偽典 オーバーロード (浜屋らわん)
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プロローグ

偽典オーバーロード縁起
※原作キャラが登場するのは次回からになります。


 ナザリック地下大墳墓、第十階層。

 その一角に位置する、荘厳かつ閑麗なる巨大図書室――最古図書館(アッシュールバニパル)

 かつて、アインズ・ウール・ゴウンの至高の41人(メンバーたち)が蒐集した膨大な量の書物が収められた室内には、用途別に複数の小部屋がある。

 実際、それらのほとんどは図書室に務める職員――死の支配者(オーバーロード)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)たちの私室なのだが、中には司書長(ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス)が日夜スクロールの研究を行っている『製作室』のような、特定の目的にのみ使用される“専門室”もいくつか存在していた。

 そういった“専門室”の一つに『記録室』と呼ばれる部屋がある。

 最低限の照明しか置かれていないため薄暗い図書室内とは対称的に、天井や床に〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の魔法がいくつも掛かった『記録室』の中は、真昼の屋外のように明るい。部屋の四方は上から下まで巨大な書棚が覆い、一分の隙もなく収められた書物によって壁面を窺うことはできない。居る者に圧迫感を与えるような部屋の中央には、高級感の漂う落ち着いた色調の書記机が置かれていた。

 今、その書記机に向かい、タイプライターのキーを一心不乱に叩き続ける、異様な風体のスケルトンがいる。

 身長は、人間の成人男性を二回り上回るぐらいだろうか。ただ、()()()といったものが全く存在しない骨の体のため、全体としては大きいというより縦に細長いといった印象を受ける。

 まるで人と動物を融合させたかのような独特な骨格の上には、柔らかいラベンダー色のトーブ――アラブ諸国などでよく見られるような貫頭衣を着用し、額のあたりから飛び出た一本角を避けるように被ったライラック色のシュマグを金糸で編んだイガールで押さえている。

 両腕にはダイヤの散りばめられた白銀のブレスレットが、動物のような形状の脚の首にはサファイアの付いた黄金のアンクレットが嵌められており、首からは三日月を模した白金のペンダントを下げていた。

 彼こそが、この『記録室』の主にしてナザリックにただ一人の書記官――イブン・ライハーン・ジュヴァイニー。

 最古図書館(アッシュールバニパル)の司書長――ティトゥスの弟であり、種族も(ティトゥス)と同じスケルトン・メイジである。

 とはいえ、実用性に比重を置いて創造された(ティトゥス)と違い、至高の御方々の遊び心から生み出されたイブンのレベルはかなり低く設定されている。当然、持っているマジックアイテムも(ティトゥス)の装備しているそれらと比較してしまえば、ほとんど玩具に等しい代物だ。

 唯一、比較しても見劣りしないアイテムは、先ほどからイブンの指先でリズミカルな打鍵音と小気味良い改行ベルの音を響かせているタイプライターぐらいだろう。

 希少金属を用いて作られたそれは細部まで凝りに凝った意匠が施され、芸術作品として美術館に展示されていても違和感がないほど。

 重厚感のある台座部分には、金文字で「第4回YGGDRASIL創作小説大賞・最優秀賞」と小さく彫りこみが入れられ、このアイテムがユグドラシルの運営スタッフによって製作された正真正銘の一点ものアーティファクトであることを証明している。

 骨董品(アンティーク)的な温かみと厳めしさに溢れるフォルムでありながら、鍵盤は指先に軽く力を入れるだけで吸い込まれるように沈み込み、確かな反発と共に優しく持ち上がる。

 押し込んだ鍵が立てる音も改行を報せる(ベル)の音も、それがタイプライターという名前の楽器なのではないかと錯覚を抱くほど、品の良さで満ち満ちていた。

 

 ――唐突に、室内に響いていたリズミカルな音が途絶える。

 最後に鳴ったベルの余韻が残る中、イブンは書記机に置かれた分厚い書類の束と自分が先ほどまで打ちこんでいた文章を、睨むような視線で交互に見比べていた。

 彼の手元にある書類は、アルベドやデミウルゴスを始めとした各階層守護者から、領域守護者や一般メイドに至るまでのナザリックに仕える様々なシモベ達から毎週届けられる、日々の活動内容を記した報告書類である。

 ナザリックの栄えある書記官であるイブンの現在の職務は、それらの超がつくほど大量かつ雑多な報告を精読し、重要度に応じて振るい分け、簡潔な内容にまとめて記録することだった。

 

「………問題ないな」

 

 書類と打ち込んだ文章相手にひとしきり睨めっこを繰り広げてから、イブンは満足げに頷いた。

 もちろん、ここにある書類の内容は完璧に頭に入っているし、タイプライターを打ち始めた時点でどのような文章にするかも決めてあった。

 しかし、万に一つもミスがあってはならないのだ。

 転移後に任じられた新たな職務とはいえ、引き受けた以上明確な責任がある。与えられた役割を果すことこそが、至高の御方に創造された者としての責務だろう、とイブンは考えていた。

 

「〈書物創造(クリエイト・ブック)〉」

 

 イブンが魔法を詠唱すると、タイプライターから切り取られた紙束は不気味にその形状を蠢かせ、見る間に一冊の書籍へと姿を変化させた。

 

「〈燃焼の接触(タッチ・オブ・カンバスチョン)〉」

 

 続いて詠唱された魔法によって嚇々としたオーラに包まれた右手の骨で、イブンは無造作に机の上の書類に触れる。

 それだけで、分厚い報告書の束は瞬き一つの間に魔性の炎に包まれ、幾許もしない内に灰の欠片も残さず消え去っていった。

 イブンは出来たばかりの本――記録書を掴んで席を立つと、それを書物が隙間なく詰められた書棚へと躊躇いもせずに挿し込む。イブンの持つ記録書がぎっちりと並べられた本たちの背表紙に近づいた瞬間、空間が歪んだかのように一冊分の隙間が生まれ、新たな仲間をその列に加えた。

 この不思議な本棚の名は無限の本棚・大型(ラージ・インフィニティ・ブックシェルフ)――名前に反して9999冊までという制限はあるものの――あらゆるサイズの本を収納し、自動で見た目を調整してくれる魔法的な収納だ。

 ただし、外装を色以外ほとんどいじれない上に、一定のデータ量を超える本は収納できないというかなり残念な性能のため、図書室広しと言えども『記録室(ここ)』を除けば全くと言っていいほど使われていないのだが。

 

「よし………」

 

 最優先である()()()の職務が終わったことに再び満足げな頷きをしてみせると、イブンはそのまま書記机に戻り、懐から一冊の本を取り出した。

 その本は、目にした者を威圧する暗黒色の表紙をしていた。

 背表紙にのみ、銀色の落ち着いた字体で「ナザリック史」と書かれている。

 イブンは愛し子の頭をそうするように、二度三度本を撫でると、傍から見ても敬意が篭っていることのわかる手つきで恭しくゆっくりと表紙を開いた。

 

 そこに記されているのは、ナザリック開闢より至高の41人たちが歩んできた歴史である。

 

 生きとし生けるものを灰に還す炎熱の大巨人を討ち斃したこと。

 万象を凍てつかせんとする魔氷の凶龍を滅ぼしたこと。

 未開の山に豊かな希少金属の鉱脈を発見したこと。

 そして、数多の冒険と苦難の末に至高の神杖(スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を創りあげたこと。

 それはまさに神話。

 断片的にであれば、他の(NPC)たちも――特に階層守護者などは――知っている話がいくつかあるだろう。

 しかし、これの()()は至高の存在が直接書き遺したものだ。いくつか意図的に事実が伏せられていると推測される箇所を除いて、至高の41人の輝かしい足跡が余す所なく記されている。

 仮にこの書物の存在を公表すれば、間違いなくナザリックに仕える者たちにとって聖典となるだろう、とイブンは確信を持っている。

 

 ただし、現状でこの「ナザリック史」の存在を知っている者は、イブン・ライハーン・ジュヴァイニーをおいて他にいない。

 それはイブンがこの本を独占しようと考えているから、などでは決してない。

 確かに自分だけがその存在を知っているということに、イブン自身小さな優越感を感じていることを否定はしない。

 しかしそれよりも、この書物に記された内容をナザリックの他の者たちが、未だ目にしていないということに対する悔しさ、嘆かわしさの方が遥かに大きい。

 

(出来ることなら、今すぐにでもこの本の存在を守護者統括殿に伝えたいところなのだがな……)

 

 アルベドに報せれば、「ナザリック史」は一日も経たずにナザリックに仕える全存在が知るところになるだろう。

 その時、原典はこの『記録室』か『禁書保管室』、あるいは図書室内にいくつかあるガラスケースの中に厳重に保管されることになるのは間違いない。

 そして、やがては図書室の職員総出で作成した写本(コピー)がシモベたちに配布されるはずだ。

 そこに記された、自らの創造主たちの勇壮にして神々しい威容を目にした者たちが、歓喜と感動の涙に咽ぶ様が目に浮かぶ――。

 

「――――――ん、いかんな」

 

 イブンは呟きながら、幻視した光景を振り払うように首を二三度横に振った。

 今、脳裏に描いた光景は確かにイブンが心から望む光景であったが、それが実現されるのにはまだしばらくの時間を要するだろう。

 理由は二つ。

 一つ目は、まだこの「ナザリック史」が未完であること。

 二つ目は、イブンがそれの完成を任じられていることだ。

 

 自身の創造主(至高の存在)から「ナザリック史」を直々に託された日のことを、イブンは今でも昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来る。

 

     ・

 

 まるで櫛の歯が欠けるように、至高の御方々が“お隠れ”になり始めた頃のこと。

 しばらくの間、その姿を拝見できないでいたイブンの創造主が、ふらりとこの『記録室』を訪れた。

 創造主は部屋の隅に控えていたイブンを見やると、ゆっくりと歩いて近づいてくる。

 久しぶりに目にした創造主の神々しささえ漂う偉容に歓喜の念が湧き上がり、イブンの体は自然と臣下の礼をとっていた。

 

 ――ご苦労さま。

 

 たったの一言ではあったが、その一言だけでイブンは天にも登る心地になった。

 感動で体がうち震えそうになるのを理性で抑え、そのような勿体ないお言葉、とイブンが口を開きかけたところで、更に創造主の言葉が続く。

 

 ――今日はこれを渡そうと思って戻っ(ログインし)たんだ。

 

 イブンがその発言の意味を飲み込み、疑問を感じた次の瞬間には、既に「ナザリック史」がその手に握ら(所持品に追加)されていた。

 当時のイブンも()()が自身の創造主が余暇を見つけては書き記してきたものだと知っていた。

 創造主が何かを執筆する時はほぼ必ず、イブンの侍る『記録室』を利用していたのだから当然だ。

 そのような神聖な書物――しかも未だ執筆途中――を渡されて、イブンはアンデッドであるにも関わらず困惑と歓喜によって一瞬で混乱の極致へと至ってしまった。

 感謝の言葉を伝えようにも、舌が震えるあまり言葉を紡ぐことができないほどだった。

 

 ――じゃあ、な。

 

 しかし、次に創造主から発せられた一言によって、イブンの精神は一瞬で奈落の底まで落ちた。

 不幸にもイブンは気付いてしまったのだ。

 なぜ今になって、「ナザリック史」(この本)を渡しに来たのかを。

 短い言葉に秘められた微かな哀愁を。

 恐らくこのやり取りを最後に、自身の創造主が“お隠れ”になってしまうことを。

 あまりの衝撃に、イブンはただ立ち尽くすばかりだった。

 一瞬で心を覆った絶望によってイブンの体が硬直し、引き止める言葉も感謝の言葉も口にすることができないでいるうちに、彼の眼前で尊き存在は姿を消(ログアウト)してしまった。

 まるで最初から、そこに誰もいなかったかのように。

 

     ・

 

 イブンは「ナザリック史」の中途のページを開くと、タイプライターの斜め手前にゆっくりと丁寧に置く。

 開かれたページは半ばまでしか文章が書き込まれておらず、残りは空白となっている。それ以降のページも同様だ。

 既に書き込まれた文章を数回読み込み、自身が神々の足跡(ナザリックの歴史)をどこまで記したかを、しっかりと思い返す。

 ナザリックの転移後から、イブンは「ナザリック史」の続きを執筆し始めている。

 自身の創造主が“お隠れ”になってすぐに、与えられた務めを果すことができなかったのは、ひとえに自分の不甲斐なさが原因だとイブンは理解していた。

 イブンは、創造主手ずからに崇高な任を与えられてなお、神聖なる書物を自身の書いた文字で汚すような真似が許されるのかという、シモベにあるまじき身勝手な思いに悩んでいたのだ。

 至高の御方の言葉は絶対である。

 ()()を前にして悩むことが既に不敬なのだ。

 そんな当たり前のことにイブンが気付くことができたのは、恥ずかしいことにナザリック地下大墳墓が以前とは異なる世界に転移してからだった。

 

 当然、至高の御方の紡ぎ出す流麗な文章と比べてしまえば、自分の書くものなど児戯にも劣るという自覚がイブンにはある。

 しかし、自身の創造主が()()()()()()のだ。

 未完の「ナザリック史」を人目に触れさせるようなことなど、してはいけないだろう。

 

 イブンの動かす指によって、タイプライターが再び気持ちのいい音をあげ始める。

 開いた「ナザリック史」のページの最後に記されていたのは、アインズ・ウール・ゴウン――現在のナザリック地下大墳墓を統べる絶対的支配者(オーバーロード)が、愚かな蜥蜴人(リザードマン)たちに対して、まさに神威を示さんとする場面だった。

 記憶という名のデータベースから、リザードマン調伏時の報告書を呼び起こす。

 記録書を著す時には簡潔さが求められていたが、この書物は違う。

 至高の存在の偉大さを――ひいてはナザリックの偉大さを後世にまで遺すことこそが至上目的なのだ。

 ただの情報の羅列ではいけない。

 思いつく限りの語彙と表現を用いて、出来うる限りの演出をするのだ。

 そんなことを考えながら執筆していると、自然とタイプライターを叩く指にも勢いが乗ってくる。

 気付けばイブンは、ナザリックの将――コキュートスがリザードマンの部族をどのように統治するかを決議する場面まで一息に書き上げていた。

 

 それからしばらくして、いつの間にかイブンの指は止まっていた。

 眼窩に宿った光は思案に揺れている。

 この後に何を書くのかを悩んでいたのだ。

 リザードマンの部族を従えた後の大きな出来事(イベント)と言えば、ナザリック随一の智恵者であるデミウルゴスの主導によって、リ・エスティーゼ王国の首都で行われた大規模な作戦行動が挙げられるだろう。

 しかし、リザードマンの件の後にそのままそれを書き始めるには少し期間が開きすぎていた。

 よって、自身の記憶している膨大な報告書の内容から、空いた期間に何か記述するに足る出来事(イベント)が起きていなかったかを検索していたのだ。

 短くない時間が経過し、ようやくイブンの視線が焦点を結ぶ。

 結論からいえば、いくつか思い当たることはあるものの、それがそのまま執筆に値するものかと言えば微妙なところだ。

 ただ、()()()()()、如何にして対処するかを、イブンは創造主から教えられた言葉によって知っていた。

 

 ――歴史家が事実を記す必要は無い。歴史家が記したことが事実となるのだから。

 

 そう、これより先に記す出来事は全くの事実ではないだろう。

 しかし、同時に全くの出鱈目でもない。

 何故なら、これからイブンが記すことは「ナザリック史」を読む者にとっての事実と成り得るからだ。

 

 固まっていたイブンの指が、再び流れるように動き出す。

 紡ぎ始めたのは、ナザリックの新たな歴史。

 

 

 それは、偽書であると同時に、聖典となる物語。

 

 

 




次回から、原作キャラがメインの外伝風小説が始まります。
最初はアダマンタイト級冒険者チーム「漆黒」のお話の予定。

本文中、誤字・脱字等ありましたら指摘して頂けると嬉しいです。


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「漆黒の試練」編
衝撃と畏怖


Shock and Awe.
ようやく原作キャラが登場します。


 リ・エスティーゼ王国、王家直轄領エ・ランテル。

 三重の城壁に囲まれたこの都市(まち)は、バハルス帝国との戦争に備える前線基地であると同時に、三つの人間国家が隣接する交易の要衝地でもある。

 市街区画を少しでも歩けば、遠方から訪れた商人や傭兵などの姿を何度も目にすることができるだろう。広場や大通りのような往来の多い場所では、曲芸師や吟遊詩人たちが自慢の業を披露している。屋台や行商の並ぶ市場は日が昇り始める頃から人で賑わっているし、大衆酒場などは日付が変わるまでランプの火を落とさない店も多い。

 斜陽の王家が辛うじて財政をやりくりできているのも、この都市からの税収による部分が大きいのでは、と市民の間では噂されている。

 

 そんな城塞都市エ・ランテルは、冒険者が数多く集まっていることでも有名である。

 エ・ランテルの組合に登録されている冒険者の数は――王都のそれには及ばないが――王国の都市の中でもトップクラスを誇る。

 数が多い理由としては、単純にエ・ランテルで生活する人間が多いことと、付近の街道にモンスターが頻繁に現れること、そしてそれらから身を守る為の護衛を必要とする商人が多いことが挙げられる。

 エ・ランテルの冒険者組合の建物も、登録されている冒険者の数に見合った立派なもので、各国に存在する冒険者組合の中でも相当に大きい部類と言えるだろう。

 貴族や豪商が住む屋敷のような華美な装飾は施されていないものの、傍目からも頑丈さを感じさせる武骨な造りは、冒険者たちの誇りと威厳を感じさせた。

 両開きになっている入り口の鍵は、基本的に一日中開かれている。冒険者組合に押し込み強盗をかけるような命知らずはいないということでもあり、なによりいつ何時でも飛び込みの依頼に応えらるようにという意味合いがある。

 今、その扉を押して中に入っていく男がいた。

 温厚さと精悍さを併せ持つ顔つき。金属鎧で覆われた身体は常人のそれよりも圧倒的にたくましい。日々鍛錬を積み、何度も危地を切り抜けてきたのだろう。鎧の隙間から覗く隆起した筋肉には、無数の傷跡が走っていた。

 扉を開いて現れた強者の雰囲気の漂う男に反応して、組合内にいた冒険者たちの顔が入り口の方に向けられる。

 しかし、不躾に投げられた大方の視線は、そこに立つ人物が冒険者チーム「虹」を代表する男であるということに気付くと、敬意の篭ったものへと変わった。

 男の名はモックナック――現在、この都市に二つしか存在しないミスリル級冒険者チームのリーダーだ。

 

 

 モックナックは入り口から組合内を軽く見回して、()()()との違和感に軽く首を捻った。

 彼は、このエ・ランテルの冒険者の間ではそれなりに有名人である。

 なお、()()()()()と冠詞が付いてしまうのは、先頃、そこらの冒険者とは隔絶した実力を持つ二人組の冒険者チームが現れたからに他ならない。

 英雄の領域を超え、人類の守り手とも称される男女――漆黒の全身鎧(フル・プレート)を纏う偉丈夫と目も眩むような美女のコンビの前には、ミスリル級の冒険者など影が薄くなるのは当然であり、仕方のないことではある。

 とはいえ、モックナックも短くない月日をエ・ランテルで過ごしてきたのだ。

 かつてに比べれば、周囲から憧憬や尊敬の眼差しが送られる回数は減ったかもしれないが、それでも人の集まるところに赴けば、知り合いに声をかけられたり、友人に肩を叩かれたりするのが当たり前だった。

 しかし、今はどうだろうか。

 組合内には少なくない数の人間がいたが、そのほとんどがモックナックを一瞥しただけで、すぐに近くにいる他の冒険者との雑談に戻った。

 (ゴールド)白金(プラチナ)のプレートを提げた冒険者たち――何度か依頼を共にこなした顔見知りだ――でさえも、目線が合ったら軽く会釈を返してくる程度で、積極的にモックナックに挨拶をしようという者はいなかった。

 どこか釈然としない思いを抱きつつ、掲示されている依頼を見ようと足を踏み出したモックナックに、横合いから声をかけてくる者がいた。

 

「ようモックナック、調子はどうだ?」

 

 モックナックは首だけを動かして、声の主のいる方向に顔を向ける。

 

「ベロテか、最近は仕事も少なくて退屈だな。……というか、お前もだろ?」

「ははっ、違いない」

 

 人の良さそうな笑顔で笑うベロテと呼ばれたこの男は、モックナックの所属するチーム「虹」と同じミスリル級冒険者チーム「天狼」のリーダーを務めている人物だ。

 ちなみに、モックナックが言った“仕事が少ない”というのは文字通りの意味ではない。元々、ミスリル級の依頼が少ないというのもあるが、最近ではただでさえ少ないその依頼を有り得ない速度で解決してしまう二人組がいるからだ。

 といっても、そこには一分の負の感情も込められていなかった。モックナックにはこれまでの依頼で得た報酬が大きな資産として残っているため、今さら受ける依頼の数が減ったところで路頭に迷ったりすることなどないのだ。

 名声や人望といったものに関しても、正直そこまで興味が無いモックナックにはどうでもいいことだった。

 それは恐らく目の前のベロテも同様だろう。

 それから二人の話題はエ・ランテル(このまち)唯一のアダマンタイト級冒険者チームのことへと移っていったが、やがてそれも一段落したところで、モックナックは自身が先ほど組合に入ってきた時からある違和感についてベロテに尋ねていた。

 

「ところで今日はどうしたんだ? 様子がいつもと違うようだが……」

 

 訝しげな声音のモックナックに、ベロテはにやりと笑って答える。

 

「ん? ああ、まだ知らないのか。俺はてっきり、お前はもう知ってて見に来たのかと思ってたよ」

「そりゃ知らないことだってあるさ。いじわるは止して教えてくれないか」

「ああ、悪い悪い。はぐらかす気はないんだ……あれを見てみな」

 

 せっつくモックナックに、意味深な笑みを浮かべたベロテが顎で指し示したのは、無数の依頼書が貼り付けられた組合の掲示板だった。

 確かにもう一度注意して周囲を観察してみれば、組合内にいる他の冒険者たちも皆そちらの方に視線を集中させているようだ。

 

「掲示板がどうした? また何か怪しい依頼でも来てたのか?」

 

 組合が掲示板に貼り出す依頼は、事前に依頼者への聞き取りや現地調査などを行った後に作成されるもののため、依頼内容や報酬の正当性がしっかりと保障されている。

 ただ、ごく稀にだが、明らかに内容に見合わない報酬が設定された依頼や、内容が不明瞭な依頼が掲示されていることがあるのだ。

 そういった依頼は実際に引き受けるとろくでもないことが多く――命に危険が及ぶようなことこそ無いものの――精々酒場で肴になる話題が増えるぐらいが関の山だった。それ故、どれほど好条件に見えたとしても長く冒険者を続けている者ならスルーするのが当たり前になっていた。

 そういった事情から、逆にそんな怪しげな依頼が貼り出されると熟練(ベテラン)冒険者たちの間ではよく話題になる。主に、今度はどの新人(ルーキー)が犠牲になるのか、といった好奇心から。

 しかし、現在組合に流れている空気はそういった変り種の依頼が張り出されている時とは、少し様相の異なるものだということにモックナックは気付く。

 直感を裏付けるように、掲示板を見て囁き声を交わしている冒険者たちの中には、駆け出しの者もちらほら見受けられた。

 

「そっちじゃなくて隣だよ、隣」

 

 未だに周囲の視線を集める()()がどこにあるのか掴みかねているモックナックに、ベロテは依頼の貼り出される掲示板の隣にある一回り小さい掲示板を指し示す。

 それは、組合の活動報告や危険モンスターに関する情報、はたまたどこそこの店が安売りをしているといった宣伝などが貼り出される連絡掲示板だ。

 冒険者がチームメンバーを公に募る時などもここに貼り出されることが多い。

 

「真ん中にあるだろ? 一等豪華なヤツだよ」

 

 ベロテの言うように連絡掲示板の中央にモックナックが視線を向けると――。

 それは確かにあった。

 周囲に張り出された紙に比べて、明らかにサイズが大きい。

 色も微かに違っているのは、恐らく高級紙を使用しているからだろう。

 四辺には何らかの植物を図案化したような飾り枠が施されているのが見てとれた。

 

「……なにぃ!?」

 

 そこに書かれていた内容を目にして、モックナックは驚きの声を上げてしまった。

 しかし、それも仕方のないことだ。

 モックナックには知る由も無いことだが、目の前にいるベロテですら、それを見た時は呆けた表情になってしまったのだ。

 一際自己主張の激しいその紙には、やけに仰々しい字体と長ったらしい文章で文字が書き連ねてあったが、それらを要約すると以下のようになる。

 

 

『我々、漆黒の戦士モモンと美姫ナーベは、ここに新たな仲間(チームメイト)を募集する』

 

 

     ・

 

 「漆黒」と称される冒険者チームの求人広告が掲示された時から、遡ること一週間。

 漆黒の戦士モモンことアインズは、目の前で片膝を付いて臣下の礼を取るチームメイト――美姫ナーベことナーベラル・ガンマの前でソファーに腰掛け、痛むこめかみに手を当てていた。

 頭痛の原因は明白で、ナーベラルがたった今口にした報告の内容にある。

 今、二人はエ・ランテルでも最も格式高いと言われる宿屋の一つ――黄金の輝き亭の最上級客室(スイートルーム)にいる。

 アルベドとデミウルゴスの報告を受けるため、ナザリックに一時帰還していたアインズがこの部屋に戻ってきたのは、つい先ほどのことだ。

 ナーベラルには自身の留守中、もし組合からの使者や不慮の訪問者などがあった場合には、自分がアダマンタイト級冒険者チームの一員であるということに留意して応対せよ、と言い含めてあった。

 言い含めってあったのだが――。

 

(訪問者が(モモン)に会わせろとしつこく食い下がってきたから、()()()()()()()追い返しました、だと……?)

 

 跪くナーベラルが告げた言葉を脳内で反芻する度、アインズの骨の頭を万力で鈍く締め付けるような感覚が見舞った。

 下等生物(にんげん)嫌いを公言しているナーベラルのことなので、恐らく「多少」とか、「痛めつけた」とかいった語句はかなりソフトな表現なのだろう。

 あるいは、本人にとっては本当に“多少痛めつけた”だけのつもりなのかもしれない。というか、十中八九そうに違いない。

 ただ、ナーベラルにとっては軽くのつもりでも、こちらの人間にとっては半殺しレベルになりかねず、万が一被害者がアダマンタイト冒険者チームの片割れ(ナーベ)に不当に暴力を振るわれたなどと騒ぎ立てたりしたらどうだ。

 最悪の場合、ここまで苦労して積みあげてきた英雄モモンの信用が崩れることになるだろう。

 アインズにとっては、考えれば考えるほどに頭の痛みが増してくるような話だった。

 自分はアンデッドだから痛みなどに代表される肉体ペナルティには耐性があるはずなのになー、とアインズの思考が現実逃避をし始めるほどに。

 

「も、申し訳御座いません、アインズ様! 私の対応が間違っていたのでしょうか……? 何が御身をご不快にされたのか、どうか愚かな私にお示しください!」

 

 ついに顔を手で覆い始めてしまったアインズを目にして、ようやく自身が何らかの失敗(ミス)を犯したことに気付いたのか、ナーベラルは慌てて謝罪の言葉を口にした。

 しかし、というか。

 やはり、というか。

 先ほどよりも身を低くしてひれ伏すナーベラルは、自身が失敗してしまったことこそ理解しているものの、何がどういう風に失敗だったのかは全く理解できていないようだった。

 短くはない時間を共にしていながら、自身が常日頃から口を酸っぱくして注意していることを、相手が未だにちゃんと分かっていないということに、アインズの心に激情が湧き起こった。

 なぜ、こいつは俺の言ってることがわからないんだ。

 煮えたぎるマグマのような憤怒が、一瞬にしてアインズの心を覆う。

 そのまま、勢いに任せて相手を怒鳴りつけようとした瞬間――突然それまで感じていた怒りが、まるで気のせいだったかのように霧散していってしまった。

 額を床にすりつけたナーベラルの体が、小刻みに震えていることに気付いたから――ではない。

 抑制されたのだ。

 アンデッドの保有する種族的な特殊能力によって。

 感情が抑制されるほど激していた、ということを自覚したアインズは少し反省する。

 危ないところだった。

 一時の感情に身を任せて部下を怒鳴りつけるなど、悪い上司の見本のようなものではないか。

 無論、アインズに忠誠を誓う至高の存在に創造された者(N   P   C)たちであれば、至高の存在から発せられたものでさえあれば、それが如何な怒声や罵倒の類であっても、唯々として従うだろう。

 しかし、今はなき友たちの代わりにギルド(アインズ・ウール・ゴウン)を背負う身としての責任がある。

 部下たちに余裕のない態度を見せることは、アインズ自身が許せない。

 自身の思考が落ち着いてきたことを感じたアインズは、逆に、尊敬できるような上司はどのように失敗した部下を怒るのかを考えてみた。

 

(ただ大声で怒鳴り散らしても相手が萎縮してしまうだけだからな……。もし、理想の上司であれば……、理想の上司……理想の……、そんなのに縁無かったからなあ……。……う、思い出したら胃が痛くなってきた……)

 

 不意に脳裏に蘇った、ノルマをこなせなかった鈴木悟を詰るかつての上司の姿に、アインズの存在しないはずの胃がきりきりと痛んだ。

 耳に思い出されるのは、明白な怒りを含みつつも、罪状を読み上げる検察官のように鋭く冷え切った声色だ。

 

(とりあえず、冷静に、だな……。大声で罵倒されるよりも、静かに説教される方が身に染みる……はずだ……多分)

 

 人生経験の乏しさを嘆きたくなるが、今さら無いものねだりをしても仕方が無いことだ。

 ひとまず、アインズは自身の経験則に基づいて叱責の方向性を決める。

 今回ばかりは、ある程度厳しい物言いをしなければならないだろう。

 

(おもて)をあげよ、ナーベラル」

 

 アインズは、一度ソファーの上で支配者然とした――自身が最もそれらしいと思うポーズに姿勢を正すと、いつもより更に低めの声で、伏して主の沙汰を待つ臣下に声をかけた。

 はっ、と心なしか震えた声で返事をして、ナーベラルが頭を上げる。

 不安と恐れの入り混じった瞳でこちらに視線を向ける部下を前に、アインズは今一度支配者足らんと覚悟を決めて、ゆっくりと口を開いた。




衝撃(的な求人広告)と(怒る上司への)畏怖。
続きます。

引き続き、誤字・脱字等ありましたら指摘して頂けると嬉しいです。


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部下と上司

今回、地の文少なめ、会話主体で話が展開します。


「最初に、念のため。そう、念のために聞いておきたいのだが、お前――ナーベラル・ガンマは今回、自身の行動の何処が不味かったか。……その辺を理解しているか?」

 

 アインズが精一杯の威厳を込めた声が最上級客室(スイートルーム)内に響く。

 まず、この点をはっきりさせておかなければならないだろう。

 自分が何故失敗し、何が原因だったのかを理解している者とそうでない者では、同じ失敗でも追求の仕方を変える必要があるからだ。

 問いを受けた眼前のナーベラルの顔に、思案の色が浮かんだのをアインズは見逃さない。

 

「お、恐れながら申し上げま――」

「よい。その反応で十分だ。……つまる所、自分が何を失敗したのかを、しっかりとは理解できていない、そういうことだな?」

 

 ナーベラルの言葉を遮って確認する。

 今は謝罪や釈明の言葉を聞きたいわけではない。

 それに、場合によっては自身が謝ることになるかもしれない、と先ほどより幾分か冷静になったアインズは考えていた。

 彼女の失敗にアインズの責任がある可能性を完全には否定できない。

 

「はっ、申し訳ございません! ……叶うのであれば、アインズ様のご不興を買った愚かなこの身に、罰をお与えください!」

「それは後だ。今は順を追って状況を整理したい。……まず、私がナザリックに一時帰還する時に何と言ったかは覚えているか?」

「はい、アインズ様は私に、ご不在中に御身を尋ねてくる者がいた場合、冒険者のナーベとして対応することを命じられました」

「微妙に違ってるような気もするが……、まあ(おおむ)ねそうだな」

 

 ナーベラルの返答で、アインズは自身が言い忘れや言い間違いをした可能性が無くなったことにひとまず安堵した。

 部下を詰問しといて、実は上司の伝達ミスでした――というのでは笑えない。

 アインズは、言葉遣いといったものには人一倍注意するように心がけている。自分の言葉を絶対と信じて行動する存在に囲まれているのだから、当然のことともいえるだろう。

 

「では重ねて聞くが、アダマンタイト級冒険者チームの一員として――冒険者ナーベとして対応しろ、とはどういう意味だと理解している?」

 

「はい、下等生物(にんげん)たちの及びもしない(いただき)に存在する強者としての矜持を持ち、また私と同じチームであるところのモモンさ――んが相手に侮られることのないよう(したた)かに振舞え、ということかと」

 

「………………………………そうか」

 

 前言撤回だ。

 まさかそのような認識の齟齬が生まれているとは。

 正直に言って、アインズの感覚からすれば斜め上もいいところのトンデモ解釈の類ではある。

 しかし、ナーベラルの思考的には一片の瑕疵も存在しない完璧な解釈なのだ。

 これでは上司(アインズ)の伝達ミスだと(そし)りを受けても仕方がない。

 アインズが意図して伝えていたことは、何一つとしてナーベラルに伝わっていなかったのだから。

 

部下(ナーベラル)の受け取り方が悪いせい……だけにするのは苦しいな。ナーベラルの思考回路が()()なのは以前から分かってたことでもあるし……)

 

 咎めるべきは、たった数分の時間を惜しみ、言葉を尽くして説明しなかった過去の自分だろう。

 自責の念と共に、思わずアインズの口から溜息がこぼれた。

 それを見たナーベラルはまたうろたえ始め、再び頭を下げて謝罪を始めてしまう。

 

「よせ、ナーベラル。謝罪はいい。今回の責は私にもあるのだから」

「そんな、至高の御身に責など有る筈がございません! 全ては私の至らなさに因るものかと愚考いたします! どうか罰をお与えください!」

 

 このままでは話が進まないと感じたアインズが声をかけるが、ナーベラルの平身低頭の構えは崩れない。

 

「だから必要ないと言っている。それより――」

「罰をお与えくださらないのであれば! この罪、我が命を持って贖いま――!」

「うるさい」

「ぁうっ」

 

 痺れを切らしたアインズの手刀(チョップ)が、ナーベラルの頭頂部に直撃(クリーンヒット)する。

 それまでの鬼気迫る様相からは想像できないような情けない声をあげたナーベラルは、剣の柄を掴みかけていた手で叩かれた頭を押さえ、アインズの方を窺った。

 加減したとはいえ〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉によって生み出されたガントレットの一撃はなかなかに堪えたようで、ナーベラルは少し涙目だ。

 

「し、しかしアインズ様……」

「私の言葉はナザリックにおいては絶対なのだろう? なら、その私が構わないと言っているのだ。それがお前の忠誠の表れであることは分かっているが、それ以上は私を不愉快にするものと知れ」

「……はっ」

 

 なおも言い募ろうとするナーベラルを強引な理論で黙らせ、アインズは本題に戻る。

 

「それで、私が出がけに伝えた『自分がアダマンタイト級冒険者チームの一員であるということに留意して応対せよ』という言葉の真意についてだが……、先ほどのお前の解釈では全く間違っている。ただ、これは私の伝え方にも問題があったと思われるので、お前の責任を問うようなことはしない。いいな?」

「はい! いと高き方の賜る恩情に、このナーベラル・ガンマ、万謝の想いを禁じ得ません!」

 

 再度、深々と頭を垂れるナーベラル。

 そこに数瞬前までの狼狽した様子はない。

 部下の精神に落ち着きが戻ってきたと判断したアインズは更に続ける。

 

「よい。それよりも、今一度思い出してほしい。我々が初めてこの都市を訪れた時のことを、私がその時最初に忠告したことをな。……確か私はこう言ったはずだ、『敵対的行動を誘発するような考えは慎め』と」

「……御身の仰る通りかと」

「であれば、先ほどのお前の解釈では駄目なことも分かるな? ――まあ確かに、お前の解釈の仕方にも一応の理があることは否定すまい。実際、この世界において強者は、その強さに応じたある程度の傲慢さが許される傾向にある」

 

 相手の考えを全否定しない。

 これはアインズがまだ鈴木悟だった頃に、自らの上司を反面教師として学んだことだ。

 失敗した部下にも、部下なりの考えがあることは多い。

 頭ごなしに叱っては、例え上司側が正しくても感情的な面から従ってくれなくなってしまうことだってある。

 

「そしてもう一つの、チームメイトである私を侮られないようにというお前の思い。これも考え方そのものは間違っていないだろう。勇者モモンが他者から舐められるなどあってはならないことだからな」

 

 アインズの言葉(フォロー)に若干ナーベラルの顔に明るいものが戻ってくる。

 今にもうんうんと頷き出しそうな勢いだ。

 

「しかし、だ」

 

 アインズは一度、意図的に言葉を切って間を持たせる。

 この後に伝えることはしっかりと理解してもらいたいがために。

 

「勇者モモンはただの強者ではなく、英雄だ。……まだ英雄と呼べるほどの功績は得られていないかもしれないが、少なくともそう振舞う必要がある。そして、脆弱な人間種にとっての英雄とは、思うが侭に力を振るって傲慢に生きる者ではない」

 

 ふとアインズの脳裏に、異形種殺し(P  K)から自身を救ってくれた純銀の聖騎士の姿が浮かんだ。

 

「そう、人間種にとっての英雄(ヒーロー)とは、弱者を労わり、謙虚な心を持つ、守り手のような存在を指すのだ」

 

 ――誰かが困っていたら、助けるのは、当たり前!

 思い出に残る懐かしい声を脳内で再生しながら、アインズは自身の考えを述べる。

 

「つまり、我々もモモンという英雄を作り出そうとしている手前、そういった人間種にとっての英雄の条件を満たす必要がある、ということだ」

 

 当然、それはモモンの仲間(チームメイト)である美姫ナーベにも同じことが言える、とアインズは付け足す。

 かつての仲間を思い出したこともあり、勢いに乗って気持ちよく語ってしまったが、相手は自分の話をちゃんと聞いているだろうか。

 不安になったアインズはちらりと、視線を目の前に跪くナーベラルに向けた。

 ナーベラルは真剣な表情でこちらの言葉に耳を傾けているようだった。

 自身の話の持っていき方がどうやら間違っていなかったことに、ちょっとした手応えのようなものを感じたアインズは、更に勢いづいて喋り出す。

 

「……んん! ただ誤解しないでほしいのだが、私は、お前の考えを捨てよなどと言っているわけではない。これも最初に言ったと思うが、せめて抑える努力をしてほしい。……ここまで築き上げてきたモモンの評判にけちがつくのは、お前としても面白くないだろ?」

 

 ナーベラルの人間蔑視的な思想には正直、アインズとしても諦めている部分が大きい。

 当初、アインズが烈火の如く怒りを奔出させそうになったのも、命令したことをちゃんと守れないという、組織に属するものとしての非常識さに腹が立っただけであり、彼女の持つ思想に対して怒ったわけではない。

 勿論、ナーベラルが自発的に思想を改めてくれるのであれば、それに越したことはないのだが、彼女は同じ至高の存在(ギルドメンバー)である弐式炎雷によって「そうあれ」と作り出された存在だ。

 NPCのコンソールが開けない現在では確かめようもないが、ナーベラルが人間蔑視をするのはその「設定」に因るものかもしれないと思うと、その考えを無理に矯正しようとも思えなかった。

 

(友の作り出した子ら(NPC)を自分の都合で歪めていいわけがない)

 

 ナザリックの留守を任せる守護者統括の姿がちらついて、無意識にアインズの奥歯がぎりと鳴った。

 口中に広がる苦い思いを誤魔化すように、アインズは意識をナーベラルの方に戻す。

 

「――以上で、まあ言い足りない部分もあるにはあるが……私が伝えたいことは全てだ。何かあるか?」

「……自分の浅慮故に御身にご不快な思いをさせたこと、誠に面目次第もございません」

「よいとも。お前の全てを許そう、ナーベラル」

「ありがとうございます、アインズ様。より一層の忠節を持って、お気持ちにお答えしたいと思います」

 

 これで喫緊の問題は解決しただろう。

 半ば恒例行事と化してきた部下とのやりとりを終えたアインズは、次の案件へと話題を移す。

 

「話は変わるが、尋ねてきた男はどのような用件だったんだ? あと、ああそうだ、()()などは何と名乗っていた?」

 

 ナーベラルはその時のことを思い出そうとしているのか、視線が少し上がり眉根に皺が寄っている。

 どことなく目が泳いでいるような気がするのは、アインズの気のせいだろうか。

 

「な、名前は、()()()、名乗っていなかったかと……。我々の仲間になりたい、その為にモモンさ――んと会って話がしたい、などと戯れ言を繰り返しておりました」

「……ほう、仲間、か」

 

 アインズの口から失笑が漏れる。

 思い出したのは、ギルド――アインズ・ウール・ゴウンがユグドラシルにてその名を広め始めた頃に、あからさまな下心と共に揉み手で擦り寄ってきた数多のギルド参加希望者たち。

 加入時に満たさなければいけない()()()()のおかげもあって、卑しい存在が仲間(ギルメン)になることこそなかったものの、その後のギルドメンバーの増員には大きくストップがかかってしまった。

 おそらく、モモンに会いたいと(のたま)っていたその男も同じような奴だろう。

 口先では自身が仲間たち(ギルド)にどのように貢献できるかを滔々と語れるが、その実自身が仲間たち(ギルド)からどのような恩恵を得られるかということにしか興味のない、唾棄すべき輩(クズども)だ。

 中には、純粋な憧憬などから加入を希望する者――あの薬師の少年(ンフィーレア・バレアレ)のように――もいるかもしれないが、そういった者は極々稀だということを、鈴木悟は経験から知っている。

 

(しかし、加入希望者ね……。シャル――ではなく、ホニョペニョコの一件から結構色々とこなしてきたし、以前(ユグドラシル)の時のことから考えれば、まあ有名税みたいなものだな。……今回で最後になればいいけど、今後も加入希望者(そういうやつら)は現れるだろうしなあ……)

 

 訪れる加入希望者に個々に対応するのは骨が折れるし、アインズ不在時であれば、また今回のような事態に発展する可能性だってある。

 街全体に、新しい仲間は求めてないと触れ回るのも一つの手かもしれないが、それでも押しかけてくる奴は押しかけてくるだろう。

 何か対策を考える必要があるな、とアインズは結論づけた。

 

「で、その男はどのように()()()()()のだ?」

 

 話をアインズが最も気になっている案件へと移らせた。

 もし大怪我などをさせていれば、モモンに要らぬ風評がつく可能性は多分にある。

 しつこく食い下がったというのが事実であれば、情状を酌量してもらえる余地はあるかもしれないが。

 

「はい、五月蝿(うるさ)い男でしたのでロビーに放り投げた後、〈魔法最強化(マキシマイズマジック)〉と〈魔法射程距離延長(エンラージマジック)〉を施した〈爆風(ガスト・オブ・ウィンド)〉で宿の外へと吹き飛ばしました」

「そうか……。怪我などはした様子だったか?」

「自力で立ち上がり、脇目も振らずに逃げ去っていく後姿が見えましたので、恐らくは軽傷で収まっているかと愚考いたします」

 

 最も懸念していたことが外れ、アインズは小さく安堵の息を漏らす。

 胸中にあるのは「なんだ、ナーベラルも何だかんだで成長しているじゃないか」という思いである。

 〈爆風(ガスト・オブ・ウィンド)〉は魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば初期の頃に覚えられる、低位階の風属性魔法だ。

 この魔法によって生み出される突風はダメージなどが伴わないため、霧や毒ガスを吹き飛ばしたり、蟲や蝙蝠のような小型モンスターの群れを散らしたりするのがせいぜいで、ユグドラシルでは微妙魔法の扱いをされていた。

 死霊術を中心に魔法を取得していたアインズが見向きもしなかったことは言うまでもない。

 ナーベラルが風属性魔法に特化する職業(クラス)持ちであること、〈魔法最強化(マキシマイズマジック)〉などによって強化されていたことなども重なって、男が飛ばされるほどの風力を発揮したが、ゲームでの性能がそのままこの世界でも適用されているならば、ナーベラルの推測通り、擦り傷程度の怪我で済んでいることだろう。

 自力で逃げていく後姿を見た、というナーベラルの報告もそれを裏付けている。

 

「そうか、そうか。……名前が分からなかったのは残念だが、それならさして問題にはならないだろう」

 

 残念という言葉にナーベラルがびくっと反応するが、最悪の想像が外れたことで少し上機嫌になっていたアインズはそのことに気がつかない。

 ()()()()()などと言うものだから、アインズはてっきりお得意の電撃系魔法で半殺しの目にでも合わせたと思い込んでいたのだ。

 この都市(まち)に来てすぐの頃のナーベラルであれば、あるいはそうしていたかもしれない。

 しかし、蜥蜴人(リザードマン)との実験(たたかい)でコキュートスが証明したように、能力値(ステータス)特殊技能(スキル)的な部分以外であれば、経験を積むことでNPC(かれら)も成長することができる。

 そう考えれば、ナーベラルがこれまで重ねてきた失敗も、決して無意味なものではなかったのだろう。

 

(暴力的な手段に出てしまったこと自体は、もう仕様がないけど、それでも必要最小限の力を使うことで取り返しのつかない事態を避けられたのは良い傾向だな)

 

 大方の心配事が晴れたアインズは、これからの事後処理について思いを巡らせる。

 部下の成長が見れたこともあってか、いつもより頭が冴え渡るような気すらしてくるのだから不思議だ。

 数分後、大体の考えがまとまったアインズは控えるナーベラルに対し、矢継ぎ早に指示を出して行った。

 

「ナーベラル、影の悪魔(シャドウ・デーモン)を5体程ナザリックより呼び寄せ、お前が見た男の人相を教えて、エ・ランテル(このまち)全体を捜索させよ。見つかった時はすぐに私に伝えるように。戦士モモンとして見舞いに行く必要があるからな。それから、アルベドかルプスレギナに連絡を取って、カルネ村にいるリイジーかンフィーレアに『見舞いに最適なポーションを用意するように』と伝言を頼む。最後に、アルベドには相談したいことがある故、今日のうちにまたすぐ戻ると伝えてくれ」

「はっ、委細承知しました」

「頼んだ。では、私は少し出てくる」

 

 自身の出した指示にナーベラルが了解を示したことを確認したアインズは、ソファーから立ち上がって広い最上級客室(スイートルーム)の入り口の扉へと歩き出す。

 それまで晒されていた頭蓋骨を、再び魔法で作った面頬付き兜(クローズド・ヘルム)で覆い、嵩張るからと消していた二振りの大剣も同様に背負った状態で創り出した。

 外出の準備を整えたアインズに、それまで跪いていたナーベラルが追従しようと立ち上がる。

 

「供はいい。お前はここで、今指示したことを遂行してくれ」

「ではせめて、どこに行かれるのかだけでもお教えくださらないでしょうか?」

 

 ナーベラルの問いにアインズは肩越しに振り返って告げる。

 先ほど思いついた自身の完璧な策を実行する為に、向かう先は。

 

「冒険者組合だ」

 




チーム漆黒の主従漫才(イチャイチャ)(?)が好きなためか、気付けば鍵括弧だらけになっていました………。
話も全然進んでおりませんが、どうか次回をお待ちください。
続きます。

引き続き、誤字・脱字等ありましたら指摘して頂けると嬉しいです。


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相談と狂信

※今回の話に繋がる重要な事案を書き忘れていたので、前回の話「上司と部下」に800文字ほど加筆しています。


 白亜の王城を彷彿とさせる、まさに皇家套房(ロイヤルスイート)の名が相応しい場所を、白いドレスを纏った絶世の美女が歩いていた。

 頭の左右からはねじれた白い角が、腰からは一対の黒い翼が突き出しており、その美女が人間ではないことを物語っている。

 女神のような微笑みを浮かべながら、神話然とした世界を目的地に向かって進んでいくのは、ナザリック地下大墳墓の守護者統括――アルベドだ。

 彼女が今いる場所はナザリック地下大墳墓第九階層、向かっている場所はその中の一室である。

 静寂の中、アルベドの足音だけが響く広く長い廊下の天井にはルビー、エメラルド、サファイアといった宝石から削り出された巨大なシャンデリアが吊り下げられ、魔法によって灯された暖かな光で磨き上げられた大理石の床を煌びやかに照らしている。

 至るところに細緻な模様が彫刻された装飾が施され、ただ広いだけの殺風景な空間にならないよう、緻密な計算の元に配置された瀟洒な調度品のひとつひとつに、製作者の執念を窺わせる(おもむき)が宿っていた。

 そこに使われている素材も並々ならぬものだ。

 金、銀、白金(プラチナ)のような貴金属は当たり前のようにそこかしこで使われているし、中には伝説級(レジェンド)装備や神器級(ゴッズ)装備の素材にも成り得る希少金属――ダマスカス鋼やガルヴォルン、イシルディアなどが使用されたインテリアすら存在していた。

 今、アルベドが横を通り過ぎた絵の額縁やまるで芸術品のような家具の原材料にも、世界三大銘木と称されるチーク、マホガニー、ウォルナットを始めに、キングウッドやヒノキといった高級木材や、セフィロトやフーサンといった希少木材などが惜しみなく使われている。

 内装に使われている石材の殆どは白い大理石だが、要所要所に使われた御影(みかげ)石やライムストーン、サンドストーンの石材が風景を引き締めるアクセントになっていた。

 また、大理石にも凝った趣向が施されている。

 同じ白の大理石でも、アラベスカート、アジャックス、タソスホワイト、ビアンコカラーラ、インペリアルダンビーといった微妙に特徴の異なるそれらを巧緻に組み合わせることによって、一日中眺めていても飽きないような模様を生み出しているのだ。

 さらに、ある程度建築や美術の様式に造詣がある者であれば、この神々の居城の如き空間が古今東西の種々の意匠――バロック、ロココ、ルネサンス、ビザンティン、ゴシック、アンピール、ロマネスクからポスト・モダンに至るまで――を無数に組み合わせて構成したものであることに気付くはずだ。

 それは紛れもなく美術建築の混成獣(キマイラ)

 だというのに、グロテスクと言えるほどの節操の無さとは裏腹に、全体として見た時それらは渾然一体の美しさを放ち、見る者に絶対の威圧と無上の感動を与えるのだ。

 しかし、アルベドはそれらに一瞬たりとも足を止めることもなく、目的地に向かって歩を進めていく。

 この絢爛にして荘厳な廊下を、もう見飽きてしまったから――というわけではない。

 ただ単純にそれよりも優先すべきことがあるだけだ。

 廊下にずらりと並べられた世界各地の戦鎧の模造品(レプリカ)を横目に、ふとアルベドは玉座の間で談笑する至高の存在たちの会話の中に登場した、いくつかの建築物の名前を思い出していた。

 大英国議事堂(ウェストミンスター)貴婦人の聖堂(ノートルダム)露帝王室宮殿(クレムリン)純白の大霊廟(タージ・マハル)紫微垣の故宮(ズージンチョン)――()()()という場所に存在するというそれらを直接目にしたことはないが、この神域たる階層の威容の前には、存在すら霞んでしまうに違いないという確信がアルベドにはあった。

 

(ああ、早くこの階層(ばしょ)()()()()だけに捧げたいものね………)

 

 もし知られれば、他のシモベたちから不敬だと糾弾されかねないことを懸想しながら、アルベドは重厚感の溢れる一対の扉の前に到着する。

 この扉の先こそ、ナザリックの最高支配者であるアインズ・ウール・ゴウンが、日々の実務を執り行なうために使用している執務室である。

 そう、アルベドが他の何を置いても優先すべきこととは、敬愛すべき主人――アインズに関することに他ならない。

 半日ほど前にこの部屋で行なわれた定時の報告を終えて、ナーベラルの待機するエ・ランテルへと出立したアインズだが、現地で何があったのか、予定を変更してこれからまた戻ってくるという。

 ナーベラルからの連絡も、そしてついさっき〈伝言(メッセージ)〉によって伝えられたアインズ本人の言葉にも、何かに焦っていたりするような雰囲気が全く感じられなかったので、火急を要する用件ではないのだろう、とアルベドはあたりをつけていた。

 ともあれ、半日()離れ離れだった愛しの存在に再び(まみ)えることができるのだ。これ以上の僥倖はない。

 思い返してみれば〈伝言(メッセージ)〉越しのアインズの声にもどこか子供のような――と言ったら不敬だろうか――自身の思いついた何かを楽しみにするような純真さが感じられた。

 何かまた新たな神算鬼謀を巡らしているのだろう。

 アインズの考え付く策は、常に一つの石で三匹の鳥を落とし、しかも投げた石が手元に戻ってくるような次元の巧妙さで、ナザリック一の頭脳を自負するアルベドとデミウルゴスが額を突き合わせても及ばないほどだ。

 『三人寄れば文殊の智恵』という(ことわざ)もあるように、頭脳においてアルベドやデミウルゴスに匹敵するという宝物殿の領域守護者(パンドラズ・アクター)も交えて相談すれば、あるいはアインズの真の狙いを読み通すことができるのかもしれない。

 今度そういう席を設けてみてもいいわね、と考えつつアルベドは自身の身なりを整える。

 これから愛しい主人に会うというのに、髪がほつれていたり服がよれていたりしては乙女の沽券に関わるだろう。

 自身の身だしなみに問題が無いことを確認したアルベドは、掌を柔らかく丸め、甲の部分で軽やかに扉をノックする。

 

「守護者統括、アルベドです」

 

 今はまだ、(あらかじ)め指定された時刻よりかなり早い。

 当然、執務室(へや)の主――アインズもまだここには来ていないだろう。

 それでも、アインズが使う部屋に挨拶もなしに入ることなど、アルベドには考えられないことだ。

 ついでに自身の愛する存在と同じ時間を共にするにあたって、緩みがちな気持ちを引き締めるという意味合いもあるのだが。

 アルベドの挨拶から一拍おいて扉が開き、今朝も見たメイドが顔を覗かせた。

 

「アルベド様、お待ちしておりました。どうぞお入りください」

 

 自分よりも早く参上しているシモベ――それも女、がいることに少なからず残念な気持ちを抱えつつアルベドは入室した。そのまま、アインズがいつも執務を行う黒檀の机の横で待機する。

 

「いま一度私、フーリエがアインズ様当番を務めさせて頂きます。よろしくお願い致します、アルベド様」

 

 扉近くで待機するフーリエと名乗るメイドは部屋に入ってきたアルベドにそう言うと、侍従らしい楚々としたお辞儀をしてみせた。

 彼女はナザリックの第九、第十階層において、清掃などを主とした仕事として与えられている人造人間(ホムンクルス)のメイドの一人である。ユリ・アルファを始めとする戦闘メイドたちとは違い、一切の戦闘能力を持たないが故に、ナザリック内では一般メイドとも呼ばれている存在だ。なお一般メイドは彼女の他に40人存在する。

 

(……ああ、アインズ様当番、いつ聞いても羨ましい響きだわ。……はあ、必要性もあったから設置に強く反対できなかったけれど、数少ないアインズ様との二人きりの時間が減ってしまったのは……やはり憂慮すべき事態よね……)

 

 アルベドに新たな悩みをもたらしているアインズ様当番とは、一般メイドたちが一日毎に持ち回りで務める、アインズの身の回りを世話する当番のことだ。ちなみに、当番のメイドは当日に万全の状態で職務に臨む必要があるとして、当番前日が丸々一日非番になっている。

 アルベドとしては、アインズとほぼ二人で過ごせる時間に水を差されるようで非常に歯痒いものがあるのだが、他でもないアインズ自身の意向によって作られた役職なので致し方ない。

 

「ええ、よろしく。アインズ様にご不自由がないよう、誠心誠意務めなさい」

 

 本当なら自分が365日24時間アインズ様当番がしたいのに、などという本音は守護者統括としての微笑みの下に完璧に隠し、アルベドはメイドに激励の言葉を送る。

 

「はい、アルベド様。朝と同様に、全霊でもって任に当たらせて頂きます」

 

 対する一般メイド――フーリエの方も緊張こそしているものの、至高の存在の側付きとして理想的な姿勢で一礼を返す。

 そのまま慎ましくも気品のある佇まいへと戻ったフーリエに、アルベドはいくつかの連絡事項を伝え、自身もまた至高の存在の帰りを待つに相応しい、完璧な姿勢を取る。

 しばらくして、扉の外、廊下の向こう側から、強大な存在が近づいてくることにアルベドは気付く。

 愛する人が放つオーラをアルベドが間違えるなどありようもないので、それがアインズ・ウール・ゴウンその人だということはすぐに分かった。

 離れた場所で、フーリエが息を呑んで身を固くしているのが雰囲気で伝わってくる。

 アルベドはといえば、今朝も会ったばかりだと言うのに、再びアインズと会えるという歓喜から無意識に腰の羽根がぱたぱたと動いてしまっている。

 濃密な気配を纏った支配者が、執務室の扉の前で立ち止まった。本来であれば傍付きのメイド(フーリエ)が扉を開くべきではあるが、ナザリックの支配者当人が自身が入室するまで室内で待機しているように、と厳命したが故だ。

 アルベドは()()()に備え、腹に力を込める。

 直々に留守を任された女が、万が一にも一般メイドに遅れをとるようなことがあってはならない。

 ついに扉が開ききった扉から姿を見せた、半日()()に会う自身の愛する男に、アルベドは深々と頭を下げて忠誠を示した。

 

 

     ・

 

 

「お帰りなさいませ、アインズ様!」

 

 支配者然とした立ち居振る舞いで勤務室の椅子に腰掛け、(おもて)を上げよと厳かに告げたアインズを出迎えたのは、半日前と何ら変わることのないアルベドの声――ともう一人のメイドの声だった。後者が前者にかき消されてほぼ聞こえなかったことも半日前と一緒だ。

 

「ああ。今朝に続いて、短い間に何度も呼びつけることになってすまない」

 

 アインズはひとまず謝意を表す。

 普段アインズが冒険者モモンとしてエ・ランテル(まち)に出る際は、どれぐらいの期間ナザリックを離れるのか、いつ頃に戻るのかということをアルベドに事前に連絡してから出立している。

 当然、アルベドの方にもそれを元にスケジュールを立てるようにして貰っていた。

 今回はアインズが急に思いついたことがあったため、今この場へと来てもらったが、本来であれば他の守護者との会合やナザリックの管理に携わる業務があったに違いない。

 『善は急げ』とか『思い立ったが吉日』とかいった言葉もあるが、それによって相手が振り回されることになるなら謝ることが筋だとアインズは考えていた。

 

「そのようなことでアインズ様がお謝りになる必要など、何も御座いません。至高の御身の側でお仕えすることは、ナザリックに属するシモベにとって最も栄誉あることです!」

「ん、そうか。そう言ってもらえると――」

「そして何より、愛する人の帰りを喜ばない女などいません!!」

「………………………あ、そうで……いや、そうか」

 

 鼻息も荒く主張するアルベドに何と返せばよいかわからず、アインズは返答に詰まってしまう。

 頬を薄く紅潮させ、何かを期待するような顔でこちらを見つめるアルベドを直視していられず、居たたまれなくなったアインズはこの部屋にいるもう一人に助けを求めるように首を向けた。

 

「……あ、あー、フーリエ、も今日はすまなかったな。本当なら、今日はあとは半休だったのだろ?」

 

 脳内にある41人の一般メイドの情報から、どうにか眼前に佇むメイドの情報を引っ張り出し、謝罪する。

 恐らく本人的には渾身だったのであろう台詞を、アインズにあからさまに流されたアルベドが少し落ち込んだ様子になっているのが視界の端に映るが、努めて無視をする。

 

「はい、いいえ、アインズ様。アルベド様も仰ったように、元より御身にお仕えすることこそ至上の誉れなのです。どうか、謝罪などなさらないでください……! むしろ、栄誉の機会を与えてくださったことに、心から感謝しております!」

「そ、そうか」

 

 予期せず告げられた熱い感謝の言葉にアインズは少しだけ動転してしまった。

 しかし、フーリエの口から出てきた言葉は当然のものなのだろう。

 一部の「そうあれ」と作り出された存在を除けば、至高の存在に奉仕して、忠義を示すことだけが生き甲斐であると言っても差し支えないぐらいの狂信が全てのNPCたちに備わっているのだから。

 アインズの脳裏に思わず去来した言葉は「社蓄」である。

 

「……では、お前達の忠義もよく判ったことであるし、そろそろ本題に入るとしよう」

 

 切り出したアインズの言葉に、アルベドの表情が即座に守護者統括の()()に切り替わる。

 すぐ横のフーリエも同様だ。

 突如として部屋の空気が張り詰め始め、アインズの存在しない胃がきりりと痛んだような気がした。

 ここからは先ほどのような動揺した姿を見せるわけにはいかない。

 自らを崇める者たちを失望させるようなことがあってはならないとアインズは考えている。故に絶対の支配者として振舞う必要があるのだ。

 覚悟を決め、昼にナーベラルから報告を受けた際に思いついた自身の考えを話す。

 

「まず、先ほど〈伝言(メッセージ)〉で伝えた分の説明は省略する。一言で概要を表すなら、冒険者モモンのチームに入れろと騒ぐ男が来たのでナーベラルが()()によって排除した、と言ったところだ。そして、これも先ほど伝えたことだが、この件に関する対処やナーベラルの処遇については既に裁可をくだしている。ただ、もし何か意見などがあったら言って欲しい、アルベド、何かあるか?」

「いえ、アインズ様の取られたご対応で全く問題ないかと思われます」

「それなら重畳だ。では、次だ、今度こそ本題に入るぞ」

 

 そう言って一度口を閉じる。

 アルベドは真摯な面持ちでアインズのことを見つめている。

 アインズが今わざわざ言葉を切ったのは、自身の考えがナザリックでも最高峰の頭脳を持つアルベドに笑われるのではないか、という恐れが一瞬心をよぎったからだ。

 ナーベラルを前にしていた時は名案だと自分でも思っていたが、アルベドを前にした今は、むしろとんでもない愚作だったのではないかという感覚の方が強い。

 ない唾をごくりと飲み込み、アインズは自身の()()を提案し始める。

 

「それで、だな。……もしかしたら、今後も冒険者モモンのチームに入りたいという輩が現れるかもしれないだろ? いや、この先名声が高まっていけばそれは確実なことだと私は踏んでいる。そして、そういった輩に私がいちいち個別に対応していたらキリが無いし、冒険者としての活動にも差し支える可能性がある。また、ナーベラルに対応させるのもアレの性格を考えると一抹の不安が残る。……新規の仲間は募集していないと周囲に触れ回るという手もあるにはあるが、それでもチーム加入希望者が全くのゼロになることはないだろう」

 

 ところどころで眼前のアルベドの表情を窺いつつ、アインズは続ける。

 少しでも彼女が眉をしかめさせたりすれば、この件は忘れてくれ、と話すのをやめてしまったかもしれないが、幸か不幸かアルベドの顔は真剣そのものといった様子で、変化は見られなかった。

 

「そこで私は考えた。……拒んでも来るのであれば、いっそこちらから呼び込んでしまおう、とな。具体的には、冒険者モモンのチームで求人を募るつもりだ。そこで集まってきた奴らをまとめて断ってしまえば、いちいち個別に対応する手間が省けるし、今後チームに入りたいと言う輩も限りなく少なくなることが見込める。ちなみに、冒険者組合の方にはここに戻る前に話を通しておいたので、募集の告知は早ければ明日にでも張り出すことが可能となっている」

 

 この一石二鳥の計画こそ、アインズの考えた“まとめて「ますますのご活躍をお祈り」大作戦”だ。

 正直、我ながらどうかと思うネーミングだが、いつかの吸血鬼の時と違って誰かに作戦名を伝えることもないので何も問題はない。

 アルベドはアインズが提案した計画を聞き終えると、数瞬の間、何か考え込むような顔つきをしていたが、すぐに女神のような微笑みへと変わった。

 

「誠に素晴らしい案かと」

 

 アインズは内心ガッツポーズを決める。

 アルベドの太鼓判が押されたのだから、これで何も心配はないはずだ。

 

「よし、では早速ナーベラルに連――」

「しかし、アインズ様。それはアインズ様の考える策のほんの一面に過ぎないはず。よろしければ、その真意を不肖の身にお聞かせくださらないでしょうか?」

「……ぇ」

 

 続いてアルベドの口から出てきた完全に予想外だった言葉に、アインズは我知らず困惑の声を漏らしてしまう。

 あまりの衝撃に、混乱した精神が一瞬にして抑圧されるのを感じる。

 口から零れた擦れた音を誤魔化すように、アインズは骨の手の片方で顔を覆った。

 

「……ま、まさか、お前ほどの者が私の真意に気付くことができにゃ、できないとはな」

 

 誤魔化せてないかもしれない。

 あまりの気の動転に最早アルベドの方を向いてることすら耐えられず、アインズはばっと勢いよく椅子から立ち上がると、さも落ち込んでいるかの風に装って、心配そうにこちらを窺っている二人に背を向けた。

 

「アインズ様の真意を読み取ることが出来ない我が身の不甲斐なさ、心より悔いております。どうか、御身の広く深き御心において、このアルベドが雪辱の機会を得る慈悲をお与えくださいますよう伏してお願い致します! どうか、真意をご教示ください!」

 

 勤務室の壁と向きあった背後からアルベドの必死な声が聞こえてくる。

 かなり、低い位置から響いてきたのでもしかしたら本当に土下座でもしているのかもしれない。

 今のアインズにそれを確かめるような余裕などなかったが。

 

(真意を教えてくださいって、俺が知りたいよ! アインズ様とかいう奴は一体何考えて生きてるんだよ……。あ、そもそも死んでるか)

 

 益体のないことを考えて逃避しようとしているアインズだが、この思考の間にも精神が二回は抑圧されていた。

 このままでは絶対者としてのカリスマが、粉々に砕け散ることになってしまうかもしれない。

 なんとしても、それだけは防がねばならない。

 詭弁に走るでも煙に巻くでも、とにかく何でもいいからアルベドに答えなければ。

 アインズは持てる知能をフル動員して、これまでのナーベラルやデミウルゴスとのやりとりを思い出す。

 

「……あ、アルベドよ、本当に、全く、何一つとして分らないのか?」

「……いえ、正直に申し上げれば、恐らくこれだろうというものがいくつか。しかし、確証のない推論によってアインズ様をご不快にさせてはいけないと――」

「よい! いいからそれを話してみるのだ、アルベド。例えそれが間違っていても私は不愉快に思ったりしないとも」

「では、恐れながら、アインズ様がご提案された策ですが、アインズ様自らがご提示されたこと以外に二つのメリットがあるとの考えに至りました」

「……ほう、それは何だ?」

「はっ、まず一つ目に、現時点でエ・ランテル指折りの強者である冒険者モモンが求人をかけることによって、エ・ランテルに潜在する生まれながらの異能(タレント)持ちや武技を扱える危険分子たちを効果的に炙り出すことができるかと思われます。それでなくとも、自分の能力に自信がある者たちが集まってくると思われますので、これまで名前などが知られていなかった要注意人物をチェックすることもできるでしょう」

「なかなかいい目のつけどころだ。……二つ目はどう思う?」

「はい、それはシャルティアを洗脳しようとした組織からの接触を期待できるという点です」

「っ!?」

 

 アルベドの発した言葉に思わず、何だと、と叫んで返しそうになるのをすんでで堪える。

 シャルティアを洗脳しようとした組織――アインズに愛し子を手ずから殺させるよう仕向けた塵共についての調査は目下のところ、ナザリックの最優先事項の一つになっている。

 少なくない数のシモベを動員して調べさせているのだが、今のところ成果は無いに等しいのが現状だ。

 アインズは自身が分っている(てい)を崩さないよう注意しながら、アルベドに尋ねる。

 

「シャルティアの洗脳に失敗した奴らが、いずれシャルティアを倒したモモンに接触してくるかもしれないというのは以前から注意していたことでもあるが、今までは結局一度もそういうことはなかったはずだな? ではなぜ、今回の策でそれが成ると読んだ?」

「はい、それはその組織単独でモモンに接触するのは相手側のリスクが高いからです。逆に、モモンの仲間募集に応じる形で近づけば、より安全に接触することが可能であり、場合によってはチームメイトとなって利用できる可能性すら存在します」

「なるほど、なるほど」

 

 確かに理屈は通る。

 木を隠すなら森の中、ではないが自分以外に(デコイ)が沢山いる方が何かと動きやすいことは間違いないだろう。

 

「アルベドよ」

「はっ」

 

 どうにかこうにか窮地を切り抜けたことで、幾分か冷静になったアインズは振り返りながらアルベドに声をかけた。

 想像通り、アルベドは伏して頭を下げた状態でそこにいた。

 

(おもて)をあげよ、アルベド。……先ほどはお前に失望したかのような態度をとってすまなかった。この私の器量の小ささを許してくれ。そして、私は改めて、お前はデミウルゴスに唯一比肩し得る智を持つとの確信を持つに至った。……今後も、ナザリックと私――アインズ・ウール・ゴウンのためにその智を役立ててはくれないか?」

「あ、アインズさま……」

 

 アルベドに語りかけながら、彼女の手をとり立ち上がらせる。

 縦に光彩の入った黄金の瞳孔が、微かに涙で滲んでいた。

 何かをアインズに伝えようとするが、アルベドは上手く言葉にできないようだった。

 アルベドに釣られたのか、フーリエもちょっとだけ涙目気味だ。

 

「では、アルベド。私はそろそろまたエ・ランテルに戻る。今回の作戦を含め、後のことは任せても大丈夫だな?」

 

 アルベドの様子が落ち着いてきたのを見計らって告げる。

 泣いたことによって少しだけ赤くなった目で、アルベドは優しく微笑んで見せた。

 

「はい、お任せください、アインズ様。そして、行ってらっしゃいませ」

 

 一瞬そんなアルベドに見とれてしまったアインズは、何故だか無性に気恥ずかしくなって逃げるように転移魔法を起動する。

 ナザリックとエ・ランテルの景色が入れ替わるその瞬間、アインズの耳に、あいするおかた、という声が聞こえた気がした。




大変お待たせいたしました。
書きたいことを詰め込んだ結果、長さがいつもの1.5倍ほどになってしまいました。

活動報告の方にも書きましたが、仕事の関係で今後は週刊ペースになるかと思われます。
楽しみにして頂いている方々、本当に申し訳ありません。
よろしければ今度ともよろしくお願い致します。

引き続き、誤字・脱字等ありましたら指摘して頂けると嬉しいです。


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