桃香ちゃんと白豚 (キューブケーキ)
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出逢いは唐突に

 みなさんはフィンランドと言う国をご存知でしょうか?

 フィンランドは遠い遠いヨーロッパにある寒い北国です。

 そこには家の中で過ごすために日に当たらず色白で、脂肪を溜め込むためにずんぐりむっくりとした体型の種族がいました。それがムーミン族です。

 あるときムーミンパパは家を飛び出してしまいました。

 いつまでたっても帰ってこないパパを心配したママとムーミン坊やはパパを探して旅に出ました。

 途中でスニフとであったり、色々と冒険をした末にパパと再会しました。

 それがヤンソンさんの描いた「小さなトロールと大きな洪水」の物語です。

 

 ではその間、ムーミンパパはどこで何をしていたのでしょうか?

 それがこのお話です。

 

 パパは若い頃、冒険家をしていました。

 SEALsの一員でパナマ侵攻にも参加した、いや日本の内務省で不正規特殊作戦に携わっていたと言う噂もありますが、本当の所はどうなのでしょう?

 パパは自分の体験を大袈裟に言う事もありますが、ムーミンママを助けた勇気や、恋に落ち結ばれたのは事実です。子育てと言う冒険は道なき道を切り開き大変です。

 ですけど、パパの心はいつも刺激を求めていました。

 冒険!

 そう、男なら誰もが憧れる冒険家の魂がくすぶっていました。

 

 ある時、ニョロニョロにそそのかされたパパは、おさびし山を越え、丘を越え、海にやって来ました。

「この海はどこまで続いているのだろう」

 雄大な海に心を奪われのんびりと一時を過ごしていました。

 あら、あれは何でしょうか?

 パパが辺りを見回すと一艘の小船が浜辺に座礁していました。

 長い間放置されていたのか、帆は朽ち果て甲板や舷側の板も痛んでいます。

「これは素晴らしい!」

 少し手直しすればまだ十分に使える様で、パパの目には宝物の様に見えました。

 トントン、カンカンと金槌を奮い、早速、浜辺の漂着物をかき集め小船を修理し始めたパパです。

「ふふ」と笑い声を漏らして鼻唄混じりに楽しげです。

「いざ行かん。大海原へ!」

 夕暮れが海に沈む中、真新しい帆を広げて小船は出帆しました。パパの気分は最高です。

 しかし、素人が修理した船です。上手く行くはずもありませんでした。

 数日後、元の浜辺へ小船の残骸が漂着していました。

 

 

 

 劉備玄徳こと桃香は、涿郡涿県(たくぐんたくけん)の生まれで貧しいながらも(むしろ)を売って母と生活していました。人は憐れみますが、体を売るほどではないだけまだましです。

「今日はたくさん売れてよかった」

 なんでも、賊の討伐でたくさん死人が出たと言う事でお役所がまとめ買いをしてくれたのでした。

 明日もたくさん売れると良いな、なんて物騒な事を考えながらお家に帰る桃香でしたが、途中であるものを見かけました。

「あれ何かな」

 丸くて白っぽい豚が道端に寝転んでいます。食べれる物なら良いな、なんて考えて近づきました。

「白豚さん?」

 豚肉と言えば栄養満点のご馳走です。

(お母さんに食べさせてあげれば喜ぶかな)

 これこそ天の恵みと、家に持って帰ることにしました。

「よいしょっと、重いなあ」

 だきかかえましたが、ちょっとやそっとでは動かせません。

「ん……?」

 白豚が目を覚ましたのか声を漏らしました。まあるいつぶらな瞳と視線が合います。

「こんにちは?」

 思わず声をかけてしまった桃香ですが、豚相手に何を言ってるんだろうと内心で突っ込みを入れました。

 ところが豚は返事を返しました。

「こんにちはお嬢さん、ここはどこかな?」

 硬直する桃香。何しろ豚が喋ったのです。仕方ありません。

 意外と渋い声です。

「涿郡涿県だよ」

「涿郡涿県? 知らないな」

 豚をまじまじと見詰めて桃香は考えます。喋る豚なんて殺すのは罪悪感がとてつもない事になりそうです。

(ああ、白豚さんを食べるのはダメだよね?)

 そう考えていると豚は辺りを見回して「あったあった」と、黒い帽子を見つけて被りました。

 妙に似合う姿です。桃香の視線に豚は会釈を返しました。

「おっと、自己紹介がまだだったね。私はムーミンパパ、気楽にパパと呼んでくれ」

「うん。私は劉備玄徳、桃香で良いよ」

 何となく真名を許し、何となくですが変な生き物を拾った瞬間でした。

 

 

■パパの日記

 

 ○月△日

 愛する家族よ。私は今、見知らぬ国にいる。

 船が難破した事は覚えている。そしてTVもPCも電話も何もない国だ。

 ロードランの様に、時間の流れに淀みがあるのだろう。

 この国である少女と出会った。名を桃香と言う。

 彼女に命を救われて今日の私がある。

 しばらくは家に帰れそうもないが、許してくれ。

 だが必ず帰ると約束をしよう。



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物語は唐突に!

 ムーミンパパが桃香に拾われて数ヶ月が過ぎました。その間、ムーミンパパも家に帰ろうとはしたのですが帰り道がわかりませんでした。「パパ、行く所が無いならうちに居ても良いよ?」と、桃香の家で居候となったのです。

 もちろんパパは遊んで過ごすほど子供ではありません。妻子を持つ大人の男として、困っている婦女子は助けるべきだと積極的に家事を手伝いました。

「ただいまお母さん。今日も蓙がたくさん売れたよ」

 桃香とムーミンパパが街から帰ってくると夕食の時間です。食卓に並んだお皿から何だか凄い臭いがします。顔をしかめるムーミンパパ。どうしたのでしょうか?

「良かったわね。今日はガンギエイとユムシの刺身よ」

 喜ぶ桃香と呆然としたムーミンパパの表情が対称的です。

「わーい、私の大好物だよ!」

 悪食と言う言葉がありますが、貧しいと言う事は生きるために何でも食べます。ムーミンパパの長い人生ででも初めての体験と言えました。

 桃香もその母も、ムーミンパパがやって来るまでは母子二人っきりの生活で、朝から晩までくたくたになるまで働いていました。女手一つで娘を育てる母は体を壊してしまいました。

「お母さんの分も私、頑張って働くから!」

 今ではムーミンパパと言う家族(はたらきて)が増えて大助かりです。

「パパ、いつもありがとうね。ユムシも食べてね、美味しいよ」

 桃香の差し出す皿からユムシを一つ摘まみました。

 ムーミンパパが家の仕事を手伝い貯蓄が増えると、桃香も母も休む事が出来るようになりました。たまには栄養のつく物を食べて鋭気を養います。

 食卓を囲み団らんをしていると、村の入り口で騒ぎが起きていました。

 駆け込んできた村人は遠出をしていた帰りでした。武装した一団が村に向かう所を目撃して家路を急いだのでした。

「大変だ、賊がやって来るぞ!」

 村中に知らせが走り、村の自警団は農具や武器になりそうな物を手に駆け出し集まりました。

 桃香は悲しそうな表情で叫びました。

「みんな話し合うべきだよ! ご飯さえあげれば帰ってくれるよ」

 博愛の精神を持つ桃香は愛が人を救うと信じていました。ですから食べかけのお皿を手に飛び出しました。お腹が空いているから怒りやすくなる。お腹が一杯になれば満足して帰ると考えての行動でした。

 パパがお母さんに視線を向けるとおろおろとしていました。桃香の行動はいつも突発的です。

「ムーミンパパ、桃香をお願いします」と頭を下げられましたので、頷いてシルクハットを被るとパパは桃香の後を追いました。

 

 

「雑魚が、手間かけんじゃねえ」

 村の入口に集まった自警団は賊に蹴散らされていました。戦闘訓練さえしたことのない素人では武装ゲリラに敵いません。

 止めを刺そうと剣を振り上げた時、「待って!」と、皿を持って桃香が現れました。

「これはこれは」

 中々、立派な胸を持った桃香に下卑た視線を向けながら賊は取り囲みました。鴨が葱を背負ってやって来てくれたぐらいの感覚でしょうか。

「お願いです。食べ物ならあげますから、村には手を出さないで下さい」

 なんて健気な少女でしょうか。

「分かってるじゃねえか、姉ちゃん」

 賊の頭目は桃香から皿を引ったくると手を伸ばしました。ですが手が止まりました。

「おい、何だこれは」

 不思議そうな表情を浮かべる桃香ですが、皿から漂う腐敗臭で頭目は怒りの表情を浮かべています。

「ガンギエイですけど?」

 何言ってるのと言う態度が火に油を注ぎます。

「てめえ、そんな物が食えるわけねえだろ。ふざけてると皆殺しにするぞ!」

 剣を向けてくる頭目ですが、桃香は逆に怒りました。

「なんて事を言うんですか! ガンギエイだって立派なご飯ですよ」

 そう言うと桃香はお皿に盛ったガンギエイを一口食べました。その様子を見て青ざめる村人と賊たちでした。

「こんなご馳走、滅多に食べられないのに、その美味しさが分からないなんて!」

「おめえの舌はどうなってるんだ」

 さらに頭目が何かを続けようとした瞬間でした──。

 ムーミンパパの蹴りが桃香を後ろから拘束しようとしていた賊を倒しました。

「何しやがる!」

 色めき立つ賊ですがムーミンパパの姿を見て硬直しました。人ではありませんが二本の足で立っています。体格は豚に近い。でも身に纏う空気はただ者ではない雰囲気を出していました。

 額に汗を浮かべながら得物を構える賊たちですが、パパはどこ吹く風と自然体です。ですから余計に不気味に見えました。

(何だこいつ、妖怪か?)

 村人たちにはここ数ヶ月で見慣れた姿ですが、初対面には奇異な物に見えます。その上、人語を喋ったのです。

「君たち、女性に対して暴力はいかんよ」

 その一言がきっかけとなりました。

「うるせえ、この豚野郎が!」

 挫けそうな気持ちを奮い起たせて頭目がパパに斬りかかりますが、軽く軌道を避けてムーミンパパの教育が始まりました。

 膝を蹴り砕き、腕をへし折り、次々と賊を無力化していくムーミンパパの勇姿に村人は沸き立ち、賊は恐慌状態に陥り逃げ出しました。

 

 

 盗賊を撃退した噂は周辺に広がりました。食べ物も録にない村だが、白豚に守られていると。

 桃香は事件の後にムーミンパパと相談しました。

「この世の乱れに困っている人々がたくさんいる。私はそんな人たちを助けてあげたい」

 黙って聞いていたムーミンパパは桃香の純粋な気持ちを心配しました。

 世の中には悪い人も居ます。そう言う人たちは彼女の善意を利用しようとするでしょう。騙されてひどい目に遭わされるかもしれません。

「桃香は抜けてる所があるから心配だよ」

「何それ、パパ酷い。私は本気だよ」

 お母さんが一人で食べていく分には十分な貯えもありますので、ムーミンパパは桃香に付き合って村を出る事にしました。ロシア人が「パンにはパンを」と言ってるように、恩義には恩義で報いるのが世間の常識です。

 村人はパパが旅立つ事を残念に思いました。ムーミンパパに、どうかこの村に留まって貰えませんかと申し出をしましたが「犬でも飼うと良い」と淡白な反応を返しました。

 ムーミンパパにとっては家族が第一です。この数ヶ月で桃香とお母さんは家族と呼べる絆ができました。だから桃香について行くのです。

「お母さん、行ってくるね!」

 元気に手を振って桃香とムーミンパパは旅立ちました。

 

 

■パパの日記

 

 ○月□日

 桃香が困っている人を助けたいと言い出した。

 私も彼女の手助けで村を出ることにした。

 大きな街に出かければムーミン谷に帰る術も見つかるかもしれない。

 それと彼女の偏食も治るかもしれない。

 あの絶望的な味覚音痴は、彼女の為になら無い。彼女の容姿で求婚がなかった訳もこれだ。

 もしママが桃香みたいな舌をしていたら、私たちの結婚生活も破綻していただろう。

 これは大人としての義務だ。

 彼女の舌を治して見せる。



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井の中の蛙、大海を知らず

 薄汚れてはいますが一般基準で見るなら十分に美しい分類に入る少女が、一人で山道を歩いていました。少女から女性になる発育期の体に欲望を感じる者はいます。ほら──。

 気配を感じて少女が得物を構えると、いかにも悪人面をした男が茂みから現れました。

「へへ、勘が良いな」そう言いながら少女を取り囲んだ賊は三人でした。すえた体臭を漂わせながら、欲望を隠そうともしないぎらついた野獣のような眼差しを向けてきます。

 しかし少女に動じた様子はありませんでした。

「賊か」

 可愛いけど意思の強さを感じさせる凛とした声です。それだけで賊は期待感からゾクゾクとしました。

「そう言う事だ。持ってる物を出してもらおうか」

 この時代、名の通った武芸者や有力者はほとんど女性でした。一人旅のこの少女も腕に覚えのある者とわかります。

 ですが賊は三人で、背後を取ってる事から自分達の優位性を信じていました。山道を通りかかる旅人を襲い金目の物を奪う生業ですが、少女のような磨けば輝く上玉は初めてです。

「あ、兄貴、売る前に味見をしましょうぜ」

 何かもう勝った積もりで相談を始めていますが、武器を相手に向けると言う事は殺す事も、殺される事も覚悟しての事でしょう。

「それがお主たちの信念ならば受けてたとう」

 そう言う黒髪の少女は関羽雲長、真名を愛紗と申します。愛紗は司隷河東郡解県の人で、色々ととらぶるがあって幽州涿郡にやって来ました。

 賊に取り囲まれていましたが、愛紗の財布の中身はわびしい限りです。

 危機ではなく棚からぼたもち、降って沸いたチャンスです。

 悪は斬る。相手に反応の暇を与えません。正面のノッポの首を斬り飛ばすと左側にいたデブにノッポの体をぶつけました。デブが倒れている間に背後のチビを一刀で切り伏せました。

「ひいいい」悲鳴をあげてノッポの首なし死体をどけようともがくデブも、すぐに二人の後を追いました。

 世の中は弱肉強食で、弱者は強者が焼肉定食を食べる糧になるのです。ましてや悪党を相手に何を遠慮する事がありましょうか?

 南無阿弥陀仏、アーメン、安らかに眠れってことです。そして食事と宿代げっとです。

「しけてるな」

 金目の物をあさると愛紗は死体を茂みに引きずり放っておきました。いずれ鳥獣が処理してくれるでしょう。

「む!」

 山道を怪しげな異形の物がやって来ます。その後ろには少女が続いています。

 愛紗はふと昔に巷で聞いた話を思い出しました。豚の妖怪が美女を拐う描写がありました。

(化物に拐かされた娘か!)

 正義感から助けようと飛び出しました。

 

 

 

 村を出た桃香とムーミンパパは、西に盗賊に困っている村があると聞けば討伐に向かい、東に山賊の出る山があると聞けば山に向かうと言う事で経験を積みながら人助けをして過ごしていました。お陰でお礼も貰えて一石二鳥です。

 今回は桃香の知り合いである公孫瓚の治める街へと向かう途中でした。

「白蓮ちゃんはね、盧植先生の所で一緒にお勉強したお友達なんだ。それで出世したんだけど、人手が足りなくて困ってるらしいの」

 友だちは大切にしないといけない。その事はムーミンパパにも分かります。

 青春時代を共に過ごしたフレドリクソン、ロッドユール、ミムラ夫人、ヨクサル。みんな今でも大切な友だちです。

「私は息子のムーミンや子供たちに常々言ってる事がある。友だちを大切にしなさい。困っていたら助けてあげなさい。損得で考えるのは友ではない、とね」

「そうだね!」

 嬉しそう返事をする桃香でしたが、足を止めて不意に鼻をひくつかせるムーミンパパにぶつかりました。おや、どうしたのでしょう?

 風に乗って血の臭いがしたのでした。

「パパ、どうしたの?」

 桃香が声をかけた瞬間、茂みから何かが殺気を纏って飛び出てきました。

(黒い死神──)

 桃香の脳裏にふとそんな言葉が浮かびました。

 黒い影は桃香とそれほど年齢も変わらない少女です。ですが見た目とは裏腹に凄まじい攻撃をムーミンパパに放っています。

「何をするんだ君は。落ち着きなさい」

 最初の攻撃を軽く回避しさけ続けるパパに、攻撃を仕掛けた少女、愛紗の落ち着きは失われていました。

「うるさい、黙れ!」

 愛紗は聞く耳を持っていません。ムーミンパパを悪党と判断しての行動です。

 一撃どころか攻撃をすべて回避され、愛紗の頭は怒りで一杯でした。

 溜め息をはくとムーミンパパは、手頃な長さの木の枝を拾いました。武器を手にした事で愛紗は警戒を強めます。

「すまないね」

 そう言うと、擦れ違い様に愛紗の首筋を殴打します。

「くっ……」

 敗北を実感しながら愛紗は意識を失いました。

 

 

姆明爸爸(ムーミンパパ)?」

「そうよ、パパに謝ってね」

 気がつくとムーミンパパに膝枕をされていた愛紗は、飛び上がって驚きました。

 誤解を解くとお互いに自己紹介をしました。

「申し訳ありません」

 万が一殺していれば、首を差し出して済む問題ではありませんでした。

(いや、そもそもムーミンパパに私は一太刀も浴びせる事が出来なかった。あの力量は本物だ)

 対峙して分かる力量の差で、まさに武神と言うべき動きでした。ムーミンパパが本気だったら命は無かったでしょう。

(私は手加減されていた……まだまだ未熟だ)

 完敗です。自分の慢心を自覚した愛紗はパパに武の教えを請い、二人についていく事となりました。

 

 

■パパの日記

 

 ω月ω日

 私の弟子になりたいと愛紗は言ってきた。

 彼女のような子供たちが戦わねばならないとは、嘆かわしい国だ。

 この国の大人たちは何をしてるのだろう?

 少なくともムーミン谷では子供たちは楽しく遊んで暮らせた。

 こんなにも酷い国があるとは悲しいことだ。

 平和のために力を求める愛紗の気持ちがよくわかった。



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鈴々の場合

 張飛翼徳は幼い少女でしたが、その剛力を買われて幽州涿郡を根城にする盗賊団の構成員でした。真名の鈴々は拾われる前からの物です。

「お(かしら)、張飛が戻ってきました」

 義勇兵による討伐が何度か行われましたが、この盗賊団は鈴々の戦闘力に助けられ度々、返り討ちにしてその勢力を拡大していました。孤児であった鈴々を拾った頭目は育てて売り飛ばす予定でしたが、予想外の拾い物と喜んでいました。 

「鈴々、ご苦労だったな」

「鈴々に任せれば簡単なのだ」

 幼い体に秘められた力は一騎当千でした。ですが頭目は鈴々と言う手駒を大切に扱いました。

 盗賊団は略奪、誘拐、殺害、脅迫を行いますが、鈴々には汚れ仕事はさせず、自衛として討伐の相手だけをさせていました。

「ははは、頼もしいな。これからも頼むぞ」頭目はそう言うと、鈴々の頭を撫でました。

「にゃははは、任せるのだ」

 もう少し体の肉付きもよくなれば、抱いて情で縛り付ける事もできる。

 自発的に協力させるのはそれからと、そんな事を考えていました。

 

 

 治安と行政を司る公孫瓚の下に、民から討伐の依頼はありました。傍観していた訳ではなく、事態を鑑み治安維持、民の保護の為に一部の兵を派遣しました。ですが斥候を頻繁に送っていた事から討伐を察知され、逆に橋梁の焼き討ち等で連絡を断たれて討伐は失敗しました。

 民の危急を救わんと公孫瓚は義勇軍を組織させて、街や村の警備を任じました。その一つを桃香は預かっています。

「前回、賊は我が討伐部隊に対して積極的な襲撃に出ました。討伐部隊が破れたことで賊は匪化横行しており、公孫瓚殿の威信は地に落ちましたぞ」

 賊と言うのは皆殺しにしなければ増殖するだけです。水色の髪を持つ武官が公孫瓚に断固たる懲罰を求めていました。

「白蓮ちゃん、私とパパ、愛紗ちゃんに任せてよ!」

 桃香の物言いは内輪だけの話し合いなので砕けた口調です。ムーミンパパはタバコをふかせてその様子を傍観していました。彼女が危なくなれば助ける。それだけですから。

「しかしなあ、桃香。幾らなんでもお前らだけと言うのは無理があるのでは無いか?」

 公孫瓚の言葉に先程の武官、客将である趙雲が助言をしました。

「そんな心配はご無用ですぞ。私の槍を凌ぐパパ殿、それに愛紗の腕は確かですからな」

 初日に対面し、妖怪と見た趙雲の本気による攻撃を凌いだムーミンパパは武官連中から絶大な信頼を得ていました。それに趙雲は、愛紗とも試合を行い互いに認めあって真名を交換していました。

「うーん、危なくなったら帰ってくるんだぞ?」

 目的は秩序の回復と維持にあります。

 本当ならムーミンパパの力を借りたくはありません。人の力で解決できないと思われるからです。ですが心優しい公孫瓚にとって大切なのは民の暮らしで、自分の面子ではありません。

 遂に人外の武力を以て討伐する事を決意しました。

「うん、ありがとう白蓮ちゃん」

 計画は簡単、敵の首魁である頭目の拘束を目的とした少数精鋭による襲撃です。

 

 

 物事はすんなりと進まない物です。

 賊の根城に繋がる橋の手前で桃香たちは、豚に乗った少女と遭遇しました。

「鈴々は張飛なのだ」

 少女の名乗りに愛紗は尋ねました。

「それで私たちの行く手を遮るとは何だ」

 橋の真ん中に居座った豚と少女が邪魔でしたが、物騒にも矛を構えていました。

「鈴々は張飛なのだ」

「だから何だと言っている」

 愛紗の言葉に少女、鈴々は怒鳴り返しました。

「鈴々は張飛なのだと言ってるのだ」

 話が噛み合っていません。桃香は愛紗に代わって尋ねました。

「えっと張飛ちゃん、それで何か用があるのかな? お姉ちゃんたち、向こうに行きたいんだけど」

 すると鈴々は、ぱっと顔の色を明るくして宣言しました。

「鈴々はお前たちを通さない。皆を守るのだ」

 その言葉に愛紗は反応し得物を向けました。相手は賊の一味です。

「はあ? お前のような子供がか」

 馬鹿にしての発言に鈴々は怒りの一撃を放ちました。

「鈴々は子供ではないのだ!」

 咄嗟に得物で身を守りましたが、受け止めた愛紗の腕は軋みました。

(重い一撃だ!)

 得物を持つ手が痺れそうでした。

「訂正しよう。お前はただの子供ではない」

「愛紗ちゃん!」

 飛び出そうとする桃香をパパは抱き止めました。それを見て愛紗はパパに目礼をします。

「桃香様、ここは私にお任せ下さい」

 そう言うと、鈴々と激しい斬り合いを始めてしまいました。もう桃香の声も聴こえていません。二人だけの闘争の世界に入っています。

「パパ、二人を止めて!」

「お互いに納得済みだよ。止めるのは野暮だね」

 少女たちは武人であると言う事をパパは理解していました。ただの殺人道具だと言う事も。

(賊も、何の対抗処置や備えをして居ないとは思わなかったが子供一人だと?)

 パパは鈴々を捨て石の罠ではないかと考えました。でもできれば利用されている鈴々は救いたいと思いました。

 

 

「はぁ……はぁ……いい加減に……降参したら……どうだ……」

「そっちこそ……降参……しろ……なのだ……」

 肩で息をしている二人の吐息、汗の臭いだけで興奮できる人も居るでしょうが、体に擦り傷を作り血を流してる姿は痛々しい物です。

 ふと鈴々は桃香とムーミンパパの姿の姿が無い事に気づきました。

「お姉ちゃんたちは……どこに行ったのだ?」

「何」

 愛紗も鈴々言葉で初めて気がつきました。

「桃香様、パパ?」

 辺りを見回すと、鈴々の背後に煙があがっていました。

「なっ……」

 賊の砦が焼けているのでしょう。誰がやったかなんて答えはわかっています。

 向こうからムーミンパパと桃香が戻ってきました。

「ああっ!」

 鈴々は戦いに夢中になってる間に抜かれた事に気づきました。「ズルいのだ!」と怒鳴る鈴々の前にムーミンパパはぼろきれの様になった頭目を放り出しました。

「お頭!」

 慌てて駆け寄る鈴々ですが、頭目は鈴々を使えない奴だとなじりました。

「お前なんかをあてにした俺が馬鹿だった」

 その言葉に泣きそうになる鈴々でしたが、桃香が頭目を平手打ちしました。

「張飛ちゃんに酷い事を言わないで!」

 鈴々は頭の足りない子なりに考えて、皆を守ると戦いました。その気持ちに嘘はありませんでした。

「お姉ちゃん……」

 その後、役人に引き渡された頭目は斬首となりましたが、鈴々は利用されていただけと言う事で目こぼしされました。

 討伐が一段落して落ち着くと桃香は皆を連れて花見に出かけました。

「結局、パパはお姉ちゃんの何なのだ?」

 桃香に引き取られた鈴々はムーミンパパの事を尋ねました。

「パパは私のお父さんみたいなものかな」

「お父さんか」

 ムーミンパパは、パパという言葉がお父さんという意味だと教えました。

 儒教の教えでは年長者や先輩、親は敬うそうです。桃香を姉貴分として愛紗や鈴々は慕っています。

(桃香様が父と慕い信頼する相手ならば、ムーミンパパは私の義父様になるのか?)

 愛紗がそんな事を考えていると「お父さんなのだ!」と鈴々は嬉しそうにムーミンパパに抱きついていました。

「じゃ、私も!」と桃香もムーミンパパに抱きついています。

「むむむ」

 自分も抱きつくべきか愛紗が悩んでいると、視線の合ったムーミンパパが頷きました。

「義父様!」

 愛紗もパパの空いてる胸元に飛び込んでいきました。何だか雰囲気に流されてる気もしました。可笑しくなって、くすくす笑いだした愛紗に桃香と鈴々の笑い声も加わります。

 桃の木の下であった事から、後に脚色されて桃園の誓いと呼ばれる出来事です。

 

 

■パパの日記

 

 ∀月∀日

 娘が三人も出来てしまった。

 家族が増える事は良いことだ。

 彼女たちをいつか私の家に招待したいと思う。

 戦いの無い日常で心を癒してほしい。



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次はどこに行くの?

 北郷一刀は残念無念の人である、と正史三国志の北郷伝には記されています。

 気がつけば生後数ヵ月の赤ん坊に戻り広野にいた彼は、幸運な事に子供の居ない商人に拾われ養子となりました。

「お前は北家の後継ぎだ。今日から北郷一刀だ」

 赤ん坊である一刀にとってはまだ目も見えない状態でしたが、両親からの愛情を深く感じることが出来ました。

 姓を北、名を郷、字を一刀、細切れにされていますが、以前と同じ北郷一刀と言う名前に何者かの力を感じずには居れなかったそうです。

 すくすくと育ちながら一刀は、この国の事、一般常識など色々と学びました。

(三国志時代ってどういう事だよ。しかも著名人が性別逆転の女体化って、何てエロゲー?)

 漢帝国が斜陽の時代、口減らしに子供を売ったり、あるいは労働力、性奴として拐われる事も頻繁にありました。そう考えると一刀は運が良い方でした。

 誘拐される事もなく人並みに勉学を身につけて、荊州南陽郡を治める袁術公路の下に任官できたのですから。就職したからには出世して育ててくれた養父母に恩返しをしようと考えていました。

 上役は袁術の軍師と名高い劉勲(りゅうくん)。袁術の推薦により蜂蜜監督官に配属された新米を鍛えてやろうとやってきました。

(俺は武官ではなく文官枠での採用なんだけど……)

 現代人である一刀は幼き頃から甘味に飢えていました。砂糖はこの時代、貴重品であり花の蜜でも舐めるぐらいしかありません。

(そうだ、蜂蜜だ!)

 実家が商家と言う事で、養蜂所を作り甘味の提供を提案しました。

 商売としてそこそこ儲かり、需要に対する供給量も安定すると新たな甘味を探しました。

(甘いだけでは飽きるよな)

 スイーツと呼べる物を生み出す料理人として腕はありませんが、味の探求は一刀の心の支えとなりました。

 そこで金と暇をもて余した袁術に仕官し、自らの考案した蜂蜜水を献上する事で地位を得ました。

「美味い! 一刀は天才じゃのお」

 チュールレースに蜂蜜を溢した袁術の姿に一刀は苦笑を浮かべます。そこまで喜んで貰えれば作り手としても嬉しい物です。

「ありがとうございます」

 未知の甘味を体験した袁術はそれ依頼、ず~~~~~~っと蜂蜜水を求め続けました。こんな食生活を続ければ歯はボロボロになりそうなものですが、そこはしっかりと歯磨きを行っていました。

「一刀よ。おめえさんは陸戦の基礎を知らねえ。文官だから、仕方ねえって言えば仕方ねえが、それで袁術様の蜂蜜を任すのは不味すぎる」

 劉勲から言われた言葉は年期の分だけ重みがあります。相手は陸戦の神様とあって反論も出来ません。

(俺の仕事は蜂蜜を管理するだけなんだけど、この人には言っても無駄だな)

 一刀は甘味を作っただけでした。武官を志し校尉に進んだ者や軍師とは志が違います。ですが不満を顔に表しはしません。相手は将軍職に匹敵する軍師ですから、何か目をつけられると厄介です。

「とりあえず、これを読んでおけや」

 そう言って袁家で軍の育成に使う教範類を渡されました。

(マジでこれを読破しろってのか。軍師になった積もりはないんだけど……)

 げんなりしつつも、受け取ると与えられた自室に戻りました。

「一刀さん」

 張勲こと、七乃が声をかけてきました。袁術様お付きの守役と言うべき立場の人物です。

 プリーツのスカートは膝上でハイソックスとの絶対領域が色気を漂わせます。

「なんだ、七乃か」

 実は一刀と七乃は幼馴染みで真名も預けられていました。一刀自身は真名がありませんがそんな事は些細な事です。

「おやおや、とんだご挨拶ですね。ま、そんな事より一刀さん、お昼を一緒しませんか?」

 普段はお嬢様、お嬢様と言って袁術を優先している七乃が一人なのは珍しい事です。

「せっかく誘ってくれたのに悪いが劉勲将軍より宿題を頂いたので、ゆっくりと食事をとっている暇は無いんだ」

 申し訳ないと七乃に頭を下げました。七乃は美人の範疇に入ります。見た目は良いので、用事さえなければ一刀もホイホイとついていった事でしょう。

「そうですか(ちっ、財布が居ないなんて)残念です。何か買ってきましょうか?」

「んじゃ、剛拷市の豚まんを頼む」

 七乃は了承すると街に出かけて行きました。

 

 

 賊の討伐が終わり公孫瓚は義勇兵の解散を命じました。治安が回復した以上、いつまでも武装集団はいりません。

「桃香、色々とありがとうな」

「ううん、私と白蓮ちゃんの仲じゃない」

 公孫瓚に見送られた一行は謝礼で懐も暖かくなり、桃のタルトと呼ばれる焼き菓子のある荊州南陽郡を目指し旅立ちました。

「私の真名は桃香で桃でしょう。ここは桃のタルトを食べておかないとね!」

「はっはっは、劉備殿は面白き御仁ですな」

 そう笑ったのは趙雲で、今回の討伐終了で自分の客将としての役割も終わったと桃香についてきました。

「このポンテギもどうですか。酒のつまみとしても中々の逸品ですぞ」

 虫がびっしりと詰まった瓶を差し出してきました。ムーミンパパもドン引きしています。

「わあ、ありがとう!」

 険しい表情を浮かべる愛紗。武の腕前は確かですが、悪戯と面白い物が好きな趙雲を愛紗は警戒していました。今も桃香に怪しげな食べ物を差し出しています。

「臭くて美味しいね」

 躊躇することなく口に含む桃香。好き嫌い無く何でも食べるのは良いことですが、美少女が虫をモリモリと口に運んで食べる姿は異様です。鈴々は「虫は食べ物じゃないのに、お姉ちゃんの味覚が信じられないのだ」とムーミンパパにぼやいています。

「さすが劉備殿、この味が分かるとは通ですな」

 止める間も無く虫を食べた桃香と勧めた趙雲を、信じられない思いで愛紗は見詰めました。

「ん、どうした愛紗。お主も食べるか?」

 視線に気づいた趙雲は、愛紗も欲しいのかとポンテギを勧めます。

「私はいらない!」

 二人の味覚だけは理解できませんでした。

 今回の旅の目的も馬鹿らしいのですが、まともな物を食べさせて桃香の味覚を変えるチャンスだと思いました。

(星に真名を預けたのは早まったか?)

 なんだか桃香がとんでもない事に巻き込まれないか心配です。

 

 

 荊州南陽郡に入ると愛紗は自分が勘違いをしてた事に気づきました。

 袁術のお膝元と言っても、北郷一刀が蜂蜜を安価で供給させるまで、庶民の食はレパートリーも多くはありませんでした。

 現にアヒルの胎児、コオロギやさそりの串焼き、カブトガニが露天に並んでいます。

 犬の悲鳴に目を向ければ、犬が路地でガンガンと殴られて大鍋に煮たったお湯の中に放り込まれていました。

「な、何と言う非道を……」

 愛紗の呟きに被せる様に桃香が発言しました。

「うわあ、美味しそう」

 視線を戻すと、店先に皮を剥がされ吊るされた猫や犬の肉を桃香は物欲しそうに眺めていました。ムーミンパパはそんな桃香を見慣れているのか「桃のタルトを食べに行くんだろう? 先に宿を決めよう」と声をかけていました。

「そうです桃香様、先に宿を決めましょう!」

 愛紗も慌てて桃香を促しました。

「そっか、しばらくお預けだね。犬さん、またね」と桃香は、竹かごの中に押し込まれてクンクン泣いている犬に声をかけました。結局、犬を食べる事は諦めてない様です。



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ファーストコンタクト

 宿が取れると夕日が沈み、もう夕食の時間です。

 夕食や一杯引っかける人たちで街に夜の賑わいがやって来ました。

 飯屋の一席に湯気の出た鍋を囲む桃香たちの姿がありました。唐辛子やニンニクで味付けされた朱色のスープに野菜や犬肉を加えてじっくりと煮た鍋です。

 じっくりと煮込んだ犬肉は辛味が臭みを消して美味しくいただけるそうです。

「とっても美味しいのに愛紗ちゃんは食べないの?」

 聞いてきたのは幸せそうな表情を浮かべて箸を口元に走らせる桃香です。

「はい、私はこれありますので」

 お酒が入った盃を見せる愛紗に、ポンテギを酒のつまみに一杯やっていた趙雲も酒飲みの心情と理解の色を示しました。ちびりちびりと飲んでいる様で味わっているのです。

 ですが誤解です。愛紗は小さい頃から犬を飼っていました。犬好きにとっては、酒でも飲まなければやってられない気分でした。

(あんな可愛い犬を食べる何て……。今回も助けられなくてすまぬ……)

 愛紗の愛犬も泥棒にあって肉屋の軒先に吊るされて居ました。主人を脅して泥棒に報復した事は苦い思い出です。

 ムーミンパパと鈴々は気にせず食べていました。見た目と臭いが食べやすいと言うのもあるでしょう。箸が進んでいます。

(それは犬なんだぞ!)

 食事を進めていると、なにやら店に飛び込んできた少年が苦情を言ってるのが聴こえてきました。

「おっちゃん、七乃に変な物を売るなって言っただろう! どうなってるんだよ」

 厨房で店主と話すのは仕事帰りの一刀でした。

「一刀ちゃんはそう言うけど、大将軍様にお願いされてはね」

 店主と一刀は昔からの知り合いでした。七乃は一刀の困った顔を見るのが好きで、悪戯を仕掛けてきます。

「まったく七乃には困ったもんだ。ガンギエイ何て誰が食うんだよ」

 その言葉に桃香が反応しました。今後の展開を予想したムーミンパパは顔をしかめます。

「ちょっと貴方、ガンギエイを馬鹿にしましたよね!」

「えっ」

 席から立ち上がった桃香を愛紗は「と、桃香様!」と声をかけて押さえようとします。ですが桃香は座りません。

 唐辛子の辛味と鍋の熱さで顔を真っ赤にしていましたが、一刀には怒りで興奮してるように見えました。

「ガンギエイは立派な食べ物なんですよ。ガンギエイや作ってくれた人に失礼だと思わないの?」

 口を開く前に矢継ぎ早に桃香の言葉が突き刺さります。

「生きるって言うのはね、他の生き物から命を貰ってる事なんだよ! 貴方は、犠牲になってくれて食べれることに感謝の気持ちは無いの?」

 何で俺はいきなり知らない女の子に叱られているんだ、と一刀が考え込んでいると桃香が泣き出してしまいました。

「ええええっ、俺が悪いの!?」

 目の前で泣かれて一刀は焦ります。

「何やってるんですか一刀さん!」

 そこに怒った表情で拳を握り締めた七乃が現れました。一刀はややこしい事になったと間の悪さを痛感しました。

 七乃は昼間の悪戯に対しての苦情で一刀が店に現れる事を予想していました。そのついでに夕食を一緒しよう考えていたのです。一刀の困った顔を思い浮かべて笑みを深めました。

 髪を軽く直して店に入れば、女の子が泣いているし、周りから批難の視線を浴びる一刀の姿がありました。

 どうみても悪者は一刀にしか見えません。七乃の機嫌は、店に入る前の気分が吹き飛んで急降下していました。

 理由を聞いた七乃は一刀を責めました。

「それは一刀さんが悪いですよ。ガンギエイの美味しさが分からない何て舌がおかしいんじゃないですか?」

「ちょっと待てや。お前は嫌がらせであれを差し入れしたんだろう?」

 七乃の差し入れに嬉しさと恥ずかしさを感じるにはお互いの付き合いが長過ぎます。裏を読むのも仕方ありませんでした。

 それに一刀がそう思ったのも当然です。ガンギエイの臭いは世界でもトップレベルの悪臭でした。まさに生物兵器です!

「でも食べたら美味しいですよ」

 七乃は真摯な眼差しで答えました。横で聞いていた桃香は七乃の手を握ります。

「そうだよね、そうだよね!」

 ガンギエイの美味しさで意気投合した桃香は七乃の家に招待されました。

「明日のお昼は私がご馳走しますよ。一刀さんが無礼を働いたお詫びです」

「七乃ちゃん、ありがとう! 楽しみにしてるね」

 いつの間にか真名まで交換しています。

 二人のテンションについていけず溜め息を吐く一刀の肩にムーミンパパは手を置きました。

「これが人生さ」

 その言葉は慰めになっていません。

 

 

 夕食を終えて下宿先への帰り道を並んで歩く一刀と七乃の姿がありました。

 二人の下宿は七乃の手配で隣同士です。だから朝も七乃が一刀を起こしに行って、一緒に朝食を取り登庁しています。もちろん年頃の男女ですから噂になりますが、その件を訊かれると七乃は不敵な笑みを浮かべるだけです。

「七乃、なに考えてるんだ?」

 桃香たちを食事に誘った件です。明日は貴重な休日です。休みは、一刀とだらだらと過ごす七乃にしては珍しい事です。

 七乃は大将軍の地位に相応しく用心深く他人を簡単には信頼しません。それに今回、桃香に真名を初対面で預けた事は、一刀から見てもやり過ぎでした。ですから何らかの考えがあると思いました。

「一刀さん、昔に言ってたじゃないですか。劉備玄徳は人たらしのガチクズ野郎だけど使えるって」

 後漢時代に続く魏、呉、蜀の三国時代と台頭してきた劉備、曹操、孫権と言った有力者たちの話です。

「お前、信じてなかったんじゃないのか?」

 一刀は子供の頃に前世の記憶を七乃だけに話しましたが、色々と予言は外れるので本気にはされていませんでした。頭が良いのは知っていましたが、子供の頃の事をよく覚えていたと感心します。

「信じてますよ、一刀さんの事は。それに、世の中には選択されなかった平行世界だってあるんじゃないかと私は思うんですよ」

 例えば一刀を今ここで殴る世界と殴らない世界。そんな例えに顔をしかめる一刀です。

「物騒な例えに俺を出すなよ」

 しかめっ面をする一刀の表情に気を良くして七乃は続けます。

「まあ冗談は置いておくとして、美羽様のお役にたてそうでしたし、仲良く成っておいても損は無いと思いました」

 かつて孫堅を見出だして孫家一門を、恩情を持って袁術の下に取り込んだ完璧な仕事の様に、今回も桃香と仲間たちに目をつけました。

「使える駒はある方が良いでしょう?」

 七乃の裏表の無い笑顔を向けられて、眩しく感じる一刀でした。



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七乃さんのターン

 七乃は休みになると一刀をよく遊びに誘っていました。

 袁術の配下に一刀が加わってしばらく過ぎた頃、一刀は七乃を夕食に誘いました。七乃も今日は何か特別な日になると、二人で仕事の事など色々と話をしながらも胸を高鳴らせていました。

 見かけによらず一刀の女性経験はありません。何だかんだといって七乃が一刀に近づかせなかったからです。

「一刀さん?」

 お酒が回り酔った七乃の肩を一刀は男らしく抱き寄せて、キスをしてきました。驚きましたが拒みはしません。

 いつかそう言う関係になるかもと思っていましたから。

(あ、でもこれは──)

 七乃の唇を割って一刀の舌が入ります。

 意外と大胆な一刀の行動に七乃が疑問を浮かべました。そう思うと何だか視界がもやもやとしてきました。

「あ」

 目の前には天井があり、下宿の布団の上です。ベタな夢でした。

(ま、良いけど)

 七乃にとっては、それなりに気持ちの良い目覚めをしました。

 洗顔してよだれも綺麗さっぱり、髪も大丈夫。

 服装を整えると、いつも通り二人分で朝食の仕度を始めます。

 今日はお仕事がお休みと言う事でのんびりする予定でしたが、桃香たちをもてなすと言う事で、午前中は食器と食材を買い出しに出かけます。大将軍ともなれば給金もかなりの額になりますが、将来の為に貯金をしていました。

 思わぬ一刀とのお出かけです。

(ふふ、桃香さんたちとの出逢いは僥倖ですね)

 一刀を起こし朝食を済ませれば、早速お出かけです。必要な物を買うとすぐお昼やって来ます。

「腹減ったな」

 買い物で歩き回りましたし、昼のために朝食は控え目な量でした。

「帰ったら、すぐお昼にしますね」

「期待してる」

 なんだかんだと言って一刀も買い物を楽しんでいました。

「七乃ちゃん!」

 下宿に近付くと、なんだか一杯、手荷物を持った桃香たちの姿がありました。

「あら桃香さん。その大荷物は何ですか?」

「七乃ちゃんにご馳走しようと思って」

 七乃特製の手料理が用意されている間に桃香も何やら準備を始めました。

 桃香用にユムシとガンギエイ、趙雲にはポンテギも用意されています。

「お待たせしました。頂きましょう」

 食卓に並んだ料理の大半は七乃の手料理です。飲み物は桃香の提供でなにやら酸っぱい臭いがしていました。

 七乃が一刀の器に料理(虎の陰茎と豚の睾丸のスープ)を取り分けてました。

「はい一刀さん、どうぞ」

「おう、ありがとう」

 一刀も自然と受けとっています。

 料理の素材はともかくその雰囲気は甘い物でした。

(なんだか夫婦みたいだな。いつか私にもそんな相手が出来るのか?)

 愛紗は恋愛事で異性との付き合いはありませんでした。

 一刀の横顔を見ていると、それなりに見映えのする男だと思いました。

 不意に七乃が振り返りました。

「え」

 愛紗の体が固まり汗が吹き出ました。七乃からムーミンパパと対峙した時とは違う殺気を感じました。

 和やかな空気だったのになぜ殺気を向けられるのか、何か失礼な事をしたのかと考えました。

(考えろ、考えろ)

 周囲に視線を向ければ、鈴々が「お父さんも食べるのだ」と差し出した豚の丸焼きにムーミンパパが箸を伸ばし、桃香は趙雲とポンテギの唐揚げを取り合い、みんな楽しく食事を進めていました。

 七乃からの威圧感は自分だけに向けられています。こう言う時に何を言うべきか、どう行動すべきか考えました。

 そこらのゴミを片付けるような目をしていました。

(これは──)

 男女間のトラブルを思い出しました。昔、愛紗の兄を二人の女が取り合って殺しあいをしていました。

 一人は腹を裂かれて殺され、もう一人は愛紗の兄の首を抱き締めて気を狂わせていました。

 兄の首を取り戻そうとした時、同じ目を向けられました。嫉妬や憎悪とは違う、それは執着です。

「ふ、二人はお似合いだと思う」

 その瞬間、七乃からの威圧感ふっとかき消えました。

「そうですか?」

 嬉しそうな表情を見て、回答を間違えずに済んだと思いました。

 

 

 

 美食家と言う訳ではありませんが、胃袋を掴まれた桃香たちは袁術の下で働く事になりました。

 ですが世の中は、桃香ほどのほほんとしてはいません。

 未だに各地では黄巾党と言う賊が暴れていましたし、騒乱が各地で発生していました。

 これに対して漢帝国はテロリストとは交渉しないと言う事で、諸侯に武力による鎮圧を命じました。

 袁術も皇帝から要約すれば、「ゆっくりできない黄巾賊は制裁だよっ!」との命令を承りました。

「ん~と言ってもですね、お嬢様の治められる領内に反乱はありません」

 軍の指揮権と警察権を預けられた旧孫家の将が、袁術の代わりに掃除をして回りました。有能な部下はこう言う時に役立っています。

「劉表さんの所で困ってるそうなんで、桃香さんに行って貰いましょう」

「ああ、あの毒汁娘か」

 七乃の言葉に袁術こと美羽は顔をしかめました。

 食事を楽しんだあの日、桃香は材料持参で特製のイワシ水や青汁酢など独特の飲み物を振る舞ってくれました。あの後、たまたまやって来た袁術を気絶させるには十分でした。

 ウイルス、原虫、バクテリア、病原菌等で袁術を狙った生物兵器のテロと疑われましたが、桃香と七乃は美味しいと飲んでいました。ですが無罪放免とはいきません。政務に支障を出したと言う事で、なし崩し的に袁術のお仕事を手伝うことになりました。

(お嬢様には刺激が強すぎましたか……)

 いささか七乃も反省する所もありましたが、結果として桃香たちを仲間にする事が出来たので、終わりよければすべてよしとなりました。

(桃香さんたちは美羽様に暫定的な忠誠を誓っていますが、このまま恒久的な関係にしたいですね)

 その為にも打てる布石は打って置くべきだと考えました。

「七乃、昼飯行かないか?」

 仕事に精を出していると、一刀が七乃の執務室に誘いに来てくれました。

 考え事をしてる内にお昼になったようです。

 お昼を作っても良いのですが、七乃は仕事の打ち合わせの兼ね合いで外食がほとんどです。

「一刀さんが少ない給金で御馳走して下さると言う、せっかくのお誘いですし何処にでも行きますよ」

「何言ってるんだよ。割り勘だぞ」

 お前の方が給料、貰ってるだろうと言う一刀はケチ臭くて男らしくありませんでした。

「甲斐性無しですね。一刀さんと結婚したら苦労しそうです」

 苦笑を浮かべる一刀と並んで七乃は外に出かけました。

 

 

 一方でお昼を取る暇もなく仕事が忙しい人も居ました。

 陳留を治める曹操さんです。曹操さんは沛国譙県の人で汚職や不正を嫌います。

 都の洛陽で門を守っていた頃に、決められた時間外に通過しようとする人をぶちのめしました。その人は宦官の縁戚でした。その結果、陳留に飛ばされました。

 上が腐って居たからですね。可哀想です。

 でも女性関係ではふしだらな人でした。陳留では、妓楼(ぎろう)の様に愛想を振り撒く女性達を侍らして日々を過ごしています。

「袁術軍は劉表の応援に二万の兵を送りました。指揮官は劉備と言う者で、配下の将には関羽、趙雲、張飛、白豚が居るそうです」

 猫耳なフードコートを被った少女が、金髪くりんくりんな髪型をした少女に報告をしていました。

「白豚?」

 そう尋ね返した金髪くりんくりんの少女は曹操さん。答える猫耳は、軍師としての努力を惜しまない荀彧文若です。

「劉備が義勇兵を立ち上げた頃からの古株だそうです。後詰めの将は孫権で一万程の兵を率いています」

「合わせて三万の兵を外征させて、なお余裕があるとは大した物ね」

 曹操には頭の上がらない相手がいました。袁術様です。

 袁家と言う名門の生まれ上に優れた人材を集め豊かな領土を治め、曹操さんの覇道にとって大きな障害となります。

(今は雌伏の時、いまはまだ力が足りない……)

 曹操は美しい人を好みます。美羽の幼い身体も曹操にとっては魅力的で、いつか屈服させて閨で鳴き声をあげさせると言う目的もありました。つまり、ここに危ない人が居ます!

 まぁ、そもそも同性である女性が好きな性癖で、醜男は冷遇するのが曹操陣営なので当然でした。

 言うなれば曹操陣営とは、同性でも家族でも構わない。歪んだ肉欲で穢れた絆で呪いとも言えます。己の利益の為に戦う集団です。



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続き

 戦争に行くのはピクニックと同じでルールがあります。

 行軍には順番があります。前衛の尖兵、前衛本隊、本隊、後衛と言う感じです。側面に脅威が存在する場合は右翼や左翼に側衛の縦隊があります。戦闘は方陣や横隊が基本ですが、行軍とは機動性を追求し縦隊が普通です。

 順番を守れば、安全で楽しい行軍です。

 さてさて、劉表の応援として南陽郡から南の南郡に向かった袁術軍の前衛は趙雲が任されていました。

 趙雲は指揮官としての責任から隘路の通過は得に警戒をしています。隘路と言うのは片方、又は両方が川や崖で塞がれた地形ですね。

 前衛の任務は本隊の進出を援護する事です。

 軍隊とは単一部隊だけではなく、それぞれから混成した部隊で運用されます。

 骨幹戦力である歩兵の他に弓兵1/3個、騎兵1/9個、輜重兵1/3個、野戦病院半部、衛生隊半部が附けられていました。なお半部とは部隊の半分、1/2個で誤字ではありません。

「七乃殿の目利きは素晴らしいな」

 趙雲は渡された壷の中身を摘まみあげて呟きました。蒸したシロアリです。口に入れてプチっと潰れる食感が楽しませてくれます。シロアリの卵も絶品です。お酒が欲しいと思っていると、斥候が駆け戻ってきました。

 進路の誘導で斥候を随時、飛ばしてました。その一人です。

「趙雲将軍、子供が賊に囲まれて戦闘中です!」

 状況判断の材料が足りません。シロアリの壷を戻すと、趙雲は報告をして来た斥候を先頭に現場へと馬を飛ばしました。

 騎兵は偵察や捜索で効果を発揮します。この機動性は歩兵には無い物です。

 現場至上な趙雲が前衛の尖兵に居た事も幸いでした。しばらくすると水色の髪をした少女が賊を相手に奮闘していました。

「幼子相手に寄って集って多勢とは卑怯な、この趙子龍がお相手仕る!」

 駆けつけた趙雲は龍牙で賊をなぎ倒しました。

「怪我は無いか?」

 趙雲の言葉に少女はブルブルと震えて怒鳴ってきました。

「今さら助けに来るなんて遅すぎなんです! 皆……皆、殺されたんですよ」

 少女の仲間は賊に殺されたそうです。生き残りは彼女だけ。

 その言葉に趙雲は言葉を返しました。

「なるほど話は分かった。自分の価値観を他人に押し付けるべきではないな」

 ちょっときつい言い方ですが、助けた人にいきなり怒鳴られれば穏やかに対話は出来ません。現に趙雲の部下は敵意の目を少女に向けています。

「税を納めていたのに、守ってもくれないんですか?」

 趙雲の言葉に、少女は伝磁葉々を握る手に力を入れる事で怒りを現した。

 向けられる殺気に部下が反応しようとするのを止めて趙雲は続けます。

「それに我々は劉表殿の配下ではない」

 あら、その言葉を聞いて少女は意外そうな顔をしています。

「えっ」

 たたみかけました。

「劉表殿の応援に来た袁術軍だ」

 勘違いに気がついて少女の顔色から血の気が引いていきます。袁術と言えば南陽郡の統治者、山の向こうで劉表とは関係ありません。

「も、申し訳ありません!」

 武器を降ろして慌てて謝罪する少女の名は典韋と言いました。

 

 

 

 劉表は性的倒錯趣味の持ち主でした。幼い少年に欲望を感じて、権力と金に物を言わせて自分の後宮を築いて居ました。

「男の子にしか興味の無い変体さんだそうです」

 七乃の言葉に桃香は顔をひきつらせました。

 それはとてもとても悪い事です。

「愛紗ちゃん、悪いのは劉表さんの方じゃないのかな」

「滅多な事を言う物ではありません。劉表様は荊州を治めるご立派な方だとお聞きしています」

 領主である劉表にとって平民は物です。

 立派な領主として飴と鞭を使い分けていますが、劉表には荷が重すぎたようです。だから賊が現れて、他所からの援助を受け入れる事に成ったのです。

「ダメな人は何をやってもダメですけど、劉表さんの場合は儒学者としてそれなりに有名ですからね。中途半端に頭が良くて人脈のある人は首を切りにくいから厄介ですよ」

 七乃の言葉に桃香は嫌そうな顔をしました。

「そんな人を助けたく無いよ」

 ムーミンパパに抱きついて嫌々と首を振っています。

 底の浅い者は器を超えた行動が出来ません。限られた器以上の物を求めて、劉表さんを責めるのが間違いなのです。王の器が小さければ家臣がそれを助ける。それは地方領主でも同じです。人は環境が変えると言う様に、誰も劉表さんを助けなければ困るのも当然です。

 その時、鈴々のお腹が鳴り響きました。

「お腹がすいたのだ」

 空気を一新するには良い機会です。

「ご飯にしましょうか」

 七乃の言葉に皆、同意しました。

 たい焼きを食べるムーミンパパ。一刀がこの世界で生み出した和生菓子で、材料は小麦粉、砂糖、植物油、蜂蜜、卵、塩等で再現されていました。

 一方、桃香はネズミの踊り食いを試していました。ネズミの鳴き声が食欲をそそります。

「うわ、これ美味しいよ!」

 七乃は笑顔で料理を勧めます。

「でしょう。この猿の脳ミソもどうぞ」

 卓上には生きた猿が脳を剥き出しにされた状態で固定されています。

 とびきり新鮮な食材による豪華な料理でした。えへへと笑い声をあげて桃香はご機嫌です。

「私、お猿さんを食べるのなんて初めてだよ」

「沢山ありますから遠慮しないでどうぞ」

 れんげにプルんとした豆腐状の物が掬われます。薬味を少し浸けて口に含みます。

 唐辛子がピリッと程よく味を引き締めて、桃香は笑みを浮かべました。

 その様子に七乃も満足して貰えて嬉しそうです。

 皆が笑顔で料理に舌包みを打ちました。美味しい料理は皆を幸せにする魔法です。

 たった一人でも世界を変えれる。料理人の世界は知略に富んだ戦いです。

 食事が終わるとムーミンパパは庭に出て、大きな布を広げると縫い合わせて何やら作っています。

「パパ、何をしてるの?」

 桃香はムーミンパパの背中から覗き込みました。

「気球だよ」

「ききゅう?」

 聞き慣れない言葉にピンと来ません。

「ごらん」

 そう言うとパパのは布の切れ端で袋を作ると息を吹き込みました。

 膨れた袋を見せます。

「あはっ、面白ね」

 手でポンポンと浮き上がらせて桃香は喜びます。

「気球は空を飛ぶ乗り物なんだよ」

「空が飛べるの?」

 後ろで聞いていた七乃と愛紗は驚いて顔を見合わせました。

「理論上はね。作るのは初めてだ」

「私も手伝うよ」

 と言う事で、その日は夕暮れまで皆で裁縫をしました。

 

 

 

 寝台で横になったパパの隣には鈴々と桃香、桃香を挟んで愛紗の姿がありました。

 皆で仲良く川の字になって就寝です。

「お休み、子供達」

「お休みなさいパパ」

 パパの胸に頭を預けた鈴々は遊び疲れてもう眠っています。

(家族か)

 隣で眠る桃香の体温を感じながら愛紗は、家族の温かさを思い出していました。

 一緒に過ごせる家族が居ると言う事は、とても素敵で幸せな事なのです。

(今日は、疲れた……)

 慣れない裁縫の手伝いで気疲れしたのでしょう。やっくりと眠りに誘われます。

 翌日も皆で協力した結果、お昼には完成して館の空に気球が浮かびました。ゴンドラにはムーミンパパの姿がありました。

「やったね、パパ!」

 下から呼びかける桃香にパパは手を振りました。

「凄いですね」

 七乃は感心しました。本の知識だけでぶっつけ本番なのに作り上げた事もそうですが、人や物を運ぶ利便性にも注目しました。

 使える時にお金と権力は使う物です。七乃は袁家の資金力で、気球の量産を考えました。

「マジで作ったのか」

 一刀は笑みを浮かべながらも呆れていました。

「これで星ちゃんの所まで行けるかな?」

 食を通して意気投合した桃香は、出陣前の趙雲──星と真名を交換していました。

 降りてきたパパは桃香の頭を撫でると頷きました。



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さらに続き

 ビューっと風が吹くなか、ムーミンパパの隣で鈴々が涙を浮かべていました。

 あら、どうしたのでしょう?

「う~、気持ち悪いのだ」

 ゴンドラから身を乗り出して嗚咽の声をあげる鈴々の背中を、ムーミンパパは優しくさすります。

 空を飛ぶ気球は荊州までやって来ました。

「吐きたい時は吐きなさい」

 下から見れば、鈴々の口から流れ落ちる汚物はキラキラと輝いていましたが、下で浴びた人はたまった物ではありません。

「うわっ、何だこれ」

「臭っ、汚いな。近寄るな!」

 何だあれは面妖な、と空を指差し騒ぐ人々の中に星の姿もありました。桃香は星の姿を確認すると手を振って呼びかけました。

「星ちゃ~ん」

 頭上から聴こえてきたその声に星は驚きました。

「桃香殿!?」

 パパの発明と言う事を教えられ、星は感心しました。

「ははは、流石はパパ殿ですな」

 不意に星の顔色が曇りました。

「星ちゃん?」

 桃香は驚くべき事を聞かされました。助けにやって来た劉表は、実はとっても悪い人だと。

「不老の妙薬である水銀を求め、民に重税をかけて苦しめている。その上、賊は役人に賄賂を渡す事で目こぼしをして貰っているそうです」

 他にも領内の統治に使うべき税を私的流用し、豪華を購入していました。

 民草を蔑ろにするなんて、不況やハイパーインフレを呼び起こすだけでは済みません。そんな悪夢を考えたくはありませんでした。

 ここまで漢が乱れたのは官匪だけが理由ではありません。皇帝の責も重いです。

 実際に地方は荒れていました。

(潜在的不穏分子である諸侯を疲弊させるという意味では成功か。これで朝廷主導で乱を収められるなら権威も戻るのだろうが、そこまでは狙ってはいるのか?)

 話を聞きながらパパは考え込みます。最良の手は何かと。

 桃香は感情の発露も素直でした。

「酷いよ!」

 泣き出す桃香が、慰められる姿を見ながら愛紗は考えました。

 武人は戦う事を止めれば価値がありません。

 愛紗は戦う牙を持っています。自らの意思で手に取った得物です。

(桃香様の願いを叶える事こそ我が願い)

 武器を持って戦うと言う事は様々なリスクを覚悟します。そして国を変えるのは並大抵の事ではありません。

 愛紗は桃香の求めに答える形で、戦いに身を投じていました。安寧の日々を送る為に。

 家族と呼んでくれた義姉の為、邪魔な石をどけると言う考えでした。

 

 

 

 深夜、ムーミンパパと愛紗はこっそりと気球でお出かけをしました。

 家出でも夜逃げでも不倫の逃避行でもありません。

 それはとても素敵な考えで、向かった先は劉表のお城である襄陽(じょうよう)城です。そうです、悪い劉表をやっつけようと言うのです!

 劉表のお城は高い城壁に囲まれた街の中で、夜は門が閉じられています。さらに劉表自身の身辺は沢山の兵士が昼夜を問わず、交代で守っておりました。だから暗殺者も近寄る事が出来ません。

 そう言う事で、劉表は安心してぐっすりと眠っていました。

 ですが、その夜は違いました。

 ドタバタと激しい物音に劉表は目を覚ましました。

「何事だ!」

 賊徒が押し込んで来たと報告が入ります。護衛の兵を呼び寄せて避難しようとしました。

 しかし影が行く手を遮ります。

「何奴!」

「袁公路様が客将、劉備玄徳が義妹、関羽雲長」

 愛紗は鉄槌を下しに来たのです。

「それで関羽とやら。わしに何用だ」

 押し込みの賊徒にしては確りとした受け答えだったので、劉表は部下を抑えて尋ねました。

「跪け。不埒な行い漢に代わって誅を下す」

 愛紗にしてみれば疑わしきは罰せよどころか、本当に悪い人なので仕方ありません。

 しかし劉表には世迷い言に思えました。

「ふざけるな。身の程を知れ」

 おお怖い。劉表は激怒しました。まるで鬼の様でした。

 ですが愛紗は鬼など怖れはしません。

 護衛の兵が愛紗に向かって来ますが、えい、やあ、と青龍偃月刀を一閃させました。

 飛び散る鮮血。床に斬り伏せられたのは劉表の兵でした。

「劉表様!」

 二人組が飛び込んで来ました。相手は、黄忠と魏延です。

 名のある武将と見て取った愛紗は対話を求めます。

「我々は漢の為に働いている。貴様達に機会を与えよう」

 劉表の部下を斬り殺した青龍偃月刀を下ろすと、愛紗は黄忠と魏延に言いました。

「我らに降れ。国の為、民の為だ」

 黄忠は悩みながらも問いかけました。

「嫌だと言えば?」

 すると、背後からムーミンパパがぬっと現れました。

「魂が救われる。神の御加護で墓場行きだ」

 いずれはこの国が乱れ、諸侯が潰し合うと言う事を誰もが知っていました。愛紗にとっても、桃香の対抗馬は早い内に芽を摘んでおくだけです。

 桃香が歩いて行く道のお掃除ですね。

 劉表は会話に割り込んで来ました。

「ズベ公め、下等生物の平民ごときが劉氏の私を見下すとは!」

 虫酸が走ったのか愛紗は体を震わせました。

「喜べ。安息と安らぎを与えてやる」

(間抜け野郎は民草や兵を私物化してる。小さな皇帝だ。我々は違う)

 劉表は黄忠と魏延に愛紗を討てと命じました。

「自分の手を汚さぬ腰抜けめ」

 と言っても格闘技、武術で勝る愛紗を相手に劉表が勝てる道理はありません。パパもじゃれ合いに加わります。心に響く物があったのか、黄忠と魏延は事態を静観しました。

「ふん!」

 倒れた兵の首を蹴り砕くパパの姿に敵は怯みます。その間に愛紗は次々と倒して行きます。

「悪に荷担する者は同罪だ」

 容赦の無い斬撃で血の池と屍の山が出来上がりです。

「ま、待て。話せば分かる。金か、金が欲しいのか?」

 両手を上げて押し止め様とでもする劉表の姿が滑稽です。

「問答無用」

 遂に劉表の首が討ち取られました。

 翌朝、劉表の首が城下に掲げられ民衆は抑圧から解放された事を知りました。

 

 

 

 劉表を倒した事で袁術の勢力は南郡に広がりました。世間的には、劉姓を名乗る遠縁の桃香が、病に倒れた劉表に荊州の後を託され、袁術に保護と支援を求めたと言う事に成りました。

 南陽郡太守の袁術が荊州州牧代理の桃香を助ける。おかしくはありません。ですが、劉表小飼いの家臣や豪族は異を唱えます。

「門の前に晒した首はどう言い訳する積もりだ! 簒奪者どもめ、貴様らに従う事など出来ん」

 とても良い考えですが、纏まるお話も纏まらなく成ってしまいます。それでは困ってしまいます。

「あら、そうですか。残念ですね」

 疑念を抱く者も居ましたが、当然、七乃が排除しました。

「他の人は賢い選択をして下さいね?」

 粛清と言う地盤堅めが済むと、外敵に備える事は当然です。北の防備を強化すべく、南陽郡にある砦や城塞の補強が行われる事に成りました。

「袁紹さん?」

「はい。お嬢様の従姉、袁本初様は汝南袁家の本家を継いだ御方です。悪い人では無いのですが、いささか自意識の強い御方なので……」

 美羽は袁紹に苦手意識を持っていました。卑しい自己顕示欲にうんざりしていたのでした。

「美羽ちゃんを苛める悪い袁紹さんなんか、絶対に近付けないよ!」

 義憤に駆られて力強く宣言する桃香は頼もしげです。

「必要な物は何でも言ってくださいね」

「うん、有難う」

 七乃の許可を得て桃香は廃城の取り壊しで資材を流用しようとしました。再利用で経費を安く収める考えです。

「うりゃうりゃうりゃ」

 鈴々が嬉々として廃材を積み上げています。ムーミンパパもぽいぽいと石垣を壊していました。

「流石、桃香様です」

「えへへ」

 愛紗の称賛に照れていると、足元に蜚蠊目(ゴキブリ)が飛び込んで来ました。巣を壊されて右往左往してるのでしょう。

「きゃっ」

 愛紗が叫び声をあげて飛び上がると、桃香は平然とゴキを捕まえました。手づかみで!

「やったよ愛紗ちゃん。後で一緒に後でたべようね!」

 あらあら。

 愛紗は困ってしまいました。義姉が自分とは違う生き物に思えたのです。

 価値観の違いですね。

 満面の笑みを浮かべる桃香の言葉に、愛紗は辛うじて返事を返しました。

「け、結構です」

「そう?」

 油で揚げたら美味しいのに、と呟いていました。

「どうやって食べようかな」

 調理法や食感を呟く桃香の隣で苦悶の表情を浮かべる愛紗です。

(聞こえない。私は何も聞いてないぞ!)

 この時だけは目を瞑り耳を塞ぎたく成りました。

 他の人と仲良くすると言う事はとてもとても難しい事なのです。

 愛紗の憂鬱な気持ちとは異なり、空は晴れ渡り楽しげな笑い声に満ちていました。

 全てが丸く収まった訳ではありません。

 桃香がお城を貰って政に励んでいたある休日の事でした。

 桃香は昼過ぎまで惰眠を貪り、休日を満喫していました。

「ふぁ~」

 伸びをして起きた桃香は遅めの朝食を兼ねた昼食に出かけました。

 お城に住み町を治める偉い人には護衛が着く物です。ムーミンパパは尻尾をゆらゆら揺らしながら桃香の後に続いていました。

 食事を何にするかきょろきょろ辺りを見ながら考えていた桃香は「パパは何か食べたい物ある?」とムーミンパパに振ってきました。

「私は何でも良いよ」とパパはパイプをくわえながら答えました。

「うぅ……何でも良いって、一番難しいよ」

 悩む桃香を探す声が聴こえてきました。

「劉将軍、御母堂が危篤との知らせが参っております!」

「へっ?」

 それは桃香の母が倒れたとの知らせでした。

「桃香様、いえ姉上、ここは私にお任せ下さい」

 愛紗の言葉に星も続きます。

「そうですぞ、桃香殿。私達が留守を守ります」

 危急と言う事で仲間達は桃香に帰郷を促しました。

 気球で駆け付けた桃香は着陸を待たずに飛び降りました。

「お母さん、お母さん、お母さん!」叫びながら走る桃香は涙を溢しながら家に飛び込みます。

 母の世話をしてくれていた親類が首を振ります。

「そんな……」震える手で母の手を握りました。まだ温もりがありましたが、力は入っていません。

「つい先程だったよ」そんな声が桃香の耳を通り過ぎて行きます。

 まだまだ話したい事があった。一緒に美味しい物を食べたり、旅行にも行きたかった。親孝行だってこれからだった。孫だって見せていない。そんな思いが罪悪感となって桃香を責めます。

 そして母を失った孤独感が桃香を押し潰しそうでした。

 ムーミンパパが桃香を抱き締めました。

「うあああああっ」

 人は本当に大切な人を失った時、泣くか怒るしか出来ないのです。

 極内輪だけで葬儀は淡々と進みました。

 桃香は人生の虚しさ儚さを痛感していました。自分が死んだらどうなるのか。何もかもどうでも良い。母の元に逝きたいとさえ考えました。

「桃香、お母さんの分も君は生きなくてはいけない。君が幸せでないと、お母さんも悲しむ」

 そう言われて桃香も頷きます。「そうだよね。私が頑張って生きないと、お母さんだって……」そう言いながらも悲しさと寂しさから涙は溢れます。

「頑張る! 私、頑張って生きるよ!」

 それが母への手向けだと信じて空元気でも頑張ろうとしました。

 桃香は六日間の喪に服しました。その間、愛紗達も心配でやきもきしましたが桃香は自分なりにけじめを着けました。泣いてもいつもと同じ朝が来るのです。

 時々、母を思って涙を溢す時もありますが笑顔で頑張っています。母への供養、世のため人のため生きると誓いました。

「私らしく生きる事が一番だと思うから」

 食欲の減退、睡眠不足、疲労など体調を崩す事も多いですが、桃香は母が亡くなった後もきっちりと食事を取りました。その事に皆は安心しましたが、ムーミンパパは疑問を漏らしました。

「どうされました?」

 食後の食堂で一人、腕を組んで考え込むムーミンパパの姿に星は尋ねました。

「桃香の事だよ」

 ムーミンパパから見て桃香の食事量が少し量が増えた様です。食欲はあるようですが、何度も厠に向かう姿を見かけました。

「普通なら肥っても良い。だから納得がいかない」

「そう言えば今日もサムギョプサルを五人前は食べておりましたな」

 杞憂であれば良いと断って、ほとんど吐いているのではないかとムーミンパパは言いました。

「ふむ、愛紗はどう思う?」

「わ、私は……」

 食欲は旺盛であれば健康的だと思ってしまいますが、過食症と言う病気もあります。

 眉間に皺を寄せて愛紗は考えました。桃香の心労を考えればもっと注意して当然でした。武一辺倒で義姉の体調変化に気付けなかった事を恥じました。

「この身を恥じるばかりです」

 悔し涙を溢す姿を見て、ムーミンパパは愛紗の頭に手を伸ばして撫でました。星はそんな二人を黙って見ていました。

 

 

 襄陽城には南陽郡の袁家から官吏が送り込まれ桃香の政を助けていました。業務は滞りなく進んでいましたが、七乃の元に届く桃香の近況は不安を感じさせる物でした。

「桃香さん、早く元気に成ってくれると良いのですけど」

 友人の心配をする七乃の元に部下がやって来ました。

「張将軍、孫家より孫伯符殿、周公瑾殿が到着されました」

「あら、もうそんな時間ですか」

 二人は長沙の太守、孫堅の娘とその軍師で、孫堅の死後、家中をまとめていました。ですが劉表とは反目しており、ここで新たに桃香が上に立った事で選択を迫られました。

 劉表の代わりが桃香なら、彼女が一番偉いと言う事に成りますが、実際は袁術の影響下にあります。袁術の機嫌を損なえば孫家の独立維持も難しくなります。

 ですから袁家の保護を求めて交渉に来たのでした。

(孫策さんは油断の成らない相手ですね。桃香さん達みたいに、美羽様の御役に立つなら良いのですが、飼えないなら相応の対応をしないと……)

 七乃にとって大切なのは主である袁術を守る事です。害する者なら排除する事も躊躇いませんでした。



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もっと続き

 ムーミンパパのお部屋はベットと小さな机が一つ。

 私物は机の上に置いたシルクハット一つです。

「うーん……」

 ベッド上で横になっていたムーミンパパは、目が冴えていました。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。転がっていた豚……ムーミンパパが止まりました。

 ムーミンパパ達が滞在する荊州の南郡は、名前こそ南と付いていますが荊州の北西にあります。そして南郡の襄陽城で桃香は政に励んでいました。

 ですが、まだまだ元気はありません。

 泣いてる子は放っては置けません。ムーミンパパはそんな桃香を元気付けようと考えました。

 ぽん、とベッドから降りると桃香のお部屋を訪ねました。

「あ、パパ。どうかしたの?」

「何か食べたい物は無いか。何でも取ってきてあげるよ」

 ムーミンパパの心遣いは桃香にも伝わります。ですから軽く冗談を言ってみました。

「ん……そうだね。じゃ、虎が食べてみたいな」

 くすっと笑う桃香の頭をムーミンパパは撫でて、軽く請け負いました。

「任せておきなさい」

「えっ……」

 おや、ムーミンパパは本気で虎狩りに行くようです。

 木苺(きいちご)のジュースが入った水筒を肩から下げて門に向かいます。

「パパ殿、どちらへ?」

 星が出かけるムーミンパパを見かけて声をかけました。

「ちょっと虎を調達しに行ってくる」

「虎ですと」

 話を聞けば桃香の為に食材を探しに行くと言う事です。

 その心意気は星にも理解出来ました。仲間の為なら手助けをしたくなります。

「なるほど。私も御一緒しても?」

「構わないよ」

 それにムーミンパパと一緒なら面白そうだと星は同道する事にしました。

「おい星、ちょっとこっちにおいで」

「何ですか?」

 ムーミンパパは星に石蹴りの遊びを教えました。

「ふふふ」

 コツン、コツンと石を蹴りながら森に入り、山を越え遠くに行きました。

 パパが石を蹴った時、茂みの中に飛んでいき見えなくなりました。

「私の勝ちですな」

 星は楽しそうに笑いました。

 その時、ムーミンパパはきょろきょろと周囲をみまわしました。

「どうしました?」

「しっ。静かに」

 ムーミンパパに言われて星は黙ります。

 微かに泣き声が聴こえました。

 ムーミンパパは石の消えていった茂みに向かって飛び込みました。

 おや、女の子がしゃがみこんで泣いています。これはどうした事でしょう?

 ムーミンパパは子供を慈しみ守るのが大人の役割だと思っています。ですから声をかけました。

「やあ君、私はムーミンパパ。いったい、泣いたりしてどうしたんだね」

「えっ?」

 女の子は話しかけて来たムーミンパパを見て泣き止みました。

「ちょっと……」

 口ごもる女の子は足首をさすりました。

 ムーミンパパは女の子の足首が赤く腫れている事に気付きました。

「ふむ、捻挫かな」

 パパはしゃがみこむと背中を見せました。

「掴まりなさい。家まで送ろう」

「でも……」

「失礼」

 遠慮をする女の子を星は抱え上げるとムーミンパパの背中に乗せました。

「よいしょっ」

 ムーミンパパと星は女の子を連れて山を降りました。

 女の子は孫尚香と名乗りました。今は亡き孫堅の末娘だったのです。

 

 

 

小蓮(しゃおれん)があんなになついてるなんて」

 そう言うのは孫尚香の姉、孫権です。

 孫権は、南陽郡の袁家に援助を求めて交渉に行った姉、孫策の留守を守っていました。

 責任感の強い孫権でしたが、思い込むと頑固な所もあります。

 最初は、妹を背負って現れたムーミンパパを妖怪と勘違いして切りかった孫権と家臣達でしたが、ムーミンパパと星に軽く無力化されてしまいました。

「お姉ちゃん、シャオの恩人に何してるのよ!」

 激怒する妹を前に孫権は自分の過ちを悟りました。

 恩人を殺しかけた。これが世間に伝わると孫家の評判は大きく損なう事に成ります。

 姉の留守を守るどころではありませんでした。

 膝を付いて項を垂れた孫権。その姿を前にして何やら考えたムーミンパパは、孫権の頭を撫でて許しました。

「私達は怒っていない。誰にでも間違いはある。それに君は妹を守ろうとしただけだよ」

 優しく許してくれたムーミンパパに感激した孫権は真名を預けました。

蓮華(れんふぁ)とお呼び下さい」

「あーっ、お姉ちゃんずるい!」

 孫尚香も小蓮の真名をムーミンパパに預けました。

 蓮華の家臣、甘寧(かんねい)はその様子を不快そうに見ていました。

 ムーミン族やヘムル族、スノーク族を知らない甘寧にとってムーミンパパは妖怪です。妖怪と馴れ合う事は間違いに思えたのです。

 

 

 

 孫家で歓待を受けたムーミンパパは鶏の足やアヒルの水かきをお土産に貰って帰りました。

 あらら。これは二人には合わない食材ですよ。

 ですが蓮華は良い笑顔で渡して来ました。お礼の気持ちでした。

「パパ殿、これを食べるのですか?」

 顔をしかめる星にムーミンパパはパイプをくわえながら答えます。

「桃香なら喜ぶんじゃないかな。私は食べないが」

 こうしてムーミンパパと星のちょっとした遠出は終わりました。

 戻った襄陽城はいつも通りです。

 もう我が家として馴染んでいました。

 食堂で豚の血豆腐を食べていた桃香はムーミンパパに気付きました。

「パパ、お帰りなさい。星ちゃんと何処に行ってたの?」

「すまない桃香、虎は取ってこれなかった」

 ムーミンパパ達は虎を狩りに行っていたのです。その事に気付いた桃香は温かい気持ちに成りました。

 差し出されたお土産を受けとるとお礼を言いました。

「パパ、星ちゃん、ありがとう」

「どういたしまして」

 ムーミンパパと星はにっこりと笑いました。

 

 

 

 それから十日ほど経ったある日。その日は夕方までムーミンパパは昼寝をしていました。その傍らで鈴々(りんりん)も丸くなって寝ています。それはとてもとても長いお昼寝でした。

「パパも鈴々も二人共、いつまで寝てるのですか」

 そっと揺り動かされ、愛紗の言葉に起きた二人は顔を見合わせて空腹を訴えました。

「パパが若い頃は何日だって寝たんだよ。それじゃ、夕食に行こうか」

 空腹は何よりも調味料と言いますから。今日はどんな料理でしょう。きっと美味しいご馳走ですね。

 例えばそれは納豆、オクラ。長い長い歴史で作られた食品がここには不思議な事にありました。

「パパ」

 手を繋いでいた鈴々がムーミンパパを呼びました。

「何だい?」

「愛紗はパパと一緒に寝たかったので怒っているのだ」

 伝えられている所では、その後、鈴々は愛紗に追いかけられて食堂に駆け込んで二人揃って叱られたといいます。

 そこから食事を済ませ寛いでいると、都の洛陽から漢の大地を治める皇帝の勅使がやって来たのです。

 ムーミンパパを見てぎょっとした勅使でしたが、語り始めます。

 そのお話とは、それはそれは大変な内容でした。

 黄色い頭巾を被った賊、黄巾賊がこれまではてんでバラバラ暴れており、諸侯が独自に対処をして居たのですが、黄巾賊は大きく勢力を広げたのです。

 このままではいけません。遂に朝廷が重い腰を上げたのです。諸侯はこれを速やかに討伐せよ、と言うお話です。

 これまでは荊州を守るだけで良かったのですが、これからは官軍の一員として見知らぬ土地にも遠征しなくてはいけません。

 勅使を見送った後、不安そうな顔で桃香はムーミンパパに抱き付きました。

「七乃ちゃんに相談しないと」

 山賊でも黄巾賊でも他人の物を盗らなければ良いのに、と桃香は言いました。

「そうだな」

 そこに南陽から早馬が駆け込んで来ました。

「御注進、御注進! 袁公路様より劉玄徳様に参陣要請です」

 荊州にも張曼成(ちょうまんせい)と言う賊将率いる黄巾軍が攻め寄せて来たのです。

 どうやら、もう平和な日々に戻る事は出来ない様です。それどころか、長い長い戦乱と言う物語が幕を開けました。

 

 

 

「妾は袁公路じゃ! たしかに妾は南陽郡太守じゃが、袁家の威光以外には何もない。でも、荊州を守りたいと言う気持ちに嘘はない! だから皆、妾に力を貸して欲しい」

 美羽の後ろには七乃や一刀が控えています。

「公路様!」

「太守様!」

 サクラが煽動して民は美羽の名を呼んでいます。

「民を襲い略奪する。こんな悪い事は、断じて許せないのじゃ。漢を倒す? 暴力で民を苦しめておきながら、本気なら頭を疑う。官吏と民は気持ちを一つにして、この国を創って行くと妾は信じている。賊徒には誰も見向きもしてくれない。悪者に与えるのは罰。漢に忠実な皆は、一生懸命頑張ってくれると信じている。だから、妾の気持ちを届けたい。妾から言える事は民を守ってくれと言う事だけじゃ」

 そこからは集団心理で美羽の言葉に歓声を上げる南陽郡の民の姿がありました。城外の集結地に袁家の軍勢が集結しています。

 訓示を受けるのは荊州各地から集まった豪族の私兵や義勇兵です。

 菱形の真ん中に劉の姓を書き込んだのが桃香の旗で、ガンギエイをモチーフにしています。

 桃香の隣に桃色の髪をした女性が居ました。親戚でしょうか?

「伯符さんは呉の出身なの?」

「え────? あ、うん、違うわ。先祖の孫武が呉の出自なの」

 美羽に放っていた厳しい視線と雰囲気に物怖じせず、唐突に字を呼び気安く話しかけて来た桃香に戸惑うのは孫策さんです。

「孫武さん、ああ、私、孫武さんの書を読んだ事あるよ。凄い面白いよね!」

 何かを思い出す素振り。ばればれの嘘とは違う。

「あ、ああ、そう。そんな事言う人には初めて会ったわ」

 孫策にとって孫武と言えば優れた先祖であり、面白い云々な内容の物を残していたとは思いもよりませんでした。

「策殿。御歓談の所、邪魔をしてすまないが張勲殿より状況開始の号令じゃ」

「分かったわ、祭。劉将軍、仕事を済ませるとしましょうか」

 報告して来たのは孫家の宿将である黄蓋で、蝶々を追っていたムーミンパパに警戒の視線を向けました。

 荊州黄巾党。それが今回倒すべき敵であり、悪い賊徒です。

 理性を失うほどお酒を飲めば周りにも迷惑です。この人達の場合は殺戮と略奪で血と暴力に酔っていました。

「伯符さんはこれまでに賊退治をした事はあるの?」

 桃香は他者が賊にどう対応して来たか、自分との違いが気にかかったのです。

「これまで129人を捕らえたけど96人が刑を受けた後も再犯してたわ。法と理で漢が動く以上、反乱で世を正そうとする連中の末路は自業自得よ」

 あらあら。孫策さんは硬い決意がある様ですね。剣を把持していた拳は固く握りしめられています。

「なんだろう。これで人生変わる人も居るんだろうね。お母さんが悲しむよ」

 人は現状を維持するか、過去を懐かしむ物です。ですから、今を壊そうとする存在を許せません。

「いい? 賊徒っていうのは民を苦しめる連中で、賊徒に成った瞬間から漢の民としての権利を失ったの。賊徒を改心させたり、許す事を決めるのは太守であるあのこや、州牧代理である貴女じゃない! しっかりしなさい。これは民に笑顔を取り戻す仕事。それを自覚して事に当たりなさい!」

 孫策の言葉に励まされた桃香は、孫策の手を握り締めました。

「伯符さん、ありがとうございます! 私、頑張りますね! それと、私の真名は桃香って言います」

「ちょっと、貴女、真名を!」

「駄目ですか?」

 美羽の仲間である桃香と真名を交換する事に、孫策も考える事がありました。ですが邪気の無い桃香の眼差しを受けて吐息を漏らしました。

「……雪蓮(しぇれん)よ」



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我が道を往くパパ

 戦乱の漢帝国で人の命の価値は平等ではありません。国家の存続は民より優先される事で、この時代はまだ国民皆兵制度と言う事もあり、(まつりごと)に民の犠牲は付き物と考えられていました。

 こう言う時こそ皆に大切なのは、心のゆとりです。見たい物だけを見て、見たくない物は見ない。精神衛生上、正しい事です。

 かぜをひいてしまったなら、パパの嫌いな玉ねぎとお砂糖入りの温かいミルクを飲むのもありますが、戦はそうもいきません。

 黄色い頭巾を被った人達が暴れていた頃、ムーミンパパは(しゅん)(たけのこ)を掘りに星とお出かけしていました。

「今更ですが良いのですか。この様な事をしていても」

 そう言う星にムーミンパパは頷き返しました。

「うん。皆、これから大変だ。美味しい物を食べれば、遠く広く視野も開ける。今何が出来るか考えたらこれだね」

 真面目な愛紗ならお説教でしょう。桃香を誘えば周りが心配してしまいます。

 そこで星がお供に選ばれたのです。

「そう言う物でしょうか?」

 人は産まれた時に幸せに成る事が決められています。無理に闇の中や暴風雨の中を進む必要はありません。

 就職も派遣先もアルバイトも決めるのは自分です。

 ムーミンパパは美味しい物を食べる事で、世界には他にも楽しい事があると伝えたかったのです。

 それが分かるのも、若い頃に孤児院の生活からさよならをしてからの冒険で、友達や家族を作った経験があるからです。

 星もメンマの事を考えると、切なくなります。メンマへの愛だけは真実でした。

 お城の貯蔵庫には大根、人参、白菜、ピーマン、キャベツ、レタス等がありました。

 豊富な食材に驚き、美味しい物を求めて世界を旅すれば、流通経路をたどればいつか家に帰れるかなとムーミンパパは考えました。

「それで、ここは何処なのですか?」

 自信を持って先を進んでいたムーミンパパに星は従っていたのですが、何処だか見知らぬ場所に来ていました。

 鬱蒼と生い茂った木々と地面の傾斜で山の中と言う事は分かります。

「ふむ。何処だろうね?」

 シルクハットの中からパイプを取り出して煙草を一服するとムーミンパパはそう答えました。

「いやいや、それは無いですぞ!」

 迷子になったのか、星は頭を抱えたくなりました。

「落ち着きなさい」

 そう言ってムーミンパパは座り込むと、隣をポンポン叩きました。

 並んで一休みする二人の間を吹く風に、木の枝が揺れています。汗がすーっと引いていきます。

「おや」

 尻尾をピンと立てたムーミンパパ。どうしたのでしょう?

 星も警戒して得物を構えます。

 鼻を鳴らして何かを嗅ぎ当てたムーミンパパは言いました。

「こっちの方から料理の臭いがするね」

「ほう?」

 暫くして、木々の切れ目から砦が見えた。星にも料理の臭いが分かりました。

 あら。星の目が鋭く成りました。

「パパ殿」

 それは黄色い頭巾を被って悪さをする人達、黄巾党の皆さんです。星にとって正義の剣を打ち込む機会です。

「あれは民の敵、賊徒です。罪を犯した者を捨て置く訳にはいきません。参りましょうか」

 やる気満々です。

「うん。放っておくわけにもいかないか」

 弱い者を守る。それは侠の人である星にとって当然の事でした。無駄な戦いではありません。

 でもムーミンパパにとって一番大切なのは家族と友達を守る事です。

「しかしあまり無茶をしては駄目だよ」

 星も大切な家族でした。

「かしこまりました」

 そう答えると星は駆け出しました。ムーミンパパもシルクハットを押さえて後を追います。

 木々の間を駆け抜けて飛び出した星をムーミンパパは抱き上げると跳躍しました。

「おお、これは良い!」

 二人は砦の外壁を飛び越えて、中に飛び込みました。

「な、何だてめえら!」

 そこでは黄巾の将である張曼成(ちょうまんせい)が手下を指導していたところでした。

「お前達、賊徒を倒す者だ」

 星の言葉に張さんは激おこプンプンしました。

 黄巾党が勝てば、漢王朝はおしまいです。これから高位に昇ろうと言う自分への無礼は許せませんでした。

 星は容姿も良く、捕らえて身体で楽しむ事が出来ると考えた張さんは手下に命じます。

「たった二人で何が出来る。やっちまえ!」

 美少女は共有財産に成ります。手下も気合いを入れて一斉に向かって決ますが、ムーミンパパは相手の攻撃を受け流し、関節技や打撃で相手を無力化していきます。

「パパ殿、大したお手並みですな」

 殺さずに倒す。それは中々、骨の折れる事でした。

「昔取った杵柄(きねづか)ってやつだね」

 戦場は数や経験よりも心の余裕が物を言います。ゆったりとしたムーミンパパの余裕につられて星ものびのびと闘えました。

「私も負けておられませんな!」

 ムーミンパパの厚い皮膚は刀剣もちょっとやそっとでは効きません。

 星にとってムーミンパパの傍らは、どこに居るよりも安全でした。

 ──そして孫策が討伐の兵を率いて到着した時、ムーミンパパと星はキャンプファイアの様に砦を燃やして、数珠繋ぎにした賊徒と共に炎を眺めていました。

「貴女達が落としたの」

 桃香の仲間なのに不実にも逃げ出したと思っていましたが、たった二人で砦を落としてしまった事に驚きました。冷静に見ると、他に兵を連れていない事にも気付きました。

「おい、女! 俺を逃がしてくれたらお宝を分けてやるぜ」

 縛られていた張さんは、それなりに高位の者だろうと当たりをつけて孫策に話しかけました。

「何、こいつ」

 いきなり買収されて鬱陶しい表情を浮かべた孫策に、星は不敵な笑みを浮かべて答えます。

「賊将張曼成(ちょうまんせい)です」

 辺りが一瞬、静寂に包まれました。そして孫策の声が辺りに響き渡りました。

「ちょっと、それって賊の頭目じゃないの!」

「さようですな」

 平然と答える星と違いムーミンパパは、うるさいなとシルクハットを深めに被り押さえました。

「さっきまで私が討ち取る積もりだったんだけど……。私の家って、袁術ちゃんの所と色々あるじゃない。だから立つ瀬がないと言うか……」

 孫家は客将として飼われている状態でした。正式に臣従する積もりは無く、いつか独立をしたいと願っていました。

 ムーミンパパと星は目を合わせて頷きました。賊の責めは免れません。それなら誰が捕らえても大丈夫です。

「手柄はお譲りしましょう」

「良いの?」

 貸しは大きいので孫策も慎重です。

「その代わりに少々、頼みたい事があります」

 星の後をムーミンパパが続けます。

「筍を探す手伝いをしてくれるかな」

 孫策は予想外の言葉に大笑いしました。

「まぁ良いわ。少しぐらい寄り道しても」

 しばらく周りを歩いてると竹林が見つかりました。十分な量の筍を収穫する事が出来たムーミンパパは孫策にお礼を言いました。

「これぐらい大した事無いわ」

 戦はただ勝てば良いのです。大功を手に入れ、兵を損なわずに済んだ事もあって孫策は笑顔で答えます。

 

 

 南陽郡がこれで平和に成ったかと言うと、そう単純に事は進みません。賊は散り散りに成って各地で暴れるだけでした。

 中途半端なやり方はいけません。荊州の火種を消す為に、南陽の外にも派兵される事に成りました。

 専守防衛の自衛とはやられるだけと言う意味ではありません。時には越境作戦で他所様の主権を侵してでも戦う事が必要なのです。イスラエルも南アフリカもローデシアもアメリカ様も、皆、そうやって自国を守って来たのです。

 朝廷は黄巾賊の蜂起を食い止める事には失敗しましたが、そこから各地で防衛から逆襲に至る戦略構想を確りと確立していました。

 賊を殲滅する。その為、各地で勝利を収め、包囲網を延伸し追い込んでいました。こうした作戦行動に桃香達の活躍も寄与しています。

 熱気と勢いに飲み込まれてこそ良い仕事が出来るのです。

 戦場で喚声が聞こえます。関羽に率いられた騎馬は一群と成って突撃し、黄巾賊の戦列を切り裂きます。賊も阿呆ではありません。両翼から突破口形成部を潰そうとしましたが、関羽の浸透する速度の方が早いようです。

「愛紗ちゃん、凄い!」

 最初の頃は、賊が殺される様にも顔色を変えていた桃香ですが、最近は割り切って慣れてしまいました。

 賊は、自分の努力が足りない事を棚に上げて、逆怨みし世間の人々に迷惑をかける悪い人達です。

「正義の為だって……仕方ないよね」

 おやおや、やっぱり割り切ってはいないようです。

 賊は根から絶やさなければいけません。難しい決断ですが、漢の確固たる姿勢は崩れません。政に携わる者として手を汚す覚悟は出来ていましたが、桃香にとって辛い日々です。

「お姉ちゃん、どうかしたのか?」

 桃香の護衛で残っていた鈴々は桃香に尋ねました。

 鈴々は殺し殺される事を知っており、桃香と違い罪悪感を持っていませんでした。ですから桃香の気持ちは分かりません。

「ううん、何でもない」

 義妹達と交わっても満たされません。良心の呵責と言う悩みが払拭されないのです。

 でも本当は知っています。

 直接手を下さなくても、命じる立場にあれば、その手は血塗られているのだと。そしてその恩恵を間接的にあっても受ける者は、末端の民草に至るまで汚れています。

 殺した者は生き返らず、罪は消えず、償う事は出来ません。ですから後悔すると言う無価値な事に囚われるよりも、未来を進む事が大切なのです。

 人を呪わば穴二つで、一寸先は闇。桃香が鬱々としてるこんな時、ムーミンパパはお城の書庫で読書に耽っていました。

 何やらお勉強中の様です。

 勉強のお手伝いをしてるのは孫家で最近、軍師に抜擢されたと言う少女、呂蒙です。

 軍師は主の為に知恵を働かせるます。軍師の前では愛も無価値で、時として男に股を開く事もあります。ですから知的好奇心を押さえる事が出来ませんでした。

「何か聞きたい事でもあるのかい?」

 呂蒙はチラチラとムーミンパパの様子を窺っておりました。ここ最近は、ムーミンパパもその様な視線に慣れていました。

「その、ムーミンパパの様な方を私はお見受けした事が無くて」

 ムーミンパパの軽く嗜める視線と口調に、呂蒙は淑女にあるまじき行いを自覚して赤面しました。

 手を休めたムーミンパパは、懐かしいムーミン谷の仲間達を思い出しました。

「私達ムーミン族に似た存在だとスノーク、ヘムルと言った種族も存在するよ」

 ムーミンパパの話に呂蒙は興味深く耳を傾けました。

「そのどちらも聞いた事がありません」

 眉間に皺を寄せて記憶を探った呂蒙は申し訳なさそうに答えます。

「そうだろうね。ムーミン谷からは遠いみたいだ」

 この様子ではニョロニョロやモランも知らないだろうと見当を着けます。

 権力には無縁のムーミンパパにとって若い彼女達はいかに(さか)しいと言っても子供の様な物でした。

 だからでしょうか、呂蒙の頭をくしゃくしゃと撫でたのは。

「えっ」

 周囲からは軍師として一人前の大人に成る事を求められましたが、ムーミンパパは違います。何気ない事ですが、子供の様に扱われた呂蒙はびっくりしました。



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