遅咲きオレンジロード (迷子走路)
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Prologue~遅咲きの花~
『妹の位置』


 どうしてこうなっちゃったんだろう。

 自分なりに努力はしたつもりだし、それなりの成果はあったと思っていた。

 でもそうじゃなかった。

 私のやってきた事は無意味に終わって、結果は散々…考えた中でも一番イヤな結末を迎えてしまった。

 まぁ、それでも当人達は満足なのかもしれない。皆が幸せだと言うのなら、幸せになれるっていうなら私には関係ない……はず、なんだと思う。

 

 ()()()()

 

 でも今に至っては全然普通なんかじゃない。だったら、少しくらい勝手にしても問題ないよね?

 そもそも、約束を破ったのはそっちなんだし。

 今まで大目に見てきたけど、私にだって意思はある。

 だからこれは悩みを抱えた女のコからのちょっとばかりの仕返しって事で。

 

「勘弁してよね? モモさん」

 

――――――

 

 例えばのお話である。

 この世界にはいくつもの『過程』と『可能性』の欠片が無数に存在していて、その結びつきによって生まれる、たくさんの世界が存在したならどうだろう。 

 今日一日、家でゴロゴロしている自分がいる世界。

 家族と一緒に買い物に出かけている自分がいる世界。

 そんな無数の可能性のひとつひとつが存在していたなら……間違いなく、今の世界はどんな可能性の中でも間違いに間違いを重ねた、間違いだらけの世界だ。

 それだから、あのバカ兄貴が宇宙規模を治める星の次期王様なんて肩書きを持ってしまうなんて事になった。

 そんなだから、知らない間にいろんな女の人と仲良くなっちゃってて、しかも全員と恋仲になるなんてありえない事になった。

 それなのに。

 そんなあり得ない環境だってのに、本人達は不満なんてないみたいに仲良く過ごしている。

 

 たった一人、私だけを除いて。

 

   ◆

 

 さて、現在全宇宙を統治しているデビルーク星の王に後継者が現れたらしい。

 優れた容姿を持つデビルーク星の王妃の血を受け継ぐ三人の王女達。

 その一人である第一王女、ララ・サタリン・デビルークが数多の婚約者候補の中から遂に一人を選び、婚約を果たしたのだとか。

 このニュースは当然ながら全宇宙に波紋を生む。

 

 相手は何処の星の人だろう?

 一体どんな男なのだ?

 どれだけ優れた人物なのか?

 

 まさに一光年先でさえ、一瞬で伝わる勢いで時の人となった当の後継者はといえば…至って平凡な人物であった。

 その人は全宇宙の生物達から見ても劣っているとしかいえない程に普通。

 偶々彼を知る事になった、それなりの地位に立つ人物達からも疑問や侮蔑といった念を抱かずには入られない程度の価値しかないのも、残念ながら事実である。

 そんな中で、彼をそれなりに知る事になった人物から違った方向性で彼の噂は多方面へ知れ渡っていく事になっていく。

 

 

 次期国王様ですか? ええ、よく知ってますよ。とても人柄の良いお方です。

 優れた箇所ですか、そうですねぇ、周りを惹きつける魅力を持っている…ですかね。

 確かに能力や容姿は広い目で見ても平凡か、それ以下と言って良いかもしれません。

 しかし、それだけで計れないのがデビルークの王女が選び抜いた器…とでも言うのでしょうかな。

 ただ能力が優れている。見目が良い。それだけでは数多の候補者からもっと上がいるでしょう。

 ですが、誰よりも真っ直ぐに恋愛と言う面で王女様を見てこられた方はいなかったのでしょう。

 あれだけお美しい王女様が、次期国王様と連れ添いながら仲睦まじく寄り添われているだけで、まるで現王妃様にも劣らない輝きを出しているのですから。

 確かに王の座はあの方には重荷になるかもしれませんが、王とは強さだけでどうにかなるものでは無いと私は思ってます。

 長い歴史から見ても王とは武力で優れた者のみが立つというわけではありませんからね。

 苦難や壁も多々あるでしょうが、彼は一人ではありません。

 お互いが支えあい、きっと素晴らしい王様になられると信じています。

 それに、支えてくれる方は大勢居られるみたいですしね。

 

 

 人の評価は、誰かの言葉一つで二転三転するとはよく言ったもので。

 このようにして"結城リト"という男は宇宙に名を広めていった。

 

   ◆

 

 まぁ聞いた話だと、なんとかアイツもやっていけているらしい。

 流石に批判ばかりだとかわいそうだとか、そんなレベルの話以上にいろいろ考えないといけない事が山積みになっちゃうしね。

 ぶっちゃけて言うと、王族問題というのは物騒な話もあるという事だ。

 リトの存在に賛否はあるみたいだけど、今の所そんな話が無いのはある意味奇跡なのかもしれない。

 

 で、そんなこんなで高校を無事卒業。

 紆余曲折の末にララさんと婚約してハッピーエンド~……だったらどんなに良かった事か。

 事の発端を作り出したのはそのララさんの妹に当たる人物で、名前はモモ・ベリア・デビルーク。

 つまり、モモさんさえ余計な事をしなければ私だって素直に祝福できたのに。

 大胆にもバカ兄貴に迫りまくって、一緒に寝たり、おフロに侵入したり。

 何を考えているのかと当時の私もムキになって大胆な行動に出たりもした。

 あの時はモモさんの行動をどうにか止めてやりたくって、それで満足していただけだった気がする。

 今になって考えたら、あの時の私はいろいろ知らなさ過ぎた。

 全てわかってたら、こんな事にはならなかったハズなのに。

 

 あのリトがハーレムなんてバカげた事を本気で創っちゃうなんて。

 今でもそんなの信じられない。

 

 信じたくなかった。

 

――――――

 

 けたたましく響く電子音に私は覚醒する。

 日常の始まりを告げる目覚まし時計を一発で止めて、すぐさまパジャマを脱ぎ、私服へと着替えた。

 昔から変わらずにリトに朝ごはんを作るのは私の役割。

 例え婚約しようと、恋人がいっぱい居ても、それだけは譲りたくない。

 今日は誰が来る日だったかと、思考しながら支度に取り掛かるのが最近の日課になっていた。

 リトに合わせた結城家の味も大事だけど、せっかくだから他所の家の好みの味付けとかもちょっと前までは純粋な好奇心で練習したりしたっけ。

 それも今では、ただの作業になっているんだけど。

 

 朝が終われば昼が来る。

 お昼はとりあえず掃除やら家事全般の延長で時間がつぶれる。

 

 結局、私は中学校を卒業した後は就職も進学もしなかった。

 だってこれ以上リトとの間に溝が出来るのがイヤだったから。

 だからリトが婚約すると言った次の年から、私とリトは地球と別の星を行ったり来たりするようになった。

 ララさんと婚約するという事はララさんの星の次期王様になると言う事。

 つまりはその為の勉強だったり訓練だったりをする事になる。

 私は、なるだけリトの近くにいられるようにした。

 妹というよりはまるで侍女とかメイドさんとかに近い役割かもしれないけど、生活するのに一生困る事はなさそうだったし、何よりリトの支えになれるならとその時の私は決意したんだっけ。

 

 

 その少し後になって、モモさんのハーレム計画を知らされた。

 

 

 見覚えのある人たちが続々と家に入ってくる。

 混乱している私を余所に、リトやララさん達は至って普通にしていた。

 

 え、何これ? みんな知ってたの?

 私()()が知らなかったの? 私()()今になってこんな……。

 

「私って、リトにとってそれだけの存在だったの…?」

 

 その日から、私の中でリトは『バカ兄貴』になった。

 

――――――

 

 モモさんはずっと前から外堀を埋めていたらしい。

 リトにとっての楽園を作るため。

 リトに少しでも女の人に慣れてもらうため。

 そして何より自分がリトに可愛がってもらうため。

 それだけの為にあの人は中身も根本も環境も全部ひっくり返してしまった。

 何で気付かなかったのか。

 何で止められなかったのか。

 全てはモモさんの手の中だった。

 

 ある日、モモさんが珍しくお酒みたいなのを飲んで、少しほろ酔い気分になっている時に聞き出した事がある。

 リトは最後の方までハーレムには抵抗があったらしい。

 それが解かっていたから、リトさんの逃げ道を無くしたのですよ~、と。

 答えを聞いて私は呆然と言葉を失った。

 端的に言うと、『リトの前でララさんと春菜さんを含めた複数の女性に同時に告白させる』なんて荒業である。

 

 自分を想ってくれているララさんと、自分の想い人である春菜さん。

 

 そんな二人に告白されてリトはどう答えるか。勿論ハーレムを肯定させる言葉を添えた上で…それが更に複数である。

 果たして優しいだけが取り得のリトが、こんな場面で一人を選ぶ事が出来るだろうか。

 全員が一緒で良いと言っている状況で一人だけを選ぶ勇気は…きっとない。

 そもそも必要だってないし、ここまで来たらむやみやたらに誰かを傷つかせる理由も無い。

 愚直なまでに素直で、正直者なあの優しいバカ兄貴はもはや退路を断たれたんだって、私は知った。

 

 そこまでを作るのに一体どれだけの時間があったんだろう。

 それだけを完成させるまでどれだけ努力したんだろう。

 どうしてそれだけの間に気付けなかったんだろう。

 

 翌朝になっても、私は部屋を出る気にならなかった。

 

――――――

 

 一日の半分が終われば長い一日が始まる。

 夜が嫌いになったのはきっと、最近だと思う。

 それはリトの部屋に毎日別の女の人が訪れる時間。

 

 ララさんは今はまだ一応婚約者。それでいて唯一、絶対結婚しなければならない人だからその頻度は多かった。

 そもそもこのハーレムだって世間的に見ても異常なんだもん。

 だから、その下地としてリトにはララさんと結婚して王族になるのが絶対条件。

 それまでに厄介ごとを造ってしまうのは計画のご破算に繋がってしまう。

 でも複数の女性と繋がりを持つのは簡単な事じゃないみたい。

 だって当然、それなりの時間と労力を裂いて、きちんとその人たちの相手を務めないといけないんだから。

 

 さて、と…今日の相手は誰だったかな。

 

 薄っすらと思考すると胸の中でモヤモヤと仄暗い何かが湧いてくるような気がした。

 誰にも言った事はないけど、モモさんや一部の人には知られているこの想い。

 それをリトが知らないのは、私にとって気が楽だった。

 

 まだ幼い時、地球にいた頃はたくさん告白された。

 同級生を筆頭に先輩からも告白されたりもしたけど、結局一度も誰かと付き合ったことは無い。

 理由は特に無かった。

 当時の私は少なくともそう思っていたんだと思う。

 気付いたのはきっと最近で、それがどうしようも無くいけない事で。

 だから本能的に気付かないフリをしていただけだった事に気付いてしまった。

 私にとっての幸せは何だろう。

 今の幸せは、偶に訪れるリトと一緒に夜の時間を過ごす事だけ。

 なんか私もリトのハーレムの一員として数えられているらしく、だから私の番が回ってくる日がある。

 そんな日は疲れきったリトに膝枕をしてあげたり、愚痴を聞いてあげたりする。

 なんだかんだ言っても、結局リトは負担を背負っているみたい。

 次期王様への不安や、慕ってくれる人達への不安。

 その全てを私には打ち明けてくれる。

 それがたまらなく嬉しくて、心地よかった。

 どんなに取り繕っても、本音では私の所が一番リトが安心して素顔を晒しているのが感じて取れる唯一の時間。

 だから私はそれでいい。

 リトが最後に帰り着く場所でさえあれば…私はそれでもいいかって、思ってしまう。

 

 ただ、それだけの時間。

 

 私は。

 私だけは特別。

 私()()はどう足掻いてもそこまでしか愛されない存在だといつの頃か気付いてしまった。

 

 昔からその気はあった。

 普通の兄妹よりもお兄ちゃんの事を大好きで、普通よりもお兄ちゃんを独り占めしたくて。

 あぁ、コレって全然普通じゃないんだって気付いた。

 こんなの良くないって思った。だからリトが誰かと結ばれたらその人も好きになろうって決めた。

 そうすればきっと普通に耐えられるから。

 本能的にそうしてたハズだったのに、私のタガは外されてしまった。

 

 リトが普通に恋愛して、普通に結ばれて、普通に生きてくれればそれだけで祝福できたのに。

 リトは普通を選んではくれなかった。 

 たくさんの女の人と結ばれて、皆を幸せにするなんて普通じゃない事を選んだ。

 

 だったらなんで、私は愛してはくれないんだろう。

 

 わかってる。そんなのわかってる。

 私は妹で。リトはお兄ちゃんで。

 そんなの全然普通じゃない。

 だから、わかってる。そんなのはイケナイ事なんだって。

 けれどリトから優しくされている人たちを見ていると、私のキモチは妹としての特別だけじゃ満足できなくなってしまった。

 どんどん私だけの特別が消えていくことに、私の余裕は昔みたいにまた消えてしまう。

 リトは変わって、私も変わって……きっとその時から私たちはもう普通の兄妹じゃなくなっちゃんたんだと思う。

 

 じゃあ、なんで普通じゃないのに私はダメなの?

 

 普通じゃない道を選んだくせに、私だけはリトに選ばれない。

 私はいつまでも特別で、私だけの特別な時間はいつの間にかどんどん皆に分けられていった。

 それってやっぱり悔しいよ。

 私だって、リトに抱きしめられたい。

 前は理性で拒否しちゃったけどキスだって出来たらしたい。

 まだ二人とも幼くて小さかった頃にやった様なのじゃない…あの頃よりも何歩も先に進んだ関係のだってやってみたい。

 でも理解すればする程、成長すればする程にその理想は遠くなっていく。

 こんなのって理不尽だし、ずるいと思う。

 皆が幸せになるのがモモさんの言うハーレムなんじゃなかったの?

 ずるい。ずるい。ずるい。

 

「あぁ、私って嫌な人だ」

 

 一途で純粋なララさんを憎んだ。

 あの人は、どうしてもっと嫌な人になれなかったんだろう。

 リトに想われている春菜さんを羨ましいと妬んだ。

 リトからも好かれていて、せっかく両想いだったのにどうして早く行動しなかったんだって。

 大好きな親友のヤミさんを怨んだ。

 あれだけターゲットとか言ってたのに、結局私よりもリトと深く繋がる事が出来るんだから。

 

 みんな、みんな、凄く良い人ばっかりだ。

 私だけがこんなに嫌な人間だ。

 それが苦しい。それが辛い。

 私だけ。私だけ。私だけ。

 もういっそ、こんな私なんて…

 

「いなくなっちゃえ」

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 気付くとそこは見覚えのある風景だった。

 ずっと暮らしていた、思い出の詰まった場所。

 引っ越してからは忘れかけていた、ほんの少し懐かしい。

 

「あ、れ…? ここ…私の部屋!?」

 

 世界は広い。宇宙人だっているくらいだ。

 だから世界がたくさんあっても不思議じゃないし、気付いたらタイムスリップしていたなんて事があってもそれは宇宙的には、きっとままある程度の範疇だとしてもおかしくないのかも知れない。



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『兄へ』

※きまぐれオレンジロードは関係ありません


 いや、いやいや。ちょっと待って、待って。

 私はついさっきまではデビルーク星の自室にいた筈だよね?

 いったい、いつの間に地球に帰ってきちゃったの?

 

「オッケー。一度よく考えよ…あぁ、なんかまた、めんどくさい事になりそうで頭痛い…」

 

 そもそもの事の始まりと言えば、ララさんのお父さんと、お母さんのセフィさんにリトが挨拶に行ったことだった。

 とうとうララさんの熱愛攻撃にやられてしまって、そのまま婚約の報告に行って帰ってくるものだと思って二人を見送ったりもした。

 まさか翌日になってリトの全体的な能力の向上をさせたいとかで、そのまま強化合宿をするからしばらく帰ってこれないなんて事になるとは思わなかったけどね。

 強化合宿の内容と言うと…。

 

「リトさんが素敵な婿殿と言うのは承知していますが、夫ほど奔放で行動しても大丈夫とは思えないので最低限の知識を身につけて下さい」

「デビルーク星の王座に立つまでは暫くの間筋トレしていろ!」

 

 とか言われたらしく、交流の深い宇宙の人たちの星の知識や作法とかを勉強しながら余った時間は筋トレをしていたらしい。

 それから一週間くらいして、一緒に留守番していたモモさんとナナさんが様子を見に行くっていう話になったから、私もついて行くって言い出したんだっけ。

 そこからまた、あれやこれやと事件がたくさん起きて……うん、なんか済崩し的に住居を移転しちゃおうって流れになったんだった気がする。

 別に食事や環境に不満はなかったし、リトを一人で遠く離れた宇宙の彼方に置いておくっていうのも、きっと心細いだろうから私も引越しをする事に決めたんだ。

 

「なーんて言ったけど。結局、私がリトと離れたくなかっただけ…だったんだろうなぁ」

 

 あの時まで自覚なんて無かった。

 まだ純粋にリトの『妹』でいられた頃だったと思う。

 ほんと、私って素直じゃないなぁ………。

 ギュッと掛け布団の端を握りながら自分自身に嘲笑する。

 …って、そうだ。今はそんな事考えてる場合じゃない。

 ハッとして、現状の再確認に意識を戻す。

 

「つまり…私は間違いなく地球には帰ってないし、ホームシックになって見てる夢でもない」

 

 頬をつねって現実である事も確認した私はとりあえずその場にあった目覚まし時計を確認しようと手を伸ばした………けど。

 

「へ? っと、とと?」

 

 手を伸ばした先に時計はなかった。

 ううん、違う。手を伸ばした先の先に時計はあった。

 

「ちょっ! 何これ、どういうこと!?」

 

 違和感の正体。

 今の今まで、日常として受け入れているのが当然な腕のリーチが変わっているに気付いた。

 手を伸ばした先にあった物を掴めず、疑問符を浮かべている間も無く。手のひらの大きさも変わっていることで確信してしまう。

 時計に目もくれずに鏡へと一目散に飛びつくと、そこには小学生になったばかりの頃…なのかは見た目ではそこまでははっきりしないけど、明らかに幼くなっている結城美柑(わたし)の姿が映し出されていた。

 

「私、だ、よね? もとから年はとってなかったけど…。ち、小さくなっちゃった……」

 

 少しずつ現状を把握して、だんだんと血の気が引いて行くのがわかった。

 非常事態だ。

 いや、異常事態? そんなのどっちもだ。

 落ち着いて…無理。

 落ち着け…出来っこないって。

 落ち着かないと…って、

 

「そんなん出来るかーー!!!」

 

 私の心からの咆哮はそのまま部屋の壁を通り抜けて、家中と近隣一体に響き渡る騒音に……ならなかった。

 私の叫び声と同時に更に大きな轟音が被さる。

 一瞬目の前が真っ白になる錯覚を起こしながら耳に突き抜けていく炸裂音。

 それが雷の音だと気付くよりも先に身体に電気を流したようなビリビリとした痺れが襲う。

 その瞬間、背筋からゾワリとした感覚が体全体に浸透していく気がした。

 直後に追い討ちのように部屋の明かりが全て消える。

 

「…っっ!!??」

 

 停電だ何だと思うよりも速く、ベッドに潜り込む。

 昔より雷を恐怖するなんてことは少なくなった筈だったのに。

 もしも本当に幼くなってしまったのだとしたら、その分だけ心も昔に戻っちゃったのかもしれない。

 バクン、バクン、と(うずくま)る自分の体が跳ね上がるような気がする。

 勿論それは錯覚で、自分の鼓動が緊張と静寂から大きく感じ取れてしまっているだけなんだと頭では理解できた。

 でも、肝心の緊張はどうしても解れはしない。

 押し迫るのは、雷に怯える幼い体から来る不安。

 そして訳もわからずに今ここにいる成長している筈の心からの不安。

 その板ばさみに合っている事に、気付いたら嗚咽が漏れてしまっていた。

 

「っ…っ…ひっ、だ、れかぁ……っ!」

 

 もう余裕なんて無い。

 今の私は、触れば崩れてしまいそうな結城美柑という名の剥き出しの少女だった。

 

「リ、トぉ…っ、リトぉ…!リトぉ…!」

 

 きっと時間が経ってしまえば後悔しかしないくらい恥ずかしげも無く大好きな人の名を何度も呟く。

 

「誰も、居ないの…?」

 

 この家には今、私しかいないのかも知れないと不安になっていく。

 だったら一刻も早くこの時間が終わるようにと願った。

 ただそれだけを考えて、ほんの少しでも心が落ち着くように好きな人の名を呼ぶ。

 呪文のように何度も呟けば、魔法みたいにそんな事が起きるかもと思えてきた。

 あまりにも都合の良い、子供っぽい考えだけど…今の私はそんな事が起きるように何度も願いを重ねた。

 

 やがて魔法は起きる。

 

「みかんー? 起きてるかー…? 平気かー…?」

 

 ぎこちなく開くドアの音と共に、囁くように聞こえてくるのは少し声の高い少年の声。

 覚えてる。忘れるわけが無い。

 今よりも声は高いけど聞き間違える事は決してないあの日のリトの声。

 

「リ、どぉ…!! 遅、いよぉー!!」

「わっ、美柑!? ご、ごめんって!暗くて見えなかったんだよ~!!」

 

 小走りでこちらの方へ近づいてくる足音と、少し頼りない間の抜けた声色に安心感を覚えながら悪態をつく。

 本当は嬉しくて嬉しくて堪らないのに。私はどうしてこうも素直になれないのだろう。

 いつの間にかリトの体温がわかるくらい接近していて、リトの腕が手探りでその辺をペタペタと触っている音が聞こえてくる。

 

「リ、むぐ…!?」

「え? あ、あれ、美柑?」

 

 手探りで私を探していたリトの手が私の口に触れた。

 呼ぼうとした最中だったので変な声がでてしまう。

 むすっと、何となく頭にきたので口に触れている手をペロッと舐めた…何かリトの味がする。

 

「うひぃ!? な、何してんだよ美柑!?」

「……別にぃー」

 

 思えば大人気ない行動だったかも。

 もしかすると、目の前にいるリトは今の私よりも年下だって事もあり得るのに。

 さっきまで声を殺して泣いていた私を心配して助けに来てくれたリトを怒らせてしまうのは本意じゃない。

 少しだけしおらしく謝罪をして、私はリトをベッドへと招いた。

 って、あれ? 私、今結構スゴい事してない?

 暗くてよく見えないけど、幼さから来る遠慮の無さでリトも何の躊躇も無く一緒のベッドに入ってきた。

 今度こそ本当に吐息が鼻の辺りにかかるのを感じる。

 さっきまでとは別の意味で鼓動は高鳴っていき、徐々に顔と耳が熱くなっていく気がした。

 ま、まぁ、このくらいの? 年齢どうしの兄妹なら…ど、どど同衾くらい普通だよね? フツーふつー…うん、別に変な意味では無いんだし! 

 

「だいじょーぶかー? 兄ちゃんがついてるから寝てもいいんだぞー」

「ん、むぅ……うん」

 

 頭を優しく撫でられる。

 まだ若い頃のリトの手のひらの感覚はなんだか女の子みたいなやわらかさをしている…ような気がする。

 頭から伝わるのは体温が殆どなのではっきりはわからないけど。

 でもいつだったか、最後に頭を撫でて貰ったときはもっとゴツゴツとした男の人っぽい感じがしていた。

 リトのくせにって、あの時は思ったけど。こうして比べるとやっぱりリトもちゃんと男の人だったんだなぁと感じてしまう。

 

 やっぱり、私は昔に戻っちゃったのかな?

 

――――――

 

 暫くの間、大人しく頭を撫でられていると徐々にその手が動かなくなっていった。

 すると、規則正しい吐息が顔に少しだけかかるようになっていく。

 どうやら、リトは寝てしまったらしい。

 外もあれから雷はすっかりと止み、本当の静寂が訪れる。

 まったく…あれだけかっこよかったのに先に寝ちゃうなんて。

 

「私じゃなかったら減点だよ? お兄ちゃん」

 

 ふと『お兄ちゃん』という単語が出てきた。

 そうだ。この頃はまだ『お兄ちゃん』だったのかもしれない。

 いつの頃からか、『お兄ちゃん』は『リト』になった。

 だから、まだ今は私も普通の妹として『お兄ちゃん』が大好きなだけだった気がする。

 クスッと可笑しい様な…けれど、小バカにする様な声が漏れた。

 

「本当にバカだなぁ。今も昔も、ずーっとリトの事が大好きだったんじゃん」

 

 兄だとか関係ない。

 ただリトが好きなだけ。

 その気持ちはずっと変わらなかったんだ。

 今更、取り繕う必要なんて全然ないよね?

 

「リト、大好きだったよ…今も昔も。これからもずっと、お兄ちゃんの事が…大好きだよ」

 

 口に出した言葉はどこにも届かない。

 心を込めた初めての本音は自分の中にしか残らないから。

 それはきっと、これからどんなに時間が経っても届かない私の初めての告白。

 

――――――

 

 私はリトの体温を感じながら思考する。

 内容はもちろん。現状で自分は過去に戻ってきてしまったのかという事について。

 あれから随分と目も暗闇に慣れていくと、リトの顔が良く見えてくる。

 幼さの残る中性的な容姿は今も変わらないけど、この頃は余計にそれが際立っている気がした。

 女装とかしても違和感ないかな?

 そういえば女のコになっちゃったリトって、フツーに可愛かったし。

 …今は関係ないか。

 

 「私とリトが若返って、リトが違和感を持ってない…つまりここは過去の世界?」

 

 確証になる材料は少ないけど今のところ、そういう事でいいと思う。

 それ以上は考えても無駄だしね…それよりも。

 

「ここが『本物』の世界なのか」

 

 何らかの理由は必ずある。

 例えばララさんの発明とかで『過去に戻ってしまった』よりも『過去に近い異次元に飛ばされた』の方が多分難しくないと思う。

 現に、前に似たような発明はあった。

 いくらララさんでもタイムスリップなんて発明できるだろうか。

 もちろんあの人だったらそんな可能性もあるけど…違ってたら本当に宇宙の神秘とか奇跡になってしまう。

 

「もしくはモモさんの陰謀…とか。こっちの方がしっくり来ちゃうなぁ」

 

 例えばモモさんの策略で、常に監視されている状態だったら?

 今もこんな状況の私を見ているのかも知れない。

 理由は最近の私を見てリフレッシュして欲しかったとかそんな感じで。

 もしもそうなら、スゴイ悪趣味になるけど。でも違和感が無いのがモモさんというか…濡れ衣だとしてもそれは普段の行いだと思う。

 きっと「酷いです美柑さん~!」ってモモさんは言うんだろうけど。うん、仕方ないよね?

 とにかく、どっちにしても。

 

「判断材料が足らない…」

 

 仮に…もし仮に、本当に過去に戻っているのなら。私は…どうしたいんだろう?

 今ならリトを独占できるかもしれない。

 でも、そうだとして…それでどうするの?

 結局、リトは私なんか選んでくれないんかも知れない。

 

「だって、私は『妹』だ」

 

 きっと結ばれない。結ばれてもきっと上手くはいかない。

 だったらいっそ、最初から諦めてしまえば誰も傷つかない。

 そのはずだったのに。

 

「ん~…美柑~? 兄ちゃんが…ついてるぞぉ……」

 

 ギュッとさっきよりも強く抱きしめられると、リトの体温が心地よく私の決意を狂わせてくる。

 強張った私の足に、リトの足が絡まって更に強く結びつく。

 頬が、体が、お腹が熱くなった。

 このまま自分が無くなってしまう様な気がする。

 良く解らないけど、なんか蕩けそうな。そんな嬉しくてしょうがない…そんな、甘い? そう、甘くて仕方ない甘露の様な幸せ。

 ねぇ、リト。これ狙ってる? 狙ってるよね? せっかく、せっかく私が諦めようとしたのに。

 

「ねぇ、本気になっちゃうよ…?」

 

 昔は良く解らない理性があった。

 どんなにリトと触れ合っても『妹』というブレーキを掛けてきた。

 でも、望み続けた時間が今ここにある。

 今は。今だけは許して欲しい。もしも、ここが『ニセモノ』だとしても。

 

「リト、もういいよね?」

 

 こうなったら仕方ない。そう、仕方ないよね。

 ここはララさんが来るより、もっと昔の彩南町。

 当然、モモさんはもっともっと後にならないと訪れない。

 それまでにたくさん仕込みをしてしまえば…どうなっちゃうんだろうね、モモさん?

 だから。

 

 

「もう…どうにでもなっちゃえ」




   


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前編〈1〉First mission~背徳へ至るまで~
『胃袋を掴む』


「ふぁぅ…おはよーみかんー…ってアレ?」

 

 早朝七時十二分。

 今朝方の天気は良く晴れていて、日曜日という事も合わせれば絶好の日和である。

 昨夜の雷雨が嘘のような風景に、結城リトは背伸びをしながら陽の光を浴びて覚醒した。

 

「ん~、もう起きたのか?」

 

 彼の妹である美柑の部屋で夜を明かしたリトは、現在その部屋の主がいない事を確認する。

 兄からの贔屓目だとしても非常にしっかりとした妹で、小学三年生という幼さでありながら家事のスキルは自分以上というデキた妹だとリトは思っていた。

 

 元はと言えば、彼らの両親である結城夫妻が仕事で多忙の為に家を離れがちという、世間的に見ても、なかなか込み入った環境にいるのが原因である。

 長男であるリトがまだ幼かった頃は、比較的に近場で漫画家という職をしている父…結城才培の仕事場に美柑と共に生活をしたり、幼い我が子達を心配した才培が家に足を運んでいた。

 当時は現在よりも仕事である漫画の連載数が少なかったり、時間に比較的余裕があったのも大きな理由であるが、リトが大きくなり、美柑の面倒を見れる様になったのを機に以前よりも仕事に熱が入ったのだとか。

 

「妹の面倒を見れる様になったら兄貴として一人前だ! もう大きくなったんだし、兄として男としてしっかり美柑の事を守ってやるんだぞ!」

 

 まるで漫画の熱血キャラの様な豪快なセリフを残し、それからは仕事の量を倍くらいに増やしたらしい。

 また、母である結城林檎もその頃から仕事による海外の暮らしが多かった為、結局のところ結城家ではリトと美柑の兄妹での共同生活が普通の光景となる。

 

「よいしょっと。お~い美柑~? もう朝ごはんの用意してるのか~?」

 

 残念な事に兄であるリトは特に料理の腕があまり良くなく、それ故に幼い妹の美柑がその穴を埋める事になったのだった。

 しかし、だからと言って最初から刃物や火を扱う料理等は殆どしない。

 流石に小学校に入学したての少女にいきなり危険な事をさせる訳にはいかないとリトが止めたのだ。

 始めは惣菜等を買ってきたり、レンジのみを扱うような簡単な食事に始まり、たまにリトが気合を入れた失敗料理を振舞ったりしていた。

 一方の美柑はといえば、そんな兄を見ながら自分に出来ることはないだろうかと、幼心ながら模索し出す。

 料理本を読んだり、洗濯機の説明書を読んだりと。不得意な事に一生懸命な兄の姿を傍で見ながら勉強した。

 やがて時間が経ち、遂に傍目で見ながらという条件付きで台所に立つことを許可された美柑は今まで勉強した事を思い浮かべながらリトに料理を振舞う。

 その時出したのは、味付けも殆どない卵焼きと、焼いただけのトースト。

 本で勉強したものはどれも難しく、結局出来るものといったらこの程度。それに、見た目は不恰好で、想像していたよりも更に焼き焦げていた。

 初めてであればこんなものと思える出来には違いない。

 でも、最初の頃の自分より遥かに上手に作られてしまった料理を見て、リトは苦笑した。

 

「俺より全然上手いし、美味いよ。美柑の方が才能あるみたいだな」

 

 自己評価としては全く満足していなかった美柑だったが、兄の為に精一杯作った料理を、その本人が認めてくれて、残さず食してくれた事が何よりも嬉しかった。

 だから「これからも私が作るから」と言う妹の願いに、兄は屈しざるを得ない。

 こうして、結城家の料理全般を妹の美柑が行い、リトはその補佐へと降格した構図が完成した瞬間である。

 

「妹に家事を任せっきりってのもやっぱり考え物だよなぁ」

 

 私服に着替え、リビングへと向かいながらそう呟くリト。

 ふと、向かう先から食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。

 

(あれ? なんかスゴイ美味そうな匂いがする…)

 

 意味も無く足音を消しながら、そろりそろりと、香りのする台所へ近づき、顔を覗かせる。

 そこに居たのは先ほどまで彼の頭を悩ましていた妹の後姿があるだけだった。

 

   ◆

 

「~♪ ~♪ ~~♪」

 

 私は鼻歌を歌いながらリトの為に料理を作る。

 昨日の夜にあった事を思い浮かべながら上機嫌で包丁を握った。

 

「ん、少し重いかな?」

 

 記憶にある重さよりも少しだけ腕にかかる負担を感じながら、コレくらいなら大丈夫と軽く包丁を上下させてみる。

 

「…うん、大丈夫」

 

 結局、朝になっても現状は変わりはしなかった。

 私は幼い姿のままで、それでも記憶ははっきりしていて。

 でも、大好きな人に抱きしめられながら目覚めの良い朝を迎えた。

 名残惜しい温もりからこっそりと抜け出してランドセルの中身を確認すると、出て来たのは『三年○組 ゆうき みかん』と書かれた教科書とノート。

 つまり、今のこの世界…もしくは時代では、私が小学三年生だということが、これで証明された。

 そんな風に情報を整理しながら、小さくなったせいで大きくなってしまった世界に少しの不便さを感じながら手を動す。

 そういえば、この頃のリトはあまり手癖が悪くなかったかも。やっぱりモテ期に入ってからおかしくなったのかな?

 何も無かった事を少しだけ残念に思いながらあの頃を思い出す。

 記憶に新しいのは、寝ボケながら女性の体中を余す所なく的確に触ったり、舐めたり、嗅いだりするリトの姿。

 普通に寝るだけで、アレだけの事を出来るようになったのは最早神業だと思う。

 神業と言っても、極めて冗談に近い分類のイタズラ的技術だけど。

 二人で一緒に寝る事は沢山あったけど、実の妹(わたし)にすら、その技術は遺憾なく発揮された。

 …その結果として、寝るだけで物凄く疲れる時があるんだけどね。

 もっと言えば、必ずと言っていい程その日の朝は起きてシャワーを浴びるまでがセットだ。

 そんな事をしても許されるのは、皆がリトを好きだからという揺るぎない事実があるから。

 一応、彼女達の名誉の為にも言っとくけれど、あくまで()()()好きだから許すのであって、その技術に反論が出来なくなったなんて事はない…はず。

 ちなみに、私自身は触られる事に対しては、とっくに諦めてしまった。

 ううん、むしろそうされる事に喜びすら感じてたのかもしれない。

 理性の強いリトは起きている時にはこんな事ゼッタイにしてくれない。

 あの手に無遠慮に、そして力強く、でも優しく。

 頭が真っ白になって何も考えられなくなるくらいの幸福と背徳感を感じられる時間だったから。むしろ…す、好きだったんだと、思う。

 ……しかし、それにしても。

 

「入学したてくらいだと思ったのに…私ってやっぱり幼児体形だったんだ…」

 

 他人からの評価はされた事はないが、何度かナナさんと胸の大きさとかでいろいろ話し合った事がある。

 周りが凄すぎて、いつの間にか、そうかなって言う程度には思ってたけど、やっぱりショックはショックだ。

 リトって結局大きいのと小さいのどっちが好きだったんだろう。

 お尻とかは結構自信あるんだけどなぁ。

 やっぱり見て、触れて欲しい人がどう評価してくれるかは気になる。

 

 …って、いけない、いけない。落ち着け私。料理中に怪我なんてしたらリトにご飯作れなくなっちゃうかも知れないんだから。

 私は怪我をしないように包丁を置いてから、首を振って邪念を払った。

 

――――――

 

 さて、今日の朝ご飯のメニューは白米のご飯とお味噌汁だけ。

 でも、コレだけのものとはいえ余念を残すような半端なデキには出来なかった。

 

「う~ん、せっかく気合入れてリトを喜ばせたかったのに。もっと早く起きれば良かったかなぁ」

 

 今がいつなのか確認して台所へと向かい、冷蔵庫を開けると沢山の調味料が出迎えてくれた。

 ……どうやら、この頃の私たちはまだ、ちゃんとした料理が出来ていなかったらしい。

 私がまだしっかり練習出来ていなかったのが原因だけど。

 まさか材料がほとんど何も無いなんて思わなかった。昨日はリトを起こさないように、こっそり目覚ましを消しちゃってたし…。

 加えて、いきなりの事で精神的な疲れもあった。

 条件が重なって、朝起きるのが遅くなってしまった事に後悔する。

 でも、本当の理由は他にあった。

 

「まさかリトの腕の中が気持ち良すぎて二度寝しちゃうなんて思わなかった…!」

 

 らしくないって思う。

 こんな不純で情けない理由…リトに知られたら恥ずかしすぎて顔が見れなくなりそう。

 でも、ここでへこたれては目標へは到底辿り着けないと私は気持ちを切り替えた。

 

 昨日の夜に自分自身に誓った願い。

 ララさんにも。

 春菜さんにも。

 そしてモモさんにもリトを譲らない。

 今度は絶対にハーレムなんて創らせはしない。

 皆が仲良くリトを分け合うなんてやっぱり良くないよ、リトは一人しか居ないのに。

 たくさんの重荷を背負わせるくらいなら…いっそ私がリトを離さない。

 だから、二度と思惑通りにはさせない。

 だから、今度は私がリトを幸せにするんだ。

 だったら…楽園には私とリトだけでいいと思う。

 私だったらリトを苦労させたりはしない。

 その為に私とリトの……二人の楽園を今度は私が創るんだ。

 

 その為の第一歩。腕によりをかけて作ってやったんだから。

 さぁ、リト。とっとと起きて来なさい!

 

 すると、ペタリと後ろから聞こえた。

 そんな間の抜けた足音に気付いた私は、振り向きながら笑顔でリトを迎えてあげた。

 

   ◆

 

「お、おはよう美柑。なんか良い匂いするけどコレって…」

「おはよう! もうすぐご飯も出来上がるから座って待ってて!」

 

 昨日の泣き顔がまるで嘘のように、晴れやかな笑顔で返される。

 言われるがままに席に座るリトは昨日までの美柑と何処か様子の違う今の美柑に違和感を感じた気がした。

 やがて、数分と経たない内に献立は運ばれてくると、そこには食欲をそそる匂いと見た目。

 そんな何の変哲も無い普通の朝食をリトはまじまじと見つめる。

 何度見てもソレは()()()()()()と比べたら本当に普通に完璧な朝食だった。

 

(コレ作ったの美柑…だよな? な、なんか一気に上達したような……)

 

 昨日の朝も美柑が朝の支度をしていた。

 しかし、今日のは見ただけでわかる程に別物だと誰が見ても解る。

 具の切り方とか匂いとか。絶対においしいと見て判るぐらい上達している事に流石にリトは疑問を抱いた。

 

「どうかした? 早く食べようよ」

「え、あ。う、うん。いただきます」

「はい、召し上がれ♪」

 

 どことなく雰囲気も大人びたような?

 そんな風に考えながら食事に手をつけるリト。

 

「うまッ!? 何だこれ、米も硬くないし、べた付いてないし、スゲー美味しいぞ美柑!」

「そ、そう? 喜んでもらえたなら嬉しいけど…」

 

 美味い美味いと食事をするリトを尻目に、美柑は内心でほんのりと焦り出す。

 まさかここまでの反応が返ってくるとは予想していなかったのだ。

 

(この頃の私ってそんな感じだったっけ!? やば…気合入れすぎたかも。昨日の今日で一気に上達したら変に思われるんじゃ?)

 

 宇宙の果ての星からララ・サタリン・デビルークが来るまであと二年余り。

 それまでにリトには『美柑(いもうと)を好き』になって貰わなければならない。

 以前よりももっと強く、深く。ライクよりもラヴに近く、だ。

 その為の当初の目標としては、まずはリトの好感度を上げる為に昔の様な位置関係を作るのが彼女の目的だった。

 だからこそ、こうして美柑は気合を入れたのだったが……。

 

「きょ、今日は上手くいったみたいだねっ! 私だってこれくらい出来るんだから!」

「すごいなぁ、もう追いつける気が全然しないよ」

 

 唯一の救いは材料がなかった事だろう。

 これで当時のような完璧な朝食を作ってしまっていたらどうなっただろうか?

 流石のリトでも疑うだろう。無論、何に対してかは本人にも解らないだろうが、変な目で見られる可能性は大いにある。

 そうなったら美柑にとっては後々面倒だ。

 自分のファインプレーな行動に内心でホッと息をつく美柑。

 それからは何事も無く、普通に食卓を囲みながら二人は談笑した。

 何の変哲も無い、ただの兄と妹の団欒風景。

 それでも妹の中では、ぐるぐると、幸せと戸惑いがごちゃごちゃと混ざりながら押し迫る。

 

 『懐かしい』

 

 何もかもが、だ。

 美柑にとっては、こんな当たり前の事がずっと恋しくて、求めていて、待ち遠しい得難い宝物の様な時間なのだった。

 そんな『当たり前』の光景をヒシヒシと心に刻みながら美柑はリトの言質を取る。

 

「じゃあ、これからも私が一人でリトにご飯をつくるから。いいよね?」

「え、まぁ…そう、だな。うん、任せるよ」

 

 これでひとまず最初の目標達成(ミッションコンプリート)

 まだまだ時間はある。少しずつハードルを上げて、そして逃げられなくすればいいのだ。

 リトに強引に迫っても意味が無い事を彼女はよく()()()()()

 彼女が創るのは二人の楽園。

 彼女にとって、リトに襲われるのは全く問題ない。

 だが逆に、我慢できずに襲ってしまい、ギクシャクして距離を置かれては本末転倒だ。

 少しずつ、(リト)としての倫理観を壊せばいい。

 

(そうすれば、今度は私を美柑(おんなのこ)として見てくれるよね?)

 

 今日は休日。

 食べ終わったリトは何となく妹の予定を尋ねてみる。

 

「ごちそうさま。美味かった~…あ、今日は何するんだ美柑?」

「おそまつさま。うーん、じゃあリトと一緒に遊びたいかな」

 

 心の中で決意を固めた美柑は笑顔でリトを求める。

 先程は失敗しそうだったが、今度は大丈夫だと心に誓う。

 なぜなら彼女はもう目標を決めたのだから。

 

(リトの為なら。リトが望むなら。私は何だって出来るし、どんな願いだって叶えてあげるよ? 絶対に私が幸せにしてあげるんだから)

 

 それまでは兄妹として。こんな風に過ごしても良いかも知れないと美柑は心が温まっていくのを感じた。

 彼女にとってこの決断は前途多難な道ではあるが、諦めたりはしないだろう。

 既に、彼女の心は再び目の前の男性に虜にされてしまったのだから。

 

「へ? 別にいいけど。じゃあ何して遊ぼうか?」

「えーと、そうだな~…」

「あれ? ところで今、俺の事リトって……」

 

(またやっちゃったーーー!!!??)



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『水に溶ける』

   ◆

 

 季節は夏。

 肌を焦がす様に焼きつく陽の光に、陽炎がゆらゆらと辺りの光景を動かす。

 そんな人間の体には苦痛とも取れる炎天下の中で一組の兄妹はとある目的地へと赴いていた。

 

「…あっついなぁー。美柑、だいじょうぶかー?」

「な、なんとかー。ここまで暑いとは思わなかったかも…」

 

 あれから幾日かの時間が流れたが、未だに美柑は、自身が置かれている環境の謎が解明出来ていない。

 しかし、ある程度の時間が経ってしまえばそのような事は些細な問題である。

 今となっては美柑も流れるままに環境を受け入れ、唯一人の兄との時間に酔うまま季節が流れてしまった。

 

 時が経ち、残ったのは…ようやく自分の気持ちを理解し、焦がれる兄との二度目の思い出にすっかりと溶けてしまった妹の姿だった。

 以前の様に、このままこの時間が永く、永く続くと信じて疑わずに、適切と呼べる兄妹の距離を保っていた記憶の中の存在は無い。

 まるで年の離れた恋人であるように甘え、(じゃ)れつく美柑に、リトはたじろぎながらもその状況を受け入れつつあった。

 ある日を境に…と言える程にはっきりとした瞬間があったかといえばリトも悩むだろう。

 突然、どことなく大人びた雰囲気を出すようになった実の妹。

 料理も家事も、その小さな体で今では殆ど一人でこなせる様になっていた。

 恩を返すと呼ぶには余所余所しいが、兄として美柑に出来る事は無いかと行動を起こしたりもした。

 だが、結果は決して芳しくなく、逆に彼女の迷惑になってしまう事もある始末。

 その時には年不相応に大らかな、母性すら感じさせる美柑にリトも不信感を抱いた事もあるが、抱くだけで解答へは決して辿り着く事はなかった。

 そんなリトに対して美柑は普段から彼に甘えるようになっていく。

 こちらを相応と呼べるかは甚だ疑問は残るものの、まだ小学校高学年にも上がっていない年齢を考えればそれは不自然ではないのかもしれない。

 中学生にもなればある程度の環境の把握や、気持ちの汲み取り方等は感じ取れるようになるものである。

 リトは妹が精一杯背伸びをしながらも、甘えられる相手がいなくて寂しがっているものだと判断した。

 親と接する機会が普通より少ない環境にある二人には世間での兄妹の適切な距離関係は良くわかっていない結果なのかも知れない。

 

 

 『そして妹からのスキンシップは日々進化していく』

 

 

 最初の頃はそれこそ服の裾を意味も無く引っ張る程度の範囲から、今では後から抱きつく等は日常茶飯事。

 胡坐(あぐら)をかいて寛ぐリトの膝を枕にしたり、自分専用の椅子にしたり。

 昼寝をしようものなら、目を覚ますと高確率でその隣を美柑は陣取っていた。

 そんな気負いのない距離の環境が続けば……必然的にリトの方もその常識を徐々に変えていってしまう。

 このくらいは普通なのかも知れないと。

 反対に美柑が寛いでいる時。

 美柑からの誘いはあるものの、以前までは笑ってゴマかすくらいの対応をしていたはずのリトが、美柑のお腹を枕にしたり、膝枕をしてもらう事に抵抗をしなくなる。

 ここ最近では、リトが外出から帰ってくると美柑は「おかえり」と言いながら軽くハグをするようになった。

 多少、過度とも言える接触すら数日も続けば『普通』と受け入れていってしまうだろう。

 その行為を責める人間は今『この世界』には誰も存在しないのだから。

 

   ◆

 

 リトとの関係をやり直そうと決めたあの日から数日が経った。

 少しずつだけど、昔と違う何かを歩いていけてる…ような気はする。

 だけど、そんな風に思っていると。ふと、不安になる。

 

「いろいろ変えてしまったら…もし、全然知らない世界になっちゃったらどうしよう」

 

 別にそれが目的なのだからいいと、そう思えたら楽だった。

 でも、そこまで楽観視は出来ない。

 結果を得るまでの工程は、出来る限り把握できていた方がどちらかと言えば有利なのだから。

 ほんの少しでも先は見通す事が出来れば対策の取り様がある。

 万が一。億が一にでも、リトが怪我や事故なんて目にあっては困る。

 突然、職を失った親が帰って来るかもしれない。

 …そこまでマイナス方面に大きく変わる事は()()()()はないはずだ。が、でも細かな変化は困る。

 何かの間違いでララさんが早く地球に来てしまったりするかもしれない。

 そうなったらもう取り返しはつかない。

 だから少しでもあの時に近づける努力はしていこうと決意した。

 当面の目標を決めた私は、その為に今日…思い出を繰り返す。

 

――――――

 

 目的地であるプールに辿り着いた私とリトは思った以上の盛況さに一歩後ずさった。

 

「やっぱ、考えてる事ってみんな一緒だねー」

「だなー…どうする? せっかくだしちょっとは泳いでいくか?」

 

 昔、誰かに話したような記憶のある光景。

 あの時はたしか…うん、モモさん達が来て、自分の居場所がなくなっちゃうんじゃないかって悩んでた時だった、かな?

 今になっても覚えている。

 リトが私を心配して汗だくになって見つけてくれたんだっけ。

 

「うん、せっかくだし泳ごーよ」

 

 私の言葉にリトは二つ返事で了解してくれる。

 そのまま更衣室へ向かい、持ってきていた水着袋から水着を取り出した。

 昔使っていた…いや、今は『今も』使っている学校指定のスクール水着。

 …別に、他の人に見られるのはなんて事は無い。

 だから出来ればリトには少しくらい私に意識して貰えるくらいの姿で泳いでも良かったかもしれない。

 でも今日の目的はあの日の再現。

 見たままの年齢だったあの時の私は、何も考えずにこの水着を着ていたはず。

 というより、これ以外に水着を持ってなかったと思う。 

 まぁ、このくらいは大丈夫のはずだ。

 一先ず、首から下を隠す、体を覆うタイプのタオルを身につけて衣服を脱ぎ出す。

 これが家の中ならいっそリトの前でも……まだ早いかな?

 

「よし…っと。うん」

 

 ピチッとお尻に張り付く水着に指を入れて引っ張る。

 小学校の水着なんて何年ぶりだろうか。と、思いつつも何となく染み付いている仕草で身だしなみを整えて、そのまま服を片付けると同時に走り出した。

 リトが待ってると思うとそれだけで心が弾む。

 私はそのままスキップでもしそうな勢いで、再び照りつける陽射しの下へ飛び出した。

 

――――――

 

「ふい~、やっぱ水に入るとだいぶマシになるな~」

「ちょっとリト? おフロじゃないんだから。何かオジサンみたいだよ」

 

 そこそこ込んだプールでも、意外と人気の少ない空間は探せばあったりする。

 私たちはそこでようやく、この気温の中で上がった体温を冷やす事が出来たのだった。

 私の発言に少しショックを受けるリトが可笑しい。

 本当に、どうしてこんなマヌケっぽい顔をする人を好きになっちゃったんだろう。

 でも、それでも確かに目の前にいるこの人の事が。お兄ちゃんが大好きなんだって解ってしまう自分の事も可笑しいと思ってしまう。

 だから今日はもう打算も計画も何もかも忘れて、一緒に思い出を作りたいって思うくらいは許して欲しい。

 

「美柑? 大丈夫か? まだちょっと顔が赤いけど…気分悪くなったらすぐに言うんだぞ」

「…わかってるって。大丈夫だよ、バーカ♪」

「へ? ッぶふ!?」

 

 フンッと軽く鼻を鳴らしながら、鈍感なリトにおもいっきり水を引っ掛けてそのままそっぽを向いてやった。

 今は子供だけど、ちょっと大人気ないかな? 

 ちゃぷ、ちゃぷと、水が動き回る人に合わせて小さな波を立てて跳ね上がる。

 流石に大きくスペースが取れないので泳ぐ事は出来ないけど、コレじゃあ本当におフロみたいだ。

 う~んおフロ、か。

 

「今日は一緒に……うん、アリかも」

 

 そんな独り言を呟きながらリトの方を見る。

 ボーっと空を見上げているリトは何も考えていないのかもしれない。

 ただ水で涼みながら雲を眺めているリト。

 せっかくプールに来たのにかまって貰えないのは少々不満だった。

 だからコレは別に大した意味は無い。

 自然に、自然に。

 距離を詰めてーー……えいっ!!

 

「ぶわっぷぅ!!? ゲッホ、げほっ! な、何だ!?」

「あっはは! もうっせっかく来たのに空ばっか見てるからだよっ」

 

 水の中に潜ってからリトの前でおもいっきり飛沫を上げながら飛び出してリトに飛びついた。

 あまり動いてなかったせいか、すっかり乾いていたリトの髪の毛が再び水分を吸って重くなる。

 

「やったな~美柑~…って、どうかしたか?」

「…え、ううん? 何でもないよ?」

 

 リトを見上げながらそう呟く。

 プールに浸かってからそこそこ時間が経っていた。

 今日はあんなに暑くてたまらなかったのに、今はほんの少しの熱がとても気持ちいい。

 しっかりと陽の光を浴びて水分の消えたその上半身は、冷えた私の体にとってはポカポカと温かくて丁度いい感じになっている。

 だからそのままもう少し抱きついてても良いよね? 良いはずだよ。

 そのまま、ぎゅーっとリトの腰に手を回して抱きつく。

 状況をいまいち理解できてないリトは何をすればいいのか解らない様子で、私の頭を撫でた。

 だから、とりあえずで行動するのがいちいち毒だったりするから苦労するっていうのにこの兄は…本当にバカ兄貴だ。

 …それは満点だよ。ホント、悔しいなぁ

 

 言葉に出来ない敗北感を感じながらリトの体温をしっかりと体全体で感じながら私は目を閉じた。

 

   ◆

 

 それから暫くの間、美柑とリトはプールの隅っこで潜ったり、くすぐり合ったりしながら遊ぶ。

 それなりに時間が経ったであろう時に、リトはぶるっと体を震わせてプールサイドへ這い上がった。

 

「悪い美柑。ちょっと体が冷えてきたからそろそろ上がるよ」

「えー、まぁ仕方ないか。大丈夫?」

「うん、まぁ。美柑はどうする? もう少し浸かってるか?」

 

 美柑は少し悩んだが、もう少しだけ涼む事を選んだ。

 直後「ひっくしゅん!」と、リトが盛大なくしゃみを漏らす。

 どうやら本当に少し冷えすぎた様子で腕をこすっている。

 

「ゴメン、ちょっと上着とってくるから」

 

 体を震わせながら更衣室の方へ小走りになってリトは向かっていく。

 一人になった美柑は軽く見送ると同時に水の中へ潜った。

 

(私、何やってんだろ)

 

 最近になって美柑はよく自問するようになった。

 どれだけ迷いを捨てようと、躊躇わないと誓っても、それが正しいのか未だに自信を持てないでいた。

 

 今、こうするのが正解なのか。

 もっと甘えてもいいのか。

 いっそ間違いだと解っててもそれをやってしまってもいいだろうか。

 

 昔の姿に戻って、この世界に溶け込んで早数ヶ月。

 答えは出ないし、正解を告げるものも無い。

 ここに来て唯一の救いであり、全ての元凶である自分の兄を独占出来ている事が彼女の心を惑わせる。

 このままでいいのか。

 それとも、何もしない方がいいのか。

 

(それは…もう嫌だ)

 

 結果を残せなかった妹は大事な兄を失った。

 諦めていた時に訪れたチャンス。

 嫌だから、仕方ない。きっと、仕方ない。だから、仕方ない。

 そう思う美柑は気付かない。

 最初はただリトの事を心配だからと。負担を減らす為にあの時の未来を否定したのに、今では自分の為にその未来を否定している事に。

 

 どんなに好意を自覚しても、どんなに心で理解しても。

 騒がしくもあったあの時の日々は本当に楽しくて、無かった事にはしたくなかった。

 ララがいて、ナナがいて、モモやセリーヌのいる結城家が、全て夢になるかもしれないのが。

 その事を本心では恐れている事に彼女は()()()()()()()

 だってそれは、本当の意味で茨の道だから。

 ソレを受け入れずに、新しい道を作るのが最善策だと理解している。

 しかし、彼女が今考えているのは。

 それを受け入れた上で真っ向勝負をかけるという事だった。

 妹の自分が勝つ見込みはどれくらいだろうかと自問する。

 これから先、例えララが訪れなかったとしても、春菜や唯に勝てるだろうか。

 これ以上、敵を増やして、二人の楽園を創る事が出来るのだろうか?

 

「っぷは! ハァ…そんなの、わかんないよ」

 

 水中から顔を出し、空気を一気に吸い込む美柑。

 吐き出すようなその言葉は、誰の耳にも届かなかった。

 

「……って、あれ? リトは?」

 

 何度か潜っては顔を出し、潜っては…と繰り返しているとリトがまだ戻ってきていない事に気付く。

 更衣室へ向かうぐらいならば、とっくに帰って来ていいはずの時間になっていた事に、美柑は不安を覚えた。

 何かあったのだろうか?

 まともな思考をこの時に取り戻せていたら、まだ慌てるには早い時間だと思い直したのかもしれない。

 待っていればそのうちリトはここへ戻ってくると言う事に気付けたかも知れない。

 しかし、軽い酸欠の様な状態である事と、最近の過剰とも言えるリトへの想いから、その判断を遅らせてしまった。

 

 その結果。

 

「あ、あれ? リト…何処…?」

 

 図らずも昔の記憶どおりの展開。

 違うのは迷子になった自分を自覚しているか否かと言うこと。

 そして、それは大きな違いであるといって過言無い。

 

「リト? リトー…? も、う…勝手にいなくなるなんて…」

 

 最初は意固地。今は強がり。

 水から上がって少しずつ体に熱が戻る。

 刺さるような陽射しは相変わらずで、徐々に息が上がっていく。

 

(……違う)

 

 息が上がっているのは、既に歩いてないからだった。

 此処に来て最初の記憶が蘇る。

 必要以上に恐怖した雷。

 震える体を抱きながらその時を思い出した。

 

「やっぱり…この体、精神的にも幼くなってる…?」

 

 この年になって、迷子になったくらいで震えるなんてありえなかった。

 しかし、現に体は言う事を聞かない。

 不安は動悸に変わり、その分だけ足を動かす。

 軽い寒気が治まらない。震えが止まらない。

 まるでリトが世界から消えてしまったような、そんな不安を拭えない。

 

「や、だ。…せっかく。せっかくッ…今度は、って」

 

 もう、なりふり構ってはいられない様子の美柑は走りながら本心を呟き続ける。

 心が不安からさらけ出される。

 

「もう…ヤ、ダぁ…リトどこ……どこ? リト…リトぉ」

 

 次第に足が震えて走れなくなる。

 汗が地面に落ちてそのまま熱気になって消えていく。

 

(…どこ? ねぇ何処に行ったの? リトは、どこ?)

 

 混乱し、ふらふらと歩き続ける彼女を見る目が増えてきた頃だった。

 突然肩を後から捕まれた美柑は、びくりと体が跳ね上げ、反射的に後を振り向く。

 

「っ…ハァ、やっと見、つけたぁ!! ど、どこにいたんだよ!?」

 

――――――

 

 その先の事を彼女は覚えていない。

 力の限りリトに抱きついて泣いたのかもしれないし、そのまま意識が戻るまでリトに引っ付いていたのかもしれない。

 気付いたら備え付けのシャワーで体を洗い流していた美柑。

 自分がどれ程泣いていたのかも今はわからない。

 真上から降り注ぐ水が綺麗に洗い流していく。

 

 帰る頃には日が傾いていて、あれだけ暑かった気温もすっかり落ち着いていた。

 

(今日は疲れた…)

 

 今日の失態から、美柑は自分で大切な思い出を汚しているようだと自己嫌悪に陥る。

 それでも。

 

「美柑そろそろ家に着くぞー」

「うん…」

 

 彼女がこっそりと準備していた予備のシャツに着替え直したリトにおんぶされながらの帰路。

 例え着替えていても、必死に走り回っていたリトからは汗の臭いしていた。

 妹を探す為に、かつての記憶の時の様に彼女を探していた証拠。

 その事が嬉しくて堪らないと、自分の体にそれが染み付くようなイメージをしてしまう。

 

「イヤじゃないんだよなぁ」

 

 彼女の思い出は新しく、前より情けなく、より深く刻まれる。

 大好きな背中に体を預け、力を抜いて一日を振り返って呟いた。

 

「今回は、及第点で達成…かな?」 



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『熱の中で』

   ◆

 

 最近、美柑の様子に違和感を感じる。

 結城リトはふと、ここ最近の日常を思い出すと同時にそう感想を抱いた。

 

 結城美柑。

 自分の妹。

 家事全般が得意で、見た目も頭もいい。

 運動も出来て、世話焼きな自慢の家族。

 

 そのあたりに関しては今も昔も変わらない。

 飾りの無い正直な話で言うならば。

 現在恋人といった特別な感情を抱く人間のいないリトにとっては、自分以外での世界の中心といっても過言無い存在である。

 自分自身以上に護らなければいけない大切な人間。

 家族以上に強固な信頼を寄せる可愛い妹…それがリトにとっての美柑への評価だった。

 その美柑の様子がおかしいと思ったならば、兄のリトが気がかりにするのは至極当然の事と言えよう。

 

「なんか、妙に大人っぽくなったり子供っぽくなったり…ちょっと変なんだよなぁ」

 

 ほとんど二人っきりで今までの人生を過ごしてきた兄には、妹の姿がそういう風に目に映っていた。

 事実、そんな彼の感想は的を射ている。

 真実は彼にとって想像が及ばないほどの事態であるが故に、そこへ至る事はおそらく永久に訪れる事は無い。

 まさか、自分の妹が突然大人っぽくなった理由が『中身は自分より年上の未来から来た妹だから』などという荒唐無稽な話を思いつく人間は稀有であろう。

 更に言えば、例えどんなに違和感を持っても、中身は『本人』自身である。

 美柑自身、リトと共にもう一度人生を歩み直す気でいるが故に、起こり得る事態は最小のズレでしかない。

 誰にも決して悟られない歴史の再構成。

 本人達の意識していない、深層的な部分での僅かな変化。

 だが、些細なズレであってもその影響は遠くを見据えれば大きな食い違いを起こす。

 一本の直線は、この数日の間に確かに折れ曲がった。

 それは本来辿る未来への道を大きく外すには十分過ぎるほどのもので…。

 最早、到達点は未来から来た美柑でさえも解る事は無い。

 

 この世界は既に『結城リトがハーレムを創る世界』とは大きく異なる世界へと変貌しつつあった。

 

   ◆

 

「リトっ! そ、その…今日はい、一緒にっ、いっしょにおフロに、入らない…?」

「へ? え~と…別に俺は、かまわないけど?」

 

 プールから帰宅してきた私は、決意していた本日最後の難関へリトを誘った。

 このくらいの年齢の時はわりと普通に一緒にリトとお風呂に入ってた記憶がある。

 だから、極々自然に。フツーに、誘っても断られるなんて事は無いと確信していた。

 でも、体はともかく、『中身の私』はそこまで割り切る事なんて出来はしないらしい。

 

(わー!? わー!!? めちゃくちゃどもってんじゃん私!! リトが凄い不審そうに見てるし…は、恥ずかしい…!!)

 

 純粋だったあの頃の自分は何処へやら。

 全く気にせず、体の隅々までリトに晒しても恥ずかしいなんて微塵も思わなかったあの頃の私をこの時ばかりは羨ましく思った。

 すっかり不純になってしまった私は否が応でも無粋な事を想像してしまう。

 勿論、私だってそのつもりは……多分ない。

 流石に兄妹でその行為への到達はあまりにも不都合が多すぎる。

 いくら私でも、それくらいの倫理観は持っているつもりだ。

 何より、リトはともかく今の私はそれを受け入れられる肉体ではない…と思う。

 経験だって無いし、いざとなってよく解らないまま、万が一に誰かにバレでもしたらリトと離れ離れになるかもしれない。

 それが出来るようになるまではとにかくまだ早い…じゃなくて、早い遅い以前の問題だっけ?

 だからもしもリトからその気になって…ってそんな事ありえないけど。

 万が一、本当の本当にどーーーしても、リトが我慢できなくなったら私だって考えなくは無いけど、だからといって兄妹でそんな事になるワケないし、だから全然心配する理由なんてまったくコレっぽちもないからいいんだけどね。

 ……あれ、いいのかな?

 

 

 いったん落ち着こう。

 そう、とにかく。私はそんな気は()()()は無いわけで。

 だから今日はフツーの兄妹として一緒におフロに入るわけで。

 そんな訳だから何もない、全然ない。

 緊張する理由なってないし、無駄に恥ずかしがる必要も無い。

 ふぅー、私は妹、私は妹、私は妹……。

 

「美柑ー? 食器洗っとくから、先に入ってていいぞー」

「わひゃ!? い、いいよ!? 私が洗うからリトがお先にどうぞ!!」

 

 びっくりした!

 いやいやそれよりも、まだ心の準備が出来てないんだから先は困る。

 そうでないといろいろ困る。

 

「そ、そうか? じゃあ、先に失礼するけど」

「ちゃっちゃとやっちゃうからっ、待っててね!!」

 

 思えば。

 先に入っちゃえば、心の準備なんて要らなかったんでは?

 冷静になって、そう結論した頃には食器は全てピカピカになっていた。

 

――――――

 

 ぱしゃぱしゃと弾く水音が聞こえてくる。

 洗濯かごの中には既にリトの服が納まっていて、当然ながら今おフロに入っているのはリトである事を現していた。

 深呼吸を繰り返す。

 ふーっ、フーッ、フーッ………あれ、深呼吸ってこうじゃないような。

 無駄に息が荒くなるのをなんとか堪えながら私は着ている衣服に手をかけた。

 

「………」

 

 いや、脱がないと。

 解っているのになかなかその手は動かない。

 今日まで。

 戻ってきた日から散々、昔の体の方の精神状態に悩まされてきたけど、ここに来て、もともとの思考に悩まされるなんて思わなかった。

 モモさんを妨害する為に中学校ぐらいまでリトと一緒におフロに入ってたけど、流石にこの年になったら恥ずかしい。

 洗面台を見ると、設置している鏡の向こうには耳まで顔を赤くしている自分が立っている。

 心臓はさっきから飛び出しそうなくらいバクバクと音を鳴らし続けている。

 

「ど、どうしよう…ななななんでこんなに…!?」

 

 この扉を開ければそこにはリトが居る。

 おフロなんだから何も身につけていない裸のはずだ。

 そこに同じく裸の私が入っていくのを想像してしまう。

 無邪気だった頃は一緒にはしゃいで遊んだり出来ただろうけどそんな余裕は無い。

 借りてきた猫のようになった私をリトはきっと心配そうに見つめてきて……私は裸で、リトも裸で、触れそうなくらい顔も体も近くて……。

 

「うあぁぁぁ………」

 

 何これヤバ過ぎる。

 恥ずかしいとか、微妙に嬉しいとか以上に、耐えられそうにない。

 

 思わずその場でしゃがみ込んでしまう程の恥ずかしさに挫けそうになる。

 だけど、これは避けては通れない道だ。

 ここを乗り越えられないで、優勢になるなんて事はありえない。

 だから平常心をどうにか取り戻さないといけな…

 

「おーい、美柑いるのかー?」

「い、います! 今から入ります!?」

「大丈夫か…?」

 

 言った。言ってしまった。もう退けない。退く気はないけど。

 止まっていた手が再び動き出す。

 夏なので薄着だった私の装備は、ものの数秒で脱げ切ってしまう。

 まだブラジャーは着ける必要の無いこの体だけに余計に早い。

 いや、そうだ。今の私はそのくらい幼い。

 何も恐れず、幼かった気持ちを呼び戻そう。それしかない。

 

「は、入るよー」

 

 深呼吸…は、いらない。

 そんな事してなかった。今の私は結城美柑小学3年生。

 勢いよく入って、後はその場も勢いで何とかしよう。

 少しずつ慣れていけばいいんだ。急ぐ必要は無い。

 私は力任せに扉を開けて、大きく一歩を踏み出した。

 

「お待たせリトーッひぇ!?」

 

 勢いに任せた突入は成功したが、そこが風呂場だという事を失念していた。

 簡単に言えば、おもいっきり一歩目を踏み外してしまった。

 そのまま床に衝突する痛みを想像する余裕も無いまま、アレだけ高鳴っていた鼓動が一瞬止まったような錯覚に陥る。

 ギュッと目を瞑った私に訪れたのは刺さる様な痛みでも、打ち身の鈍い痛みでもなく…安心する熱を持った硬くもあり、柔らかくもある何かに抱きしめられる感覚だった。

 

「お、おい美柑平気か!?」

(あ、これまずいやつだ)

 

 状況を瞬時に悟った私は諦めにも似た感覚で力なく目を開けた。

 案の定、そこには私の救い主であるリトがいた。

 肩を力強く支えられ、お互いの胸もお腹もぴったりとくっつき合っている。

 何度もやってきたハグよりも情熱的過ぎる姿と力に、再び心臓は破裂する。

 声も無くポロポロと涙が流れていく。

 

「ええ!? どっか打ったのか!? ど、どこも打ってないと思ったけど…」

 

 もういやだ。今日の私は最悪かもしれない。

 

――――――

 

 あまりの恥ずかしさに号泣してから暫く。

 未だにスンスンと鼻を鳴らしながら座る私の後で、遠慮の無い手つきで髪を洗ってくれるリトの姿があった。

 泣いてしまったからなのか、これが素なのか。

 非常に優しい手つきで、リトはシャンプーで泡だらけになった私の頭をちょうど良い力でわしゃわしゃと洗ってくれた。

 手の動きに合わせて頭が揺れる。

 次第に心まで落ち着いていき、あれだけの事があったのに意外とすんなり現状に順応しつつあった。

 

「落ち着いたかー? 痛いなら痛いって教えろよー?」

「うん、大丈夫、痛くない」

 

 ゆらゆらと頭が揺れる。

 明らかに挙動不審すぎる私の行動もリトは優しくフォローしてくれる。

 いきなり泣き出す妹なんて…危ない失態だったけど、どうにかなりそうである。

 本当に気をつけなければならない。

 

(今日は良く寝れそう…)

 

 プールで走り回って肉体的にも疲れ、今ので精神的にもダウンしそうだった。

 そんな事を思っていた私の頭にお湯が降り注ぐ。

 このままさっきの失態も流れてしまえばいいのに…なーんて。

 

 その後はお返しにリトの背中を流してあげた。

 中学生といっても、男性的には既に同級生なんかとは比べ物にならないくらい出来上がっているしっかりとした背中を見ていると熱が上がる。

 ここからこのリトが更に逞しい背中をしていくのを想像するだけで、鼓動が早くなる。

 邪念を払うように、精一杯強めに擦っているのに「まだ強くていい」と言うリトに、男の子なんだなという感想が零れた。

 リトの癖になー。ずるいよ。

 ふつふつと悪戯心が芽生えてきたので少しだけイジワルしてやろうか。

 私は泡の付いていないうなじや首筋を目掛けてカプリ。と、甘嚙みする。

 

「ふおわ!!?」

「へいいっはい、ふぁってるっての…ん、女のコなんだから察してよね」

 

 あむあむ嚙みながら喋ると情けない声がでたので途中で止め、唇を離す。

 ふと、口元に残るのは昼間と浴室の熱気で出したリトの味。

 

(今日はしょっぱい)

 

 まぁ、当然か。

 

   ◆

 

 これが普通の兄妹って感じなのかな。

 浴槽に浸かりながら美柑は思う。

 記憶にあるのはいつの頃のか思い出せない。

 でも、確かにあの時は楽しかったのを覚えている。

 そうだ、何を恥ずかしがっていたんだろう。

 

(今が、幸せなんだ。なら、それでいいんじゃない?)

 

 お湯で顔を洗いながら美柑はそう結論付ける。

 あれだけ悩んでいた事がこんなに簡単な事なんだと理解した瞬間、思わず笑ってしまいそうになった。

 最後にリトとおフロに入ったのは何時だったかを思い出しながら、リトに近づいて抱きついた。

 この頃はまだ浴槽に余裕があった事を感じる距離。

 リトの足に座り、なんだか窮屈だなと思う事もあった。

 でも、あれだけ肌と肌が密着する時間は他に無かっただろう。

 当然といえば当然。

 しかし、美柑は今になって気付く。

 あの窮屈な時間が、一番リトに近づける時間だった事を。それがとても安心できた事に。

 

 突然抱きつかれたリトは今日何度目になるかわからない程に狼狽する。

 美柑からすれば、もう一度あの時の安心を取り戻す為に抱きついただけなのだが、リトからすればまさか風呂でも抱きついてくるなんて思ってもいなかった事だった。

 いくら妹で、幼いといっても。裸で密着するほどに抱きつかれては流石に落ち着く事はできない。

 しかし、突然泣いたり、憂う様な表情をする妹を無碍に突き放す事は出来ないのは兄の宿命か…リトはとりあえず片手で背中を抱きながら美柑の後頭をポンポンと撫でる事にした。

 リトはこれが反抗期…ではないが、よくわからない成長の時期なのかもしれないと思い始めた。

 考えれば、殆ど二人だけで生活していたようなものだ。

 親が恋しかったり、何かに不安になったり、意味無く寂しいと思うのは普通なのかもしれない。

 加えて男と女の違いなんて解る訳も無い。

 だから、これからが自分にとっても、美柑にとってもお互いを大事に。支えあう為に必要な時期なんではないだろうかと。

 

「大丈夫だから。兄ちゃんはずっと一緒にいるから」

 

 ならば今は一緒にいるべきだ。

 今日は望むならずっと一緒にいてやろう。

 

 リトにとって美柑は家族で、妹で、護るべき対象。

 様々な不安は残るが、兄として、男として、この腕に収まる女のコをずっと大切にしよう。

 

 徐々に、けれど確実に。

 リトにとっての美柑は妹以上の存在に変わりつつあるのを本人は知らない。

 勿論、思惑通りに進んでいても美柑はそれを知る事は出来ない。

 

 少なくとも、浴槽の中で愛しげにリトに抱きつきながら目を瞑る美柑と、慈しむ様にそれを受け入れるリトの姿は誰がどう見ても兄と妹の姿ではないだろう。

 そのまま安心しきって眠ってしまった美柑に気付き、慌てて抱き上げて浴室を出るまで、この光景は続いた。

 

(あれ、お姫様抱っこだ…ちょっと役得かも)

 

 と、おぼろげな意識の中。

 美柑は運ばれている中でなんだかんだ今日は良い一日だったかもしれないと訂正するのだった。



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『明確な一線』

 もう一度、時間の流れが早いと感じるようになったのはつい最近だと思う。

 記憶に残るかつての小学生時代は毎日があっという間に過ぎていった。

 ララさん達にビックリさせられ続ける非常識な日常は何だかんだいって、案外…楽しかったと思う。

 だから、その分だけリトがハーレムを創ってからは毎日が長くてたまらなく感じた。

 キリキリ、と。

 締め付けられるように苦しくて、息の詰まるような日々は今にしてみれば、楽しくも無い…何も無い時間だった。

 

 そんな日々から理由も無く、ワケも解らないまま解放されてから早1年。

 進級して私は4年生になった。

 それは同時に、予定通りならばタイムリミットまであと1年という事を示す。

 いろいろと不安な事もあったし、ボロが出ちゃいそうな時もあったけど、結構上手くいってる気がする。

 毎日リトにべたべた触っても不審がられることは無くなったし、一緒におフロに入る回数も増えた。

 ここ最近を振り返ると、別々の部屋で寝ることの方が少なくなった気がする。

 正直、大好きな人と一緒に過ごす日々がこんなにあっという間に過ぎていくなんて思いもしなかった。

 でも、不思議と全然辛くない。

 明日も、明後日も、また同じ日が訪れると思うと全然苦痛に感じない。

 こんな毎日をあの時のララさんや春菜さんやヤミさんは感じていたのかな?

 ううん、もしかしたら今の私の方がずっとずっと幸せかもしれない。

 

「だって、今は私しかいない」

 

 今は私だけがリトを独占できているんだから、きっと誰よりも今、私が一番なんじゃないかな?

 …それって何だか凄い幸せだ。

 兄と妹である以上、恋人同士なんて括りにはならないかもだけど、毎日がドキドキでいっぱいになる。

 こんな毎日を、昔の私は何故放棄していたんだろう。

 あると思っていた日常の輝きは失って初めて気付く…なんて、最近じゃいろんな物語や話に出てくる言葉だけど、本当にそのとおりだった。

 それに気付いたなら。それの大切さを知ったなら。

 もう、失うなんて事は考えられない。

 

「もう後悔したくない。リトの人生を縛る事になったとしても、今だけは」

 

 私の好きにしてもいいよね。あんなに我慢してきたんだから。

 

   ◆

 

(そろそろ…してもいいかな?)

 

 美柑は、授業中にそんな事を考えていた。

 教室の窓から外の風景をぼんやりと眺めている美柑は奇妙な色気がある。

 色を覚え始める時期となった男子生徒達にはその光景をチラチラと横目で見る者も少なくは無かった。

 ただでさえ、この1年で艶っぽくなったと男子の間では評判の美柑。

 もとから容姿端麗で運動も勉強も出来る高嶺の花として、当時の美柑は噂されていた。

 が、中身が既に女性として成長しきっている現在。

 未だ幼いと呼べる年齢の彼女だが、もう当時よりも多くの男子を虜にしている事に本人は気付いていない。

 進級してからは、毎日のように告白やラブレターを受け取る事が続いた。

 とはいえ、美柑が首を縦に振る事は今も昔も変わらずに、ない。

 

 以前はなんとなく。

 ぼんやりと、そんな光景が浮かばないから断ってきた。

 心に決めた人間がいるわけでもないのに、と。その時の美柑はそう思っていた。

 しかし今では、好きな人がいる事に気づいてしまった。

 それが決して結ばれない、報われない恋だったとしても…彼女は諦めない。

 何年も、何年も。

 決して手放さずに、熱く熱く閉じ込めてきた想いだったから。

 

(もうたっぷり楽しんだし、そろそろ段階を上げていかないと…ララさんが来るまで時間が無いしなぁ)

 

 ふぅ、と溜息がこぼれる。

 周囲の生徒は男女問わずに心臓が高鳴るのを感じた。

 今、彼女は何を思ったのだろうという興味が尽きない。

 当の本人はそんな事も全く歯牙にかけずに思考の海へ頭を預けていた。

 

 今日は、今日こそは。と美柑は考える。

 議題は勿論、リトとの事だった。

 最近は…いやもっと前から常々考えていた事を実行に移すかどうかを考え続けている。

 しかし、なかなかそれを実行に移す事が出来ないでいた。

 今までの行動は多少やりすぎと思えても、兄妹のスキンシップの延長と取れなくも無い事を選んできた。

 手を握るのも、腕を組むのも。

 抱きつくのも、膝枕をするのも。

 一緒に入浴するのも、同じベッドで寝るのも。

 スキンシップと思えばこそと、美柑は思い切って行動にする事ができたのだ。

 

 が、今度の計画は違う。

 物事には超えてはいけない一線と言うのが存在するが、これはグレーだと理解していた。

 

 リトと、キスがしたい。

 

 する。ではなく、したい。

 それが彼女の中では計画と本音が混ざっている事に本人はきっと理解できていない。

 彼女には、そんな経験が全くなかったのだから。

 

   ◆

 

 どうしよう。どうしよう。

 最近、同じ事しか考えていない気がする。

 リトとご飯を食べる時も、リトの唇を見てしまう。

 一緒におフロに入っていても、熱気でいつもと違う様に見えるソレを思わず凝視してしまう。

 夜寝るときも、何度もこっそり奪ってしまいそうになった。

 そのせいでリトに変な目で見られてしまい、妙にギクシャクした日が続いた時もあった。

 そろそろどうにかしないといけない。

 その一線を踏むか、諦めるか。

 でも、もし今以上にギクシャクしてしまったら? それからもう…元に戻れなかったら?

 それだけは嫌だ。

 そんな地獄、考えたくも無い。

 なら、いっそしない方が平和なのかもしれない。

 そう、しなければ…今のようにリトとちょっと仲の良すぎるくらいの兄と妹の関係でいられるかもしれない。

 そう思うとそれもアリかもしれないと思った。

 

 いつまで?

 

 ゾワっと寒気がする。

 そう、これが無ければ、諦める事が出来るのに。

 毎日毎日、同じ事を繰り返している気がする。

 なのに、答えは全く出てこない。

 もし、ララさんが来たら…全てが始まってしまう。

 そうならないようにしなければならないと解っているのに…こんなのどうやって選べばいいんだろう?

 

 リトを独占していきたいという気持ちと、ララさん達をなかった事にしたくない気持ち。

 

 リトは離したくない。やっとその事に気付けた。

 もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。ララさん達に渡したくなんて無い。

 …でも、ララさん達はもう、家族だ。

 できる事なら、もう一度仲良くやっていけたらって思う時がある。

 

「優柔不断だ、私。リトのこと…言えないよ」

 

 どっちかを選ぶなら、私はリトを選ぶ。

 こんな事なら、せめてララさんが来てからの頃に戻りたかった。

 それならこんなに悩む事はなかったのに。

 おもいっきりリトに甘えながら、変な顔されるかも知れないけど…それでも皆と一緒に過ごせたかもしれない。

 でも、もう今は選べない。リトしか、選べない。

 正直、限界だったのかもしれない。

 皆とキスしているリトを何度か見ちゃった時、何度も私もしたいって思った。

 

 ララさんはとても幸せそうに短いキスを何度もしていた。

 餌を欲しがる小鳥みたいに何度もやって、満足したときの笑顔は素敵だった。

 春菜さんは長いキスを一回だけやっていた。

 息を止めて、終わりまでずっとキスして。顔を真っ赤にして俯く姿はリトじゃなくても好きになると思う。

 古手川さんは結構大胆なキスをしてた。

 舌…とかはよくわからないけど、見ててこっちが熱くなるようなキス。正直、羨ましかった。

 あとは、ヤミさん。

 最初はほっぺにしかしてなかったのに、最後の方はちゃんと口にしていた。

 その後に、上気した顔で二度目のキスをしそうになったあたりで私は逃げた。

 親友と、大好きな人のキスが一番辛かった気がする。

 私はもう一度ヤミさんと親友になれるのかな?

 

 私もリトと………うわぁ、うわぁ!

 出来たらいい。というか、したい。

 出来たらどんなに幸せだろう。きっと物凄い幸せになって、喜んじゃうだろうなぁ。

 きっと、この為に戻ってきたんだって思って、そのまま幸せで死んじゃいそうなくらいやってみたい。

 この一線を超えたら…もう引き返せないかも。

 全部振り切って、リトの為だけに生きて、リトだけの女になる。

 なかなかの甘美な響きに思わず悶えそうになる。

 

「ゆ、結城さん? 具合が悪いなら保健室に行っても良いんですよ?」

「ハッ…え? あ、大丈夫です!」

 

 気付けば教室中の視線が私に向かっていた。

 失敗した…すっごい恥ずかしい。

 とにかく、早く決断しないと…いろいろ危うくなりそうだ。

 

「とにかく今は授業、授業…」

 

 今更、小学生の授業なんて振り返る必要も無いけど。

 でも今だけは何か別のものに集中でもしないと多分、また失敗してしまいそうな気がした。

 

――――――

 

 結局、ボロを出さないように集中したら、結論なんて出るわけなかった。

 気付けば放課後。

 部活に向かうクラスメイトに、そのまま帰宅するクラスメイト。

 ちらほらと何人かが教室を出た後に私も帰ろうと教室を出た。

 げんなりしそうな気分のまま帰路に付こうとした時、後から声をかけられる。

 

「ゆ、結城さん! あのっ…手紙読んでいただけましたかッ!?」

 

 相手は見覚えの無い男子だったけど、その発言からいつもの光景だと判断した。

 手紙…あ、なんか靴箱に入ってたやつか。

 たしか、全部ランドセルに押し込んだような気がするけど、リトのことばっかり考えてたからあんまり覚えてない。

 もしかしたら今、背中で教科書の下敷きになってぐしゃぐしゃになってるかも。

 でも、毎日こんな感じだと罪悪感とか無くなってくるんだよね。

 正直、うざったいと思う。

 前に同じことをした生徒なら尚の事だ。

 今日は違うみたいだけど、一度断ったのに何度も来られても迷惑だよ。

 昔の私ってよく耐えてたなぁ…ほんと。

 

「あ、あの…?」

「え、あぁ…え~と、ごめんなさい。私、好きな人いるから」

 

 このときの私はよほど疲れていたんだと思う。

 思わず出てきた本音の返事をぽろっと言ってしまった。

 というか、今まで何で言わなかったのか不思議なくらい、こうもあっさりと言ってしまった事が自分でも意外だと思う。

 ただ、ごめんなさいって断るだけでみんな去っていった。

 中には食い下がる男子もいたけど、それだって断ってきた。

 だって好きな人が『自分の兄』だと世間に公表するようで言う気になれないんだもん。

 別にダメって訳でもないけど、何だか言いふらす気にもならなかったから。

 だから、目の前の男子はすっごい驚いている。

 

「え、ええええええええ!!??」

「わっ!?」

 

 思わず耳を塞ぎそうなくらい大きな声に一歩後ずさってからこの時の私は失言に気付く。

 ちらりと名も知らない男子生徒を見ると、彼は生気が抜けたような顔でその場に立ったまま動かなくなった。

 なんか悪い事しちゃったかも。

 …でも、今はそんな事より帰って落ち着きたい。

 私は男子に謝ると、何か起こる前にその場を後にすることにした。

 

 この告白の一件から私に好きな人がいるという噂が流れ出し、次の日から更に面倒な日々が続く事になるなんて思わなかったけど。

 

――――――

 

 私が帰宅した時、リトは既に家にいた。

 机に向かって唸りながら教科書に目を通しているけど、いまいち理解できない問題に詰まっているみたい。

 リトも中学三年生。受験生として勉強に熱心になる時期だもんね。

 仕方ない、なんかおやつでも持っていってやるかな。

 落ち着く時間が無いならと、気分転換に好感度アップしてやろう。

 

「どんどん打算的に行動するのが抵抗無くなってくのも何か嫌だなぁ」

 

 因みに一度だけ思い切ってリトの勉強を妨害するくらい、べたべたに甘えてやる事を考えた事がある。

 もしリトが彩南高校に通えなかったら春菜さんや古手川さんと会う機会が減る。

 そんな黒い考えが過ぎったけど、流石にそこまでやるのは可哀想だし、リトが必要以上におバカな頭になっても何だか嬉しくない。

 一瞬。そう、一瞬だけ考えた案は却下した。

 今の時期だと春菜さんっていう不安要素はあるけど…これはどうにかするしかない。

 とにかく、リトを私に首ったけに出来れば、いいんだけど。

 

「とりあえずは、受験勉強する兄を『献身的に世話する妹』でないとね」

 

 リトの世話は全然苦にならない。

 いっそ、一から十まで全部世話しても……流石にどうだろ?

 悩んでる時点でノーではないのが自分でも少し怖くなったので考えるのをやめる事にした。

 さて、準備を終わらせてリトの部屋に立つ。

 中では頭を抱えながら苦しむリトがいるだろう。

 別の意味で私も頭を抱えながら苦しんだ。

 でも、決めた。

 今日はいけると信じて、グダグダと悩む日々に終止符を打つ為の一歩を踏み出す。

 

「今日、私は一線を超えてみせる!」

 

 そう言ってから、何だかいかがわしくも聞こえる台詞に「キスだから、キスだから」と念押しするように訂正した。

 私は今日も、しまらない。



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『明確な一線②』

「そういえば最近、学校ではどんな感じなんだ?」

「…え? あぁ、うん。まぁ、フツーかな?」

 

 カリカリとペンシルの芯が走っていく音が部屋に響く。

 今、ここにいる私達が殆ど喋らないせいもあって、その音はとても大きく感じられた。

 沈黙に耐えられなくなったなら、と。

 先程持ってきたジュースで喉を潤すのはこれで何度目になるだろう?

 ストローから口の中へと伝わる冷たい感覚は徐々に失われていく。

 

 かれこれ、リトの部屋で勉強風景を眺め出してから既に30分程の時間が過ぎてしまった。

 

 部屋に入る前のやる気と意気込みに満ちていた私の姿はどこにも無く、ただただリトの唇を凝視しながらジュースを飲むだけとなった私がここにいる。

 情けない。

 いや、本当にこれは情けなさ過ぎる。

 でも解っていても踏み切る勇気はなかなか表に顔を出せないでいた。

 

「え~と、退屈じゃないか? 別に無理している必要は無いんだぞ?」

「ずずっ…んむ? ん。別に、そんなことないけど」

 

 何度目かになるリトとの会話は全く私の耳には響いては来なかった。

 今はそれどころではない。

 今は如何に自然に、かつ、何気なくキスを出来ないか模索するのに思考が完全に傾いている。

 勉強に頭を悩ませながらチラチラと私の様子を伺っているリトと、状況を打開すべく頭を抱え込む私。

 幾度と無く視線を交差させながら、引き際を無くしたにらめっこに頭が痛くなってきた。

 

   ◆

 

 もしも。

 世間から逸脱した兄妹とは何かと訊ねれば、結城美柑はキスをする仲だと答える。

 世の中はそのような線引きに非常に厳しい事を彼女は理解していた。

 ではその一線とは何か。

 手を繋ぐ。風呂での裸の付き合い。同じベッドで寝る。

 多少は首をひねる様な触れ合いもあるが、年齢と言う点に目を瞑れば。まだ、兄妹としての領域を侵すに足る材料ではないと言える。

 しかし、頻繁に口付けを交し合う兄と妹となれば流石に年がどうという事よりも発展した問題と取る人間も少なくは無いだろう。

 少なくとも、美柑の中での基準はそうなっていた。

 故に、美柑はこの時焦っていたのかも知れない。

 

 彼女にとっての本当のスタートとは『(リト)とのキス』から始まるのだから。

 

――――――

 

 さて、現在の状況を整理しよう。

 受験に向けて軽く勉強をしていたリトの為に、飲み物を持ち込んで彼の部屋へと侵入する事に成功した美柑。

 しかし、その裏ではリトと何とかしてキスがしたいという溢れんばかりの欲望と邪念に塗れた意図がある。

 が、行き当たりばったりのその目標は、彼女にとってはまさに目の前に立ちはだかる大きな壁だった。

 もしも、いつもの冷静さが欠片でも残っていたならば…。

 まだ、今のような張り詰めた空気になる事はなかったのかも知れない。

 残念な事に、彼女の中にいる美柑でさえも今までに経験した事の無い感覚に完全に屈してしまっていた。

 

 有体に言うと。

 大好きなリトにキスがしたくてしたくて堪らないせいで、周りが全く見れていない彼女の姿がそこにあった。

 

(リトの口…柔らかそう。今キスしたら、飲んでるジュースの味とかするのかな?)

 

 その姿はがっつき過ぎて失敗する人間の姿といって過言無いもので…。

 この状況を見る第三者ならばどこをどう見てもそれに非があると言っただろう。

 そもそも、彼女の最も理想とする状況に持っていくにはその態度には無理が在り過ぎた。

 これがもしも気心の知れた恋人同士だったなら、多少強引でも美柑の思惑通りキスが出来ていたかもしれない。

 しかし、リトと美柑はそうではない上に兄と妹の関係だ。

 オマケにこれが初体験なのだからその難易度は最早最高といって過言無い。

 必然的に彼女の望む後腐れ無いキスというのは、身も蓋も無いが『状況に流される事』の他なかったのだが、まるで獲物を狙う獣の様な視線でリトを見つめる彼女には到底、自然なキスなど出来るはずも無い。

 緊張と興奮から相手の気持ちを考えていない今の彼女では、仮にキスが出来ても後を引く結果となるのは目に見えていた。

 また、先程からリトが美柑に気を使って何度か挿まれる二人の会話も、二言三言目で心ここに在らずと会話を終わらせてしまう美柑。

 再び訪れた沈黙の時間にリトは頭を悩ませる。

 既に彼もまた、勉強などに身が入らずに目の前の人物に関心の殆どを奪われている一人になっていた。

 

(美柑のやつ、一体どうしたんだ? 飲み物を持ってきたかと思ったら、そのまま部屋の中でじっとして……)

 

 ノートや教科書に目は通すものの、向かい側でずっと自分を貫く視線に変な緊張感と不安をリトは感じ始めていた。

 自分は何かしてしまったのだろうか?

 普段からは想像できない、今までに見た事の無いそんな妹の反応にリトは悩まされる。

 

(何か約束とかしたっけ…? いや、かまって欲しいだけ…とか?)

 

 まさか自分が気を許す数少ない相手であり、自身も可愛がっている大事な実の妹が自分の唇を狙っているなどと思うはずも無く…。

 せっかくのジュースも味すらよく分からないまま喉を一時的に潤す事しか出来ないぐらい緊張してしまうのだった。

 

   ◆

 

 この状況をどうにか出来ないものか考えているうちにいつの間にか随分と時間が経ってしまっていた。

 

「ちょっとトイレ行ってくる」

「え? あ、うん」

 

 突然立ち上がって用を足して来ると宣言したリトを見送って扉が閉まった…と、同時に私はリトのベッドに飛び込んだ。

 

「あぁあううあ~~~…どうすればいいのかぜんぜんわかんないよぉ~~~」

 

 ばたばたと足を動かしながらリトの枕に顔を押し付ける。

 リトの匂いがした。

 ピタッと足を止めてそのまま握り締めるように枕を抱きかかえる。

 息が出来ないくらい顔を押し付けて感触を味わうと、リトに抱きしめられているような錯覚に酔っちゃいそう。

 あぁ、でもしあわせ~。リトをひとりじめ~、んん~~♪

 

 

「………………って! そんな場合じゃないってば!?」

 

 息苦しさと同時に本来の目的が私を呼び起こす。

 このまま状況に流されるまま眠りについてしまいたい衝動をグッと堪えて、どうにかリトとキスができないものかと辺りを見回した。

 早くしないとリトが戻ってきちゃう。

 腕の中の枕を更に強く抱きしめて考えを廻らせた。

 

 その瞬間。

 

 視界に映ったのは更に私を誘惑してくる最大の敵。

 枕を手放し、引き寄せられるようにベッドから這い出る。

 さっきまでとは違う緊張が心臓を襲う。

 悪い事を判っていて手を出す感覚とはこういう気持ちなのかな。

 おずおずと手を伸ばし、触れた。

 それは時間が経って水滴が浮かんでいるコップ。

 その中には私が用意してきたジュースが少し残っている。

 そして、指を指されているように釘付けになるのは今の今までリトが使っていた…ストロー。

 

 ゴクリ。

 

 いや、待て待て。これじゃまるで変態だ。

 私が欲しいのはこういうのじゃなくて、本物の方のはず。

 こんな事を本気でやったら多感な男子と何も変わらない。 

 僅かに残った理性が誘惑を跳ね除けようとするけど、でもこれを逃せば…という気持ちがなかなか離れない。

 いつの間にか、吸い付いたように離す事の出来ないコップを強く握る。

 

「こ、これも一応『キス』だよね、うん…れ、練習。そう、何事も練習は必要だよね?」

 

 そして私は負けた。

 飲んだらバレてしまうので、口をつけるだけ。

 衝動と欲望が私の口をストローへと引き寄せ、理性と情けなさと申し訳なさが心を締め付ける。

 頭がくらくらしてきた。視界はぐるぐると揺れ回る。

 

 あと少し。

 あと僅か。

 あとちょっと。

 

 息を吸い込んで覚悟を決めた私がストローを咥えたのとほぼ同時、がちゃりと部屋の音がしたのを耳にした。

 

   ◆

 

 気まずさから部屋を抜け出したリトは、トイレに行くと嘘をついた事を後悔する。

 自分の妹との接し方が分からないからといって、こんな対応は無かったと反省を繰り返した。

 もう勉強どころではないと思いながら自室へと戻ってきた彼が目にしたのは、顔を真っ赤に染めてジュースを飲む美柑の姿。

 それを確認した瞬間だった。

 壊れた機械のようなぎこちない動きでこちらに顔を向けて、美柑は目を見開きながら徐々に顔を青くしていく。

 

「え、どうし…」

「いや、違っ!? これはそういうのじゃなくて!!?」

 

 突然狼狽する妹を見てギョッとするリト。

 そのはずだ。

 部屋を出て戻ってきたリトからすれば、彼女が誰のジュースを飲んでいるかなど瞬時に判断できるわけが無い。

 無論、注意深く見れば気付く事もできるだろう。

 しかし、その判断もままならない時点で突然の否定。

 訳が分からないと混乱するリトに今にも泣き出しそうな美柑。

 そのまま宥める様にリトは優しく接しようとするが、混乱と羞恥と不安の極みに達した美柑にはその対応は逆効果だった。

 

「違う! 違うの!? これは間違えただけだから!!?」

「え? あ、うん?……うん?」

「だから、そうじゃなくて! 違ってて!?」

「お、落ち着けよ美柑。よくわかんないけど大丈夫だから?」

 

 リトからすればこの時の彼女の反応は全く持って理解できないだろう。

 まるでとんでもない失敗をしてしまったかのような様子の美柑。

 逆に美柑からすれば大好きな相手に自分の変態的な行動を見られたどころか、その好意すらバレてしまったのだと思っているのだから仕方ないのかもしれない。

 ましてやその好意は明かされてはいけないものであり、彼女にとっては()明かすには早すぎた。

 遂には我慢できずに目に涙を溜めながら懇願しだす。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの!! だからお願い嫌いにならないで!?」

 

 これが全く知らない他人ならば彼の性格からして同じように狼狽してしまったかもしれない。

 だが、今回の相手は妹だ。

 兄としてしっかりすると自覚し始めていたリトはなるべく顔に出さないように、彼女が落ち着くまで抱き寄せる事にした。

 振り払おうと暴れる美柑を痛くないように、でもしっかりと力強く抱きしめながら背中をポンポンと叩く。

 腕の中の少女が少しずつ力が抜けていくのを感じ取りながらホッと、リトは胸を撫で下ろすのだった。

 

――――――

 

「ごめん…なさい。リト…」

「いや、別にいいから。俺は気にしてないぞ?」

 

 外は既に街灯に明かりが点き始め、日が落ちて暗くなっていた。

 未だに美柑はリトの腕の中で蹲っていた。

 めちゃくちゃな態度をしたのに関わらず、辛抱強くそんな自分を抱きしめてくれたリトの事を、今の彼女はどうしようもなく好きで好きで仕方が無かった。

 泣きつかれたのか。

 頭の中はぼんやりと(もや)がかかっているようで、美柑の判断能力がこの時は下がっていた。

 こんなに優しくしてくれるなら少しくらい…と普段なら考えもしない事を頭が支配すると、リトの服を掴む手に力がこもった。

 

「もう大丈夫そうだな。まだ時間はあるし、勉強はやめにしようか」

 

 そう言って立ち上がり、離れようとするリトだったが、服に皺が出来そうなくらい強く掴んでいる美柑の力に阻まれる。

 そんな様子に仕方ないと、再び座り始めた。

 

 そんな一瞬の出来事。

 

 ギュッと、彼が座ったのと同時に美柑はグイっと彼の襟元を掴んで顔を寄せる。

 吐息がかかりそうな程の距離に一瞬思考が固まった。

 阻止する事ができたのは偶然。思わず、反射的に行ったものだった。

 リトは美柑の肩を掴み、接触の距離を取る。

 これには流石のリトも驚きで沈黙した。

 今、自分が何をされそうになったのか。中学生ともなれば解らないはずが無い。

 

(今…え? なんで美柑が?)

 

 その疑問は決して声には出していない。

 にも関わらず、その疑問は目の前の少女の口から解答される。

 

「リト…好き。大好き。だから、お願い逃げないで」

「い、いや美柑? お前、これは流石にダメだって。兄妹だし、こういうのはもっと大人になってからだな」

「もう、待ったよ? リトのこと…男の人として私……」

 

 それ以上は声には出なかった。

 誰が止めたわけでもない。本人が自分で止めたのだ。

 突然の事に困惑しているリトの顔を美柑は見た。

 

 

(あぁ、まだ早かったか)

 

 

 上気するように顔を染める妹の顔が突然イタズラが成功したような小悪魔のような笑みに変化したのをリトは間近で目撃した。

 先ほどと違い、自ら距離をとる美柑。

 くすくすと、そう笑うように顔を手で押さえながら笑い声が部屋に響いた。

 

「あはは、リトってばびっくりしてる~!」

「え、あ。え?」

 

 今のが冗談?

 それが始めにリトが抱いた感想だった。

 しかし、目の前ではほんの数秒前の妹の姿は消え、完全に最初から冗談だったといわんばかりの反応をする妹がいる。

 勿論、腑に落ちないと思うリトだったが、こうする以上は深く立ち入る必要はないと判断した。

 

(美柑がそう言ってるなら…きっとそうなんだよな?)

 

 こんな。

 こんな出来た妹が兄である自分を、男として好きなんて。

 リトは想像しても理解はできなかった。

 自分が目の前の妹をそんな目で見るなんて、考えた事もなかったから。

 きっと誰よりも近い二人は、この時は誰よりもお互いを理解できていなかったのかもしれない。

 

――――――

 

「喉、渇いちゃった。リトの飲んでいい?」

「え、別にいいけど…」

 

 美柑は夕飯の支度に立ち上がり、部屋を出る瞬間にそう言った。

 何も考えずにそう言ったリトの返事を聞くと同時に美柑は()()のストローを手にして飲みかけのジュースを口に含み出す。

 先ほどの元凶となった行為をいまいち理解できていなかったリトにはその行為があまりにも普通すぎて、疑問に思えてしまう。

 

 だから、リトは油断していた。

 

「んむっ」

「ぶ、んん!!?」

 

 座っていた彼に、美柑は口を密着させる。

 唇同士の触れ合い。

 二人とも経験の無い柔らかさに同じ感想を抱いた。

 最初に意識を覚醒させたのはリト。

 いきなりの美柑の奇行に今度は体が反応しない。

 慌てるだけで宙をさまよう両手。

 

「んんっ!!? んっ、く…んぐっ、ん…」

「ん、ちゅる…じゅる、ちゅ…」

 

 驚いたのはキスを仕掛けた相手から何か流れ込んできたから。

 鼻で息をするのも止まり、自分の中へ流れ込んでいく液体。

 喉越しの良いそれは唾液などではない。

 スッと甘い香りがリトの鼻孔を刺激する。

 

(これ、ジュース!?)

「ん! んぐ、ん、コクッ…ぷはっ!?」

 

 ムリヤリに喉に流し込まれたその味は一瞬で分からなくなった。

 止まっていた分の空気を勢いよく吸い込み、真っ白になった頭で美柑を見た。

 美柑も病気を疑うくらい顔を赤く染めて全然大丈夫そうでない顔でリトを見ている。

 

「これは…口移しだから。キスじゃないから」

 

 何故という、当然の言葉は出されるよりも早く阻止される。

 一般的にも苦しいその言い訳のような言葉にリトは反応できなかった。

 

「だから、全然ファーストキスとかじゃないし、セーフだよね?」

「……そ、うか?」

「そうなの!!」

 

 そんな強引な言葉に疑問も反論もリトは飲み込まざるを得ない。

 自分から関係を崩す事をリトと言う人間は進んで行わない。

 これ以上何も起こらぬよう、彼はその暴論を呑むしかない。

 

 こうして、二人の初めてではない『初めて』の時間は終わりを告げる。

 

(忘れよう…きっと冗談だよな?)

(やっちゃった…もう戻れないよね)

 

 部屋を出た美柑と、部屋の中で呆然とするリトの二人は同時に自身の唇を撫でる。

 口に残った滴を口に含むと、それは何の変哲も無いミカンの味がするだけだった。



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『彼女の周辺』

「なぁー、あの結城が好きな男ってどんな奴なのかな?」

「どーなんだろうねぇ。すっごいカッコいい人なんじゃないかなぁ?」

「結城さんに好かれるなんて羨ましいな~」

 

 ある日を境に、ウチの小学校はこんな話題で持ちきりになった。

 と、言うのも。全ては僕のラブレター騒動が原因だった。

 あれは忘れもしない日の事。

 いつものように登校し、いつものように友達と遊ぶ。

 いつもどおり過ぎる平日に僕は運命の出会いをした。

 僕と同い年の女のコで、絵に描いたようにカワイイ。

 スポーツも出来るし、まさに高嶺の花のような憧れの女子。

 心臓が高鳴って、一目で好きになった。

 次第に気持ちを抑えられなくなった僕はラブレターを書くと決意したのだ。

 その日は何時間も頭を抱えて寝不足になったのを忘れない。

 どんなテストよりも難しい、当ての無い正解を考え抜く一問で百点満点の究極問題。

 正解すれば心臓が嬉しさで破裂するかもしれない。

 間違えたら心臓が悲しさで止まるかもしれない。

 まさにイチかゼロ。

 きっと、一生関わり続ける課題にこんなにも早く出会ってしまうなんて思いもしなかった。

 溢れんばかりの想いを書き綴る。

 たった一枚の紙にこの気持ちを収めるには全然足りない。

 文房具屋とかで売っている大きくて厚い方眼紙にぎっしり詰めても足るかどうか分からなかった。

 …当然、そんなストーカーのような選択は一発で却下する。

 小さな小さな紙に丁寧に気持ちを書いた。

 言葉を選び抜いて、間違わないように辞書をひいた。

 ようやく完成した僕の想いは靴箱の中で彼女を待ち続ける。

 その日は一日がとても長かった。

 返事はいつ聞きに行こうか?

 放課後ならきっと読んでくれてるだろうし、考える時間もあるだろう。

 

 そして放課後。

 衝撃的な告白と共に僕の想いは無残に弾け飛んだ。

 

 今まで僕と同じ目に合った男子は数え切れないほどいる。

 今日から僕も仲間入り。

 でもそれ以上にショックだったのは結城さんの返事だ。

 

―――あ、あぁ…え~と、ごめんなさい。私、好きな人いるから

 

 私、好きな人いるから。

 私、好きな人いるから。

 私、好きな人いるから。

 

 一字一句忘れないその言葉を耳にして、それ以降の事はほとんど覚えていない。

 彼女がそんな事を言ったのはおそらく初めての事だと思う。

 言ってたら、もっと早くこの状況になってたと思うから。

 

 次の日、沈んだ気持ちのまま学校へ行くと僕は質問責めにあった。

 と、言っても。

 質問内容はたったの一つだけ。

 

「結城美柑に好きな人がいると言うのは本当なのか?」

 

 今日くらい勘弁して欲しかったけど、僕はありのままを力なく伝える。

 無言でうな垂れる僕を見て、全てを察した男子達の悲鳴が校内を占拠した瞬間だった。

 

――――――

 

「チクショー…俺、めちゃくちゃ結城の事狙ってたのになぁー」

「いや、僕もだから。諦めるしかないのかな~…」

 

 仲の良い友人の小菅くんとの会話は最近こんなのばっかだ。

 もとから仲は良かったけど、運命の日を境に僕らは親友であり、同士になった。

 そんな同士は未だにラブレターを送っているらしい。

 羨ましいほどの鋼のメンタルに僕はいつも感心する。

 そんな彼は一部の女子には粘着的と評され、ウケは良くない。

 小菅くんの勇姿を思い出しながら、僕は決断をしなければならない。 

 

 僕に残された選択肢は二つだ。

『彼の様に外聞を捨て、本当の気持ちに従って結城さんを諦めない』

『潔く現実を認めて、スッパリと結城さんを諦めて次の出会いを待つ』

 

 目の前で他の女のコと談笑している結城さんを見ながら、二問目の究極問題に意識を預ける事にした。

 

   ◆

 

「ね、ね、美柑って好きな人いるんだよね? それってやっぱりお兄さんの事なの?」

「美柑ちゃん、お兄さんの事大好きだもんね~」

 

 いつまで経ってもごまかし続ける美柑の本音を探るべく、今日は友達の真美と二人で質問責めにしてやることにした。

 まぁ十中八九、美柑の好きな人が実のお兄さんと言うことは理解してるんだけどね。

 私の知る友達の美柑は、普段から自分のお兄さんの話しかしない。

 同じ女のあたしから見ても、美柑は美人さんだ。

 そんな彼女が好き好き大好きなお兄さんの話題を聞いていれば、嫌でもキョーミは湧く。

 いったいどんなお兄さんなんだろう。やっぱイケメンなのかな~とか。

 とにかくそんな面白そうな気になる話題、今こそハッキリさせるべきだとあたしは思った。

 

 実の所、美柑は他人と深く関わろうとはしない。

 特に、ちょっと前からそんな部分が色濃くなった気がする。

 まぁ、関わろうとしないだけで全然コミュ障とかじゃないし問題は無いと思うけど。

 前から仲の良かった私達二人以外とは大した話をする事はないし、盛り上がったりするのも見ない。

 そんな彼女はウチの学校の高嶺の花と言うやつで、そんな友達を持つあたしもなんだか鼻が高いと思ってる。

 だから、美柑の事を良く知ってるのは私達だけだった。

 男子は勿論、そこらの女子すら知らない結城美柑の正体をあたしは知っている。

 

『結城美柑は超の付く程のブラコンだという真実をみんなは知らない』

 

「またそれ? どうでもいいでしょそんなの」

「いやいや、重大だって! 我が学校の高嶺の花が実は超ブラコンなんて一大ニュースじゃん!」

 

 周りに気を配りながら、声を抑えた状態で会話をする。

 せっかくのみんなが知らないヒミツだ。知らない人が多い方が楽しいに決まってる。

 どうせ解ってるんだからさっさと吐いて楽になればいいのに。

 と、いたずら心がふつふつと湧いてきたので、ちょっとからかってやろうかな。

 

「え~? 違うのか~残念だな~。じゃあ今度ゆっくり聞かせてもらおうかな~。美柑の家でじっくりと…」

「え、美柑ちゃんの家で遊ぶの? なら私も…」

 

 ナイスフォロー、真美。

 ま、このコは素だろうけどね。でも良い反応だ。

 お、眉が動いたね? よ~しもう一声かな。

 

「待って。わかった、わかったから。言うから勘弁して」

「え~? 言うのー残念だなー」

 

 よし! 釣れた!

 あたしは心の中でガッツポーズをしながら勝利を喜ぶ。

 ブラコンの美柑は家に来られるのを極端に嫌がる。

 大方、お兄さんにちょっかい出されると思ってるんだろう…ま、ちょっかい出すのは正解だけどねっ。

 だから、対美柑の最終交渉材料としてこの話題は鉄板である。

 これもみんな知らないヒミツのひとつだった。

 観念した美柑をワクワクしながら真美と見つめる。

 真美は単純に彼女に憧れてる一面があるから、何かを知れる事が嬉しいのだろう。

 さてさて、美柑がブラコンなのはいつもの態度や話題。あとその時の表情からまる解りだから知ってる事だ。

 でも、本人からお兄さんの事をどう思ってるかを聞けた事はなかった。

 まだあたし達は小学生なんだから自分の家族が一番好きなんてわりと普通の事だし、そんなに恥ずかしがる事なんてない。

 そんな事で嫌いになるワケないんだから堂々とすればいいのに。

 と、溜息を吐いて出された彼女の言葉は期待通りで、想像以上だった。

 

「うん、私はリトの事が好き。この世界で一番、宇宙一大好き」

 

 『リト』というのがお兄さんの名前だと言うのは知ってる。

 何故か名前で呼んでるというのも知っているけど、理由までは流石に知らない。

 話を聞くに仲が良さそうなのに、名前で呼び捨て。

 今まで気にならなかった答えが今、この瞬間わかってしまった気がした。

 

「わ~、やっぱり仲良いんだね、羨ましいな~。ね、サチちゃん」

「…え? う、うん」

 

 今の美柑のお兄さんへの告白を間近で見た人は二つに分かれると思う。

 美柑を恋愛的な意味で好きな人は、その固い意思にショックを受けると思う。

 そして友達的な意味で好きな人は、あたしみたいに何か言葉にならない熱さを覚えるかだ。

 今の告白は正直ときめいた。

 頬を赤らめながら、でもハッキリと。本気の伝わる告白。

 男子なら間違いなく飛び上がって喜ぶ。自分がそうなんだから異性ならなおさらなのは流石に理解できた。

 …で、そんな本気な告白だけど、フワッとながら理解してしまった。

 なんとなくだけど、これってガチなやつだよね? やっばー、どうしよー。

 あたしは恋愛経験とか無いけど、漫画とかドラマは良く見るから今までの謎が解けていく。

 これはアレだ。

 一人の女のコとして見て欲しいから、あえて名前で呼ぶアレなのだと。

 最近読んだ漫画で、久しぶりに会った年下の幼馴染の女のコが使ってた手段を思い出す。

 それは二人の距離を縮めるためにワザと『お兄ちゃん』とか呼ばないタイプのやつだった。

 お話とかでは血の繋がった家族が恋愛的な話で修羅場になるのを少しだけ見た事はあるけど…まさか自慢の友達がそんなお話のような世界に生きていたとは。

 

「…何、聞きたかったんでしょ? イイじゃん別に…好きでも」

「うん、いいと思うよ~? 兄妹で仲良しさんなんて素敵だと思うな~」

 

 オッケー。真美が全く理解できてないのを理解した。

 この場合、あたしはどうすればいいんだろう。

 軽はずみで踏み込んだ彼女のセイイキは思った以上に純粋な、いばら道だった。

 どうしよう、めちゃくちゃ混乱してる。

 いや、でもこれ受け入れないと絶交とかになる?

 流石にこんな不本意な別れは嫌だよ。

 ふと、気付いたら二人がコチラを見ている。

 え、もしかして試されてるの? どうすんのあたし…本当に!

 今までに無いほど考えが纏らないのに、一瞬一秒が冴え渡るのを感じた。

 早く出さないと、これはサヨナラされる。

 その決断は早かったと思う。

 美柑が実はこんな一面を持っていたなんて思わなかったが、あたしにとって彼女はまだ『親友』なのだ。だから。

 

「そだねーあたしもおーえんするよー」

 

 めっちゃ棒読みだけど応援する事にした。

 うん、今だけだ。きっと、お父さんと結婚する的なやつと同じだよ。

 そのうち良い人見つけて、普通の感じになるよね。

 …と、思う事にした。

 

「……本当?」

「うんうん、ほんとだよー」

「…ありがと、サチ。私、自信なかったから今まで言えなかったんだ」

 

 ですよねー。

 それはそうだろうね。言えないよね。マジでごめんなさい。

 

「これからも仲良くしてね?」

 

 そう言いながら差し出された右手を反射的に掴んで握手した。

 うん、そうだ。

 美柑は友達だ。ちょっと変わっててもそんな事で友情が壊れるなんてない。

 言いようの無い照れくささを誤魔化すようにあたしは言葉を探す。

 今日は得るものが多い日だ。

 親友の本音。親友の本気。本当の友情。

 そして……

 

「あ、じゃあ今度、噂のお兄さんがどんな人か会わせ…」

「ん?」

「あ、なんでもないです。痛い痛い、ごめんってば!?」

 

 好奇心は猫をも殺すのは本当の事らしい。

 

   ◆

 

 放課後になってしまった。

 結局僕は答えを見つけられないでいる。

 何となく一人になりたかった僕は誰もいなくなった教室にずっといた。

 空が紅い。夕焼けってこんなに綺麗だったんだ。

 と、校門の方をぼんやり眺める。

 そこには誰かがいた。

 小学生ではなさそうな、中学生くらいの男の人だった。

 

「卒業生…かな?」

 

 別に不審者でも無さそうなので放置する。

 何が用事なのか、少しだけ気になっていると……。

 

「え、結城さん?」

 

 僕の知っている彼女がその方角へ走っていくのが見えた。

 何も考えず、僕も走っていた。

 ランドセルをそのまま肩に担いで一目散に靴箱へ走る。

 乱暴に靴を取り出して、カカトも出たままに外へ出た。

 夕日がちょうど真正面にあって眩しい。でもしっかりとそこにある人影を見た。

 あの結城さんが男の人と手を繋いでいる。

 ちょうど周りには誰もいなかった。きっと、見ているのは僕だけだ。

 そんな…結城さんは『年上』好きだったのか!?

 顔はハッキリと確認してないけど、そんなに仲の良い関係を既に築いていたなんて…。

 ショックすぎて僕はそのままその場にしゃがみ込む。

 女子は年上に憧れるというのを噂で聞いた事があったが、まさか結城さんまでなんて。

 

「あれ、大好くん? 何やってんの、汚れるよ?」

「……小暮さん?」

 

 後からの声に振り返る。

 そこに居たのは結城さんと仲の良い、友達の小暮さんだった。

 でも僕は立ち上がれなかった。

 あの結城さんが触れる事を許す相手。悪い男の筈ない。

 彼女への信頼からそう結論した。

 年上好きなんてどうすればいいかわからない。

 

「美柑もう行っちゃったのかな? 急に走ってくんだもんなぁ~」

「結城さんなら…男の人と仲良さそうに帰ったよ…」

 

 情けない声が出た。見られているのに、こんなに情けない声を出すなんて。

 と、僕の心配を余所に小暮さんは悔しそうな声を漏らす。

 

「え!? 男の人!? あ~惜しいな~。それきっと美柑のお兄さんだったのに!」

「何だって!?」

 

 僕の突然の復活に小暮さんは一歩退いてる。

 でもそんなの関係ない。今はそれどころではない。

 急に立ち上がったから目の前が一瞬白くなってふらつくけど、関係ない。

 お兄さん、だって!?

 

「え、あ、うん。美柑って家族思いでさ、特にお兄さんと仲良いんだよ」

「じゃ、じゃあ結城さんの好きな人ってもしかして…」

 

 流石にここまでは出来すぎだと思いつつも、ほんの少し、僅かの蜘蛛の糸に縋る。

 そして、僕の願いを神様は受け入れてくれた。

 

「え、うん。そだよ? あ! でもこれナイショにしてよ!」

「…え?」

「ほら、美柑て恥ずかしがり屋だから…ね? もしバレたらあたし達絶対嫌われるよ?」

 

 その言葉に僕は無心で頷く。

 それ以上の喜びに、何に勝ってもいないのに大勝利したイメージが浮かんだ。

 誰が言うもんか。小暮さんとの共有のヒミツを胸に僕は一心不乱に走って帰った。

 相手がお兄さんなら、いつかは結城さんも普通の恋愛に目を向けるだろう。

 僕はそれまで彼女を好きでいよう。

 ほんの少しでも可能性があるなら諦める必要なんて無いんだから。

 僕はそう決心して、良い汗をかきながら最高の笑顔で家に走るのだった。

 

   ◆

 

「リトが迎えに来るなんて思わなかったよ?」

「ん、こっちに用事あったからな~なら偶にはって。迷惑だったか?」

「ん~ん? 全然♪」

 

 あの日から特別な接触事はしていない。

 むやみに何か起こすより、これ以上はギクシャクしないように過度なスキンシップを抑える事にした。

 結果は良好。

 私達は今までどおりの関係を取り戻しつつあった。

 

「ね~リト。今日は温泉の素入れて良い?」

「ん~? いいけど。今日はどうするんだ?」

「もちろん、一緒に決まってるじゃん♪」

 

 仕方無さそうな顔をしながらも受け入れるリトがいる。

 だからリトの手をおもいっきり引っ張って、体勢の崩れたリトの首に抱きついた。

 嬉しさを体で表す。最近はこれが普通の私だとリトに刷り込んだ。

 …もう、いいかな。

 リトはもう受験だ。あとは、特別な行動はしなくていい。

 予定通りなら。

 昔のままなら。

 あと数ヶ月でララさんが来る。春菜さんともう一度きっかけが訪れるのもすぐだ。

 もう一度リトと一緒に暮らすために、私は出来る事を惜しまない。

 最悪、誰かの協力は必要かもとは考えてる。

 モモさんに勝つためには、多少の我慢は必要だから。

 

「でも、その時は我慢できるかな?」

 

 そこまで考えて、私はポツリと呟いた。

 どんなに悩んでも時間が勝手に流れていってしまうのを止める事は出来ない。

 私の大好きな日々はちょっとおあずけ。

 いろんな思いを無視した二度目の始まりは、もうすぐだ。

 



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前編〈2〉Second ordeal~誰がために~
『初めまして』


 今更ながら、私の立ち位置と言うのは非常に不公平だと思う。

 まず、私はリトの女の子とのフラグをどうする事もできない。

 気付けばいつだってリトは勝手に誰かと仲良くなって、そのあとに私は知り合うという形が殆どだった。

 要するに、私はあの人たちとリトの出会いを全然知らない。

 知ってて数人。それも阻止する事は困難だと思う。

 だからこその前座。

 今までのリトとの日々は、これから仲良くなっていく皆よりも少しでもリードを保つ為に必要な事だった。

 もしもリトと同じ学校へ行けたなら。

 どれだけのフラグを邪魔する事ができるだろうかと出来ない妄想も幾度と無くやった気がする。

 でも仕方ない。そう、仕方ない。

 逆に、阻止できないならこっちが一歩先を歩けば良いだけの事なんだ。

 

 だから私は今日もリトと手を繋ぐ。

 この温もりを手放さないように、誰にも渡さないように。

 走って行ってしまうリトに置いていかれない様に。

 いつまでも隣を歩ける為に、その手をつかみ続ける。

 

   ◆

 

「リト、入学おめでとう!」

「ありがとな、美柑。わざわざケーキまで用意してくれて」

「祝い事なんだからそんなの気にしないの! 私とリトの間に今更エンリョなんてしなくていいでしょ」

 

 季節は流れ、春。

 結城リトは無事に入学試験を合格し、この春から彩南高校の1年生となった。

 同時に美柑は5年生へと進級し、小学校生活の後半へと足を進める。

 今日はそんな美柑の提案による、リトの入学祝いを家で行う事になっていた。

 参加者は相変わらずという組み合わせで兄と妹のふたりっきり。

 父の才培は残念ながら本日はアシスタント不足による執筆部屋での箱詰め状態に追われてしまい不参加となった。

 

「しかし大変だよな~俺が手伝うって言ったのに今日はわざわざ断ってきたんだぜ?」

「向こうは向こうでちゃんとやるって。それに今日くらいは自分のことをちゃんとお祝いしなきゃね」

「カッコつけちゃってな~」

「あはは。ま、そのくらいしないと気が治まらないんだから仕方ないよ」

 

 口では残念そうに言いながらも、実は内心ではリトと二人になれた事を喜ぶ美柑。

 無論、彼女は親の事を嫌っているわけではない。

 が、切っても切れない間柄よりも大事な距離感というものが世の中にはあることを美柑は知ってしまった。

 多少の申し訳なさを感じながらも、彼女にとっての優先順位はあくまで『リト』が上である。

 むしろ、仮にこの関係を邪魔されるような事になれば自ら縁を切る事も考慮しているぐらいなので、今日の欠席は彼女の望む所でもあった。

 当然、この事が露呈すれば間違いなく結城夫妻の涙腺は悪い意味で決壊するだろう。

 だがそんな事はどうでもいいと言わんばかりに今日の美柑は喜んでいた。

 自分の兄を祝う為に、態々美味しいケーキを売っている店を思い出しながら下調べしたぐらいである。

 一生一度の祝い事を大好きな人とふたりっきりで祝える。

 彼女にとってのかけがえの無い時間と思い出こそが今の結城美柑という少女を動かす一番の力となっていた。

 

「ん、コレ美味いな」

「でしょ! ストレイキャッツっていう洋菓子のお店のなんだけど最近評判なんだよ」

 

 いつもと同じように二人で食卓を囲み、同じ食事を同じ時間にする。

 自分の手料理を振る舞い、それを一番の人が美味しいと言ってくれる。

 美柑にとっての憩いのひと時、至福の時間。

 彼女は今日を噛み締める。

 

 そんな()()の時間は、まもなくおあずけになるのだから。

 

――――――

 

 もう一度確認するが、今日の美柑はご機嫌だった。

 その理由はもう一つ別の所にある。

 時間は少し戻り、先日の事。

 日常風景として定着しつつある、二人での風呂の時間から徐々に彼女の機嫌は右肩上がりになっていた。

 その理由というのが、彼女にとって全く予期していなかった事だけに今の美柑は舞い上がっている。

 

「そういえばリトって好きな人いないの?」

 

 以前よりも大胆になり、この時間にも慣れてきた美柑。

 リトの体を背もたれにしながら世間話をするぐらいに余裕が出来た頃で、ふと気になっていた質問をした事がきっかけである。

 結城リトが片思いしている相手、西連寺春菜という少女の存在。

 リトが彼女と知り合ったのは中学の頃だと美柑は記憶していた。

 ならば、今の時期はほぼ確実に接触している。

 そう思った美柑にとっては、どの程度の関係なのか知る必要が大いにあった。

 『小学生の妹』という立場である彼女は、リトと他の女性のフラグについて干渉することが殆ど出来ない。

 必然、情報を手に入れるにはリト本人から入手しなくてはならなかったが、リトが意図して本当の事を言わない可能性もある。

 しかし、そこは家庭内での身近すぎるとも言って良い距離と接触。

 また、出来る限りのヒミツを作らず打ち明ける事を続けてきた事がここに来て活きてきた。

 既にリトは美柑を普通の妹以上の存在として認識している。

 正しくは、妹以上に想っている故に大抵の事を共有し合っている。

 つまり、この程度の質問は何事も無く本音を打ち明けられる内容となっていた。

 この事については美柑自身もここまでの成果があるとは思っていなかっただけに、その点を改善し素直に接し続けてきた自分を褒めている。

 

 美柑の質問に対して一瞬考えるような吐息を漏らすリト。

 半分以上は春菜の話題になるだろうと踏んでいた彼女は目を瞑りながら、背中からの返答を待つ。

 やがて口を開いたリトの答えは予想外の言葉で、心に余裕を持っていた美柑を現実へと引き戻した。

 

「う~ん、気になる人はいたけど。クラス別れてからは話す機会なくなっちゃったしな~」

「ふむふむ?」

「ん~…今考えるとそうでもないかな~って気がするし、ゴメンな。今はいないかも」

「………え?」

 

 その返事に思わず素で声を出してしまう美柑。

 彼女の記憶では、リトはこの時点でも春菜の事を想っていた可能性は高い。

 しかし、この場で『気になる人がいた』と言ってから否定するとは考えてもいなかった。

 リトという人間を美柑はよく知っている。と、本人自身思っているだけにこの言葉の意図をもう一度読み取った。

 リトはこの手の話題であれば、言葉で責めれば否定する。

 何かあればあるほど大げさに身振り手振りを加える。

 だが、今はどうだろう?

 せいぜい「え!? い、いるわけ無いだろ!?」ぐらいの返事をするだろうとしか思っていなかった。

 

(え、どういうこと? これってつまり……)

 

 『気になる人はいた』

 これが春菜で間違いない筈だと結論付ける美柑。

 『今考えるとそうでもないかな』『今はいないかも』

 この言葉を意図して自然に出せるほどリトという人間は器用ではない。

 つまり、これは彼の今の本音と言うこと。

 

「へ、へ~~…もう高校生なのにリトってそういうの考えたりしないんだ~」

「うるさいな~、別にいいだろ? 今はそんな気がしないって言うか…」

 

 美柑は平静を装う。

 もしも気が緩めばこのまま喜びを体で表してしまいそうだったからだ。

 リトの言葉を頭の中で反芻させる。

 これはつまり、今のリトの心は春菜から一時的に離れていると言う事で間違いなかった。

 

(私が昔より仲良くなりすぎたから? 好きって言ったから? それとも…キスしたから?)

 

 答えは解らない。

 でも確かな確信と現実は今、ここにあった。

 美柑の体が震える。当然、寒いからではない。

 瞬きを忘れるほどに目を見開き、頭で理解すると同時に息を呑んだ。

 心も体も満たされるほどに熱を帯びていく感覚に溺れそうになる美柑。

 

(これは間違い? それとも正解? …どっちでもいいや、今は)

 

 ずるずるとリトの背中から潜るように体をずらし、沈んでいく。

 長い間、湯船に潜り続ける美柑に対してリトが慌ててその体を引き上げると同時に、彼女の笑い声がその背中越しに聞こえた気がした。

 

「…ふへっ♪」

 

 角度からは見えないその表情は、のぼせる寸前のように真っ赤であり、だらしなく蕩けていた。

 

   ◆

 

 「ねーリト、しばらく一緒におフロに入って良い?」

 

 お祝いも済んだところで私は食器を洗いながら、リトへちょっとしたお願い事をする。

 後ではきっとテレビでも見ながら「何を今さら」みたいな表情をしているに違いない。

 未だ上機嫌で泡立てた食器を洗い流すと、リトが近づいてくる気配がした。

 

「ん、どーかした?」

「いや、さ。もう美柑って高学年だろ? 流石にそろそろ一緒に風呂ってのはどうかなって」

 

 手が止まる。

 どうやら「何を今さら」と思ったのは私の方だったみたいだ。

 ちょうど洗い物を終えた私はタオルで手を拭きながら無言でリトの方へ振り返る。

 困ったような表情で頬を指でかきながら見つめるリトに私は抱きついた。

 そんな行動にリトは驚いた声を上げて、慌て出す。

 相変わらず、こんな手に弱いんだから。本当に困った兄だ。

 ずっとこんな調子なら、かえって都合もいいんだけど。

 さて、どうしようかな。

 もうそろそろララさんがリトの入浴中に来る頃だから、せめて一緒にいないと何かと不安なんだよね。

 でもまさかこのタイミングとは…。

 リトってこういう事を自分からはあまり言わないって思ってたのに…変化させすぎるとこうなっちゃうのかな。

 

「み、美柑…?」

「いいじゃん、兄妹なんだから。節約と思ってさ、もっと一緒に入ろーよ」

「いや、それだと俺が……」

 

 俺が?

 変なの。別に、お互い気にしないんだから裸くらい別にいいはずなのに。

 要領を得ないリトに思い切って本音をぶつけて見る。

 

「私は気にしないよ? 私はリトともっともっと一緒にいたいし、ずっと仲良くしていたい。それがダメなの?」

「悪くない! それは悪くないんだけど…その、あんまり風呂とかでも近すぎるとこっちが困るんだって」

「困るって?」

 

 一緒におフロに入るか入らないかでここまでもめる兄妹っているのかな?

 世間の一般的な事は知らないけど、お互い譲れないんだからこのくらいの口喧嘩くらいはあるよね、きっと。

 とにかく私はリトと一緒におフロに入るのを止めるつもりはなかった。

 力なくうな垂れて、頭をかきながらリトは観念したように呟いた。

 

「だから、その…最近成長してきただろ? 背とか…胸、とか。美柑は恥ずかしくなくても俺はその…慣れてないんだよ」

「…………え。あ………お?」

「百歩譲って入るのは良い! 良いけど! そろそろ後から抱きついてきたり、前を洗おうとしたりするのはやめて欲しいって言うか…」

 

 言葉が出なかった。

 これはもしかしなくても、リトが私を意識していると言う事で間違いないよね?

 ど、どーしよ…こんな風に思われてたなんて、作戦上手く行き過ぎちゃったんじゃないの?

 うあー…顔が熱い!? こんな顔、恥ずかしくて見られたくないのに!

 で、でも何か言わなきゃ。

 とにかく、それでいいって返事を。あと私も…自重しないと。

 

「ご、ごめん。そ、そそそれでお願いします」

「なんで、敬語?」

 

 私も相変わらず、こんな手に弱い。本当に困った妹だと思うよ……。

 

――――――

 

 自らを悔い改めて勝ち取った…いや、守りぬいたかな?

 とにかく、リトとの混浴する権利を私は未だに持っている。

 正直言って、この判断はやっぱり正しかったと思わされたのはたった数日後の事だった。

 リトが春菜さんを昔ほど想っていなくて、リトが私とおフロに入るのを恥ずかしがったり、この世界はちょっとずつ知らない未来に進んでいる。

 ようやく理解できる変化の訪れに不安はあるけど、同時に喜びもある。

 リトが倫理感を壊して背徳的な恋愛に目を向けるかは正直微妙だけど…今ならほんの少しだけ希望が見えてきた気がする。

 別にリトとのそういった関係が望みと言うわけではないけれど、望まれるならそれはそれで構わない。

 私はリトと一緒にいたい。それだけなんだから。

 だから、そう。

 ここから先は、もう一歩も譲らない。

 

 

 

 目の前の光景から目を逸らさない。

 最後に見た時も、ずっと綺麗になった貴女を私は羨んだ。

 今の姿も全然綺麗で、きっと男の人は釘付けになってメロメロになっちゃうんだろうなってくらい素敵だ。

 だからって、この人を奪わないで欲しい。

 私の隣で、驚きすぎて声も出ない兄の顔を抱き寄せる。

 たいした凹凸は無いけど、最近成長してきた私の体に遠慮も羞恥も無く、この人は()()()だと表した。

 三者三様、裸の三人がそれぞれの反応でお互いを見つめ合う。

 最初に口を開いたのは、この事態を想定していた私。

 何でもないような顔で、不思議そうに私たちを見つめる綺麗な瞳に向かって言ってやった。

 

「初めまして。この人は私のだから」



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『運命の少女』

   ◆

 

 月明かりが足元を仄かに照らし出す夜。

 とある高層ビルの屋上で、二つの影が苛立たしげに揺らいでいる。

 やがて影はその場で止まり、直立の姿勢で何かの機械を取り出した。

 二つの影の正体…黒服の男達は申し訳なさげに、しかしはっきりとした口調で手元の通信機に向かって何かを話し出す。

 

「申し訳ありません、ザスティン様。ララ様を取り逃してしまいました」

 

 男達のその報告に、通信機の向こうから溜息の様な吐息が聴こえてくる。

 やがて、その報告を受けた男…ザスティンはゆっくりと口を開きながら解決策を考え出す。

 

「そうか、まったくあのお方は…。で、その後の行方は?」

「…申し訳ありません。逃げ出したコスチュームロボの行き先から凡その見当は付いているのですが」

「なるほど、やはり辺境の小さな星とはいえ、一度逃げられると厄介だな」

 

 一瞬の思考の末、ザスティンは男達へ指示を出す。

 ある程度予期していた事だっただけに、彼の行動は素早かった。

 

「わかった。お前達は引き続きララ様の行方を追え。私もそちらへ向かう」

「ザスティン様が、ですか? しょ、承知いたしました。あの、見つけた場合の措置は…」

「ララ様もそう易々とは別の星には行かぬだろう。見つけ次第、私に報告をしてお前達は待機だ。くれぐれも手を出さずに私が到着次第、確実に連れ戻す」

 

 その言葉と同時に通信は途絶え、その場が静寂に包まれる。

 次の瞬間には男達の姿は消え、始めから何も無かったかのように本当の静寂が屋上に蘇るのだった。

 

   ◆

 

 衝撃的かつ運命的な風呂場での出会いの後、着替え終えた3人は居間で食卓を囲んでいた。

 あの後に遅れるようにしてやってきたコスチュームロボットのペケを加え、三人と一機は食事をしながら、突如として結城家に現れた少女について事情を把握していく。

 まず彼女は自らをララと名乗り、自分の身の上と共に何故ここに来たのかを話した。

 簡潔に言えば、ララと言う少女は要するにデビルークと言う星の王女様で、後継者だの結婚だのという話にうんざりした挙句、家出をしたとの事らしい。

 あまりにもあっけらかんとしたララの態度に結城兄妹は同時に溜息を吐きながら今の事態を受け止めるしかない。

 彼女が宇宙人であるということは、既に風呂場で出会った瞬間にある程度の会話をした事で認めざるを得なかったので、この場ではすんなりとその事を受け止めるリトと美柑。

 と言うのも、出会って早々に「私、デビルーク星から来たの。あ、信じてない? じゃあほらこれ尻尾っ♪ 地球人には無いでしょ?」などと言いながら丸出しのお尻を見せ付けられたのだから疑う余地は無かった。

 その時に美柑につねられた左手をさすりながら、リトは目の前の美少女宇宙人の先ほどまでの姿が薄っすらと脳裏を過ぎるのを我慢しながら何とか現状を把握する事に集中する。

 そんな彼を見つめる二人は全く真逆で、地球に来て早々に主人であるララの身を案じたくなるペケだけがこの場を一番把握していた。

 裸を見られた事などまるで気にした様子の無いララと、悶々としている兄の心を見透かすように半眼になりながら今度はララの方を睨む美柑。

 早くも一筋縄ではいかない家庭に厄介になってしまった事を察したロボットは、どうしたものかと考えながら何事も起こらぬよう祈るしかないのであった。

 

   ◆

 

「ん~♪ それにしても美味しいね、この料理っ♪」

「そりゃね、私が作ったんだし。作った人のウデの違いってやつだよ」

 

 予定通りにおフロでララさんに出くわしてから、私とリトはララさんの事情を聞きだして居間で晩ご飯を食べる事にした。

 本当ならこの場で事情を聞くのが正しいのかもしれないけど、とにかく食い違いを防ぐ為にも早めにこういうのは聞いてしまった方が良いと思う。

 この場でララさんの事情を知らないのはリトだけなんだから、もしも私がララさんが名乗る前に名前を呼んじゃったり、家出の事を知ってたら変だしね。

 

「でも運がいいよね、もし今日が魚とかだったらララさんの分なかったかも知れないし。()()()()カレーでよかったよ」

「うんありがと~。もう必死だったからお腹ぺこぺこだったんだぁ~」

 

 当然偶然ではない。

 もし分け合うのが必要になったらリトとララさんが接近してしまうかもしれない気がしたから万全の準備をしただけの事だ。

 ある程度予期していた私の作ったカレーを食べながらララさんは私とリトの質問に答えていく。

 本当に。なんて美味しそうに食べるんだろうとほんの少しだけ気が緩んでしまいそうになる。

 相変わらず、この人はこちらの気持ちなどお構いなしに自分を魅せてしまうのだから質が悪い。

 こんな調子ではせっかく固めた決意が揺らいでしまいそうだ。

 

(もちろんそんな事はしないけど)

 

 心の中に薄暗い気持ちが湧いてくるのを自覚しながら彼女を睨む。

 リトを一瞬にして虜にしてしまいそうになったこの人はやっぱり危険だと判断せざるを得ない。

 目の前で首を振るリトは今頃ララさんの裸を思いださないように必死である事が丸分かりだ。

 そんなリトを分かっているのか笑顔を絶やさずにニコニコと見ているララさんに私は一言尋ねた。

 

「ところで、ララさん今日はどうするの? 家出って事は寝るとこないんじゃない?」

「むぐ? んぐんぐ…ごっくん。うんっ、そ~なるのかな?」

 

 緊張感のカケラもない…この人はこの時から相変わらずマイペースだと思いながらも心を鬼にする。

 

「じゃあ食べたらホテルなりなんなり早めにした方が良いんじゃない? ララさん美人だし、外は危険かもしれないよ」

「え? いや、美柑それは流石にどうかと…」

 

 案の定、優しいリトは反応してくる。

 でも今の私にはやらなければならない事があるのだから心苦しいけど抵抗するしかない。

 

「リト、この人を疑うワケじゃないけどさ。会ったばっかの人を信じすぎじゃない? 宇宙人なのは本当なんだろうけど、正直不審者なのは変わらないでしょーが」

「フシンシャ?」

「いや、言い過ぎだって。俺と美柑が一緒に寝れば片方の部屋が空くんだし一日くらい良いんじゃないか? もう遅いんだし」

 

 

 そう言われるのは、ある程度の覚悟をしていたとはいえ、やっぱこうなるのかと現実を受け入れるしか私には出来なかった。

 一緒に寝れば部屋が空く。

 言われてしまえば当然で逃げ道なんて無い。

 ララさんが悪い人でないのは知ってるワケだし、リトが認めた以上はワガママを言い続けるのは私にもマイナスだ。

 勘繰られるのも面倒だし、リトの中の私がそういう人間だと改められても困る。

 こうなったら詰みだ。仕方ない。

 

「はぁ…わかった。じゃあ今夜は私がリトの部屋に行くから、ララさんは私の部屋で寝ていいよ」

「別に私がリトの部屋でもいーよ?」

「ダメに決まってるでしょ」

 

 この一線は絶対譲らない。

 たとえ死んででもこれは死守すると、私の心は静かに燃え盛るのだった。

 

   ◆

 

 普段から二人の食事ではリトの正面に美柑は座る。

 これは美柑が自分の作った料理をリトが食べる姿を見るためだったり、お互いが話しやすいように対面の席を進んで選んでいるからだった。

 今日もその形に変更は無い。

 したがって、ララが座るのはリトか美柑の隣になる。

 迷わずにリトの隣を陣取ったララは、食事をしながらある程度の方針が決まった所で疑問に思っていた事をリトに投げかける。

 

 

「ね、ね、リト。みかんって怒りっぽいの?」

「んぇ? な、なんだよ急に。え~と、いつもはこんなんじゃない…んだけど」

「ん~、そうなの? なんか嫌われることしたかなぁ」

 

 突然の来訪と、どの角度から見ても美少女な容姿をしているララに隣から触れそうなほどに接近されてリトは思わずどぎまぎしてしまっていた。

 先程までの風呂での事を再び思い出すリト。

 思春期の男子が、初めて見る妹以外の女性の裸を見て緊張しないはずが無い。

 加えて特に石鹸など使っているわけでもないはずのララからはびっくりするくらいの甘い香りがすることにリトの心拍数は上がっていく。

 そんな彼を呼び戻すようにテーブルを叩く音が居間を支配した。

 思わず小さな悲鳴でも出してしまいそうな程の大きな音の出所をリトとララは同時に見つめる。

 

「あ、ごめん虫がいたからつい。ところで、くっつきすぎじゃない?」

「え、あ、うん。ララ離れよう」

「え~」

 

 有無を言わせない雰囲気に気付いたのはリトだけだったようで、不承不承と言った態度でララは仕方なくリトから離れる。

 何故美柑がここまで怒っているのか。

 以前、冗談のように告白された事をリトは思い出す。

 

(もしかしてヤキモチやかれてる…? いや、まさかな)

 

 リトは本能的に美柑とそういう関係になることを否定しているだけに気付かない。

 それだけに、美柑の感情を悟れても、行動の理由が掴めないでいた。

 本来なら既にギクシャクしてしまいそうな関係でありながら、そうならないのはお互いが心から想い合ってるからなのかも知れない。

 

(今日は寝ながら頭を撫でてやろう。少しはキゲンよくなれば良いんだけど)

 

 美柑は機嫌が良い時と悪い時によく一緒に寝たがるのをリトは知っていた。

 そんな時は寝ながら体に触れられると彼女は喜ぶ事も知っている。

 機嫌が良い時も悪い時も。

 美柑からすればリトともっと触れ合いたいだけというのが彼女の本心である事は…リトは知らない。

 

――――――

 

 翌朝、美柑の機嫌は良かった。

 単純な自分自身に苦笑しながらも、体に添えられているリトの手を愛しげに自分の顔に持っていく。

 

(本来なら私がララさんに気付くのはもう少し先だったはず。ここからどうなるかは知らない)

 

 起きたばかりでありながら冷静に考えを巡らせる美柑。

 だが、どんなに冷静になろうと知らないものを把握する事等できない。

 不安は募るばかりだが、ここはなる様に任せるしかないと無理矢理納得するしかなかった。

 

 結果は当然と言えば当然。

 分かっていた事だっただけに、彼女は落胆しない。

 それだけに、彼女の闇は増していく。

 

   ◆

 

「どうしてこうなった」

 

 結城リトは頭を抱えていた。

 理由は単純に先程から自分に突き刺さる視線が原因である。

 嫉妬で人は殺せないが、嫉妬の炎でリトは押し負けそうになっていた。

 

 時間はある程度、遡る。

 

 いつもどおり登校したリトは教室について早々、友人の猿山の熱のこもった言葉を聞かされる事になった。

 曰く、昨日の夜に空を飛ぶ美少女にあったらしい。

 夢でも見ていたのだろうと結論付けたリトは話半分に聞く事に徹し、その場の時間をしのぐ事にした。

 猿山はその場の思いに任せてラブレターまで書いたのだと見せびらかす。

 

「いや、名前も知らないのにどうやって渡すんだよ」

「それなんだよなぁ…いやでも地上から言葉を投げかけるより遥かに想いは届くと思わねーか!?」

「いや、だからどうやって渡すんだよ…」

 

 そんなこんなで時間が過ぎ、休み時間。

 まさか、友人の夢だと思っていた空を飛ぶ美少女が昨日知り合った相手だと思っていなかったリトは盛大に噴き出す。

 何気なく窓の外を見ていると、ふわふわと空を飛びながら学校の方へ接近してくるララを見かけた瞬間だった。

 気のせい気のせいと暗示をかけるように目を逸らすリト。

 しかし、無常にも彼女はすぐ傍までやってきてリトの教室の窓を叩いた。

 コン、コンと叩く音にその場の全員が注目する。

 コスプレかと思うほどに奇抜な姿でありながら誰もが魅入ってしまうほどに整った美少女が窓をノックしている事実に周囲がざわめいた。

 

「ねーリト~、あけて~」

「何やってんだララァ!?」

 

 こうなってしまっては仕方ないと窓を開けるリト。

 好奇心や奇異なものを見るような視線を背中に浴びながら目の前の厄介事に集中する。

 

「いや~実はお願いがあったんだけどね、昨日は言えなかったから」

「そんなん帰ってからでいいだろ!?」

「だって起きたらリトいないんだもん」

 

 どこからどう聞いても下世話な内容を彷彿とさせる会話に周囲の反応は大きくなっていく。

 次第に耐えられなくなったリトはそのままララを引っ張り出して廊下へと出て行くことを決めた。

 しかし、全くの逆効果。

 ララの見た目に吸い寄せられるように、廊下では更なる視線を集める結果となるだけでこれでは何の意味も無かった。

 とにかくララを帰らせようと外を目指すリト。

 持ち前の運動能力で、息を切らしながらなんとか人目のつかないところまでララを連れて来る事に成功したものの、ここで思わぬ壁に阻まれる。

 引っ張っていたはずのララが突然止まった。

 ぐいっと引っ張ってもララは微動だにしない。

 

「ね、リト。私と結婚してくれない?」

「は、ハァ!? 何言ってんだよっ、お前、ぜぇ、そういうの嫌だったから、家出、したんだろうがっ」

「うん、でもこのままじゃずっと追われちゃうじゃない? だからリトとそうなっちゃえばいいじゃん♪って思ったんだけど」

「おまっ俺を口実にする気か!?」

 

 酸欠気味になりながらも彼女の考えている事に察しが着いたリト。

 つまり、自分に形だけの恋人になってなんとかその場をやり過ごそうと言う魂胆だった。

 何で自分がそこまでと思いながらもリトは目の前の少女を動かす事ができない。

 

(ちょ、何でコイツ動かないんだ!?)

「良いって言ってくれるまで帰んないよ? ね、お願い?」

 

 いつまでもここでこうしているわけにもいかない。

 最悪、承諾してもフリで済むなら何とかなる。

 そう思ったからこそ、この場を乗り切る為にリトは仕方なしに了承した。

 

 して、しまった。

 

 彼女がどれだけのトラブルを持ち運んできた運命の少女であるかも知らずに、リトは彼女の我が侭を聞き入れてしまう。

 もしも、とある運命のとおりに黒服たちが彼の部屋に攻め入って来て、それをとんでもない発明品で撃退する事実があったなら。

 もしも彼がどこかの運命のとおりにクラスメイトの少女を好きでい続けたなら。

 ここまであっさりと地雷を踏み抜く事はなかったのかも知れない。

 着々と、歯車は歪んだ音を鳴らしながらも再生を始めていく。



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『運命の少女②』

      ◆

 

「それで、どうしてそうなったワケ?」

「あ~…だからな、え~と」

「私、リトと結婚する事にしたんだっ♪ よろしくね、美柑!」

 

 一瞬にして学校中に広まった空を飛ぶ美少女騒動から、やっとの思いで解放されたリト。

 腕にしがみつくララを鬱陶しそうにしながらも、悪い気はしていない様子で振り解かずに家に帰ると、そこにはそんな彼を玄関で待ち構えていた、彼が心から大事に想っている妹の姿があった。

 明らかに不機嫌なオーラを纏いながらこちらを見据える彼女の姿は、家族であっても稀にしか見ない程の威圧感をさらけ出していて、そんな姿にリトは思わず腰が引けてしまう。

 その横では状況を全く把握していない様子のララが緊張感の無い声で、その日あった重大な出来事をあっけらかんとした様子で暴露した。

 

『リトと結婚する事にした』

 

 その一言を聞いた瞬間、その場の空気は凍結する。

 帰宅した二人を無言で見つめる美柑。

 かつて無いほど不機嫌な妹の姿に戸惑いながら目を泳がせるリト。

 数分にも感じる短い沈黙の後、ただ一言「そう」と口にした美柑が奥の部屋へと戻るまでまともに呼吸をする事も出来なかったリトは、彼女の姿が見えなくなって漸く深い溜息を吐き出すのだった。

 

      ◆

 

 不安は的中した。

 ララさんと二人で腕を組みながら仲良さそうにしているリトはきっと悪い気はしていないんだと思う。

 気付いたら手のひらがヒリヒリとしていて、変な痕が赤く残ってしまっていた。

 いつの間にか、強く拳を握り過ぎてしまっていたらしい。

 流石に血は出ていないけど、爪の形に食い込んだ手のひらを見て渇いた笑いが出てしまう。

 

 何をバカなことしているんだ私は。

 こんなこと、()()()()わかっていたことなのに。

 何も、不安になることなんてないハズなのに。

 なのにどうして、こんなにも。

 

「なんで、こんなに悔しいんだろう…?」

 

 泣いたらダメだ。

 今、もしも泣いてしまえばきっと止められなくなる。

 だから今は泣けない。これからも泣くなんて許されない。

 わかっていた。

 そう、わかっていた事なんだ。

 だから大丈夫。このくらい、なんて事は無い。

 

 唇を噛みしめながら頭を冷やそうと努力する。

 痛いけど、痛くない。この程度。

 全然耐えられる痛みだからと自分に言い聞かせながら頭を整理する。

 

「やっぱりこうなっちゃうんだ……なら、次に私がする事は」

 

 計画に変更は無い。

 あらかじめ、ララさんが来た時と、来なかった時。もしもそのまま諦めてくれた時の事はそれぞれ考えてある。

 だからそれのとおりに今は動くだけ。

 むしろ、ここまで想定どおりになった事でちょっとした発見も出来た。

 もう大丈夫、早くリトにご飯作ってあげなくちゃ。

 見せられない顔を両手で叩いて気持ちを切り替える。

 リトを不安にさせない為に笑顔を作って、私は台所へと足を動かした。

 

      ◆

 

 夕飯を三人で囲みながら改めて一日の出来事が整理される。

 要するに『止むに止まれぬ事情があったので一時的に結婚の相手役を了承した』と言う事だった。

 二人の話を聞きながら美柑は考え込むように目を瞑り、リトを罵倒する。

 

「リト、あんた自分の言ってる意味ちゃんとわかってるの? ()()じゃなくて()()の相手だって事、理解してないよね」

「で、でもその場限りでだし、フリなんだからさ。そのくらいは…」

「それが理解してないって言ってるの! いい!? ドラマみたいに偽の恋人ならその内いくらでも無かった事にだって出来るの。でも最初から結婚の相手だって言っちゃったら、それを『実は嘘でした』なんて言葉で許されるワケないでしょーが!!」

 

 美柑の発言を聞いて、少しずつリトは自分の言った言葉の意味を理解していく。

 徐々に暗くなっていく表情のリトを見ながら少し心を痛める美柑だったが、彼女の心境からすればここは譲る事の出来ない場面だった。

 故に、彼女はその手を緩めない。

 大事な兄を護る為に自分の出来る最大限の事をする覚悟を既にしているのだから。

 

「ペケ、ララさんの親って冗談は通じるタイプなの?」

「え? えぇと…正直に申しますといいえ、ですね。特にギド様…現デビルーク王様は気難しいお方ですから。万が一、無礼を働いたとなると…」

 

 突然、話を振られて動揺するもハッキリと万能コスチュームロボットは返答した。

 その返答はリトの想像を遥かに超える程の破壊力で、その事を知っていた美柑は想定していたとおりの方向に話が流れて行く事を内心で喜びながら後押しする。

 

(あと一押しかな?)

「聞いた話だとデビルークって凄い権力のある星なんだよね? もしかして王様に逆らったり嘘吐いたらとんでもない事になっちゃったりするの?」

「……そうですね。デビルーク王の機嫌を損ねて星そのものが消滅したと言う話は少なくないです」

「は、ハァ!? ちょ、ちょっと待てよララ! そんな話聞いてないぞッ!?」

 

 決定的な一言を聞いて思わず声を大きくしながらリトはララに詰め寄った。

 だがそれも当然と言えば当然であり、仕方の無い事である故に誰もリトを責める事は出来ないだろう。

 流れとはいえ、ちょっとした善意で了承した事が地球そのものを危険に晒す出来事に繋がると言うのだ。

 悪質な詐欺よりも酷すぎる内容にリトは遂に撤回を要求しようとするも、ララは悪意の無い笑みで返答する。

 

「あれー? 言ってなかったっけ? でも、大丈夫だよっ。そこは私がなんとかお願いするから、リトはバレない様にしてくれれば…」

「そしたらフリじゃなくなるだろう!?」

「でもリト一度オーケーしてくれたじゃん。私嬉しかったのに…」

「ストップ。ララさん、往生際が悪いよ。リトの優しさに付け込むのは止めてくれる?」

 

 ララの潤んだ瞳と、心底残念そうな傷ついたという声色に一瞬の動揺を見せ言葉を詰まらせるリトを見た美柑は横槍をすかさず入れた。

 あくまでララに悪意はない。

 でも、だからと言ってそれで全てが許される筈がない。

 美柑にとって、リトが望むなら最後の最後、最悪の事態で許す事も考えるが、無理強いをすると言うならば問答無用で手を下す覚悟でいた。

 睨み付けるように、臨戦態勢を崩さない美柑の様子を見てララはようやく諦めムードを漂わせ始める。

 夕飯を食べ終えたばかりであるが、お構いなしに寝転がってそっぽを向くララ。

 完全に拗ねてしまった様子の彼女にペケはなんとかフォローを入れようと必死になっている。

 その様子を見ながら美柑は思った以上にあっさりと勝ち取った結果に肩透かしを食らう。

 

(あれ、思ったよりあっさりしてる? なんか違和感が…)

「ありがとな、美柑。俺、考えが足らなかったよ」

「え? あ、うん。わかればいいんだよっ! まったく、私がいないと本当にダメなんだからリトは」

 

 などと言いつつ、彼の見えない角度では勝手に上がってしまう口の端を堪える美柑。

 褒められた事に喜びを感じざるを得ない様子で、全員分の食器を持って台所へと逃げ出すのだった。

 

――――――

 

 食器を洗いながら美柑は思った。本当にコレで終わりなのかと。

 別に物足りないとか、そういった意味では勿論ない。が、どうしてもあっさりとした結果に違和感を感じていた。

 

(ララさん、あんなに簡単にリトを諦める人じゃなかったよね。じゃあどうして…)

 

 因みにリトとララはもう一度話したいからと言う理由で二階のリトの部屋にいる。

 僅かな不安は確かにあったが、あそこまで言ったのだから今さらリトが間違った答えを出すはずはないだろう。

 そんな事を思いながら、最後の食器を洗い終えると同時にインターホンが鳴り響く。

 こんな時間に誰だろうと濡れた手をタオルで拭き取り、玄関へと向かう美柑。

 二回目のインターホンが鳴ったあたりで扉を開けると、来客の正体が明らかになる。

 

「夜分に申し訳ない地球人。ここにララ様がいるのは分かっている。速やかに…」

「ザスティン?」

 

 そこに居たのは美柑にとって見知った顔だった。

 思わず普段の反応をしてしまうと、ザスティンは一瞬眉をひそめた。

 その様子に「しまった」と感じた美柑。この時間ではまだ接点が無いのだから、いきなり名前を呼ぶのは変だと気付く。

 何とか誤魔化そうと考えを巡らせていると、意外にも最初に納得したのはザスティンの方だった。どうやら、ララが自分の事を話していたのだろうと解釈をしたらしい。

 

「なるほど、ララ様だな? どうやら情報は確かだったようだ。ならば話は早い、連れ帰らせて貰うぞ?」

「え? あ~…どうぞ?」

 

 勝手に納得した様子のザスティンを見て、話が悪化しないうちに要求をのむ事に決める。

 自分の知っているザスティンよりも明らかに好戦的で、野蛮な態度の様子の彼に若干の戸惑いを感じる美柑だったが、土足で上がろうとする事を注意すると同時に自分の知っているザスティンの顔が一瞬出てきた事にほんの少し安堵した。

 

(最初は別人かと思ったけど…まだまだ私の知らない事って多いんだなぁ)

 

 二階の部屋を説明し、階段を上っていく後姿を見送る。

 ザスティンが来たと言う事は、ララはこれで自分の星へ帰るということだ。

 

 本当に?

 

 本当に、そうだろうかと美柑は感じた。

 何か、違う気がする。

 そう思っていると、二階で叫ぶような声が聞こえた。

 どうやらララが帰るのを渋っているらしい。そんな様子の声を聴きながら、違和感の正体を美柑は感じ取った。

 

「待って、ザスティンと私が初めて会ったのってもっと後だよね?」

 

 自分の知っている時間との食い違いをもう一度確認する。

 ザスティンがララを連れ戻しに来たと言う事実は在ったのだろうか?

 美柑は知らない。

 だが、今現在、二階で起きていることはどうだろう。

 そこまで考えて、先程までのララの態度や反応…一つ一つのピースが当て嵌まっていく。

 

「ララさんっていつ、リトを好きになったの?」

 

 今日の学校で? 違う。それならあんなにあっさり退く筈がない。

 美柑の知っているララは、本当にリトの事を愛していた。

 だからこそ、さっきのあっさりとした…仕方ないと言う風に諦めたララに違和感を感じたのだ。

 じゃあ、いつ彼女はリトに惚れた事になるだろう? その答えは……

 

「まさか、これから?」

 

 不安が形となって現れる。

 いつの間にか声は止んで静寂が戻ってきていた。

 無言で一気に階段を駆け上がり、美柑はリトの部屋を開けた。

 そこには、誰もいなかった。

 

      ◆

 

 油断した!

 そう思いながら私は走り出す。

 自分の知っているザスティンにあまりにも慣れすぎていたせいで、まさかこんな事態になるなんて思ってもいなかった。

 窓が開いていたということは、ララさんはリトを連れて逃げたのかもしれない。

 それか、リトがララさんを連れて逃げたか…それは無い、よね?

 とにかく、今は三人を探さないといけない。

 もしかしたら、ララさんがリトを諦める世界があるのかもしれないと思って実行してきた。

 だからこそ、さっきの結果は上手く行き過ぎた気がしたんだ。

 後一歩。あと、一歩でもしかしたらが、叶うかもしれない。

 ただそれだけを信じて足を動かす。

 何処に行ったのかなんてわかる筈ない。闇雲に走って、疲れてるだけかもしれない。

 でも走らなきゃ、ただ、走らなきゃ。今だけは、走らないといけない。

 それが出来なきゃ、何も…解らない!

 

 そして私は見つけた。

 対峙するように並び立つ三人を。

 遠目でリトが何かを叫びそうになっているのを確認した私はそれを止めようと声を出そうとした。

 けど、さっきまで走り続けていた私は上手く声を出す事が出来ない。

 結局その場を傍観する事しか、出来なかった。

 だから……。

 

「私、リトとなら本当に結婚してもいいと思う…ううん、リトと結婚したい!」

 

 その言葉は初めて聞いた。

 だから、理解する。これが二人の始まりなんだと。

 これが、二人の馴れ初めなんだと。

 私はその場から逃げるように背を向け、そのまま歩み出す。あれだけ走ったのに、不思議とまだ余裕はあった。

 

      ◆

 

 渇いた音が鳴り響いた。そこにはアスファルトの地面を踏み抜くように蹴る美柑の姿。

 じんじんと、足の先から股の方へと痛みがこみ上げていく。

 彼女にとってそれは、ほんの一瞬だけ曝け出した本心だった。

 こうなる事は、彼女は最初から()()()()()。だから、この意味の無い行動は…自虐めいたそれは紛れも無い彼女の本心。

 ただ、単純に面白くないから。

 行き場の無い憤りを、吐き出しただけ。

 

「…あ~あ、結局元通りかぁ」

 

 彼女は空を見上げ、独り言を呟く。

 そして、今日までやった事の意味を考え直す。

 

(今日まで、リトと仲良くなるように努力した。でも、些細な変化は出たけれど…結局ララさんは来て、元に戻った)

 

 ララが来た以上、ここから美柑は少しでも変化が出るように行動を重ねてきた。

 彼女を追い出すような発言も、結婚を反対する意思表示も、ザスティンを向かわせたのも。全てが何かが変わるように試した実験の結果である。

 しかし結果は無かった。

 これだけやったにも関わらず、リトとララは婚約者候補の関係になってしまう。

 つまり、成果がない事が解った。

 

(大丈夫、まだ大丈夫…こうなるって事はやりようがまだあるんだから)

 

 半分は言い聞かせるように自分を静める美柑。口では、心ではそう思っていても不安は消えない。

 もしも………だったら。

 そう思わないように彼女は暗示をかける。他ならぬ自分自身に。

 

「とにかく、今は家に…それからリトを迎えないと」

 

 歩きながら、今後の方針を今一度固めていく。

 そう、今回の出来事でこの世界のことが少し理解できた。

 今までは、結局判断材料が無くて、何も解らなかった。だけど、ララが来た事でそれを少しだけ判断する事ができる。

 

 この世界はやはり、過去と同じ道を辿っている。

 

 だから、ララが予定通り結城家へ訪れた。

 そして、違う道を辿りながらも前と同じになった。

 だったら、今後の事は想定する事が容易いと美柑は判断する。

 

(あんまり気は進まなかったけどこうなったら協力…やっぱ必要だよね)

 

 一瞬思考する美柑。

 彼女の描く条件…リトに一定以上の好意を抱いていない。恋愛に寛大で自分に協力してくれそうな人物。個人的に信頼の置ける人物。

 二人、三人と目星を立てて美柑は手を上へ伸ばす。

 

「やっぱり、届かない…でも、あきらめない」

 

 一人では結局、無理だった。

 だから仕方ない。今は、それでも頑張るしかない。

 今日の成果は計画の続行を後押しする。

 予定通りララは訪れて、元の時間を辿っているなら、彼女達は必ず訪れる。

 まだ現れぬ親友を求める様に、届かぬ星へもう一度美柑は手を伸ばした。 

 

――――――

 

「ただいま~美柑」

「たっだいま~!」

 

 先に帰宅した美柑に続くようにリトとララは帰って来た。

 元気の無いリトと対照的に、ララは心底楽しそうに頬を朱に染めながらリトの腕を絡め取っている。

 靴を脱ぐからと一旦腕を振り解いたリトの後には、いつの間にか美柑が立っていた。

 ビクッと一瞬驚いたリトは、しどろもどろになりながらこうなった経緯を説明しようとする。

 美柑は笑顔を崩さない。

 ただ、全て理解している彼女はニコニコと笑う。

 不自然な妹の様子にリトとララは不思議に感じていると、美柑はゆっくりとリトに近づき…頬にキスをした。

 

「おかえりリト♪」

「へ? え…美柑…?」

「好きな人にはお帰りのキス、するんだよね? テレビで見たよ♪」

 

 普段慣れたハグよりも一歩上のスキンシップに驚くリト。

 彼女的には唇にしたかったのだが、流石にララの前では恥ずかしかったらしい。

 

「わぁ! リトと美柑って仲良しなんだね~!」

「えぇ。すっごい仲良いんですよ」

 

 今日の成果はもう一つ。

 これだけやっても結果は元に戻ったのだ…それはつまり。

 

(()()()()()()()をやっても、それは全然問題ないって事だよね?) 

 

 混乱するリトにもう一度、今度は逆の頬にキスをする。

 まだ、負けたわけではないと言わんばかりに、見せ付けるように笑顔で美柑はララに改めて言う。

 彼女が来てくれたことで、これからの方針は改めて決まった。

 

「歓迎するよララさん、リトはあげないけどね」

 

 驚きで目を見開くララを見て、()()()()()彼女はしてやったりと微笑んだ。



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『嫁と小姑(仮)』

      ◆

 

 ララが地球へ訪れて幾日かの時が流れた。

 ここに至るまでに美柑は幾つかの行動を起こし、結果を残した…のだが、それと同時に数える程度の失敗もしている。

 その最たる例が『結城リトの恋心を変えてしまった』事である。

 この時点で彼女はまだこの事が引き起こす可能性に思い至っていない。と、いうよりも気付こうとしていないのかもしれない。

 結論からして、彼女は過去の抑制された日々から解放され、ララが来るまでの間に自身の幸せと呼べる日々を謳歌した。

 ()()()()()()のだ。

 だからこの時の美柑は欲張ってしまった。

 自分でもリトを変えられる可能性を知ったことで、彼女は『リトを独占する事も出来るのではないか?』という希望を抱いてしまう。

 とはいえ、リト自身も気付いていない中に妹である美柑に引かれているのも事実。

 もしもこのままララが来なければ。

 そんな、もしもがあれば。彼女の望みは叶ったのかも知れない。

 

 折れ曲がった彼女の道はここで再び方向を変え、別の未来へと進み出してしまう。

 

 欲張った彼女はリトを独占する為に間違いを訂正しない。

 本能か無意識か、美柑はこのままリトには誰も好きになってくれぬように行動を重ねる選択をする。

 そして、ララの登場。リトは婚約者候補へ逆戻り、再び抱かれた恋心。

 この事で、この世界が自らの知っている過去へと戻りつつある事を確信してしまった彼女はこれまで以上の行動を起こす決断をした。

 果たして、この選択が今後の自分の選択として正しかったのかどうか。今の美柑に知るすべは無い。

 たとえ、『ララが訪れる』という事実そのものが回避する事のできない通過点であったとして…それがどれだけの影響を及ぼすか。

 ララ・サタリン・デビルークという少女の存在がこの世界にどれだけの影響を与えるのを考える余裕はなかったのかも知れない。

 宇宙から彼女が訪れた時点でどんな些細な現実も大きく変わってしまうのは、むしろ当然の事であり…大抵の事はその圧倒的な存在感によって塗りつぶされてしまうのもまた必然的な事である。

 

 『過去へ遡り、未来を変える』

 

 この事が可能であるなら、『世界』には決まった道など存在しないという事。

 美柑は再び失敗をした。

 ただ一度の敗北に対して過剰に意識しすぎた故に、再び方針を変えてしまった。

 付かず離れずこそが彼女の知るリトの攻略法であった事を諦め、積極性を押し出す作戦に切り替えた事で再び未来は変わる。

 

 結城美柑の恋路は茨の道である。

 手を伸ばせば届く程に近い希望が、見えぬ壁によって阻まれる。

 その壁こそが最大の難関であり、最後の一線。

 壁の向こうへ進む為、触れる為に彼女は自分の道を歩み続ける。

 たとえどんなに長い『遠回り』を選んでしまったとしても。

 

      ◆

 

 私が最初に戻ってきた日から数ヶ月して、リトと同じベッドに寝る日々を続けてきた。

 最初は週に一回。次第に頻度を増やしていき、一年前には週に六日を占める形で落ち着く。

 希望としてはこの数字をゼロにしたいところではあるけど、流石に多感な時期のリトに一切のプライベートを与えないのは気が引ける。

 あまりにも一緒過ぎて鬱陶しがられたりするのは普通にイヤだし、兄妹といえど男と女の違いは私には理解できない。だから、一日くらいはリトに時間を与えるのもまた一つの駆け引きみたいなものだ。

 朝起きて、大好きな人の顔が目の前にあると一日幸せな気分になる。

 だから週一回の『おあずけ』はちょっぴり寂しいものを感じる時があるけど、仕方ないと思うしかない。

 一息をついてふと思う。

 ララさんが来てからはもう以前の様に、半端に覚えている昔の行動をする理由も無くなった。

 元々ララさんが早く地球に来たりしない様に始めた事だったワケだし、このまま続ける事もないだろう。

 というより、ここまで違う行動をとっておきながら今更心配する事も無さそうだしね。

 

 とはいえ、過去と同じ道を辿っているのもやっぱり事実だ。

 

 このままララさんの存在感に圧倒されて負けるなんて悔しすぎる。

 だから、ちょっと恥ずかしいけれど今までより更にダイタンに行動する必要は在るかもしれない。

 リトには申し訳ないけど、ここまで来たら私だって欲張りになりたい。

 だからもうちょっと、もう少しの間だけ私にリトの時間を分けて欲しい。

 …少し考えたけど、ララさんやモモさんとかナナさんには悪いけど…リトを諦めて貰おうと思う。

 この姉妹と結ばれたら本末転倒だ。

 王様のルートに入ったらリトは絶対に苦労する。だから春菜さんとか古手川さんとか…私とかでないと、絶対ダメ。

 特にララさんとモモさんは阻止しないといけない。

 モモさんは当たり前として、ララさんはハーレム計画なんてなくても春菜さんとリトを共有するつもりでいたらしい。

 思想として一番危険なのはララさんだ。皆の幸せを望むララさんと、実際の行動力があるモモさんにだけはリトを譲る気はない。

 ナナさんは…大丈夫だろうけど立場が二人と同じだから出来れば選んで欲しくない。

 リトには幸せになって欲しい。お節介だと思われても、普通の小さな幸せを手に入れて欲しいから。

 私情を挟めば私を選んで欲しいけど……こうなったら予防線くらい用意した方が良いだろう。

 とにかく、先ずはララさんをどうにかしないといけない。このままリトと私の時間を取られるのも癪だし、婚約者候補の肩書きもジャマだ。

 つまり何が言いたいかというと。

 

「……で、どうしてこうなるの?」

 

 今日は週に一回の『おあずけ』の日。

 私のベッドには規則正しい寝息をしながら気持ち良さそうな顔で眠るララさんがいた。

 しかも一糸纏わぬ生まれたままの姿で、目を覚ました私の目の前で。

 何故、私は裸のララさんと同じベッドに寝ているんだろう?

 覚えている限りだとよくリトの部屋で同じ事をしていたはずだ。まぁ、今、同じ事をしたら一発で家から追い出してやるつもりだから良いけどね。あれ、いいのかな?

 

「んん…りとぉ~、でへへ~…」

 

 朝から嫌な気分になったのは久しぶりだと思う。

 だからこれは正当な理由としてララさんは受け入れるべきだよね、うん。

 枕を両手で持ち上げて、構えて…ゆっくり振り下ろす。

 

「ていっ」

 

 ぼふっと音がしてララさんの顔は枕に埋まる。

 そういえば挨拶がまだだった。

 

「おはよ、ララさん。おやすみなさい」

 

 一秒、二秒、三秒……カチコチと時計がリズムを刻んでいく。

 数十秒を数えたあたりでララさんの体が動いた。小さい動きがどんどん大きく身振り手振りを加えて身の危険を表している。

 寝起きで私もあんまり考えが纏らないけど、ララさんも多分そうだと思う。

 と、ララさんはその瞬間に抑え付けた枕を部屋の隅まで跳ね飛ばして、不足していた空気をおもいっきり吸い始める。

 

「ちっ…ララさんなんでここにいるの?」

「ぶはっ!? ふぅ~…すぅ~、はぁ~、み、美柑!? 流石にひどいよ~!?」

 

 そんな事言ったって知らない。

 私のベッドに無断で侵入してきたララさんが悪いんだから、自業自得だよ。あと前くらい隠しなよ。

 一頻り息を吸って、呼吸を整えたララさんは先程までの涙目だったのにも関わらず笑顔で「おはよう!」と挨拶をしてきた。

 それに対して私ももう一度挨拶を交わすと、ララさんはペケを呼んでいつものドレスに身を包む。

 

「美柑? さっきのはやりすぎだよ、私以外には絶対しちゃダメ! だからねっ」

「言われなくてもララさんにしかしないから。で、なんで私の部屋に?」

「うん、じゃあいっか♪ って、あれ? う~ん…ま、いいや。だって美柑がリトの部屋に入ったら一生結婚なんて認めないって言うから~」

 

 あぁ、そういうこと。

 前に余裕がなくなって思わず開き直った私の一言がどうやら思わぬ効果をもたらした。

 

『歓迎するよララさん、リトはあげないけどね』

 

 あてつけだったこの言葉がララさんには意外な一撃になった。

 どうやら、私がリトとの結婚を認めないという風に素直に受け止めたララさんは先に私と仲良くなる事を選んだらしい。

 そんな事してる暇があったら、リトと仲良くなるように行動をすればいいものを…と思ったけど、そうしないように私がララさんに「リトの部屋に無断で入ったら絶対に結婚なんて認めない」と言った事が原因だっけ。

 そしたら、ララさんはこうなった。先ずは私と仲良くなってから、リトとラブラブしたいみたい。

 

「怪我の功名…ってやつかなコレって」

「コーミョー?」

「なんでもないよ、着替えるから出てってよ」

 

 わりと素直に出て行くララさんを見て、こうなってしまった状況よりも思ったより良い方向に修正されているんじゃないかと私は思う。

 さて、今日は休みだしリトと何をしようかなぁ~。

 

      ◆

 

 美柑の部屋を追い出されたララは頭を悩ませていた。

 思った以上に難攻不落の美柑にリトとの結婚を認めさせるにはどうしたらいいのか。

 最近のララはこのことでばかり頭を悩ませている。そんな彼女を心配に思うペケはララに問いかけた。

 

「ララ様、最近同じ事で悩まれているようですが…」

「う~ん、そうなんだよペケ~。どうすれば美柑と仲良くなれるのかな?」

 

 ペケの立場からすればララの悩みを速やかに解決させてあげるのが彼女のコスチュームロボットとして当然の事だと思うだろう。

 実際そのとおりで、未だにリトという地球人とララが結婚するというのを心からはよく思っていないペケであったが、当のララがここまで執着した相手がいないのもまた事実。

 彼女への忠誠から一先ずはリトの事を認め、ララの不安の種を解決する事を先決と判断する。

 しかし、ペケはこの時点でリトとその妹である美柑のただならぬ関係になんとなく気付いてしまっていたので思考回路をフルに働かせる事になる。

 主人のララは全く気付いていないが、美柑という少女は明らかに血の繋がった兄を異性として好意を抱いている。

 宇宙での常識としても近親恋愛を認めている星は数える程度しかない。

 当然この地球でもその常識は当てはまっている事は既に独自に調べ上げている事なのでペケは理解していた。

 故に、出来れば厄介事に繋がるこの家庭とはあまり深く関わらない事が良策といえるだろうが、それも出来ない。

 正直なところ、ララはこの兄妹にとってお邪魔虫でしかない筈だ。

 幸いなのは現時点でリトの方が美柑に異性への恋慕を抱いていない事だろうが…だからといってこの問題の解決への糸口にはならない。

 

(ララ様、私にはどう足掻いても彼女を認めさせることが出来るとは思えません…)

 

 そうは思っても、口に出せない。

 目の前には真剣にこの問題に悩む主人の姿。

 アドバイスでも何でも良い、頭の良い主人が自分には及びもしない何かを思いつくなら今はそうさせてあげるしかない。

 ペケはそう思うしかないのだった。

 

「ララ様、彼女は正直言って兄のリト殿を異常なまでに慕っております。結婚を納得させるのは困難かと…」

「でも結婚したら美柑は妹になるんだよ? 少しでも仲良くならないとやっぱりダメだって!」

「そう言われましても、彼女は今焦っているのだと思います。ララ様が訪れて、今まで二人で過ごしていた空間が無くなるのを恐れているんだと思います。先程も申した様にあの二人は世間から見ても兄と妹の仲では量れません。正直に言って…ララ様は嫉妬の対象でしかないでしょう」

「う~、う~」

 

 出来ればコレで諦めてくれればどんなにいいか。

 きっと美柑も同じ事を思うに違いないとペケは思いながら溜息を吐いた。

 

      ◆

 

「リト、あ~ん」

「あ、ずるい私も! はいっあ~ん♪」

「い、いや、二人とも落ち着いてくれ…」

 

 手早く朝ごはんの用意して今日も三人で食卓を囲む。

 なんだかんだいって、この風景にも元々、慣れたものだ。今更戻ったところで違和感はない。

 だから、とりあえず方針を変えたので「あ~ん」というのを実践してみた。

 これがなかなか恥ずかしい。

 作った目玉焼きとウインナーを見比べて、やり易そうなウインナーをリトの口へ運ぼうとする。

 この後リトの口に入ったお箸を使うのだろうか?

 そう思うだけで顔が赤くなる気がした。

 そんな風に考えていると、私のマネをしたララさんがリトに自分のウインナーを運ぼうとする。

 

「ちょっ!? ララさん! これは『妹』の私の役目なんだからっ!!」

「え、初めてなんだけど…」

「ずるいよ~! 私だってリトの『お嫁さん』だもん! だったらこれくらいしてもいいよねっリト?」

「私認めてないよ!!」

「…二人とも落ち着けー!!」

 

 突然のリトの大きな言葉に思わず体が反応してしまう。

 あまりの驚きにウインナーがテーブルに落ちてしまった。いや、それよりも…リトが、怒った?

 横目で見るとララさんも目を見開いている様子でリトを見ている。

 私とララさんは恐る恐ると、怒ってしまったリトの反応を待った。

 すると、リトはゆっくり顔を上げていつもの困ったような顔で私達を見る。

 

「あ、いやゴメン…驚いたよな。でもさ、せっかくの朝食なんだし仲良くやろうぜ? 一応…これから一緒に食べるんだし」

「う、うん…そうだね、ごめん」

「リトがそういうならそうするよ、ゴメンね美柑」

 

 頭の中で警鐘が鳴った。コレは良くない事態だと私のカンが言ってる。

 リトが態々そんな事を言ったんだから相当精神的に追い詰められてるのかもしれない。

 こうなったら私が何とかするしかない…んだけど。

 やっぱり表面上でもララさんと仲良くならないとダメかな。

 別に嫌いってワケじゃないし、無理ではない。実際、ララさんとはそうやって来た。

 でも、今は出来るだけララさんとリトには仲良くなって欲しくない。

 こうなったら仕方ない。ララさんと話をつけるしかないかな。

 

「幸い、今のララさんなら少しは言う事聞いてくれそうだしね」

「どうかしたか、美柑? だ、大丈夫だぞ? もう怒ってないから、ホラ」

「…ホント? 良かった」

 

 そうと決まれば、今日はリトの事は諦めよう。ついでに聞きたい事もあったし。

 

      ◆

 

 朝食後、リトは父である才培の所へ向かった。

 どうやら最初から予定として組んでいた事だったらしく、今日一日、夕方頃まで帰ることは無いと告げて家を出て行く。

 都合よくリトが出て行ったことで、付いて行こうとしたララを止めて美柑は今後の話を始めた。

 

 議題はズバリ『リトを不安にさせないよう私達がする約束事』について。

 

 ポカンとするララを見ながら美柑は説明を始める

 

「いい? 私はさっきみたいにリトを怒らせたくないの。だから、ララさんにはこれから幾つかの約束事を守ってもらいます」

「え~、私だけ? そんなの理不尽だよ~」

「…解った。私もいくつかは譲歩するからララさんも守ってね」

 

 流石のララも一方的な押し付けには納得せず、仕方なしに美柑はララの言い分を聞き届ける事にした…ように見せた。

 かかったと美柑は内心でほくそ笑む。

 最初からある程度そのつもりで声をかけたのだからこの場合、彼女にとって全然問題はなかった。

 狙いは最初からララに幾つかの決まりを言い聞かせる事にある。

 言えばララは素直に聞くかもしれないが、それを守るかどうかは非常に怪しい。

 故に、自分も守るからという対等の理由でしっかりとした場を設けた事にこそ意味がある。

 こうして、妹と嫁(予定)の話し合いが始まった。

 

「最初は今までどおり、リトの部屋に勝手に入らない事。破ったら一生私は結婚を認めないから」

「はーい」

「次、さっきみたいに喧嘩にならない様に私のする事の邪魔をしないこと」

「それは美柑に都合良すぎると思うっ」

 

 お互いの意見やぶつかり合いを繰り返しながら決まりごとが作られていく。

 美柑は最初は自分の事だけを考えて始めていたが、徐々に今の現状を楽しみつつあった。

 今思えば、ララとは最初から良好な関係を築いていた。

 だから、こうやって二人で口喧嘩を交えた会話等当然した事が無く…思わぬ新鮮さに口元が揺るんでいるのにも気付かないでいる。

 彼女の父親の描く漫画の様な展開と言うわけではないが、お互いが譲れないものの為に言い合って衝突し、話し合う。思った以上にその事は当初の関係よりも壁の無い、友人の様な関係が出来上がりつつあることを二人は知らない。

 険悪ムードになるかと思いきや、楽しそうに話し合いをしていく二人。その姿を見守るロボットだけが誰よりもこの行く末を安心した様子で見届けていた。

 

――――――

 

「出来たー!!」

「うん、じゃあララさん解ってるよね?」

「もちろんっ! 美柑も忘れないでよね!」

 

 こうして二人の間に見えない関係が築かれた。

 元より、リトの事を心から慕ってきた二人の間にちょっとした擦れ違いがあったに過ぎない。

 だから、美柑が少しリトに関する事にイジワルになったとしてもララとの関係は悪くはならなかった。

 

(あれだけ無茶な要求とかもあったのに。これが王女様の器ってヤツなのかなぁ…本当、ララさんには敵わないや)

 

 心の中で美柑はそう思う。

 自身の小ささと、ララの大きさに。その違いを感じた。

 ララは本当に良い人で、自分はこんなにも嫌な人間だと嘲笑する。

 だが既に開き直った彼女は退かない。どんなに悪い人間に成り下がっても、今度こそは素直になると決めたのだ。

 他ならぬリトともっと、もっと仲良くなる為に。失う怖さを知った彼女は躊躇わない。

 

「あ、そうだララさん。大きくなる発明品って持ってる?」

 

 ふと、自分が聞こうと思っていたことを思い出した美柑はララに訊ねる。

 今の今まで、実は『西連寺春菜』という少女に出会えなかった美柑はちょっとした不安を感じていた。

 本来なら関わる事はもっと後でも、確かに出会う事はあった筈なのだ。

 しかし今回はそれが無い。故に彼女が今どうしているのかを全く知らないでいた。

 そんな時に今度起こるイベント…臨海学校である。

 最初からその事に関わりの無い美柑にとってそのイベントは全くの未知の領域。

 ここでどんな事が起きて、リトとララ、もしくは春菜との仲が深まるか解ったものではない。

 今となっては春菜の事を想っていないリトだが、もしかしたらこの臨海学校をきっかけにその気持ちが再燃するかもしれない。

 何より、西連寺春菜は結城リトを好きなのだ。

 それが変わっていないなら、万が一の事もある。

 だから、その事が気が気でない美柑は、今度はこっそりと臨海学校に付いて行こうとした。

 

「大きくって、サイズが?」

「いや、そうじゃなくて年齢的に大きくなれないかなぁって…今度臨海学校でしょ? その、私も行きたいかな…なーんて」

 

 小学生の一人旅では何処にも泊まる事すら出来ない。

 成長さえ出来れば自腹を切ってでも付いていく事は可能だと考えた上での決断。あの変態校長もいるなら紛れ込むことだって不可能ではない。

 だが、ララでもどうしようもないのであれば、本当に不安だが諦めるしかないのも仕方ないとは思っていた。

 だからこそ、一応。念の為に聞いてみるだけ。何より、リトと離れて寝るのが今ではちょっぴり寂しいし『おあずけ』は一日までと決めている。だから、隙があれば一緒に布団に入りたいと彼女は思っていた。

 

「美柑もリンカイガッコ行きたいの? そんなに楽しいなら今から楽しみだな~…っとと、成長する発明品だよね? えぇと、ゴメン。流石に今からじゃ間に合わないと思うんだ」

「…そっか。ま、期待はしてなかったし、仕方ないよね。楽しんできたらいいと思うよ?」

「美柑…」

 

 口ではそう言いつつも、見るからに落ち込む様子の彼女を見てララは頭を悩ませる。

 

(あぁ、せっかく美柑からのお願いだったのに! もしかしたらこれでリトとの結婚認めてくれたりしたのかも!? もう~そういうの作って置けばよかったよ~!! 今からじゃ大きくなる発明なんて…)

 

 はたとララは考える。

 やがてパァッと満面の笑みになって美柑に提案した。

 

「美柑、私に任せてよ!!」

「え、でもさっき…」

「うん、大きくなるのは持ってないよ! でも()()()なっちゃえば一緒に行けるよね♪」

 

 彼女はウインクをしながら渾身の笑みで返した。

 何処までも人を魅了するその笑みと代案に。美柑は逆に不安にならざるを得なかったのは、おそらくは経験から…なのかも知れない。



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『臨海学校』

「うん……うん。ごめん、そういう事だから……うん。仕事頑張ってね、それじゃまたね」

 

 軽い息を吐きながら美柑は受話器を置く。

 さて、次は。と、もう一度受話器を取りながら頭の中で考えていた受け答えを繰り返す。

 先程の電話は父親である才培に対してだっただけに気兼ねなく会話する事が出来たが、次はそうはいかない。

 下手な言葉を使ってしまえば計画そのものに支障が出るだろう。

 元々美柑は不良のような行いを自ら進んでやった経験がない。そんな慣れない緊張を誤魔化すように深呼吸をしながら番号を押していき、覚悟を決めた。

 

「あ、彩南第一小学校ですか? 新田晴子先生をお願いします」

 

 ……その後、少々話を焦りすぎたかもしれないと思いながらも、体調が悪いので三日程休むという事を何とか伝え終えた美柑は胸を撫で下ろし、第一段階の成功を微妙な表情で喜んだ。

 全く以て今回の自身の人生は難易度が高すぎると、美柑は心の中で父と担任教師に何度も頭を下げながら自嘲する。

 今日から三日間。確実に自分にとって波乱になるその日々を想像すればするほど不安と恐怖を覚える…が、今更何を迷っているんだと、美柑は拳を手のひらに打ちつけた。

 才培には今日からリトが帰るまで友人の家に泊まるという事を伝えたので、無人になる時間が多くなるであろう我が家の戸締りを確認しながら、今回の計画の肝であるララの下へ美柑は足を運ぶのだった。

 

      ◆

 

「おはよー美柑! 今日からリンカイガッコだね♪」

「おはよ、ララさん。それで、完成したの?」

 

 未だに素っ気ない態度しか取れない私は少々申し訳ないと感じつつも、ララさんに今回の要である発明品の有無を確認する。

 もしも何事も無くこの一件が終わったら、少しくらい昔みたいにララさんと仲良くするのも悪くないかもしれない。

 …あんまりフラグ立てるのも良くないからやめよ。

 

「出来てるよ~、ジャジャーン! その名も~ってまだ考えてないんだっけ」

 

 ララさんの手元にある発明品をしげしげと見る。

 いつもの事ながら、こんな用途の解り難い形状のモノがよくあんな事やこんな事できるものだと感心するしかない。

 これで大体手のひらサイズより小さいくらいまで縮めるらしいけど…不安だ。

 確かに、小さくなれば一緒に付いて行く事も容易になるし、好きな時に大きくなったり小さくなれるなら見つかっても不審者として捕まる事も多分無いだろうけど……最悪これって死んじゃうんじゃないかな?

 リトと一緒に臨海学校に行けるということに夢中になって忘れてたけど、これってリスク高すぎるよね? 流石にこんな事で死ぬなんてイヤだし、考えられるであろう事故に足が震えてきた。

 もし踏まれたら? 置いてかれたら? 投げ飛ばされたら?

 でももう退けないし、やるしかない。

 そう、やるしかないんだ。他ならぬリト…と自分の為に!

 

「じゃあコレ、ララさん持っててね。首にかけてくれればいいから」

 

 私はこの日の為に作った巾着袋をララさんに渡した。これが暫く『私の部屋』になるなんて誰も思わないだろう。

 オレンジ色でハートマークのついたそれを見てララさんは目を輝かせる。

 

「わ~かわい~! なになに? コレくれるの!?」

「あげないよ…いい? コレに私が入るんだから、ゼッタイ! 踏んだり忘れたり落としたりしないでね!!」

「あ、そっか。なるほどね~美柑って頭良いね♪」

 

 ララさんにはその気はないんだろうけど、嫌味にしか聞こえないと思った。まぁいいや、気を取り直してもう一つ用意していたストローをテーブルに置く。

 この形状にした理由は別に持ち運びに向いているからだけじゃない。

 移動するなら当然、不自然な形のはダメ。ケージみたいなものだと外から見えるから、必然的に手さげのようなものになる。

 大きいと目立つし、小さいと不自然。

 なら、このくらいのサイズが一番目立たないくらいのチョイスだと思う。

 構造上紐を緩めないと中身は見えないし、完全に密閉にはならないからストローを一緒に入れておけば口の部分で呼吸は出来るだろう。

 となると一番の問題はやっぱりララさんだ。

 肌身離さず持ち運べるから物として無碍に扱われないように出来るけど、ちょっとしたミスで起こる危険は無くならない。

 だから何度も念押しして注意するように言った。完全に私のワガママだし、うるさいとは思うけど、このくらい言わないとこの人は普通に怖い。

 うん、帰ってきたら少しは優しくしよう。

 

「じゃ、そろそろリトが来ちゃうからやるよー美柑」

「ど、どうぞ……アレ? ちょっとまってララさん。これ小さくなったら脳とかだいじょ…」

「いっくよ~!」

 

 私の言葉も待たずにララさんの手によって私の体は縮む。意外にも服ごと小さくなったから恥ずかしい思いはしなくて済みそうだ。

 一瞬だけ、体が小さくなった瞬間に脳が小さくなって考える事も出来なくなったりはしないだろうかって考えたけど、それもなんとか大丈夫みたい。

 やっぱりこの人と関わるなら考えすぎるくらい考えて接した方が丁度いいのかもしれないなぁ……そうでないと、こっちの身が持たないや。

 

      ◆

 

 慣れない小さな部屋の中で美柑はじっと到着を待つ。目的地までの移動中は特に問題は無かった事に美柑は胸を撫で下ろした。

 上以外の視界を遮断された状態ではララの首にかけられた自分がどんな風に見られているかは分からない。しかし、思ったよりも振動が少ない環境にいられたのは主にララのふくやかな二つの袋のおかげだったりする。

 言い知れぬ敗北感を感じながら、彼女はただ一つ自らの首を絞めている当面の失敗を心から悔いる。

 

(あ、あっつい…!)

 

 季節は夏。空調の効いた車内を出ればそこはサウナのような空間だった。

 ここまで狭いとなると気温の高い環境ではあまりにも辛すぎる。強度を心配してやや厚めの布地を使ったのも祟ったらしく、おまけに背中からはララの体温が薄っすらと感じられるのだから美柑にはたまったものではなかった。

 しかしこれも我慢するしかない。

 夜になれば少しは涼しくなるだろうし、暗ければ外に出る事もできる。とにかく、少しでも気を紛らわす事だけを考えて乗り越えたその時間を美柑は忘れないだろう。

 …因みに帰りも同じ方法だということは今の彼女には考える余裕はなかった。

 

――――――

 

「ぶっはぁ! し、死ぬかと思ったァ…!!」

「あ、あはは、おつかれ美柑。だいじょうぶ?」

 

 到着して早々に人目のつかない場所へこっそりララを誘導して美柑は外に出る。

 ララの手の上で新鮮な空気をたっぷりと吸いながら、自然の風が上がった体温を心地よく冷ましてくれるのを美柑は感じていた。

 呼吸を整えながら彼女は思う。

 兎にも角にも、潜入は成功したのだから後は春菜とリトが接近しないように何とかするだけ…と、言ってもこの時点で実はノープラン。しおりを確認した段階では、もしも二人が仲良くなるタイミングがあるとすれば一日目の肝試しと二日目の海での自由行動だろうか。

 そう考えながら頭を悩ませる彼女をララはじっと見つめていた。

 ふと、突然ララは「あっ」という声を上げる。

 その声に釣られる様に美柑は顔を上げると、ポンと両手を合わせながら今思い出したと言わんばかりの表情でサラッと発言した。

 

「言い忘れてたんだけど、小さくなる効果って四時間くらいに一回強制でリセットされちゃうから気をつけてね」

「え、そうなの?」

「うん! 故障とかして戻れなくなったら大変だからね~。念の為にその機能付けといたんだ」

「…う~ん?」

 

 何か重大な事に結びつきそうではある…が、今の時点では特に危惧するような事では無いだろうと美柑は感じた。

 実際彼女の言う事は安全面という意味では正しいといって良いし、気をつけていればバレる心配も無いだろう。

 そう結論するとリトの声が近づいてきた。離れた先を見ると既に集まりが出来ていて、二人はそろそろ召集の時間だった事に気付く。小さな少女は見つかっては不味いと慌てながらもう一度、あまり気の進まない袋の中へ入っていく。

 

(とりあえず、注意するのは肝試しかな……あぁ、おフロに入りたい)

 

 美柑は諦めにも似た表情で若干涙目になりながら新鮮な空気を惜しみつつストローを咥えた。

 ふすー、はぁー、すぅー。

 ………はぁ。と、時折溜息が聞こえるのを察したララは今日は何か美味しいものでも残して置こうかと心の中で決めるのだった。

 

――――――

 

「さーてそれでは~肝試しのペアを今から決めてもらい~す!」

 

 それから先も特筆するような事は無く、今回の最初の山場となる肝試しの時間が訪れた。

 無事に夜を迎える事が出来た美柑は相変わらず小さな部屋の中で管越しに空気を吸っているが、昼間と比べて日光の直接的な暑さもなく、待望の入浴もする事が出来ただけに彼女の機嫌は幾分かマシになっている事にララは安心する。

 彼女は今日一日、わりと献身的に美柑に尽くしていた。

 入浴時にはクラスメイト達の様子を伺いながら小さな体が溺れない様に世話をし、限られた分の食事しか出来ない以上、小さな体で食を満たす事が前提となる美柑に軟らかくて美味しそうなものをこっそりと分けてあげたりした。

 流石の美柑もここまでされて心が揺れないほど冷淡な人間ではない。

 ララがどれだけ優しい少女であるか再び認識させられて、意味も無くストローの端を(かじ)ってしまう。

 

「…………………………」

 

 何度目の思考か。それでも彼女は同じ思考を繰り返す。

 

「美柑? 今なら皆校長のとこ見てるから顔出しても大丈夫そうだよ」

 

 囁くような小さな声で言うララの気遣いにハッとする美柑。

 思考から戻ったばかりで、深く考えずに言われるまま緩められた袋の口から顔を出すと蛍光灯の明かりが眩しくて思わず目を細めてしまう。

 やがてそれも無くなると、目の前には心配そうにする王女様の顔があった。

 

「だいじょうぶ? なんか全然動かなかったけど…」

「へーきだよララさん。ありがと、気遣ってくれて」

「えへへ~♪ これくらい当然だよっ」

 

 彼女にだって打算くらいあるだろう。

 美柑に優しくするのだって、彼女が結城リトの妹だからだ。

 だからといって、それが悪いなんて事がないのは美柑も理解している。たとえこの立場でなくとも…ララなら自分の為に頑張ってくれたかもしれないと思ってしまう。

 実際、ここにいる王女様はそんな人間だ。それを理解しているだけに本心に苦しめられる。

 

「ごめんねララさん」

「いいよいいよ、気にしないでってば!」

 

 ララの笑顔に美柑は今出来る最大限の微笑みで返す。

 そのすれ違いに気付いているのは美柑だけだった。

 彼女の「ごめんね」にはララの思う意味と、あと二つ謝罪の念が込められている。一つは現状のワガママに付き合わせてしまった事。二つ目は今まで冷たくしてしまった事。そしてあと一つ。

 

 何度も悩んで、悔やんで、表面上開き直ったりもしてきた彼女の本心。

 ()()()なんて言葉は嘘でしかない。

 本当はずっとずっと昔から、妹は兄をこんな風に独占して来たかった。

 既に最初と呼べる時間は過ぎてている。

 今の彼女は他でもない『自分のため』に此処に居た。

 

(やっぱりララさんにはリトをあげたくない…リトは私のだもん)

 

 それは、ララの望む『皆が笑顔になる未来』はきっと訪れないという事。

 

      ◆

 

 ララさんの番が回ってきた瞬間、私は顔を引っ込める。

 都合よくララさんがリトとペアになれればいいんだけど、コレばかりはどうしようもない。

 ララさんにリトの番号を調べるようお願いしたけど…やっぱり番号は違っていた。

 

「あれ? 結城くん…もしかして13番?」

 

 聞き覚えのある声がした。

 思っていたより防音の要素が無い此処からだとこもった様な声にしか聞こえないけど、間違いない。

 

「ちょ、よりによって春菜さんがリトのペアなの!?」

 

 本当に何もかもが上手くいかなさ過ぎて頭が痛くなる。

 このままだとリトと春菜さんが急接近してしまう可能性大な事実に私は必死で考える。どうすればいい? どうしたら二人を…。

 って、なんかちょっとウキウキした声が聞こえるんだけど?

 リト何だかんだ言ってやっぱり春菜さん気にしてるんじゃないの!?

 まずいまずい、このままじゃ…

 

『結城くん、たすけて怖いっ』

『お、おい西連寺っ!? ち、ちょっとくっつき過ぎ…』

『だって、私…私…』

『お、お、おう。わかった大丈夫だから、な?』

『結城くん……』

 

 ……って、ダメェーーー!!! こんなのゼッタイゼッタイ認めないんだからァ!!?

 

「ララさんっララさんっ」

「うひゃっ!? あ、あははちょっとごめんね~……もう美柑っいきなりおっぱい突かないでよ!」

 

 本当はかなり本気で叩いたんだけど、今はそれどころじゃない。

 ララさんに私をリトに貸す様に伝えた。当然、危険しかないけどもうこうするしかない。ララさんの心配そうな顔を見ると申し訳なさがこみ上げてくる。

 やがて折れてくれたララさんと口裏を合わせて再びリトの方へ向かう。

 リトにはお守りという事で渡して貰う事にしたけど、上手くいくかな?

 と、次の瞬間に急な浮遊感が私を襲った。

 そのまま凹凸の無い壁の様なものにぶつかる。

 

「へぶっ…う、上手くいった…のかな?」

 

 ララさんと違って柔らかさの一切無い温かい『それ』を感じる。

 さっきまでの快適さは完全に無くなっちゃったけど、これは間違いなくリトの温かさだと思った。

 暫くの間、向かい合うようにして私は動かない。一枚の壁越しであっても伝わる体温は待ち望んだものだ。さっきまでと違う温もりと匂いにくらくらする。

 本当に、くらくら…する。

 

「ハッ!? あぶないあぶない、息が止まるとこだった…!」

 

 息苦しさに我に返ってストローで空気を吸う。外に出れば暗くて顔くらい出しても気付かれないだろうからそれまでの辛抱だと諦めて私はしゃがみこんだ。

 

「中身は見ちゃダメだよっ。あと、すごいデリケートなものだから大切に持っててね!」

「じゃあ渡すなよ!」

「あ、あはは…」

 

 そんな会話を聞いて、今回は本当にララさんには頭が上がらないなぁって思う。ホントにありがとうララさん…ゴメンね。

 

――――――

 

「ギャーー!!?」「キャー!?」

「ひぃ~~!!」「うわぁーー!!?」

 

 これホントに肝試し…? さっきから聞こえてくるのは、まるで絶叫マシンにでも乗ってるってぐらいの悲鳴ばかりだ。

 幸い私は何も見えないけど、きっと脅かし役とかが居て、間近で見たら驚いちゃうんだろうなぁ…うん。別に怖くないけど、顔は出さなくても良いよね?

 

「うぅ。とは言ってもこのままじゃリトと春菜さんに付いて来た意味が無いんだよね」

 

 そうは言っても正直、怖い。怖いけど、覚悟を決めよう。

 ゆっくりと顔を出す。ずっと暗がりの中に居たからそこそこ夜目に慣れていた。最初に見えたのは壁…じゃなくてリト。

 じゃあこっちは? と見た先にはリトの腕にしがみつく春菜さんがいた。なんか泣いててかわいそうにも思うけど…それでもイライラは治まらない。

 なんといっても()()は私の特等席だ。まだ認めてもいないのに勝手に使わないで欲しい。

 でもどうしようか。

 この状態だと威嚇も出来ない。大声くらいは何とか出来るかも知れないけど、この状況だと更に強く抱きついちゃう可能性が高い。

 悩んでいたら叫び声と同時にリトが立ち止まる。

 その声にびっくりして後を振り返るとそこにはオバケ…のメイクをしたおじさん? が物凄い形相で立っていた。

 なるほど確かにけっこう怖いかも。ただの肝試しなのに気合入れすぎじゃない…?

 リトの驚く声に耳を塞いでいると、違和感に気付く。春菜さんの声が聞こえない。

 

 次の瞬間、私は足元から一気に中へ吸い込まれた。

 

 何が起きたか判断するよりも先に物凄い揺れが私を襲う。突然の事態に勢いのまま袋の口を掴んで何とか振り落とされないようにするので精一杯な状況に混乱するしかない。

 直後、何かにぶつかる様な鈍い音と、リトの短い悲鳴が聞こえる。

 一体外で何が起こっているというのか。それよりもリトは無事なのか。

 

「リト、大丈夫!!?」

 

 その声は激しい動きに掻き消えてしまう。

 まるで災害の様な揺れに必死に抵抗していると外から春菜さんの悲鳴が聞こえた。そういえばオバケとか苦手だったっけこの人?

 そう思っていると、はたと気付いてしまった。

 この揺れの正体。リトの声。

 これって春菜さんがリトを引っ張りまわしてる!?

 そんな異常な光景が嘘であるように願ったけど結果は察したとおり。

 やっとまともに動ける状態になって一番最初に確認したのはリトの姿。

 哀れなぐらいに砂塗れになったリトは、あちこちぶつけて部分的に腫れて膨れてしまっていた。

 我に返った様子の春菜さんが必死で謝っていて、リトは全然大丈夫じゃないのにカッコつけて「平気」といい続ける。

 

 ……なにこれ。なんなの?

 

 春菜さんが謝って、それをリトが許して。

 本当ならコレで終わり。何事も無く解決なんだろうけど…全然よくない。

 私はきっと怒っている。当然、目の前の春菜さんにだ。

 

「こんなのひど過ぎるよ、早く消毒して手当てしないと…。リトのバカっ! 全然平気そうじゃないじゃん!」

 

 目の前の光景が信じられなかった。

 私の知っている春菜さんは優しい人だ。たしかに怖がりだったのは知ってたけど、いくら怖いからってリトをこんな目に合わせる人だなんて思わなかった。

 私の中の春菜さんへの評価が一気に下に落ちる。

 また暗い気持ちが込みあがって来た時、この場に似つかわしくない明るい声が聞こえた。

 

「あれ~二人ともこんなとこにいたんだ~って、リトどうしたの? 大丈夫?」

「ら、ララ? そのカッコ…てか、後の方々は……?」

 

 声のする方を確認すると幽霊のコスチュームになったララさん。

 …と、その後にはどう見ても浮いているお侍や長い黒髪を垂らす人達がぞろぞろと行列を作っていた。

 あぁ、コレってララさんの発明品だ。

 すっかり冷めた頭の私には、それがララさんの発明だと瞬時に悟らせる。

 同時に背筋が凍った。

 

「リ…」

 

 思わず大きな声を出してしまいそうになる。

 だけど、結局その声すら出す事はできなかった。変わりに襲ったのは浮遊感。

 春菜さんの見た目からは想像も付かないほどの力で空中へ放り投げられるリト。

 私は無意識に体を引っ込めて丸くなったけど、この先に待ち受けるのはきっと……。

 

 あ、これ死んじゃうかも

 

 もしリトが上になったら私はペシャンコになってしまう。

 さっきリセットしたばかりだから都合よく体が大きくなるなんて事もない。

 死ぬ瞬間に人間は考えが一気に冴え渡ったりするらしいけど…本当だったんだと思い知らされた。

 冴えたところで体は動かない。運命は変わらない。

 一瞬、ほんの一瞬諦めた私は……まぁリトにだったらと思ってしまった。

 もしそうなったらララさんが説明してくれる。そうなればリトは一生私を忘れないと思う。嬉しくはないけれど、悪い気はしない。

 永遠に、リトの心でずっと。

 でも、やっぱり……

 

「…や、やだァーー!!!」

「っ!?」

 

 私が悲鳴をあげたのと殆ど同時、体全部が温かい何かに包まれる。

 がっしりと私を掴んで離さないそれはとても力強いのに、まるで壊れないように優しく包んでくれた。

 その直後、大きな大きな一回の振動と一緒に吐息が聞こえる。

 リトの声?

 もう浮遊感は無い。優しく包まれる感覚に時と場を弁えずに落ち着いてしまう。

 遠くからララさんと春菜さんの声が聞こえて来るのと同時に、別の声も聞こえてくる。まだ、思考が追いつかない…けど、リトが…守ってくれた?

 

 それだけは理解できる。大事に扱うよう言われたお守りをリトは守ってくれただけなのに。でも嬉しかった。緊張が解けると涙が出てきた。止める事なんて…出来なかった。

 

「おやおや? 今年の肝試しをゴールできたのは一人だけなのですかな?」

「あれ…ゴール?」

 

     ◆

 

 結城リトは首の『お守り』をララに返すと、深刻そうな顔でその中身が何なのかを確認した。

 

「なぁ、ララ。そのお守りの中身って何なんだ? なんか美柑の声が聞こえた気がしたんだけど」

「え、ええ!? や、やだなぁ~そんなワケ無いじゃんっ!! コレは~…そう! ボイス入り目覚まし時計だよ!」

「目覚まし…時計?」

 

 苦しいララの言い訳にリトは半眼になって怪しむが、やがて無理矢理納得したような表情で溜息を漏らした。

 

(ま、そうだよな…。いくらなんでも本人が入ってるなんて無いだろうし)

「なら良いケドさ、変な声だなそれ…『やだ』ってどんな声入れてんだよ」

「へ!? あ~…たぶん~最初にナイショで録音したときかなぁ~? やだーって言われちゃったやつ、かも?」

「そりゃ怒られるだろ」

 

 ポンポンと美柑の入った『お守り』を軽く叩くララ。そんな空気を呼んで美柑は「やだー」「やだー」と声を出す。

 そんな様子にリトは首をもう一度ひねりつつも軽く微笑んで心底安心したような表情で言った。

 

「ビックリしたぞ? マジで美柑が入ってるんじゃないかって思ってさ。声が聞こえた時、思わず何とかしないとダメだ! ってなったんだよな~…ま、壊れてないなら結果オーライだけど」

(…へ?)

 

 それはつまり、彼は()()()()()()()()()()その行動を取ったという事の証明だった。

 その言葉を。行動を知ってしまったら…当然、兄が大好きなこの妹は喜ぶしかないだろう。

 未だ小さな彼女は、誰にも見えない場所で熱くなっていく顔を押さえながら再び息苦しさに襲われていく。

 そのまま何とかララを誘導させてこの場から去ろうとする彼女が次に顔を出すときは耳まで真っ赤になっているに違いない。

 

 こうして、切っても切れない関係だった彼女達は再び出会いを果たした。

 春菜への評価をこの時は下方修正せざるを得ないと感じる美柑と、そんな彼女に認められようとするララ。

 離れていく二人の後ろでは、片思いの相手を傷つけてしまった事に涙目で謝りながら彼の手当てをする春菜と、彼女に対して抱いていた感情に自信を無くしたリト。

 そんな新たな出会いは、前とは全く違う尾を引きながら別の未来へ歩み始める。

 

 

 

 ………少し離れた先でララは思い出したように呟いた。

 それは入浴の時に周囲を気にしていた彼女が小耳に挟んだ情報で、特に深い意味の無いちょっとしたウワサ。

 

「そういえば、この肝試しでゴールしたペアは結ばれるんだっけ? この場合って美柑とリトが一緒にゴールしちゃったって事でいいのかな?」

 

 特に気にした様子の無いその声は暗がりと静寂の中へ消えていく。

 その言葉を聞いていなかった美柑がどう思うか。

 それもまた特に意味の無い出来事の一つだった。




春菜さんへのフォローはするつもりです


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『臨海学校②』

 肝試しも終わり、臨海学校初日のイベントが全て済むと、生徒達のちょっとした自由時間が訪れる。

 同室で共に枕を並べるとなれば、教師達の見回りに注意をしながら大抵の生徒は眠気を催すまで何かの話題で盛り上がったり、こっそりと遊んだりしていた。

 高校一年という若さならば恋愛関係の話題で盛り上がる事もあるだろうし、互いの趣味や趣向について語ったりと、消灯の時間を過ぎても楽しい時間は終わらない。

 それはリト達の班も同じだった。

 好きな女子はいるのか? 胸と尻のどっちが好きか? 初恋やキスはした事あるのか?

 専ら異性関係についての話題でその場は持ちきりとなり、所謂『深夜のテンション』という状態の男子達の話に花が咲き続ける事となる。

 

(ふぁ…ね、眠い)

 

 その中で一番最初に限界が訪れたのはリトだった。

 とはいえ、彼の場合は先程の肝試しの疲労が大きい為に仕方ないのかもしれない。

 盛り上がっている同じ班のメンバーの会話を半分聞き流している状態で、リトはうつらうつらと瞼を重くしていた。

 最後の記憶は何だったか。適当に相づちを打っていた彼の意識は当たり前の様に、フッと音をあげるのだった。

 

――――――

 

 夜も更けて見回りをする教師もいなくなった頃、薄暗い廊下を小さな影が歩いている。

 その影は極力音を立てないように、ひたりひたりと何処かへ向かっていた。

 誰もいない廊下、音も無い夜。

 影は時折立ち止まり、辺りを窺いながらただ一人の肝試しを行う。

 予め調べておいた情報を頼りにしながら目的地へ急ぐ影。

 怖いから出来るだけ速く。でも静かに、静かに音を消してゆっくりと。

 矛盾する言葉を心で唱えながら。やがて、その部屋へと辿り着いた。

 そこの戸は決して固くないのに、とても重く感じられた。あれだけ注意をしていたのに思った以上の力で開けてしまう。

 ガラッと音が立ったその瞬間、影は両手で押さえて音を消す。

 反射的に行われたその動作のおかげで部屋から寝息が途絶える事は無かった。

 額の汗を拭いながらホッと息をつくと、そのまま畳の上を抜き足で進みながら影…の正体である美柑は肝試しの報酬を手にした。

 十分に慣れた目は電気を消した部屋であってもしっかりと相手を把握する。

 疲れが溜まり、深い深い眠りについたリトの髪を指で撫でても、その寝息は乱れない。全く振り払おうともせずに美柑のその動きを彼は受け入れた。

 ようやく。ようやくといった顔で彼女は柔らかな笑みを浮かべ、そのままリトの頬から首筋へと指を這わせていった。

 流石にくすぐったそうにするリトを見て美柑は当初の目的を思い出し、首を振る。

 リトが起きぬ様、寝苦しくないようにゆっくりと隣を陣取ると、そのまま彼女は同じ布団の中へ侵入していく。

 

(リト…怪我、大丈夫? 痛くない?)

 

 美柑の細い指が愛でる様に優しく、優しくリトの体中を這い回る。

 時折、絡め取るように肌と肌を密着させながら彼女は欲望を吐き出していった。

 美柑は既にある程度触れた時点でリトが深く眠っている事に気付いていた為、最初にあった遠慮は徐々に消え、今はもう形もない。

 いつもの距離。いつもの二人の時間が此処にあると感じる。

 苦労してまで付いてきてよかったと彼女は思った。

 仰向けに眠り続けるリトの隣で美柑は手を伸ばす。ギュッと反対側の服の裾を掴むと、より温かく感じられる体温に鼓動を高鳴らせた。

 彼女は暑さに強いわけではないし、好きという事も無い。でも、たとえどんなに暑くても年中リトと離れる事はしたくないと思っていた。

 故に、既にその状態に慣れきった二人はたとえ眠っていたとしても離れる事はない。

 美柑がリトに抱きつけば、リトは彼女の体を抱きしめる。

 強い力は込めず、優しく抱き寄せて髪を撫でる動作は既に洗練された動作であった。傍から見ればそれは恋人同士のように映るのかもしれない。

 いつもの温かな安らぎに合わせて襲ってくる眠気を彼女は我慢すると、本当は離したくないその手に力を込めてもう一度強く抱きしめた。

 

(明日…じゃなくて、今日も頑張らないと。それまでは…ん、リトを補充しとかないと…ね)

 

 だが、今日の美柑はいつもと違っていた。

 普段と同じ事をしているのに、今は全く違う場所にいるという事を意識してしまう。すると、不思議と眠気を追い払う事が出来た彼女は……普段より大胆にリトを求めた。

 興奮して逆に眠れなくなった美柑の夜はもう暫く続く。

 一時間、二時間とリトを堪能し、彼女が去るまで行われた熱っぽい時間に気付いた者は最後まで現れることは無かった。

 

――――――

 

「ララさん、ララさん。アレ貸して」

「んん~、ん~? みかん~? そこの、カバン中…だよ~」

 

 現在、夜中の3時半。その後ララたちの部屋へ戻ってきた美柑は彼女を起こして小さくなる道具を借りようとしていた。

 まだ日も昇らず、早起きの人間も目を覚まさぬ時間に突然起こされるララ。

 時間を確認すると流石に不機嫌そうな声で美柑に話しかけるのは仕方がない事だろう。

 

「なぁに~こんな時間に…ふぁあ…起こさないでよぉ」

「ごめん。でも半分はララさんの責任なんだけど」

「え~?」

 

 そもそも美柑は今日はそのまま眠るつもりだった…が、消灯時間が訪れるまでの間に気付いてしまった事がある。

 それはララが設定した『小さくなる効果は4時間毎にリセットされる』機能の事だった。

 肝試しが行われて数時間。

 次にリセットされるのは消灯時間が過ぎて、約1時間といったところだろう。

 するとどうなるか。

 まずは息苦しい。そして、当然元の大きさに戻ってしまうで袋から出ないといけない。それに関しては電気が消えた後に外へ出れば、大きくなっても誰かに気付かれる心配は少ないだろう。

 しかし、寝る時間はどうだろうか?

 4時間でリセットされるのであれば、深夜0時に始めても午前4時には効果が切れてしまう。

 4時にもう一度小さくなっても次は8時。途中でリセットを挿めば問題はないだろうが、それでも一度は夜中に起きなければ誰かに見つかってしまう。

 早起きをしてしまう人がいるかもしれない以上は、誰にも見られずに長く眠る事ができない事に気付いてしまった美柑。

 だから先程までは計画を変更し、眠らずにそのままリトに会って時間を有意義に潰してきたという事だ。

 

「あ、ごめん。そこまで考えて無かったよ…」

「別にいいよ。今からなら8時前まで大丈夫だから、7時に起きたらトイレとかで一回リセットしよ」

「あふ…りょ~か~い。それじゃおやすみ~」

「ララさんのカバンの横にいるから。おやすみララさん」

 

 美柑も既に限界が来ていた為、この後宣言どおりにララのカバンの横で小さくなると同時に彼女は眠りに付く。

 畳が硬いとは思いつつも眠気には勝てず、昼間とは逆に季節が夏である事に感謝しながら意識を手放していった。

 

――――――

 

『ワンワンっ』

『あはは、この犬なつっこいなぁ。こらこらあんまり舐めるなって』

『わんわんリトお兄ちゃんワンっ』

『…へ? み、美柑!? なんで? ってかその犬耳は…』

『リト、リト大好きっ♡ もっとぺろぺろしていいワン?』

『い、いやちょっとま…』

『ねぇお兄ちゃん…ずっと一緒にいようね?』

 

 息を呑みながらリトは目を覚ます。

 突如として起き上がったその姿に、先に起きていた猿山は反射的に仰け反って驚いた。

 一方でそんなことに全く気が付かないリトは覚醒しきっていない頭で先程まで見ていた夢が鮮明に記憶に残っている事に激しく自己嫌悪していた。

 

(ゆ、夢…? マジかよ、俺。なんつー夢を見ちまってんだ…。夢とはいえ、美柑相手に何てカッコさせて、しかもあんな台詞まで…)

「あ~びっくりした…って、あっはは! リトなんだよ、その顔! さっさと洗った方がいいぜ?」

「……へ? おう…?」

 

 いつの間にか様子を見に近づいてた猿山に言われるままにリトは洗面所へと向かう。

 別に見られたわけでもなく、知られることも無いはずなのに無駄に緊張をしてしまう胸を押さえながら。一刻も早く、少しでも頭を冷やそうと蛇口を捻る。

 冷たい水を両手で受け止め、いざ顔を洗おうとした時。ふと鏡を見るとリトは自分の口周りに唾液のあとが()()()残っている自身の顔を見て驚いた。

 

「うお!? なんだこりゃ、俺そんなに爆睡してたかな…?」

『もっとぺろぺろしていいワン?』

(いや、まさか…な。そんなわけないよな、あれは夢だし。夢、なんだよなぁ)

 

 顔を洗う姿勢からそのまま顔を押さえる姿勢になり、その場にしゃがみ込む。暫くこの自己嫌悪は彼の心を支配する事になるのだろう。

 無理矢理納得をする胸中で疑問はあっさりと消えた。どんな寝方をすれば口の周りにびっしりと付くというのか。そんな事は最早些細な事になりつつある。

 早朝から妹の事で頭が満たされた兄はその事に深く追求せず、顔を洗い終えてもその答えに気付く事はなかった。

 

      ◆

 

 思ったよりリトと春菜さんの接点少なかったな。ま、越した事はないんだから別に良いんだけど。

 臨海学校二日目。実質上の最終日の海での行事はなんかちょっとした事件が起きたぐらいで、リトが他の女のコと絡む事はなかった。

 流石に水に浸かるなんて不可能だからこっそり元の姿になって遠くから眺めてただけで終わったけど…結果から言って拍子抜けするほどあっさりと臨海学校というイベントは幕を閉じた。

 

「風が涼し~…そうだよ、最初からこうすればよかったんじゃん」

 

 今日もまたララさんの手を借りて食事とおフロの時間は済ませてある。

 夜風に当たりながら昨日までの苦労と失敗を思い返すと溜息がこぼれた。

 別に重要な時間以外は無理に小さいままでいる必要なんて無かった事に今更気付いて私は今、外にいる。

 よくよく考えると移動の時間と、食事とおフロの時間以外はリトを見張る必要ないなら適当な所で時間を潰して寝るときにララさんに迎えに来てもらえばよかったんだ。

 敷地内は思ったより広いし、騒音とかもないから音も良く聞こえる。

 だったら隠れてやり過ごすのも別に難しい事なんてなかった。

 

「それにしても…今回は流石に疲れちゃったかも」

 

 春菜さん…についてはまだ許したわけではない。

 リトに怪我をさせたのは事実だし、反省してても今回の事はしっかりと評価の対象として記憶する事にしている。

 でもそうなると古手川さんかヤミさん…が今のとこの保険の第一候補って事だけど、古手川さんって最初に会ったのいつだったかな。

 初めて会った時からリトに好意的なものは寄せてた気はするけど、正直どの時点で二人に接点があったのかもやっぱり私は知らない。

 

「…ま、いっか。保険なんて後向きに考えなくても、私がリトを幸せにすれば問題ないんだし」

 

 そうだ。結局誰がどうなろうとリトだけは幸せになってくれればいい。

 もし、私をリトが選んでくれたなら。そうなったら私が精一杯そうしてあげれば良いだけの事。

 二人でずっと一緒に過ごせたら…うん、幸せかも。

 我ながら小さな望みかもしれない。でもきっとそれはリトに関して言えばかなり難しいお願いだという事は今も身に染みている。

 兄妹だから結婚も出来ない。外国ならどうか知らないけど、そこまで無理にやる事もないよね。

 

「事実婚って便利な言葉だな~」

 

 最後までリトの世話を出来たら思い残す事なんて無い。

 だから今は、今を進もう。

 今日のご飯でリトが私の作った料理のが美味しいって言ってくれてたし。

 アレは不意打ちだった。

 思わず瞳が潤んじゃうくらい嬉しかった。それくらいリトが私のことを必要としてくれてた事が分かっただけでもここに居る理由は十分にある。

 私がリトを好きで、リトは私を想ってくれている。

 ここまで相思相愛ならあと一歩かもしれない。

 あとちょっとしたらリトの誕生日だし、今年は何を贈ろう? その時はこの気持ちをそのままあげられる位の何かをプレゼントしたいな。

 そしてそれが過ぎれば……。

 

「たしかそのくらいだったはず…時間は掛かっちゃうだろうけど、今度もきっと大丈夫だよね。今度は一人だけのお姉ちゃんになってくれたら嬉しいなぁ」

 

 空を見上げると星が綺麗に輝いている。

 ちょっと前に見た時よりも、その星達は大きく光っているように感じられた。

 

      ◆

 

 「くしゅんっ! うぅ、湯冷めしちゃったかな? でもドライヤーなんて使えなかったし…それよりララさん、もうそろそろ消灯時間なのに遅くない?」

 

 外に出れない用事でも出来てしまったのだろうかと不安になる美柑。いくら夏とはいえ、彼女は外で野宿する気にはなれなかった。

 もしや忘れられてるんではないかと思い始めた時、ふと窓の向こうに見慣れた顔が通り過ぎていく。

 間違いなくそれは自分の兄で、しかもこんな時間に友人と一緒に何処かへ行こうとしていた姿を確認する。

 

(なんか浮かない顔してる? 方角的にあっちは…なんか嫌な予感が)

 

 勘はそこそこ当たる方だと最近の彼女は自負している。特にリトに関係する事は大抵当たっていた。

 そっちは美柑やララ。そして春菜のいる部屋もある方向だと気付くと彼女は走り出していた。

 幸い、まだ扉の鍵はかかっておらず、美柑は小柄で身軽な体躯を使って自分達の部屋へ向かっていった。

 

――――――

 

「結城くんっ入って!」

「さ、西連寺? ご、ごめんっお邪魔します!」

 

 一方、現在のリトは『女子の部屋へ遊びに行こう』という友人たちの誘いを断りきれずに目的地付近で生徒指導の担任に遭遇してしまっていた。

 その時、偶然部屋に一人でいた春菜に救われて暫くの間だけ、ほとぼりが冷めるまで部屋で匿って貰える事になったのだが…。

 正直言って二人は気まずい気持ちでいっぱいになっていた。

 リトは一時期とはいえ好意を抱いていたかもしれない相手と二人っきりという状況に言葉を失い、春菜は現在進行で片想いをしている相手と二人っきりという状況にこれまた言葉を失っていた。

 加えて昨日はその相手に怪我までさせている始末。かける言葉は何も浮かんでは来なかった。

 そんな時、始めに話題を出したのはリトの方で「ララ達はどこへ?」という疑問から徐々に二人の間から壁は消えていく。

 本来のリトであれば女性と二人という状況にどぎまぎとしてしまい、気の利いた言葉は出せなかったかもしれない。

 だが今のリトは美柑で女性への耐性や、その場その場での切り抜け方等、多少の免疫を養っていた。

 実はその事から彼を知る女性陣の間で多少人気だったりする。

 

 「背は高くは無いけど顔は悪くない」「他の男子よりがっついてないし、そこそこ落ち着いている」「なんか兄弟的な意味で落ち着く」

 

 ちらほらとその様な意見があったりなかったりとしている事を本人は知らない。

 そんな彼の変化を美柑の次に良く知る人物が、今ここに居る『西連寺春菜』という少女だった。

 美柑がリトと多分に仲良くなる時期から彼女は結城リトを見ている。

 最初は活発で男友達と楽しそうにしているのをよく見かける、心の優しい普通の少年。彼女はそんな彼に好意を抱いた。

 それが最近になって変化していく姿も春菜は見ている。

 だんだんと雰囲気が落ち着いていき、大人っぽい雰囲気を身に付けている様な気がしたと彼女は思った。

 春菜には姉が居る。つまり事実上彼女は妹という立場にあるのだが、変化していくリトの姿を見て「まるでお兄ちゃんみたい」と友人の前で思わず呟いてからかわれた事もあったらしい。

 

(ゆ、結城君と二人っきり…! ど、どうしよう!?)

 

 結論、現在の二人はまるで正反対の状況へ変化していた。

 美柑と接し続けた事で無自覚のシスコンと化したリトは、クラスメイトから見て『なんか落ち着く』相手として見られ始めている。

 女性への耐性を身に付けてしまった事が美柑にとってマイナスなのかどうか彼女はまだ知らない。

 少なくとも『落ち着く対象』であるだけで『=恋愛対象』という事はないのが救いだろう。むしろシスコンになってしまい、リト本人の関心が美柑へ集中した事で現時点ではプラスに傾いているとも言える。

 つまり()()()()()『好きになったララ』と『好きだった春菜』の二人だけがリトに好意を抱いているという事は、今も昔もなんら変化はなかった。

 

「…っ、ララ達戻ってきたんじゃないか!?」

「へ!? え、あ、あ! 結城くんこっち!!」

 

 部屋の外からララ達の声が聞こえた事に反応する二人。

 混乱した春菜はそのままリトを自分の布団の中へと引きずり込んだ。

 

「春菜ただいま~! あれ、もしかして寝てた?」

「お、おかえり。ううん、もうすぐ消灯だから…ね」

 

 リトは彼女の布団の中で息苦しさと目の前に広がる光景のダブルアタックに悶絶しそうになるが、なんとか堪える事に成功している…しかし、それもいつまで続くかはわからない。

 『好き』が『好きだった』に変わってもリト自身は春菜に好意的な感情は抱いている。だからこそ慣れない妹以外の女性の香りや柔らかさを間近に味わって無事に済むはずが無かった。

 思春期男子には刺激の強すぎる環境の中で何とか理性と誇りを保った彼を余所に外側の春菜は緊張と羞恥の極みに達する。

 

(ふわぁぁああああ!?? 結城くんが、わわ私の足の間に!? し、下着とか見られてないよね!? ゆ、結城くんになら別にっ良いかも知れないけどでもでもっ…あ、汗とかかいてきてるかも!! あぁぁ、は、恥ずかしいぃぃ…!!!)

(美柑だいじょうぶかなぁ…見つからなかったけど。後でもっかい探しに行かないと)

(落ち着けっ落ち着け俺ッ! ここで西連寺のパ…下着なんて凝視しちまったら…兄として美柑に顔向けできなくなる!!) 

 

 同じ部屋に居ながら不思議なほどに噛み合わない方向を見ている三人。

 寝静まるまでは行動が出来ないという共通の気持ちだけを胸に頑張る事を決意するも、なかなかその時は訪れない。

 何故ならば、この時間は恋愛関係の話題で盛り上がる事もあるだろうし、互いの趣味や趣向について語ったりしながら消灯の時間を過ぎても夜は終わらない…そんな時間である。

 それは男女共通の事だった。

 

「あ、そういえば春菜って好きな人いるの?」

「え、ええ!? わ、私なのララさん!?」

「え、うん。だって春菜だって好きな人くらいいるかなぁ~って」

 

 突然のキラーパスに驚いてしまう春菜。瞬間的に跳ね上がった身体に足に挟んでいる相手と触れ合う場所が少しずれた事に再び顔を赤くしてしまう。

 そんなに好きな人を言うのが恥ずかしいのだろうかとララは勘違いするが、そんな彼女に同じくガールズトークを楽しんでいた籾岡里紗と沢田未央は不敵な笑みで横槍を入れてきた。

 

「そっか~ララちぃは知らないんだっけ。春菜の好きなやつ!」

「え、皆は知ってるの?」

「ま、一部だよ一部。結構有名だしねぇ」

「ちょ、まっ!? 何言う気っ!?」

 

 そんな会話は布団の中とはいえ聞こえないという事は全く無い。流石に好きな人を勝手に聞くのは失礼だと感じたリトは聞き流そうと耳を塞ぐ。

 春菜はもはや気が気でなかった。こんな場所で、しかもこんなムードも何も無い状況で、その上自分の口からでもなくその好意を暴露されようとしている。

 なんとかそれだけは阻止しようと声を上げようとした瞬間。

 けたたましい音が建物一体を支配した。

 非常ベルの音!? まさか火事だろうか。

 全員が慌てて部屋の外に出る。突然の事態に驚きを隠せない春菜だったが、リトを逃がすなら今のうちという事だけは頭から離れなかった。

 リトを布団から出すと、彼は春菜の手を掴む。

 火事ならば一緒に逃げなければいけないと感じたリトはそのまま春菜と一緒に脱出する事を意識せずに行った。

 未だ半分放心している春菜は外に出て風に当たったことでようやくさっきまでの状況を自覚し始め…顔を隠す。今は誰にも、特に隣に立つ好きな男の子には見られたくない。

 そう思うほどに今の彼女は耳まで赤くなり、口はだらしなく緩んでいた。

 

「え~、みなさーん。先程のベルはどうやら誤報だったようです。なので安心してそのまま部屋へお戻りください」

 

 静かな夜に似つかわしくないそんな大きな声が響くと、生徒達は全員安心したようなガッカリした様な声を漏らしながら自分達の部屋へと戻っていく。

 そんな中でもう一度リトの手を強く握り、春菜はリトに礼を言うとララ達と共に部屋へ戻っていった。

 その姿を見送るとリトはホッと息を吐いて自分も部屋へ戻ろうとする。

 …そんな瞬間だった。偶々ちらりと見た先には、自分にとって見慣れた大事な人が居たような気がした。

 そんな馬鹿なと目をこすってもう一度見ると、そこにその姿は無い。

 

「気のせい? おいおい、重症じゃねぇか俺…はぁ。美柑、独りで寂しくしてなきゃいいけど…って、俺よりしっかりしてるし平気だよな」

 

 自分よりしっかりしている妹の姿を思い浮かべながら、何処か寂しげに呟きながら部屋へ戻るリト。

 ふと、早く美柑に会いたい。そう思ってしまった事だけは誰にも知られぬように口には出さなかった。

 

――――――

 

「あれ?」

 

 春菜は部屋に入る前に遠くに人影を確認する。

 小学生くらいの女の子がこっちを向いている様に見えるが、如何せん離れていてよく見えない。

 まさか幽霊だろうかと顔を青くする春菜を見ていた少女は彼女を見据えて指を向けてくる。

 そのまま何かを呟くと同時に指を目元へ持っていき…舌を出しているように春菜には見えた。

 

「あっかんべー…??」

 

 すると、何か満足そうに彼女は通路の曲がり角へと消えていった。

 あれは何だったのだろうか?

 この時の春菜の疑問は一生判明する事は無いのかも知れない。




 おまけ
『中学時代の春菜さん』

 今日も結城くんは花に水をあげている。最近の結城くんは何だか大人っぽくなったような気がしていた。
 でも相変わらず優しい部分は変わらないし、私はそんな彼が好きだった。
 

「はぁ…クラス変わっちゃって話す機会なくなっちゃったなぁ。結城くん…」
「やっほ春菜! お、またストーカーしてるの?」
「ひぃ!? な、なな私そんな事してない!!」

 西連寺春菜。
 好きな人と話す機会が少なくなり、影でこっそりとその姿を見るのが日課になりつつある最近残念な感じと噂の少女。
 高校になってクラスが同じになり、元の状態になるまで大体こんな感じだったのだとか。


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『尽される人』

 最近の美柑は空を見上げる事が多くなっていた。

 その事に特に意味は無く、星を見ても綺麗だという感想くらいしか彼女は持たない。

 そうするのは何となく。そう、何となく空を見上げていたら『親友』がこの地球に訪れる様な気がしたからに過ぎない。

 待ち合わせの時間に時計を何度も確認するように、今日も彼女は空を見上げる。

 …ただ、今日はいつもと違った理由で上を見ていた。

 

「その見た目、随分久しぶりだね」

 

 大きな事件も無く、暫く時間が流れた頃。もうすっかりと外は涼しくなり衣替えの時期となった。

 そんな時期、10月は美柑にとって特別なイベントがあった。

 今日がその10月16日…大好きな兄の誕生日である。

 ()()()から早2年。彼女は思考を重ねてリトのプレゼントを考えてきた。

 時期的に本格的な冬に差し掛かる頃なので、最初の年には手頃な値段の服を。翌年には一年かけて練習した手編みのマフラーをリトへ贈った。

 本当なら最初の年も、もっと別の何かを考えたのだったが、編み物自体の経験が殆ど無かったのと思いつくのが遅すぎたので止む無く断念。

 貯金はお小遣いからこまめにしていても、小学生のものではやはり大したものは買えそうに無く、そもそも始めた時期を考えればこの頃の本来の美柑が残した財産しかないのが問題だった。

 1年とない期間ではリトに似合いそうな服も買うには難しい。

 なので自分なりの計画を実行しながらしっかりと編み物をマスターした彼女は、翌年になってようやく納得のいくプレゼントを手渡す事に成功した。

 さて、彼女は臨海学校を終えた後から必死で今年の誕生日プレゼントを考える。

 既に手袋くらい作れる程には腕を上げている美柑だったが、去年と同じ手法で果たして今年のリトの誕生日を祝えるだろうか? 答えはノーだ。

 なぜなら今年からは競う相手が存在する。

 美柑は兄である結城リトという青年が、好意によって贈られた品に優劣を付ける人間ではない事は当然理解している。

 だが、物事にはインパクトというものも大事である。

 そして何よりも、今年のララのプレゼントを彼女は()()()()()

 その事を考慮すれば今年の誕生日はまさに決闘とも言えるだろう。

 考えに考え抜いた美柑はつい最近になってようやく答えを出す。

 この件で友人であるサチ達に意見を聞いた上で出した結論は意外なぐらいあっさりとしたものだったが、ある意味で彼女を納得させるには十分な答えだった。

 やがて当日を迎え、美柑は父やララ達と共にリトを祝福する。

 どうやらリトは既に春菜から何かプレゼントを貰っている様子だったが関係はない。

 それなりに時間を過ごしたあたりで、彼女はリトに「外で待っている」と耳打ちして玄関へ向かっていった。

 

 そして現在。

 

 後からはララと才培の楽しげな声が聞こえる中で美柑は兄を待った。

 数分経ってから、追うようにして現れるリトの姿を確認すると彼女は顔を綻ばせる。

 リトは内心でその笑顔にドキリとした。

 この数年で自分の妹は随分と成長したと思っていたが、その大人びた雰囲気から零れた年相応の笑顔を見て、素直に可愛いと思ってしまった。

 別にやましい気持ちがある訳ではない。変な感情を抱いたわけでもない。

 兄とはいえ、妹が可愛いと思ってしまっても問題は無いはずだと心を落ち着かせながら彼女に歩み寄るリト。

 そうすると、美柑はスッと両手をこちらに差し出す様にしてリトを見ていた。

 その姿と表情を察したリトは隣に立って腕を出す。やがて彼女は花が咲いたような笑みでその腕に抱きついた。

 互いが相手の体温を感じ合う。

 そんな光景にもすっかりと慣れてしまった兄妹は穏やかな気持ちで暫くの間そうしていた。

 上目遣いで美柑はリトを見ると、リトは照れたような微笑で視線を逸らす。

 二人のそんな光景を見る人間はいない。

 今、この世界にいるのは美柑とリトだけだった………と本人たちさえも錯覚していた。

 

「キシャーッ」

 

 反射的に距離を取る二人。

 何故か顔を赤らめて気まずそうにそわそわしている光景はまるで付き合いたてのカップルの様だった。その反応には先程までの熱のこもったスキンシップをしていた姿はまるで無い。

 とりあえず、という風に空気を裂いた声の主を二人は見上げると、そこにはララから贈られたリトへのプレゼントが嫌でも目に付いた。

 リトは植物の世話を好むという情報を得た彼女は、宇宙的にも珍しい花をプレゼントに選び、心からこの日を祝う。

 態々学校を休んでまで宇宙へ探しに行って選んだ贈り物を兄妹は苦笑しながら眺めると、その花はもう一度二人に向かって鳴いた。

 

「キシャーッ」

「にしても、これスゲーよな…いろんな意味で。近所の人が腰を抜かさなきゃいいけど」

「そうだね…まぁ、しっかりと面倒見てあげよう? 私もちょっとくらいは世話するからさ」

 

 花といえば大体は綺麗だとかカワイイといった感想を抱くのが普通だろう。

 中には特殊な花も存在するが、それはプレゼントという括りではなかなかお目にかかれない存在だと思われる。

 だが、目の前のそれは間違いなくそのお目にかかれない部類の花だった。

 まず大きい。そして触手の様な(つる)を持ち、花の部分にはこれまた目を引く()があった。

 あまりにも独特なその見た目に、渡された時は思わず絶句するリト。

 しかし渡された以上は大切にするのが彼の流儀である。一瞬食べられてしまうかもと思ったのは仕方ない事なので目を瞑ってあげて欲しい。

 

「最初はどうなるかと思ったけどさ、思ったより大人しいよなコイツ」

「だね。待ってる間見てたけど、言ってる事が理解できるみたいだよ? ね、()()()()

 

 美柑の言葉に反応するように一鳴きする光景を見る限り本当に言葉を理解しているんだとリトは納得する。

 それと同時に今の彼女の発言に対する疑問を訊ねた。

 

「セリーヌって?」

「…あ、ごめん。リトのプレゼントなのに…さっき考えたんだ。だって言葉が解っちゃうなら、せめて名前くらいつけなきゃって思って」

「あ~それもそうかもな。セリーヌ…セリーヌね。うん、良いんじゃないか? なぁ、今日からセリーヌで良いかな?」

 

 リトの問いに花…セリーヌは心なしか嬉しそうに鳴いているように二人には聞こえた。

 もともと名前は美柑が考えたものなのだから、このタイミングで彼女をそう呼んでも問題は無いだろう。

 この姿からは『彼女』とは到底呼べないと美柑は苦笑するが、せめて女性らしい名前を付けてあげられた自分を褒めてやりたいと思ってしまう。

 今は奇声を放つ禍々しい見た目の花だが、彼女の知るセリーヌはもはやその姿からかけ離れた人間の様な姿をした少女だ。今の時点で目の前の花がそのような変貌を遂げるとは誰も思わないだろう。

 懐かしい見た目の家族に美柑は声をかける。

 自分にはまだ早いし、実感の湧かない事だと思っていたことだが今の彼女はそれも実感していた。

 彼女にとって、この花は特別な存在。ここまで来て彼女が欠けるなんて考えられないほどに大事な『自分の娘』に心からの言葉を与える。

 

「いらっしゃいセリーヌ。これからよろしくね」

 

 こうしてまた一人、結城家に家族が再び加わった。

 

      ◆

 

「でさ、リトにプレゼントあげたいんだけどね。最初に言っとくけど、何も思いつかなかったとか、めんどくさくなったとかじゃゼッタイないから」

「誰もそんな事思わないって。ありがとう美柑」

「まだあげてないよ? もう、はいっコレ」

 

 私はただの紙をリトに渡す。

 もちろん綺麗な色の紙だけれど、それに文字を書いただけの品にリトは困惑している。

 そりゃそうだよね、去年が手編みのマフラーだったのに手抜きも良いところだもん。

 準備時間約30秒の紙を手にしたリトは、書かれた文字を後からの家の中の明かりで照らして読み上げる。

 これが今年の私のプレゼントだ。

 

「んん? 結城美柑一日自由券?」

「うん。次の休みの間の一日だけ、私がリトの言うこと何でもきいてあげる」

「なんだそれ、いつもと変わらないだろ? 俺っていつも美柑の世話になりっぱなしなんだし」

 

 その発言はちょっぴり嬉しい。

 けど、それはそんな意味じゃないよ。ララさんが用意したセリーヌよりも大きな思い出を作らないといけないんだから。

 

「『何でも』だってば。リトが触りたいように好きにしてもいいし、どんなカッコウもしてあげるよ? ちょっと手の届かないものだって取りに良くし、お金さえあれば隣町にだって買い物してきてあげる。とにかく『何でも』してあげる自由券なんだから」

「あんまり『何でも』とか言うなって。外で言っちゃダメだからな」

「リトにしか言わないよ?」

 

 当然だ。こんなのリトにしか言わないし、言えない。

 何でもしてあげたくなっちゃうのは、相手が『リト』だから。

 

「ん~…わかった。じゃ、次に使うからその時はヨロシクな?」

「うん! ちゃんと考えててね。あ、ちょっとくらいならエッチなことでもオッケー…だよ?」

「はは、しねーよ。ほらっ風邪ひいたらダメだろ。家の中に戻ろーぜ」

「ジョーダンじゃないんだけど?」

「はいはい、そういうのは無し無し」

 

 最近リトはスルーをするスキルを身に付けたらしい。

 何だか女のコの扱いに手馴れてきてる感じはするけど…大丈夫だよね?

 ララさんもそんなリトに前とはちょっと違う感じで好きになってる感じだけど、今のところは問題ないみたいだし。

 リトが学校でモテてないかだけが心配だ。今度ララさんに聞いてみようかな。

 

 セリーヌにおやすみをして家の中に戻ると残した二人はまだ盛り上がっていた。

 まったく、誰の誕生日何だか…。

 そんな二人を制するように私とリトで部屋の片付けを始める。

 私一人でするって言ったのにリトはどうしても手伝うと言って聞かなかった。

 ちょっと強く言ってみても軽く笑いながらあしらってくるのは何だか面白くない。けど、最後の一言で私は折れてしまう。

 

「俺が一緒にやりたいんだよ。イヤか?」

「う…そんなワケ、ないじゃん。はぁ、わかったよ」

 

 何だか最近リトに勝てない気がする。今度の休みはギャフンと言わせてやろう。

 そう決心をしながら二人でお皿を洗う事に集中する。

 ………何だかこういうのも悪くないかも。

 

      ◆

 

「んん、あったかい…やわらか…」

「ふぁ…リト…ち、近い…嬉しいけど、動けないってば~!」

 

 今日は『結城美柑一日自由券』を使う約束の日。

 いつもどおり兄妹は一緒に入浴し、同じベッドに寝た。

 王様になった時のリトは寝ながら女性の弱点を確実に攻めてくる寝相を持った一種の才能を持っていたが、今回のリトにまだその兆しは無い。

 いや、現在進行形で美柑は襲われているのだが、これは単純に抱きつかれているだけである。

 どうやら今回のリトは、美柑と共に寝るようになってから手元の何かに抱きつく癖が付いてしまったらしい。

 たまに眠りが深いときはこのように加減が無くなる時があるが、普段はもう少し優しい感じで抱きしめてくれると美柑は語る。

 暫くして眠りから覚醒するリト。自分の腕の中には大事な妹の姿。

 息苦しそうに呼吸を荒くしながら顔を赤くしている顔を見た瞬間、リトは慌てて美柑の肩を掴んで距離を引き離した。

 

「あんっ! もう…何でもって言ったけどいきなり大胆すぎない?」

「ごごごごめんッ!? 大丈夫か!?」

 

 美柑は未だに赤い顔で自身の髪の毛を弄りながら視線を逸らす。

 かつて『リトを好きになる効果』を持つセリーヌの花で一騒動あったのだが、その時に美柑はリトを好きになるとどうなるかを体験している。

 花の効果も合ってか、その時よりは我慢出来る程度になってはいるものの。ここ最近の美柑はその時の感覚を思い出しつつあった。

 

(な、なんか最近の私、変かも…。リトのこと好きだったのに、ここのところ抱きしめられたりしたらそれどころじゃないくらいドキドキしちゃう)

 

 最近のリトは本格的なシスコンへの道へ歩み出している。

 美柑に対しての扱いや、気の遣い方等。美柑がリトと仲良くなろうと接すれば接するほどにリトはその反応に応える様になった。

 そうなるとどうなるか。

 次第にリトは美柑が何をどうすれば機嫌が良くなるか、喜ぶか。それを無意識に何となく察し、そのまま行動に移せるようになってきている。

 言ってしまえば、美柑がリトにそうなるようにしたのだが、そんなリトに美柑は虜にされ、逆にもっと好きになってしまったのだ。

 互いの為にそうやって、互いに喜び、互いに求め合う。

 そんな堂々巡りの幸せループに美柑は陥ってしまう。

 別にこのままでもいいかもしれないと思ったのは一瞬だけ。なぜなら、このままでも良かったのはララが訪れるまでの話だから。

 もしこのままリトを好きになり過ぎて行動に支障が出れば目下最大の敵であるモモが訪れた時に対処する事が出来なくなるかもしれない。

 リトの手を握れば鼓動が高鳴り、声が上ずる。

 リトの腕を抱きしめれば周りの音が聞こえなくなる。

 最近は一緒の湯船に浸かれば、いろいろと我慢しなければ関係そのものが崩壊するかもしれないレベルになっていた。

 リトへの好感度は既に振り切れていると思っていただけにこの誤算は大きい。

 やっと慣れてきた事がここに来てまた、ぶり返すなど誰が想定できるだろうかと頭を悩ませる美柑。

 今更リトを嫌いになるなんてなかなか出来ることではない。少しでも慣れるしかないのが唯一の方法だと彼女は思った。

 ある意味、今日はそれを克服するチャンスなのかもしれない。

 

「あはは、気にしないでって。私は…嬉しいし。そ、そうだ。お腹すいたよね? ご飯とパンどっちがいい?」

「え? ええと、パンかな」

「わかった! じゃあ部屋で待っててね、すぐ作るから!」

 

 事前にララには今日一日二人っきりで過ごしたいと伝えているため今日は出かけて貰っている。

 そんな久しぶりの二人の日常が再び実現した。

 

――――――

 

「あ、リト! もう今日は私が全部するのに!」

「といってもなぁ、せっかくのプレゼントなんだからじょうろは使いたいし、セリーヌの面倒くらいは俺が見ないと」

「じゃあ他の事で私をつかってよね!?」

 

 

「ねぇリト。さっきから私あんまり動いてないんだけど?」

「ん~? でも使ってるだろぉ?」

「うぅ…たしかに後から抱きしめられてる…って、そういう事じゃないんだけど」

 

 

「あれ? リトどこいったの~って、わわっ!?」

「あはは、つかま~えた~。一緒に昼寝でもしようか?」

「こんな時に!? って、ひゃ! ベッドに引きずり込まないでよ!?」

「んじゃ目覚ましセットするから2時間俺の抱き枕になってくれな?」

「これじゃあいつもと変わらないってば~~!!」

 

 

ジリリリリ!!

 

 目覚ましの音に最初に起きたリト。

 時計を止めると腕の中にいる大事な妹の髪を優しく撫でる。

 無理矢理ベッドに引き込んだが、やはりこの状態で長時間いれば美柑といえど眠気を堪える事はできなかったようである。

 小さな寝息をたて、穏やかに眠る姿を見ていると心が温かくなる感覚に陥るリト。

 一晩考えた末にリトは自由券の使い方を考えた。

 

 それは、美柑を出来る限り休ませてあげる事。

 

 別に、何でも無い日だって何でも言う事を聞いてくれるのはいつもの事だった。

 無理難題は言わないものの、一緒にいると美柑はいつもリトを気遣っている。

 それを察していたリトは今日という日を利用してやろうと考えた。

 いつもと同じなら、今日は逆にこっちが好きにやってやろう…と。

 だがやる気になっている美柑を置いて自分が動く事はできない。

 ならばこちらも動かなければいいのだ。

 そうすれば美柑も休まざるを得ない。決して自分が美柑を抱き枕にしたり抱きしめたりしたいからではない…半分は。

 

「自由券なんだからこういう使い方もあり…だよな?」

「う~ん……」

 

 こうしてリトの作戦に敗れた美柑は更に数時間の眠りにつく結果となるのだった。

 

      ◆

 

「もう! どうして起こしてくれなかったの!?」

「いや、気持ち良さそうだったし。悪いかなって」

 

 目を覚ますと既に日は落ちかけていて、すぐに寝過ごしたのだと判断できた。

 結局今日はリトに抱きしめられてばっかりだ。

 せっかくの一日なのに私はリトに何も出来ていない。

 とにかく何かしてあげたい。だから私は遂にワガママを言い出す。

 

「とにかく何かさせてよ~!」

「えぇ…う~ん。あ、そうだ。耳掃除なんてどうだ?」

「耳掃除? うんいいよ! じゃあ耳かき持ってくるから待ってて!!」

 

 耳掃除という言葉を聴いて私はようやくリトの役に立てるのだという嬉しさから勢い良く部屋を飛び出した。

 これがリトの策略とも知らずに。

 

――――――

 

「あの、これおかしいよね? 何で私がリトに耳掃除されてるの?」

「俺が耳掃除されたいなんて言ったっけ?」

 

 はかられた…!!

 今の私は胡坐をかくリトの足を枕にして耳掃除をされている。

 どうしてこうなったのか?

 思えば今日のリトはずっとおかしかった。最初からこうするつもりだったのかもしれないと思ったのはこの時だ。

 唸る私に対してリトは息を吐く。

 耳掃除されているので顔を見る事は出来ないけど、多分駄々っ子を見るような目で見てるに違いない。リトのくせにナマイキだ。

 

「ごめんって。でもさ、俺はこうしたかったんだから偶にはいいだろ? こういうのも」

「……好きにしたら? 自由券なんだし」

「俺さ、いつも美柑に頼ってばっかだろ? だからさ、こうやって美柑の面倒見てあげれるのって凄い少ないんだよ。だから今日はありがとな美柑。最高のプレゼントだよ」

 

 もう、そういうのやめてよ…。やだなぁ、なんでこんな単純な事でいつまでも照れてるんだろう私。

 今は小学生だけど、本当に小学生みたいだ。

 何処までも未熟で、何処までも愚直な過去の私。

 中身はこんなになっちゃったってのに…あぁ、嬉しすぎて顔が緩んじゃう。

 

 リトの好意が嬉しい。

 リトの優しさが嬉しい。

 リトの返事が嬉しい。

 

 リトの優しい手付きで耳の中を弄られると何だかゾクゾクする。

 蕩けそうな幸せは人間をダメにするのかも。

 今日一日の計画は全て無駄になっちゃったけど、なんかどうでも良くなってきた。

 

「まぁ、たまにはいいか…♡」

「次、反対いくぞ~」

「ん~♪」

 

 あ、買出し忘れてた…でも後でいいや。どうせ着いてくるだろうし。リトと一緒で不満な事なんてあるはずないんだから。




沙姫&レン「あれ、出番は……?」


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『彼女の周辺②』

 テレビで言っていた事がある『恋は駆け引き』だと。

 実際そうだと思った。だって僕の恋はきっと全力を持って望まなければ実らないものだと知っていたから。

 時に押してもダメなら引いて、また時には強引に押し切る勇気だって必要だ。

 たとえ都合が悪くても振り切る覚悟だっている。

 そう、僕の場合は自分を押し殺す覚悟が必要なんだ。

 だからどんなに予期せぬ事態になったとしても好機に変えなければならない時だってある。

 きっと今がその時だろう。

 

「お~い、そこの暇そうな大好くん。ちょっとあたし達の相談に乗ってくんない?」

 

 ちょっと前を境にして、僕と小暮さんは少しだけ仲良くなっていた。

 結城さんのヒミツを知る数少ない人として今は偶に雑談くらいする関係。

 そんな僕らは知り合い以上で友達未満なんだと思う。

 その彼女が後に二人の女子を連れて目の前に現れた。

 僕としてはあまり目立つようにして小暮さんと話すのは出来れば控えたいと思ってるんだけど…そうは言ってられない。

 彼女は結城さんの親友だ。

 つまり、彼女と仲良くする事がそのまま結城さんの評価に繋がることだってあり得るんだから。

 もしも僕が小暮さんに嫌われたら。

 彼女がそのまま態度に出したり、何かの話題で僕の名前が出たら元々無い好感度が地に落ちる可能性だってある。

 逆に気に入られたら。

 結城さんについてもっと知る事が出来るかもしれない。だけど勘違いされて小暮さんとはそういう関係なんだと思われるかもしれない。

 別に小暮さんが嫌いなワケじゃなけれど…本命の相手にそう思われたらと思うと気持ちが一気にブルーになるのは仕方ないと思う。

 結構最低な事考えてるかもしれないとは自覚している。

 でも、恋は駆け引きだ。甘く考えて玉砕してたら後悔しか残らない。

 だから今はこの渡りかかった船に上手く乗る事に集中しなきゃならないんだ。

 

「え~と、構わないけど…何?」

「感謝してよ? 美柑を説得するの大変だったんだから」

 

 言われて小暮さんに連れられた二人…結城さんと乃際さんを見ると彼女達は僕を一瞬だけ見ると視線を逸らす。

 乃際さんは接点が少ないから警戒されても仕方ないとしても…結城さんにそうされるのは正直傷付く。

 そんな僕を見て、小暮さんは手をあたふたとさせながら励ますように気遣ってくれる。そういえば彼女は僕の好意を知っていたっけ。

 説得…ということは僕にそういう機会を作ってくれたのかもしれない。

 大して仲良くない相手に、親友の相手を務めさせてくれるなんて。

 小暮さんの優しさに感激しながら、突然降って来たその好機を僕はものにしてみせると決意する。

 

「ところで相談って?」

「あぁ、うん。実はね、今度美柑のお兄さんの誕生日らしいんだけどさ。美柑がそのプレゼントに困ってるらしくて」

 

 僕と小暮さんは結城さんの好きな相手が実のお兄さんである事は知っている。

 つまり、小暮さんは知っていて僕にこの話を持ってきたということだ。

 これは試練なのかもしれない。

 僕にとって薄っすらとしか見た事の無いお兄さんこそが最大の恋敵(ライバル)だと一方的ながら思っている。

 しかも手を繋いで一緒に外を歩く羨ましい姿だって目撃している圧倒的に格上の相手だ。

 そんな月とスッポン…現在で天と地の差すらある相手に更に塩を送らなければならないなんて。

 これでもっと結城さんがお兄さんと仲良くなったらと思うと、彼女の将来が心配になる。兄妹でそんな関係なんてやっぱり良くない筈だ。

 だけど今は僕は地に立つ側の人間。

 天に立ち、見上げる対象のお兄さんに届くには結城さんにアピールは絶対にしなくては届かない。

 

「何かね、今年からは競う相手がいるらしいからその人には負けたくないんだって!」

「ちょっとサチ! そこまで言わなくていいじゃん! はぁ…やっぱりいいよ。いきなりでメーワクそうだし」

「いや、僕は全然そんな事思ってないよ!?」

 

 諦めムードというか、始めから期待なんてしてない素振りの結城さんを見て思わず大きな声が出てしまった。

 肩がはねる彼女達を見て間髪を入れずに謝罪をして思考する。

 『相手』とは誰だろう?

 考えれられる相手といえば、()()()()()()という言葉の意味で想像できる人間になる。

 僕の中に二人の候補が出来上がる。

 一人は、長らく離れていた親戚や幼馴染とかが近所に現れた場合。

 そしてもう一人は…お兄さんに対して好意を抱く相手が現れたか、そのまま『彼女さん』であるかだ。

 結城さんの好意を知るに、競うという言葉の意味はきっとそういう事で間違いないと思う。

 となれば、これは僕にとってかなり都合の良い状況なのでは?

 どっちにしてもお兄さんがそっちの相手と仲良くなってしまえば結城さんはお兄さんを諦めなくちゃならない。そしたらもっと僕にだって希望が見えてくる。

 そんな悪役の様な黒い感情が渦巻いていると、いつの間にか小暮さんが僕の目の前で心配そうに顔を覗き込んでいた。

 

 何を考えてるんだ僕は…せっかく小暮さんが僕を信用して与えてくれた機会を打算で潰そうとするなんて。

 

 もう一度考え直す。

 確かに僕にとっては結城さんが競い相手に負けてしまった方が都合は良いのかも知れない。でも、その後は?

 たとえフリーになった結城さんが一度フった僕を見てくれるだろうか?

 ない。悲しいけど、それは無いと思う。

 そう、僕は気付いた。これは試練だ。

 本当なら遠い未来や結果。先を見据える事が大事なのかもしれない。

 最終的な打算で動くのは当然の事だし、重要だと思っている。

 けど、今は逆だ。

 『先』より『今』が僕には重要なんだと考え直す。

 焦る必要なんて無い。お兄さんについて関係の無い僕が、今この状況をどうこう考える理由なんて無いんだ。

 僕が何かしなくてもこの事態は勝手に動く。

 だったら今僕がするべきは…ここで正解を導き出し、少しでも結城さんに僕をアピールする事だ。

 これでお兄さんと仲良くなってしまう可能性は大いにあるがそんな事には目を瞑るんだ僕。恋は駆け引きだ。

 時に寛大な心で我慢をする事だって必要だと思う。

 

「深くは追求しないけど、とりあえず良いかな?」

「お、乗ってきたね~。もち、いいよー」

「去年のプレゼントは何だったの?」

「一応…手編みのマフラーかな」

 

 なんだって…。結城さんはそんな事まで出来ちゃうのか!?

 なんて羨ましい。素直に羨ましい。たとえ兄妹の関係だったとしても結城さんに心のこもった手造りのマフラーをプレゼントして貰えるなんて。

 考えたらダメだ。今は嫉妬してる場合じゃない。答えを出さないと…!

 

「僕に相談したって事は、今年はその手法ではする気は無いって事で良いのかな?」

「そうなるね。なんかその相手の人がすっごいプレゼントを用意するらしいから美柑も焦ってるんだってさ」

「別に焦ってなんかないし」

 

 そういう結城さんだけど小暮さんや乃際さんにはとっくに相談してるんだと思う。その上で僕に聞いてくるんだから内心ではやっぱり焦ってるんだろうなぁ。

 結城さんの気持ちになって考えてみると僕も同じ気持ちになった。

 長年大好きだった人に一番のプレゼントを贈ってきたのに、横から入ってきた相手にその一年の想いを衝撃の大きさで負けてしまうなんて面白くない。

 そうでなきゃ、僕にこんな込み入った話が来るはずが無い。

 

「わかった。つまり、男として何が貰ったら嬉しいかってのが聞きたいんだね?」

「流石~! 話が早くて助かるよ! いや~あたし達じゃ結局良いのが浮かばなかったんだぁ~」

「ごめんね、初めて会った人にこんな質問するべきじゃないって分かってるんだけど。サチの友達だって言うからつい甘えちゃったかも」

 

 ………あれ、忘れられてる? 僕の告白。

 小暮さんが友達だって思ってくれてる事とか、結城さんが甘えてくれるとかそんな嬉しい感情が吹き飛ぶくらいショックな言葉が僕を襲った。

 初めて会った人…初めて…。

 それもそうか、僕は結城さんからすれば大好きな人がいるのに懲りずに告白してきたその他大勢の人間の一人に過ぎないんだ…はは、そうだよねー。

 

「あ、あ~! でさ、なんか良いアイデア無いかなっ!?」

 

 小暮さんの優しさが伝わってくるよ。身に染みる。

 そうだ、考えないと。こうまでしてくれてるんだから。

 

「そう、だね…。うん、ゲームとかじゃその相手? のプレゼントには勝てないだろうし。そうなると……」

 

 考えた。ゲームよりも、手編みのマフラーよりも望むものを。

 それは僕の欲しいものだ。お兄さんではない。でもそれしか思いつかなかった。

 

「やっぱいいよ、ゴメンね。いきなりで。二人とも戻ろ」

「…デート」

『え?』

「贈り物で…勝てないなら、結城さんとの思い出を作ればいいんじゃないかな? ほら、お兄さんと仲良いって小暮さんからは聞いてたし。だったら、デートとかしてあげたら喜んでくれるんじゃないかな?」

 

 完全な僕の要望だ。兄妹のデートなんてしたこと無いからお互いがどう思うかなんて分からない。

 だから男の意見…とは全然違うけど。僕の個人的な意見を出すしかなかった。

 

「思い出…。思い出……いいかも」

「…え?」

「えと、大好くん…だっけ? その意見参考にするね、ありがと」

 

 そう言うと、すぐに結城さんは一人で走って行ってしまった。

 あれ、僕は成功したのだろうか?

 置いていかれた二人は顔を見合わせて僕を見る。何だか気まずい雰囲気になったこの場を小暮さんが明るい声で制した。

 

「なるほどデートか~。その考えは出なかったなぁ。美柑の親友として情けないよ~」

「でも美柑ちゃん喜んでたみたいだし良かったね。お兄さんと良い思い出つくれるといいなぁ」

 

 目の前で二人が笑顔で語り合う。

 僕の意見が参考になってくれたかわからないけど…とりあえず。

 

「名前を覚えて貰えただけでも進展したって事なのかな」

 

 まるで先生と二人で話すときみたいに息が詰まりそうな空気だった。

 結城さんの口からどんな言葉が出てくるか不安で不安で仕方なかったけど。状況を把握した瞬間、ようやく僕の肺からは塞き止められていた空気の塊が溢れ出るようにして吐き出されるのだった。

 

      ◆

 

「で、あの…小暮さん? 僕らは何でこんな所で一緒にいるの?」

「大好くんだって美柑がどうなったか気になるんでしょ? 家は流石に許可なく教えられないけど、この辺のデートスポット洗いざらい探したらきっと二人が見つかるって!」

「そんなストーカーじゃあるまいし…」

 

 あたしは休日になって大好くんを呼び出した。

 連絡先を交換しといて活用したのは今回が初めてだったけど、男のコに電話するのは意外と緊張するものなんだって初めて知ったよ…。

 さて、とりあえず美柑の家の周辺を探してみる事にする。

 大好くんの事を疑うワケじゃないけど、流石に親友の家を勝手に教えるなんて出来ないからその辺は伏せといた。

 マミは残念ながら今日は用事があって来れないらしい。でも、まぁ二人もいれば行き違いになることも少なくなるし、きっと大丈夫だろう。

 

「さぁお兄さん達を探すよ~!」

「え~……」

 

――――――

 

「見つかりませんでしたっ」

「見つからなかったね~」

 

 昼からずっとお店とかいろいろ周ってみたのに美柑達は全然見つからない。

 まさかの遠出だったのかな? 遠くに出かけて、泊りがけで…いつもと違う雰囲気のホテルとかに泊まっちゃったりしてるのかな。

 

『リト、お誕生日おめでとう!』

『ありがとう、美柑。はは、何か緊張するなこういうのって』

『私もだよ。ねぇ、リト。今日はいっぱい遊んだね』

『うん、楽しかった。たまにはこういうのもいいな』

『…ね、まだ夜だよ? もっといっぱい遊ぼ?』

『へ? み、美柑? 何言って…』

『リト……ねぇ、今日はずっと、ずっと朝まで楽しいコト、いっぱいしよ?』

 

「こ、小暮さん!? どうしたの、涎出てるよっ!?」

「…うぇッ!? ハッ…じゅる、ご、ごめん考え事してた」

 

 う、いやいや、いかんいかんって。いくらなんでも飛躍しすぎた。

 というか、親友をこんなカタチで辱めるなんて…あたしってばサイテーじゃん。

 しかも大好くんに涎出てる顔見られるなんて…あ~恥ずかしいなぁ!!

 そうっ! そうだよ、なんだよもぅ結局今日は大好くんとお店入って、おやつ食べて歩き回っただけじゃんか!?

 まったく、せっかく美柑のデート見てやろうと思ったのに。

 はぁ、ま…いっか。

 ホントはお兄さんがどんな人か知りたかったけど、いつもの態度見るにもしも見つかったら絶交どころの騒ぎじゃなかったかもしれないし。

 一昨日なんて、ちょっとからかったら親指と人差し指の間をおもいっきり摘ままれてゴリゴリと押された。めちゃくちゃ痛かったよあそこ…。

 やっぱ、くんしが危ないからなんとか~って言葉は本当なのかもしれない。偉い人は言う事が違うわ。

 

「まぁけっこう楽しかったから良いか。ね、大好くんはどうだった?」

「……」

「ん? どしたの…って、あ」

 

 黙っている大好くんの視線の先には今日一日かけて探し回った親友の姿があった。いや、あれは本当にあたしの親友の美柑なんだろうか?

 うわぁ…うわぁ~、美柑ってあんな表情するんだぁ!

 今まで友達やってたあたしが、そう思うほどに今の美柑の表情は衝撃的だった。

 一緒にいる相手がウワサのお兄さんなんだろう。絶対にそうだ。

 ちょっと想像より幼さの残る顔立ちだけど、すごい落ち着いた雰囲気のザ・年上って印象を持つ人にぴったりとくっ付く親友。

 腕を絡め取って胸なんて…あんま無いけどしっかり押し付けてる。

 お揃いの似た感じの色の服を着て、見たことの無いくらい幸せそうな表情で歩く姿は…すっごい微笑ましくなる様だった。

 お兄さんの方も嫌がる素振りなんて一切無いみたい。雑誌とかでやってた車道側を歩くってやつも意図してるのか知らないけどやっている。

 なにあれ、カップル?

 正直な感想だとコレに尽きる。

 歩いてる方角と二人で空いている手に持っている買出しの袋を見るに今から帰るところなんだろうな。

 

 ちょっぴり頬を染めながらお兄さんの顔を見上げる美柑の表情に何だか背徳的な心臓の高鳴りを覚えた。

 そんな妹を優しく見守る様に目線を向けているお兄さんの姿に「あぁ、なるほど」って意味も無く親友の胸中に納得してしまった。

 

「あ、あはは、コレはコレは…予想以上だったかな?」

「ごめん、小暮さん。僕…帰るね」

「え? あ~うんゴメンね今日は。あたしは楽しかったよ? じゃぁ…また」

「うん、学校で…じゃあね」

 

 走り去っていく大好くんの後姿を見て彼の二度目の失恋を悟った。

 期待した分二回も失恋を経験するなんて不憫でならない。

 学校ではもっと優しくしてやろうかなとあたしは密かに決意した。

 

      ◆

 

 喉が枯れる。声が出ない。肌寒くなってきた季節から来る風が目に染みる。

 僕は泣いているのか?

 それすら分からない。でもとにかく駆け抜けた。走っていると何となく気持ちが落ち着く気がしたから。

 

「ッは、っはぁ…! はっ、うっぐぇ、ゲほッ! ゴホ!」

 

 どうやら走りすぎたみたいだ。足が震える。息が上手く出来ない。

 そのまま肩から力が抜けて立ち尽くすと背中をポンポンと叩かれた。

 誰だろう。知らないけどそのまま僕の背中を軽くさすったり叩いてくれる人がいた。

 その優しさが何だか申し訳ない。僕はその人の顔も見ないまま蹲って息を整える。

 

「…あ、ありがとうございました。おかげで、落ち着きました」

「そうですか。それは何よりです」

 

 初めてその親切な人の顔を見ると、その人は年上のお姉さんだった。

 腰まで届くくらい長くて綺麗な金色の髪のお姉さん…なんだろう。そんな少し幼さのある綺麗な顔に釘付けになる。

 って、僕は何を…失恋したからってちょっと優しくされたらすぐに気を取られるとか最低ってレベルじゃないよ!

 

「あ、あの…! そ、その、本当にすみませんでした…」

「かまいません。ところで聞きたいことがあるんですが」

「あ、知ってる事なら何でも…」

 

 どうやらお姉さんは道か何かを尋ねたかったらしい。

 周りを見ると確かに誰もいなかった。仕方なく僕が落ち着くまで面倒見てくれたのだろうか? その方が安心はするけど。

 こんな綺麗な見た目の人に親切にされたら心が揺れてしまいそうだったから。

 

「結城リトという人物の居場所を知っていますか?」

「…え?」

 

 たしか結城さんのお兄さんだよね?

 もしかしてこの人が結城さんの競う相手…なのかな?

 遠くではあったけどお兄さんは顔は全然変じゃないし、落ち着いていてモテそうな感じはした。

 この人もそうなのかと思うと僕の気持ちは更に沈んでいく。

 とりあえずさっき見た場所は伝えたものの、もう移動してるだろうという事と家は残念ながら知らないと教えるとお姉さんは無表情のまま納得した感じで背を向ける。

 スタスタと興味を失ったように歩いていく姿を見ると寂しくなった。

 僕は思わず…

 

「あのっお姉さん! お姉さんはその…結城さんをどう思ってるんですか!?」

 

 何でこんな事を…惨めに思うだけなのに。

 僕の言葉に歩くのを止めてお姉さんは振り返る。そうすると綺麗な髪がキラキラと輝きながらお姉さんの周りを照らしてるような感じがした。

 

「私にとって彼は標的(ターゲット)です。それ以上でもそれ以下でもありませんが…決して逃すつもりは無い相手です」

 

 その言葉に僕は鼓動を高鳴らせた。

 こんな綺麗な人にこんな言葉を言って貰えるなんて。

 そして逆にお姉さんを応援したくなった。こんな人に好きだと言われたら絶対に心が動いてしまう。容姿を見るにこの人は近しい親戚とかではないのだろう。

 もしこの人がお兄さんと結ばれたら。

 そんな期待を抱いてしまう。

 

「そう、ですか。あのっ頑張ってください! 応援してますから!」

 

 僕のそんな言葉が届いたのか、そうでないのか。

 金色のお姉さんは行ってしまう。

 いつの間にか日は落ちてすっかり暗くなってしまっていたのにも気付かなかった。

 暗がりの闇の向こうへ去っていくお姉さんの金色の輝きが見えなくなるまで、僕は呆然とこれからどうするべきか頭を冷やしながら考える事にした。




 おまけ
『中学時代の春菜さん②』

 今日は結城くんが風邪で欠席してしまった。先生からの連絡と大事なプリントを預かって結城くんの家へ向かうとだんだん緊張してくる。
 
「あ、あのっ西連寺ですっ! プリントを届けに来ました!」

 チャイム越しにそう告げると結城くんがパジャマ姿でマスクをしたまま現れる。
 辛そうだ。残念だけど早めに退散しないとね。

「態々ありがとな、西連寺。うつったら悪いから今度お礼するよ」
「い、いいよぜんぜん! お大事にっ!」
「ごめん。ところで、よく家知ってたな」

 その言葉を聞くか聞かないかの瞬間に私は立ち去った。
 まさか最初から知ってたなんて言える訳が無い。
 何となくふらふらと結城くんの姿を見て安心してたらいつの間にか家までついていて、しっかりと道順まで覚えてしまっていたなんて知られたら嫌われてしまう。 
 そして変な別れ方をして私は後悔した。
 先生に聞いたって言えばよかったと思ったのは家に帰ってからだった…。


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中編 Once more~変わらないもの~
『再会の時』


 

 デビルーク星の王宮を裏口から出て徒歩十分程の距離に私達の家はある。

 私達、というのは当然リトのハーレムの全員を指す。

 セフィさんやララさんのお父さんの計らいで、昔の使用人さんが暮らしていた場所を貰っちゃったワケだけど…広さも部屋の数も十分過ぎるくらいあった。

 まるでホテルの様な家を、使ってないからという理由でくれちゃうあたりに王様ってスゴいと思ってしまう。

 …まぁ、この措置には、変なウワサやリトの評判をやたらに下げない為という理由もあるらしいんだけど。

 王様になれば愛人くらい囲っていてもとやかく言われる事はないみたい。でも、今のリトはあくまでも()()()()だ。

 それなのに結婚すらしてない身分で、いきなり大勢の女のコ達を侍らせていたら、印象が悪くなっても文句なんて言えるはずがない。

 だから、とりあえずの対応として王宮の近くにある場所でならば、結婚までの間はある程度好きに暮らしていても良いというのが二人の考えみたい。

 なんで近くなのか。という理由は、私達が少しでもデビルーク星の環境に慣れるためという事。それと、万が一の事態が起きても早急に問題を解決させる為。

 リトの教育に近くの住居が良いのは勿論なんだけど、それはララさんの発明品で移動時間はどうにでもなる。でも、慣れや人間関係というのは離れていて培われるものではない。

 モモさんの言う『ハーレム』というのは、全員が平等に幸せの立場を得る為のステージ。

 誰が一番という事ではなく、皆が一番。

 たとえララさんが立場上、第一夫人としていなければならないとはいえ、ソレはソレ。リトは全員に変わらぬ愛情を誓い、私達はリトを困らせる事をせずに支える事を生きがいに。

 一番を名乗り、調和や規律を乱すことは禁忌(タブー)とされている。

 モモさんの根回しで全員の合意は得られているから、その辺りの手腕は素直に認めざるを得ない。

 とにかく、最終的にララさんやナナさんとモモさんだけが王宮に顔を出すというのはその契約に違反する事になる。よって、その事を考慮したセフィさんが少しでも周りの環境にとけ込めるようにしてくれたのだ。

 王宮の人達は順序さえ守れば基本的に怒るような人はいないとの事。

 だって、目の前で終始イチャつかれる姿を見たらそれはウンザリするだろう。だからこその気遣いに私達は感謝した。

 

――――――

 

「あ…美柑っ! あの、話があるんですけど」

「ヤミさん? ちょっと待って、もう少しで掃除終わっちゃうから」

「でしたら私も…手伝います」

 

 ある日のこと、真剣な顔をしたヤミさんに呼び止められたのを私は覚えている。

 ハーレムだなんだといってキゲンが悪かったりもしたけど、なってしまったものはしょうがないと受け入れつつあったぐらいの時だったと思う。

 ヤミさんはたまに家に訪れては一緒にご飯を食べたり、おフロに入ったりして半分家族の様な存在になっていた。

 そんなヤミさんと私は変わらずに親友だったし、泊まる時には同じベッドでお互いの愚痴を言い合ったりするような関係だった。

 だから、私にとってヤミさんは一つの安らぎだと甘えていたのかもしれない。

 そんな彼女から私は一つの告白をされる。

 

「あのっ! 実は私もこれからはここに住まわせていただける事になったんです!」

「…え? それって……」

「美柑には。いえ、美柑だからこそなかなか言えず本当にすみませんでした。私も……その、結城リトのハーレムにっ…い、入れさせて…もらったん、です」

 

 その言葉に私の思考は止まる。

 あのバカはついに私の親友にまで手を出したのかと一瞬だけ怒った。けど、考えてみればリトがヤミさんの標的になったからこそ私達の接点は生まれたんだっけ。

 だとしたら私が親友として怒るのは違うかもしれない。

 もしもこれがサチとかだったら怒っていいと思うけど、この場合はヤミさんの個人的な問題だ。アレだけ殺し屋としてリトを狙っていると言っていたのに、その誇りを曲げてまでリトを好きになったと目の前の親友は言っている。

 だったら私は悔しいけど受け入れるしかない。

 むしろ、リトと大好きな親友が仲良くなったんだから…嬉しくないはずがない。

 

「そのはず…なのに、なんで胸が痛いの………?」

 

 …それから少しの月日が流れる。

 たまにヤミさんとリトが仲良くしているのを私は目撃した。

 ヤミさんがハーレムに加入したとなれば、こちら側のルールがヤミさんにも適用される。つまり、夜も含めてリトと二人の時間を得られる権利が回ってくるのだ。

 二人の時間では何があったかヤミさんは私に教えてくれる。こんな気持ちになったのは初めてだと頬を染める親友を私はどう見ていたんだろう?

 喜んでいた? もちろんだ。

 こんなに表情豊かなヤミさんを見ていたらこっちだって嬉しくなる。あのリトがヤミさんにそんな影響を与えたのだと思うと誇らしい反面、なんだか悔しい。

 

「あの、どうかしましたか? なんだか、調子が悪そうです」

 

 そんな事無い。でも何でそんな事を言われるんだろう。私は嬉しいのに。

 

 今日はリトと一緒にたいやきを食べたらしい。

 そもそも、たいやきは地球に訪れたヤミさんにリトが初めて食べさせてくれた思い出の食べ物なのだと教えてくれた。

 もしかすると、ヤミさんはずっとリトを好きだったのかもしれない。

 

 今日はリトと一緒に散歩をしたらしい。

 ……その時、初めてそのつもりで、お互いが手を繋いだらしい。

 あんなに身体中触られたりしてるのになんだかおかしい話だと思った。

 

 今日はリトと一緒に寝るらしい。

 前に一回だけそんな事あったかな? わざわざ言わなくても良いのにね、律儀だなぁヤミさんは。

 

 今日はリトとキスをしていた。

 その事は……教えてくれなかった。ま、そうだよね。ヤミさん恥ずかしがり屋なとこあるし、言いたくないのも分かるよ。

 

 今日はヤミさんを見ていない。

 リトの部屋からヤミさんの声が聞こえた。別に私には関係…ない。

 

 今日もヤミさんを見ない。

 明日は順番が回るから一緒に遊べるかな?

 

 

 ………今日もヤミさんがリトとキスをしている。

 とても幸せそうに目を細めているヤミさんは私の知らないヤミさんだった。

 どうせなら部屋でこっそりすればいいのに。なんでそんなことするんだろう。

 

「あの、美柑」

「……なにヤミさん?」

「すみません、ちょっと調子が悪いので…地球にいるドクターの所へ行って来ます」

 

 その日からヤミさんに会う日が極端に減った。

 それから暫くして、モモさんが誰かと話しているのを見てしまった…気がする。

 アレは、お静さん……? だった、かな。

 

「はい…御門先生の……なので間違い……ます」

「…う~ん…まさ………ヤミさんとは……しかし………ですね」

 

 なんだろう。聞いちゃいけない気がする。

 私はその場から立ち去った。

 

 そして久しぶりにヤミさんに会った時。ヤミさんは私に……何て言ったっけ…?

 

 

――――――

 

「………イヤな、夢」

 

 なんだか夢見が悪い。イヤな夢を見たのは久しぶりだと思う。乱れる呼吸を整える為に天井を眺めながら大きく息を吸って、吐いた。

 …あれ、私何の夢を見たんだっけ?

 落ち着いてくると自分が何の夢を見ていたのか忘れてしまった。

 どっちみち良い夢ではなかったから別に良いんだけど。

 なんか昔の夢だった気がする。

 昔といっても今からすれば『未来』の話なんだけどね。

 あの時の事はイヤな事が多すぎていちいち考えたくもない。きっとさっきの夢もその一つだ…早く、忘れよう。

 一分、二分。

 ひたすら目を瞑ってどのくらい時間が経ったのか分からなくなっても眠気は全くない。

 …こうなったら仕方ないよね。今日は例の日だけど、夢のせいで寝れないんだから。

 枕を持ってベッドから出ると、私は歩き出す。当然、私を安眠させてくれる場所に行く為だ。

 そこには耳に心地良い寝息を立てている人物がいる。

 隣の特等席を陣取って、温かいお腹の辺りに腕を乗せて軽く抱きしめた。

 

「…うん。これなら…寝れそう。今度はリトと楽しい夢…見れたらイイな」

 

      ◆

 

「んん~? なんか体がうごかな…あれ、美柑?」

 

 リトが身動きの取れない違和感で目を覚ますと、そこには妹がいた。昨日は一週間に一回のお互いの部屋で眠る日だったはずとカレンダーを確認する。

 

「間違ってない…よな。寝ぼけて来ちゃったのか? まったく…もう高学年だってのに仕方ないな」

 

 自身の体に絡み付いている美柑を見ると小さな吐息が頬をくすぐった。

 落ち着いた表情の美柑を見ていると、リトはほんの少しだけ湧いたイタズラ心で彼女の頬を空いている方の手で突いてみる。

 少女特有のすべすべで、柔らかいのに弾力のある頬を一回、二回と突く。

 思った以上に楽しくなってきたリトはすぐに止めようとしていた事を忘れて妹の頬の感触を楽しんだ。

 ここまでしたら流石に起きるだろうという時点でリトは手を止めると、美柑の顔が緩んで微笑んでいるように見えた。

 普通は嫌がるか、起きるだろうと心の中でツッコミを入れるリト。

 幸い今日は週末で学校はお互い休み。

 時計を見るとまだ起きるには少し早い時間という事もあり、朝方の少々冷え込む気温に体を震わせると、傍らの妹を起こさぬようにして布団をかけ直す。

 抱き付かれているので、ほんの少しだけ、てこずる動作の後にもう一度寝顔を確認するとどうやら深く眠っている様子の美柑。

 そんな彼女を見て再び眠気が襲ってきたのか、欠伸をひとつ漏らすと、暖を取るようにリトも美柑の体に手をまわして向き合うように姿勢を修整する。

 

「ふぁ…もう一眠りするか~。にしても、美柑あったかいなぁ…おやすみぃ」

 

 目を閉じるリトは確認できなかったが、リトが抱きしめるように触れた瞬間、彼女は確かに薄っすらと微笑んでいた。

 何か良い夢を見ているのか…それは彼女にしか分からない。だが、少なくとも悪夢にうなされる事のなくなった彼女は安らかな時間に今も頬を緩ませている。

 

――――――

 

 朝の一件でいつもよりも遅めの一日をスタートしたリトと美柑は、本日中に組んでいた予定として、父親の仕事に使う材料の買い出しに行くのが遅れていた。

 同じく夜更かしをして、遅くに目覚めたララが朝食を要求しに来るまで熟睡していた二人。急いで支度をし、駆け足気味で外へ向かおうと玄関のドアを開けた瞬間、ちょうどのタイミングで結城家へ訪れたザスティンと出会う。

 

「おっと、おやリト殿に美柑殿? ちょうど良いところへ。ララ様に今月のお小遣いを渡しに来たんだが…」

「あ、ザスティン。ゴメンっ今日、親父の買い出し頼まれてんだ。ララなら部屋にいるからあがって大丈夫だぞ」

「買い出し? そういえば確かに…承知した。では、お気をつけて」

「お願いねザスティン。行ってきますっ!」

 

 去っていく兄妹をザスティンは見送る。

 急ぎ足でありながら、しっかりと手を繋いでいる二人の姿を微笑ましく思っていると、家の中からララが顔を出して手招きした。

 

「あ、ザスティンっ! もしかしてお小遣い? そんなとこ立ってないでほら、入って入って~!」

「ララ様、おはようございます。いえ、あの二人は本当に仲が良いなと思いまして」

「リトと美柑? やっぱりそうだよね~! 私もたまーに羨ましく思っちゃうくらい仲良しさんなんだよ? 今朝だって美柑ってばね~………」

 

 ララの饒舌な言葉を聞きながら、ザスティンは心の中で彼女の心中を察し、軽い同情をしてしまう。

 地球に来てからの彼は現在、才培の下でチーフアシスタントの立場にある。

 なので休憩の時間などでは、漫画家"才培"ではなく兄妹の父親"才培"と会話をする事も少なくない。

 昔から二人とも手が掛からなかったという自慢げな口調から、二人っきりにさせてしまって寂しい思いをさせてるのかもしれないと、後悔しているような一面もザスティンは見てきている。

 地球とは、力の弱い人種が支配している辺境の星と認識していた彼だったが、実際に住んでみて、その考えは改まっていた。

 現実問題、ララの婚約者候補であるリトを見てもその力に対して上方に修正を入れてはいないが、彼の人となりは把握しているつもりでいる。

 地球人は脆く、力は弱い。

 しかし、ララ・サタリン・デビルークという少女の心を射止めた優しさ。結城リトという人物の持つ不思議な魅力がザスティンの考えを変えた。

 昔から仲の良かった兄妹の話を聞いていると、彼の優しさや寛大さは兄としての立場から育ってきたのかもしれない。

 

『ただな…俺は一つだけ心配な事があんだよザスティン』

 

 同時に、才培の呟いた言葉が頭を過ぎった。

 

『アイツら、仲が良いのは構わないんだがな…このまま兄と妹で結婚するなんて言い出したらどうすっかな~って最近不安になるんだよなぁ…』

『兄妹で? まさか。確かにお二人は仲が良いとは思いますけど』

『だってよ、この間だって俺に内緒で二人で遠出してたんだぞ? パパに一言くらいあったっていいんじゃないかぁ!? ララちゃんの情報だと未だに一緒に風呂にだって入ってるって話しだし、態々同じ布団で寝てるって言うし……せっかくララちゃんっていうカワイイ女の子が近くにいるってのにリトは美柑にかまってばっかで、美柑はリトにべったりだし! これが心配しないワケ無いだろうよ!!?』

 

 そこまでの情報は知らなかっただけに思わず苦笑いしてしまうザスティン。

 上の者の愚痴を聞くのも手馴れたものという風に才培を落ち着かせながら、二人の若さや、家族の絆など、あらゆる方面から褒めては大丈夫だと説得を試みた事もあったと天を仰いだ。

 

(最大の恋敵が婚約者候補の実の妹とは…ララ様の初恋もなかなか上手くはいかなさそうだ)

 

      ◆

 

「よし、頼まれた画材はコレで全部かな」

「ゴメン、私が寝過ごしちゃったから遅くなっちゃって…」

「俺も同じだから気にすんなって」

 

 また失敗した…しかも理由がリトと寝てたからなんて。

 前にも同じ事あったし、流石にこんな間違い繰り返してたらリトが私のこと変に思っちゃうかも。

 

『まったく、美柑はあまえんぼうな妹だなぁ。俺がしっかりしないと』

 

 あれ、悪くない?

 そう思ったけど、コレじゃあ"妹"止まりだということに気付くと、やっぱりダメだと否定する。

 リトがしっかりしてくれるのはありがたいけど、それは私が妹としての一面を見せ続けているからだ。

 でもリトがしっかりするには私が妹でないとダメだし…。かといってこっちがしっかりしすぎちゃうとリトは昔みたいに離れて行っちゃう…。

 適切な距離がこんなにも難しいとは思わなかった。

 でも既に距離を見誤った私は今、やり直している。それは普通では叶えられない願いだ。

 まるでゲームみたいにセーブした所からやり直し出来るなんて、これ以上何かを望んだらバチが当たりそう。

 二回目。そう、今は二回目。

 一度してしまった失敗を振り返れる。やり直せる。

 そう、やるしかないんだ。

 

「お~い、そんなに落ち込まなくても…ん? あ、ちょっとここで待ってろよ」

「…え?」

 

 そんな私を今日の失敗で落ち込んでいると思ったのか、リトは何処かへ走っていってしまう。

 そっちは……。

 

「たいやき屋?」

 

 目の前でたいやきを売っていたお店でリトは紙袋を持って戻ってくる。

 あの量だときっとララさんやザスティンへのお土産も含んでいるに違いない。

 小走りで戻ってきたリトは出来立てでアツアツのたいやきを一個私にくれた。

 

「ほらっ今日は付き合ってくれてありがとな。いつまでもくよくよしてないでさ、コレでも食べながら一緒に帰ろう」

「……あはっ、なんで私がお礼言われてんの? でも、ま…ありがと。いただきます」

 

 楽しい、と思った。

 リトとの時間は楽しい。

 甘いなぁ…いろいろ。このまま甘くて温かい幸せが続けばどれだけいいだろう。

 

「あまい」

「そりゃたい焼きだからな~」

 

 コレを食べているとヤミさんを思い出す。

 綺麗な金色の髪でお人形みたいな整った顔だったから、そのアンバランスさがカワイイなんて思ったこともあったっけ。

 そろそろ来てもおかしくないはずだけど…まぁ大丈夫だよね。

 

 ヤミさんはリトを殺せない。

 

 それを知ってるだけで安心できる。だって()()()()()んだから。

 ふと、目の前が光った気がした。

 日光を反射するように綺麗な金色、それに対して服は全く光を返さない程に真っ黒。

 

「あ……」

 

 その人を私は見た。

 だから声は出ない。出さない。本来なら私はここに()()()

 だから、きっとこの瞬間あるはずなんだ。リトと彼女の出会いが。

 黙っているとリトもその視線に気付いたみたい。じっと見つめる…ヤミさんと見詰め合って暫く。

 

「もしかして…コレ? 食べる…か?」

 

 ヤミさんは不思議そうな顔でたいやきとリトを見つめる。

 無言で受け取って、それを…口にした。

 食べた…そっかコレが、二人の始まり。

 殺し屋と標的(ターゲット)のある意味、運命的な出会いだったんだ。

 

「地球の食べ物は変わってますね…」

 

 スッとヤミさんはリトに歩み寄って肩を掴む。

 あ、あれ? ヤミさんってこんな大胆なんだっけ?

 近すぎるくらいの至近距離の二人を見ると一瞬頭痛がした。何度も見た光景。イヤな夢。

 あれ、違う。だって、こんなことする人じゃない。今は、()()

 体が動く。寒気はその後に訪れた。

 リトを可能な限りの力でヤミさんから引き離すと同時。ヤミさんの金色はリトのいた位置で無駄の無い線を描いていた。

 

「外しましたか。誰かは知りませんが、ある方から結城リトの抹殺を依頼されてます。どちらにもうらみはありませんが……邪魔をするなら消えてもらいます」

「ちょ、ヤ…じゃなくて! 本気なのっ!?」

 

 私の声に無言でヤミさんは金色の刃を振りかざす。

 かつての親友に恐怖を抱いたのは今が初めてだ。リトはこんなに怖い目にあってたんだって理解する。

 ヤミさんは変身(トランス)能力で自分の体を武器に変える事が出来る。その長い金髪の切っ先が私とリトに向けられた。

 一跳び。

 一歩分の跳躍から彼女の金色の閃光は私の首へ向かってくる。

 想定外の事態で頭を回せない。自分が知っていた時には既にヤミさんは全力を出してはいなかった。そう、最初は…この瞬間だけは死に打ち勝たないといけない事を悟る。

 こんな幕切れ、イヤだなぁ。

 

「美柑ッ!!」

 

 視界が暗く染まった。

 

      ◆

 

 美柑は襲い掛かるであろう痛みに構えた…が痛みは来ない。

 視界は相変わらず真っ暗なのにと、頭の方から荒い息遣いが聞こえた。

 緊張が緩むと自分が抱きしめられた感覚を思い出す。

 そこからは早かった。瞬時に最悪の事態を想像すると彼女の血の気が引く。

 

「り…リト? リトッ!? ねぇちょっと!!?」

「だ、大丈夫、なんとか当たってない」

 

 美柑は体の感覚を徐々に把握していった。リトの捨て身の防御は数歩分だけ後に距離を広げたのだと。

 でもそれだけでヤミの攻撃を避ける事が出来るのか?

 勿論違う。答えはヤミが咄嗟に攻撃を緩めた他無かった。

 ヤミは殺し屋として標的の情報を聞いている。

 

『結城リトはララ・サタリン・デビルークを脅迫し、デビルークを乗っ取ろうとする極悪人』

 

 だが、目の前にいる彼は、自分の攻撃に捨て身で少女を庇った。

 先ほどの少女もそう。結城リトを命がけで助けようとした。

 コレが極悪人? そうなのだろうかとヤミは一瞬思考する。が、それも一瞬だった。

 彼女は『金色の闇』。後にヤミや、ヤミちゃん、ヤミさんなどと呼ばれる少女だが…この瞬間だけは『金色の闇』なのだ。

 どっちみち殺すのだからと思考を止めてもう一度二人に襲い掛かる。

 

「美柑、走るぞ!!!」

「ッ…うんっ!!」

 

 互いが思考を止める。

 方や、使命の為に獲物を狩る者として刃を向ける。

 方や、生まれた時から備わっている生存本能のまま、死に対する恐怖から逃れる為に走る。

 リトは美柑の安全を確保する事のみを頭に走った。

 美柑は自分がいたことで出会いが変わり、リトが万が一の事態に陥らないように、邪魔にだけはならない様に、ただ走った。

 

「ちょろちょろと、逃げ回らないで下さい」

『無理だって!!?』

 

 周りの被害は尋常ではなかったが、そんな事を気にしてられない。

 あちこちに擦り傷や切り傷を付けながら二人は走った。

 その中で美柑は歯噛みする。

 理由は一つ。自分には目立った怪我がない事だ。

 もとより美柑は標的ではない。金色の闇の技量によって彼女への攻撃は一切行われず、リトへの攻撃やその際の被害が僅かに残るのみ。

 飛んできた小石や瓦礫の破片は当たれど自分には何も来ない。

 

(私…完全にジャマになってるっ……)

 

 自分がいることでリトは更に被害を受けている気がしてならなかった。

 それがどうしても許せなかった。

 自分を握るリトの腕に傷が出来ているのを見ると手に力がこもる。

 

(ダメッだめ、だめダメッ!! こんなの、こんなのヤミさんはやったらダメなのに!!)

 

 美柑は自分の知る親友を重ねた。

 

(違う。こんな眼、ヤミさんじゃない)

 

 リトの汗が、切り傷からたれた血が美柑を奮わせた。

 走っていた足を踏みとめる。すると同時に掴んでいたリトの体も止まった。

 

「美柑!? バカ、走れって!!!」

「………」

 

 リトは見た。いや、正確には後姿で見えてはいない。でも知っている。解る。

 自分の妹は怒っているのだと。

 だからこそ、殺し屋と向き合う彼女に向かって呼び止めた。だが、美柑は止まらない。

 

「…ねぇ。もし私が代わりになるって言ったらさ。リトは見逃してくれる?」

「何を言っているんですか? 貴女は標的ではありません。はなから成立できない相談ですね」

「そう。じゃあさ、ヤミさん……私も」

「美柑は標的じゃないって本当か!?」

 

 美柑の声は必死のリトの声で掻き消えた。

 今の会話を聞いて彼は妹の安全を保障できるのかを確認する。

 

「ええ、あなただけが私の標的です。彼女は傍にいたので邪魔だっただけです」

「そっか…良かった。じゃあ…」

「リト!? 許さないからね、それ以上言ったら!?」

「…もう逃げないからさ、美柑は助けてくれ。妹なんだ」

 

 死に直面した者のする事は金色の闇はイヤになるほど見てきた。

 その答えにウンザリし、手を下してきた。でも目の前の人間はその少数にいる人間だったことに驚く。

 

(極悪人…ではないのかもしれませんね。妹…だったのは意外ですが。でも、それなら残念です)

 

 彼女は依頼とあらばそれを執行してきた。中にはこんな風に他人を優先する者もいたが大半は悪人。そもそも殺し屋に依頼されるような者が善人である事はない。

 今回の様に嘘や虚実を言って依頼した者には発覚すると彼女は相応の罰を与えてきたが、依頼はこなす。

 それだけに目の前の様な標的はやり難い。

 見るに、相当に家族に慕われているようだと感じた。

 だから、残念だ…彼を殺すのは。と殺し屋は思う。

 

「その姿勢に免じて、一瞬で終わらせます」

「……美柑、なんかゴメンな?」

 

 リトは美柑の前に立つ。守るように手を広げ、逃げないと覚悟を決める。

 必死に力を込めても動かぬリトに美柑は焦った。

 何よりもこんな結末だけは見たくないと。

 親友と兄が、決して届かぬ場所へ行ってしまうことが認められない。

 

 一閃。

 

 距離を詰めず、秒単位よりも更に短いその刹那の一振りでリトは絶命する…はずだった。

 堅い物がぶつかるような音が聞こえる。

 同時に、金属の擦れるような高音が辺りに響き、リトによって視界を塞がれている美柑は事態を把握できなかった。

 すると、緊張の解けた様にリトはその場にへたり込む。と、目の前には見覚えのある姿がもう一人。

 

(あ……)

 

 その姿に美柑も力が抜けた。安心するには早いにしても、このタイミングでの彼の登場は緊張を緩めるには十分なほどに頼りがいがあったのだから。

 

「感動したぞ、二人とも。兄妹の絆、しかと見届けた」

「また増えましたね…今度は何ですか?」

 

 見た目は御伽噺の主役のように爽やかで整った顔。しかし格好は完全に悪役のソレである禍々しい形状の鎧に身を纏った男が盾の様にリトと美柑の前に立つ。

 長剣の先を向け、二人に危害を及ぼす殺し屋に剣士は名乗りを上げた。

 

「デビルーク王室親衛隊長兼、漫画家結城才培率いる"スタジオ才培"チーフアシスタント、ザスティン! 推して参るッ!!」

 

 カッコいい登場からのあんまりな名乗りに兄妹は心の中でツッコミを入れ、同時に安心した。あぁ、いつものザスティンだと。



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『元の鞘ヘ』

 対峙から何秒経っただろうか。

 少なくとも、その光景を見ることしか出来ない兄妹には数分にも感じられる時間だっただろう。

 だが、剣士と殺し屋が動き始めてからの流れは速かった。

 地球という星に生まれ、平和な日常を生きてきた二人には全く縁の無かった世界。

 その攻防はどんなにリアルな演出よりも現実(リアル)に感じられた。

 映画やドラマの様な映像では決して表現できない非日常が此処には在る。

 つい最近までリトも美柑もそれを受け入れていたはずだった。

 突如として現れた宇宙人のお姫様。

 そのお姫様を巡って、存在すら知らなかった別の星の婚約者候補達が襲ってくる日常。

 もうとっくに彼らの世界は、平穏から手の届かない程に離れている…そう思っていた。

 兄妹の走り去った後には見慣れたはずの商店街や道路が無残に破壊されている。

 建造物の壁は瓦礫の山を積み上げ、誰の持ち物かも分からない車やバイクは人を乗せる役目を二度と果たす事は出来ないだろう。

 無意識に人気の無い方向へと先頭を切っていたリトだったが、嵐の様な金色の闇の攻撃を目の当たりにした一般人は既に保身の為に避難している。

 無論、それを責める事は誰にも出来ない。

 たとえ普通の高校生と小学生がその嵐に巻き込まれているとはいえ、見方を変えれば彼らがその嵐を先導しているのだ。

 後に様々な宇宙の災害(トラブル)に巻き込まれる、地球で最も宇宙に近い場所となる彩南町。

 この時、その片鱗は既に形を見せ始めている。

 そんな中。つい最近、リトがザスティンに襲われた辺りの横断歩道橋で四人はその日常(死闘)を繰り広げていた。

 

――――――

 

 金と銀の閃光は風を斬り、地を鳴らした。

 金色の闇の必殺をザスティンは自身の持つ光子剣によって防ぎ続ける。

 彼の強さは目の前の殺し屋に決して劣っている訳ではない。むしろ、純粋な戦闘力ならば勝っていると言える。

 だが、剣士は攻めあぐねている。

 理由は簡単、彼の後にいる兄妹を守るためだった。

 歩道橋の上は所謂、一本の隔離された道。今やそれは細く長い戦場である。

 普通ならばザスティンは二人を逃がす為に叫んでいただろう。だが、そうする事は出来ない理由があったからこそ彼は自分の後ろから離れぬよう命令を下す。偏に、二人を守るために。

 

「二人とも私から離れるんじゃないぞ! ララ様とはぐれてしまった今、君達を目の届かぬ所へ行かせてしまうのは危険なんだ!!」

「ど、どういう事だよ!?」

 

 止む事の無い斬激の中でも手心を一切加えない目の前の殺し屋に、一種の感心すら抱き始めていたザスティン。その一振り一振りに注視しながら彼は叫ぶ。

 

「私が駆けつけたのはっ、この殺し屋を仕向けた男がララ様に通信をしてきた…からだ!!」

「おしゃべりをしながらとは余裕ですね」

 

 チリと、金色の闇の攻撃が鎧に触れた箇所から音を立てる。

 一秒、二秒と時間が経つ毎にその音と痕は数を増やしていき、ザスティン自身も限界までこの守りの型を崩さぬように集中を深めた。

 

「ヤツはこちらに訪れると言っていた! 見てのとおり何を仕掛けて来るか分からない、だからっ! ララ様がここを見つけてくれるまでは私が何とかする!!」

「ど、どうしようリト…?」

「どうするって言っても……」

 

 どうみても自分達のせいでザスティンはピンチになっている。

 その事を解っていてもどうする事も出来ない。

 元々、このような荒事には二人は無力だった。故に、たとえ危機感を募らせていても決死で守っている彼の意思を無視する事ができない。

 だが、そんな焦りを感じているリトと美柑とは裏腹にザスティンは内心でほくそ笑んでいた。

 確かに今は防戦一方で状況は良くない。

 しかし、地の利や運は自身に傾いていると感じていた。

 今、自分達が戦っている場所は一本の道。リトを狙うには何処から攻撃するにしても、必ず見通しの良いこの位置から大きく立ち回らなければならない。

 上なら打ち落とせば良い。

 下には秘策がある。

 横からは下へ降りなければならない。

 町内に場所が絞られている以上はララが自分達を見つけるのは時間の問題だった。

 そして彼女が来ればすぐにでも兄妹を逃がし、敵を倒す。

 あとは自分がそれまで耐えれば良いだけのこと。

 

「は、どうした金色の闇! 伝説とやらも大した事無いようだな!!」

「ちっ…減らず口を…!!」

 

 実際の所、見た光景よりも二人の攻防の流れは逆に傾いていた。

 そもそも、彼の剣が彼女の変身(トランス)能力に耐える硬度であった時点でこうなる事は決まっていたのかもしれない。

 元々暗殺者である金色の闇の戦いは当然、暗殺向きであり、真っ向からの戦闘に特化しているわけではない。

 事実、彼女の身体能力は並みの宇宙人より遥かに上ではあるが、幾多の戦地を戦い抜いたザスティン程ではない。

 勝つ見込みがあるとすれば、剣が折れるか、変則的な軌道で狙い打つぐらいでしかないのだが、この男の集中力はその上をいく。

 何より変身(トランス)能力は万能ではない。

 現実、例外はあるものの、基本的にはそのリーチは決して長くは無い。だからこその暗殺なのだ。

 故に……彼女は距離を取って呼吸を置いた。()()を使うために。

 

(なんだ…? 翼…飛んで上から狙うつもりか? いや、違う!!?)

「まともに殺り合うのは不利のようですね」

 

 彼女の腕から翼が生えるのを確認したザスティンの判断は一瞬遅れた。

 それは飛ぶ為ではなく、あくまでもコチラを攻撃する為のものだと、後のリトに警告する。

 

「そっちへ行くぞ!! 気をつけてくれ!!」

「……へ?」

 

 その声にリトは反応する。が、気付けば目の前に向かってくるのは羽根の弾丸。

 針のように鋭い尖端がザスティンの背中を抜けて襲い掛かる。

 振り遅れた剣撃によって墜ちなかった数本の羽根は狙い済ましたような線を描き、標的を撃ち抜かんとした。

 

「危ない!!」

 

 目で確認するよりも早く。美柑はザスティンの声に反応し、リトを突き飛ばす。

 お互いが後へ倒れこむのと同時、羽根の弾丸は目の前を抜け、標的を失い消滅する。

 その光景にリトは呆然とした。

 今の攻撃が、羽という見た目からは想像できないほどの威力で、今、自分は死にかけていたのかもしれないと理解するまで時間がかかったのだ。

 一瞬の殺意は平凡な高校生でしかないリトには理解する事が出来ない…が、自分を助けてくれた妹の安否は真っ白になった頭を現実へ引き戻すには十分過ぎる材料だった。

 尻餅をついた状態から立ち上がりもせずに駆け寄るようにそのまま美柑へ近づく。

 

「美柑!? 大丈夫か!? 怪我は無いか!?」

「あ…ヘ、ヘーキだよ。あたた、でもちょっと腰が抜けちゃったみたい。手、すりむいちゃった…カッコわるいね私」

「そんな事あるか! ほらっ手、見せてみろ!」

 

 真剣な顔で力強く手を握られ、美柑はこんな状況であるにも関わらず喜んでしまう。

 守られるばかりだった自分が、リトを守れたことに。

 そして、リトに比べたら大した事もない怪我に真剣になってくれる本人に。

 

(こんなに真剣になってくれるなんて…大事にされるって、こんな気持ちになれるんだ)

 

 嬉しい。

 そう思った気持ちを胸に秘めて、未だに戦闘を続ける二人に美柑は()()した。

 歪んでるかもしれないとは思いつつも、リトに心配される事に悦を感じてしまったのだから。

 誰にも見えない角度で、小さな手のひらを見ているリトを見ながら、美柑は口元を綻ばせていた。

 

      ◆

 

 まるで背筋に電気でも流れたみたいだった。

 リトは昔から心配性で、私になにかあったら真剣にどうにかしようとしてくれていた。

 きっとこんなにリトが真剣なのは私のせいだ。

 私が、リトを守ってしまったせい。

 リトは自分のせいで私が怪我したって思ってるんだろうな。

 コレくらい、いくらでも出来る。そう思っていてもなかなかそんな事は出来なかった。

 でもこれはマズイ。良くない。

 こんなに気持ちいい感覚、クセになったら絶対に良くない。

 リトが私を頼ってきた時の何倍もゾクゾクするこの気持ちは…出来る限り知らない方が良い。

 本能的にそう感じた私は、かぶりを振って無理矢理現実に帰還する。

 ザスティンを見ると、ヤミさんの出す羽の雨を持っている剣で薙ぎ払っていた。

 ザスティンってこんな強かったんだ…ララさんのインパクトに完全に負けてたけど、こんなに頼りになるなら今後もちょっといろいろして貰おうかな?

 だってザスティンならリトとフラグ立たないし。もしかして今日一番の大発見かも知れない。

 

「は…やりますね。流石はデビルークの親衛隊長といったところですか」

「ふん、君もな。まさか飛び道具まで扱えたとは…だが、どうやらここまでのようだな金色の闇!! このイマジンソードの力を味わうがいい!!」

 

 …って、ザスティンがヤミさんに勝っちゃったら色々マズイんだけど!?

 思わず「待った」と声を上げそうになった私は息を吸った瞬間。

 吹き上げるような風が辺りを襲った。

 

『コラーー!!! 金色の闇!!! いつまでそんなのとあそんでるんだもーん!!!』

 

 また見た事の無い宇宙人が出るのかと思うと、私は溜息を思わず吐いてしまう。

 そう思いながら上を見ると、テレビで見るような本物のUFOがそこにはあった。

 

      ◆

 

 突如として降り立った未確認飛行物体から聞こえた大音量の声に全員が空を見上げる。

 その声に聞き覚えのある、先程まで戦闘を繰り広げていた二人は揃ってその正体を悟った。

 声の主…ラコスポはそのまま光と共に地球へと降り立つ。

 自分達の反対方向へ現れた、その姿を初めて見るリトと美柑は揃って同じ感想を抱いた。

 これだけ離れていても分かる程に幼児サイズの身長にいやらしげな眼。

 宇宙人といっても、ザスティンやララと比べると天と地ほどの差を感じられるその容姿。

 ハッキリ言えば、どうみても強そうには見えなかった。

 

(これがラコスポ…よ、弱そうだ…)

(同じ婚約者候補って言ってもこんなのもいるんだ…リトの方が絶対強いと思う)

 

 そんな二人の視線に気付いているのかいないのか、ラコスポは目の前の彼女に怒鳴り声を上げる。

 

「なに遊んでるんだもん、金色の闇!! もう予定の時間はとっくに過ぎてるはずだろ~!!? せっかく来たのにララたんも見つからないし!! お前はお前で油を売ってるし!! こっちは高い依頼料払ってるんだもん!! 早くするんだも~ん!!!」

「ちょうどよかったです、あなたに話がありました。あなたの用意した結城リトの情報…どうやら全く違うように感じます。まさか、契約を破って私をだました…ワケではありませんよね?」

「ッ!? な、何のことだもん!? ボクたんがウソ言ってるとでも!? ボクたんは依頼主だもん!! 早く終わらせるも~ん!!」

 

 誰がどう見ても動揺している様子に金色の闇は黙って依頼主(うそつき)を見据えた。

 その眼に思わず冷や汗をかくラコスポ。

 この男自身は見た目どおりの強さでしかない。それ故に財力を使って目の前の殺し屋を雇ったぐらいなのだ。

 その相手を欺いた事を言及されれば、当然身の危険を感じざるを得ない。

 後ろめたい事は山の様にあり、事実、自分のやった事は真っ黒。

 そんなラコスポにザスティンは止めの言葉を刺した。

 

「いい加減にしろラコスポ!! リト殿は正面からララ様に向かい合い、その心を射止めた立派な御仁だ!! 嘘の情報で殺し屋を雇い、自らは何もしないお前とは比べ物にもならない!!!」

「な、ななな…!!? お、お前! ただのララたんの世話係のクセに~!!」

 

 いつに無く、本気で激昂するザスティンに対して、声を震わせながら逆上する男を見て金色の闇は審判を下した。

 

「どうやら、違反があったようですね。安心してください。私は仕事は完遂します。たとえ嘘であっても…」

「も、もん? は、ははは!! そうだもん、なら……!」

「ですが、その前にあなたをどうにかしないといけませんね」

 

 伝説の暗殺者である彼女の冷ややかな声にラコスポは血の気が引いた。

 だが、諦めの悪さから、このまま終われないと自らを奮い立たせて、渇いた喉から声を上げる。

 無論悲鳴ではない。作戦が上手くいかなかった時のために連れてきた最終手段を呼ぶためだ。彼は一歩引いて、自らが乗ってきた、未だ浮遊を続けるUFOに大声を上げる。

 

「が、ガマたん!! 出てこーい!!!」

 

 再び光が放出され、今度は誰がどう見ても危険を感じるほどの巨大で、威圧感すらある大ガエルが姿を現す。

 その宇宙生物はギリギリ歩道橋の幅に収まりながら「ニ゛ャー」という似つかわしくない声を上げた。

 すっかりと金色の闇の眼光に余裕を無くしたラコスポはカエルの背に乗り、彼女に向けて攻撃を命令する。

 

「ガマたんやれーー!!!」

「!?」

 

 その命令に対し、大ガエル…ガマたんは口から粘液を吐き出した。

 巨体に見合う大口から放たれた大量の粘液の塊は、危険を察知し、数歩下がる前の彼女の立っていた位置に着弾する。

 だが、避けた彼女に飛沫を上げた粘液が微量付着した。

 すると、まるで蒸発するように粘液が付いた箇所の()()()が溶けおちている。

 珍獣イロガーマ。

 この場にいる全員がその光景を見て察したとおり、都合よく衣服のみを溶かす粘液を吐くカエルである。

 スカートの端と脇の付近に付着した粘液は、彼女の透き通るような肌に一切の傷も痕も残さずに隠れていた箇所を空気に晒させる。

 その光景に思わず生唾を飲み込むラコスポ。

 先程まで感じていた恐怖など無かったように今は目の前にいる少女を素っ裸にひん剥く事だけで頭がいっぱいになっていた。

 

「…そんなえっちぃ生物、認めません!!」

「もう一度だーーー!!!」

 

 今度は地面を弾く飛沫にも気をつけながら彼女は右手を刃に変身(トランス)させ、手すりを渡りながら目の前の敵へ斬りかかる。

 だが彼女にとってそこは場所が悪すぎた。

 なまじ高い位置にいる為、下に降りては攻撃は避けれても、する事が出来ない。

 それを知ってか、そこから微動だにせず、顔のみを動かしながら粘液を吐きだし続けるガマたん。

 逆に金色の闇は狭い場所で狙わなくてはならない為避けるのが困難だった。

 後に回り込めればと楽観できればどれだけいいだろう。

 敵が高い位置にいるという事が彼女にとって最大の不運といえる。

 下りて、上る。

 ラコスポが指揮している為、そんな自殺行為は出来ない。下手に跳び上がれば…間違いなく空中を狙い打たれる。

 粘液を掻い潜りながら、翼で飛ぶことに集中し、更に武器を変身(トランス)させる事はこの状況では非常に困難だった。

 

「くッ」

 

 斬りかかった彼女をガマたんは舌を使って弾き返した。

 舌にも粘液は付いているので、触れたお腹の辺りが今度は露わになる。

 後へ投げ飛ばされた彼女は体勢を整えようと体を捻り、滑るように着地するが、当然、今度は着地箇所に向けて粘液は飛んできた。

 だが、粘液は彼女へは届かない。

 

「敵とはいえ、女性に対し不埒な行い…! 到底、許されぬ行為だなッ!!」

「ぶぅおえ~~!! ガマたん危ないもん!! 男の裸なんて見たら目が腐るとこだったもん!!」

 

 間に入ったザスティンによって粘液は阻まれる。鎧は衣服と識別されなかったのか、マントのみが溶けた形で彼は金色の闇の前に立った。

 彼女は驚愕する。

 先程まで死闘を繰り広げた相手が自身を守ったことに。

 

「勘違いするなよ。コレが普通の攻撃なら見過ごしたところだ。今回だけに過ぎん」

「余計な真似を…。退いてください」

 

 そんなザスティンを突っぱねて再び彼女は向かう。

 再び走り出した金色の闇だったが、ここで予想外の事態が起こる。

 敵を目前にして、その切り伏せようとした相手が突如ダウンしたのだ。この場の誰もが聞いたことの無い怒号が沈黙していた戦場に響きわたる。

 

「お前!! ウチの妹の服溶かしやがってッ!! 何してくれてんだ!!!」

 

 結論から言うと、ラコスポ達まであと数歩という地点で、後からもう一人の標的(ターゲット)である結城リトが激怒しながらラコスポに殴りかかったのだ…飛来して。

 

      ◆

 

 これどうしよう。ヤミさんとの出会いがこんな波乱だとは思わなかった。

 なんか蚊帳の外だし、ホントにこんな感じだったのかな?

 どうも違う歴史を見てる気がしてならないと感じながら目の前の光景を見ていると、リトの視線がヤミさんを追っているのを見てしまう。

 今のヤミさんは、かなり際どいカッコウをしている。私から見ても下着がさっきからチラチラ見えてるくらいだ。

 モヤモヤした私は思わずリトの手を力の限り掴んで気持ちを表す。

 

「ふん」

「いたたた!! 何だよ美柑!?」

「目、あっちの宇宙人みたいだったよ」

 

 実際はそこまではないけど効果はテキメンだった。

 かなりショックを受けた様子のリトを見て、言い過ぎたかなとちょっぴり反省する。あくまで『ちょっぴり』ね。だって悪いのはデレデレしてたリトなんだから。

 正直そんな事を考えていたのが失敗だった。

 リトを見ていて、近くまでヤミさんが跳んできた事を何も思わなかった私は次の瞬間に声を上げてしまう。

 今狙われてるのはヤミさんだ。つまりヤミさんがこっちに跳んできたという事は…?

 

「…ひ、ひゃああ!?」

「美柑!?」

 

 油断した。というか、運が無さ過ぎた。

 偶々、当たってしまったのが真下から弾いた粘液。

 とどのつまり、パンツに命中してしまった。

 スカートや靴下は若干溶けちゃったけど、無事ではある。でも問題はそこではない。

 原型は残っていても、大事な部分を隠せていない穴の開いたパンツなんて穿いている自分を客観的に想像してしまう。

 恥ずかしすぎて、しゃがみ込む私をリトは心配そうに見てくる。

 や、やめて…今だけはなんかスゴイ変態みたいだから!!

 

「み、見ないでリトぉ…」

「ま、まさか…」

 

 きっと耳まで赤くしている私を見たリトは気付いちゃったんだと思う。

 俯いてしまう私にリトは確認する。

 顔を見てなかったけど…声が怒っていた様に感じたのはきっと勘違いではない。

 

「やられたんだな?」

 

 その言葉に思わず無言になってしまう。

 リトは「解った」とだけ言って…ザスティンの所へ走っていった。

 見て欲しくは無いけど、傍には居て欲しかっただけにちょっぴり寂しく思ってしまう。ワガママだって思うけど、今の私はリトが必要だった。

 

「何を言ってるかわかってるのか? 出来る事は出来るが、着地は面倒見れないんだぞ?」

「いい。アイツを一発殴らないと気がすまない、頼む」

「…いいだろう。受け身は出来るな?」

 

 何か不穏な声が聞こえた気がする。

 え、待ってリト? ウソだよね? そんな素っ頓狂な作戦、私の為にしないよね?

 ちょ、ザスティン!? 何リト掴んでるの!?

 

「まっ…!!」

「どぅおりゃーー!!」

「お、お、おおぉおおおお!!?」

 

 その瞬間、リトは弧を描いて宇宙人にタックルをして、思いっきり叩きのめした。 

 自由を失って空中でもがく姿はあんまりカッコよくはないけど、まぁ…私の為だし、嬉しくない事はないかな?

 

      ◆

 

「ぶへ~~!! ちょ、やめ…!? が、ガマたん逃げるもん!!?」

 

 頬の腫れたラコスポは涙目になりながらガマたんを先導する。

 理解が追いつかず、呆けていた金色の闇はここに来てようやく自分を騙した依頼主が逃げる事を察した。

 ピョインとカエルらしい跳び方でガマたんは歩道橋を跳び下りる。

 それを追おうと、変身(トランス)で背中に翼を生やした金色の闇は手すりに手をかけた。瞬間、腰と腕に負荷を感じる。

 振り向くとリトが腕を、そしてその妹、美柑が腰に抱きついていた。

 

「何のマネですか…まだやる事があるんです。先に死にたいんですか?」

「ち、違う!? 放っといていいんだ、今は!!」

「そうだよ、ヤミさん!? とにかく今だけはちょっと待って!!」

 

 彼女はまだこの地球に来て日が浅い故に理解できない。

 この地に存在する『普通』と『危険』の光景に。

 訝しげな表情で体に触れている二人を見ていると、その後で剣士が呆れたような声で溜息を吐いていた。

 

「まったく、命を狙われていたというのに二人は甘い」

「何のことですか? 意味が……」

 

 その声はけたたましい音で掻き消える。

 音に驚き、下を見る。

 そこには巨大な鉄の塊…つまり、電車が彼女にとって危険と判断する速度で走り去っていた。

 同時に轟音と悲鳴を残し、先程までいた宇宙人とそのペットが消えて二つの星が遠くで輝く。

 

(これは…なるほど、この男…コレも狙ってましたか)

 

 彼女は鋭い視線でザスティンを見ると、本人は何でもないような顔で無関心に言い放った。

 

「これがこの星の地の利だ。君が下に行っていれば容赦なく利用していただろう」

「あの程度なら軽々と避けて逆にあなたにぶつけていたでしょうね」

 

 バチバチと視線が交差する。

 なぜここまで相性が悪いのかは誰にも分からない。きっと二人にも理解できない何処かで何かが起きていたのかもしれない。

 金と銀は互いに鼻を鳴らしながら反発し、そっぽを向く。

 と、ここに来てようやく金色の闇はいつまでも自分に触れている二人を振り解いた。

 

「いつまで触ってるんですか! …まぁ、今回だけは今のに免じて見逃します」

「え、本当か!?」

 

 若干嬉しそうなリトを見て、彼女は思案顔になる。

 依頼された仕事は完遂する…しかし、それとは別に目の前の二人に興味があったからだ。

 金色の闇は、寄り添って怪我の心配をしあう兄妹に質問をする。特に気になった小さな少女に視線を向けながら。

 

「そういえば、名乗ってませんでしたね。私は"金色の闇"と呼ばれています」

「え、あ。う、うん! 私は結城リトの妹で結城美柑っていいます」

「結城…美柑ですか。ところであなた、私のことを"ヤミさん"と呼んでいましたが?」

「そうだっけ? でも金色の闇ならヤミさんでいいよね?」

 

 驚くほどに自然に美柑はそう言った。

 だが、金色の闇…ヤミにとって名前などどうでもよかった。

 この標的の妹は、()()()()自分をヤミと呼んでいたか。

 別に、ララがいるのだから知っていてもおかしくはないのかも知れない。だが、彼女の勘が何かを感じ取る。

 何よりも狙われて尚、自分を助けようとするこの兄妹の存在が気になった。

 二人を見ていると、ヤミは記憶の奥に忘れていた家族の事を思い出す。

 自分を犠牲にしても、救いたい命とは何か。

 ついでに、まだ目の前の男との決着もつけていない。

 自分がどうしたいのか。その答えを満更でもない表情で彼女は口にした。

 

「あなた達に興味が湧きました。それまでは結城リト…あなたを始末するのを保留しましょう。なので、しばらくこの地球に留まる事にします」

 

――――――

 

「やっと見つけたー!! もう心配したんだよ~!!?」

 

 ヤミが去って数分。疲れからその場で動けなかった三人を空からララは見つけて駆けつけた。

 遅すぎる登場に全員が苦笑いをする中、ララは理解が出来ずに不満気な声を上げる。

 何はともあれ、紆余曲折の末にヤミは地球に留まる事になった。

 その事に微笑む少女が一人いた。

 

(良かった…ヤミさんが来てくれて。正直、今まで失敗ばっかだったし、ヤミさんには協力者になって貰わないと困ったんだよね)

 

 美柑の計画に必要な人物、その一人がヤミである。

 自分の一番の親友であり、仲良くなれる要素が多い。リトへの恋心も今の時点では殆どない。

 そして恋愛に詳しくないので偏見があまり無い。つまり…染めやすい。

 ふと、美柑は思い出す。

 前は知らぬ間に抜け駆けされ、誰よりも一番前へ。兄の隣に走っていった親友の姿を。

 今度は、しっかり見ておかないと。と、口元を歪ませた。

 

(そしたら今度は私の楽園で、ヤミさんと仲良くしたいな)




おまけ
『とある未来の夫婦』

 王宮で大きな溜息が聞こえた。
 その主こそ全宇宙の王たるギド・ルシオン・デビルークであり、その傍らで妻であるセフィは夫の溜息の理由を問う。

「珍しいわね、そんな溜息なんて」
「これが吐かずにいられるかよ、リトのヤローとうとう俺達の娘全員に唾つけやがったんだぞ?」
「あらあら、別にいいじゃない。あの娘達は自分達なりの幸せを選んだんだから」

 悪態をつく夫に対して、妻はあくまで穏やかに娘達の判断を肯定する。
 それに対し疑問を抱いたのはギドだった。

「だいたいよー、セフィ。お前ハーレムなんて認めないっつってめちゃくちゃキレてたじゃねーか。なんでアイツらを認めた?」
「別に私はハーレムにアレルギーとかを持ってるわけじゃないわよ? それにリトさんのこと名前で呼んでるって事はあなただって認めてるって事じゃない?」

 見透かされたような返事に王は言葉を詰まらせる。それを見た妻は一気に言葉を畳み掛けた。

「そもそも、あの娘達と私とじゃ考え方が違うわ。私は愛する人が他の女の子にデレデレしてるのを許せるほど寛容ではないもの♪」
「……ケッ、なに言ってんだバーカッ」

 そんな妻なりの答えに、今までの認識が間違っていた事に気付かないほど、宇宙の王はニブい男ではないようだった。


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『友達から』

 今まで私は誰かを殺す事に疑問を抱こうとは思わなかった。

 いつからか、自身の持つ能力を遺憾なく発揮出来るこの仕事に何らかの感情を持つ事をしなくなる。

 別にそれで良いと私は思う。

 得意だから。そうせざるを得ないから。仕方が無いから。

 そんな言い訳すら私にはする権利などあるはずが無い。

 だから、今回の仕事だって普段と変わらない一つに過ぎない。

 気まぐれでもなく、自然にいつもと同じ様に受け持った依頼。

 地球という辺境の星の極悪人"結城リト"という人物の抹殺。

 …のはずでした。

 どうしてか、私は今回の依頼を保留という形で延長させてしまう。

 勿論、今回の依頼にはウソがあったのだから相応の対応はする価値があるかも知れません。

 でも今まではそれでも受けた依頼は完遂してきたはず。

 引き返すことなんて出来ないほどに私の手は既に汚れきっている。

 何を期待しているんでしょう? 何を知りたいんでしょう?

 結城リトも、その妹の結城美柑も本当の私を知らない。

 彼らは途方も無いお人よしで、だからあの時だって目の前の私を守ろうとしたに過ぎないはずなのに。

 それが誰であっても彼らは助けたはずなのに。

 

 私はあの二人のことをもっと知りたいと思ってしまった。

 

 特に結城美柑…彼女は何かが他とは全然違う。

 その正体を知る為にも、結城美柑とは接触をこれからも行う必要がありそうです。

 お人よし…には違いないはず。

 これでも他人を見る目はある方だと自負してます…が、何かそれだけではないような。

 あの年齢でそれだけの闇を彼女は持っているのか。それが非常に気になってしまった。

 私の暗殺者としての勘が正しいのか、ただの気のせいなのか。

 この星に来て数日が経ちましたが、どうやら退屈する事はなさそうですね。

 

――――――

 

「ほらほらっヤミさん。あそこが、おすすめのたいやき屋だよ」

「…はい」

 

 それでどうして私はこんな事になったんでしょうか?

 確かに私は結城リトと結城美柑に興味があります。

 今日だって、ひとまず地球の文化を知ろうと本屋を巡りながら偶々会うようなことがあれば観察するくらいの事は考えていました。

 ですが予想外にも先に結城美柑の方から私にアクションを起こしたかと思いきや、気付けば彼女に連れられながら、たいやき屋に来てしまうはめに。

 …まぁこのたいやきという食べ物はなかなか美味しいと思うので構わないんですけど。

 

「今日は私が付きあわせちゃったからお金は全部払うね、何味が良いとかある?」

「別に気にすることはありません。その気になれば換金した通貨を使って余生をたいやきで過ごせるくらいの蓄えは持ってます」

「さ、流石にそれは何か他の食べ物とか食べないとダメだと思うなぁ…」

「そうですか? まぁそう言うのであれば…味は特に気にしません」

 

 私がそう言うと、結城美柑は笑顔で店の方へ走っていきました。

 誰かに尽くす事で自分が笑顔になれる…私には理解できない感情です。

 結城リトも彼女と同じなのでしょうか…?

 

 あの時の戦闘を思い出す。

 私の変身(トランス)攻撃から逃げる最中、彼は結城美柑をずっと気にかけていた。

 体力や身体能力はまあまあ有る方でしょう。

 優れているという程では無いにしても、あの時は決して遅れを取ることなく自分の妹を守りながら逃走できる力を持っているレベル。

 無論、標的(ターゲット)でもない相手を無闇に狙う趣味は無いので、私からは結城美柑への攻撃は最小限まで減らすようにしていたんですが。

 でも動き回る相手を狙うのは簡単ではない。

 だから逃げるというのであれば、多少の被害はあって当たり前。

 ……しかし、それすら全くといって良いぐらいに、彼女へ攻撃が当たる事は無かった。

 

 何故なら、明らかに意図して結城リトは、()()()攻撃を避けなかったふしがあったから。

 

 左右のどちらかに避ければ、隣にいる結城美柑に攻撃が当たると思ったのかもしれません。

 引っ張っている手も決して離さなかったのは結城美柑を守るため…そんな意図がその背中からは透けているように感じた。

 彼女は結城リトに大切に想われている。少なくとも自分を犠牲にしてもいいと思えるくらいに。

 だから…なのでしょうか?

 結城美柑もまた、その後に足を止めて私の前に立ち塞がったのは。

 普通はあんな状況で殺し屋の私に面と向かって話しかけるなんて出来るはずが無い。

 それはたとえ自分が傷を負おうと、自身の兄に…家族のために自らが盾になろうという覚悟を感じた。

 この瞬間、私は気付いてしまう。

 この兄妹は今までに見た事も無い程に強固な絆によって結ばれているのだと。

 

「羨んだ…? まさか。私にそんな…今さら、過ぎます」

 

 でもその姿を見て手加減をしてしまったのも事実。

 今までの何よりもやり難い相手。それが目の前にいる非力な……。

 

「ヤミさんお待たせ~。なんかたくさん買っちゃったからドンドン食べてよ!」

「どうも。では、いただきます」

 

 今はやめましょう。コレを食べている間は…美味しいものを食べるならばそれに集中しなければ勿体ない。そうでないと味が曇ってしまいますから。

 そういえば、彼女にはナイショにしていますが実はこの店には既に来た事があります。

 近辺のたいやき屋は既に網羅済み。ここは確かに他より豊富な種類に加え、スタンダードなあんこのたいやきにも力を入れている場所です。

 彼女の持ってきた紙袋から一つたいやきを手に取ると、出来立ての熱気で思わず取りこぼしてしまいそうになりながらも、しっかりと掴んで口へと運ぶ。

 程よく焼けた生地の表面は歯切れの良い硬さ。

 でもその向こうにはふわふわとした柔らかい感触が広がり、中のあんこをしっかりと包み込んでいる。

 甘くて熱いあんこが口の中を刺激するので、火傷しない様に気をつけながら舌で味わい、歯で生地とあんこの感覚を楽しむ。

 美味しい。

 この星の食べものは本当に変わっている。

 魚の様な見た目のクセに、それは甘いお菓子。

 地球で始めて食べた、地球の食料。動くために、生きるために必要なだけの栄養を摂取する行動。

 結城リトは、何を思って私にたいやきをくれたんでしょうか?

 ただのきまぐれ? それとも厚意?

 …私が理解するにはまだ、情報が足らないようです。

 ただ一つ、言えることがあるとすれば。このたいやきの味くらいでしょう。

 

「やはり甘いですね」

「たいやきだからね、甘いのがフツーなんだよ」

 

 ちらりと結城美柑の方を確認すると、彼女の食べているたいやきはどうやらカスタード味のようだった。

 邪道とは言いませんが…たいやきはやはり、あんこが一番だと思いますよ。

 

      ◆

 

 ヤミさんと早く仲良くなりたかった私は、今日の休日を使ってどうにか少しでも昔の様な関係に近づけようとヤミさんの行きそうな場所を探していた。

 本屋か、たいやき屋か、人気の少ない静かな場所。

 少しずつ時間が経っていき、お昼が近づくに連れてだんだんと不安になっていく。

 せっかくの休日をリトと過ごせないだけでも心がザワつくのに、これで成果がなければショックで落ち込んじゃいそうになる。

 ちなみに、今日は最近のお礼も含めてララさんにリトを任せているのがその原因の一つでもあった。

 今までは私がいたんだから、ララさんに大事なリトを独り占めさせるなんて事はさせなかった。でもやっぱり、いじわるしすぎるのも何だか心苦しくなってきたんで今日くらいは許可してあげようと思ったんだ…けど。

 

「うぅ…早まっちゃったかな。ヤミさん、どこ行ったんだろう?」

 

 不安になるのは単純に今までがリトと一緒という事に慣れすぎていたから。

 まさか一日程度でララさんとリトが急接近するなんて微塵も思っていない。

 この程度の時間で仲良くなれるなら、前の世界でハーレムなんてものが出来上がる前にとっくに恋人にだってなれたはずだし。

 でも今、もしララさんがリトにあの大きくて魅力的な二つの塊を押し付けているんじゃないかと思ったら……あ、まずい。何か胸が痛くなってきちゃった。

 

「………………」

 

 少し休憩しよ…。

 ベンチならすぐ近くにあるし、休むにはちょうど良いかな。

 俯きながらずるずると歩いていくと目的地が見えてくる。その時には既に私の歩くスピードは明らかに速くなっていた。

 だって目的地が目の前に、喜ぶべき事に()()もあったから。

 

「ヤミさん!!」

 

 偶然にも探していた彼女は私が目指していた場所にちょこんと座って本を読んでいた。

 そんな私にとって見慣れた光景をようやく見つけた事に、さっきまでの暗く沈んだ気持ちは無くなってしまう。

 ああ。やっぱりヤミさんが近くに居ると何だか落ち着くな~。

 かつての親友の姿に、思わず私も昔の様にいっぱい話してしまいそうになる。

 言いたい事はたくさんあった。でも言う事はできない。

 目の前のこの人は、ヤミさんであってそうでないヤミさんだ。

 私の事も全然知らない、私と一緒に愚痴を言い合ったり出来ない…昔のヤミさん。

 だから今からは気をつけないと。

 知らずに仲良くなった私を演じないと、きっと警戒されてしまう。

 殺し屋として生きてきた目の前の彼女は、仲良くなるまで時間の掛かったあの頃のままのはず。

 いろいろと知っている私が出てしまったらきっと気味悪がられる。

 ただでさえ警戒心の強いヤミさんだ。

 もしも一度何かがきっかけになってしまえば…最悪二度と仲良くなる未来は訪れない気がする。

 そういえばフルネームじゃなくて"美柑"って呼んでくれるようになるまで結構時間が掛かったっけ。

 懐かしいなぁ。あの頃に、戻りたい。

 ううん、戻らなきゃ。

 その為に今日は頑張らないと。

 

「結城…美柑? 何のようですか?」

「ここで会えるなんて奇遇だねっ。せっかくだし今から時間あるかな?」

 

 ウソはつかない。自然に彼女を誘う。

 なんだか知っているのに知らないフリをするのはちょっぴり変な気持ちになる。

 罪悪感もあるけれど…でも仲良くなりたい気持ちはホントだから。

 だから…それまでは許してね? ヤミさん。

 

 

 ヤミさんにとってリトは一つの希望だった。

 暗い世界を生きてきた"金色の闇"を"ヤミさん"に変えたのはリトのおかげ。

 恋も愛情も、普通の女のコとして生きる道に導いたのはリト。

 私の知っているヤミさんは、私に対する負い目を感じさせる表情をする。

 私が知らないと思っているヤミさんは、リトの傍で穏やかに幸せそうに微笑む。

 両方知っているからこそ、胸が痛いんだと思う。

 何も知らなければ、きっとまたヤミさんと仲良くだってなれるけど、私は今さら退くつもりはない。

 たとえ、今のヤミさんの意思を無視してでも。

 悪い言い方をするなら利用してでも…いつかそれがプラスになるんだから。

 …だから、その代わりに私は私の親友(ヤミさん)もきっと幸せにしてみせる。

 だってヤミさんはいつまでも暗い顔していたらいけない人だもん。

 私と一緒に笑って、妹のメアさんとも仲良くなって、それで、それで…。

 

『美柑、私なんかの友人になってくれて…その、何と言うか。ですからっ私は今…し、幸せですっ! だから、これからも……』

 

 そう。ヤミさんは…ここで変わらないと、変えないといけない。

 もしかしたら根本的な部分が似てたから、私たちは仲良くなれたんじゃないかなって思う。

 だって、この人は私と同じ。

 リトがいないと…ダメになっちゃう人だから。

 

      ◆

 

 隣り合わせで長い間、会話を続けていると次第にヤミの警戒は薄れていく。

 美柑がヤミの話しやすい内容を選んで会話した事もあるが、もともと二人は前の時間では親友同士であり続けた関係であった。

 美柑の方はコミュニケーション能力が低いわけではないが、ヤミの方はお世辞にも高いとは言える方ではなく、言ってしまえば、ヤミ本人が仲良くできる相手というのが限られているのも大きい。

 ヤミはどちらかといえば自分から他人へ接しに行くタイプではないが、彼女自身の雰囲気や魅力から、周りの人間が向こうから歩み寄ってくる事が殆どだった。

 故に、地球に来てからのヤミが孤立する事は無かったが、それでも本当の意味で向き合って話すことの出来る関係を築けたのは一握りである。

 その一人が美柑だった。

 意外なことに本質的な部分や、細かな共通点の多い二人は一度きっかけがあってからは互いを友人と認め合えるほどの関係になっていく。

 だからこそ、今もこうして仲良くなるのに時間は大して掛からなかった。

 むしろ、始めからリトと美柑に興味を持った事で地球に留まる事を決めた今回の世界。

 前の様に相手を避ける理由がヤミには無いので、だんだんと会話も積極的になっていく。

 好物を間に挟んで向かい合う彼女の姿は、明らかに以前の頃よりも早いスピードで美柑に気を許しているのが窺えた。

 

「結城美柑、あなたは結城リトを随分と慕っているんですね」

「そう見える? あはは、改めて言われるとちょっと恥ずかしいな。でも、うん…リトの事は大好きだよ」

「大好き…ですか。私には良く分からない感情です」

 

 美柑が積極的にリトの事を話す事でヤミは"結城リト"という人物像を頭の中で作り上げていく。

 きっと美柑の友人であるサチあたりがこの会話を聞いていたら、げんなりとした様子でお腹をいっぱいにさせていたに違いないだろう。

 そう言えるほどに彼女の会話の内容はリトの事に満ちていた。

 好きな食べ物の話し一つからでも「リトが美味しそうに食べてくれるから私も好き」という感じに繋がり、色一つでも「リトが…」という言葉が何回も出てくる。

 普通の人間ならウンザリするほどのブラコンっぷりに色々と思うことだろうが、二人に興味を持つヤミからすれば貴重な情報源である故に気にした様子も無く彼女の笑顔を見ながら耳を傾けていた。

 そういった調和が取れる姿は既に、在りし日の親友同士の光景の様にも見える。

 

「ヤミさんもいつかは解るかも知れないよ? だってこうして話してても全然ヤミさんって普通の人って感じだし、今までが特別過ぎたんじゃないかな?」

「理解できる必要なんてありません。私はこの手で数え切れない罪を犯しています。理解できた所でどうにもなりませんから」

 

 美柑は今まで自分を見ながら会話をしていた相手が表情を殺して、遠くを見つめている事に気付く。

 ここだ。

 そう思った美柑は言葉を紡ぐ。

 様々な過去を背負い、心を凍らせている彼女の闇をどうにかしないといけない。

 

「じゃあさ、今度ウチに泊まりに来ない? リトがいるから恥ずかしいって言うなら仕方ないけど…せっかくこうして話せるようになったんだから。私はもっとヤミさんと仲良くなりたいな」

「…正気ですか? たしかに今は結城リトの抹殺を保留していますが、一度はあなた諸共結城リトを手にかけようとした相手を家に呼ぶなど…」

「そういうことなら今こうやって話す事だっておかしいじゃん? ヤミさんがリトを殺してない。ヤミさんと私が仲良くなれるかもしれないってだけでいいかなって思うんだケド」

 

 その言葉に、いつもよりも無表情で彼女の顔を覗き込むヤミ。

 感情より理屈を取る彼女は、美柑の言葉の真意を探る。

 だが、彼女には美柑の事を測ることはきっと出来ないだろう。少なくとも今の彼女では。

 どんなに見つめてもウソを言っているようには感じられないと判断したヤミは内心で混乱する。

 結城美柑は兄の結城リトを慕っている。なのに、自らその兄を危険にさらす様な提案を何故するのか?

 彼女は本当に仲良くなろうとしているだけなのか。本当に。

 

(わかり、ません…結城美柑の考えが。彼女は本当に私と仲良くなろうなどと、意味の無い事をしたいのでしょうか)

 

 一方で美柑も内心では、どう事態が動くかに緊張していた。

 というのも、何度も会話に登場している兄の存在が気にかかったのだ。

 美柑にとっての一番の不安材料がリトにある。

 知り合った女性の殆どは、その魔の手の被害にあったと言っても過言無い唯一の欠点…トラブル体質。ラッキースケベ。

 いかなる状況からも手や顔は的確に女性の恥ずかしい部分に触れる事の出来た、恐ろしい彼の呪われたステータス。それこそがヤミとリトにとって最大の壁になるという事を美柑は知っていた。

 彼女はえっちぃ事やハレンチな行為をされるのを嫌がる。

 無論、それは当たり前であって当然の事。むしろ正常な貞操観念と言える。

 リト自身はわざとやっていないが、どうしてもその事だけは障害となるのが目に見えていた。

 他の女性の誰よりもその事に関して厳しい彼女がリトになかなか素直になれなかったのはそれが一番の原因である。

 しかし、この世界では一つ大きな違いが存在した。

 それがこの一件。あまりにも普通にその事は美柑に疑問を残している。

 

『結城リトのラッキースケベが未だに起こっていない』

 

 誰かにとっては好都合で、また誰かにとっては物足りなさを覚えるであろうその状況は彼女にとっても悩みの一つとなっていた。

 本来なら少しずつではあるが、その前兆や前触れはとっくに起きていたはずなのだ。

 それが今はまだない。

 むしろ、今無いからこそ今後に影響が出てくるのが一番懸念された。

 

(リトのアレが無いから、逆にヤミさんと仲良くなるには好都合…なのかもしれないけど。でもいきなり目覚めてもマズイし…)

 

 美柑からすれば物足りなさ半分と、まともな状態になったリトを褒めてやりたい気持ち半分といったところで複雑な感情が胸中に渦巻く。

 

(とにかく、今はリトもしっかりしてるから大丈夫だよね?)

 

 気持ちを切り替えてヤミからの返事を待つ。

 流石に急ぎすぎたとは理解していたが、これでヤミがリトへ何らかの想いを抱けば美柑の計画は更に一歩進める。

 ヤミがリトを好きになれば、万が一にでも在り得るかも知れない殺しの可能性はゼロになるし、彩南高校へ通うようになればモモが来ても安心出来る材料が増える。

 後は『好き』の具合を調整すれば良いだけ。最悪ヤミならば我慢できる。

 美柑にとってはこの一歩が自分の理想とする楽園への第一条件だと判断した。

 

「結城美柑、質問しても?」

「え? なにかな」

 

 ここに来ての質問はヤミも悩んでいるという事で間違いないはず。

 つまり、この質問への回答次第で彼女が自分へ歩み寄ってくれるかどうかが決まると判断した美柑は息を呑んで言葉を待った。

 

「もし私が結城リトを殺していたら、結城美柑…あなたはどうなっていましたか」

「リトは生きてる。それでいいと思うんだけど…それじゃ納得しないんだよね?」

 

 コクリと可愛らしく頷くヤミを見て美柑は考えた。

 といっても、それはものの数秒ほど。

 彼女にとって、この質問への答えは難しいものではなかった。

 

「もしそうなってたら、今こういう風にヤミさんと仲良くたいやき食べて…お話するなんて出来なかったかな」

「…まぁそうですよね」

「もしリトが死んでたら…そうだなぁ。きっとヤミさんを別の用事で探したかも」

 

 今度はヤミが考える。

 おそらくは自分への報復をする為なのだろうと。

 そうなったところで返り討ちにしてしまうだけ…なのだろうが。と、ここでヤミは思考を止める。

 一瞬、胸が締め付けられるような思いに目を背ける。

 あくまで過程の話なのだからと、この一日でほんの少し心を開きかけた隣の相手の憎しみと悲しみに歪める表情を思考から切り離す。

 だが、その相手はヤミの考えを簡単に裏切った。

 

「多分、私はヤミさんに殺して欲しいってお願いするよ」

「……は?」

「だって、ヤミさんにそうして貰ったら…同じ所にいけそうじゃない?」

 

 あまりにも想定していなかった答えに思わず素の声で反応してしまう。

 いたって真面目な表情の美柑の横顔を見ていたヤミだったが、視線だけが交差すると同時に控えめな笑い声でヤミは現実に引き戻された。

 

「あはは、冗談だよっ」

 

 呆然とするヤミを尻目にして、美柑は立ち上がって振り返る。

 ヤミには目の前の相手がどれだけ兄を慕っているのか。その片鱗を覗いてしまった事に気付いてしまった。

 

「ね、ヤミさん今度どうかな? 私はもっと仲良くなりたいって思うんだけど」

「私、は…」

 

 何かを言おうとするヤミだったが、気の抜けるような穏やかな声に遮られる。

 

「お~い美柑~」

 

 美柑は突然表れた兄に驚きを隠せず、それでも溢れるような喜びの表情で彼の元へ走っていった。

 どうやらララが春菜たちと遊ぶ約束をしていた予定をすっかりと忘れていたらしく、急に暇になったリトは適当に外をぶらついていたのだとか。

 先程までの沈みかけた空気が一瞬でなくなり、腰に抱きつく彼女を優しく抱きしめ返す元標的(ターゲット)をヤミは見据える。

 何故だかこちらが恥ずかしくなるような光景に思わず目を背けるが、好奇心からかチラチラと横目で二人の抱擁を見てしまっていた。

 

「あれ、ヤミもいたのか。美柑と遊んでたのか?」

「うん! あ、ねぇリト。今度ヤミさんをウチに呼んで良い?」

「ん? 俺は別に気にしないけど…え~と、俺の事はまだ保留…なんだよな?」

「な、結城リト! あなたも結城美柑のようなことを言うのですか!?」

 

 兄妹揃って同じような反応に困り果てるヤミ。

 それも当たり前だ。今の彼女にとってはこのように親しげに誰かから接して貰った事など皆無に等しい。

 その上、相手は自分の狙った殺しの標的だ。

 まともな神経をしていれば警戒する方が普通だというのに、標的だった本人ですら気にしていないかのような態度を取る事が理解できなかった。

 

「ど、どうしたんだよ、いきなり…なんか変だったか?」

「変に決まってます!! あなたは一度殺しに来た相手を保留したからという理由だけで家にあげるつもりですか!?」

「え~と、だって美柑と友達になったんだよ…な?」

「それがなんですか!」

 

 ヤミは柄にも無く大声を上げてリトに詰め寄る。

 揃いも揃って、この二人の異常性に冷静な思考が悲鳴をあげて飛び去ってしまっていた。

 それはリトの言う『友達』というワードにすら間髪いれずに返す程に。

 

「だったら俺は気にしないよ。美柑の友達が悪いやつなはずないからな」

 

 その言葉に遂には伝説の殺し屋も諦めてしまう。

 信頼だとか、信用だとか、この兄妹にそんなものは既に在って無い様な意味のないものなのだと。

 たしかにこの二人について知りたい事は山ほどにあったが、流石にいきすぎであると気付くと同時に溜息も零れる。

 世間の兄妹はこんなにも互いを信じあえるものなのか…そんなワケない。目の前の二人が異常で特別なのだと。この瞬間、ヤミは正しく理解した。

 

      ◆ 

 

 人を愛するという事は難しい。

 今日一日でそれがわかってしまった気がする。

 何と言うか、あんな人目の付く場所で抱き合ったり、腕を組んだりなんて…私には出来そうにもない。

 でも二人の関係は溜息が出るほどに呆れるのと同時に胸が熱くなった。

 今まで、殺し屋として生きた私にはよく解る。

 『死』とは『終わり』なのだと。

 結城美柑は…彼女はそれすら恐れないのでしょうか。

 仮に結城リトが死んだならそれを追うと言った時の表情は真剣そのものだった。

 自殺志願者でもなく、ただ結城リトと共に居られればそれでいい…それが結城美柑の本質。

 理解出来ません。

 結城リトも彼女の意思さえあれば自分は構わないという様子でした。

 …こうなったら、今度は結城リトを調べる必要がありそうですね。

 結局、彼女たちの家に行くと言ってしまいましたし…ちょうどいいかも知れません。

 結城リトが抹殺を保留するに足る人物なのかどうか。

 出来ればそうであって欲しいものです。




話の中で書きましたが、この世界でのリトさんはラッキースケベが殆どありません。
このあたりは後々の話に書こうと思います。


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『より深く』

 地球の冬という季節は寒いと聞いていましたが、この程度なら大丈夫そうですね。

 今までに体験してきた寒冷な気候の星に比べたら、わざわざ動き難い服を着込む必要は感じない。

 そのままいつもの戦闘服で私はこの星の地を歩く。

 しかし、いざ目的の場所へ向かっていると、進む足の歩幅が変わっている事に気付く。それは結城リト達の家に辿り着くまであと半分というぐらいの距離になってからだった。

 誰かに好意的に接してもらった記憶なんて数えるほどの経験しか無い。

 らしくない。

 この程度で動揺しているなんて、自分でも信じられなかった。

 だけど、実際にこの足は私の胸中を表に出すようにコントロールが効かない。

 まるで何かを期待するように足早になり、かと思えば不安を表すように進む速度は遅くなった。

 頭を整理する様に立ち止まって考える。幸い、今ならばまだ時間はあった。

 この時間なら、まだあの二人は家にいない可能性はある。ちらほらと黒と赤の鞄を背負った男女の姿を見ながら深く息を吸うと、冷たい空気が私の身体をほんの少しだけ冷静にさせた。

 悩む必要は無い。今日は結城リトがどんな人間であるか確認しに行くだけ。

 ただそれだけのこと。

 結城美柑のことはこの際、深く考える必要は無い。彼女が異常なまでに兄を慕っていることは既にリサーチしている。それに…

 

「深く関わると危険な気がします…」

 

 別に彼女の事を嫌っているワケではない。むしろ、最近の事を思えばどちらかというと……好ましくは、ある…ような気はします。

 あんな会話で何故こう思えるのかは自分でも解りませんが、不本意ながら潜在的に相性が良いのかもしれない。

 話しやすい。落ち着く。安心する。

 コレまでの生き方で人間関係を意識した事なんてほとんど無かった。せいぜいが依頼主との事務的な関係ぐらいだろう。

 だから、私には理解できない事が多すぎる。

 だから、知りたい。

 不要と思っていた感情の価値を。意味を。理由を。きっと彼らは教えてくれる…そんな気がする。

 身体を回る冷たい空気が熱となって口から零れた。

 

「そろそろ、行きましょうか」

 

 白い息を吐き出しながら目を閉じる。

 問題ない寒さではあるが、もう少し温かい方が好ましい。その季節が訪れるにはまだ早いと肌で感じながら、私は再び歩み出した。

 

      ◆

 

「いらっしゃいヤミさん! 待ってたよ!」

「へぇ~あなたがヤミちゃんか~。話で聞いてたよりずっとかわいい女の子だねっ」

 

 ヤミが事前に教えられていた結城家へ辿り着くと、既に家の外で待機していた美柑とララが彼女の出迎えの準備をしていた。

 その事に先程まで色々な事を考えていたヤミは改めて現実を直視する。

 今はまだ感情の起伏を表情に出すのに乏しい彼女はこの事に内心では驚きつつも、それを表には出さなかった。

 ララはそんな反応に「あれ、ドッキリ失敗?」という表情になるが、美柑は気にした様子も無くヤミを家の中へ迎え入れる為に彼女の背中を軽く押した。

 

「結城美柑、そんなに急がずとも…」

「あ、ゴメンね。嬉しくてつい…あと美柑で良いって!」

「あはは、美柑ってば昨日からずっとそわそわしてたもんね~。いつもよりリトがいっぱい美柑のお世話してたぐらいだし」

 

 その暴露が気恥ずかしかったのか、美柑は慌ててララの口を手で塞ぐ。

 だが、悪びれる様子もない彼女を見てそっぽを向いたかと思うと「いいから中に入ろ!」とだけ言い残して玄関へ去っていってしまった。

 結果、取り残されたヤミはとりあえずこれ以上寒気を堪え忍ぶ必要も無いと感じたララの手に引かれて、初めての結城家へ足を踏み入れる。

 玄関で愛用しているブーツを脱ぎながら、先程の会話に意識を傾けてみる。すると、家の中でも兄妹は仲睦まじく暮らしているのだと、そんな光景がヤミにはありありと浮かんでいた。

 昔から本を読んで知識を取り込むことを好んだ彼女はそこから得た情報でその様子を想像する。

 

―普段から家事をする妹は今日に限っては、らしくもなく失敗を繰り返す―

―そんな様子を兄は心配し、彼女の尻拭いをすべく慣れない作業に苦戦を強いられるが、それでも表情には出さない―

―その事に妹は気付きつつも、自分の為に必死になる兄に嬉しさと喜びを感じながら黙って状況を受け入れる―

―やがては調子を取り戻した妹は兄に感謝の意を表し、いつにもまして心を込めた手料理を振舞った―

 

(こんな感じでしょうか? いえ、彼女の事です。ひょっとしたらもっと…)

 

―それからはまるで子猫のように(じゃ)れ付く妹の姿があった―

―熱に浮かされる様に、あるいは酒に酔っている様に、頬を染めながら甘える妹に兄は柔らかな笑みを浮かべて彼女の行為を受け入れる―

―その事に気を良くした彼女は、向き合うように体勢を変え、兄の胸板に自身の香を擦り付けていく―

―ふと、妹が顔を見上げるとそこには自身が最も慕う人の瞳が、自分だけを見つめていた―

―まるで吸い寄せられる様に、いっそ必然であるかの様に互いの唇は吸い寄せられ…―

 

(……って、違っ!? これじゃあまるで兄妹ではなく…いえ、そもそもなんでこんな想像を…あぁ、昨日間違えて仕入れて読んだ本のせいです。そうです。こんな事を普段から考えてるはずないんですから私は!)

 

 突然、ぶんぶんと頭を振るう奇行にびくりとするララはヤミが無理をしているのではないかと不安になるが、向こうからすれば口には出したくないデリケートな事情があるのでなんとか大丈夫だ、平気だと言い聞かせるしかない。

 

「心配しなくても大丈夫ですプリンセス。私は至って普通です。問題などあるはずがありません」

「そ、そう? ならいいんだけど…何かあったらエンリョしないで私に言っていいからね?」

「感謝します…さ、行きましょう」

 

 もしかしたら変わった子なのかもとは内心思いつつも、本人が大丈夫だという以上は深く考える事もないと判断し、ララも気持ちを切り替えた。

 もともと彼女は大らかで、少し悪く言うと大雑把な一面がある。

 一度問題ない、気にしないと判断すればそれ以上は追及しない。それが彼女の美徳でもあった。だからそれからのララはついさっきの事を何も思わなくなる。

 失敗したと悩むヤミの苦悩が無駄な心配だという事を、当の本人が知るにはまだまだ時間が足りていないらしい。

 

――――――

 

「お、いらっしゃい。お茶でも飲むか?」

「…お邪魔します、結城リト。いえ、お構いなく…」

 

 居間では、彼女にとって今日の目的であり、かつての標的が寛いでいた。

 ヤミはその姿に思わず訝しげな態度を取ってしまう。

 目の前には以前に命を狙った殺し屋が居るというのに、この男は本当に警戒すらしないのかと。

 しかし、それは仕方のない事。闇の中に生きた彼女からすれば…いや、普通ならばやはり異常なのはリトの方なのかもしれない。

 思わずお茶を拒否したのも、いつ狙われるかも分からない暮らしをしていたヤミからすれば当たり前の事だ。

 当然リトにそんな敵意がない事は既に彼女も理解している。だからこそ、こうして本来なら()()である結城家にだって訪れる気になったのだ。少しでも警戒されていれば、ヤミは今日の様に呼ばれても拒否しただろう。

 

「ヤミさん今日は泊まってくんだよね? ご飯の準備は大体終わらせちゃってるんだけど…どうする? 先におフロからでも良いよ」

「私が決めても良いんですか? えと、それでは先に入浴がしたいです」

 

 危険は無いだろうと判断しても本来のヤミだったら泊まりがけのお泊りはしなかったかもしれない。

 しかし今回は結城リトという人物を知るのが目的だった為、ある程度の覚悟をしてきていた。かつての様な美柑との関係もなく、理性的な彼女が了承したのも全ては偶然、事が上手く運んだから。

 二人が電車から彼女を守り。かつ、意思を変えるほどに興味をもたれた事。そして最も重要なのが、リトがハレンチなトラブルを起こさないこと。

 全てが偶々。だが、その手繰り寄せた様に細い偶然を美柑が起こせたのは一つの奇跡なのかもしれない。

 

「うん、それじゃヤミさん先に入ってきていいよ。私たちは料理並べとくから」

「いえ、そこまで気を使わなくても…あなた達の家なのですから、先に入ってください」

 

 美柑が入浴している間に結城リトと接触をするのがヤミの目的だった。

 できればララと一緒に行ってくれれば更に好都合なのだと思うが、別にそこは庭にでも呼び出せば二人きりになるなど簡単な事。

 しかし、この目論見は数秒で破綻してしまう。

 

「ん~、そう? じゃ私たちが先に入ろっか」

 

 そう言うと、美柑は可愛らしいエプロンを脱ぐと座っているリトの下へ駆け寄り、手を握る。

 すると、リトも抵抗無くそれを受け入れて立ち上がり、彼女に引っ張られながら一歩二歩と歩き始める。

 あまりにも自然なその光景にヤミは一瞬疑問符を浮かべて首を傾げた。

 

「…?」

 

 自然なのもある意味当然だった。

 ララが止めないのも、流れるような動作も全ていつもの結城家の()()()()なのだから。

 違和感に気付いたヤミは「待った」をかける。これもまた当然の事だった。

 

「ちょっと待ってください。あなた達はどうして二人で行こうとするんですか?」

「え、なんでって…これから一緒におフロだからだけど…?」

「おかしいでしょう! 兄妹とはいえ男女で入浴なんて!」

 

 無表情の仮面はあっさり剥がれ落ちる。

 そうなると本来の彼女があまりにもおかしな現実に声を上げて反論するのだが…残念ながら、ここはやはり彼女にとっては()()であった。

 兄妹も、そして第三者であるララさえも、ヤミのように良識な判断を出来る人間はこの場にはいないのだから。

 

「変かな?」

「さ、さぁ? オレはもう慣れっこだったからあんまり考えないようにしてたけど…」

「私が来たときからいつもそうだったよね~。なんかおかしい事かなぁ」

 

 絶句。

 ヤミはここにまともな人間がいない事を悟り、頭を抱える。

 仲が良いのは理解していても、まさか一緒に裸の付き合いまでしているとは夢にも思っていなかった。これではさっきの妄想までがどこまで現実かすら危うくなるレベルの仲の良さである。

 兄妹で仲が良いのは構わない。けどこれは違う。もはや兄妹で一線を越える勢いだ。

 そう思ったヤミはコレを良しとしない。『えっちぃ』を苦手とする彼女だからこそ最初に気付けた結城家の知られざる闇に足を踏み入れる。

 

「変に決まってます! どう考えても…その…兄妹という枠を無視しすぎというか、これではまるで男女の…とにかく、えっちぃのは嫌いです!」

「ヤミさん」

 

 この声にヤミは一瞬だけ息が詰まった。

 コレをつい最近知ったばかりの彼女は身構える。結城リトが死ねば、いっそ自分も殺して欲しいと言った時の様な不穏な空気にさっきまでの威勢が一気に萎んでいった。

 

()()(ウチ)では普通の事なの。私とリトは一緒におフロに入って、一緒に洗いっこするのが日常だから。別にやましい事はないし、えっちぃ事なんて何も無いよ?」

「…い、いえ、ですが。二人とも年頃の男女です、し。やっぱりこんなの…」

「間違いなんてないよ。別に間違いなんて…」

 

 そこから先は美柑は黙って何もいわない。

 彼女が何を言おうとしたのか正しく理解できたのはこの場にはいなかった。

 いや、ヤミは半分理解していたのかもしれない。

 

『間違いなんて…起きない』か『間違いなんて…起きても構わない』

 

 そのどちらかを彼女は少し『そっち』な本から情報を得ていた。

 どちらが正解なのか、もしくはどちらもハズレか。答え合わせの時間は決して訪れない。が、ヤミはならばと次の一手を考える。

 やはりこんなのは良くない。それはもう、何とか止めねばと必死になる。

 

「とにかく! こんなのはダメです! そうでなければプリンセスか私と入れば良いでしょう!?」

「む…だって、リトと一緒がいいし。あ、そうだ節約にもなるんだよ?」

「それだったら私かヤミちゃんでも良いような…?」

 

 キッと睨みつける美柑にララは思わず黙ってしまう。

 昔と違って、今では完全に上下関係は決まってしまっているようだった。

 

「はぁ~…じゃあ誰が一緒ならヤミさんは許してくれるの?」

「え? それは勿論…」

 

 ヤミは考えた。誰が入るのが正解なのか。

 ヤミはリトと二人で会話したいので、出来れば美柑と一緒に入るよりも時間をずらしておきたいと考える。ならば、『美柑とリト』『リトとララ』『自分と美柑』はダメである。

 じゃあいっそ……とそこまで考えて顔を赤くして思考を止めた。

 

(ななな何を考えて…!? 私と結城リトが入るなんて絶対にありえません!!)

 

 思った事が顔に出る前に心を落ち着かせてヤミは気持ちを切り替える。そうなるとやはり、ここはララと美柑が入るのが妥当だろう。

 コレならば何も問題は無い。健全で一番普通の選択だといえる。

 

「プリンセスとあなたでいいじゃありませんか…」

「まぁそうなるよね…仕方ないか。今日は我慢するよ」

「あの、美柑? さすがにそれは私でもちょっと傷つくよ?」

 

 そんな事を呟くララを引っ張って美柑は廊下の方へ去っていった。

 こうまでされても数分後には仲良く風呂場で明るい声が聞こえてくるのだから、彼女はララに対する飴とムチを心得ているのかもしれない。

 今では完全に手懐けられたペットのように尻尾を振るララをたまに幻視してしまうと後に二人を傍で見てきたリトは語る。

 

「結城リト…あなたはいつもこうなのですか?」

「う。いや…さ。変かな~とは思ってたんだけど。でもあまりにも美柑が当然みたいに言うからさ。そうなのかな~って」

「そんなワケ無いでしょう…はぁ」

 

 結城リトは流されやすい人間なのかもしれないとヤミはこの時評価した。

 実際そのとおりで、ラッキースケベが出ないこの世界においてもそれは変わらない。

 決定的に違うのは、その頃以上に『妹思い』という一面が強く出た事だろう。この事が明らかに、美柑すら気付いていない事態に事が進んでいる要因となっていた。

 それを今、この世界で唯一ヤミだけは知る事になる。

 美柑には。いや、美柑だからこそ言えない思いをリトは吐き出した。

 

「その、悪かったなヤミ。せっかく来てくれたのにさ……あの、オレの事は嫌ってくれていいんだけど…」

「それは暗に、結城美柑は嫌うなという事ですか?」

「うん、ごめん。あいつはあれで出来た妹なんだけどな…どうもオレなんかに懐き過ぎっていうか。自慢の妹なんだけどなぁ」

「……結城リトは、このままでいいのですか? 遅かれ早かれ、いろいろ問題だって」

 

 瞬間、ヤミは口を閉ざす。

 見上げた先にあったリトの表情を見て、彼の言葉を遮るべきではないと判断したのだ。

 

「本当は、ただこうしていたかっただけなのかも知れない。上手くいえないけど…自分が必要とされるって嬉しくて…だから今まで目を瞑ってきたんだ」

「…」

「兄妹だから…いや、たった一人の兄妹だからこそ。いつまでも仲良く生きていきたい。ワガママだよな? まだあっちは小学生だってのに…いつかはオレから離れて好きな男子が出来て…離れて行くかもしれない。だからさ、今だけは許してくれないかな」

「…なぜ、私に聞くのですか?」

「美柑が友達だって紹介してくれたのがヤミが初めてだったから。だから言いたかったのかも…ほんとにごめん。でも美柑にその気が無いのは理解してるし、オレだって妹に手を出すつもりなんてない。そこは信じてくれ。こんな身勝手なお願いって解ってるんだけど…これからもアイツの友達でいてくれないか?」

 

 ヤミは黙った。目の前の人間が真実を語っているのか、嘘をついているのか。それを確認する為に。

 やがて彼女は息を吐く。シロ、だと判断した故に。

 この兄妹は互いに想い合い、すれ違っている。

 どんなに美柑が想っているのかをリトは気付いていない。

 どんなにリトが想っているのかを美柑は全く知らない。

 とんだ兄妹に近づいてしまったとヤミは悟る。しかし、不思議と不快ではない。

 頭を抱えるような悩みではあるかもしれないが、この事で心を苦しめるほど今のヤミは二人との時間が深くはなかったのだから。

 …もしも彼女が名前で『美柑』と呼ぶような関係だったなら。リトに「えっちぃのは嫌い」と言いながらも許せてしまうような関わりが既にあったなら。

 ヤミはもっと苦しんだかもしれない。

 全ては偶然。順序が逆転しただけの事。これより少し先の未来で彼女は結城美柑を『美柑』と呼ぶ様になる。

 そして、リトのことを少なからず、徐々に好意を抱くようになっていく。

 『何かを得て知る事』と『知った上で何かを得る事』はイコールではない。

 結果として、最も傷の浅い形で三人の関係は構築される事に繋がった。

 

(少し違う…気もしますが、これも『家族』なのかなティア……昔の私たちとはぜんぜん別物だけど、でも)

 

 ヤミは背を向ける。こんな気持ちは初めてだと感じながら、自分にもそんな誰かが欲しかったのかもしれないと気付いてしまった。

 複雑な思いを胸に秘めた彼女の言葉はリトにとっては望むべき優しい返事。

 

(可笑しいよね、こんな私が…二人の事を羨ましいなって、思っちゃうなんて)

 

「私は何も聞いていません…ただ、私の友人に誘われて今日は泊まりに来ただけですよ」

 

 きっと、この世界で誰も聞いた事の無い様な彼女の優しい声色で兄妹は許された。

 

      ◆

 

 この家はあたたかい。

 結城リトも、結城美柑も、プリンセスも私なんかを歓迎してくれる。

 結城美柑の作った料理を食べ終わった後に、プリンセスと彼女はどちらが私と同じ部屋で寝るかでもめていた。

 結局私は結城美柑の部屋で寝る事になったのですが…その際に結城リトも一緒が良いと言ってきかない彼女と、再び一悶着あるなんて思っても見ませんでしたけどね。

 何とか説得に成功し、今はこうやって彼女の部屋でのんびりとしている。

 因みにこの部屋の主はといえば、疲れてしまったのか自身のベッドで小さな寝息を立てていた。本当に今日はこの友人に振り回されてばかりだったと苦笑してしまう。

 …ちょうどいいです。今日の出来事を整理するには良いタイミングかもしれない。

 彼女のベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。

 今日一番の目的である結城リトの観察は上手くいったと言っていいだろう。

 同時に、彼が極悪人ではないという事が知れて本当に良かった。

 彼を殺す必要は今は感じない。きっとこれからもそう。

 このまま結城美柑と共に…歩んでいくのかもしれません。

 あの後は彼が外に根付いているあの植物に水をあげるのだと言いながら、私の事も誘ってきた。

 どうせ暇だったので深く考えずに付いていくと、日が落ちていっそう寒くなった空気が顔にかかり、髪を揺らした。

 彼の水遣りを観察をしていると、何故か、一緒にやってみないかと誘われる。何か勘違いされたのでしょうか。

 誰があげても同じ水なのだから一緒…だと思ってましたが、あの植物には意思があるようです。言われるとおりに水をあげると、声を上げ、何処と無く嬉しそうに植…ではなく、セリーヌは揺れた。

 草木に関しては全くの素人である私から見ても、セリーヌという花は立派な見た目をしていると感じた。よほど大事にされているのだろう。

 ある程度時間が経ったあたりで結城リトは屈んでいる私に対し、右手を差し伸べて言ってきた。

 

『そろそろ美柑とララも風呂から戻ってくる頃だし家ん中に入るか? 手、ほら』

『そうですね……あ』

 

 反射的に出された右手を掴もうと私も手をのばそうとして…止まった。

 彼は一応男性で、私には異性の手を握った事等無かった事に気付いてしまう。

 殆ど手を差し出して固まる私を見て、彼は首を傾げるが、やがて強引に私の手を握ってきた。

 本来なら自衛行為として攻撃されてもおかしくないその動作と間合いに私の身体は一瞬反応してしまう。それを何とか押し殺して堪えると、右手に伝わる結城リトの体温がやけに温かく感じられた。

 意識して人肌に触れたのはいつ以来だろう。意味も無く胸も熱くなって妙に緊張してしまう。

 立ち上がった私を見て彼の手は離れていく。

 その後姿と自分の右手を交互に見ながら思ってしまった。

 

 私と結城リトの関係はいったい何なんでしょうか?

 

 あの依頼を保留してしまえば残るのは何だろう。

 元標的? 友人の兄? それとも……

 

『あ、あの』

『ん? どした、ヤミ?』

 

 声は続かない。私にはそんな勇気はない。

 そんな私の事が彼の目にはどう映ったか分かりません。でも、穏やかな表情で言ってくれる。それは今は違うけど、きっと望むべき一つの回答。

 

『あんなにはしゃいだ美柑を見たのって久しぶりだったよ、きっとヤミのおかげだな。またいつでも遊びに来てくれよ、歓迎するから』

 

 その言葉にすら私は言葉を返せない。

 きっと嬉しいのに。自分だってそうしたいはずなのに。

 前に言っていた結城美柑の言葉を思い出す。

 

 一度リトに甘えちゃうと癖になっちゃうんだよね。ホント、自分の兄ながらずるいと思うよ

 

 はにかむ様な笑みの彼女の言葉を私は感じ取った。

 本当だ。彼の優しさは少し、怖い。

 今までの私を根本から変えられてしまうような、一種の恐怖。

 でも、イヤじゃない。もっとされたい。感じたい。

 けれどダメだ。私が彼にしようとした事実は決して消えない。

 結局言葉を交わせずに私は………

 

「これから、どうしよう」

 

 外はまだ日が昇るには早い。

 でも、帰ろう。私の居るべき場所へ。ここはとても眩しいから。

 隣で眠っている結城美柑に触れる。顔にかかった髪の毛を指で払いのけると、くすぐったそうに彼女は表情を緩ませた。

 本当に…この星は、この兄妹は私にとって大きすぎるかもしれない。

 

「すみません、また来ますね……美柑」

 

 初めての呼び方に慣れない感情が渦巻きながら私は立ち上がった。

 今度はもっと素直になる努力をしようと決意を固めて。



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『妹の違い』

 今更で当然の事だが、学生である兄妹は休みとなる日が同じである。

 その為、そうなると当たり前と言わんばかりにその時間は二人で一緒にいるのが普通となっていた。

 以前までは休日でも男友達と遊んだりしていたリトだったが、美柑による積極的なアプローチや直接的に甘えられる事を繰り返されたことで、すっかりと彼女の術中にハマってしまう。

 と、いうのも。

 もともとリトは兄として美柑の前ではしっかりとしていたいと思っていたのが大きい。

 結果的に出来た妹である彼女に甘えられて悪い気などする筈もなく、いつの間にか遊ぶ事よりも優先すべき事として今では思うようになってしまう。

 それを洗脳と呼ぶには過ぎた表現ではあるものの、ただ単に頼られる事を嬉しく思っていただけのリトが、彼女と一緒にいられる事そのものが最早嬉しくあり、楽しいものと感じるようになったのは効果が強すぎたといっていいだろう。

 もしかすると、彼にも心の奥ではそんな秘めた感情が存在したからなのかもしれない。

 そんな彼を余所に一方の美柑は今までの自分を悔やむようになっていた。

 理由は簡単。以前までの美柑は年齢不相応に大人びた性格をしていた為に、どんなに自分が兄の事を想っていても、素直になるより理性やプライドといった感情が表に出てしまっていた。

 しかしながら年齢的にも精神的にもまだまだ幼く未熟だった事もあり、リトに対する気持ちにも気付けていなかったのもまた事実。

 友人に兄の事を聞かれても。宇宙人たちのトラブルに巻き込まれながらも。

 どんな時でも理性的に妹として振舞い続けた事が結果として()()未来に繋がったのかもしれない。

 もっと今のように素直になっていたら。

 もっと早くこの気持ちに気付けていたら。

 もしそうなら、彼女は今ここには居なかったのかもしれない。

 それ故に、こんなにも簡単に手に入る幸せを以前は自らが放棄していた事に心から悔しく思ってしまっていた。

 

 しかし、未だに兄妹は互いの気持ちには気付いてはいない。

 

 お互いを求めるように、思うままに感じあう距離になってしまった事がそれを決定付けてしまった。

 

『このままでいい』

 

 その言葉に尽きる。

 これ以上望めば壊れてしまうかもしれない。

 今でも幸せなのだから、このままでも……。

 そんな想いが二人に芽生えてしまい、これ以上深く進む勇気が兄妹にはなかった。

 全ては、血の繋がった家族である為。

 互いを求める事で相手に拒絶され、二度と届かぬ存在になってしまう事を本能的に恐怖する。

 美柑にとって、それがどういう意味なのか。それをどう捉えるべきなのか。

 今はまだ、気付くには早いらしい。

 

      ◆

 

「あ」

「…あれ? もしかして結城くん…? え~と…き、奇遇だね?」

 

 今の私にとっての日常は障害物競走みたいなものだと思う。

 進んでも、進んでも、ゴールに辿り着くまでは何度だって邪魔が入ってくるんだから。

 ま、そうといって、ふて腐れても何も始まらない。

 だから、今のこの状況だってチャンスと受け止めるぐらいじゃなきゃダメなんだよね。

 はぁ~…せっかくのリトとの買い物デートだったのになぁ。

 

「お、西連寺じゃないか。 休みの日に会うなんて奇遇だな~」

「う、うんっ! ホントに…めずらしーね!」

 

 特に動じた様子も無いリトの姿を見ていると、軽く沈みかけていた気持ちがちょっぴりはずむ。

 本当の本当に。今のリトは春菜さんをなんとも思っていないんだって。

 前の普段どおりのリトなら『よ、よう! 西連寺!? い、いや~ホント、こんなトコで会うなんて奇遇だな~!!』とかそんな返し方をすると思う。

 毎週の恒例になっている休日デート(二人の時間)に現れたお邪魔虫(春菜)さんには悪いケド…今のリトは私のなんだからっ!

 …なんて思いながら緩んでしまう口元をギュッと引き締めて隣のリトの腕を抱きしめる。

 それだけじゃ変な人だって思われちゃいそうだから、口を隠すように顔をめいっぱい押し付けて、バレない様にそこにある大好きな体温を感じ取った。

 

「…ふへ」

「あれ…? えと、結城くん。そっちの子は…妹さん…とか?」

「ん? あ、あぁそうだよ。美柑って言うんだ…って、なに恥ずかしがってんだよ?」

 

 もうちょっと。

 ゴメン。もうちょっとだけこのままで待って。

 都合良くリトは私が人見知りしてるんだって思ってくれたみたい。でも今はムリ。顔を出したら緩みきってると思うからゼッタイ、ダメ。 

 そんな私をきっと春菜さんはもう変わった人だって見てるのかも。いや、もしかしたら私じゃなくてリトをずっと見てるのかも………よし、もう平気。

 リトの腕を掴んだまま、顔を離して春菜さんを見た。

 すると、軽く咳払いをするようなポーズをしていた春菜さんは、手を後で組んで真っ直ぐとした眼で私を見ながら軽く膝を曲げる。

 わざわざ目線を私に合わせてくれる春菜さんは、やっぱり私の知っている優しい春菜さんなんだと思いながら…そんな彼女は柔らかい笑顔で「初めまして」と言った。

 

「え~と、美柑ちゃんって言うんだね。私はお兄さんのお友……く、クラスメイトの西連寺春菜って言うの。よろしくね」

 

 そんな声を耳にしながら、眩しくて少しだけ目を細めていた私は一瞬思考する。

 大丈夫…コレも予想の範囲なんだし。その為の練習だって何度も頭の中でやってきたんだから。そう言い聞かせて、目の前にいる春菜さんを見て、いつかするであろうと用意していた自己紹介をした。

 

()()()()()、兄がお世話になってます。結城リトの…妹で、美柑って言います。どうぞ、お見知りおきを」

 

 少しでも大人っぽく見せるためにワザと堅い言葉を選んで、負けじと、笑顔で返しながら掴んでいたリトを更に引き寄せる。

 まだまだ小さいこの身体じゃ全然収まりきれない、リトの腕を抱きながらのちぐはぐとした挨拶は、常識人の春菜さんの目を驚きで丸くさせるには十分な様だった。

 リトは普段より積極的な私の行動に少し動揺しているらしい…うん、これは結構、悪い気はしないかな。

 何だか作戦が上手く言ったような気分になった私は、自分の笑顔がどんどん作っていない本物になっていくのを感じていると、ふと思い出す事があった。

 そういえば春菜さんとは臨海学校で会ってるんだっけ。

 でも、この反応を見るに覚えていないか、良く見えてなかったのかもしれない。その点は好都合だからいいケド。

 白昼の往来で三者三様、違った表情で見詰め合う。

 照れるリトと、その腕に笑顔で抱きつく私。そんな光景に春菜さんは驚いた様子で言葉を失っていた。

 それが今日の出来事の始まりで。私とリトの間に付け入る隙なんて無いって事を見せ付けて、思い知らせてあげる計画の始まり。

 たとえ、どんなに突然の出来事であってもそれを乗り越えてチャンスを掴む…そうでないと、モモさんにだって敵うワケない。

 私にとっての本当の障害物競走はいつもと変わらない、何でもないただの休日に突然スタートしたのだった。

 

      ◆

 

 ふと、結城リトは思う。今日は妹の美柑とただ一緒に買い物に出かけていただけではなかったのかと。

 自分の腕に妹の体温とやわらかさを感じながら、反対の位置には以前まで気になる程度に意識していたクラスメイトの女の子が半歩ほど下がった距離で付いて来ているのを確認する。

 こうなったのも全て、意外な事に美柑からの言葉がきっかけとなったからだった。

 

『どうせだし、今日は一緒に買い物に行かないか誘ってみる?』

 

 最近になってリトは美柑が実はそこそこ嫉妬深い性格なのではと思い始めていた。

 ララに対する態度も、妙に対抗するように自分とくっ付きたがるのもそんな性格からきているのではないのかと。

 だから、そんな彼女からの誘いに驚きはしたが、同時に自分が考えていたような事はなかったと安心もした。

 妹も日々成長しているのだと都合良く解釈したリトはこの提案に賛同し、早速春菜に提案する。

 そうなると、彼女は食いつくように「行きます!」と言い放ち、このような珍しい休日へ進んでいく流れになったのだった。

 だが、今の状況に微妙な居心地の悪さを感じながら思う。

 

(なんかオレ、間違ったかな……)

 

 水面下で交錯する彼女達の想いに挟まれた哀れな兄は、一先ず心を落ち着かせる様に傍らにある妹の笑顔を眺める事しか出来ないのだった。

 

「え~と、ところで西連寺は今日何を買うつもりなんだ?」

「えっ! え~と…ふ、服…かな?」

 

 ふと、会話に詰まった空気を変える為にリトは春菜にそう投げかける。

 リトの特別意味のあるワケでもない質問に春菜はとっさに無難な回答で受け流すが、彼女の内心は焦りという感情で渦巻いていた。

 実のところ、今日の春菜は暇を持て余していた。

 深い意味もなく、気になる意中の彼に会えたら良いな程度にその周辺を散歩していただけというのが事実である。

 正直に言えば半分ストーカーの様な行為にきっと退かれて、嫌われてしまう。そう予感した彼女は適当な答えを考え出してなんとかその場を切り抜けようとする。

 …もし相手がリトだけならそれも上手く言ったのかも知れない。

 顔を合わせて会話する二人の反対。その隣で目を細めながら、じとりとした視線を送りながら美柑は春菜の不自然さに何となくだが気付いていた。

 そこには彼女自身の勘と、今に至るまでに知っていた情報がそれを結論付かせている。

 

 それは美柑の知っている春菜は嘘を誤魔化すのが苦手という事。

 

 もともと正直な彼女は嘘をつく事が殆ど無い。あったとしてもそれは自分自身に付く嘘という感じのものばかりだ。

 だからこそそんな時の彼女の反応は意外と判りやすい。

 そしてこの事は今より、もっと後に知った事。当然ながらそれはこの時間のこの時期にも該当して然りだった。

 この一連の流れで既に美柑は春菜が何を思って一緒に来ているのか理解する。それは自分にとっても悪くない事で、今まで見えていなかったリトの周辺の情報の一部を確定させる根拠にもなると考えた。

 

(春菜さんはやっぱりリトの事が好きみたい。少なくとも、わざわざ休みの日に予定を変更して一緒にいたいと思うぐらいには。だったら……今日は直接いろいろ春菜さんの思ってる事とか聞けるかも)

 

 自分達の仲の良さを見せて、春菜がリトを諦めてくれれば尚良しなのだが…と、回答があるとすれば『春菜が予定を持っていた』という部分を除いて満点な洞察力で美柑は思うが、流石にそこまで上手くはいかないかと、その考えを棄てる。

 常識的な性格で、周りから見ても()()()な彼女ならば今の時点でも十分に諦める可能性はあるのかも知れない。

 だが、何だかんだで春菜もリトと仲良くなる為ならハーレムを許容した側の一人である。この程度で心からそうなるとは言い切れない。

 ならば今日出来る事は…そう美柑は相変わらずリトを抱きしめながら頭の中で考えていく。

 見えない角度でほくそ笑みながら、子羊となった春菜は一瞬だけ背筋を震わせた。

 

――――――

 

「リトーっ、どっちのが似合うと思う?」

「ん~、どっちも似合ってるけどオレは右のが好きかなぁ」

 

「ねぇねぇ、コレなんてリトにぴったりじゃない? ちょっと試着してみてよ!」

「何かハデじゃないか? まぁ、そこまで言うなら着てみるけどさ」

 

「リトちょっといい? 着るの手伝って欲しいんだけど」

「へ? え、いやいや流石にそれは…あーわかったわかった! そんな顔するなって!」

 

(え~と……本当に兄妹…なんだよね?)

 

 目的地に辿り着くと、そこで目を疑うような程に仲の良い二人を春菜が目撃する事になったのは言うまでもない。

 さっきまでの引っ込み思案的な様子の美柑はもう目の前には居らず、まるで自分など最初から居ないかの様に二人の世界が程なくして完成していた。当然、彼女はその置き去りにされてしまう。

 そんな姿をボーっと眺めていると、徐々に春菜の中で結城兄妹への感想がずれて行き出す。

 始めは『仲の良い兄妹』に過ぎなかった。

 少々恋愛マンガの様な光景に感覚がマヒして来そうではあったが、彼女自身も秋穂という仲の良い姉を持つ妹。兄と姉の差はあるものの、お互いで似合いそうな服を選び合うくらいの経験はしている。

 他の普通を知らない以上、そうなると必然的に判断基準は自分の経験談になってしまうのは仕方ない事だった。

 

(美柑ちゃんって本当に結城くんの事を信頼してるんだ)

 

 春菜は何となく自分の姉がもしも兄だったらと想像してみる。

 仮にそんな関係だったら今ほど姉妹仲が良かったかどうか、正直分からなくなった。目の前の光景を自分と置き換えてみても、あそこまで心を許せる異性というのがいまいちピンと来ない。

 それが父親だとしてもそれは同じ感想だった。

 性格の問題はあってもやはり恥ずかしいものは恥ずかしいと感じながら…素直に美柑の事を羨ましいと思ってしまう。

 やがて春菜は『仲が良過ぎる兄妹』と改めた。

 

(え!? 待って待って! さ、流石に着替えを手伝って貰うっていうのは……!?)

 

 ここで春菜がほんの少しでもズレた感性を持っていなかったなら『仲が良過ぎる兄妹』という過小な評価で済まされる事は無かったかもしれない。

 彼女の友人や他の女子ならば、下手をすれば行き過ぎたシスコンの烙印をリトは押されて周囲の女性からの評価は下がったりした可能性もあっただろう。

 正しく見ていれば今の時点では妹の方からのブラコン的行動なのだが、その誘いに嫌がった素振りもなく試着室のカーテンを潜るのは余程の関係で無ければなかなかに難しい。

 思春期を迎えて異性に興味や理想、期待といった感情を抱くであろう難しい年頃の時期。思うとすれば彼氏彼女にするならばとか、友達として等、様々な観点から誰かを多角的に判断できるようになる頃である。

 例えば友人ならば、まだシスコンやブラコン、マザコンやファザコンといった多少癖の強い一面を持っていたとしても、まだ許容できる人間は多い。だが、それが好意を持つ異性だったならばまた違った評価になるのは否定できないと言える。

 つまり、人によれば目の前で行われている光景は大きな()()()と言っても過言無い。

 

「…いいなぁ、美柑ちゃん。私もいっそ美柑ちゃんみたいだったらなぁ…」

 

 そして彼女はそれを難なくかわしてしまった。

 美柑の知らない春菜は、いっそ彼の猫(ペット)になってもアリかもしれないと一瞬でも思ってしまう程にリトを想える一面がある。

 このぐらいならば春菜にはまだ仲良し程度しか思わない。

 彼女の中では今、リトは『家族思いで妹にも優しい男の子』として映っている事だろう。そして異性としての恋よりも「結城くんと一緒にいれたら幸せだろうなぁ」と妹の立場を羨ましく思っている。

 やがて試着を終えた二人が出てくるまでそんな妄想は続いた。

 リトの声によって現実に戻されると慌てて春菜はお茶を濁すが、そんな彼女を見て溜息を溢す音がひっそりと誰にも聞こえずに散っていく。

 

(やっぱ春菜さんって一筋縄じゃいかないかも…)

 

 いっそ少し頑固で真面目が過ぎるほどの性格をした「ハレンチ」が口癖の彼女ならまだ違ったのかもしれない。

 美柑的にはこの場面では、いっそナシだと思われるくらいが望ましかった。

 彼女の計画的にもそれが大きく関わる。

 手っ取り早く、血の繋がった関係という圧倒的なマイナスを覆す方法の一つは『相手が諦める事』である。競う相手がいなければ、最後に勝つのは当然一生を添い遂げる事が出来る彼女しかいない。だからこそ、ここまでの準備はほぼ完璧に近い筈だった。

 なのだが……なかなか上手くはいかないのが現実というべきなのかもしれない。

 ここまで数々の障害にも美柑は諦めずに立ち向かってきた。

 結果的に、手に入る部分では美柑にとって十分に思い通りといって良い状態となる……しかし、それ以外は殆ど最初から彼女の敵として道を塞ぐ事ばかりだった。

 今回もそう…春菜がもう少しでも心が狭く、飽き易い性格だったなら。

 残念ながらそうではない。

 落胆はしないが、それでも上手くいかなければガッカリはする。

 そもそもの話。好きな男性が複数の女性と関係を持っても許容できる楽園のメンバーには効果が薄いのは予測できていた。ならば本命とする狙いはやはり一つしかないと判断できただけ収穫だと思うしかない。

 結局、残された道は当初からの考えの一つ…『リトからの感心を無くさせる事』しかないのだと改めて思い知るのだった。

 

「なぁ二人とも、次はあそこに寄ってもいいか?」

 

 それから、ある程度見終わって店を出ると、意外にもリトからの提案によって次の行き先が決定する。

 彼が指していたのは小物やアクセサリーといった物を多く取り扱う店で、これには美柑と春菜は一瞬だが驚いた。

 二人から見ても彼はあまり自分に頓着したり、主張したりするタイプではなく、それについて詳しく知らない春菜だけならまだしも、美柑でさえリトが装飾品の類を身につけているのを殆ど見た事がなかったからだ。

 勿論それだけを扱う場所ではないのでそれ以外の目的があるのかもしれないと訂正するも、それでも意外な選択だったという見解は無くなりはしない。

 

「リト。ここでなに買うの?」

「あ、私もちょっと気になる。結城くんってあまり、ああいうお店に来るイメージなかったから」

 

 そんな二人の当然のような質問にリトは明後日の方へ視線を向けながら、気恥ずかしそうに呟いた。

 

「あ~…やっぱそう思うかぁ。別にオレが欲しいものがあるってワケじゃないんだけど」

「?」

「これといって理由はないぞ? たまたま目に入ったから寄ってみたくなっただけっていうか」

 

 微妙に煮え切らない様な返事に二人は納得はしないが、自分の好きな人が行きたいと言っているのだ。余程の場所や事情が無い限りは断る理由などあるはずが無い。

 自分達だって理由なんていちいち持って行動するワケではないのだから、この場での返事に対して追求する事もないだろう。

 数メートル先の目的地へ移動するとキラキラというかジャラジャラというか、そんな曖昧で抽象的なイメージのする店内を三人は見渡した。

 美柑と春菜はそれぞれ興味のある物が無いかどうか確認をし、リトはとりあえず歩きながら何があるのかどうかを見ようと行動に移す。

 二人はそれぞれ自身のトレードマークとも言える髪留めのコーナーへ行くと、思った以上に品揃えの良い店だったようで、感嘆の声を漏らした。

 髪留めという枠は同じだが、美柑は髪を結い上げる為のヘアゴム。春菜は前髪を留める為のヘアピンと、同じ場所だが別々の方向に感心を向けてそれぞれの買い物を楽しんでいる様だった。

 特に二人にはこの分野には拘りがあるらしく、楽しみつつもじっくりと物色をしている。すると、お互い気に入った品が見つかったのか、振り返りながら一番に見て欲しい人の名を呼ぶ。

 

「ねぇリト、コレとか私に似合うかな?」

「あの、結城くんっ。こういうのって結城くんはどう思う?」

 

 だがそこに彼の姿はなかった。

 振り返ればそこには今日一日一緒に買い物をした相手の姿しかなく、お互い目を合わせた瞬間「しまった」という顔をした。

 一人は夢中になり過ぎて兄を見失っていた事に。

 一人はそんな意中の相手の家族に自分の気持ちを打ち明けてしまったような気恥ずかしさに。

 だが、そんな感情は近くを歩いていたリトの登場によって一瞬の事で済まされる。

 

「ん? 今呼んだ?」

「あ、リト良かった。もう、何処に行ったか心配したじゃん」

「流石にここで迷子は無いだろ…二人を置いてどっか行ったりはしないって」

 

 妹相手にそんな風に思われた事に複雑な表情を浮かべながら彼女に近づくと、顔を近づけて「どれどれ」と言いながら彼女の選んだ品に関心を寄せる。

 リト自身、妹の美柑の事を普段から見てきているつもりではあったからこそ、彼女のチョイスに思わず納得したように微笑んでしまう。

 種類こそあれど、彼女の身に付けている髪留めは基本的に色が違う程度の差しかない。よくよく見れば大きさや、特別な行事の時は違ったりもするのだがそれでも気になる程の違いはなかった。

 持ってきたそれは確かに持ってない色だったのだろうが、リトはそれなら…と手に持っていた別の髪留めを美柑に渡す。一色で統一されていた彼女の選んだ物とは違い、リトのはオレンジと黄の二色を使ったデザインで、形もそっくりな色違いの物だった。

 これには流石に美柑はキョトンとし、やがて手渡されたそれがリトが自分に似合うという意味で選んでくれた品なのだと理解する。

 鮮やかな暖色の髪留めは彼女の好みにも一致していて、まるでリトが自分を深く理解してくれているのだという風に思えてきた美柑は心臓を高鳴らせて胸の内で歓喜した。

  

「…へぇ~、イイねコレ。ま、まぁ? リトが選んでくれたんなら私もこっちを買おうかな~って気にはなるケド?」

「お、良かった。似合うとは思ったんだけどさ、何だか名前をいじってるみたいでイヤだって思っちまうかなってなったんだけど」

「そんなの気にしないって。言われて見ればたしかに…ミカンっぽいかもとは思えてきちゃったかも」

 

 そうは言いながらも、ふふ、と小さく笑う彼女の姿を見て本当に気にしていないのだとリトは安心する。

 それなら…という流れでヒョイと手に乗っていた髪留めを手に取ってレジへと歩き出して行った。

 

「え、リトいいよ、私が自分で買うから。てゆーか、リトの方の買い物はどうしたのよ」

「んー、やっぱ特に欲しいのなかったかなって。良いじゃんかコレくらい。少しは兄貴にカッコつけさせてくれよ」

 

 この時、この表情と声で妹は兄が最初からこの目的があったんではないかと思った。きっと言っても否定されるだけなのだから結論は謎のままとなるだろう。

 でも、そう思えてくるとやはり嬉しくなってくる気持ちは抑えようが無い。

 後を追うように彼の後を付いて行く姿は、まるでスキップをしている様に軽やかで弾んでいた。

 

 ……その更に後で「いいなぁ…」と羨む小さな声は店内で流れているBGMによって二人には届かなかった。

 

――――――

 

 流石に一日出歩いていれば疲れが出てくる頃。三人が店を出ると、美柑の提案で休憩をする事となった。

 季節は冬だが、店内であればそんなのは些細な事であるという理由で今度はアイスクリームショップへと赴き、リトの隣に美柑、正面に春菜の並びで席に着く。

 始め、春菜は「この時期にアイス?」という感想を抱くが、アイスは美柑にとっては好物の一つであると知ると、納得したように同席を決意する。

 その心中ではどんな事を思っていたのかはあえて伏せておくが、思い人の家族であり、今日一日を一緒にいて、その人と彼女の強い結びつきと絆を確信してしまった。だから、そんな相手の提案を断る様なマネは春菜には出来なかったとだけ言っておこう。

 ソフトクリームを食べている彼女は誰が見ても上機嫌で、ぴったりと隣のリトに肩をくっ付けて今日の成果に満足していた。

 

(今日は何だかんだ、いっぱいリトと楽しい事出来たなぁ…リトからプレゼントも貰えちゃったし、春菜さんにはまぁ…悪い事しちゃったケド仕方ないよね。だって今のリトってば私の事すっごく大事にしてくれるんだもん)

 

 じぃーっと羨望の眼差しで見つめてくる春菜を余所に、兄妹とは思えないオーラを店内に漂わせ、ご満悦の美柑は更なる一撃をお見舞いする。

 

「リト動かないで。クリーム取ってあげるから」

「…え? おう、ありがと」

(…? 付いて、無い様な?)

 

 大人しく食べていれば基本的にソフトクリームが口以外に付く事はないだろう。

 だが、妹はそんな好機は待たない。待っているよりも攻める方が効果的だということを彼女は既に覚えてしまった。

 リトにクリームなど付いていない。

 でも付くとすれば当然口周りだというのは誰もが思うこと…ここまでくればエンリョなどいらない。見られている事なんて承知の上。恥じらいよりも後悔しない選択を。

 

 頬を上気させ、吸い寄せられるように妹は兄の口元を小さな舌で掬い上げた。

 

 ガタンという大きな音が店内に鳴り響き、同時に蹲るようにテーブルに伏す春菜。目の前の光景にあまりにも衝撃を受けた彼女が思いっきり膝を打ってしまったのだという事は見ただけで正面にいた二人には解った。

 リトにとっては家の中では割と頻繁にされているものの、人目の付く外では始めての事に流石に声を上げてしまう寸前の出来事。

 驚きの声は更なる驚きによって完全に喉の奥へと飲み込んでしまった。

 

「ちょ、おい西連寺…? だ、大丈夫か?」

「~~~っ、~っっだ、大丈、夫…です…」

「ホントに? かなり痛そうな音だったよ?」

 

 想像以上に痛そうにする彼女を見てしまうと流石にやりすぎたと反省する気持ちになるのは仕方のない事だろう。

 今度から使う相手と場所は選ぼうと美柑は心に決め、溶け落ちそうなアイスに齧り付いた。

 

      ◆

 

「春菜さんってリトのこと好きなんですか?」

 

 今日だけで春菜さんは頭の中がパンクしそうな状態になっているんじゃないかって思う。

 でもこっちはそんな事で手加減なんて出来るほど余裕は無いんだからどうしようもない。

 案の定、口をパクパクさせて声を出せないでいる姿を見ていると、かえってこっちは冷静になっていった。

 

「な、ななななん!? どうして…!?」

「いや、今日見てたらそんな気がして。違いましたか?」

 

 さっきリトがトイレに行くと言って席を外した今こそが一番のチャンスだった。畳み掛けるように私は彼女を追い詰めていく。

 答えは解りきってる…でも念のために確認。あと、問題はそこじゃない。本当の目的は別だった。

 

「えと、その…ち、違わ…ない、です…」

「そうですか……それで、今日私たちを見てどう思いました?」

 

 返答を待つ。

 忙しなく視線があっちこっち動き回る姿をじっと見つめる。その動きが徐々に落ち着いてくると、春菜さんは口を開いた。

 

「上手く言えないけど、物凄く仲が良いんだなぁ~って思った…かな?」

「それだけ? 兄妹でベタベタして、気持ち悪いとか思わないんですか?」

 

 ……って、そんな小動物みたいに怯えないでよ春菜さん。

 別に怒ってるワケじゃないんだけど。もしかして私の顔って怖いのかな。

 はぁ、仕方ない。

 変に警戒されても困るし、告げ口されたら大変だ。

 さっき買ってきた二本目のアイスに口を付けながら心を落ち着かせて語りかける。

 

「すみません。私、なんていうか……ちょっぴりブラコン、らしくて。友人にそんな風に言われてしまったので、ちょっと気にしちゃってたとゆーか…ごめんなさい」

「へ。あ、い、いいよ! 全然っ! たしかにビックリはしちゃったけど…美柑ちゃんがお兄さん想いだって事は悪い事じゃないと思うからっ」

「そうですか? そっか、ありがとうございます。ちょっとだけ気が楽になりました」

「あ、あはは。あ、でもさっきのき、き、キスはやりすぎな気が……した、かな?」

 

 少しだけ警戒を解いてくれた春菜さんの言葉に考えを巡らせる。

 何て答えようかな……まぁ、春菜さんがやっぱりリトが好きだって知れたし、あまり深く考えなくてもいいかな。

 と、私は()()常識を言う事にした。

 

「え? 仲の良い家族ならアレくらいフツーですよ? それにさっきのはアイスが付いてただけでキスじゃないですし」

「…え? ええ? ま、まさかそんな事……それに、だって、さっきのは……」

 

 もしかして見えてたのかな…じゃあ、もうちょっと押しとこう。

 

「ほら、お弁当さんみたいなものですって。春菜さんは家族でああいうやり取りしないんですか?」

「ええ!? いや、私のところは……ど、どうだろう」

「家族間でのキスなんて愛情表現みたいなものだって思うんです。私はリトが好きだし、リトもきっと…私の事は好きでいてくれてると思います。だから…それぐらい大事にされるって凄い幸せだなって思えるんです」

「……あ。あう」

 

 春菜さん…目がグルグルして頭が揺れてるけど大丈夫かな。

 原因は私だけど、コレで納得してくれるかな。

 

「ゴメンな二人とも…ってどうかしたか西連寺?」

「うひゃあ!? …あ、や! え、えぇと、何でもないですっ!?」

 

 なんかばつが悪いなぁ。これじゃあイジメっこみたい。

 あんまり責めても逆効果かな…反省しないと。

 

「ゴメンね? 春菜さん」

「あぅ、あぅ…」

「ホントに大丈夫か…?」

 

      ◆

 

 今の次期はまだまだ日が暮れるのが早いので、そうなる前に今日の買い物は切り上げる事にした三人。

 休憩以降の熱に浮かされる様な状態の春菜に、最初とは裏腹に大人しくなった美柑に挟まれるリト。

 妙な居心地の悪さが再び戻ってしまった事に頭を悩ませながらも、ポケットに手を入れて、彼はとある機会を窺っていた。

 

(う~ん、どうすっかな。今は…無理だし。でも早くしないと)

「あ、じゃあ、私はこの辺で…結城くん、また学校でね」

「え、あ、あぁ。それじゃあな西連寺」

 

 気付けば既にそれそれの家路へと向かう分かれ道に来てしまっていた。

 

(仕方ない。ちょっと強引だけど…)

「あ、西連寺! いいか?」

 

 リトは振り返って春菜の方へに近づく。

 あくまで別れた後で振り返った後に。そうでないと、腕をしっかりと握っている美柑が付いてきてしまう。

 軽く腕を離してもらって足早に。手短に用件だけを伝える。

 

「その、今日はゴメンな? 西連寺には付き合せちまって」

「え、ベ別にそんな事…」

「その、コレ侘びといっちゃ何だけど。今日は楽しかったよ、ありがとな!」

 

 そう言いながらポケットから出して、予め手に持っていた小さな紙袋を春菜に手渡すと、手を振って「また学校で!」と、少しだけムッとした表情の妹の方へ去っていってしまった。

 春菜は手渡された紙袋とリトを交互に見て漸く状況を理解する。

 どうやら彼は自分の妹をよく理解しているのだろう。

 お詫びと言いながら渡したそれを見ながら春菜は思った。

 多分、深い意味は無く本当にお詫びとしてそれをプレゼントしてくれたのだ。態々そうしたのは、今日を省みるに彼の妹は少し兄を大好き過ぎるから。要するに、せっかく機嫌がいいところをクラスメイトの女の子にまでプレゼントしてしまっては彼女の嫉妬を買ってしまう。つまりそういうこと。

 既に遠くなりつつある二人の後姿は何やら一言二言と会話を重ねている様子。

 だが、次の瞬間には再び妹の方からリトの腕へ抱きついて歩き出す。どうやら彼は上手い事、美柑を諭す事ができたらしい。

 と、ここで春菜は貰った紙袋を開ける。

 そこには……。

 

「あ、これ……さっきのお店の!」

 

 手のひらサイズの袋の中には、自分が気になっていた髪留めが入っていた。

 一体いつの間に。そう思いながらも、心はポカポカと温かく嬉しい気持ちで満たされていく。

 彼女が家に帰って良く見ると、それは先ほど自分が気になっていた物ではなく、良く似た別のデザインの物だったのだが全然問題じゃない。

 きっと離れていたときにリトが自分で選んでくれたであろうそれが、春菜自身の欲しかったものにとても似ていた事が重要なのだ。

 

(ずるいよ結城くん…こ、こんなの嬉しすぎるよ~~!!)

 

 一生の宝物にしようか、それとも次の登校日に学校へ付けていこうか。

 とても乙女的な悩みに悶えながら、少女は今日一日の疲れさえ忘れていくのだった。

 

――――――

 

「春菜ただいま~! 今日はおみやげにケーキ買ってきちゃったから後で一緒に食べよっ」

「お姉ちゃんおかえり~」

 

 夜になり、西連寺家では珍しくない姉妹二人だけの時間がそこにはあった。

 仕事帰りの秋穂は春菜の用意していた夕食を食べる為に急いで着替えて食卓へ着く。そこには、いつもよりも笑顔な妹の顔があった。

 それを見て事情を察した彼女は悪戯心がふつふつと湧き上がって来た。

 

「ん~~? どしたの春菜~、なんかご機嫌じゃない」

「え? えへへ、そう?」

(これは男関係かな? 妹もそんな年になったか~…)

「見たら解るって。そんで? 何があったのか教えなよ~」

「え~と、プレゼント…というか贈り物を…欲しかったやつ。も、もらっちゃった♡」

「ほぉ~、ほぉ~~?」

「…って! もう、いいでしょ! ご飯食べよ!」

 

 そんな妹の反応を見て姉は楽しそうに、イジワルそうに笑う。

 妹はそんな姉を良く知っているので、これ以上からかわれる前に切り上げようとする。

 家族の形はその家それぞれであるというように西連寺家ではこの光景が普通で当たり前な、日常だった。

 

 ここまでは。

 

 春菜は舞い上がっていた。姉に言われたように、今日は普段の何割増しにも笑顔である。

 何が悪いかといえば、それは多分。冷静さが欠けてしまったからだろう。

 

「あ、お姉ちゃんクリーム付いてるよ。取ってあげる」

 

 家族ならこのくらい当たり前で普通の事。

 普段から素直な彼女が冷静さを失ったならどうなるか。

 おみやげにケーキを買ってきた姉と、贈り物を貰って舞い上がった妹。

 誤解とは何がきっかけで生まれるかわからないものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん携帯鳴ってる」

「ん~? はいよーって、秋穂さん!? 俺に相談があるって…これはアピールするチャンスか!?」

「また女の人…はぁ、先にご飯食べてるから」

「なになに? 家族…例えば下の妹とのほっぺにキスって普通ですか? ってなんだそれ? う~ん……俺に聞かれても…いや、聞いてみるか」




活動報告にて近況更新しました


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