使い方をわからないか」

 

 不思議な既視感。

 吹き始めの夜風に翻された漆黒のコートが、宵闇の中を妖しく踊る。

 着ていたのは茶髪の青年。

 身長も平均的で、そこらの人間と特別な違いもなく、正直あの力がどこから出ていたのか――考えれば疑問符がつく程には、その外見は“普通”だった。

 そう、外見は。

 

「どちらでもいいことだがな」

 

 光汰の不満足な語彙では上手く言い切れなかったが――手近な表現では雰囲気、だろうか。オーラでもいいのか。

 彼の背中から伝わる名状しがたい何かは、見てくれに反して明らかな力強さがあった。

 そう、まるでいくつもの修羅場を潜り抜けて、鍛えられてきたかのような――そんな力強さが。

 突然現れた青年はセイリュウインベスに、

 

「この前はうちの連中が世話になったな」

 

 そう吐き捨て、どこからともなく戦極ドライバーを取り出した。

 光汰の涙に濡れていた目は、一瞬にして丸くなる。

 そんな少年の仰天もお構いなしに、手にしたドライバーを腹に取り付けた青年。すると腰周りを走る、一本の銀のライン。それはやがてベルトの端と端を結び付けた。

 小さく鳴るラッパ音に続いて、ドライバーの左側にアーマードライダーの横顔が浮き上がる。

 

「よく見ていろ間抜け」

 

 そう言って少年を一瞥した青年は、おもむろに手にしたロックシードを解錠した。

 

『バナナ!』

 

 スライド式のスイッチを上へと押し込むと、どこか英語っぽく木霊した音声。

 空の一部が丸く切り取られた。切り取られた世界の穴から鎧の塊が現れた。

 

「こいつの使い方を教えてやる」

 

 そのバナナ型の錠前は、掛け金を通った人差し指にひとたび回されてから、戦極ドライバーへ装着される。

 そして掛け金ががちゃりと下ろされ、しまいには完全に離れなくなった。

 

『ロック・オン!』

 

 たちまち聞こえたファンファーレ。それは、彼の勝利を願って鳴り響く――。

 

 

「変身」

 

 

 ドライバー右の刃状の飾りを下ろした直後、ロックシード前面が輪切りの要領でかぱりと開かれた。

 

『カモン! バナナアームズ!』

 

 すると漂っていたバナナ型の鎧が降臨、青年の頭部に被さって、全身に強化スーツを纏わせる。そして、

 

「バナナ!?」

 

 

「――バロンだッ!!」

 

 

『ナイト・オブ・スピアー!』

 

 完全なる鎧として展開された。

 

「お、まえ……」

 

 目の前に顕現した、赤と黄のアーマードライダー。光汰はしゃがみこんだまま、図らずも白眼の面積を広くした。

 初めて会ったはずなのに、確かな謎の既視感――漸く正体がわかった。

 

 あの、赤と黒のコートも。

 

 この、騎士型のアーマードライダーも。

 

 幾度となくテレビで観た姿。

 

 いついかなる時でも敵を正面から叩き潰して勝利するその勇姿は、人々に憧憬と畏怖を与えていた。

 

 彼はこいつを知っている。こいつの、名前を知っている。

 

 最強と謳われた、こいつの名前を――。

 

 

駆紋(くもん) 戒斗(かいと)

 

 

 現ビートライダーズ最大勢力“チーム・バロン”のリーダー、駆紋戒斗。

 

 

「死にたくなければとっとと消えることだな、腰抜け」

 

 

 ――最強と謳われたアーマードライダーが、槍を携えここにいた。



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Episode.03 Henshin

 闇が深くなる、道路のど真ん中。

 周囲の黒に紛れた白線の模様も、一人と一体の大立ち回りを前にすれば擦り切れる。

 車が通る道というに、そこは不気味なほどに静まり返っていた。

 

「フン!」

 

 払い上げ。

 

「ハッ!」

 

 振り下ろし。

 そして踏み込み――。

 

「セェェェェェェッ!!」

 

 突き。

 突き、突き、突き、突き。

 

「セイ!」

「グア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」

 

 バロンの得物、長槍『バナスピアー』がセイリュウインベス相手に暴れまわる。

 持ち主のその卓越した巧みな取り回しにより、じわじわと削ぎ落とされていく堅牢な皮膚。

 バロンの猛攻が止む。今だ。

 漸くできた隙。ノックバック後に飛び込んだ。そして繰り出す、強靭な爪を用いた横の一閃――。

 

「無駄だ!」

 

 届かなかった。

 何も難しいことはない。敵が一撃を与える前に、バロンが迅速な一撃を喰らわせただけのこと。

 刺突というカウンターを手痛く浴びせるバロン。見事にそれを見舞われたセイリュウインベスは情けない咆哮を上げながら吹き飛び、跳ねて、ごろごろ地を転げて舐めずって。

 

「ア゙ア゙ア゙ア゙……」

「どこを見ている」

「ア゙――!?」

 

 伏した紅いビー玉のような目を上げると、そこに反射していた至近距離の二本角。

「いつの間に――」セイリュウインベスはそんなマスターの声を代弁するかのような反応を示す。

 示したところで、もう遅いわけだが。

 

「おまけだ、持ってけ!」

「ガア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!」

 

 立ち上がりかけた敵に、バロンは容赦なく上から追撃のスピアーを叩きこむ。

 まさに圧倒的。

 その半金属となった皮膚の防御力を以てして攻撃を受けきり、最強のアーマードライダーを叩き潰してやろう。きっと今もどこからか見ているセイリュウインベスのマスターは、そう思っていたのだろう。

 だがそれは叶わなかった。

「盾があるなら壊れるまで叩けばいい」「反撃してくるならその暇を与えなければいい」

 こんな短絡的にして稚拙な戦法でも、実現できればこうも強力で、恐ろしい。

 アーマードライダー・バロン――駆紋戒斗にはそれだけの力がある。技がある。

 

「………………」

 

 彼の戦いを実際に目の当たりにして。光汰は声が出ない。言葉が出ない。

 虚ろにあんぐりと開口し、まるで別の生き物を見るかのような眼差しを送っていた。

 

「さて、と。なかなかにしぶといようだが、どうする?」

 

 何度地に叩き伏せたかわからなくなる頃。

 バロンはうつぶせに倒れるセイリュウインベスの背を足蹴にして、何やら話しかける。

 

「まだやるか? 俺は一向に構わんぞ」

 

 そして余裕綽々でそう言い放ち、スピアーを後頭部に突きつけた。

 勝負あった――誰もがそう思ったことであろう。

 

「グ……ア゙ァ」

 

 怪物の肉体が輝き始める、その瞬間までは。

 

「――――!?」

 

 突如不気味に唸りだすセイリュウインベス。異変をいち早く察知した戒斗は、即座にセイリュウインベスからバックステップで離れた。

 何かに悶え苦しむようにも見えるそれは、その激しく損傷した体から四方八方に青白い光芒を飛ばす。

 依然バロンは身構えている。

 離れた位置の光汰からでも、その異様さは容易に把握できて。呟かれた「なんだ?」という言葉が、状況を認識できている証。

 

『レベルアップ!』

 

 その刹那、戦場を駆け抜けた音声が、この現象の正体を自ら明かした――。

 

「ヴ、グアアアアアア!!!!」

「ぬッ……!」

「う、っ……ああぁーーーーーー!!」

 

 セイリュウインベスは溜め込んだモノを一気に解放、発散するように、強烈な衝撃波と光を辺り一帯にまき散らした。付属してきた叫びが、聞く者の耳をも痛め付ける。

 戒斗こそ変身状態で強化されてるゆえにダメージこそなかったが、生身であった光汰はもろにエネルギーの奔流を受けてしまい、思いきり吹き飛ばされた。そのまま近くのフェンスに激突し、背中を強く打ち付ける。瞬間的な痛みが彼の顔を苦悶に染めた。

 そして小さく呻きながら見直した光景には、

 

「ウグオ゙オ゙オ゙……」

「……!」

 

 進化したセイリュウインベス――強化態が映っていた。

 長くなった腕。伸びた首と尻尾。特に尻尾は引きずる事ができるほどには伸びた。

 肉体各所に棘が増えており、人間で云う犬歯にあたる部分の牙は一際成長し、より攻撃的に。

 延長された角は人によっては見るだけで怯んでしまう。損傷した体表の鎧も再生されるばかりか、さらに強固なものへと変わっている。

 レベルアップで強化され一回りほど巨大化したその姿は、間違いなく人のそれから遠ざかっていた。

 

「とことん厄介な奴だな、この改造ロックシードというのは――!」

 

 眼前の人ならざる異形を前に、尚も闘争心をむき出しにする戒斗。

 彼は直感でバナナのロックシードでは勝てないと悟ったか、形態を変えるためにマンゴーロックシードを取り出した。

 

「グア゙ア゙ア゙!!!!」

 

 させまいと咆えたセイリュウインベスは、大きく開けた口から赤色(せきしょく)の光の弾を放つ。

 

「くっ!」

 

 受けきれない――その事実はこの大きさと、速度が。物語っていた。

 咄嗟に横に跳んで紙一重で避けた戒斗の背後で、爆発が起きる。どうやら光弾は街路樹に直撃したようで、火だるまとなってアスファルト上で寝転んでいた。

 その様相を瞥見してセイリュウインベスへ向き直る戒斗だったが、そこに敵はいなくて。

「なに」と言いかけるも、そう言いきるより先に、この場から遠ざかる後姿を捉えた。

 

「チッ……!」

 

 逃げられた――――。

 戒斗は八つ当たるように目の前の空間をバナスピアーで一閃する。そして舌を打ちながら、腹部の切り開かれたバナナロックシードを閉ざした。

 それにより、バロンのスーツと鎧は光の粒となって霧散した。

 

「………………」

 

 再び青年の姿とまみえる光汰。同じように、戒斗もその切れ長な目を彼へと向ける。

 一方は羨望のような。一方は憤怒のような。それぞれの意味が込められた双方の視線は、燃えゆく街路樹の前でかち合った。

 互いに何を言うでもなく過ぎ去る数秒。

 尤も片方は「言わない」のではなく、「言えない」という表現の方が、正しそうだが。

 

「人間は二種類に分けられる」

 

 飛び出した戒斗の一言が、図らずもこの静寂を打ち破る。

 そうして自分に向かって歩いてくる青年を、光汰はただ座り込んだままぼうっと見つめていた。

 

「弱者と、強者だ」

 

 胸ぐらを掴まれるまでは。

 無理矢理その身を起こされ、あれよあれよと浮く光汰。肉薄した驚きで目をかっ開くが、そんなこともお構いなく、戒斗は続けざまに語気を強めて言葉を浴びせる。

 

「そして弱者は、さらに二つに分けられる」

「……!」

「一つは己の力に溺れ、理性も失くしてただ破壊を愉しむだけの破壊者」

「はな、せっ……!」

「もう一つは、己で力を持ち、戦う覚悟すらない臆病者だ」

「うあっ!」

 

 光汰の抵抗なんぞ、戒斗からすれば屁でもない。

 言いたいことをひとしきり言うと、身を必死によじって暴れる弱者を突き放した。

 光汰はどし、と勢いよくしりもちをつく。

 

「貴様は後者だ」

 

 そして、臆病者と。そう吐きかけられたのだ。

 すぐさま無様な姿のまま「誰が!」と啖呵を切るも、長続きはしなくて。返す言葉は一瞬で尽きた。

 

「何が違う? どう違う?」

「……っ!」

「何も違わないだろう」

 

 戒斗の瞳からおぼえる、得も云われぬ感覚。

 恐怖のような、憧憬のような、劣等感のような。それがぐるぐると頭の中で渦巻いて、光汰の発話を悉く阻む。

 自分には絶対にない、確かな『何か』を宿した彼の眼――強者の目に、「自分が弱者だ」とわからされる。是非も及ばないままに。

 

「――覚悟もないまま武器を振るう事ほど、愚かで醜いものはない!」

 

 冷たく鋭い眼光が、胸に痛々しく突き刺さる。

 息が詰まって、涙がこぼれそうになる。

 事実を事実のままに伝えられてるだけなのに。彼にはそれがどうにも悔しくて、辛くて。情けない自分が憎たらしくなって。

 

「ーーーーーーッ」

 

 そのうち耐えられなくなって、逃げ出した。

 地面を押し下げて立ち上がり、駆け出した。

 

「フン」

 

 戒斗は涙をぼろぼろ落としながら夜道を走る少年を一瞥してから、彼が忘れていった覚悟の一片(ひとひら)を拾い上げる――。

 

「――くだらん」

 

 そして、そうひとりごちって、それを元あった場所に置いた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 雲一つない空に、月が昇った。

 太陽が留守の静かな世界を、彼に代わって柔らかな明かりで照らし出す。

 そんな夜更け。

 

「っ…………っ……」

 

 光汰は眠ることも出来ないで、声を殺して泣いていた。

 布を力いっぱいに握りしめる音だけが、室内に虚しく響く。

 

「――……」

 

 その音を遮るドアの向こうで、一人立ち尽くす茉優。

 まるで迷いを溜めるように、表情を曇らせたまま、両手で持った戦極ドライバーを見つめていた――。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 いつか彼女に渡した、自分の部屋の合鍵。

 それからはずっと、彼女が「おはよう」と言ってくれていた。朝の訪れを教えてくれていた。

 他人にとってみれば、「だからどうした」という話になるのかもしれない。

 けれども、彼にとっては、それがたった一つの繋がりだった。何にも代えがたい人との絆だった。

 そしてその絆も潰えてしまった。いや、潰えさせてしまった。

 

「へ――茉優、今日来てないんですか?」

 

 それは今朝、本来聞こえるはずの「おはよう」がなかったことで、確信に至った。

「起きろ」とうるさく言われてた間は散々惰眠を貪っていたくせに、言われなくなった途端に劇的に良くなる目覚め。なんだか不思議なもので、物寂しくもあって。

 その感覚を堪えて、光汰が朝早くに向かったのはDrupeRs。

 今日は茉優のシフトが入っている日だった――はずなのだが。

 

「ああ、今朝早くに急に電話きて、休むってよ」

「そう、ですか」

「なんか用事でもあったのか?」

「いえ、ちょっと野暮用が……」

 

 光汰は「謝りに来た」という本来の目的を話すこともなく、苦々しく笑ってなあなあにしてみせた。

 それを見て、腕を組みながら「ふうん」と、片眉を上げる阪東。

 彼の訝る視線の中で、光汰は茉優の居場所を推測する。しかし十数秒の短考で思いつくはずもなく、とりあえずは彼女の自宅に向かう、というひとまずの答えを出し、

 

「すいません、お邪魔しました」

 

 阪東に別れを告げる。

 そして身を翻して、出入り口のドアへと手をかけようとした瞬間のことだった。

 

「あ」

 

 先に外から誰かが戸を開けたのだろう、自分から遠ざかった金のノブに一瞬、小さく驚く。

 

「……!!」

 

 そうやって開かれたドアの先にいた相手に、光汰はさらに吃驚することになる。

 赤と黒のコートに、左に流れる茶髪。そして思わず逃げ出したくなる攻撃的な眼――昨日会った相手と完全に一致する特徴。

 光汰とてまさかとは思ったが、泳ぎ目で必死に捉えたその面(つら)の所為で、再会を認めざるを得なくなった。

 

「また、お前か」

「駆紋……!」

 

 それは邂逅から、実に一日足らずの――。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 時刻は、午前一○時。

 DrupeRsは朝陽に照らされていた。ほどよく入る日の光が、なんともいえぬ風情を醸し出す。

 開店から間もないため客足も緩やかで、穏やかで、実に過ごしやすくて。

 

「はい、コーヒーおまちどう」

 

 阪東がおかわり自由の自家製コーヒーを配膳する。客はいずれもカウンター席に座する、二人の若い男性。

 双方の間には椅子二つ分のスペースがあり、とてもじゃないが仲が良いとは思える様子ではなかった。

 戒斗が先に口を付けたのを合図に、光汰も自分に出されたコーヒーで一服する。

 お互い目を合わせるでもなく、ただ黙々とコーヒーを飲み進めた。

 

「……なあ」

 

 そのうち、光汰は何かを思い出したようで、そのまま戒斗に話しかけた。

 無言で自分の方を向いた仏頂面に、おそるおそるある質問を投げかける。

 

「戦極ドライバー、あれからどうした」

「知らん」

 

 適当に返しているようにも取れる食い気味の返事に、光汰は「は?」と一言漏らす。

 

「どう、って……拾ったんじゃないのか?」

「尻尾を巻いて逃げた弱者の力なぞ、俺は必要としない」

 

 がちゃ、と多少乱暴に置かれたコーヒーカップ。

 少々苛立つ光汰であったが、それは戒斗も同じようで。険を顕わにして立て続けの質問にそう答えた。

 背もたれにぐいいと腰かけ、組み合わせた脚がより彼の挑発的な態度を強調する。

 

「俺が持っていたなら、返してもらおうとでも思ったのか? 持ち腐れというのに」

「なんだと!」

「事実だろうが」

 

 戒斗にあれよあれよと煽られ、光汰も半ば逆ギレのようにヒートアップし、最後には立ち上がった。

 少ないながらも彼らは客の目を集め、悪い意味で目立ってしまうこととなる。

 数秒後、見かねた阪東が「やめろ」と一言ドスを利かせて、それを機に収まることになるのだが。

 

「――今朝、うちの連中の一人が、改造ロックシードについて色々と聞かれたらしい」

 

 暫しの沈黙をかき切る戒斗の言葉。光汰は改めてそれに耳を欹てた。

 チームバロンの一人が、とある人物に改造ロックシード騒動について訊ねられた、と。

 

「相手は、青のパーカーを着た金髪の女、だそうだ」

「!」

「貴様の仲間なんじゃないのか」

「まさか……」

「持っているとすれば、そいつだろう」

 

 金髪に青のパーカー。茉優のトレードマークだ、間違いない。

 だが彼女がそんな話を、それもわざわざ自分と無関係の者に聞いて回って――一体何をしようとしているのか。

 そんなものは彼女と六年来の付き合いの光汰からすれば、潜思の必要もなかった。

 

「あいつ……!」

 

「一人でこの問題を解決するつもりだ。そう考えれば、今日バイトを休んだのも合点がいく」というのは、光汰のモノローグ。

 昨日の今日ゆえ、改造ロックシードの恐怖はまだ忘れていない――大切な者を危険から遠ざけたいと思うのは、きっと自然な事。

 光汰はカップに半分も残っていないコーヒーを飲み干して、再び勢いよく立ち上がる。

 

「どこへいく」

 

 それをふんぞり返ったままの戒斗が止めた。

 

「どこって、その友達を探しに!」

「無駄だ」

「!」

「どういう腹積もりかは知らんが、逃げたところでその場しのぎにしかならない。理由のない悪意は、また襲ってくる」

 

 被害者を見るに狙いは無差別――手口も様々。既に相当数の改造ロックシードが出回っているのは疑う余地もない。

 今回のセイリュウインベスによる傷害の一件など、氷山の一角には過ぎない。戒斗はそう言うのだ。

 

「だ、だけど! 理屈じゃなく、守りたい大事な人が――!」

「消えると言っている。逃げたところで」

 

 ぶつ切りの言葉で紡がれた反論も、即座に潰されて。

 

「どんなに遠くへ逃げても、弱きものは必ず滅ぶ。たとえ今降りかかる危機を回避したところで次、そのまた次と、困難や障害は立て続けに降りかかる」

 

 まるで、昨日の夜のように。

 

「貴様のような弱者は、どれだけ足掻こうと滅ぶしかない。ただそれが、遅くなるか早くなるか――それだけのことだ」

「っ……――!」

 

 光汰は拳を震わせる。言葉に詰まる。また、返せない。何も言えない。

 力がないから。勇気がないから。

 

「この件はビートライダーズが関係している以上、俺の問題でもある。下手に首を突っ込まれて、妙な真似をされても困るんでな」

 

 そして、

 

「もう一度丁寧に言ってやる」

 

 何よりも。

 

「二度とこの件に、関わるな」

 

 ――弱いから。

 俯く光汰を容赦なく貫いた、戒斗の冷たい瞳。それは彼の心の傷を抉り広げて。

 きっと戒斗という強者からすれば、覚悟もないままに行動する弱者(こうた)は、なんだか死にかけの虫が足掻いているようで、目障りなのだろう。

 だけど彼にも言いたいこと、願うことはちゃんとあって。されど伴わない行動がその発露を許さない。

 戒斗はカウンターに料金を置くと席を立ち、すたすたと光汰の横を抜けて店を出る。

 

「…………」

 

 彼は最後までその姿に喰らいつけぬまま、情けなく俯いていた。

 また目が潤んできた。でも、涙がこぼれないように上を向いてしまうと、今度は情けない顔を晒してしまう。

 そんなジレンマ。両刀論法。

 息が小さく乱れて、歪む視界。

 もうダメだ、なんて考えた。

 

 輪郭が乱れゆくカウンターテーブルに突然、一杯のコーヒーが出される。

 

「!」

 

 それを運んだいかつい手に反して、「もう一服」と促すその声は、

 

「早く座んな、冷めちまうぞ」

 

 とても温かいものだった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 自分から深くは聞かない、踏み込まない。

 だが、全てをかなぐり捨てて丸裸のまま突っ込んできた相手は、真っ向から受け止める――それが、阪東清治郎という大人。悩み多き若者たちの支え。

 DrupeRsの日頃の繁盛の背景には、人情味あふれる彼の人柄もあるのかもしれない。

 

「ねえ、阪東さん」

 

 二杯目のコーヒーをちびちびと飲んでいた光汰が、重たげに口を開く。

 テーブルの上で重ねた二本の腕が、もぞ、と動いた。

 対して阪東はすることもないので、暇そうにカウンターに寄りかかり「んー?」と返す。

 

「強さって、なんですかね」

 

 そしてあまりに突飛な質問に、思わず目を丸くした。

 まあそれも一瞬のこと、揺らぐ若者の問いかけとするなら、別におかしなものではなくて。即座に聞き入れられるのも、きっと彼が持つ大人の余裕というものだろう。

「んん、そうだなぁ」と、唸りながらに真剣に考える阪東。

 光汰は返ってくる言葉を黙って待つ。人に求めるものではないと、わかってはいるけど。参考にでも訊ねてみるのは、きっと悪いことではないと思うから。

 

「簡単に言ったら――『自分の芯を通す時に、必要なモン』なんじゃねえかな」

「……芯?」

「そうだ」

 

 反芻して理解を試みる光汰に、阪東はさらに続ける。

 

「人間ってのはさ、誰にだって『自分の信じるもの』とか『自分のしたいこと』ってのがあるんだよな」

「それが、芯」

「そいつを曲げずにい続けるってのは、すんげえ難しいことでさ」

「…………」

「ま、そんなモンを貫き通すために持たなきゃいけねえモンが、『強さ』ってやつなんじゃねえかってね」

「……強さがないから……曲がって、しまう」

 

 こくん、と一回頷いた。

 

「弱いからこそ――、折れちまうのさ」

 

 直後光汰は、驚いたように目を大きく見開いた。

 二人でカウンター越しに面を見合わせ、連ねた言葉。

 それはなんだか頭のずっと奥で二重に響いて、光汰の胸にストンと落ちた。そして今までぽっかり空いていた穴に、ぴったり嵌まった気がした。

 靉靆と立ち込めていた靄が、晴れた気がした。

 

「光汰は、よ」

「はい」

「本当に自分の信じるものや、したいことはあるか?」

 

『どうすればいいか』じゃなくて『どうしたいか』。

 優しく笑んで問いかける阪東に、

 

「……あったかも、しれないです」

 

 少し間を置いて、光汰も微笑んで応える。その様子はなんだか憑きものが落ちたみたいで。

 弱いから逃げていたのではなくて、逃げていたから弱かっただけ。

 変えられなかったのではなくて、変えなかっただけ。こんな簡単なこと。

 ほんのちょっとでも、自分で自分を許してやれば。肯定してやれば。

 自分の在り方なんて、すぐに見つかって。

 

「今は?」

「たぶん……、ないです」

 

「だから」。

 すかさず言の葉をつなげてから、少年は今一度起立する。

 

 

「ちょっと思い出しに行ってきます」

 

 

 そして金を置き、走って店を出た。

 阪東は致された眩い一礼を、しかとその目に焼き付け、彼を見送った。

 

「まいどあり」

 

 自分で『本当の自分』を探しに行った――少年を。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 整備されきった芝一面を断絶する、一本のコンクリートの道。

 都会の川沿いというのは、「いかにも」という感じで人の手が入っている。時に子供たちの遊び場になったり、老人の散歩道になったり、

 

「……よし」

 

 少女が物思う場になったり。

 落下防止の柵に腰かけていた茉優は、深く一呼吸して、胸元の高さに持ってきた右手を凝視する。

 その中にあったのは、『L.S.-06』とナンバリングされたイチゴのロックシード。

 彼女がビートライダーズだった頃、ずっと愛用していたものだ。

 よほど大事にしていたのか、塗装が剥げていたり、掛け金の可動部が少しばかり緩かったりと、年季を感じさせる。

 

「ボクと一緒に、守ってね」

 

 茉優はそれに向かって願い、左手の平でイチゴの装飾の表面を撫した。

 

「何を一人でぶつくさと言っている」

 

 そんな彼女に声をかける男、戒斗。

 青のパーカーに、金髪の少女。報告にあった通りの出で立ちの部外者に、釘を刺そうとやってきた。

 

「キミは、チームバロンの」

「駆紋戒斗だ。なんだかこそこそと嗅ぎまわっているようだが、死でもお望みか?」

 

『はじめまして』よりも先に。

 振り向いた茉優に手早く名乗り、挨拶と言わんばかりに高圧的な態度で振る舞い始める戒斗。きつい物言いからなった発言は、どうも川のせせらぐ音でも消せないらしい。

 しかし物怖じの「も」の字すらない茉優には、彼の言葉に生えた棘など刺さるはずもない。

 

「ううん、この問題を解決しようと思って」

「……なんだと?」

 

 この図々しさすら覚えるあっさりとした返答が、証拠だ。

 力なき者のあまりにも無鉄砲で愚かしい回答は、怒りや驚きを通り越して、ただただ戒斗を呆れさせる。

 ふう、と厭そうにため息をつき、閉ざした目。

 

「ずいぶんな自信だな。さも自分でできるかのような言い方じゃないか」

「できないよ。でも、やるよ」

 

 茉優はそんなことも意に介さず、身の丈に合わぬ大言壮語をまるで道化の如き軽々しさで並び連ねた。

 その表情に緊張はなく、むしろ柔らかい。

 

「そんなもの一つでか」

 

 青年が指さす先には、頼りない見てくれのイチゴロックシード。

 厄除けの御守りにすらならなさそうな“そんなもの”で、何ができる、と。そう問う。

 

「ちょっと、バカにしにきたの?」

 

 眉をひそめる茉優。

 そして「これでもうちの子、けっこうレベル高いんだよ?」と、的外れな返答を続けた。

 

「類は友を呼ぶ、か」

「へ?」

「アホの元には、アホしか集まらないと言った」

 

 束の間の無音。水面に張り付いた、二人の鏡像。

 周りを巻き込んだ風で揺れ動いた。

 

「気でも狂っているのかと思ったが……貴様はそれ以上にタチが悪いな」

 

 戒斗は少し話してすぐにわかった。

 こいつもただの馬鹿者だ――数十分前の記憶を遡りながら、確信を得る。

 

「こいつは遊びじゃない」

「…………」

「己の無力さを理解しろ、そして恥じろ」

 

 どうしてこうも今日は不運なのか。そんな嘆きが聞こえてくるようで。

 当然彼とて女子供を攻撃する趣味はないが、致し方なし。

 

「貴様一人が行動したところで、何一つ得られない、成し遂げられない。そんな小さな力では」

 

 黙りこくる茉優に「この問題に関わるな」――瞳でそう訴えた。

 

「……――そうかもね」

 

 その刹那のこと。

 想定しえなかった肯定。

 

「ボクは確かに、特別な力はないよ」

 

 戒斗はそれを前に、目を細める。

 

「キミたちみたいに誰かを降(くだ)せるだけの強さもない。ちっぽけで中途半端だ」

「だったら」

「それでもね」

 

 いつもそうだった。

 誰よりも頑固な彼女が、誰かの言葉を遮るために使ってきたこの言葉。

 それは今回もまた仕事をするようで。

 

「それでもボクには、したいことや守りたいものがあるんだ」

 

 弱くても、小さくても。

 何回拒絶されたって、何回はねのけられたって、お為ごかしなんかじゃないから。

 この小さい胸にあるのは、ずっと前から自分が願ったことで。紛れもなく自分のために、自分がしたかったことで。

 

 

「叶えたい願いが、あるんだ」

 

 

 一本通った立派な芯で。

 それを通すために、彼女は今日も「それでも」と言い続ける。

 微笑を湛える茉優に対し、鳩が豆鉄砲をくらったような顔、と云えばいいのか。戒斗は一瞬だけそんな面持ちを覗かせ、短く開口した。

 

「――面白い」

 

 そこから出たのは、彼が誰かを認めた時に唱える言葉。

 

「は!? 笑うとこじゃないんだけど!」

 

 されど茉優は相手の心情など露知らず、小馬鹿にされたとくってかかる。

 尤も彼にとってはそれも、泣き叫ぶ赤子の相手をするのとなんら変わらない訳だが。

 

「キミさぁ、やっぱバカにしてるでしょ!」

「さて、どうだろうな」

「むーーーー! っていうかそもそも何しに来たのさ、用事を早くいいなよ!」

「気が変わった。というか、用が無くなった」

「うわカンジわるっ! バロンってそういうとこあるよね!」

「フン……」

 

 ぎゃあぎゃあ喚く少女を一回鼻で笑って、この場から立ち去ろうとした。

 そんな折。

 

 ドカン。

 

 鼓膜が潰れそうなほどの轟音が鳴り響く。

 

「なに――っ!?」

 

 爆発だ。それもすぐそこ、視認できる位置で。

 茉優はたまらず両耳を手で塞ぎ、たちまちなだれ込む空気の奔流に転ばされぬよう、大地に踏ん張った。

 薄く開けた視界にちょろちょろと混ざる黒煙と火の粉が晴れたのを機に、ゆっくりと開眼する。

 

「……!」

 

 飛散した瓦礫。

 怪我した人間。

 生臭くって焦げ臭い、赤と灰のコントラスト。

 揺らぐ前髪のカーテンの向こう、茉優は愕然とした。

 再び目に収めたそこは、それらが無残且つ無造作に転がっていて。とても、たった今までいた場所とは思えないくらいに、荒れ果てていた――。

 

「そんな……!」

 

 突如殺されてしまった風景、まさしく『殺風景』を前に呆然と立ち尽くす二人。

 そのうち辺り一帯を惨劇の舞台へと変えた原因が、不気味な唸り声と共に現れた。

 

「ヴヴゥゥ……」

 

 呻きの波と爆炎の残滓の中で、蜃気楼のようにゆらめく――セイリュウインベス強化態。

 

「こいつ、また!!」

 

 それは茉優が打倒のため、再会を望んでいた相手であった。

 しかしそこに喜びはなく、むしろはらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りが渦巻いていた。

「なんでこんな真似をするんだ」

 顔にはありありとそう書いてある。

 理由のない悪意の前で取り出したイチゴロックシード。

 

「本当に恐怖の情を忘れてしまったようだな」

 

 解錠しようとボタンに指をかけたタイミングで、戒斗も前に出た。

 悲鳴と一緒に逃げ惑う人々とすれ違う青年の腰には、漆黒に輝く戦極ドライバー。

 

「こわいよ。それでも立ち向かわなきゃ、きっと何も始まらない」

「それで死んだら?」

「今は考えない。何もできない事実は、何もしなくていい理由にはならないと思うから」

 

 彼女に訂正するだけの余裕を感じ取った戒斗は、

 

「――そうか」

 

 そのまま物言うのをやめ、彼女に背中を預けた。

 

『マンゴー! ロック・オン!』

 

 そして鮮やかな手際でロックシードを装填、カッティングブレードを倒し、

 

『カモン! マンゴーアームズ! ファイト・オブ・ハンマー!』

 

 バロンへの変身を完了する。

 使用したロックシードは、“バナナ”ではなく、いつかの戦利品“マンゴー”。

 下に伸びた二本角。巨大なビジュアルから計り知れる重量感を備えたメイス。風に悠々と靡くマント。

 開かれたマンゴー型の鎧を纏った山吹と赤のバロンは、騎士ではなく、むしろ筋骨隆々とした闘士のようで。

 

「お前、名前は?」

「……茉優。高司 茉優」

 

 化物との対面の中で、“戒斗だった闘士”は肩越しに少女の名を訊ねる。

 

「高司」

「なに?」

 

 名を知って満足したか、改めて正面を向き、花切りマンゴーを模したメイス『マンゴパニッシャー』を構えた戒斗。

 

「お前のその強さ、気に入った。その蛮勇――貫いて見せろ」

 

 そしてそう言い残し、向こうのセイリュウインベスへ駆け出す。

 

「――言われなくてもっ!」

 

 後を追うように、茉優も戒斗の背中に続いた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

『チーム名、何にしよっか?』

『チーム悪羅悪羅(オラオラ)マスターズとかどうですか?』

『なんだその奇跡的なダサさ! 却下だ却下!』

『そうだよ、チーム名なんだからもっとまじめに考えようよ! ここはボクがチームコンクリ詰め連合というナウなヤングにバカウケなイカしたネームを考えてみた!』

『お前も大概じゃねーか!! っつか死語! 死語!』

『ちぇー……、あ、ねえねえコータは?』

『ん?』

『コータは、どんなチーム名がいいと思う?』

『おいおい俺に振るのかよ! こういうの苦手なんだけどなぁ……』

『いいじゃんいいじゃん! 言ったもんがちだって!』

 

『えーっと、じゃあ――――』

 

 

 

「“鎧武”」

 

 忘れるはずがない。なぜならこの名を考えたのは、他でもない光汰なのだから。

 彼方の記憶を汲み取り、その断片を呟いて懐かしむ少年。

 彼は裕樹が死んだあの日以来、最も避けていた場所――チーム鎧武のアジトに訪れていた。自分の『芯』を探しに。

 

「……まだ、あったんだな」

 

 横に長い、二階に及ぶ赤レンガの建物を暫し仰いでから、外の階段を上って中へと入る。

 元が倉庫だったためか、スペースは十分どころか十二分。

 見るからに古臭いテレビ、傷がたくさん入ったテーブルに、不似合いなパイプ椅子。

 家出した時の寝泊りのためにと、皆でバイト代を持ち寄って買ったベッドもそのまま。レンジに冷蔵庫に掃除機、家電類も無駄に充実していて。さらにその中を、ギターやプラモ、絵画といった趣味の品で飾り付けてある。

 壁伝いに歩きながら見渡す内装は、何も変わらず、あの頃のままで――。

 

(けど、綺麗、すぎないか)

 

 光汰の独白はごもっともで、物の配置も整然としすぎていて、汚れもなく、あまつさえ埃ひとつ見当たらない。

 一年間放置していた、と云うにはあまりに綺麗すぎる。

 

「……」

 

 文字通りの「あの頃のまま」に違和感を募らせっぱなしで、家電類の動作確認をはじめた光汰。

 手始めにテレビ。おもむろにテーブルに置かれたリモコンを手に取り、適当にチャンネルを合わせた。

 

「映った……!?」

 

 言葉通りに、そのテレビはしっかり沢芽市でリアルタイム放送されている番組を映し出した。

 続けざまにリモコンに記されたいろいろな数字を手あたり次第に押すが、どれもこれもが正常に視聴できた。

 つまり電気も通っている――賢い光汰のことだ、これだけで人の手が入っているというところまでは容易に理解する。

「問題はそれが誰か」だが。

 

「まさか……!」

 

 その正体を知るのにも、時間はかからなかった。

 光汰は何かを悟り、アジト奥の小部屋――皆の駄弁り場へ急ぎ足で向かう。

 物を次々に避け、邪魔なドアを押し退けて、足を踏み入れた。

 

「――……!」

 

 そこにあったのは。

 

 紺地に、金の兜飾りがでかでかと描かれた旗。

 

 いつか、とある少年少女達が大手を振って掲げた――御旗。

 

 絵の具まみれになりながら、みんなで家に帰るのも忘れて仕上げた、鎧武のシンボル。

 

 そして壁にかかったそれに守られるように、テーブルの上で眠る戦極ドライバー。

 

 これが答えだ。

 

「……あ……ぁ」

 

 それを見るなり、少年は泪をこぼす。

 

 

『なんで、鎧武って名前にしたの?』

 

『そうですね、俺も気になります』

 

『えーっと、ね』

 

『ほらほら、もったいぶんなって!』

 

『――鎧武者のように強く、猛々しく、最後まで自分の信じた道を進みたい』

 

 

 そう思ったから。

 

「……っ……くっ……」

 

 光汰は鎧武の旗を前にして、感情のあふれるままに歔欷する。

 どれだけ両手で目を押さえても、涙が止まらない。どんなに我慢しても、咽びが収まらない。

 泣き虫野郎め――よく知った顔をした少年少女らの幻影が、自分を笑っているようで。

 

「馬鹿野郎……、馬鹿、野郎……ッ!」

 

 少年はやっと思い出した。

 自分のしたかったことを。自分の願い事を。

 ずっとずっと守りたかったものを。

 

 

 

「ありがとう――」

 

 

 

 見えた幻影にか、彼女にか。やがて泣き止んだ少年は一言、礼をテーブルに置いて去った。

 己がかつて捨てた、覚悟の一片と引き換えに。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 バチィ、ガキン、と人目も憚ることなく爪とメイスの二重奏が鳴り響く。それも一歩間違えば不協和音になりそうで。

 既のところで行われる武器と武器の逢瀬は、おのずと人を遠ざけた。

 公園で咲いては枯れてを繰り返す戦の火花の下、バロンとセイリュウインベスが渡り合う。

 

「もう少しだよ……頑張って!」

「うう……」

 

 それを背に、茉優は「安全のため」と現場から遠くに停められた救急車へと怪我人を運ぶ。

 肩を貸しても、その小さい躯体では千鳥足も請け合い。

 だがそれももうおしまいだ。歯を食い縛って、最後の一人を救急隊員と共に抱え上げ担架へ乗せると、茉優はすぐさま身を翻した。

 

「君! どこへ行くんだ!」

「まだやることが残ってるので!」

「お、おい!」

 

 振り払った救急隊員の制止。少女はそうやって、もう一度戦場へと赴く。

 

 

「グア゙!」

 

 伸びた腕による長大なリーチを持った拳。ガード。

 

「ガア゙ア゙ァァァ!!」

 

 ガード、もう一撃。

 戒斗はその腕力の所為でノックバックしつつも、ガントレットで確かにパンチを防ぐ。ダメージを受けた左の手甲から、薄い煙が漂った。それを一瞥し、戒斗がフン、と吐いた一息。

 マンゴーアームズ――戦ってわかる、バナナアームズを凌ぐ耐久性。自分より一回りもサイズが上の相手に、力負けもしない。

 戒斗は、このアームズが『防御に物を言わせて真っ向から殴り合う』性質だと把握する。

 

「ファイトオブハンマーとは、よく言ったものだ」

 

 体勢を立て直し、踵で作られたスリップ痕を再びなぞるように、歩みを進める。

 ゆっくり果敢に悠然と、前へ、前へ。

 右手に伴ったマンゴパニッシャーはコンクリの大地で引きずられて、激しくスパークを飛び散らした。

 

「グオ゙ッ!」

 

 待ちかねたセイリュウインベスが、巨体に見合わぬ速度で襲い掛かる。

 出された腕。しかし届かない一撃。そればかりか。

 

「ガア゙、ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!?」

 

 一回転する景色。

 振りぬかれた、マンゴパニッシャーが。

 状況理解にはこれだけの言葉で十分だ。昨夜のように、バロンが手痛いカウンターを喰らわせた。

 ぐるりと回った世界の中に、逆さで捉えた闘士の姿――今にももう一発を叩き込まんとする、その構え。

 

「ぬんッ!!」

 

 セイリュウインベスはそれに抗えないまま、宙空から叩き落された。

 悲鳴にも似た咆哮を上げ、その怪物は地面にめり込んだ。

 

「今度は逃がさん」

 

 ヒビだらけの肉体を小刻みに震わせ、虫の息の異形にそう吐き捨て、仕留めようとカッティングブレードに手をかけた。

 その時だ。

 

 ガチャン、ガチャッガチャン、

 

「!」

 

 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。

 

「……なるほどな」

 

 どこからか聞こえたロックシード解錠の音。やがて不気味なそれは連なり続き、戒斗の耳朶をねっとりと包み込んだ。

 ガチャン。

 そうして最後の解錠音が鳴った直後。

 

「キキィイイイ!」

 

 虚空に沢山の裂け目(クラック)が生まれ、大量のインベスが一斉に、まるで雨のように降り注いだ。

 数は二、三〇。いずれも未進化の下級タイプだが、これだけの物量であれば十分な脅威たりえる。

 複数犯か、一人によるものか――前者ならば、思った以上に改造ロックシード問題は根深い。

 後者ならば、一人でこれだけのインベスを操れる技量を危険視する。

 だが、どちらにせよ。

 

「――今は戦う他あるまい!」

 

 普通ならば絶望しかないこの光景の中、戒斗は己に檄を飛ばすように叫んで、再び握り直した得物を手に立ち向かった。

 

「ふんッ! はァッ! せいッ!」

 

 右を向けどインベス、左を向けどインベス。

 四方八方から矢継ぎ早に襲い来るそれらを、一体ずつ冷静になぎ倒していく。

 稀に小さいな攻撃をもらいながらも、がなり立てるインベスの軍勢を次々に力業で黙らせるバロン。

 

「カイト!」

 

 言葉ですらない言葉で出来た隔たりを掻っ切るように、戒斗の名を叫んだ茉優。

 駆け付けてから間髪容れずに、握り締めたイチゴロックシードを解錠する。

 

「キュエーーーーッ!」

 

 すると掛け金が跳ね上がり、同時に開かれた茉優の背後の空間から、威勢よく一体のインベスが飛び出した。

 飛行型。バサバサと翼をはためかせ滑空、

 

「おねがい、キュータロー!」

 

 その命令に応え、戒斗に群がるインベスを通り過ぎざまに斬りつける。

 そして上空で旋回し、過ぎ去った戦場にほどなくして再訪、またもインベスの一体を左腕の刃で寸断する。

 

「キュエエエエエエエエエエエエ!!」

 

 高速飛行。

 掻き鳴らす空気。

 ヒットアンドアウェイ。

 幻影が繰り返しにインベスを屠っていく。

 六体ほど葬った時、茉優は漸く戒斗と目が合った。

 

「大丈夫?」

「この程度、俺一人でどうにかなったものを」

「へへ、そう言わないでよ。味方は一人でも多い方がいいでしょ?」

 

 そう言い、にかっと笑った茉優の隣に降り立つ、彼女のインベス。

 黒いボディに赤のアクセントがあてがわれ、鋭角的なフォルムを持った細身のインベス――主が“キュータロー”と名付けるそのインベスは、一般では『コウモリインベス』と呼ばれている。

 彼女が話す間にも、彼女に襲いかかるインベスを折り畳んだ翼で追い払い、攻撃の手を緩めない。

 

「達者な口だな……せいぜい命を落とさんよう!」

「キ!!?」

「立ち回ることだ!」

「ギギ――!!」

 

 戒斗も片手間に、マンゴパニッシャーで眼前の下級インベスを叩き潰す。

 続けて爆発四散したその亡骸を蹴り転がし、ある存在を探した。

 倒れていた、撃破寸前のセイリュウインベスだ――。

 援護によって手も空いたため、決着という形で取りこぼしを拾うつもりなのだろう。

「どこだ、まだ逃げたわけではあるまい」と呟きながら、周囲を見回す。無論、立ちはだかる雑魚を倒すのも忘れない。

 

(回復されては厄介だ、手早く仕留め――)

 

「カイト後ろ!」

 

 不意に聞こえた茉優の大声が、モノローグをせき止める。

 あまりの必死ぶりを前に『なんだ』と、そう言う暇すらなかった。

 彼女の言葉の通り振り返った先にあったのは、巨大な紅蓮の光球。

 

「ッ――――!!!!」

 

 避ける。間一髪で。

 焼け焦げたマントの一部――進路上に居た下級インベスがまとめてそのエネルギーに飲まれ、でろでろに溶けて消滅した。

 

「とんでもない威力だな」

 

 数メートル先の光の出所にいたのは、当たり前にセイリュウインベス。口辺には煙が漂う。

 まさしく必殺の一撃だった。

 蒸発で抉れたコンクリが、その威力を如実に物語っている。

 さすがの戒斗も今のには肝を冷やしたか、虫の息となめてかかるのはやめ、完全に意識をセイリュウインベスに向けて一切の目を離さなくなる。

 

「……決めてやる」

 

 たとえ鱗という名の装甲がヒビだらけでも。

 たとえ立っていることすら容易でなく、よろけていたとしても。

 

『カモン! マンゴースカッシュ!』

 

 奴は危険だ、ここで仕留める。

 そんな意志を込めて、ドライバーのカッティングブレードを一回倒した。

 

「うおおおおおお!!」

 

 そして山吹色のエネルギーを纏ったマンゴパニッシャーを構え、真っ直ぐセイリュウインベス目掛けて走り出す戒斗。

 一歩ずつ確実に踏みしめ、相手に接近していく。近づくたびに大きくなる異形の影。知ったことではない。

 適度な距離になる頃、全力を以てマンゴパニッシャーを振りかぶる。

 一度二度と邪魔された、三度目こそは。

 

「はああああああああああ!!」

 

 三度目、こそは。

 

 

「……また、か……!」

 

 

 ダメだった。

 マンゴパニッシャーを振るう腕は、セイリュウインベスの頭蓋の前で、まるでゼンマイが切れたおもちゃのように止まってしまっていた。

 振り切った苛立ちが、戒斗の歯噛みを促す。

 誓い立てにも似たその願いも虚しく、戒斗はまた、またとどめを刺し損ねることになる。

 

「キィイ……」

 

 下級インベスの群れに、阻まれて。

 

「邪魔だ、どけ!」

「キイィィィイイ!!」

「くっ、そ!!」

 

 見えざる力に目を落とした先。

 一体は腰に、もう一体は腕に、さらに別の一体は――という風に、がっちり戒斗の全身に纏まって組み付いて放さない下級インベス。それらは彼の歩みを阻み、攻撃を阻み、

 

「グア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙……!!」

 

 終いには、彼の退避すら阻もうとしていた。

 がんじがらめになった獲物の目の前でわざわざ棒立ちするセイリュウインベスに、いや、厳密にはそのマスターに、何の意図もないはずなどない。

 それを証すように、口腔が赤く眩(まばゆ)い光を放つ――。

 

「…………!!」

 

 そしてそこへどんどん溜まっていくエネルギー。

 その色は赤という暖色のはずなのに、とてつもなく冷酷な印象を与えて。

 敵が何をする気なのか、ここまでくればそんな疑問は猿でも理解できる。

 

「こいつ、雑魚ごと俺を焼き払うつもりか……!」

 

 身をよじって抵抗を試みる戒斗だが、数の暴力にねじ伏せられ馬力が圧倒的に足りていない。

「放せ」だの「失せろ」だの、端々に聞こえる言葉が彼の抗いぶりを伝える。

 空気が震えた。

 唸り声に比例して光の球は肥大化し、そのたび熱気が周囲に漏れ出て発散されていく。

 

「ガア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」

 

 そろそろ人一人を包めるほどになった頃、だろうか。

 ひときわ強まったセイリュウインベスの雄たけびは、間もなく発射だと告げているよう。

 

「くっ……!」

 

 戒斗も息を飲み、その一撃を覚悟した。

 

 

「――やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 須臾、閃きに裂かれた灰の海。

 コウモリインベスが茉優の叫びに背中を押されて飛び出し、側面からセイリュウインベスへ一直線に突っ込む。

 吃驚する戒斗も構わず、そのままタックルを浴びせた。

 それとほぼ同時に放たれる破壊の弾。

 タックルと光弾、どちらが速かったか――――。

 

「グ、ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!」

 

 前者だ。

 体がぶれたことで光球の狙いは大きく逸れ、それは莫大なエネルギーを孕んだまま明後日の方向へ飛んで行く。

 荒んだ曇天を駆けていたカラスが、恐れをなして遥か彼方へと逃げ出した。

「よし!」と握り拳を作る茉優。

 全ては想定通り。

 

「バカ、何やってる!」

 

 いや、撤回か。

 

「へ?」

 

 

 ――その明後日の方向が、まさか自分のいる方だったなんて、彼女とて知る由もなかった。

 

 

「高司!」

 

「あ」

 

 そう小さく漏れたのを最後に、時が止まった。

 

『逃げろ』

 

 戒斗がそう続けた。

 ような気がする。

 音という音が遮断され、手も、足も、顔も、果ては脳も熱を失い、冷たくなっていく感覚が彼女を包み込む。

 何も言えないで、出来ないで、そんな暇もないで、そのうち視界すらも――フリーズしていった。

 目の前が強烈な光に包まれたその瞬間に、ふわりと軽くなる体。

 

 

「高司!!」

 

 

 戒斗の呼び声の随に、茉優は意識を取り戻す。

 その時、彼女は宙にいた。

 焼け石に水の幸運で、光弾は彼女に届く手前で寿命を迎え、爆発した。

 そこまではいい。

 後に必定となりて吹き荒んだ爆風が、彼女の軽い躰を空高く打ち上げたのだ。

 高度は、目測にして六メートルはくだらない。

 

「え、あ」

「で、えええええええええい!」

 

 ついに肉体各部にしがみついた下級インベスを引き剥がすことに成功した戒斗は、すぐさま彼女が落ちていく方へと走り出した。

 間に合う訳も、ないのに。

 

「チッ――!!」

 

『カモン! バナナアームズ! ナイト・オブ・スピアー!』

 

 駆けながら、苦し紛れのアームズチェンジ。マンゴーよりかは速いバナナ。

 それでも、一目見てわかる。

 彼女があの場に落ちるその時までに、あの場に辿りつくことができない、と。

 

「あ、……あ」

 

 一度迫った宇宙(そら)が、遠ざかっていく。落ちていく。

 思考も置き去りにして、足掻くのも忘れて、仰向けのまま、落ちていく。

 反射的に伸ばした手は宙ぶらりんのまま踊った。

 

 

 ボク、死ぬんだ。

 

 

 茉優は直感でそう思う。

 人は今わの際、積み重ねた記憶が走馬灯のように現れては消えてを繰り返すという。

 尤も彼女のは、そんな大層なものではないけれど。

 なんてことはない一人の少年の顔と、声と、思い出と。

 呆れるぐらいにそればかりだ。

 でも、その相手は。

 

「――――……タ」

 

 誰よりも大切な人で。

 

「――コー、タ」

 

 かげがえのない人で。

 

「コータ」

 

 彼と、彼と見た物。全部が全部一枚の画になって、スライドショーのように流れていって。

 想えば想うほどに、少女の脳みそに「死にたくない」という感情が焼きついていく。

 願わくは、もう一度だけあの声を聴きたかった。

 願わくは、もう一度だけその顔を見たかった。

 願わくは、もう一度だけ君に『おはよう』と言いたかった。

 

 願わくは。

 

「ごめんね、コータ」

 

 もう一度だけ――。

 

 

「茉優ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 

 

 その言葉で、彼女が閉ざした瞼は開かれる。

 突如聞こえた“君”の声に、幻聴を疑った。

 いきなり視界に入った“君”の姿に、幻覚を疑った。

 

「へ? あ……っ!」

 

 伸ばされた二本の腕。

 その身一つでインベスの群衆を駆け抜けて茉優の名を叫んだ少年は、地面に激突する寸前の彼女をしっかりと受け止める。

 ドッ、と殴られたような衝撃が全身に走った。

 それによって痛み震える華奢な四肢を御し、横抱きの恰好で少女を擁く。

 

「っつ……!!」

 

 強く、強く。

 

「こ、コータ……?!」

「と、っと!」

 

 しかし殺しきれなかった勢いが、彼の体を激しく揺すり。

 

「う、わあああああっ!」

 

 少年はそれを(うべな)うようによろめき、終いには少女を抱えたまま後ろへ盛大に転倒した。

 起き上がって、呻き混じりに少年が呟く「いてて」。

 最後まで格好がつかないのはご愛敬。

 

「茉優! 無事か!?」

 

 なぜなら彼は、杠葉 光汰だから。

 いつも陽気で、ちょっぴり悪知恵が働くお調子者。

 茉優が見合わせた顔は、間違いなくあの日の、あの頃の彼の面影が残っていた。

 いいや。

 戻っていた、と云ったほうがいいのか。

 

「コータ……、どう、して」

「――ごめん」

「!」

 

 光汰は茉優の無事を確認するやいなや、真っ先に伝えたかったことを、彼女に投げかける。

 そして戸惑う茉優に向け、さらに言葉を絞り出す。

 

「ずっとずっと、お前がしてくれてたこと、言ってくれてたこと」

 

 今言わなきゃ。

 

「ほんとはすごく嬉しかったんだ」

 

 ここで言わなきゃ。

 

「けど、けどさ」

 

 絶対に後悔する。

 

「それを受け取るのがどうしようもなく怖くて――だから目を逸らして、全部嘘だって思い込んで、逃げてた」

 

 決して懺悔ではない。

 

「拒んでたのは、俺の方だった」

 

 でも前を向くのに、

 

「だから……ごめん」

 

 もう一歩踏み出すのに、必要な――。

 

 昨日のことも、今までのことも、許せと言う訳じゃない。

 けれども、全てを受け止めると決めた少年が、一番最初に「したい」と思ったことだから。

 自分で決めたことだから。

 そう言って、俯くように頭を下げた光汰。

 

「――ほんとだよ」

 

 そんな彼の視界に入り込む、白魚のような手。無機物にへばりついた彼の掌に、優しく重なった。

 感じる温もりと、伝わる柔らかさ。

 

「嘘なんかついたこと、ないのに」

 

 それは細面(ほそおもて)を、もう一回上げさせる。

 

「コータは、ボクに居場所をくれた」

 

 向き合う少女が柔和な笑みを浮かべて。

 

「いていいんだ、って、思える場所をくれた。奪ってなんかない」

 

 光汰の手の甲を撫で、きゅっと握った。

 

「とっても嬉しかった」

「……ああ」

「だから今度は、ボクがコータの居場所を守りたいなって、そう思ったんだ」

 

 やがてその手は『芯』の通った胸へと運ばれ、

 

「大好きなコータの、大好きな場所を――」

 

 静謐のままに抱きとめられた。

 とくん、とくん。覚悟が込められた鼓動を掴み取るように重なる、留守だった光汰の左手。

 四の手のひらが合わさった時、鏡よろしく言葉が断片的に跳ね返る。

 

「俺も――俺も、茉優が大好きだよ」

 

「うん」。小さく頷く。

 いつか言いたかったこと。言えないんじゃないか、と案じたこともあること。

 それはずっと彼女が伝えたかったこと。

 彼が戻ってくる時まで、温めていたこと。

 

 

「おかえり、コータ」

 

 

 やっと言えた――。

 

「茉優……、ただいま」

 

「……う……~~っ……」

 

 不意に返ってきた返事のせいで、一気に込み上げた感情が、涙の堤防を破壊して見事に茉優を泣かせた。

 我慢も忘れて飛び込んだ光汰の胸を、びちょびちょに濡らす。

 けれども、きっとこれで良いのだ。

 

「寂し、かった……っ」

「ごめんな」

 

 今だけは、この瞬間だけは。

 

「もう、どこにもいっちゃ……、やだよ?」

「……ああ」

 

 思いの丈をぶちまける、この時だけは。

 

「ずっとずっと、一緒だよ?」

「わかってる」

 

 ありのままの、正直な自分で。

 

「次いなく、なったら、許さないから……っ!」

「……うん」

 

 相好を崩し、声を震わせ、しゃくりあげて――滂沱として流れ落ちる雫は、今まで堪えてきた分を清算しているみたいで。

 自分のためにずっと戦ってくれていた茉優の傷を癒すように、背中に回した腕の輪を、さらに狭める光汰。

 

 

「ありがとう――茉優」

「うん……、うん……っ」

 

 

 そして自らも残った全てを曝け出し、最後のリプライを、傍らの彼女に捧げた。

『ごめんね』の後に『ありがとう』。

 耳元でそっと囁き、少女への抱擁を解く。やっと見えた泣き顔から涙を取り払って、少年は立ち上がる。

 程なくして振り返り対峙するは、彼女を狙う初級インベス。

 

「キキ……キィ……!」

「コータ……」

 

 茉優が背後から不安げに見守る中、取り出した戦極ドライバー。

 自分の覚悟のひとかけら。

 

「そ、それ……!」

 

 それを躊躇なく腹に押し当てたのは、彼が示す、“彼の変わった証”だろうか。

 しゅるる、と出現して腰回りを走る銀の帯の音は、これ以上の茉優の発話を妨げた。

 

「もう、逃げない」

 

『安心しろ』。そう目配せし、再び理由のない悪意を見据える光汰。

 

「俺は戦う。自分の信じた道を行く」

 

 空白だったライダーインジケータが、満たされた。

 口にするのは自分への暗示と、彼女への誓い事。

 

「だから見ててくれ」

 

 そして重ねた、

 

 

「俺の――――、変身」

 

 

 ちょっとの願い事。

 

 

『オレンジ!』

 

 

 光汰は前に突き出したロックシード『L.S.-07 オレンジ』を解錠する。

 果てに見えた少年少女の幻影を、掴み取るように。

 

「ギ、ギィィィィ!!」

 

 すると光汰の前面の空間が丸く切り取られ、そこから現れたオレンジ型の鉄塊が、図らずも跳び掛かったインベスを乱雑に跳ね飛ばす。

 続けて掛け金(スライドシャックル)の上がったロックシードを、ゆっくり空へ掲げた。

 オレンジの鎧はその手の動きに従って、まるで太陽が如き輝きを放ちながら、上へ、上へと昇っていく。

 そうして頭上で静止する頃、

 

『ロック・オン!』

 

 装填された錠前。

 ドライバーから鳴り響く――法螺貝の音。

 

「過ぎ去った時間は戻らない」

 

 それは、これから闘争に身を投じる少年を。剣を振るう少年を。

 なんだか鼓舞しているようで。

 

「失くしたものは返らない」

 

『守りたいもの』を守るため。

 

 

「――それでも、守りたいものがある!」

 

 

「変身」――そう叫んで芯を通した少年を。

 

『ソイヤッ! オレンジアームズ!』

 

 覚悟のひとひらは、戦場(ステージ)へと送り出した。

 

 

『花道・オン・ステージ!』

 

 

 その絢爛たる音声と共に。

 オレンジの鉄塊が落下、そのまま光汰の頭を覆い、たちまち橙の花を咲かせた。

 弾けた余剰エネルギー。黄金の装飾。紺のスーツ上で四方に展開された鎧は、日本甲冑さながらだ。

 強く、猛々しく、自分の信じた道を往く――。

 ここに誕生したアーマードライダーのその姿は、彼が目指した“鎧武”そのものだった。

 

「コータ……」

「じゃあ、いってくる」

 

 一言だけそう言い残して、走っていく後ろ姿を、茉優は消えてしまうまで見送った。

 

 

「キキィィィイイイイィ!!」

 

 走っていく、駆けていく。

 雲の切れ間から、差し込む陽光。それが光汰の討つべき敵を照らし出す。

 迷わない――。

 

「でやああああああああああああああッ!!」

 

 光汰は手の中にある輪切りオレンジを模した刀、大橙丸を全力で縦に振り抜いた。

 伴って先に居た下級インベスが、真っ二つに切り裂かれる。

 直後、起こった爆発を皮切りに、光汰はさらに前へ。

 あれよあれよとインベスの群れの中に入った。

 

「はッ! たッ!」

 

 そして左腰にマウントされたもう一本の濃紺の片刃剣――無双セイバーも手にし、視界で躍るインベスを手当たり次第に斬り払っていく。

 太刀筋も立ち回りも、粗削りなんてものじゃない。滅茶苦茶だ。

 しかし二刀流は、それでも強力で。

 右、左、前に後ろに上からも。

 バイザー越しで忙しなく眼を動かし、得られた視覚情報で跳び掛かるインベスを一体ずつ、確実に処理していく光汰。

 

「ギイイィィヤッ!!」

「ッ! しまっ……!」

 

 一体が突っ込んできた。

 視認こそできたが、筋肉が対応に追い付かず、

 

「ぐ、ああっ!」

 

 相手の意図通りに体当たりをもらう。

 衝撃で落とした大橙丸。

 群れの外へ弾き出され、ごろごろと地を転げ、止まれたのは柵の前。

 

「く……!」

「キキーーーー!!」

「!!」

 

 起き上がろうとした瞬間に、爪が振り降ろされた。

 それを間一髪で受け止める、無双セイバー。乾いた音が木霊する。

 

「う、くっ……!!」

 

 光汰は立ち膝の恰好のまま、鍔競り合うインベスに押される。

 震える腕、軋む柵、荒ぶる呼吸。すぐ後ろには、川。

 踏ん張る声が彼のひっ迫ぶりを忠実に伝えた。

 このままではじり貧だ。どうする。

 

「う、わあああああああああ!」

 

 この叫びの後、か。

 インベスは突如吹き飛ばされる。これにはマスターも驚いたことだろう。

 ごろごろと無様に大地を舐めたインベス。数十秒前のビジョンが、体験者を変えて再現された。

 意味も理解せぬまま悔し気に立ち上がるインベス。

 その腹には、激しい弾痕。

 

「っ、これ……!」

 

 元になった弾丸の出所は、無双セイバーの鍔にあたる部分だった。

 目を凝らすと見える銃口。そこから吹く煙が、戦意をむき出しにしている。

 

「こういうことか!」

 

 即座に勝手を理解した光汰が、鍔の手前側を引く。

 その位置が勝手に戻ると、刀身の黄色い部分が再び光り出した。

 放った弾丸のリロードは完了――さっきは苦し紛れに引いた柄の引き金も、今度は確実に。

 

「もう二発!!」

 

 押し込む。二回。

 ひり出された二つの弾は必然的に追撃となり、敵の肉体を穿った。

 

「グ、キキィィ!」

 

 インベスは、受けたインパクトで逸れた視線を今一度戻す。が。

 

「キ……?」

 

 向き直った光景に、光汰はいなくて。

 

「せえりゃあああああああああああ!!」

「ギ――!?!?!?」

 

 視界を少し下げると、腹に食い込んだ刃。

『いない』とインベスが認識した次の瞬間、そのインベスは上半身と下半身を寸断されていた。

 牽制に弾丸を浴びせた一瞬――そこで鎧武は一気に加速、すれ違って横を抜ける。

 拾い上げた大橙丸を、伴って。

 爆散する。インベスがまたも。

 

「一気に決める!」

 

 立て続けに別のインベスへ切っ先を向ける光汰。

 彼は昨日の記憶を頼りに、戦極ドライバーのカッティングブレードに手をかけた。

 そして、

 

『ソイヤッ! ――オレンジスカッシュ!!』

 

 一回倒す。

 音声が場の全員の耳朶を打った直後、大橙丸の刀身からオレンジ色の燐光が漏れ出した。

 熱でも帯びているようだ。こびりついたインベスの体液が、どんどん蒸発していっている。

 その輝きは時を追うごとに増して、終いには本来の刃の倍以上のサイズへと変貌を遂げた。

 唸る光刃が「斬り伏せろ」と言わんばかりにさらなるオーラを発する。

 

「フゥーー……」

 

 構えて、置かれた一呼吸。

 それを待ちきれなくなった、インベス共。

 骸の山を抜け、炎の森を抜け、鳴き声を上げて一斉に鎧武者を討たんとした。

 

「キキイィィィィイイ!!!」

 

 その時――そっと閉ざした瞳が開いた。

 一歩踏み込むと、バイザーの向こうで、眼光が糸引いて。

 

 

「――せいやああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 

 光汰は魑魅魍魎の大群を一閃する。

 放たれた甚大なエネルギーは、際限なくインベスを飲み下した。その様は、一網打尽と呼ぶにふさわしい。

 次々に爆発していくインベス。

 取りこぼしへのとどめにもう一閃。回転しての薙ぎ払い。

 

「グ、キイイィィイイイイイイ!!!!」

 

 そうして鎧武者は最後に、(うつろ)を切り払う。

 それを合図に、切り捨てられたインベス全てが爆炎と化した。

 

「……はぁ……はぁ……」

「コータ……!」

 

 この場全てのインベスを滅ぼした鎧武――いや、光汰。

 駆け寄った茉優の肩を借りて、息を整えながら次に彼が見たもの。それは。

 

 

『カモン! バナナスパーキング!』

 

 

「せいいいィィィィィィィィィィッ!!」

「グア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」

 

 跳び蹴りを以て死にかけのセイリュウインベスにとどめを刺す、戒斗だった。

 砕け散った異形を悲しむように起きた爆発は、周囲に炎を撒き散らす。

 そして。

 全て終わった後――着地から立ち直ったバロンもまた、振り返って光汰を睨みつけた。

 暫しの静寂。

 揺らめく炎の中で、反目する両者。今度は異なる姿で。 

 

「関わるなと、言ったはずだが」

 

 一度目は、臆病者として。

 

「……それは、できない」

 

 二度目は、弱者として。

 

「なに……?」

 

 今度は――。

 

「俺にも、戦う理由ができた」

 

 戦士として。

 

「…………」

 

 光汰は戒斗へ言葉を返す。

 それが何を意味するか、知りつつも。

 

「きっとアンタの言う通り、俺は弱いのかもしれない」

 

 振り向かない。

 

「それでも、前に進む」

 

 立ち止まらない。

 

「覚悟も、力もあるから」

 

 失いたくないものが、あるから。

 

 

「守りたいもののために――、戦う」

 

 

 それが『するべきこと』じゃなくて、『したいこと』だから。

 

 少年の決意を確かに聞き届けた戒斗は、そっと身を翻して。

 

 

「――今度会うときは、敵だ」

 

 

 次は討つ、と。

 肩越しにそう残して、立ち去った。

 光汰と茉優は、そんな強者の背中を、見えなくなるまで――ずっと見据えていた。



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Episode.04 Guilt

『今回騒ぎになった改造ロックシードに関してですが、私共は一切の関与を否定させていただきます』

 

『ですが、改造の元となった商品は御社のものということになっておりますが、そのことについてはどのようにお思いでしょうか?』

 

『……………………』

 

『何か言ってください』

 

『それは……』

 

『責任問題ですよこれは!』

 

『今後の対応はどうされるおつもりですか!』

 

『……申し訳、ありません』

 

『謝れって言ってるんじゃないんです! 被害が出ている中で、そちらがどうするのかと具体策を――!』

 

 

 

 箱の中に、酷い茶番を見た。

 頼りない見てくれの老人が背広を着て、まるで処刑のようにカメラフラッシュの集中砲火を浴びている。

 そして記者に迫られ、薄れた頭頂部を晒しあげる。見る者は皆一様に「ハゲ頭」と小馬鹿にすることだろう。

 先日起こった改造ロックシードのパニックによって、ついにだんまりを決め込めなくなったユグドラシル。

 開いた記者会見で何を言うかと思えば、出てきた言葉は責任逃れ。

 この社長の本意か、それとも別の誰かが考えた言葉か――後者だろう。

 液晶越しで冷ややかにその様相を見物する光汰は、そう思う。この企業の深い闇を、知るが故に。

 

「……とんだ傀儡社長だ」

 

 消え際のテレビが映し出したのは、押し寄せる記者達を必死に止める老人の姿だった。

 光汰は呟き、テレビの電源を落とした。

 

「ってて」

 

 自分の芯を探し出し、決意を固め、変身して、インベスを倒したあの戦いから、一夜明けた今日。

 あれから光汰は死んだように眠って、つい先程――午前一〇時に目覚めたところだ。

 疲れが抜けきらぬ肉体を蝕む痛み、正体は筋肉痛。長らくまともな運動をしていなかったツケが、今になって回ってきたらしい。

『張り切りすぎたか』。

 ソファに身を委ね、内心でそう漏らした光汰。の、前に出されたお茶。

 

「飲んで」

 

 という茉優の言葉を伴って。

 

「わり、ありがと」

 

 茉優は盆を床に置き、テーブルの前に座った。

 

「どうするの? これから」

 

 そして投げかける、一つの問い。

 気持ちを決めたはいいが、気にすべきは今後のこと。

 

「戦う――って言っても、なぁ」

 

 茶をすすりながら、うようよと漂わせる視線。

 虱潰しに立ちはだかるインベスを倒していったところで、相手は複数犯。

 明らかに一人による犯行ではないし、徒党を組んでいる可能性さえ考えるべきだ。

 対してこちらは、たった二人。

 一方的な消耗を強いられる、そんな中で戦い続けるのは冴えたやり方ではないと、じり貧だと。茉優でも理解できる。

 だからこそ、テーブルの上でだらしなく伸びた。

 

「うー……どうにかしなきゃ、だね」

 

「とりあえず、まぁ」。

 光汰がおもむろに湯呑みを傾けながら、言葉を紡ぐ。

 

「明日も見えない状況だけど、当面はがむしゃらに動いていくしかないだろ。今はきっと、立ち止まるところじゃない」

「ん、そうだね」

「だけど、あんな無茶はもう二度とするなよ」

「え、あー、うげ」

 

 次いで肯定を示した茉優に向けて、突き刺すような眼差しを送り込む。

 それによってわかりやすく焦る茉優。その頬には、冷や汗が一滴、たらりと。

 

「昨日のアレは正直肝が冷えた……俺のせいでもあるけど」

「ご、ごめん」

「いいか、もう一人じゃないんだ。無理なら頼れよな」

「はーい……」

 

 そんな具合にばつが悪そうにする茉優から反省の念を感じた光汰は、ようやっと彼女から注意を逸らした。

 

(まったく、すぐに無理するんだからな)

 

 尤も独白は、未だ続いているようだが。

 

「さて、と」

「お、もう時間か……」

 

 露知らぬまま立ち上がったと思えば、エプロンを脱いで、自分の湯呑みを片し始める茉優。

 どうやらどこかへと向かうつもりのようだが、これは言うまでもない。

 

「んじゃ、いきますか」

 

 光汰も察したのだろう、腰を浮かせてホッと一息吐いて、

 

「バイト」

 

 湯呑みをそっと置いた。

 

 

 

 コトッ。

 

 

 

「お待たせ致しました、チョコレートピーチになります。ごゆっくりどうぞ」

 

 客にパフェをが配膳する、ウエイター。いまいち冴えない、ウエイター。

 光汰からすれば二度目のバイト、ということになるのだろうが、その手際に滞りはない。

 それどころか鮮やかとすら云える仕事ぶり。

 考えられる理由は、ひとえに頭の回転の速さ――だろうか。

 

「すっかり板についたね?」

「おかげさまでな」

「これも教育係が良かったからかな~?」

「無駄口叩くな」

「うぃーっす」

 

 先輩風を吹かせ、白々しく自賛する茉優の調子もなんのその。

 光汰はあっさりと流して、阪東から渡された特大のフルーツ盛り合わせを運ぶ。

 

「お待たせ致しました、果実之塔・松になります」

 

 配膳先はボックス席で、予想通りの大人数。

 彼らが座するテーブルに注文の品を置くと、「おおおお」なんて歓声も上がった。

 どうやら大学生か何かのようだ。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 昼間から元気に騒ぐ若人らにそう言い残し、すぐさま近くのテーブルへ。

 今しがた空席になった場所だ。卓上には盛られたものを綺麗さっぱり失くした食器があった。

 そう時間が経たぬうちに茉優もそこへ来て、散り散りの器を片づけていく。

 

「うっへえ、うめえコレ」

「でしょ?? 伊達に雑誌ですすめられてないわ」

「なんかもう一個頼んでも食えそうだわ」

「腹こわすっつの」

 

 仕事中、客同士の会話が聞こえるのは必然。よくあること。

 こうして今弾んでいる声は、光汰が先程フルーツの盛り合わせを提供したテーブルから起こっていた。和やかに談笑しているのがよくわかる。

 客の何とない会話。

 足を止めて行う作業では、これがいいBGM代わりだったりする。

 

「そういやさ、聞いた?」

「何を?」

「うちの学校からも、ついにロックシード狩りの被害者が出たんだってよ」

「……マジ?」

「ああ、襲われたのはロックシード同好会の――」

 

 目まぐるしく流動する青年らの会話を突如としてせき止める、ドン、という大きな着席音。

 それはあまりに彼らにとっては想定外で。手を止めて困惑するのも無理はない。

 仲間内でワイワイ話している席の中、いきなり現れた店員がその話に混ざってくる――そんな光景を前にして、寧ろ戸惑わない方がどうかしている。

 だが、しかし。

 

 

「その話、ちょっと詳しく聞かせてもらえないですか」

 

 

 店員には店員なりに、『聞こえたBGMを、BGMのままにしておけないだけの理由』が、あるようだ。

 少年はオーダー用のメモ帳とペンで、彼らの紡いだ言葉を逐一記していった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「――ロックシード狩り?」

 

 目の前の相手から伝えられたワードに、茉優は小首をかしげた。

 

「そ。なんでも改造ロックシードでインベスゲーマーを襲って、そのゲーマーのロックシードを奪い取るんだと。ここ最近で騒がれるようになったらしい」

「みんなが手塩にかけて育てたインベスを……許せないね」

「ああ……」

 

 二回目のバイトも、無事終了。

 結果的に途中で仕事を放ったりもしてしまったが、それも減給を免れる程度には収めた。

 光汰と茉優の二人は同時に上がった後、帰り道で通りかかったおもちゃ屋に足を運んでいた。

 入ってすぐの売り場には、山のように積まれた変身ヒーローのなりきりグッズ。

 どうやら売り上げは好調なようで、たった今も一人の子供が手に取って行った。嬉しいのだろう、『バッチリミナー! バッチリミナー! オオメダマ!』と、その変身ヒーローの真似をしながら。

 

「昨日の件とは、違う奴かな」

「わからない。昨日の相手がさらなる戦力増強の意図を以て、改造のためのロックシードを集めている可能性もある」

「なんにせよ情報不足だなぁ~」

 

 そんな舌足らずなお子の様相から目を離して、二人はロックシード売り場へ向かう。

 

「コータ、これ……!」

「……へえ」

 

 そうして行った先での『販売中止』の四文字。

 これ以上の言葉は、きっと要らない。

 

「ま、こうなるわな」

 

 改造されるのならば、改造の元を断ってしまう。

 これがユグドラシルの出した、対応という名の答え。

 呟き、ため息、光汰は『知ってました』と言わんばかりの反応を示して、せっせと身を翻す。

 その横顔はどこか厭そうで。

 思い出の場所が変わっていく焦りか、何一つ展望を見出せない現状への呆れか。

 とりあえずは“ユグドラシルの対応の程を確認する”目的も果たしたので、店を出ることにした。

 

「しっかしロックシード狩り、ねぇ」

 

 噛み締めるような光汰の呟きに、茉優が続く。

 

「とりあえずは、やっつけなきゃいけない敵ってことで、いいのかな」

「まあ、だろうな」

「よっしゃ! んじゃ、さっそく情報集めしてこ!」

「簡単に言うなよ」

 

「まぁ、正しいけど」――そんな苦々しい追加。

 だがそれよりなにより、光汰が最初にすべきと考えることがある。

 目先の問題よりも先に、この現状を改善し、もっと先でも余裕をもって行動できる策が。

 それは、

 

「まずは行動を共にできる仲間を増やす」

 

 今彼が言った通り。

 

「――ナイスアイデア!」

 

 二人だけでは心許ないと判断したが故の提案だ。

 これには思わず彼女も指を鳴らし、賞賛せざるを得ない。

 仲間――最悪同盟なんて形式ばったものでもいい。それでも味方は一人でも多い方がいい。その思考は茉優も一緒なようで。

 そうと決まった光汰は、己の人間関係を辿る――。

 

「でもコータ、友達いたっけ……?」

「………………」

 

 そして三秒でやめる。

 彼の繋がりは、その大半がビートライダーズ時代に出来たものだ。

 そんな繋がりも放っていきなり引退、そこから丸一年消えてから「一緒に危険な事に付き合ってくれ」なんてのも、些か虫のよすぎる話だろう。

 彼もそう思うからこそ、頼るアテが三秒にしてなくなった。

 

「くそ、また振り出しか」

 

 重たく吐いた息が、ずしりと足元のアスファルトに沈む。

 右手で押さえた頭は小さく垂れた。

 

「んー……」

 

 彼を見て、腕組みしたまま思いめぐらす茉優。

 視線の先の彼女が何を考えていようと、きっと何の変化も起こるまい。そんな根拠のない決めつけ。

 光汰はそれを内心で行ってから、茉優に「行くぞ」と声かけしようとした。

 

「あ」

 

 その時だった。

 

「……なんだよ」

「いいこと、思いついた!」

 

 鼻息をふんす、と吹いて得意げな顔をする茉優が、その発話を遮る。

 

「いいことって言ったって、一般人の友達を誘うのは無し――って!!」

「ちょっとついてきて!」

「ちょ、おい! おま、どこ行くんだよーーーーーー!?」

 

 そうして、か細い光汰の手首を掴み、どこかへと走っていった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

雅楽(がらく) 刀也(とうや)くんは、現在部活動中ですね」

「そ、そうですか……」

「用事でしたら、お伝えしておきますが……」

 

 五階建て。やけに大きな白い建物。

 周りはプールに、グラウンドに、道場に――そんな大型設備も用意されている。

 正面から来る客を、その荘厳な趣の門で迎える。刻まれた『実成高等学校』の文字が、ここが学校であることを二人に教えていた。

 

「いえ! 終わるまで待ってます!」

 

 無論、承知の上でいるわけだが。

 

「は、はあ」

「あ、あーあーすいません、見学がてらそこらへんで時間潰しておきますので、お構いなく!」

 

 突然の来客でどこか困り気味の受付に気を遣ったか、光汰は茉優を連れて一旦外へと出た。

 戸の前で整える一呼吸。

 

「……お前、考えってまさか」

「そ、トーヤを仲間にしよっかなって」

「だから、簡単に言うなよなぁ~っ」

「一緒に過ごした仲間だよ? 大丈夫大丈夫」

 

 雅楽 刀也。その名を聞くのは、光汰は実に一年ぶり。

 逆を言えば、一年前の『自分が消えるあの日』まで、ずっと一緒だったとも云える。

 

「――あいつが、俺と会ってくれるわけ、ないのに」

 

 かつて、鎧武の一人だった男。二人の、大事な大事な仲間。

 いや、厳密には「だった」か。

 そんな相手への罪の意識は、やはり消しきれなくて。

 裕樹の死――茉優は許してくれたけれど、彼が許しているなんて限らない。いや寧ろ、こんなことは、許さない方が自然なのかもしれない。

 光汰は俯き、そう思う。

 

「そんなの、訊いてみなきゃわかんないよ! あの日からずっと会ってないんでしょ!」

「わかっ、てる。わかってるけど」

 

 それでも、言い淀んでしまう。

 何を言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか。

 脳裏に甦る。全て崩壊した後、雨の中で刀也とすれ違った『あの日』が。

 モノクロのまま再生されたその映像が、焦燥感を掻き立て彼の内心をかき乱した。

 逃げないと決めたけれど。たぶん開き直っていい訳じゃない。

 

「……くっ」

 

 なればこそ、悩まなければ。

 下校生徒が作る雑踏の中で、一人壁に手をつき、虚と見合う光汰。まるでそこに何かがあるかのように。

 

「コータ……」

 

 鈍った決心。

 だが残酷にも、少年がそんな決心を取り払う間もなく――。

 

「あの」

 

 その声は、彼を呼び止めることとなる。

 

「――!!」

 

 今どきの若者然とした茶髪に、ただただ高い背。

 白過ぎず、黒過ぎず、健康的な肌の色。

 背負った竹刀は、実にお似合いで。黒の学ランは、夕明りも構わず遮断する。

 

「うおお、懐かしい……!」

 

 その姿は、あの日の記憶を閉じ込めたまま、何も変わりばえしない。

 

 

「お久しぶりです、先輩方」

 

 

 愕然とする二人の前――雅楽刀也が、そこにいた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 カキン!

 バットによる、爽快な打音。たちまち握り拳大のボールが空高く飛んでいく。

 

「おーしいいぞー!」

 

 自販機で購入した飲み物片手に、三人が訪れたグラウンド。

 そこは野球部の練習場となっていた。少なくとも、今は。

 彼らの練習風景を遠巻きで眺めながら、三人は積もる話を折り重ねる。

 

「なるほど。じゃああれから、ずっと活動しないでいたんですね」

「ま、まあ……」

「そ。最近になって、また始めたんだけどね」

 

 尤も一人は、あまりにぎこちない口ぶりでこそあるが。

 心の準備ができないままに訪れた再会に、水面下で慌てふためく光汰。茉優でもいなければ、会話が成り立ちそうにないぐらいには焦っている。

「怒ってないのか」とか「なんで普通に話すんだ」とか、色々と訊ねたいことはあれど、この雰囲気を悪くしてしまうのも本意ではなくて。かといって純粋に話したい事もない。罪悪感の方が勝っているがために。

 

「へえ、それはどうして?」

「……まあ、色々と整理がついたって感じかな」

「そうですか、それは何より」

 

 刀也はにこり、と爽やかに笑って、炭酸飲料を一口。

 

「トーヤも、この一年で頑張って、こんな凄いところに入学したんだね」

「いえいえ、とんでもないです」

 

 そして、乾いた土を爪先でいじめながら発された言葉に、そう返す。

 

「ううん、すごいよ! 実成(じっせい)って言ったら、めっちゃ頭いい人が通うガチ進学校じゃん!」

「こんな所、ちょっと勉強すればすぐに入れますよ」

「へ! ってことはボクにも可能性が!」

「頑張り次第では!」

 

 逡巡する間にも、嘘みたいに他愛ない会話は弾んで、進んで。

 茉優はわからないが、光汰は間違いなく傍から覚えていた。

 

「しかし、二人とも元気そうでよかった」

 

 ――この不信感と、違和感を。

 

「トーヤも、ね」

 

 刀也はとてもとても、あっけらかんとしすぎている。忘れてしまっているかのように。

 どうして。なぜだ。舌に乗る言葉をひたすら飲み下す。

 そのうち戸惑いは疑念に変わり、答えのない問いを、延々と独白で繰り返す。

 そんな彼もお構いなしに、また事は進んで。

 

「で……、さ」

「はい」

「――お願いが、あるんだけど」

 

 ついに、茉優が頼みの口火を切った。

 ここに来た理由。彼を呼んだわけ。ただの顔出しではない、本当の来訪の意味。

 光汰は「やっぱりやめよう」と、言いかけた。

 だけれど茉優は、それも聞かぬままに話を進めて。

 

「ボクたち、またビートライダーズとして活動を再開したって、言ったじゃない?」

「そうですね」

「だから、さ」

 

 歯切れ悪くも強引に言葉を紡ぎ、彼へ必死に意志を伝えようとした。

 その折のこと。

 

 

「――――『俺にも、また一緒になってほしい』なんて、言うんじゃないでしょうね」

 

 

 彼女の口を、一瞬にして塞いだ発話。

 

「……!」

 

 感じた不信感も、違和感も疑念も。すべて気のせいだった。

 全部全部彼の考える通りだった。

 ハハハ。無情に木霊する笑声。

 

「まさか、言うわけないですよね」

 

 許すわけが、なかった。

 虚しいまでに的中してしまった予想。どこかで「外れであれ」なんて、思っていたのかもしれない。

 茉優がぴたり、と言葉を詰まらせる隣で、光汰は静かに伏目で顔を逸らした。

 

「どのツラ下げて戻ってきた、って感じですもん」

 

 緩やかな夕風が吹く。

 ゆらゆらと踊る前髪の向こうで――彼の目は、冷たく笑っていた。

 

「逆に、よく許されると思いましたよね。――あんな真似しておいて」

「っ……」

「トーヤ!」

 

 さらに下品に吐き捨てられる尖った言の葉が、少年の胸を無容赦に、無遠慮に抉っていく。

 聞きかねた茉優が止めに入る。 

 

「コータは、ちゃんと自分のしたことと向き合った! だから!」

「だからなんですか?」

「だから……!」

「勝手に消えて、また勝手にのこのこ戻ってきて、挙句『また一緒にやりましょう』って? ふざけるのも大概にしろ」

 

 光汰は、噤んだ唇を噛み締めた。

 彼の言うことは正しいから。その通りだから。

 

「辛くて立ち去った、でも向き合った、戻ってきた……重畳重畳、良かったじゃないですか。だけど、それは全部そっちの話だ」

「悪いとは思ってるよ!」

「ならそっちに居場所も失くされ、取り残されたこっちの事、この一年で考えたことはありましたか?」

「……あるよ、ある……」

「だったら、そんな頼みはするべきじゃない」

 

 苦し紛れの「ある」に、一体どれだけの信ぴょう性があるだろう。きっと限りなくゼロに近い。

「あいつならわかってくれるはず」なんて。長い付き合いが決め手となって生まれた身勝手な決めつけ。それが刀也を傷つけていた。

 ようやっとそれを理解する鈍い己に、嫌気が差す。

 自分のしてきたことのもろもろが、もろにのしかかって、自分を潰しにかかって。

 なんとも滑稽な話だ。

 

「ビートライダーズとか、鎧武とか、俺にとってはもうどうでもいいんですよ」

 

 そう言わんばかりに行われる、居場所と繋がりの否定。

 茉優も、取捨選択の果てに返せる言葉が無くなって。

 

「俺は未来を見てる」

 

 そして最後には、

 

 

「だからもう、関わらないで下さい」

 

 

 立ち去る彼の後ろ姿を、ただただ見送ることしか、できなくなった。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

『ならそっちに居場所も失くされ、取り残されたこっちの事、この一年で考えたことはありましたか?』

 

 時間をかけて、さっきかけられた言葉を反芻する、帰り道。

 帰りのバスに揺られながら、物言わぬ自分一人の反省会。

 高架道路を走っているためか、見晴らしがとてもよろしい。

 されど、そんなものを気にする時ではないようだが。

 

「…………」

 

 頬杖をついて、目まぐるしく流れていく窓の外を見やる。そうして思う。

 

(傷付いてたのは――俺だけじゃなかった)

 

 彼も、一緒だった。

 それはちょっと考えてみれば当たり前のことで。茉優だってそうだった。

 自分だけじゃない。みんなみんな、あの日の傷を抱えてる。

 

(……だったら)

 

 何が言えなくとも、「ごめん」くらいは――言っておけばよかった、と。

 そんな風に、思う。

 光汰はもはや現状が変わらなかったことよりも、彼への態度や、向き合い方を気にするばかりで。

 何かを言ってはいけないが、何も言わなくていいわけではない。

 

『じゃあ、何を言えばよかったんだろう』

 

 心の奥深くで、そう唱えた。

 逃げない、背負うと誓ったものの、やっぱり思いめぐらせるときはめぐらせる。

 良いのか悪いのか、人の性。

 

「んー」

 

 不意に自分の頭に伸びた、ちっぽけでかわいい(たなごころ)

 出所は隣の席から。そこに座るのは、茉優で。

 光汰は驚きから、一瞬ぴたっと静止する。

 

「よしよし」

 

 その一瞬で、手が動き出す。

 

「よくがんばりました。えらいぞ」

 

 そうして茉優はにっこり笑って、温かな手のひらで、光汰の頭を優しく撫でた。

「やめろよ、恥ずかしい」。

 逃げるように離した頭頂。紅潮は恥じらいからか。

 

「ひ、人前でなんてことしやがる」

「んひひ。頑張ったから、褒めてるだけだよ?」

 

 光汰の反応が面白かったのだろう、はにかんだまま手を引っ込める。

 

「何も、頑張ってない。大事なことを言えなかった」

「いーよ、それでも」

「そんな簡単に――」

「逃げなかっただけで、コータはすごいと思うんだよ」

 

 茉優の口から出たそれは、甘やかしの一言以外のなんでもない。

 だけれど、不思議と素直に受け取れた。

 自分を肯定してくれる、彼女――それはどこかで、少年の心の支えになっていて。「あまり自分を責めちゃいけない」と、教えてくれてるみたいで。

 

「今日のがんばりでダメだったら、明日は、今日よりほんのもう少しだけがんばればいいよ」

 

 ダメでも、ちょっとずつ重ねる「ほんのもう少し」。

 頑張りすぎない。無理しない。背負い込まない抱えない。ずっと傍にいてくれた彼女が、伝えてくれていた事。

 そう言う彼女の横顔を見ていると、たまに自然と笑みが漏れる。

 

「おいしいもの、食べてかえろっか」

「ああ……、そうだな」

 

 見合わせたくしゃくしゃの笑顔は、夕陽に負けないぐらい眩しかった。

 

 

「お、停車か」

 

 プシュー、という音と共に、バスが止まる。

 扉が開いて、そこから見えたバス停で、自分たちが降りるタイミングだと理解した。

 ゆっくり立ち上がって、他の乗客が作る流れに乗って、試みる降車。

 

「たすっ、助けてくれえーー!!」

 

 それを阻むように、突如外から走ってきた男が、一時的な人ごみを押しのけ無理矢理乗車しようとした。

 汗だくで、意味もわからぬ必死ぶり。

 ただただ常識のない客に対し、みな一様に「なんだ、なんだ」と口走り、一部の客は不機嫌にもなった。

 運転手にも注意されるが、そんなこと歯牙にもかけず、男は切れ切れの息で、目をまん丸にしたまま一方的に話を続ける。

 

 

「向こうで、向こうでインベスが暴れてるんだ!!」

 

 

 その言葉が聞こえた瞬間、一瞬にして他の客の血相も、男と同じになって。

 ほどなくして空気が変わって。

 皆一斉に、パニックのまま逃げ出した。

 

「茉優……!」

「……うん!」

 

 そんな中、険しく顔を見合わせた二人は、押し寄せる人々の彼方へと駆けていった。

 

 

 

 走っていく。走っていく。

 ――悲鳴の鳴る方へ。

 不気味なまでに紅を湛える夕焼け空は、顔面蒼白にして逃げ惑う人々を、どこか嘲っているみたいで。

 

「うああああああああっ!!」

 

 一人の少年と少女が一歩ずつ人工の大地を蹴り飛ばす今この瞬間も、喚声は上がっている。

 矢継ぎ早に逃げてくる一般人を逐一かわして、向こうを見据えた。そろそろ現場だ。

 

「――茉優、119番!」

「うん!」

 

 途中、腕から血を流して倒れる男性を見かけた光汰は、大声でそう叫ぶ。

 茉優もそこで立ち止まり、彼女とも別れ――先に騒ぎの根本へと到着した。

 

「ここか……」

 

 息も切れ切れで辿りついたのは、都市トンネル。

 光汰は確認の暇も作らず、中へと足を踏み入れる。

 遥か遠い光。それなりの長さがあり、見通しも悪い。人気は当然のように失せていて。

 破壊、横転、乗り捨て、エトセトラ……様々な理由で動かなくなった車が、そこらじゅうに無造作に転がっていた。

 呼吸を整え、おもむろに進んでいく。ほんのり漂う排気ガスの臭気に表情を歪めた。

 直後耳に入る、ボン、という破裂音。

 

「!」

 

 それが小規模な爆発によるものだというのは、数秒後に気づいた事。

 十数メートル先で炎が上がった。

 そうして空間を巻き込みめらめらと揺らぐ(ほむら)が、

 

 

「フウゥゥゥ…………!」

 

 

 この騒ぎの元凶を、照らし出す。

 

「こいつか……!」

 

 インベスを発見するやいなや、手早く戦極ドライバーを装着した光汰。

 

『オレンジ!』

 

 続けて前に突き出し解錠したオレンジロックシードを、天高くへ持っていく。

 

『ロック・オン!』

 

 そのまま装填、

 

 

「変身!」

 

 

 そして間髪容れずカッティングブレードを倒した。

 

『ソイヤッ! オレンジアームズ! 花道・オン・ステージ!』

 

 “光汰”から“鎧武”へ。遂げられた変身。

 気付(きつ)けに吐かれた一息が、風で流れゆく。

 

「――お前、ロックシード狩りだな」

「フシュウウゥゥゥ……!」

 

 大橙丸を構え行う問答。

 それはまるで意味を成していないが、光汰は確信を持てた。

 何故なら向き合ったインベスの手の中に、パパイヤのロックシードがあったからだ。

 そうとわかったところで、やることなぞ変わらないが。

 

「――はああッ!」

 

 一度大橙丸で空を一閃してから、光汰は眼前の敵へまっすぐ突っ込む。

 振り降ろす一刀。

 インベスはそれを回避、

 

「シェアッ!!」

 

 次いで繰り出された横一文字も、バック転で回避して見せた。

 

「こいつ……!」

 

 速い。彼が直後に発した言葉。

 

「フシィ……」

 

 挑発するようにぴょん、ぴょんと二回の跳躍。

 ブルーとブラウンのツートンで彩られた肉体に迫力を添える、立派な二本の枝角。

 両の前腕と脛に取り付く外骨格は、こいつが肉弾戦に特化していることを教えてくれている。

 頸椎をコキコキ鳴らし、ファイティングポーズを取るこのインベス――名を『シカインベス』という。

 

「キュウゥゥ……!」

 

 その両脇を固めるように、下級インベス二体が並び立った。

 三対一、分が悪い。だが――、

 

「うおおおおおおおおおお!」

 

 やるしかない。

 光汰は内心で呟き、再び敵に突撃する。

 狙うは頭。

 シカインベス。

 愚直な正面からの唐竹割り。

 シカインベスも戦う気になったのだろう、今度はその攻撃を右前腕で受け止め、左掌底で光汰を突き返す。

「ぐ」と小さく漏らして、後ずさった三歩。

 シカインベスはおのずからその分の距離を詰めて、

 

「シアッ!」

「つっ!」

 

 顔面に右フック。

 

「フシェェアッ!」

「かはっ!」

 

 わき腹に左ニー。そして、

 

「フシュッ!!」

「ぐああっ!」

 

 とどめに右ローリングソバットを叩き込んだ。

 高水準な格闘スキルからなる連撃を受けた光汰は、たまらず吹き飛んで地を転げる。

 いくら強化スーツ越しといえど、そのダメージはゼロに出来ない。

 

「強い……、でも」

 

 しかし、寝ている暇などない。

 聞こえる足音。さらなる追撃のため、初級インベス二体が襲い掛かる。

 けだるげに立ち上がって左に持ち替えた大橙丸。

 

「負けてはやれない!」

 

 空いた右で抜き放った無双セイバーが、火を吹いた。

 

「キキ、ギィィ!!」

 

 ドギュン、ドギュン、と独特な発砲音が暗黒の中で鳴り響く。

 ひり出された弾丸は闇を切り裂いて、嬉々として獲物を穿った。

 

「もう、」

 

 ガシャッ、リロード音が追いかけてきて。

 

「いっちょ!」

 

 さらに二発の弾丸を撃ちこむ。

 痛覚を激しく刺激されたインベス共が、けたたましい叫びを上げた。

 するとそれを合図に後ろに下がる光汰。繰り返しのバックステップで逃げ込んだのは、煙を吐き散らして派手に車道を塞ぐトラックの陰。

 

「ウ、ギィィィィィ!!」

 

 インベスの性質か、はたまたマスターの気性か。

 二体の異形は光汰の逃げ場を認識するなり、そこへ助走付きの体当たりを浴びせる。

 どうやら外身ごと、中に隠れた物を破壊しようとしているらしい。

 

「ギィッ!! ギイイィッ!」

 

 灰の色した丸い躰がぶつかるたび、痛々しい衝突音が響く。

 まるで怒りでもぶつけるかのように、その鉄の箱を歪ませ、へこませ、スクラップに変えていく。

 いよいよコンテナの骨組みが露出を始め、トラック本体も原型を留めなくなってきた頃。

 されど起きないリアクションに違和感を覚えつつも、どこからか見物しているマスターは、

 

「ぶち壊せ」

 

 そのようにインベスへ命令を下した。

 

 

『――オレンジスカッシュ!!』

 

 

 やらせない。

 トラックの向こうから聞こえた電子音声は、そんな明確な意思表示。

 

「ギ!?」

 

 刹那、橙の閃き――箱を突き破りて。

 バシュンという音の後、甚大な刀状のエネルギーが迸り、下級インベスの一体をコンテナごと貫いた。

 隣で腹をぶち抜かれて悶える様を見たもう一体が危機を察知するも、もう遅い。

 

「押してもダメなら――引いてみな!!」

 

 光汰がトラック越しで光り輝く大橙丸を振り切ると、もう一体も真っ二つになった。

 

「――――――!」

 

 断末魔を上げる暇もないままに。

 起きた二つの爆発が、二体の絶命を知らせる。それに巻き込まれたトラック――否、スクラップも炎上。激しい火柱を立てた。

 轟々と燃え盛る炎を前に、涼し気な風して佇むシカインベス。

 

 

「――せいやァァァァァァァァァァァァッ!!!」

 

 

 その(ツラ)に、逆襲の一撃を。

 火の海から飛び出した鎧武者。

 韋駄天走りで風を切る鎧武者。

 握り拳が、音にも迫る速さを以て、油断しきった顔面にクリーンヒットする。

 

「シギィィィィィィ!!」

 

 シカインベスは抵抗虚しく吹き飛び、後ろで横たわっていた車に激突した。

 光汰はゆっくりとパンチの構えを解く。

 そして殴った手の中にあった逆手の無双セイバーを順手に持ち替え、

 

「これで一発、お返しだ」

 

 向ける鋭利な切っ先。

 それをぶれさせることなく駆け出し、漸く一対一を挑む。

 

「ヴルルルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

「か……ッ!!?」

 

 ――はずだった。

 光汰を襲ったのは、左からの謎の力。巨大な鉛玉でもぶつけられたかの如き衝撃が全身に走り、程なくして彼は大きく跳ねとばされた。

「なんだ」。

 しかし彼とて戦士の端くれ、地面との暫しの別れを、ただ享受する訳ではなかった。

 肉体を大きく浮かされている今この瞬間でぐらつく視界を御し、首を動かす。

 そうして見つける力の正体。

 

(増援か……ッ)

 

 逆さで詳細には確認できないが――一体。赤い体。黒い二本角。肥大化した立派な前腕。そして特徴的な鼻輪。

 まるで牛だ。

 光汰はほんの数秒の間で全ての視覚情報を捌ききると、即座に受け身を取って着地した。

 

 

「ヴルルル……ヴモォォォォォォ!!」

 

 

 喧しい雄叫びを聞いて、「知ってたよ」と一言。

 対峙した増援は予想通り、牛の特質を持つインベスであった。

 光汰が勝手に「ウシインベス」と名づけたそれは、せっかちに拳をどんどこと叩き合わせて、鼻から放熱と申さんばかりに蒸気を吹き出す。

 

「ヴゥゥゥモォォォォォォォ!!!!」

 

 そして今一度発した咆哮を皮切りに、光汰目掛けて突進した。

 

「っ!!」

 

 足に、哮けりに、衝突。

 音という音が片っ端から鳴り響いて空気を打ち震わせ、その果てに残したのは、トンネルの部分的破壊。

 立ち込める煙と崩れる壁面とが、その一撃の強さを確かに物語る。

 幸い、パラパラという音で締められたウシインベスの攻撃に、紙一重の回避を見せた光汰が巻き込まれることはなかった。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 だが、よしんば『力の牛』を流したところで、『技の鹿』が待ち受ける。

 

「シエエエェェッ!!」

「く、うあっ!」

 

 視界の外より飛んできた蹴りに対応しきれず、敵の連打を許してしまう。

 右ストレート、左フック、左肘、右膝、小足、小足、蹴り上げ。まるで格闘ゲームのようにさくさくと入る連続攻撃に、呻くしかできない光汰。

 蓄積されたダメージによってよろめいた一瞬に、

 

「がはっ!!!」

 

 とどめのパンチが、ウシインベスから一発。

 さすがに効いた。

 望まずとも後退させられ、踏ん張った爪先。されど虚しい抵抗。

 腹を押さえて力なく片膝をついて、二体を上目で捉えた。

 まだまだ余裕があるようで――一目見れば、分かる。

 

「く、そ」

 

 敗北のビジョンが、確実に脳裏にちらつく。

 有り体に言えば負けを予感する。

 当たり前だ。考えたくはない。

 けれど打つ手もない、味方もないとなれば、こうなるのも仕方なくて。

 毛頭諦めるつもりもないが、本能が告げている。

 

『このままじゃ負ける』

 

 と。

 

(どうする……、どうすれば……!)

「フシィィィィィ……」

「ヴモォォォォ……!」

 

 そんな万事休すな光汰を嗤うように、鳴き声を絡める二体。

 

「コータ!!」

「! 茉優!」

 

 それを遮り、光汰の耳朶を打った茉優の呼び声。

 避難も終え、駆け付けた彼女が最初にすること。ロックシードの解錠。

 

「待て!」

「!? どうして!」

 

 だが光汰は何を思ったか、茉優のその行為を止めてしまう。

 すかさず背後より疑問が投げかけられた。

 

「オレンジアームズは、この組み合わせには、分が悪い」

 

 別に気が狂ったのではない。冷静さも欠いてはいない。

 その証拠として、息を切れ切れにしながらも、茉優に止めた理由を説明する。

 

「相手の二体は互いの弱点を埋め合ってる。器用貧乏なこいつはカモでしかない」

 

 対するオレンジアームズはスピードもパワーも平均的で、良好なバランスで手堅くまとまっている。

 故にこそ、尖った性能を併せたコンビネーションの前には押し負ける、と。器用貧乏が露呈する、と。

 光汰はそう言うのだ。

 

「そんな状態で出力負けした正規インベスを加勢させたところで、たぶん……戦況は変わらない、と思う」

「じゃあ、どうしたら!」

「イチゴアームズを、使う」

「へ……?」

「鎧武の形態を、変える」

 

 簡単に言い換えると、わかりもしない力を使う。

 とんでもない奇策に吃驚した茉優は、思わず目を点にした。

 

「そ、そんな、めちゃくちゃだよ……!」

「めちゃくちゃだけど、可能性はそれしか残ってない」

「っ……」

「貸してくれ……やってみせる」

 

 どこか腑に落ちない――が、

 

「――負けたら承知、しないからっ!」

 

 仲間として。親友として。

 茉優は光汰を信じて、イチゴロックシードを彼へ投げ渡した。

 

「負けないために、使わせてもらうんだ、よっ!」

 

『ロック・オフ!』

 

 ドライバーに取り付くオレンジロックシードの掛け金を再度開くと、オレンジ色の装甲は再び球状の鉄塊へと立ち戻り、敵の方向へすっ飛んでいった。

 必然的にそれはインベスらに対する牽制と相成り、光汰への接近を妨害する。

 

「勝つか負けるか――一か八かの大博打、付き合ってもらう!」

 

『イチゴ!』

 

 邪魔立ての役目を終えて消えゆくオレンジアームズと入れ替わりに出現した、イチゴ型の鉄塊、イチゴアームズ。

 

『ロック・オン! ソイヤッ!』

 

 空のドライバーにイチゴロックシードが装填され、切り開かれた。

 

『イチゴアームズ!』

 

 巨大イチゴは頭上から鎧武に覆いかぶさり展開、コーラルレッドの装甲へと変化する。

 

 

『シュシュッと・スパーク!』

 

 

 そうして弾けたオーラの先――“赤の鎧武”は、立っていた。

 バイザー部は鎧と同じ赤色に変わり、後頭部の兜は、イチゴのヘタを髣髴させる装飾が施されている。

 

「武器は……、これか」

 

 両手に携えられたイチゴ模様のクナイを、手の上でくるりと一回転させた。

 一通りその感触を馴染ませた後、低く構える鎧武。

 

「いくぞ」

 

 短いその言葉が第二ラウンドのゴングとなって、シカインベスを彼の元へと突き動かした。

 

「フウゥウゥゥゥオッ!!」

 

 インベスからすれば、新たな力だろうと知ったことではなくて。

『力に慣れてしまう前に片づける』。今まさに喰らわせんとする跳び蹴りには、そんな意図が見て取れる。

 

「!!」

 

 襲い来る足。

 それをかわす宙返り。

 着地に伴うスリップ音も置き去りに疾走、姿勢を整え直す光汰へ拳を飛ばす。

 

「フシィィィ!!」

「つっ!」

 

 受け流し。

 正拳突き、回避。

 手刀、切り払い。

 蹴り上げ、バックステップ。

 回し蹴り、前傾。

 小足、跳躍。

 

(凄い、体が軽い……!)

 

 的確に、鮮やかに、光汰は連なる相手の攻撃を、軽快な身のこなしで処理していく。

 細切れな声と声とがかち合って、弾けて散ってを繰り返す。

 熾烈な近接戦、肉弾の応酬。

 反復される中でようやっと見えた一撃と一撃の継ぎ目を――彼は見逃さなかった。

 

「――今だ」

 

 相手のパンチがすれすれで頭の横を抜けていくその瞬間、一気に近づいた懐にクナイを突き立てる。

 

「ーーーーーー!!?」

 

 それはまさしく電光石火。たちまち派手に咲き誇った一輪のスパーク。

 シカインベスが面食らうのも知らんぷり、クナイはキュイイイイ、という鋭い金切り音と共に、胸の皮膚を見事に掻っ裂いた。

 

「……浅い!」

 

 構わない。落ちたパワーを補う手数の多さが、イチゴアームズにはある。

 

「だけど!」

 

 光汰は反撃など許さんと言わんばかりに、続けて十文字の斬撃をお見舞い。そして、

 

「これでぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 仕上げに一連の攻撃に使ったクナイを二本、全力で肩へと捻じ込んだ。

 敵の肉を屠って、埋まって、最後に手から離れた刃は、そこに大きな爆発を残して消え去って。

 やがてそれから生まれた焦げ臭い風が、放たれた絶叫を遠ざける。

 

「ヴモオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 だらしなくアスファルトに伸びた『技の鹿』を飛び越え、第二波となって殴り掛かる『力の牛』。

 大きく唸る大地がその接近を知らせる。

 敵討ちでもする勢いで光汰に猛進し、丸太のような腕を振りかぶった。

 

「!」

 

 俊敏なシカインベスの攻撃に対応できるほどの敏捷性を持つイチゴアームズに、果たしてウシインベスの攻撃はどう映るだろうか。

 きっとあくびが出てしまうくらいに――、いやもしかしたら、止まってすら見えるのかもしれない。

 今の光汰にとって、ウシインベスの運動はあまりに鈍重で。

 

「ヴモォォッ!!」

 

 ウシインベスが光汰に向かって渾身のパンチを放つと同時、光汰の手中に今一度クナイが出現する。

 体を捻って踏み込んだ転瞬、

 

「ヴッ……!!」

 

 閃く赤光がすれ違いざまに異形の目を斬った。

 

「ヴモォォォォオオオオオオオオオ!!」

 

 目つぶしをくらって悶えるウシインベスの様相が、痛覚の存在を証明する。

 寂しく無を捉えた拳は虚無感からか暴れて回った。

 

「終わりだ」

 

 そんな間抜けな踊りを披露する敵を背に、ドライバーから外したイチゴロックシード。

 次の行き先は、無双セイバー。

 静かにセット、掛け金を閉ざす。

 

『ロック・オン!』

 

 その音声で、ウシインベスは光汰の位置を確認した。

 だが、今更の事。

 

「ヴ――」

 

 耳だけを頼りに突っ込む。

 

「モォッ!!?」

 

 のを、黙って観ている訳もない。

 光汰はイチゴロックシードが填まった無双セイバーを左腰のホルダーに収め、振り向きざまにクナイを投げつける。

 次々と現れては消え、ぶつかり弾けるそれは、ウシインベスのこれ以上の進行を阻んだ。

 

『……一』

 

 二本。

 

『……十』

 

 六本。

 

『……百!』

 

 十本。

 

 

『――イチゴチャージ!!』

 

 

 計一八本ものクナイが飛び立った後。

 木霊する無双セイバーの意気盛んな声音。

 

 

「ヴモォォォォォォオオォォォォォォォ!!?」

 

 

 それが最期に、ウシインベスが聞いた音だった。

 忍者よろしく瞬く間に距離を詰め、居合の要領で抜いた無双セイバーが、ウシインベスのどてっぱらに綺麗な斜線を引いて見せた。

 獲物の皮を裂き、肉を切り、骨を断ち――肉体の層を侵すたび、刃にチャージされたエネルギーは輝きとなって発散されていく。

 

「せいはァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 そしてそれが尽きる頃。ウシインベスは両断されていた。

 直後に上がる爆炎を見た茉優が、

 

「やったぁ!」

 

 大きくガッツポーズ。

 

「シカインベスは――!」

 

 そんなことも露知らず、光汰は辺りを見回すが、シカインベスは見つからなかった。

 

「……逃げたか」

 

 ぼそりと呟きながらイチゴロックシードを閉ざし、解いた変身。

 そこに大喜びの茉優が駆け寄る。

 

「やったね! コータならやってくれると思ってた!」

「ったく、調子いいやつだなぁ……これでも危なかったんだぞ?」

「終わりよければ全て良し、結果オーライってやつ?」

「簡単に言うなよなぁ……、マジで」

 

 でもま、助かったよ。

 言葉を付け加え、返却のためイチゴロックシードを差し出した。

 その時だった。

 

 

「きゃあああーーーーーーーーーーーーーッ!」

 

 

 ――人の声。

 それも悲鳴。

 聞いた二人がすることは、ただ一つ。

 

「こんなんばっかかよ……っ!」

 

 声のする方へと走る。

 障害物となった車を悉く避け、徐々に傍に感じられる光。どうやらトンネルの向こうのようだ。

 

「っ!」

 

 光汰と茉優は暗闇から出て、沈みかけの太陽と再会を果たす。

 そこに広がる光景――女性が倒れている。

 外傷はなく、争った形跡もない。

 茉優が急いで警戒するも、周辺にインベスの気配もなければ、マスターの気配すらなかった。

 だからこそ、倒れているのは不自然な訳で。

 しかし戸惑っている暇はない。光汰は女性の安否を確認しようと、駆け寄ろうとした。

 

「大丈夫で――」

 

 途中で、止まった足。

 理由は簡単。

 さらなる異常を確認したから。この場にいることそのものが明らかに不自然に感じられる、そんな相手が視界に入ってしまったから。

 やがて茉優もそれに気づいて、愕然――彼女も同じ反応を示した。

 

「……なんで」

 

 続く「どうして」。震える声。

 倒れた女性の向こうで揺らぐ、詰襟学生服。

 

「なんで、お前がここにいるんだ……?」

 

 呆然と立ち尽くす、そんな彼の疑問に答えることもなく。

 

 

「――――刀也」

 

 

 雅楽刀也は、背を向け立ち去った。



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Episode.05 Again

 白が贅沢に横たわるだだっ広い空間の中に、男たちはいた。

 その場に染みでも残すかのように、黒と赤の服を着て。

 数はざっと十人は下らないだろうか。

 座る者、立つ者。話す者、黙る者。もっと細かく言うと食事を取る者、携帯を弄る者、ダーツに更け込む者、テレビを視聴する者――。

 皆恰好は同じでも、室内での行動はまるでバラバラで。

 

「……と、いう話だ」

 

 ――チームバロンの集会は、そんな様相を呈する。

 丸いテーブルの上、誰に見せるでもないトランプマジックを淡々と練習する男――駆紋戒斗が、開いていた口を閉ざした。

 

「新しいアーマードライダー、なぁ。なるほどね」

 

 そんな彼の傍らに立ち、味わうように、今しがた聞いた話を反芻する別の男。

 

「まぁお前の事だ、別に心配しちゃいねぇけどな」

 

 少しの間を取ってから、不敵ににやりと笑う。

 そうして男は実に馴れ馴れしく戒斗を呼び捨て、実に軽々しく続きの言葉を紡いでいく。

 

「よくわかってるじゃないかザック――奴は障害どころか、不安要素にすらなりえない」

 

『ザック』。

 戒斗にそう呼ばれた黒髪長身の青年は、高い鼻筋が特徴の美男。

 チームバロンのサブリーダーを務める、そんな男だ。

 馴れ馴れしいのも、軽々しいのも無理はない。むしろ自然な事だろう。

 

「どんな立派な鎧を着こんだところで、俺たちの前じゃあ所詮は橙武者(だいだいむしゃ)――っつーことだな」

 

 余裕綽々――といった表情で、ザックは戒斗の手中からトランプを一枚手に取り、テーブルの中心に置いた。

 スートはスペード、ランクはA。柄としてオレンジが描かれている。

 それを見た戒斗も、続けてオレンジを囲うように札を並べていく。

 

「龍玄」

 

 ハートのA、ぶどう。

 

「Seven Colors」

 

 クラブのA、どんぐり。

 

「ドミニオン」

 

 ハートのQ、リンゴ

 

「レッドホット」

 

 クラブのJ、ドリアン。

 

「Free Lancer」

 

 ダイヤのK、スイカ。

 

「斬月」

 

 スペードのK、メロン。

 

「そして俺たち――バロン」

 

 ダイヤのA、バナナ。

 

「この戦乱の中で、今更おめおめと沸いて出た新参勢力が生き残れる道理はない」

 

 ひとしきり並べ終えた後にやおら手を翳すと、たちまち浮き上がったスペードのA。どんどん上昇していき、やがて戒斗の掌に戻ってくる。

 

「生かすも殺すも俺たち……、いや、俺次第」

 

 戒斗は敵意を込めた視線を以て、それを鋭く一瞥してから、

 

 

「奴の命運は――俺の手の中にある」

 

 

 山札の海へと沈め落とした。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

『なんでお前が、ここにいるんだ……? ――――刀也』

 

 

 あの時のこの問いに、彼が答えてくれることはなかった。

 それからの二人はというと、立ち去る刀也を追いかけることもできないで、ただただその背中を見送った。

 ひとえに倒れていた女性の保護を優先したためだ。

 心音と意識を確かめ、救急車を呼び、搬送してもらい――ひとまず事を収めた。そんな昨日。

 

「もう、関わるなって言われたろ」

「いいからいいから」

 

 然る建物の門の前で、じっと何かを待つ少年と少女。門の向こうへ立ち入らないのは、彼らがこの先に入る必要と権限がないことを意味している。

 ちょうど二四時間ぶりか、茉優は光汰を連れ再び実成高校に訪れていた。

 自分たちが通りすがりの視線に晒される事も厭わず、行われる会話。

 

「昨日のあれの真相を確かめなきゃいけないんだよ? そんなこと言ってる場合じゃないよ」

「でも、今度こそ会ってくれないかもしれないし……」

「もー、コータはこれほっとけるの? トーヤが何か危ないことしてるかもって思わないの?」

「い、いや……ほっとけないし、危険な事してるなら、止めなきゃ……とは思うけど」

「だったらこうするしかないでしょ」

 

 もごもごとした口から出る、歯切れの悪い返答。

 茉優はそんな光汰の態度にますますの苛立ちを覚え、ぷんすかぷんすかと頬を膨らせる。

 

「ご、ごめんって」

「もういいよ、ふん」

 

 それから、彼女は言葉を紡ぐのをやめた。その様子を見て申し訳なさそうに眉をひそめる光汰。

 ――気持ちは、同じだ。

 いくら来るなと言われようと、いくら拒絶されようと、簡単には切り離せない。

 悲しき哉、人と人の繋がりはそういう風にできている。

 現に光汰だってそれに従って、刀也への気持ちは変わらないし、変えられない。

 どれだけ辛辣な対応をされようと、今でも彼を想っている。

 なればこそ危険な事をしているなら止めたいと思うし、巻き込まれているなら助けたいと願う。この疑問を晴らさねばならないと、考える。

 そこは茉優と一緒だ。

 でも。

 

(……訊けたところで、話してはくれないだろうな)

 

「したい事」と「できる事」を結び付ける真似はしない。

 考えがあるでもないが、こうするよりも、もっと他にやれることがあるのでは、と。

 彼はそうとも思うのだ。

 

「や、やっぱり、別のやり方で探った方が……」

「しゃーらーーーーーーーーーーーっぷ!!!!」

 

 そのような思考なものだから、やっぱり彼女に意見する。

 そして結局はね除けられる。

 

「そんなに会うのがこわいか! 責められるのがつらいか! 昨日の姿勢はどうした!」

「べ、別に俺はそういう話をしてるんじゃなくて……!」

「じゃあどういう話だーッ!!」

「だから! 今こうしている間にも敵は好き勝手やってる! その時間を費やして俺たちがここで待ってても、ロス分の収穫があるとは到底思えないって話!」

 

 要約、時間の無駄。

 光汰も邪推されてついに気を悪くし、主張の語気を強め始めた。

 門の前で行われるやり取りはもはや目立つを通り越して迷惑にもなっている状態だが、尚も両者は押し問答をやめようとしない。

 

「じゃあ他に何をするの! どんな方法があるの!」

「わかんない! わかんないけど!」

「なら黙ってろ!」

「お断りだ! もっと賢いやり方があるという確信がある以上俺は黙らないッ!」

「むっかーー!!? ばーか!」

「は!? アホ!!」

「まぬけ!!」

「オタンコナス!!」

 

「あの、どいてもらっていいですか」

 

「あ……はい、すいません」

「ご、ごめんなさい……」

 

 幼稚を極める口論もいがみ合いも、部外者から冷や水をぶっかけられるような言葉で止められると、存外冷静になれるもので。

 向き合っていた恰好を解き、一旦離れる光汰と茉優。その間を通り抜けていく、部外者。

 おかげで二人はすっかりクールダウンできた。

 

『おいおいおいおいおいおいおい』

 

 目の前の旧友の素通りに、気付けるくらいには。

 

「なんですか、その売れない芸人みたいなありきたりなツッコミ」

 

 二人に引き止められ、振り返る部外者――刀也。

 抵抗する様子こそなかったが、その面持ちはどこか物憂げで、大儀そうで。

 

「……昨日の関わらないでくれって言葉、聞こえませんでしたか?」

 

 それを隠すそぶりも見せないで、言いたいことをストレートに伝えた。

 

「そういう訳にはいかない。ボク達も、訊きたいことがあって来たんだ」

 

 対して茉優も、刀也の威圧的な声音に怖じることなく、直球で言葉をぶつける。

 譲れないものがある故に。

 いまいち居辛いのか、言い辛いのか、コホン、と頼りない光汰の咳払い。

 そして前に出て、

 

「刀也……なんでお前、昨日あの場所にいたんだ?」

 

 即座に本題を持ち込んだ。

 無論、罪と向き合う事から逃げるつもりはない――でも、平気と言ったら嘘になる。

 

「お前が、事件に関係してるのか?」

 

 されど、訊かねばならない。知らねばならない。

 

「お前が――ロックシード狩りなのか?」

「………………」

 

 たとえ、返る答えがないとしても。

 光汰はたどたどしくも声を振り絞り、ありのままの意志で、思い描いた通りの言の葉を彼に渡した。

 それを受け取って、視線を逸らした一瞬。茉優がしっかり捉える。

 直後、あからさまに意味深長な間を置いてから、とうとう刀也は口を開いた。

 

「……別に。たまたまあの場所に居合わせただけですよ」

 

「そんなはずない!」――見え透いた嘯きを否む茉優。

 

「インベス騒ぎが起こっている場所に、たまたま居合わせられるわけがない。正直に言ってほしい」

 

 光汰も表現こそ丁寧にせど、彼の返答を信用する気はないようで。

 

「正直にも何も、それが事実ですよ」

「………………」

「トーヤ!」

 

 あくまでもしらを切る刀也へ、さらなる追及が致されんとする。

 が、光汰は悟ったように「そうか」と短く呟いて、これ以上の会話を止めた。

 

「コータ……!?」

「――わかったよ。それが事実って言うのなら、しょうがない」

「ちょっと、いいの!? これじゃあ……!」

「……しょうがないんだ」

「……!」

「……もう、行っていいですか」

 

 二人の追及を難なく跳ね除け、あまつさえ鋭利な視線で抵抗する少年を、

 

「ああ、邪魔したな」

 

 頷きでそっと解放する。

 多くは語らない。

 ただ、見当通りの結果を前にして、トライを諦めただけ。

 

「~~~~っ……」

 

 隣で、離れていく背中を口惜しそうに見やる茉優へ向け、首を振る光汰。

 彼の言った「しょうがない」の意味を理解しているからこそ、彼女も、追いかける真似はしなかった。

 

 

「ああ、そういえば」

 

 

 心ならずも身を翻した二人の注意を、再度引き付ける声。

 主は言わずもがな。

 

「ついにアーマードライダーになったんですね、光汰さんも」

 

 刀也は肩越しの相手に、「昨日ふと目に入ったモノ」についての話題を出した。

 嘲笑のニュアンスも含んでいるのか、その言葉は笑声混じりに感じられる。

 

「……そうだな」

「結局は、連中の――ユグドラシルの言いなりですか?」

「………………」

「ビートライダーズに戻るって、そういうことですよね? 結局は楽園のために」

「違う」

「!」

「……それは、違う」

 

 即答。反復。

 どちらも、強い否定を意図してのもの。

 ユグドラシルの言いなりになったんじゃない。楽園へと至るために戦極ドライバーを取ったんじゃない。

 

「俺は、大事なものを守るために戦ってる」

 

 光汰は、そう言っている。

 

「………………」

「確かに、俺が、俺の弱さが、裕樹を殺した」

 

「ああするしかなかった」と言えたら、どれだけ楽か。力が及ばなかった事実を「仕方なかった」で済ませられれば、どれだけ幸せか。

 沢山の救われる可能性を内包した、たらればの話。

 意味はないと知っていても、今でも――ふとした瞬間に、考える。

 

「許されない事なのかもしれない。罪深い事なのかも、しれない」

 

 それは悔悟の表れで。

 後悔は消えない。これからもずっとずっと、消えることはない。

 

「だけど、それで俺が逃げたら――今度は、あいつと築き上げたものまで失くしてしまう」

 

 それでも願うのだ。

 

「それが嫌だから、戦うんだよ」

 

 罪も、悔いも恨みも全部背負って、彼と手にしたもの――仲間と、その居場所を守るために。剣を取るのだ。

 そこには贖罪も、他者の意志もない。

 

「これは、そのための覚悟(ちから)だ」

 

 自分の、自分だけの、ただ一つの願い。

 光汰はそれを叶える覚悟の一片をおもむろに取り出し、刀也の横顔に見せつけた。

 己が持った力を、()がために振るうのかを、証明するために。

 

「……せいぜい頑張ることですね。あなた方如きで、何が変えられる訳でもないけど」

 

 目を閉ざして、置いた間。後ろに続く言葉が二人をまた傷付ける。

「それじゃあ、さよなら」。

 さらに付け加え、刀也は二人の前から姿を消した。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「あの、405号室の患者さんと面会したいんですが」

「どちらさまでしょうか?」

「あ、一応関係者です。救助の方を致しまして」

「そうですか、でしたらこちらの書類にサインの方を――」

 

 これは数分前、受付で行われた会話。

 手がかりが完全に無くなったわけじゃない。

 光汰の言うことで足を運んだ場所、沢芽市立中央病院。

 回るのも一苦労する広さの院内をガイドもなしに歩いて、ここ、ナースステーションまでたどり着いた。

 

「んん、病院なんてあんまりお世話にならないから、やっぱ迷うなぁ」

「馬鹿は風邪引かないって言うしな」

「ちょっと、それどーゆー意味!」

「なんでもないですよ、っと」

 

 患者に医師、清掃員、ちょっとした距離でも諸々の関係者とこれだけすれ違うというのだから、病院という施設の忙しさが窺い知れる。

 二人は取るに足らない会話をして足を進めているうちに、

 

 

「お、ここか……」

 

 

 405号室に辿りついた。

 手ぶらはよろしくないのだろうが、致し方なし。

 そんなことを考えつつ開く、スライド式ドア。がらがら、という小気味よい音が二人を室内に迎え入れた。

 

「あ……」

「えっと、どうも」

 

 開口一番に双方のぎこちない挨拶が交わされる。

「誰だろう」なんて戸惑いが見て取れる患者の表情に、頭を下げての自己紹介。

 

「昨日、倒れているところを見て通報した者です」

「ああ、すみません……!」

 

 それでようやっと腑に落ち、ベッドから身を起こした目の前の患者は、昨日現場で倒れていた女性その人だ。

 

「ありがとうございました! どうなることかと……!」

「いえいえ、無事なようで何よりです」

 

 診断結果は、インベスに襲われたショックによる失神。

 気絶していた時間こそ長かったが、つい先ほど意識が回復したようで。

 ひとしきり感謝と謝罪の言葉を述べた患者が次に言うは、

 

「えっと、何か、ありましたか……?」

 

 疑問の言葉。

 

「いえ、ちょっと昨日の状況を細かく教えてもらいたくて」

 

 光汰はそれに対し、待ってましたと言わんばかりに、用件を説明する。

 

「状況、細かく、ですか?」

「はい、ほんとに小さな、ちょっとしたことでもいいんです。インベスに襲われて気絶する瞬間までで、思い出せる限りのことを教えてもらえませんか?」

「わ、わかりました、ちょっとさかのぼってみます」

 

 素っ頓狂な声が、次いで出た。

 多少困った様子でこそあったが、患者は光汰の要望を飲んでくれた。

 

「ええと、確かあそこからちょっと離れた場所を歩いていて……、だけど周りの人が『インベスだ』って騒いでたのを聞いて、気になって行っちゃって……」

 

 自分の頭に手を添え、女性が記憶の再生を試みる。

 そうして彼女が腰を沈めるベッドのすぐそばで、彼女を見守る二人。

 

「行った、先に……青と茶色のインベスがいました」

 

 聞いた瞬間、光汰と茉優は確信の眼差しを以て顔を見合わせた。

 シカインベスだ――間違いない。

 彼女はシカインベスに襲われた。そのように確定させようとした。

 

「それで逃げようとしたら、後ろから鳴き声がきこえて……、振り向いたら、もう一体のインベスがいたんです」

 

 ――そこで突如現れる、謎のもう一体。

 

「へ……?」

「色は、青と、黒……だったかしら。私に襲い掛かってきて……」

「そ、そんな……!?」

「そこから先は、よく……思い出せないです」

 

 まず、目が丸くなる。

 二人は図らずもまったく知覚していなかった存在を示唆され、驚きを隠せない。

 青と黒の体色は、ウシインベスとも違っているし、そもそもウシインベスは彼女がシカインベスと会う前に倒している。よって彼女を挟み撃ちにできるわけはなくて。

 誰だ。

 神速で浮かんだクエスチョンだけが、脳内を駆け巡る。

 

「ほ、ほんとに間違いないですか? 幻覚とかではなくて……?」

「間違い、ないと思います」

 

 曖昧な内容だが確かな意識の元で、彼女は茉優の問いかけにもしっかり答えた。

 これを見ると失礼だが、目覚めてからの彼女がおかしくなっているだけとも考えづらい。

 なれば、なればこそ。

 

「青と、黒の、インベス――」

 

 想定しえなかった存在に、当惑する事になる。

 光汰は顎に手を当てて、考えた。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 ――勉強もできる。

 スポーツだって、同じぐらいできる。

 なんでもできる。誰にも負けない。上になんて立たせない。

 自分がなんでも一番で、頂点で。

 彼はいつでも周りから“天才”と呼ばれて、育ってきた。

 そして全てを“虫けら”と見下して、生きてきた。

 

「ちょっと人より優れてるからって、偉そうにしやがって」

 

「どうせ腹の底で俺達を見下してるんだ」

 

「何言ったところで、天才様は相手にしちゃくれねえよ」

 

「お前はいいよなぁ……何の努力も要らないんだもん」

 

 虫けらは、いつだって自分を攻撃してきた。

 傷つけられたから、虫けらと見下したのか。

 見下したから、虫けらと傷つけられたのか。

 もはや自分でも、定かではなくなっていた。

 ただ寝そべる事実を前に、怒り、悲しみ、最後には「周りがおかしいんだ」と決めつけて。

 自ら周りを拒絶して「一人ぼっちになるべき人間だった」と言い聞かせて。

 孤独でいることの寂しさを、優れていることの誇らしさで隠して。

 

 強がって、生きてきた。

 

『――頼む! 俺達の仲間になってほしいんだ!』

 

 この言葉を聞くまでは。

 

 

『……や』

 

『――……うや』

 

『――――おい、刀也!』

 

「!」

 

 自分への呼び声をきいて、「はっ」と、途絶えていた意識を繋ぎとめる少年。

 どうやら過去に耽っているうちに、眠りこけてしまっていたらしい。

 

(……柄でもない)

 

 場所はDrupeRs。学校帰りに立ち寄った、久方ぶりの憩いの場だ。

 

「お疲れか? あんま無理すんじゃねえぞ」

「はい……すいません」

「サービスだ、すっきりするぜ」

 

 隅の席で居眠りする刀也を起こした阪東は、続けてコーヒーを出した。

 久方ぶりに顔を見られたのが嬉しかったのだろう、サービスという形で。

「どうも」と愛想を欠いた礼をして、一口含んだ。

 

「しっかしあれだなぁ、最近は懐かしい顔ばっか見やがる」

 

 そして広がった、その芳醇な香りごと、嚥下する。

 

「光汰さん、ですか」

「ご名答。会ったか?」

「正式に別れを告げてやりました」

「たはは、そうかいそうかい」

 

 かつては兄貴分と慕った男が見せる苦々しい笑顔の真意を知りつつも、一瞥だけで反応を終わらせた刀也。

 訳知りでも、いや、訳知りであるからこそ、阪東も多くは言わないのだろう。

 

「時間は、巻き戻らない。進むしかない」

 

 呵責に駆られた、という程でもないが。彼なりの理由を説明する。

 

「いつまでも過ぎ去ったことや終わったことを抱えたところで、最後には置いてかれるんですよ」

 

 過去と決別する理由を、

 

「そんなものまっぴらだ――、俺は未来を生きる」

 

 まるで誰かに言い聞かせるように。

 

「でないと、俺は」

 

「――本当に、そうかい?」

 

「!」

 

 刀也の暗示じみた呟きを途絶えさせた、阪東の一言。

 特にすることもないようで、片手間にグラスを磨きながら、彼は言う。

 

「ほんとに過去を捨てなきゃ、未来へは進めねえのかな?」

「………………」

「こ、怖ぇ顔すんなよ」

 

 不意に細められた目に向け「別に否定しようってんじゃない」。

 

「ただ俺は、一人ぐらい――過去を引っ張りながら、前へ進んでく奴がいてもいいんじゃねえかな、って。そう思うだけだ」

「……!」

「仮に背負ったモンを捨てなきゃ先へ行けねえとしても、その事実は、簡単に過去を諦めちまっていい理屈にはならねえはずだろ?」

 

 俺はそれを望んでる――と、勢いに任せて返したかった。

 けれど、せっかく舌に乗るまでに至ったその言の葉を、静かに飲み下す。

 だって、意地と願望とがせめぎ合って、また自分の本心がわからなくなってしまうから。

 

「自分が今まで積み重ねたもの、手に入れたもの……そいつらをもう一回だけ、見直してみな」

 

「俺は……」

 

「でもって理屈とか、そういうモン全部なくして」

 

 グラスの中で懊悩する少年。

 

「――自分の気持ち一つで、必要かどうかを決めてみな」

 

 そんな彼に老婆心と知りつつも、諄々と道を説く、春の日の黄昏時。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 一つ目の謎。

 なぜ、一般のロックシードを狩るのか?

 改造のため、一般人の無力化のため、単なるコレクションetc……考えようは、いくらでも。

 

 二つ目の謎。

 どうして、刀也はあの場にいたのか?

 最悪の答えをあえて避けるとするなら、彼宣わく偶然居合わせただけ、ということになる。逆を言うなら、他の理由らしい理由はそれしか浮かばない、ということでもある訳で。

 

 三つ目の謎。

 なんで、二体のインベスに襲われて女性は無事でいられたのか?

 ……こればかりは、解き明かすには他の謎を処理しなければどうしようもない。

 

 想像力を働かせ、脳内で散らばった謎を整理する光汰。

 身体はというと、何かが入ったレジ袋片手に、すたすたと歩いている。どこかへと向かっているようだ。

 

「ほらよ、あんぱんと牛乳」

「おぉ~待ってました!」

 

 中身の答えは程なくして、立ち止まった彼の口から出た。

 渡した相手はもちろん茉優だ。大喜びしながらその二つを開封、外だというのに憚らず食し始める。

 

「でも、なんであんぱんと牛乳」

「ばっかだなー、張り込みと言ったらこれでしょ! 刑事ドラマとかであるじゃん?」

「あのなぁ、遊びじゃないんだが?」

「ゆずさん、ホシは動いたかっ! とか言ってみたり」

「聞いてないし……つかゆずさんって俺かよ……」

 

 茉優がのんきにおどけるのを見て、はあ、と光汰はため息をつく。

 ――かれこれ事の発生から丸二日経とうとしている現在、彼らが居る場所は、昨日とまるで変わっていなかった。

 

「んで結局は、実成かよ」

「仕方ない……、ね」

 

 実成高校校門前、待つのは刀也。

 病院を出た後も、あちこち奔走して訊ね回ったが、悉く有用な情報は得られなかった。

 されど繰り返し、結果的に行き着いたのが、最もヒントが残されているここになった――という訳だ。

 なりふり構っていられない今回ばかりは、彼も刀也と再度会うことを、了承した。

 そしてさらに、深く話を聞かねばならない。モノローグで漏らす。

 

「なあ、茉優」

 

 口をもぐもぐと動かしながら、「んー?」という簡素な返事をよこす。

 

「お前は、どう思う?」

「ん?」

「刀也は、ほんとに……」

 

 そんな彼女に、光汰は俯き“一番考えたくない可能性”を提示した。

 それを聞いて、ぼやり校舎を眺める茉優――。その相好から、大きな感情の動きは読み取れない。

 

「ボクは、疑ってないよ」

 

 口内のパンを処理し、表情の補足をするように喋り出す。

 

「なんで、そう言える?」

「んー、わかんない」

 

 疑念たっぷりの質問にもこの返答。彼女らしいと言えば、彼女らしいが。

 

「強いて言うなら――トーヤは、トーヤだから?」

 

 おまけに感覚派丸出しの表現。

 理論派が聞けば、さぞ怒ることであろう。

 

「なんだよ、それ」

「んー、上手に言えないんだけどね? コータはどんなになってもコータだったし、ボクも最後には、やっぱりボクだったし」

 

 曖昧な言葉の羅列は、ともすればいい加減さすら感じてしまう。

 

 

「だからトーヤも、いつまでもトーヤなんじゃないかなって」

 

 

 だけどその実、これほどまでに正直に、シンプルに感情を乗せて、友の平穏を願ってる――。

「どれだけ変わってしまっても、刀也は刀也だ」と。

 胸を張って、そう言っているようにも取れた。

 

「……滅茶苦茶だよなぁ、ほんと」

 

 調子はずれな言い回しに、光汰も困らざるを得ない。

 あても、根拠もない。それでも信じる。信じたい。

 真心から紡がれた感情論。素敵な素敵な感情論。

 

「でもお前のそーゆーとこ……、嫌いじゃないよ」

「でしょ? ぶいっ」

 

 光汰はそのにっこり笑顔のVサインに、心からの賞賛を送った。

 伴う微笑み。

 寄りかかっていた門から背中を離して、敷地内に目をやり、再び人を待つ姿勢に戻る。

 ちょっとしたおやつを済ませた茉優も、出たゴミを先程のレジ袋に突っ込んで、口を結んだ。

 

 ――巨大な物音が、その作業の邪魔をする。

 

 ズドン、と何かが轟いた。

 

「なっ、なに……!?」

 

 あまりの大きさに、二人の体はびくっと跳ねる。

 周囲は当たり前に立ち止まって、異変を感じ取って、どよめいて。

 

 ――ゴオンッ!!

 

「また……!」

「――中だ」

「え、あ、ちょっと!」

 

 光汰は二回目の轟音を聞くと、それを合図に門の先――実成高校の敷地内へと足を踏み入れた。

 散在する放課後の生徒らを次々かわし、彼らが作る隙間を前のめりで走り抜けていく。

 ぶつかった相手に「すみません」を言うのも忘れ、耳の残響を頼りに音の元であろう場に到着した。

 

「……!」

 

 実成高校の裏庭――――。

 そこから見える校舎の壁が、二つの大岩によって突き破られているではないか。

 甘く立つ粉塵。すかさずあたりを見回す。

 ぽつぽつと野次馬感覚で見物を決め込む生徒こそいるが――どうやら怪我人はいないようだ。

 

「フジャアアアアアアアア……ッ!!」

「やっぱりお前か」

 

 代わりといってはなんだが、シカインベスが咆えているわけだが。

 間もなく追って来た茉優は、ロックシードを構える。

 同時に校舎が異形の危険を報せるように、非常ベルをけたたましく鳴り響かせた。

 

「なんだってここを選んだのかは知らないけど……これ以上、好き勝手にはやらせない!」

 

 怒号の直後、腹部にあてがわれる戦極ドライバー。

 シルバーの帯が光汰の腰を駆けた。

 続けて取り出したオレンジロックシードを解錠する――

 

 

「なんだァ、お前ら一昨日のかよ」

 

 

 動作を、男の声に妨げられる。

 

「……!?」

(男の、声……!)

 

 二人が相対するシカインベスの背後から、ぬうと現れた不快感を煽る人影。

 ――人間だ。

 革ジャンを羽織り、ダメージジーンズで恰好を付けた黒髪細目の男が、シカインベスの隣に並び立った。

 

「あんときはトンネルの中で、顔良く見えなかったケド……、こうやって会ってみりゃわかるもんだなァ」

 

 そして低く暗い声で、彼らの存在の認知を伝える。

 二人は知らないどころか、初めて見る顔だったが――この言動で、その手中で、おおよその正体は理解した。

 

「ねえ、こいつ……!」

「わかってる」

 

 驚き半分、怖さ半分になりつつも必死に話をつなげる二人。

 こいつは間違いなく。

 

「――先にお前らから仕返ししてやるよォ」

 

「お互いに、願ったり叶ったりらしい――」

 

 ロックシード狩りの、犯人だ。

 あまりに刺々しい眼光。走る緊張も構わない。

 光汰は断定するやいなや、下卑た笑いを溢す男に語り掛けた。

 

「……なんで、他人のロックシードを奪った」

「あ? コレクションだよォ」

「複数犯か?」

「……さぁねェ」

「じゃあ――」

 

 聞きたかった事を、たっぷり絞り出すつもりで――。

 

 

 

 同刻、ざわざわと喧しい校内。

 若いが故の愚かしさか、生徒らは観ることに徹するばかりで、異形を前にしても能動的に避難をしない。

 

「ねえ、なにあれ」

「あれじゃねえのか、噂の改造ロックシードって……」

「アーマードライダーもいるみたい、腰にベルトがついてるよ」

「なんだかおもしろそうだな!」

 

 そんな中を、刀也が焦り気味に通る。

 三階の人だかりを押し退け、廊下の窓から見下ろした裏庭には、

 

(……あいつら……!)

 

 三人の人間と、一体のインベス。

 うち二人は見知った顔。それどころか、苦楽を共にした元仲間だった。

 

「何してるの! はやく逃げるわよ!」

 

 そのうちに教員が現れ、穏やかじゃない声音で彼らに避難を促す。

 ある者は口惜しそうに、またある者は指示が来たぞと安心し、ぞろぞろと列を成して玄関を目指した。

 

「雅楽くんも……!」

 

 刀也はというと。

 

「ちっ……!」

「!? ま、待ちなさい! 雅楽くん! 雅楽くん!!」

 

 教員の手を払いのけ、一人別方向へと駆け出した。

 

 

 

「次。ここへ来た狙いはなんだ」

「そこまで答えてやる必要、ねぇよなァ?」

 

 男は、横のシカインベスに同意を求める。

 操るのは自分というに、なんとも白々しいパフォーマンスだ。

 やがてシカインベスに向けていた視線を、そのまま光汰まで這わせて――ロックオン。

 

「――これ以上知りてぇなら、この不時見(ふじみ)トキヤ様をぶっ倒してからにするんだなァ!!」

 

 その言葉のすぐ後、シカインベスが光汰目掛けて襲い掛かった。

 

「っ!」

 

『オレンジ!』

 

 振りかぶった腕をすれ違いざまにかわし、芝生の上を転げて開く、オレンジの錠前。

 

『ロック・オン! ソイヤッ!』

 

「変身!!」

 

 勢い任せで向き直った光汰に、オレンジアームズが覆いかぶさる。

 

『オレンジアームズ! 花道・オン・ステージ!!』

 

 

「だったら、お言葉に甘えてたんまり聞かせてもらう……!」

 

 

 顕現した鎧武者は、夕陽にも劣らない橙の輝きを放っていた。

 

「やっちまえ!」

「フシェェェェッ!!」

「はあああああっ!」

 

 流れる夕焼け雲の下、双方鬨の声を上げて、敵を討たんとぶつかり合う。

 

「いって、キュータロー!」

「キュエエエエエエエエ!!」

 

 茉優も続いてコウモリインベスを召喚、光汰の加勢に入る。

 

「はっ! せや!!」

 

 開始早々、戦況は優勢を極める。前回とは立場が逆転しているためだろう。

 空対地でコウモリインベスが攪乱、生まれたその隙を鎧武が的確に突いていく――二対一の圧倒的な、ワンサイドゲーム。

 

「この形、ずっと思ってたけど……」

 

 戦闘の合間、光汰が無双セイバーと大橙丸を数秒見つめて、思い付きのように二振りの柄尻を合わせた。

 次の瞬間、ガチャ、と小気味よい音が鳴り響き合致、

 

「やっぱり!」

「くっつく~~!」

 

 綺麗に一本の長刀へと変化する。

 

「ナギナタか……いいじゃん!」

 

 光汰は虚を一閃、続けて駆け出して袈裟斬りをお見舞いした。

 たちまち呻きが上がり、その主は思うように戦えない恨みをぶつけるように、力いっぱいに拳を投げ出す。

 

「残念だけど、見切ってる!」

 

 それをすげなく弾き、振り回しながらの横一文字。

 

「フ!?」

「まだまだ!」

 

 さらに回転させて、車輪のような軌跡を描いて、重ねて。

 鮮やかに連なり刻まれる斬撃を防ぐ術など、敵にありはしない。

 

「たああああああああああああッ!」

 

 仕上げは一撃、踏み込んで縦の斬り上げ。

 

「フジャアアアアアア!!」

 

 辛抱堪らず絶叫するシカインベス。

 ズタボロな躰が激しく火花を吹き散らして、マスターの足元まですっ飛んでいく。

 そこへ行き着くまでに起こった幾度かのバウンドが、傷んだ体表を余計に痛め付けた。

 

「観念しろ」

 

 歯噛みする不時見へ白刃を向けて、光汰は言う。

 

「……くっ、そォ!」

 

 対する不時見は開いたロックシードを閉ざしてシカインベスを送還、一目散に逃げ出した。

 よほど負けたくないのか、それとも捕まりたくないのか――尤も、どちらでもいいが。

 

「待て!」

 

 させまいと追いかける二人。

 せっかく掴んだ尻尾だ、放すわけがない。

 

「はぁ、はぁ……!!」

 

 息を切らして脱兎の如く逃げる敵を、目で捉え続ける。

 悪あがきを。

 独白し、緊迫する空気。

 追い回すだけ追い回して、校舎正面、校庭に出る頃か。

 

「いい加減に、しろーっ!!」

「キュエエエエエエエエーーーーッ!」

「う、おおおお!?」

 

 がむしゃらのまま繰り広げられる不時見の逃避行であったが、茉優の機転によって先回りしていたコウモリインベスが飛来、彼の退路上に見事に立ちはだかった。

 

「どああああっ!!」

 

 上から来るなんて想定もしていなかったのだろう――あまりに唐突なアクシデントで驚き、なまじ反射的に動いた脚が、不本意にもつれる。

 そうして不時見は派手に転倒、ころころと生暖かいアスファルトを転げた。

 

「ちっ、まだ――……!」

「まだ、やるつもりか」

「!」

 

 咄嗟に起き上がろうと地面に手をついても、少し遅かった。

 ギリギリのところで、目の前に立つ光汰。

 放たれる「抵抗をやめろ」と言わんばかりの威圧感は、きっと気のせいではない。

 

「俺達の勝ちだ」

「…………」

「答えてもらうぞ、俺達の質問に」

「チッ……」

 

 人気もなく、今にも閑古鳥が鳴きそうな静寂の中で、響き渡る舌打ち。

 

 

「……ひっ」

 

 

 そして逃げ遅れた生徒の――、短い悲鳴。

 

「!?」

「え、あの、えっと、その……! わ、わたしは、なにも……!」

「……逃げ遅れか」

 

 視線の先で震える女子生徒は、おそらく避難の際にばら撒いてしまった勉強道具を、拾い集めていたのだろう。

 パニックでカバンに入れるのも忘れ、胸で抱えられた汚れだらけのノートや教科書が、それを教えてくれる。

 

「ここは危険だ、早く逃げ」 

 

 ――ガチャッ。

 

「……!!?」

 

 光汰が息を整えて、振り向いた先にいた少女へ避難を促そうとした折。

 聞き覚えのある物音が彼の発話を遮った。

 

「フウウウゥゥゥゥゥゥ!!!」

 

 ロックシードの解錠音だ。

 もはや誰が鳴らしたか、言う必要はあるまい。

 

「不時見、お前!!」

「人質ワンチャンだろォォォォォォォォォォ!!」

 

 ほんの僅かな意識の間隙(かんげき)を衝いて召喚したシカインベスが、まるで雷のように生徒へ突っ込んでいく。

 光汰でも、コウモリインベスでも間に合わない。

 そもそも召喚の裂け目(クラック)の位置が、よろしくなかった。

 一瞬にして崩される形勢。勝ち誇る不時見。

 不覚を取った――。

 

「逃げて!!」

「え、あああああっ!!?」

「しまっ――!!」

 

 

 ジジィイィーーーーーー……。

 

 

 突然、ファスナーの模様が浮き上がる。

 彼女の頭上に現れた、もう一つの裂け目(クラック)

 この空間に存在する誰一人として、この現象の介入を想定の範囲に加えなかった。

 だからだろう、皆一斉に、そこへと目が行った。

 

「フ、ウ、ウゥゥウウウウ……!!」

 

 そして視線を戻した先で広がる光景は、シカインベスが少女を捕らえたもの。

 

「グルルルルルゥ……!!」

「な……!!」

「も、もう一体のインベス……!?」

 

 ではなくて、シカインベスが、別のインベスに押さえられるものだった。

 

「グゥゥゥウウ、オオオオォォォォ!!」

 

 そのまま骨の軋む音と共に、剛力でシカインベスを押し返す。

 間違いではない、謎のインベスは少女を守った。

 前に立って、背を向け、敵を追い払った。

 

「グルルル……!」

「なんだ、こいつ……」

 

 茉優は何かに気づいて、あー! と指さす。

 

「コータ、体色、体色!」

「……! 青と、黒…!!」

 

 それは、病院で得た証言と明らかに一致するカラーリング。

 外骨格じみた曲線的なフォルムの皮膚を纏い、猫のように曲げた背が闘争心のほどをよく表す。

 唸って威嚇するそのインベスは、まるでアルマジロのような見てくれで。

 

 

「――情けないな、アーマードライダー」

 

 

 そんな挑発的な言葉を連れて木の陰から現れた、アルマジロインベスのマスター。

 彼の姿を目の当たりにし、光汰と茉優は仰天する。

 

「トーヤ!?」

「お前、なんで……!!」

「そんなことより、来ますよ」

「のわっ!」

 

 蹴りをかわされたシカインベスは、次に刀也に襲い掛かった。

 しかし黙って通すわけがない。アルマジロインベスを自分の前までもってきて、枝角の頭突きを受け止めさせる。

 

「そうだよ、お前だよお前ェ!! お前に会いたかったんだよォ雅楽刀也クンンン!!!」

「ご丁寧に名前まで調べてここまで来たのか……、よほどの暇人だな」

「俺はなァ、自分のやりてぇことを邪魔されんのが最高に大ッ嫌いなんだよなァ……!!」

「……知るかよ」

「だーからァ! 仕返ししねェとよォ!!?」

 

 双方突き出すロックシード。拮抗する両者のインベス。

 謎に謎を呼ばれて内心当惑する二人が、そんな様を見ている。

 

「そんなに気になるなら、種明かししてあげますよ」

 

 光汰と茉優を横目で捉えながら、刀也は約四八時間前の話を始めた――。

 

   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇

 

『きゃあああーーーーーーーーーーーーーッ!』

 

 鎧武との戦闘で満身創痍になったシカインベス――もとい不時見は、トンネルを出たところで見かけた女性に襲い掛かった。

 それこそ人質にして、その後であんた達を揺さぶるために。

 

『フシィィィィィイイ!!』

『グルオオオオオオオオオン!!』

 

 俺はそれを邪魔しただけですよ――アルマジロインベスを使ってね。

 

   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆

 

「尤も女性に気絶されるのは、想定外でしたけど」

 

 フン、とやや楽し気に笑う。

 

「まだだ、まだ肝心な、お前があそこにいた理由がわかってない」

「ああ……」

「偶然いただなんて、余計に信じられなくなった」

 

 一転、今度は物憂げに一息吐く。

 そうして溜めてから、

 

「――『ビートライダーズとして再興した』という言葉の真意を知りたくて、あなた方の後をつけた……とでも言えば、満足してもらえますかね」

 

 こう言った。

 

「なんだよ、それ」

 

 発言と行動の矛盾をやんわりと指摘するも、誤魔化されて。

 

「そのロックシードも……トーヤ、ほんとは……」

 

 茉優は一足早く何かを察して、静かに先立って彼へと語り掛けた。

 瞥見した手中のロックシードは、あの頃となんにも変わらない――L.S.-05『パイン』だ。

 

 

「――捨てようとしましたよ。したんですよ、何回も」

 

 

 彼も察し良く茉優の意図を汲み取る。

 もはや隠さない。

 刀也は、儚く脆い言葉を繋いだ。

 それはずっとずっとポケットにしまっていたことで、そして同時に、立ち戻った孤独の中に押し込めたこと。

 彼の、たった一人の――戦い(あがき)の、話。

 

「あんた達が消えて、チーム鎧武がなくなってから……『自分も前に進まなきゃな』って、忘れようとしましたよ」

 

 持っていたのは、焦りだった。

 再び訪れた虚無に取り残されまいと、次のステージを目指す。見つける。

 そんな焦りだった。

 それを拭うのに、また嘘を使った。沢山の虚勢を張った。

 

「だけどね」

 

 でも。

 

「いくら払い落しても」

 

 どれだけ探しても、見つからなくて。

 

「どんなに洗い流しても」

 

 どれだけ作っても、最後には壊れて。

 

 まるで形になりゃしない。

 どうして? 理由? 簡単だ。

 

「頭ん中の奥底に染みついて、消えないんですよ」

 

 心がまだ、鎧武にあるから。

 己が腹の底から「幸せだ」と笑って言えるパーツが――光汰と茉優の中にあるから。

 

「あんた達が恨めしい、なんなら憎たらしいはずなのに――この記憶が、捨てられないんですよ」

 

 自分の積み重ねてきたもの、自分が得てきたもの。

 彼らとの思い出という名の、一番の宝物。

 

『ほんとに過去を捨てなきゃ、未来へは進めねえのかな?』

 

 どんなに自分を騙したって、

 

『だけど、それで俺が逃げたら――今度は、あいつと築き上げたものまで失くしてしまう』

 

 簡単に忘れられるわけがないんだ。

 

 

「……まったく、ロクなもんじゃない」

 

 

 断ち切れないのは、彼だって一緒だった。

 それを知ったからこそ、彼はもう一度、彼なりのやり方で悪あがきする。

 

「グルオオォ!!」

「!!」

 

 アルマジロインベスとシカインベスの均衡が、ついに崩れた。

 青と黒の怪物はもう一度、そのパワーで技の鹿を押し飛ばして見せた。

 

「刀也、お前……」

「後で、ツラ貸してくださいよ」

「へ……?」

「あんたには、言いたいことがいっぱいあるんだ」

 

「奇遇だな」。

 目交いの相手、否、友との約束を快く受け入れる光汰。

 

「俺も、謝りたいことがあったんだ」

 

 なぜなら彼にもこの一年で、刀也に伝えたいことがあった。

 それを言うために。

 この一年越しの蟠りを、打ち壊すために。

 

「――だったらお互い」

 

 少年二人は今一度、

 

「生き残らなきゃな!」

 

 手を取り合った。

 

 

「フゥウウウウウウウウウ!」

 

 ついに怒り狂う、シカインベス。ぶんぶん振るわれた頭がその度合いをしかと示している。

 今度は三対一。

 二対一で強いられた一方的な戦いの色が、より濃厚になった。

 見極めずとも明々白々な結果。白旗を振る以外に残された道はないと、火を見るより明らか。

 

「くそッ何やってんだよォ!! さっさと立てよおらァ!!!」

 

 であれども、この頓珍漢はそんな真似をしなかろうて。

 肉の屠る音が止まぬ。骨を打たれる音が消えぬ。

 三人の猛攻は反撃の隙さえ与えないで、入れ代わり立ち代りに、立て続けに展開される。

 

「決めるよ!」

「ああ!」

「合わせるぞ!」

 

 そして茉優の一声で、それはとうとうとどめの段階へと移行した。

 

「キュエエーーーーーーッ!!」

「グルォォォォォォ!!」

 

 光汰がシカインベスを蹴飛ばしたのを合図に、両脇から二体のインベスが同時にダッシュ、遠ざかった獲物を猛追する。

 敵はというと、ドン、と肉体を地面に打ち付けた後に立ち直り、落ち着いて迎撃の体勢。

 

「!!?」

 

 一発の弾丸がそれを容易く崩す。

 光汰も駆けながらに得物の銃口――“ムソウマズル”を向けて、引き金である“ブライトリガー”を引き絞った。

 

「フ、」

 

 何度も。

 

「ジャ、アアアアアアァァアアア!!!」

 

 何度も。

 

「ほーら、隙ありだよっ!」

 

 そうこうしているうちに鎧武の援護を背にコウモリインベスが切り込む。通りすがりに、刃で挨拶。

 

「休む暇はやらねーぞ!」

 

 悲鳴を上げる間もなくアルマジロインベスも懐に侵入。

 三発の拳を叩き込み、仕上げに力いっぱいのアッパーを以て打ち上げる。

 

「まだまだいきますよ~~~~!」

 

 風切り。

 はたたき。

 視界で舞い踊る一対の黒翼。

 それがコウモリインベスと気づいたのは、上空で滅多斬りにされた後のこと。

 

「フシィ、ゴァ、ギャアアアア、アアアアアアアア!!!」

 

 尋常ではない悲鳴が、体の限界を報せる。

 

「いいよコータ!」

「光汰さん!」

 

 その中で響いた呼び声は――、

 

 

『ロック・オン!』

 

 

 とどめを刺すべく奔る彼の背を、押した。

 無双セイバー・ナギナタにオレンジロックシードを装填し、駆ける光汰。

 

『一、十、百、』

 

 始まるカウントダウン。

 進路上で背中を丸めたアルマジロインベスを借りて、跳躍する。

 

『千、万ッ!』

 

 限りある滞空の中で、仰ぎ構えた刀身。

 

 

『オレンジチャージ!!』

 

 

 錠前が謳う刹那。

 天を昇る物打ちは、見事に落ちゆく怪異を捕らえた。

 長刀はすれ違いざまに咆えて断末魔を掻き消して、空気ごと躰を掻っ切って。

 

「せいやああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 ブオン、という斬撃音と一緒に無双セイバーを振り抜いた光汰はそのまま落下、着地した。

 その背中で起きた爆発が、敵の絶命を教えてくれる。

 宙空で浮き上がった輪切りオレンジの模様は、おまけとでも言っておけばいいか。

 

「た~~まや~~」

「季節外れですよ、それ」

 

 ふざける茉優に、指摘する刀也。

 抜群のコンビネーションを発揮し、掴むべくして勝利を掴み、皆で喜びを共有する。

 今、この瞬間だけは――あの頃のチーム鎧武そのものだ。

 闇色に染まりかけた空を仰ぎながら、光汰は懐かしむ。

 

「……ふっ」

 

 バイザーの奥で、そっと微笑みながら。

 

「何、楽しんじゃってんの?」

「!!」

 

 野暮な事だが、仕方ない。

 不時見はゆらりと立ち上がり、彼らの再会の邪魔をした。

 俯いてぶつくさぶつくさ何かを呟いているようだが、彼らの耳には届かない。届かせる必要もない。

 

「終わりだ、今度こそ」

 

 再び周囲を包み込む静寂に声を通し、強気に彼の元へ足を進める。

 

「……終わらねェよ」

 

 戯言を抜かせ。

 散々困らされた光汰は内心で乱暴に呟いた。

 もう怖くない。何もありはしない。

 

 

『――レベルアップ!』

 

 

 そう思っていたのは、どうやら彼だけだったようだ。

 

「な……!?」

 

 インベスを宿さなくなったロックシードから、だしぬけに聞こえたレベルアップの音声。

 なんだ、なぜ、どうして。

 インベスは確かに撃破したはずだろう――急激に疑問の泡が浮上し警戒、思わず引き下がる。

 

「……だから言ったろ」

「フ、ヴ、ヴ、オ、オ、オ、オ、オ、オ」

「そ、そんな……!」

「嘘、だろ……!?」

 

 三人は眼前で起こった現象に、目を疑った。

 

「終わらねェ、って」

 

 信じられるか。

 爆発で飛び散った肉片から、再びシカインベスが生まれたのだ。

 

「ヴ、グ、……オオオオオオオオオッ!!」

 

 しかもそれだけではない。

 うねる体表、くちゃくちゃに歪む骨格、大きくなる呻き声。

 それらの段階を踏んで、シカインベスの肉体は変質していく。

 

「俺様の邪魔するから、悪いんだぜ」

「こんな、ことって……!!」

 

 影法師が、三人の少年少女を覆い隠した。

 見上げた化物は全身が尋常じゃないくらい膨れ上がり、元がなんだったのかすらわからないまでに変容していた。

 進化前の面影すら残していないが。シカインベスの強化態は、確かにここに。

 

「俺様のコレクションの、邪魔するからァ!!」

 

「――ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 彼らの前に、現れる。

 

「ぐ……!」

 

 咆哮一つで空気が震えあがらせ、彼らの肌を大いにぴりつかせる。

 ズシン、ズシン。

 一歩大地を踏みしめるごとに大足は地面を叩き鳴らし、彼らへ並々ならぬプレッシャーをかける。

 

「っ、くるよ!!」

「やれ――シカインベス!!」

「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 負けじと大声を上げた茉優。

 腕が振り上げられた瞬間に光汰、茉優、刀也は各々の方向に散って回避した。

 落ちた拳で砕かれたアスファルトも、そんな三人を追うように飛んでいく。

 

「く、あっ!」

「くっそぉぉぉ!」

 

 衝撃は駆け巡った。

 意図的に生まれた風が彼らに容赦なく突進する。

 光汰はスーツに、茉優と刀也はインベスに守られこそしたが――もたない。

 今しがたの出鱈目なパワーを伴った一撃で理解する。

 長期戦は危険だ、と。

 長引けば勝機は消える、と。

 

「半端じゃないですね……、改造ロックシードって……!」

「ほんとに、ねっ!」

 

 立ち直った茉優が目を狙い、コウモリインベスを飛ばした。

 一気に決める、そのための布石を打つ意図を持って。

 しかし。

 

「キュ――――!?」

「!!?」

 

 突如躍り出た拳。

 もてなしは。

 額面通りのワンパンチ。

 コウモリインベスはそんなカウンターをもろにくらい、ダウンしてしまった。

 

「き、キュータロー!」

 

 体力の限界を迎えた茉優の相棒は呆気なく墜落、クラックへと強制的に仕舞われる。

 

「ハハ! ハハハ! ギャハハハハハハ!!」

 

 何一つ成せないまま沈んだ相手をよほど滑稽に思ったか、爆笑する不時見。

 

「……馬鹿げてる、なんだこのパワー……」

 

 付け加えで「スピードを対価にしたって、お釣りがくるぐらいだ」とのこと。

 仰る通りだ――この五メートル近い巨体から捻り出される力であるということを考えても、些か強すぎる。

 そんなものだから、刀也は足が竦む。端的に言えば怯む。

 

「それでも、やるしかない!」

 

 対して光汰は自らを奮い立たせ、矢面に立った。

 振るう無双セイバー・ナギナタ。でも、

 

「ぐっ……!!!!」

 

 刃が通らない。

 全身を走る枝角が、無情にも斬撃を阻むのだ。

 乾いた音だけが侘しく鳴る様相に、一体どれだけの絶望感が内包されているのだろう。

 

「虫刺されかなァ~~~~~~!!」

「く、ううッ!」

 

 そんなこと意にも介さず、シカインベスの拳は振り回される。

 敏捷性が損なわれているのが唯一の救いか、四方八方から来る全ての殴打をいずれも紙一重でかわしている。

 潜って飛んで回って、忙しなく動き回って。

 それでも防戦一方は強いられて。

 反撃で与えるであろうダメージと、攻撃で受けるであろうダメージがまるで釣り合っていない。

 

「ヴゥゥゥウウオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 襲い来る鉄拳をまた回避しようとしたその時、アルマジロインベスが間に割って入った。

 

「!」

「グルルゥウウウ……!!」

 

 攻撃を堅牢な背中で防ぎながら、「やれ」と目くばせする。

 光汰はそれを見逃さなかった。

 次は背中ではなく肩を借りて、

 

「うおおおおおおッ!!」

 

 天高く飛び上がった。

 

『オレンジスカッシュ!!』

 

 カッティングブレードを倒された戦極ドライバーががなり、光汰の得物を輝かせる。

 稲妻のように駆け抜ける時が、止まる一瞬。

『これで!』

 短い独白を漏らす。

 直後に重力を味方につけて降下、燦々と煌めく無双セイバー・ナギナタを叩きつけた。

 

「……ッ!!?」

 

 はずだった。

 確かに、そのはずだったのだ。

 しかしどうだろう。

 目の前の敵は傷一つない。

 

「ぐ、あ、あ……!!」

 

 残るのは、全身を蝕む強烈な閉塞感――いや、圧力。

 叩きつける直前に聞こえた「がしり」という音が、この状況の答えに直結する。

 

「光汰さん!!」

 

 光汰が、その人ならざる者の掌に捕縛された。

 

「――つーかまーえ、たァ!」

「う、が、あ!!」

「ハハハハハハ!! ギャーーーーハハハハハハ!!!」

「ぐっ!! ぐああああああああああああああああああああ!!!」

「コータ! コータぁぁっ!」

 

 実に不快な笑い声が響き渡る。

 握りしめられた瞬間、惨さすら感じるほどの苛烈な痛みが脳天から吹き上がる。

 鎧が歪んで、骨が軋んで、肉が縮んで声が千切れて。

 意識を確かめる声にも応えられず、ひたすら悶絶する光汰。

 当たり前だ。

 鎧武でもなければ死んでいるところのダメージを受けているのだから。

 足元で攻撃するアルマジロインベスを蚊帳の外へやり、ひとしきりおもちゃのように光汰を遊び倒したシカインベスは、彼を粗雑に放り投げる。

 

「う、あ」

 

 すると、光汰は儚くぽてっと地面に転がって、ぐったりと倒れ込んだ。

 同時に霧散する鎧。強制変身解除。

 口辺には、血が滲んでいた。

 

「は、あ……あ……!!」

 

 親友が倒れゆくのを見て、図らずも涙目になる者。

 

「ち、くしょう……!」

 

 必死に思考する者。

 どちらも正しい反応だろう。この危機に直面しているのなら。

 

「さァて」

 

 大きな影が、光汰に注ぐ残光を遮る。

 とどめを刺さんとするシカインベスの気迫は、二人が庇う事さえ許してくれなかった。

 要らぬ動作は無しに、振り上げた拳。不時見が内心で数える。

 一。

 二。

 

「――仕返し、完了だァァァァ!!」

 

 三。

 

「っ!!」

 

 ズドォン。

 相変わらず、音だけは一丁前。でも降ろされた拳骨に手応えはなく。

 

「あ……?」

「――くっそおおおおお!」

 

 刀也は(すんで)のところで火事場に滑り込んだ。そして虫の息の光汰を抱えて離脱した。

 追撃を阻むのは、アルマジロインベスの役目。

 体格差をものともせず、勇敢に挑みかかった。

 

「おい……おい!!」

「う、……」

「何伸びてるんだよ……起きろよ!!」

 

 何分持つかはわからない――。

 背後で大小のインベスが競り合う中、その虚ろな瞳に呼びかける。

 声を荒らげている。

 体が震えている。

 それは半ば、やけっぱちの証。

 

「さっき言ったじゃないか! あんたには、言いたいことがいっぱいあるって!!」

 

 もしかすると『死ぬかもしれない』なんて危機感が――彼を突き動かしたの、かも。

 

「……俺は、ずっとずっと『何かを変えられる人間』に憧れてた」

 

 聞こえてるかなんて定かじゃない。

 それでも、事が終わった後に伝えるはずの言葉を光汰に吐き出した。

 

「だから……、あんたの背中を追ったんだ」

 

 しぶとく、あきらめ悪く。

 この一年のありったけを。

 

「……れ、は」

「コータ……?」

 

 駆け寄った茉優が光汰の口元に耳を傾け、その消え入りそうな声を、確かに拾い上げる。

 

「俺、は……何も、変えてなんかない」

「変えたさ、俺を!」

 

 

『――頼む! 俺達の仲間になってほしいんだ!』

 

 

「誰かを見下すことでしか、自分の意義を求められないこの俺を!!」

 

 

『お前は俺たちの誰よりも頭がいい。だから、その頭の良さで俺たちを助けてほしい』

 

 

 忘れない。

 

「あんたは俺に、世界の広さを教えてくれた! 友達ってやつの素晴らしさを教えてくれた!!」

 

 あれほどまでに自分を認め、受け容れてくれた人間の――“友達”の言葉を、決して忘れるものか。

 胸の奥に、手付かずのままでずっとしまってる。

 

「あんたは、俺にとっての憧れだった……間違いなく!」

 

 だからこそ、背中を追うだけでは足らなくなって。

 彼と並んで、同じ道を歩くようになって。

 

「だからこそ! あんたのあの行動が許せなかったッ!」

 

 そんな憧れだったからこそ――――彼が逃げたのは、どうにも許せなかった。

 裕樹を殺されたことでも、自分の居場所を失くされたことでもない。

 ただ彼が、『己の選択から逃げたこと』に、刀也はずっと怒っていたのだ。

 思った理想と違うがゆえに。描いたビジョンと異なるために。

 

「バカみたいだろ? 笑っちまうだろ……!?」

「……トーヤ……」

 

 身勝手、独りよがり、自己中、ミーイズム、我執、妄執。

 

「勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に怒って……滑稽そのものだろ!!?」

「…………」

 

 さて、周りは彼をどう呼ぶか。

 

「だけど、それでもな!」

 

 尤も雅楽刀也という男にとっては、そんな些末なことはどうでもいいのだが。

 

 

「それでもあんたって人は――いつまでも俺のヒーローなんだよ!!」

 

 

 信じた理想がどんなになっても、その身朽ち果てるまで追い続ける――彼にとっては。

 笑いたければ笑えばいい。

 貶めたければ貶めればいい。

 それでも彼は。いや、彼も。自分の信じた道を行くから。

 

「グ、ルアアアアアアアアアッ!!!」

 

 大きな鳴き声が、後ろで空を震撼させた。

 主は残念なことにアルマジロインベスで、コウモリインベス同様に抵抗虚しくクラックへ引き戻される。

 シカインベスは勝ち誇って、雄たけびを上げていた。

 

「ヒヒッ、手こずらせやがって」

「く……」

「コータ、ダメだよ……!」

「ダメじゃない、やらなきゃ……っ」

 

 迫る足音。近づく地響き。

 それを知覚し、ゆっくり起き上がった光汰。

 打つ手はないけど、体は動く。時として酷なヒーローの本能。それだけで、戦う理由には十分となってしまう。

 そんな満身創痍を案じる茉優の前を横切り、黄色の錠前は差し出される。

 

「!」

 

 彼の決意が閉じ込められたそれは、今まで持ったどのロックシードよりも、重く感じられた。

 光汰が大切そうにそれを受け取ると、刀也は口を開く。

 そして静かに、彼の眼を見据えた。

 

「……俺はもう一回、あんたの背中を追いかけたい」

 

 漸く「これまで」を清算して、最後に添える「これから」。

 ヒーローへ、見つけた『自分の本当の未来』を教える。

 

「……俺はもう一回、あんたと同じ道を行きたい」

 

 それはきっと――。

 

 

「だからもう一回! 俺を、仲間に入れてくれッ!!」

 

 

 今を生きる指標になるから。

 

「ヴ、オオオオオオ……!」

 

 目と鼻の先なんてものじゃない。

 気付けばシカインベスは、三人の身に影をかけられる場所で、立っていた。

 見上げた茉優と刀也は、意図せずして同じタイミングで生唾を飲み込む。

 死を覚悟する二人の間で、無言のままむくり、とよろめきながらも立ち上がった少年。

 

「ヘヘ!! ハハハハハハ!! ざァーんねんでした!!」

「………………」

 

 まとめて叩き潰そう――振りかざされた握り拳から、そんな意図が見て取れる。

 

「終わるのは、テメェらだよォォォォォォ!!!!」

 

 殺戮のハンマーはそのまま別れを告げんと、落ちてきて。

 

「コータ!」

「ぐっ……!」

 

 

『パイン!!』

 

 

 肥大化した影は、そのまま三人の少年少女を音もなく飲み込んだ。

 ひっそり、本当にひっそりと。

 

「……っ」

 

 拳が振り降ろされて、五秒ばかり経った頃か。

 二人は反射的に閉じてしまった目を、おそるおそる開き直した。

 居座って遅々として消えない静謐に、違和感を覚えて――大方そんなところだろう。

 

「……へ!!?」

 

 そしてひらけた視界の中で、明かされたその正体。

 パインを被った鎧武。

 それはしっかり相手の拳を防いでいて、言い換えれば、きっちり二人を守っていた。

 

「ヴ!!?」

 

 驚くのは彼女らだけでなく、シカインベスも一緒。

 だがこの仰天ショー、どうもそれだけでは終わらないらしい。

 続けて拳を押さえるパインの鉄塊が高速回転を開始、敵の手の肉を派手に削り取った。

 

「ヴ、オオオオッ!」

 

 シカインベスはたまらず手のひらを引っ込め、後ずさる。

 その瞬間だ。

 

 

『――――パインアームズ!』

 

 

 光汰の頭部で燻っていたパインの鉄塊は停止し、待ってましたと言わぬばかりに果汁状のエネルギーと共に弾けた。

 

『粉砕・デストロイ!!』

 

 やがて顔を出す。新たな音声を引っ提げて。

 鎧武は新しい形態に変化した――刺々しいメタリックイエローの装甲とバイザーを持つ、『パインアームズ』に。

 差し色の緑が「デストロイ」という言葉に反してなんともいえぬ茶目っ気を出している。

 

「パイナップル……トーヤの……!」

「…………」

「なあ、刀也」

 

 自分の背中を見守る刀也へ、光汰は声をかけた。

 

「もう一回も何も、ないだろ」

「!」

「これまでも、今も、これからも」

 

 語り掛けるのは、さっきの言葉への、返事。

 

 

「俺達――、いつまでも仲間だぜ」

 

 

 それだけを残して、光汰は“もう一回”前に出る。

 彼の『消せない思い出』を戦極ドライバーに輝かせながら――。

 

 

「おいおい、隠し事はずるいだろォがよォ」

「お互いさま、ってことで」

 

 飄々と返す余裕を見せつけ、ゆっくりと不格好なアスファルト上を歩む。

 

「ま、そんな状態で、何ができるとも思ってねェけどなァ!!!」

 

 下品に喚き散らし、またもシカインベスを差し向けた不時見。

 それから彼の顔が恐慌に歪むまで、僅か二秒。

 

「ヴォオオオオオオオオオオ!!??」

 

 シカインベスは横からの飛来物に打ち払われる。

 発情期の獣が如き勢いで光汰に駆けた――そこまではよかった。

 だが彼とて、五メートルもある化物を近づけたいと思うだろうか?

 答えはノーだ。

 今までは近くでないと戦えなかったから、敢えてそうしていただけのこと。

 

「ぱ、ぱわふる……!」

「……へえ、こりゃいい」

 

 だが、今は違う。

 右手のモーニングスターが、ちゃら、と自ら金属音を鳴らし、己が存在を誇示する。

 パインアームズの固有武器、パイン型鎖付き鉄球『パインアイアン』は、敵の皮膚を砕いた後に、鈍く輝いて見せた。

 

「ヴ……!」

「やらせるか!」

 

 反撃なんてさせるはずがない。

 二度目に立ち上がる前に、振り回して叩き込む一発。

 

「ヴァアアアアアッ!!!」

 

 さらに一発、もう一発と、次々に『一発』を重ね合わせていく。

 持ち主の柔軟な動きに合わせて、変幻自在、且つバリエーション豊かにシカインベスの肉体を壊していく。

 ただパターンは変われど、唯一変わらない一撃の重厚さ。

 それが、パインアームズの特性でもあって。

 

「はッ!!」

 

 回って、薙いで、振り上げて。

 

「せええええりゃああああああああああッ!!」

 

 叩きつけて、回って回って振り回して。

 防御。耐久。関係ない。

 繰り出すは、最上の力押しという名の最善策。

 光汰は額面通り手も足も出させず、ひたすらに鈍い音を響かせながら、皮膚を破砕した。

 

「――クソッタレがアアアアアアアアアァ!!!!」

 

 不時見の怒声に発破をかけられ、シカインベスは決死の突撃を試みる。

 

「やらせないって、言ったぞ!!」

 

 光汰もほぼ同時に胸ほどの高さの宙に放られたパインアイアンを――殴りつけた。

 続けて飛んでくいかつい鉄球は、カウンターと相成って敵の胸へと直撃、より遠くへと押し返す。

 抉れた空気はいくつもの輪へと変わり、無様にすっ転がるのを見送った

 

「ヴ、ヴオ……ヴォオ……!!」

「さあ、仕上げだ!」

 

 もはや立つことすらままならないシカインベスへ向けて、

 

『パインオーレ!!』

 

 ついに戦極ドライバーが引導を渡す。

 

「そこ、うごくなよ……!」

 

 光汰はパインアイアンを旅より引き戻して、再び振り回した。

 ぶんぶんと空虚の中で回転運動を続けるそれは、やがて円の残像を形作る。

 そうして狙った相手へ、

 

「そらッ!!」

 

 投擲。

 たちまち伸びた鎖が周りを踊り狂い、獲物を囲い込んだ。

 危機を感じ暴れても、もう遅い。

 抗えば抗うだけ、チェーンはその巨体に巻きつき、食い込みを繰り返して。

 

「ヴ、オオオオッ!」

 

 終いには、獲物をがんじがらめにする――。

 端から、自由を与えるつもりなどなかった。

 

「はァァァァァァ……――!」

 

 黄色く光り輝く無双セイバーが、その証拠。

 右手に剣を、左手に鎖を。その手に握った二つの武器を、絶対に離さない。

 逃がさない。

 まず光汰は大地に踏ん張り、鎖を手繰り寄せる。

 

「お、おい……なにしてやがる……!!」

 

 抵抗が意味を成さないと知れども致してしまうのは――マスターの諦めの悪さの表れだ。

 

「う、動け!! 動きやがれポンコツ!!」

 

 少しずつ、上がった馬力で、ゆっくりと。

 身をよじる挙動も、跳ねる動作も、一切を徒爾へと返す。

 ただ引きずりに伴って地面は抉れゆき、地獄への道を作り出して。

 

「く、クソ……クソクソクソ!! ちくしょうッ!!! こいつは最強なんだ! こいつは!!!」

 

 準備は、整った。

 

 

「――いっけええええええええええええええええええええ!!!」

 

 

 パインアイアンは目と鼻の先のシカインベスを一気に引き寄せバトンタッチ、入れ違って前に出た無双セイバーが、その獲物を切り裂いた。

 

「ヴジ、ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

「ちくしょオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 光芒、怪異を断ちて。

 豪快に振りきって怪物を真っ二つにするその様は、まさしく一刀両断と表すに相応しい。

 爆炎と断末魔をまき散らして、シカインベスはついに果てた。

 

 

「はー……はー……」

 

 相手の最期を見届け一安心した光汰も、変身解除。限界なのは彼も変わらないようで。

 ほんのり月が顔を出す大空へ、へそを向ける。

 とさ、と倒れ込んだ光汰に、

 

「……ひどい顔ですね」

 

 歩み寄る少年。

 

「お前も、ほっぺ汚れてんぞ」

「……ははっ」

「へへ」

 

 二人して笑い声を重ね合わせながら、一人はもう一人を起こして、肩を貸す。

 

「後ろを向いてたって、前へは進める」

 

 そして、歩き出す。

 

「後ろ歩きで、ね」

 

 二人ともボロボロで、おぼつかない足取りだけれど。

 

「――違いないな」

 

 それでもちゃんと、歩いてる。

 

「刀也」

「なんです?」

 

 止まっていた時が、再び動き出した。

 

「――おかえり」

 

 そんな気がした。

 

 

「ただいま――、です」

 

 

 刀也も、『もう一回』。

 クスリと笑って一歩を踏み出した。

 ひとまずの行く先は――とりあえず、すぐそこ。不時見にのしかかる、茉優の所まで。

 

「抵抗したら噛みつくぞ!! このやろーーーー!!」

「だぁああああやめろ、やめろってェェェェ!!!」

 

 今日、この瞬間、チーム鎧武は再結成される。

 失ったものを取り戻すために。大切なものを守るために。

 

 彼らはこれから、自警団として沢芽市で活躍していくことになるのだが――それはまた、別の話で。



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Episode.06 Malice

「えー本日は、お日柄もよく~……」

「そういうのいいよ」

「も、もう少し、短くってことでどうでしょう」

 

「……こほん。えー、我々チーム鎧武が離れて一年、皆それぞれの道を歩んできたわけでありましてー」

「だから長い」

「だあああああもうかんぱーーーーーい!!!!」

 

 茉優が半ばやけくそに言うと、グラス同士がかち合った。

 新生チーム鎧武の三人が囲むのは、DrupeRsのテーブル。

 その上にはフルーツ盛り合わせやパフェ、フルーツケーキなど、見ているだけで涎が垂れそうな甘味各種が華を咲かせる。

 まるで盆と正月が一緒に来たかのような風景であるが、あながち間違いではない。

 なぜならこの集まり、茉優の提案で開かれた、チーム鎧武再結成の祝賀会だからだ。

 

「ねーねー、この際だからさ、アルティメットシャイニングサバイブラスターキングアームドハイパー超クライマックスエンペラーコンプリートパフェにも挑戦しなーい?」

「む、無理だよ! 食いきれるかそんなの……」

「それなら、一回り小さいエクストリームプトティラコズミックインフィニティ極トライドロンムゲンパフェとか、どうです?」

「と、刀也まで……!」

 

 何やらごちゃごちゃと訳が分からない固有名詞だが、とりあえず両者は特大パフェの事を指している、とだけ。

 一つうん千円もする高額メニューだが、食べきれると無料という、いわゆる食事処のチャレンジメニュー的なものである。

「三人で食い切れる量じゃない」

 そう言って必死に首を振る光汰へ、笑声まじりに「冗談ですよ」と返す刀也。

 

「うーん、おいひい~~~~!」

「もう食べてるし! ……手の早い奴だなぁ、もう」

「俺らも、食べましょうか」

 

 二人もフォークとスプーンを持ち、食べ始めた。

 舌鼓を打つ。

 

「ん~~~~これはいくらでもいけゆ~~~~~」

「つーか口、クリームついてるぞ」

「もー口うるさい! おかんか!」

「なんだよその言い方! 人が言ってやってるのに!」

「余計なお世話だッ! 子供じゃない!」

「うっさいクソガキ!」

「同い年ですよーだ! あっかんべー!」

「未だにブラックコーヒー飲めないくせに」

「は、弱点! そーいうのずるい!」

 

 真昼間というのに、賑やかな店内。

 刀也はそれに懐かしさを覚えながら、甘みと共に郷愁を噛み締める。

 

 遠くからの阪東のサムズアップに、笑顔で答えながら。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 そんな束の間の休息から、一日が経過した。

 新生チーム鎧武としては初の活動となるが、彼らにすればそんなことを気にするだけの余裕を持って取り組んでいる訳でもなく。

 そもそも先日の不時見の一件の延長線上の事……そのような実感を持つ事も、できなくて当たり前か。

 

『ロックシードを狩りは本当に単なる道楽』

『セイリュウインベスなど知らない』

『仲間がいるわけでもない』

 

 不時見から引き出した様々な情報を再確認する三人。

 彼らが来ていたのは、取り壊されるのを待つだけの、廃れた工業地帯。

 並ぶ建物は軒並み骨組みを露出させ、壁という肉を望まぬ形でばらばら、ぼろぼろと溢していた。

 おのずと瓦礫と呼ばれるようになったそれは内外構わず散乱して、訪問者の満足な歩行を妨害する。

 ただただ荒れ果て汚れきった建築物らが生み出す殺風景を見て、「本当に人がいるのか」と疑いながらも、奥へと進む。

 

「ロックシード狩りの次は、ロックシード売りなんて……忙しすぎるよ」

「仕方ないだろ、無視もできない」

 

「たとえ、嘘であってもな」。

 冷たい風が吹くどこか底気味悪い空間の中で、光汰は言葉を響かせる。

 

『改造ロックシードは……改造ロックシードを専門に取り扱う、売人から買った』

 

 不時見が落とした、最重要情報。それは、改造ロックシードの入手経路だった。

 真偽は定かではないが、彼が言うには毎週日曜、日が傾き始めて沈むまでの時間、決まって人の立ち入らない廃墟の工業地――すなわちここで、改造ロックシードが売られているという。

 

「でも、もしこれが本当だったなら、たぶん大きな一歩になりますね」

「ああ……さらなる情報を引き出せることにも、期待してみる」

 

 話して、歩いてを続け、最深部に差し掛かろうとする頃か。

 

「まいどあり」

 

 いかにもな、商人の台詞が聞こえた。

 向ける視線。

 劣化しすぎてもはや役目すら果たせないであろう工場の軒の下で、そのやり取りは行われていた。

 

「コータ、あれ……!」

「……ああ」

 

 茉優が指さした先で、一人の男が別の男から金を受け取り、引き換えにロックシードを渡しているのが見える。

 その周りではインベスを召喚、買ったロックシードの試運転を行う若者たちの姿があった。

 早速と戦わせる者、ぐるりと見回す者、挙動を逐一慎重に確認する者と様々ではあるが、皆の手の中にあるのは一様に、何一つ変わりない、禁断の果実――。

 

「いいもの売ってるじゃないか」

 

 許すわけには、いくまい。

 人々の間を縫って、三人は許されざる商人の前に立った。

「はいはい、うちは現金払いしか」

 そこで詰まった言葉。今にもぎょ、と聞こえてきそうな吃驚の表情。

 多くは必要ない。どうやら向こうも知ってしまっていたようだった。

 最近の目立ちぶりを考えるに、無理もなかろう。

 

「早いねぇ、思ったより」

 

 ボロボロの一斗缶に腰を下ろす商人の男は、暫しの沈黙の果てに黒のキャスケットをくい、と上げる。

 見た感じは中肉中背、いってもせいぜい20代前半、光汰らともそう遠くはない年頃の青年だ。

 オレンジのベストはこじゃれていて、よく似合っている。

 

「タイミング的に……口を割ったのは不時見くん、かな?」

「そうなるな。今度は、こっちの質問に答えてもらう」

 

 知っているくせに。とでも言いたげに、目を逸らし鼻で笑う。

 そんな商人を見る目を細める刀也。

 

「『今すぐこのバカげた行為をやめろ』と言ったら、どうする?」

「……ハハハッ!」

 

 短く失笑した瞬間、商人はロックシードを取り出しこう言った。

 

「言って解るような奴ならさ、最初っからこんなことしないだろう?」

 

 刹那、あちらこちらから注がれていた視線が、一気に、確かに尖ったのがわかった。

 だからこそ、その腰にはとうに戦極ドライバーが巻かれていたわけで。

 

「本当にな……、言う通りだよ」

 

『オレンジ! ロック・オン!』

 

「やれ」

「変身!」

 

『バトル・スタート!』

 

 商人の背後に浮き上がったファスナーが大きく開かれると、そこから飛び出す灰色の禁忌。

 

『ソイヤッ! オレンジアームズ!』

 

 それを迎え撃つは、橙の輝煌。

 オレンジの鎧が被さる際に生まれた衝撃波が、商人とそのインベスを遠ざける。

 

『花道・オン・ステージ!』

 

 ごろごろ転げる一斗缶が見守る中、装甲はまたも絢爛に咲き誇った。

 

「茉優、刀也!」

「わかってる!」

 

 鎧武の声掛けで、背中を守り合うように集まる茉優と刀也。

 光汰が変身して戦端を開くというこの行為が、何を意味するのか――彼女らとてわからないわけではない。

 四方八方より次々と鳴る解錠音の中で、刀也は数を数えた。

 

「ざっと一二、ですかね。一人あたり四体がノルマってとこですか」

「この売人してこの客かよ……どうも」

「だけど、相手はみんな買いたてほやほやの初級だから、やってやれないことはないはず!」

「かもしれない。でも無理はするなよ、ヤバくなったらすぐ逃げろ」

 

 こくん、と頷き、小さな約束事は交わされる。

 

「それじゃあ――」

 

 そうして、

 

 

「チーム鎧武、いくぞーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 

 彼らは駆け出した。各々の敵へと、一目散に。

 

「うおおおおおおおお!!」

 

 睥睨するインベスの群れを一閃し、猛々しく敵勢の中心に躍り出る光汰。

 一斉に猛攻を仕掛ける幾体ものインベスに怯むことなく、一体ずつ的確に処理し、単身でありながらも優位を確保する。

 

「くっそなんだこいつ、強え!」

「まるで歯が立たない……!」

「どけ!」

 

 薙ぎ払い、突き飛ばし、斬り上げ、目指すのは相手方の頭。足元で転がった初級インベスを蹴っ飛ばし、進む。

 駆け抜けた先で爪を伸ばした怪物に、大橙丸を振り下ろした。

 たちまちガギン、と鳴り響く、鉄臭い音。

 

「なんでこんな事をしたんだ……! そんなに金が大事かよ!?」

 

 大きく開いた頭、又、その内で大量に生え揃った鋭利な牙――初級インベスの凶暴態と競り合いながら、光汰は商人に問いかける。

 

「説教か? 沢山だよ!」

「っぐ!」

 

 しかして、彼が返すのは言葉ではなく、悪意の先端。

 押し弾かれた濃紺の腕。光汰が競り負けた。

 

「金なんてどうでもいい、だけどね!」

「っ!」

 

 そのままかけられた追い討ちだが、光汰とて黙って従うはずもない。身軽く回避し、その場を、状況をつなぐ。

 

「力に溺れる愚か者共を、まだ見ていたい気持ちはあるのでねぇ!!」

「何を……!?」

 

 立ち回る足を止めると、その力比べは今一度発生する。今度は風が生まれた。

 

「正しさすら忘れて禁断の力に手を染め、ただただ己の強さを証明するためだけに無意味な破壊を繰り返す……、そんな滑稽極まる道化共を見て嗤っていたいと言ってるんだよ!」

「そんな、そんなくだらないことのために……!」

 

 震える手。怒りか。

 荒ぶる息。昂りか。

 

「お前は!!」

 

 大人の都合一つで、徒に失われてきた命を知っている。

 そんな彼を怒らせるには、あまりに的確過ぎるおしゃべりだった。

「でぇえやあぁッ!!」光汰が怒号と共に目いっぱいに湧かせた力は、全て二本の剣先に乗り、

 

「グ、グギャァァァ!」

 

 インベスを爪牙(そうが)もろとも掻っ裂いた。

 激しい白雷がその場で爆ぜ散る。

 強大な一撃を堪えきれないインベスは体液と呼気をあたり一杯にぶち撒けるも――。

 

「だあああああああああ!!」

「グッ、グギィィィィィッ!!」

 

 攻めの手など緩めてはやらない。

 痛みで喚き散らされるのも構わずに、斬って斬って斬りまくる。

 頭部の牙が続々地面に落ち、後ずさる主の確かな痕跡を残していく。

 無双セイバーと大橙丸を以て、空すらも裂いてしまいそうな高速の連撃を叩き込んだ。

 

「く……!」

「お前は逃がさない」

「ギ、ガッ!」

 

 削がれた牙の数もわからなくなってくる頃か。身を守るものが剥がれ、むき出しになったまさしくの柔肌に蹴りが入る。それを肯って、インベスは大きく吹っ飛んだ。

 その様からひと時たりとも目を離さないで、カッティングブレードに手をかける光汰。即座にそれを一回倒して見せた。

 

「今ここで止める!」

 

『オレンジスカッシュ!!』

 

 ドライバーより木霊する声は、インベスと、そのマスターの“悪人としての”死の宣告に、他ならなくて。

「マズい!」口に出そうがもう遅い。

 無双セイバーと大橙丸、物打ちをかち合わせた二振りが、眩く光った。

 煌々とした輝きが薄汚いインベスの体液を蒸発させると、「よーい」も「どん」も無しに、光汰は走り出す。

 

「う、おおおおおおおおおッ!」

 

 甚大な光熱を纏った得物を眼前にぶつけるため、一歩、また一歩と薄汚れた足場を蹴って往く。

 バイザーが捉える敵は、屠りに屠られ、構えるどころかまるで動けやしない。その向こうで「勝った」と、確信の小声が漏れた。

 

 肉迫。

 

 とどめは、両手の剣をX印に振り下ろす。

 そんなビジョンが視えていた。

 

 ――ほんの点一秒前までの、話だが。

 

「――へ?」

 

 鈍くも疾いその衝撃は、光汰の胸で出し抜けに走った。

 次に見えたのは、なんだったろう?

 とどめを浴びせる前に、遠ざかるインベス。

 なぜ。どうして。何が。

 脳内が混乱する。絶え絶えの思考力のせいだ。

 相手が避けたのか? 違う。

 相手が逃げたのか? それも違う。

 ただただ肉体を包む、気持ち悪くて覚えのない浮遊感。脳みそだけが直に飛んでいるようだった。

 

「あ」

 

 小さく発音し、やっと気づく。

「相手が」じゃなくて、「自分が」なんだと。

 

『今、自分が吹き飛んでいるんだ』と。

 

 たちまち背中から生まれた痛みで、思わず呻く。

 極めて短い低空の旅を終えた鎧武が転げ、地を這ったのだ。

 

「な、なんだ……!?」

 

 がば、と飛び起き探すのは邪魔立て、もとい自分にカウンターをくらわせた相手。

 だがそれも早々にわかった。

 物言う訳でも、特別咆える訳でもなかった、が。

 

「!」

 

 目前で、今にも自分を切り捨てんと刀を振りかざしているのだから――わからないはずなど、ないのだ。

 

「ッ!」

 

 光汰は乱入してきたインベスの攻撃を間一髪で避け、早急に間合いを取り直す。

 

「こいつ……!」

 

 刃の掠めた部分に残った傷を一瞥、再び構えを取った。

 視線の向こうの相手をしかと確認して初めて起こる、愕き。

 

「…………」

 

 インベスにしてはやけに大人しい個体でこそあるが、見てくれは何ら変哲のない、青系統のインベスだ。

 甲冑や羽織等、所々に和の意匠が見られ、加えて地面にまで届きそうな長い触覚から推察するに、モチーフはおそらくカミキリムシと武者だろう。

 だが、彼が着目した点は、そこではない。

 

「武装、しているのか……!?」

 

 この『カミキリインベス』が、その外見に対して、あまりにお誂え向きな日本刀をその手に納めているということ。

 それが問題なのだ。

 武器を手に戦うインベスなど、聞いたことがない。だからこそ――。

 

「まさか俺が出ることになろうとは、な……小僧、なかなかやるではないか」

 

 声がした後ろへ素直に振り返ると、和服姿の男が立っていた。

 えらくドスの利いた声音に、日本人離れした屈強な長身は、未成年の男子を威圧するには十分すぎるものだ。

「遅かったじゃないか、伽賀嶺先生」光汰を挟んで向かいにいる商人が、男の名を呼ぶ。

 

「よもや、お前が手こずるなどとは思ってもいなかったのでな」

「まったく……提供する物はしてるんだから、お願いしますよ」

 

 光汰は両者の会話に割って入り、早々に主導権を握った。

 

「アンタが、こいつのマスターか」

「いかにも。伽賀嶺(かがみね) 李愁(りしゅう)――しがない刀工だ」

「刀鍛冶……だから、インベスにもそれを持たせてるってわけか」

「そういうことだな」

 

『刀鍛冶がマスターだった』などという予想だにしない真相ではあったもの、存外早く謎は解けた。

 それでも、光汰の胸中が晴れることはない。

 寧ろ余計に暗澹としてしまったかもしれない。

 

「こんないい大人まで、改造おもちゃで殺人ごっこかよ……ッ」

 

 元来、子供の火遊びを止めるべき大人ですら油を注ぐ有様だ。

 失望を湛えて項垂れるのも無理はなかろう。

 

「人殺しとは、挨拶だな」

 

 きっぱり否定なぞして見せてはみたが。

 

「――用心棒とでも、言ってもらおう」

 

 やっぱりその目は、

 

「……つッ!!」

 

 人殺しそのものだ。

 火の粉が奔る。

 背後よりゆらり振るわれた剣に、自らの得物を咄嗟にぶつけた光汰。

 感じるのは、一瞬にして引き攣る空気と、尋常ならざる衝撃。

 

「反応して見せたか。さすがはアーマードライダー、そうでなくては」

「ぐ、ぐ……!」

 

 鎧武とカミキリインベスが激しい鍔迫り合いを演じる。

 しかし、どうだろう。目を凝らしてみれば、光汰が少しずつ、ゆっくりと押し込まれているのがわかる。

 決して気のせいなんかではない。本人が一番わかっていることだ。

 

「だが」

 

 ぶつける度に手中が痺れるこの剣の重さも。

 

「いつまで」

 

 目を離せばすぐに斬られてしまうであろうこの剣の速さも。

 

「その姿勢で」

 

 今この剣を受け止める彼自身が。

 

「持つかな」

 

 一番に理解している。

 大きく開いた血の眼。

 全身から頻く頻く汗が噴き出して。怯える心が筋肉を震わせる。

 強く食い縛った歯に、紅血の味が滲んでた。

 

『強すぎる』

 

 剣と剣で押し合う中に、うすら寒さと共に過る異質な焦燥、思考。

 

「(確信がある訳じゃない……、それでもコイツは――!!)」

 

 独白の切り上げを合図に、光汰が仕掛ける。

 右のキックで崩れかけの均衡を自ら破壊しにいった。

 

「おおおおおおおおッ!!」

 

 すかさず退いたカミキリインベスを追いかけ、豪快に両手で斬りかかる。

 

「……!」

 

 ガギン。

 直後に廃倉庫内で響く安っぽい音は、赤子の手を捻るが如き動作で光汰をあっさりといなした。

 

「くっ、まだだ!」

 

 負けじと繰り出す縦一閃。

 されど広がる光景は、まるでリピート再生される映像のようなもので。

 

「なんで……武器の数だってこっちが多いのに!?」

「得物の数で強さが決まるのなら、一刀流などとうに廃れているぞ」

「くそっ!!」

 

 斬っても、斬っても、斬っても斬っても斬っても、肉体はおろか、その水色の外骨格にすら刃が届かない。全てが侘しく無を斬るのだ。

 力任せに振れば避けられ、速く振れば受けられ、だからと大技を狙ってみれば隙で返される。

 そうやって追いつめられて苛立ちを募らせる敵を尻目に、涼しげに、卓越した立ち回りを披露するカミキリインベス。奴の動きに一切の無駄はない。

 達人とすら呼べるこの怪物の主の目に、乱雑で未熟が過ぎる少年の太刀筋は、果たしてどんな風に写っているのだろう。

 

「がッ――――!!」

 

 きっと、子供の遊戯にしか見えていないのかもしれない。

 それは刹那の事だった。我武者羅に振り回される腕と腕の隙間に、真っ新な切っ先が入り込む。それはそのまま奥にあった胸の装甲をザクリと削ぎ取り、一気に鎧武を跪かせた。

 

「うぐ……!」

「剣筋は悪くない……だが、速さも、力も、技も足りていない」

「ぐ、ッ!!!!」

 

 追いかけて虚ろを斬る音に、雷鳴を聞いた。

 落ちる兜割りの一撃を既のところで受け止める。が。

 

「そんな……そんな!」

「諦めろ」

 

 そんなものが何になるのか。

 刃こぼれした無双セイバー・ナギナタが、そう叫んで、泣いた気がした。

 

「お前では、俺には勝てん」

「――は」

 

 宙へと切り払われた無双セイバーが最後に見たのは――、敵の必殺の突きでコンテナの山へとぶっ飛ばされる、主人の姿だった。

 束の間、一気に巻き上がった土煙と崩落するコンテナの塊の所為で見えなくはなったが。

 

 変身強制解除の音が、寂しく響いた。

 

 無造作に寝転んだ無数の四角形の下から、オレンジの光が儚くこぼれる。

 

「ふむ」

 

 それを見た伽賀嶺がキウイ型のロックシードの掛け金を閉ざすと、カミキリインベスはおもむろに納刀、得物を主人へ放り投げる形で返却し、己の背後に表出したクラックの向こうへと帰って行った。

 

「インベスの骨を練り込んだ刀……骨喰参式改(ほねばみさんしきあらため)。傑作と呼ぶに相応しい」

 

 受け取った刀を甘く抜く。鈍い輝きを放つ根元だけが、鞘から妖しく覗く。

 

「助かりましたよ、先生」

「あとは煮るなり焼くなり好きにすることだ」

 

 商人の拍手の賞賛を完全に無視し、伽賀嶺は言う。

 

「さあてと」

 

 ボロ雑巾のような風貌のインベスは、ボロ雑巾のようにしてくれた相手への復讐で、頭が一杯のようで。

 コンテナの中から光汰を引きずり出そうと、躍起になっていた。

 あれでもない、これでもない、そんなセリフが聞こえてきそうな勢いで次々コンテナを背後へ放り投げる初級インベス凶暴態。

 延々その作業を繰り返す内、口辺から血を流すボロボロの少年は、無事に見つかった。

 

「悪い芽は摘み取らなくちゃね」

 

 気の次は、意識を絶ってやろう。

 そんな意志を込めて、腕を上げた。

 

 

「――キュータロー!」

 

 

 そこまでは、よかったと思う。

 

「キュエーーーー!!」

 

 ひとつ誤算を挙げるとするなら、少年の二人の友人を、侮ったことだろう。

 

「なに!!?」

 

 駆け付けざまに茉優が呼ぶと、蝙蝠は天井を突き破り、突如飛来した。

 そして今にも腕を振り下ろさんとしていた凶暴態を、飛び蹴りで突き放す。

 

「ギエ!!」

「キュエーーーーーー!!」

 

 立て続けに振動する空気は、こんな短い悲鳴すら掻き消した。

 

「超音波、だと……!?!?」

 

 キンキンと唸る耳朶を苦悶と共に塞ぐ商人。それは伽賀嶺も同じこと。

 外から様子を窺っていた光汰のもう一人の友人は、その隙を見逃さなかった。

 

「グルオオオオオオオ!!」

 

 刀也が「今だ」と呟きながらパインロックシードを解錠するやいなや、出現したクラック。からさらに出現したアルマジロインベスが、土を踏み均しながら疾走。

 通りざまに光汰を拾い上げ、一気に駆け抜けた。

 

「回収完了! ここから離れます!」

「りょーかい!!」

 

 待てに聞く耳貸さず、二人と二体は鮮やかに戦場から逃走した。

 

「……見事な手際だ」

「あいつら……!」

 

 二人の男は何も出来ぬまま、ただただそれを見ていた。



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Episode.07 Shadow creeping

「なあ、光汰」

「なんだ?」

「お前は、この旗にどんな夢を乗せたんだ?」

「な、なんだよ、急に?」

 

 古びたおんぼろの倉庫へと続く、階段。

 そこの一段に小さな腰を下ろして、少年は訊ねた。

 

「いやぁ、聞いてなかったからさ、お前の夢。っていうか、信じるもの、っての? わかんないけど」

「確かに教えてなかったけどさ……聞くタイミングとか考えてくれよ、恥ずかしいなあ」

 

 そうやって赤くなった頬をかいて恥じらう少年を見て、隣の銀髪の少年がけらけらと陽気に笑う。

 やめろよ。そんな風に言ったって、彼は茶化すのをやめてはくれないが。

 それが良くわかっていたから、咳払いで強引に話を進めた。

 

「俺は、そうだな……」

 

 空を仰いで、言葉を詰まらせて、数秒。

 正直改まってはみても、未来へ託す希望なんて、特別あるわけではなくて。

 

「あっれ、お前もしかしてないの?!」

「ち、ちがっ」

「鎧武の名付け親のくせに!!?」

「んなこと考えてる暇がねーんだよ! 俺は今が忙しいの!」

 

 それは別に「明日が嫌いだった」とか、「未来が恐かった」とか、そんな思春期特有の理由ではなくて。

 

「それよりもお前だ、お前! 俺はお前の夢を知らないぞ!」

「あ、話逸らしたな? ずっりぃ」

「う、うるせえ!」

「頭いいくせ、ほんと舌戦には弱いんだよなあ、お前」

「ほっとけよ!」

 

 純粋に、現在が楽しかった。

 今日が一番だった。

 今が最高だった。

 そんな今が、ずっと続いていくと――そう信じていた。

 故に、未来を考えられなかった。

 

「んで、俺の夢だっけ」

 

 少年は、手すりに腰かけ、果てへと沈む夕陽を望む親友の横顔を見つめながら、頷いた。

 

「俺の夢はすごいぜ。鎧武が出来るずっと前、お前らと出会った時から何も変わってないんだからな!」

「いいから、勿体ぶらないで早く教えろよ」

「せっかちだなぁ」

 

 彼が夢を教えてくれた“あの日”の事は。

 

 

『俺の夢は――――』

 

 

 今でもまだ、覚えてる。

 

 

 

「……!」

 

 目に飛び込んだのは、いつかぶりの我が家の天井。

 そこに、柔らかな金髪をした少女の、不安げな表情が映り込む。

 

「コータ……! 大丈夫?」

「う、ん……」

 

 まずはベッドから上体を起こした。目を落とせば、胸部に巻かれた包帯。手酷くやられた証。

 次にずきずきと痛む頭をもたげると、スイッチでも入ったかのように、最新の記憶が映像として呼び戻された。

 何となしに見やった外の景色は、宵闇のせいで何が何だかわからなくなっていて。

 

「目覚めましたか」

「刀也……俺……」

 

 カミキリインベスとの戦闘が終了してから、実に六時間が経とうとしていた。

 刀也は、光汰にそのことを伝える。

 

「まったく……『危なくなったらすぐ逃げろ』っていう本人が危うく死にかけてちゃ、世話ないですよ」

 

「本当だよ!」腕を組んでひとりごちる彼に、便乗する茉優。

 

「無茶するな、とかなんとか言ってたくせにさ!」

「あ、ああ……すまん」

 

 両者の小言を蔑ろにしている……という訳ではないけれど、どこか届いていないようにも取れる受け答えに、目を細めた。

 それを知ってか知らずか、のそのそと現れた静寂が辺りを包む。

 

「……あいつら、どうなった」

 

 しかして長居はできないらしく、光汰の開口によってあっさり立ち去った。

 どうにもまだ頭が痛むのか、掌は額に張り付いている。

 

「わからないです。目立った動きもありません」

「……そっか」

 

 そんな生返事の後に、額を押さえる手とは別の手が横に出される。

 

「ダメですよ」

 

 それが伸びた先は、あろうことか戦極ドライバーだった。

 尤も、掴むことまではままならなかったようだが。

 がしり手錠のように手首に巻き付いた刀也の手は、満身創痍の少年にとっては大変に重いもので。

 

「…………」

 

 視線が、かち合った。

 軋む腕。

 ただ一人当惑する茉優をよそに行われる、二人の言外のやりとり。

 

「……放してくれ」

「ダメです」

「放せ」

「ダメです」

「放せよ!!」

「ダメです」

 

「放せ」と拒むほどに、刀也の握る力が強くなった。

 それだけ「行くな」と。光汰にそう言っているようだった。

 

「行かせてくれ! あいつを止めなきゃいけないんだよ今すぐに!」

 

 されど、光汰は目を見開いて叫ぶ。

 二人を止めようとした茉優だったが、すっかり気圧されてしまう。

 

「そんな体で何ができる!」

「俺はまだ生きてる! 戦える!」

「殺されれば何の意味もないでしょう!!」

「ぐっ!!」

 

 がば、と腕ごと引き寄せた光汰の頭に、刀也が自らの額をぶつけた。

 これにより、まるで怪我人とは思えない気迫こそは鳴りを潜めた。呼吸だって整った……が、その剣幕に変わりはなく。

 

「……あいつは、腹の底から笑ってた」

「…………」

「心の底から、悪意をばら撒くことを楽しんでた」

 

 文字通りの目と鼻の先の相手に、穏やかならざる胸中を吐露する光汰。

 気を失っても尚、脳裏に鮮明に焼き付いていたのは――商人の男の言葉と、その無邪気が過ぎる笑顔。

 

「許せないと、思った」

 

 何が返るでもない中で、光汰は続けた。

 

「ああいう奴が、誰かの幸福を、平穏を次々踏みにじって、破壊する」

 

「だから」。

 すぐにでも、止めなければ。

 光汰が皆まで言う前、刀也は光汰を解放、発話を遮る。

 

「それでも、俺はあなたを行かせるわけにはいきません」

 

 彼にとて、譲れぬものはある。

 合理的に考えた上で止めているのも、多少はあろう。

 

「あなたを、ただただ見殺しにするわけにはいきません」

 

 だが一番に望むのは、仲間の安寧――その一心に、寸分も違いはない。

 光汰が二人を守りたいように。

 刀也だって、二人を守りたいのだ。

 

「俺だってあなたの友人であり、仲間なんだ」

「トーヤ……」

「もしあなたが、俺を非力じゃないと思うんなら……仲間には頼ってくださいよ、光汰さん」

 

 その言葉を聞き、光汰も真の意味で大人しくなったのがわかった。

 

「あなたは、一人じゃないんですから」

 

 先日、茉優に言ったばかりの言葉を図らずも刀也に返されて頭が冷えたか、光汰は戦極ドライバーから手を離した。

 それを確認した刀也もふう、と一息吐いて、尖らせた視線を丸めながら椅子に腰を落とす。

「二人とも無茶しすぎだよ」胸を撫で下ろした茉優。

 そんな彼女へごめんなさい、という意味を込めて頭を軽く下げた。

 そしてすぐに今後の鎧武の動きを提案しようとした、折の事だった。

 

「……敵の青いインベスに、手も足も出せなかった」

 

 光汰が俯き、言う。

 

「同じように剣を……、マスターが与えた日本刀を使うインベスだったんだけど、かすり傷も付けられないで、一方的にやられた。速かった。達人みたいだった」

 

 直面している問題を、今立ちはだかっている敵を、包み隠さず、詳らかに。

 

「俺は、どうすればいい?」

 

 その上で、少年は、

 

「俺は――どうすればそいつに勝てる?」

 

 仲間に問うてみせた。

 最後に上げた面には、絶対に自棄などではないと断言できる、確かな闘志が宿っていた。

 

 光汰を見つめて押し黙る刀也――その真意とは。

 

 

 

      *      *      *

 

 

 

 ひっきりなしにブオン、ブロロと喧しく鳴り続ける駆動音。

 足場には石ころが敷き詰められてて、集中して立たねばならぬものだから、余計にそれが鬱陶しく感じられる。

 吹き抜ける隙間風が冷を運び込み、体温を確実に奪っていく。

 

「さんむ」

 

 吐息と共に思わず漏れる、茉優の本音。

 チーム鎧武の三人は、街の巨大高架の下に来ていた。

 御覧の通り止まぬ自動車の往来に不安定な足場、おまけに寒くて排気ガス臭いという劣悪条件から、普段は不良学生が悪ふざけする時ぐらいにしか使われない、そんな場所なのだが――。

 お世辞ですらいい環境と言えないこの場に訪れたのは、当然ながら理由があって。

 

 

『特訓です』

 

 

 これは昨日、あれからの刀也が光汰に向けて言ったことだ。

 あまりに突拍子がなさすぎて思わず小首を傾げる一言ではあったが、よくよく考えれば強くなるためには鍛練するしかないし、案外理には適っている発想だった。

 だから、特訓をするから、誰にも使われない、迷惑のかからない、ここなのである。

 

「プランは一晩がかりで考えてきました。二刀流は専門外だけど……、教えられる限界まで叩き込みます」

「時間はどれぐらいかかるんだ? あまりかけたくない、とは希望したけど」

 

 騒音まみれの中でどうにかそれを聞きつけた刀也は、三本の指を立てた手を見せた。

 

「三日か……及第点だな」

「この三日間で、茉優さんには相手方の情報収集を、光汰さんには戦闘技術を上げてもらいます」

「おーっ!!」

 

 やはり喧騒を意識してか、出る声も張っている。

 

「っていうか茉優、なんでお前もジャージ姿なんだ」

「お揃いにした方が一体感あるし、チームって感じあるじゃん? なんか鎧武ってるじゃん?」

「何の動詞だよ」

 

 茶番を笑うように吹いた風で膨らむ赤ジャージを、光汰はしぶしぶ押し縮めた。

 

「(わかってはいたし、仕方ないけれど、やっぱりもどかしいな……)」

 

 信用していない訳じゃない。

 しかし、やはりなまじっか目先の事がちらつくからこそ、結果が出るかも怪しいことは……という風には、思っている。

 今更言ったところで、しょうがないことではあるものの。

「早速やっていきますよ!」刀也がそんな独白を察せられるはずもなく、“特訓”は始まった。

 

 

「まず、竹刀を二本持ってみてください」

 

 太刀と小太刀、ケースから取り出した二本を、光汰に手渡した。

 そこからか、などと内心でつっこみを入れる光汰ではあったが。

 

「え!!?」

 

 一瞬にしてそんな余裕は消え失せた。

 がくん、と。

 両手が予想だにしなかった重みに耐えきれず、あっさりと落ちてしまった。

 持ち上がらない。同時に目が点になる。なんでだ、どうして――鎧武の時はああも軽々と振り回せてたじゃないか。

 

「やっぱり」

「な、なんだよこれ!」

 

 まるで確信があったかのように頷いた後、刀也は光汰の疑問の答えを示して聞かせた。

 

「光汰さんの腕力がなさすぎるんだ……」

「で、でも、鎧武の時はあんなに!」

「それは、『鎧武のスーツによって強化された力のお蔭で』振り回せてただけ、なんだと思います」

「つ、つまり?」

「単刀直入に言ってしまえば、光汰さんは今まで、鎧武の性能だけで戦っていたってことです」

 

 落ち込んだような、衝撃を受けたような、曖昧模糊な反応を見せている光汰だが、どうやら理解はできたようだ。

 無遠慮ではあるが、とどのつまり刀也は「地力が足りていない」と、そう言っている。

 

「戦いの様子を詳しく見ていないので、ここからは憶測なんですが――今回の敵は、鎧武の力だけでは倒せないものだった、ってことなんじゃないでしょうか」

「結局は、俺自身をフルに鍛えるしかない。そういうことだな?」

「はい。光汰さん自身の身体能力が上がれば、鎧武としてのパフォーマンスも底上げされるはずです」

 

「簡単に言ってくれる」。

 これが彼の第一声。

 結論を急いだ光汰も、その無茶極まる話にはたじたじだ。

 自分の体力を。腕力を。脚力を。技術力を。諸々全てを三日間で強化する。そう取ったが故に。

 

「たはは……、厳しいなぁ」

 

 あまりに途方もなく、聞いてるだけならえらく現実離れした話だろう。おとぎ話でもいい。

 

「……ふう」

 

 ではあるけれど。

 

「――ッ!!!!」

 

 両手から竹刀を落とすやいなや、大きく息を吸い込み、一気に吐き出す。

 

 パチンッ!

 

 続けて己の両頬を掌で思い切り叩き、鈍っていた双眸を大きく見開いた。

 

「やるしかないか」

 

 何をするべきか。それはよくわかった。

 今やれることに、全てを注ぐ。

 そんな言葉と気合を胸に、再び地面で寝転ぶ竹刀を拾い上げた光汰は、手始めに素振りをおっ始めた。

 

 

 

      *      *      *

 

 

 

 さて、光汰を高架下に置いていってどれぐらいが経ったろう。

 手元に置いた携帯の液晶を光らせ、時刻を確認。小一時間といったところ。

 

「黒のキャスケットに、しゃれたベストねぇ」

「あと中肉中背。忘れてる」

「っと、そうだったな」

 

 改造ロックシード商人の手がかりを得るため、茉優は虱潰しに聞き込みをして回っていた。

「虱潰し」が云う通り、どなた様であろうが我武者羅に訊ね歩く。

 たとえその対象が、ビートライダーズであろうと。

 

「大体、黒キャスケットにベストなんざちょっと探しゃどこにでもいるだろうがよ?」

「まあ、『若者が今一番おしゃれして歩きたい町』なんて言われてるものね~」

「んなもんどうでもいいからさぁ、アンタもこっち来ていっちょ張ってきなって」

「真面目に情報を求めてるんですから、もっとちゃんと取り合ってあげてください!」

 

 テーブル越しで少年少女がこぞってああでもない、こうでもないと退屈な会話を繰り広げる様相を前に、さしもの茉優も居心地の悪さを感じる。

 外は真昼というのに、彼ら『Seven Colors』のアジトはどうにも光が足りていない。理由はここがバーだから、という事実に尽きる。

 困って視線を漂わせると、ダーツスペース、ビリヤード台、ポーカーテーブル等、いわゆる大人の娯楽を匂わせる物が目に入った。

 

「(思ったより、立派だなあ)」

 

 内心で呟く茉優。

 大胆に乗り込んではいるが、実のところ今回が初めてだったりする。

 彼女としても、さぞ新鮮なことだろう。

 

「あ、っと、鎧武ちゃん」

「ほえ」

 

 そうやって見学して、少々の高揚を覚えていた彼女だったが、

 

「えーと、悪い、やっぱわかんねえな」

 

 予想を何一つ裏切らない回答を受け、一瞬で肩を落とした。

 

「リーダーがいりゃなんかヒントも出来たかもしれねえんだけどさぁ……ごめんな」

「はぁ~~」

 

 影も形も掴めない。そんな現状に、ため息一つ。

 

 

 

      *      *      *

 

 

 

甲蝉(こうぜん)政樹(まさき)?」

「そう、それがあのロックシード売りの名前!」

 

『収穫がなかったらどうしよう』

 

 数時間前に少女が独り言として放った言の葉だったが――杞憂に終わったようだ。

 事が動いたのは聞き込み開始から二時間半。

 何となしに町中をほっつき歩いていた大学生から、実に有力な情報を得られた。

 

「19歳、食品メーカー『CO-ZEN』の社長さんの息子で、趣味は工作だって。小学校の頃の同級生曰くだけど」

「甲蝉って、あのCO-ZENですか!?」

「まさか、一大企業の御曹司が犯罪者とはな」

「ただ、今は勘当されてるみたいだけど……」

 

 刑事よろしくメモを読み上げる茉優へ向く、光汰の「どちらでもいいさ」。

 

「身元が割れたなら、足がつくのも間もない」

「SNSのダミーアカウントで情報も流しましょう。拡散力に期待はできませんが……ビートライダーズの目に入れば、それだけでこちらも楽にもなるはずです」

「トーヤあったまいい~!」

 

 この大きな一歩に、少年少女たちは大いに沸く。

 

「残り二日、茉優さんは引き続き情報収集をお願いします」

「うん!」

 

 何故ならあと少し――あと少しで、追いかけていたものに手が届きそうだから。

 

「光汰さんは、しっかり仕上げることを優先に」

「ああ!」

 

 改造ロックシード騒動の解決に、こぎつけそうだから。

 

「それじゃあ早速、走り込みもう一時間!」

「もうちょっとだけ休ませてくれ」

 

 間違いなく風が向いている。

 この場にいる誰もが、そう確信した。

 

 

 

      *      *      *

 

 

 

 光汰の修行開始から、二日経った。

 急いで生きる上での時の流れとはなかなかに早いもので、彼女にもいまいち実感がないようだ。

 

「うーん、知らない人だなぁ、ごめんね」

「そうですか……ありがとうございました」

 

 尤も、同じことを三日がかりで繰り返しているせいもあるのかも、しれないが。

 

「ここぞってとこで詰まってるぅ……」

 

 通りがかったコンビニの前で、がくりと肩を落とす。

 あれからも根気よく聞き込みを繰り返していた茉優ではあったが、肝心要の『甲蝉』の居場所が、突き止められずにいた。

「出身校」「昔の住所」「特技」「所属していた部活」「好きな食べ物」等々の情報は集まっても、結局のところそこから更なる何かに繋がるということはなくて。

 数時間後に控えた刀也らとの合流までには、決定的な手がかりを掴みたい。そうは思っても。

 

「そうそう上手くいかないんだなぁ……」

 

 という独り言に次いで、

 

「刑事さんって大変だな」

 

 実にとりとめのない一言を呟いた。

 まあ、鬱々しく胸を曇らせていても仕方ない。

 気分転換に飲み物で一服でもしようと、(ほぞ)をコンビニへと向けた、その時だった。

 

「ありがとうございましたー」

 

 開いた戸から、喧騒に消されかけた店員の挨拶と共に、その男は現れた。

 

「……!」

 

 思わず息を飲んだ。そして、別方向を向いた。

 

「(うそ……!?)」

 

 想定外の遭遇で慌てこそしたが、コンビニの前で購入したから揚げを食すこの男は、どこからどう見ても、紛れもなく。

 

「(甲蝉……!)」

 

 瞳に焼き付けた今しがたの姿と、四日前の記憶に眠る彼の姿を照らし合わせても、一致する。

 突然の事にどうすべきか内心で迷っているうち、甲蝉はゴミを捨て、どこかへと歩き出した。

 それのお蔭で、茉優も自ずと、己が取るべき行動を理解した。

 

 

『追いかけよう』

 

 

 こんなチャンスは二度とないだろう。

 そう考えれば、体は勝手に動いていた。

 

 周りに気を配り。

 

 しかし対象から目を離すこともなく。

 

 ばれないように一定距離を保って。

 

 彼女は、尾行した。

 

 

 歩いて三〇分になるか。

 そこで、甲蝉の歩みは目に見えて遅くなった。

 それは目的地が近いことを意味する。

 軽く見回せば散見される、光を失ったディスプレイや、看板たち。現在地はどうやらクラブ街らしい。

 すたすた、てくてく、もたもた。

 段階を踏んで徐々に遅くなる甲蝉の足が最後に赴いた先は、一件のクラブ。

 

「(ここだけ外装の明りは点いてる……、お昼でも使われてるところなのかな)」

 

 遅くはなれど止まらぬ歩みでクラブへと入って行った彼を見て、茉優は一旦立ち止まる。

 見上げた眼前の建物は何も不自然なところのない、言い換えてしまえばありきたりなクラブ……若人の遊び場だ。

 

『この中に、きっと何かが――』

 

 付きまとう疑念も、この独白の前には綺麗に霧散した。

 

「よし」

 

 そして発される短い一声が、茉優の背中を押す。

 

 

「う、うるっさあ……」

 

 

 扉の重さは、未知の世界の存在を証す。

 屋内いっぱいにガンガンと鳴り響くBGMが耳を劈くと、一人の少女を盛大に怯ませた。

 飛び込んだ見知らぬ世界の先には、幾人もの男女が時を忘れて踊り狂う、そんな光景が広がっていた。

 

『みんなァ! 今日はこんな忙しい時間の中で集まってくれてありがとう! 今日はすべて忘れて、踊り明かそうぜ!!』

 

 バンダナのDJの言葉で一層の盛り上がりを見せる場内を、嫌悪気味に、目立つまいと、壁伝いに歩く。

 

「ねえねえそこのカノジョ、かわいいね? 俺と踊んない?」

「!?」

「ん?」

「か、かわ、かい、かわか、わ、かわいい!?」

「そうそう! だから、踊ろうぜ?」

「け、け、結構ですっ! し、失礼します……!」

「え、あ、ちょっと!」

 

 されど目を付けてくるというんだから、パーティーピープルの業の深さを感じずにはいられない。

 どいつもこいつも派手な格好で、喧しく騒ぎながら、踊っているではないか。

「こんなののどこがいいんだ」子供のこましゃくれにも見えるそれを否定する茉優は、それこそ自分が子供なだけなのかな、なんて思いながらも、口を頑ななへの字に結んだ。

 ただ「かわいい」という言葉は、まんざらでもなかったようで。

 

「(もしかしたら、凄く見逃しちゃダメなタイミングで見逃しちゃったかも)」

 

 気を取り直し、たまにぶつかりそうになりつつ探すのは、やはり甲蝉。

 壁に手を付けて歩き、あちらこちらと視線を散らす。骨折り損は百も承知。

 

「(さっき、素直に追った方がよかったかな~)」

 

 一目見るだけで良い。

 そこで、彼が何をしているかを知ることさえできれば、それだけで。

 

「あ、あだっ!」

 

 そんな淡い願いを抱いた途端に、すてんと前へこけた。

 幸か不幸か余所見しながらの歩行だったので、勢いはそれほどでもなかったのだが、膝を打ったようだ。

 紙一重でレーザー光が及ばぬ暗がりで、痛む所をさする。

 何が悪かったんだ。何もない場所で転ぶのは幼少よりそこそこの回数こそあったが、今回はどう考えても違うだろうに。

 誰にも言えないで、行き場のなくなった怒りを悔し気に顔に出す。

 

「……?」

 

 数瞬で、そんな面も拝めなくはなるのだが。

 

「これ……」

 

 自分がこけた原因を見せられてしまっては、黙る他あるまいに。

 弱く風が吹いた。不思議な空間。

 伝う壁に、明らかな途切れがあった。

 

「通路、だよね?」

 

 途切れた壁と壁の、間。

 そこには人一人半の隙間が、まるで感知する者を誘うかのように佇んでいる。

 何かの意図を感じるまでに光が寸断されたそこは、誰が目にしたって『異質』と云うだろう。

 

「ここに」

 

 どっくんどっくんと、騒々しい胸。

 生物としての本能が怪しいと告げている。

 だが同時に、それは信じがたくも「答えがある」とも――言っている。

 

「いるんだ」

 

 ここまでに迫った茉優が臆するなど、もはやあり得なかった。

 茉優は一切の躊躇なく、思いきり闇へと乗り込んだ。

 地下へ地下へと進んでく。

 忽ち音が遠ざかる。光が離れる。代わってくるのは埃の匂い。

 

「……」

 

 ひやり冷たい無明の一本道を早足で追い求めた果てに、ドアに突き当たった。

 ここで一呼吸。

 ドアに耳を付けてみるも、熱が奪われるばかりで、何も聞こえてきやしない。

 重たい、鉄の戸だ。手すりに手をかけてわかった。

 

「(この向こうに、アイツが。甲蝉が)」

 

 鼓動は相も変わらず激しいけれど。

 ここまでの道のりを迷わなかったように。

 この扉を開く手も、迷わず引いた。

 

「……えいっ」

 

 無論、小さく……という注釈はあるが。

 

 この厚い鉄板の向こうの、望み続けた謎の正体。

 

 総ての真相。

 

 彼女が見たものは――。

 

 

「ぐあ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」

 

 

 まずは、血肉が弾け飛んだ。

 次に、ぐちゃりと大変耳当たりの悪い音が鳴った。

 終いには、

 

「勝者ァ、青コーーーーナーーーーーー!!」

 

 腹からありったけの血液と臓物をぶちまけて、人間が倒れた。

 

『オオオオオオオオオ!!!!』

 

 見ている者すら出血しそうな程度には、広がる血の池地獄が踏み荒らされた。

 たった今、この瞬間に亡骸となった元人間を足蹴にする生物――言わずともわかるだろう。

 

「イン、ベス……ゲーム……!!?」

 

 絶句する茉優。

 大きくなったその目に映るのは、広大な楕円形の闘技場。

 そしてその周りを囲う客席は、満員。

 

「グォアアアアアアアア!!!!!!」

 

 血に汚れた禍々しい怪異の咆哮に、更なる別の人物が場内に引きずり出される。

 

「青コーナー変わりましてェー、北村ァーーーーーー孝介ーーーーーー!!!!」

 

 コールに囃され出てきた北村という人物がロックシードをおもむろに解錠すると、今一度、すさまじい歓声が聞こえた。

 よくよく目を凝らせば、殺人インベスの向こうにも人間がいて。

 

「うちの子、もう人間の肉じゃねえと満足できなくなっちゃってさ。モモとかすっげー好きなんだけど」

「っくく、殺してやる……殺シてゃrう……っく、ハハハハ!!」

「聞こえてねえかあ」

 

 雄叫びを上げ、体液を吹き溢し、殺意を募らせて。

 箍が外れたインベス同士の殺し合いは、行われる。

 それをなんとも楽しげに見物する、群衆。

 人の死体が、そこかしこに転がっているのに。

 何度も何度も、断末魔が響いているのに。

 助けてと、命乞いしているのに。

 何故みんな笑顔なのか。

 何故誰も止めないのか。

 何故誰一人不思議そうな顔をしないのか。

 

『――まともじゃない』

 

 茉優は鳥肌が立った。

 みんなみんな、どの人も、あの人も、自分の知ってる“人間”と、あまりにかけ離れ過ぎているから。狂っているから。

 そうだ。

 ここで行われるインベスゲームは、負ければプレイヤーの命も奪われる――死のゲーム。

 いや、ゲームなんかじゃない。

 改造ロックシードを用いて行われる、殺し合いだ。

 

「お゙ァ゙」

 

 また命が奪われた。

 歪んだ頭が、深紅の噴水に押し出されて虚空を舞う。

 

「っ」

 

 全てを悟った茉優は恐怖で呼吸を震わせながらも、これを刀也らへと伝えんと振り返る。

 

 

「楽しそうだねぇ。覗き見」

「!!!!!!」

 

 

 さて――この行動があとどれぐらい早ければ、甲蝉(かれ)に見つからずに済んだのだろう?

 

「……!!」

 

 咄嗟に取り出したイチゴロックシードは、一瞬にして払い落とされ。

 

「かはッ――!」

 

 腹に拳が、打ち付けられた。

 

『早く伝えなくては』。

 

 気持ちだけが急いて、少女の意識は完全に途切れた。



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Episode.08 Saber/Saver

「グルウウウ……」

 

 初めに聞こえたのは、アルマジロインベスの唸り声だった。

 

「フゥーーーー……」

 

 その獣が鋭利な眼光で捉えて放さないのは、二振りの竹刀を構えた少年。

 彼は肺から、目一杯に空気を吐き出した。

 相対する一人と一体が睨み合って、もうどれだけ経つか。

 当事者達だって忘れているんだから、わかるはずもない。

 

「…………」

 

 少年は固唾を飲んだ。

 ピークに昇った緊張。

 

「――はじめ!!」

 

 それが颯と解けた。

 

「ッ!!」

「グルオオッ!」

 

 見守るもう一人の少年の一声で、一斉に互いが互いへ駆け出す両者。

 先制。

 ぶん回した竹太刀が、インベスの腕をドスンと叩き鳴らす。

 

「くっ!」

 

 吹き抜ける風――足元の岩間から生えた雑草が、ゆったりと揺れた。

 

「グルオ!!」

 

 今度はこちらの番だ。そういわんばかりの速さで拳を前面へやり、柄を握る手をはたきにかかる。

 

 バシン。

 

「……!!」

 

 そんな手を、左の竹小太刀は、はたいた。

 太刀が続けて空を穿つ。突きを入れる。

 守れど耐えきれぬ巨躯が押し出され、後ろへと大きくのけ反った。

 

「う、」

 

 今の彼は、それを見逃す彼ではなかった。

 

「あああああああッ!」

 

 一歩前に出てぐにゃり曲がる脚は、主の体勢を確かに低めた。

 狙うはどてっ腹に釣り合わぬ耐久の脚。先の一撃でぐらつくそれを薙ぐのは、そう難いことでもない。

 

「グラアアアアア!!!!」

 

 ――相手の立て直しが遅ければ、だが。

 

「何!?」

 

 思わず口走り、焦った。

 今しがたまでのよろめきが嘘だったかのように、急に脚に芯が通ったものだから。

 

「ぐ!」

 

 小太刀の打音すら掻き消す轟音が響く。

 構え直しで豪快に振り降ろされる拳を防いで。

 

「まだだ!」

 

 突き上げて、離した。

 アルマジロが吃驚する。

 こうして覆される攻勢までは予測していなかったらしく、今度こそ本当の意味で構えが崩れた。

 

「――でやあああああああ!!!」

 

 引き下がるインベス。駆け出す少年。どちらが速いか。

 

「グ……!!」

 

 そんなものは、明白だった。

 

 竹刀の打突がしっかりと入った。だが。しかし。

 ここからは彼も、想像していなかったのではなかろうか。

 

「へ!?」

 

 少年の点になった目の中で反射するのは、折れた得物の、情けない姿。

 

「そ、そん」

 

『なあ』。

 言い掛けの落胆も無視して、竹刀の身は宙をすっ飛んでいった。

 

「……そこまで」

 

 程なくして激しく肩を落とす光汰を結びとして、刀也は立ち合いに止めを入れる。

 それを合図に、アルマジロインベスも構えを解いた。

 

「惜しかったですね」

「くっそー……」

 

 くすりと笑む刀也を尻目に、悔しげに柄を放って、座り込む。

 特訓三日目の最終課題は『アルマジロインベスから一本取る』というものだった。

 もう何度も何度も繰り返して――数も三〇回にまで登ろうとしていた所。

 そんな中で取りかけた試合だ。落ち込むのも無理はない。

 

「体勢を低めて潜り込むまではよかったです。でも、生物の一番の弱点である頭を相手の肩より下の高さで差し出すということは、それだけハイリスクな事でもあります」

「ん……つまり、どういうことだ?」

「一回目の突きで相手をよろめかせて追撃に走った時、踏み込みがもう少しだけ大きければ、そのまま足を崩しきれて勝てていた……って話です」

「なるほど」

 

 逆に、あそこで中途半端をやって竹刀に要らぬダメージを入れたのが敗因だった、とも言っている。

 光汰は早々飲み込み、泥で汚れ汗で濡れ伸び擦りボロボロになったジャージのポケットから取り出した携帯に、『躊躇なく攻める』というメモを取った。

 

「ほっ」

 

 そして文字通り一息つく。

 二日前じゃ、ちょっと体を動かしただけでぜえぜえ言っていたものが、今となっては模擬戦後にメモを取る余裕すらあるのだから、人の体というのはわからないもので。

 

「茉優が来るまでには、どうにか仕上げたいなぁ」

 

 光汰の独り言を逃さず、刀也は返す。

 

「そうですね。きっと茉優さんのことだから、最後にまた大きな情報を持ってくるはずですし」

「そうか? あいつ、なんだかんだ詰め甘いぜ?」

「いえいえ、いざとなった時の行動力と鋭さは、俺なんかよりもずっとずっとありますよ」

「だといいけど」

 

 微笑みが交わされる会話は、強張った体を程よくほぐした。

 

 

「残念だが……、お前らが言ってるお嬢ちゃんは、帰ってこないぜ」

 

 

 こんな時間に誰だろう。

 そんなことよりも。

 聞こえてきた言葉の方が、二人にとってみれば、ずうっと引っかかった。

 

「お前……!」

「DJサガラ……」

 

「よっ」振り向いてみれば、あまりにご機嫌なご挨拶だ。

 落ち行く日に背を向けて、その男は立っていた。

 

「楽しそうだなぁ若人、青春だねえ」

 

 先程とは打って変わって険しい表情を見せる二人をどこ吹く風に、無駄口を叩く。

 一方二人は、敵意のような、警戒心のようなものを奥歯で延々噛み潰している。

 仕方のないことだ。

 この男は鎧武が『非』とするビートライダーズ抗争を容認、あまつさえ鼓吹する始末――二人にとっては、敵ということに他ならない。

 

「おいおい、挨拶しにきてみりゃあ……初対面でこれだ。困っちゃうぜ」

 

 自分の、裏返せば無礼な挨拶を棚上げし、そう話しかけるサガラだが。

 

「あんたは俺達を知らないかもしれないけど、俺達はあんたをよく知っている」

「へえ」

「用件はなんだ? ……言え」

 

 生憎、二人は彼と多くの会話を望んでいない。

 歓迎されていない雰囲気をようやく飲み、サガラは渋々と今しがた喋りかけたことの本題に入った。

 

「茉優、だったか。お前らの連れの嬢ちゃんは戻らねえって言ったのさ」

「だから、その意味がわからないって」

「まあ、要するにだ」

「――――!!!!」

 

 理解できない少年らを、一発で黙らせるアイテム。

 それを差し出した。

 

「イチゴロックシード……!!?」

「お前!!」

「俺じゃあないぜ」

 

 語調を強める光汰の発話を遮り、言葉を紡ぐ。

 刀也は放り投げられたイチゴを、キャッチした。

 

「俺は中立だ、なんにもしちゃいねぇ。強いて言うなら、見てただけだ」

 

 知れぬ真相の所為で、大きい沈黙が訪れた。視線が錯綜する中で。二人が一人を、睥睨する中で。

 されどサガラだけは、話を続ける。

 

「クラブ『Schlange(シュランゲ)』……そこの地下にある闘技場では、不定期でデス・インベスゲームが開かれている」

「デス・インベスゲーム……?」

「使用するのは改造ロックシード。懸けるのはプレイヤーの命。いっちまえば、闇のインベスゲーム……ってとこだろうなあ」

「……馬鹿げてる……」

 

 聞き慣れないワードと、聞くだけで虫唾が走るワードに、少年二人の眉がひそむ。

 

「んーで、お前らんとこの嬢ちゃんは、そのゲームの主催を追いかけて……」

 

 サガラはまるでそんな二人を扇ぎたてるかのように、敢えて歯切れ悪く伝達した。

 所在なさげに両の手を広げるジェスチャーが決め手になったか。

 彼が想像した以上に、彼らの表情には焦りが宿る。

 

「くっ……!」

「光汰さん!」

 

 少し離れた位置に置かれた戦極ドライバーを見やった光汰を、引き止めた。

 まだ完全に仕上がっていない鎧武では、「また同じ道を辿る」と。そう思った故に。

 

「まだ、特訓が終わってないです……!」

 

 しかし、刀也の言の葉に、覇気はなかった。

 わけは語るまでもないだろう。

 

 ――揺らいで、いるんだ。

 

 光汰を戦わせても、無事では済まない。

 それでも、茉優を助けねばならない。

 自分一人で奴らに立ち向かうなど、論外だ。

 

「もう少し、もう少しだけ……! あと少しで、きっと勝てます! から!」

 

 このジレンマに、押し潰されそうになっている。

 

「ひとまず、ビートライダーズに今起こってる情報を、流して、」

 

 この選択は正しいのか?

 

「なんとか、して……」

 

 そもそも、茉優は無事なのだろうか?

 

「し、て」

 

 次々と浮かび上がる、不穏で、無価値な思考。

 そんな場合ではないはずなのに。頭を動かせば動かすほど、どつぼにはまっていく。

 

「……」

 

 言葉が出ない。

 何も見えない。聞こえない。

 どうしたらいいのか。何ができるのか。

 考えても考えても、解答が出てこない。

 こんな時に生まれるのが、自責というものならば。

 

 少年はきっと、振り払うことなどできないだろう。

 

 自分が、茉優を一人になんかしなければ。

 自分が、最初から別のチームに協力を仰いでおけば。

『自分』という言葉が野放図に増えて、頭の中を埋め尽くし、脳細部を真っ黒に塗り潰し、自分を殺していく。

 生まれた黒は水に垂らした血の一滴が如く胸に広がり、心臓すらも染め上げた。

 

 ――何が鎧武を守りたい、だよ。

 

 己の言葉が、己の胸を突き刺した。

 ぽつんと立ち尽くした少年の脚から、腕から、全身から、力が抜ける。

 掴んだ肩が、離れていく。

 また、いなくなる。

 やめてくれの一つも言えないまま、背中が遠ざかった――。

 

「刀也」

 

 そして、翻った。

 

「へ……――?」

 

 崩れかけた自分を、抱えた。

 

「光、汰、さ」

「こんな時だからこそ、あまり重く捉えないでほしいんだけどさ」

 

 呆気にとられる少年を我に返す、彼の声。

 

「刀也は、俺や茉優より、ずっとずっと頭が良いから――何かにぶつかった時に、正しい決断ができる」

「……違う、俺は」

「誰よりも早く、何をすべきかがわかる。そんなお前に、俺達は今まで何度も助けられてきた」

 

 たまたまだ。その決断だって、いずれ人を殺す。

 返しかける言葉に、また別の言葉が重なる。

 

「でも、だけど、そうやって選んでも、事が思うように運ばなくなって……焦っちゃう時もあると思うんだ」

 

「状況を見ろ」と叱る訳でも「お前のせいだ」と咎める訳でも、まして「俺一人で行く」と死に急ぐ訳でもない。

 光汰はただゆっくり、静かに、刀也へと語りかける。

 

「それで間違った結果が怖くなって、後悔だけが先走るようになって、そのうち自分が信じられなくなって」

 

「それでもいいんだ」

「俺もそうだった」

 されど否定する少年へ、肯定を連ね続けて。

 

「ただそういう時は、自分を信じる人を、信じてみてほしいんだ」

「……!」

 

 自分を支える存在の横顔から見えるものは、絶望とも、焦燥とも違う。

 

 

「――自分の選択で救われてきた人間の選択を、信じてみてほしいんだ」

 

 

 冀望であった。

 望んだ結末を見据え、ただひたすらに希求するその目は。

 

「やれるやれないじゃない。お前が成すべきと思ったことなら、俺達もやり遂げて見せる」

 

 あの日々以上に輝いていたと、思う。

 

「だから、あと少しだけでいい」

 

 瞼の裏に映った闇は、とうに消えていた。

 

「俺に力を貸してくれ」

 

 閉ざされかけた世界が、再び広がるのがわかった。

 

「俺のために、戦ってくれ」

 

 体が軽い。目が冴える。

 

「……――」

 

 少年は今一度、立ち上がる。

 

 

 

      *      *      *

 

 

 

 声が必要以上に響くような空間で、必要以上に大きな声で騒ぐ人々。

 そんな連中のせいで、茉優は目を覚ました。

 

「……!」

 

 薄目を経て、開眼。

 最初に映ったのは、遠くで殺し合うインベスの姿。

 意識を失う直前に目の当たりにした光景と、全く同じものだった。

 狂騒極まる周囲――自分がいるのはクラブの地下闘技場、その客席の一部だろう、見回してそう考える。

 

「いっつ」

 

 状況も呑み込めて余裕が出てきたようで、細やかな事にも気づくようになった。

 手首の痛みだ。

 自分では確認できないが、両手を後ろで、鎖によって雑に、それでもきつく括られている事を確信する。

 いや、そこだけじゃない。

 視線を落とせば足の自由も失われていて、腹と腕だって背後で固定された鉄柱に縛り付けられているではないか。

 

「……!」

 

 とどのつまり、完全に拘束された状態である。

 

「気が付いたか」

「!」

 

 横で腕を組んで死のゲームを観戦するは、伽賀嶺。

 特別意識を取り戻した茉優に何かをする風でもなく。

 

「な、何のつもり……!」

 

 ゆえにこそ、彼女はその意図を理解できない訳で。

 

「君を賞品にするのさ」

 

 一向に口を開かない伽賀嶺に代わり、闇より現れた甲蝉が茉優に手短な説明を聞かせる。

 

「はぁ!?」

「なんでもご褒美があると、頑張ろうって気になるだろ? だからさぁ、今こうやって行われてるゲームを勝ち抜いた人に、君をプレゼントしようと思って」

 

 何を言ってるんだ。

 平然と喋る面に化かされかけるが……たぶん、これが自然なリアクションだろう。

 

「日本語喋ってよ」

「不満かい? 僕はけっこういいと思うんだけどなあ……健康的な体型だし、色白で肌の質もよさげだし、顔だって一般人にしてはかわいい方だ」

「そういう話じゃない!」

「ああ、見辛いかな。ここ、最前列の特等席なんだけれど」

 

 わざとか否かはわからないが、間違いなく会話ができないと判断した相手に、茉優は歯噛みした。

 無茶苦茶な話にままならない状況でいらいらを募らせる彼女だったが、一旦思考が止まる間に、忘れていた事を思い出した。

 

「こ、コータとトーヤは……!!」

「知らないよ。君がこうなってることも知らないんじゃないかな」

「くっ……」

「ま、優勝者が決まったら自由にしてあげるから、待ってなよ」

 

 しかしそこは茉優、諦めず、どうにか逃げ出す方法をその小さな頭脳から捻出しようとするも――。

 

「やめておけ。そこまで縛られていれば、どうにもなるまい」

 

 次は、伽賀嶺が言の葉を発した。

 尤も、尚も不自由な体をくねらせる様を見て、無駄を悟ったようではあるが。

 数分に渡り延々と同じ動作を繰り返した頃か。

 

「……不思議だ」

 

 茉優は静止し、呟き、

 

「……何?」

 

 伽賀嶺に突如問いかけた。

 

「どうして、甲蝉なんかに協力するの?」

「……質問の意図が、見えんが」

「アンタは本気になれば、ここにいる誰よりもずっと強いはずなのに」

 

 それはあまりに、素朴すぎる疑問。

 そんな疑問に疑問を持つ伽賀嶺ではあったものの、斜に茉優を見据え不承不承に答えてみせた。

 

「俺は、自分で作った剣を……力を試せる場所を求める。それをこの男が用意するから、従っているだけの事だ」

 

 この伽賀嶺の返答によって、茉優の疑問は解消されたかのように思えた。本当に思えただけだった。

 余計に造られる難しそうな表情が、それを教える。

 

「それは、人を救う上でだって、出来るはずなのに」

 

 まだ通じぬか、そんな言葉が聞こえてきそうな面持ちで訝しむ伽賀嶺を瞥見しながら、付け加えた。

 

「それだけの力があれば、自分をそんなに堕とさなくたって、自分の凄さを証明できるのに」

 

「一つ忘れているぞ」今度は少しの間を置いた男の番。

 

「剣は人命を壊す物であって、救う物ではない」

「そんなことない……! 力は力でしかないもん、使い方は作った人じゃなく、持つ人が決めるものだよ!」

 

 そう発して彼女が浮かべるのは、自分が大好きな人の、大好きな物を守る姿――。

 

「殺すための剣ばかりじゃない、守るための剣だってあってもいいはずだよ……!」

 

 最初に与えられた力は、確かに誰かを泣かせるものだったかもしれないが。

 それでも誰かのために使って、誰かを笑顔に出来る。幸せのために振るう事が出来る。

 

「……そう、思うよ」

 

 思わず熱を帯びてしまった自分を御さんと、茉優は俯いてクールダウンを図る。

 

「餓鬼の戯言だな」

「…………」

 

 一蹴だ。伽賀嶺はというと、『熱』の『ね』の字もなかったようだが。

 

「ぶつぶつぶつぶつうるさいなぁ、物は言葉を発しちゃダメだろ」

 

 そんな問答を無言で聞いていられるほど甲蝉は器が大きいかどうかといえば、答えはノーだ。

 この発言の行き先は無論、茉優だった。

 それなりに苛立ってるようで、小刻みに歯ぎしりしているのが騒音の中でもわかる。

 

「その気になれば轡もあるんだよ? するかい? んん?」

 

 茉優の前に出てきて、頬に手を。

 

「いい肌だから、あんまり痕を付けたりするのも忍びないんだけ」

 

『ど』。

 たった今まで勝ち誇って、御託を並べていた男が硬直する。

 何か何かと側近は固まっていたが、その時が訪れたのは、本当にいきなりの事で。

 

 

「うわアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 

 

 甲蝉は差し出した掌に走った激痛に、一切の我慢を無くして悶絶した。

「痕は付けたくない」と語った男の手に付けられた、非常に無情で痛々しい痕。歯型だ。

 どれだけ大きく絶叫したのか。

 だだっ広い空間一杯に響き渡ったそれは、そこにいる者全員を、一様に黙らせた。

 

「……ボクは、お前らの言いなりになんかならない。助けが来るまで、目一杯暴れてやる」

 

 出し抜けに生まれ落ちた静寂をかき切り、開口した茉優。不敵に笑ったその口から、少量の血が垂れている。

 自分が賞品ならば手は出せない。

 それを利用して、抵抗の限りを尽くす。改まって言うまでもない算段だった。

 

「――調子に乗りやがってエエエエエエ!!!!!」

 

 しかし、これがどうしてとんだ皮算用でもあった。

 彼が『短気が服を着て歩いているような存在』だなんて、茉優には知る由もなかっただろう。

 筋肉を限界まで膨らませた。平に血が滲むほどの力で拳を握った。風を切るレベルで振りかぶった。スイングした頬に当たった押し曲げた振り切った打ち飛ばした。

 

「――――っ!!」

 

 甲蝉はあれだけ気遣っていた茉優の頬を、性別どころか人道すら無視しかねない勢いで殴り付けた。

 耐えがたい激痛。

 どごっ、とあまりに痛々しく、およそ人体から鳴るとは思えない鈍い音が場内に響き渡る。

 

「っこの野郎……、僕に楯突いてんじゃねえよ……僕より頭の悪いクソバカ女がよォ!!!!」

「ッ!!」

 

 ざわつく場内を歯牙にもかけず、目をぎょろつかせ、息を整えるのも忘れて、抵抗も出来ない茉優を再び殴打する。

 

「僕は頭がいい! 友達も多い! 勉強が出来る! スポーツだって得意だ!」

 

 一発入れば、もう一発。

 

「そんな僕がなんで! 他人から批判されなきゃならねえんだ!!」

 

 執拗に。

 

「僕は最強なんだ!」

 

 ねちっこく。

 

「誰も文句なんざ言えねえんだッ!!」

 

 一か所を。

 

「なめた口聞いてんじゃねええええ!!!!」

 

 フルスイングで。

 一〇発入るか入らないかのタイミングで、拳は下ろされた。

「痛い」と言う暇もなく殴られ続けた茉優の左頬は、内出血で紫に晴れていた。

 口からボタボタ落ちる血液は、今度こそ本人のもの。

 

「……っぐ……」

「チッ、クソが」

 

 頭部を揺すられ続けても、意識ははっきりしている。喋れるかどうかは、別の話だが。

 金属音の後、茉優は己を縛る各所の鎖を外されたのがわかった。

 次の瞬間髪を引っ張られ、痛覚が悲鳴を上げたのも、わかった。

 

「いッ……!」

 

 甲蝉が歩きながら茉優を粗雑に牽引し、おもむろに場内へと出る。

 すると彼女の背中を蹴り、放って見せた。

 

「えー、諸君。取り乱して失礼」

 

 そうして口にするのは、

 

「お詫びにこちらの品、傷物ですが」

 

 少女を地獄に落とす、

 

「――山分けという形で、提供します」

 

 最低にして最悪の号令。

 

「な……!!!??」

 

 その言葉を聞きつけた瞬間。皆の目の色が変わった。

 プレイヤーも、観客も、その場にいる男という男が雄叫びを上げ、問答無用に茉優目掛けて一斉に駆け出した。

 

「そ、そん……!!」

 

 逃げ出そうとした茉優であったが、身長一六〇もいかない少女に、一丸となり巨大な津波と化した男達を避けることが出来る道理など、あるはずもない。

 あっという間に捕縛、獣臭い男共に取り押さえられ、嫌悪感を露にする。

 

「や、めろ!」

「お前が暴れんのをやめろよ……!」

 

 ばたつかせようとした手足は理不尽なまでの力で地面に磔にされた。

 

「うぁ……!」

 

 そのうち手が無数に伸びてきて、丸みを帯びた華奢な身体を小気持ち悪く弄び始める。

 

「かわいいなぁ……、お嬢ちゃんのかわいいところ、たっぷり見せておくれ」

「ち、ちょ……!」

 

 まず、ショートパンツが脱がされた。

 

「待っ……!!」

「へへへ、こいつぁ上玉だ!」

「く、――っ」

 

 次いで食指が向くのは上半身。

 まるで薄皮を剥くかのような手際でするりとパーカーをはぎ取られ、その二つの盛り上がりは姿を現した。

 布切れ一枚越しではあるものの、己にない豊満な隆起を目にした獣共は、よりいっそうの哮りを上げ、それを躊躇いなく手中に収めた。

 

「い、あ、ぁ!」

 

 歪めれば歪めるほど手に返る気持ちの良い力が、その柔さを以て男の理性を吸い取っていく。

 跳ねる短い絶叫も、柔肌を薄ら赤く染める憤怒も、この獣達には御馳走でしかない。

 

「気持ちいいだろ? 気持ちいいだろう? 言ってみろよ!」

「(ま……負ける、もんか……っ!)」

 

 饅頭のようにふっくらたわわに育った純白の果実の主は、されど、されどもと辱めに耐えて、抵抗にならない抵抗と発声にならない発声を幾度となく繰り返した。

 

「助けなんて、本当に来るのかねぇ……」

「!」

 

 胸元をまさぐりながら、男は言った。

 泣きっ面に蜂とはこういうことなのかもしれない。

 抗うことに手応えを覚えられず、しかして歯を食い縛って堪えていた少女の耳元で、無情にも囁かれた言葉。

 それを聞いた、いや、聞いてしまった彼女は、不覚にも芯がぶれる。

 

「……来る……」

「どうしてわかるの?」

 

 口の奥が震えた。

 屈してはいけないと思うほどに、丸腰の精神に覆いかぶさる妄言。それはやがてどちらが妄言かも、わからなくする。

 

「く、来る! 来るったら、来る……っ!」

 

 泣いちゃダメだと考えるほどに、黒曜石の光沢も増していく。涙だけは溢すまいと、踏ん張って。

「ひ」ぞくりと震えあがった肉体が、次なる悪意の到来を教えてくれた。

 

「こっちはどうかな」

「! や、やだ、そこは――!」

 

 下、だ。

 開かれた脚。未だ誰も踏み入ったことの無いなだらかで純麗な双丘の上、冷をばら撒きながら百足のように男の手が這い回る。

 布一重が何の役割を果たそうか。血と唾液とで汚れきった指がお構いなしに、温柔な地維をくにくにと踏み荒らす。

 一杯一杯の頭の中に、一気に恐怖と不快が注ぎ込まれた。

 

「――――っ!」

 

 肢体が撫で回される度、聖域が穢される度、どんどんラグが進んでいく思考。

 抜け落ちていく思い付き。一本調子な考え方。

 

「やめ、ろ……っ!」

 

 それでも、目を強く閉じ、首を懸命に振る。

 やれることがこれだけだから。意味など何一つない。

 だがここで自分が折れてしまっては。

 

「触るな! 触るなあっ!!」

 

 折れて、しまっては。

 

「……触……るな……」

 

 自分が、自分では――。

 

「さ、わ……」

 

 亭々たる虚空が嘲ったか、深淵なる闇色が誘ったか。

「ごめん」「いやだ」「悔しい」が混一されたモノは、少女の腹と頭の中で膨れ爆ぜた。

 そうして希望に突き放された茉優は、堪えていたものをついにぶちまける。

 求めていたものを前にし響く甲蝉の高笑いも、障害が消え失せ沸く男共の歓喜も――何も聞こえない。

 千切れそうなほどに唇を噛み締めて、さめざめと泣く。

 どうしようもないじゃないか。それしかないじゃないか。

 願ったって、叫んだって、何一つ変わらないじゃないか。

 

「やだ……ッ……」

 

 理由なき悪意に飲み込まれた彼女の脱力を合図に余興を終える男達は、

 

「う……」

 

 ついに最後の、脆く柔い障壁に手をかけた。

 うら若き乙女の“初めて”を収穫せんと。

 

「……っ」

 

 嫌だ。力なく、何度も唱える。

 もう開かないでくれ。強く、強く目を閉じた。

 世界は残酷だ。

 ただ幸せを願うだけの少女でさえも、底なしの絶望に堕とし込むのだから。

 これだけの人がいながらも、今、頬を伝う茉優の涙を見る者は――誰一人としていないのだから。

 

 

『ズドン』

 

 

 いや。

 

 

『ズドン』

 

 

 ここに一人。

 

 

『ズドン』

 

 

 そして、もう一人。

 

 

 謎の轟音で、またしても静まり返る場内。

「なんだ」「いいところで」「誰だよ」口々に獣が喚き散らす。

 そんな喧しさを鰾膠無く突っ返し、今一度揺れ動く――――扉。

 

「おい、見てこい」

 

 甲蝉に指示され男の一人が出入り口の方へ向かったその時、事は起こった。

 

 ドゴォォォン!!

 

 外れた扉が凄まじい勢いで風の輪を作り、男もろとも場内へぶっ飛ぶ。

 余力で小さく跳ねる鉄の戸は、衝撃でべこんべこんに潰れ、歪んでいた。

 

「!?」

 

 これが誰の仕業か。

 やはりここでも、甲蝉には心当たりがあって。

 

「……まったく」

 

 静観に終始していた伽賀嶺が刀を手に取り、無理やり開かれた長方形の一点を凝視する。

 

「ほう」

「こ……た……っ」

 

 たとえ、彼女が声を出せなくなっても。

 たとえ、彼女の涙が枯れたとしても。

 

「……いずれ、また相見(あいまみ)えるとは思っていたが」

 

 煙を裂き。

 闇を振りほどき。

 どこにいたって、彼らは必ず現れる。

 

 

「こうも早くに斬り直させてくれるか――」

 

 

 

「そいつから――離れろ」

 

 

 理不尽を斬る『守る剣』を、携えて。

 竹刀を持った二人と一体は、ついに死の盤と足を踏み入れた。



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