蒼色の名探偵 (こきなこ)
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邂逅編
Level.00 プロローグ


 不変を信じるのは、愚かなことだったのだろうか。

 

 

「私、好きな人ができたの。だから、ごめんなさい」

 

 平成のホームズ、日本警察の救世主などと呼ばれる高校生探偵工藤新一が、幼馴染みとデートで行った遊園地で目撃した、黒づくめの男たちによる怪しげな取引現場。見るのに夢中になるあまり、忍び寄る彼らの仲間に気付かず背後から襲われ、口封じにと飲まされた毒薬。本来なら死へと誘うはずだったそれは、高校生の体を小学一年生へと退行させた。

 ――生きていることが知られれば、今度こそ殺されてしまう。

 周囲を巻き込まないよう仮の姿『江戸川コナン』として、父親が探偵をしている幼馴染の家に転がり込み彼女の父親を名探偵へと仕立て上げながら、毒薬を飲まされた男たち――通称『黒の組織』に対抗すべく仲間を増やしていき、早半年。

 ようやく組織を壊滅させる目処が立ち、その準備に取り掛かっている時だった。

 何よりも大切な幼馴染に呼び出されたのは。

 幼馴染の毛利蘭は、保育園からの付き合いであり、初めて出会った時から好きだった女の子である。

 体が退行してコナンになってから、彼女にいくら望まれても本当の姿で会いに行けない歯がゆさに、何度も絶望した。電話だけでは寂しいと、望むときに会えないことに泣く彼女に何度も正体を明かそうとし、しかし巻き込んではいけないと思いとどまった。

 何度か仮の解毒剤で元の姿に戻り会いに行ったが、限られた時間は益々彼女に寂しさを募らせた。ロンドンで成り行き上とは言え告白し、正式な返事は貰えていないが、彼女と両想いであることは知っていた。コナンに彼女が自分の気持ちを打ち明けたこと、まだ幼馴染という関係でしかないにも関わらず、勘違いとはいえ女の影がちらつけば激しい嫉妬を見せ、怒りを顕わにしていたのだから。

「――何が何でも絶対に来て、来ないと許さないんだから」

 否定を許さない強い口調に、告白の返事だろうと当たりをつけたコナンは、同じ薬を飲み退行した体で組織から逃げ出してきた、薬の制作者であり今は共犯者として共に動いている灰原哀――本名宮野志保に拝み倒し、一時的に元に戻る解毒剤を飲んだ。激痛に必死に耐え、久しぶりの『工藤新一』の姿で毛利蘭の元を訪れ――予想通り告白の返事をされた。

「ごめんね、新一。これからも幼馴染でいようね」

 予感はしていた。

 前々から交流があった日本警察やFBIのみならず、国の中枢機関や他国の警察組織とも連携を取り合い、それらをまとめるブレーンとして『江戸川コナン』としても『工藤新一』としても慌ただしく暗躍し、ろくに幼馴染と連絡をとっていなかった。否、『江戸川コナン』として毛利家に居候しているので顔は合わせていたのだが、忙しさ故彼女の周囲の変化に気付くのが遅くなってしまった。

 気付いた時にはすでに、蘭は一人の男と親しくするようになっていた。名前は覚えていない、覚えることを脳が拒絶した。因みに顔にもモザイクがかかっている。

 二人の親しげな様子に嫉妬しつつも、手が離せない状況に唇を噛み締め黙ってみていた。

 心のどこかで思っていたのかもしれない、蘭なら大丈夫だと。

 きっとあの男は単なる友達で、危惧するような関係ではなくて。

 彼女の心は、変わることはないと。

 

 何もすることなく、馬鹿みたいにただ不変を信じて。

 

 気付けばもう蘭の姿はなかった。あの男の元に向かったのだろうか。

 心臓が焼けるように痛い。体中が悲鳴を上げている。

 それは、再び仮の姿に戻ろうとしているからか。

「新一は、私を置いていくから。だからもう、待たないことにしたの」

 それとも失われた未来への悲しみからか。

 胸が痛い。心が痛い。

 

 それでも涙は流れなかった。

 

 

 

 建物の崩壊する音が響き渡る。唸るような音は炎の波が押し寄せているからか。

 床を揺るがす振動。機械を通して呼びかけられる己の名前。

 ここまでか、と呟き、こみ上げてくる衝動に笑みを浮かべた。

 元の姿に戻りたい一番の理由を失った己を、世界は慰めてくれなかった。仮の姿に戻って直ぐ敵側の状勢が一変し、否応なく戦場に引きずり出された。個人の感情は不必要。ただひたすらそれぞれが信じる正義を貫き、勝者と敗者を生み出していく。

 己もまた、走り続けた。力を貸してくれた者たちの為に、体が悲鳴を上げようとも足を止めなかった。

 その結果得られたものは、己たち側の勝利。幹部とボスは捕えられ、長い戦いの幕が閉じた――かのように思われた。

『工藤君! 何をしているの、早く戻ってきなさい!』

 最後の足掻きとして、戦場の舞台となった建物に仕掛けられた爆弾が爆発した。

 今まで何度も経験してきたことのあるそれの威力はこれまでの比ではなく、敵味方関係なく逃げ惑う人々。これ以上誰も死なせないために己も必死で安全な場所へと誘導し、だが、ともに逃げることはしなかった。

『工藤君! 工藤君、返事をして!』

 この戦いで、多くの命が奪い奪われ失われた。己が奪った命もある。守れなかった命もある。それでも、誰も死なせないという信念を曲げてでも走り続けたのは、その先に元の体に戻れるという未来があることを、信じていたから。

 もう、毛利蘭の隣には帰れない。それでもずっと望み続けていた元の姿に戻りたかった。

 

 ――元の姿に戻れないと知ったのは、ボスが捕えられて直ぐだった。

 

 予感はしていた。

 己を見る人々の目がどこか同情的で、『工藤新一』ではなく『江戸川コナン』としての未来の話が度々持ち出されていたからだ。己がどれだけ元の姿に戻ることを渇望しているのか知っているにもかかわらず、『江戸川コナン』として生きることを勧めてくる周囲の人々。共犯者の灰原哀でさえ、ともにこのまま生きられたら、と仮の姿でいることを示唆するような言葉を呟いたこともあった。

 最悪な状況を考えての発言だと、この時はそう思うことで不信感を押し殺した。

 薬を完成させるには敵側にあるデータが必要であり、最悪入手できなかった時己が失望しないようにしているのだと、思いたかった。

「――可哀そうにな。こんなに頑張ったのに、元に戻れないなんて」

「まぁ、元から上は元の姿に戻すつもりはなかったみたいだけどな」

「解毒剤が効かなくなるまで仮のを飲んでいたんだから、自業自得だろ」

 捕えたボスを連行していき、ほっと気が緩んだ部屋の隅で交わされる会話。必死で薬のデータを探す己には届かないと思ったのか、隠されていた真実を声に出す。

 

 己はもう、元の姿には戻れない。

 何度も多用してきた仮の解毒剤。そこで出来てしまった耐性。たとえ薬のデータが見つかり完成しようとも、この体に効くことはない。

 一度だけでも使用するのを止めていれば、まだ間に合っていたかもしれない。

 ――毛利蘭の呼び出しに、応じていなければ。

 

 ハハッと笑い声をあげる。

 目の前にあるのは、一台のパソコン。画面に映るのは薬のデータ。

 爆弾から逃げずに留まり、やっとのことで見つけた希望の光。あとは帰りを待つ共犯者にこれを転送すれば、薬の被害者たちが救われる――己以外の、被害者たちが。

 つけているインカムのスイッチを切る。素早くパソコンを操作し、共犯者へのメールにデータを添付すれば、あとはエンターキーを押すだけだ。

 人差し指で軽く触れ、ゆっくりと息を吐く。

「何してんだろうな、オレ……」

 戻りたかった、幼馴染の隣に。

 戻りたかった、元の姿に。

 そのどちらも叶わない今、生きる意味などない。

 爆発音が間近で聞こえる。じわじわと体が炎に炙られていく。

「さようなら、『江戸川コナン』……『工藤新一』」

 ポチリとエンターキーを押す。

 それと同時に、部屋に仕掛けられていた爆弾が爆発した。

 

 

 最後に見たのは、灼熱の炎ではなく。

 転送される希望の光でもなく。

 闇を溶かしたような、黒だった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 頬に冷たい何かが落ちる感触に、コナンはゆっくりと重たい目を開けた。

 最初に飛び込んできたものは、天井でも空でもなく、鍾乳石。ツララ状に垂れ下がっているそれに、パチパチと数回瞬きをする。妙に重たい首を動かし周囲を見れば、見渡す限り石の壁。どうやら洞窟の中にいるらしい。今いるところは一つの部屋のようになっているらしく、少し離れたところに別の道らしきものがある。大分奥のほうなのだろうか、コナンが寝ている近くで焚き木が燃えており、それが洞窟内を照らしている。

 状況がつかめずぼんやりしていると、ピチョンと天井から落ちてきた滴が頬に落ちてきた。冷たいそれに、じわじわと思考も覚醒していく。

「――っ、爆弾は……っ!」

 肌を焼く灼熱の炎。建物中に仕掛けられた爆弾の嵐。やっとの思いで見つけたデータを転送した瞬間、爆発した部屋。

 ――そう、コナンは自ら爆弾に飲まれた。逃げることもできたが、生きる希望を見失い『工藤新一』とともに『江戸川コナン』を消そうとした。

 勢いよく体を起こす。全身だるいが、手足は無事に残ったままだ。銃弾やナイフやらで負った怪我はあるがなぜかすべて手当てされており、爆弾によって負った物は見渡す限り見つからない。

 覚えている限り、爆発した地点はコナンの直ぐ近くだった。避ける意思もなかったので直撃したはずなのだが、悪運強く爆発から免れたのだろうか――ここまでくると死神に嫌われているとしか思えない。

 顎に手を当て思考に沈む。直前のことはあまり思い出せないが、爆発の衝撃が体を襲った覚えはある。その衝撃で運よく直撃を免れたのか、しかしそれではなぜ洞窟にいるのか説明がつかない。

 ここに己を運んだのは一体誰なのか、日本警察、FBI、はたまた共犯者か。

 グルグルと悩んでいると、カツン、と足音が耳に届いた。

 ハッとして考えるのをやめて身構える。カツン、カツンと足音は徐々に近づいてくる。

 コナンはキック力増強シューズに手を伸ばし――何も履いていないことに気付き舌打ちをした。先ほどは怪我ばかりに気を取られており気付かなかったが、現在身にまとっているのは下着のみ。多機能付き腕時計型麻酔銃、どこでもボール噴出ベルト、蝶ネクタイ型変声機、伸縮サスペンダー、犯人追跡メガネ、その他持っていた阿笠博士作の道具がない。これでは襲われても反撃できない。

 大きくなってくる足音にコナンは息を止める。

 そして、見えた姿に「へっ?」と気の抜けた声を出した。

「黒衣の騎士……?」

 現れたのは、かつて帝丹高校学園祭の出し物の演劇で演じたことのある、『黒衣の騎士スペイド』だった。黒衣と名前に付くだけあり、その衣装は全身真っ黒、羽織るマントも漆黒、おまけに兜で顔を隠しているという設定だったため、文字通り頭の先からつま先まで真黒な役どころである。

 その『黒衣の騎士』が、目の前にいる。ご丁寧に兜までかぶり顔が見えない。違うところをあえて挙げるとすれば、その腰に下げている剣ぐらいだろう。

 一体これは何の、そして誰の冗談だと冷静になっていたはずの頭に血が上った瞬間、目の前の『黒衣の騎士』がこてりと首を傾げた。

「なぜ私の通り名を知っている? パートナーになる人間はそのような情報も得られるのか?」

「はぁっ!? 黒衣の騎士はオレが……っ!」

「……まあいい。体は動かせるか?」

 一歩、『黒衣の騎士』が近づいてくる。それから逃げようにも体が動かない。

 畜生、と呟き目をきつく閉じ、襲ってくるだろう衝撃に身を固める。

 足音は直ぐ近くで止まり、『黒衣の騎士』が動くのを感じた。頭に何かが触れ――さわりと、優しい手つきで撫でられる。

 思わぬそれに目を開けると、兜が目の前に来ていた。直接見えないが感じる視線に敵意は含まれていない。

「痛むところはないか? 一応できる限り手当てはしたのだが、何分薬草を探そうにも向こうと同じものがなくて……すまない、私に知識がないばかりに」

 頭を撫でていた手が頬に滑り、傷の直ぐ近くを撫でていく。

 一体この者は何を言っているのだろうか、とコナンは瞠目した。

 話を聞く限り手当てをしてくれたようだが、その理由がわからない。その前になぜ『黒衣の騎士』の恰好をしているのかも不明である。

「お前は、一体……」

 ごくりと息をのむ。目の前の状況を完全に把握しきれていないコナンに、『黒衣の騎士』は再び首を傾げ、ああと頷く。

「私はスペイド。本の持ち主である貴方を探していた」

「本……?」

「ああ。私は貴方がいなければ戦い抜くことができない」

 頬から手が離れ、今度は手を握られる。兜越しの視線もまっすぐに向けられる。

 

「どうか、私とともに戦ってくれないだろうか」

 

 その力強さは、死んだはずの『工藤新一』を引きずりだすものだった。




初めまして、初投稿となります。
好きな作品同士を組み合わせて書きたいと想い、この場をお借りすることにしました。
未熟者ですが、宜しくお願い致します。


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Level.01 蒼い本と魔物の子

 人間界とは別に存在するもう一つの世界――魔界。

 魔界にも社会があり、それを治める王がいる。

 その王を決める戦いが、千年に一度、この人間界で行われる。

 選ばれた百人の魔物の子どもが人間界に送り込まれ、王の座をかけて戦いあう。

 そして最後生き残った一人が、次の王となる。

 

 

「――で、お前はその百人の魔物の一人だっていうのか?」

「ああ、不本意ながら」

 淡々と説明してくれた『黒衣の騎士』に、コナンは額を手で押さえた。

 いきなりともに戦ってほしいと頼んできたので組織関連かと思いきや、まさかの魔界に魔物というファンタジーな世界。リアリストだと某怪盗に言わしめるコナンにとっては頭が痛い話である。

「それで、なんで俺がその戦いに協力しないといけないんだ? 魔物同士で勝手に戦えばいいだけの話だろ」

 助けてくれた恩があるので一先ず話に乗っかりながらも、このふざけた話の可笑しい点を突く。しかし『黒衣の騎士』は動揺することなく、目の前に一冊の本を差し出した。

「理由は、すべてこの本にある」

「本……そういえばさっきも、俺のことを『本の持ち主』とか言っていたな」

 差し出された本を受け取り、表紙を見る。

 真っ先に目を引くのは、その本の色だろう。己の目と同じ色の蒼色をしている。表題と思わしき場所に見たことのない文字が書かれており、その下に不思議なマークが描かれている。中をめくると、題名と同じ見たことのない文字で埋め尽くされていた。

 父親の教育方針上あらゆる国の言語を習得しているコナンでさえ読めないそれに、ほんの少しの不快感を抱く。このまま読めないと突き返せば負けな気がしてページをめくっていくと、一小節だけ色の違うページを見つけた。

 他の部分と同じ文字のはずなのに、なぜかこの部分だけ理解できる。頭に浮かんだ、といった方がいいのだろうか。読めたわけではない、何と書かれているか「理解」することが出来たのだ。

 その一小節を指でなぞる。ポウッと本が光り、口が勝手に理解できた部分を言葉にする。

 

「第一の術、アルド」

 

 刹那、本の輝きが増し、『黒衣の騎士』が素早く鞘から剣を抜いた。

 抜かれた剣の刃に、薄い膜状の水が張る。それに目を見開くコナンの前で、『黒衣の騎士』は高く跳躍した。

「ハァッ!」

 ザンッとツララを真っ二つに水を纏った剣が切り裂く。切り離されたツララが下に降り、地面に突き刺ささる。

「な……っ!」

 それらをコナンは呆然と見ていた。手品とは全く違い種も仕掛けもない、化学でも完全に説明することはできないだろう現象に、脳が目まぐるしく動く。

 剣を鞘に戻した『黒衣の騎士』はゆっくりとした動作でコナンを振り返った。動揺しているのが分かっているらしく、「今のが」とゆったりとした口調で説明する。

「私の使える術……人間界では『魔法』といった方が分かりやすいか」

「術……魔法……」

「魔界では私たち自身の魔力だけで出せるのだが、人間界では出すことが出来ない。そこで、この本が重要のカギとなる」

 コナンの前で跪き、蒼色の本に手を置いた。兜越しに感じる視線に顔を上げ、見えない視線と交差させる。

「この本は、私たちがこちらに送り出される前、一人一冊ずつ持たされた魔界の道具だ。人間がこの本を手に持ち呪文を唱えれば、魔物は術を使うことができる。

 私たちはこの本を燃やしあうことで勝敗を決める。燃やされた者は魔界へ強制送還され、最後まで本を燃やされなかった者が、王となる――これが、人間の力が必要な理由だ」

 突拍子もない話である。普段なら到底信じなかったであろう。

 しかし、実際に呪文を唱えて術を発動した。不可思議なそれはコナンの目にそれが真実であると映った。例え常識から逸脱していようとも、今までの価値観から外れていようとも、それが真実であるならばコナンは受け止める。

「分かった、お前の話を信じよう……だが、まだ疑問はある」

 深く息を吐き、警戒を解かず『黒衣の騎士』を見据える。

「なぜ、そんな不便をしてまでお前たち魔物は人間界で戦うんだ」

「その理由は説明されていない、だが前回もこの戦いは人間界で行われてきている。私の知っている者は、『人間に魔物を育てさせるため』だと言っていた」

「……オレを、選んだ理由は?」

 一番聞きたかった質問だ。なんとなく理由は察しているが、魔物からの証言が欲しかった。『黒衣の騎士』はコナンの質問に一瞬押し黙り、ゆるりと首を横に振る。

「選んだわけではない。貴方だけがこの本を読むことが出来るからだ」

「……やっぱりそうか。この色の違う一小節だけ『理解』出来るんだが、他の本も読めたりするのか?」

「いや、それは出来ない。この本を読めるのは本の波長と心の波長があった者のみ、一冊につきただ一人だけと決まっている」

「つまり、魔物は自身の本を読める人間とペアを組み、戦うのがルール。そしてお前の本を読めるのがこのオレで、だからともに戦ってほしいんだな?」

「ああ、そうだ。勝手だと分かっているが、お願いできないだろうか?」

 力強い視線とは打って変わって懇願するそれに、コナンは思わず苦笑を浮かべた。

 要するに魔物は人間の力無しでは戦えない、だからこそこの『黒衣の騎士』はコナンをあそこから救い出したのだろう。

 だが。コナンはゆっくりと首を横に振る。

 

「オレが本当にお前の本を読める人間なのか、まだ分からない。オレは、『オレ』じゃねぇから」

 

 コナンの拒絶に、『黒衣の騎士』は一瞬だけ悲しげな雰囲気を出した。それは直ぐに掻き消え、コナンの言葉を不思議そうに繰り返す。

「『オレ』じゃない? それは、どういう意味なんだ?」

「……お前はオレを生かし、事情を話してくれた。なら今度は、オレの番だな」

 この話を出会ってすぐの、それも人間ではなく魔物に話すことになるとは夢にも思っていなかった。だがどうせ最後なのだから、とコナンは自虐気味に笑う。

「オレは今、何歳に見える?」

「……人間でいうなら、六歳ほどに見えるが」

「ああ、そうだな。だが本当は十七歳なんだ」

「……成長が遅いのか?」

「そうじゃない。不注意でとある組織に毒薬を飲まされ、この姿に退行した」

 不注意で片づけてはいけないのだが、全てを説明する気はない。要点だけを掻い摘み、淡々と身の上の出来事を話す。

「周りに危害が及ばないよう、オレはこの仮の姿で組織を追いかけた。だが元の姿に戻ることは出来ないことが分かった――解毒剤が効かないんだとよ。仕方ねぇから組織だけでも潰そうと思って、その結果爆弾に巻き込まれ、お前に助けられた」

「……」

「この仮の姿で本が読めたとしても、元の姿に戻ればどうか分からない。もしかすると、本当の『読める人間』がどこかにいるかもしれねぇんだ。それに、こんなガキの姿をしたオレじゃ足手まといになるのが目に見えているしさ……だから、そいつを探して来いよ」

 本を『黒衣の騎士』の手に押し返す。早く立ち去れと念じるも、『黒衣の騎士』は動こうとしない。

「……すまない。私には理解できなかった」

 ポツリと呟かれたそれに、コナンは「だから」と言い募ろうとし、続けられた言葉に息をのんだ。

「貴方が『貴方』でない理由が、分からない。どんな姿をしていようとも、貴方は『貴方』ではないのか? 仮の姿でも本当の姿でも、『心』は一緒ではないのか?」

「――っ!」

「それとも別人格なのか? もう一つの魂がその体の中に合って、それが今の貴方なのか?」

「……ちが、う。別人格でも、別の魂でもない……」

「ならなぜ、『貴方』ではないと言うのだ」

「それ、は――……」

 言葉を出そうにも、出てこない。何といえばいいのか分からない。

 コナンは、己が『工藤新一』でないと思ったことはなかった。否、確かに「なぜこんな姿で」と思ったことは幾度もある。だがそれはこのような姿になったことを恨んでいるからこそで、『江戸川コナン』は『工藤新一』とは違う存在だと思ったことはない。

 『工藤新一』は『江戸川コナン』であり、『江戸川コナン』は『工藤新一』である――これが真実だった。

 それが今崩されているのは何故か。なぜ、この真実を誰よりも強く抱いていないといけないはずの己が、真実から目をそらしているのか。

 

「仕方ねぇだろ……周りはみんな、『江戸川コナン』を望んでいるんだ……」

 

 胸を強くつかみ俯く。ギリギリと痛むそこに歯を食いしばり、だが涙は流さない――流せない。涙はとうの昔に枯れ果てている。

 コナンの秘密を知る者が『江戸川コナン』として生きることを勧めてくるのは、コナンが元の姿に戻れないと知っているからだということは分かっている。しかし感情は追いつかない。そこまで簡単に『工藤新一』は切り捨てられる存在だったのかと、叫んで回りたかった。何より、秘密を知らない幼馴染は『工藤新一』を切り捨てた。『工藤新一』の帰る場所は、どこにもない。

 『工藤新一』は死に、『江戸川コナン』は生きる。それが周囲にとっての真実であり、コナンはそれに合わせるしかなかった。

 『江戸川コナン』と『工藤新一』は違う存在。それが偽りだと知っていても、真実であると言う仲間たち。

 

「ならば私が言おう。どんな姿をしていても、貴方は『貴方』であることに変わりない」

 

 ――そんな中、誰もが目を背けた真実を、『黒衣の騎士』が突きつけた。

 

 ハッとして顔を上げれば、変わらず兜とぶつかった。隠されていようとも分かる視線は、まっすぐにコナンを貫いている。

「先ほど、私は本が読めるのは本の波長と心の波長があった者のみだと言った。だが、もう一つ理由があると聞いている」

「もう一つ……?」

「――魔物と心の形が一致する人間が、本を読むことが出来ると」

 そっと、『黒衣の騎士』の手がコナンの手に重ねられる。その位置はちょうど胸当たり。

「貴方が私の本を読めたのは、仮の姿をしているからではない。貴方の心が、私の心の形と一致しているからだ」

「……っ」

「どうか、信じてほしい。貴方は私の、いや、貴方だけがパートナーであることを」

 手を握りしめられる。黒い手袋越しの感触に、コナンは「でも」と再び目を伏せる。

「オレは、こんな姿で……」

「それは、元の姿に戻りたい、ということか?」

「っ、そんなの当たり前だろう! そのためにオレは、頑張ってきたんだ!」

 思わず叫ぶコナンに、スペイドは数拍黙った後「分かった」と手を放した。

「それなら、私が役に立つはずだ」

「は?」

「私の能力で、貴方を元の姿に戻せるかもしれない」

 

 

 

「魔物は多種多様な能力を持つ種族であり、それぞれによって様々な能力を併せ持っている。私の一族は水を司っていて、能力も水に関するものが多い。私もまた、その一人」

 黒い手袋を外したスペイドは、コナンの目の前で手のひらを上にした。途端そこに水の球体が現れる。

 如何にも魔物らしいそれに、コナンはほおと感嘆の息を吐いた。

「すげぇ……これ、飲めるのか?」

「健康状態で飲めば死ぬ」

「ウゲッ!?」

「だが、今の貴方のように体に毒がある者が飲めば、その毒と中和される。簡単に言えば解毒水のようなものだ」

「これが……」

 『黒衣の騎士』の手のひらにある水球体に、コナンは唾を飲み込んだ。

 諦めていた元の姿に戻る方法が、こんなところで見つかるとは思わなかった。『黒衣の騎士』を信じていいのか分からない。だが、どうせ死ぬはずだった身なのだ、一か八かこの魔物にかけてみようと思う。それで死んでも、悔いはない。

 意を決して受け取ろうと手を伸ばすも、『黒衣の騎士』は水球体を乗せたまま手を引っ込めた。なんだよと胡乱な目を向けると、何やら戸惑いの視線を感じる。

「これを飲む前に、聞きたいことがある」

「なんだよ」

「……私が貴方を見つけたあの建物は、人間同士の戦場だった。その戦場が爆破されてもなお、貴方は動こうとしなかった。私が間一髪で入り込まなければ、そのまま死んでいたはずだ」

「……ああ、そうだ。というか見ていたのか?」

「周りに人が多すぎて近寄れず、接触できる機会をうかがっていた」

 さりげなくストーカー発言を聞いた気がした。

 ここで深く突っ込んで聞いてはいけないと直感したコナンは『黒衣の騎士』の言葉を受け流し、それでと話を促す。

「なぜ、死のうとした」

「……生きていても、仕方ねぇだろ」

 ぴくりと『黒衣の騎士』の肩が揺れ動いた。顔を俯かせ、水球体を乗せていないほうの手でコナンの腕をつかむ。

「約束してほしい。この戦いの間だけでもいい、命を捨てる真似だけはしないでくれ」

 腕をつかむ手は震えていた。よほど動かなかったコナンが衝撃的だったのだろうか、ここで初めてコナンは己の選択を後悔した。

『黒衣の騎士』の手に手を添え、そっと両手で包み込む。

「お前がそれを望むなら、約束する」

「……絶対、か?」

「ああ、絶対に守るよ」

 ――『江戸川コナン』と『工藤新一』の真実を見つけてくれたのだから。

 言葉には出さず心の中だけで呟き、コナンは約束する。

 それに安堵したのか、『黒衣の騎士』の雰囲気が和らいだ。

 不思議な魔物である。己が演じた『黒衣の騎士スペイド』に似ているが、園子が考えたように気障なセリフは吐かない。そもそも工藤新一よりも一回り小柄である。

 そこまで考え、ふとコナンは重要なことに気付いた。

 

 この『黒衣の騎士』の名前を聞いていないことに。

 

「お前さ、名前なんて言うんだ? 『黒衣の騎士』じゃねぇんだろ?」

「ああ、それは私の通り名だ――スペイド、と呼ばれている」

「スペイド……」

 どうやらその名前も一緒だったらしい。園子は魔界の電波でも受信したのかと疑いたくなる位の一致ぶりである。

「そうか、よろしく、スペイド。オレは江戸川コナン、本当の名前は工藤新一だ」

「……ならば、新一と呼ばせてもらおう」

「ああ、そうしてくれ、スペイド」

 迷うことなく真実の名を呼んだスペイドに、コナンは笑みを向けた。再び差し出される水球体を持つ手を包むようにして握り、自らの口に近づける。

「この水は、毒が強ければ強いほど体にも負担がかかる。それでもか?」

「当然だ。オレの望みは、元の姿に戻ることだからな。それに、折角スペイドに助けられたんだ。こんなところで死にはしねぇよ」

「……それについては、心配していない。先ほど約束したからな」

「ははっ、そうだったな。んじゃ、いただきます」

 チュウ、と水球体に口をつける。そのまま吸い込み――こくりと喉に通した。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「すっげー、本当に完全に戻れた……」

 コツコツと地面をつま先でけりながらコナン――否、新一は元に戻った体に嬉しそうに顔をほころばせた。

 

 スペイドと邂逅してから、早一週間が過ぎ去った。

 スペイドの解毒水はゆっくりと効いていくものだったらしく、コナンの中の毒をすべて中和するまで三日はかかった。その間新一は激痛を必死に耐え、元に戻れた後も反動で動くことが出来なかった。

 ようやく自分の足で立てるようになり、リハビリにと新一は洞窟内を歩き回る。まだ足取りはしっかりしないが、すぐに元のように歩けるだろう。

 

「新一」

「スペイド、お帰り」

 

 洞窟の外に出ていたスペイドが戻ってきたので、新一はそちらにおぼつかない歩みで寄っていく。相変わらず兜を被っているスペイドの手には紙袋があり、新一はそれを見て顔を輝かせた。

「買ってこれたんだな」

「ああ、緊張した」

「サンキュ、助かった」

「元は私のせいだ、気にするな」

 スペイドから紙袋を受け取りいそいそと中身を出す新一に、スペイドは苦笑をこぼす。

 だが決して笑い事ではない。コナンは六歳の姿であり、新一は十七歳。元の姿に戻るということは、当然それまで身に着けていた下着類は着られなくなるということである。

 そのことに途中で気づいた二人は、一先ず新一の体はマントで覆い、話し合った結果動けない新一の代わりにスペイドが外に買いに行くという結論で落ち着いた。だが、スペイドはまだ人間界に慣れておらず、通貨も持っていない。本の力を借りれば強奪することは簡単だったが、新一もスペイドにもその選択肢は全く無かった。

 仕方なくスペイドは一か八かの賭けに出ることにした――本無しで魔物と戦うことにしたのである。丁度この近くに魔物がいるらしく、スペイドはそれに戦いを挑んでくると言い出したのだ。

 当然新一は反対した。しかしスペイドが「大丈夫だ」と言い切り、苦しむ新一を置いて戦いに繰り出した。

 その結果無事本無しでも勝利し、相手の本を燃やす代わりに有り金をすべて頂き、それで新一の服と下着を買ってきた、というわけである。

 

「スペイド、助かったがもうこんなことするなよ。運よく勝てたから良かったものの……」

「勝てると分かっていたから挑みに行った」

「……いや、でも万が一強い魔物だったら……」

「安心しろ、私は強い。そこらの魔物には呪文抜きでも勝てる自信がある」

 えっへんと胸を張るスペイドに、新一は着替えながら呆れた視線を向けた。この一週間ともに過ごし気付いたのだが、この魔物はこと戦いにおいて自身の力を信じ疑わない面がある。それがどこから来るのか分からないが、まるでコナンになる前の己を見ているような気がしてなんとなく落ち着かない。

 そう、このスペイドは新一によく似ていた。性格面でも、その素顔も。

「スペイド、ちょっとその兜取れ」

「なぜ?」

「いいから」

「……分かった」

 新一の命令にスペイドは渋々従い、兜を両手で取る。

 その下から現れたのは、新一によく似た顔立ちの『少女』だった。新一も母親似の中性的な顔立ちをしているが、女と間違われるほどではない。スペイドはその新一を女の子にしたような顔立ちをしていた――つまり男ではなく女だった、ということである。

 体つきが男っぽくないと思っていたが、まさか女の子だったとはと新一は改めて魔物の末恐ろしさを感じた。スペイドが特殊なのかもしれないが、まだ彼女以外の魔物と出会っていないので判断することが出来ない。

 新一は手を伸ばし、スペイドの頬に手を添えて眉を顰める。

「けがの手当てをしろと言っただろ、スペイド」

「この額の傷は元から……」

「額じゃねぇ、この頬の傷だ」

 『黒衣の騎士スペイド』と同じように、スペイドの額にも切り傷があった。魔界のことにつけられたものらしく、治ることはないらしい。その傷以外にも前の戦いでできた傷があり、新一はギリッと奥歯を食いしばる。

「もうオレは大丈夫だ。だから、一人で戦おうとするな。わかったな?」

「……分かった。約束する」

「そうしてくれ。ああ、でも助かったのは本当だ。ありがとう、スペイド」

 叱られたことに落ち込んだスペイドを慌ててフォローすれば、パッと顔を輝かせ嬉しそうにほほ笑んだ。兜の下にはこんなにも豊かな感情表現が隠れていることを勿体ないと思うも、スペイドが望んで被っているらしいので何も言わない。

 服に着替え終わり、新一はスペイドにマントを返した。ようやくマント一枚の生活から解放され、新一も笑みを浮かべている。

「よっし、これで外に出られる。待たせて悪かったな」

「いや、元気になって嬉しい……だが、本当にいいのか? 何も言わないで私とともに旅に出て」

「……いいんだよ、これで」

 心配そうなスペイドに、新一はゆっくりと首を振る。

 新一がスペイドに助けられ、動けるようになるまでの間、外の世界ではその死が全国的に発表されていた。コナンであったことは伏せられてはいるものの、『世界的裏組織を壊滅に導いた奇跡の名探偵』として今までの経緯を報道されている。それは恐らく『江戸川コナン』が死ぬ前から用意されていたものなのだろう。彼らにとって予想外だったのは『江戸川コナン』までもが死んでしまったこと。だが、『江戸川コナン』は架空の存在。事情を知らない者たちには日本を経ったときの理由『両親とともに暮らせることになった』のまま、その死は知らされていないはずだ。

 今更のこのこと出て行っては、それこそ追われる日々になってしまう。そうなればスペイドの戦いの邪魔になるのは想像に容易い。

 日常か、非日常か。

 新一の決断は早かった。

 

「『探偵』は死んだ。今ここにいるのは、スペイドの『パートナー』だ」

 

 今までの日常を捨て、大切だった仲間たちも切り捨て、魔物を選ぶ。

 

「よろしく、スペイド。ともに戦おう」

 

 新一に選ばれた魔物の少女は一瞬複雑そうな表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべた。




次から時間が飛び、ガッシュ達と出会う予定です。
新一は日常を切り捨てましたが、彼の精神的成長がこの話のテーマでもあります。魔物との戦いを通してゆっくりと成長していきます。
「金色のガッシュ!!」の良いところは、魔物も人間も大きく成長していくところだと思っています。


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Level.02 戦う理由

 黒が地を駆ける。

 最近やっと動きについていけるようになった新一の目にも、少女が本気を出せば残像としか映らない。

 黒いマントを翻し、水を纏う剣で敵の攻撃を薙ぎ払い、蒼い双眸は前を――目の前にいるはずの魔物を通り越し、更なる高みを見据える。

「新一」

 戦闘中とは思えないスペイドの静かな呼びかけに、新一は魔本のページをめくる。

「第六の術――」

 ザン、とスペイドが剣を地面に突き刺す。本の輝きが一層増し、新一は呪文を唱える。

「――ガンジャス・アルセン!」

 ゴゴゴゴと地鳴りが響き、敵のすぐ下の地面から複数の水流が不規則に噴き出す。

 予測不可能なそれをまともに受ける魔物とそのパートナー。手から放り出された魔本に水流が直撃し、ボウッと燃え上がった。

 

 

 

「スペイド、怪我はないか?」

「ああ、問題ない。新一こそ無事か?」

「……そのセリフはオレを戦闘に出してから言ってくれ」

 魔界に強制送還される魔物を見送らずその場から逃げ出した人間を一瞥し、新一はためていた息をゆっくりと吐きだした。

 スペイドとともに魔界の王を決める戦いに参戦してから二か月は経ったが、未だ魔物との戦いは緊張する。

 じんわりと襲ってくる疲労感は、心の力を使いすぎたからだろう。

 魔物が本来持つ魔力を使えない代わりに、人間の持つエネルギーを使って術を出す。このエネルギーは感情や精神力などといった精神的な力のことであり、本の使い手たちの間では『心の力』と呼ばれている。ただしこの力は無限にあるものではない、強い呪文になればなるほどその消耗は激しくなり、使い切る頃には身体面にも影響を及ぼす。

 人によって心の力の容量は変わる。元探偵である新一は数多の修羅場を潜り抜けただけあり、容量は人一倍多かった。その分疲労感も増すのだが、これでスペイドの戦いが有利になるのなら安いものだ。

 肩に手をやりながらパートナーを見る。どこからともなく取り出した兜をすっぽりと被っていた。己によく似た顔が兜に隠れいつものように全身真っ黒になる姿に、眉間に少しだけしわが寄る。

「毎回言っているが今回も言うぞ、その兜は戦いの最中こそ被れよ」

「毎回同じ返答をしているが今回も言おう、この兜は戦闘用ではない。

 それよりもホテルに帰ろう、新一。今日はレモンパイの日だ」

「はいはい……勿体ねぇの」

 戦った後とは思えないほどリラックスしているスペイドに、新一はポツリと呟いた。

 日常を捨て非日常を選び、常に彼女と行動をともにしている。その中で気づいたことは、日常生活において頑なに兜を外そうとしないこと。新一と二人きりの時でも外すのを躊躇う。流石に風呂の時は外しているが、寝る時まで兜を被ろうとする。

 そんな中、唯一例外として、魔物との戦闘になると兜を自ら外す。

 肩に届く程度の濡れ羽色の髪を靡かせ、蒼色の目で見据えるその姿は、パートナーである新一でさえ感嘆するほど美しい。敵側の魔物が一瞬目を奪われていることもしばしばあった。

 彼女曰くこの兜は日常用で、壊れないよう戦闘中には外すらしい。新一としてはその時こそ被っていてほしいのだが、この頼みが聞き入れられたことはない。

 好物のレモンパイに想いを馳せふんふんと機嫌よく鼻歌を歌っているスペイドの後に続きながら、新一はやれやれと目を細める。

 何やかんや言いつつも、新一の中で非日常は日常へと変わりつつあった。

 

 

 

 新一とスペイドがここ数日泊まっているホテルは、連泊する利用者に対してティータイムのサービスを行っている。希望する時間に、好きな飲み物と日替わりケーキを無料で注文できる。頼めば部屋まで運んできてくれるため、この時間は二人のお気に入りの時間だった。

 本日のケーキは、スペイドの好物なレモンパイ。

 新一もケーキの中では一番好きだが、スペイドのレモンパイにかける愛は突き抜けていた。

「……っ!」

「分かった分かった、美味しいのは分かったから無言で机を叩くな。壊れたらどうする」

 レモンパイを口に含み、悶えながらテーブルをバシバシと叩くスペイドに新一は苦笑をこぼす。例え女の子でも魔物の子、その力は大の大人以上あるため人間用に作られた家具を壊すことは容易い。勢いの余りうっかり壊しちゃった、などが起きても可笑しくない。実際スペイドは起こしたことがある。

 とは言え、嬉しそうに頬張る姿に強く止めることは出来ない。新一はコーヒーを飲みながら、仕方ないなと目を細めた。

「スペイド、オレのも食べて良いぜ」

「いいのか!?」

「ああ。今日は頑張ってくれたからな」

 幸せそうな様子に絆されて己の分を差し出せば、スペイドの頭上に花が舞った。兜に隠されている顔がどんな表現を浮かべているか想像に容易い。

 いそいそと二皿目に手をつけるスペイドに、なあと新一は話しかける。

「魔界にいた頃から、レモンパイ好きだったのか?」

「ああ。母様が作るのをよく食べていた」

「へぇ」

「他のは何故か異常状態になるものばかりで、安心して食べられるのがレモンパイしかなかったというのもあるが」

「……異常状態……」

 思わず顔が引きつった。非常に気になるが、聞けば後悔する気もする。

 好奇心と嫌な予感がせめぎ合っている新一に気付かず、スペイドは魔界にいた頃を思い出しているのかしんみりとした雰囲気を出した。

「母様のレモンパイを越えるものは、恐らくないだろう」

「そんなに旨いのか?」

「……旨いというよりも、思い出の母の味だから、かもしれない。もう二度と食べられないからこそ、あの味が懐かしい」

「……もう二度と?」

 引っかかりを覚える単語を探偵でいた頃の癖で拾えば、スペイドはキョトンとした後「言っていなかったな」と何でもないように続ける。

「両親は幼い頃に亡くなった」

「……っ、悪い」

「いや、今まで黙っていた私が悪い」

 無神経に踏み込んでしまったことを謝罪すれば、スペイドは首を横に振った。紅茶で喉を潤し、長い話の準備をする。

「新一がパートナーになって二カ月。戦いにも慣れてきたようだし、私について話すべきだろう」

「お前の家庭事情は無理に話さなくていいんだけどなぁ……」

「違う、私のこの戦いでの目的だ」

「――王になることじゃ、ないのか?」

 ともに戦ってほしい、とスペイドは新一に頼んだ。つまりそれは、この王を決める戦いにおいて、王を目指すということになる。

 だが、スペイドは首を縦にではなく――横に振った。

「私は王になりたいんじゃない――王になる者を、守りたいんだ」

 

 

 

「私は幼い頃に両親を亡くし、父様の知り合いだった王宮騎士の一人に衣食住を養ってもらっていた。その恩を返すべく私は修行を重ね王宮騎士になり、王子の世話係として王族を守ってきた」

「……よかった、実は王女だとかじゃなくて……」

「王女? 現王の子どもは男児だけだが……」

「こっちの話だ、気にしないでくれ」

 園子が脚本を書いた話と同じでなくてよかっただけだ、と心の中で呟く。

 誤魔化す様にコーヒーを飲みながらも、新一はようやくスペイドの持つ妙にありすぎる自信の訳を知った。

 王宮騎士がどれほどの存在かは分からないが、少なくとも狭き門を潜り抜けた精鋭集団なのだろう。女の身でありながら王子の世話係という重要職についていた彼女の腕前は、その中でも群を抜いていたに違いない。事実、新一とペアを組んでからというもののかすり傷ひとつ負っていない。本抜きでの戦いでも、頬以外の傷はなかった。

 だからと言って、新一を戦闘に出さないのは違う話である。

 この二カ月間ともに修行はするものの、戦闘となれば前線に立たず後方で指示を出し呪文を唱えるだけだった。スペイド一人に戦わせるのは非常に不本意である。

「おい、まさか王宮騎士のプライドからオレを戦闘に出さなかった、とか言うんじゃねぇだろうな?」

 思わず目を半目にすれば、スペイドは体を震わした。

「そっ、そうじゃない。だが新一は人間だ、戦うのは体が丈夫な私一人で十分……」

「オレが嫌なんだよ! お前が戦っているのに、黙って後ろで見ているだけなんて性に合わねぇ」

「新一だって戦っている。不注意になりがちな私に的確な指示を出し、呪文を唱えてくれている」

「そんなの当たり前だろ!? なんのためのパートナーだよ!」

「……新一、そういきり立つな。そう言ってくれるだけで、私は嬉しい」

 どうどうと宥められ、新一は鼻息荒く腕組みをした。この件に関してはいったん保留するが、また近いうちに議論しなければならない。

 渋々ながらも感情を沈めたのを確認してから、スペイドは話を続ける。

「王子の世話係になって一年経った時、この王を決める戦いが行われることになった。だが今まで王族に仕えていた身、王になりたいなど口が裂けても言えない」

「……そうかも、しれないな」

 この戦いに参加出来た時点で王になる権利は持っているはずなのだが、根が真面目なスペイドには恐れ多いものなのだろう。

「だが私はこの戦いに参加している。ならばと考えた」

「――王族を守るってか?」

「……いや、王子は私など必要としていない、あの方は……」

 そこで言葉を切ったスペイドは、その後の言葉は続けなかった。

「私は、私が仕えたいと思える『王』を探したい。だからこそ、この戦いを生き抜きたいと思っている」

「――だから、『王になる者を守りたい』か……」

「今まで黙っていてすまなかった。だが、これが私の本当の願いなんだ」

 深く頭を下げるスペイドの兜を、新一はこらと軽く小突く。

「言っただろ? お前はオレのパートナーだって。お前の望みがそれなら、オレはそれを叶えてやるだけだ」

「……いい、のか?」

「じゃねぇと、今頃ここにいねぇよ」

 恐る恐る見上げてくる少女に新一はニヤリとした笑みを向ける。

 確かに予想外だったのは事実だが、裏切られたとは思わない。むしろ話してくれたことのほうに喜びを感じた。

「探そうぜ、オレ達の『王様』を」

「っ、ああ、よろしく頼む」

 今の新一に、スペイド以上に大切だと思える存在はいないのだから。

 スペイドが望むのなら、新一はそれを叶えてやりたい。

「ついでに聞いておくが、お前の中で『王』候補はいないのか?」

「……いないことは、ない、が……」

 参考までにと問いかけたそれに、スペイドは歯切れ悪く唸る。

 珍しい反応に意外に思いつつも、「そいつは?」と遠慮なく追及する。

「まだ生き残っているのか?」

「……恐らく。新一と出会う前だが、遠目から一度見たことがある」

「場所は? 国外だったらパスポートを発行しないといけねぇんだけど……」

 頭の中で発行までの計画を練りつつも、出来れば国内であってほしいのが本音だ。今の新一に戸籍は存在しない、スペイドは魔物なため論外。一人分ならまだしも、二人分だと骨が折れる作業になる。

 しかし、国内にその『王』候補はいないだろう。二カ月も隣にいたのだ、そんな存在がいれば気付いている自信がある。

 案の定、スペイドは「国外だ」と小さく答えた。だが国名は言わず黙ったまま。

 詳しい場所まで分からないのか、はたまた行きにくい国なのか。

 スペイドはそわそわとしながらも、覚悟を決めその国の名を告げる。

 

「――日本、だ」

 

 ――ヒュッと、息をのんだ。

 固まる新一にスペイドは膝の上で手を握りしめる。肩が震えているのは新一を怒らせるという恐怖故か。

 日本。そこは新一が生まれ育った国。新一の大切だった人たちが住む、大切だったはずの――帰る場所のない国。

 もう二度と、踏み入れることはないと思っていた。このまま異国の地で、静かに人知れず死に絶えるつもりだった。

 そっと目を伏せる。二カ月経った今でも、幼馴染への想いは諦め悪く心の中から消えていない。今彼女がどうしているだろうかと、ふとした瞬間思い出しては告げられた別れの言葉がよみがえり、何とも言い難い感情に襲われる。

 忘れろと、この長年胸に抱き続けた彼女への想いを無かったことにしろと、運命はそう言っているのだろうか。

 行きたくない。出そうになる言葉を飲み込み、新一は伏せていた目を開ける。

「分かった、日本に行こう。すぐに準備をする」

「新一……」

「大丈夫、オレは平気だ」

 暴れだしそうな感情を抑えて。震えだしそうになる体に気付かないふりをして。

「平気、なんだ」

 相棒の為に、嘘をついた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 善は急げとあらゆる手段を用いて二人分のパスポートを発行手続きを済ませた新一は、長い空の旅を終え故郷の大地を踏みしめていた。

 日本では盛大に工藤新一の死が報道されたと聞いている。ネット情報によると、空前の探偵ブームが沸き起こっているらしい。日本のみならず世界を代表する名探偵になっている新一が当然そのきっかけであり、死人へのプライバシーの配慮など知らないように個人情報が多く曝け出されていた。学園祭で『黒衣の騎士スペイド』を演じた時のことまで流れていたので、折角だからとスペイドに見せると盛大に驚かれた。閑話休題。

 顔もさらに広く知れ渡っているので、帽子を被りサングラスをかける。スペイドは着替えてもいいが兜は絶対に取らないと駄々をこねたため、何時も通りの騎士の恰好。

 つまり、余計に非常に目立つ状況になってしまっていた。ひそひそと聞こえてくる話し声が耳に痛い。

 逃げるようにタクシーに飛び乗ったが、運転手からじろじろと見られた挙句「コスプレですか?」と聞かれスペイドが静かに怒りを露にし、止む無く途中で降りることになった。

 日本についてからというものの、後先不安になることしか起こっていない。

「新一、私の恰好は決してコスプレではないからな!」

「ちゃんと知っているから、そう怒るな」

 プンスカと怒っているスペイドを宥めながらも、新一は周囲を警戒する。幸い米花町から離れたモチノキ町で降りることができたが、何時どこで知り合いと遭遇するか分からない。早いところスペイドに『王』候補の居場所を探ってもらいたいのだが、肝心の彼女はまだ怒りに支配されている。

 どうしたものかと悩んでいると、「ヌオォオオオ!」という叫び声が聞こえてきた。

 それに新一は悩みを、スペイドは怒りを忘れ声のした方を見る。

「バルカン! バルカーン!」

 並び植えられた街路樹の一つの下で、小さな男の子が泣きながら手を伸ばして飛び跳ねていた。愛くるしい顔立ちに金髪の髪だけみれば単なるかわいらしい少年だが、大きな目の下の一本線に胸にブローチをつけた紺色のマントがスペイドと同じ匂いをさせている。

 ピョンピョンと飛び跳ねている先を見ると、枝のほうに何かが括り付けられていた。どうやらそれを取りたいらしい。

「届かぬ! 私の背では届かぬ! バルカン……バルカーン!」

 膝から崩れ落ちる姿だけ見れば、可哀想な少年そのもの。だがその叫んでいる対象を見れば、途端コメディと化す。

 真剣だからこそ面白い。思わずクスリと笑うと、それが聞こえたのか少年が勢いよく顔を上げた。

「おお、人が来てくれたのだ! 頼む、バルカンを助けてやってほしい! 清麿に括り付けられてしまったのだ!」

 ダダダダッと走ってきた少年は叫びながら新一の足にしがみついた。涙目で見上げられ、新一は笑いを引っ込めて宥めるようにその頭を撫でる。

「いいぜ、助けてやるよ」

「本当か!? お主はいい人だな!」

 パァッと男の子の顔が輝いた。早くとお尻を押され、踏ん張り切れず押されるまま動く――この少年、外見から想像できないほど力が強い。

「押すなって。スペイド、オレの鞄持ってくれ――……」

 慌てて肩にかけていたスポーツバックをスペイドに手渡そうと振り向き、視界の端で黒が揺らめく。

 無意識に目で追いかければ、スペイドが飛んでいた。

 高く跳躍をし、軽々と太い枝に飛び乗ったスペイドはサル顔負けの機敏さで移動し、細い枝に括り付けられていたものを手に取った。そのまま軽やかに地面に着地し、少年の前で膝をつく。

「これで間違いないか?」

「おお、バルカン! どうもありがとうなのだ! お主もいい人なのだ!」

 少年はスペイドの手から受け取り、ニッコリと太陽のような笑みを浮かべた。彼がバルカンと呼んでいたものは、お菓子の箱に割り箸の手足がつけられた手作りのオモチャで、『バルカン300』と書かれている。

 何も警戒していないその姿から、スペイドが魔物であると気付いていないことが窺える。つまりただの一風変わった人間の少年なのか、とスペイドを一瞥し――新一は目を見開いて固まった。

「どう致しまして」

 スペイドが笑っていた。否、兜に隠れているため表情は分からないのだが、雰囲気がとても柔らかなものになっていた。唯一見える口も弧を描き笑っている。どう考えてもこれは、笑っている。

 先ほどの怒り具合との差に、新一は我が目を疑った。一体彼女にどんな変化が起きたのか、考えるのが怖い。

 無論そんなことなど知らない少年は、元気よく自己紹介をする。

「私はガッシュ・ベルなのだ!」

「私はスペイド。そしてパートナーの新一だ」

「スペイド殿と新一殿だな! 二人はバルカンの恩人なのだ!」

 オモチャを取ってあげただけで大げさな、とも思わないでもないが、少年――ガッシュの顔は真剣そのものなので小さく笑うだけにとどめる。

「……本当に、そういう所も変わらないな」

 ポツリと、スペイドが呟く。その言葉にガッシュは「ウヌ?」と首を傾げ、新一はまさかとガッシュを凝視する。

「スペイド殿、変わらないとは何だ?」

「……貴方のその性格が、昔と変わっていないという意味だ」

「昔? お主、私の知り合いか?」

「知り合い……とは呼べないな。こちらに来る前に一度だけ、会ったことがあるだけだから」

 信じられない言葉に新一は嘘だろ、と呟く。スペイドの言葉を否定するものではない、その言葉の意味するものが信じられなかった。

 こちら、とは人間界のことだろう。すなわちガッシュと会ったのは、魔界でのこと。

「私も貴方と同じ、魔物だ」

 スペイドの言葉に、魔物の子どもであるガッシュは大きな目を更に見開いた。




邂逅編突入です。
時期は10月下旬なので、VSバランシャの前後あたり。まだ魔物の数は40以上です。
次回は清麿との出会いです。



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Level.03 伝えたい心

 伝えられた真実に、ガッシュは丸い目を見開きながら「ウヌゥ」と唸った。

「お主、魔物だったのか……」

「……って、気付いてなかったのかよ!」

 ポツリと呟かれたそれに新一が崩れそうになる。

 この戦いにおいて魔物は魔物と引き合う運命にある。人間と見間違えることはまずなく、たとえ紛れていようとも直ぐに見分けがつく――とスペイドから聞いていた。

 だというのになぜ、この少年の姿をした魔物は見分けがつかないのか。魔物の中にも例外が存在するのか。

 困惑する新一をよそに、スペイドは全く動じた様子を見せない。

「貴方は魔界の記憶を失っているから、力の一部が眠ってしまっているのかもしれない」

「なっ、なぜ私が記憶を無くしていると知っているのだ?!」

「以前貴方がイギリスにいる時、遠目から見ていて偶然知った」

「お前はストーカーか!」

「ウヌ、そうだったのか」

「納得するんだ!?」

 キラキラとした笑顔で見つめ合う――内一人は推測だが間違いないはずだ――魔物達に新一は一人ツッコむ。

 薄々感じてはいたが、どうやらパートナーはストーカー気質らしい。それも重度で無自覚の。根っからの探偵である新一もまたその気質を持っているが、そのことは棚に上げている。

 そしてまた、ガッシュのほうも問題だった。ストーカーされていることに違和感を覚えないほど鈍感なのか、はたまた何も考えていないのか。

 どちらにせよ、二人とも問題を抱えていることに違いはない。

 どっちでもいいから気付いていくれと念じていると、伝わったのかガッシュが不思議そうに首を傾げた。

「お主たちは、私と戦いに来たのか?」

 ――ある意味正しい疑問に、新一は何も言えなくなった。

 遠い目をしている新一にスペイドは首をかしげつつも、ガッシュの言葉を否定する。

「戦いに来たわけではない。ただ、貴方が変わっていないことを確かめに来た」

「ヌ? スペイドはさっきも同じことを言っていたのう。私が変わらないことがそんなに嬉しいのか?」

「ああ、とても」

「ならば安心するのだ! 魔界にいた頃は覚えておらぬが、私は私なのだ!」

 ドンっと胸を拳で叩くガッシュに、スペイドの雰囲気がより柔らかなものに変わった。

 兜の下に隠されている目は今、眩しいものを見ているかのように細められているかもしれない。見ているだけの新一にも、ガッシュは眩しく映った。本当にこの過酷な戦いに参加しているのか疑ってしまうほど、純粋かつ真っ直ぐ、そして力強い。

「有り難う、ガッシュ」

「礼を言うのは私のほうなのだ。バルカンを助けてくれた上に、こうして会いに来てくれたのだから。一緒に遊んでくれるともっと嬉しいのだ!」

 可愛らしい頼みに、新一とスペイドは顔を見合わせほほ笑み合う。

「オレ達でよければ喜んで」

「本当か!? 清麿は学校に行っておらぬし、ウマゴンも本の持ち主を探しに行っていて一人で寂しかったのだ」

 パアッと顔を輝かせ、ガッシュはバルカンをフードに仕舞い新一とスペイドの手を握った。「公園に行くのだ」と引っ張る力はやはり強いが、魔物だと分かった今違和感はない。

 手から伝わる体温の温かさに目を細める。

 この魔物の戦いにおいて、ガッシュのような魔物がいることに新一は何故か安堵した。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「そうか。ガッシュは清麿を鍛えなおす為に、イギリスから日本に来たんだな」

「ウヌ、そうなのだ。父上殿に恩返しをしたかったのだ」

 公園の砂場で城を作りながら、新一はガッシュの話を聞いていた。

 ガッシュは人間界に来てすぐ、とある魔物に記憶を奪われた――何故かその話を聞いたスペイドが一瞬身を震わしたが、何事もなかったかのように振舞ったので新一は追及しないことにした――そして倒れている所を本の持ち主の父親に助けられ、その恩返しとして彼の息子がいる日本に来た。

 ガッシュの本の持ち主の名前は、高嶺清麿。中学二年生で、天才的頭脳を持つがゆえに周囲に打ち解けられず、不登校になっていたらしい。今は友だちも出来て毎日のように学校に行っており、ガッシュは連れて行ってもらえず不満に思っているとのこと。

 いつの間にか清麿に対する愚痴に変わっていき、プリプリと怒りながらガッシュはスコップで砂を掘っていく。

「清麿ばかり楽しいところに行ってズルいのだ」

「ガッシュは清麿と遊びたいのか?」

「ウヌ。私はいつも清麿と一緒にいたいと思っている」

 ペチペチと城の壁を整えていく。新一は手を止めないガッシュを見、目元を和らげる。

「清麿はとても意地悪なのだ。直ぐに怒るし、遊んでもくれぬ。訴えても家に置いていく。……でも、清麿は誰よりも私を理解してくれている。私の一番の友だちで、かけがえのないパートナーなのだ」

 ガッシュの表情は嬉しそうで、どこか誇らしげだった。パートナーである人間を心から信頼している、そう思わせるには十分すぎるほどの愛情に満ちていた。

「大好きなんだな、清麿のこと」

「もちろんなのだ! スペイドと新一殿のことも大好きなのだ!」

「ははっ、有り難う」

――初めてだった。こんなにも信頼関係を築き上げているペアと出会ったのは。

 この二カ月の間出会う魔物たちは皆、信頼しているように見せかけてその奥深くでは繋がっていなかった。魔物は王になるために人間の力を欲し、人間はその能力で得られる富を欲していた。その姿はスペイドが王に固執する訳が理解できるほど、浅ましく愚かだった。

 今ならわかる、スペイドがガッシュを王候補に選んだわけが。

 彼ならきっと、今まで出会った魔物のように自らの利益のみを追い求める王にならないだろう。民のことを一番に思える良き王に育つだろう。

 己のパートナーに目を向ければ、変わらない穏やかな雰囲気を醸し出している。

 良かったと呟くと、聞き取ったガッシュが首を傾げた。

「新一殿、何が良かったのだ?」

「ん? ガッシュと出会えてよかったって言ったんだ。スペイドもそうだろ?」

「ああ。魔界にいた頃と変わっていなくて良かった」

 若干意味合いの違う返事である。先ほどから妙にこだわっているそれに、ガッシュも気になりだしたらしい。

 城を整えていた手を止め、そわそわとした様子でスペイドを窺っている。

「のう、スペイド……魔界にいた頃の私は、一体どんなだったのだ?」

「……それは変わらない部分について聞いているのか?」

「ウヌ」

「そうか……確かにその部分はまだ確かめていなかったな」

「確かめてないのかよ!」

 そういえば、とでも言いだしそうなスペイドに新一がツッこみ、ガッシュも口を開け呆然とする。

 城の窓を丁寧に描いていた手を止め、スペイドが問いかける。

「ガッシュ、貴方は貴方自身が王に相応しいと思うか?」

「ウヌゥ、私が王に相応しいと思ったことはない。だが……」

「良かった。やはり変わっていない」

 何かを言いかけたガッシュの言葉を遮り、スペイドが肩を撫でおろす。

「王を目指していない貴方のままで、良かった」

 その言葉に、ガッシュは固まった。

 

 

「大分矛盾があるんですがスペイドさん。分かりやすくその不思議思考回路を説明しやがれ」

「新一は言葉が乱れていても美しいままだな」

「誰がおだてろと言った。なんっで『王候補』の理由が『王を目指していないから』なんだよ。目指していないやつを無理やり王にする気かお前は」

 可哀そうな位固まってしまったガッシュの代わりに新一が理由を聞く。

 確かに出会った魔物たちの殆どが、王という権力に目が眩むあまりその重みに気付いていなかったが、だからと言って目指していない者に押し付けていい訳ではない。

 しかし、スペイドは不思議そうに首をかしげる。

「王になるよう教育すればいい話だろう?」

「……もしそれを本気で言っているなら泣くぞ」

 魔物と人間では思考回路が違う部分があるとは思っていたが、戦いという状況下ではここまで歪んでしまうものなのだろうか。単純にスペイドの考えが可笑しいのか。もしそうであればパートナーとして悲しくもあり頭が痛い。

 なぜここに来る前にもっと深く話し合わなかったのだろうか。後悔にため息が出る。

「あのな、スペイド。お前のその考えなら、ほかの魔物にも当てはまるだろうが」

「初めから自身の欲望のみを満たそうとしている奴らが、教育したところで変わるわけがない。ガッシュのように何色にも染まっていない者が、王の教育を受けるべきだ」

「……その考えも、自身の欲望を満たそうとしているものじゃねぇのかよ」

 小さく呟き、首を横に振る。

 日本に来たのは早計だった。ガッシュに会えたのは良かったが、スペイド自身の問題を解決しなければ前に進むことは出来ない。

 ここは引き上げたほうがよさそうだと立ち上がろうとし、ふとガッシュの異変に気付いた。

 ガッシュは俯き、膝の上で握りこぶしを作っていた。両肩は震えており、「のう」と話しかける声にも先ほどまでの元気がない。

「スペイドは、王を目指していない私が、良かったのか……?」

「……ガッシュ?」

「私は、王を目指さない方が、いいのか……?」

 一体何が彼をそこまで怖がらせているのだろうか。スペイドの言葉が原因だとは分かるが、しかし怖がる理由とは思えない。

 スペイドもガッシュの変化に困惑しつつも、自身の気持ちを言葉にする。

「ガッシュ、この戦いで多くの魔物が変わってしまった。皆が『王』という権力に惑わされ、大切なものを見失っている。この周りがすべて敵という状況の中では致し方ないことなのかもしれないが……」

「違う! 周りの全てが敵ではない! 確かに悪い心を持つ魔物はいるが、優しい心を持つ魔物もたくさんいるのだ! スペイドも、とても優しい魔物なのだ!」

「……ではその魔物たちは、王を目指していないのか?」

「っ、それは……しかし!」

「自らの欲望を満たす為王になろうとする者に、王になる資格などない!」

 ピシャリと言い切るスペイドに、ガッシュは大きな目に涙を浮かべた。「そうじゃないのだ……」と呟かれた言葉に新一が訝しそうにした瞬間、少年の名前が大声で呼ばれた。

 

「ガッシュ!」

 

 緊張感の孕んだ、焦りを含む声。振り返れば、中学の制服に身を包んだ少年が赤い魔本片手に走り寄ってきていた。ガッシュがそちらに顔を向け、涙を消して顔を輝かせる。

「清麿! 今日は早かったのだな!」

「早退してきたんだよ! くそっ、嫌な胸騒ぎがしたから探してみればこれだ!」

 精悍な顔立ちの彼が、ガッシュの本の持ち主である高嶺清麿らしい。

 立ち上がり喜んで駆け寄っていくガッシュを、清麿は片手で抱きかかえた。ガッシュの顔が新一たちに向くようにし、彼自身もまた視線を新一たちから逸らさない。

 明らかに新一たちの攻撃を警戒しているその様子に、スペイドは感嘆の息をこぼした。新一もまた、人間であるはずの彼のほうが状況をより正確に理解していることに感心する。

「以前は遠目から見ただけで分からなかったが、なるほど……。人間にしては中々の面構えだ、私の新一ほどではないが」

「最後の一言が余計だバーロ」

 慕われているのは嬉しいが、今この状況下ではいただけない。

 スペイドの軽口に清麿は反応を示さず、視線を固定したまま警戒を解かない。ガッシュの危機管理の低さはこうしてパートナーが補っているとみた。

 普段ならばこれでいいのだが、今回は戦いに来たわけではないのでこのままでは少々やり辛い。

「警戒しなくていい。オレたちは戦いに来たわけではないから」

「……」

 清麿は胡乱げな目を向け、ジリッと後ろに一歩引く。

 新一とのやり取りに、おとなしく清麿の腕の中にいたガッシュが慌てて「違うのだ!」と声を上げる。

「清麿、この者たちは敵ではない! 私の友だちで、なにより……!」

「なにより?」

 

「バルカンを助けてくれた、良い人たちなのだ!」

 

 ムンッと鼻息荒く胸を張るガッシュに、清麿の緊張がフシュッと抜けた。

 膝から崩れ落ちる少年に、新一は同情のまなざしを向ける。ガッシュが大真面目だと分かっているからこそ脱力感は凄まじい。

 しかし折角のこの機会を逃してはいけない、と新一はかけていたサングラスを取り、素顔を清麿に見せる。

「バルカンはともかく、友達なのは本当だ。オレのパートナーのスペイドが魔界でのガッシュの知り合いでさ、こんな戦いの最中だけど会いたいっていうから来たんだ」

「新一殿の言う通りなのだ。それとも清麿は、私の友を疑うのか?」

「疑うってなぁ、ガッシュ……。お前は――っ」

 清麿はそこで言葉を切り、仕方なさそうに肩を落とした。

「そうだよな、お前はそういう奴だよな」

 ふにゃりとした笑みを浮かべて抱えていたガッシュを降ろし、形の良い小さな頭を撫でる。

「俺が悪かったよ、お前の友達疑って。そっちも悪いな、なんか見るからにその……」

 抜けた警戒心を再び纏うことはせず、友好的な雰囲気を出しながらも清麿は言いにくそうに視線を泳がせた。その後に続いたであろう言葉を予想した新一は、己とパートナーを見て深く納得する。

「いや、謝るのはこっちの方だ。普通の感性を持っていれば、オレたちが怪しく見えるのも仕方ない」

 片やサングラスと帽子で顔を隠し、大きなスポーツバックを下げている青年、片やコスプレもどきの性別不詳――どこからどう見ても、怪しい二人組である。

 やはり一度帰るべきだろう。このままでは不審者として通報されかねない。ガッシュの様子の可笑しさは気になるが、清麿の方が適任だ。

 素性を明かす目的で外したサングラスを再びかけ、新一はスペイドの腕を掴む。

「そんでわりぃな、オレ達もう帰るから」

「新一?」

「また今度会いに来るからさ、その時にお互い情報交換とかしようぜ」

「お、おう?」

 戸惑うパートナーを無理やり引っ張りながら、同じく戸惑っている清麿を笑顔で押し切り踵を返す。学校を抜け出してまで来た清麿には申し訳ないが、先ほどから嫌な予感が止まらない。

 早く、この場を立ち去らなければ。

 頭の中で鳴り響く警戒音に従い、必死に足を動かす。

 

「――ちょっと待つのだ!」

 

 だが。ガッシュの必死な声色に、意思とは反し足が止まった。

 警戒音が強くなる。ガッシュの口を塞げと頭が命じている。

 しかし、振り返った先にある意志の強い目に、体が言うことを聞かなかった。

「スペイド、お主はいい人なのだ。だから私は、このままにしておくことができぬ――いや、してはならぬ」

 先ほどまでの脅えが嘘のように、ガッシュは真っ直ぐにスペイドを見上げている。握り拳を作りながら手を震わせ、汗を流しながらも、決して目をそらそうとしない。

「私は、私自身王に相応しいとも、なれるとも思っていない。だが――」

 それは覚悟を決めた者の目だった。目の前の現実から逃げずに、真正面から立ち向かうことを。

「――私は、王を目指している」

 

 

 

 沈黙が、おりた。

 状況がつかめない清麿はいまさら何をと言いたげな表情を浮かべているが、新一とスペイドは違った。

 本の持ち主は辛そうに顔を背け、魔物は息を止めた。嘘だ、と零れ落ちる声は魔物が生み出したもの。

「嘘、だろう……?」

「嘘ではない」

「なぜ……思っていないのに、なぜ……」

 震える声に体。信じたくないと首を横に振りながら後ずさり、顔を俯かせ堪える様に手を握りしめる。

「スペイド、聞いてほしいのだ。私は……!」

「――信じていたのにっ!」

 何かを訴えようとするガッシュを遮り、スペイドは叫んだ。

 あげられた顔は兜に隠れてどんな表情を浮かべているか分からない。だが、頬を伝い流れてきた涙が滴り落ちており、ガッシュと清麿は大きく息をのみ、新一は目を見開いた。

「貴方は変わらないと、こんな戦いの中でも、変わらないと信じていた! 信じていたかった……っ!」

 スペイドの手が剣の柄に伸び、鞘から抜き出される。太陽の光に反射して光る刃に、清麿と新一は同時にパートナーに飛びついた。

「ガッシュ!」

「スペイド!」

 清麿は守るため、新一は止めるために。

「離せ、新一!」

 動きを封じられたスペイドは声をあげ振りほどこうとしたが、新一は決して抑える体を離そうとしない。突然攻撃されそうになったガッシュは、抱えられたまま呆然とスペイドを見上げている。

「落ち着け、スペイド! ガッシュの話を最後まで聞くんだ!」

「聞く必要はない! 変わってしまった者の言葉など、聞く価値もない!」

 新一の言葉にも耳を貸さないスペイドは錯乱しているようだった。嘘だと何度も繰り返し呟いており、剣を握りしめる手も震えている。

 新一は早くこの場を立ち去らなかったこと、そして気付いてやれなかったことを後悔した。彼女が『王を目指さない者』に固執する訳に、『王を目指す者』に異常な嫌悪感を示す理由に気付いていれば、こんなにも彼と彼女が傷付くことはなかったはずだ。

 今の彼女に言葉は通じない。ならば、彼女に伝える方法は一つ。

「ガッシュ、そして清麿。頼みがある」

 覚悟を決め、新一は顔を上げる。決して言いたくなかった言葉を、自ら音にかえる。

「オレ達と、戦ってほしい」

 告げられた宣戦布告に、清麿は黙って頷いた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 明日の朝十時。場所は清麿の通う学校の裏にある山。

 そう約束を取り付けた新一は、今すぐにと暴れるスペイドを引きずり予定よりも早くホテルに向かった。

 公園を離れてからは嘘のように大人しくなったスペイドは、その代わり何も反応を示さなくなった。ホテルの部屋に入ってからは、兜も外さずそのままベッドに潜り込む始末。

 新一は深く息を吐き、スペイドのいるベッドに腰掛ける。

「スペイド、寝るなら着替えろ。オレはシャワー浴びてくるから」

「……このままでいい」

「だめだ、クリーニングに出すから脱げ」

「……新一の意地悪」

「意地悪で結構。それとも、花よ蝶よと扱ってほしかったか?」

「……今のままでいい」

 むくりと、スペイドが起き上がった。しかしそのまま動かないので、新一がゆっくりと兜を外す。

 現れた顔には、くっきりと涙の跡がついていた。もう止まってはいるが目は赤く腫れている。手を伸ばすと、するりと頬を寄せられた。甘える仕草に苦笑しながらも立ち上がろうとする。

「オレがいない間に外に出る時は……っと」

 だが、くいと服の裾が引っ張られ再びベッドに腰掛けることになった。

 犯人であるスペイドは新一の肩に額を乗せ、なあと問いかける。

「不変を望むことは、いけないことなのか……?」

 ヒュッと息をのんだ。

 かつて新一も感じたことのあるそれに、忘れていた胸の痛みが蘇る。

「私は、間違っているのか……? 何が、正しいんだ……?」

 ジワリと肩が濡れていく。

 それでも、何も答えることが出来なかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「そうか……そういうことがあったんだな……」

 早退してきた身、家に帰れば母親に怒られるためそのまま公園で話を聞いた清麿は、ガッシュを置いて学校に行っていたことを後悔した。あの時、連れて行けとしつこかったガッシュにキレてバルカンを身近な所に括り付けたのだが、それをしなければ彼らと出会うことは無かったのだろうか。

 そこまで考え、否と清麿は自身で否定する。

 例えその時出会いを回避できても、必ず彼らと出会っていたはずだ。それがこの戦いの運命なのだから。

「で、お前はどうしたいんだ?」

「私は……出来ることなら、戦いたくない」

「俺だってそうだ。けど、向こうはやる気だぜ?」

 いきなり抜刀してきた魔物を思い出す。どこかで見たことがある恰好をしていた魔物は、涙を流しつつもガッシュに向けて明確な敵意を向けていた。逃げても追いかけてくる、そう思わせるには十分なそれに、清麿は直ぐに戦いの覚悟を決めた。

「しかし、私は……」

 だがそれは清麿の話であり、ガッシュは違う。

 懐に入れた相手にはとことん甘くなる彼にとって、この決断は苦渋のものだろう。直ぐに決められないのも仕方ない。

 何より、スペイドが豹変したきっかけはガッシュの言葉にあった。

 決して無関係ではないそれに、清麿の眉間にも自然にしわが寄る。

「それとも止めるのか? 王様目指すの」

「っ、止めるわけないであろう! 私は、約束したのだ!」

「なら戸惑うな。向こうはお前が王になるのを阻止しようとしているんだぞ」

 厳しいとは分かっているが、清麿は敢えてきつい言葉を選ぶ。

 二人には王になるという目標がある。それがガッシュだけの望みではない、清麿の望みでもあった。

 だからこそ、清麿はスペイドに負けられない。必ず勝ち、ガッシュを王へと導かなければならない。そのためには、ガッシュの覚悟も必要となる。

「ガッシュ、覚悟を決めるんだ!」

 いつの日か、友と戦う日が来るだろう。それがたまたま明日になっただけの話である。

 それでもガッシュの顔から戸惑いは消えなかった。伝わらない想いにいい加減じれてきた時、「のう」とガッシュが俯かせていた顔を上げた。

「清麿は、スペイドを見てどう思ったのだ?」

「どうって……変な恰好をした奴だなって」

「そうか……。私はな、清麿」

 そこで言葉を切り、ガッシュはゆるりと目を細める。

「私は、スペイドが悲しんでいるように見えたのだ」

「悲しんで……?」

「スペイドは、『王を目指す者』を嫌っていた。今まで出会った魔物は皆変わってしまったと言っていた……恐らく、悪しき心を持つ魔物たちだったのだろう」

「それは、まぁ……俺達が出会った魔物も、そっちの方が多いけど」

「そうなのだ。私たちもそういった魔物達と出会ってきた。だが、ティオやウマゴン、ウォンレイ、キャンチョメ、コルルにダニー、ヨポポ、ロップス……優しい心を持つ者たちにも、いっぱい出会ってきたのだ。

 スペイドは、そういった者達と出会えなかったのではないか? だからあそこまで、『王を目指す者』が嫌いになったのではないか? それでも、パートナー以外の誰かを信じようと思ったのではないか?」

「ガッ、ガッシュ……?」

「だから私のところに来たのではないのか!? 私が、王を目指さぬと言った言葉を信じて、変わっていないことを信じて! 私を信じてくれたのに!」

 ジワリとガッシュの目に涙が浮かぶ。耐える様に唇を噛み締め、頬を伝う涙を拭うことせず手を握りしめる。

「私は、嘘をつきたくなかった。だから本当のことを言った。しかしそれが、スペイドを傷つけてしまった……清麿、私はどうすればいいのだ? どうすれば、スペイドに伝えることが出来るのだ?」

 ああ、と気付く。この小さな相棒は、まだ希望を見失っていないのだと。

 すれ違う想いに、結果深く傷つけてしまったことに後悔しながらも、諦めずに伝えようとしている。

 それは清麿と初めて出会った日と同じように。それしか知らないとばかりに、真正面からぶつかって。

「清麿、私は、スペイドと本当の意味で友だちになりたいのだ!」

 それがどれだけ希望の光となるのかを、清麿は身をもって知っている。

 フッと清麿は笑みを浮かべた。膝よりも低い頭をワシャワシャと撫で、「そうだな」とガッシュの気持ちを受け入れる。

「スペイドは悪い奴じゃない。今は混乱しているみたいだったが、ちゃんと話せば分かってくれるはずだ」

「ウヌ!」

「それに、あの新一っていう本の持ち主、あいつも多分ガッシュと同じことを考えているはずだ」

「ヌ、本当なのか!?」

「ああ。真っ先にスペイドを止めていたし、別に今日戦ってもいいのに明日まで時間を置いたからな。もしかすると、何とか説得してくれているのかもしれない」

 スペイドのインパクトの方が強すぎたためあまり覚えていないが、少々不審者の恰好をしていた新一のサングラスを外した顔は、想像に反しとても穏やかだった。とてもではないが戦いを好んでいるようには見えず、なにより魔物に完全同意していなかった。

 明日の戦いのカギを握るのは、もしかすると本の持ち主の方なのかもしれない。

「……しっかし、どっかで見たことあるような……」

「清麿、さっきから何を唸っておるのだ?」

「んー、いや、別に大した事ねぇよ。さっ、明日のスペイド説得作戦でも立てようぜ」

「ウヌ! 頑張るのだ!」

 天才的頭脳が何かを清麿に訴える。しかしそれが何なのか分からず、少なくとも明日に関係するようなことではないだろうと結論付け、頭の隅に追いやった。




次回、ガッシュVSスペイドのバトルです。


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Level.04 心の成長

 休日ということもあり家族連れでにぎわう町から外れた、モチノキ第二中学校の裏にある山の中腹。打って変わって静けさに包まれるそこで、清麿とガッシュは『敵』と向かい合っていた。

 その者達は、敵ではあるが敵ではない。昨日出会ったガッシュの友達――のはずだ。

 確信が持てないのは友情を疑っているわけではない。

 彼らが本当に昨日出会った者達なのかが確信を持てないからである。

「ガッシュ……あいつらで間違い、ない、か?」

「ウ、ウヌ……兜はないが、あれはスペイドで間違い、ない……の、だ?」

 やや呆然としながら相棒に問いかけると、同じく呆然としていたガッシュも戸惑いがちに頷く。

 彼らの視線の先には、わざわざガッシュに会いに来た魔物のスペイドと、本の持ち主である新一がいた。

 新一の方は服装が変わっており、長袖のシャツとジーンズというラフな格好をしている。サングラスはかけておらず、その下に隠されていた蒼色の瞳でガッシュ達を見つめていた。

 彼の方は問題ない。問題なのは、魔物の方。

 魔物の方はただ一点を除いて昨日と同じく黒づくめだった。

 変わっているその部分とは、兜。すっぽりと被っていたそれを、魔物はこれから戦闘だというのに関わらず取ってきていた。

 その下に隠されていたのは、新一と似た、しかし彼よりも丸みを帯び柔らかくした顔立ち。深い蒼色の瞳に、彼女はガッシュ達を映している。

 ――そう、彼女。そこが清麿とガッシュの戸惑いの部分。

「女の、子……」

「スペイド、お主女だったのか……」

 ――二人はスペイドを『男』だと勘違いしていた。

 

 

 清麿とガッシュの戸惑いの声に、新一は薄らと苦笑を浮かべた。

 しかし勘違いするのも仕方ない。スペイドの恰好は所謂男装であり、胸にさらしを巻く徹底ぶりである。新一は先入観によりスペイドのことを男だと思っていたが、彼らはその恰好から男だと思っていたのだろう。

 斜め前にいるパートナーに視線を移す。彼女は表情を硬くしたまま、しっかりとガッシュを見据えていた。手は柄にかけられており、戦闘態勢に入っている。

 結局、彼女を説得するのは失敗に終わった。

 新一はそれだけの言葉を持っていなかった。彼自身もまた、同じ苦しみを抱いているために。

(この戦いで、オレ達は何を得ることが出来るのだろうか……)

 苦しい、戦いたくない。けれど、戦わないといけない。

 魔本に心の力をこめる。薄らと光り輝くそれのエネルギーの元は、悲しみか、はたまた憎悪か。

(オレ達は、何のために……)

 スペイドと共に戦うと決めたことに後悔はしていない。

 だが、彼女と目指す先に何があるのかが分からなくなってしまった。

 ズキリと胸が痛む。そっと目を伏せたとき、「スペイド!」と真っ直ぐな声がその場に響いた。

「私達はお主達と戦いたくない!」

「そうだ! 話し合うことは出来ないのか!」

 戦う意思がないことを示す彼らに、新一は驚いた後呆れを抱いた。

 ここまで来て戦わない選択肢を取ると思っているのだろうか。他の者ならまだしも、王宮騎士にまで上り詰めた、プライドの高いスペイドが。

「断る! 止めたければ、私を倒すがいい!」

 案の定、間髪入れずに断ったスペイドが鞘から剣を抜く――戦いの合図だ。

 魔本を開き、彼女が望む呪文のページを開く。

「第四の術、ゴウ・アルド」

 静かな口調とは似つかわしい光を放つ本。水を纏った剣を構え、スペイドは一気に距離を詰めた。

 

 

「ハァッ!」

「っ、クソォ!」

 振り下ろされる剣からガッシュを抱えて間一髪で避けた清麿は、説得できなかったことを悟った。今までガッシュがいた地面に剣が掠り、その余波で土埃が舞う。開けた視界に映るのは、大きく深くえぐられた地面だったもの。その威力に冷や汗が浮かぶ――まともに食らえば危ない。

「ガッシュ、こうなったら仕方ない、戦うぞ!」

「しっ、しかし……っ!」

「このままじゃやられるだけだ!」

 ガッシュを降ろして本を開く。だがまだこの戦いに納得が出来ない相棒は躊躇いを、隙を見せる。

「その通りだ」

 その隙を見逃さず、土埃の中からスペイドが突撃してきた。

「しまった、これを狙っていたのか……!」

「敵の視界を奪うのは基本中の基本だ」

 視界の悪さを利用して一気に距離を詰めたスペイドは、今度は剣を振るわず横に構える。

「第三の術、アルセン」

 静かに唱えられた呪文でスペイドの剣は再び水を纏う。それで切りかかることはせず、横へと勢いよく振り払った――途端、刃状となった水のエネルギーが放たれた。

 近距離でのそれをガッシュ達はまともに食らい、さらに後方へと飛ばされる。

 スペイドはそれを追うことはせず、静かに剣を構えガッシュ達の出方を窺う。それに最初の場所から一歩も動いていない新一は目を細めた。

「っ、大丈夫か、ガッシュ……」

「ウヌ、なんとか……」

 まともに攻撃を食らわせられた清麿はよろけながらも立ち上がった。ガッシュもダメージは負いながらも、体が丈夫なためしっかりとした足取りで地面を踏みしめる。

 くそっと清麿は歯ぎしりをした。なめていたわけではない、ただ想像以上に彼女たちは、否、彼女は強い。何よりも、清麿たちは武器を使う魔物と戦うのは初めてだった。剣を媒介とした水の術に、ジワリと焦りが浮かぶ。

「ガッシュ、反撃だ!」

「ダメなのだ、清麿! スペイドは私の……っ!」

「分かってくれ、ガッシュ!」

 本を開きながら、清麿はガッシュの言葉を遮る。その顔には苦悩の表情が浮かんでいた。

「スペイドは今、『戦わないといけない』相手なんだ!」

 清麿の言葉に、ガッシュは凍り付いた。

 優しい子どもがどれだけこの言葉に傷付くのか知っている。だからこそ、誰よりもガッシュの気持ちを理解しているからこそ、パートナーとして厳しい現実を見せつける。それが、ガッシュを王にすると決めた、清麿の覚悟。

(そうだ、あいつは『敵』なんだ……)

 自身の言葉にチクリと胸が痛く。しかしその痛みを無視して、呪文を唱えなければならない――ガッシュの本を守り切り、彼を王にするために。

(戦うんだ、それが、俺達の運命なんだ……っ!)

 悠然と、しかし隙を見せずこちらを待つスペイドを睨みつけ、勝利への道を探し出す。

 清麿の敵意に、スペイドは薄らと笑みを浮かべた。剣を再び構え、相手の出方を窺う。

 魔物と人間の間に緊張感が走った。人間の持つ魔本が光り輝き、右手を上げ人差し指と中指を合わせて突き刺す。それがどんな意味を持つのか魔物は知らない、だがこの戦いを始める合図であることは分かった。

「ガッシュ、セッ――」

 魔本の光が増す。来るだろう攻撃にスペイドが迎え撃とうとし――

 

「――違うのだー!!」

 

 ――悲痛な声が、緊張感を引き裂いた。

 

 相棒の叫びに清麿はハッとし、敵と認識したスペイドは眉を顰め、静かに見守っていた新一は目を見開いた。

「スペイドは、『戦わないといけない』相手ではない……私の、『友達』なのだ……」

 叫び声をあげたガッシュは、大きな目から涙を流していた。全身で戦うことを拒絶し、必死で何かをスペイドに伝えようとしている。

 しかし、スペイドはキッと目を吊り上げた。何時までも覚悟を決めないガッシュに憤り、「ふざけるな」と声を荒げる。

「何時までそのような甘ったれたことを言っている! 王を目指すということは、友も敵になるということだ!」

「違う! 友は敵ではない、共に戦う仲間だ!」

「ほざけ!」

 ダンッとスペイドは地面を蹴った。目にも止まらぬ速さで距離を詰め、ガッシュめがけて剣を振るう。

「ガッシュ!」

「っ、ヌゥ!」

 一拍遅れで気づいたガッシュは、間一髪でスペイドの刃を両手で受け止めた。お互い拮抗する力で押し受け止めあいながら、スペイドはガッシュを睨みつけ、ガッシュはスペイドの眼差しを受け止める。

「この戦いの勝者はただ一人! そのたった一人の座をかけて戦うことを決めておきながら、なにが『友』だ! 『友』を踏み台にして王を目指す気か!

 ――友と戦う勇気を持たずして、何が『王』だ!」

 ダンッと押し合いに勝利した剣がガッシュの体を吹き飛ばす。地面にその体が衝突する前に、スペイドが次なる攻撃に出た。

「新一!」

「ゴウ・アルド」

 剣が水を纏い、威力を増す。スペイドはそのままガッシュに切りかかろうとし、それを許さない清麿が呪文を唱える。

「ザケル!」

 ガッシュの目が白目をむいて気絶し、口から電撃が飛び出す。スペイドはそれを剣で受け止めながら、勢いを落とさない。

「ガッシュ!」

 しかし清麿が動くには十分な時間だった。素早くガッシュを抱き上げ、スペイドの攻撃を紙一重で交わしながら十分な距離を取ろうとする。

「アルセン」

「ザケルガ!」

 互いの攻撃がぶつかり合う。これに勝利したのは、ガッシュの呪文だった。

 アルセンを破り向かってくる一直線上の電撃を、スペイドは体を少しずらして交わしながら己の術が破られたことに少しだけ感嘆の息をこぼす。

「貫通力のある電撃か……だが、この程度で私を止められると思うな!」

「ガンジャス・アルセン」

 ザンッとスペイドが地面に剣を突き刺す。今までとは違うパターンに清麿が警戒したその刹那、二人を地面からの攻撃が襲った。

「ぐがぁああ!!」

 地面から不規則に飛び出してくる数多の水流。ガッシュの呪文ザケルガと同様一点集中型の水流の攻撃に、清麿は本を守ることしか出来ない。本を体の内に隠して身を丸くし、少しでも敵の攻撃にふれないようひたすら耐える。直前まで気絶していたガッシュは身を守る暇も与えられなかった。

 どさりと地面に崩れ落ちる二人。剣を引き抜いたスペイドは再び構えの姿勢で待つ。

「くそぉ……!」

 なんとか本を守り通した清麿は、痛む体を無理やり動かして起き上がる。

 接近戦主体かと思いきや、遠距離でも対応できる強力な術。遠距離攻撃が主体のガッシュでは圧倒的不利な状況に、清麿の焦りが増す。

 唯一効果的だったザケルガでも、先ほどの地面からの攻撃に対応できるかどうか分からない。相手の攻撃を跳ね返す盾ラシルドもまた同様。周りに鉄製の物がないこの場所で相手を磁石化するジケルドは使えない。切り札である最強呪文バオウ・ザケルガはまだ使えない。

 流れ落ちる汗をぬぐうことせず、ギシッと歯ぎしりをする。反撃のきっかけが思い浮かばない頭に、敗北の二文字が浮かぶ。

 負けたくない、だが、負けるしかないのか。ずるずると悪い方向に沈んでいく思考。先ほどまでの勢いが恐怖に塗り変わられそうになった時、目の前に小さな背中が現れた。

「清麿、ここは私の好きにやらせてほしい」

 スペイドを見据えたまま、力強い口調でそう頼んでくるガッシュに一瞬呆け、だがすぐに我に返る。

「馬鹿言え! 悔しいがスペイドは強い、このままだとやられるだけなんだぞ!」

「それでも! 今ここで戦ってはダメなのだ!」

「ガッシュ!」

 清麿の制止を振り切り、ガッシュはスペイドめがけて飛び出した。

 ようやく人間ではなく魔物の方が戦う気になったかと、スペイドもまたガッシュめがけて剣を振るう。

 再びぶつかりあう二人の魔物。一人は剣を振り下ろそうとし、一人は両手で受け止める。

「スペイド、私の話を聞いてくれ! お主は誤解しているのだ!」

「ハッ、この機に及んでまだそのような……!」

「――私は、王になるために王を目指しているのではない!」

 ビクッと、スペイドの体が震えた。驚愕に目が開かれる彼女に、ガッシュが伝えたかったことを叫ぶ。

「私は、この戦いを終わらせるために、もう二度と繰り返させぬために、戦っておるのだ!」

「な……っ!」

 ダンっとスペイドの剣がガッシュによって振り払われる。体勢を崩すスペイド、しかし絶好の攻撃の機会にも関わらず、ガッシュは何も攻撃しない。

 その場にただ立ち、真っ直ぐにスペイドを見上げる。戦う意思を見せないそれに新一は息をのみ、スペイドも呆然と己よりも小さな魔物を見る。

「以前、コルルという魔物がおった。その者は戦いたくないのに無理やり戦わされていた。その子が私に言ったのだ」

 ゆらりと目を潤ませ、だが涙は流さずガッシュは今でも、そしてこれからも絶対に忘れられない言葉を紡ぐ。

「『やさしい王様がいれば、こんなつらい戦いは、しなくてもよかったのかな』」

 ――お願いね、ガッシュ。帰りたくない気持ちを押し殺して魔界に帰っていった、優しき魔物。ガッシュを変えるきっかけとなった、忘れられない戦い。

「だから私は、王を目指しておる! 『やさしい王様』になるために、この戦いを終わらせるために!」

 それは、ガッシュ自身の為に決めたことではない。ガッシュの大切な人たちを守るために、もう二度と悲しい涙を流させないために、戦うことを決めた。王を目指すことにした。

 決して、自身のためにではない。スペイドが忌み嫌う理由で、目指しだしたのではない。

「スペイド、お主はこの戦いの勝者はたった一人と言った。だが私はそう思わない、魔界に帰っていった仲間たちの気持ちを背負い戦っている私は決して、『一人』ではない」

 与えられた人格によってこれ以上周りを傷つけないために、自ら魔界に帰ることを決めたコルル。

 大切なパートナーとその家族を守るため、最初から消えるのを覚悟で家族を傷つけた魔物と戦ったヨポポ。

 王を決める戦いよりも、パートナーとともに仕事をやり遂げることを選んだダニー。

 誰もが魔界に帰りたくなかった。もっとパートナーとともにこの人間界で過ごしたかった。それでも、守るべきものを守り、魔界に帰っていった。

 その気持ちを無下にしないためにも、ガッシュは戦う。彼らの想いを受け継ぎ、彼女たちのために戦う。

「私は、仲間とともに『やさしい王様』を目指す」

 それこそが、ガッシュが戦い王を目指す理由だった。

 ヒュッと息をのみ言葉が出せないスペイドに、ガッシュは肩で息をしながら「だから」と言い募る。

「決して、決してお主の言うような理由で戦っている訳ではないのだ! 信じてくれなのだ、スペイド!」

「……っ」

 真っ直ぐで力強い目に、スペイドは無意識に一歩後退った。

 今まで決して見たことのなかったそれに、新一は思わずスペイドの名を呼ぶ。

「スペイド、もういいだろう!」

「しっ、新一……」

「ガッシュは、お前が思うような理由で戦っていたわけじゃない。それだけで十分じゃないか」

 ガッシュの肩を持つとは思っていなかったのか、振り返ったスペイドの顔は泣きそうに歪まれていた。

「でも、私は……」

 嫌だ、と首を横に振りながら俯く。震える体を抱きしめ、スペイドは叫ぶ。

「――それでも私は、貴方に戦ってほしくなかった!」

「ヌゥ……!?」

 その叫びにガッシュは驚き、新一は気付く。

 スペイドが最も認めたくなかったことが、ガッシュが『王』を目指すことではなく、彼が『戦う』選択肢をしたということに。

「この戦いには、多くの欲望が渦巻いている! 魔物だけではない、人間だって己の欲望を叶えるためにこの戦いに参戦している者ばかりだ! こんな、こんな醜い争いで……貴方みたいな綺麗な心を持つ人が、傷付いていいわけがない……っ!」

 彼女は『王になる者を守りたい』と言った。それを新一はその魔物とともに戦いたいという風に受け取っていた。

 しかしそうではなかった。彼女は文字通り、王になる者をこの戦いから守りたかったのだ。醜い欲望の渦巻く戦いから遠ざけ、安全な場所で必要な教育を受けさせ、その心を汚させ傷つけさせないように、彼の代わりに戦って。

 それは一種の愛情。大切に思うがための、究極の愛情表現。

 

「――ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、くそったれがぁ!」

 

 それを真っ向から、清麿が否定する。

 

「何が傷つけたくないだ! 何が戦ってほしくないだ! 『王』を目指すなら、現実を見ねぇと意味ないだろうが!」

 ガッシュの想いをくみ取り手を出さなかった清麿が吼える。その彼をガッシュは振り返り、スペイドと新一は衝撃を受ける。

 ――今彼は、何と言った?

「お前の言うように、こんな戦いを見ないで王になるための教育をして何になる! そこにある現実から目をそらして理想ばかりを追いかけさせて何になるんだ! 『王』になるんだったらなぁ、どんなに醜かろうが辛かろうが、真実と向き合わねぇといけねぇんだよ!」

 ガッシュの想いを無駄にしないために、スペイドと本当の意味で友達になりたいといった一番の親友の為に、清麿は訴える。真実から目をそらすなと。

「ガッシュは変わったんじゃない、『成長』したんだ! この戦いの中で、王へと成長してんだよ! 成長して何が悪い! 成長して変わって、何が悪いんだ!」

 ――ガッシュが決して、悪い意味で変わっていないことから。

 不変を望んだスペイドは、その言葉にただ呆然とした。成長、と口の中で転がすその言葉に、実感はない。

 そしてまた新一も、年下であるはずの彼の言葉に胸を撃ち抜かれていた。青天の霹靂とはこう云うことを言うのだろうか。心臓がバクバクと鳴り響いている。

 二人は不変を望んだ。だがそれは他人のためにではなく、己自身の為に。真実から目を背け、都合の良い理想を夢見るために。

『新一は、私を置いていくから。だからもう、待たないことにしたの』

 不意に初恋の相手である幼馴染の言葉が脳裏をよぎる。

 今この場に似つかわしくないそれに、だが新一はようやくこの言葉を受け入れることが出来た――彼女は己を拒絶したのではない、曖昧な関係を終わらせるために彼女自身の答えを見つけて、成長したのだと。

 ドクンと一際高く心臓が鳴る。視界がいきなりクリアになった。途端肩で息をしながらも真っ直ぐにこちらを見るガッシュと清麿が今まで以上に眩しく映り、目を細める。

(オレは、また逃げていただけだ。スペイドを理由に、真実から。そしてまたスペイドも、真実から逃げていた)

 体が震える。しかしそれは恐怖故にではない――抑えようがない高ぶりが、体を震わせている。

 新一は顔を上げた。このどうしようもない高ぶりのままある言葉を紡ごうとし――

 

「――うるさいうるさいうるさぁぃい!!」

 

 ――パートナーの叫びに、高ぶりを沈められた。

 

 スペイドは耳を押さえ取り乱していた。

 仕方ないのかもしれない、真実を見つけることが生きがいだった新一とは違い、彼女はひたすら理想を追い求めていたのだから。

 それを今、徹底的に崩された。彼女が最も理想としていた王候補とその相棒によって。

「私は、私は間違っていない! 絶対に認めない、変わりたくない!」

 崩された彼女はそれでも己の心を守るために抗う。

「不変を望んで何が悪いんだぁ!」

 そして崩されたことを無かったことにするために、ガッシュ達に襲い掛かった。

 まずい、と新一は走り出した。突然暴走しだしたスペイドに戸惑うガッシュの代わりに、正確に状況を判断した清麿が苦悩の表情のまま呪文を唱える。

「ザケル!」

 ガッシュの口から電撃が放たれる。それは真っ直ぐにスペイドへと向かい――

「スペイドォ!」

 ――彼女を突き飛ばした新一に、直撃した。

 

 

「あぁあああ!」

 初めてまともに食らった魔物の攻撃に、新一は悲鳴を上げる。寸前で本を庇い背中を向けたため本は無事だが、たった一撃で新一の体は限界に達した。第二の術である盾の呪文アルシルドを使えばよかったと朦朧とする中考えるも、スペイドは暴走していたので大人しく従っていなかったかもしれないのである意味これで良かったのかもしれない。

「新一!?」

「しまった!」

 庇われたスペイドは我に返り、慌てて新一へと駆け寄る。今まで一歩も動かなかったことから彼が庇うなど思っていなかった清麿も、焦りの表情を見せる。

「新一、なぜ私を庇ったんだ! 後ろにいろとあれほど……!」

 新一は体に鞭を打って起き上がり、パートナーを見る。彼女は今にも泣きだしそうな表情をしていた。それに、一発張り手でもしてやらねばと思っていた新一も、可哀想だと思い直し言葉だけをかける。

「オレだって、お前に戦ってほしくないんだよ、スペイド」

 その言葉に、スペイドだけでなく清麿とガッシュも目を見開いた。

 気を抜けば意識が飛びそうになるのを気合で堪え、新一はスペイドに腕を伸ばす。

「戦ってほしくない、傷付いてほしくない、悲しい表情を見たくない、涙を流させたくない――オレだって、ずっとそう思っていた。お前が一人で戦うたびに、胸が張り裂けそうな位痛くて辛かった」

 少女を抱きしめると、ふるりとその体が震える。己のよりも小さく細いその体は、何時も新一を守ろうとしていた。

「オレはお前に出会うまで、一人で戦っていた。真実から目を背けて、仲間の手を振り払って、そしたらどうなったと思う? ……大切だったもの全部、失ったんだ」

「新一……」

 だからこそ、伝えたい。伝えなければならない。

 ガッシュでも清麿でもない己が。彼女のたった一人のパートナーである己が。

「真実と向き合うのは辛い、目をそらした方が楽だ。けどな? 何時かは絶対に向き合わないといけない時が来る。それがオレ達の今までを否定するものであっても、前を向かないといけない」

「前、を……」

「そう、前を。何時までも同じ場所で足踏みなんかしていたら、強くなれねぇんだよ」

 ジワリと肩が濡れていく。耳に聞こえてくる嗚咽に、宥める様に彼女の背中を撫でる。

「変わることで強くなることもあるかもしれない、けど、変わらないまま強くなる所もあるはずだ。そのどっちもオレ達が『成長』しているのに変わりはない――変わらないんだよ、スペイド。オレ達の心も、ガッシュの心も、変わっていないんだ」

 ウヌ、とガッシュが力強く頷く。一層激しくなる嗚咽に、新一は語り続ける。

「一緒に前を向こうぜ、スペイド。一人で向けなくても、オレ達二人でなら、絶対に乗り越えることが出来る。オレ達は、たった一人のパートナーなんだからさ」

 新一は体を離し、スペイドの顔を覗き込んだ。己と似た顔立ちは涙で歪んでいた。嗚咽を必死に耐え唇を噛み締めている彼女に、ほほ笑みかける。

「オレと一緒に、戦ってくれよ」

 それは、かつてスペイドが新一に向けた言葉。その時とは違う意味合いを含むそれに、スペイドは必死に首を縦に振る。声を出そうにも嗚咽で上手く出せず、苦笑をこぼす。

 スペイドに注意を向けるあまり、新一や清麿、ガッシュは気付かなかった。蒼の魔本がこの時光り輝いていたことに。

「ごめん、なさい……! ごめんなさい……!」

「うん、でもオレも気付けなかったから相子だ。それに、その言葉を一番に言わないといけない相手は、オレじゃないだろう?」

「あ、う……」

「大丈夫、オレも一緒だからさ」

 スンと鼻を鳴らすスペイドを宥め、新一はガッシュの方に促す。

 謝る対象が己であると気付いたガッシュは慌てたが、清麿が背中を押したことで緊張しながら前に出た。

 スペイドは新一の服をつかみながら、これ以上涙を流さないよう必死に堪えてガッシュと向き合う。

「すまなかった、ガッシュ。私が、間違っていた」

「ウヌ、誤解が解けたのならそれでいいのだ。私は気にしておらぬぞ」

「なんと、お詫びすればいいか……」

「おわっ……そんなのいらないのだ! それに、私が最初からちゃんと言わなかったのが悪かった、だからごめんなさいなのだ」

「ガッシュが謝ることはない! すべて私が……っ!」

「あー、はいはい。そこまでだ」

 ごめんなさい合戦に発展しそうになったので、見守っていた清麿が間に入る。

「ガッシュは素直に受け取っておけ。スペイドも、そんなに気になるんだったらオレから頼みがある」

 スペイドとガッシュが首を傾げる。一方の年相応に、一方のやや幼いその仕草に苦笑しながら、清麿は頼みごとを告げる。

「俺達と一緒に、『やさしい王様』を目指してくれ」

 それに、スペイドの目が見開かれた。新一は虚を突かれた後すぐに笑み崩し、ガッシュは嬉しそうに飛び跳ねる。

「それがいいのだ! スペイド、私と一緒に王を目指そう!」

「私が……王を……? しかし私は……っ」

「強いお前が目指してくれたら、オレ達が敗れても、魔界にやさしい王様が生まれるかもしれない。そうだろ?」

 清麿の言葉に、ガッシュが頷く。

 今まで考えもしなかったそれにスペイドはオロオロとし、助けを求める様に新一にすがる。

「新一、私はどうしたら……」

「いいじゃねぇの、目指しておけよ」

「そんな簡単に……!」

「簡単だろ、なんたってお前もまた――王候補の一人なんだからよ」

 当たり前にして忘れかけていた真実に、スペイドはへにょりと眉を下げた。

 

 

 

「――悪かったな、立てそうか?」

「ん? ああ、もう少し休んだら何とか動けそうだ」

 返事に渋るスペイドを説得させようとガッシュが頑張りだしたのを眺めていると、清麿に申し訳なさそうに話しかけられた。それが直撃した術のことであると察し、新一も片手を上げ制しようとし、痛みに顔をしかめる。魔物の術は中々に効く。

「分かって飛び出したオレに責任があるし、お前の判断は間違ってなかった――オレ達の方こそ、悪かったな」

「いや、ガッシュも言っていたけど、誤解が解けたならそれでいい。オレ達も好んで戦っている訳じゃないし」

「そう言ってもらえると助かる、っつぅ……」

「おい、本当に大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ。情けない話、魔物の攻撃を受けたのってこれが初めてでさ……」

 ハハッと苦笑しながら言うと、清麿が何とも言い難い表情を浮かべた。それが普通なんだろうなと清麿は思っていたのだが、彼が戦いの中で必ず魔物に攻撃されているとは知らない新一はその理由を呆れていると思い、積極的に戦いに参戦していこうと改めて決意する。

 二人のこのすれ違いが後の新一のスタイルに大きく影響してくるのだが、それはさておき。

 互いの魔物がいないこの状況、新一は絶好の機会だと清麿と向き合う。

「有り難う。お前のおかげで、オレ達は真実と向き合う決心がついた」

「俺じゃなくてガッシュに礼を言ってくれ。あいつが必死だったから、俺もそうしただけだ」

「もちろんガッシュにも礼は言う。けど、オレはお前の言葉に救われたんだ」

「俺の?」

「まあ、色々あってさ。日本に帰ってきてよかったよ、ようやく吹っ切れることが出来た」

 戸惑いながらも、スペイドの為にと帰ってきた故郷。途中そのことを後悔したが、終わった今この選択が間違っていなかったと知る。

 ガッシュと清麿に出会えたからこそ、新一とスペイドは前に進むことが出来たのだから。

「もうオレは、迷わない」

 無邪気なガッシュに戸惑うスペイドを見ながら、新一は新たな決意を胸に仕舞う。

 その真っ直ぐな目に清麿も何かを感じ取ったらしく、ふっと口角を上げた。

「なら良かった。……というか俺達は、戦いの前にそっちがスペイドを説得してくれるのを期待していたんだけどな」

「悪いな、しようと思ったんだが無理だった」

「それだけでも嬉しいよ。それに最大呪文を使わないですんだし」

「ああ、流石に最大呪文となると体力的にも辛いよな」

 本の持ち主だからこそ分かり合える悩みである。呪文は強くなればなるほど心の力の消費が激しくなり、場合によっては肉体面にも影響を及ぼす。

 新一達の最大呪文、第五の術ガオウ・ギルアルドは巨大な鮫型の水エネルギーを放つ術なのだが、これを使えば新一にもやや疲れが生じる。清麿たちの最大呪文がどんなものかは分からないが、表情を見るに相当体力的にきついのだろう。

「これからまた修行の日々になりそうだ」

 魔物の戦いに参戦するために、まずは新一自身の体力強化をしなければならない。魔物と互角にはならずとも、少しでも戦えるよう武術を学ぶのもありだろう。

 多くの課題があるが、それでも新一の強くなりたいという気持ちは衰えない。

 頭の中でこれからの修行プランを考えていると、「おい!」と清麿がどこか嬉しそうな声をあげた。

「どうした?」

「本、ずっと光りっぱなしだぞ!」

「うそ!?」

 清麿に言われ己の本を見ると、確かに光り輝いていた。それは新一の心の力を使った光ではない。新しい呪文が本に現れた時に出る、新たな力を教えるもの。

「スペイド、新しい呪文だ!」

「本当か!?」

「やったのう、スペイド!」

 パラパラと新しい呪文のページを探し捲りながら相棒を呼ぶと、驚きの表情とともに振り返られた。スペイドに無邪気に迫っていたガッシュもまた、我が事のように喜び駆け寄ってくる。

「新しい呪文は……っと」

 文字が光り輝いているページに辿り着き、それを指でなぞる。そして、愛しそうに目を細めた。

(なるほどな……これは確かに、スペイドの呪文だ……)

 新一を含む本の持ち主たちは、実際に術を発動しなければその呪文がどんな物なのか分からない。しかし、今まで出会ってきた魔物達の呪文を考慮みるに、ある程度の法則性があることが推測できる。

 ワクワクとしているスペイドやガッシュを落ち着かせてから、清麿の肩を借りて立ち上がる。まだ若干ふらつくものの何とか己だけの足で立ち、新一は魔本を構えた。

「スペイド、いくぞ」

「ああ」

 誰もいない場所に向けて剣を構える。光り輝いている魔本に心の力を込めると、より一層輝きを増した。

「第七の術、ラージア・アルセン!」

 新一の唱える呪文と共に、スペイドの剣は再び水を纏い、横へと勢いよく振り払われる――途端、刃状となった水のエネルギーが放たれた。それは第三の術アルセンと似ているが、より一層巨大化し威力の増したもの。

 ――変わらないままの成長を望んだ、スペイドの心そのものだった。




次回は赤本組と某所にお出かけ。新一と蘭の解決編に入ります。よってコナンキャラが何人か登場します。

出てきたオリジナル呪文ですが、活動報告にしてちょこちょこと法則性などのせています。
活動報告を有効活用していきたいです。


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Level.05 不思議な世界

※新一がノリノリで女装しています。


 トロピカルランド。東京都内にある出来たばかりの遊園地。

 そこは江戸川コナンの始まりの場であり、同時に工藤新一の終わりの場でもある。

 スペイド以外にその生存を知られていないため、本来なら避けなければならない彼のルーツの一つであるこの娯楽施設。

 

「ヌォオオオ、人がいっぱいなのだ……!」

「メルメルメ~」

 

 ――だというのに、何故、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

 

 

「ガッシュ、ウマゴン、勝手に動き回るなよー」

「私が傍にいよう」

「ああ、悪いなスペイド、任せた」

 顔を輝かせて入り口から駆け出すガッシュと、仔馬に似ているがどことなく羊とヤギも連想させる魔物――清麿命名、ウマゴン。その子ども達のあとを追いかけるのは、新一のパートナーであるスペイド。勿論その頭には兜を被っている。ガッシュの本の持ち主である清麿は、新一の隣で呆れながらも微笑ましそうにガッシュ達を見つめている。

 ――昨日終えたガッシュ達との戦い。本来ならそこで負った傷を癒す日になるのだろうが、新一は彼らと共に鬼門とも呼べるこの娯楽施設に来ていた。

(なんでこうなった……)

 隣でパンフレットを広げる清麿にバレないようこっそり息を吐く。

 昨日、騒動を起こしたスペイドに詫びとして『やさしい王様』になることを頼んだ清麿とガッシュだったが、当のスペイドは恐れ多いとこれを拒否。目指す目指さないの攻防戦が魔物の間で繰り広げられた後、ならばとガッシュが提案したのだ。

 ――遊びに行くか、一緒に修行したいと。

 スペイドもそれならと快く両方とも承諾。新一も彼らに興味があったので受け入れた。遊びに行くにしても、このモチノキ町にはモチノキ遊園地があるとホテルの案内に書かれていたので、そこにいけばいいだろうと楽観的に考えていた。

 考えもしなかったのだ。ガッシュが遊びに行きたいといった理由が、最初からトロピカルランドに行きたいからだということなど。

 気付いた時には既に時遅く。しっかり装備した二人と喜ぶ相棒、プラス一匹に連れられ、新一は否応なく遊園地の中にいた。

 ウマゴンを紹介されたのもこの時である。この魔物は珍しいことにまだ本の持ち主が見つかっておらず、高嶺家に居候しているとのこと。ガッシュに懐いており、わざわざイギリスから追いかけて来たらしい。それを聞いた新一は、ガッシュの未来が不安になった――彼は一癖ある者に懐かれるらしい。

「新一、広場はあっちみたいだ。行こうぜ」

「ああ」

 場所を確認した清麿が楽しそうにしながら目的地へと歩き出す。それに続きながら新一は魔物達を見て、まあいいかと仕方なさそうに肩を落とした。

 知り合いに会わないとは限らないが、今新一は日本に来た時同様サングラスをかけ素顔をなるべく隠しており、今回の目的から考えても『工藤新一』であることは周囲にばれないはずだ。

 何より、スペイドが年相応に楽しんでいる。今まで修行と戦いに明け暮れていたので、たまにはこうした息抜きもいいかもしれない。そう考えると、きっかけをくれたガッシュ達には感謝すべきなのだろう。

「清麿、今日誘ってくれて有り難うな」

「こっちこそ、ガッシュの我儘に付き合ってくれて有り難う。あいつ前からずっと煩くてさ」

 苦笑する清麿に、新一は小さく微笑み返す。ガッシュを理由にしていても、彼自身もまた楽しみにしていたのは明白だった。

 キャッキャと楽しそうに駆けていた三人が、ある一つの乗り物の前で止まる――以前殺人事件が起きたジェットコースターだ。始まりのきっかけともいえるそれにゲッと顔をしかめるも、ガッシュの顔が一層輝きを増す。

「清麿、清麿! ジェットコースターに乗るのだ!」

「身長制限によりアウトだ」

「ヌォオオオ! なぜこのようなものがあるのだぁああ!」

「メルメル……」

「ガッシュ、今度またジェットコースターが乗れる遊園地を探そう」

 ガッシュの身長では存在するどの遊園地でもアウトである。

 ジェットコースター前で現実の儚さに涙するガッシュとウマゴンを宥めるスペイドを横目で見ながら、新一は安堵の息を吐いた。

 

 

 

 泣き叫ぶガッシュを引き連れながら目的地に向かっていると、徐々に人目を引く恰好をした人々が増えてきた。それにガッシュとウマゴンは引くことなく逆に顔を輝かせ、浮足立っていた足を更に浮き立たせる。

「清麿! きーよーまーろー!」

「分かったら大声で呼ぶな! 周りが見ているだろ!」

「ウヌゥ、楽しみなのだ……!」

「メルメルメ~!」

「……ガッシュが楽しいのなら、いやしかし……」

 ワクワクと顔をにやけさせるガッシュとウマゴンとは対照的に、スペイドの雰囲気は重い。兜で隠れているが恐らく微妙な表情が浮かんでいるだろう。

 それのある意味原因である新一は苦笑いを浮かべながら、たどり着いた目的地を見上げる。

「『ハロウィンコスプレイベント』なぁ……」

 広場に建てられた仮設施設。そこの看板にポップに描かれたカボチャやお化け。

 今トロピカルランドでは、ハロウィンコスプレイベントが開かれていた。

 

 

 

 勇んで中に入っていくガッシュとウマゴンの後を、渋るスペイドを宥めながら着いて入る。玄関横に受付があり、見渡せる限り部屋の中は多くの衣装で埋め尽くされていた。

「ようこそ、衣装貸し出しサービス所です! ご希望の方はこちらにお名前と住所をご記入してください」

「はーいなのだ!」

「メル!」

 魔女の恰好をした受付の女性の言葉に、ガッシュとウマゴンが手を上げて元気よく挨拶をする。とは言えこの子どもたちが書けるはずもなく、やれやれと肩を落としながら清麿が代表して名前を書く。

「新一、お前はどうする?」

「オレのも宜しく。名前は高嶺新一で」

「俺の苗字じゃねぇか! スペイドは?」

「私はいい」

「……まあその格好だしな。了解、住所は俺の家でいいか……」

 突っ込みながらも要望通りに書いてくれる清麿に感謝しながら、新一は室内を見渡す。

 ハロウィンイベントと銘打っているだけあり、それらしい衣装が数多く並べられている。しかし幅広いジャンルを集めているらしく、奥の方には入口にアリスコーナー、シャッフルコーナーなどと書かれた看板が天井から下げられていた。両隣には更衣室があり、簡易ロッカーも設けられている。

 幸いなことにほかの客はいないらしく、受付を除くとガッシュ一行のみ。着替えるには最適の状況だろう。スペイドは唯一の女性であるが、彼女はすでにコスプレしているようなものなので関係ない。

 新一がここに来ることを割り切ることが出来た理由がこれである。まさか死んだはずの『工藤新一』がコスプレをして遊園地を満喫しているなど、誰も思わないだろう。

(どうせなら『工藤新一』と結びつかないような格好を……ヤベッ、女装しか思いつかねぇ)

 衣装の中を走り回るガッシュ達を眺めながら自身の着る衣装について考えるも、某怪盗に影響されてか女物しか浮かばない。ある意味最強ともいえる変装だろうが、率先して女装すれば清麿に変態と思われるかもしれない。

 さて困ったものだと悩んでいると、クイとスペイドに服の裾を引っ張られた。

「スペイド?」

「……受付の視線が痛いんだが、理由が分からない」

 背中に隠れるようにして耳打ちしている彼女に訝しがりながら、受付の女性を見る。

 受付の人は確かにスペイドと見ていた。それも目を輝かせて。ウズウズしているのも隠しもしないその様子に、新一は嫌な予感を覚える。

「スペイドー!」

 その嫌な予感を決定付ける様にして、ガッシュが一つの衣装を持って駆け寄る。

「こらガッシュ、勝手に持ってくるな!」

「ウヌ、しかし清麿、スペイドの服が置いてあったのだ」

「ハァ?」

 真黒な服とマントを手に持ってきたガッシュに、清麿が胡乱げな声を上げる。

 だが、新一とスペイドはピシリと固まった。受付の女性は同意するかのようにうんうんと首を縦に振っている。

「スペイドの服って、どういうことだ?」

「分からぬ。だがあそこの……シャッフル? コーナーとかいうところに置いてあったのだ」

 あっち、と指さされた方には、ガッシュの言う通りシャッフルコーナーと書かれた案内板が天井から下げられていた。

 ダラダラと、冷や汗が流れ出る。

 日本に来た時に分かったが、現在日本は空前の名探偵ブームであり、その中でも『工藤新一』が一等人気である。彼が学園祭で演じた『黒衣の騎士スペイド』もまた写真などが出回っており、空港について早々スペイドは「コスプレですか?」と聞いてくる女性たちに囲まれた。

 その演劇の名前は、『シャッフルロマンス』。ガッシュが衣装を持ってきたコーナーの名前は『シャッフル』コーナー。

「メルメルメ~」

「おお、ウマゴン。似合っておるぞ」

 止めとばかりにウマゴンが被って現れたのは――スペイドと同じ兜。

「えっ、なんでスペイドと同じ兜が――」

 ここには、シャッフルロマンスの衣装も揃っている。

 そのことに気付いた新一は素早く清麿の腕を掴み、一番近くの更衣室に飛び込んだ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――と言う訳なんだ……」

 元々は休憩所などとして利用する部屋を更衣室として使っているため、一人でなら広いが数人で使うとなるとやや狭く感じる部屋。そこで新一は清麿に己の事情を打ち明けた。因みにサングラスは外している。

 何となく正座をしていた清麿は、新一の話にポカンと口を開けて呆けている。中々に面白い表情だ。

「……新一が、あの、『工藤新一』、なのか……?」

「です」

「……名探偵の?」

「粋がって探偵と名乗っていた時期もありました」

「……世界的裏組織を潰した?」

「オレだけの力じゃねぇけど、リーダーはオレでした」

「……――嘘だろぉ!? なんで生きてんだ!?」

「いやぁ、オレも爆弾で死んだと思っていたんだけど、スペイドに助けられてさ」

 テヘッとお茶目に笑うと、清麿が頭を抱えて蹲った。脳がキャパオーバーしているに違いない。

「まぁともかく、オレが生きているって知られたくないんだよ。オレを恨んでいる敵も多いし、今更『実は生きていましたー』なんて出ていけねぇし」

 後者はともかく、前者は建前だがある意味本音でもある。今現在裏社会と表社会のバランスが崩れていないのは、中心人物であった『工藤新一の死』が抑止欲として働いているためだ。もしも裏社会にとって一番の危険因子である『工藤新一』が生きていると知られれば、組織戦以上の混乱になるのは目に見えている。

「だから頼む、オレが『工藤新一』だってバレないよう協力してくれ!」

「そっ、それは勿論協力はするが……でも、いいのか?」

 お人よしなのか、それとも事の重大さに気付いていないのか。あっさりと協力を引き受けた清麿がほんの少し悲しそうな表情を浮かべる。

「お前の知り合いは、悲しんでいないのか?」

「――それは、大丈夫だ。戦いの前に別れは済ませておいたから」

 彼が何を言いたいのか正確に悟った新一は、その心配をほほ笑むことで流した。

 これから先のことを考えて清麿には打ち明けたが、『江戸川コナン』について説明する気は更々ない。優しい彼には知られたくない、真実ではなく偽りを選ばれた男のことなど。

「今問題なのはスペイドだ。どういった訳か、あいつはオレが演じたキャラと殆ど同じ格好をしている。今日はコスプレと見られるだろうが、さっきの受付のお姉さんがスペイドを見て話したそうにしていたから、オレのファンか何かと思われる可能性がある」

「なるほどな、つまりそう勘違いした客たちにスペイドが絡まれ、その時にガッシュが余計な口を滑らしたら――……」

 二人の間に沈黙が訪れる。無邪気で難しいことは考えないガッシュは、『黒衣の騎士スペイド』のコスプレをしていると思い込み話しかけてきた人たちに、無邪気に「スペイドはスペイドなのだ、コスプレじゃないのだ」等と言うだろう。もしも写真を見せられれば、「新一殿が映っておるのだ」等と言っても可笑しくない。ガッシュは新一の素顔を知っている。

「――もしかして、ガッシュにも話した方がいいか?」

「――いや、話した方が余計変な態度を取りそうな気がする。あいつは嘘が下手だからな」

 無邪気故に引き起こされる恐ろしい事態に、想像とはいえ新一と清麿は震えあがった。

「何でここに着いてきたんだよ!」

「仕方ねぇだろ! 『シャッフルロマンス』の衣装が出回っているなんて思わなかったんだよ!」

「くそっ、こうなったら仕方ない。新一、お前は徹底してコスプレしろよ。ガッシュ達は俺が何とかするから」

 ブツブツといざという時の対処法を考える清麿に、新一はジワジワと味方が増えたことを実感していった。スペイドは格別な存在だが、やはり人間の、それも同性の味方が出来るのは嬉しい。肩の重みが少なくなったように軽く感じ、必要以上に気を張っていたことに気付く。

「本当に、有り難うな。清麿」

 ポツリと呟いた言葉は、とても小さく考え事をしている清麿に届かなかったが、それでも新一は嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「清麿ー! 新一殿ー! これに着替えるのだー!」

 

 ――そしてその場の空気をぶち壊すガッシュの乱入に、二人顔を見合わせて肩をすくめ。

 清麿と新一の分の衣装も持ってきた二人と一匹を、更衣室内へと招き入れた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 水色のエプロンドレス。ウェーブのかかった長い金髪に大きなリボンカチューシャ。

クルリとその場で回り、ニッコリと愛くるしい笑みを浮かべる少女。

「よし、完璧だ!」

 もとい、工藤新一。

 鏡の前で女装をしている己の恰好を確認した新一は、グッと男らしくガッツポーズをとった。男なのでらしくもなにもない。

「ヌゥ、新一殿が女の子になったのだ……」

「メッ、メルゥ……」

「完璧すぎるだろ……」

 新一の変化に呆然としている清麿とガッシュ、ウマゴン。しかし彼らもまた、愛くるしい姿になっている。ガッシュは白ウサギ。清麿はチェシャ猫。ウマゴンはどこから見つけてきたのか分からない、むしろなぜこのサイズがあったのか不思議なハートの女王。

 ガッシュ達が選んだテーマは『不思議の国のアリス』、ある意味新一の状況に相応しいテーマだと言えよう。新一は否応なしに主人公のアリスである。

「流石新一、どんな格好をしていても美しいな」

 唯一コスプレをしていないスペイドだが、騎士の恰好をしているだけあり違和感を与えていない。

 さらりと出てくる気障なセリフを受け流し、新一はコホンと咳払いをして声を調整する。

「あー、あー、んーもう少し高めに……あー……こんな感じでどうだ?」

 声が徐々に高くなっていき、男か女か判断しにくいハスキーなものへと変わる。『アリス』には似つかわしくないだろうが、少なくとも男だと思われることはないはずである。

 清麿たちもそう思ったらしく、首を縦に振る。中々に好評なようだ。

「折角だし、それぞれの役で呼び合ってみるか。新一は『アリス』、ガッシュは『白ウサギ』、ウマゴンは『女王様』で、俺が『チェシャ猫』、スペイドはそのままになるけど……」

「私は構わないが、気になるなら『騎士』とでも呼べばいい」

「楽しそうなのだ! のうウマゴ……そうじゃなかったのだ、女王様!」

「メルメルメ~!」

 さりげなく清麿が名前から男バレの危険性を下げる。やはり清麿に協力を願い出て正解だった。勇んで更衣室を飛び出していくガッシュ達の後を追いながら、新一は隣に来たスペイドに耳打ちする。

「清麿も手伝ってくれるが、なるべくガッシュ達から目を離さないでくれ。正直何が起きるかオレにも分からない」

「新一がそう望むのなら」

 コクリと頷き、スペイドはガッシュ達を駆け足で追いかける。

 警戒しすぎだと言われそうだが、新一は警戒しても足りないほど微妙な状況下にいる。そもそも彼は『死神』と呼ばれるほど事件遭遇率が高い。スペイドと共に行動するようになってから不思議とまだ遭遇していないが、今いる場所はトロピカルランド。何度も事件現場となり、その度に新一もしくはコナンが遭遇している、事件発生率が高い所である。

 そして、蘭の親友である園子がこのイベントを見逃すとは思えない。さらに『シャッフルロマンス』の衣装が出回っている辺り、鈴木家が背後にいることも考えられる。

(会いたくない、というか見たくないしな……)

 昨日の戦いで、新一は蘭への想いを断ち切る覚悟を決めた。しかし、十年以上の想いがたった一日で無くなる訳がない。そんな中で彼女と出会えばどうなるのか、正直想像することは出来ない。

(どうか、無事に済みますように……)

 そう望みながらも、恐らく神に見捨てられそうな予感に襲われた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「ナハハーっ! 清麿、じゃなくてチェシャ猫とアリス殿ー!」

 メリーゴーランドの馬に跨りながら、ガッシュが清麿と新一に向けて手を振る。その斜め後ろでは、ウマゴンと共にスペイドが別の馬に乗っており、やや恥ずかしそうにしながら控え目に手を振っている。

「白うさぎさんと女王様、とっても楽しそうね、チェシャ猫さん」

「……お前の方が楽しそうに見えるけどな」

「あっ、やっぱり分かる?」

 ウフフと新一は可愛らしく笑う。アリスの恰好をしているせいかどこから見ても美少女であり、周囲の、主に男性の目を釘付けにしている。その美少女が男だと知っている清麿からすれば鳥肌ものであり、今も若干引いている。その反応があまりにも可笑しくて面白いので、『工藤新一とバレない』という目的が途中から『清麿をからかう』に変わっている。必要以上に女の子の演技をしているのはこの為であり、味を占めた新一は止まらない。

「だって可愛くて面白いんだもん」

「それはガッシュ達のことだよな? そうだよな?」

「んー、主に今目の前にいる人のことかな?」

「良かったなー、白ウサギ! アリスが可愛いだってよ!」

 現在ガッシュ達は清麿たちとは正反対の方にいて姿は見えない。

 噴き出すのを必死に堪えながら、新一はさりげなく周囲を見渡した。清麿をからかうのに夢中になっていれば、薬を飲まされた時同様背後不注意になる。あの時と同じことを繰り返さないよう、警戒を怠らない。

 もっとも、それ以上に清麿をからかうことに力を入れているのも事実であるが。

(蘭たちはいないな……少年探偵団とかもいて可笑しくなさそうだが……)

 衣装を借りてからトロピカルランド内を回っているが、予想に反し危惧していた者達の姿は一度も見ていない。場所が場所なだけに知っている顔一つくらい見ても可笑しくないのだが、それすらもない。思わぬそれに拍子抜けしてしまう。

(スペイドと出会ってからも事件に遭遇したことは無かったし、あいつ効果か? いや、その分魔物と出会っていると考えれば、事件が魔物の戦いにすり替わったという可能性も……)

 顔には愛くるしい笑顔を浮かべたまま、思考の渦に飛び込む。

 もしも本当に魔物の戦いに置き換わっていれば、新一とスペイドはほぼ毎日魔物に襲われることになるのでこの考えはあり得ないが、この戦いの運命が何かしらの影響を与えているのは間違いないだろう。ガッシュと清麿と出会ったのもまた、この戦いの運命の一つ。

「新一」

 不意に耳元で名前を呼ばれ、新一は体を震わせ思考から浮き上がった。

 いつの間にか俯いていた顔を上げれば清麿が直ぐ近くにおり、新一を隠すようにしている。

「ガッシュ達が降りてきたから行くぞ。あとあんま顔上げんな」

「……誰かいたのか?」

「いや、そうじゃないがさっきから複数の、殺意みたいな視線を感じるんだ」

 物騒な単語に眉を顰め、改めて周囲の気配を探る。

 新一に殺気を送る相手と言えば、魔物か組織関連の人間。後者となると新一の変装がバレており、尚且つ生きていることを知られてしまったことになるので大問題となる。

出来ることなら前者であってほしいと祈りながら感じる複数の視線を探り、おやと眉を顰める。

(殺気を感じない、だと……?)

 不思議なことに、新一は己に向けられる殺気を感じなかった。今までの経験上気配に関しては清麿以上に敏感である自信と確信があるのだが、彼の言う気配は全く感じられない。

 どういうことかと周囲を見渡し、新一は気付く。

(清麿に向けられているからか……)

 清麿の言ったことは半分だけ正しかった。殺気はある、しかし向けられている相手が新一ではない。

 ――可愛らしい美少女に寄り添っている清麿への嫉妬の視線だった。

 視線で射殺さんとばかりに清麿を睨みつけている、一人だけの男や集団でいる者。見た限り彼らに女の気配はない。

 一方の清麿はというと、殺気を向けられていることは気付いていても、それが彼自身に対する嫉妬だとは気付いていない。新一の事情を知っているが故の先入観か、はたまた女装した男であると知っている為にそうした感情に気付けないのか、それとも鈍感なのか。

(うーむ、これは面白い状況だ)

 面白がってはいけないと分かっているが、どうしても面白く感じてしまう。原因である新一はニンマリと笑みを浮かべ、周囲を煽るように清麿の腕に絡みついた。

 途端嫉妬の視線が色濃く強くなり、清麿は益々警戒する。

(うん、やっぱり面白い)

 これはもう暫く楽しんでいよう、と心配されているのを分かったまま、新一は黙っておくことにした。

 言い訳としては、嫉妬と気付かない方が可笑しい、でいいだろう。

 

 

 

 メリーゴーランドから降りてきた二人と一匹と合流し、ブラブラとランド内を探索する。沢山乗り物に乗って楽しんだからか、ガッシュ達の関心は乗り物系ではなくお化け屋敷など建物内での遊び施設に向いている。

「おお、チェシャ猫! 今度はあのミラーハウスに行くのだ!」

「はいはい、行って来い行って来い」

「ウヌ、では行くぞ女王様! スペイド!」

「メル!」

「チェシャ猫、アリスを頼んだぞ」

 ヒラヒラと手を振る清麿に見送られ、ウマゴンとスペイドと連れてガッシュがミラーハウスへと突撃する。あの勢いのままガラスにぶつからないか心配である。

「んー、ミラーハウスなぁ。オレも入ったことないなぁ」

「新一は、ここに来たことあるのか?」

「何回か。毎回何かしら事件に巻き込まれていたから、あんまり遊んでねぇけど」

 初めて訪れた際には、ジェットコースターでの殺人事件であるのだからいい思い出はあまりない。

 清麿は事件という単語に顔をひきつらせた。これが一般人の反応なのかと他人事のように思いながら、新一は可愛らしく清麿の腕を引っ張る。

「チェシャ猫さん、私たちも入りましょう?」

「お前のその切り替えようが恐ろしくて溜んないよ」

「ヤダー、褒められちゃった」

 再び腕に絡みつきながらクスクス笑うと、呆れたように息を吐かれた。どうやらからかいすぎて耐性が付いてきてしまっているらしい。

 だがこれはこれで面白い。引いて狼狽えるのもいいが、疲れ切っている様子も新一の悪戯心を擽る。

 さて今度はどうやって遊ぼうかとクスクス笑いながら、引っ張っていく清麿についてミラーハウス内へと入る。ガッシュ達の姿は見えないが声は聞こえてくるので、そう遠くに行っていないだろう。お化け屋敷ではないにもかかわらず、悲鳴が聞こえてくるのは不思議だが。

 何重にも重なって映る己の姿を見ないようにしながら、新一は迷うことなく通路を歩く。清麿も惑わされることなく歩いているため、この辺りの感覚も新一に近いのだろう。

「なんか、変な感じになるよな。ミラーハウスって」

「そうか? 確かに自分がこれだけ映っているとホラーを連想しそうだが」

「そんなんじゃなくてさ、どれが本当の俺が分からなくなって来ないか?」

「……清麿って現役中学二年生だったか」

「中二病じゃねぇよ!」

 憐みの笑みを浮かべると鬼の形相で振り向かれた。からかいすぎたらしい。

 悪いとケラケラ笑いながら謝罪し、新一は改めて鏡に映る己を見る。

 清麿に腕を絡めているアリスの恰好をした美少女。そこから『工藤新一』を連想するのは難しい。

 ――かつての『江戸川コナン』の姿から、『工藤新一』と結びつけるのが難しかったように。

「……今更、だな」

 清麿が感じたことなど、当の昔から感じている。鏡だらけの世界の中だけでなく、真実を隠し偽りを貫き通さなければならない世界の中で、ずっと感じ続けていた。

「新一?」

「何でもない」

 それに比べて、今のこの姿のなんて楽なことか。一番偽りたくない相手を騙さなければならない罪悪感がないだけで、こんなにも心が楽になるなんて。

 不思議そうに見てくる清麿に笑みを向け、新一は先へと引っ張る。

 引っ張られたことで転びそうになりながらも、清麿は何も言わず着いてきた。彼が何を思って追及してこないのか分からないが、それがとても居心地が良い。

 フフンと鼻歌を歌う。周囲が一瞬で阿鼻叫喚の巷と化すほど音痴ではあるが、鼻歌だけは音程を外さないので、外で歌っても迷惑がられることはない。

「ご機嫌だな」

「まぁな。ガッシュ達もご機嫌だぜ?」

「……ある意味な。出口はここみたいだし」

 新一の言葉に清麿が苦虫を噛んだような表情を浮かべる。

 響き渡ってくるガッシュとウマゴンの悲鳴。泣き叫んでいるので、道が分からなくなっていることが予想できる。このミラーハウスは迷路になっており、道を間違えれば行き止まりに辿り着く。すでに新一達は出口に着いてしまったので、どこかでガッシュ達を追い抜いたのだろう。

 時折激しくぶつかる音が響いてくるので、鏡が壊れていないかが心配である。

 やれやれと肩を落とす清麿に小さく笑う。何だかんだと言ってガッシュに一番甘いのが彼であることに、彼本人だけが気付いていない。

 それに気付いた清麿が咎めるような視線を向け、ふと後ろを向いた。同じタイミングで新一も笑いを引っ込めて後ろを向く。

「おい、新一……」

「ああ、可笑しい」

 和やかな雰囲気が一変し、緊張感に包まれる。

「ガッシュ達の声が、聞こえない」

 先ほどまで響き渡っていた悲鳴が、ピタリと止んだ。それだけなら出口に出たと考えられるが、その出口は新一たちの後ろにある。

 出口までの正しい通路は一つだけ。今まで一度もガッシュ達とすれ違うことは無かったことから、彼らはまだこのミラーハウスの中にいる。

「っ、ガッシュ! ウマゴン!」

「スペイド!」

 清麿と新一は迷うことなく鏡の通路を引き返した。

 

 

「新一、スペイドは何か連絡手段とか持っていないのか!?」

「生憎、そんな金銭的余裕はなくてな! ホテル代その他諸々で精いっぱいだ! そっちは!?」

「俺はまだ中学生だぞ! 携帯持ってるわけねぇだろ!」

「今どきの中学生は普通持っているだろうが!」

「うるせぇ、一昔前の中学生をなめんな!」

 入っていない通路に入り、行き止まりに着いたら戻ってを繰り返す。

 一つ一つ通路を確認していくが、ガッシュ達の姿はない。この間も彼らの声は響いてこない。

「くそっ、魔物の仕業か!?」

「いや、それにしては呪文を唱える声が聞こえなかった。考えられるとすれば、魔物が元から持っている能力か……」

「ガッシュ達が何かしらやらかしたか」

 後者の可能性に、二人は押し黙った。

 ある意味それが一番可能性高い。そして次に脳裏をよぎるのが、賠償の二文字。

「頼むガッシュ、あとでブリ買ってやるから頼むから壊すなよー!」

「スペイド、お前が人間界の常識を持ったことを信じているからなー!」

 どう考えても払えないだろうそれに、二人は先ほどとは別の意味で焦りを覚えた。

(クソッ、ケチってないでスペイドに何か持たせておくんだった!)

 見つからない相棒の姿に、新一は汗を拭うことせず走り回る。魔物の仕業か、ガッシュ達の仕業かは分からないが、姿を見ないことには安心できない。

 鏡の中にも目を向けながら、ただひたすら黒を探す。

「新一、そっちは!」

「いない! 清麿の方……うわっ!」

 馴れない女物の靴で走っていたため、振り向く際バランスをとれず新一は床に倒れた。

 反射的に頭を手で庇ったが、咄嗟のことで受け身をとれず体を強く打ち付ける。

「新一!?」

「大丈夫、転んだだけだ」

 昨日の怪我が治っていない体に強く響いたが、これ以上心配かけるわけにはいかないと新一は声を上げるのを耐え、鏡に手をついて起き上がる。指紋が付いてしまったが、殺人事件でも起きない限り取られることはないだろう。

 立とうとした瞬間足首に激痛が走る。どうやら捻ってしまったらしい。これでは走るのも難しそうなので一先ず清麿には先に行ってもらおうと顔を上げ、ふと異変に気付く。

 目の前の鏡に、己の姿が映っていないことに。

「あ、れ? これは、ガラス……?」

「おい新一、どうしたんだよ」

 よく見れば、後ろの通路も鏡に映っていない。何時までも立たない新一を心配して見に来た清麿の姿もまた同様。

 ミラーハウスは鏡の迷路。行く手を阻むものとして鏡に似せたガラスの壁を設置しているのだろうか。清麿に立ち上がるのを手伝ってもらいながら、そう考えつけて視線をそらそうとした時――ガラスの向こう側で、黒がゆらめいた気がした。

「いた!?」

「なにっ!?」

 思わず叫んだ新一の声につられて、清麿もガラスを振り返る。

 ガラスの向こう側も鏡の迷路になっているらしく、反射する世界の中はっきりとした黒が、スペイドが現れた。ガッシュとウマゴンもついで現れ、迷子防止か互いに手をつなぎ合っている。

「ガッシュ! ウマゴン!」

「スペイド!」

 二人はそのまま相棒の元へと掛けようとし、だがガラスの壁によって阻まれる。新一たちの声は魔物達に聞こえていないのか、二人と一匹は周囲を見渡しながら新一たちに背を向け、そこから立ち去ろうとする。

「ガッシュ! 気付いてくれ、ガッシュ!」

「スペイド、スペイド!」

 ガンガンっとガラスの壁を拳で打ち付ける。あれだけ賠償を気にしていたというのに、今ではこのまま壊れてしまえばいいとさえ思っていた。

 人間たちの叫び声は壁に阻まれ、魔物達に届かない。そしてそのまま、ようやく見つけた相棒たちはまた姿を消そうとする。

 ――その瞬間、新一の脳裏にスペイドの本が焼かれる光景が浮かんだ。今まで出会い倒してきた魔物と同じように一瞬にして人間界から、本の持ち主の前から消えていく。確かにそこに存在していた相棒が。

 ――嫌だ、行くな、まだなにも、なにも言えていない。

「スペイドォ!」

 ガァアンッと、壁を強く殴る。

 ――壊れてしまえ、こんな壁など壊れてしまえ。相棒と己を引き離そうとするものなど、全部壊れてしまえばいい。

 今度こそ明確な破壊意識を抱いて拳を振り上げる。

 

 それと同時に、スペイドがゆっくりと振り返った。

 

 新一、と唯一兜に隠されていない口が動く。だが音はない。ガッシュとウマゴンには聞こえているのか、彼らもまた振り返った。

 ヒュッと息をのみ、打ち付けようとしていた拳を止める。ガッシュ、と隣で清麿が叫ぶ。

 魔物達と視線は合わない。スペイドはゆるりと首を傾げ、ガッシュを見る。ガッシュは何が何かを話しながら首を横に振ると、スペイドは不思議そうにしながら再び踵を返した。

 消えていく背中。視界から見えなくなる姿。

 ――スペイドが行ってしまったことに、新一は言い難いショックを覚えた。

 呆然としたまま、下げていた拳を振り上げる。そのままガラスの壁に打ち付けようとし――パシリと清麿によって止められる。

「行くぞ、新一! ガッシュ達はあっちだ!」

「清、麿?」

「やっと見つけたんだ、早く!」

 グイと力強く引っ張る清麿によって無理やり走らされる。捻挫した足が悲鳴を上げるが、新一の口から文句の言葉が出てこない。

「どこに、行くんだよ!」

 出てくるのは、彼に対する疑問、なぜ彼はこうもしっかりと、前を見据えて走れるのか。

 まっすぐに出口を目指しながら、清麿も叫び返す。

「ガッシュ達のところに決まっているだろ!」

 ――どうして、そんなことが分かるのか。

 溢れだしそうになる疑問が、だが言葉になって出てこない。

 清麿に引っ張られながら、出口を駆け抜け外に出る。丁度出口近くはパレードの通り道になっているらしく、人で溢れかえっていた。その中を清麿は迷うことなく突き進む。

「清麿、スペイドたちはどこに――……」

「……――見つけた!」

 ようやく言葉にすることが出来た新一を遮るように、清麿は声を上げた。その言葉にハッとして視線を追えば、ミラーハウスの裏側にどこか呆けた表情でスペイド達が佇んでいる。

「ガッシュ! ウマゴン!」

「スペイド!」

 このミラーハウスの中で何度も呼び続けた名前を呼ぶと、魔物達は振り返る。

 ――たったそれだけのことに、新一は深く安堵した。

「清麿、今の私のことは『白ウサギ』と……」

「んなことはどうでもいいんだよこの馬鹿! どれだけ心配したと思っていやがる!」

「そっ、それは……ごめんなさいなのだ……」

「お前もだスペイド、勝手にいなくなるなよバーロ!」

「しっ、新一、すまなかったからそんなに怒らないでくれ……」

「メルメル~」

 無事だった姿を見ると途端ふつふつと怒りが湧いて出て、駆け寄った清麿と新一の口からまずは叱責の言葉が飛び出した。それに、迷子になっていたことを自覚していたのかガッシュ達はシュンと体を小さくする。

 怒りのあまり足首の痛みも忘れた新一は肩で息をして、素早くスペイドに怪我がないか確認した。目で見た限り戦った後も、怪我した様子もない。本当に彼らは迷子になっていただけのことに、体から力が抜ける。

 清麿を見れば、同じように安堵していた。顔を見合わせ、仕方なさそうに苦笑する。

「ほら、行くぞ。今度はもう、勝手にいなくなるなよ」

「探すのも一苦労なんだからな」

 反省しているのなら、それでいい。折角の遊び場なのだ、何時までも怒り怒られていては勿体無い。

 清麿と新一から怒りの感情が薄れたことを察し、ガッシュ達にも笑顔が戻る。

それでいいと新一も笑いかけようとし――視界に入ったものに、息を止めた。

 

「あーっ! 見つけた、絶対彼よ彼! スペイドそっくり!」

「ホンマや、ごっつうクオリティ高いなぁ」

「いくらそっくりでも、工藤やあらへんやろ」

 

 遠くの方から騒ぎながら向かってくる、コスプレをした男女の四人組。魔女に狼女、吸血鬼とハロウィンイベントに相応しい衣装を身に纏っている。

 

「ねぇ、ほんとに行くの? いきなり話しかけたら迷惑じゃ……」

 

 その中で唯一、ハロウィンらしくなく、姫ドレスに身を包んだ少女。

 ドクリ、と心臓の鼓動が大きく耳に響く。溢れ出る嫌な汗に、震えだす体。体中の血が一気に抜けていくような、心から冷えていく体温。

 やっぱり、と思った。

 どうして、と思った。

 ――神は味方してくれないのだと。

(ら、ん……)

 グラリと揺れ動く世界。耳に飛び込む、今の己の恰好の名前。

 視界の端で黒を捉え――そのまま覆われた。




次回も引き続き女装回です。


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Level.06 アリスは夢から覚める

※引き続き新一が女装しています。


 それは一瞬の出来事だった。

 迷子になったガッシュ達を見つけ、反省する彼らに顔を見合わせ仕方ないなと肩をすくめて。気を取り直して遊びの続きに行こうと、視線をそらしたその瞬間。

 視界の端で金色が揺れ、「アリス!」と鋭い声が響いた。

 正直何が起きたのか分からなかった。驚きのまま振り返ると、スペイドに抱きかかえられているアリスの恰好をした新一。その腕はだらしなく垂れ下がっており、苦痛の表情を浮かべたまま目が閉じられている。

 ――気絶している、と気付くのにかかったのはほんの数秒。

 しかしその数秒が、彼女たちとの接触を許してしまった。

 

 

「ちょっと、そこのスペイドのコスプレをした貴方! この名プロデューサー園子様から見ても完璧な出来栄えじゃないの!」

 新一、と思わず出かかった名前が、突然話しかけてきた声によって引っ込められる。場違いすぎる発言だったが、呆然としていた清麿を我に返すきっかけにはなった。

「ただ一個だけ、剣の種類が違うのがマイナス点ね。それ以外は完璧な再現率なんだから、剣も手抜きしないで――……」

「アリス、しっかりしろ!」

 スペイドが上手くその姿を隠しているためか、はたまた視界に入っていないのか、話しかけてきた魔女の恰好をした少女は今起きていることに気付いていないらしかった。スペイドだけを見てお喋りな口を動かしている姿は誰かを彷彿とさせるが、今はそれについて考えている場合じゃないと清麿は遮るようにして声を上げる。

 それに魔女コス少女が驚いて口を閉じた。連れらしい狼女の恰好をした少女と吸血鬼の恰好をした少年が、スペイドに抱きかかえられている新一を見て大変だと声を上げる。

「どないしたんや!」

「ウチ、係員の人呼んでくる!」

「えっ、えっとー……もしかして私、邪魔しちゃった?」

「園子、だから言ったのに……」

 後から現れた、三人のハロウィンコスプレとは違いお姫様コスをしている少女が魔女コス少女に呆れたようにしている。

 吸血鬼少年が、清麿の隣で膝をつき新一へと手を伸ばした。容体を見ようとしているのだろう、しかしその手を、スペイドがピシャリと叩き落とす。

「私の姫に触らないでもらいたい」

 聞いたことがないようなゾッとする程低い声に、ガッシュとウマゴンが小さく悲鳴を上げ清麿に後ろに逃げ込んだ。清麿もまた、顔をひきつらせて冷や汗を流す。

 吸血鬼コス少年と、心配そうにしていた魔女コス少女はあまりの言葉に顔をしかめた。姫コス少女はオロオロとしながら、係員を呼びに行った狼女コス少女を探している。

「おまっ、人が心配してるっちゅうに……!」

「あんたねぇ、人が折角……!」

「――まだ、分からないのか」

 声を荒げようとする二人を、スペイドは冷たい声で遮る。

「こちらの事情も弁えず好き勝手に話しかけ、私の大切な人に無遠慮に触ろうとし、挙句の果て心配の押し売りをするような輩の手など、誰が借りると思っている」

 抑揚のない声は淡々と、しかし饒舌に彼らの手をはねのけた。

 刃のような言葉に二人は絶句し、清麿も咎めるような視線をスペイドに向ける。だが彼女は新一の頬に手を添えて顔色を確認した後、背中と膝裏に腕を回して抱き上げた――所謂姫抱きである。

「アリスは気を失っているだけだ。どこか、そうだな……人のいない場所で休ませよう。人見知りで触られるのが苦手な姫が、目が覚めた時に落ち着ける様に」

 女の身でありながらも軽々と新一を持ち上げる彼女に、改めて魔物なのだと感じた。マントを翻しその場を立ち去ろうとする彼女の視界に、話しかけてきた集団は入っていない。

 清麿の後ろからスペイドの様子を窺っていたガッシュは、これでいいのかと戸惑いの目で見上げてきた。無論、このままにしていいはずがない。「スペイド」と恐怖心を押し殺して彼女を引き留める。

「この人たちはアリスを心配しているだけだ。そんな言い方はないだろう」

「……それが迷惑だと、つい先ほど説明したつもりだったが」

「言葉が悪い。確かにこんな時に話しかけられたのは、その、驚いたけど、なにもそこまで……」

 不愉快だったことをやんわりと言葉を濁しながら伝えると、魔女コス少女が気まずそうに視線を泳がせた。一応自覚はしているらしい。

 清麿の言葉にスペイドは立ち止まり、兜の向こうから視線を向ける。直接ではないがそれでも感じる鋭いそれに負けじと返すと、「……なるほど」と何かを納得して彼らを振り返った。

「確かに、迷惑でしかないとは言え、目の前で倒れている人を心配するのは普通のこと。私の言葉は不適切だったのかもしれない。そこは謝罪しよう」

「不適切どころじゃないわよ!」

「園子、落ち着いて……」

 全く反省した態度でないスペイドに魔女コス少女が噛みつき、それを姫コス少女が宥める。吸血鬼コス少年は胡乱げにしながらも、「ほなら」と新一を指さす。

「今和葉っちゅう女が係員呼びに行っとる。そこの嬢ちゃん連れて一緒に――……」

「断る」

「――さっきと言っとることちゃうやんけ!」

 まさしく一刀両断。それも言い終わる前にスペイドは叩き切った。断られるとは思ってもいなかったのか、スペイドの拒絶に吸血鬼コス少年が憤るも、スペイドは淡々と、冷酷に彼らの好意をはねのける。

「私の言葉は不適切だったが、迷惑なのには変わりない。アリスのことを心配するのなら、これ以上私たちに関わらないでもらいたい」

「てんっめぇ……!」

「むやみやたらに好意を押し付け、首を突っ込むことが『善』だと勘違いしているのなら、今すぐ正した方がいい――それが迷惑になることもあると知らないのなら、尚更」

 あくまでも拒絶の態度を貫き、スペイドは再び踵を返した。清麿の方を一瞥し、視線だけで着いてこいと促す。

 清麿は深く息を吐き、ガッシュの頭を一度撫でてから立ち上がった。戸惑う一人と一匹を促し、一度だけ声をかけてきた集団に視線を向けてから少女の後を追う。

 後ろから止める声が響いてきたが、清麿たちがそれに従うことは無かった。

 

 

 

「――ここで、少し休むとしよう」

 人込みを避け、建物の裏に来たスペイドは周りに人がいないのを確認してから新一をゆっくりと降ろした。ちゃんとした処置を施せる場所ではないが、そこに向かえば新一の素顔がバレてしまう可能性もあるため、清麿も黙って彼女のそばで膝をつく。

「ガッシュとウマゴンは、何か飲み物を買ってきてくれ。できればペットボトル、なければ缶でもいい」

「分かったのだ!」

「メル!」

 一人と一匹に頼めば、勇んで頷き引き受けてくれた。渡された小銭を握りしめて駆け出していく背中が見えなくなるのを確認してから、清麿はスペイドに問いかける。

「あの話しかけてきた集団と、何かあったのか?」

「――なぜ、そう思った」

 先程までのヒヤリとする冷たい声ではないが、どことなく硬い。あくまで推測でしかない考えを伝えれば彼女を益々不機嫌にさせる可能性はあったが、清麿は少しでも不安因子を潰しておきたい一心でそれを口にする。

「確かにお前は冷静に見せかけて激昂しやすいタイプだ。新一が倒れた時にあんな風に話しかけられて来て怒るのも分かるし、もし医療室に連れて行かれたら、新一が女装していることがバレる上に素顔も見られてしまう。それを避けるために断ったのも分かる」

「なら、問題ないはずだ」

「――でも、あそこまで拒絶する理由にはならない。何かあったから、お前は怒り狂ったんじゃないのか?」

 清麿は気付いていた。彼女の抑揚のない声が、必死に怒りを押し留めていたことに。

 スペイドと新一と知り合ってまだ三日で、更には敵対した仲でもある。しかしだからこそ、身の内を曝し合い本音でぶつかり合ったからこそ、二人との絆は出来上がっていると清麿は信じている。でなければ、新一は彼の最大の秘密を明かしてこなかったはずだ。

 スペイドはキュッと口を噤んだ。清麿は静かに彼女が口を開くのを待つ。

「――私は、あの者達のことを知らない。だが、新一のことならわかる」

 一分、十分、一時間。時間の感覚が無くなってしまい長く感じた沈黙の中、ようやく開けられた口は清麿が気付かなかった真実を話す。

「新一は、『彼女』達を見て倒れた。だから私は、あの者達を遠ざけた」

「なに……?」

「本当に一瞬だった。私も見間違いかと思った。けれどっ!」

 絞り出すような声に、握りしめられる手。体の中の激昂を抑えようとする彼女は、それでも出てきてしまったものを吐き捨てる。

「新一は、苦しみから、意識を失った! 私の、私の目の前で……っ!」

「スペイド……」

 彼女の叫びに、清麿はその怒りが彼女自身に対してのものだったことに気付く。

 確かに彼女を襲った衝撃は抱えきれないものだろう。昨日の戦いからでも、彼女たちが心から想い合っていることは伝わってきた。今日だけでも、新一はスペイドを、スペイドは新一を第一として考えていた――彼女たちの絆は、とても深く大きく硬い。

 清麿はスペイドの背中を撫で、ゆっくりと語りかける。

「お前がそんなに落ち込んでいたら、新一だって喜ばないはずだ。それに、もし本当にあの人たちを見て新一が気絶したんなら、お前の行動は間違っていなかったことになる……まあ、確かに言葉はきつかったけどな。けど、新一ならわかってくれるはずだ」

 清麿の言葉に、スペイドはやや経ってからコクリと頷いた。

 握りこぶしを解き、膝にのせている新一の頭に添える。

「新一、早く目を覚ましてくれ……」

 懇願するスペイドの言葉が届いたのか、ゆっくりと、新一の目が開けられた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「新一っ!」

 目を開ければ、スペイドの兜が目に飛び込んできた。初めの頃は驚き心臓に悪かったが、今では馴れてしまっている。少し視線をそらせば、清麿の顔も飛び込んできた。こちらの顔には安堵と心配の表情が浮かんでいる。

 パチパチと数回瞬きをし、新一はゆるりと首を動かし周囲を見渡した。見覚えのあるそこは、新一が取引現場を見るのに夢中で背後から襲われ薬を飲まされた――『江戸川コナン』の誕生の場所である。こちらの方が非常に心臓に悪い。

「新一、起き上がれそうか?」

「……まぁ、なんとか」

 清麿の言葉に頷き、スペイドの手を借りながらも体を起こす。途端ジクリと足首が痛んで顔をしかめそうになり、なんとか耐えながら彼女たちを見る。

「なんで、ここに?」

「お前が気絶して倒れたから、人気のない場所を探して休んでいたんだ。医療室に連れていけば女装だってバレるだろ?」

「……気絶……そうか、オレは……」

 フワフワとしていた思考が、清麿の言葉で繋がっていく。

 ――そして、思い出す。気絶する前に見てしまった人物のことを。

「……蘭が、いたから……」

「蘭?」

 思わず出した名前に、スペイドが反応した。清麿もハッとした表情を浮かべスペイドに視線を向ける。

「それはまさか、あの魔女のコスプレをした女のことか?」

「……魔女? いや違う、あれは園子だ。蘭はハート姫の恰好をした……って、なんでお前が知っているんだ?」

 思い出していく記憶に素直に答えながらも、新一はやっとその異変に気付く。スペイドは口を噤み、それを見た清麿が代わりに答える。

「新一が気絶した後、その園子って人にスペイドが話しかけられたんだ。なんか、名プロデューサーとか、剣も完璧にしろとか……」

「……ああ、なる程……」

 実に想像に容易いそれに、新一は遠い目をした。高笑いする彼女の姿が目に浮かぶ。

 然し、すぐに顔をしかめた。スペイドの恰好が園子の興味を引くことは十分に考えられることであり、事実新一もそのことを警戒していた。『シャッフルロマンス』の脚本家である彼女なら、世間的には完成度の高いスペイドのコスプレに興味を示しても可笑しくない。

(けど、まさか服部達がいるとはな……)

 新一にとって予想外だったのは、園子と蘭の他に、西の高校生探偵服部平次とその幼馴染の遠山和葉がいたことである。

 服部と新一は、彼曰くライバルかつ一番の親友であり、新一もまた大切な友人の一人であると思っている。その頭脳は新一も認めており、だからこそ彼がいることに焦りを覚える。

 一目で見抜けるとは思っていないが、ほんの小さな綻びを見せた途端、彼は容赦なくそこを突いてくるだろう。蘭達は誤魔化せても、探偵を名乗る彼に通用するかどうかわからない。

「あいつらは、今どこに?」

「スペイドが追い払った。ここにいることも知らないはずだ」

「そうか。スペイド、良い判断だった、有り難う」

 一先ず意識のある状態で彼らと対面する事態は避けられたことに、新一は深く安堵した。

 お褒めの言葉にスペイドは安堵の息を吐き、清麿も意外そうにする。

「良かった、のか? 知り合いなんだろ?」

「最も出会いたくない知り合い、さ。もしここにいたら、どんな手段を使ってでも離れようと思っていたとこだ」

「……その、蘭って人もか?」

「何が何でも会いたくない奴だよ、蘭は」

 幼馴染であり、初恋の相手であり、離れなければならない、大切な女の子。

 そっと胸に手を当てて目を閉じる。

 蘭を見たとき、湧き上がってきたのは苦しみの感情だけ。彼女との思い出を思い浮かべる時に感じていた甘く複雑な感情は、一切無かった。

 ――どうやら新一はとっくの昔に、彼女への未練を断ち切っていたらしい。

 それが何時なのかは分からない。死ぬと覚悟を決めた時か。非日常を選んだ時か。はたまた昨日の戦いの時にか。

 そのどれであろうとも、新一が今まで抱いていた感情は、かつての己の気持ちであったことに気付いていしまった。今彼女の姿を思い浮かべても、何も感じることはない。

 呆気ない恋の終わりに、新一は薄らと自虐的に笑う。

「なぁ、恋ってなんなんだろうな?」

 唐突な質問に、魔物と人間は目を丸くした。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 飲み物を買って戻ってきたガッシュとウマゴンは、新一が目を覚ましたことに泣いて喜んだ。その勢いは凄まじくウマゴンに至っては顔じゅうを舐めまくり、そのことにスペイドが若干の嫉妬を見せたりとしたが、何とか落ち着かせることに成功し、新一たちは再びトロピカルランド内の散策へと繰り出した。

 知り合い、それも見ただけで気絶してしまう程に会いたくない者達がいる中に戻ることに清麿とスペイドは難色を示したが、遊び足りないガッシュ達を説明なしで説得させるだけの話術を持っていない。新一なら恐らく出来るだろうが、もう少しだけ危険を冒すことを選んだ。

「そう言えば、なんで清麿はスペイド達の居場所が分かったんだ?」

 大規模なパレードと出くわし、喜んで人混みの中に突っ込んでいったガッシュとウマゴンを眺めながら、少し離れたところで清麿に問いかける。因みにスペイドは心配らしくガッシュ達に着いていかずに新一の隣で周囲を警戒している。足首を捻挫したことはまだバレていないはずなのだが、時折視線を下に向けているので恐ろしい。知られれば途端抱きかかえられ歩かせてもらえないのは明白なので、彼女だけには知られたくないのが本音である。閑話休題。新一の問いかけに、清麿がああと思い出しながら答える。

「あれはガッシュ達が真っ直ぐ行って姿を消したから、外に出たんだろうって思ったんだ」

「……あそこがどこに位置するのか、分かっていたのか?」

「建物の構図と出入口を把握していたからな。一応出口に辿り着けていて良かったよ」

 カラリと何でもない風に笑う清麿に、新一とスペイドは唖然とした。

 彼はただ迷路を歩いていただけでなく、その道を建物の構図と照らし合わせて、完全にその全貌を把握していたのだ。普通の人にはできない離れ業である。

 昨日から感じてはいたが、清麿は頭がいい。それも恐らく、新一と同等かそれ以上に。

(まだ清麿は中学生で、経験も浅い。だから昨日の戦いでも動揺や諦めかける面も見せたが……場数を踏んで成長したら、オレ以上の参謀――いや、知将に……)

 底知れぬ彼の秘めた才能に、新一は体を震わした。恐怖ではない、それは武者震いであり興奮。己を超える存在が今目の前にいることに対する、喜びであった。

 ペロリと舌なめずりをする。彼がこれからこの戦いでどのように成長していくのか、楽しみで仕方ない。

 獲物を前にした猟師のように笑みを深めると、ヒッと清麿は後退った。失礼な反応だと一瞬思ったが、誰しも狙われたりしたらこのような反応を取るだろうと思い直し、ニッコリとした無邪気な笑みに変える――その変わり様こそが一番恐ろしく感じることに、新一は気付いていない。

「ごめんなさい、チェシャ猫さん。ちょっと楽しくなっちゃって」

「どのあたりでそう感じたのか気になるけど怖くて聞けねぇ!」

「……それはもう聞いていると同じだと思うが」

 ボソリとスペイドが小声で突っ込んだ。新一の清麿弄りに呆れたようにしつつも、ふと何かを思い出したように首を傾げる。

「しかし、あそこは出口だったのか……?」

「スペイド? どうかしたのか?」

「いや、清麿は出口だと言っていたが、私たちは気付いたら外にいたんだ」

「――なにっ?」

 思わぬそれに、清麿と新一は表情を引き締めた。真剣になる二人に、だがスペイドは首を左右に振る。

「魔物の仕業ではない。もしそうなら、私とウマゴンが気付いているはずだ。あれはどちらかというと……白昼夢を見ていたような感じの……」

「白昼夢って、オレ達はそろって夢を見ていたっていうのか?」

「いや、あれは確かに現実だったが……上手く言葉で言い表せないな」

 もどかしそうにするスペイドに、清麿と新一は顔を見合わせた。もっと詳しい説明を求めると、スペイドは記憶を探りながら話していく。

「確か……そう、迷子になって慌てるガッシュを落ち着かせるために、私が兜を被る理由を話していた時だ」

「あっ、それは俺も気になっていた」

 ピッと清麿が小さく手を上げる。早速話を折る彼に新一は冷たい視線を送るが、スペイドは気にせずそれに答える。

「私は魔界で王宮騎士として王族に仕えていたのだが、とある事故で傷を負ってしまい、それを隠す為にこの兜を被るようになった。今はもうこれがないと落ち着かなくて、戦い以外では常に被っている」

「王宮騎士……だからその、男の恰好を?」

「まぁな。女人禁制自体は廃止されているが、古くからの風習に囚われ身動きが取れないのが王族の恩恵に預かる者達の特徴だ……最も、そのような者ばかりではないのも確かだが」

 フフッとスペイドは小さく笑った。ガッシュと出会った時と同様穏やかなそれに、新一はおやと目を見開く。

「それ、ガッシュのことか?」

「いや、ガッシュではない。あいつは私の……組手相手、みたいなものだ。会う度に取っ組み合っていたからな。私を女として見ていなかった分手加減一切無しで向かってくるものだから、中々に有意義な時間を過ごせていた」

 随分と物騒な知り合いである。どこに穏やかな要素が含まれているのか不明だ。

「――とまぁ、迷子になって慌てるガッシュ達を落ち着かせるために私の昔話をしていたのだが、気付いたら外に出ていたんだ。ただ道を進んでいただけで、清麿の言う出口を見つけたわけではなかったのだが……」

 はて、と首を傾げるスペイドの話は俄かには信じがたいものだ。新一は顎に手を当て彼女の話を頭の中で整理するものの、これといった答えは出てこない。あえて挙げるとするならば、ミラーハウス自体がからくり屋敷か――魔物でもない人外の影響によるものか。

(あまり信じられないが、魔物が存在するくらいだ。何か、俺の知らない『何か』があそこにあっても可笑しくはない……が、からくり屋敷の方がまだ現実味はあるか……)

 パレードが過ぎて行き、ガッシュ達が戻ってくる。遊び疲れてお腹が空いたと喚く彼らに清麿も同意し、思考に没頭している新一に話しかける。

「新一、そろそろここを出て夕食でも食べに行こうぜ」

「えっ? あっ、ああ、そうだな……」

「清麿、ブリなのだ! 私はブリを食べたいのだ!」

「メルメル~!」

 賑やかになる周囲に、新一は考えるのを止めた。

 そもそも探偵を引退した身、謎を明かさないといけない理由などない。スペイドの本の持ち主として、探偵の真似事はしたくない。

 だが。新一は彼らに着いていこうとする足を止める。

「――悪い、少し用事思い出したから、先に行っていてくれ!」

「新一?」

 止める声を聞かず、新一は踵を返した。歩くたびに足首が悲鳴を上げているが、気にせずミラーハウスへと向かう。

 行ってはいけないはずなのに。

 解いてはいけないのに。

 ――何故か、今すぐそこに行かないといけない気がした。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 夜のミラーハウスは昼とは違う景色を見せていた。淡い光でライトアップされ幻想的ではあるが、何重にも重なり映る己の姿を見続けているとそのまま吸い込まれそうな感覚に陥らされる。

 その迷路を新一はひたすらに歩いていた。ただし見る場所は鏡ではなく、その繋ぎ目や天井など絡繰りがありそうな場所を探している。ズキズキと痛む足はとうに限界を超えており感覚を失っていたが、今ここで足を止めてはいけないと無理やり動かしていた。

(ここには一体、何があるんだ……?)

 止まりそうになる足を叱責しながら、一歩ずつ前に進む。鏡に映る己は相変わらずアリスの恰好をした美少女だが、その顔には苦悶の表情が浮かんでいる。

 ――どうしてここまでして、ここに来ないといけないと思ったのだろうか。

 考えても分からないそれは、以前よく使っていた『探偵の勘』としか言いようがない。

(……ハッ、馬鹿らしい。自分から探偵を止めたくせして、『探偵の勘』で動くなんて……)

 矛盾だらけの己には失笑するしかない。自虐的な笑みを浮かべ、近くのガラスの壁に背中を預ける。

 息をゆっくりと吐き、天井を見上げて目を閉じる。途端包まれる暗闇の色は以前ならば組織を連想させていたが、今は相棒のスペイドを連想させるため一番落ち着く色になっている。

(もうオレの日常はとっくに、こっちになっていたんだな……)

 選んだつもりの非日常。それは当の昔に新一にとっての日常となり、今避けているこの世界こそが非日常となっていた。それに気付かないほどスペイドの隣は心地よく、清麿とガッシュ達の存在に救われて。大切だったはずの存在に、苦しみを抱くようになっていて。

 恐らくこの苦しみは、彼女にフラれた時に感じたもの。組織との戦いの最中に不要なものだと心の奥深くに押し殺していたものが、溢れ出てきたもの。

 選んだことを後悔していない。それはこれから先の未来でも、戦いが終わった後もそうであろう。

 だが、清麿たちと出会い、彼らの望む未来に触れたことで、己は前に進んでいないことを知った。どうすれば前に進めるのか、考えて真っ先に浮かんだのは――初恋の相手。

(きちんと、蘭に、伝えないと……オレの、気持ちを、じゃねぇと)

 ――過去までも、否定してしまう。

 蘭に対する淡い想いは、呆気ないほど消えてなくなっていた。今占めているのは苦しみだけ。それが過去に抱いたその気持ちにまで侵食しかけている。

 忘れたくない。彼女に恋をしていたことを。

 覚えていたい。彼女と共に歩んできた日々を。

 否定したくない。彼女と育んだ思い出を。

 ――前に進むために、全てを受け入れたい。苦しみに、飲まれたくない。

(蘭、オレは……オレは、お前のことが……)

 目を開け、壁から背中を離す。出口に向けて歩こうと足を動かし――

 

「……――新一っ!」

 

 ――今も耳に残る声に、名前を呼ばれた。

 

 

 あまりにも現実的でないそれに、新一はゆっくりと振り返った。

 その先に、アリスの恰好をした己はいない。あるはずだった鏡の壁に映っていたのは、帝丹高校の制服を着た己の姿に――同じく制服を着た、毛利蘭。

 パチリと、瞬きをする。先ほどまでそこに映っていたのは、女装をした己の姿だった。だが何度確認しても、女装もしていない制服を着た己の姿に、いるはずのない幼馴染が映っている。

(……ああ、なるほど、これがスペイドの言っていたことか……)

 不意にスペイドが白昼夢のようだと言っていたことを思いだした。今は夜なので、これは夢になる。

 夢、そう、これは夢なのだ。新一は深く納得した。先程の声は新一を夢に誘うものだったのだろう。目の前の蘭が必死に口を動かしているが、声は届いていない。だがその口の動きから読み取ることは出来る――新一、と名前を呼んでいることが。

「蘭」

 すんなりと、出てくる彼女を呼ぶ声。彼女には声が届いているのだろうか。ハッとして名を呼ぶのを止め、真っ直ぐに己を見ている。

「オレさ、お前のこと」

 伝えよう、今のこの気持ちを。苦しみから解放されるために、苦しみを懐かしさに変えるために。

「――好き、だった」

 蘭は大きく目を見開いた。新一はふわりと笑みを浮かべ、もう一度繰り返す。

「好きだったよ、蘭。お前を好きになって、お前と一緒に過ごせて、幸せだった」

 忘れない、共に過ごした日々を。

 忘れない、この淡い想いを。

「だからオレは、蘭の幸せを、望んでいるから」

 すべてを胸に仕舞い込み、何時の日か笑って思い出せるように。

「――幸せになれよ。オレの大切な、幼馴染さん」

 大切な相棒とともに、前を向くから。

 

 やっと伝えることが出来た気持ちに、新一の視界が黒に染まる。

 それに恐怖を感じることは無い。この黒は新一を傷つけないと知っているから。

黒に身を委ねて目を閉じる。

 ――幼馴染の声は、聞こえなかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――新一っ!」

 鋭く己の名前を呼ぶ声に目を開ければ、スペイドの兜が目に飛び込んできた。初めの頃は驚き心臓に悪かったが、今では馴れてしまっている。少し視線をそらせば、清麿の顔も飛び込んできた。こちらの顔には安堵と心配の表情が浮かんでいる。

 パチパチと数回瞬きをし、新一はゆるりと首を動かし周囲を見渡した。見覚えのあるそこは、新一が取引現場を見るのに夢中で背後から襲われ薬を飲まされた――『江戸川コナン』の誕生の場所である。こちらの方が非常に心臓に悪い。

「――あれ? デジャヴュ?」

「デジャヴュじゃねぇよこの馬鹿! 勝手にいなくなりやがって、どれだけ心配したと思っている!」

 見覚えのある光景に首を傾げれば、清麿に怒鳴られた。ヒッと首をすくめスペイドに助けを求めるも、彼女は黙ったまま動かない。

 仕方なしに怒り狂っている清麿と向き合う。

「ええと、なんでオレここに?」

「んなもん俺達が聞きたいくらいだ!」

「……ご、ごめんなさい」

 詰め寄ってくる清麿を交わしながら、新一は体を縮込ませる。だが本当に何故ここにいるのか分からないので、説明のしようがない。

 ウロウロと視線をさ迷わせながら、現状を把握する。あの不思議な蘭との邂逅の夢はハッキリと覚えているが、ミラーハウスに入る前の記憶が曖昧で、黒に飲まれた後に至っては全く記憶にない。

 そもそも果たして己は本当にミラーハウスに入ったのだろうか。それすらも夢で、実は最初からこの場所に来ていたのではないのか。

「新一」

「はい!」

 ――つらつらと考えていたことが、スペイドの静かな声で全て吹き飛んでいった。ピシッと背筋を伸ばし、新一はお叱りの声を待つ。

 恐ろしいほどに静かだったスペイドは、新一の両手を掴み兜の前に持っていった。触れる兜は冷たいが、握りしめる手は震えている。

「……心配、かけるな、馬鹿……」

「スペイド……」

「良かった……無事で、本当に、良かった……」

 心からの安堵の声に、新一は如何に己の行動が無責任だったかに気付いた。これ程までに心配してくれているというのに自ら危険に飛び込むなど、彼らの心配を蔑ろにしていることと同じである――きっと蘭も、そんな新一に愛想をつかしたのだろう。彼女の心配など気にも留めず、飛び出してばかりだったのだから。

 気付いた瞬間怒涛のように押しかけてくる後悔の念に、新一はスペイドの手を握り返す。

「ごめんな、スペイド。ごめん。もう、勝手にいなくならないって約束するから」

 ――もう二度と、同じ間違いは繰り返さない。そう心の中で続け、清麿の方も向く。

「清麿も、悪かったな」

「……別に。無事だったならいいさ」

 新一の反省に怒りを解き、清麿は肩を落として見せた。それにくしゃりと泣きそうな笑みを浮かべ、だが涙は零さず新一は彼にも約束する。

「今度お前たちの前から姿を消す時は、必ず誰かに伝言を頼む」

「……消える前提で言うなよ」

「スペイドにはいなくならないと約束できるが、清麿たちにはできないだろ?」

「お前、実は反省してないだろ!」

「してるって! 今まで生きてきた中で一番反省している自信がある!」

「胸を張って言うことじゃねぇよ!」

 容赦なく突っ込んできた清麿は、言葉では怒りつつも顔は笑っている。仕方ないな、と言いたげなそれに、新一はニッと無邪気な笑みを浮かべた。

「そういえばガッシュとウマゴンは?」

「お前を泣きながら探している。安心しろ、きちんと『アリス殿―!』って叫びまわっているから。俺達が先にお前をここで見つけたんだよ」

「……白兎とハートの女王様には悪い事しちまったな。あとでブリでも買ってやるか」

「新一、私はレモンパイを所望する!」

「いきなり元気になったな、スペイド。買うつもりだったけどよ……っと、来たか」

 遠くからアリス殿と呼んでいる声が響いて来た。清麿の言う通り涙声である。

 これはまた顔中舐められそうだと苦笑しながら新一は起き上がろうとし、足首の痛みに顔をしかめた。

「新一?」

 立ち上がらない新一に清麿が訝しそうに、スペイドが呆れたように振り向く。やはり彼女にはお見通しだったらしい。流石自慢の相棒だと心の中で拍手を送りながら、へらりとした笑みを浮かべ足首を指さす。

「実は、足首捻挫しちまったみたいで……」

 本当は最後まで言うつもりはなかったのだが、黙っていた方が心配をかけるということを学んだ今、その選択肢は消えていた。

 

 

 案の定、清麿からお叱りの声が届き、彼の背中に背負われることになった。スペイドが抱きかかえることも提案されたが、新一の男の威厳を守るため丁重に断らせていただいた。

 ゆらゆらと背負われる感覚に目を閉じていると、「新一」とスペイドに話しかけられた。目を開け見れば、兜越しでもわかる穏やかな視線と出会う。

「話してくれて、有り難う」

 清麿の隣を歩きながらそっと耳打ちしてくるスペイドに、一瞬目を丸くした後目元を和らげた。清麿の首に回していた腕を片方外し、スペイドへと差し出すと緩やかに手を握りしめられる。

「オレの方こそ、有り難うな」

 ――夢の中でも、そばにいてくれて。

 

 

 

 幸せになってほしい人がいる。

 その人は幼馴染で、初恋の相手。かつては幸せにしたいと思っていた、たった一人の女の子。

 これから先、恋をするかは分からない。

 それでもこの想いは一生消えることは無いだろう。

 大切な思い出として、何時までも胸の中で生き続けるのだから。

 

「好きだったよ、蘭」




蘭ちゃん側の話は、機会があれば書こうと思います。
現実逃避をするために鋭意執筆していますが、もうそろそろ現実に戻されると思います。でもめげずに現実逃避します。負けない。


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Level.07 君の味方 

「行ってきますなのだ!」

「行ってくる」

「夕方までには帰ってくるんだぞー」

 元気良く手を振って外に出ていくガッシュと、控え目に頭を下げてその後を追うスペイド。彼らは今から約束の二つ目を果たしに裏山へと行く。ウマゴンは本の持ち主探しのため、今日は二人と別行動。そして清麿はというと。

「清麿、オレ書斎見てみたい!」

「お前は大人しく俺の部屋で休んどけ!」

 絶賛足首負傷中の新一と共に、家でお留守番である。

 

 

 

 トロピカルランドで発覚した新一の足の捻挫は、彼が酷使したため痛々しいまでに腫れ上がっており、急遽高嶺家へと搬送されることになった。本当ならば病院に行った方がいいのだが、新一の事情により行くことが出来ない。包帯の巻き方は下手だが、病院の先生も驚くほど的確に処置出来る清麿が代わりに応急処置を施し、心配した清麿の母親の華が新一とスペイドがホテルに帰ろうとするのを引き留めそのままお泊り。ガッシュとウマゴンが喜んだのは言うまでもない。

 明けた翌日は平日なので学校があるのだが、清麿は新一が心配だからと自主休学をすることにした。華は最初こそ渋っていたが、今日は町内の母親グループとお茶会があるらしく家にいられないため、「今回だけよ?」とそれを許した。

 ホテルにある荷物は昨日のうちにスペイドが引き取りに行ったので新一が出歩く必要はない。ガッシュとスペイドの訓練に参加しようとしていたが、清麿の雷が落ちたので大人しく部屋で休んでいる――決して、文字通り雷を落とされ黒こげになった訳ではない。

 だが、流石世界の名探偵というべきか。新一は動けなくとも好奇心旺盛な青年だった。

 清麿の父親が考古学者だと知るや否や、彼の本が読みたいと言い出したのだ。なんでも父親のことを知っているらしく、彼の論文を読んで感銘を受けたとか。探偵というのは考古学にまで精通していないといけないのかと思った一方、嬉しくも思った。あの世界の名探偵が父親のことを認めていることは、息子としてほんの少しだけ誇らしい。あくまでほんの少し、だが。

 そのまま話は論文の中身へと移り、お互いに意見を交わし合った。今まで頭が良すぎるあまり話についていける同年代の子どもはおらず、初めてと言っていい同レベルでの知識の応酬に、いつの間にか清麿も我を忘れて新一との議論に熱中していた。

 気付けば昼もとうに過ぎ、二人の腹の虫が空腹を訴え。

 続きは腹ごしらえしてから、と二人は笑いながら華が作り置きしていた昼食を食べに一階へと降りた。

 

 

「清麿、テレビもつけてくれ」

「おう、いいぞ。この時間帯は……再放送で名探偵の特番があるらしいぜ。お前のことも出るだろうな」

「昔はともかく、今はなぁ……。眠りの小五郎なら、喜んでインタビュー受けるだろうけど」

「ああ、そういや小五郎って探偵だったっけ。どっちかと言うと、CMタレントのイメージが強いんだよな、推理するとこ見たことないし」

「……だろうなぁ……あっ、おっちゃんだ」

 昼食も食べ終わり、リビングへと彼を運びリモコンのスイッチを押す。

 タイミングよく、探偵毛利小五郎と人気アイドル沖野ヨーコが共演しているガムのCMが流れていた。毛利小五郎はかつて『眠りの小五郎』として名をはせた探偵である。工藤新一の死が発表される少し前からその名は聞こえなくなり、噂では眠らなくなったとか推理力が落ちたとか。しかし探偵ブームが沸き起こり、小五郎は再びテレビを通して世の中に姿を現した。主にCMやバラエティ番組で活躍しており、難事件こそ解決しなくなったがお茶の間を賑わす存在となっている。

 新一も小五郎のことを同じ探偵として気にしているのだろうか、その割には苦笑いを浮かべながらテレビを見ている。

「……まぁ、これはこれで良かったのかもしれねぇな……」

「なにが?」

「なーんにも?」

 話す気はないらしい。追及する気はないので、そのまま彼の隣に腰を下ろす。

「なんか気になる事件とかあるのか?」

「いや、別に。ただまぁ、オレの死がどこまで通用しているかは気になるな」

「通用って……誰も疑っちゃいねぇと思うけど」

 少なくとも日本の中で疑っている人はいないだろう。清麿もまた、新一に打ち明けられるまでは「どこかで見たことあるような」と思いこそすれ、死人が生きていると結びつけることはしなかった。

 だが。新一は真剣な表情を浮かべる。

「オレの体は、見つかっていない」

「……今俺の目の前にあるからな」

「だからだよ。オレが死んだという決定的証拠は、どこにもないんだ」

「……あっ」

 指摘されたごく当たり前のことに、清麿の頭脳は一気に回転をし始めた。

 急激に喉が渇く。彼が何を言いたいのか悟り、ごくりと唾を飲み込む。

 死体が発見されていないのにも関わらず、日本中が彼の死を認めたのは他でもない。日本警察とFBI、その他組織との戦いに関与していた機関がそれを発表したからである。

 ――工藤新一は爆弾により吹き飛ばされ、遺体の回収が出来なかった、と。

 だからこそ民間人はそれを信じた。彼の両親である工藤夫妻が悲しみに嘆く姿が報道され、尚更その死を絶対のものとして疑いもしなかった。

 

「工藤新一は死んだ。それを決定付ける為に死の報道をしたとしても、それを本当に警察側が認めているかどうかは……分からないだろ?」

 

 情報操作。その単語が頭をよぎる。

 もしも、彼が言っていることが正しければ。

 『工藤新一』の死は、世界によって操られたことになる。

 

「――でも待て。なんでお前の『死』を捏造しないといけないんだ」

「理由として考えられるのは二つある。一つは、昨日も言ったように裏社会とのバランスを考えて。もう一つは――『工藤新一』が邪魔になったから」

 人差し指と中指を立て、新一は淡々と説明する。

 二つ目の理由は受け入れがたいものだったが、考えとしてはあり得るものだ。

 新一はまだ高校生で民間人。探偵という肩書はあるものの、警察機関に属する者ではない。例え組織戦では必要だったとしても、その頭脳が必要で無くなった今、彼のような特殊な存在は目の上の瘤でしかない。だからこそ、世界は彼の死を外側から決定付けた。例え彼が生き延びていようとも、再び世の中に姿を現させないように。

 クッと清磨は奥歯を噛み締める。湧き上がる衝動を必死に抑えようとするが、「ふざけるなよ」と声から漏れてしまう。

「そんなの、勝手じゃねぇか……! 新一を、なんだと思っているんだ……!」

「スケープゴートだろ」

「お前は、それでいいのかよ!」

「――最初から、そのつもりだったみたいだし?」

 フッと、新一は小さな笑みを浮かべた。諦めにも似た儚いそれに、清麿は息を飲み込む。

「『工藤新一』を『江戸川コナン』の、いや、犠牲者達のスケープゴートにすることは」

 ――彼は一体、どんな地獄を見てきたのだろうか。

 そう思わせてしまう程、新一の目には深い絶望の色があった。

 理由など考えなくともわかる。そもそも初めて打ち明けられた時に気付くべきだったのだ。

 まだ子どもの身で世界という重みを背負い、その結果が自身の『死』を偽装され、親しい人たちからも身を隠して生きていかなければならない苦しみに。

 想像もつかないそれは、清麿から言葉を奪う。

「――ごめん」

 ようやく出てきた言葉は謝罪のもので、新一が驚いたように顔を上げた。

「なんで清麿が謝るんだよ」

「……無神経、だっただろ?」

「そんなことないさ。それにちゃんとした理由もあるんだ」

 残念ながら話せないけど、と笑う新一から目をそらす。

 話せないということは、そこから先は踏み込んではいけないということなのだろう。

 新一が自身の秘密を明かしたのはそれが必要だったからであり、それ以上を清麿は許されていない。

 悔しいと思う。だがそれを口に出してはいけない。

「新一、これだけは言っておく」

「うん?」

 その代わり、友として、彼を大切に想う者を代表して伝える。

「どんな理由であれ、お前をスケープゴートにした警察を、許すことは出来ない」

 それが今の清麿に出来ることのはずだから。

 新一は息をのみ、くしゃりと顔をゆがめた。だがそれだけで涙は出てこず、「バーロ」と彼特有の口癖を呟く。

「そんなの言われたら、真実を話したくなっちまうじゃねぇか」

「そこはお前に任せるよ。俺を巻き込む覚悟が出来たら、話してくれ」

「……巻き込まれる覚悟はあるのかよ。世界を敵に回すんだぜ?」

「はっ、なめるなよ新一」

 フンと鼻で笑ってやる。

 ガッシュと出会う前は、とても言えなかっただろう。だが最高の友と出会い、清麿は変わった。何よりも仲間を大切にするようになった。

「お前に打ち明けられた時点で、とっくに出来ていたさ」

 新一とスペイドもまた、清麿の大切な友であり仲間である。

 その覚悟に新一は蒼色の目を大きく見開き、「……また負けた」とポツリと呟いた。

「悔しいから、徹底的に巻き込んでやる。後悔しても遅いからな」

「上等だ」

「……それと、今のうちに言っておく」

「おう、なんだ?」

 

「――さっきの言葉、嬉しかったぜ」

 

 ふわりと照れたように笑う新一に、清麿も目を細めて笑う。

 何となくだが、スペイドが彼に対して過保護気味になるのが分かる気がした。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――とまぁ、こういうことがありまして」

「なんだその奇想天外な人生は」

「人はこう言われたら納得する。工藤新一だから!」

「納得した俺が嫌だ!」

 ――工藤新一の人生は、想像以上に摩訶不思議なものだった。

 怪しげな男たちの取引現場を見るのに夢中になるあまり、背後から迫る敵に気付かず毒薬を飲まされ、気付けば子どもの姿に退化してしまったことは自業自得のように思えるが、新一の気持ちを無視して『江戸川コナン』を選び『工藤新一』を殺すことに決めた警察組織の勝手な振舞いには怒りしか湧いてこない。

 冗談半分な感想は除き、荒ぶる感情に言葉が出ないでいると、新一がポツリと呟く。

「本当はさ、分かっているんだ。あの人たちがオレのことを考えてくれていたって……でも、だからこそ、オレに何も言わずに、勝手に決めてほしくなかった」

「新一……」

「蘭がいるからじゃない、オレ自身が元に戻りたかったんだ。それが出来ないならせめて、オレの手で『工藤新一』を殺したかった」

 両手を見下ろし、新一はそっと目を伏せる。

「――可能性がゼロじゃない限り、諦めたくなかったんだ……」

 その言葉こそが、彼の本心なのだろう。

 清麿は世界的裏組織との戦いに参加していたわけではない。故に彼の仲間たちがどんな思いで、なぜこうしたのか分からない。否、考えれば少しは想像できるだろうが、今の清麿にはできない。

「――なにが、『オレのことを考えて』だ。なにも、考えちゃいねぇだろうが! 新一の気持ちを無視した、最低な裏切りだろうが!」

 目の前にいる新一に、視線が固まっているために。

 もしここにガッシュがいれば、幾分か違っていただろう。ガッシュは清麿よりも興奮しやすい、間違いなく声を荒げて感情のままに動いているはずだ。その分清麿は冷静になることが出来、どちらのことも考慮して慎重に言葉を選んでいただろう。

 だがここに正義感が強く仲間想いの少年はいない。清麿の感情は高ぶり、ギリギリと奥歯を噛み締める。

「ふざけんじゃねぇぞ……新一の意思を無視して、勝手に決めるなんて、していいことじゃねぇ」

「きっ、清麿?」

「『世界』のために『新一』が死んでいいなんて、そんなことあるはずがねぇだろ!」

 清麿の叫びに、新一は息をのんだ。

 肩で息をする清麿に、彼の方が冷静になったのか「有り難うな」と柔らかく微笑む。

「多分、赤井さん……あの人たちは、オレが元に戻れないと知ったら『工藤新一は死んだ』ことにすると思ったんだと思う。それがあの時一番世界にとって最良の選択肢で、オレにとって最悪の選択肢だったから。

 オレさ、結構自己犠牲的な行動をとることが多かったんだ。だからきっと、オレが迷わず『世界』を取ると思って、迅速に行動に移せるよう先に手配していたんだろうよ」

 静かな声に、清麿は震える手を握りしめる。

 言われてみれば、確かに怪しい部分が多々あった。

 工藤新一の死が報道されたのは、世界的裏組織が潰れたと世界ニュースで発信されたのと同時だった。ニュースは組織が潰れたその日に発表されている。つまり、組織と戦った国々は、『工藤新一』の捜索をしなかったということになる――もしも世界的裏組織が消えたと同時にその死が流れていなければ、日にちを置いてその死が発表されていれば、まだ国々は『工藤新一は死んでいない』と考えていたと、必死に捜索していたと思うことが出来ていたかもしれない。

 あまりにも早くに発表された『工藤新一』の死。流れる様に公表された彼の生涯は、驚くほどに綺麗にまとまりすぎていた。

 何よりも、新一自身が何度も『江戸川コナン』としての未来を示唆されている。元の姿に戻れない前提での話を聞かされている。

 ――苦しい、と清麿は自身の胸を押さえた。

 想像するだけで涙が溢れそうになる程、それは辛く悲しい事だった。元の姿に焦がれる彼はより一層辛かっただろう。僅かな可能性を信じることも、それを探すことも許されなかったことに、どれだけ絶望を抱いただろう。

 俯けば、頬を温かいが湿った何かが伝った。それの正体を知るよりも早く、新一の手がそれに触れる。

「バーロ。なんでお前が泣くんだよ」

 目頭に指を当てられる。正体が涙だということに気付いた清麿は、途端溢れだす涙を止めることが出来なかった。

「うるせぇ! お前が、お前が泣かないから……!」

「ああ。涙はもう出てこないんだ。当の昔に、枯れ果てたみたいでさ」

「なんで、だよ……なんで、ここまでされて……! 憎くねぇのかよ!」

「――憎いとは思ったことないけど、今は会いたくない、とは思っている」

 意外な言葉に、清麿は泣き腫らした目を新一に向けた。未だ流れる涙を拭いながら、新一は困ったように首を傾げる。

「色んなことが重なって捩じり曲がっただけで、憎いとは思わない。けど、オレは今逃げている。スペイドを理由にこの王を決める戦いに逃げて、今までいた世界を遠ざけているんだ――この三日間で、そのことに気付いた。清麿とガッシュのお陰さ」

「俺、達の……?」

「言っただろ? お前の言葉に救われたって」

 その言葉に、戦いが終わった後に言われたことを思い出す。あの時はスペイドのことを指していると思っていたが、今彼自身についての言葉であることを知った。

 迷わない、と彼はその後に続けた。そして、つい先ほど会いたくないと言った言葉の前に『今』と付けている。

 ――彼は、乗り越えようとしているのだ。生きる意味を見失うほどの絶望に襲われても尚、スペイドという相棒とともに前を向き、真実と向き合おうとしているのだ。

 強い、そう素直に思う。新一は強い。心が、強い。

 だからこそ清麿はさらに彼を裏切った者達に怒りを抱き、ぐいと手の甲で乱暴に涙を拭う。

「国と、戦うつもりか?」

「……何時かは、そうしないといけない。オレが『工藤新一』として生きるためにも。でも今は、スペイドが先決だからな。しばらくは逃亡生活に励むつもりだ」

「そうか……俺達に出来ることは、何かないか?」

「今十分してもらっている。けど、敢えて言うならそうだな……」

 顎に手を当て、少し思案した後新一は悪戯っぽく笑う。

「オレ達を、裏切らないでほしい……なんてな」

「――そんなの、約束するまでもねぇよ。例え『世界』と『新一』のどちらか選べなんて言われても、絶対に新一を見捨てたりしない」

「おっ、強く出たな」

「本当のことだ。『世界』と『新一』、どっちも選んでやる」

「……清麿なら、出来そうだ」

 悪戯っ子な笑みを消し、新一はふにゃりと顔を歪めた。出会ってから目にすることが多かったこの表情は、彼が泣きたい時に出るものなのかもしれない。

 スッと小指を差し出すと、彼のそれと絡められる。

「指切り拳万、な」

「ああ、指切りだ」

 幼い約束の交わし方。しかしそうしたのは、泣きそうに歪められた彼が、幼い子どものように見えたから。

 口約束にもかかわらず、何時変わるとも分からないそれに、新一はそれでも嬉しそうに笑った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「ただいまなのだ!」

「ただいま戻りました」

「お帰り、ガッシュ、スペイド」

 裏山での特訓から帰ってきたガッシュとスペイドを、新一はリビングのソファーに座ったまま出迎えた。清麿はつい数分前にかかってきた電話の対応をしている。

 どれだけ暴れて来たのか、ガッシュとスペイドは泥だらけになっていた。一見大きな怪我はないが、かすり傷があちこちに見られる。その割に満足そうにしているので、充実した一日だったのだろう。

 満面の笑みで飛びついてくるガッシュを受け止めながら、新一はスペイドに笑いかける。

「スペイド、風呂を沸かしてきてくれ」

「分かった」

「おお、風呂か! スペイド、私と一緒に入ろうぞ!」

 ゴロゴロと懐いてきたガッシュの関心は一瞬で移り、新一の膝から飛び降り今度はスペイドの手を握りしめた。まさかの展開に呆然とし、風呂場へと引っ張っていくガッシュを慌てて止めようとしたがスペイドに手で制されたので思いとどまる。

(弟と姉、みたいなもんだし、そこまで気にすることない、か……? コナンだった時も蘭と入ったことあったし……)

 当時は好きな女の子と一緒にお風呂――ただし彼女はその正体を知らなかった――というシチュエーションに、子供の姿とはいえ心臓が破裂するかと思ったが、スペイドとガッシュはそういった関係ではない。蘭も普通に誘ってきていたことから、ガッシュ位の年齢だと年上の異性と入るのは普通なのかもしれない。何より、スペイドも嬉しそうだった。

 自問自答をして納得していると、電話を終えた清麿がキョロキョロとしながら戻ってきた。ガッシュを探しているのだろうと思い風呂だと伝えれば、そうかと頷き隣に腰掛ける。

「お袋から電話だった。このまま友達とご飯食べに行ってくるから、出前でも取れだってよ」

「ふぅん、そっか。オレはなんでもいいけど、ガッシュはブリだろうな」

「寿司は高いから却下。俺ピザ食べたいんだよな」

「ピザも高くないか?」

「安くて美味い店があるから大丈夫だって」

「ならオレもピザでいいや」

「確かチラシが……ああっ、そうだ新一」

 出前がピザで決まり、清麿はチラシを探しに立ち上がったが、ふと何かを思い出し再び腰掛けた。真剣な表情を向けられ、新一も気を引き締める。

「さっきお袋から聞いたんだが、昨日のお前たちの姿がテレビに映っていたかもしれない」

「なに?」

「あのイベントの特集が、昼のニュースで組まれていたみたいだ。映ったのは数秒だけだったらしいが、アリスの恰好をした女の子がいたって言っていたから気になって……」

「……迂闊だった、そういやテレビカメラいた気がする……」

 盲点を突かれ、新一は頭を抱えた。

 スペイドが『黒衣の騎士』コスをしているイベント参加者として見られるのは予想の範囲内。勝手な撮影は禁じられており、スペイドにも盗撮には気を付けろと注意していたのだが、テレビカメラに関しては言うのを忘れていた。インタビューを受けた覚えはないので、恐らく参加者の光景の一シーンとして数秒流れただけだろうが、警戒するに越したことは無い。

 映ってしまったのはどうしようもないので、一先ず出前を注文してから清麿の部屋に行き、パソコンでチェックする。

 ネット社会なだけあり、清麿の母が言っていた特集はすでにネット上で公開されていた。

 確認のため二人で見れば、予想通り参加者の光景として映されていた。黒衣の騎士とアリスが仲睦まじそうに歩いている姿が三秒ほど移された後、他の参加者のインタビューに切り替わっている。

(この位なら問題はなさそうだが……)

 他にも撮られていないかと検索にかけてみるが、スペイドと新一扮したアリスの組み合わせは見られない。「空港で黒衣の騎士コスしている人発見」という、かなり身に覚えのある内容が書かれた掲示板はあったが、少なくともトロピカルランドに関するものはニュース以外無さそうである。

 ゆっくりと息を吐き、肩の緊張を抜く。心配している清麿に問題ないと告げようとし――ふと目に飛び込んできたタイトルに、動きを止めた。

(『トロピカルランドのミラーハウス内で事故? 事件?』だと……?)

 ピックアップされたタイトル一覧の中に紛れていたそれに、新一の中で警鐘が鳴り響く。

 気のせいだと思いながらもリンク先に飛ぶ。作成更新日共に今日、平日だが遊びに行った人たちが書き込んでいる――『ミラーハウスが急遽点検されることになって、入れなかった』『警察らしき人が入っていくのを見た。事件?』などの遊園地に似つかわしくない存在を見たという、目撃情報が。

 ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。マウスを握る手が震え、ヒヤリとしたものが背筋を伝う。

「清麿……」

 彼を呼ぶ声も震えていた。カチカチと歯が鳴りそうになるのを必死に耐え、言葉を紡ぐ。

「嫌な、予感がする。というか、バレる気がする……」

「何!?」

「……ミラーハウスに今日、警察と鑑識が入っていった目撃情報が挙げられている。施設の方からは不備が発見されて、念のため警察も呼んでの点検だと説明されているが、それでも不味い」

 ネット上に上げられた目撃情報がすべて真実だとは思っていない。だが、本当に鑑識が入っていたならば、非常に不味い状況になってしまう。

「――あのミラーハウスには、オレの指紋が残っている」

 あそこの鏡には、転んで手をついた時についた指紋が残されている。拭う間もなくそのまま残された、工藤新一が生きていることを証明付ける決定的な証拠が。

 それに、清麿は一瞬目を見張った後、近隣に響き渡ったのではないかと思う程の大声を上げた。

「――おっまえは何してんだよー!」

「ごめんなさい!」

 思わず体を縮めて謝罪する。一瞬鬼の形相――比喩ではなく本当に牙と角を生やした――をした清麿は、新一の反省の態度に一転して深く息を吐いた。

「……いや、俺も怒鳴って悪い。あの転んだ時になんだろ?」

「ああ……」

「なら仕方ない。あれは不可抗力だ」

 先ほどの怒鳴りっぷりが嘘のように理解を示した清麿は、改めてパソコンの画面を見て何かを考える様に眉をひそめた。

「これを見る限り、新一の存在に気付いて、指紋を採取しに来たって訳じゃ無さそうだな……。偶然の可能性は大いにあるか」

「ああ、だが油断はできない」

「そうだな。運よく新一の指紋の採取が出来なかったとしても、警戒は続けた方がいいだろう」

「……本当に、ごめん。お前たちを巻き込んで」

「次謝ったらザケル一発食らわすぞ」

 ピン、と新一の額にデコピンを食らわせながら清麿が予告する。思わぬそれと痛みに額に手を当てながら見え上げると、「ばーか」と言われた。

「仲間なんだから、これくらい当然だろ?」

 優しい言葉に、新一は目を細めた。小さく有り難うと言うと、聞き飽きたとそっけなく返される。

 確かに、この数日間で新一は清麿にお礼を言ってばかりだった。それだけ清麿が新一に対して大きなことをしているのだが、本人にその自覚はない。

 じんわりと、新一の中で温かい何かが広がっていく。それは昼間、最大級の墓場まで持っていくはずの秘密を打ち明けた時と同じ、枯れたはずの涙があふれ出しそうになるもの。

 実際流れることは無いが、もしも涙が溜まっていたら、新一は泣き虫扱いされていただろう。

(仲間って、こんなに温かいものだったっけ……? いや、オレが忘れていただけか……)

 風呂からあがったらしいガッシュの声が、下の階から響いてくる。それに清麿が廊下に出て答え、そのまま下へと降りていく。

 新一も立ち上がり、壁に手を突きながら廊下へと出る。

「新一」

「スペイド、悪い」

 いつの間に上がって来たのだろうか、階段を下りようとする新一を、スペイドが横から支える。彼女の手を借りて一段ずつゆっくりと降りながら、「なぁ」と話しかける。

「スペイド、お前のガッシュを王にしたい気持ち、何となく分かる気がした」

「そうか?」

「オレの場合、清麿だけど」

「……そう、か。流石はガッシュのパートナーだな。清麿もいつか『王』になるかもしれん」

 下では裸で走り回るガッシュを、清麿が追いかけている。バタバタと騒がしいその光景から、二人が過酷な戦いにおいてより過酷な道を選び突き進んでいるとは到底思えない。

 だが。この周囲がすべて敵であるこの戦いにおいて、『仲間』を信じられる心の強さを、信じさせるだけの魅力を彼らは確かに持っている。

「眩しい、なぁ」

「ああ、本当に」

 ――服を着ろ、ガッシュ! 嫌なのだ、暑いのだ! と聞こえてくる声に脱力しそうになりつつも。

 新一はそっと、眩しそうに目を細めた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 東京都米花町二丁目二十一番地。

 己の死と引き換えにその地位を確固たるものとした世界の名探偵『工藤新一』の居住地であった場所であり、現在ロスに移住した工藤夫妻の別宅として今もこの場所に家は建てられたままとなっている。

 『工藤新一』の死が発表された当初は見物客で家の周辺が賑わっていたが、それも落ち着き、明かりの灯らない家は静かに家主の帰宅を待っている――かのように見えた。

「優作、警察からはなんて?」

「ああ、有希子。君の推理は大当たりだったみたいだよ」

「ふふ、ほらね?」

 締め切られたカーテンは特殊素材で出来ており、部屋の中の明かりを表に出さない。つまり外から見れば明かりが灯っているとは分からない。

 『人がいない家』を意図的に作り出しているそこに、ロスにいると思われていた工藤優作と工藤有希子はいた。

 携帯にかかってきた通話を切る優作の隣で、有希子は悪戯っぽく笑う。つけられたままのテレビはビデオになっており、一時停止のまま動かされるのを待たされている。

「あの子の母親である私が、見間違う訳ないもの」

 有希子がテレビのリモコンを操作し、一時停止を解除する。

 ようやく動くことを許された映像には、二人の男女が映っていた。

 一人は、今ではコスプレとして流行っている、『黒衣の騎士』の恰好をした少年。やや小ぶりな印象を与えるが、脚本家の園子が絶賛する程のクオリティの高さを誇っている。唯一残念な所が、剣の種類が違うところだろうか。

 もう一人は、アリスの恰好をした少女。女の子にしてはすらりとした長身が、子どもらしく可愛らしい服を大人な印象を与えるものに変えている。

 二人はテレビの中で仲睦まじそうに歩いていた。映っていたのはおよそ三秒程。直ぐに有希子は一時停止を押し、再びテレビの中の時間が止まる。

「もう、ちょっと見ない間に可愛らしくなっちゃって。女の子に産めば良かったわ」

「今も十分可愛いじゃないか、君によく似てね」

「あら優作ったら」

 夫からの嬉しい言葉に有希子は頬を赤らめ体を寄せた。優作も慣れた手つきで有希子の肩を抱き、だが視線はテレビに向ける。

「君にはまだ言っていなかったが、昨日、蘭君たちが例の場所であの子の幽霊と会ったらしいんだ」

「えっ、なにそれ! どういうことよ優作!」

「すまない。だが、君に言えばすぐに飛び出してしまうと思ってね」

「当然でしょ! 昨日の時点であの子があそこにいるって分かっていたら――」

 体を離して怒りを顕わにする有希子の口に、優作は人差し指を当てる。

「言っただろう、有希子。まだ蘭君達に知られるわけにはいかないと」

 静かに諭す言葉に、有希子はむっと顔をしかめた。だが怒りは消し、ポスンと座っていたソファーの背もたれに体を沈める。

「もう、優作の意地悪! だから警察に今日の朝から動いてもらっていたのね」

「なるべく早い方がいいからね。動かぬ証拠が出てから、君に伝えるつもりだったんだよ」

「――でもその前に、これを見て私が気付いちゃった、と。優作を出し抜いたーって思ったら、悪くないわね」

 ふふっと機嫌よく笑う有希子に、優作はホッと息を吐く。コロコロと表情とともに感情も変える彼女だが、一度怒ると収まるまで時間がかかってしまうので、なるべく怒らせたくはない。

「それで、蘭ちゃん達は何て言ってたの?」

「新一に完全にフラれてしまいました、と言っていたよ」

「そう……あの子達は可哀そうな位、すれ違っちゃったのね」

「そうだね。そして私達もまた、すれ違ってしまった」

 有希子の頭を抱き寄せ、優作は目を閉じる。有希子もまた優作に寄り添い、そっと目を閉じる。

「優作、あの子は私達を許してくれるかしら?」

「分からない。けれど、会わないといけない」

「ええ、そうね。そして教えてあげないと――私達はどんなことがあっても、『味方』だってことを」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

『目暮警部、ありました! 彼の指紋が発見されました!』

「――ビンゴッ!!」

 警視庁に仕掛けていた盗聴器から聞こえる言葉に、少年は諸手をあげて喜んだ。

 ガッツポーズを取り、すぐさま机のパソコンを操作する。

「やっぱりな、あいつがそんな簡単に死ぬわけねぇんだ」

 パソコンの画面に映し出されるのは、ハッキングして入手したトロピカルランド入場者データ。その中から、『ハロウィンコスプレイベントの衣装貸し出しサービス所』の利用者の情報をピックアップする。

「ラッキー、予想通りデータ化してたぜ」

 手書きのものをわざわざデータ化するのは手間がかかるが、その不便さえ耐えればあとは利点が多い。トロピカルランドは大型施設なため、一気に情報管理を行うためにすべてをデータ化しているはずだと少年は睨んでいた。

 フンフンと鼻歌を歌いながら、データを印刷する。

『警部、ハロウィンコスプレイベントの衣装貸し出しサービス所の利用者のデータです』

『確か優作君は、彼はアリスの変装をしていると言っていたな……。今すぐアリスの衣装を借りている者達をあげていくんだ!』

「――なぁんだ、気付いたのオレだけじゃなかったのか。残念」

 聞こえてくる指示に、少年はつまらなさそうに息を吐く。真実気づいたのは優作ではなく有希子の方なのだが、警察も少年もそのことは知らない。

 パソコンの横に無造作に置いていたプリントアウトした写真を手に取り、頬杖を突く。

「まっ、アンタが唯一敵わない父親なんだから、仕方ねぇのかもな。オレから言わせればこの程度の変装、本当にコスプレ止まりだけど」

 写真には、二人の男女が映っていた。

 一人は、今ではコスプレとして流行っている、『黒衣の騎士』の恰好をした少年。やや小ぶりな印象を与えるが、脚本家の園子が絶賛する程のクオリティの高さを誇っている。唯一残念な所が、剣の種類が違うところだろうか。

 もう一人は、アリスの恰好をした少女。女の子にしてはすらりとした長身が、子どもらしく可愛らしい服を大人な印象を与えるものに変えている。

「……大衆の目を誤魔化せても、オレの目は誤魔化せねぇぜ、名探偵?」

 クスリをあくどい笑みを浮かべ、少年は写真を再び置き、印刷が終わった資料を手に取る。

『高木君はジョディ先生に連絡を! 他の者達は決して外部に漏らすんじゃないぞ、特にマスコミに嗅ぎ付けられないよう気を付けるんだ!』

 視線が羅列された文字を追う。しばらく目が進んだ後、一つの行でピタリと止まった。

 ニッと、少年の口角があがる。

 

『――工藤君が生きていることを!』

「――この怪盗KID様にはな!」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 一人、一人、また一人と。

 少しずつ零れた真実を、拾う者が増えていく。

 埋められていく、工藤新一の死の謎のピース。

 完成されたそれから導き出されるのは、隠された真実か。

 はたまた――新たなる偽りか。

 

 

「ヌォォオオ! ブリなのだ! ブリのピザは私の物なのだー!!」

「ガッシュ! 独り占めしようとしてんじゃねぇ!」

「新一、ピザにはレモンパイ味はないのか?」

「んな恐ろしいピザ、あっても食いたくねぇよ」

 

 

 ――そのどちらであっても、工藤新一は受け入れるだろう。

 彼には既に、支えてくれる仲間がいるのだから。




日にちは越えたけど、ギリギリ範囲内だと信じてる…!
予定ではこの話は1話で終わらせるつもりだったんですが、次回に持ち越すことにしました。次回は警察&FBI&???との対決(?)です。


※10月14日 追記
基本新一・清麿side以外は番外・幕間で書いていく予定ですが、今回は短かったので思い直し、こちらの方に加筆させていただきました。


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Level.08 作戦決行

 ピピピッと規則正しく鳴る電子音に、新一はゆっくりと目を開けた。頭の上からうるさく響く目覚まし時計を、腕を伸ばして止めながらのそりと体を起こす。途端こみ上げてくる欠伸に大きく口を開け、両腕を上に伸ばし筋肉を解す。

 目を閉じ猫のように伸びをした後、これまたゆっくりと立ち上がり、部屋のカーテンを開ける。遮るものが無くなった部屋の中に朝の陽射しが舞い込み、その眩しさに目を細めた。チュンチュンと鳴いている小鳥の声に、新聞配達をしているバイクの音。まだ人が出歩いていないこの時間は、外の音がよく響いてくる。

 ふわぁ、と二度目の欠伸を零しながら部屋を振り返ると、スペイドが気持ちよさそうに眠っていた。最近ようやく寝る時は外すようになった兜が彼女の頭の上に鎮座しており、朝の陽射しを浴びて輝いている。

 和室なため敷布団を隣同士敷いて寝ているのだが、スペイドの寝相は悪く新一の領域に侵入していた。妙な寝苦しさはこれが原因かと納得しつつも、寝相の悪さは何時もの事なので怒りは湧かない。

「起きろ、スペイド。朝だぞ」

「……んー……」

 脇の方に畳んで置いてあった私服に着替えながら、声だけでスペイドを起こそうとする。だが気持ちよさそうに寝ている彼女はモゾリと寝返りを打ち、キュッと丸くなった。起きる気配は全く無い。

 着替え終わった新一は本格的に起こそうとし、ふと扉から気配を感じそちらを向く。

 扉からこっそりとこちらを除く顔に、新一は数回瞬きをした後ニッコリとした笑みを浮かべ手招きをした。途端顔を明るくして部屋の中に忍び込んできた者がスペイドを指差したので、親指を立てる。

 侵入してきた者は、タンッと床を蹴り――スペイドへと飛び込んだ。

「朝なのだスペイド、起きるのだー!」

「プギュッ!?」

 ドンっとスペイドの上に乗った侵入者――ガッシュは楽しそうに声を上げて笑い。

 不思議な音を出したスペイドに、新一もまた声を上げて笑う。

 

 高嶺家に泊まり込んで早一週間。

 新一とスペイドの朝は、ガッシュとのやり取りから始まっていた。

 

 

 

「ガッシュ、何度も言うが起こす時はもう少し穏やかに頼む……」

 ガッシュの奇襲により起こされたスペイドは、ぐったりとした様子で椅子に座っている。その顔は兜で隠れており表情は分からないが、恐らくガッシュに起こしてもらえる喜びとその起こし方に対する不満が入り混じった、複雑な表情を浮かべているはずだ。

「起きないスペイドが悪いのだ」

 対するガッシュは悪びれもせずケラケラと笑っている。新一もまたガッシュと同意見なので、小さく笑いながら清麿の母である華が作ってくれた味噌汁を飲む。日本人といえばこの味だろう。

「新一君、これもどうぞ」

「有り難うございます、華さん」

 並べられる卵焼きに、新一は嬉しそうに顔を綻ばせた。華が作る絶品料理にすでに胃袋は掴まれている。毎日これを食べられる清麿たちが心の底から羨ましい。

「――そういやガッシュ、清麿は?」

「起こしたのにまだ寝てるのだ」

「あらやだあの子ったら。忘れちゃったのかしら?」

 新一たちを一週間引き留めた張本人が今この場にいないことを思い出し問うと、ガッシュは不満そうに唇を尖らせた。華も呆れたように頬に手を当てている。

「新一君とスペイドちゃん、今日旅立つっていうのに」

 残念そうな声に、新一とスペイドは顔を見合わせて苦笑する。

 滞在して一週間。心地よいこの場所から、新一たちは今日旅立つ。

 

 

 

「――悪いっ! 新一まだいるかっ!?」

「おそよう、清麿。今から準備するつもりだ」

 朝食も食べ終わり片付けも済んだ頃に、清麿は転がるようにして二階から降りてきた。パジャマから着替えておらず、寝癖で髪もはねたまま。慌てているのがよくわかる恰好である。

「清麿、さっさと着替えてきなさい。ご飯まだあるから」

「わーってるよ。それより新一、足はどうだ?」

 華の言葉にいい加減に返事をし、清麿は視線を新一の足に向けた。新一もそれに倣って下を向き、手で触って見せる。

 足首はサポーターで固定されていた。捻挫で満足に歩けない新一の為に、わざわざ清麿が買ってきた物だ。トロピカルランドで酷使したせいで悪化していたが、手厚い治療により日に日に良くなりつつある。完治まではまだ時間はかかるが、旅立てるまでには治っていた。

「痛みはもうない。歩くのはまだ少しきついけどな」

「そうか……やっぱり、」

「ほら、さっさと着替えて来いよ」

 何かを言いかけた清麿を遮り、新一は追い立てる。それに何か言いたげな表情を浮かべたが、清麿は素直に着替えに行った。二人のやり取りを見ていた華は、頬に手を当てながら微笑ましそうに笑う。

「清麿ったら、すっかり新一君に懐いちゃったみたいね。まだここにいてほしいみたい」

「はは……っ」

 母親の目から見れば、清麿の行動は懐きからのものに見えるらしい。世話を焼かれている自覚のある新一から見れば、ガッシュと同列に扱われている気がしてならないのだが。

「でも本当残念。まだもう少し、ここにいてもいいのよ?」

「有り難うございます。でももう行かないといけないので……」

 嬉しい提案に、だが新一は丁重に断る。

 捻挫のことを考えるのなら、高嶺家の好意に甘えてもうしばらく滞在したほうがいいだろう。だが、新一にはすぐにでも家を出ないといけない理由があった。

 その理由を思い出し、深く息を吐く。

 そして思う。

 やはり己は、神に見放されているのだと。

 

 

 

 着替えと昼食を済ませた清麿と共に、新一は泊まっていた部屋に戻り荷物の整理に取り掛かった。スペイドはガッシュとウマゴンと外で遊んでおり、開けている窓から笑い声が届いてくる。この一週間、この家で笑い声が絶えたことはない。魔物達は毎日のように遊び時折笑いを届け、戦いの中にいることを忘れさせるほど穏やかな気持ちにさせてくれた。

「あいつら毎日飽きねぇよなぁ」

「子どもは遊びの天才だからな、ガッシュなんか特にそうだろ」

「ああ、そうに違いない」

 服を畳む手を止め、笑い声に耳を傾ける。清麿も窓に寄りかかり、外を見下ろす。

「――今日もいるみたいだな」

 ポツリと呟かれるそれに、新一は目を伏せる。

 彼が見ているのはガッシュ達ではない――陰に潜むようにしてこちらを窺う人間達だ。

 その者達のことを、新一は良く知っている。

「日本警察と、FBIか……日米共同捜査ってところか?」

 彼らはかつての新一の仲間であり、今は追いかけてくる敵――日本警察警視庁捜査一課と、FBIのメンバーなのだから。

 嬉しくないことに、新一の予想は嫌な方で当たってしまった。

 どこから漏れたのかは分からないが、彼らは『工藤新一』が生きていることを知り、トロピカルランドでの情報から高嶺家に潜んでいることを突き止めた。

 すぐにでも突撃してくると思いきや、こちらは予想に反し、逃亡中の犯人を追いかけるようにしてひっそりと様子を窺ってきた。新一の動向を窺っているのだろう。

 彼らが高嶺家を見張るようになり、新一は見られているのを承知の上で高嶺家から出ることに決めた。盗聴器の類は取り付けられていないが、新一をおびき出すためにどんな手段に出てくるか分からない。

 当然清麿は反対したが頑なな新一に最終的に折れ、一週間は滞在するのを条件に日本からの脱出の手助けを約束した。ガッシュとウマゴンには事情を話していない、彼らは知るには幼すぎる。スペイドはある意味当事者であるため全てを話し、ガッシュ達を見ていてもらっている。

「なぁ、新一。俺ずっと不思議に思っていたんだけどさ」

「ん?」

 ガッシュ達を見るふりをして、警察の動きを見張っている清麿は、ふと思い出したように問いかけてきた。新一はスポーツバッグに荷物を詰めながら続きを促す。

「警察とFBIは、なんで新一に気付いたんだろうな。お前はもう『コナン』じゃないのに」

「……それについては、心当たりがない訳じゃない」

 当然と言えば当然の疑問に、新一は清麿を振り返る。

 新一が姿を消したのは、まだ『江戸川コナン』としての時だった。当然彼らはコナンが元の姿に戻ったことを知らないはずである。

 新一がある程度高をくくっていたのもこの為だ。『江戸川コナン』が『工藤新一』であるという真実を知らない者が新一に気付くのは納得がいくのだが、真実を知る者達はその先入観により、気付くのは遅れるだろうと思っていた。

「オレはあの人達が『江戸川コナン』の姿をしたオレだけを探しているとは思っていなかった。必ず『工藤新一』の姿のオレも探すと予測していた」

「なに!?」

 ――それはあくまで気付くまでの時間であり、気付かれないと思っていたわけではない。

「なんたってオレは爆発に飲まれる前に、解毒剤のデータを送っているからな。オレがそれを持って一人脱出したと思われていても、不思議じゃない」

 最後の最後で己のした行動が、何も知らない者達にどんな予測を立てさせるのか分かっているからだ。

「オレはとにかく元の姿に戻りたかった、その執念はあの人たちも当然知っている。オレがあそこで姿を消したことで、一人元の姿に戻る方法を探しに出たと思われても不思議じゃない――だから余計に、オレを捕まえたいんだ」

 工藤新一に戻ることは不可能と思われていた、しかし今新一は元の姿で、日本にいる。

 どうやって元の姿に戻ったのか。

 何のために日本に戻ってきたのか。

 一体、何を企んでいるのか。

 彼らがそう思うのも無理はなく、今のように警戒しながら見張るのも当然と言えよう。

 新一の言葉に、清麿は不愉快そうに顔をしかめながらも、納得したように頷いた。腕組みをし、鋭い目で外を睨む。

「それを聞いて増々腹が立ってきた。新一がそうすると分かっていながら、『死んだ』なんてでっちあげるなんて……ザケル三発は軽いな」

「一発でも重ぇよバーロー」

 まともに食らったことがある身、そこは素直に頷けなかった。

「で、どう協力してくれるつもりなんだ? あの人たちはプロだから、撒くのはそう簡単じゃねぇぞ」

「おう、一つ作戦を考えている」

 ニッと悪戯っぽく笑う清麿に、新一は首を傾げる。

 新一に認められた頭脳の持ち主は、その作戦内容を話し始めた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 警視庁刑事部捜査一課強行犯捜査三係の巡査部長・高木渉は欠伸を堪えるのに必死だった。気を抜けば眠りそうになるのを刑事のプライドで何とか耐えるものの、連日の見張りは身体的にも精神的にも辛い。

 だがそれもあと少しで終わりだ。暫く待てば交代の時間になり、しばらく休憩を取ることが出来る。今共に見張りをしている千葉が眠気覚ましのコーヒーを買いに行っているので、それを飲んで待っていればいい。別の場所ではFBIも見張っているので、彼らにも持っていくのもいいだろう。

「……工藤君、今日は何するつもりなんだろうな」

 ポツリと、独り言を呟く。人がいない空間では、心の中で思っていることが口に出やすくなる。

 今現在高木が見張っているのはかつて、否、今も仲間だと思っている『工藤新一』である。高木は工藤新一と聞くと『江戸川コナン』の方を思い出す。『江戸川コナン』の方が付き合いも長く、より親しみを持っていたためだ。彼が『工藤新一』であると知らされた時は驚いたが、同時に納得したのも確か。彼が元の姿に戻れず『江戸川コナン』として生きることになると聞かされた時も、対して思うことはなかった。

 それが彼にとって裏切り行為に等しいと知ったのは、彼の死を確認しないままに『工藤新一の死』が世間に公表された時だった。

「工藤君、やっぱり怒ってるんだろうなぁ……」

 ――最初は、どうしてと思った。

 彼は元の姿に戻れないのだから、偽りの姿で生きることを選ぶのは当然だと思っていた。普段の様子を見る限り、『江戸川コナン』としても彼は対して不便に感じている様に思えなかった。新たな人生を送れるのだと思えば、そう悪い事ではないだろうと楽観的に考えていた。

 だからこそ彼が『死』を選んだのに驚いた。理解が出来なかった。それは高木だけではない、周囲の刑事たちも同じだった。

 ――何も分かっていなかった己達に気付かせたのは、彼の両親だった。

 その時に知った、彼は『工藤新一』を渇望していたことを。

 『江戸川コナン』で得られた幸せを捨ててでも、『工藤新一』を選んでいたことを。

 

 元に戻れないということに、彼がどれだけ絶望していたのかを。

 

「でも工藤君、やっぱり僕は分からないんだ……」

 それでも高木の中から疑問は消えなかった。

 元の姿に戻りたい気持ちは分かる。

 だが、『江戸川コナン』を捨ててでも戻りたい訳が分からなかった。

 『江戸川コナン』は偽りだとしても、そうと知らない者達から見れば本当である。高木もまた真実を知らされなければ、かつての彼の同級生たちのように、『江戸川コナン』が両親と共に暮らす為に海外に引っ越したことに悲しんだだろう。

 確かに彼らからすれば『江戸川コナン』は海外で生きており、永遠の別れではない。小学一年という年齢を考慮見るに、時が過ぎれば『小さい頃の思い出』となり、そのまま忘れていくかもしれない。

 それでも、別れの際彼らは涙を流し悲しんだ。それを見ているにも関わらず、周囲の人を悲しませてでも、彼は元に戻りたかったのか。

 そうしてでも『工藤新一』として生きることに意味があるのか。

「君はどう、答えてくれるのかな……」

 分からないからこそ、知りたい。そしてきちんと謝りたい。

 『工藤新一』が生きていると知ってからぐるぐると回り消えない疑問を、頭を振って追い出そうとした時だった。

 ガチャリと、『工藤新一』が滞在している家の玄関の扉が開いたのは。

 緩んでいた気を慌てて引き締める。

 『工藤新一』はラフな服装に帽子を深くかぶり、サングラスで顔を隠すという、外出する時の恰好をしていた。何時もと違う点と言えば、マスクをつけていることと、大きな緑色のスポーツバックを肩にかけていることだろう。

 『工藤新一』は周囲を見渡し人がいないことを確認した後、急ぎ足で歩き出した。向かう先は分からないが、このまま行けば商店街がある。

「まずいっ!」

 人込みの中に混じられてしまえば、行方を見失う可能性もある。何よりいつもとは違い大きな荷物を持っていることも引っかかる。

 慌てて無線で連絡をし、高木は気付かれないよう、だが急いでその後を追いかけた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 家から出て行った『工藤新一』を追いかけだした警察とFBIの姿を確認し、新一はおいおいと呆れの表情を浮かべた。

「あっさり騙されてどうすんだよ……」

「新一、今は好都合だと思うことにしよう」

「そりゃあ、そうなんだけどさ……」

 宥めてくるスペイドに少し気持ちを浮上させながらも、かつての仲間たちに抱いた感情は中々消えない。

「あっさり清麿をオレと勘違いするとはな……」

 ――囮となって見張りをここから遠ざける、と清麿が言い出した時、新一は真っ先に反対した。

 確かに清麿と新一は背格好が似ている。辛うじて新一の方が身長は高く、その割に細身ではあるが、個性的な髪形は帽子で隠し、サングラスで目を隠し、おまけにマスクで口元を隠せば遠目から見れば分からないだろう、というのが清麿の主張だ。

 それに対する新一の主張は、そこまで日本警察もFBIも馬鹿ではない、であった。そんな簡単な手に引っかかるようであれば、世界的裏組織を一網打尽にすることは出来なかったと。

 押し問答が続き、やってみないことには分からないと清麿が押しに押して、新一が折れたことによってこの作戦は決行されることになった。

 全く同じ服は持っていないが、似たようなものはあるのでそれに着替え、清麿はより追いかけられやすいようカモフラージュとして緑色を基調としたスポーツバックを持って出ることにした。中に入っているのは魔本と――ガッシュである。

 どうやら清麿のバックはガッシュ専用の服もとい入れ物になっているらしく、彼が中学校に潜入する時に使用しているらしい。改造しているらしく、にょきりと手足が生えた時はバックのお化けにしか見えなかった。

 因みにガッシュは、面白い所に連れて行くから中に入っていろとの言葉に喜んで入っていった。その面白い所が日本警察とFBIとの鬼ごっこの舞台であると知ったとき、彼が泣き崩れないかが心配である。

 そうして意気揚々と囮として出て行った清麿を新一は多大な不安と共に見送ったのだが、予想に反し見張り役は清麿を追いかけて行った。余計に疲れた気がするのは、気のせいではないだろう。

「――まぁ、スペイドの言う通り上手くいったのならいい」

 何時までもここで項垂れている訳にはいかない、と気持ちを切り替える。危険な囮役を買って出てくれた彼らの為にも、新一たちは無事に日本から脱出しなければならない。

 そのためにスペイドも、自身のポリシーを曲げて何時もの服装ではなく、目立たないよう新一の服を着ている。兜も外し、顔立ちを少しでも隠すため眼鏡をかけさせた。これでコスプレをしていると周囲に騒がれることもない。

「さあ行くぞ、スペイド。ここから本番だ」

「ああ、いざとなったら私が蹴散らしてみせる」

「……出来れば穏便に頼みます」

 自身のスポーツバックを肩にかけ、華が待つ勝手口へと向かう。そこから出た瞬間、新一の過去との戦いが始まるのだ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――よしっ、上手くいったな」

 後をついてくる者達の姿を確認した清麿は、彼らにばれないよう安堵の息を吐いた。このまま商店街を練り歩き、電車に乗って新一たちの向かう空港から離れる。流石に最後まで騙しきれるとは思っていないので、いざとなればガッシュと共に撹乱作戦に移行する予定だ。魔物の力を使うことに新一は難色を示したが、渋々認めてくれた。

「のう、清麿」

「シッ、黙ってろ」

 肩にかけているバッグの中から、ガッシュが小声で話しかけてくる。誰かに聞かれたら大変だと諫めるが、ガッシュは言うことを聞かず言葉を紡ぐ。

「気のせいかもしれぬが、なにか見られている気がするのだ。魔物ではないと思うのだが……」

「……そうか、お前も気付いたか」

 流石に修羅場をくぐり抜けてきただけあり、ガッシュもこの視線に気づいたらしい。家を出る時は困っていただろうが、逃げている今は好都合である。

「ガッシュ、落ち着いてよく聞け。今俺達は後をつけられている」

「なにっ!?」

「大声を出すな! ……ここは人が多いから、いなくなるまで待てよ」

「ウヌ、分かったのだ」

 ガッシュは力強く返事をした。清麿は決して嘘はついていない。ただ、肝心な内容を言っていないだけである。

「行くぞ、ガッシュ。とにかくこの場は逃げるんだ」

「ウヌ!」

 すれ違いながらもある意味心を一つにした魔物とパートナーは、鬼ごっこを始めるべくその場から駆け出した。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――空港までお願いします」

「分かりました」

 なんとかタクシーを捕まえて飛び乗ることに成功した新一とスペイドは、走り出す車の中で深く息を吐いた。見張りがいないことは確認していたが、気付いていないだけで潜んでいる可能性もある。一秒たりとも気を抜くことは出来ない。

「新一、大丈夫か?」

「ああ、平気だ。まだ歩ける」

 心配するスペイドに安心させるように笑いかける。スペイドは小さく笑い返し、新一の手を握った。手袋を外している為直接感じる彼女の体温に、新一はゆっくりと握り返す。

「大丈夫、オレにはお前がいる。二人でなら、前を向ける」

 スペイドの心配は足首の捻挫だけではないことなど、すぐに気付けた。新一の言葉に少しだけ不安を抱いたことにも。

 だからこそ、彼女の心配を晴らす為に言葉にする。今までなら恥ずかしくてできなかったが、言葉にすることで安心出来ることを、新一は知ってしまった。

「だから一緒に歩いてくれよ、スペイド」

「……私は初めから、新一の隣を譲るつもりはない」

 でも、安心したと呟かれた言葉に、新一は握りしめる手に力を入れる。

 今追ってはいなくとも、先を読み空港で待ち伏せされている可能性もある。それでも新一は突き進む、スペイドと共に。

 それによりハッキリと敵対することになっても、後悔はない。

 

「――意外だなぁ、あんたがそんなことを言うようになったなんて」

 

 ――その決意を台無しにする声が、車内に響き渡った。

 聞き覚えのある、正確に言えば新一とそっくりな声にスペイドは驚き、己と似た声を持つ存在を知っている新一はハッとして運転手を見る。

 そこには、帽子を深く被る青年がいた。タクシー運転手にしては非常に若い。二十代、いや、十代。下手すれば新一と同い年に見える。

 感じる冷涼な気配に、新一は呆然とした。彼が関わってくることを全く想定していなかった分、衝撃は大きい。

「怪盗KID!?」

「せいかーい! 久しぶりだなぁ、名探偵。ちょっと見ぬ間にでかくなっちゃって。オレの方がいい男だけど」

 ニヤリと、ミラー越しに見える男の口角が上がる。

 それを見たスペイドが、戸惑ったように二人を交互に見ながら新一に顔を寄せる。

「新一、あの男は知り合いか?」

「……オレからすれば知り合いだが、向こうにとっては初対面だろうな」

 ――怪盗1412号、通称怪盗KID。それが男の名だ。

 神出鬼没で大胆不敵な怪盗紳士。その他にも、「月下の奇術師」「平成のアルセーヌ・ルパン」「確保不能の大怪盗」と様々な呼び名がついている。盗む獲物の殆どがビッグジュエルと呼ばれる宝石。しかし盗みに成功しても数日後持ち主に返却することから、義賊のような怪盗と言われている。

 新一は、否、『工藤新一』はこの怪盗と面識はない。怪盗と出会ったのは『江戸川コナン』の時。蘭の親友である園子の家に彼が暗号の予告状を出し、それをコナンが解いたことがきっかけで、二人は出会った。コナンは鈴木家に予告状が出される、もしくは小五郎が依頼されない限り怪盗の犯行現場に踏み入ることはしなかったが、対決する際殆ど彼の出した謎を解き結果的に宝石を取り返していた為、何時しか世間から「キッドキラー」と呼ばれるようになった。

 また、あまり知られていないが、かつての共犯者から「ハートフルな怪盗さん」と称されるほど怪盗はコナンの窮地を何度も救ってくれていた。そのためコナンもこの怪盗だけは別格として扱い、内心ひそかに信頼もしていた。

「『江戸川コナン』と『工藤新一』は別個の存在、なんだろうし?」

 ――だがそれはあくまで『江戸川コナン』だった時の事。

 この怪盗もまた、裏切った周囲と同じように真実を覆い隠し、偽りの姿を望んでいるかもしれない。

 怪盗から目を離さず、新一は空いている方の手でバッグの中から本を取り出す。単なる人間に対して魔物の力を使うことに抵抗はあるが、相手はどんなことをしてくるか分からない怪盗KID。かつての道具を持っていない今、この窮地を抜け切るにはスペイドの力を頼るしかない。

 身構えながら、怪盗の返答を待つ。

 新一とスペイドの警戒に気付いているのかいないのか、怪盗はポーカーフェイスを崩して口を開く。

「はあ? 『江戸川コナン』も『工藤新一』もお前だろうが。何変なこと言ってんだよ……あっ、まさか本当の姿で『初めまして』とかじゃねぇだろうな!? 時計台でのことを忘れたとは言わせねぇぞ!」

「……へっ?」

「忘れてる! その反応思いっきり忘れてやがる! この白状者!」

 予想外のことに、新一はポカンと口を開けた。一人騒ぎ出した怪盗に、スペイドも警戒を続けるか悩んでいる。

 一体この怪盗は何を言っているのだろうか、と新一は首を傾げた。

 新一の記憶にある限り、怪盗と出会ったのはコナンになってからである。その前は泥棒に興味が一切無かったため犯行現場に行ったことない。

(……あっ、でも時計台でめちゃくちゃ怒られたことはあったな)

 必死に頭の中の引き出しを開けていると、忘れかけていたことが飛び出してきた。

 懇意にしている目暮警部に誘われ乗った警視庁のヘリが、たまたま江古田町にある時計台の上を通過した時の事である。その日は時計台から時計を盗むという予告が警察に届いていたらしく、警備体制が敷かれていた。しかしそれがあまりにも穴だらけだったため、ついつい新一はヘリの中から指示を出してしまったのだ。その時に色々とやらかして大目玉を食らい、泥棒の真の目的が窃盗ではなかったこともあり怒られた記憶しか残っていなかったのだが、辛うじて泥棒と対決したのはこれだけである。

「……まさか、江古田町の時計台のことか?」

「それそれ、覚えてんじゃん」

 覚えていない、正確に言えばその泥棒が怪盗KIDであったことを知らないのだが、機嫌を直した怪盗に新一はそっと真実を飲み込む。スペイドが本当に覚えているのか、と言いたげな目を向けてきたので目も反らした。

 それらに気付いていない怪盗は、上機嫌なまま口を動かす。

「正直な話、あん時が一番『ヤバい』って思ったんだ。初めてだったよ、あんなに追い詰められたのは。それからずっとお前のことマークしていた」

「……そりゃどうも。ついでに聞いとくが、何時コナンがオレだって気付いたんだ?」

「最初から。ちっこいお前を見て『工藤新一だ!』って思ったから色々調べて、物騒な物作る博士が『新一』って呼んでるの聞いて確信した」

「博士ぇ……」

「だからさ。信じられなかったんだ、『工藤新一』が死んだって。絶対どこかで生きてるって思って、探してた」

 漸く本題に入る怪盗に、新一とスペイドは気を引き締める。少なくとも敵対する意思はないように見えるが、どうなるかは分からない。本から手を離さず、新一は慎重に言葉を選ぶ。

「それで、何を知りたいんだ」

「別に何も?」

「……わざわざタクシー運転手に変装してオレに接触してきた癖に、何もない訳ないだろう」

「本当に何もないんだって」

 頑なな新一の態度に、怪盗は苦笑する。それにスペイドは意外そうにし、スッと警戒心を消す。

「警察やFBIみたいに、どうやって元に戻ったのかとか、どうやって生き延びたのかとか、そんなのどうだっていい。ただオレは、オレが認めたたった一人の『名探偵』が生きていることを、確かめたかっただけなんだ」

「……その『名探偵』はコナンのことで、」

「しつこいなぁ、お前も。『江戸川コナン』も『工藤新一』もどっちもお前で、『名探偵』には変わりねぇだろうが!」

 焦れたように言う怪盗に、新一は息をのんだ。

 今まで信じていたものが揺らぐ感覚に、スペイドを握る手に力が入る。

(そんなの嘘だ、これは罠だ。オレを、両方のオレを必要としてくれたのは、スペイドだけだ)

 信じてはいけないと鳴り響く警戒音に唇を噛み締める。

 顔を俯かせ口を閉ざした新一に、怪盗がミラー越しに「名探偵?」と窺った。

 新一の葛藤を隣で感じているスペイドは、強く握り閉めてくる手を握り返し、「そこの」と初めて怪盗に向けて口を開く。

「新一は今、とても『疲れ』ている。少し休ませてもらいたい」

「……疲れてる、ですか。名探偵も人間だったんですね」

「……人間でも魔物でも、疲れる時は疲れるものだ」

「名探偵、このお嬢さん何? 自称不思議ちゃん系?」

 突然魔物と言い出したからか、怪盗は若干引いている。

 スペイドもまた、新一へは砕けた口調だったにも関わらず、いきなり丁寧な喋りに変えてきた怪盗を胡乱そうに見ている。

 だが両方に説明できるほど時間も心の余裕もない。二人の疑問を受け流し、新一は大きく深呼吸をして落ち着かせる。

「オレが生きていることを確認したかっただけなのは信じてやる。だが、悪いな。お前の望む『名探偵』はもういない」

「……本当頑固だよなぁ、あんたは。だからオレは『江戸川コナン』じゃなくて……」

「――『探偵』は死んだ。今ここにいるのは出来損ない探偵の亡霊さ」

 その瞬間、ミラーに映る怪盗の顔がこわばった。

 訪れる沈黙に、新一も口を閉ざし、スペイドもまた何も話さない。

 少しして、怪盗がゆっくりと息を吐いた。

「なる程な、そこのお嬢さんの言いたいことがやっと分かった――オレもまだまだ、か」

 その言葉に新一は眉をひそめたが、否定することなくそっぽを向く。

「分かったなら、さっさと急いで空港に行け。オレ達は日本を発つ」

「へいへい、了解しました」

「……すげー今更だけど、お前免許持ってんの?」

「怪盗ですから」

 答えになっていないそれに、新一は苦笑いを浮かべた。もし事故でも起こしたらスペイドと共に逃げようと本気で考える。

 本をバックの中に戻し、スペイドの手をやんわりと離した。一瞬心配そうな表情を浮かべられたが、大丈夫だと笑みを返すと大人しく手を退ける。

「キッド、聞きたいことがある」

「おう、再会お祝いになんでも答えてやるぜ?」

「オレが生きていることを、どうやって知った」

「テレビだよ、テ・レ・ビ。相変わらずのうかつっぷりに今回は助けられたなー」

「……あれかぁ……」

 脳裏に浮かぶ、清麿と見たニュースの映像に新一は脱力した。出来る限り変装したつもりだったが、達人の目は誤魔化せなかったらしい。怪盗の言葉に反論できないのが悔しい。

「警察もそれで気づいたのか?」

「いーや? 警察は気付きもしなかったぜ?」

「なに?」

「気付いたのは別の人。ついでに今警察とFBIを使って追いかけてさせているのも、その人だ」

「それって……」

 まさか、と息をのむ。新一の変装に気付け、尚且つ日本警察とFBIを動かせる人物など一人しか思い浮かばない。

「名探偵の親父さん、優作先生」

 ――工藤新一の父親、工藤優作。世界的推理小説家にして、新一以上の推理力を持つ男。

 父親の名前に、新一の心は悲鳴を上げた。

 ハッと短く息を吐いて胸を掴むと、スペイドが不安そうに覗き込んでくる。

 ミラー越しに見えた怪盗も、痛々しそうに顔を歪めて目を反らした。アクセルを若干踏み込み、スピードを上げる。

「気を付けろよ、名探偵。空港には恐らくお前のご両親と、例の博士とあのおっかない女史がいる。ついでに捜査一課の目暮警部とその部下、FBIからはジェイムズ・ブラックとその部下が張っている」

「……聞くだけで遠慮したいフルコースだな」

「もひとつオマケに、名探偵の囮役を買って出たあの少年、今頃盛大に鬼ごっこしているはずだぜ」

 それに反応したのはスペイドだった。

 ピクリと震える肩に、新一は「大丈夫だ」と宥める。

「清麿とガッシュを信じろ。どちらかというと心配しないといけないのは、警察とFBIの方だ」

「新一、私が心配しているのはそっちの方だ。あの二人が逮捕されないかと……」

「……やっぱ間違いだったかなぁ……」

 二人そろって遠い目をする。ザケルをぶち当てると息巻いている清麿と無邪気に魔物の力を存分に振るうガッシュが浮かび、しっかり釘をさして置けばよかったと後悔する。

 予想に反しあまり慌てた様子のない、寧ろ別の意味で心配している二人に、怪盗は訳が分からず首を傾げた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 新一とスペイドが直接人に術をぶつけないでくれ、と祈っているその頃。

「うぉおおおおおお!」

「ぬぉおおおおおお!」

 清麿とガッシュは、森の中を走り回っていた。

「清麿、なぜ私たちは狙われているのだぁ!」

「今それを説明している余裕はねぇ!」

「それは無責任というものではないか!?」

 もはや涙目になっているガッシュに、清麿も一瞬そうだよなと冷静になる頭で思う。

 予定に反して今森の中を駆けずり回っているのは、一重に追いかけて来ている者達のせいだ。

 清麿は全く考えてもいなく、予想もしていなかった。彼らが手段を選ばないで追いかけてくることなど。

 ピュン、と頬すぐ横を何かがよぎる。それは激しい音を立てて木に命中した。それを合図に、背後から次々と木に命中したものと同じ物――麻酔銃弾が襲ってくる。

「きききっ、来たのだぁあああ!」

「逃げるんだガッシュ! とにかく逃げるんだぁああ!」

 ――誰が一体思うだろうか。この平和な日本の中で、銃弾が襲ってくるなど。

 麻酔銃だから安心しろ、とライフルを構えた男にご丁寧に説明された時、清麿は泣きそうになった。ここはアメリカでも戦争地帯でもない。

「うぇええええええん!」

 術で反撃する、という手段がすっぽり抜けた二人は、泣きながらひたすら銃弾の嵐から逃げていた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「あのー、赤井さん?」

「なんだ?」

「何もここまでしなくても……」

 子ども二人に向けて容赦なく麻酔銃を放つFBI捜査官赤井秀一に、高木は恐る恐る、かなり逃げ腰になりながらも勇気を振り絞る。それに手配された銃を持ちながらも撃つのを躊躇っていた日本の警察官は心の中で拍手した。

「ここまでしないといけない相手さ、あいつらは」

 ――それもすぐに、容赦ない赤井の切り捨てによって地に埋められたが。

 逃げる二人をスコープで追う赤井に、高木は心の中で涙を流す。

 確かに今逃げている少年を『工藤新一』を間違えて追いかけたのは高木の責任だが、今のこの、麻酔銃で彼らを追いかけることになったのはFBIの指示だ。なぜそこまでして彼らはあの少年たちを捉えようとしているのか、見当もつかない。

「あの本を持つ者達は、非常に厄介な存在だ。この貴重な機会を逃したら、真実を知ることは出来ない」

「本、ですか?」

「中学生の少年が持っていた赤い本のことだ」

 言われて思い返してみると、確かに少年が見慣れない赤い本を持っていたような気がする。だが、たかが本である。それが一体何に関係しているというのだろうか。

 増々訳が分からなくなった高木を赤井は一瞥し、仕方ないと説明する。

「今世界各国で迷宮入りの事件が多く起きているのは知っているな?」

「えっ? あっ、はい。ウチの管轄でも犯人が不明の事件が最近多いんですよ」

 丁度『工藤新一』が姿を消した、正確には『江戸川コナン』になった時期辺りから、世界各地で迷宮入りの事件が多発している。とある場所では宝石店強盗、またある場所で飲食店強盗、またまたある場所ではビル襲撃、など様々な事件が起きており、その殆どが未だ犯人が見つかっていない状況にある。警視庁が管轄する東京でも、タクシーが何者かに襲撃されたり、ある冷凍食品工場が何者かによって襲撃され半壊されたりなど、犯人が分からず迷宮入りとなった事件が多い。

「その事件の共通点として、あの少年の持つ本が浮かび上がってきている」

「――えっ?」

「あの少年たちが犯人だとは思っていない。だが、何かしら事情を知っているのは確かなはずだ」

「ちょっ、ちょっと待ってください。それって……っ!」

 思わぬ話に、高木は待ったをかけた。今まで一度も聞いたことがないそれは、恐らくFBIの情報なのだろう。

 この赤井秀一は『工藤新一』と同じくシルバーブレッドと呼ばれ組織に恐れられていた人物だ。一度は作戦により死んだことになっていたが、時期を見計らい復活を果たした。組織戦では『江戸川コナン』と同じく前線で戦い、恐らく誰よりも『彼』に頼りにされていた。

 そんな人がわざわざ話してくれた内容を、高木は少しも疑いはしない。むしろ一介の日本警察官に過ぎない己に話してくれたことに、喜びすら抱いている。

 高木が待ったをかけたのは、疑いではなく、隠されていた真実のかけらを見つけてしまったから。

「工藤君も、色違いの本を持っていましたよね!?」

 ――『工藤新一』もまた、少年と同じ、だが色違いの本を持っていることを。

 『工藤新一』の持つ本は彼の瞳の色と同じ蒼色だった。二人で本を持ち合い何やら話している姿に、高木は単純に仲がいいのだなとしか思っていなかった。

 しかし、赤井の話を聞いてしまった今、同じような感想は抱けない。そして気付く、何故執拗にFBIが工藤新一と今逃げている少年たちを追いかけるのかを。

 だからこそ、高木は叫ぶ。まだ『工藤新一』の気持ちは分からないが、それでも『彼』を信じる心に嘘偽りはないために。

「――工藤君は、犯罪行為に手を染めたりなんかしません!」

「――そうだな。俺もそう思っている」

 フッと、赤井は小さく笑った。未だスコープから目を離さないが、幾分か雰囲気が和らいでいる。

「だからこそ、彼らを捕まえて聞き出す必要がある。分かってもらえたか?」

「はい! ――あれ?」

 誘導にうっかり乗ってしまった高木は、気持ちのいい返事を返した後あれと首を傾げた。それを聞いていた日本警察官たちは「高木の馬鹿ー!」と心の中で叫ぶが、赤井が怖いのであくまで心の中に留めている。

「……でもそれって、こうやって銃使って追いかけ回すよりも、普通に彼らに聞けばいいんじゃ……?」

 うっかり口に出やすい高木の素朴な疑問は、少年たちの悲鳴にかき消された。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――じゃあな、名探偵。会えてよかったぜ」

「――目的を果たさない内に捕まらないよう、せいぜい気を付けろよ。二代目君?」

「はあ!? 名探偵、あんた知って――っ!」

「さぁな、探偵を辞めたオレには関係ないことだ」

 

 

 空港に着いた新一は、振り回してくれたお礼に爆弾を二つほど投げてタクシーを降りた。後ろの方で何やら怪盗が騒いでいるが、気にせずスペイドと手をつないで空港内へと向かう。

 気になるのか後ろを振り返りながら、スペイドが体を寄せてくる。

「新一、あの男は一体……」

「世間を騒がす気障なコソ泥さ。愉快犯も義賊でも私利私欲のためでもない、ある物を二世代に渡って探している――オレが知っているのはこれくらいだ」

 その正体も実はとっくの昔に知っていたりするのだが、元から現行犯以外で捕まえる気は更々無く、目的を知ってからはさらにその気は無くなり、探偵を辞めた今全く無くなった。彼が目的を果たして引退すれば、新一は素直に負けを認めるつもりでいる。

(何度も助けてくれたのは事実だしな。これがオレなりの礼さ、黒羽快斗。さっさと目的の物見つけて、日常に戻れよ)

 心の中で怪盗に激励を送る。振り返りはしない、今新一が見ないといけないのは、後ろにいる敵ではない人物ではない、前にいる敵か味方か分からない存在だ。

 荒れそうになる心を、スペイドの手を強く握り締めて落ち着かせる。

「スペイド、いざとなったらオレを抱えて逃げてくれ」

「それを望むなら、どこまでも逃げて見せよう」

 空港の中は人で混雑していた。

 それでも新一は見つける、見つけてしまう。

 一角に佇む、警察を、FBIを、協力者を、――両親を。

 ドクン、と心臓が嫌な音を立てて激しくなる。呼吸が浅くなり、全身に震えが走る。

 ――怖い、そう思った。

 清麿に言った言葉は嘘ではなかった。今新一を占める感情はただ「怖い」という恐怖心のみ。

 ハッと短く息を吐き、逃げそうになる足を叱責する。

 ここで逃げてはいけない。囮役になってくれた清麿とガッシュの為に、隣にいる相棒の為に。そして何より、己自身の為に。

「――行こう、スペイド」

「ああ、新一」

 繋いだ手を硬く握り締め、新一は前へと踏み出した。




長くなりすぎたので、区切りのいい場所でまた区切りました。次回でようやく決着です。


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Level.09 しばしの別れ

 久しぶりに見る両親は、どことなくやつれていた。隣に住んでいる、コナンの為にたくさんのメカを発明してくれた阿笠博士も痩せたように見える。

 一番意外だったのは、共犯者にしてかつての相棒である灰原哀――本名、宮野志保だ。

 彼女は壊滅させた黒の組織の一員だったが、唯一の身内である姉を殺されたことをきっかけに組織に反抗。新一が飲まされた同じ薬を飲み、縮んだ体を利用して脱走してきた科学者である。彼女こそが新一たちを苦しませた毒薬の製作者であり、そして解毒剤を作れる唯一の存在だった。

 だからこそ新一は彼女にデータを送り、それを元に解毒剤を作ると信じていた。

 それにも関わらず、彼女は前と変わらず小学生の姿をしている。

(飲まなかったのか? それともデータに不備があって作れなかったのか?)

 浮かび上がる疑問を、頭を振って消し去る。今の新一にそれを考える必要性などない。

 ゆっくりとした足取りで彼らに近づき、五メートルほど手前で足を止める。

 近寄らない新一に哀と目暮警部が駆け寄ろうとしたが、博士と優作によって止められた。彼らは気付いたのだろう、新一が張り巡らせている警戒心に。

 ――怖い。彼らが怖い。

 襲ってくる恐怖心を必死に耐えながら、新一は口を開く。

「少年たちの追跡を止め、今後彼らに関わらないことを約束してください。それが『交渉』に応じる条件です」

 怪盗に聞かされてから考えていた言葉に、優作が真っ直ぐに新一の目を見つめた。何を考えているのか分からないそれに、新一もまた真っ直ぐに見つめ返す。

「――目暮警部。ジェイムズ捜査官。新一の言う通りにしてください」

「しかし優作君……」

「……分かった、そうしよう」

 折れたのは優作の方だった。目暮は難色を示したが、ジェイムズは柔和な笑みを浮かべて応じる。

 良かった、と新一は内心安堵した。少なくともこれでしばらくの間、高嶺家に迷惑をかけることは無い。一週間世話になった上危険な囮役まで引き受けてくれた彼らが、新一たちの日本脱出後不当な扱いを受けることだけは避けたかった。

(清麿、ガッシュ。どうか無事でいてくれ……)

 心の中で鬼ごっこを繰り広げているだろう仲間たちに思いを馳せた後、すぐに目の前の者達に意識を戻し、気を引き締める。

 考えていたセリフを、震えそうになる声で必死に紡ぐ。

「まずは、初めまして、とでも言いましょうか。僕は『工藤新一』の亡霊です」

「……亡霊、か。確かに世間一般からすればそうなのかもしれないね」

 ニッコリと、優作が笑って答える。それが増々何を考えているのか分からなくさせ、新一はスペイドに縋りつきたくなるのを必死に耐える。

「何を思ってあなた方が僕を探していたのかは分かりませんが、これだけは言っておきます――『探偵』は死んだ、あなた方が望んだ通りに」

「――違う! そんなこと望んでない!!」

 冷淡な新一の言葉に、哀が叫んだ。肩を押さえてくる博士を振り払おうと体を捩らせながら、新一へと手を伸ばす。

「工藤君、そうじゃないの! 私達はただ! もう元に戻れない貴方の為に!」

「――本当に?」

 伸ばされた手は、どこまでも冷たい声によって叩き落とされた。

「――本当に、ただそれだけだったと言えますか?」

 明確な拒絶に、灰原達は呆然と新一を見る。

 それがあまりにも滑稽なものとして新一の目に映り、思わず嘲笑が浮かぶ。

「――嘘つき」

 たった一言。それだけで彼らを深く傷つけると知っておきながらも、新一は言わずにはいられなかった。

 傷付いた表情を浮かべる彼女たちから目を反らし、踵を返す。

 このままここにいれば考えていたセリフ以外の、刃のような言葉をぶつけてしまう。新一は決して彼らを恨んでいるわけではない、これ以上傷つけ合うのは本意ではない。

「行こう、スペイド」

 静かに隣で見守ってくれていたスペイドに呼びかけ、その場を立ち去ろうとし――

 

「馬鹿なこと言わないで!! 誰がそんなことを望むと思っているのよ!!」

 

 ――母親の叫びに、足が食い止められた。

「大切な、大切な息子の死を望む親が、どこにいると思っているの!? 貴方を失う位なら、私が代わりに死にたいと、ずっとそう思っていたわ!」

 悲痛な声に、新一は勢いよく振り返る。

 そこにいたのは、ボロボロと大粒の涙を流す有希子だった。演技でない本当の涙に、ヒュッと新一は息をのむ。

「新ちゃん、私ね、ずっと後悔してたの。やっぱりあの時貴方を連れて帰るべきだったって。何が何でもこの件から手を引かせて、元に戻る方法を一緒に探せば良かったって――馬鹿なことを考える人たちに、貴方を任せるんじゃなかったって!!」

 訴えられる母親の気持ちに、新一は一歩後退った。だがスペイドがしっかりと手を握りしめており、それ以上下がることは出来ない。

 どうして、と彼女を見れば、ゆっくりと首を横に振られた。「新一」と今までの沈黙を破り言葉を紡ぐ。

「他の者達のことは分からない。だが、貴方の母様が違うことは分かる――あの人は真実、貴方を愛している」

「スペイド……でも!」

「私に真実と向き合う勇気をくれたのは、新一、貴方だ。ならば私も、貴方に授けたい――真実と向き合う勇気を」

 そっと、繋いでいた手にもう片方の手が添えられる。そのまま緩やかな力で前に引っ張られ、自然に新一の足も動いた。

「私を信じてほしい、新一」

 一歩。五メートルの距離に戻る。

「決して、貴方を傷つけることはしないと」

 一歩。引いた線を超える。

「――ともに、前を向こう」

 トン、と背中を押される。力が入っていないそれは、それでも新一を前へと動かした。

 一歩。引いた線の外側に、両足が出る。

 そして、次の一歩が出る前に。

 

「――新ちゃんっ!」

 

 有希子に、母親に、抱きしめられた。

 息が止まる。心臓が不自然に飛び跳ね、体が硬直する。スペイドではない者の感触に突き放そうとし――母の涙に、手を止めた。

 有希子はとても小さかった。否、中学生の頃で既に身長は抜かしていたが、それでも新一の目にはとても小さく映って見えた――新一は気づいていない、最後に母親を目にした時、己はまだ小学生の姿をしていたことに。

 あれ、と数回瞬きをする。それでも変わらない母親の姿に、己の胸に顔を埋めて泣く母親に、「なんで」と無意識の言葉が零れる。

「なんで、だよ……なんで……? なんで、オレは、オレはもう……」

「――『江戸川コナン』になれないのに、かい?」

 新一の言葉を、優作が引き継ぐ。それに哀達は目を見開き、新一もまた驚愕の表情を浮かべた。

「新一、お前はこう思っているんだろう? 世界が望んでいるのは『工藤新一』ではなく『江戸川コナン』だと――本当の自分を否定されたと、感じたんだろう?」

 ゆっくりと、優作が新一たちへと近づく。それにスペイドは一歩その場から下がり、静かに三人を見守る。

「だから、恐怖を感じている。『江戸川コナン』に戻ることを強要されるかもしれないと、今度こそ『工藤新一』を殺されるかもしれないと」

「――っ!」

「また大切な人たちを騙す日々が戻ってくることに。『工藤新一』が死んだことを悲しむ人たちに真実を話せないことに」

「止めろっ!!」

 容赦なく真実を、新一が目を反らしていたことを曝け出してくる父親から逃げようと身を捩る。だがしっかりと有希子の腕が腰に回っており、離れようとしない。

 嫌だ、と耳を両手で塞ぎ目をきつく閉じる。

「もう放っておいてくれ! やっとオレは、偽りだらけの世界から抜け出せたんだ!」

「新一」

「世界が必要とした『探偵』はもう死んだ! 『江戸川コナン』も『工藤新一』も、『探偵』はどこにもいないんだよ!」

 曝け出された真実に、新一は取り繕う余裕もなく叫ぶ。それは彼の本当の気持ちであり、奥深くに仕舞い込んでいたもの。

 守っていた要塞が無くなり、無防備となった心。

「――では今のお前は、単なる私達の『息子』でいいんだな?」

 それを今度は、優作が守るようにして包み込んだ。

「お帰り、新一。ずっと、有希子と二人で探していた」

 そっと、優作は有希子も一緒に新一を抱きしめる。

 己よりも力強い腕に、逞しい体に、新一はただ呆然とした。耳に入ってくる言葉を、理解することが出来ないほど脳の機能が停止している。

 ジワリと、肩が濡れる。それが優作の目から溢れ出る涙だと気付いたのは、抱きしめてくる腕が震えているのを知った時。

「――生きていて、本当に良かった」

 

 ――初めて見た、父親の涙だった。

 

「――……あっ……」

 ゆっくりと染み渡るそれは、新一の心にも染みていく。

 体が震える。だが今度のそれは恐怖からではない。

「……母、さん。父、さん……」

 途方もない安堵と喜びからくるものだった。

 ゆっくりと、有希子と優作を拒絶していた腕が動く。じれったくなる程遅く、躊躇いながらも両親に伸びようとし――「工藤君!」と呼んだ声に、弾かれる様にして両親を突き飛ばした。

 突き飛ばされたことに、有希子と優作の目が凍り付いた。新一もまた、抱き返そうとしたのに真逆の行動を取ってしまったことに戸惑いを抱く。

「新、ちゃん……?」

 悲しむ母親の声に違うと返そうとし、だが再び体を硬直させる。

「工藤君! 私達も優作君と同じなんだ、君を決して否定した訳ではなかったんだ!」

 ――優作というストッパーがいなくなった目暮が、近付いて来たために。

「工藤君!」

「ならん、哀君!」

 目暮の行動に、博士の制止を振り切り哀もまた駆け寄る。ジェイムズは辛そうに顔を背けている。

 保たれていた距離が崩れたことに、全身を恐怖が駆け巡った。足場が崩れていく感覚に、新一は支えを求めて振り返る。

「――スペイド!」

 手を伸ばせば届く目の前の両親ではなく、少しだけ離れた場所にいる相棒を求め、手を伸ばして。

 

「――よく頑張ったな、新一」

 

 ふわりと、視界が黒に覆われる。今彼女は何時もの服ではないのも関わらず、確かに新一の世界は黒で覆われた。

「後は私に任せるがいい」

 その正体がスペイドの手であり、目を覆われていることに気付いた新一はホッと安堵の息を吐いた。腰に彼女の腕が回り、自然に後ろへと庇われる。足首を気遣い負担をかけないようゆっくりとしたそれに、新一は彼女の肩に顔を埋める。

 手を伸ばせば、ゆるりと握り締められた。伝わる感触と体温に、今確かにここにいると実感する。

「――さて、お初にお目にかかる。私はスペイド。新一の相棒だ」

 力強い彼女の声に、新一は再び顔を上げた。庇われながらも、しっかりとかつての仲間たちを見据える。

「これ以上新一に近付き、苦しませるのはご遠慮願いたい。もしもそれでも近付こうものなら――私達は敵とみなし、排除する」

 握り締めてくる手を握り返す。

 この手の温もりがある限り、もう恐怖は感じなかった。

 

 

 

「――なんなのよ、貴方」

 突然口をはさんできたスペイドに、哀が警戒心をむき出しにした。その後ろで博士が必死に宥めており、目暮はポカンと、ジェイムズは反らしていた視線を戻し興味深そうにスペイドを見ている。

 当然と言えば当然の哀の言葉に、スペイドは淡々と返す。

「言ったはずだ、私は新一の相棒だと」

「……相棒、ですって?」

 相棒という言葉に、かつてコナンの相棒の立ち位置にいた哀が睨みつける。それに何を感じ取ったのか、スペイドもまた珍しく敵意をむき出しにして哀を睨み返した。

 バチッと火花が飛ぶ。珍しいスペイドの反応に新一はギョッとしながらも、埒が明かないと判断して自ら口を開く。

「スペイドはオレの命の恩人だ。共に戦い、前を向くと約束した。スペイドの言葉はオレの言葉、そう受け取ってもらっても構わない」

「命の、恩人?」

 近寄っていいのか迷っていた有希子が、首を傾げて呟く。それが耳に入ったのかスペイドは哀から視線をそらし、哀達から庇いながら新一を両親のもとに向かわせる。

「新一、私が盾となる。早くご両親の元へ」

「……手、離さないとダメか?」

「……私も一緒に行こう」

 手を離せばまた恐怖が押し寄せてくるかもしれない、と不安がる新一に、スペイドは一瞬押し黙った後繋いだままでいることを了承した。

 それに安心して、手を繋ぎながら両親へと近寄る。震えることなく空いている手を両親に差し出すと、迷うことなく有希子が飛び込んできた。今度こそしっかりと母親を抱きしめ、父親に目を向ける。

「父さん、母さん。また会えて嬉しいよ」

「新一……」

「新ちゃん、良かった、生きてて……!」

「――でも、ごめん。オレはまだ、そっちには戻れない」

 暗に拒絶する言葉に、有希子が勢いよく顔を上げた。泣き腫らした目は痛々しく、だがそうしたのは己だと目を反らさず受け止める。

「どうして!? また私は、息子を失わないといけないの!?」

「そうじゃない、母さん」

「ならどうだって言うのよ!」

「落ち着きなさい、有希子。新一は『ずっと』とは言っていないだろう?」

 ヒステリックになりかかっている有希子を、優作が背中を撫でて落ち着かせる。そうしながらも目だけは新一を向いており、問いかけていた――事情があるんだろうと。

 それにコクリと頷き、ゆっくりと息を吐いてから哀達の方を向く。

 スペイドという壁によって遮られた距離。彼女たちを傷付けているだろうそれは、新一にとっては守りの盾。真っ向から向き合っても取り乱さずにすむ、新一を守るもの。

 逃げ出したい気持ちを抑え、過去と向き合う。

「頭ではずっと分かっていました。貴方達がオレを、『江戸川コナン』を気遣っていたって。オレはそれを、受け入れることが出来なかった。今も出来ない――怖くて仕方ない」

 彼らに初めて吐露した心の叫び。今まで弱みを見せてこなかった分躊躇いがあるが、弱さを曝け出すことは決して恥ずかしい事ではないと、新一はガッシュと清麿から教わった。

「オレは貴方達から逃げ出した。スペイドがいなければ、こうして向き合うのも嫌だった」

 新一にとって気掛かりだったのは、幼馴染の毛利蘭だけだった。彼らのことはとうの昔に切り捨て、向き合うつもりもなかった。関わり合うのを避け、たとえ見つかっても逃げるつもりでいた。

「でも、泣いてくれた奴がいるんです。オレの為に涙を流して『どんな理由であれ、お前をスケープゴートにした警察を、許すことは出来ない』って、馬鹿みたいに真剣な顔で言って……」

 その決意を覆したのは、清麿の言葉だった。

「――オレはそれが嬉しくて、すごく嫌だった。オレが逃げたせいで、あいつに貴方達を恨ませることが」

 新一のせいで、本来なら信頼できるはずの警察を憎む。清麿が危害を加えられた訳ではないのに、彼は敵対する道を選んでしまう。

 それだけはあってはならない、と新一は強く思った。

 最後の最後で裏切られたのは事実だが、それは新一とのすれ違いにより生じたもの。言葉に出していれば回避できたはずなのに、それをしなかったのは新一達だった。

 そのような自業自得で出来た溝を、清麿にも作らせたくなかった。否、清麿に誰かを恨んでほしくなかった。

「信じることを教えてくれたあいつに、誰かを信じられなくするオレが、嫌だった」

 ――綺麗な心を、己のせいで歪ませたくなかった。

 だからこそ、新一は真実を話した。決して彼らだけが悪かったわけではないと。新一にも責任があったことを。それでも清麿は新一の味方でいてくれ、新一の為に涙を流した。

「だから、この真実とも向き合おうと思った。オレが、胸を張ってあいつの仲間だと言いたいから」

 たったそれだけのこと。他の人から見ればなんてことのない友情に見えるだろうそれに、新一は勇気と覚悟を貰った。

「今はまだ怖いけど、オレにはスペイドがいる。スペイドと一緒に前を向いて歩いて――何時か、貴方達を受け入れたい。そう思っています」

 哀達は静かに、新一の本心を聞いていた。

 目暮は帽子を深く被り、ジェイムズはそっと目を伏せた。哀は一度口を開こうとし、だが言葉は出さず深く息を吐く。そんな哀の肩に手を置き、博士が柔らかく微笑む。

 取り乱していた有希子も落ち着き、新一から体を離して目尻に残る涙を拭った。その顔は腫れぼったくなっているとは言え、今日初めて見る笑顔が浮かんでいる。

「新ちゃん、いいお友達に出会えたのね。……私、何が何でも新ちゃんを連れて帰ろうって思っていたの。でも、貴方がそこまで覚悟を決めているのなら……」

 そっと、空いている方の手を握りしめる。両手で包み込み胸元に持っていき、祈るようにして目を閉じる。

「忘れないで、新一。私達はずっと、新一の味方だってこと。何時でもあなたの帰りを、待っているって」

「母さん……」

 母親の言葉に、新一はくしゃりと表情を歪めた。向き合えた母親の愛情に、飢えていた心が満たされるのを感じる。

 ポンッと、肩に手が置かれる。顔を上げれば、穏やかな笑みを浮かべた父親がいた。

「そこまでの覚悟が出来ているのなら、私達は何も聞かない。元の姿に戻った方法、そこのお嬢さん――お前の持つ本のことも」

「……えっ?」

 思わぬ言葉に、新一は目を見開いた。何故ここで魔本が出てくるのか、その意味に気付く前に、優作の視線がスペイドに移る。

「君は、新一の命の恩人らしいね?」

「……スペイド、と呼ばれている」

「そうか……スペイド君、礼を言おう。君のお陰で新一は救われ、こうして生きてここにいる」

「新一は私にとってもかけがえのない大切な人だ、守るのは当然の事。礼を言われるまでもない」

 恥じらいも照れもなく言い切るスペイドに、優作は面白そうに目を細めた。対するスペイドは真剣な表情で向き合っている。

「では、これから先新一を守ると、約束してくれるかい?」

「体に怪我をさせないという意味でなら約束は出来ない」

 ――あまりにも率直なそれに、新一を除く全員の目が点になった。

 誰もが「約束する」と返事をすると思っていた予想を裏切ったスペイドは、自身の額にある傷に手を伸ばす。

「見ての通り、私は未熟者だ。新一を守りたくとも、時として守れず怪我を負わせてしまう時もきっと来るだろう――だから私は、新一には安全な場所にいてもらおうと考えていた」

 スペイドの視線が優作から離れ、新一へと向く。フッと口角を上げた、愛しそうな表情で。

「だがそれは、私が一人で戦うことを意味するものだった。それでは共に歩くことは出来ない、前を向くことも、成長することも。――今はもう、新一を遠ざけようとは思わない」

 その言葉に、新一も微笑み返す。己だけではない、彼女もまた、ガッシュと清麿にたくさんのことを教わった。

「私は新一と支え合いながら戦うことを決めた。故に私にできる約束は、ただ一つ――共に戦いながらも、新一を守れるよう強くなる、と」

「――降参だ。ここまで言い切られると何も言えないな」

 やれやれ、という風に優作が両手を上げた。新一も苦笑を零し、やんわりと有希子の手を離してスペイドの隣に並ぶ。

 今度はもう、誰も引き留めようとはしなかった。無理やり新一を連れて行くことも、彼らが本当に聞きたいことをぶつけることも出来るはずなのに、彼らは新一の想いを優先してくれる。

 それに新一は背中を押された。自然と彼らへの言葉が口からあふれ出す。

「目暮警部、ジェイムズ捜査官。皆さんに伝えてください――僕を信じてくれて、有り難うございました、と」

「……っ、必ず、伝えよう」

「何時かまた、君と捜査出来る日を楽しみにしているよ」

 話しかけられるとは思っていなかったのか、目暮は泣きそうになりながらも何度も頷き、ジェイムズも未来の約束をする。

「博士、色々と迷惑ばかりかけてごめん。みんなの事頼む」

「ああ、勿論じゃ。わしもあの家で、新一の帰りを待っておるからの」

 家族同然に可愛がってくれた博士の変わらない柔和な笑みに、有り難うと小さく呟く。

「――灰原」

「――なによ」

 最後に声をかけるのは哀と決めていた。彼女に聞きたいことはたくさんある。だが、何も聞かないでくれた彼女たちの好意を踏みにじりたくはない。

「お前はもう、解放されたんだ。好きなように生きろよ」

 彼女を苦しめた組織はもう存在しない。『江戸川コナン』を選ばなければならなかった己とは違い、彼女は望むのを選ぶことが出来るのだ。もしそこに新一への負い目があるのだとしたら、綺麗に忘れ去ってほしい。彼女が責任を感じる必要性は何らないのだから。

「――馬鹿」

 ポツリと呟かれた言葉にうんと頷き、新一はスペイドを見る。

「行こう、スペイド」

「……ああ、そうだな」

 かつての仲間に、見守ってくれていた両親に背を向け、新一はスペイドと共に歩き出す。

 そこにはもう、恐怖の感情は無かった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――……止まっ、た?」

 森の中を駆け巡り、走りに走ってヘトヘトになった頃。

 執拗に追いかけて来ていた者達が、急にその動きを止めた。無線で忙しく連絡を取り合う様子に、木の陰に隠れていたガッシュがひょっこりと顔を出す。

「あのおっかない者達は、諦めてくれたのか?」

「分からない。だが、攻撃の意思はもうないみたいだ」

 ガッシュがいる木とは別の木に体を隠して身を潜めながら、清麿は彼らの会話に耳を傾ける。

 どうやら無線で退却命令が出されたらしい。外国人――FBIだと思われる――は少し残念そうに、日本人――間違いなく日本警察だ――は喜んで銃を降ろした。中でもやや気弱そうに見える若い警官が涙を流して「良かった」と喜んでいるので、清麿たちを襲った麻酔銃の嵐はFBIの指示だったのだろう。

(新一が、なにかしたのか……?)

 今ここで彼らが引く原因は、空港に向かった新一しか思いつかない。

 しかし、もしそうだとしたら、彼らは途中で捕まってしまったことを意味する。

(新一、どうか無事でいてくれ……っ!)

 清麿と新一は携帯を持っていない為、今すぐ安否を確認することが出来ない。今清麿に出来ることは、ただその無事を祈るだけ。

 何もできなかったことに奥歯を噛み締めたと同時に、「そこの君たち」と日本語で話しかけられた。

「これ以上撃たないことを約束する……少し、話をしないか?」

 話しかけてきたのは、ニット帽を被った日本人の男性だった。国籍だけ考えれば日本警察官だろうが、彼が最も清麿たちを狙って撃ってきていたのでFBIに所属している可能性もある。

 突然のそれに清麿は訝しそうに眉をひそめた。ニット帽の男が何を考えているのか分からないが、己たちにとって非常にまずい状況であるのは確か。慎重に行動しなければ、彼らを止めてくれたと思われる新一にも迷惑がかかる。

「なんなのだ?」

 ――そのような事情を全く知らず、たとえ知っていても難しいことを考えるのは苦手なガッシュが、素直に応じたことで慎重も何もなくなってしまったが。

「何してんだ、ガッシュ!」

 思わず飛び出した目を引っ込めて、ガッシュを抱えて再び木々に隠れる。呼ばれたから出て行っただけのガッシュは、再び隠れさせられたことにムッと顔をしかめる。

「何をするのだ、清麿。あの者達はもう撃たないと言っておるのだぞ?」

「素直に信じるんじゃねぇ! それが罠だったらどうするんだ!」

「なぜ私達を罠にかけないといけないのだ?」

「そりゃあ、おびき出す為に……」

「誘き出してどうしたいのだ?」

「――んなもん俺が知るかよ! とにかく、勝手な行動はするな!」

 真っ直ぐ過ぎるガッシュの言葉に清麿も一瞬戸惑ったが、すぐにそれを振り払い日本警察とFBIを睨みつける。

(あいつらは、新一を裏切ったんだ……っ! 俺達を人質にとって新一を捕まえようとしている可能性だってある)

 今は会いたくない、と泣きそうな顔で言った新一が脳裏に浮かぶ。

 泣きたいのに泣けない辛さを、清麿は知っている。まだガッシュと出会う前の己がそうだったからだ。

 天才であるがゆえに周囲に上手く馴染めず、辛く苦しいと叫ぶ心を、周囲を蔑むことによって誤魔化していた。涙を流すことを弱さだと思っていた。

 ガッシュと出会い、清麿は涙を流すことが出来た。そして知った、涙は決して弱いから出てくるものではないことを。

 だからこそ、その辛さを知っているからこそ、清麿は新一を守りたい。

(絶対に、これ以上新一を傷つけさせてたまるか!)

 魔本を持つ手に力を込め、何時でも術を打てるよう心の力をためる。逃げる時はすっかり忘れていたが、清麿とガッシュは反撃できるだけの力を持っている。

(さあ、どう出てくる!)

 清麿、離すのだと腕から脱出しようとするガッシュを無理やり抱えながら、相手の出方を窺う。

 ニット帽を被った男が、清麿たちが隠れている場所に近付いてくる。その隣でやや気弱そうに見える若い警官が「赤井さん!」と止めようとしているが、男はそれを聞かず歩み、少し離れた場所で足を止めた。

「――君達が『工藤新一』のことをどう思っているのか、教えてもらいたい」

 柔らかな低音の声で紡がれた言葉に、清麿は目を見開き、ガッシュは首を傾げた。

「本当はその本について詳しく聞きたかったんだが、止められてしまってね」

「なっ!?」

 本、という単語に清麿は慌てて己のそれを内側に隠した。

(まさか、魔物について知っているのか!?)

 襲ってくる別の焦りに一瞬思考が狂わされたが、直ぐに冷静さを取り戻し、いやと自身で否定する。

(まだ魔物について知っているとは限らない。新一が本を持っている所を見ているだろうし、それで疑問に思っただけかもしれない)

 流れてくる汗を拭うことなく、ニット帽を被る男の動きに注視する。どこまで彼らが知っているのか分からないが、本について何らかの疑問を抱いている以上迂闊に動くことは出来ない。

 どうしようかと迷っていると、トントンとガッシュに腕を叩かれた。我に返り下を見れば、真っ直ぐな目とぶつかる。

「清麿、あの者達はただ私達と話がしたいだけみたいなのだ。そう怖い顔するではない」

 小さな手が伸ばされ、清麿の眉間を解す。

「大丈夫なのだ。もしあの者達がまた撃って来ても、清麿は必ず私が守る。だから安心するのだ」

 小さな体で守ると言ってくる相棒に、清麿は数回瞬きをし、ふっと表情を綻ばせた。

「そうだったな。俺にはガッシュがいる、何も恐れる必要なんかないんだ」

「ウヌ、その通りなのだ! ――という訳で、早速話に行くのだ!」

「あっ、こらガッシュ!」

 緩んだ拘束にすかさずガッシュがすり抜けた。慌てて捕まえようと腕を伸ばすが、ピョンと軽やかな動きでニット帽を被った男の前に出る。

「お主、新一殿の知り合いなのか?」

 まだ六歳にしか見えないガッシュに、男は多少の警戒心を持ちながら肯定した。

 やはり何か知っているのかと焦る清麿をしり目に、ガッシュは明るい笑顔を浮かべる。

「私達は新一殿の友達で、仲間なのだ!」

 その真っ直ぐな言葉に、ヒュッと何人かが息をのんだ。ニット帽の男は興味深そうに目を細め、「仲間?」と聞き返す。

「それは、どういった意味でだ?」

「ウヌゥ、仲間は仲間なのだ」

「……では、何を目的としている?」

「私達は優しい王様を目指しているのだ!」

 ――言っちゃったよこの馬鹿! と清麿は崩れ落ちた。

 魔物が人間界にいる理由は、王を決める戦いを行うためである。少しでもその知識があれば、ガッシュとスペイドが手を組んだことを悟ってしまうだろう。

 だが、日本警察とFBIの目を点に、ニット帽の男も唖然としている。

「優しい、王様?」

「そうなのだ。私達は二度と悲しい涙を流させないために、優しい王様を共に目指しているのだ」

「……ボウヤが王様か。ある意味凄い国になりそうだな……」

 ふむ、と何かを考え込むニット帽の男の反応に、清麿は内心訝しがった。

 男は王様と聞いて、新一が王様になるのを想像している。演技には見えないので、魔物と魔界の王を決める戦いのことは知らないのだろう。しかし、『仲間』という単語に反応したのが気になる。

(本のことを聞きたがっているのも気になるな。俺達が新一の仲間であってはいけない理由でもあるのか……?)

 新一でさえ唸らせる程の頭脳を働かせる。幾つか予測を立てられるが、確証を得られるだけの情報がない。だがそれは同時に、向こうにも同じことが言えることでもある。

「ヌ? 王様になるのは――」

「――ガッシュ、新一との『ごっこ遊び』はまた今度だって言っただろ?」

 これ以上相手に情報を与えない為に、清麿はガッシュの口を手で塞ぐ。モガモガと抗議してくるが、黙ってろと笑顔で凄むとピシリと固まった。

(悪いな、ガッシュ。だがこれ以上は危ない気がするんだ)

 ガッシュを押さえたことで清麿の姿も見せることになってしまったが、臆せずニット帽の男を睨みつける。

「……ようやく姿を見せてくれたな、高嶺清麿君」

 家を張っていただけあり、名前はすでに調べ済みらしい。予想していたので動揺することなく、ガッシュを抱えたまま後ろに一歩下がる――何時でもここから逃げ出せるように。

「もう俺達に用はないだろ」

「……君の返事は、まだ聞いていないが?」

 一歩、後ろに下がる。ニット帽の男の後ろにいる者達がそれに身構えたが、男がそれを手で制した。本当にこれ以上追う気はないらしい。

 ならば、と清麿は逆に問いかける。

「新一は、今どうしている」

「……飛行機に乗っている」

「それは、お前たちに無理やりか?」

「いいや? あのボウヤは、女の子と一緒に旅立った。君達もだが、ボウヤのことも追いかけてはいけないと命令が下りている」

「そっ、そうか……!」

 無事日本を脱出出来たことに、清麿は思わず安堵の表情を浮かべた。自分たちを逃がす代わりに捕まっていなくて良かった、と息を吐く。

 清麿の反応に、ニット帽の男は眩しそうに目を細めた。「君は」と言葉を紡ぐ。

「あのボウヤが『何者』なのか、知っているんだな?」

「当然だ。全部知ったうえで、俺は新一の味方になった」

「……『江戸川コナン』という少年を、知っているか?」

「あんた達が選んだ『探偵』だろ?」

「……やはり、そう思われていたか」

 クッと男の口角が上がった。自虐的なそれに眉を顰めるも、清麿は追及せず男の質問に対して答えを伝える。

「俺達は絶対に新一を裏切らない。例え『世界』が危機に見舞われようとも」

「――その言葉、覚えておこう」

 清麿の嫌味も込めた言葉に、男は頷いてからひらりと手を振る。もう用はないらしい。

 清麿はすぐに踵を返し、その場から駆け出した。森の奥に入っていくことになったが、何度もガッシュと修行しに来ているので迷うことは無い。

「――っ、清麿! いい加減手を離してくれなのだ!」

「あっ、悪い」

 日本警察とFBIの姿が見えなくなった頃、ガッシュが無理やり清麿の手をどかして大きく息を吸った。

 ガッシュを地面に降ろし、「あー」と迷う。一体どこから説明すればいいのか分からない。

「あのな、ガッシュ」

「よい、清麿。何も言うな」

 とりあえず口を開いた清麿を、ガッシュは手で制した。ニッコリと笑い、首を左右に振る。

「新一殿と約束しているのだろう? 二人で話しているのを何度も見たのだ。勿論気にはなるが……私は清麿を信じておる」

「ガッシュ……」

「その代わり! ブリを買ってくれなのだ!」

「オメェそれが狙いなだけだろ!」

「いいではないか! 私は頑張ったのだぞ!? 労わろうとは思わぬのか!?」

「今ので吹っ飛んだわ!」

 何だと清麿、とポカポカ叩いてくるガッシュをいなしながら、空を見上げる。

「なあ、ガッシュ」

「ウヌ?」

「もっともっと、強くなろうな」

「ウヌ! 勿論なのだ!」

 ――新一とスペイドに、負けないくらいに。

 大空に向けて高く手を伸ばす。

 そして、太陽を捕まえる様に、手を握りしめた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――良かったな、新一。ご両親と話せて」

「お前が無理やりさせたようなもんだろ」

「そうしなければ、新一が後悔すると思ってな」

 地上を飛び発った飛行機の中。無事日本を発つことが出来た新一は、隣に座るスペイドにジト目を送り付けた。だが彼女の言う通りなので文句は言えない。

(それにしても、こうもすんなり行かせてもらえるとはな……)

 薄く笑みを浮かべるスペイドから視線を反らし、窓の外を見る。

 送り出してもらえたが行き先は把握されると思っていた新一だったが、予想に反し警察たちは新一達の後をつけてこなかった。恐らく両親がそうさせたのだろう。

(ジェイムズ捜査官の様子を見る限り、気を抜くことは出来ないが……)

 脳裏に柔和な笑みを浮かべたFBI捜査官が浮かび上がる。

 彼はあの場にいた中で唯一、新一ではなくスペイドに意識を向けていた。まるで彼女が動けば何かしら起きると思っているかのように、彼女が動き口を開くたびに身構えていたのだ。

 加えて、優作の「そこのお嬢さん――お前の持つ本のことも」との言葉。

(魔物について何か感づいている、と思ってよさそうだな)

 彼らはスペイド達魔物に対し、何らかの情報を持っていると考えられる。

 このことを新一は意外に思わない。むしろ当然とすら思っている。

 スペイドとの旅の中で、新一は幾度となく魔物の力を利用し犯罪行為に出ている人間と出会ってきた。強盗、襲撃、殺人。急に手に入れることが出来た摩訶不思議で強大な力に酔った人間達の欲望は尽きることなく、堕ちるところまで堕ちていく。

 しかし、魔物の力による事件の殆どが、未解決事件として闇に葬られている。

(魔物の力は人間にとって未知そのもの。通常の捜査で辿り着く訳がない)

 例え何らかの方法で辿り着いたとしても、魔物は本が燃えれば魔界に帰る。そうなれば永遠に犯罪方法を明かすことは出来ない。人間が魔物の仕業だと訴えても、信じる者はまずいないだろう。新一とて初めは全く信じていなかった。

(FBIや父さんも、スペイドが魔物だとは知らないはず。本に注目していたから、共通点を見つけた、と考えられるか……)

 だが、怪しむことは出来る。

 目撃情報を集めて行けば「犯人」のそばに「不思議な本を持つ人間」がいることが浮かんできても可笑しくない。それが摩訶不思議な未解決事件の殆どに共通していることが分かっていたとしたら、FBIがいつの間にか新一のそばにいるスペイドを警戒するはずである。

(今回は何も聞かれずにすんだが、次会った時は恐らく無理だろう。あの人たちは事件を解決するために、本のことについて詮索してくるはずだ)

 ギリッと奥歯を噛み締める。眉間にしわを寄せると、心配そうな表情を浮かべたスペイドによって伸ばされた。

「新一、悩ましげな表情も勿論魅力的だが、私は笑っている顔が一番美しいと思っている。どうか一人で悩まないでほしい」

「……お前のその気障なセリフが一番の悩みどころだよ」

「私は真実を言っているだけだ」

 真顔で言うスペイドに顔を手で覆う。最初の頃はあまり出てこなかったが、最近隙があればさらりと真顔で気障なセリフを新一に向けるのだから堪ったものではない。

「スペイド、頼むから人がいるところでは止めてくれ。いや、二人きりでもなるべく止めてほしいけどさ」

「……それを望むならそうするが」

 渋々と、不服そうだがスペイドは頷いた。だが恐らく近いうちに破られるだろう。スペイドが諦めるか、新一が慣れるか。どっちが先かはまだ分からない。

(……まぁ、オレだけにだし、嫌な気はしないけどよ……)

 ――否、新一が慣れる方が早いかもしれない。

 スペイドに毒されつつある新一は、薄らと笑みを浮かべてスペイドの手を握り締める。

「少し、これからの修行方法について考えていただけだ。スペイドも勿論だけど、オレ自身も強くならねぇとな」

「なら、私が教えよう。騎士の嗜みとして、ある程度身に着けている」

「ああ、よろしく頼むぜ」

 握り返される手に、新一は心が落ち着いていくのを実感する。思っていた以上に彼らに感づかれていたことに焦っていたようだ。

(守らねぇとな、オレもスペイドのことを……)

 まだFBIに魔物について知られるわけにはいかない。彼らに王を決める戦いの邪魔をされたくないのもあるが、「魔物」という存在を組織が受け入れるとは思えないからだ。

 恐らく世間に公表されることはないだろう。その代わり、危険生物として「魔物狩り」を始めるかもしれない――未知なる存在に対して、人間は時として非情を働く生き物なのだから。

 そうならない為にも、今まで以上に強くなる必要がある。

「スペイド」

「うん?」

「もっともっと、強くなろうな」

「ああ、勿論だ」

 ――清麿とガッシュに、負けないくらいに。

 奇しくも空を見上げる赤い本の魔物とそのパートナーが交わした言葉を、新一とスペイドも交わす。

 誓いの言葉に二人は顔を見合わせ、幸せそうに微笑み合った。




次回で邂逅編終了予定です。


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Level.10 運命との出会い

「新一、盾だ」

「アルシルド!」

 

 日本を発って約1カ月が過ぎようとしていた。

 清麿とガッシュとの戦いから足りない部分、強化すべき課題を見つけた新一とスペイドは、居場所を転々としながらひたすら修行に励む日々を送っていた。

 一か所にとどまらないのは、追手を警戒していることともう一つ、一日でも早く魔界の王を決める戦いを終わらせる為に魔物を探すようになったからである。それは本が燃える危険性を格段に上げるものだが、王宮騎士であるスペイドの戦闘能力は元より高く、新一もまた優れた頭脳の持ち主。その上で修行を重ね更なる高みを目指す二人に勝てる魔物は少ない。

「スペイド、近付けるな?」

「勿論」

 ――それは、今彼らと戦っている魔物にも言えることだった。

 スペード模様が特徴的な円盾で攻撃を防いだスペイドは、新一に言葉を返すと同時に地面を蹴った。瞬き一つの間に敵側の懐に飛び込み、新一も合わせて呪文を唱える。

「ガオウ・ギルアルド!」

 突き刺した剣から、鮫の形をした水エネルギーが放たれた。至近距離からの攻撃に敵の魔物は防ぐ間もなく直に食らう。

 ボゥッと燃やされる魔本。光となり消えていく魔物。悲鳴を上げて逃げていく人間の背中を見ながら、新一は魔本を閉じる。

 ――その瞬間、本が強く光り輝いた。

 

 

 強い光に新一は驚き、ほんの少し伸びた黒髪を靡かせ新一を振り返ったスペイドも目を見開いた。

「新一、新しい呪文か?」

「……いや、どうやら呪文じゃなさそうだ」

 パラパラとページをめくる。基本的に新しい呪文は、前の呪文が書かれた次のページに浮かび上がる。だが今回は捲っても呪文は現れていない。

(こんなに後ろの方のページだと? 一体なにが……)

 初めての現象に戸惑いを抱きながら強く光っているページを見つけ捲る。

 そこに書かれていたのは新しい呪文ではなく――魔界からの『お知らせ』だった。

 

 

【おめでとう

 人間界に生き残った諸君よ!

 この時点をもって、残りの魔物の数は四十名となりました。

 試練を乗り越え、さらなる成長をし、魔界の王になるべく、これからも全力で戦いあってください】

 

 

「残り、四十名だと……!?」

「半分以下になったのか……」

 魔界からの戦いの現状を知らせるそれに、新一は絶句しスペイドは感慨深そうにした。呪文を魔物が読むことは出来ないが、この知らせの文字は魔物にも読めるようになっている。

 新一がこの知らせを読むのは初めてだが、スペイドは以前に一度、新一と出会う前にこの知らせを読んでいる。その時は残りの数が七十名を知らせるものだった。それから新一と出会い、戦いに本格的に参戦するようになったことを考えると、しみじみとしたものが浮かんでくる。

 一方このような知らせが来ることを知らなかった新一は、思っていた以上に魔物の数が減っていたことに、痛みにも似た衝撃を受けた。喜ばしいはずなのだが素直に喜べないことに首を傾げつつ、文字を指でなぞる。

「タイミングからして、さっきの戦いで残りの数が四十になったのかもしれないな」

「恐らくは。数は減ったが、より強い魔物が残っているはずだ」

「もっと強くならねぇとな」

「ああ……早く次の呪文が出ればいいのだが」

 シュンと落ち込むスペイドに、新一は気にするなと肩を叩いた。

 ガッシュとの戦いで第七の呪文が出て以来、新しいものはまだ出ていない。呪文の数が強さとイコールしている訳ではないが、一向に増えないことにスペイドは焦りを覚えたのだろう。

 然し、焦りは隙を生む。これから先の戦いを勝ち抜くためには、動じない心も必要となってくる。ならば新一のすべきことは、スペイドの焦りを取り除くこと。余計な焦りを生ませないよう慎重に、ゆっくりと語りかける。

「強さに貪欲になるのはいい。だが、今ある力を最大限に発揮出来るようになってこそ、大きな力を操ることが出来るようになることを忘れたらいけない」

「今ある力を、最大限に……?」

「そうだ。強さとは強い呪文のことじゃない、少なくとも俺達の強さはそれじゃないだろ?」

 新一の言葉に、スペイドは躊躇った後こくりと頷いた。焦りの色はもう浮かんでいないが、完全に納得はしていないようにみえる。

(残り四十名、ある意味いい転機なのかもな……)

 王宮騎士という立場故か、スペイドはやや力に固執する傾向が見られる。無論、この戦いにおいて強い呪文があればあるほど有利になるのは間違いないが、それだけではこれから先勝ち残れないことに彼女はまだ気づいていない。

 今こそ彼女に教えていくべきだろう、と新一は決意する。世界的裏組織との戦いの中で学んできたことは、彼女をより高みに成長させるためだっただと思う位には、新一もこの戦いに身を投じている。

「――まっ、その前に休憩しようぜ。今日泊まるホテルも見つけねぇと」

「そうだな、新一も疲れただろう」

 ポスッと、隠していた兜をスペイドが被る。相変わらずどこに仕舞っていたのか不明である。

「……戦闘用の兜って売ってねぇかなぁ……」

「新一、戦うのにこの兜は邪魔になると思うのだが」

「お前の基準がオレには不思議でたまんねぇよ」

 やれやれと肩をすくめる新一に、スペイドは不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 海岸沿いに歩きながら、スペイドが機嫌良さげに鼻歌を歌っている。

 水の魔力を持っている為か、彼女は海水淡水問わず水がある場所ではとても力が湧いてくるらしい。今いるオーストラリアの海は観光地としても盛んなほど綺麗なため、気分も高揚しているのだろう。

 兜で表情が見えなくとも、手に取るようにスペイドのことが分かるようになってきた新一は、つられてか先ほど感じた痛みを忘れ微笑ましそうにする。

(スペイドも気に行ったみたいだし、今日明日は修行を休んで、バイトに励んでみるか)

 ――順調に旅を続けている様に見える二人だが、一つだけ頭を悩ませていることがある。

 新一は両親と和解したとは言え、けじめとして断ったため援助を一切受けていない。つまり、お金がない。

 そのため新一は、機会があれば短期仕事をして稼ぐようにしている。株という手段もあるが、長期滞在する時は修行場所で野宿をしているのであまり手を出したくない。だが、金は無限にあるものではない。稼げる時に稼がなければ、直ぐに底をついてしまう。

 そんな新一たちにとって一番の稼ぎ時と言えるのが、魔物との戦いだった。

 一見金銭は絡んでいないように見えるが、新一たちが強いと分かるや否や金を出すから見逃してくれと金を差し出してくる輩が稀にいるのだ。非常に不快になるが、決してルール違反ではない。そもそも『江戸川コナン』から『工藤新一』に戻った時も、見逃す代わりとして金を受け取っている。

(そういや最近交渉してくる奴らあまりいないな……生き残れる訳ないか)

 今はもう見なくなったが、彼らのお陰で蓄えが出来たと言っても過言ではない。心苦しいが援助のない新一達には必要なことであり、割り切って考えるしかなかった。

(またどっかにハッキングしてその情報を売るか、どっかで割の良いバイトがないか探して……)

 少々真っ当とは言えないことも考えている時だった。

 ――ピタリと、スペイドが動きを止めたのは。

「スペイド?」

「……魔物の気配がする」

 鼻歌を止めその場から動かなくなったスペイドを訝しそうにすると、ポツリと不穏な言葉が呟かれた。

「しかしこの気配……まさかあいつなのか?」

 魔物の気配を感じればすぐさま警戒するはずのスペイドが、やや困惑しながら首を傾げる。

「新一、恐らく戦いにはならないだろうが、準備だけはしておいてくれ」

「スペイド!?」

 言うや否や、スペイドは走り出した。慌ててその後を追いかけながら「おい!」と問いかける。

「どうしたんだよ、魔物なんだろ?」

「私の知り合いかもしれない!」

「知り合いって……」

 ガッシュ以外にそうした知り合いがいることなど知らない新一の胸に、少しばかりの不快感がこみ上げる。

(いや、待てよ? そう言えばこいつ、魔界にいた頃『組手相手』がいたって……)

 ふと思い出した彼女の話にまさかという予感が過ぎたその次の瞬間、「ブラゴ!」とスペイドが声を上げた。

「ブラゴ、やはりお前だったんだな」

 スペイドの視線の先を追えば、そこに黒い魔物がいた。黒い毛皮のような服を着ている、野性味溢れた魔物だ。駆け寄っていくスペイドに鋭い目が向けられ、新一は思わず本を構えようとする。

 

「アラタ」

 

 ――だがそれは、初めて聞く名前によって、遮られてしまった。

 

「さっきの戦い、やはりお前だったか」

「ああ、根性のない奴だったがな」

「相変わらず弱い奴らとも真剣に戦っているみたいだな……無駄だと思わないのか?」

「我が師の教えだ。どんな相手でも真剣に立ち向かえと――尤も、向こうも真剣でなければ意味がないと最近分かったが」

「フン……それで、そいつがお前の本の持ち主か?」

 黒い魔物の鋭い目が新一を捉える。途端襲ってくる威圧感に唾を飲み込み、震えそうになる体を抑えた。戦わずともわかる、目の前にいるこの魔物が己達よりも強いと。

「新一。工藤新一だ」

「……アラタに似ているな」

 再びスペイドのことを『アラタ』と呼んだ黒い魔物――ブラゴは、自分から聞いたにも関わらず興味なさげに視線を反らした。スペイドを捉え、ニヤリとした笑みを浮かべる。

「手ごたえのない魔物ばかりで体が鈍っていたところだ、付き合え」

「……仕方ない。新一、先に行っていてくれ」

「スペイド!?」

 まさかのスペイドの言葉に新一は思わず声を上げた。日本に滞在していた時を除き、彼女は決して新一を一人で行動させないようにしていたのだ。それがここに来て突然崩されたことに、無意識に不愉快そうな表情が浮かべる。

 だが、スペイドは困ったようにしながらも言葉を撤回しようとしない。

「ブラゴがいるということは、近くに魔物はいないはずだ。私がいなくとも襲われることはないだろう。……先の戦いの疲れを癒しておけ」

 まるで駄々をこねる弟に言い聞かせる姉のような態度に、新一はさらにむすくれた。オレの方が年上なのにとブツブツ呟きながら、彼女たちに背を向ける。

「ホテルも勝手に選ぶからな。文句は言わせねぇぞ」

「新一が選ぶものならなんでもいい」

「――勝手にしろ!」

 これ以上拗ねた態度を見せてもスペイドはブラゴを選ぶことを悟り、増々不愉快になった新一は捨て台詞を吐いてドシドシと一人歩きだした。

(なんなんだよ、スペイドの奴! オレにはなんにも紹介しないで! 魔物がいたらどうするつもりなんだよ!)

 こみ上げてくる感情に小石を蹴とばす。遠くに跳ねるそれを見ても気持ちは収まらず、今度はやや大きめの小石を蹴る。

(それに、それに……!)

 力を込めたそれは弧を描いて宙を舞い、遠くに落ちる。一つだけコロンと転がるそれに己が重なって映り、寂寥がこみ上げ来る。

「……『アラタ』って、お前はスペイドじゃないのかよ……」

 ポツリと呟いたそれは、誰にも聞かれることなく宙に消えて行った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 一人寂しくホテルを探し部屋を取った新一は、モヤモヤする気持ちを晴らすためそのまま町へと繰り出した。無駄使いしようかと一瞬思ったが、そうすれば新一も後々苦しい思いをする。意趣返しをするならば、スペイドにだけ被害が及ぶものがいい。

「――それで思いつくのがレモンパイっていうのがなぁ……」

 客がかなり入っていることから有名かつ人気であると思われる喫茶店。ショーケースに並んでいたレモンパイにつられ足を踏み入れてしまった新一は、あれよと言う間にコーヒーとレモンパイを注文して席についていた。

 憂い顔で息を吐き、コーヒーを飲む――中々に美味しいそれに少し溜飲が下がった。

(早く来ねぇと、全部食っちまうからな)

 心の中で相棒に呼びかけながら、ぐさりとレモンパイにフォークを突き刺す。

(絶対に、お前の分買っていってやるものか)

 もぐもぐと口に運びいれていく。スペイドほどではないが、新一もまたレモンパイは好きな部類に入る。甘さ控えめのほのかな酸味が美味しいそれに、だが新一はキュッと眉をひそめた。

(美味しくねぇ、全然美味しくない)

 美味しいはずなのに、美味しく感じられない。好きな味なのに、食べたいと思えない。

(一人で食べても、美味しくない)

 ――そこにいるべきはずの存在がいないだけで、こんなにも味気なくなってしまう。

 スンと鼻をすする。緩慢にフォークを動かしもそもそ食べるが、注文しなければ良かったと心の中は後悔の嵐が吹き荒れている。

「早く来いよ、スペイド……」

 ポツリと呟くと、増々寂しさが増した。

 こんなにも寂しく感じてしまうのは恐らく、今までが傍にいすぎたからだろう。幼馴染の蘭に向けていた甘酸っぱい恋情は皆無だが、ぽっかりと隣が空いた空虚感は依存にも似ている気がする。

 この調子でいて大丈夫なのだろうかと我が事ながら心配になった時、ふと何かに導かれるようにして視線を上げた。

 意味もない無意識の動作であり、俯いていた顔を上げた理由など無い。ただ何となく、本当に何となく、顔を上げただけ。

 そしてその先にいた一人の女性に目が留まったのにも、理由などない。

 視線の先では、一人の女性が一人の老人を連れて店内に入って来ていた。二人ともオーストラリア人ではない、旅行者なのだろう。女性は普段着というには高価過ぎるドレスを着ており、人目を引いている。新一としては縦ロールな長い金髪の方がより興味を引かれたが、どこから見てもお嬢様然とした姿に店の中にいた客のみならず店員も圧倒されていた。

「爺、この店は何が美味しいのかしら?」

「はい。この店はレモンパイが美味しいことで有名でございます」

「そう、それは楽しみね」

 ふふっと笑うお嬢様の笑顔に、新一は数回瞬きをする。外見からは高飛者な印象を受けるが、笑っている表情はどことなく幼い。付添人なのだろうか、一緒に入ってきた老人の言葉にコロコロと表情を変えていくのを新一はなんとなく眺めた後、視線を外に向けコーヒーを啜った。

 見知らぬ他人に抱く好奇心は封印している。関わり合うことがなければ、新一の意識にとどまることは無い。

「申し訳ございません、お客様。もしよろしければ――」

「――へっ?」

 捨てようと思っていたお嬢様への認識が、頭の中に留められる。

 店員によって行われたそれは、偶然か、はたまた必然か。

 そのどちらにしろ、新一は少しだけ目を奪われたお嬢様と、関わり会う機会を持ってしまった。

 

 

 

(きっ、気まずい……)

 コーヒーを啜りながら、新一は視線を外に固定する。

 その向かい側ではドレスを身に纏ったお嬢様と男性の老人が並んで座っており、お嬢様は上品にレモンパイを口に運んでいる。

 新一が店内に入った時点で、空いている席は今座っている四人掛けしかなかった。そのため一人だった新一はそこに通されたのだが、次に入ってきたこの二人と相席することになるとは思いもしなかった。

(なんか今日は散々だな……)

 スペイドがいない上に、見知らぬ場所で見知らぬ二人と相席。事件に遭遇するよりかはまだいい方だが、決して嬉しい事ではない。

 頬杖をついて息を吐く。窓の向こうに黒はいないかと無意識に探してしまうが、今現在新一からスペイドを奪っていった魔物も黒だったことを思い出し、ムウと唇を尖らす。

(オレだってスペイド役を、いやスペイドはスペイドだけど『黒衣の騎士』の方で……あれ? そういやスペイドも黒衣の騎士が通り名だって言っていたような……ええとシャッフルの方のスペイドをオレが演じて、でもスペイドは魔物で……んん?)

 スペイドとの共通点を見つけようとしたが、思考が袋小路に入ってしまい訳が分からなくなってしまった。

 グルグルと回る頭に首を傾げながら唸ると、クスクスと小さく笑う声が直ぐ近くから聞こえてきた。

 パッと顔を上げ視線を向ければ、上品に口を手で隠しながらお嬢様が小さく笑っていた。隣の老人も微笑ましそうに新一を見ている。

(うわっ、恥ずかしい……っ!)

 見られていたことに新一は羞恥心を覚えた。顔中に熱が集まるのを感じ、小声で「すみません」と謝る。

「あら、謝る必要はないわよ? それよりも私の方こそごめんなさい。コロコロ表情が変わるのがなんだか……」

 新一の謝罪をお嬢様が慌てて止めるものの、最後の言葉を飲み込み再び小さく笑いだした。よほど可笑しかったのかと新一は身を縮込ませ、片手で顔を覆う。

「笑わないでください……」

「フフ、日本人は本当表現豊かよね。見ているとこっちも楽しくなっちゃう」

「こっちは全く楽しくないですし、貴方に言われたくありません!」

「あら、それはどういう意味?」

 新一の言葉が意外だったのか、お嬢様は笑うのを止めて首を傾げた。ムスッした表情を崩さないまま、新一は反撃に出る。

「貴方だってコロコロと表情変えているじゃないですか。そのレモンパイも、美味しいって顔中で表現していましたよ?」

「うそ、爺、そんなことないわよね?」

 自覚がないのか、指摘されたことにお嬢様は慌てて隣の老人を見た。老人はにこやかな笑みを崩さないまま、お嬢様ではなく新一側に着く。

「お嬢様はとても感情表現豊かな方ですよ。特に美味しいものを召し上がる時は見ているこちらが嬉しくなる程幸せそうで……」

「爺! それ以上は止めて頂戴!」

 思わぬ裏切りにお嬢様は顔を真っ赤にした。ほら見ろ、と新一がドヤ顔をすると恨めしそうな目を向けている。

「仕方ないじゃない、このパイとても美味しいんだから。でも私は貴方みたいに、外を眺めながら百面相を浮かべたりしてないわ」

「そうですね、貴方の場合パイを見ながら百面相していましたから」

 新一の返しに老人は肩を震わしながら顔を反らした。お嬢様はさらにムッとし、だがすぐに仕方なさそうに肩を落とした。

「最初に笑ったのはこちらですものね。爺、コーヒーのお代わりを注文して頂戴」

「はい、お嬢様」

「……私、そんなに顔に出ていたかしら……?」

 頬に手を当てて真剣な表情でレモンパイを見るお嬢様に、新一は思わず吹き出しそうになった。肩を震わしながら必死に堪えるが、耐え切れなかった分がクツクツと小さな笑い声となって出てくる。

 それにお嬢様は顔を真っ赤に染め上げた。もう、と拗ねたようにそっぽを向く。

「そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「だって、なんかすっごく……」

「すっごく、なによ?」

 先ほどの仕返しで最後の言葉だけ切ると、お嬢様は不機嫌そうにしながらも新一を向いた。立場が逆転しているなと思いつつも、頬杖をついてお嬢様に笑いかける。

「――可愛いなぁって、思っただけですよ」

 コロコロと変わる表情があどけなく、微笑ましく思えてくる。純粋に思ったことを伝えれば、お嬢様は数回瞬きをした後、ボンッとさらに顔を赤くした。

「――に、日本人はもっと奥手だと思っていたわ……」

「日本人だって素直に言う時は言いますよ。綺麗とか可愛いとか、見ていて面白いとか」

「……ちょっと、最後のが本音じゃないわよね?」

「可愛くて面白かった、が本音です」

「もう! それこそ貴方には言われたくなかったわ!」

 ううっと唸るお嬢様に新一はとうとう声に出して笑ってしまった。幼馴染の蘭の親友である鈴木財閥跡継娘の園子もお嬢様らしくなかったが、目の前の女性も負けていない。否、服装や付き人がいる辺りはいかにもお嬢様だが、新一の言葉にコロコロ表情を変える素直さと飾らなさがとても好印象。無駄なプライドの高さがない分話しやすい。

 いつの間にか、新一の中から寂しいという感情は消えていた。

 

 

 

「へぇ、新一も旅人なのね?」

「まぁな。でもシェリーも旅していたなんて驚いたよ」

 付き人の老人が新一の分までコーヒーのお代わりを注文してくれた流れから、新一はお嬢様――シェリーと簡単な自己紹介を交わした。

 シェリーはフランス出身らしく、現在失せ物を探しに世界中を旅しているらしい。新一は名前だけ名乗り、人生経験の為の旅をしていると伝えた。魔物のことは当然ながら伝えていない。

「新一は一人で旅をしているの?」

「いや、相棒と二人で。今は別行動しているけど」

「あら、そこも一緒なのね。私も爺ともう一人……そうね、相棒と一緒に旅しているの。今どこにいるのか分からないけど」

 ポンとスペイドの顔が脳裏に浮かび、新一は顔をしかめた。シェリーも相棒と何かあったのか顔をしかめている。

「シェリーも苦労しているんだな」

「新一こそ。もしかして、さっき悩ましそうにしていたのはその相棒のこと?」

「……まぁ、一応。ちょっと色々あってさ」

「そうなの。二人旅も大変そうね」

 シェリーは深く追及してこなかった。その程よい距離感に新一は居心地の良さを感じながら、「でも」と笑みを浮かべる。

「やっぱりあいつがいないと変な感じがするから、こうして待っているんだよなぁ」

「……少しだけ分かるわ。私も早く教えてあげたくて、あの子を探していたから」

「おっ、そこも一緒か。なんか似た者同士だな、オレら」

「本当ね。爺の言う通り、休憩しにここに立ち寄って良かったわ」

「オレも。相棒への嫌がらせにここに来て良かった」

 フフッと笑い合う。日本を発ってから、こうしてスペイド以外の人と穏やかな時間を過ごすことは無かった。今なら少しだけ、あのブラゴと呼ばれていた黒い魔物に感謝してもいいかもしれない――あくまでほんの少しだけ、だが。

「さて、と。私達はもう行くわ」

「オレもそろそろ迎えに行こうかな」

 最後の一口を飲み干し、同時に立ち上がる。自然な流れで一緒に店を出て、そこで別れることとなった。シェリーの方から手を差し出してきたので、新一も握り返す。

「今日はありがとう、とても有意義な時間が過ごせたわ。相棒さんにも宜しくね」

「こっちこそ楽しかった。相棒、見つかるといいな」

「本当によ、全く……」

 もう、と顔を膨らませるシェリーに苦笑しながら、手を離して踵を返す。

「それじゃあ、お元気で」

「――あっ、待って!」

 手を振ってそのまま立ち去ろうとしたが、何故かシェリーに呼び止められた。

 足を止めて振り向く。シェリーも困惑しており、何故呼び止めてしまったのか自分でもよく分かっていないらしい。

「あっ、あのね……」

「ん?」

「――もし、出口の見えないトンネルの中に入ったら、新一はどうする?」

 唐突かつ抽象的すぎる質問に、新一は目を丸くした。

 シェリーも自覚したのか顔を真っ赤にし、慌てて言葉を取り消そうとする。

「ごめんなさい! なんでこんなことを貴方に……今の言葉は忘れて」

「――見つけるよ、真実を」

 シェリーの言葉を遮り、新一は答えた。虚を突かれたようにする彼女に、ニッと無邪気な笑みを向ける。

「真実が必ず、出口に導いてくれる。オレはそう信じている」

 シェリーの目が、眩しそうに細められた。ゆるりと浮かべられた笑みは笑っていなく、涙をこらえている様に見えて。

「覚えておくわ」

 ――きっと彼女は今、出口の見えないトンネルの中にいるのかもしれない。そう思った。

 だが新一は何も聞かない。シェリーが引いた線を越えたりしない。恐らく彼女もまた、それを望んでいるはずだから。

「じゃあな、シェリー」

「ええ、さようなら新一」

 新一はシェリーに、シェリーは新一に背を向ける。

 振り返ることはしない。この出会いは一期一会。再び出会うことは、恐らくもうない。

 もし出会うことがあれば、それは運命というものなのだろう。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 スペイドと別れた場所に戻ると、そこに彼女がいた。黒い魔物の姿は見えない。

「スペイド」

「新一、やはり迎えに来てくれたのか」

「オメー、ホテルの場所知らねえからな。迎えに来るしかねぇだろ」

「ああ、私もあとでそれに気付いてここで待っていたんだ」

「……で、あの魔物は?」

「満足して帰った。明日にはここを発つそうだ」

 スペイドの隣へと行く。彼女の服はボロボロになっており、激しく打ち合った痕が見られた。素手で激しくやり合ったのが見て取れる。

 新一も時々忘れそうになるが、スペイドは生物学上女に分類される。例え言動は男みたいでも、体のつくりは魔物とは言え女なのだ。手加減無しで行われたかもしれない組手に、新一の眉間に自然としわが寄る。

 それに気付いたスペイドが、苦笑を零しながら弁解する。

「以前言っただろう? 私を女として見ていなかった分手加減一切無しで向かってくる奴がいたと。それがあいつ――ブラゴだ」

「ふぅん……」

「……新一?」

 新一の反応に、スペイドはようやく機嫌の悪さに気付いたらしい。慌て出す彼女に、新一は体の中で燻っていたものをぶつける。

「――『アラタ』と、『スペイド』」

「……っ」

「どっちが、お前の名前なんだ?」

 体の中で渦巻くどろりとした感情を抑えた声は、平坦なものになってしまった。

 これ以上言葉に出せば溢れ出しそうな気がして、奥歯を噛み締めることで体の内に閉じ込め、爪を食い込ませる程強く手を握り締めて抑える。

 新一の問いかけに、スペイドはゆっくりと息を吐いた。

「――『スペイド』は、騎士の証なんだ」

 そして、ゆっくりと吐き出した息に答えを乗せた。

 

 

「私の一族は王族の死を守る『墓守』という、特殊な家業を持っている」

 長くなるが聞いてほしい、との前置きの後、少女は語りだした。

「だがしきたりとして、一族の長となる者はその跡を継ぐまでは『騎士』として王族の生を守ることになっている――なっていた、が正しい表現か。このしきたりは千年前に止められてしまったのだからな」

「千年、前?」

 聞き覚えのある、そればかりかある程度何が関係しているのか予測できるそれに、少女はこくりと頷く。

「かつての王を決める戦い後、このしきたりは廃止された」

「なんで、なんだ?」

「人間界から帰ってこなかったんだ、千人の魔物の一人に選ばれた当時の跡継ぎが――この戦いで命を落としたと、伝えられている」

 ヒュッと、新一は息をのんだ。

 考えたことが無い訳ではなかった、この戦いで命を落とす者がいた場合どうなるのかと。だが命を奪い合うものではないから、と無理やり目を反らし続けてきた。魔物は本が燃えれば魔界に帰る。もし死にそうになっても、その前に本が燃え尽きれば恐らくは。そう思っていた。

「前回の戦いでは約四十名近くの魔物が、人間界から帰ってこなかったと言われている。ご先祖様もその一人で、跡継ぎを失った我が一族はけじめとしてしきたりを廃止したらしい。それ以来一族の中から『騎士』となる者が出ることは無かった」

「――お前を、除いてか?」

「ああ、そうなるな」

 少女は頷き、「だが」と言葉を続ける。

「以前も言ったが、私は恩を返すべく王宮騎士となった。一族を背負うつもりも、今も背負っているつもりはない。『一族の私』ではなく『騎士の私』として、この生を全うすると王に誓った――その時に貰ったんだ、『スペイド』という名前を」

 そっと、少女は胸に手を当てる。大切なものがそこに仕舞われているかのように優しい手つきで。

「『アラタ』は私の名だ。しかしこの名を名乗ってしまえば、一族を背負わなければならない。だから私は、頂いた『スペイド』を名乗るようにしている。

 ……ずっと、黙っていてすまなかった」

 深々と少女は、スペイドは頭を下げた。新一は慌ててそれを止めさせようとし、だが黒い魔物を思い出して手を止める。

「ならなんで、ブラゴはお前のことを『アラタ』って呼んでいるんだ?」

「あれは、あいつが『名前なんかどうでもいいだろ』と言って……。まだ騎士になる前からの付き合いで、その時はまだ『アラタ』と呼ばれていたんだ。それでブラゴはずっとそのまま……私は何度も訂正しているんだ、本当に」

 新一の声に抑揚が戻らないことにスペイドは慌てて頭を上げ、オロオロしながら必死に弁解してくる。まるで浮気がばれた夫のようだなと思いながらも、散々悩ませさせてくれた意趣返しにツンとそっぽを向く。

「別に、名前を教えなかったことに怒ってねぇし……いや、ちょっとは怒っていたけど」

「わっ、わざとじゃないんだ! 何時かは話すつもりだったんだ! それをブラゴの馬鹿が……!」

「言い訳しなくていい」

「新一!?」

 ガーンと、スペイドはあからさまにショックを受けた。その反応に体の中で渦巻いていた感情が消えていくのを感じる。

(結局オレは、ブラゴって魔物に嫉妬していただけか)

 そして気付く。どうしてそのような感情を抱いていたのかを。

 新一は知りたかった、スペイドのことを誰よりも。

 誰よりも己のことを知っているのはスペイドなのだから、己もまた、誰よりも彼女の理解者でありたかったのだ。

 それが、ブラゴによって崩された。知らないことの方が多いことを、改めて突きつけられことが悔しくて、悲しくて仕方なかった。

「その代わり、教えてくれよ。お前の魔界にいた頃」

「えっ?」

「オレもお前に話すから。お前の知らない、オレの事」

 だからこそ、知る努力をしたいと思う。

 話してくれるのを待つだけではなく、話してくれる努力を。

 話してもいいと思ってもらえるように。

「――いっぱい、話をしようぜ」

「――ああ、勿論」

 差し出した手が、握り締められる。

 やっと戻ってきた隣にとって、ぽっかりと空いた空虚感が埋められた。

 

 

 

「――そういやさ。お前ら、お互いの本を燃やそうとは思わないのか?」

 二人でホテルに向かう途中、ふと新一は忘れかけていた疑問を思い出した。流石に町中なので繋いだ手は外しているが、寄り添うようにして隣にいるスペイドはああと何でもない風に答える。

「本を燃やす戦いは、最後にしようと魔界にいた頃に約束している」

「はあ? なんだそれ」

「ブラゴは根っからの戦闘狂で、特に強い魔物と戦うのが大好きなんだ」

 やれやれとスペイドは肩をすくめた。声に呆れの感情が乗せられている。

「あいつは私が王になるつもりがないと知っているから、この戦いにおいてライバルから除外はしているんだが……。最高に強くなった私と戦う方が面白いから、と」

「……で、お前もそれに乗ったのか?」

「ブラゴ程ではないが、私も強い奴と戦うのは好きだからな。中途半端に強いあいつと戦うよりも、最高に強くなったあいつと戦ってみたい」

 十分戦闘狂の台詞である。

「――それに、今の私達ではブラゴに勝つことは出来ない」

 常に自信に満ちた彼女らしくない言葉に、新一は目を細めた。

「新一、私は今日ブラゴとの組手で力不足を実感した。今のままでは、あいつに勝つどころか生き残るのも難しいだろう――今以上に、強くならねばならない」

「ああ、そうだな」

「そのために、明日からまた修行に励むとしよう。今日はお互い疲れたからな」

「……別に疲れてねぇけどな、オレは。結構楽しかったし」

 シェリーとのひと時を思い出し、ポツリと呟く。

 肉体的な疲れよりも精神的な疲れの方が大きかった新一は、彼女と穏やかな時間を過ごしたこと、そしてブラゴへの嫉妬を自覚したことで幾分か疲れは取れていた。喫茶店で糖分を補給したためか、頭もすっきりしている。

 新一の言葉に、スペイドは不思議そうに首を傾げた。新一は喫茶店での出来事を話そうとし、ふと思いとどまる。

 ――何となく、シェリーとの出会いは心の中に留めておきたいと思った。

 代わりに、当初の目的を話す。

「お前がいない間、美味しいレモンパイ食べたんだよ」

「わっ、私が必死にブラゴの猛攻を交わしている時に、新一は一人でレモンパイを楽しんでいたのか!?」

「休めって言ったのはお前だろ?」

「私のは? 私の分は?」

「さあ? どうしよっかなー」

「新一、やっぱりまだ怒っている! 何時もよりも意地悪だ!」

 スペイドは泣き出しそうになりながら、新一の腕を掴んできた。そのままレモンパイの所へと連れて行かせようとしてきたので、ふふっと悪戯っぽく笑う。

 予想通りの反応に、胸の奥がすっきりする。店を出る前にデリバリーサービスがあるのを確認し、ホテルに持ってきてもらうよう頼んでいたことを話すのはもう少し後でいいだろう。

 今はもう少しだけ、寂しかった分を取り戻したい。

 

 

 

 千年に一度、魔界の王を決める戦い。

 落ちこぼれと呼ばれた魔物。

 優勝候補と呼ばれた魔物。

 そして、例外と呼ばれた魔物。

 

 それぞれが出会いを果たしたことで、戦いの運命が動き出す――。




シェリーと蘭はどっちが強いんでしょうかね(物理的に)。
※二人が戦う予定は全くありません。純粋かつ新一の今後を左右する(かもしれない)疑問なだけです。

これにて邂逅編完結です。次回から石板編予定です。
スペイドは原作キャラと恋愛関係に発展することは全くありませんのでご安心ください。

ブラゴとの関係ですが、組手相手以上友達未満です。敵対はしないし背中は預けるけど、隣で一緒に戦うことはないライバル関係にあります。
因みにブラゴとガッシュは、敵対はするし背中は預けないけど、隣で一緒に戦うライバル関係をイメージしています(アニメが一番衝突し合っていた気がする…)。

 次回も宜しくお願い致します。


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番外 それぞれの事情

邂逅編の番外集です。
Level.09後の清麿の話(※清恵未満)
Level.10のシェリーの話
とても短いです。



【人間側の動き】

 

 新一とスペイドが日本を発ち、暫く経った頃。

 日本警察やFBIとの麻酔銃付き鬼ごっこが再び起きないかと恐れる高嶺家のチャイムを、朱色の本の魔物とそのパートナーが鳴らした。

 

 

「こんにちはー!」

「お邪魔します。清麿君、ガッシュ君」

 元気よく挨拶をする魔物のティオ。礼儀正しく挨拶をする本の持ち主である大海恵。

 彼女達はこの戦いの中でも正しき心を忘れない、ガッシュと清麿の一番最初の仲間である。

「ウヌ、こんにちはなのだ。ティオ、恵殿」

「来てくれて有り難う、恵さん、ティオ」

 二人を家の中へと招き入れ、ガッシュと清麿は嬉しそうに破顔した。

 

 彼女達以外にもこの戦いに生き残っており、尚且つ友と呼べる魔物達はいる。

 最初は落ちこぼれのガッシュになら勝てると意気込んで本を燃やしに来たが強くなったガッシュに敗れ、その後紆余曲折あり友のようになった黄色い本の魔物キャンチョメと、そのパートナーであるイタリア出身の世界的映画スター、パルコ・フォルゴレ。

 魔物と人間という壁を乗り越えて恋人同士となった薄い青紫色の本の魔物ウォンレイに、パートナーである香港マフィアの首領の娘、リィエン。

 高嶺家に居候している、未だ本の持ち主が見つかっていない薄いオレンジ色の本の魔物ウマゴン。

 そして、蒼い本の魔物スペイドに、そのパートナーである工藤新一。

 どの魔物達も大切な存在であり、この戦いの中でも正しき心を持つ貴重な存在でもある。

 しかし、何度も手を組んで戦ったことがあるのはティオと恵だけであり、そのためガッシュと清麿の中でもこの二人はまた特別な存在として位置付けられている。

 

「ティオ、二階で一緒に遊ぶのだ」

「いいわよ。ところでウマゴンは?」

「ウマゴンは本の持ち主を探しに行っているのだ」

「そう、大変ね……」

 魔界では幼馴染だったらしく、二人は仲良く話しながら清麿の自室へと向かう。背中まで届くほど長いサーモンピンクの髪が見えなくなるのを待ってから、清麿は恵を居間へと案内した。

「急に呼び出したりしてごめん」

「気にしないで、今日は仕事もお休みだったから」

 フフッと笑う恵は、十六歳にして超人気アイドル歌手でもある。歌手だけでなくグラビア撮影やTVドラマ主演と多方面でも活躍しており、時折ティオを高嶺家に預けに来たりする位多忙な日々を送っている。

 それでも清麿の誘いにすぐに応じてくる辺り、彼女達もまた清麿とガッシュを特別な存在として見ていることがよく分かる。

「それに、何かあったんでしょ? ティオ達をここに呼び止めなかったってことは、あの子達に知られたくない『何か』が起きた……違う?」

「流石恵さん、その通りだよ」

 清麿と二歳しか違わないにも関わらず、恵は非常に聡い。だからこそ芸能界という世界でその確固たる地位を獲得できたのだろう。

 清麿もそんな恵だからこそ、この話を打ち明けることが出来る。

「実は……」

 ――魔物だけではなく、人間とも戦わなければならない可能性が出てきたことを。

 

 

 

 工藤新一の複雑な事情は伏せ、清麿は恵に、日本警察とFBIの一部が魔物の存在に気付いているかもしれないこと、それに気付いた経緯について話した。因みに新一のことは「特別な才能を持っていて、何かを企む警察組織に追われている青年」と説明した。幾分か警察組織に対する悪意が含まれているが、嘘は言っていない。

 すべて話し終えると、恵は心配そうに顔を伏せた。

「そう……私も、ニュースで魔物が関わっているかもしれない事件を見る度にバレないか心配していたけど、やっぱり気付く人は気付いてしまうのね」

「ああ。魔物に対する認識も、俺達が思っている以上に悪いかもしれない」

 何しろ、見た目六歳という幼いガッシュにも容赦なく麻酔銃を打ち込んで来ようとしたのだから。

「どこから情報が漏れるか分からない以上、警戒するに越したことは無い。今のところ魔物の戦いについても知らないみたいだが……」

「何時知ってしまうか、時間の問題ね」

 清麿の言いたいことを正確に悟った恵は了解したと頷いた。これでティオの心配はいらないだろう、周囲の変化に機敏な恵が彼女をさりげなく守ってくれるはずだ。

 魔物達に人間達が敵に回る可能性があることは、まだ知られなくない。人間界で一人ぼっちという寂しさや恐怖を味わってきた彼らはきっとまた、傷付いてしまうだろうから。

「頼んだ、恵さん」

「任せて。清麿君も気を付けてね」

 人間でありながらも魔物の味方になることを二人は選んだ。これはきっと、他の本の持ち主達も同じだろう。

 一先ず話せたことに清麿が安堵していると、恵が「それにしても……」と困ったように頬に手を当てた。

「まさか警察『も』動き出しているなんて……」

「警察『も』?」

「あっ、ううん。こっちは深刻じゃないんだけどね」

 意味深な発言をした恵に清麿が怪訝そうにすると、超人気アイドル歌手はパタパタと手を左右に振った。

「ほら、魔物が関わった事件ってどれも人為的には難しいものでしょ? 今探偵ブームだから『探偵を集めて未解決事件を解決させよう』っていう番組も多いけど、あまりにも超常現象過ぎるから取り上げることは無かったんだけど……」

「だけど?」

「代わりに、オカルト番組が『これは妖怪の仕業である』って取り上げようとしているって話を聞いて……」

「ああー……」

 若干斜め方向を向いている恵と同じように、清麿も遠い目をした。

(そういや新一も、似たようなこと言っていたような……)

 新一曰く、探偵が警察に協力するには、事件を解決することが最低限の条件となる。ただ解決するだけではなく、決定打となる証拠を見つけること、その犯行のトリックを見破り、尚且つそれが机上の空論ではなく実践できることを証明すること、犯人の動機、その他諸々。そうすることで探偵は警察から信頼を得ることが出来る。

 だが、魔物が関与している事件はそうはいかない。常識や今の科学では説明も実践も不可能な犯行。見つからない犯人。探偵が扱うにはあまりにも最悪過ぎる条件が揃い過ぎている事件なのだ。

(だからこそ、探偵は積極的に関わってくることはないはずだって……ああ、でもそうだよな、そっちの可能性を忘れていたよ……)

 探偵が関わりたくないと思う、番組でも取り扱いにくい、魔物が関与した事件。

(魔物は魔物でも、空想上の『魔物』かぁ……)

 ――だからこそ、オカルト好きには持ってこいだということに。

 人為的に不可能だからこそ、人ならざる者が犯人だと言うのはある意味間違っていない。そればかりか一番真実に近い見解である。

 清麿は深い脱力感に襲われた。魔物と人間の戦いが起きる可能性に緊張していた今までが嘘のように、寧ろ緊張していたことがアホらしく感じている。

「……まぁ、そっちは放置でいいと思うから」

「……ええ、私もそんな気がしていたわ」

 はぁ、と二人そろって息を吐く。

 そして顔を見合わせ、苦笑を浮かべ合った。

 

 

 

【救世主は誰?】

 

「あのさ、恵さん。参考程度なんだけど、工藤新一についてどう思う?」

 ふと、清麿は気付けばそう口に出していた。

 突然かつ意外な質問に、恵は目を丸くする。

「工藤新一って、あの名探偵の?」

「そう、その」

「どうして?」

「あー……ほら、世界の救世主って呼ばれているし、恵さんもああいったタイプが好きなのかなって……思って……いや別に深い意味はないけど!」

 歯切れの悪さに、清麿は気まずそうに顔を背ける。

 何時かスペイドと新一を彼女たちに合わせる日が来るだろう。だからこそ様々な問題を抱える新一のことを受け入れてくれるか心配で聞いたのだが、まるで恵が新一に好意を持っていないか心配しているかのようになってしまった。

 しかし、言葉が思い浮かばない。そればかりか恵と新一が仲良くしているのを想像し、ほんの少しだけ胸が痛んだ。

 モヤモヤとした感情に顔をしかめていると、恵が「そうねぇ」と考える。

「やっぱり、カッコいいって思っちゃうかな? 世界の救世主だし、探偵として最後まで貫き通した姿は尊敬しちゃうし」

 まるで肯定するかのような言葉に、清麿はうっと言葉に詰まらせた。

(……やっぱり、新一の方がカッコいいよな……)

 同性である清麿から見ても、新一は非常に容姿が優れており綺麗でカッコいいと思える。恵と並んで立っていても見劣りしない、寧ろ二人とも輝いて見えるだろう。

 お似合い、という言葉が思い浮かび、清麿は眉を顰める。

「でも、私は清麿君の方が好きよ?」

 ――しかし続けられた恵の言葉で、それはあっという間に元に戻った。

「えっ?」

「確かに、工藤新一は世界の救世主だと思うけど」

 フフッと恵は悪戯っぽく笑い、清麿に向けて片目をつぶる。

「私達の救世主は、清麿君達だから」

 その目に、その言葉に、清麿は数拍ポカンとした後、一気に首から上を赤らめた。

「えぇえええ!?」

「あら、だってそうでしょう? 私達を助けてくれたのは貴方達で、工藤新一じゃないもの」

「そっ、そうかな? あははははは……」

 思わぬ言葉に清麿の心臓は破裂しそうになる。目を合わせているのが恥ずかしくなり左右に泳がせ、ムズムズと緩みそうになる口を必死に引き締める。

 そのため清麿は気付かなかった、恵もまたほんの少し照れたように顔を赤らめていることに。

 

「あら、恵ったらやるじゃない」

 

 そんな初々しい二人を、ジュースのお代わりを求めに一階に降りてきたティオが、ニヤニヤとしながら見つめていた。

 

 

 

【宿敵との出会い】

 

 残りの魔物の数が四十になった知らせを受けた時。

 シェリーのそばにパートナーである魔物のブラゴはいなかったのが、そもそもの始まりだった。

 

 

「もう、あの子ったらどこにいったのかしら!」

「シェリーお嬢様、そう怒っていてもブラゴ様は見つかりませんよ」

「分かってるわよ、分かってるけど……!」

 プンスカ怒り爺に宥められながら、シェリーはオーストラリアの町の中を歩いていた。

 宿敵ゾフィスを倒し親友のココを取り戻すため、一刻も早くこの戦いを終わらせるために世界中を旅して回る彼女は、フランスの名門ベルモンド家の令嬢とは思えないほど活発的である。だからこそ、厳しいブラゴの特訓にもついていくことが出来、尚且つ彼に対して文句を言うこともできる。

 それでも、早くブラゴにこの知らせを教えてあげたいと思っている辺り、魔物との絆が出来上がっていると言えよう――例え勝手にいなくなったことに怒っていたとしても。

「どうして魔物ってこう、自分勝手な子が多いのかしら!」

「お嬢様、ブラゴ様だけで判断されるのは早計かと……」

「ブラゴだけじゃないわよ! あの『スペイド』って魔物も自分勝手だったじゃない!」

 爺の言葉に噛みつくようにして反論する。

 思い出すのは、まだブラゴが態度を緩和させる前のこと。彼の魔界の頃の知り合いだと名乗る魔物が、突然シェリー達の前に姿を現した時の事である。

 ブラゴ同様全身真っ黒な服に身を包んだその魔物は、兜を被り顔を見せようとしなかった。だが本当に知り合いだったらしく、あの粗暴で自己中心的だったブラゴと親しげに言葉を交わしていたのでシェリーは目が飛び出すかと思う程驚いた。驚きのあまり転びそうになったのは秘密にしている。

 しかし、その驚きは長くは続かなかった。何故か――その魔物もまた、ブラゴ同様自己中心的だったからである。

「なーにが、『人間にその名を呼ばれる筋合いはない』わよ! 私だって呼びたくないわよ!」

「シェリーお嬢様……」

「『人間を鍛えてどうする』とか、『戦えない奴を戦わせても足を引っ張るだけだ』とか、好き勝手言って! 腹が立つわ!」

「お嬢様、それを言われたのは昔のことでございますよ……」

「今でもあの屈辱は忘れられないのよ!」

 思い出しただけでふつふつと湧き上がってくる怒りに、シェリーは当時もそう怒鳴っていたことを無意識に繰り返した。

 魔物嫌いがさらに加速した瞬間だった。まだ本の持ち主が見つかっていないことをいいことに燃やそうとしたのだが、あろうことかブラゴに止められたので余計に苛立った。

(絶対燃やしてやるんだから……!)

 ブラゴには『アラタ』と呼ばれていたが、シェリー達には『スペイド』と呼べと強要してきたのでシェリーは渋々そう呼んでいる。本音を言えば『スペイド』と呼ぶことすら腹立たしい。

 どうしようもない苛立ちに歩く速度が速くなっていく。ブラゴを見つけた時に八つ当たりしてしまいそうな勢いに、爺は一つ手を叩いた後シェリーを呼び止めた。

「少し休憩いたしましょう。私の知っている店が近くにありますので」

「お店?」

「この辺りでは有名な喫茶店です」

 喫茶店、ということは甘い物も揃っているのだろう。シェリーは足を止めて少し考える。確かにこのまま探すよりも、落ち着いてからの方が効率もいいかもしれない。

「分かったわ。爺、案内して頂戴」

「かしこまりました」

 

 

 

 爺に案内された喫茶店は、落ち着いた空気を醸し出す小さな店だった。客も多く入っているが、無駄な喧噪もなくゆったりとした時間が流れている。

 シェリーが抱えていた苛立ちも、その雰囲気に落ち着いてくる。こんなに好感の持てる喫茶店があったとは、と興味深そうに店内を見渡した。

「爺、この店は何が美味しいのかしら?」

「はい。この店はレモンパイが美味しいことで有名でございます」

「そう、それは楽しみね」

 ふふっと笑みを浮かべる。格段好き嫌いはないが、時折無性に食べたくなる時がある。先ほどまではあまりその気はなかったのだが、美味しそうな匂いに刺激されて胃が食べ物を求めている。

 爺に店員は任せて何を頼もうかと考えている時、ふと何かに導かれるようにして視線を店の窓際の席に向けた。意味もない無意識の動作であり、動かしていた目を止めた理由などない。ただ何となく、視線を向けただけ。

 そしてその先にいた一人の男性に目が留まったのにも、理由などない。

 視線の先には、一人の男がコーヒーを啜っていた。オーストラリア人ではなく恐らく日本人、旅行者なのだろう。目を引くほど整った容姿をしており、彼がいる空間だけ別世界のように輝いている。シェリーとしては後頭部の不自然に跳ねたヘタのような髪型に興味を引かれたが、どこから見ても他と一線を引いている姿に店の中にいた客のみならず店員も圧倒されていた。

 なんとなく眺めた後、シェリーは視線を爺に戻した。見知らぬ他人に抱く好奇心などない。関わり合うことがなければ、シェリーの意識にとどまることは無い。

「お嬢様、申し訳ありません。実は――」

「――えっ?」

 捨てようと思っていた男への認識が、頭の中に留められる。

 爺によって行われたそれは、偶然か、はたまた必然か。

 そのどちらにしろ、シェリーは少しだけ目を奪われた男と関わり合う機会をもってしまった。

 

 

 

(結構気まずいわね……)

 レモンパイを口に運びながら、シェリーは内心呻いた。レモンパイは爺の言葉通り実に美味しい、ホテルに持って帰りたいくらい気に入った。

 その向かい側では男が外を見ながらコーヒーを啜っている。席が空いていなかったのは仕方ないとは言え、この男と相席することになるとは思いもしなかった。

(無駄に話しかけてこないから楽だけど……)

 チラリと視線を男に向ける。

 頬杖をついて息を吐いている男は、どこか寂しそうな表情をしていた。店の外に焦がれる人でもいるのだろうか、と思った瞬間、ムッとした表情を浮かべて唇を尖らした。おやと思い眺めていると、今度は一変して困ったような表情になった。何か考えているのだろうか、首を傾げながら唸っている。

 その姿は最初に抱いた印象から想像出来ない程幼く見え、思わずシェリーはクスクスと小さく笑ってしまった。

 その声が聞こえたのか、男が顔をあげてシェリーを見る。途端その顔が赤く染まり「すみません」と小さく謝られた。

「あら、謝る必要はないわよ? それよりも私の方こそごめんなさい。コロコロ表情が変わるのがなんだか……」

 男の謝罪を慌てて止めるものの、自身の言葉で先程のを思い出し、また笑みが零れ出た。不自然に途切れてしまったことでより不安になったのか男は身を縮込ませ、片手で顔を覆う。

「笑わないでください……」

「フフ、日本人は本当表現豊かよね。見ているとこっちも楽しくなっちゃう」

「こっちは全く楽しくないですし、貴方に言われたくありません!」

「あら、それはどういう意味?」

 男の意外な言葉に、シェリーは笑うのを止めて首を傾げた。ムスッした表情を崩さないまま、男が反撃に出る。

「貴方だってコロコロと表情変えているじゃないですか。そのレモンパイも、美味しいって顔中で表現していましたよ?」

「うそ、爺、そんなことないわよね?」

 慌てて隣に座る爺を見ると、実ににこやかな笑みを向けられた。この笑みの意味をシェリーは知っている――シェリーは隠したいが爺にとっては微笑ましいことを思い出している時に見せるものだ。

「お嬢様はとても感情表現豊かな方ですよ。特に美味しいものを召し上がる時は見ているこちらが嬉しくなる程幸せそうで……」

「爺! それ以上は止めて頂戴!」

 ひどい裏切りである。顔が赤くなるのを感じながら、ドヤ顔をしている男に恨めしそうな目を向ける。

「仕方ないじゃない、このパイとても美味しいんだから。でも私は貴方みたいに、外を眺めながら百面相を浮かべたりしてないわ」

「そうですね、貴方の場合パイを見ながら百面相していましたから」

 男の言葉にシェリーはムッと顔をしかめた。だが、先に笑ったのはこちらの方である。これ以上言い合っても仕方ないかと肩を落とし、休戦を意味して爺に注文するよう頼む。

 シェリーは頬に手を当てて食べかけのレモンパイを見た。表情はあまり出ない方だと思っていたのだが、気が抜いた時には出やすくなるのだろうか。

「……私、そんなに顔に出ていたかしら……?」

 これでは目の前の男のみならず、ブラゴにも笑われてしまう。どうにかして顔に出ないようできないかと考えていると、目の前からクツクツと小さな笑い声が聞こえてきた。

 慌てて顔をあげれば、男が肩を震わせて笑いをこらえていた。その姿にシェリーは羞恥から顔を赤く染め、拗ねたようにそっぽを向く。

「そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「だって、なんかすっごく……」

「すっごく、なによ?」

 不自然に言葉を切られ、シェリーは不機嫌さを表に出したまま男を見た。

 男は自然な動きで頬杖をつき、柔らかな笑みを向ける。

「――可愛いなぁって、思っただけですよ」

 一瞬、何を言われているのか分からなかった。数回瞬きをして男が言った言葉の意味を吟味する。そして『可愛い』と言われたのだと理解し、ボンッと体中が沸騰しているかのように熱くなった。

 思わず頬に両手を当てて目を背ける。他意はないと分かっているが、ここまで率直に言われたのは初めてだった。

「――に、日本人はもっと奥手だと思っていたわ……」

「日本人だって素直に言う時は言いますよ。綺麗とか可愛いとか、見ていて面白いとか」

「……ちょっと、最後のが本音じゃないわよね?」

「可愛くて面白かった、が本音です」

「もう! それこそ貴方には言われたくなかったわ!」

 聞き捨てならない言葉に唸ると、男はとうとう声に出して笑いだした。子どもっぽいそれにシェリーも段々と可笑しく感じてき、ふふっとまた笑みを浮かべる。

 いつの間にか、シェリーの中から苛立ちは消えていた。

 

 

 

「じゃあな、シェリー」

「ええ、さようなら新一」

 男――新一と暫く会話を楽しんだ後、シェリーは店を出てブラゴの捜索を再開した。

 ふんふんと機嫌良さそうにしながら街並みも楽しんでいるシェリーに、爺は微笑ましそうな目を向ける。

「良かったですな、お嬢様。よき人と出会えまして」

「ふふっ、そうね。まさかあんな答えをくれるなんて思わなかったわ」

 最後に投げかけた問いかけに対する答えを思い出し、シェリーは手を口元に当て小さく笑う。

 店から出てこちらに背を向ける新一を引き留めたのは本当に無意識だった。不思議そうにこちらを向く彼にシェリー自身も戸惑った挙句出てきたのが、あの質問。普通の人なら盛大に呆れただろう。

 だが、新一は呆れることなく真剣な答えを返してくれた。それはストンとシェリーの胸の中に落ち、控えめながらもしっかりとその存在を主張している。

(本当、不思議な人だったわ。新一……あんな人が魔物の本の持ち主だったら、私も――)

 この戦いの中で久しぶりに感じた、温かな何か。以前は日本で、赤い本の魔物とその本の持ち主と対峙した時に感じた。だが今回のは似ているようで似ていない、もっとシェリー自身の奥深い所に響く何かが――

「――シェリー、何一人でニヤニヤしているんだ」

「……ええ、そうね。貴方はそういう子だったわね……!」

 ――それを掴み取る前に、無遠慮に声をかけられた。それに思考を遮断されたシェリーは顔をひきつらせながら、ようやく見つけた魔物――ブラゴに目を向ける。

「どこに行っていたのよ、ブラゴ。探したのよ」

「どこに行こうが俺の勝手だ」

「貴方ねぇ……! 魔物の数が残り四十になったから、こっちは探していたのよ!」

「それはもうアラタに聞いた」

「はぁ!?」

 聞きたくもなかった名前が飛び出したことに、シェリーの中で再び怒りが湧きあがった。キッと表情を硬くし、以前の屈辱を思い出しながらも大切なことを確認する。

「あの蒼い本の魔物……スペイドは、今ここにいるのね?」

「ああ。本の持ち主も見つかったらしい……まだあいつとは戦わないぞ」

 シェリーがスペイドの本を燃やそうとしたのを思い出したのか、ブラゴが先手を打ってきた。以前と変わらず、ブラゴは強くなったスペイドと戦うつもりでいるらしい。スペイドに王になる意思がないのならすぐに燃やせばいいのにとシェリーは思うのだが、ブラゴは何かを期待しているらしくそこだけは譲らない。

(あのスペイドって魔物、そんなに強いのかしら……そうは見えなかったけど)

 ブラゴがより強い魔物と戦うのを楽しんでいることは身を以って知っている。弱い魔物相手だと苛立つこともまた。だからこそ、成長した強さにブラゴが期待して本を燃やすのを持っていることは理解している。

 シェリーは深く息を吐いた。こみ上げてきた苛立ちを落ち着かせ、くるりと踵を返す。

「分かったわ、今日はホテルに戻りましょう」

「……シェリー?」

「なによ」

「……いいや、別に?」

 予想外に怒りを鎮めたシェリーが意外だったのか、口ではそう言いつつもブラゴは胡乱げな目を向けてきた。

 それにシェリーは気付かないふりをして、しっかりと前を向く。

(ここには新一がいるんですもの。今日は見逃してあげるわ、スペイド)

 偶然出会った日本人の旅人。彼と過ごした時間、そして貰った答えに免じて、今日ばかりは戦いを休むことにする。

 新一と再び出会うことは、恐らくもうない。

 もし出会うことがあれば、それは運命というものなのだろう。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

☆ ☆

 

 

☆ ☆

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――このような形で、出会いたくなかった。

 

「ヌォオオオ!!」

「メルメルメ~!!」

 大勢の千年前の魔物に対し、たった二体で立ち向かっている魔物。その内の一体のことを、シェリーは知っている。シェリーとブラゴがその本を燃やすことを見逃した、かつて落ちこぼれと呼ばれていた赤い本の魔物。

 彼はボロボロだった。恐らくこの前にも他の魔物と戦っていたのだろう。本の持ち主である少年が離れたところにいるが、魔物以上にボロボロの姿をしている。術を使っていないので、心の力も残っていないのだろう。

 少し離れた場所には、シェリーのある意味宿敵とも呼べる蒼い本の魔物もいた。あの兜は被っておらず、同じように怪我を負っている。少々意外なことに、蒼い本の魔物は千年前の魔物と戦わず、本を持っていない人間達を安全な場所に避難させていた。操られていた人たちなのだろうか、蒼い本の魔物が担いで運んでいる人もいる。

「がんばっているところ申し訳ありませんが、外に出てた者達も戻ってきたようですね」

 憎々しい宿敵たる魔物の声に、シェリーは視線をそちらに向ける。安全な所から高みの見物をしている奴の近くに、親友の姿はない。どうやら今ここにはいないようだ。

 空を飛んでいる魔物とその背に乗っている魔物達が上空から悠々と見下ろしながら、獲物を狙っている。

 狙われている者達は、本の持ち主である人間。赤い本を持つ少年に、薄いオレンジ色の本を持つ男性。そして、蒼い本を持っている――

 

「新一……」

 

 ――もう二度と、出会うことが無いだろうと思っていた、日本人の旅人。

 彼の名を呟き、シェリーは一度目を閉じる。

「シェリー」

「ええ、分かっているわ」

 ブラゴの呼びかけに、シェリーは再び目を開けた。そこには戸惑いではなく、宿敵に対する憎悪が宿っている。

 上空から、本の持ち主達めがけて攻撃が放たれる。慌てて庇いに向かう赤い本の魔物達。辛うじて蒼い本の魔物が間に合い防御の体勢に入るが、恐らく庇いきることは不可能。

「ブラゴ、挨拶代わりに行くわよ」

「フン……」

 コォオオオッと己の持つ黒い本が光り輝く。両手を前にしたブラゴと呼吸を合わせて唱えるのは――千年前の魔物達の術だけを潰せる呪文。

 

「アイアン・グラビレイ!!」

 

 

 守るつもりなどない。ただそこにいてもらっては、邪魔だっただけ。

 だから、ボロボロな姿になった新一を見て抱いたこの怒りは、気のせいなのだ。



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石板編
Level.XX 行方不明


 主にパパラッチや編集者から逃げる為、工藤夫妻は未だロスではなく日本に滞在していた。それ以外にも理由はあるのだが、周囲にはそう説明してある。

 周囲に話していない日本に留まっている理由は、新一との約束を守るためだ。

 工藤夫妻の最愛の息子は必ずここに戻ってくる。かつての仲間たちを、過去を受け入れるために。その時に傍についていてあげたいと思うのは親として当然のことだろう。

 

「優作、まだ調べているの?」

「ああ、もう少しで謎が解明出来そうだからね」

「それなら少しくらい休んで……」

「本当にもう少しなんだ。あと少し、あと少しで――この謎が解ける」

 

 そしてもう一つの理由。新一が相棒と呼んだ少女と不思議な本の謎を解くためだ。

 空港で新一と再会した際に、優作たちは新一たちに追及しないことを約束した。だが、調べないとは言っていない。

 少しでも今現在最愛の息子が置かれている現状を把握するために、優作は本業である作家を休み、伝手を総動員して謎を解き明かそうと日々奔走していた。睡眠時間も削っている為、好調だとは言えない。有希子が心配して何度も休むよう進言しているが、優作は柔和な笑みを浮かべて聞き入れようとしない――それほどに焦りを感じていた。

 

「この謎は、あの子の父である私が解かなければいけない」

「でも……」

「有希子、分かってほしい。これは父親の役目なんだ」

 送られてきた資料から目を離さず、早口で答える。

 資料はある二人の人物について。一人は金庫荒らしや宝石強盗などの窃盗の容疑をかけられている男性、一人は冷凍食品工場襲撃犯として容疑をかけられている女性。どちらも現在精神病院に入院しており、退院の目処は立っていない。また、証拠不十分なため逮捕までに至っていない現状である。

 なぜこの二人の関する資料が優作に送られてきたのか――二人が、新一の持つ本と似たような本を持っていたという目撃情報が入ったからだ。しかし目撃情報で実際は確認されていない。

 本はもう、二人の手元に残されていなかった。

 

 一人目の男性の名は、細川という。

 彼が犯したと考えられている犯行には、鋭く尖った巨大な氷の塊が使われている。引きずった跡も持ち運ばれた痕跡もない、まるで突如としてその場に現れたかのように、店中に突き刺さっていた。事実、宝石店の辛うじて残っていた防犯カメラには氷が突如として店の中に現れていた。

 その防犯カメラには氷以外にも映っていたものがいた――小さな少年の姿である。カメラに背を向けて立っていた為顔は判明出来なかったが、氷は少年を中心として現れていた。

 また不思議なことに、「ギコル」と叫ぶ成人男性の声が響いた後に、氷は出現していた。警察はその声を解析、さらに目撃情報から似た少年とその近くに本を持った男性がいたことが判明し、ようやく細川を見つけ出したのである。

 だが彼はすでに精神病院に入っていた。とある河原でボロボロな姿のまま錯乱状態になっていたのを通報され、強制入院させられたらしい。代表して目暮警部たちが話を聞きに行ったが、とてもまともに話せる状態ではなかったと帰ってきた。

 聞けば、細川はぶつぶつと「あのガキども」「レイコムはどこにいった」「俺の本」と呟いては暴れ出し取り押さえられていた。こちらの声は全く届かず、会話もままならなかったとのこと。

 

 もう一人の女性もまた、氷を使った犯行だった。しかし細川とは違い、その氷は工場をすべて氷で覆い尽くすものだった。防犯カメラは全て壊されていたが、氷で覆われた工場から彼女と小さな少女が悠々と出てくるのを見たという目撃情報があった。

 彼女もすでに精神病院に入っていたが、細川とは違い一先ず簡単な会話をすることは可能。しかし、妄想が激しくまともな受け答えをすることは出来ない状態にある。

 彼女はしきりに『魔物』について話しているらしい。なんでも、この人間界とは別に魔界というものが存在し、そこから百名の魔物が王を決める戦いを行うために人間界に来ているとのこと。自分はその百名の内の一人のパートナーに選ばれ、力を手にしたとのこと。そして彼女はその力でかつて自分が勤めていた工場を壊したと自慢する。話は次第に自慢話から進んでいき、魔物の戦いに興味はなく自分の王国を作ろうと思っていた矢先に、黒い魔物に戦いを挑まれ本を奪われてしまった、いつか仕返ししてやるという恨み事へと発展していくらしい。

 自供しているが、肝心の証拠がなく妄想による発言であることから信憑性は低い。

 

 どちらの事件も立証することは難しいだろう。

 しかし、優作は事件を立証することが目的ではない。彼らの共通点である『本』が何よりも目的だった。

 二人の話で出てくる『本』の存在。そして消えた、実行犯と思われる少年少女。どちらも捜索しているが、手掛かりは一向に掴めていない。まるで初めから存在していなかったかのように、情報が全くと言っていいほど集まらない。

 

「どうしてだろうね、有希子。私はこの話を『妄想』と片づけることが出来ないんだ」

「あなた……」

「ここに真実がある気がしてならない」

 警察側も女性の話を妄想と片づけた。当然の事だろう、いきなり犯人は魔物だったと言われても信じることは出来ない。

 だが、優作は何故か妄想とは思えなかった。細川の独り言の内容と照らし合わせていき、幾つか合致する点が多かったことも引っ掛かりの要素だった。

 ――もしも、もし女性の話が本当だったとすれば。

 ――この世界に、魔物と呼ばれる存在がいるとすれば。

 ――その魔物のパートナーに選ばれた人間が、本を持っているとすれば。

「新一が必死で隠そうとしている、真実が」

 

 ――最愛の息子もまた、魔物のパートナーに選ばれていることになる。

 

 スペイドと呼ばれた少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 新一がかつて演じた黒衣の騎士の恰好をした、同じ名前で呼ばれている少女。空港で出会った際はごくごく普通の女の子の恰好をしていたが、調べによると普段から黒衣の騎士の恰好をしているらしい。

 少女に関して分かっていることは少ない。どれだけ調べても、身元も何も出てこないのだ。分かっていることと言えば、姿を消した新一と共に行動しているということ。

 ――もしも、スペイドが魔物だったとすれば。

 浮かんでくる考えに、優作は無意識に奥歯を噛み締める。

 彼女を疑いたくはない。空港で僅かだが交わした言葉や視線からは、新一に害をなそうとする印象は受けなかった。むしろ溢れんばかりの愛情を感じ取ったからこそ、優作は新一の好きなようにさせた。

 だが、魔物だとすれば話は変わってくる。女性の言う通り魔物の戦いが行われているのなら一層のこと。

 死んだと思われていた最愛の息子が生きていたというのに、危険な戦いに巻き込まれるのを黙ってみていられるはずがない。

 資料を握る手に力がこもる。それを見た有希子がやれやれと言った感じで息を吐き、そっと優作の手に己の手を添えた。

「あなたがここで倒れたりしたら、それこそ本末転倒じゃないかしら?」

「倒れたりなど、」

「締め切りが迫っている訳じゃないのに、こーんなに濃い隈作っちゃって。それに、前カエルの幻覚見たのはどこのどちら様だったかしら?」

「あれは幻覚ではなかったような……」

 有希子の言葉にしどろもどろになりながらも、控えめに反論する。

 以前睡眠時間を削って調べ物をしている最中、ふと窓の外に大きなカエルがいるのを優作は見た。ただのカエルではない、子供位の大きさのカエル――何故か首に紙で出来た時計をかけ、頭には三つ葉のクローバーがあった――が家の塀に乗りじっと優作を見ていたのだ。

 それと目が合い暫く立ってから、カエルは「逃げるゲロ!」と叫んで逃げて行った。数分にも満たないそれはだがしっかりと優作の記憶に刻み込まれ、心配して様子を見に来た有希子に話し、問答無用でベッドの中に放り込まれることになった。

 子どもほどの大きさのカエルなど未確認生物に他ならない。有希子が幻覚と思うのは仕方ないが、それでも優作はそうは思えない。あまりにも現実離れしているそれらが、真実のように思えて仕方ないのだ。

 しかし、最愛の妻をこれ以上怒らすのはもっと怖い。

 仕方ないか、と優作は肩を竦めて資料を机の上に置いた。本音を言えばもう少し続けたかったが、有希子の言うことも尤もなこと。少しだけ休憩を挟むことにする。

「降参だ、少し休憩しようか」

「ええ、そうしなさい。今コーヒー淹れてくるから」

「ああ、有り難う」

 パッと有希子は顔を明るくさせた。思っていた以上に心配をかけていたことに申し訳なさを感じつつも、優作は椅子から立ち上がり窓へと向かう。

 部屋から出ていく有希子の背中を見送ってから、窓を開けて外の空気を取り込む。涼しい風が部屋の中へと舞い込み、優作は目を閉じて大きく深呼吸をしようとし――

 

「チャンスだゲロ! やっと一人になったゲロ!」

 

 ――突然襲ってきた衝撃に、意識を飛ばした。

 

 

 二人分のコーヒーカップをお盆にのせ戻ってきた有希子は、手が塞がっているからと中にいる優作に開けるよう頼む。しかし、返事はなく扉も開かない。仕方なく零さないよう気を付けながら扉を開けた有希子の目に飛び込んできたものは。

 外からの風で揺れるカーテン。空いている窓。机の上から風によって床に落とされた資料。

 そしているはずの最愛の夫の姿は――どこにもなかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 主に日本で活動している怪盗KID――正確には二代目怪盗KIDの正体である黒羽快斗は、最大のライバルである工藤新一の死が発表されて以来捜査一課に仕掛けている盗聴器から流れてくる話を聞きながら、ふむと唸った。

「工藤優作先生が行方不明、か……」

 死んだと思われていた新一が実は生きており、空港で再会を果たしてからも快斗は情報収集を怠ることは無かった。今現在警察は秘密裏に新一を取り巻く状況について調べている。怪盗の仕事で忙しい快斗は自身で調べる余裕が無い――新一について調べるのに熱中する余り怪盗業を怠っていたせいでもある――ので、彼らがこうして調べているのはとても有り難く、今日もご苦労様ですと茶目っ気たっぷりに心の中だけで労わりながら、遠慮なく盗み聞きをして情報を貰っていた。

 そんな中舞い込んできた、ある意味最悪とも言える情報。

 ――新一の父親である工藤優作が、行方不明になったらしい。

 優作は現在アドバイザーとして裏から警察の指揮を執っていた。彼の協力無くして新一の隠した真実は暴けなかっただろう。誰よりも新一の身を案じている彼に、快斗は幼い頃に失った父親を重ね合わせて新一のことを羨ましいとさえ思っていた。

 そんな彼が今、行方不明になっている。寝る間も惜しんで調べ物をする優作に妻である有希子が休息を取らそうと思い、珈琲を淹れに部屋を離れていたわずかな間で、優作が部屋から姿を消したらしい。

 優作が姿を消すのはそう珍しくない。何度も鬼ごっこと称して編集者から逃げ出し、有希子にも黙って消えることも度々ある。しかし、必ず彼はヒントを残していっていた。

 それが今回は全くない。そもそも優作が逃亡を図るのは小説の締め切りが迫っている時であり、今回は彼らの最愛の息子についての調べ物をしていたのだ。姿を消す必要性はどこにも見当たらない。

(報道されていないってことは、公表するつもりはねぇと……)

 盗聴器から聞こえてくる困惑の声や慌ただしく指示を飛ばす声を拾いながら、快斗はそうだろうなと一人納得する。

 工藤家は元から世間の注目を集めている一家である。未だ熱を帯びている名探偵ブームのきっかけとなった新一に引き続き、優作までも事件に巻き込まれた可能性があると世間が知ればどうなるか想像に容易い。

 混乱している場を一括する目暮警部の声が予想外に響き、快斗は慌てて耳からイヤホンを外した。机の上に置き、暫く待とうと椅子に背中を預け、ふと壁のポスターに目を向ける。

「……なぁ、親父。優作先生が行方不明だってよ」

 等身大のポスターに写っているのは、八年前、マジックショーで起きた事故で亡くなった父親の黒羽盗一である。実の父親の等身大ポスターを部屋に張っている男子高校生などそういないだろうが、快斗は自他ともに認める超がつくほどのファザコン。何より幼くして亡くなった最愛の父である、ポスターでもいいから見守っていてほしいと思ってもいいだろう。

 父親である盗一は、快斗が目指すマジシャンだった。十代の頃から世界中で活躍し、弱冠二十歳でFISMグランプリを獲得した東洋の魔術師と呼ばれ、世界中から注目を集めていた彼は、同時に世界的大泥棒・初代怪盗KIDでもあった。

 彼が怪盗を始めた訳は『昭和の女二十面相』とも謳われた女怪盗・怪盗淑女であり彼の妻である黒羽千影がきっかけなのだが、何時からか目的が変わり、『パンドラ』と呼ばれるビッグジュエルを探していた。パンドラには伝説があり、不老不死が得られると言い伝えられている。それを求める組織と争いになり、盗一はマジックショーの最中事故と見せかけて暗殺された――と快斗はとある事情が重なり合い、かつて父の付き人をしていた寺井黄之助から知らされた。

 だからこそ快斗は怪盗を引き継いだ。父親を殺した人物を探す為に、そして組織よりも先にパンドラを見つけ出し、破壊するために。

 そんな決意の元引き継いだ怪盗だが、実は盗一と優作は良きライバルとして度々対決していたらしい。さらに言うと、母親の千景は新一の母親である有希子の大ファンである。それを聞いた時、快斗は黒羽家と工藤家には切っても切れない縁があるのだなと本気で思った。試しにそれを当時江戸川コナンだった新一に言ってみると、実に嫌そうな顔をされたが。

「親父のライバルは行方不明で、オレのライバルは死人扱い……本当嫌な縁だぜ」

 こういう所は似てほしくなかったとぼやきながら、外していたイヤホンを再び取る。もうそろそろ警察側も落ち着きを取り戻している頃だろう。

 右耳にかけ、もう片方を左耳にかけようとし――派手な音を立てて開いた玄関の音に、快斗は飛び上がった。その衝撃に右のイヤホンが外れて落ちる。

 現在黒羽家には快斗一人しかいない。母親の千影はラスベガスに一人旅行しに行っているためだ。時折ふらりと連絡なしに帰って来るが、元怪盗淑女なだけありこうして派手に音を立てることはしない、寧ろ音を当てずに快斗を驚かそうとしてくる。

「快斗!」

「母さん!?」

 それにも関わらず、今回は何故か派手な音を立てながら千影は一気に階段を駆け上がり快斗の部屋に飛び込んできた。息切れしており、化粧をしていない。そればかりか快斗を見つけると目を潤ませ、飛びついて来た。

「良かった、無事でよかった……!」

 初代怪盗KIDの師なだけあり、快斗は逃げることも避けることも出来なかった。いきなり母親に抱きしめられ、困惑しながら身を捩り逃げようとする。

「離せって! 仕事なら順調だし、危険なこともねぇから!」

「怪盗のお仕事なんて今はどうでもいいの! ああ、良かった。貴方までいなくなっていたらどうしようかと……」

「……母さん?」

 尋常ではないその様子に、快斗は異変を感じ取った。だが千影は何も言わずしっかりと快斗がいることを確かめてから、真剣な様子で息子の肩を掴む。

「よく聞きなさい、快斗。しばらく怪盗の仕事は休んで頂戴」

「はあ!?」

「緊急事態なの。寺井さんに連絡しておいたから、私がいいって言うまで寺井さんの家で過ごしなさい。ここに帰って来ては駄目よ」

「ちょっ、ちょっと待てよ! なんでいきなり――」

「――お願い快斗、貴方まで失いたくないのよ!」

 突然の命令に声を荒げたが、母親の悲痛な叫びに息をのんだ。

 肩に置かれた手はフルフルと震えている。こんなにも取り乱した母親を見るのは、父親が死んだ時以来――あの時と似た悲しみと衝撃が、母親の身に降り注いでいることに気が付いた。

「母さん、何があったんだ?」

「……分からない、分からないの。何が起きているのか、何も分からないの……」

 顔を俯かせる母親を、今度は快斗が抱きしめる。

 怪盗業を休むのは本当は嫌だが、ここまで大切な母親に言われればしばらくの間休業するしかない。女手一つで育ててくれた大切な家族なのだ、悲しませることは出来る限り避けたい。

「分かった。暫く休業するし、寺井ちゃんの家に行く。でも、何があったのだけは教えてくれよ。そりゃあ母さんからすればまだ半人前だろうけど、オレは二代目怪盗KIDなんだ――手伝わせてくれたって、いいじゃん?」

 ポンポン、と母親の背中を撫でる。

 小さい頃、父親を突然失い情緒不安定になった快斗を、千影はよくこうして宥めてくれていた。母親の手はマジックこそ生み出さないが、快斗への溢れんばかりの愛情を生み出す。

 今度は快斗の番である。大丈夫、と囁きながら、今までもらった愛情を手に込める。

「絶対に、いなくならないって約束する。母さんを一人にしないからさ」

「ああ、快斗……ごめんなさい。不甲斐無い母親で、ごめんなさい……」

「オレをこんなにいい男に育てたのは母さんなんだぜ? もっと胸張ってくれよ」

 ケケケッと悪戯っぽく笑うも、千影の顔に笑みは浮かばない。

 想像以上のことが起きたのか、と幾つか予想をあげていると、ようやく千影は顔を上げた。

 そこには決意の色が浮かんでおり、目には力強さが宿っている。

「ここまで来たら、あの人の意思に沿うことは出来ないわ。何より、あの人の跡を継いでいる貴方を、これ以上苦しめることなんてできない」

「……えっ?」

「ごめんなさい、快斗。私は、いいえ、私達は貴方に大切なことを黙っていたの――とってもとっても、大切なことを」

 そっと、千影が快斗の手を握る。

 快斗は母親から目を反らせない。ガンガンと鳴り響く警鐘の音が、逆に思考能力を妨げている。

 千影の口がゆっくりと動く。口の動きに反し、声がスローモーションになって快斗の耳に届く。

 

「貴方の父親は、盗一さんは――生きているの」

 

 

 それは、今までの快斗の信念を一から覆すものだった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 目を開けるとそこは、牢獄だった。

 

「――ふむ、これは驚いたな……」

「それは一体、どっちの意味でだい?」

「そうだね。今この状況と、隣に君がいることにだな」

「同感だ、私もだよ」

 洞窟に鉄格子を嵌めてできた牢獄。同じように捕まっている人々が鉄格子から必死に助けを求めて叫んでいるのを、優作は壁に寄りかかりながら冷静に見渡していた。

 目が覚めたのはつい先ほどのこと。最愛の妻が淹れた珈琲を日本の自宅の部屋で待っていたはずなのに、全く異なる場所にいることに最初こそ混乱したが、それ以上にパニックに陥っている人々を見て逆に冷静になることが出来たのだ。

 己の体を見渡せば、怪我は負っていない。部屋にいた時のままである。

 ふむ、と顎に手を当てて思案する。ポンッと脳裏に浮かんだのは、いつぞや見た子供位の大きさのあるカエルの姿。

「――やっぱりあのカエル、かな?」

「なんだ、お前も見たのか?」

「そういうお前もか?」

 ポツリと出た心の声に、隣にいた男が反応した。意外そうに見れば、やれやれと言わんばかりに肩を落とされる。

「最愛の妻とデートをしている時に、子ども位の大きさのカエルに『この本を読めるゲロ?』と話しかけられてね。気付けばここにいたんだ」

「ほぉ……私は最愛の妻が淹れた珈琲を待っている間に外の空気でも吸おうと窓を開けたら、ここにいたんだ」

「カエルは?」

「以前外から覗いているのを見かけたくらいなんだが……そういえば気を失う前、カエルが喋っているのを聞いた気がする」

「語尾にゲロがついていたら、私が話しかけられたのと同じかもしれないな」

「そうだな。子ども位の大きさで喋るカエルが世の中に沢山いなければの話だが」

 軽口を叩き合っていると、鉄格子に群がっている人々の中から一際甲高い泣き声が上がった。見れば制服を着た日本人の少女が泣きながら鉄格子を拳で叩いている。

「――ここはお前の出番じゃないのか?」

「そうしたいのは山々なんだが、残念ながら手持ちがないんだ。あるのはこれくらいだ」

 ポンッと、男の手から軽い音と同時に一輪の白いバラが現れる。

 優作は暫くそれを眺めた後、馬鹿を見る目を男に向けた。

「それで充分だろ。なんでここで披露するんだ」

「久しぶりに会った好敵手かつ親友への挨拶さ。我が兄の墓に添えてくれると尚嬉しい」

「……人の息子を勝手に殺すな」

「……驚いた。まさか生きているのかい?」

 ここに来て初めて、男のポーカーフェイスが崩れ落ちた。純粋に驚いているそれに、優作は機嫌を良くする。

「ああ、勿論だ。新一は生きているよ――お前と同じようにな、盗一」

 男――盗一は一瞬口を噤み、ゆっくりを息を吐いた。そうかと呟いたので顔を見れば、安堵の表情が浮かんでいる。

「生きて、いたのか……ははっ、流石は我が兄。怪盗KIDの名付け親である貴方の息子なだけある」

 どうやら彼もまた、息子のことを心配していたらしい。嬉しそうなその様子に、優作もふっと表情を緩めた。

 しかし、ふと重大なことを思い出し顔を引き締める。先程盗一はこう言った――カエルに『本』を読めるかどうか聞かれた、と。

「おい、盗一。お前、カエルにどんな本を見せられたんだ?」

 優作の真剣な声色に、盗一は表情を引き締めた。一度周囲に目を向けてから、声を落として答える。

「見たこともない文字が書かれた本だ。少々縁があって似たような本を持っている人を知っていてね、見て驚いたよ」

「似たような?」

「私と長年かくれんぼをしている人たちさ。そのリーダーがこの本を持っていてね……何か知っているのか?」

 声を落とした理由はそれだったらしい。殆どが鉄格子から叫んでおり、その音量で声が掻き消され隣にしか届いていないとは言え、警戒するに越したことは無い。

 今ここにいるのは理由もなく集められた、拉致された人たちばかり。少しでも状況を判断できる情報を持っていると知れば、途端集まってくるだろう。パニックに陥っている彼らが我を忘れて何かしてくる可能性もある。落ち着くまで待っているのが賢明な判断と言えよう。

 優作も声を落とし、周囲を警戒しながら重たい口を開く。

「詳しくはまだ分かっていないが、新一も似たような本を持っている」

「……我が兄は忙しい人だな」

 悟ったらしい盗一は苦笑を浮かべた。その反応から、彼もまた何らかの情報を得ていると優作は気付く。

 丁度いいとお互い持っている情報を交換し合おうと思い口を開こうとし――ゾワリと身を襲った悪寒に体を震わせた。

 反射的に前を向く。同じタイミングで盗一も前を向いた。

 叫んでいた人々もいつの間にか口を閉ざしている――否、閉ざしているのではない、身を襲う恐怖に声が出なくなっていた。

 

「フフフ、ようやく集まりましたか……。よくやりましたね、ビョンコ」

「はいゲロ、マイロード」

 

 子どものような声が二つ響いてくる。うち一つは聞き覚えのある、カエルの声だ。

「ラスボスのお出まし、といった所かな?」

「ああ、そうみたいだな」

 かシャン、と鉄格子にかけられていた施錠が開けられる。しかし、誰も出ようとはしない。否、出ることが出来ない。この場を支配する不思議な存在が醸し出す雰囲気で体が言うことを聞かないために。

 一人、後ろに後退る。それにつられるように一人、また一人とどんどん後ろへと下がってくる。

 人の壁が無くなったことで見えた鉄格子の向かいにいる存在に、優作と盗一は息をのんだ。

 それは、小さな子どものように見えた。兜のような大きな帽子を被り、ローブで体を覆っている。その後ろには優作が見たカエルがおり、従者のように付き従っている。

 また信じられないことに、その子どもは宙を浮いていた。地面から数センチ離れたところを滑るように移動し、ふわりと鉄格子のすぐ前で止まる。

「初めまして、人間達よ」

 演説をしているかのような滑らかな声が響き渡る。しかし、その兜に似た帽子の間から覗く目は友好的なものからかけ離れていた。

「私の名前は、ロード」

 カツン、と音が響いた。意識をそちらに向ければ、いつの間にか新一と同い年くらいの少女がロードと名乗った子どもの隣に立っていた。少女も顔の上半分を隠す仮面を被っているが、見えている口は楽しそうに弧を描いている。

 それ以上に優作の目を引いたのは、少女が手に持つ物だった。少女もまた、本を持っていた。新一の持つ本と似ているが色違いの、濃い赤紫色の本を。

「ここに貴方がたを集めたのは、私の部下であるビョンコ」

 ごくりと喉を鳴らす。急激に感じる喉の渇きを必死に堪え、汗ばむ手を握り締める。

「大人しくしていれば、ここから出してあげましょう。しかし、そうしなかった場合、身の安全の保障は出来ませんよ?」

 フフフと少年が笑う。隣にいる少女も可笑しそうに笑っている。

 ああ、と優作は気付いてしまった。今己が置かれている状況に。

 逆らうことは許されない。この場を支配している少年から、逃れることは出来ない。

『私は新一と支え合いながら戦うことを決めた。故に私にできる約束は、ただ一つ――共に戦いながらも、新一を守れるよう強くなる、と』

 不意に、新一の命の恩人であり相棒だという少女の声が脳裏を過った。何故今この瞬間思い出したのかは分からない。だが優作は、妻でも息子でもなく、少女へと心の中で呼びかける。

(スペイド君、どうかあの約束を――新一を守ってくれ)

 ニヤリと少年の口が大きく弧を描く。

 迫りくるその危機に、優作は祈るように目を閉じた。




大変お待たせしました。
石板編突入のプロローグです。
次回から新一たちの話になります。

活動報告でのアンケートご協力くださり、有り難うございます。参考にさせていただきます。今月いっぱいまで募集しておりますので、ご協力してくださると嬉しいです。

追記(12/2)
・アンケート締め切りました。ご協力ありがとうございました。

・盗一の新一に対する「我が兄」との呼び方について。
原作55巻(アニメでは『工藤新一少年の冒険』)で、実際に盗一が新一に向けて「兄弟」「君の弟」と呼びかけていることから、使わさせていただきました。


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Level.11 怒りの感情

 某国。山の麓にあるその村は、登山客以外滅多に人が訪れることのない静かな場所である。村人はよそ者に対して疎外的でなく寧ろ友好的であるのだが、村を荒らしたくないという思いから積極的に売り出すことはせず、登山客もその気持ちを汲んで表立って紹介することはないため、知る人ぞ知る穴場として登山客の間で広まっている。

 

「博士、ここに彼女たちはいるの?」

「ああ、そうだよキッド。彼女たちは今この山で修行をしているんだ」

 

 ――その村に、一風変わった者達がやって来ていた。

 「?」マークが付いた黒いシルクハットを被り、黒いスーツで身を包んでいる、モノクルをかけた長身の老人。その肩にはおもちゃの人形が乗っている。

「彼女たちは、仲間になってくれるかな?」

「どうだろうねぇ。でも、期待は出来るかもしれないよ?」

「本当!?」

 キッドと呼ばれた人形の口がカクカクと動き、甲高い子どもの声が響く。一見すると腹話術。しかし、見る人が見れば分かるだろう――その人形が、人形ではない別の生き物であることに。

「ああ、本当さ。なぜなら彼女たちは――」

 老人は柔和な笑みを浮かべ、山を見上げる。

「――ガッシュ君と清麿君の、仲間だからね」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――喜び」

 スペイドの静かな声に反応するかのように、新一の持つ蒼色の本が光り輝いた。

 何も知らない人から見れば手品をしているか、本を玩具だと思うだろう。事情を知っている者が見れば、その本の輝きに警戒するに違いない。

 だが、今二人がいる場所は泊まっている宿の部屋。昼間ということもあり、多少光っていても目立つことも無い。

「――哀しみ」

 光の輝きが一段と増す。ベッドに座っている新一は目を閉じている為この輝きを見ていない。そのことにスペイドは安堵を覚えた――今も尚彼の中で哀しみが根強く残っていることを知る者は、己だけでいい。

「――怒り」

 輝きが一瞬にして小さくなった。ピクリと新一の眉が動いたので、彼の中で何かが働いたのかもしれない。

「――楽しみ」

 炎が立ちのぼっているかのように、輝きが強くなる。それと同時に、スペイドは部屋の窓へと視線を滑らした。目を細めること数秒、何事もなかったかのように新一へと戻す。

「――静めて」

 スペイドの言葉に、光が一瞬揺れ動く。そのまま光は消えていき、ゆっくりと新一の目が開けられた。隠されていた蒼色の目がスペイドを捉え、優しい弧を描く。

「最後、やっぱり失敗になるか?」

 ――今日も相棒は実に可愛らしい。

 困ったように首を傾げる新一に、スペイドは内心親指を立て賞賛しながら口を開く。

「最初からやり直し」

「だよなー」

 

 

 

 望みをかなえるべく旅を続けている二人は、毎日のように修行に励んでいる。その内容は様々であり、個別で行うものもあれば、二人で行うものも。

 本日は、新一の心の力をよりコントロールするための特訓だった。

 

「よし、合格だ」

 失敗を繰り返すこと数回。漸くスペイドから合格を貰うことが出来た新一はホッと息を吐いた。

 今している特訓は、感情をコントロールするものである。喜怒哀楽様々な感情をそれぞれで分けて、心の力に変えるというこの作業。つまる所自分自身と向き合うことになるので、精神的にも肉体的にも疲れが溜まりやすい。

 だがこれを行うようになってから、格段と心の力の容量が増えてきており、コントロールもしやすくなった。今後一段と厳しくなると予想される戦いを勝ち抜くためにも、きついからと止めるわけにはいかない。

「スペイド、水」

 とは言いつつも、疲れることには変わりない。相棒に飲み物を要求しつつベッドに横たわると、苦笑を浮かべながらスペイドがコップを差し出してきた。中には希望通りの水が入っている。

「反省会は後がいいか?」

「今でいい。飲みながら聞く」

 横たわったばかりだが、起き上がり水を飲む。適度に冷えているそれで喉を潤し、新一は満足そうにした。ここの宿の水は実に美味しい。山からの水を直接引いているらしく、登山客にも人気だそうだ。

「新一は、『怒り』をコントロールするのが少し苦手みたいだな。感情を一気に鎮めることよりも、難しそうだった」

「ああ、やっぱりスペイドもそう思うか」

 スペイドが座れるよう横にずれながら、新一は本に目を落とす。

 先程の感情のコントロール、一見問題なさそうに思えるが、実際は『怒り』の感情をコントロールするのに新一は苦労していた。強めることは問題なく出来るのだが、それを抑えることが難しいのだ。

「私達は怒りで我を忘れやすいからな……」

「こればっかりはなぁ……」

 新一もスペイドも冷静沈着でいるように見えるが、沸点を超えれば暴走してしまう。

 新一は幼馴染に関することで冷静さを失って暴走したことが過去度々あった。裏を返せば幼馴染が関係していなければ怒りを覚えながらも冷静さは失わないのだが、今現在新一の沸点の基準は彼女にない。

 スペイド、清麿、そして両親。この四人に何かあれば、新一は我を忘れて怒り狂うだろう。

 一方のスペイドも新一と似た沸点の持ち主である。彼女にとって大切なのは、新一とガッシュの二人。

 我を忘れるということは、戦いにおいて非常に不利益を招くことになる。心の力のコントロールもそうだが、根本的な部分からの課題でもあろう。

 だからと言って、そう簡単に変えられるものではない。

 新一は深く息を吐き、パンと両頬を両手で叩いた。

「何時までもくよくよ考えていても仕方ない。スペイド、山に行って術のコントロールの練習しようぜ」

「……そうだな。今はお互い気を付け合おう」

 勢いよく立ち上がる新一に苦笑しながら、スペイドも立ち上がる。

 放置するわけではないが、他にも課題は山のようにある。時間のかかる感情のコントロールは、日常の中でつけていけばいいだろう。

 野宿になってもいいよう予め準備しておいた登山バックを背負い部屋を出ようとし――新一とスペイドは動きを止めた。

 二人目を合わせ、新一が扉を指差し、スペイドが首を横に振る。

 新一は顎に手を当て思案し、スペイドは被っていた兜を脱いだ。以前よりも少しだけ伸びた髪がはらりと肩に落ちる。その感触が擽ったかったのか、ふるふると顔を左右に振った後兜をベッドに置いた。

 コクリと、顔を見合わせて頷き合う。新一は本を開いて弱めに心の力を込め、スペイドも鞘から剣を抜き、扉に向けて構える。

「スペイド、第一の術だ!」

「分かった」

 わざと声を上げると、扉の向こうから悲鳴が響いた。それを聞こえなかったふりをして、新一は呪文を唱える。

「第一の術、アル――」

「――ちょっと待った、私達は敵じゃない!」

 最後まで唱える前に、バンと扉が勢いよく開いた。

 その向こうには、一人の老人と人形そっくりな魔物がいた。

「警戒するのは分かるが、まずは話し合おうじゃないか。ねっ?」

 戦闘態勢に入っている新一達を手で制しながら、老人が人懐っこい笑みを向けるが、その顔には冷や汗が流れているため台無しになっている。

 老人の方に乗っている魔物はガタガタと震えていた。スペイドが怖いのか、彼女の睨みに小さな悲鳴をあげる。

(戦う意思はやっぱりないのか……)

 二人の様子に、新一は本を閉じた。

 彼らに気付いたのは、扉を開ける前。殺気を感じなかった為、気付くのに遅れてしまった。スペイドは前から気付いていたらしく、敵かと無言で問いかける新一に否と答えた。念のためにと本当に戦う意思がないのか確認するべく一芝居打ったが、彼女の言う通り敵ではなさそうである。

「スペイド、この人たちの話を聞こう」

「新一がそれを望むなら」

 一つ頷いてから、スペイドは剣を鞘に戻した。だが兜は被らず、何時でも抜けるよう手をかけたままにしている。

 こちらに、と新一は老人たちを中に招き入れる。

「有り難う、まさか気付かれていたとはね。特にそこの魔物の方は、随分前から私達の存在に気付いていたようだが?」

「……気付かれたくなければ、その気配を消せ。駄々漏れだ」

「魔物の気配か。ふむ、どうやら君は想像以上に感じ取ることが出来るらしい」

 中に入ってきた老人に椅子を勧めてから、新一はベッドに腰掛けた。スペイドはベッドの脇に立ち座ろうとしない。警戒しているのだろう。

 ピョンと人形そっくりな魔物が老人の膝に飛び移った。老人はそれを優しい眼差しで見つめた後、視線を新一に戻す。

「初めまして。私の名前はナゾナゾ博士。何でも知ってる不思議な博士さ」

「僕はキッド。よろしくね」

 ――ふざけているとしか思えない名前と、聞き覚えのある名前に新一は真顔になった。ここにツッコミをいれたら負けかもしれないと妙な対抗心を抱き、キュッと口を結ぶ。

 スペイドを横目で見れば、彼女は至って普通にしていた。魔物と人間の感覚の違いなのだろうか。彼女のツッコミは期待できそうにない。

「オレは新一、こっちは――……」

「ああ、その必要はないよ。私は君たちのことを知っているからね」

 何とか出そうになるツッコミを押さえて自己紹介をする。だがそれはナゾナゾ博士によって遮られる。

 ニヤリと、ナゾナゾ博士が笑う。人を小馬鹿にしたそれに、スペイドが剣を鞘ごと構える。

「言っただろう、私はなんでも知ってると。そう、君があの世界的有名で死んだはずの名探偵、工藤新一君であることも。そのパートナー、魔界で『黒衣の騎士』と呼ばれ恐れられた王宮騎士、スペイド君のこと、もぉおおお!?」

「博士ぇえええ!?」

 言い終わる前に、ナゾナゾ博士に向けてスペイドの鞘に入ったままの剣が振り下ろされた。抜かなかっただけ、怒りをコントロールしていると言えよう。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 小一時間ほど、どうやって新一達のことを知ったのか主にスペイドによる取り調べが行われたが、ナゾナゾ博士は「ハハハハ、それは私がナゾナゾ博士だからだよ」の一点張り、キッドに至っては「ナゾナゾ博士はなんでも知ってるんだから!」と言い張るだけで肝心なことは口を割らなかった。

 どこからどう見ても怪しいグレー色の本の持ち主とその魔物。

 だが新一達は、彼らを信じることにした。

 

「……本当に仲間なんだな?」

『ああ、ふざけている様にしか見えないけど、ナゾナゾ博士達は俺達の仲間だ』

 

 ――彼らが最も信頼している清麿とガッシュの仲間であったために。

 

 

 

『にしても、まさか博士が新一達の所に行っていたとはな……。確かにお前たちなら心強いよ』

 電話の向こうで笑う清麿の声に、新一は申し訳なさを感じた。

 ナゾナゾ博士達が清麿達の仲間であると知ったのは、痺れを切らしたスペイドが彼らの本を燃やそうとし、慌てて彼らがそのことを伝えてきたからである。それでも信じることが出来なかった新一が、時差で日本が夜でないことを確認してからナゾナゾ博士の携帯電話を貸してもらい、真偽を問いかけたのだ。

 結果、本当にナゾナゾ博士達は清麿たちの仲間だった。しかも、清麿たちをより強くしてくれた存在であり、今彼らが抱える問題を解決するために色々と動いているらしい。

「わりぃ、清麿……」

『えっ、なんで謝るんだ?』

 そんな必要不可欠な存在であるとは知らないとは言え、盛大に疑い取り調べを行い、挙句本まで燃やそうとしたことを新一は謝罪した。詳細は怒られたくないのであえて伝えない、清麿の鬼のような表情は恐ろしい。

「しかし、さっきの話は本当なんだな?」

『ああ。実際俺達も襲われたばかりだ』

「……そうか。本当に、存在するんだな」

 誤解していたことを詫びるスペイドに目を向ける。

 

 ナゾナゾ博士が新一達に会いに来た理由。それは、共に戦う仲間を探すためだった。

 この戦いは今、一つの節目を迎えようとしている。数が減ったことではない。王を目指す者達の中から、卑劣な手段を取る者が現れたのだ。

 正直新一はそのことに対して驚きはしなかった。真っ当な魔物だけが百人の候補者に選ばれている訳でないことは、身を以って知っている。何時の日か必ず、王になるために手段を選ばない者達が現れることを覚悟していた。

 驚いたのは、その方法。幾つか予想していた新一の思考を突破した、ある意味最低最悪な手段。

 

「石板に封じ込められていた千年前の魔物達。それを復活させ操る、現在の魔物が」

 

 ――前回の千年前の魔界の王を決める戦いにおいて、最も多くの勝利をおさめた魔物、「石のゴーレン」。彼の呪文は、「戦った相手を生きたまま石に変える」力。

 彼に敗北した魔物達は石版として人間界に残ることになった。本を燃やされることなくも、魔界に帰ることもなく、千年という長い月日を石板に閉じ込められていた。その数は四十近くにも上る。

 その者達を復活させた魔物がいる。その名は「ロード」。

 彼は復活させた千年前の魔物達を従え、現在の戦いの参加者たちに牙を向けた。現在の魔物達よりも体が丈夫で強い千年前の魔物達を利用して戦わせ、王になろうとしているのだ。

 千年前の魔物達はその封印を解いたロードにつき従い、千年もの間蓄積された怒りを現在の魔物達にぶつけるために積極的に戦っている。

 清麿たちもまた、ロードの手下となった現在の魔物――パティという少女らしいが、清麿はあまり語ろうとしなかった――が連れてきた千年前の魔物三体に襲われた。内二体の本を燃やすことは出来たが、パティと残る一体は控えていた空を飛ぶことが出来る魔物――恐らくこちらも千年前の魔物であろう――に飛び乗り、逃げて行ったとのこと。

 

 一通り話を聞き終えた新一は、何故か妙な違和感に襲われた。

 バクバクと心臓が不自然に鳴る。得体の知れない何かにじっくりと舐める様に見られている感覚に、ぶるりと体を震わせた。

 それを振り切るように一度頭を振った後、「しかし」と抱いた疑問を口に出す。

「千年前の魔物のパートナーはこの世にいないはずだ。どうして術を使うことが出来たんだ?」

『そいつも、ロードの仕業だ』

 清麿の声がヒヤリとする程低くなった。声からも分かるその怒りに、ヒュッと息をのむ。

「清麿? それは一体……」

『ロードは、心を操ることが出来る魔物なんだ。かつての本の持ち主達の子孫を集めて、心の歯車を無理やり合わせた』

 なる程、と内心唸った。魔物につき本の持ち主は一人と決まっている。だが、その血筋の者なら似た歯車を持っている可能性が高い。

(――……スペイドの先祖だっていう魔物の本の持ち主も、オレの先祖だったのかな)

 不意に浮かんだ考えに、再び心臓が不自然に鳴った。捻じ曲がったのではないかと思う位痛みが走り、空いている方の手で胸を押さえる。

 その姿が見えていない清麿は、新一の異変に気付くことなく声を荒げていく。

『それだけじゃない。ロードは人の心を操って、無理やり戦わせている』

「無理やり? まさか、戦うこと以外の感情を無くさせたのか!?」

『ああ、そうだ。あいつらは人を、戦闘マシーンに変えやがったんだ!』

 ダン、と電話の向こうから何かを殴る音が響いて来た。壁か、机か、どちらにしろ今清麿の中で激しい怒りの感情が渦巻いていることは確かだ。

『俺達は絶対に、許さない。操られている人達を助け出して、ロードを倒す!』

 だが、そこにあるのは怒りだけではない。怒りすらも力に変える何かがある。

 それは恐らく、優しさだろう。操られている人たちのことを想うその気持ちが、怒りに囚われさせず冷静さをもたらしている。

(相変わらず強いな、清麿は……)

 他人の為に怒りを覚える年下の友に、ゆっくりと胸の痛みが引いていく。

 ナゾナゾ博士達から説明を受けたのだろう、スペイドがこちらに目を向けてきた。そこに浮かぶ力強い意志に、新一も覚悟を決める。

「分かった、すぐにお前たちの元に行く」

『いいのか? 相手は……』

「それ以上くだらねぇこと言ったら本気で蹴るからな、バーロー」

『……有り難う、新一』

 遮った言葉に、清麿の声は震えた。礼を言われたことにほんの少し照れ臭さを感じ、慌ててナゾナゾ博士に携帯電話を返す。

「ナゾナゾ博士、スペイドと話をしたいから代わってくれ」

「ははっ、そういうことにしておこう」

「……あんたを蹴るぞ」

 微笑ましそうな笑みを向けられ、新一は反射的に右足が出そうになった。

 しかしここで反応すれば余計にからかわれることは目に見えているので、必死に抑えながらスペイドを手招きして傍に来させる。

「スペイド、少しいいか?」

「……ああ」

 素直に隣に来たスペイドに、新一は訝しそうにした。兜を被っていない為見て取れる彼女の表情は優れない。何か言いたげな様子で新一のことをうかがっている。

「どうした、ナゾナゾ博士から何か言われたのか?」

「……いや、そういう訳では、ないのだが……」

 歯切れが悪い。ストレートな物言いをする彼女らしくない。

 不思議に思い追及しようとしたが、それよりも早く彼女が兜を被り拒否を示した。今は話したくないという意思表示に肩を竦め、望み通りこちらの話をする。

「千年前の魔物達は、今の王候補の魔物達を襲っているみたいだ。オレ達の所にも何時来るか分からないから、今まで以上に警戒していてほしい」

「分かった。今私が感じ取れる範囲内に魔物はいないが、少しでも感じれば直ぐに伝えよう」

「頼む、オレもいつでも戦えるよう準備しておく」

「……これからどうするつもりだ? 日本に一度戻るか?」

「いや、そこはまだ考えている」

 スペイドの質問に、今度は新一が言葉に詰まった。

 出来ることならまだ日本には戻りたくない。出来ることなら直接ロード達がいる場所に向かいたいが、清麿たちがまだ出発しないのであれば、日本に戻り合流した方がいいだろう。

 顎に手を当てて思案していると、清麿との電話を終えたナゾナゾ博士が「それについてだが」と話しかけてきた。

「一度、君達には日本に戻ってもらいたいんだ」

「……なぜ?」

「これは、清麿君にはまだ話していないことなんだけどね」

 ナゾナゾ博士はすっと目を伏せた。話すのを躊躇っている素振りに、新一の直感が働く。

「警察関係、ですか?」

「今、世界中で行方不明事件が起きている。その殆どが、ロードに連れ去られた人たちだ。幸いなことに魔物の仕業であることはまだ知られていないが……FBIと日本警察の一部が、勘づいて動きを見せている」

「あの人たちか……っ!」

 チッと荒々しく舌打ちをする。

 やはり空港でのやり取りの際に抱いた疑問は確かなものだった。恐らくまだ『魔物』には辿り着いていないだろうが、『本を持っている人間』が関与していることには気づいているだろう。

(このままじゃ確かに不味い。もしスペイドやガッシュが、ロードの仲間だと思われたりしたら……っ!)

 何も事情を知らなければ、色違いの本を持っているという共通点で『仲間』と考えても可笑しくない。人間界に残っている魔物達すべてが行方不明事件に関与していると思い込み、魔物狩りを始める可能性もある。

 彼らを説明もなしに説得するのは、恐らく不可能。世界各地で行方不明者が出ているとすれば、日本やアメリカでもロードの被害者が出ていると考えられる。信念と誇りを胸に抱き役目を全うする彼らは、被害者を助け出すまで諦めることは無いだろう。情報を持っている新一達のことも、約束を破り探しているかもしれない。

 また、清麿達のことも心配である。彼らは日本から出ていないので事件に直接関与していないと判断されるかもしれないが、今彼らはロードの元に行く準備をしている。それを『仲間の元に行く』と判断された場合、どういった手段を取って来るか分からない。

 今の状況を言い表す言葉は、一つ。

「最悪だ……っ」

 唸るような声に、ナゾナゾ博士も深く頷き同意した。対するスペイドとキッドは不思議そうにしている。彼女たちは魔物なので分からないのも仕方ない。

 くしゃりと前髪をかき上げ、新一はナゾナゾ博士が己に何を求めているのか考えた。幾つか予想を立てながら、慎重に言葉を選ぶ。

「悪いが、あの人たちを説明なしに説得するのは今のオレでは無理だ。無理矢理着いてくる光景しか思い浮かばない」

「ああ、私もそう思う。だが、放っておくわけにはいかないだろう」

「……王を決める戦いについて、説明しろと?」

「本当なら避けたいところなんだが……」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるナゾナゾ博士に、新一も似たような表情を浮かべる。

 推測の域は出ないが、恐らく『魔物』に関して情報を掴んでいるのはあの空港にいた面子、そして清麿たちを追いかけていた者達だけ。彼らは黒の組織戦の際、新一が最も信頼していた人たちで構成されたグループでもある。確たる証拠もないままに上層部に報告しているとは思えない、同じように周囲に言いふらしていることもない。

 彼らなら、新一の言葉に耳を傾けるはずだ。今は仲間とも敵とも言えない微妙な関係にあるが、『名探偵』の話す内容を無下に扱ったりしないだろう。

(やるしか、ないのか……)

 ズキリと痛む胸に、唇を噛み締める。

 まだ彼らを会おうと思えるほど心の整理はついていない。それでも新一が動かなければ、日本警察とFBIは独自に動くことは目に見えている。

(ロードにとって警察組織は目障りなはずだ。もし動きに気付けば、千年前の魔物達を向ける可能性だってある)

 考えれば考えるほど不利な状況に頭を抱えたくなる。

 深く息を吐きたいのを堪えて、新一は振り切るように頭を振った。

「日本警察とFBIにはオレが説明する」

 自分自身の感情ではなく戦いを優先すれば、ナゾナゾ博士はきつく目を閉じた。

「こんなことを頼むべきではないと分かってはいた。けれど、頼めるのが君しかいなかったんだ……どうか、許してほしい」

「別に、謝ってもらうことじゃねぇよ。これがオレに出来ることなら、喜んでやるさ」

 スペイドに目を向ければ、兜越しに穏やかな目を向けられた。手を握り締められたので、緩やかに握り返す。

「それに、オレにはスペイドがいる」

「新一のことは、必ず私が守り抜こう」

 深い絆で結ばれている二人に、ナゾナゾ博士は顔をあげて眩しそうにした。

 流れ出すほのぼのとした穏やかな空気。しかしそれは、ナゾナゾ博士のパートナーたるキッドによって崩される。

「博士、新一にあのこと言わなくていいの?」

「これ、キッド!」

 無邪気な声に、ナゾナゾ博士は慌て出し、新一とスペイドは怪訝な表情を浮かべた。

 難しい話には着いて来られないらしく今まで黙っていたキッドは、ようやく自分の出番が来たと言わんばかりに妙に張り切っている。

「これも大事なことなんでしょ? 隠してたって、千年前の魔物と戦えばすぐにバレちゃうよ。新一だってきっとすぐに知りたいはずさ!」

 ドクン、と心臓が大きく鳴る。キッドの声が妙に遠く聞こえる。それを抑えようとするナゾナゾ博士の声も、隣で何か言っているスペイドの声も、上手く耳に入ってこない。

「あのね、新一」

 止めろ、と口から制止の声が出そうになる。それよりも早く、無邪気な声が真実を伝える。

 

「新一のお父さんも、ロードに攫われたかもしれないんだ」

 

 ――あまりにも残酷すぎる、真実を。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――目障りですねぇ、警察という組織は」

 

 南アメリカ、デボロ遺跡。

 その最上階にある城で、とある人間達が嗅ぎ回っていることを報告されたロードはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 先日、日本にいるガッシュを倒しに向かわせたパティ一行がまさかの返り討ちにあったのは苛立たしい記憶として残っている。蘇らせた魔物達の中では弱いとはいえ、現在の魔物達よりははるかに強い者達が二体も格下相手に本を燃やされたのだ。更に、憎き敵ブラゴを倒すよう仕向けたビョンコ一行も、千年前の魔物達三体すべてが倒されている。

 それだけでも腹立たしいというのに、今度は弱い人間達ときた。

 この情報が手に入ったのは本当に偶然である。本を燃やされたことでロードの洗脳が解けた人間達の様子を、念のためにビョンコに見てくるよう命じたことがきっかけだ。

 手駒の心配をしたわけではない。洗脳が解ければ自動的にロードに関わる記憶全てを失うようになっているので、彼らから情報が流出する恐れはない。心配しているのは、彼らが『ある物』を隠し持っていないかという点である。

 幸いなことに、倒された魔物達のパートナーはそれを持っていなかった。

 かつての手駒達は警察に保護されていた。その時にビョンコは知ってしまったのだ、警察組織の一部の人間が、このことについて色々と嗅ぎ回っていることに。

「放っておいてもいいですが、嗅ぎ付けられると面倒ですし……」

 パチンと指を鳴らすと、近くに控えていたビョンコが姿を現した。

 ロードは笑みを浮かべ、ビョンコに命令する。

「嗅ぎ回っている人間達を潰してきなさい」

「はいゲロ!」

 ――ロードにとって人間は、弱く浅ましい存在である。どれだけ束で来ようとも、魔物に敵うはずがない。それでも、チョロチョロと視界に入られれば目障りである。今のうちに潰しておいても損はない。

「ではロード様。連れて行く者達は、クローバーとスペイドで宜しいゲロ?」

「……いや、スペイドはまだここに。代わりにエルジョを連れて行きなさい」

「分かりましたゲロ!」

 とは言いつつも、ロードはすぐにこのことを忘れるだろう。何時までも覚えておく価値のないことなのだから。

 ピョンと飛び跳ねていくビョンコを目で追うことなく、ロードはニッと口角をあげる。

「――スペイドにはスペイドを向かわせた方が、面白いですからねぇ」

 クツクツと響く笑い声。それは誰にも聞かれることなく消えて行った。




魔物相手じゃないので二体だけ。
次回は親子の再会です。

今回の時間軸は、原作でいうとナゾナゾ博士から手紙を受け取った後です。
直ぐには出発せず、それぞれの用事(恵は仕事を出来るだけ詰めて終わらせ、清麿は遺跡について詳しく調べたりなどその他諸々)を終わらせてから清麿たち出発。
その間の出来事でした。


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Level.12 出ない言葉

 グチャグチャになった思考は綺麗にまとまることなく、混然としたまま快斗を占めている。

 IQ400というバカみたいなあり得ない数字を叩きだしたこともある優秀すぎる脳も上手く機能しない。どこかでストッパーがかけられてしまっているのかもしれない。

 思っていることを口に出そうとしても、出てくるのは息ばかり。喉の奥から出てこようとしない音に苛立ち、何時まで経っても結論が出ない頭を掻き毟る。

「ちっくしょー……」

 自室のベッドで膝を抱えて蹲り、唸り声をあげる。これは出てくるのだから余計に苛立ちが増す。

 最愛の父親が生きていると知らされて以来、快斗はまとまらない感情に苛まされていた。

 

 父親が生きているのは嬉しい。これは本当の事であり、大部分を占めている。

 だが、今すぐに会いたいかと言われれば、答えは否。

 ――何故、という感情がどうしても消えないのだ。

 

 盗一はあの日、敵である組織がショーの中で事故に見せかけて自身を殺そうとしていることを前以て知っていたらしい。

 避けることも可能だが、ここで生き延びてしまえば家族にまで手が伸びる可能性もある。それならばいっそのこと、『黒羽盗一』が死んだことにしてしまえば。

 自身の未来、大切な家族を天秤にかけた父親は、迷うことなく自身の死を偽装した。そうして一人国外へと向かい、追手の目を掻い潜りながらパンドラと組織の情報を集めていた。

 母親の千影もその計画を知っていた。快斗が高校生になってから海外旅行で家を空けることが多かったのは、盗一の元に行っていたからだと聞かされた。初めから快斗が高校に上がるのを待つという約束だったらしい。

 快斗が跡を継ぐのも予想の範囲内。寧ろそうなるように、寺井も巻き込んで仕向けていた――そう、寺井もまた、盗一が生きているのを知っていたのだ。

 

(オレだけ、仲間外れとか……意味わかんねぇよ……)

 

 己一人だけが知らなかったことに、快斗は強いショックを覚えた。

 どうして教えてくれなかったのかと、千影と寺井に怒鳴り散らしたかった。そうしなかったのは、生きていた父親の盗一が行方不明になったという非常事態に陥っていたからである。憔悴する母親や協力者を、これ以上追い詰めることは出来なかった。

 しかし快斗の中からドロリとした黒く暗い感情が消えたわけではない。寺井にも連絡をして、黒羽家を拠点にして情報を集めながらも、快斗はなるべく二人と関わらないよう自室にこもっている。

 はぁ、と言葉にできないもどかしさを息にして吐く。父親のポスターに背を向けて横たわり、枕に強く顔を押し付けて目を閉じる。

(分かってる、オレのことを想って秘密にしていたってこと位。でも、こんなの嫌だ……)

 最愛の父親が炎に飲み込まれる瞬間は、今も尚快斗の目の奥に焼き付いている。

 勝手なことを報道するメディア。同情ばかり向けてくる周囲。いるはずの存在がいないことに対する虚無感。

 父親の死は快斗を苦しめ、縛り付けた。教わったことを繰り返し思い出すことで、父親が生きていた証を心の中に残そうと必死になった。姿は見えなくても見守っているのだと信じようとした。

 だと言うのに、あれだけ苦しい思いをしてようやく受け入れることのできた父の死だというのに、父親は生きていたのだ。

(会えなくてもいいから、我慢できるから、生きているって知りたかった……!)

 ――何のために、己はあの苦しみを耐えたのだろう。

 死んだと伝えることは、もう二度と会えないのだという絶望を与えることと同意である。どこかで生きていると伝えることは、何時かまた会えるかもしれないという希望を持たせることを意味する。

 盗一達は前者を選び、快斗を守ろうとした。だが快斗は、絶望よりも希望を抱きたかった。

 

(名探偵、お前の気持ちがやっと分かった……)

 不意に、最大かつ最高のライバルである新一が脳裏を過った。

 彼もまた、何も教えないという守りにより、結果としてボロボロに傷付いた。「裏切られた」と言う彼の言葉を最初聞いた時あまり理解出来なかったのだが、今となって心から理解できる。

 ――快斗もまた、裏切られたと感じてしまったのだから。

 苦しい、と言葉にならない叫びをあげる。どうして、と誰にも聞くことが出来ない問いかけが胸の中でのた打ち回る。

(名探偵……新一、どうやってお前は乗り越えたんだよ。オレは一体、どうすればいい? オレは、オレの真実は、何?)

 会いたい、新一に会って話したい。そして導いてほしい。あの蒼い目で怪盗キッドの真実を見つけたように、黒羽快斗の真実も見つけてほしい。

 ――この胸に巣くう暗い感情を、取り除く方法を。

 

 

 

「――快斗、いいかしら?」

 コンコン、と部屋の扉がノックされた。快斗は体を起こしながら「どーぞ」と投げやりな返事をする。

 扉は半分だけ開き、母親の千影が顔だけのぞかせた。朝は軽く済ませていたのに、今はしっかりと化粧をして外に出掛ける恰好になっている。

「今から母さん出かけるから、何かあったら寺井さんに連絡してね」

「どこ、行くんだ?」

「有希子ちゃんの所。多分遅くなると思うから」

「そー、有希子ちゃん……はぁ!?」

 あまり話したくない気持ちから適当に相槌を打っていたが、その言葉の意味を数拍遅れで理解する。

「有希子ちゃんって、工藤有希子!? 名探偵の母親の!?」

「ええ、そうよ。さっき連絡を取ってみたの」

「何してんだよ、母さん!」

 最近の微妙な距離感も忘れ、快斗は叫んだ。それも仕方ないだろう、千影が会いに行くと言っている有希子は今、日本警察とFBIの保護下にいるのだから。

 工藤優作が行方不明になったことは世間に公表されていない。その代わり、新一や優作とも繋がりがある捜査一課強行犯捜査三係、FBI元対黒の組織日本チームメンバーが秘密裏に捜索を行っている。有希子は阿笠博士と灰原哀に付き添われながら、警察FBIと共に行動している。マスコミ対策、そして有希子も同じように誘拐される可能性を考慮してなのだろう。

 そこに、千影は突撃すると言っているのだ。初代怪盗KIDの妻であり、二代目怪盗KIDの母である元怪盗淑女が。

「そんなの危険すぎる! 第一、親父が行方不明になったってこと、どうやって説明するつもりなんだよ!」

 切羽詰まっているとは言え無謀すぎる母親の行動を快斗は諫める。

 だが千影は首を横に振り、それを振り払う。

「優作さんが、盗一さんの作戦に一枚噛んでいるの。有希子ちゃんもそのことを知っているわ。勿論、私達の正体もね」

「何探偵と共謀してんの親父!?」

 ここでも裏切りが発覚した。実の息子ではなく、ライバルであるはずの探偵が関与していたことに更に暗い感情がドロリと蠢いたが、快斗は必死で気づかないふりをする。

「まさか名探偵……新一も知ってたなんてこと、ないよな?」

「新一君は知らないわよ、優作さんが会わせないようにしていたし」

「……そっか。ならいいけど」

 自身のライバルも裏切りに入っていなかったことに、ホッと息を吐いた。これで彼とは何も知らされなかった仲間同士となる。

 だからと言って、危険なことには変わりない。どうしても賛成できない快斗に、千影はやや躊躇ってから訳を話し出す。

「もしかすると、優作さんと盗一さんが一緒にいるかもしれないのよ」

「……なんで?」

「あんたは信じられないでしょうけど……」

 千影は内緒話をするかのように声を潜めた。快斗もつばを飲み込み、耳を澄ます。

「盗一さんがいなくなったあの日、私達は変装して少し町の中を散策していたの。途中私がお花を摘みに離れたんだけど、その時に見たのよ」

「……色々言いたいことはあるけど、今はいい。なにを?」

「子ども位の大きなカエル」

 沈黙が訪れた。快斗は数回瞬きを繰り返し、思い切り訝しそうにする。

「はあ? そんなの幻覚……」

「でも戻ってきたら盗一さんはいなかった!」

「……それだとカエル関係なくね?」

「私も最初はそう思ったわ。けど、有希子ちゃんに話したら――優作さんも、同じのを見ていたって」

「――優作、先生が?」

 阿保らしいと聞き流そうとした快斗は、思わぬ人物の名に眉をひそめた。

 母親だけだったら幻覚だと一蹴できるが、遠く離れた場所にいる人物、それも新一よりも探偵として優れている工藤優作が見ているとなれば、無下に扱うことなど出来ない。

 一変して真剣になった息子に千影は複雑そうにしたが、気を取り直して「だから」と説得する。

「これは無駄なことじゃないと思うのよ。有希子ちゃんが気分転換に友達である私をお茶に誘ったことになっているから、邪魔は入らないわ。それに、盗一さんに繋がる情報が少しでもあるのなら、私はどんな危険でも冒すわよ」

「……フォローする息子の存在を労わってはくれないんですかね、この母親は」

「もっちろん、快斗がいるから出来ることよ? だからね、お願い!」

 両手を合わせる千影に、快斗は仕方なさそうに肩を落とした。少しでも情報が欲しい今だからこそ、母親の気持ちもよくわかる。

「分かった。けど、オレも一緒に行く」

「快斗も?」

「母さんだけじゃ心配だしな」

 ベッドから立ち上がり、外出の用意をする。快斗が着いてくるとは思っていなかったのか、千影は暫くキョトンとした後、嬉しそうな笑みを浮かべて息子に飛びついた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 千影と有希子が待ち合わせをしていた場所は米花町でも江古田町でもなく、モチノキ町というあまり行ったことが無い場所だった。

 有名人という訳でもないので変装せず素顔のまま商店街を歩き、有希子から指定された小さな喫茶店に入る。中は女性をターゲットとしているのか明るい雰囲気をしており、ちらほらと女性客が座っている。

「千影ちゃん! それに快斗君も」

「お待たせ、有希子ちゃん。うちの子も連れてきちゃった」

 その中でも、窓際の四人掛けの席で待っていた有希子は目立っていた。元大女優であり工藤新一の母親としても有名であるためか、伊達眼鏡をかけ帽子を被っているが、それでも内から出る美しさでもあるのか非常に目を引いている。変装の意味があまりない。

 有希子の前に座り楽し気に話し出した母親の隣に座りながら、へぇと快斗は意外に思った。

(本当にこの二人、友達同士だったのか……)

 父親達はライバル同士、その息子達もライバル同士。これだけでも縁が深いが、更に母親達は友人関係にある。優作が盗一の自身の死の偽装工作に一枚噛んでいたのは、もしかすると千影が有希子に泣きつき、その有希子が優作に頼んだからかもしれない。優作が愛妻家であるのは有名な話だ。

「快斗君、久しぶりねぇ。私の事覚えてる?」

「へっ? 会ったことありますか?」

「ふふっ、一度だけね。まだ小さい時だったから、覚えてないのも無理もないわねぇ」

 突然話しかけられ、快斗は戸惑った。昔会ったことがあるらしいが記憶にない。それに対して有希子は気を悪くすることもなく、視線を千影に戻した。

「急に呼び出したりしてごめんなさいね」

「いいのよ、気にしないで。ああでも、どうしてモチノキ町だったの?」

「他の人たちがここに用があって、それに便乗して出てきたのよ」

 スッと有希子は声を潜めた。他の客たちとは席が離れているが、警戒するに越したことは無い。快斗と千影も有希子の声に耳を傾ける。

「優作と盗一さんの行方について知っているかもしれない子が、この町に住んでいるわ」

「っ、それは本当なの!?」

「母さん、落ち着いて!」

 有希子からもたらされた情報に、千影はたまらず声を上げて立ち上がった。慌てて快斗が抑え込むようにして席に戻し、宥めるよう必死に背中を撫でる。

 そうしながら快斗もまた、有希子の言葉に動揺していた。ただし千影のように盗一に繋がる可能性があることにではなく、その人物に心当たりがあったために。

(まさか、あいつじゃねぇよな……?)

 モチノキ町には、新一が何故か無条件に信頼を寄せているある少年達が住んでいる。彼らは「不思議な本」を持っていることからFBIに注目されており、派手な鬼ごっこを繰り広げたこともあった。

 優作の捜索に当たっているチームが、その「不思議な本」を持つ人物が何らかの形で関わっているのではないかと疑っていることを知っている。快斗自身は考え過ぎだと思い率先して調べることは無かったが、FBIは何らかの情報を得ることが出来たのだろうか。

 落ち着け、と自身も宥めながら有希子の話を待つ。二人に注目された有希子は、神妙な顔つきで話し出す。

「話せば長くなるし、正直私も信じることが出来ないの。でも、少しでも優作たちに繋がるかもしれないから――……」

 そうして話された内容は、快斗の想像していた通りでもあり、同時に斜め方向をいくものでもあった。

 

 

 

「――つまり、その『不思議な本』を持つ人間と『魔物』かもしれない生き物が、優作先生や親父を攫って行ったって考えている、ってことですか?」

「やっぱり信じられないわよねぇ……」

 有希子の話を簡潔にまとめた快斗は、呆れの表情を隠すのも忘れる位に呆れてしまった。

 『魔物』や『不思議な本』を持つ人間が、世界各地で起きている迷宮入りの不思議な事件に関与していると考えるのはこじつけとしか思えない。妄想ありと診断をされている人たちの話を丸のみにするのも警察らしくない。そもそも『魔物』などこの世に存在するはずがない。

(そういうのは自称魔女だけで勘弁してくれっての)

 ――クラスメイトに自称魔女がいるが、その少女が起こす様々な事象を「怪しいまじない」もしくは「くだらねー占い」で片づけて一切魔法だとは思っていない快斗は、新一から「ロマンチストに見せかけたリアリスト」と称されていることを知らない。因みに快斗は新一のことを「リアリストに見せかけたロマンチスト」と思っている。閑話休題。

 話を聞くだけ無駄だった、と母親に帰るよう進言しようと横を見て――真剣な顔つきで何か考えている千影に、快斗はギョッと身を引いた。

「かっ、母さん?」

「……あり得なくは、ないわね」

「何言ってんの!?」

「だから、あり得ない話ではないって言っているのよ。有希子ちゃん、その子の家は知っている?」

「ええと……」

 まさかの事態に、快斗はあんぐりと口を開けた。有希子も信じるとは思っていなかったらしく、笑顔のまま固まっている。

 いち早く我に返った快斗は、店の中だということも忘れて叫ぶ。

「どう考えてもあり得ないだろ!」

「快斗、声大きいわよ。小さくして」

「……っ、藁にもすがりたい気持ちは分かるけど、この藁は単なる幻想だ」

 注意されたことに一瞬怒鳴り返そうとしたが、何とか言葉を飲み込み冷静に返す。

 父親が誘拐されて以来、千影は精神不安定になっている。それが『魔物』というバカみたいな御伽噺を信じさせているのだろう。

 然し、千影は考え直さない。そればかりか益々真剣な表情を浮かべている。

「いいえ、これは幻想じゃないわ。もし本当に『魔物』が実在していたら……」

 そこまで言って何かの言葉を飲み込んだ千影は勢いよく立ち上がった。

「行きましょう、有希子ちゃん!」

「えぇー……?」

「母さん!」

「大丈夫! 母親を信じなさい!」

 妙に自信満々な千影に、有希子笑みを浮かべながらも若干引いており、実の息子である快斗はドン引きしている。

 ほらほらと千影に追い立てられて立ち上がった二人は背中を押されて店を出る。会計は千影が素早く済ませた。ここで怪盗淑女の力量を発揮しなくても、と快斗は涙目である。

「さあ、行きましょう!」

「母さーん……」

「千影ちゃん、こんなになるまで追い詰められていたのね……」

 快斗はしっかりと手を握られ、有希子は腕を組まれ。張り切っている千影に、二人は顔を見合わせて同時に息を吐いた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――随分と、ひどいことになっているわね」

「そうですね……」

 

 モチノキ町子供公園。より多くの子ども達が遊べるよう開発がすすめられているその公園のとある一角。

 焦げたように黒ずんでいる地面や、激しく打ち壊されたかのように所々壊れている箇所に、高木渉はただ呆然としていた。

 そこにいるのは高木一人だけではない。同じ捜査一課強行犯捜査三係、警部の目暮十三、警部補の佐藤美和子。そして来日しているFBI捜査官チーム、リーダーのジェイムズ・ブラック、その部下のジョディ・スターリング、アンドレ・キャメル、赤井秀一。そして民間人の阿笠博士とその養女である灰原哀。高木を含めた合計九人が、この公園に集まっている。

 彼ら全員が、現在行方不明となっている工藤優作を秘密裏に探しているチームメンバーである。他にも警官、捜査官はいるが、今回はとある調査を行うためにそれぞれを代表した者達がやって来ていた。

 

 数週間前、この場所で行方不明となっていた他国の者二人が発見された。

 保護された者達は何故その場所にいたのか分からず、気付いたらそこにいたらしい。さらに行方不明になっていた間のことも思い出せずにいる。

 そんな彼らを発見したのが、FBIが目をつけている少年たち――高嶺清麿とガッシュ・ベルだった。

 

「銃で撃ちあったとは思えない跡だわ……それ以上にもっと重い、大きな何かがぶつけられたみたいね」

「大砲、とかですか?」

「目撃証言によると、怪物たちが例の少年たちを追いかけた後、金色の竜が現れたそうよ」

 しゃがみ込み、地面の土を実際に触って確かめる佐藤の言葉に、高木は何とも言えない表情を浮かべる。

 佐藤が何を言いたいのか分かっている。だからこそ、返事もしにくくモヤモヤとした感情に襲われてしまう。

「佐藤さんは、その……」

「なあに?」

「……やっぱり、信じるん、ですか?」

 高木の曖昧な言葉に、佐藤は顔をあげた。彼の戸惑いを感じ取ったのか一つ息を吐いて立ち上がり、「ええ」と肯定する。

「こうなった以上、その可能性もあることは否定できないわね」

「でも、『魔物』、ですよ?」

「『魔物』でもよ」

 ――工藤優作が予想立てた『魔物』の存在を。

 はっきりとした口調で断言する佐藤に、高木はより一層何といえばいいか分からなくなった。

 FBIが新一と高嶺清麿が持っていた『不思議な本』に注目していたわけは以前聞いていたので、その理由は分かる。だが、本の持ち主のそばにいた存在を『魔物』だと決めつけるのは早計だと思うのだ。それも『魔物』の存在をほめのかしたのは、精神科に入院している患者である。偏見があるわけではないが、妄想ありと診断されている彼らの言葉を鵜呑みにしていいものなのだろうか。

 そんな高木の葛藤に気付いたのか、「確かに」と佐藤は不安にも同意する。

「全部鵜呑みにしている訳ではないわ。『魔物』はあくまで便宜上の呼び方にしか過ぎないし、正しい呼び名があるなら勿論そっちを使うわよ。

 でもね、例え現実離れしていようとも、常識の範囲外だとしても、それが真実なら私は受け入れる――工藤君みたいにね」

「佐藤さん……」

 堂々と言い切る恋人に、高木はポウッと見惚れた。彼女と恋人になれるまで紆余曲折あり、ようやく想いが通じ合った今でも、高木は佐藤に何度も惚れ直している。佐藤がそういうのならそうなのかもしれない、と思う位に盲目的に。

「分かりました、僕も信じることにします!」

 自身の常識よりも佐藤の考えを優先し、高木は信じてみることにした。後々冷静になりまた不安になるのは目に見えているが、少なくとも佐藤が信じているのなら高木も何度でも信じなおすだろう。

 決意改め張り切る高木に、佐藤は無邪気に無自覚に「それでこそ高木君よ!」と煽る。

 警視庁捜査一課の男性刑事達から嫉妬ゆえに祝福されていないようでされているかもしれない二人に、遠目から見ていた哀は呆れの息を吐いた。

 

 

 一通り現場の捜査を終えた高木達は一旦集まり、より詳しい事情を聞くために高嶺家に行くことに決めた。本当ならば新一との約束により接触することは禁じられているのだが、日本にいない新一が悪いのだと哀の一蹴により今回ばかりは例外として扱わせてもらうことにした。

 それぞれ持ってきたカメラなどを片づけている中、高木はふと哀が焦げた地面の土を集めているのを見つけた。

「哀ちゃん、何してるんだい?」

「持ち帰って成分を検査してみるのよ。何かわかるかもしれないから」

 近寄ってきた高木に一瞥もくれず、黙々と一番焦げている場所の土を集める哀。

 彼女の本名は宮野志保であり、その正体が新一よりも年上の女性だと聞かされた時、高木は驚くよりも先に非常に納得してしまった。彼女は新一とは違い本来の姿ではなく「灰原哀」として生きることに決めたため、高木は以前同様「哀ちゃん」と呼び、しかしなるべく子ども扱いしないよう心掛けている――決して、小学生扱いして冷たい目で見られたからではない。

「僕も手伝おうか?」

「もう終わるからいいわよ」

 にべもなく断られた。

 しかし本当に土を袋に入れ終わっていたので、高木もそれ以上何も言えない。

「……あっ、そうだ。哀ちゃんは信じてる? 『魔物』の存在」

「そうね。もし本当にあのスペイドって女が魔物だったら、何が何でも研究させてもらうわ」

 ――女の恐ろしさを垣間見た気がした。

 その場の繋ぎとして振った話題が恐ろしい波紋を呼んだことに、高木の顔は引き攣った。「研、究?」とぎこちなく聞くと、哀は小学生らしからぬ目を高木に向ける。

「工藤君の自称相棒ですもの、それくらいさせてもらって当然でしょ?」

「ごっ、ごめん。僕には何が当然なのかさっぱり……」

「――これくらいで逃げ出すような女に、彼の相棒を任せられるわけがないってことよ」

 フン、と鼻で笑い哀は離れた場所で写真を撮っている阿笠の元に向かった。

 その小さな後ろ姿を見ながら、高木は深く安堵の息を吐き、自分も佐藤の元に行こうと足を向けたその瞬間――

 

「――ビライツ!」

 

 ――空から、叫び声が響いた。

 

 ばさりと大きな鳥のような影が差す。えっと空を見上げれば、こちらに向かってくる光線を見つけた。

 何が起きたのか、一瞬分からなかった。光線が偶然にも誰もいない場所に落ち、激しい音と土埃が舞う。

「全員無事か!?」

 呆然としている耳に、目暮の鋭い声が飛び込んできた。我に返った高木は慌てて「はい!」と返事をするものの、何が起きているのか分からずただ空を見上げる。

 

「ゲーロゲロ! 今のは警告だゲロ! やられたくなければ、直ぐに我々のことを詮索するのは止めるゲロよ!」

 

 ばさりと、鳥に似た何かが上空で羽ばたいた。その背中から子ども位の大きさのカエルが地面に飛び降りて、高木達に話しかけてくる。

 そう、カエルである。子ども位の大きさのあるカエルが、ピョンピョン跳ねながら高木達に警告をしている。

 ヒュッと、息をのんだ。目の前の光景が信じられず、動くことが出来ない。

「もしそれでも調べるのを止めないというのなら、こうするゲロ! クローバー!」

 カエルがニヤリとあくどい笑みを浮かべ、空高く手をあげる。

 すると、鳥に似た何かから四つの影が飛び降りてきた。それらは人であるように見えたが、よく絵で描かれているエンジェルのような生き物もいる。

「……すまない、人間達よ。盗一、弱い呪文を頼む」

 人に似た青年位の男が、棍を構えた。その後ろで優作と同い年位の男性が、あの不思議な本を開いて立っている。

「ウィグル!」

 男の持つ本が光り、何かの呪文のような不思議な言葉を叫ぶ。

 ――その瞬間、青年が付きだした棍から竜巻のように渦巻く風が発射された。光線が降ってきた時と同様、高木達はそれに吹き飛ばされた。

「きゃぁあああ!」

「うぉおおおお!」

 地面に叩きつけられ、その衝撃にうめき声をあげる。吹き飛ばされたと分かったのはその時、それでも何が起きたのかは分からなかった。

「高木君、大丈夫!?」

「哀君、しっかりするんじゃ!」

「ジョディさん! ジェームズさん!」

 佐藤に呼びかけられ、高木は我に返り慌てて体を起こす。見渡せば、哀を博士が抱き上げ、打ち所が悪かったのか倒れたままのジョディとジェームズにキャメルが必死に呼びかけていた。

 ゆるりと前を見れば、高木達を庇うようにして目暮が立っている。運よく吹き飛ばされなかったのだろうか、トレードマークの帽子は被ったままだ。その隣には赤井が同じように立っており、カエルたちを睨みつけている。

「君たちは一体何者だ!」

「ゲロゲロ! 答える必要はないゲロ!」

「……っ、今のは一体!」

「術も使えない弱い人間が、ロードに立てつくのが悪いゲロよ!」

 術、とカエルは叫んだ。先程の光線と竜巻はその『術』なのだろうか。

 魔物、と佐藤が呟く。

 その言葉は、何よりもしっくりきた。ああ、と高木は青ざめていく。

 ――今襲ってきた彼らは、『魔物』なのだと。

「――目暮警部、危険です! 下がってください!」

「シュウ、危ないわ!」

 そんな『魔物』から庇うように立っている目暮に、高木が叫ぶ。同じように、キャメルに支えられ起き上がったジョディが赤井に向けて叫んだ。

 しかし、二人とも動かない。カエルとにらみ合いを続けたまま、一歩も下がろうとしない。

 ムムムっと、カエルは唸った。言うことを聞かない目暮達に苛立っているのだろう。

 ヒヤリとした何かが背筋を走る。このままではまずいと何かが直感した高木は、「目暮警部!」と叫ぶ。佐藤もまた、敬愛する目暮の元に走り出した。一緒に壁となるつもりなのか、高木も地面を蹴り、彼女の後を追う。

 

「――盗一さん!」

「――親、父……?」

 

 ――しかしその足は、聞こえてきた声によって止められた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 そこに来たのは、本当に偶然だった。

 真っ直ぐに事情を知っているだろう少年の家に行くのではなく、FBIや日本警察が調べに行っている現場を千影が見てから行きたいと言い出したので、そちらに足を向けただけだった。

 警察とFBIには関わり合いたくはないので、遠目から見るだけだときつく母親に言い聞かせて訪れたその場所。爆発音にも似た音が響いて来たので、不審に思い駆け出した。

 だからこそ、思いもしなかったのだ。

 そこに、一番会いたくて、一番会いたくなかった人がいることなど。

 

「親父……?」

 

 何となく己に似ているような青年の後ろに、父親である盗一がいた。

 本当に生きていたことに、本当に何も知らされなかった事実に、快斗の中で渦巻いていた感情が大きくなる。

「盗一さん! 盗一さん!」

「千影ちゃん、待って!」

「離して有希子ちゃん! 盗一さん!」

 隣で有希子に腕を掴まれ抑えられた千影が叫んでいる。同じように快斗も叫ぼうとしたが、息ばかりで音が出てこない。

 ゆっくりと、盗一がこちらを向く。むけられた目に――快斗と千影は、ヒュッと息をのんだ。

「盗一、さん……?」

 ――父の目に、光が無かった。無機質なものを見ているかのようなそれに、ただただ呆然とする。

「ウィグル!」

 盗一の口から、快斗や千影の名前ではなく、不思議な単語が叫ばれる。途端彼の持つ本が光り、盗一の前にいた青年が、苦渋な顔をしたまま快斗達に向けて棍を突き出した。

 刹那、そこから竜巻に似た風が発射される。それは快斗達の一歩手前で落ち、地面の土を吹き飛ばした。

「有希子さん!」

「危ないから逃げてー!」

 土埃が舞う中、警察やFBIの叫び声が届く。

 だが、快斗の足は動かない。縫い付けられたように、その場から動くことが出来ない。

 

「ゲロゲロ! 次から次へと! 本当邪魔だゲロ!」

 

 晴れた視界の先で、苛立たしそうにカエルが地団駄を踏んでいた。その姿に千影が「あの時の!」と叫んだことで、母親が見たのは本当だったのだと場違いにも頭の片隅でそう思った。

「クローバー、先にあいつらを片づけるゲロよ」

「どこまでも外道な……! 無抵抗な人間を襲うなど!」

「いいのかゲロ? 逆らえばどうなるか……」

「……っ、くそっ!」

 忌々し気に青年は舌打ちをし、快斗達へと足を向けた。盗一も体ごと快斗達の方を向き、ただ本を広げている。

「赤井さん!?」

 視界の端で赤井がこちらに走ってきているのが見えた。だがそれよりも早く、盗一の口から呪文のような言葉が出る。

「ウィグル!」

 意味は分からない。だが、これだけは分かる。

 ――それは、快斗達を襲うための言葉であると。

 

 棍からまた竜巻のような風が発射される。今度のそれは、しっかりと快斗達に向けられて。

 すまない、と青年の口が音無く動く。それが何に対してなのか分かる前に、快斗の視界が竜巻に覆われる。

 

 

 

「ゴウ・アルシルド!」

 

 

 

 ――そして耳に、話したいと思っていた人の声が飛び込んできた。

 えっと思った瞬間、目の前に人影が飛び出した。竜巻から遮るように巨大な盾が突然現れ、竜巻はそれにぶつかり音を立てて消えていく。

 盾を構えているのか、その人は快斗達に背を向けていた。黒い服で身を包み、風でマントが揺れ動いている。頭に兜は被っていないが、それでも快斗は分かった――その者が、スペイドと呼ばれていた少女であることが。

 

「――大丈夫か、黒羽に母さん。黒羽のお母さんも」

 

 ポンッと肩に手が置かれる。その感触に勢いよく振り返れば、己に似た、しかしよく見れば違う顔立ちの少年がいた。

 ああ、と快斗は泣きそうに顔をしかめた。少年の名前を呼べば、おうと返事が返される――ただそれだけのことに、ひどく安堵した。

「なななっ、なんだゲロ!? 何者だゲロ!」

 盾の向こうでカエルが叫んでいる。それに答える様にしてスゥッと盾が消え、隠されていた二人の姿が露になった。

「うそ……っ!」

 それに、誰かがそう叫んだ。千影を押さえていたはずの有希子も、手を口に当て涙を流し崩れ落ちている。

 それもそうだろう。彼が再びこの地に足を踏み入れるはずがないと思っていたのだから。

 しかし、今彼は目の前にいる。突然現れた『魔物』から守るようにして。

 

「蒼い本の魔物、スペイド。その本の持ち主、工藤新一。

 ――てめぇらだけは、絶対に許さねぇ……!」

 

 ――かつての名探偵、工藤新一が、そこにいた。




次回は番外編を予定しています。
※追記(12/2)
番外編は、邂逅編にいれました。
次から本編更新です。


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Level.13 選んだ道

(――本当に、ふざけんじゃねぇぞっ)

 今現在置かれている状況下、新一は怒りのあまり逆に冷静になっていた。父親が誘拐されただけでも血管が切れかかったというのに、母親までも巻き込まれそうになっていることに体の奥で何かが凍り固まっていく。

 新一の隣で千年前の魔物達を睨みつけているスペイドも、何時もよりも表情を険しくしている。

「ゴウ・アルシルドで防げた、が……」

 第九の術ゴウ・アルシルドは、第二の術アルシルドをより大きくした強化盾である。とは言えスペイドの術は攻撃主体なため、より強化されていても防御力は低い方。

 一番弱い術相手なら防ぐことは出来たが、それ以上の威力がある術相手ならば恐らく破られてしまうだろう。

 

 ――キッドにより目を反らそうとしていた真実を突き付けられた新一達は、すぐさま日本へと飛んだ。母親である有希子の安否を確認する為である。

 新一の心情を考慮し黙っていたナゾナゾ博士はキッドの発言を詫びたが、悪気はなかったことともう一つ、余程衝撃だったのかスペイドが新たな呪文をその時に覚えたので、二人はキッドを責めることはしなかった。因みに現在スペイドの呪文は十一個あり、スペイドは「王宮騎士だから当然だ」と何故か自慢気だった。

 新たな呪文は今の新一達の状況にとって大きな効果を発揮するものであり、同時に知りたくもなかった現状を教えるものだった。

(まさかもうこいつらが動いていて、この人達も集まっていたなんて……)

 千年前の魔物達の行動は早かった。ナゾナゾ博士と新一が危惧していた通り、日本警察とFBIを襲い掛かろうとしていた。気付いた新一とスペイドが慌てて駆けつけてみれば、有希子に黒羽快斗、その母親の黒羽千影までがいるという、本来ならこの戦いと無関係な人たちの多さに新一は眩暈までした。出来ればそのまま気絶したかった。

 さらにタイミングの悪いことに、ガッシュと清麿は今空の上にいる。彼らは一足先にロードの本拠地に向かっている。

「魔物が一体、千年前の魔物が二体、上空に一体、後ろには観客が大勢……」

「最高最悪の舞台だな」

 新一とスペイドは、たった二人で後ろにいる人たちを守りながら、千年前の魔物を相手にしないといけない事態に陥ってしまったのだ。

 

 

「なーんだゲロ、焦ることは無かったゲロよ」

 晴れた視界の先で、カエルがゲラゲラと笑っている。その姿に新一の顔からストンと表情が抜け落ちた。

「所詮現在の魔物一体、我々の敵ではないゲロ」

 ピョンピョンと挑発するようにカエルが跳ね飛ぶ。ニシシと浮かべているあくどい笑みに、ピクリとスペイドの眉が動く。

 新一は一度後ろを振り向いた。泣き崩れている有希子、彼女を支えている千影、呆然としながらもどこか安心した表情を浮かべている快斗。後ろにいるのは三人。

 スイと視線を動かし斜め前を見る。阿笠が哀を守るように抱きしめており、その近くに捜査一課の佐藤と高木、FBIのジェイムズとジョディ、キャメルがそれぞれで固まっている。そんな彼らを守るかのようにして立っているのが、捜査一課の目暮とFBIの赤井。こちらには合計九人。

 合わせて十二人。しかも一か所に固まっていない。

 守るのも一苦労なこの状況の中少しでも動きやすいように、新一はスペイドにあることを問いかける。

「スペイド、どっちがいい?」

「……小さい方、がやりやすいな」

「カエルは?」

「後で潰す」

「最高だ」

 返ってきた答えに、新一は本を構える。スペイドは剣を抜かず、相手の出方を窺っている。

 コォオオッと新一の持つ本が光り、息をのむ音が聞こえた。カエルは新一達が歯向かって来ようとしていることにケラケラと笑っている。

「まさか勝てると思っているゲロ? 無理無理だゲロよ!」

「……っ、新ちゃん!」

 カエルの言葉に不安になったのか、後ろから有希子が呼びかけてきた。新一は後ろを振り返らず、声だけで安心させる。

「大丈夫、母さん。オレ達はこんなところで負けはしない」

「生意気なこと言ってんじゃないゲロ! エルジョ! クローバー!」

「――ビライツ!」

「――ウィグル!」

 新一の言葉に、カエルが苛立ったように命令を叫んだ。清麿とナゾナゾ博士の言う通り、操られている千年前の魔物のパートナーたちが一斉に呪文を唱える。

「行くぞ」

「ああ」

 向かってくる二つの術に、新一とスペイドは顔を見合わることなく同時に頷く――直後、二つの術が地面にぶつかった。

 

 

「新ちゃん!」

「やったゲロ!」

 舞い上がる土埃に、有希子の悲痛な声を上げ、カエルが命中したと喜ぶ。

「――ゴウ・アルド!」

 だがその悲しみと喜びは、土埃の中から無傷の姿で出てきた新一、そしてエルジョの背後に突如として姿を現したスペイドによって失われた。

 新一の唱える声に合わせて、鞘から抜き取った剣をスペイドが振るう。彼女の驚異的な速さにエルジョは防御の体勢を取ることも出来ず、小さなその体で術を食らった。

「フォオオオオ!」

「エルジョ! 人間、はやく呪文を――」

 吹き飛ばされたエルジョを見て、カエルが呪文を唱えろと本の持ち主に指示を出そうとし、それよりも早く吹き飛ばされたエルジョの後ろにスペイドが回り込んだ。

「――遅いな」

「ゴウ・アルド!」

「フォオオオオン!」

 今度は地面へと体がめり込むようにして叩きつけられる。それを見たクローバーが、盗一に呪文を唱えさせる。

「盗一!」

「ウィグルガ!」

 一直線となった空気の渦が、棍から放たれた。地面に降り立ったスペイドは術を一瞥した後、叩きつけたエルジョの首根っこを掴んで宙へと放り投げる。

「フォア!?」

「しまった!」

「ゲロォォオオ!?」

 今度は放り投げたエルジョの体に、クローバーの攻撃が直撃した。まさかの味方に当ててしまったことにクローバーは動揺し、カエルもあんぐりと口を開ける。

「なななっ、何してるゲロよー!」

「くっ、盗一、次の呪文を……」

 カエルの言葉で我に返ったクローバーは盗一に指示をしようとし、突如目の前に現れたスペイドに目を見開き言葉を失った。

「――遅いと言っている」

「ゴウ・アルド!」

「くぅう!」

 再び水を纏う剣に慌てて棍で防御するも、術で強化された剣に敵う訳もなく吹き飛ばされる。その体は宙を舞った後、激しく地面へと打ち付けられた。

 

 エルジョに続きクローバーまでもスペイドにやられたことに、カエルはたっぷりと冷や汗を流した。二体の術の前に無様にやられるはずなのに、気付けばこちらの方が無様な姿を晒している。

 でも、とカエルは勢いよく首を左右に振った。「まだまだゲロ!」とやられた二人に戦うよう命令しようとし、目の前に振って落ちてきたものにピシリと固まる。

「――スペイドの素早い動きに翻弄され、オレの動きを見落としているようではまだまだだぜ、カエル君?」

 ボウボウと燃え上がる、白っぽい緑色の魔本。それは、エルジョのパートナーが持っていた物。戦いの権利がはく奪された現在の魔物と同じく、エルジョの体も透き通っていく。

 ギギギギッと顔を動かすと、エルジョのパートナーが倒れていた。更に上に動かすと、カエル以上にあくどい笑みを浮かべた新一が光り輝く魔本を構えて立ちながら見下ろしている。

「――まずは、一体」

 形の良い口が弧を描き、だが笑っていない目でカエルを睨みつける。

 それを見たカエルは悟った。今戦っている相手は、あの恐ろしい現代の黒い魔物と同類であると。

 

 

「ゲッ、ゲロォオオオ!!」

 慌てて後ろへと飛び移り、カエルは倒れているクローバーを抱えて新一達から距離を取った。 

 スペイドはそれを追うことなく、だが彼らから目を反らさず新一の隣へと行く。

「素早い相手には慣れていないみたいだ。あのカエルも、棍の魔物も」

「不意打ちをするのは得意ですが、されるのは不得意です……ってことか」

 向こうがこちらを舐め切っていたからこそ実行できた、不意を突いて突きまくり、その間に新一が本を奪い燃やす作戦。現在の魔物の中でも圧倒的な素早さを誇るスペイドだからこそ出来、それに向こうが上手く翻弄されてくれたため一体倒すことが出来た。呪文もごくわずかしか見せていない。何より、カエルの脅えた表情を見られたことで少しだけ溜飲が下がった。

(……にしても、本の持ち主が見えねぇな)

 クローバーを必死に起こすカエルを観察する。カエルの本の持ち主は今ここにいないらしく、上空にいる魔物にも本の持ち主がいない。上空魔物の方は恐らく戦闘要員ではなく、長距離の移動手段として扱われているからだろう。

 術の警戒をしなければならないのは、実質一体のみ。後ろにいる人たちを人質に取られないよう気を付ければ――新一とスペイドの勝利が確定する。

「スペイド、流石に警戒するだろうからオレが本を直接奪いに行くことは出来ないだろう。隙を見て、術で本を燃やせ」

「分かった」

 クローバーが棍を構え、その後ろに隠れるようにしながらカエルがこちらを睨みつけてくる。

 新一は心の力を本に込め、スペイドも剣を構えて戦闘態勢に入る。

「――行くぞ!」

 第二ラウンドに入ろうとした、その瞬間。

「ちょっと待ったぁああ!」

 ――ガシィッと、背中から快斗に飛びつかれた。

 

 

 走り出そうとしていた新一は突然の衝撃に前に倒れそうになった。何とか踏ん張ることに成功したが、あと少しで地面に衝突していたかもしれなかったことに心臓をバクバク鳴らさせながら勢いよく振り返る。思わぬ乱入者にスペイドも足を止める。

「何しやがるんだ、黒羽!」

「頼む、名探偵! 話を聞いてくれ!」

 しっかりと腰に腕を回し新一を捕まえた快斗は、必死の表情で引き留める。

 一瞬新一はその必死さに目を見張ったが、直ぐに引き離そうとその肩を押した。今ここは戦いの場、隙を見せるということは敵に攻撃のチャンスを与えるとイコールで結ぶことが出来る。

 ――カエルとクローバーもまた、快斗によって作り出された隙を見逃しはしなかった。

「今ゲロ!」

「ガンズ・ウィグル!!」

 視線を反らした新一とスペイドに、棍から発射された空気の弾丸が撃ち込まれる。

 チィっと新一は舌打ちをし、腰に抱き着く快斗を逆に抱え込み横へと飛んだ。スペイドも新一とは逆の方向に素早く避ける。

「ヒッ……!?」

「暴れるなよ黒羽! スペイド、足元だ!」

 襲ってくる弾丸が快斗に当たらないよう避けながら、新一は指示を飛ばした。その意味を正確に把握したスペイドが素早く剣を横に構える。

「アルセン!」

 横に振り払われた剣から、刃状の水エネルギーが発射される。それはクローバーの体ではなく、その足元へと落ちた。激しく地面が抉れる音と共に土埃が舞い上がる。

「クッ、視界を奪いに来たか……っ!」

「前が見えないゲロよー!?」

 攻撃呪文は相手にダメージを与えるだけではない。その視界を奪うのもまた、戦略の一つ。

 それによって生まれた隙と時間。本来なら絶好の攻撃のチャンスだが、今回だけはそうはいかない。

「黒羽、今の内にこっちへ! スペイドはしばらく時間を稼いでくれ!」

 戦いに巻き込まれに来た快斗を比較的安全な場所へと避難させるために作った時間なのだから。

「新一、悪いオレ……っ!」

「いいから走れ! 母さんたちも向こうに!」

 自身の行動により相手に攻撃のチャンスを与えたことに青ざめる快斗の手を引っ張り、新一は目暮達のいる場所へと走る。

 本当ならこの場から逃げてほしいのだが、彼らは離れないだろう。ならばせめて、少しでも離れた場所にいる目暮達と一緒に固まっていてもらった方が心情的にも楽になる。

「工藤君!」

「ボウヤ、奴らは……」

 緊急事態だからか、空港では近付くことすら出来なかった彼らのすぐ近くまで新一は走り寄った。新一の言葉通りに同じように避難してきた千影にどこか呆然としている快斗と預け、集まってきたかつての仲間達に新一は指示を出す。

「後で全て説明します。でも今は、今だけはここで待っていてください。奴らは俺達で倒します」

「……勝算はあるのか?」

「貴方達が人質に取られなければ」

 比較的冷静さを保っている赤井の問いかけに、新一は傷つけることになると分かりながら言葉を返す――足を引っ張るような真似はするなと。その暗に込めた意味に気付いた何人かが表情をこわばらせた。

 それに気付きながらも新一は言葉を撤回しない。後ろを見れば、スペイドがクローバー相手に戦っている。向こうの本の持ち主は呪文を唱えているだけなので実質一対一だが、術の有無は大きい。

 本を持つ手に力を込め、新一は急いでスペイドの元に行くために、彼らを説得する。

「この戦いが終わった後、必ず全てお話します。だから、オレ達がこの戦いに勝てるよう、身を隠していてください」

「……一つだけ、教えてほしい」

「何を?」

「――ボウヤはなぜ、俺達を『守る』んだ?」

 それに、キョトンと新一は目を瞬かせた。だが赤井の顔は真剣そのもの。ほかの者達も同じように真剣な表情を浮かべている。

(なぜって言われても、なぁ……いや、そりゃそうかもしれねぇけど)

 ポリポリと頭を掻きながら新一は困ったように目を伏せた。確かに彼らの疑問も分かる。あれだけ抵抗してきた新一が、今守ろうとしているのだ。

「――わけなんて、必要ですか?」

 それでも、新一はそれに対する答えを持っていない。

「人が人を助ける理由に、論理的な思考なんて存在しませんよね?」

 答えなど、初めから存在しないのだから。

 ハッと息を飲む彼らにもう一度ここを離れないよう念を押してから、新一は踵を返す。

「――あっ、だから待てって新一!」

「またかよ!」

 しかし再び快斗に呼び止められ、新一はキッと怒りの表情を向けた。

 快斗はそれに一瞬怯えたが、すぐに泣きそうに顔を歪め「頼む!」と新一に向けて頭を下げる。

「あれ、オレの親父なんだ! だから……っ!」

「……はっ? はぁあ!?」

 告げられた思わぬ真実に、新一は思わずクローバーの本の持ち主を振り返って凝視した。

 黒羽快斗は二代目怪盗KIDであり、初代に当たる人物は彼の父親である黒羽盗一である。だが盗一は十年近く前、表向きはショーのマジックで失敗して事故死、本当は事故に見せかけて暗殺されている。

(――だったのに、まさかあの人も生きていたのか!?)

 よくよく見れば、確かに写真で見た盗一に似ている。新一自身もまた死んだと見せかけて実は生きている身、あり得ないと否定することなど出来ない。

 何よりも、必死過ぎる快斗が嘘をついているようには見えない。

 千影を見れば、涙により腫れた目でこちらを見つめていた。彼女を支えている有希子もまた、嘘じゃないと目で訴えている。

(……何となく分かった。これ父さんが関わっているな、絶対……)

 持ち前の察知能力の良さで大体の事情を把握した新一は深く息を吐いた。

 恐らく快斗は新一のスペイドに向けた『術で本を燃やせ』の言葉を聞いて不安になったのだろう。この戦いの仕組みを分かっていないとは言え、本を燃やしたことでエルジョが消えたのを見ているのだ、彼ならばある程度新一が何を考えているのか察することはできる。

 新一は本の持ち主――盗一を傷つけるつもりは毛頭ない。スペイドが本だけを狙えると信じている。この戦いを早く終わらせるなら、盗一自身を狙った方がいい。

 それでも。新一は一度目を閉じ、覚悟を決めて目を開ける。

「……ならオレが、いかねぇとな」

「新一……」

「工藤君、貴方まさか……!」

 新一の呟きに快斗は不安そうに、何かを悟ったのか阿笠に支えられていた哀がその手を振り切って前に出る。

「あそこに飛び込むつもりじゃないでしょうね!? そんなの危険すぎるわ、止めなさい!」

 流石元相棒というべきか、新一の呟きの意味を哀は正確に理解していた。

 それに、新一は振り返りニッと無邪気な笑みを返した。この場にあまりにも似つかわしくない、綺麗すぎる笑顔を。

「これが、オレの選んだ道だ。大丈夫――絶対に、助けるから」

 その笑顔に、その場にいた誰もが目を奪われる。

 新一は前を向き、走り出す。

 彼が自ら選んだその戦いへと。

 

 

「――ウィグル!」

 竜巻状に渦を巻く空気に、スペイドは素早く身を翻した。羽ばたく黒いマントで暴風をガードしながら、彼らの隙を窺う。新一は時間を稼げと指示をした、それは攻撃せず彼らの攻撃のパターンを把握しろということ。

 観察されていることにも気付かず、術でしか攻撃できないと思い込んだカエルがゲロゲロと愉快そうに笑う。

「ゲロロ、やっぱり本の持ち主がいなければお前なんか怖くないゲロよ!」

「……ゲロゲロ煩いぞ、カエル」

「カエルじゃないゲロ! ビョンコだゲロ!」

 どこからどう見てもカエルである。

 カエル――ビョンコの訂正を聞き流しながら、スペイドはクローバーに視線を移した。

 無関係な人間に攻撃するのは躊躇っていたようだが、スペイドには遠慮がない。しかしエルジョのように憎しみを向けてくる訳ではなく、ビョンコのように敵対心を持っている訳でもない。

 まるで現在の魔物のように、この戦いに真剣に挑んでいる。

(決して戦い慣れしている訳ではない、だが戦いへの集中力はある。なんだ、この不思議な感じは……)

 時折観察するようにスペイドを見てくるのも気になる。その観察も動きにではなく、スペイドの顔を凝視しているのだ。無遠慮な視線にスペイドの眉間に自然としわが寄る。

「……君は、やはり……」

 ポツリとクローバーが何か呟く。それを聞き取る前に、小躍りしていたビョンコが指示を叫んだ。

「さあクローバー、とどめを刺すゲロ!」

「……チッ、盗一!」

「ウィグルガ!!」

 ビョンコの指示に憎々しげに舌打ちをしたクローバーに、スペイドはやはりと確信を得る。

(この魔物、カエルに従っている訳ではない。戦い自体は真剣だが、命令に逆らえない事情があるようだ)

 一直線上に襲ってくる空気の渦を避け、何時でも攻撃に移れるよう態勢を整える。

 クローバーを説得しようかと一瞬考え、否と心の中で取り消す。戦いそのものを嫌がっている訳ではないので、戦いを止めるよう言っても無駄だろう。

(ならば私にできることは、本を燃やすことだが……)

 クローバーの本の持ち主を盗み見る。ビョンコに守られるようにして後ろにいるため、容易には近づけない。少々強引な手段を使えば可能だが、新一に観察を命じられている身で勝手な行動を取ることは出来ない。

(新一、一体何を……)

「ガンズ・ウィグル!!」

 一瞬後ろに気を取られた瞬間、本の持ち主が呪文を唱えた。

「くぅっ!」

 隙を突かれたことで反応が遅れたスペイドに、空気の弾丸が襲い掛かる。剣で弾き飛ばすも、最初の数発が当たってしまった。ジワリとくる痛みに舌打ちをし、スペイドはクローバーを睨みつけた。

 その眼光にびくりとクローバーとビョンコが体を震わす。

「――スペイド!」

 その二体を怯えさせた鋭い目は、後ろから呼びかけてきた声によって和らげられた。

 隣に並び立ったパートナーの新一を横目で確認し、スペイドは剣を構える。

「話はついたか?」

「一応な。あの本の持ち主は黒羽の親父さんらしい」

「……ほぉ。だから新一を止めたのか」

「それで、あの本はオレが直接燃やすことにした」

 ――甘い。真っ先にスペイドはそう思った。本の持ち主を救うには、本を燃やす必要がある。すなわち、この戦いを早く終わらせることが救うことにもなるのだ。その為には多少の怪我を負わせることになっても術で直接狙った方が早い。

 しかし。スペイドは口角を薄らとあげる。

「分かった、新一。あの魔物は私が引き受ける」

「悪いな、スペイド。迷惑をかける」

「気にするな。そんな貴方を私は好いているのだから」

 ――甘いが、決して悪くはない。

 非情になり切れない彼の甘さが、仲間を切り捨てることが出来ない彼の甘さが、何よりも愛しく感じるのだ。

 

 

「――スペイド、まずは魔物と盗一さんを引き離すぞ! ついでにあのカエルもぶちのめせ!」

「カエルじゃなくてビョンコゲロー!」

「うるせぇカエルで十分だ! ――ラージア・アルセン!」

「ウィグルガ!!」

 振り払われた剣から刃状の水エネルギーが発射され、同時に棍から一直線上の空気の渦が放たれる。二つの術は相殺し、爆風を生んだ。土埃も舞い悪くなる視界の中、新一は本を開きページをめくる。

「スペイド、どうだった!」

「相手は戦い慣れをしていない、どちらかと言えばカエルの方がし慣れている。使った術は三つ。どれも攻撃術だ」

「……よし、ならあの術で魔物を遠ざけるか」

 スペイドからもたらされた情報をもとに、あるページを開く。それは、あの黒い魔物ブラゴとの出会い後スペイドが覚えた呪文が書かれた箇所。

 

「第八の術――サーボ・アライド!」

 

 新一がその呪文を唱えた瞬間、スペイドの足元に水状のボートが出現した。

 スペイドはそれに飛び乗ると、ボードの下から水流が浮かせるようにして噴出する――陸上でも可能なサーフボードを形成する術だ。

「なっ、あの術は一体なんだゲロ!?」

「盗一、広範囲の呪文だ!」

「ガンズ・ウィグル!」

 初めて見る術にビョンコが目を見張り、クローバーが先手を打ちに出た。発射される空気の弾丸、クローバーが大きく弧を描くようにして棍を動かしたことでその範囲を一層広める。

 だが。射程内に入っていたはずのスペイドの姿は一瞬のうちに消え、弾丸は地面へと当たる。

「――この術は、その程度で止められないぞ」

 ドドドドッと溢れる水の音に、平坦な声がクローバーの直ぐ近くで聞こえた。振り返るよりも早く、首根っこが掴まれ引きずられる感覚と共に放り投げられる。

 地面に体を強く打ち付けたクローバーがその衝撃に目を閉じ、再び開けた時。

 視界に入ってきたのは、大きな水状のボードだった。

 

「ぐぁあああ!」

 サーフボードをぶつけられたクローバーが後ろへと飛ばされる。水で出来ているとはいえ、上に操縦者が乗れるようになっているボードだ。その威力は侮れない。

 一瞬の間でクローバーが引き離れたことに、ビョンコはあんぐりと口を開けた。盗一は魔物の心配はするよう命じられているのか、オロオロとした様子で駆け寄るか迷っている。

(上手くいった!)

 グッと新一は内心ガッツポーズを取る。サーフボートを形成する術サーボ・アライド。この術の何よりの特徴はその速度にある。高速移動の術にも負けない速さを出すことが出来、敵の錯乱に使える他、ボードを直接ぶつけることで攻撃としても使用できる――尤もこの戦法が出来たのは、この呪文が出てすぐの頃乗り慣れないスペイドが誤って新一にぶつけたのがきっかけであるが。

「次はっ!」

 キッと新一が盗一を見る。クローバーを引き離した今、盗一を守るのはビョンコ一体。

 新一の声で我に返ったビョンコは狙いに気付いたらしい、一瞬顔をしかめたがすぐにニンマリとしたあくどい笑みに変わった。

「ゲロゲロ、また直接お前が本を狙うつもりゲロか! 甘いゲロ、同じ手は何度も通用しないゲロよ!」

 ピョンピョンと挑発するように飛びながら、盗一をその背に隠す。人間相手に負けるつもりはない、とその顔が如実に物語っている。

 だが。ニヤリと新一はビョンコに負けないくらいあくどい笑みを浮かべる。

「誰が、オレがカエル君と戦うつもりだと言った?」

「――ゲ、ロ?」

 ピシリ、とビョンコの体が固まる。しかし時すでに遅し。

 ガンッとクローバーと対峙するスペイドが、背を向けたまま剣を地面へと突き立てる。

 

「第六の術、ガンジャス・アルセン!」

 

 ――刹那、ビョンコの真下から激しい水流があふれ出した。

「ゲロォオオオ!!?」

 不規則に、貫通力のある水流が幾つも地面から噴出する。決して盗一には当たらないよう、ビョンコだけを狙いながら。

(よし、これも成功だ!)

 厳しい修業を耐え、スペイドは自身の意思で前方のみならず望んだ場所にこの術を出すことが出来るようになった。狙い通りビョンコだけを正確に狙うことにできたことに新一は拳を握り、その隙を逃さず走り出す。

 狙いは盗一。快斗と約束した通り、傷つけることなく助け出す。

「まっ、不味いゲロ!」

「しまった!」

 水流により遠くに吹き飛ばされたビョンコが地面へと落下しながら両頬を押さえ、クローバーが駆け寄ろうとしたがスペイドがそれを阻む――その間にビョンコは頭から地面に激突してめり込んだ。

 誰にも邪魔されることなく新一は盗一と対峙する。本を守るよう厳命されているのか、盗一は本を抱きしめ新一から逃げるような素振りを見せた。しかし、その動きはぎこちない。新一が逃げ場を遮るように立ちはだかれば、後ろに後退り首を左右に振る。

(戦闘マシーン……父さんも、こんな風になっちまっているのかよ……!)

 操り人形と化している盗一に、父親の姿が重なって映る。怒りを堪える様に奥歯を噛み締めた時、魔物達の声が響いた。

「盗一、呪文を!」

「新一、今だ!」

 クローバーが盗一に指示を、スペイドが新一に合図を送る。ビョンコは地面から頭を引っこ抜こうと頑張っている。

 新一はハッとしてスペイドを振り返った。相棒は一つ頷き、防御の態勢に入る。

(悪い、スペイド!)

 クローバーの指示を受けた盗一が本を開く。新一は本を開くことも心の力も溜めず、グッと右足に力を込める。

「ウィグルガ!」

 盗一が呪文を唱え、クローバーの棍から一直線上の空気の渦が放たれる。

 そうして出来た一瞬の隙を――操られているが故に複雑な動きが出来ず、呪文を唱える為本を庇うことを止めた盗一めがけて、新一は右足を勢いよく下から上へと振り上げた。

「はぁああ!」

 バンッと、新一の足が盗一持つ本を蹴り上げる。ただ両手で持っていただけの魔本は、呆気なく盗一の手から離れて宙を舞った。

「何!?」

「――よそ見をするな」

 己の本が本の持ち主の手から離れたことにクローバーが駆け寄ろうとし、しゃがむことで術を回避したスペイドが素早くその体勢のまま足払いをする。地面から浮き上がりそのままの勢いで倒れたクローバーは、視界の端でスペイドが剣を振りかざしたのを見て必死で棍を動かした。

 ガチィンッと音を立てて衝突する剣と棍。倒れた体勢のまま防いできたクローバーにスペイドは意外そうにし、重たい衝撃にクローバーは顔をしかめる。

「よっしゃ!」

 スペイドが作り出した隙を逃さず上手く本を手放させることに成功した新一は、顔を輝かせた後ポケットからライターを取り出した。直ぐ近くに落ちた本を拾い燃やせば、この戦いは終わる。

「っ、盗一!」

「新一、早く!」

「分かってる!」

 自身の本が燃やされそうになっていることにクローバーはスペイドを振り切ろうとするが、決してスペイドはそれを許さない。彼女の頑張りを無駄にしない為にも新一は本を拾おうとし――伸びてくる手に、動きを止めた。

「え……っ?」

 盗一の手は、人々に夢を与える魔法を生み出すものだ。東洋の魔術師と謳われたその手は、決して誰かを傷つけるためのものではない。

 だからこそ、新一は我が目を疑った。その手が、魔法を生み出す手が。

 ――己の首に伸びていることに。

 

「盗一!?」

「新一!?」

 キュッと、盗一の手が新一の細い首を絞める。喉を押され呼吸が上手くできなくなった新一は、ヒュッと短く息を吐き魚のように口をパクパクと動かした。

「親父!?」

「工藤君!」

 痛い。苦しい。ジリジリと力を込めてくる手にライターは落としたが、己の本だけは離さず空いた手で何とか引きはがそうと盗一の手を掴む。

「よくやったゲロ、人間! そのまま生意気なそいつの喉を潰すゲロよ!」

 地面からやっと抜け出せたのか、ビョンコの歓喜の声が聞こえてくる。

 どうやらこの行動は、このビョンコの指示らしい。本を奪われたら首を絞めるよう予め命じられていたのだろうか。エルジョの本の持ち主はすぐに本を燃やしたので、行動に移る暇がなかったのだろうか。

 苦しい。痛い。怖い。それ以上に――

(盗、一さん……)

 首を絞めてくる盗一の光を失った目に、胸が締め付けられる。

「新一を離せ!」

 スペイドの怒鳴り声と共に、盗一の手が新一の首から離れた。途端一気に体が酸素を取り込みだし、ごホッと大きくせき込んだ。地面に崩れ落ちながらジリジリと痛む喉を押さえて、必死に呼吸を整える。

「新一!」

 新一が首を絞められるのを見て、慌てて駆けつけてきたのだろうスペイドが泣きそうな表情を浮かべて新一の前でしゃがむ。大丈夫だと伝えたいが、声が上手く出てこない。

 視線を走らせれば、盗一が少し離れた場所でクローバーに支えられながら立っていた。スペイドが無理やり引きはがした際に飛ばしたのだろうか、服が少し土で汚れている。

(盗一さんの、あの目……)

 クローバーが、こちらを見る。パチリと目が合うと、スペイド同様泣きそうに歪められた。彼はビョンコとは違い望んでいなかったのか、はたまた盗一にそういった行動を取らせたくなかったのか。

「……スぺ、イド……」

 何回か音を出すのに失敗した後、ようやくまともな音が出せるようになる。喋れたことにスペイドとクローバーはホッと安堵の息を零し、ビョンコは忌々し気に舌打ちをした。

「まだ喋れたゲロか。どこまでもお邪魔虫で生意気ゲロ!」

「……っ、どっちが……!」

 ライターを拾いスペイドに支えられながら立ち上がり、新一は本を開く。大丈夫かと目で問われ、大丈夫だと頷き返す。例え喉が潰れようとも、この戦いに負けるわけにはいかないのだ。

「散々引っ掻き回してくれたが、お前たちでも逃げられない術を使えばいいだけの話ゲロ! クローバー、最大呪文ゲロ!」

 スペイドの素早さに撹乱されまくり苛立っていたらしいビョンコが、最終手段に出てくる。クローバーは一度目を閉じ、覚悟を決めて目を開けた。盗一の本が今まで以上に光り輝き、スペイドも身構える。

「新一、こちらも最大呪文を」

「ああ、これで終わらせる」

 本をめくり、第五の術の頁で止める。心の力を込め、呪文を唱えようとし――ふと、新一は喉の奥で何かが突っかかった。

 この術で確実に奴らの術を打ち破らなければならない。だが、その後はどうなるだろうか。この術に、盗一は巻き込まれないだろうか。

「新一……?」

「人間、唱えるゲロ!」

 新一のその僅かな迷いが、向こうに先手を譲ることになった。

「ギガノ・ウィグル!!」

 巨大な竜巻状の空気の渦が、棍から放たれる。それに我に返った新一は心の力を今まで以上に溜め――ごめん、と小さく呟いた。

「第五の術――ガオウ・ギルアルド!」

 スペイドの剣から、鮫の形をした水エネルギーが放たれた。巨大なそれはクローバーの術を上回っており、食い破るようにして渦に噛みつく。

 それを見た新一は走り出した。心の力を込め術が途絶えないよう気を付けながら、前へと。

 

 大きな唸り声をあげ、水鮫が渦を噛み砕いた。霧散するクローバーの最大術。破られたことにビョンコはヒィッと情けない声を上げる。

「あいつら、まだこんな術を持っていたゲロ!?」

 後悔しても遅い。水鮫は咆哮をあげ、ビョンコたちへと襲い掛かる。

「にっ、逃げるゲロよー!」

 慌てて踵を返して逃げるものの、水鮫の方が早かった。クローバーは盗一を庇おうと彼へと手を伸ばす。だがそれよりも早く彼を守るようにして立ち塞がった姿に目を見開く。

 その瞬間――水鮫が二体を食らうようにして衝突した。

 

 

 激しい音と共に土埃が混じった暴風が吹きあげる。敵の術を破ったスペイドは、それでも嬉しくなさそうに息を吐いた。

「本当に、甘すぎる……」

 ポツリと呟き、剣を鞘に納める。

 晴れた視界では、スペイドの術ももろにくらったビョンコが体の所々を黒くしながら倒れていた。こちらに関しては「ざまあみろ」としか思わない。クローバーも同じように食らったのか、満身創痍で倒れている。その体はまだ、透き通っていない。

 それもそのはず。まだ彼の本は燃えていないのだから。

「なぜ庇うんだ、新一……」

 クローバーの近くにいた盗一を、新一が彼の本ごと術から庇ったために。

 魔物二体とは違い立ったままの彼は、痛みに堪える様に肩で大きく息をしていた。術を受けたその背中は当然傷ついており、血が流れ滲んでいる。

 後ろから悲鳴が聞こえた。新一が盗一を庇い傷付いたのが見えたのだろう。それに忌々しそうに舌打ちをし、スペイドは急いで新一へと駆け寄る。

「新一、ガオウはどうだったか?」

「……最高に痛い。お前がパートナーで良かったよ」

 苛立ちを隠して軽口を叩けば、新一もまた軽口で返してきた。直前で水鮫の方向を二体に定めたことが良かったのか、まだ余裕は残っているみたいだ。

「庇う必要など、なかったと思うが?」

「約束、しちまったからなぁ。破るわけにはいかねぇだろ?」

 やはり新一は快斗との約束を守るために動いたらしい。そのせいで新一が傷付いては元も子も無い、とスペイドは快斗への評価を一気に下げた。八つ当たりだとは十分に分かっている。

「それに、あの目を見ちまったから」

「あの目?」

「……助けを求めて叫ぶ、目さ」

 限界が近づいたのか、新一は膝から崩れ落ちた。それでも倒れることなく、座り込んだ体勢でスペイドにライターを手渡す。

「これで、燃やしてくれ」

「……術でいい」

「オレが何のために、自分の術を食らったと思っているんだ?」

 最後の足掻きとして提案してみたが、案の定却下された。仕方なくスペイドはライターを受け取り、本を庇いながら倒れている盗一を見る。水鮫の衝撃を食らわずともその余波に耐え切れず倒れたらしいが、スペイドにとってはどうでもいいことだ。

 無理やり本を奪い取り、ライターに翳す。人間の抵抗などスペイドにとっては無きに等しい。取り返そうと伸ばしてくる手を叩き落とし、容赦なく火をつけた。

 ボウッと燃え上がる本。盗一は糸が切れたかのように再び倒れ、権利をはく奪されたクローバーの体が透き通っていく。

「……っ、そこの、君……」

 魔界に帰る感覚で意識が戻ったのか、クローバーは体を起こしながらスペイドに呼びかけた。ビョンコは憎いが、クローバーは最後まで真剣勝負を挑んできたので、最後の別れの言葉を聞こうとスペイドは彼のそばに寄る。

「クローバー、と言ったな。最後まで見事な戦いだった」

「……有り難う。聞きたいことがあるんだが、いいかな……?」

「答えられることなら」

 スペイドの返答にクローバーは嬉しそうにほほ笑んだ。

「今の魔界に、私の血筋の子がいるかどうか知りたくてね……」

「……貴方の血筋かどうかは分からないが、魔界で貴方と同じように棍を使う風属性の魔物なら見たことがある。クラブという男だ」

「そう、か……その子はこの戦いには?」

「参加していない」

「それは残念だ……私達のように、手を組んでいると思ったんだが」

 クスリと笑うクローバーに、スペイドは訝しそうにした。だが彼はそれ以上その話を続けることなく、盗一に目を向ける。

「盗一に伝えてほしい。この戦いに巻き込んですまなかった、と。それでも私は、再びパートナーを得ることが出来てうれしかった、と」

「……伝えておこう」

「君もすまなかった。大切なパートナーと、無関係な人間を傷つけてしまって」

「前者に関しては貴方ではなくあのカエルが悪い、後者に至ってはどうでもいい」

「……そんなところも、似ているなぁ」

 またこの目だ。スペイドを通して何かを見ているクローバーの目に、スペイドは嫌な予感を覚える。

「クローバー、まさか貴方は……」

「私からの忠告だ」

 スペイドの言葉を遮り、クローバーが真剣な声色で告げる。

 

「『スペイド』は必ず、その名前を守るために君の前に立ち塞がるだろう」

 

 その忠告に、スペイドは顔を強張らせた。新一にもまだ話せていない予想が確信へと変わる。

 スペイドは目を閉じ、その忠告を心に刻んだ。ゆっくりと息を吐いた後目を開け、クローバーに向けて頭を下げる。

「ご忠告、感謝する」

「……『スペイド』は今の君よりも強いが、大丈夫。君達ならきっと乗り越えられるはずだ」

 ふわりと笑い、クローバーは空へと目を向けた。

 その瞬間、彼の本は燃え尽き、その体が光の粒子となって消えていく。

 最後の一粒が見えなくなるまで見送ったスペイドは、内にあるものを全て出し尽くすように深く息を吐いた。

 

 

「ゲッ、ゲロォ……」

 スペイドの手を借りて立ち上がった新一は、意識が戻って来たらしいビョンコの声に眉をひそめた。彼女の手から離れ、無言で指差す。スペイドもその意図を汲み、無言でビョンコへと近づいていった。

「ク、クローバーは……」

「クローバーは魔界に帰った」

「ゲロ!?」

 スペイドの声にビョンコは飛び跳ねた。気付けば目の前にいる、二体の千年前の魔物を倒した現在の魔物。恐る恐る周囲を見渡せば、手下達の姿はない。

 タラリ、とビョンコは冷や汗を流した。そのまま滝のように流し、ソロソロと後退る。

「さて、カエルよ」

「カエルじゃなくてビョンコゲロ……」

「どちらでもいい。生きて帰す代わりに、質問に答えてもらう」

「ゲロ!?」

「――工藤優作を連れ去ったのは、ロードか?」

 スペイドの問いかけに、ビョンコは首を傾げた。恐怖故か視線をさ迷わせながら「ロードは城から出ないゲロ……」と小さく答える。

「名前なんて一々覚えてないゲロ、でも人間達を集めたのはオイラゲロ……」

「そうか……新一、父様を誘拐したのはこのカエルだ」

「てめぇか! 蹴る……のは出来ねぇか、踏みつけるから捕まえろ!」

「ゲロォ!? 嘘つきだゲロ、捕まえないって言ったゲロ!」

「生きて帰すとは言ったが、捕まえないとは言っていない」

 ゴォオオッと怒りに燃える新一に悲鳴をあげ、ビョンコは逃げ出した。スペイドは新一の怒り様に一瞬怯え、取り逃がしたことでそれが自身に向かうことを恐れてビョンコの捕獲に乗り出す。

 手のひらに水の球体を浮かばせる。新一と出会った頃は解毒水しか作ることは出来なかったが、修行を重ねるにつれ自身の能力もコントロール出来るようになった。今では解毒水の他にも、麻痺や睡眠など状態異常を引き起こす水が作り出せる。ただし、相変わらず飲み水だけは作れない。

「カエル、飲んだら麻痺状態になるから飲まないように」

「ゲロ!?」

 作った水球体――飲めば麻痺状態になる追加効果あり――をビョンコへと投げつける。球体はビョンコの体に当たり膨れ上がり、首から下を球体の中に閉じ込めた。

 コロコロと転がるビョンコ。違和感がないのは彼がカエルだからだろうか。

「オイラをなめるなゲロ!」

「あっ」

 そんなことを考えていると、ニュルンとビョンコは器用に身を捩って球体から脱出した。流石は水の中で自在に泳ぐカエルである。

 シュタッと地面に再び足を着いたビョンコはそのまま全速力で走り、空で控えていた千年前の魔物を呼んでその背中に飛び乗った。このままでは恐らくイタチごっこになるだろうと判断したスペイドは追跡せず、そのまま飛び去っていくビョンコたちを見送る。

「こら待てー!! スペイド、なんで捕まえておかなかったんだよ!」

 ビョンコに対する怒りで痛みを忘れ駆け寄ってきた新一が、逃げていく彼らの姿を睨みつけた。地団駄を踏みそうな程悔しげなその様子に、スペイドは落ち着けと宥める。

「また乗り込んだ時にいくらでも踏めるだろうから、そう怒るな」

「……くそカエル! 絶対踏んでやるからなー!!」

 地団駄は踏まなかったが、代わりに吼えた。上手く怒りの消化が出来なかったらしい。

 気持ちは分からなくもないので、これ以上傷が広がらないよう抑える。

 ふと、後ろから来る人たちの気配を察した。そちらに顔を向けることせず、相棒の名を呼ぶ。

「新一、まだ戦いは終わってないみたいだ」

「……第三ラウンドの開始か」

 思い出した後始末、否、本来の目的に新一は面倒臭そうに息を吐いた。少しよろけながらもスペイドの手は借りずに、後ろを振り返る。

「さて、と。スペイド、ここがある意味正念場だ。気合いいれていくぞ」

「……私は何をすればいい?」

「喧嘩は売るなよ」

「善処する」

 駆け寄ってくる有希子と哀、阿笠。盗一の元に行く快斗と千影。その後ろから着いてくるFBIメンバーと捜査一課の三人。

 

 魔物との戦いを終えた新一とスペイドを次に待ち受けているのは、人間との戦いだった。




12/07~12/17の間更新できません。次回の更新は12/18以降です。

・『サーボ・アライド』は、鈴神様より頂いた術案です。有り難うございました。


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Level.14 信頼と恐怖

「――予想通りだったよ、ナゾナゾ博士」

『ハハハッ、そうだろうと思ってアポロ君に頼んである』

「……あんた、本当何者なんだ?」

『言っただろう? 私はなんでも知っていると』

「つまりストーカーか」

『酷いなぁ、新一君。私はストーカーではないよ』

「どうだか」

 

 空港のスカイラウンジ。そこの一角で、有希子の携帯を借りてナゾナゾ博士に事の報告をしていた新一はクスリと小さく笑った。

 多少の本気は混ぜているが、疑っている訳ではない。同じ魔物の本の持ち主同士であり、共通の敵を倒すという目的があるからか、はたまた清麿達の仲間だからか。いつの間にか新一はナゾナゾ博士のことを疑ってかかることは無くなっていた。まだ完全に信頼している訳ではないが、それも時間の問題だろう。

「ナゾナゾ博士、あの人達は恐らく説得されてくれないぜ? 特にFBI」

『ああ、彼らの事情を考えれば仕方ないだろう。しかし、それでも巻き込むわけにはいかない』

「……オレ達側からすると、やっぱり『巻き込みたくない』になるよなぁ」

 ナゾナゾ博士の言葉に、新一はしみじみと呟いた。

 思い出すのは、つい先程まで行われていた人間との戦いである。

 

 約束通り、新一はその場にいた人達に全てを説明した。

 魔物の事。王を決める戦いの事。ロードという魔物の事。そして、自身の事。

 普通ならば信じることなど到底出来ない程現実離れしている話だが、彼らはその一部始終を目撃している。目の前の現実を否定することも可能だろうが、『江戸川コナン』という前例があるためか、彼らは魔物の存在を信じた。

 ――ただしそれは『信じた』だけであり、受け入れるか受け入れないかはまた別の話だった。

 

「でもあの人たちからすれば、当事者なんだよな」

『そりゃあそうだろう。ロードは無関係な人たちも巻き込んでいるのだから』

 日本警察とFBIが出した結論は、【新一の話は信じるが、手を引くことは出来ない】だった。

 今からでは勢力も間に合わない為ロードを倒すのは新一達に任せることになるが、新一達に同行してその目で魔物を見極めてから、今後の対応について考える。

 そう言って彼らはすぐに準備に取り掛かった。偶々魔物の戦いを目撃することになった目暮やジェイムズ達は新一達を見張るため同じ便で南アメリカに向かうが、それ以外の警察官とFBI捜査官達も諸々の準備を終えてから後を追って来るらしい。

 本音を言えばこのまま手を引いて欲しかったのだが、時間もないため新一は渋々妥協した。

 新一の感覚でいえば無関係な人たちを連れて行くことなり、ナゾナゾ博士達に対して申し訳なさを感じていたのだが、意外にも受け入れてもらえたことに安堵と僅かな疑問を抱いた。

(どうしてこの人は、警察とFBIが着いてくると分かっていながら、オレを差し向けたんだ……?)

 面識のある新一の説得によって警察組織が手を引くことを期待していたと思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。

 問いかけようと口を開き、声にする前に飲み込む。今ここで聞くようなことではない。

 代わりに、彼らに言われたことを話す。

「赤井さん……FBIの人に言われたんだ。『魔物は人間界への侵入者、そう考えるのは普通だと思わないか?』って」

 魔物の戦いは魔界ではなく人間界で行われている。今では当たり前のように受け止めている新一でも、初めの頃は『何故人間界で行うのか』という疑問を抱いていた。

 それは本の持ち主でない人間達からすれば、より大きな疑問と恐怖を招くものだろう。

 人間よりも遥かに強靭な体、驚異的な能力を持つ魔物が人間界で争っており、それだけに留まらず犯罪行為に手を染める者達もいる。例えそれが本の持ち主の望みだとしても、魔物に傷つける意思がなくとも、傷つけられた被害者が多数存在するのだ。

 国民を守る彼らが、魔物を警戒するのは当然の事。これ以上人間が巻き込まれないよう、魔物を排除しようと思うのもまた仕方のない事。

「でもオレは、それが無関係の人達にとって『普通』だと理解しても、納得することは出来なかった」

 そうとは分かっていても、新一は彼らの考えに同意することは出来なかった。

(魔物も人間も変わらない……そう思えるのは、きっとオレがスペイドの本の持ち主だから)

 確かに魔物は無意識にどこかで人間を下に見ている節がある。

 ――人間にしては。人間のくせに。

 戦ってきた魔物達だけでなく、相棒であるスペイドの口からも聞いたこともあった。

 それでも、本の持ち主と共に戦うことで、魔物達は人間の存在を真の意味で受け入れていく。同じように本の持ち主もまた、魔物の存在を真の意味で受け入れていく。

 ナゾナゾ博士も同じなのだろう、新一の言葉に複雑そうにウムムと唸りこそすれ、否定することは無かった。

「――悪い、ナゾナゾ博士。オレがあの人たちを、受け入れられなかったんだ」

『いや……、謝るのは私の方だ。彼らは君の仲間だと言うのに、』

「元仲間だ。今のオレの仲間は、あんた達だよ」

 感情のままにナゾナゾ博士の言葉を遮り、新一にとっての修正をする。

 まだ人間との戦いは終わっていない――この戦いは、魔物の王を決める戦いが終わるまで続くだろう。

 もしも、日本組織やFBIが魔物に敵対する道を選ぶとしたら。

 新一は迷うことなく、魔物の側に着く。

(だからあの人たちは仲間じゃない。仲間に戻っては、いけない)

 新一の過去からの否定ではなく本の持ち主としての覚悟の言葉を、ナゾナゾ博士は正確に読み取った。

『――その言葉を、清麿君に言ってはいけないよ』

 暗に肯定しているそれに、新一は口角をあげる。こういった所が、新一の信頼を勝ち取っているとこの老人は気付いているのだろうか。

「分かってるよ。ナゾナゾ博士だから言ったんだ」

『……君が本の持ち主に選ばれたことは、スペイド君だけでなく、他の魔物や私達本の持ち主にとっても幸いなことだったようだ』

「今のオレにそんな力ねぇって」

『謙遜しなくていい。君がいなければ今頃、ロードに我々、警察組織の三つ巴になっていただろうからね。そうならなかったのは……新一君、君がいたからだよ』

「オレ?」

 ナゾナゾ博士の言葉に、はてと新一は首を傾げた。

 先も考えていたように己が選ばれたのは唯一面識があったからだと思っていたのだが、それ以上の思惑があったのか。幾つか予想を立ててみるが、どれもしっくりこない。

 悩む新一に気付いたのか、ナゾナゾ博士は電話の向こうでクツクツと笑う。

『彼らは君という存在を信じているから、武力行使に出ることなくその目で見極めようとしているのだからね』

 ――何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。

 虚を突かれ目を丸くした新一は、まるで日本警察とFBIが新一を信じているから魔物と敵対しないと言っているそれに慌てて反論しようとし、だが口から音が出てくることは無かった。パクパクと口を動かし、ようやく出た言葉は「嘘だ」という可愛げのない言葉。

「そんな冗談言える暇があるんなら、手品の仕込みでも増やしとけ」

 ――そんなこと、あるはずがないのだから。

 そう叫んでいる心は表に出ることなく、体の中で反響させている。唇を噛み締め携帯を握り締める手に力を入れると、『本当さ』と何でも知っている不思議な博士は笑った。

『今は分からないだろう。けど何時かきっと気付く日が来る――世界は君を、愛しているということに』

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 吹き荒れるブリザードに、快斗は身を縮込ませた。

 空港のスカイラウンジの四人掛け席。そこで向かい合うようにして座る、新一の元相棒であった哀と、現相棒であるスペイド。

 スペイドは以前も見かけた黒い兜を被っているが、それでも哀と視線を合わせていた。ただ合わせるだけではない、バチバチと火花を散らし、周囲の人を凍えさせるのではないかと思う程冷たいオーラをお互いに発している。

 彼女たちの席の隣にいる快斗ももれなくその余波を食らっており、なるべく彼女たちの視界に入らないよう小さくなるしかない。

 哀の隣に座っている阿笠は苦笑しているが、快斗程怯えていない。年の功というべきか、はたまた慣れているのか。快斗の向かいに座っている両親、隣にいる有希子も同じように気にしていないことから、やはり年の功なのかもしれない。

 一人怯えていることにこっそり息を吐き、快斗は視線をスカイラウンジの一角に滑らした。そこでブリザードの原因である新一が、有希子の携帯を借りて電話をしている。

(新一、早く戻って来いよー……)

 心の中で呼びかけるものの、当然ながら新一には届かない。

 快斗が新一の元へと避難する手もあったのだが、タイミングを失った為動くに動けなくなった。

 ある意味絶体絶命の窮地。

 一人勝手に追い詰められている快斗を救ったのは、時間差で届いたのか、新一の「あほかー!」という盛大な叫び声だった。

「真面目に聞いたオレが馬鹿だった! ガッシュのザケルでも食らってろバーロ!!」

 ブリザードを発していた二人もその叫び声に驚き、にらみ合うのを止める。遠くにいながらも二人を見事抑えてみせた新一は、そうとは知らずに通話を切って戻って来る。

 その耳は妙に赤く、あれと快斗が不思議に思った瞬間、スペイドがポツリと「からかわれたか」と呟いた。

 それが耳に届いた新一は彼女を睨みつけ、ドカッとその隣に荒々しく腰を下ろす。

「ナゾナゾ博士達とは香港で合流する」

「香港?」

「ガッシュ達の仲間がそこに住んでいて、今そいつらと一緒なんだと。因みに南極からも一組向かったそうだ」

「私達も含めて合計六組……ウマゴンも数に入れると七組か」

「対するロード側は四十弱。数だけで見れば不利な状況だが」

「負ける気はしないな」

 ニヤリと笑い合う二人。少し前なら理解できなかっただろうその会話も、今では理解し想像できるようになった。

 

 一時子どもの姿に退化していた新一は、今度は魔物の戦いに巻き込まれていたらしい。

 快斗との約束を守るために大怪我を負った新一は、手当てもそこそこに真実を――魔界よりやって来た百人の魔物の子どもによる王を決める戦いのことを話した。

 普通なら信じられない話だが、快斗はその目で戦いを実際に見てしまった。とは言っても、基本快斗は疑い深い性格をしている。クラスメイトの紅子という自称魔女が箒に乗って飛んでいるのを見ても、怪しげな呪いを使って来ようとも、『魔女』という存在は信じていない。

 それでも、快斗は新一の話を真実だと思った。それは新一が探偵だからではない、彼が誰よりも真実を見ていることを知っているからだ。

 工藤新一だからこそ、その場にいる者全員が信じたのだ。

 

(――……とは言っても、全員手を引こうとはしなかったんだけどさ)

 

 信じたからこそ、全員が新一の『ここで手を引いて欲しい』という頼みを聞き入れなかった。

 そもそも日本警察やFBI、そして快斗達が積極的に動き出したのは、行方不明になった人達の捜索の為である。

 優作を始め世界中で誘拐された人達はロードという魔物の手の内にいるのだ、日本警察とFBI、そして有希子が引かないのは当然の事。哀や阿笠は新一や有希子を心配して同行を希望し、哀が無理やり押し切った。

 黒羽家が引かなかったのは、彼らの理由と少し似ているが大前提が異なっている。

 特に快斗が引かなかった理由は、両親のとも異なっていた。

(オレも、親父や怪盗の問題を片づけないまま「ハイそうですか」って帰れねぇし……)

 そっと快斗は目の前に座る人物を見る。そこには「心の力が~」「ディオガ級の術には~」などと専門用語で話し出した魔物と人間のペアの話を興味深そうに聞いている、死んだはずの父親――黒羽盗一がいた。

 彼もまた、ロードに誘拐され操られた人の一人だった。新一達によって救い出された後精神操作から解放されたことで気を失ったが直ぐに目覚め、感動とは言い難いが親子の再会を果たした。

 特に快斗の母であり盗一の妻である千影の喜びようは半端ではなかった。子どものように泣きじゃくり盗一から離れず、恩人である新一とスペイドに何度も感謝の言葉を伝えた。

 目覚めた盗一はそんな千影を見て一瞬驚いたが、直ぐに夫として彼女を宥めた。今も二人は寄り添い合い、お互い隣にいることを実感し合っている。

 それらを、快斗はどこか遠くで見つめていた。

 本当なら千影のように喜ぶべきなのだろう、盗一が生きていたことを、会えたことに涙を流すべきなのだろう。

 それでも快斗の目から涙は出てこなかった。そればかりか盗一と目を合わせることを、触ることを体が拒絶した。

(本当に生きていて嬉しいのに、なんだろう……なんか、嫌だ……)

 両極に位置する感情が快斗の中で渦巻き、盗一と距離を取らせている。然し。このまま家に戻り両親と離れて過ごせば、よりこの感情は複雑さを増して取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。そう考えれば無理をしてでも新一達に着いていく他なかった。

 ふと盗一が視線を向けてきたので、なるべく自然を心がけて目を反らす。あからさまに遠くに向けるのは不自然なので、盗一の近くにいる新一を見ることで最初から彼を見ていましたアピールをする。

 その視線に気づいたのか、新一が一瞬快斗の方を見た。数回瞬きした後「後で」とスペイドとの話を切り、盗一の方を向く――快斗の思惑に感づいたのだろうか。

 少しだけドキドキする快斗の心情など気にせず、新一が盗一に話しかける。

「盗一さん、申し訳ないですがもう一度質問をしてもいいでしょうか?」

「ああ、勿論だよ。たださっきも言った通り何も覚えていないから、対した情報は得られないと思うが」

 その言葉で快斗は重要なことを思い出した――盗一は誘拐された後から解放されるまでの間の事は覚えていなかったことを。

 しかし彼は新一達の話を信じた。どうやら記憶はなくとも、精神操作から解放した新一達のことを本能が覚えていたらしい。スペイドが魔物だと知っても怖がること無く、何度も感謝の言葉を伝えていた。そして同じように優作が囚われていると知るや否や、盗一は同行を申し出た。最初は反対していた新一達も、敵の本拠地に行けば何か思い出すかもしれないと最強の切り札を切られてしてしまえば何も言えなくなる。

 結局全員が同行することになり、疲れた表情を見せていた新一は、盗一の言葉にゆるく首を横に振った。

「記憶のことではなく、盗一さん自身についてお聞きしたいことがあるんです」

「私にかい?」

「はい。まず、今妙に疲れていたりしませんか? こう、全身疲れが溜まっているような、体を動かすのも億劫になるとか」

「……そう言えば、怪我はしていないが妙に疲れが溜まっている気がするな」

 新一の質問に、盗一が自身の体を見渡しながら答える。盗一に怪我が無いのは新一が身を挺して庇ったからであるが、新一はそのことを伝えていない。だが盗一のことである、恐らく新一の怪我の原因が自身にあると気付いているだろう。

 盗一が新一を見、視線が交差する。時間にするとほんの数秒。それでも二人は目で何かを語り合ったのか、ニコリと不自然なまでの笑みを浮かべた。

「その疲れは恐らく、呪文を多く使ったからでしょう。心の力もロードに操作されていましたから……」

「新一、心の力って何?」

 出された専門用語に、はいと快斗が手を挙げおどけて質問をする。盗一との間に妙な空気を作っていた新一は一瞬にしてそれを霧散し、快斗の方を向いた。

「心の力ってのは……そうだな、分かりやすいよう最初から説明するか」

 そう言って新一は蒼色の本――彼らの魔本を机の上に置いた。

「魔界から送り込まれた百人の魔物達は、この人間界で魔力を使うことが出来ない。術を発動させる唯一の方法が、この本を使うことだ」

 表紙をめくると、読めない文字がぎっしりと詰められていた。新一は何頁かめくり、快斗にとっては代わり映えのしない頁で手を止める。

「ここの上三行、お前たちには何も変わって見えないだろ?」

「おう」

「だがオレには、ここだけ色が変わって見えている」

 スッと新一が指でなぞる。何か変化が起きるかとその動きに注目したが、何も起きない。

「『第一の術 アルド』――ここにはそう書かれている。この蒼色の本を読めるのは世界にただ一人オレだけ。オレが呪文を唱えれば、スペイドは術を発動することが出来る」

 ここまでは快斗達も魔物について説明を受けた時に聞いている。

 おさらいの部分を話し終えた新一は、なぞった部分を指で軽くたたきながら本題へと入った。

「呪文を唱える。オレは最初そう説明したが、実際はただ唱えるだけでは術は発動しない。強い感情――『心の力』を込めて呪文を唱えた時、魔物は術を発動することが出来る」

「強い、感情?」

「喜怒哀楽様々な感情を、この本はエネルギーに変換するんだ――こんな風に、な」

 そう言うや否や、今まで何も変化が起きなかった本が突如として光り輝き出した。淡い物だったが本が光ると言う超常現象に、先ほど見たとはいえ一瞬ドキリとする。

「本が輝いている時は、心の力を込めている時だ。オレもまだ、あと少し残っている」

「心の力って減るのか?」

「無限にある訳じゃない。そうだな……」

 新一は机を見渡し、空になったコップを手に取った。

「スペイド、このコップに水を注いでくれ」

「分かった」

 スペイドが頷くと同時に、コップに水が溜まる。スペイドは水属性の能力を持ち、彼女が作り出した解毒水によって新一は元の姿に戻れたらしい。元科学者である哀の目が、その水を捉えキラリと輝いた。

「このコップが、心の力の容量だと思ってくれ。本の持ち主にはこの容量内の力を使うことで、術を発動させていく」

「……なる程。心の力とは無限にある感情ではなく、決められた枠内に存在するもの。そして人はその力を上手く調整する技術が必要となる、ということか」

「ええ、そうです盗一さん。さらに言えば、強い呪文になればなる程必要となる心の力も多くなっていく。だからオレ達人間は、より効率よくこの力を使っていくことが求められる」

 新一がコップを傾けると、中の水が零れ落ちた。しかし机の上に到着する前に空中で霧散していく――スペイドが霧状に変化させているのだろう。

「こうして心の力を使い切れば当然空っぽになり、術も発動することが出来なくなる。そうすると自然に溜まるのを待つしかない上に、本来そこにあるはずのエネルギーが消えたことで体に少し負担がかかる」

「それが体の疲れで出てくるということか……」

「工藤君、その心の力は精神や肉体に悪影響を与える心配はないでしょうね?」

「病気になる訳じゃねぇから、そこは安心しろ。精神科に入った奴もいるみたいだが、それは本の持ち主になったからじゃなくて、魔物がいなくなった現実を受け入れられなかったのが原因だろうし」

 警察側の事情もある程度聞いていたのか、新一は哀の質問に肩を竦めて見せた。感情を基にするエネルギーを使用しても精神に影響は出ないと彼は信じているのだろう。

 この件に関して快斗は何かを言う権利を持っていない。そもそも今議論を交わす内容でもない。

 新一の体を心配する余り追及しようとする哀を遮り、「それで」と自分で脱線させた話を元に戻した。哀に睨まれたが素知らぬフリでやり過ごす。

「心の力が何なのか分かったけど、ロードが親父のそれを操作したっていうのは?」

「盗一さんの戦いが初心者のそれじゃなかったからだよ」

 開いていた本を閉じて膝の上に戻しながら、新一は面倒臭がらず説明する。

「心の力を効率よく使う為には、体に限界を叩きこむのが一般的だ。けど、ロードは精神操作をすることで心の力も支配し、その容量を最大限に上げ、より効率良く術が使えるようにしていたと考えられる」

 心の力の容量は変化するらしい。快斗の脳裏に最近学校の級友から借りたRPGが浮かんだ。魔法使いが魔法を使う為にMPを消費するが、レベルが低いときは数値が低い。だがレベルアップする度に数値も上がり、習得できる魔法の種類も増えていく。魔物も似たような感じなのかもしれない。

(――と考えると、親父は不正行為で数値を一気に最大値にまで上げられ、新一はそれによって起きるバグ……じゃない、影響を心配しているのか)

 それは確かに心配である。目を合わさないようこっそり盗一を窺うと、手を数回開閉しながら微妙そうな表情を浮かべていた。

「疲れ以外は特に何も感じはしないな……ただ、手に少し違和感がある」

 ――ヒュッと、誰かが息を飲んだ音がした。快斗も固まり、声を出そうにも出せない。

 盗一の手は、快斗も大好きな魔法を生み出す素晴らしい手だ。見る人を夢の世界へと連れて行く、魔術師の手だ。

 その手が、新一の細い首を絞めたことを、まだ彼には伝えていない。

 術をその身で受けたことでボロボロになった服を着替えた新一は今、黒いハイネックの服を着ている。すっぽりと首を覆い隠しているその下には、指の痕がくっきりと残っている。

「多分本を持っていた名残でしょう。記憶がないとはいえ、盗一さんは魔物のパートナーでしたから」

 その手で殺されかけた新一は、にっこりと綺麗な笑みを浮かべ可能性の一つを提示した。それは決して嘘ではない。新一は嘘をつくのは苦手だが、真実をはぐらかすための演技はとても得意だ。

「……そう、だといいね」

 人の目を騙すことを生業としている盗一は、新一のその演技を見破っているはずだ。だが、何も聞かずあえてそれに乗っている。

 駆け引きを繰り返す二人に、快斗の気持ちも落ち着かない。

「――正常な反応が出ているなら、今は心配いらないでしょう。もし何か体に異変を感じれば直ぐに教えてください。それともう一つ、これは個人的な好奇心なんですが……」

 駆け引きから身を引いた新一が、綺麗すぎる笑みを消した。困惑を表に出し、緩く首を傾げる。

「うちの父さんの方は話を聞く限り仕方ない状況だったみたいですけど、盗一さん程の人があっさり捕まったのが気になって……。スペイドを振り切った位ですし、あのカエルも相当な実力者だとは思うんですが」

「優作は殆ど寝てなかったからねぇ……カエル君に負けるのも当然だわ」

 新一の言葉に、有希子が頬に手を添え呆れたように息を吐いた。

 新一の疑問も尤もである。盗一は初代怪盗KID。相手が魔物とは言え、不意を突けば逃げることも可能だろう。

「……情けないことに、あの時私が仕込んでいた手品は一つしかなかったからだと思うんだ」

 盗一自身もそう思っているのか、全員の視線に乾いた笑みを浮かべ頭を掻きながら答える。

「久しぶりの千影とのデートに浮かれて、目的地に仕込んで自分では薔薇しか用意していなくて……」

「盗一さん……!」

「千影、全てが片付いた後、またあの日の続きをしよう」

「はい!」

 ――思わず椅子から滑り落ちそうになったが、快斗は必死に耐えた。

 快斗も普段から仕込んでいる手品の数は少数ではあるが、盗一の間の悪さと両親の仲の良さには呆れしか浮かばない。

 新一達も目が点になっており、哀とスペイドの冷たい目に息子として居心地が悪くなる。

「……盗一さんも、うちの父さんと同じように間が悪かった、ということなんですね……」

 顔をひきつらせながらも、新一が何とかまとめ上げた。

 再び気まずくなる空気に、今度は阿笠が「そうじゃ」と声を出す。

「新一、ワシからも一つ質問があるんだが……」

「何? 博士」

「優作君のパートナーとなる魔物は、スペイド君と何か関係があるんじゃないか?」

 博士の言葉に、スペイドに視線が集まった。

 確かにと哀が手に口を当て、探る眼を向ける。

「工藤君の説明によると、集められた人間は『千年前の戦いの本の持ち主達の子孫』。本の持ち主である工藤君の父親の優作さんが攫われたとなると、同じように貴方の先祖が何か関係あると考えられるわね」

「――その件に関しては、後で新一達に話す。部外者には話す必要性が感じられず、言わなかっただけだ」

 淡々と、冷たい声でスペイドは答えた。その拒絶する態度に哀は目を吊り上げ、快斗達もムッと不愉快そうにする。

 ただ一人、新一だけが呆れの表情を浮かべた。

「スペイド、誤解を招く発言はよせ」

「本当のことを言っただけだ」

「魔物のことを知ったばかりのこいつらに憶測を話しても混乱するだけだから、だろ?」

「……意地悪」

 兜で表情は分からないが、スペイドはふて腐れたようにそっぽを向いた。自分たちには決して見せないその態度を意外に思っていると、新一が「悪い」と代わりに謝罪する。

「まだ憶測だけで、はっきりとしたことは言えないんだ。清麿達と合流した時にちゃんと話すから、待っていてほしい」

「新一がそういうなら、ワシは構わんが……」

「私もいいわよ? 新ちゃん達が優作を取り返してくれるって信じているから」

 阿笠と有希子は快く了承した。哀はスペイドを睨みつけたまま、渋々と頷いた。その代わりにと言わんばかりに、恐らく誰もが思っていただろう疑問を口に出す。

「高嶺清麿とガッシュ・ベル」

「ん?」

「随分と、信頼しているみたいだけど。彼等は何者なの?」

 それは決して、魔物と本の持ち主という意味ではない。

 ――彼らは、新一が全幅の信頼を寄せるに値する者達なのか、と聞いているのだ。

 かつて仲間だったからこその疑問。

 新一は数回瞬きし、考える様に顎に手を添える。

「そうだな……ガッシュはスペイドの王様だから」

 暖かな何かを思い出す様に目を細め、ふんわりとした笑みを浮かべる。

 

「清麿は、オレの王様だな」

 

 その言葉の意味を、まだ快斗達は理解することが出来なかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――某空港第二会議室。急遽借り受けたそこで、高木はブルブルと震えていた。寒さ故にではない、これから向かう先への恐怖心で、震えが止まらないのだ。

「本当に、行くんですか? 魔物がいっぱいいるんですよ!? 絶対危ないですって!」

「高木君、いい加減腹を括るんだ。佐藤君はもう覚悟を決めているんだぞ?」

「しかし目暮警部……!」

 恋人である佐藤を引き合いに出されてしまえば、高木も男として何も言えなくなる。それでも、怖いものは怖い――魔物が、怖くて仕方ない。

「せめて武器でも揃えてから……」

「揃えて向かった頃にはもう工藤君達が終わらせている。それに、あの力に対抗できる武器をすぐに用意できる訳ないだろう」

「……工藤君達に任せて、僕らは待機とか……」

「これ以上は怒るぞ、高木!」

「はぃいい!」

 ギロリと上司に睨まれ、高木は縮み上がった。魔物も怖いが目暮も怖い。

 これ以上何を言っても決定事項は覆らない。このままロードの元に向かう新一達に同行することが、高木に与えられた仕事になる。

(でも、何も力もない僕たちが行っても足手まといになるだけだ……)

 FBIのジェイムズと何やら話し出した目暮を横目で窺いながら、高木はこっそり息を吐く。

「高木君」

「佐藤さん……」

 ポンと肩を叩かれ振り返ると、佐藤がヒラヒラと手を振って立っていた。新一から伝えられた真実を誰よりも早く受け入れた彼女は、不安を曝け出している高木に苦笑を浮かべている。

「気持ちは分かるけど、私達は警察なのよ? 工藤君達だけに任せるなんて無責任なことは出来ないわ」

「それは分かっているんです。けど……」

「けど?」

「……本当に、魔物を信じてもいいんでしょうか?」

 ポツリと呟かれた高木の本音。それは魔物が存在しているか否かという意味ではない。

 ――魔物が人間に害を成す存在でないと、信じていいのか否か、ということだ。

 高木はこのまま魔物を受け入れていいのか分からない。千年前の魔物から攻撃を受けた時の恐怖が、身に染みて離れない為に。

「本当に、工藤君の言う通り『正しい』心を持つ魔物は、存在するんでしょうか?」

「それは……」

「あのスペイドちゃんだって、人間の事を快く思っていないじゃないですか」

 新一が説明している間、後ろで静かに見守っていたスペイドを思い出し、ブルリと体を震わせる。

 兜で顔を隠した魔物は、竦み上がる程冷たい雰囲気を纏っていた。少しでも新一に危害を加えようとするそぶりを見せれば、迷わず腰に下がる剣を振るっていただろう。どこからどう見ても、彼女は好意的ではなかった。新一の事情を考えれば仕方ないが、魔物に襲われたばかりの高木にはその姿が人を見下しているように見えた。

「魔物なんです、人と違う生き物なんですよ!」

 カエルもそうだった。こちらの方は見下していることを隠しもしなかった。新一が倒した魔物達も、躊躇う素振りは見せても攻撃の手を止めようとせず、高木達に襲い掛かった。

 新一は心優しい魔物もいると言っていた。それを疑っている訳ではないが、それ以上に人間に危害を加えても何とも思わない魔物の方が多いのではないかという疑惑もある。だからこそ、世界中で事件が起きているのではないか。

「これ以上魔物が人間を襲わないって、どうして言い切れるんですか!」

「なら高木君は、どうしろって言うのよ!」

「そっ、それは……」

 佐藤の言葉に、高木は何も言えなくなった。

 魔物は怖い。出来ることなら早く魔界とやらに帰ってほしいが、その中でも罪を犯した魔物は捕まえるべきだと思う。

 だからと言って、スペイドのように何もしていない魔物達を、ただ『魔物』だからという理由で迫害するのも違う気がするのだ。

「あのね、高木君。忘れているみたいだけど、魔物は自分たちの力であの魔法みたい術を出すことは出来ないのよ? 確かにロードとかいう魔物みたいに操っている場合もあるかもしれないけど、今まで起きた事件の大半が人間側の事情によるもの。それらの全てを魔物のせいに出来る? 魔物だけが悪いってそう思える?」

 捲し立てる佐藤に、高木の顔は徐々に俯いていく。

 本当は分かっているのだ、魔物だけが悪い訳ではないことなど。

 それでも恐怖心が拭えない。向けられた殺気が、攻撃が、鮮明に思い出される。この恐怖から逃れたい。それを簡単に出来る方法が、原因である魔物を疎外することだっただけのこと。

 そのことをどうやって佐藤に伝えればいいのだろうか。否、彼女は自分のこの愚かな感情を受け入れてくれるだろうか。

 言葉に迷い何も言えなくなっていると、後ろから「それまでにしておけ」と救いの声が響いた。

「彼の考えは、恐らく一般的なものだ」

「赤井捜査官……」

「ただし、今『恐怖』という感情に支配されていることは警察官として自覚していなければならないがな」

 どこから話を聞いていたのだろうか。涼しげな表情を浮かべた赤井が二人の後ろに立っていた。

 新一と同じくシルバーブレッドと呼ばれている赤井に佐藤は反論しようとしたが、仕方なさそうに肩を竦めた。

「だからこそ私が彼の目を覚まさせないとって、思ったんだけど……確かに自分で気付かないと意味がないわね」

「さっ、佐藤さん?」

「頑張ってね、高木君!」

 先の赤井の言葉でどうして応援されないといけないのか、高木は展開の速さに着いていけなくなった。

 訳が分からず戸惑う高木に、涼しげな顔を崩さない赤井が「そうだった」と思い出したように話す。

「高木刑事、高嶺清麿とガッシュ・ベルについてだが」

「へっ? あっ、ああ、あの二人ですね」

 突然出た名前に高木は一瞬誰の事か分からなかったが、直ぐにその者達の顔が頭に浮かんだ。

 以前新一が日本に来た時に匿っていた彼らは、FBIの想像通り魔物とその本の持ち主であった。今はロードに立ち向かうべく、一足先に敵の本拠地に乗り込んでいるらしい。

 彼らと麻酔銃付き鬼ごっこを不本意とはいえ繰り広げたことのあった為、高木はあの小さな子どもが魔物であると言われ何となく納得してしまった。赤井からも逃げ切ったのは魔物だったからなのだ、と。

「――俺達は彼らが『雷』に関係した能力を持っていると、あの時すでに想定していた」

「そうなんですか!?」

「ちょっと、なんでそんな重要なことを……!」

「目暮警部の判断だ。確固たる証拠が出てから、お前たちにも話すつもりだったらしい」

 さらりと重要なことを言った赤井は二人の責めるような視線をものともせず、話を続ける。

「モチノキ第二中学校に雷が落ち、大破したことがあった。この時屋上にいたのは男女生徒二人、そして高嶺清麿とガッシュ・ベル。

 この二人が解決した銀行強盗事件。犯人達は電撃を帯び倒れたと報告されている。

 ――それ以外にも、彼らの目撃情報がある場所では同時に『雷』が目撃されている。証拠はないが、これらのことから『雷』に関係した能力を持っていることは想定できる。

 だからこそあの時、彼らに対抗すべく麻酔銃の使用が許可されていた」

「えっ、でも彼らは何もしてこなかったですよ?」

「ああ、そうだ。そこが問題なんだ」

 赤井は高木に目を向けた。何を考えているのか分からないそれに、無意識に一歩後退る。

「何故彼らは能力で反撃してこなかった? 煽るように俺達が銃を放っても、彼らは逃げるだけで何もしてこなかった――何故だと思う?」

「なっ、何故って……なんででしょう?」

「――あそこで彼らが反撃するということは、確固たる証拠を俺達に見せること、そして戦いのきっかけを作ることになるからだ」

「なる程、清麿君っていう子はそこまで考えて……」

 赤井が何を言いたいのか佐藤はすぐに理解できたらしい。しきりに頷いているが、赤井の雰囲気に圧倒されている高木の頭は上手く働いてくれない。

「推測になるが、ボウヤがあそこまで気を許している子だ。もしもあそこで反撃していれば信じることは難しかったが……少なくとも彼らも敵対することは望んでいないだろう」

「……でも、反撃もしてこない彼らに麻酔銃を撃ったのは行き過ぎだったのでは?」

「あの後ジェイムズにこってり絞られた。彼等には会った時にでも謝罪しなければな」

「そうしてください。向こうが友好的でも、こちらに悪意があると思われたら大変ですから」

 一体彼らは何の話をしているのだろうか。一人ポツンと残された高木は、物寂しさを感じた。赤井がジェイムズに絞られたのと同様に高木も目暮にこってりと怒られたので、彼らに謝罪しないといけないことはわかるが、その前の会話の意味が分からない。佐藤に怒られるのを覚悟でと話に入ろうとした時、「みんな!」と目暮の声が響いた。

「搭乗時間になった、行くぞ!」

「はい!」

「はいぃ……」

 とうとうこの時間が来てしまった。颯爽とFBIの仲間の元に行く赤井、気合を引き締める佐藤とは打って変わり、高木はやだなぁと項垂れる。

「これからどうなるんだろ……」

 ポツリと呟かれた言葉は、誰かに届く前に宙へと消えていった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――ねぇ、博士、どうして直ぐに向かわないの?」

「それはね、キッド。今からここでサンタさんがプレゼントを配るからだよ。ただ配るだけじゃない、良い子にしていたことにはお菓子を、悪い子には悪戯をするんだ。悪い子はくりぬかれたカボチャに魂を入れられて、ランタンにされてしまうんだよ」

「ええっ、そんなの怖いよ! ねぇ博士、僕は良い子にしていたかな?」

「勿論だよ。キッドには特大ケーキが配られるはずさ」

「本当!?」

「ウ・ソ」

 果たしてその嘘が話自体か、それともキッドが良い子でいたことか、はたまた配られるプレゼント内容か。ガーンと顔中でショックを受けるキッドにひとしきり笑ったナゾナゾ博士は、目の前の電光掲示板を見上げ口角をあげた。

「今新一君とスペイド君がこちらに向かっている。彼らと合流してから、南アメリカに向かうんだよ」

「そうなんだぁ。じゃあ、先にウォンレイ達と会うことになるんだね!」

「ああ、そうだね。それともう一団体、お客さんともご対面だ」

「お客さん?」

「大丈夫だよ、キッド。お客さんもいい人の集まりだからね」

 肩に乗るキッドの頭を撫で、ナゾナゾ博士はそっと目を伏せる。

「そう、人間にとっていい人達の、ね……」




Q. どうして清麿は反撃しなかったんですか?
A. 忘れていたからです。

私生活の諸事情により、今後更新速度が低下していきます。
ご理解いただけると幸いです。


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Level.15 数奇な運命

※快←蘭表現あり


 工藤新一達が乗り込んだ飛行機は、貸し切りだった。

 座席の一部を占領しているのではない、飛行機自体を貸し切っていたのだ。一体どれほどのお金がかかっているのか、何故アポロという協力者はここまでしてくれるのか等疑問は様々あるが、報告した時ナゾナゾ博士が余裕を見せていたわけである。

 

「――それならそうと最初から言ってくれよ、ナゾナゾ博士。びっくりしたじゃんか」

「いやぁ、その反応をぜひ見たくてね」

 香港国際空港。空の長旅を終えて地面に降り立った新一は、出迎えてくれたナゾナゾ博士にムスッとした表情を浮かべた。ナゾナゾ博士は心底愉快そうに笑っており、反省の色は欠片も見当たらない。

「無事だったか、キッド」

「当然さ、僕は強いんだからね!」

 意表を突かれたことで不機嫌になっている新一とは裏腹に、スペイドはナゾナゾ博士の肩に乗っているキッドと友好的に接している。今まで人間ばかりの環境下にいた反動だろうか、同じ魔物ということだけでどこか安心している様に見える。

 スッと視線を反らせば、少し離れた場所でこちらを見ている男女二人組がいた。

 一人はチャイナ服を身に纏っている少女。シニヨンキャップで団子状にまとめた黒髪が目を引いている。薄い青紫色の本を持っており、新一と目が合うと笑みを浮かべて小さく手を振ってきた。

 もう一人はカンフー服を着た青年。こちらが魔物なのだろうか、とても穏やかな表情を浮かべてスペイドとキッドを見ている。

『工藤新一』であることには気づいていないようだ。この二人がナゾナゾ博士が見つけてきたガッシュ達の仲間なのだろうか。目で問いかけると、ナゾナゾ博士は彼らを手招きして呼び寄せた。

「紹介しよう。こちらは魔物のウォンレイ君に、その本の持ち主のリィエン君だ」

「よろしく」

「よろしくある」

 やはり彼らは仲間だったらしい。ナゾナゾ博士は続けて新一達の紹介も行う。

「そしてこっちが、魔物のスペイド君に、その本の持ち主の新一君だ」

「こちらこそよろしくな」

 手を差し出せば、リィエンがその手を握った。直ぐに手は離され、今度はウォンレイが握手をする。スペイドはそれを隣で見つめ、だが同じように手を出そうとはしなかった。

「――こちらの挨拶も終わった所で、次は彼らに挨拶をしてこようか」

 挨拶が終わったのを見計らい、ナゾナゾ博士がシルクハットの縁を掴み少し持ち上げ、ニッと悪戯を企む子どもの笑みを浮かべた。

 彼等とは勿論、日本から同行してきた日本警察とFBI、そして新一の身内と黒羽家のことである。

 新一は振り向き、遠くの方でこちらを窺っている元仲間たちを一瞥した。ナゾナゾ博士に視線を向ければ、パチリと片目を瞑られる。

「ここから先は私に任せなさい」

「……赤井さんには気を付けろ」

「私とて『シルバーブレッド』を甘く見てはいないよ」

 新一の小声の忠告に、ナゾナゾ博士は真剣な声色で答えた。相変わらず笑みを浮かべたままが、その頬には汗が流れている。

(流石に、ナゾナゾ博士も緊張しているか……)

 それもそうだろう。これは魔物の今後を握る戦いであり、負けるわけにはいかないのだから。

 マントを翻し、キッドを連れ颯爽と警察組織の元に向かうナゾナゾ博士の背中に、新一は小さくエールを送る。自分も着いていった方がいいかと考えていると、「新一」とリィエンに名を呼ばれた。

「貴方達も、ガッシュと清麿に助けてもらったあるか?」

「えっ?」

 思わぬ言葉に、新しく仲間になった二人の方を向く。隣にいるスペイドも兜の下で驚いているようだ。リィエンはウォンレイの腕に自分の腕を絡ませ、ウォンレイもリィエンを愛しそうに見る。それを見て新一は察した――この二人は恋人同士であると。

「私は一度、この戦いから逃げた。リィエンを傷つけることを恐れ、運命や障害と向き合うのをやめてしまった――そんな私を正しい道へ導いてくれたのが、ガッシュと清麿だった」

「私達にとって、ガッシュと清麿は恩人ある。二人が戦っているなら、私達だって戦うあるよ」

 魔物と人間という種族の壁を越え愛し合い、共に戦うことを選んだ二人。その覚悟は、このロードと千年前の魔物との戦いに加わったことからも感じ取ることが出来る。

(――強いな、こいつら……)

 漠然と、新一はそう感じた。ブラゴの時のような圧倒的な力ではない、清麿やガッシュのように強く大きな絆を、強い心の力を感じたのだ。

 スペイドを見れば、今までの一歩引いた様子を消し、ウォンレイ達に強い関心を見せている。彼女もまた二人の強さを感じ取ったのだろうか。

「――ウォンレイ、一つ聞かせてほしい」

「なんだ?」

「貴方はどんな王を目指している?」

 スペイドの問いに、ウォンレイは目を丸くした後リィエンを見てほほ笑んだ。リィエンもまた、誇らしげにウォンレイを見つめている。

「守る王を。愛しい人を、魔界の者すべてを守れる王に」

 ――それが、二人の出した答えなのだろう。

 ウォンレイの答えに、スペイドは兜の下で嬉しそうに笑った。先程新一がして見せたように、自らその手を差し出す。

「私の王はガッシュ・ベル。私はガッシュの剣になるべく戦っている。だが……共に戦う仲間として、貴方達の為にもこの剣を振るいたい」

「では私は、共に戦う仲間として貴方達の盾となろう」

 ウォンレイは緩やかにその手を握り返す。

 その様子に、新一は笑みが零れるのを止めることが出来なかった。

 かつて王を目指す魔物を嫌悪していたスペイドが、今では王を目指す者を受け入れられるようになっている。あの日ガッシュと出会い、その心に触れたことで、彼女の心に変化が生じた。

 否、スペイドの根本とも言える『民を想う王』を求める心は変わっていない。だがそれまで認めようとしなかった王を目指す気持ちを、頭ごなしに否定することは無くなった――スペイドは確実に、あの日から成長を遂げているのだ。

(オレも、成長できているといいな……)

 話に花を咲かせだす薄い青紫本組とスペイドを眺めながら、そっと本に手を触れる。

 新一の想いに反応するように、蒼色の本は薄らと光り輝いた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 乗り換えた先の飛行機も貸し切りだった。

 金の無駄使いだと思いながらも、新一は前方の席に座る。後方の席に同行者たちが座ったためだ。ナゾナゾ博士達も新一同様前方の席にそれぞれ座っている。一体どんな話をしたのか気になったが、ナゾナゾ博士は意味ありげに笑うだけで詳細を話そうとはしなかった。

「新一、隣いい?」

「黒羽? 別にいいが……気まずくないか?」

「後ろの方が精神的にきついからさ」

 ナゾナゾ博士が話をしたいからとスペイドと隣同士で座ったため、一人寂しく座っていた新一の隣に快斗がやって来る。確かに怪盗である彼にとっては魔物だらけの前方より、警察組織集団の後方にいる方が辛いだろう。微妙な距離感の父親もいれば尚更だ。

 二人の会話が聞こえた通路を挟んで隣側の席に座っていたリィエンが何気なく新一達の方を見、感嘆の声を上げた。

「新一は双子だったあるか? そっくりあるね」

「本当だ。双子は初めて見た」

 リィエンの隣に座っていたウォンレイもその声に新一達を見て、目を見開いている。

 だが、新一と快斗は顔を見合わせた。次いで「違うぜ」と二人揃って否定する。

「血の繋がりもない全くの他人なんだ、オレら」

「よく似てるって言われるけどな」

「そうなのあるか?」

 双子じゃないことに、リィエン達は逆に驚いている。細かいパーツや髪形は違うためそこまで似ていないと思っている二人は、そこまで似ているのかとお互いの顔を見る。

「オレの方がイケメンだろ」

「はっ、どう見てもオレの方がカッコいいな」

 然し、二人からすれば驚かれる程似ているとは思えなかった。

 どちらがよりイケメン度が高いか口論になりかけ、ふと快斗はリィエンの方を見た。彼女はすでにウォンレイとの話に夢中になっており、新一達の方を見ていない。

「そういや蘭ちゃんも、オレのこと新一と間違えたっけ……」

「蘭? お前、蘭と会ったのか?」

「オレの幼馴染の紹介でちょっと。つっても顔合わせただけで、遊ぶ時も他の奴らも一緒だったからあんま怒んなよ?」

 ニシシと笑う快斗に、新一は訝しそうにした。何故とっくの昔にフラれている彼女と快斗が遊んだだけで、新一が怒らなければならないのだろうか。

(まさかこいつ……)

 浮かび上がる一つの疑惑。新一が生きていることを突き止めた彼がそのことを知らないはずがないと思うのだが、念のために問いかける。

「お前、オレが蘭にフラれたの知っていてわざと言っているのか?」

「……ハァッ!? 蘭ちゃんにおまえがぁ!?」

「馬鹿! 声大きい!」

 大声を出した快斗の口を慌てて塞ぐ。不思議そうに見てくるリィエン達に愛想笑いを向けた後、耳元に口を寄せ小声で説明する。

「組織戦の前にあいつに呼び出されて、好きな男が出来たからってフラれたんだよ」

「うっ、嘘だろ……? しかもそんなタイミングで?」

「マジだって。お前そこまで調べてなかったのか?」

 呆れて言えば、快斗は首を左右に振った。本当に新一の生死の情報しか集めていなかったらしい。

 探偵と怪盗として対峙している時から思っていたが、やはりどこか抜けている。自分の事を棚に上げてそう思う新一に、快斗は気まずそうな顔を向けた。

「悪い、まさか恋人解消されていたなんて知らなくてさ……」

「恋人にすらなってねぇよ」

「あっ、あれで?」

「あれで。一応オレは告白してたし、蘭もオレの事好きだって知っていたけどな」

「……何というか、聞いてごめん……」

 新一と蘭が互いに向ける嫉妬深さを目にしてきたからか、快斗はそっと目を反らして謝罪した。

 とうの昔に吹っ切れている新一からすれば謝罪されることでもない。だが、続けられた快斗の言葉に耳を疑った。

「蘭ちゃんもなんで……。つうか青子の奴、何が『蘭ちゃん、恋人が死んじゃって可哀想』だ……思い込みで話すなよなー。新一が可哀想じゃんか」

「おい、それどういうことだ?」

「あっ、いや、そのな……オレの幼馴染がちょっと勘違いしてて……」

 詰問すれば、快斗の目が左右に泳ぎ出した。新一の問い詰める目から顔ごと反らしつつ、ボソボソと新一の死が発表される前後の蘭の様子を語り出す。

「オレの幼馴染、中森青子っていうんだけど……二課の中森警部の娘でさ。二人ともキッドの現場に父親に引っ付いて来てそこで知り合ったらしくて、新一にそっくりだからという理由でオレを彼女たちに紹介したんだよ」

「それで?」

「そしたら蘭ちゃんが頻繁にオレに連絡取ってくるようになって、青子に訳聞いたら『新一君と会えなくて寂しいからだよ』って言われて。確かにそん頃新一も忙しそうにしていて……一回事務所に青子と一緒に行った時すれ違ったけど、お前オレに気付かなかったから」

「……確かにあの頃は忙しかったな」

 快斗の言葉に頷くが、新一の目は徐々に半目になっていく。

 新一が快斗のことを知ったのはキッドについて調べた時であり、江戸川コナンの時に実際会ったことは無かった。しかしながら、新一はそもそも蘭が親しくしていた男の顔を記憶から抹消しているのだ。更に、彼が蘭と会った時期は丁度新一が蘭に男の影があることに気付いた頃である。

「新一に嫉妬されたくなかったし、適度に距離置いていたんだ。そしたらお前が死んだーって報道されてよぉ、あん時どれだけオレがショックを受けたことか」

「お前のことはどうでもいい。蘭は?」

「……オメー本当蘭ちゃん以外……いや、別にいいけどさ。報道された日から、蘭ちゃんからの連絡はぱったり無くなった。そしたら青子が学校で『蘭ちゃんが可哀想』って騒ぐもんだから、てっきり……」

「……その青子ちゃんって子は、蘭がオレをフッたって知らなかったってことだな?」

「そのはずだぜ。じゃねぇと蘭ちゃんのことを『恋人を失った悲劇のヒロイン』として見るはずねぇだろ」

 快斗の言葉に嘘はない。だからこそ腹立たしい。

 殴りたくなるのを必死に堪えながら、新一は彼から得た情報を整理する。

 まず間違いなく、蘭が好意を向けた男の正体はこの黒羽快斗だ。本人は向けられる好意に全く気付いていないようであるが、時期や蘭の行動から考えてこの推理は外れていないだろう。

(何なんだろう、この苛立ちは……)

 吹っ切れているとは言え、まさかの男の正体が宿敵である怪盗。今まで散々ちょっかいを出されてきているからか、はたまた蘭からの好意に気付いていない鈍感さが気に食わないのか、素直に認めるのが非常に癪である。

「――参考までに聞くが、お前青子ちゃんと付き合っているのか?」

「まさか! ……いや、確かに前は好きだったけど、親父の跡継いでからは罪悪感の方が強くなって、今じゃもう妹みたいな感じだ。勿論大切な奴には変わりないけどさ……新一は違うだろうけど」

「いや、オレも同じだ。フラれたとは言え、大切な幼馴染には変わりねぇよ……だからか!」

「何が!?」

 快斗を殴りたくなる理由が、である。

 どうやら己は娘を取られたくない父親か、姉を取られたくない弟的な心情になっていたらしい。自らを弟と思ってしまうのはコナンになっていた時期の影響だ。

 もう一つ、何故青子が知らなかったのかも予想できた。恐らく蘭が新一の恋人であると青子が誤解していた為、そして快斗が青子に向ける気持ちを感じ取り、蘭は何も言えなかったのだろう。その性格上、快斗に大切にされている青子に新一から心変わりをして快斗に好意を向けている等と言えるはずがない。

(オレからすれば腹立たしいが、こいつもオレ達の事情に巻き込まれたようなもんか……)

 握りしていた拳をゆっくりと解く。

 原因とは言え、話を聞く限り快斗は蘭に対して距離を置き、かつ恋愛対象として見ていないようである。どちらかと言えばフラれた新一に同情気味だ。

(それに、今も蘭がこいつのこと好きかどうかも分かんねぇし……)

 新一の死亡報道後、連絡が途絶えたのも気になる。青子が蘭の事を『恋人を失った悲劇のヒロイン』と見える位落ち込んでいるのだろうか。遊園地で姿を見た時は元気そうだったが、また一人で泣いているのだろうか。

(……これも、オレのせいになるのかなぁ……おっちゃんとおばさん怒ってそうだ……)

 娘想いである彼女の両親が脳裏に浮かぶ。別居しているとは言え、二人の蘭に対する愛情は本物だ。それが行き過ぎているせいで蘭が問題行動を起こしても新一のせいだと決めつける部分もあるが、決して悪い人たちではない。

 とは言え、怒りを向けられるのも不本意というもの。新一の死に蘭が落ち込むのは分かるが、こちらにも事情というものがある。何より蘭の方から恋人未満な関係を打ち切ったのだから、少なくとも『恋人を失った』部分だけはきちんと訂正してほしい。

 尤もこれは想像なので、意外にも冷静に見ているかもしれないが。

「――あれ、蘭の奴、恋人だってこと否定してねぇの?」

 ふと浮かんだ疑問を問いかければ、快斗はさあと肩を竦めた。

「聞いたことないから知らねー。ただ青子の奴思い込み激しい面もあるから、蘭ちゃんの訂正聞いてないってこともあるな」

「園子と一緒かよ」

「園子ちゃんよりは大人しい。あと女の子の方が好きだぜ、あいつは」

「あいつの男好きはもう病気みたいなもんだからなぁ……」

 海外遠征に恋人が行っていて傍にいないから寂しい、と男漁りをする彼女の男好きには何度も呆れさせられたものである。その割に一途なので、本当に浮気をすることが無いというのが彼女の良い所なのかもしれない。

 久しぶりに思い出した懐かしい顔ぶれに、新一は深く息を吐いた。故意に思い出さないようにしていた訳ではないが、あの日常を捨てた己にはこの話は少し重く感じてしまう。

 そんな新一の心情に気付いたのか、快斗は数回瞬きをした後あからさまに話を変えてきた。

「新一、ロードって奴の所に今から乗り込みに行くけどさ、どんな作戦立てているんだ?」

「本を燃やす」

「うん、それ戦い方」

 ――だが、その変えた話もあまり良くなかった。

 ふざけんなよーと体を倒してくる快斗を押し返しながら、新一は前の席に座っているナゾナゾ博士の帽子を見る。

「作戦その他諸々は、そこのナゾナゾ博士に任せている。オレは本当になんにも考えてねぇの」

「えー? あの名探偵新一がそんな重要なことに関わってないなんて……」

「あのなぁ、オレは清麿とガッシュについてしか知らねぇのに、作戦なんて立てられるわけねぇだろ」

「……マジで?」

「マジで」

「じゃあ、そのナゾナゾ博士……って人たちと、そこのチャイナっ子も?」

「リィエンとウォンレイとは今初めて会った」

「呼んだあるか?」

 名前が出てきたことで、リィエンとウォンレイがこちらを向いた。

 ポカンと口を開けている快斗を放って置き、新一も二人に顔を向ける。

「二人は、清麿達以外に知っている魔物はいるのか?」

「知らないあるよ。私達も初めて会うある」

「ああ、だからとても楽しみにしているんだ」

「お前たちもか。オレ達もウマゴン以外は知らなくてさ、キッドの術も知らねぇんだ」

「何々? 僕の事呼んだ?」

 今度はキッドが前の席から乗り出しこちらを向いて来た。スペイドも同じように後ろを向き、新一達と顔を合わせる。

「皆どんな術を持っているのかって、話をしていたんだ」

「僕知ってるよ! キャンチョメは変化の術で、ティオは守りの術なんだ。特にティオの盾は凄いんだよ、ギガノ級の術二つも防げるんだ」

「それは凄いな。とても心強い」

「私の術は接近戦が主。リィエンに教えてもらったカンフーを組み込んでいる」

「僕は機械系の術が多いよ。エネルギー派を出したり、小キッドで相手を翻弄したり! 後ね、この腕を飛ばしたり大きくも出来るんだ」

「私は水の術だが、主に剣技を用いている。格闘技も嗜んではいるが、カンフーとやらは初めて聞くな」

「興味があるなら、私が教えようか?」

「ぜひ頼む。人間界の格闘技には興味があった」

「僕も! 僕もカンフーやってみたい!」

 和気あいあいと騒ぎ出す魔物達に、新一は微笑ましそうに笑みを浮かべた。リィエンもウォンレイの楽しげな表情を愛しそうに見つけている。

「……これで、初対面……オレの時とは全然違うぜ、スペイドちゃん……」

 和む雰囲気に馴染めない快斗がポツリと呟いた。それに新一が言葉を返す前に、「それはだね」とニュッと前の席からナゾナゾ博士が顔を出す。

「魔物と人間の差も大きいが、それでも私達が仲間と思えるのには訳があるのだよ」

「それよりも前に突然出てこないでください……!」

「すまんすまん、つい」

 突然振り返って顔を出された上に話しかけられ、快斗と新一はびくりと肩を震わした。ナゾナゾ博士は頬を掻いて謝罪した後、後ろの席に届く位の声量で話し出す。

「この戦いの勝者はただ一人。このシステムのせいで、魔物達は『周りの者すべてが敵』だと思っている――そう、ここにいる三人も例外なくね」

「そうなの?」

 キョトンとして聞いてくる快斗に、新一は頷いて肯定する。

「出会ったら即戦いがこの戦いの基本だ」

「初対面なのに?」

「相手も王を目指す『敵』だからな。魔物という時点で、戦う運命にある」

「私達もガッシュ達と出会う前は、出会った魔物達と戦っていたあるよ」

「こちらに戦う意思が無くとも、向こうは容赦なく襲ってくる。生き残るためには戦わなければならない」

「バトロアかよ……容赦ねぇな……」

「それがこの戦いの運命なんだ。例え世界の裏側にいようとも、魔物は魔物と必ず出会う運命になっている――戦いから逃げることは、許されていない」

「因みに、逃げようとすれば……?」

「戦う意思のない者には、別人格を与えられると聞いたことがある」

「最も、この戦う意思のない者はごく少数。残り四十名を切った今、そうした奴が生き残っている者も限られているだろう」

 その限られた者で身近な例をあげるとすれば、ウマゴンが該当する。

 情け無用の非情なる戦いのルールに、快斗は絶句した。後ろの方から「ひどすぎる」と叫ぶ声も聞こえてくる。恐らく高木の声だろう。

「だからこそ、『仲間』となれる魔物はとても貴重なんだ」

 主に人間達の間で重苦しい空気が漂う中を、ナゾナゾ博士の声が響き渡る。

「私も何人もの魔物に出会い、協力を断られてきた。『仲間』という存在を信じることが出来なくなっているからだ。だがそんな中で快く協力してくれる魔物達もいた――そう、ここにいる彼ら。そして今ロードの本拠地で戦っている清麿君達だ。

 さて、ここで一つ問題だ。どうして彼らは、協力してくれたのだろう?」

「新一は親父さんを助けるためだろ?」

「半分正解、半分不正解」

「えー?」

 手でバツ印を作ると、快斗が胡乱げな目を向けていた。それ以外に理由があるものかと本気で思っているらしい。

 次に手を挙げたのはキッドだった。「はーい!」と元気よく小さな手を上に上げるパートナーに、「はい、キッド君」とナゾナゾ博士も指名する。

「ガッシュがいるからだよね?」

「ふふっ、正解だよキッド。その通り、協力してくれる魔物達全員が、ガッシュ・ベルと高嶺清麿が戦っているから集まったんだ」

 彼らにとっては意外過ぎる答えと予想外だった名前が出てきたことに、誰かが息を飲む音が聞こえた。

 ナゾナゾ博士の言葉を裏付けるように、リィエンとウォンレイが頷く。

「私達は、ガッシュ達が戦っているからここに来たある」

「ガッシュ達は私達の恩人。彼らが戦うというのなら、私達も戦おう」

「私と新一とて同じこと。例え新一の父様が捕らえられていなくとも、ガッシュ達が戦うのなら共に戦うのは当然だ」

「ああ、そうだな。あいつらが戦うのに、オレ達が戦わないわけにはいかない」

「ふふっ、ティオ君達も同じことを言っていたよ。キャンチョメ君はみんなの役に立ちたいと言っていたが、ガッシュ君がいなければ向かってくれなかっただろうね。

 さて、それでは第二問――ではガッシュ君と清麿君は、どうして戦うことを選んだでしょうか?」

 後部座席に座っている人たちに答えられない問題に、新一は小さく噴き出した。

 後ろを向いたままのスペイドと顔を見合わせ、二人同時に手を挙げる。

「はい」

「はいある」

 全く同じタイミングで、リィエンとウォンレイも手を挙げた。ナゾナゾ博士は四人の顔を見渡し、「では同時に」と音頭を取る。

 

「――操られている人たちを、助けるため!」

 

「――大正解!」

 一言一句違わず奇跡の一致を見せた四人に、ナゾナゾ博士もニヤリと笑う。

「そう、あの二人が戦う理由は自分たちが王になるためではない。この戦いに巻き込まれた人たちを助けるために戦っている。そんな彼等だからこそ、私達は『仲間』という存在を信じることが出来た――ガッシュ君達の仲間だからこそ、信じあうことが出来る」

 演説をしているかのように、ナゾナゾ博士はシルクハットを取りお辞儀の姿勢を取った。しかし顔は上げたまま、後方の座席にいる人たちを向いている。

「この絆をどう思うかは、貴方達に任せよう。ただ一つだけ言っておく――ガッシュ君達に手を出せば、彼らは黙っていないぞ?」

 どこから聞いても脅し文句なそれに、だが新一は否定の言葉を出さない。快斗が目で真偽を問いかけてきたので、ニヤリとした笑みを向ける。

 ウォンレイ達はどうかは分からないが、少なくともスペイドと新一からすれば、その言葉は真実だった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 南アメリカ、某空港。そこから車に乗り換え、デボロ遺跡の近くにある小さな街に行く。

 二度目の空の長旅を終え漸く地上に降りることが出来た新一は、新鮮な空気を大きく吸い込み背伸びをした。

「やーっと着いた。ナゾナゾ博士、ここからどうするんだ?」

「アポロ君が車を手配してくれているよ」

「……アポロさんには後で何か礼をしないといけないな」

 ぞろぞろと降りてくる人たちを眺めながら、新一は母親の有希子の姿を探した。有希子は日本警察とFBIの後に続いて降りてきた。そばに寄ると、疲れを感じさせない笑みを向けられる。

「母さん、これから車で移動だけど大丈夫か? 疲れている様なら少し休むよう頼むけど」

「大丈夫よ、心配しないで新ちゃん。体力には自信があるんだから」

「……無茶だけはするなよ、オレが父さんに怒られるから」

「はいはい、分かりました」

 軽く返事をする有希子はその言葉通り無茶している様には見えない。持ち前の演技力で隠している可能性もあるが、新一は一先ず信じることにした。

 その様子を快斗がどこか羨ましそうに見ているのに気づきながらも、視線を有希子からナゾナゾ博士へと移す。

(ナゾナゾ博士……? 何かあったのか?)

 ナゾナゾ博士は初めて見るスーツを着た男性から二枚の紙を手渡されていた。眉間にしわを寄せながら紙を睨み、男に何かを伝える。男は頷きその場から駆けて去っていった。その後姿を眺めていると、「新一君」とナゾナゾ博士に呼ばれる。

「少々まずいことになった。急いで向かおう」

「清麿たちに何かあったんですか?」

「……アポロ君から連絡が来た。遺跡に突入していた清麿君達が危ない」

 そう言って話された内容は、今の清麿達の現状についてだった。

 先に遺跡に突入した清麿達は千年前の魔物と連戦し、心の力を使い果たした時に二体の千年前の魔物に襲われたらしい。内一体が体を張って清麿達を逃がそうとし、清麿とガッシュはその魔物を助けるためその場に残り、一緒に突入していた大海恵とティオ、パルコ・フォルゴレとキャンチョメを逃がした。ガッシュを魔界に返さない為、彼の赤い本は今ティオが預かっているとのこと。

「――ティオ君達は今アポロ君の元にいる。私達も急いで向かう」

「待ってくれ、ナゾナゾ博士。清麿たちが心配だ、オレとスペイドはそっちの救出に向かいたい」

「それなら心配ないだろう。ウマゴン君の本の持ち主が来ているからね」

「ウマゴンの本の持ち主!?」

 全く想定していなかったことに、新一とスペイドは叫んだ。

 ウムとナゾナゾ博士は手に持っていた紙を見ながら説明する。

「カフカ・サンビーム君という男だ。彼からウマゴン君と共に戦うと連絡が入っている」

 本の持ち主と未だ巡り会うことが出来ていなかった珍しい魔物のウマゴンに、ようやく本の持ち主が現れたのは喜ばしいことだ。しかし、と新一は眉を顰める。

「ウマゴンは今まで戦ったことが無い。千年前の魔物相手に、大丈夫なのか?」

 ウマゴンに戦闘の経験が無いことが、新一から不安を取り除かなかった。リィエン達も新一の言葉を聞いて不安そうにしている。

 ――その不安を取り除いたのは、意外な人物だった。

「私はウマゴンを信じる」

「スペイド!?」

 この場にいる誰よりも戦闘に関してシビアな考えを持っているスペイドが、まさかのウマゴンを支持した。

「あの子はとても優しいが、同時に友達想いの強い子だ。ガッシュを助けるためになら、その秘めた力を存分に発揮するだろう」

「スペイド……」

 ウォンレイの時と引き続き、スペイドの変わった面に新一は思わず感動した。これで人間に対する態度も変われば手放しで褒めている所だが、そちらは期待できそうにない。

 スペイドの言葉で、ウォンレイ達もウマゴンを信じることにしたらしい。魔物とそのパートナー全員の意識が一致した所、ナゾナゾ博士が指示を出す。

「ではこれから、ティオ君達の元に向かう。その前にスペイド君、君の力で近くに魔物がいないか探ってほしい」

「分かった。新一」

「おう……っと、そうだ。博士、灰原、こっちこっち」

 スペイドは兜を取り、フルフルと頭を左右に振った。新一も本を構え呪文を唱えようとし、ふと思いついて博士達と手招きする。

「ワシか?」

「私も?」

「オレはー?」

 呼ばれると思っていなかった阿笠と哀は驚きの表情を浮かべ、そろそろと近寄って来た。快斗は呼ばれなかったのだが、ニュッと新一の背後に出没しのしかかる様にして背中に張り付いて来る。

 重たいと思いながらも、この術の間ならいいだろうと快斗はそのままに、新一は新しい呪文を唱える。

「第十一の術――グレイス・アルサイト」

 直後、スペイドの左目に水の輪っかが現れ、そこに水で出来た薄い膜が張る――モノクルが形成された。

 スペイドはモノクルに手を当て、じっと宙を見つめる。

「この術――グレイス・アルサイトは、水を媒介にして魔物や人間の存在をレーダーで映すことが出来るんだ。因みに望遠機能もある」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべる新一に、阿笠と哀は何故呼ばれたのか理解した。今スペイドが使用している術には見覚えがある。今目の前にいる人物の体が縮んでいた頃、彼が身に着けていたもの。

「犯人追跡眼鏡!」

「へへっ、そっくりだろ?」

「魔物の力って、そんなものまであるの?」

「いいんだよ、これがスペイドの術なんだからさ」

「いやいや、これは面白い!」

 呆れる哀の反応は面白くないが、目を輝かせる阿笠の反応に新一は満足げに頷く。

 今はもう阿笠の作った道具は何も持っていないが、代わりにスペイドが似たような術を覚えた。このようにかつてコナンが身に着けていた道具に似た術が出てくるたびに、新一の中で阿笠と過ごした日々がよみがえり、彼に対する恐怖心を薄れていく手助けとなっていたのだ。今ではもう、阿笠に対する恐怖心は両親同様に無い。哀もまた共に過ごした日々を思い出し、阿笠程ではないが大分薄れてきている。

「ていうかこれ、思い切り新一の能力じゃんか。スペイドちゃんも新一に毒されているなぁ」

 ボソリと哀達には聞こえないよう――彼女達にはまだ正体を明かしていないためだ――耳元で呟かれた快斗の指摘は無視する。新一がかつて似たような道具を駆使して暴走していたとしても、今はれっきとした術なのだから文句は言わせない。

「博士、後で詳しく教えてやるよ。スペイドの術、中々面白いんだぜ?」

「おお、それはぜひ頼む! 魔物の術に興味があったんじゃよ」

「工藤君、ぜひ私にもそこのスペイドを貸してほしいんだけど」

「……灰原、実験は駄目だからな?」

 嬉しそうにする博士の隣で目を煌めかせる哀に、新一はやや引きながらも断りを入れた。途端小さな少女から舌打ちする音が響き、ブルリと震えあがる。背中に張り付いている快斗も一緒になって震えていた。

「――見つけた」

 哀に対する恐怖心――ただしこちらは怒らせると怖いという意味――を改めて思い出した時、スペイドがそう呟いた。その言葉に弾かれるようにして新一はそちらを向き、快斗も背中からどいて隣に立つ。

「千年前の魔物か!?」

「……いや、あのビョンコとかいうカエルだ。何故かハッキリ捉えることが出来た」

 モノクルを覗きながら、スペイドが首を傾げる。

 憎きカエルの名前に新一はムッと顔をしかめたが、ナゾナゾ博士の「いけない!」という叫びにそちらを向く。

「あのカエル君は、千年前の魔物を率いて現代の魔物狩りをしている。カエル君のそばにいる魔物の数は?」

「……すまない。カエルはハッキリ見えるんだが、その周りがぼやけている。何かに妨害されているみたいだ」

 ゆるりと首を横に振るスペイドに、ナゾナゾ博士の表情が厳しくなった。それはスペイドに対してではなく、今の状況に対して。

「確かあのカエル君がよく連れている魔物の中に、レーダーで魔物の気配を探知することが出来る魔物がいたはずだ。そのレーダーに阻まれているのかもしれない」

「……それならなぜ、あのカエルだけがこうもはっきりと……」

「細かいことは後だ。スペイド君、カエル君の位置と向かっている方角は?」

「……ここより離れた南方上空を移動。向かっている先は――ティオ達がいる街だ」

 ぞわりと、背筋を何かが走り去った。今カエル達には、探知能力にたけた魔物がいる。そして彼らが向かっている先には、心の力を使い果たしたティオ達がいる。

「リィエン!」

「レドルク!」

 真っ先に反応したのはウォンレイ達だった。リィエンが呪文を唱えると、ウォンレイの足が光り輝く――足の強化呪文だ。

「ナゾナゾ博士、私達は先に向かいます!」

「頼んだ、私達もすぐに行く!」

 リィエンを背負い、ウォンレイが駆けだす。あっという間に見えなくなった姿を見送る前に、ナゾナゾ博士はスペイドを振り向く。

「スペイド君達も先に向かってほしい。私達には身体強化呪文や移動に適した呪文はない、心苦しいが彼らと一緒に車で向かう」

「……いや、その必要はない。私達と一緒に向かおう」

「しかし、サーボ・アライドは君達しか乗れないのだろう?」

「方法はある。新一、その間に人間達に説明を頼む」

「はいはい」

 ご愁傷さま、と心の中で呟きながら、新一は快斗達を連れ有希子達の元に向かった。

 先程の会話からことの重大性に気付いているらしく、心配するような目を向けられる。FBIや日本警察からも同じような目を向けられて、新一は苦笑を浮かべた――唯一高木が可哀想な位青くなっているのが申し訳なく感じる。

「すみません、緊急事態なのでオレ達は先に向かいます。貴方達は車で向かってください」

「仲間が狙われているのだろう、俺達に出来ることは無いか?」

 赤井の言葉に新一は目を丸くした。言われたことを理解する前に、ジョディとキャメルが言葉を続ける。

「確かにまだ魔物を信じることは出来ないけど、貴方の仲間の危機なら話は別よ」

「戦うのは無理でも、他の事で何か出来ることがあれば言ってほしい」

「……母さんたちを守ってくれれば、それでオレとしては気が楽になりますけど。他の魔物が襲ってこないとは限りませんし」

 勢いに圧倒されてそう答えれば、高木が悲鳴をあげた。どうやらトラウマになりかけているらしい。

「……佐藤刑事と目暮警部は、高木刑事のこと宜しくお願いします」

「全く……」

「ごめんね、工藤君……」

「いえ、そうなるのが普通ですよ。高木刑事もすみません、辛ければこのまま日本に戻った方が……」

「だっ、大丈夫大丈夫……!」

 全く大丈夫には見えないが、それでもついて来ようとする努力に新一は何も突っ込まないことにした。

 彼らの中でどのような変化が生じているのか分からないが、今はそれがとても有り難い。ナゾナゾ博士が何か言ったのかもしれないと思いながらも、ジェイムズを向く。

「ジェイムズ捜査官、母さんたちを宜しくお願いします」

「勿論だよ。気を付けて」

「母さん達も、勝手な行動を取るなよ」

「新一には言われたくない言葉ねぇ」

「うるっさい!」

 恐らくこの場のリーダー的存在であろうジェイムズに母親たちを預け、新一はスペイド達の元へと戻る。心配するような目を向けられたが、今心配すべきはティオ達の方だ。

「スペイド……って、おお」

「新一君、なぜ私はこんな風にされないといけないのかね!?」

「博士ぇえええ!」

 戻ってみると、ナゾナゾ博士はスペイドに俵担ぎにされていた。年端のいかない少女に荷物のように抱えられる長身の老人とは、中々の光景である。

「我慢してくれ。二人乗りだから、他は荷物として扱わないといけないんだよ」

「そんなバカなぁ!」

「本当だ。新一」

「了解――サーボ・アライド!」

 博士の背中で泣いていたキッドを己の肩に乗せ、ナゾナゾ博士を避けながらスペイドの腰を抱き寄せ呪文を唱える。途端足元に水状のサーフボードが出現し、地面からあふれ出す水流が二人を乗せたボードを浮かび上がらせた。

「ナゾナゾ博士、舌噛まないように。この術、オレと一緒に操作することで機動力倍増するんで!」

「ちょっ、まっ……!」

 ナゾナゾ博士でも知らないことがあるんだなぁ、と思いながらも、新一はスペイドと息を合わせてサーフボードを動かす。二人により操作されたボードは、凄まじいスピードで地面を滑り出した。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「オル・ロズルガ!!」

「うおぉおおおお!!」

 

 高嶺清麿とガッシュ・ベルと協力して千年前の魔物を倒すことを決めた、魔物のティオとその本の持ち主大海恵。二人は清麿達と共にロードのいる南アメリカのデボロ遺跡へと行き、そこで黄色い本の魔物キャンチョメとその本の持ち主、パルコ・フォルゴレと出会った。彼らはガッシュ達の友達で、南極でナゾナゾ博士達と出会い事情を聞いて駆けつけてきたらしい。

 どこかに本を隠してきたのか、気付いたら本を持っていなかったウマゴンを合わせて六人と一匹。四十名近くいる千年前の魔物と戦うには少ないかもしれないが、彼らには『仲間』という強い力があった。

 遺跡に入って直ぐに出会った、アルム、ゲリュオス、ガンツという三体の千年前の魔物。アルムとゲリュオスは清麿とガッシュ、恵とティオが倒し、ガンツはフォルゴレとキャンチョメ、ウマゴンが協力して倒した。

 それぞれが激闘だった。心の力残り僅かとなり休憩している所を、今度はビクトリームという千年前の魔物に襲われた。まともに術も使えない状況下、メロンを食べては歌って踊る、自分の術を食らい倒れるなどするが、強い術を持つビクトリームをコンビネーションで撃退。しかしこの戦いで、全員の心の力は切れてしまった。

 一旦退却することにしたが、息つく間もなく騒ぎを聞きつけた二体の千年前の魔物が現れた。

 絶体絶命の危機。容赦なく襲ってくる千年前の魔物、ダルモスからガッシュ達を守ったのは――千年前の魔物であるレイラだった。間違っているのは自分たちの方だとガッシュ達を逃がそうとする彼女に、清麿とガッシュはその場に残ることに決め、赤い本をティオに預け他の者達を逃がした。

 ティオ達は必死に逃げた。途中ウマゴンの姿が見えないことに気付いたが、ウマゴンも残っているのだろうと判断して引き返さずアポロの待つホテルへと急いだ。

 絶対に、ガッシュと清麿は戻って来る。

 そう信じて心の力が回復するのを待つ恵達を――外の見回りに出ていたビョンコ率いる千年前の魔物達が、見つけてしまった。

 

 

「く……大丈夫か恵!」

「大丈夫よ!」

 巨大な薔薇に襲われた衝撃で地面に強く体を打ち付けた恵は、それでも気丈に振舞い腕を押さえながら立ち上がった。

 この場から逃げるためアポロの車へと急ぐが、それに感付いた敵の攻撃によって、車が大破される。

「やったゲロ! やったゲロ! もう逃げ場はないゲロよ!!」

 空からの奇襲を仕掛けてきた敵は、止めを刺す為に地上へと降りてきた。カエルの魔物――ビョンコの他に、四体の千年前の魔物。

 ギュッと、ティオは腕の中の赤い本を抱きしめる手に力を込める。

「ゲロロロロロロ……。お前達、呪文を唱えないところを見ると……人間の心の力がもうないゲロか!?」

 空を飛べる魔物から降りたビョンコは、恵達の隠したかった事情に感付く。否定できない事実に押し黙っていると、千年前の魔物達がニヤリとした笑みを――確実に勝てるという確信を持った笑みを浮かべた。

 それに、ティオは震えながらも必死で赤い本を守る様に抱きしめる。

「清麿とガッシュは、絶対戻ってくるの……だから……」

 守らなきゃ、守らなきゃ。ただその思いだけが、ティオの心を占める。

「私が託されたこのガッシュの本だけは、絶対に燃やさせちゃいけない!!」

 清麿が信頼して渡してくれたこの本を、帰って来ると約束したガッシュを、魔界に帰さないためにも。

 踵を返し、ティオは走り出した。ビョンコの指示で千年前の魔物の一人が追いかけようとするが、その前にフォルゴレたちが立ち塞がる。

「ここは通させはしない!!」

 ――彼らもまた、ティオと同じ気持ちだった。危険を承知でその場に残った清麿とガッシュ。彼らを守るために、術が使えなくとも体を張って立ち向かう。

 だが。

「ゲロッパ……ダメゲロよ……」

 やれやれと言わんばかりに首を振りながら息を吐くビョンコ。その後ろから飛び出してくる――二体の千年前の魔物達。

「オイラには、強い仲間がたくさんゲロ!! 弱い者がどうあがいても、もう逃げられないゲロよー!!」

 フォルゴレたちの頭上を通り越し、ティオへと襲い掛かる二体。

 ティオは気付く目を瞑った。呼んでも届かないと分かっていても、心の中で清麿とガッシュを呼ぶ。

 

「――こちらにも、まだ仲間はいるぞ!!」

 

「ゴウ・バウレン!!」

 波動を帯びた拳による一撃で、ティオに襲い掛かろうとした二体が吹き飛ばされた。

 突然のことにティオは目を開け、守るようにして立つ二人を見た。長い銀髪を靡かせ、千年前の魔物を見据えるカンフー服を着た青年。薄い青紫色の本を持つ、チャイナ服の少女。少女がティオを見て片目を瞑った後、青年と同じように前を見据える。

「あ……あなた達……は!?」

 まるで庇ってくれたかのような二人に、ティオは警戒心を隠さず問いかける。助けてくれたのは嬉しいが、初めて見る魔物に敵ではないかという思いは消えない。

 少女はティオを振り返り、表情を和らげた。安心させるようなそれにティオの中で徐々に警戒心が薄れていく。

「清麿とガッシュの友達あるね? 私はリィエン……そしてウォンレイある」

 少女――リィエンが魔物の紹介も合わせてする。二体を吹き飛ばす程強い力を持つ魔物――ウォンレイは、表情を一変させ穏やかな笑みを浮かべた。

「私達は昔、清麿たちに助けてもらったあるよ」

 出てきた清麿の名前に、ティオは顔を輝かせた。もう警戒心などない、彼らが何故助けてくれたのか分かったから。

「ああ、だから安心したまえ。僕らは君達の味方だ」

 ――彼らは、自分たちの仲間なのだと。

 

「くそおぉおお! 少し仲間がふえたからってなんだゲロ!! 数はこっちの方が上ゲロー!!」

 術も使えない魔物達を二体も倒せると思っていたところ、突然邪魔されたビョンコは怒りを顕わにしながら宙へと勢いよく飛んだ。フォルゴレ達に阻まれていた少女の姿をした魔物も高く跳躍し、そのままフォルゴレ達の頭上を通り越してウォンレイ達へと襲い掛かる。

 まだ魔物が残っていたことに焦る恵の耳に、聞き覚えのある声が響く。

「イヤ、まだ私も一緒だ!!」

 それは、この場に仲間という光を連れてきた人物の声。

「ギガノ・ゼガル!!」

 おもちゃの人形のような体の胸から強大な砲口が現れ、回転のかかった巨大なエネルギー派が放たれた。ビョンコ達はそれをまともに食らい吹き飛ばされる。

「ナゾナゾ博士!?」

「そうさ! 私の名前はナゾナゾ博士、なんでも知ってる不思議な博士さ!!」

 ――ナゾナゾ博士が、新たなる仲間を率いて現れた。

 ペションと地面に追突したビョンコは体を震わせながら、増えていくティオ達の仲間達をギロリと睨みつける。

「――よぉ、カエル君。また会えてうれしいぜ?」

「――ゲ、ロロ……?」

 しかしそれも、頭上から降って来た聞き覚えのある怖い声で焦りへと変えられた。

 ギギギッとブリキのように首を動かせば、見覚えのあるあくどい笑みと蒼い本、ザンッと顔の横に突き刺される剣。

「ガンジャス・アルセン!!」

「ゲロオォオオオ!!」

 そして地面から不規則に出る水流に、再び吹き飛ばされた。

 突然現れた彼らに、フォルゴレはナゾナゾ博士を見る。

「かっ、彼らは……?」

「魔物のスペイド君に、本の持ち主の新一君だ」

「私達もまた、ガッシュ達の仲間だ」

「遅くなって悪かったな」

 瓜二つと言っても過言ではない、似たような顔立ちをした――それもどこかで見たことがあるような顔である――人間と魔物。それでもガッシュ達の友達と聞き、フォルゴレ達は安堵した。

「一気に行くぞ、ウォンレイ君!! スペイド君!!」

「はい!!」

 ナゾナゾ博士の声で、ウォンレイとリィエン、スペイドと新一が走り出す。畳みかける様にして攻撃し、千年前の魔物を相手にしても一歩も引けを取らない彼らに、ああと誰かが安堵の息を零した。

「た……助かった」

「ああ、まだいたんだ……」

 張りつめていた空気が緩む。自分達しかいないと思っていたことが、遠い昔のように感じる。

「助けてくれる仲間が……!!」

 

 ――その気の緩みが、いけなかった。

 

 ビョンコは本の持ち主がいなくとも一人で動くことをロードに許可されている。それはビョンコ自身の頭の回転の速さ、そして小悪党並みのずる賢さを認められているからだ。

「こういうときこそ……」

 バサリと、今まで攻撃をしてこなかった魔物が翼を羽ばたかせる。その魔物は宙を飛べる能力を存分に生かし――ティオの背後へと回った。

「空を飛べるお前の出番ゲロ!!」

「しまった!!」

 鋭く伸びた爪でティオの服をひっかけ、そのまま上空へと引き上げる。悲鳴をあげるティオに、ナゾナゾ博士達は空を飛べる魔物から目を離してしまったことを後悔した。

「ゲロロロロロロ、おとなしくするゲロー!! さもなくば、小娘も本も、ただではすまないゲロよー!」

 長い舌をべろんべろんと挑発するように動かし、ゲロゲロと飛び跳ねる。相手が空を飛ぶことが出来ないと分かっているが故の余裕だ。

 くっとティオは忌々し気に己を掴んでいる魔物を睨みつけ、地上から見上げている恵を見る。

 ただそこにあるのは、本を守らなければという使命心。戻ってくるガッシュの為にと、ただそれだけしか考えていない。

「恵―! お願い、この本を……!」

 己のパートナーなら必ず、この本を受け取り守ってくれる。そう思い本を投げようとした、その瞬間。

 

「ティオー!!」

 

 ――ガッシュの声が、響き渡った。




今年最後の更新です。
来年もよろしくお願い致します。

※「グレイス・アルサイト」の術は鈴神様から頂いたものです。有り難うございました。


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Level.16 再会と対面

「――あそこだ!」

 バスの窓を開けて空を睨みつける様にして見ていた快斗は、黒く小さい影から光が発せられるのを見てそう叫んだ。それぞれ硬い表情を浮かべていた人たちもその言葉で窓の外を見る。

(一瞬だけど確実に光った。多分攻撃か何かがあったってことだろうな……)

 地上へと降りていく黒い影を睨みつけながら、唇を噛み締める。影の大きさからしてまだ距離がある。大人数で来たからか新一の仲間はバスを用意していてくれたが、今はそれが裏目と出た。小回りが利かない上にスピードを出してしまえば、街の人々に迷惑をかけてしまう。制限速度を守りながら、新一達の後を追わなければならない。

(ああもう、オレだけだったら追いかけられたのに……!)

 上手くいかない状況に苛立ちが増す。怪盗KIDとしてなら追いつくことは可能だが、今ここにいるのは日本警察とFBIという天敵集団。両親、そして自身の未来の為にも彼らに正体を知られる訳にはいかない。しかし、そのせいで新一に置いていかれてしまった。

「――やっぱり、こうなるのよね。私達は結局、置いていかれるのよ」

 心を読まれたかと疑う程丁度いいタイミングで呟かれた言葉に、快斗の心臓は飛び跳ねた。声の主は快斗の前の席に座っている灰原哀。彼女の隣に座っている阿笠にも聞こえたのだろう、「哀君?」と小声で問いかけている。

「どれだけ追いかけても、力になりたくても、彼はこっちを振り向きもせず行ってしまう。頼みごとは沢山するくせに『助けて』の一言は絶対に言わないで、一人で戦おうとするのよ」

「哀君……」

「どうせ今回も、私達は『危険だから』って置いていかれるわ。魔物の力が無いからなんて尤もらしい理由をつけて危険から遠ざけて」

 馬鹿みたい、と呟かれたそれに快斗は目を伏せた。

 怪盗KIDとして何度も江戸川コナンであった彼と戦い、時に手を貸してきた。彼本人に手を貸してほしいと言われたこともあった。しかしそれは何時も誰かを助けるためであり、彼本人を助けるためではなかった。

 工藤新一は自身に危機が迫っていようとも助けを求めない。否、そんな時でさえ自身の命と引き換えに大切なものを守ろうとする。

 哀の言う通り、今回のこの戦いもそうなるだろう。優作を助けるために、新一はナゾナゾ博士達から離れ一人で戦おうとするはずだ――今までと同じように。

「彼を助けることは、させてくれないのよ」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ウマゴンと思わしき魔物を見上げ、新一は目を細めた。ウマゴンだと断言できないのは、今彼の姿は普段よりも一回り以上大きくなっており、更に全身を鎧で覆っている為である。その額からは一角獣のような角も生えている。その背にはガッシュと清麿、そして見たことも無い男が乗っている。彼が例のウマゴンの本の持ち主なのだろう。

「肉体強化の術か……馬族ならではの術だな」

「やっぱりあれ、ウマゴンなのか」

 同じように見上げていたスペイドの呟きで、あの魔物が本当にウマゴンなのだと納得した。

「ガッシュ!!」

 ガッシュ達が戻ってくると信じ必死で赤い魔本を守っていたティオが、顔中に喜びの色を浮かべながらガッシュの差し出した手を掴む。感動の再会――かと思いきや、清麿は今の状況を忘れていなかった。

「よし、ガッシュ登れ!!」

「容赦ねぇ……」

 ポカンとするティオの顔を踏みつけ、ガッシュが千年前の魔物をよじ登っていく。確かに必要なことなのだろうが、ティオの奮闘を見ていた新一は思わず顔を手で覆ってしまった。あとで怒られてもこれは仕方ない。

 涙目になりながら、ティオは清麿に本を差し出した。ようやく持ち主の元に戻った赤本。その瞬間を、この場にいる集まった仲間の誰もが待ち望んでいた。

「ガッシュ!!」

「ウヌ!」

「ザケルガ!!」

 ガッシュの電撃が千年前の魔物に直撃し、ティオを離す。宙に投げ出されたティオを今度はガッシュが掴み、その二人を清麿たちがキャッチして地上へと降りてきた。

「清麿君、ガッシュ君!」

「よく生きていた、清麿!!」

 恵とフォルゴレが真っ先に清麿たちの元へと駆けていく。新一も後に続き、ウォンレイとリィエンが来ていることに驚く清麿の肩を後ろから軽く叩く。

「よっ、王様」

「新一!?」

 ニシシと笑いかけると、清麿は驚いた表情を浮かべた後明るくさせた。スペイドもガッシュの前で跪く。

「ガッシュ、遅くなってすまなかった」

「スペイド、来てくれたのだな!」

「メルメルメ~!」

「ウマゴン、よくガッシュを守り切った」

 肉体強化を解いたウマゴンがスペイドへと駆け寄り、嬉しそうにしっぽを振っている。スペイドもその頭を撫でふわりと笑みを浮かべた。褒める内容に少し引っ掛かりを覚えたが、ビョンコの叫び声ではっとそちらに意識を戻す。

「みんな、コンビネーションだゲロ!! 態勢をととのえて戦えば、あんな奴ら屁でもないゲロ!!」

 ビョンコの指示で千年前の魔物達が隊形を組む。それを見たナゾナゾ博士が新一達に指示を出す。

「君達! 再会を喜ぶのは後にしよう、奴ら隊形を組んで本気でくるぞ!」

 新一は本を構えた。他の者達も体勢を整える中、ナゾナゾ博士とキッドが一歩前に出る。

「ああなると、攻撃をあてるのもやっかいだ! 私が先に突っ込み、スキをつくる! その後に君達が追い討ちをかけてくれ!!」

「な!? それではナゾナゾ博士が危険な目に……」

 告げられた作戦に清麿が心配そうにする。だがナゾナゾ博士は作戦成功への自信で溢れている。

「何、大丈夫だ! 私にはMJ12という僕がいることを忘れたのかね?」

「何!?」

「MJ12だと!?」

 出てきた思わぬ名前に、新一は清麿とともに声を上げた。えっという顔をスペイドから向けられ、新一は興奮を隠さず説明する。

「マジョスティック・トゥエルブ――名前の通り、十二人の超能力者集団。アメリカ裏社会では有名な存在だが、その詳細は明らかにされていない……都市伝説だとばかり思っていたが、まさか実在していたとは!」

「……私の方が優秀だ!」

「なんで張り合おうとするんだ」

 新一が興味を示していることに嫉妬したのか、スペイドが敵対心を顕わにする。だが彼女は立派な魔物の子ども。張り合っても意味がない。

「いくぞ!」

 ナゾナゾ博士はマントを靡かせ、手を前に大きく振る。

 

「ビック・ボイン!!」

「イエーイ!!」

 

 ――大きな胸をタプンと揺らして現れた女性に、清麿はその場に崩れ落ち、新一達は目を点にした。

 一体この女性は今までどこに潜んでいたのだろうか。ビック・ボインとは名前かコードネームなのだろうか。そもそも十二人いるはずなのに何故一人しかいないのだろうか。

 タプンタプンと大きな胸を更に強調するかのように腰に手を当てて胸を張っているビック・ボインを、新一はポカンと口を開けて見る。コナンの姿をしていたなら「あれれー?」と首を傾げていただろう。

 超能力集団の一人なのだから、このビック・ボインも何らかの超能力を持っているのだろうか。やけに得意満面にしているナゾナゾ博士が、僕である彼女に指示を出す。

 

「よし、ビック・ボイン……『ボイン・チョップ』だ!!」

「イエーイ!!」

 

 ビシバシビシバシ、とビック・ボインは自身の胸にチョップをし出した。

 

 思わぬ光景に、新一達の目が半目になった。敵側のビョンコ達も唖然としている。

 皆が言葉なくビック・ボインのボイン・チョップに目が釘付けになっている――そのビョンコ達の背後に、ササッとナゾナゾ博士達は移動していた。

「ギガノ・ゼガル!!」

「ぐあぁあああああああああ!!」

 ドシャァアァアと音を立てて攻撃を直撃したビョンコ達が吹き飛ばされる。それを見ながらもボイン・チョップを止めないビック・ボイン。新一達もただ呆然として敵が吹き飛ばされるのを見ている。

「こらー、何をしておる!? スキを作ったんだぞ! 攻撃せんかー!!」

 味方誰一人動かない状況に、ナゾナゾ博士が声を張り上げた。それにいち早く我に返ったガッシュが慌てて清麿に指示を求める。

「きっ、清麿!」

「あ、ああ、そうだった!」

 我に返った清麿が本を広げる。ガッシュの声で同じく我に返った新一達も、清麿とガッシュのフォローにいつでも入れるよう構える。

「第六の術、ラウザルク!!」

 空から稲妻が落ち、ガッシュの体へと落ちる。

 初めて見る術に新一とスペイドは目を見張った。稲妻を受けたガッシュの体は光り輝き、更に術を発動しているというのにガッシュは気を失っていない。

「ガッシュ! 魔物を遠くへ放り投げろ!! 倒れてる奴からだ!」

 攻撃ではなく、この場から魔物を退場させる指示に、スペイドの眉がピクリと動く。

「素早く動き、奴らに反撃のスキをあたえるなぁ!!」

「ウヌゥ!!」

 清麿の指示にガッシュは地面を蹴り、瞬きをした一瞬の間で敵の前に現れた。

 その素早さはスペイドにも劣らないもの。素早さを得意とする彼女を見続けてきたことで動体視力が格段に上がっている新一の目には、ガッシュが走って移動した姿が映っていた。

「ヌァアアアアアアアア!!」

 ガッシュが千年前の魔物の体を空へと投げ飛ばす。魔物は宙高く飛んでいき、点となって見えなくなった。

 普段の彼にあれほどの力はない。しかい今彼の肉体は、格段に強化されている。

「あれは、肉体強化の術か!」

 そこから導き出される答えは、おのずと一つ。ガッシュ達が新たに手に入れていた力は、ガッシュの体を一時的に強化する術だった。

 二体目の魔物は何とかガッシュに攻撃を当てようとしたが、ナゾナゾ博士達の不意打ちで冷静さを失っている為狙いを定めることが出来ない。

「ヌァアアアアア!!」

 二体目も空の彼方へと飛ばされる。

 空中で待機している魔物を除き、地上にいた三体の魔物の内二体も飛ばされたビョンコは唸った後、残っている千年前の魔物に指示を出した。

「お前の『あの術』ならこの小僧を仕留められるゲロ!」

 ビョンコは頭がよく回る魔物だった。素早い動きの魔物に翻弄されても、冷静さを取り戻せば攻略の道を見つけることが出来る。

「バズ・アグローゼス!!」

 ガッシュの真下に、ハエトリグサに似た巨大な花が出現した。表面には岩をも溶かす特殊な溶液が流れ、口のような部分はぱっくりと開き、舌のようなものをニュルリと動かし獲物を捕まえようとしている――ハエトリではなく人食い花だ。

「ヌァ!?」

「やったゲロ!」

 ガッシュの術は肉体強化の術であり、瞬間移動の術ではない。足場を失えばここから動くことは不可能、触れれば溶かされ、降りれば人食い花に食べられる。

「ざまぁみろだゲロー!!」

 ガッシュを追い詰めたことにビョンコは得意げに腕を振る――だが。

 

「私が控えているのを、忘れてもらっては困る」

 

 ウォンレイの静かな声に、ピシリと固まった。

 

「ラオウ・ディバウレン!!」

 三本のしっぽを持つ巨大な白虎の姿をしたエネルギーが、ガッシュを守る様に人食い花をその鋭い爪で薙ぎ払う。

 ガッシュの小さな体はウォンレイの術により人食い花の範囲から抜けることが出来たが、その余波で大きく宙へと舞い上がった。それを見たスペイドが駆け出し、新一が呪文を唱える。

「サーボ・アライド!」

 水で出来たサーフボートにスペイドは乗り、落ちてくるガッシュの体を受け止めた。スペイドはそのままサーフボードを三体目となる魔物めがけて蹴る。まだ完全に術が消えていなかった為、反応が遅れた魔物はサーフボートをもろに食らい後ろへと吹き飛ばされた。

 消えていく魔物の術に、ビョンコはその場で両手両膝をつく。項垂れるその後姿にナゾナゾ博士達が止めを刺す。

「まだやる気かな、カエル君?」

 あくどい笑みを浮かべたナゾナゾ博士が二冊、その肩に乗り無邪気な笑みを浮かべたキッドが一冊。その魔本は千年前の魔物達の本であり、ゴォオオと勢いよく燃えていた。

「ゲロロロロ……」

 たっぷりと冷や汗を流し、ビョンコは周りを見る。己を取り囲むようにして立つのは、仲間ではなく敵の集団。その中でも妙にウキウキとした新一のあくどい笑みを見て悟る――このままでは踏み潰されてしまう、と。

「逃げるゲロー!!」

 ビョンコは素早く身を翻し、空中で待機していた魔物に飛び乗った。

 深追いすることせず、ビョンコが逃げるのを見送ったナゾナゾ博士はふうと肩を落とす。

「きりぬけたか……」

 ようやく終わった戦闘。訪れた勝利に誰もが喜ぶ中、新一はビョンコを踏み潰せなかったことに内心舌打ちをし、スペイドは何かを考え込むようにしてカエルが逃げて行った先を見つめ。

 そして功績者であるビック・ボインは「イエーイ」と自慢の胸を揺らして親指を立てていた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 テラスが破壊されたがそれ以外は奇跡的に無事だった宿へと操られていた人達を運び入れた後、新一達は再会を喜び合った。そして初めて顔合わせをする人達がいることに気付き、ガッシュが張り切って友達の自己紹介をしていく。

「ウォンレイとリィエン、そしてこっちがスペイドに新一殿! そして、ウマゴンのパートナーのサンビーム殿なのだ!」

「ウマゴンのパートナー!?」

 ウマゴンの本の持ち主は、カフカ・サンビームという男だった。ウマゴンは嬉しそうに尻尾を振っており、新一も思わず笑みを浮かべる。

「良かったな、ウマゴン。本の持ち主と巡り会えて」

「メルメルメ~!」

「ガッシュ、私達の事も紹介してよ」

「ウヌ、そうだったのだ」

 ウマゴンの頭を撫でている傍らで、サーモンピンク色の長髪の少女がガッシュを促す。ガッシュはそれでまだ片方しかしていないことを思い出し、今度は新一達に向けて友達の紹介をする。

「ティオに恵殿、キャンチョメにフォルゴレ、そしてアポロなのだ」

「よろしくね!」

 少女――ティオが可愛らしく片目を瞑る。それを微笑ましそうに見ている少女を見て、新一はおやと首を傾げた。どこかで見たことがある顔である。

(そういや、フォルゴレさんもどこかで……)

 アヒル嘴のような口をした魔物――キャンチョメの本の持ち主であるフォルゴレ。彼もまた、どこかで見たことがある気がする。

 その謎は直ぐに判明した――他でもない魔物達によって。

「恵はね、日本の超人気アイドル歌手なのよ!」

「もう、ティオったら……」

「フォルゴレだって、イタリアの英雄なんだぞー!」

「ハハハハッ! そうイタリアを代表する世界的映画スターとはこの私、パルコ・フォルゴレのことさ!」

「アイドルに、映画スター……なるほど」

 見たことがあるはずである。ここ数カ月は海外生活だがそれまでは日本に暮らしていたのだ、名前は知らなくともテレビで何度か見たことがあっても可笑しくない。

 謎が解けて満足そうにした新一は、ふとティオにじっと見つめられていることに気付いた。

「なっ、何か?」

「……ねぇ、恵。この人、どっかで見たことない?」

 新一の質問には答えず、ティオは恵を振り向いた。恵は数回瞬きをした後新一を見て、うーんと首を傾げる。

「会ったことは無いと思うけど……どこかでお会いしました?」

「……いや、会ったことは無いと思う」

「そうですよね……」

「ええー? でも私、絶対見たことあるもん!」

 恵と新一の反応に、ティオはプクリと頬を膨らませた。その反応に新一は首を傾げ、ふとあることに気づく。

 ――彼女たちは新一の故郷でもある日本に住んでいることを。

(そりゃ見たことあるはずだよ……)

 原因が分かった新一は苦笑を浮かべた。同じく理由を悟ったらしい清麿が慌てた様子を見せたので、大丈夫だと手で制する。

(親父の事もあるし、オレの事は知らせておいた方がいいだろうからな)

 日本警察やFBI、そしてロードに囚われている工藤優作。これらを説明するには、新一が『工藤新一』であることを知る必要がある。

「新一……」

「スペイドも、オレは大丈夫だから」

 心配そうに窺ってくるスペイドの頭を撫で、安心させるように微笑みかける。

 ナゾナゾ博士を見て打ち明ける意思を伝える。ゆっくりと頷かれたので新一が口を開こうとしたその瞬間、「あれー?」とキャンチョメが不思議そうな声を上げた。

「フォルゴレ、僕も見たことあるよ」

「ははっ、それはそうだろうよ、キャンチョメ。彼はあの『工藤新一』のそっくりさんなんだから」

 ――思わぬ展開に、新一は目を点にした。清麿やナゾナゾ博士も呆然と口を開けている。

「確かにそうだわ、ティオ! 彼、あの『工藤新一』に似ているのよ」

「そう言われてみればそうね、確かに似ている気がするわ」

 ティオと恵もフォルゴレの発言に、納得の声を上げた。違う違うと清麿が首を横に振っているのが視界の端に映る。似ているのではなく本人だ。

「ウヌゥ、新一殿は新一殿だぞ?」

「メルメル」

「もう、ガッシュったらテレビ見てないの? 私達が言っている『工藤新一』は、名探偵の方よ」

「めい、たんてい……?」

「知らないのぉ!?」

 TVはカマキリジョーしか見ていない為、話に着いていけず首を傾げるガッシュとウマゴンに、ティオが信じられないと声を上げる。

 キャンチョメは小馬鹿にしたようにハハンと笑い、得意げな表情を浮かべた。

「駄目だなぁ、ガッシュは。フォルゴレ程じゃないけど、名探偵工藤新一は有名なんだぜ?」

「そうよ、悪い組織を倒した世界の救世主なんだから!」

「ナヌ、めいたんていとやらは正義のヒーローなのか!」

 新一はブンブンと首を横に振った。しかし盛り上がっている魔物達が見ているはずもなく、話はどんどん進んでいく。

「でも名探偵工藤新一は、悪の組織と一緒に死んじゃったのよ」

「めっ、めいたんていは強いのではないのか!?」

「そんなの、弱かったから死んだに決まっているじゃないか」

「そんなことない、正義のヒーローは強いのだ!」

「メルメル!」

「じゃあどうして死んだんだよ」

「ウ、ヌ……」

「ほらみろ。その点フォルゴレは英雄だからな、悪い奴ら何てあっという間に倒せるんだ! 死んだ名探偵なんて目じゃないさ」

「ちょっとキャンチョメ、あんたなんてこと言ってんのよ!」

「本当の事だろ?」

 子どもの素直さは時として鋭い刃になる。

 キャンチョメの言葉がグサグサと胸に刺さり、新一は思わずよろめきそうになった。だが、隣にいるスペイドが真顔で剣を鞘から抜き出しているのを見て根性で踏みとどまる。ここで仲間割れという事態に発展するのだけは阻止したい。

 視界の隅に見える清麿の頭に角が出ているのは気のせいだと思いたい。

「キャンチョメ、そんなことを言ってはいけないよ」

「フォルゴレ……?」

 得意げにしていたキャンチョメを諫めたのは、パートナーたるフォルゴレだった。腰をかがめて視線を近づけ、ゆっくりと諭す。

「いいかい、キャンチョメ。工藤新一は自分の命を犠牲にしてまで悪い奴らを倒した、とても強い少年なんだ。そんな子のことを悪く言ってはいけないよ」

「分かったよ、フォルゴレ……」

 誰よりも尊敬しているフォルゴレの言葉に、キャンチョメは小さな背中をさらに小さく丸めた。

 フォルゴレからのフォローの言葉に、新一は意外そうにする。子どもの言動に注意するのは本の持ち主の役目ではあるが、そこまで庇われるとは思っていなかった。

 新一の視線に気づいたのか、フォルゴレが顔をあげて煌びやかな笑みを浮かべる。

「私は工藤新一君のご両親と知り合いでね、話でよく聞いていたんだよ」

 まさかの交流関係が発覚した。フォルゴレは世界的映画スターであり、有希子は元世界的大女優。引退した後も度々アメリカのテレビ番組などに出演している為、知り合っていても可笑しくはないが。

 しかしここでどう反応していいのか分からない。素直に「両親がお世話になっています」と言えばいいのだろうか。「別人です」と予定変更して隠した方がいいのだろうか。

 新一は言葉に詰まったが、フォルゴレは返しを求めていなかったらしく「それにしても」と自ら話題を変える。

「ほんとうにそっくりだなぁ、君。同姓同名なそっくりさんは初めて見たよ」

「本当、名前も一緒って奇跡ですね」

 ニコニコとしているフォルゴレと恵。清磨とナゾナゾ博士を除く人たちも口々に「確かに似ている」と言っては笑い合っている。リィエンが何やら「名探偵ならきっとお父さんを……」と残念そうにしているのが気になるが、今はそれどころではない。

 ポリポリと頭を掻き、新一は気まずそうにする。

「すみません、オレ、なんです」

「えっ? 何がだい?」

「……そっくりさんじゃなくて、オレが、その工藤新一なんです」

 ヘッと、知らなかった者達全員の動きが止まった。清麿は仕方なさそうに息を吐き、ナゾナゾ博士は口を手で押さえて必死に笑いをこらえている。スペイドは先ほどと変わらず何時でも攻撃できる体勢のままだ。

 ナゾナゾ博士は後で蹴ると心の中で誓った後、新一はエヘッと笑って見せる。

 

「世間的には死んだことになっていますけど、実はオレ、生き延びちゃってたり?」

 

 告白から数泊後、うそぉおおという悲鳴があがった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 新一の暴露後、まず起きたのは『工藤新一幽霊疑惑』だった。生きているというのに幽霊だとキャンチョメがパニックを起こし、素直な魔物達がそれを信じて絶叫。新一を馬鹿にされたと感じたスペイドが本格的にキャンチョメに制裁を下そうとしたので必死に止め、何とか誤解を解いた後。

「ほんっとうにすみませんでしたぁああ!!」

 地面にめりこむ勢いでキャンチョメの頭を押さえつけ、フォルゴレは額をゴリゴリ当てて土下座した。

 幽霊騒動でごっそり体力を奪われた――生きているなら証拠を見せろ、とズボンをおろされ本当に足があるか確認させられそうになった――新一は、ぐったりしたまま大丈夫だと首を横に振る。

「気にしないでください。キャンチョメの言うことは本当の事でしたし……」

「だろー?」

「キャンチョメ!」

 新一の言葉でキャンチョメは得意げに頭をあげた。フォルゴレは慌ててキャンチョメを押さえ、新一の後ろにいるスペイドを恐る恐る見る。どうやらスペイドの殺気に脅えているらしい。

 新一は深く息を吐き、スペイドに剣を鞘に戻すよう命じた。スペイドは渋々と従ったが、キャンチョメを睨みつけるのは忘れない。

「グホォ、グフッ……いやぁ、誤解が解けてよかったね、新一君」

「スペイド、殺るならまずはナゾナゾ博士からだ」

「承知」

「承知じゃないよ、スペイド君!」

 笑いの発作を必死に耐えているナゾナゾ博士をジトリと睨み、ケッと新一は吐き捨てた。幽霊騒動の間ゲラゲラと腹を抱えて転がり笑っていた姿はしっかりと見ていた、キャンチョメよりもよほど腹が立つ。

「ゴホン……さて、誤解も解けたことで本題に入ろう」

 笑いを抑え込み、咳払いをしてナゾナゾ博士は真剣な表情を浮かべた。新一はジト目を送りながら話を聞く。

「ここにいる新一君には、あることを頼んでいた。これからの王を決める戦いにおいて、とても重要なことだ」

「重要なこと?」

 こてりとティオが首を傾げる。他の者も不思議そうな表情を浮かべている中、ただ一人清麿だけがハッとした表情を浮かべていた。

「ウム……実は警察組織の中で、魔物の存在を知ってしまった者達がいるのだ」

「警察?」

 はてと魔物達が首を傾げる。対する人間達は表情を硬くした――ナゾナゾ博士の言葉の意味が分かってしまったからだ。

 人間が理解して、魔物は理解できない。この事実に、ナゾナゾ博士は今ここで全てを説明するのではなく建前上の理由を話すことを決める。

「ロードにより攫われた人間達を助けようと、彼らも動こうとしている。だが、魔物の力を持たない彼らでは恐らく歯が立たない……そこでここにいる新一君に、説得してもらうよう頼んだんだ」

「……けど、あの人たちは引いてくれなかったけどな」

 清麿の視線を感じる。それに気付かないふりをして、新一は肩を竦めて見せる。

「オレだけじゃ判断できなかったから、皆の意見を聞こうと思って。警察組織は一緒に戦うつもりでいるけど、皆はどうして貰いたい?」

「どうしてって……」

 突然の話に、主に本の持ち主達が狼狽えた。その中でもリィエンの顔が真っ青になっており、ウォンレイが心配そうに寄り添っている。

「新一! その警察組織はどこの国の者あるか!?」

「えっ? 日本警察の捜査一課と、FBIだけど……」

「そっ、そうあるか……香港じゃなくて良かったある。香港じゃないならいいあるよ」

 ホッと息を吐くリィエンに新一は首を傾げる。彼女が香港マフィアの首領の娘であると知るのは今夜の事。

「新一さん、その警察の人達は魔物の力のこと、知っているの?」

「新一でいいよ。一応オレの方から説明はしたし、実際力も見せたからちゃんと理解しているはずだ」

「そう……。ごめんなさい、私は反対とも賛成とも……」

 恵の問いかけに新一は丁寧に答える。複雑そうな表情のまま恵は清麿の方を見るが、清麿は拳を握りしめ睨みつける様にしてナゾナゾ博士を見ていた。

「私は反対だ。魔物の力を侮っていれば、取り返しのつかないことになる」

「私も同意見だ。警察の気持ちも分からなくはないが、これは魔物の戦い。無関係な人間が関与するのはどうかと……」

 この場に四人しかいない大人の中の内、フォルゴレとサンビームは反対の意思を見せる。

「僕はサポートするしか出来ない立場だから何とも言えないけど、ここで一緒に待つだけならいいと思うよ」

 大人組の一人であるアポロはやや賛成寄りの意見を述べた。

 アポロは巨大財閥の御曹司であり、かつて魔物の本の持ち主であった。魔物の子どもの名前はロップス。てんとう虫のような姿をした小柄な魔物であり、後を継ぐ前に自由を満喫する為の旅をしていたアポロと出会った。そして彼らは清麿達と出会い友達となり、本が燃えロップスが魔界に帰った今も戦う清麿達を支援している。

 彼の意見は、祈ることしか出来ない立場だからこそのものだろう。共に戦える存在を失った彼は、どれだけ望んでも共に戦場に出向くことは出来ない。ある意味で警察組織と似た立場にいるのだ。

 一通り本の持ち主からの意見が出そろい、後は清麿だけになった。魔物達はポカンとしてパートナー達の会話を聞いている。

「清麿君は、どう思う?」

「……」

「清麿君?」

 恵の問いかけに、だが清麿は答えようとしなかった。怒りを堪える様に拳を震わせ、奥歯を噛み締めている。

「――俺は、反対だ。警察を信じることは出来ない」

 ようやく出したものは、反対の意思。

 実質この場のリーダー的存在である清麿の意見に、他の者達は怪訝そうにした。清麿の声に深い嫌悪感が滲み出ていたからだ。

「清麿、オレのことは抜きにして考えてくれ。あの人たちの誘拐された人たちを助けたいという気持ちは本物なんだ」

「抜きにして考えた結果だ。俺自身が、あいつらを信じられない」

 その原因とも言える新一は、清麿の返しに唇を噛み締めた。スペイドが心配そうな表情を浮かべ、そっと新一に寄り添う。

 ナゾナゾ博士は二人を交互に見た後シルクハットの鍔を掴み下げ、ゆっくりと息を吐いた。

「分かった、ではこちらの意思を伝えよう。今警察組織はこちらに向かっているから……」

「――ちょっと待つのだ!」

 纏めようとしたナゾナゾ博士を、ガッシュが遮った。様子が可笑しい清麿を見上げながら、自身の考えを口に出す。

「よく分からぬが、その警察組織はロードと戦うと言っておるのか?」

「……ああ、そうだよ。ガッシュ君」

「なら、私達と志を共にする仲間ではないか。どうして清麿は信じることが出来ぬのだ?」

 ――そのあまりにも真っ直ぐ過ぎる目に、新一達は息を飲んだ。

 ガッシュは知らない、気付いていない。どうして本の持ち主達がこんなにも警察組織を警戒しているのかを。警察組織が何を考えてここに向かっているのかを。

 それでも、その真っ直ぐな目に本当のことなど言えるはずが無く、清麿は言葉に詰まる。

「清麿、私はアポロも共に戦っている仲間だと思っている。確かに共にロードの元に向かうことは出来ぬが、アポロは操られた人の手当てをして故郷に帰してくれている。何より、私達を待っていてくれている!」

「それは、俺も勿論そう思っている。アポロがいたから俺達はこうして安心して戦うことが出来るんだって」

「なら、警察組織も同じではないか。操られた人たちを助けたいという思いは私達も同じ、つまり共に戦う仲間なのだ!」

 両手を広げ、ガッシュは純粋すぎる笑顔を浮かべる。ガッシュにとって重要なのは、信じられるか信じられないかではない、志を同じにしているか否か。そこにどんな企みがあろうとも、操られたい人を助けたいという気持ちが本物ならば、ガッシュの中に疑いなど湧かない。

「私もガッシュの意見に賛成。警察組織がいれば、アポロの負担も減るし」

「僕はどっちでもいいよ。僕たちがロードを倒すことには変わらないんだからさ!」

「メルメルメ~」

「私も、そこまで警戒する必要はないと思う」

「僕も別にいいと思うよ。悪い人たちじゃないし」

 ガッシュに同調するように、魔物達も肯定的な意見を述べる。スペイドだけが唯一口を閉ざしたままだったが、ガッシュが受け入れたことで肯定派になっただろう。

 本の持ち主達も、素直な魔物達に気まずそうにする。お互い目を合わせ、清麿の方を向く。

 清麿はガッシュの目を見返していた。疑うことを知らないその目に、ゆっくりと息を吐いた後握り拳を開く。

「――分かった。戦いには連れて行くことは出来ないが、その代わりにアポロと一緒に操られていた人達の援助をしてもらう、ということでどうだ?」

「ウヌ、それがいいのだ!」

「さんせーい! さっすが清麿ね!」

 意見を変えた清麿にガッシュとティオは嬉しそうに同意を示した。他の者達も清麿の意見に賛成らしく、反対の意見は出てこない。無論新一も、それがベストだと考えている。

「では意見がまとまったところで、私はこれから警察組織の人達と話し合って来よう。皆は体を休めていてくれ」

「ヌ、その者達はここに来ているのか?」

「もうすぐで着くはずさ」

 ナゾナゾ博士がそう言った直後、開いた窓から車のエンジン音が響いて来た。新一は窓の外に目を向け、部屋の外へと向かうナゾナゾ博士とアポロの後を追う。

「ナゾナゾ博士、オレも一緒に行く」

「新一、私も行こう」

「俺も行く。ガッシュはここで休んでろよ」

「はーいなのだ」

 新一の後を、スペイドと清麿が追ってくる。ガッシュは素直に返事をした後、ティオ達と早速遊び始めた。彼にとって休息とは、友達と遊ぶことを意味している。

「私も行こう」

「フォルゴレ?」

「キャンチョメはここで待っていろよ」

 意外なことにフォルゴレも着いて来た。新一は警察組織との橋渡し役であるため、話し合いの場にいなければならない。清麿は新一の事情を知っており、かつリーダー的存在であるので話し合いの場にいた方がいいだろう。だが、フォルゴレは無理してその場に出る必要はない。

「フォルゴレ、流石にボインの美女はいないと思うぞ?」

「清麿、私は何時もボインの美女を追いかけているわけではないぞ」

「どの口が言ってやがる、このちちもげ魔が」

「ははは……冗談はさておき、私もいた方がいいと思ってね」

 パチンと綺麗に片目を瞑られ、清麿と新一は怪訝そうにした。そんな二人の背中を押し、フォルゴレは陽気な声を上げる。

「なぁに、心配するな。このイタリアの英雄パルコ・フォルゴレの勘を信じなさい」

 ――その勘とは、美女が数名いることだろうか。

 新一は着いて来た集団の女性陣を思い浮かべ、しかめっ面を浮かべる。来ている女性陣は一人を除き美女の集まりである。除いた一人は美女ではなく美少女だ。因みに胸のサイズはビック・ボインレベルの者はいない。

「……心配だなぁ」

 ボソリと呟く清麿の声に内心同意する。

 そんな二人に構うことなく、フォルゴレは上機嫌でナゾナゾ博士達の後を追う。

 

 話し合いがスムーズにいきますように、と祈る新一の声は、神に届きそうになかった。




警察組織が大人しく待つはずがない。
次回は2月更新予定です。


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Level.17 交渉終了

 快斗達を乗せたバスが着いた先は、この街の中で最も高級であろうホテルだった。先ほどの飛行機貸し切りといい、新一達のスポンサーは余程の財閥家であるようだ。

 しかしながら、ホテルの一部分は見るも無残に大破されていた。その周囲の建物も一部破壊されており、戦いの爪痕がくっきりと残されている。

 果たして新一は無事なのだろうか――最悪の結末が頭をよぎった時、ホテルの出入り口から新一が現れた。見た所怪我はしておらず、無意識に安堵の息を吐く。どうやら彼らは無事仲間の救出が出来たらしい。

 彼の後ろから、高嶺清麿が姿を見せる。現在新一に最も信頼されている彼はFBIと日本警察――特に赤井と高木を見て顔をしかめた。麻酔銃付き鬼ごっこを繰り広げた相手に対する当然の反応だと言えよう。

「おぉおおお!」

 ――予想外だったのが、その後に続いて姿を見せた人物だった。イタリアの英雄である世界的映画スターのパルコ・フォルゴレが、新一と清麿を追い越して前に出てくる。

 彼もまた、魔物の本の持ち主なのだろうか。そんな疑問が浮かぶ前に、フォルゴレはFBI――のジョディの手を握った。

「なんと美しいバンビーナちゃん! そちらには大和撫子が三人! そして将来有望な麗しの乙女も! いやぁ、ついてきて正解だったなぁ、ハハハ!」

「えっ?」

 突然のことにジョディが目を丸くする。大和撫子と言われた千影はキャッと嬉しそうに頬を染めて両手をあて、有希子はあらあらと笑っている。もう一人の佐藤は自分のことを指していると気付かずキョロキョロと左右を見渡しており、麗しの乙女な哀は実に冷たい目をフォルゴレに向けていた。三者三様の反応。ここまで反応が違えば見ていて中々面白い。

 男性陣の反応も見応えがある。FBIはそれぞれ納得した表情に警戒心を滲ましているが、日本警察の目暮はフォルゴレを知らないらしく胡乱げな眼差しを向けている。佐藤のことになると誰よりも敏感かつ斜め方向に思考が飛びがちな高木は、非常に慌てた様子で佐藤を自分の背中に隠した。フォルゴレに口説かれるとでも思ったのだろう、あながち間違いではない。阿笠は哀の反応に苦笑している。そして己の父親である盗一は、千影の反応に面白くなさそうに顔をしかめていた。何時までたってもバカップルで一緒に居る方が辛い――かつて、コナンの時に自身の両親についてそう愚痴った彼の言葉に今更ながら同感する。これは確かに見ていて呆れてくる。

 ふと視線を新一に向けると、彼は手で顔を覆い、深く息を吐いていた。その隣にいる清麿は無表情で巨大ハリセンを構えている。そうとは知らず、美女たちにフォルゴレの鼻息は荒くなっていく。

「こうして出会えたのはまさしく運命! さあ、是非ともボインを――」

「――なにしようとしてんだ、このチチもげ魔がぁあああ!」

 ――スパンッと気持ちがいい音を立てて巨大ハリセンがフォルゴレの頭にヒットした。

 突然の衝撃にフォルゴレはジョディの手を離して蹲り、その隙を逃さずジョディは距離を取る。

 新一が片手をあげた。それを合図にゆらりとどこからともなくスペイドが姿を現す。

 スペイドがフォルゴレを指差し、新一は無言のまま頷いた。スペイドも頷き返し、鞘に入れたままの剣を振りかざす。

「いたたたた……っ、酷いじゃないか清麿。何も叩くことも……」

 清麿に文句を言いながら顔を上げたフォルゴレは、途中で言葉を切った。彼の視界には、無慈悲にも剣を振りかざすスペイドの姿が映っている。

 さっと視線を逸らす。これから起きるだろう悲劇を見ないよう手で顔を覆った時――先ほど以上に重い音と、フォルゴレの悲鳴が響き渡った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 案の定暴走したフォルゴレに制裁を加えた後、新一はアポロが手配した広い多目的室へと案内した。ホワイトボードを真ん中に、左右に長机と椅子が向き合うようにして並べられている。魔物の本の持ち主側と、そうでない者達側に分かれて自然に座ったため、新一も魔物の本の持ち主側についた。この場で唯一の魔物であるスペイドは椅子に座らず、壁に寄りかかり腕を組んで立っている。アポロは夕食の手配をすると言ってこの場から立ち去った。

 明確な線引きを表しているそれが、この話し合いが上手くいかないことを示しているように感じ、新一はばれないようこっそりと息を吐いた。今日だけで何回溜息をついたのか考えるだけで頭が痛くなる。

「あーっと……、さっきの戦いもあって全員は無理だったから、こっちからは高嶺清麿と、パルコ・フォルゴレさん、ナゾナゾ博士とオレが代表してきた。紹介……する必要はないよな?」

 新一の確認に、本の持ち主ではない側達が同意を示す。先程フォルゴレとの交友が発覚した有希子だけが「あらヤダ」と驚いた表情を浮かべた。

「フォルゴレさんも新ちゃんと一緒で本の持ち主だったの?」

「やあ、久しぶりだね有希子。私も驚かされたよ、君達が何時も自慢していた新一君に」

 フォルゴレが言葉に含みを持たせて返す。それを新一はそ知らぬふりをして聞き流した。話し合いのタイムリミットは夕食前まで。時間は刻一刻と迫っている。

「さて、早速だが本題に入らせてもらおう。世間話をする時間も――余裕も無さそうだからね」

 本の持ち主達を代表するかのように真ん中にいるナゾナゾ博士が、先に口を開いた。

「君達がここに到着するまでの間にこちらで少し話し合った結果、君達にはここに残り、アポロ君と一緒に操られた人達の手助けをしてもらいたいということになった」

「それは、戦いの場に連れて行くことはできない、ということか?」

 ナゾナゾ博士が遠回しに伝えたことを、赤井が言葉にして確かめる。その声から伝わる感情に、新一はやっぱりと肩を落とした。

 FBI、特に赤井は何が何でも着いてくる気でいると。

(一体何がそこまで赤井さんを……)

 彼らしくないと言えばらしくない赤井の態度に、新一はようやく疑問を抱いた。優作がロードに囚われたことでそうは見えずとも頭に血が上った状態だった為気付くのに遅くなってしまったが、FBI一の切れ者と恐れられ新一と同じく『シルバーブレッド』と呼ばれていた彼にしては、魔物に対する態度が過激すぎる。まるで宿敵だったジンを前にしているかのようだ。

 その原因こそが、この流れを変えるきっかけにかもしれない。そう思い口を開こうとした瞬間、清麿の口から赤井に劣らない非好意的な声が出た。

「魔物の力を持たないあんた達が着いて来ても、こっちは迷惑だ」

 ――どこからどう聞いても喧嘩を売っているそれに、新一とフォルゴレはギョッとした。喧嘩を売られた赤井は面白そうに清麿に目を向ける。バチッと二人の間で飛び散る火花に、新一は混乱し煽るべきか止めるべきか一瞬迷ったが、煽ってどうすると直ぐに我に返る。

「清麿、ちょっと落ち着け。ガッシュの言葉を忘れたのか?」

「……っ」

「そうだぞ、清麿。お前が冷静さを失ってどうするんだ」

 間に入ると、赤井の目が新一に向けられた。清麿は何か言いかけたが、フォルゴレにも抑えられ渋々口を閉ざす。

 赤井もだが、清麿も過激になっている。恐らく繰り広げたであろう鬼ごっこの最中に何かあったのだろうが、その件については清麿本人が何も話そうとしない。話したくないのなら聞かないでおこうと思っていたのだが、後で問いただした方が良さそうだ。

 ともあれ、リーダー的存在である清麿が非好意的態度を取り続けるというのなら、この場を任せることは出来ない。組織戦の時とは違い新一はあくまで戦力の一つであることを見せる意味もあり、この話し合いは清麿に任せるつもりでいたのだが仕方ない。

 ナゾナゾ博士に目配せを送り、フォルゴレが清麿を抑えているのを確認してから口を開く。

「まずはそちらの望みを教えてください。まさか、全員一緒に突撃したいとは言わないでしょう?」

「ああ、そうだな。あの魔物の力に対する十分な戦力を備えることが出来ない今、そこの少年の言う通り我々の方が足手まといになるのは目に見えている」

 ――赤井の方は話し合いを穏便に進められる程の余裕がまだあるらしい。しかし、その目は雄弁に語っている。だからといって引き下がるわけにはいかない、と。

 その目に新一はふと懐かしさを感じた。組織戦に向けて何度も繰り返し行われた作戦会議の時、赤井と新一は何度も意見を交わしあった。一方の意見を主張し通そうとするのではなく、より最善の道に進むために。

(やっぱり、赤井さんは赤井さんなんだな……)

 その時の目と、同じだった。赤井が何故魔物に対して過激な対応を取るのか分からない。だが、それでも彼は今この瞬間自身の感情ではなく、勝てる道を、犠牲の少ない道を選ぼうと新一に訴えてきている。

 流石はFBI一の切れ者、と言ったところか。赤井があくまで魔物を信じることは出来ないと主張してきたのなら新一もそれ相応の態度で挑むつもりだったが、手を差し伸べてきたのならそれに応えなければならない。

 顎に手を添え、そっと目を伏せる。新一が何かを考えている時に出す癖に、そうと知っている者たちはハッと息をのんだ。

(魔物の力を持たないとはいえ、何もできないという訳ではない。危険だからと言って遠ざける方が、彼らにとってはよっぽど危険だ。それに、もしロードと戦う前に父さんと会ったら……。戦いに集中したいオレ達では解放された人達を助ける余裕なんて……)

 目先の事だけでなく、遠い先のことまで。一つの可能性だけでなく、最悪の可能性まで考慮に入れて。あらゆる可能性に対して最善の解決策を。

「……全員は、連れて行けない。けれど少人数なら……」

「新一!?」

 ポツリと呟いた言葉に、赤井はフッと口角を、清麿がギョッとして声を上げた。だがそれを無視して、新一は顔をあげてスペイドを見る。

「スペイド、何人までなら連れて逃げることが出来る」

「二人。これが限度だ」

「二人か……捜査一課から一人、FBIから一人、ということになるな」

「分かった。人選はこちらで行うがいいか?」

「ええ、どうぞ。ただし……」

「――ちょっ、待てよ新一!」

 連れて行かないという意見を翻したところか、連れて行く前提で話を進めていく新一に清麿が思わず食って掛かる。

「二人も連れて行く気かよ! 何が起きるか分からないんだぞ!?」

「確かに何が起きるかも分からないし、安全の保障もできない。本音を言えばオレも連れて行くのには反対だ。リスクが大きすぎる」

「なら……!」

「――そのリスクを背負ってでも、オレ達本の持ち主は守らないといけないものがある」

 新一の言葉に、えっと清麿は狼狽えた。ナゾナゾ博士は既に理解しているらしく頷いており、フォルゴレも何かを感じ取ったのか真剣な表情を浮かべている。

「思い出せ、清麿。どうしてこの人達がここにいるのかを――それが意味するものを」

「どうしてって……それは、この人達が魔物について知ったから」

「違う。この人達は魔物について知ったからじゃない、行方不明になった人達を助け出すためにここに来ているんだ……そう、魔物に連れ攫われた人達を」

 ゆっくりと、興奮状態に陥っている清麿にも分かるように言葉を紡ぐ。

 それで十分だった。一度興奮状態が収まれば、天才的頭脳を持つ彼はその言葉の意味を直ぐに理解できる。

「ロードに……魔物に……」

「もう分かっただろ? オレの言いたいことが」

「すまん、新一君。私にはサッパリだ」

 ――残念ながらフォルゴレは、理解することが出来なかったが。

 ごく真面目な顔で手を挙げるフォルゴレに、新一は無言でこめかみを押さえた。だからと、フォルゴレにも理解できる言葉を選ぶ。

 

「このまま放っておくと、魔物は人間に害成す存在だと警察組織に認識され、魔物の迫害が起きるかもしれないってことだ」

 

 簡潔かつ率直なそれに、息を飲む音が響いた。

 日本警察からもFBIからも、新一の言葉を否定する者は出てこない。警察と無関係な黒羽家や有希子達からも、反論の声は無い。

(オレも焦っていたってことか……)

 分かってはいたことだった。寧ろ新一はそのことを危惧しており、回避する手段を考えていた。

 然し、父親がロードに誘拐され、母親達が襲われ。焦るあまり目の前の問題しか見えていなかった。ロードを倒すことを一番に考え、その先のことまで考えが及んでいなかった。

「以前から世界各国で魔物は事件を起こしている、窃盗から殺人まで様々に。今まではその犯人が分からず迷宮入りになっていたが、魔物の存在が知られた今――例え世間に公表しなくとも、秘密裏に排除しようと動いても可笑しくないんだ」

「おっ、おいおい、ちょっと待ってくれよ。それは私達がしたことではないじゃないか、全部他の魔物がしたことであって……」

「それはあくまで、本の持ち主側の認識だ。普通に考えてみろ、魔物と何ら関わりのない人間達が魔物の存在を知ったらどう思う?」

「――っ」

「得体の知れない存在、未知なる力、罪を犯しても捉えることは出来ない……魔物全てが害成す存在だと一括りに捉えても仕方ない。良い魔物、悪い魔物と区別できるのは、オレ達のように魔物と深い関わりのある者だけなんだから」

 新一の言葉に、フォルゴレは悲痛な表情を浮かべた。差別だ、とポツリと呟かれた言葉にそっと目を伏せる。

 偏見や差別だと主張するのは簡単である。しかし、これらは正しい知識が無いからこそ起こり得るものであり、している側にその意識が無いのが殆ど。魔物達でさえ、人間に対する差別意識が根強くある。人間と魔物、どちらもが歩み寄ることを知らない。

「――だから、オレ達が見せないといけない。魔物の全てがそうでないことを、ここにいる魔物達は人間を大切に思っていることを」

 ――ここに集まった者たちを除いて。

 新一の言葉に、フォルゴレは顔を上げた。一方清麿は複雑そうな表情を浮かべたが、丁度警察組織達の方を見渡した新一はそれに気付かなかった。

「さっきは言えなかったが、ここにいる人達は実際魔物に……ロードの手下に襲われたばかりだ」

「なに!?」

「聞いてないぞ!?」

「言う暇もなかったんだよ。清麿達は先に突入して連絡取れず、こっちに来てみればフォルゴレ達が襲われていて、追い払ったと思えばキャンチョメにズボン脱がされそうになるし……パンツまで脱げそうになった時は本気で泣くかと思った」

 最後の方は愚痴になってしまった。先ほどまでの精神的苦労を思い出し遠い目をすると、清麿も遠い目をしながら納得し、フォルゴレはそっと目を逸らした。一人だけナゾナゾ博士が笑いをこらえていたのでジロリと睨んでから、話を続ける。

「ロードの方もこの人達が感づいたことを察しているんだろう。今回先に清麿たちが突入したことで意識はこっちに向いているだろうが、警戒するに越したことはない。この人達以外襲われた報告はないことから、警察組織全体というよりも実際に動いているこの人達に対する警告だった、とも考えられるし」

「……成程。ナゾナゾ博士に頼まれて説得に行った新一達が偶々その場に居合わせて、事無きを得た、ということか。それでこの人達も着いて来たと」

 なぜ彼らが魔物の存在を信じた上で着いてきたのか。その謎が解けた清麿は、原因とも言えるナゾナゾ博士をジトリとした目で見た。日本警察とFBIなどといった組織との確執を知っている清麿からすれば、ナゾナゾ博士の頼みは許せないものだったに違いない。例えそれが最善の方法だったとしても、新一の気持ちを無視するような真似を清麿はしたくなかったはずだ。

 驚くほど優しく仲間想いな友に、新一はひっそりと口角を上げる。こうして心配してくれる存在がいるから、新一は必要以上に傷付かないで済んだのだ。

「因みに襲ってきた魔物は、あのクソカエルに千年前の魔物三体。二体は俺達で倒したけど、ゲロゲロうるせぇカエルと空飛ぶ奴は逃がしちまった。そのせいで戦力補充したカエルもどきがフォルゴレ達を襲うことになっちまって、悪かったな」

 ビョンコに対する敵意が如実に表れているが、懸命にも誰も突っ込もうとしなかった。

「いやいや、新一達のせいではないよ。寧ろ、よく君達だけで二体も倒せたな。千年前の魔物は現代の魔物よりも遥かに頑丈な身体をしていて、中にはとても強力な術を持っている奴もいるのに」

 素直に称賛するフォルゴレに、新一は曖昧な笑みを浮かべた。対して苦戦しなかったと告げていいのか迷っていると、遠慮というものを知らないスペイドが先に口を開く。

「千年前の魔物達は弱く、私達の方が強かった……ただそれだけだ。あの程度で苦戦しているようでは、この先生き残れないぞ」

 一刀両断。見事なそれはフォルゴレだけでなく、清麿やナゾナゾ博士も切り裂いた。

 ウグッと言葉に詰まる本の持ち主達に、慌てて新一がフォローを入れる。

「たっ、偶々だって! クローバーとエルジョって魔物が、偶々千年前の魔物の中でも弱かっただけで……!」

「エッ、エルジョって、俺達を襲ってきた魔物と同じ名前なんだが……」

「あっ、そうなの?」

「……俺とガッシュだけじゃ歯が立たなくて、勝てたのはティオと恵さんが助けに来てくれたからなんだが……エルジョとパティには逃げられたし……」

「……ええと……」

  そのエルジョを瞬殺した新一は、目を左右に泳がせた。そんな新一を見て、仕方ないとスペイドがフォローを入れる。

「今の弱さを認めることが、この先強くなる秘訣となるぞ」

 フォローではなく止めを刺した。

 ピシリと固まる本の持ち主達を見て、スペイドは不思議そうに首を傾げる。

「何も恥ずかしがることはないだろう。魔物の戦いは基本一対一で行われている。複数対一の戦いに慣れていないのだから、苦戦するのも当然のことだ」

「……ん?」

 意外な言葉に、新一は少し浮上した。目を丸くするパートナーの様子に、だからとスペイドは言葉をより詳しくする。

「ガッシュ達の弱さは、複数を相手にした戦法を知らないことだ。そこを克服することによって、彼らはより強くなれる。そうだろう?」

 ――弱さの意味に、清麿は目からうろこが飛び出そうになった。確かに清麿たちは複数を相手にした経験は少ない。更に、そのどれもが誰かが助けに来てくれて事なきを得ている。それを『弱さ』と表現したのは彼女らしいが、悪い意味で言っておらず、寧ろ今後の課題点としてより高みへと導こうとしている。

 まさか、あのスペイドからこんな言葉が聞けるとは。

 そう驚いたのは何も清麿達だけではない。

 一番驚いているのは、パートナーたる新一だった。

「……スッ、スペイドがちゃんとフォロー入れていた……!」

「……新一、そんなに驚かなくとも……」

「だっ、だってスペイドだぞ!? オレに対してでさえ戦闘のことになると遠慮容赦しなくなるスペイドがだぞ!? オレには『それくらい自分で考えてみたらいい』と放っておく癖に!」

 驚きが一周して怒りへと変わった。なぜそこに到着したのかは新一にも分からない。

 理不尽にも怒りを向けられ、スペイドもムッと顔をしかめる。

「その件に関しては反論させてもらおう。私があえて新一を突き放したのは、貴方が常に『自身が無茶をする』を前提に考えているからだ。清麿達のように戦法に対する知識の無さ故ならともかく、悪癖ともいえるそれを指摘してもどうにもならない。だから私は、貴方自身に気付かせるべく突き放しただけのこと」

「そっくりそのままお前に返してやるよ、その言葉! 今まで何回お前がオレを庇ったせいで余計な怪我を負ってきたと思っているんだ!」

「新一こそ、私に有利な状況へと持ち込もうとして何度も怪我を負ってきているではないか。私だけ責められるのは納得がいかない」

 新一もスペイドも、互いを大切に想う故に自己犠牲的な行動に出る時がある。それを互いに良しとしておらず、そこだけはこの先相容れることはないと分かっていても、止めることが出来ない。

「――まあまあ、落ち着きなさい。二人とも」

 そんな二人を、ナゾナゾ博士が間に入り宥めた。スペイドは瞬きをして直ぐに落ち着きを取り戻し、乗り出していた身を元の位置に戻す。新一はナゾナゾ博士を一瞬恨めしそうに見たが、時間がないのを思い出し、渋々と頷き座り直した。

 思わぬ二人の喧嘩に呆然とする者達の意識を、ナゾナゾ博士が手を叩いて呼び戻す。

「話を戻そう。

 魔物に襲われた彼等は新一君達に助けられ、魔物の戦いについて聞いた。今回のロードについてもね。そして、今までの謎が解けた彼らは、ロードに操られた人々を解放するのと同時に、魔物に対する対応を決める為にこの場に来た。

 新一君が危惧しているのは、この場に置いていくことにより、余計な誤解を与えて魔物に対する印象をより悪くしてしまうことだ」

「確かに、魔物同士ということでロードとグルだと思われても可笑しくはないのか……」

 ナゾナゾ博士の言葉を、清麿も吟味する。事情を全て知っていればとんでもない誤解だが、中途半端であればそう予想しても仕方ない。以前新一も、探偵や警察はあらゆる可能性を考慮に入れると言っていた。疑いを晴らす為には、実際に見てもらうしかない。

 しかし、と清麿は奥歯を噛み締める。今この場にいる警察組織の人たちは、かつて新一を裏切った者たち。この戦いが終わった後裏切らないという保障はない。何より、これ以上彼らを傍に置いて新一を傷つけるのが嫌だった。

 何とかしてこの話の流れを変えられないかと思考を巡らすと、「一ついいかな」とフォルゴレが立ち上がった。

「貴方達に聞きたいことがあるんだ」

「答えられる範囲であれば」

「いやいや、素朴な疑問さ。どうして貴方達は、魔物を見極めようと思ったんだ? 魔物に襲われたのなら普通、私達を信じようとは思わないだろう?」

 意外なそれに、清麿と新一は虚を突かれた。二人が全く疑問に思わなかったそれは、確かにフォルゴレの言う通り不自然なことである。

 問われた警察組織は互いに顔を見合わせ、代表して目暮が立ち上がった。

「あー、フォルゴレさん、だったかね? 確かに貴方の言う通り、我々は魔物に襲われた。そして魔物が犯したと思われる犯行を追って来てもいる。普通ならこの場に武器も持たずのこのこ来んし、誘拐された人達の救出を任せたりしないだろう」

「普通なら、そうですね」

「――しかしなぁ、我々は知っているんだ。工藤君が決して、犯罪者にならないことを」

 その言葉に、新一は目を見開き、清麿は顔をしかめた。

「魔物に襲われた我々を助けてくれたのは、魔物だった。その魔物は工藤君の命の恩人でもあった。そう考えると……一概に魔物を悪だと決めつけるには早計だと思わんか?」

「……成程。しかし恐怖は感じなかったのですか?」

「もちろん感じたに決まっている。だがそれ以上に……工藤君を信じる気持ちの方が大きかった、という訳だ」

 目暮の言葉に、本の持ち主ではない者達が大きく頷いて同意する。

 フォルゴレの疑問以上に想定していなかった答えに、新一は呆然とした。優秀な脳は思考停止になり、耳はこれ以上音を拾わないようシャットアウトしている。

「……そうですか、分かりました。ならばこのパルコ・フォルゴレ、貴方達を全力でお守りすることをここに約束しましょう」

「フォルゴレ!?」

 そしてフォルゴレは、今までの意見を翻した。新一の提案に賛同したことに、清麿が声を上げるが決意は固く揺らごうとしない。

「清麿、この人達は恐怖を乗り越えてここに来ているんだ。それは並大抵のことではない。一度恐怖に取りつかれれば……たとえ血を分けた相手だとしても、恐ろしいものに見えてしまうのだから」

「それはそうかもしれないが……!」

「なあに、心配いらないさ。いざとなれば、私が身体を張って彼らを逃がすまで」

 いつの間にか一人だけが反対している状況に、清麿は焦りを抱いた。新一は思考停止して固まっているため、話しかけようにも話しかけられない。

 ナゾナゾ博士を見れば、ニヤリとした笑みを向けられた。それに嫌な予感を覚えると同時に、追加攻撃を繰り出される。

「勿論、魔物を信じてもらう為の意味もあるが、我操られた人達を解放出来たとしても、戦いに集中する余りその後のフォローまでは気は回らないだろう。だが、戦いに参加できない彼等ならば、我々の代わりに素早く対処することが出来る」

「う……っ」

「その具体的な案はこの後考えるとしたとしても、だ。連れて行く人数がスペイド君のいう二人なら、我々が力を合わせれば守ることもできる。のう、新一君?」

「――へっ? あっ、はい。そうですね。二人なら俺たちの術『サーボ・アライド』で連れて逃げられますし、そこまで支障はでないかと」

 ナゾナゾ博士に呼び掛けられ我に返った新一は、二人と言う言葉に反応してぎこちなくも丁寧に答えた。それに清麿はジトリとした目を向け、「分かったよ」と渋々同意する。

「そこまで言うなら仕方ない。二人までなら連れて行くことにする」

「うむ、そうしようじゃないか。問題は誰と誰を連れていくかだが……」

 本の持ち主側の意見がまとまった所で、ナゾナゾ博士が本の持ち主でない側にバトンタッチする。

 お互いの妥協点を見つけることが出来たことに安堵し、新一は深く椅子に腰かけた。弱冠一名まだ納得できていないようだが、後で説得すればいい。

 一息つくにはまだ早いが、一つ目の山場を越えたことにどっと疲れが押し寄せてくる。話し合う声に耳を傾けながらも、新一は軽く目を閉じた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ――今こそ元の姿に戻るべきではないだろうか。

 話し合いを聞きながら、哀はそうぼんやりと思った。

 新一達が妥協案として提示してきた二人という制限。それは少ないようでいて、実は多い方であることにこの場に来ている全員が気付いていた。

 魔物の戦いは未知なる力のぶつかり合いであり、力を持たない者が一人でもいるだけで大変な負担になるだろう。

 それでも新一はリスクを承知で手を差し出した。それを振り払うという傲慢な態度など、取れるはずがない。

(――取りたく、ないけれど……)

 ゆっくりと視線を、誰か着いていくか決めている者達に向ける。

 二人という枠組みは、当然のようにFBIから一人、日本警察から一人と決められた。否、それが本当に当たり前の事であり、一応民間人である己達が入れる訳がないことなど頭では分かっている。一番着いていきたいだろう有希子でさえ、名乗りを上げることせず話し合いを――否、目を閉じて座っている新一を心配そうに見ていた。

 疲れているのだろうかと思い、直ぐに当然であることに思い至る。彼は魔物との戦いで大怪我を負いながらも休まず移動し、また戦いに挑んできたばかりなのだ。休む暇など無かったに違いない。

 無茶をするな、とはもう言えない。それを言える権利を、資格を、哀は自らの手で放棄した。

(もしも、もしも私が……)

『宮野志保』ではなく、『灰原哀』を選ぶ。

 それは彼女にとってごく自然なことだった。薬を無理やり飲まされた彼とは違い、彼女は自ら進んで飲んだ。つまり、『宮野志保』を殺す為に飲んだということ。元の姿に対する未練も何も最初からなく、寧ろ新しい姿で新しい人生を歩めるというチャンスに戸惑いすら抱いていた。

 だから、なのだろうか。これ以上の幸せなどあってはいけないと分かっていたにも関わらず、もっとと欲を出してしまったのは。

(『灰原哀』じゃなく……)

 ――哀は知っていた。コナンに最後に渡した解毒剤を飲めば、もう元の姿に戻れなくなるということを。

 推測の域を出ていなかった。もしかすると、の話であり確証も無かった。危険性の一つであったが、確率的には低かった。

 それでも哀は思ったのだ。最後となる解毒剤を渡した時、もし、と思ってしまったのだ。

(『宮野志保』だったら……)

 ――『江戸川コナン』のままなら、同じ時を歩めるのではないか、と。

 以前も似たようなことを彼本人に言ったことがある。その時は冗談だとはぐらかしたが、あの渡した瞬間、再び悪魔の声が囁いた。

 哀はそれに耳を貸してしまった。伝えなければならなかったことを、伝えなかった。

 その結果がこれである。元の姿に戻れないことに絶望したコナンは生ではなく死を望んで姿を消し、哀達の元仲間として、新たな相棒を見つけて、再び姿を現した。

(あそこに、いれたのかしら……)

 このことは誰にも話していない。哀がひっそりと胸の中で、許してはいけない罪としておさめている。墓場にまで持っていくと決意しているそれを、誰にも背負わせるつもりはない。

「FBIからは赤井君を出そう。本人が一番希望しているからね」

「ではこちらからは……」

「目暮警部。私に行かせてください」

「さっ、佐藤さん!?」

「明日には他の人達も到着する予定です。目暮警部は彼らの指揮を。高木君は……無茶しないで? 私は平気だから」

「そんなの駄目です! 佐藤さんに行かせるくらいなら、僕が行きます!」

 思考の波に漂っていると、高木が声を荒げているのが聞こえてきた。

 見れば、日本警察の代表として自分が行くと言い張っている。この中の誰よりも魔物に恐怖しているというのに、愛しい人を危険にあわせたくないという気持ちの方が強いらしい。佐藤と目暮が説得しているが、高木は頑として譲らない。

(羨ましいわ……)

 心からそう思う。

 彼の選んだ道を間近で見られる立場が。

 大切な人を庇える立場が。

 ――彼が、彼女が、羨ましい。

(……なんて、ね)

 クスリ、と小さく笑う。嘲笑とも見えるそれを手で隠し、視線を高木達から逸らした。

 我ながら馬鹿なことを考えた。羨ましいだなんて、言える立場ではないのに。

 思考を振り払うように首を左右に振ると、ポンと肩を叩かれる。

 誰だろうかと振り返り、哀は目を見開いた。

 

 

 

 程なくして、同行者が決まった。

 FBIから赤井秀一。日本警察から高木渉。

 奇しくも、清麿達と麻酔銃付き鬼ごっこを繰り広げた二人――内一人は不本意であったが――が選ばれたことに清麿が猛烈に反発をしたが、武器となる物は置いていくことを新たに条件に加えたことで、渋々と、本当に渋々とだったが認め、この話し合いは終結した。

 しかし、清麿を宥めるのに必死だった新一は、気付かなかった。

 ――陰でひっそりと動こうとしている者達の存在に。




怪盗が大人しく待つはずがない。
スペイドの運び方は、ナゾナゾ博士がお手本です(フラグ)。

実家に帰る機会があったので、投稿しました。
まだ住まいの方のネット環境は整っておりませんので、不定期更新になります。


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Level.18 戦いの前夜

 警察組織を交えた夕食は、比較的平和に終わった。

 快斗と新一の双子疑惑騒動が起きたり、日本の人気アイドル歌手である恵が実は有希子の大ファンで大はしゃぎしたり、ブリを丸かじりにするガッシュを見て快斗が悲鳴をあげて気絶したりなど、細かい所で小さな騒動はあったが、互いの自己紹介も比較的スムーズに行き、二名着いてくることへの了承も得た――清麿が認めたということが決定打になったことを、本人だけが知らない。因みに外見小学生な哀も連れてきたことは主に女性陣から難色が示されたが、当の本人が押し切った為触れてはいけないと認識されている。

 夕食が終われば、次は作戦会議である。

 アポロが用意した部屋に集まり、始まるまで各々寛ぐ。漸くとれたゆっくりとした時間に張りつめていた緊張も緩む中、新一は妙な緊張感に襲われていた。

「――貴方、傷跡が増えているんじゃないの? スペイド、包帯取って」

「もっと言ってやってくれ。私が幾ら言っても聞かないんだ」

「それについては諦めた方がいいわよ。この人、昔から人の話を聞かないから」

 灰原の小さな手が背中の傷を手当てして、包帯を巻く。妙に力が込められているが、それを指摘すれば傷をダイレクトに攻撃されてしまうので甘んじて受け入れる。余った包帯はスペイドが受け取り救急箱に仕舞う。いつの間にか役割分担が出来ていた二人に、新一はボソッと呟く。

「お前らいつの間に仲良くなったんだよ……」

「仲良くない」

 ピシャリと二人同時に否定された。冷たい視線もオマケでついている。

 でもなぁ、と新一は苦笑いを浮かべた。二人一緒に新一の傷の手当てを買って出て、仲良く新一への苦情を言っている辺り、仲良しにしか見えない。

「女心は複雑なんだよ、新ちゃん」

「新ちゃん言うな」

 哀とスペイドの冷戦に怖がってはいるが、それよりも両親の近くに入れない方が強いため新一の隣に避難している快斗が分かったように諭す。複雑なのは新一も分かっているので、最後の方だけ跳ね除けた。

 捲り上げていた服をおろし、部屋の中を見渡す。有希子達は恵と楽しげにしているが、警察組織の方はナゾナゾ博士と真剣な表情で何やら話し込んでいる。阿笠の姿が見えず探していると、気付いた哀がああと答えた。

「博士なら部屋に戻っているわ。明日までにメカを完成させるって、アポロさんと一緒に」

「アポロさんも?」

「アポロさんが興味持ったみたいで、一緒に着いていったのよ」

「ふうん……何作ってるんだろ、博士」

 明日までに完成させる、ということは、武器か何か作っているのだろうか。博士の発明品に幾度となく助けられてきた新一も興味はあったが、警察組織と話を終えたナゾナゾ博士がやってきたので意識をそちらに向ける。

「しかしウォンレイ達がきてくれるとは……」

「当たり前あるよ、清麿たちが戦っていると聞いて、飛んできたある!」

 博士に気付かず、清麿はリィエン達と話していた。

 香港から駆けつけてくれた仲間に、清麿とガッシュも嬉しそうだ。

「ありがとう」

「ウヌ、二人とも元気そうで何よりなのだ!!」

 恵が他の人達が集まってきていることに気付き、駆け寄って来る。話は明日の戦いへと変わり、ウォンレイが決意を顕わにする。

「ああ、一刻も早くロードを倒そう」

「ウム。そのロードという者だが……正体が分かった」

 ――ナゾナゾ博士の爆弾発言に、新一とスペイドも驚いた。慌てて立ち上がり、彼らの元に行く。

「ロードとは仮の名……真の名はゾフィス! 心を操れる現在の魔王候補じゃ!」

 ゾフィス、と口の中で呟く。スペイドを見れば、どこかで聞いたことがあるのか考え込むように首を傾げていた。同じくウォンレイも、腕を組み何かを思い出そうとしている。

「少しだけ噂を聞いたことがある。たしか爆発の術を使えると……」

「……精神操作に特化した一族の中に、確かそのような名の魔物がいた気がする。あと誰かがその名前を言っていたような……」

 魔物二人の反応に、ナゾナゾ博士が重々しく頷いた。

「ウム、その通り……。私はその魔物のことを、ここに来る前に立ち寄ったある魔物と人間から聞いた」

「ある……魔物?」

「君達がわかるかどうかは知らぬが……今まで会った中で、最も強大な力を持った魔物じゃ」

 最も強大な力を持った魔物。脳裏に浮かぶ黒い魔物の姿に、新一とスペイドは目を合わせる――まさか、彼の事なのだろうか。

「その魔物の名はブラゴ……そして本の使い手のシェリー」

 ――その名前に、清麿とガッシュも驚愕の表情を浮かべ、他の魔物達も恐怖の色を顔に滲ませた。

 魔物達だけでない、警察組織の者達、そして哀もまた、別の意味で驚いていた。

 シェリーとは、かつて哀が『宮野志保』だった頃の黒の組織でのコードネーム。再びその名前を、しかも本当に人名として聞く日が来るとは思ってもいなかった。

 そして新一は――目を見開いて固まっていた。

(本の持ち主の名前が、シェリー……?)

 脳裏に蘇る、カナダで出会った旅人の少女。スペイドに対する意趣返しで入った喫茶店で共に一時を過ごした――もう出会うことは無いと思っていた人。

 彼女の名もまた、シェリー。それだけなら単なる偶然だと思えるが、あの日、そこにはブラゴがいた。

『少しだけ分かるわ。私も早く教えてあげたくて、あの子を探していたから』

 シェリーは旅の相棒を探していた。確かあの日は、残りの数が四十名を切った日でもあった。

(シェリーの探していた人は、ブラゴだった……?)

 急激にのどが渇き、コクリと唾を飲み込む。速くなる胸の鼓動に手を当て落ち着かせ、いやと考えを否定する。

(証拠はない。あの日出会ったシェリーが本の……あのブラゴのパートナーと決まったわけじゃ……)

 それでも心臓は落ち着きを取り戻さない。否定する脳に何かを訴えてきている。

 様子が可笑しい新一に気付いたのは、スペイドだけだった。残りはナゾナゾ博士のブラゴ達との出会い、そして交渉の話に集中している。

 そっと肩に手を置いてきたスペイドに手を重ね合わせ、緩く首を振る。大丈夫だと呟き、意識をナゾナゾ博士に向ける。

(シェリー……お前じゃないよな……?)

 脳裏に浮かぶ、涙を堪えた笑み。彼女の引いた一線が、魔物が関係していないことを望みながら。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ナゾナゾ博士がブラゴ達と出会ったのは、フランスの山中だった。

 千年前の魔物を圧倒的な力で倒した彼らに白旗を振って敵意がないことを見せた後、ブラゴ達が現在拠点にしている家へと招かれ、ロードの事、千年前の魔物の事、そして警察の動きの事について話した。

「では……私達に手を組めと?」

「ウム……千年前の魔物達と戦うには、皆が手を……」

 

「――断る」

 

 最後まで話を聞くことなく、ブラゴはその申し出を跳ね除けた。

 それにナゾナゾ博士が説得を重ねる前に、ブラゴは言葉を続ける。

「オレがなぜ貴様らと手を組まねばならん。弱い奴のケツを守るのはゴメンだ」

 魔界で恐れられている魔物の言葉に、それでもナゾナゾ博士は説得を試みようとした。しかしそれも、パートナーたるシェリーによって拒まれる。

「申し訳ありませんが、紳士殿。お引き取りねがいます」

 思わず口を閉ざしてしまうような殺気を身に纏いながら。

「今話してくれたロードの居場所、警察の動き等の情報には、お礼を言います。

 しかし、そのロードという者は、私の宿敵でもあります。あなた方の手を借りて倒すつもりはありません」

 強い覚悟と決意を。ナゾナゾ博士たちのように魔界の未来を案じてではなく、途方にもない復讐の色を滲ませ。

「あなたは他の魔物にも協力するよう、呼びかけているみたいですが、これだけはその魔物達にもお伝えください。

 ――あなた方の言うロードだけには手を出さぬよう……もしあ奴に手を出したら、あなた方もただではすまないと」

 たとえ死ぬことになろうとも、一人で奴らをすべて倒す気でいるとナゾナゾ博士に思い知らせる程に。

 出ていく間際、最後の抗いとしてそこまで敵視するロードについて問いかけたナゾナゾ博士に、シェリーは情報の礼として少しだけ答えた。

「ロードとは仮の名。心を操る魔物の真の名はゾフィス。

 私の命の恩人とも言える親友の心を操り、幸せを奪った……最低最悪の魔物よ」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「そうか……あいつらそんなことを……」

 ポツリと、そう清麿が呟いた。まるで二人を知っているかのような台詞に、おやとナゾナゾ博士とスペイドが意外そうにする。

「清麿君は彼らを知っておるのかね?」

「ああ、一度だけ戦ったことがある」

 サラリと何でもない風に言った彼の言葉に、一拍後、魔物達の叫び声が轟いた。

「ええええええ!? あのブラゴと!?」

「え……何!?」

 一斉に魔物達から距離を取るように後ずさられ、清麿は狼狽える。魔物達のこの反応は全く想定していなかった。

 そんな清麿を無視して、ティオはガッシュの胸ぐらを掴んで揺さぶる。

「な、なんでガッシュは無事なの!? あのブラゴと戦ったんでしょ!?」

 心配と驚愕、信じられないことが起きていることへの困惑。混乱しきっている魔物達に、清麿の方も困り果てた。どうしてここまで魔物達が過敏に反応するのか分からない。

「イヤ、でもボロボロにやられたし、負けたけど、見逃してもらったというか……」

「ブラゴが……? 珍しいな、彼奴が獲物を見逃すなど……」

 唯一そこまで驚いていなかったスペイドが、ブラゴがガッシュ達を見逃したということに面白そうに口角を上げた。新一からすれば、あの憎たらしい魔物が何を考えて見逃したのかが気になるのだが、スペイドはそうでもないらしい。

「フフ……面白い。彼奴がここまで変わっていたとは……」

「スペイド?」

「次会う時が楽しみだ」

 ワクワクといった表情を浮かべる彼女に、新一は何とも言えない顔をする。他の魔物は怯えきっているというのに、このパートナーだけは正反対の反応をしているのだから。ウォンレイでさえ驚愕の余り固まっている。

 ガッシュを揺さぶっていたティオは手を離して、ブラゴがいかに恐ろしい魔物であるかを分かっていない清麿に訴えてきた。

「魔物の子でブラゴを知らない子はいないわよ!! それだけ強いの、優勝候補よ!」

 ティオの言葉を聞き、新一はスペイドに耳打ちする。

「あいつそうなの?」

「確かに民にも名が知られている魔物の中で最も強いのは彼奴だな。だが、知られていないだけで、他にもオーガ族や竜族といった強い魔物達がこの戦いに参戦している。正確には優勝候補の一人、だろう」

「なるほど」

 民、という言い回しが王宮騎士である彼女らしい。

(つうかこいつ、強い魔物の参加者しか覚えてないんだな……)

 乾いた笑みを浮かべ遠い目をする。もし彼女がゾフィスの事を覚えていたなら、ナゾナゾ博士も回り道しなくてよかったのではないかと思うと、申し訳なさを感じて仕方ない。

 余計な混乱を与えないため、小声でやり取りを交わしていた二人に気付かず、ティオ以外の魔物達もそれぞれ訴え出した。

「僕なんか、顔見ただけでもらしちゃうよ!」

「メルメル!」

「僕はブラゴよりも、あのシェリーってパートナーの方が怖かったよ」

 ――あっ、やっぱり別人かもしれない。

 身を寄せ合いながら震えている魔物達の会話に、新一は少しだけ顔を明るくさせた。新一の知るシェリーは感情表現豊かでからかうと面白い反応を見せるお嬢様であり、ブラゴのように恐怖を与える人ではなかった。

 同姓同名の別人の線も浮上し、気分が浮上した新一だったが、次のティオの言葉で固まることになる。

「あのブラゴと対等に戦えるのは、『黒衣の騎士』くらいだって専らの噂よ」

「――黒衣の、騎士?」

「メル?」

「あっ、そっか。ウマゴンはともかく、ガッシュは記憶がないんだったわね。『黒衣の騎士』は王宮騎士唯一の女騎士で、とっても強くておっかない魔物のことよ」

 ――思い切り聞き覚えのある名前に、新一はスペイドも見た。スペイドも新一を見て、不思議そうに自分を指差しながら首を傾げる。

 何故彼女が不思議そうにしているか分からないが、キャンチョメの「聞いたことあるよ!」と続けられた言葉で納得した。

「いつも兜を被っていて、滅多に姿を見せないっていう魔物のことだろ?」

「そうそう。でも王様に対する反乱とか起きると颯爽と戦場に出て、敵を容赦なく倒していくから、他の騎士達が『黒衣の騎士』って呼びだしたんだって。私は見たことないけど、あのブラゴと仲がいいみたいで、絶対に敵に回したらいけないって学校の先生が……!」

「――だ、そうだが?」

「……驚いたな。まさか民にまで通り名が知られていたとは……」

 本人を目の前にして語られる噂の内容に、スペイドは憤ることなく寧ろ感心していた。どこまで本当なのか分からないが、あながち間違ってないんだろうなと新一は推測する。

 魔物達の噂話に、清麿が胡乱げな目を向けてきた。警察組織や怪盗一家、母親たちもスペイドの方を見ている――気持ちはよく分かる。事情をなぜか知っていたナゾナゾ博士と、彼から話を聞いているのだろうキッドは笑いをこらえていた――この二人は本当に懲りない。

「ウヌ、そうだったのか」

「メルメル」

 一方、ティオ達の話を聞いたガッシュとウマゴンは、無邪気な顔をスペイドに向けた。何の含みもない純粋なそれは、恐ろしいほどに気付いていない。

「スペイド以外にも、王宮騎士とやらはいるのだな!」

 だからこそ、核兵器並みの言葉を素直に出すことが出来る。子どもの恐ろしいところはこういった、自身の発言が周囲にいかに影響を及ぼすか分からない所だと常々感じる。

「……えっ?」

「ティオ達は知らぬのか? スペイドも王宮騎士なのだぞ! のう、スペイド」

 ガッシュの言葉に、ティオ達はピシリと固まった。それをどう勘違いしたのか、ガッシュはどこか自慢げに胸を張りながらスペイドを紹介する。

 王宮騎士の中で唯一の女騎士の通り名が『黒衣の騎士』、そしてスペイドは王宮騎士。

 その事実から導き出される答えに、ギギギッとティオ達はスペイドを振り向いた。顔から流れる汗の量がとんでもないことになっている。

 この場にいる全員の視線を集めることになったスペイドは、数回瞬きをした後、確かにと何でもない風に言葉を紡いだ。

「反乱が起きれば戦場に行き、『黒衣の騎士』という通り名をつけられ、暇さえあればブラゴと組み手をしていたのは確かにこの私だな……兜は戦い故外しているが、ほら、この通り」

 カポっとどこからともなく兜を取り出したスペイドが被って見せた一拍後――魔物達の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「おいスペイド、どうすんだよコレ」

 パートナーの後ろに隠れて怯えるティオとキャンチョメを見て、新一は呆れの目をスペイドに向けた。彼女たちが怯えている理由がブラゴと親しくしているからなのは分かるが、それ以外にもある気がしてならない。この相棒には、周囲に悪い意味で誤解を与える言動を無意識にしてしまうという悪癖がある。

 幸いなことに脅えているのは二人だけで、ウォンレイは呆然としており、ガッシュとウマゴンは困惑を隠さずスペイドと二人を交互に見ている。二人だけなら説得も容易いだろう……そう思った新一だったが、スペイドの思考回路は相変わらず斜め方向に飛んでいた。

「見慣れた反応だが、ガッシュの仲間ということを踏まえると……私達は単独行動をした方がよさそうだな」

「お前の中に誤解を解くという選択肢はないのかよ!」

 何故か二人を気遣い単独行動を取るという結論に至ったスペイドに、新一は思わず頭を抱える。それはあくまで最終手段であり、その前の段階が欲しかった。

「ウヌゥ……ティオ、キャンチョメ、何をそう怯えておるのだ。スペイドは私の友達なのだぞ」

「メルメル」

「でっ、でもガッシュ! あの『黒衣の騎士』なのよ!?」

「ぼっ、僕、殺されちゃうよ……!」

 ガッシュとウマゴンが代わりに説得しようと試みているが、中々二人は応じない。先程の新一に対する失言と暴言の数々を思い出しているのか、キャンチョメは可哀想な程青ざめている。

「誤解を解くも何も、私が『黒衣の騎士』と呼ばれていたのは事実だ。ブラゴと仲が良いのかは微妙だが、組手相手であるのも本当の事。一体何を解けと言うんだ?」

 悟りを開いているのだろうか、はたまた開き直りなのだろうか。淡々と、寧ろ二人の反応は当然だと言わんばかりのスペイドに、新一はかける言葉を失った。

 ――この相棒、なぜ二人が怯えているのか全く分かっていない。

(まずいな、このままだとゾフィスと戦う以前の問題に……)

 ここにきてまさかの事態に途方に暮れていると、今まで固まっていたウォンレイが動き出した。

「驚いた……まさか貴方が『例外』だったとは……いや、ガッシュなら納得だ」

「ウォンレイ?」

 怯える二人とは対照的に、ウォンレイは納得の表情を浮かべていた。それだけではない、スペイドに対して尊敬の色も見せている。

 相棒兼恋人のその反応に、リィエンが不思議そうにした。それに気付いたウォンレイは、スペイドを手で示しながら「この方は」と説明する。

「この王を決める戦いにおいて、たった一人だけ魔界の現王に『王になる権利』の辞退を申し込んだ『例外』なんだ」

「辞退を、あるか?」

「ああ。由緒なる権利を放棄したということで悪い風に捉える者もいたが……私は、寧ろ尊敬した。候補者に選ばれたことを誇りに思い、それを拒むことは許されないとされていたあの中で、真っ向から意思を主張出来る者などそうはいない。噂を聞いた時、なんて強い人なのだろうと思った」

 だから一度会ってみたかった、とほほ笑むウォンレイに――スペイドはびくりと体を震わせた。見るからに挙動不審になり、ピャッと新一の背中に隠れる。相棒の予想外の行動に新一が目を丸くする中、背中に隠れたままスペイドが弁明する。

「それこそ誤解だ。私はただ、王に相応しい者を戦いに参加させるべきであり、私のような相応しくない者は参加させても意味がないと申し立てただけなんだ。ウォンレイの言うような『強さ』からではない!」

 焦りからか早口になっている。

 褒められて照れているというより困惑の方が強いように見え、新一は首を傾げた後納得した。

(こいつ、悪意とかを向けられるのは慣れているけど、ウォンレイのような好意を向けられるのは慣れていないんだったな)

 スペイドは周囲に誤解を非常に与えやすい。それは彼女の言動が理由であり本人はそのことを自覚していないが、今まで負の感情を向けられ過ぎたことにより、悪意を持ってみられるのが当然のことだと思っている節がある。先程のスペイドの辞退もまた、ウォンレイの言った通り悪評として捉えられる方が普通だったのだろう。

 新一やガッシュのような親しい間柄でもない、会って間もないはずのウォンレイからの好意的な言葉は、スペイドにとって有り得ない異常事態だったに違いない。

(まぁ、これからガッシュ達と行動するうちに慣れてくるだろうし、今は放っておいて問題ないか)

 必死に否定するスペイドには悪いが、新一は傍観を選んだ。ウォンレイ側に回ってさらにスペイドを煽ることも出来るが、そうすれば発狂しそうなので自重する。

(こいつらにも、いい感じに映っているみたいだし)

 横目でティオとキャンチョメを見れば、二人はポカンと口をあけてスペイドを見ていた。先ほどとは打って変わり、今のスペイドは全く怖く見えない。否、元から彼女はあまり強そうに見えなかった。

 スペイドは新一によく似た容貌の持ち主である。スレンダーな体型からブラゴと対等に渡り合えるのは想像しにくく、澄んだ蒼の瞳に整った顔立ちは清楚な印象を与えても、戦いを連想させることはない。

「……あんまり、怖くなさそうね……」

「……ブラゴみたいに、おっかなく見えないや」

 ――結果、二人はスペイドもとい『黒衣の騎士』に対する認識を改めた。

 一度恐怖心が取り除かれれば、まだまだ幼い子どもである二人は怖いもの知らずへと変身する。

「ごめんね、スペイド。噂に振り回されちゃってたみたい」

「ねぇねぇ。お菓子好きー?」

「……いや、別に気にしていないが。レモンパイなら好物だぞ」

 先程までの態度を一変させて近寄ってくる二人に戸惑いつつも、スペイドはそろそろと新一の後ろから出てくる。ウォンレイに対してはやや警戒する態度を見せているが、時間の問題だろう。

 危うく仲間内に亀裂が走りかけたが、何とか無事乗り越えたことに本の持ち主達は顔を見合わせ安心した表情を浮かべた。唯一フォルゴレだけが冷や汗を流しているが、見なかったことにする。

「ねぇスペイド、どうして王宮騎士になろうと思ったの?」

「それは……ああ、そうだ。先にこのことを話さなければならなかったな」

 ティオの疑問に答える前に、スペイドが視線を上げ清麿に向けた。向けられた清麿はどうしたと首を傾げる。

「何か思い出したことでもあるのか?」

「いや、思い出したというより……伝えておくべきことがある」

 個人的なことだが、と前置きして、スペイドは淡々とした口調で新一以外に話していなかったことを――警察組織側が疑問に思っていたことを話す。

 

「千年前の魔物の中に、私の先祖がいるみたいだ」

 

 その言葉に、ふうんと魔物側は受け止めようとした。何でもない風にいうスペイドにつられて「そっかー、先祖がいるんだ」と軽く繰り返し――

「先祖ォオオオ!?」

 ――それがとてつもなく重たい物であることに気付いた。

「清麿、先祖とはいったいなんなのだ!?」

「知らないで叫んでいたのかよ!」

 ただし、ガッシュを除く。

「……別に驚くことではなかろう。千年前の魔物の中に、現在の魔物の血筋の者がいても可笑しくない」

 警察組織側はやっぱりと、何故か知っていたナゾナゾ博士は今それを話すのかと言いたげに、新一は父親の事を伝え忘れていたと少しずつ清麿から距離を取る中、知らされていなかった魔物側はただただ驚愕していた。それが不思議でならないスペイドは呆れの目を向けるが、「何言ってるのよ!」とティオが噛みつく。

「とっても大変なことじゃない! 貴方の先祖が、ゾフィスの手下になっているのよ!?」

「……手下になっているかは定かではないが、間違いなく私を狙ってくるだろうな」

「なっ、何故なのだ? 血は繋がっているのではないのか?」

 清麿に先祖の意味を教えてもらったガッシュが、スペイドの言葉にピシリと固まった。魔界にいた頃の記憶がなく、家族――それも血の繋がった者達に対する憧れが強いガッシュにとって、その言葉は理解しがたいものだった。

「――血は繋がっていたとしても、向こうにとって私は……それこそ認めがたい『例外』のはずだ。女の身で、この名を授かっているのだから」

「名前……?」

「ああ、すまない。これは個人的なことであり、今優先すべきことは他にある」

 スペイドの零した言葉に反応を示した清麿に、彼女は緩く首を振り強制的に終わらせた。追求される前に、背中に隠れていた新一を前に押し出す。

「重要なのはここから。私の先祖の本のパートナーとして、新一の父様が攫われた」

「今! このタイミングで! それ言っちゃうのかよ!」

「新一が私のパートナーなのだから、その血筋の者が先祖のパートナーに選ばれるのは至極当然のこととは言え、新一の大切な人をゾフィスから早く解放して差し上げたい。どうか、新一の父様に出会った時は私たちに任せてほしい――これが伝えたかったことだ」

 隠れることに失敗した新一の叫びを、スペイドは華麗に無視した。

 彼女の欠点は誤解を招く云々よりも、この空気の読めなさにあるのかもしれない。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 デボロ遺跡頂部にある古城。

 そこがロード、真の名ゾフィスの拠点地であり、復活した千年前の魔物達も住んでいる。

 跡に乗り込み絶体絶命の窮地に陥った清麿達に味方をし、逃がした魔物――レイラもまた、例にもれずその城にいた。

「アル、清麿達は無事に仲間と合流できたみたいよ」

 人間にとっては異形と呼ばれる姿をした者が多い千年前の魔物の中では珍しく、レイラの外見は幼い少女そのものである。胸部分に三日月模様がある紫を基調としたワンピース姿は愛らしさに満ちており、とても魔物には見えない――頭に生えた二本の小さな角を除くと、だが。

 城のベランダから街を見下ろしていたレイラは、新たにパートナーになったアルベールに話しかける。しかし、彼からの返事はない。ゾフィスによって戦闘マシーンへと変えられた彼は、レイラを見ることもない。

 それがとても悲しかった。ゾフィスによって操作されているとはいえ、今彼はレイラの相棒である。何よりアルベールは、千年前のパートナーにとても良く似ていた。

 レイラの千年前のパートナーは、石に閉じ込められた彼女を大切に扱った。その術を解こうと必死に動き回り、死にゆく最後の瞬間までレイラのことを案じていた。パートナーの死後レイラは世界を彷徨うことになったが、あの頃の記憶は憎悪に塗り潰されることなく大切な宝物として胸の中に仕舞ってある。

 そんな大切な元パートナーに似た彼を、レイラはとても大切に想っている。何時かゾフィスの呪縛から解き放たれ、何も映さない目に己を映し、握りしめる手を握り返して欲しいと願っている。

(だから私はきっと、清麿達を逃がしたんでしょうね……)

 アルベールを見上げ、薄く笑みを浮かべる。

 千年前の魔物を復活させ、王になろうとしているゾフィスを食い止めるべく、つい数刻前にこの遺跡に突入してきた魔物達がいた。

 レイラが見た時、彼らは既にボロボロだった。すでに何体かと戦った後だったのだろう、心の力も使い果たしていた。

 それでも彼らは――清麿とガッシュ達は諦めていなかった。仲間を想い、パートナーを想い、そして光り輝く未来を見据えて。

 眩しかった。ただただ眩しかった。ゾフィスに対する恐怖心から逆らうことも出来ずいいなりになっていた己の目に、その姿はとても輝いて映った。

 だからレイラは彼らを助けた。一種の賭けに出て――見事勝ってみせた。

(清麿達が来てくれたら、アルベールも解放されるかも……)

 遺跡から逃げ出した彼らは、必ずまた来ると言った。それはゾフィスを倒して、レイラ達を助けるためにだと直ぐに分かった。

 数も勢力も圧倒的に劣っているはずなのに、レイラの心は喜びに満ち溢れている。彼らなら勝てるかもしれないと、そう思っている自分がいる。

「フフ……変なの」

 思わず出た笑い声を手で隠し、浮かぶ笑みを堪えようとする。

 

「――何が変なの? レイラちゃん」

 

 その努力は、話しかけてきた声によって無駄になってしまった。

 聞かれてしまったことが動じることなくレイラは振り返り、声の主の名を呼ぶ。

「ただの独り言だから気にしないで、ネロ……ネロ?」

 不思議そうにこちらを見ている魔物――ネロを見て、レイラは首を傾げた。

 ネロと呼ばれた魔物は、レイラと同じく復活した千年前の魔物の一人である。

 レイラと同い年位の少女の容貌をしており、一見するとただの人間の子どもにしか見えない。千年前の戦いの時には顔見知り程度だったが、ゾフィスによって復活されてからは良き友として共に行動することが多い彼女に、レイラは戸惑いの声を上げた。

「どうしたの、その服」

「エヘヘ、似合うかな?」

 先程のレイラのように嬉しそうな笑みを浮かべたネロは、その場でくるりと回って見せる。レースがふんだんにあしらわれた赤色のスカートがふわりと舞い上がった。

 レイラの知っているネロは、シンプルな赤色のワンピースを身に着けていた。それが何時の間にか、レースがたくさんの服へと進化している。

 似合っているが、何時。どうやって。ぐるぐると回る疑問を再び口に出すと、ネロは悪戯っ子の表情を浮かべた。

「あのね、桜子が縫ってくれたの! ええと、リメイク、だったかなぁ?」

「桜子って……貴方のパートナーの?」

「うん! ねっ、桜子?」

 くるりとネロが振り返り、傍にいたパートナー――米原桜子を見上げる。アルベールとは違い日本人女性である彼女もまたゾフィスによって操られており、その目に光はない。それでもネロは嬉しそうに桜子の手を握り上機嫌にしている。

「どうして……」

「えっとね、ゾフィス様がココ様のお洋服の解れを直したいからって、桜子の操作を少しだけ解いてくれたの。桜子ね、家政婦ってお仕事していて、お裁縫も得意なんだって」

 本来パートナー達は自身の意志で行動できず、例え出来ても戦闘外の行為なら食事や生理現象等と限られている。縫い物など以ての外だったのだが、ネロのあっさりとしたネタばらしにレイラは納得した。

 ゾフィスのパートナーであるココと呼ばれる女性は、ゾフィス同様その性格は良くない。同じ人間を道具として扱う姿など、魔物以上に魔物らしいと評判である。更にこのような古城にいながらも、ココはお洒落に力を入れている。身近に便利な特技を持っている人間がいると知り、その特技を生かせられるだけの精神操作を解いたのも頷ける話だった。

「でも、よくゾフィスが許してくれたわね、貴方の分もすることを」

「……よく言う事を聞く僕に対するご褒美だって、特別に……」

「……ネロ、貴方……」

「だっ、だってゾフィス様怖いし、石に戻されたくないんだもん……」

 レイラとは違い、ゾフィスの下に甘んじているネロに呆れた視線を向けると、ネロは顔を曇らせ桜子の後ろに隠れた。

「ネロはレイラちゃんみたいに強くないもん……『月の光』が無くなるのが怖くて、『月の石の欠片』も持てないし……」

 ポツリと呟かれたそれに、レイラは息を吐きたくなるのを我慢した。

 『月の光』とは、千年前の魔物を復活させた光の事である。この光により、千年前の魔物達は石から解放された――しかし、完全にではない。

 『月の光』を出している物は巨大な石――『月の石』であり、その光を浴びれば体力や心の力を回復することが出来る。その石が無くなれば、千年前の魔物は再び石に戻ることになる。

 だからこそ、千年前の魔物達はゾフィスに従い、この城に帰ってくる。

 すべては石の呪縛から解放されるために。

(ネロは決して可笑しくない……ううん、ネロと同じ魔物もたくさんいる……)

 石に戻ることへの恐怖は、千年前の魔物全ての心と性格も変えてしまった。

 かつてネロは、魔物一番のお人好しであり正義感の強いことで知られていた。しかし今ではゾフィスに逆らえず僕という立場に甘んじている。ネロだけではない、殆どの魔物がかつての誇りを失い、憎悪と恐怖に支配されている。

(私だって……本当は怖いもの……)

 キュッと服の上から心臓あたりを掴む。息を飲み込み顔をあげ、無理やり笑みを作った。

「別に責めている訳じゃないわ、ネロ。その服、とっても似合ってる」

「本当?」

「勿論」

「……えへへっ、嬉しいなぁ。良かったね、桜子! レイラちゃんに褒められたよ!」

 レイラの言葉に、ネロは頬を紅潮させて桜子の後ろから出てきた。ペタッとパートナーに抱き着くその姿にこっそり安堵しながら、レイラもアルベールの手を握る。

「ネロ、そろそろ部屋に……」

「あっ、待ってレイラちゃん」

 最後まで言い終わる前に、ネロが言葉を遮った。

 

「ゾフィス様がレイラちゃんのこと、呼んでるよ」

 

 ――世界の時間が、止まった。

 勿論それは錯覚である。実際に止まった訳ではない。

 それでもレイラは、息をするのも体の動かし方も忘れてしまった。ネロの言葉が頭の中で繰り返され、ゆっくりと首筋へと移動する。

「ゾフィス、が?」

「うん、レイラちゃんに話があるんだって」

 さわりと、首をなぞられた気がした。纏わりつく感触に、冷や汗がどっと湧き出てくる。

「レイラちゃん?」

「……何でもない。分かった、行ってくる」

 言葉が勝手に出てくる。行きたくないと叫ぶ声は、喉の奥で潰された。

 裏切りがバレてしまったのか、否、そんなはずはない。レイラの行動を知る千年前の魔物は、魔界に帰っている。

 心の中で呪文のように落ち着けと唱える。息と表情を整えて何時もの表情を作り、アルベールの手を引いてゾフィスの元に向かう。

 その足元は、何時でも地獄に落ちられる程揺れ動いていた。

 

 

 

「レイラちゃん……?」

 何時ものクールなポーカーフェイスを浮かべてゾフィスの元に向かっていったレイラの背中を見送りながら、ネロは嫌な予感に胸を押さえた。

 ネロにとってレイラは、この古城の中で唯一の友達であり、憧れだった。

 レイラはゾフィスを恐れていない。言う事は聞いているが、ネロのように恐怖から従っている訳ではない。

 そんなレイラが一瞬とはいえ、動揺を露わにした。今まで見たことがなかったその表情にネロは驚き――見て見ぬフリをした。

(大丈夫……だよね……?)

 知ってしまえば、後戻り出来ない気がした――大切なものを失う気がした。

 チクリと胸が痛む。友達を見捨ててしまったような感覚に取りつかれ、ネロは泣きたくなった。

「……桜子。ネロ、どうすればよかったのかな……?」

 パートナーの手を握り、己よりも高い位置にある顔を見上げる。

 ネロのパートナーは、何も言わなかった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「あー……ちかれたー……」

 ポスンと、新一は与えられた部屋のベッドに飛び込んだ。

 優作が誘拐されていたことに多方面――主に清麿――から何故早く言わなかったと突っ込まれたが、何とか有耶無耶にして誤魔化した。優作を助けるのは新一とスペイドの優先順位の高い目的であり、それを他の者達に押し付けるつもりはなかった。

 それを何人かは見抜いており、複雑そうな表情を浮かべていたが、新一は誰の言葉も受け入れずに別の話へと切り替えた。

「……でも、収穫は得られた……」

 先程まで行われていた作戦会議。清麿達が遺跡に突入することで明らかになった秘密。

 千年前の魔物を石の呪縛から解放した『月の光』。

 その光を浴びれば体力や心の力を回復することが出来る『月の石』。

 千年前の魔物達がロードに従い、遺跡に戻る訳。

 ――これらのことから導き出される、隠された真実。

「……『月の石』か……」

 ポツリと呟き、新一は己の魔本を顔の上に掲げる。

 今部屋には新一しかいない。他の同室者は清麿と快斗だが、二人は現在各々で行動している。スペイドは見張り役を買って出ており、今頃ホテルの屋根の上で遺跡を睨んでいるだろう。

 ――久しぶりの一人の空間だった。掲げたまま本をめくり、文字が浮かんでいないページを開けて止まる。

「……父さんを助けるための、呪文があったらなぁ……」

 一人だからこそ零せる本音。特にスペイドの前では言えない、言ってはいけない言葉。

 魔物の術は、人間にとっては魔法のようなものだ。何でもできるのではないかと錯覚してしまいそうなそれに、呆気なく溺れてしまう人間を、新一は幾度となく見てきた。

 術に頼ってはいけない。そうとは分かっていても、奇跡を望んでしまうのもまた事実。

「……悪い、スペイド……」

 込み上げる罪悪感に謝罪の言葉をこぼし、本を閉じて顔の横に置く。

 目を閉じれば、果てしない暗闇が広がっていた。




次回、遺跡突入です。


ネロは鈴神様からいただいたオリキャラです。
有難うございました。


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Level.19 遺跡突入

 パチリと、新一は目を開けた。

 瞬時に覚醒する意識。寝起きの悪さに定評がある新一にとってそれは、珍しい程にすっきりとした目覚めだった。

 体を起こして部屋の中を見渡せば、右隣のベッドで快斗が眠っている。左隣のベッドには清麿が寝ていたはずだが姿はない。窓の外はまだ薄暗く、少し肌寒い。

 静かにベッドから降り、部屋の外に出る。耳が痛くなるほど静けさに包まれた廊下を歩いていると、向かい側から見慣れた魔物が歩いてくるのが見えた。

 ふっと表情を綻ばせ、小さな声で名前を呼ぶ。

「スペイド」

「おはよう、新一」

 寝ずの番をしていたスペイドは、そうは見えない程いつも通りにしている。彼女ほどになると、一週間は睡眠を取らずとも行動することが出来るらしい。

「見張りはいいのか?」

「今、ガッシュと清麿がいる。邪魔してはいけないと思い、戻ってきた」

「そうだったのか。あの二人も起きていたんだな」

 清麿が部屋にいなかった訳が判明した。苦笑をこぼし、それもそうかと納得する。

 今日は、運命の決戦の日なのだから。

「――ああ、夜が明ける」

 廊下の窓から朝の陽ざしが舞い込んでくる。

 スペイドと並んで窓の外を見上げた新一は、その眩しさに目を細めた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「――本当に大丈夫? 新ちゃん」

「大丈夫だから、母さん。そんな心配するなって」

「でも……」

 キャッキャと魔物達の笑い声が響き渡るホテル入り口前。一見すると平和な光景だが、それを見守る大人達の表情はどこか硬く、何かあるのかと思わせている。

 実際、それらには訳があった。

 これから魔物とそのパートナー達は、千年前の魔物達との戦いに向かう。それに大人の――警察組織や関係者達の殆どが同行することが出来ないのだから。

 新一の母親である有希子もまたその一人。最愛の夫が誘拐されただけでなく、最愛の息子が戦いの場に向かうのだ。本当なら止めたいだろう、着いていきたいだろう。それでも、有希子は残ることを選択した。己ではなく、戦いに向かう者達の事を想って。

 十九世紀フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの言葉に『女は弱し、されど母は強し』というものがある。今現在の女性が弱いかはさておき、母は強しとは確かにその通りだと新一は納得せざるを得ない――有希子は、この場の誰よりも強い。

 だからこそ、その心配を跳ね除けたりなど出来ない。少しでも安心して待っていてもらえるよう、新一は笑みを作る。

「オレ達は絶対に負けない。必ず、父さんを助け出してくる。だから待っていてくれよな、母さん」

「……早く帰ってこないと、迎えに行っちゃうからね」

「それは止めてくれ」

 思わず乾いた笑みになった。有言実行しそうだから恐ろしい。

(――……まぁ一番怖いのは、実は博士なのかもだけど)

 ゆるりと視線を動かし、阿笠と警察集団を見る。

 話し合いの結果着いていくことになった日本警察の高木歩とFBIの赤井秀一。赤井の方は普段通りだが、高木は見て取れるほど緊張していた。魔物に対する恐怖心がこの中の誰よりも強いというのに、恋人の佐藤を行かせる位ならと自ら率先して手を挙げたのだから仕方ない。

 その二人に、博士が特製リュックを渡している――丁度鎖骨部分に当たる場所に超小型カメラが埋め込まれているそれを。

 博士が作っていたのは、待っている側にも戦いが見られるようにと作った盗撮器もとい中継用カメラだった。邪魔にならないようにと小型化されているだけでなく、映像が途切れてもいいように盗聴器、場所が分かるように発信器などと様々な道具がリュックに仕込まれている。寧ろリュック自体が博士の新作道具になっている。

 常に新一達の行動は監視されてしまうことになったが、ガッシュを始めとする魔物は全く気にする様子を見せずそればかりか張り切りだした。一方清麿を始めとする本の持ち主は少し難色を示したが、魔物達の今後の事や、リアルタイムで情報が伝わることで解放された人達の救助がスムーズにいく等のメリットも多いこともあり受け入れた。アポロも一緒に見るということも大きい。

(これで納得してもらえるならいい……記憶媒体に残ることになったけど、それも全てが終わった後に消せばいいだけの話だ)

 視線を逸らし、今度はスペイドに向ける。彼女はじっと遺跡の方を見ていた。そこにいる魔物――先祖の気配を探ろうとしているのだろうか。はたまた、別の魔物の気配でも察しているのだろうか。

 不意にスペイドが振り向いた。目が合い、緩やかな笑みを浮かべられる。

「新一、敵がこちらに向かってくる気配は無い。大方、私たちが来るのを待っているのだろう……あの力があちらに行ったのは残念だ」

「あちら?」

「ふふっ、何でもない。単なる独り言だ」

 機嫌が良さそうなスペイドに首を傾げたが、清麿の集合の声に意識をそちらに向けた。集まる前に最後に有希子と向き合い、挨拶の言葉を伝える。

「行ってきます、母さん」

「いってらっしゃい、新一」

 行ってきますとは、必ず戻ってくると云う誓いの言葉。

 いってらっしゃいとは、無事に戻ってくるようにと云う祈りの言葉。

 誓いと祈りを交わし、今度こそ母親に背を向けた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「行っちゃったわね……」

「有希子ちゃん……」

 戦いに向かう者達の背中を見送りながらポツリと零した有希子の言葉に、千影が気遣う表情を浮かべた。それに有希子はふふっと笑みを浮かべて見せる。

「優作も新一も、本当置いていくのが得意なのよ。優作ならまだ待てるけど、新一はあの蘭ちゃんでも無理だったんだから……スペイドちゃんのように、一緒に戦ってもいいと思える子じゃないときっと難しいわ」

「――そして私達家族は、そんな新一君に救われた」

 後ろから響く声に有希子は振り向く。そこには千影の夫である盗一がいた。もう見えなくなった息子と同い年の少年の背中を追いながら、二人の隣に並ぶ。

「彼がいなければ、私は愛する家族を傷付けていた。今もゾフィスに操られていたかもしれない」

「盗一さん……」

「あの時の記憶はないが、これだけははっきりと覚えている――あの、暗闇を照らした一条の光を」

 そっと盗一は千影の肩を抱き寄せた。腕の中に愛する人がいるのを確かめてから、穏やかな双眸で有希子を見つめる。

「新一君は必ず帰ってくるでしょう。優作を取り返して、元気な姿で」

「……有り難う、盗一さん」

 慰めの言葉をかけられていたことに気付いた有希子は、泣き笑いにも似た表情を浮かべた。

 胸に手を当て、目を閉じる。

 新一が、愛する息子が死んだと聞かされた時の喪失感は今も尚有希子の心に潜んでいる。

 本音を言えば引き止めたかった。もう二度と、危険なことなどさせたくなかった。

 それでも、新一が「行ってきます」と言ったから。

 あの時のように死に行く覚悟ではなく、帰ってくる覚悟を示したから。

「どうか、無事で……」

 祈りの言葉を呟いた時、ふと周囲にざわめきが生じた。

 目を開けてみれば、博士が焦ったように養女の名前を呼んでいる。

「哀君、哀君! どこいったんじゃ哀君!」

「阿笠さん、どうしたの?」

「おお、有希子君。哀君を知らんかね? さっきから姿が見えないんじゃ」

「見てないけど……千影ちゃんと盗一さんは?」

 新一が姿をくらませて以来、一緒に探している内にこっそりと娘のように思い始めていた哀の姿が見えないことに心配とある種の予感に襲われながら、怪盗夫婦に問いかける。

 お互い大怪盗として――内夫の方は今現在息子が跡を継いでいる――世間を騒がしてきた夫婦は顔を見合わせ、千影は呆れたように顔を手で覆い、盗一は苦笑を浮かべた。

「あの子ったら……まさか連れて行くなんて……」

「彼女も一緒の方が追い返されないと思ったのだろう」

 不吉な言葉を発する二人に、有希子と博士は顔をひきつらせた。

 ――今気づいたが、この夫婦の息子である快斗の姿も先ほどから見えない。

「まさか、快斗君と哀ちゃん……」

「そのまさかみたいだ」

 盗一が指差した方向は、新一達が消えて行った先。

 一拍後、博士の絶叫が響き渡った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 デボロ遺跡までの道のりは長く、まずは船に乗り川を渡る。その後徒歩でジャングルを抜けると、ようやく目的に着く。船に乗らずにジャングルを強行突破する道もあるにはあるが、時間がかかる上に魔物以外の危険も潜んでいる。そのため新一達は途中まで船で向かうことを選んだ。

 船の上と云えども、警戒を怠るわけにはいかない。何時どこから襲ってくるか分からない敵に、本の持ち主達はどこか緊張した面差しで、各々戦いに備えている。

「スペイド、この川にはナオミちゃんそっくりの魚がいるのだ」

「ほお、人面魚なる生き物が住んでいるのか」

 一方、魔物達はあまり緊張していなかった。波を立てる川に興味津々といった様子で眺めては楽しげにしている。

 決してそれが悪いとは言わない。無駄に緊張するよりも、決戦前にリラックスすることは大切なこと。川に飛び込んだりせず、他愛無い会話を交わしている程度なので注意する必要もない。

 ガッシュと一緒に川を覗き込んでいるスペイドを見ながら、新一はゆっくりと緊張を解いた。一人船の中に戻って椅子に座り、魔本を開く。他の本の持ち主達や着いてきた二名は甲板に出ているため、新一一人きりだ。

「新一、なんか新しい呪文でも出たのか?」

「いや、そうじゃなくて心の力の配分の最終調整でもしようと――……はっ?」

 一人きりのはずなのに、話しかけられた。それも己に似た声に。

 その異変に気付いた新一は言葉を切り、声のした方を向く。

 そこには、己に似た、しかしやはり違う少年がいた。ニシシと悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべている。

 パカッと新一は口を開けて固まった。少年の隣で優雅に足を組んで座っている少女の幻覚も見える。

「工藤君、スペイドのアホ面が移っているわよ」

 幻覚が喋った。ゴシゴシと目を擦り何度か瞬きをする。それでも消えない姿にギュッと一度目を閉じ、息を整えてから開ける――まだ消えない。

 そこまでしてやっと新一は現実を受け入れた。目の前にいる少年少女は幻覚ではなく、本当にそこにいることに。

「何してんだよ――黒羽! それと灰原!」

 響き渡る新一の叫び声に何事かと甲板に出ていた者達が船の中に押し掛ける中、ホテルで待機しているはずの二人は何故か胸を張っていた。

 

 

 

「――で、なんで着いてきたんだ?」

「遺跡と言ったらお宝と罠……ときたらオレだろ?」

「ああもう、お前は隠す気あるのかよ!」

「オレは逃げも隠れもしない!」

「格好つけるな! 灰原もどうして……!」

「私は連れられてきただけよ……引き返すつもりもないけど」

「灰原ぁ……」

 勝手に着いてきた二人の言い分に、新一は頭を抱えて蹲った。

 本の持ち主や魔物達は唖然として二人を見ているが、快斗はともかく哀のことは良く知っている赤井と高木は「予感はしていた」と言わんばかりの表情を浮かべていた。高木の場合は少年探偵団が原因だろう。

 こうした事態に対する経験値は有り余っている高木はうんざりしながらも、二人に声をかける。

「哀ちゃん、それに黒羽君も。阿笠さんやご両親が心配しているだろうし、ここは大人しく戻ってくれないかな?」

「嫌よ」

「大丈夫です、あの人達ちゃんと知ってますので」

 にべもなく断られた。快斗はまさかの両親公認であり、哀に至っては一刀両断だった。

 経験値は有り余っているとは言っても、高木が説得できたことは数少なく。「無理です」と呆気なく白旗を上げた。

 コナン時代に高木を振り回してきた新一は最初から当てにしておらず、寧ろ果敢に突撃していったことに敬意すら抱いた。この二人を説得するなど、それこそ盗一にマジックで勝負を挑む位無謀なことである。

(灰原が俺の言うこと聞いて大人しく待っていたことって、本当少ないからなー……こういった危険が目に見えていると尚更)

 哀は少年探偵団やその他の者達がいる時はあまり追いかけて来なかったが、一人になるとコナンの時に愛用していた犯人追跡メガネの予備を持ち出して追跡してきたことは何度もあった。そのどれもが助けられたことばかりなため、イマイチ頭が上がらない。

(黒羽もキッドだしなぁ……こいつの言う通り、仕掛けとか解除する時にいてくれた方が助かるかもしれねぇし)

 快斗もまた、哀とは別の意味で説得しがたい。彼は二代目キッドであり、今から向かう遺跡や古城については、間違いなく彼の方が詳しい。その実力も新一は認めており、赤井と同様頼りにしたいレベルである。難点と言えば、黒羽家の正体を警察組織に気付かれないようにしないといけないことだろうか。

 さてどうしようか、と新一は腕を組んで悩む。言葉を発さない赤井に視線を向けると、肩を竦められた。

「俺達も無理を言って着いてきている身だ。とやかく言うことは出来ない……二人の事はボウヤ達の判断に任せよう」

 こちらもある意味説得力があった。新一達ならともかく、赤井や高木が何を言っても二人は聞かなさそうなのは確かであるので、これ以上求めることは出来ない。

 ならばと清麿を見ると、渋面を浮かべられた。

「帰した方がいいだろ。そっちの黒羽さんはともかく、哀ちゃんは小学生なんだぞ?」

「やっ、こいつ俺よりとし……グッ」

 言い終わる前に哀に足を踏まれた。

 清麿には全てを話しており、当然灰原哀の正体である宮野志保のことについてもある程度は説明しているのだが、彼の中ではまだイコールで繋がっていないらしく彼女の正体に気付いていない。昨夜は簡単な紹介しか出来ず、今はゾフィスの事で頭がいっぱいになっているので仕方ないことだが。

 しかも、清麿以外にはまだ話していない。哀が止めるのも尤もだろう。

 無言の睨みから目を逸らしつつ、「そうだけど」と眉を下げる。

「正直、こいつら帰してもまた着いてくるとしか思えないんだよなー……」

「流石名探偵、分かってるじゃん」

「肯定すんなバーロ」

 悪びれる様子もない快斗に頭痛までしてきた。眉間を手で解しながら、新一は諦めの表情を浮かべる。

「引き返す時間もないし、連れて行った方がいいかもしれねぇと思って」

「でも……」

「黒羽なら実力的に問題はない、オレが保障する。いざとなったらこいつ一人で脱出させればいい」

「名探偵、オレの扱い雑じゃねぇ?」

「できねーの?」

「できるけども!」

 ならいいじゃねぇかと飄々とする新一に、快斗はがっくりと肩を落とし、そしてひっそりと口角を上げた。

 ある種の信頼の表れだとは理解しているが、いかんせん探偵と怪盗という敵対関係を土台にしているせいか容赦がなさすぎる。情けをかけられればそれはそれで腹立だしいが。

 しかしながら、新一が快斗を――より正確に言えば二代目怪盗キッドの実力を評価し、信頼していることには他ならない。

 全てに裏切られたと思い関わっていた人達全てを断ち切った探偵が、深く関わりあったはずの怪盗を信頼しているのだ。

「工藤、君……?」

「ほお……」

 そのことに、高木は愕然とし、赤井は興味深そうに目を細めた。

 快斗の正体、そもそもどういった二人がどういった繋がりかも分からないが、家族ぐるみの知り合いだということを有希子から聞かされている。

 快斗は『江戸川コナン』のことを知らないからここまで信頼を示すのか――新一が世界を拒絶した訳を知っているからこそ、二人はそう考えた。考え、全く違う反応を示した。

 高木は複雑そうな表情を新一に向けた。何かを言いたそうに口を開き、ぐっと我慢するかのように飲み込む。手は握り拳を作り、内からの衝動を堪えていた。

 対する赤井は、容疑者を見るかのような鋭い目を快斗に向けた。工藤新一が戦地に連れて行ってもいいと思えるほど信頼される訳を、暴き出そうとしているかのように。

 相手は違っていても、同じ想いを向ける二人。

 新一はそんな二人の視線に気づきはしたものの、その思いに辿り着くことはなかった。

 

 

 

(……高木刑事はともかく、随分と分かりやすい……)

 新一の他にもう一人、二人の視線に気づき、そこに込められた想いを汲み取っていた者がいた。

 灰原哀である。

 おそらく快斗も新一同様視線には気付いているだろうが、はっきりと想いまでは分かっていないだろう――哀もまた、快斗に同じものを向けていた為気付けたのだから。

(まあ、それも仕方ないかもね……)

 フッと小さく自虐的な笑みを浮かべる。

 哀は快斗の正体を、この計画を聞かされた時に教えてもらった。

 江戸川コナンと関わりが深かったハートフルな怪盗。まさか彼が独自に新一の居場所を突き止めた挙句、本当の姿でも関わりを持っていたことには驚いた。

 正体を知っている哀でさえ思ったのだから、何も知らない二人は尚更だっただろう――快斗を羨ましく思い、嫉妬したのは。

 哀達は徹底的に拒絶された。新一に向けられた冷たい目を、声を、未だに忘れることが出来ない。近付くだけで怯えられた。分かりやすい一線を引かれた。

 スペイドによって阻まれ、区切られた空間。目で見ることが出来た、明確な溝だった。

 それなのに何故、彼だけ信頼されるのか。

 清麿達のように本の持ち主でない、そればかりか哀達と同じように組織戦前からの知り合いだったはずなのに。

(彼が怪盗だから……だから信じたの? 工藤君)

 今はまだ声にしない問いかけ。聞こえるはずのないそれに、新一は答えるかのように哀の方を向いた。

 蒼の双眸に考えを見抜かれたかと一瞬身体を固まらせると、新一の目が宥める様に和む。

「安心しろ、灰原。戻れなんて言わねぇから」

「えっ?」

「お前も置いて行っても着いて来そうだし、傍にいてくれた方が安心する。それに……」

 新一は哀の考えを見抜いたわけではなかった。

 そのことに安堵しながらも、新一の目を向けた方を追いかける。

「――あの人が命をかけて、お前の事を守るだろうよ」

 そこには、赤井の姿があった。

 赤井と哀の間には複雑な事情が入り組んでいる。最愛の姉を利用して奪った男。組織に潜入するために利用した恋人の妹であった女。命がけで守ろうとしてくれた男。命がけで守ろうとした少女。最後の最後で全てを聞かされ、恨むことは止めたが、心のどこかでまだ許せない気持ちがあるのも確か――完全に心を開くためには、時間が足りない。

 何年もかかるだろうそれに、哀はフンと鼻を鳴らした後新一を見る。

「貴方はもう、私を守るとは言ってくれないのね」

「……勿論守るさ。命をかけることはもう出来ないけどな」

 浮かぶ微笑。心の底から愛しいと想っているそれは、彼の持つ本に向けられていた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 新一が押し切る形で許可させたため、同行者は二人から四人に増えた。当然難色を示した者達もいたが、最後には呆れたようにしながらも了承してくれた。

 船を下りてジャングルを進めば、遺跡へと辿り着く。ここまで魔物に出会わずに来られた新一は高くそびえ立つ崖を見上げ、ほうと感嘆の息を漏らした。

「立派な遺跡だな」

「ああ、中も迷路のようになっている。入口はここからもう少し行った先にあるが……どうだ?」

 清麿の問いかけは新一ではなく、スペイドに向けられた。

 清麿の指差す方に顔を向けたスペイドは、数回瞬きをした後コクリと頷く。

「魔物の気配を近くに数体、この中からも感じる。正確な位置は術を使えば把握できるが、必要か?」

「いや、そこまで分かればいいよ。ここは計画通り、この岩肌を登ることにしよう」

「えぇえええ!?」

 清麿の作戦に、キャンチョメとフォルゴレが声を上げた。直ぐに周りの者達に口を押えられたが、嫌だと目が訴えている。

 二人の反応に、清麿は呆れの色を浮かべた。「あのなぁ」と溜息をつくのを堪えながら、崖を顎で示す。

「昨夜の作戦会議で説明しただろうが。敵に見つからずに城の頂上を目指すなら、中を進むよりも外の岩肌を登った方がいいって」

「そっ、それは勿論聞いていたけどな、清麿……。これは登れるレベルじゃないだろ?」

「フォルゴレの言う通りだよ、こんなの登れないよぉ!」

 黄色本組の二人が無理だと清麿に縋り付いた。目から大量の涙を流している。

「この程度を登れないとは、随分と情けない……」

「お前は情けをかけなさすぎだ」

 そんな二人を横目で見ながら、新一とスペイドはアップを始める。高木と哀が「これ……登るの……?」と言わんばかりに呆然と見上げているのが見えたが、着いてくると決めたのは彼らなので何も言わない。

「ごちゃごちゃ言うな! 新一、スペイド!」

「準備オーケーだ」

 呼びかけられたので、親指を立てて見せる。

 崖を登っている時に敵に見つかっては意味がない。術を使わなくとも崖を駆け登ることが出来、尚且つ千年前の魔物と対等以上に戦える魔物はスペイドとウォンレイの二人。そこでスペイドが最初に駆け登って上から見張りを行い、ウォンレイが最後まで下に残り、全員が登り切った後に登ることになった。

 スペイドが新一の腰に腕を回して掴む。行ってくると新一が後続メンバーに手を振ると、タンと彼女は軽く地面を蹴った。

 その軽さから想像できない度跳躍し、崖の凸部分を足場にして跳躍を繰り返す。

 あっという間に崖の上に辿り着いた二人を見上げながら、残された者達はおおと何とも言い難い声を出した。

 

 

 

 崩れ落ちそうになっているバルコニーに着いた二人は、それ以上登ることはせず周囲の気配に神経を尖らせた。このバルコニーから先は急な斜面となっており、リスクが大きすぎるため、ここから先は中を進む計画になっている。

「スペイド、どうだ?」

「中に魔物が数体、近付いてくる気配もある」

「見回りをしている奴もいるのか……グレイス・アルサイトを使うか?」

「いや、それよりも第十の術を頼む」

「分かった」

 勘のいい魔物が気付けるか気付けないかギリギリのラインで心の力を込める。

「第十の術、ガンズロック・リスアルド」

 囁くようにして唱えると――スペイドの左手首に水の細いリングがかかった。次いでリングに沿うように水の結晶が十二個出現する。

 スペイドの第十の術、ガンズロック・リスアルド。

 左手首に出現した水の結晶の弾丸を撃ち込み、刺さった相手を異常状態に陥らせる術である。コナンが使用していた時計型麻酔銃と似ており、新一が博士達に見せたかった術の一つだ。

 スペイドが左手を拳銃の形に模し、バルコニーの奥へと向ける。数拍後、新一の耳に複数の足音が響いてきた。スペイドの後ろに隠れるようにして立ち、光が消えた本を開いて構える。

 バタバタと響く足音が大きくなってくる。影が見えた瞬間、スペイドが小さく左手の人差し指を動かした。

「ゾフィスが言っていた侵入――フニャァ」

「おい、どうし――ホニャフゥ」

 奥から千年前の魔物が二体姿を現したと思った瞬間、身体から骨が抜けたようになり床に落ちた。クカァと寝息を立て始める魔物達に本の持ち主達が言葉無く慌てている中、スペイドが素早く本の持ち主達の後ろに回り込み手刀を入れ失神させる。

 あっという間に二体の魔物を戦闘不能、それもガッシュが望む誰も傷付けないやり方で終わらしたことに、新一は苦笑を浮かべながらライターと発信器を取り出した。後で居場所が分かる様取り付けた後、魔本を燃やす。

「色んな意味で見事な手際だな。照準合わせるのも、上手くなってきている」

「……新一程ではない。この手の飛び道具はやはり苦手だ」

 二冊の魔本が燃え、眠りながら魔界に帰る魔物達を一瞥した後、スペイドは興味を失ったかのように彼らに背を向けて左手首を顔の前に持ち上げる。

「便利といえば便利だが、どうも私の性には合わんな」

「そういうな。この術のおかげで、お前自身の力の幅も広がったんだから」

「それは分かっているが……」

 納得がいかないのかスペイドは複雑そうな表情を浮かべた。

 事実、この術を得てからスペイドは自信の能力をよりコントロール出来る様になった。

 ガンズロック・リスアルドの水の結晶は、スペイド自身の能力から作られている。つまり、術の力は弾丸装填可能なリングを作ることであり、必要とする心の力も少なく、他の術も併用して使うことが出来るという強い利点がある。

 ただし、利点もあれば弱点も当然ある。装填可能な弾丸は十二個までであり、補充は出来ず、すべて使い切らない限り再びこの術を発動することは出来ない。効果はスペイドの努力により自由自在に選べることが出来る様になったが――出てきた当初は麻酔銃のみだった――、その威力は直接水を飲ませるよりも劣っている。

 何より、スペイドがこの術を苦手とする理由は――。

「銃、などといった武器はそもそも魔界に存在しないのだ。私には剣の方が合っている」

 ――スペイド自身、使い方が分からないからだった。

 王宮騎士としてある程度の武器は嗜んでいるが、魔界には銃のような射撃能力を必要とする武器は存在しないため、スペイドは最初この術を全く扱うことが出来なかった。ヘリの上からロープを正確に狙える腕を持つ新一の指導のもの、一先ず照準は合わせられるまでになったが、苦手意識の方がまだ大きい。

 とは言え、なるべく戦わず進むためには必要な術でもある。スペイドには申し訳ないが、新一には汲むことが出来ない。

「ゾフィスを倒すまでの辛抱だ、我慢してくれ」

「……新一に装着できればいいのだが」

「無理だろ」

 いやしかし、とグズグズしているスペイドを放っておき、新一は崖を見下ろす。

 まだまだ下の方だが、清麿達が登ってくるのが見えた。キャンチョメとフォルゴレも自分の手で登ってきており感心する。哀は赤井に背負われているのも見つけ、下でどんなやり取りがあったのか気になったが、聞けば絶対零度の眼差しで一刀両断されそうなので心のうちに留めておく。

「なぁ、新一」

「ん? また魔物か?」

「いや、こっちには近づいてきていない。そうではなく、どうしてあの四人の同行を許可したのか気になってな」

 その言葉に視線を彼女に移す。兜を被っていない為見て取れるその表情は、心から理解できないと訴えていた。

「どうしてって……」

「清麿は反対していたのだ。それを押し切ってまで、なぜあの者達を……私達魔物のことを考えてくれているのは分かるが、それならあの黒羽快斗という男や灰原哀まで連れて行く必要はないはずだ」

「なんでそこで清麿が出てくるのかわかんねぇけど……灰原の方は、赤井さんのストッパーになると思ったからだ」

 赤井は何時も哀のことを陰ながら守ってきた。新一と同じく個人プレーを好む彼だが、哀がいればそれも幾分か制御される。魔物に対して良い印象を抱いていない彼の行動を押さえる意味でも、哀を連れて行く価値はあった。

「黒羽は……あいつ役に立つし」

「……清麿は信用していない」

「だから、なんで清麿が信用していないといけないんだよ」

 いやに清麿にこだわる彼女に、新一も理解できないと顔に浮かべる。

「オレがあいつを信用しているんだから、それで充分だろ」

 その言葉に、スペイドは目を見開いた。

 なぜ、と呟く唇は震えており、新一は過去彼女の前で快斗を拒絶していたことを思い出す。

「確かにあん時は受け入れることが出来なかった。けどな、お前や父さん母さんと同じように、あいつもオレの真実を見ていてくれていたってことに気付いたら、その信頼に応えねぇとって思った」

 両親や警察組織よりも早く、真っ向から来た怪盗。リスクも大きかったはずなのに、それでも向けられた信頼を、もう跳ね除けることなど出来ない。

「清麿は関係ない。オレがあいつを信じている――また、信じることが出来たんだ」

 ――そしてそれは、徐々に哀達にも向けられてきていた。

(きっとこの戦いは、オレにとっても……)

 直ぐにでも魔物と敵対するだけの理由があるにも関わらず、新一を信じてゾフィスを任せてくれた警察組織。同行を申し出たのも魔物を信じられないからではなく、心配、そして少しでも役に立ちたいという気持ちからきていたものだということにも、本当は気付いている。

 気付いていながら受け入れることが出来なかったのは、新一にそこまでの余裕がなかったから。

 それが、この戦いを通して、余裕が生まれる気がする――そんな予感があった。

「この真実さえされば、それでいい」

 ふわりと笑いかけると、スペイドは戸惑いの表情を浮かべた。予想していなかった反応に、お前だってそうだろうと首を傾げる。

「ウマゴンなら大丈夫だって、信頼していたじゃないか」

「……っ」

「他の奴らはまだあったばかりだけど、心優しい魔物達だってことはもう十分に分かった。それでいいと思うし、お前もそう思ったからこうして一緒に戦っているんだろ?」

「――私、は……」

 新一の言葉のどこに衝撃を受けたのか、スペイドは顔を俯かせ唇を噛んだ。相棒の戸惑いに、新一もまた戸惑う。彼女の魔物に対する態度の軟化は、信頼しているからだと思っていたが違ったのだろうか。

 二人だけの空間が沈黙に包まれる。

 再び言葉を発したのは、清麿達が登って来てからだった。

 

 

 

「清麿、手を」

「ああ、悪い」

 手を伸ばして清麿の手を掴み、上へと引っ張り上げる。バルコニーに完全にあがったのを見てから、今度はフォルゴレに手を貸した。スペイドも魔物達に手を貸している。

「みんな、大丈夫か?」

「ああ」

 全員が登り切り、リィエンを背負ったウォンレイが駆け登ってくる。難なくバルコニーへと降り立った彼らの無事を確認してから、清麿はさらに続く崖の上を見上げた。

「ここまでだな……これより上は崖が急すぎて、敵に襲われたら転落しちまう」

「なら、予定通りこの中を進むんだな」

「ああ。それに、できれば敵に見つかりたくはない。だから遠回りになっても、敵の配置が薄いと予想される道を進むことにする。全員、地図は持っているな?」

 清麿の問いかけに、本の持ち主達が頷く。前回突入した時に、清麿がチェックしてノートに記入していたものをまとめた内部図のことだ。彼らが足を踏み入れていない所は不透明だが、それでも何も無いよりかは格段にマシである。

「我らが目的は、頂上の城にある『月の光』を出す石……一点のみ! そこへたどり着くことがこの戦いの終結への道となる!」

「そしてもう一つ。これが一番重要だ」

 ナゾナゾ博士の言葉に清麿が続ける。『月の石』よりも大事だと言い切った知将は、全員の顔を見渡した。

「――必ず、全員が生きて戻ること」

 コクリと、応えるようにして頷く。圧倒的不利な状況の中でも、ガッシュ達は希望を見失うことは無い。

「行くぞ! 昨夜たてた作戦通り、一丸となって突破しろぉ!!」

 操られた人々を、千年前の魔物を救い出す為、ガッシュ達はその城内へと踏み込んだ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 ただのアクション映画ではなく、ファンタジーアクション映画の世界に飛び込んだようだと快斗は思った。

「ゼガルガ!!」

「ゴウ・ガイロン!!」

 奇遇なことに名前が同じ――怪盗の通称の方だ――小さくブリキの玩具に似た魔物のキッドが、腹から大砲を出現させて光線を出す。それは千年前の魔物――快斗からすればあまり差が分からないのだが――に当たったが、別の千年前の魔物の腕がすさまじい勢いで伸びてキッドを襲おうとした。

「まかせて!」

「セウシル!!」

 それよりも早く魔物の子どもティオとそのパートナーである日本の大人気アイドル大海恵――快斗の幼馴染が彼女のファンなため知っていた――が彼らの前に立ち、半ドーム型のシールドで防ぐ。

「ウォンレイ!」

「ハイー!!」

 シールドの前にリィエンが、シールドの後ろからウォンレイが飛び出した。

「ガルレドルク!!」

 ウォンレイの足が光ると同時に体を勢い良く回転させて敵に突っ込む。すさまじい音と同時に敵の悲鳴が上がり、キャンチョメとフォルゴレが沸き立つ。

「いいぞ、いいぞ!」

「突き進めー!」

 ――突き進んでいいの、これ?

 思わずそう思ってしまったのは、仕方ないことだと信じたい。

 

 

 

 先に清麿達が潜入していたこともあり、敵の警戒は強くなっていた。

 隠れながら進んでいたが主にキャンチョメの行動が原因で見つかってしまい、今では堂々と突き進んでいる。

 尤も、そのことについてとやかく言うつもりはない。先に潜入したことで、不透明だった城塞の内部、千年前の魔物の置かれた状況、『月の光』の謎まで解けたのだから――と新一とナゾナゾ博士が言っていた為だ。

 それを踏まえての、この戦力を分散させずに一丸となって一気に頂上を目指す作戦である。ある意味では作戦通りの展開になっているのだろう。

 快斗が意見を言いたいのは作戦にではなく、新一の立場にだ。

「新一!」

「ゴウ・アルセン!」

 快斗や哀、赤井に高木と同行者組を庇いながら戦う新一とスペイドを追いながら、喉まで込み上げてくる言葉を飲み込む。

 清麿は確かにこの集団のリーダー的存在であり、それだけの知識と頭の回転の速さを持っていた。

 地の利を生かした逃げ方、導きたした『月の光』の謎の答え、周囲の統制力。そのどれもがリーダーに相応しく、知将と呼ぶに値する。

 ――だが、新一の方がより上だという事を、快斗は知っているのだ。

 黒の組織を壊滅に導いたブレーン。各国の機関をまとめあげたその手腕。彼もまた、清麿と同じ答えを導き出していた。

 何故、新一がリーダーではないのだろうか。彼ならば、もっとより良い作戦を立てることが出来ていたのではないか。

 味方となった魔物の事を清麿の方が良く知っているから、という理由は分かる。分かるが、どうしても納得できない。

(……違うな、ただオレは、見たくないだけなんだ)

 そこまで考え、快斗はようやく自身の本心に気付けた。清麿が嫌なわけではない、ただ、新一が誰かの下に着いていることが嫌なだけだということに。

(新一はずっと、誰かに支持する立場にいたからな。このオレに対してさえ遠慮なく命令してきたぐれぇだし……)

 ヤダヤダ、と頭を振る。今はまだ慣れていないだけであり、そもそも彼の最大かつ永遠の好敵手は怪盗キッドであることには変わりないはずだと、後半あまり関係ないことを自身に言い聞かせていると、新一から鋭く名を呼ばれた。

「黒羽!」

「へいへいっと」

 何故呼ばれたかなど分かっている。快斗は素早く隠していた発信器を――魔本が燃えて崩れ落ちる人間に投げつけた。発信器は見事人間の服に着き、よっしゃと小さく拳を作る。

「てかさ、新一。ちょっと人使い荒くね?」

「話しかけんな! ゴウ・アルド!」

 怒られてしまった。へーいと答えながら、快斗はまた人間に――今度はまだ燃えていないが、発信器を投げつける。

 快斗はこの突入で、千年前の本の持ち主達に発信器を取り付けることを新一に命じられていた。無理やり着いてきている身断るつもりは毛頭なかったが、突然問答無用に大量の発信器を渡され「頼んだぞ」と言われれば、少し反抗したくなるもの。尤も、赤井でも高木でも哀でもなく快斗に頼んだという事は、これが己にしか出来ないことだと思われていることでもあることに気付いた時、悪い気はしなかったが。

 それにしても、ちゃんと説明はしてほしい。

「でもお前がいてくれて助かった、サンキューな!」

「……おう」

 ――そして、急に飴を与えないでほしい。飴と鞭の使い分けが絶妙すぎる。

 これが各国の組織をまとめ上げた腕なのか、と気付いてしまった真実に戦慄した時、「皆、ストップ!」との清麿の声がかかった。

 目の前を走っていた新一達も止まったため、合わせて足を止める。急に熱く感じ、汗をぬぐって前を見ると、そこは巨大な広間だった。

 ただの広間ではない。床は無く、下は奈落の底に落ちるかのような深さだ。左右の壁、そして正面に出入り口らしきものがあるが、かかっている橋のような階段の道は正面への一本のみ。さらには、奈落の底は溶岩のようなものが蠢いている。

「ウヌゥ、清麿、本当にここを通らねばならぬのか?」

「ああ。でも、ここを登れば城だ」

 流石のガッシュも気が引けたらしいが、清麿の方は変わらず毅然と前を向いている。

 場所はともかく、ようやく城へと続く場所に来られたことに、殆どの者が喜び合った。チームワークの勝利だと言っている声が聞こえたが、それに快斗は嫌な予感を覚えた。

「なぁ、新一。いいのか?」

「……今更引き返すことも出来ない上に、道はここしかないんだ」

 警告を促す意味も込めて、小声で問いかければ、同じ様に緊張している声で返される。どうやら新一もまた、今のこの状況に違和感を抱いているらしい。

 周りを見渡せば、他に赤井とスペイド、清麿の表情が強張っているのが見えた。赤井は哀を気にしながらさり気無く周囲に視線を巡らし、スペイドも戦闘態勢に入っている。

「黒羽はオレの傍に。赤井さんと高木刑事はスペイドから離れないで。灰原は赤井さん……いや、清麿の傍に」

「えっ、工藤君?」

 思わぬ言葉に、哀が不思議そうに新一を見上げた。だが新一は哀を見返すことなく、じっと前を見据えたまま言葉を紡ぐ。

「清麿にはもう話してある。今は何も言わずに、あいつの所に行ってくれ」

「……分かったわ、何か訳があるんでしょう?」

 流石彼の元相棒といった所か。新一の言葉を全面的に信じ、哀は清麿の傍に駆けて行った。

 哀が近くに来たことに清麿は新一に目を向け、小さく頷いて見せる。そして前を向き、階段の道を歩み出した。清麿達の後に他の魔物達が続き、新一達も最後に着いていく。

「清麿……なんでこんな道しかないのだよ?」

「城は王様の住むところだからな。この遺跡では王族など……選ばれた人以外は、たやすく通れない仕掛けになってたんだろう」

 一番臆病だというのに震えながら先頭を歩くキャンチョメと、その質問に答える清麿の会話が後ろにも届いた。「だから『ロード』、か」と新一が呟き、「悪趣味だよな」と返そうとし――目の前でスペイドが剣を抜いたことに驚き、足を止める。

 

「そのとおり……君たちが通っていい道ではないのです」

 

 同時に、声が響いた。

 上から聞こえてきた、少年のような高い声。勢いよく声の方を向くと、そこには宙に浮いた魔物がいた。

「ようこそ、私の城へ。魔物とその本の持ち主達、そして……招かれざる客人たちよ」

 瞬間移動、とスペイドが小さく呟いた声が聞こえる。私の城、と断言したことで、その魔物が誰であるのか分かった。

「私は、ゾフィス。この城の……千年前の魔物を支配している者!」

 ――この騒動のすべての元凶である魔物、ゾフィスであると。

 直々に姿を現したことに、新一が魔本を構えた。光を点すそれにゾフィスは気付いたのか、視線をそちらに向けニッと口角を上げる。

「これはこれは、名探偵殿。現代スペイドと同じく、貴方も気が早い様で」

「……っ!?」

 名探偵、との呼称に魔本の光が一層輝く。そのまま呪文を唱なえる前に、スペイドが新一の前に腕を掲げて止めた。

「耳を傾ける価値もない言葉だ、新一」

「ほお……貴方も相変わらずですね、スペイド。魔界にいた頃から何も変わっていない」

 クスリ、とゾフィスが嘲笑を浮かべる。心の底から軽蔑し見下している眼差しに、だがスペイドははてと首を傾げた。

「会ったことあるか?」

「……っ!」

 ――あっ、これ不味い展開かも。ゾフィスのこめかみに怒りのマークが浮かび上がったのを見てしまった快斗は、一歩スペイドから離れた。新一はピシリと固まっている。

「……ハハハッ、どこまでも小馬鹿にしてくれますねぇ。貴方が王宮に上がる前にいた学校のクラスメイトの事など、覚えている価値もないということですか」

 意外な事実が発覚した。えっと周囲が驚きスペイドを見るが、何故か彼女も驚いている。

「……すまない。ブラゴはともかく、当時からクラスメイトに全く興味なく覚えるつもりもなかった」

 ガックリと、新一が膝をついた。思わずその肩をそっと叩く。

 忘れる云々よりも前に、端から眼中になかったと言われたゾフィスから、怒りのオーラが噴出した。親の仇を見るかのような目つきでスペイドを睨み、余裕を湛えていた顔からは恨みしか感じることが出来ない。

「この私をよくも……っ! 本の持ち主と同じように、非常に不愉快なことをしてくれる……っ!」

 ギリッと歯を食いしばったゾフィスは、だが怒りを隠してフンと鼻で笑って見せた。

「そのような態度を取れるのもここまでですよ、スペイドとその本の持ち主。貴方達はここで、命を落とす運命なのですから」

「そのような運命など切り裂いてくれる」

「出来るといいですねぇ……出来ないと思いますが」

 嘲笑を隠すことなく、ゾフィスはスペイドを、侵入者たちを見下す。一度は消えた余裕を再び身に纏っていることに、ゾワリと何かが背筋を走った。

「あなた方の動きは見させてもらいました。他の場所からの侵入者がいないところを見ると、どうやら他に仲間はいないようですね」

 その言葉で、清麿と新一、赤井、そして快斗は何故ゾフィスがここに姿を現したのか、その訳に気付いた。

 今までの行動が全て見られていたこと、魔物が必要以上に集まらなかった訳。今のこの状況が全て、ゾフィスの思惑通りだったということ。

「だとしたら、話は簡単です……」

 ゾフィスの手が前へと掲げられる。

 

「――ラドム!!」

 

 それを見ていたかのように、可愛らしい女の声がどこからともなく響き渡った。





次回はオリジナルバトルです。

『第十の術、ガンズロック・リスアルド』は鈴神様からいただいた術案です。
有難うございました。


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