オーバーニート ――宝の山でごろごろしたい―― (どりあーど)
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プロローグ

ナザリック大地下墳墓・第九階層にはギルド、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーの為に誂えられた個室が存在する。

その内で最も散らかっているのは何処か。部屋を一通り見て回った後ならば、誰もが口をそろえて言うだろう。

それは魔竜チンチラの部屋だ、と。

ドアを開ければ、直ぐに目に入るのは宝の山。――そう、文字通りの山である。

これまでのプレイでチンチラが得たゲーム内通貨やアイテム。それが全て、無造作に積み上げられているのだ。

ギルドに数名――いや、実際はもっといるのだが――存在する廃課金者レベルとまでは行かずとも、チンチラ自身もDMMOゲーム・ユグドラシルに結構な額を継ぎ込んでいる。言わば重課金兵になり立てと言った所。それなりの強者とでも言うべきだろうか。

かつ、プレイ歴はサービス開始以来、実に12年を数える。一月辺りの額は中の中なれど積もり積もった課金歴とプレイ時間。その中で得てきたアイテムの総数は想像を絶するレベルだ。

それを証拠に、チンチラの個室は間取りの存在しない四方ぶち抜きの空間であるにもかかわらず、他のギルドメンバーの部屋面積の優に五倍近くを占有している。そうしなければ、集めてきたアイテムを部屋に置き切れなかったのだ。

縦横のみならず、天井の高さに至っては三倍に近い。もちろん、なんの代償もなしにこんな優遇を受けている訳ではなかった。

 

ユグドラシルに措いて、拠点を有するギルドは自作NPCを設定する権利を得るが、それはポイント制――ポイント=レベルを割り振ってのNPC作成によるものである。それの使用権を半ば放棄する事で、部屋の方に還元してもらったのだ。

価値的に考えれば割に合わないとすら言えるだろう。何せ、結果生まれたのがただただ広大なだけの空間なのだから。しかし、チンチラは全く後悔していなかった。

 

なぜなら、チンチラのプレイスタイルはロールプレイヤー。

キャラクタービルドこそ方向性をきっちりと固めた上での特化型であるものの、このプレイスタイルばかりは貫いてみせると言わんばかり、彼は頑なにアイテムを整理しようとはしなかった。

それは何故か。問えば即答が返ってくる。――ファンタジーにおけるドラゴンってのは宝の山の上でごろごろする生き物なんだ、と言う。

その山を大きくする為なら、多少の代償がなんだと言うのか。

 

効率を考えれば、ギルドホームであるナザリックの宝物庫を使えば良いだけの話。

しかし、古き良きドラゴン像を追及するチンチラにとっては、それは許容できないことなのである。

大体、ギルドメンバーみんなで使うアイテムの上でごろんごろん転がり回るなど、それは余りにも失礼だ。

何万もガチャに金を突っ込んで入手したアイテムをマットレス代わりにされたなら、少なくとも自分はブチ切れるだろう。

というか、チンチラでなくともほぼ全員がブチ切れる筈だ。

だからこその自身の部屋の専用倉庫化。ここでなら心置きなく寝転がれる。むしろ、ここでしか寝転がれない。

 

もちろん、如何に宝を詰み上げようとも所詮は電子データじゃないか、と囁く自分はいた。

けれど、しかし。せっかくダイブゲームなんてものがあるのなら拘りは持ちたかったし、積み上げた山は自分の――ギルドに入ってからは、皆としてきた――冒険の証なのだ。

それが大きくなることに達成感や満足感を感じて来たし、時々見に来るギルドメンバーに、ほら、また大きくなったんだ、と言ってちょっとした自慢をすることすらも楽しかった。

だからチンチラは満足していた。

 

――満足、していたのだ。

 

 

 

 

 

 

円卓の間。四十一の席の内、埋まっていたのはただの三つだけ。

その内の一つが今、光と共に消失した。それはプレイヤーがログアウトしたことを示すエフェクトだ。

残された影は二つ。一つは豪奢なローブをまとった骸骨。最上位のアンデッド・マジックキャスターである死の支配者――オーバーロード。

もう一つは蜥蜴人(リザードマン)から派生する竜の血縁(ドラゴン・キン)、そして恐竜人(ディノサウロイド)の種族ツリーを辿ったのだろう。ドラゴンと恐竜の相の子とでも言うべき、歪な人型をした爬虫類だった。

その鱗の一枚一枚が紫水晶の結晶であるところから、その存在がジェム・ドラゴンの一種であるアメジスト・ドラゴンのクラスを取得していることが見て取れる。

色調によって分類されるクロマティック・ドラゴン、金属の種類によって分類されるメタリック・ドラゴンと比して亜種であるジェム・ドラゴンが異なる点はと言えば、魔法の代わりにサイオニック――つまりは超自然的な能力を有していると言う事だ。

アメジスト・ドラゴンの特殊能力は力場の操作と抵抗。無属性魔法に対する高い抵抗力を有すると共に強力なテレキネシスを扱う事が出来るクラスであり、敵対すればきわめて厄介な――アメジスト・ドラゴンに限らず、ドラゴンと言う種族その物がそうなのだが――モンスターである。

 

外見だけを見れば凶悪なモンスターにしか見えない組み合わせだったが、その実、二人は揃ってプレイヤーだ。

その証拠に、同じプレイヤーが目を凝らしたなら彼らのプレイヤーネームがその頭上に浮かび上がることだろう。

オーバーロードはモモンガ。アメジスト・ドラゴンは魔竜チンチラ。

後一時間ほどでサービス終了を迎えるDMMOゲーム・ユグドラシルにおけるかつての上位ギルド、アインズ・ウール・ゴウン――そのメンバーのうち、今現在ログインしているのは彼らだけだった。

 

「……最後なんですし、引き留めてみてもよかったと思いますよモモンガさん」

 

チンチラの発した言葉には苦笑が含まれていた。

それは自分自身も出来なかったことを、目の前の相手への気遣いと言う形で口にしてしまっていることへの自嘲によるものだ。

モモンガさんが言い出しにくそうだと思ったのなら自分が言えば良かっただけだ。なのに、果たしてこんなセリフを口にしてよいものだろうか。

隠し切れないまま内心が滲んでしまったチンチラの言葉に、モモンガは首を横に振った。こびりついた未練を振り切る様にゆっくりと。

 

「いや、ヘロヘロさんもお疲れみたいでしたし……これでよかったんです」

 

ありがとうございます。顔を向け、頭を下げながらのモモンガの言葉にチンチラは、いえ、と短く答えながら俯いた。

居た堪れない空気が場を満たす。次に何を言えば良いのかと二人揃って必死に考える様子はそのビジュアルのせいかユーモラスに見えなくもなかったが、しかし、当人たちからすればどうしようもなく居心地が悪い。

 

「――ところで」それを振り切ったのはモモンガだった。顔を上げて、尋ねる。「この後、チンチラさんはどうしますか?」

「自分は部屋に戻ろうと思ってます。……積み上げてあるあれの上で、最後を迎えようかなと」

「そうですか……。私は玉座の間ですかね。あそこでサービス終了を待とうと思うんです」

 

二人残ったのに、最後は別々の場所か。

モモンガとチンチラは揃って苦笑を漏らした。今度は重い雰囲気はなく、少しだけ可笑しそうに。

そして、示し合わせたように立ち上がった。

ぴょこん、という気の抜けた音と共に笑顔のエモーションと別れの挨拶を交わす。

 

「それじゃあ、モモンガさん。お元気で。ヘロヘロさんが言っていたように、ユグドラシル2で会えたらいいですね」

「ええ、チンチラさんもお疲れ様でした。その時はよろしくお願いします」

 

続編で会ったとしても、このナザリック大地下墳墓はなくなってしまうけれど。

その寂寥感を共有しながら並んで円卓の間を出ようとした二人だったが、ふとチンチラが鼻面を上げた。

目を向けた先には黄金の杖があった。――ギルドそのものであり、輝いていた時代の結晶であるアインズ・ウール・ゴウン、最強最後の武器。スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 

「モモンガさん――」迷い迷い、口にする。「あれ、持って行きません?」

「え?……あー、その。いいんでしょうか」

 

二人で顔を見合わせる骸骨と竜。無言で見詰め合う彼らの内、言葉を発したのはチンチラだった。

 

「いいと思いますよ。ほら最後ですし、折角なんですから終わりを迎えるときくらいギルド長の手にあるべきだと思うんです」

「…それじゃあ」

 

モモンガが肉のない、骨だけの掌を杖に向けると滑る様に引き寄せられたそれが手の内に収まった。

瞬間、煮詰められた血液の様な色の禍々しいオーラが噴き上がる。

何の効果もない単なる装備エフェクトなのだが、彼らはそれを感慨深げに見詰めた。

そして、改めて円卓の外へと出ていく。もう、二人の間に言葉はなかった。

 

 

でモモンガと別れたチンチラは、ギルドメンバーたちの個室が立ち並ぶ一角へと辿り着いていた。

最も広い部屋を所有しているチンチラの部屋は、必然一番端になっている。

かつて、楽しみを共有したメンバーたち。彼らに与えられた紋章が刻印された扉、一つ一つを確かめる様に、名残惜しむ様に見詰めながら到着した自分の部屋の前。

溜息と共に扉を開け、部屋へと踏み入ったチンチラはその背に生えた翼を羽ばたかせた。

詰み上げられた宝物の輝きを切り裂くように飛翔する。その頂点へと乱暴に着地すると、崩れた金貨が音を立てて下へと流れ落ちていった。

かつては金貨が雪崩を起こすことなど日常茶飯事だったのだが、ギルドメンバーが減るにしたがってあまりここにも来なくなってしまった。

久し振りの光景を懐かしんで瞳を細める様にしても、アバターの表情に変化はない。けれど、その心の動きは本物だ。

 

「――楽しかったよなあ」

 

膝を抱えて座りながら、チンチラは呟く。

日付が変わる瞬間――ユグドラシルのサービス終了まで、あと十秒ほど。

もうすぐ失われてしまう思い出の山。その上に坐して、チンチラは静かに視界を閉ざした。

明日はボーっとしていたい。そう思って有休をとったから睡眠時間は問題ない。むしろ、半日以上眠っていたい気分だった。

 

ログイン頻度は然程下がらなかったとはいえ、時に他のゲームに浮気したりだとかそんなこともあったし、サービス終了の寂しい雰囲気も初体験と言う訳じゃない。

しかし、こうまでみんなで騒いで、遊んで、課金して。濃密に楽しんだゲームは他になく、だからこそ――寂しかった。

けれどこの想いもいつかは記憶に変わって行くんだろう。

ナザリックのデータを保存してあるフォルダを見て、ときおり懐かしんだりして。

そのようにして、アインズ・ウール・ゴウンは自分の中で過去になっていくのだ。

 

そんな感傷に浸りながら、チンチラはその瞬間を迎える。

 

そして、――アインズ・ウール・ゴウンは彼にとっての“現在”になる。



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1話

 

その瞬間、チンチラは強制ログアウトに備えた。 

ユグドラシル――ひいてはDMMOそのものに未実装である為に封じられている五感の突然の解放、視界が一瞬にして別の物に移り変わる事と姿勢の変化への混乱によって、時折酔いに似た感覚を覚える事がある。

新型のダイブ用端末ではそれらの症状が緩和されると言うが、生憎チンチラの物は二世代は前の型落ち品だ。

多少手を入れて基礎スペックには下駄をはかせている物の、そういった細かい機能までは望むべくもない。故に不可避。チンチラはより一層身を縮こまらせ、視界を塞ぎ――

 

「……うん?」

 

変わらない静寂に気が付いた。

眼は閉じている。ゆえに視界に差はない。しかし、ログアウトが為されれば周囲に生活音が戻ってきているはずだと言うのにそれがない。

そして――自分が座っているものは何だ。いや、そもそも姿勢が全く変わっていない。現実の、リアルの自分は椅子に座っていたはずだ。

その疑問を解消する為、チンチラは最も手っ取り早い方法で周囲を確認しようとした。

――眼を開ける。瞬間、無数の黄金の煌めきが網膜を貫いた。

 

「なっ――」

 

その源泉は自分の下に積み上げられた金貨の山だった。しかし、その輝きの変わり様たるやどうだ。

ついさっきまでは作り物の、何処か安っぽい――言うなれば鍍金の金色だったはずなのに、今目の前にある金貨の光は、まるで物理的な圧力すら伴っているように思えた。

金貨一枚一枚の変化は、言ってしまえば微小なものだ。しかし、積み上げられた山の全てが『本物』に変わったとなれば、その変化量は余りにも膨大である。

そして――驚きによって空白になったチンチラの思考を、その身体から込み上げる衝動が埋め尽くした。

 

さて。ところで、ドラゴンは何故宝物を集めるのだろうか。

とある世界の賢者は、ドラゴンの宝物に対する渇望は、つまるところがカラスがぴかぴか光る物を集めるのと同じだ。所詮連中は爬虫類に過ぎないと断じた。

しかし、とある黄金の竜はこういった。ドラゴンが宝物を集めるのはその美しさゆえだ。ドラゴンの本能がそう為さしめるのだと。

そして今、チンチラの肉体は竜のそれであり――無防備な心は湧き上がる本能に容易く呑み込まれる。

 

鉤爪の生えた腕を金貨に突き入れて掬い上げる。掌に留まり切れずにじゃらじゃらと音を立てて零れ落ちていく黄金がまばゆくて、夢中でそれを繰り返した。

いつしか腕だけでは物足りなくなり、顔を金貨の只中に埋めると暗くなる視界。しかし聴覚と触覚でしっかりと宝の存在が感じ取れる。それが嬉しく、夢中でぐりぐりと顔を押し付けていると、いつの間にか上半身が丸ごと埋もれていた。纏わり付いてくる黄金を剛腕で掻き分けて顔を出して一息ついたなら――、さあやるぞ、と改めての穴掘り作業。

腕を振るう度、間欠泉か、あるいは噴火かと言う勢いで金貨が中空に舞い上げられ、その光の中に紫水晶が埋もれていく。

きらきらと輝きながら落ちていく黄金の霰。その只中で、竜は歓喜の声を上げた。それはまるで笑い声の様にも聞こえる咆哮だった。

 

 

 

 

 

ナザリック大地下墳墓に劇的な変化が訪れて、暫し後。アルベドが玉座の間を去るのを見届けたモモンガは額を押さえていた。

なんでどうしてあんなことをしてしまったのか。出来心だとかなんだとか、言い訳は幾らでも思い付く。

しかしそれに自分が納得できないのだ。大事な仲間が丹精込めて作り上げたNPCを歪めてしまうなどと、とんでもないことをしてしまった。

待機させているスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに目を遣れば、とある相手の顔が思い浮かぶ。

 

「……ああもう、恨みますよチンチラさん。そりゃあ、その気になってこれを持ってきたのは俺ですけど……」

 

肺もないのに溜息を一つ吐き出すと、ナザリックのギミック――身を守るための生命線となるかもしれないそれらを確認するべくモモンガもまた玉座の間を後にしようとして、はっとしたように足を止めた。

 

「……ってチンチラさんは!? 部屋に戻るって――ああ、くそ!」

 

声を荒げながら、それでも出来る限り冷静に振る舞おうと気を静める。

いっそ、混乱しきってしまっていれば精神作用無効のパッシブスキルの恩恵を得られたのだろうが、今のモモンガには知る由もない。

運営に対する連絡手段の候補として考えていた事もあり、即座に<伝言>の魔法を起動する。しかし、帰って来たのは奇妙な感覚のみだった。

対象が存在している事は確かなのに、繋がりを構築できないと言うかのような。<伝言>の魔法は、対象とされた相手が了承を返さなければ言葉を交わすことが出来ない。

戦闘には関係ないものとは言え、魔法を発動できたと言う事実に対する安堵感。そして、友人に非常事態が起こっているのではと言う不安感に身を苛まれながら、モモンガは再び<伝言>を起動した。

対象として選んだのは、先ほど九階層の警備を指示した戦闘メイド――プレアデスたちのまとめ役であるユリ・アルファだ。<伝言>が繋がると同時、微かな緊張と、溢れるほどの敬いを孕んだ美声がモモンガの耳を打った。

裏切るかも知れないのだからと、それを額面のままに受け取らない様に意識しながら、モモンガは口を開く。

 

『どのようなご用向きでしょうか、モモンガ様』

「チンチラさん――我が友、魔竜チンチラに連絡を取ろうとしたのだが繋がらない。先程別れたばかりだ。恐らく部屋に居ると思うのだが……」

『畏まりました。チンチラ様の御自室にお伺いし、モモンガ様がお呼びである旨をお伝えいたします』

「ああ。……もし、姿がなければ直ぐに私に連絡しろ」

 

どう命令するべきか。一瞬、口ごもったモモンガの後を引き継ぐように連ねられたユリの言葉に頷くと、モモンガは<伝言>を解除する。

まだNPCたちが信頼できると決まった訳ではないが、リーダーであるセバスを除いたプレアデスたちのレベルは50前後、高くても60程度だ。

取得したスキルが生きている事も確認済み。であれば、ユリたちが裏切ってチンチラを襲った所で一蹴されるのが関の山だろう。……彼の心臓には悪いかも知れないが。

そしてレベルと言う観点に措いて同格のセバスとアルベドは、自身の命令に従ってそれぞれ九階層からは離れている筈――。

少なくとも表面上は忠義に満ちた態度を取っていたのだ。このタイミングで逆らったり裏切ったりすると言う事はない、と思いたい。

 

十分以内にユリからの連絡がなければ、再び<伝言>を飛ばして状況を確認する。

その時に問題がある様なら――ちらり、とモモンガは自分の指に嵌まっている指輪の内、一つを見た。

リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。この指輪の機能が生きていれば、宝物庫に二人で籠城する事も出来るだろう。

仮定に仮定を重ねての綱渡りをしていることへのストレスに、今のモモンガの体には存在していないはずの胃がキリキリと痛み始める。

それでも、できる限りの備えはしなければ。モモンガは自分にそう言い聞かせた。

この状況が危険だと言うのなら、自分一人ではなく仲間であるチンチラも共に切り抜けなければならないのだから。

その為にも今は。逸る気持ちを抑えて大広間――レメゲトンに足を運んだモモンガが、ゴーレムへの追加命令を設定し終えた、丁度その時だった。

自分に何かが繋がる感覚。<伝言>によるそれだと察したモモンガは、即座に応じた。

 

『モモンガ様。チンチラ様はご在室でした』

「そうか、居たか……。それで?」

 

安堵の感情が胸を満たす。しかし――それならなぜ口ごもるのか。

 

『お元気そう、だったのですが……その。私の口からお伝えして良いものかと……』

「……そうか。いや、いい。私から改めて連絡する。ご苦労だった」

 

疑念も露わに先を促したモモンガに、しかし、ユリの答えはどうにも歯切れが悪い。

今は一刻だろうと時間が惜しい。時は金なりだとばかり、モモンガは素早く会話を打ち切って<伝言>を使用する。

今度は然程待つ事なくつながった。

 

「チンチラさん、さっきはどうしたんですか! <伝言>が繋がらなくて心配していたんですよ!?」

『……ももんがさん』

 

半ば食ってかかる様な形になったモモンガに応えたのは、放心したかのような知人の声。

一体なにがあったのか。無事なのか。不安を胸に、モモンガは続く言葉を待ち――

 

『プレアデスに金貨の山ではしゃぎまくってたところ見られた死にたい……。ってかなんで俺あんなにはしゃいでたんだろ……』

「チンチラさんちょっと玉座の間まで来、……やっぱいいです。とりあえず現状確認しましょうね……多分なにもわかってないでしょうし……」

 

帰ってきた言葉に瞬時にブチ切れ、そして即座に賢者になった。



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2話

「――と、言うことです。……正直、突飛な話だとは思っています」

 

モモンガの説明その物は五分とかからなかっただろう。何せ、まだ分かっていることの方が少ない。

突如意志を持って動き出したNPC。表面上は設定どおりに忠誠を示している彼らのそれが不変である保証がないこと。また、それ以外の部分での人となりが分からず、最悪、反逆の可能性があること。

スキル・魔法は基本的に使えるものの、なにか効果に変化が有ったならば思わぬ形で足を掬われると言う事も有り得る。

故に、もしもの時の備えとして第八階層・宝物殿への籠城準備を整えていることなどをモモンガは語った。

語られるにつれて、半ば放心状態だったチンチラの意識も現世に舞い戻って来たのだろう。モモンガの言葉が締めを迎えると、どうやら頷いたような雰囲気が<伝言>ごしに返された。

 

『コンソール、ログアウト……こっちでも出来ませんね。なるほど、分かりました』

「……本当に分かってます? 正直不安なんですけど、本当に分かってますか?」

『わ、わわわ分かってますよ!』

「ならいいんですけど」

 

とは言え、どうにも心もとない。何をどうしたら金貨の山で、――いや、その現場に居らず、全く状況の分からないモモンガが言えた事ではない。

追及したいと言う気持ちをぐっと堪えたモモンガは、思考を切り替える。

 

「それで、これからどうするかなんです。……後三十分程で守護者が第六階層に集まることになってます。もしナザリックから出るのなら、その間に第一階層まで転移してしまえれば簡単なんですが」

『転移機能が生きてるかと、外がどんな状況かまだ分からないってことですね。後はナザリックに留まるのなら、どこかで……いえ、出来るだけ早く階層守護者たちの忠誠心を確かめておかないといけませんし』

「その通りです。だから俺はこの後第六階層に行って、その確認をしようと思います」

 

危険かも知れない。だが、それは状況が全く分かっていない外に行っても同じだろう。

どちらも危険だと言うのなら――そして、仲間たちと築き上げたナザリック大地下墳墓を想うのならば今ここはやるべきだ。そう、そのはずだ。

いや、しかし、もしかしたら自分は仲間たちの作り上げたNPCを疑いたくないと思っているからこんなことをしようとしているのか。だとすれば自分がしようとしていることは友人を危険にさらす我儘か――。

懊悩するモモンガの脳裏にチンチラの能天気な声が響いた。

 

『ええ。でもまあ、心配しなくても大丈夫ですよモモンガさん。俺が見た限りですけど、少なくともプレアデスたちは信頼できそうですし、守護者だってきっと――…』

「……チンチラさん?」

 

それが途中で途切れる。

今度は何だ。微かな不安に苛まれたモモンガが名を呼ぶと、返ってきたのはやっべ、と言う小さな呟きだった。

 

『……プレアデス、放っといたままでした。すみませんちょっと顔を見せてきますね。あ、それで俺はどうすればいいでしょうか。一緒に行けば、もしもの時の盾くらいにはなれると思いますけど』

「いやほんと、何してるんですかチンチラさん……。とりあえず了解です。チンチラさんは……時間になったら貴賓席で待機してもらってもいいですか? もしもの時には横合いから殴り付けて隙を作ってください」

『分かりました。得意分野ですからね、任せてくださいよ。隙を作ったら宝物殿に転移で?』

「ええ。もしナザリック内に問題がないようでしたら、外への対応とかを考えましょう」

『はい。それじゃあモモンガさん、また後で!』

「ええ、また後で――」

 

挨拶の後、<伝言>を解除する。

どこか適当な場所に腰でも下ろしたかったが、そこをぐっと堪えるとモモンガは天を仰いだ。

 

「なんか、変わらないって言うか……少し気が楽になったな」

 

どこか抜けている友人と言葉を交わしたせいか、どうとでもなるような気がしてきた。

チンチラが言うにはプレアデスは信頼できるとのこと。ならば仲間たちが作り上げた守護者たちに関しても何をいわんやだろう。

警戒をし過ぎる必要はないのかも知れない。もちろん、それは気を緩めると言う意味ではないのだが――。

中空に視線を彷徨わせる事十数秒。よし、と呟いて気を入れ直したモモンガは実験を兼ねて指輪を起動し、第六階層へと転移していった。

 

 

 

 

――さて、若干時間は巻き戻る。

 

モモンガからの<伝言>――ひいては直々の命令を受け取ったユリは、魔法が解除された後、深く息を吐いた。

それは緊張の緩みからくるものであり、また、至上の人物から命を下された従者としての昂ぶりからくるものでもある。

それを目敏く見て取ったのは彼女に付従っていたメイド――姉妹の内の一人だった。

 

「ユリ姉、なんか嬉しそうっすけど――…今受け取ってた<伝言>って、まさかっすか?」

「そう、そのまさかだよ。……モモンガ様からの勅命です。これよりチンチラ様の自室へと赴きます」

 

心からの喜びを示す様に、ユリは素のままに微笑み――そして、表情を真剣な物に変える。

ことは自らの、いや、このナザリックに在る総ての者たちの絶対支配者たる、至高の四十一人に関わること。

喜ぶのはいい。彼らに仕えることは、ありとあらゆる者にとっての至上の喜びであるのだから。

しかし、だからといって気を緩めてはならない。万一にも過ちが起こらないよう、気を引き締めて臨むべきなのだ。

彼女の姉妹たちもそれを察したのだろう、一様にその表情を硬くした。一列に並び、歩き出す――。

 

磨き抜かれた大理石の床の上、真紅に金糸の刺繍を施された豪奢な絨毯と廊下の左右に、嫌味にならない程度に飾られた調度品。

完璧な調和は――モモンガの命である第九階層の警備の強化の為に配置されたシモベたちによって多少損なわれてはいるものの、それでも神話の宮殿の如き荘厳さは失われていない。

正に至高の存在が時を過ごすのに相応しい階層であり、だからこそ足音を立てる事すら憚られる。しずしずと、しかし可能な限り迅速に。

プレアデスはそれぞれが何らかの前衛職、ないし、気配や音を殺す事に長けたクラスを身に付けている。そのクラスが齎す恩恵を可能な限り発揮していた彼女らだったが、目的地であるチンチラの部屋が存在する一角に差し掛かると、その硬質な気配が揺らぎを帯びた。

調度品に代わり、廊下の左右へと等間隔に並ぶのは絶対者たる至高の四十一人の私室へとつながる扉である。それを目にする度、プレアデスたちの胸中に言い様のない感情が渦巻くのだ。

扉の紋章に、今や大半が去ってしまった至高の御方を想わされて。絡み付くその寂寥感を振り切るように、ユリは緩く首を振り――職務にのみ、その意識を向けんと努めた。

 

目的地まではもう近い。廊下の端の端、扉の向こうに殊更に広い空間があるのだろうという一角。

そこへと辿り着くとユリは足を止め、追従してきていた姉妹たちに向けて振り向いた。

 

「シズ、チンチラ様はご在室ですか」

「――いる」

 

敵手の存在を感知し、把握する事が重要であるガンナーのクラスを持っている妹に確認を取ると端的な答えが返ってきた。

方々に関しての事なのだから、もう少し丁寧に話す様に後で注意をしておこう。

小さな溜息と共にユリはその思考を切り替え、扉へとノックをした。三度、快い音が静寂に満ちた廊下に響き渡る。

 

「チンチラ様。ユリ・アルファです。モモンガ様より、チンチラ様を玉座の間までお呼びするようにと申しつけられております。……チンチラ様――」

 

先ずは一度。少し間を置いて、二度。

返事はなく――暫し迷った末に、ユリはドアノブへと手を掛けた。

先程の、友人を案じているモモンガの声を思い出したためだ。何かが起こっているのなら、無礼を承知で踏み入らなければならない。

その不躾な行為への忌避感を一度歯を噛み締めることで振り払うと、ノブを捻った。

 

「――入室、させていただきます」

 

ゆっくりと扉を開けると同時、目に入ったのは無数の金貨の煌めき。そして詰み上げられた黄金の山の中腹から転がり落ちてくるチンチラの姿。

麓にまで落ちると僅かばかり、俯せに金貨の上を滑り――そのまま、動かなくなった主の姿に、ユリは思わず漏れそうになった悲鳴を押し殺した。

まだ、その姿を見ているのは自分だけだ。冷静に、冷静になれ。もっとも的確な行動を――、そう、まずは介抱。そうだ介抱をしなければならない!

地を蹴ってユリは駆けだした。その姿でただ事ではないと察したのだろう、後を追ってくる妹たちの気配。後ろから何か言われているのかも知れないが、良く聞こえない。今は、とにかく――!

 

「チンチラ様―――!」

「ああ、もうほんと最高だよこれ。なんだかわからないけどすっごく楽しいし、幸せだし……。……はふぅ。――金貨が落ちる音まで気持ちいいとかなんなんだもう! 俺ってこんな守銭奴だったっけ、かな、ぁ……あ、あ?」

 

悲鳴の様にユリが呼びかけるのとほぼ同時に、むくりとチンチラが身を起こした。

名を呼ぶ声に反射的に顔を上げれば、チンチラの目に入ったのは鬼気迫る形相で駆け寄ってくる――若干名、フライの魔法で飛んでいる者も居たが――メイドたち。

状況がまるで理解できず、目を白黒させていたチンチラの目の前でメイドたちの顏から焦りの色が抜け落ちて、代わりに満たされていくのは安堵のそれだった。

すっかり気が抜けてしまったのだろう。覚束ない足取りで歩み寄ってきたユリの膝が、不意に崩れる。

それを支えようと反射的に伸ばされた竜の剛腕を、たおやかな両手が包み込んだ。目を丸くするチンチラの前で、泣き出す寸前の体で跪いたユリが言う。

 

「ご、御無事で――御無事ですか、チンチラ様……! 動く様子がありませんでしたので、何かあったのかと……ああ、本当に……!」

 

良かった、という言葉を形に出来ず泣くメイド。そして、その後ろから集まって来たのもまたメイド。多かれ少なかれ表情を――約一名、仮面をかぶったような無表情だが、仕様だ――歪めながら、口々に繰り返されるのは心からの心配と安堵を示す言葉。

チンチラからすれば自慰後の賢者タイムを見られたかの様なこの現状、数秒動かなかったからと言って涙を流して心配されてしまっては、罪悪感と羞恥心に心を抉られずにはいられない。

だから、言ってしまった。呟いてしまったのだ。素のままの言葉を。ユグドラシルで、ギルドメンバーと騒いでいた時のような軽い気持ちで。

 

「……なにこの状況。死にたい……」

 

その言葉を耳にしたメイドたちの目が見開かれる。漂白されたかのように安堵の感情が抜け落ち、整ったその顔立ちを彩ったのは純然たる哀しみ、そして、恐怖。

またたびにじゃれつく猫のような幸福感から急転直下理解不能な状況に突き落とされ、更に今、見覚えのあるようにも思えるメイドたちの突然の変化に混迷の渦へと囚われたチンチラは、彼女たちと顔を見合わせたまま完全に固まっていた。




チンチラ「不思議と見覚えのあるような美人メイドに賢者タイム見られた死にたい」

プレアデス「ご無事を確認して安心していたら死にたいって言われた……私たちのせいなのでしょうか……」


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3話

なんにも進んでない3話、なのですが…


……お気に入り数が10倍になっている上、ランキング五位とかこれいかに。

書きたい時に書きたいように書いてるだけのものですが、楽しんでくださっているようでしたら自分としても幸いです。
どうか、まったりのんびり適当にお楽しみください。



べつにほのぼのナザリックにするつもりなかったのになんでこうなったんだろう…


 

(なんだこれなんだこれなんだこれ)

 

チンチラの脳内は混乱の坩堝にあった。何故ならば、目の前の状況が理解できなかったからだ。

終わる筈のユグドラシルは終わらず、目の前にあった宝の山はその輝きを増し、それに大興奮していたら――何故かメイドたちが現れて百面相の披露会だ。

二転、三転とする状況に置いて行かれ、それでも何とか追い縋らんと足掻くチンチラは、まずは今目の前にある状況を一つ一つ、噛み砕いていくことにした。

先ずはメイドたちを見る。人数は五人。一人目は艶のある黒髪を夜会巻にした眼鏡の女だ。身に纏っているのは軽装鎧にも似たメイド服。チンチラの腕を取っている手には、棘の生えた厳ついガントレットが装着されている辺り、ユグドラシルに措いてはモンクのクラスを修めていたのではないかと推測された。

次に、ストロベリーブロンドの眼帯の少女だ。全体的に小柄なのだが、目を引くのは迷彩のマフラーと腰に提げられた銃。そういえば、純ガンナーと言うのはユグドラシルではあまり見なかったな、とチンチラは場違いな思いを抱いた。

更にポニーテイルの黒髪と、褐色肌の赤毛のメイド。前者は他の者と比べて殊更に鎧染みたデザインのメイド服に、後者はその背に負った巨大な聖印に目を惹かれる。装備からして、共に魔法職――ウォー・ウィザードとバトル・クレリックだろうか。

そして、最後。これがチンチラには最も異質な存在に感じられた。他の四人はその表情を歪めていると言うのに、この一人のみがまるで無表情なのだ。格好は、一言で言うならば和装メイドだろうか。しかし、良く良く観察してみれば髪に見えるのは蟲の脚。そう言えば、ムシツカイのクラスに仮面状の蟲を召喚して変装するとか言うスキルが有ったような気がする――。

 

「―――ん?」

 

薄々と何かを感じていたチンチラが、明確に思い当たる物を感じたのはその時だ。

その顔立ちに、そうだ。見覚えがあるのだ。確か、ナザリック第十階層、大広間の守りを任せたNPCであるセバスの配下にある、メイドたちの内の一人。

 

「もしかして、エントマか?」

「――はっ、はいぃ!」

 

視線を合わせてその名を呟くと、一拍遅れて上擦った声が上がった。涙声にも似た声色だ。

なぜその様な反応になったかと言えば、直前のチンチラの発言によるものであり、――メイド服を汚すことすら創造主への不敬と信じる程に忠誠心の篤い彼女は、後々それを心から恥じる事となるのだが今は置いておこう。

して、なぜチンチラがまずエントマに気が付いたかと言えば、その原因は彼女らの顔にある。

ユグドラシルに措いては常に無表情だったかつてのプレアデスたちと、感情のままに表情を変える彼女らの顏がチンチラの中で結び付かなかったのだ。

装備よりなにより、自身を案じる表情、その直後の悲しみに満ちた顔の方に気を取られただけに一人無表情のエントマは目立った。そして、彼女だけが表面上はかつてと変わりない有様だった。

だからこそ、チンチラは気付く。そして、一人目の正体に気が付いたのならば残りのメンバーの名前も自然と出てくる。チンチラも細かい部分はともかく、NPCの大まかな設定と名前くらいは覚えていた。

ユリ、シズ、ナーベラル、ルプスレギナ。そこでチンチラは首をかしげた。彼女らがプレアデスだと言うのであれば、一人足りないのである。

 

「……ソリュシャンはどうしたんだ?」

「ソリュシャンはモモンガ様の命に従い、セバス様とナザリック外の調査を、しています――」

「――は?」

 

どうしてそうなった。ユリの答えにチンチラは目を瞬かせる。

ギルドホーム付きになったNPCがギルド外に出るなどと、これまでのユグドラシルでは有り得なかった事だ。……いや、――待て。

そもそもがなぜ自分は会話をしているのだ。サービス終了と同時にユグドラシルがアップデートされたとして――たかがフレーバーでしかない設定テキストに全く忠実なAIでNPCが会話をし、行動する様に設定するなどと、そんな手間を運営が掛ける物だろうか。現実的に、技術的に考えても有り得ない。

じわじわと背筋を這い上がってくるような違和感にチンチラが片手で地を探る。何か縋る物を探して握り締めたのは地面に敷き詰められた金貨であり、そしてそれは――チンチラの手の中で容易く拉げ、握り潰された。チンチラにはそのことが感覚で理解できた。余りにも生々しい感触に、とある思考が脳裏を過る。

 

――もしかすると、今在るこれは自分にとっての現実になっているのではないか?

 

そんな馬鹿なことが、と否定しようとしたチンチラが次に気付いたのは自身の肉体に関してだ。

翼に感覚がある。確かめる様に幾度か羽ばたかせてみても、完全に自由になるのだ。今まで存在していなかった器官だと言うのに。

ユグドラシルでは、翼と言うのは半分オートで動く物だった。飛ぼうと感じたならば羽ばたき、翼による殴打を行おうとすればそのように動く。徹頭徹尾自分の意志で動かすような、そんな融通の利くものではない。

なんなのだこれは。モモンガと同様に精神作用無効のスキルがあれば、あるチンチラでも冷静な思考を保てただろう。しかし、チンチラが修めてきたクラスにはそんな便利なスキルはなかった。

即座に現実を受け入れきることができず、途方に暮れたチンチラを現世に引き戻したのは、その手を取っていたユリ・アルファである。

 

「――チンチラ、様」

 

おずおずと、まるで叱り付けられた子供が謝ろうとするその時のような調子で言葉が紡ぎ出される。

それだけに気を惹かれた。それだけに無碍には出来なかった。現実から目を逸らす為、無意識に閉ざしていた眼を開いて視線を向けるとチンチラは無言のままに先を促した。

構わない。言ってみると良い。責めはしない、と。何を言われるのかと思うと少々不安でもあったが、聞くべきだと思ったのだ。

 

「どうか――どうか、お願いいたします」

 

それに応じたユリの声は震えていた。畏れではなく、恐れ故に。

彼女からすれば至高の四十一人、ナザリックに在る者らの絶対支配者に対して我儘を口にするなどと許される事ではない。

それでも言わなければならない。いや、言いたいのだ。いかな言葉を向けられようとも、いかな沙汰を下されようとも、これだけは伝えたい。

唇を震わせながら、ユリは続けた。

 

「どうか死をお望みになどならないでください、チンチラ様。私は、お隠れになった御方々ならばいつか――いつか、必ずお戻りになってくださると信じています。……ですが」

 

真っ直ぐに向けられるユリの視線に、チンチラは僅かにたじろいだ。

余りにも真摯な瞳だ。湛えられた潤みは涙によるものだろう。軽い気持ちで口にした単なる冗談がこれほどまでに相手を動揺させるのか。

自分は――自分たちが、一体どういう存在なのかを直感的に理解したチンチラが無意識に居住まいを正すと、それを待っていたかのように続きの言葉が紡がれた。

 

「卑小な私たちには、チンチラ様が望む永久の別れは余りにも耐え難いのです。至高の御方を一人死出の旅路に送り出すなど。仕えるべき方を永遠に失うなど。

 ……どうか、お願いいたします、チンチラ様。その様な事はおっしゃらないでください。それが叶わないのならば――どうか、その旅立ちに私たちの内から共をお連れください」

 

自ら望んでの死出の旅路、至高の御方は蘇生に応じまい。であれば、それは永遠の別れ。

であれば、せめて、一人だけでも良い。その途に付従う者を。あなた方が望むのならば私たちは喜んで殉じます。だから、だから、どうか。

――ただ遺されるなんて、そんな事には耐えられないから。どうか、消えてしまわないで。いなくならないでください、お願いします。

 

哀願にも近い、いや、そのものである訴えを耳にしたチンチラはいよいよ罪悪感に耐え切れなくなり、表情を歪めた。

所詮虚構だと笑い飛ばすことなど出来ない。彼女らは、確かに自我を持って存在しているのだと認めざるを得なかった。それだけ、彼女の言葉は胸に響いたのだ。

プレイヤーへの殉死を望むNPCなど、いようはずもない。

 

「――ユリ」

 

目の前の相手から、一人一人の顔を、存在を確かめる様に順に見詰めては名を呼んでいく。

 

「シズ、ナーベラル、ルプスレギナ、エントマ。……それと、この場には居ないがソリュシャンにも伝えておいてくれ。俺――いや、うん。私は何処にもいかないぞ。

 皆、鏡を見てみろ。迷子になった子供の様な、今にも泣き出しそうな顔をしている。そんなお前たちを放って何処かに行けるはずもない。自らの信奉者を無碍にするほど情のないドラゴンではないんだ、私は」

「チンチラ様――」

 

出来るだけそれっぽくと言葉を選ぼうとしたもののどうにもしまらない事に情けなさを感じるチンチラだったが、途端に感激の面持ちになる彼女らを見てこれでよかったのだと一応の納得を得る事ができた。とはいえ、こんなにチョロくて大丈夫なんだろうかとも思ったがそこはそれ、莫大な忠誠を向けられているようだから仕方がないと呑み込んでおく。

だが言うべきことは言った。この肉体が滅びない限りは彼女らの――いや、もしかするとナザリック全体のかもしれないが――忠誠を受け続ける事になるのかと思うと胃が痛むが、しかし、今はそれ以上に心が痛い。状況が落ち付き始めたせいか色々とぶり返してきたのである。

今のチンチラの気分を例えるならば、リストラされて弱音を吐いていた所を子供に目撃された父親が、子供に支えられてようやく立ち直ってきたところで全てを思い出したその瞬間、とでも言った所だろうか。

気分を落ち着けようにも、物理的に視線その他を遮断できるであろう逃避先はと言えばチンチラには唯一つしか思い付かなかった。

 

「だが、まあ。あんな姿を見られるとな? やっぱり、こう、心がな? 痛いと言うか、情けなくなってくると言うか……少し待っていてくれ、落ち付いてくるから」

「――はい、……あ、いえ、チンチラ様っ! お待ちください!」

「いや、うん。後にしてくれ、後に。五分で終わるから。な? 五分だけだから……」

 

目の前の彼女らから逃れるために、取られていた腕をそっともぎ離すとチンチラはプレアデスたちに背を向けた。腕を振るって金貨の山を掘り進み、黄金の輝きに埋もれていく。

その背に掛けられた言葉を疲労感たっぷりの――流石にここまでくると耐え切れなかった――声で軽く流しながら完全にその姿を隠したチンチラ。疲れ果てた背中にそれ以上声を掛ける事ができず、見送ることしかできないメイドたち。

 

敬うべき主の姿が黄金の中に消えてから十秒ほど後、何かが金貨の中に頽れる音が響いた。そして、誰かが駆け寄る音も。

 

「……ぁぁぁあああ。モモンガ様、申し訳ありません……! 私は、私は――…」

「い、いやいやユリ姉あれは仕方ないっすよ! 私たちだってそうなるに決まってるっす!」

「ルプ、――スレギナ。口調をどうにかしなさい、仕事中ですよ。ユリ姉さんも」

「ナーベラルも、相当……動揺してる」

「あのねぇ、皆ぁ。方々のお部屋なんだから、私、騒ぐのってよくないと思うなぁ」

 

メイドたちが立ち直ったのは5分の後。

そして、埋もれたままでモモンガのメッセージを受け取ったチンチラが金貨の山から抜け出てくるまでには、更に10分ほどを要したと言う。

 



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4話

 

ナザリック地下大墳墓・第六階層、アンフィテアトルム。闘技場を一望することができる貴賓席には、二つの人影が有った。いや、それを人影と言っていいものだろうか。片方はメイド服を纏った女だが、もう一方はと言えば身の丈2m半ばの、人型をしたドラゴンとでも言うべき存在である。

佇む竜の名は魔竜チンチラ。傍らに控える女の名はユリ・アルファ。二人の視線は、コロッセウムの中心――チンチラの友人であるモモンガと、ナザリックの各階層を守護する主要NPCたちへと向けられていた。

 

「まあ、そうなるだろうなぁ」

 

閉ざされた大顎の端を――笑みのつもりなのだろうか――軽く歪めて、チンチラは呟く。

眼下にはモモンガに跪く階層守護者たちの姿が有った。間近に見たモモンガは気付いているだろうか。体格の差があると言うのに、彼らが並んだ位置が綺麗に横並びになっている事を。

先程、プレアデスたちに下にも置かないような扱いを受けたチンチラは、その行いに溢れんばかりの忠誠心が込められていることを直感的に理解することができた。

この分なら何も心配はいらない。モモンガは、問題なくこのナザリック大地下墳墓の全てを掌握するだろう。もしもの時の為に張り詰めさせていた気が緩み、吐息を零す。

そして、ソファへと腰を下ろした。後はこのままのんびりと待っていれば良い。何かあったなら、モモンガは先程も使った<伝言>によって連絡を取ることだろう。

閉じた瞳を開き、再びコロッセウムを見下ろすと、そこには後光やら黒く立ち上るオーラやらを忙しなく放っているモモンガの姿があり――チンチラは思わず、小さく吹き出してしまった。

慌てているなあ、などと思って忍び笑いを漏らす。ついさっき、自分も似た様な状況に陥っただけに気持ちが分かるのだ。

微笑ましげにその光景を眺めていると、新たにセバスの姿が現れ――その暫く後、モモンガの姿が掻き消えた。恐らくは指輪を使って転移したのだろう。

――お疲れ様です、モモンガさん。

内心でそう呟くと、チンチラはアイテムボックスを開いた。黒い靄の中にその腕を突き入れ、取り出したのはこれからもお世話になること請け合いの、<伝言>の魔法が込められたスクロールである。

正直、アイテムの生産に関する事案がはっきりしない内に消耗品を使うのはどうかとも思うのだが、このスクロールは十どころか百個以上のスタックを保有しているものだ。そのうちの一つを使ったとしても問題はないだろう。何より、スクロールの魔法に関してはまだ実験が済んでいない。

そう考えればいい機会でもある。自分に言い訳をしつつ、チンチラは疲労感に打ちひしがれているだろう友人を労うためにスクロールを使用した。

青い炎に包まれ、塵すら残さずにスクロールが燃え尽きると同時に不可思議な感覚が脳内に生じる。先程も覚えがある感覚だ。

スクロールも問題なく作動する。その事実を確認できたことにささやかな満足感を得ながら、チンチラはモモンガが<伝言>に応じるのを待った。

 

『……チンチラさんですか?』

「ええ。――お疲れさまでした、モモンガさん。問題なく終わったように見えましたけど、どうでしたか?」

『いや、どうもなにも……忠誠を誓ってくれていると言うのは分かったんですが、最後はお前らは誰のことを話しているんだって感じでしたよ。端倪すべからざるだとか、絶対なる支配者に相応しきだとか……。俺は単なる一般人なんですけど』

「あー。俺も似たような感じでしたよ。金貨の山から転がり落ちて、気付かないままぼーっとしてたらまるでご主人様がご病気に! みたいな感じで走り寄られて……。それでついつい死にたい、なんて言ったら泣き出すんですもん」

『え、そこまでですか? ……下手な事は言えないと思っていましたけどそのレベルですか。うわあ、どうしよう。すっごいキャラ作って対応しちゃったんですけど……』

「俺は動揺しすぎて素を出しちゃいましたから、まだ気が楽ですけどね。……その経験からすると、辛かったら演技しなくても大丈夫だと思いますよ? 多分」

 

ははは、と乾いた笑いを漏らすモモンガを慮って、チンチラは言った。

絶対の支配者ロールプレイを四六時中続けなければいけないなど、チンチラから見ても罰ゲーム以外の何物でもない。そんな状況ではストレスも溜まるだろう。そう考えての言葉だ。

しかし、モモンガは少しの間を置いてから答えた。

 

『……いえ、期待されてるみたいですし、できるだけ頑張ってみようかと思います。俺たちが――アインズ・ウール・ゴウンの皆が作り上げたNPCにあまり情けないところは見せられませんし。その分、チンチラさんには弱音を吐いたりするかもしれませんが――』

「ええ、どうぞ好きなだけ。……まあ、なんていうか、大変な所を押し付けてる感じになってますし」

『そこはギルドマスターを任されてる俺の責任だと思ってますから、別にいいんですけど』

「それでもです。余り頭の出来はよろしくないですけど、手伝えることがあったらなんでも言ってください」

『じゃあお言葉に甘えて、そのときはお願いします。ところでチンチラさんって、<伝言>使えましたっけ?』

「いえ、これはスクロールを使ってみたんです。たくさんあったので、実験代わりに。問題なく機能しているようですよ」

 

なるほど、と相槌を打った後、モモンガからの言葉が途切れる。

何か考え事をしているのだろうと察したチンチラは、モモンガの言葉を待った。ある程度親しい者であるが故の、気まずさのない沈黙が場を満たす。

 

 

『……消耗品のことなんですが。ポーションに関してはゾルエ溶液にもかなりの余裕が有った筈ですから、問題はないと思います。後でペストーニャに確認するつもりではありますが』

「了解です。と、その言い方だとスクロールには問題があるってことですよね」

『ええ。ドラゴンハイドなんかは数がなかったはずです。低位魔法のスクロールは今直ぐに枯渇するということはないでしょうが、高位の魔法を込めたスクロールははっきり言って余裕が有りません』

「そこも了解。いつ使うことになるか分かりませんし、大事にとっておきますよ。……あ」

『どうしたんですか?』

「ドラゴンハイドってドラゴンの皮ですよね。……俺ってどうなんでしょう?」

 

その言葉を口にした瞬間、<伝言>の向こう側で怒気が膨れ上がる。思わず肩を竦めたチンチラの脳裏に、低く抑えた声が響いた。

 

『やめてください。――仲間の皮を剥いでスクロール作成とか、冗談でも勘弁してほしいです』

「いや、俺もさすがにぞっとしませんし、痛いの嫌ですし! ……でもまあ、必要に迫られたときのために実験くらいは」

『いりませんって。ちゃんと節約すれば暫くは持つはずで――…あ、抑制された』

「はい? 何かしてたんですか?」

 

抑制。会話の流れからすると明らかに不自然な単語に、チンチラは内心で首をかしげた。

明らかに訝しげなその様子に、モモンガが少し慌てた様子で言葉を返す。

 

『いえ、この身体になってから強い感情が抑えられるみたいで。その分弱い感情がじわじわ続くんですけど』

「え、それって大丈夫ですか? ストレスの発散とか――っていうか、モモンガさん骨ってことは食事とかも無理なんじゃ?」

『……食事は無理、ですかね。風呂くらいは入れるでしょうし、その辺りで何とかしますよ』

「ほんと、何かあったら言ってくださいね。……あ、風呂なら大浴場が有りましたよね。暇ができたら一緒に行きますか?」

『ああ、いいですね。ナザリック内の施設がどうなってるかも気になりますし、せっかくですから色々回ってみましょう!』

 

失言のせいか、心なしか不機嫌そうだったモモンガの声が明るくなったことに胸を撫で下ろしながらチンチラは相槌を打った。

その後はまた暫く相談が続く。例えば、ゲームでは存在していた装備制限に関して。例えば、ナザリックの維持費に関して。内向きの事だけでもそれなりに確認するべき事がある、と認識を擦り合わせ、お互いに担当を決めるとどちらからともなく切り出す。

 

「じゃあ、モモンガさん」

『ええ、そろそろ。何かあったら――えーっと…』

「急ぐ用事もないはずですし、適当にメイドを捕まえて言伝しますよ。緊急性の高い案件は指輪で直接行きますから」

『分かりました。それじゃあまた後で』

 

<伝言>を解除すると、チンチラは静かにユリの方へと振り向いた。

 

「アルベドとデミウルゴスに話しておきたいことがある。できれば、他の者には聞かせたくない。良い場所はないか?」

「――でしたら、御方々の私室が宜しいかと。至高の方々の指輪を以ってしても転移不可能な領域です。もしもの事態も、まず有り得ないかと思われます」

「ああ、そうだったっけ……忘れてた。――いや、済まない。それでは私の私室の前で待機を頼む。そう遅くはならないはずだ」

「畏まりました」

「それと、だな」

 

ユリ・アルファ。ナザリックでは珍しいことに、彼女のカルマ値は善に寄っている。

また、チンチラ自身がその目で確かめ、信頼できると判断したNPCでもあった。

例え真実が意に添わぬものであったとしても、その胸に仕舞っておいてくれるだろう。そう信じられる程度には。

他のプレアデスとは交わした言葉が少なすぎる。忠誠心は確かだろうとは思ったが、――しかしそこまで止まりだ。

今、このナザリックでチンチラが心から信頼できるのは、友人であるモモンガ。そして、己の手を取って涙を流したユリの二人のみ。

だからこそ、チンチラはユリを選ぶ。自分たちを絶対の支配者として信じている者たちが、真実を受け止められるかの試金石として。

 

これは必要な事なのだ。チンチラは、己に言い聞かせる。

自分はいい。当に素の対応と言う物を見られているのだから。

しかし、モモンガさんは彼ら、――ナザリックのNPCたちに失望されない様にと、気を張り詰めてロールプレイをするつもりのようだ。

それは間違いなくいばらの道になるだろう。何せ、求められる理想があまりに高すぎる。

デミウルゴスから見て端倪すべからざると言う評価を受ける存在? どんな天才だと言うのだ、それは。少なくとも自分たち二人ではない。絶対に、ないのである。

 

このまま行けば、恐らくモモンガには一瞬の気の緩みも許されなくなる。であれば、彼は一体どこでストレスを発散すればいいのか。

家だろうか。…――しかし、それは、ここだ。このナザリックこそが今の自分たちの住まいになるだろう。そしてその内部にはモモンガを慕ってやまない者が山と居るのである。休んだ気がしないだろう。恐らくは。

 

だからこそ、今動く。

ナザリック最高の智者とされるデミウルゴス、そして――守護者統括として、モモンガの傍らに侍るだろうアルベド。

この二人を抱き込んで自分たちの真実を知らせる。そして彼らがモモンガのフォローに動いたならば、モモンガのストレスも多少は軽減されるだろう。そう思っての行い。

――だが、その二人がどんな反応をするかが分からない。だからこその試金石。

チンチラの目が開き、ユリを見詰める。暫しの沈黙。――緊張から一度喉を慣らすと、チンチラは、静かに口を開いた。

 

「私が<伝言>で話していた様子から薄々察しているかもしれないが、私の口から伝えておこうと思う。――ユリ、私は、……あー、らしいことなど何一つとしてしていないが、ともかく。私とモモンガさんは支配者としての演技をしている。あれは、本当の姿ではないのだ」

 

さあ、どうだ。固唾を呑んでチンチラは答えを待ち――

 

「はい、存じております」

「えっ」

 

微笑みと共に返されたユリの言葉に目をぱちくりと瞬かせた。

 

「至高の御方々とお過ごしになっていた頃のモモンガ様、チンチラ様の姿は私も目にしたことがありますので。――親しく、楽しげにお話をする姿。あの姿こそが至高の方々の素顔であるのだと理解していました」

 

クロスカウンターを予期して警戒していたチンチラだったが、ユリの言葉は完全にその意表をついていた。

言うなれば、正面に居る相手に後頭部を蹴られたかの様な状況である。大顎が外れたかのように口を開け、間抜け面を晒していたチンチラだったが、やがて大きく息を吐き出し――肩を落とす。

口にされた内容からして、彼女らはどうやら過去のナザリックを認識しているらしい。で、あればなるほど、妙な勘違いはしないだろうと納得できた。

そして、こうも思う。そうと分かれば、モモンガさんにも伝えなければ。もしもの時にミスが許されるか、許されないかでは天と地ほども変わってくるのだから。

――そうか、ありがとう。顔を上げて、そう口にする直前、

 

「ですので、ご安心くださいチンチラ様。――このナザリックを統べる絶対支配者であられるモモンガ様と、ナザリック最大の暴威と謳われたチンチラ様への忠誠はどのようなお姿を目にしても揺るぐことはありません。従者である私たちの為に支配者としての器を示してくださっていることはナザリックの者ならば誰もが理解できること。皆がお二人のその心遣いに忠誠と喜び、感謝を捧げることでしょう」

「いや違うそうじゃないから」

 

根本的な部分で過大評価が為されている事を思い知らされたチンチラは、ユリの言葉へと即座にツッコミを入れることとなった。

 

 

 

 




感想返しはまた後程!


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5話

自分たちへの過大評価が非常に根深い部分から始まっていることを思い知らされたチンチラは奮起した。

必ずやこのどうしようもない勘違いを正してモモンガと自分のストレス要因を減らさねばならぬと決意した。

かと言って一体全体どうすれば良いのかが分からない。

え、違うんですか? とでも言いたげに真面目な表情に疑問の色を浮かべているユリが立ち直る前にどうにかしなければならないのだが――。

斜め上方向へと突っ走った流れによって段取りを完全に外されたチンチラは、ない考えを振り絞って考えた末に――現実世界を上位世界としての例え話をする事にした。

 

曰く、自分たちは前の世界――ユグドラシルだ――に自らの化身を送り込むことで冒険をしていた。その化身こそがこの肉体である。

本来ならばこの化身の身体は仮の物であり、元の世界へと戻る事は自在に可能だった。

しかし今現在、自分たちはあるべき場所に戻る事が出来なくなっている。恐らく、新たに化身を送り込む事も出来ないだろう。

理由は不明だが今ここに在る自分たち、つまりモモンガとチンチラの二人は化身の肉体に囚われてしまっているのだ――。

 

と、――後々モモンガさんと口裏を合わせないとなぁ、なんて暢気な事を考えていたチンチラだったが、要らない部分にまで話を盛ってしまっている事に気が付いた。

何やら、ユリの表情が悲痛なものに変わっているのである。

考えてみれば当然の事だ。この言が真実として受け取られたならば至高の御方と敬ってやまない存在が一部なれども自由を奪われていると言う事であり、なおかつ他の四一人との再会は限りなく難しいと言う事にもなる。そして、困った事にチンチラがでっち上げたこの話、主観的に見て大体合っているのである。これ以上適当に付け足せる部分がない。

何かを口にしようとしたユリの眼前に、チンチラは広げた掌を突き付けた。落ち付け、と言外に示す仕草だが――何の事はない、落ち付きたいのは自分であり、時間を手に入れる為の行動だ。

息を吐き、思考を整える。――よし、よし、まだいける。心折れそうになる自身を励ます言葉を心中で呟いた後、チンチラは再び口を開いた。

 

「だがそんな事は今はどうでも良いのだ。重要な事ではない。――私やモモンガさんはその世界に措いて、お前達の様に傅く者がいた訳ではないんだ。

 自ら動く事が当然だった。命を下して世話をしてもらうだとか、支配者の如く振る舞うだとか、少なくとも私はそんなことは一切やった覚えがない。このナザリックに措いてもそうだ。恐らく、モモンガさんもそうだろう。

 では何故、今、無理をしてまでその様に振る舞っているのかと思うかも知れないが、まあ、それはだな。正直言って、おまえたちに失望されたくないからだ」

 

強引な話題転換によって軌道修正を試みる。それはどうやら功を奏したらしい。

そんな事は有り得ません――そう叫びかけたユリの唇へと、チンチラは開いたままの掌を僅かに近付けた。

もう少ししゃべらせてくれ。言外に示されたその意志に抗う術を、理由を、忠実なメイドであるユリ・アルファは持っていない。

内心を押し殺す様な一瞬の瞑目の後、ユリは静かに唇を引き結ぶ。それを確認してから、チンチラは言葉を続けた。

 

「今現在、モモンガさんと私はナザリックに異常事態が起こっていると認識している。そんな時におまえたちに見限られたのならば、身一つになった私たちは何を頼れば良い?

 だからこそモモンガさんは付け焼刃で支配者として振る舞ったのさ。そうすることで、守護者たちの忠誠を確かめる為にだ」

 

一拍の間を置いて、チンチラの口からため息が漏れる。 

 

「結果、皆の忠誠が変わらず確かであると言う事が確認できた。ああ、これで安心したと思う所なんだろうが、ところがだ。

 今度は皆から寄せられる期待度が凄まじすぎたんだ。モモンガさんは<伝言>の中で言っていたぞ? 余りに高評価過ぎて一体誰の事を言っているのか分からないと。――だが、それでも支配者として振る舞うとのことだ。

 ……モモンガさんは確かにギルドマスターだった。私たちの頂点に坐していた。だが、モモンガさんは一度としてその権力を振るわなかった。したことはと言えば、その殆どが調整役としての仕事だ。それだって凄い事だがな。あの癖の強いメンバーを纏めていたんだから。

 だが、それでも守護者たちの期待するような、完全無欠の絶対支配者になる事は不可能だ」

 

言葉を一度切ったチンチラは、反応を伺う様にユリを見詰める。

言いたい事があるのだろう。握られた拳に力が入っている事が分かった。

しかし、それでもチンチラの言葉が終わるまではと耐える姿に――若干以上の申し訳なさを感じて、チンチラは視線を逸らす。

若干の沈黙が場を満たした。まごついていては気まずくなるばかりだと分かっていると言うのに、再び口を開く事に忌避感があった。

だがそれでも、此処まで口にしたのならば言い切ってしまわなければならないのだ。半端に終わらせて、良い事などあろう筈もない。

 

「ところで、ユリ。――俺はなんでこの話をしたと思う?」

「――私たちの愚かな勘違いを正す為、でしょうか」

 

チンチラの一人称が唐突に変化したことでユリが抱いたのは、ここからが核心であるのだろうと言う予感だ。

だからこそ、話の腰を折らない様にと即答を心がけた。思い当たる事をそのままに口走る。――他に思い浮かばない、と言う事もあったが。

 

「いや、愚かとは思わな、……まあそれも置いておこうか。ユリが言った様に勘違いをされたままだと俺もモモンガさんもマズい事になるだろうと言うのはあるな。確かに。

 だがそれは主目的じゃない。俺は楽になる為の逃げ場を作りたかったんだよ。俺の逃げ場と、モモンガさんの逃げ場だ」

 

チンチラとモモンガはお互いに気心の知れた友人だ。しかし頼り切り、甘え切りではお互いに負担になるだろう。だからこそ、チンチラは二つ目を求める。

いや、正直に言えば出来る限り広めてしまいたい。ゆくゆくは、このナザリックで実家の様な安心感を得られるのならば言う事なしだなぁ、などと思ってもいる。それは自分だけではなく、同じ状況にある友人にもだ。

ヘロヘロのように、とまでは言わずともただただ社会の歯車と化していた身だ。その上、父母は既になく、兄弟姉妹もいないときた。

モモンガの方は詳しくは分からないが、似た様な物だろう。社会人ギルドであるアインズ・ウール・ゴウンではリアルの愚痴の一つや二つは日常茶飯事であり、そんなことを聞いた覚えがあった。

 

自身の集めた宝物の上で寛ぐ喜びを知ってしまったチンチラの胸中には、あんな生活からは脱却してそれなりにゆったりごろごろと過ごせるのならそれが一番良いのではないかと言う堕落思考もまた芽生えている。

それがドラゴンと化した事で生まれた宝への執着から来るものなのか、遺された人間性が間近に迫った自堕落生活を見送る事を拒んでいるだけなのかは分からないが、既にして元の世界に戻る必要性を感じられなくなっているのだ。

それもあって友人であるモモンガのためにも、そして他ならぬ自分のためにも、出来るだけストレスなく過ごせる環境を作りたかったと言うのが真相だったのだが――些細な言葉も真面目に受け取るユリを見ているとそんな自分が情けなくもあり、申し訳なくもなるというもの。気付けばチンチラは深々と頭を下げていた。

 

「……本当にすまん」

 

尽くしてくれている相手に、自分の都合を押し付けている。そう感じて。

しかし、それを向けられたユリからすれば謝られる理由など全くない。

自身は至高の御方々の手によって作り上げられた被造物。その望みを叶える事こそがこの身に与えられた使命であり、喜びである。

自らをそう定義した従者は、しかし、直ぐには言葉を口に出来なかった。いと高き所に在る御方が、今この瞬間は――何故だろうか。

 

……叱られるのを待つ、子供の様だ。

 

ユリの整った顔立ちに戸惑いが滲んだ。

 

「どうか頭をお上げください、チンチラ様。至高の方々に尽くすことこそが私たちの存在意義です。頭を下げられることなど……」

「だとしても、自分が楽をしたいからとおまえたちの理想を崩そうとしてるんだぞ?」

「お仕えすべき方々に負担を強かなければ描けない理想など不要です!」

「そう言ってくれるのは正直有難いけどな。それじゃあ俺の気が――」

 

済まないんだ、と口にしようとしたチンチラの言葉が途切れたのは、自身を見つめるユリの視線があったからだ。

その目には信仰の陶酔はなく、情けない支配者への落胆や軽蔑もなかった。ただ、――仕方のない方なんですから、とでも言いたげな微笑みがあった。

 

「でしたら代わりに、一つだけ質問をさせていただけませんか」

「おまえがそれで良いのなら」

 

そう口にしたユリに、チンチラは一も二もなく頷き、応じて、ユリが再び口を開いた。

何を聞かれるのだろうと固唾をのんでその瞬間を待ち受けていたチンチラだったが、その言葉を認識すると――面食らって目を瞬かせる。

 

「え、そんなんでいいの? もっとこう、これだけは聞いておきたい事が! とかじゃないのか?」

「はい。私が聞きたいことはこれだけです」

「えー……。いや、いいんだったらいいんだけど……」

「でしたら、どうかお願いいたします」

「あ、はい……」

 

一つ咳払いをしてチンチラはユリに向き直る。改まって求められたことなのだから、それなりの格好で答えなければならないだろうと考えて。

対して、ユリもまた姿勢を正した。理由はどうあれ、至高の存在に何かを求める等とはあまりにも恐れ多い行為だ。だと言うのに、応じて下さった御方に礼を示す為に。

沈黙、一秒。チンチラの大顎からゆっくりと開かれる。

 

「なぜ他の姉妹ではなくユリを選んだのかと言われれば、それはおまえを特別信頼していたからだ」

 

――間。

 

ユリは表情が緩まない様、必死に自制をしていた。

アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの内、チンチラだけは固有のNPCを生み出していない。いや、正確に言えば自身の部屋に固有のギミックを導入する事でその代用としているが、それはプレアデスや守護者とは根本から異なる物である。カテゴリで言うならばナザリック第四層の守護者であるガルガンチュアの様な防衛装置だ。

仕える者を生み出さず、ただ同格である至高の存在と、自身の収集した宝物のみがあれば良いと示した存在。――それこそが、ナザリック大地下墳墓の支配者、至高の四一人の一人である魔竜チンチラだ、とNPCたちは認識していた。

そんな冷徹なはずの上司がおまえは特別だなどと口にしたのである。先の――チンチラの自室でのあれそれだ――振る舞いによって多少その認識に揺らぎは生まれていたものの、それでもその一言が生み出すインパクトは計り知れない。創造主が去ってしまった事への寂寥感を埋められ、ユリの忠誠と歓喜がゲージの上限を振り切って上昇していく。

対してチンチラはと言えば、非常に居た堪れない。ユリは必死に表情の変化を押し殺そうとしている様だが、殺し切れていないのだ。表情も、気配も。

なんでそんなに嬉しそうなんだと聞いてみたいが、聞いたが最後、立て板に水とばかりに礼賛されそうな雰囲気がある。向けられる忠誠の深さを多少は理解したつもりになっていたチンチラだったが、どうやらその見積もりは大幅に狂っていたらしい。

全員が全員これなら下手に警戒しないでも全部ぶっちゃけてれば良かったんじゃなかろうか、と投げやりに思考を巡らせつつ、チンチラはユリの復帰を待つ。

闘技場へと視線を向ければ、守護者たちが何やら真面目な話をしている様子が目に入り――それを今は少し、羨ましく思った。

 

 

その後、暫く。

美しい礼とはこういうものなのだろう。頭を下げて去っていくユリを見送ると、チンチラは守護者たちを見遣る。

先程までは未だ話し合いが続いていた様だが、話も終わる頃の様だ。そろそろ良いだろう。

貴賓室から観客席へと出ると、チンチラは翼を羽ばたかせた。風が渦巻き、その巨体を虚空へと押し上げる。

 

 

さて。

闘技場の中心にて集まっていた守護者たちの中で先ずチンチラの接近に気付いたのはダークエルフの双子、その姉の方――アウラだった。

レンジャーのクラスによって研ぎ澄まされた五感が、風を切る音色を聞き留めたのである。

 

「ん? 何――…ち、チンチラ様ぁ!?」

 

何事かと身構えながら見上げてみれば、そこには飛び来る支配者の姿。不意討ちも良い所だ。

アウラが挙げた素っ頓狂な声に反応し、空を仰いだ他の守護者たちは一切の遅滞なく跪いた。――が、当人は立ち直るのが遅れた結果、取り残される。

アウラが慌てて皆に続いたその時である。速度を殺す為、一際大きく羽ばたいたチンチラの翼が砂塵を巻き起こした。そして、着地の衝撃が砂煙を巻き上げる。

そして、それらは――見事なまでに階層守護者たちを呑み込んだ。

これに慌てたのはやらかしてしまった当人だ。まさかまさか、守護者たちに砂をひっ被せることになるとは思いもしなかったのである。ユグドラシルでは荒く着地した所で煙も立たず、風によって砂が巻き上がるようなこともなかった。ついついゲームと同じ感覚で動いてしまったのだが、まさかこうなるとは。

 

「……す、すまなかった。皆、大丈夫か? 目にゴミが入ったりしていないか……?」

「はっ。問題ありません、チンチラ様。そのように慮っていただけたという事を喜びこそすれ、怒るものなどこのナザリックには存在しません。そうだろう、皆?」

「そうか。……そうか。いや、うん。感謝する、デミウルゴス。感謝するぞ、皆。本当に済まなかった」

 

平常心をあっさりと失い、拭いたり砂を叩いて落としたりしてやるべきか、いやしかし誰からやったものだろうと右往左往するチンチラだったが、それを落ち着かせたのは知的で深みのある男の声だった。

――その声の主こそがデミウルゴス。ナザリック地下大墳墓・第七階層守護者。チンチラが会わなければならなかった男である。

その邪悪な気配と雰囲気、理知に満ちた振る舞い。元一般人にして現ドラゴンであるチンチラは、そんな相手に傅かれていると言う事実に違和感しか覚えなかった。

モモンガさんはよくもまあやり通したものだ。彼のナザリック愛はペロロンチーノさんのエロゲ愛にも劣らないのは間違いない。

そんなクソ下らないことを考えてどうにか思考をリセットし直すと、深く、深く息を吐き出す。他の守護者も口々に追従している様だし、ここは甘えておこう。

気の抜けた身体にしっかりと意識して芯を通す。

 

尚その間、明らかに狼狽えたチンチラの姿を目にした守護者たちがそれほどまでに我々の事を想ってくださっていたのか、だからこそ幾度となく旅に出ながらもこの地に戻り、残ってくださったのか、などと考えて忠誠心を新たにしていたのだが当人には知る由もない。

ちなみに、――彼らが旅と認識しているのはつまり他のゲームへの浮気期間であり、単にログインが滞っていた時期に過ぎないのだがそこは知らぬが仏と言う物だろう。

ともあれである。姿勢を正したチンチラはデミウルゴス、そして純白の悪魔である守護者統括、アルベドへとその視線を向けた。

 

「アルベド、及びデミウルゴスに通達だ。暇が出来次第、二人で第九階層の私の私室へと足を運ぶ様に。――まあ急ぎの用事でもないし、優先されるのは安全確保とモモンガさんが下した命だ。後回しで構わないぞ、暇な間は部屋の整理でもしているからな」

「はい。畏まりました、チンチラ様」

「承りました。後ほど、お伺いさせて頂きます」

「ああ。――今回はナザリックでも有数の智者である二人に頼るが、皆に向ける信頼も彼らと同等の物だ。何れ力を借りる事もあるだろう。その時は宜しく頼む」

 

名指しされた二人に守護者たちの視線が集まった。それに含まれるのは嫉妬と羨望の色だ。

これまでの経験からその可能性を考えていたチンチラは、即座にフォローを差し込み――そして結果を確認しないまま、指輪での転移を行った。行き先は当然、第九階層の自室前である。

闘技場で過ごした時間など対した長さでもないと言うのに感じるのは凄まじい疲労感。休んで精神を安定させたい、端的に言ってごろごろしたい。

その想いのままに自室前へと転移してきたチンチラだったが、先に行かせたはずのユリが居ない。なんでだ、と首を傾げ――そして思い出す。ユリがリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っていなかったことを。

 

連れられて転移をした行きとは異なり、順に階層を辿る正規ルートを通らなければならなかったユリが目にする事になったのは、部屋の前で暇そうに自身を待っているチンチラの姿であり――生真面目であるが故に平謝りをするメイドを必死に宥める主の姿が、ナザリック第九階層にて幾人かのNPCメイドに目撃されることになったと言う。



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6話

遅れた理由に関して、ただ一言だけ言わせて頂けるなら。

――マリーちゃんマジ天使。


最重要事項だったNPCたちの忠誠度の確認を済ませた現状でやるべき事と言うのは思いの外少ない。

他の重要な仕事――ナザリックの隠蔽や、周囲及び内部の警戒――については既にモモンガが守護者たちに振り分けている。それを聞いたチンチラは、流石はギルド長だなあ、と感心しきりだった。言われたモモンガはそんなことありませんってば、と謙遜しきりだったが。

そして、内政面。維持費に関してはギルドマスターであるモモンガの方が精通している。何せ数年もの間、ほぼ一人でこのナザリックを維持し続けたのだから。

無論、チンチラも他のゲームからユグドラシルに戻ってきた時には狩りを手伝い、維持費を稼ぐ一助となってはいた。時には数日。時には一週間、一か月。長ければ数か月ほど。流石に毎日と言う訳にはいかなかったが、それでも――モモンガからすればギルドメンバーがこまめに帰ってきてくれると言うのは嬉しいことであり、その都度モチベーションを上げていたりしたのだが、それに関しては今は置いておこう。

 

ともあれチンチラはナザリックの運営そのものを手伝っていた訳ではなく、その辺りに関してはさっぱりである。

よって今現在、内政面での確認についてはモモンガに頼りきりとなっていた。慣れているからそう時間は掛かりませんよ、と当人は口にしていたので甘えてしまったチンチラだったが、だからと言って甘えたままで済ます訳にもいかない。

そういったわけで、チンチラはシステム面――主に装備制限について調べることになっていた。

 

チンチラの部屋、詰み上げられた金貨の中に埋もれた財宝の数々。

数点のみが存在する神器級アイテムから、これもまた数点のみが遺された数打ち品と言っても良いだろう最下級アイテムまで、より分けて選別するとなると、それだけでどれほどの時間が掛かるか分からない。

が、幾つか拾うだけならばそう時間も掛からなかった。

今、チンチラの手にあるのは簡素な作りの大斧だ。石突に当たる部分に槍の穂先を取り付けられたそれの名を、アーグロシュ・オブ・ストームボルト。かつてチンチラがリザードマンのバーバリアンとしてユグドラシルをプレイしていたころに使用していた上級武器だ。今となっては使用に耐えない程度の代物だが、それなりに思い出深い一品でもある。

 

久し振りに目にしたかつての得物。それに感慨を覚えながらもチンチラは装備制限を確認するべく、以前扱っていたようにそれを振るおうとする。振り下ろし、その勢いを用いての尾による薙ぎ払い、脇を通して槍頭での逆手突き。隙が大きすぎて魅せコンボにしかならなかった連撃、それを記憶から呼び起こし、武器を上段に構えようとした瞬間――しっかりと掴んでいた筈の柄が手からすっぽ抜けていた。

手の内にあった快い重みが不意に消え失せた事に唖然としたチンチラが振り向くと、金貨の山へと落下して突き立ったアーグロシュが存在する。チンチラは、信じられない、とばかりに自分の手を見下ろした。

しっかりと握っていた筈だ。だと言うのに、まるで抵抗なく飛んで行ってしまった。

 

慌てて拾い上げ、軽く振るいながら構え直そうとする。ところが、構えるどころか軽く払う事すら出来ない。するり、するりと落ちていく。

二度、三度と繰り返し、チンチラは事実を事実として認める事にした。――装備制限は機能している。少なくとも、プレイヤーに対して、そして武器に関しては。

では、NPCはどうなのか。静かに控えていたユリへと顔を向け、チンチラは問いかける。

 

「――ユリ。おまえは長柄武器は装備できなかったな」

「はい、チンチラ様」

「……ちょっと試しに振ってみてくれないか。軽くで良い」

「畏まりました」

 

繰り広げられるその光景をユリ自身も奇妙に思っていたのだろう。

差し出されたアーグロシュを受け取り、掲げ――ようとするよりも先に、指を擦り抜ける様にして落ちたそれが再び金貨に突き立った。鈍い音が響く。

その音からして、手触りからして、その武器が鋼の塊であったことは明白だ。だと言うのに、まるで水が指の間を抜けるかのような――余りにも異様な感覚。

ユリが目を見開く。チンチラはユリの手元を暫し見詰めてから、再び指示を下した。

 

「武器ではなく物だと考えて持ってみてくれ。これは荷物だ、と考えながらだ」

「――はい」

 

困惑を己が内へと封じ込め、伸ばされたユリの繊手は――しっかりとその柄を掴んでいた。埋もれた斧頭を引き摺り出し、両手で胸の前へと捧げ持つ。

まるで先程の光景が白昼夢だったかのようだ。

 

「ユリ。武器として使おう、と考えてみろ」

 

その言葉が言い終わるよりも先に落ちるアーグロシュ。それを支えていたユリの腕は微塵も動いていなかったと言うのに、だ。

武器として使う。つまり、装備品として扱おうとすることがトリガーであるらしい。

どうしてこうなるのかはさっぱり分からないが、起きる現象には一定の理解を示さなければならない。

 

「――ありがとう。どうも、なんだな。……どう思う、これを」

 

チンチラは地に落ちたアーグロシュを指差して、ユリに問いかけた。

 

「俺は昔、この武器を使っていた。その時には何の問題もなく振るえたんだ。そして今も――まあ、久しぶりだから多少は腕が落ちるかも知れないが、使える、とそう感じている。

 だと言うのに、軽く振るだけですっぽ抜けて何処かに飛んでいく始末だ。いや、それどころか武器として使おうと思うだけで駄目らしい」

「……私自身、お預かりした武器はしっかりと支えていたはずなのですが、気付いた時には既に落ちていました」

「そうか。……ユリ。どうやら前の世界の法則が生きているらしいぞ。スキルなり、クラスなりで装備可能になっているカテゴリ以外は使えないんだろうな、これは」

 

半ば自分が確認する為の言葉を口にしながら、チンチラは思考を巡らせる。

装備に関しての基本的な部分は大体分かった。恐らく、武器のみならず防具に関してもぽろぽろと落ちたり脱げたり、いや、そもそもが着れなかったりするのだろう。

そこで浮かぶ疑問は二つある。一つは、同じくシステムに従っているであろうスキル関係。そして、課金で解放される拡張スロットだ。

拡張スロットの中で重要度が高いはずなのは指輪である。課金で拡張した分の指輪装備は、装備の変更が不可能となっている。それを入れ替える事は可能なのか。いや、そもそもが外せるのか。

外せたならば、再び装備し直せるのか。――装備できなくなったなら、それは困る。とても困る。

 

何故ならば、恐竜(ディノサウルス)のクラスは装備に著しい制限が掛けられているからだ。恐竜と言うカテゴリでの取得レベル合計が一定以上になった時点で与えられるペナルティ。それは一切の武器防具が装備不可になるというもの。代わりに与えられるのは、常軌を逸した能力値。

如何にも原始的なその特徴は恐竜と言うクラスには非常に合っている。合っているのだが、基本的にはスキルゲーであるユグドラシルに措いては結構なハンデだ。

いくらHPが高かろうとも即死攻撃を食らえば棺桶行き。デバフを掛けられたなら超高確率で嬲り殺しの憂き目にあう。そんな中で唯一残された装備スロット――それこそが指輪である。種族クラスとこの装備スロットで耐性を確保しなければ、恐竜はただのカモでしかない。チンチラ個人としては恐竜に指輪はないだろう、とは思うのだが、それがなかったら葬式状態だっただろうと理解しているので、大っぴらに口にする事はなかった。

そしてその中でもチンチラの場合は鎧と、アクセサリ――但し、鞍に限る――に関してのみ装備制限は解放されているので多少はマシだったりもする。

 

種族クラス、ディノサウルス・バトルタイタン。人間の手により何種もの恐竜を交配させることで生み出された戦闘巨獣。

生まれた瞬間より騎手を乗せることとバーディングの着用を訓練させられている、と言う設定テキストの恩恵による一部装備枠の解放と、他プレイヤーの騎獣となれるスキルが特徴の上級種族である。

が、その利点を以ってしても全ての穴を埋める事は難しい。最終装備の作成を終えても尚、チンチラの有する耐性は万全の物とは言い難いのだ。

 

余談ではあるが、このクラスによりチンチラはアインズ・ウール・ゴウンにおける最強の一角となった。ただし、それは前衛最強でもなければ後衛最強でもない。騎獣最強としてである。

そのものの戦闘能力もアインズ・ウール・ゴウンが誇る前衛陣に並ぶほどに高く、尚且つ、ドラゴンのクラスによって飛行も可能。至近距離から遠距離まで攻撃可能な上、サイオニックによる戦闘補助、更に状況に応じてアイテムまで使用できるチンチラは騎乗生物として破格の性能を有している。

そのため、非常に便利に使われていた。騎乗したプレイヤーに騎乗スキルを付与する鞍を背に、ギルド戦に措いて敵後方に戦力を運ぶためのタクシー代わりにされたり、敵中に前衛が突撃する際の乗り物として使われたり、魔法職を背中に乗せて文字通りの肉盾になったり。結果、掲示板でユグドラシル史上最強の騎獣としてネタにされたりもしていたのだが然もありなん、と言う所だろう。

 

 

――閑話休題。

ともかく、そう言った理由もあってチンチラは自分で指輪を着脱する事は考えていなかった。

何せ、動かせるのが初めから解放されている部分だけなのである。それでは何の意味もない。

ならば課金によって枠を拡張していない相手に新しく指輪を着用してもらう方が良いだろう。そして、御誂え向きにそんな相手が目の前に居る。

 

「さてと、武器に関しては分かった。残るは防具とスキルなんだが、まあ手早く済む方からだな。――ユリ、これを付けろ」

 

チンチラはアイテムボックスから三つの指輪を取り出す。

第一に、リング・オブ・フリーダム。束縛や行動制限を無効化する効果を持っている。

第二に、リング・オブ・ギュゲース。伝説に謳われるギュゲースの指輪の名を冠したこのアイテムは、第九位階魔法≪完全不可知化≫(パーフェクト・アンノウアブル)を三回まで発動できると言う効果を有している。ただし、使用しきった後のリチャージに装備状態のまま、一日間を要するものでもあった。

そして、第三に――。

 

「……こ、れは―――…」

 

指輪を受け取ったユリが己が手の内を見て固まった。

三つめの指輪の名は、リング・オブ・アメジスト・スケイル。チンチラ謹製のこの指輪は、肉体戦闘による与ダメージ上昇効果に加え、装備者に≪上位激怒≫(グレーター・レイジ)、及び激怒中に使用不能となるスキルを二つまで使用可能とする≪熟達した激怒者Ⅱ≫のスキルを付与する物だ。その効果だけならば、前衛にとってはかなり有用ではあるがそれだけのアイテムである。

だが問題はその設定にこそあった。このアイテムはチンチラが自身が倒された際のドロップアイテムとして遊び心で作成した物であり――当人は忘れているものの、チンチラの鱗を用いて作られた物だと設定されている。

そんなものを渡されたユリは一瞬思考停止状態に陥った。至高の存在、その肉体の一部をアイテム化したものなど階層守護者や他の姉妹たちですら手にした事があるかどうか。

 

「よ、よろしいのですか? これほどの品物をお貸しいただけるなど……」

「うん? そう大したものでもないだろう。欲しいならやるぞ? あ、リング・オブ・ギュゲースだけは駄目だ。それは一つしかないし、結構有用な効果だからな」

「っ! ぜっ、ぜひお願いします!」

「ああ、うん……。まあそれはそれとして、装備してみてくれないか」

 

ユリは震える声を必死に抑えながら、確認する。返ってきた言葉はと言えば――。

ものすごい勢いで食い付いたユリに、なんでこんなに必死なんだろうとばかりにチンチラは内心で首を傾げた。

自分が作ったアイテムだからだろうか? それにしたって、反応が過敏すぎる様な気がするのだが。理由が分からないまま、それでもとりあえず先を促しておく。

応じてユリは細い指へと静かに指輪を嵌めていった。一つ、二つ。そして、震える指先が三つめ、紫水晶の指輪を手にして止まる。

僅かな間を置き、その指輪が嵌められた先は――左手の薬指。

 

「ちょっ、おまっ……」

 

自作アイテムを左手の薬指に嵌められたチンチラは思わず声を上げかけた。

が、次の瞬間、嵌められた指輪が幻の様に虚空へと滑り落ちていた。軽い音を立てて金貨の上へと落下し、跳ね返る。

寸前の事にこそ動揺したものの、スロット拡張のされていない状態で装備を行おうとした段階である程度の予測をしていたチンチラは直ぐ様対応し、宙に浮いた指輪をその手で掬い取っている。

しかし、その光景に凍り付いたのはユリだ。

 

――至高の御方に自ら望んで下賜して頂いたアイテムを落としてしまった。

その上、先に言葉にされかけたのは叱責ではないだろうか。

 

「もっ、申し訳っ……申し訳ありませんっ!」

 

ユリは勢い良く頭を下げた。その声は裏返り――それのみに留まらず、震えすらしている始末。

声音から感じ取れるのは自身の失態に対する後悔、そして恐怖と、不安だ。

先にあった出来事からその忠誠の深さをある程度理解していたチンチラではあったが、先のアーグロシュの時とはあまりにも違う反応に思わず目を白黒させる。

なんでどうしてこうなっているのだ。別に、アイテムを一つ落としただけの事だと言うのに。

 

「いや、いいから。頭を上げてくれ。ほら、指輪を持って」

 

ユリの手を取り、落ちた指輪をその手に握らせてやりながらチンチラは優しく声を掛けた。

それは女性に対する態度と言うよりは、子供に対する態度ではあったが――当人もそれを意識してのことである。

それが功を奏してか、ゆっくりと顔を上げたユリに対して、チンチラは更に言葉を重ねた。

 

「これもさっきまでの実験の続きだ。こうなることは、一応予想はしていたんだ。本来なら、指輪は一人につき二つまでしか装備する事ができないからな。

 まあ、ある手続きを踏む事で、装備数を増やす事はできるんだが――果たしてそれをしていない者が指輪を三つ以上装備できるのか。それを確かめたかっただけなんだ。

 だからおまえが謝る事なんて何一つないぞ、ユリ。……まあ、なんで左手薬指に嵌めようとしたんだ、って言うのは気になったが」

「それ、は――」

 

意味知ってるのか?と困惑した様子で見詰める主を前に、どうにか落ち着きを取り戻したユリはその片手を己が左胸へと宛がった。

そこに抱いているのは心臓。アンデッドであるが故に鼓動を刻まない、ただ在るだけのそれを示す様に触れたまま、チンチラの目を見詰める。

 

「……左手の薬指には、心臓に繋がる血管があるのだそうです。その指に指輪を嵌めるのは、心臓を捧げると言う意味も持つと。

 私の心臓は最早鼓動を刻んではいませんが、それでも――これほどのアイテムを下賜頂いた喜びを、この心を捧げることで示したい。そう願い、この指に嵌めさせていただこうと思いました」

 

ご迷惑だったでしょうか。そう言葉を結んだユリを前に、チンチラは静かに息を吐いた。

第一に、婚約指輪として受け取られたのかと超展開もいいところの誤解をしかけた自分の浅はかさに対して。

第二に、自作指輪が何故かとんでもないアイテムとして受け取られている事に対して。

 

――今度から自作だとか、ギルメンが作成したアイテムを渡す時には気を付けよう。

 

そんなに数がある訳ではないが。

 

「いや、そんなことないぞ。ただ、思ったよりもずっと大事にしてもらえそうで驚いた。ありがとう、ユリ」

 

ともあれ。無難に言葉を結ぶことで流れを切り上げると、チンチラはリング・オブ・ギュゲースを受け取る。

それをアイテムボックスにしまい、視線を上げれば――改めてユリの薬指へと嵌められたアメジストの指輪が目に入った。

その光景に妙な気恥しさを感じ、チンチラが視線を逸らした、その時である。小さなノックの音が耳に届く。

実験を切り上げるにも、今の雰囲気をどうにかするにもこれ以上ないタイミングである。

 

「ああ、デミウルゴス達かな。ユリ、出迎えてやってくれ」

「畏まりました」

 

誰か知らないがナイスだ、とホッとしつつも、チンチラはユリを扉へと向かわせると黄金の山に腰を下ろしてこの後の段取りを再確認し始めた。

だから――気付かなかったのだ。

何処か嬉しそうに、薬指に嵌めた指輪を撫でるメイドの姿に。その口元が幸せそうに緩んでいる事にも。

 

もちろん、ユリは知っている。左手薬指に指輪を嵌める事の意味を。

そして、チンチラもその意味を知っている。ユリは、チンチラの反応からそれを悟っていた。

そして。……それを、迷惑だからと止められなかった――。

 

出来心だった。唯二人、残ってくださった方々に少しでも近い所に。そう思っての行動だった。

声を上げられたときには、見透かされたと思った。けれど。

 

御方に偽りを述べたという罪悪感。心臓を捧げることを、拒まれなかったと言う喜び。そして――。

 

胸に灯った幸福感を、生真面目な表情で覆い隠して。ユリ・アルファは扉を開けた。




なんか流れが予定外の方に暴走し始めたのは眠い頭で書き上げたせいですねきっと。
感想返しはまた後程!


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