【完結】しゅらばらばらばら━斬り増し版━ (トロ)
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第一章【死亡遊戯】
第一話【青山という男】


 凶器を扱う者は、狂気に陥る。

 殺すということを意識する道具は、それだけで人の中に眠る魔性を引き出すのだ。

 冷たい殺意をその鈍い輝きを放つ鉄に込めて、凶器は子どもにすら殺人を選択肢に与える。

 まさに、狂気的だ。

 だからこそ、凶器を、武器を扱う者は道を外してはならない。

 邪道を正道に。

 狂気を侠気に。

 一歩、一歩。恐れながらその扱いを研鑽していかなければならない。

 

「……」

 

 男はそれをわかっていた。わかっていたのに、踏み外した。

 その行いは悪である。男は、邪道に走った。

 冷たい刃の輝きに魅せられた。

 狂気になれと囁く甘美に身を任せた。

 研鑽を積み。

 知られることなく狂気を育てていった。

 

「……」

 

 その全てを、今暴かれた。

 婚約をすることになり、引退するといった姉。全盛期を維持できるのはこれが最後だと思ったから、だから無理矢理呼び止めて、真剣を用いた殺し合いに近い決闘を持ちかけた。

 そして、全てを見抜かれたのだ。

 正しくは、見せ付けるように、見抜かせた。

 決闘の場所となった空き地は、あらゆる場所にミサイルでも着弾したようなクレーターが出来ている。だが対峙する二人の体には、埃による汚れ以外は見られなかった。

 この惨状を作り上げたと言うのに。そんな破壊を持ってしても、まるで無傷だった。

 

「……」

 

 男は静かに刀を正眼に構えた。

 いや、本来なら男というには、些か精悍さに欠ける幼い顔立ちだ。それは無理もなく、彼は十を僅かに過ぎたばかりの少年に過ぎない。

 だが、感情を表さない冷たい表情と、何よりも無感動な瞳が、彼から少年らしさを剥ぎ取っていた。

 対峙する女性もまた、普段の柔らかな笑みを浮かべることもなく刀を持つ。

 その内心に浮かんでいるのは──後悔だ。

 この数年、本気で試合をしたことがなかった弟。無言で、無表情のまま、ひたすら自己の内側で研鑽を続けていたその狂気を、肉親でありながら知ることが出来なかった。

 なんて、無様なことか。

 僅かに歪みそうになる顔を無理矢理とどめて、女性は天まで届くようだった気をさらに充実させた。嵐のように激烈な気の奔流を前に、男は無表情のまま、静かに内部で気を練り上げる。

 秘境の奥にある静寂の水面を思わせるような静けさだった。女性とはまるで逆。ひたすら己の内部に没頭するそのあり方が、終ぞその内側に眠る狂気を感づかれることをさせなかった所以か。

 人を殺すこと。妖を滅ぼすこと。

 そこに快楽を求めているわけではない。

 そんなわかりやすい狂気ではなく。

 誰よりも、圧倒的に、強くなる。

 たったそれだけの単純な狂気を、見逃してしまった。

 

「……」

 

 なら、その狂気を鎮める方法は一つだけ。

 ここで、敗北させる。

 強くなり続けるという願望を。そのために殺すことすら躊躇わない本質を。敗北という鎖で押さえ込む。

 でなければ、この青年は最強になってしまう。最強などというもののために、人を守るという本質はおろか、自分自身という、絶対に守らないといけない人間すら守れなくなってしまう。

 ──最も、人を守るという役割を放棄しようとしている自分が言えた義理はないのかもしれないが。

 小さな微笑。いや、苦笑。

 そこに、男は隙を見出した。

 男の体が消えたと同時、女性の目の前に突如として現れた。

 瞬動と呼ばれる高度な歩法だ。そして、男や相手の女性レベルの戦闘力を保有していれば、基本として修めている技術でもある。

 だから、別段驚きもしないし、そもそもこの破壊を撒き散らしている間にそんなのは何度も見た。

 

「シッ!」

 

 男の持つ刀が振るわれる。上から下への振り下ろし、単純なその軌跡は、単純ゆえに激烈。風すら斬られたことに後で気付くほどの神速は、女性の眼をもってしても見切ることは不可能だ。

 瞬動よりも速い斬撃。冗談のような神速を、事前に軌跡を予知することで回避する。

 冷たい殺気は女性の長く美しい黒髪を切り裂くに終わり、空を裂く。だがこんなことは先程から何度も繰り返したことでしかない。

 続いて女性が動く。右斜めに飛んで、振りぬかれた死を避けきり、男の背後を奪った。最短距離を詰めるのに瞬動は要らない。男の体を通り抜けたように無駄なく回り込み、その肩の付け根を狙って刃を振り下ろす。

 しかしこれも避けられる。巧みに体を逸らした男は、光の宿らぬ瞳で振り向いた。

 あぁ、その冷たさに嘆く。どうしてこの冷たさに気付かなかったのか。常に無表情。常に無言。沈黙の塊ゆえに注視しなかった。

 こんな化け物になるまで気付かぬ。気付かせぬ。

 姉さん。あなたは悪くない。男はその内心で優しく語りかけた。

 姉さん。あなたは斬ります。男はその内心で優しく語りかけた。

 同じように、語りかけた。

 

「ッ!」

 

 無言の気迫とともに、振り向きざまの加速を合わせて、男が刃を解き放った。上半身と下半身を泣き別れにする一撃は、咄嗟に後ろに飛んだ女性の体を──服を浅く切り裂く。

 着地と同時に、女性の顔に焦りの色が浮かんだ。服を切り裂かれただけで、体には傷一つすらない。

 しかし、これまで互いに無傷だった状態が、服一枚とはいえ拮抗が崩れた。

 やはり強くなっている。この一瞬の間にも着々と、好敵手に対応するために、己の内部に沈んでいき、より速く、より強く、その速度を増していく。

 末恐ろしい。今ですら恐ろしいのに、これ以上何処に行こうというのか。奥義を撃つ溜めすら作れなくなった現状、振るう刃はどれもが一撃必殺で、ひたすらに回避、回避、回避。

 絶技の応酬だった。まず間違いなく、世界中の全てを含めて、近距離戦では右に出る者がいない二人の激突は熾烈を極める。

 危険を冒さずには、この敵手は打倒できない。その思考に至った二人の刃は、次第にその身を危険に晒すことを躊躇わなくなっていく。

 これまで傷一つつかなかった二人の体に、ゆっくりと、だが確実に裂傷が刻まれ始めた。余裕が失われていく。思考は余分なことを失っていき、凍りつくように冷たくなっていく。

 闘争の行き着く果てなど、殺し合いの帰結など、結局はこの場所だ。

 冷たい、無感動。

 こんな場所にしか、最強は存在しない。人としてのあり方を見失った場所に、戦いの極みは存在する。

 そんな場所に、弟を行かせたくはなかった。冷たく鋭利な思考はそのままに、人としての心が女性の内側から炎となり、冷たい思考を熱くさせていく。

 人を守るために振るう刀は、最強である必要は何処にもない。

 守るための意思は、時として最強すら超えるのだから。

 

 だから、ここで倒す。

 

 冷たい刃と、熱き刃が激突した。刃毀れを嫌い、受けをしてこなかった両者の得物が拮抗する。名刀と呼ばれる互いの刃が、持ち主の気と敵手の気に板ばさみとなって悲鳴をあげた。

 こんな鍔迫り合いを後数秒でも行えば、半生を共にした刀が砕け散る。

 それを嫌って女性は飛び退き。

 そんなことは関係ないと男は飛び込んだ。

 

「ッ!」

 

「くぅ!?」

 

 己を厭わぬ特攻が来る。死して勝利を拾う。その光を宿さぬ瞳の奥の感情を読み取った女性は、苦悶の声をあげながらも、真っ向から向かえ撃った。

 互いに瞬動。音だけが響き渡り、虚空で火花が飛び散った。

 虚空瞬動を含めた空中戦は、防御を捨てた男の猛攻に女性が気おされる形となっている。

 殺しに来い。そう誘っているような無防備に、女性は躊躇った。

 殺せるわけがない。苦渋に満ちた女性の顔を見て、男は。

 

「斬ります」

 

 ただ静かに、涙を流した。

 

 その数年後、少年は神鳴流を破門となる。

 

 

 

 

 

 前世の人格を宿した子どもというのは、異常そのものだ。

 幼少の、おそらく三歳の半ばほどの頃、俺はかつての人格を手にした。

 そのときの記憶はない。

 ただ、例えば読み書きや、色んなスポーツ、料理等の雑学から、学校で習うような学業の内容について等の記憶は残っていた。前世の記憶は失っているが、体験した数々の知識は残っているといったなんとも都合のいい感じのものと解釈していただければいい。

 だから、この世界が前世の俺の常識とはまるで違うものだと理解したときの感動は凄かった。

 俺が新たな生を受けた青山と呼ばれるさる名家は、神鳴流と呼ばれる、簡単に言うと退魔を生業とする流派の宗家だった。当時は退魔などというオカルトは眉唾ものであったが、それはすぐ、己の体に流れている『青山の血』を知ったことで消し飛んだ。

 ともかく、青山という才能は恐ろしかった。幼少の頃から稽古を始めた俺は、ひたすらに没頭して、前世ではファンタジーとも言えるほどの恐るべき身体能力、気、技を身につけることが出来た。

 その途中で感情を表に出すことが難しくなったが、まぁそれはどうでもいい。

 結果として俺は強くなった。まるでゲームのRPGでもやっているかのように、稽古を重ね、実戦を積み、死線を潜り続けた。

 そして今、俺がこの世に人格を覚醒させ、常にその背中を追っていた女性の一人が、目の前にいる。

 戦いは、彼女のほうから仕掛けてきた。

 長女を降した俺に、彼女は仕合を申しこんでくれた。

 まるで、追い求めてもらえたようで嬉しかった。

 そして戦い、愛し合うように戦った。少なくとも俺は、愛し合っていたと思う。

 だけど、そんな気持ちは俺の独りよがりで。やっぱし俺は皆と違うんだなぁと、見せ付けられたような気がした。

 

 だから、閃き。

 

「強く、なったなぁ」

 

 その一言に喜びの感情は見られなかった。それも仕方ないな、と心の隅で思う。

 俺は強さに魅せられた。青山という体の持つ、とてつもない才覚を開放する楽しさに歓喜し続けた。

 それは、人を守るという神鳴流のあり方とは決定的にずれていた。

 俺は気付けば修羅になっていたのだ。これがもしも、前世の人格に目覚めていなかったのならば、あるいは正統な青山の後継者として、神鳴流を受け継いでいたかもしれない。

 だが最早それは叶わない。俺は俺で、青山という玩具を得た童だ。

 殺人の技術を研鑽することに歓喜する化け物だ。

 そんな化け物が強くなった。そのことを女性は、青山として追い続けた幾人のうちの一人の背中、俺の二人目の姉、青山素子が嘆いていた。

 

「姉上を降し、そして、私も降し……誰もお前を、止められなかった。最も、当時の姉上にすら勝ったお前を、私が止められるわけもない、か」

 

 自嘲するような物言いに、俺は首を振っていた。

 そんなことはなかった。姉はとても強く、当時の、全盛期の鶴子すら凌駕する力で応えてくれた。

 強くて、強くて。

 斬った。

 姉が手に持っている野太刀は半ばから絶たれ、斬り飛ばされた刀身が大地に虚しく突き立っている。とはいえ未だその戦闘力は失われたわけではない。

 対して俺はといえば、持っていた刀は完全に砕け散り、残骸が周り一面に散らばって徒手空拳。神鳴流であればそれでも戦えるが、半ばから折れているとはいえ、業物を持っている姉と俺では、戦力の差は決定的である。

 互いに傷は幾つも刻まれていた。しかしそれは決して戦闘を阻害できるほど深い傷ではなく、このまま対峙し続ければ、充実する気による活性化ですぐに塞がれるだろう。

 絶対的に不利な状況だ。今、姉に襲われれば、俺は敗北をする。

 

 だが、勝ったのは俺だった。

 

「斬ったのか……」

 

 姉は悲しげに手に持った野太刀を掲げた。

 

「斬れるのか?」

 

「……はい」

 

「そんな様で、斬れるのか」

 

「……はい」

 

 そう。

 斬れる。

 斬れるのだ。

 俺は斬れる。

 だから斬った。

 俺は、斬った。

 姉が放った渾身の太刀を、断ち切った。絶ち斬れた。

 その代償として、必殺すら斬り飛ばした十代目の相棒は砕け散ったが。

 まぁいい。

 そんなことは。

 どうでもいい。

 

「斬れるのです。素子姉さん」

 

 斬るのだ。刀があれば、斬れるのだ。

 ありとあらゆる全てを斬る。

 斬って。

 

「この様だから、斬るのです」

 

 斬れたんだ。

 

「果てに、何を求める?」

 

 姉の問いに、俺は答えを持っていない。

 強くなれるから、強くなった。

 それだけだ。

 それだけだったのだ。

 そうして果てに待っていたのが、斬撃だっただけ。

 それだけのこと。

 

「理由などない、か」

 

「最早、果てに至った、ゆえに。理由もなき、刀です……ですが、かつて、願いは、ありました」

 

 苦笑する姉に対して、俺は久しぶりに長く使ったことで疲れてしまった舌をもつれさせないように、一言一言、慎重に言葉を重ねた。

 

「強く、なりたかったのです」

 

 青山が。俺の体になった青山が。

 この青山の血は、何処まで行くのか。

 

「知りたかったのです。俺は」

 

 もっと先に。

 もっと高く。

 強くなっていく、この肉体が向かう先を。

 俺は見たかったのだ。

 

「この体が、何処に、行くのか」

 

 そのために、斬った。

 だから最早、人を守る刀ではない

 そんな狂気の果てが、この戦いで見せた俺の到達点─斬撃─だった。

 

 斬るということだった。

 

「修羅に生きるか」

 

「……」

 

「……負けた私には、お前を止めることは出来ない。いや、お前はもう、進み終わったのか。だから、斬れたのか」

 

「……はい」

 

 人の道に終わりはない。誰かが言っていそうな言葉は、俺には通じない。

 俺は、到達している。

 斬るという道の最後に、至ってしまった。

 だから姉を斬れたのだ。

 そうして俺は斬ったから。そうして姉は斬られたから。剣士として認めざるを得ないほど、俺は、姉の刀を斬ったから。

 だから、俺は勝者で。

 姉は、素子姉さんは、敗者だ。

 

「……一手、ありがとうございました」

 

 頭を下げて、踵を返す。強き者と戦えた、そして降せたという充実感を胸に宿して。

 そしてもう、二度と会えないことへの悲しみを僅かに感じながら、静かに、帰路につく。

 

 空が、煤けているな。

 

 

 

 

「……」

 

 その背中を、素子は静かに見届けた。

 

「時代の、落ち子か」

 

 ある日、姉が呟いた弟への評価を口にしていた。

 弟は、時代がずれた。と。

 青山という骨と神鳴流という肉が作り上げてしまった、神鳴流の塊にして、神鳴流の闇。

 青山という化生。

 強さを求める修羅。

 だが、こことは違う場所で行われた、英雄が闊歩する戦いには間に合わなかった。

 もし、あと少しだけ時代がずれていたのならば、そうすれば彼は英雄になっただろう。

 しかしもうそれは叶わない。世界を揺るがした闘争は終わり、時代に取り残された修羅は、孤独となった。

 

「姉上。私達は、遅すぎた……もう、たどり着いていたのです。道半ばではなく、到達していました。私では、道半ばの私では、あの領域には届かない……だから」

 

 ならば、その極点に至った技は、何処に向かうというのだろう。

 時代は過ぎた。

 闘争の時代は終わった。

 だからこのまま。

 

「平和に眠るといい──。いや……青山よ」

 

 弟の名前を言い直し、その名称を呟く。最早、素子の弟であった青山──は死んだ。

 あそこに居たのは、青山と呼ばれる修羅だ。

 そうして、いつからか弟を指して呟かれるようになったその言葉を最後に。

 素子は静かに弟とは逆の方向に向かって歩いていった。

 空では、今にも泣き出しそうな灰色の雲だけが漂っている。

 

 眠れる修羅は、時代の落とし子。

 

 行き場を失ったその狂気は、何処へ行く。

 

 

 

 

 

 社会としての枠組みで見た場合の青山は、不適合者の烙印を押されても仕方ないだろう。

 常に無表情で、喋ることもほとんどない。

 そんな彼を雇う場所など何処にあるのだろうか。破門されてから暫くは、魑魅魍魎の討伐や、かつて戦っていた頃に蓄えた貯金で生きていける。だがそれとは別に、表向きの職というものは必要である。

 

「青山、です……お願いします」

 

 そんな彼が奇跡的にも就職できたのは、麻帆良と呼ばれる学園都市の清掃員としての仕事であった。無口、無表情、しかも剣の鬼ではあるが、日常生活では害のない素朴な男だ。周りの従業員が、人生を長く経験した年長の人ばかりということもあり、若輩である青山は概ね受け入れられることになった。

 これから、少しずつ慣れていこう。前世の記憶はないが、きっと前世でも働きはしていたはずだと、無表情の奥でやる気を漲らせる。そんな彼は周囲の大人たちに肩を叩かれつつ満更でもなさそうに、長く付き合ってきた肉親にすらわからないくらい小さく、その目じりを緩めた。

 

 

 

 

「まぁここはとにかく広い。清掃場所なんて腐るほどあるから疲れるんじゃねぇぞ?」

 

「はい。錦、さん」

 

「声が小さい! っても兄ちゃん。ちょっと訳ありっぽいからな。そこまでとやかくは言わないが、出来るだけ話すように努力はしろよ?」

 

 俺が小さく頷くと、俺の教育担当兼、パートナーとなった明朗快活なおじさんである錦さんは、眩しいくらいの笑顔を浮かべてくれた。

 麻帆良学園の敷地は広い。今日は初めてということで、初等部の敷地の清掃だ。清掃用具を片手に俺は錦さんに言われたとおりに黙々と掃除をこなす。

 悪くない時間だった。幼少時、あんなにも没頭した非日常のせいか、戻りたくないと思った当たり前の日常。

 それがここまで落ち着けるものだとは思わなかった。こうして一人の人間として、ただの青山として掃除をしているとそう思う。敷地を綺麗にするごとに、自分の心の中も洗われるような気がするのは。

 それは、きっと気のせいだ。

 

「錦、さん。終わりました……」

 

 回らない舌をどうにか回して錦さんに声をかける。思いのほか速かった俺の掃除の速度に僅かに驚いているが、「やるじぁねぇか」と笑顔で褒められる。

 この程度なら、鍛えた肉体を行使すれば他愛ない。それに掃除というのもまた鍛錬になるので、やりがいがあった。

 いかに早く汚れを見つけ、どうすれば早く全てを清掃できるか、頭にプランを立てる。観察眼と状況判断。この二つが養われる立派な鍛錬だ。

 ……ほらやっぱしこんな思考。心が洗われているなんて、気のせい。

 

「ちっと早いが、飯にするか」

 

 錦さんの提案に頷いて応える。昼よりも少し前、暖かな陽気に包まれた俺は、グラウンドで元気にサッカーの授業を楽しんでいる、初等部の子どもたちの様子を見ながら食事をすることにした。

 隣には、コンビニ弁当とペットボトルのお茶を持ってきた錦さん。俺は自分で作った内臓を鍛える特別なメニューだ。興味を持った人に食べてもらったりもしたが、どうにも味は最悪らしい。

 まぁ、味覚なんてものがあるからそう感じるのだろう。俺には味がわからないのだから、こういうのも悪くはないのである。ちょっとばかし健康に悪そうな煮物を箸で摘むと、静かに食事を始めた。

 

「しかし、兄ちゃんみたいな若いのがこういう職につくなんて珍しいこともあるもんだ」

 

 錦さんは弁当を食べながらそんなことを呟いた。言うからには多分、そうなのかもしれない。こういうとき、前世で生きてきた記憶がないというのは心苦しい。今世では力ばかりに没頭したため、世間の常識というのには何かと疎い俺である。

 答えることも叶わずに沈黙していると、錦さんも答えを求めたわけではないのだろう、そのまま食事を続けた。

 そんなとき、グラウンドで遊んでいた子どもたちが蹴ったボールが俺のほうまで飛んできた。白と黒のサッカーボール。コロコロと転がってきて、つま先に触れる。

 

「すみませーん!」

 

 担任の女性教師と子どもたちが俺に向かって手を振ってきた。僅か、その光景に動きを止めていると、錦さんが俺の脇腹を軽く小突く。

 

「ほれ、返してやんなって」

 

 そう言われるのと、子どもたちの一人が我慢できずに走りよってくるのは同時だった。

 俺は静かに立ち上がってボールを片手で掴む。それを走ってくる少年に向かって軽く投げてやった。

 放物線を描いて見事に胸元へ。「ありがとうございます!」快活で、聞いていて気分のよくなる声に、手を上げて応じる。深々と被った帽子の下は見られなかっただろうか。微笑なんて出来ないから、そうすることでしか感情を示せない。

 よかった。傍に寄られていたら、子どもはきっと、泣いてしまったはずだ。

 

「笑わないな、兄ちゃんは」

 

「……すみません」

 

「いや……いいんだよ。若いからって俺らより苦労をしてねぇってわけじゃない。色々とあったんだろ? お前さんは」

 

 悟られているなぁ。申し訳なさを感じても、頭を下げるしか出来ない。

 そう、色々とあった。

 色々とあって、全部斬った。

 そんなものだ。

 

「……」

 

 やはり、斬るのだろう。斬るしか、答えは見つからない。

 所詮、日常などは程遠い。

 少し肌寒くも、それでも穏やかな陽気に包まれながら、この職についた本当の理由を思い出していた。

 あれは今から二週間ほど前、素子姉さんとの仕合が終わってから少し経った頃だった。

 寂れたあばら家に届いた一枚の封筒。その中身は二度と会うこともないと思っていた鶴子姉さんからであった。

 それは、神鳴流の青山にではなく、俺という青山に向けて送られてきた手紙だった。

 内容は、簡単に述べると、英雄の息子が麻帆良学園という場所に教師として赴任するので、影ながらその護衛を担当するように、ということだ。

 英雄の息子というのがどういうのかは知らないが、目下、何かしらしようとすることはなかったので、その依頼を受けることにした。

 他にも、学園長には従うようにという旨も書かれていた。ともかくはここで働け、そういうことらしい。

 何を考えて俺を推薦したのかは知らないが、こうして来たにはやることはやるし、出来ないことはしないつもりだ。

 それに、英雄の息子というのがどれ程の有名で、どんな厄介を引き連れてくるのか興味もあったし。

 そんなこんなで、俺はネギ・スプリングフィールドという少年を護衛するために、ここにこうして清掃員として着任したのであった。

 最も、護衛よりも楽しいことがありそうなので、個人的にはそっちのほうが楽しみではあるのだけれど。

 どうせ。

 うん。

 どうせ、斬るのだ。

 

 

 

 

 

 青山と言えば、神鳴流においては頭をあげることの出来ない名前である。化け物を打ち倒す剣術の使い手の頂点、宗家にして最強の名前。

 それが、青山だ。

 だが現在、神鳴流、そして一部の術者による青山という呼び名は、羨望と憧れに満ちてはなく、畏怖と恐怖の別名とさえ言われている。

 青山。

 そう呼ばれるとき、それは宗家の青山を指す言葉ではない。

 神鳴流が生み出した生きる修羅を、彼らはそう呼んでいる。

 かつては、歴代でも最強と言われるようになると言われていた青山家唯一の男子は、数年前、姉である鶴子を殺し合いの如き決闘の末、半死半生にまで追い込む。

 それを皮切りに、その男は日本中のあらゆる妖魔、あるいは人間にいたるまで、強き者であればどのような手段を持ってしても、そう、封印されているのであれば、それすら抉じ開けて、戦いを行い続けた。

 驚異的なのは、彼が全ての戦いにおいて勝利を収めてきたということだ。

 そしていつしか、あらゆる猛者を殺して回る、化け物の如き男を指して、『青山』と誰もが呼ぶようになった。

 何故、青山と呼ばれるようになったのかはわからない。だが誰もが青山と呼んだ。

 もしかしたら、あえて青山と呼ぶことで、その男は宗家とは別の人間だと言いたかったのかもしれない。

 ともかく、青山が暴走してからの日本は、一時期混乱に陥っていたと言ってもいい。それでも外聞を気にした神鳴流と関西呪術協会のトップの者達の手によって、青山の名を畏怖と恐怖で呼ぶ者は、神鳴流と、一部の実力者などに収まった。

 青山自体が、強者以外との戦いを望まなかったというのも大きい。

 そうして、人間は青山から隠れ、妖魔も、青山一人で開放できる全ての封印が解け、そこに眠っていた妖魔が絶え、生きていた妖魔達も皆青山の刀に斬り伏せられ、その件はようやく落ち着きを取り戻した。

 だが青山と恐れられた男が残した爪痕は、深く、深くあらゆる場所に刻まれたのであった。

 

 

 

「まぁそう固くならんでゆっくりしなさい」

 

 そう朗らかに言ってきたのは、ここの学園長さんだ。

 慣れ親しみやすそうな笑顔に思わずこちらも安堵する。最も、俺の表情はまるで変わらないので、この気持ちを伝えることは出来ないのだが。

 

「よろしく、お願いいたします。不足ながら、学園の、礎になれればと」

 

 代わりに、深々と頭を下げる。真摯な態度は、表情以上に物を言う。俺の経験則だ。

 

「なに、鶴子ちゃんのご指名じゃからの、腕前のほうは心配しておらんよ。のぉ、高畑君や」

 

「えぇ。よろしく頼むよ、青山君」

 

 学園長さんの隣に立っている優しそうな男性、高畑さんが優しく声をかけてくれた。

 こうして人の優しさに触れるのはいつ振りのことになるのか。その暖かさに感動を覚えながら、そも、その優しさを手放したのは自業自得であることを忘れてはいけない。

 こういう世界を、見ることが出来たはずなのだ。

 だが、俺は青山だった。

 それだけの話である。

 

「それで、件の、英雄の息子は? 高畑さんのこと、ですか?」

 

「ほぉ? これは驚いた。英雄の息子といえば有名なのじゃが……知らないのかね?」

 

「生憎と、俗世には、疎く」

 

 斬ることだけは、怠らなかったが。

 

「安心せい、高畑君は護衛を必要とするほど柔ではないし、彼は英雄の息子などではないよ」

 

 そうか。どうやら勘違いをしてしまったらしい。

 これは恥ずかしいものだ。

 

「不快な、思いをさせて、申し訳、ありません」

 

 俺はいそいそと高畑さんに向かって頭を下げた。

 そうすると、逆に申し訳なさそうに高畑さんが苦笑した。

 

「気にしないでくれ。何、君には優男に見えてしまったんだろう。僕もまだまだ修行が足りないってことか」

 

「いや、そのような、ことは……ありません」

 

 むしろ、そそる。

 出来れば、学園長と二人一緒に相手していただけたら、それはきっと甘美なことで。

 などと、全く。

 なんともまぁ度し難い己の阿呆加減に、余計にいたたまれなくなる。

 

「話に聞いていたよりも、ずっと素朴な青年ですね」

 

「うむ。青山と聞いて、もっと恐ろしい人だと思ったのじゃがのぉ……と、本人を前に失礼な話じゃったか」

 

「いえ……事実、ですから」

 

 青山と言えば、知っている人間は怯える。

 俺が、高名な宗家の名前を地に落とした。

 斬って、落とした。

 

「俺は、青山です。そういう、ものです。己のために、全部、斬りました」

 

「そうかい……それは」

 

 言葉に詰まった高畑さんが、どこか寂しげに笑みを浮かべた。その笑みは、寂しいけれど優しい人の微笑だ。

 嬉しくなる。こんな自分に同情してくれる人がいるというのは、この上なく幸せなことだ。

 だからそんな優しい人に共感されるというのは、俺にはとても悲しいことだった。

 

「お気に、なさらずに。俺は、俺しか見ていません。そんな俺に、同情など。高畑さんに申し訳ない」

 

「僕は……いや、わかった。そうだね」

 

「はい」

 

 こんな人に同情されてしまったら、問題が発生してしまう。

 いざというとき、俺を殺しにきてくれないではないか。

 それは、とてもとても、悲しいことである。

 という思考は置いておこう。

 

「ところで、俺は、英雄の息子の、護衛として、どのようにすれば、よろしいのでしょうか?」

 

 ようやく本題に入る。最も、俺が勘違いしたせいで話が脱線したのだけれど。

 学園長さんもそんな俺の考えを見抜いたのだろう。コホンと咳払いを一つすると、静かに語り始めた。

 

「君には、この学園内で起こる諸問題に対する指導員としての立場をとってもらいたいのじゃが」

 

「指導員、というと?」

 

「要は、生徒間の揉め事を解決する立場じゃよ。そういう立場であれば、一ヵ月後に来る英雄の息子を護衛するにあたっても、いい位置にいることが出来るじゃろうて」

 

 なるほど。と思った。

 表向きは普通に仕事をこなしながら、裏では護衛としての仕事を全うする。

 実に理に叶っている。

 だがまぁ。

 

「それは、よろしくないと」

 

 俺は、辞退することにした。

 

「どうして、と聞いてもいいかな?」

 

 と言う高畑さんの言葉に、俺は正直に答える。

 

「俺が、青山だからです」

 

 理由なんて、それだけで充分だが、少し当惑の色が見える二人に対して、もう少し説明する必要があるだろう。

 

「少なくとも、二人。神鳴流の使い手の、気配を、感じました」

 

「……わかるのかね」

 

 学園長さんの視線が鋭くなる。だが特に怯むことなく、俺は頷きを返した。

 

「まぁ、この学園の、敷地内程度でしたら……把握は、容易で、ございます」

 

 複数を相手に一人で戦うということは珍しいことではなかった。その結果培われたレーダーのようなものだ。魔力と気を察知する、その程度のものである。そこから推察して神鳴流らしき使い手を見つけた。

 それだけだ。

 所詮は、その程度。

 

「青山という名は、神鳴流の、禁です。宗家を潰した、宗家の出来損ない。侮蔑の、総称で、あります」

 

「なるほど。つまり」

 

「……俺は、可能な限り、接触を控えるよう、心がけます」

 

 だがまぁ、この学園に居る限り、いずれは彼女、あるいは彼らと出会うことになるだろう。

 そのときは。

 そうだなぁ。

 斬るのかなぁ。

 

「しかし、そこまで根が深いのかね?」

 

「まぁ……」

 

 一応、殺してきた妖魔や人間は、全てが人間界には害となるような者を選んできたつもりだ。

 勿論、俺の噂を何処からか聞きつけて戦いを挑んできたら、それは善悪問わずに斬ったが。

 しかしそのやり方は、神鳴流の理念には反する行いだ。

 冒涜的で。

 異常者のやり口だ。

 

「宗家の名も、継承者も、まとめて、潰した相手を、許すわけが、ないでしょう」

 

 だがそれでも、鶴子姉さんは俺を推薦してくれたのだ。

 ならば、俺は可能な限り姉さんの期待に応えなければならない。

 

「……無論、やはり、駄目だと、言うことならば……今すぐに、出て行きます」

 

「いや、そんなことはせんよ。君を推薦したのも、何かしら意味があってのことじゃろう」

 

「では……」

 

「君の希望を汲んで、可能な限り目立たない職を探すことにしよう。本当は夜の見回りも頼みたかったのじゃが……まぁそこも上手くすり合わせてみよう」

 

「ありがとう、ございます。その寛大さに、礼を」

 

「じゃあ、今日のところは案内するから、ついでに僕の部屋をそのまま寝床に使ってもらおう。この後、時間は空いているかい?」

 

 高畑さんが朗らかに笑いながらそう言ってきた。

 いい加減舌が疲れてしまった俺は、頷きをもって返すと、いっそう笑顔が深くなる。

 確か、教師だと言っていたなぁ。

 人格者なのか。

 惜しいなぁ。

 そういう人は、本気で斬ってくれないんだ。

 

「案内、よろしく、お願いします」

 

 俺は深々と頭を下げた。

 こんな俺に優しくしてくれる高畑さんの気持ちが、嬉しかった。

 優しい人は、大好きだ。

 

 でも。

 

「それじゃ、早速行こうか」

 

「お願い、します」

 

 斬らないのだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 タカミチと共に、青山は部屋を出て行った。

 一人になった右衛門は、今しがた出て行った青年のことを思い返す。

 

「あれが、青山、のぉ」

 

 髭を撫で付けながら、聞いていた話とは随分と違う印象を受けたことに、僅かな戸惑いと、大きな安堵を覚えていた。

 

「いや……」

 

 違うのだろう。

 鶴子から貰った手紙には、弟は内側で全てを完結していると書いてあった。

 表面上に見えるものは、その無表情と同じように意味なし。

 あの内側は、地獄なのだとも書いてあった。

 そこまで。

 そこまで実の姉に言わせる彼が、感情が出せず、口数が少ないけれど、根は優しい素朴な青年であるわけがない。

 孕んでいるのだ。

 無表情の内側に、あの冷たい瞳の奥に。

 

「それでも、ワシを頼りにしたのじゃろ?」

 

 ここの、麻帆良の中でなら、彼も狂気を薄れさせることが出来るのではないか。内側に沈殿している、ヘドロのようなどす黒いものを、少しずつ、少しずつだけど掬われていき、いずれ、全うな男として、恐れられるべき青山ではなく、人の上に立つ青山になれるのではないか。

 そんな祈りを、鶴子は無理を承知でこの学園に託したのだ。

 肉親としての情愛が、半死半生に追い込まれた今ですら残っている。

 その優しさを右衛門は無碍にしたくなかった。

 ならば、光の道を行かせてみせよう。一人で塞ぎこんだその殻を破り、広い世界を見せてあげようと思う。

 ただ、一人の教師として。タカミチもその気持ちは同じだから。

 

「まぁ、任せておきなさい。鶴子ちゃん」

 

 必ず、あの子を立派な子にしてみせる。そう誓いを新たにするのだった。

 

 だが、もしこれを、もう一人の姉である素子が聞いたのなら、首を横に振っていただろう。

 そんな奇跡なんてありえない。剣を交えて理解した。戦う前は、敗北を突きつければ狂気を鎮めることも出来ると、姉と同じ気持ちを抱いていた。

 だが、最早あれは、敗北ですら止まらない。

 いや、止まらないのではない。

 すでに、終わっている。

 この世界で今は、素子だけが青山のことをわかっていた。

 修羅を行き。

 修羅に生き。

 そして、アレは果てに行き着いた。刀という道の、一つの極点に。幼少の頃からの修練が産んだ、自己以外を省みなかったから得られた極地。

 

 人は、何処まで行けるのか。

 

 その答えを、アレは得ている。

 

 

 

 

 

 




基本的な変更点は。

エヴァンジェリン戦。
月詠戦。
フェイト、スクナ戦。

となっております。あちらで連載中のほうはすぐに完結予定なので、特に更新速度に影響は出ないと思います。


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第二話【斬り斬れ】

 

 暗がりの森を駆ける。

 月明かりすら遮る木々の影の間を、俺は無音で駆けていた。

 冷たい空気に、白い息が淡く溶ける。息と共に、今にも消えそうになる体、でも月光に濡れた暗い瞳だけは、何もかも飲み込む闇として、確かにそこに存在していると思う。

 一寸先もわからぬ闇を、我が庭の如く容易に駆け抜ける。木々を縫いながら、迷いなく疾駆して向かう先からは、聞こえてくる僅かなざわめきが聞こえた。

 

「……」

 

 言葉もなく、ざわめき元へと駆けつける。そこに現れている無数の妖怪変化を、俺は腰の鞘から抜刀した冷たい鋼の煌きで、歓迎した。

 月夜の光は、濡らすように鋼の鈍さを照らし出す。

 直後、解き放った銀色が、その場に居た全ての妖魔を斬り滅ぼした。

 空気すらも、斬り裂かない。

 斬りたいものだけ、今回は妖怪だけを斬り裂く刃。

 俺は、俺の斬りたいものしか斬らない。だから、この生い茂る自然も、空気も、全部全部、斬るつもりはない。

 でも、妖怪だけは、正しくはその繋がりは斬る。

 単純だ。

 選択された斬撃対象。結果、俺の振りに耐えられなかった刀の刀身が半ばから斬れたのは、まぁ、悲しいことで。

 

「……うん」

 

 煙に消える妖怪達を見送るでもなく、今の斬撃で半ばから失われた刀身を、ぼんやりと見つめた。

 

「……」

 

 俺は、俺の太刀に耐え切れぬ刀に申し訳なさを感じていた。

 君を斬ってしまった。敵を斬るだけではなく、俺は君の鋭利すら斬ってしまった。

 悲しいと思う。刀に生き、刀と進みながら、刀を殺してしまう。そんな自分が情けなくもあり、仕方なく感じる。

 素子姉さんの仕合で使った十代目なら、この斬撃にも二千くらいなら耐えたのだが、ないものねだりは意味なしである。

 なんにせよ、俺は斬るのだ。

 それは、使うべき刀に関しても同じである。

 斬る対象は決められる。

 その分だけ、刀─俺─も斬ってしまう。

 それが、俺が見つけた、斬るということへの答えだったから。

 まぁ、斬れるのだから斬るだけで。

 それ以上もそれ以下もないだけの話なのだ。

 とても、つまらない話である。

 

「……冷たい、いや、暖かい?」

 

 軽いとはいえ運動をしたために、夜の空気が体を冷やす。一方、内側から火照った体は熱く、胃袋にカイロを突っ込んだような感覚。

 そんな当たり前の感覚を、当たり前のように自覚して、ほぅっとため息が漏れる。

 清掃員として働き始めてから一週間。

 この学園に現れた侵入者を、今日始めて斬った。

 といっても、妖魔達と現世を繋ぐ糸のようなものを斬っただけなのだが。

 これは、なるべく殺しはしてはいけないと、学園長さんに頼まれたからだ。

 なんというか、ちょっとばかし納得がいかないところがある。確かに俺は青山ではあるが、別に好き好んで人や妖魔を殺しているわけではない。

 ただ、斬っただけである。

 それだけだったのになぁ。

 いやいや。違うだろう。

 結果、殺している者もいるのだ。ちょっと我がまま過ぎたな。学園長さん達から見れば俺は危険人物である。ちょっとばかしのんびりしただけで、それを忘れるとは恥ずかしい。

 何たる無様。

 恥ずかしいなぁ。

 

「まぁ……」

 

 どうせ、斬るけど。

 

 にしても、面白い境遇だ。

 初仕事、のち、初仕事である。まぁしかし、一週間という期間で二つも仕事をこなすのだから、もしかしたら俺はなかなか忙しいご身分ではないのだろうか。

 歩く。というよりかは、コソ泥の如き逃走。周囲から殺到してくる気やら魔力やらから逃れつつである。夜道を一人、暗い森を散策するのは乙なものだ。

 とはいえ、同僚に会えないのは、少々寂しさを感じないでもないが。

 俺である。

 俺は、青山である。

 であれば、可能な限り、出会わないほうがいい。

 

「……」

 

 さておき、麻帆良学園には、こうして時たまに侵入者のようなものが現れるらしい。

 らしい、というのも、まぁあれだ。俺はこの仕事が初めてなのである。だから、そう何度も襲撃が来るものかと、心のどこかで疑いを持っているのだが。

 斬れるのならなんでもいいやという短絡思考によって、その疑いも彼方に飛ぶ。我が身ながら、恥ずかしい、思考を手放すやり方というのは、どうにも刹那的過ぎて、人には誇れぬ考えだ。

 恥ずかしく。

 恥ずべき。

 でも、斬るのかなぁ。

 

「……お?」

 

 少し離れた場所で、大きな気と魔力の膨らみを感じた。

 どうやら、いい感じに戦っているらしい。中々の使い手が揃っているようで、正直俺などという者は必要ないのではないのだろうか。

 だがまぁ、こうして俺が戦えば、それだけで周りの苦労が少しはなくなるのであれば、俺も社会に貢献できていると実感できるので、別に余計なおせっかいというわけでもないのだろう。

 いいこと。

 嬉しいことだ。

 人のためとは、よき響き。

 俺の刀が、平穏を守っている。

 うんうん。これは、よきことだ。

 

「……」

 

 そういうわけで足取りは軽く。また新たに発生した別働隊の元に俺は走る。腰には残り三本の刀。といっても、そこらに転がっていた真剣なのだが。

 急ごしらえのため、これしか用意できなかった。

 まぁ、ないものねだりは意味なしである。

 夜闇を裂いて、一直線。周りの気配は──あぁ、高畑さんが同じ場所に向かっている。他は、まだ少しだけかかりそうだ。

 どうしようかなぁ。

 会ってもいいのかなぁ。

 

「……」

 

 走りながら思考。あまりよろしくないが、そこはご愛嬌。

 どうやら高畑さんはそこまで本気で駆けつけているわけではないらしい。場所は俺よりも近いが、これなら瞬き程度先に俺が到着するだろう。

 どれどれ。

 ここは初仕事ということで、少しはいいところを見せてみよう。やる気が沸けば俄然、足も軽くなる。

 無論、そんなの気のせいだけど。

 そして、月を背中に俺は刃を解き放った。月光と刀の相性はいい。冷たい光が、冷たい鋼を、冷たくする。その様にいつ見ても心が落ち着く。

 斬れるのだ。

 そう、わかる。

 

「……」

 

 音もなく現れた俺に、妖怪達が気付くことはなかった。見ている方向は、どうやらもう目の前まで来た高畑さんのほうである。

 ちょうどいい。

 斬った。

 それだけ。

 

 

 

 

 

 タカミチが見たのは、常軌を逸した光景であった。

 それは突然のこと。

 目の前で、そこにいた妖魔が全員、真一文字に泣き別れしたのだ。

 まるで最初からそうだったかのように。

 あっさりと。

 とりとめもなく。

 違和感なんて、まるでない。さっきまで繋がっていた姿を確認していなかったら、目の前の妖魔は、最初から身体が真っ二つであったのだと納得してしまうくらい。

 それは当たり前のように。

 綺麗さっぱり、斬られていた。

 当然、痛烈な一撃を受けた妖魔達は煙となって消えていく。

 驚きは特になかった。ということにタカミチは驚いた。最初からそうであったという事実に、一瞬前までそうではなかったことを、あたかもそうであるとした太刀筋、太刀筋か? をぼんやりと見て、ぼんやりしていた自分に驚く。

 

 その直後、鈴の音のような清涼な響きが周囲に鳴った。

 

「ッ……!?」

 

 タカミチの背筋が凍った。喉元はおろか、体中に刃を突きつけられたような錯覚。死を意識するのではなく、斬られると意識してしまう。

 それほど冷たい空気に、タカミチは咄嗟に、だが遅いと感じながらも最大級の警戒態勢に入り。

 音もなく、砕けた刃と共に着地した男を見て、目を疑った。

 

「……青山、君?」

 

 砕けた刀を手に持った男は、つい先日も会ったばかりの青年だった。だというのに、タカミチは目の前の青年が、先日も会ったあの素朴な青年とは見えなかった。

 夜の闇のせいとは言えない。ちょうど月明かりが照らす場所に青山は立っており、強化された身体を持つタカミチであれば、この程度の闇は視界を妨げることはない。

 だというのに、その顔を正しく直視したというのに、タカミチは青山のことを疑ってしまった。

 無表情も、無感動な瞳も、何一つ変わっていないというのに。

 そこにいるのは、別の何かであった。

 

「……」

 

 青山は静かに会釈をした。常と変わらない、礼儀正しい所作だ。

 だがその腰に携えられた刀が、何処にでもありそうな、ただの刀があるだけで、彼の印象はまるで様変わりしていた。

 なんということだ。

 タカミチはこれまで、沢山の人間、人間でない種族、それらが持つあらゆる善と悪を見てきた経験がある。だから、人の善悪を感じ取る術には、常人よりかは長けている自信はあった。

 だが目の前のそれは、尊敬すべき正義でもなく、唾棄すべき邪悪でもない。

 そこにいるそれは、どちらともかけ離れていた。

 

「君、は……」

 

 ──なんて、様なんだ。

 

 その言葉を、教師として、立派な魔法使いとして、ぎりぎりのところで飲み込んだ。相手は人間である。生きている、考えもする、それに礼儀もしっかりしている人間である。そんな人間に、僕はなんてことを言おうとしたのか。

 なんて言い訳を、そう、彼の印象を、自分が覚えた彼のいいところを、タカミチは全て、その様を否定したいがために、言い訳に使ってしまった。そんな言葉を、頭の中に思い浮かべてしまった。

 それは、青山という化生を認めたということに他ならぬ。

 だがしかしタカミチは、それでも青山を、青山とは認めようとはしなかった。それはタカミチの優しさであり、まさに立派な魔法使いとして、人々を助ける崇高な精神がなせる心である。

 だって、それでは、そう認めてしまったら──

 そんな彼の思考を察したように、青山は再び頭を下げた。

 

「この様、なのです」

 

「……」

 

「だから、斬れます」

 

 何よりも説得力のある言葉だった。

 人は、人間は、『ここまで行けてしまう』。恐るべきは、若干二十歳前後の年齢でありながら、青山がそこに到達していたということである。

 人間は行けるのだ。道の果て、道の終わりで、完結できる。それ以上行けない場所へ、行けてしまう。

 だから青年は、『青山』と呼ばれている。

 

「……初仕事、お疲れ様」

 

 苦し紛れの一言に近かった。青山はそれを聞き届けると、ここに集まってくる気配を察して闇の中に消えていく。

 完璧な隠行だ。少なくとも、タカミチですら、青山が消えたのを見なければ、そこにいた事実にも気付かなかっただろう。

 タカミチはそれを見届けるしか出来なかった。かける言葉は見つからなかった。何を言えばいいのか、全部が全部、言い訳にしかならない気がした。

 

「高畑先生?」

 

 直後、森の木々を潜り抜けて一番に到着したのは、教え子でもある桜咲刹那であった。呆然と、いや、憔悴しきった顔で立つタカミチの顔を、訝しげに見上げている。

 

「いや……なんでもないよ」

 

 タカミチは懐から煙草を取り出すと、まるでその内心を覆い隠すように火を点けて、紫煙で顔を覆い隠した。

 そんなあからさまな動揺を見せる彼の動作に、刹那は驚きを隠せない。

 一体、この場所で何があったというのか。あっという間に、この学園でも最強の使い手が妖魔を一掃した、それ以外の何かがあったのか。

 刹那はまるで戦いの痕跡すら残っていないその場所の中央にまで向かい、ふと、月明かりに照らされた大地が光っていることに気付いた。

 

「これは……」

 

 光に近づき、拾い上げる。それは砕けた鋼の一欠けらであった。よく見れば、それはあたり一面に、月の光を反射して、まるで空に輝く星のように散乱している。

 やはり、何かがあったのだ。刹那はそう直感した。だが何があったのかすらわからない。散乱する鋼以外、まるで問題などなかった空間では、それ以上の推察は不可能だ。

 本当に、何もなかった。

 だが刹那は気付いていない。最も重要な違和感に、気付くことも出来ない。

 そもそも、妖魔が居たはずの場所が何もなかったように思えること自体、異常なのだということに。

 タカミチだけは、その違和感に気付く。どうしてそうなったのか、アレを見たからこそわかる。

 

「斬った、のか」

 

「え?」

 

「……独り言さ」

 

 繋がりを、斬った。

 だからここには、何もない。

 あの青年はそれが出来る。あんな状態だというのに、こんな絶技が出来てしまう。

 それが、あの有り様でそれが出来ることに、タカミチは末恐ろしい何かを感じる。

 

 ふとタカミチは空を見上げた。雲がかかった月が、何処となく波紋が波打つ日本刀に似ているような。

 

 そんな、気がした。

 

 

 

 

 

 麻帆良学園で働き始めてから、もう二週間もの時間が流れた。警備の仕事からは一週間、英雄の息子さんが来るまでは大体残り二週間といったところである。

 そういうわけで、まだ仕事を始めて二週間しか経っていないというのに、俺は一週間のお休みをいただくことにした。大丈夫なのかとも思ったけれど、学園長自ら一筆書いてくれたこともあり、清掃員の皆様にはからかわれつつも、概ね受け入れてもらえた。

 勿論、警護、侵入者を撃退する仕事は、そもそも俺はいないという前提なので、いようがいまいが関係ない。

 気分は人知れず学園の平和を守るヒーローである。ちょっと寂しいけれど、こういう立場も悪くはないと思うのだ。

 さて。

 何故俺が一週間もの休みをいただいたのかというと、それはここで英雄の息子を護衛するにあたって使うことになる刀を作るためである。主兵装になる十一代目の真剣は、素子姉さんに十代目を砕かれてからこれまで、暇があれば元になる鋼に気を浸透させ続けていたので、多分あと二ヶ月もすれば完成する。

 だがいつもの護衛で真剣を持ち歩くわけにもいかない。夜道ともなれば、見つかる可能性はまずないとはいえ、もし見つかった場合、真剣なぞをぶら下げていたら捕まるのは自明の理である。

 そういうわけで、上手く擬態した刀作り。使うのは気の浸透率が高い木をモップ大の長さの棒にしたものを七つ。材質が木であるために、耐久性には些か不安が残るが、ちょっと組み立てればあら不思議、いつでもモップ部分が着脱可能な棒の出来上がりとなる。

 これを一つずつ、七日かけて気を浸透させるのが、この一週間の休みで行うことだ。まぁ俺はそこらへんが下手糞なので七日もかかってしまうのが恥ずかしい限り。

 しかも浸透中は気が外部に漏れてしまうので、気付かれないようにやるのは一苦労だ。

 

「……」

 

 そういうわけで、一週間、楽しく製作に取り掛かるぞ。

 

 

 

 

 

 青山が一週間の暇を貰ったと学園長から聞いたとき、タカミチはいい機会かもしれないと思い、青山が住んでいる麻帆良の郊外にある小屋に向けて歩いていた。

 一週間前、あの夜。月光に照らされた姿を見て思ったことを、タカミチは悔やんでいた。

 無表情で、言葉も少ない、だが根は素朴で、空気のような自然体は、沈黙が続いても苦しくない雰囲気を作り出してくれる。

 いい友人になれると、そう思ったのだ。学園を案内している間、感情は読めないけれど、色んな場所を見て興味を示している姿は子どものようで、見ていて面白かった。常に自分を下にする態度は、謙虚というにはやや過剰すぎるが、それでも彼の人柄を表しているようで、好感を覚えた。

 そんな全てを、一週間前、タカミチは砕かれた。

 酷いのでも、見るにも耐えられないのでも、気持ち悪いのでも、怖いのでもない。

 何たる様だと、そう思ってしまった。

 刀を携えただけで、それ以外、最初に会ったときの印象とまるで変わりはなかった。なのに、刀があるだけで崩れてしまう。

 それは、立派な魔法使いとして、抱いてはいけない感情だとタカミチは思っていた。同時に、そんな彼に人としての道を示してあげなくてはと、そうも思った。

 傲慢な考えなのかもしれないし、そんなことは不要だと言われるかもしれない。だが、アレを見たからにはそうしなければならない。教師として、立派な魔法使いとして、タカミチはそんな使命感を感じていた。

 

「……それにしても、随分と遠いな」

 

 驚いたことに、青山の住居は麻帆良郊外の山の方に存在していた。敷地内どころの騒ぎではない。これでは毎日学園に来るのさえ一苦労ではないかと思い、その考えを振り払う。

 何せ、青山だ。この程度の草木を掻き分けて、車よりも速く走ることなど造作もないだろう。

 朝の鍛錬ついでと考えれば、この場所にあるのも、納得。

 

「いや、納得は出来ないなぁ」

 

 タカミチは僅かに苦笑した。

 仕事終わりということもあり、もう日の光は落ちきっていた。あの日を思い出すようで何とも言えなくなるが、出来るだけあの日を思い出さないようにしてタカミチは青山の住居を目指して進む。

 学園長が言うには、一週間家からは出ないと言っていたので、多分この時間帯はいるはずだ。

 そうこう考えながら山を登っていき、タカミチはようやく僅かな明かりを発見した。

 小さな小屋だ。物置といわれても不思議ではない木造の小屋は、どうやら建てられてまだ日が浅いせいか、随分と小奇麗であった。

 周囲には人避けの札が貼られており、どうやら可能な限り接触は控えると言った言葉は本当だったらしい。

 

「青山君」

 

 タカミチは小屋の入り口をノックした。すると、僅かに床が軋む音が聞こえてから、ゆっくりと小屋の入り口の扉が開く。

 現れたのは、藍色に染められた着物を着た青山であった。光のない瞳で僅かにタカミチを見つめると、ゆっくり頭を下げてから、タカミチに見せるように、自分の喉下を指差した。

 

「喉が渇いて、声が出せないのかい?」

 

「……」

 

 声が出せるのなら、「恥ずかしながら」とでも言いそうな感じで小さく頷く。

 ならちょうどいい、タカミチはビニール袋一杯に入れた酒やら飲み物やらつまみやらを掲げて、明るく笑った。

 

「どうだい? 君がよかったら今日は一緒に飲みでもしないか?」

 

 青山は当然として、タカミチも明日は休日である。

 ならば新しく出来た同僚と飲み明かす、そういうのも悪くないのではないか。そんなタカミチの思いに、青山は身体を半身にして、タカミチを誘うように道を開けることで応えた。

 

「お邪魔します」

 

 そう言って中に入ったタカミチが見たのは、壁に立てかけられた無数の真剣だ。そのどれもが野太刀と呼ばれる、神鳴流の使い手が扱う長大な刀身の刀だけではなく、小太刀から鍔もついた立派な刀まで、狭い小屋の壁に隙間なく刀が置かれていた。

 だというのに、ポツンとスペースを確保している冷蔵庫が何とも言えぬ哀愁を漂わせている。僅かに驚いたものの、タカミチは部屋の中央、囲炉裏のあるところまで進んだ。

 

「……」

 

 遅れて入ってきた青山は、急いで出した座布団をタカミチに渡す。「ありがとう」と声を掛ければ、青山は会釈をして、タカミチと向かい合うように腰を下ろした。

 タカミチも座布団を敷いてそこに腰を下ろす。そして持ってきたビニール袋からお茶と紙コップを取り出して、まずは並々と注ぎ青山に手渡した。

 

「まずは喉を潤さないと」

 

 青山は頭を下げ、貪るようにコップの中身を飲み干した。よほど喉が渇いていたのだろう。何処となくその表情は満足そうに、見えないでもないような、気がするような、多分、そんな感じがした。

 タカミチはお茶のボトルを青山に寄越した。礼を一つしてから、どんどんお茶を飲んでいく。二リットルのお茶はたちまち半分にまで減り、そこでようやく青山はため息を一つ吐き出した。

 

「はしたない、ところを、お見せ、しました……」

 

「いいよ、気にしないで。君と飲むために買ってきたものだからね」

 

「お金、は」

 

「それも気にしない。今日は遅れながら君の歓迎パーティーのようなものだから。一週間前はご苦労様、清掃のほうも含めて、初仕事はどうだった?」

 

 朗らかに話し出すタカミチに対して、青山は常の無表情のまま軽く頷いた。

 

「誇らしい、仕事である、と」

 

「ほぅ」

 

「生徒のため、心地良い、場を作り。平穏のため、刀を、振るう……誇らしい、充実が、ありました」

 

 言葉に嘘は出せない。感情が出せないから、青山の言葉はいつだって正直だ。紡がれた言葉の節々に感じる誇らしさは本物で、それを聞けただけでも、タカミチはここに来たかいがあったものだと内心で考えた。

 

「よかった。慣れないうちに仕事を二つもこなしたからね。疲れているんじゃないかとも思ったけど、それを聞いて安心したよ……ところで、お酒は?」

 

「嗜む、程度には」

 

「なら、一杯やろう。紙コップというのが味気なくはあるけどね」

 

 取り出した一升瓶の口を開けて、新たに取り出した二つのコップに半分ほど注いでから、一方を青山に手渡した。

 

「それじゃ、初仕事兼、就任おめでとう記念で、乾杯」

 

「乾、杯」

 

 紙コップを掲げてから一口つける。度数の高いお酒ではあったが、囲炉裏から零れる暖かな炎のせいか、幾ら飲んでも酔いが回らないような気がした。

 暫くは買ってきたつまみを食べながら、話すこともなく酒を飲み進める。飲みながら、タカミチは部屋の様子を改めて見渡した。

 冷蔵庫がなかったら、ただの物置といわれても驚きもしなかっただろう。冷たい刃は、窓から射す月の光に照らされて、とても綺麗な物に見えた。

 

「ところで、一体どうして一週間も休みを貰ったんだい?」

 

「……」

 

 タカミチの素朴な質問に、青山は静かに立ち上がると、部屋の隅っこに立てかけられていた、札を貼り付けられた木製の大きな箱からモップを取り出して、タカミチに見せた。

 それはただのモップではなかった。ある程度以上、気や魔力に精通しているものが居たら、一目でわかるくらい、そのモップに漲る充実した気は、タカミチすら驚くほどである。

 

「後は、擬態用の、札を貼れば……」

 

 そういって、囲炉裏の傍に置かれていた木箱を開いて、一枚の札を取り出すと、モップ部分を外して、その溝部分に札を押し込んだ。

 小さく呪文を唱えると、貼られていたはずの札は溶けるように消え、改めて棒を取り付ければ、先程までの気の圧力は途端に失われた。

 そこにあるのは、何の変哲もないただのモップである。それを見てタカミチは、青山が護衛用の武器を製作するために、一週間の休みを貰ったのだと理解した。

 

「凄いな。随分と仕事熱心なんだね」

 

 タカミチの惜しみない賞賛に、青山は首を横に振って、モップを横に置いた。

 

「仕事は、好きです。誇らしく、あります……ですが、俺は、俺なのです」

 

 仕事はこなす。可能な限り最大限、自分に出来ることはする。まぁ、こうして準備はしているが、俗世に疎い分、護衛では色々とミスをしてしまうだろう。

 だが、そういう部分を除いても、青年は青山だ。

 

「仕事より、優先すべきことが、あります」

 

 ──斬るのです。

 そう一言、タカミチを真っ直ぐに見つめて呟いた。抜き身の刀のように鋭利な視線だった。冷たく、迷いのない直刃のように一直線で、そんな自分を誇るでもなく、淡々と事実のみを語るように告げていた。

 タカミチはそんな視線を受けながら、怯むでもなく優しく微笑んだ。そういうあり方を受け入れることから始めるという、彼なりの歩み寄りだった。

 

「……それでも、君が仕事に対して真摯なことには変わりないよ。それに、優先することがあるのは、仕方ないことじゃないかな? 例えば、家族や友人と仕事のどちらをとると言われたら、家族や友人を優先する。それが君の場合、たまたま斬ることだった。それだけなのさ」

 

 本当は、人を守るためにその刃を振るって欲しいのが、タカミチや近右衛門、そして肉親である鶴子の願いだ。

 だが急にやれと言っても、出来るはずがない。それが生涯を賭けて行ってきたことならば尚更だ。

 青山は、青山だ。生涯を賭けて積み上げたその業は深く。一朝一夕で変化するおど、簡単なものではない。だから、少しだけでいい。まずは、この仕事に誇りを持ってくれたことに、感謝して。

 君は、そこから青山を離れていこう。

 

「少しずつ、少しずつでいい。そしていつか、君が人を守ることを優先できるようになったのなら……僕は嬉しいかな」

 

「……善処は、します」

 

「その言葉だけで、今は充分以上に嬉しいよ」

 

 タカミチは深々と頭を下げた青山を見つめて、優しく微笑んだ。

 そう、少しずつでいい。劇的な変化など望めないけれど、ここの穏やかな陽気の中であれば、人はいつか優しくなっていくのだから。

 太陽の下、まどろまない人間なんて、居たりしない。そうして緩やかに、眠るように暖かさを覚えてくれたら。

 それが、人を思いやれる、最初の一歩になってくれる。

 タカミチはそんな願いを胸に秘めて、青山を歓迎するささやかな飲み会を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 翌日、昼頃に麻帆良に帰っていった高畑さんを見送った俺は、僅かに残った酒精の心地よさに満足しながら、早速二本目の製作作業に取り掛かることにした。

 しかし、高畑さんはいい人だ。こんな俺のために、わざわざここまで訪れてくれた上に、食事までご馳走してくれて、寡黙な俺に優しく接してくれた。

 世界は広い。日本という狭い場所で戦いを繰り広げていた俺が出会ったことのない素晴らしい人々が沢山いる。

 とはいえ、日本にいながらつい最近まで麻帆良という場所を知らなかった時点で、世界が広いなど言うのも言いすぎではあるが。

 にしても、俺は世間を知らな過ぎたかも。もっと外の世界に眼を向けていれば、このような有り様にならずにすんだのかもしれない。

 ──そういう未来も、悪くなかったのかなぁ。

 

「……うん」

 

 俺は天井裏の板を外して、そこに隠していた札を何重にも貼り付けた木箱を取り出して、中を開く。

 現れたのは、鞘を覆い隠すほどに幾つもの札を貼り付けた野太刀が一本。

 躊躇うことなく鞘から太刀を引き抜けば、鈴の音のように美しい音色が響き渡った。

 天井高々に伸びた刃の曲線。俺が丹精込めて作り上げている十一代目。無銘で、銘をつけるほどではないけれど、いずれは俺の刀として振るわれる愛すべき消耗品。その鋼の輝きに感嘆のため息を漏らした。

 うん。

 やっぱし訂正。

 

「俺は、これでいい」

 

 余計な雑念も、未来への展望も、暖かな陽だまりも。

 具体的に言うなら、夜を通して酒を飲み明かした、尊敬して敬愛して、こんな人になりたいと思えた、新しい友人の優しさも。

 

 奏でる鈴の音。

 

 ほら、斬れた。

 そんなもん。

 

 

 

 

 



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第三話【愛の値打ち】

 

 唐突だが、長瀬楓は忍者である。

 モデルのような背丈とメリハリのある肉付き、糸目でいつも笑顔を絶やさない愛嬌のある顔は、街を歩けば人並み以上に人の目を惹きつけるほどの魅力を誇っている。だが当人はそんな自身の姿を自慢するでもなく、常に猫のように飄々としているため、クラスはおろかその他知り合いからの評判はすこぶるいい。皆からは頼れるお姉さんキャラとして慕われるような、そんな中学生らしからぬ大人びた少女だ。

 だが、忍者である。

 どういった経緯でそうなって、何故人里に降りて普通に暮らしているのか。諸々の事情は、その表情や態度からではつかめないし、そもそも本人は忍者っぽいことをしながら周囲にそのことを隠している。

 何故彼女は忍者なのか。そもそもこの平和な日本で忍者に需要があるのかどうか。そこらへんの疑問は放置して、そんな彼女は週末には、修行の一環として学園外の山岳地帯に足を運んでキャンプを行っている。

 忍者だからだ。

 勿論、そんなことを誰かに言いふらすことはないのだけれど。

 

 その日もいつも通り山篭りを行い、今日の夕食になる魚や山菜を集めながら、気分よく楓はニンニンと鼻歌を歌っていた。

 両手に持つ籠一杯に、山の幸を溜め込んだ楓の表情はご機嫌そのものだ。

 そして、いつも通りの修行風景が流れていく。いつも通り、ただただ静かな一日は──

 

 唐突に山岳地帯を覆い尽くした気配によって終わりを告げた。

 

「……!」

 

 楓がその気を感じたときに最初に覚えた感覚は、斬られるというシンプルな答えだった。

 ただ、刃の如き冷たい気配。

 それが楓を通り越し、山を丸ごと飲み込んでいた。

 逃げようという気持ちや、ましてや戦おうとは思わなかった。相手は既にこちらの気配に気付いている。

 だからこそなのか、絡みつく気配が自分に『逃げるな』と言っていているような気がした。

 はたして時間にして数秒か、あるいは数時間か。時間の感覚すら定かではなくなった楓の耳が、わざとらしく鳴り響いた草の擦れる音に反応した。

 

「……突然、すまない」

 

 そこに居たのは、げっそりと顔がこけた無表情の男だった。着ている着物はよれよれで、見た感じはまさに飢える直前の餓鬼のようだった。

 これが本当にあの気配を放っていた男だというのか。楓は見た感じさして脅威とは思えぬ男の態度をじっと眺め、そんな自分の考えを即座に改める。

 自然に紛れ込むような気配のなさ、すれ違えば意識すら出来ぬだろう雰囲気とは裏腹に、佇まいには一切の隙は存在しない。

 擬態しているのだ。忍者である楓以上に、男は完璧に全てと溶け込んでいた。

 警戒心を強める楓の気配を察したのか、男は困ったように頬を掻くと、敵意はないというのをアピールするように両手を挙げた。

 

「その、俺は、驚かせたことを……謝りに、きたんだ」

 

「謝りに?」

 

 男は肯定するように頷くと、両手を挙げたまま言った。

 

「俺の、名は……青山、という」

 

 もしよければ、俺の話を聞いてもらえないだろうか。

 そう、表情を一切変えずに男、青山は告げた。

 

 

 

 

 

「つまり、必要な理由があって、武器の作成を行っていると」

 

「そういう、ことになる。作成に、夢中になって、しまい。君を、驚かせる、ことになった」

 

 申し訳ない。青山は焚き火を挟んだ状態で楓に深く頭を下げた。

 現在は場所を移して、楓のキャンプ地だ。とってきた魚を焼きながら、青山がどうしてあのような気配を放ったのかの説明と謝罪が行われていた。

 

「いやいや、そうかしこまらなくとも良いでござるよ。青山殿が拙者を倒そうと思えば、それこそいつでも出来たのでござるからな」

 

 生殺与奪の権利は青山にある。そのことがわからないほど楓は馬鹿ではないし、そんな男が必要以上に下手に出たのだ。

 ならばそれは信頼に値するし、そもそも、信頼しなかったとしてどうだという話である。

 青山は楓の理解を得られたのに安堵しつつ顔を上げた。相変わらずの無表情のためその内心はわからないが、気配を穏やかなものに調整することで、敵意がないことをアピールする。

 

「長瀬さんも、随分と、出来るよう、じゃない、か」

 

「何の、拙者などまだまだでござるよ」

 

「そう、かな? 中学生で、あの気配の消し方は、俺には出来なかった」

 

 青山の率直な評価に満更でもなさそうに楓は口元を緩めて、ふとその言葉に首を傾げる。

 

「はて、拙者。青山殿に中学生だと言ってなかったと思うでござるが?」

 

「すまない。もしかして、間違って、いたかい? 体つきから、そう解釈、したのだが」

 

 人によっては誤解を招きそうな言葉だったが、楓は特に気にした素振りも見せずに、むしろ感嘆していた。

 本人としては不服ではあるが、楓は年齢以上に見られることが多い。人によっては大学生と勘違いするほどだ。それも中学生らしからぬスタイルと身長があれば当然かもしれない。

 しかし青山はそれを見ただけで見抜いた。勿論、彼女がネギのクラスの一人だということもあるが、それを知らなくとも青山は楓の肉体を見ただけでそう判断できただろう。

 

「いや、驚いた。気になさらずとも、拙者はおっしゃるとおり中学生のしがない学生でござる。よければ、青山殿も教えていただけるでござるか?」

 

「俺は、学生、では、ないな……少なくとも、君より、随分と、年上のおじさん、だ」

 

 そう冗談でも言うように無表情で青山は呟いた。だが楓はそれを真に受ける。実際、その無表情と佇まいは、青山を実年齢以上に老けさせて見えた。三十路の半ばほどか、二十歳程度の青年である青山が聞けば少なからずショックを受けるだろうが、楓はそう解釈した。

 

「であれば、青山殿が相当な実力者であるのも納得でござる。ところで、ここにはどうして?」

 

「麻帆良で、清掃の、仕事をして、いる。姉が、放浪していた、俺を……哀れんで、職を、探してくれたんだ」

 

「ほぉ、では暫くはこちらに?」

 

「また迷惑を、かけると、思うが……よろしく、頼むよ」

 

 青山はそう言って再び礼をした。

 楓も慌てて頭を下げる。なんというか、最初の印象と違って素朴で、純朴。牧歌的な雰囲気がよく似合う男だなぁと思った。

 どうにも調子を崩されている気がした楓を他所に、青山は焼けたのを確認して、川魚の刺さった串を取り出して楓に渡した。

 

「これはどうも」

 

「魚を分けて、いただくんだ。この程度、気にしないで、くれ」

 

 青山は可能な限り柔らかい口調で言うと、自分の分の川魚を取り「いただきます」と言ってから口に運んだ。

 どうにも、面白い隣人が現れたみたいだ。楓も川魚をむしゃむしゃと食べながら、あの気配を常に感じられるというスリルある修行を思い、内心で柄にもなくワクワクするのであった。

 

 

 

 

 

 

 清掃の仕事は、始まりは汚さに辟易とするが、終わる頃には周りが綺麗になっていて清々しい気持ちになる。こういう気持ちが清掃には大切なんだろうなぁとかしみじみと思っていると、錦さんはそんな俺の横顔を見て何かを悟ったように笑っていた。

 朝の清掃も一段落。現在は綺麗になった初等部の学び舎周りを見ながら、お昼休みを満喫中である。

 

「お前さんもこの仕事ってもんがわかってきたみたいだな。モップまで自分で持ってきて、やる気も充分じゃねぇか」

 

「いえ、まだまだ、奥が深く」

 

 感心したような錦さんの言葉に、俺は謙遜でもなく、思ったままの事実を口にした。

 清掃に限らず、何かを成すことの道は奥が深い。青山という肉体のおかげで、俺は道を一つ渡りきることが出来たが、恥ずかしい話、俺程度では青山という身体をその程度にしか扱えないのだ。

 ままならぬものである。といっても、たかだか二十かそこらの子どもが、人生を達観した言い方をするのも、それはそれで自惚れにもほどがあるだろう。

 難しいものである。

 だから、奥が深いのだ。

 

「なぁに、兄ちゃんは上手くやってるよ」

 

 錦さんは嬉しそうに、子どもの成長を喜ぶ親のように笑ってくれた。その期待がありがたく、人に認められるという、とても素晴らしい出来事を心に刻む。

 今、俺はとても充実している。こうして同僚の人と話しながら仕事をして、そんな彼らの日常を守るために、警護の仕事もしっかりとする。

 そして今日は、待ちに待った英雄の息子の到来だった。

 

「しかし、知ってるかい? 十程度の子どもが教師として赴任してくるんだってよ。兄ちゃんも大概だが、十歳の子どもが教師ってのは……時代が変わったのかねぇ」

 

 話は変わって、というか、俺の考えを察したような話題に、僅かにドキリと緊張。まぁ偶然というのはあるもので、俺もその噂というか、護衛対象としてその子ども教師については知っている。

 英雄の息子、ネギ・スプリングフィールド。頭のよさそうな、実際、十歳で教師として赴任するからには、頭がいいんだろう。

 いやぁ、英雄の息子とは名だけではないわけだ。俺も俺自身を知っているから、自分が充分天才の身であるのはわかっている。だがスプリングフィールド君の天才ぶりは、前世の人格を持っている俺とは違う、本物の、天才が零から培った天才の才覚だろう。

 俺はほら、天才だということを幼い頃から理解した凡才の精神ゆえ。その身体と必至に向き合わないとその実力を発揮できなかった凡才である。

 

「きっと、とてもいい子、なのでしょう」

 

「だろうなぁ。だが教師ってのはストレスがたまりやすい職業らしいし、その子ども先生が潰れちまわないか心配だよ、俺は」

 

 錦さんの心配という言葉に、俺はちょっと目を丸くしてしまった。

 なるほど、そう考えればそうだ。いい子だからといって教師が勤まるわけではない。そういう考えも出来るな。

 これは不覚である。が、まぁそれに関しては俺の管轄外なので放置するほかあるまい。

 あくまで、俺の任務は彼の警護である。命に危険がありそうなことが起きた場合は、彼の身を守ること、それが条件だ。

 だがまぁ、今日この学園に入ってきたあの膨大な魔力の持ち主が彼である場合、そう心配する必要はないだろう。魔法使いであり、魔力もある。それにこの学園で活動している脅威といえば、満月時に学園内を妖魔っぽいのくらいだろう。

 だがあれは別に気にするほどでもないだろう。

 何かしょぼかったし。

 彼から感じた魔力量があれば、あの程度は脅威ですらないはずだ。

 まぁ、西洋の魔法使いの実力なんて、俺はあまり詳しくないのだけれど。夜の見回りのときに感じた魔法先生や、高畑さんの気や魔力の振り幅くらいでしか判断できない。魔力と気の大きさがわかっても、実際にその運用方法を見ないと実力はわからないからなぁ。今度こっそり彼らの戦いぶりを見てみるか。いやいや、そんな暇があるなら自分の出来ることをしなければ。

 全く、自分本位な考えに自分で自分が嫌になる。

 

「兄ちゃんも心配かい?」

 

 ちょっとため息を吐き出したのを、俺がスプリングフィールド君を心配していると勘違いしたらしい。まぁ説明する義理もないので、俺は首を縦に振っておく。

 

「……子ども、先生、か」

 

 とりあえず、ちょっとだけ見に行こう。今日は早めに仕事を切り上げていくのであれば問題ないはず。

 そうと決まれば、丁寧にかついつもよりも早く、清掃業務をこなしていこう。俄然、やる気を漲らせた俺は、食事を済ませてのんびり休憩をしながら、今日の清掃予定場所の最短距離を脳裏に思い描くのであった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで放課後である。

 正確には放課後の少し前くらいだ。

 最後の授業が終わる直前、どうにか麻帆良女子中等部の清掃を最後に持ってきたおかげで、上手く時間を合わせてこの場所に来ることが出来た。錦さんとも先程別れて、現在はモップやらの清掃用具を手に一人である。

 錦さんには、少し汚れが気になった部分があるので残っていきますと告げた。人のいい彼に嘘をつくのは心苦しかったが、一応建前がないと問題がありそうだからなのだが、別に嘘をつく必要はなかったかも。

 まぁそういう細かいことは抜きにして。一応気を引き締めてスプリングフィールド君を見に行かないといけない。英雄の息子が居る区域ということもあってか、ここら辺の魔力やら気の反応は結構密度が濃い。気配だけなので詳細はわからないが、経験則と直感で、凄いとわかるのがちらほらと。

 なお、一番凄いのは学園の地下から感じる者の気配だ。といっても、初めての警護任務のときに、この人は俺の存在に気付いたみたいなので、関わってこない以上気にすることもあるまい。

 さてさて。

 モップの気の遮断も完璧なので、特に気付かれる心配もなく、俺はするりと敷地内にいるスプリングフィールド君の下へと向かっていった。都合よく今は一人のようでもある。

 しかし、なんだか緊張してきたな。初めての護衛任務だから、緊張しているのかもしれない。

 なんて。

 緊張を楽しみながら歩けば、遠目に件の少年を見つけた。

 身の丈を超える大きな杖を持っているからとても目立っている。あぁやって堂々としていたほうが、逆に違和感がないのかもしれないな。俺みたいな小心者には出来ないやり口に感心してしまう。

 流石は英雄の息子。発想が凡夫である俺には考えられない。だがまぁそれでもまだ少年、命の危険があったらちゃんとフォロー出来るようにしないと。

 どうやら肩を落として歩いているのを見る限り、何か失敗でもしたのかもしれない。多感な時期に教師としての役割である。重圧はとてつもなくその小さな背中に圧し掛かっているはずだ。

 そうして一定の距離を保ちながら彼の様子を見ていたら、視界の端に、大量の本を抱えながら階段を下りようとする少女が一人。

 身体のバランスが悪すぎる。あれでは、ほぼ確実に階段を踏み外して落ちる。高さ的にぶつけどころが悪かったら最悪死ぬなぁ。

 確か、名簿で確認したスプリングフィールド君の生徒の一人か。

 

「……あ」

 

 そのまま死ぬなら仕方ないかと思った矢先、スプリングフィールド君も彼女に気付いたらしい。その直後、階段を踏み外した彼女が、まっさかさまに落ちて。

 

 そして俺は、言葉を失った。

 

「危ない!」

 

 少年が杖を構える。凛々しいような、幼いような、そんな印象の姿。膨れ上がる魔力は、その小さな身体には考えられないくらい膨大で。

 全てが幼稚だ。所詮は子どもで、まだまだ彼の素質に技量がてんで追いついていないのは、魔法に疎い俺にだってわかる。

 だけど、見えた。

 俺には、見えたのだ。

 

「……」

 

 スプリングフィールド君が風の魔法で、落ちた少女を救出する。それで新たに現れた少女に連れ去られていくその一連を見届けながら、しかしその全てが頭に入ってこない。

 見えたのだ。あの一瞬。確かに俺は、彼の未来を見た。

 天才の肉体を得て、その天才と一人で向き合い続けたからわかる。

 あの身体は、青山と同じだ。

 いやもしかしたら、青山すら越えているかもしれない。

 

「……ッ」

 

 そう思うと、背筋に言いようのない震えが走った。

 いや、わかっている。

 この震えは、快感だった。

 まさか、終わってからこれまで、素子姉さんにしか終ぞ感じることのなかった快感を、それ以上の震えを、未完成な少年から感じるとは思わなかったけど。でもこの快感は、性的な快感を遥かに上回る快感で、素子姉さんに感じた恋慕を遥かに上回っている。

 気付けば、俺は腰砕けになりそうだった。その場で膝をつき、全身を駆け巡る快感に身をゆだねたくなった。

 こんな。

 まさか、こんなことが起きるなんて。

 すでに終わっている俺の。

 斬るというものに終わり、斬ることで完結していた俺の。

 最強に君臨していた、あの素子姉さんですら届かなかった。

 俺の答え。

 斬ることの証明式。

 そこに佇む、君を見た。

 

「……君、だ」

 

 気付けば、俺は彼のことを呼んでいた。か細い声で、乙女のように頬を染めながら。

 君なんだ。見えたのだ。やっと見つけた。君なら来ることが出来る。君だけが俺の君だ。俺の君を、俺は見つけたんだ。

 君だけが、終われる。

 

「君だ……」

 

 その日、俺は出会った。終わった俺が見つけた。これ以上何処にもいけない俺が唯一見つけた。

 俺と同じ場所に到達できる君を。

 人が行き着ける、本当の終わりの場所に来る君を。

 

「……あぁ」

 

 持っているのがモップでよかった。

 持っているのがモップで残念だった。

 モップだから、君を斬らずにすんだ。

 モップだから、君を斬れなかった。

 久しぶりだった。終わりにたどり着いてから、初めて斬りたいと思った。

 斬るのではなく。

 斬りたいと思った。

 そう思えたことが、感動的だった。

 

「スプリング……いや、ネギ君」

 

 こんなにも素晴らしいことがあっていいのか。

 まるで夢を見ているようであった。誰だって喜ぶ。今の俺の気持ちを知ったのならば、誰だってその奇跡に喜んでくれるはずだ。

 だって、こんなにも素敵な感情なのだから。

 

「君に、惚れました」

 

 君だから。

 青山になれる、君だから。

 この感情は、愛以外の何ものでもない。恥ずかしくも、二十歳になって一目惚れして、斬りたいと思えたことに、涙を流す。

 君がいつかここに来て。終わってしまったそのときに。

 あぁ恥ずかしい、夢物語。

 乙女のように、夢想する。君と、俺のめくるめく──

 

 修羅場で二人、斬りあう姿を、思い描いた。

 

 

 

 

 

 時は過ぎ去りあれから随分と時間が流れた。一週間、二週間と、つつがなく何かが起きるでもなく時間は経過し、俺もここの生活にはすっかりなれて、順風満帆といった感じだ。

 まぁ、恥ずかしい話、その一番の理由は彼の存在が大きいのだが。

 愛の力は人を劇的に変えるという。今の俺はまさにそれというか、なんというか。

 はっきり言えば浮かれていた。

 

「……」

 

 といっても表情はそのままなので、代わりに素振りをして喜びを露にする。一閃ごとに願いを込めて、早く君が終わってくれと願うのは、やはりはしたない行為なのだろう。

 うん。あまりはしたないのはよくないだろう。稽古用の木刀を、よどみなく振るいながら、そんな俗な願いを抱きながら刃を振るうのは、刀に対しても、君に対しても失礼だ。

 でもなぁ。

 仕方ないよなぁ。

 

「……」

 

 なんとなしに取り出して、草場に置いておいた十一代目を掴むと、堪らず刃を抜き払った。

 昼下がりの太陽の光を切り裂く鋼の煌き、その輝きにうっとりとしたのも束の間、目の前の大木に君の姿を思い描いた。

 

「……ッ!」

 

 刹那、思うよりも早く刃が翻った。

 反射的だった。思うだけで、見るだけで、たったそれだけで斬りたいと思ってしまう。

 当然、大木は君ではないので、斬った直後、頭の妄想は元の木になって、俺の斬るという意思を叩きつけられた木は、斬られたことにも気付かないまま、左右に分かれて大地に沈んだ。

 あー。

 しまった。

 自制というのが出来ないから、この様。

 情けない。

 恥ずかしい。

 浮かれすぎだろと自粛する。

 

「……ハァ」

 

 こんなのでは、隠れて彼の成長を見守るというのが出来ないではないか。せめて斬りたいという気持ちを押さえつけることから始めないと大変だ。

 でないとまた彼女を驚かせてしまう。

 ごめんなさいと、修行している彼女のいる方角を見て頭を下げる、情けない俺であった。

 住居、変えたほうがいいかなぁ……

 

 

 

 

 



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第四話【福音、鳴る鳴る、斬り斬りと(上)】

 警護をするに当たって、重要なことはなんだろう。

 まぁ、素人考えではあるが、可能な限り俺という存在を知られないようにという前提ではあるが、脅威の優先度こそが重要なのではないかと思う。

 というのは言い訳で。

 とどのつまり俺は、ぎりぎりまでネギ君を窮地に浸すことで、その成長を促進しようと思ったわけである。

 さて。

 何でこんなことを話しているのかというと。

 現在、ネギ君は満月のときに活動するあのしょっぱい妖魔、名簿に載っていたネギ君の生徒の一人と激戦を繰り広げていた。そして俺はその戦いから彼を守るでもなく、どんな戦いをするのだろうとワクワクしながら様子を伺っていた。

 にしても。

 いやはや。

 正直言って、驚きである。

 まさか。

 まさかここまで弱いとは。

 

「……ハァ」

 

 暗がりからネギ君としょっぱいのとの激戦を観戦しながら、俺はため息を吐き出した。

 弱い。

 弱すぎる。

 あまりにも、勿体ない。

 いやでも、初めて彼の魔法行使を見たときにそれはわかっていたことなんだけど。未来の彼を見てしまった俺からすると。

 その戦いぶりはあまりにも情けなく。

 見るに耐えないとは、このことであろう。

 西洋の魔法には詳しくない俺でも、そののろまな動きや、一々隙の多すぎる詠唱をしている姿が駄目なことくらいわかる。彼の肉体からすればありえないくらいお粗末だ。

 違う違う。君の肉体なら、そんなちまちましたことはしなくても──

 あぁ、もどかしい。

 今すぐ彼の元に行って、俺の持つありとあらゆる全ての技術を教えたい。

 だが、そんなことをしたら、多分途中で斬ってしまうので、それは出来ないけれど。

 

「……」

 

 モップを持つ手に力を込めて、俺はことの成り行きを静かに見守った。

 どうやらしょっぱいほうは、予想以上には強く、稚拙な魔力を道具で補いながら善戦していた。というか、上手く誘導している様を見れば、しょっぱいほうがネギ君を押していると言ってもいい。

 全く。

 こう、せめてしょっぱいほうの戦いぶりの半分でもネギ君が習得していればいいものを。

 残念だ。

 本当に残念である。

 落胆しながら見ていると、上手く誘導を果たしたしょっぱいのが、仲間の下に到着したところで、ネギ君の魔法によってその身体に纏っていたマントが吹き飛んだ。

 というか、脱げている。

 脱げ脱げだ。

 残念なことに、相手は幼女だが。

 

「……あぁ」

 

 眼も当てられぬ光景に肩をがっくしと落とした。

 話を聞く限りだと、どうやらあのしょっぱいのは封印されていた真祖の吸血鬼とのこと。なるほど、だから戦い方が上手かったのかと納得。

 同時に、この戦いはこれまでだと判断した。

 ネギ君は新手に捕まって、身動きが出来ず、やられるがまま後は血を吸われるしかない。ちょっと特殊な気の流れを感じる一般人が近づいているが、一般人ではどうにも出来ないだろう。

 なら、もう仕方ない。

 万が一血を吸われて殺されでもしたら、最悪だ。

 それに、斬るのは俺だ。

 止めろよ。それ以上は。

 

 

 

 

 

 絡繰茶々丸の視界に、それは突然現れた。

 一瞬前まで、マスターであるエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルと自分、そしてマスターに血を吸われそうになっている担任の教師であるネギ・スプリングフィールド。

 この三人しか居なかった場所に、それは初めから存在していたようにポツンと、ネギに牙を突き立てようとしているエヴァンジェリンと、暴れないようにネギを掴んでいる茶々丸の前に立っていた。

 清掃員の制服を着た男は、茶々丸が反応するよりも早く、モップから手を離して、ネギの腕を掴んでいた茶々丸の指に手を這わせて、強引に引き剥がして投げ飛ばす。何が起きたのか理解できないまま虚空に飛ぶ茶々丸には興味ないのか。男はエヴァンジェリンとネギを上から見下ろしながら、その頭を優しく掴んだ。

 

「な!?」

 

「ぅえ?」

 

 二人が困惑の声をあげたのも刹那、一瞬で頭を左右に振る。最弱にまで落ちたエヴァンジェリンとネギからすれば、何かが目の前を遮った瞬間、頭が揺さぶられたようにしか思えないだろう。

 強制的に脳震盪を起こした二人は、意識を失ってその場に倒れこんだ。突然すぎる状況に、機械の処理すら追いつかない。虚空を舞う茶々丸は、そこまでされてようやく状況を理解した。新たな敵、しかも、タカミチクラスの化け物だ。

 

「マスター!」

 

「ネギ!」

 

 茶々丸が動き出すのと、混沌としたその場に新たな乱入者が現れるのは同時だった。

 だが誰よりも早く動き出したのは男からだ。ネギの首根っこを掴むと、ボールを扱うように軽く、新たな乱入者、神楽坂明日菜に向かって放り投げる。

 

「めぽ!?」

 

 反応する暇もなく、飛来したネギの頭と衝突した勢いで、明日菜は謎の奇声をあげながらそのまま意識を失った。そのとき、虚空でバーニアを最大出力で噴射した茶々丸が、目にも留まらぬ速さで背を向けた男の元に踏み込みを果たす。

 ネギに行ったデコピンなど比べ物にならない。踏み込みの熾烈は屋根に小さなクレーターを発生させた。それほどの勢いを宿した足先から発生した力を余すことなく拳へ。当たれば肋骨が砕け、内臓すら潰す一撃は、しかし男を捉えることなく空を切る。

 それどころか、茶々丸の視界から男の姿は消え去っていた。

 何処に消えた。完全に姿を逃した男の姿を探るが、茶々丸のセンサーにはまるで反応はなく。

 

「斬り……すまない」

 

 いつの間にか屋根から落ちそうになった明日菜とネギを支え、そっと降ろした男の呟きに茶々丸が気付いたのも束の間、その姿は再び消えた。

 そしてそれとほぼ同時に茶々丸の腹部に許容限界を超えた衝撃が走る。最早、荒波にもまれる木の葉の如く、茶々丸には成す術など存在しなかった。

 

「……?」

 

 茶々丸の反応速度を容易く超えてその腹部に拳を突きたてた男は、肉を叩くのとは違う違和感に首を傾げた。

 茶々丸は男の拳を受けても踏み止まるものの、瞬きもしないうちにその身体から力が失われ、力なく膝をついた。

 全身の駆動に必要な部品が、男の拳から浸透してきた気の塊によって耐久限界を超えてしまったため、強制的に機能を停止させたのだ。

 だがそれでもメインシステムは生きている。せめてその顔だけでも見ようと、唯一動く首を動かそうとして、茶々丸はその顔を踏みつけられた。

 

「……」

 

 男からすれば不思議そのものだった。人間かと思ったら、その実、人間ではなかった。この子も名簿に載っているため、殺すわけにはいかないが、些か興味は沸いた。

 茶々丸からは見えなかったが、男の手に持っていたモップが何かを払うように振るわれる。

 直後、並大抵の刃であれば、斬りつけたところで逆にへし折ることも出来る茶々丸の左腕が、何の抵抗もなく切断されて虚空に舞った。どういう理屈なのか、空に舞った左腕は、木のモップの先端に、焼き鳥の串に刺された肉の如く容易く突き刺さる。

 見るものが見れば唖然とするような技を見せた男は、そんな技を行使したというのに、特に表情を変えることなく、しげしげと突き刺した腕の中身を見た。

 

「……」

 

 弾ける電流と、中に詰まった機械部品の数々を見て、男はやはり不思議そうに首を傾げた。

 機械だった。人間の魂を宿した機械人間とでもいうのか。凄いなぁと感心しつつ、男、青山は茶々丸の頭を踏みつけたまま、そのまましゃがみこんだ。

 懐から布を取り出して茶々丸の眼を覆う。機械だとしたら気絶は不可能ではないかと思った青山なりのやり方だった。

 本当は斬り裂いてしまえば楽なのだが、近右衛門との契約がある。

 

「動くな」

 

 耳元で呟く言葉に、茶々丸は応じることも出来ない。そもそも、最初の一撃で全身の駆動系を完全にやられた。抵抗は不可能で、全ては正体もわからない男の手のひらの上だ。

 だがそれでも、何とか動く口を必至に動かして、茶々丸はノイズの走る声音で男に懇願した。

 

「マスターは」

 

「……」

 

「マスターだけは、助けてください」

 

 今、茶々丸に出来る抵抗といえば、エヴァンジェリンの命乞いだけだった。

 青山は沈黙したままだ。何か語るでもなく、茶々丸から足を退かせると、足音もなくエヴァンジェリンのほうに向かう。

 そしてその首根っこを摘むと、再び茶々丸のほうに戻り、同じよう首を掴み、明日菜が動く気配を察知して、瞬動でその場を後にした。

 

「うーん……」

 

 それから少しして、明日菜が再び意識を取り戻す頃には、最早そこには誰もいなくなっていた。

 

「……一体、何が起きたっていうのよ」

 

 明日菜が見つけたのは、僅かに残った争いの跡だけで、一般人である彼女には何が起きたのかさっぱりであった。

 

 

 

 

 

 とりあえず、学園長さんに連絡を入れた俺は、指示されるがまま郊外の森の奥にある一軒家に辿り着いた。

 そこにはすでに先に来ていた学園長さんが家の前で立っている。高畑さんは出張でいないらしく、残念ながらここには居ない。

 俺は学園長さんの前に着地すると、持っていた妖魔と人形を地べたに置き、静かに学園長さんに頭を下げた。

 

「夜分遅く、呼び出してしまい、申し訳ありません」

 

「あぁ、気にせんでおくれ。本来なら、ワシらが早々に片付けておかなければいけなかったことじゃからのぉ……」

 

 そう言いながら、学園長さんは気絶したままのしょっぱいのと人形、マグダウェルさんと絡繰さんの二人を見た。

 

「ネギ君の名簿に、載っていた生徒なので……対処に困り、ました」

 

 その視線から学園長さんの気持ちを察し、俺は実は様子を見ていましたという事実はぼかしつつ、事の顛末をある程度語り始めた。

 ともかく、斬らずに連れてきたのは、彼女達がネギ君の生徒だったからだ。何で人形と妖魔が生徒をしているのかは不思議だが、そうしている以上、何かしらの理由があってのことだろう。

 そこらの察しがつくくらいには、社会に馴染んできた俺である。

 学園長さんは全てを聞き届けると、僅かに困ったように髭を撫でつけてから、なんと俺に対して頭を下げてきた。

 

「すまなかったのぉ。事件については我々もある程度察知はしていたのじゃが、満月ということ以外、警戒を上手く切り抜けられて事件が多発していたのじゃ。彼女が犯人という決定的証拠もなかったために、どうにも動くことが出来なくてのぉ」

 

 恥ずかしい話じゃが、そう言って改めて頭を下げてくる。

 

「とんでもない。頭を、上げてください」

 

 俺は目上の人が頭を下げるという事実に困惑して、条件反射的にそう言っていた。

 なんというか、人として己が恥ずかしかった。俺は自分の欲求を満たすために、事件が起きているにも関わらずあえて暫く放置をした。そして、その事実を告げずにいる。

 許しがたい。

 全く持って、度し難い。

 

「俺も、実は……」

 

 観念して、隠していたことも俺は話しておく。ネギ君ならこの程度は大丈夫だろうと放置してしまったこと。これもまた真実からは少し離れていたが、本当のことを言ったらネギ君の護衛を解雇される恐れがあったため、あえてそういった言い方をした。

 結局、嘘はついている。

 俺は自分が恥ずかしい。

 

「そうか。じゃが、青山君ほどの実力者となると、確かにそう思ってしまうのも無理ならぬことかもしれんからのぉ……今後はなるべく気をつけて欲しいがの」

 

「……はい」

 

「ほほほ、そう落ち込まないでおくれ、元はといえば、ワシらがこの件を解決できなかったことが原因なのじゃから」

 

 そう優しく言ってくれる学園長さんに、俺は頭が上がらなかった。

 なんと、なんと寛大な心だろう。高畑さんも学園長さんも、全く素晴らしい教師である。こういうとき、感情が表すことが出来ない己が悔しくて、やはり情けなく、恥ずかしい。

 ともかく、いつまでも謝り続けていてはキリがないので、俺は彼女たちのことについて質問をすると、学園長さんは神妙な顔つきになって静かに答えた。

 

「……闇の福音、という賞金首を知っているかね?」

 

「いえ……生憎と。俺は、なんとなく噂を聞きつけ、好敵手を探していただけで、世俗はおろか、裏のことにも、疎いものでして」

 

「そうじゃったか……まぁ、手っ取り早く言うと、そこにいる小さないほうの少女が、かつて闇の福音と言われ、恐れられた吸血鬼なのじゃよ」

 

 その言葉に俺は表情が変わるなら唖然としたくらいには驚いた。

 なんと、どの程度凄い賞金首なのか、学園長さんの話では全く理解できないものの、賞金首の吸血鬼であったのか。

 このしょっぱいのが。

 なんということだ……。

 そもそも、吸血鬼に初めて会った驚きを忘れていたのに気付いた。

 

「……」

 

「ほほほ、流石の青山君も賞金首と聞けば言葉もあるまいか」

 

「いや……」

 

 そういうのではなくて、吸血鬼に会えて嬉しいというだけなのだけれど。

 まぁいい。

 どうでもいいか。

 

「それで、彼女達は? その、一人、腕を斬って、しまいましたが。あ、殺しては、いませんので」

 

 俺は機械の少女、絡繰さんを指差して、ついでにモップに突き刺さったまんまの腕を引き抜きながら言った。

 血は出ていないので多分大丈夫なはずだが、機械には詳しくない俺である。最悪の事態も考えられるため、どうにも言葉の最後のほうが小さくなってしまった。

 学園長さんは何とも複雑な表情を浮かべ「それで、その目隠しは?」と聞いてきた。今更過ぎる質問だが、よく考えれば、一方には機械とはいえ腕が斬れ、目隠しされた少女、もう一方は下着姿の気絶した少女。

 そして俺はモップを持った無表情である。

 ともすれば、一番最初に質問すべきことが今更になっても、おかしくない状況であった。

 つまるところ、カオス。

 

「顔を見られるのを避けたかったためです」

 

 現状を正しく理解するのが嫌になった俺は、まくし立てるように学園長さんの質問に答えた。出来る限り見られないようにしたために、こんな処置になってしまったのだが、俺の答えを聞いて、学園長さんは何かを考えるようにしてから「彼女達には、気付かれてもよいのでは?」と聞いてきた。

 まぁ、その意見についてはなんとなく納得。

 なんせ、学園長さんの話では、気絶しているほうは賞金首になるほどの吸血鬼で、もう一人はそんな少女をマスターと呼ぶ従者だ。

 こういった場所に居る以上、何かしら理由があったりするのだろう。あまり周りに正体を知られると困るという点では、俺と彼女達の境遇は似ているとも言えた。

 

「……ですが、彼女達はネギ君を襲いました」

 

 そんな人達に、果たして俺の正体を晒していいものか。

 彼女達は敵だ。生徒であると同時に、しょっぱいながらも平穏を乱す敵である。

 

「そも、何故、賞金首が、ここに?」

 

「……少々、のぉ」

 

 言い辛そうに言葉を濁される。それもまた言えない事情があるのか。

 まぁ、賞金首を囲っているわけだから、新参者である俺には言えない事情は当然あるだろう。

 嫌な質問をしてしまった。全く、子どもでもあるまいし、反省しなければ。

 

「質問を変えます。彼女達の、処遇はどうしますか?」

 

 多分だが、これまでの話の流れだと、とっ捕まえてしかるべき場所に突き出すというわけではないのだろう。

 最早、会話も聞かれているために意味なしと判断した俺は、絡繰さんの目隠しを外して「腕は、置いておく」と告げて目の前に斬り飛ばした腕を置き、学園長さんの言葉を待った。

 

「無罪、というわけにはいくまい。ワシのほうでこの一件、預からせてもらえんかね?」

 

「……まぁ。どのようにされようが、俺には、些細なことなので」

 

 現状、彼女達はネギ君を護衛する俺にとって脅威にすらならない。仮に、俺が麻帆良の離れにある住居に戻って、それを見計らってネギ君を襲おうが、俺は一、二分もあればそこに駆けつけることができるし、その程度ならネギ君だけでも凌ぐことは出来る。

 

「取るに足りません」

 

 個人的には、ネギ君の血を求めて何度も襲撃を重ねてもらいたいものである。

 

「……ほう、この私を前に、大層な口の聞き方だな」

 

 後ろから、可憐な、しかし何処か風格を滲ませた声が俺に届いた。起きる気配はしていたので、特に驚くことなく後ろを振り返ると、頭を押さえながら、少女、マクダウェルさんがゆっくりと立ち上がってこちらを睨みつけていた。

 

「……」

 

「無視するとは、尚更気に入ったぞ? え?」

 

 気に入ったと言うわりには怒気が強くなっている。ただ所詮は大した力も持っていないしょっぱい者の怒気。そよ風よりも気にならないそれに反応するのもくだらないので、俺は再び学園長さんのほうを見た。

 

「では、彼女達のことは、お任せします」

 

 俺は改めて、腕を斬ったことを謝罪することも兼ねて、絡繰さんに頭を下げた。続いて学園長さんに頭を下げて、最後に振り返り、今にも飛び掛りそうなマクダウェルさんに頭を下げる。

 

「随分と舐めきった態度だな」

 

「……」

 

 意地を張っている。というわけではないのだろう。底知れぬ自負は、強者が持つ特有の凄みだ。その身に宿るちっぽけな能力からは考えられないくらい尊大な態度に首を傾げて……あぁ、そういうことか。

 つまりこの子は、この学園に囚われているわけだな。

 

「なるほど、子飼いの犬、というわけですね?」

 

 俺は学園長さんのほうに再び振り返りそう言った。蛇の道は蛇。能力を押さえつけられたとはいえ、賞金首になるほどの悪党であれば、学園を襲う悪にも対処できるというわけか。

 いや凄い。そういうリサイクル的な発想、御見それした。

 だから、ある程度の暴走くらいには眼を瞑るというわけか。多分だが、いざとなれば瞬間的に押さえつけた力を解放する手段なりがあって、本当に緊急のときは、その力を解き放つといった具合。

 そう考えて、俺は改めてマクダウェルを注視した。俺の遠慮のない視線にも全く怯むことなく、真っ向から見据えてくる彼女の、表面ではなく、奥底を静かに見る。

 そうすれば、巧妙に隠された鎖の如き何かを見つけた。しかも隠されているのに特大規模。

 斬ろうと思えばいずれ完成する十一代目があれば確実に出来るけど、そこまでする義理もないので止めておこう。

 

「なんだ? ははっ、まさか貴様、少女趣味の変態か」

 

「いや、そうでは……」

 

「だったら人の下着姿をじろじろ見るな。気持ち悪い」

 

「……すみません」

 

 鼻で笑われたうえに、とてつもない勢いで睨まれて、俺は思わず謝った。

 なんてことだ。

 敬語で少女に謝ってしまった。

 ん? 吸血鬼だから俺より年上だし、敬語でもいいのか。

 でも、見た目俺より歳が下っぽい子どもに敬語を使うって、何だか情けない。

 まぁ。

 まぁ、いいだろう。

 なんにせよ、封印を斬ってまで戦いたいと思う相手ではない。

 いや、ネギ君に会ってなかったら斬っていたかも。

 それくらいには、そそる相手。

 今はしょっぱいが。

 

「斬る?」

 

「ッ!?」

 

 俺が無意識に近い形で口走った言葉。それを聞いたマクダウェルさんの瞳が大きく見開かれた。

 そして、次の瞬間には下を向いてぶるぶると震えだす。どうしたというのか。いやいや、いきなり斬るなんて聞いたから驚いたのかもしれない。

 しまったなぁ。

 

「俺は行きます」

 

 そういうわけで、何か居た堪れなくなった俺は、そそくさとその場を後にしようとして。

 

「おぉ、お勤めご苦労さん」

 

「待て」

 

 さっさとその場を後にしようとした俺に、マクダウェルさんが待ったをかける。思わず振り返った俺に対して、マクダウェルさんは冷たい眼差しを向けてきた。

 

「貴様は、何だ?」

 

 何だと聞かれて、答えなんかは唯一つ。

 

「ネギ君の護衛です」

 

「そういうことじゃあない」

 

 ん? だったら一体どういうことだろう。言葉に詰まると、マクダウェルさんは壮絶な笑みを浮かべて俺に歩み寄ってきた。

 

「何て様だよ、貴様」

 

 俺を知って、俺に斬られた誰もが思う第一印象。俺という個人を表す、何よりも簡潔で、的確な言葉。

 それを、初めて笑いながら、面白そうに言われた。

 マクダウェルさんはほとんど密着するような距離まで近づくと、さらに笑みを深くする。本当に、それは楽しそうな笑顔だった。とてもとても、今すぐにかぶりつきそうなくらいに、その口は牙をむき出している。

 あぁ、しょっぱいのとか。

 そういうの、訂正。

 

「気に入ったよ。あぁ、この言葉は嘘じゃない。人間、久しぶりに会えたよ『人間』。どうやらこの十五年で、いや、ナギのアホに会ってから、どうやら私は随分と己の領分を忘れていたらしい」

 

 いきなり自分語りを始めるマクダウェルさんの雰囲気は、内包する力は変わらないというのに、纏う雰囲気が、暗転していた。

 うわぁ、これ、ひでぇ。

 

「私は、化け物だ。ふん、悪の魔法使いやらそういうのではない。すっかり忘れていた。いや、忘れようと逃れていただけか……貴様を見て思い出した」

 

「……」

 

「貴様は人間で、私が化け物だ」

 

 これ以上は、面倒だな。

 まだ何か言い募ろうとしている彼女の言葉が発せられる前に、俺は瞬動で帰路につくのであった。

 

 

 

 

 

 いつ技に入ったのかまるでわからなかった。ここまで完璧な瞬動は見たこともないくらい、青山の瞬動はそれだけで、彼の実力を知らしめていた。瞬間移動のように、音もなく消えた青山が居たほうを見てから、エヴァンジェリンは苦笑する。

 

「つまり、私は貴様らに踊らされていたということか?」

 

 苦々しげに顔を歪めて、エヴァンジェリンは近右衛門を睨んだ。幾ら最弱状態とはいえ、人形使いとしてのスキルや、一世紀もの間積んだ武の研鑽による戦闘力は、近接戦闘では一級品の実力を誇っている。

 そんなエヴァンジェリンが、軽くあしらわれた。ネギを捕らえたという油断があったとはいえ、不覚を取り、しかも茶々丸にいたっては左腕まで奪われた。そんな化け物を、知られることなく配置されていた。

 内心でエヴァンジェリンは、近右衛門を、この狸がと詰った。

 屈辱である。闇の福音として、一人の悪として、抗うことすら出来ずに生殺与奪を好きにされたのは、エヴァンジェリンには我慢が出来なかった。

 

「偶然じゃよ。たまたま彼がここに着たのと、ネギ君が赴任するのが重なったから、ちょうどいいと思って護衛につかせただけじゃ」

 

 近右衛門の言葉は本当だ。青山がここに来たのと、護衛につかせたのは偶然である。ただ、最近の動向が怪しかったエヴァンジェリンに対する保険であるのも、また事実であった。

 今回は、それが予想以上に噛み合った。

 後一歩で、犠牲者が出るほどまでに。

 

「私も人のことを言えた義理はないが……あんなモノ。立派な魔法使いの居る場所には似つかわしくないと思うがね」

 

 エヴァンジェリンは倒れた茶々丸を糸を使って立たせて、その身体を軽く観察した。眼の焦点があっているため、どうやら最悪の事態は免れたらしい。

 茶々丸の冷たい瞳を見て、エヴァンジェリンは軽くため息を漏らす。まだ茶々丸のほうが、感情の起伏が見られるというのは、冗談にすらならない。

 それでも、エヴァンジェリンは、誰よりも青山から人間を感じていた。

 

「今すぐアレは追い出したほうがいい。でないと、取り返しがつかなくなるぞ?」

 

 その言葉は、予感ではなく、確信に近かった。化け物だからこそ、人間を望んでいたことがあったからこそ得た確信。

 強いとかそういった次元の話ではない。

 アレは、救いようがない。

 

「教師として、立派な魔法使いとして、彼を見捨てるわけにはいかんよ。それに、彼の根は純粋じゃと、私は信じておる」

 

「ハッ、純粋ねぇ」

 

 蔑むように肩を揺らしてから、エヴァ苛立たしげに舌打ちをした。

 

「建前は立派だが、そういった曇りのない眼鏡が、貴様の、いや、貴様達立派な魔法使いとやらの欠点だ」

 

 人の善性を信じるから。人の悪性が間違いだといえるから。

 だからお前らは、ただの正義だ。

 

「いや……それもまた、そうだな」

 

 正義でも邪悪でもない。

 完成された個人。空っぽのようで、その実、余分なものなど一切受け付けないほどに埋め尽くされていて。

 

「アレは人間だよ。正真正銘、本物の人間だ」

 

 エヴァンジェリンの言葉を近右衛門は理解できなかった。そんなことはわかっているし、今更強調してまで言うことではないだろう。

 やっぱし、わかっていない。エヴァンジェリンは、どこか同情するように眼を細めた。

 

「それで? アレは一体何処で拾ってきた?」

 

 これ以上は話しても無駄だと思ったのか、エヴァンジェリンは話を切り替えて質問をする。

 

「拾ってきたというわけではないのじゃがの。知人の身内でのぉ。お主と同じで訳ありで、なるべく人に正体を知られないほうがいいと言っていた」

 

「なら別にもういいだろ? 私と茶々丸はあいつの顔を見たんだ。どうせここで働いてるなら、茶々丸に任せればすぐに全部わかる」

 

 だからきりきり話せ。そう凄んできエヴァンジェリンに、近右衛門は仕方ないといった素振りで口を開いた。

 

「元神鳴流じゃよ。数年前、各地の封印されていた妖魔、もしくは危険な術者を、目的もなく斬り続け、破門になった……青山じゃ」

 

「青山……宗家の人間が破門とは、面白いじゃないか。そんな奴をよく囲う気になれたな」

 

「言ったじゃろ? 知人の頼みじゃとな。それにあの実力を、人のために使うことが出来たら、素晴らしいとワシは思うのじゃよ」

 

「人のために、ねぇ」

 

 エヴァンジェリンの含みを持った言い草に、近右衛門は僅かに視線を険しくした。

 だがエヴァンジェリンは怯むことなく、肩を揺らして消えた青山を追うように視線を空に向けた。

 

「あいつは人間だよ」

 

「……何が言いたい?」

 

「誰よりも人間だ。少なくとも、正義を信じる者や、悪に浸った者や、そういうレベルで考えられるものではない……クククッ、興が乗った。処罰でも何でも好きにしろ」

 

 突如低く笑いながら、素直に処罰を受け入れると告げたエヴァンジェリンに対して、近右衛門は疑わしげな視線を送った。一体、どういうつもりなのか。そんな視線を浴びて、エヴァンジェリンはにんまりと口を歪めて、その吸血鬼の証である牙をむき出した。

 

「従ってやるって言ってるんだよ。気が変わらないうちに、首輪でも何でもつけておけ」

 

 そういって、エヴァンジェリンは糸で茶々丸を運びながら、自宅へと入っていく。

 その背中を見送りながら、近右衛門は久方見せることもなかったエヴァンジェリンの脅威を感じて、額に嫌な汗が浮かぶのを確かに感じた。

 どうしてエヴァンジェリンが豹変したのか、近右衛門にはわからない。人として、正義として生きてきたからわからない。

 

 化け物は人間に焦がれる。

 

 ただ、それだけだ。

 

 

 

 

 

 今回、生徒の一人と魔法先生を襲った罰として、エヴァンジェリンには一週間の謹慎処分が命じられた。とはいっても、学校に通うことだけは禁止しないので、事実上お咎めなしとでも言っていい。それ以前の事件については、証拠が不十分ということもあり、過去の事件との関連は不問とされた結果とも言える─勿論、表向きの理由だ─。

 当然、他の魔法先生や生徒からの苦情はあったものの、学園長自らがこの件を収めたということで、一応の終わりは見えた。

 だがそれよりも問題だったのは、禍々しさを増したエヴァンジェリンその人であろう。常から誇りある悪として生きてきた彼女であったが、今の彼女はそんなかつての姿とは少々毛色が違っていた。

 恐ろしいのだ。封印により最弱にまで貶められ、あるいは魔法生徒にすら容易に敗北しかねない彼女の纏う雰囲気が恐ろしい。

 

「わからないよ。貴様達には」

 

 そう言い残して自宅に戻ったエヴァンジェリンに何かを言おうとするものは存在しなかった。恐ろしかったからだ、単純に。

 その翌日、ネギ・スプリングフィールドの受け持つ3-Aは、いつも通りでありながら、どこか緊張感のある空気が漂っていた。

 原因は、エヴァンジェリンだ。無表情であるのは変わりないというのに、その身体に張り付くような気配が、昨日までのとは違う。能天気といわれるネギのクラスの女子達ですら、その異様に感づいていたのだろう。

 ネギはといえば、そんなエヴァンジェリンが怖くてたまらなかった。先日、訳もわからずに意識を失い、明日菜に背負われて帰路についた。そして眠りにつき、ここに来るまでの間、嫌な考えが止まらないのだ。

 また、襲われるのではないか。次こそは血を全て吸い尽くされてしまうのではないか。そっと首筋に手を当てて怯えると、教室の隅でエヴァンジェリンが笑ったような気がした。

 教師だなんだといわれようが、結局、ネギは十歳の少年でしかない。身を襲った恐怖を我慢して、こうして授業を行うために教室まで来ただけ大した胆力である。

 だが、そこまでだ。

 

「怖いのかい? ぼーや」

 

 エヴァンジェリンは笑った。ただ一人の化け物は、今は少女の身にも限らず笑った。

 昼休み。明日菜と共に、茶々丸を連れていないエヴァンジェリンの元へ、昨夜のことを聞くために来たのだ。

 明日菜もここに来て、ようやく昨夜の異常事態を把握した。

 空気が違う。二年間も同じクラスメートであったはずの少女が、今はまるで別の生き物にすら見える。

 

「……茶々丸さんは、今日は?」

 

 まずは、今日来なかった彼女についてネギは質問していた。

 その質問に、エヴァンジェリンは驚いた様子を見せると、続いて面白そうに笑みを浮かべた。

 

「何を笑ってるのよ!」

 

 人を嘲笑うような態度に、明日菜が食って掛かる。だがエヴァンジェリンはそんな明日菜の怒声を気に留めることなく、暫く肩を揺すると「貴様、まさか……知らないのか?」そう、見下しきった眼差しでネギを見つめた。

 

「え?」

 

 質問に質問を返されてネギは言葉に詰まる。というか、自分が何を知っているというのだろうか。まるでわからないといった態度に「過保護か……つまらん」とエヴァンジェリンはため息を吐き出した。

 

「安心しろ。昨日の一件で少々やられただけで、すぐにでも回復する」

 

「やられたって……茶々丸さん、何かあったのですか!?」

 

 不安げに眉をひそめるネギ。昨日襲われたばかりの相手のことだというのに心配する姿は、お人好しが過ぎて、エヴァンジェリンには僅かに不愉快だ。舌打ちを一つして背中を向け、その場を後にしようとする。

 

「待ってください! もう! もう生徒達に手を出すのは止めてください!」

 

 そんな背中にネギは勇気を振り絞って声を掛けた。両手で杖を握り締め、臆しながらもエヴァンジェリンを止めようと叫ぶ。

 その姿だけは、好感が持てた。

 

「安心しろ。私も暫くは動くつもりはない、が……気をつけておけよ? 学園長やタカミチに手助けを願ってみろ。次は誰かが干からびているかもなぁ」

 

 最後の台詞ははったりである。昨夜、釘を刺されたばかりであるため、エヴァンジェリンの動きは完全にばれているといってもいい。

 だが、まだ切り札は一つだけ残っている。

 

「精々用心はしておけ。私は悪い魔法使いなんだからなぁ」

 

 それ以上話すことはない。エヴァンジェリンは尊大に笑って見せると、今度こそ立ち止まることなくその場を後にした。

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。闇の福音と恐れられている、十五年前まで悪名を轟かせた吸血鬼の真祖。そんな恐ろしい相手を前にして、海外からわざわざ来てくれアルベール・カモミール。通称カモの助勢も微々たるもので。エヴァンジェリンに対抗するためのパートナー選びもして、明日菜が協力してくれることになったのだが、エヴァンジェリンの経歴や、ここに居ては迷惑がかかると知り。

 結果、ネギは逃げ出した。

 まぁ、十歳の精神力でよく耐えたものである。

 だが麻帆良を出たネギは、途中で余所見をしていたせいで木に激突。そのまま落下して、山中迷子になった。

 そんな彼を救ったのが、ネギの生徒である長瀬楓だ。

 ネギを山中で拾った彼女は、そのままなし崩し的にネギと共に夕飯の食材を集めたりして、そんな彼の心を少しだけ癒してあげたのであった。

 そんなこんなで土管を使った露天風呂である。満天の星空を見上げながらゆったりとつかる風呂は、風呂嫌いなネギも満足できるほどゆったりとしたものだ。

 だがまぁ、異性である楓と共に入浴するのは緊張してしまったが。

 

「ネギ坊主は、今壁にぶつかったのでござるよ。というよりも、教師を始めてからこれまで、よくぞまぁ上手くやってきたと感心するでござる」

 

「そ、そのとおりです……でも、僕は逃げて、逃げ出して」

 

「いいんじゃないでござるか? ネギ坊主の歳なら、逃げ出しても恥ずかしくないでござるよ。まだ、子どもなのでござるから……周りの大人に頼っても、ちっとも悪くないでござる」

 

 楓の言葉にネギは首を振った。

 逃げることも、頼ることも出来ない。この問題は自分が何とかしなければならないことであり、その不安で肩が押しつぶされそうになる。

 

「人間。今はどう足掻いても乗り越えられない事柄の一つや二つ、あるでござるよ」

 

「……楓さんも、そうなんですか?」

 

「勿論、拙者にも今はどうにも出来そうにない壁があるでござる」

 

 ネギは楓が超えられない壁があると聞いて驚いた。そんな内心が表情に表れていたのだろう。楓はネギの横顔を見つめて微笑むと、その頭を軽く撫でた。

 

「少し、難しい質問をするでござる」

 

「は、はい」

 

「乗り越えなくてもいい壁は、存在すると思うでござるか?」

 

 その質問は、大人であっても容易に答えられる質問ではなかった。

 

「えっと……乗り越えないと、前に進めないから、存在しないと思いますけど」

 

 子どもの無邪気さと、大人の知性を持つから故に、ネギは僅かな逡巡の後すぐに答えた。楓はその答えに満足したように頬を緩めると。

 

「拙者は、そうは思わないでござる」

 

 ただ静かに首を振った。

 答えの意図がわからずにネギは疑問を覚えた。乗り越えてはいけない壁は存在する。それは一体どういうことなのか。

 

「人は、乗り越えてはいけない……踏み出してはいけない一歩というのがあるでござる」

 

 確信しきった言葉であった。まるでそれをなした人間でも目の当たりにしたような言い草。

 その直後、ネギの身体を凄まじい寒気が走り抜けた。

 

「ひっ!?」

 

「……またでござるか。アレも加減を知らぬ」

 

 だから修行になるのでござるが。そうぼやいた楓を、ネギはすがりつくように見上げた。

 

「い、今、いきなり寒くなって……」

 

「超えてはいけない、壁でござるよ」

 

 ネギの言葉にかぶせるようにして楓は言った。そうして、ネギの身体を優しく抱きしめる。

 

「ネギ坊主は、天才でござる」

 

「そんなこと……」

 

「だから、どんな壁も簡単に乗り越えて……いつか、最後の壁に到達するかもしれない」

 

 その果てに、アレが居る。初めて出会ったとき、眼を離せないくらいの有り様を見せ付けたアレが立っている。アレは終わりだ。修行中の身ではあるが、楓にもそのくらいはすぐに理解できた。

 完結する。

 それは、最悪だ。

 

「そのとき、ネギ坊主には踏み止まってほしいものでござる」

 

 人の才能が極限にまで高まり、そんな人間が努力を積み重ねる。

 その果てを、楓は見てしまった。

 あの有り様を、まざまざと見せ付けられた。

 

「……まっ、安心するでござる。アレはこちらから干渉せねば無害ゆえ……だから辛くなったらいつでも来るでござるよ。ここへ来たら、お風呂くらいには入れてあげられるでござるから」

 

 楓はそう言うと、星空を見上げて満足そうに微笑んだ。

 つられて見上げたネギは、まだ楓の言うことがほとんど理解できなくて、寒気の正体にも怯えているけれど。

 

「そのときは、お願いします」

 

 少しだけ勇気を貰った。その事実だけは、本当だ。

 

 

 

 

 

 あの日の襲撃から、どうやらマクダウェルさんは何かをするでもなく、俺の護衛任務は特に何かがあるでもなく平穏無事に過ぎていた。まぁ、先日ネギ君が何を思ったのか山のほうに来てしまい、思わずテンションが上がって、修練の最中に気を開放してしまったりもしたが。

 まぁその程度のこと。

 些細である。

 

「そういや兄ちゃん。今日は大停電だから早めに仕事を切り上げるぞ」

 

 朝、いつも通りに錦さんに挨拶して今日の清掃に出かける際、そんなことを言われた。

 どうやら年に二回、学園都市全体のメンテナンスのため、大規模な停電が起きるらしい。

 

「いや悪いな。教えるのが遅れちまってよ」

 

 錦さんは申し訳ないと軽く頭を下げたが、俺は麻帆良から少し離れた山に住んでいるため、大停電の弊害は特にないので、頭を下げなくてもいいのだ。

 

「いえ、気になさらないで、ください。元から、電気にはあまり、世話にならぬ場所に居るので」

 

「そうかい? エコってやつか。若いのに偉いじゃねぇか」

 

 それともまた違うのだが。まぁ説明する必要も特にないだろう。俺は曖昧に返事をすると、今日の持ち場に向かって錦さんと向かっていった。

 そして昼休み。いつも通りに初等部の体育の授業を眺めながらの早めの昼食。

 

「しかし兄ちゃんも、最初の頃に比べたら随分と話せるようになってきたじゃねぇか」

 

「そうでしょうか?」

 

「あぁ、最初はもっとこうぼそぼそって感じだったがよ。まぁ今も声は小せぇが、結構マシになってきたってもんだ」

 

 錦さんの言葉に、俺はここ暫くを振り返って、それもそうかと思った。

 まぁ、ここに来るまではろくに人と接することなくすごしてきた俺である。少し話すだけで舌が疲れるくらいには世俗との縁がなかったためか、確かに無表情に加えていっそう根暗に見えたことであろう。

 

「変わったのでしょうか」

 

「あぁ、いい変化だと俺は思うぜ」

 

 男臭く笑う錦さんに、俺は頭を下げて応じる。残念なことに、俺の無表情は、使っていなかった言葉と違って修練のしようがない。

 それこそ、よほどの感情の起伏が生まれなければ、微笑むことすら出来ないだろう。

 全く。

 不憫極まりなく、錦さん達に対して申し訳ない。

 

「俺は……」

 

「兄ちゃんは、少しだけ外を見てなかっただけだと俺は思うぜ」

 

 言い募ろうとした俺に、錦さんは言葉を被せてきた。

 言葉を失う俺の頭を、錦さんの大きな手のひらが圧し掛かる。大きくて、重くて、ごつごつとした。

 生きている人間の、強い手だ。

 

「ゆっくりでいいんだよ。人間なんてもんはな、一目惚れ以外のことじゃ劇的には変化しねぇ。それでも、少しずつ重ねていけば、見えてくるもんってのもあるはずよ」

 

「そういうものでしょうか?」

 

「そういうもんさ。少なくとも、俺はそう信じているよ」

 

 臭い話をしちまったな。錦さんはそう照れくさそうに鼻を擦ると、ゆっくりと立ち上がって「トイレ行ってくらぁ」と告げて歩いていった。

 俺はその背中を見送りながら、頭に残る優しい感触を思い出すように、自分で頭を撫でてみる。

 気付きもしなかった。というよりも、見向きもしなかっただけだ。

 この世界に人格を芽生えさせてからこれまで、ひたすら俺は青山しか見ていなかった。強くなり続ける才能を、童のように無邪気に楽しみ続けた。

 だが今はどうだろう。

 俺は、青山は終わってしまった。

 それによって、俺は少しだけ外を見ることが出来て、今はこうして頼りになる上司や、新しく出来た友人、まだ出会っていないけれど、学園のために影で頑張っている同僚の皆様。

 色々な人と触れ合った。

 色々な現実を、ようやく見つけた。

 なら、俺は変わるのだろうか。変わって、違う何かに俺はなっていくのだろうか。

 そうだといいな、と思えることが素晴らしくて。

 斬るから。

 俺は、斬る。

 うん。いい方向に変わっているな。

 

 

 

 

 

 大停電の夜。黒衣を纏った吸血鬼はそっと空に浮かぶ月を見上げた。

 ひどく、ひどく、寒かった。

 どうしてかわからないけれど、とても冷たく感じた。

 

「よく言うことだ。人の夢と書き、儚いと。人を夢見る。なるほど、私にはとても儚い夢想だよ。そう思わないかい? 先生」

 

 眼下には、可能な限り装備を整えた英雄の息子が立っている。どうやら、先日付いてきていた神楽坂明日菜はいないようだ。

 

「一人で来るとは、見上げた勇気だな」

 

「あなたは……誰ですか?」

 

 その言葉に、小さく失笑。そういえば、今の自分の姿は大人のそれで、暗闇も重なればわからなくても無理あるまい。

 だから幻術を解いて、姿を晒す。冷たく笑って、エヴァンジェリンは英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドを見下した。

 

「私だよ先生。まぁ、姿形など、今の私にとっては意味のないことだが……お前たちは下がっていいぞ」

 

 エヴァンジェリンは吸血によって操っていたクラスメート達を開放した。隣には、メンテナンスを終えて以前よりもさらに強化された茶々丸が立っている。

 ネギも覚悟を決めたのだろう。杖を構えて、いつでも魔法を詠唱できる準備を整えた。

 

「満月でなくて悪いがな。今夜、ぼーやの血を存分に吸わせてもらうことにした」

 

「そんなことはさせません。今日、僕があなたに勝って、悪いことはやめてもらいます」

 

 強く宣言したその言葉に、エヴァンジェリンは声をあげて笑った。

 

「ハハハッ! 悪いこと? 悪いことか……そうだな。あぁ、悪いことを止めさせて、それで、どうする?」

 

「どうするも何も、授業に出てもらって皆と仲良くしてもらいます!」

 

「つくづく……いやまぁ、十歳のガキならこんなものか。なら試してみるといい、私に勝って、見せてみろ」

 

 人間なら、やってみろ。宣言とともにエヴァンジェリンの魔力が膨れ上がった。

 

「そら。足掻けよ、ぼーや」

 

 虚空に十にも及ぶ氷塊が発生した。無詠唱魔法、魔法の射手とはいえ、無詠唱で、しかも瞬時にそれらを作り上げたエヴァンジェリンの実力は、それだけでネギとの実力差を如実に表していた。

 

「うわ!?」

 

 その詠唱速度の違いをまざまざと見せ付けられたネギは、咄嗟に杖にまたがるとその場から一気に離脱した。

 それを待っていたかのように状況は動き出す。エヴァンジェリンが遅れて氷の矢を開放する。当たれば、常人を一撃で貫く威力を誇る矢が十、四方から囲い込むようにネギを襲う冷たい殺意を、持ってきた魔法銃を構えて迎撃した。

 魔力が反発し合って、虚空で閃光を放つ。その光に眼を焼かれないように顔を手で隠しながら、ネギは飛び掛ってきた茶々丸から杖を操って逃れた。

 爆発。ネギを打ち落とすための茶々丸の一撃は、その拳が直撃した地面を破砕してクレーターを作る。敗戦を経験した後、その一撃にすら耐えるようにバージョンアップした茶々丸の戦力は、最早単騎でネギの制圧は余裕なほどだ。

 だがあえてそれをしないし、ネギにそれを気付かせない。

 遊んでいるのだ。容易に捕まえ、葬れるのを、弄び、蔑み、その無様を笑って観賞する。

 攻撃が重なるにつれて、ネギもそのことに気付いたのだろう。防戦一方を維持『させられている』状況に、その顔に焦りの色が生まれた。

 

「でも……!」

 

 一撃ごとに装備を剥がされながら、それでもその瞳には諦めの色がない。

 その瞳にエヴァンジェリンは笑った。とても嬉しそうに、笑って見せた。

 

「そら! 何かあるなら出してみろ! なんでもいいぞ? 試してみろ。援軍でも、魔法具でも、乾坤一擲の魔法でもいい! 楽しませろ。私を楽しませるんだよぼーや。それが楽しければ楽しいほどに──」

 

 この後が、楽しくなるんだ。

 最後の言葉の意味はわからない。というよりも考える余裕すらないネギは、ひたすらにある場所を目掛けて飛翔する。

 早く、早く。

 油断しきっている今だから、この策は使えるから。

 

「見えた……」

 

 そしてようやくネギは目的の橋に辿り着いた。だがそれによってにじみ出た安堵をエヴァンジェリンは逃さない。

 

「氷爆!」

 

 橋を滑空しだしたところで、エヴァンジェリンの魔法がネギを吹き飛ばした。冷気の爆発は、ネギが作った障壁を食いちぎってその身体を木っ端の如く吹き飛ばす。

 

「うわぁぁぁ!?」

 

 成す術もなく吹き飛んだネギは、そのまま道を転がって倒れ伏した。そんなネギをゆっくりと追い詰めるように、エヴァンジェリンと茶々丸も着地して、歩み寄っていく。

 

「それで、もうお終いか? ん? まだあるだろ? そら、もったいぶらずに吐き出してしまえ」

 

 戯れだ。今のネギはエヴァンジェリンを楽しませる道具以上の価値がない。それでもネギはまだ諦めてはいなかった。僅かな可能性、そう、後少し踏み出せば!

 ネギの元へ二人が迫る。だがその途中、二人の足元に巨大な魔法陣が発生した。

 

「なっ!?」

 

 驚く間に、エヴァンジェリンと茶々丸を捕縛結界が捕まえ、その身体の自由を完全に奪い去る。

 確かに、エヴァンジェリンは驚いた。幾ら戯れたとはいえ、なおこの僅かな可能性に賭けたその足掻き、その根性は賞賛できる。

 

「見事だよ。それで、どうする?」

 

 感動的だ。だから告げた言葉は、次の瞬間汚されることになる。

 

「これで僕の勝ちです! さぁおとなしく観念して悪いことはやめてくださいね!」

 

 得意げなネギの言葉。

 それを聞いて、エヴァンジェリンの顔に浮かんだのは──落胆だった。

 

「何を言ってる? そら、まだ終わってないぞ。早く撃ってこい。まだ私はここに居て、お前はそこにいるだろ?」

 

「え、そ、そんなの……だってもうエヴァンジェリンさんは動けなくて!」

 

「だから?」

 

 ネギの言葉を一蹴する。言葉だけではない。冷たい視線こそが、何よりもネギの動きを止めてみせた。

 

「おいおい、動きを止めた。だから終わりって……それはないだろ? そうじゃないだろ? 早く折れ。相手の戦意を、砕いてしまえ。そうしなければ闘争なんてものは終わらないんだよ」

 

 私はまだ負けたつもりはない。そう告げるエヴァンジェリンに対して、ネギは言うべき答えがなかった。

 どのみち、時間がたてばこの結界は解除される。そのとき、エヴァンジェリンはまた動き出し、また戦う。

 

「捕まえてはい終わりで済ませられるのは、刑務所にぶち込まれるくらいなものだよ。もしくは援軍でも待つか? 生憎だが、この周囲には結界を張り巡らせている。余程気配を察するのが得意な奴でない限り、ここに援軍は来ないよ」

 

 それに、この程度はどうでもない。エヴァンジェリンは背後に居る茶々丸の名前を呼んだ。

 

「結界解除プログラム始動」

 

 淡々と告げた茶々丸の耳元のアンテナが開き、結界の構成に干渉する。

 するとたちまち、二人を捕縛していた結界が砕け散った。

 

「この通りだ」

 

「そ、そんなぁ……ず、ずるいです! 僕が勝ってたのに!」

 

「黙れよ。もう飽きた」

 

 直後、エヴァンジェリンが指を鳴らすと、ネギの真下に魔法陣が展開された。

 気付いたときには最早襲い。即座に発生した氷の捕縛陣が、ネギの四肢を固めて、動けなくさせる。

 

「この程度、私なら罠として設置するまでもない」

 

 ただの遊びだよ。そう告げたエヴァンジェリンを前にして、ネギは己の敗北を悟る。

 

「まぁ、十歳程度の子どもにしては、よく頑張ったほうじゃないのか? そのご褒美に殺すのだけは勘弁してやる」

 

「あ、うぅぅ……」

 

 エヴァンジェリンが展開した氷の呪縛は、今のネギでは解除することは出来ない。だからここまで、結末は残酷で、冷笑するエヴァンジェリンにネギは何も出来ず、訪れる恐怖から逃れるように眼を閉じて。

 

 凛と鳴る、美しい鈴の音を、その耳は確かに捉えた。

 

 

 

 

 




次回が変更点とかになってるはずです。


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第五話【福音、鳴る鳴る、斬り斬りと(中)】

 

 ともすれば月光。

 突き刺すような輝きを見上げながら、ふと思う。常日頃、暇があれば考えていた意味のない思考。

 どうして月夜は刀に似合うのか。

 嬉しそうに刃鳴りを響かせる十一代目を胸に抱いて、そっと空を見上げれば、欠けた月が刀の曲線を思わせ、とても綺麗で、感動的。

 斬るという意思を感じた。

 ともすれば刃である。

 俺は十一代目をいつもの木箱に入れると、玄関口に置いた。残念ながら、気を充実させていない十一代目では、これからに僅かな支障をもたらしてしまう。

 だから持っていくのは、一週間、寝食を惜しんで作り上げた七本のモップ。それらを両手に一本、腰に残りの五本を差していざ空へ。

 とん。と軽い勢いで飛翔して。

 とん。と軽く麻帆良の街へ。

 気負いは特になかった。吐き気を催すようなおぞましい魔力の濁流を感じながら、頭はいたって冷静で。

 凛と。

 あるいは鈴と。

 耳元に残留する鈴の音を確かに。招き入れるように殺気を振りまく死地の名は、闇の福音、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。大橋の真ん中で、俺を誘き出すためだけにネギ君を制した化け物が、両手を広げ抱擁するように迎えてくれた。

 着地、瞬動で割って入ってきた俺を見て、四肢を氷漬けにされたネギ君が驚きの声をあげた。

 

「モップで来るとはな。あまり私を舐めていると、そこのガキと同じようになるぞ」

 

「……」

 

「カカッ。どうやら冗談でその武器を選んだわけではないということか……安心しろ。ぼーやは拘束しただけだ。まだ血を吸ってもいないよ」

 

 そうか。

 まぁ、そうだとわかっていたから、こうまでのんびりここまで来たんだけど。

 

「君の姿は充分に見た……意思のあるなしくらい、判別はつく」

 

「ハッ! つまりあれか? わかっていて放置してみせたと? クククッ、護衛役としては三流以下だな人間」

 

 おっしゃるとおり。

 返す言葉は何処にもなく。

 俺は返答代わりに、手にしたモップを一閃して、ネギ君の拘束を全て斬り捨てた。

 

「わっ!?」

 

 いきなり拘束が解けたため、バランスを失ったネギ君はその場に膝をつく。

 俺はそんな彼をじっと見て、何度かモップの握りを確かめた。

 うん。

 まぁ、我慢は出来るようになったか。

 

「私を前にして随分と余裕だな」

 

 どっかで聞いたような台詞。だが最初に会話したときと違うのは、「ありがとうございます。あの、あなたは……」と呟くネギ君から視線を離し、質問に答える余裕すらないほど、ゆっくりと距離を詰める化け物の放つ気配は尋常ではないということ。

 最早、取るに足りぬとは言えない。

 心胆が震え上がり、魂まで凍てつくような恐怖。

 恐ろしいから、化け物。

 なんともまぁ。

 訂正しなければならない。

 

「君を、斬りたくなった」

 

 それは、ネギ君に比べたら僅かな思いでしかないけれど。

 斬りたいと願った。

 この素敵は、やはり愛。

 

「笑えよ。人間」

 

 そんな俺の告白を、化け物はとても嬉しそうな微笑を浮かべて受け入──

 

 斬った。

 

 

 

 

 

 開始の合図は、無音からだった。

 いつ振るったのかわからぬ速度で振るわれたモップが、笑みを浮かべたエヴァンジェリンの身体を縦一閃。十メートルは離れていた距離を一歩で詰めた青山は、真ん中から綺麗に割れたエヴァンジェリンの顔を見て、咄嗟に瞬動を使い距離を取った。

 斬り捨てたエヴァンジェリンの身体から色素が失われ氷の彫像となる。氷の分身をいつの間に展開したのか。一瞬で距離を取った直後、エヴァンジェリンの分身が爆発四散して、その爆発が及んだ範囲を氷の中に閉じ込めた。

 ネギがその余波を受けて悲鳴をあげているが、青山にはそれを助ける余裕はない。見上げれば、いつの間にか長大なライフルを何処からか取り出した茶々丸が、その銃口を向けていた。

 殺気はない。無感動な人形の砲撃は、機械そのもの、精密な射撃を持って青山を襲った。撃ち出された弾頭は、人間を打破するには十二分。掠っても死ぬだろう一撃は、音すら立てぬ青山の斬撃によって容易く斬り落とされて、夜の川底に叩きつけられた。

 分かたれた弾頭が爆発し川の水が吹き上がる。橋の上まで水飛沫が舞うその威力は、直撃すればひとたまりもないだろう。

 だから斬る。必殺も全て、青山のモップは斬って捨てる。冷たい眼差しは、茶々丸以上に感情を示さない。

 

「……」

 

 無音の瞬動。強化された茶々丸のセンサーすらも容易に越える速度でその背後を取る。

 最早、躊躇いなど何処にもない。左腕だけではなく、四肢の全てを断ち斬ると決めた青山が、両手のモップに力を込めた。

 反応などさせない。気付いたときには斬撃終了。その戦力を根こそぎ斬り払う一撃を放つ直前、青山は首筋を擽る殺気に気付いてそこから離脱した。

 瞬きの後、先ほどまで青山がいた空間に冷気の濁流が発生した。当然、近くにいた茶々丸はその冷気に巻き込まれて吹き飛ばされる。だがそれも予想の内か、冷気で機能を落とされながらも、茶々丸は虚空で姿勢を立て直して砲塔を青山に向けた。

 連続で放たれる鋼の咆哮。夜闇を食らう騒音と共に、螺旋を魔力の弾丸が青山に襲い掛かる。

 

「そら! 反応が遅れているぞ!?」

 

 虚空を蹴って、迫る熱量を逃れた青山の上空から、極寒の冷気が立ち込めた。

 見上げれば、右手の先から三つ、恐ろしいほどの魔力がこもった氷の刃を携えたエヴァンジェリンが、虚空瞬動を繰り返す青山を、その冷たい瞳で真っ直ぐ捕らえている。

 青山は冗談では済まされない魔力の猛りを感じて、内心で驚愕した。あれは破壊の牙だ。冷たすぎる殺意の塊。結晶化された破壊は、その手が振るわれると同時に、瞬動を終えた直後の僅かな硬直をする青山に殺到した。

 受けることなど出来ない。最大規模の防御結界でなければ耐え切れない規模の破壊は、最早虚空瞬動を行って離脱できる余裕すらない。

 死が迫る。

 だから、斬った。

 

「何っ!?」

 

 三つの殺意が、三つの閃光を受けて真っ二つに両断された。驚くことに、その斬撃はただ斬るだけではなく、そこに込められていた破壊の魔力を霧散、否、斬って捨てている。

 そして、そこまでの技のキレに耐え切れず、青山が右手に持っていたモップが半ばから砕け散った。込められていた気が四散し、砕けたモップはただの木の欠片となっていく。

 青山は躊躇いもなく、砕けたモップを放り投げた。そして左手のモップを両腕で強く握り、必殺を断たれ驚愕するエヴァンジェリンではなく、青山の背後で砲撃を放とうとする茶々丸の背後に回りこんだ。

 

「……」

 

 青山の腕がぶれる。刹那にも満たぬ閃光の後、茶々丸の四肢と、持っていた武装が粉々に切り裂かれた。

 

「茶々──!?」

 

 エヴァンジェリンは、落ちていく茶々丸の名を呼ぼうとして、すでに目の前に現れた青山に対応せざるを得なくなる。苦悶の表情を浮かべたエヴァンジェリンは、見えぬ斬撃を経験と勘を頼りに、現出させた氷の刃で受け止めた。

 衝撃は、まるでない。その事実に戦慄する。青山の持つモップと、その体が放つ気の量は異常だ。津波のようなそれは、青山の内側でのみ循環する。

 その全てを叩きつける斬撃が、受け止めた氷の刃に衝撃すら与えない。

 どういう理屈なのかエヴァンジェリンには理解出来なかった。いや、理解出来るはずがない。

 青山の刀は、まさに神鳴流そのものだから。だから、その刀の本質を知れる者は、同じ神鳴流の剣士以外にはいないのだ。

 

「いい表情だな貴様」

 

 鍔迫り合いの最中、驚きを彼方に飛ばしたエヴァンジェリンは、犬歯をむき出しにしてそう言った。

 その瞳は黒い光を放っている。どす黒い殺意の光だ。見るものをバラバラに砕くその眼光を真っ向から見つめるのは、これもまた黒い瞳。

 青山の瞳は、全てを飲み込む。

 

「……」

 

 氷の刃と鍔迫り合っていると、ぶつかり合っている場所から徐々に凍り付いていくのを青山は見た。これ以上こうしていれば、いずれは体すら凍らせる。

 状況判断は一瞬。青山はエヴァンジェリンを蹴り飛ばした。後瞬きほど判断が遅れれば、その両腕は完全に凍り付いていただろう。

 虚空に投げ出された青山は、冷え切ったモップを軽く見つめてから、迷いなく振るう。それだけで凍りついた部分は斬り裂かれて夜空に散った。

 散って消える残骸を尻目に、青山の眼が僅かに細まる。上から圧し掛かるような魔力の圧を肌で感じて見上げれば、ほぼ零秒。青山が氷を斬り裂く僅かな間に、エヴァンジェリンは次の手を放っていた。

 

「そら!」

 

 開いた間合いと時間を惜しげもなく使い、千にも及ぶ魔法の射手が、夜空の星に重なるように展開される。明確な殺意の込められた千の弾丸は、空を落ちていく青山目掛けて殺到した。

 見上げれば、一面を埋め尽くす氷の牙。流星の如く降り注ぐ魔弾は、ネギに放たれていたものとは比べ物にならない物量と速度を誇る。

 大停電の暗がりによって、氷の矢を見切る手段は月明かりただ一つ。経験と直感によるあやふやなもののみ。

 不可能ではない。

 それだけで充分だ。

 ほぼ見えないと言ってもいい暗黒を裂く飛礫を、青山はたった一振り、その手に持ったモップを走らせるだけでその三割以上を斬り砕いた。

 

「ッ!?」

 

 エヴァンジェリンの眼が、その絶技と、斬り開かれた空間を見て驚愕に染まった。エヴァンジェリンと青山を繋ぐ直線距離、そこを遮っていた魔法の射手のみを、青山のモップは斬ったのである。

 斬り開かれた世界。夜闇に浮かぶ藍色の無感動。

 斬るという意思。

 斬という音を聞いたような気が、エヴァンジェリンにはした。

 

「シッ!」

 

 呼気を僅かに漏らして空を蹴る。夜に溶けるようにして青山の体が消えた。

 届くと思う。

 手があって、刀があって。

 後は間合い。

 斬るための距離を詰めろ。

 

「っぅ!?」

 

 エヴァンジェリンは我が目を疑った。

 まさに縦横無尽。青山が放つ技には常識はないというのか。

 一歩ごとに放たれる虚空瞬動。自身で作り出した経路を抜けてエヴァンジェリンの前に飛び出した青山は、それだけでは飽きたらず、逃さぬとばかりに、その周囲を包み込むように飛び始めた。

 瞬動によって作られた擬似的な牢獄。ただでさえ技の隙が見えない青山の瞬動による見えない牢獄は、エヴァンジェリンをただそれだけで圧した。

 何たる技術。

 何たる研鑽。

 人が、ここまで行けるという事実。

 

「だがなぁ!」

 

 エヴァンジェリンの両手の指先から、極大の氷の刃が発生した。一本一本が、大橋を崩壊させて余りある破壊力を秘めている。その全てが同時に開放されれば、小さな町の一つは容易に壊滅できる魔法。

 敗北はしない。己を蘇らせた人間だからこそ、負けるわけにはいかず、貴様を必ず食いちぎる。

 その意志を存分に漲らせた刃は熾烈そのもの。掠るだけで青山の肉体を凍りつかせる牙は。

 鈴の音。

 その渾身すら、斬り裂き散らす。

 

「なっ……」

 

 最早、声をあげることすら出来なかった。エヴァンジェリンが無詠唱で出来る最大規模の魔力の刃が、見えぬ斬撃に斬って散る。青山の斬るという意志は、破壊力などでは測れない。

 斬るものを斬る。

 斬るから斬る。

 神鳴流が奥義、弐の太刀に通じる。人ではなくその背後、あるいは内側にある物を、気によって斬り捨てるという秘技。

 青山が放っているのは、その極地だ。

 斬りたいものだけを斬る。

 それこそ、青山が青山と恐れられる最初にして最大の理由。

 剣戟の極地。

 選択する斬撃対象こそ、青山が得た終わりの回答だった。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

 吼えた。エヴァンジェリンは、怒りとも歓喜ともつかぬ気持ちを、その名前に乗せて叫んだ。

 だが答えは返らない。無言のまま、冷たいまま、瞳は静かに少女の姿を眼に宿して。

 虚空が跳ねる。大気が割れる。

 音はない。その美しい金髪を道連れに、一瞬の隙を突いた青山の太刀が、エヴァンジェリンの背中を深々と斬り裂いた。

 

 モップが砕ける。

 

 残りは、二本。

 

 

 

 

 

 カモから、ネギがエヴァンジェリンと戦っていると聞いた神楽坂明日菜がその現場に辿り着いたときに見たのは、人知の及ばぬ異常な戦いの光景だった。

 素人にもわかるほど、膨大な殺気を込められて放たれていく氷の弾丸や刃。それらが、明日菜では捉えることの出来ない影を追って放たれ、虚しく斬り裂かれていく。

 そしてその一方には見覚えがあった。二年間、共にクラスメートとして同じ教室で勉強をしてきた少女。同級生のエヴァンジェリン。

 話したことはほとんどなくて、交流なんてまるでなかったけれど。

 しかし。

 これは、何だ?

 

「姐さん!」

 

 肩に乗ったカモがどうにか明日菜に声をかける。カモもまた、そこで繰り広げられている戦いの過酷さに、何を言えばいいのかわからずにいた。

 だがやるべきことはわかっている。カモに呼びかけられて我を取り戻した明日菜は、その誘導に従って、大橋に踏み込もうとして──躊躇する。

 

「姐さん!? どうしたっていうんだ!?」

 

 カモが叫ぶが、明日菜は動けない。ただの夢と、そう解釈できればそれでよかった。魔法というものを知ってから日が浅いけれど、何とかできるのではないか。

 そう思っていた。

 楽観的な思考は、何処にもない。

 

「……ひっ!?」

 

 一際大きな殺気が遥か上空で生まれて、明日菜は無意識に悲鳴をあげていた。

 まるで夢のような光景でありながら、辺り一面に充満する殺気は本物だ。不良が言うような、ぶっ殺すという比喩的な言葉とは違う。

 込められているのだ。殺すという意志が、満ち溢れていて、吐き気がする。

 熾烈を極める戦いは、勝気なだけの一介の女子中学生がどうにか出来るものでもない。ここから一歩でも踏み込めば、いつ自分が死ぬのかもわからない状況。

 そんな場所に赴けるほどの勇気が明日菜には足りなくて──

 

「見つけた! 兄貴ぃぃ!」

 

 それでも、カモが見つけたネギの小さな影を見つけたとき、明日菜は恐怖を忘れるために、最初の使命感に身を任せて駆け出すことが出来た。

 

「ネギぃ!」

 

「あ、明日菜さんにカモ君! 駄目だ! こっちに来たら駄目です!」

 

 遠くから己を呼ぶ明日菜とカモの姿を見つけたネギは、一瞬だけ安堵の表情を浮かべたが、その直後、険しい顔で来るのを拒んだ。

 だがそんな言葉は聞き入れずに明日菜は近づき、ネギを担いで逃げようとしたが、その状況を見て言葉を失う。

 

「……ごめんなさい。僕はこの状況で、動けません」

 

 青山が切り裂いたエヴァンジェリンの氷の分身。そこから噴出した冷気によって、ネギの腕は地面に縫い付けられるように凍り付いていた。他にも、体のいたるところが冷傷によって傷つき、衰弱しきっている。

 挨拶代わりに放った一撃の、その余波。それだけで、ネギの戦闘力は造作もなく奪われていたのだった。

 明日菜は咄嗟に凍りついた腕に手を伸ばして「触らないでください!」というネギの強い言葉に動きを止めた。

 

「……この氷は、触れた者を侵蝕する類の、いわば呪いのようなものです。明日菜さんが触ったら、あなたまで凍ってしまいます」

 

「じゃあ! あんたの魔法で……」

 

 言葉を続けようとして、明日菜はネギの両腕が使えないことを再び認識した。

 

「逃げてください……どのみち、この戦いで僕や、ましてや明日菜さんに出来ることなんて、何もありません」

 

 それはただの事実だった。どうしようもないくらいの現実だった。

 直後、二人から少し離れた場所に、ゆっくりと何かが落ちてきた。見れば、四肢を失った茶々丸が、背部ブースターを吹かしながら、器用に着地しているところである。

 突然見たクラスメートの四肢欠損現場に、ネギと明日菜、両方の動きが停止する。前情報として、茶々丸がロボであることを知らなかったら、それこそ発狂物である。

 

「茶々丸さん!?」

 

 明日菜は反射的に駆け出して茶々丸を抱きかかえた。どうしてか涙が溢れてくる。こんなにも地獄のような光景に、明日菜はもうどうしていいのかわからなかった。

 

「……明日菜さん。逃げてください。ネギ先生だけだったらいざ知らず、今行われている戦いでは、マスターも私達を気遣う余裕などありません」

 

 それこそ、全力だ。遊ぶのではなく、持てる全てを尽くして、エヴァンジェリンは青山と死闘を繰り広げている。

 

「いずれ、最大規模の魔法が展開されます。その前に、早く」

 

「嫌よ! あんたら見捨てて逃げられるわけないじゃない!」

 

 混乱したまま、混乱していたからこそ、明日菜の心の善性が浮き出た。無謀と笑われるような選択だ。だが、ただの女子中学生がその覚悟を決めただけでも、それは人として素晴らしいあり方に違いない。

 しかし、現実はまるで変わらない。明日菜に出来るのは、茶々丸を担いでネギの傍に行くことだけだ。

 

「兄貴! しっかりしてくれ兄貴ぃ!」

 

 カモはゆっくりと衰弱していくネギの肩に乗って、必至に呼びかけていた。出来ることなんてその程度。

 だけど、一人ひとりが出来ることをしなければ、この地獄を乗り切れない。

 

「ネギ! ネギ!」

 

 明日菜もその名前を呼びながら、こみ上げる涙を我慢することなく溢れさせていった。

 何も出来なくて。

 どうしようもなくて。

 ゆっくりと力を失っていくネギの姿が、もうどうしようもない現実をまざまざと見せ付けてくるようで。

 刹那、脳裏をよぎるのは、血まみれの──

 

「駄目だよガトーさん……死んじゃ嫌だよぉ……」

 

 無意識に零れた言葉を聞く者は、静かに横たわる茶々丸のみ。

 

 直後、夜を舞う吸血鬼が、極限の斬撃に斬って落とされた。

 

 

 

 

 

 斬ったという感触はない。

 今俺が斬ったのは、マクダウェルさんの肉体だけだ。

 その根本には届かず、俺の斬撃はぎりぎりのところでマクダウェルさんを見誤ったということになる。

 だけれど斬った。

 斬ったのだ。

 そして俺の体も、存分に斬られていた。

 

「……っ」

 

 何が起きたのか。というか、何てことをしてくれたのか。

 

「ただでは、やらせん……!」

 

 血を撒き散らしながら落ちていくマクダウェルと共に、俺は彼女の血を媒介に作られた血の刃によって斬られて、同じく暗がりの川目掛けて落ちていた。

 なんともまぁ。

 多芸すぎて、やばすぎる。

 

「……っ!」

 

 胸から下腹部まで斜めに俺を斬った血の刃の根本を斬り裂く。感じるだけでも壮絶な魔力を込められた血の刃を斬ったことで、六本目のモップにも亀裂が走った。

 やはり、厳しい。

 可能な限り斬る物を選択して行ったつもりだが、俺の七日間を注いで作り上げたモップ達が、今や残り僅か。それだけで、マクダウェルさんという吸血鬼の持つ実力は容易にわかる。

 最低でも、通常の素子姉さんレベル。

 最悪、というかこれ、もしかしなくてもフルアーマー素子姉さんレベルだ。

 だとしたら拙い。俺が素子姉さんに勝てたのは、十代目が俺に辛うじて追いすがっていたからであり、現在のモップは、十代目はおろか、鍛えている最中の十一代目にも一本あたりの性能は遥かに劣る。

 これなら、出し惜しみせずに十一代目もってくればよか──

 

「シッ!」

 

 マクダウェルさんが、落下しながらも氷の矢を放ってきたので、俺は虚空瞬動でその場を離脱して大橋に着地した。

 反動で傷口から血が噴出して、藍色の着物をどす黒い赤に染めていく。

 うーん。強い。

 それ以上に問題なのは、マクダウェルさんの根っこが上手く探れないということだ。いや、これも素子姉さん同じく、一定以上の実力者は皆、斬るべき根っこを巧妙に隠している。

 それが曝け出されるのは、最大規模の一撃を放つときだ。あふれ出る気、あるいは魔力に込められた意志を感じることが出来れば、俺はそこに全てを注ぐことが出来るのに。

 にしてもこの微妙な感じはなんだろう。マクダウェルさんは斬りたいとは思う。だというのに、何だか感触があまりよろしくない。

 この違和感をどうにかしない限り、多分、いや間違いなく俺は死ぬ。

 それはどうだろう。

 死ぬのは嫌だなぁ。

 

「ハハハハハッ! 楽しいぞ! そうだ! これを待っていた! 不死の魔法使いだなんだと忌み嫌われ、恐れられた私の! 体の中から燃やしていくが如きこの激痛! 痛覚だよ! 痛いんだよ青山! 一向に治らない痛みで腸が煮えくり返って! 貴様をなぁ! 潰したくなってくるのさ!」

 

 マクダウェルさんが血を纏いながら空高く舞い上がる。月を背中に、氷の女王、あるいは吸血鬼の真祖に相応しい魔力の猛りをその両手に込めて。

 あら。

 こいつ、素子姉さんよりヤバイじゃん。

 

「開放・固定。『千年氷華』!」

 

 眼を疑うような魔力が収束している。見ているだけで眼球が凍りつきそうな冷気。それを平然と、哄笑しながらマクダウェルさんは手のひらに浮かべ。

 俺は全力で橋を蹴った。その反動で大橋が崩壊を始めて、橋にいるネギ君がちょっと危ないかもしれないが。

 そんなことに構う余裕すらない。

 間違いなく、これは──

 

「掌握」

 

 ボール大の極大冷気が、容易く砕け散る。

 俺はあまりにも遅かった。僅かに刹那、駆け抜けるのが遅かったが故に。

 

 ──術式兵装『氷の女王』。

 

 終わる世界を夜に見る。

 

「耐えろよ。人間」

 

 モップの殺傷圏内よりも一歩遠く。聞こえるはずのない言葉と共に、吸血鬼はその手から巨大な氷の槍を生み出して俺に打ち込んできた。

 回避が間に合ったのは偶然以外の何物でもない。本能が体を突き動かし、俺の体の真横を突き抜けた巨大質量は、一瞬で川底に着弾すると、周囲一帯を氷の世界に閉じ込めた。

 

「……」

 

 絶句。ここまでの威力、ここまでの戦力。全てを全て見誤った。

 だが呆然としている余裕はない。俺は、血に染まって赤くなった氷の華を纏う吸血鬼を真っ直ぐに見つめ、飛び掛る。そこにあるだけで、周囲の空間を凍らせる化け物は、むしろ優しげに両手を広げて俺を迎え入れた。

 だがその懐で振るうつもりだったモップは、女王までの道を遮る、空間を埋め尽くす氷の茨の壁によって阻まれた。それらを斬って突撃するのは出来るが……出来ない。

 

「読めたぞ、貴様」

 

 距離を取る俺にそう告げる吸血鬼の口元は、犬歯だけではなく、その全ての歯が鋭利に尖って唾液を滴らせている。

 まさに化け物。吸血鬼の名に相応しき、恐ろしさ。

 しかも、そんな化け物に俺を読まれてしまった。だがまぁ、仕方ない。襲い掛かる絨緞爆撃のような氷の嵐の只中を、経験と勘だけで逃れながら、俺は静かに勝機を伺う。

 

「その刃、斬ればその分、自分も斬るか」

 

 吸血鬼の言葉に返答も頷きもしなかったが、奴の言うことは的を得ている。

 俺は、俺が斬ったものと同じく、俺自身も斬る。一閃相殺。相手を斬り、己を斬り、そこにこそ斬るという全てが詰まっている。

 それは俺の切り札で、それ以外にないたった一つの特技で、最悪の弱点であった。

 俺はここに終わってしまったため、これ以外に出来ることがなくなった。それに後悔はしていないし、というか悔やむところが何処にあるというのか。

 終わるために、俺は青山を見続けたのだ。ひたむきに、成長し続ける天才を遊び尽くしてきたのだから。

 そんなどうでもいいことを考えている間に、俺の体は完全に氷の嵐に呑まれ、木っ端よりも情けなくなぶられていく。

 

「そら! まだまだ楽しませろ!」

 

 そんなことを言われても、少しばかり厳しくて。

 赤い冷気が肌を焼いていく。行き過ぎた冷気が、燃えるように肌を熱くさせていく。それは吸血鬼の冷血が混じったからなのか。もっと単純なことなのか。

 何処までも冷たくなって熱くなって。

 どうしてここに居るのか。

 何故戦うのか。

 そも、なんで斬りたいのか。

 斬るってなんなのか。

 四肢が冷たくなっていく。無意識で動き続ける体は、必至に生を掴み取ろうと足掻くけれど、もう一分だって耐えられるわけもなく。

 凍っていく。

 俺の全てが凍っていく。

 冷たくて、無感動で。

 感情さえも凍ってしまって。

 

「どうした!? ここで終わりか? ここで終わるのか!? こんなんでこの闘争の全てに終結をもたらすっていうのか青山!」

 

 吸血鬼は笑っている。面白そうに笑っている。圧倒的な力で、何もかも氷尽くす世界を携え、俺の全て、俺という存在を止めていく。

 死ぬのだろう。

 ここで俺は、死んでいく。

 思考も徐々に冷たくなって、死の足音が大きくなってくる。感覚なんて明後日の方向。馬鹿になった五臓六腑が、意志に反して止まっていく。

 世界は全て氷だった。

 あらゆる全てが氷結されて。

 死の間際、得られるものなんて、何処にもなく。

 

「……あ」

 

 何も残さずに、俺の命は停──

 

 だって、このザマ。

 

 口元が、三日月を描いた。

 

 

 

 

 

 そして、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは斬られる。

 その事実を、これから語ろう。

 

 

 

 




ちょいミス。区切り的に次回が加筆版となります。


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第六話【福音、鳴る鳴る、斬り斬りと(下)】

加筆というより、原文版。増し版はこのくらいにアレなので、ご注意を。


 

 素子だけだ。青山という人間の本質を理解したものは。

 でなければ、彼を更生させようとしたり、ましてや戦いを挑もうなどとは思うまい。

 何故か。

 それは、何故なのか。

 たかが人間。技を極め、戦いを制し、勝利を勝ち取ってきたところで、所詮は命に限りのある人間。

 その程度に、何を思うところがあるのだというのか。

 いや。

 だから、理解しなければならない。

 環境が、状況が、才能が、努力が。奇跡的に噛み合った故に、周りに見向きもせず、ただひたすら己という人間を見続けたことによって、人は、行き着く場所、それ以上は何処にもない場所にいけることを。

 誰もが理解しなければならない。

 

 終わる場所とは、修羅場である。

 

 

 

 

 

「……終わったか」

 

 周囲一帯を氷の中に封じ込めた化け物、エヴァンジェリンは、眼下の氷塊をつまらなげに見下ろした。

 学園の封印が解除されるまで、まだ三十分以上はある。いや、時間ぎりぎりまで遊ぶ余裕がなかったからこそ、三十分以上も残ったのか。

 結果を見れば、エヴァンジェリンはその美しい黄金の髪と、背中に刻まれた斬撃の跡以外、傷を受けずに勝った。背中の傷も、緩やかにだが治癒を始めており、傍目から見ればエヴァンジェリンの完勝といえるだろう。

 それでもぎりぎりの勝負だったとエヴァンジェリンは思う。近距離では圧倒的に青山が上手、勝てたのは、ぎりぎりで闇の魔法を唱える時間を得られたことと、青山の武器の数が不足していたからだろう。

 

「いや……所詮、勝負は時の運、か」

 

 だがそれが勝敗を分けたとは言いたくなかった。戦いなど、不足していて当たり前、今持てる物でどう相手を切り崩すか。青山にはそれが出来なくて、自分はその部分を突いた。

 それだけ。

 たったそれだけだ。

 

「ッ!?」

 

 エヴァンジェリンは、未だに痛みを発し続ける背中から走る熱を感じて顔をしかめた。

 不死の身になって久しく、腕を千切られようが、腹を貫かれようが、瞬時にそれらの怪我を回復してきたこの体が、たかだか斬り傷一つの回復に手間取っている。

 青山の持つ膨大な気を、斬るという一点に収束させたからこそ、この傷は回復に手間取っている。

 意味はないと思いつつ、エヴァンジェリンは思わずにはいられない。

 もし一手、放つ魔法の選択肢を誤っていたならば──

 

「考えても無駄か」

 

 エヴァンジェリンはそう小さく呟くと、今にも崩れ落ちそうな大橋を見つめ、虫でも払うように手を振った。

 すると、崩壊しだしていた大橋が氷に包まれて、その崩壊が停止する。この力、ここまでの能力を発揮する己の技を使って、それでも青山はぎりぎりまで抗い続けた。

 だから、人間はいい。エヴァンジェリンは僅かな寂しさと羨ましさをない交ぜにした笑みを浮かべると、状況に混乱するネギ達の前に静かに降り立った。

 

「やぁ、待たせたようだなぼーや……どうやら、観客が増えているようだが」

 

 ネギの傍で膝をついている明日菜とカモを見てエヴァンジェリンは呟いた。

 そうしている間にも、闇の魔法を使用しているエヴァンジェリンの周りは、どんどん氷漬けにされていっている。

 勝てるはずがない。ネギはエヴァンジェリンからあふれ出ている魔力の流れを感じ取って、顔色を真っ青に染め上げた。

 

「ほぅ、どうやら茶々丸を拾ってくれたみたいだな。それには感謝しておこう。そら、今の私は機嫌がいい。このまま失せるというなら、そこのオコジョもろとも逃がしてやってもいいぞ?」

 

 見下しきった傲慢な言い方に、しかし誰も口答えできない。

 生物としての格が文字通り違うのだ。立っているだけで己の世界を周囲に叩きつける化け物に見下されて、どうして何か言えるだろう。

 保有する戦力が違う。辺り一面を覆う惨状が、何よりもその実力差を物語っていた。

 

「ん?」

 

 そこでエヴァンジェリンは違和感に気付いた。己の放つ冷気の影響を受けていない明日菜の存在に、好奇心を刺激されたのか。ニタリと口元を歪めて、その手を軽く振るった。

 瞬間、見えない何かに操られるように、明日菜の四肢が虚空に束縛される。

 

「きゃあ!?」

 

 突然のことに悲鳴をあげる明日菜へと、エヴァンジェリンはゆっくりと近づいていった。それだけで、ネギとカモ、そして茶々丸すらもその肌が凍りついていくが。

 

「無効にしているのか?」

 

 服が凍る以外、その素肌に何の影響もない明日菜を見て、エヴァンジェリンは感嘆のため息を漏らした。

 

「な、にを……!?」

 

「面白いよ神楽坂明日菜。ふん、孫娘と共にぶち込んでいるのだから、何かしらあるとは思ったが……なるほど、タカミチも深く干渉するはずだ。ついでだ。貴様もその血を吸い取ってやるよ」

 

 そう言ったエヴァンジェリンの口元が大きく開く。

 

「ひっ……!」

 

 悲鳴をあげるのも無理はなかった。あらゆる歯が鋭利に尖り、その瞳の色も黒く黒く変色している。あの人形のような可愛らしさを持っていたエヴァンジェリンの姿はそこにはない。

 最早、吸血鬼。

 やはり、化け物。

 その種族の差をまざまざと見せ付けられて、明日菜は声を出すこともなく、ただ怯えるしかない。

 

「止めてください……!」

 

 そんな最強の化け物に抗うか細い声が一つ。両腕を未だに拘束されながら、体を氷に覆われつつありながら、英雄の息子はその瞳に強い使命感を宿して立ち向かう。

 

「僕の、生徒に、手を出すな……!」

 

 身体は震えていた。恐怖が総身を支配して、今にも泣き出しそうで、怯えそうで。

 それでも瞳だけは、前を向いている。

 

「……あぁ、やっぱし貴様はあいつの息子だよ」

 

 その瞳を見据えて、エヴァンジェリンは元の可愛らしい容姿に、人間のそれに戻ってネギを見つめた。

 策があるわけではない。万策は尽きていて、先ほどまで繰り広げられた戦いに対して、何も出来ないと確信していた。

 だけど、前を見ている。

 その瞳に、エヴァンジェリンは恋をしたのだから。

 

「だがどうしようもあるまい。今の貴様に何が出来る? その様で、貴様には抗う術などないだろ?」

 

「僕は……」

 

「充分だよ。諦めろ。それ以上、抗って何になる?」

 

「僕は……」

 

「安心しろ。殺したりはしないさ。ただ、血を吸わせてもらう。それだけだよ。だから安心してその首筋を差し出すがいい。それで終わりだ。貴様らはこれからも無事、温い陽だまりで暮らし、私は貴様らの前から姿を消そう」

 

 エヴァンジェリンの言葉が、ネギの意志をゆっくりと、まるで毒のように蝕んでいく。圧倒的強者から差し出された譲歩。いつ気が変わるかもわからないし、もし気が変われば、自分達は、目の前の吸血鬼に殺されるかもしれない。

 なら、選択肢はないのではないか。ゆっくりと差し出される少女の冷たい手をとれば、その冷たさに身を任せれば、全部が全部楽になって──

 そしたら、彼女はまた、悪の魔法使いとして動くのだろう。

 

「僕は……」

 

 ネギは顔を俯かせて、苦悶する。立派な魔法使いとして、絶対に敗北が確定している悪に抗うか。それとも、そんな我がままを通さずに、明日菜やカモのために膝を屈するか。

 いずれにせよ、ネギは大切なものを失う。その選択、悩む姿にエヴァンジェリンは深く深く、楽しげな笑みを浮かべて、食後のデザートの鮮度を堪能し。

 そんな、人間的な嗜虐が、決定的な隙を晒す。

 

「見つけた」

 

 突如、エヴァンジェリンの耳元でそんな声が響いた。咄嗟に背後を振り返るが、そこには誰もいない。

 いや、居る。川を埋め尽くす氷の世界に視線を移したエヴァンジェリンは、その内側を確かに見た。

 ネギ達はエヴァンジェリンの突然の豹変に困惑の色を浮かべるが、本人はそんなことに構っている余裕すらない。

 気付けば、冷や汗が額に浮かんでいた。何故だか、取り返しのつかない失敗をしたような気分だった。

 自分は今、決定的な何かを、晒してしまったのではないか。

 直後、冷気よりも冷たい音色が。

 

 鈴の音が、鳴り響く。

 

 

 

 

 

 人は、何処に行く。

 歩く先、歩む道。自身が選んだ道の上、見えない先を目指して、一歩一歩、手探りでその先を進んでいく。

 誰だってそうだ。

 誰でもそうだ。

 けれど、誰もがわかっている。その道には終わりなんてなくて、もし終わりがあるのなら、それはきっと、人生が終わるその瞬間、道半ばで眠るそのときなのだと。誰もが道半ばで夢半ば。終わりなんて何処にもないと、大人だったら誰でも知っている。

 そういうものだ。

 普通なら、そんなものだ。

 でも。

 違う。

 それは、ある。

 道の終わりは存在する。

 行けるのだ。届くのだ。それは確かに存在して、ふとした拍子に辿り着く。そこ以上の先がない世界。終わりの場所。人間の可能性が選択できる最後の場所。

 俺は知っている。

 俺だけは、知っている。

 斬るのだ。

 斬るしかない。

 果てに待つのは斬ることで。

 斬ったことこそ、終わりの証。

 

「……」

 

 心拍は停止して、思考は凍りついた。全てが氷に埋め尽くされて、どうしようもないその場所で。

 斬るということだけは変わらない。

 斬ることだけは凍らない。

 どんなに世界が変わっても。この心が凍り付いて死んでしまっても。

 斬るのだ。

 斬るだけだ。

 

「見つけた」

 

 だから、動く。俺の思考や心や肉体が死んでも、斬るということがあるから、俺は俺であり続け、この状況でも死にはしない。

 斬るのである。

 だから、斬れるし、斬るために身体は動く。

 それは簡単で、わかれば誰にだって出来ること。

 わかりやすいこの答えを理解してほしい。

 斬るということを理解しなかったから、君はそうして隙を晒したのだから。

 

「……」

 

 吸血鬼が遅れてその異常に気付くが、もう遅い。俺の手は斬る。斬った。

 よし、斬ろう。

 

 ──氷がいつの間にか目の前からなくなって、停止した思考と肉体が動き出す。危なかった。無意識の中で、どうにか俺の体は動いていたらしい。

 って、あちゃー、心臓止まってるよ。

 

「シッ!」

 

 俺はモップの先で自身の胸を叩いた。たたき起こされた心臓が突然脈動を再開し、俺の意識が再び揺らぐ。だがその直後全身を駆け抜けた激痛によって、揺らいだ意識はぎりぎりで保たれる。

 よし、ちょっと危ないけど、いやはや、死んだのは久しぶりで少々驚いた。後数秒遅かったら、本当に第二の人生が終わっていたなぁ。

 

「貴様!?」

 

 吸血鬼が困惑の声をあげている。

 ちょっと驚いた。

 もしかして、俺を死なせただけで、殺したと思ったのか?

 おいおい。

 おいおいおい。

 お前、つまらないな。

 

「……あ、そういうことか」

 

 氷の世界を抜け出して、意識もはっきりしたところで、俺はようやく彼女から感じていた違和感の正体に気付いた。

 同時に、俺はとてつもなく落胆した。

 なんだよ。

 お前、そんなんだったのかよ。

 

「ふん! 生きてるならちょうどいい! そら、まだ時間はある! 私を楽しませて──」

 

 何かを言おうとしたマクダウェルさんの前に俺は踏み込むと、一気にモップを横薙ぎに振るった。

 だが辛うじて反応されて、しょっぱいのはその場を離脱した。

 だけど、駄目。

 俺のモップは砕け散った。

 

「ぎぃ!?」

 

 虚空に再び飛び上がったマクダウェルさんが、押し殺した悲鳴をあげるのと同時、その右腕の肘から先が、まるでロケットみたいに血飛沫を噴出しながら夜空を飛んでいく。

 斬れたのはまたも肉体のみ。

 だが今ので確信出来た。

 

「もう、いい……」

 

「な、に……?」

 

 激痛に苦悶の表情を浮かべるマクダウェルさんを見上げて、俺はそんな彼女の顔を見ていられなくて、露骨な感じに視線を切った。

 

「……ッ! ふざけるなぁぁ!」

 

 そんな俺の態度が気に入らなかったのだろう。マクダウェルさんの魔力が膨れ上がり、夜空一面に百にも及ぶ巨大な氷の槍が現出した。

 おそらく、掠れば即座に相手を凍りつくすその槍を前にして、俺しかしが気にするのは背後のネギ君のほうだ。

 とりあえず巻き込まないように、大橋を蹴って、全速力でその場から離れる。

 

「逃がすかよ!」

 

 マクダウェルさんの号令の下、桁違いの魔力を込められた氷槍が、音速を超えた速度で俺目掛けて殺到する。一本一本が全長数メートルにも及ぶ槍は、全てが精密に操られ、互いに激突することなく、大橋から離れる俺目掛けて殺到してきた。

 傍を通り過ぎるだけで俺の体を凍らせるそれらの槍を、ぎりぎりで逃れつつ、内側から凍っていく極寒の世界を駆け抜ける。

 先ほどの繰り返しだ。氷の嵐に呑まれて、俺の意識は消えていく。

 けれど、逃れる。ぎりぎりで、俺はもう全てに対応しきっているから。

 この程度は、死に至らない。

 先ほどとは違って、ぎりぎりでありながら、決して落ちない俺を見てマクダウェルさんは苛立ちを感じたのだろう。氷の槍を用いた嵐に俺を閉じ込めながら、その左手に新たな魔力を凝縮させた。

 まさか、今の状態が切り札だと思っていたら、実は切り札が二段構えというオチとは。

 流石、真祖の吸血鬼。

 だからこそ、俺はため息を吐き出しそうになってしまった。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 契約に従い我に従え氷の女王!」

 

 詠唱と共に、これ以上冷たくならないと思った世界がさらに冷たく凍えていく。大気はおろか、時間すら凍らせてしまいそうな極寒の世界で、俺の本能を最大限に刺激する恐ろしい一撃が、来る。

 

「来たれ! とこしえのやみ! えいえんのひょうが!」

 

 そして、俺は停止した。周囲を旋回していた槍もろとも、俺は再び氷の中に閉じ込められる。

 止まる。

 止まる。

 止まって──だけど、終わらない。

 

「全ての命ある者に等しき死を! 其は安らぎ也!」

 

 絶対零度に埋め尽くされ、瞬時に止まった全ての内側に轟く死の気配。止めた世界を、終わらせる。

 それは究極の凍結にして、究極の死。

 世界を崩す最悪の破滅。

 今ここに、麻帆良を震撼させる、慈愛など何もない死の世界が、矮小なる俺を殺すためだけに放たれ。

 

「おわる──」

 

 終わる世界を斬り裂いた。

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンは我が目を疑った。今宵、何度目の驚愕になるだろうか。だがこの驚愕は、これまでの比ではない。今、彼女が放った魔法は、彼女の中でも最大規模、ほぼ絶対零度の空間を150フィートにも及ぶ広範囲に発揮する恐るべき魔法である。

 逃れる術など何処にもなく。ならば、そこに囚われた青山が、絶対零度の氷結を斬り裂いて現れたのは、どういったことなのか。

 虚空に舞う青山の瞳が、動揺を隠しきれないエヴァンジェリンの瞳を射抜いた。息が詰まる。青山の手にはもう得物はないというのに、その瞳はまるで変わらず、刀のような冷たさを宿していて。

 斬るということ。

 斬られるということ。

 エヴァンジェリンは、青山を見誤った。

 

「……っ!」

 

 すでに青山の身体はほとんど動かない。体中は冷気によって機能のほとんどを停止させられているが、それを膨大な気で強引に動かし虚空瞬動を発動させる。

 この戦いでとうとう捉えた、エヴァンジェリンの最大の隙。その隙がなくなる前に、辿り着け。

 

「あ……」

 

 そしてエヴァンジェリンは見た。空高く舞う男の姿。欠けた月に重なるその影を。

 青山は懐に手を伸ばすと、この最後の瞬間まで残された小太刀を抜き払った。右手に握られた小さな刃が真横に伸ばされ、月光を静かに反射する。

 その光はとても冷たかった。氷の持つ冷たさではなく、ただ心の中が寒くなる無感動な冷たさだった。その輝きに魅せられた。口を開けて、子どもがウインドウ越しの玩具を見つめるように瞳を輝かせ、エヴァンジェリンは呆けて止まる。

 青山が最後の虚空瞬動を行い、エヴァンジェリンの懐目掛けて飛んだ。だというのに、エヴァンジェリンにはその動きがまるで止まって見えた。

 そして理解する。

 これは、走馬灯だ。

 青山が手に持つ最後の刀。あれを逃れる術なんて何処にもなく、自分は斬り裂かれるより他はない。

 渾身の一撃を斬られ、その隙を捉えるまでの時間は一秒にも満たない。

 瞬きする暇もなく、エヴァンジェリンの身体は斬られる。その事実をただ静かに悟ったとき、少女の脳裏にあらゆる思い出が駆け抜けた。

 死の間際。振り返る記憶達。五百年にも及ぶその記憶を、瞬きよりも早く駆け抜ける。

 あぁ、死ぬんだ。

 私はようやく、死ねるんだ。

 そのことへの嬉しさ感じると同時に、記憶の中の彼の姿を見て、同じくらいの悲しさを覚える。

 ナギ。

 せめて、もう一度だけ。

 もう一度だけその笑顔を見たかった。

 ゆっくりと迫る青山の姿すらその瞳にはもう映らない。エヴァンジェリンの中にある、あの強くて優しい笑顔が、何度も何度も繰り返し再生され、記憶にしかない彼の姿に──

 

 直後、ゾッとした。

 

「待て……」

 

 言えるはずのない言葉が漏れた。しかしその間にも青山は迫り、ナギとの思い出、『人として生きた記憶が再生されていく』。

 だからゾッとした。

 何で貴様は。

 何で。

 何で!

 

「何を、見ている……」

 

 視界の片隅、月光を浴びて落ちてくる青山は、エヴァンジェリンと同じものを見ていた。

 エヴァンジェリンという少女の記憶で、唯一色あせず輝きを放つ大切な記憶の塊を、青山という修羅は喜悦に見開かれた眼と、三日月のように釣りあげた口角から唾液を滴らせ、食指を働かせている。

 何よりも雄弁だった。

 お前のソレを斬るのだと。

 青山の眼光が何よりも強く語っている。

 恐怖。これまで生きてきた中で最大級の恐怖が彼女の身体を駆け抜ける。

 止めろ。それだけは止めろ。

 命なんていらない。だから止めろ。

 止めろ。

 止めて。

 止めてください。

 お願いですから、これだけは止めてください。

 これは。

 この輝きは、なによりも大切なあったかいものなんだ。

 

「嫌だ……」

 

 いつ振りの涙なのか。止まった世界で涙が溢れるのもおかしいが、エヴァンジェリンは涙を流していた。

 それが嫌だ。

 貴様が、貴様が斬ろうとしているものだけは。

 

「嫌だ!」

 

 信じてすらいない神にすらエヴァンジェリンは祈った。

 誰でもいいから助けてくれとエヴァンジェリンは叫んだ。

 死よりも恐ろしいことが待ち受けている。人の可能性を終わらせた修羅の手によって、死ぬことが救いになるような斬撃が起きようとしている。

 命を斬るのではない。

 斬るのはひたすら、命の輝き。その一点。

 一太刀で輝きを暗黒に落とす。魔性の煌めき。

 修羅の剣。

 

「やだぁ!」

 

 止めてくれ。

 頼むから止めてくれ。

 それを斬らないでくれ。

 この大切な宝物だけは。

 これだけが。

 これしか、私の世界でこれだけが!

 

 月光を反射する鋼の色。

 

「あ、きれい」

 

 そして最後にその冷たい光に魅せられて、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの優しい記憶─魂─は。

 

 響き渡る鈴の音色。

 

 斬られてばらばら、闇に消えた。

 

 

 

 

 

 頭を撫でる優しい感触と暖かい笑顔と共に告げられた、とても大切な約束の言葉。

 あなたがくれた、私とあなただけの小さくて、でもとてもあったかい誓いの言葉。

 眩しい太陽に目を細めながら、掌の先を見ると、子どものように無邪気で、曇りのない太陽の笑顔がそこにある。

 

「光に生きてみろ」

 

 ごめんなさい。

 私は子どものように泣きながら、斬れ落ちるあなたに謝った。

 

 鈴の音色が、響き渡る。

 

 

 

 

 



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エピローグ【A simply desultary philippic】

 

 月下。交差した二つの影。

 一つは流星のように大橋に激突し、一つは木の葉のようにゆらゆらと大橋に着地した。

 前者は青山。

 後者はエヴァンジェリンだ。

 大橋に爆音をたてて落ちた青山は、自身で作ったクレーターの中央で力なく倒れている。指先すら動かすことはない姿は、まるで死んでいるようにすら見えた。

 一方のエヴァンジェリンは、胸から下腹部まで一直線に斬り裂かれた傷から血を流しつつも、ゆっくりと意識を保ったまま着地する。

 

「ッ!」

 

 ネギ、明日菜、カモは、傷つき、ぼろぼろになりながらも、それでもこの戦いを制したエヴァンジェリンを、恐怖と敵意、そして疑惑の眼差しで見つめた。

 

「あ、あ……」

 

 降り立ったエヴァンジェリンの様子がおかしい。着地と同時、血があふれ出ているのにも関わらず、空を見上げて手を伸ばした。

 虚空を彷徨う手は、何かを手繰り寄せようと必至である。傷は表面上塞がっているとはいえ、腹部を血まみれにした少女が、口から血を吐き、片腕も切断された状態で空を探りながらさ迷い歩く姿は狂気的だった。

 まるで、月の魔力に狂わされたような。哀れな迷い子みたいに、もしくは母を求める赤子の如く。虚ろな瞳から涙を流して呻きながら、それでも必至に見えない何かを追い求める。

 直後、空から月光を反射してキラキラと光る何かが降り注いできた。それは青山が最後に繰り出した小太刀の残骸だった。それらが、砂金のように月光に照らされながら、小さな粒子となって降り注ぐ。

 

「いやぁ……! いやぁぁぁ……!」

 

 その光に何を見たのか。エヴァンジェリンは縋りつくように鋼の残滓を残った片腕でかき集めた。

 だがそれらはエヴァンジェリンの手をすり抜けて、斬り裂かれた腕の先から滴る血によって出来た赤い水溜りに消え、その輝きを失っていく。

 

「あぁ! あぁぁぁぁぁ!」

 

 エヴァンジェリンは発狂したように首を振ると、自らが作り出した血の水溜りに膝をついた。

 そして、涙を流しながらその中を探りだす。

 ネギと明日菜とカモは、その光景から目を背けた。眼も当てられないほど痛々しい光景だ。なくしてしまった宝物を探す姿は、歳相応の少女のように哀れで、同情を誘い、何よりも衝撃的だった。

 何かがあったのだ。最後の瞬間、息をする間もなく終わりを迎えた交差。そのとき、エヴァンジェリンは何かをされたのだと、ネギ達は無意識に悟る。

 そして、それをなした男がアレなのだ。クレーターの中央、体中が凍傷で傷つき、激突の衝撃で深々と身体を斬り裂かれた血まみれの男。

 青山が立ち上がると、その姿に気付いたエヴァンジェリンが怒りの形相で青山に向かっていった。

 

「危ない!」

 

 ネギが叫ぶ。エヴァンジェリンは周囲を凍りつかせることはなくなったが、潜在する魔力と戦力は、未だ削られきってはいない。対して青山は、素人眼で見てもぼろぼろで、風が吹くだけで倒れそうで。

 だがそんなネギの予想を裏切って、青山に向かっていったエヴァンジェリンは、その命を終わらせるどころか、その身体を倒すことすら出来なかった。

 

「返せぇ! 返せぇぇぇ! 返せぇぇぇぇぇぇ!」

 

 駄々をこねるように、エヴァンジェリンは青山の胸を少女の細腕で叩き始めた。無論、肘から先がない腕も叩きつけているため、叩くたびに青山の血で染まった着物が、さらに赤く染まっていく。

 だがそれにも構わず、エヴァンジェリンは涙を流しながら青山の胸を叩き続けた。涙をぼろぼろと流し、鼻水と唾液すらも滴らせながら、常の余裕のあった姿とはかけ離れ、まるで幼女のように駄々をこねるがごとく胸板を叩き続ける。

 

「嫌だ! 消えちゃう! 全部、うぁ……返せ! 私のあったかいのを返せ!」

 

 悲痛な叫びが響き渡った。体の痛みなど、斬り落ちていく大切な暖かさに比べたら微々たるもの以下。加速度的に冷えていくのは体だけではなく、何より心が特に冷たくなるのだ。

 笑顔がある。

 優しい笑顔がある。

 頭を撫でる暖かさと柔らかさを覚えていたいのに。

 笑顔が思い出せなくなる。

 優しくて心を包まれるような笑顔がわからなくなっていく。

 頭の温もりすらも断ち斬られて、どうしようもないくらいに落ちてソレを拾い集めようともがくが、無情にもエヴァンジェリンの手は消えいく光を集めることが敵わない。

 

「ぃゃぁぁぁぁ……返せぇ……かえして……」

 

 返してほしいのか。

 帰してほしいのか。

 だが青山は答えない。ただ冷たくその姿を見下ろし、沈黙のまま受け入れる。

 その状態がどの程度続いたのか。次第に叩く速度が遅くなったエヴァンジェリンは、ついに腕を力なく垂らして、膝をついた。

 

「あぁぁぁぁぁ! うぁぁぁぁぁぁぁぁ! やだやだやだやだぁぁ!」

 

 そして、大声を上げて泣き始めた。血に沈み、血にまみれて、少女はひたすら泣きじゃくる。

 悲しかった。

 とてもとても、悲しかった。

 

「うぐぇ……うぇ……うぁぁぁぁぁ……嫌だぁ……! 返せぇ……! 返せぇぇ……!」

 

 どんどん落ちていくのだ。胸の傷が塞がっていくにつれて、その代わりに大切な何かが斬り落とされていくのをエヴァンジェリンは感じていた。

 それはもうどうしようもなくて、あふれ出る涙すらも、落ちていくものと共に乾いていく。

 斬られた。

 斬られてしまった。

 大切にしていた私を。人間として生きていた私の全部が。

 全部、全部、斬られていっちゃう。

 そんなの嫌だ。

 私が私でなくなるのが嫌だ。

 

「……それでいい。吸血鬼」

 

 見た目相応に泣き喚く姿を見て、よく見なければわからないくらい、だが確実に、青山は目じりを緩めて微笑みを浮かべていた。

 青山が感じていた違和感の正体、それは、人間であり続けた化け物の心だった。

 誇りある悪として、吸血鬼と成り果ててからも、女、子どもは殺さず、可能な限り殺さず。

 まるで、吸血鬼である自分を忌み嫌うように、人間のようにあり続けた。

 青山は知らないが、エヴァンジェリンの出生を考えれば、それも仕方ないであろう。自ら進んでではなく、無理矢理吸血鬼にさせられた少女が、人間であろうとしたのは当然のことであり。人間になろうと憧れ続けたのは、当たり前の帰結だった。

 だがしかし、長い年月は、そんな少女の内側に眠る化け物を育んだ。

 それがこの戦いで僅かな片鱗を見せ、そして人間性という檻は、青山の刀によって斬り裂かれ、今まさにたった一つの吸血鬼、たった一匹の化け物が覚醒する。

 

「……おめでとう」

 

 泣きじゃくる少女に対して、青山は愛情を精一杯乗せた言葉を送った。慈愛に満ちた優しい音色だった。死んでいく少女と、今産まれる美しく醜悪な化け物に対して、内側からあふれ出る愛を伝える、素晴らしい祝福の言葉だった。

 その愛は、やはり素敵な感情で。伝える言葉は一言でいい。

 君の目覚めにおめでとう。

 やっと出てきてくれたね。

 俺が斬りたい君に、俺は君を斬ることでようやく出会える。

 おめでとう。

 本当に、おめでとう。

 おめでとう、エヴァンジェリン。

 

「あぁぁぁっ! 嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 そして静かに涙は枯れる。咆哮のような泣き声を最後に、少女の涙は途絶え。あぁ、積み上げた積み木を崩すように、崩壊した形を取り戻すことは出来ない。

 魂が斬り落とされる。その垣根を形成していた大切な何かが、別の何かのように感じられてきたその瞬間、エヴァンジェリンは全てを悟り、青山はその歌声に心を奮わせた。

 

 ──死に行く君が心から叫ぶ。血まみれのバースデーソング。

 

 最後の切れはしが落ちる。その時、エヴァンジェリンの瞳は絶望に黒く染まり、耳に心地よい嗚咽と共に、少女の瞳は化け物へ。

 青山の両目と同じ、それはヘドロの如き醜悪な黒。

 青山が頷くと同時、天を斬り裂くような泣き声が、まるで停止ボタンを押したかのようにピタリと鳴り止んだ。

 

「……」

 

 まるで何もなかったかのようにエヴァンジェリンは立ち上がる。その顔からは表情が抜け落ちていて、感情の灯らない暗い瞳は青山を見上げた。

 青山は、ふらつく身体で少女を見返す。傷つき、折れかけ、吸血鬼の力を解放すれば、小指だけで潰せそうな矮小なる人間。

 

「人間」

 

 愛おしく。憎らしく。エヴァンジェリンはたっぷりの感情を塗りたくって、その言葉を吐き出した。

 

「……」

 

「あはっ」

 

 返事も返さない青山に、エヴァンジェリンは無邪気に笑いかけると、踵を返して大橋に落ちている右腕を糸で吊り上げて回収した。

 そして迷いなく切断面につなげると、見えない糸で強引に縫いつける。血が噴出して、肉がぐちゃぐちゃと潰れる音がしたが、エヴァンジェリンは苦痛に顔を歪めることなく、嬉々としてその激痛を感受した。

 癒着した組織は、封印が再びかかるまでの残りの時間を再生に回し、後は自然治癒に身を任せれば回復するだろう。

 

「痛かったよ、青山。痛くて、痛くて、私はとっても泣きたくなったんだ、泣いちゃいそうなんだよ、青山」

 

 振り返ることなく、嬉しそうに呟いたエヴァンジェリンは、静かにネギ達の目の前に立った。

 警戒心を露にする。何て余裕もなかった。

 ネギ達は固まった。先ほどまでも恐ろしかった少女の顔は、先程と違って柔らかな笑みを浮かべている。

 だというのに怖かった。歯が噛み合わなくなり、身体は主の意志を無視して震えだす。意識を手放すことが出来るのなら楽だった。だが目の前のソレは、そんな楽を与えるほど優しい存在ではなかった。

 

「素敵な夜だなぁ、小僧、小娘」

 

 エヴァンジェリンは、そんな彼らの様子に気付かないように、いや見向きもせずにそんなことを語り始めた。

 夜空を見上げて、優しく微笑むその姿を写真にでもとれば、どこかの大賞を楽に取れそうなくらい、美しく可憐なその微笑。

 そこに、ネギ達は逃れられない死を感じた。容姿が豹変しているわけではないのに、むしろ少し前よりも美しくなっているというのに。

 なんということなんだ。

 なんて有り様なんだ。

 

「そう思うだろ? なぁ?」

 

 エヴァンジェリンは笑う。華のように可憐に、棘をむき出しにしてときめいている。

 答えは期待していなかったのだろう。沈黙するネギ達を見据えるでもなく、軽く手を振ると、ネギを凍らせ続けていた氷がたちまちに砕け散った。

 

「ふふっ、今宵の私は敗北者だ……ならば、勝者の命には粛々と従うことにしよう……消えろよ小僧、小娘。闘争に不要な正義感を振りかざす阿呆は、この素敵な夜には必要ない。青山に感謝しておけ。今の私の気まぐれは、奴が勝ち取った権利なのだからな」

 

 諭すようでありながら、それは何処までも強制的な命令であった。有無を言わさぬとはこのことか、エヴァンジェリンの言葉は、魔力を伴っていないにも関わらずネギ達を狂わせ、力なく、だが強引に帰路につかせる。

 無言だった。言われるがまま、ネギと明日菜は、互いを支えあうようにして大橋を後にする。ネギはその前に、四肢を失った茶々丸を見据え、そんな少年の視線を感じたエヴァンジェリンは鼻を鳴らした。

 

「茶々丸は置いて行け。その程度では壊れないし、それでも一応、今宵の私を引き立てた愛らしく可愛い従者だ。貴様らの手を借りたりはしない」

 

 だから失せろ。そう告げられれば何も言えない。ネギと明日菜はゆっくりと、それでもできるだけ早くその場から逃げていく。

 エヴァンジェリンはその姿を見送ることもなかった。最初から興味等なかったかのように、ネギに対してあった執着すらどこにもなかった。

 

「青山」

 

「……」

 

「ぼろぼろだなぁ……ホント、傷だらけで、酷い姿だ」

 

 エヴァンジェリンはゆっくりと、再び青山のほうに向かい、その前に立つと、青山の肩から下腹部まで刻まれた切り傷を、労わるようにそっと撫でた。

 激痛が走り、青山の身体が反射的に震える。しかし苦悶の声も、表情も一切漏らさずに、青山はエヴァンジェリンを見下ろすだけだ。

 いや、もうそれだけしか出来ない。

 今の青山は、立っているだけで精一杯だった。生殺与奪は化け物の側にあって、敗者と勝者は誰が見ても明らか。

 それでも斬ったのは青山で。

 斬られたのはエヴァンジェリンだった。

 

「止めておこう。今日だけは止めよう。本来、私と貴様の関係は、一方が朽ち果てるまで終わることが出来ないのだが……今夜はいい夜だ。生まれ変わったような気分で、それに、そうだな……あんな醜態を晒した後に、戦いを仕切りなおそうなどとはとてもとても……あぁ、そうだ、今は闘争の空気ではない。そうなんだよ。貴様と私は、ここで完結してはいけないんだ」

 

 酔いしれるように、黒い瞳を渦巻かせる。その眼に残ったのは狂気だ。悪意も正義も何処にもない。人が根源から恐れる狂気、化け物と呼ばれるシンプルな生命体として、エヴァンジェリンは立っている。

 

「君は、綺麗だな」

 

 そんな彼女の様を見た青山の率直な感想を受けて、エヴァンジェリンは笑った。無邪気に、躊躇いなく殺気を孕んだ笑顔だった。

 少女は壊れた。いや、人間としての根本を斬られて、生まれ変わった。今や、あんなにも執着していたナギへの思いを含めた、人間にしがみついていた己の一切がまるで消えていた。

 ただただ、化け物として人間に憧れる。それだけしか残っていない。

 

「きっと、全部なくなったからだよ。貴様が私を綺麗に斬ったんだ」

 

 青山が斬ったのは、記憶ではなく、その記憶や経験から生まれる、そうした人間的な諸々のものだ。悪なんていう、実に人間らしい価値観はもうエヴァンジェリンの中にはない。同時に、対となる正義という概念すら、彼女の魂からは綺麗に斬り落とされていた。

 善悪の概念もない。善悪を理解しながら、それらを自分とは無縁と笑う、垣根なしの吸血鬼。

 ただ怖いから、恐ろしいからこそ化け物。余分な定義など、一切含まれることはない。

 そこにいるのは一体の化け物で、それ以上でも以下でもない。

 最悪なまでに化け物。

 最低なくらいに化け物。

 純粋に化け物な君が。

 

「本当に、綺麗だ」

 

 そんな醜態が青山には美しく映った。化け物として、人間性などという『余分な代物』を剥がされたエヴァンジェリンはこうも綺麗で、心音がトクトクと脈動を大きくする。

 服もぼろぼろ、傷口は癒着しただけで未だに血を滴らせ、白い柔肌は血と泥でどろどろに、美しい黄金の髪もざんばらに斬り裂かれ、顔は血と涙と鼻水でぐちゃぐちゃとなっていて、先程までの美しい少女の姿は何処にもないというのに。

 その美しさはまさに神がかり。

 月光に濡れた姿に夢を見る。君もまた、終わる世界に辿り着く修羅の人。

 

「そのときに、君を斬る」

 

「あぁ、待ってるよ」

 

 いずれまた、冷たい修羅場で、めくるめく。

 眠るように崩れ落ちる青山を、エヴァンジェリンは壊れ物を扱うように、そっと優しく抱きとめた。

 触れ合った肌から互いの血が混ざり合い、アスファルトの大地に浸透していく。

 月光の下に始まった闘争は、赤い水面で寄り添うように。

 

「お休み、人間」

 

 今宵、産声をあげた修羅場のまどろみに、今はただその身を委ねよう。

 

 

 

 

 

 あの冷たくも熱い夜から、一週間の時間が流れた。といっても、俺が起きたのは今さっきのことで、体感的にはほんの少し前のことだったりするけれど。

 その後の顛末を、高畑さんからの伝聞ではあるが、かいつまんで説明しよう。

 エヴァンジェリンさんと俺が起こした闘争は、随分と凄まじい被害を与えたらしい。麻帆良の大橋を倒壊させ、川の水を永久凍土に閉じ込めた結果、暫くその場を厳重な認識阻害魔法を掛けた上で隔離することになったというのだから、それはもう凄い被害だ。

 だがどうやら学園長さんの説明で、今回の事件は大停電の際の有事における学園防衛の演習ということで、強引に話しをまとめあげたらしい。普通、そんなのではいそうですかと納得できるわけないが、事件の犯人であるエヴァンジェリンさんは、一ヶ月間、演習とはいえ、魔法の秘匿性を無視した行為を咎められ、監視をつけられた上での一ヶ月の謹慎処分。被害のほうは学園長さんの伝手によって、俺が眠っていた一週間の間で修復等が終わったらしい。

 そして俺はといえば、いち早く辿り着いた学園長さんの手によって、他の魔法先生にはその正体を隠された。それから麻帆良から離れた場所にある、学園長さんの息がかかった病院に送り込まれ、現在に至る。ネギ君達は無事に保護されて、昨日から授業を再開しているらしいが、どうやら未だに事件の影を引きずっているらしい。

 

「いいのですか? エヴァンジェリンさんを、軟禁程度で済ませて」

 

「……オコジョ刑務所に連行するという意見も出たのだけれどね。そもそも、十五年もの間、賞金首を保護していた責任は大きい。そうして彼女のことを公にすれば、学園に勤務する我々全員の信用を疑われ、西側に突かれて、場合によっては組織の力をかなり削られる事態になると考えられた……だから結果として、学園長の話に納得するほかなかったということだよ」

 

「まぁ、とてもよい猟犬ですし、デメリットとメリットを、上手く管理できるのであれば、俺は文句はありません」

 

 あっさりと俺は納得してしまうのだが、どうやら高畑さんは何故か不満、というよりいたたまれない感じである。

 

「……君には、迷惑を掛けた。すまない、学園を代表して、謝罪させてもらう」

 

 そう言って、高畑さんは深々と頭を下げた。とても申し訳なさそうに、沈痛な面持ちで頭を下げる彼に、俺は逆に申し訳なさを感じてしまった。

 

「いいのです。俺のことは、決して気になさらずに」

 

「だが、君は僕らの不注意で深手を負った。謝罪して今更だけれど、謝罪ですむ問題ではないと思うんだ」

 

 高畑さんは本気で申し訳ないのだろう。だがその申し訳なさを俺に見せることこそ、卑怯なやり方と心得ているため、必至に表情を取り繕っている。

 それだけでいい。

 その優しさと強さだけで、俺は充分だ。

 

「構いません」

 

「青山君……」

 

「そうです。俺は、青山です」

 

 だからいいのだ。俺は青山で、そのような人間は、使い潰されるくらいのほうがいいのだ。

 人知れず戦い、人知れず死んでいく。その過程でどれ程、斬れるか。俺のような人間はそんなものでしかない。

 

「むしろ、こちらが謝罪すべきだと。エヴァンジェリンさんを殺さなかった。これは、俺の不手際です」

 

「そんなことはないさ。封印が一時的にとはいえ解かれた彼女を、むしろ再び封印用の電力が回復するまで抑えようと奮戦した。それだけで十分さ」

 

 あぁ、どうやら、そういうことになっているのか。確かに俺は倒れ、エヴァンジェリンさんは傷つきながらも健在、とあれば俺が負けたと思われるのも仕方あるまい。

 実際、生殺与奪が勝敗を分けるという点では、あのとき、俺は確かに敗北者であった。

 だが、俺は斬って。

 彼女は斬られた。

 

「……その言葉だけで、救われます」

 

 別にそのことを説明する必要もないので、俺は静かに頭を下げると、未だ鈍い痛みが走る身体でベッドから降りた。

 

「お、おい。大丈夫かい?」

 

 ふらつく俺の肩を高畑さんが抑えてくれる。その手をそっと解いて、俺は地力で立ち上がった。

 気を身体中に回す。自然治癒と、身体操作に集中すれば、日常生活くらいはすぐに出来るくらいにはなる。まぁ、完全回復まで後二日といったところか。

 

「……流石というべきかな。本当は後一週間は安静にしないといけないところなんだが」

 

「青山、というよりも、神鳴流は化生を打ち滅ぼす仕事ですから。特に宗家は彼らにそれを示さなければならない身、この程度が出来なければ一笑されてしまいます」

 

「そのことなんだが……重ねてすまない。君を隠し続けるのが、厳しくなってきた」

 

 その言葉を聞いても、不思議と驚きは少なかった。無理もない。あの時の戦いはそれほど壮絶であったし、失礼な話だが、俺が感知した気と魔力の大きさからすれば、あのときのエヴァンジェリンさんとある程度以上戦える者は、学園長さんと、目の前にいる高畑さん。後は……面倒そうなのがネギ君のクラスに、一人、いや、二人? そして学園の地下に居る変なのくらいか。

 意外に居るなぁ。

 だがまぁ、それらに関しては面が割れているため、すぐに確認はとれただろう。だが誰一人としてエヴァンジェリンさんが巻き起こした被害に飲まれ、負傷を負った者は居なかった。

 では、あの時一体誰が戦っていたのか。そういう帰結になるのは当然の話で、多分、そこもエヴァンジェリンさんを軟禁程度ですませた原因なのかもしれない。

 封印を解いたエヴァンジェリンさんを当てなければならないほどの化け物が何処かに居る。いやいや、まぁ自分自身を化け物と評するのもどうかと思うが。

 まぁ、俺は青山である。

 そんな化け物がまだ居るかもしれないとあれば、心中穏やかではないだろう。その保険としてエヴァンジェリンさんを残しておくという打算も、ないわけではないはずだ。

 むしろ、それでも彼女を残すのは甘いと俺は思うのだが。そういうところが立派だと俺は感じた。

 

「それで、俺はどうします?」

 

 それより今は俺の立ち位置についてだ。神鳴流が二人居る以上、公にするのはあまりよろしくないと今でも思っている。

 そんな俺の気持ちを察したのか、高畑さんは「本当に申し訳ない」と前置きをしてから。

 

「君については、僕の知人であるということで話を通すことにした。正体については、あまり知られたくないという意見を伝えはして、その場では納得してもらったが、疑いは日毎に高まるだろう……いずれ、君には僕らの前に姿を出してもらうことになると思う」

 

 いたし方あるまい。果たして、俺は彼らにどう思われて、どのように扱われるのか。

 期待などはしない。彼らは皆、俺とは違って正義の味方の魔法使いで。

 俺は、青山だ。

 

 

 

 

 

 ここ暫く見る悪夢は、燃える村と蠢く悪魔から逃れるものではなく、金色の吸血鬼と、そんな化け物すら発狂させた冷たい眼差しの侍だ。

 悪魔とは違って、彼らは僕を追いかけたりはしない。だが見ているのだ。恐ろしい狂気を孕んだ瞳と、何もかも飲み込む冷たい瞳が、ただじっと僕を見続けているというだけ。

 それだけのことに恐怖を感じながらも、動くことも、泣き叫ぶことも出来はしない。四つの瞳は見てくる。無力で矮小な僕を、取るに足りない僕を、その瞳は断じるのだ。

 

 お前には、何も救えない、と。

 

「ッ!?」

 

 声なき悲鳴をあげながら目を覚ました。そして、体が動かないことに動揺して──明日菜さんが僕の身体をぎゅっと抱きしめていることに気付く。

 

「あ……」

 

 その腕が震えていた。それだけで、明日菜さんも悪夢を見ているのだとなんとなくに察する。

 あの日の記憶は、鮮明だ。子どもの自分がない知恵を振り絞ってやったような、戯れの遊びではない。殺意と殺意が激突して、世界全てを飲み込むような、そんな闘争。本物の殺し合い。

 それを見てしまった僕と明日菜さんとカモ君は、自分達が路傍の石ころであると見せ付けられた。何も出来ず、震えて互いを励ましあい、嵐が過ぎ去るのを待ち続ける哀れな子羊であった。

 だから、エヴァンジェリンさんが見逃がしたその帰路、僕達はただただ安堵していた。よかった。生きていてよかったと。あんな地獄から、傷だらけになりながらも生きながらえることが出来ただけで涙がいっぱい溢れた。

 それからあの悪夢から逃れるように、僕らは毎晩互いを抱きしめるようにして眠っている。ルームメイトの木乃香さんは、そんな僕らの雰囲気を察したのか、努めて明るく振舞って、励まし続けてくれた。

 そのかいあってか、昨日からようやく授業に復帰して、未だ影は射すものの、以前のように先生としての仕事をこなすことが出来たと思う。そう信じたい。

 ──結局、エヴァンジェリンさんは、事故により最低でも一ヶ月、授業には参加しない旨が伝えられた。それは勿論、表向きの話であり、現実は事件の責務を問われて、謹慎処分されているらしい。

 僕の生徒なので、僕に任せてください。そうを言うことは出来たのに、僕には何も言うことは出来なかった。

 それどころか、そのまま出ないで欲しいと、一瞬だけ思ってしまったくらいだ。当然、そんな考えはすぐに振り払ったが。

 最低な考えだ。

 僕は、教師として最悪だ。

 

「……僕は」

 

 あの日から、僕の内側には言葉に出来ない葛藤が生まれた。あの戦いを通して感じた、絶望的な無力感。震えるまま、言われるがまま、それだけの自分に、何を感じたのか。

 悩みを抱いたまま時間は過ぎる。クラスの陽気に当てられ、僕も明日菜さんも少しずつ明るさを取り戻しつつあったけど、悩みはその内容がわからぬまま肥大だけしていく。

 そしてその日の放課後、僕は学園長に呼ばれて部屋まで来ていた。

 どういう用件なのか。話したいことがあるから来て欲しいと言われて来たのだけれど……

 

「失礼します」

 

「おぉ、待っておったよネギ先生」

 

 学園長が気さくに話しかけてくる。学園長が座っている椅子から、机を挟んでタカミチが立っていて、僕に笑いかけてくれた。

 そんな日常の風景にほっとしつつ歩み寄る。

 

「それで、僕に話したいことって」

 

「……学園長、ここは僕に」

 

「うむ……」

 

 何だか突然、タカミチが深刻そうに表情を固めた。そんな表情を見れば、気楽に聞ける話題ではないくらい察することが出来る。僕も表情を引き締めて、タカミチを真っ直ぐに見つめ。

 

「先週のことについてだ」

 

 僕は唖然と口を開いてしまった。

 いけない。慌てて表情を取り繕うとするけど、申し訳なさそうに僕を見つめる二人の視線を感じて、僕は観念した。

 

「ごめんなさい……僕、怖くて」

 

「いや、それは気にしなくていい。どんな戦いがあったのかは聞いていないが、あの跡を見れば、君がどんな状況にいたのか位はわかる……だが、明日菜君を魔法関連に巻き込んだこと、何故すぐに僕か学園長に相談しなかったんだい? 学園長が上手く君達を隠したから、他の者には知られていないが、これが公になれば、君は本国に強制送還だ」

 

「あの……」

 

 僕は黙るしか出来なかった。強制送還と聞いて、心が冷たくなる。先週のあの戦いも思い出して、しかも明日菜さんのこともばれていて。僕、僕は……

 そのとき、頭に優しい暖かさが乗っかった。見上げれば、優しく微笑むタカミチが僕を見ていた。

 

「無理もないさ。この件については、僕と学園長にも責任はある。というよりも、十歳の少年に教師をさせている時点で、無理はあったんだ……ごめんよネギ君。先週のことも、明日菜君のことも、僕達大人が君を手放しにしたから、こんなことになってしまった」

 

「僕、僕は……!」

 

「安心するんだ。本国への送還もないし、エヴァンジェリンのことについても、お咎めはない。ただ、今後はそういうことがあったら僕か学園長に必ず相談すること。いいね?」

 

「は、はい!」

 

 よかった。安堵のため息が漏れ、何だか腰砕けになりそうになる。

 でもタカミチはすぐに表情を引き締めたので、僕も腰砕けになりそうな体を立て直す。

 

「まず、先週の戦いは、今後他言しないこと」

 

「はい」

 

「そして……ここで、何があったのかを話して欲しい。出来るかい?」

 

 そう言われて、僕は一瞬躊躇ってしまった。ほとんど目を閉じて、明日菜さんとカモ君に呼びかけてもらっていただけだったし。

 何より、あれはとても、とても怖かった。

 

「……僕のわかる範囲なら」

 

 でも、ここで話しておかないといけない。ここであのことと向かい合って、僕は前を向かないといけない。

 だって、ここで折れたら、僕が目指す立派な魔法使いに、もう二度となれないような気がしたから。

 だから話そう。あの夜のことを。僕が知る限りのこと、地獄のような世界の出来事を。

 

「……まず、あの日──」

 

 もし次があったとき、今度こそ間違えないで立ち向かえるように。

 胸のモヤモヤが少しだけ晴れたような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 その日のうちに、高畑さんに教えてもらったエヴァンジェリンさんの家まで俺は来た。というのも、俺が起きたら会いたいという彼女からのお誘いらしい。彼女は監視されているという話だったが、どうやら学園長さんが直々に使い魔を放って監視しているらしく、それ以外の目は存在しないとの事。

 なので誰かに気付かれる心配をすることなく、俺は僅かに痛む体で彼女の家まで来た。

 森の中に建った立派な家屋に唖然とする。俺の小屋と比べてあまりにも立派である。俺は歓心しつつ、扉の前に立ち何度かノック。そうして暫くすると扉が開いて、メイド服を着た絡繰さんが出迎えてくれた。

 

「連絡は、高畑さんからいっていると思うが」

 

「……はい。マスターがお待ちです。こちらへ」

 

 どうやら、俺が斬った四肢は無事に修理されたらしい。まぁあれは仕方ないことなので、別に謝ることなく、俺は彼女の後を追って歩く。

 そして辿り着いた部屋は、水晶の内側に塔のミニチュアがあるものがあるだけだ。溢れる魔力からして、どうやらいわくつき道具のようだが、どうしようか悩む俺を他所に絡繰さんはミニチュアに近づくと、俺に振り返った。

 

「マスターはこちらの別荘で傷を癒しております」

 

 なるほど。そういった類の道具か。無手で、怪我も治りきっていないというのは些か不安ではあるが、まぁなるようになるしかあるまい。俺は応じるがままミニチュアに近づき、視界が突如としてぶれた。

 

「お?」

 

 視界が正常に戻ると、俺は先程見たミニチュアをそのまま巨大にしたような場所に立っていた。

 多分、あのミニチュアに飲み込まれたのだろう。俺はその幻想的とも言える光景を見渡していると、遅れて絡繰さんが到着した。

 

「マスターはこちらです」

 

 そう言って再び先導。俺は周りを見ながらその背中についていき、広場、というか闘技場の奥にあるテラスに到着した。

 そこにはやはりというか、絡繰さんと似た人形メイドを侍らせたエヴァンジェリンさんが、漆黒のドレスを纏った麗しい姿で優雅にワインを飲んで楽しんでいた。

 どうやらざんばらだった髪は切りそろえたらしく、耳元で切りそろえた髪は、以前より利発そうな印象を与えるけれど、目が腐っているので全部台無し。

 

「待ったぞ青山。といっても、私はお前の感覚では五分ほど前に来たばかりなのだがな」

 

「……」

 

 返事はせず、俺は彼女の対面に立つ。

 そんな俺の姿を上から下まで楽しそうに見つめエヴァンジェリンさんは、楽しそうに肩を揺らした。

 

「おいおい、女性の誘いに清掃員の服で来る阿呆が何処にいる? だがまぁ……そういうものか。座れ青山、外界とは切り離されたここは、外界の一時間が一日になる異空間。戯けた場所だからこそ、闘争の空気にはならぬ場所だよ」

 

 つまり、俺と争う気はないということか。俺は少しだけ戦闘体勢に入っていた身体を弛緩させて、彼女の対面のベンチに腰掛けた。

 それと同時に、人形メイドが並々とワインの注がれたグラスを俺の前に置く。だがそちらを意識せず、俺を見つめてニタニタと笑い続ける彼女のほうを見た。

 

「何の用だ?」

 

「用も何も、『産まれて』初めて出来た知人の快気祝いをするのに理由がいるか?」

 

「知人、か」

 

「あぁ、知人だ。それとも、敵手とでも言おうか? あぁ、陳腐にライバルか? いやいや、それは少々違うなぁ」

 

「くだらない」

 

「そう、だからこの場所だよ」

 

 エヴァンジェリンさんは楽しそうに喉を鳴らした。時間も空間もペテンの場所だから、こうして俺と酒を飲み交わすことが出来る。

 つまり、そういうことか。

 

「今日呼んだのは、宣戦布告だよ青山」

 

 静かに語るエヴァンジェリンは、赤い液体がたっぷりと注がれたグラスを弄び、その中身を見つめながら呟いた。

 単純明快で、わかりやすい殺意がその言葉には込められていた。

 

「見ろ」

 

 エヴァンジェリンはまずそう言って、俺に右腕を見せ付けてきた。白く、滑らかな肌には傷一つないが、その肘の部分に、腕を一周する縫い合わされた傷口があった。それは未だに完治しておらず、糸で縫われた箇所は一般人が見れば目を背けたくなるくらいに痛々しい。

 

「そして、これ」

 

 次に、立ち上がったエヴァンジェリンは背中を向けた。大胆にも背中の大きく開いたドレスは、そこに刻まれた傷をまざまざと見せ付けてくる。これは腕とは違って傷は塞がっているが、分厚い蚯蚓腫れのよに斜めに走った線は、彼女の背中にいつまでもあり続けるだろう。

 

「最後に……」

 

 静かに傷を眺める俺の前で、エヴァンジェリンは躊躇いなくドレスを脱ぎ去った。傍から見れば、年端も行かぬ少女の裸体を眺める清掃員。いや、もう最悪。

 だけれど、そんなことを考えるのすらどうでもよくなるほど、彼女の裸体は俺の目を惹き付けた。

 

「これが、一番」

 

 身体の中央、胸の中心から臍まで刻まれた縫い口。癒着しながらも、未だに刃の斬り口がわかるくらい、開きかけのその傷は、見る者を誰だって引き寄せるだろう。

 

「一番、痛かったよ」

 

 どす黒い色を宿した瞳で俺を見る彼女は、視線に晒されて興奮したのか、その身体の傷口が僅かに開いて、少なくない鮮血が飛び散った。

 テーブルに跳ねた血が俺の服に跳ねる。赤い色は、すぐに黒く黒く淀んでいった。

 

「治さないのか?」

 

「治しはするさ」

 

 だが、ただ治すだけではつまらない。薄く笑ったエヴァンジェリンさんは、胸から溢れる赤と同じくらい真っ赤な液体に満たされたグラスを持ち、俺の傍に寄ってきた。

 そして、俺の手元のグラスを持って、差し出してくる。応じるがまま受け取れば、唾液の滴る口を笑みに変えた彼女が、俺の耳元で囁いてきた。

 

「貴様の血で癒す。私を斬ってくれた貴様の血を持って、私は初めて化け物として完成する」

 

「俺は、斬るぞ?」

 

 迷いない俺の返事に、エヴァンジェリンさんは頷いた。

 

「それもいい。それがいい。貴様が私を打ち滅ぼすのも、それはきっと、とても素晴らしい出来ことだ。かつて、誰かが言った。化け物は人間に倒されなければならない、と。その意味が今はよくわかるよ。深く深く、痛いくらいにわかるよ人間……斬るということで終わった貴様は、正義も悪もなく、人間の限界で私を倒してくれる。それを想像するだけでな。くくっ、ほら、こんなに溢れてきて仕方ないんだ」

 

 己の血を掬って、血に染まったその手を俺に見せ付けてくる。細い指が開けば、赤い糸が引いて、粘膜を擦るような音が耳をつく。

 

「だけど、それと同じくらい私は貴様を殺したい。そしてナギを殺したい。綺麗な貴様らを、美しい貴様らを、真っ黒な私で塗り潰して、ぐちゃぐちゃにするのさ。なぁ? 素敵だろ? 冷たい心臓が、ドクドクと高鳴るんだ」

 

 化け物は人間に倒される。

 そして、それと同じ道理で、人間は化け物に殺される。

 この二つは同じく成立する。化け物と人間。相容れない二つの種族で、唯一共通するルールを。

 

「だから宣戦布告だ。私は貴様を殺す」

 

「俺は、君を斬る」

 

 その答えに満足しきったのか。爛々と目を輝かせたエヴァンジェリンさんはやはり笑う。

 

「とは言っても、今の私は飼われるだけの番犬だ。だが毛並みを整えていれば、いずれ欲情した誰かが私の鎖を斬ってくれるかもしれない。そのときを、ゆるりと待とう」

 

「そうならないかもしれない」

 

「いいや、なるよ。我慢なんてさせたりしないさ。そのときが来たら、口を開けて、甘い吐息を吹きかけてやる」

 

 エヴァンジェリンさんは永遠にその笑みを張り続けるだろう、全てがペテンのような嘲笑を。世界を嘲笑うように、そして何よりも、化け物である己を嘲笑って。

 

「乾杯」

 

 エヴァンジェリンさんが掲げたグラスに、俺は手に持ったグラスを打ち鳴らせる。

 清涼な音は、何処かで聞いた鈴の音色に似ていて。

 ここはとてもいい場所だ。絶対に分かり合えない化け物と共にする、とても楽しい早めの晩餐会。

 グラスの赤は血のように。濃厚すぎるその味を俺はいつまでも楽しみ続けた。

 

 

 

 

 

 





これにて一章は終了。以下、一章の後に適当に書きなぐったまま放置していた適当な戦力表。あくまでちゃらっと書いたものなので参考程度に。




青山(ヒャッハー)≧素子ライザー=エヴァンジェリン(ヒャッハー)≧酒呑童子=フェイト(ヒャッハー)≧青山(十一代目『無名』)
~もう駄目だぁ。おしまいだぁ。の壁~
青山(十代目『無名』)≧フルアーマー素子>エヴァンジェリン(悪)≧ノーマル素子>フェイト>リョウメンスクナ>青山(セブンスモップ+小太刀)> 少年青山(初代『久楽』)≧全盛期鶴子>タカミチ
~おかしいですよ!カテジナさん!の壁~
現在の鶴子>月詠≧刹那=楓≧ネギ(覚醒直後、咸卦法+風精影装)
~武芸者の壁~
茶々丸>千草さん≧明日菜(ハリセン)>エヴァンジェリン(封印状態)>ネギ(赴任当時)>>>>>浪人素子=ネコ



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第二章【京都地獄変】
第一話【京都、遊楽】


 

「京都での護衛ですか?」

 

 何度目になるかわからぬ俺の言葉に、これまた何度目になるかわからない「頼めるかのぉ」という学園長さんの言葉。

 

「辞退します。俺は、青山ですから」

 

 だから、俺は頭を下げてその依頼を断った。

 事の始まりは、ネギ君が修学旅行で京都に行くことになったからだ。それで、西の呪術協会に和平の使者としてネギ君を送ることになったのだが、東の魔法使いであるネギ君を狙う西の強硬派が出る可能性がある。

 それの護衛のため、俺が選ばれたわけだが、流石にそれは拙いというものだ。

 

「しかし、そういう話でしたら、俺を解雇したほうがよろしいでしょう」

 

 続けた言葉に、学園長さんと、その隣にいつも通りに立っている高畑さんが驚いた表情を浮かべた。ん? そんなに驚くことだろうか?

 

「以前も話しましたが、俺は青山です。少なくとも、西の上層部は俺の存在を公にしないように、上手く隠して……神鳴流以外の一般の術者は、多分俺を知らないでしょうけれど。上があなた方にまで情報を隠し通した俺の存在を、あなたがたが知っている。これは、色々ないざこざを引き起こす恐れがあります」

 

 そんなことを話しながら、一方では随分と話せるようになったなぁと我ながら感心。

 ともかく、俺という存在がいる以上、西との和平は難しいと言っても過言ではあるまい。

 

「そういうわけにもいかんよ青山君。君の事は鶴子ちゃんにも頼まれていることじゃからのぉ」

 

「俺如き一個人よりも、組織として、周りの人を優先すべきかと……」

 

「そういうわけで、これじゃ」

 

 学園長さんは机の引き出しから一枚の手紙を取り出した。それを高畑さんが持って、俺に渡してくる。

 

「これは?」

 

「親書じゃよ。鶴子ちゃんと前々からやり取りはしていてのぉ。これまでの君の働きと、現在従事している表の仕事の評価を記した。そして現在、英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドの護衛を勤め、一定以上の成果も残しているともな。それに君の言うとおり、君の存在はどうやらあちらでも一部の者しか知らず、であれば、その一部を納得させれば、問題はないということじゃ。そしてその一部の中でもトップの男に関しては、ある程度裏は合わせている」

 

「つまり、俺に和解を?」

 

「そういうことじゃ。君には先に京都へ向かってもらい、西の長、君の兄でもある近衛詠春と接してもらい、彼ら上層部が集まる場所で、公に和解をしてもらう……勿論、ただというわけにはいかなかったがの」

 

 なるほど、それで護衛ということか。

 

「そして俺は、和解の証として、ネギ君を無事西の長の下へ送り届けて、無事、西と東の和平を成立させると……そういうことですね?」

 

「そして、こちらに帰ってきたところで、改めてネギ君を守り、西と東の和平を成立させた立役者の一人として、君を正式に他の魔法先生や生徒に紹介する手はずだ」

 

 基本は西と東の和平ということだろうが。その上で、俺のことを考えてこんなやり方をしてくれたのだろう。当然ながら、そう簡単にいくわけもなく、無事に和平を成立させなければ、結局俺は表に出されるだけ出されて、追い出されるということになるだろう。

 そのことがわかっているからか。学園長さんと高畑さんの顔は心苦しそうだ。

 

「気にしないでください。俺の苦労は所詮、身から出た錆ですからね。むしろ、俺に汚名返上の機会を下さって、感謝の極みであります」

 

 頭を下げて、手紙をポケットに丁寧に仕舞い込む。

 

「では、頼まれてくれるかの?」

 

「はい。不肖ながら、この青山。ネギ君の京都護衛、任せていただきます」

 

 

 

 

 

 とはいえ。

 まぁそれでも緊張するものである。

 

「どうした兄ちゃん? 今日はちょっとぎこちねぇじゃねぇか」

 

 錦さんがそんな俺の精彩を欠いた動きに気付いて、お昼休み、いつも通りにご飯を食べながらそんなことを聞いてきた。

 恥ずかしい。無表情が取り柄だというのに、己の内心を読まれるとは、よっぽどよく見られているんだなぁとちょっと嬉しかったり。

 

「また、今度は十日ほど、休みをいただくことになりまして」

 

 そう申し訳なさそうに言った俺に対して、錦さんは「またか」と呆れた風にため息を吐き出した。

 

「ったく、どうせ休みじゃないんだろ? 以前も一週間休んだと思った次の日は、目元が隈で酷くてげっそりこけてて、次の一週間は戻ってきたら体中包帯だらけだ……何してんだか知らねぇけどよ。無理だけはするんじゃねぇぞ? 俺らはおっさんとおばさんだらけだから、若い兄ちゃんに付き合うなんて無茶はできねぇけど、皆心配はしてるんだ」

 

 この阿呆が。錦さんは明るく笑いながら俺の肩を軽く小突いた。

 いや、ホント申し訳ない。そんなに心配をかけていたことが恥ずかしくて、心配されていることが嬉しくて、小突かれた肩は妙に熱い。

 

「上の兄に、久しぶりに会いに行くことになったんです」

 

 だからこの際だ。俺は洗いざらい全部を話すことにした。

 

「へぇ、いつごろから会ってないんだ?」

 

「おそらく、かれこれ十年近くは……そもそも、あまり兄との交流は幼いころからあまりなく、どうにも緊張をしてしまって」

 

 真実と嘘を少々。本当は青山と恐れられる俺が、あの土地に再び赴いて余計な混乱を招かないかという不安が一番なのだが。

 錦さんは俺の話を聞いて少し考え込んだ。嘘も混じった俺の話を真剣に聞いてくれて、やっぱし恥ずかしくて、だがやっぱし嬉しくて。ホント、俺はここに来てからいい上司に恵まれた。

 

「まぁ難しいことは言えねぇが、とりあえず会ってみて酒呑めば、大抵のしがらみってのはなくなるもんさ。兄ちゃんもここに来て、随分と変わってきたからな。今なら、色々と見えてくるものがあるんじゃねぇか?」

 

 言われて、思い返す。

 ここで生活してから巡り合ってきた色々な人。そのどれもが、この第二の人生で初めての経験ばかりで、前世があるとはいえ、人格と知識しか持ち越せなかった俺には全てが新鮮だった。

 充実しているのだろう。一人、青山という天才と遊び続けたのとは違う楽しさは毎日あって、それが俺をどんどんと変えていく。

 

「そうですね。今なら、色々なものが見えます」

 

 ふとした拍子にすれ違う子どもの笑顔。毎朝清掃に励む俺達に挨拶してくる学生達。

 知り合って、話した人達ばかりではない。そうした見知らぬ人との接触は、俺の中に着々と積まれていっている。

 

「俺は、ここで変わっています」

 

 全部が全部。素晴らしい世界。

 

「こんなにも人と出会えた。そのきっかけの一人である錦さんと知り合えて、俺は本当によかったです」

 

 そうして俺は、錦さんのほうを向いて──

 ありゃ、今、刀持ってないんだった。

 

 

 

 

 

 相棒となる刀を鍛える最後の仕上げのとき、青山はありったけの気を全て注ぎ込むことにしている。そうすることで、その刀をほとんど自分と同一とするのだ。

 だが十代目に至るこれまで、青山の気の最大出力を注いで、全てを飲み干した刀は存在しない。ほとんどが半分以上外部に散乱してしまうのだ。

 そのたびに青山は使用する刀をより禁忌の類のものにしていく。そして先代に至っては、ついに妖刀と呼ばれる刀を青山は己の気の色に染め上げた。

 だから、今回の刀も、見た目は神鳴流が使う長大な野太刀に仕立て上げているが、その大元となる芯には、人を斬り続けた危険な妖刀を使用している。

 まぁその仕立ての段階で、今回は随分と手こずったのだが。そんなことを思いつつ、青山は屋根裏に潜り込んだ。

 そこは、屋根裏一面に封印の札を敷き詰めた空間だった。青山が持てる技術の全てを費やして作り出した特性の密室は、十一代目の放つ危険な妖気はおろか、青山の全力の気の放出にすら、一度だったら耐え切るほどだ。

 そんな強力な防御結界を構築しなければならないほど、これから青山が行うことは周囲への影響が大きい。

 いつも通りの無表情で、青山は札で埋め尽くされた鞘からゆっくりと十一代目を抜く。それだけで、未だ残っている妖気によって、刃鳴りが何度も何度も響き渡った。

 斬らせろ。

 人を斬らせろ。

 生き血を吸わせろ。

 斬り殺せ。

 柄を通して青山の脳裏に響き渡る恐ろしい呪いの声。だがそれも、最初に比べたら随分と小さくなったものだし、大きかろうが小さかろうが、呪い程度では青山の精神は微塵も揺るぎはしない。

 そも、斬るとは斬ることで、それ以外の意味なんてないというのに。こいつは何を言っている? 青山が十一代目の芯が放つ呪いから受ける影響など、そんなことを考えさせることくらいだ。

 

「くだらない」

 

 青山が気を通し始めると、悲鳴をあげるように十一代目は繰り返し振動した。青山の斬るという意志は、殺人に酔った妖刀の存在すら意味をなさぬ。

 そしてここからが本番だ。青山は小さく深呼吸をすしながら、そっと瞼を閉じた。

 

「……」

 

 十一代目を胸の前に掲げる。未だ悲鳴をあげるその刀身にそっと空いた左手を這わせた。冷たい感触に落ち着きながら、指を僅かに切り裂いて血を滴らす。

 そして、青山は己の血をその刀身に塗りつけた。血の線を引きながら、切っ先まで血を流す指でなぞる。うっすらと刀身に残る赤色。青山は全身に鮮血が馴染んだのを、目を開いて確認した。

 直後、青山の右手から、柄を通して膨大な気が十一代目に流れ出す。気を纏わせるのではなく、注ぐ。それは意味が似ているようで、まるで違う。表面を強化するのではなく、その内側を己の色に染めるという異常な行為。その刀の製作者の意志を食いちぎる恐るべき冒涜。

 それを青山は平然とやってのける。製作者がどんな願いを込めて作った刀でも、青山は青山の意志のみを押し通すために蹂躙していく。

 周囲の護符が一枚ずつ、ゆっくりと、だが確実に剥がれ始めた。落ちた護符は、虚空で真っ二つに分かれて床に落ちる。床に張られた護符は、そのまま分かたれるだけだ。

 想像を絶する気が屋根裏という小さな空間を埋め尽くしていた。だがそれは十一代目がその身にためることが出来なかった気、つまりはただの余波でしかない。十一代目は苦悶する。許容量を遥かに超えた気の充実に限界を感じて、必至にその身体から外に受け流す。

 同時に、その身に宿す意志すらも流されていった。己を守るために、己の存在を消していく。そんな矛盾した行為しか、今や十一代目に行えることはなかった。

 構わず、青山は気を注ぐ。持てる気をこの僅かな時間で全て吐き出しているために、その顔はもう青より白に近くなっていた。意識は朦朧としだして、掴んだ刀の感触すら遠い。

 それは、刀が己と重なっている証拠ともいえた。刀と自分の境界線が失われていく。流れる気が、刀という己を通して外に放たれていくのを感じる。

 最後の仕上げを始めてから、まだ十秒も経過していなかった。それだけの時間で、刀と己は重なる。心身合一。刀を己となす極地。

 そして、美しい鈴の音色が響いた。

 

「ッ……!」

 

 青山は突如、体中から汗を滲ませて手をついた。肩で息をして、疲労は濃い。視界は霞んでいて、体中が重かった。

 だが完成した。青山は右手に持った十一代目を見つめて、内心で笑う。

 

「よろしく」

 

 答えは静かな音色。その身に宿した妖気は完全に洗い流され、透き通った清流のような涼やかな色が青山を歓迎する。

 これで、ようやく準備が整った。手に持つ新しい相棒を青山は丁寧に鞘に仕舞い込み、屋根裏を抜け出す。

 直後、屋根裏を埋め尽くしていた全ての護符が真っ二つに斬られて落ちた。

 そんなことも気にせずに、青山は十一代目を片手に小屋を出ると、空を見上げる。

 

「……」

 

 ここからだと、星はよく見える。その一つ一つを見て青山は何を思ったのか、ただ暫く空を見上げると、やがて静かに小屋の中に戻っていった。

 こうして修羅は新たな刃をその手に持つ。ぎりぎりで間に合った相棒、何故ぎりぎりと思ったのか、それは言いようのない予感を感じたから。

 きっと、楽しい旅行になるだろうなぁ。

 そうして、青山は旅行を前にした子どものように、旅行先への思いを募らせながら眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

 京都に行くのはもう五、六年ぶりくらいになるだろうか。鶴子姉さんを斬り、それから一年にも満たない間、各地の妖魔や悪党を斬り、そして当時の俺の異常性を恐れた上の人達によって数年間の軟禁、後、破門。

 それから京都には一切近寄ってはいない。別に、行こうと思えばいつでも行けるのだが、別段行く意味もなかった。なぜなら鶴子姉さんを斬ってから劇的に強くなり、残りの一年で頂を見つけ、軟禁生活で到達した俺には、最早、己が行くべき場所など何処でもよかったからだ。

 斬るという方向性は、鶴子姉さんがほとんど教えてくれたと言ってもいい、今から振り返っても、あの時の仕合は俺の生涯でもベスト3に入るくらい格別なものだった。

 ちなみに二番は、封印されていたやばい鬼が本気で俺を殺しにかかってきたときで。

 一番は戦いの最中に開眼した素子姉さんである。あれはやばかった。開眼直後に全力技撃ってきたから刀斬れたけど、もう一分奥技使われずに戦っていたら、俺は呆気なく敗北したかも。

 あぁ、懐かしき夢のような修羅場体験。最近ではエヴァンジェリンさんとの戦いがよかったが、あれはちょっとエヴァンジェリンさんが油断したり余分なところがあったりで、そこまでのものではなかったなぁ。

 ともかく。

 そういうわけで、京都である。

 竹刀袋に十一代目を入れた俺は、もう何年ぶりになるかわからない新幹線の乗り心地と、そこから見える景色を、飽きることなく堪能して、いつの間にか京都にまで辿り着いていた。

 ふむ。まぁ会合までの時間は今しばらく、夜からとなっているので、暫くは辺りを散策でもして時間を潰すのもいいかもしれない。

 そうと決まれば、早速周囲の気と魔力を探知して──お?

 

「あ、やば」

 

 少し離れた場所でとてつもない魔力を感じた。西のお家元ということもあり、ちらほらと気や魔力は感じるけど、その中でも桁違い、エヴァンジェリンさん並? いや、もう少し下くらい?

 にしても凄いものである。流石、京都だなぁと感心しているが、そうも言っていられるかどうか。気配を馴染ませるのは得意分野ではあるので気付かれることはないけれど、あっちから近づいているからなぁ……

 まぁ、普通に顔を拝むくらいはしておこう。

 

「……」

 

 そうして周囲と同調しながら人ごみの中を歩いていると、道の先から真っ白という目立つ髪色をした少年が現れた。

 絡繰さんみたいな無表情で、ともすれば昔懐かし当時の俺を思わせる感じ。歩き方にも隙はなく、少年だというのに周りの注目を集めるような、そんな少年。

 気と魔力を敏感に感じ取る術は俺専用なので、それだけでは気付かれることはないだろうけど、あの少年、それを踏まえても滅茶苦茶悪目立ちしてるから、じろじろ見ても気付かれたりしなさそう。周り皆見てるし。

 特に接触することもなく、俺と少年はすれ違う。そのとき彼が僅かに俺を見たのは、きっと竹刀袋に仕舞った十一代目の気配を察したからか。

 止まった少年を尻目に、俺は視線になど気付いた素振りを見せずにさっさと歩いていく。背中に浴びる視線は意識しない。意識しているのに意識しないというのもアレだが、まぁこういうのは表面上、相手に悟られなければいいのだ。

 

「……ねぇ」

 

 などというのはやっぱし不可能で、迂闊にも、あぁ本当に、本当に迂闊にも、近寄りすぎたせいで、少年は俺に感づいて、声をかけてきた。

 

「……」

 

 振り返り、少年の冷たい瞳を覗き込む。己の意志を強固な意志で隠し通しているような、そんな瞳だ。真正面から見たからわかる。この子は俺の幼少時のような、一人で完結しているような子ではない。

 しっかりと大地に根を張った。意志を持った強い人間だ。見た目どおりの年齢なら凄いことだが、まぁあれだ。この魔力量を考えれば、早熟な天才、もしくはエヴァンジェリンさんみたいな化け物といったところか。

 暫く俺と少年は互いに見つめあう。周囲を行き交う人達は、そんな俺達を遠目に見つめながら、距離を離してすれ違っていく。

 だが少なくとも、少年のほうはそんな瞳は気にしておらず、品定めをするように俺を見つめていた。

 さて。

 試しにちょっかい出したのはいいけれど、本当にどうしよう。現在の俺の立場はかな微妙なものだ。和平のために赴いたはいいが、俺自身の友好を示す親書は未だに届けていないので、ここで問題を起こせば──学園長さん達の好意を無碍にすることになる。

 それはいけない。立派な人間に変わっていくと決めた俺は、ここで問題を起こすわけにはいかないのだ。

 うん。

 竹刀袋、開けるのに数秒かかるようにしておいてよかった。

 

「道にでも迷ったのかな?」

 

 俺は当たり障りのないことを呟いた。すると少年は「いや……呼び止めて悪かったね」と言って、人混みの中に紛れ込んでいった。

 遠くなっていく少年の姿を追いながら、安堵のため息。にしてもびっくりした。これが街中でなかったら色々と大変だったかもしれないなぁ。

 流石は京都、楽しい場所だ。俺は内心うきうき気分で、観光に洒落込むのであった。

 

 

 

 

 

 ネギがその日、学園長室に呼ばれた用件は、端的に言うと、仲たがいしている西と東の関係を改善するための特使に選ばれたからであった。

 

「道中、向こうからの妨害があるかもしれん。この新書を奪おうとする西の強硬派によるものじゃろうが、おそらく、一般の生徒がいるところで、おいそれと危害が及ぶようなことはせんじゃろう」

 

 ただし、と近右衛門は穏やかな雰囲気を一転させて、真剣な表情を浮かべた。

 

「万が一ということは得てしてありえるものじゃ」

 

「……ッ」

 

 ネギの脳裏によぎったのは、あの夜の出来事だった。万が一といわれて、それ以上の最悪は思いつかない。

 そんなネギの不安を察したのか、近右衛門は安心させるように微笑んだ。

 

「何、それこそ万が一の話であって……危険に対する保険はすでにかけておる」

 

「それって……あのときの人のことですか?」

 

「うむ。いずれ正式に紹介しようとは思っておるが、命の危険が起こった場合、彼が君の身を守ることになっている」

 

「あの人が……」

 

 ネギが己の無力を感じた夜。モップという武器にもならない武器を使って、これ以上の悪夢はないと思われた、エヴァンジェリンを追い詰めた恐るべき剣客。

 彼が護衛についてくれると聞いて、安堵と恐怖の二つが同時にネギの心中を襲った。

 

「……怪我とか、大丈夫だったんですか?」

 

 ふと思ったのは、そんなことだ。

 あの日、エヴァンジェリンに言われるがまま、ネギはぼろぼろの彼を置いて逃げた。結果として生きていたからよかったが、もしかしたらあのまま殺されていたかもしれない。

 ネギの心を常に苛むのは、彼に対する恐怖と、たくましさと、罪悪感だ。常識を超えたあの戦いは、今でもネギの心を束縛し、幼い少年に回答のない葛藤を与えている。

 

「安心せい。彼はすっかりよくなって、今は先に京都に入っているところじゃよ」

 

「そうなんですか……よかったぁ」

 

 ネギは肩の荷が下りたように安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分だ。

 そして、次に会ったときにはちゃんと謝罪しようと心に決める。

 

「ともかく……万が一を考えて彼を派遣したが、あまり彼の力を当てにしないように。君だけでも潜り抜けられる問題程度ならば、彼はおそらく手出しはせん……まぁ一番なのは、何も起こらずに無事親書を届けられることなのじゃがのぉ」

 

 そうなれば何も問題はない。誰の妨害もなく、ただ平穏無事に。

 だが本当にそうなるのだろうか。近右衛門は、あの夜以降のエヴァンジェリンの姿を思い出して、そんな予感に苛まれる。

 エヴァンジェリンは変わった。

 良く言うと以前よりも社交的に。

 悪く言うと以前よりも内向的に。

 エヴァンジェリンは、驚くほどの変化を遂げていた。

 最悪な言い方をすれば、アレは化け物になった。

 

「これは少しおかしな言い方かもしれぬが……くれぐれも、彼が出てくるような事態だけは避けるようにして欲しい。彼とは別に、君のクラスの桜咲刹那が、木乃香の護衛として、京都での任も受けている。出立の前に、事前に彼女と話を済ませておくのもよいじゃろう……」

 

 近右衛門は、彼を信じていないわけではない。いや、全力のエヴァンジェリンと戦い、その身体に癒すのにも時間がかかるほどの裂傷を与えた時点で、彼の能力は、少なく見積もってもタカミチと己とほぼ同等クラス。最高で、かつての大戦の英雄クラスでも最上級のレベルに匹敵すると見て間違いない。

 しかしそういうことではないのだ。彼を、青山を動かすということが、それだけで、例えるなら、無作為にターゲットを選んだミサイルのスイッチを押すような。

 そんな恐ろしい予感。

 

「……ところで、明日菜君のことじゃが」

 

 近右衛門は脳裏を苛む考えを振り払うように、別の話題を切り出した。

 

「あ、はい。とても、良くしてもらっています」

 

 頬を赤らめ、顔を俯かせてネギは呟いた。

 明日菜はあの日以来、ネギから離れるどころか、口は悪くしながらも、何かと手助けをして、こちらを気にかけてくれるようになった。

 あんな状況を経験したのだから、普通は距離を置いて当然だと思う。現にネギはそう考えて、可能な限り距離を取っていたのだが、明日菜はそんなことは関係ないとばかりに色々と世話を焼いてくれた。

 ──これはネギには考えもつかぬことだが、あの戦いの最中、謎の記憶を思い返した明日菜は、そのときの記憶の人物を無意識にネギと重ね合わせていた。思い出した記憶自体はすでに覚えてはいないが、それでも無意識はその出来事を覚えていたからそうなった。

 自分が守らなければ、ネギは死んでしまう。無意識下で明日菜が思っているのは、そんな脅迫に近い考えだった。戦闘の恐怖と、かつてのトラウマが混ざり合ったその考え方は、誰かが知ればそれは悲劇と思い、ネギ自身も罪悪感を覚えるだろう。

 だが現実は、ネギはそんな明日菜に、いつも自分を守ってくれた姉を無意識に重ねて、さらに信頼を深めていくだけだ。互いが互いに別の誰かを投影する。そんな虚しい信頼関係が、二人の間には芽生え始めているのであった。

 

 尤も、最悪の悲劇は、そのことに周囲はおろか、当人すら気付いていないということなのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 京都に来て早々、少々のごたごたはあったが、それ以外は特に問題もなく、観光をしながら、俺は関西呪術協会の本山に到着した。

 立派な鳥居を見上げながら、いつ振りになるかわからないこの景色に、思わず感慨深いものを感じてしまう。最後に来たときには、兄さんはもう近衛の家に婿入りしていたので、あまり会う機会はなかったが、確か女の子がいたはず。当時から根暗だった俺は、青山では一番その子に歳が近かったのだが、そんな俺を遊び相手にするのは問題と感じた親の方針で、もう一人、ちっちゃい子が連れられていたはず。

 うーん。懐かしい思い出過ぎてほとんど覚えていないなぁ。まぁ、その一人娘とは挨拶したくらいしか交流ないし、そもそも俺の中ではそのすぐ後に行った鶴子姉さんとの戦いが刺激的過ぎて、そこらへんはほとんど記憶にない。

 確か、ネギ君のクラスにいる近衛木乃香という少女、あれって多分、苗字からして兄さんの娘さんのはず。魔力とかもとてつもなかったし。でも見た感じ、彼女は魔力が多いだけで、正直言って俺にはどうでもいい。

 それよりも、そんな木乃香をさりげなく見ている彼女、桜咲さんのほうが俺としてはありだ。

 神鳴流の使い手っぽいというのもあるが、あのストイックに近衛さんを見守る姿。

 正直言って、ネギ君の護衛をしている俺からすれば、リスペクトそのものである。やはりああやって、昼夜、守るべき人を守るために己を粉にするという姿勢は、見習わなければならない。その点俺は、己の欲求のために、ネギ君を窮地に陥れたり、護衛だって、気配が感じられればいいやと遠くから察するだけ。

 いかんなぁ。

 実に問題である。

 だがこれも惚れた弱み。俺は今回も、可能な限りネギ君には修羅場を経験してもらえるならば、経験してもらおうと思っていた。

 そういう考えだから、京都に来て出会ったあの少年を見逃すなんていう阿呆なこともしてしまう。

 あれは間違いなく、京都とは関係ない人間だ。東側の応援とも考えたけれど、だとしても、エヴァンジェリンさんクラスをそう何人も保有しているわけもないだろう。あの少年は楽観的に見ても敵である。気にしすぎということは出来ない。俺の勘も強く言っていたし、あれとは多分、遠からず激突することになる。

 それはそれでいいのだが。

 上手く、ネギ君とぶつけることが出来ないものかなぁ。

 

「……ハァ」

 

 考えていても仕方あるまい。俺はそそくさと鳥居を潜って、久しぶりの本山に足を踏み入れるのであった。

 へぇ、面白い術式あるなぁ……これは、うーん。有事の際に相手を封じ込めて時間稼ぎとか?

 流石、西の総本山。こういう仕掛けもしっかり施してあるのか。だが今回の俺は敵ではないため、罠は当然発動するわけもなく、すんなりと階段を上がっていく。夜の風は心地よく、灯篭に灯った輝きは暖かい。

 空を見上げるが、月はどうやら林の中に隠されているようだ。そのことに少し寂しさを感じながら、本山の入り口に辿り着く。

 

「お待ちしておりました。青山様ですね?」

 

 大きな門を潜れば、出迎えに来てくれた若い巫女さんが丁寧に挨拶してきた。

 

「はい。ご案内、お願いできますか?」

 

「どうぞこちらに……そちらの荷物は?」

 

 巫女さんは俺が持っている竹刀袋を見つめてそう言ってきた。

 

「刀です。預けるべきでしょうか?」

 

「出来れば、帯刀した状態で当主並び幹部の方々にお目通しするわけにはいきません」

 

 ご理解くださいと、巫女さんは両手を差し出して、刀を渡すように言ってきた。

 まぁ、俺としてもそれは全然構わないのだが……

 

「あなたは触らないほうがよろしいです」

 

「え?」

 

「数分、いや、あなたでは、一分もあれば刀に斬られる」

 

 今の十一代目は、俺そのものとは言えないが、充分に俺だ。

 触れれば、斬る。

 竹刀袋の内側に護符を貼り付け、さらに鞘にも封印を施してはいるが、それでも大抵の術者ならば、数分も竹刀袋に触れるだけで、間違いなく斬る。

 

「出来れば、保管場所まで俺が持っていきたいのですが」

 

「ですが……」

 

 巫女さんは困ったように言葉に詰まってしまった。まぁその対応は当たり前なので、俺は早々に十一代目を持ち込んだことを後悔していたのだが。

 

「相変わらず、常識を被ったようで常識外れですね、君は」

 

 そんな懐かしい声を聞いて顔を向ければ、あぁ本当に懐かしい。

 

「兄さん。いえ、詠春様。お久しぶりでございます」

 

 かつての青山の跡取りにして、今や西の長として活躍している懐かしき我が兄。近衛詠春様が、爽やかに笑いながら俺を出迎えてくれた。

 巫女さんは一歩下がって慌てたように頭を下げる。俺もそれに習うわけではないが、挨拶の後、深く頭を下げた。

 

「破門された身でありながら、おめおめと馳せ参じたこの身ではありますが、親書のみでも受け取っていただけたらと思います」

 

「頭を上げなさい。話は鶴子とお義父さんから聞いている。頑張っているようだね」

 

 顔を上げた俺は、昔と変わらず笑いかけてくる詠春様の笑顔に安堵した。近衛に婿入りしてから疎遠だったが、かつて幼かったころ、無口で無表情だった俺にもとても良くしてくれた、あのときの優しい兄のままである。

 それが俺にはとてもかけがえのないことに感じた。同時に、鶴子姉さん共々、そんな彼らの優しさを無碍にして暴れまわった当時を恥ずかしく思うばかりである。

 

「昔に比べて、よく話せるようになったね」

 

「学園長……近右衛門様と、麻帆良の同僚、上司の方々あってこそです。方々、俺を暖かく出迎えた全てが、今であります」

 

 今なら胸を張って堂々と言える。暴れまわっていたかつてとは違う。自己のみに没頭していた昔とも違う。

 周囲の暖かさがあるから、こうしてはっきりと話すことが出来る。

 

「尤も、無表情に関してはどうにも」

 

「……それは仕方ないさ。味覚も、まだかい?」

 

「はい、ですが最近は少し、味というものを楽しめるようになりました」

 

 俺の返事に、詠春様は小さく目を見開くと、とても嬉しそうに微笑んでくれた。

 

「それはよかった。医者は、絶望的とも言っていたのだがね……今から考えても、あれはやはり私達、家族の不注意だった……みんな、君の怪我の治療方法を探していたんだが、そうか。ゆっくりとでも、治っているのなら、それでいいんだ」

 

「詠春様……」

 

 あんなことがあって表情を失った俺を、未だに心配してくれていたとは。やはり俺は阿呆だ。こんなにも素晴らしい家族がいたというのに、勝手に暴走してしまって。

 若気の至りとは言えぬ。恥ずべき、ひたすらに猛省すべきだ。

 

「もう、昔みたいに兄さんとは呼んでくれないのかい?」

 

 詠春様は寂しそうに目を細めながらそう言ってきた。

 昔、恥ずべき、昔。

 

「俺は、青山です。詠春様……最早、兄さんの知る弟はいないのです」

 

 だからこそ、俺は青山で居続ける。いつまでも、恥ずべきこそ。

 そこに、後悔なんて、まるでない。

 斬ったのだ。

 

「なら……青山君。昔話もそこそこに、そろそろ行くとしよう。刀に関しては、近場に封印結界を敷いた場所がある。そこに一時的に納めてくれないか?」

 

「……是非もなく」

 

 先導する詠春様の背中に追従する。遅れて付いてくる巫女さんも引き連れて総本山へ。

 さぁ、まずは謝罪会見、頑張ろう。

 

 

 

 

 

 脇に幹部の方々が控え、前には詠春様と、重鎮の方々。関西呪術協会のトップを含めた人達が見る中、俺は中央に進み正座をすると、額を床に触れさせるくらい頭を下げた。

 

「この青山、無様を晒しながらも馳せ参じました。私の暴走、無礼から始まった破門に至るまでの数々、今は深く反省している所存です」

 

 そうは言ってみたけれど、俺を見る彼らの目には、総じて困惑と畏怖の色が混ざっていた。

 まぁ。

 無理もない。

 

「……君が破門してから、どのような働きをしてきたのかは、親書を読んで重々承知している。以前のように、神鳴流の一人として迎え入れることは出来ないが、君を青山として受け入れることを約束しよう」

 

「ありがとうござます」

 

 面は上げずに、感謝の言葉だけを伝える。だがそう上手くいかないのが世の常というもの。ゆっくりと顔を上げたところで、幹部の一人が不愉快そうに顔をしかめて口を開いた。

 

「長、失礼ながら申し上げますが、この者が神鳴流に刻んだ汚名の数々。よもや忘れたとは言わせませんぞ?」

 

 その発言に随分な数の幹部が同意の意を示すように何度か頷いた。ここに来る前に聞いてはいたが、どうやら組織の纏め上げは上手くいってはいないらしい。

 それを抜きにしても、俺を、青山を許すというのはあまり受け入れられるものではないのだろうが。

 詠春様はそれを皮切りに噴出した、青山という存在への不満を次々に漏らす。だがそれも長くは続かず、少しずつ場が静かになってきたところで詠春様は話し出す。

 

「今回、彼には一つやってもらうことがあります。長年、いがみ合っていた西と東、この和平の親書を携えた少年……英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドの護衛として雇われた」

 

 その言葉に場は騒然とした。いや、それもただのポーズだろう。ネギ君が来るというのはすでに承知の事実。問題なのは、和平話をこの公の場で告げたということ。

 

「私は彼がここに訪れ、親書を渡してきた、その事実を持って、長年の因縁に一応の区切りを打ちたいと思っている」

 

 言外に手を出すなと言っているようなものだ。未だ東に敵意を持っている強硬派としては面白くないだろう。

 そして、俺である。俺がネギ君の護衛につく。

 少なくとも、俺という人間の脅威を知っているが故に、ここにいる強硬派はおいそれとネギ君に手を出せなくなる。全盛期の鶴子姉さん若輩ながら倒した俺の名は決して伊達ではない。

 妨害を考えていた者も、まさか俺という鬼札を持ち出すとは思っていなかったはずだ。

 

「それでは青山君、君はもう下がってもらってもいい。ここからは改めて、今後の関西呪術協会の方針を話し合っていくのでね」

 

「はい」

 

 俺は再び頭を下げると、ゆっくりと立ち上がり踵を返し、その場を後にする。

 背中に感じる視線の重圧も、戸を閉めれば切れて肩の荷が下りた。ホッと一息。あぁいった空気は苦手だ。針の筵というか、息苦しい。

 

「お疲れ様です青山様。さ、こちらへ」

 

 外で待っていた巫女さんが案内してくれる。ここはともかく広く、うっかり歩いていたら迷子になるのは間違いないだろう。

 やはり導かれるがまま、俺はさくさくと用意された自室のほうに向かっていく。

 

「どうぞ、ごゆっくり」

 

 室内に案内された俺は、巫女さんが居なくなってから一人で使うには些か大きい和室に寝転んだ。

 うーん。久しぶりの畳の感触。刀がないのは寂しいけれど、戸を開ければ夜桜の美しい景色があるので暇はしない。

 暫くほうけていると、またあの巫女さんがやってきた。

 

「お待たせしました。長は本日はお忙しいため、先に夕食にと」

 

 そうして置かれたのは、とてもいいにおいのする食事の数々だ。お酒に普通のお茶にと、より取り見取り。

 

「ありがとう」

 

「では、御用がありましたらお呼びくださいませ」

 

 巫女さんは礼をしてからその場を後にした。

 早速、箸を手に持ち食事と洒落込む。味覚は未だぼやけているので、美味しい食事をそこまで美味しく感じられないけれど、その分、食事の匂いはとても素晴らしいし、夜桜を見ながら酒を飲むのは気分がいい。

 破門された身である俺にこうまでしてくれる詠春様、そして機会を与えてくれた学園長さん達には感謝してもしきれないなぁ。

 さて、とりあえず何か言われているでもないので、のんびりとしよう。一人楽しむ夜桜を見上げて、酒精を楽しめることに感謝である。

 

 

 

 

 

 桜咲刹那はその日、ホームルームで、放課後自分に用があるといったネギを教室で待っていた。とはいっても野次馬根性を働かせた一部の面子がこっそりと堂々こちらの様子を見ているのだが。いや、こっそり堂々って何だよ。刹那は何だか肩がずっしりと重くなった気がした。

 刹那はネギが魔法使いであることを知っている。というか、クラスの幾人かはすでに知っていて、それとなくネギが魔法をばらさないように気をかけていたりするのだけれど。そこらへんは今はどうでもいいだろう。

 問題は、自分を含めて彼女達のことをネギは知らないはずなのだ。だから刹那が疲弊しているのは、野次馬根性を働かせているあれやこれやの視線や、成績がすっごくやばくなってるのかなぁといった日常的な不安のためであった。

 あぁ、闇の福音の件があってから、いっそうお嬢様の警護に力を入れていたからなぁ。やばいかなぁ。やばいんだろうなぁ。修学旅行前でなおのこと警護のプラン考えてたもんなぁ。

 など、見た目は冷静そのものだが、内心で冷や汗だらだらな刹那は、遠くから聞こえてきた足音に気付いて、席を立った。「あ、ネギ君来たよ!」「ちょ、早く隠れて隠れて!」外野は早く消えてくれ。

 

「刹那さん。お待たせしました!」

 

 刹那の内心を全く知らないネギは、驚いたことに明日菜を連れて現れた。その事実にいよいよ持って刹那の額に汗が滲む。駄目だ、間違いない。私も今日からバカレンジャー。ごめんなさいお嬢様。私はあなたの警護を言い訳にしてバカレンジャーに成り果てまする。

 いざ行かん、バカの道。覚悟を決めた刹那は、ぽけっとしたネギを真正面から見据えた。

 

「……あのぉ、補習ですか?」

 

 とはいっても些かショックがでかいのか、いつもの鋭い眼光は少しばかりなりを潜めて、何か今にも肩を落としそうな雰囲気で刹那はそう切り出した。

 その言葉にネギは明日菜を見上げて、明日菜もそんなネギを見て、そして刹那に向き直ると首を振る。

 

「へっ?」

 

 目を丸くして、刹那は素っ頓狂な声をあげた。どういうことなのか。いやいや、動考えても、面子的に確定的に補習ではないのだろうか。

 そうして硬直している刹那に、ネギは一人勝手に意を決すると口を開いた。

 

「そ、その……魔法の──」

 

「そこまでです。ネギ先生」

 

 看過出来ぬ言葉を聞いて、刹那の表情は途端に冷たいものに切り替わった。その豹変振りにネギと明日菜は目を丸くするばかりだ。

 だが構わずに刹那は視線を聞き耳をたてている野次馬に向けた。

 

「何を話そうとしているのかは知りませんが。個人的に話すことで他の者がいるのは迷惑でしかありません……まずは、あそこに居る方々をどうにかするべきかと」

 

 その言葉で明日菜とネギは教室の外にいる、外で待っていたクラスメートの存在に気付き、慌てて明日菜が追い出しにかかった。

 遠くで喧騒が響き渡る。それが遠くなっていくのを確認してから、刹那は呆れた風にため息を吐き出した。

 

「……いくら子どもとはいえ、危機意識がなさすぎる。おそらく学園長から私のことを聞いたのでしょうが、それにしたって好奇心が強いウチのクラスです。ホームルームで名指しをすればこのくらいなるのはわかりませんでしたか? せめて人のいない場所で用事があるといってくれればよかったものを」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 シュンとうなだれるネギを見て言い過ぎたかなと内心で反省する刹那。軽く頬を掻くと「それで。何の用でしょうか? それと、神楽坂さんは魔法については?」と言った。

 

「あ、明日菜さんは、僕の協力者です。それでですね。実はお話というのは、修学旅行のことなんですが……」

 

「修学旅行……? わかりました。詳しくお聞かせください」

 

 そうしてネギが事の次第を語り始めたところで、明日菜も合流した。

 京都にて、西と東の和平を結ぶ使者に選ばれたこと。その道中での協力者として刹那を頼ったこと。

 それら全てを聞いた刹那は、しばし手を顎に添えて考えてから静かに告げた。

 

「……私の本来の任務は、近衛木乃香お嬢様をお守りすること。これだけです」

 

「へっ、そうなの?」

 

 明日菜が驚いた様子で聞いてきたので、刹那は小さく頷いた。

 

「私は、お嬢様を守るためにここに来た。その上で、麻帆良の夜の警護も勤めたり、可能な限り裏の事情に詳しい私は関わってきましたが……先に言っておきます。私はお嬢様の身柄を最優先する。ですが、そこに差し支えのない限り、先生の任務に協力することを約束しましょう」

 

 そうきっぱり言い切った刹那。だがそれでも協力を得られたということもあり、ネギは大いに喜んで、明日菜もそんなネギを優しい眼差しで見つめた。

 まぁ協力するからには仕方ない。今後のために色々と計画を練る必要があるだろう。刹那ははしゃぐネギを見ながら、そんなことを思うのであった。

 

 しかしホント、バカ認定されなくてよかった。いやホントに。

 

 

 

 

 どういうことだと歯噛みをする。総本山で先程行われたとある会合の一部始終を、強硬派の一人である直属の上司から聞いた天ヶ崎千草は、上から言われた「青山が介入する。計画は中止だ」という命令に苛立ちを隠せずにいた。

 西と東の友好。その話を聞きつけたときは正気を疑ったものである。それは上司も同じで、かつての大戦で被害を出した西洋の魔法使いと、今更手を取り合えるかという思いがそこにはあった。

 それは強硬派の幹部も同じであり、その親書受け取りを妨害し、さらに強引な手を使って詠春を倒し和平派を一掃する。今回はそういった筋書きであったはずだ。

 

「青山ぁ……」

 

 しかし、青山が出た以上最早それは叶わないのは、否定したくても千草にだってわかっていた。

 青山。

 神鳴流が生み出した禁忌の化け物にして、歴代最強の剣士。現役を退いてなお圧倒的な力を誇る青山鶴子を知っているがゆえ、その全盛期を倒した青山を千草は軽んじることは出来なかった。

 

「……どうしたんだい? 浮かない顔をしているね」

 

 頭を抱えて唸る千草の前に現れたのは、つい先日雇ったばかりの白髪の少年だ。それどころではないと怒鳴りつけようとしたが、そんなことをしても無駄と悟り、やや諦めた表情で、千草は洗いざらいぶちまけることにした。

 

「浮くも浮かないもありまへん。相手方に恐ろしい化け物が加わったんでな、どうしようか頭を悩ませているところや」

 

「ふぅん。それは、今言っていた青山って言う人のこと?」

 

 千草は片手を挙げることで肯定した。正直、本当に青山が介入するのであれば無理だ。千草も、青山を知る数少ない関係者の一人であるため、だからこそ青山という規格外を理解している。

 

「あんなん相手にするなら、それこそサウザンド・マスターを相手にしたほうが楽ってもんや」

 

 冗談染みた言い方だが、その言葉のほとんどは本音である。

 強さがどうだとかそういうレベルではない。

 関わりたくないのだ。だからこそ、アレは青山と言われている。

 

「ふぅん……でも、僕としてはやってくれないと困るんだけどな」

 

「ならあの青山をどうにかするんやな……まっ、あんな化け物。どうにかできるわけあらへんけど」

 

 投げやりに呟かれた言葉を聞いて、少年の目が僅かに細まった。

 

「わかった。なら、どうにかしてくるとするよ」

 

「なんやて?」

 

 顔を上げた千草だったが、そこにはもう少年の姿はない。

 一体何をするつもりなのか。何か、とてつもない失敗をしでかしたような、そんな気が千草にはした。

 

 

 

 

 



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第二話【花、散らす】

 

 花びら舞う夜。夕飯を美味しくいただき、酒も存分に堪能した俺は、酔いを醒ますために外に出ていた。

 手に持つのは、先程返してもらいに行って回収した十一代目──ではなくて、お借りした木刀である。十一代目は竹刀袋ごと腰に下げた状態なので、こうしていれば暴走する心配はない。

 いつも通り正眼に、ではなく、右手に持って肩に担いでから、左手を優しく添える。

 呼気は浅く。可能な限り身体を揺らさず、夜桜の散る世界に紛れるようにして、空気となった体を、散る花びらに影響を与えず、自然のままに一歩踏み込み、担いだ木刀を真っ直ぐ振るう。

 花びらの間を見切り、触れることなく下段まで降りぬかれた木刀が巻き起こした風が、地面に落ちた花びらを再び夜空に舞わせた。

 散って、乱れるからこそ花。風に吹かれるまま、なされるがまま、身を委ねるその姿は、剣士が夢見る夢想の境地を思わせた。

 だが花よ。

 そこは、俺も行き着いた。

 一刀。次は真一文字に薙いだ木刀は、風すら起こさず、花も揺らさず、何も斬らずに虚空を泳ぐ。

 斬るということは、斬らぬということだ。俺は斬るものを選べるからこそ、斬らないという選択肢も持っている。

 何もかも、斬らない。

 何もかも、斬る。

 この言葉は表裏一体。意味が異なるようで正に同一。斬るのである。だが斬らないのである。それがわかっているから斬るし、斬れるから、斬っていく。

 単純明快だ。人は俺を化け物と呼び、理解できぬ怪物と恐れているが、俺という個人はこうまで単純明快である。

 斬るのである。

 それだけを、どうして理解出来ない。

 表層に浮かぶ僅かな苛立ち。いつもなら感じるというよりも考えることもないそれは、ネギ君と出会ってから感じていることだ。しかし、そんな苛立ちも今振るっている木刀には微塵も響かない。至ったからこそ、俺という個人の思考は、斬撃という極地には影響しない。

 冷たく、凛と、花散るが如く。

 夜桜に溶けて俺は木刀片手に乱舞する。風に揺られるまま、己と全てを同化して。斬ることなく、斬っていく。斬られていくのは、弱い己。強く研がれていくために振るっていく刀は、次第に型などを無視した、夜の舞へと変わりいく。

 斬らないということを楽しめる。振るう刃が何も斬らない。斬ることを選ばない状況を、喜びをもって享受する。

 花に成れ。

 散り落ちていく。落ちた先に夢幻。

 乱れる花を見切る。真っ直ぐを断つようで、その実、閃きは花びらの如く揺れ乱れた。

 そうして暫く俺は、斬らぬ刃を堪能する。夜桜が生んだ閃き。散って、終わっていくこの景色があるからこそ、終わった俺はよく舞える。

 狂えばいい。

 狂って捻れて、真っ直ぐに歪んでしまえ。

 夜の桜は美しく、だからこそ狂気を予感させるから。

 

「……」

 

 そうして最後に我を通す。袈裟斬りが線上にあった花びらを悉く斬り裂いた。

 木刀を地面に突き立てる。体中に汗が滲み、額から流れる汗を俺は着物の裾で拭った。

 誇れる、刀ではない。

 いつからか。神鳴流の剣に違和感を覚えたのは。

 いつからか。奥技を使わなくなったのは。

 人の中に住まう魔のみを斬る。つまりは斬りたいものを斬る。その理念を違えぬようにしながら、いつから俺はその場所から外れたのか。

 これでは破門も当然である。

 そんな、取るに足りない俺だというのに。

 

「こんな俺に……何の用だ?」

 

「やはり、気付いていたんだね」

 

 木刀を暗がりに向けて投げつけると。突如噴出した水の触手が木刀を掴み、そのまま砕いた。

 水を従えて現れたのは、京都についた早々すれ違った例の少年だった。人形のような冷たい無表情で瞳が、無感動に俺を見つめている。

 

「その剣」

 

 少年は俺の腰に下がっている十一代目を指差した。

 

「それが、誰もが君を恐れている理由。というわけではないんだね、青山君」

 

「……」

 

「まぁいいさ。悪いけど、依頼主の目的と、僕個人の目的のため、君にここで消えてもらうことにした……何も言わずに消えるなら、それでもいい」

 

 どうやら、予想通りに身内の敵。俺の名前を知っているのがよき証拠。

 そもそも、消えるならそれでいいとはよく言った。

 俺が気付かなかったら、そのまま殺してきただろうに。

 返答はしなかった。代わりに竹刀袋の口を開く。そして静かに、護符を可能な限りに貼った相棒。十一代目を取り出した。

 

「……へぇ」

 

 十一代目が放つ気を感じたのだろう。少年は目つきを鋭くして、さらに水の触手を展開した。膨大な魔力量が場を満たし、桜の花びらが一斉に飛び散る。避けるように少年の傍には落ちていかない花びら。増大する一方の魔力量は、現在、俺が知覚できる範囲に居る術者では、援護に来てもまるで意味をなさない。それはこの異変に感づいて、こちらに向かってこようとする詠春様を含めたその護衛も同様だ。

 むしろ邪魔でしかない。来れば弊害。そも、害悪。

 この敵手を、集団で囲うなど、修羅外道の俺ゆえに許せるはずがないのだから。

 その意志を示すように、俺は十一代目の柄に手を添えた。

 そうして、俺の相棒を人の目に晒すのだ。

 凛と。

 奏でる。

 鈴の音色を響かせよう。

 

「その剣……なんていうアーティファクトなのか、教えて欲しいな」

 

「名はない。むしろ、俺は君の名を知りたいな」

 

「……確かに。僕だけ君を知っているのは、フェアではないかもしれない」

 

 なるほど、と頷いた少年は、感情のない瞳で俺を見据えたまま呟いた。

 

「フェイト・アーウェルンクスだ。悪いけど、君には僕らのためにも消えてもらう」

 

 名を聞けた。それだけでもう充分。

 

「……俺は、青山だ」

 

「知ってるよ」

 

「いや……」

 

 知らない。

 君は知らない。

 わかっていない。

 

「俺は、青山だ」

 

 繰り返し告げるこの名の意味を。

 忌み嫌われ、恐れられ続けるこの名前の本当の意味を。

 君は何にもわかってないよ。

 ゆっくりと封印を解く。強力な護符に包まれた十一代目が、最後の封印を開放された喜びに、刃鳴りを何度も響かせた。

 凛。

 りん。

 りーん、と。

 舞い散る花に揺らぎ狂う。ほのかな明かりをくすんだ鈍色で反射して、月光に身じろぎするは冷え冷えと刀。扇情的な曲線を描く鉄のしなりは、それこそ夜に煌く一陣の流れ星の如く。

 今、秘匿を斬る。相棒よ。青山の気をその一身にたらふく飲み込んだ一振りの斬撃よ。夜を抜ける冷めた鋼。修羅場を取り込む無名の刃。誰も彼も虜にさせる、凛と囁く君の声を、この映える桜に歌ってくれ。

 

「いざ、尋常に」

 

 ──花、散らせ。

 

 

 

 

 

「ッ……!?」

 

 フェイトは、突如豹変した青山の気の圧力を感じて、本能的に後方に飛んでいた。本当に咄嗟のことだった。全力で、なりふり構わずその場から逃げた。

 その直感によって、奇跡的にもフェイトは生き残る。

 やはり凛と、歌は響いた。遅れて斬と、フェイトの前髪がはらりと落ちる。

 障壁は破られていない。それはフェイトを驚愕させるには充分な出来事だった。

 多重に展開された彼の障壁は、並大抵の一撃では抜くことはおろか、減退させることすら難しい。それほど彼の防御は完璧だったし、彼自身も自信を持っている。

 その障壁が破られていない。

 だというのに、フェイトの前髪は切断された。

 

「……」

 

 様子見で展開していた水妖陣は──いつの間にか消滅していた。何をされたというのか。警戒心をむき出しに、先程まで自分がいた場所に立って、刀を振るった状態で止まっている青山をフェイトは睨む。

 油断しすぎた。東方の片田舎、そこで恐れられている程度の男でしかないと、その程度にしか考えていなかった。

 勿論、フェイトもかつての詠春の実力を知ってはいるし、それなりに警戒はしていた。油断しているところに攻め込み、瞬く間に無力化すると、そう考えていた。

 だが今の一合でフェイトは考えを改める。目の前の相手は強い。紅いの翼の構成メンバー、それ並に考えなければ、敗北するのはこちらのほうだ。

 フェイトは障壁を張った上で、さらに魔力で身体を強化した。そして、消える。

 その影を青山は目で追っていた。虚空に飛んだフェイトは、片手に魔力を凝縮して青山に牙を剥く。

 

「千刃黒曜剣」

 

 夜空を埋め尽くす石の剣が、青山を中心にその周りを取り囲むように展開された。回避も迎撃も、その時間を決して与えない。単純な質量すらも圧倒的な石の刃は、並みの術者を百殺しても釣りがくるほどの破壊の嵐。

 指揮者の号令の如く、フェイトが腕を一振りした瞬間、石の刃が青山目掛けて殺到した。

 体中に襲い掛かる死の行軍。むせ返りそうな牙の軍勢に青山は酔う。酒精などさっぱり消えた脳髄が白熱して、気分は落ちていくジェットコースター。

 だからほら、歌を歌おう。凛と響け鋼の歌よ。振ったという事実すら斬ったのか。青山の右腕がぶれたと思った瞬間、周りを埋め尽くしていた剣の群れは、一本残らず細切れとなり、音色だけが夜闇に謳う。

 空に影。音と共に飛んだ青山は月明かりに影を伸ばし、フェイトを黒く染めた。彼が見上げれば、長大な野太刀を、月を割るように真上に掲げた青山の影。寒気と悪寒と斬撃の予知。

 死ではない。

 斬られると理解した。

 

「……ッ!」

 

 空を蹴って、フェイトは地面に落下した。受身を取る余裕すらなく床にクレーターを作ったフェイトは、鈴の音が鳴らなかったことに安堵、する暇もなく。花びらの中を駆ける青山を見る。

 展開したのは石の剣。フェイトはそれを両手に持って青山を迎撃した。

 一撃だ。一撃当たれば、敗北する。確信に近い予感がフェイトにはあった。目の前の敵手の刃に己を触れさせてはならない。

 石と鋼が激突する。一方は大地を砕くほどの踏み込みを、一方は花すら揺らさぬほど静かに。震えた空気が二人の間の桜を吹き飛ばした。

 花が舞う。空に揺れる。青山の目は沈んでいる。

 眼光はなかった。人形であるフェイト以上に、その男は目の光がなかった。

 

「ッ!」

 

 フェイトにとって恐ろしい時間が始まった。青山の斬撃は、刃鳴りを響かせて石の剣を他愛もなく斬り裂く。そのたびにフェイトは石の剣を生み出して、返しの刃を受け止め、距離をとる隙をうかがう。

 だがそれは叶わないことだとわかっていた。青山を見誤った。この男を倒すのならば、初手は何が何でも距離を離して、遠距離から無詠唱の魔法を全力で放ち続けるしかなかった。だというのに、フェイトは不用意にも距離を詰め、初手を青山に譲ってしまった。

 最悪の展開だった。この距離にいる限り、フェイトでは青山を倒すことは出来ない。耳元で何度も鳴り響く鈴の音色が不愉快だった。斬るという歌声が不快そのものだ。

 そして一合毎にフェイトは死ぬ。だというのに、ぎりぎりでフェイトは生きていた。首に添えられた死神の鎌は、未だに彼の首を斬り落とさない。

 まるで自分を殺す意思でもないかのようだ。だがその心意は悟れない。無表情で、瞳が死んでいる男から一体何がわかるというだろう。

 果たしてどれ程の時が流れただろうか。鈴の音色は何重にも重なり、すでに音として認識できなくなるくらい。

 冷たい空間が生まれていた。音は失われ、散る花びらは止まり、空気すら静止して。

 そんな中で二人だけは動いていた。ともすれば穏やかであった。子守唄のように小さく聞こえる歌声を聴きながら、フェイトは死の道を行く。

 青山は無言で石の剣を斬り続けた。この程度なら、千も万も億を斬ろうが、十一代目は斬られはしない。だからこの状況が続けば、青山の勝ちは揺ぎ無かった。

 戦いは、詰んでいる。

 フェイトは初手を失敗し、青山はそのミスを見抜いて己の領域に彼を引きずり込んだ。

 でも斬らない。

 だけど斬らない。

 青山には確信があった。この少年なら、ネギにうってつけだという確信だ。当然、本気で戦えば、今のネギではフェイト相手に一秒すら持たないだろう。

 だが違う。

 そういうことではない。

 圧倒的な格上として、この少年ならネギに強さの必要性をさらに刻み込むことが出来る。エヴァンジェリンと青山の戦いは、ネギに戦いの恐怖を植えつけた。だからここで、圧倒的な格上に挑む勇気を得てほしい。

 ならば、ここで斬るのは──未来の俺のためにも躊躇われる。

 そして青山は微妙に隙を見せた。これまで軌跡がほとんど見えなかった青山が見せた大振りな斬撃。見ようによっては功を焦ったような一撃を、フェイトは目論見通り後方に飛んで回避した。

 

「……」

 

「……」

 

 互いにかける言葉はない。距離を離したとはいえ、そこは未だに青山の距離であるし、青山もまた、己の距離とはいえ油断慢心できるほど、フェイトという相手は御しやすい敵ではない。

 花は二人の姿を隠すように舞った。

 夜の桜に修羅場は似合う。

 美しく彩られたこの劇場で、仕合えぬことに不満はあった。だけれど今宵はここで終幕。

 

「何事だ!?」

 

 戦いが始まってまだ一分。それでもようやくというくらい遅く、詠春共々、彼らはその場に集まってきた。

 青山はわざとそちらに意識を向けた。その隙に、フェイトは真下に展開した水の転移陣に沈んでその場から消え去る。

 

「大丈夫だったか!?」

 

 詠春が青山を案じながら近寄ろうとして、その護衛共々、動きを止めた。

 桜並木の下。十一代目を片手に青山は空を見上げている。風が吹き、いっそう散っていく花吹雪が彼の身体を覆い隠す様は、幻想そのもの。

 はっきり言おう。悪夢だ。

 

「ヒッ……」

 

 その有り様に護衛の幾人かが小さな悲鳴をあげた。

 ただただ、何て有り様だというしかなかった。

 青山は刀を手にして立っているだけだ。それだけでなんという有り様なのか。

 勿論、誰かが聞けば青山はいつも通りに答えるだろう。

 この様だと。

 この様だから、斬れるのだと。

 だが、今は誰も声をかけない。かけられるわけがない。荒れ狂う花吹雪の渦の中、ただ一つ揺らぐことなく立つ男の背中はとても冷たくて。

 月光、月下、桜に映える修羅の背よ。

 

 凛、と小さく鈴の声。鞘に十一代目を仕舞った青山は、詠春達のほうに振り返った。

 

「問題はありません。詠春様」

 

 花散らす。その顔が隠れていることに、詠春は無意識のうちに安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 特に怪我もなく帰ってきたフェイトを見て、それだけで千草は目を見開いて驚愕していた。

 

「よぅ生きてましたなぁ……もしかして、戦わなかったとか?」

 

 そうだと思えば納得できる。結局、フェイトは青山と戦わずにおめおめと逃げてきたのだろう。

 だがフェイトは無表情のまま首を横に振った。

 

「いや、やってきた……正直、君の言うことを過小評価しすぎた」

 

「んな……あんさん、あの化け物とやってきて、それで生き延びたんどすか?」

 

「一方的に弄られたけれどね」

 

 そして千草には言わないが、まず間違いなく自分は手加減されて生き延びたとみて間違いないだろうとフェイトは確信していた。

 何故、という疑問はある。御しやすい相手と思われたのかとも考えるが、そうでもないだろう。一分程度手合わせしただけだが、青山はぎりぎりで手加減はしていたけれど、それは決して本気を出していなかったというわけではない。

 ならばどうしてなのか。フェイトが考えることはそこだけだ。神鳴流の流れを組んだ剣術を駆使していたところからして、前衛を幾人か増やし、自分は遠距離から砲撃を繰り返せば、かなりの高確率で制することは出来る。そしてその前衛に関しては、今回の計画が成功することで手に入ることが出来る。

 当然、こちらの計画は未だ漏れてはおらず、相手が出来ることといえば、精々今回の襲撃を踏まえて、総本山の警護をさらに厳重にする程度だ。

 たった一つの不確定要素が、こうも頭を苛む。しかしフェイトの個人的な目的を果たすためには、青山という存在はあまりにも厄介極まりないものであった。

 だが迷っているにはあまりにも計画までの時間が短い。リスクは覚悟で、フェイトは脳裏で計画の方針を改めた。

 

「すまないけれど、計画を少々変更してもらっても構わないかな?」

 

「……勝算は?」

 

 ある。とは強く言えない。だが少なくとも、座して待つよりははるかにマシである。

 

「まぁ、最低限はしてみせるさ」

 

 問題がさらに増えたな。フェイトは内心で苛立ちとともにそう毒づいた。

 

 

 

 

 

「正直、先生がここまで使えないとは思いもしませんでした」

 

 痛烈であった。直球で心をえぐる一言に目を白黒させて、ネギは力なく膝をつく。

 

「うぅぅ。明日菜さぁん」

 

「ごめん。弁解できないわ」

 

 唯一の味方であるはずの少女もそこには同意なのか。視線を逸らして言い辛そうに呟いた。

 

「おしまいだぁ……僕はもう駄目だぁ」

 

「あ、あ。で、でも! 遠距離からの魔法に関しては目を見張るものがありましたので! 優秀な前衛が居るのを考えれば充分だと思います!」

 

 慌ててど真ん中をえぐった少女、桜咲刹那がフォローに入るが、それでも打ちのめされたネギはしおれたままである。

 まさにしなびたネギだ。力なく倒れたアホ毛が妙に哀愁を誘った。

 時は放課後の相談から少しばかりしか経っていない。ネギ、刹那、明日菜、そしてカモのご一行は、人払いの結界を敷いてから、ネギがどの程度自衛できるのかを確かめるために、刹那と一対一で試合を行ったのだが。

 結果は、無手の刹那に対して、ネギは初手に魔法の射手を放ち、それを防がれ、次の詠唱を行うよりも早く間合いを詰めた刹那に制されてあえなく完敗、といったところだった。

 

「んー。でもさぁ刹那さん。前衛ってのを私と刹那さんがするなら問題ないんじゃないんですか?」

 

 そんなこんなで、観客として試合を見ていた明日菜の素朴な疑問に、刹那は特に否定するでもなく、普通に頷きを返した。

 

「ネギ先生を特使として考えて、私たちがそれを護衛するに足る人間であればそれでいいのですけどね。問題なのは、今回の旅で私はそもそも彼の護衛に専念するでもなく、神楽坂さんに至っては本来は関係ない一般人です。とあればネギ先生の警護は完璧とは言えず、必然、万が一を考えた場合、自衛の手段は必要です」

 

「だけど、ネギには魔法があるでしょ?」

 

 初手で全てが潰されたとはいえ、ネギが放った魔法の射手の威力と数は、素人である明日菜の目から見ても凄いというのはわかった。

 その威力があればそう安々と負けることはないのではないか。そう思っている明日菜に、刹那は「先程の戦い、何であっけなく決着がついたのでしょうか?」そう聞いてきた。

 

「何でって……あ」

 

「そう、ネギ先生は距離を詰められれば、ただの子ども程度の能力しかない」

 

 明日菜が思い至った答えを刹那は代弁した。

 砲台の役割としての魔法使いとすれば、ネギは充分以上の実力があるだろう。しかし、今回の特使としての役割は、それだけでは足りない。刹那はネギばかりにかまけていられないし、明日菜は仮契約を行い、人並み以上の身体能力があるとはいえ一般人。

 ならば、ネギ自身にも相応の力は必要になってくる。

 

「でもさ刹那さん。こいつ、まだ十歳のガキンチョだよ?」

 

「だが教師で、さらに言えば学園長から依頼を正式に受けた人間です……それに、圧倒的な天才は、ネギ先生の年齢から頭角を現している」

 

 そう呟いた刹那の目が少しだけ暗くなる。だがすぐにその闇を振り払うと、刹那は「ともかく」と話を戻した。

 

「残りは五日、その間に最低でも自身への魔力供給による身体能力の上昇くらいは覚えていただきます。私は気を扱うので、厳密には違う系統の話ですが、コツなどはおそらく同じなはずです。それに平行して気の扱いの練習もしていただいたほうがいいかもしれませんが……大丈夫ですか?」

 

「はい……ちょっとくじけそうでしたけど、大丈夫です」

 

 まだ少しだけ涙目だけれど、ネギは立ち上がって刹那の提案に頷いた。

 そうだ。落ち込んでいる余裕なんて何処にもない。あの戦いを経て、己の力が無力でしかないことなどわかったはずだ。

 ならば、ここから始めていく。胸のもやもやを払拭するために、自分はもっともっと強くなる。

 そうした少年らしい真っ直ぐな誓いを胸に、この日からネギは加速度的に強さを手にしていく。

 それこそ、当人や周囲の人間すら驚くほどに。

 だからこそ、誰も、本人すらも気付かない。

 そこまでして何故強くなろうとする。

 どうして強さにそこまで固執する。

 何故、どうして。天才とは言われながらも、復讐のために戦闘用の魔法を手に入れながらも、これまで以上に強さを求めはしなかったというのに。

 どういうことなのか。それはきっと、ネギすらわからない。胸の中に潜むもやもやのせいなのか。

 

 その答えを知る者はきっと、ネギの変化を知れば冷たい瞳の奥に、ほのかな喜びを浮かべたに違いない。

 

 

 

 

 

 絡繰茶々丸はロボットである。それこそ、機会オンチな人間から見れば、ただの人間と見分けがつかないほど、彼女は人間を模して精巧に作られたロボットである。

 心の如きAIに、人と同じように感情表現を表すことが出来る性能。さらに身体能力は常人をはるかに圧倒し、魔力や気で強化された術者にすら、その単純なスペックで圧倒する。

 そして彼女の優れたAIを使ったハッキング機能や、各種武装の取り扱いによる完璧なサポート機能。

 まさに至れり尽くせりの近未来型スーパーロボットとでも言える彼女は、ともかく人間ではなく、厳密に言えばやはりロボットなのである。

 だからこそ、青山はそのことを見逃し、決定的な証拠を与えてしまったのだった。

 麻帆良学園のどこかにある一室。カーテンも締め切り暗くなった室内で、唯一の光源であるモニターに映っているのは、大停電時に行われたエヴァンジェリンと謎の男の一戦であった。

 そのモニターを見つめるのは三人。三人共、ネギのクラスメートである。

 

「……とまぁこのとおり、いつの間にかこの学園内に、全盛期の力を取り戻したエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと、なんの冗談かモップで互角に渡り合った猛者が居るのが判明したネ。正直、今後の私たちの計画に大きな障害となるのはまず間違いないと見てもいいヨ」

 

 僅か一週間にも満たない時間の間に、科学研の技術を全て注いだロボットである茶々丸が、二回も修理に送られるという事態。一度目は何が起きたのかも茶々丸の映像からではわからなかったが、二度目は、四肢を破壊されながらも茶々丸はその映像は克明に映すことに成功していた。

 藍色の着物を着てモップを片手にエヴァンジェリンの猛攻を凌ぎ、さらに不死の肉体に回復すら難しい傷を与えるという異能。

 

「調べによると、彼はネギ先生が就任する一ヶ月程度前に麻帆良学園の清掃員として来たね。あまりにも地味であったために完全にマークから外れていたが……まさか、あんな隠し玉を学園が招き入れていたとは」

 

 本当に予想外である。見た目は飄々としながらも、内心で苛立ちを隠しきれずに、超鈴音は深くため息を吐き出した。

 

「えーっと……茶々丸が記録した映像データを元に、彼、青山さんの戦力を換算したところ。低く見積もってAAA。高畑先生クラスであると思います」

 

 パソコンの映像を見つめながら、葉加瀬聡美が最早笑うしかないといった風な笑みを浮かべながらそう言った。

 低く見積もって、タカミチクラスの実力。それはつまり、最大限に警戒するのであれば、青山はかつての大戦の英雄。サウザンド・マスターと同レベルに考える必要があるということになる。

 

「……そもそも、彼はどういった経緯でここに来たのか。どういう目的があるのか。強い者と戦いたいというだけの理由であれば、与しやすいと思うが?」

 

 最後の一人、龍宮真名がそう意見を言ってきたが、超は首を振ってそれを否定する。

 

「残念ながらそれは違うネ。一度目の映像の後、彼と学園長との会話記録を調べたのだが、彼の目的はネギ先生の護衛、その一点であるということがわかったネ」

 

「つまり、彼は学園側の人間である。そういうことかい?」

 

「しかも、他の魔法先生にも知らされていないところからみると……懐刀と見たほうがいいアル」

 

 その一言で、ただでさえ暗い室内にさらなる暗い雰囲気が漂い始めた。

 今年の麻帆良祭で行うはずだった一世一代の計画。そこに突如として現れた最大の障害は、流石の超ですら青山という化け物の存在までは予測できなかった。

 

「……もしも彼が敵に回った場合、学際中に使用できる切り札を扱えるのを前提としても、我々の敗北はほとんど確定ヨ」

 

 楽観的に見積もってもタカミチが一人追加されるという現実。しかもアレは、戦闘映像を見る限り明らかに立派な魔法使い、つまりは正義の味方などではない。そうした類とは種類の違う、別物の化け物。

 端的に言えば悪という部類に属するものであろう。

 

「だが、我々は今更計画を諦めるわけにはいかない」

 

 超はそう言ってから静かに語りだす。

 

「彼を調べ上げ、如何にして対処するか。今後はそこに重点を絞って、計画の見直しなどを進めていくが……さしあたっての情報として、今彼が京都に行っているということがわかっているネ」

 

 京都といえば、彼女達が数日後行くことになる修学旅行先と同じだ。そしてそこにネギが行くことからも、彼の目的の概ねは把握できるだろう。

 だからこそ彼がどういう状況で動くのか。どうやって護衛を行うのか。様々な場所から覗くチャンスとも言える。

 

「そこで龍宮サンには一働きしてもらうネ」

 

「察するに……例の青山という男を見つけ出し、京都における行動を監視。可能であれば、無力化の算段を考えろとでも? 映像を見る限りでは、この依頼……高くつくぞ?」

 

「そこは承知の上ね。こちらからは無理を言って茶々丸に修学旅行とは別口で京都に行ってもらったネ。今頃ある程度の情報は調べているはずだから、私も可能な限り協力はおしまないヨ」

 

 その言葉に真名は僅かに驚いた。超自らこの危険な依頼に関わるというのは、これまでなら考えられないことだ。

 

「……お前は裏方で暗躍するタイプだと思っていたのだけどね」

 

「そうも言っていられない状況ヨ。それに──」

 

「それに?」

 

「いや、なんでもないネ」

 

 超の歯切れの悪い言い方に疑問を覚えながら、特に何かを聞き出すでもなく、真名は一応の話の区切りがついたものと見てその場を後にする。次いで聡美もパソコンの電源を落とすと、そそくさと部屋を出て行った。

 そして一人、モニターの光だけの暗がりに残った超はスッと目を細めた。

 

「青山……」

 

 その名前は超もある程度は知っている。映像と照らし合わせれば、おそらくは神鳴流の流れを組むのは、武術にも長けている彼女であれば見当はつく。

 青山。神鳴流が宗家にして、神鳴流でも郡を抜いた実力を誇る化け物どもの名称。裏に通じていれば、特に日本という極東の裏を知っていれば、誰もが聞いたことのあるその名前。

 だからこそ、疑問だった。

 だからこそ、恐ろしい。

 

「お前は……」

 

 未来人という、誰に言っても信じないだろうから誰にも言っていない彼女の出生。未来から来た人間である彼女は、この時代に転移するに当たって、可能な限りその時代の情報を調べ上げた。そうすることで、自身の計画においてもかなりのアドバンテージになるからだ。

 だからわからない。

 何でだ、という疑問がわく。

 なぜならば。

 

「一体、何者ネ」

 

 超の知る未来に『青山と呼ばれる男は、この時代に詠春しか存在しなかったはずなのだ』。

 闇の福音と互角の実力を持ちながら、それほどの強さを持ちながら、超の知る未来には存在すら見当たらなかったおぞましさ。

 そこが、己が動く必要があると思うくらい、超が青山を警戒する理由に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 そして、それぞれの思惑を乗せて、修学旅行は賑やかな喧騒とともに始まりを告げる。

 最早、超の知る未来とは異なるこの世界で、犯してはならぬルールは一つ。

 

 鈴の音はだけは鳴らしてはいけない。

 

 それだけだ。

 

 

 

 

 



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第三話【迷いを振り切る拳】

 

 修学旅行当日、この五日間の特訓の疲労でぐっすりと眠った僕と明日菜さんは、木乃香さんに優しく声をかけられて起床した。

 旅行を前にしたワクワクと、大事な使命を果たさなければならないという緊張感がない交ぜになって、僕らは顔を突き合わせれば曖昧に笑い合って、クラスの皆さんからは色々と冷やかされたりもした。

 まぁ、正直言って楽しみです。

 それにこの五日間、刹那さんの下で身体能力の強化と、ある程度の護身術を学んだおかげで自信もついたっていうのもあるんだけど。

 この五日間を簡潔に言うと、僕は魔力による身体能力の強化はすぐに出来たので、それからは気の扱いを学びつつ、明日菜さんとともに刹那さんと試合をこなしてきた。その間に、明日菜さんは仮契約で手に入れたアーティファクトを使えるようになった。

 ともかく、五日前の僕に比べれば、随分と強くなったという自信はある。それでも刹那さんには明日菜さんと二人がかりでもまだ勝てないんだけど……

 

「ふぅ……」

 

「緊張かい兄貴?」

 

「いや……うん。ちょっとだけね。何もなければいいんだけどとは思うけど」

 

 カモ君の僕を案じる様子に、できるだけ不安を見せないように笑って答える。

 学園長も言っていたけれど、危険になるのは本当に万が一だ。幾ら東と西の仲が悪いといっても、この旅行で僕を襲撃すれば組織としては動かなければならなくなり、場合によっては激突することもあるかもしれない。

 そうなれば後は血みどろだ。子どもの僕にだってそれはわかるし、そんな組織間の力を削ぐようなやり方は、互いに本意ではないだろう。

 精々、狙いは僕が持つ親書を奪うくらいの嫌がらせのはず。

 と、思いたいんだけど。

 

「……大丈夫かなぁ」

 

「大丈夫だって! こっちには強い前衛が二人いるんだ! 何があっても姐さんがたが戦ってる間に兄貴がドカンと一撃かませばそれでオールオッケーよ!」

 

 カモ君は強気にそう言うけれど、正直、僕は二人の力は出来る限り借りないようにしたいと思っている。

 そもそも、彼女達は僕の生徒だ。僕は彼女達を守るのであり、本来その逆はあってはならない。

 

「……改めて言うけど、もう仮契約を勝手にやろうとか思ってないよね?」

 

「お、おう。そりゃもう、大丈夫だって」

 

 どもったのが怪しいけど、納得するほかないだろう。

 エヴァンジェリンさんとの戦いから少し経って、僕は仮契約を行っていこうというカモ君の言葉を全部否定した。

 正直、あんな恐ろしい戦いに誰かを巻き込むなんて、僕はもう我慢できない。今だって明日菜さんを巻き込んだことを後悔しているくらいだ。

 自分本意。

 全てが我がまま。

 そんなことに誰かを巻き込む。ましてやクラスの皆さんを巻き込むなんて許されない。

 改めて思い出したんだ。小さい頃、村が炎に焼かれたあの日の惨劇の恐怖を。親しい人達が失われていく恐怖は、もう一度だって味わいたくない。

 そう思いながらも、僕は結局今回の旅行に危険を持ち込んでいる。幾ら一般人を巻き込む危険は少ないとはいえ、万が一がありえる代物を僕は抱きかかえている。

 僅かな不安と、大きな自己嫌悪。

 それでもこれが立派な魔法使いとして、西と東という極東の一大組織の橋渡しになるのであれば、行う必要は充分以上にあるはずだ。

 そんなことを考えながら、京都へ向かう新幹線の中。道中にも妨害があるかもしれないということで、クラスの皆の様子を見て回りながら、周囲を警戒していたら、刹那さんが席を立って僕のほうに寄ってきた。

 

「あの、ネギ先生……」

 

「あ、ハイ。どうしましたか刹那さん」

 

 刹那さんの表情はいつもクールで凛々しいけれど、今の刹那さんは試合のときのようにぴりぴりとしている。

 どうしたんだろうと思って首を傾げた僕に、刹那さんはそっと耳打ちしてきた。

 

「術者の気配がします。お気をつけて」

 

 その言葉に、旅行で少しだけ浮かれていた気持ちが引き締まる。小さく頷いた僕は、懐から練習用の杖を取り出して、辺りを見渡した。

 といっても、僕にはそういった探知能力みたいなのはないので、そういう部分は刹那さん頼りだ。

 

「ひとまず、明日菜さんにもカードを使って念話を。こちらに合流してもらいましょう」

 

「え、でも……」

 

「今更、巻き込むのは気が引けるとでも? それなら勘違いだ。あなたの持つ親書が送られれば長年の因縁に一応のケリがつく。そう考えれば、今は一般人とはいえ彼女の助勢も必要です」

 

 僕の迷いを見抜いた刹那さんがはっきりと告げる。その言葉は言われればその通りであり、僕は言い返すことも出来ず、結局明日菜さんを呼ぶことにした。

 

「ネギ……!」

 

 念話をしてすぐに明日菜さんは僕らのところに来てくれた。一応、一般人に見られないように人気の少ない車両と車両の間で僕らは固まると辺りを警戒する。

 

「……よし。では私は周囲の警戒がてらお嬢様の元に行きます。何かあれば、連絡用の護符で呼んでください」

 

「わかりました……!」

 

「それでは、ご武運を」

 

 刹那さんは一礼すると、皆の居る場所に戻っていった。

 そういうわけでここからは明日菜さんと二人だ。何処から来るかわからない相手に緊張感を高めていながら待っていると、何処からともなく楓さんがいつもののほほんとした面持ちで現れた。

 

「なにやら物騒でござるなぁネギ先生」

 

「楓さん!? えっと、その! こ、ここはあれです! ちょっとあれなので席に戻ってくださりませぬものでしょうか!?」

 

 どうしよう!? いつ襲撃があるかわからないのに楓さんを巻き込むわけにはいかないよ! 「あんた、そんな慌ててたら何かありますよって言ってるもんじゃない」って明日菜さん! そんなに冷静に突っ込みいれてないでどうにかしてくださいよぅ!

 

「ふむふむ。どうやら何かしら問題がある様子……どうであろう? 拙者であればお手伝いするでござるよ?」

 

「え!?」

 

 僕は驚いて楓さんを見上げると、頭にそっと楓さんの手のひらが乗っかる。

 

「なぁに。おそらくは先程から嫌な気を飛ばしている者と何かしら関係があるのでござろう?」

 

 手のひらの感触の暖かさに心地よくなる暇すらなく、僕と明日菜さんは的確な楓さんの言葉に顔を見合わせた。

 その様子を見て悟ったのだろう。楓さんは何度か頷くと「少なくとも、足手まといにはならぬつもりでござるよ」とさらに続ける。

 

「ですが……! 楓さん。こっちの世界はとっても危険なんです! 僕、僕は……」

 

「ふむ。やはりネギ先生と明日菜は何かあったのであるな。察するに……停電の日、何かあったのでござるか?」

 

「……なんというか、楓さんって、エスパー?」

 

「ただの忍者でござるよー」

 

 と、指を立ててふにゃっと笑う。「それはそれでどうなのよ」と突っ込みを欠かさない明日菜さんとは違って、僕はその笑顔に頼もしさを感じて、ほっと一息僕は安堵のため息をついた。

 なんというか、言っても駄目なんだろうなぁとか勝手に思ってしまう。そう思うのは僕の身勝手な妄想か。でも、だけど。

 僕は、まだ弱いから。

 

「あ、あの……危なくなったら、逃げてくださいね?」

 

「それはお互い様でござるよ。それに拙者、逃げ足に関しては得意でござるゆえ」

 

 安心なされよ。と何処か芝居かかった言い草で楓さんは言うと「それで今はどういった状況でござる?」そう聞いてきた。

 こうなったら仕方ないと無理矢理納得して、ある程度かいつまんで今の状況について説明する。

 

「ほう。つまり、その親書とやらを届ければ、先生は安心して旅行を楽しめると」

 

「そ、そういうことです。それで、これが親書で……」

 

 僕は懐に大切に仕舞っていた新書を取り出して、楓さんに見せた。

 瞬間、楓さんの目の色が変わり、その右手が残像を残してぶれる。何かが切り裂かれる音と、遅れて床に落ちてきたのは──紙?

 

「ふむ。早速、役に立ったでござるな」

 

 楓さんはそう言いながら、手に持ったクナイを器用に回して落ちた札を見つめる。

 一瞬のことで僕にはわからなかったけど、間違いない。これって刹那さんと同じ式神っていう魔法の一種だ。

 

「ふむ……とりあえずそれは仕舞ったほうがいいであろう」

 

「あ、はい!」

 

 慌てて僕は親書を仕舞うと、再び杖を構えようとして、その手をそっと楓さんに押さえられた。

 

「そんなに肩肘張っていては疲れるだけでござるよ。今のであちらもここで手を出そうとは思わないはず……ひとまず席に戻ってのんびりするでござる」

 

 楓さんはそそくさとクナイを何処かに仕舞うと、元来た道を戻って自分の席に向かっていった。

 

「はー……刹那さんと言い、ウチのクラスって凄いのねー」

 

 唖然と、というか驚きが大きくて唖然とするしか出来ない明日菜さんと、僕も心境は同じだ。

 ともあれ、自分の力ではないにしろ襲撃を回避できたし、誰かが狙っているという事実もわかったから……うん。何とか頑張っていこうかな。

 

 

 

 

 

「……こんなんでよろしいんかいな?」

 

『上等だよ。これで僕らのことを彼は意識したし、青山も道中でネギ君を中心に絡んでいれば、そちらに意識が向くだろう』

 

 護符を通して念話をするのは、新幹線の従業員として乗り込んだ千草と、京都で待つフェイトだ。

 本来の計画なら、ここで混乱を起こして親書を一気に強奪するはずだったが、フェイトの助言により、一般人には混乱を与えず、ネギのみを狙う方向に切り替えた。

 一体これに何の意味があるというのか。そう千草は思うが、先日、フェイトが青山と戦い、生き延びたというのを上司からも聞いているので、彼の実力は疑うまでもない。そんな少年が計画を上手く行う方法があるというのだから、八方手詰まりになっていた千草には渡りに船。というか半ば自暴自棄に近かった。

 何せ、相手の護衛には青山が居る。だからこそ新幹線という場で全てに決着をつけたかった千草ではあったが、今はフェイトの助言を聞いていてよかったと安堵していた。

 

「全く、従者が居るなんて聞いていなかったですえ。しかもあの小娘、随分と腕が立つやないか。さらに神鳴流の使い手までいるとは、前途は多難やなぁ」

 

『式神の目で僕も見たが、確かにかなりの腕前みたいだね。だが彼女達だけなら、手持ちの札、二枚とも投入すれば抑えることが出来る。そして肝心の青山はネギ・スプリングフィールドの護衛だ……夜を待とう。上手くいけば、今夜中にお嬢様の奪還は可能だ』

 

「まっ、上の意見も無視しての単独行動や。今更はいそうですかと引くわけにもいかんしなぁ……頼むで新入り。あんたの腕だけが頼りだ」

 

『善処はするさ』

 

 千草は護符を仕舞うと、襲い掛かってきた虚脱感に肩を落とした。

 こうして行動をしてはいるが、正直、計画が成功するとは思っていない。

 だって、青山が居る。使者に手を出せば、あの化け物と相対しなければならなくなる。

 

「ッ……」

 

 そう考えるだけで千草の身体は震え、思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。

 

「わかってないんや……あの化け物を。青山が何で青山って呼ばれているのか……」

 

 西の組織の上に近い人物ゆえにその名前を知り、知っているが故に誰よりも恐れる。千草の上司も、先日、総本山で青山と出会ったときは震えるのを抑えて、虚勢を張るように苦言を語るしか出来なかった。

 あれは異常なのだ。宗家、青山として生まれ、時代を担う後継者として育てられ、そしてずれてしまったから。だから、使者の妨害という隠れ蓑を用いて行うはずだった本来の計画すら、上は諦めるしかなくなった。

 敵は青山だ。あれならば、計画の要である封印された鬼神ですら、敗北する可能性は高い。何故なら、あれは己の刀ただ一本だけで、恐ろしき力を持った鬼の頭領すら斬り落としたのだから。それを知っているからこそ、計画の破綻の確立は高いと理解していた。

 

「クソ……」

 

 だがそれは抜きにしても千草は知っている。使い魔を通して見た、青山同士の壮絶な戦いと、その結末を。

 だからこそわからなかった。どうして青山家はあの化け物を迎え入れた? 破門として、追放をして、そうすることしか出来ないくらいに圧倒的に狂ったあの人外を。

 だって、知っているのだ。

 あの戦いの顛末を、千草は知っている。

 

「青山……」

 

 苦し紛れに呟いた一言。

 脳裏に浮かぶのは、手にした刀ごと利き腕を斬り飛ばされた、歴代最強の使い手、青山鶴子が血の海に沈む姿と。

 

 涙を流す少年が口を三日月に象りながら、己が斬り伏せた姉を見下ろすおぞましい光景。

 

「青山ぁ……!」

 

 知れば、誰もが恐怖する。

 だからこそ人は彼を、青山と呼ぶのだ。

 

 

 

 

 

 

 襲撃は些細なものだった。とはいえ、油断したら親書を奪われそうなので、その都度、僕と明日菜さんと楓さんは、一般人に気付かれないように気をつけながら、襲撃を逃れていた。

 人前ということもあり、襲撃が散発的だったのもよかった。刹那さんも時折僕たちを気にかけてくれたこともあり、とりあえずその日は無事に今日の宿にまで辿り着くことができて、僕はとっても満足していた。

 むふふ。さりげなく風を操ったりしてサポートできたぞぉ。明日菜さんも何でか魔法系統を無効化にするハリセンで、上手く札とか無効化してくれたし。

 特に楓さん。分身が凄くて、一に分身、二に分身、三四にニンニン、五に分身と、八面六臂の大活躍だった。

 というか、ほとんど楓さんの分身が全部片付けてくれた。

 うん。

 白状する。

 わかっているのだ。

 僕と明日菜さんは、ほとんど何もしてません。

 

「正直、私らじゃなくて楓さんに親書預けない?」

 

 明日菜さんの助言に思わず頷きかけるほど、楓さんは今日の襲撃を全て、事前に、完璧に防ぎきってくれた。

 そりゃもう凄かったってものではない。

 式による襲撃は分身が壁になって防ぎ。

 僕らを嵌めようと待ち構えていた落とし穴は分身で埋め尽くし。

 何故かお酒になった水を分身で飲みつくし。

 空から落ちてきた蛙を分身で回収しつくし。

 ともかく分身、やはり分身。今日も明日も分身だけとばかり、分身がゲシュタルト崩壊するくらい、分身尽くしの今日であった。

 というかここまでやって誰にも異常を悟られないのはどうしてなんだろう。それだけが不思議である。

 

「なんにせよ。これで今日は一安心──」

 

「なわけありません。結界の準備をしますよ」

 

 ほっと一息入れようとした僕らに忠告をしてくれるのは、いつもの刹那さんである。手には数枚の護符を持ち、辺りを見れば何枚かすでに張ってある。

 現在、宿に到着して食事も終わった後の自由時間だ。クラスの皆に部屋に来てと誘われたりしたけれど、それを何とか振り切って、宿のロビーに僕らは集まっていた。

 

「むしろ寝静まる頃こそ警戒してしかるべきです。一安心など持っての外……ていうか、楓、あなたもこちら側の人間だったのですね」

 

「なんのことやら」

 

 茶化すように笑った楓さんに、刹那さんはそれ以上追及することなく、再び僕のほうに向き直った。

 

「今のところ、新幹線のときのように露骨な気配は感じませんが、何処に襲撃者がまぎれているかわかりません。一応宿全体に護符は貼りましたが、ネギ先生自身も結界を張って警戒するようにしてください。当然、親書はちゃんと持っていてくださいよ?」

 

「は、はい!」

 

「よろしい。いい返事です」

 

 刹那さんはふんわりと優しく微笑み「では、お嬢様の部屋の護符を貼りに行きます」と言ってその場を後にした。

 

「いやー仕事人って感じだよね刹那さんって」

 

 だからこそ、何とかしてあげたいなぁという明日菜さんの意見に、僕も同意であった。

 木乃香さんの話だと、小さい頃はよく遊んでいた彼女の幼馴染らしく、何故か今は接する機会がなくなったらしい。木乃香さんは刹那さんに嫌われたのかなぁと寂しげに言っていたが、あの忠犬の如き姿勢を見れば、それはないということくらい僕にだってわかる。

 

「どうせだから、これを機会に仲良くなれるように出来ないかしらねぇ」

 

「そういうのは余計なお節介でござるよ。こういうのは、当人同士、ゆるりと展望を待つのがよいでござる」

 

「そんなものかしら?」

 

「そうでござるよ」

 

 そうなのかぁ。明日菜さんと二人、楓さんの意見に納得。ってそんなことをしている場合じゃない!

 

「僕、早速部屋に戻って結界を張ってきます!」

 

「あんたそんなのもできたの?」

 

「えっと、こういうこともあろうかと魔法学校の事典と各種魔法薬も持ってきたので、なんとかそれなりには出来ます」

 

 これは刹那さんとの特訓で思い知ったことだ。僕なんかの戦闘力ではたかが知れている。だから事前の準備が大切だと思って、しっかりと荷物を持ってきたのだ。

 惚れ薬の件もあるので、明日菜さんは納得してくれたらしい。楓さんは……にんにん。

 

「では、拙者も一つ働くとするか」

 

 そういい残して楓さんはあっという間にいなくなってしまう。

 こうしてロビーには僕と明日菜さんの二人だけ。とはいってもすぐにクラスの誰かに見つかるとは思うけど。

 

「明日菜さん」

 

「ん?」

 

「ありがとうございます」

 

 今だから、感謝しなくちゃいけない。僕はこれまで結局言おうとして言えなかった言葉をようやく言えることが出来た。

 

「ちょ、いきなりどうしたのよ」

 

 明日菜さんは僕の言葉の意図がわからずに混乱している。

 でも、僕はとっても感謝しています。あんな怖い目にあったのに、それでも僕の傍から離れずに、それどころか守ってくれている。

 本当に。本当に、明日菜さんがいてよかった。

 

「僕、明日菜さんにお礼を言うしかできませんけど……絶対に、明日菜さんが困っているとき、僕、力になりますから」

 

「んー……なんだかわからないけど。まっ、何かあったらよろしく頼むわ」

 

 だから今は行きましょ? 明日菜さんは得意げに笑ってくれる。

 

「はい!」

 

 よし、頑張ろう。僕は杖を握ると、明日菜さんとともに自分の部屋に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 青山を潰し、かつネギの現在の能力を測る。随分と厄介な仕事だが、千草の本来の計画を遂行するだけなら、ネギは随分といい隠れ蓑である。フェイトはネギ達が泊まる宿の傍に生えている木々の上に立ち、計画の成り行きを見届けていた。

 とにかくネギを中心にちょっかいをかける。そうすることで、千草の計画に必要な近衛木乃香への注意を逸らすのだ。

 そして頃合いを見て、彼女だけを奪取する。後は眠った鬼神を復活させ総本山を叩き、依頼元である西の長が青山を呼び寄せたところで、ネギの力を試し、最後は鬼神、自分、今回の依頼の請負人の二人とともに青山を潰す。

 作戦自体はシンプルだが、それゆえにはまりやすい。第一、細かい策略や策謀など、少人数である現状で立てられるわけがないのだから。

 千草の計画と違うのは、可能な限り一般人を巻き込まないこと。そうすることで、こちらが隠密にネギの親書を狙っているということを植えつけるのだ。

 それも随分首尾よくいっているネギを中心に警戒網が張られているのがわかる。

 

「問題は、彼だな」

 

 青山。結局この日、彼は動くことはなかった。ネギ本人に害があるわけではないので当然だが、しかし親書が奪われるかもしれない襲撃を何度も行っているのに何のアクションも起こさないのは少しばかり違和感があった。

 このことから、フェイトは青山の目的は親書ではなく、ネギにあると推測した。勿論、安易に決め付けるのは早計だが、それでもこの推測はあながち間違っていないのではないかと考えている。

 尤もネギを表向き護衛している者が優秀だから手を出さないだけとも考えられるが。あれほどの熟練者だ。襲撃を察しただけで、その術者を捕捉することくらい可能なのに、特に何かするわけでもないのが証拠だった。

 

「ネギ・スプリングフィールドを見守っている……もしくは、経験を積ませようとしている?」

 

 とすれば、あの戦いで自分をいつでも殺せる状況でありながら逃がしたのにも納得がいく。襲撃者である自分を、上手くネギにあてつけて、可能な限り実戦を体験させることで……どうする?

 フェイトは無表情の奥で思案する。もし自身の予測が当たっていて、経験を積ませようとしているのなら、それは何故だ? 英雄の息子に相応しい能力を得てもらうためか?

 いや違う。あの男はそんな殊勝な考えをもってはいない。そんなことを考えるような人間ではない。

 

「まぁいい……それもこの夜でわかることだ」

 

 後ろを振り返ると、それに呼応するようにフェイトとそう背丈の変わらぬ少女と少年が現れる。

 一人はフリルの沢山ついた可愛らしい白のワンピースを着た少女だ。だが見た目の愛らしさに似合わぬ冷たい刀を二本持っている姿はアンバランスではあるが、逆にそれがよく似合っている。

 もう一人は学生服の少年。ニット帽を深く被り、やんちゃな色を瞳に宿し、口元はこれから始まる戦いを思ってか笑みを浮かべていた。

 

「それで、ウチらはどないすればいいのですか?」

 

「せや。まぁ依頼人の言うことやから言うこときいてるが、奇襲とかはあんますかんで」

 

「……何、君達には正々堂々と戦ってもらうさ。でも今夜は次に向けてのいわゆる下準備だから、ある程度手加減はしてもらうけどね」

 

 そしてこの下準備。もしも青山が動けばそこで失敗だ、ということまでは言わない。そのときはまた別の手段でネギの能力を確かめればいいだけだ。

 

「これから君達には派手に動いてもらうよ。ただし、決して相手を追い詰めないこと。僕は遠くから援護くらいはするけど、軽く様子見という感じで考えてくれていい」

 

「へっ、自分は遠くから高みの見物かいな」

 

 少年が呆れた風に呟くが、フェイトは気にした様子も見せずに宿のほうに向き直る。

 

「では、始めよう。戦いに気をとられすぎないようにしてね」

 

 後は運を天に任せよう。フェイトは内心でぼやくと、夜の闇に溶けるように消えていった。

 

 

 

 

 

 その襲撃は、予期していたものとは違うものだった。

 襲撃は完璧というわけではない。むしろ、あまりにも下策であったために予想外すぎた。

 ネギは周囲に張った結界に気を漲らせた何者かが触れたのを知覚して跳ね起きていた。時刻はすでに宿の誰もが寝ている時間帯ではあるものの、それでもその襲撃はあまりにも堂々すぎる。

 というよりも誘っているのか。結界にぎりぎり触れたところで止まっている二つの気は、ネギを誘うようにその密度を増大させている。そのまま隠れているなら、宿もろともあぶりだしてやると、言外に言っているようですらあった。

 

「ネギ先生……!」

 

 慌てた様子の刹那がネギの部屋に入ってきた。遅れて楓と明日菜も到着する。状況はわかっているし、気の猛りからして一刻の猶予もない。相談する余裕等あってないようなものだった。

 相手のやり口は下策だ。いや、下策と断ずるにはやり口が上手いと刹那は思う。今日の襲撃を見る限り、一般人には手を出さないと、そう決め付けてしまった。だから結界もあくまで万が一のためというだけだったのだが。

 

「やられた。外回りの警戒もしっかりとするべきでした」

 

 刹那は苦虫を噛み潰したように苦しそうに顔を歪めて呟いた。だが反省する暇はない。敵は外にいて、威嚇だとはいえ気を充実させて宿を狙っている。

 

「打って出るしかないでござるな」

 

 楓の観念したような言い分しか選択肢はなかった。そしてそこには当然ネギもいなければならないだろう。一般人へ危害を及ぼさないために、ネギには囮になってもらわなければならない。

 

「まだこちらの戦力はあちらを上回っている。伏兵がいる可能性もあるが……やるしかないでしょう」

 

 刹那は夕凪を片手に窓に寄った。玄関から堂々でる必要もない。ネギ達もその後に続くようにして窓に寄る。

 

「……ふぅ」

 

 ネギは瞼を閉じて体内で魔力を練り上げた。収束する魔力の波を知覚して、それらを全身に循環させる。

 魔力による身体強化。気を扱う要領で行うことにより、詠唱なくネギの身体は淡い光を放って魔力によって強化される。さらにカードを取り出すと、明日菜へ魔力供給も行った。

 

「いけます」

 

 淡い光に包まれたネギが言い、明日菜はハリセンを片手に窓の向こうを見つめた。

 相手の強攻策は愚策だが、愚策は決してただ愚かというわけではない。時として行われる蛮勇は、己の力に自信があるからこそ。

 行こう。仲間の先陣を切って、刹那と楓が窓から飛び出す。それを追うようにしてネギと明日菜も外に飛び出した。

 

「へぇ。こりゃまた結構な人数やなぁ」

 

 外に出たネギ達を待ち構えていたのは、学ランを着た少年と、ワンピースを着た可愛らしい少女だ。

 同時に、刹那は少女の持つ二刀と立ち振る舞いから、少女が神鳴流の使い手であることに気付く。背筋を伝う嫌な汗を感じながら、しかし表面上は冷静さを失わずに夕凪を抜いて構えた。

 

「あらー。もしかして神鳴流の先輩ですかー? ウチは月詠って言います。以後よろしゅう」

 

「……やはり神鳴流の剣士だったか。皆さん、彼女は私が相手をする。三人は……」

 

 刹那は月詠と名乗った少女と対峙しながら、その隣の少年を見た。視線に気付いた少年は小さく笑みを漏らすと、被っていたニット帽を脱ぎ捨てた。

 

「え、犬耳!?」

 

 明日菜が驚きの声をあげるが、それにも慣れているのだろう。少年は右手に気を収束させて「ただの犬やないで。狗神使いの犬上小太郎や!」そう叫ぶと同時に、召喚した黒犬の群れをネギ達に向かって殺到させた。

 

「悪いが、先に術者のチビ助を狙わせてもらうで!」

 

 同時に少年、小太郎も召喚した犬とともに地を這うようにして襲いかかる。狙いはネギ一人、常人では反応しきれない小太郎の動きに──反応する。

 突き出された拳を、ネギは杖で受け止めた。障壁頼りの偶然ではなく、しっかりと小太郎の動きを見た上での判断だ。

 

「へぇ! やるやないか!」

 

 己の動きに対応している。そのことをこの一合で理解した小太郎は、勢いのままネギもろとも後方に飛んだ。

 

「ネギ!?」

 

「待つでござる!」

 

 慌ててその後を追おうとした明日菜を楓の緊迫した声が引きとめた。何で? と問いかける余裕すらない。冷や汗を流す楓の視線の先、現れたのは白髪の少年、フェイトとその後ろで式神を展開した千草だった。

 

「……明日菜。女性のほうは頼んだでござる」

 

「えぇ!? ちょ! 私があんな……」

 

「あの少年は……まずい」

 

 余裕のない楓の言葉に、明日菜はフェイトを改めて見つめ、彼が吐き出す気配が、あの夜に現れた二人の化け物と重なった。

 思わず、悲鳴が零れそうになって、何とか息を呑んで踏み止まる。一瞬で理解した。あの少年は危険だ。だからこそ楓は一人で何とかしようと思い。

 

「いえ、二人で行きましょう。私のこれ、魔法とかそういうのにはとっても強いんだから」

 

 そんな彼女を一人で行かせるわけにはいかないと明日菜は隣に並びハリセンを構えた。魔法を完全に打ち消せる明日菜のハリセンは、確かにこの状況下、敵がネギと同じ魔法使いであるとするならば、充分に役に立つ。

 

「……それでもあの少年は危険でござる。出来る限り、後ろの女性の相手を意識するでござるよ?」

 

「了解!」

 

 気の強い返事を聞くと楓は先行する形で瞬動を行った。相手に行動を感知させぬほど巧みな踏み込みは、フェイトの傍に居た千草との距離を一瞬で詰め、さらにその背後を取った。

 千草には何が起きたのかすらわからないだろう。式神に命令する暇すらなく、楓の手刀千草の首筋目掛けて放たれ、それを予知したフェイトが無詠唱で放った石の槍が、その一撃を妨害した。

 

「ぬっ!?」

 

「中々やるけど……悪いが、慢心は先日捨てたばかりでね」

 

 槍を回避するために後ろに飛んだ楓をフェイトが襲う。互いに瞬動で交差して、障壁とクナイが激突した。

 それだけで楓は、フェイトが己では時間稼ぎ程度しか出来ない相手であることを悟る。刹那と二人がかりであるいは、といったところだが──

 

「奥義、斬岩剣!」

 

「ざーんがーんけーん」

 

 互いの刀から発せられた気と気がぶつかり合って大地を破裂させる。刹那と月詠の戦いはほぼ互角、いや、慣れぬ二刀を相手にしているせいか、刹那の表情は苦悶の色を浮かべていた。

 助勢は望めない。なら今自分に出来るのはぎりぎりまで戦いを長引かせて応援を待つことだけだ。

 覚悟を決めた楓は、何処からか取り出した巨大な手裏剣を片手にフェイトに向き合う。明日菜は共に戦おうと言っていたが、瞬動で戦線を延ばしたため、これで丁度全ての局面で一対一が成立したことになる。

 

「……わからないな。君くらいの実力者なら、今のぶつかり合いで戦力差はわかっていそうなものだけど」

 

 フェイトは逃げようとしない楓が不思議で仕方なかった。互いの戦力は、フェイトが頭一つ以上抜きん出ている。幾ら楓が頑張ろうとも、状況は厳しいものに違いなかった。

 だからといって追い詰めれば、今も何処かでこちらを見ているだろう化け物を起こすことになるのだが。そんなぼやきは心の奥底にしまい込む。

 

「生憎と、拙者、お主よりも強いお方に心当たりがあってなぁ。アレに比べれば、まだこの状況は楽でござるよ」

 

「奇遇だね。僕も最近、人生で最大級のピンチを潜り抜けてきたばかりなんだ」

 

 ほぅ。と僅かに目を開いた楓は、すぐに笑みを浮かべると「では、拙者達は似たもの同士でござるなぁ」そう嬉しそうに呟いた。

 フェイトはそんな楓の言葉に首を傾げ、それもそうかと納得した。

 

「甲賀中忍、長瀬楓。参る」

 

「フェイト・アーウェルンクスだ。覚えなくて結構」

 

「そうもいかぬでござるよ!」

 

 楓の内側から気が膨張する。手加減抜き、相手を殺傷する覚悟で全力を振り絞った楓は、さらに三体の影分身を展開した。

 さて、どの程度いけるでござるかな?

 胸の奥、強敵に挑む喜びをかみ締めつつ、楓は圧倒的化け物の口元へと、分身共々殺到した。

 

 

 

 

 

「とりゃあ!」

 

 可憐だが気合の篭った叫びと共に、明日菜のハリセン、ハマノツルギが千草の召喚した猿の式を一撃で送り返した。触れただけで問答無用。抵抗すら許さずに式を消す明日菜を相手にする千草の表情は歪む。

 相性が最悪だ。千草の本領は、前衛を盾にした火力重視の殲滅呪文を叩きつけることだ。西洋魔法使いと同じく、彼女もまた後衛を得意とするが、今回は相手が悪い。

 

「もういっちょ!」

 

 猿を落とした明日菜は、その勢いのまま着地と同時に隣に居た熊の式にハリセンを振りかぶる。魔力供給をえた肉体は、通常でも身体能力の高い明日菜の能力をさらに向上。式が腕を振りぬき明日菜を吹き飛ばそうとするが、その腕を掻い潜り、気持ちいい音色を奏でて熊の腹部を打った。

 やはり一撃。上と下で泣き別れになった熊が符に戻った。冗談にもならぬアーティファクトの威力をまざまざと見せつけられた千草は、符を放ちながら後退するものの、全て明日菜のハリセンが無力化する。

 

「くぅ!?」

 

「逃がさないんだから!」

 

 そして素の身体能力も差が開いている。数メートル以上空に舞った明日菜は、そのまま重力に身を任せて飛び蹴りを千草に目掛けて放った。

 自由落下と肉体のスペックが混ざり合い、ありえぬ速度と軌道を描いて蹴り足が飛ぶ。直撃すれば、確実に落ちる。千草の予感は正しく、ぎりぎりで間に合った回避の直後、地面に当たった足は小規模ながらクレーターを作った。

 

「わひゃ!?」

 

 これに驚いたのは千草ではなく明日菜である。ノリと勢いでやってみせたが、まさか爆弾のような威力をはじき出すとは思わなかったのだろう。

 当たれば、死ぬ。同時に理解したのはその事実だ。千草もまた術者の端くれであるため、ある程度の身体強化はしているため、一撃で死ぬということはないだろうが、明日菜が自身で生み出した威力は、彼女にそう思わせるには充分だった。

 

「ん?」

 

 クレーターの中心で動きを止めた明日菜を千草はいぶかしむ。明日菜が持つアドバンテージを考えれば、息をつかせぬ勢いで畳み掛けるのが定石だが、こちらの動きを誘っているのか。

 いや、悩むべきではない。フェイトが作戦前に言っていた言葉が正しいのであれば、いずれにせよ青山は現れる。その前に、上手くこちらの意図が親書のみと刷り込ませなければならないのだ。

 だから、攻める。千草はとっておきの札を取り出すと煙幕の向こう側に投げた。

 

「行け!」

 

 号令と共に札から吐き出されるのは、膨大なまでの水だ。明日菜が居る場所の真上に投げられた札から流れ落ちる水量は、常人では受け止めた瞬間押しつぶされるほど。

 

「えぇ!?」

 

 こちらも悩む予知などなかった。煙幕が晴れたと思えば空を埋め尽くす濁流に、明日菜は悲鳴をあげつつも全力でその場を蹴って離脱する。僅かに遅れて大地に叩きつけられた水は、その勢いで周囲一帯を水に飲み込み、明日菜も一時的に濁流に飲み込んだ。

 だがこれは所詮一時しのぎ。千草は得られた僅かな時間を使って、再び式を召喚すると、一匹の肩に乗り空に飛んだ。

 

「三枚符術!」

 

 空から落とす本命の札。アーティファクトに消されるならば、それを上回る紅蓮を持って、敵ごと燃やし尽くすのみ。

 

「京都大文字焼き!」

 

 地に落ちた札が爆発四散したかのようだった。燃え広がる炎は、流れた水によって湿った地面すら炎上させて、熱にあぶられて霧となった水もあわせて明日菜を包み込んだ。

 悲鳴すら燃える。紅蓮に飲まれた少女に対して憐憫の念は浮かぶけれど、近くに青山が居るかもしれないという恐怖が、千草に生易しい感情を振り払わせる。

 例え肉体を強化しようともこの熱量の直撃は無傷ですむはずがない。だがそれでも、魔に連なるものを消し去るあの武器があれば、充分生きていられるはずだ。宙に浮かびながら、式と共に燃え広がる炎を注視する。

 そうすればやはり予想通り、霧と炎を吹き飛ばして明日菜が現れた。それはいい。そこまでは予想通り。だが、千草は驚きに目を白黒させた。

 

「なっ」

 

「危ないじゃない!」

 

 炎から脱出した明日菜は、服の端が所々焦げているものの、肉体そのものは全く持って無傷で健在だ。明日菜自身も混乱はあるが、しかし魔法が無害にしかならぬことを確信したその瞳には、漲る自信がはっきりと見えた。

 最早、目の前の中学生はただの中学生とは認識できない。千草は唇をかみ締めて明日菜の脅威を改めて把握する。

 

「なら、おいでやす!」

 

 虚空に浮かんだ千草が持てる札をばらまくと、そこから無数の式が現れた。最初に出した可愛らしい式ではない。どれもが武器を携えた、殺傷用の式。

 術が駄目ならば、肉弾戦で押し切る。千草は空から指揮者の如く式を操り、明日菜へと襲い掛からせた。

 

「多いなぁ!」

 

 だが怯まない。怯えない。空から降りてくる式の群れと、それらが持つ、人を殺すため作られた刀剣類を見ても、明日菜は真っ向から挑む。

 千草を殺すかもしれない恐怖はまだある。それでも戦わなければ、戦わないと。

 

 また、失う。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 

 己の奥底に眠る本当の恐怖を振り払うように自身を奮い立たせる。握る太刀は覚悟の証。失わないように、離さないように。

 だから、我武者羅に前を向け。

 

 

 

 

 

 それぞれがぶつかり合う。戦況は、互いの陣営共に、一つずつ一方的な展開が繰り広げられている中、ここに居る二人はぎりぎりのところで拮抗していた。

 

「奥義!」

 

 刹那は月詠を強引に突き飛ばすと、気を夕凪に集中させた。収束した気は発電して、刀身に紫電がまとわりつく。耳につく甲高い音を響かせながら、夜に煌く雷光を敵手に向けて放つこの技こそ、神鳴流が奥義。

 

「雷鳴剣!」

 

 剣先から放たれた雷が月詠目掛けて飛んだ。突きの延長、雷光の突き。射程を延ばし、閃光の速度で妖魔を滅ぼす奥義を、月詠は事前に軌道を予測して横に飛ぶことで回避した。

 地を穿つ雷が大地を爆発させる。土と石飛礫が空を舞い、互いの間に降り注ぐ。

 だがその程度は障害にすらなっていなかった。月詠は遮蔽物に構わず瞬動を使って刹那との距離を再び詰める。

 

「せりゃー」

 

 気の抜けた声だが、振るわれる斬撃は熾烈苛烈にして激烈。小回りの効く小太刀を使った二刀の手さばきは、長大な野太刀を扱う刹那にとってはやり辛い相手である。

 右と左、舞うように首を狙ってくる切っ先を、野太刀を巧みに駆使して逃れつつ、隙あれば反撃の一太刀。

 近距離での戦いは月詠が圧倒的だ。スピードを生かした技の数々は、あまり考えたくないことではあるが、間違いなく──

 

「神鳴流でありながら、人斬りの刃を振るうのか!?」

 

 鍔迫り合いに持ち込み、顔を突き合わせる距離で刹那は吼えた。襲い掛かる魔から人を守るために振るわれるべき剣を、ただの人斬りの刃に貶めている。

 それは、タブーである。何せその刃は、質は圧倒的に違えども。

 

「その剣の果ては青山だぞ!」

 

 刹那は怒りを込めて叫んだ。事情を知らぬ者ならば、理解できないその言葉は、神鳴流だからこそ瞬時に理解できる。神鳴流であれば誰もが知る。そして神鳴流であるために誰もが口を閉ざす。

 それが青山。

 鬼畜外道に落ちた宗家の汚点にして、史上最強の神鳴流。

 そんな化け物である青山に、お前はなろうとでも言うのか。

 刹那の問いに月詠は底冷えするような笑みで答えた。当然とばかりに、むしろそれこそ、少女の望み。

 

「そうですえ。ウチはあのお方になるんです」

 

「な、に……?」

 

「あのお方こそ、ウチの神や」

 

 むしろ、と月詠はよくわからないといった面持ちで続けた。

 

「あの背中こそ、ウチらが目指すべきやと思いませんかー?」

 

「月詠ぃぃぃぃ!」

 

 刹那の気が膨れ上がる。手加減などない。ここでこの少女を止めなければ、また再びあの悲劇は繰り返されるのだ。

 幼少の記憶にすら新しい。腕を失い、今にも死にそうな鶴子を刹那は覚えている。

 弾き飛ばして、怒涛に畳み掛ける。野太刀の質量を巧みに使い、刹那は月詠を彼女の太刀の距離の外から切りかかり続けた。

 

「あれが悲劇を生んだ! お前は鶴子様の姿を見ていないのか!? 青山は、アレは斬ったんだぞ!? 悪でもなく、魔でもなく、己の肉親を、己のために斬ったんだ!」

 

「そうです。だからあのお方はつようなったんですえ。先輩は知らないからそうやって怒るだけや。見ればわかりますわ。あのお方が剣や。冷たくて、無感動で、殺風景で、とっても危険。ウチはなぁ、あぁなりたいんですわー」

 

 月詠は刹那の叫びを一笑した。

 わかっていないのだ。誰もがあのお方を化け物と詰るけれど、月詠は違う。幼いころ、偶然見ることが出来たあの瞳を見たからわかるし、それだけで自分には充分すぎた。

 月詠にとっての青山は神に等しい。人でありながら、人の道を究めた修羅。戦いの果てに彼ならば行き着くと、幼い思考で理解したから。そして幼き少女の憧れは、その数年後、周囲にとっての悪名として轟き、少女は自らが崇拝するべき対象を確信した。

 あの背中こそ、最後の場所なのだと。

 

「修羅に生きるか外道! 神鳴流の信念は何処に落とした!?」

 

「凶器を用いて正道を語る先輩方、いいえ、西を裏切った刹那先輩には言われたくありませんえー」

 

「くぅ……!」

 

 苦渋に満ちた表情で刹那は戦う。一方的に攻めながら、精神的に刹那は追い詰められていた。

 刹那は、青山を知らない。ただ、斬られた鶴子の姿を知っているから、アレを外道と断じているだけだ。だから、青山の人となりをほとんど覚えていない彼女では、青山に溺れた月詠を言葉では止められない。

 ならば、語るべきものは一つだけだ。夕凪に気を込める。大気を歪めるほどの威力が込められて、刀身が煌いた。

 同時、月詠の二刀も気を吸って震えた。殺気を充満させた剣は、少女の腹に宿る狂気を具体化させたかのよう。

 互いに一撃に込める。互いの思いを、祈りを。ここに吐き出す。

 

「秘剣、百花繚乱!」

 

「にとーれんげきざんてつせーん」

 

 気によって現出した一枚一枚が鋭利なる刃物となる花びらと、巨大な気の斬撃が激突して、周囲の光景が豹変する。互いに打ち消しあった技の残滓が残る中を、二人の剣士が駆け抜けて再び激突した。

 

「どうしてそこまであのお方を毛嫌いするのかわかりまへんわー」

 

「知れば誰もが嫌うだろうさ! 青山という存在を!」

 

 火花散る。気が散り散りと二人を包む。剣を交わしながら言葉をぶつける。

 だからこそ、月詠の発言は刹那の動きを止めるのには充分だった。

 

「あれー? でも確か先輩は麻帆良のお方ですよねー?」

 

「それがどうした!?」

 

「あのお方、今はそこで働いてるって聞きましたえ?」

 

「な……」

 

 刹那は呆然と動きを止めた。不意打ちの一言に身体は硬直し隙を晒す。月詠はそこを狙えるにもかかわらず、それはつまらないと感じて刹那を蹴り飛ばすに終えた。

 

「が……!?」

 

 それでも気で強化された一撃は痛烈だ。砲弾のように吹き飛び、大地を二転三転して刹那は体勢を立て直すが、しかしその顔に浮かぶ焦燥は隠し切れなかった。

 

「どういうことだ! 青山が麻帆良に居るだと!? 出鱈目を……」

 

「いーえ。出鱈目やありまへん。それにウチは嬉しいんですー。あのお方が西側との和解を果たすらしくてなぁ……ようやくあのお方のことを上のお方が認めてくれたと思うと、ウチはうれしゅうて──」

 

「バカな……ありえない! 青山が神鳴流に何をしたのかをわかっていて」

 

 そこまで言って、刹那はかつて鶴子とした会話を思い出した。

 正当な戦いの結果であり、彼は悪くない。

 簡単にまとめるとそんな話で、それからも鶴子は狂っていく弟を諌めようと苦心してきた。

 そう、恐るべき青山を、その最大の被害者である宗家こそが庇っていた事実。それを考えれば──

 

「……状況はどうあれ、今は関係ない話だ」

 

 刹那は深呼吸を一つして、胸中に浮かんだ考えを隅に投げ捨てた。今は関係ない。今考えるべきは、目の前の敵。

 文字通り目の色が変わった刹那の瞳を、月詠はうっとりとした眼差しで見つめ返した。

 

「えーなぁ。やっぱしえーなぁ刹那先輩は。先輩とならウチ、もっと先に進めそうな気がしますー。相性がええんやろうなぁ」

 

「黙れ外道……だが、同感だ。踏み外したお前には、裏切り者である私くらいしか相応しくないよ」

 

 足を肩幅に開き、夕凪を上段に構える。冷たく、剣の奥へ。余分なしがらみを一切捨てて、少女はこのひと時だけ剣となる。

 気に呼応して月詠が笑った。月下に照らされた禍々しさは異端の証。月の狂気を映し出したが如きおぞましさを吐き散らす剣鬼を前に、刹那は渾身の一振りを持って迎え撃った。

 激突で生じる被害は人間が行える破壊の領域を超えている。一合だけで周囲の風景が一変するほどの力をぶつけ合う両者は、理由はともかく斬るという目的を果たすために手を動かす。

 極大の一撃を受けた月詠は、刹那が放つ協力な太刀筋とは逆に、ただ冷徹に剣戟を重ねた。夕凪を逆手に持った小太刀で受け流し、右の太刀でその首を狙う。気で強化された肉体すらも斬り裂く刃を、刹那は紙一重で屈むことで逃れると、流された夕凪を引き戻し、身体ごと激突する。

 間合いを詰めさせてはいけない。超近距離での立会いは、二刀に慣れぬ刹那と、神鳴流の太刀筋を充分に知っている月詠とでは、月詠が一枚上手だ。

 ならば何をもって差を埋めるかといえば、野太刀の威力を生かした膂力に物言わせた近距離戦。突き飛ばした月詠に瞬動で間合いを詰めた刹那は、背中に夕凪が触れるほど振りかぶり、溜め込んだ気を爆発させた。

 

「雷光剣!」

 

 切っ先から飛んだ気が変質した電流は、月詠を中心にプラズマを発生、ドーム状に広がった光は、その内部にある物体を文字通り焼き尽くす。魔を滅ぼす神鳴流が奥義は、人間では受け流せぬ無敵の牙だ。

 だが、月詠は半身を焼かれながらも離脱を果たして、技を放ち動きを止めた刹那に向けて瞬動を行った。

 

「くぅ!?」

 

「あはっ、やりますなー」

 

 虚空で衝突した二人は、勢いのまま地面に落下する。煙幕が浮かぶ中、刹那は胸の辺りに感じる重さに戦慄した。

 

「捕まえましたわー」

 

 半身を火傷によって傷つきながらも、痛みを感じさせない微笑を浮かべて、刹那の前に月詠はいる。マウントを取られた刹那は反射的に夕凪を振るうが、所詮は長大な野太刀、この距離では威力を発揮することもなく月詠の小太刀はあっさりと弾き飛ばす。

 そして空に掲げられる太刀の切っ先は、寸分違わず刹那の首筋へと狙いを合わせた。

 

「楽しかったですえ。刹那先輩」

 

 迷いも躊躇いもなく、微笑みのまま振り下ろされる殺意の牙。なす術はなく、刹那は己の命を絶つ鋼の光を睨みつけ──赤い血が降り注ぐ。

 

「ぐぅぅぅ……」

 

 咄嗟の判断で空いている左手に気を全力で収束、強引にその刃を掴み取る。だがしかし神鳴流の得物を素手で掴むという無謀によって、刹那の左手が切り裂かれて鮮血がその顔を濡らした。

 

「ふふふ。先輩かわえーなー。その必至な姿、堪りませんわー」

 

「戦闘狂が……!」

 

 悪態をつきながらも、その一方で刹那は思考を回転させる。完全に追い込まれたこの状況、反撃するには夕凪を突き立てるほかないが、それは月詠の小太刀が遮るだろう。

 進退窮まったこの状況。突破するに必要なのは、状況を打開する何か。

 それを待てる時間も短い。出血は多くなり、数分もせずに左手の気は失われ、そうすれば指はおろか首に刃が突き立つ。

 

「くぅぅ」

 

 激痛に悶えながらも、瞳の輝きは失われない。ぎりぎりの戦い。刹那は打開の瞬間を狙って、その内側で気を練り上げて反撃の隙を待つ。

 

 

 

 

 

 詠唱の隙すらもなく、ただ必至に拳をさばき続ける。

 一方的な展開が繰り広げられていた。ネギと小太郎。二人の少年の戦いは、見た目の幼さとは裏腹に、一撃が地を砕くほどの異常な戦いだった。

 

「そらぁ! どうしたチビ助! パートナーがいなけりゃ何もできへんか!」

 

「くぅ!?」

 

 小太郎の一撃はネギが展開した障壁を数撃で貫く。それでもネギが堪えているのは、魔力で肉体を強化しているからに他ならなかった。

 だがスペック上は互角であっても、積み重ねた戦闘経験が違いすぎる。小太郎はネギが魔力で能力を底上げしているのも踏まえて、その動きに合わせて攻撃を重ねていた。口調は荒々しく攻撃的だが、こと戦闘においての小太郎の冷徹さはプロのそれだ。

 まず初撃、ネギが魔法使いだと知っているためか、詠唱の余裕を与えず距離を詰めて先手を打ち、そこからは息すらさせぬほど連撃をもって、ネギに魔法を使う機会を与えない。

 

「何もせんととっとと終わるでぇ!?」

 

 そう叫びながら放った掌底がネギの杖もろともその腹を打つ。唾液を吐きながら吹き飛ぶネギを、取ったとは思わずに距離を詰めて畳み掛けた。案の定、ネギの瞳は生気を失わず、必至に小太郎の拳に抗っている。

 言葉とは裏腹に、小太郎は想像以上に己の攻撃に耐え忍ぶネギに好意的な感情を覚えていた。年齢は己とそう変わらないだろう。だというのに、防戦一方とはいえぎりぎりで踏み止まっている。その事実が嬉しくて仕方ない。

 

「やぁぁぁ!」

 

 苦し紛れにネギが放った大振りの拳を屈んで回避して、小太郎は屈伸の勢いで跳ね上がり様に蹴り足をネギの顎に叩きつけた。

 炸裂した一撃は、障壁を貫き、強化された肉体すらも揺らす痛烈さ。視界がぶれ、上下が反転。ネギは意識がちぎれる音を聞きながら大地に落ちた。

 

「どやッ! 今のは顎もろたでぇ!」

 

 倒れたネギに小太郎は無垢な笑みを向けた。だが倒れたネギはそれに答える余力すらなかった。

 強すぎる。刹那と戦ったときに感じたものと同じ感覚が襲ってきた。いや、能力的には刹那が強いのかもしれないが、高さは違えど、ネギにとってはどちらも巨大な山と同じ。どちらも矮小な自分と比べてはるかに高いのならば、比べる意味等ない。

 それでも、抗わないといけないと思った。ネギは知っている。刹那よりも、小太郎よりも、はるかに格上の異常者の強さを見ている。

 

「まだ、だ」

 

 血を吐きながら、ネギはゆっくりと立ち上がった。口の中は引き裂け、上手く呼吸が出来ない。視界もぼやけたままで、全身に圧し掛かる重さは、水中にいるかのよう。

 嫌がおうにも理解させられる。たかが五日間修行をしただけの自分の強さなど、所詮はこの程度。

 けれど、踏み出した。だから、歩く。

 この道を歩いてみせる。

 

「おもろいやんけ」

 

 小太郎はぼろぼろになりながらも、光を失わないその眼差しを見据えて、さらに気を充実させた。認めよう。いけ好かない西洋の魔法使いと侮らない。自分と同じ歳でありながら、自分と同じく強さを求め、負けないという心を宿した立派な戦士。

 それを手折れる歓喜を、この拳で示そう。小太郎は充実する気力を威力に変えて、飛び出した。

 

「な!?」

 

「後ろや!」

 

 ネギの目の前から消えた小太郎が現れたのはその背後、振り返ろうとしたネギの頬にめり込む拳が容赦なくネギを吹き飛ばし──吹き飛んだ先に再び小太郎は現れた。

 瞬動二連。一定の実力者なら扱える高速歩法を連続で行えるその技量は、最早問答無用でネギの上をいっている。

 背中を蹴り上げられ、ネギは風に煽られる木の葉のようになす術なく夜空に飛んだ。取った。打ち上げたときの感触で、小太郎は確かな感触を覚えて勝利を確信した。

 だが意識は繋がれる。光を失いかけたネギの瞳が再び輝く。

 まだ、もう少し、この瞬間を待っていた!

 空中で反転。真っ直ぐを見据える少年の瞳は、眼下の小太郎を確かに捕らえた。強く吼える。手に持った杖の感触だけを頼りに、砕けた視界でなお光れ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」

 

 距離は開いた。直後、ネギは本能のままに詠唱を開始した。膨大な魔力が、打倒を願う主の祈りに答えて、詠唱の通り、闇夜に白き光を照らし出す。

 耐え切った。という事実に小太郎は僅かに驚愕して、己の失態に歯噛み。詠唱の隙を与えてしまった。それはつまり、西洋魔法使いの十八番。火力重視の強烈な魔法の展開という事実に繋がる。

 

「白き雷!」

 

 世界を照らす白光が、一直線に小太郎へと降り注いだ。文字通りの落雷。天災の一撃を再現した渾身が落ちた先、しかしネギは止まらない。

 小太郎は踏み止まっている。切り札にも近い護符の展開には間に合ったが、それらも全て焼ききれた。

 

「身体が……」

 

 それでも、全力を込めたネギの魔法は防ぎきれない。身体に走った電流によって、一時的に小太郎の身体が麻痺する。

 千載一遇のチャンスは来た。落下の勢いに任せながら、ネギは落下にかかる一秒に全てを賭ける。

 

「ラ・ステル・マス・キル・マギステル!」

 

 着地、強化されているとはいえ受身も取らずに降り立ったネギの両足が悲鳴をあげるが、痛みを意識する暇なんてなかった。

 手に宿る雷。動き出そうとする小太郎よりも早く放つのは初歩にして優秀な攻撃魔法。小太郎の腹部に添えた手のひらが紫電をほとばしる。全力全開、今出せる最速の魔法を放て。

 

「魔法の射手、連弾・雷の17矢!」

 

 零距離魔法の射手。17にも及ぶ雷の矢が小太郎の腹に収束して、その身体を吹き飛ばした。並みの術者であれば一撃で意識を失ってもおかしくない火力は、小太郎ですら受けきれるものではない。何メートルも吹き飛ばされ、地面を転がり、そして起き上がることなく倒れたまま停止した。

 

「ハァ……! ハァ……!」

 

 荒い吐息を漏らしながら、ネギは糸の切れた人形のように大地に倒れた。ぎりぎり、相手が晒した一瞬の隙に付け入ることが出来た。

 勝利への執念だけが、小太郎という実力者にネギが勝る唯一つの武器だった。付け焼刃の強化魔法だけで、武術の心得のないネギに出来るのはこれが限界。

 それでも勝った。僕は、勝った。

 心の底から、言葉に出来ない何かがこみ上げる。それは胸にくすぶるもやもやを少しだけ消化して、ネギはぼろぼろの拳を強く──

 

「やるやないか。少しだけ、焦ったで」

 

 握ろうとした矢先、倒れていたはずの小太郎がゆっくりと立ち上がった。

 流石に威力を殺しきれなかったのか、膝は笑って、その口からは血が溢れているが、笑っている。

 笑えるほど、痛いから、笑っている。

 それを理解できないネギは驚き、焦り。

 それを出来る人間だからこそ、小太郎は不敵だ。

 

「どうして立ち上がったか教えなくともわかるやろチビ助。俺がさっきお前を落としたと確信したとき、お前が意識を繋いでいたのと同じや」

 

 負けたくないんだ。

 それだけで、人は折れない。

 

「だが、今度こそお終いみたいやな。だが嬉しいで俺は、同年代でここまで張り合った奴はお前が最初や」

 

 だから油断も慢心もない。小太郎は両足を開いて膝を折ると、己の内側で気を練り上げた。

 ネギはその様子を見るしか出来なかった。豹変していく肉体。髪が色素を失い、月光を反射する白い髪が腰よりも長く伸びて、一本の白い尾が尻の辺りから生える。

 肉体は音をあげながら変異し、華奢な肉体は筋骨隆々に盛り上がった。いや、その身体は獣のようになっていた。爪は伸び、指は太くなり、足の形は犬のそれ。

 獣化。狗神使いの本領にして切り札が、指先を動かすのすら至難なネギに対して晒される。

 

「……ふぅ!」

 

 だからネギは立ち上がった。敵わないという卑屈な思いを振り払って、身体を束縛する見えない鎖は断ち切って。

 己の足だけで、立つという意思表示。

 

「おもろいで、お前」

 

 小太郎は笑みをより深くした。大気すら奮わせる気は、先程の数倍にも匹敵するほどだ。最早満身創痍のネギなど一撃で葬れるほどでありながら、その佇まいに隙は微塵も見当たらない。

 敗北の二文字がちらつく。負けるという結末。再び、繰り返すことになるのか。

 幼きときに見た紅蓮に染まる故郷。

 ゆっくりと凍っていくしかなかった大橋。

 そのときのように、抗うことなく、負けるというのか。

 

「負けない……」

 

 気付けばネギはそう呟いていた。手足は鉛、杖の感触すらすぐに失われそうになりながら。

 

「僕は、負けない……!」

 

 吼える。あの日、吸血鬼の問いかけにうなだれるだけだったときとは違う。

 はっきりと己を示す。ここで逃げれば、一生負け犬で居続けると思ったから。

 

「負けて、たまるか……!」

 

 我を通せ。

 逃げ道なんて必要ない。

 

「だったら無理矢理にでも負けを認めさせてやるで! ネギぃぃぃぃ!」

 

 小太郎が大地を蹴った。瞬動。先程まで小太郎がいた場所が爆発して、ネギの視界から消える。

 咄嗟にネギは杖を操作して空に飛んだ。ぎりぎりのところで小太郎の拳がネギの顔があった場所を突きぬけ、大気がねじれ、地が砕けた。

 身体を動かせないネギに出来るのは、杖を使った飛行だ。だがこんな手品、もう一度だって通用しないだろう。

 結局、逃げるのか。

 違う。

 僕は、戦うんだ。

 だが現実は厳しい。抗う術はなく、一秒もすれば小太郎は空に舞うネギとの距離を詰めて、無慈悲な一撃は夜空に赤い花を咲かせることになる。

 確定する敗北。

 逃れられない現実。

 届かない勝利を手繰り寄せる術は……一つだけ。

 

「おぉぉぉぉぉ!」

 

 ネギは杖を手放すと、叫びながら小太郎目掛けて飛んだ。

 面白いと小太郎は笑う。最後の足掻き、特攻。瀬戸際のカウンターしか残されていない。

 男やないか!

 小太郎は内心でネギを賞賛し、その気概に答えるべく、ありったけの気を右拳にかき集める。

 最早、相手の生死など彼岸の彼方だった。あの敵を倒す。それだけが小太郎の全てで。

 そのぎりぎりまで、思考をネギは手放さなかった。

 考えること。それが弱者に出来る最後の抵抗。突撃という自爆で、ネギは一瞬で距離を詰めるはずだった小太郎に、自分が落ちるまで待たせるという時間を得た。

 これによって得られる時間は一秒程度もない。

 だがその抗いが、その一秒が、今のネギには何よりも必要だった。

 それでも半ば無意識に近かった。削れていく思考の中、勝利を手に取るために必要な一撃を選択。その末に得られた回答は、やはり自爆しかなかった。

 落ちるネギの身体から魔力が噴出した。いや、それだけではない。遅くなった時間で、小太郎は魔力を身にまとうネギから溢れる別の力を感じ取った。

 魔力とは違う輝き。それは気だった。魔力が精神力なら、気は体力を削る。それゆえに元の体力は十歳のそれと同じネギが出せる気の量には限りがあり、だからこそ、この一瞬で吐き出せばすぐに尽きるものでしかない。

 

「ぎぃぃぃぃ!」

 

 魔力と気の同時運用。だが本来反発しあうそれらを使用したネギの身体を激痛が襲った。刹那の短い間にすら、無限の激痛が脳髄を焼きつくす。半端な技量での魔力と気の運用が引き起こす結果としては当然であり、最悪の帰結。

 だが繋げ。痛みに揉まれながら、ネギの瞳は小太郎を見据えた。これしかないのだ。土壇場で思いついた魔力と気の同時運用。これによって得られる最大威力にて、一瞬だけでいい、小太郎の身体能力を圧倒する。

 足りない技量を、単純なスペックで上回るというシンプルかつ、出鱈目な回答だった。破綻するのが目に見える結論。死に急ぐデッドヒート。

 それでも、必要なのは力だった。反発する魔力と気を強引に支配する。頭が沸騰するような錯覚を覚えた。意識が切れる前に激痛で死ぬ。そう理解した。

 だがこの一瞬でやらなければならない。

 束ねろ。

 重ねろ。

 集めて、隷属させろ。

 

「ッ!」

 

 瞬間、ネギの身体が内側から輝いた。目を瞑るということはしなかったが、小太郎はその光に目を奪われた。

 全てが零秒で起きた出来事だった。死に至る無謀が、裏返って力となる奇跡を零秒に見る。

 それの名前をネギも小太郎も知らない。

 だがそれは確かに存在する奥義。膨大なエネルギーを身につけたネギの今の状態。鼻はおろか両目からも出血するほどの危機を乗り越えて得られたたった一つの切り札。

 気と魔力の合一という高難度の究極技法。

 

 咸卦法。その切っ掛けを、ネギは極限状態の一瞬で手に入れた。

 

「届けぇぇぇぇ!」

 

 落ちるネギが、小太郎の反射神経を超えた一撃を炸裂させる。人外に変貌した小太郎すらも上回る人外の一撃は、痛みに唸る暇も与えずに、小太郎を吹き飛ばしてその意識すらも焼き尽くす。

 そしてネギは降り立った。身体の内側からこみ上げる得体の知れぬエネルギーに当惑しながら、ゆっくりと、今度こそ立ち上がらずに力尽きた小太郎を見据え。

 

「勝った」

 

 あふれ出す力と、現実にしてみせた不可能の回答。

 勝利という名の、飽きることなき最高の美酒の味。

 

「僕の、勝ちだ……!」

 

 泣くように、勝利を叫ぶ。溢れる力は収まらない。脳髄は痛みを忘れ、歓喜の渦に飲み込まれた。

 手に入れるということの甘美は、痛みと疲労を即座に吹き飛ばす。掴んだ実感、得られた光。

 それを確かめるようにネギは己の両手を見つめて。

 

「……っ」

 

 強く、ただ強く握りこんだ。

 

 

 

 

 

 その光景に俺は涙した。

 そっと、静かに頬を伝う水滴を拭うような野暮はしない。

 嬉しかった。

 ただただ、君の姿が美しくて嬉しかった。

 ほらやっぱしそうだった。

 君はやっぱしそうだった。

 極限の状況下。君は直前で手に入れたんだ。よかった。本当によかった。今すぐ君の元に行って褒めてやりたかった。

 よくやったね。

 よく頑張ったね。

 確かに光り輝きその強さを磨いていく。素晴らしいという言葉では言い表せない。

 あぁ。

 この気持ちをどう表現すればいいのだろう。

 君が強くなっていく。

 少しずつ。

 少しずつ。

 俺のところに近づいてくれている。

 感動的だった。感謝すべき奇跡だった。神という存在を信じられるくらい、今の俺は感謝していた。

 全てにお礼を言いたかった。君という奇跡に出会えた全てに感謝したい。ありがとうと声を大にして強く、強く。

 そう。

 思いっきり叫ぶのだ。

 

 

 斬る。

 

 

「あ」

 

 しまった。

 思ってしまった。

 内側から押さえつけていたアレが声を出して存在を主張する。

 俺という自意識を斬り裂いて、俺という自意識が覚醒していく。

 あぁ。

 駄目だよ。

 まだ、まだ駄目だよ。

 でも。

 

 うん。

 

 斬ろう。

 

 

 

 

 

 そして、爆音よりも静かな、だが何よりも存在感のある鈴の音が鳴り響く。

 それだけで、そこに居た者達は己が斬殺される瞬間をはっきりと思い描いた。

 聞きたくなかったその音を聞いてしまったこの瞬間、誰もが戦うという意識を喪失して、その音の先を見る。

 知らなくても理解する。知っているから理解する。どちらであろうが関係なしに、理解させてしまうその音色。

 美しくも悪夢的。

 狂気的ながら清涼の歌。

 響く音に停止した。

 

 

 

 

 青山が、来る。

 

 

 

 




次回が加筆というか、原文版になります。


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第四話【地獄変】

 

 凛と歌う刃鳴りが響く。

 それは突如その場に現れた。鈴の音色と共に、激突する四つの戦いの中心に唐突に現れて空を仰いでいた。

 まるで後悔でもするように。

 まるでこみ上げる笑いを堪えるように。

 それは空を見上げながら、透明に濁った気を撒き散らす刃を肩の高さまで掲げた。

 

「あ、あ、あ……」

 

 千草は恐怖に染まってしまい言葉を上手く出すことが出来なかった。

 最後に見たときよりも随分と顔立ちが変わっているせいで、パッと見では誰か気付かないし、そもそも夜の暗闇では表情を見るのは出来ないというのに。

 千草はわかってしまった。

 いや。

 青山を知る全ての人間は、それが青山だと即座に理解していた。

 

「あ、青山……」

 

 千草は震える声でようやくその名前を呟き、その言葉に反応した青山が視線を千草に向けた。

 

「はい、俺です」

 

 あまりにも簡素な死刑宣告が告げられる。

 青山。

 それだけで、悟る。

 

「俺が、青山です」

 

 千草はその視線に晒されて、恐怖すら感じることが出来なくなってしまった。感情で表現できるほどの生易しいものではない。青山とはそういう類の呪いだ。

 そして千草はこみ上げてくる怒りを感じた。恐怖すべき対象でありながら、憎むべき悪夢。辛うじて内側から燃え上がる怒りが、千草に冷静な思考を思い出させていた。

 だがそんなことは関係なく、青山は興味なさそうに視線を切ると、反対側に居る刹那と月詠を見た。

 

「ッ……」

 

「あはっ」

 

 刹那はその光を灯さない黒い瞳に見据えられ息を呑み。

 月詠は恋焦がれた相手を見つめるかのように、頬を染めて微笑んだ。

 だがすぐに青山は視線を移す。次はフェイトと楓。フェイトはこの状況を見据えて練り上げていた術式をさらに内側で練り上げ、楓は警戒心をむき出しにして青山とフェイトを視界に収めた。

 そして最後、青山はネギを見る。遠くに佇む少年は、その存在を主張するような明るい光を身に纏っていた。

 その姿に見惚れてしまう。思わず口を開いて食い入るようにネギを見る姿は、純粋無垢な少年そのものだった。

 宝石なんて目ではない。あの輝きはこれから先さらにさらに輝きを増していくだろう。

 そしていつか辿り着くのだ。脳髄すら冷たくなるこの領域に。

 修羅場へ。

 そう考えるだけで、手に持った十一代目が刃鳴りを響かせた。感情を表さない主に代わり、その刀は喜びを歌った。

 斬ろう。

 斬る。

 斬るのだ。

 斬る。

 斬ってしまえ。

 斬る。

 斬れ。

 斬る。

 斬。

 

「あはは!」

 

 物思いにふけっていた青山に向かって、抱擁するように両手を広げて月詠が襲い掛かった。その姿を見た誰よりも早く、彼女の憧れは無意識に斬撃を行うという回答をもたらしたのだ。

 半身が刹那の雷光剣で焼かれたというのに、その動きには劣化はない。それどころか、刹那との戦いをはるかに凌ぐ速度で青山に肉薄していた。

 充満する気は先の数倍にまで膨れ上がっている。青山という規格外に会えたという奇跡が、月詠に限界を超えた力を与えていた。

 

「ははは!」

 

 笑いながら月詠は二刀から気を放った。

 連撃斬空閃。触れればあらゆる魔も人も断ち切る見えない牙は、ネギを見続けている青山の背中を襲う。倒れ付す刹那は、膨大な気を練り上げて放たれた刃に、青山の死を予感した。青山は気を練り上げるということもせず、無防備に背中を晒すのみ。

 あっけなく、斬り裂かれる。逃れようなき現実を。

 ──凛。

 その音は容易く斬り裂いた。

 

「……っ!?」

 

 刹那の目には何が起きたのかわからなかった。青山の首目掛けて撃たれた斬撃が二つとも、鈴の音色が響いた瞬間霧散したのである。

 斬ったのだ。手にもつ、見るだけで気が狂いそうになる刀で、刹那の知覚を軽く超えた速度をもって、あの恐るべき必殺を斬り落とした。

 だが月詠は特段驚いた様子も見せず、青山の懐に潜り込んだ。無防備な背中に、手を伸ばす。その先には冷たい鋼。青山を斬るという祈りの牙は、振り返らずに十一代目で応じた青山に容易く受け止められた。

 

「あら?」

 

 鍔迫り合いの状態で月詠は首を傾げる。

 ぶつかっているはずの十一代目からの感触がなかった。相手側からの力も感じなければ、だからといってこちらが押し込んでも微動だにしない。

 巨大な壁と押し合っているような感覚だった。まるで響かない。まるで届かない。月詠の渾身は、青山にとってその程度でしかなかった。

 その間も青山は未だに混乱から抜けきっていないネギを見ていた。その後姿を見て月詠は理解する。

 青山は、己のことなど認識すらしていない。

 

「あ……」

 

 直後、月詠の刀を青山は無意識で弾くと、ネギに向かって歩き出した。その姿を呆然と、笑顔の抜けた絶望の表情で月詠は見送る。

 この世の終わりに遭遇したような表情だった。これ以上の絶望は存在しないとばかりに、その瞳からたちまち光は失われ、常に浮かんでいた微笑は消し飛ぶ。

 天国から地獄に落ちるという気持ちが今の月詠にはよくわかった。

 思って、思って、ただひたすらにその背中を思い続けて。ようやく手の届くところに現れてくれて。嬉しすぎてはしゃいでしまって。

 そんなウチは駄目ですか?

 そんなウチは嫌いですか?

 嫌だ。

 行かないで。

 ようやく見つけたというのに、遠くに行かないで。

 ウチを見て。

 ウチを斬って。

 それだけを、ウチはずっと祈ってきたから──

 

 だが願い虚しく、青山はネギのほうへと歩いていった。

 

「あ、あぁぁぁぁぁ!」

 

 直後、月詠の理性が砕け散り、余裕のない必至の形相で青山に飛び掛った。

 そして意味のない一人芝居が始まる。

 月詠は叫びながらその背中に怒涛の攻撃を仕掛けた。その勢いは万全の状態の刹那であったとしても、十秒だって持たないほどの圧倒的な手数と火力。それこそ限界を超えた力の発露だったのか、一秒毎に勢いを増す刀の舞。これぞ神鳴流と誰もが唸るほどの連撃は青山に全く通らない。

 どころか、その興味を惹くことすらできていなかった。

 羽虫程度にすら思われていない。

 煩わしさはおろか、眼中にもおろか、青山が月詠の刀を、単なる肉体の反射を使用して弾いているだけ。

 

「う、あ……」

 

 絶望する。伝えたい気持ちはことごとく無視されて、崇拝すべき願いは月詠の元を去っていく。

 用などなく、意味もなく、眼中どころか意識にもなく。お前の全ては路傍の石以下だと告げられているような──そう、その背中が物語っているように月詠は感じた。

 

「嫌! 嫌や!」

 

 そんな予感を、声を大にして否定しながら、駄々をこねる子どものように身体を震わせて、月詠は思いのたけを乗せた刃を奮い続けた。不毛な刃は伝わらず、鉄が弾きあう音と、嗚咽の声だけが夜を震わせる。

 飼い主に見放された哀れな犬のようであった。泣き喚きながら、だが一刀ごとにその刃の冴えは加速度的に増していくというのに。

 

「ウチが……! ウチのこと……!」

 

 言葉にならぬ訴えを涙を流しながら月詠は叫ぶ。

 斬り合うのだ。

 己が魅せられた本物の修羅。外道を乗り越え神へと至った素晴らしき斬撃と。

 だから見て。

 見てください。

 この思いに気付いてください。

 

「あぁ……」

 

 そんな後ろの『騒音』を無視して、青山は感嘆のため息を漏らした。ネギは膨大なエネルギーを放ちながら、自分を真っ直ぐに見つめている。その目に映るのは自分と青山の間に広がる圧倒的な差を感じたことによる絶望だった。

 それが青山には嬉しかった。相手の力量を正確に把握する。把握できるくらいに大きくなったその輝きに感動した。

 一歩、ゆっくりと近づく。

 少しだけだ。

 少し。

 ほんの少し、俺に魅せてくれ。

 今の青山はぎりぎりのところで本能と理性がせめぎあっていた。いや、周囲には最悪なことに、青山の本能は僅かに理性を押している。

 だから、斬るつもりだった。試しに、ちょっとだけだったらいいだろうと、無表情の奥で欲望に爛れながら、動けずにいるネギへと一歩一歩迫っていく。

 止めろ。という理性の発言がその歩みを遅らせている要因だった。今、ネギを斬れば全てが瓦解する。

 だが我慢できない。

 斬りたいのだ。あの少年の輝きを一刀すれば、きっと俺はこの終着点で何かを手に入れることが出来る。

 しかし今のネギでは駄目だと理性は吼える。今のネギはまだ道を歩み始めたばかりで、お前が感じているのは未来の彼の姿だと。

 だから抑えろ。

 でも抑えられない。

 激突する二人の青山がその身体の動きをぎこちなくさせる。議論は堂々巡りで、その間にもゆっくりと距離は詰めて。

 

 じゃあ、他の奴を斬ればいい。

 

「あ、そっか」

 

 その動きが止まった。心の中が晴れ晴れとする思いだった。

 斬ればいい。

 斬るのがいい。

 青山は、あまりにも簡単な答えに気づかなかった己を恥じた。やはり未熟だ。目先のことに囚われてしまって、危うく彼の未来を奪うところだった。

 申し訳ない。

 本当に申し訳ない。

 でも斬りたいという気持ちは本当で、だから君を斬りたくて。

 仕方ないから、他の奴を斬って気を紛らわせるのだ。

 そのくらい、猿だってわかる簡単な方法に気付かなかった己を殴りたい気分ですらあった。

 誰だってそう思う。

 俺だってそう思う。

 彼を斬るのには圧倒的に劣るけど、気分を紛らわすために誰かを斬る。

 実に合理的な考えだった。同時に、今の自分と同じ状況に居れば、誰もが思いつくような考えすら頭に浮かばなかった己の浅はかな思考に落胆。

 

「あぁぁぁ! あぁぁぁぁ!」

 

「ん?」

 

 ついには泣き出しながら青山に斬りかかる月詠の声と存在に、そのときようやく青山は気付いた。

 無意識で動いていた右腕を意識して動かし、獰猛な一撃を優しく受け流して振り返る。

 

「あ……」

 

 そうすれば、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになった月詠と目が合った。青山からしてみれば、振り返れば武器を持った少女が、体中を震わせて涙を流しているという異常な光景に他ならない。

 どうしようもなく気まずい気分になった。だからこそそれは奇跡だった。青山の意表を突くその光景は、一瞬とは言え本能の囁きを失わせる。そしてそれだけの時間があれば、青山は強引に己の本能を押さえ込むことが出来た。

 

「……うん」

 

 青山はようやく落ち着いたところで、内心で大きく安堵していた。

 今のは危なかった。あと少し抑えるのが遅れていれば、ネギを斬っていたところである。だがそれは青山にとっては本意ではない。ネギにはさらに経験を積んでもらって、自分と同じ場所に立ってもらわなければならないというのに。

 度し難い。未熟極まりない己の精神に辟易する。

 

「あ、あの!」

 

 自省していると、そんな青山に躊躇いがちに月詠が声をかけてきた。青山はその声に応じるように視線を合わせて、それだけで月詠は頬を染めてふにゃりと微笑んだ。

 

「よかったー。無視されて、ウチ、とっても悲しかったんですー」

 

「……そうか」

 

「だからー、ウチと斬り合ってくださいー」

 

「ん……そうか」

 

 青山は月詠が発する鬼気を、柳に風とばかりに受け流しながら、十一代目を一振り、二振り。

 

「うふふ」

 

 見えない。

 その圧倒的な斬撃の速度に笑みがこぼれるのを月詠は止めることが出来なかった。

 握りを確かめるために戯れと振るっただけだろう。だというのに、月詠には風を斬る音が二つ発生したことで、ようやく素振りが行われたのだと理解出来る程度。

 未だ幼い身でありながら、数多の戦いを超えてきた月詠の中で、ここまでの相手は一人だっていなかった。極上という言葉ですら表すことが出来ない。

 やはり。神だ。

 自分の神が、こちらを見てくれている。

 月詠が気を吐き出すその場一帯を覆いつくすほどの圧倒的かつ高密度の気の奔流。さながら巨大な魔物がそこに居るかのようだった。

 刹那はその圧力に抗うように立ち上がりながら、どうしてそこまで強くなれるのかと歯噛みした。

 月詠は強い。刹那と戦っていたときよりも強くなったと思ったら、今この瞬間、さらに先まで進んだ。その強さの源泉が修羅の道であることが、人を守る牙である刹那には理解できなかった。

 いや、理解するわけにはいかなかった。

 それを理解するということは、正道は邪道に屈するということを。外道は常道を破壊し、異端こそが常識を剥ぎ取るということを。

 そういうことだと認めなければならなくなる。

 ならば自分は何だ。正しい道を、守るという正義を。それこそが正しくて、間違っていないから突き進んで。

 そんな刹那をあざ笑うように月詠は一足飛びで進み、その果てに待つのが──

 

「青山……なのか」

 

 刹那は本能で理解した。その姿は知らなくても、それの存在だけでわかる。

 なんて様。

 なんという様なのか。

 酷いとか、気持ち悪いとか、そういうレベルの問題ではなかった。

 あの様だ。

 そうとしか言えなかった。言語を超えた謎の感覚に気が狂いそうになった。青山という人間は、あの様だから青山だと。

 あの様に、なるというのか。

 

「……お前は」

 

 本物の修羅が居る。修羅場に佇む完結した人間がこの世の中に存在してしまっている。だからこそわからない。その様で、その有り様で何が出来る?

 そんな刹那の葛藤に答えるように青山は構えた。月詠の放つ邪悪な気に微塵も動じない静かな立ち振る舞いだった。

 揺るぎようがない。

 揺らぐものがない。

 終わっているから、動じない。

 だから、魅せつける。

 この様だから。

 

 人は、人を斬れるのだ。

 

「神鳴流。月詠ですー」

 

 名乗りを上げた月詠みは、一心に自分を見つめてくる青山を前に、胸が高鳴り続けていた。

 夢が叶う。ありえない有り様を晒すこの人に、己の剣を魅せることが出来る。

 その奇跡に感謝して、月詠は行く。底など見えない暗闇へ。光を飲み込む何かの中へ。

 

「元神鳴流宗家。青山」

 

 音は渡る。透き通る。

 

「いざ、参る」

 

 その宣誓を皮切りに、月詠は青山の真横に瞬動で飛んだ。臆することなくその懐へ飛び込む。二つの銀閃が揺れて、正眼に構える青山の喉元に食いついた。

 疾走する光は十一代目を使うまでもない。青山は皮一枚で見切って空を斬らせる。だが身体を崩すことなく月詠は逆手に持った小太刀を流れた勢いで青山の手の甲目掛けて奮った。

 だがこれも空を斬る。だけではなく、月詠の目の前から青山の姿がなくなっていた。

 瞬動。それも目の前に居る月詠に悟られないほどの錬度。当然、この場に居るものではフェイト以外に反応できるわけもなく。

 しかし剣士としての本能が、月詠の額を焼く気配を感づかせた。

 上空、見上げればすでに突きの構えに入った青山が、雷光もかくやという速度で十一代目を突き出していた。見切ることなど不可能。だが本能は月詠を動かし、額を貫くはずの刃は、辛うじて顔をずらすことが出来た少女の左の耳たぶを切断するだけに終わった。

 肉片が僅かな赤色に浸されて木っ端と飛ぶ。二度と同じ形には戻らないだろう体の一部に、常人なら嘆き、悲しみ、崩れ、痛みに悶えるだろうが、月詠の精神は常人のそれを逸脱していた。

 

「ふふふ! あはは!」

 

 戦っている。

 あのお方と戦えている。

 月詠は激痛を訴える耳の痛みに歓喜した。この痛みはきっと死ぬまで忘れない。いや、この一瞬全てを忘れることはない。熱を帯びる傷口すらも意識させぬ冷たい今。灼熱しながら冷徹と化す矛盾地帯。意識を混濁させながら、余分な思考は一切斬り落ちて、斬撃に身を焦がす刹那。

 この時を味わえる歓喜。

 だからもっと、まだ終わらせない。月詠は顔の横を抜けた鈴の音色にうっとりとしながら、左手の太刀に気を込めて、舞い降りてくる青山に向ける。

 

「ざーんがーんけーん」

 

 空という逃げようのない場。確実に突き立つという確信に月詠は笑い、全力全開の奥義を、憧れに向かって解き放つ。内側から溢れだす気の総量は過去最大。自身から湧き上がる気におぼれるような錯覚。

 今、ウチは絶頂にいる。

 その思いを刃に乗せて、月詠は濡れ滴る気を叩きつけた。

 そうしたはずだった。

 

「ほぇ?」

 

 しかし放たれたはずの気は、放たれることはなかった。

 

「あらー?」

 

 おかしいなぁという思いと、降りてくる青山に反撃できなければこのまま斬られてしまうという思いが重なり、再び左腕に気を収束して、失敗する。呼吸のように出来るはずの気の収束がどうして出来ないのか。時の止まった世界で疑問を重ね続けた月詠は、恍惚とした吐息を漏らした。

 丸ごと根こそぎ、綺麗に飛んでる。

 

「ぁ……ん」

 

 奮ったはずの左手の感触がなかった。降り立った青山を月詠は潤んだ瞳で見すえ、そっと掲げられた十一代目に突き立ったそれに視線を移した。

 赤く染まった十一代目の切っ先に突き立つのは、いつの間にか斬り飛ばされていた月詠の左腕だった。器用に肘から下が斬られて、まるで焼き鳥の肉のように十一代目の切っ先に突き刺さっている。

 大切な自身の肉体は、乱雑に扱われ、意味もなくぶらぶらと揺れていた。

 

「うふふ」

 

 だが月詠は笑っていた。とても嬉しかった。青山に斬られたという事実が嬉しくて、傷口から失われていく血のことすら気にならなかった。

 少女の短くない生涯。刀の道を究めるために、共に歩んできた大切な身体の一部がなくなった。

 斬られて千切れて突き刺さった。無意味に、何かをなすこともなく、青山に奪われた。

 その素晴らしい出来事が、月詠にはとてもとても、嬉しかった。

 だがまだだ。右腕の刃は重く、確かな感触を持って──

 

「あ……」

 

 いつの間にか、青山の刃が月を突くように空に掲げられている。

 そしてつられるようにして見上げた空に舞う二つの肉と銀色の輝き。それがくるくると回転しながら落ちてくる光景を眺め、まるで竹とんぼのようだなぁと月詠は思った。

 月詠が惚けている間に、青山が掲げた十一代目に二つの肉が突き刺さる。赤い血を十一代目に滴らせる様は、処女の乙女が流す清らかな鮮血に似ていた。

 気付けば右腕の重量感は、感触ごとなくなっていた。ちらりと見れば、左腕と違って肩の付け根から綺麗に削がれた傷口が、月詠の認識を皮切りに滂沱と流血を噴出しだす。

 両腕の傷口から、栓の壊れた蛇口から吐き出される水のように、月詠の命が失われていく。だがしかし、体中を血に染めながら、対照的に顔を真っ青に染めながら、月詠ははにかむように、慈しむように、青山の光なき瞳に微笑みながら語りかけた。

 

「ウチの腕ー。美味しかったですかえ?」

 

「普通」

 

 青山の返事に「そーですかー」と、ちょっと寂しげに笑った。

 もっと楽しみたかった。

 出来ればその体に私を刻み込みたかった。自分の物だ爪を突き立てたかったけれど、この体に刻まれた痛みは、まるで彼の所有物に自分がなったかのような錯覚に陥れて、嬉しいのだ。

 

「ん、は……あ、ぁん」

 

 終末に至った修羅に貫かれた。情け容赦なく、痛みすら感じるまでもなく大切にしてきたものを奪われる。その身を全て捧げる殉教者の如き気持ちになった月詠は、喜びの絶頂に膝を震わせて、扇情的な溜息を吐きだした。

 そして滂沱と流れる出血によって意識を保てなくなり、笑ったままその場に倒れ、眠る。

 再びの静寂。

 戦いは一方的に完結した。

 結果だけを見れば、それは戦いとすら呼べぬものであった。青山は月詠を軽くあしらい、まるで駄賃を貰うようにその腕を斬り落としたという結果。

 それも無理はない。落ちたとはいえ、元は神鳴流の宗家。しかも歴代最強を悉く斬り倒した史上最強。そんな相手に、気の総量を土壇場で増やしただけの、未熟な少女が叶うはずもない。

 こと近距離という状況において、この旧世界で今の青山と斬り結べる相手は、それこそ同じ宗家、無双の域に到達した青山素子くらいである。幾ら月詠が熟練しようが、神鳴流にありながら、僅かに外道に逸れただけの刀で、青山に届くということはなかった。

 

「……」

 

 だがそんなわかりきった事実、得意げになるほどでもない。

 青山は自分の血で作った水溜りに沈んだ月詠に近づくと、無慈悲に十一代目を払って少女の両腕を地面に落とし、赤い刀身を誇示するように空に掲げた。

 冷たい表情は、刀のように冷え冷えとしている。

 

「やめろぉ!」

 

 倒れ付す少女を見つめるその姿から、次の行動を予感した刹那は叫ぶ。

 だが彼女の制止を聞くことなく、青山は断頭の刃を振り下ろし──切断された肘と肩の肉を斬り裂いた。

 光に翳せば透けるくらいに斬った箇所は薄く裂かれ、血の海に肉が落ちる。それだけで傷口は変わらず真っ赤な血を浮き出しているが、出血は収まっていた。

 傷口を斬ることで出血を止める。常識外れの光景に目を白黒させている暇もない。青山は先程とは打って変わってネギとは視線を合わせないようにして、千草とフェイトを見て、左手で軽く顎を擦った。

 

「長瀬さん。彼ら、もういない」

 

「なに?」

 

 青山の言葉を聞いて、楓は先程まで退治していたフェイトを見つめ、クナイをその顔面に投げた。フェイトの技量でならあっさりと避けられるか弾くことができるだろうそれは、なんの抵抗もなく突き立つ。

 直後、フェイトを模していた何かは札に戻った。青山が出てきた一瞬、動いたのは月詠だけではなく、フェイトもそうだったのだ。青山が予想よりも早く現れたのを見越して、空間転移を使い千草を拾って、札を残して離脱。誰もが青山に集中していたからこそできた芸当だった。

 だがフェイトに出来たのはそれだけで。

 それだけで充分すぎた。

 

「……」

 

 青山は何かを追うように視線を虚空に飛ばしてから、悟ったように数度頷いた。そして腰の鞘に十一代目をしまい、帯に縛っていた竹刀袋に突っ込んで、口を厳重に締めた。

 ふぅ、と軽く吐息。刹那すら驚嘆すべき力量を誇った月詠を容易く降したというのに、その額には汗一つすらかいていなかった。

 これが、青山。立ち上がった刹那は、夕凪を鞘にしまうことなく、警戒心むき出しのまま近づき、それを制するように、楓が青山の前に立った。

 

「お久しぶりでござるなぁ」

 

「いつも、迷惑をかけている」

 

「いやいや、おかげでスリルのある修行が出来ているでござるよ」

 

 世間話のように軽く言葉を交わす両者だが、楓もまた青山に対する警戒を解いてはいない。

 そも、出会ったとき問答無用で斬るという意思を叩きつけてきた相手に、どうして警戒心を解けるだろうか。

 

「……助太刀、感謝します」

 

 遅れて、刹那が楓から一歩引いた場所で青山に声をかけた。不思議な男であると刹那は思った。刀を持っているときは、あんな有り様だったというのに、今の青山は雑多に紛れていればまるで気付かないほど、何処にでもいそうなほど存在感がない。

 だが目だけは変わらず光を吸い込む気持ち悪さを湛えていた。それが、不快だった。

 そんな刹那の気持ちに気付いているのか否か、まるでわからない無表情で、礼を述べた刹那に青山は深く頭を下げた。

 

「何の。助太刀が遅れたこと、申し開きがない」

 

「いや……いや、いいのです」

 

 最初の印象とのギャップがありすぎるからか、刹那は困惑した面持ちで頭を上げるように促した。

 

「斬り殺すかと、思いましたよ」

 

 刹那はそう言いながら、気絶している月詠に視線を落とした。腕からの出血は収まっており、これならば出血多量で死ぬことはないだろう。話に聞いた限りであれば、躊躇いなく殺していそうなものなのだが、そんな皮肉を含んだ言葉に、青山は事務的に答える。

 

「可能な限り殺すな。これが学園長と、詠春様からのご命令ゆえ」

 

 だから殺さなかった。

 裏を返せば、その命令がなかったら、殺していた。

 どうとでも取れる青山の発言に刹那は顔をしかめた。

 

「あなたは本当に青山なのですか?」

 

「そう、俺は青山だ。かつての名は、破門された俺が名乗れるものではない。恥ずべき、忌むべき青山として、君はわかってくれているはずだ」

 

 青山の名の意味。

 侮蔑と畏怖が混ざった恐怖の代名詞。

 重々理解している。というよりも、今まさに思い知ったばかりであった。

 

「……ならば、そんな青山が何故助太刀をする。何故今更になって戻ろうとする? あなたが神鳴流に刻んだ傷跡、よもや忘れたわけではないでしょう」

 

「それは……」

 

「学園長を騙し、事情を知らぬ西洋の魔法使いを騙せても、あなたを知る私はそうはいかない。それに先程の有り様を見て確信した……あなたは、青山以外になれやしない」

 

 道は違えたとしても、同じく剣の道を歩む刹那にはわかった。

 この男は終わっている。

 あまりにも終わりすぎている。

 友が出来ようが、恋人が出来ようが、家族が出来ようが、守りたい者が出来ようが、その心のあり方が変わろうが。

 全部、この男には響かない。完結しているから、芯がぶれない。

 そんな男の何処を信用すればいいというのか。

 

「……言葉は、上手く言えない」

 

 青山はそう前置きしてから、刹那を見据えて答える。

 

「だが、俺は変わっている。かつてのように、ひたすらに戦場へ戦場へと赴いていたときとは違う。今の俺には強さなど二の次だ。麻帆良で出会った色々な方々のおかげで……俺は空を見上げながら歩くことが出来るから、その陽だまりに居られるならば、喜んで身を捧げられる」

 

 過去を悔やみ、今を誇る。そんな素晴らしい言葉だった。

 その言葉はとても深く、重く、本心から告げられている言葉だというのに。

 

「そんなこと……!」

 

 青山が語る。

 それだけで壊滅していた。

 

「信じてもらえるとは思わない。だが今現在、君達に危害を与えることはしないと、俺を信じてくれた学園長と詠春様に誓う」

 

「……わかりました」

 

 いずれにせよ、青山が戦闘行動に移れば、ここに居る全員が斬殺される。だからこそ、納得はしなくても引くしかない。刹那はそう自分を戒めて引き下がった。

 青山は渋々ながらも理解を示してくれた刹那の気持ちに感謝を伝えるため、再び腰よりも下に頭を下げた。

 その礼儀正しい所作が、謙虚な姿勢は青山の人の良さを表しているというのに、どうしても受け入れられない。刹那は嫌悪感を隠すように視線を切り、ネギの元へ駆け寄った明日菜のほうを見た。ぼろぼろのネギを涙目で抱きしめる明日菜の姿。ネギも安堵の表情で明日菜の抱擁に身を任せている。

 その美しい光景に胸を撫で下ろした。

 

「襲撃者の身柄は俺のほうで預かろう。総本山には、明日?」

 

「そのつもりです。本来は明後日の予定でしたが、状況が変わりました。尤も、そちらで今親書を預かってもらえればありがたいのですが」

 

「そうもいかないのはわかっているはずだ。西洋の魔法使いであるネ、スプリングフィールド君が、総本山まで足を運ぶ。その事実こそが親書と同じく重要であるのだから」

 

「……わかっています。が、襲撃者はあまりにも強かった」

 

 だから出来ればという望みがあって。

 そんな望みを青山は無表情のまま断ち切った。

 

「俺が居る」

 

「……っ」

 

「青山が、彼の命を保証しよう」

 

 と言ったところで、青山は内心で苦笑した。先程、まさに彼の命を終わらせようとしていた自分が、どの口でそんなことを言えるのか。

 嘘が上手くなった。誇れぬ事実を自嘲するようにぼやき、そんな内心を悟られぬように刹那と楓に背を向けた。

 

「人避けの結界のほうは帰るときに斬っておこう」

 

「わかりました……助太刀していただいた身でありながら、先程までの無礼な物言い、申し訳ありません」

 

「気にしないでくれ。俺は、青山だから」

 

 そうされるべき、恐怖である。

 青山は気絶している月詠を抱え、ついでに地面に落ちた剣は散らばっていた鞘を回収してしまい、腕ごと腰帯に差しておく。着物が血で濡れているのは気にしていない様子であり、恐ろしいことに付着した血液がよく似合っていた。

 続いて青山は瞬動を使って小太郎の前に出た。そして空いた手で小太郎を抱きかかえようとして、

 

「待ってください!」

 

 そんな声に、ピタリと動きを止めた。

 ネギが駆け寄ってくる音が聞こえて、青山はどうしようか悩み、小太郎を抱きかかえた。

 

「その! やっぱし、あの時の人ですよね?」

 

 ネギは青山の背中に声をかけた。先程まで感じていた恐怖はない。むしろ、隔絶した実力差をわかったからこそ、その背中に、自覚もなく羨望の眼差しを向けていた。

 青山は振り返ろうとして、止める。折角押さえ込んだアレが、もしかしたら再び出てきそうな気がしたから。

 

「よく頑張ったね」

 

 だから、伝えたかった言葉だけを伝えて、青山は瞬動でその場を後にした。

 

「あっ……」

 

 ネギは蜃気楼のように消え去った青山を追うように手を伸ばして、その手を強く握り締める。

 頑張ったと言われた。強い人にそう言われたことは嬉しくて、けれどネギは微妙な違和感を覚えていた。

 違うのだ。そういう、上から言われる言葉ではなくて、もっと違う、別の何かを言ってほしくて。

 

「僕は……」

 

 だがその言葉は見つからない。胸の内側にくすぶるもやもやは再び広がって、ネギの内側を侵食していった。

 

 

 

 

 

 危なかったなぁと。

 いやホントに。

 虚空瞬動で総本山を目指しつつそんなことを思う。辛うじて踏み止まったところで、丁度この少女が上手く出てきて気を紛らわせてくれたから、どうにか最悪な結果にはならずにすんだ。

 にしたって。

 幾らネギ君が強くなったのが嬉しかったからって。

 斬ってはいけないだろ。

 いや、斬るけど。

 そういうことではなくて。

 あー。

 

「……ふぅ」

 

 赤面ものの先走りを、ため息とともに追い払う。とりあえず色々と台無しなことは避けられたので、今はこの少年少女を連行することだけを考えよう。

 フェイト少年とその仲間である女性はもうこの近辺にはいないし。

 しかし。

 

 彼ら、詠春様の娘さんを攫ってどうするんだろう。

 

 

 

 

 

 フェイトは夜空を千草と共に飛びながら、最低限のことは出来たことに、一応納得していた。

 いや、納得せざるを得なかった。

 

「……」

 

「……」

 

 二人の間に会話はない。千草の式が抱えている少女、近衛木乃香の奪取には成功した。少女のもつ膨大な魔力量を使って、封じられた鬼神を復活させ、総本山の穏健派を叩き潰す。そのための第一段階はこれでクリアしたも同然だった。

 だが表情は暗かった。理由なんてわかりきっている。フェイトも千草も、アレを見てしまったのだから無理はなかった。

 青山。

 恐るべき、修羅よ。

 千草は恐怖に歪みそうな顔を、強引にかき集めた怒りで塗りつぶした。そうでなければ、もう一歩だって動けそうになかったから。

 数年ぶりに見た青山の実力は、圧倒的としか言えなかった。神鳴流でも青山に近い異端の剣士である月詠。彼女の剣術は魔を断つ以上に人間を斬ることに長けていた。

 未だ少女でありながら、神鳴流でも天才の域にある彼女は、しかし青山には遠く及ばなかった。土壇場で限界を超えて、能力をさらに増したというのに、それを青山は一蹴してみせた。

 そこまでの差があった。フェイトは最早疑うべくもなく確信する。

 あれはサウザンド・マスターに匹敵する。世界がバグを起こしたとしか思えない能力。フェイトの造物主が危惧し、そして羨んだ人間の可能性。

 問題なのは、アレはその一端でありながら、行ってはいけない人間の可能性に他ならなかった。

 

「……危険だ」

 

 フェイトの本来の目的に、いずれあの男は無視できない障害として現れる気がしてならなかった。誰もが幸福でいられる世界を作るという目的を、あの男は全てぶち壊しにしてしまう。

 予感は確信と同義だった。あの男に幸福なんてない。それどころか、あの男は間違いなく幸福を斬る。

 斬って。ただ斬る。

 だから青山は今ここで殺さなければならない。例えこの世界に数十年は刻まれる大災害とも呼べる被害を与えても。そうするだけの異常性があの男にはあるから。

 

「儀式のほうを強行しよう」

 

「……ここまで来たんや。後には引けんのはようわかりやす。だが、青山はどうするつもりや?」

 

「僕の予想はぎりぎりで当たった」

 

「どういうことや?」

 

「青山はお嬢様を攫った僕らの動きに気付いていたのに、追ってこなかった」

 

 千草はフェイトの言葉に絶句した。いつでも追われていたという事実に困惑し。

 

「……どうして、青山はウチらを追ってこなかったんや?」

 

「彼の目的は英雄の息子だ。それ以外はどうでもいいんだろう……それこそ、西の長の娘であろうともね」

 

 何故ネギに執着するのかはわからないが、フェイトは青山の目的はネギにあると確信した。あそこに居た者のほとんどは青山の気に当てられて把握していなかったが、フェイトは月詠を無視してネギにゆっくりと近づいていたのを見ていた。

 そして、式を残して稚拙な結界を潜り、木乃香を拉致した時に予想は確信に変貌する。青山は間違いなく自分たちに気付いていた。それなのにまるで気にすることもなく見逃した。

 フェイトの現在の目的は二つだ。

 一つ目の目的は、ネギが小太郎を下したことで決定した。想像を超えた成長を見せたネギは、将来の敵なりえると判断する。よって、これ以上成長する前に、ここで排除をしなければならない。咸卦法を使用出来るとはいえ、所詮はその程度。従者が三人居るが、それを踏まえても、彼らだけならフェイト一人で苦もなく排除出来る。

 だが二つ目の目的がそれを邪魔する。つまりは青山の排除。これはネギの排除とイコールで繋がっているため危険度が増す。

 それでもこの絶好の機会は今後訪れるとは限らない。木乃香の膨大な魔力を使用して、封じられた鬼神と、可能な限り召喚できる妖魔の軍勢。

 これをもって、青山を絶命させる。小太郎と月詠という手札を失ったのは痛いが、それでも保有する戦力は旧世界ではこれ以上望めない。

 

「……彼は総本山に帰っているはずだ。いつまで彼の気まぐれが続くかわからない。早速始めよう」

 

 フェイトは無感動な瞳に確固とした決意を秘めて、その場所に降り立った。千草も遅れて降り立ったのは、周囲を巨大な湖に囲まれた祭壇のような場所だ。その中央に置かれた台に、千草は木乃香を横たわらせる。

 猶予などはない。穴だらけの強行軍でありながら、しかしそれゆえに嵌れば充分に上手くいく策であった。とはいっても、策などというのは嵌った時点で上手くいくものだが。

 

「とりあえず、打ち合わせ通り総本山への尖兵の召喚から始めよう」

 

「わかっとる」

 

 千草は軽く返事をすると、木乃香に札を貼り付けて、その魔力を強引に使用し始めた。木乃香を中心に魔法陣が展開されて、湖一帯に展開されて、そこから無数の鬼が召喚された。

 その数、百はおろか二百を超える規模。その一体一体が充分以上に働けるほどの能力を持つ妖魔達だ。木乃香の魔力であれば少し時間をかけるだけでこの程度の召喚は容易いのだが、それでも想像を超える規模の軍勢である。

 

「……おのれらはこの子に付いていって、指示通りに動くんや」

 

 千草はそう言って背後に控えたフェイトを指差した。そして後はフェイトに任せると、己はこの祭壇のさらに奥にある巨大な岩に眠る鬼神を蘇らせるための準備に入った。

 総本山を攻めるだけならば充分な数を揃えたにも関わらず、千草の表情には余裕はない。

 それもこれも全ては青山が原因だ。あの男をこの程度で殺すことなど不可能であるという、わかりやすい事実が千草に余裕を失わせている。

 だから鬼神の復活を急がなければならない。それも不完全な状態ではなく、封印される前の最高の状態まで。

 そしてその戦力と、さらに増員する鬼の群れを用いて総本山ごと青山を叩き潰す。それしかないと千草は考えていた。

 だから気づかない。そもそもの目的から離れて、青山を殺すためだけに動いている異常な自分に。恐れを抱く化け物、戦うくらいなら逃げ出すのを選ぶ脅威。そんな人間である青山から、今ならば逃げられるというのに千草は逃げない。

 明らかにおかしな状態になっている千草を、フェイトは冷めた瞳で見据えた。

 

「……じゃあ、僕は彼らを総本山に向けたら、また戻ってくるよ」

 

 フェイトは何も語らない。催眠すら使わず、そのあり方だけで人を狂気に貶める魔性。その存在を滅ぼすことには、彼もまた同意見だったからだ。

 

 

 

 

 




初めて読む方への補足。

ネギ流咸卦法。
我流なので結構エネルギーの無駄が激しい。無理やりやっているため体への負担が大きい。完全な状態の咸卦法が、身体能力を無駄なく上げるものだとするなら、現状のネギの咸卦法は、体への負荷を大きくする代わりに出力を得る、いわばリミッター解除状態。ターン終了時に墓地に捨てられることはないけどね。


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第五話【修羅よ、人の子よ(上)】

 

 己の浅慮に死にたくなるような気分だった。刹那は怒りのままに拳を握りこみ、その掌が切れて血を流しても気にすらとめられなかった。

 戦いの後、旅館に戻ったネギ達は、居なくなった木乃香と、そこに残された一枚の手紙を見つけて、誰もが苦渋の表情となっていた。

 手紙の内容は、簡単にまとめれば木乃香は拉致したというものである。そして、その魔力を用いて総本山を叩き、手中に収めるというものだ。

 刹那は立て続けに襲い掛かってくる窮地に言葉すらないネギと明日菜に背を向けて、開いた窓に寄った。

 

「行くのでござるか?」

 

「あぁ。奴らの狙いが総本山なら、少なくともそこに行けばお嬢様の場所くらいはわかるはずだ」

 

 楓の問いに振り返ることなく刹那は答えた。そして何も語らずに行こうとする刹那だったが「待ってください!」というネギの声に止まる。

 

「僕もついていきます!」

 

「わ、私も!」

 

 ネギと明日菜が声を揃えて言った。その言葉に刹那は振り返り、静かに視線を落とす。

 

「しかし……これはお嬢様の護衛である私の──」

 

「生徒を守るのは教師の役目です!」

 

「親友を見捨てるなら親友なんて名乗らないわよ!」

 

 刹那の言葉を遮って、二人は思いのたけを叫んだ。刹那は、迷いなく答える二人の言葉に止まり、続いて楓を見た。

 

「お主の負けでござるよ刹那。そして拙者も、クラスメートを見捨てるほど腐ってはおらんのでな」

 

「皆さん……ありがとうございます」

 

 三人の助勢に刹那は深く頭を下げた。恥ずかしいという気持ちはある。ネギは親書を届けるという大切な任務があるし、明日菜は一般人。楓は、にんにん。

 そんな彼らを自分の事情に一方的に巻き込むことに罪悪感はあった。しかし現状、月詠と小太郎を失ってなお、フェイトが居るだけで刹那ではどうにも出来ない状況にある。

 だからその手を借りなければ木乃香を救えないから手を借りる。その後であれば喜んで自分は罰を受けよう。刹那はそう決心した。

 

「……ネギ先生を上手く隠れ蓑にしていましたが、奴らの狙いがお嬢様の魔力を使用した総本山の掌握ということは、お嬢様を拉致したことである程度わかりました。となれば総本山を狙うのは当然で……私達はその間に裏からお嬢様を奪還しましょう」

 

「でもそうしたらその、総本山ってところが危ないんじゃないの?」

 

「それと、学園にも連絡を入れたほうが……」

 

 刹那の作戦に明日菜とネギが疑問を投げかける。それに刹那は「学園にはネギ先生から連絡を入れてください」と告げ、そして明日菜の疑問には瞳に嫌悪感を滲ませながら呟くように答えた。

 

「総本山には、青山が居る」

 

「……であれば、我々の心配は杞憂でござるな」

 

 楓が納得したように相槌を打った。

 嫌悪の対象で、信頼など出来ない青山だが、その戦闘力だけは信用に足る。あの男がいる限り総本山が破られるとは考えられず、あの男が破られたのならば、こちらがどう足掻いても木乃香の奪還は不可能だ。

 だから、刹那は元は西の者でありながら総本山の危機を見捨てる。全ては奪われた木乃香のためだ。これも含めて、罰は全てが終わったら甘んじる。

 刹那は悲壮な覚悟は面に出さず、刃のように鋭い表情でネギ達を見つめ、告げる。

 

「木乃香お嬢様のために、皆様に危険を冒してもらいます。これは私の我がままで、あなたがたには一切関係ない……やめるなら──」

 

 刹那は全てを語らず、真っ直ぐに自分を見つめる三対の瞳の意思を感じて、それ以上は言わずに頷いた。

 

「行きます。現目標は総本山周辺、そこで敵を待ちながら辺りの捜索網を広げ、お嬢様までの血路を見出します」

 

 敵の手紙など罠以外に考えられない。それでも今は敵の口車に乗ってそこから木乃香までの道を見出さなければならない。

 未だ夜は終わらない。

 おろか、煉獄はすぐそこなのを、彼らはまだ知らずにいる。

 

 

 

 

 

 無事、ネギ君の護衛を果たした俺は、そそくさと総本山に戻って、少年少女を巫女さんに預けた。それから詠春様と面会の機会を得ることが出来た。

 最初とは違って詠春様の自室に呼ばれた俺は、「青山です」と一言告げてから戸を開いて、頭を下げた。

 

「顔を上げて、入るといい」

 

「はい」

 

 言われるがまま、顔を上げた俺は静かに部屋に入る。和風とはいえそこは現代。ちゃんと電気の明かりが点いており、室内を明るく照らしている。

 詠春様は何かを一筆していた手を止めて俺に向き直った。どうやら文を書いているのを邪魔してしまったようである。

 

「夜分に失礼します」

 

「気にしないでくれ。報告は簡単であるが聞いている。ネギ君に襲撃者が来たようだね?」

 

「はい。内、二名は連れ出しましたが、残り二名は逃してしまいました」

 

 実際は逃がしたということになるのだが。嘘を含むのは少々気分が悪いものの、これも俺好みのネギ君に育ってもらうためである。今頃は生徒を取られたことでネギ君達は彼らを追っているだろうか。いや、普通に考えたら生徒一人を無視してでも任務を達成するべきだが。

 でも出来れば追ってほしいな。

 なんて。

 遠くに展開されている無数の鬼の軍勢を知覚しながらワクワク気分。いい感じに窮地を作り出しているらしい。なるほど、詠春様の娘さんを拉致したのはこれが狙いか。

 

「青山君?」

 

「……申し訳ありません。少々、まどろんでいました」

 

 危ない危ない。少し呆けていたか。俺は咳払いを一つすると、頭の中では別のことを考えながら、先ほどのことの詳細を詠春様に話し始めた。

 さて。

 そんなどうでもいい話はともかくである。

 総本山に迫り来る鬼の軍勢とは別に、召喚された場所から感じる膨大な魔力と気を感じて内心の喜びはさらに膨れ上がるばかりだ。

 おそらく、これは結局俺が封印を解くことが出来なかった鬼神であろう。名前は確か、リョウメンスクナとかだったか。

 あの封印は、実は最後に開放するつもりだった。いや、実際は総本山のお膝元ということで、勝手に封印を開けば破門はおろか、犯罪者として永久に付け狙われると考えて手を出さなかったのだけど。いやはや、昔の俺はチキンだったものだ。

 それでもいずれは封印を解いて仕合うつもりだった。

 だがしかし、最後のとっておきの前に現れた物凄い鬼との一戦で完結してしまった俺は、それを皮切りにすっかり強さとかどうでもよくなってしまったのである。

 なんて。

 まぁ、今振り返れば当時の俺は青二才の若造で、やんちゃを繰り返していただけ。そう思えば、ぎりぎりで終われたのは運がよかったというかなんというか。

 そんなものである。

 ともあれ青春の残り香。言い換えれば暴走が止まったという印であるあの封印が解かれようとしている。

 楽しみである。

 

「というわけでして、神鳴流のほうは加減が効かず、物理的にその戦闘力を奪う形になりました」

 

「そうか……あの少女は君に倒されたわけだね」

 

 今にも唸りそうな複雑な面持ちで何事かを考え込む詠春様。思えば、久しぶりの再会から、嘘を織り交ぜた会話しかしていないような気がする。

 結局、本質的にはあの頃と変わっていない己が悔しい。しかし、それでも己の私利私欲のため、詠春様に嘘とわからぬ嘘を告げつつ、俺はネギ君の健やかな成長を手助けするのだ。

 そう、仕方なき。

 仕方なく。

 うんうん。

 

「長!」

 

「何事だ?」

 

 説明が終わったのを見計らったようなタイミングで、慌てた様子の巫女さんが入室の許可なく戸を開けた。ただ事ならぬその様子に、俺と詠春様は顔を見合わせてから巫女さんの話を伺うことにする。

 といっても、恐らくは迫ってきている鬼のこと。

 

「ほ、本山目掛けて無数の鬼の軍勢が!」

 

「何!?」

 

 詠春様が驚いているのを横目に、気付かれぬように内心でやっぱりと納得。

 いやしかし、感じる魔力と気は随分と優秀。多分、というか間違いなくフェイト少年とあの女性のせいだよなぁ。

 となると、彼らを見逃した俺のせいにもなるのか。

 というか間違いなくそうだよなぁ。

 ……。

 

「詠春様。俺が行きましょう。本山の戦力はそのまま詠春様の警護に回してください」

 

「な……恐れながら、あの戦力は神鳴流の剣客といえど、一人では迎撃は不可能です!」

 

 巫女さんは無茶言うなといった具合でそう言った。確かに並みの剣客では今迫っている妖魔を滅ぼすのは難しい。

 だが俺は青山で。

 君は、俺を青山と知らない。

 

「ご心配なく」

 

「そんな……」

 

「よしなさい。彼がそう言っている以上、つまりは大丈夫ということだろう。我々はもしもを考えて各地の戦力を至急集めよう」

 

 詠春様が俺の後を引き継いで巫女さんを説得する。長の言葉ということもあり、巫女さんは納得して引き下がった。

 同時に俺と詠春様は立ち上がった。挨拶もそこそこに、ネギ君ではなく俺を狙ってきた彼らを迎撃するため部屋を出る。

 

「すまないね」

 

 背中にかかるのは詠春様の申し訳なさそうな声だ。本当ならご自身で動きたいのだろうけど、生憎今は西の長という立ち位置。自ら危険に飛び込むことは出来ないから。

 そんな詠春様の気持ちがわかって、むしろ俺こそ申し訳なかった。

 なんせこの騒動。俺が防ごうと思えば防げたのである。逃げたフェイト少年を即座に追い詰め、斬ることは可能であった。

 当然、フェイト少年はかなりの猛者であるため、激突していたらあそこの周囲一帯は更地になっていただろうけど。

 それだって、今の状況を招くなら安い代償だったはず。

 まぁ今更悔やんでも仕方なく。俺はこの騒動にネギ君が着てくれたら嬉しいなぁと思いながら、戦場に躍り出ることにした。

 と、その前に。

 

「詠春様」

 

「なんだい?」

 

 これだけは聞いておかないといけない。予感だが、これから先はきっと自分を抑えることが出来ないという予感。

 だから、先に断っておこう。

 

「殺さずとはいきませんが、よろしいですか?」

 

「……あぁ。この状況で、殺さずを貫けというのは酷だろう」

 

 詠春様が数秒悩んだ末に告げた言葉に、俺は喜びを表すように礼を一つ。

 それを聞ければ、もう安心。

 

「では、後ほど」

 

 俺は十一代目の入っている竹刀袋の口を緩めると、迷いなく夜に飛び出した。

 冷たい刃鳴りが響く。斬るということに感動した刃が唸った。

 そう、斬ろう。

 

 一切合財、斬り捨てる。

 

 

 

 

 

 酒呑童子。

 極東の裏側に潜む者なら誰もが知るこの名。現在はとある場所にて厳重に封印を施され眠っている、鬼の頭領にして、最強の化け物。

 誰もが恐れ、そして誰もがその封印の在り処を求めているこの鬼は、しかし一部の者しか知らぬ真実がある。

 今も封印が解かれるのを待っているとされているこの最強の鬼は、この世に存在しない。

 それは文字通り、いや、わかりやすく言おう。

 酒呑童子は死んだ。

 最強の鬼は、封印されるでもなく、たった一人の男の手によって殺されたのである。

 本来、この世に召喚された鬼を含めた魔族と呼ばれる者は例え魔を滅ぼすのに長けた術者であっても、完全に存在を滅することは出来ない。出来るのは、元の場所に召還するか、存在を希薄にし、封印を施すかしか出来ない。一部、完全に魔を滅ぼす術も存在するが、それは難しい術式であるため、使用する者も、そも使用しようという者もいない。

 さらに言えば、それであっても酒呑童子は滅ぼすことは出来ず、彼の鬼は封印をすることしか叶わない存在であった。

 あった、はずだった。

 だが今より数年前。異常事態は起きる。世界を滅ぼそうと画策したとある術者による酒呑童子の開放という計画。これを何処かで察知したある剣士が、計画を止めるために単身動いた。

 結果、酒呑童子は開放された。それも不完全な状態ではなく、計画を企てた術者達全ての命を吸うことで、完全な状態として。

 事実を知る者は少ない。封印場所すら定かではない鬼の頭領が目覚めたということも、その果てに地図にすら記されていない島が消滅したということも。

 全ては闇の中である。

 戦いの結果、酒呑童子がたった一人の剣士によって打ち滅ぼされたということも。

 ほとんど知らない。

 知る術もない。

 だが、彼らは知っている。

 

 そして、鈴の音色は響き渡った。

 

「……青山や」

 

 その音と姿を見たとき、鬼の軍勢の一匹が小さく呟いた。

 青山。青山。

 あれが青山。

 

「あれが……頭をやった奴かいな……」

 

 木々に囲まれた星明りも届かぬ暗闇。僅かに漏れた月光が鈍い鋼を照らし出し、反射した光が男の顔を暗闇に浮かび上がらせた。

 藍色の着物は、腰の部分が真っ赤に染まっている。すでに何人か斬っているのか。命の赤に染まった男は、光を飲み込む瞳で、視界一杯に佇む鬼の軍勢を見据えた。

 彼らは青山を知っている。

 知らぬわけがない。鬼にとっては最強の頭であり、他の種族も鬼の頭領の強さは理解している。

 化け物すら怯える化け物。それを斬り殺した化け物を知らぬわけがないだろう。

 

「あかん……」

 

 鬼の一匹が呟いた。契約のため戦わないわけにはいかない。

 だが勝てる気がしなかった。そして自分がただ召還されるだけで済むとも思わなかった。

 アレは斬ったのだ。

 魔という存在の本体を斬って、殺してみせた。

 だから最早彼らにはただ還されるだけという緩い考えはない。生死を賭けた戦い。そして相手は地獄の体現者。

 死ぬしかない。

 だが、それだけでは終わらない。

 冷ややかな空気が流れていた妖魔の群れの間に楽しそうな空気が流れる。

 知らぬとは言わせない。

 お前が殺した。

 お前が斬った。

 だからこそ、お前を倒せば、その者こそが鬼の頭領だ。

 

「青山ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 その叫びを皮切りに、一匹一匹が猛者揃いの鬼達が青山に殺到した。戦闘に酔う妖魔達は、この極上に怯えることなどしない。青山を倒す。それこそが最強への道ならば、喜んでこの命を捨て去ろう。

 青山の倍以上はある体躯の鬼が、手に持った柱の如き棍棒を、膂力のままに振り下ろした。

 

「一番や──」

 

 雄叫びは途中で絶たれる。斬撃という結果が発生して、鬼の身体が粉微塵に斬り裂かれて、命の花を咲かせた。

 絶命。還されるでもなく、鬼は青山の刀によって今存在を抹消された。そこにいる誰も、青山の刃が走るのを捕捉できていない。見えぬほどの速度の斬撃で、敵手を容易く殺してしまう鋼の鋭利。

 だが立ち止まらない。一体で駄目なら複数で。四方八方を取り囲んだ鬼達が、それぞれの武器を掲げて突貫した。

 

「く」

 

 青山は何かしらを呟くと、全方位を取り囲む気の位置を把握。本来の用途で使われた敵の気と魔力を察知する第六感は、視界に映らない敵の動きすらも正確に読み取った。

 だからこそ全てが無意味。鬼の得物が青山の殺傷圏内に入ったと同時に、全ての武器とその勢いで圏内に飛び込んだ鬼達の首を空に飛ばした。

 無骨な得物の残骸と、歪な鬼の首が空を彩る不思議空間。その光景を見上げながら、青山は口を開いて、星を掴もうとする子どものように両手を広げた。

 

「くっ」

 

 開いた口から漏れるのは、言葉にならぬ声だ。地面に落下するよりも早く空気に溶けて消滅する鬼の首の雨を行く。飛び掛る鬼達を瞬動で追い越した青山の道の後、追い越された鬼は無数のパーツに分かれて粉々になった。

 凛と音だけは響いている。

 草木すらざわめくのを止めていた。音を鳴らして、この男の興味を引くのが嫌だとでも言わんばかりに、風すら吹くのを止めて、無音の空間は刃鳴りで埋め尽くされる。

 死の空間。音が響く、それつまり何かが斬られるという証。青山は圧倒的だった。二百を超える化け物の群れすら相手にしていなかった。

 その最強ぶりに、鬼の間に共通した思いは『それもそうか』という諦めに近い思いだった。

 この男は一人で鬼のトップを降した。しかもただ倒すだけではなく、完全に殺しきった。

 それが青山。

 これが人の子。

 

「修羅やのぉ」

 

 鬼の一匹の言葉は、時代の移り変わりを嘆く鬼の叫びだった。

 人の可能性を鬼は見た。そして何故魔族と比べて矮小な彼らが世界に蔓延っているのかも理解した。

 これが人間だ。人の可能性の極限だ。恐るべき魔すら恐れる極限。人という終わり。人の傑作。

 言語に出来ぬ有り様よ。

 

「くっっ」

 

 青山の言語に出来ぬ言葉は、何かを堪えているかのようにも見えた。無表情の裏側に潜む人間性が、外側の檻を砕こうともがいている。

 何か、取り返しのつかないことが起きているのではないか。鬼はそんなことを思いながら、一匹一匹、確実にその数を減らしている。

 青山の奮う刀は、すでに音を幾つも重ねていた。音すら置き去りにする斬撃は、刃鳴りすら遅らせて、まるで同時に奏でられているように響いている。

 命の花が散らす最後の音色。音叉の如く広がる波紋は、草木がその音だけで生命活動を停止させる死の音色。

 斬るという概念が。

 斬られるという思いが。

 

「青山……」

 

 こんなにも、美しい交響曲を奏でている。

 立ち向かえば斬られ、立ち向かわずに斬られ、気付けば斬られ、気付かなくても斬られている。

 斬撃結界とも言うべき場が形成された。指揮者青山のタクトが、一振りごとに鬼の命という楽器を鳴らしている。

 好きなように。

 自由気ままに。

 命の消える音に酔え。

 

「ひっ」

 

 青山の喉が引きつった声を漏らした。何かが出てくる。何かが生まれようとしている。光を飲み込むその瞳。

 そして、最後に残った鬼は気付く。気付かされてしまう。青山の瞳が黒に染まっている。黒々しく、黒という色に飲まれている。

 

「う、おおおおおおお!」

 

 刹那、脳裏をよぎった考えを振り払うように、鬼は乾坤一擲の雄叫びをあげながら特攻を仕掛けた。

 恐るべき速度と膂力。人の域など容易く超えている鬼の全力が世界を震撼させた。

 総本山が震える。青山に叩きつけられた棍棒が、敵を中心にクレーターを生み出して、その威力を余すことなく伝えた。

 初めて一撃が通った。信じられないといった表情と、一矢報いたという喜び。

 だがそんな感情は、次の瞬間には吹き飛んだ。

 

「あ?」

 

 鬼は棍棒の先に違和感を覚えた。振り切っていないのだ。両手に伝わる感触はあるのに、青山ごと棍棒は地面を叩いていない。

 そして違和感の原因に気付くことなく、鬼の身体から首は吹き飛んだ。いつ斬られたのかわからない。だが斬られたという事実は澄み渡る音色でわかる。

 薄れいく視界。鬼が暗転する世界で最後に見たのは──

 

「……」

 

 青山は第一波の撃破を終えると、遠くで展開されている新たな鬼の群れと、今まさに封印を解かれようとしているスクナの気配を感じ取った。

 そしてこちらは嬉しいことに、どうやらネギ達はスクナの元へ強行している。この調子ならすぐに封印場所へと辿り着き、フェイトと化け物にネギ達が激突するだろう。

 

「うん」

 

 いいことだ。

 青山は得意げに頷くと、総本山に足を踏み入れた鬼の第二波に向けて歩を進めた。今度の数も先程と大体一緒である。

 ゆっくりと斬っていけば、こいつらだけでそれなりに楽しめるだろう。

 それに救援になら虚空瞬動でさっさといけばいい。そのくらいの時間ならば、今のネギと仲間ならば耐え切ることが出来るはず。

 青山はそう結論すると、迫り来る鬼の群れのど真ん中に瞬動で飛んだ。

 

「あ?」

 

「お……」

 

「なっ」

 

 突然、群れの只中に現れた青山を、鬼達は認識したときには青山の刃は音を鳴らしていた。

 一瞬でその周囲に居た数体の鬼の首が吹き飛んだ。消滅。問答無用で敵手を葬るその手腕。混乱する鬼達は半ば本能で青山の脅威に反応して距離をとり、反応できなかった何体かが首を飛ばして花と散る。

 青山は踊った。舞うように、自身の刃が奏でる刃鳴りの音色に合わせて刃を振るい、足を動かし、月光を駆けた。

 散る花々よ。閃光に消えて落ちる魔の骸よ。他愛なく鬼を斬る青山は、再び言語に出来ぬ何かを口走っていた。

 

「うおぁぁぁぁ!」

 

 鬼達もただやられるだけではない。長年の研鑽が生んだ武技を用いて青山を襲う。その幾つかは青山の速度を捉えて、回避行動にまで至らせるが、所詮はその程度。十の鬼の手だれすら、青山に一撃、しかも余裕で回避を行える程度のものしか与えることが出来ない。

 当然、残りの九は音となる。僅かに生き延びるかどうかの差だ。次には残った一も空に飛んで絶命する。

 まるでお手玉でもしているみたいだなぁと青山は楽しい心地だった。

 ぽーん。

 ぽーん。

 ぽーんと飛んで、花と散る。

 確実に首だけを斬る青山の刃に気付いているものも居るが、しかし斬られる箇所がわかっていても、鬼ではどうすることも出来ない。

 避けようにも刃が見えない。

 受けようにも得物ごと斬られる。

 一撃必殺。青山の斬撃は、命を絶ってもいいという縛りから開放されたことで、文字通りの意味となっていた。

 斬撃の夜は終わらない。鬼達はここでようやく敵手が青山と理解した。そして誰もが名をあげようと勇敢に襲い掛かるが、全ては徒労。意味等なく。

 次々と消える命。一瞬の音だけに化す生命。これぞ魔を滅するという神鳴流のあり方ながら、しかしそのやり方は神鳴流とは別物だった。

 斬るのだ。

 斬るだけだ。

 その結果、命は消える。青山の音色に飲み込まれて溶けていく。

 

「ふぃ」

 

 何を語ろうと言うのか。もしくは何の意味もないのか。青山は漏れ出す声に気付いた様子もなく、ひたすらに鬼斬りを行い続ける。

 そして空を貫く閃光が青山と鬼を照らした。同時に感じるのは、心胆を奮わせるほどの膨大な魔力。生物であれば誰もが危険を感じざるを得ない禍々しい色の魔力に、青山はスクナの開放を確信──。

 

「おっ?」

 

 肌を焼く何かの予感に青山は鬼を無視して空に飛んだ。

 その視線の先には、遠めでもその巨大さがわかる二つの顔と四つの腕を持つ鬼神の姿と、傍でスクナと遜色のない魔力を噴出するフェイトが、それを待っていたとばかりに青山に視線を送っていた。

 

「しまった」

 

 青山は振り返り、丁度己が飛び出したことで射線上に総本山が重なっていることに気付いた。だが気付いたときには遅い。

 スクナの四つの掌から白い魔力がほとばしり収束した。巨大な光の玉は、純粋魔力の結晶。破壊という一点のみに特化した威力が四つ、全て青山に向けられている。

 一つだけで山を消し飛ばす光が四つ。だがしかしスクナはそれで止まらない。四つの光球は、ゆっくりと口を開いたスクナの口内に収まった。

 閉じた口が発光する。膨大な魔力をさらに収束。信じられないほどの火力が顕現する。リョウメンスクナ。伝承の通りの災厄を撒き散らす鬼神の一撃が、遥か遠くにいる青山を滅ぼすためだけに放たれた。

 全ては一瞬のことだった。スクナが口を開いたとき、雷の如き速度で放たれた高濃度の魔力レーザーが、総本山を丸ごと飲み込む巨大な光の柱となって青山に襲い掛かる。

 夜に昼が生まれた。そう表現するしか出来ないほどの輝きだった。光、白、正義の色でありながらそれは間違いなく破滅の色。その余波で射線外のものをなぎ払いながら、人間では受けようがない壊滅は、個人の殲滅のみに向けられる。

 世界が白に染まった。白が十に黒が零。青山を飲み込んで余りある白の蹂躙は、瞬きの暇すらなく青山を飲み込み。

 

 その白が吐き出す爆音よりも小さく、だが確かに存在を主張する音色は再び響いた。

 

 破壊が二つに分かれる。消されるより他ない破壊ですらも、青山の斬撃は斬って落とす。鬼神の全力ですらこの様。二つに絶たれて軌道を変えた破壊の力は、そのまま総本山をかすめて遠くの何処かに着弾する。

 青山の背後、遠くに二つの光の玉が生まれた。遅れて衝撃波と、腹の底に響く低い重低音が虚空の青山を揺らがせる。

 結果。京都に消えぬ破壊は刻まれた。

 しかし、青山は生きている。フェイトから見れば虚空に佇む黒い点にしか見えなくても、覆しようのない存在感は発揮されたまま。

 そしてそれは計算どおりで、極限の光すらも代償に、フェイト・アーウェルンクスの最強は告げられた。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

 

 フェイトの右手に、スクナを上回る魔力が集まった。それは地を奮わせる大地の咆哮。騒音を手に集め、大地が放つ最大の災厄を一点に収める。

 

「契約に従い我に従え奈落の王。地割り来れ千丈舐め尽す灼熱の奔流」

 

 青山は真下より感じる熱に違和感を覚えた。この夜。冷たい空気が張り詰める闇に生まれた、無視できぬ熱量。大地にはびこる無数の鬼達も、その違和感に困惑し、地震が踏みしめる大地の震えを感じた。

 身体に感じる熱とは裏腹に、背筋が凍るような寒気に襲われる。ここは死地だ。絶命を直感した青山は虚空瞬動で逃れようとするが、それを遮るようにスクナの魔力砲が怒涛の勢いで青山に殺到した。

 己に直撃するものだけを斬る青山だが、絨毯爆撃の如く降り注ぐ光の雨の中では動くことは出来ない。破壊の光球は幾つも京都の夜を照らした。ここはすでに戦場だ。爆音が幾つも響き、きのこ雲代わりの光の花が何度も浮かぶ。その破壊を一身に受け止めつつも青山は未だ健在していた。凛と歌いながら、虚空瞬動のきっかけを狙っている。

 しかし最早遅い。フェイトの手にかき集められた魔力は、唸りをあげながら、青山の直下に叩きつけられた。

 

「滾れ。迸れ。赫妁たる亡びの地神」

 

 総本山を中心に世界が震える。誰もが抗いようのない自然の力。大地の怒り。余すことなく滅びを与える溶ける赤色が、目を開くことすら困難な熱を引きつれ、フェイトの魔力を貪りつくして顕現した。

 

「引き裂く大地」

 

 夜が溶ける。地獄の具体とも言える灼熱の大地、自然災害の頂点とも言えるマグマの濁流が、空に飛ぶ青山目掛けて噴出した。

 見よ。人一人が生み出せる破壊の極限、その一端。大地はおろか、空すらも溶かす赤色の衣が、総本山もろとも青山を飲み込むその様を。

 一際巨大な轟音が、京都一帯に響き渡った。距離を隔てたフェイトの場所にすら振動が伝わるほどの、圧倒的な崩壊。噴出すマグマに飲み込まれた総本山は爛れる赤色に飲まれ、余波に過ぎぬ炎が、大文字焼きなど比べものにならぬ範囲を燃やし、なおその勢いを止めずに、広がり続けた。

 破壊の只中。無数のクレーターと、紅蓮に飲まれる世界を見据え、フェイトはなおも漲る魔力を溶け砕けた本山に向けながら、静かに戦いのときを待つ。

 

 この日。京都は未曾有の大災害に巻き込まれ、誰もが忘れられぬ災厄を歴史に刻むことになる。

 なるのだ。

 なったではない。

 これから、歴史に刻まれる。

 

 そう、地獄はまだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

「何、木乃香が誘拐された?」

 

 近右衛門は、荒い吐息を繰り返すネギからの連絡に、表情を引き締めた。親書を奪うために現れた西の術者とその従者は、辛くも青山の助勢によって撃退した。しかしその隙を突かれて、彼らの本来の狙いである木乃香を奪われてしまったのだ。

 すみませんと謝るネギだが、今回に関しては誰が悪いというわけではないだろう。学園最大戦力である青山が介入しなければならぬほどの事態。そして西の者が、長の娘である木乃香を誘拐するという愚行。西自身の不手際でありながら、同時にネギばかりに意識を向けすぎた東側の不手際でもある。

 近右衛門はネギに「援軍を送るので、どうにか頑張ってくれ」と告げて通話を切ると、深くため息をついた。今は敵が木乃香を拉致して何をしようとしているのかが問題だ。詠春を脅して長から降ろすのか、はたまた別の──

 

「例えば、アレの膨大な魔力を使った悪事とかなぁ」

 

「……エヴァ」

 

 近右衛門は、対面に座っているエヴァンジェリンを諌めるように見据えた。だが当の本人は近右衛門の視線に全くひるむことなく、楽しげな微笑を浮かべている。

 

「事実だろう? むしろその程度考えなくてどうするという話だ。ふふ、いやいや、そうあって欲しいものだよ実際。とても楽しそうじゃないか」

 

「不謹慎じゃぞ」

 

「それでも私は繰り返し言ってやる。起こるだろう事実だ。なぁ学園長。楽観主義は止めたほうがいいぞ? 未だに私を人間に戻せるとか、そういった生ぬるい幻想と一緒にな」

 

 エヴァンジェリンは嘲るように鼻を鳴らすと、「さて、どうする?」と問いただしてきた。

 現状、最悪の事態を考えるなら、即座に急行できて、なおかつ圧倒的な実力を誇る人材を派遣すべきだろう。それをなせるタカミチは出張でここには居ない。

 とすれば、それが可能な実力を持つのは自分か。

 

「くくくっ」

 

 目の前で冷笑を浮かべるエヴァンジェリンだけだ。

 だが最悪の事態を考えた場合、事と次第によっては自分では能力が足りない場合もあり、かつ組織のトップが前線に出るという事態は、今の状態ではすることは難しい。組織の上に立つというのは、そういったしがらみも発生するということに他ならないのだ。

 

「あぁ、私は行かないぞ?」

 

 エヴァンジェリンは近右衛門の内心を察したようにそう言った。何故、と聞く前にエヴァンジェリンはさらに言葉を続ける。

 

「あそこには青山が居る」

 

「……じゃが、その青山君ですらとり逃した敵がいるのじゃぞ?」

 

「くはっ!」

 

 近右衛門の言葉に、エヴァンジェリンは大口を開いて笑った。吐き気のこみ上げる邪悪な笑みだった。

 

「おい、おいおいおい! もしかして、貴様、まさか、くははははは!」

 

「何がおかしいのじゃエヴァンジェリン」

 

 近右衛門は、一刻の猶予もない状況の焦りから、僅かに怒気を含ませてエヴァンジェリンを睨んだ。だがお構いなしにエヴァンジェリンは笑う。呪いによって人間に貶められながらも、その笑い声と佇まいは恐ろしい化け物そのものだ。

 ともかく、面白かった。まさかこの爺、本気で青山が敵を逃したと思っている。笑える冗談であった。あの男が、あの人間が取り逃す?

 わかっちゃいない。やはり、近右衛門のような素晴らしい正義では、あの人間の本質を理解出来はしない。

 

「はー……久方ぶりに腹の底から笑ったよ」

 

 何とか笑いを抑えたエヴァンジェリンは、未だ口元に笑みの残滓を残しながら続けた。

 

「これはただの茶番だよ。そう、死人が出るだけのお遊びだ」

 

「死人が出る遊びなど存在せん」

 

「立派だ爺。潔癖な正義らしく、それは素晴らしい切り替えしだが……これは遊びだよ。詳しく語るのは野暮だがな」

 

 だからエヴァンジェリンは行かない。状況を理解しているとはいえぬネギの言葉を、さらに簡潔にまとめてエヴァに伝えた近右衛門の言葉だけで、エヴァンジェリンだけは青山を理解していた。

 これは、あいつが仕掛けた遊びだ。何を目的にしているのかはわからないが、きっと今のあいつは、とてもとても楽しんでいるだろう。嬉しくて楽しくて面白くて、だから私を斬る前に見せたあの表情で──

 ひひっ、と不気味な笑い声を出したエヴァンジェリンは、席を立つとそのまま出口に向かっていった。

 

「行くなら勝手にしろ。だが、やるなら人間同士で好きにやれ。飴か悪戯か(トリックオアトリート)をやるほど、私は子どもじゃないんだ」

 

 この騒動は、エヴァンジェリンからしたらその程度のものでしかない。そして、青山にとってもその程度のものだろう。

 飴か。

 悪戯か。

 勿論、あの男ならいずれにせよ。

 

「斬るだろうなぁ」

 

 そうするに違いない。

 エヴァンジェリンは笑った。青山と同じ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 



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第五話【修羅よ、人の子よ(中)】

 総本山付近まで来たのと、遠くからでも感じるほどの巨大な魔力の唸りを感じたのは同時だった。ネギ達はとてつもない何かが生まれでそうなのを確信して、僅かにその歩みを止める。

 

「早く!」

 

 だがいち早く復活した刹那の一喝で我を取り戻した一同は、全速力で魔力元へ駆け抜け、ついに巨大な湖に辿り着いた。

 

「お嬢様!」

 

 刹那は祭壇に捧げられた供物のように横たわる木乃香の姿を見つけて、激昂しながら抜刀した。ネギ達が静止する暇もなく、刹那は瞬動で木乃香の元へと飛ぶが、しかしその直前に現れたフェイトによって行く手を遮られてしまった。

 

「フェイト……アーウェルンクス」

 

 楓が警戒心をむき出しにしてその名を呼んだ。敵味方揃ったあの場で、唯一青山と戦える実力を持った恐るべき少年。そんな化け物が一人佇んでいるだけで、ネギ達の動きは止められていた。

 

「残念ながら青山の助勢は期待しないほうがいい。今頃、僕らが召喚した鬼の群れの迎撃に忙しいだろうからね」

 

 彼らの望みを砕くように、フェイトは淡々とその事実を告げた。

 青山。

 味方とも呼べぬあの男だが、今は誰よりも必要な男であった。刹那は内心で、使えない奴と詰るが、そんなことに意味がないのもわかっていた。

 フェイトの目的は、ネギ達の希望を絶つことで、確実にその命を終わらせることだ。尤も、フェイトの狙いはネギ一人なので、他の者は可能な限り殺さないようにはするつもりである。

 だが例外は当然ある。

 青山、あの恐るべき男だけは、どのような惨劇をこの京都に起こそうが殺さなければならない。

 

「とりあえず、ネギ・スプリングフィールドを渡してくれれば、君達に危害を加えることはしないと約束はしよう」

 

「ふざけんじゃないわよ! 誰があんたにネギを渡すかっての!」

 

 誰よりも早く明日菜が反応した。ハリセンを構えて、ネギを庇うように前に出る。その勇敢さに後押しされて、刹那と楓もそれぞれの得物を構えた。

 

「……木乃香さんを返してもらうよ!」

 

 最後にネギがそう叫びながら、魔力と気を内部で合成した。小太郎戦のときと違い、スムーズに合成された究極の技法を前に、フェイトの目が細くなった。

 やはり、この少年は危険だ。青山とは違う、その将来性がフェイトの邪魔になるのは間違いない。子どもだからという油断もなく、フェイトは「……なら、力ずくといこう」と言うと、静かに構えをとった。

 

「来るぞ!」

 

 楓の叫びがネギ達に伝わるのと、フェイトが明日菜の懐に飛び込むのは同時だった。

 

「きゃあ!?」

 

 反応すらさせない速度で、フェイトの拳が明日菜の腹部を捉えてそのまま空に打ち上げた。幾ら強化されているとはいえ、その凶悪な威力に明日菜の身体に激痛が走る。

 しかしネギ達に明日菜を構う余裕はなかった。四つに影分身した楓が、気を練り上げた拳を打ち、刹那もそれに合わせて夕凪を払う。

 

「無駄だ」

 

 だが捉えたのは水の分身。いつ代わったのか判断も出来ぬ業の冴えに驚嘆。フェイトは驚く二人を横目に、刹那の背後に回りこんだ。

 殺気に反応するが、対応が遅れた。背筋をはいずる悪寒に気付くが、フェイトの一撃は解き放たれている。直後に訪れる激痛を予感して覚悟を決めた刹那だったが、その拳はネギの掌に受け止められた。

 

「ぐぅ!?」

 

 咸卦法で得られた膨大な出力で受けたにも関わらず、ネギは掌が痺れる痛みに呻いた。

 それでも止めた。二度と話さない気概で、ネギはフェイトの拳を握りこむ。咸卦の光がさらに増大して、一瞬だけネギはフェイトをとどめることに成功した。

 そしてその一瞬を逃さない。楓の分身体が影の中を進むように静かにフェイトの懐に入る。低い体勢から放たれる三体の影分身の蹴りが、フェイトの胸部に集中した。

 痛烈な打撃に、明日菜と同じく空に吹き飛ぶフェイト。砲弾もかくやという勢いで飛翔した彼の胸部は、蹴りの跡が痛々しく残って、いない。

 

「へぇ」

 

 フェイトの顔に痛みの表情は浮かんでいなかった。楓渾身の連撃すら、フェイトの障壁を突破することは出来なかった。この程度の打撃では揺るぎもしない。その火力もさることながら、フェイトの恐るべきはその防御力にあった。

 だがまだ終わらない。吹き飛ぶフェイトの背中を誰かが止めた。振り返れば、太陽のように輝く気の塊を拳に収束させた楓が、鬼気迫る表情でそこにいる。

 

「神鳴流、決戦奥義!」

 

 そして眼下では、膝を畳み、力を溜め込んだ刹那が、夕凪の刀身に幾つもの紫電を纏わせて立っている。

 最大威力による同時攻撃。だがフェイトはそんなもの無駄といわんばかりに無表情でそれらを見据え、何かが迫る気配に咄嗟に視線を移した。

 

「うりゃあ!」

 

 明日菜が虚空から全力でハリセンを投擲した。逃れようとして、その動きを楓の手が強引に押しとどめる。

 結果、ハリセンはフェイトに直撃した。その体にダメージは何一つないが、ここで初めてフェイトの表情に焦りの色が浮かぶ。

 障壁が全て破られた。

 たちまち、己のアドバンテージが失われ、状況は一気に傾く。上空に太陽。下界に雷鳴。練り上げられた必殺を、この瞬間に叩き込め。

 

「極大雷光剣!」

 

「おぉぉ!」

 

 楓の気と刹那の奥義が、その間に居るフェイトを挟むように飲み込んだ。虚空に発生した星の輝き。目を開くことも出来ない光は、間違いなくフェイトを捉えた。

 やった。ネギは強敵からもぎ取った勝利を確信して拳を握りこむ。刹那と楓の全力を賭した、もう二度と訪れぬチャンスを生かした攻撃は、並の術者はおろか、熟練の達人ですら葬るほどの火力。

 楓と刹那、互いの必殺は反発しあうように数秒もの間雷鳴のような音を響かせながら膨張していき、一気に消し飛んだ。

 

「危なかったね」

 

 吹き飛んだ気の内部から、僅かに服を焦がしただけのフェイトが現れた。

 絶句する。体にうっすらと火傷があるものの、フェイトはほとんど無傷といっていい様相であった。

 達人二人の最大火力は、化け物の性能を上回ることが出来なかった。とはいえ、フェイトも表情とは裏腹に、内心は冷や汗ものだ。明日菜の無効化能力は先程見せてもらっていたので、それを踏まえて遅延呪文による障壁の即座の展開を出来るようにしていた。遅延呪文のほうも吹き飛ばされる懸念はあったが、呪文の構築式のみを固定。即座に魔力を流して展開という形をとったのが功をなしたらしい。

 いずれにせよ、上手くいったのだから問題はない。フェイトは呆然と隙を晒す刹那に飛び込み、今度こそその顔面に痛烈な拳を叩き込んだ。

 

「がぁ!?」

 

 女子にあるまじき悲鳴をあげながら、刹那は木っ端のように湖に飛ばされ、そのまま水柱を発生させて水底に沈んだ。

 そのまま浮かんでくることはない。絶命したのか、あるいはまた別の要因か。ともかくたった一撃、フェイトの打撃が炸裂しただけで刹那は戦闘から離脱させられたのだった。

 

「刹──」

 

「人の心配かい?」

 

 刹那を助けようとした楓の本体と分身の周囲に、無数の黒い刃が展開される。黒曜石の美しい輝きが千にも届く数。逃れえぬ刃の牢獄は、隙を晒した楓の逃げ道を完全に封じた。

 

「千刃黒曜剣」

 

 宣誓と共に刃が殺到する。分身がいようがいまいが関係ない。千に届く刃が音を置き去りに迫った。

 抵抗空しく、楓の体に刃は突き刺さる。分身は消滅し、残った本体も急所は守ったものの、体中に刃が突き刺さりウニのようになり、うめき声も上げられず楓は地に伏した。

 

「あ……」

 

 ネギはその間、何も出来なかった。遅れて落ちてきた明日菜も、ハリセンを投げただけで限界だったのだろう。力なく倒れ、その目は閉じられていた。

 一分にも満たない時間。

 たったそれだけで、フェイト・アーウェルンクスはネギを残して周りを無力化したのだった。

 

「さて、残りは君だけだね」

 

「そんな……」

 

 呆然と佇むネギにフェイトは向かい合う。保有する戦力の桁が違いすぎた。フェイトとネギ達の間には、やはり覆しようのない差があって。

 それでも譲れないものがある。ネギは半ば呆然とした意識を引き締めて、強い決意の篭った瞳でフェイトを睨んだ。

 

「……許さないぞ!」

 

「ならどうする? 勝つつもりならそれは自惚れだよネギ・スプリングフィールド。咸卦法を使えるようになっただけの君では、僕を打倒することは出来ない」

 

「そんなことぉ!」

 

 ネギの意志に影響されたように、咸卦のエネルギーが増大した。その能力の向上は、基礎スペックだけならばフェイトですら瞠目するほど。湖の水を波立たせるほどの力の濁流をかき集めて、ネギは体の赴くままにフェイトに突撃した。

 瞬動もかくやという速度で駆けるネギ。なるほど、確かにその身体能力は、飛躍的といえるほどに向上している。

 だが所詮はその程度。スペックだけで超えられない壁が存在する。

 

「うぉぉぉぉ!」

 

 大振りながらも砲弾に匹敵する拳が走った。咸卦の光に包まれた拳を、フェイトは軽く手で流すと、その勢いを利用してネギの重心をずらして横転させた。

 膨大なエネルギーを流された結果。ネギはただ横転するだけではなく、数メートル以上の距離を転がった。

 

「くっ!?」

 

「驚いているね。どうして自分が吹き飛ばされているかわかっていないっていう顔だ……なんてことはない。君より鋭角に、君よりスピーディーに、攻撃を流しただけの話だよ」

 

 ネギの身体能力は確かに驚異的だ。だが所詮、その程度でしかなかった。

 もしも再び同じ状況で小太郎とネギが戦ったのならば、間違いなく小太郎はネギを倒せるだろう。彼の敗北の原因は、予想外に向上した身体能力、つまりはネギの成長速度を知らなかったからだ。

 しかし所詮は一発芸。そういうものだとわかっていれば、ただの身体能力の高い人間。つまりはただの獣と変わりない。

 

「それで? 終わりなら決着をつけよう」

 

「うぅ……」

 

 勝てない。たった一合でネギはわかってしまった。身体能力で勝っていながら、それを活かす下地がネギには欠けている。これでは宝の持ち腐れに過ぎなかった。

 そんなネギを無感動に見下ろすフェイトは、トドメを刺すためにその手に魔力を収束して、背後で爆発した魔力の嵐に振り返った。

 

「どうやら、チェックだ」

 

 フェイトの視線を追ったネギもまた、その恐るべき姿を見た。

 夜を引き裂く白銀の肉体。見上げるほどに巨大な体躯には、四つの腕と二つの顔がある。指先一つにすら異常な魔力が詰まっている鬼の化け物こそ、かつての時代、恐るべき恐怖を振りまいた鬼神。

 リョウメンスクナがここに復活を果たしたのだった。

 

「……悪いが、君に構う暇がなくなった」

 

 フェイトはそう言うと、どうにか立ち上がったネギを置いて空に飛んだ。ここに手札は揃った。状況も望める限り最高の舞台。

 千草もまたわかっているのか。いや、わかっていないからこそか。尋常ならざる気配を漂わせた彼女の思考には、最早西の権力を剥ぎ取るという考えすらないのだろう。

 青山。

 恐るべき、青山よ。

 

「殺せ!」

 

 千草は叫んだ。総本山から飛び出した影を睨み、怒りのままに吼えた。

 

「殺せぇぇぇぇぇ!」

 

 鬼の狂気を具体したようだった。そして千草の狂気を再現するのが鬼神の役割。

 光が集った。膨大な魔力を膨大なまま破滅に変換して、神の名に相応しき極限が顕現する。

 世界を照らす恐ろしい光よ。正義の色を宿しながら破壊のみを宿す恐るべき魔弾よ。

 この怒りを表せ。お前が刻んだ恐怖を。お前が刻んだ怒りを。この一撃にぶつけてみせろ。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

 千草の絶叫に合わせて、リョウメンスクナの口内に閉じ込められた魔力の爆弾が放たれた。怒りを束ねた咆哮が、一直線に遠くの影、青山目掛けて走った。

 終末の光。神罰の一撃。まさにそう表現するに足る閃光に千草は暗い笑みを浮かべた。

 殺った。アレは人間では抗いようのない破壊だ。それ以外に何とも言えぬ災いが青山を食らう。

 死ね。

 消えろ。

 この世から。

 

「消えるんや。悪魔が……!」

 

 だがそんな千草の願いすらも斬り裂くように、光の轟音すら斬り裂いて、鈴の音色が世界中に響き渡った。

 その音に千草は小さな悲鳴をあげた。

 青山。

 お前はどうして死なないのだ。

 

「う、ぁ」

 

 斬り分けられた光が二つ、軌道を変えて京都の街を爆発に飲み込むが、千草はそんな光景も目に入っていないようだった。

 声を失う。鬼神の全力すら、青山という修羅には届かないというのか。突きつけられた現実に、ぎりぎりで保たれていた千草の意地が崩れ落ちようとして。

 

「まだだよ」

 

 そんな彼女を奮い立たせる冷たい声が届いた。

 

「砲撃、続けて」

 

 フェイトはそう千草に告げると、魔力を最大出力まで吐き出して、持てる最大の魔法の詠唱を開始した。

 わかっていた。お前があれだけで終わるわけがないくらいわかりきっていた。

 だからこそ後詰めをする。この距離、虚空瞬動ですら数秒以上はかかるだろう絶好の機会を逃すわけがない。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

 

 世界を震撼させる歌声が轟く。災厄の証明を告げる。宣告するのは死、そのものだ。

 

「契約に従い我に従え奈落の王。地割り来れ千丈舐め尽す灼熱の奔流」

 

 ネギはフェイトを中心に世界が震えるのを感じた。揺れはどんどん大きくなり、常人なら立つのも困難なほどにまでなっている。

 世界が悲鳴をあげているようだった。フェイトの魔力は最早、地球という存在すらも隷属させているのか。いや、今から放つ魔法を思えば、その表現は決して比喩でもなんでもないことがわかる。

 今からフェイトが放つのはそういった類の魔法だ。地属性魔法の最強。そう言っても過言ではないこの魔法は、本来旧世界と呼ばれるこの場所では使用すら禁じられるほどの究極の一手。

 その絶対の威力を把握した千草も、フェイトの背中を信じた。ならば時間は稼ごう。青山という修羅を滅ぼすには、地球の怒りでようやく比肩するはずだという、訳のわからない確信が千草を動かした。

 

「出し惜しみはなしや! 徹底的にぶっ放すんや!」

 

 千草の号令を聞いて、スクナが怒涛の魔力砲撃を展開した。無詠唱というのが考えられないほどの爆撃は、点ではなく面を抉る。結果、京都がさらなる被害をこうむり、幾つもの光が、眠る人々の安寧をぶち壊した。

 それは戦争だった。個人と個人が繰り広げる、現代の国家郡ですら展開することの出来ない破壊活動だった。

 空が震える。

 大地が砕ける。

 咆哮一つごとに世界が軋み、フェイトの魔力はなおも大地を泣き叫ばせた。

 ネギには何も出来なかった。あの時と同じく、ネギでは何も出来ない遥か高みの戦いが行われる。

 次元が違う。

 格が違う。

 蟻とゾウの背比べですら足りぬ絶望的な壁が広がっていた。

 

「滾れ。迸れ。赫妁たる亡びの地神」

 

 だがそんなネギの虚無感など、当然戦いを繰り広げる者には何の影響も与えない。そして、フェイトの詠唱が終わった。

 世界が吼える。怒号の如き爆音が京都を震撼させた。同時に爆発的な魔力が総本山を包み込み。

 

「引き裂く大地」

 

 地が空を飛ぶ。マグマとなった総本山の直下が噴出して、防戦一方の青山を容易く飲み込んだ。どうすることも出来ずにマグマの海に飲まれていく青山。

 だが。

 だが、千草はそれで勝利したとは思えなかった。

 

「まだや! もっと! アレの魂が消し飛ぶまで打ち続けるんやぁ!」

 

 千草はなおもスクナに号令を下した。主の命を受けて、スクナの砲撃が再開される。終わることなき光の雨が、未だに赤く爛れている総本山を吹き飛ばした。

 散ったマグマが四散し、さらに二次被害が加速する。紅蓮はその手を広げ、突如降り注いだ恐怖に怯える人々を飲み込んだ。

 その間にも、一般人には原理のわからない破壊の光が京都を穿つ。

 

「止めろ」

 

 阿鼻叫喚の声が聞こえてくるような気がした。紅蓮に包まれている街の姿が容易に想像できた。

 

「止めろ……!」

 

 悲鳴と怨嗟が広がるごとに、その負を吸収してスクナがより強大となり、砲撃はさらに威力を増して夜空を焦がす。

 黒の空にデコレーションする赤色が見えた。燃える世界に佇む己をネギは見た。

 

「やめろぉぉぉぉぉぉ!」

 

 立ち上がったネギは、怒りのままに杖にまたがり飛んだ。そしてスクナに飛び掛るものの、それをフェイトが遮る。

 無常にも、怒りの拳は再び受け流されて、ネギは水面に叩きつけられた。

 無力だった。

 誰よりも無力だった。

 魔法という、人よりも優れた力を持っているはずなのに、ネギは無力だった。

 英雄、サウザンド・マスターの息子であるはずなのに、ネギは無力だった。

 何も出来ないのなら、今も炎に泣き叫ぶ一般人と何が変わらない。

 まるで変わらない。

 お前は、まるで、変わらないのか。

 

「……違う」

 

 己を責める声にネギは頭を振った。

 違う。

 そうじゃない。

 そうならないために、強くなろうと。

 そうだ。

 

「僕は……」

 

 胸のもやもやが解消されていく。いや、解消はされていない。その正体が判明していく。

 わかったのだ。わかっていたのだ。自分はこんなにも弱くて、全くの無力で。

 

 だから、強くなりたかった。

 

 誰よりも、強くならないといけなかった。

 

 絶対に、勝利しなくちゃいけないから。

 

「勝つんだ」

 

 水の中でネギは呟いた。

 

「勝つんだ」

 

 でないと、再び惨劇は繰り返される。弱い己のせいで、燃える村が、崩れる大橋が、そして今まさに行われている惨劇が。

 何度だって、行われるのだから。

 

「勝つ。勝ってやる。絶対だ。もう嫌だ。強くなる。強くなる。僕はもう」

 

 ──誰も失いたくない。

 だからここで、弱い自分は死にさらせ。

 

「ラ・ステル・マス・キル・マギステル。風精召喚。戦の乙女100柱」

 

 唱えられるのは、何の変哲もない普通の風の精霊召喚。だがネギは100にも及ぶ精霊を、あろうことか強引にその掌に押さえつけた。

 咸卦法の出力によって、何とか押さえつけてはいるが、それでも暴れる魔法がネギの体からあふれ出して、その両腕の肉が引き裂け鮮血が周囲に漂った。

 

「術式、強制、固定ぃぃぃ……」

 

 それでもネギは止めない。咸卦法の膨大な力を使用して、ネギは今まさに自ら死への会談を駆け上っていた。

 ネギはわかっていた。最早、己の持つ手札だけでは彼らを止めることは出来ないことをわかっていた。

 ならば、作り出せばいい。勝てるものを、圧倒的な切り札を。今ここで、作り出すしか勝利を得られないのだから。一度だけ見たあの恐るべき力。あれさえあればきっと、この状況を乗り越えられると信じて。

 その先に己の体の崩壊が起きようとも。

 

「掌、握!」

 

 惨劇を止められるなら、安いものだ。

 

 瞬間、握りつぶした破壊力がネギの体を蹂躙した。悲鳴をあげることすら出来なかった。激痛は零秒の内に百以上頭の先から足先までを往復し、例えるなら血管を硫酸が流れているような心地だった。

 つまり、死ぬ。

 ネギの無謀は、咸卦法の時のような奇跡を起こさない。

 だが奇跡は起きた。咸卦法のエネルギーは、自殺行為ともいえる主の行為からすらも肉体を守ろうと足掻いた。

 その代償としてネギは無限の激痛を味わうことになる。自分が何処にいるのかもわからなくなった。ここが何処で、自分が誰で、そもそもなんでこんな痛みを受けなくてはいけないのかわからなくなる。

 しかしネギは耐えた。血が出るまで歯を食いしばり、体中が取り込んだ魔法によって引き裂かれるのすら咸卦法のエネルギーで強引に修復しながら、まさに必死に耐えた。

 死ぬわけにはいかなかった。

 負けたくないから死ぬわけにはいかなかった。

 だが割れていく。次々にネギを構成するあらゆるものが削られていく。取り留めのない日常がぽろぽろとその手からなくなっていくけれど。

 勝つのだ。

 その意識だけが。

 勝つのだ。

 その渇望だけが。

 勝つのだ。

 その願いだけが、ネギの存在を最後の最後まで保ち続け。

 

 ──そうだ。この杖をお前にやろう。

 

 最後に、失ってはいけなかった言葉が何処かに消えた。

 

 そして、無限でありながら、その実一秒にも満たない地獄が終わる。湖の底に沈んでいくネギの目が大きく開いたのと同時、巨大な水柱が発生した。

 

「君は、まだ……?」

 

 現れたネギの姿を見て、フェイトは一瞬それが誰なのかわからなかった。

 

「……術式兵装『風精影装』」

 

 緑色の風を纏ったその姿は、確かに見た目はネギなのだが、まるで別人のようでしかなかった。血に染まった服は、濡れているにも関わらず、流血の跡がはっきりとわかる。目と鼻と口、耳からも出血しており、血染めの顔はホラー映画にでも出そうだ。

 まさに別人といった様相だが、何よりもフェイトを驚かせたのは、その瞳。

 だがネギは構わずに己の状態を把握することにする。

 兵装は何とか完了。代償として体内の血が随分と失われ、鼓膜は弾けて音は聞き取れない。さらに嗅覚は完全に失われ、口の中の血の味もぼやけている。視界も左半分は完全に失われ、脳髄は強引に押さえつけた魔法のせいで絶え間なく激痛を発している。

 五感のうち四つが破損し、まともな思考も激痛のせいで難しい。

 しかし、戦える。

 ネギは咸卦法の力と、掌握した魔法の力を実感するように手を握り締めた。

 本来は考えられなかった恐ろしい者が生まれる。どちらも究極の技法である咸卦法と闇の魔法。それを未熟ながらも、その溢れる才能と、ありえぬ執念で作り上げた化け物が、ついに生まれた。

 

「勝つんだ。僕は、絶対に勝つんだ」

 

 ここに、兆しは生まれた。あどけない少年の面影は失われ、その瞳は──あぁ、なんということか。

 

「僕は、勝つ」

 

 あらゆる光を飲み込む闇色。

 

「もう負けない」

 

 それはまるで、青山の瞳だった。

 

 

 

 

 

 術式兵装『風精影装』。

 闇の魔法を見よう見真似で作り上げた新たな切り札は、正しくは術式兵装と呼ぶにはあまりにもお粗末な代物だ。

 まず、スペック上の向上は一切ない。細かい違いをあげるなら、風の精霊を取り込んだことで、杖もなく自由に空を飛ぶことができるが、その程度だ。

 実質、ネギ自体に変化はない。どころか、五感の内四つがほとんど使い物にならなくなっており、内、嗅覚、聴覚は完全に奪われた。味覚も怪しく、戦闘に重要な視覚も左半分が闇の中。さらには強引な術式を構築した代償に、脳が沸騰して、絶え間なく激痛を訴えている。

 能力の向上という点では、ネギの闇の魔法は失敗したといってもいい。生きているだけで、ただ己をぼろぼろにしただけだ。

 それでも曲りなりにも闇の魔法を模倣したこの術式は、充分以上の能力をネギに与えていた。体に纏う魔力の風、意志をもつ緑色の大気は、ネギの意識下に隷属されていた。

 ここに、百の柱にて絶殺を行う。咸卦の光を宿したネギは、光を飲み込む瞳でフェイトを見つめ、指先を突きつけた。

 

「君を倒すよ、フェイト・アーウェルンクス」

 

「あぁ、あの忍者少女が名前を呟いていたね……それで? 大口はいいけれど、勝てると思っているのかい?」

 

 だとしたらおかしい話だと、フェイトは咸卦の光と緑色の風を纏ったネギを見据えて、呆れた風にため息を漏らした。

 だがその内心は決して油断していなかった。ネギと真正面から対峙しているのがその証拠。フェイトが恐れたのはネギの爆発的な成長力なのだから。

 故に全力を出す必要がある。構えを取ったフェイトに対して、武術の心得がないネギは不恰好に構えるだけだ。

 この期に及んで近接戦闘を行うつもりなのは、目に見えて明らかだ。策があるのだろう。何かしら、その身に纏う風を使った何かが。

 ──どうでもいい。ならば、その希望をへし折るため、また真正面から叩き潰すだけだ。

 

「来るといい」

 

 フェイトの呟きは、鼓膜の弾けたネギには届かない。だがしかし、立ち上る魔力に反応して、ネギは足元に風を集めると、それを足場に飛び出した。

 たちまち間合いは埋められて、その感情が込められたネギの拳が大きく振り上げられて放たれる。見え透いたテレフォンパンチ。先程と威力も速度もまるで変わらない拳を、フェイトは冷めた眼差しで見つめ、違和感に驚く。

 ネギの拳がぶれていた。いや、ネギの体そのものがぶれていた。まるで幾つもの影を重ね合わせたように、像が定まらないネギの一撃。風を操った光の屈折による一種のカモフラージュか。一瞬の間にその現象の謎を把握したフェイトは、ならば像が重なるその中心に視線のピントを合わせて、ネギの拳に掌を走らせた。

 他愛ない。この程度の児戯を行うなら、光を風で屈折させて透明にでもなったほうがまだ有効だった。そう内心で吐き出すフェイトは、遅くなった時間の中、ぶれたネギの拳にそっと掌を、合わせた。

 ぶれている拳に、掌が重なったのだ。

 

「な?」

 

「おぉぉぉぉ!」

 

 違和感に驚くその僅か、雄叫びを上げたネギの拳が、フェイトの掌を弾いてその顔面に炸裂した。

 そのときありえぬ現象が起きる。

 一撃ではなかったのだ。着弾したネギの拳は、驚くことにぶれた数の分だけフェイトの顔面に炸裂する。その数およそ十。一点に間髪入れず直撃した、咸卦法で威力を何倍にも増加されたネギの拳は、堅牢なフェイトの障壁をたわませるほどの痛烈な打撃をお見舞いした。

 

「な、に……!?」

 

 フェイトは吹き飛びながら困惑する。風を屈折させただけのはずだった。だが実際はぶれたように見えた像すらも『虚像ではなく実像』。水面に落ちていくフェイトを追うネギは未だにぶれたままだ。

 咄嗟にフェイトは石の剣をネギの周囲に展開した。無詠唱のためその数は百ほどだが、先程までのネギならば充分に落とせる数、それを問答無用で殺到させた。

 ネギは反応こそ出来たものの、十本ほど打ち落としたところで剣に体を串刺しにされる。急所すらも貫いた石の剣は、人間ならばどう足掻いても必死。

 だというのに、ネギはまるで剣など突き刺さっていないかのように動き出した。そのとき、脱皮でもするように緑色をした透明なネギが、剣が刺さった状態で五体、ネギの体から抜け落ちて消滅する。

 

「そういうことか……!」

 

 フェイトはその現象を見て、ネギがどうしてぶれているのか、その現象の正体に気付いた。

 術式兵装『風精影装』。これは術者の身体能力などの向上は出来ず、与えられるわかりやすい能力は、自由に空を動けることだけだが、この能力の真髄は別にある。

 掌握した風の精霊。今回は百柱。この分だけ、ネギは己の体の内側に十秒間だけ、本人と寸分の差がない影分身を展開することができるのだ。だがこの影分身は楓が使うものとは違って、術者と同じ動きをするだけの分身でしかなく、さらには魔法を詠唱しても、本体のみしか魔法は放てない。

 あくまで、術者の身体能力を模して、術者と同じ動きをするだけのものだ。それ以上でも以下でもない。

 しかし、本来なら術者が受ける攻撃を、影分身で受けるだけのデコイとして使うこの術式は、咸卦法という究極技法によって使用方法は一転する。膨大な身体能力を術者に与える咸卦法によって、今やネギの身体能力はスペックだけなら神鳴流の一流剣士にすら匹敵するほどだ。

 そんなネギと同じスペックを持つ影分身による、一点集中の同時攻撃。しかも攻撃の直前は分身が僅かに外に漏れることで打点をばらばらにすることが出来て、それが全て実体であるために、受けることは至難。

 まさに今、近接戦闘という限定された状況下において、ネギは一流の魔法使いすら凌ぐ能力を得ていたのだった。

 

「フェイトぉぉぉぉぉ!」

 

 それらの事柄を本能で理解したネギは、能力を最大効率で運用してフェイトに肉薄する。距離を開けることは出来ない。そしてフェイトであればすぐにでもこの能力の対抗策を思い浮かぶだろう。

 その前に全力で殴り続ける。先程の剣によって削られた影分身を補充したネギは、フェイトもろとも、湖に激突した。

 何度目になるかわからない、今日一番の巨大な水柱が発生する。外の轟音すら聞こえなくなる静寂の水の中で、ネギは己の周囲に風を展開して水による動きの阻害を排除。目の前のフェイトの胸倉を分身もろとも掴むと、空いた右拳で壮絶なラッシュを始めた。

 

「らぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 水の中で空気が弾ける。一打ごとに十。十打ごとに百。百打重ねれば千。右腕一本で弾幕を展開していく。

 人間には考えられぬ壮絶な打撃が、周囲の水を弾き、二人はそのまま湖の底に着地した。

 湖がその一点のみ割れていた。古の賢者は海を割ったというが、ネギの拳はその領域に届いているのか。

 まさに神の領域。拳という野蛮な武器一つで、ネギはフェイトに思考させる隙も与えず追い詰めていく。

 だがフェイトもただやられるだけではない。両腕で体を庇い、壮絶なラッシュの最中、冷静に反撃の隙を伺っていた。

 油断しないと決めながら、この様だ。結局、フェイトは何処かでネギはただの少年でしかないと見下していたのだろう。

 そのツケがこの状況だった。ガードをした腕がそのまま急所になったような錯覚。咸卦法の出力と、闇の魔法の特異性。この二つが見事に嵌まったネギの実力は、既に学園の魔法先生の平均を遥かに凌ぐ領域に到達していた。

 だがそんなことはどうでもよかった。

 勝つのだ。

 その意志と渇望だけが、脳髄を狂わせる激痛の中でネギを突き動かす。

 勝たなければいけない。絶対に勝つしかない。勝つ。僕は負けない。敗北が惨劇に繋がるなら、僕はもう二度と負けるわけにはいかない。

 

「ぃぎやぁぁぁぁぁ!」

 

 今も紅蓮と光に飲まれる、無力な人々の怨嗟の叫び。それを代弁したような雄叫びだった。

 打つ。

 ひたすら打つ。

 反撃させぬ。打つ。

 この拳で打つ。

 打撃。

 重なる打撃。

 これが打撃。

 

「負けるか! 負けない! 勝つんだ! 勝つんだ! 僕はぁぁぁぁ!!」

 

 ネギを中心に湖がどんどん押しのけられていく。ネギの執念が自然すらも崩していた。

 だからわからないのか。

 だから気付かないのか。

 その執念。

 人の業。

 全てが積み重なったネギの全力は、今も砲撃を続けるスクナと全く同じ天災となっていることに。

 気付いたところでどうだというわけではないが。しかしネギもまた一歩一歩、その領域に近づいていた。

 修羅の領域。

 修羅場へ。

 

「それで?」

 

 フェイトはネギの拳を受け止める両腕の向こう側で、冷めた視線を送った。

 ネギの動きが僅かに止まる。ガードされているとはいえ、今や容易に受け止められるものではないネギの拳を受けていたというのに、フェイトの表情に一切の動揺は見られなかった。

 直後、地面が隆起して、幾つもの土の槍がネギの体に突き刺さった。

 縫い付けられた肉体から、ネギは影分身を引き剥がして離脱する。だがその間にフェイトはネギから距離を離して上空に飛んでいた。

 

「逃がすか!」

 

 おいやられた水が大波となってネギに襲い掛かった。濁流を掻い潜ってフェイトを追うネギに対して、フェイトは黒光りする剣を空に展開して迎え撃つ。

 

「千刃黒曜剣」

 

 風を突き穿つ黒の弾丸がネギを襲った。降り注ぐ刃の雨。逃げ道など当然ない弾幕結界を、ネギはデコイを使用して強引に突破する。

 迫れ。この拳さえ届けば勝てるのだから、愚直でもいい。この道を行くのだ。

 光を飲み込む瞳の奥に、確固たる決意を秘めてネギは飛ぶ。だがまるで闘牛士のようにフェイトはネギの突撃をかわして、何度も剣の雨を放った。

 削られていく。ネギのデコイは、すなわち火力とイコールである。つまり削られれば削られるだけ弱体化するのだ。

 その弱点にフェイトも既に気付いていた。もしくはネギに無詠唱で撃てる火力のある魔法があれば、戦いの行方は違ったかもしれない。しかし所詮、ネギはつい先日まで、戦い方も知らない素人だったのだ。むしろここまで戦えたことが奇跡であった。

 だが奇跡は続かない。戦闘の経験値。積み重ねた技量の差。それらがネギにはあまりにも欠落していた。

 

「さて、君のそれは何処まで続くのかな? 百? それとも二百? いや、あるいはもう底が見えているかもしれないね」

 

 フェイトの独白はネギには届かないが、構わずにそのぼやきは続く。

 

「なんであろうが、無限ではないだろ?」

 

 そしてフェイトの言葉は事実だった。確実にネギを貫く黒の弾丸は、ついにデコイの底が尽きたネギの肩を貫き、そのまま地面に縫い付けた。

 

「ぐ、あぁぁぁぁ!」

 

 落下の衝撃よりも、貫かれた肩の激痛よりも、動けなくなった己が何よりも許せなかった。痛みなんて度外視だ。勝たないといけないのに届かない。負けたら全てがおしまいだというのに動けない。

 悔しかった。

 結局、届かない自分が悔しかった。

 

「うぅぁぁ……!」

 

「……君は頑張ったよ。正直、予想を超えたといってもいい」

 

 だから、障害になるのだ。フェイトは再度刃の軍勢を展開した。動けないネギに確実な敗北を突きつける。つまりは死を。絶対の宣告から逃れようと、ネギは足掻くものの、突き立った刃はネギを逃さないように地面にしっかりと固定されている。

 

「さよならだ」

 

 そして断罪の刃は落ちた。夜に溶けながら夜を斬り裂く弾丸が、抗う暇すら与えずに、ネギの視界を埋め尽くし。

 それよりも早く、ネギの前に細い背中が立ちふさがった。

 

「やぁぁぁ!」

 

 ハリセンを振りぬいた明日菜の手によって、弾丸が霧散する。それでも撃ち漏らした弾丸に激突するクナイ。放たれた方向を見れば、血染めになりながら、力を振り絞ってクナイを放った楓。

 そして驚くフェイトを他所に、湖が再び爆発した。

 

「おぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 水柱を振り払って飛び出したのは、背中から美しい二枚の白い羽を広げた刹那だった。遮二無二、一瞬の隙をさらし、さらにスクナとの距離が離れたこのタイミング。千草に捕まった木乃香目掛けて飛んだ刹那は、狂ったように砲撃を命じる千草を追い抜いて、木乃香を奪い取った。

 

「なっ……」

 

「お嬢様は返してもらったぞ!」

 

 刹那は驚愕の表情を浮かべた千草にそう言うと、体を震わす砲撃を続けるスクナから瞬動を使って強引に離脱を果たした。

 木乃香を庇いながら地面に落ちた刹那は、苦悶の表情を浮かべながらも、胸の中に抱く木乃香が、苦しそうながらも息をしているのに安堵した。

 もしもあのままスクナの制御に木乃香の魔力を使い続けていたら、そのまま木乃香は魔力枯渇による死を迎えていたかもしれない。

 だから確実に奪い去る機会が欲しかった。例え、人々が阿鼻叫喚に陥ろうとも、刹那はそれを堪えて千載一遇のときを狙っていたのだ。

 ──これでは青山を詰れはしないな。

 刹那は自らの恥ずべき行いにそう自嘲した。だが刹那にとって、神鳴流であることよりも、大切な幼馴染を守ることのほうが大切だった。

 ならばそれは人間として正しいあり方だ。何をしてでも少女を守るという強い決意。それがあれば自分はこの忌むべき羽だって広げられる。

 そのまま起きない木乃香を抱きしめている。刹那がそうしている時と同じくして、ネギは明日菜のハリセンで拘束を解かれて立ち上がり、信じられないといった様子で明日菜を見上げた。

 

「一人でかっこつけんじゃないわよ! バカネギ!」

 

 振り返らずに明日菜は声を荒げた。

 

「でも、僕、もう負けないって……だから、僕、勝つから……」

 

「それがかっこつけてるって言うのよ!」

 

 明日菜はフェイトから一時も視線を放さずに、そのまま思いのたけを吐き出した。

 

「一人で出来ることなんてホンのちょっとだけ! それにアンタはただでさえガキンチョなんだから、もっと周りに頼りなさい!」

 

「だけど、僕……」

 

「私は!」

 

 勝利という執念、それを口にしようとしたネギの言葉を遮り、明日菜は振り返らずに叫ぶ。その胸の内側に眠る相棒の証が、パクティオーカードがその叫びを伝えるために輝きを放って、聴覚すら失ったネギの心の内側に呼びかけた。

 

「アンタのパートナーでしょうが!」

 

 その背中で、不屈を叫んだ。

 

「あっ……」

 

 心の底から吐き出された明日菜の言葉がネギの心に染み渡る。それに合わせるように、全てを飲み込むような闇色の瞳が徐々に明るさを取り戻していった。

 すっかり。

 さっぱり忘れていた。

 ネギは明日菜の背中を見た。細くて、でもとても頼りになる、強くて優しい背中だ。少女の可憐な背中は、どれだけ強くなろうとも、ネギよりも強く気高い。

 誇りのある姿だった。

 神楽坂明日菜に、ネギは太陽を見つけた。

 

「……はい」

 

 そうだ。

 そうだよ。

 勝つのが目的ではない。

 僕は、もう失わないように守るんだ。

 それでも足りない部分は、頼りになる誰かが助けてくれる。タカミチが、明日菜のことを報告しなかったことを怒ったときに、言ってくれたではないか。

 頼っていいのだ。

 自分は子どもで、そんな人間に出来ることは少なくて、だから誰かの手があるのだ。

 

「ネギ! アンタにとって私は何!?」

 

 明日菜が叫ぶ。

 差し伸べられる手がある。

 楓も言った。

 超えなくていい壁もある。

 刹那は言った。

 ネギは未熟だと。

 だから。

 助け合うことで、僕は、僕らは進むんだ。

 

「明日菜さんは、僕のパートナーです!」

 

「……よく言ったでござる」

 

 ネギの宣誓に突き動かされたのか、体に剣が刺さったままでありながら立ち上がった楓がネギの隣に立つ。

 刹那も遠くから、ネギを見て頷いた。

 そう、少年は一人ではない。

 孤独の修羅では、ないのだから。

 

「僕達は……負けません」

 

 何度だって立ち上がってみせる。守りたい人がいる。守ってくれる人がいる。全てがネギを取り巻いていて、ならば一人で何か出来るだなんてきっと嘘っぱち。

 そんな彼らの絆に当てられたのか、フェイトは表情を小さく緩めたように見えた。

 だがそれとこれとは違う。光を取り戻したのなら、その光ごと砕くのみ。

 

「悪いが、仲良しこよしは──」

 

 おしまいだ。

 そう告げるよりも早く、魂を震わせるおぞましい絶叫が響き渡った。

 誰もがその発生源を見上げる。その先には、夜空を見上げながら、ようやく術者の束縛より解放された鬼神の姿があった。

 魂から恐ろしいと感じる雄叫びの正体は、スクナがあげる歓喜の声だ。狭き封印から開放され、矮小な人間の支配から抜け出した鬼神は今こそ最大。今や京都中に巻き上がっている負の感情を吸い上げて、さらに巨大となったスクナは。

 

「え?」

 

 すぐ傍にいた千草に、おつまみでも食べるように噛み付いた。

 その口が何度か咀嚼を繰り返し、喉が動く。断末魔すら食い尽くされた。京都を地獄に陥れた術者の最後は、そんなあまりにもわかりやすい蹂躙によって完結した。

 フェイトを覗いた誰もが、単純明快すぎる凄惨な光景に言葉を失った。

 スクナの目が次の標的を狙って怪しく輝く。その両目が、この場で最も魔力の多い木乃香を見据えた。

 

「くっ!」

 

 刹那が夕凪を構えて眠る木乃香の前に立つ。だが月詠との戦い、フェイトの一撃は、想像以上に刹那の体力を消耗させていた。

 それがわかっているのか。スクナは刹那など障害にすら感じず、その四つの腕の一つを、眠る木乃香目掛けて延ばした。

 

 そして、鈴の音色は響き渡る。

 

「ッ!?」

 

 最初に反応したのはフェイトだった。遅れて、スクナの腕が最初から繋がっていなかったかのように、肩から斬れて湖に沈んだ。

 四つの腕が三つに減る。痛みすら与えぬほどに鋭利な斬り口は、誰にでも出来るような技ではない。

 戦慄する。

 驚愕する。

 圧倒的な火力を遠距離から叩きつけた。そしてフェイトは自らが持つ最大の札も晒した。

 だというのにお前はいる。

 凛と歌って立っている。

 

「……生き延びたのか」

 

 フェイトが呟く声は、鬼神の怒りの声に遮られた。その怒りの全てが、この状況に現れた規格外に向けられる。

 体中が土と泥に汚れ、火傷の跡が幾つも残っている。だというのに足取りは確かで、薄汚れた乞食のような服装ながら、手に持つ刀は妖艶とした色気を放っていた。

 ここに、舞台を演出した脚本家にして、機械仕掛けの神の役を担う男が現れる。

 だからここからは素晴らしい絆の入り込む余地などない。

 いっそ、断言しよう。

 ネギが得た絆など、その才能には全くもって意味がないと声を大にして叫ぼう。

 その果てがここにいる。

 その終末がここにいる。

 何処までも己と向かい合い、周囲の全てから影響を受けず、ひたすらに天才の才能を磨き続けた人間がここに立つ。

 凛と歌え、斬殺の音色。死ぬ間際に放たれる美しき音色よ。

 

「間に合った」

 

 間に合えた。

 底のない黒い瞳がスクナとフェイト、そしてぼろぼろのネギを最後に捉えた。

 食指は──何故だろう。今は動かない。だが熱に狂った男にはそんなことはどうでもよかった。

 楽しいのだ。

 とてもとても。

 涙が出るほど楽しいんだ。

 

「く……ふぃ」

 

 得体の知れぬ鳴き声が男の口から漏れた。肩を揺らして、眼前で敵意を撒き散らす極上達を前に、表層に現れている自意識なんてたちまち吹き飛んだ。

 やっぱしあの時、君を逃がしてよかった。そのおかげでこんなにも楽しいことが起きている。麻帆良に着てから、楽しいことばかりで幸せすぎだ。この地獄に、この修羅場よ。めくるめく夢のはざまに、修羅の雄叫びを響かせる。

 あぁ、この気持ちをなんと表現しよう。喜びを表すには言葉が足りない。何から語ればいいのかもわからなくて、嬉しさが充満して。

 願うのは、そう。

 

「斬って、斬って」

 

 ばーらばら。

 

 

 

 



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第五話【修羅よ、人の子よ(下)】

 

 

 ばーらばら。

 

 なんて。

 可愛く歌ってみたけれど。

 体中の火傷は激痛を発していて、積み重なった魔力砲によるダメージは、俺を終わらせるには充分すぎた。正確にはあの鬼神の砲撃に込められた呪詛が体を蝕んで、肉体ではなく魂を暴食して壊している。

 そのため、意識はもうろうとしていて、ちょっとでも気を抜けばそのまま、おれ、の、いの、ち、が……。

 あー。

 やばい。

 これはもう駄目かもしれな──

 

 ……。

 

 そういう感じで終わった。

 わかりやすく言うと死んだ。

 今まさに、絶命した。

 俺は死んだのだ。

 実を言うと、フェイト少年のところに到達した時点で意識なんて吹っ飛んで、意識なんてあってないようなもんだった。

 最後にぎりぎりでネギ君のたくましい姿を目に焼き付けることができたのは良かったなぁとか思ったり。

 そこで俺の意識は途絶えて、実質俺は死んだ。

 そういうもので。

 そういうことである。

 

「きゅふ、ぅぃ」

 

 だから言葉だって上手く言えない。言いたいことはあるのだが、どうにも口が回らないのだ。

 斬るのである。

 斬るだけである。

 そう伝えたいのに、どうやら砕けた意識では上手く伝えることが出来ない。

 まぁ、仕方ない。意識がなくて、肉体も死んでいる。そんな状態で会話を成り立たせるなんてできるわけがないのだ。マグマに飲み込まれた肉体は、辛うじて斬撃で命を溶かす熱だけは斬ったのだけど、流石は恐るべき魔力の一撃、マグマは俺の体を焼き、さらにそこに叩きつけられた魔力砲撃は、俺を瀕死に追い込み、かつ込められた呪詛で俺を殺すには充分すぎた。

 それでも砲撃を掻い潜り、呪詛に蝕まれながら、何とか彼らの元へ辿り着いただけでも評価してもらいたいものである。

 結果、俺の全部は砕けた。取り巻く全て、優しい上司に素晴らしい友人たちが与えてくれたこと。そんな生き方を変える切っ掛けを与えてくれた全てによって構成された俺の全てが消えた。

 残ったものなんて何もない。

 斬る。

 斬ること。

 それだけ。

 いや。

 もう白状しよう。

 俺は死んだけど。

 俺という人間は斬る。

 

 

 

 

 

 お前は、誰だ。

 そうとしか思えないほど、青山の雰囲気が変貌しだしていた。

 元から、終わっていた人間である。取り返しのつかぬ化け物で、変化や成長といった言葉とは無縁の人間であった。

 だが違う。

 今のこれは明らかに異常だ。

 

「みぃ」

 

 青山は言語化すら出来ていない鳴き声をあげながら、黒い瞳でぎょろりとスクナを見上げた。

 見上げられた。それだけで鬼神であるスクナの意識に、斬られるという確信が浮かぶ。その結果に死ぬというだけである。前提が破綻していた。死という破滅以上に斬るという恐怖が生まれたのは常識が狂っているとしか言えなかった。

 今の青山はそういった概念になりつつあった。見られるだけで斬られる。見ているだけで斬られる。

 人間という斬撃。

 人間だから斬撃。

 言葉としては間違ってはいるが、そう表現するしかない状態になっていた。

 

「青山……」

 

 刹那は胸の内側からこみ上げてくる恐怖を感じた。それは同時に、誰もが胸に抱き始めた感情であった。

 今、斬られたら終わる。

 命が、ではない。

 終わってしまう。

 間違いなく、自分が終わる。

 命あるものにとって最も大切なもの。各々が譲れないもの。刹那にとっては木乃香を守るという鋼の意志。フェイトにとっては崇高な使命。ネギにとっては『  』。

 明日菜達にもある、何よりも譲れない大切な信念や誇りとも言い換えることの出来るもの。

 それを斬られる。

 つまり、今までの自分が終わる。

 青山が覗き込み、斬撃しようとしているのは、そういった類の代物だった。

 

「……ぃつぅけえぇあ」

 

 ──見つけた。

 呂律の回っていない青山の口は、解読すればそう呟いていた。だが当然言語になっていないその言葉を、ネギ達がわかるわけがない。

 それでも何が言いたいのかは理解した。

 青山は、この場にいる全員の『命』を捕捉したのだ。

 

「■■■■ッッッッ!!」

 

 スクナは本能のままに雄叫びをあげた。同時に残った三本の腕に極大の魔力が収束し、間髪入れず青山目掛けて神罰の光が降り注ぐ。

 光の柱が三本突き立った。轟音が周囲一帯に響き渡り、余波で土砂が舞い散り湖がざわめく。鬼神の本能は恐るべき青山を敵として認定した。アレは己を殺す類の敵だ。殺さなければ、殺される。単純な真理のままに放った最大威力が巻き起こした土煙から飛び出す黒い影。

 青山は健在だ。三柱の破壊を掻い潜り飛び出した青山だが、それを予測していたフェイトが、その頭上で魔力をかき集めた。

 

「万象貫く黒杭の円環」

 

 まるでチェスのコマのような黒い杭を、夜空の星をかき消すほど無数に展開した。一撃当たれば敵を石化する一撃必殺を惜しむことなく解き放つ。

 夜風を裂いて敵手を止める針の散弾が青山目掛けて走った。フェイトはそれだけではなく、次々に杭を展開し続けて畳み掛ける。

 

「……」

 

 青山は虚空瞬動と十一代目を使いながら、その弾幕と真っ向から拮抗した。鈴の音が鳴り響き、一秒で百近くも放たれる弾幕を、一切合財斬り捨てる。

 青山の斬撃は目で追える速度を容易く超えていた。刀はおろか、振るう腕の肩まで見えぬ。腕が一本消失したかのような速度。加速した斬撃が音すら斬り裂いて、凛という音すら消え果る。

 何が起きたというのか。

 どういうことなのか。

 フェイトは無表情の下、死に物狂いで魔法を撃ちながら恐怖した。

 見誤った。

 この男のことを違えていた。

 理解などしていなかったのだ。この男がどういった存在なのか微塵もわかっていなかった。

 

「う、おぉぉぉぉ!!」

 

 らしくもない叫び声をあげて自身を奮い立たせて、フェイトは黒の剣すらも織り交ぜて、魔力の限り弾幕を展開した。

 刃と刺突が散乱する。憂うことなく断ち切る。青山は見ている。三日月が生まれている。

 その顔を見るのが、気持ち悪かった。

 

「■■■■ッッッッ!!」

 

 スクナもまた同じく、青山をようやくわかってきていた。アレの内側に閉じ込められていた修羅を見る。

 心胆を冷やし震わし悶絶させる瞳が、ゆっくりと、確実に『色づき始めている』。

 とても。

 とても恐ろしいことが起きようとしていた。

 だからこそ、それが起きる前に決着をつけなければならない。フェイトとスクナは無意識のうちに考えを一致させて、小さな都市なら数分で壊滅できるほどの破壊を青山に叩きつけ続ける。

 広がり続ける威力が、余波だけで刹那達を脅かす規模にまで膨れ上がっていく。

 

「拙い……ネギ先生! 神楽坂さん! 楓! 逃げろぉ!」

 

 刹那は轟音響く戦場で、必至に声を張り上げた。直後に木乃香を抱きかかえて全力でネギ達に近づくと、そのまま追い抜いてその場を離脱する。

 遅れてネギ達も走り出した。フェイトとの戦いで積み重なった痛みや疲労など忘れていた。

 それはフェイトとスクナが放つ破壊に巻き込まれるのを恐れた逃走ではない。今にも破壊に飲み込まれようとしている青山からの逃避であった。

 恐ろしいことが起きる。

 会ってはならぬモノが出てくる。

 きっと、終わってしまう。

 ネギ達は逃げ出した。遮二無二逃げ出した。背後から這い寄ってくる恐ろしさから逃れるように、言語に出来ぬ何かから逃れるために飛び出す。

 走りながら、ネギと明日菜だけはその言いえぬ何かの正体がなんなのか、僅かながらに気付いていた。

 あの大橋でエヴァンジェリンが青山を氷の棺桶に閉じ込めた後、停止空間を斬り裂いたあの時に一瞬だけ感じた何かと同じだった。

 青山という有り様が一瞬だけ出たあの時。

 だから類似していると思った。

 

 あの時も、青山は『見つけた』と言ったのだと。

 

「くっ。逃げ、きれない……!?」

 

 刹那が苦しげに呟いた。身体能力が肥大した彼らは、軽自動車程度の速度なら楽に出すことが出来る。そんな彼らが限界を超えて離脱しようとしているというのに。

 未だに、圏内。

 未だに、青山が背中に張り付いている。

 このままでは、もろとも斬られる。ネギ達は絶対に起きてはいけない斬撃に恐怖して、術もなく無謀な逃亡を行い──

 

「……やはり、こうなっていましたか。介入を極力避けた代償、ですかね」

 

 そんな声の直後、ネギ達の足元に眩い光が現れ、一瞬で光に飲み込まれた。

 

「ッ!?」

 

 突如、光に包まれたと思った直後、光が収まればそこは先程とは全く違う場所だった。周囲を見渡せば、紅蓮に染まった京都の町並みが見える。そこは総本山からだいぶ離れた場所にある丘のようなところだった。

 強制転移させられた。一体誰が。そんな思考をしていると、林の奥から物音がして、ネギ達はそれぞれの武器を構えた。

 

「警戒せずとも、ここは安全ですよ……尤も、一般の方々からすれば、安全な場所などないのですけどね」

 

 現れたのはフードを深く被った得体の知れぬ男だった。どこか人を煙に巻くような物腰と口調であり、刹那は警戒心をよりむき出しにして声を荒げた。

 

「誰だ!?」

 

「少なくとも敵ではありません。厳密には違いますが、学園長からの応援、と解釈していただけたらと思います」

 

「学園長からの?」

 

「はい。あ、私はクウネル・サンダース。気軽にクウネルとでも呼んでください。勿論、親愛の念を込めてくーちゃん、もしくはネルサンでもよろしいですよ?」

 

 可愛いですしね。そう言って影に隠れた表情の下を、男、クウネルは胡散臭い笑みに変えた。

 学園長からの応援とはいえ、そんな笑みを浮かべる男をすぐに信用できるわけがない。しかも彼らは今まさに死よりも恐ろしい恐怖を味わったばかりである。だからこそ武器は誰も納めず、刹那が代表して口を開いた。

 

「……私はあなたを知らないが?」

 

「青山君と同じく、学園長の秘密兵器ですから」

 

 しれっと青山の名前を告げながら微笑を崩さないところを見るに、相当な実力者なのは間違いないだろう。得体の知れない男だが、この状態では戦いにすらなりはしない。刹那は警戒するのも無駄と悟ったのか、夕凪を鞘に収めた。

 続くようにネギ達も武器を収めたところで「ありがとうございます」と優しく告げたクウネルは、剣山状態の楓に近づくと、その肩にそっと触れた。

 すると、たちまち楓の体から剣が抜けて、傷も塞がる。続いて明日菜、刹那と治療をした後、クウネルはネギに触れて、僅かに眉をひそめた。

 

「……無茶をしましたね」

 

「……え、はい。あ、音が聞こえる」

 

 先程まで音が一切聞こえていなかったネギは、突然音がわかるようになって驚いた様子だった。だがそれでもクウネルの表情は暗い。

 

「視覚と聴覚は治しました。ですが、無理な術式で潰れた味覚と嗅覚は、時間をかけるしかありませんね」

 

 特に、その瞳はね。内心で呟いたクウネルは、視覚を取り戻したというのに、終ぞ光を取り戻さない左目を見た。

 まるで、光を全て飲み込む闇色に染まっている。術式の影響か、あるいは──

 

「……助太刀、感謝します。あのままなら、危なかった」

 

 刹那が無礼を謝罪する意味も込めて深く頭を下げた。クウネルはたちまち笑顔を取り戻すと「気にしないでください」と爽やかに返す。

 

「麻帆良以外に出るのは中々制限がかかるので、本当は出てくるつもりはなかったのです。そのせいであなた達を危険に晒してしまった」

 

 だが事情は変わってしまった。クウネルは燃える京都を見ながら語る。

 

「あなた達はここで暫く待機していてください。ここならば、少なくとも万が一があっても、あなた達だけなら離脱させることが出来る。では、私は救助を手伝いに行くので、絶対にここから動かないでくださいね」

 

 そう告げて転移をしようとしたクウネルを「待ってください」と言ってネギが止めた。

 

「あの、クラスの皆を!」

 

「……ご安心を。麻帆良の生徒達なら既に避難が済んでいます。総本山から距離が随分と離れていたのが幸いしましたね。彼女達に怪我はありませんよ」

 

 ネギ達はその言葉を聞いて安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分すぎた。

 クウネルは微笑を絶やすことなく、ネギ達に「それでは後ほど」と声をかけてから転移をした。

 そして静寂は訪れる。木々の囁きと、遠くでくすぶる炎の音と、鳴り止まぬ轟音を聞きながら、ふと明日菜が呟いた。

 

「……助かったのね。私達は」

 

 私達は。その言葉に重たい空気が漂う。明日菜達は地獄のど真ん中に居たのは事実で、彼らがあの地獄の中、木乃香を救い出し、かつ逃げ出せたことは素晴らしいことだろう。責められるいわれはなく、クウネルに回復してもらったとはいえ、これ以上動けないのは仕方ない。

 だが現在、地獄の余波を受けて恐怖に怯える人達が居る。それを思えばただ生きていることを、助かったことを安堵するのは憚られた。

 

「……私がもっと注意をしていれば、こんなことには」

 

 刹那は痛みを堪えた面持ちで呟いた。状況が自分の領分を越えていたとはいえ、確かに木乃香の警護を充分にしていればという気持ちが刹那にはあった。

 

「そんなことない。そういうなら、ここに居る私達の責任よ」

 

「そうでござるな……結局、拙者達は無力だった」

 

 明日菜と楓の言葉は真実だった。西の襲撃者。特にフェイトを前に彼らの力はあまりにも無力で、悔しいことだが、青山が居なければ被害はもっと酷くなっていたかもしれない。

 苦しい現実に押しつぶされそうになる中、唐突に刹那は立ち上がった。

 

「木乃香お嬢様をよろしくお願いします」

 

 そう告げてその場を離れようとする刹那を、明日菜が慌てて止めた。

 

「ちょっと! いきなりどうしたのよ!?」

 

「見たまま、ですよ」

 

 言われて、明日菜は刹那の背中に生えた羽を呆然と眺めた。

 

「……この羽を見られたからには、私はもうあなた方と共にはいられない。忌むべき妖魔とのハーフなんですよ、私は」

 

「そんなの──」

 

「とても、大切なことですよ。私は、人間では……」

 

「人間ですよ。刹那さんは」

 

 何かを言い募ろうとする刹那の言葉を遮って、ネギが口を挟んだ。

 

「逃げるつもりですか?」

 

「何を……」

 

「木乃香さんを置いて、刹那さんの使命は、羽を見られたくらいで投げ出せるものなんですか」

 

「……そんなわけないです」

 

「なら、一緒に守ってください。僕、未熟ですから、一人じゃ木乃香さんを守れません」

 

 ネギに続くように、明日菜と楓も頷いた。刹那は呆けた表情で振り返り、眠る木乃香を見る。

 

「それに、刹那さんのその羽。とても綺麗ですよ」

 

「そうそう、それにあいつがそれくらいであんたを嫌うとでも思ってるわけ?」

 

 ネギの隣に立った明日菜が笑いながら告げる。

 

「ふふっ、刹那。もっと拙者達を信じたほうがよいでござるよ」

 

 楓は座ったまま猫のように笑いかけた。

 誰も、刹那の姿を恐れてなんかいない。それだけで刹那は安堵し、僅かに目に涙を溜めたまま、小さく、だがはっきりと頷いた。

 災厄は続いている。

 状況に対して無力なのは変わらない。

 けれども、救えるもの、守れるものがある。

 

「今は……今だけは、待ちましょう」

 

 最早、自分達に残された力はない。

 だから祈り、願おう。

 そして、生きていることに感謝しよう。

 心は苦しい。ネギはその目に焼き付けるように炎を見据え、今にも飛び出したい体を押さえつけた。

 今の自分では、何も出来ない。どころかここからあの現場に行くことすらもう無理だろう。青山が目覚める直前の逃走で、持てる力の全てを使い果たしてしまった。それはここに居る誰もが同じで、恐ろしいことに、逃げていたときの恐怖すら思い出せないくらい、あの状況は恐ろしかった。

 それでも。

 それを経てなお。

 偶然の産物とはいえ、ネギ達は。

 

「僕達は、生きてます」

 

 未熟な僕達には何も出来ない。無力を嘆き、炎の町並みに絶望し、紅蓮に飲まれた人々が無事であることを祈るしか出来ないけれど。

 

「生きていて、良かった」

 

 この一瞬だけ、今は生きていることを感謝しよう。

 ネギは誰にでもなく呟きながら、炎をその両目に焼き付けた。

 右目はこの惨劇を刻み込むように、炎の輝きを映して。

 左目は、その惨劇の輝きすら飲み込んで闇のまま。

 修羅よ。

 人の子よ。

 お前はどちらを選択する。

 

「……」

 

 ネギは、ただ眺める。

 いつまでもいつまでも、その光景を眺め続ける。

 

 そうして、ネギ達の長すぎる夜は終わりを告げたのであった。

 

 

 

 

 




次回、原文版。

初めての方への補足
術式兵装『風精影装』
大橋で見たエヴァンジェリンの闇の魔法を模倣したネギオリジナル的な魔法。咸卦法を下地にしたものであり、本家闇の魔法とは実は効果が似ているだけで、構築式等々の大本では別物だったりする。
能力は、取り込んだ風の精霊の数だけ、代わりに攻撃を受けるデコイとして使用可能な他、影分身のように、自身と同じ能力を持つデコイを召喚して攻撃させたりすることが出来る。
なお今回の場合、土壇場での使用ということもあり、使用したときに、過去の記憶のいくつかを欠損、五感のほとんどが失われる。そこまでして得られた効果が、攻撃を受けるデコイと、一分間のみ影分身を展開出来るだけという貧相なものだった。


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第六話【愛の斬りかた】

 

 あくまでただの一説にすぎないが、人の善悪が形成される状況を語ろう。

 

 人間は生まれの環境でその善悪が決まる。その人間が生まれながらの悪か、もしくは善なのかはわからない。赤子は純粋無垢。善悪もなく、赤子は周囲のものを見て、己の中に善悪を育む。

 哲学的な話ではない。誰でもそういうものだろうなぁと、ある程度は納得できる程度でしかない一般的な話だ。それが全てだとは言わないが、それが大きな要因になるのは事実である。

 では、青山はどうなのか。

 幼少時、青山という肉体に芽生えた自我。前世の知識や常識があるということは、つまり青山には最初から善悪が形成されていると言ってもいいのだろうか。

 答えは否。

 青山は純粋無垢な赤子のままである。知識や常識を知り、幼少の頃から成人と同じ精神年齢に達していながら、青山には善悪がない。それは善悪を知らないというわけではなく、善悪を知りながら、それら全てをただの知識や常識として当てはめているだけだからである。

 彼と赤子の違いはそこだ。赤子は知らないからこそ純粋であり、青山はそれらを知りながら、経験したという実感がないゆえに、純粋なままだった。

 ならば青山が経験していくのは一体なんなのか。何が青山の経験となるのか。

 答えは簡単。青山はあらゆる環境が見知ったものであったからこそ、その中で自分が知らなかった己の肉体、青山が育み、ついに生み出した歴代最強の才能のみに魅せられた。

 つまり、青山が経験として積み重ねているのは、極論として言えば己の肉体、ただそれのみである。

 周りの全ては、天才の肉体を育む栄養でしかない。赤子であれば、それら栄養を得ると同時に、自身にとって未知である知識や常識を、新鮮なものとして経験に積み重ねるだろう。

 だが青山にとって知識や常識は既に在るものだ。素晴らしい正義も、許せぬ邪悪も、あらゆる一切が、一般的に見知ったものであるため、経験として反映されない。

 全ては青山の肉体のみに反映し、青山の内側にある魂にはまるで響かなかった。

 あるいは、それでも青山の肉体に匹敵する天才が、成熟した形で傍につき彼に何かを与えれば、青山の魂はそれらを経験として培ったかもしれない。

 だが、青山はあまりにも天才だった。それこそ、歴代最強と言われていた鶴子の言葉すら響かないほど、青山にとっての青山の肉体は素晴らしすぎた。

 その果てに青山は完成してしまった。肉体の才能のみで、己の中のありとあらゆる全てを構築しきったのだ。

 才能の名前は斬撃。

 ひたすらに斬るということに特化した肉体からのみ経験を得た、前世を持つだけというつまらぬ魂は、容易く肉体に汚染される。

 だから、死んでも彼の思考は決して変わらない。魂がなくても、そもそも肉体に主導権があるというのに、一体何が変わるというのか。

 いや、変わってはいるのだろう。青山の中はほぼ十割が斬撃というもので構成されていたが、僅かにだが善悪の常識はそこにあった。それはもしかしたら前世の魂が叫ぶ最後の良心だったのかもしれないし、失われた前世の経験が訴える周囲への懇願だったのかもしれない。

 だが今やその最後の良心すら、フェイトとスクナ、世界有数の戦闘能力をもつ者によって殺された。再び殺されてしまった。

 誰もが見誤っていたのだ。前世というありえぬ要素ゆえに、誰もが見誤る。

 青山は終わっている。

 だがそれは青山の魂が終わっているわけではない。

 もしも前世の魂。それも普通の知識と常識しか持ち合わせていない彼のことを知れば、おかしいと誰もが気づく。

 ただの凡人に過ぎない魂が、本当に人間の可能性を極めることができるのか?

 そんなあまりにも当然な考えに。

 誰も、この先だって永遠に気付くことはない。

 青山の魂は、肉体を純粋培養するための鎧でしかない。経験を積み重ねない無垢な鎧は、成長し続けるだけの肉体に格好の揺り篭だった。

 終わっているのはその肉体。

 凡人が魅せられた、その体。

 その魂が戦いの果てに剥がされ、むき出しの肉体が露になる。これまで、タカミチやフェイトを含めた味方と敵が見てきた有り様は、なんてことはない。フィルター越しにぼやけた姿でしかなかった。それでもあの様この様こういう様。言語に出来ぬ姿に言葉すら失ったのだ。

 本当の姿を知っている者は、少ない。

 破壊という結果に狂った、極限の災厄にして生きた破滅、酒呑童子。

 戦いの果て、その才能を開花させながらも、善悪の価値観に踏み止まった、青山素子。

 圧倒的な実力をもつ化け物ながら、誇りある悪として人間であり続けた、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 一体は破壊もろとも斬られ。

 一人は終わりの光景に恐怖して引き返し。

 一匹はその斬撃に目覚めさせられた。

 そして今。

 再び、青山という終わりが顕現する。

 この様なのだと。

 この有り様なのだと。

 何も言わず、有り様だけで歌う。

 

「……これが、こんなものが、人間なのか……!」

 

 フェイトは嘔吐するようにそう呟きながら、ゆっくりと近づいてくる青山を近づけさせないように、弾幕の密度をさらに増大させた。降り注ぐ剣槍弾雨。体を入りこませる隙すらない黒曜の閃きと、それらを飲みこむ極太の白光。誇張なく一瞬で山を更地に変える戦略級魔法に晒された青山は、しかし悠然と歩を進めながら凛と音色を奏でて迫る脅威を斬って捨てた。

 恐るべきはその技量か。

 否。

 ここまでの絶技を、言葉に出来ない有り様で振るうことが出来ることが、フェイトには何よりも恐ろしかった。

 人間の可能性。

 フェイトはいつか造物主が独り言のように呟いた言葉を聞いていた。決して侮ってはならない。彼らの愚直な信念こそ、停滞した我らを超える愚かな前進なのだと。

 侮れぬ、どころではない。

 こうまで愚かな結末が人間には許されているというのか。

 こんな有り様を晒す人間という種を。

 こんなもののために、僕達は幸福な世界を作り上げなくてはいけないというのか。

 

「君が人間……? 人間の可能性だって……!?」

 

 そんなことを認めなくてはいけないのか。

 こんな奴を人間と思わなくてはいけないのか。

 

「ッ!」

 

 フェイトは頭を振った。

 そうではない。

 これは特殊な例にすぎない。それも、人知が介入できない、同じ状態なんて二度と現れないバグ。造物主の意志すらも超えた得体のしれない超常的な何かが犯した最悪のバグ。

 おぞましき禁忌。

 許されぬ外道。

 青山の有り様をフェイトとスクナはようやく言葉に出来た。

 合点した。歯車が噛み合ったように、その姿を、その有り様を表現する言葉を理解した。

 

「修羅」

 

 人でありながら、真っ直ぐに狂った斬撃。

 その様に。

 この様に。

 修羅という言葉以外に何が当てはまるというのか。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

「■■■■ッッッッ!」

 

 作られた人形と、人ならざる鬼の神。

 皮肉なことに、青山という人間を今この場で誰よりも理解しているのはこの二つだけだった。

 そして理解したが故に悟る。

 青山に斬られてしまうという絶望的な結末を。

 だが理解したからといって許容出来るわけがない。フェイトは己を鼓舞するように敵の名を叫び、スクナも同じく咆哮に呪詛を乗せて青山へと叩きつけた。

 年月を重ねた鬼神の叫びは、それだけで命ある者の魂を圧搾する。だが青山は驚くことに、まるで斬るまでもないと、呪詛をその一身に受けた。

 だが動く。当然だ、呪詛を受けて潰れるべき魂は既に死を迎えている。今更そこに何を与えようが、既に死んだ魂に何が出来よう。甦らせることが出来なければ、最早青山に呪詛は聞かない。

 死してなお、斬撃。

 この男を本当の意味で殺すには、その肉体を物理的に消滅させる他なかった。

 

「■■■■ッッッッ!」

 

 ならば消し飛ばしてみせよう。あえて身を乗り出したスクナが、残った二つの腕に膨大な魔力を収束した。それは一瞬で夜を照らす白色の刃と化して掲げられる。剣には剣を、シンプルな思考故の結論ながら、先程まで放出という形で放っていたエネルギーを一点に集めた火力は想像を絶する。

 常人なら見ただけで眼球が煮え、肌が沸騰し、側によれば溶けきってしまうような力の塊。

 熱量と化した呪い。

 言語を絶する渾身を見上げるのは、小動物のようにくるくると喉を鳴らす青山だ。その黒い眼が何を思っているのか。迫る脅威に対して、その手に持つのはあまりにも矮小な刀が一本。

 それだけで全てが充分だった。

 直後、弾幕に晒されていた青山の姿が消えた。そしてスクナの腕がさらに二本斬って落ちる。収束していた力は虚空に放たれ、夜空に輝く星の一つとなっていた。それを見送る暇もなく、フェイトとスクナは刃を振るった青山を凝視している。

 だがどうやって斬ったのかフェイトとスクナの目にはほとんど追えなかった。

 エヴァンジェリン戦でも見せた、一歩ごとに虚空瞬動を行い三次元の動きを可能とした信じられぬ歩法。技の入りの隙を見せぬ瞬動を連続して行う異常は、あのエヴァンジェリンすら逃れることが出来なかった速度という名の檻。

 それがスクナを中心にして展開されていた。音すら引き裂いて空を縦横無尽に走る青山に対して、点では捉えられぬと判断したスクナは体の内側に魔力を収束した。

 スクナが発光した。体を中心に全方位に吐き出された光が湖を蒸発させ、天を砕き木々をなぎ倒す。

 最大火力を面に放つ。青山はおろかフェイトすらも範囲に巻き込んだ極限の輝きが、世界を真っ白に染め抜いた。

 だが響く。

 凛と響け。殺戮の音色。

 

「くぃ」

 

 ありえぬ光景が展開されていた。

 鳴き声をあげる青山が、押し寄せる光を斬り分けながらスクナとの距離を詰め始めていた。膨大な魔力の爆発は、弾道ミサイルが爆発したような火力だ。それに青山は真っ向から食いつく。目を見開き、呼気を荒げて。

 

 斬。

 

 閃光が収まる。障壁を全力で展開していたフェイトは、再び暗黒に戻った世界で信じられないものを見た。

 蒸発した湖に立つスクナの首が二つとも失われていた。そのままゆっくりと沈んでいく鬼神の肉体の上空。月を背中にくるくると回る二つの顔と、くるくると喉を鳴らす青山が、月明かりを背に踊っていた。

 

「……」

 

 両手を広げて鬼神の顔面の上に立つ青山が、眼下のフェイトを見下ろした。

 ゆらりとその右手に握られた十一代目が煌いた。

 月光、月下。

 刃の揺らめきよ、今宵、最後の敵手の喉を食え。

 

「うぉぉぉぉ!」

 

 フェイトは石化の杭をさらに展開して青山に叩きつけた。青山はスクナの首を上空に蹴り飛ばしながら、その反動でフェイトに突撃した。杭は歌声とともに斬り落ち、今やあらゆる攻撃が無に帰っている。

 無詠唱で放った石化の光すらも青山の刃は斬りながら迫る。

 スクナという駒を失った。最早、青山を倒す術はないというのに、逃げることも出来ず、当然ながら斬撃に酔う青山がフェイトを逃がすわけがない。

 何故か、己いうものを身近に感じた。どうしてなのかもわからずに、フェイトも虚空瞬動を繰り返しながら、青山と距離を開けつつ応戦する。

 光が幾つも弾け、消えていった。閃光が舞い散る。まるで打ち上げられた花火のように美しい光だった。

 青山が怖かった。斬るということに完結した修羅の在り方に恐怖した。無表情の下、手は萎縮し始め、呼吸は荒くなり、斬られたくないという願いが生まれる。

 何故だろう。脳裏に浮かぶのはなんでもない光景ばかりだった。気まぐれに助けた少女達とのくだらない会話や、日常の風景。壊してしまった村や街を無感動に見つめながら、そんな自分に寄り添う彼女達。

 浮かぶのはそういった類のものばかりで。どうしてか、完全なる世界という使命に着いては全くもって浮かばなかった。

 

「僕は……」

 

 ただ、死にたくなかった。

 

「僕は……!」

 

 生きることを、願っている。

 何にも感じなかった全てがフェイトを構成していた。記憶は次々にさかのぼり、あのコーヒーの美味しさすら知覚する。

 それら全てを青山にも覗かれている。

 最悪だった。

 恐怖と同じくらいに怒りがこみ上げてきた。

 今、お前が見ているものは自分だけのものだ。誰でもない、フェイト・アーウェルンクスのみに許された記憶を。

 

「君みたいな終わっている修羅が……! 勝手に覗きこむんじゃない!」

 

 フェイトは吼えた。青山は無言で追いすがり続ける。

 戦いは激化する。時間にすれば一分もない程度の時間。青山に打ち上げられた鬼の頭は、僅かに残った湖の底に落ちて四散した。

 それに連鎖するようにスクナの体が淡い光になって空に舞い上がっていった。まるで蛍の光が何千も空間にひしめく幻想的な光景の中、フェイトと青山の戦いはなおも苛烈さを増していく。

 いつの間にか、フェイトは青山と拮抗していた。

 杭と剣を織り交ぜながら弾をばら撒き、見えない斬撃すらも本能で予知して回避している。青山もただでは終わっていない。既にフェイトの放つ弾丸を見切り始め、斬るでもなくその隙間を掻い潜って、肉薄していた。

 それは同時に、十一代目の限界が近いということでもあった。

 度重なる砲撃と魔法。そしてスクナの命を斬った十一代目に、とうとう底がないように見えた限界が見え始めてきていた。

 だがそんなことを知らぬフェイトは、遮二無二、魔法を放ち、拳を織り交ぜていく。技術に裏打ちされた武と、死角から青山を狙う石化の杭と、鋭利な剣によって、近接戦闘で反撃を行えるほどにまで、少年は成長していた。

 極限の戦いが、互いをより強く磨いていく。青山はさらに斬撃の速度を上げていき、フェイトもその速度に呼応するように、感情の篭った拳と魔法で応戦する。

 斬られはしない。

 斬って、斬る。

 相反する意志がぶつかりあった。拳は肉体を撃ち、刃は肉体を斬る。

 届かない。青山はぎりぎりでフェイトの願いに届かぬことをどう思ったのか。無言のまま口元をゆがめた。

 誤算どころではない。

 驚嘆すべき奇跡と出会っていた。

 青山は今、段飛ばしで道を駆け上るフェイトを感じていた。

 斬られたくないからこそ、その場所へと走っていく。

 この場所よ。

 冷たくなっていっている。

 思考が凍り、空気が凍り、世界が凍りつき、動くのは互いの肉体のみ。

 修羅場。

 修羅場がある。

 月に昇りながら、二人は拳と刃を合わせた。

 大砲を凌ぐ拳が青山の眉間に走る。蛇のように追いすがる拳を頭を引いて避けるが、鼻にかすっただけで鼻骨が砕けて鼻血がほとばしりだそうとする。しかし流血よりも速く青山の返しの刃が筋を幾つも空間に走らせた。

 幾つかは予測のままに避けきったが、走らせた拳が半ばから吹き飛び、切断される。天高く飛んでいく己の腕を見上げる暇もなく、斬撃の隙を晒す青山の脇腹をフェイトの蹴り足が襲った。

 骨が軋み、へし折れ、砕け散る。内臓まで損傷したのか。口からも血を吐きながら青山は弾かれるまま空に飛んでいった。

 追撃の魔弾が青山を追う。避けようもない弾丸豪雨。掻き消えたように走った十一代目が凛と歌った。かすれたように聞こえるのは限界が近いからか。

 構わない。

 構うまい。

 意識もなく青山はそう考えると、虚空瞬動で再び間合いを詰めた。

 激突。束ねられた黒曜石の刃を斬りぬいた先、左腕に魔力を充填したフェイト待ち構えている。

 

「石の槍」

 

 斬り裂かれた黒の刃が一瞬で集まり、巨大な黒の槍衾となって青山を貫いた。槍の結界に飲まれていく。しかし内部から奏でる鈴の音。なおも尽きぬ渇望を吐き出して、青山が外に飛び出した。

 限界は超えた。圧倒的格上に死力を尽くすフェイトも、スクナとフェイトという、一体一体なら倒せるものの、タッグを組んだのならば己に拮抗する化け物に不利な遠距離戦を演じた青山も。

 どちらも尽きかけ。

 だというのに。

 青山よ。

 お前は未だ、斬るというのか。

 

「くひっ」

 

 月を背中にした青山は、その問いに答えるように、影の下の口を三日月に変えた。魂が死してなお、魂が死したからこそ、欠落した無貌に浮かぶ魔性の笑み。

 

「くぃ、ひぃぎぃ。いひぃ」

 

 聞けば耳が斬り落ちてしまうようなおぞましい声を上げて修羅が笑う。手に掴んだ鉄の感触を刹那に確かめて、眼下、唖然とした少年に向けて天に掲げる大上段。

 死して放つ死の呼び声。命を斬り取る刃の冴えは、最後の煌めきを求めて夜を行く。

 

「……あ」

 

 フェイトはその様に何故か見惚れてしまった。影を射すその体。傷つき、朽ちたその肉体が妖艶に動く様のなんと見事なことか。天に突き立つ鋼の濡れ様。あらゆる斬撃に晒されて傷ついた刀身は、それでも尚、斬るという歌を響かせた。

 ゆらり揺らげよ波紋の歪み。

 この月下、お前の刃に酔わせてしまえ。

 青山が飛んだ。鬼神の命が舞い散る空の中、まるで月を踏み台にしたように飛んできた。

 月の明かりと星明り。そして彩る命の欠片。

 この刃の冴えに落ちる。流星と突き立つは刀。

 

「青山……」

 

 フェイトは何となくわかってしまった。

 これで終わる。

 これが終わり。

 終局に至る鋼。至ったからこそ刃。

 斬るからこその青山。

 死ぬのだ。

 斬られてから死ぬのだ。

 わかりやすい絶望にフェイトは全てを手放しそうになる。斬られるという恐怖に体がすくみあがり、流れるはずのない涙だって流れそうになった。

 あぁ、斬られるのか。

 僕はここで、全てを丸ごと、この人間に斬られて、死ぬんだ。

 嫌だった。

 そんな結末なんて、嫌だと、強く強く。

 祈るように強く思った。

 天啓が脳裏を走ったのをフェイトは感じた。

 

「……そっか」

 

 願い、祈る。生まれて初めて己の命を思った直後、フェイトの表情は豹変した。こわばった顔は穏やかなものに変わり、霧が晴れるように、少年の中に渦巻いていた恐怖や絶望といったものが消えていった。

 僕は、生きている。

 生きているから、動けるから。

 

「……だから、生きる」

 

 フェイトの瞳が強い光を宿した。そして一秒が一年にまで延びる。渇望がフェイトを変えた。この刹那、斬られることを強くわかったそのとき、誰よりも何よりも、生きているという祈りを抱いた。

 そして。

 美しく彩られた幻想の夜空、互いに時間を置き去りにした空間で、フェイト・アーウェルンクスと青山は最後の激突を果たす。

 フェイトが取り出したのは漆黒の刃。瞬間で出せる武器などそれだけで、だからこそフェイトは持てる全てをその刃に込めることが出来た。

 

「……!?」

 

 青山もまたフェイトが取り出した剣が、これまでとは違うということを悟った。

 全てを込めるのだ。フェイトとして生きてきたこれまで、そしてフェイトとして紡いでいくこれから。

 その全てを、このちっぽけな剣に託す。

 フェイトの体が零秒も経たずに萎んでいくのが青山にもフェイトにもわかった。存在が失われていく。魔力や気という非常識すら超えた非常識が行われていた。今、彼はただ造物主に作られた人形ではなく、ここに生きる一個の命として、その全てを叩きつけている。

 故に、この直後フェイトは死ぬ。青山に斬られなくとも、フェイトはこの零秒に全てを叩き込んだため、最早その寿命などあってないようなもの。

 ただただ無限に引き伸ばされた刹那の時間だけがフェイトに残された全てだった。

 それでも構わないと、意識すらも刃に飲み込まれながらフェイトは思った。命の全てが消えていく今に至り、フェイトは己が生きていることを悟った。

 きっと。

 きっと、そういうことなんだ。

 悟る。そしたらほら、恐るべき青山すらも、もう怖くない。

 

「フェイト……」

 

「青山……」

 

 互いの名前を呼びながら、二人は徐々に距離を詰め始めた。

 思うことがあった。

 あらゆる思いがあった。

 青山もまた思う。この瞬間、この奇跡に涙しよう。祈りの果て、願いの結末。生きているという渇望を手にした、人間になった御伽噺の人形の奇跡を祝福する。

 人形を越えて人間となった少年の輝きを前に、青山も己の渇望を吐き出した。

 祈りがあった。

 何よりも尊くて、犯すことの出来ぬ不浄の光がそこにはあった。

 生きるという喜び。渇望する未来。

 青春の絶頂がここ。

 応じるのが鋼。

 刀と斬撃。

 

 

 愛の斬りかた。

 

 

「僕は、生きてるんだね」

 

「君が生きているよ。フェイト」

 

「そうか……うん。そうなんだ」

 

 冷たい空気を奮わせる鈴の音色。結末した生存が奏でる、この世の何よりも感動的な歌声が、紅蓮の京都を包み込む。

 それまで泣いていた子ども達が空を見上げた。

 痛みに唸る老人が空を見上げた。

 救助をする大人達が空を見上げた。

 寒空で肩を寄せ合う家族が空を見上げた。

 無力に苦しむ狗神使いと、斬撃に食われた少女が空を見上げた。

 京都を焦がす紅蓮すらも空を見上げた。

 阿鼻叫喚に狂う呪詛すらも空を見上げた。

 ありとあらゆる全てが空を見上げて、その歌声に酔いしれた。

 

「綺麗な、歌声だ」

 

 そして離れた場所。ネギが咄嗟に立ち上がり、左目からそっと涙を流した。

 歌声は遠く、遠くまで伝わる。

 刹那、命を宿した人形の奏でる、優しく、暖かく、とても悲しい音色に酔った。

 命が消える。無限の刹那を生きたフェイトは、己の内側から奏でられて消えていく命を聞いて。

 そっと笑った。

 無邪気に笑った。

 

「僕は、生きたぞ」

 

 フェイトの呟きに呼応して、役目を終えた十一代目が、拍手を送るように甲高い音をたてながら砕け散った。

 降り注ぐ斬撃の亡骸に眠る。生き続ける少年の囁きこそが、この歌声を上回る極上のラブソング。

 

「あぁ、だから、君の勝ちだ」

 

 青山は、最後まで生き続けた少年に、惜しみない賞賛を贈った。

 生き続けて死ぬ勝者。

 斬り抜けずに死なした敗者。

 歌声は瞬きよりも一瞬。青山は笑顔のまま目を閉じたフェイトの体を、優しく両手に抱きしめた。

 

 少年の全てが込められた黒い刃は、己を誇るように空を舞う。

 

 抱きしめたフェイトの体からは、温かなコーヒーの匂いがした。

 

 

 

 

 ──ここに、京都を震撼させた戦いは、勝者のなき決着を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 吹き抜ける風、広がる草原と、天高く広がる太陽の下。

 二つの影が手を振っている。何が嬉しいのかわからにけれど、とてもとても、見てるこっちが呆れるくらい、とても楽しそうなその姿。

 僕は、その影を見ながら、椅子に座ってコーヒーを飲んだ。

 口に染みる温かな苦みと、鼻をくすぐる優しい香り。

 だきしめられているようなしあわせのあじ。

 あぁ。

 生きているなと、いつまでも。終わらない刹那に望む。止まったままの祝福の中。

 

 眠るように、目を閉じた。

 

 

 



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エピローグ【21st century schizoid man】

 その日、京都を襲った未曾有の大災害は、一夜もせずに国中はおろか世界中のあらゆる場所に知れ渡った。死者五万人以上、現在も行方がわからぬ者が多数。謎の爆発から発生した一連の被害は、日本という国と、そこに住まう人々にいつまでも残り続ける傷を残すことになった。

 地球温暖化による異常気象が天文学的な数値で最悪な組み合わせとなり、巨大な落雷と震度八を越える震災を引き起こし、その直下に溜め込まれていたマグマを放出させたと、世間では公表されている。だがこの話、京都以外への被害がほとんどないことと、まるで戦争が行われた跡のような、幾つものクレーターが確認されているのもある。何よりも、実際に災害の被害を受けた者達の証言は、落雷や震災といったわかりやすい災害ではないとネットも含めいたるところで言われているため、政府の公式発表は事実とは違うというのがネット利用者による認識である。

 では一体何がどうなっているのか。一時期動画サイトに上げられた巨大な白い発光体の映像が物議をかもし出し、それらの動画が軒並み削除されたという事実から、一部ではオカルト的な出来事があったのではないかとも囁かれている。

 例えば、見れば災いが降り注ぐといわれている、四つの腕と二つの顔をもつ恐るべき鬼、両面宿儺の仕業ではないのか。

 だが当然のように、これはオカルト的なものではなく、単なる自然現象でしかないと訴える面々も存在し、一ヶ月が過ぎた今でも、ネット上はおろか至るところで議論が白熱していた。

 そう、あの災厄から既に一ヶ月もの時が流れていた。

 2003年。6月1日。あの大災害から一ヶ月弱。荒れ果てた町並みにも僅かな復興の光が見え始めた頃。未だにマグマによって飲まれた被害がそのままに残されている関西呪術協会総本山跡地にて、西の長であった近衛詠春の葬儀が行われた。

 参列者は多数に及び、生前、詠春を慕った数多くの人々が参列し、誰もがその早すぎた死を悲しんでいた。

 だが規模は違えど、未曾有の大災害によって京都が被った被害は、この光景と同じようなものを至るところで発生させた。死者の葬儀も、一ヶ月がたった今、少しずつだが行われるようになってきており、この日は、大災害の真相を知るものであるが故に、詠春の葬儀は行われていた。

 関西呪術協会所属の術者、天ヶ崎千草が主犯となった一連の事件は、彼女の上司である反関東の幹部連の厳重な処罰によって一応の決着を終えた。騒動に加担したとされる千草以下、雇われた人間である犬神小太郎と月詠については、リョウメンスクナが暴れだした時、既に事件とは離れた場所にあったこと、そして未だ幼いということもあり、一ヶ月の謹慎と、後に監視をつけられるという形で収まった。

 事件としてはそうしてひと段落したものの、事実を知る者にとっては歯がゆい思いがある。

 実際の主犯である千草と、フェイト・アーウェルンクスという少年はこの世に存在しない。できるのはそれを指示した上層部を糾弾することのみだ。

 ともかく、この事件を切っ掛けに関西呪術協会は、長と多数の幹部連を一度に失ったことにより、東の手を借りることになり、なし崩し的にだが西と東の和解は成立したことになる。

 その裏では事件を引き起こしたのが、結局互いの上層部の甘い見通しのせいであったという後ろ暗い気持ちがあったのだが、それは余談だろう。

 ネギとその仲間達は、事件の早期解決の立役者、およびほぼ唯一事件の流れを全て見ていた重要参考人として、事件から一週間以上、東と西、双方から調書を取られることになる。

 そしてこの事件で『最も活躍した人物である』青山は、その功績を認められ、無事に西と東、双方にその武勇を轟かせることになったのは。

 

 実に、どうでもいい話である。

 

「……悲しみだけしか、残ってないですね」

 

 ネギは葬儀の後、付き添いで付いてきた明日菜にそう苦しそうに呟いた。明日菜も参列する人々に礼をしている木乃香の姿を見ながら「うん」と重苦しく頷いた。

 あの日から暫く、いや、今も木乃香は今まで浮かべていた明るい笑顔を見せてはいない。笑みすら浮かべられず、一時期不登校にすらなったが、ここ最近になって、ようやく少しずつ笑顔を見せ、登校するようになってくれた。

 そんな彼女だったが、それでも気丈な少女である。父が死に、生まれ育った京都が燃えたというのに、ネギ達の前では決して涙は見せなかった。だがそれでも夜中、時折響く小さな泣き声と嗚咽を明日菜とネギは聞いている。

 近衛木乃香の現状は、ネギ達の無力の象徴だった。吹けば消えてしまいそうな木乃香のためにということで、刹那も木乃香との距離を縮めたのは不幸中の幸いのようなものだが、その程度の木乃香の心が癒えるわけがない。

 ネギ達は、木乃香に事件の真相を伝えはしなかった。彼女のせいではないとはいえ、自身の魔力によって京都が紅蓮に染まり、父も殺したと知れば、きっと木乃香は潰れてしまうと思ったからだ。

 きっと、この嘘は生涯張り続けなければならない。それは同時に、木乃香を魔法という裏の事情に一切関わらせないという決意の表れだった。事実を知らないが、その決意は詠春が可能な限り行おうとしていた決意とほとんど同じものである。

 違うのは、危険から守るのではなく。木乃香の心を守るため。いずれにせよ彼女を生涯守るということには変わりなかった。

 

「木乃香さんは、僕達で守りましょう」

 

 ネギは決意の光を右目に宿した。

 彼の左目は現在、カラーコンタクトで右目と同じ色になっているが、未だにその目は光を飲み込む闇色のままだ。

 

「ネギ、アンタ、そろそろ時間じゃない?」

 

「あ、はい」

 

 ネギは明日菜に言われて、ポケットから飴のようなものが入ったビンを取り出した。その中から一粒取り出して口に放り込み、噛み砕く。

 一瞬だけ魔力の光が体を包み込み、収まった。明日菜はその姿をどこか寂しげに見つめて、慌てて視線を木乃香に移す。

 

「明日菜さん。ネギ先生」

 

 そうして暫くしていると、詠瞬を見送った刹那が声をかけてきた。一ヶ月前よりかは少しだけ柔らかくなってきていた表情も、この場に限っては固く、鋭い。

 三人は何とも言わずに視線を木乃香に合わせた。それに気付いた木乃香が儚げな笑みを口元に浮かべて応える。

 その姿がとても痛々しかった。

 

「長に誓いました。もっと強くなって、二度と同じ過ちを繰り返さないと」

 

 刹那はその姿から決して目を逸らすことなく、むしろ心に刻み込みながらその覚悟を呟いた。覚悟は二人も同じだったのか。答えるでもなく頷きを返す。

 あの日、総本山周囲で生き残ったのはネギ達と青山のみだった。ほとんどの死体はスクナの砲撃とフェイトの引き裂く大地によって、跡形もなく消滅して行方不明扱いとなっている。それは詠春も同じであり、彼の死体は肉片一つすら見つからなかった。

 一縷の望みをかけて捜索は行われたが、彼もその他の人々と同じく、マグマと紅蓮に飲まれて死亡したことになっている。

 

「雨だ」

 

 外に出たネギ達は掌に感じた雨粒を感じて空を見上げた。人々の悲しみを固めたような灰色の空は、徐々に雨の量を増やしていく。

 参列者も傘を取り出した。ネギ達も傘を差すと、静かにその場を後にした。

 事件の関係者とはいえ、この場に限ってはネギ達は親族でもないため部外者に過ぎない。雨に打たれながらホテルに戻るその道中、冷えた空気に三人は無意識に肩を寄せ合うのだった。

 そして、葬儀が無事終わった後、木乃香は一人詠春の遺影の前に立っていた。

 

「……お父様」

 

 そこには詠春の写真以外には存在しない。しかし肉片一つすら残っていないそこでしか、最早、彼女の父を感じる術はなかった。

 ただ、悲しかった。楽しみにしていた修学旅行。だというのに、目が覚めれば京都は紅蓮に飲まれて、わけもわからないうちに実家がマグマに飲まれているのを見て、いつの間にか父が死んだ。

 それ以外にも多くのものを失った。京都で過ごしたあらゆる思い出が炎と怨嗟に消え果て、涙と悲鳴は木乃香の心を蝕んだ。

 だけど明日菜達に心配をかけたくなくて、できる限り頑張ろうとして、でも駄目で。

 

「ウチ……どうすればえぇんや……」

 

 もう何もわからなかった。父の亡骸の前、そして一人という現実が、木乃香が堪えていたものを決壊させる。ぽろぽろと涙は溢れ、嗚咽で体は震え、絶望と悲しみだけが体中を支配した。

 どうしようもない。何も出来ない。近衛木乃香の優しい心は、優しいだけでこの現実に耐え切れない。とうとう立っていられずに木乃香は膝を折った。父の体の入っていない棺にすがりつき、しかしそこには重さがなくて。

 死という現実だけが、全てだった。

 

「うぁぁぁぁぁぁぁ! あぁぁぁ! あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 木乃香は声を大にして泣いた。

 これまで必至に堪え続けた全てが崩れた。我武者羅に泣き喚き、魂も肉体もない棺から何も手放さないとでも言うようにしがみつく。

 その姿は人として当然の姿だ。

 親を亡くした。

 気付かずに亡くした。

 現実感のなかった喪失感と、これまで積み重なった絶望と悲しみが混ざり合い、涙と悲鳴になって吐き出される。

 その終わりは、木乃香のみの絶望だった。

 

「うぇ、うぁぁ……あぁぁ……」

 

 木乃香は、そこに誰も居ないことを悟ったのか。両手を力なく垂らして床についた。

 溢れていた悲鳴は徐々に小さくなり、それに比例するように木乃香の体も小さく丸まっていく。

 何もなかった。

 全部奪われるだけで、抗うことさえ叶わなかった。

 そして悲痛な叫びは収まり、声もなく木乃香は泣きじゃくる。その涙はいつまでも止まることなかったが、ふとその場に響き渡った足音に、木乃香は反射的に振り返った。

 

「……すまない。覗き見するつもりはなかった」

 

 そこに居たのは、喪服以上に黒く、光を飲み込む闇色の瞳で木乃香を見る無表情の男、青山だった。

 木乃香は何も考えられず青山の姿を追った。青山はその視線を気にせずに詠春の遺影まで寄ると、そっと両手を合わせ、瞼を閉じる。

 どういった言葉を送ったのか。無言のまま佇む青山は、手を放して目を開けると、しゃがみこんだままの木乃香に向き直った。

 

「兄さんの娘さんだね。初めまして。兄さんの弟で……俺は君の叔父にあたる」

 

「お父様の……弟?」

 

「あぁ。とは言っても、最近まで絶縁状態だったけれど」

 

 そう言って、青山は遺影を見た。無表情で、色のない瞳は何を考えているのかわからない。

 だが木乃香はその様子を、彼もまた詠春の死を自分と同じく悲しみ、絶望しているのだと勘違いした。

 そう、勘違いした。

 

「ウチも……ウチも、ここ出てから、全然帰らへんかったんです……それで、もしかしたら、修学旅行で、会えたらって、ウチ……会えるって、いつでも、会えるって……!」

 

 一度壊れたものはすぐに崩れる。再び涙を浮かべて顔を伏せた木乃香を青山は見下ろし、膝をついてその視線を合わせた。

 

「君の父さんは、素晴らしい人だった。悪さを沢山して、家を勘当された俺を暖かく迎え入れてくれた。なのに、俺はあの日、傍に居ながら君の父さんを死なせてしまった。だから、俺を恨んでくれて構わない。君には、その資格がある」

 

「そんな、そんなの……違います」

 

 木乃香は優しい少女だった。だから、青山が自分のためにそんな『嘘をついている』のだろうと察して、首を横に振った。

 だが、と青山は口を開いて、それを遮るように木乃香は悲しみを湛えたまま言う。

 

「もし、そうやとしても……憎んで、恨んで……でも、お父様は帰らへん」

 

 その言葉に。悲しみながらもそう言える強さに、青山は僅かに目を見開き、そしてかみ締めるように瞼を閉じた。

 

「君は、とても強いな」

 

「そんなことありまへん……ウチが強かったら、きっとお父様も……」

 

「すまない。君を責めるつもりはないんだ……」

 

 青山はそう言ってから、再び静かに涙を流し始めた木乃香を見つめた。

 黒い瞳は何を考えているのかわからない。しかし、傍から見れば、全てに絶望しきった、そんな風にも見えた。

 

「兄さんは強かった。何よりも、人を信じられる強い心の持ち主だった。家族の中で誰よりも優しくて、誰よりも暖かくて、俺もそんな兄さんが好きだった」

 

 青山はそうして静かに語った。詠春とすごした記憶を少しずつ、そして、彼が如何に素晴らしい人間であったのかを。

 

「そして、兄さんは最後に、こんな俺でも人と手を取り合うことが出来るって、ただの青山ではなく、家族だったころの俺になれる、そう言ってくれたんだ…そんな兄さんの娘さんである君の強さを俺は誇りに思う」

 

 だから、今は泣いてもいいんだ。

 青山の黒い瞳は何も映さない。だからそこに何を見るのかは自分次第で、青山を見上げた木乃香は、そこに自分の姿を見た。

 それだけだった。

 

「う、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 再び大声をあげた木乃香は、我慢できずに青山の懐にすがりつき涙を流した。青山は僅かに驚き、躊躇いながらも、その右手で木乃香の背中をそっと撫でた。

 雨は響き、泣き声を優しく包み込む。

 青山は少女の涙と声が枯れるまで、その背中を優しく撫で続けた。

 その右手で。

 優しく撫でるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【21世紀の精神異常者】

 

 

 炎の音は遠い。

 両腕に抱きしめたフェイトの体は、幾つもの花びらになって俺の手から失われた。

 その残滓を俺は目で追った。

 君という全てを感じ取れた。その果てに、君は俺の終わりですら斬り抜けなかった素晴らしい光を見せてくれた。

 感動の余韻に浸る。

 死した体すら息を吹き返すほどの多幸感に酔う。

 ただただ、素晴らしい刹那だった。

 俺と君だけの斬撃空間。互いがもてる全ての結末を曝け出して、流星の煌きよりも短い時に、百億年以上の世界を体験した。永遠があそこには存在した。永遠の存在を信じられた。

 それが嬉しかったんだ。

 だけど、君はもう居ない。俺は俺の終わりを魅せるだけで、君は君の終わりを全て注ぎ込んだ。

 その違いが、敗者である俺がここに立ち、勝者である君がここにいないという差を生んだ。

 ふがいなかった。

 あの時、全てを込めるには足りなかった十一代目がふがいなかった。

 何よりも、俺自身を叩きつけようとしなかった、俺の未熟が許せなかった。

 だが決着はついて。

 それ以上に清々しい敗北感が心を満たしていた。

 

「お?」

 

 そのとき、風を引き裂いて、俺の足元に何かが突き立った。

 いや、一目でわかる。

 その黒い輝きと、十一代目に酷似した形をした剣は、生きるという形をかき集めたフェイトの証だった。

 己の全てをかき集めたその刃を、俺は震える手で掴む。

 直後、その刀身に込められた、生きるという全てが俺の体を駆け抜けた。

 

「う、あ」

 

 目が眩み、意識が遠のく。これまであらゆる妖刀の怨念すら響かなかった俺の内部に響き渡る、生きたいという願い。

 フェイトの証。

 運命を超えた人形の生命。

 

「……う、うぅ」

 

 その全存在を感じた瞬間、俺の瞳に熱いものがこみ上げた。

 これが。

 これが、生きるってことなんだ。

 斬ることしか知らなかった俺が、初めて痛感する命の重さ。掌に感じる魂の重量。

 

「う、ぉぉ」

 

 気付けば膝を折って嗚咽した。

 ひたすらに涙する。

 俺は、何て馬鹿だったんだ。

 妖魔を斬り。

 自然を斬り。

 人も斬り。

 そんな、斬るという独りよがりで、俺はこんなにも尊いものを斬っていたというのか。

 何だ。

 何なんだ俺は。

 

「う、うぅぅぅぅ」

 

 フェイト。

 確かに君は勝者だ。

 俺の人生で初めての経験だった。こんなにも打ちのめされたことなんてなかった。

 斬るというだけの人生にしみこむ。生きるという当たり前な言葉。

 

「……」

 

 俺は空を見上げた。赤と黒が混じった空は、こんな俺を罰するように重く圧し掛かってくる。

 でも生きるんだ。

 わかったから、生きていこう。

 身近なものを、隣人を、友人を、あらゆる命あるものが尊いから。

 俺は、新たな道を行く。

 

「青山、君……」

 

 そんな決意を固めた俺の背中に声がかかった。

 反射的に振り返れば、そこには至るところを負傷した詠春様が立っていた。

 唖然とする俺に、痛みに苦しみながらも詠春様は確かな足取りで近づいてくる。

 

「すまない……動けるまで治していた間に、全て終わってしまったようだね」

 

「……その、従者の方々は?」

 

 俺の問いに、詠春様は顔を伏せて力なく首を振った。

 

「私を庇って、全員死んでしまった。鬼の襲来を懸念して展開した障壁が、僅かにだがあの砲撃やマグマを一時的にだが抑えてくれた……不甲斐ない。私は、何も出来なかった……」

 

「詠春様」

 

 俺は何も言えなかった。

 かけるべき言葉もなく、俺自身が招いた惨劇をどうも出来なかったのだから。

 全て、俺の責任だった。

 俺が何もかも壊した。

 

「俺は、何も、何も出来ず……」

 

「君は頑張っただろ? この惨状を見ればわかる。一人で、アレと戦ったんだね」

 

 ありがとうと、煤けた顔に笑みを浮かべた詠春様のねぎらいに、返す言葉もなく、何もなく。

 俺はそっと立ち上がって空を見上げた。その隣に詠春様も立つ。

 

「詠春様。俺は何も出来ませんでした。だからこそ、己の全てを賭けて、誰かのために刃を振るいたいと思っています」

 

「……あぁ。君が手助けしてくれるなら、きっとこの惨劇も人は乗り越えられる。どんな絶望も、争いも、手を取り合えば、超えることが出来るんだ」

 

 詠春様の言葉が染み渡る。

 人は、助け合って乗り越えていく。

 そうだ。一人よがりな俺も。

 

「俺も、出来るでしょうか?」

 

「ん?」

 

「俺にも、手を取り合うことが出来るでしょうか?」

 

 空を見ながら語る俺に、詠春様が頷いたような気がした。それがとても嬉しかった。家族という存在が肯定してくれることが、こんなにも嬉しいことだなんて、今までずっと気付かなかったから。

 こんなにも感動した。

 俺は、兄さんが兄さんでよかったって、声を大にして叫びたくなった。

 兄さんは語る。家族として、素晴らしき上司として、俺に対する家族愛が沢山篭った、心に伝わる強い言葉で。

 

「出来るさ。今からだって、傷を癒したらすぐにでも駆けつけよう。助けられる人々を、一人でも守るために……そうすれば、君もただの青山ではなくなる。いつかのように、私の弟、青山ひ──」

 

 ──りーん。

 

 ……俺は。

 俺はまた、かつての名前になれるのか。そしたらまた、兄さんと呼べるんだ。

 元の名前に戻れるのだろうか。その奇跡を思って、俺は瞼を閉じて、思いを馳せた。青山ではなく、青山『  』として。誰かのために、誰かの笑顔のために。

 

「こんな俺が、戻れるのですか」

 

「……」

 

「だが、そうするには俺は罪を重ねすぎました。この惨状。俺の私利私欲が招いた結果です」

 

「……」

 

「でも、そんな俺でも人のために何かが出来るなら。罪を背負ってでも、誰かのために、誰かの生涯を守るために。素晴らしき命を、尊くて、消してはいけない命のために、俺は、俺の全存在を賭しましょう。そして、あらゆる人々と笑顔でわかりあって」

 

「……」

 

「斬ります」

 

 そうして横を見たら、そこには誰も居なかった。

 

 俺の体には新たな赤色が付着している。

 隣に居た詠春様は肉片一つすら残っていない。右手に持った黒の剣は、ぽたぽたと赤い雫を滴らしている。

 赤が散っていた。空一面に赤色の雫。細胞の一欠けらすらない代わりに、飛び散った真っ赤な花びら。

 

 心地よい歌声が響く。

 

 俺は右手に持った黒い刀を振るった。

 飛び散る赤色すらも斬り裂いた。これまでの何よりも手に馴染む最高の刀は、俺の斬撃にだって嬉々として答える。俺が生きるということ。つまり俺が斬るということに全力で答えて、最良の選択肢を選んでくれる。

 そして最後に、くるくると落ちてきた兄さんの頭を一瞬で細切れにした。

 悲しいことに兄さんは死んだけど。だけど、生きるということはそういうことだから、誰もが死ぬから生きていて、フェイトの答えを得た俺の答えもまたそういうこと。

 斬るのは変わらない。

 斬ることを変える必要がない

 なぜならば、大切な命の歌声はここにある。喜びの産声を響かせる斬撃の音色。右手に掴む命の質量は、こんなにも完璧に歌ってみせている。命のあげる素晴らしい声かけがえのない命だから響かせることの出来る全て。

 これが、フェイトの生存が俺に与えてくれた、新たな答え。

 つまり。

 

「ばーらばらー」

 

 生きることは、斬ることだ。

 

 

 

 

 




三章半ばより、分岐開始。


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第三章【無貌の仮面━仮面喪失━】
【無貌の仮面━選択する色━】


 

 

 

 

 よく生きているものだなぁ。

 なんて、学園長室に二週間ぶりに来た俺は感慨深い思いを抱いていた。

 

「……色々と、ご苦労じゃったの」

 

 京都での戦いの顛末を話したあと、数秒の間を置いて学園長さんが俺を労ってくれるが、その言葉は沈痛な響きが含まれていた。

 現在もテレビでは朝から晩まで報道されている京都の大災害。そのことに対する悲しみがあるのか。

 きっと、そうなのだろう。

 学園長さんは人を信じられる優しい人だ。こんな俺ですら受け入れてくれたのだから、きっとこの事件にも心を痛めているに違いない。

 

「俺は、結局……誰も、救えませんでした」

 

 こんなとき、表情が変わらない己が少しばかりありがたい。

 誰も救えなかった。

 そんな俺が、災害を防げなかった俺が悲しむ権利などあるはずがない。

 それどころか、この災害の中で一人、素晴らしいものに感動すらした始末。

 なんと。

 なんとも、救えぬ、悪党。

 

「……詠春様。兄さんも、俺はこの手で殺めたのです」

 

 刀を持っていない両手を開いて、眺める。今は付着しているはずのない血液が見えたような気がした。

 俺は、兄さんを救えなかった。

 たった一人の兄すら救えぬ、矮小な人間だった。

 

「いや、あの状況じゃ。青山君が一人で頑張ったところで、どうにかなる状況ではなかったじゃろう」

 

「学園長……」

 

「むしろ、孤立無援の中、よくぞ一人で戦ってくれた。顛末はある程度聞いておる。今は、ゆっくりと休むといいじゃろう」

 

 学園長さんの優しさを、俺は真正面から見ることが出来ずに視線を伏せたまま、力なく頷いた。

 義理とはいえ、学園長さんにとっても兄さんは息子のようなものだったはずだ。おろか、関係のない人々が魔法という裏事情に巻き込まれたというのは、学園長さんの心を痛めているだろう。

 それでも俺を労わる優しさに、これ以上俺は何も言えなかった。

 

「失礼します」

 

 俺は一礼すると部屋を後にした。

 扉を開けて、さて錦さんのところへ行こうかと思ったが、扉の外で待っていた高畑さんと鉢合わせになる。というか、話が終わってくれるまで待っていてくれていた。

 

「やぁ、報告、ご苦労様」

 

 高畑さんは表面上、普段となんら変わった様子はなかった。余裕のある笑みを浮かべて、俺に優しく声をかけてくれる。

 軽く会釈してから、俺と高畑さんは二人並んで歩き出した。

 

「学園長も言っていたが、君にだけ随分と苦労をかけた」

 

「いえ、あの場では俺しか対処できる人間がいませんでした。そして、対処できる能力を持ちながら、俺は私情を優先して……それが、あの結果です。高畑さんも学園長さんも、自らを責めず、俺だけを責めていただきたい」

 

 言ってから、己の浅ましい心に辟易する。

 何を言っている。

 何が俺を責めればいいだ。

 そんなことを言われて、彼らが俺を責めることはないと知っているというのに。

 唾棄すべき己の未熟に後悔しながら、慌てて訂正しようと口を開き、それよりも早く高畑さんが口を開いた。

 

「君だけを責めるなんて出来ないよ。そんな危険があるという判断をしなかった僕らの甘い見通しが、この事件を生んだ……誰かを責めなければならないなら、それはきっと、僕ら全員が責任を取る必要がある。そして、それは今後の人生全てを使って贖罪しなければならないことだ」

 

 高畑さんは、僅かに影の射した表情で思いのたけを吐き出した。

 ただ、その言葉に俺は答えをもたなかった。

 見通しの甘さ。それは俺も痛感していた。十一代目を得た俺は、何かあっても一人で対処できるつもりだったし、相手に対しても、一般人を巻き込むつもりはないはずだと高をくくっていた。

 その甘さが今回の惨劇。

 未だ包帯をいたるところに巻いた身体をそっと右手で抱くようにして、己に刻まれた傷を罪の証として再認識する。

 何もかも、悪い方向に繋がった。

 あの時、フェイト少年を総本山で倒していればあんなことにはならなかったのか。

 それとも、旅館で彼らが近衛木乃香さんを拉致するのを防いでいればあんなことにならなかったのか。

 全部俺ならあそこで対処できた。

 それをしなかったのは、全て私情。

 俺の欲を満たすためだった。

 ならばやはり、罰せられるのは俺だけだろう。

 そして恥ずべきことに。

 

 俺は、後悔と反省をしながらも、あの戦いを得られたことに満足していた。

 

 

 

 

 

 翌日。報告をした日はそのまま高畑さんと軽く飲んでから帰宅したため、錦さんには挨拶を出来なかった俺は、丁度いいのでそのまま職場に復帰をした。

 同僚の皆さんが、包帯まみれの俺を見て、心配してくれたのが心苦しく、暫くは休んだほうがいいという言葉も丁寧に断りを入れて、俺はいつもの通り錦さんと清掃を行い、昼休みに入っていた。

 

「身体、痛くねぇのか?」

 

「おかげさまで。錦さんが俺の分も掃除をしてくれたので、痛みはさしてありません」

 

「そうか……ならいいんだが」

 

 いつもの場所で、いつも通りに子どもたちの姿を眺めながら、空気は重く苦しかった。

 錦さんは何かを聞こうと何度か口を開けては閉じている。一体何が聞きたいのだろうと考え、ここを出る前、兄に会いに行くと言ったことを思い出した。

 

「兄は死にました」

 

「……あぁ」

 

 事情をある程度は知っている錦さんには、話をしておく必要があるだろう。淡々と語る俺に対して、錦さんの表情は暗い。

 

「傍にいながら、俺は兄を殺してしまったのです。折角、また兄と呼べるようになりながら、俺はこの手で兄を殺めてしまいました」

 

「ニュースで見たよ。ありゃ、誰かを助けるなんて余裕がなかったのはわかる。お前もそんな様なんだ。そうやって自分を責めるなよ」

 

「いいえ。俺は兄を殺しました……ですが、それでも得られたものはあるのです」

 

 空を見上げて、耳を澄ます。そうすれば、あの時響いた兄さんの歌声が、すぐに思い出せた。

 

「生きることの素晴らしさ。兄さんを殺してしまった俺ですが、それでも兄さんが生きた証を得られたことを、誇りに思っています」

 

「兄ちゃん……お前」

 

「災害のとき、とある少年に教わりました。生きることの素晴らしさ。生きていることの尊さ。そして、これまで俺は命に対してあまりにも無頓着だった……それを悔やみ、改めることが出来た……不謹慎ですが、この災害で多くのものを俺は失い、それでも別の何かを得ることが出来たのです」

 

 生きるということの当たり前な答え。

 

「人は、いずれ死にます。その間に培う生が、どのようなものなのか……きっと、生きることの意味はそこにあって、俺はそれを尊ぶべきなのだと」

 

 それだけは、誇ってもいいことだろう。

 色々と間違って、それでも何かを見つける。得られた答えだけは誇るべき真実だ。

 人間というのはそういう生き物で、いつだって過ちのなかから答えは見つかっていく。今回、俺はあらゆる悲劇の中でかけがえの無い答えを知った。

 代償は幾多の涙だ。償うことは出来なくて、ならば少しでも俺は得られた答えを信じて、誰かの生きた証を紡いでいこうと誓った。

 

「……へっ、どうやら、慰める必要はねぇようだな」

 

 錦さんは自分の鼻を軽くこすって恥ずかしそうに呟いた。俺は出来る限りの感情を込めて頷きを返す。

 大切な真実を、斬ることに並ぶ回答を守ろう。

 それがあの災厄を間接的に巻き起こした俺が出来る唯一の償いだと信じているから。

 

「とはいえ、兄ちゃんはまだ怪我してるんだ。無理だけはするんじゃねぇぞ? それでな、災害があったことでここら辺もあわただしくなるかもしれねぇからってことで、今週からボランティアで夜の見回りをすることにしたんだ」

 

 錦さんは辛気臭くなった空気を切り替えるために別の話題を投げかけてくれた。

 内容を簡潔にまとめると、京都の事件も夜に起きたということもあり、しばらくは何かあってもすぐに動けるボランティアで麻帆良一帯を見回りしようと決まったらしい。尤も、非公式なのでメンバーは職場の人間のみで構成されているらしいが。

 

「いいですね。俺も、よければ……」

 

 参加したいという意思を伝えようとして、それよりも早く錦さんは俺の頭を軽く小突いた。

 

「阿呆、兄ちゃんは怪我してるだろうが。それに住居が麻帆良の離れにあるんだろ? 見回りも時間がかかるんだ。まずは怪我を治す。それと住居をもっと近くに移す。でなけりゃ見回りには参加させられないぜ?」

 

 むぅ。

 まぁしかし、錦さんの言うとおりである。青山である俺はこの程度の怪我であれば充分に動けるのだが、如何せん彼らからすればただの若者でしかない。怪我もしているとすれば、無理をさせるわけにはいかないというのもわかる。

 仕方ないか。うん。残念、残念。

 

「ともかく、復帰おめでとさん……というか、いつも怪我して戻ってくるからな。振り出しに戻るってか?」

 

 冗談めかした錦さんの言葉でも笑みを浮かべることは出来ないけど。

 

「おっ、笑ったな?」

 

 吊り上げた唇が象る不器用な笑み。それで錦さんが笑ってくれて、俺は嬉しかった。

 さて、振り出しからまた頑張るとしようか。

 

 

 

 

 

「随分と時間がかかりましたね」

 

「……まぁ、あんなことがあったからね。事情聴取くらいは仕方ないわよ」

 

 ネギと明日菜は久しぶりに戻ってきた麻帆良の風景を眺めながら、そこでようやく自分達の日常が戻ったという実感を得ていた。

 あの日から一週間が過ぎていた。関西呪術協会の息がかかっている病院に運ばれたネギ達は、そこで事件の関係者ということで詳しく話をしながら療養をしていた。

 驚いたことに、ネギ達の怪我自体はさほど問題はなかった。というのも、最後の脱出を手伝ったクウネルの治癒魔法が彼らの怪我を回復させたからだ。

 だがしかし、ネギだけは後遺症が残ってしまった。

 明日菜達と気晴らしに談笑して判明したのだが、まず麻帆良に来てから幾つかの出来事の記憶が失われていた。それは図書館島での出来事だったり、惚れ薬の件は完全に失われていた。そしてカモとの思い出なども失われており、これについてはいずれ親族との改めて話し合うことで、何処まで記憶が失われたのかを調べる必要があると医師は語った。

 そしてもう一つは、色の失われた左目だ。光を飲み込むような黒い瞳は、視力はあるものの、右目とは明らかに色彩が異なっていた。

 その瞳に見つめられると、明日菜達はおろか、ネギも鏡を見て怯むことすらある。

 青山の瞳なのだ。あの恐るべき修羅の漆黒の黒い瞳と瓜二つといってもいい。早々にネギの右目と同じ色彩のカラーコンタクトを作ったのは当然であった。

 臭い物に蓋ともいう。左目が黒くなった。つまり己もまた青山になるのではないかという恐ろしい事実から目を背けたのである。

 ともかく、ネギは様々な代償を一晩にして払うことになった。同時に、一流の魔法使いすら凌ぐ力を得たのはなんという運命の悪戯か。

 だが時折ネギは思うのだ。

 まだ足りない。

 もっと力が欲しい。

 そんな自分の考えを、周りの仲間を思って振り払う。葛藤を繰り返しながら、この一週間、ようやく手にした日常の光景に二人はたまらずため息を漏らしていた。

 楓は既に帰宅している。正確には、途中で別れて、楓は一人で麻帆良の郊外に出て行ったのだが。

 刹那はそのまま京都に残ることになった。彼女自身も思うところがあったのだろう。神鳴流の本山に向かうといって、京都で別れたきりだ。

 そしてネギと明日菜は二人だけで戻ることになった。麻帆良の生徒達は彼らの数日前に無事に帰宅したということだ。

 ともかく、そういうわけで京都の惨状を知っているが故に、まるで麻帆良の風景は別世界のようにすら二人には感じられていた。あるいは京都こそが別世界だったのか。

 日常と非日常。そのギャップをまざまざと認識して、どこか疎外感を覚えるのも無理は無かった。

 

「よし、じゃあさっさと帰って木乃香に元気なとこ見せないと! 私達のこときっと心配していたはずよ!」

 

 明日菜は様々な葛藤を振り払うために、わざと明るく元気な声を出した。ネギも「はい!」と力強く答えて寮へと帰るのだった。

 

 だが、未だに日常は遠い。寮に戻ったことで、二人は改めて現実を突きつけられることになる。

 

「ただい、ま……」

 

 一週間ぶりの麻帆良。久しぶりに寮に戻ってきたネギと明日菜は、暗く締め切られた部屋が撒き散らす重苦しい空気に、一瞬部屋を間違えたのかと勘違いした。

 いつも暖かな雰囲気があった部屋が苦しい。小さいはずのテレビの音すら妙に五月蝿く感じるくらいだった。

 

「明日菜? ネギ君?」

 

 自分の部屋だというのに入るのを躊躇っていると、まるで這い出るように暗がりで座り込んでいた木乃香が、表情の抜けきった顔で明日菜達を見つめ、僅かにその瞳に涙が浮かんだと思うと、顔をくしゃくしゃにして「よかった……よかった……」と安堵の言葉を漏らした。

 その尋常ではない姿に背筋が凍る。明日菜は慌てて木乃香に近づくと、その肩に手を添えた。

 

「木乃香……」

 

「ウチ……明日菜達も、もしかしたら、居なくなったんやないかって……怖くてなぁ。ウチ、とっても怖かったんや」

 

 小刻みに震える肩、すすり泣くようにしながら、それでも懸命に涙を堪えている少女の背中に、明日菜は言葉を言うよりも早く抱きついていた。

 

「ただいま。ごめんね。心配ばっかかけてごめんね木乃香」

 

「ううん。えぇの、無事だったらえぇんや……ウチ、実家が、京都でな。それで、噴火があった場所が実家のあるところで……お父様から連絡なくて、不安で、それで明日菜達も連絡なくて、ウチ、ウチなぁ……」

 

 上手く言葉に出来ないくらい、焦燥と混乱と恐怖に苛まれていたのだろう。ネギは部屋の明かりをつけて、顔を上げた木乃香の顔が蒼白になっているのに声もなく驚いた。

 

「こ、木乃香さん。お食事は……」

 

 力なく顔を横に振る木乃香。ご飯をほとんどとっていないというのか。当惑するネギ達の耳に、ドアが開く音が聞こえた。

 振り返ると、そこに居たのはクラス委員長の雪広あやかだった。あやかも驚いたように目と口を開いて、直後、ゆっくりと近づいて、手に持った食事をテーブルに置き、ネギと明日菜を抱きしめた。

 

「ご無事で、よかったです。ネギ先生、明日菜さん」

 

「いいんちょ……」

 

 普段とは違うあやかの態度に困惑しながら、明日菜は涙を浮かべて「ただいま」と呟いた。

 ネギはあやかの柔らかな香りと暖かさに、何故か涙したくなった。だがそれを堪えて抱きしめ返して、四人は暫くの間静かに無事であることを喜ぶのだった。

 

 

「……そういうわけでして、木乃香さんはここ暫くお部屋に引きこもったままですわ」

 

 再会から一時間ほど過ぎた後、木乃香の傍にいると言う明日菜を部屋に残してあやかとネギは部屋の外で木乃香のことについて話し合っていた。

 クラスの幾人かも、京都の災害によって心身に負担を受けていたが、それでも早めに避難が完了したため、今は木乃香以外は普通に生活をしているらしい。

 だが木乃香だけは、実家がマグマの発生源の真上だったということもあり、父親の安否が不安で寝食があまり出来ていないらしい。

 

「交代で食事を作ったり、傍にいたりはしたのですけどね。よく一人にさせてと言って、あまり傍にいられない状態が続いていて……申し訳ありませんわネギ先生。私たちでは、木乃香さんの力になれなくて……」

 

「いえ、ありがとうございます。きっと木乃香さんにも気持ちは届いていますよ」

 

「そうだとよいのですが……それで、ネギ先生達はもう大丈夫なのですか?」

 

 あやかの不安げな表情を和らげるため、ネギは優しい微笑みを返して頷いた。

 

「僕も明日菜さんも大丈夫です。ここにはいませんが、楓さんと刹那さんも怪我はありませんよ」

 

 その言葉を聞いて、「よかった」と安堵のため息をあやかは漏らした。

 

「高畑先生からネギ先生達は無事だとは聞いていたのですが、こうして無事な姿を見るまでは不安で仕方ありませんでしたわ。この分だと、来ていないお二人も大丈夫なのですね」

 

 もしかしたら、クラスを落ち着かせるための嘘をタカミチが言っていたのではないかと、あやかは心の隅で考えていたのだ。だが二人が無事であることもあり、刹那と楓が無事であるという確証が得られたのだろう。

 何より、ネギの言葉を信じられた。それは最初からそうなのだが、不思議と今のネギは以前よりもさらに真摯だとあやかには感じられた。

 災害の後、変わったのだろうか。それが悪い方向でないことが良かったと思う。

 

「一応、私のほうでも京都復興のついで、というのは語弊がありますが、木乃香さんのお父様の捜索は行っています。尤も……」

 

 続く言葉をあやかは飲み込んだ。

 ネギも彼女が言いたいことはわかっている。おそらく、いや、確実に木乃香の父親は死んでいるだろう。マグマもそうだが、スクナの砲撃を受けて生きられるわけがない。それこそ英雄と呼ばれた自分の父親でもない限り、あの破壊と災厄は逃れえるものではなかった。

 それに、もし生きていたのなら、西の長としてネギ達のところに来たかもしれない。来なくても、何かしらの伝言はくれたはずだ。

 ネギはその事情を言うわけにもいかず、口を噤んだ。その様子を見たあやかは空気を悪くしたことに気付き、曖昧に笑ってどうにかごまかす。

 

「ともかく、お聞きになっているかもしれませんが、被害にあった私達は、暫くお休みをいただけましたわ。本当は授業に出て、早く日常に戻った実感が得たいところですが……木乃香さんのこともありますし」

 

 あやかはドアの向こうに寂しげな視線を送った。ネギもまた同じように視線を送り、耐え切れずに目を伏せる。

 力が足りなかった。まざまざと見せ付けられた木乃香の現状はネギの罪だ。もっと自分が強かったらあの惨劇を止められたはずだ。

 それこそ、総本山を防衛し、最後は打って出てフェイトとスクナ、二体の化け物を斬り捨てた青山のように。

 

「……ッ」

 

 ネギは己の脳裏に浮かんだ考えを振り払い、嫌悪するように顔をゆがめた。

 青山に対する感情は複雑だ。己の無力を棚上げにして、彼がもっと早く動いていればと思う苛立ちと憎しみ、一人であの災厄に挑んだという尊敬と憧れ、それら一切を覆しかねないくらいの恐怖と絶望。

 斬撃という完結。

 

「僕は、無力です」

 

「……そんなことはありませんわ、ネギ先生」

 

 あやかは木乃香を思って落ち込んでいると勘違いしたが、事実は違う。あやかに抱きしめられながら、ネギが思うのは別のことだ。

 無力を嘆き、強さを求めたその果てにアレに行き着くのを恐れている。

 今ならば楓の言っていたことが痛いほどわかった。青山とは超えてはいけない一線だ。人間が到達してはならない領域に住まう、化け物如きもの。

 だがしかし、あの力が無ければ何も救えない。実際は、ネギが無力を感じたのは、魔法使いでも最高位の戦いなので、無力であるのは当然である。しかし立て続けに最上位の戦いに紛れ込んだ少年は、あの領域に居なければならないという、一種の脅迫概念に襲われていた。

 現実は、そこに至る過程がまるで見えないのだが。

 咸卦法に闇の魔法。

 この二つを未熟ながらに修めたネギだが、そこから先の展望が見えずにいる。

 事件から毎日のように、暇を見つければ研鑽を積んでいるのだが、どうしても強くなっているという実感がわかなかった。

 

「先生?」

 

 自己に埋没するネギをあやかの声が引き上げる。慌てて意識を現実に戻したネギは、何か言うわけにもいかず、曖昧に笑って場を濁した。

 

 

 その翌日、ネギの元に一通の手紙が届けられたことによって状況は一転するが、今はただ、己の無力と、無力の象徴である木乃香を見続けるしかネギには出来なかった。

 

 

 

 

 

 気を体内で循環させることで怪我の治りを早めることは出来るが、それでも動きにある程度の支障は出る。いち早く完治させるためには時間が必要だ。そのため、今日から暫くの間、仕事終わりの一時間をエヴァンジェリンの別荘である異空間で過ごすことになった。

 まぁこれは俺が自分で思いついたわけではなく、エヴァンジェリン直々のお誘いだったりする。正直、エヴァンジェリンと会話するのは楽しくありながらも疲れるのだが、願ったり叶ったりなので、俺はその誘いを受けることにしたのだった。

 

「それで? 京都は楽しかったか?」

 

 以前のときと同じく、テラスで向かい合って座ってから早々、目の前に広げられた豪華な料理以上に興味津々といった様子でエヴァンジェリンがあの日のことを聞いてきた。

 幾らなんでも無遠慮すぎる言い草に、内心で僅かに不貞腐れるものの、余裕たっぷりな笑みを浮かべる彼女に何か言っても無駄だと悟る。俺は観念してワイングラスの中身を一気に煽ると、胸を焼く熱以上に苦しい思い出を開封した。

 

「……死んだよ。見知らぬ他人。見知った知人。見知った光景。知り合えた友、沢山、死んだ」

 

「そうか。見知らぬ他人を斬って、見知った知人を斬って、見知った光景を斬って、知り合えた友を斬って、沢山、斬ったのか」

 

 エヴァンジェリンは俺の言葉をそっくりそのまま使ってそう返してきた。だが彼女にしては些か陳腐な言い回しだ。

 やや呆れながら俺はエヴァンジェリンを見た。

 

「当たり前なことを一々聞き返すな」

 

「くくっ。そうだな。それもそうだ」

 

 全く、本当に何が楽しいというのか。

 色々な人が死んだ。とても悲しいことで、とても心苦しいことで。

 斬った。

 それは別だろう。

 

「人が死んだよ。しかも、俺は兄さんをこの手で殺したんだ」

 

「兄?」

 

「近衛詠春。旧姓は青山詠春といって、俺の肉親だった」

 

 軽く説明すると、エヴァンジェリンは納得とばかりに笑った。

 

「何だ、詠春の奴死んだのか……にしても貴様も随分と手が早いな」

 

 手が早い。

 そう、あっという間に俺は詠春様を殺したのだ。生きているから、斬って、殺す。生物として当然の結末だとはいえ、兄さんが死んだこと、そして殺してしまったことはとても悲しい。

 

「だが兄さんの生きた証は俺の心に残っている。故人の生きた証を胸に抱いて、俺は少しずつ前に進めたら──」

 

「はははははははっ!」

 

 突如、エヴァンジェリンが腹を抱えて笑い出した。それはとても嬉しそうに、無邪気な笑い声の中に膨大な殺意を孕ませて。

 気味が悪い。同時に、そんな汚らしい彼女がとてもお似合いに見えた。

 だがいつまでも見とれているわけにはいかない。俺の決意を侮辱した笑みを浮かべたのは事実。俺は苛立ちをそのままにエヴァンジェリンを見据える。

 

「何がおかしい?」

 

「貴様がおかしい」

 

 先ほどと同じく、台詞をそのまま使ってエヴァンジェリンは返す。俺は口を出そうとして、エヴァンジェリンはそんな俺の言葉を、まるで幼子の駄々を聞き流すようにして続けた。

 

「いい成長をしたなぁ青山。いや、付け加えられたと言ったほうがいいのか? 何処の誰だか知らんが、またえらく歪な代物を渡したものだよ」

 

「どういうことだ?」

 

「どうもこうも。貴様……いや、これは語らないほうがいいか。人間は矛盾を孕む生き物だ。そして、生きることと死ぬことが両極にありながら成立するものと同じように、あるいはその矛盾もどこかで成立しているのかもな」

 

 エヴァンジェリンは、まるで俺の全てを見透かしたような物言いをした。対して、俺は彼女が何を言っているのか理解できなかったが、彼女は話は終わりだとばかりに食事に手をつけ始めた。

 俺も納得はしないが、話して面白いことではないのは確かなので、食事に手をつける。暫く食器と咀嚼の音だけが続いた。

 

「正義の元の行いと悪の元の行い。この二つはどう違うと思う?」

 

 唐突に。

 本当に唐突にエヴァンジェリンはそんなことを聞いてきた。あまりにも突拍子なことなので、俺は食事の手を止めて彼女を見返す。

 少女はどこか憂いを帯びた表情でグラスの中に注がれた赤ワインを見つめていた。俺に視線を向けるでもなく、遠くを見つめた様子で静かに語る。

 

「百人の貧困者がいる。一人は奉仕の精神で彼らを救い導き、一人は労働者を得るために彼らを救いの名の下に騙した。どちらも百人の貧しいものを救ったのは事実だ」

 

「だから?」

 

「極論、善悪に優劣はないというくだらないお話だよ。あらゆる行いは善でも悪でも、どちらの動機でも行うことが出来るということさ」

 

 だからそれがなんだ。

 

「一体、何を話している?」

 

「貴様のことだよ青山」

 

 エヴァンジェリンは視線を上げると、しなやかな白い指先で俺を指差した。

 

「貴様は善悪の基準を抱きながら、斬ることに帰結している。青山、貴様は斬るということに疑問をもったことはないのか?」

 

 その問いは愚問だ。いつだって俺の答えは決まっている。

 

「斬ることは斬ることだ」

 

「素晴らしい。そして、あまりにも愚かだ」

 

 エヴァンジェリンはもろ手を挙げて俺を賞賛し、同時に嘲笑した。

 結局、何が言いたいのかわからない。だから苦手なんだよなぁとか思いつつ、食事を再開するさもしい俺であった。

 

 

 

 

 

 夜。青山がゲスト用の寝室に行った後も、エヴァンジェリンは青山のことを肴にしてワインを楽しんでいた。

 己のことを何よりも知りながら、何よりも己自身を知らぬ愚かな男。それが青山だ。エヴァンジェリンは斬ることと生きること、矛盾する二つを当然のように矛盾させたまま併せ持つ青山を思って苦笑した。

 

「殺した相手の生きた証を胸に宿す、か……」

 

 矛盾している。だが青山の中でこれは矛盾していない。己が殺した相手の死を悲しみ、悼み、証を胸に抱いて、誰かを斬る。

 悪循環だ。そもそもが異常だった青山が、これまでよりもさらに捻れて狂った。無垢なまま気が狂っているという事実は、人間だから取り込めるものなのか。もしくは人間すらも忌み嫌う別種の何かなのか。

 いずれにせよ。

 予感はあるのだ。

 そう、エヴァンジェリンは薄い笑みの下で考える。

 

「貴様が私を殺すか。私が貴様を殺すか……貴様の謎解きなど、そのときが来れば自ずとわかるだろうさ」

 

 それは明日か明後日か。あるいは一年後か十年後か。

 いつ起きるのかはわからない。だがこれだけは斬っても斬れない縁だから。

 私は確かに貴様に斬られた。

 だから、今度は私が貴様を殺す番なのだ。

 来るべき最後のとき、そのときを夢想するだけで、エヴァンジェリンは今宵もまどろみの中、笑みを貼り付けたまま沈むことが出来るのだった。

 

 

 

 

 

 近衛木乃香は人一倍以上に優しい少女だ。少々突込みが苛烈なときがあるが、それも含めておしとやかで愛情に溢れている。彼女の周りでは笑顔が咲き誇り、そんな彼女の優しさに明日菜は随分と助けられたものだ。

 

「……おはよ、木乃香」

 

 だから今度は自分が彼女を支えるのだ。麻帆良に帰ってきた翌日の朝、既に起きていた、あるいは昨夜も眠れなかったのか、もう布団から出てうずくまっている木乃香に、明日菜は笑いかけた。

 

「おはよ、明日菜」

 

 返事だけして、木乃香は立てた膝に顔を埋める。

 木乃香は人一倍優しい。だからこそ人一倍、他人のことを心配する。それが肉親なら尚のことで、明日菜は木乃香の隣に座り、寄り添うしか出来ない己の無力に内心で毒づいた。

 あくまで客観的な、しかもかなり広義に解釈すればだが、今回の京都大災害は木乃香にも責任の一端はある。誰もそのことは責めないし、明日菜も責めるつもりはないが、もしも事件の真相を知れば、他でもない木乃香自身が己を責めるだろう。

 だが詠春の真実は、残酷ながら木乃香に教えられない魔法という裏の事情にこそ潜む。

 そも、どう説明しろというのか。あなたの魔力によって封印を解かれた鬼が実家を焼いた。守れなくてごめんねとでも言えばいいのか。

 違うだろう。短絡的な己の考えに辟易する。

 

「せや、明日菜、お腹空いたやろ……帰ってきたんやし、何か作らんと……」

 

 不意に木乃香は夢遊病者のように立ち上がると、虚ろな瞳で台所まで歩く。今にも倒れそうなその身体を慌てて支えようとして、そっと木乃香の手に遮られた。

 

「大丈夫やから。ウチ、嬉しいんや。明日菜とネギ君が帰ってきただけで、とっても嬉しいんや」

 

 そう言う木乃香の顔にはいつもの優しい笑顔は浮かんでいなかった。

 安否も知れぬ親の行方、連日報道される被災地の状況。優しいからこそ、現実に耐え切れない。

 

「木乃香……なら、私も手伝い──」

 

「駄目や!」

 

 突如、木乃香は大声をあげた。その声に驚き目を見開く明日菜の表情を見て、木乃香は虚ろな表情のまま慌てた様子で頭を振った。

 

「あ、違……明日菜、明日菜は、帰ってきたばかりやから。座って、待っててぇな」

 

「う、うん」

 

 その迫力に気おされた形で、明日菜は引き下がった。

 木乃香は安堵のため息を漏らすと、まるでいつもの日常がそこにあるとでも言わんばかりに、鼻歌を混じりに、冷蔵庫の中から食材を取り出して調理を始める。

 その姿を見ながら、明日菜は何かを言うことも出来ずに押し黙った。

 いつもの日常の出来損ないが広がっていた。いつものようでありながら、何処までも状況が違いすぎる。

 明日菜はわけもわからず悲しくなった。日常に戻ってきたつもりで、結局自分は日常に戻ることが出来なかったのだから。

 罪があり、それに対する罰がある。

 力がないことが罪ならば、木乃香の今こそその罰か。

 だとしたらあまりにも残酷すぎる。当事者である自分たちではなく、被害者である木乃香にばかり罰が下るというのなら。

 

「私は……私達は……」

 

 その先の言葉が見つからない。今、明日菜に出来るのは、この出来の悪い日常の焼き直しに付き合うことだけだった。

 

 

 

 

 

 ネギはその日、朝日も出たばかりの早朝から図書館島に来ていた。

 その手に握られているのは一通の手紙だ。昨夜、ネギの手元に唐突に現れたその手紙の中身は、ある意味では驚愕すべき内容だった。

 クウネル・サンダース。京都にて突如ネギ達の前に現れて、そのまま救出してくれた謎の男からの招待の手紙だった。

 図書館島地下にてお待ちしております。お一人で来てくださいね。

 そう書かれた内容に違和感はあったものの、現状ネギが出来ることはないので、明日菜には一言告げた状態で来たのであった。なお、カモについては留守番である。

 

「……えっと」

 

 ネギは手紙に記された地図の通りに図書館島を進んでいく。罠の位置も正確に記されているのと、魔法が使用可能ということもあり、以前よりはスムーズに奥に進むことが出来た。

 そうして歩くこと暫く、薄明かりを頼りに歩いていたネギの視界の奥から差し込む光に導かれた先で、開けた場所にようやく出ることができた。

 地下にあるとは思えないほど美しい自然が広がる空間は、日差しの暖かさすら感じられるほどだ。魔法で作られた特異な空間を眺めてから、手紙と場所を照らし合わせて、この場所が待ち合わせのところと合致しているのを確認した。

 だが手紙に書かれているのは、ここに来るまでのみだ。それ以上のことは書いておらず、ネギは周囲を見渡して。

 

「お待たせしました」

 

「わっ!?」

 

 突如、背後から声をかけられてその場で飛び跳ねてしまった。

 慌てた様子で振り返ると、相変わらず胡散臭そうな微笑を浮かべているクウネル・サンダースがそこに立っていた。

 いつの間に現れたのかと思って、京都のときも唐突に現れたことを思い出す。転移魔法の使い方がたくみなのだろう。

 そして少なくとも、青山の恐るべき気を受けて、表面上は平然としていられら人物でもある。

 

「もう怪我は大丈夫ですか?」

 

 ネギが警戒心を露にしているにも関わらず、クウネルは落ち着いた様子で声をかけてきた。そのとっつきやすさに、むしろ余計に警戒心が高まる。

 僅かに、苦笑。「嫌われるようなことしましたかね?」とぼやいた矢先、ネギを見下ろすクウネルの目が細まった。

 

「左目」

 

「え?」

 

「左目は、そのままですか」

 

 クウネルはカラーコンタクトを装着したネギの左目。その内側に宿る漆黒の光を見据えて呟いた。

 少年の瞳は暗黒に飲み込まれている。それは闇の魔法の代償か。あるいは別の何かによる『進化の証』なのか。

 人を遥かに超える時を生きてきたクウネルですら、ネギの瞳の質は見たことがない。まるで貪欲に光を飲み込み、己の糧にするような底なしの穴。

 そこに興味を抱いていないといえば、嘘になるだろう。クウネルは内心を微笑のカーテンで隠す。その内心の読めぬクウネルの態度に、埒が明かないと思ったのか、ネギは手紙を掲げてクウネルを見上げた。

 

「どうして、僕をここに呼んだのですか?」

 

「さぁ、どうしてでしょうか。世間話のため、とかはどうですか?」

 

「それなら、ここに呼ばなくても、外でご一緒に出来ますよ」

 

 ネギはあえて警戒心を解いて柔らかい口調で答えた。何となくだが、クウネルにはそう接したほうがいいという直感が働いたからだ。

 クウネルもネギがまとう空気が変わったのを見たのか、笑みを深くして指を立てる。

 

「実はここはここで美味しい紅茶も飲めるのですよ。そうですね。話の内容は……あなたの今後について、具体的には──強く、なりたくないですか?」

 

 何の突拍子もなくそう問いかけてきたクウネルの言葉に、ネギは目を丸くした。

 強くなりたいという願い。それは今まさにネギの内側に潜んでいるものである。強くなりたい。だが強くなる方法がわからない。暗中模索となっていたネギに、突如として降りてきた一本の蜘蛛の糸。

 

「……でしたら、ご一緒させていただきます」

 

「はい。是非とも」

 

 二人は笑い合うと、クウネルを先頭に歩いていく。

 何故、クウネルがネギにそんな提案をしようという考えに至ったのかはわからない。だがそれでも、振って沸いてきた唐突なチャンスをネギは逃すつもりはなかった。

 今度こそ失わないために。

 今度こそ守れるように。

 そのための力を、強さを得るために、ネギは最初の一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

「あなたは自分が今どれほど強いかを考えたことはありますか?」

 

 マイナスイオンが充満していそうな、大きな滝が地核に見える幻想的な空間。紅茶を注いだカップが置かれたテーブルで、向かい合うように座りあった二人の雑談は、まずクウネルのそんな問いかけから始まった。

 

「僕は、強くないです」

 

 ネギの回答に、クウネルは「違いますよネギ君。どれほど弱いのかではなく、どれほど強いのかを聞いてるのです」と聞き返す。

 弱さではなく、強さを語る。だがネギの中で比較対象になるのは、弱い相手は一般人や明日菜。自分より強いのは刹那に楓、そして抗いようのなかった彼らのこと。

 自分の強さを比べられる相手がいない。いや、一人。犬神小太郎と名乗った少年は比べるには充分な相手のようで──振り返れば、単純な実力では勝てる相手ではなかっただろう。

 

「……んー」

 

 唸るネギを見て、クウネルは微笑みのままカップに口をつけた。いつもながら美味しくいれられたことに満足しながら、悩むネギに声をかける。

 

「今のあなたには比較できる相手がいない。それではどの程度強いのか、どの程度の強さから強いといえるのか、わからないでしょう」

 

 クウネルの言葉はするりとネギの心の中に入り込んできた。確かにネギがこれまで会ってきた者達は、ほとんど総じて今の自分よりも遥かに強靭だ。

 ならどうしようもないというのか。打ちひしがれそうなネギに、クウネルはさらに追い討ちをかける。

 

「強くなりたいという願いは素晴らしい。ですが現実はそんなものです。あなたは弱い。それはあなた自身がこれまで戦いから縁のない世界にいたことと、彼らは幼き頃から戦いに飲まれていたことが最初にして決定的な原因です」

 

 経験値不足。咸卦法と闇の魔法を手に入れたとはいえ、今のネギでは宝の持ち腐れである。それらを扱う技量が圧倒的に足りないのだ。

 言ってしまえば、獣と遜色ない。身体能力の赴くままに戦うだけならば、野生の獣のようでしかないだろう。いや、野性の獣だって己の身体の扱い方を知っていることを考えれば、ネギは獣以下になるか。

 

「……強くなるということは、膨大な経験値が必要です。確かにあなたは掛け値なしの天才です。私の元で少しばかり実戦を経験すれば、すぐにでも才覚を発揮するでしょうが。能力だけ上がっても、その下地が不足すれば、いずれ足元を容易く掬われるでしょう」

 

 そうなれば、また守れない。ネギはクウネルにそう言われたような気がした。

 ネギの表情に陰が射す。クウネルはそれを察して、ネギを安心させるように優しく微笑みかけた。

 

「ですがこれを覆す方法は簡単ですよ?」

 

「本当ですか?」

 

「はい。あなたが経験を積めばいいのです」

 

 あまりにも軽く言われたために、ネギは一瞬何を言われているのかわからなくなり言葉を失った。そして、たちまちネギの内側に苛立ちがこみ上げてくる。

 

「それがすぐに出来ないから問題なのではないのですか?」

 

 経験は一朝一夕で身につけられるものではない。同年代であろう小太郎ですら、充分な実戦を経たことによる経験値は膨大だ。

 そして経験は膨大な時間を必要とする。技術は才能があれば一朝一夕で身につけることは可能であるが、それを生かすための経験はまた別物だ。

 だがクウネルはそれをわかった上で提案する。ネギに足りない経験値。それを補う方法は確かに存在するのだ。

 

「短期間で経験を得られる方法は存在します」

 

 その言葉にネギは驚くが、クウネルは気にせずに続けた。いつの間にか取り出したのか、クウネルは手に持った水晶体をテーブルの上に置いた。

 ネギはその水晶の内側に、小さな建物が入っているのに気付いた。ミニチュアのようなそれは、よく見ると立派な豪邸で、小さなサイズでもその大きさがわかるくらいリアリティーがある。

 

「ですが当然ながら、あなたにはそれなりの代償を払ってもらうことにはなりますが」

 

「代償……」

 

 喉が引きつる。簡単な話ではないのはわかっているが、それでもいざ代償という言葉で言われると、ネギの身体は自然と硬直してしまった。

 

「英雄の息子であるあなたなら、経験を積み、技量を練磨すれば……私の見た目通りなら早くて一年。エヴァンジェリンの闇の魔法を使うのであれば半年でこの世界でも上位の力を得られるでしょう。あなたは少々特殊ですからね」

 

「僕が特殊って……そんなこと」

 

「ありますよ。尤もこれは特別に強いだとかそういうのではないですよ? 本来、経験という下地の上に築き上げられるはずの技量が、あなたの場合、技量の上に経験を築き上げようとしている……これでは順序が逆です」

 

 そしてそこがクウネルがネギを己で鍛え上げようとする最大の理由であることは、本人には言わない。

 天才であるが故か。ネギの開発力とでも言う魔法に対する見識の深さは常軌を逸するものだ。一日どころではない。数時間のうちに咸卦法と闇の魔法を、擬似的にだが体得する。これが異常でなくてなんだというのだろう。

 それがクウネルには不安であった。代償として奪われた左目の光も、不安に拍車をかけている。今のネギはどちらに天秤が傾くのかわからなく、酷く不安定な存在だ。

 あるいは、天秤そのものが崩壊してしまいそうである。最悪の結末を許容するには、クウネルは彼の父親であるナギ・スプリングフィールドに肩入れしすぎていた。

 何も正義の道に進ませようというわけではない。ただ、その器が崩壊するのが許せないという気持ちがある。

 だから、ここで経験という鎧をまとわせてネギを強固にする。

 クウネルは微笑みの下でそう心を決めていた。だからこそ、無償で彼に新たな道を指し示し。

 そっと手を差し伸べて、問いかけるのだ。

 

「ここに切っ掛けがあります」

 

「……」

 

「あなたが強くなれる道の鍵です。それをどう使いかはあなたの自由です」

 

 ネギは差し出された掌を数秒見つめ、そして視線を下に向けた。

 

「どうしてあなたが僕によくしてくれるのかはわかりません。話に出ませんでしたが、あなたは結局、理由を一切話はしなかった……」

 

「理由を話せと?」

 

「そうではないんです」

 

 ネギは膝の上に置いた掌を開いて視線を落とした。頼りない掌、庇護されるべき子どもの手。

 

「そんなあなたにすがらなければならないほど……今の僕に選択肢はない」

 

 弱者だから、無力だから、ネギは京都の夜で平静を保ち続ける強さをもつクウネルに、理由もなく縋ろうとしている。

 盲目というわけではない。怪しさがあろうと、それすらも含めて強くなろうとしているのだ。

 浅ましい考えといわれればそこまでだった。事実、ネギはクウネルの提案に乗ろうとしている己の弱さが情けなかったし、そんな情けない自分から脱却するために強くなるのだ。

 手段を選べない。あるいは手段を選ばない。己はどっちなのだろうか。クウネルの提案を受け入れることは、なりふり構わぬ決断か、わかった上での愚行か。

 どちらにせよ。この提案を理由もなく承諾した時点で、ネギは立派な人間にはなれないだろう。そして、そんな情けないことを吐露して、クウネルから理由を聞き出すという大義名分を得ようとする己の打算的な考えが許せなかった。

 クウネルは心中落ち込んだネギから手を引っ込め、立ち上がるとネギに背を向けた。

 

「……プライドが許さない、という話ではないのでしょうね。理由のない無償の行為が信じられない、ということでもない。だがその考えに至れたことは、誇っていいと思いますよ?」

 

「酷い考え方です」

 

「だが、それが人間です」

 

 ネギは何かに突き動かされるように顔を上げた。すると、応じるようにクウネルは振り返って微笑む。

 

「私が語るのもあれなのでしょうが……立派な人間などこの世には存在しませんよ。というよりも、立派とは何を指して立派なのですか? 素晴らしい聖人になればいいのか。もしくは冒涜的な悪人になればいいのか。ネギ君。あなたの甘いところは、善悪二つの基準に囚われていることです。正義のみを信じるか。悪のみに突き動かされるか。そうなれれば悩みはあれど進めるというのに……どっちつかずは何よりも苦しい」

 

 それも含めて、クウネルはネギに指し示すのだ。

 善であるか。

 悪であるか。

 そうすることで、善悪の垣根に生息する『何か』であることはなくなるはずだ。

 何か。

 つまり、修羅。

 クウネルは青山を知ってしまった。彼本人は自覚をしていないが、それこそがネギを弟子にしようとした最大の要因なのかもしれない。

 

「……そう、ですね」

 

 ネギはクウネルの言わんとすることを何となく察したのか、曖昧に笑った。

 思い出すのは、フェイトと戦ったときに得られたありえぬ確信だ。勝利という事象のみを求め続けたあの時、自分はあらゆる迷いを一切振り払って真っ直ぐだった。酷く歪でありながら、確かに真っ直ぐであったのだ。

 だがそれは善悪という、人間のルールを越えた別種の何かだ。誰しもが己の内側に一本だけ宿している芯。善悪にではなく、そこに囚われることは……異常だ。

 

「それを、教えてくれるのですか?」

 

 ネギも立ち上がってクウネルの隣に立った。善であれ、悪であれとはクウネルは言わない。ただ、経験を積み重ねさせることで、その過程で善であるか悪であるか。その道をネギに示そうというのだ。

 それはネギが当たり前な人間であるために必要な、大切な過程で、同時に、彼の年でその全てを培う必要がないことでもある。

 だがネギは経験を望み。

 クウネルはその経験として善悪両方の道を示すことにした。

 突き詰めれば、ここまでの会話はその程度のことでしかない。

 

「よろしくお願いします。クウネルさん」

 

「こちらこそ。私に任せてくださいね。あなたがあなたであるために……私はあなたの道となりましょう」

 

 今はただ、我武者羅に道を進もう。

 その果てに選択するときが来るまで、ネギは走るしかないのだから。

 

 

 

 

 



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【無貌の仮面━無色斬撃━】

 

 京都の後処理が慌ただしく行われる中、その夜、近右衛門に麻帆良に在住する魔法関係者は呼び出された。

 京都事変でただ一人活躍した者を紹介する。彼らを呼び出した理由はそれだけであり、そしてそれだけで呼び出すに十分に足ることであった。

 学園の象徴とも呼べる世界樹前にある広間。太陽もすっかり隠れて夜になり、人払いの結界によって寂しくなったその場所。僅かにざわつく彼らの中で、葛葉刀子は半ば直感とも呼べるもので愛刀をこの場に持ってきていた。

 

「ピリピリしていますが、何かありましたか葛葉先生」

 

 そんな彼女のことを気にかけて、魔法先生の一人であるガンドルフィーニが声をかけてきた。

 

「……いえ。多分、気にしすぎだとは思うのですが」

 

「何かあったのですか?」

 

 ガンドルフィーニは表情を引き締めて問うが、刀子は心配させまいと身体の緊張を解いて小さく笑った。

 

「もしかしたら、京都の件でナーバスになっているのかもしれません。京都は私の故郷のようなものでもありますから」

 

「あぁ……そういえば葛葉先生はあちらで剣を習っていらっしゃいましたね」

 

 無遠慮で申し訳ないとガンドルフィーニは頭を下げて、刀子は笑みを浮かべたまま「こちらこそご心配かけました」と謝罪を口にした。

 京都の件は神鳴流の剣士であった刀子にとってもショッキングな出来事であった。しかもそれが裏の事情による出来事となれば気にしないほうがおかしいだろう。

 それでも、表面上も内面でも刀子は落ち込みはすれど、その強靭な心で何とか踏み止まることが出来た。今はただ京都の件に尽力しようと、そう決断できるくらいにはなれた。

 だが、この嫌な予感は別のものだ。以前もこんなことがあった。確か昨年度、自分にとって決定的に最悪な何かが訪れたような危機意識が芽生えたが、それは杞憂で終わった。

 

「考えすぎ、か」

 

 刀子は風に溶けるくらい小さく呟いた。

 わざわざ護身のために武器まで持ち出すまでもなかったはずだ。そう結論付けて、とりあえず今は京都に訪れた災いを払った、現代に現れた新たな英雄の登場をお待ちしよう。そんなひねくれた考えをしながら、刀子もまた周囲と雑談をしながら待っていると、まず近右衛門がタカミチを連れたって現れた。

 雑談が終わり静寂が戻る。近右衛門は周囲を見渡すと、まず軽く挨拶してから、普段とは違って真面目な雰囲気をまとって話し出した。

 

「まずは京都の件。ここでの業務をしながら尽力してくれたこと、誇りに思う。ワシも君達のような立派な魔法使いが居ることを誇りに思う」

 

 近右衛門は、義理とはいえ息子を失ったも同然であるというのに、悲しみなどおくびにも出さなかった。強い口調で全員を見渡し、京都の惨状。そしてこれから行うべきことへの心構えを語り、彼らはそれを静聴する。

 

「じゃがこの件。突き詰めればワシや一部の上層部の怠慢が起こした結果じゃ。何の危機意識もなく、刹那君とネギ先生、瀬流彦先生に委ねたワシの怠慢。内部で暴走を起こした西の怠慢。その怠慢に君達を巻き込んだことも、あわせて謝罪させてほしい」

 

 すまなかった。そう言って近右衛門とタカミチは頭を下げた。

 だがそれを責めることが誰に出来るだろうか。言葉もなく彼らは謝罪を見続け、我慢ならなくなったのか、ガンドルフィーニが「止めましょう学園長。それを言うなら私達全員に非がある」そう言って頭を上げさせた。

 京都の事件は、魔法という隠され続けているものが引き起こした災いだ。結局、それを公表せずに今も隠し通すことを選択している時点で、彼らもまた同罪と言えた。

 

「いや、正確には私達大人の責任ですね」

 

 ガンドルフィーニは今だ学生の身分である少女達を思って、そう訂正した。生徒の一人である高音・D・グッドマンが何かを言おうとして、刀子が首を横に振って発言を抑える。

 悔しそうに高音は俯いた。魔法が使えようが、彼女達子どもに非はない。責任を取るのが大人ならば、少女が罪悪感を覚えるようなことはさせたくなかった。

 

「……さて、話は変わるが、京都では確かに災害が訪れた。軽く話を聞いたのじゃが、封印されていた鬼神が解放されて、術者とともに京都を焼いたそうじゃ……被害は甚大じゃったが、それでもその事件に一人で立ち向かった者が居る」

 

 重くなっていた空気が一瞬でざわめき声に包まれる。呼び出された理由で知ってはいたが、それでもやはり一人であの災害を防ぐために動いた者が居るという事実は、彼らにとって驚くべきことだった。

 近右衛門は軽く咳払いをして静かにさせた。

 

「S級の凶悪な鬼神、リョウメンスクナ。そして……調べによってわかったことじゃが、あの事件には、高畑君が以前から追っていたとある組織の一員にして、S級の人間。フェイトアーウェルンクスが関わっていたことが判明した」

 

 再びざわめきが起こる。S級といえば、世界に一握りしかいないような戦力の保有者にしかもたらされないものだ。高畑ですらS級未満といえば、その凄さはわかるというものである。

 そんな者が二人もいた。そして、S級二人を相手取ったのがたった一人だというのは、信じられないような事実だ。

 だがそのどよめきもすぐに終わる。まずは話を、そう考えた彼らを見据えてから、近右衛門はそっと振り返った。

 

「では紹介しよう。此度の事件でたった一人で戦ったのが彼じゃ」

 

 先ほどとは違って、どよめきは起こらなかった。

 代わりに、小さな悲鳴が一つ。むしろそのことのほうが彼らを驚かせるものだった。

 そして、それはゆっくりと闇から現れる。

 麻帆良の清掃員の服を着た、何処にでも居そうな青年がゆっくりとした足取りで歩いてきた。服で隠されているが、覗いている肌には包帯が巻かれており、彼が何か恐ろしいことに巻き込まれたのを如実に語っていた。

 

「初めまして」

 

 近右衛門の隣に青年は立つと、深く深く、その頭を下げた。こちらが申し訳なくなりそうなくらいに頭を下げた青年は顔を上げてじっと魔法関係者である彼らの顔を見渡した。

 素朴な青年だ。表情は欠落しているといえるくらい乏しいが、物腰は穏やかで、どうしてもS級を二人も制したような男には見えなかった。

 だが瞳だけは違った。純朴な見た目とは裏腹に、光を飲み込んで反射すらしない二つの眼だけは、心胆が冷えるくらいの凄みがある。

 しかし悲鳴をあげるほどのものには感じられなかった。彼ら全員、青年の全身を観察した上で、身体をがくがくと震わせる刀子に視線を移した。

 そう、悲鳴をあげたのは刀子だ。いつもの冷静で落ち着いた姿とはかけ離れたその姿は、別人にすら思えるほどだった。

 だが刀子は己の醜態が見られているのにも気付かずに、視線を青年から動かすことが出来ずに混乱した思考をさらに混乱させていく。

 

「ど、どうして……」

 

「お久しぶりです。葛葉さん」

 

「ひっ」

 

 刀子は名前を呼ばれただけで一歩後ろに下がってしまった。

 決定的な意識の差があった。刀子とその他にある意識の違い。その原因は、目の前の青年を知っているか、否か。

 刀子は、青年を知っている。青年が恐るべき頃だったときを知っている。

 

「何で、あなたが……」

 

 知っている。どころではなかった。

 刀子にとって──神鳴流にとって、その青年は悪夢の総称であった。

 一時期、神鳴流が必至にその存在を隠蔽しようとした時がある。その当時、刀子は丁度退魔の道に入り込んだ頃であり、だから、アレがどういった存在なのか、若輩であったからこそトラウマのように身体に染み付いている。

 

 ──あの日、道場で鍛錬をしていた門下生の前に現れた。

 

 心臓が早鐘を打つ。冷や汗は浮かび、歯は噛み合わず音を鳴らし、だというのに体温はどんどん低くなり、顔は青ざめた。

 

 ──血塗れの鶴子をもって。

 

 どうして、なんで、ありえない。ぐるぐると回り続ける思考。いつの間にか目頭が熱くなった。いやいやと顔を振り、一歩、また一歩、束縛されたように重くなった足を必至に動かして後ろに下がり。

 

 ──お前は、笑っていた。

 

「あ、青山……」

 

 恐るべきは青山の名前。宗家でありながら宗家を潰したおぞましき災厄よ。

 

「はい。初めまして皆様。青山と申します」

 

 そして修羅は、正義の前に姿を晒した。

 

 

 

 

 

「簡潔に述べると、ネギ君にはこれ以上魔法関連で教えることはありません」

 

 クウネルはそう言って、何処からか取り出した黒板にチョークでネギの似顔絵を描いた。その下に咸卦法と闇の魔法と書く。

 

「未熟なものとは言え、あなたが習得したこの二つは、どちらも一つ修めればそれだけでどんな環境にも対応できるような、そんな代物です。まぁ正確には闇の魔法は既存の魔法を流用するので、全く魔法を教えないというわけではないのですが……基本的に、あなたには新たな魔法は必要ないです」

 

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

 

「簡単です。この二つを実戦レベルにまで鍛え上げればいいのですよ」

 

 クウネルはさらっと言ってのけたが、咸卦法と闇の魔法の二つを同時に極めるなど、普通の術者ならどちらか片方を扱うことすら困難である。

 しかしネギには肉体の欠損を代償に、充分な下地が完成した。我流であることを踏まえれば、クウネルの指導によって、一ヶ月もすれば実戦レベルに鍛えることは容易だろう。

 

「故に、私があなたに集中して教えるのは、魔法使いとしての戦い方です。あなたは頭で考えるタイプだ。至近距離よりも、膨大な魔力を生かした火力押しがいいでしょう。そのために必要なのは──」

 

 クウネルは右手を軽く開いて滝に向ける。直後、膨大な重力が滝に圧し掛かり、水が四方八方に吹き飛んだ。

 呆然とそれを見るネギにクウネルは微笑みかける。

 

「とまぁこれはあくまで例の一つですが、このように無詠唱による魔法の行使、最低ラインは中級程度は使いこなしてもらいます」

 

「で、でも僕、魔法の射手すら詠唱無しで撃つことも出来ませんよ!?」

 

 さらに言えば、杖なしで魔法を使うことすら出来ない。無詠唱魔法とは、それだけで高度な技量が要求される代物だ。使えれば一流の魔法使いとして認められるほどのものであり。

 

「あなたは無詠唱呪文を上回る技を二つも修めたのですよ?」

 

 無理ですよと語るネギに、クウネルはやや呆れた様子で応えた。

 だがネギが言いたいことはクウネルにもわかる。だがそれを埋めるための魔法こそが闇の魔法であり、火力を水増しする咸卦法だ。

 

「最低でも二つの属性。出来れば基本の四大属性を使用した闇の魔法で、中級以下の魔法詠唱をノータイムで行う特訓を行いましょう。本来なら初めから行うにはありえない修行方法ですが、幸いネギ君の闇の魔法は、本家とは少々毛並みが違いますからね。上手く折り合いをつけて行うことにしましょう。では、続いて修行する場所についてですが……」

 

 水晶体を取り出して、差し出す。魔法具であるのはわかるが、それが一体なんなのかわからないネギに対して、クウネルはやはり意味深な微笑を浮かべるだけであった。

 

 

 

 

 

 神鳴流は東洋では一流の名門だ。遥か昔は、術符を使って行っていた退魔を、長大な野太刀と気を駆使した、魔族に匹敵する圧倒的な身体能力をもって、真正面から行う。化け物を滅ぼすために、化け物如き能力を得るに至った最強の戦闘集団だ。

 だからこそ、彼らは己を律する精神修行を、肉体の鍛錬以上に行うことになっている。化け物に抗うために化け物を超える力を得る。それはつまり己が化け物となると同じだ。

 そんな己の力に溺れないように、人間の守護者として、心を高潔に保つ必要がある。それでも一部の剣士は、力に酔った外道に陥ることもあったが、そんな外道を正すのもまた同じ剣士。

 その中で特に高潔で、他の神鳴流の剣士を超える者達こそ、神鳴流が宗家。

 名を、青山。

 特に当代の青山の者は、歴史上でも極上の才覚をもつ者が幾人も生まれ、サムライマスターとして名を馳せた旧姓、青山詠春を筆頭に、神鳴流ここにありと知らしめた。

 世界を巻き込んだ大戦を生き抜いたサムライマスターである青山詠春。

 歴代最強と謳われた最強の女剣客、青山鶴子。

 そんな姉に、己を超える才覚をもつと言わしめた現神鳴流の後継者、青山素子。

 彼ら三人の武勇は、極東に居る裏に関わる者であれば、知らぬ者が居ないと言われるほど有名だ。そしてその武勇は誇張でもなんでもなく、個人の実力で軍隊を相手取ることが可能なレベルとさえ言われている。

 宗家の名に相応しく、神鳴流が誇り、常に胸を張って素晴らしいと語る彼ら青山は、神鳴流であれば誰もが頭を垂れてひれ伏すほどである。

 青山様。

 史上最強の宗家、青山様。

 誇るべき、素晴らしき青山の名よ。神鳴流の誇りであるその名前。

 だが、その名前は勇名とは正反対の侮蔑の総称でもあった。

 当時の神鳴流、ひいては関西呪術協会がその存在を完全に抹消してみせた禁じられた名。

 それも、青山。

 恐るべき、青山よ。

 齢十を超えた頃から、突如として頭角を現したその少年。当時、歴代最強だった鶴子を斬り、周囲が苦言も言えぬ状況を作り上げた少年は、北に出向けば術者を斬り、南に向かえば鬼を斬り、山を登れば山を割り、海に出向けばそれすら斬った。

 神鳴流がもつ化け物性を存分に発揮して、依頼を受けて出向く先々で、恐怖を撒き散らした。

 結果、少年は周囲の意見を聞き入れた鶴子の一声で修行という名目での軟禁生活の果て、神鳴流を破門となる。

 この間、僅か数年の出来事。

 たったそれだけの期間で、隠蔽をせねば神鳴流の名を地に落とす働きをしたその男。

 

 そんな男が、かつての少年だったころの面影を残した瞳で、葛葉刀子の目の前に現れたのだった。

 

「う、ぁ、ぁ……」

 

 刀子は青山が一歩踏み出したところで、立っていられなくなりその場に崩れ落ちた。だが意識を手放すことも出来ず、涙目で体を震わす姿は、周囲の混乱を招くと同時に、青山が刀子をそこまで恐慌させるほどの何かであるという意識を植え付けた。

 魔法先生達が警戒心を露にしながら刀子を庇うように青山の前に立ちふさがる。

 その光景を見て近右衛門とタカミチが何かを言おうと前に出て、それを遮る形で青山が割って入った。

 そして、その場で膝を折ると、佇まいを直して、両手をついて頭を地面にこすり付けた。

 

「驚かせてしまい、申し訳ありません……俺が葛葉さんに、いや、神鳴流に与えた恐怖を考えれば、この反応は当然でありました。それを考えずに、姿を晒したこと、ただ謝罪するほかありません」

 

 これに動揺を隠せないのは魔法先生達だ。いきなり目の前で土下座をされてしまえば、正義を志す彼らは止まらざるをえない。

 だがそんな同様をかき消すように、刃が引き抜かれる鞘の響きが場を満たした。

 

「青山……! あなたが……あなたが! 鶴子様を!」

 

「葛葉先生!?」

 

 血走った目で青山を睨みながら刀を向ける刀子を、ガンドルフィーニが信じられないといった様子で見た。

 周りも、今度は青山ではなく刀子に向き直る。二人の間に何かがあったのは事実だろうが、だからといって丸腰の相手に武器を向けるということがどれ程危険なことなのかわからないわけではない。

 

「葛葉さん」

 

「私の名前を呼ぶな青山……! だから……! ひっ、来ないで!」

 

 青山はゆっくりと立ち上がると、教師の間をすり抜けて刀子に歩み寄った。

 たったそれだけで、誰もが認める達人の一人である刀子が、悪漢を前にした乙女の如く、身体を震わせ、泣きそうな表情で、動くこともままならず青山が来るのを拒む。

 青山の漆黒の眼が、悲しげに細くなった。一歩、一歩。怖がらせないようにと注意を払いながら、周囲の緊張が高まる中、刀子の斬撃が届く場に入り込む。

 今の刀子では何をしでかすかわからない。それこそその場で青山に斬りかかることも考えられたたが、既に距離が狭まった今、下手な手出しは出来ずに傍観しか出来なかった。

 

「俺は……愚かでした」

 

 不意に青山が自嘲するように語りだす。己の内側にある黒い靄を吐き出すかのように、無表情であるその顔には、己への嫌悪の影がうっすらと浮かんでいた。

 

「鶴子姉さんを斬ったとき、確かに見えた道を、愚直に突き進みました。そのせいで周囲がどんな迷惑を被るのかも気にせずに……ただ、進んでいきました」

 

 だがそんな自分を後悔しているのだ。陽だまりの心地よさは、眠たくなるくらいに気持ちよくて、いつまでもそこに居たいと思えるその場所を知らずに自分は生きていた。

 それが、どれ程つまらないのかということも知らずに、ひたすら走ってきた。

 

「俺は取り返しのつかないことをして……そして、その本質はまだ少ししか変わっていないけれど、だけど俺は少しずつ、少しずつ暖かい場所を知って、暖かくなれていると思うのです」

 

 青山は一歩踏み出した。突きつけられた刃が胸元に当たる。切っ先は服を裂き、その奥の肌を浅く突いた。

 肌が裂けて、針を刺すような痛みとともに血が溢れる。だが構わずに、青山は刀子の刀に片手を這わせると、その刀身を労わるように包み込んだ。

 

「京都で知りました。詠春兄さんが俺をどれだけ心配していたのか。そして鶴子姉さんが俺のために苦心したことも……」

 

 【素子については語る必要がない。アレは、当たり前に斬る程度でしかないから、誰もが「そんなこと言わなくてもわかっているよ」と言いそうな事実を語るのは野暮というものだ。青山は当然のように、素子をいずれ再び斬ることに決めていた。だから、彼女については語らない。】

 

 素晴らしきは家族の愛情だ。青山はそう思えるようになっていた。そしてその愛情がこの場所を与えてくれた。

 

「奇跡のような偶然が、愚鈍であった俺を正道に戻してくれました。だが、俺はそんな彼らの期待に今だ応えることが出来ていない……あの日、京都で、俺は守れるはずだった人々の笑顔を守ることが出来なかった。全ては俺の慢心が招いた結果で、その果てに、兄さんも殺してしまった」

 

 青山はまるで力の入っていない刀をどけようとして、最後の一言に反応した刀子は慌てて柄を握る手に力を込めて、切っ先をさらに推し進めた。

 肉を浅く裂かれる。鮮血が衣服を濡らし、青山の背中しか見ていない魔法先生達も、その異常には感づいた。

 だが青山気配だけで彼らを押しとどめて刀子を見る。

 

「鶴子様だけでは飽き足らず……詠春様もあなたは!」

 

「そう、俺が殺した。俺は兄さんを殺したんだ……」

 

 青山は無表情の仮面の下でそんな自分をあざ笑った。

 家族殺しの大悪党。生きている価値すらも見つからない外道な自分。

 【繰り返すが、斬ることは当たり前なことなので、問題なのは殺したこと。つまり自分が詠春を斬った事実は生きる過程で当然の帰結だったので、これは語る必要はないだろう。】

 

「けれど、兄さんが生きた事実は、俺の中に残っている……間違いだらけの俺だけど、そんな俺を見捨てなかった姉さんや兄さんのために、俺はここに居るのです。ここで、陽だまりを守りたいのです」

 

 誰もが青山が詠春を殺したと勘違いするところだった。きっと、彼は詠春を目の前で死なせてしまったのだろう。

 だがそれをどうして責めることが出来るだろうか。きっと苦悩したはずだ。そして彼の言葉は、守りきれなかったことを、肉親を手の届く場所で死なせたことに苦しみながらも、それでも前に進もうという高潔な意志の表れだった。

 近右衛門とタカミチが、青山の宣誓を聞いて後ろでそっと微笑んだ。真っ直ぐな正義のあり方を語る彼の言葉は、表情が変わらない彼だからこそ真摯に響く。

 周りもその言葉の強さに聞きほれていた。何でもないような、雑多に紛れて気付きそうにもない青年の言葉に込められた正義の心。

 

「だから俺にチャンスをください葛葉さん。俺はこの通り、過去に過ちを犯し、そして根暗で言葉数も少ない男で、行動でしか己を示すことが出来ません」

 

 そんな俺を見ていてください。青山は底なしの瞳で、涙で光る刀子の目を見つめた。

 

「わた、私、は……」

 

 刀子は思考がまとまらずに、言葉を上手く口にすることが出来なかった。

 彼女にとっての青山は、彼女がこうなりたくないという外道の総称だった。肉親にすら手をかける悪鬼羅刹。まさに修羅と呼べるあり様。だからこそ、彼女はこれまで、青山という恐怖を知るからこそ、あらゆる魔族にも立ち向かえた。

 それは裏を返せば、青山を心の支えにしているということでもあった。トラウマになるほどの恐怖の対象。一方でアレを超える恐怖がないからこそ心の芯になった存在。

 そんな男が、自分に頭を垂れて、切っ先で肉を裂かれながらも、自分を見て欲しいと訴えかけている。

 青山が何をしたいのかわからなかった。

 そして、自分が何をしたいのかもわからなかった。

 青山は優しく刀身に力を込めていく。何故か一瞬、刀が悲鳴のような刃鳴りを響かせたような気がしたが、刀子はそんなことを気にする余裕もなく、とうとう刀を下ろした。

 

「……私は、あなたを許すことは出来ない。いえ、当時を知る神鳴流のほとんどは、あなたを許しはしないでしょう」

 

「はい……」

 

「少しでも危険だと判断したら、私の命に代えてもあなたを倒す」

 

「是非、そうしてください」

 

 青山が頭を下げると、刀子は「気分が優れないので、先に失礼します」と告げてその場を後にする。

 微妙な空気が流れた。あまりにも突然の出来事に、これをどう処理すればいいのかわからずに、痛い沈黙が肌に突き刺さる。

 

「……こんな俺です。水に流すことも出来ぬ大罪を犯した俺ですが、それでも誰かの支えに少しでもなれば、それ以上に嬉しいことはありません」

 

 そんな空気をものともせずに、青山は強い決意を乗せてそう宣誓した。迷いのない言葉は、その場に居た全員に伝わる。

 確かに過ちはあったのだろう。それも刀子が怯えるほどの危険なことが。

 しかし青山はそんな自分を悔やみ、そして人々のためにその刃を振るったのだ。結果は、被害を出すことになったが、たった一人であの地獄を防ぐために彼が尽力したのは事実。

 ならば、光をともに志すのであれば、手を取り合うことが出来るのではないか。

 

「ガンドルフィーニだ。よろしく、青山君」

 

 そう最初に青山に手を差し伸べたのは、ガンドルフィーニだった。緊張を滲ませているが、まずは一歩、自ら歩み寄るその素晴らしきあり方。

 青山は表情を変えられない代わりに、深く頭を下げてその手をとった。割れ物を扱うように手を握るその掌は、包帯で包まれた痛々しい状態だ。

 ぼろぼろになり、傷つきながら人を守る。青山が身体に刻んだ正義の証に応えるように、ガンドルフィーニは手を握り返した。

 それを切っ掛けに一人ひとりの自己紹介が始まる。いつの間にか人の輪の中心になった青山は、そのことに戸惑いつつも、小さく頬を緩めながら一つ一つ丁寧に応じた。

 

「学園長」

 

「うむ。鶴子ちゃんの目は曇っていなかったようじゃの」

 

 そのほほえましい様子を見守りつつ、二人はゆっくりと変わりつつある青山の成長を喜ぶ。

 人は、変わることが出来る。少しずつでも、誰かと関わることで人はよくも悪くも変わっていって、そしてここに居れば、青山は間違えることなく進むことが出来るだろう。

 劇的な変化は必要ない。急激な変化はその人の芯を折ることにもなるから。

 だから一歩。まずは一歩。

 

「盲目だよ、貴様らは。だから正義は美しい」

 

 その様子を遠くから眺めていた吸血鬼が、見た目からは考えられないくらい低い声色で小さく笑った。

 

 

 

 

 

 その夜。蟋蟀の鳴き声を聞いて目を覚ました。とても涼やかな音色だった。ともすれば心の芯まで凍りつくような音色は、耳元で、小さく、小さく、だがはっきりと響き渡り、臍の奥まで伝わった。

 

「……?」

 

 刀子は寝ぼけ眼で周囲を見渡すが、そこには当然何もない。夜も更けたこの時間帯、虫すらも眠りにつくくらいだ。

 だから、音なんてそれこそ、布団を滑る己の身体が奏でる衣擦れくらいなものである。

 きっと気のせいだろう。刀子はすぐに瞼を閉じた。今夜はとても怖いことがあったから、だからそれすらも夢にしてしまいたくて、本能が睡眠を強制する。

 そして静かに眠り、その翌日、刀子は表面上は冷静を保ったまま仕事を行い、再び夜、布団に包まり眠りについた。

 数時間か、あるいは数分か。沈んだ意識が鈴の音色に引き起こされた。意識を引きずりあげるものでありながら、それは母親が子を揺すり起こすかのごとく優しい寝覚めだった。

 

「……何なの」

 

 だが同時に恐怖を感じた。気持ちよく目覚めながら、身体は芯まで冷たくなっている。

 例えるなら、身体が刀になったかのような──

 一瞬沸いてきた思いを絶ち斬るかのごとく、今度は寝ぼけでは説明がつかないくらいにはっきりと張り詰めた音色が刀子の鼓膜を振るわせた。

 

「え?」

 

 その音の発生源を、鍛え抜かれた刀子の聴覚は今度こそ見逃さず、それゆえに困惑した。

 鳴っているのは、刀子の愛刀だった。恐る恐る近づけば、刀子の気配に呼応するように、鞘の中で野太刀は凛と存在を主張する。

 凛と鳴いていた。

 鳴いているのか、あるいは泣いているのか。

 だがその音色を聞いている刀子は、己の中で、何か得体の知れないものが蠢くような気がした。

 

「や、やめなさい……」

 

 刀子は半ば本能的に野太刀を胸に抱いて、その音色を沈めた。直後、震える刀身の波紋が彼女の身体の内側まで響き渡る。脳天から爪先まで、波立つ水面の波紋が脳裏によぎった。

 野太刀の鳴き声は、刀子という純白の風景に投じられた無骨な足跡でもある。立派な心を持つ女の魂を踏みにじる冒涜的な歌声だった。

 

「う、うぁ……」

 

 刀子は思わずうめき声をあげてそのまま野太刀を抱いて倒れた。脳味噌を素手でかき混ぜられたような不快感に耐え切れず、そのまま意識を失う。

 その翌日、目が覚めた刀子は、どうして自分が野太刀を抱いて眠っているのか思い出せずに首を捻った。もしかしたら青山に会ったせいで、無意識に警戒したのかもしれない。そう思うと、少女のように青山という悪漢を恐れる己の弱さが恥ずかしくて、誰に見られたわけでもないのに刀子は赤面した。

 その日はどうしてか身体が軽かった。まるで余分な何かが削げ落ちたような気分で、いつもよりも表情が柔らかいですねと学生に言われて、満更でもない気分になった。

 夜。今朝の変な寝相以外は素晴らしい一日だったと、一人酒を軽く楽しみながら、現在付き合っている男性に明後日のデート楽しみだね、などと思春期の少女のようなメールを送ったりしたりしてから、就寝することにした。

 そして、丑三つ時。三日続けて鳴り響いた音色を聞いて起きた刀子は、先日どうして自分が野太刀を抱いて寝たのかも思い出した。

 

「ど、どうして……」

 

 途端に、頭の中を無数の蟻が這い回っているような不快感が思考を愚鈍にさせる。凛と響く音色は、昨日よりもさらに頻度が増していた。まるで刀が苦痛を訴えているようだと刀子は感じた。どうしてか、そうだと思ったのだった。

 幽鬼のようにおぼつか無い足取りで野太刀に近づいた刀子は、柄に触ろうとして、逡巡する。

 先日は触った瞬間に意識を失った。もしかしたら今日も、触ったりしたら意識を失うのではないか。だが頭の中身はぐちゃぐちゃで、意識が暗転するのがわかっていても刀を触るしかないと脅迫概念に襲われる。

 何故ここまで己の愛刀に触りたくなるのかわからなかった。同時に、今すぐ逃げ出さなければならないという確信も脳裏に浮かんだ。

 触りたい。

 逃げたい。

 掴みたい。

 逃げろ。

 引き抜きたい。

 止めろ。

 

 斬れ。

 

「あぁぁぁ……!」

 

 刀子は恐慌しながら野太刀から飛びのいて尻餅をついた。途端に意識ははっきりして、体中に感覚が戻り、汗が噴出した。

 一瞬、脳裏に浮かんだ考えに絶望してしまう。

 斬れと。

 斬れという刀の声を聞いた。

 そしてそれと同じく、己を案じた刀が逃げろと悲鳴をあげた。

 ようやく納得する。

 あの鳴き声は、刻一刻とその身を蹂躙されている刀の断末魔だったのだ。同時に、そんな己から主を離そうとする、必至の呼びかけだった。

 

「何で、何で……!」

 

 刀子は耳を塞いで蹲った。しかし音色は塞いだ程度では聞こえなくなったりはしない。耳ではなく魂が歌声を聞いていた。透明な斬撃の音色が、光り輝く魔を断つ剣に悲鳴をあげさせている。

 悲鳴と美声の二重奏。気が狂いそうな音色だった。美しいのに汚い。穢れきっているのに透明。

 凛とした吐瀉物。

 その表現が正しいと、恐怖に染まった思考でどうでもいいことに納得。

 それどころではない。

 

「駄目、駄目……!」

 

 刀子は自分がおかしくなっていることにようやく気付いた。身体が軽いのは、身体が軽くなったのではなく、心が軽くなったから。ではどうして心が軽くなったのか。それはきっと、今も漠然と断末魔を是とする心の堤防。倫理観とか道徳とか、そういった人間的な枷が失われていっているから。

 そのとき思い出したのは、あの夜。青山が何気なく己の刀を触ったときに聞こえた悲鳴の如き歌声。

 

「うぅ、そんな……そんな……!」

 

 刀子は原因に気付いたものの、全ては遅すぎた。せめてこのことを誰かに伝えなければならない。青山という男の本質を刀だけは理解した。同じ性質だから、似ているから今こうして侵蝕されている。

 青山は斬撃だ。垣根なしに全てを斬るあの男が、正道を知るなんてことはありえないと、わかっていながら自分はあの時、恐怖から告げることなく逃げ出した。

 でもせめて伝えないと。口から泡を出しながら、加速度的に狂ってくる己の肉体を強引に突き動かして刀子は机に這いずっていく。視界はいっそう狭まり、今を逃せばもう二度と『自分には戻れない』という絶望感と戦いながら。

 

「誰、か……お願、い」

 

 刀子は朦朧としてきた思考で神に祈った。自分はもう駄目だと悟ったから、託せることを祈った。

 彼女が刀もろとも青山の影響を受けているのは、単純明快。刀子の心の奥深くに、かき消せぬ青山への畏怖があったからだ。

 だから狂う。結局のところ、刀子は青山に随分と昔から心の芯を奪われていたから。

 それでも刀子は最後の気力を振り絞った。誰でもいい。私の代わりに青山を。

 そして、今ここで終わってしまう私を──

 

「私を……殺して」

 

 その言葉を最後に、刀子は悲鳴をあげることもできず気絶した。

 

「……ん?」

 

 翌日、体中から重みが取れたような清々しい寝覚めをした刀子は、右手の質量に違和感を覚えて、手を掲げる。

 そこには引き抜かれた愛刀が握られていた。

 そんなものか。刀を握ったまま寝るはまぁ当然だしあれだ。でもちゃんと布団には入らないと。刀子はそんなことを思いながら鞘に仕舞うと、身支度と朝食の準備を始めようとして、机の上に置かれた一枚の紙に気付く。

 紙には乱暴に書きなぐられた単語が残されていた。

 

 『あお き る   たす   け  』

 

「……ストレスたまってるのかなぁ」

 

 刀子は己の寝ぼけた行動に赤面しながら、その紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

 

 その日、刀子は凛という歌声を聴きながらぐっすりと眠った。

 まるで子守唄のようだなぁと思いつつ、断末魔に包まれて瞼を閉じる。

 とても綺麗な歌声で、いつまでも聞きたいと願いながら、僅かに脳裏によぎった疑問も、歌声にかき消されどんどん小さくなっていき。

 

 そして刀子は、考えることを止めた。

 

 

 

 

 




コール・オブ・アオヤマみたいなもん


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【無貌の仮面━鈴の音、凛と━】

 

 ネギがクウネルの元で修行を始めてから、既に二週間もの月日が流れていた。時間に換算すると、一ヶ月以上はクウネルに教わっているのだが、その原理は魔法具による恩恵のおかげだった。

 現在彼らが居るのは、水晶体の中にあった建物だ。エヴァンジェリンが保有する別荘と同じく、水晶体の内部では、外の一時間が一日になるような仕組みとなっている。ネギはその中で毎日のように外では二時間、つまり二日間クウネルとの修行に当てていた。

 

「さて、それではまずは咸卦から」

 

「はい!」

 

 言われるがまま、ネギは身体の内側に気を練り上げ、重ねるように魔力を外側から混ぜ合わせた。

 すると眩い光と共に膨大なエネルギーがネギの身体からあふれ出す。一流の魔法使いすらかすむほどの膨大なエネルギーを、ネギは既に自在に扱えるまで成長していた。

 だがクウネルとネギが求めるのはその先。クウネルは真剣な表情で「続いて術式固定」と告げて、ネギは応じた。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。風精召喚。戦の乙女100柱!」

 

 渦巻く魔法を右手の上に纏め上げる。フェイトのときと比べてネギの身体への負担は少なく、咸卦法の出力があれば充分に耐え切れるほど。

 

「術式固定! 掌握!」

 

 そして躊躇いなく纏め上げた風の精霊を握りつぶした。直後、召喚した精霊が体内で練り上げられ、ネギの周囲に風が巻き起こる。

 術式兵装『風精影装』。それも以前とは違って、デコイを一分以上展開できるほぼ完全状態だ。

 

「素晴らしい。これに関してはもう問題なく扱えるようになりましたね」

 

 では始めましょう。クウネルがそういうや否や、ネギは本能のままにその場から飛びのいた。

 遅れてネギが先ほどまで居た場所がクレーター状に押しつぶされる。詠唱もなしに放たれた重力魔法。押しつぶされれば風のデコイがまとめて消されるそれをわざわざ受ける意味はない。ネギは術式の恩恵で杖もなく空を飛びながら、最初の立ち位置から一歩も動かないクウネルに杖を向けた。

 

「術式排出! 戦の乙女10柱!」

 

 体内で練られた風の精霊が通常の魔法となって四方を取り囲みつつクウネルに襲い掛かる。だがクウネルは精霊の突撃を前に動くこともせず、両手を軽く掲げてそれら一切を重力の球で押しつぶした。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 雷の精霊100柱! 魔法の射手! 連弾・雷の100矢!」

 

 それも許容範囲内だったネギは、その僅かな隙を狙って怒涛の如き雷鳴の連弾を上空から解き放った。

 中位精霊と同化している今のネギは、ある程度の魔法なら精霊に負担させることで、魔力の消耗を抑えて放つことが出来る。絨毯爆撃のような連弾も、今ならば詠唱込みで余裕を持って放てるほどだ。

 

「不合格」

 

 だがネギの魔法に晒されているはずのクウネルは、詠唱の間にネギの後ろに回りこんでいた。咄嗟に振り返って迎撃を行おうとするが、クウネルの動きは早い。背中に圧し掛かる重圧。重力に囚われたネギはなすがままに地面へと激突した。

 

「くっ……!」

 

 だがデコイで受けきったことでダメージはない。急いで立ち上がるネギだが、手をついた時点でクウネルは彼の前に立っていた。

 

「おしまいです。今のあなたではここから離脱する方法がないですからね。尤も、短距離転移を無詠唱で扱えるようになれば大丈夫なのですが」

 

 クウネルの助言に苦笑しつつネギは立ち上がって、術式を全て解除した。

 これで何敗目になるだろうか。数えるのも億劫なほどネギは敗北したが、とりあえずこの一ヶ月でようやくクウネル本人と軽くでは戦えるほどにはなった。

 

「もしかしたらいけるかなとか思いましたけど、やはり駄目でしたね」

 

「いえいえ、私自身驚くペースで上達していますよ。ですが最終目標は近距離のスペシャリスト相手に遠距離戦を演じれるようになることですから。私のような遠距離専門に近距離でも圧倒されるようでは、やはりまだまだ……ここはタカミチ君を再生して、中距離から鍛えなおすことにしますか」

 

 そう言ってクウネル・サンダース。本名、アルビレオ・イマは仮契約カードを取り出して、アーティファクトを召喚した。

 現れたのは無数の日記帳だ。それがクウネルを取り巻くように螺旋状に並んで浮かんでいる。

 アーティファクト『イノチノシヘン』。特定の人物の身体能力や外見を一定時間だけ自身の身体を使って再現するこのアーティファクトこそ、クウネルがネギに与える最大の経験値だ。

 様々な能力を持つ相手と時間制限はあるが戦えるこのアーティファクトは、本来、戦闘での用途は薄いものの、戦闘経験値が少ないネギを鍛えるには充分以上の効果を発揮した。近距離、中距離、遠距離。クウネルがこれまで採集してきた猛者の能力がそのまま再現されるのは、一人をいつまでも相手にする以上に効率的だ。

 そのおかげで、クウネルが操作するために、本人よりは劣化するとはいえ、咸卦法を使用しないタカミチと戦えるほどにはなっていた。

 

 そしてみっちりと様々な相手と戦った後は、魔法の講義および、クウネルが集めた人々の経歴を辿る勉強会となる。タカミチなどの英雄から、世間では大悪党と呼ばれた者達まで、プライベートを侵害しない程度にイノチノシヘンから抜粋された彼ら、彼女らの足跡を、クウネルの解説を交えつつ蓄えたことで、これまで一方向しか見なかったネギは様々な価値観を持つことになった。

 中には参考にすべき素晴らしい考え方もあり、また唾棄すべき邪悪もあった。一方、素晴らしい考えの持ち主が行う邪悪を嫌悪したり、唾棄すべき邪悪がそこに至るにあった凄惨な状況にある日の自分を重ねて共感もした。

 魔法や戦いの実技以上に、人を知ることはネギの経験となった。同時に何が正しいのか、間違いなのか、思春期特有の悩みにぶつかることになるが、クウネルはそれこそ己で答えを出すことだと諭す。

 そんな折、ふとネギはクウネルに質問をした。

 

「師匠にとって立派な魔法使いってなんでしょうか?」

 

「そうですね……自分に素直なこと、でしょうか。何が正しいのか、何が間違ってるのか。多数決でそれらを決めるのではなくて、己の中の価値観でそれらを決める。私にとっての立派な魔法使いは、そんな人でした」

 

 クウネルは懐かしむように目を細めながら答える。何故か寂しげな雰囲気がそこにはあり、そしてその後、彼は父親のように優しい眼差しでネギに笑いかけた。

 自分の父親は、どんな人物だったのだろう。幼少の頃考えていたことを、この頃再び考えるようになった。既にもう居ないと言われ、幼い頃はピンチになったら助けてくれつと信じて、色んな悪戯も行った。

 結局、父さんはあの紅蓮の日にも現れなかったけど。自分を助けたのは、悪魔の軍勢を殺しきった恐ろしい男で──そこで記憶がなくなっている。

 父親のことを考えていたのに、どうしてあの日を思い出すのか。ネギは脱線した思考を戻して、父親のことを想像する。

 強くてかっこいい、誰もが憧れる英雄。御伽噺になるような英雄で、そんな父親こそ自分がなるべき立派な魔法使いなのか。

 

「ネギ君?」

 

 物思いにふけっていたネギを現実に戻すクウネルの穏やかな声。ネギは慌てて返事をすると、新たな魔法の術式の練習に戻った。

 だが思考は再び己に沈む。

 何が正義で。

 何が邪悪で。

 自分はどうやってその線引きをするのか。

 世が定めた法律。違う。法律に縛られた正義は、時に悪となる。

 ならばクウネルが言っていた、己の価値観で善悪を決めることか。だがそうするにはネギに足りないものは沢山ある。正しいことを正しいままに行えるほど、ネギは大人ではなかった。

 天才だ。

 英雄の息子だ。

 そう言われても、所詮ネギはまだ子どもだった。何かをすれば盲目的になるし、何も決めなければ右往左往する。庇護なくしては歩くことも出来ぬひよこのような存在。

 クウネルによって教えられた様々な人々は、ネギに様々な導を与えたと同時に、広大な闇の深さをまざまざと見せつけもした。

 目先の闇すら照らせなくて、しかも闇はなおも広がっている。

 何処に己の道があるのかわからない。

 それでも。

 それでも、一つだけ、確かなのは。

 

 終わっては、いけない。

 

 ネギは僅かにうずく左目を、そっと掌で隠した。

 

 

 

 

 

 超鈴音は現在、計画の最終段階を前に追い込まれていた。

 というのも、一人の不確定要素。

 名前を、青山。

 地獄の如き、修羅の名。

 

「……圧倒的に数が足りないネ」

 

 一人、麻帆良に作った隠し部屋で愚痴るが、解決策などエヴァンジェリンの助勢くらいしかない。

 それだって、残されたタカミチと学園長という戦力を出し抜くには五分五分。計画の最中、エヴァンジェリンが敗北することがあれば、計画は完全に潰されるだろう。

 後、一人。真名レベルとまではいかないが、それに準ずる戦力があれば道は見える。

 既に超の知る歴史とは随分と違うが、魔法を世界にばらすという計画は、だからこそ遂行する必要があると確信していた。

 結局、京都の事件は魔法使いが引き起こしたものだ。それを断罪するというわけではないが、いつ再び同じようなことが起きるかわからない。そのとき、魔法が知られていれば、魔法使いはもっと迅速に動くことが出来たはずだ。

 だから、五分五分では拙いのだ。改めて思い知る。自身の未来のためにも、そして今の世界の明日のためにも、魔法を知らしめる。

 だが。

 

「駄目ネ。私は駄目駄目ネー」

 

 やる気なく身体をだらけさせて、超はんがーと大口を開けた。切羽詰っているわけではない。焦りはあるが、余裕を失うほどではなかった。

 余裕こそ、自分のようなボスキャラに必要な要素である。失敗も計算に、むしろ使命感やらなんやらを覚えていては、それに囚われてやりづらくなるというものだ。

 

「んー。計画に賛同してくれて、かつ優秀な魔法使いは……」

 

 改めて探そうとして、思い出したのは京都の惨劇を乗り越えたネギとその一行のことだった。

 

「……」

 

 超は顎に手を添えて考える。監視カメラの映像を見る限り、あの災厄の中心にネギはいた。魔法という力が行う惨劇。あの惨劇は、魔法を知る人間が自由に動ければもっと簡単に解決できることは、少し考えれば、十歳で教師として赴任した聡明なネギであればわかることだろう。

 

「ちょっと……危険だが」

 

 英雄の息子、ネギ・スプリングフィールド。京都での戦いぶりを見る限りでも、その実力は充分及第点に届く。

 

「誘ってみる価値はあるネ」

 

 ネギが誘いを断れば、自分の計画が事前に崩れるリスクは確かにある。だがそれを補って余りあるリターンが、ネギを引き入れるという報酬にはあった。

 

 

 

 

 

 桜咲刹那が京都の惨劇の後も、護衛対象である木乃香を麻帆良に返してまで一人残ったのは、未熟な己を鍛えなおすためである。

 ネギ達が京都を出て早々、その日のうちに刹那は行動に移ることにした。

 幸いにも今回の件によって西と東の関係はある程度改善し、刹那は久しぶりに神鳴流の総本山に戻り、そこでとある人物の居場所を知ることが出来た。

 

「だがあまり近寄らないほうがいい。思うところがあるのか、ここ数ヶ月ほど山に篭ったまま出てこないのだ。京都の件を聞いても出ようとしないのは、それほどの何かがあったのだろう」

 

 高弟の一人から聞いた助言に感謝しながらも、刹那は一人人知れぬ山奥に乗り込んだ。代々神鳴流の剣士が鍛錬の場として選ぶその場所は、清涼な空気が充実しており、精神を研ぎ澄ますには最高の場である。

 道なき道も刹那にとっては苦にもならない。愛刀の夕凪の入った竹刀袋を背負い歩くこと暫く、刹那はようやく目的の場所に辿り着いた。

 木々の迷路を抜けた先に広がるのは、見上げるほど巨大な滝を中心に試合が出来るほど大きな一枚岩が特徴的な開けた場所だった。その大岩の上に目当ての女性が座っているのを見て、刹那は声をかけようと──躊躇う。

 

「……」

 

 ただ座禅を組んでいるだけだというのに、妙齢の女性は目が眩むくらいに膨大な気をその内側で練り上げていた。だが驚くべきは、恐るべき青山に匹敵するほどの気を練り上げながら、刹那が視界に収めるまでそれを外界に晒さないほど濃縮していることと、その気が春に吹く暖かな風のように心地よいものであったことだ。

 目が眩んだのは、刃のように鋭いのに、女性らしい柔らかさがその気に含まれていたことによるアンバランスさからか。そうして暫くその美しい座禅に見惚れていると、女性は閉じていた瞼を開いて、立ち尽くす刹那にそっと微笑みかけた。

 

「桜咲、刹那……だったかな? 大きくなったな」

 

 名前を呼ばれて正気に戻った刹那は、反射的に片膝をついて頭を下げた。

 

「失礼しました! 神鳴流、桜咲刹那、次期当主、青山素子様に拝見できたこと──」

 

「そういう堅苦しいのは止めてくれ……疲れる」

 

 そう言って、もう一人の青山にして、現神鳴流最強の剣士、青山素子は恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

 鍛錬所より数分歩いた場所にある木製の小さな小屋に招かれた刹那は、自分が決断したこととはいえ、雲の上の存在である素子と対面していることに緊張を隠せずにいた。

 素子はそんな刹那の緊張を知り、それとなく緊張を解すために雑談をしたりとってきた魚を焼いたりした。

 そんな気遣いに気が回ることのない刹那は、出会ってからこれまで緊張し続けていて、素子は刹那の緊張振りに、何となく懐かしさすら感じて笑みを浮かべた。

 それも対面して、雑談をしながらともに同じ食事をすれば緊張も和らぐ。ようやく落ち着きを取り戻した刹那は、串に刺しただけの魚を美味しそうに頬張る素子に、質問を投げかけた。

 

「京都のお話は聞いていますか?」

 

「あぁ。人が沢山死んだみたいだな……」

 

 どこか人事のように語る素子の言い草に若干の苛立ちがこみ上げなかったといえば嘘になる。刹那はそんな自身の気持ちを吐き出すように、語気を強めながら視線を下げる。

 

「私は、あの惨劇で己の無力を感じました……木乃香お嬢様を何とか取り返すことが出来たとはいえ、それ以外に何も出来なかったのです。魔から人々を守るのが神鳴流の剣士であるというのに、しかも──」

 

「弟に……青山に会ったか」

 

 刹那の言葉に素子は続けた。ハッと顔を上げた刹那が見たのは、途端に表情が失われた素子の顔だ。まるで別人になったかのような様変わりに言葉が失われた。

 代わりに今度は素子が淡々と語りだす。

 

「私は数ヶ月前に、アレとやりあった。理解できなかったよ。こんな人間がこの世に存在するのかと……今だって、怖くて怖くて、仕方ないんだ」

 

「素子様……」

 

 刹那にとって、彼女が青山と戦っていたことも驚きだったが、それ以上に素子であっても青山が怖いという事実が衝撃的だった。

 

「兄上は、詠春様は見つかっていないのだろ?」

 

「は、はい……おそらく、総本山を襲ったマグマによって命を奪われたと……」

 

 唐突に変わった話題に、刹那は驚きを引っ込めて懺悔するように告白した。あの悲劇は刹那が間接的に招いたようなものでもある。だから責めを幾らでも受ける覚悟もあった。

 しかし素子は「そうか」と、どこか他人事のように語る。

 

「多分、私の責任だ」

 

「え?」

 

「山に篭らず、京都に戻っていればその惨劇は免れ、兄上が死ぬことはなかっただろう」

 

「そんなことは……」

 

「あるのだ、桜咲。恐怖せず、青山をあの場で殺していれば、惨劇は回避されていたはずだ」

 

 素子の言葉は有無を言わせぬ説得力があり、同時に疑問が浮かぶものだった。

 今は京都の惨劇の話をしていたはずだ。それが何故青山を殺すという話になっているのか。確かに恐ろしい男ではあった。だが事実、青山がいたからこそ惨劇は被害をあそこまで抑えられたことも事実。

 意味がわからないといった刹那の表情を見て、素子は己の説明力のなさに内心で舌打ちをした。だからわかりやすく、簡潔に告げる。

 

「青山が斬った」

 

「……それは、どういう」

 

「あの修羅が……あぁクソ。姉上はやはり気が狂っている。桜咲、悪いことは言わない。お前に守りたいものがいるならば、一刻も早くその者を連れてここに来い」

 

 素子はそう言いながら紙と筆を取り出して、ひなた荘という場所の住所を書いた。

 問答無用でそれを押し付けられた刹那が目を白黒させていると、素子は疲れ果てた老婆のように背を丸めてため息を吐き出した。

 そして刹那は背筋に怖気が走るのを感じた。素子の様子が反転し、最初に見たあの優しい気が嘘のように、冷たく、凛と奏でるような音が今にも聞こえそうな様相に変わっていく。

 

「私の予想が正しいのなら、今のアレを止められるのは、この世で私を含めて数人いるかいないかだろう。あぁ言わなくてもいい。お前の身体にアレの気が僅かに染み付いてるのはわかってる……そして木乃香お嬢様が麻帆良にいること、姉がアレを麻帆良に送ったこと。全部、わかってる……わかってるが……怖いのだ。わかってしまうから怖い。私はいい、だがアレはいつか私の大切なものも斬ってしまうのではないかと思う、いや、確信がある。そのとき、私は私のままなのか? 私は今の私ではなく、その向こう側に行ってしまうのではないか? 冷たい場所が広がる。冷たくなっていくのだ。凍りつくのではない。触れば斬り裂く冷たさが延々と広がる……アレはそこに平然と立っている」

 

 素子は背筋を正しながら、弱音を吐露した。まくし立てるように言いながら、一言一句が刹那の脳裏に刻み込まれた。言葉自体に重さが、冷気が込められているようで正気が失われていきそうになる。

 青山。

 あの青山が、素子をここまで追い詰めたというのか。刹那は愕然とした面持ちで、なおも語る素子を見据えた。

 

「私はもうアレと真正面から対峙するなんてしたくない。京都の件は間違いなく青山が関わったから惨劇に繋がったのだ。証拠なんて必要ない。青山だよ。青山が青山だというだけで全ては繋がる。アレが元凶だ。そして、アレを後一歩まで追い詰めながら、恐怖で逃した私の責務だ。そしていつかアレは私の前に現れる。そのとき、一瞬だけでも同じ領域に辿り着ければ、アレと相打つことは可能で……すまない。少々、取り乱した」

 

「いえ……気になさらないでください」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 お茶を一口飲んで落ち着きを取り戻した素子は、その場で座禅を組んで己の体内に気を練り上げた。

 すると、素子の身体から発揮されていた冷たい気配が吹き飛ぶ。再び誰もを包み込むあるがままの気に戻った素子は「青山と仕合ってから、この様だ」と己を恥じた。

 

「異変は青山に刀を斬られたその日からだった。今はどうにか抑えるところまできたが、最初の頃は一秒だって気が抜けない状況が続いたんだ……恐ろしかったよ。もし刀ではなく、己自身を斬られたらと思うとな」

 

「素子様……」

 

 刹那はようやく素子がこれまで山に篭っていたのかを理解した。山から出たくても出られなかったのだ。

 今もなおこの人はあの恐ろしい男と一人で戦っている。刹那は神鳴流として素子の高潔さを誇らしくすら思った。人間とも呼べぬ外道畜生と戦って、それでも修羅に陥らぬ心の強さ。

 やはり、押し付けがましくても、この人しかいない。刹那は覚悟を決めると、一歩下がり床に頭をこすり付けた。

 

「無礼ながらお願いがあります! 素子様が今も苦行に立たされているのは重々承知のうえで! それでもなお! 私は人を守る強さが欲しいのです!」

 

「私は、誰かに指導できるほどではない。未だ道を彷徨う求道者だ」

 

「ならば隣に、せめて素子様の求道をその傍で見させていただけないでしょうか?」

 

 何卒お願い申し上げます。刹那は頭を下げることしか出来ない。だが決して退くことはない強固な意思がその姿からは感じられた。

 素子はそれでも何かを言い募ろうとして、だがこの少女はやはり動かないだろうなぁと、かつての己を見るような複雑な気持ちで納得するのだった。

 

「一週間だ。それが過ぎたら一度戻り、改めてまた来るといい……本業は学生だろう? 勉学を怠ることいけないからな。本当に……うん……」

 

 勉学という言葉が何かしら響いたのか。遠くを見つめながら数度うなずく素子。だが刹那は期間は短くとも、素子の師事が得られたことに喜び、ただ力強く「ありがとうございます!」と答えるのみであった。

 

 

 

 

 

 思ったよりも俺は人の輪に入れるようになったのだろう。

 などと自惚れてみるくらいちょっとだけだったらいいはずだ。何せあの夜の一件以来、刀子さんとは少々疎遠であるものの、魔法関係者の皆様に、清掃中に挨拶をされることが多くなった。

 子どもの魔法使いも挨拶するので、必然、その周りの人達にも挨拶される。気付けば軽く挨拶をするだけではあったが、挨拶が挨拶を繋げて、色々な人と関われるようになっていた。

 

「こんちゃーっす」

 

「こんにちは」

 

 今も清掃中に男子生徒に挨拶をされる。俺も律儀に返して、それだけで何だか嬉しくなってしまうのだ。

 だがここ数日で爆発的に人数が増えてきたので、錦さんには「ちゃんと仕事しろよ?」とからかわれつつ釘を刺されて赤面ものだったが。

 ともかく。

 良き日々である。

 誰かと触れ合い、繋がっていく。陽だまりは連鎖していき、暖かな陽気が俺をまどろみに引きずり込む。それは冷たい修羅場とは違う面白さがあって、これをそのままあの冷たい感覚に引きずり込んだら面白いだろうなぁとか思ったり。

 なんて、誰かに聞かれたらからかわれそうなことを考えていると、いつの間にかこの場の清掃が完了してしまった。毎日のように掃除していたため、意識せずともこの程度なら出来るようになったのか。我ながら進歩したよなぁと、いっそ刀もそうだが清掃の道を究めるのもいいかも、なんてね。

 

「あら、青山さん。こんにちは」

 

 そうして惚けていると、不意に俺の背中越しに聞きなれた声が届いた。

 慌てて振り返る。そこにはいつの間に俺の傍に現れた刀子さんが、憑き物が落ちたような表情で俺に笑いかけてくれていた。

 

「びっくりした……あ、失礼しました。お久しぶりです。葛葉さん」

 

「あぁそんなにかしこまらなくてもいいわ。刀子って呼んでちょうだい」

 

「はぁ」

 

 なんか。

 なんか、変わったなぁ。

 あの夜に会ったときは、蛇に睨まれた蛙。猫に捕らわれた鼠。買い手を見上げるチワワ。そんな哀れむべき雰囲気が全開だったのだけど。

 男子もそうだが、女性も三日会わなかったら活目せよといったところだろうか。妙齢の女性らしい色気を滲ませた今の彼女は、すれ違う通行人が何人も振り返るほどに美しかった。

 

「いいことでもありました?」

 

 俺は率直にそう聞いてみるが、葛葉さん、もとい刀子さんは困ったように頭を振った。

 失礼なことを聞いてしまったのか。その表情を見て申し訳ないと頭を下げた俺の肩を刀子さんは優しく抑えた。

 

「それ、もう何度も聞かれてたから混乱しただけで、謝らなくていいわよ。むしろ、私が謝らないといけないってずっと思っていたの」

 

「そうなのですか? 俺は葛葉さん……刀子さんに何か迷惑された覚えはないのですが」

 

 そう言うと刀子さんは苦笑して「ほら、あの夜のことよ」と告げてきた。

 あの夜は……んー。刀子さんが驚くのも当然だし、俺はそれほどのことをしてしまったからなぁ。

 だから気にしないでくださいと言ったが、刀子さんは「そういうわけにもいかないわ」と返してきた。

 

「魔法先生の方々の前で恥をかかせたのは事実よ。ごめんなさい。今思えば、どうしてあなたをあそこまで怖がってたのか不思議でたまらなくて……」

 

「ですが、確かに俺は鶴子姉さんに取り返しのつかない怪我をさせましたからね。それで道場に連れていったのだから、怖がらないほうが当然だと」

 

「そうなのだけど。でもほら、あれは斬ったから怪我をしたので、それなら仕方ないかなぁと。勿論、怪我させたことは反省しなくてはいけないわ。でも斬るのは仕方ないものね」

 

 んー。まぁ斬るのは普通だしなぁ。

 

「ほら、しかし怪我はしましたし。姉さん腕がぽーんって」

 

「そこよりも驚いたのは血の量だったわ。第一、あなたが腕を斬るところは誰も見ていないでしょう?」

 

「あ、それもそうか」

 

「ふふふ、うっかりね青山さんは……それでまぁ仲直りでというのも変だけど、少し相談してもいいかしら? ほら、秘密の共有で仲良しってあるでしょ?」

 

 刀子さんの提案に内心で苦笑。秘密の共有で仲良しは、いかにも女の子らしいなぁとか、自分の年齢考えてくださいとかふと思ったり。

 

「何か変なこと考えたかしら?」

 

「いえいえ、ところで、相談というのは?」

 

 錦さんは空気を読んだのか刀子さんが来た時点でこの場を離れて次の場所に先に行っている。周囲の人も俺達の話に耳を貸すことはないだろう。幾ら刀子さんが人目を引くとはいえ、往来の場である。わざわざ立ち止まって聞くような人はいないだろう。

 それがわかっているのか。刀子さんも場所を移そうとはせず、なんら気負いもなく口を開いた。

 

「えぇ、明日彼氏とデートなのだけど……久しぶりだからちょっと緊張してて。男性にとっての、理想のデートのシチュエーションとか何かないかしら?」

 

 うむぅ。

 これは軽く聞こうとした罰か。中々難しい問題だなぁ。俺はこの年になっても彼女も出来たことないし、好きな異性も出来たことはない。

 しいて言うなら好敵手とかは沢山斬ったけど……

 俺ではそういう方面でしか助言できないなぁ。

 

「とりあえず」

 

「とりあえず?」

 

「二人っきりになって斬りあえばいいのではないでしょうか」

 

 好きな相手とは斬りたい相手だ。上手くいけば冷たいあの場所に一緒に行ける。だから一般論として俺はそう告げたのだが、刀子さんはどうやらお気に召さなかった様子。不満げに眉をひそめると、俺に詰め寄って怒鳴ってきた。

 

「そんな当たり前なことは聞いてません!」

 

「そうですよねぇ」

 

 やはり俺には恋愛ごとの相談を解決は出来ないみたいだ。そも、斬ることなんて普通なのだし、そんなこと言われても困るのは目に見えていたというもの。

 呆れた様子で「相談しなければよかったわ」などと自分から勝手に提案したくせに理不尽なことを言う刀子さんに呆れつつ、とりあえずせめてものということで、最近ではかなりよかった詠春様を斬ったときの感想とか語ったりする。

 刀子さんもこの話は気に入ったらしい。「私なら一瞬で斬らないで味わって斬るわ」「ですが断続的な音はその人の感性を傷つけますよ」「それでも一瞬で終わらせたらそこだけしか斬りとれないから、やはり別の角度から行うべきよ」などとそれぞれ意見を交わしつつ、俺達は錦さんがいい加減にしろと携帯電話越しに怒鳴りつけてくるまで、雑談を続けるのであった。

 

 翌日、駅について買った今朝の新聞に、首だけの死体が見つかるという殺人事件が新聞の一面に載ってるのを見た。帰り際に交換した番号に電話して刀子さんに聞いてみたら、斬ったのはやっぱし刀子さんだったので、どうでしたと聞いたら、刀子さんは電話越しに。

 

「汚い声でしらけました」

 

 などと一言。

 ご愁傷様、そういうこともよくありますよ。なんて俺が冗談めかして言ったら、やっぱし大声で怒鳴られた。残念。

 そんなよくある朝の出来事。俺は今日も笑顔の陽だまりを守るために、麻帆良の清掃業務に勤しむのであった。

 

「おはようございまーす」

 

「おはようございます」

 

 うん。

 今日も麻帆良は平和だなぁ。

 

 

 

 

 

 日差しが暖かく、流れる空気は緩やかに身体を包み、呼吸一つにすら美味しさを感じる。

 だが全てがまやかし。偽りの空間で感じる全ては意味をなさないもので、現実世界に充満している排気ガスで汚染された空気にすら届かない。

 しかし。

 それでもしかし。

 この空間こそ、青山と自分の内心を表すのに最適な場ではないのだろうか。エヴァンジェリンは束の間の休戦。外界とは切り離された別荘で、毎日の恒例となった青山との会合を楽しみながら、そんなことを考えた。

 

「どうかしたか?」

 

「ん? いや、なんでもない。取るに足らぬことだよ。私にも、貴様にとっても」

 

 青山は意味がわからないといった風に眉をひそめる青山に、内心を悟らせぬ怪しい笑みを返した。

 

「しいて言うなら、この会合も今日で最後だからな。少々、感傷に浸っていたところだ」

 

 青山が別荘を利用する理由は、京都での怪我を癒すという目的のためだ。かれこれ二週間以上。長いように見えるが、マグマと呪詛の砲撃を受け、さらにフェイトによって骨を幾つか折られたというのに、己の気を使った自然治癒でほぼ回復したのだから、正気を疑う回復速度だろう。

 だが当の本人からすればこの程度は手馴れたものなのかもしれないが。若輩でありながら、終わりの領域にまで到達した男だ。その人生は長く生きただけの老人をはるかに超える密度のものだったろう。

 例えば、化け物になりきれなかったかつての己のような。そう自嘲して、堪えきれずにエヴァンジェリンは笑った。

 

「お前の笑みは、気持ち悪いな」

 

「今さらだぞ青山。貴様がそうした。貴様の責任だ。だから責任はしっかりととれ」

 

 打てば響くように、青山の率直な感想を真っ向から突き返す。言ってることは事実なので、なんとも複雑な感じに青山は唸って視線を逸らした。

 そんな情けない姿を鼻で笑う。なんにせよ、随分と長くこの男とは接した。もう充分に語りつくしたし、言葉で伝えることなんて特にない。

 あるとすれば、そうだ。

 

「なぁ青山」

 

「……何だ?」

 

 椅子に腰掛けてのんびりとしている青山が答える。エヴァは偽りの空を見上げて、ただ自然のままに口ずさんだ。

 

「次に会ったとき、貴様を殺す」

 

 挨拶をするような気軽さで、しかし聞けば誰もが絶望するほどの恐ろしい殺気を漲らせたその言葉に、青山は特に動じた様子も見せず。

 

「それは嫌だなぁ」

 

 などと、当たり前な回答を口にして、エヴァンジェリンを笑わせるのであった。

 

 

 

 

 

 雨は勢いを増すばかりだ。

 その夜、錦宗平とその仕事仲間は、京都災害の後からボランティアで行っている夜の麻帆良の見回りをしていた。

 話題に出るのは、休みを取るたびに怪我をしてくる、寡黙ながら誠実な好青年である青山のことだ。些か以上に浮世離れしており、表情も常に変わらないために不気味といえば不気味なのだが、彼らの中での評判はすこぶるよかった。

 仕事の勤務態度が素晴らしいことや、表情が変わらない代わりに、身振り手振りで丁寧に感情を表すその真摯でありながら、田舎者のような雰囲気も評判がいいのに繋がっていたが、真の理由は別にある。

 ともかく、青山は透明なのだ。それこそ無表情と相まって、己がないように見えるものの、それ故に打てば響き、放てば返す。ブラックホールのような黒い瞳も、裏を返せば何もかも透かす透明と同義であった。

 特に、彼の相方である宗平は青山のことを気に入っていた。我が子を事故で失った彼にとって、青山は子どものようでもあったことも理由だろう。ともかく、職場では人気者である青山の話題は毎度尽きることはなく、本人がいれば赤面すらしたはずだ。

 

「……しかし錦さん。あの子は一体何を抱えているのかねぇ。俺達じゃ力になれないもんか」

 

「阿呆。あの怪我を見ればわかるだろ。兄ちゃんの抱えてることは、きっと俺らでどうこうできるもんじゃねぇ。」

 

 あの年齢で表情が変わらなくなったのだ。そして毎度の休暇と怪我をしており、さらに学園長の推薦でここに来た。

 これだけでも得体の知れない何かを抱えているのは明白だった。だが宗平は無理に理由を問いただすつもりはなかった。

 事情はわからなくても、傍にいることでその苦労を取り払うことは出来るはずだ。最近は生徒に挨拶されることも多くなり、昼休みのときはどこか嬉しそうに「友人が出来ました」と、少々頬を染めながら言ってもいた。

 少しずつ変わっている。最初のときに感じた、冷たい刃のごとき印象も随分と様変わりしてきたから。

 青山は透明な感性はそのままに、普通の人間のように成長をはたしたのだ。宗平は我が子の成長を見るように、青山の変化が嬉しかった。

 だから、兄すらも失った彼の隣で、父親とまでは行かないが傍にいよう。そう新たな決心をして、唐突にそれは現れた。

 誰もがそれが現れたとき驚きに声を失った。見た目は全身黒尽くめの、少々古臭い帽子も被った紳士の如き姿。だがまとう空気があまりにも現実的ではなかった。

 まるでその老人の周囲だけが異界のような錯覚。いや、宗平を含めた彼らはそれが現れる瞬間を確かに見ていた。

 突如、空から雨とともに降りてきたのだ。周囲には高さのある建物などないというのに、道の真ん中に男は悠然と降り立った。

 それは、何処までも異常な光景であった。

 

「ふむ……魔法関係者から逃れるのを意識するあまり、一般人への警戒を怠ってしまったようだ……」

 

 老人はそんなことを呟くと、困惑と恐怖で動くことも話すことも出来ない宗平達を見据えると、「残念だが、見られたからには眠ってもらおう……殺しはしない」そう言って、一輪の花を取り出した。

 直後、男は人間には考えられない跳躍力で後方に飛んだ。

 遅れて道が爆発した。そうとしか思えぬ斬撃が発生したのだが、宗平達には理解できない。

 最早全てが常識の枠から離れた出来事だった。逃げるという意識すら浮かぶこともなく、爆撃の跡地に降り立つのは、宗平に見覚えのある人物。

 

「あの時の、姉ちゃん?」

 

 背中しか見えないが、そこに立っていたのは、確かに青山と世間話をしていた女性、葛葉刀子その人だった。雨に濡れ滴る姿は、この状況を忘れるくらいに美しく、扇情的な色香がむせるほどにあふれ出ているようだ。

 

「……もう追っ手が来たか。上手く撒いたつもりだったが、君はあのメガネの黒人の仲間なのかな?」

 

「えぇ……尤も、彼は今怪我をしているので動けませんが……代わりに私があなたを倒します」

 

 そう言って、女性が扱うにはあまりにも長大な刀を刀子は構えた。瞬間、対峙する男の表情に焦りと恐怖が滲むが、すぐに表情は引き締まり、構えを取る。

 

「私の目的のために、悪いが君に構っている暇はないのだよ」

 

「……構いませんわ。どうせ、すぐに終わります」

 

 そして対峙も一瞬。一般人である宗平達を置き去りにして、二人は同時に飛び出した。

 瞬動を利用した高速戦闘。技量の上で老人を圧倒する刀子は、距離を詰めると同時に、容赦もなく充実した気を吐き出した。

 

「奥義、斬岩……!?」

 

 だがその瞬間、刀子は己の気が雲散霧消するのを肌で感じて当惑した。構築した技が紐解かれるような違和感。そしてその違和感を覚えたことによる隙を男は見逃さなかった。

 

「遅い」

 

「ッ……!?」

 

 刀子が防御に回るよりも早く、男は野太刀の内側に入り込む。大柄な肉体からは考えられぬほどに洗練された踏み込み。余分等微塵もない動きは、風のように防ぐ余地も与えず刀子への接触を果たす。

 接触状態から、刀子の腹部に痛烈な一撃が炸裂した。気で強化されたとはいえ、鳩尾を抉られたような男の拳の威力は耐えられぬものではない。たちまちミックスされた血液と胃液を撒き散らして、刀子は雨に濡れた地面に叩きつけられた。

 

「ぐぅ……!」

 

「はぁ!」

 

 痛みにうめく暇もなく、地面を陥没させるほどの威力を受けた刀子に追撃の蹴り足が迫る。踏み込みとは大地の反発を得るための打撃と同義。大地を砕く踏み込みを、大地ではなく対象を刀子へと変える単純ながら恐ろしい脅威。胸部目掛けて振り下ろされる足裏を、刀子は苦悶しつつ横に転がることで間一髪逃れた。

 えぐれた大地の破片が刀子の頬を打ち、足一個分で地面をえぐる足に冷や汗。だがその程度で止まることはない。倒れたまま身体を回して、両足で刀子は男の足を挟みこむ。

 

「むっ?」

 

「シッ!」

 

 挟んだ足をそのまま捻り上げる。バランスを崩した男は勢いのまま地面に激突した。

 その隙に身体を起こして距離をとる。追撃はしないし、反撃は来なかった。際外は立ち位置が逆転した状態。状況は刀子の腹部には鈍痛が残ったままで、男は顔面を強かに打ちつけたものの、まるでダメージになっていないので刀子に不利。

 何よりも、先程の一連が引っかかっていた。身体に染み付いた神鳴流の奥義が放てない異常。偶然でも失敗でもない。明らかに何かの干渉の結果、刀子の奥義は散らされたのだ。

 

「……おや、追撃がないぞ?」

 

 男はわざとらしくゆっくりと起き上がると、余裕たっぷりの様子で刀子に向き直った。

 鼻からうっすらと血を流しているがその程度。何よりも刀子は、この見た目だけ人間に似せた者が、あの程度で怪我をしているとは思えなかった。

 

「この学院に何のようかしら……悪魔」

 

「おやおや、もうばれてしまったか……自己紹介が遅れたね、私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵。伯爵とは名乗っているが、しがない没落貴族だよ」

 

「爵位級の、上位悪魔か……」

 

 刀子は苛立たしげに愚痴を零した。

 悪魔と呼ばれる中でも一際戦闘力が高いのが爵位を持つ悪魔だ。伯爵、といえばそれなり以上の悪魔で、さらに奥義が使えないというのは状況的に分が悪かった。

 何より、立ち位置が悪い。刀子は意識されぬようにヘルマンの背後にいる宗平達を見た。

 今はある程度平静を取り戻しているように見えるが、それでも幾人かは恐慌状態で動けないように見える。

 奥義を散らす得体の知れぬ技も脅威だが、ここで人質をとられては話にならない。

 ならば早々に決着をつける。そう覚悟を決めた刀子は、決意を宿した眼でヘルマンを見据えた。

 その純粋な闘志の冴えにヘルマンは楽しげな笑みを浮かべつつ、構えを再度とる。

 これが調査対象であるネギであれば、加減したうえで負けてもよかったが、相手が完成された個性ならば話は別だった。

 

「どうやら君相手に手加減は不要みたいだ……様子見は止めて、増援が来る前に終わらせよう」

 

 直後、ヘルマンがコートを翻すとそのコート自体が巨大な一対の翼に変貌した。さらに両手両足は異様に伸び、巨大な二つの角と、滑らかな黒い尾まで生える。

 上位悪魔の覚醒した姿。人間の姿を象っていたときとは比べ物にならない魔力が巻き起こり、刀子の身体に叩きつけられた。

 

「行くぞ」

 

 ヘルマンは卵に目と口をつけただけの異様な顔を笑みに変えて、口に魔力を収束した。

 直感が刀子に回避を訴える。そして収束した魔力砲撃は、雨粒を石化させながら、瞬動で右に飛んだ刀子の服を浅く削り後方で爆発した。

 

「チッ」

 

 刀子は石化を始めたスーツを躊躇せず脱ぎ捨てた。石化を始めたスーツは地面に落ちるときには完全に石化し、地面に落ちると同時に砕け散る。

 そのときには刀子はヘルマンの懐に入り込んでいた。瞬動二連。スーツを脱ぐという焦りの色を見せることで相手の余裕を誘ったところでの奇襲。これにはヘルマンも完全に対応出来ない。表情がわからずとも驚いているのは手に取るようにわかった。

 一線が空間に走る。線上の水滴を両断しながら、真一文字の斬撃をヘルマンは腹部を浅く斬られながらも逃れ、お返しと腕を突き出して魔力を放った。

 

「ぐ……!?」

 

 二度、刀子の鳩尾を強かに打つ重い打撃。人体の構造上、誤魔化すことの出来ぬ激痛に、吹き飛びながら刀子は身体を九の字に丸めた。

 無様に地面を二転、三転。回転するたびに吐き出される鮮血のテールランプを引きながら、しかし刀子は意識を切らすことなく踏み止まった。

 空を見上げれば口内に再び石化の光を収束させたヘルマン。刀子は意を決して気を刀身にかき集めた。

 

「奥義……斬鉄閃!」

 

 石化の一本腺が刀子目掛けて放たれるのと、螺旋状の気が振りぬいた刃の線の形にヘルマン目掛けて飛んだのは同時だった。

 ようやく放つことが出来た膨大な気の出力は、石化の光すらも斬り裂いてヘルマンに激突し──はかなく散っていった。

 

「……やはり、一定距離内での無効化か」

 

「正解だよお嬢さん。報酬の景品はないがね……!」

 

 ヘルマンが虚空で拳を連打した。拳圧と魔力が合成された怒涛の連撃が刀子に襲い掛かる。

 刀子は視界を埋め尽くす弾丸豪雨を避ける余裕もなく、その場で迎撃をせざるを得なかった。砲弾をその細腕で逸らす作業に苦悶の表情が浮かぶ。

 だが凌ぐ。

 斬って。

 斬りしのぐから。

 これは、そこまで難しいことではなかったと、刀子はくるんと思考が反転したのを自覚した。

 

「奥義、雷鳴剣」

 

 空が落ちる。雷雲ではなく、人間の手から眩い光の雷は放たれた。襲い掛かる弾幕を焼ききり、しかしヘルマンに届く前にそれらは霧散。

 無駄だ、そう叫ぼうとしたヘルマンだったが、叫びよりも早く刀子はヘルマンと同じく空を飛び、何もない虚空を足で踏み抜いて飛んだ。

 虚空瞬動。上空に飛び、虚空を掴んで鋭角に迫る刀子。

 その速度にヘルマンは困惑した。

 

 否。

 

 困惑したのは、その眼。

 

「何だというのだ……君は」

 

 顔を抉ったかのような、光を飲み込む闇色の瞳。

 

 そして、惨劇は幕を開ける。

 

 

 

 

 

 ガンドルフィーニがそれを探知できたのは、エヴァンジェリンが学園の警護の任を放棄して久しく、ローテーションで学内警護の担当をしており、彼が今夜の当番であったからだった。

 結界に得体の知れない魔力反応を感知したガンドルフィーニが慌ててその場に急行したとき、その場にいたのは初老の紳士、ヘルマン。ガンドルフィーニは果敢に戦いを挑むもののまんまと煙に巻かれてしまったのだった。

 

「くっ、急いで応援を……」

 

「ガンドルフィーニ先生」

 

 携帯を取り出して応援を呼ぼうとしたとき、聞きなれた声が彼の耳を打った。

 振り返れば、おそらく異変をかぎつけてきた刀子が、愛刀を片手に鋭利な気を充満させて立っていた。

 

「よかった。葛葉先生、学内に不審者が一人、いや、使い魔らしき反応もあったので複数現れました」

 

 刀子はガンドルフィーニの説明に表情を引き締めた。

 

「……京都の件もあります。迅速に、かつ的確な対処をしましょう。木乃香お嬢様の身が心配です。私はその不審者を追いますので、先生は応援を呼んでお嬢様の警護を」

 

「わかりました……くれぐれも気をつけて」

 

「はい。先生も気をつけてください」

 

 刀子はそう言って華やかに笑った。傘もささずに来たせいで雨に濡れた刀子は、最近の変化で色気が増したこともあり、目に毒であった。妻帯者であるガンドルフィーニは顔を赤らめながらも、その姿から顔を赤らめて視線を切り。

 それが、明暗を分けることになる。

 

 凛。

 

 という音の前、透明でありながら肌に張り付くような気持ち悪さを感じてガンドルフィーニは咄嗟に背後に飛び、しかしその胸部が激痛とともに赤い花を咲かせた。

 

「なっ」

 

 当惑と、激痛、そして目の前で笑顔を浮かべたまま抜き身の真剣を振りぬいた姿勢の刀子。

 着地とともに膝をついたガンドルフィーニは、信じられないといった様子で刀子を見上げた。

 

「何を……何をして……」

 

「え? 斬っただけですけど」

 

 それが何か?

 ガンドルフィーニに以上に困惑した表情でそう言った刀子こそ、彼を混乱させた。

 

「斬ったって……」

 

「って、あら、申し訳ありません。怪我させてしまいましたね。どうしましょう。とりあえず斬りますね? 怪我なんてさせて私ったら何をしてるの……あぁもう、斬りますから動かないでください」

 

 ガンドルフィーニは、一歩一歩、真剣を掲げて近づいてくる刀子が、本当に刀子なのかわからなくなった。

 何を言っている。

 この女は、何を言っている。

 

「待て! 葛葉先生! 正気に戻るんだ!」

 

「正気も何も普通ですよ? ……いえ、わかります。わかっていますよ先生。確かに私は先生に怪我させてしまいましたけど、斬るのですから。斬るのなら当然です」

 

「は、ぁ……え……?」

 

「斬りますから。死んでしまいますけど。あぁ、殺すなんて酷い。そんなの許されないわ。でも斬るのは仕方ないですし。でも斬ったら死ぬ。死ぬのに斬った。斬ったら死ぬ。死ぬ? 斬る。あれ? おかしい。ううん、おかしくないわ。斬るのは普通で、でも斬ったら死ぬ。でも斬らないと、斬るのは当たり前だから、怪我も痛みも死ぬのも殺すのも、全部斬るから」

 

 刀子はうわ言のように意味のわからない言葉を羅列したと思うと、そっと瞼を閉じてからゆっくりと開き、痛みすら忘れて唖然とするガンドルフィーニを。

 

「怪我して痛んで死んで殺して……斬るのです。先生」

 

 光すら飲み込む黒い眼で、見下ろした。

 

「う、うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 ガンドルフィーニの生存本能が逃走を叫んだ。咄嗟に取り出した拳銃で、相手が同僚なのも関わらずその顔面目掛けて弾丸を撃つ。

 これを咄嗟に弾いた刀子の隙を突いて、ガンドルフィーニはその場から離脱した。全力で逃げ、振り返ることなく、道すらも決めずにひたすら走った。

 得体の知れぬ深淵が広がったような錯覚に陥った。恐怖を超えた何かが彼を動かした。

 身体を構成する全てが逃走を訴えた。叫ぶ体力すら足を動かすことに使って、そしてガンドルフィーニは当然のように全力で走り続けた影響で地べたに倒れた。

 

「あ、ぅ」

 

 幸い、斬られた怪我は命に関わるほどではない。それでも治癒魔法を早急にかけるほどの深さだ。ガンドルフィーニははいずりながら近くの木に寄ると、必至に身体を起こして幹に背を預けた。

 

「葛葉先生……」

 

 何があったのか。落ち着きを取り戻し始めた思考で、ガンドルフィーニは刀子の変貌を冷静に考えようとする。

 しかし何故彼女があんなことになったのかわからなかった。

 とりあえず、応援を呼ばなければ。ガンドルフィーニは懐に手を入れて、先程の一撃で手から落としたのを思い出して力なくうなだれた。

 激痛を無視して動いたため、最早一歩も動くことは出来ない。

 何より。

 何より、怖かった。

 得体の知れない化け物の口の中に入れられるような、捕食される哀れな草食動物の如き心境だった。

 今は心が折れている。動くことすら出来ない。

 雨は強かに身体を打ち、じっとりと体温を奪っていった。

 いや、雨はとても暖かくガンドルフィーニを癒している。

 体温は雨にすら暖かさを感じるほど低くなっていた。おかしい話だが、身体は冷たかった。

 まるで、刃のようだとガンドルフィーニは思う。

 空を見上げれば、雷雲が雷を纏いながら、雨をいっそう強くさせていた。

 その光景を見てから、ガンドルフィーニの意識はゆっくりと沈んでいく。まるで投げ捨てられた人形のように力なく眠る彼を見るのは、優しく降り注ぐ雨だれのみ。

 不幸中の幸いか。

 あるいは、不幸に重なる災厄か。

 この先の光景を彼が知らずにすんだことだけは、せめてもの救いとなったことだろう。

 

 

 

 

 

 斬撃は冷たく、そして熱い。切り口は刃の冷えに凍てつき、同時にあふれ出す熱血が傷口を焼けるくらいに熱くした。

 斬られた。

 驚愕に怯む一瞬を突いて、一閃は見事へルマンの腕と片羽を奪い去って、バランスを崩した身体はそのまま大地に落下する。

 だがヘルマンはただやられるだけではなく、口内に再度閃光をかき集めて、刀子目掛けて放った。

 

「ッ!?」

 

 瞬きの暇もなく、夜空を貫く一筋の光が刀子に炸裂した。石化の直撃。気で強化されていようが問答無用であらゆるものを石とする光を、刀子は咄嗟に差し出した左腕で受けたものの、たちまち左腕は汚染され。

 躊躇いなく、腕を斬り落とす。そのとき女の口元に隠しきれない快楽が浮かんだのが見て取れた。

 

「うん。これもいいわ」

 

 鮮血を迸らせながら、しかし刀子は全く怯んだ様子もない。ヘルマンが背中から無様に着地したのに対して、刀子は羽のように優しく地面に降り立った。

 同時、鮮血が滂沱。降り注ぐ雨に逆らって虚空の空に飛び散っていく。己の血と雨に濡れながら、刀子は野太刀を持った右腕を抱擁するように空に掲げて、石化した左腕を迷いなく斬り裂いた。

 

「ふふ、ふふはは!」

 

 刀子は石化したとはいえ、己の腕を斬った事実に歓喜していた。

 こんなにも気持ちいい歌声は他にあるか? いや、ない。

 自分の腕だ。大切な、苦楽をともにした大切な四肢の一つ。だが斬る。

 刀子は斬ることの段階を一つ上げられたのを感じた。僅かにくすぶっていた殺人や死への疑問が吹き飛ぶのを感じる。

 斬るから、斬る。

 当たり前に、とうとう疑問を浮かべることがなくなってしまっていた。

 

「……何だというのだ」

 

 ヘルマンは血まみれで笑う刀子の変貌に当惑した。

 彼も長年を生きてきた悪魔だ。異常な人間の一人や二人、それこそ今の刀子に似た人物だって両手の指で足りないくらいに知っている。

 だが、これは違う。

 狂気でありながら、それは何処までも透明で、邪気とは無縁の慈愛に満ちていた。

 例えるならば、空気。

 あるがままの自然体。

 

「あ、死んじゃう」

 

 刀子はヘルマンの困惑を他所に、他人事のようにそう呟いて己の傷口に気を収束して出血を止めた。

 それでも血が足りないせいか、刀子の身体は右に左に揺れている。

 立ち位置は再び刀子が宗平達、一般人を庇う形となっていた。当然、刀子の変貌を彼らも見ていたが、見ていたからこそ、あってはならない出来事が起きてしまうことになる。

 

「おい! お嬢ちゃん大丈夫か!」

 

 宗平の後ろにいた男の一人が、片腕を失った刀子に駆け寄った。恐怖と混沌にまみれた戦場。異常が積み重なった状況で、男が刀子に見たのは──見知った青年の面影。

 だから彼は思わず駆け寄っていた。お人よしゆえか、宗平とは違って何かと青山を構っていた男は、混沌に現れた見知った日常ゆえに。

 駆け寄る。

 駆け寄って、その首が吹き飛んだ。

 

「あ」

 

 宗平は、あるいはその場にいた誰かがそう漏らした。

 それくらい唐突に、一つの命が奪われたのだった。

 

「大変。首が飛んだわ」

 

 本人は当たり前のように雨を弾いてくるくると飛んでいく男の首を見上げている。

 空に。

 夜空に。

 消えていく、命。

 

「君は……狂人の類か」

 

 ヘルマンは立ち上がりながら、忌々しそうに呟いた。将来が有望な少年少女は好ましいが、完成した個人、ましてや狂人はヘルマンの好みからは外れている。

 刀子はヘルマンの言葉に不満げに眉を寄せた。

 

「……悪魔に狂人呼ばわりされる言われはないわ」

 

「狂人とはえてして己が正しいと思うものだから、これ以上は野暮だが……君は、今一人の男の命を奪ったことに、何かを感じないのかね?」

 

 問答としては矛盾した場面だった。悪魔が人道を説く。その歪さに他ならぬヘルマン自身が笑いたくなったが、問いかけられた刀子は首をかしげて、落ちてきた首をその刀で団子のように突き刺した。

 

「命を奪ったのは悲しいことです……私は己の私利私欲を優先して彼の命を、守るべき尊いものを奪ってしまいましたわ。斬るのよ」

 

 己の行いを反省する言葉と、斬るという言葉は、別々に言いながら、どちらも本心であった。

 それはヘルマンが見たこともない異常性だ。

 人間らしい善悪の価値観を持ちながら、斬るということだけはそれらと乖離して一つの価値観として存在している。

 狂っているのではない。

 人間の感性という鞘に包まれた、刃。

 

「……だが君は、私の見る限り中途半端だな」

 

 ヘルマンは冷や汗を浮かべながらも、それでも落ち着いて戦闘体勢に入った。

 刀子の精神は異常だが、どうにも違和感が残る。

 まるで、誰かに飲み込まれたかのようだった。

 ならば、その精神性から来る戦闘力も未だ些細。現に彼女の能力は、常識の枠内にあり、遠距離で落ち着いて対処すれば──

 

「あぁ、間に合った」

 

 直後、そんな言葉が雨音を斬り裂いた。

 それはこれまでの唐突さを全て覆すくらいに、唐突な発露だった。

 刀子の後ろ、宗平達のさらに後ろ。夜闇から、ぞるりとそいつは現れる。

 そのとき、ヘルマンは確信した。それこそ、目の前の刀子を飲み込んだ張本人だと、半ば本能で理解した。

 雨音の支配する空間で、誰よりも言葉を失ったのは、錦宗平であった。背後、振り返ったそこにいたのは、見知った人物、息子のように思っていた青年。

 

「兄ちゃん……?」

 

「はい。ご無事で何よりです。錦さん」

 

 暗がりよりいでし存在。青山は濡れた前髪の下、暗黒の眼を細めて会釈した。

 その手に持つ長大な野太刀を収める鞘は、全てを術符に覆われ、さらにその上、上位悪魔であるヘルマンを数体は封じてなおお釣りがくるほど強力な鎖が乱雑に巻き付いている。

 それでもなお、その野太刀が吐き出す『生きる』という単純な訴えはかき消すことは出来なかった。

 

「あぎぃ!」

 

 ヘルマンや刀子はともかく、一般人である宗平達の内、精神の弱い幾人かは、その強烈な生存本能とでもいうものに当てられ、喉を押さえて窒息し、気絶した。

 宗平自身も息苦しさに膝をついたが、それを凌駕する混乱が彼一人のみ意識を手放すことなく踏み止まらせる。

 

「アーティファクト……いや、あんな凶悪な……」

 

 ヘルマンの長い年月ですら、あそこまで厳重に封じられた剣を見たことはなかった。魔剣と呼ばれる、持ち主を呪う剣を何本か知っているが、あれほどのものは理解できない。

 それはありえぬ刃だった。常世にあってはならぬ魔剣。完結した者の全存在を抽出した奇跡の刃。

 

「証─あかし─と、銘打ちました」

 

 青山は朗々とその刃の名前を謳いあげると、宗平は訳もわからぬままに青山に駆け寄った。

 そしてその肩を掴むと、激しく揺さぶる。

 

「な、なぁ兄ちゃん! なんなんだこれは……!? これが、こんなのが兄ちゃんの抱えていたものなのかい!?」

 

「錦、さん……」

 

「止めようぜ? 逃げちまおう。こんなのやる必要なんかねぇ。もう戻って、酒飲んで、明日もまた一緒に仕事してよぉ」

 

 既に一人、平和に暮らしていた人間の命が刀子に奪われた事実すら頭になかった。

 冷静で、いられるはずがない。宗平を動かす思いは唯一つ。

 息子のように見守ってきた。

 息子のように接してきた。

 息子のように、成長を喜んだ。

 

「だから逃げよう。さぁ、早く! こんな場所なんか……」

 

「いえ、それはいけませんよ、錦さん」

 

 そう言って、青山は自身の肩に乗った両手を斬った。

 

「あ?」

 

「うん。錦さんはやっぱし素晴らしい人だなぁ」

 

 宗平は何があったのかわからず失われた己の腕の断面を見つめ、噴出す血で顔を染めながら呆然と傷口を、続いて青山の顔を見た。

 そして、悟る。

 青山は嬉しそうに口元を三日月に変えていて。自分は、この今に至ってようやく、青山という人間を間違えていたことに気付いた。

 そこにいるのは人間ではない。

 ひたすらに修羅。

 変わることなんて永遠にありえない何かで。

 

「なんて様なんだ。お前」

 

「だから俺は、青山と呼ばれています」

 

 翻る刃の残光。

 

 生きてください。

 

 そんな優しい言葉を最後に、錦宗平は苦悶のままに絶命した。

 

 




次回、point of no return。

最後の壁を乗り越えるか、それとも後ろを振り向くか。
運命は、少女の一言に委ねられる。



そんな感じで、次回、分岐点です。


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【point of no return━永遠迷子━】(close to youへ)

こちらは理想郷版となっています。理想郷のほうが定期的に見れなくなっているので、色々と考えて理想郷のほうも移すことに決めました。
今後、Aルートと書いてあるほうが、理想郷版、つまりはノーマルエンド版となっています。


 ネギがその日、寮に戻って最初に見たのは、荒れ果てた室内と、目から色を失って横たわる木乃香の姿だった。

 

「木乃香さん!」

 

 慌ててネギが駆け寄って木乃香を抱きかかえる。だが木乃香は全く反応することもなく、何かしらを繰り返し呟き続けていた。

 

「ウチの責任や。ウチが原因や。ウチが悪くて、全部ウチのせいや」

 

「木乃香さん……! しっかりして! 木乃香さん!」

 

 精神に異常をきたしている。それを悟ったネギは何とか彼女を正気に戻すために、気分を落ち着かせる魔法を唱えた。

 すると僅かばかり木乃香の瞳に色が戻り、ネギに視線を合わせるまでに回復する。

 

「ネギ君……? ネギ君……」

 

「僕ですよ。大丈夫です。大丈夫ですからね」

 

「うぁぁぁぁぁ! ネギ君! 明日菜が! 明日菜がぁぁぁぁ!」

 

 瞬間、恐慌した木乃香がネギに抱きついた。咄嗟に風を操って周囲に音が漏れないようにする。かすかに残る魔力の残滓が、状況の悪化を物語っており、周囲を巻き込むのはいけないと悟ったからだ。

 刹那は昨日づけで再び京都に戻った後で、頼ることは出来ない。それよりも今は木乃香を落ち着かせる必要があった。

 

「木乃香さん!」

 

「嫌ぁ……もう嫌やぁ……明日菜もいなくなって、ウチ、ウチ……全部、ウチが……」

 

「……大丈夫。僕が助けます。僕が守ります。だから──ごめんなさい」

 

 ネギは嗚咽を漏らす木乃香に眠りの霧を唱えて眠らせた。

 その瞼がゆっくりと落ちて、それでも最後まで己を呪い続けた少女は可憐な吐息を漏らしながら眠りにつく。

 そっと床に寝かして、ネギは「ごめんなさい」と一言謝ってから、夢に入り込む魔法を使用した。

 

「……」

 

 木乃香の夢は地獄だった。

 紅蓮に飲まれる父親。そしてクラスの仲間やネギ。

 ありとあらゆる全てが紅蓮に飲まれ、それを必至に助けようと手を伸ばし、しかし誰にも手が届かず炎は全てを燃やしていく。

 その間、紅蓮に飲まれた全ての人間が囁くのだ。

 お前がいたから。

 お前が悪い。

 お前だけなんで生きている。

 酷い。

 最低。

 死ね。

 死にさらせ。

 詫びて、死ね。

 全身全霊で悶死しろ。

 あらゆる怨嗟に包まれながら、木乃香が頭を抱えていつまでも謝り続ける光景に、ネギは吐き気すら覚えた。

 だが今必要なのはこの夢ではない。ネギは激痛を訴える左目を無視して、その裏側、最新の記憶を読み取った。

 そして、目を開く。

 

「……明日菜さんを、拉致したのか」

 

 記憶に現れたのはスライムの使い魔が三つ。それが唐突に明日菜を奪い去り、泣き叫ぶ木乃香を虫でも払うように吹き飛ばして、そのまま離脱していくもの。

 その記憶も、木乃香の感情もネギは汲み取った。

 理解不能な超常現象に親友を奪われ、目に届くところにありながら救うことも出来ない無力な自分。

 ネギは木乃香に己を重ねた。

 その姿はフェイトに挑んで返り討ちにあった己そのものだったから。

 

「……そうか」

 

 ネギは滑るように立ち上がった。魔力の残滓は目に見える。痛む左目が微細な魔力の軌跡を表していた。

 今のネギの心に沸き起こるのは、善悪を超えた怒りだった。人間なら誰もが持つ正しくも邪悪な怒りだった。

 拳は硬く作られ、目つきは険しくなり、苛立ちに歯が軋む。

 

「僕から、また奪うつもりか……」

 

 一度目は、悪魔の軍勢が全てを赤に染めた。

 二度目は、鬼と人形が全てを赤に染めた。

 そして三度目。

 また、同じ紅蓮を自分に見せるというのか。

 

「……ふざけるな」

 

 最早、状況は問答を許さなかった。いや、ネギは誰であろうと許すつもりはなかった。

 閃光。合成された魔力と気がネギの体から膨大なエネルギーとなるのと同時、さらに集められていく精霊がその手に収束した。

 

「戦の乙女。百柱……術式固定。掌握」

 

 術式兵装。風精影装。

 膨大な力と百に及ぶ風の精霊を身にまとって、ネギは開いたままの窓から実を乗り出して空に舞う。

 

「何処だ……!」

 

 左目がさらに痛む。痛みとともに謎の存在が内側から強烈に口を開くが、怒りがそれをかき消した。

 今は、この激痛が心地よい。痛みの最中、左目が全てを知覚する異常な状況を認識する。脳が沸騰するような感覚。広がり続ける認識。

 ネギの脳髄に麻帆良の全てがうっすらと浮かんだ。その中から部屋に残された魔力の残滓のみに意識を固定。見えない道が虚空を伝って浮かび上がる。

 五感に頼らぬ何かだったが、ネギは漠然とそれを信じることが出来た。痛むのは左目だというのに、鮮血が溢れるのは右目。雨で流血を洗い流しながら、ネギは捕捉した魔力を追って空に飛んだ。

 体は驚くくらい熱いのに、思考はとてつもなく冷たい。脳味噌の代わりに氷をぶち込んだような心地。左目の痛みすらも鈍磨して、鈍い痛みに苛まれた。

 許すわけにはいかなかった。

 冷静な思考で、敵と出会ったときのことを考えながら、そんなことばかり考える。

 許せるわけがない。守るべき日常を再び壊そうとするおぞましき邪悪を、どうして許せるだろうか。

 同時に、これが正義の義憤なのかも定かではないとネギは思う。

 だが、選択肢は一つしかない。

 己の邪悪に従った断罪か。

 己の正義に従った断罪か。

 結局、行き着く果てが一つなら、終わった後に行動に対する善悪を考えよう。

 今はただ、怒りのままに。

 

「開放。雷の暴風・五連」

 

 そしてその場に辿り着いた瞬間、ネギは縛られた明日菜を取り囲む三つの固体目掛けて移動中にためていた魔法を叩きつけた。

 分身体が位相をずらし、五つの暴風が螺旋を描いて殺到した。炸裂した破壊の乱気流は明日菜すらも巻き込むほどに見えたが、そこは台風の目とでもいうべき、五つの破壊が重なり打ち消しあう中心に明日菜を置くことで問題なくする。

 相手からすれば何が起きたのかわからないだろう。立ち上る煙幕の中にネギは突入すると、風を頼りに明日菜の元に辿り着いた。

 

「ネギ!?」

 

「じっとしていてください!」

 

 ネギは明日菜を束縛していた紐を切り裂き、そのついでとばかりに、明日菜の胸元にあったネックレスを引きちぎって咸卦法の出力のままに握りつぶした。

 

「……あぅ」

 

 何かの影響か、束縛から解放された明日菜が力なく倒れる。慌ててネギはそれを受け止めると、直後、煙を弾いて三つの影が飛び掛ってきた。

 明日菜を抱いているため動きが僅かに遅れる。三体のスライム娘は、腕を刃に変えてネギの無防備な背中に突きたてた。

 だがその程度ではネギのデコイはおろか、咸卦法で底上げされた体を貫くことすら出来ない。

 ネギはスライムを足で弾くと、空に舞い上がって距離をとった。

 改めてみると、ここは麻帆良にある屋外ステージの一角だ。ステージはネギの魔法によって完全に砕け散っているので既に原型はないが、ネギはそのことは気にも留めず観客席に明日菜を優しく下ろした。

 

「ネ、ネギ……」

 

「安心してください。もう、大丈夫ですから」

 

 ネギは明日菜を安心させるように優しく笑いかけると、こちらを警戒するスライムに向き直り、杖を突きつける。

 

「……誰だか知らないし、知る気もありません。召喚した人物も近くにいるようですが、そちらは別の方が相手しているので、今はあなた方を倒します」

 

 勝利を断言する。先の一合だけで戦力差ははっきりしていたからこその宣言だ。

 ネギは明日菜を巻き込む危険性を考えて、クウネルからは行わないようにと言われた距離を詰める行為を自ら行う。

 瞬動ほどの速度はないが、風と咸卦法の相乗効果によってスライムの反射を凌ぐ加速をもって肉薄。三体の丁度間に潜り込むと、二対の分身を放出して左右のスライムを迎撃。目の前のスライムは雷撃を纏った拳で吹き飛ばした。

 三体全てがばらばらになる。戦力の分散は一時的で構わない。一体一体に集中できるだけならば上等。

 ネギは己の内側を切り分けていく。分割される思考はそのまま体から抜けた分身体に取り込まれ、一つ一つが別々の思考を用いて魔法を詠唱を始めた。

 

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。風の精霊60人。縛鎖となりて敵を捕まえろ。魔法の射手・戒めの風矢」

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐。雷の暴風』

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜を切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ。白き雷』

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜を切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ。白き雷』

 

 新たに一つの分身も扱い、本体を含めた四人が同時に詠唱を完了する。最初に放たれたのは本体から放たれた五十に及ぶ戒め。それは三つに枝分かれして、スライムを雁字搦めにして逃げられないように縫い付けた。

 直後、それぞれスライムの方向を向いた緑色の分身が魔法を放った。極大の暴風と、一筋の白き雷。

 雷鳴は轟く。幼い少女の姿をしていようが容赦はなく、ネギの魔法は動けぬ使い魔を貫き、あるいは嵐で切り裂き、瞬く間に殲滅を果たした。

 術式兵装。風精影装の真骨頂。以前は己の動きをトレースするだけしか出来なかったが、クウネルとの鍛錬により、現在は最高で五つまで、分割思考により分身い魔力を与えることで別々の魔法を扱えるまでに至った。

 尤もデメリットはあり、魔法を使用した時点で分身も消滅するのだが──それはネギの戦闘スタイルからすれば些細なデメリットに過ぎない。

 無詠唱が未だに未熟な代わりに、複数分身による多重詠唱はネギの大きな強みだ。

 

「……ふぅ」

 

 殲滅を確認したネギは、それでも周囲を警戒しつつ明日菜の元に飛んだ。

 

「明日菜さん! ご無事ですか!?」

 

「……う、うん。私は大丈夫。それより、木乃香のところに、早く私を連れてって」

 

 衰弱の様子が見られるが、明日菜は自分のことより木乃香のことを案じた。ネギはそんな明日菜に無理をするなと告げようとして、じっとこちらを見つめてくる瞳の強さに、何を言うでもなくうなずきを返した。

 雨の中、ネギは風を駆使して明日菜に雨が注がないようにしながら帰路を急ぐ。本来ならタカミチに連絡をするほうが正しいのだろうが、何故かそんな気は浮かばなかった。

 行きと同じく窓から入ったネギと明日菜は、明日菜は何だかとてつもない感じの下着を着替えに行き、ネギはその間に木乃香を見守ることにした。

 

「木乃香さん……守りましたよ。明日菜さんを」

 

 そう優しく囁きかけると同時、何故かネギの眼から涙がとめどなく溢れてきた。

 

「あ、あれ?」

 

 慌てて目元の涙を拭うが、しかし涙は勢いを増していくばかり。

 困惑はすぐになくなった。目から流れる熱いものの正体にすぐに気付けたから。

 

「ネギ?」

 

「……僕、やっと、やっと、守れたんですね」

 

 ネギは涙を流しながら、着替えを終えた明日菜を見上げた。

 何よりも、守れたことに少年は救われていた。三度目、それもこれまでに比べてささやかな相手だったとはいえ、ネギはようやく大切な人を守ることが出来たから。

 

「ありがとう、ございます……守らせてくれて、ありがとうござます……」

 

「ネギ……!」

 

 明日菜は思わずネギに駆け寄りその体を抱きしめた。

 何てことを自分は彼に言わせているのだろう。早熟で、聡明で、自分よりもよっぽど大人な雰囲気を漂わせているが、ネギはまだ十歳。大人の庇護を受けるべき子どもだというのに。

 そんな彼が嬉しそうに、守らせてくれてありがとうと言ったのだ。それは彼にとって救いであり、同時に、幼い少年に言わせてはならない言葉に他ならなかった。

 

「ごめんね。ごめんね……私は大丈夫だから。ありがとうなんて言わないでネギ。私が感謝しなくちゃ駄目なのに……」

 

「いいんです明日菜さん。僕、守らせてもらって凄く嬉しいんです。自分勝手ですけど、守れたことが嬉しいから」

 

「ネギ……」

 

 明日菜はただ後悔するしかなかった。傷心の木乃香を構うばかり、ネギに巣くっていた闇を見逃したことを。

 すれ違って、誤って、自分はもう彼の隣ではないことを悟って、明日菜は涙を流してしまう。許されないとわかっていながら、己のふがいなさに涙しかでなかった。

 

「大丈夫ですよ明日菜さん」

 

 木乃香を守ると誓ったはずだった。

 だが自分は彼女の隣にいることばかりを考えて、ネギのように守るための強さを得る努力を怠ってしまった。自分を誘拐した怪物を圧倒した手並みは、京都のときとは比べ物にすらならなくて。

 

「ごめんね。ありがとう」

 

 そう言う事しか出来ぬ己の情けなさに、涙がこみ上げるのを明日菜は止めることが出来ず、二人は木乃香が目を覚ますまでの間、互いの傷を舐めあうように抱き合い続けた。

 

 

 

 

 



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【point of no return━視線交差━】(『遥かなる影』へ)

こちらは別エンドバージョン。いわゆる、バッドエンドコースです。


 ネギがその日、寮に戻って最初に見たのは、荒れ果てた室内と、目から色を失って横たわる木乃香の姿だった。

 

「木乃香さん!」

 

 慌ててネギが駆け寄って木乃香を抱きかかえる。だが木乃香は全く反応することもなく、何かしらを繰り返し呟き続けていた。

 

「ウチの責任や。ウチが原因や。ウチが悪くて、全部ウチのせいや」

 

「木乃香さん……! しっかりして! 木乃香さん!」

 

 精神に異常をきたしている。それを悟ったネギは何とか彼女を正気に戻すために、気分を落ち着かせる魔法を唱えた。

 すると僅かばかり木乃香の瞳に色が戻り、ネギに視線を合わせるまでに回復する。

 

「ネギ君……? ネギ君……」

 

「僕ですよ。大丈夫です。大丈夫ですからね」

 

「うぁぁぁぁぁ! ネギ君! 明日菜が! 明日菜がぁぁぁぁ!」

 

 瞬間、恐慌した木乃香がネギに抱きついた。咄嗟に風を操って周囲に音が漏れないようにする。かすかに残る魔力の残滓が、状況の悪化を物語っており、周囲を巻き込むのはいけないと悟ったからだ。

 刹那は昨日づけで再び京都に戻った後で、頼ることは出来ない。それよりも今は木乃香を落ち着かせる必要があった。

 

「木乃香さん!」

 

「嫌ぁ……もう嫌やぁ……明日菜もいなくなって、ウチ、ウチ……全部、ウチが……」

 

「……大丈夫。僕が助けます。僕が守ります。だから──ごめんなさい」

 

 ネギは嗚咽を漏らす木乃香に眠りの霧を唱えて眠らせた。

 その瞼がゆっくりと落ちて、それでも最後まで己を呪い続けた少女は可憐な吐息を漏らしながら眠りにつく。

 そっと床に寝かして、ネギは「ごめんなさい」と一言謝ってから、夢に入り込む魔法を使用した。

 

「……」

 

 木乃香の夢は地獄だった。

 紅蓮に飲まれる父親。そしてクラスの仲間やネギ。

 ありとあらゆる全てが紅蓮に飲まれ、それを必至に助けようと手を伸ばし、しかし誰にも手が届かず炎は全てを燃やしていく。

 その間、紅蓮に飲まれた全ての人間が囁くのだ。

 お前がいたから。

 お前が悪い。

 お前だけなんで生きている。

 酷い。

 最低。

 死ね。

 死にさらせ。

 詫びて、死ね。

 全身全霊で悶死しろ。

 あらゆる怨嗟に包まれながら、木乃香が頭を抱えていつまでも謝り続ける光景に、ネギは吐き気すら覚えた。

 だが今必要なのはこの夢ではない。ネギは激痛を訴える左目を無視して、その裏側、最新の記憶を読み取った。

 そして、目を開く。

 

「……明日菜さんを、拉致したのか」

 

 記憶に現れたのはスライムの使い魔が三つ。それが唐突に明日菜を奪い去り、泣き叫ぶ木乃香を虫でも払うように吹き飛ばして、そのまま離脱していくもの。

 その記憶も、木乃香の感情もネギは汲み取った。

 理解不能な超常現象に親友を奪われ、目に届くところにありながら救うことも出来ない無力な自分。

 ネギは木乃香に己を重ねた。

 その姿はフェイトに挑んで返り討ちにあった己そのものだったから。

 

「……そうか」

 

 ネギは滑るように立ち上がった。魔力の残滓は目に見える。痛む左目が微細な魔力の軌跡を表していた。

 今のネギの心に沸き起こるのは、善悪を超えた怒りだった。人間なら誰もが持つ正しくも邪悪な怒りだった。

 拳は硬く作られ、目つきは険しくなり、苛立ちに歯が軋む。

 

「僕から、また奪うつもりか……」

 

 一度目は、悪魔の軍勢が全てを赤に染めた。

 二度目は、鬼と人形が全てを赤に染めた。

 そして三度目。

 また、同じ紅蓮を自分に見せるというのか。

 

「……ふざけるな」

 

 最早、状況は問答を許さなかった。いや、ネギは誰であろうと許すつもりはなかった。

 閃光。合成された魔力と気がネギの体から膨大なエネルギーとなるのと同時、さらに集められていく精霊がその手に収束した。

 

「戦の乙女。百柱……術式固定。掌握」

 

 術式兵装。風精影装。

 膨大な力と百に及ぶ風の精霊を身にまとって、ネギは開いたままの窓から実を乗り出して空に舞う。

 

「何処だ……!」

 

 左目がさらに痛む。痛みとともに謎の存在が内側から強烈に口を開くが、怒りがそれをかき消した。

 今は、この激痛が心地よい。痛みの最中、左目が全てを知覚する異常な状況を認識する。脳が沸騰するような感覚。広がり続ける認識。

 ネギの脳髄に麻帆良の全てがうっすらと浮かんだ。その中から部屋に残された魔力の残滓のみに意識を固定。見えない道が虚空を伝って浮かび上がる。

 五感に頼らぬ何かだったが、ネギは漠然とそれを信じることが出来た。痛むのは左目だというのに、鮮血が溢れるのは右目。雨で流血を洗い流しながら、ネギは捕捉した魔力を追って空に飛んだ。

 体は驚くくらい熱いのに、思考はとてつもなく冷たい。脳味噌の代わりに氷をぶち込んだような心地。左目の痛みすらも鈍磨して、鈍い痛みに苛まれた。

 許すわけにはいかなかった。

 冷静な思考で、敵と出会ったときのことを考えながら、そんなことばかり考える。

 許せるわけがない。守るべき日常を再び壊そうとするおぞましき邪悪を、どうして許せるだろうか。

 同時に、これが正義の義憤なのかも定かではないとネギは思う。

 だが、選択肢は一つしかない。

 己の邪悪に従った断罪か。

 己の正義に従った断罪か。

 結局、行き着く果てが一つなら、終わった後に行動に対する善悪を考えよう。

 今はただ、怒りのままに。

 

「開放。雷の暴風・五連」

 

 そしてその場に辿り着いた瞬間、ネギは縛られた明日菜を取り囲む三つの固体目掛けて移動中にためていた魔法を叩きつけた。

 分身体が位相をずらし、五つの暴風が螺旋を描いて殺到した。炸裂した破壊の乱気流は明日菜すらも巻き込むほどに見えたが、そこは台風の目とでもいうべき、五つの破壊が重なり打ち消しあう中心に明日菜を置くことで問題なくする。

 相手からすれば何が起きたのかわからないだろう。立ち上る煙幕の中にネギは突入すると、風を頼りに明日菜の元に辿り着いた。

 

「ネギ!?」

 

「じっとしていてください!」

 

 ネギは明日菜を束縛していた紐を切り裂き、そのついでとばかりに、明日菜の胸元にあったネックレスを引きちぎって咸卦法の出力のままに握りつぶした。

 

「……あぅ」

 

 何かの影響か、束縛から解放された明日菜が力なく倒れる。慌ててネギはそれを受け止めると、直後、煙を弾いて三つの影が飛び掛ってきた。

 明日菜を抱いているため動きが僅かに遅れる。三体のスライム娘は、腕を刃に変えてネギの無防備な背中に突きたてた。

 だがその程度ではネギのデコイはおろか、咸卦法で底上げされた体を貫くことすら出来ない。

 ネギはスライムを足で弾くと、空に舞い上がって距離をとった。

 改めてみると、ここは麻帆良にある屋外ステージの一角だ。ステージはネギの魔法によって完全に砕け散っているので既に原型はないが、ネギはそのことは気にも留めず観客席に明日菜を優しく下ろした。

 

「ネ、ネギ……」

 

「安心してください。もう、大丈夫ですから」

 

 ネギは明日菜を安心させるように優しく笑いかけると、こちらを警戒するスライムに向き直り、杖を突きつける。

 

「……誰だか知らないし、知る気もありません。召喚した人物も近くにいるようですが、そちらは別の方が相手しているので、今はあなた方を倒します」

 

 勝利を断言する。先の一合だけで戦力差ははっきりしていたからこその宣言だ。

 ネギは明日菜を巻き込む危険性を考えて、クウネルからは行わないようにと言われた距離を詰める行為を自ら行う。

 瞬動ほどの速度はないが、風と咸卦法の相乗効果によってスライムの反射を凌ぐ加速をもって肉薄。三体の丁度間に潜り込むと、二対の分身を放出して左右のスライムを迎撃。目の前のスライムは雷撃を纏った拳で吹き飛ばした。

 三体全てがばらばらになる。戦力の分散は一時的で構わない。一体一体に集中できるだけならば上等。

 ネギは己の内側を切り分けていく。分割される思考はそのまま体から抜けた分身体に取り込まれ、一つ一つが別々の思考を用いて魔法を詠唱を始めた。

 

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。風の精霊60人。縛鎖となりて敵を捕まえろ。魔法の射手・戒めの風矢」

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐。雷の暴風』

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜を切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ。白き雷』

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル。闇夜を切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ。白き雷』

 

 新たに一つの分身も扱い、本体を含めた四人が同時に詠唱を完了する。最初に放たれたのは本体から放たれた五十に及ぶ戒め。それは三つに枝分かれして、スライムを雁字搦めにして逃げられないように縫い付けた。

 直後、それぞれスライムの方向を向いた緑色の分身が魔法を放った。極大の暴風と、一筋の白き雷。

 雷鳴は轟く。幼い少女の姿をしていようが容赦はなく、ネギの魔法は動けぬ使い魔を貫き、あるいは嵐で切り裂き、瞬く間に殲滅を果たした。

 術式兵装。風精影装の真骨頂。以前は己の動きをトレースするだけしか出来なかったが、クウネルとの鍛錬により、現在は最高で五つまで、分割思考により分身い魔力を与えることで別々の魔法を扱えるまでに至った。

 尤もデメリットはあり、魔法を使用した時点で分身も消滅するのだが──それはネギの戦闘スタイルからすれば些細なデメリットに過ぎない。

 無詠唱が未だに未熟な代わりに、複数分身による多重詠唱はネギの大きな強みだ。

 

「……ふぅ」

 

 殲滅を確認したネギは、それでも周囲を警戒しつつ明日菜の元に飛んだ。

 

「明日菜さん! ご無事ですか!?」

 

「……う、うん。私は大丈夫。それより、木乃香のところに、早く私を連れてって」

 

 衰弱の様子が見られるが、明日菜は自分のことより木乃香のことを案じた。ネギはそんな明日菜に無理をするなと告げようとして、じっとこちらを見つめてくる瞳の強さに、何を言うでもなくうなずきを返した。

 雨の中、ネギは風を駆使して明日菜に雨が注がないようにしながら帰路を急ぐ。本来ならタカミチに連絡をするほうが正しいのだろうが、何故かそんな気は浮かばなかった。

 行きと同じく窓から入ったネギと明日菜は、明日菜は何だかとてつもない感じの下着を着替えに行き、ネギはその間に木乃香を見守ることにした。

 

「木乃香さん……守りましたよ。明日菜さんを」

 

 そう優しく囁きかけると同時、何故かネギの眼から涙がとめどなく溢れてきた。

 

「あ、あれ?」

 

 慌てて目元の涙を拭うが、しかし涙は勢いを増していくばかり。

 困惑はすぐになくなった。目から流れる熱いものの正体にすぐに気付けたから。

 

「ネギ?」

 

「……僕、やっと、やっと、守れたんですね」

 

 ネギは涙を流しながら、着替えを終えた明日菜を見上げた。

 何よりも、守れたことに少年は救われていた。三度目、それもこれまでに比べてささやかな相手だったとはいえ、ネギはようやく大切な人を守ることが出来たから。

 

「ありがとう、ございます……守らせてくれて、ありがとうござます……」

 

「ネギ……!」

 

 明日菜は思わずネギに駆け寄りその体を抱きしめた。

 何てことを自分は彼に言わせているのだろう。早熟で、聡明で、自分よりもよっぽど大人な雰囲気を漂わせているが、ネギはまだ十歳。大人の庇護を受けるべき子どもだというのに。

 そんな彼が嬉しそうに、守らせてくれてありがとうと言ったのだ。それは彼にとって救いであり、同時に、幼い少年に言わせてはならない言葉に他ならなかった。

 

「ごめんね。ごめんね……私は大丈夫だから。ありがとうなんて言わないでネギ。私が感謝しなくちゃ駄目なのに……」

 

「いいんです明日菜さん。僕、守らせてもらって凄く嬉しいんです。自分勝手ですけど、守れたことが嬉しいから」

 

「ネギ……」

 

 明日菜はただ後悔するしかなかった。傷心の木乃香を構うばかり、ネギに巣くっていた闇を見逃したことを。

 すれ違って、誤って、自分はもう彼の隣ではないことを悟って、明日菜は涙を流してしまう。許されないとわかっていながら、己のふがいなさに涙しかでなかった。

 

「大丈夫ですよ明日菜さん」

 

 木乃香を守ると誓ったはずだった。

 だが自分は彼女の隣にいることばかりを考えて、ネギのように守るための強さを得る努力を怠ってしまった。自分を誘拐した怪物を圧倒した手並みは、京都のときとは比べ物にすらならなくて。

 

 だからと言って、何も出来ないと言うのはただの逃げでしかないだろう。

 

「大丈夫じゃないよ」

 

「え?」

 

「そんな顔して、大丈夫なわけないじゃない」

 

 明日菜はネギの額に己の額を当てて、その両目を真っ直ぐに見詰めた。

 優しい光を灯した右目が当惑に揺らめき。

 黒い黒い左目は、やはり感情が読めないくらいに黒いまま。

 大丈夫なはずが、なかった。

 その様を見て、何も言えないなんて、きっと嘘だ。

 

「私はここにいるよ、ネギ。隣には立てないけど、後ろにいるから……置いて行かないで」

 

 このままでは、ネギはもっと前に進んでしまう。

 胸に懐いていた思いすらも忘れて、何かに飲み込まれて溶けてしまう。

 最果てに至る可能性がそこにはあった。

 だから明日菜は彼を引きとめなくてはいけないのだ。例えネギの足を引っ張ることになっても、彼が後ろを振り向いて、世界は一本道ではないと思いだしてほしかったから。

 

「ごめんね。ありがとう。でも、無茶だけは絶対にしないで……」

 

 始まりの過ちは、きっとそこだった。

 ネギはネギで。

 明日菜は明日菜だ。

 

「明日菜さん……」

 

「今のネギ、怖いよ」

 

「ッ……!」

 

 真正面から見たネギの顔。いつも見ていたはずだというのに、それが何故か久しぶりに見たような気がした。

 虚ろな瞳と、今にも追いこまれて動けなくなりそうな表情。いずれは傍観に染まり、苦汁を浮かべながらも決して変わらなくなる様子が目に浮かぶ。それはとても怖いことだった。

 だがそうしたのは他でもない。自分達を守るためにネギはこうなった。

 ならば責は、側にいながらそこに気付かなかった己にあるだろう。

 

「私を見なさいよ。目を見て、誰か呼びなさい」

 

「明日菜さん……です」

 

「そうよ。私は神楽坂明日菜。アンタに守られるだけの存在でも、隣にいつもいる家族でもない……ただの、パートナーよ。それ以上でも以下でもない」

 

 それは明日菜自身も戒める言葉だ。

 ネギを守るだけの存在でもない。

 ネギの隣にいつもいる家族でもない。

 明日菜は、ネギのパートナーでしかない。

 そうわかってしまえば、胸にこびりついていた言い得ぬ何かは、あっという間に剥がれ落ちてしまった。

 

「悪い夢を見てたみたい……」

 

 幼いころ、失った誰か。

 そこにネギを投影していた。

 今思えばあまりにも身勝手なことだ。今ここにいる少年を見ずに、失った誰かの影ばかりを追っていた。だからネギの変貌にも気付くことが出来ず、このぎりぎりの間際までネギが進むのを見ることしかできなかった。

 

「でも、それはアンタも同じよ。バカネギ」

 

 明日菜は額を離すと、軽くネギの鼻を弾いた。「あぅ」と悲鳴をあげるネギに、晴れ晴れとした笑顔を向ける。

 

「何が守らせてくれてありがとうよ。いっちょまえに大人ぶっちゃってさ。アンタはただのお子ちゃまでしょうが」

 

「……酷いなぁ。明日菜さん」

 

 雨は降っている。だがネギは目の前に太陽があるのを理解した。

 同じだ。明日菜が言うとおり、ネギも悪い夢を見ていたらしい。

 

「そうですよね。明日菜さんは、明日菜さんだ」

 

 幼いころ、己を守ってくれた姉ではない。だから、明日菜を必ず守らなければならないというのはきっと嘘だ。

 勿論、ネギも明日菜も、互いを助けて支え合うという気持ちはある。むしろ、これまで以上だろう。

 だが決して。

 守ろうなんて、思ったりはしなかった。

 

「いつも怒ってる怖い明日菜さんだ」

 

 そう言って、無邪気に笑う。晴れ晴れと、憑き物がすっかりと落ちた少年らしい微笑みを浮かべて。

 明日菜はその笑みに一瞬見惚れ、しかし言われた言葉に文句を言ってやろうと拳を握ってから、気付く。

 

「アレ? アンタ、左目……」

 

「え?」

 

 一瞬。黒だけの左目が、かつての色に戻ったような気がしたが、それは幻だったかのように、瞬きをすれば元の黒に戻っていた。

 

「……いや、何でもないわ」

 

 頭を振って幻影を追い払うと、ふらつく足に力を入れた。

 

「あわわ、まだ危ないですよ……!」

 

「大丈夫、よ……!」

 

 手を貸そうとするネギを抑えて、明日菜は己の足で立ち上がる。雨は未だ降り続いているが、それもまた今の自分達には似合っている気がした。

 

「明日」

 

「え?」

 

「晴れるといいわね」

 

 同じく立ち上がったネギは、空を見上げる明日菜を見た。何でもない言葉、だが何かを願うようなその一言に、ネギは視線を暗雲の空に向けると。

 

「大丈夫、きっと、晴れますよ」

 

 明日のことはわからないし、今のことだってあやふやだけれど。

 確信をもって、ネギはそう言い切ることが出来たのだった。

 

 

 

 

 




次のお話はオリ主のほうなので、A,B共通となっています。


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【無貌の仮面】

分岐上、文字数が著しく減少しているので、初めて読まれる方には違和感があるかもしれませんが、ご了承いただけたらと思います。


 

 雨が降り続いている。

 雷雲は雷を放ち、轟々と雨音が耳にやけに五月蝿く感じる中、ヘルマンはその狂乱を愕然とした心境で見つめるしか出来なかった。

 一瞬。

 雷よりも早き斬撃が幾筋も走った直後、青山の肩を掴んでいた初老の男が消滅した。

 展開された斬撃の檻が錦宗平という男の人生を奪い去り、雨音に掻き消えるくらい、しかし耳に張り付く美しい音色に成り果てる。

 

「綺麗な音色だろ?」

 

 青山は誰にでもなく、そんなことを呟いた。一瞬ではかなく消えた音に酔うように眼を閉じた青山に共感したのは、喜色の笑みを浮かべている刀子だけだ。

 証と名づけられた刃に狂わされた男達は、その壮絶な音色にたたき起こされ、唖然としている。

 目の前にいる男が誰なのか思考できなかった。凛と響く生存の証明に惚け、そしてそれが不幸中の幸い。

 刀子が青山に近づくついでとばかりに生き残った男達の首を体から斬り分けた。青山の奏でた音色を聞いた後では、あまりにも未熟な音色が聞こえる。そのことに刀子は羞恥に頬を染めた。

 

「嫌だわ。恥ずかしい」

 

「いえ、俺以外の人の歌を聞いたのは初めてだったので、新鮮でしたよ」

 

「そんな、私なんかのでは青山さんの──」

 

 不意に、刀子の口から鮮血が溢れて、その先の言葉は出なかった。

 その腹部には後ろの風景が見えるくらいの風穴が開いている。ぽっかりと空いたのは肉体か、あるいは空洞となった心を体現したのか。

 青山が愕然と目を見開いて風穴の向こうで人間にはありえぬ長さの腕を突き出したヘルマンを見た。

 

「あ……」

 

「……おぞましいのだよ。君達は……!」

 

 刀子の体がぐらりと傾き、そのまま鮮血に沈む。

 即死だった。普段の青山なら逃すはずのない虚を突いた一撃が、異常な状態に陥り警戒を怠った刀子を絶命させたのである。

 ヘルマンは吐き気を覚えながら、不意打ちとはいえ刀子を落とせたことに僅かながら安堵していた。

 刀子を貫いた一撃は、反射的に証で防御したことで青山には届かなかったが、それでも一人を葬ったことで状況はある程度好転している。

 何より、あんな気味の悪い何かの会話を聞くことが耐えられなかった。想像を超えたありえぬ何か。形容できぬ人間の終末。

 存在が害。

 その根源が未だいることがヘルマンには絶望的な心地であった。

 

「あ、あぁ……そんな……」

 

 青山はヘルマンが畏怖によって最大級の警戒をしているにも関わらず、腹部をえぐられて絶命した刀子に震えながら歩み寄り、刀を取りこぼしてその体を抱きかかえた。

 

「何で、何でこんな……酷すぎる。何故、彼女を殺した」

 

「君は、何を……」

 

「ただ斬っていただけの彼女を殺す必要が、何処にあったのだ……」

 

 その瞬間、ヘルマンはこみ上げる吐き気と、理解できぬ青山の言葉に一歩後ろに引いていた。

 何を言っている。

 この男の言っていることが理解できない。

 だが青山は語る。雨か涙かわからぬが、まるで泣いているかのように顔から雨の雫を流し、刀子の亡骸に視線を落とした。

 

「初めての友人だった。人と同じく恋をし、人を守るための仕事に誇りを持ち、そんな彼女が俺は尊敬していた……人々の笑顔を守るために戦う彼女が、お前のような殺人を躊躇わぬ悪魔に殺されるなど……俺は俺がふがいなくてたまらない」

 

「……ッ」

 

「わかっているのか悪魔よ。あぁ、言ってもわからぬだろうが何度でも言ってやる。殺すことは悪だ。そんな悪を躊躇なく、しかも不意打ちという形で行ったお前を、俺は許したりしない。命は、奪ってはいけない大切なものだというのに、それを容易く奪ったお前を許せば、俺はただの外道に成り果てるのだから」

 

 それをお前が。

 お前がそれを言うのか。

 逃げようと言い寄った知り合いを躊躇なく斬り殺したお前が。

 容赦なく命を奪い、あまつさえいい音色だと笑いさえしたお前が。

 

 どの口で、命が大切だと吼えられる。

 

「……」

 

 ヘルマンは最早返す言葉もなかった。

 返答を期待してなかった青山も、刀子の遺体をそっと横たわらせて、証を手に持ってゆっくりと立ち上がり、構える。

 瞬間、ヘルマンは反吐を撒き散らした。

 正視に堪えられる者ではなかった。不意打ち気味に見てしまったことで、ヘルマンの魂が青山という存在を認識することを拒んだのだ。

 なんという様なのか。

 こんなものが人間だというのか。

 ヘルマンは怖くなった。

 とても、とても怖かった。

 初めて覚えた絶望感に身を縮ませ、青山という人類の終末にひれ伏すしかない。

 

「こんなのが……こんなものが人間ならば……」

 

 私は人間の成長に期待するのを止めよう。

 神に祈ることなく、魂が人間という種族を畏怖した。これが人間の果てならば、人間とはいてはいけない存在となる。

 悪魔は人間に恐怖した。

 涙を流して終わりのときを待つしか出来ぬ哀れな存在に成り果てた。

 

「……だが、それでも俺はお前を斬ろう。でなければ俺はお前と同類になってしまう……それが俺の正義だ。俺はお前とは違う。俺は生きた証を証明し続ける」

 

 青山の言葉に、恐怖の片隅で嘲笑する。

 むしろ。

 

「君は、この世界で誰よりも孤独な……化け物だ」

 

「……俺は誰よりも人間だよ。悪魔」

 

 だからこうして斬っていく。

 凛という鈴の音色に染み込む歌声が、せめて刀子の鎮魂になるように、青山はそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 悪魔の来訪からおよそ一時間後、異変を察知した魔法先生達がガンドルフィーニを保護し、現場に到着したときには既に全てが終わった後だった。

 破壊の傷跡が幾つも残っており、辺りに幾つもの死体が散乱し、その中に眠るように死んでいる刀子の姿もあった。

 事件に関係があったネギと、状況を知っていたガンドルフィーニの証言、そして最後に調書を取った青山の言によって、刀子は悪魔に操られガンドルフィーニを斬り、一般人を殺した。そんな彼女を用なしとばかりに悪魔は殺し、それを青山が滅したという形に収まる。

 ネギの証言は魔法先生に知られることなく隠されることになった。これは神楽坂明日菜のもつ秘密を守るための処置であったが、代わりにネギも事件を解決に導いたという形で、新たに魔法先生の組織に紹介されることとなる。

 事件はこうして完結した。京都の一件が未だ記憶に新しいというのに、新たに刻まれた惨劇の記録。彼らはいっそう気を引き締めて己の業務の困難さを再確認することになる。

 

 聴取の最後、青山はこう語る。

 

「俺は錦さん達を殺し、さらに刀子さんを助けることが出来なかった」

 

 苦悶に満ちたその姿は誰もが哀れむに足る姿であった。

 

 

 

 

 ──なお、錦宗平の遺体だけはどれだけ探しても見つからなかったため、悪魔に捕食されたという結論に至ったことをここに記す。

 

 

 

 

 




次回も分岐。色々とアレな変更となっています。


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【close to you】(Aルートへ)

理想郷版です


 ──そして、京都の惨劇から一月が経過した後、ネギは詠春の葬儀が行われたその夜、一人、ホテルの外に出て憂鬱な表情で夜空を見上げていた。

 

「……痛ッ」

 

 ネギは左目の痛みに耐え切れず、懐からクウネルより手渡された丸薬を取り出して口に含む。

 噛み砕くと、透明な魔力が体を汚染する呪いを吹き飛ばして、ある程度落ち着きを取り戻した。

 あの日、左目を酷使したネギは、漠然とだが周囲の気や魔力を探知できる能力を得た代わりに、定期的にクウネル特製の薬を服用せねばならないほどの激痛に苛まれることになった。明日菜には修行で得た魔力を馴染ませるためと説明しているが、いつまでも騙せるものではないだろう。現に、最近では薬を飲むたびに寂しそうな表情を浮かべている。

 だがネギは後悔していなかった。得られた力は守ることに特化した能力だ。この力で全てを守ることが出来るのなら、激痛だって甘んじて受け入れよう。

 

「……」

 

 ネギは夜空に再び視線を漂わせ、詠春のことを思った。会ったことも話したこともないけれど、葬儀に集まった人々の表情を見れば、よほど慕われていたのはすぐにわかる。

 京都に行く前、クウネルも「彼はとても素晴らしい方でした」と、友人として詠春のことを語ってくれた。

 だが。

 そんな人すら、容易く死ぬ。

 記憶に新しいのは、麻帆良を襲撃した悪魔の事件だ。そのとき、優秀な魔法先生が一人殉職したこともあり、人は容易く死ぬと、自分の見知らぬところであっという間に死んでいくと悟る。

 先程、全てを守ることが出来ると思ったが、それは傲慢な考えにすぎないのだろう。ネギは全知全能でもなく、ましてや強さも未熟だ。

 

「……はぁ」

 

 善悪を考える前に、それを語るための強さがない。

 そもそも、何処まで強くなれば強いというのか。

 わからないことだらけで、培った全ては道を照らすにはあまりにも小さな明かりでしかない。

 守ると誓い。

 強くなると誓い。

 果てに待つ者にならぬことを選択し。

 自分は何を手にするつもりなのか。

 空虚な手には掴めるものはない。今も悲しみに枕を濡らす木乃香の涙だって掬うことも出来なくて──

 

「悩んでいるようだネ。ネギ先生」

 

 不意に、いや、来ているのはわかっていたので、ネギは驚くことなく視線を横に向けた。

 

「超さん……いつここへ?」

 

「んー。未来人の超技術でつい先程来たネ」

 

「そうですか」

 

「……ここ、突っ込むところヨ」

 

 超鈴音は、困ったように頬を掻いた。

 いつ着たのかは知らないが、ネギは今はどうも教師として接することが出来なかった。今は考えることが多すぎて、超のことに構う余裕すらない。

 超はそんなネギの心境を察してか、数分ほど、夜空を見上げるネギの隣に無言で寄り添った。

 慰めの言葉なんて出ない。ネギは知らないが、超はネギがどれ程頑張ったのか知っているから。それを安直な言葉で慰めることも、話題に出すことも出来なかった。

 だから、彼女に出来るのは率直に己の思いを彼に告げることだけだ。

 

「……もし、誰もが魔法を知っていたら、今回の惨劇は回避されたかもしれないネ」

 

 ネギは無視できぬ言葉に超に視線を移した。だが超はネギを見ることなく、今は己の話を聞けと態度でネギに示す。

 

「私はそう思うヨ。もしも魔法が世界中に知れ渡っていたなら、京都だけではない。こうしている間も失われていっている希望を、魔法使いの手で拾い上げることが出来るのではないかと」

 

「……ですが、魔法が知れることで世界は混乱します。だからこそ、魔法は秘匿されるべきなのです」

 

 ネギは魔法使いとして当然の反論を口にしていた。今は超が何故魔法を知っているのかを追求するでもなく、素直にそんなことを言い返すことが出来た。

 だがネギのそれは一般論で、今のネギには、己の言葉が何処までも空虚なものだという自覚があった。

 超はそんなネギを見透かすような淡い笑みを浮かべる。

 

「混乱は重々承知ヨ。だが先を見据えればどうかネ? 魔法を知らしめて混乱した一年を乗り切った十年後、二十年後の未来は、今混乱を起こさずに過ごした十年後、二十年後よりも素晴らしいのではないか?」

 

「……それは」

 

「魔法をばらすことは許されないというのは、魔法使い側から見ただけの正義ではないと言い切れるか? それが本当に立派な魔法使いの答えになるのか?」

 

 超はそこで一呼吸置くと、初めて見るような苦しげな表情で頭を振った。

 

「私は、そう思わないネ。魔法という素晴らしい技術がもたらす混乱は、それ以上の幸福を人々に与える切っ掛けになるという確信がある。勿論、魔法を人々に知らせることが出来たといって、すぐに混乱が収まるとは限らない。一年? 十年? それとも一世紀? 魔法使いと、非魔法使いとの格差は目に見えるが、しかし私はもし世界に魔法を知らしめた暁には、そこに生涯を賭ける覚悟があるヨ」

 

 それは超の本心からの言葉だ。真っ直ぐに語る超の言葉は、ネギにはとても眩しいものに感じられた。

 比べて、自分はどうであろうか。何処に行くでもなく、ぐずぐずと燻るばかりで、超の目的はどうあれ、彼女と自分ではその覚悟に雲泥の差があった。

 

「……それでも、魔法をばらすことによって苦しむ人がいます」

 

 ネギの脳裏に浮かんだのは木乃香のことだ。あるいは京都に住む人々のことで、今も魔法があれば助かったかもしれない人々の怨嗟である。

 超もネギが言いたいことがわかるのか、寂しそうに口元を緩め目じりを下げた。

 

「傷つけられた心を、いっそう傷つけることはあるヨ。しかし……改革は血が必要という考えを鵜呑みにすることは出来ないが、だからといってこのまま、今日の百のために明日以降の千を捨てるのが正しい選択かネ?」

 

「それでも、魔法という影響力が与える波紋によって、もしかしたら今日の百の代償が、明日以降の千の代償を生むことになることもあります。魔法を世に知らしめることによる混乱の向こうには、新たな混乱が起こるかもしれませんよ」

 

「そうかもしれない。しかしネギ先生も思うところがあるのではないか? もしも京都の一件で魔法が知れ渡っていれば、もっと違う選択肢があったのではないかと。あるいは誰も死なぬ終わりがあったかもしれないと」

 

 そう言われるとネギには返す言葉がなかった。

 思わなかったわけではない。もしも魔法が知れ渡っていれば、木乃香はもっと厳重な警護か、あるいは彼女自身も魔法を覚えて自衛を行っていたとか、ネギ達ももっと堂々と親書を渡すことが出来たのではないかとか。

 もしも。

 もしも。

 そんな思いに苛まれない日がなかったといえば、嘘だ。

 

「学園の中央にある世界樹には、数年に一度願いを叶える能力が発言するという。これはあらゆる願いをかなえるわけではないが……例えば、世界樹の魔力を使って、世界中に『魔法があってもおかしくはない』という認識を与える程度のことならば可能ネ」

 

 超は唐突にそんなことを話した。どういうことなのかわからないといったネギにようやく視線を合わせて、超はその頭を軽く撫でた。

 

「私は学園祭の最終日に、世界樹を利用して世界中に魔法を認識させるネ」

 

「……そんなこと、僕に話していいんですか? 超さんがどうやってそうするのかわかりませんが、僕がこのことを学園長に話せば、その時点で超さんのその目的は」

 

「ご破算だろうネ。だが、ここでネギ先生が私の計画に乗らずに全てを話そうが、ネギ先生が仲間にならなかった時点で私の計画は失敗するヨ」

 

 超は半ば確信をもってそう言った。どういうことだ? とネギが問う前に、超は一言「青山がいるネ」と、その確信の正体を告げた。

 ネギもその名前を聞いた瞬間に全てに納得する。青山。あの男の力ならば、問答無用で超の計画を斬ることが思い浮かんだから。

 

「……それで、何で僕を? 僕なんかの力ではものの足しにもならないですよ?」

 

「ネギ先生に期待しているのは、土壇場での爆発力ネ。そして、麻帆良で先日起きた事件……そのときの戦いぶりも見せてもらったヨ。あの実力なら学園の魔法先生にも遅れはとらないどころか、圧倒すら可能ネ」

 

 超の見立てにネギは自嘲しながら「僕はまだまだですよ」と呟いた。

 自分にそこまでの能力があるとは思えない。そんなネガティブな思考を、事情を知るからこそ超はやはり安直には否定できなかった。

 

「いずれにせよ。私はネギ先生の協力が欲しい。もしもこの計画に乗ってくれるのならば、少なくとも木乃香のことだけは何とかすることだけは保証するヨ。協力してくれる以上、全てとは言わないが、ネギ先生の周りだけは保護するのは当然の義務ネ」

 

 超は言いたいだけいうと、「では、また学園で」と告げて、歩き去っていった。

 その背を見送ったネギは、唐突に目の前に現れた選択肢に戸惑いを覚えつつも、やはり表情は憂いを帯びたままだった。

 どうすればいいのか。何が正しいのか。超の発言が真実ならば、それは魔法使いにとって許せぬ悪である。

 しかしどうだろう。まるで夢物語であったような先の会話が、ネギの心をじっとりと熱くさせていた。

 答えは今すぐ出せるものではない。ただでさえ色々と混乱しているせいで限界なのに、魔法を世に知らしめることに協力するかどうかについて考えられる余裕もなかった。

 僕は、何処までも中途半端だ。

 もしかしたらこのまま、『永遠に中途半端』なのではないか。

 半ば無意識に自虐したネギ。直後、その左目が先程以上に強烈な激痛に襲われた。

 

「ぎぃ……!?」

 

 あまりの痛みにネギはその場で膝をつく。まるで左目が脳髄をかき乱しているかのようだった。

 熱に浮かされ、痛みに悶えながら、だがネギの思考は冷たくなっていく。その矛盾に疑問を持つことも許されず、ネギは左目の痛みが赴くままに、視線を上げた。

 

「……」

 

「……」

 

 そこに、それは立っていた。

 うっすらと、むしろ冷たさすら感じるか細い街灯の下、夜からくり抜かれたような暗黒の瞳でネギを見つめる一人の男。喪服の黒すら色あせて見える漆黒は、まさに痛む左目と同色で。

 ネギは歯噛みした。激痛の中、そこにいる男に対する様々な感情が混沌と混ざり合い、怒りとなって噴出した。

 理由はなかった。

 だが原因は男にあった。

 

「……あなたは」

 

 ネギはふらつきながらも立ち上がる。目を押さえながら、しかし決して先に待つ男から視線を離さない。

 そこには二人を隔てる物理的な距離以上の差があった。

 男は暗黒の冷たさの上に立っている。そこが己の定位置で、ここから一歩だって動くつもりはないと無言で訴えている。だがしかし、変化はあった。これまでなら平然とネギを見るだけだったはずが、今はネギと同じく、痛みに頭を片手で抑えながら、信じられないといった様子で見つめてきている。

 ネギは男を見据えながら、それでもそこに行くことはなかった。背後には町明かりがあった。人々の営み、当たり前の暖かさ、災害を経てなお力強く生きようとする人々のたくましい命の灯。

 その輝きを背に、ネギは男と対峙する。

 予感が、否。

 確信があった。

 

「……青山さん」

 

「ネギ・スプリングフィールド」

 

 二人は互いの名前を呼び合った。

 語る言葉なんてほかに何もなかった。根拠もなく、互いが互いを認識したと同時に、これまでまともに話したことすらないというのに、決別したと感じた。

 青山はそれがショックだった。ネギは己そのものだったはずなのに、今の彼はまるで修羅場とは対極の陽だまりに、冷たさを内包しながら踏み止まっている。ここが己の場所だと、お前になどはならぬと無言で吼えている。

 ネギにはそれが当然だった。青山の居場所は空虚だ。あまりにもそこには何もなくて、それは何もいらないことと同義で、完全な個人として完結している。それは見るに耐えない孤独だった。足りないものがないということが、ここまで酷いとやっと理解出来たから。

 だからネギは背を向けて陽だまりに消えていく。青山はその背に思わず手を伸ばしたが、結局そこから動くことはなかった。

 

 語ることなんて、一言すらない。

 

 少年は悩みながら、苦しみながら、悶えながらも無意識に己の道を選択する。それは青山という完結した存在には理解できぬ選択肢。

 人は、足りぬから悩み、惑い、それでも手探りで歩いていく。当たり前の帰結、当たり前のことを、当たり前のように考え続けるその道は──

 

「僕には何もわからないですよ。青山さん」

 

 その道の名は『未完成』。永遠に完結しないという完結が、人知れず完成した。

 

 

 

 

 

 

 だから、ここからはただの消化試合だ。

 化け物は修羅に倒され。

 修羅は英雄に落とされ。

 英雄は民衆に淘汰される。

 あらゆる全てがばらばらになる。これからの話は、それだけの話でしかない。

 

 

 



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【遥かなる影】(第四章へ)

こちらは細かな点とオリ主との会話がかなり違っているので、読み比べるといいかもです。


 ──そして、京都の惨劇から一月が経過した後、ネギは詠春の葬儀が行われたその夜、一人、ホテルの外に出て憂鬱な表情で夜空を見上げていた。

 

「……ッ」

 

 ネギは左目がうずくのを感じて、懐からクウネルより手渡された丸薬を取り出して口に含む。

 噛み砕くと、透明な魔力が沁み渡り、ある程度落ち着きを取り戻した。

 あの日、左目を酷使したネギは、漠然とだが周囲の気や魔力を探知できる能力を得た代わりに、定期的にクウネル特製の薬を定期的に服用せねばならないほど、言い得ぬ疼きに苛まれることになった。明日菜にも一応説明したが、やはりというかなんというか、ものすごい剣幕で怒られた。それも仕方ないなぁと思うし、だが木乃香を守るためには必要な力であるという説明をすると、明日菜もそれ以上は何も言えずに黙ってしまった。

 木乃香に今必要なのは、支えでも助けでもない。己の中で答えを出して立ち上がれるまでの時間だ。

 だから今は全力で木乃香のことは守る。ネギ達は信じているのだ。木乃香なら、父親の死も乗り越えることが出来るのだと。

 

「……」

 

 ネギは夜空に再び視線を漂わせ、詠春のことを思った。会ったことも話したこともないけれど、葬儀に集まった人々の表情を見れば、よほど慕われていたのはすぐにわかる。

 京都に行く前、クウネルも「彼はとても素晴らしい方でした」と、友人として詠春のことを語ってくれた。

 だが。

 そんな人すら、容易く死ぬ。

 記憶に新しいのは、麻帆良を襲撃した悪魔の事件だ。そのとき、優秀な魔法先生が一人殉職したこともあり、人は容易く死ぬと、自分の見知らぬところであっという間に死んでいくと悟る。

 先程、木乃香を守ることが出来ると思ったが、それは傲慢な考えにすぎないのだろう。ネギは全知全能でもなく、ましてや強さも未熟だ。

 

「……はぁ」

 

 善悪を考える前に、それを語るための強さがない。

 そもそも、何処まで強くなれば強いというのか。

 わからないことだらけで、培った全ては道を照らすにはあまりにも小さな明かりでしかない。

 守ると誓い。

 強くなると誓い。

 果てに待つ者にならぬことを選択し。

 自分は何を手にするつもりなのか。

 空虚な手には掴めるものはない。だが、明日菜が後ろにいる。いや、明日菜だけではない。振り返れば皆がいるからこそ──

 

「悩んでいるようだネ。ネギ先生」

 

 不意に、いや、来ているのはわかっていたので、ネギは驚くことなく視線を横に向けた。

 

「超さん……いつここへ?」

 

「んー。未来人の超技術でつい先程来たネ」

 

「そうですか」

 

「……ここ、突っ込むところヨ」

 

 超鈴音は、困ったように頬を掻いた。

 いつ着たのかは知らないが、ネギはどうも今は教師として接することが出来なかった。考えることが多すぎて、超のことに構う余裕すらない。

 超はそんなネギの心境を察してか、数分ほど、夜空を見上げるネギの隣に無言で寄り添った。

 慰めの言葉なんて出ない。ネギは知らないが、超はネギがどれ程頑張ったのか知っているから。それを安直な言葉で慰めることも、話題に出すことも出来なかった。

 だから、彼女に出来るのは率直に己の思いを彼に告げることだけだ。

 

「……もし、誰もが魔法を知っていたら、今回の惨劇は回避されたかもしれないネ」

 

 ネギは無視できぬ言葉に超に視線を移した。だが超はネギを見ることなく、今は己の話を聞けと態度でネギに示す。

 

「私はそう思うヨ。もしも魔法が世界中に知れ渡っていたなら、京都だけではない。こうしている間も失われていっている希望を、魔法使いの手で拾い上げることが出来るのではないかと」

 

「……ですが、魔法が知れることで世界は混乱します。だからこそ、魔法は秘匿されるべきなのです」

 

 ネギは魔法使いとして当然の反論を口にしていた。今は超が何故魔法を知っているのかを追求するでもなく、素直にそんなことを言い返すことが出来た。

 だがネギのそれは一般論で、今のネギには、己の言葉が何処までも空虚なものだという自覚があった。

 超はそんなネギを見透かすような淡い笑みを浮かべる。

 

「混乱は重々承知ヨ。だが先を見据えればどうかネ? 魔法を知らしめて混乱した一年を乗り切った十年後、二十年後の未来は、今混乱を起こさずに過ごした十年後、二十年後よりも素晴らしいのではないか?」

 

「……それは」

 

「魔法をばらすことは許されないというのは、魔法使い側から見ただけの正義ではないと言い切れるか? それが本当に立派な魔法使いの答えになるのか?」

 

 超はそこで一呼吸置くと、初めて見るような苦しげな表情で頭を振った。

 

「私は、そう思わないネ。魔法という素晴らしい技術がもたらす混乱は、それ以上の幸福を人々に与える切っ掛けになるという確信がある。勿論、魔法を人々に知らせることが出来たといって、すぐに混乱が収まるとは限らない。一年? 十年? それとも一世紀? 魔法使いと、非魔法使いとの格差は目に見えるが、しかし私はもし世界に魔法を知らしめた暁には、そこに生涯を賭ける覚悟があるヨ」

 

 それは超の本心からの言葉だ。真っ直ぐに語る超の言葉は、ネギにはとても眩しいものに感じられた。

 比べて、自分はどうであろうか。何処に行くでもなく、ぐずぐずと燻るばかりで、超の目的はどうあれ、彼女と自分ではその覚悟に雲泥の差があった。

 

「……それでも、魔法をばらすことによって苦しむ人がいます」

 

 ネギの脳裏に浮かんだのは木乃香のことだ。あるいは京都に住む人々のことで、今も魔法があれば助かったかもしれない人々の怨嗟である。

 白状すれば、それをなしたとき、その人々に恨まれるのがネギには怖いのだ。

 超もネギが言いたいことがわかるのか、寂しそうに口元を緩め目じりを下げた。

 

「傷つけられた心を、いっそう傷つけることはあるヨ。しかし……改革は血が必要という考えを鵜呑みにすることは出来ないが、だからといってこのまま、今日の百のために明日以降の千を捨てるのが正しい選択かネ?」

 

「それでも、魔法という影響力が与える波紋によって、もしかしたら今日の百の代償が、明日以降の千の代償を生むことになることもあります。魔法を世に知らしめることによる混乱の向こうには、新たな混乱が起こるかもしれませんよ」

 

「そうかもしれない。しかしネギ先生も思うところがあるのではないか? もしも京都の一件で魔法が知れ渡っていれば、もっと違う選択肢があったのではないかと。あるいは誰も死なぬ終わりがあったかもしれないと」

 

 そう言われるとネギには返す言葉がなかった。

 思わなかったわけではない。もしも魔法が知れ渡っていれば、木乃香はもっと厳重な警護か、あるいは彼女自身も魔法を覚えて自衛を行っていたとか、ネギ達ももっと堂々と親書を渡すことが出来たのではないかとか。

 もしも。

 もしも。

 そんな思いに苛まれない日がなかったといえば、嘘だ。

 

「学園の中央にある世界樹には、数年に一度願いを叶える能力が発言するという。これはあらゆる願いをかなえるわけではないが……例えば、世界樹の魔力を使って、世界中に『魔法があってもおかしくはない』という認識を与える程度のことならば可能ネ」

 

 超は唐突にそんなことを話した。どういうことなのかわからないといったネギにようやく視線を合わせて、超はその頭を軽く撫でた。

 

「私は学園祭の最終日に、世界樹を利用して世界中に魔法を認識させるネ」

 

「……そんなこと、僕に話していいんですか? 超さんがどうやってそうするのかわかりませんが、僕がこのことを学園長に話せば、その時点で超さんのその目的は」

 

「ご破算だろうネ。だが、ここでネギ先生が私の計画に乗らずに全てを話そうが、ネギ先生が仲間にならなかった時点で私の計画は失敗するヨ」

 

 超は半ば確信をもってそう言った。どういうことだ? とネギが問う前に、超は一言「青山がいるネ」と、その確信の正体を告げた。

 ネギもその名前を聞いた瞬間に全てに納得する。青山。あの男の力ならば、問答無用で超の計画を斬ることが思い浮かんだから。

 

「……それで、何で僕を? 僕なんかの力ではものの足しにもならないですよ?」

 

「ネギ先生に期待しているのは、土壇場での爆発力ネ。そして、麻帆良で先日起きた事件……そのときの戦いぶりも見せてもらったヨ。あの実力なら学園の魔法先生にも遅れはとらないどころか、圧倒すら可能ネ」

 

 超の見立てにネギは苦笑しながら「ありがとうございます」と返した。

 思った以上に落ち込んだ様子がないことに、超は僅かな戸惑いを覚えたが、構わずに続けることにする。

 

「いずれにせよ。私はネギ先生の協力が欲しい。もしもこの計画に乗ってくれるのならば、少なくとも木乃香のことだけは何とかすることだけは保証するヨ。協力してくれる以上、全てとは言わないが、ネギ先生の周りだけは保護するのは当然の義務ネ」

 

 超は言いたいだけいうと、「では、また学園で」と告げて、歩き去っていった。

 その背を見送ったネギは、唐突に目の前に現れた選択肢に戸惑いを覚えつつも、やはり表情は憂いを帯びたままだった。

 どうすればいいのか。何が正しいのか。超の発言が真実ならば、それは魔法使いにとって許せぬ悪である。

 しかしどうだろう。まるで夢物語であったような先の会話が、ネギの心をじっとりと熱くさせていた。

 答えは今すぐ出せるものではない。ただでさえ色々と混乱しているせいで限界なのに、魔法を世に知らしめることに協力するかどうかについて考えられる余裕もなかった。

 僕は、何処までも中途半端だ。

 もしかしたらこのまま、『永遠に中途半端』なのではないか。

 半ば無意識に自虐したネギ。直後、その左目が痛みに襲われた。

 

「ぃ……!?」

 

 これまでの疼きとは違い、眼球を襲う明確な痛みにネギはその場で膝をつく。まるで左目が脳髄をかき乱しているかのようだった。

 熱に浮かされ、痛みに悶えながら、だがネギの思考は冷たくなっていく。その矛盾に疑問を持つことも許されず、ネギは左目の痛みが赴くままに、視線を上げた。

 

「……」

 

「……」

 

 そこに、それは立っていた。

 うっすらと、むしろ冷たさすら感じるか細い街灯の下、夜からくり抜かれたような暗黒の瞳でネギを見つめる一人の男。喪服の黒すら色あせて見える漆黒は、まさに痛む左目と同色で。

 ネギは歯噛みした。激痛の中、そこにいる男に対する様々な感情が混沌と混ざり合い、怒りとなって噴出した。

 理由はなかった。

 だが原因は男にあった。

 

「……あなたは」

 

 ネギはふらつきながらも立ち上がる。目を押さえながら、しかし決して先に待つ男から視線を離さない。

 そこには二人を隔てる物理的な距離以上の差があった。

 男は暗黒の冷たさの上に立っている。そこが己の定位置で、ここから一歩だって動くつもりはないと無言で訴えている。だがしかし、変化はあった。これまでなら平然とネギを見るだけだったはずが、今はネギと同じく、痛みに頭を片手で抑えながら、信じられないといった様子で見つめてきている。

 ネギは男を見据えながら、それでもそこに行くことはなかった。背後には町明かりがあった。人々の営み、当たり前の暖かさ、災害を経てなお力強く生きようとする人々のたくましい命の灯。

 その輝きを背に、ネギは男と対峙する。

 予感が、否。

 確信があった。

 

「……青山さん」

 

「ネギ・スプリングフィールド」

 

 二人は互いの名前を呼び合った。

 おそらく、接点など殆どない二人だ。青山は一方的にネギを知っているが、ネギは青山のことを殆ど知らない。

 だがしかし、互いのことを知らぬはずの二人は、磁石のように引かれあう。ゆらりと動いた青山は、灯りに誘われる蛾のように、ふらふらとネギの元まで歩み寄り、その隣に立った。

 

「お久しぶり、でよろしいでしょうか?」

 

「……あぁ」

 

「ここには……やはり僕の護衛ですか?」

 

「それはついでだよ。詠春兄さん……木乃香さんの父上は、俺の兄さんだったんだ」

 

「そういうことですか」

 

「そうだ」

 

 視線を合わせることなく、遠くの光を眺めながら言葉を交わした二人は、いつの間にか会話することなく、ただ静かに遠くを見つめるだけになった。

 気付けば痛みが失われた左目。ネギはもしかしたら、青山と対峙したこの瞬間が『後戻り不能地点─ポイント・オブ・ノー・リターン─』だったのではないかと思った。

 楓の言葉で例えるなら、超えてはならない壁が今ではないのかと。

 

「君は……」

 

 青山は、そんなネギの横顔を盗み見して、何故か言葉に出来ない寂しさを感じて目を細めた。

 

「君は……違う道を行くんだね」

 

「え?」

 

「上手く言えないが……俺と君は、最初からこうなるべきだったのかもしれないな」

 

「その……何を言ってるのか、わからないのですが……」

 

 当惑気味のネギに、青山は口元を僅かに緩めて首を振る。それは自然と漏れ出た、偽りのない笑顔だった。幼少期から無表情だった男が見せるその笑みが、どれほどの奇跡なのかわからぬネギは、ただ首を傾げるだけだが、それでよかった。

 

「青山さんは……怖い人だと思っていました」

 

 ネギは恥ずかしそうにそう言うと、青山は「じゃあ今はどうなんだい?」と聞き返す。

 だからネギはやはり恥ずかしそうに、だが躊躇なく、自然体のまま。

 

「あなたはただの修羅だ」

 

 そう言って、誰よりもネギ本人が己の言葉に驚いた。

 

「え、いや……ち、違う……えっと、そうじゃなくて……」

 

「いや、いいんだ。いいんだよ、それで……」

 

「青山さん?」

 

「いいんだ」

 

 青山はネギの率直な言葉に、嬉しそうに喉を鳴らした。

 残念ながら、ネギは未だこの冷たい場所には来ていないけれど、それでも、当たり前に己のことを修羅と言えるくらいには近づいてきているのがわかった。

 充分だった。

 それだけでも、嬉しかったから。

 

「いつか……」

 

 ──再び、この修羅場で。

 

 青山はそう言うと、光の届かぬ暗闇の方へと踵を返して歩き去って行った。

 

「……何だか、申しわけないことしちゃったな」

 

「ネギー!」

 

 ネギが歩き去る青山の後ろ姿を眼で追っていると、背後から快活な声が届いた。

 振り返れば、明日菜が駆け足でネギのほうへと来ていた。

 

「もう、勝手に何処か行かないでよね。木乃香が不安がっちゃうでしょ」

 

 眉をひそめて溜息をつく明日菜に、ネギは軽く頭を下げる。

 

「あはは、何だか色々と考えたくなっちゃって……」

 

「ふぅん……また何か変なことに巻き込まれてるんじゃないでしょうね?」

 

 ジト目で睨んでくる明日菜に、内心で勘がいいのやらと冷や汗を浮かべる。

 

「……考えの整理が出来たら、お話しますよ」

 

「あ、そう。ならいいわ」

 

「絡まないんですね」

 

「そりゃあね」

 

 ふと表情を柔らかくした明日菜は、ネギの額を優しく小突いた。

 

「信じてるから。だから、いいの」

 

 信頼がある。

 なら、いいのだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 ネギは小突かれた額を撫でながら応じるように微笑んだ。

 振り返れば、もう青山の姿はそこにはない。一人、たった一人で孤独にあるその男の背中は、冷たいくらいに寂しくて、だがそれ以上に孤高の強さが確かに存在する。羨ましいと思ったのか、あるいは悲しいと思ったのか。

 なんて。

 答えは既に決まっている。

 

「……僕は、これでいい」

 

「ネギ?」

 

「ここでいいんですよね、明日菜さん」

 

 終わる必要なんて何処にもない。

 だからこそ、あの背中に感じ入ることなど、今のネギには何処にもないのであった。

 

 

 

 

 

 だから、ここからは敗北の物語だ。

 語るべき理由もなく。

 惨めな敗北を淡々と語ることにしよう。

 

 

 

 




次回から最終章。理想郷のほうが込み入っているので、先にこちらで理想郷版の最終話まで先に上げてしまいます。


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Aルート【しゅらばらばらばら】
第一話【閃光刹那】


理想郷版ラストまでを最初に投稿します


 

 

 

 

 青山素子との一月にも満たぬ修練の日々は、桜咲刹那にとって充実したものであった。何よりも素子は、口ではなんやと言いながら、仮初の師弟関係とはいえ丁寧に基礎から刹那の術技を指導した。

 若輩ながらもいっぱしの剣士としての自負があった刹那も、青山宗家の後継者である素子の指導には素直になれた。同時に、奥義を会得しながら、未だ基礎の部分がおろそかになっているのを見抜かれて恥ずかしい思いもしたが。

 一から己を見つめなおす作業は、初心を改めることにも繋がった。ただ、そのせいで再び木乃香が窮地に陥ったと聞いたときは心を痛めたが、それでも今は己を強く磨くことが木乃香の安全に繋がると信じて、刹那は鍛錬に明け暮れた。

 そして今日、刹那は素子に言われるがまま、夕凪を片手に滝の前にある一枚岩のうえで素子と対峙していた。

 

「……早いものだな桜咲。束の間だったが、お前と過ごした一ヶ月、悪いものではなかった」

 

「あ、あの……素子様? これは……」

 

「言わなくても、わかるだろ?」

 

 刹那と対峙する素子は、自嘲の笑みを浮かべると腰に差した鞘から柄、刀身まで全てが黒一色の太刀を抜いた。

 その太刀から禍々しいと形容する他ない邪悪な気配が立ち込める。まるで刀自体が一つの意志を持っているかのように刹那には感じられた。

 

「妖刀ひな……聞いたことはあるか?」

 

「……以前、小耳に挟む程度ですが」

 

「そうか……これは、所有者に膨大な気を与える代わりに、刀自身の狂気を所有者にしみこませる魔剣の一種だ。尤も、この程度の狂気は青山と比べれば赤子の駄々にすら劣るがな」

 

 素子はそう言うが、しかし刹那にしてみれば遠くから見るだけでも気が狂いそうになるほどの凶悪さだ。

 だがしかし。

 確かに、あの時吐きだされていた青山の狂気と比べれば、微々たるのも事実だった。

 

「……それが、どうしたというのですか?」

 

「言わなくても、もうわかるだろう?」

 

 刹那の問いに、素子はひなを正眼に構えることで答えた。

 そして、狂気を吐いていたひなが、それを飲み干すほどの強大な気にかき消された。清涼かつ鬼気湧き立つ素子の気の圧力に、刹那は反射的に夕凪を構えて戦闘態勢をとる。

 

「それでいいよ。桜咲!」

 

 直後、覚悟も何もなく戦いは幕を開けた。刹那では見切ることすら至難の瞬動で素子は背後に回り込む。

 脳裏を過ったのは己の首が吹き飛ぶ映像だ。反射が刹那をぎりぎりで救う。屈みこむのに遅れて数瞬、黒い軌跡が真一文字に刹那の首が先程まであった場所を通りぬけた。

 

「……ッ!」

 

 この人は本気だ。飛びずさり冷や汗を流す。反射神経を凌駕した素子の斬撃は刹那の髪を縛っていた紐を斬り裂いただけだったが、それはつまり素子が斬撃を止めるつもりがなかったことを如実に語っていた。

 素子の構えに隙は微塵もない。その殺気は本気だが、しかし刹那からすれば本当に彼女が本気かすらわからない。

 コップで海の水を測ることが出来るだろうか? 今の刹那の察知能力では素子の全容を測ることすら叶わない。

 少なくとも、青山素子という女性は、敗北しながらもあの青山から生き延びた数少ない人物。

 それだけで、驚異的だった。

 

「……シッ!」

 

 素子は距離を隔てた場所からひなを振るった。奥義の予兆すらなく、刹那目がけて固められた気が岩を削りながら飛んだ。

 音速を置いて行く斬撃。放たれた斬撃の威力もまた空気と音を引き裂いている。目に頼った戦いは不可能だ。刹那はそれを知覚するよりも早く、直感で真横に飛び、皮一枚で逃れて行く。

 当然だが、素子の攻撃は一撃だけではない。音を裂く刃すら彼女にとっては児戯なのか、刹那では一撃を再現するのすら苦心する技の冴えが、大安売りの如き勢いで乱舞した。

 斬空閃乱れ撃ち。

 陳腐だが名づけるならこうか。思考にすらならぬ思考でどうでもいいことを考えつつ、刹那はぎりぎりで素子の技に対応していた。

 一か月程度の鍛錬。しかしそれは間違いなく一か月前の己にはない力を彼女に授けている。

 

「……そうか」

 

 素子は何かしら察したのか。そう小さく呟くとさらに気を膨れ上がらせた。瞬間、一枚岩は砕け散り、周囲の風景が気の爆発に押されて吹き飛ぶ。刹那も同じく吹き飛びながら、尚も上昇する素子の能力に戦慄を隠せなかった。

 これで。

 ここまで強くありながら青山に負けたというのか。

 驚愕はむしろそちらのほうが強かった。刹那から見れば、今の素子の気の圧力は、京都を震撼させたリョウメンスクナやフェイト・アーウェルンクスすら凌ぐほど。それほどの出力を誇りながら、その顔には余裕すら感じられる。

 

「凌げ。桜咲」

 

 素子は一言警告すると、片手で斬空閃の弾幕を展開しながら、空いた手に吹き出す気を収束させていく。

 あれは不味い。刹那は直感でそう判断すると、体が斬り裂かれるのを覚悟して、虚空瞬動で素子に特攻を仕掛けた。

 弾幕を最大出力の気を纏わせた夕凪で弾きながら加速。素子の放つ技の冴えを見れば、刹那のそれすらも驚嘆に値する絶技ながら、素子の顔には微塵の驚きもなく、むしろ平然と刹那を迎え入れた。

 

「奥義。斬岩剣!」

 

 刹那は射程に素子が入るのと同時、今放てる最大を遠慮なしに放った。素子の安否は二の次だ。

 やらなければ、やられる。

 シンプルな世界観が刹那を埋め尽くした。岩はおろか大地に消えぬ大断層すら刻みこみかねない刹那の奥義に対するは、ひなを両手で構えた素子の、あまりにも遅すぎる迎撃。

 技が放たれたときすら構えの姿勢。最早逃れようがない奥義の閃きを見据え、素子はゆっくりと、それこそ時が止まっているかのような場所で──

 

「え?」

 

 刹那はそこでようやく気付いた。

 時が、止まっているかのようだった。斬岩剣が素子に迫り、岩が削られ虚空に散っていく。

 それら一切が停止していた。刹那の意識だけを置き去りに全てが止まって動いていなかった。

 そんな世界を素子のみが動く。ゆったりと、稽古をしているかのように遅々とした動きで斬撃を振るう姿勢へと取りかかり。

 脳裏に浮かぶ数多の思い出、走馬灯のように巡る記憶を刹那は見た。

 それらの中で大切な記憶が際限なく繰り返されていく。

 それを素子が見ていた。

 吐き気をもよおす透明な瞳で、刹那の走馬灯を覗いていた。

 

「……止めだ」

 

 その一言と共に、世界が等速に戻って、最大出力の斬岩剣が素子に直撃して破裂した。

 

「も、素子様!?」

 

 先程の感覚は残っているものの、それ以上に素子が己の奥義をその身に受けたことに驚き刹那は叫んだ。一か月の鍛錬の成果は、天高く吹き飛んだ岩の破片と、ミサイルでも爆発でもしたのかのごとき轟音をだけでも充分わかるであろう。

 だからこそ、刹那は素子の無事を案じた。格下とはいえ、己の一撃も余裕をもって受け切れるものではないと悟ったからなのだが。

 そんな杞憂もろとも煙幕を切り裂いて素子は平然と現れた。

 

「どうだった? あまり使えるものではないが……今のが、青山と対峙する結果だ」

 

「え……」

 

「共に見ただろう。お前の大切な記憶を」

 

 素子は申しわけなさそうに、そしてそんな自分を唾棄するように自嘲した。

 走馬灯という名の記憶の共有。刹那が死を覚悟したその瞬間、素子はそれを斬るために捉えた。

 素子の言葉の意味を知って、刹那は夕凪を取り落とし、肩を抱いて蹲る。恐怖を思い出した体は震え、目からは止めどなく涙が溢れてきた。

 その哀れな姿に何かを感じたのか、素子はひなを収めて刹那に近寄ると、震えている体を抱きしめた。

 

「斬魔剣二の太刀。私が思うに、青山はあらゆる物を取捨選択して斬るこの奥義を、相手の精神に介入する領域にまで突き詰めている……この修行の最後に知って欲しかったのはな桜咲。お前のすぐ傍に、あんなことをする人間が居るということだ」

 

「も、素子……様」

 

「……逃げろ桜咲。あれから逃げることは恥ではない。修羅と相対出来ることは誇れるものではないのだから。出来るのなら、それはただの……いや、止めておこう」

 

 素子は顔を上げた刹那の頬を伝う涙を拭いとりゆっくりと立ち上がった。

 問いたいことがあった。だが刹那はその問いを己の中で噛み殺す。

 ならば、青山と同じことが出来る貴方は、一体何なのでしょう。

 その答えは聞くのもはばかられるものであり、同時に答えの分かりきった問いですらあった。

 もしも聞いていたら素子は悔しそうに、恥ずかしそうに、そして何よりも空虚な眼差しで答えていただろう。

 

 私は、あれと同じ道にいる。

 

 何故か刹那にはそれが痛いほどわかってしまった。

 悲しいくらい、素子の今を知っているからこそ、先程の恐怖以上に涙を流すべきことだったから。

 

 

 

 

 

 刹那は下山をしながら、昨夜のことを思い出していた。

 先日、二人は修業が終わった痕、師弟としてではなく、素子と刹那、二人の女の子として晩餐を楽しんだ。

 これまで語らなかった取りとめのない日常を素子はそこで語ってくれた。それはひなた荘という場所で過ごした日常が大半で、一つ一つはくだらなくて、どうでもいいことで、現に素子自身も、時には怒りを滲ませたり呆れたりしながら語っていた。

 だが刹那は初めて素子の優しそうな微笑みをそこで見つけることが出来た。

 多分、素子が青山と同じことをしながらも、青山と決定的に違うのはそこだろう。

 素子を構成するのは斬撃だけではない。彼女の中には何でもない全てが大切な物として積み重なっている。

 そこが青山にはない部分で、だからこそ素子は青山から逃れ、かつ、斬られたのだ。

 一瞬だけあれば充分だといつか素子は言っていた。それはおそらく、あの領域では時間と言う概念が意味をなさなくなるからこその言葉なのだと思う。

 いずれにせよ。

 そう、いずれにせよ、だ。

 刹那は感謝するより他なかった。一か月前に比べて格段に強くなれたことや、さらに青山という男の脅威を、己が完結する危険を顧みず見せてくれたこと。それによって刹那は一つの決意を心に決めた。

 逃げるのだ。

 木乃香を連れて逃げよう。叶うならばクラスの仲間やネギも連れて、あの場所から、修羅の居る場所から逃げ出そう。

 京都の事件。

 そして先日起きた麻帆良襲撃事件。

 素子から青山という男の全てを知った今、刹那は全てに青山が影響しているという予感を得ることが出来たから。

 証拠なんてそれこそないけれど──

 せめて、木乃香だけは連れ出す。そう覚悟を決めて刹那は山を降りて行き。

 

「見つけましたわぁ」

 

 一本の凶刃と相対した。

 

「……月詠」

 

 刹那はまるでここを通るのがわかっていたと言わんばかりに待ちかまえていた月詠を睨む。青山に奪われた両腕は失われたままだ。しかし、剣を持つ両腕すらなくないというのに、刹那は月詠への警戒を解くことは出来なかった。

 以前対峙したときも、恐るべき狂気を放っていたが、不思議なことに今の月詠は何処までも冷たく、禍々しい雰囲気は一切感じられない。

 粘つくような気も、突き刺すような邪気も、ありとあらゆる全てが一変しているようだった。

 冷たく、凛。

 それだけで、今の刹那には警戒するに足る相手に違いない。

 

「……随分と変わりましたなぁセンパイ。以前とは見違えるくらいですー」

 

「それは互いにだろうよ月詠。言わせてもらうが、以前のお前は今よりもまだ可愛げがあったよ」

 

「そうですかー」

 

 うふふと口を裂いたような笑みを浮かべて声を上げると、月詠は腰にさしていた一本の野太刀の鞘を足で蹴りあげて刀身を空に飛ばした。

 くるくると空を舞った野太刀は、数秒の滞空をした後、月詠の目の前に突き立った。

 

「ウチ、気付いたんですー。斬ることは斬ることでー。それ以上の理由なんて必要ないってことにー」

 

 刹那は返答せずに竹刀袋から取り出した夕凪を鞘から引き抜いた。唐突な対峙であり、昨日青山の恐怖と対峙したばかり。

 だというのに、刹那の心は穏やかだった。対面の脅威は、まさに青山の如き戦意を吐きだしている。

 斬撃という終わりへと至る者、その特有の臭いを敏感に感じる。

 だから逃げるわけにはいかなかった。

 この場だけは、逃げるわけにはいかなかった。

 

「必要だよ」

 

「え?」

 

「何かを斬ることに、理由は必要なんだ月詠」

 

 あの恐るべき青山は終わっているけれど。

 目の前の少女はまだ終わっていない。

 ならば、刹那はここで戦おう。戦うことで、伝えられることがあるのならば。

 

「斬ることは斬ることではない。斬ることは、斬られる相手を分かつことで……おいそれとやってはいけないことなんだよ」

 

 完結した事象に赴く理由なんて何処にもないし、立ち向かえる強さももっていない自分だが、それでも己の手で救えるかもしれない相手が、青山に似ているという理由だけで逃げるほど落ちぶれてはいない。

 

「……だったら剣を捨てたほうがえぇですぇ、センパイ」

 

「無理だよ月詠。私も、これしか知らないし、これしか大切な者を守る術を持たないからな」

 

 月詠は人間味の感じられぬ笑みを僅かに浮かべると、その可憐な口を大きく開いて、頬を染めながら突き立った野太刀の柄に顔を近づけた。

 まるで愛撫でもするかのように、多量に分泌された唾液を滴らせながら柄に舌を這わせる。ふやけるほどにたっぷりと己の臭いをしみ込ませた月詠は、一度口を放すと舌先からゆっくり柄をその口の中に含んだ。

 

「ん、ふぁ……」

 

 扇情的な吐息を漏らしながら、口をすぼませて柄を固定すると、ぬるりと大地から野太刀を引き抜いた。

 ずるりと抜かれた野太刀の刀身には、柄から零れ落ちた少女の唾液が日の光を照り返して、怪しげな輝きを放っている。まるで月詠に誘われるままその妖艶さを引き立たせているようだった。

 妖刀と呼ばれる類の剣がある。

 その制作過程に問題があるのか。あるいは作られた後に人を斬り続けてきたのが問題か。

 その問いの答えがそこにはあった。

 

「……」

 

 刹那は妖刀が出来る過程を今まさに見ていた。月詠という狂気の剣士が鬼気によって、人を守るために作られた神鳴の剣が斬撃という一点に染まっていく。

 だが臆するわけにはいかない。引いた体に喝を入れて、刹那は一歩月詠に向かって足を踏み出した。

 凛と、文字通りの意味で凛々しく刹那は構える。文字は同じくありながら、刹那のそれは刃鳴りにはない光り輝く誇らしさがあった。

 神鳴流として、仮初であるが素子の弟子として、何より桜咲刹那として立つ。胸を張り、気高く吼えよう。

 お前は間違っているんだって。

 月詠はその宣誓にすら歓喜して、目を潤ませながらいっそうその唇から唾液を溢れださせ首筋まで濡らした。

 

「いひまふえ」

 

 柄を口に含んだ状態では美味く言葉は言えぬのか。もごもごとくぐもった声音で月詠がそう告げる。

 だが意味は受け取った。立ち込める気の圧力を切り裂いて、刹那は両腕のない異端の剣客を迎え撃つ。

 ただ冷え冷えと、木漏れ日の暖かさすらかき消して、刹那の戦いは始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 恐ろしい程の気の高まりに惑わされがちだが、月詠の戦闘力は見たとおりに劣化しているとみて間違いないだろう。

 答えは一目瞭然。月詠には両腕が存在しない。分かりやすくて当たり前な結論だ。刀とは手に持つものであり、決して口で咥えるものではないのだから。

 だが。

 それでもなお、月詠の醸し出す鬼気と呼べるものは、両腕がないというハンデすら補ってあまりあるものだった。

 刹那は対峙しているだけだというのに、背筋を嫌な汗が伝っていくのを感じた。柄を咥えているため、切っ先が真っ直ぐに刹那の方を向いているのが恐ろしかったのだ。

 斬るのか、あるいは突くのか。迷いは惑わせ、月詠が腕を失ったことにより弱くなっていることすら忘れそうになる。

 対峙だけで体力を削られる命がけの攻防だ。

 しかし。

 それでもなお、月詠は弱い。

 両腕のハンデは、一か月を素子の元で過ごした刹那に対してはあまりにも開き過ぎており、呼吸を僅かに乱しつつありながらも、刹那は幾つも脳裏に敵の刃の軌跡を思い浮かべ、問答無用で一刀に伏せるだろう己を夢想する。

 刹那はいつの間にか相手の気当たりによって止まっていた呼吸を再開した。隙を晒さぬように呼気を一つ、二つ、三つしたところで、月詠は一歩右足を後ろに下げた。体も屈めて、下半身に力を蓄える。素人目からでも分かるほど、月詠の次の行動は丸わかりだった。

 咥えた刃の切っ先をそのままに、己の体を顧みぬ突きによる特攻攻撃。

 それは予測した中でも一番厄介な構えであった。幾ら狂人とは言え、刹那には同じ人間である月詠を殺すまでの覚悟はない。人を守るための剣が人を斬り殺してしまえば本末転倒でしかないのだから。

 だが。

 刹那は目つき鋭く、重心を下げると右足を一歩下げて、切っ先を月詠に向けた。

 殺す覚悟はない。

 それでも月詠を止める覚悟はある。

 そよ風が二人の間を流れた。木々がさざ波を打ち、木の葉の影から射す日差しが影の位置をずらした。そんな自然の中に刹那は己を同化させていく。

 月詠は弱くなった。だが同時にとてつもない強さを得ていた。人の精神とは、段階が一つ上がるだけでこうも人を変貌させるのか。

 自然と一体化していく静の心に埋没していく中、己とは逆に周囲の自然から浮き出ている月詠の壮絶に、共感はせずとも羨望がないと言えば嘘になる。

 強くなるという願い。違いはどうあれ、月詠の精神性は、未だに惑ったままの刹那の精神性を凌駕しており、それが肉体という決定的なハンデの差を埋めていから。

 だからと言って、斬るという概念になることが正しいのか。

 答えは否。

 違うだろう。

 そういうことではないはずだ。

 そうなるのは簡単であり、そうならないことはとても難しいから。ならば刹那が未完成なのは当然のことだろう。

 いつか聞いた言葉がある。

 狂気を侠気に。

 邪道を正道に。

 狂気に陥らぬために、剣を持つ者は己の精神を律するのだ。

 今ならそれがどれほど困難なことなのか痛いほどわかる。刀とは、突き詰めなくとも何かを斬り、殺すための道具でしかない。

 そんな武器を持って、正道を、人を守ると謳うことのどれほど愚かでわざとらしいことか。

 周囲と同化していく。自己に埋没するからこその葛藤。心は静かになっていくというのに、脳裏には今は考えても意味がない疑問が幾つも浮かんでは泡のように消えていく。

 消えていくのは答えを得たからなのか。あるいは疑問に対する答えがないから目を背けて彼方に放っているからなのか。

 一瞬で全てが終わる。文字通り刹那の決闘にて、刹那は切っ先を鈍らせる思考ばかりを繰り返す。

 だがしかし、心はやはり落ち着いていた。

 何処までも己に問い続ける愚行を繰り返し。

 そうすることで精神を昇華させる矛盾した行為。

 忌むべき種族である己が、正道を行える場に居られる切っ掛けをくれた神鳴流。

 だが守ると誓いながらいつも大切な幼馴染を守れない自分。

 次こそと意気込み、素子の元を訪ねてからの今。

 そして。

 未来は。

 どうなのだろうか。

 過去も、今も、分からないことだらけだと言うのに、未来がどうなのかなど分かるわけがない。

 だが見渡す限りの闇の中でも、わかることは微々ではあるが確かにある。それは自分のことではなくて、周りの人のこと。

 もしかしたら人間というのは、自分で思っている以上に、己のことよりも他人のことのほうがわかっているのかもしれない。

 客観視。

 そう、それが大切だ。

 他人だからこそよくわかる。だがこれが己のことになると、途端に様々なしがらみが己への評価に靄をかけて見えなくさせるのだ。

 他人こそ己を映す鏡である。

 そういうものだとしたら、目の前に立つ月詠もまた、わからないことだらけの刹那を照らす、かけがえのない灯りの一つなのか。

 改めて見る。己を張り続ける少女の立ち姿を見据える。

 月詠は口に刀を咥えているせいか、まるで彼女自身も刀を構成する一つのパーツになっているようだった。

 もしくは、刀こそ月詠を構成するパーツの一つとなってしまったか。

 いずれにせよ。

 彼女の恐ろしさは、増大の一途であった。

 増大し続ける恐ろしき斬撃という名の自我。斬るという信念に支配された少女は、守るための戦い、逃げるために戦おうとする刹那とは真逆だ。

 だからこそ、己の鏡だった。

 彼女は、邪道で。

 刹那は、正道で。

 故に、コインの裏表。

 刹那は恐ろしくも弱々しい月詠をよく見た。

 少女の瞳からは伝わる意志は斬ることだけで、それ以上の余分は一切ない。

 だからこそ刹那の迷いも、この一瞬だけ研ぎすまされて削られていくのだ。

 再び、呼気を一つ。

 二つ。

 三つを経て、ゆっくりと。

 月詠。修羅に捉われた哀れな少女よ。

 お前から見た私はどう映っているのだろうか。

 乗り越えるべき壁か。

 耐えがたい醜悪な外道か。

 それとも好敵手として恋い慕っているのか。

 いずれにせよ、お前は斬るのだろう。

 斬って。

 私を斬るだけではなくて。

 斬るものがなくなるまでずっと斬るのか。何も知らぬ人々すらも巻き込んで、己の外道邪道をまき散らすのか。

 その結果、京都と同じ惨劇が生まれると知りながら。

 お前は。

 でも。

 

「お嬢様が居なかったら、私もそうなっていた」

 

 強く。

 ひたすらに強く。

 始まりの願い。原初の祈りはきっとそこに。鍛錬とは己を強くする行為に他ならなくて。

 力を求める外道だろうが。

 人々を守る正道だろうが。

 結果として、強くなりたいという願望だけは変わらない。

 だから一歩踏み外せば刹那は月詠だっただろうし、月詠も一歩踏み出していれば、刹那になっていただろう。

 だけど月詠。

 結局、同じだから。

 

「強さの果ては──修羅場だよ」

 

 直後、鋼は砕ける。鈍い輝きを乱反射する刃の亡骸に包まれながら、刹那は冷たい眼差しで呟いた。

 

「奥義、斬魔剣」

 

 戦いは、完結した。

 その時、同時に動いた二人。互いに突き出した刃の切っ先は、寸分の狂いもなく激突して、当然のように月詠の刃は砕かれ、その勢いで柄を叩いたところで力を加減したことで、月詠の口内を、濡れそぼった柄が強かに蹂躙した。

 遅れて吹き飛んだ月詠は、大地を抉り、口から柄もろとも歯や血をまき散らした。ようやく止まったあとも、常人なら喉を突き破られるほどの衝撃を受けたことによって、月詠は力なく横たわりながら吐血を繰り返して痙攣している。

 

「……あぁ。終わりか」

 

 夕凪を鞘に仕舞った刹那は、淡々と決着を把握した。

 一度、平静に陥った心は勝利の高揚にすら泡立ったりしない。

 冷たかった。

 木漏れ日の暖かさすら感じられないくらい、冷たい勝利だった。

 刹那は体を包む冷気を振り払うように月詠の元に歩み寄る。少女は吐血を繰り返し、腕がないため自力で立つことすら叶わない状態でありながら、それでも首を持ち上げて勝者である刹那を見上げていた。

 

「……」

 

「グッ……ゴホッ……ガホッ!」

 

 喉を潰されたことにより月詠は刹那に言葉をかけることが出来ない。それでも黒く染まった瞳は、勝者である刹那に言葉以上に分かりやすい願いを訴えかけていた。

 斬れ。

 私を斬れ。

 

「嫌だよ。そんなの」

 

 刹那はそう告げると、月詠の前に屈みこみその体を抱き上げた。

 

「なぁ。こんなことの何が楽しいんだ? 私自身の存在意義を否定する言い方だが、私達は使われるべきでも、ましてや進んで己を使うべきではないよ……冷たいんだ。邪道を極めようが、正道を極めようが、闘争であるこれらの道の先は、どっちも冷たすぎる」

 

 悲しいよ。

 刹那の言葉に、ようやく痙攣がおさまり始めた月詠は未体験の何かを見るように、驚いた様子だった。

 その反応が悲しかった。

 鳥族とのハーフである己以上に、邪道に染まりきった少女の反応が辛くて、だが涙を流すには、今の刹那は冷たくなりすぎている。

 

「月詠……もし勝者としての権利が許されるのならば、私と一つ約束をしてくれないか?」

 

「な、でず、が……?」

 

「今後、斬りに来るなら私だけを斬りに来い。私は何度だってお前を倒すよ。そしていつか、お前がそのままでは私に勝てないって、そう思えたら、それがいい」

 

 修羅の子よ。月詠という少女、修羅に魅せられた彼女を正道に戻すには、一度の敗北だけでは足りないだろう。

 なら、何度でも見せてみる。

 武器を持ちながら正道を進む困難を。その道こそ本物の強さに繋がるのだと。

 尤も。

 

「結局……どっちも冷たい」

 

 邪道だろうが正道だろうが。

 行きつく果ては、空虚な修羅場に違いない。

 

 

 

 

 

 修羅に魅せられただけの少女だった。

 だがそんな少女ですら、狂気的かつ一本の芯が育まれる。

 ならば本物の修羅はどれほどのものとなるのだろう。刹那は麻帆良へと帰る新幹線の中で、脳裏に浮かんだ青山の恐るべき気配に、それだけで怖気を感じた。

 逃げるという決意はさらに強固なものとなる。

 どうやって逃げるのか。どうやって逃げ続けるのか。

 手段はわからないし、刹那一人に出来ることはあまりにも少ない。

 だがそれでも刹那は成し遂げなければいけなかった。

 青山。

 恐るべき青山。

 多分、というよりもこれは確信だが、学園側の人間は信用できないと見ていいだろう。彼らが悪いというわけではなく、青山の本質を見ていない者に青山の危険性を説いた所で、それは無意味なものだからだ。

 最悪、刹那に出来るのは木乃香と明日菜と楓とネギを連れて逃げ出すことだけだろう。彼女達だけは、刹那と共に青山の脅威を体験した仲間達だから。

 

「……木乃香お嬢様」

 

 今暫くだけ、お待ちください。

 そんなことを思いながら麻帆良へ帰るために新幹線に乗ろうと駅に入り。

 

「あ、せっちゃん」

 

 聞き慣れたそんな言葉が耳に届いた。

 

「ホントだ。おーい刹那さーん!」

 

「桜咲さーん!」

 

「やっほー!」

 

 振り返れば、そこにはクラスの皆が全員そろってその場に立っていた。

 

「え……ちょ、お嬢様!?」

 

 驚いて目を見開き、刹那はそこでようやく気付く。

 クラスの仲間だけではなくて、その他麻帆良に在籍する生徒が多数そこには存在していた。

 一体どういうことなのか。刹那がその光景に当惑していると、我慢できずに駆け寄ってきた木乃香が体当たりの如き勢いで刹那に抱きついてきた。

 

「良かった……! 久しぶりや……! 会いたかった……」

 

「そ、そりゃウチも……ってどういうことですかこれ!?」

 

「ぇ? せっちゃん、何も知らんの?」

 

 意外とばかりに目を開いて抱きついたまま刹那を見上げる木乃香。何がどうして木乃香を含め学園の皆がここに居るのかわからなくて右往左往しつつ木乃香の背中にこっそり手を回していると、見かねたあやかが近づいてきた。

 

「公然でいちゃつくのは後にしてくださいな」

 

「いちゃ……! わ、私はそういうつもりでは……!」

 

「……ならいいのですが、とりあえず刹那さん。暫く京都に居たので事情を知らないようなので、よければご説明いたしますが」

 

「は、はい」

 

 あやかは小さく一つ咳払いをすると、これまでの経緯をかいつまんで説明し始めた。

 その内容は刹那が驚くのも当然な内容で、そしてそれ以上に青山から逃れるという彼女の願いには好都合な話に他ならない。

 

「つまり……暫くは京都の復興のため、麻帆良の生徒が京都近辺に来ていると?」

 

「まとめるとその通りですわ。宿泊施設等の問題はありますが、私を含めて、超さん等が出資したりすることでそういう部分は上手くまとめています。勿論、刹那さんの分の部屋も確保していますので……」

 

「あの、明日菜さんと、ネギ先生は?」

 

 刹那は周囲にネギと明日菜。そして他にも幾人の生徒がいないのことに気付いた。

 あやかは微かに不満げな色を瞳に浮かべ、呆れた風に溜息を漏らす。

 

「ネギ先生は明日菜さん以下残った生徒の方々と共に麻帆良に残っているみたいです。どうやらやらなければならないことがあるようでして……」

 

「やらないといけないこと……」

 

 その当たり前と言えば当たり前な言葉に。

 刹那は。

 何となく。

 嫌な、予感がした。

 

「せっちゃん……」

 

 刹那は自分の名前を呼び、腕に抱きついている木乃香を見た。決して離さないと、もしくは離れないでと訴えかけてくる木乃香の不安げな眼差しを見返す。

 逡巡は一瞬だった。

 刹那は、彼女を守るのだ。

 

「すみませんお嬢様。今は、ただ御身の隣に置かせていただけたらと……よろしいでしょうか?」

 

「ううん。そんなことない。ウチ、せっちゃんが隣にいてくれたらえぇんや……」

 

 頬を肩に擦りつけて、木乃香は最近ようやく戻り始めた微笑みを浮かべた。

 刹那はその笑顔に安堵の笑みを浮かべながら、同時に胸を突く小さな罪悪感に心を痛めていた。

 もしかしたら、自分はとんでもない過ちを犯したのかもしれない。

 だがそれでも、もうこれ以上木乃香を一人にさせるわけにはいかなかった。

 守るのだ。

 守って、守り続けて、これより先、彼女に振りかかる全ての災厄から守り続けるのだ。

 だから──

 

「……頑張って」

 

 麻帆良に居る彼らに向けて、刹那はただ祈りを捧げるしかない。

 

 空は、そんな彼女の祈りを覆い隠すような暗雲が立ち込め始めていた。

 

 

 

 

 



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第二話【覚悟の証明】

 麻帆良学園は本来なら学園祭前で賑わう時期でありながら、今は空虚な静寂が学園内を満たしていた。

 今年、いや、歴史上を見ても最大規模の災厄が降り注いだ京都。この復興のために麻帆良学園の学生達の過半数以上の人間が名乗りを上げて、現地に向けて足を運んだからである。

 切っ掛けは大したこともない。

 ただ、学園内部で上がった小さな主張が、波紋のように響き渡って全校生徒、ひいては学園の教師陣にも浸透した結果だろう。

 それこそ、驚く程の速度で。

 小さな主張。ネギ・スプリングフィールドと超鈴音による計画遂行は、そんな些細なところからまずは始まりを告げていた。

 

 時間は、近衛詠春の葬儀が行われてから数日後、麻帆良学園にネギが戻ってからとなる。

 

 

 

「僕はあなたの計画に乗ります。超さん」

 

 超鈴音にとって待望の一言がネギの口から伝えられた。

 放課後、超が事前にネギへと伝えていた自身への接触方法を使い、葬儀の夜ぶりに二人は一対一で対峙していた。

 場所は麻帆良の教師陣の監視の目が届かない空き教室の一つ。分かりやすいお題目や雑談も、それこそ挨拶すらも抜きにして、対峙早々ネギは己の心を吐露した。

 

「正直、僕には今だ何が正しくて何が悪いことなのかの判断はつきません……それでも、行動することに意味があり、ただ安寧と腐るしかない現状に留まるのがおかしいということだけはわかっているつもりです」

 

 ネギが出した答えはシンプルながらも確固たる決意のこもったものだ。勿論、行動することが正しいと思っているわけではないし、現状に踏みとどまることの過酷さだってわかっているつもりだ。

 だが、だからこそ主張する。現状は腐る一方だと、行動し、道なき暗黒を切り開かなければ。

 

「でないと、また、京都の惨劇は何処かで起きます」

 

 それは最早、確信に近い予感だった。

 一握りの者ではあるが、魔法使いは個人の戦力だけで、場合によっては現代の軍事力に匹敵、あるいは大国すら上回る力を保有している。そして、そんな者達が全力を振り絞らなければならない妖魔が幾つも存在する。

 であれば、いずれまた京都の惨劇が繰り返されるのは自明の理とも言えた。修行を経て、力を得てきた実感がわいてきたネギだからこそようやく得られた答えとも言える。

 極端な話。今朝まで笑いあっていた友人が、ミサイルを上回る火力を誇る化け物かもしれない。

 その恐ろしさ。

 その脅威。

 知らしめ、警告し、そして理解を求めずにどうするというのか。

 当然、脅威だけを知らしめるわけではない。魔法と言うものの危険性を伝えた上で、魔法を用いた平和を作り上げる。より良き未来のため、魔法の脅威と有効性を知らしめるという超の案は、ネギには理解できるものであった。

 

「……その意志に敬意を表するネ。ありがとうネギ先生。いや、同士よ」

 

 超は悩み抜いた上にネギが出した答えに、頭を下げてその両手を握り返すことで感謝の意を伝えた。

 五分五分。いや、部の悪い賭けであった。

 京都からこれまで、著しい成長を見せるネギを己の陣営に組み込むこと、これは青山という化け物が麻帆良に居る今を打開するには絶対の条件だった。

 だがネギは英雄、サウザンドマスターの息子。立派な魔法使いたれと、そう育てられた少年であり、であれば魔法を知らしめるという己の考えを間違っていると言う可能性が、京都の一件があったうえで、尚も高かった。

 だがそれも杞憂だったのかもしれない。ネギはよく考えた上で超を選んでくれた。

 ともすれば、拍子抜け。本当は、断られてから丸めこむ方法を考えていた超は、ネギを見誤っていた自分の線慮に失笑した。

 

「超さん?」

 

「いや……何でもないネ。ネギ先生」

 

 ただ、嬉しいだけだ。そう言って、浮かんだ笑みをいっそう深い笑みで誤魔化した超は、表情を引き締めると「では、改めてネギ先生にはその他同士の面々を紹介するネ」そう言って黒板に近づいた。

 そのまま馴れた手つきでチョーク入れの下に手を添えると、そこにあったくぼみに指を入れて指の腹を添える。

 すると、巧妙に隠されていた指紋認証装置が起動し、直後、黒板の中央部分が動き、地下へと続く道を開いた。

 奥へと続く道は、下へ下へと広がっている。光源は足元を照らす程度にしかなく、螺旋を描いて伸びている階段は、まるで底なしのように見えた。

 

「……これは」

 

「準備してきたことの一環ネ。他にも学園内に幾つも経路を用意しているヨ」

 

「なんだか悪の秘密結社みたいですね」

 

 冗談混じりにネギがそう言うと、超は何処か嬉しそうに喉を鳴らし、「まさにその通りアルヨ」とからかうようにネギへと笑いかけたのだった。

 

「それはともかく、仲間になったのだから我々の仲間を紹介しよう。ついて来るヨ」

 

 超が先導して階段を下りて行く。ネギは僅かに逡巡したものの、どんどん先へと進むその背中に誘われるがまま階段へと一歩を踏み出した。

 直後、ネギが入ったことで入り口が再び閉じる。特に驚くこともなかったが、閉じ込められたなぁとどうでもいいことを思いながら、ネギは超の背中を追った。

 道中、特に会話はなかった。語るべきことはあの夜と、そして今さっきに殆ど離し尽くした。

 雄弁である必要はない。少ない言葉だからこそ、こめられた意志こそ、言葉以上に雄弁と二人の心を語っていたのだから。

 歩いてからどの程度の時間が過ぎただろうか。暗がりの奥へ奥へ、肌を突き刺す冷気に体を小さく震わせた頃、ようやくネギの前を行く超が足をとめた。

 

「ここネ」

 

 長は目の前のドアをゆっくりと開いた。

 ネギは突如広がった光に手を翳して目を細めた。眩いばかりの光は、地下へと潜っていたにしてはあまりにも暖かい。

 数秒して、光に目が慣れたネギがドアの向こうにある光景を見た。

 

「うわぁ……」

 

 そこに広がっていた光景は驚嘆する他ない。学園の地下二あるとは思えないくらいに広大なドームには、無数の人造人間や四足の戦車が整列し、さらにその奥にある森林や湖には、超巨大ロボットが幾つも鎮座していた。

 

「小さいのは田中さんという、まぁ戦闘用に特化した茶々丸さんの先行量産型と考えていただければいいネ……そしてあそこにあるのは、かつて、大戦のときに封じられていた鬼神。京都に封じられていたリョウメンスクナと比べると、能力は半分にも届かないが、それでも麻帆良の一部を除いた魔法使いを足止めするには充分ネ」

 

「そして、一部の魔法使いを──青山さんを相手にするのが……」

 

「それは私の役目だよ、小僧……いや、ネギ先生」

 

 ネギは背後から響いた邪悪な声に振り返った。そこに居たのは、かつてネギに圧倒的な恐怖を叩きつけた張本人の一人、エヴァンジェリンと茶々丸、そしてクラスメートである龍宮真名と葉加瀬聡美が立っていた。

 驚くネギの前に、代表するようにエヴァンジェリンが歩み寄る。大橋の一件からヘドロのような瞳になってしまった少女は、見定めるようにネギを上から下まで舐めまわすように見つめ、満足したのかニタリと笑んだ。

 

「へぇ……最近は随分と面白くなってきたと思ってはいたが、こうして改めて見ると……育ってるじゃないかネギ先生」

 

「……エヴァンジェリンさん」

 

「だが駄目だ。青山は私が殺す。これは既に超とも契約済みだから諦めろ」

 

 エヴァンジェリンの言い草は、まるでネギが好んで青山と戦いたがるとでも言いたそうなものだった。それに不快感をあらわにしたネギは、表情を歪めて、しかしそれでも正義の魔法使いの一人として「殺すのはいけませんよ」とだけははっきりと言った。

 以前なら呆れただろう。あの大橋と同じようにネギが言ったのならエヴァンジェリンは悪態の一つでも返したかもしれない。

 だがエヴァンジェリンは笑みをさらに深くするだけにとどめた。殺すなと告げながら、同時にその瞳が如実に「それも仕方ないのかな」という別の回答を訴えているのに気付いたからだ。

 

「……超。どうやら貴様の人選、思いの外悪くはないみたいだぞ?」

 

「私もそう思っているヨ」

 

 ネギを間に挟み、超とエヴァンジェリンは意味深に視線を交わした。その視線の意味に気付かぬネギが首を傾げると、割って入ってきた真名がその手をネギに差し出した。

 

「驚きはあるが……君が加わってくれて私も嬉しいよ」

 

「は、はい……えと、もしかして龍宮さんも」

 

「あぁ、魔法使いではないが……それに関係する人間の一人だと思ってくれ。何、少しばかりだが戦闘も行えるからね、遠くから君やエヴァンジェリンをサポートするさ」

 

「私には必要ない」

 

「これは失礼」

 

 真名は肩を竦めつつも、ネギの手をとって握手をした。

 

「言いたいことは多数あるだろうが、葉加瀬共々よろしく頼むよ」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 真名の後ろで聡美が勢いよく頭を下げた。

 釣られてネギも軽く会釈を返して、真名の言うとおり、聞きたいことがむくむくと込み上げてくる。

 だがまずは教師として、ネギには言わなければならないことがあった。

 

「……龍宮さん、葉加瀬さん。危ないので、この件から手を引いてください」

 

 真名の手を放して、ネギは二人にそう告げた。これからネギと超が行うことは、青山が関わる以上、死人が出てもおかしくないものだ。そんなことにクラスメートを関わらせることは、担任の教師としても、魔法使いとしてもネギには許容できるものではなかった。

 それに対して真名は困ったように苦笑。聡美は失礼な、と言わんばかりに胸を張った。

 

「悪いがそれは聞けない相談だよネギ先生。尤も、葉加瀬に関しては兵器設計とその他計画に必要なあれこれの支援をしてもらうだけで、直接に関わることはないから安心してほしい」

 

「ですが、龍宮さんは……」

 

「少なくとも、君以上には戦いを経験してきているつもりだよ」

 

 そう言う真名の佇まいは、成程、クウネルとの実戦特訓で無数に戦った戦闘者特有の雰囲気がある。

 ネギはそれでも何かを言おうとして、首を横に振って己を律した。

 理由はともあれ。そう、理由はともあれ、彼女もまた、己の意志でここにいる。その決意が本物であるならば、ネギがとやかく言うのは失礼でしかないだろう。

 

「さて」

 

 話がひと段落ついたところで、超は両掌を打ち鳴らして視線を集めた。

 

「話もまとまったところで、そろそろ計画について話し合うこととするネ。ここにいるものには周知のことだが、我々の最終目的は、来る学園祭の最終日、世界樹の魔力が最大までたまったのを見計らって、願望機としての役割を持つ世界樹の魔力を用い、世界に魔法があってもおかしくないという認識を持たせることにある。これは計画の最初期段階だが、同時に、最終目標である魔法と科学の共存へと至る最も重要な段階ネ」

 

 改めて計画のことについて話始める超。具体的な例を用いて語るのは、計画の詳細を知らぬネギのためであり、そして計画始動を直前に控えた今、改めて一同に覚悟を問う演説であった。

 超が話す計画内容は、魔法は秘匿するべきという考えの魔法使いでは対応できないものだった。学園祭に出る一般生徒の前で堂々とここに居る戦力を使用して世界樹を占拠するというものだ。

 超と聡美の解説では、ここにあるロボットは人体に危害を加えるものではないが、充分に魔法使い側を無力化する術があるという。

 

「そのための切り札が……学園祭期間のみに使える時間跳躍弾と、時間航行機ネ。弾丸のほうは、接触した対象を計画が終了した後の未来にまで飛ばす能力、航行機はそのまんま、使用者を瞬間的な空間跳躍、正確には未来にある別の空間に転移させることが可能ネ。この二つとロボによる強襲制圧にて……」

 

「待ってください」

 

 唐突に、ネギは超の話に割って入ってきた。超は別段不快になることもなく、いや、むしろそれが当然だと言わんばかりの表情でネギに続きを促した。

 

「確かに超さんの計画なら、魔法使い側の大半は身動きを封じられます。ですが計画の最終段階。つまり世界樹の制圧を見れば、何を願うかは抜きにしても、危険だと察した皆さんはなりふり構わず動くでしょう」

 

「それで?」

 

「青山さんが動きます。それが、最悪です」

 

 最早。

 最早、ネギにとって、青山こそ恐ろしい者だった。

 京都の一件、直接的な被害をもたらしたのはリョウメンスクナとフェイト・アーウェルンクスであったが、ネギが、あそこに居た誰もが恐ろしいと感じたのは、前者の一体と一人ではなく、彼らに真っ向から立ち向かい、ついには打倒、斬って捨てた青山に他ならなかった。

 

「青山さんが動けば……死人が出るような、そんな気がするんです」

 

 確証はなかった。しかし、京都での出会い、そして葬儀の夜の会合で激痛を発した眼が、雄弁に青山という修羅の脅威を訴えている。

 何より、場所は違えど、今やネギ自身も道を『歩き終えている』故に、青山の恐ろしさはエヴァンジェリンと同じくらいに把握していた。

 未完成という終わり。終わりがない終わりに立った少年から見て、斬撃に生きるという修羅は理解できるからこそ決して相容れない。

 そんな相手を、一般人が居る場所で解き放つ恐れがある。それは、何よりも恐ろしいことに他ならないと思うのだ。

 

「だから、僕はその案には頷けません。確かに超さんの計画の果てには、回避出来ぬ流血が待っているでしょう。だからと言って、回避出来る流血を享受するというのは間違っています」

 

「……では、他に代えのプランがあるのかネ?」

 

 超は試すように問いかけた。その挑戦的な視線に怯むことなく、ネギは真っ向から頷きを返す。

 

「今思いついたわけではなく、超さんの話を聞いてからこれまで、僕なりに考えたプランなのですが……とりあえず、学園の皆さんには、学際中全員ここから出て行ってもらいます」

 

 そんな滅茶苦茶な発言を皮きりに、ネギは噛みしめるように彼なりに考えてきた計画について、話しだした。

 

 

 

 

 



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第三話【鋭利な愚鈍】

 

 京都復興のボランティアに学園の一般生徒を全員連れ出す。それに伴い、当然ながら引率としてついていくことになる教師陣も、事件の前後ということもあり、魔法先生並びに生徒をかなりの人数同伴することになる。そして一般生徒、並びに学園で働く人員の殆どがいなくなった麻帆良を最大戦力で強襲。相手も当然秘匿する必要がないので真っ向から抵抗するだろうが、それこそ真正面からの戦いと見せかけて、真名による援護射撃で追放する。

 これこそネギが代替プランとして提案したものであり、そのプランの第一段階も、雪広あやか並びに、超鈴音の協力によって成立することになる。学園の生徒がまとめて復興に当たるというメディアへの公表の効果も大きいものがあった。

 普段は賑やかな麻帆良の姿はない。まるでゴーストタウンにでもなったかのような閑散とした街並みが広がる中、数少ない、いや、唯一の居残り生徒である神楽坂明日菜は、いつもとはまるで違う街並みを見つめながら、ネギの言い分を耳から耳に流していた。

 

「だから今からでも遅くありません。明日菜さんも京都に行って復興のお手伝いをしてきてください。木乃香さんだって明日菜さんが居た方が……」

 

 隣で必死に説得をし続けるネギだが、明日菜はその言葉を決して聞こうとは思わなかった。

 そもそも話が急すぎるのだ。とんとん拍子で京都復興に学生が行くことが決定したのもそうだが、世界樹が願いをかなえる魔法の樹であること、そしてそれを使って世界中に魔法を知らしめること。

 全部が全部、ネギは明日菜に黙って事を進めたのである。理由だって、ネギと一部の生徒のみが学園に残るのを不審に思って、無理を言って学園に残ったらようやく観念して話したのだ。

 自分は、信頼されていないのだろうか。力になることすらできないのか。

 せめて一言、相談だけでもしてくれたらよかったのに、そんな思いが明日菜を学園に何が何でも残ってやると頑なにさせていた。

 だがしかし、罪悪感がないわけではない。どうにか京都に自分を行かせようと、理由を並び立ててネギが説得にかかってくれば、おのずとどうして学生を京都に映したのかの理由も分かった。

 青山だ。

 あの男が、動くのだ。

 あの京都で、誰よりも恐ろしかった漆黒の人間。何もかも台無しにさせる冷たい男が、必ず動く。

 そうなれば、麻帆良は無事で済むかどうかわからない。ネギはだからこそ明日菜には京都に行ってもらいたかった。

 彼にとって、明日菜は故郷に残した姉と同じ、大切な家族だ。それが極限状態が築き上げ、姉を明日菜に投影しているという、本人すら自覚していない哀れな感情だとしても。

 ネギにとって明日菜は守るべき大切な家族。例え、それが仮初のものだとしても、そう思っていることは事実だ。

 だからこそ危険に巻き込みたくないのだが、明日菜の考えは違う。うっすらとだが戻り始めているかつての記憶。幼少時のトラウマとでも言うべき、親しい者の死。

 その死した人間とネギを彼女は重ねている。だからこそ明日菜はネギの説得に、自分の無力を実感しながらも応じようとはしなかった。

 また失うかもしれない。意識せずとも、無意識であっても、その内側にこびりついているトラウマは拭い去ることは出来ず、明日菜を突き動かしている。

 結局、ことここに至るまで二人は互いを別の誰かに投影している事実から逃れることも、また、それに気付くことすらできなかった。

 もしも。

 もしも、京都の一件が何事もなく終わり、木乃香が魔法に関わることになっていたら、誰よりも二人の側にいる彼女であればその違和感に気付き、諭すことが出来たかもしれない。

 だがそれは所詮ありえたかもしれないもしもの話であり、決して望むことは出来ない意味のない空想だ。だから二人は誰よりも互いに依存している状態でありながら、誰よりも理解し合っていない彼方に立っている。

 

「もう! そんなことはどうでもいいでしょ! 私だって超さんの言ってることには全面的に賛成なんだから、少しぐらい協力させなさいよ!」

 

 明日菜はとうとう我慢できずにネギに怒鳴った。自分が力不足であることはわかっていても、それでもネギの側にいると決めているから。

 だがネギもそう簡単には引き下がれない。普段なら明日菜の声に驚き、従ったかもしれないが、今回ばかりは譲れなかった。

 

「……明日菜さんはわかってないですよ。わかってほしくはないのですけど。青山さんは正義にも、ましてや悪にも『属してはいけない』人間だ。そんな人が立ちふさがる場所に、明日菜さんを巻き込みたくないのです」

 

「そんなの……わ、わかっているわよ! 危ないことくらい!」

 

「……わかってないですよ。何にも」

 

 ネギは不愉快そうに呟いた。

 決して明日菜の頭ごなしな言葉に苛立ったわけではない。青山という人間を理解してしまっている自分を唾棄したのだ。

 最後の会合は、あの夜。

 決定的な決別があった。斬撃と、生きるという答えに終わっている修羅。そんな男をまざまざと見せつけられた。言葉以上に雄弁な会合で、互いに相容れぬ者同士だとわかった。

 

「僕は、わかってほしくないのです」

 

 アレをわかるということは、終わってしまうということだから。

 だから逃げてほしい。その願いを込めて、ネギは明日菜を真正面に立ち、左目のカラーコンタクトを取り外した。

 そこにあるのは、光すら飲み干す恐るべき漆黒の穴。

 

「僕の目を見てください」

 

「ッ……」

 

 明日菜は、堪らず視線を切ってしまってから、慌ててネギを再び見る。

 

「出来ないのが、当たり前ですよ」

 

 ネギは己への嘲笑を浮かべていた。毎朝、鏡を見る度に自分の目なのに竦んでしまう。

 青山とはこれで。

 これと対峙出来ることが何の自慢になるというだろうか。

 ネギは呆然とする明日菜に背を向けた。本当はこの目を見せたくはなかったから、言葉で説得したかったけれど、この目を見れば納得するほかないだろう。

 

「……さよなら、明日菜さん」

 

「それでも!」

 

 明日菜は咄嗟にネギの背中に抱きついた。

 

「私は居るから!」

 

 今離せば、もう二度と出会えないような気がしたから。

 だから隣にいるのだ。明日菜はネギの左目を見た恐怖から震える体で、それでもネギを包み込む。

 震えは当然ネギにも伝わった。

 怖いだろう。

 恐ろしいだろう。

 この目に宿る青山が──

 

「明日菜さん……」

 

 ネギは、そんな自分を優しく包んでくれる明日菜の手に己の掌を重ねた。

 はがされると勘違いした明日菜は、いっそう抱きしめる力を強くする。柔らかい少女の体と、優しい匂いに抱かれて、ネギは──

 

「僕は最低な教師です」

 

「ネギ?」

 

「隣に居てください。明日菜さん」

 

 温もりが欲しかった。冷たい場所に行こうとしている自分に、明日菜の優しさは麻薬のように手放せぬ中毒性があって、わかったからにはもう離さない。

 

「任せなさい。絶対に、隣に居るから」

 

 明日菜は誓いを新たにして、ネギはその誓いを聞き、必ず守ってみせると心の内で強く思う。

 互いに依存しあうような悲しい関係。けれど、その思いは間違いではないのは確かで。

 だから二人は静寂の中、静かに寄り添う。この先に待つのが冷たい修羅場だとしても、きっと乗り越えられると信じているから。

 

「約束ですよ。明日菜さん」

 

 その時、偽りであるが美しい誓いを交わした二人を祝福するように、魔力を充実させた

世界樹が、ゴーストタウンの如き静寂に包まれた麻帆良学園を、その輝きで照らしだした。

 

「……綺麗ですね」

 

「うん」

 

 隣り合って立った明日菜とネギは、木漏れ日の暖かさを冷たい夜に降らす世界樹を眺め続けた。

 その手は硬く結ばれて、互いの存在を感じ取るように握られている。

 もうすぐ、戦いは始まる。それは誰に知られるものでもなく、冷たい静寂で人知れず行われる寂しい者だけど。

 

「来年は……」

 

「ん?」

 

「クラスの皆と一緒に、世界樹を見ましょうね」

 

「……うん」

 

 明日菜はネギの横顔を見つめて、優しく微笑んだ。

 降り注ぐ光の残滓は、ただ今は二人を照らしだす。

 必ず。

 今度は皆で。

 大切な約束を胸に、ネギは来る戦いを思い、明日菜と繋いでいないほうの手を強く強く、握りしめた・

 

 

 ──結果として。

 その選択こそ、すれ違い続ける二人が起こした最大にして最後のミスであり。

 

 そして──温もりを断つ斬撃は、直ぐそこまで来ていた。

 

 

 

 

 時間は京都へのボランティアに学生達が赴くより前に遡る。

 危険は去ったとはいえ、惨劇の記憶は新しい。関西呪術協会の術師が京都の守護を固めているとは言え、そこに麻帆良のほぼ全員の生徒や教師が向かうと言う事態に、魔法使い側も人員を割かない訳にはいかなかった。

 幸か不幸か、それにより数十年に一度、世界樹の魔力が満ちることによる、願望をかなえる能力を使われないための警護を行う必要はほぼなくなったのは良かったのだが。

 ともあれ、京都に誰が向かう必要があるのか。京都の件とは別に、先日麻帆良を襲った悪魔襲撃事件のこともあり、麻帆良に誰かが残る必要もあるだろう。

 

「俺はここに残りたいと思います」

 

 会議も佳境に差し掛かった頃、人員の配置がある程度決まったときだ。

 その会議の場に呼ばれた、一人だけ清掃員の制服を着た場違いな男、青山が誰よりも早くそう言った。

 

「……青山君には我々と共に京都に来てもらいたいのだが、君はかつて京都守護役、神鳴流の剣士でもあったと聞くからね」

 

 ガンドルフィーニがそう言うと、含んだ京都行きの魔法使いも同意だと頷きを返す。

 青山はそれに対して困ったように頬を掻くと、一同を見渡した。

 

「確かに京都は俺の古巣であります。ですが京都の一件、元を辿れば、その古巣を荒らした張本人である俺が京都を訪れたために起きたことでもあるのです。そんな男が京都に再び赴けば、新たな災厄を持ち込む恐れもあるでしょう」

 

「だが……」

 

「それに、何となく……俺は、ここに残るべきだと思うのデス」

 

 青山は対面に立つネギを見据えながら呟いた。

 ネギはその視線を怯むことなく受け止めて、むしろ真っ向から見つめ返す。そこに込められた複雑な感情を読みとったのは、タカミチと近右衛門の二人だ。

 怒り。

 憎しみ。

 そして、羨望。

 それは暗黒の如き青山の瞳にもうっすらと滲んでいたが、それに気付いたのはネギ一人だけだった。

 

「……曖昧な理由じゃのぉ」

 

 近右衛門が青山に苦言を漏らすが、それは表向きのものだ。そこに居る誰もが、青山の曖昧な理由に納得せざるを得なかった。

 青山の佇まいは、戦場を幾つも超えてきた剣士のそれだ。時としてそんな者達が何となくという曖昧な勘に任せることはある。そしてそう言った曖昧な勘というのは、殆どの場合『当たる』のだ。

学園から殆ど人が居なくなるとは言え世界樹が魔力を最大まで溜めて発光するのもまた事実。

 もしかしたら、そこで何かが起きるのではないか。

 青山の勘はそれを暗示しているように思えた。

 

「僕も、青山さんは京都に出向く必要はないと思います。僕も個人的な理由があるので麻帆良に残りますし……何かあったならば、共に動きましょう。必ず」

 

 意外とでも言うべきか。ネギが青山を庇いたてる。しかしその言葉は協力をしたいという明るいものだが、青山を見つめる瞳は決して友好的とは程遠い。

 これではまるで、威嚇しているようではないか。誰かがそう思ったとき、気味の悪い奇声が粘液のようにぬらりと滲みでた。

 

「う……ひっ」

 

 それは。

 

「ひっ。いいな。それ」

 

 男が初めて周囲に見せる、笑みであった。

 瞬間、その場にいた誰もが、背骨が氷に代わったような錯覚に陥る。しかしその感覚も一瞬、青山の浮かべた笑みもまた幻のようにその顔からは失われていた。

 青山の呟きは錯覚に隠されて誰の耳にも入らなかったが、唯一ネギだけは竦むことも怯むこともなく、青山の一言一句を把握していた。

 

「そういうわけです。俺とネギ君。そして高畑さんと学園長さんが残る。なので皆さまの過半数以上は京都に向かってもよろしいかと思います……では、俺はこれにて失礼します。人が少なくなったので、仕事がまだ残っております故」

 

 話すことはもうないと、青山は深く頭を下げると先に部屋を後にした。普段は礼儀を重んじる彼にしては珍しくいことだ。

 だがそうせねばならないくらい、今の青山は冷静さを失っていた。

 部屋を出て一人、口元を抑えた青山はどうしようもない己を恥じた。

 

「……そっか」

 

 やはり。

 君は、そこに居るのか。

 あの場で青山を見据えていたその瞳。京都の夜では決して相容れないと思ってしまったが、何てことはない、あれはきっと間違いであったのだと今ではわかる。

 未完成などとんでもない。

 めちゃくちゃ終わってるよ。

 

「青山さん」

 

 その背中に、続いて部屋を出てきたネギが声をかけてくる。静かに振り返った青山は、これまでとは違って決して己を恐れていない真っ直ぐな瞳に緩む頬を自覚した。

 

「……何か用かな?」

 

「とぼけるのもいい加減にしてください──僕が何をしようとしているのか、気付いているはずでしょう?」

 

「……わかるのかい?」

 

 ネギは答えの代わりに左目のカラーコンタクトを外した。

 その向こうにあるのは青山と同じ暗黒だ。「痛むんですよ。あなたに知覚されているのがわかりますとね」ネギは己の目を指差して言った。

 悪魔襲撃の一件で完全に己の答えに至ったネギは、誰にも言ってはいないものの、今では青山と同じく麻帆良全域の気配を察知する能力を得ている。遥か高みから下を双眼鏡で見渡すのと同じだ。終わりという頂点にいるからこそ、そこに至らず進もうとする者達の気配を容易に察することが出来る。

 だが本来同じ領域、つまり完結している人間である青山にはこの知覚は通じないのだが─悪魔襲撃の前、青山が刀子の接近を察知できなかったのも同じような理由だ。正確には自身と同じ雰囲気を纏っているために察知がむずかしくなっただけではあるが─しかしネギの場合、未完成という終わりにいるからこそ、青山という完結した別物の同類が、完成していないからこそわかる。そしてそれは青山もまた同じであった。

 

「……そういうことだったのか」

 

 青山もまた、ネギ程ではないが痛みを訴える両目の理由をようやく悟った。

 そこの理屈は言葉では上手く伝えられないが、終わり同士だからこその共感があったのか。最近はネギを辿る度に痛んでいた理由を知って納得する。

 そして青山は当然、彼が学園の地下に潜っていることも察していた。そして地下に幾つもの鬼神の気配があるのも把握済みだ。

 その傍に頻繁に行っているネギと、集まっている実力者、極上の吸血鬼。

 さらにこのタイミングで、今よりさらに前、ネギがボランティアで学生を京都にという意見が出ていると進言したこと。

 青山でなくても、これだけの要素が重なっているのを知れば、ネギが何かを行おうとしていると気づくだろう。そして青山は知らないが、超鈴音が関わっていることも知れば、麻帆良の魔法使い達は京都に多数の魔法先生を派遣しようとはしなかったかもしれない。

 だがそれも痕の祭り。事前にネギ本人が京都で起きたことを事こまかに説明することで、京都へ送る人員はタカミチと近右衛門を除き全員引っ張ることが出来た。これで後は転移遮断のパスを秘密裏に組み立て、京都から増援として来られないように仕向ければ問題ない。

 しかし、それでもなお、青山が残っている。

 

「……なら、俺も京都に行けば良かったのかな?」

 

「まさか」

 

 ネギは笑えぬ冗談を嘲るように鼻を鳴らした。

 超と事前に話した時は、可能な限り青山を優先して京都に送るべきだと彼女は言ったのだが、そこにはネギとエヴァンジェリンだけは頑なに反対している。

 その理由は単純明快。

 

「僕は、あなたを見誤ったりしませんよ」

 

 そのために舞台を作り上げたのだから。ネギは青山との距離を詰めて、その顔を見上げた。

 ネギは聡い子だ。故にクウネルとの修行で得られたあらゆる価値観が、青山の存在に警報を鳴らしていた。

 この男は。

 この修羅は、本来在ってはいけない存在だから。

 

「僕ら──僕の計画の最大の障害はあなただ」

 

 魔法をばらしたその時、超は考えていない、いや、あるいは考えたくないことだったのかもしれないが、ネギはその時のことを考えている。

 つまり、魔法が知れ渡った世界に、青山が居るという可能性。

 

「それは……物騒な話だな」

 

 青山は本当にネギがどうしてそこまで自分を警戒しているのか分かっていない様子だった。

 その態度は、明らかに先程までとは矛盾している。ネギが自分を見ていると分かっているはずだったのに、そこに込められた敵意を感じ取っていないわけがないというのに、

 この男は、何故自分が警戒されているのかまるで分かっていない。

 だから、最大の障害なのだ。

 

「あなたは動物的すぎる……エヴァンジェリンさんに言わせれば、人間らしすぎるとでも言うのでしょうが」

 

 その矛盾した姿こそ、青山が己の本質に支配されている最大の理由だ。ネギは未完成であるために、人間らしさを善悪で判断出来るけれど。

 

「あなたは……何も分かっていないんだ」

 

 善悪を知らぬ、ではない。

 善悪を基準としないのだ。

 だからこれまで青山は矛盾した行動をとり続けてきた。ネギはその矛盾を殆ど知らないけれど、それでも言葉よりも雄弁に青山とは語っているから。

 

「分かってる癖に。分かりきってない。おかしいですよ、青山さん」

 

 それは、かつてエヴァンジェリンが戯れに告げた言葉と同じだった。

 正気ではない。

 つまり、修羅。

 

「そんな人は、この世界に必要ない」

 

 こんな会話を、今も部屋で話し合っている彼らが知れば、ネギの正気を疑ったかもしれない。

 だが仕方ないだろうなとネギは思う。

 さらに言えば、青山を敵視している超だって、何もそこまで言う必要はないだろうと言っただろう。

 それも仕方ないだろうなとネギは思う。

 肯定する者がいるなら、エヴァンジェリンと、ネギは知らぬが、素子くらいか。

 この世には、存在してはいけない命は、存在する。

 本来、世界に必要ないと言われる悪ですら、悪に生きる者にとっては必要であることを考えれば、世界には存在してはいけない者などいないのだが。

 青山は例外だ。

 この男は、存在が許されない。

 

「……酷い言われようだな。俺は、君に何かしたかな?」

 

 青山は無表情のまま静かに言い返した。やはりその声色は、どうしてそこまで言われるのか、本当に分かっていなくて。

 たまらなく、気持ち悪い。

 だからこそ、ネギは言わなければならないことがあった。

 

「……正義とはなんでしょうか?」

 

 唐突にネギはそんなことを聞いてきた。

 

「人を守り、成長させ、暖かき場所を尊ぶことだ」

 

 青山は間髪いれず、ここに来てから培ってきた善の在り方を誇らしげに語る。

 

「……悪とはなんでしょうか?」

 

 ネギはその答えを反芻することなく、続けて問う。

 

「人を殺め、潰し、苦しめることだ」

 

 青山は間髪いれず、あの悪魔のことを思いだした。そして、人を困らせていたかつての己を思いだし僅かに苦々しげに答えた。

 

「……貴方は、何のために生きているのですか?」

 

 そしてネギは問う。

 青山はやはり間髪いれず。

 

「斬るために」

 

 胸も張らず、苦々しくもならず、呼吸するようにその言葉を吐きだした。

 

「だからあなたを許してはいけないんだ」

 

 ネギは疲れたように呟いた。

 首を傾げるのは青山だ。一体何がいけなかったのか、やはり何もかも分かっていなくて。

 

「斬るために生きる人間なんて存在しません」

 

「え……?」

 

「生きることの意味は、斬ることではない。それは、いつまでも探し続けることだ」

 

 ネギははっきりと青山に己の中の答えを叩きつけた。例えネギの答えもまた、未完成という完結に縛られたものであるが。

 

「な、に?」

 

 だがそれでも、青山には衝撃的な一言だった・

 

「そ、んなの……違う。俺は、俺達は生きてるから、斬るから……」

 

「斬ったら人は死にます」

 

「それは当然だろ? だって、生きることは死ぬことだから。斬ることは死ぬことでもあって──」

 

「あなたの言い分では、人殺しは正当化されます」

 

「仕方ないんだ。兄さんを、錦さんを、殺し、殺して……」

 

「……やはり、木乃香さんのお父さんを殺したというのは、言葉通りだったのですね」

 

 京都で取られた調書にはネギも目を通している。そのときの青山が語った内容もネギの頭には入っていて。

 やはり。

 やはり殺したのか。

 ネギはさらに一歩青山へと詰め寄った。すると、押される形で青山が一歩下がる。

 

「どの口で正義を語れますか? 殺したのでしょう? あなたはあなたが苦々しく思った悪を行ったのに、どうしてそれが当然だと受け入れられるのですか……!?」

 

「俺は、俺は生きているから、生きていることを伝えるために……」

 

「殺した」

 

「ッ……」

 

「あなたが、殺した……!」

 

 同類だからこそ、ネギの言葉は青山に響いていた。

 これがフェイトと戦う前の青山であれば、ネギの言葉すらも響いていなかっただろう。何故なら、善と悪を理解しながら、青山は斬ることを別としていたから。

 しかし今の青山は違う。生きるという答えを得て、以前よりもさらに鋭さを増したものの、それは限りなく薄刃の鋭利。

 矛盾しているのだ。

 斬るという悪と。

 生きるという善が。

 どうして、混ざることが出来るのか。

 透明な斬撃だった青山に刻まれた確かな傷。

 フェイト・アーウェルンクス。

 確かに、生きるという答えを得た彼は、青山に勝利し、傷跡を残していたのだ。

 だからこうして追い詰められる。誰もが追求することも出来ず、気付いていた者すら追求しようとしなかった決定的な矛盾が。

 

「斬るのが生きること? 違いますよ。あなたのそれは、生きようとしている命を、己のエゴで殺し尽くしているだけでしかない……善も悪もなく、最も醜悪なやり方だ」

 

 同じく終わりに立つ少年の手によって、暴かれようとしていた。

 

「……ッ」

 

 青山は僅かに唇を噛んで苦汁の表情を浮かべた。

 返す。

 返す、言葉がなかった。

 だがそれは反論の言葉を告げようとしているからではない。

 

「どうして……」

 

 ここまで言われ。

 ここまで矛盾を突かれて尚。

 

「どうして、分かってくれないんだ……」

 

 青山は、己の矛盾を決して理解していなかった。

 ネギもそれは分かっていたのか。己の言い分は分かりやすいと信じている青山に呆れながらも、決して驚きはない。しかし分かっていて尚、言わずにはいられなかった。

 何故なら、こんなことになるまで、青山に誰もそのことを言わなかったから。

 もう手遅れだけれど。

 それでも、伝えるべきだと思った。

 でなければ、この人はあまりにも報われなさすぎる。

 

「あなたこそ、周りを分かろうとしてないじゃないですか」

 

 他人を理解しようとせずに、己だけを理解してもらえると確信しているその精神。

 世界最強レベルの使い手すら上回る圧倒的な戦闘力や、揺るぎようのない心に隠されて見えないが、青山という男の本質はそれだ。

 何処までも自分勝手。

 駄々をこねる童にすら劣る、自分本位。

 まるで幼少の魂が一切の経験を積み重ねずに大人になったような男だった。

 

「……何て、有り様」

 

「それが、俺だよ。ネギ君」

 

 悲しげに瞳を細めて、さも傷ついたとばかりに呟く青山に対して、ネギは歯を噛みしめて。

 

「無様ですよ。青山さん」

 

 吐き捨てる。

 その言葉こそ今の己だということにすら、ついぞネギは気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 その時のことを思いだして、俺は僅かに落ち込み、小さく溜息を吐きだした。

 

「……どうかしたのかな?」

 

 隣に立っている高畑さんが俺を心配して声をかけてくれる。

 

「いえ……何も。何でも、ないのです」

 

 俺は生徒を乗せて京都に向かっていく新幹線を見送りながら呟いた。

 これで麻帆良に残った魔法関係者は俺と高畑さんと学園長さん。そしてネギ君と彼の生徒の幾人か。

 その内の一人、超鈴音。

 彼女が残るとわかったとき、何故か麻帆良の魔法使いをさらに何人か残すべきだという意見が出た。

 尤も、彼女一人で出来ることはあまりないこと、そして学園の最高戦力である高畑さんと学園長さん、そして嬉しいことに俺を信頼してくれた彼らは、最後まで心配してくれたものの京都行きの新幹線に乗り込んだ。

 新幹線はあっという間に小さくなっていく。ものの数秒もしないうちに視界からなくなった新幹線から視線を切った俺は、同じく見送りに来ていたネギ君達を見た。

 俺の側には、学園長さんと高畑さん。

 対して離れた場所に居るネギ君の側には、超鈴音を含めた数名。どうやら強引に残ることを決めたネギ君のルームメイトと言い争っているらしい。

 

「……どうやら、彼女達が残る生徒のようですね」

 

「そうだね。わかっているはずだけど、超鈴音はともかく、龍宮真名も学園では有数の戦力を誇る傭兵だ。彼女も残る以上、気を引き締める必要がある」

 

 かつての生徒を疑うのは教師失格だがね。

 そう締めくくって自嘲する高畑さんへ俺は首を振って答えた。

 

「仕方ありません。信じるのが教師の仕事であれば、疑うことは大人の役割です」

 

 相反することだが、盲目であることは良いことではない。俺はそう思うのだが、高畑さんはそれでも、生徒を疑う己を恥じているようであった。

 無理もあるまい。そも、俺如き一介の清掃員の助言、しかも剣しか知らぬ男の言葉がどう響こうか。

 

「ありがとう、少し楽になったよ」

 

「いえ」

 

 それでも俺を気遣ってそう言ってくれることに、逆に俺こそが申しわけなく思ったり。

 

「だがしかし、賑やかでありますね」

 

「うん。居残り中も、彼らがあの賑やかなまま過ごしてくれればいいんだけど」

 

 

 高畑さんは活発な子に喚き散らされて困り果てているネギ君と、その周りでニヤニヤと笑っている超さん達を見て、穏やかに微笑んだ。

 俺も。

 俺も、そうあってほしいと願うばかりだ。

 

「えぇ、全くその通りです」

 

 だが現実はそういかないだろう。

 予感は、確信に変わっている。

 ネギ君から受けた宣戦布告。それがあるから、学生が居なくなった今、きっと逃れられない冷たい場所は必ず来るはずだ。

 恥ずべきことに、京都の反省を全く生かさず、今回も俺はネギ君のことを黙ったままでいるけれど。

 だが仕方ない。

 それが俺だ。

 恥ずべき者こそ俺だ。

 

「だから……斬り合おう」

 

 きっと、対峙の時はそう遠くない。目を閉じれば脳を揺らす凛とした歌声を想像して、俺は高畑さんと同じように、彼らの姿を見て穏やかに微笑んだ。

 

 

 

 

 




Bルートはこちらの完結後にて。


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第四話【麻帆良、決戦】

 麻帆良学園の世界樹が大発光をした次の日、ネギは己の意志を伝えるために、師であるクウネル・サンダース。アルビレオ・イマの元に足を運んだ。

 超の計画に賛同してからは来ていなかったためか、修行に使っていた地下の広場は何処か懐かしい。巨大な滝壺の傍、いつもクウネルと二人で座学やお茶会を行っていた一角。そこには依然と変わらぬ様子で一人お茶を楽しむクウネルの姿があった。

 

「師匠」

 

「お待ちしておりましたよネギ君……どうやら、お茶を飲みに来たというわけではない様子ですが」

 

「えぇ、この後直ぐにでも行かなければなりません」

 

「そうですか。であれば、私は止めませんよ。エヴァンジェリンの封印も解かれようとしている。地下に寝ていた鬼神の群れも起動を始めたようだしね」

 

 クウネルは何もかも分かっているような口ぶりだった。いや、その程度当然だろう。ネギは驚くこともなく受け入れる。

 彼がこの麻帆良に滞在してからこれまで、何もしなかったとは考えられない。おそらく、麻帆良で起きていることならば、クウネルの探知能力はネギや青山すらも上回るのではないか。

 

「止めないのですね」

 

 だからこそネギにはそれが不思議だった。

 今からネギが行おうとしていることは、善悪はどうあれ、世界に混乱を招く一石に他ならない。聡いクウネルが、今しがた口にした情報からそれを察せないということはないだろう。

 既に気付いているはず。なのに、クウネルは決してネギの行動を咎めようとしなかった。

 

「修行を始める時、私は言ったはずですよ。あなたには善悪について教えると。だが、あなたに善行を行ってもらうと強制したつもりは一度だってない」

 

 クウネルは淡い笑みを浮かべながら答えた。その微笑みとは裏腹に、彼の内心は複雑なものである。

 

「師匠……僕は、それでもやはりあなたの期待を裏切っているような気がするのです」

 

 ネギも薄々とクウネルの内心に気付いていたのか。彼を気遣うような言葉を口にしながら、申し訳なさそうに表情を曇らせる。

 

「でももうどちらが善か悪かわからなくて、何もかもわからないけれど、それでも前に進むって決めたから」

 

 ネギが続けて口走った言葉に、クウネルはやはり曖昧に微笑みを返すばかりだ。

 

「せめて決意だけは伝えたかった」

 

「なら、そのまま進めばいいでしょう。あなたの気持が赴くままに、あなたの道を、一歩ずつ」

 

 クウネルはそう返しながら、やはり己は失敗したのだろうと悟り、心を曇らせていく。

 最悪ではないが、それでもネギを導くことにクウネルは失敗したのだろう。ネギの言葉は、聞けば善悪の価値観に苛まれながら、しかし前に進もうとする崇高な意志を持っているように聞こえる。

 しかし、クウネルはその言葉に込められた最悪を見抜いていた。

 わからないと、ネギは言っている。

 この少年は、善悪の基準がわからないと言っているのだ。

 それは。

 それはとても危ういことなのではないだろうか。

 

「僕がこれから行うことは悪なのでしょう。でも、僕にはこれから行うことが、本当に悪に基づく行いのかやはりわからないです」

 

 客観的な情報として、ネギは己の行いが悪であるという仮定はしている。

 しかし、彼本人の答えが、未完成という完結が、ネギ個人の考えを曖昧にさせていた。

 善悪の基準が分からない。

 正確には、客観的な善悪の基準を持ちながら、ネギは主観である未完成を基準にしているため、その客観性を是と出来ないのだ。

 

「……それでも、進むと決めたのでしょう?」

 

 クウネルには、彼の迷いを僅かに照らす灯火を手渡すことしか叶わない。

 斬撃と生に終わった青山。

 未完成に終わったネギ。

 辛うじて、ネギは人間に寄り添える可能性の終結に居るが、青山もネギも、善悪の基準を無視しているという点では、同類と言っても過言ではなかった。

 

「はい」

 

 ネギは返事こそはっきりとしていたが、表情は曇ったままだった。クウネルはその表情をどうすることもできないから、せめて助言だけは伝えておく。

 

「出来れば、彼にだけは近寄らないでほしい」

 

 瞬間、ネギの瞳がぎょろりとクウネルを見上げた。

 

「あの人は、ここで落とします」

 

 先程までの暗い表情が全て演技にすら思える程、ネギの瞳は冷たい輝きを帯びていた。

 青山という男を、ネギはある境から嫌悪するようになっている。それはやはりネギもまた同類となり果てたからなのだろう。

 

「あんな人が、認められるわけがない」

 

 そう憎々しげに語るネギ。

 しかし彼は気付かない。会議の後の会合。一方的に青山を断罪したその言葉の全てが、今のネギにも当てはまるのだということを。

 周りをわかろうとしていない、そうネギは言った。

 だがそう断罪する本人こそ、何もわかっていないというのは、あまりにも皮肉が効きすぎている。

 ネギ。

 未完成に終わった英雄の息子。

 楓が言っていた、超えてはならぬ壁を超えてしまった哀れな少年。

 何故、彼がこうなってしまったのか。兆しは大橋での会合から既にあったのだ。振り返ればそこからだろうと、目の前の冷たい眼を見返しながらクウネルは推測する。

 ネギは吸収してしまったのだ。夜を従える真租の吸血鬼を、封じられていた恐るべき鬼神を、造物主が作り上げた無敵の使徒を、悉くその刃で斬り伏せた青山という男。

 その男が得た力の源泉を、ネギは取り込んでしまった。

 天才だった故に、天才を極めた者に無意識ながら魅せられる。ネギはただ魅せられ、そしてその後を無意識で追い。

 

(……最後のひと押しをしたのは、私だったわけだ)

 

 様々な人間の生きざまを教えることで、ネギはそれらも取り入れ、知りえる中で最大の個性であった青山をベースに、自らの答えを手に入れてしまった。

 だがこれについてクウネルを責めるのは酷というものだろう。むしろ、クウネルがネギを師事しなかった場合、青山と同じか、あるいは同じような性質の回答を得た修羅に鳴り果てていたはずだ。

 遅かれ早かれ。

 結局、爆弾の導火線に火は点いていたのだから。

 

「マスター?」

 

 ネギが冷たい眼差しを一転させて、笑みを消したクウネルを不安げに見上げてきた。

 

「いや……何でもありませんよ」

 

 クウネルには最早そう返すしか出来なかった。

 なまじ、ネギを守ることが出来る立場に居たからこそ、悔まれる。

 大橋の時点で、いや、青山が麻帆良に来た時点でどうにかしていれば──というのも、不可能だろう。普段の青山はただの青年と代わりなく、大橋の時点では、彼は以上の一端しか見せなかったから。

 だが。

 しかし。

 それでも。

 もしかしたら。

 あらゆる可能性に思考を張り巡らせて、だが現実は戻すことは出来ず、零れた水を再び盆に戻すことは不可能。

 選択の果てに、今がある。ならば大切なのは、ここから何が出来るかなのではないだろうか。

 

「さぁ、もう行きなさい」

 

 クウネルはネギの肩を優しく押した。

 押されるがままに一歩後退したネギは、クウネルの様子に後ろ髪引かれる思いがあったのか、何度も振り返りながら地下を後にする。

 その背中を見送ったクウネルは、ゆっくりと頭上を見上げた。地下だというのに太陽の光の如き暖かな輝きが地下を照らしているが、彼が見ているのは暖かな光ではない。

 

「……隠居するというわけにもいきませんか」

 

 麻帆良全域に張り巡らされたクウネルの知覚は、今は大人しく佇んでいる青山の気配を察知する。

 選択の結果の今。

 だが、この男こそ無限の選択肢を一本に斬り捨てた張本人であることは間違いあるまい。

 

「タカミチ君と学園長がネギ君を抑えている間が勝負ですかね。旧友の戦いを邪魔するのは、些か心苦しいものがありますが」

 

 クウネルは。

 アルビレオ・イマは、人間が好きだ。

 

「認められない、ですか」

 

 だがしかし。

 だからこそしかし。

 何もわかっていないネギだけど。

 その言葉は、正しかった。

 

「確かに、あなたを認めるわけにはいかないのでしょう。青山君」

 

 選択を行う。

 正しいのか間違いなのか。その答えはわからないけれど。

 選択しなければ、いつまでも立ち竦んだままなのだ。

 

 

 

 

 

「遅れました」

 

 クウネルの元からネギが向かったのは、別の入り口から通じる超の地下秘密基地であった。

 息を切らしているネギが到着したころには、既に実動員である聡美と茶々丸を除いた三人は既に集まっていたらしい。申しわけなさを感じて頭を下げるが、超は気にした様子を見せず「いや、皆さき来たばかりヨ」とデートの常套句で場を和ませた。

 

「明日菜さんは?」

 

「ハカセのとこに置いてきたネ。彼女のアーティファクトは魅力的だが、今回の主戦力が純粋な戦士が主軸となれば、あまり有効には扱えないヨ」

 

 まるで使える状況ならば使ってみせたとでも言うべき超の言葉だが、それは彼女らしい冗談だ。だがあまりにも皮肉が効いているその冗談は、超にしてみれば意外な程ユーモアに乏しい。

 超もそれがわかっているのか。咳払いを一つして発言を誤魔化した。計画の最初期段階とはいえ、一世一代の大勝負を前に彼女も緊張をしているのだろう。

 改めて超は並び立つ三人を一人ひとり見た。各々、理由は違うとは言え集まったかけがえのない同胞達、彼らに対して自分が出来ることは、誓いを新たにすることだけだった。

 

「このままいけば、いずれは訪れることになる未来。緩やかに首を締めあげ、窒息するのが目に見えている世界に、新しい息吹は必要ネ。その結果、新たな空気に紛れたウイルスが世界を蝕んだとしても、なさねばならぬことがある」

 

 魔法を知らしめる。

 それにより生まれる歪み、混乱、そして流血。

 計画の第一段階を超えて、第二段階に入ったとき、決して目を背けることのできない不幸が待ちかまえている。

 

「勿論、そうならぬように事前に最大の労力は行てる。しかし、だがしかし、便利すぎる力というものは、人の心を容易に歪めるだろう……そこから目を背けてはならない」

 

 彼らは、混乱を招かぬように停滞させてきたことを、あえて動かそうとする革命者だ。だから見届けなければならない。導かなければならない。

 その幼い心と体で、全てを受け止める義務がある。

 

「覚悟は、あるか?」

 

 最後通達。超はここに居るネギ達に問いかける。

 その真意を。

 その覚悟を。

 

「私はお前の計画に賛同した。だが生憎と私には銃器の扱いしか特技はなくてね……だから、引き金をお前に預けるよ、超」

 

 真名は言葉少なく、その眼に確固たる決意を乗せることで言葉以上に雄弁に覚悟を告げた。

 ネギは彼女が歩んできた道のりの過酷さを知らない。どうすればここまでの鋼の意志を手に入れることが出来るのか。それを知るには、ネギは真名のことをあまりにも知らなくて。

 しかし、覚悟は伝わってきた。真名は己で選択し、行動をしようとしている。教師だからではなく、一人の人間として、ネギはその意志を尊重した。

 

「くだらん」

 

 そんな覚悟を嘲るのは、やはり全てを見下したような笑みを浮かべるエヴァンジェリンだ。

 ここにいる者で、エヴァンジェリンだけは計画とは無縁の場所に居る。むしろ、計画の先を見据えるなら、今ここで排除しなければならないほどの化け物であろう。

 真租の吸血鬼。不死の化け物。その本質に落ちてしまった化け物は、だからこそここにいる者と比肩、あるいは上回る覚悟をしている。

 

「貴様らのことなど実にどうでもいい……が、青山と遠慮なく戦える場所を提供してくれる、このことだけは感謝しよう」

 

 唯一人、地獄を望む恐ろしき化け物は、間近に迫ってきた宿敵との戦いを思い浮かべて笑みをいっそう深くした。

 未来も。

 過去もない。

 あるのは全てが冷たくなっていくこの修羅場のみ。

 故にエヴァンジェリンは超の陣営のジョーカーだ。場をひっくり返すことが出来る強力な札だが、この札は彼ら自身を凍らせる諸刃の刃でもある。

 だからこそ、切り札は存在する。超はエヴァンジェリンから視線を切って、土壇場で獲得することが出来た切り札、英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドを見た。

 

「……僕には、超さんや龍宮さんみたいな意志や、エヴァンジェリンさんのように戦いだけに没頭する精神もありません」

 

 わからないのです。

 ここに至るまで、ここに至るからこそ、惑い、悩む。苦悩することを永遠に決定づけられた哀れな少年は、それでも前に進むことだけは止めない。

 

「僕らの行いは、やはり人々から見たら悪なのでしょう。ですが、やはり世界を思う正義の心でもある……ならば、僕は前に進んで確かめたいのです。停滞したままでは光なんて見えはしない。進んで、暗闇を照らしていくことを選択し続けるしかない」

 

 永遠に完成しない。

 だが完成を求めて突き進む。

 わからないとネギは言う。その答えは子どもらしくもあり、求道者の崇高な苦行でもあり。

 やはり、矛盾を孕んだ終わりの回答でしかなかった。

 超達はネギの答えをどう受け取ったのか。神妙な面持ちの彼女達、唯一、隠しきれぬ笑みを噛み殺そうとしているエヴァンジェリンだけが、その本質を捉えているのか。

 

「僕はあなたの計画こそ、前に進み、いずれ再び起きる災厄を防ぐ手だと思いました。その心だけは嘘ではないから、僕は、僕のためにも計画を遂行します」

 

 初心に従い、矛盾を抱きながら進む。

 今は前に、ひたすら前に。

 その行いは、やはり初心。

 かつてのように。

 あの時のように。

 大きな背中を追っている瞳。

 

「行きましょう、みなさん」

 

 ネギがそう言って踵を返すと、それぞれが意志を胸に秘めて歩き出す。

 この世に悪があるとすれば、おそらく今のネギ達は悪の部類に入るのだろう。

 世界を混乱に陥れる。

 まさに魔王の如き所業。

 だと言うのなら。

 もしかしたら、ネギは無意識の内に願っているのかもしれない。

 悪を滅ぼす正義の味方。英雄の姿を。

 ならばやはり、ネギの言葉は嘘なのかもしれない。

 ピンチになったら現れる。

 何処からともなくやってくる。

 ──どうかお願いたします。

 急いで。

 早く。

 ここに来て。

 かつてと変わらず、少年の瞳は終わった今でさえ父親を求めているのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 太陽も地平線に落ちる間際、辺りに漂う静けさは、まさに嵐の前の静寂だった。

 学生の殆どが京都に行ったことにより、ほぼゴーストタウンとなった麻帆良学園都市。しかしその日は、さらに輪をかけて人がいなかった。

 いや、最早人一人すら存在していない。

 残っていた数少ない一般人も、超によって身元が割れているため、一人ひとり人払いの魔法を行使することで麻帆良の外へと追いだしたのだ。

 舞台は整った。完全なるゴーストタウンと化した麻帆良学園都市に残ったのは、京都と麻帆良で人員が半分以下にまで減った魔法使いのみ。

 

「作戦、開始ネ」

 

 超が地下から一言言葉を響かせると同時、麻帆良郊外に待機していた茶々丸と聡美が、麻帆良学園の結界内部へとハッキングを開始する。

 まずは第一段階。

 結界および麻帆良全域の通信網を掌握。しかる後にエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの本来の姿を解放する。

 そして嵐は唐突に来る。まずは現実ならぬ電子の世界から、超鈴音が長年にわたり練り上げてきた、世界を脅かす計画が始動した。

 茶々丸によるハッキングは、学園に残る魔法使いではどうすることも出来ない。混乱し続ける管制室は、茶々丸の能力を最大限に使用されたことにより、抵抗空しく学園内の情報網および結界等、麻帆良を管理維持する全てのシステムを奪われることとなった。

 

『こっちは完了だよ。いつでもどうぞ』

 

 通信越しに聡美が超に掌握成功の知らせを送る。ここまでは何の障害もなく終わった。もう少しすれば、エヴァンジェリンの封印を解除することも出来るだろう。

 順調な滑り出し、しかし本当の戦いはここからであることは超でなくても分かりきっていた。

 

「全軍起動ネ。これより、世界樹周辺のエリアを確保する」

 

 号令一つと共に、地下でその出番を待ち続けてきた機械歩兵と戦車。そして機械制御された鬼神が起動する。入水、麻帆良の大橋から広がる川と図書館島周囲の湖から、彼らはついにその姿を現した。

 戦力を二つ、いや、エヴァンジェリンを含めて三つに分けて麻帆良中心部の世界樹を制圧する。物量差があるからこそ作戦自体はシンプルに。

 

「では、踏み出すとしようカ」

 

 世界を変える一歩目を。

 

 

 

 

 

 タカミチ達、麻帆良に留まった魔法使いがその異変に気付いたときには、既に何もかも出遅れた状態となっていた。

 正反対の場所から同時に現れた膨大な数のサイボーグと戦車、そして大戦でも滅多にお目にかからぬ巨大な体躯の鬼神の混成部隊。

 決して油断があったわけではない。タカミチと青山は類まれな嗅覚で戦いの気配を感じていたのだが、タカミチは突如居場所がわからなくなったネギに対して嫌な予感を察知し、単身その身柄を捜索したことで出遅れ、青山に関しては、それ以上に強大な気配を前に、迫りくる機械の軍勢に構う余裕すらなく、改めて作りだしたモップでは力不足と察知、急ぎ愛刀の証を取りに言えに戻っているため、対応出来ずにいた。

 一時的とはいえ最大戦力の二つを欠いた状態。長である学園長がやすやすと動けぬ現状では、実質麻帆良の魔法使い側の戦力はその九割以上を損なった状態と言っても過言ではなかった。

 

「くぅ。なんなんだこれ……!」

 

 図書館島方面。何とか異変を察知して急行した瀬流彦達魔法使いは、市街に入り込んだサイボーグ、戦車、そして異様な迫力で一歩一歩確実に距離を詰めてくる鬼神を見ながら罵声を吐きだしていた。

 ここにいる魔法使いは僅か十人にも届かない。これでは侵攻を防ぐことはおろか、歩みを遅延させることが精々でしかなかった。

 瀬流彦が展開した防御結界に、戦車から放たれるビームと、量産型のサイボーグ、T-ANK-α3の力任せの一撃が次々に突き刺さり、結界が軋みを上げる。

 完全に劣勢に追い込まれていた。最早後数分堪え切れるかどうかという状況。それでも苦悶を浮かべながらも共に必死に侵攻を食い止めている同僚のことを思い、瀬流彦は隣を見て。

 彼の目の前で、同僚の魔法使いの一人が謎の黒い球体に飲み込まれ、最初から存在していなかったかのように、その場から消失した。

 

「え……」

 

 当惑。

 混乱。

 直感。

 反射的にその場から離脱した瀬流彦に遅れて瞬き、先程まで彼が立っていた場所に、先程と同じ黒い結界が広がった。

 

「なんだ……これは……!」

 

 見えない場所から魔法を放たれている。瀬流彦は瞬時に判断すると物影に隠れるようにして後退を始めた。

 そんな彼を逃さぬと謎の魔法は次々に着弾する。身体能力を強化しながら全力で後退している今の瀬流彦は、野生の猛獣の反射神経すら超えるはずだが、恐るべきことに謎の魔法はそんな彼を正確に追い詰めるどころか、徐々に誤差を修正していた。

 このままでは捉えられる。だがどうしようもない状況で、後ろに飛び続ける瀬流彦に影が射した。

 

「しまっ……!」

 

 飛びかかってくる三体のサイボーグ。謎の狙撃は、瀬流彦を確実に捉えるためにその逃走経路を限定させてサイボーグの待つ袋小路へと追いやったのであった。

 気付いたときには行動は遅すぎる。サイボーグの超人的な能力で瀬流彦の体が拘束される。その間は僅か。しかし、それだけの時間があれば、得体のしれぬ魔法の使い手──否、狙撃銃を構える美しい狙撃手、龍宮真名には充分以上だった。

 

「悪いね」

 

 心にもない謝罪を一言。同時に引き金は絞られて、着弾した対象を時間跳躍させて未来へと飛ばすという恐るべき魔弾。超鈴音がこの計画のために作りあげた切り札の一つ。強制時間跳躍弾─B・C・T・L─が、超音速の速さをもって、サイボーグもろとも瀬流彦を未来の麻帆良へと吹き飛ばした。

 対象の跳躍を確認して、真名は次の標的に照準を合わせる。サイボーグの物量に押される形になっている魔法使い達は、動きを抑えつけられて、格好の的でしかない。

 

「……確実に、飛んでもらう」

 

 次の標的に狙いをつけて、殺意を宿さぬ鋼鉄の意志が正義の使者を食いちぎる。図書館島戦は、最高戦力の欠如ということもあり、勝敗が決しようとしていた。

 

 

 

 

 

 一方で大橋側の戦いは、図書館島とは違って侵攻がある一点で抑えつけられていた。

 市街に入り込んだサイボーグの残骸が幾つも道に散らばっている。いや、そこは街道というにはあまりにも崩壊していた。

 巨大な重機で念入りに削ったように、道が抉られていた。真っ直ぐに伸びた破壊の痕は、しかしある一点から後ろは崩壊はおろか、サイボーグの残骸すら散らばっていなかった。

 破壊と日常の境界線上。そこに立つのは麻帆良学園が最高戦力が一人。魔法使いであれば名前を知らぬ者など殆どいないとされる実力者、タカミチだ。

 ポケットに両手を仕舞うという隙だらけの姿ながら、その体が纏うエネルギーは、人間が一人で扱うには望外なものである。

 それこそ究極の技法。魔力と気を合成することで、内と外に力を纏い膨大な出力を得る高難易度技術。

 名を、咸卦法。

 ネギが使う咸卦法よりも遥かに洗練された力を持って、タカミチはただ一人で百を遥かに超える機械軍団と拮抗をしていた。

 

「僕が行くまで持ちこたえてくれよ?」

 

 タカミチは図書館島に向かわせたこちらを防衛していた魔法使い達が、無事であることを祈った。

 直後、そんな祈りをへし折らんと、死などおそれぬ機械歩兵と戦車がタカミチへと殺到する。ポケットに両手を突っ込んだ無防備なタカミチに迫る明確な脅威。ロケットパンチが、ビームが、世界樹への道を遮るタカミチを排除するために放たれた。

 並の魔法使いの結界など容易く食い破る物量。しかし、迫りくるそれらを見据えるタカミチには焦った様子はなく。

 直後、ポケットに仕舞われていた腕がぶれた。

 ポケットを銃口に、拳を弾丸と為す。射出のためのエネルギーは、咸卦法の圧倒的な出力をもって。

 ここに、ミサイルの破壊力を収束させたかのような一撃が解放された。

 豪殺居合い拳。

 咸卦法の力を、余すことなく拳に乗せて放つこの業こそ、タカミチが当たり前のように使う技にして、これ以上ない必殺技であった。

 巨大なエネルギーの塊としか言えぬ何かが、タカミチを排除せんとした攻撃群を悉く飲み込むのはおろか、勢いを衰えさせることなくサイボーグと戦車を幾つも飲み込み、鬼神にすら着弾してその歩みを押しとどめた。

 

「……ちっ」

 

 タカミチにしては珍しく、焦りから舌打ちが漏れた。先兵のサイボーグと戦車はともかくとして、後ろに控える鬼神がネックだった。

 居合い拳ですら威力をある程度減衰された一撃では侵攻を押しとどめることしか出来ない。

 そんな鬼神がまだ数体。しかもサイボーグと戦車が居る現状、この場をタカミチが動く訳にはいかなかった。

 このままでは時間を稼がれて図書館島を突破されてしまう。

 

「青山君……」

 

 タカミチは危険を感じ取って郊外の住居に急ぎ戻った青山が戻ってくれればと願うばかりだ。だが虚空瞬動を行って駆けた青山が戻らないところを見ると、どうやらあちらの状況も悪いことになっているかもしれないとタカミチは思った。

 このままでは──

 焦燥感と焦りがタカミチから冷静さを奪っていく。何より彼を焦らせたのは、未だに消息がつかめないネギの……

 その時、タカミチの視界で鬼神に動きがあった。まるで道を譲るように左右に分かれた鬼神達。それは戦車とサイボーグも同じだった。

 何かが来る。警戒心をいっそう強くして左右に開かれた軍勢の間をタカミチは見据え。

 

「なっ……」

 

 言葉もなく、絶句してしまった。

 

「やっぱり、タカミチだったんだね」

 

 『まるで瞬間移動でもしたかのように』、唐突に分かたれた軍勢の間に現れたその小さな影は、何処か寂しげに、だが嬉しそうに声を上げた。

 タカミチはその声に返す言葉がない。

 それどころではなかった。

 頭が混乱している。何故、どうして、何で君が。脳内でぐるぐると回る思考は無意味に堂々巡りを繰り返す。

 いや、タカミチはわかっていたはずだ。

 彼ならば気付けたはずの回答。

 生徒をボランティアに出すべきと提案したのは誰か。

 会議でも積極的だったのは誰か。

 そして、この状況下で行方不明になったのは誰か。

 

「ネギ、君……」

 

 タカミチは目の前に現れた、自分と同じ咸卦の輝きを纏ったネギを信じられないといった眼差しで見つめた。

 信じられなかった。

 理由はどうあれ、ネギが今居る場所は、麻帆良の魔法使いに反逆する逆徒の居る場所に他ならず。

 理由はどうあれ、ネギはタカミチの敵としてここにいる。

 

「本当は、こんな風に戦いたくはなかった」

 

 それでも。

 ネギは強く右手を握りこむと、背中に担いだ父親の杖を引き抜いて構えた。

 

「タカミチを倒して、僕は前に進むよ」

 

 術式兵装『風精影装』。

 明確な敵意を込めて敵を睨むネギは、未だ動揺を隠しきれないタカミチにその掌を向けた。

 

「解放」

 

 この戦いを前に、体内に溜めるだけ溜めた遅延魔法。合わせて二十七。その内の一つ、天を切り裂く雷の嵐の圧縮された球体がネギの掌の内側に展開された。

 魔力と別に込めた意志は押しとおるという単純な覚悟。幼少時、もしかしたら幼馴染であるアーニャを除けば、初めて友達になってくれた大切な人に、迷いなく放つ破滅の呪文。

 

「雷の暴風」

 

 天地を分かつ極大の乱気流がタカミチ目がけて放たれる。鼓膜を引き裂くような轟音と、それに見合った破壊をまき散らして突き進むネギ渾身の魔法の只中へ、タカミチはやはり混乱のままに飲み込まれていく。

 直後、これ以上ないと思われた破壊の嵐を霧散させて天高く突き抜けるエネルギーの塊が現れた。

 

「……理由を聞いたところで、意味はないのだろう。問答の時はどうやら過ぎてるようだね」

 

 雷の暴風が巻き起こした土煙の中からネギに向けて、未だ混乱した、しかし覚悟を決めた男の声が響く。

 瞬間、立ち込めていた煙が吹き飛び、見えない何かが幾つもネギの体に突き刺さった。

 

「……ッ!?」

 

 咄嗟に距離を取ったネギは、その見えぬ弾丸によってデコイが一体はがされたことに驚く暇もなく、埃まみれになりながらも無傷で立つタカミチを見た。

 迷いはない。完全に敵として己を見るその瞳に、タカミチの中にあった最後の迷いが掻き消える。

 何があった、とは問うまい。京都の一件からこれまで、どう接すればいいのかわからずに、距離を置いていたのは自分なのだから。その結果がこの対峙ならば、タカミチはネギにかける言葉がない。

 かけられるわけが、なかった。

 

「……いつか、君とは戦ってみたいと思っていた」

 

 左手に魔力を。

 右手に気を。

 咸卦法は既に行っているが、タカミチはあえて見せつけるように咸卦法の所作を言葉を紡ぎながら行う。

 

「だが、こんな対峙を望んでいたわけではなかったんだ」

 

 合成。アルビレオとの修行で洗練されたネギの咸卦法だが、タカミチのそれは長年磨きがかけられたものであり、精度、出力、コントロール、全てにおいてネギの上を行っている。

 改めて咸卦の力を身にまとったタカミチは、その間閉じていた瞼を静かに開き、ネギを見た。

 

「う……ッ」

 

 思わず、ネギは呻き声を出してしまうのを止められなかった。

 アルビレオとの修行は確かに実戦的だったが、ここまで明確な戦意を向けられるのは、ネギには数えられる程度の経験しかなかった。

 そしてその数えられる経験のどれもが、トラウマのように脳裏にこびりついている。

 だがタカミチの放つ戦意は、これまでのどれとも違っていた。

 歴戦の戦士。正義の使者としての覚悟。

 修羅を見た。

 化け物を見た。

 だが、その気迫はまさに、正道を行く者のみが放つ、清浄なる闘志。

 

「理由は聞かない。そんなものは、後でゆっくりと聞かせてもらうよ」

 

 ネギを倒した上で。

 無言の圧力で自身の勝利を歌ったタカミチが、再度ポケットに両手を仕舞う。こちらを舐めているのではない。アルビレオとの修行でも見たガトーと呼ばれる熟達した戦士と同じ構え。

 つまり、そこから放たれるのは最速にして、反応すら許さぬ拳なり。

 

「魔法の射手──」

 

「遅い」

 

 先手を取って魔法の射手を放とうとしたネギの顔面に、幾つもの見えない弾丸が突き刺さった。

 いつの間にか距離を詰められている。瞬動、タカミチレベルなら当たり前のように収めている高難易度の歩法。一瞬で無音拳までの距離を詰めて、詠唱を潰すためにネギの顔面を打ちすえたのだ。

 だがタカミチの判断は通常の魔法使いなら正しいだろうが、相手は真租の吸血鬼が編み出した闇の魔法を収めた恐るべき魔法使い。その程度で止まれるのならば、初手で決着はついていた。

 

「雷の十二矢!」

 

 風精影装によって体内に装填された二百に及ぶ風の精霊のデコイ。先程で一体、そして今のでさらに一体削られたとして、未だ百九十八のデコイを超えぬ限り、タカミチの攻撃はネギの体にはまるで響かないのだ。

 そのアドバンテージを存分に生かしたネギは、全く怯まない自分に違和感を覚えて僅かに動きが止まったタカミチへ、紫電を纏った魔法の射手を叩きこむ。同時に瞬動で距離を放してさらに詠唱を開始。

 タカミチは迫る十二の雷光を、散弾の如き無音拳の弾幕で全てかき消した。

 しかし動きは僅かに止まった。その好機、遠距離を専門として己の技量を磨きあげたネギには充分な時間。

 

「白き雷!」

 

 無詠唱で放たれる最高威力の魔法が一直線に敵手の胸元目がけて飛んだ。白く輝く雷光を、タカミチは避けるでもなく迎え撃った。

 光が当たるよる直前、ポケットに仕舞われていた拳が腕ごとぶれる。その時、雷の暴風すら霧散させた破壊の鉄槌が大気を砕きながら振るわれた。

 その威力は先程の一合で確認済みだ。唯一の救いは無音拳と違って、豪殺居合い拳と呼ばれるそれは、腕の動きやエネルギー自体の速度は視認できる程度の速度だということか。

 ネギは瞬動で空に飛んで居合い拳から逃れた。余波で巻き上げられた突風に煽られながら、一瞬だって視線を放せぬタカミチに杖を向けて応戦する。

 

「風の戦乙女・十二柱! いけぇ!」

 

 再び無詠唱で使用された魔法は、ネギの姿を模した十二体の風の中位精霊の群れだ。それぞれ右手に長大なランスを持ち、ネギの号令に従ってタカミチへと四方から突撃を行う。

 咸卦法の出力を上乗せした精霊は、通常よりも遥かに堅牢だ。その耐久力で、どの程度なら無音拳に耐えられるかの試金石とする。牽制と観察を兼ねた一手に対して、タカミチは正道を行く者らしく真っ向から激突、無音拳が何重にも重なって大気を破裂させると、ほぼ同時に襲いかかった精霊が全て跡形もなく消し飛んだ。

 現状で使える無詠唱魔法ではタカミチに届かない。だが詠唱を行えば、その間に距離を詰められて確実に潰される。進退窮まった状態で打開の一手は、体内に蓄積された遅延呪文、残り二十六。これらをもってネギはタカミチを倒さなければならないのだ。

 いや、後二つだけ千日手になりかけている状況を変える手段はあるのだが。

 

(使うタイミングは……もう少し後だ)

 

 まだその時ではない。服の下に着込んでいる切り札の内の一つを確認するように胸元を撫でる。背中で解放のときを今かと待っている切り札を切るタイミングはここではない。

 使うのならば確実に一撃を与えられる時。侵入するサイボーグを防ぐことなく、ネギだけを敵として捉えたタカミチに、果たして決定的な隙が訪れるかはわからないが。

 

「解放!」

 

 ないのならば、作りあげるまでだ。

 瞬間、麻帆良の郊外だというのに、市街であるここまで立ち込める冷気と、空一面を埋め尽くす赤き氷の檻が発生するのを切っ掛けとして、ネギは掲げた掌に次の魔法を展開し、タカミチは必殺の間合いへネギを入れるために、空高く飛び出した。

 

 

 

 

 



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第五話【終わりなく赤き九天】

 戦いの果てに敵を殺したとして、何が得られるのだろうか。

 

 特に何も思わないよ。悪の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなら、邪悪な冷笑を浮かべて、淡々と答えただろう。

 

 戦いの果てに敵を殺したとして、何が得られるのだろうか。

 

 今の充実だよ。真租の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなら、作りもののような笑顔を浮かべて、嬉々として答えただろう。

 

 それがどうしたというわけでもない。かつての己と、今の自分。その違いを簡単に表すなら、このように比べたほうがわかりやすいだけだという話だ。

 計画が始まったその時、エヴァンジェリンが地下の移動施設を使って出たのは、麻帆良の出口、郊外に広がる山の直ぐ側だった。

 既に茶々丸による麻帆良中枢へのハッキングは開始しているだろう。だから待つ。郊外へと、外へと続く境界線の前に立ち、エヴァンジェリンは解放の時を、一人静かに待ち焦がれる。

 後少しで、化け物、エヴァンジェリンが始まりを告げる。この身を束縛する鎖から解放され、自由に光を汚し、夜を満たすことが出来る。

 待ちわびた、と言われれば、待ちわびたと答えただろう。だが悠久の時を生きた吸血鬼にとっては僅か数年、閃光のように短い歳月であったのも事実。

 それでも長く、とても長く感じたのは。

 多分。

 いや、間違いなく。

 

「私は、ここが好きだったんだろうなぁ」

 

 かつての己の残滓が、言葉と共に吐きだされる。感慨はないけれど、そう思っていた自分が少しだけ誇らしかった。

 だが悪の残滓は即座に吹き飛ぶ。エヴァンジェリンは、恐るべき速度でこちらに迫る不気味な気配を察知して、その口角を引き裂くくらいに釣りあげた。

 

「……エヴァンジェリン」

 

「待っていたよ、青山」

 

 境界線の向こう側に降り立ったのは、エヴァンジェリンが待ち望んだ最大の好敵手。

 修羅外道。

 恐るべき、青山よ。

 

「これはまた……随分と気が狂った獲物を手に入れたようだな」

 

 エヴァンジェリンは、青山の右手に掴まれている、一部の隙もなく封印の呪府に包まれた鞘に収まった野太刀、証を見た。証はその強大すぎる力を抑えるために、術式を刻み込んだ鎖を乱雑に撒きつけられて封じられている。

 それでも漏れ出ている生を渇望する力の露出に、エヴァンジェリンは込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。

 

「……退け。お前を相手にする暇などない」

 

 青山は封印状態のエヴァンジェリンなど、相手にするまでもないと思っている。

 エヴァンジェリンもそれには納得なのか、特に反論することなく頷きを返すが。

 

「なら、どうして貴様は取るに足りぬ私の前に立った?」

 

 逆にそう問い返した。

 青山は答えない。いや、その無言の佇まいが、言葉以上に雄弁と語っていた。

 常識的に考えれば、今のエヴァンジェリンは脅威にすらならない。

 しかし、青山の本能は、ここで待っていれば、きっと間違いなく──

 

「次に会ったら、殺すと言ったろ?」

 

 エヴァンジェリンは歌うように言いながら、舞うように青山へと一歩を踏み出した。境界線まで後三歩。線を越えればたちまち呪いによって体中に激痛が走るのがわかっていない彼女ではないだろう。

 

「だというのに貴様、私の前にのこのこと出てきてどういうつもりだ?」

 

 嘆かわしそうに眉をひそめながら、しかしその表情には隠しきれぬ喜びが滲みでていた。

 よくぞ。

 よくぞ出てきてくれたと無言で訴えながら、また一歩。

 残りは、二歩。

 

「言い訳する気にはなれないな」

 

 青山はそこで観念したように溜息を吐くと、証を拘束していた鎖を、わずらわしそうに解いた。

 興奮が沸々と込み上げてきていた。同じく、エヴァンジェリンのまき散らす気配が、一歩を踏み出すごとに劇的に増大していく。醜悪で、目も当てられない脅威。心胆が凍りつき、そのまま悶死してしまいそうな気配が立ち込めるなか、青山は極上の汚物を変わらぬ無表情で迎え入れる。

 残りは、一歩。

 

「お前を斬りたい」

 

 引き抜かれる漆黒の牙が、濃密な殺気を断ち切って冷気を放つ。凍てつく世界。二人だけの修羅場に相応しく。

 そしてエヴァンジェリンは。

 

「私も、貴様を殺したいよ。なぁ……」

 

 境界線を、超える。

 

「青山ぁ!」

 

 物理的な圧力を伴って、エヴァンジェリンを中心に魔力が破裂した。青山ですら咄嗟に距離をとらざるを得ない物理的な衝撃力。人間としての本能が瞬動で青山を後退させた時、エヴァンジェリンは既に空高く舞い上がっていた。

 

「クハハハハハ! ハァッハッハッハッハッ!」

 

 それは狭き牢獄からようやく自由になれたことによる歓喜の笑い声であり。

 それはようやく化け物として世に出ることが出来た命のあげる産声であった。

 大橋で出会ったときとは魔力の総量自体は変わらないだろう。劇的に変化するほど、彼女は未完成の存在ではない。

 だがしかし。

 それでもやはり。

 

「化けたか……吸血鬼」

 

 青山は空を舞う死に対して、彼なりの称賛の言葉を送った。

 なんと見事な醜悪さか。

 空気すらヘドロにする魔性の花。

 美しき汚泥の君。

 その者こそ、世界に名だたる最強の化け物。

 人の血を食らって生きる、夜の王─ノーライフ・キング─。

 エヴァンジェリンは青山の称賛に、右手に顕現した氷の刃を持って返答する。少女の背丈ほどもあるその刃は、振るえば高層ビルを輪切りにして、さらに永久凍土に送りこむ威力を持つ断罪の刃。

 それが詠唱もなく指先一つ一つから現れ、爪の如く五本。敵手である青山への返答代わりに放たれた。

 人間一人を葬るには過剰すぎる火力。かつての青山は、この氷の刃を含めた乱気流になす術なく飲まれた。あの時はエヴァンジェリン自身の油断があったことで勝利を掴んだが、今や彼女には毛ほどの油断も存在しない。

 頭の先から爪先まで、全てが嫌悪すべき化け物ならば。

 

「……シッ!」

 

 己もまた、尋常ならざる刃にて五つの氷獄を斬って伏せよう。

 青山に降り注いだ五つの破壊が、その威力を発揮することなく砕け散った。フェイト・アーウェルンクスが全存在をかけて作り上げた生の魔剣。

 銘は『証』。

 終わりに至った生存本能は、終わりに至った斬撃に斬られることなく音色だけを奏でて見せる。いつ振るっても最速かつ最適に己へと対応する刃の冴えに、青山は胸中に溢れる歓喜に打ち震えざるをえなかった。

 エヴァンジェリンもその素晴らしき斬撃一閃に感嘆する。終わりに至りし修羅に相応しき刃。この敵手にこの刃ありとでも言うべきコンビネーションに、見事と言うほかないだろう。

 

「だからこそ殺す」

 

 エヴァンジェリンは嗜虐心のまま、大橋での決戦で青山を一時は死亡させるまで追い詰めた究極の魔法が一を出し惜しみせず解放する。

 

「解放・固定……千年氷華」

 

 青山が止める暇すらなく、エヴァンジェリンは掌に召喚した野球ボール大の絶対零度の塊を躊躇なく己の肉体に取りこんだ。

 そして再び氷の女王は現れる。大橋で斬られた腹部と背中、そして腕の接合部が涙を流すように出血を始めた。致死量にまで達する血液は、エヴァンジェリンの衣服から溢れだし、一つの意志の元、その背中に集まって氷の華となる。

 術式兵装『氷の女王』。

 陽だまりの平穏を凍りつかせる恐るべき魔が、落ちゆく夕日よりも尚濃い赤色の氷山を、守られてきた平和を崩さんために天へと放った。

 

「……来い」

 

 対峙するは人間の極地。完結した修羅。手に持つは同じく完結した魔性の牙。漆黒の刀身は、天高くどす黒い輝きを放つ流血の氷華にすら負けぬ禍々しい気を吐きだして、担い手の期待に答えんと凛とした歌声を響かせた。

 

「言われなくとも! 私と貴様! 百億年すら超える因縁の決着を! 今ここでつけようじゃあないか!」

 

 吸血鬼は高らかと吼え猛り、その激情を冷気と為して、青山の視界一面に鮮血色の槍を召喚した。

 一撃が先の刃に負けず劣らぬ断罪の刃。百を超えた剣群が、究極の一目がけてその矛先を光らせた。

 

「行け!」

 

 号令一掃。射線を凍らせながら剣群が青山へと突撃した。

 エヴァンジェリンの人形遣いとしてのスキルはここでも存分に発揮される。新たな剣群を次々に生み出しながら、さながら指揮者の如く腕を振るって百を超え、今や千にも届きかねない剣と槍の混成群を一つ一つ別個の生き物の如く操る。

 青山は不規則に己の周りを飛び回りながら襲いかかってくる剣群を斬り伏せながら、不用意にエヴァンジェリンへと飛び出せないことを悟る。

 確かに青山の持つ証は、山すら凍り尽くす剣群すらも一刀の元斬り伏せるだろう。だがエヴァンジェリンは個で敵わぬからこそ群れとしての長所を最大限に生かして、青山が強引に突撃したとき、その斬撃速度すら上回る剣群を叩きつける用意を行っていた。

 大橋の戦いの後、何もただ遊んでいたわけではない。むしろ別荘を使っていた分、京都の死闘を経た青山以上に濃密な時間を過ごしたと言えよう。

 全ては次に見えたとき、必ずや青山の首を取り、その生き血を啜るため。エヴァンジェリンは宿敵との死闘に焦がれ、ひたすらに研鑽を積んだ。

 だからこそ、青山の恐ろしきところも、そして付け入ることのできる短所も熟知している。

 

「そらぁ!」

 

 右手を横薙ぎに振るえば、数十の氷の槍が青山の側面に襲いかかる。遅れて左手も振るい逆方向からも同等数が強襲。青山は迫る物量に目を細め、周囲を取り囲む氷の乱気流に身を投じることで必殺から免れた。

 密度を濃くしている弾幕に比べて、青山を取り囲むだけの氷雨はさばけないほどではない。嵐の中、一秒に幾つもの斬撃を振るいながら己の領域を確保した青山を、左右から挟撃しようとしていた氷の槍が中央で合流して、マシンガンの弾幕を超える密度となり襲いかかる。

 迫る剣群。触れた個所から冷気に閉じ込める必殺の一矢を前に、青山はあろうことか自ら突撃をする。

 

 凛。

 

 激突の瞬間世界に響き渡った清涼なる音と共に、まるで見えない壁があるかのように、青山の眼前まで来た槍から順に、次々と砕け散っていった。

 個々に分かれていようが、突き詰めればエヴァンジェリンの意志一つに捜査された群れでしかない。であれば、青山はその意志との連結を見抜き、断ち斬ることが出来る。

 結果、青山の一振りに連鎖するようにして、続々と槍が砕けて消滅していくことになった。

 これが青山の恐るべきところ。あの修羅は、目には見えぬ『意志』というものを見切り、斬ることが出来るのだ。正確には見ることが出来れば形として捉えて断つことが出来るというものであるが、いずれにせよ常人の視界とは別の何かが青山には見えているとみて間違いあるまい。

 もしも少しでも気を緩めて、己の心をさらけ出そうものならば、そのとき青山は躊躇なくエヴァンジェリンの中にある化け物性とでもいうものもろとも斬り裂くことだろう。

 一撃必殺を可能とする目と、それを支える目にも止まらぬ斬撃、そして一歩ごとに瞬動を行うことにより、本来は直線的になりがちな瞬動で三次元的な動きを可能とした技量。

 たった三つ。だがこの三つは全てが世界最高峰の達人すら鼻で笑うほどにまで極まったものである。

 少なくとも、至近距離に持ちこまれた場合、エヴァンジェリンでは青山を落とすことは出来ない。こと近距離戦闘において、青山は歴史上最強の使い手とみて間違いない。

 だがしかし。

 だからこその欠点がある。

 

「ッ……!」

 

 青山は氷の槍を砕いてみせたというのに、苛立たしげに唇を噛んでいた。それもそのはず、たかが氷の槍の二十や三十。今もなお次々と量産される槍と剣の総量に比べれば、微々たるものでしかないのだ。

 第一の弱点、それは、完成された技故に、遠距離の攻撃方法を青山が持っていないということだ。これは終わりに至った弊害とでもいうべきか。刀を通してでなければ、青山は対象を斬ることが出来なくなっている。もしかしたら隠しているだけだともエヴァンジェリンは考えたが、だとしたら大橋のときに使っていたはずだろうから、その可能性はほぼないだろう。

 事実、青山は終わりに至ったそのときから、対象に刀を通して切断するという風にしか気を練り上げることが出来なくなっていた。

 その弱点、突かずに置くのは失礼という話だ。むしろ、一対一という状況にしようとしただけありがたいと思ってほしいとすらエヴァンジェリンは思っている。

 なりふり構わず青山を倒すなら、それこそやり方は幾らでもあった。麻帆良の魔法使いに、青山の本質を、本人の実演つきで見せつけて、敵として排除されるのに便乗して、封印を一時的に解除してもらい、集団で叩き潰す。例え青山が最強だとしても、タカミチ、近右衛門、そしてエヴァンジェリンを含んだ魔法使い達に戦いを挑まれれば、京都での状況を見る限り勝てはしないだろう。

 

「だが私は貴様を手ずから殺す」

 

 しかしこの闘争は、エヴァンジェリンが真の吸血鬼となるための大切な儀式。乗り越えなければならない最後の壁。

 一対一。人間と化け物。それ以外の余分は一切必要ない。

 

「なぁ、青山!」

 

 二人だけの修羅場がここにはある。

 それ以外の要素など、全てが全て余分でしかないのだから。

 

「ッ、おぉ!」

 

 青山もまた、エヴァンジェリンに感化されて、らしからぬ気合いの声を張り上げて証を振るった。

 大橋の時とは強さの深みが違う。あの当時でさえ、姉である素子に匹敵、あるいは凌駕する戦闘力をもっていたというのに、今では強さ、精神性、全てが素子はおろか、己すら超えているのではないだろうか。

 人では覆すことの出来ない、種族としての明確な差が広がっている。

 純粋に汚らしい化け物。

 だが俺は、斬るだけだ。

 

「ハハッ、そうではなくてはなぁ」

 

 エヴァンジェリンは、山すらも飲み込もうとしている氷圏をさらに加速度的に広げた。その様はまさに浸食。鮮血の氷獄が、今や視界一面、青山の立つ大地はおろか、空一面すらも赤き氷が包み込もうとしていた。

 それはつまり、エヴァンジェリンが行使できる魔法の範囲がさらに広がったということ。手の一振りどころではない。呼気一つだけで無数の氷塊を降らす姿は、まさに氷の女王の名に恥じぬ。

 外から見れば、何百メートルにも及ぶ巨大な氷の塊が、今もその質量を増大させているように見えるだろう。だが見た目はただの氷塊。しかし今、その内部は生きる者を許さぬ真の地獄と化していた。

 上下四方、あらゆる場所で吹き荒れる氷の竜巻。立っているだけで、氷点下を遥かに下回ったこの環境は、気の出力を緩めれば忽ち体力を奪っていくだろう。恐ろしきは、空気すらも呪的な効果を付加されているということか。

 ここはエヴァンジェリンの腹の中。溶かす代わりに凍り尽くす魔の胃袋。

 先程まで立っていた大地すら、一瞬のあと槍衾が発生して、一秒だって気が抜けない。

 これこそ、エヴァンジェリン。

 魔法世界を震撼させ、今もなお恐怖の代名詞として語られている魔の極地。

 証という最高のパートナーを得た所で変わらない。氷獄に収めた時点で、状況はかつての大橋と同じとなっていた。

 

「……だが」

 

 青山はこの程度は他愛ないと半ば確信している。大橋の時を超えた氷の世界の中で、しかしあの時の自分と今の自分では、獲物に明確な違いがある。

 証を両手で握りしめ、吹き荒れる暴風と降り注ぐ氷槍の雨を見据える。猛っていた心は今一度冷静に、冷たく、平坦に、凍らせるのではなく、ただ冷たい。

 無感動。

 零の刹那に、身を投じる。

 

「シッ……!」

 

 吐きだした呼気とともに青山は虚空瞬動を駆使して、上空からこちらを見下ろすエヴァンジェリンの元へと飛び出した。

 当然、簡単に接近を許すエヴァンジェリンではない。両手を広げればその背後から生まれる氷槍乱舞。天と地からも盛り上がってくる冷気の軍勢が、最強の一振り目がけて飛び出した。

 究極の一と、無個性の無限が衝突する。だが青山は次の瞬間目を疑った。

 

「氷爆!」

 

 無限の軍勢の全てが、青山の斬撃圏内に入る直前に爆発を起こす。点ではなく面。青山に斬られれば効果を失うのであれば、その間合いの外から魔法を発動すればいいという、きわめてシンプルながらこれ以上ない有効打。

 虚空瞬動、冷気の爆風を斬りながら横に飛んだ青山だが、僅かにその体に氷が付着している。

 斬りきれない。次々に爆発していく槍に飲まれながら、青山はそれでも凛と鈴音を響かせて、京都を落としたスクナの攻撃よりも壮絶な冷気の嵐と拮抗する。

 勝機を必ず手繰り寄せるのだ。青山は四方八方を斬りながら、この状況下で尚、暗黒の瞳でエヴァンジェリンから視線を離さず前を見ている。

 

「ハハハッ! いいぞ! それでこそ貴様だよ青山!」

 

 劣勢に追いこんでいるというのに、喉元に鋼を突きつけられたかのような幻視したエヴァンジェリンは高笑いをした。

 こうでなければならない。エヴァンジェリンが見染めた人間が、この程度で終わるなど断じて許されてたまるか。

 いずれ。

 もう少ししたら早く死んでくれと願うことだろう。

 だが今は青山が生きていることに、抗っていることに感謝する。

 

「今がある! 私と貴様がなぁ!」

 

 整合性が取れていない言葉を吐きだすほど、エヴァンジェリンは世界を満たす冷気とは逆に熱く熱く滾っていた。

 あるいは、冷たい熱を宿していると言ったほうがいいのか。

 青山はその熱に応えるために、凛と歌を奏で続ける。斬るという完結の中、斬りたいと思える相手を斬るために。

 

「行くぞ、吸血鬼……!」

 

 言霊に思いを乗せる。これ以上ない興奮の中、ついに発生した結果である冷気の爆風の繋がりを見つけた青山が、刃を一振りした。

 そして破裂しようとしていた槍が一斉に砕け散る。その目に映るのは、最早物質世界の物だけではない。三次元を超越した高次元にチャンネルを合わせた脳髄は、終わりに到達した青山、天才の肉体の青山を持ってすら、割れるような痛みが目と頭から響くほど。

 だがそこまで出来る。証という刀があれば、これまで刀が追いつかなかったために出来なかった技にすら至ることが出来る。

 これまでも全力を絞らなかったわけではない。だがここに至り遂に、青山は証という相棒を手にしたことで、斬撃という完結の全てを扱うまでに自分を解き放つことに成功したのだった。

 

「……ッ!」

 

 流石のエヴァンジェリンも、既に発生した結果の因果すら断ち切る魔技には言葉を失う。氷の霧が晴れた向こう。高次元を見るという出力に耐えきれなかった両目と鼻から流血する青山と目が合う。

 互いが汚泥。

 許されぬ異端存在。

 雌雄を決する修羅と化け物。

 

「斬る」

 

 射竦められた訳ではない。

 エヴァンジェリンはその刹那、青山の放つ気配に見惚れただけだった。

 虚空瞬動。

 

「しまっ……」

 

 一瞬の隙と突いた青山がエヴァンジェリンの懐に飛び込む。反応した時には遅い。天高く掲げられた証の切っ先が振り下ろされ、少女の体に再び肩から腰まで伸びる裂傷が刻まれた。

 鮮血がほとばしる。そして、全てを包み込んでいた氷の檻もまた、少女の墜落と共に音を立てて砕け散る。

 そしてようやく姿を現した空を見上げれば、太陽も完全に隠れ、天には幾つもの星と、刃の冴えを思わせる月光が一つ。

 

「……あぁ」

 

 青山は体に飛び散って付着した化け物の冷血に恍惚とした溜息を吐きだした。久しく見ていなかったような月光を見上げ、手に残る感触と、耳に残留する鈴の音色に酔いしれて。

 

「俺の──」

 

「甘いよ、人間」

 

 夜は始まった。

 ならばそう、ここからが吸血鬼の本領なり。

 

「なっ……」

 

「甘いなぁ。甘すぎるぞ青山……今度は貴様が油断したのか? なぁ!?」

 

 青山が驚愕する。確実に斬ったはずだった。だというのに聞こえるその声に当惑して眼下を見下ろす。

 そうすれば、鮮血を滴らせながらも、その鮮血で翼を型どり再び舞い上がる吸血鬼のおぞましき姿。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」

 

 闇の魔法は健在だ。山を幾つも飲み込める程に広がった氷圏は先の一刀で砕けたものの、エヴァンジェリンの周囲だけであれば上級以下の魔法は詠唱無しで行えるはず。

 だというのに、詠唱が始まっている。それは間違いなくあの時、何とか断ち切るのが間に合った最強の氷結魔法の詠唱では──

 

「……!」

 

 それを坐して待つ程お人よしではない。青山は距離を離していくエヴァンジェリンに虚空瞬動で追いすがる。

 一瞬。再び懐に潜り込んだ青山は、今度こそその命を斬るためにエヴァンジェリンの首を横薙ぎに斬り裂いた。

 

「阿呆が」

 

 だが虚空に舞ったエヴァンジェリンの顔が冷笑を浮かべた刹那。轟音を響かせて少女を模した氷の彫像が爆発した。

 デコイを張られた。そのことに気付いた時、耳元に届くのは、魔力を孕んだ冒涜的な歌声だった。

 

「契約に従い我に応えよ。闇と氷雪と永遠の女王。咲きわたる氷の赤薔薇。眠れる永劫庭園」

 

 聞き惚れ、目を閉じて陶酔したくなるような美声だ。破滅的な歌声だというのに、こうも美しくあるという矛盾は、だが奇跡的な組み合わせで完全に調和している。

 だが聞き惚れる余裕はない。青山は歌声の発信源を捉えて、さらに上空、月を背中に両手を広げているエヴァンジェリンを見つけ出した。

 

「来れ永久の闇。無限の氷河!」

 

 巨大な魔法陣がエヴァンジェリンを中心に展開される。まるでそれそのものが一つの世界の如き異様に、青山の脳裏で生存本能が強く叫び出す。

 アレを放たれてはいけない。アレは全てを終わらせる本物の一撃必殺だ。

 青山が夜空に飛びだす。気を最大出力まで発揮して、その全てを足に叩きこみ駆け抜ける。牽制で放たれた氷の槍は、直撃するコースのものだけ斬り裂いて、最短距離を突き抜けた。

 

「ッ……!」

 

 化け物の頭上を取り、落下の勢いを乗せて叩き斬る。勢いの乗った一閃は、夜を照らす星すらも断ち斬るような怒涛の勢い。

 流星の如き鉄槌を前に、ここでエヴァンジェリンはこの瞬間を得るために隠してきた切り札を解き放った。

 青山の斬撃は、達人ですら見切れぬ速度である。だがそれも上段から来るとわかっていれば、達人なら見切れるのもまた必然。焦りからか、らしくもなく直線的な軌道を描いてしまったその斬撃の線を、エヴァンジェリンは待ち望んでいたのだった。

 驚くべきことが起きる。最小限の動きで体を逸らしたエヴァンジェリンの肩を擦るようにして、空を断つ漆黒の閃き。

 

「見え透いて──」

 

 そして間髪いれず青山の懐に潜り込んだエヴァンジェリンは、その手を掴み、捻りあげ、虚空ということもありバランスを維持出来ぬ青山の天地を逆にして放り投げた。

 

「いるんだよ!」

 

 日本に着いたときに、気まぐれに習得した合気道。例え彼女自身に合気の才はなくとも、膨大な年月で練り上げた技の冴えは、達人と比べてもそん色ない。

 天地を逆さにされながら吹き飛んだ青山に、この手はもう通用しないだろう。一度限りの奇策。だがそれだけでいい。一度だけでも距離を離すことができたのならば、値千金以上の価値がそこにはあった。

 

「凍れる雷もて」

 

 青山が体勢を立て直す。そこに怒涛と押し寄せる氷の雨は、男の肉体には届かないが、障害とはなりえる。

 

「道なき修羅を囚えよ」

 

 間に合わない。エヴァンジェリンの奇策にまんまとはめられた青山は、魔法には疎くとも、その魔力の高まりが最高潮にあるのだけは察していた。

 そして歌声は最後の詩を紡ぐ。

 

「妙なる静謐。赤薔薇沸き生まれる無限の牢獄」

 

 世界は知らない。

 これこそ真租の吸血鬼が敗北を超え、修羅の魂を飲むためだけに作りあげた唯一の魔法にして、先の氷獄すら児戯に落ちる、無限に生まれ出る這い寄る冷気。

 万象一切相手にせず、ただ一途に修羅を落とすためだけに練り上げた、ただそれだけに特化した、九つの天を抜く氷結の英知。

 その名に魔を乗せさらけ出す。

 

「終わりなく赤き九天!」

 

 時すらも凍りつかせる美しき赤薔薇、生まれ続ける氷の大海。滂沱と天に昇るのは、雷を孕んだ極大の天災なり。

 天にとぐろ巻く摩天楼の頂点で、エヴァンジェリンは化け物らしく高らかと、下劣に汚濁を吐きだしながら、戦慄に震える青山へと宣誓した。

 

「まだだ! 私と貴様の終わりはここから始めるんだろ!? そうだろう? なぁ……青山ぁぁぁ!」

 

 エヴァンジェリンは歌う。二人だけの絢爛舞踏に酔いしれて、歓喜の気持ちに打ち震えながら。

 まだ、ここから。ここまでは所詮、前座にすぎぬ。青山もそれを理解してか、己を停止させる巨大氷獄に挑むため、たった一振りの暗黒の感触を強く強く、握り直した。

 戦いは激化する。互いが死力を尽くし、互いが最大の力を行使して繰り広げた激戦は頂上を目指して加速していた。

 だがしかし。

 やはりそう。

 あえて、あえてこう言おう。

 

「あぁ、始めよう」

 

 真っ赤に荒れ狂う嵐の中、唯一人の人間を殺すために作りあげた魔道の頂に佇む吸血鬼と、国すら落とす大嵐に孤立無援、手にした刃のみを頼りに挑む修羅一人。

 

 どちらか一人、死するべきは確たる運命。

 

 今宵最大の戦いは、赤き薔薇の咲き乱れる中、ついに幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 



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第六話【行く者、留まる者】

 天を割る赤薔薇の魔が顕現した一方、その異様を眺める超は、真名と共に残り僅かまで迫った計画の発動の瞬間を待っていた。

 青山をエヴァンジェリンが、タカミチをネギが抑えたことにより、鬼神の進撃と、真名による狙撃によって、残存する麻帆良の魔法使いは全員未来へと飛ばされている。彼らは後に、世界中に広がった結果を見届けてもらい、己の無力を嘆いてもらうこととなるだろう。

 

「……私は援護に行かなくていいのかな?」

 

 真名が遠くで響き渡る轟音と、ここまで伝わってくる冷気に肌を震わせながら超に聞く。

 

「いや、龍宮さんにはこのままここの防衛を行てもらうネ。まだ学園長が残てるから、私達は彼が動いたときに二人がかりで抑える役目ヨ」

 

 ここまで戦況が傾けば、近右衛門も動かざるをえないだろう。超と真名はそれを見逃さず食い止める役割があるため、援護に向かうことは出来ない。

 真名もそれがわかっているが、しかし聞かざるを得ないほど、麻帆良で今行われている最終決戦の行方は過酷そのものだった。

 図書館島方面の市街地は、今や一角丸ごと瓦礫と化している。それでもまだ轟音と雷鳴は鳴りやまず、ネギとタカミチの戦いは死力を賭した上で拮抗しているのだろう。

 そして郊外で行われている戦いは遠目からでもその戦いの恐ろしさがわかる。赤く濡れた氷の棘が何百何千と空に伸び、枝分かれを繰り返し、標的を飲みこまんと踊り狂っている。さらにエヴァンジェリン本人の魔法も乱舞し、郊外の山々は氷の檻に飲み込まれて氷山が幾つも出来ていた。

 だがそれより恐ろしいのは、凛と響く斬撃の呼び声。

 

「ッ……」

 

 わかっていても震えが走るその音に、超は顔をしかめながら音の発生源を睨んだ。

 例え戦艦や戦闘機を幾つ投入しようが容易く飲み込む天災規模の魔法行使、そんな天災の只中で、未だ存在を主張するのは。

 

「青山……」

 

 超は心中に沸き上がる恐怖を、その名前に乗せた怒りの感情で覆い隠した。

 激化する一方の戦い。世界樹を占拠した状態でありながら、尚この二つの戦いの結果如何によっては、状況は容易く逆転する恐れがある。

 超は考えうる最大限の札は全て晒した。後は結果だけが全てとなる。

 その果てに、勝利が得られることを信じて。

 

「勝つネ。ネギ先生」

 

 願うのは超の切り札にして主戦力。そして遠い未来における己の先祖の勝利。

 ただ、それだけを今は祈るしか彼女にはなかった。

 

 

 

 

 

 夕日も消えた夜の麻帆良。生気の感じられぬ機械の群れが生者の数を上回るという非現実的な世界で、最早数えるほどしかこの場には存在しない人間同士が、機械群を超える戦闘力で激突を繰り返していた。

 

「白き雷!」

 

 詠唱破棄して放たれた雷光は、応じるように放たれた砲弾の如きエネルギーの塊によって霧散する。咄嗟に横に飛んで回避するが、それを読んだ上で真上を取った影が、見えぬ弾丸を幾つも走らせた。

 脳に集中した空気圧の弾丸だが、その体から抜け出る風の精霊がダメージを全て受けたことにより無傷。

 

「くっ」

 

 しかし苦しい表情を浮かべながら、ネギはこれで何度目になるかわからない後退を余儀なくされていた。

 タカミチとの戦いは、実力伯仲と言えば響きは良いが、ほぼネギが防戦一方でタカミチの攻撃を凌いでいるといった状態だった。

 侮っていたわけではない。魔法世界に名だたる実力者の一人であるタカミチの戦闘力は、僅か一か月程度経験を重ねただけで超えられるものではないとは思っていた。気付けば体内に蓄積された風の精霊は半分を切り、術式も残り十。

 むしろ未だ鍛錬を始めて一か月かそこらしか経過していない少年が、世界屈指の実力者にここまで戦いを繰り広げられたことこそ予想外だった。

 

「……どうしたんだいネギ君。焦っているようだね」

 

 苦悶の色を浮かべるネギに、淡々とタカミチは告げるものの、実際は彼にもそこまで余裕があるわけではなかった。

 ネギは強くなった。麻帆良に来た当初は感じられなかった戦闘者としての深みが感じられる。長年をかけて積み重ねてきた自身の本気にここまで食い下がっていることからも明白だ。

 本気では足りない。ネギの実力は既にその程度ではいけないという予感があった。

 本気ではなく、全力。これ以上時間をかければ、麻帆良を取り返すことも出来ぬという焦りもそこにはあったが、それ以上にネギ相手に出し惜しみは出来ないと悟ったから。

 

「行くよ」

 

 瞬動。先程までと同じようにネギの懐に飛び込んだタカミチは、さらに立て続けに無音拳を叩きこむ。容赦なく人体の急所を的確に射抜く空気の圧力に、ネギもまたタカミチがついに覚悟を決めたということを悟った。

 つまり、何もかもが予定通り。デコイを吹き飛ばされながら必死の形相で距離を取りながら、ネギはタカミチがようやく全力で向かってくることに喜びを隠せずにいた。

 

「魔法の射手。雷の三十矢!」

 

 距離を保ちながら、これもまた何度目になるかわからない牽制の魔法の射手を放つ。折り重なった紫電の束が弾けながら加速。殺到する破壊の雨は、やはり無音拳と豪殺居合い拳の連撃を突破は出来ない。

 逆に居合い拳がネギへと襲いかかるほどだ。距離を離したとしてもこれがある。無音拳に比べて速度が極端に遅いが、それでも射程、範囲、威力の桁が違いすぎる。

 咸卦法を極めたからこそ放てる究極の打撃。威力は雷の暴風よりもやや上といったところだが、恐ろしきはそれらをノータイムで放たれる速射性。

 さらに速射の効く無音拳と合わせて、例えるなら小回りのきくド級の戦艦とでもいう何とも冗談みたいな戦力であった。

 だが。

 

(いける!)

 

 ネギは心中でそう叫んだ。

 確かに現状は劣勢だ。動きの殆どは見切られ、攻撃は容易く弾かれるようになり、デコイも最初に比べて減少数が加速度的に増えている。

 それでも。

 勝てるのだ。

 その確信がネギの背部には存在する。

 

「解放!」

 

 雷撃で足止めをしている間に、この戦いでもう何度も繰り出した遅延魔法を展開する。杖の先に凝縮される乱気流。濃縮された異能の結晶をタカミチに向ける。

 

「雷の暴風!」

 

 轟く雷鳴。暴風の進撃。崩壊した市街をさらに瓦解させる特大の嵐が今宵何度目になるかわからぬ炸裂のときをみる。

 魔法の射手で動きを制限されたタカミチにはこれを逃れる術はない。しかしその程度、避けるまでもないのはこれまでで実証済みだ。

 

「ハッ!」

 

 迫る暴風を真正面から打ち砕く。豪殺の名にふさわしき爆音と破壊の光が、雷の暴風と衝突。拮抗すら許さずにかき消して、魔法を放つネギへと迫る。

 当然、甘んじて受けるわけにはいかない。横に飛んで皮一枚をかすらせながらも居合い拳から逃れるネギ。

 直後、その頭上に覆いかぶさるようにタカミチが現れた。

 

「早っ……」

 

「シッ!」

 

 これまでとは初動の速さが違う。手を抜いていたわけではなく、全力では動いていなかっただけの話。ネギの実力を認めた上で叩き潰すために、とうとう麻帆良最強戦力が殺意をもって襲いかかってきた。

 咄嗟に瞬動で動こうとしたネギの両足が弾ける。無音拳の乱射だ。リズムを取るように軽快に乾いた音が幾つも響く。だがデコイを犠牲に怯むことなく離脱を果たすネギ。

 

「くっ……! 振りきれない……!?」

 

 しかしこれまでの攻防と違って、ネギはタカミチを振りきることができないでいた。ピタリと無音拳の射程を維持するタカミチの速度は変わっていない。

 ただ、詠まれている。ここまでの戦いでネギ自身の行動パターンを推測して、先回りするように瞬動で距離を詰めているのだ。

 結果生まれるのは、一方的な殲滅戦だ。苦し紛れに無詠唱の魔法を繰り出すネギだが、それらは一切合財かき消され、それどころか一撃を撃ちこむごとにネギのデコイは無音拳ではがされていく。

 おそらく、近接戦闘にのみ限定すればタカミチはフェイトを凌ぐ実力者だろう。経験に裏打ちされた行動予測による先回りは、修行を重ねたとはいえ、根本的な実戦不足であるネギには一朝一夕では得られぬやり方だ。

 だからこそ。

 故に、経験になる。

 

「ぎぃ!?」

 

 数分後、ついにネギの風精影装のデコイが完全に消滅した。無音拳がネギの生身を叩き、苦悶の声があがった。

 そこに何も感じないわけがない。幼少のころから知る大切な少年を自分が痛めつけているという事実に、タカミチが心を苦しめないわけがないのだ。

 だが心を鬼に、立派な魔法使いとして感情は表に出さない。動きを止めたネギの前に立ったタカミチは、容赦なく居合い拳を至近距離から放った。

 

「風楯……!」

 

 咄嗟に展開した障壁によって辛うじて一撃は弾く。だがこの魔法は瞬間的にしか発動せず、連続使用は不可能。

 つまり。

 頭上に現れる死神の影を見上げるネギ。

 轟と唸るは。

 必殺の居合い拳。

 

「終わりだ」

 

 頭上から振り下ろされた弾頭がネギの体を床とサンドして、コンクリートごとミックスする。

 遠慮も何もない。生きていたとしても体に重大な障害が残ってもおかしくない威力を受け止めたネギは、血反吐をまき散らして力なく大地に倒れた。

 力なく四肢を投げ出したネギの隣にタカミチが降り立つ。見下ろせば、呼気を荒げながらも未だ意識を保ち自分を見上げるネギの両目と視線が重なった。

 

「諦めなさい。君の実力はよくわかった……まさか麻帆良に来てからこの短期間で僕に全力を出させるまで強くなるとは思わなかったけれど。これが結果だ」

 

「ま、だ……だ」

 

 タカミチの敗北勧告に抗って、ネギは投げ出した四肢に力を込めて、右手に持っていた杖を強く握り直した。

 そして上半身を杖を支えに起き上がらせて、口から血を流しながらも起き上がる。その両足はぶるぶると震え、杖がなければ立つことすら至難なのはタカミチでなくてもわかることだった。

 

「……まだだよ。タカミ──」

 

 その顔を無音拳が強かに打つ。己の肉体で作り上げたクレーターから吹き飛ばされて荒れ地を何度もネギはバウンドした。

 ここまでされて折れない心は、さすがはあの親あってこの子ありといったところか。その鋼の精神には敬意を表するが、それとこれとは話が別だった。

 

「諦めなさい」

 

 再び同じ言葉を重ねるが、ネギはやはり立ちあがった。その右目は決して挫けることのない不屈を吼えている。諦めろと言おうが、この少年は決して諦めはしないだろう。

 ──やはり、強くなったな。

 傷つきながら立ち上がるその姿は、タカミチが見続けて、今も追い続けている英雄たちの背中と重なる影。間違いなくネギは彼の息子だと、そう喜ばしいものを感じる以上に、悲しみがタカミチの心を支配する。

 

「……この戦いは、超君が計画したものだね?」

 

「……」

 

「何故、君は彼女に協力するんだい?」

 

 立派な魔法使いを目指すのならば。

 どうして、このようなテロ染みたことを行えるというのだろう。

 タカミチは戦いで荒廃した麻帆良を見渡し、そして今も世界樹に集まり、その膨大な魔力で何事かを行おうとしている超を見た。

 理由はわからないが、タカミチや他の魔法使いに話さなかったということはつまり、自分達には決して相談出来るようなことではなかったのだろう。

 つまり、悪だ。

 後ろめたいからこそ話せない。ならばそれはやはり悪。決めつけるなと誰かが言うかもしれない。しかしタカミチはどうしようもなく正義の味方であり、法の下、秩序を保ち、争いを失くすために戦ってきた。

 そんな彼に相談出来ぬことが悪でなくてなんだというのか。

 ネギはタカミチから放たれる無言の威圧感を受けながら、仕方ないなと、薄く笑みを張り付けた。

 

「京都の出来事が、また起きるかもしれない。あの時復活した鬼神が、そんなものが傍にあることすら知らされていなかった人々の前に再び現れるかもしれない。それだけではない。秘匿するために影に徹さなければならない。そのために動けない状況、救えなかった人々……タカミチにならわかるはずだ」

 

 紡がれた言葉は、タカミチが動きを止めるには充分過ぎる重みがあった。

 だからネギは続ける。真っ直ぐにタカミチを見つめ、決して視線を逸らすことなく、ふらつく足に力を込めながら。

 

「魔法が世界に知れ渡っていれば、こんなことにはならなかったのにって」

 

 それは、呪いの言葉に違いなかった。

 

「ッ……それが、君の、君達の狙いというわけか」

 

 タカミチはあえてネギの言葉に明確な答えを返さずにそう言った。言葉の節々に苦々しいものがあるのは、その言葉こそ、タカミチの、いや、世界中で今もなお活躍している立派な魔法使いが、一度は胸に懐かせた甘い幻想だったからだ。

 ネギはタカミチの動揺に気付きながら、あえて指摘することなく頷きを返して応じる。

 

「はい。麻帆良中心にある世界樹の魔力。蓄えられた膨大な魔力を波及させ、世界中に点在する同様の魔力溜まりとも呼べるスポットを刺激して、魔法があってもおかしくないと、世界中の人々に簡易的な催眠術をかけるのが僕らの第一の目的です」

 

 そしてその果てに、世界に住む全ての人々が違和感なく魔法を受け入れたとき、ネギ達の計画は始動する。

 

「世界に魔法を知らしめ、魔法と科学による、今よりも優れた世界を目指します」

 

「ならば何故こんなことを……! 確かに僕らにはそれは賛同出来ないだろう。それでも何故一言……」

 

 相談をしてくれなかったのか。

 その無意味さを誰よりもわかっていながら、タカミチは聞かずにはいられなかった。

 

「無理だよ、タカミチ」

 

 ネギは拭けば消えそうな笑みを浮かべながら答える。それはタカミチへと相談することが無理だと言うことよりも、もっと別な理由からの無理という言葉だった。

 

「あの人がいる」

 

「あの人?」

 

 ネギは空を指差した。

 そして、鈴の音色が響き渡る。

 

「青山さんがいるじゃないか」

 

 タカミチは、絶句した。

 理由にすらなっていなかった。だがしかし、今この瞬間、この音色を聞いたタカミチは何故か納得してしまった。断続的に響き渡る凛とした終わりの奏でが正気を震わしていくのを感じる。

 青山。

 正義に殉じようとしている青年。

 

「違います」

 

 ネギはそんなタカミチの内心を見透かしたかのように断言した。

 

「アレは人に仇なす」

 

 そう言って、静かに左目のカラーコンタクトを外して。

 

「修羅だ」

 

 苦々しげに言うその瞳は、まさに青山と同じく暗黒の眼に他ならなかった。

 瞬間、ネギは左手を開いて体内に宿していた回復魔法の術式を解放して、即座に体の治癒を行った。

 

「ッ……まだ話は!」

 

「話す必要なんて、ない!」

 

 魔法の射手が束ねて、決別代わりにタカミチへと放つ。再び始まった戦いに表情を曇らせるタカミチだが、状況は依然としてネギに不利な状態だ。

 術式兵装ははがされ、体内の遅延魔法も数はない。タカミチを倒すどころか一矢を報いることすら叶わぬ状況で、故に追い詰められた今こそ、この後に向けて切り札を使うべき丁度よかった。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」

 

 この戦いで初めてネギが詠唱を始める。だがその間は完全なる無防備であり、タカミチは動揺しながらも戦士として無意識に反応していた。

 ネギと自分とにあった距離を一瞬で縮める。見事な瞬動術によって頭上を再び取ったタカミチは、狙いをすまして、今度こそネギの意識を刈り取る一撃を放とうとして、その視界から唐突にネギの姿が消えた。

 

「なっ……」

 

「来れ雷精風の精!」

 

 詠唱が聞こえたのはタカミチの背後、辛うじて原形をとどめているビルの上からだった。

 早すぎる。ここまででも瞬動をネギは使っていたが、これまでとは別次元の動きだった。

 まるで、瞬間移動でもしたかのような。

 

「雷を纏いて吹きすさべ南洋の風!」

 

 詠唱は終わりへと向かう。決して油断はしていなかった。むしろここまでの激闘で、ネギ相手ですら無意識で渾身の打撃をぶつけることが出来るくらいの集中力が、あの会話を経て尚あった。

 だがそのタカミチの感覚すらも超える速度でネギは動いている。見えないのだ。決して瞬動の動きを逃さぬと決めながらも。

 再び消失。

 

「雷の──」

 

 聞こえたのは真後ろ。収束した雷撃を左手に纏わせて、ネギは咸卦法の出力を乗せた拳に上乗せした小規模の嵐を解き放つ。

 衝撃で身に纏っていた上半身の衣服がローブごと吹き飛んだ。そして露わになったのは、少年の裸体ではなく、強力な呪符と、それによって背中に固定された手のひら大の時計のような何か。

 それがカチリと音を鳴らして、時間を刻んでいた。

 

「暴風!」

 

 零距離から脇腹へ放たれる最大級。クウネルとの戦いによって練り上げた、近距離で魔法を解き放つという荒技は、強かにタカミチの脇腹へと突き刺さる。戦士として鍛え上げられたタカミチの肉体すら抜く強力な一閃は、呻き声すらあげる暇すら与えずに、轟音の中へとタカミチを飲みこんで天高く突き抜ける。

 

「お、おぉぉぉぉぉ!」

 

 しかしその途中で雷の暴風が吹き飛んだ。現れたのはスーツはおろか体の至るところに裂傷と火傷を負ったタカミチ。

 だが健在。まるで衰えぬ戦意はさらに高まり、咸卦の光がその意志に応えるように爆発的にその体から噴き上がった。

 まるで夜空に浮かぶ一つの星の如き光を放つタカミチを見上げ、確かな手ごたえがあったというのに未だ動くどころか、さらに圧力を増した相手に押され、ネギは息を飲む。

 だが予感は確信に変わっていた。

 

「タカミチでも、反応出来ない」

 

 ネギが先程使用した、背部に付けられた時計は、カシオペアと呼ぶタイムマシンのようなものだ。世界樹の魔力が満ちているときにだけ使える反則技であるこの魔法具は、時間を操ることによって、本来は長大な詠唱を必要とする瞬間移動を、ノーモーションで行えるという優れものである。

 まさに反則の名にふさわしいこの魔法具をネギがここまで使わなかったのは、全力を振り絞ったタカミチ相手にカシオペアの瞬間移動が通用するかを検証するためだった。

 何故己の敗北が待っているかもしれないのにそのような無謀を行ったのかと言うと、ただ単純に、ネギは思わずにはいられなかったのだ。

 エヴァンジェリンは、青山に敗北する。

 超はエヴァンジェリンの能力ならば勝てぬまでも相討ちにはもっていくだろうと踏んでいたが、ネギはそこまで楽観的になれなかった。

 だからこの戦いで、ネギは仮想青山としてタカミチと対峙していたのだ。

 結果、タカミチレベルなら防戦一方になるが、切り札を使わずとも戦うことは可能。そして、切り札の一つであるカシオペアを使った今──

 

「雷の三十矢!」

 

 形勢は、完全に逆転していた。

 カシオペアの瞬間移動は、例えタカミチであっても反応出来るものではない。何せ相手は刹那の時間もかからず、零秒でその場から別の場所へと転移を果たす。これに通常の瞬動を合わせて撹乱させることによって、ネギは本来アルビレオに禁じられていた近距離での戦いを可能としていた。

 いや、せざるを得なかったというべきかもしれない。

 

「タカミチ!」

 

 憧れの名前を呼びながら、雷撃を纏って転移、そして放つ。

 だが僅かにでも距離が離れていれば、タカミチはその全てに反応して紙一重で回避してみせた。流石は現代の英雄とでも言うべき実力とでも言うべきか。

 雷光に輝く拳がタカミチの腹部を痛烈に撃ち抜く。体勢を崩したタカミチは、しかしその状態で無音拳をネギの頬に炸裂させていた。

 

「ぎっ!?」

 

「くっ!」

 

 互いに弾け飛び距離が生まれる。ネギは詠唱を始めて、させじとタカミチが居合い拳を放った。

 当然、カシオペアによって転移を行う。零秒遅れて、タカミチは上空に転移したネギへと視線を移した。ネギや青山と違って、タカミチには麻帆良全域を探知する能力はないものの、それでも身近に迫る戦意への反応は鋭い。熟練された経験値が、圧倒的なスペックと反則技との間を埋めているという事実に、驚嘆せざるをえない。

 だがここで苦戦するわけにはいかないのだ。ネギが見ているのは、タカミチすら上回る実力を誇る強者、青山。

 

「う、ぉぉぉぉぉぉ!」

 

 ならば、この程度。気迫を込めて瞬動で突撃するネギ。

 応じるタカミチの無音拳が、瞬間移動によって大気を虚しく弾いて終わる。その間に真横へと転移したネギは開いた拳から白き雷を放つ。拳が触れるか触れないかの至近距離での一閃は、例えタカミチであったとしても今度こそ耐えきれるものではないが、直感が男の体を動かして、スーツを焼いて白光は大地を穿つ。

 体を逸らした状態で、ポケットから引き抜かれた拳が飛ぶ。顔面目がけて渦を巻き飛んでくる肉の弾に対して転移は僅かに早い。頭上へと飛んだ状態で、杖は背負って両手に魔法の射手を収束。

 反応されている。だが見上げてくるタカミチが迎撃に移る前に、ネギは紫電を落とした。

 轟と雷光が煙を巻く。飛び出す影はタカミチのものだ。尚、動く。しかし完全には回避出来なかったのだろう。その左腕は力なく下がっており、揺れる左手の先からは鮮血が溢れて夜空へと舞っていた。

 空では沈黙した赤薔薇の周りで、幾つもの雷撃とそれらを斬り裂く鈴の音色が響いている。美しき幻想風景とは裏腹に、原始的な様相を見せ始めたタカミチとネギの両者。爛々と敵手の影を辿るタカミチの前で、立ちのぼっていた煙がとぐろを巻いて雲散霧消した。

 

「解放」

 

 渦の中心には、再びネギの手に球体となった魔法が浮かんでいる。

 それは雷の暴風を遥かに凌ぐ雷を強引に球体の形にした何かであった。ただ掌に展開しただけで辺りに突風を巻き起こす破滅の結晶。ここまで取っておいた、ネギの切り札が最後の一つにして、最強の一手。

 内に取り込むは高殿の王。我が身にひれ伏せ、契約の名の元に。

 千雷万来。溢れ出ろ、無限の光。

 

「掌握。『千の雷』!」

 

 力強く握りしめた術式が、確かな力となってネギの体中を駆け抜けた。血流がスパークする。神経網の一切も雷撃に狂い、弾けた電流がネギの小さな肉体の内で天災級の破壊をまき散らした。意識が白濁して、痛みに苦悶する暇もなく視界が暗転しそうになる。

 それらを強引に飲み干す。咸卦法のエネルギーが電流と拮抗した。奪われるか、飲み干すか。術式兵装にはある程度慣れてきたネギですら扱いには正気を保つことすら難しくなる極限をもって。

 

「術式兵装『雷轟無人』」

 

 千の雷がネギに装填される。千を超えれば無限と等しく、すなわち最早、雷と化した己は人に無く。

 迸る電流がネギの両腕から光の籠手として纏われていた。剥き出しの肉体を包む雷轟の鎧は、触れれば地球がもたらす天災と等しき破壊を瞬時に与えることだろう。

 その威容は見るだけで常人の目を焼くほどだ。闇に生まれる一筋の流星。咄嗟に目を庇ったタカミチは、こちらを静かに見上げるネギが、そっと手を掲げるのを見た。

 

「……カシオペアだけで終わればよかったけど、タカミチは強いから」

 

 生木を素手で引き裂くような音が掲げられた手に纏わる雷光の籠手から放たれた。それは徐々に音を大きくして、数秒もせずにその雷鳴は鼓膜を引き裂く程となり。

 轟音。

 そして、タカミチの直ぐ横を雷の暴風を遥かに凌ぐ雷の集合体が抜けて行った。

 閃光とはこのことをまさに言うのだろう。そうとしか言いようがないほど、その一撃は速すぎて、いや、雷そのものを射出する荒技に、果たしてどうやって反応出来るというのか。

 

「これを使うからには、手加減なんてもう出来ない」

 

 そう呟いたと同時、再びネギの姿がその場から消え失せた。

 咄嗟に研ぎすました感覚がタカミチの頭上を焼く光を捉える。見上げれば太陽の如き輝きを放つネギが、次は両腕を束ね合わせて雷光の力を集めていた。

 

「ッ!?」

 

「おぉぉ!」

 

 最早、躊躇いは失われた。雄叫びをあげながらネギが凝縮させている雷光の恐ろしきは、既に居合い拳だけでは貫くことは出来ないのを悟る。本能がタカミチを突き動かした。仕舞いこんだ両腕を同時に抜く。この瞬間にも麻帆良に落ちようとする天雷を思えばあまりにも遅すぎるこの両手。

 動け。

 もっと速く。

 加速する思考が、今にも放たれんとする紫電に先行する。煌めきの中に束ねられた弾丸は七つ。

 二つの腕に装填される。あらゆる敵を打ち滅ぼす無双をもって、絶対の破砕を完了させよう。

 ガチリと起き上がった激鉄を、意を込めて叩きこむ。

 咸卦の輝きが一層煌めき、頭上にある雷に劣らぬ光を放ったとき、それら一切がその両腕へとかき集められた。

 一撃。

 打撃。

 連撃。

 追撃。

 攻撃。

 直撃。

 束ねて爆撃。

 刹那に七つの光が瞬いた。煌めきは重なり合い、音を置き去りに、否、音すらもかき消すこの業こそ、タカミチが誇る必殺が一。

 

 七条大槍無音拳。

 

 七つに束ねた破壊をもって、ここに、天より降り注ぐ千の雷を打ち貫く。

 

「ッ!」

 

 死を予感する破壊が迫る。手の内を見せていなかったのはタカミチも同様だった。視界一面を覆い尽くす七つの必殺は、ネギの一撃に先んじて放たれている。

 何たる意地。

 何と言う底力。

 英雄足る資質の本領をネギは見た。これぞ英雄、窮地にこそ輝きを増す人々の希望足る存在よ。

 

「だけど……!」

 

 停滞した時間の中で、ネギは出せるはずのない声を出していた。それはただの思考であり、実際は現実の世界に空気を震わせて吐き出されるのは、この刹那の無限では一生よりもさらに後。

 だが口を開いた。雄叫びだった。

 激痛を放つ左目が血涙をあふれさせる。全力を放てることに歓喜の涙を流したのか。あるいは目の前の一撃が、埋めようのない決別を意味して、悲しいから涙したのか。

 どちらかわからないし。

 どちらでも構わないのだろう。

 ネギは停滞した刹那で、可能な限りの咸卦の力を両腕の雷撃に注ぎ込む。主の祈りに応えて、さらに膨張した籠手が荒ぶり、闇を焦がしていく。

 術式兵装『雷轟無人』。

 雷属性では最強の魔法である千の雷を術式兵装としたこの魔法は、両腕に装着された雷の籠手に魔力を込めるだけで、無詠唱で雷の暴風を遥かに超える出力の雷撃を連続で放てるという能力をもつ。

 勿論、籠手自体も、敵が触れれば内臓する雷撃で一気に焦がすことも可能であり、雷の速度と雷の破壊力を合わせ持つ、いわばタカミチの無音拳の上位互換版と言ってもいい。

 そしてその威力の最大値は、無論、装填した千の雷そのものと同じ。チャージには時間がかかるが、詠唱するよりも早く千の雷級の魔法を放てるこの兵装は、遠距離を主体とする魔法使いにとっての理想形とも言える。これに瞬間移動を行うカシオペアを扱える今、地球、そして魔法世界を合わせて見渡しても、ネギに勝つことが出来る生物は存在しないだろう。

 それでも。

 目の前に迫る七つの破壊は、ほぼ反則状態となっているネギですら震えあがらせるものであった。

 英雄が英雄足る資質。それは例え相手が格上だろうと勝利を手繰り寄せようとする鋼の精神力と、手繰り寄せることの出来る必然力とでも言うべき力。

 タカミチは英雄だ。カシオペアを使うネギにも食らいつき、土壇場でさらに切られた切り札を相手に、最善のタイミングで必殺を叩きこむ戦略眼。

 どれもが、今のネギには足りないもので。

 だから、この人を超えたとき、自分は初めて進めるのだと思った。

 

「く、だ……け!」

 

 籠手に流れ込む力が乱舞する。装填された力は最大。迫る脅威も最大。

 互いに最大をさらけ出す。光と光。闇をくりぬく神聖な輝きをここに。

 ネギは両手を束ねて、千にも及ぶ雷を眼前の破壊目がけて振り下ろした。

 

「うぉぉぉぉ!」

 

「おぉぉぉぉ!」

 

 世界の時間が元に戻る。遅れて響き渡る雷鳴と轟音が、尚も響いていた鈴の音色すらかき消して夜を一直線に割った。

 極大同士が激突する。互いを削り合う光の塊の余波が、その力を吐きだす両者の肉体に裂傷を刻み込む。

 タカミチの全霊が込められた七つの光の束は、千の雷とほぼ同等の火力にまで膨れ上がった雷轟無人の光をゆっくりと削っていた。意地と執念がネギを圧する。両腕に重く圧し掛かる意志の何たる強きことか。素直に称賛の念を覚えながら、ネギはさらに咸卦の出力を込めて無音拳に抗う。

 

「ぎ、ぐぅ……!」

 

 丹田に力を込める。気を練りあげろ。魔力を取りこみ、合成しろ。出力は拮抗している。後はどこまで魔力と気を保ち続けることが出来るかが勝敗を分かつのだ。

 奥歯を噛みしめ目を見開き、踏ん張ることなんて出来ないはずの虚空で足腰を留まらせて体を支える。弾けそうな両腕は、積み上げた意志力で保つ。

 超えるのだ。

 かつての理想。

 今も目標としていた理想の一人。

 タカミチ。

 僕は今日、あなたを超える。

 

「う、おぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 ネギは叫んだ。夜の月に届けとばかりに叫び、その祈りに応えるべく、雷轟無人がさらに輝きを増した。

 束ねろ。もっと細く、もっと硬く。本来なら拮抗するはずのないこの激突を拮抗させ、あまつさえ凌駕されそうになっているのは、タカミチの放つ七つの破壊が、一本の槍として束ねられているからに他ならぬ。

 絞れ。

 もっと絞めろ。

 敵の首を握りつぶすように、今放っている光を引き絞ってかき集めるのだ。

 

「ッ!?」

 

 タカミチは徐々に押され始めている己の必殺を見て目を見開いた。ゆっくりと、だが確実にか細くなっている雷轟無人の光は、小さくまとまっていくのとは裏腹に、その光をより濃く、力をより強く高めている。

 この一秒に成長する。

 未完成という答えだからこそ、ネギの成長は際限ない。

 より上に。

 さらに前へ。

 例え答えを生涯見つけることは出来なくても。

 

 進み続ける軌跡だけは、本物だ。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 そして限界まで収束した光が、ついにタカミチの必殺をかき消した。その威力の殆どを削られながらも、タカミチを飲みこむ力は今度こそそのタフな体を貫いて。

 

「あぁ、僕の負けか」

 

 そんな声すらも奪い去り、極光は七つの祈りを打ち砕き、荒廃した麻帆良の大地に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 術式兵装を解除して瓦礫に降り立ったネギは、肩で息をしながらも未だ戦闘には支障がない。

 その彼の目の前で横たわっているタカミチは、スーツはぼろぼろ、露出した肌も裂傷と火傷が刻まれ、最早指一本動かす余裕すらないだろう。

 激闘は終わった。

 勝者は、ネギだった。

 

「タカミチ……」

 

「……迷いがあったのかもしれない。いや、言い訳だな……強くなったね」

 

 空を見上げながら、タカミチはどうにか動く顔の筋肉を動かして、笑みを象った。それすらも辛いのか、普段の笑顔とは違い、口元は震えている。

 

「……僕は」

 

「語ることはない。テロリストになった君を、僕には止めることが出来なかった」

 

 あえてテロリストという言葉を口にしたタカミチ。だがネギはそれを自覚しているのか、ただ困ったように小さく微笑んで、タカミチの隣に座った。

 

「転移の札を龍宮さんから一枚もらったんだ。これの転移先は麻帆良郊外のセーフハウスのベッドに繋がってる」

 

 懐から取り出した札をタカミチの胸の上に置く。「僕はもう行くよ」ネギは断続的に響く鈴の音色の方角を向いて、そう言った。

 

「僕は、どこから間違っていたのかな」

 

 タカミチはふとそんなことを呟いた。何もかもを出しきったタカミチは、何もかもに疲れきったような表情を浮かべている。

 懐を探って煙草を取り出そうとして──スーツの上は完全に消し飛んでいるのでないのを悟る。

 ネギはただ虚しいと空を見上げるタカミチにかけるべき言葉を探って、静かに口を開いた。

 

「僕にはわからないよ。でも、タカミチが間違ったって思ったのなら……何かが、間違えていたのかもしれない」

 

「……そうだね。だけど、だからと言って君が、君達が正しいというわけではない」

 

 今にも意識が飛びそうになりながら、それでもタカミチはネギに伝えたいことがあった。

 

「本当はわかっている。もしも君が言うとおりに魔法と科学が融合したのなら、今よりも救える人々が増えるのだと……だが、もしかしたらさらに巨大な犠牲を生みだすかもしれない」

 

 それは超とも同じことを話した。勿論、タカミチもネギがその可能性に気付いていないとは考えていない。

 ただ、聞きたかっただけだ。

 君は、どうするのかということを。

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……でも、僕はいずれまた京都と同じことが必ず起きるとわかっていて、それをどうにか出来る選択肢を選ばないなんてことはしたくない。ただ、それだけなんだ」

 

 そこには正義も、ましてや悪も存在しない。言い方を変えれば、そういった分かりやすい逃げ道に逃げたくはなかっただけだった。

 

「この選択の結果は、未来が来ればわかるよ。そのとき初めて、僕らは正しかったのか、間違っていたのかわかるはずだ」

 

「それは無責任じゃないかな?」

 

「勿論、正しかったと言われるように、最大限の努力はするよ……少なくとも、超さんはそうすると決めているし、僕もそうだ。行動に対する責任は取らなければならないから」

 

「だが、責任を取れなかったらどうする? それに、君達の行動では必ず被害者が出る。その被害者のことを考えないのかい?」

 

「それ、嫌な言い方だよタカミチ。完全でなければやってはいけないって言うなら、人間は誰も行動をすることが出来なくなる」

 

 全てを救うことは出来ない。超が目指すのはより良き未来だが、決して誰もかれもが幸せになれるような完璧なものではないのだ。

 理想から逃げるな。全てを救ってみせろ、そう言うのは容易いだろう。だが歴史を振り返っても、誰もが幸せでいられた瞬間など存在しない。

 だからと言って、なりふり構わず何もかも押し通すというのも間違っている。

 ベストでもワーストでもなく。

 現実はベターが限界で、それ以下を選択は出来ないし、してはいけない。

 

「……大人のように話すようになったね」

 

「あんなことがあって、子どもじゃいられないよ」

 

「そっか……」

 

 そういうものだろう。

 ネギはあまりにも、災厄に飲まれすぎた。幼少時に続き、京都での一件。己の無力を痛感し、無力ではいられないと、子どもではいられないと思ったはずだ。

 そして、そう思わせた事態を引き起こしたのは、大人である自分達の責任だった。

 

「そうなんだね」

 

 タカミチは噛みしめるように呟いた。無責任のせいで、責任が発生する。もっと注意すればよかった。甘い算段をするべきではなかった。

 現実は漫画のようにはいかない。

 ウェールズの山奥での一件も。

 エヴァンジェリンとの一件も。

 そして京都の一件も。

 どれもが、起こしてはならない悲劇であり、自分達はその悲劇を起こさないようにするための行動をすることを怠った。選択肢を間違えて、止められた惨劇を引き起こしたのだ。

 いや。

 それよりも。

 自分達が起こした最大の過ちは。

 

 ──凛と鳴り響く鈴の音色。

 

 これをどうにか出来ると思ったことにあるのではないか。

 

「……気をつけて」

 

 タカミチはそう言うしかなかった。

 直後、これまでで何よりも美しく、呼吸すら止まるような音色が麻帆良全域に響き渡った。

 その響きにタカミチは思考を停止させて。

 ネギはただ静かに、一つの戦いが終わったのを悟る。

 

「うん。ありがとう、タカミチ」

 

 ネギは空を見上げた。音色は再び鳴りだす。耳を済ませれば脳髄が発狂しそうな歌声は、先程よりもさらに透明に純化しているようにネギには感じられた。

 行こう。

 鈍く痛む体を無視して、ネギは行く。夜空はまだ震えている。戦いは続いている。

 うずく左目が、音色に呼応して痛みを増していく。思考は徐々に冷えていた。世界は透明で、現実的ではないくらい綺麗で。

 だからネギは、唐突に悟るのだ。

 

「青山さん」

 

 これで、全て終わるんだって。

 

 

 

 

 




初めての方のための用語説明。

術式兵装【雷轟無人】(らいごうむじん)

ネギがこの戦いに赴くために作り上げた切り札の一つ。千の雷を取り込み、その魔法の威力を雷の籠手として両手にまとった状態。雷天とは違い雷化による高速移動は出来ないし、雷化による物理無効は出来ないと、近距離における利点は皆無。だがその代わり、両手にまとった籠手から、雷の速度で巨大なエネルギーの塊を放つことが可能。その威力は最弱で雷の暴風、チャージをすることで千の雷クラスまでと、破壊力という点では雷天を遥かに上回る。
要はタカミチの無音拳をさらに強力無比にした、まさしく一撃必殺の技。これとカシオペアの瞬間移動を組み合わせることにより、現在のネギの戦闘力は世界でもトップクラスである。
ぶっちゃけると、カシオペアを使うことにより雷天の意味がほとんどなくなったので、悩んだ末に作り上げたでっちあげ術式兵装です。なんてこったい。


【終わりなく赤き九天】

エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが大橋での敗戦を機に、独自で練り上げた青山専用の魔法。その威力と内容は次回で。勿論、こちらも弱オリジナルスペル。ところどころ詠唱が違います。


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第七話【修羅外道(上)】

 

 天空に映える赤薔薇は、月灯りを通して尚美しく咲き乱れている。まるで神話の光景をそのまま甦らせたような、美しく壮大で、やはり恐ろしい氷の華を見上げる青山は、臆すことなく証を構え直してエヴァンジェリンへと切っ先を向けた。

 暴れ、狂い咲く華は、今か今かとエヴァンジェリンの号令を待っている。さながらチ忠義の犬。あるいは牢獄に捕らわれた猛獣の如く。薔薇を挟んで空に立つエヴァンジェリンは、白い吐息を可憐な口から漏らしながら、嗜虐の笑みを浮かべて刑を待つ罪人の如き青山を見返した。

 

「これが貴様を殺すためだけに作りだした魔法、終わりなく赤き九天だ」

 

 誇るように両手を広げながら、滴り続ける鮮血を媒体に棘の軍勢をその周囲に張り巡らせる。

 終わりなく赤き九天。

 大橋での敗北からこれまで、青山を殺すために練り上げ、編み出した、生まれ続ける雷氷の群れだ。見た目からして、吸血鬼の血液を溶かしたために禍々しい雰囲気を放つその棘は、触れればそのまま肉体を氷に閉じ込めると、青山の目は見抜いている。

 だがそれだけだ。その棘の一本一本が絶対零度の冷気を放っているが、その程度であれば青山にとって脅威とはなりえない。

 

「くくく」

 

 そんな青山の思考を見透かすような笑い声。揺らめく水面のような少女の瞳が、それだけではないと青山に警告する。

 見誤るなと。この棘をただの絶対零度と断じたその時が、貴様の最後だ。

 

「行くぞ」

 

 エヴァンジェリンは、広げた両手を指揮者の如く天に掲げた。その動きに合わせて棘もまた天へと昇る。渦を巻くように絡みあい、束ねられた棘が、螺旋を描いて空へと行く。そのまま月すら穿たんと駆け登る棘が、その渦中にエヴァンジェリンを隠した直後、青山に向かって棘が急転直下と襲いかかった。

 

「……ッ」

 

 青山は枝分かれして四方から飛びかかる棘の動きを辿る。氷の女王すら上回る棘の弾幕は、青山を包み隠すように広がっているのが見て取れた。

 食虫植物みたいだな。そう内心でぼやきながら、青山は両足に気を込めて大地を蹴る。瞬動術にて後ろに飛んだ青山に遅れて、一瞬前まで青山が居た場所もろとも赤薔薇が全てを飲みこんだ。

 その章頭の余波だけで愛用している藍色の着物の端が凍りつく。余波だけでこれだ。もしも生身で触れたならば、たちまち心臓を停止させられて即死するだろう。

 だがその結末を甘んじる訳にはいかない。津波のように暴れ、乱れ襲ってくる棘の頭上へと青山は飛んだ。目指すは遥か上空。氷に隠されたエヴァンジェリンの喉元だ。

 先程は斬り損ねた。

 だが今度は必ずその命にまで刃を届かせよう。応じるように震えた証に感謝しつつ、空気の塊を蹴って天上へと走り抜ける。

 その行く手を阻むのはやはり赤薔薇の棘だ。雷を纏いながら青山を執拗に追いかける棘の速度は、虚空瞬動を繰り返す青山にすら劣らない。

 むしろ、追いこまれている。これまで速度の領域において他の追従を許さなかった青山にとっては衝撃だったが、驚きは心の奥深くへ。迫る棘に向き直り、証を構えて迎え撃つ。

 先程と同じく、青山は赤薔薇の群れを見るのではなく、赤薔薇の術式を構成する根源を、その棘の一つ一つから読みとる。脳髄と眼球を蝕む痛み。込み上げる吐瀉物を強引に胃へと落としこみながら、見えぬ概念の一端へと狙いをつけた。

 

「おぉ!」

 

 気合い一閃。百を超える棘を一刀の元に斬る。斬撃に酔う音色が何重にも重なり響き渡り、青山は手元の感触に確かなものを覚え──

 まるで何事もなかったかのように、斬られた断面から棘が再び生まれてきた。

 

「何……!?」

 

 今度こそ隠しきれぬ驚きに当惑しながらも、慌てて棘を斬り払い、その場から離脱する。

 しかしやはり、根源を斬られた証でもある鈴の音色を響かせているというのに、棘はまるで壊れない。

 むしろ、先程にもまして棘の数は増えているのではないか?

 

「こ、れは……」

 

 棘は無限に生まれ続ける。この恐ろしき氷結呪文の真の怖さを、青山は今まさに体感していた。

 終わりなく赤き九天。棘の全てが絶対零度というだけでも恐ろしきこの呪文の本当の恐ろしさはそこではない。

 真の恐怖。それは、棘を構成する一本一本が、全て別個の精霊を宿した個別の生命体であるということにある。真租の吸血鬼としておそれられたエヴァンジェリンのもう一つの異名。

 人形遣い。

 かつては軍勢とも呼べる数の人形を一人で操ったエヴァンジェリンだからこそ考案し、操ることが出来るのだ。当然、青山以外の相手であれば、誰であってもこのような手間をかける必要はない。

 むしろ、魔力の消耗が激しくなる分無駄だというものだ。

 しかし、相手が青山である場合、全てが別個の生命体であるという利点は強烈である。敵の大本を斬るという、まさに神鳴流の秘奥を極めた青山の最後にして最大の弱点。

 それは、彼には大群を一掃する技がないということにある。

 斬るという答えに至ったから得た。必殺とも言える斬撃。しかし刀が一本であるため、斬れる対象も一つずつ。

 故に、その圧倒的な強さに隠されているが、青山の殲滅能力だけを上げた場合、その能力は赴任した当初のネギにすら劣るのだ。

 勿論。それを補って余りある切っ先の冴えと、歩法の速さがあるが、神速の斬撃速度すら上回る増殖力と、青山の瞬動にすら追いつくスピードが合わさったとき。

 

「貴様の底が見えたぞ。青山」

 

 エヴァンジェリンは青山の全てを捉えた。終わりに至った肉体の骨の髄までしゃぶりつくし、この魔法をもって、遂にその流血で己の体を満たせることに歓喜する。

 斬ろうが引こうが追いすがる氷の軍勢が、次第に青山の影を踏み始めていた。初めての体験だった。斬っても死なない物が存在することが、己の常識を壊す異常に青山は恐怖すらした。

 嫌だ。何だこれは。斬っているのに、斬ったのに死なないなんて、生きてる証を歌いながら、地獄からよみがえる亡者の如く増え続ける棘の群れ。

 その全てがまるで自分を死へといざなっているようだった。

 こっちへ来い。

 こっちへ来るんだ。

 死ね。

 この棘に包まれて殺されろ。

 

「ぃ……ひぃぁぁぁぁ!」

 

 絹を裂くが如き悲鳴が青山の口から漏れた。理解出来ぬ化け物が自分を殺そうと迫ってくるのが怖かった。戦いの歓喜すらそこにはなく、ただただ生きたくて、生きようとしているだけの自分には眼前の殺意が、涙が出るほど恐ろしい。

 耳に届く凛と合わさった悲鳴に、エヴァンジェリンは酔いしれた。

 

「……んん。いい。いいぞ青山。その恐怖。その絶望。全てが芳醇だ。香しくて瑞々しい。脳みそをぐちゃぐちゃに溶かすような歌声だよ。怖いんだろ? 斬るという常識が通じないことが……あぁ、あぁ! 貴様の奏でる鈴の音色も綺麗だが──」

 

「あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「私としては、その悲鳴のほうが濡れるなぁ」

 

 目を閉じて、頬を紅潮させ、真租は絶望に落ちた人間のあげる声を、腹の底まで楽しんだ。へその下がじわりと疼く。繰り返し続く絶叫が、氷に閉じ込められたエヴァンジェリンの脳裏に鮮明と青山の顔に浮かんだ恐怖の色を想像させた。

 常人には理解できないことだが、『今の』青山にとって斬っても斬れないというのは常識外に他ならなかった。

 生きることは斬ることだ。

 その単純な回答に矛盾するエヴァンジェリンの魔法は、まるで太陽が空から失われたかのような絶望を青山に叩きつけたのだ。

 

「な、んで……! なんで……!?」

 

 無表情の顔に浮かぶ困惑と焦燥と絶望と悲壮。それでも刃の冴えは決して衰えないあたりは見事としか言いようがないが、いずれこのままでは棘に食いつかれるのは時間の問題だった。

 死が迫っている。

 死んでしまう。

 こんなところで。

 斬られることなく、殺される。

 

「嫌だ……死にたくない……」

 

 呟かれた言葉の、何と外道なことか。青山がこれまで行ってきた全てを冒涜する一言が漏れ出た。

 死にたくない。

 幾人も斬り殺しながら。

 青山は、死にたくないのだ。

 そしてその言葉に誰よりも憤るのが。

 

「……何だ、それは」

 

 他でもない。エヴァンジェリンその人だった。

 その時、後一歩で青山を絡め取るところまで来ていた棘が突然動きを止めた。

 何事かと、恐怖に怯えた表情を浮かべながら棘から距離を取る青山。すると、天空高く咲いていた氷の薔薇が開き、中にいたエヴァンジェリンが嫌悪に歪んだ表情を浮かべて現れた。

 

「何だよ。その様は」

 

 誰かが常に青山に思っていた、形容出来ぬ様を言うのではなく。

 エヴァンジェリンはただただ、その無様に対して唾棄した。

 

「貴様……あぁクソ。確かに貴様は滅茶苦茶になったよ。もう一度聞くぞ? 何だそれは、違うだろう青山。貴様はもっと純粋だったはずだ。間違っても……自分の生死に固執する人間ではなかっただろ?」

 

 エヴァンジェリンが望む青山が浮かべる恐怖は、そんな己の死に恐怖する様ではない。

 斬るという終わりが通用しないことに対する絶望。

 そうであるべきなのだ。

 

「何を……人間なんだから、生きたいって思うのは──」

 

「貴様は……いや、話しても通じまい」

 

 そう言って、諦めた風に首を振ると、エヴァンジェリンは再び氷の中に覆われていく。

 

「気が変わったぞ青山。貴様を殺す……そんな『余分』は、私が直々に殺しきってやるよ!」

 

「エヴァ──」

 

「今の貴様が私を呼ぶな! 青山ぁ!」

 

 直後、エヴァンジェリンの怒りとは裏腹に、別個の魂をもった、共通の使命を持つ棘の群れが青山へと殺到する。再び始まった敗北までの出来レース。猛然となだれ込む棘の雨を掻い潜り、青山はただエヴァンジェリンが何を言いたいのかわからずに混乱した。

 生きたいのだ。

 斬りたいのだ。

 ただそれだけであり。

 自分は決して間違っていないはずで。

 

「俺、は……」

 

 指先が凍っていく。内臓も凍っていく。脳髄も激痛すら消えるほど冷たくなっていて、これでは棘の直撃を受けずとも、死に果てるのは明白で。

 死ぬのだ。

 このままでは、死んでしまうのだ。

 

「嫌だ……嫌だ……!」

 

 青山は背を向けて走り出した。全力で逃げ出す。目の前の山々を壁にして、狂い来る薔薇の棘から、嗚咽を漏らし、地べたを這いずりながら、何とも無様な姿で青山は逃げた。

 怖いのだ。

 ただ怖くて、こんな場所には一秒だっていたくない。

 第三者が見たら、何を今更と言うだろう。自らが望んだ戦場に嬉々として現れながら、いざ戦況が己にとって悪くなったと見るや否や逃げ出すその情けなさ。

 見るに堪えぬ醜悪。

 例えエヴァンジェリンでなくても、今の青山を見れば、素子すら「それは違うだろう」と幻滅したに違いない。

 

「ひぃ……あぁぁ……」

 

 目口鼻から液体を流し、股すら濡らして逃げる青山だが、体に染みついた技術はそこまでの醜態を晒す主をぎりぎりで生かしている。最善の逃走経路を選び、迫る棘を斬り捨てて、時には土を舐め、恐怖から嘔吐すらしながら。

 青山は逃げていた。

 何が彼をそこまで突き動かすのか。そうまでして逃げなければならぬ理由があるというのか。

 今や、ただの人に落ちぶれた哀れな子鬼になりながら。

 何故、逃げる?

 

「死にたくない」

 

 生きたいのだ。フェイトが教えてくれた。この斬撃にこそ生きる意味があるから。自分はそれ以外で殺されるわけにはいかないのだ。

 この素晴らしい答えを皆に教えるために、殺されたくなかった。

 

「生きたいんだ」

 

 願い─呪い─は根深い。同じく終わりに至った少年が青山に与えた鎖は、はっきり言おう。青山をただの気が狂っただけの狂人へと突き落とした。

 修羅ではない。

 狂人。

 ただの、人間。

 

「守りたいんだ」

 

 その言葉の何たる空虚。何を守るというのか。守れるものがあるというのか。

 ──凛と悶える右手の証。

 生きるために。

 斬るのだ。

 

「陽だまりがあるから……!」

 

 大切だから。

 だから、生きて、斬るんだ。

 それだけのこと。

 幸せな回答。

 ─激痛を訴える黒色の刀身─

 

「生きるんだ」

 

 何のために?

 ─今にも死にそうな刃が狂う。末端から震え、黒い刀身の先から罅が走る─

 

「生きて、斬るために」

 

 誰のために?

 ─破裂する。矛盾は成立しない。刀身を覆っていた黒は剥がれ、その矛盾を、生きるという答えを食いつぶすように現れるのは─

 

「斬るんだ」

 

 斬るために。

 斬るから。

 斬って。

 斬るだけで。

 斬るしかないから。

 斬っていくのです。

 どうか。

 斬らせてください。

 斬るために斬る。

 斬る。

 だから。

 生きることは、斬ることで。

 

 違うだろ。

 

「あ」

 

 迫る棘が体に巻きつく。体中が痛みを感じる前に、一瞬で魂まで冷却されて、思考は暗転。

 

「死ねよ青山」

 

 氷獄に落ちる。人生の最後、死にたくないという思いに勝り脳裏を走ったのは──

 

 ──斬ることは、斬ることだ。

 

 おかえりなさい。修羅外道。

 

 右手のソレ─証─は、刀だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 斬る。

 

 

 

 

 



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第七話【修羅外道(終)】

 

 青山を飲みこんだ棘は、餌に群がるハイエナの如く次々と殺到し、凍りながらさらに生まれ続けて尚凍らせていく。

 エヴァンジェリンの魔力が尽きるまでこの増殖は終わらないだろう。今はまだ小規模だが、このままこの氷獄が広がれば、麻帆良学園を容易く飲み干すまでになるはずだ。

 勝敗は決した。恐るべき修羅である青山は氷の棺桶に抱かれて絶命し、エヴァンジェリンは鮮血を溢れさせながら健在。

 勝者は、真租の吸血鬼、エヴァンジェリンだった。

 

「……これじゃないよ」

 

 だが勝利したはずのエヴァンジェリンの表情は暗い。掴めるはずだった実感は何処にもなく、ただただ虚しさが心を満たしていた。

 

「私は、そんな貴様を殺したかったわけではなかった……」

 

 無様に這いずりまわり、己の所業を顧みることなく、ただ生きたいと喚き散らした男。

 その程度の男に固執していたわけではなかった。

 

「クソ……誰だか知らんが、余計な真似をしてくれた」

 

 矛盾には気付いていた。だがこの男なら、その程度の矛盾に飲まれることなく、ひたすら刀に邁進するだろうと信じていた。何より、麻帆良を襲撃した悪魔の一件は、青山が斬ることにあり続けているんだと信じられる材料だったはず。

 しかし蓋を開ければどうだろう。生きるという答えに斬るという回答が遅れてついてきている。

 そうではない。

 そうではないのだ。

 形容出来ぬが、違うとエヴァンジェリンは思った。そんな在り方ではない。青山はもっと鋼であるべきだ。

 恐怖で言い表せられるような俗物ではない。

 この様だと。

 こんな有り様だと訴えるのが、青山だったはずだろう。

 

「なぁ……青山」

 

 せめて一縷の望みをと賭けて、その魂を凍てつかせて絶命してみせたが、規模を広げる棘の内部では一向に動く気配はない。

 もう、彼女が恋焦がれた修羅は何処にもいないのだ。

 そう考えると、エヴァンジェリンは四肢を失う以上の喪失感に襲われた。

 

「貴様は……私だった」

 

 斬られてから、繋がった。可笑しい話だが、エヴァンジェリンは青山との繋がりを感じていた。

 だから誰よりも彼を知っていた。

 事実は、あの醜態を見るまで変貌に気付かなかったため、ただ単純に羨望のフィルターをかけて見ていただけなのだろうが。

 それでも自分は、彼の一番の理解者だと自負していた。誰に自慢するわけでも、本人に言うわけでもなかったが、エヴァンジェリンはそう思っていた。

 

「せめてもの慈悲だ……ここら一帯を、貴様の棺桶にしてやろう」

 

 涙の代わりに流血を指先から滴らせて、エヴァンジェリンは最後の号令をかける。麻帆良郊外にそびえる山々が加速度的に氷に閉ざされていた。一度凍らせれば、術者であるエヴァンジェリンですら解除することのできない絶対零度の棘の群れが、その通り道を氷塊へと変えていく。

 その中心にとぐろを巻いて天へと伸び行く華。そこに眠る修羅のなれの果てを思い、吸血鬼は手向けの華を咲かせていった。

 

「……願いがあった。貴様を殺し、その血で己の体を癒し……無限に続く未来を、膨大な殺戮で埋められると信じていた」

 

 めくるめく闘争の日々を夢想していた。いずれ世界が己を殺しきるまで、ただただ吸血鬼であろうと、永遠にこの戦いの連鎖を続けていけると思っていた。

 だがどうだろう。

 何故か今は、少しだけ──疲れた。

 

「青山……」

 

 貴様が変わったせいで、こんなにも悲しい。

 こと、この最後に至り、感じるのは失望ではなく絶望。

 人間は、変わらずにはいられないという、悲しい事実。

 エヴァンジェリンはもう変わらないだろう。無限の時を、この姿のまま、無限に戦い続けて、無限に歓喜するしかない。

 だが人間は違う。時と共に成長し、練磨し、そして、衰える。

 変わっていく。

 自分を残して、変わっていく。

 

「わかっていたはずなのだがな……」

 

 化け物に戻ったことで、その本質すら忘れてしまったのだろうか。

 人間と化け物。

 殺し、殺される関係。

 変わらないと信じていたその絆。

 死を恐れ、無様に生きようとした青山の姿は、その絆に綻びを与えるには充分だった。

 青山を殺した後、見つけ出して殺そうと思っていたナギ・スプリングフィールドも、もしかしたら青山と同じように変わっているのかもしれない。

 強き者は変わらないという不文律は、人間には適用されないのだろうか。

 ならばどうする。

 永遠に、人間という名の夢を抱いて戦い続けろというのか。

 

「……それもまた一興。夢の狭間で生きるこそ、化け物の本懐だ」

 

 無限に生きる己こそ、夢の如き存在ならば。

 ここから始めよう。焦がれた人間の墓標を最後に見降ろし、エヴァンジェリンは約束通り、麻帆良に手を出すことなくその場を後にしようとして。

 

 凛。

 

 そんな彼女を引きとめるように、静かな波紋が響き渡った。

 

「……ああ」

 

 その音色に瞼を閉じて酔いしれる。永遠に狂い咲く棘と同じく、無限に鈴の音色は鳴り響いていた。

 眼下、修羅の棺桶は真っ二つに引き裂かれる。だがその隙間を埋めるように棘は荒れ狂い、一秒もすれば亀裂は忽ち塞がれるだろう。

 だがそれよりも早く飛び出した影が一つ。棘の影を引き連れながら、空に伸び行く流星は、月を背中にその翼を広げた。

 

「おかえり」

 

 月下に映える鈍色の光に笑顔を向ける。無邪気な微笑みに応えるように、絶殺より現れた男、青山は右腕に掴んだ証を天へと掲げた。

 最早、証の刀身は黒ではない。愚直なまでに鋼。ひたすらに鉄の冴え。不純を払い、その輝きの全貌を露わにした証の全ては、まさしく青山そのものの光を放っていた。

 生きるという訴えはその刀身からは伝わってこない。

 ただ斬る。

 理由はそこにはない。

 斬るから、斬る。

 その美しいまでの一本筋こそ、少女が恋した冷え冷えと鋼。

 青山の太刀。

 

「エヴァンジェリン……俺は──」

 

 直後、エヴァンジェリンの願い、その刃に惹かれり気持ちをくみ取るように、重なり合いながら棘が切っ先へと殺到した。

 荒れ狂う大海すら水遊びにしか感じられない程、迫る氷塊の圧力は凄まじい。事実、一分前の青山なら、悲鳴をあげて恐怖に飲み込まれただろう。

 

「悪い夢を見ていたみたいだ」

 

 だがしかし、青山はこれまでと同じく、これまで以上に単純に棘の全てを斬り捨てた。当然、棘の個は死に絶えるが、群としての棘は不滅。尚迫りくる軍勢を、青山は特に怯えることなく斬りながら、ゆっくりと地上へ落ちていく。

 手足を投げ出して落ちていく青山へと追いすがる氷の牙が、体に触れることすら敵わずに砕けて散っていた。

 落ちるままに、無意識に。思考するよりも早く斬撃が放たれ、歌声は際限なく重なりあっていく。

 青山はその視界一面に広がる月と氷、そして遠くで微笑む吸血鬼を見据えて、思う。

 長かった。

 ここに再び気付くまで、とても長かった。

 

「理由なんて、必要なかった」

 

 初めの心を自分は見失っていたのだ。

 強く。

 強くなりたかった。

 

「俺は、俺のこの肉体が行く先を見たかった」

 

 だから強くなった。

 ひたすらに己の肉体と向き合い。

 強くなることに歓喜して。

 

「そして、ここに来た」

 

 斬撃。

 ただ斬るだけ。

 この答え。

 この様ゆえに。

 至った全て。

 

「俺は、その答えに泥を塗ったんだ……」

 

 思えば、至った後から、随分と惑っていた。

 人のためにと。

 友人のためにと。

 恩人のためにと。

 家族のためにと。

 理由を求めてしまった。

 斬撃と言う答えの理由を探してしまった。

 

「俺は……弱くなった」

 

 答えを得てからゆっくりと、周囲の環境にじっとりと汚染され、穢れのなかった斬撃を見失ってしまった。

 姉さん。

 素子姉さん。

 俺は、ただただ、あなたに恥じ入らなければならない。

 

「……あの時の俺は透明だった」

 

 この様だったはずだ。

 嫌悪とも、好意とも、そもそも、あらゆる感情とは無縁だったあの時。

 あの様。

 この様。

 そうとしか言えぬ何かだった、あの時の自分を。

 素子が踵を返さざるをえなかった曇りなき自分を。

 鋼。

 この様に、刀。

 そそり立つ無心こそ刃。

 

「もう、動かないよ」

 

 ──俺はこのまま。

 

「もう、振り向かないよ」

 

 ──俺はひたすら。

 

「もう、前を見ないよ」

 

 ──俺はありのまま。

 

 丸っと一つ。等身大の、鋼となりて。

 

「この修羅場─斬撃─に、在り続ける」

 

 いざ月光。

 死して鋼、曇りを払う。

 大地に降り立った青山は、執拗に迫りくる棘を散らし、上空のエヴァンジェリンに笑いかけた。

 

「夢幻と嘆いたが……」

 

 その様にエヴァンジェリンは哄笑を隠しきれなかった。

 人は変わる。惑い、迷いて、同じ場所になんて一秒も立てないくらい生き急ぐ生物だけれど。

 違うのだ。

 それでも変わらない人間は、現れたのだ。

 

「いいよ青山。なんて様だよ」

 

 斬撃という答えを得ながら、僅かな残滓が周囲との関係を求め、同等に近い強敵が、修羅に人らしい彩りを与えた。

 だが最早、ここに居る男は違う。

 終末に至る斬撃に酔う修羅の冴え。凛と佇む一本の鋼に青山は立つ。

 不変の強さ。折れない刃の如き冷たさを放ちながら、青山はここに居る。

 もう、彼は変わることはないだろう。前世という鎧が育てた肉体は、ついにその鎧にこびりついた汚れを、鎧もろとも斬り裂いて生まれる。

 初めてする呼吸。

 冷たい空気に、喉が凍る。

 実感だけが、ここにはあった。

 

「待たせたなエヴァンジェリン」

 

 棘を斬り飛ばす。斬撃一つで、周囲を取り囲んでいた棘が悉く砕け散り、その氷の雨に隠れながら、携えるのは己そのもの。

 右手の刀は、己。

 己こそ刀。

 

「お前を、斬るぞ」

 

 生も死も意味をなさぬ。

 刃は斬ること以外に、考えないのだから。

 その直後、青山は地面を陥没させながら空へと飛んだ。一歩で上空遥かまで飛び立つ健脚に、我がことながら驚きを覚える。

 体は妙に軽かった。あらゆる重石を斬り払ったかのように、肌に触れる空気すら斬りながら、青山は再度、薔薇の中に沈んだエヴァンジェリン目がけて駆けだした。

 当然、行く手を遮ってくる雷氷の棘。瞬動ですら逃れるのが困難な速度と物量を斬り分けて、無心のままに前へと進む。

 展開する斬撃結界。先程よりも遥かに洗練された冴えの幕は、空間を断絶したかのように棘を寄せ付けない。

 だがエヴァンジェリンの渾身はこの程度では済まない。圧倒的な物量と速度は、次第に青山の結界を狭めていき、ついに死角を突いて切っ先は青山の頭部へと届いた。

 

「ッ……」

 

 だがその瞬間、独楽のように体を回転させた青山が気を頭部に集中。額を擦らせるように棘へと擦りつけていなして直撃を避けた。

 しかし相手は絶対零度。気を最大出力で纏ったとはいえ、たちまち額は凍りつき、浸食する氷は忽ち青山の顔の左半分を凍らせた。

 刹那、右手の証がぶれ顔の氷を斬り砕く。顔には一切傷をつけることなく、氷だけを斬るという絶技は見事の一言。しかし気で強化していたにも関わらず、凍っていた部分は凍傷を起こし、さらに左目は完全に氷に飲み込まれていた。

 だから、眼球の氷が脳髄に届く前に、証を躊躇なく突き立てて、一気に抉り取った。

 

「ぃッ……!」

 

 切っ先に突き刺さった眼球が引き抜かれると同時、熱血が青山の眼底から迸った。残留した氷塊は流血に溶けて、直後、抉った左目がただの氷の塊になり果てる。

 だがそこに何かを思う余裕はなかった。そうしている間にも迫る棘を掻い潜らなければならない。一閃を忘れただけで再び棘が突き立つことを思えば、失われた眼球に思いをはせる暇は皆無だった。

 それに、そもそも、嬉しいのだ。

 

「ひぃひっ……!」

 

 奇声の如き笑い声が青山の口から漏れ出た。状況はあまりにも劣勢だ。唯でさえ密度の濃い軍勢は、エヴァンジェリンに近づけば近づくだけ、その総量を増やしている。さらにその棘の一つにでも触れれば、今のように体の何処かを失う恐れがある。

 まるでかつて死闘を繰り広げた酒呑童子のようだ。一撃が掠っただけで破壊に飲まれるのと同じ、エヴァンジェリンの氷は、掠っただけで殺される。

 だがそれは青山も同じだ。

 一撃。

 今度こそ、一撃。

 先程のように、矛盾を孕んだ状態の一撃ではない。正真正銘、斬撃という名の己を斬りつける一撃ならば、確実にエヴァンジェリンの命にだって届くだろう。

 

「エヴァンジェリン……!」

 

 その時を思えば、体中が快感に狂ってしまう。

 絶頂だ。

 あの吸血鬼を斬った時、俺は宇宙最高の絶頂を迎えることが出来る。

 ならば、眼球の一つくらい惜しむことなどない。

 むしろ己を斬るという行為にすら快感があった。

 世界が斬ることに終わっている。ありとあらゆる現象も、固形も、感情も、どこもかしこも斬撃が現れている。

 斬る。

 だから赴くままに斬る。

 

「エヴァンジェリン! エヴァンジェリン! そこだろ!? そこなんだろエヴァンジェリン!」

 

 歓喜に酔う修羅が行く。棘は次々となだれ込み、青山の体の至るところを凍らせていった。

 その度に青山は己の体に刃を這わせる。触れる度に流血。痛む体を斬撃。

 喜びに至る自傷行為。

 冷気よりも冷ややかなこの修羅場空間に漲る思いの丈。

 君の名前を呼ぶたびに、愛しき恋人へと送る愛の感情を滴る程に乗せていく。

 

「いい……凄くいい! 感じるぞ青山……貴様を感じるぞ青山! 刺したいんだろ? 私の『ここ』に! お前の『それ』を! 何度も何度も斬って斬って斬り続けたいんだろ!?」

 

 あぁ。

 わかる。

 その冷気がわかる。

 冷たい熱意が腹の奥にズンと響くのをエヴァンジェリンは感じた。薔薇の蕾を掻き分けて、ここに立つ自分を乱暴に引きだして、躊躇なくそのその刃を突き立てるのだ。

 乱暴に。

 痛い痛いと泣き叫んでも。

 貴様は絶対に止めないのだろう。

 

「愛だ」

 

 惹かれあうからわかるのだ。

 

「愛だよ!」

 

 恋慕しているから通じ合うのだ。

 

「愛してるんだよ青山!」

 

 エヴァンジェリンは吼えた。今この時、誰でもなく他でもない。青山という男と、エヴァンジェリンという女は惹かれあっている。

 斬りたいから。

 殺したいから。

 誰よりも互いを求めあっているこの状況を。

 愛という言葉以外の何で表現出来るというのか。

 

「わかるだろ? 貴様が盛った犬のように呼気を乱して唾液を滴らせながら私に迫りくるこの状況に堪らなく発情してるんだよ! 良い! 最っ高だ! 早く来い! 今すぐ来い! 私を斬ろうとする貴様を私は殺す。斬るだけに終わった貴様を恐怖のどん底に叩き落として、泣き喚く貴様の顔を撫でながら、その首筋にキスしてやる! そしてドクドクと脈打つ血管を食いちぎって、貴様の熱い冷血をたらふく私の胎に注ぎ込むのだ!」

 

 これほど素晴らしい瞬間は他にはない。今ここが命の極限であるということを、吸血鬼は脳髄が理解するよりも早く魂で理解した。

 頬を上気させ、興奮から硬く伸びた犬歯を剥いてエヴァンジェリンは迫りくる青山に呼びかけた。

 熱烈な求愛行動に、青山も全霊で答える。容赦なく斬り刻んだ棘が周囲に散っていく中、その中でひと際巨大な塊を、青山は空いた左腕に掴んで構えた。

 

「いいや。お前が食らうのは……俺の刃だけだ」

 

 右手の証が瞬き、左腕の氷塊が一瞬のうちに一本の氷の刀へと変貌する。青山はその切れ味を試すように、迫る棘に向けて数度振るった。

 右手に持つ証と同時に、即席の刃が歌を奏でる。それも僅か一秒。エヴァンジェリンとの距離換算だと数歩しか距離を詰められずに氷の刀は微塵と砕け散る。

 だがそれを見計らったように、再度棘を斬って作りあげた刀が左手に収まった。永遠に増え続けるのであれば、こちらもまた永遠に刀を振るい、刀を作り続ける。

 

「斬り続ける……!」

 

 前代未聞。史上最強の剣士による二刀流の切れは強力無比だ。物量を増す終わりなく赤き九天にすら遅れを取らない。物量には物量を。一本刀が増えただけで、青山の斬撃密度は倍どころか二乗されたかのような勢いで増大している。

 しかし代償がないわけではない。加工し、気で掌を強化しているとはいえ、元は絶対零度の氷塊。持っているだけで凍傷により掌は痛み、ぼろぼろになっていっていた。

 だが構わない。

 遥か高みに待つエヴァンジェリンまでは残り僅か。そこまで左腕が持てば充分だった。

 虚空瞬動は続いている。だが物量に押される今の青山には、常の圧倒的な速度は見る影もない。一歩、一歩、罪人が十三階段を上るように重々しく、青山は遥か上空の赤薔薇へと向かっていた。

 体は重かった。何度も体を凍てつかせた氷の棘によって、藍色の着物は鮮血で濡れていない個所はない。左の視界はないし、今まさに左手の人差し指が凍りついて砕け散った。

 残った四本で刀を掴む。問題なんて何処にもない。体は重いが、重さはとても心地よい。刃の冴えは加速している。一度斬る度に生まれ変わっていくような心地だった。

 斬り開いていくのだ。壊死していく肉体とは裏腹に、体は一閃ごとに覚醒していく。前へ、前へ、ひたすら前へ。重い体と軽い両腕。激痛を発しながら快楽物質を生産し続ける脳髄が、己の体を押し上げていく。

 これで幾つになるだろうか。限りなく時間が圧縮されて引き延ばされた世界で、ついに青山の左手の指が全て壊死して砕け散った。僅かな空白、斬撃結界に再び開いた穴に殺到する棘が、容赦なく青山の左腕に絡みつく。一瞬で氷の檻に閉じ込められる左腕を眺めた青山は、手首までを完全に凍らせた腕に、躊躇なく証を振り下ろす。

 

「シッ!」

 

 青山は呼気を一つ漏らして、手首ごと氷を斬った。凛と奏でながら鮮血がほとばしり、それすらも逃すまいと氷が血を凝固する。だがそれは青山によって指向性をもたらされた氷結。冷血に沿って伸びた氷は、手首から先で一本の刀となって完成する。

 腕ごと刀と為す。徐々に手首から先を浸食する冷気を甘んじて、青山は体と一体化した氷の刀を携えて、再度上空へと眼光を鋭く飛ばした。

 

「待っていろ」

 

 そこで待ち、この斬撃に分かたれる瞬間を夢見ているといい。

 そしてついに上空遥か、棘を斬りながらついに青山はエヴァンジェリンが眠る薔薇の蕾の前に立つ。

 だがここに至って左手の指はおろか手首まで全損。現在、氷の刃は手首から先はおろか、まるで針山のように幾つもの刃を腕から生やしながら、未だ凍結を止めてはいない。それ以外にも、藍色の着物はぼろぼろで、出血の痕も目立っている。唯一の救いは、傷口も直ぐに冷却されたため、出血は収まったことか。

 ともかく、青山はぼろぼろになりながらもエヴァンジェリンの前まで辿りついた。半分になった視界が、閉ざされた蕾を見据えると、その視線に耐えきれないように、ゆっくりと赤薔薇は開いた。

 

「よくぞここまで辿りついた」

 

 虚空を踏む青山を襲う棘を一度己の周囲に戻す。訝しむ青山にエヴァンジェリンは笑いかけると、雷氷が幾つも重なり合って、これまでよりも一回り以上膨れ上がった棘が幾つも誕生した。

 

「まずは四肢からもいでやる。安心しろ、その後優しく抱きしめてやろう」

 

「俺は斬るだけだ」

 

「必然だな。その時は犬歯を研いで私の胎にでも突き立てるといい……抵抗を止めるな。最後まで足掻いてみせろ。貴様の終わりで私を満たせ」

 

 いずれにせよ、ここで決まる。

 エヴァンジェリンは、祭りの終わりに対する物悲しさと似たような思いを感じつつ、両手に考えられるだけの魔法を展開した。

 充分だった。青山という人間が見せてくれた可能性の獣は、吸血鬼の全存在を叩きつけるには充分すぎた。寿命の定められた人間の身でありながら、ひたすらに修練を重ねて至る強さ。

 その強さはまるで、繰り返し槌を叩きつけて鍛え上げた名刀のようですらあった。

 そんな名刀が、芸術品の如く美しかった自らの体を斬り崩してまで、醜悪たる化け物の総称である自分の前に立つ。

 この奇跡。

 

「今の貴様は、美しい」

 

 傷つき、泥に汚れた姿の麗しきこと。額縁に飾られた絵画ではこうもいかない。完成された芸術が不完全を享受することで練り上げられた美しさ。

 至高の美。

 それを砕く、喜びよ。

 

「殺す」

 

 薔薇に立ったエヴァンジェリンの周囲に、氷の槍に刃、さらには暗黒の氷雪の嵐が無数と展開された。

 総軍を率いる指揮官の如く、掲げられた右手を振り下ろした瞬間、最後の激突は始まるだろう。

 その姿に青山もまた見惚れた。長年を孤独と過ごし、いつしか孕んだ化け物としての資質を開花させた吸血鬼の、恐ろしさすら感じる麗しさ。

 袈裟に斬られた体から出血を続けながらも、その美しさは衰えることはない。むしろその傷口すら美しかった。吸血鬼としての特性を完全に取り戻した結果か、新雪の如き白さの肌と、赤色はよく映える。冷気に靡く金髪も、同じ量の黄金ですら釣り合わない程の輝きと値打ちはあるだろう。

 そして真っ直ぐとこちらを見つめる二つの眼。僅かに吊りあがった瞳の中にたらふく詰め込んだ殺気は、最早自分への愛情であると言ってもいい。真っ赤な唇を自然と舐めるために、ぬらりと現れた舌先も、その向こう側にいる己を舐めるように妖しく蠢いた。

 愛されているなぁ。何ともなしに青山はそう思った。だからどうだというわけでもない。嬉しいやら恥ずかしいやら。この世で最も尊い美に見染められたことを誇らしく思うか。

 

「斬る」

 

 だが変わらない。それら一切の感情や思いを差し置いて、斬撃は先行する。気付けたのだ。あらゆる感情も、思いも、願いも、斬るという答えには届かないし、届く必要もない。

 美しいから斬るのではない。

 斬るから、斬る。

 そこを違えることは、もう二度と在りえないだろう。右手の証を握り直し、左腕に突き刺さった氷の刃は、筋肉を締めることでさらに固定する。

 そうしている間に、周囲を取り囲んでいた棘は、二人以外を切り離すように巨大なドーム状になって外界と隔絶した。氷の女王の最大展開と似たような状況。違うのは、その規模が山を飲みこんでなおあまりあるということか。

 ぼろぼろの青山に対して、傷を負っているとはいえ、魔法の規模、破壊力、そして軍勢、あらゆる要素でエヴァンジェリンは優勢だ。

 しかし侮ることはおろか、己が追い込まれていることをエヴァンジェリンは悟っている。確かに彼女の棘は並の術者はおろか、高位の術者でも一撃で殺戮するだろう。だが青山はその全てを掻い潜りここまで到達した。

 そして、その刃は今度こそ一撃でも当たれば、エヴァンジェリンを絶命させる。

 互いの命を曝け出す場。死の氷海の中心で向かい合った二人は、互いが死ぬ瞬間を思い描き、同時に互いの殺戮と斬撃を夢想している。

 

「……」

 

「……」

 

 言葉は不要ではないが、言葉を交わすのは今ではない。向かい合う死神。命を狩るのは果たしてどちらか──

 

 開始の合図は必要ない。

 

 これで、終わり。

 

「青山ぁぁぁぁぁ!」

 

 死の軍勢が機先を制した。無限が一を飲みこむ。雷氷が、槍が、刃が、吹雪が、これまでの全てを乗せたエヴァンジェリン最大最後の魔法は、その生で最高の破壊力と規模で青山へと突き進む。

 余力はない。エヴァンジェリンは己の魔力が完全になくなるのを把握しながら、無限の命すら絞り尽くして叩きつけるのだ。

 殺す。

 この願いだけを乗せた魔法は、腐乱死体よりも醜悪で、神々よりも美しい。

 世界を埋め尽くす破壊を前に、青山は嵐に飲まれる木っ端よりも軽く一歩を踏み出した。

 麻帆良全域を数度飲み込んで余りある威力が、棘によって限定された空間内に圧縮されている。例えるなら小規模のビッグバン。生死を孕んだ氷の極限に、青山はやはり木っ端のごとく飲み込まれ。

 凛。

 凛と。

 凛と繰り返し。

 凛と歌うは斬撃故。

 

「ぉ……おぉぉぉぉ!」

 

 己の存在を訴えるように、青山は無限に吼えた。一個の命だけで無限に相対した。

 斬り捨てる。隙間なんて何処にもない無限を斬り分けて、その向こうにいる少女を求めて斬り進む。

 視界なんて役に立たなかった。一面が赤、十が赤、一は己。どうやって進んでいるのかわからないし、次々に凍っていく自分の体すら後回しだった。

 一歩、踏み出した瞬間、体の末端から凍てついていく。冷気に飲まれた体。重要なのは進むために必要最低限な機能ならば、左足の防御は捨てる。

 一歩、一歩。赤の中心に小さな穴が開く。向こう側に黄金と白。抱擁するように両手を広げる少女を幻視。

 一歩、一歩、さらに一歩。幻視ではなかった。開けた先に吸血鬼。喜び揺らぐ哄笑を浮かべる少女の元へ、完全に凍った左腕を強引にねじ込む。

 一歩、一歩、さらに一歩、もう一歩。たちまち食いつぶされた左腕を、根元から斬り捨てる。そして出来た最後の隙、そこに体をねじ込んで。

 一歩、一歩、さらに一歩、もう一歩、後一歩。薔薇の内部に侵入を果たす。それを待ちかまえていたエヴァンジェリンが、指先より展開した氷の刃が放たれる。避ける余裕などなく、防御出来るのは最低限。重要な器官は守り抜くが、代わりに防御を忘れた左足が飲みこまれて砕け散る。

 そして、一歩なんていらなくて。

 

「エヴァァァァァ!」

 

 掲げた右腕、証の刀。証明するのは斬撃という解答。降り注ぐ棘よりも速く、決別の刃は化け物の心臓を──

 

「来い、修羅外道」

 

 凛と沁みこむ鈴の音。

 あらゆる全てが冷たい世界で、己の答えが間違っていないことに青山はひたすら感謝した。

 

 薔薇は、枯れる。

 

 

 

 

 

 赤色の世界が砕け散り、黒い夜空と美しい月が姿を現した。再び現実に戻った世界の中心で、抱きしめあうように寄り添う二人の男女が静かに大地へと落ちていく。無限の棘など存在しない。どれもが一個の命であり、増殖するとはいえ、元をただせばエヴァンジェリンの魔力だ。だから彼女が死ぬ以上、その全てが砕け散るのも自明の理。

 羽根のように柔らかに落ちていく中、口から大量の血液を吐きだしたエヴァンジェリンは、震える両手を青山の背中にまわした。

 

「いたい」

 

「あぁ……」

 

「いたいなぁ」

 

 エヴァンジェリンの心臓を貫いて背中から飛び出した証は、溢れたばかりの鮮血を切っ先から滴らせている。

 確実に命に届いた。今度こそ確信する青山は、最早指先を動かすのすら難しくなっているエヴァンジェリンの首元に顔を埋めた。

 

「斬れた」

 

「そうだな」

 

「君を、斬れた」

 

 決着はついた。

 四肢の半分を失いながらも、それでも渾身の斬撃を放った青山が、エヴァンジェリンの命を斬った。現状辛うじて息をしているが、それもじきに失われ、エヴァンジェリンの命はこの世から失われるだろう。

 霞む眼で、エヴァンジェリンは遠くを見つめながらそっと微笑んだ。

 後悔はない。

 互いに出し惜しみすることなく命を叩きつけ合い、結果として敗北はしたが、充分以上に満足のいく終わりだった。

 どちらの体温も冷たいままだ。修羅場に相応しい冷ややかな体を摺り寄せて、二人は光から遠ざかるように落ちていく。淡く散っていく赤い飛礫だけが、そんな二人を優しく包み込んでいた。

 

「……エヴァンジェリン」

 

 青山は少女の名を呼んで、二の句を告げることも出来ずに黙りこむ。

 かけるべき言葉は自分にはない。

 斬れたという言葉こそ、伝えたい全てであり、それだけでエヴァンジェリンにも充分過ぎた。

 

「いたいな。あおやま」

 

 エヴァンジェリンもまた、それ以外に伝える言葉は殆どなかった。

 痛いのだ。

 そして、居たいのだ。

 この無限に引き延ばされた永劫刹那。修羅と化け物、二つの命しか存在しない奇跡の空間。

 こここそ、地獄。

 まさに修羅場。

 反吐が出るくらい素敵な場所に違いない。

 

「……あおやま」

 

 だが何事にも終わりはある。

 殺すことに終わるように。

 斬ることに終わるように。

 修羅場にだって終わりは存在していて。

 

「そうだな」

 

 エヴァンジェリンの首筋から顔を離した青山は、眠るように目を閉じた。

 もうすぐこの世界も現実に戻る。時間すら曖昧な場も、冷気を埋め尽くす熱気に飲まれれば最後、終わりの向こう側へと至るならば。

 

「さよなら、エヴァ」

 

 最後に、額を合わせて淡く微笑めば、少女も無邪気に笑い返した。

 

「さよなら、あおやま」

 

 引き抜いた証を真横に振るう。凛と響き渡る歌声は、フェイトが奏でたそれに勝るとも劣らぬほど美しく世界へと響く。分かたれた少女の冷血は、思った以上に暖かく、まるで太陽の日射しに包まれているような温もりに嬉しくなる。

 

「さよなら……」

 

 最後に一言、分かれの言葉を告げて。現実に戻った時間と重力が、恐ろしい勢いで青山を大地へと引き寄せた。

 そして、着地。片足片腕になったことで少々バランスを失ったが、今の青山はそんなことすら些細なことに思えるくらい、気が充実していた。

 

「……斬るよ。これからも」

 

 消え去った少女の魂を見送って、欠けた瞳が黒い色で月を見上げる。エヴァンジェリンの答えに引き寄せられることはない。その証すらも斬り裂いた今の青山は、あらゆることに動じることはない。

 ただ。

 ただ少しだけ、悲しさはある。

 

「ありがとう……」

 

 再びこの場所に立たせてくれた少女に向けて。

 青山は、祈りを捧げるように刀を空へと突き立てた。

 

 さぁ、俺達の愛した修羅場を、再びここから始めよう。

 

 

 

 




次回、最終話【修羅場Lover】

斬って斬って、それで終わり。


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最終話【修羅場LOVER(上)】

 

 世界樹の下。最早不要となりつつある防衛線にネギが静かに現れ、その姿を見た超は己の直感が外れていなかったことを確信した。

 

「随分と苦戦したようだネ」

 

 衣服がぼろぼろになっているネギに労いの言葉を送る超。だがネギは複雑そうな表情で超と、その隣に立つ真名を見て口を開いた。

 

「青山さんがここに来ます。お二人は逃げてください」

 

 有無を言わさぬ言葉だった。夜よりも尚黒い左目で射竦められた二人は、返事を詰まらせた。

 ネギもまた返事は期待していなかったのか、二人に背を向けると、先程まで赤薔薇が咲き誇っていた方向に視線を向けた。奇しくも、戦いの影響でここから郊外までの道は一直線に開けている。未だ燻ぶる氷の残滓と、瓦礫になり果てた麻帆良の光景を見据える。

 放っておけばそのまま真っ直ぐに進んでしまいそうな、そんなネギの背中に超と真名は呆れた風に声をかけた。

 

「……悪いが先生。私は今更逃げようとは思てないヨ」

 

「同じく。それにこの戦いは最早ネギ先生一人の問題ではない」

 

「二人とも……」

 

 振り返ったネギに二人は笑い返す。束の間の談笑はここまでだ。既に戦いは新たな局面に突入している。

 誰かはわからないが、エヴァンジェリンとの戦いを終えた青山と交戦している二つの影。最早、問答の時間はない。

 

「行きましょう……これで、終わらせます」

 

 遥か遠く。凛と奏でる破滅の輝きへ。

 

 

 

 

 

 青山とエヴァンジェリンの戦いが終結したのを、遥か上空から二つの影が見届けていた。一つはローブを纏った、青年とも老人ともとれるような不思議な雰囲気をもつ男。その隣には老齢の男が一人。

 

「これが彼ですよ」

 

 ローブの男、アルビレオは隣でその最後を見届けた老人、近右衛門に静かに語りかけた。

 返事はない。だが絶句する他ない光景に目を見開いて唖然とする近右衛門を見れば、答えなど効く必要もない。

 斬撃という解答に立つ青山と、殺戮という解答に立つエヴァンジェリンの戦いは、余人が介入する隙など何処にもなかった。古き友人であるエヴァンジェリンを助けようと言う思いがアルビレオにはあったが、最早あの二人に割りこめる余地などなかったのを悟り、口調は平然としているが、内心は複雑である。

 彼女の変貌をただ見るしか出来なかった己が、何を思うというのか。それがアルビレオの思いだが、しかしやはり納得出来ないものはある。

 エヴァンジェリンは死んだ。

 青山との戦いの果て、互いに曝け出した命のチップを奪い取られて、立っているのは青山が──修羅が一人。

 なんという様だろうか。

 負の感情では言い表せぬ様。

 修羅という一つの形。

 この世には存在してはいけない異形の冴えは、アルビレオと近右衛門に、これまで己が何と共に麻帆良にいたのかをまざまざと叩きつけた。

 特に近右衛門の衝撃は大きいだろう。

 変わっていると思っていた。

 変えられると思っていた。

 そしていつか自分達と共に人々のために力を尽くしてくれると信じていた。

 

「儂は……」

 

 だが最早、それらの願いは全て夢幻と消えている。

 あの様を見て、どうしてそのようなことを思えるのだろうか。青山は終わっている。取り返しのつかない領域に立つあの男は、既に善悪両方にとって脅威そのものと化していた。

 だからそう、今では全てが合致する。

 京都の地獄。

 麻帆良で起きた惨劇。

 証拠など必要ない。青山が青山というだけで、全ての因果が彼にあるというのを、問答無用で理解した。

 

「……儂は、何をみていたのじゃ」

 

 己の目は曇っていた。決定的なミスに気づいたときにはもう遅い。惨劇は起こり、青山は刀を手にして斬ろうとしている。そのことで自分を責める近右衛門だが、どうして彼ばかりを責めることが出来るだろうか。

 正義であっても理解は出来ぬ。

 悪であっても理解は出来ぬ。

 善悪を超えた別次元。住んでいる場所が彼岸よりも彼方の男を理解出来るのは、同じ修羅外道か化け物しか存在しないのだから。

 

「……ですが、今ならばもしかしたら間に合うかもしれません」

 

 アルビレオはそう言って、眼下、刀を空に掲げて視線をこちらに向けている青山を見返した。

 あの男は居てはならない存在だ。斬るから斬るという帰結のみに立つ男には、更生の余地などありはしない。アルビレオが言っていることを近右衛門もわかっているのか、自責の念を今だけは遠くに投げ捨てて、アルビレオと同じく青山を見下ろした。

 左腕と左足と左目、そして体には幾つもの裂傷を刻み込まれた青山は満身創痍。機はここしかないのだ。

 

「そうじゃの……これは、儂の責任じゃ」

 

 修羅を解き放った責務がある。ならばこれから先、彼によって幾度も引き起こされるだろう惨劇を回避するためには。

 

「……えぇ、彼を殺す他、ありません」

 

 これから先の世界を守るため、今ここで在りえてはならぬ存在を完全に消滅させる。

 人に仇なす修羅外道。

 これを殺すことこそ、正義の在り方に他ならないのだから。

 

「では、始めましょう」

 

「そうじゃの」

 

 青山に対しての罪悪感がないわけではない。彼もまた、ただ行きついた解答をありのままに表現しているだけなのだから。

 だがそれでも生きてはいけない命はある。

 世界中を探しても唯一無二。例外など他に存在しえない修羅に向けて、研鑽を積み重ねた老兵二人が、若い者達の未来のために覚悟を決めた瞬間。

 ぎょろりと、青山の瞳が二人の存在を飲みこんだ。

 

「……!」

 

 咄嗟の判断だった。

 エヴァンジェリンと青山の戦いを見ている二人は、詠唱を行うでもなく無詠唱の魔法を同時に叩きこんだ。超重力の塊と、無数の属性に彩られた魔法の射手。話し合うという選択肢すら青山の瞳は許さなかった。いや、許す許さないではなく、斬るという意志しかそこにはない。

 だから、本能が体を動かして魔法を放っていた。

 結果、熟練の域にある魔法使い二人が放った渾身の魔法は、エヴァンジェリンの弾幕と比しても遜色のない怒涛の雨となって降り注ぐ。対して青山は臆することも、ましてや昂ることなく刃を振りかざして答えた。

 

「シッ」

 

 学園長に突然攻撃されることへの困惑は確かにあった。だが同時にそれも仕方ないことだろうなぁという納得もある。

 おそらく。

 いや、間違いない。

 何か間違ったのかもしれない。それは、自分を排除しなければならないほど取り返しがつかないことなのかもしれなくて。

 

「俺は……」

 

 また、取り返しのつかぬ過ちを繰り返したのか。残念だ。俺はとても悲しい。

 斬る。

 

「ッ!?」

 

 直後、その圧力にアルビレオと近右衛門の両者共々が驚愕する。遠目から見ていたときすら戦慄したその眼光に射竦められる。例え歴戦の猛者であろうとも、いや、歴戦の猛者だからこそ青山の目には当惑せざるをえなかった。

 なんという。

 なんという様なのか。

 その有り様は、言葉で形容出来る範疇を既に超えていた。恐怖ではない。素晴らしさでもない。いや、もしかしたらどちらかであるかもしれないし、両方であるかもしれない。

 ただ、なんて様だというしかなかった。

 

「これが、青山……」

 

 近右衛門は改めて理解した。

 神鳴流が畏怖し、その名前を恐れた修羅の姿を理解した。

 誰もこんな人間を理解出来ないということを、理解した。

 同じ人間でありながら、人間はこうも『自己中心的』になれるのだろうか。善も悪もなく、ただただ斬るという答えのみを求道し続けたなれの果て。

 この様を、どうして自分は、立派な人間に出来ると盲信していた?

 

「そうです……俺が、青山だ」

 

 そんな近右衛門の内心を見透かしたように、青山が迫る魔法を斬り裂きながら呟く。

 そうこうしている間に。あらゆる属性の魔法の射手は一刀で霧散した。

 質量などあってないような重力の塊すら、容易く両断されていく。

 二人は再び驚くが、青山にとっては拍子抜けと言ってもいい状況だった。

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 不死身の吸血鬼が命を削って繰り出した無限の軍勢に比べれば、アルビレオと近右衛門の繰り出す魔法の何たる児戯か。

 

「……どうして?」

 

 攻撃されていることに対する疑問は沸く。

 だがそれに興味は然程感じない。

 当たり前のように斬ることは変わらないが。

 お前らは、斬りたいと思えるような魅力が何処にもないのだ。

 

「……斬る」

 

 斬るという答えに飲み込まれた証を持つ今の青山は、己の解答を余すことなく発揮している。

 そも、先程エヴァンジェリンによって魂を冷凍絶命させられたのだから、斬る以外に意味はないのだ。

 だから青山が二人を見る視線には、これまで辛うじてあった敬意や友情といった感情は存在しない。

 それがアルビレオと近右衛門には恐ろしかった。斬るだけなのだ。ひたすらに斬って、ただ斬って。

 理由は斬る。

 だから斬る。

 斬るから斬るため。

 人は斬るのだ。

 

「ぬぉ……!?」

 

「くっ!?」

 

 いつの間に眼前まで現れた青山から、二人は苦悶の声をあげて転移を使い距離を取った。

 その姿を冷えた瞳で眺める青山。その姿は片足片腕、視界も半分が奪われ、さらに体には幾つもの凍傷があるという、今にも倒れてもおかしくない状態だ。

 だがそれでもなお。

 両者の戦力は、圧倒的な開きがあった。

 

「……これほどですか」

 

 アルビレオはいつも浮かべていた笑みを消して、冷や汗を拭いながら青山を油断なく見た。

 今の交差。後一瞬判断が遅かったらそのまま斬られていただろう。彼らにとって運が良かったことに、青山はエヴァンジェリン戦の余韻があるために、積極的に二人を相手にしようという気持ちが沸いていなかった。

 もしもエヴァンジェリンとの戦いと同じテンションであったならば、先の一合で勝敗は決していただろう。

 

「青山君……君は」

 

 近右衛門もそれはわかっているのだろう。いや、それ以上に近右衛門がショックだったのは、青山が僅かな逡巡もなく自分達を斬ろうとしているという事実だった。

 勿論、こちらから攻撃を仕掛けたというせいもあるだろう。しかし、あの時もしも先手を仕掛けていなかったならば、なす術なくこの体は両断されていたという予感があったからだ。

 分かったはずであった。

 余人の介入する隙のなかったエヴァンジェリンと青山の死闘。それを一部始終見たからこそ、近右衛門は彼が変わりようがないということを分かったはずだった。

 だが悔しいのだ。

 あの若さでそこに至るという狂気。

 修羅の域。

 そこに至らせてしまった自分達と、そこに気付かなかった己のふがいなさに、悔しさがこみ上げてくる。

 

「この様ですよ」

 

 だから青山は告げるのだ。

 

「この様だから、斬れるのです」

 

 それは、常に誰かに告げていた言葉だった。

 斬れるのだ。

 人は、斬れる。

 この様だから。

 

「最早、言葉は通じぬのかね?」

 

 近右衛門の問いかけに青山は首を傾げた。

 

「通じぬも何も……俺は勿論話しをしましょう。いえ、むしろ話してほしい。どうして突然俺を攻撃したのかを、話してください学園長。不義があったのなら謝罪します。失敗をしたのなら次回にいかします。どうして俺たちが敵対しなくてはいけないのか……そんなことをする必要はないのです。だって俺達は、まだ分かりあえるのではないでしょうか?」

 

 青山は饒舌に語った。その言葉の何処まで薄っぺらなことか。アルビレオは当たり前のように和解を求めながら、決して変わることのない斬撃の予感に吐き気すら覚えていた。

 分かりあえる?

 一体、どの様でそんな言葉を口にすることが出来るというのか。

 

「青山君。儂は……儂らはまだ、分かりあえるのかのぅ?」

 

 だが近右衛門はアルビレオと違い、それでも惑わずにはいられなかった。

 もしかしたらまだ大丈夫なのではないか?

 この様でも。

 言葉を交わす意志があるのなら、大丈夫なのではないか?

 その思考は愚者のそれでは決してない。

 この様を見て、尚言葉を交わせると信じられるその姿はまさに正義の使者の鏡と言えよう。

 例え一度、無意識の防衛反応とはいえ青山に攻撃を行った後とはいえ、それでも近右衛門の在り方は、尊敬されるべき正義であり。

 だからこそ、この瞬間まで青山という修羅の本質に気付くことが出来なかったのである。

 

「学園長……当然ですよ。そのために言葉があるはずです」

 

 青山は、己と向き合い語ろうとする近右衛門の姿に感銘を受けた。

 悪いのはおそらく自分だ。

 何がどうあれ、決して変わりようのない修羅外道である己にある。

 だというのに、そんな自分と未だ分かりあえると、修羅の言葉を信じてくれると言う姿に、感動しないわけがない。

 力なく下がる切っ先。胡乱な瞳で近右衛門を見る瞳は、暗黒でありながら、まるで救いを求める罪人のようだと近右衛門は感じて。

 

「そうじゃの……そうじゃ、戦うだけが全てではないはずじゃ。だから、のぉ?」

 

 近右衛門はそっと手を差し伸べる。まだ間に合うのだ。この手を握り合えば、それだけで充分だと。

 

「ありがとうございます。その言葉だけで俺は救われます……あぁ、やはり、ここに来たことは間違いではなかった……」

 

 青山は光に誘われる虫のように、ふらりと証を握った手を伸ばす。救いはあるのだ。この手の先に、分かりあえるという確かな希望が。繋ぎあうことで、一人ではないという確信が得られるのだと。

 そうしてただ感謝の意を抱いたまま、青山は感情の赴くままにポツリと呟いた。

 

「斬るのです」

 

 別離は一瞬。最大限の警戒を行っていたアルビレオが反応するよりも速く、青山は虚空を蹴り飛ばして近右衛門の懐に入り込んだ。

 反応させる隙すら与えない。突然、目の前に現れた青山に対して、近右衛門は半ば口を開いて呆けたまま、ただ為すことも行えず。

 絆を断ち斬るように、近右衛門の腕が半ばから斬り裂かれた。

 

「あ……?」

 

「しまっ──」

 

 アルビレオが反応するが既に遅い。近右衛門の腕の斬り口から出血が始まるよりも速く、青山の二の太刀は容赦なくその首筋に吸い込まれていった。

 決して。

 侮ることなかれ。

 斬るという答えはここにしかない。

 言葉を交わすこともなく。

 互いの主義主張をぶつけ合うこともなく。

 

「んー」

 

 近右衛門は、無邪気な青山のひとり言を聞いた瞬間、微かな浮遊感と共に視界がぐるぐると回転するのを感じた。

 何が起きたのかと疑問を浮かべると同時、回転する視界が見つけたのは、力なく大地へと落ちていく誰かの体。

 

 ──そうか。儂は……

 

 全てを悟る。

 何も出来ぬまま。

 何もなせぬまま。

 

「斬りやすいなー」

 

 無邪気に笑う修羅の刃が、近右衛門の全てを一切合財斬って捨てた。

 

 

 鈴の音は、何度でも鳴り響く。




模範とすべき正義の味方であり、修羅すら受け入れる優しい人だった学園長。
だからこそ、呆気なく死ね。


そんなお話でした。


次回、ネギ到着。


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最終話【修羅場LOVER(中)】

お待たせ!


 

 最早、太陽の光は遠い。作戦の完了まで残り一時間を切った今、麻帆良から離れた郊外で、明日菜は堪らず外に出て戦火の方角の空を見上げていた。

 鈴の音は幾つも響き渡っていた。その都度、ネギの元へと走り出そうとする体を抑えつけながら、明日菜はひたすらネギ達が無事に全てを終わらせて戻ってくることばかりを祈っていた。

 

「ネギ……」

 

 かつての記憶が体を縛りつけている。守られるばかりで大切な人を死なせてしまった記憶だ。

 だがそれは、無力な己が傍にいたから、彼は死んでしまったのではないかという不安の裏返しでもあった。

 大切な人を死なせたくない。

 しかし、無力な己が行ったところで無駄となる。

 行きたい気持ちと、行ってはいけないという気持ち。相反する二つがない交ぜになって、明日菜は地団駄を踏むように体を小さく震わせた。

 

「私……ううん。でも……」

 

 行くべきか。

 行かざるべきか。

 悩みは待つごとに膨れ上がり、ただ留まり続ける己のふがいなさに嘆く現状。

 

 直後、再びひと際大きな鈴の音色が鼓膜を震わせる。

 

「……ッ!」

 

 瞬間。明日菜を束縛していた見えない鎖すら断ち斬られたのか。ほとんど反射的に明日菜の体は麻帆良に向けて駆けだしていた。

 いつまでも待つことなんて出来るわけがない。未熟な己が駆け付けたところでどうにかなるとは思えないが、それでも明日菜は前に前にと進みだす体を止めることは出来ず、我武者羅に戦いの場へと赴くのであった。

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

 ネギ達がそこに辿りついた時、まずは一人犠牲者が出ていた。

 

「学園長……」

 

 ネギは呆然と首と体が泣き分かれになった近右衛門を呼んだ。

 あまりにも。

 あんまりな結末だった。

 積み上げてきた何かに思うことはない。

 交わした言葉や、育んだ尊敬の念すら意味がない。

 ただ、斬った。

 無情に。

 理由など、斬るから斬った、それだけで。

 それだけで、人は容易く尊敬すべき人間すらも斬れるというのか。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 その光景を見た瞬間、ネギは感情の赴くまま掌に束ねた千の雷を握り潰して取りこんだ。

 術式兵装『雷轟無人』。

 ありあまる雷の力を両手に纏ったネギに気付いた青山が視線を向けた瞬間、カシオペアの力によってネギの体がその場から消えた。

 青山の目が見開く。彼の目を持ってすら追うことは叶わない。何故ならそれは時間を移動するという異常なる技。時間の鎖に捕らわれている者では、その速度を見切ることはおろか、影を捉えることすら不可能だ。

 

「な──」

 

「おぉ!」

 

「に……!?」

 

 直後にネギが現れたのは己の真上。気付いたときには、雷轟の力を収束させた雷の光の柱が青山目がけて放たれていた。

 轟と音を立てて突き立つ光は文字通り雷撃の速度。反応させる暇すら与えない神速の一撃は確かに青山の額を僅かに焦がしたが。

 

 凛と歌う斬撃音。

 

「そんな!?」

 

 離れた場所だったからこそその全てを見ることが出来た超は、雷の柱が真ん中から二つに分かれて大地に突き立つ光景に驚愕した。

 カシオペアによる瞬間移動と、雷轟無人による雷の一撃。どちらも青山にとっては初見であり、あのタイミングならばほぼ直撃は確実だと思われた。

 しかし恐ろしきは青山の神速。雷の速度すら上回る刃の冴えが、咄嗟に雷撃を二つに斬り裂いたのである。

 

「師匠! 離れてください!」

 

 だがネギは決して驚いたりはしない。むしろこの程度は予想してすらいた。だからこそ冷静に雷撃を放ち続けながら、側にいるアルビレオに叫ぶ。

 その声に反応したアルビレオは、その場から全力で離れた。近右衛門が死んだという事実に怯む暇すらない。ネギはアルビレオが離れたのを確認すると、さらに左手の籠手にもエネルギーを収束。

 

「食らえ!」

 

 怒涛と降り注ぐ光の柱が、斬り分けられながらもそのエネルギーの出力だけで強引に青山を地面に叩きつけた。

 砂煙と轟音の中に青山が掻き消える。反応出来たとはいえ、やはり初見の技に対して完全に対応できたわけではなかった青山は、雷轟のエネルギーに吹き飛ばされるがまま、辛うじて地面にぶつかる直前に横へと飛んで光柱から脱出する。

 

「ッ……」

 

 舞い上がる砂煙から飛び出した青山は、続いてこめかみを焼く気配に反応して、咄嗟に刃を振るった。二度、三度、斬る度に虚空に火花が散る。視線を移した先には、ライフルのスコープ越しにこちらを見る真名が居た。

 戦線に到達と同時、絶好の狙撃ポジションに陣取った彼女の行動は称賛に値するだろう。距離も申し分はなく、一キロほど離れた真名の現在の位置からならば、ほぼ一方的に狙撃を敢行出来るだろう。

 だがそれはあくまで一般的な高位の立つ人が相手の場合。例え足と腕を失ったとはいえ、いや、だからこそ現在の青山は、世界有数の実力者の中でさらに指折りの実力者であり、一キロ程度ならば、数秒もあれば埋めることが出来るのだ。

 右足に気を注ぐ。青山は標的を真名へと移す。ライフルの銃弾自体は然程の脅威ではないが、先程迎撃したとき、真名は的確にこちら動きを阻害するタイミングで狙撃を行い、さらに急所に狙いすら定めていた。

 だからまだ状況が傾きすぎていない今、出鼻をくじくために斬り捨てる。暗黒の瞳に込められる壮絶な気が、遠くにいる真名を射止め、その剣気に真名は呼吸すら忘れて驚愕した。

 

「こいつ……!?」

 

 ──この距離で、斬るのか?

 本能が真名にその事実を確信させた。数秒の後、抵抗することも出来ずに自分は二つに斬られて死ぬ。魂もろとも、龍宮真名という存在そのものが消される予感に、歴戦の猛者である彼女をもってして恐怖が総身を支配した。

 距離など在ってないようなもの。青山の斬撃圏内は麻帆良全域。一足をもって、僅かな一歩で一里の距離を埋め尽くす。

 

「ッ!」

 

 だが瞬動が行われる直前、もう一人のカシオペアの使い手である超が青山と真名の間に転移して立ち塞がった。

 青山の知覚領域を容易に欺く時間軸移動という切り札。それが青山に警戒をさせ、動きを僅かに止めさせる。警戒が生んだ瞬きの時間。だがそれは値千金の価値を持つ時間だ。

 もしも青山が迷わずに突撃をしていれば、その時点で超の命は終わっていただろう。彼女にはこの一瞬で魔法を行える程の技量はなく、近距離では青山と比べようがないのだから。

 故に覚悟を決めて超もろとも斬り伏せようと再び足に力を込めた青山に対して為す術はない。路傍の石よりも頼りなく、超は一秒の時間を稼いだだけで絶命する。

 

「おぉぉぉぉ!」

 

 だがそれを阻むのはこの場でほぼ唯一青山の脅威となりえる存在。雄叫びをあげながら超の前に転移したネギが、僅かな時間でチャージを完了した雷轟の籠手を青山へと突き出した。

 

「行け!」

 

 瞬動に先んじて雷轟の光が二つ、螺旋を巻いて重なりあいながら青山へと放たれた。瞬動では回避出来ぬ。この技には青山ですら斬撃で受け止める以外の方法が存在しないのだ。

 

「ひっ」

 

 青山はそのことに歓喜の笑みを浮かべた。迫る雷轟を凛と斬り裂きながら、充分に自分の敵として成長してみせたネギに称賛を送る。

 技を究めた自分を超える移動速度。そして斬撃にすら匹敵する攻撃の速さと破壊力。戦闘者として理想的な完成度に至ったネギが誇らしく、愛おしい。

 

「でも……」

 

 青山は呼気を一つ行うと、一刀で雷轟の破壊力を無効化した。

 一度目は許そう。だがこの刃の元で、二度目は決して許しはしない。

 

「まだ、足りない」

 

 突きつけるような言葉に、ネギは僅かに委縮する。

 これでは自分には届かないのだ。青山という極地、人間という斬撃へ当てるには、後一つ足りないものが存在する。

 

「覚悟が足りない」

 

 覚悟。あるいは揺るぎない己。

 これまで青山を追い詰めてきた者に共通する己の在り方の答えがネギにはない。

 いや、実際にはネギは未完成という答えを手に入れているのだが、それは所詮未完成。

 答えの出来損ない。

 永劫未完の、何処に理があるというのだろう。

 

「ッ……! あなたがそれを……!」

 

「俺だからそれを言えるんだよネギ君」

 

 ネギの言葉に被せるようにして青山は喋った。

 以前とは逆だ。青山の言い分を断じたネギとの立ち位置は入れ替わっている。だがそれは厳密にはかつての再現ではなく、決定的な違いが一つ。

 

「俺は、俺を知っているぞ」

 

 青山は、惑い迷ったりはしない。

 

「だから、言おう。君には覚悟が足りていない」

 

 突きつける刃と言葉、その言葉は短くとも、確実にネギの心に食い込んでいく。

 答えを持った者の覚悟。善悪を超えて自分の解答にのみ突き動かされるという究極の自己中心的覚悟。

 青山に足りていて、ネギに足りていないのはそんな利己主義であった。

 

「己の領分を知っているならば、何を躊躇うことがある。仲間を守るのかい? 世界を救いたいのかい? 成程、素晴らしい正義だ。俺もそれに協力したい」

 

「だったら──」

 

「斬るんだ」

 

 ネギの呼びかけすら断ち斬って、青山は冷酷に語る。

 

「俺は陽だまりを守るために人々の礎になりたい。斬るんだ。同じ志を持つ同僚と肩を並べて笑い合いたい。斬るんだ。尊敬すべき先人の教えに感銘したい。斬るんだ。大切な家族と共に過ごしたい。斬るんだ。愛すべき人といつまでも寄り添っていたい。斬るんだ」

 

 斬るんだ。

 初めて口にされたその祝詞(呪詛)は、まさに青山が得た解答の全てを物語っていた。

 斬ることは全てに先行する。麻帆良に来てからこの言葉を聞いたのは、唯一タカミチ唯一人だった。その時すら酒の席、しかも青山が刀を持っていなかったため、そこまでの凄みを孕んではいなかったが。

 今回のそれは世界に向けて解き放たれている。ただただ自分を中心にした言い分は、何処までも善悪とは無縁の位置にあるために、震えるくらいに透明だった。

 

「う……」

 

 ネギの後ろに控えていた超が口元を抑えて蹲った。この中ではまだ常人に近い感性をもつ超には青山の言葉が孕む魔に耐えきれなかったのだ。

 込み上げる吐瀉物で手を汚し、体中に走る悪寒に震えあがりながら、超はここでようやく青山という存在を理解する。

 

「……なんて様」

 

 その男には悪意はない。そして同時に善性もまるでない。

 限りなく透明で神聖的な汚物の塊であり、どこまでも濁り腐った美形の結晶。あらゆる善悪を斬るという解答で汚染しながら浄化する極限の自我。

 青山。

 これが青山なのだ。

 

「っと……」

 

 直後、片足のバランスを崩した青山の体がよろけた。幾ら青山とはいえ、つい先ほど片腕片足を失ったばかり、ここまでの猛攻をしのぎ切り、あまつさえ反撃すら行おうとしていたことが異常だった。

 青山も己の体の変調には気付いているのだろう。だが驚いた様子は見せずに、失った腕と足に視線を落とす。

 

「ん……」

 

 大切なのはバランスだ。失った分を補うような体の動きを考える。右足から頭までに一本の杭を刺したイメージ。体の軸は筋肉を操作してずらし、まずは軽く素振り。

 音が後から聞こえる斬撃を数度繰り返し、まるで手の延長線のように馴染む証を改めて握り直す。

 

「ぬぅぱ」

 

 ネギ達が警戒しているのを気にせずに、奇声をあげつつさらに一振り。今度は先程よりもさらに速度が上がっている。だが速度よりも大切なのは動き。独楽のようにその場でくるくると回り、微妙に位置をずらしながら上下左右。ありとあらゆる空間に刃を走らせた。

 

「ぬぅい。ぬぱぁん」

 

 その奇声は、青山が感じた刃の動きの擬音であった。軽くありながら重く。鋭いながら分厚い。刃の冴えは一振りを経てさらに改善されていき、ネギ達が演舞のような動きに見惚れ始める頃には、青山の体は失った四肢の分を補う動きを完全に収めていた。

 

「……ぬぱって言った。これでいいか」

 

 工夫がなった青山は、誇るように証を空に突き立てて再度ネギへと向き直る。

 その瞳は光を飲みこむ黒でありながら、纏う空気は清々しいまでに透明だ。また一つ、終わりの中で得られた新たな在り方に、青山は無邪気な笑みすら浮かべている。

 ──来るのか?

 纏う気配が変わった青山と相対するネギと超、そしてスコープ越しにそれを見る真名が息を飲む。

 そうして数秒。睨みあう両者が張り詰めた空気を斬り裂こうとした瞬間だった。

 

「……下がりなさい、ネギ君」

 

「師匠!?」

 

 上空より、アルビレオが両者の間に降り立って青山と向き合った。

 

「……」

 

 青山は無粋にも割り込んできたアルビレオに対して、僅かに嫌悪を滲ませた視線を向けた。ここからもう一手、『ネギ完成させるひと押し』をしようとしていたのを邪魔されたためだ。

 だがそんな青山の事情などアルビレオには関係ないし、そもそもそんなことを知ればいっそう割り込むしかなかっただろう。

 大切な友人が残した息子にして、大切な弟子。

 過ごした時間は短くとも、アルビレオにとってネギは命を賭けてでも守らなければならぬ大切な存在であった。

 

「師匠……ここは僕が」

 

 だがそんなアルビレオの覚悟をもってすらネギを止めることは出来ない。

 それはあまりにも単純な理由。

 

「……師匠では、アレには届きません」

 

 最早、アルビレオでは青山と戦う実力が伴っていなかった。

 

「……辛辣ですね。だが、そうなのでしょう」

 

 アルビレオは自嘲の笑みを浮かべながら、無情にも告げられた戦力外の通告を肯定した。

 明確な事実だ。だがこれはアルビレオ本人の実力が足りていないという言えば、些か誤りがある。

 アルビレオの戦い方はあくまで遠距離専門だ。もしも青山と戦うのならば、こんな視認出来る距離からではなく、真名と同じく遥かに距離を隔てた場所から戦う必要がある。

 土俵が違うのだ。

 そして彼にはこの土俵で戦える能力が伴っていない。

 それだけ。

 だがしかし、最も危険なこの場所にネギを残すわけにはいかなかった。

 

「ネギ君。私から君に、最後のレッスンです」

 

「……師匠?」

 

 ネギはこんな状況にも関わらず、いつもの修行のときと同じく、気軽なアルビレオの言葉に疑問を浮かべた。

 だがアルビレオはあくまでいつも通り、いつもと同じように彼のアーティファクト『イノチノシヘン』を展開した。

 この状況下で何故今更。ネギは驚き、超と青山は初めて見るアルビレオのアーティファクトに警戒の念を覚えた。

 ここで青山が突撃しなかったのは、警戒とは別に心に咲いた好奇心の花と、最後のひと押しがここにあるのではないかという直感からである。

 だからイノチノシヘンはその効果を発揮する。螺旋を描きながら空を舞う無数の本の一つをアルビレオは手にとって、青山が目の前にいるにも関わらず隣のネギに視線を移した。

 

「私のこのアーティファクトは、特定人物の身体能力と外見的特徴の再生です……だがもう一つだけあなたに教えていなかった能力があります。それは、この半生の書を作成した時点での人物のありとあらゆる全て、全人格の完全再生です。尤も、使用した場合その書は失われ、さらに再生は十分間しかもたないのですが」

 

 渦を巻く魔力の奔流。そこに隠されていくアルビレオが持つ半生の書が浮かび上がり、徐々にその輝きを増していく。

 ネギはアルビレオが何故今更そんなことを言うのかわからなかった。唖然とするネギを他所にアルビレオは寂しげな微笑みを一つ。

 

「では本題です。十年前、とある友人に自分にもしものことがあった場合、まだ見ぬ息子のために言葉を残したいと頼まれたのですが」

 

 瞬間、ネギの心臓が大きく跳ね上がった。息子に残す言葉。そして十年前。

 全てのピースはネギしか知らない。ネギにとっては、ここが死地であることすら忘れさせる言葉と共に、アルビレオはネギの頭を軽く撫でると、こちらの様子をうかがう青山に一歩踏み出した。

 

「もし、私が危険だと感じた出来事が迫った場合……躊躇いなく『俺』を使えとも言われたのです」

 

 世界有数の実力を持つアルビレオが危険と判断する状況。彼一人ではどうしようも出来ない脅威。

 修羅、青山。

 ならばそれに抗うにはどうする?

 誰ならばこの修羅と戦うことが出来る?

 答えはそう。

 答えはあまりにも簡単で。

 そして、簡単だからこそ、その答えは何よりも難しい。

 

「では青山さん……」

 

 アルビレオは青山に語りかける。

 だが青山はその言葉に返す余裕すらなかった。

 本能が感じているのだ。滂沱と荒れ狂う魔力の奔流の中、青山と同じく、あらゆる闘争をくぐり抜け、しかし青山とは決して交わることがない本物が現れる予感。

 それはつまり。

 その存在は単純明快。

 

「『英雄』こそ、貴方の相手には相応しい」

 

 邪道の極地があるのなら。

 正道の極地こそ、その男。

 アルビレオは虚空の半生の書を掴むと、そのページを開いて一枚の栞のようなものを取りだした。その栞自体が魔力の発生源だとでもいうのか。爆発音のような音と光の残滓を垂れ流して引き抜かれた栞が瞬いた直後。

 

 閃光。

 

 光が空を突き抜け遥か上空へと飛んでいく。その光の柱が放つ衝撃波に、青山も含めた誰もが気圧された刹那。

 

「ッ!?」

 

 唯一、青山のみが咄嗟に反応出来た。

 光の柱を砕いて現れた影、その影はアルビレオと同じ服装をしながら、脱げたフードより見える顔は決してアルビレオと同じではない。

 

「おぉ!」

 

 威勢の良い気合いと共に、信じられない規模の魔力が光を割って現れた男の腕に集まった。威力ならばネギの雷轟に劣るだろうその光、しかしそれは今のネギには無い鋼の如き信念が束ねられており。

 轟と男が青山目がけて飛びかかる。虚空瞬動。瞬きの余地すら与えぬ速度で、あの青山へと肉薄する。

 

 そして、光を束ねた右拳と、あらゆるものを斬り裂く証の刃が激突した。

 

「うわ!?」

 

 直後、発生した衝撃波にネギと超は抵抗もすること叶わず吹き飛ばされた。だが即座に体勢を立て直したネギは、視界の奥、あの青山の斬撃を素手でいなす男の背中を確かに見た。

 

「う、ぁ……」

 

 言葉すらなかった。眼前の光景を信じられぬ。それは見据える先を見たネギの暗黒に染まった眼にすら光を灯す程に衝撃的で。

 だが何処か納得出来るような気がした。

 荒れ狂う魔力と気が激突する中心。光の化身とも言える程眩しくて綺麗なその男こそ。

 ネギが誰よりも望んだ背中。

 いつか追いつくと誓ったその背中。

 

「本当に……とうさ──」

 

 ネギの言葉すらかき消す程の魔力が充実する。さらに上昇した力に青山が対応するよりも速く、男はあろうことか青山の体をその場から吹き飛ばして見せた。

 

「ッッ!?」

 

 青山が驚きに震える。何とか証の刀身で拳を受け止めてみせたが、斬撃に染まったはずの証すらたわませる威力に目を見張らざるを得ない。

 いや、違うな。青山は瞬時にその考えを否定する。

 青山が着地するのと、男がネギの元に下がるのは同時だった。青山は自分には眩しいくらい真っ直ぐな瞳を見て、思う。

 

「……そうか」

 

 成程。と得心する。

 証がたわまされたのは間違いない。

 それは青山とは別種の存在だ。

 人間が持つ可能性を極めたのが青山ならば。

 今ネギの隣に立つ男は、人間の『在り方を極めた』男。

 それこそつまり。

 幾つもの邪道を正してきた、正の極み。

 

「英雄……」

 

 あぁきっと、その言葉こそ、彼という男には相応しい。

 

「呼んだのはテメェか?」

 

 男は隣に立つネギを見ることなく、油断せずに青山を見ながら言う。

 

「あ……はい!」

 

 ネギはあまりにも唐突すぎる展開について行けずにいたが、しかしそれでも真っ直ぐに男を見上げて返事をした。

 そうか。そう男は呟くと、何処か嬉しそうに、だが状況が状況なために悲しそうに、あらゆる善と悪をまとめて飲み干す笑顔を浮かべて、乱雑にネギの頭を撫でまわした。

 

「わわ!」

 

「へっ、だったらお前がネギか……ったく、アルの野郎。何がどうなったらこんな状況になるのかね」

 

 そうぼやいた男は、暗黒の体現者たる青山すら照らしつける輝きをそのままに、時間がないのはわかっているが、せめてこれだけはと思って口を開いた。

 

「ネギ。会いたかったぜ」

 

 極限状態の今だから、本当は語りあう余地など何処にもないけれど。

 それでも。

 だからこそ、ネギは思う。

 

「一緒に、戦いましょう! 父さん!」

 

 ネギと同じ色の髪と、何処か似た雰囲気の顔をした男。

 その男こそ世界を救った本物の英雄。

 千の魔法を扱うと言われた現代の伝説。

 その名前こそ。

 

「おう。しっかりついてこいよ!」

 

 『千の呪文の男―サウザンドマスター─』ナギ・スプリングフィールド。

 歴史上最強の英雄とその息子。今、これ以上を望むことが出来ない究極のタッグが、最高の気力を漲らせて、最悪の修羅へと戦いを挑むのであった。

 

 






こんなんオリ主やない! ただのオリボスや!


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最終話【修羅場LOVER(下)】

 

 ――ならば、これが敗北というものだろう。

 

 英雄とその息子。並び立つ両者の姿を見た瞬間、あるがまま、己が敗北するだろうことを青山は理解した。

 傷ついた体はもって後数分動ければいい方で、視界は削れたまま、呼気は荒く、欠損した四肢が絶え間なく激痛を訴えている。万全には程遠く、エヴァンジェリンとの戦いを経た今、先程までは何とかなっていたが、既に戦うということはほぼ不可能な状態だ。それほどまでにエヴァンジェリンは強敵であった。

 そんな相手と戦えたことに後悔はない。だがそれでも、今の青山では彼らを相手取るには些か以上に消耗しすぎていた。

 万全の己ですら、無傷では斬り落とすことは難しい相手、英雄、ナギ・スプリングフィールドを筆頭に、未だ届かぬとはいえ、不意を打たれれば今の自分にすら充分手傷を負わせることが可能なネギと、未知の移動術を持つ超に、さらに後方では三人を支援する狙撃手である真名が静かにこちらの隙を窺っている。

 勝機は万に一つにすら届かない。もしも相手がアルビレオのままであったなら、近接で青山に匹敵する相手がいないため、まだ勝機はあったのだが、万全の己すら苦戦は免れぬ敵、ナギが出てきた時点で、この戦いの勝敗は決した。

 

 青山は負ける。

 

 それも、これ以上ないという程惨めな醜態をさらして、青山はその命の灯火を消されることになるだろう。

 

「ひっ」

 

 青山の口元に笑みが浮かんだ。凍傷で爛れた顔面で笑うその様を見て、ネギ達の顔から血の気が引き、ナギの顔すら僅かに歪む。

 構わなかった。

 敗北がこの先に待っているとわかっていても。

 だからどうしたと。

 凛と証を空へと伸ばして、己の在り方をただ歌う。

 

「いざ、尋常に」

 

 そも、エヴァンジェリンとの戦いを終えた時点で、己の体は限界を迎えていた。

 どう工夫しようが。

 どう生き足掻こうが。

 どうしようもなく、己の体は死に絶えていて。

 

「斬る」

 

 それでも行くのだ。

 ひたすらに。

 この刃が冴え渡るまま飛び出して。

 青山の体がぶれる。虚空を蹴り飛ばして距離を埋めるその技量に衰えは見えぬ。ネギ達が反応する暇すらも与えず、羽のように軽やかに飛びだした向こう側、唯一その姿を捉えていたナギが、大上段からネギに襲いかかる証の軌道上にその体を滑り込ませた。

 

「おらぁ!」

 

 証の横腹にナギの拳が突き刺さる。強引に切っ先を逸らされた青山は、片足では踏ん張ることも敵わず、拳の勢いに押される形で真横に吹き飛んだ。

 

「ッ!? はぁ!」

 

 遅れて、今の一瞬で自分が斬られていたかもしれないことを察したネギだったが、直ぐに気を引き締めると、砲弾の如き勢いで吹き飛んでいる青山に、雷轟の一撃を放出した。

 吹き飛ぶ青山に一瞬で追いつく雷のアギト。光の中へと自身を飲みこもうとする破壊の柱。

 だが青山が意識するよりも速く、肉体が主を置いて刃を走らせた。

 凛。

 音と成り果てて消滅する雷撃。だが消し飛ばした閃光の向こう側から、躍り出る閃光がさらに二つ。

 

「雷の暴風!」

 

「はぁぁぁぁ!」

 

 ナギの掌から迸る雷の乱気流と、ネギの拳から解放された紫電の一撃が、青山に休む暇すら与えない。

 直撃は、そのまま敗北に直結する。最早、余裕をもって迎えられるような魔法ではない。決死の覚悟で雷光に振るうは神速の太刀。尚、衰えを見せぬどころか冴えを増す剣戟は、一刀の元に二つの必殺を両断した。

 ──その隙間を縫うように、こめかみに走る殺意の電流。

 

「ッ!?」

 

 全力の刃を振るった僅かな隙を逃さずに、真名の放った弾丸が青山に襲いかかる。例え真正面では狙撃が出来なくとも、戦場を渡り歩いてきた兵たる真名は、即座に自分の役割を判断して、行動に移している。

 援護射撃。しかも青山の斬撃を縫うという恐るべき絶技を果たす真名は、遠方で体中から流れる汗と、乱れかけの呼気を整えつつ、強引に弾丸の射線から体を逸らした青山を追うように続けて引き金を引いた。

 たかが狙撃と侮れはしない。今の真名は体が壊れるのも厭わずに、青山の隙を見逃さぬように全神経を向けている。そこに向けられるエネルギーは今も戦っているナギとネギと同じか、あるいはそれ以上の消耗を真名にかしている。

 この狙撃は、後六発。それを過ぎれば、集中力を使い果たした真名の意識はそこでぶつ切りとなるだろう。

 

「……」

 

 思考の片隅で、焼が回ったかと真名は自嘲した。戦いの場において、兵士、特に傭兵であった真名は全力を振り絞って戦うことの愚を熟知している。逃げるための余力を必ず残しておくことは、傭兵の鉄則だ。

 だが。

 だがしかし。

 スコープ越しに見据える暗黒。

 あんな化け物から、一体どうやって逃れろというのか。

 

「ッ……」

 

 続いて、ナギとネギが青山を追いたてている隙を捉えて、真名は青山の足に銃弾を叩きこんだ。高速で動く青山の動きの先を捉えて真名の弾丸がその太ももに吸い込まれるように着弾する。

 その瞬間。青山が独楽のように体全体で回転した。その動きは恐るべきことに、太ももに触れた弾丸の回転と同じ。それにより見事音速を突き抜けた弾丸をいなして見せた青山に、真名は呆れとも恐れともつかぬ笑みを浮かべた。

 代償として青山の太ももの皮膚が弾けて血が噴き出したが、対戦車ライフルの直撃を受けたはずなのにその程度。

 例え弾道ミサイルがあったとしても、この化け物には通じないのではないか。そんな在りもしない光景を思い浮かべながら、真名は朦朧としかけている意識を繋ぎとめて、青山の隙が再び見えるまで集中力を高めていった。

 

 

 

 

「ッ……」

 

 一方、超は自分では最早この状況で何も出来ないことを悟り、ナギとネギ、そして真名に戦場を預けて、自分は遠方で待機している茶々丸と聡美のいるセーフハウスにまでカシオペアを使って急行していた。

 転移を繰り返しながら、己が未だ本物の魔法使いという存在に対して過小評価を下していたことを恥じる。最新軍用強化服にカシオペアによる時空間移動。特に後者の反則的な能力は折り紙つきだが、それでも超ではあの領域にはまるで届かない。

 唯一ネギのみが、カシオペアを使用することで何とかナギと青山の戦いに真正面から介入することが出来るのだが、それにしても咸卦法を下地にした闇の魔法という、魔法世界でも群を抜いた究極の技法を用いた結果だ。

 だがナギと青山、あの二人は違う。

 魔法技術の頂点に位置する技法である咸卦法に闇の魔法、科学の粋を尽くしたカシオペア。それら一切を使わず、単純なスペックのみで、その戦闘力は一国の軍事力を上回る程である。

 ──アレが裏世界の最強。だとすれば、世界は、人間は、あの領域に突入するまでどれほどの時間を費やさなければならないというのか。

 核弾頭すら上回る個人の存在。そんな者が現れ、そして戦っている以上、指揮官の立ち位置に居る超は、最悪の事態を見越して動かなければならなかった。

 

「撤退準備は出来たカ?」

 

「……はい。ハカセのほうは既に離脱をしました。私も超が合流場所に到着次第、離脱可能です」

 

「そうカ……」

 

 最悪の事態、それは青山が勝利するという最悪のそれ。

 勝つ見込みはあった。京都で撮影した青山のスペックと、今も戦っているネギ、死したエヴァンジェリン、そして保有するその他戦力を合わせれば、勝算は九割を越えていた。

 少なくとも、実際に対峙するまでは、勝敗はほぼ決していたはずだった。そして、客観的に見た場合、現状の勝率はほぼ百に近いと言ってもいい。

 その最大の理由がエヴァンジェリンであり、駄目押しとなったのがナギの存在だった。

 勝てるはずなのだ。どう考えても、青山は半死半生であり、放っておいても自滅するのは目に見えていた。

 最低でも、計画が発動する瞬間まで抑えることは可能なはずで、残り十五分を切った今、超の勝利は確定したはず。

 そう、はずだ。

 はず。

 多分。

 でも、もしかしたら──

 

「ッ……!」

 

 超は脳裏を過った最悪の光景に顔を顰めた。だがそれを振り払ったりはしない。

 最悪は、あり得る。

 その確率は万分の一以下。億も兆もないけれど。

 あの男ならば、それこそ那由他の確率すら掴みとってしまうではないだろうか?

 

「合流が出来たら、直ぐに離脱を始めるヨ。世界樹の発光と共にプログラムが起動するようには出来ているカ?」

 

「はい。滞りなく、現時刻より約十四分後、自動的に認識魔法は世界に広がるようセッティングは終わりました。ですが──」

 

「ん……? 何か問題ガ?」

 

「はい。明日菜さんが、無断で出て行ってしまったようで……」

 

「ッ……わかった。明日菜サンはこちらで回収して合流するヨ。だが、もし時間に間に合わなかったら、そっちだけで離脱するネ」

 

「……わかりました」

 

「よろしく頼むヨ」

 

 超は通信を切ると、再び空間転移を行い、出ていったという明日菜の足跡を追うことにする。

 いずれにせよ。

 この戦い、どちらに軍配が上がったところで、超の計画は確実に発動することだけは見えている。

 だがもしも最悪が起きた場合。

 

「その時は──」

 

 世界が魔法を認識していく。

 そんな世界に、あの修羅外道を放つこととなるのだ。

 

 

 

 

 

 意識はゆっくりと削られていた。

 剥離していく意識と、合わせて喪失していく視界。既に手に持っている証すらぼやけて見えている現状に、青山は確実に近づいてくる敗北の影を背中に感じていた。

 

「おらぁ!」

 

 濁流の如き魔力の塊が振り下ろされる。乾坤一擲、威勢の良い掛け声は、青山では生きつけぬ、灼熱の感情を宿した至高の一振り。

 痛む肌をさらに焦がす熱量に、真っ向から冷たい刃を叩きこむ。凛とはいかぬ、斬と斬り捨てられた二つの熱量の間を、青山は虚空瞬動で駆け抜けた。

 大気が爆ぜ、衝撃波を引きつれて青山がナギへと強襲する。

 間合いまで後一歩。

 だがその距離を埋めるよりも速く、横合いから轟き駆ける雷轟が、削れた視界すら光で埋め尽くして青山へと殺到した。

 その数は十。恐ろしいことにこの極限状況で、ネギは雷轟の一撃を拡散させるという荒技まで行えるところまで成長をしていた。

 その成長を内心で喜びつつも、ただでこの身をやるわけにはいかず斬撃を数えて十。重なった音色が不協和音を響かせる空間。青山の斬撃空間、すなわち死地へと飛び込むのはナギだ。

 

「うらぁ!」

 

 魔力を纏った拳が青山の顔面に飛ぶ。だが幾らか甘い。功を焦ったのか、僅かに大ぶりとなったその拳を逃す青山ではなく、冷徹に冗談から拳目がけて証を振り下ろす。

 しかしナギの拳を切断するはずだった証は空しく虚空を払うだけだった。一瞬の空白、視界が使えないためにやってしまった青山らしからぬミス。

 フェイントをかけられた。直前で引っ込んだ拳を見送った青山は、死角となった左側より強襲する回し蹴りの気配を察知して上半身を限界まで逸らした。

 

「マジかよ!?」

 

 ナギが驚きの声をあげる。相手の状態を見抜き、絶好のタイミングで間をずらし、渾身の蹴りを放ったのだが、これを回避されるとは予想だにしなかった。

 だがそれも当然。学園全土を探知する脅威の知覚をもってすれば、この程度は目が見えなくても可能だ。

 それでも肝を冷やしたのは事実。額をかすめていった健脚に震えつつも、体を逸らした勢いのまま、右足をナギの股ぐら目がけて蹴りあげた。

 

「よっ」

 

 回避に連なった攻撃を、ナギは振り抜いた足を戻して脛で受け止める。互いの足が激突し、骨と骨がぶつかったとは思えぬほど、腹に響くような重低音が鳴った。互いの魔力と気、一方が僅かにでも劣っていたならば、その足が砕け散っていたのは言うまでもない。

 魔力と気。両者の扱う力の源泉は違えど、その質と量は秤で測ったように互角だった。

 ならば戦いを決する材料は何か。

 青山にとってはこの距離。最も得意とする接近戦こそ勝利への道筋であり。

 

「はぁぁぁぁ!」

 

 ナギにとっては、己の背中を預ける仲間こそ、修羅外道を打倒する鍵であった。

 唸る紫電が、三度斬撃を放とうとした青山の四方八方から襲いかかる。一撃が致命的である今の青山にとって、一撃の威力よりは分散させてでも手数で押し切るのが妥当。それを僅かな戦いの間で判断したネギのやり方は上手いと言わざるをえない。

 現に青山は音速を遥かに凌ぐ雷撃の群れを迎撃しなければならず、結果、己の射程に入れていたナギを取り逃がすことになった。

 

「ぎひぃ……!」

 

 悲鳴ともつかぬ声を上げながら、青山が雷光を斬り落とす。霧散する閃光は、まるで夜に花咲く星屑の如く、では光の粒子を纏う青山は、さながら暗黒世界で尚黒を主張するブラックホールか。

 あらゆる全てを斬り落とすならば、あらゆる全てを飲みこむブラックホールと相違ないだろう。銀閃を翻して、星屑を振り払って突き進む姿に、流石のナギですら冷や汗を隠しきれない。

 

「こいつ……」

 

 ぶつかり合う度に、ナギは青山という人間を分かってきていた。

 それは同時に、決して相容れない存在であるということを理解するということと同義である。

 青山は人間が人間らしく生き続けた結果だ。己のためだけに殺しを肯定するという、野生の獣には持ち得ぬ人間らしい感情を突きつめたなれの果てだ。

 だがそれはあくまで人間の本質の側面の一つでしかない。

 斬撃。

 その様に鋼。

 成程な。ナギはそう納得しながら、だがそれでは人間は直ぐにでも滅亡してしまうという思いがある故、拳を固めて叩きつける。

 人間の在り方は、人間の可能性にだって打ち勝つ。野生の獣のように、ただ食らい、生き、子孫を残し、次代に託すだけではない。その過程で積み上げられる思い、感情、絆、願い、これら人間の在り方こそ、人間が持ち得る最大の武器にして、かけがえのない宝物だ。

 それは時として、あらゆる困難すら跳ね除けて、不可能すらと踏破する。

 だから、人間のみが紡げる過程が、人間の原始的感情のみが辿りつく終わりに敗北するなどということはないのだ。

 ナギは知っている。

 人間の可能性とは、人間の在り方であり、決して一つの自我が持ち得る感情のみで行きつける場所のことではない。

 その願いを込めて、ナギは拳を叩きつけるのだ。

 善でも悪でもない。

 ましてや、可能性の終わりに捕らわれた鋼の如き一本芯でもない。

 複雑に絡み合う、絡みついてぐちゃぐちゃになった様々な願いや祈り、紡いできた絆。

 ナギがその拳に乗せるのは、そんな小汚くて醜くて、だけど栄光ある宝物。

 

「ぃ……!?」

 

 その拳を受けて、証が再び軋んだ。斬るという一念にすら響く英雄の拳は、そのまま青山の内部にまで浸透して、心の奥から熱を伝えてくる。

 修羅場に吹き付ける熱気を青山は感じた。心ごと温めてくれるような、前に進む活力をくれるような熱風を浴びて──憤怒。

 

「ふざ、けるな!」

 

「ッ!?」

 

 青山はその熱風もろともかき消すように、雄叫びをあげながら証を振り払ってナギを吹き飛ばした。

 着地。肩で息をしながら、青山は遅れて大地に降り立ったナギを睨んだ。

 

「ここは……俺達の場所だ……!」

 

 修羅場がある。

 何処までも冷たくて。

 あらゆる全てが絶対零度よりも冷たくなっていくこの場所。

 凍るのではない。

 冷たい熱がそこにはあって、美しいまでの零秒にこそ、命の煌めきがあるからこそ。

 

「お前は……邪魔だ……!」

 

 かつてのように。

 酒呑童子が。

 フェイト・アーウェルンクスが。

 そして、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが。

 彼らが愛した修羅場に、ナギ・スプリングフィールドという太陽は必要ない。

 大上段に構える証に、青山はこれまで交わしてきた思いの丈を乗せた。

 確かにナギの拳は重い。

 自分にはまるでない、人々と通じ合うことで重ねてきた願いの重さがある。

 だが。

 無数に重ねた個の感情が。

 一個人の鋼に勝ると、誰が決めた?

 

「これが俺だ」

 

 青山は誇示する。

 天すら突かんと伸ばした刀こそ己だと。

 

「俺が青山だ」

 

 青山。

 だから青山。

 己こそ、修羅外道。

 永遠にこの場に居続ける、孤独の戦鬼。

 

「刀なんだよ……」

 

 念じるように、訴える。

 刀で、鋼で、故に青山。

 斬撃でしか語れないから。

 そこに他人という名の熱風はいらなくて。

 

「……だからどうした」

 

 その有り様を、ナギが理解なんて出来るわけもないし、してやるつもりもない。

 反発しあう英雄と修羅。最早その激突は、同族嫌悪のそれのようにしか見えなくて、戦いの中、ただ援護を続けるネギは、未完成であるという呪い故、どちらが正しいのかわからなかった。

 

「……父さん、青山さん」

 

 声は睨みあう両者の耳には届かない。まるで置き去りにされたような心地になって、ネギは悲しげに目尻を下げた。

 ナギという英雄か。

 青山という修羅か。

 分からぬままに、だがしかし、今自分の居る立ち位置だけで、ネギは戦うのだ。

 そして、極限状態の今、そんな息子の機微に気付ける程、ナギにも余裕があるわけではなかった。

 

「よくわからねぇがよ!」

 

 ネギの葛藤から背を向けるかの如く、ナギは一歩で青山との距離を埋めると、着地と同時に全力で大地を踏みぬいた。

 あえてそれの名前を呼ぶなら震脚だろう。だが人間の放てる限界値を遥かに凌いだナギの震脚は、大地を砕き、岩盤ごと青山を宙に浮かせる。片足では踏ん張りの聞かぬ青山は一瞬体勢を崩し、その隙を狙って大地を踏み抜いた蹴り足の威力をそのまま乗せたナギの体が、弾丸のように虚空の青山目がけて飛んだ。

 反撃する暇もない。見事、青山の太刀を振るえぬ状況は作り出された結果、青山は咄嗟に証の刀身で拳を受けるしか出来なかった。

 激突。

 空気が乾いた破裂音を響かせて、音速を突き抜けた両者の体が上空へと一気に舞い上がる。空に伸びゆく流星は二つ。反発しあいながら、睨みあいながら、感情のままにナギは吼えるのだ。

 

「テメェの身勝手に……周りを巻きこむんじゃねぇ!」

 

 言葉は交わしていない。そも、ナギは青山の名前すらも知らない。

 だがそれでもナギはこの戦いを通して、青山という人間がどういったものなのかは肌で感じていた。

 

「巻き込むつもりは毛頭ない」

 

 それは青山もまた同じ。太陽を侵略する極寒の暗黒の瞳がぎょろりと見開き、真っ向からナギを見返した。

 

「余分な熱を孕んだお前が……何を言うつもりだ!」

 

 気を収束。滂沱の気に膨れ上がった右腕が証を強く握りこみ、接触するナギを振り払った。

 弾け飛ぶナギは、虚空で体勢を整える。その僅かな間に間合いを詰めてくる青山と、魔法の射手を練り上げたナギ。

 

「そらぁ!」

 

 百を越える破壊の流星が迫りくる。呼気一つ分の時間でこれだけの破壊を練り上げるその技量に感服する。

 故に、斬る。

 百を一で斬殺し、底の見えぬ気を両足にまとめ上げて、青山はナギへと飛んだ。

 

「ッ!」

 

 だがそこにネギがカシオペアを使い割り込んできた。しかし青山は驚いたりしない。己の知覚領域を越える動きであるならば、最初からそういうものとして対処すればいいだけの話。

 狙うのは転移が行われたその次の瞬間。ネギの雷轟が閃光を放つ間際、青山は体から溢れる流血をすくい取り、気で圧力をかけた血を、転移したネギに投げつけた。

 

「いぎ……!?」

 

 雷轟を振り抜く直前、右肩と脇腹を斬り裂いた血の手裏剣によって、ネギの動きが鈍る。それだけあれば充分に雷轟の捕捉を振り抜くのは容易だ。虚空瞬動で再度ナギと激突した青山は、最早対処法を見つけて眼中にすらなくなったネギに目もくれることなく、刃に己を叩きつけてナギへと送る。

 応じるナギもネギを意識する余裕などない。満身創痍の身でありながら、自分と同等に戦いを繰り広げるこの相手に対する敬意と、それ以上に胸にこみ上げてくる嫌悪感。何より、ここで青山を倒さなければならぬという、英雄としての本能が、ナギをしてその眼には青山しか映さずにいる。

 刀が華散らし、拳が流星を描く。曲線と直線が重なり合い、刻一刻と限界時間が近づく両者の思考に、さらに全力を振り絞らせることを強要した。

 ナギは残り五分で自分が消えることをわかっている。故に、今使える全てをこの五分で叩きつける。

 青山もまた、自分が残り数分も命が続かないことを知っている。だからこそ、いつものように、刃を振るい続けるのだ。

 全力で駆け、命を賭ける。

 最強と最強の激突には、余人の入りこむ隙などない。

 一瞬で遥か彼方へと飛んでいく二人の影を追いながら、ネギは自分だけが何も出来ずにここに居ることを実感として受け入れた。

 真名は既に己の限界を越えた射撃を終わらせて、意識を失っている。

 超は今も最悪の事態を考えて、聡美と茶々丸と明日菜を撤退させる用意を進めている。

 だが自分はどうだ。

 何も出来ない。

 出来ることは一切ない。

 

「僕は……どうして……!」

 

 今にも臓物が溢れそうになっている横腹の傷口を抑えながら、ネギは己の無力を嘆いた。

 それでも、ここに至ってわかったことがある。

 自分は誰よりも中途半端だ。

 明確な信念もなく。

 明確な覚悟も持たず。

 ただ、間違っていると思うから、この世界に魔法を知らしめよう。

 それだけで、自分はこの戦いに赴いた。

 ならば成程、覚悟が足りないと青山に言われるのも無理はないだろう。

 戦うための力はある。

 だがそこに込めるべき己が欠けている以上、その様では修羅外道にすら劣る半端者だ。

 

「だけど……」

 

 ネギは空を見上げた。空を踏みしめて激突を続ける二つの光。

 かたや一時のみの幻想。

 かたや一時のみの骸。

 この煌めきを経て続くことのなき命を燃やして戦う二人とは違って、ネギには先へ行ける足があるから──

 

「僕は……!」

 

 覚悟を決めろ。淀んだ右目に決意を。澄んだ左目に渇望を。

 宙ぶらりんのネギだから込められる意志を叩きつけるために、月光へと雷を突き立てろ。

 

「解放!」

 

 雷轟無人の籠手が輝きを増す。今で足りぬのならばもっと上へ。渇望する力の根源にある闇が、ネギの意志を貪り食らって唾液を滴らせる。

 光り輝く籠手が新たな紫電を纏った。闇の魔法の上にさらに上書きされた極限の魔法。

 出し惜しみなし、唯一残された最後にして最強の一手。

 

「あぁぁぁぁ!」

 

 ナギと青山が再び磁石のように反発して吹き飛ぶ。その瞬間を見計らって、カシオペアが起動したネギが青山の目の前に飛びだした。

 

「ネギ!?」

 

 ナギがあまりにも無謀なネギの行動に目を見開く。だがそれは青山も同じで、近接では危険と知りながら、敢えて身を差し出したネギの思考が理解できずに動きが乱れた。

 そこに勝機がある。

 光の籠手に束ねられた咸卦の力と、その上に上乗せされた切り札──遅延魔法で術式をストックしていた千の雷が火花を散らす。

 雷轟の最大出力と合わせて、千の雷が二つ同時に放たれるという異常事態。その右腕の一点に、小さな村なら容易に消し飛ばすことが可能な破壊の乱気流が収束し。

 

「ぉやまぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 縋るように敵手の名前を呼ぶ。

 だがそれも同時に放たれた雷轟と千の雷の重複魔法の響かせる轟音にかき消され。

 

「くはっ」

 

 笑みを浮かべる修羅外道。

 恐るべき破壊に体を蒸発させながら、証の一振りが差し出されたネギの右腕を、肘の部分から斬り飛ばした。

 

 閃光。見ただけで網膜を焼きつくす光に、青山の体が全て飲みこまれる。

 

「チッ……!」

 

 その全てを見届けることなく、腕を斬り飛ばされたネギが、流血を夜空に散らしながら落下していく。ナギは慌てた様子で、舌打ち混じりに駆けつけると、その体を優しく抱きとめた。

 

「馬鹿野郎! アホなことすんじゃねぇ!」

 

「は、はは……父さんに、怒られちゃった」

 

 無謀を叱咤するナギに、ネギは痛みに呼気を乱しながらも嬉しそうな笑みを浮かべた。

 ──何で笑ってんだ。

 ナギは見当違いな喜びを見せるネギに再び言葉を重ねようとして、口を閉じて、夜空に視線を向けた。

 

「父、さん?」

 

「……まだだ」

 

 ナギが視線を送る先、吹き抜けてきた風が肉の焦げる嫌な匂いを鼻に届かせた。遅れて、先程の一撃で舞いあがった煙がかき消される。

 

「ひゅ、ご……」

 

「……マジかよ」

 

 ナギが額から脂汗を流して見据えるそこに、辛うじて腰に着物が巻き付いただけの青山が、力なく息をしつつも虚空をリズミカルに叩いて立っていた。

 青山が飲みこまれた多重雷轟とでも呼ぶべき一撃は、麻帆良学園都市に着弾して、その景観の半分程を薙ぎ払っている。天災級の魔法を二つ重ねた破壊力だ。その程度は当然あるべきなのだが。

 問題は、それほどの技を受けて、未だ青山が生きているということにある。

 

「こ、ひゅ……」

 

 露わになった上半身は、至るところが火傷を負っている。酷い所では炭になっている部分もあり、凍傷で左半分が崩れた顔など、多重雷轟によって元の顔の形すらわからぬ程、見るに堪えぬものと成り果てた。

 だがそれでも、証を握る右腕だけは、刀身と同じく傷なく綺麗なままだった。刀と一つになっているかのように、そこだけが完全に青山から浮いている。

 いっそ、あの右腕こそ青山の本体だと言われても納得出来ぬほど、傷すらないその腕は異彩を放っていた。

 

「……もう、時間もねぇか」

 

 ナギは残り僅かとなったイノチノシヘンの効果を考えて、覚悟を決める。

 青山は、放っておいても死ぬだろう。最早その傷は取り返しがつかず、今この瞬間に心臓を止めて倒れたとしてもおかしい話ではない。

 しかしナギの直感は、今、この場で、己の手でアレを止めなければならぬと訴えていた。

 死ぬはずだ。

 放っておいても、人間ならば死ぬはずだ。

 

「何て、都合のいいことは思わねぇよ」

 

 ナギは分かっている。

 青山。

 恐るべき青山。

 この十分にも満たない戦いの中で、今や唯一の理解者とも言える青山素子以上に、ナギは青山という男を分かっていた。

 分かりたくないけれど。

 分かったのだから、仕方ない。

 

「ここでテメェを倒すぜ? じゃねぇとテメェはそのままだ……『生きてもいねぇ癖に、いつまでも生きようとしてるんじゃねぇよ』」

 

「ヒッ……」

 

 青山は悲鳴とも笑い声とも取れる引きつった声を発した。

 彼もまた、ナギという存在を分かりたくもないのに分かっているから。

 ──あぁ確かに。英雄と言う存在は、斬りたい程に胸糞悪いな、エヴァンジェリン。

 脳裏で、英雄を語っていたエヴァンジェリンの姿を思い出す。彼女が待ち望み、忌々しく思い、そして恋い焦がれた英雄という存在。

 それが目の前の人間だ。名前は知らなくても、きっとこの男こそ英雄で、誰もが信じる暖かな強さを宿す者だ。

 

「ぅぃ……ひぇ」

 

 口から奇声とどす黒い血液が溢れた。

 時間はもうない。立っているだけで絶命しそうな体。だというのに証を握る腕だけは、羽根のように軽く、思うよりも速く夜空を引き裂く大上段に構えられた。

 

「う……ぅぁ。父さん?」

 

「飛べるか?」

 

 ネギは頷きを返しながら、ナギの手を離れた。

 浮遊術で体を浮かしながら、欠損した右腕を治癒魔法で止血する。傷口は、痛みとともに直ぐ無くなった。傷口が綺麗だったことが回復を促進したのか。あるいはまた別の理由か。

 どうでもよかった。

 それ以上に、腕すら犠牲にしてまで、自分では青山を殺すことが出来なかった事実が、歯がゆかった。

 

「……ッ」

 

 睨みあうナギと青山をしり目に、ネギは歪む顔を見られないように逸らした。

 確信だ。

 この戦いは、次の一撃で呆気なく終わる。

 ナギも青山も、互いに残された時間はないから、どちらもこの今に全てを賭して、命の炎を燃やすだろう。

 そして、中途半端なネギは、その光景を見ることしか出来ない。

 青山を打倒するために作りあげた雷轟無人も、反則技であるカシオペアも。

 どちらも使用して、さらに生徒であるエヴァンジェリンや、超等を巻きこんでまで、青山を倒すために尽くした時間。

 それら一切が、全て無駄だった。

 化け物。

 英雄。

 修羅外道。

 ネギが積み上げた全ては、これらには一切通じぬものでしかなくて。

 

「ネギ……行くぞ?」

 

 そんな自分が、未だに期待されている。

 絶望的な心地だった。

 

「僕、は……」

 

 あくまで、仮定の話だが。

 ネギが修羅か英雄か。あるいは道半ばを行く戦士としてこの場に居たのなら、ナギの対応は問題なく、青山はただ惨めな醜態を晒して、呆気なく死に絶えていただろう。

 だがしかし、現実は非情だ。

 青山という恐るべき相手と対峙している今、例え英雄であっても、息子とはいえ、見ず知らずの相手の心境をくみ取れるわけがない。ナギとしては、青山と対峙するだけの強さをネギが見せていたから、今こうして共に戦う仲間として信頼をしている。

 だがその内側を知れば、ナギは決して背中を預けようとはしなかっただろう。

 見せかけだけの、張りぼてな戦士。

 今のネギを表す言葉として、それ以上のものはない。

 しかし状況は最早決まった。

 青山はここに至り、ネギの成長にではなく、目の前に居るナギという男に全霊を込めることを決意し。

 ナギは青山を倒すために、ネギの力添えを前提条件として組み込んだ。

 そしてネギは──

 

「ハァ!」

 

「くぁ……!」

 

 覚悟の時間は残されていない。決定打を与えることもなく戦い続けていた二人が、ここに来て己に残された時間を知り、拳と鋼。双方が信じる必殺の武器に持てる全てを注ぎ込む。

 その膨大な量は、質量をもって世界に伝播していく。大地が、大気が、あらゆる全てがこの後起きることに恐れ戦くように震えだす。

 勝敗を決するのは、繋いできた思いを乗せた拳か。あるいは個の終わりのみで磨き上げられた鋼か。

 どちらも立ち位置は違えど、人間の至れる極地へと到達した者の一撃。束ねられていく全開が、暗黒すらも塗り潰して自我を世界に訴える。

 そして今まさに激突が行われる間際。ナギは小さく、後ろにいるネギに声をかけた。

 

「ネギ……」

 

「え?」

 

「任せたぜ」

 

 信じているから。後を託す。

 そして、月光の下。震撼する世界とは真逆に、静かに飛びだした二つの影が交差する。

 青山が乗せるのは斬撃だ。そこに余分はいらない。

 鋼たれ。

 ひたすらに鋼であれ。

 愚直であることの誉れを誇るだけだ。

 月下に光る鈍い鉄が、怪しく光を照り返しながら、暴食するように鋼であると確約された気を飲みこむ。

 斬撃という一つの形。

 至ったのだ。そう青山は確信する。

 対して、ナギの拳は雑念に固まっている。

 だがそれは決して余分などではない。紡いできた数多の意志、願い、拳に巻き付けた絆という雑念は、対面する青山の鋼にすら負けぬ硬さを誇るだろう。

 そこにありったけの魔力を混ぜ合わせる。混沌と化した拳が紫電をまき散らし、ナギという英雄の命を光と熱量と変えて顕現させた。

 互いに残された時間は一秒。

 死の刻限が迫り、流血を傷口や体の穴という穴から垂れ流しつつも駆ける青山。

 アーティファクトに刻まれた幻想が切れる時間が迫り、己の体が光の粒子となって消えていくことを自覚しながらも飛ぶナギ。

 黒の流星。

 白の流星。

 観客は唯一人。一方には見限られ、一方には誤った信頼を向けられた哀れなる道化のみ。

 だからこそ、この戦いはドラマ等何もない。あまりにも退屈な終わりが待っているのは、目に見えていて……。

 

 激突する両雄。

 

 そして──斬撃は、空を裂いた。

 

「……あ」

 

 人の終わりに行きついたとはいえ、所詮青山もまた人である。

 その結末は当初から分かりきっていたことだった。

 空しく空振った刃は、エヴァンジェリンとの戦いで見せたような切れなど微塵もなく。ここまで保ったことこそ奇跡のようで。

 頭髪を幾つか斬り裂いただけで空しく振り抜かれた斬撃の間をナギがくぐり抜ける。限界まで溜めた魔力を雷撃に変換。空気圧の大地を蹴り抜いて、万力を込めた拳が青山の腹部へ炸裂した。

 

「ぃっ!」

 

 吐血よりも速く、青山の体を雷撃が駆け抜けた。雷を纏った拳によって敵の動きを止めるその技。

 

「来れ虚空の雷! 薙ぎ払え!」

 

 体の自由を奪われて地面へと落ちていく青山は、天高く伸びたナギの右手が象る断罪の一撃を、既に完全に奪われたはずの網膜で、確かに見た。

 あらゆる敵を打ち砕き、そして戦友達が行く道を切り開いてきたその技の名前こそ──

 

「あばよ、クソ外道」

 

 ──雷の斧。

 

 灰燼と化せ修羅外道。

 光の慈悲に照らされた幕引きの一撃。人を斬り続けた修羅、その最後には勿体ないくらいに美しい断頭台は、英雄の号令により振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 こうして、あまりにも呆気なく終わるのだ。

 

 化け物は殺されて。

 修羅は落ちて。

 

 

 そして最後は唯一つ。

 

 

 英雄の最後を、粛々と語ろう。

 

 

 

 

 




次回、未完の代償。

次でようやくしゅらばらばーラスト。そしてエピローグ【我が斬撃は無感に至る】にて、終わりとなります。

長らくお待たせしました。そして皆様、お疲れ様でした。


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最終話【修羅場LOVER(了)】

 戦いは終わる。

 ネギはそうして、何もなせぬままに、全ての決着を見ることしかできなかった。

 敗者たる青山は、雷の斧に焼かれて、煙を纏いながら、ぼろ屑のように地べたへと叩きつけられ、勝者であるナギは、それが幻だったかのように光の粒子となって姿を消していく。

 その腹部には、いつの間にか証が突き立てられ、背中を貫通していた。

 

「わりぃアル……下手こいた」

 

 掻き消える間際、その表情は勝者と呼ぶにはとても苦々しそうに歪んでおり。

 

「あっ」

 

 ネギと視線が合う。何か言おうとしたネギだったが、やはり何も言えず言葉に詰まり。

 ただ逃げるように、視線を切って俯いた。

 

「ネギ……お前……」

 

 それは。

 託したものを否定するということに他ならず。

 ナギは、そんな息子の姿を見て──ようやく、自分が最大の失敗を犯したことに気付いた。

 

「……クソっ」

 

 数多の英雄が、その最後を悲劇で閉じるように。

 ナギ・スプリングフィールド。例えアーティファクトで顕現した偽りの英雄とはいえ、彼もまた、数多の英雄と同じ、悲劇に終わることになるのだった。

 そして、着地と同時にナギの姿がなくなり。

 

 アルビレオは、そのまま二度と戻ることなく光となって消滅した。

 

「う、ぁ……」

 

 喉を引きつらせながら駆けよったネギは、別れの言葉すら伝えることも出来ずに失われた。

 大切な師匠と、生きていると心のどこかで信じていた父親。

 いっぺんに二つも失われたことで、ネギは喪失感に膝を折る。立ち上がることも出来ず、虚ろな眼差しで、誰もかれもが居なくなった戦場の跡地で唯一人。

 否。

 未だ、二人。

 

「……っぁ」

 

 その擦れた声に反応して、失意に沈むネギが顔を上げる。

 そこに立っていたのは。

 傷だらけで。

 とうに死に絶えているはずの。

 

「青山、さん……」

 

 最早、心臓すら停止している青山が、今にも倒れそうなくらいゆらゆらと揺れながらも、その足で立っていた。

 

「……ネギ・スプリングフィールド」

 

 青山は暗転した視界ではなく、魔力を辿ってネギの存在を感知した。

 

「そ、んな……」

 

 どうして、まだ、生きている?

 ネギがそう疑問を口にしようとして、その言葉に被せる形で青山は歪に口を吊りあげて応えた。

 

「彼が、言っていた、だろ? 俺は……生きいないのに、生きてるんだよ」

 

 斬撃がある。

 刃に魂は必要ない。

 必要なのは刃。

 つまり、己の肉体。

 そう、最早青山には魂等存在しない。肉体のみで立つという不可思議。その全てを滅せない限り、この男は何度でも立ち上がり、何度でも鋼であるだろう。

 それが人間の可能性の終わりだ。

 魂を輝かせる英雄と。

 肉体に突き動かされる修羅。

 絶対的な違いはそこにあり。

 だから、ナギは激突の直前、ネギに後を託したのだった。この男は、自分の最後の技を受けても立ち上がり続ける可能性があった。

 そのために、後詰めとしてネギに託したのだ。

 それだけの強さがあり、心があると。

 

 信じたのだ。

 

 そして、裏切られたのだ。

 

「……」

 

 ネギは己がやらなければならないことが分かっているのに、指一本動かすことも出来なかった。

 失った腕から血を流し過ぎたせいではない。

 雷轟に魔力と気を注ぎこみ過ぎたせいではない。

 あの戦いを経て。

 本物の激突を見て。

 張りぼての自分が、何たる道化だったのかに気付いただけだ。

 

「……そう、か」

 

 青山もまた、ナギと同じく失望した様子で、打ちのめされているネギから視線を切って、大地に突き立った証を引き抜いた。

 そして、最後に項垂れるネギを見下ろし、証を杖にしてゆっくりと近づき、その刃を振りあげて──

 

「駄目ぇぇぇぇ!」

 

 その瞬間、絶叫を上げながら、ようやく戦いの場に辿りついた明日菜が両者の間に割って入った。

 涙目になりながら、恐怖で体を震わせながら、明日菜は両腕を広げてネギを背中に庇う。

 身を呈してネギを失わんと足掻く明日菜は、無力ながらも高潔な意志で打ちひしがれた少年を守ろうとしているのだろう。余人が見れば、その献身こそ素晴らしいものだと言うかもしれない。

 だがしかし、それはあくまで事情を知らぬ者がそれを見た場合であり、ここに来て、青山はようやく、ネギが無様を晒す理由を知り得た。

 

「何だ、それは……」

 

 青山は、両腕を広げて立ちふさがる明日菜ではなく、その背中を見て、別の誰かを見ているネギに気付き、刀を降ろした。

 

「えっ?」

 

 明日菜が困惑するのも無理はない。斬ることに腐心した。斬ることだけに邁進し続けた男が、斬らずに刀を収めるという異常。

 どうして斬らないのか。その理由すら、明日菜にも、そしてネギにもわからないだろう。

 

「俺が望んだのは……君じゃない」

 

 あぁ。

 わかってしまった。

 力なく肩を落として、青山は明日菜達に背を向ける。最早、その二人の関係は見るに堪えない程だった。

 幻想に生きていたのは、ナギでも、ましてや青山でもない。

 ありもしない幻に飲まれていたのは、この二人だったのだ。

 互いが互いに別の誰かを投影している。ネギは明日菜に、自分を守り続けた肉親を、明日菜は遠い日に失った男の幻影を、どちらも目の前にいる相手のことではなく、ここにはいない幻覚を追っている。

 斬る価値がないのではない。

 現実に生きぬ者を、どうして現実を斬り開いてきた刀で斬れようか。

 

「そこで、いつまでも、遊んでいろ」

 

 青山は、そう吐き捨てると、証を杖の代わりにしてその場を後にした。

 斬ってきた。

 ひたすらに、この手で青山は斬ってきた。

 だからこそ青山は平等だ。斬撃に置いて、今の青山は公平に全てを斬ることに佇んでいる。

 

「助かった、の?」

 

 明日菜は自分達が生き残れたことに安堵して、力が抜けたのか尻もちをついた。

 

「明日菜さん……」

 

 ネギは命を賭して自分をかばってくれた明日菜に、折れた心のまま、ただただ感謝する。

 

 ──その異常に、気付きはしない。

 

 斬撃のみで完成した青山すら斬らずに置いていく。それが意味することはすなわち、修羅外道にすら見捨てられたということに他ならぬ。

 青山は確かに地獄のような男だ。間違っても善性とか、そういった類の者ではないし、存在するだけで害をまき散らすような災厄の如き者だ。

 だが、地獄に見限られるという意味の恐ろしさを二人は知らない。

 この二人は生涯、幻影に生き続けるだろう。互いが互いに依存して、だというのに依存する相手のことなど一生見ることもせず。

 積み重ねてきた過ちのツケは、ここで払われる。

 鋼にすら不要と見捨てられた彼らには、最早天国も地獄も訪れぬ。

 

 永遠の煉獄に苛まれるという悲劇。

 

 その日、英雄になるはずだった少年は、選択の末に訪れた結末により資格をはく奪される。

 残ったのは、英雄に落とされ、だが尚も動き続ける修羅外道が唯一人。

 

「……あ、ぁ」

 

 未来もいらぬ。

 過去もいらぬ。

 ここにあり続けると覚悟した修羅は、失われた視界に降り注ぐ暖かな光の塊に向けて、人として生きた最後の残滓を清算するために、空へと飛んだ。

 

 

 

 

 

 熱血が喉を焼き尽くし、失われた肉体が、焦がされた肌が、体の動きを鈍化させていっている。

 俺に残されたのは、もう証だけだった。

 最後と決めた戦い。

 終わりにある俺が、本当の意味で終われると思ったというのに、英雄が後を託したはずのネギ君は、結局、俺を冷たくも温かくも終わらせることも出来ずに、するりとこの腕の中から失われた。

 何もない。

 鋼だけしかない。

 それでも俺が飛ぶ理由は、麻帆良で請け負った最後の役割を果たすためだった。

 形骸化した約束。

 この戦いを防ぐという、結局出来もしなかった誓い。

 俺に残された最後の思いが、壊れた体を突き動かす。

 

「がっ……!?」

 

 だがそんな願いとは裏腹に、鋼であるはずの体すら、もう限界を越えていたようだ。

 虚空瞬動すら出来ずにただ空を弾いて飛んでいたが、とうとうそれすら行うことが出来なくなって、俺は無様に受け身も取ることも出来ずに地べたへと落ちる。

 痛みはない。

 もう痛みを感じる程、生きてはいられないから。

 

「う、ぐ……ぁ」

 

 暗闇に落ちた視界に広がる暖かな光は、徐々にその輝きを増している。

 急がなければならないだろう。苦悶の声は、息苦しさのせいだ。下半身の感覚は失せていた。いや、もう体中の感覚が、まるで巨大な綿越しに感じるように曖昧となっている。

 それでも指先に神経を集中した。

 すると、握っている証が、そこに込められた彼の声が、俺を励ますように凛と歌う。

 

「……そうだな、フェイト」

 

 淡く微笑んで、腕を支点に、光のほうへと這いずって行く。とうに潰れた知覚でも、充分に感じられるほどの魔力の猛りと、そこに込められた願いのようなものに向けて。この魔力が、彼らにクーデターを起こさせた原因ならば、何としても食い止めるのが俺に残された最後の役割だ。

 一歩、ではなく、ほうほうの体で。

 他人が見れば今の俺は、B級映画に出る亡者のように見えることだろう。

 いや、比喩でも何でもなく、そうなのかもしれない。

 魂は凍りつき。

 体は痛みも感覚も失い。

 何もない。

 生きているという証拠が今の俺には何もない。

 唯一残っているのは、こんな状態でもあり続ける俺と言う自意識だけ。

 這いずる。

 一メートル進むだけで、数年の月日を費やすような労力があった。死んだ肉体を動かすのは、燻ぶるだけの残留思念。

 いや。

 ネギ君という愛しき相手を失ったことから来る意地だろうか。

 

「は、はっ」

 

 あんな姿を晒した相手を見て、まだ未練がましく思っている。

 成程、どうやら俺は、よっぽどネギ君に恋慕していたのだろう。

 後少しだったはずなのだ。もう少しで彼は俺と同じ場所に至るはずだったのに。何処かでかけ違えたボタンが、決定的な歪を産んでしまったのだ。

 これも、己の我がままで災厄をまき散らした自分への罰なのだろうか?

 いや。

 だけど、後悔はきっとない。

 あの鬼との戦いでこの修羅場に至ってからこれまで。

 

「……素子、姉さん」

 

 貴女に魅せることが出来た、至福。強さを求めた果て、至った斬撃を受け切ってくれた貴女の強さにありがとう。

 

「フェイト……」

 

 君に魅せられたあの夜の零秒。命を注ぎ込み、本物の鋼をもたらし、この最後まで付き添ってくれた生き方にありがとう。

 

「……英雄、さん」

 

 唐突な登場を果たし、その勢いのまま、何よりも鮮烈に俺の終わりへの道程を彩ってくれた、名前も知らない太陽との交差。不愉快だったけれど、相容れぬからこそ激突出来た貴方の強さにありがとう。

 そして。

 あぁ。

 やっぱり、そうなのかもしれない。

 

「エヴァ……」

 

 エヴァンジェリン。

 恐るべき、化け物よ。

 君の汚らわしい笑顔が、潰れた網膜に蘇る。

 もういいだろうか?

 一人孤独にあり続けたこの様に、本当の終わりを与えてもいいだろうか?

 なんて。

 ここに君が居たなら、もっと殺せと笑うだろうけど。

 

「あぁ……」

 

 斬撃に終わる月下。月のように冷たくて鋭利な俺の終わり。

 見えない視界で空を見上げれば、ほら、俺以外何も存在しない無感の冷徹が無限に広がり、祝福をもたらしてくれて。

 ただひたすらに、感謝の言葉を最後に残す。

 

 エヴァンジェリン。俺は君を──

 

「斬れて、良かった」

 

 なけなしの力と意志を全て込める。冷たさに固まる渾身の鋼は、するりと世界樹の幹の中へと突き立って──

 

 

 

 

 

 りーん。

 

 

 

 

 

 

 ……あぁ。

 

 

 

 とっても、きれいな、ねいろだなぁ。

 

 

 

 

 

 その日、世界は、斬撃の歌声を聞く。

 

 それは終末に響く破滅のラッパか。

 

 もしくは、迷い惑う者達に送る、曇りなき祝福の──

 

 

 

 




次回、エピローグ【我が斬撃は無感に至る】

妄執の果て、亡骸と化した修羅が辿り着く、唯一無二の救いの地。


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エピローグ【我が斬撃は無感に至る】

 

 日本のとある山岳地帯。人の手の入っていいない山脈の一つ、鬱蒼と生える草木の間に僅かに残された獣道を辿って半日程歩いていくと、それまで木漏れ日しかささなかったところから一転、清涼な空気を放つ大きな滝を中心とした広い空間に出てくる。

 山奥にある秘境とも呼べるその場所は、魔を滅する京都神鳴流が門弟でも、限られた者達しか知らない修行の地だ。

 そんな場所に佇むのは一人の女性。かつては日本を魔の手から守ってきた神鳴流が宗家、青山素子である。

 

「……」

 

 そっと瞼を閉じながら、滝口の側にある巨大な一枚岩の上に座り瞑想をする姿は、周囲の自然と融けるように融和しながら、一個人としての存在を強く強く主張していた。

 場に流れる清涼な空気と同じく、美しく淀みのない気を練り上げながら、素子は岩のように動くことなく座禅を組んでいた。

 それが一時間か、または二時間か。時が止まったように動かない素子だったが、ふと木々のざわめきと滝壺から響く涼やかな水音に混じって聞こえてきた微かな足音を察知して、閉じていたときと同じように、そっと瞼を開いて起き上がった。

 

「来ないでほしかったのかな。それとも待ちわびていたのだろうか……なぁ、どっちだと思う?」

 

「そんなの、俺にはわからないよ」

 

 素子が振り向くと、その視線の先には足音の主である一人の男が立っていた。

 黒い。

 とても黒い眼差しをした男である。

 歳は二十歳前後だろうか。少し幼さの残った顔立ちだが、感情のない顔と瞳のせいで、歳以上にその顔は老けて見える。

 無表情故か、素子とは対照的に、男には存在感というものが希薄だった。だが男が身に纏っている藍色の着物の内側にある鍛え抜かれた四肢は、歴戦の兵の如く丹念に鍛えあげられている。

 帯には一本。あまりにも長大な野太刀が携えられていた。現代では違法であり、見れば違和感を覚える出で立ちだが、しかし着物姿と相まって、男が帯刀している姿は、それが自然のようですらある。

 

「でも、そうだな……待ちわびてくれたのなら、嬉しい」

 

 男は空を見上げて、一歩一歩、その両足で素子の元へと歩み寄った。

 

「どうかな……今更、お前に喜ばれても、少々──困る」

 

 抜いてはいないとは言え、本物の真剣を帯刀した男が迫ってきているというのに、素子は平然としたものだ。むしろそれを歓迎するような、ともすれば不愉快そうに身じろぎしながら、己の腰にもまた備わっている古より受け継がれた妖刀、ひなの柄に手をかける。

 

「お前が世界に飛びまわって……色々と滅茶苦茶になったよ」

 

「……」

 

「神鳴流は、あの日を境に狂ってしまった。お前を知る世代が、今の神鳴流を支えている熟達の者達だったからな。あっという間に全員いかれて、これまで何とか知られずに隠されてきた裏と表の世界がごちゃごちゃだ……上のほうでは、直に表と裏での全面戦争が起こるだろうと戦々恐々さ。尤も、今でも世界の至る所で、裏表限らず、あの音色で狂った者達が暴れているからな。当分はその鎮静化で戦争どころの騒ぎではないが……なぁ?」

 

 口調は穏やかだが、その言葉の裏には、隠しきれぬ苛立ちがあらん限り込められて男へと叩きつけられていた。

 だが男は決して動揺はしない。柳に風と素子の怒りを受け流すと、そもそもそんなことに気付いてないといった素振りで首を傾げた。

 

「同意を求められても困るよ。確かに人々が憎しみ合うのは心苦しい。でも……」

 

「あぁそうだ。お前には関係ないだろ?」

 

「うん。だって、関係ないから」

 

 男はそう言うと、腰に差した刀に手をかけて、鍔鳴りの音を響かせながらゆっくりと抜きはらう。

 

「俺は、これだ」

 

 天に掲げるその鋼。通常の刀の倍以上はある長い刀身は、本来なら刀としては欠陥品そのものだ。

 だが錬鉄の極みと言うべきその鋼は、むしろその長さで刀として完成していた。天を穿つが如き刀身は、太陽の輝きを照り返すでもなく斬り落とし、愚直と存在を主張する。

 同時に、男の放つ存在感が突如として増大した。いや、それは最早増大という言葉では言い表せない。何もない空間に、突然巨大な嵐が顕現したかのような異常。そうでありながら、台風の目の中にいるような静かな静寂。

 

「……俺は、これになれたよ。素子姉さん」

 

「そうだな……お前は、なれたのか」

 

 そこに立つのは、修羅外道。

 あの日、世界樹を斬りつけて、旧世界はおろか『魔法世界にまで』凛と響く斬撃の呪いを解放した張本人でありながら、誰もその存在を知らぬ恐るべき男。

 

「……本当に、我がままだなお前は。お前が名乗り出ないから、超鈴音という少女が自ら犯人と名乗り出たというのに」

 

「仕方ないよ。それもまた、やむなしだ」

 

 残念ではあるが。そう悔恨を吐きだす男を嘲笑うように素子は鼻を鳴らした。

 

「何が残念、だ」

 

 刀を引き抜きながら、素子もまた鏡合わせのようにひなを大上段に掲げて語る。

 

「そんなこと、刀が思うわけあるまい」

 

「違いなし」

 

 直後、合図もなく戦いは始まった。

 うっすらとその無表情に笑みを張り付けた男が、飢えた獣のように体を屈めながら地面を擦るように疾駆する。一枚岩を軽やかに踏みつけるその動きは、獣のようでありながらもその実、一歩ごとに速度に強弱をつけることで、迎え撃つ形となった素子のリズムを狂わせる。

 並の達人であれば、その歩法に騙されてあらぬタイミングで刃を走らせ空を裂いただろう。しかし素子は決して惑わされることなく、一心に男が刃の圏内に入るのを見届けてから、容赦なく激烈と斬りつけた。

 正確に男の影を捉える素子の一刀。紫電と駆け抜けた雷光の太刀は、視覚情報を脳髄へ送るよりも速く、男の頭蓋に走り、間一髪で急停止した男の額を浅く斬るに終わった。

 

「くっ……」

 

「ぬっ……」

 

 どちらも苦悶の声をあげるが、その間も剣戟は続く。割られた額が鮮血をあふれさせる間に、男の両手にしかと握られた刀が、岩肌を空気か何かのように斬りながら、素子の足をすくい上げるように振られた。

 斬撃の隙。振り抜かれた大上段を戻す暇なし。呆けていれば男の刃が容赦なく足はおろか股ぐらから脳天までを真っ二つとするだろう。

 だがそれは許さぬ。踏み出した右足を支点に、素子は円を描くように己の左側から迫る刀とは逆に踏み出した。たかが回転ではない。瞬動という高度な歩法を、回転という複雑な形で成すという離れ業。

 結果、見事死地を踏み越えた素子と、乗り越えられた男は交差し、そのまま背中合わせとなる。

 

「ふっ」

 

「ひっ」

 

 素子は呼気を一つ。男は奇怪な笑い声を一つあげながら、体を反転させつつ、申し合わせたように、両者共、刃を真一文字に振るう。

 速度では男の斬撃が勝ったのか。先に首元へ伸びてきた刃を素子は体を仰け反らせて回避すると、遅れて男の首に吸い込まれていくひなの刀身も、同じく仰け反ることで男は逃れた。

 互いの刃がぶつかり合うことはなく、空気を断つ音すら遠く、二人は嬉々と笑みを交わして無音で斬り結び続ける。

 鋭く放つ一手に、容赦のない一手で応じられる。互いが互いの手口を知り尽くしているかの如く、両者の刃は、最初の一撃以降、当たることも叶わずにいた。

 

「やはり、ここに来て良かった」

 

 剣戟の最中、ふと男は素子に感謝した。

 その言葉に驚きつつも、首から下は驚愕とは無縁に斬撃の牢獄をくぐり抜け、または牢獄に男を即罰しつつ、素子も淡く笑みを浮かべる。

 

「そうだな……結局、間違いはそこだったんだよ」

 

 あの時。

 逃げようと。

 ましてや生きようともせず。

 ただ真っ直ぐにこの男との戦いに没頭出来たのなら。

 

「うん……世界は、こんなことにならなかったかな?」

 

 素子に咎があるのだとすれば、きっと始まりにして終わりの会合の時。

 あの時、無感の鋼であったのならば、世界は最悪に転げ落ちることはなかったはずだ。

 

「だが、もうどうでもいいんだ」

 

 袈裟に。横に。突き。斬り。

 奪うように。

 あるいは与えるように刃を振るいながら、ただ思う。

 

「世界なんて、どうでもいい」

 

 咎のあるなしなど些細なことだ。

 手の中に刀があり、振るうべき相手が居る。

 

「そうだね、姉さん……」

 

 男は、修羅外道は素子の言い分に頷いた。

 あれから世界がどうなったかなんて、もう関係ない。

 素子はただ、いずれ来るだろうと思っていたこの日のために、周囲のことを気にするフリをしながら、己をひたすら鍛え上げた。

 そう。

 もう、どうだっていい。

 音が徐々に遠くなっていく。

 木々の囀り。

 そよぐ風の音。

 流れる川の歌声。

 滝壺に轟く雄叫び。

 そして。

 今もなお、世界に蔓延する斬撃の音色すら。

 遠く。

 とても、遠く。

 感覚すらも、遠く、遠く。

 

「なぁ、青山」

 

 素子は男の名を呼ぶ。

 青山。

 忌み嫌われ、呪われ続けているその名よ。

 だが、ふと思うこともある。青山が侮蔑の総称だとしたら、同じくその名を背負う自身もまた、彼と同じ修羅外道と言われているのではないかと──

 

「ハッ」

 

 一笑に伏す。

 今更だ。そんなこと、今更過ぎて、考えることも意味はない。

 ひと際速い一閃が青山の懐目がけて走った。

 するりと己の刃の元を抜けた鋼を反射的に回避するが、その藍色の着物が僅かに斬れて、その切れ端が二人の間を漂う。

 

「ハァ!」

 

 清流から激流へ。烈と吼えた素子は、青山に先んじて返しの刃を走らせた。遅れて応じた鋼、証の刀身とひなの刀身が初めて激突する。

 火花散らす刀身。悶えるのは、妖刀たるひなが先。

 どうやら刀の質では劣っているらしい。そう瞬時に判断した素子は、競り合う刀身から力を抜いて、幾らかひなの刃を削らせながらも証を一枚岩にいなす。

 削られた黒い刀身の内側から、剥き出しの鉄が姿を現した。鈍く光る鋼の色。妖刀だなんだと囁かれながら、メッキを剥がせば所詮は鋼。

 見かけ倒しの呪いなどいらない。素子は人を狂わせる怨嗟の声をあげるひなを、溜めこんだ膨大な気で一気に洗い流す。

 

「これで良い」

 

 黒い刀身が全て削られて、抜き身の刃に素子は己を映す。照り返す鋼に込める斬るという我意。

 至る斬撃。

 それ以外は、一切が不要となりて。

 

「これが良い」

 

「うん」

 

 青山は素子の在り方を是とした。

 剥がれ落ちた黒が降り注ぐ中、激突は熾烈を極めていく。刀を己に染める。己が刀、刀が己。同一と化した刃と自我を相手に斬りつけていく。

 翻り、先走る。意を越えて、意も介さずに、無我に走る切っ先。思考は既に刃に飲まれている。いつしか斬られていくようになった体すら気にせずに、吹き出す熱血に体を染め上げながら、素子と青山は言葉の代わりに刃を交わした。

 数秒か。

 あるいは、数刻か。

 もしかしたら、もう地球が寿命を迎えるまで、二人は斬り合っていたかもしれない。

 体感としてはそれくらい長く、だがとても短い斬り合いが続く。

 抱きしめる代わりに斬る。

 触れあう代わりに斬る。

 そして何もかもが斬撃に代用されるならば。

 

 すなわち全て、無感に至ると同義なり。

 

「ッ……ぃ」

 

 突くという一点。光となった一閃が青山の喉元へ走る。流水のように緩やかで、受け止めるより他なき牙に、証の腹を優しく添えて横に逸らす。鉄が磨耗して削られる。熱量に仄かに赤くなったひなを見据えて、素子は刃の寿命が近いことを悟った。

 担い手の技量に刀がついていけなくなっている。一方、青山の刀は鈍色透明。真の意味で剣と使い手が合一しているその在り方を羨ましく思うが、それはそれ。

 

「私は、私だ」

 

 願うように呟き、ひなを引き戻している間に振るわれた証を受け止める。

 凛、と。

 音もなくした世界に小さく響く鋼の歌声。

 斬られたのか。

 あるいは斬ったのか。

 多分、前者だ。ひなの刀身の半ばまで斬りこんだ証を見て素子は悟る。

 それでもまだ終わったわけではなかった。

 

「いざ」

 

「応」

 

 直後、真っ二つに斬り捨てられたひなの刀身が虚空に散る。続いて、素子の肩に落ちていった証だが、僅かに防いだことで得た時間を使って体を逸らして避けきる。

 再び空を裂く斬撃。

 頬に触れる冷たい感触は、巻き起こった風か、あるいは鋼の冷たさか。どちらでも構うまい。半ばで失われたひなから片手を離し、くるくると回転している断たれた刀身を素手でつかんだ。

 未だ鋭利が失われたわけではないひなの鋭利が、握りこんだ素子の掌を深々と斬り裂く。だが痛み等気にする余裕なんてなく、赴くままに一刀を振るった青山の肘へと突き刺さる。

 肉が千切れ、骨が砕ける。ゴムの塊を裂くような不快感。吹き出す熱血が、素子の掌の傷口と混ざりあう。

 共になる。

 血を分けあい、血を注ぎ合う。

 一刀で肘の根元から斬られた腕は、それでも証から掌を離すことはなくしかと握られたまま。

 青山は痛みに悶える様子すら見せなかった。そんなこと、分かりきっていたから驚かない。返す刀で二の腕を斬り裂かれながら、素子は自分と相手の間に降り注ぐ流血の雨に身悶えした。

 決着は近い。どちらも距離を離すことなく次の手を打つ。千切れた腕をぶら下げながら、証を振り下ろす青山、合わせるのは断ち切られたひなの刀身。しかし一度斬られたことで死した鋼は、殆ど抵抗することも叶わず、容易く両断されて素子の肩から下腹部までを浅く斬った。

 その拍子に髪を結っていた紐が解けて、一本一本が生きているかのように艶やかな黒の長髪が乱れる。その黒におびただしい鮮血は良く似合った。

 ぐらりと素子の膝が崩れる。左肩から臍まで、浅くはあるが一気に斬られた肉体が、主の意志を無視して限界に屈しようとしている。

 

「青山……」

 

 だが動く。肉体の限界を精神が凌駕した。生気を失っていない瞳が、右手に掴んだひなの残骸に再び力を込める。切っ先はなくとも、まだ半分ある刀身があるのだ。死していく肉体を行使して、死していく鋼を振り下ろす。

 命を込めた一刀は、流れる清水が如く穏やかで静かで、青山はその美しさに笑みを浮かべて証を合わせた。

 凛と鈴の音色が響き渡る。

 全てを込めた斬撃は、証の鋭利に届くことなく斬り捨てられた。

 それどころか手首から肩にかけて裂傷を受ける始末。無様な醜態を晒すなぁと、どうでもいいことを考えながら素子の瞳から色が失われていく。

 だからと言って容赦はしない。無言で構えを直す青山は、崩れ落ちる素子の首に狙いを定めて証を振りあげた。

 

 そして、次の一手でこの体は容易く斬られてしまうから──

 

「ハハッ……」

 

「あっ」

 

 素子の手が、青山の手に重なった。なけなしの力を全てかき集めて、一瞬だけの瞬動を行う。意識の隙を縫うようにしてその懐に潜り込んだ刹那。愛刀を代償に手繰り寄せたなけなしの勝機。

 刀の質で負けているなら。

 相手の刀を、使えばいい。

 これが最後、武器も何も全部捨てて、我が身一身で得た最後の一手。

 まるで抱きしめあうように二人の体が密着する。額を擦り合わせ、吐息の熱すら感じられる距離で、素子は口づけをするように、黒い瞳に語りかけた。

 

「なぁ、青山」

 

 いや、違うな。

 素子は苦笑する。そうではない。ことここに至り、ようやく対等になれた今ならば、呼び名はきっとかつてのように。

 直ぐに首を振って、言い直すことにした。

 

「なぁ、響─ひびき─」

 

 修羅外道。

 恐るべき青山。

 そうではない。

 今目の前に居るのは、青山素子の大切な弟。

 青山響。

 家族だった、あの日々の名残を。

 

「この場所に、ようやく至れた今だから言える」

 

 恐るべき青山ではなくて。

 

「家族だからなぁ……」

 

 祈りを込めて、告げるのだ。

 

「な? 響」

 

 我が弟よ。

 今こそこの刃で、斬り伏せる。

 

「素子、姉さん……」

 

 久しぶりに聞いた己の名前に、何を思うのか。

 感情無き顔に浮かぶのは、混乱、驚き、それとも喜びか。

 構わない。

 どれであろうと構わない。

 ただ、ようやく弟の名前を呼べるようになった己が、ちょっとだけ誇らしかった。

 

「だからもう……終わりにしよう」

 

 私の敗北で、全てを完結させる。

 響が刀を離すことはないだろう。だがしかしせめてもの抵抗として絡めた指に力を込めたとき、素子は冷徹に動く己の体とは逆に、響が力を緩めたことに驚愕した。

 しかし沁みこんだ体の動きは止まらない。指先は冷酷に掴んだ手首を返して、するりと刀は奪いとる。何故か、素子にはその瞬間、重荷を全て降ろせたように安堵する響の澄んだ表情を見た気がして。

 そんな幻すらも断つ。素子は、口づけるように響の背中に突き立てた。

 骨を割って心臓を斬った証が、胸元吹き出す赤が素子の顔を染め上げて、見上げる視界も全部が真っ赤。

 流血に染まる世界。

 だがそれは所詮後の祭り。本来ならこうすべきだった結末を再現しただけのこと。

 己の牙たる刀を斬られて敗北した素子が、勝者たる響に刀を突き立てて死を与える。

 その結末の予想外に今度こそ素子の体の動きが全て停止して、信じられぬと言った様相で響の顔を見た。

 

「何、で……」

 

「姉さん……」

 

 血を吐きながら、響は笑う。

 そうだなぁ。

 そうなんだろう。

 あの日、素子の刀を半ばから斬ったとき、もしも彼女が逃げなければこの結末に至ったはずで。

 だから響は勝者のまま死ねるのか。

 細まる瞳は何を思うのか。刀ごと抱きしめられ、互いに血に飲まれつつ、響はほうっと呼気を一つ漏らして小さく口を開いた。

 

「ありがとう」

 

「……お前」

 

 あえて剣を奪わせた弟の心を悟った素子が顔を上げる。響は、かつての少年のような無邪気な心地で、涙すら滲ませている素子の目尻に真っ赤な指先を優しく添えた。

 

「いいんだ」

 

「響……私は」

 

「この身体に飲まれて幾年……」

 

「私は、お前が……」

 

「魅せられ続けてきた日々の中……」

 

「お前が、落ちたまんまだって……そう、思って……」

 

「身体を失い……この無感に達して、初めて俺は刀を手にした」

 

 もしかして。

 ここに来た時点ですでに響は──

 その先を言わせないように、響は『暖かな光の宿った瞳で』素子を見つめると、ゆっくり視線を空に移した。

 

「身体は至福のままに修羅場へ散った。でも俺は我がままだからさ……折角、俺自身の手で、刀を握れたから」

 

 その最後。迷惑をかけ続けた肉親に、最後の我がままをするという愚弟の恥を許してほしい。

 

「俺の魂は凡百だから……残せたのは災厄とか悲しみとか、冷たいものばかりだけど……」

 

 在りし日の残滓。

 斬撃を越え、無感に至りて。

 二度目の生で、初めて自分の力だけで手にした命の実感。

 

「心は……残せる」

 

「響……」

 

「青山─修羅─としてではない……俺─響─の斬撃は、残せるから」

 

「響……!」

 

 既に素子の方を響は見ていない。その視線は遥か向こう、体を離れ、その心は海を越えて彼方、彼方へ。

 

「……やっと、逝ける」

 

 まどろみに眠る。魂ごと力が抜けた体が最後の呼気を吐きだす時、素子もまた抗いきれぬまどろみの中へと沈んでいき──

 

 そして、ふと目を開ければ、そこには誰もいなかった。

 

「……」

 

 先程まで繰り広げていた戦いの残滓はない。素子は内心で困惑しつつも、裂傷を幾つも刻まれていたはずの己の体を見て、何処にも斬られた痕がないことに気づく。

 

「さっきのは……」

 

 この終わりに近づく世界で見た、破滅の白昼夢だったのだろうか。

 そう結論しようとして、立ち上がり振りかえると。

 

「あっ……」

 

 そこには、半ばから折られている二本の刀が、寄り添うようにして転がっていた。

 素子は刀の元に近づくと、その二本を手にとって眺める。

 一本は、黒い刀身ではなくなったものの、先程まで腰に差していたはずのひな。

 そしてもう一本は、まるで持ち主の在り方を表しているかのように、遊びの一切ない直刃の──

 

「そうか……」

 

 素子は、悲しげに眼を細めながらも、安堵の笑みを口元に浮かべて、銘も知らぬ刀の亡骸の刀身を指でなぞる。

 

「最後の最後で……戻れたのか」

 

 肉体は朽ち果てて、それでもさすらい続けた男の最後を看取ることが出来た。

 交わしたのは言葉ではなくて冷たい鋼だったけど。

 素子は砕けた鋼の一片を拾い、親指の腹を斬り裂いた。溢れ出る熱血を二本の刀へと注ぐ。

 鉄に残る赤。混じった色が黒となるけれど、その黒は太陽の日射しを反射する優しい黒光り。

 せめて、その生から死に至るまで温もりを知らなかった男へと送る。肉親として最後の温もりを。

 

「おやすみ、響。そして──」

 

 肉体を手放したことで、ようやく戻ってきた我が弟に、労いの言葉をかける。

 そして、それとは別にもう一人。

 彼の魂の安息が、素子の胸の温もりにあるのなら。

 今ここで砕け散って骸を晒す鋼にもまた、平穏を与えるべきではないか。

 世界はゆっくりと破滅の階段を上っている。その本当の元凶である男が安寧と眠ることは、本来なら許されないことなのかもしれない。

 だがそれでも。

 誰が許さなくても、素子だけは、その孤独で在り続けた男の、今は唯一の理解者として、抱きしめてあげなければならないから。

 時代が産んだ、災厄の子よ。

 今わの際でようやく産声をあげられた無垢な魂の鎧で育てられた恐ろしい鋼の化身よ。

 

「お前の望んだ……」

 

 修羅場に眠れ──修羅外道。

 

 無感に至るしか己を呼び戻せなかった魂と、無垢を食らうしか生きられなかった肉体。同じでありながら別種の存在として成立した哀れなる二つの生き様に、静かなる安息があることを。

 

 歌声は、もう聞こえない。

 

 

 

 

 

 

 

 





あとがき

 とりあえず、これにてしゅらばらばらばらで唯一オリ主に救いのあるノーマルエンドをもちまして完結となります。
 あとがきの最初でいきなりですが、今後の予定としてはしゅらばらのBルートであるバッドエンドを書きあげ、それをもって私個人の二次創作活動は一先ず終わりという形にさせていただきます。それに伴い、未完で放置している作品群は撤去いたしますのでご了承ください。
 以降は小説家になろうで連載中のオリジナル作品。『不倒不屈の不良勇者』という作品の執筆に集中します。宣伝みたいな形になりますが、なろうにあるオリジナル作品にも、オリ主とはまた違った修羅な剣客とが出ますので、しゅらばらを読んでこういうキャラもいいなぁと思えた方は、是非読んでいただけると幸いです。

 ついでに感想とかポイントとかよろしくね! 沢山くれるとテンション上がって執筆速度上がるよ!

 なんて。

 個人的なことはここまでにして(そもそも二次も個人的なことなんであれですが)、以降はこの作品の長々とした語りとなりますので、そういった作者の自分語りが苦手な方は、この先は読まずにそっと戻って読了後の余韻に浸っていただけたら幸いです。







 さて。

 実に半年近くにわたり連載したこのしゅらばらばらばらですが、当初はもっと短くなる予定でした。ですが当初の感想でオリ主に対する評価が私の伝えたい人物像と差異があったので、その擦り合わせのために結構な量を費やすことになってしまいました。

 これに関しては私の技量が不足した結果なので、何とも恥ずかしい限りではありますが。現にオリ主の語りがアレだっていう感想もいただいたので、そこの塩梅が上手くいかなかったことについては反省するばかりです。

 ともあれ、最初はオリ主転生最強物という、叩かれても仕方ないジャンルを書くことで、皆様からの罵倒や嘲笑を受けて悦に浸ろうとしたために書いたのですが、思いの外高評価を得られたことに関しては、今後の執筆活動にあたり良い自信となりました。

 勿論、罵倒や嘲笑を受けるだけでは皆様を不快にさせるだけなので、意識したのは『面白いと思う人はいるだろうけど、自分は読めない作品だなぁ』と言われることでした。これについては、感想でもちょくちょく『自分には合わない作品でした』と書かれたりしたので、目標を果たせたことは嬉しくて小躍りしたりしなかったり。

 そんなことを思わせるまでのキャラになったオリ主である青山。このキャラは書くにあたって参考にさせていただいた作品が幾つかあります。

 一つは『東方先代録』。作風全然違うじゃん! とか思う方もいるでしょうが、寡黙で強いっていう独特な個の在り方は、オリ主である青山を書くにあたってとても参考になりました。いやまぁ、こんなこと書いたら先代録のファンにボロクソ言われそうですが、それはそれ。

 続いては『ルナティック幻想入り』。こちらはもうその精神性の形そのものが、オリ主を構成するにあたって重大なベースとなりました。いやもう、ちぐはぐな感じというか、不気味でアレなところとか、そりゃもうスッゲー影響を受けまくった次第です。まぁ参考にさせてもらった身でこう言うのも失礼ですが、人を選ぶ作品なのでしゅらばら読んで駄目だった人は読まないほうが身のためです。

 そして最後は小説家になろうで連載し、完結したオリジナル作品の『剣戟rock’n’roll』。私はこの作品に出る主人公の生き様や、その在り方にそりゃもう惚れこみまして、でも同じようなキャラを書くのは失礼極まりなくて、でも同じ境地に到達させたくてと悩み嘆いたあげく、だったら最初から至ってる変態書けばいいやという悟りに至って青山というキャラを作りあげました。もしもこの作品がなかったら、私は一つの境地というか、人間の可能性の限界値に至った誰よりも人間的な狂人を書こうという考えには行きつかなかったでしょう。

 以上、三つの偉大な作品があったからこそ、しゅらばらばらばら、というよりも青山というキャラは生まれました。

 ですがこのオリ主。正直、最初の方はそうでもなかったですが、途中からだんだん書くのが気持ち悪くなるというか、ぶっちゃけ趣味で書いてるのに何で疲れるんだろうとか思うようになって、一時は書き溜めを消化しつつ、執筆を止めていた時期がありました。

 それでも、これで二次を書くのは最後と決めていた意地があったので、何とか書きあげることが出来ましたけど。

 とまぁ。

 なんか、色々書きたいことはあって、実はこのあとがきも何度か書きなおしたりしてるんですけど、正直何書いても違和感あるというか。こういうことだからこうしたんだよ、っていうのはどうにも書けそうにないです。あとがきだっていうのにね。

 でもこの作品を読んで、読者の皆様がそれぞれに何か感じ取っていただけたのなら幸いです。オリ主物が嫌いになったとか、青山って聞くと刃鳴りを思い出すようになったとか、逆にオリ主物が好きになったとか、最強物もたまには悪くないかなぁとか。

 何でもいいです。何かしら残すことが出来たのなら、作者冥利に尽きるというか。まぁそんなの二次創作でやる意味なくね? とか自分で思わなくもないんですが、それでも二次創作だからこそ出来たこの作品を、少しでも楽しんでいただけたのなら、それだけで充分です。

 ではでは、長々と語った上に、整合性も取れてないちんぷんかんぷんなあとがきとなりましたけど、とりあえずこれで筆を降ろしたいと思います。


 最後に。


 賛否の分かれる作品だとは思いますし、ラストのオチに納得のいかない方もいるかもしれません。ですが私にとってはこれが最善であり、消化しきれないほうは別ルートで行えるとはいえ、当初考えていた通りのラストを迎えることが出来たので充分満足しました。少なくとも私の中では二次創作卒業の作品としてこれ以上ない作品を書きあげることができ、かつ、皆様に読んでいただけたのは嬉しかったです。

 それでは、長い間、大変お世話になりました。これにて『しゅらばらばらばら』完結とさせていただきます。


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断章【ありあーLascia chi'o piangaー】
第一話【外道断罪】


Bルートはまたの名をオリ主ハーレムルートなので、安心して読んでください(白目)


 

 

 

その女性は、例えるなら刀剣のような美しい女性だ。凛とした佇まいに、油断なく光る鋭利な眼光。腰まで届く艶のある黒髪は、すぐ近くを流れる清流のように清らかで、それらを一つに纏めている。巫女装束に似た服の下は肉感的な体であるというのに、情欲を煽るものとは逆に、見る者に神々しさを感じさせるような美しさ。

まるで古き時代の大和撫子を連想させるようなその女性は、鋭い気迫を内側で練り上げながら、世界そのものを呪っているような黒い刀を構えて、静かに呟いた。

 

「哀れだな」

 

その言葉を投げ掛けられたのは、美しき女剣客と対照的に、流血の水溜まりに這いつくばり、身体中に切り傷をつけられた男だ。

ぼろ雑巾のほうがまだマシに思えるほどズタボロになっている男は、声に応じるように、女とは同じ黒い刀、しかし女の刀以上におぞましい意思を撒き散らす刀を支えにして、どうにか体を起こす。

 

「な……ぜ……」

 

顔を起こした男の顔に浮かぶのは疑問だ。

どうして自分はこうも一方的に蹂躙されているのかと。

勿論、目の前の女性は容易い相手ではない。現に勝率は五分五分だと思っていた。男の知るなかで、同じ剣士として同等の領域にあるという確信がそこにはあった。

だが、こうも一方的な戦いになるとは思わなかった。男は女に傷ひとつを与えるどころか、ただ悪戯に返しの刃を受けたのみ。

わからなかった。何が己と相手の差となっているのか。

純粋な技量は同等。肉体能力も互角。唯一、男は己のみが頂にあり、女はその頂を前に引き返したため、在り方の差で己は勝っていたはずだ。

 

「無駄だ。修羅から、ただの外道に成り下がった今のお前じゃ、私には届かないよ」

 

女は男の内心を見透かしたように、否、ように、ではない。

確実に、女は男の全てをその眼で覗きながら、言葉を紡いでいた。

 

「ッ……」

 

男は僅かに表情を歪めた。完全に底を見切られている。だというのに自分は女の底を未だに見れていない。

明確な差がそこにはあった。

だからこそ確信する。眼前の女は、今この時、男が至ったはずの場所に到達しているのだと。

故に、思うのだ。

 

「だったら、何で……」

 

ーー俺は、そこにいない。

男は至ったはずなのだ。

これ以上なき場所。

到達した冷酷。

冷たい鋼。

生きるという斬撃を。

 

「教えないよ」

 

女は男の葛藤を見透かした上で、答えを与えるつもりは毛頭なかった。

何故教えてくれない。震える手を伸ばして渇望する男を振り払うように、手にした刀を一振りして、女ーー青山素子は、ただ冷たく言いはなった。

 

「醜いんだよ。外道」

 

断罪の刃は走る。男の全てを否定しつくすように、そして、醜く歪んだ男をこれ以上見たくないために。

 

「姉さーー」

 

迫り来る鋼の冷気。透明に清んだ斬撃の頂を見据えながら、男はただ自らより失われた修羅場の冷酷を思い返すように、その遥か彼方、渇望の原初へと記憶を飛ばす。

それは、修羅外道の元風景。その心を見透かしている素子もまた、初めにして終末、頂点にして奈落の底である暗黒の根源へと視線を向けるのであった。

 

ーーでは、醜悪な敗北を語る前に一つ。まずは男、青山が青山と呼ばれる所以となった敗北より語ろう。

 

それは最新にして最後、そして最悪のお伽噺。

 

修羅外道と破壊衝動の起こした災厄の物語だ。




今回のまとめ。

素子ライザー(トランザム発動)「トランザム、ライ
ザぁぁぁぁぁ!」
青山「\(^o^)/」


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第二話【鬼と修羅(上)】

お待たせ!


 

「つまんないの」

 

 一閃無情。また一つ、悪しき者にして、俺を高めるための餌であった者を斬り伏せた俺の背後。鈴の音みたいな声が鮮血の場に響き渡った。

 

「まったく、まったくもう。君はとてもつまらない人間だ。あんまりにも単調すぎて、ひどくどうでもよくなってしまう凡人みたいだ」

 

 その女は最近、ことあるごとに俺を蔑み、貶し、嘲笑する。だが俺は俺がただの凡庸であり、特別なのは授けられたこの身体だというのをわかっているため、返す言葉も、ましてや怒ることもなく無言でその悪口を受け止める。

 そも、俺を侮蔑するその女は口調とは裏腹に、こんな俺を見て、あるいは誇らしげに、あるいは尊敬の念をこめて、その顔に満足げな笑みを浮かべている。だから仮に俺以外がこの嘲笑を受けても、そうそう怒る気にはならないだろう。

 

「期待に答えられなくて悪かったな。生憎、俺は俺だ。だから、期待には応じられない」

 

 普通なら収めるのにすら苦労しそうな野太刀を難なく鞘に収めながら、いつものように答える。振り返れば、やはりいつもと同じ憧憬の眼差しが俺を射抜いた。

 

「やっぱつまらない」

 

 そして変わらぬ答え。何度と繰り返したこのやり取りに飽きることなく、女は俺の前に立つと、やはり嬉しそうに悪態をつき続けるのであった。

 

「ならば、さっさと俺なんかの側から離れればいいだろうに」

 そしていつものように、俺は突き放すようにそう答えるのだ。

 だがこのやりとりが常日頃繰り返されてきたため、今更その程度で彼女は俺から離れない。むしろその笑みを一層深くして、妖しく光る眼光で俺の無表情をなめ回すように見返すだけだ。

 彼女が俺の武者修行という名の暴挙についてくるようになったのは果たしていつからか。

 いつの間にか後ろに居た。

 いつの間にか隣に居た。

 そしていつの間にか言葉を交わし。

 いつの間にか暴言を俺に言うようになった。

 最初は忌々しそうな顔で俺の技を賞賛していた。

 それがいつからか無表情になり、賞賛の中に俺への愚痴がつき始め。

 今では賞賛は一切なくなり、笑顔で暴言を吐き続けるようになっていた。

 なんともまぁ奇妙な女である。

 俺より歳上(見た目から判断してだ)のくせして子どものように我が儘かつ悪戯好きで、かと思えば時折、こちらが感心するような真理を語る。

 だからなのか、かれこれ一年以上、強者を見つければ決闘を挑んできた俺が、唯一決闘を挑むことなく、この女は隣で共に歩いているのだ。

 そう、彼女は強い。

 その強さの底が、武者修行を経て実力をつけてきた俺でも未だ読めぬほどには、彼女は強い。

 なら、俺は俺の強さのために、この女を倒す必要があるのだけれど、何故だか彼女と戦う気になれないのは──。

 

「響」

 

「何だ?」

 

 応じる。

 彼女は俺を『青山』とは呼ばない。

 いつの間にかこの身に刻まれた、畜生を示す名ではなく。

 ただ、響と呼ぶ。

 一個の人間として、俺を扱う。

 強さしか求めない畜生ではなく、真っ直ぐに俺を見る。

 だから、なのだろう。

 だから、俺は彼女と戦おうとしないのだろう。

 呼ばれる度に奇妙なむず痒さを感じつつ、張り付いた鉄面皮で心を隠して女を見返す。果たしていつも通り、罵詈雑言がその口から出るだろうという予感に、辟易と、僅かな喜びを感じながら。

 

「そろそろいいだろ?」

 

 だが予想に反して、彼女の口から出たのは蔑みではなく問いかけだった。

 

「そろそろ、とは?」

 

「何だよ響。これだけ共に居たというのに、まだ私の心も読めないのか。未熟者が。程度が知れるな」

 

 ──だから駄目なのだ。

 女は今にも踊りだしそうなくらい喜びを露にしながら、俺を詰る。

 

「……とはいえ、わからないものはわからないだろ。お前は呪術師だから、そういった機微には敏感だろうが、俺はただの剣士だ。そして自分の強さにしか興味のない愚鈍な男だ。そんな男に機微を察しろというほうがおかしいだろう」

 

「ハハハ、自分の間抜けには気づいておきながら、どうしてそれを直そうとはしないのかね? 全く、これだから君はいつまでたっても間抜けなままだ」

 

「返す言葉もない」

 

「阿呆。未熟なりに返答する場面だぞここは……まぁいい。ともかく響、君の愚鈍さにはほとほと呆れる他ないが、そのことについて説教するのも今更だろう。だから要件だけを済ませよう」

 

「わかった」

 

「私は君を壊すことにした」

 

 変わらない。

 いつもと同じように涼しげな声色で、彼女は唐突に俺へ死刑宣告をした。

 そのことに一切の動揺がなかったと言えば嘘になる。

 それはあまりにも唐突すぎて、俺は半ば呆然と彼女の言葉を聞いていた。

 

「天才なんだ。私は」

 

 宣告が唐突なら、それから先の言葉も唐突だった。

 俺から視線を逸らすと、背後に出来上がった血溜まりを見据えて、自らが如何に優れているかという聞くものの殆どが毛嫌いしそうな自慢話を始める。

 

「だからこそ、凡人よりも真理に届いた。いや、残念ながらいうところかな? わかるからこそ、殺風景になってしまう。立つ場所がたかすぎるから、遥か下の暗黒をいやがおうなく見るしかないのだから」

 

「……」

 

「おいおい。ここは笑うところだよ? そんなことがどうしたのさってさ」

 

「いや……笑うも何も、お前の言葉は──」

 

 俺には、難解すぎる。

 俗世の事情にすら疎い俺が、彼女の言葉を理解できるはずがない。

 だがそれでも、そんな俺だからこそ、わかることはよくわかっているつもりなのだ。

 

「それで、いつ俺を壊すのだ?」

 ならば今からでも。

 その意を言葉にする代わりに、柄に手を添えて返す。

確かに俺はこの一年、彼女と共に行動をしてきた。共に寝食をし、共に語らい、時には恐るべき敵を共に打倒したことすらある。

 だからと言って、俺を壊すというのなら、俺は是非もなくお前を斬り捨てることに躊躇いはないのだ。

 

「……だから、君は愚かなんだ」

 

「愚かを是とした。今更変えられる生き方なら、とうに引き返しているだろうよ」

 

 鞘走る刃。鋼の切っ先を外気に晒した俺は、やはり常と変わらずに、友と感じている彼女へ牙を向ける。

 

「ん?」

 

 いや。

 友。

 友と思っていたのか、俺は。

 刀を構えながら、脳裏に過った思いに僅かな驚き。

 

「そうか。お前は俺の友人如きものだったか」

 

「なんだそれは。そんなこともわからなかったのか」

 

 不意に呟いた俺の言葉に、彼女は呆れた風に肩を竦める。

その姿には余裕があった。いや、そう見えるのは、彼女に今俺と戦うつもりがないからなのだろう。

 彼女は強いが、この間合いでは確実に俺が有利。自惚れるつもりもないが、この距離ならば、俺は彼女に何かをさせる余地すら与えず一閃することができるのだから。

 余裕ではなく、いつもと同じなだけ。

 ならば俺もいつまでも構える必要もない。若干のつまらなさを感じながら刀を収めると、ニタニタ笑う彼女に背を向ける。

 

「行くのかい?」

 

「宣誓の意味くらいはわかるつもりだ。俺とお前の道はここまでだった。ならばこれ以上共に居る必要もないだろ」

 

 だから別れの言葉すらいらない。置いていた荷物を肩に担ぎ直した俺は、そのまま彼女の方を見ることなく、元来た道を引き返す。

 淀みなく。

 迷いなく。

 唯一の友すら、省みぬ。

 

「そんな君だから」

 

 だからだったのだろう。そんな俺だから、彼女は寂しさと喜びを込めて。

 

「一年の月日、紡いだ友情。それすら躊躇いなく斬り捨てる君だから、私はーー」

 

 その最後に、祈りにも似た呟かれた独り言を耳に留め。

 

「それはないだろう」

 

 俺は、彼女の出したたったひとつの答えを一人静かに断じたのだった。

 

 ──今思い返せば、俺はその時、彼女に何かを告げるべきだったのだろう。

そうすれば、何を見るでもなく己に腐心したこの道に、一つの兆しが生まれたかもしれない。

 そうだ。

 友情があった。

 互いに思いは別にあれど、そこには暖かな繋がりがあったというのに。

 俺は。

 そして彼女は。

 そこに何ら見出だすことすらせずに別れてしまえるほどに。

 

 あまりにも独善的すぎる、どうしようもない人間だったのだ。

 

 

 京都神鳴流。

 

 人知れず力なき人々を恐るべき妖怪変化より守るその名は、極東の一勢力でありながら、極東だけではなく、西洋、果ては魔法世界と呼ばれる場ですら一目置かれる者が背負う看板だ。

 本来なら人間とは根本的にその性能が違う妖怪変化を相手に、野太刀を手に、膨大な気を用い調伏を行う彼らの実力は、一人一人が現代の軍隊を相手に出来るほどである。

 そのなかでも、唯一にして絶対の頂点として君臨するのが、その宗家。

魔を相手取る神鳴流の使い手の誰もが頭を上げること敵わぬ最強。

 

 名を、青山。

 

 宗家青山。

 

 初代より今日に至るまで、その類い稀な力と、高潔な精神によって神鳴流を背負ってきた青山。

 その当代は、歴代においてもさらに隔絶した能力をもって、裏の世界で勇名を誇っていた。

 先の大戦にて、英雄サウザンドマスターの友として戦場を駆けた青山詠春は最たるものだ。

 神鳴流ここにありという活躍を見せたサムライマスターである詠春。しかし驚くべきは、当代の青山にて、詠春程の実力者すら、とるに足りぬということにある。

 未だ才覚を露にしていないが、その片鱗を見せ始めている当主候補の青山素子。

 そして歴代最強の名を欲しいままにしながら唐突に引退を発表した青山鶴子だ。

 婚姻を機に、神鳴流を引退した彼女は、現在京都の山奥にある家屋で、旦那と二人、早めの隠居生活を行っている。

 表向きは、現役を退いた鶴子が、裏の事情に関わらぬようにと自ら言い出したということになっているが、その本当の事情は、神鳴流の使い手ならば誰もが知っている。

 その理由は、単純明快。

 

「お久しゅう」

 

 暖かな木漏れ日が入り込む小さな客室。その日、青山鶴子は、旦那が居ないのを見計らって、一人の男を迎え入れていた。

 その相手こそ、今鶴子と向かい合うように凛と正座をしている青年だ。

 

「はい。ご無沙汰しておりました」

 

 深々と一礼した青年は顔を上げて鶴子を見返した。

端正とは言い切れぬが、素朴な青年である。少年の面影が薄れ、ようやく一人の青年になろうといった顔立ちだ。見た目だけを見るならば、恐らく十代の半ば程か。しかし、感情のわからぬ表情と、抜き身の刀のように冷たい雰囲気をまとっているせいか、年齢は見た目よりも随分歳が上のように見えた。

 

「えぇ、本当に……とは言うても、半月程やけど」

 

 鶴子は上品な微笑みを浮かべた。

 その表情に浮かぶのは、親しみと僅かな憐れみ。だが着物の裾で上手く表情を隠した鶴子は、何を考えているかわからぬ青年の様子を見た。

 

「本当なら、ウチの旦那に誤解を解いて欲しいんやけどなぁ響はん」

 

「鶴子姉さん……いや、誤解ではなく、俺がなした所業は事実故」

 

「ですが……」

 

「本来なら、ここに訪れることすら許されぬ身ではありながら、鶴子姉さんのご好意に甘えてばかりな自分を恥ずかしく感じるばかりです」

 

 尚も言葉を続けようとする鶴子に、男、青山宗家が最後の一人である青山響は、再度頭を下げるのであった。

 

「まぁ、響はんがそう言うなら、ウチはどうも言わん」

 

「我が儘ばかりで申し訳ありません」

 

 頭を下げたままそう謝罪する響に、鶴子は場を和ませるように明るく笑うと、響の傍に寄ってその肩にそっと左手を乗せた。

 

「えぇんや。我が儘言うんが弟やからなぁ。響はんがちっちゃい頃は我が儘一つ言わなかったんや。このくらいはなぁ」

 

「……ありがとうございます」

 

「もう。そんな他人行儀は止めや止め!」

 

 朗らかな鶴子に引き上げられるように顔を上げた響は、優しく笑う鶴子を一度見てから、続いてその右腕の『あった部分』を見た。

 着物で隠されているが、肩より先の部分が鶴子の右腕は存在していない。

これこそ鶴子が神鳴流を辞した理由であり、宗家青山に置いて、響のみが語られていない理由だ。

 今より幾年か前、婚姻を境に一線から退くつもりであった鶴子に、真剣を用いた決闘を響は挑んだ。

 そして、結果は見てのとおり。

 響は全盛期の鶴子の右腕を斬り捨て、歴代最強の使い手となったのである。

だがそれに対して周囲が感じたのは、底知れぬ強さが見せる暗黒への恐怖。

 

 魔を断つ剣にあるまじき、悪鬼外道の姿であった。

 

 だが、そんな彼に対して、鶴子はといえば以前と変わらず、いや、それ以上に優しく接するようになっていた。

 当然、周囲の人間はそれを良しとはしなかったため、今はこうして人目を忍んで月に一度か二度の頻度で出会っては、とりとめのない会話と。

 

「それで、今日もまた何かあったでしょうか?」

 

「それは勿論。とは言うても、これも噂話の域やけど」

 

 毎度の如く響にとっては有益となりえる『好敵手』の話であった。

本人も自覚していることだが、響はコミュニケーション能力が常人に比べて著しく低い。なので彼だけでは、幾ら腕が立つとはいえ、これまで斬り伏せてきた妖怪変化や悪党の情報を得ることは難しかっただろう。

 そんな彼を人知れず支えてきたのが、未だ神鳴流で大きな影響力をもつ鶴子であった。

退魔を生業にする神鳴流には、様々な情報が集まってくる。鶴子はそれらの中から、今の響に必要なものだけを選択して、彼に伝えていった。

 あくまで、噂話として。

 偶然、そんな話を聞いたという体で。

 

「……是非、聞かせていただけないでしょうか」

 

 当然、響も何度となく話を聞いてきたために、流石に鶴子が何らかの意図で自分に敵を与えているのかくらいは察している。

 だがその理由について問うことはなかった。何故なら理由を知ったところで意味などないことはわかっているし、己が強くなるのであれば、利用されるのすら構わないと思っているからだ。

 鶴子はそんな響の内面の機微を知ってか知らずか、本心を内側に隠した微笑を浮かべたまま、響が望む噂話を語りだした。

 

「何でも、ここより西で、地図にも載っていない島で封印されとる鬼を解き放とうとしているけったいな輩がおるらしゅうてな……」

 

「封じられた鬼……」

 

「酒呑童子。と言うたら分かるやろか?」

 

 あくまで世間話という体でさらりと告げられた鬼の名前に、表情に乏しい響の顔が小さいながらも驚きに染まった。

 

「酒呑童子とは……まさか、実在していると?」

 

「まっ、あくまで噂やけどなぁ」

 

 鶴子の微笑みはまるで変わらない。何でもないようなことと口にはしているが、その実、もしそれが本当ならば決して気楽に口にしていい話題ではないはずだった。

 酒呑童子。

 古くから人々を襲ってきた妖怪変化の中でも特に強力であり、かつポピュラーな存在である鬼と呼ばれる妖怪を統べる存在としてその名は有名だ。

 現在は京の都で封印されているリョウメンスクナですら、彼の鬼と比べれば格が劣ると言えば、その規格外が理解できるというものだろう。妖怪の中でも特に強力な鬼を統べる力は伊達でもなく、無数の命を生贄として召喚されたときは、日本中の術者が総力を結集して、辛うじて封印するに至ったらしい。

 だが一方でその存在は資料でしか確認されておらず、しかも封印場所がまるでわかっていないことから、存在しないのではないかとさえ最近では言われてきた。

 ならば成るほど、噂話としては上等な類のものだろう。少しばかりスリルがあるが、実際にはありえないお話とあれば、話題としてはうってつけだ。

 しかしこれまで鶴子が噂話としてもちかけてきた話の全てが響にとって価値あるものであったことを考えると、この冗談のような噂話も、あながち嘘ではないのかもしれないと響は思っていた。

 

「それで? その島というのは何処に?」

 

 既に驚愕の色は響の顔から抜け落ちていた。あるいはその話が本当だとして、何故その話を自分にしたのか、どうやってその話を手にしたのか等、疑問が沸いて出てきてもおかしくないだろう。

 しかし響は一切の疑問を吐き出すことなく、ただ静かに頷きをもって鶴子に続きを促した。

 

「そう言うと思うて、地図を引っ張ってきたんや。噂にしてはよう練られてますえ」

 

 言うが早く懐から色あせた小さな地図を鶴子は取り出した。

 用意周到というか。ここまでしておいて未だ噂話だと言ってのける胆力に響も内心で苦笑しつつ、広げられた地図を二人で覗き込んだ。

 

「少々遠くにありますが、そこへの道は偶然にもウチの知り合いが知っておってなぁ。その知り合いにここまで行きたい言えば連れてってくれますわ」

 

 地図には本来島など存在しない場所に小さな点のようなものが描かれていた。ただこの地図だけでは本来座標を特定することが出来ないはずだが、おそらくこの地図自体がその場所へ行くための鍵のようなものなのだと響は察した。

 だからこそ疑問なのは一つ。

 

「仮にお話が本当だとしたら、この封印を解こうとしている術者は、どうやってこの場所を知ったのでしょうか?」

 

「さて」

 

「そもそも、その術者は何処でその話を聞いたのでしょうか」

 

「さぁ?」

 

 当然すぎる質問に、鶴子は笑みを崩すことなく堂々と白を切って見せた。

 響はその笑みを探るように数秒見つめる。だが幾ら見たところで鶴子が何を思っているのかなどわかるわけがないので、疑問は吐き出した呼気とともに外へと流した。

 

「まぁ、気にしても仕方ないことなのでしょう……とりあえず地図はお借りしても?」

 

「構いません」

 

「では」

 

 響は地図を丁寧に丸めると懐に仕舞い込んだ。

 そして用はこれ以上ないとばかりに立ち上がり、「失礼します」と一言入れてから鶴子に背を向けてその場を後にした。

 

「えぇ、気をつけてな」

 

 久方ぶりの姉弟の会合はものの十分もしないうちに終わってしまった。だが響は当然として、鶴子もそのことを気にした様子はまるでない。

 ただただその顔に浮かぶのは優しげな笑みだけである。

 

「……疑問はあるやろう。ですがそんな疑問も、あまりにも出来すぎた演出すらも響はんは決して気にもしない」

 

 響は鶴子を信頼しているからこそ疑問を口にしないのだろうか。鶴子の笑みは己を信頼する弟を頼り、そして一人前の剣客としての経験を積ませるために噂という形で邪悪と呼ばれるような者達の情報を与えているのか。

 もし彼らの会合を知った第三者が居たならば、そう問うたに違いない。

 そしてもし問う者が居たのなら、鶴子はやはり微笑を称えたままに答えただろう。

 否。

 そんなことは決してありえない。

 響は確かに己を信頼しているだろう。だが、そんな家族への信頼など遥かに超えた欲求があるからこそ、響は鶴子の話に耳を貸して、自ら動いているのだ。

 

 強くある。

 

 強くあれ。

 

 青山響という男が持つ欲求はあまりにも単純明快だ。だからこそその狂気的な純粋無垢に、鶴子は己の腕が斬られるその瞬間まで気づかなかった。

 

「ならば叶えましょう。強くなるんや響はん。その身に流れる『青山』のままに」

 

 それはまるで一本の刀を鍛え上げる作業に似ていた。

 鍛え、練り上げ、そしていずれ響という男は、青山という鋼の結晶となりえる。

 その未来を想像して、鶴子は切断された右腕の部分に甘い痛みが走るのを感じた。

 

「ん……ふ、ぁ」

 

 頬を赤らめ、切断部分をそっと撫でる。熱をもった断面は、触ると甘い疼きを体中に伝えた。

 

「ふふ……」

 

 強くなれ。

 

 強くあれ。

 

 強くなり続けろ。

 

「その先をウチは永遠に理解できないやろうなぁ」

 

 剣士として響に劣る己では、その狂気が行き着く終わりの場所を理解することは出来ないだろう。

 だがそれでいい。自分は知らずとも、もう一人の『青山』は狂気の末路を知りえるはずだ。

 

「天啓やった……弟に斬られ、無様を晒しながらも生き抜いたあの日、ウチの血塗れた姿を見て、あの子だけは恐怖の中に『色』を見せた」

 

 あぁ、もう一人の青山。

 今は弟のことを忘れて、陽だまりに己の身を置く対の異端よ。

 鶴子は天啓を得て、己が使命を知った。

 あの日。

 あの時。

 恐怖を忘れ暗黒に埋没する青山と、恐怖に飲まれながら光を覗かせた青山。

 この二つを、真逆の極地に立たせることこそが自分の命の在り方だと知った。

 

「これをもって『青山』は完成する。どのような極地か、ウチには決して理解できへんやろが……素子、血が作り上げた『青山』を知るのはあんさん以外おらへん」

 

 最早、その思考は血を分けた家族へのものとは思えなかった。

 京都神鳴流が長き年月を経て作りあげた二つの恐るべき才覚。鶴子にはそれだけしか見えていなかった。

 

「『青山』」

 

 いずれ、この言葉は響きのみを指す言葉として知れ渡ることになるだろう。

 宗家とは違う狂気の名として。

 そしてそのときこそ、鶴子は歴史の証人となるのだ。

 

「人間の終わり。人間の可能性……おぞましきは人の性」

 

 その暗黒を見ろ。

 そして大衆よ、己が業を知れ。

 

「もしくは、それすら照らす光があるのやろうか」

 

 いずれにせよ、この一戦にて人間の終わりの一部が姿を見せるだろう。

 人は何処まで行けるのか。生物として妖怪変化に劣る我々がどうしてここまで繁栄することが出来たのか。

 根源に在るおぞましきその姿を曝け出せ。

 そして──

 

「凛と、歌声を」

 

 斬撃から溢れ出た凛と染み入る鈴の音色を再び。

 なんてことはない。

 取り繕った理由は彼方に。鶴子はただ、あの美しき音色が奏でる旋律をもう一度聴きたいだけなのであった。

 

 




なろうで、不倒不屈の不良勇者とか書いてて遅くなりました。
とはいっても、現在もなろうで新しく魔神兵装クロガネっていうのを連載しているので、暫くは完全に定期更新とはいきませんのでご了承を。よければなろうの新作やヤンキーとか読んで気長に待っていただければと思います!なんて露骨にアピール。


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第二話【鬼と修羅(中)】


お待たせしました


 

 某県の小さな漁港より船で半日程、特殊な経路と特殊な術を用いなければ絶対に来ることの出来ない無人島がある。絶海の孤島とは言いえて妙だが、船に揺られた時間に比して、俺の身体能力なら二時間程のんびり泳げば先程の漁港に着くというのは驚きである。尤も、鶴子姉さんの言うことが真実ならば、当時の人間が現代の船でも半日かかる程の遠い無人島に例の鬼を封じることのは一苦労であるため、まぁ距離的には妥当とみるべきか。

 俺は船のエンジンを切って、年季の入った古びた港につなげると、この島に入るためのカギである古びた地図を片手に島へと上陸した。

 

「……」

 

 見上げた先は人の手など入っていない鬱蒼とした森。見上げる程のちょっとした山の頂上まで木々で覆われた島の全貌を眺め終える。

 

「予想通り……か」

 

 武者修行で培った第六感はこの小さな無人島程度なら丸ごと探知出来る程度には鍛えられている。その第六感にて、俺は島の頂上から溢れ出る只ならぬ気配を敏感に感じ取っていた。

 反射的に少年時代よりの愛刀である野太刀、久楽の柄に手を添えた。

 初めてこの太刀を手にした当時は、腰に差して歩けば先を引きずる程であったが、今ではこうして腰帯に差して歩くことも出来るほど成長した。

 だがあの日と今、この体に秘められた才能に魅せられた心はまるで変わっていない。童心のままというと聞こえはいいが、ようは他のものに関心が無いませた野郎であるだけだ。

 なんて。

 そんなことを考えながら、俺は体を押し潰す圧力を放ち続ける島の頂上を目指して森の中へと入っていった。見た目からは分からなかったが、かつて鬼を封じた時に整備したのだろう山道が奥へと続いており、そこまで苦労することなく足は進む。

 だが歩を進めれば進める程、体を圧迫する力は大きくなっていた。過去、やばいと感じた魑魅魍魎や術者や剣客は居たが、頂上より感じる気配は、過去最強の化け物を引き合いにして尚圧倒的。

 

「死ぬかもなぁ……」

 

 不意に零れた言葉は真実である。万全の準備をしてきた俺だけれど、これを前に勝てる見込みはちょっとばかし見つかりそうになくて。

 でもまぁ、鶴子姉さんの言う通りなら、この気配そろそろ封印解放されちゃうんだよね。

 ならば行かないわけにはいかないだろう。

 

「行かなきゃいけない、なんちゃって」

 

「……ただでさえつまらない人間だというのに、ギャグセンスまで壊滅的だともう目も当てられないね」

 

 口ずさんだ渾身のギャグに痛烈な突っ込み。

 ……いや、そこまで言うのはよろしくないのではないだろうか。

 

「……居るなら返事をしろ」

 

「サプライズさ。察しろよ愚図」

 

 相変わらず痛烈な暴言の一方で、見てるこっちも楽しくなりそうなくらい華やかな笑顔を浮かべた女は、やはりいつもと変わらぬ様子で俺の前に姿を現した。

 だが、既に俺達は決別した。

 つまり遠慮など不要だということ。

 

「あぁ、お前もな」

 

 俺は躊躇いなく鞘から久楽を抜きはらうと、瞬動で一気に女との距離を詰めて刃を振るった。

 手加減は一切ない。一撃で絶命させるつもりで放った斬撃は、女に反応させる暇も与えずに上半身と下半身を泣き別れにさせ……何?

 

「これは」

 

「残念、式だよ」

 

 そして、罠でもある。

 そういった女の傷口から溢れ出る幾つかの術符を察した俺は、咄嗟に虚空を蹴って上空へと離脱した。

 僅かに遅れて、先程まで居た場所が爆発する。只の爆発ではなく、呪いをふんだんに込めた恐るべき爆発だ。巻き込まれれば一撃で絶命は必至、確実に俺を殺そうとしているのを察して、さらに一段警戒レベルを引き上げた俺は、隠れる場所の無い虚空に飛び出した愚行を悟った。

 

「ッ!?」

 

 島頂上より炎の龍が無数に飛び出してくる。当然、狙いは虚空に舞う俺であり、燃える口内を広げて迫る膨大な熱量は、気で体を強化していなければ接近されただけで眼球が焼ける程の熱さ。

 だが接近を許すつもりはない。

 

「斬空閃」

 

 刃に乗せた気を斬撃の軌跡に沿って放つ神鳴流の技。凝縮された気は直接気を纏わせた斬撃程ではないが、音速を容易く超えた気の刃は迫りくる炎の龍を纏めて斬り払った。

 合わせて、虚空を蹴って頂上へと俺は飛ぶ。先に放った斬空閃に追いつく程の速度で舞った俺は、頂上でいつもの笑みを浮かべて待つ女を斬り捨てるべく、天高く刃を振り上げ。

 

「おぉぉぉぉぉ!」

 

 気合いを込めて振り下ろせば、女を取り囲むように術符で虚空に展開された結界と激突して、互いの気が火花となって周囲に弾けた。

 

「待ったよ、響」

 

「……今更、語るか?」

 

「確かにね。それだけは同意見だよ……響!」

 

 烈火と吼えた矢先、見えずとも俺の背後に殺気が幾つも生まれるのを悟る。

 久楽を引いてバク宙しながら殺気の射線を掻い潜る。遅れて幾つかの光弾が背中を掠めて大地を貫いた。

 僅か感じる熱。着物は焼け焦げ皮一枚が炭となっている。

 まともに受ければ強化していても肉体を貫くのは明白。着地と同時に間合いをさらに離したところで、俺は女の周囲に浮かぶ十二個の光弾を見据えた。

 

「冗談みたいな気を込めたな」

 

 女を守護する光弾の一つ一つが、並の術者十人集まっても足りないくらいの気が凝縮されている。しかもこれ見よがしに高速で周囲を飛び回るところから見て、操作も完璧だということ。

 見た目は野球ボール程度の大きさでありながら、まさに一撃必殺の威力を秘めた恐るべき光の弾丸。指揮者の如くそれらを操る女は、邪悪な笑みを浮かべて答えてみせた。

 

「語らないんだろ? だったら今更声をかけるなよ!」

 

 それは確かに。

 納得のいく返答に同意しつつ、言葉が終わるより早く飛んできた光弾を迎撃すべく、正眼に久楽を構えた。

 

「奥義、斬岩剣」

 

 尋常ではない威力の秘められた光弾の一つ目掛けて、俺もまた特大の気を練り上げた斬撃を叩き込んだ。既に名の通りどころか、岩を砕き、鉄を割り、山すら断ち切る俺の一撃。それをさらに極限まで収束させてみせた奥義は、さながら特大の嵐を押し潰して作り上げた鎌鼬。

 だが、俺の奥義は女の光弾と競り合った瞬間、呆気なく貫通されてしまった。

 

「ッ!?」

 

 迫る破壊の弾丸。躱すにも、瞬動に匹敵する魔弾から逃れる術は無く、出来たのは辛うじて体を捻り直撃を逃れるだけ。

 

「ぐっ……!」

 

 脇腹を削っていった光弾が肉を削ぎ焼いて潰す。中々痛烈だが、勝手に焼いてくれるのは出血を抑える心配がないためありがたかった。

 などと思う余裕はない。体の至る所を削いでいった光弾が背後で反転。迫るのを察したところで、俺は虚空へと飛び出した。

 光弾はまるでそれ自体に意志があるかのように俺を追ってくる。追いつかれれば迎撃するのは困難。だからこそ全力で虚空瞬動を繰り返しつつ、眼下で斬岩剣の余波で砂煙舞う山の頭頂部へと視線を向けた。

 女の気配はまだ感じる。

 それと同じく、徐々に封印が解除されつつある鬼の気配も察する。

 

「こりゃ死んだかな」

 

 仮に目覚めた鬼が女の味方となれば勝機が完全に失われる。

 絶望的な戦況の中、それでも空を駆け抜ける己の肉体だけを頼りに、俺は再度女の下へと突撃を仕掛けるのであった。

 

 

 

 

 

 世の中には天才と呼ばれる存在が居ることを、女、浦島ひかげは知っている。

 だが彼女の知るそれは世間一般のそれとは違う。人より頭が良いとか、優れた身体能力を持っているとか、そういった次元の話ではないのだ。

 確かにそれらも天才と呼ばれる存在だろう。だがそれはあくまで常人の延長線上、頭脳はさておき、身体能力で天才と呼ばれる者は、いいところで凡人の倍程度の能力があるだけだろう。

 だが彼女の知る天才は違う。明らかに人間の枠組みから逸脱した存在。スーパーコンピューターを超える演算能力や、現行の科学力の数十年先を良く発明を行える発想力、未来を見通しているとすら思える程権謀術数に長けた者、個人の能力で街を壊滅させる力の持ち主。そんな、凡人がどんなに集まろうと決して届くことの出来ぬ力を宿した者こそ、真の天才、それ以外はどんなに優れていようが秀才であると、ひかげは常日頃から思っていた。

 何せ、自分こそがその天才であるからだ。これは自惚れでも何でもない。事実、彼女は齢六歳を超えたところで、浦島家に伝わる浦島流柔術の奥義を修めたし、その後、各地で教わった陰陽術の数々を十歳までに修め、独自の術理を開発するまでに至った。

 だがそんな彼女の才覚に、彼女の母である浦島ひなたは得体のしれない恐怖を覚えたのだろう。彼女が中学校を無事に卒業したところで、そのまま家を追い出されることとなってしまった。

 だが別にそのことに何か思うことは無い。既に裏社会に関わる者として活躍していた彼女には十分な蓄えや、研究室兼隠れ家となる住処はあったので、むしろこれで愚鈍な奴らと関わらずに済むと思えば精々したというものだ。

 浦島ひかげには比肩する存在が居なかった。極東の土地では足りぬと、西へ東へあらゆる場所に出向き、魔法世界と呼ばれる神秘の術で構成された世界にも赴いたが、いずれも彼女の心を満たす存在は片手で足りる程度しか居なかった。

 誰もかれもが愚鈍だった。

 どうしてお前らはそこまで劣っているのかと嘆きさえした。

 だからといって、天才と自覚したこの身を練磨することを止めるわけにはいかなかった。

 努力すればするほど、自分は他の者を置いて前に前にと進んでしまう。そんな身を幼少時に知って、歓喜したから磨き上げたのだ。ならば、今更その生き方を変えられるだろうか?

 どうしようもない。

 どうにもできない。

 言葉に出来ない不満は募っていくだけだ。

 弟子を取って育てたりもした。

 我慢できずに比肩する才覚と争いもしたこともあった。

 だがいずれも違う。

 違うのだ。

 彼女の欲した天才は、決して愚鈍な者と馴れ合うようなものではない。

 弟子であれば、己を慕うのではなく、この体に刻まれた術理をむさぼり食らうことを目的とした規格外を欲した。

 比肩する才覚ならば、同格故に理由なく殺し合えることを良しと出来る異端を欲した。

 しかし彼女の求める天才は――異常者は現れなかった。

 最早、この体を極め、完成させるほかないのだろうか。

 表面上は愚鈍な奴らに合わせて愛想笑いを浮かべながら、ただ孤独に深淵の最奥を目指すしかないのだろうか。

 そう半ば投げやりな感じで過ごしていたある日、ひかげは出会ったのだ。

 

 青山響と呼ばれる異端児に、彼女はようやく巡り合えたのである。

 

 

 

 

「響ぃぃぃぃぃ!」

 

 吼え滾るひかげは、影すら残さず虚空を駆け抜けてこちらに特攻を仕掛ける青山の名を呼び、その背中を追う光弾に魔力をさらに注いで加速させた。

 西洋魔術における雷系最強魔術と言われる『千の雷』。それを掌大の光に収束させることで、殲滅力は無くなった代わりに、あらゆる物体を貫通する破壊力を持たせた『収雷符』と名付けたオリジナルの陰陽術。この島に封印されている鬼を解き放つために複数の術式を同時展開出来ないため、今扱えるのはこの収雷符のみだが、それでも十分以上に戦えていることに小さな笑みを浮かべた。

 十二の光弾の半数は攻撃に、もう半数は防御に。完璧な布陣で戦闘を操るひかげの技量に、青山は苦戦を強いられていた。

 

「チッ」

 

 魔力の再付加によって加速した光弾に追いつかれた青山は、舌打ちしつつ体に纏わりつかんとする光弾を久楽に気を纏わせて何とかいなす。

 だがそのせいでひかげとの距離を埋めることが出来ない。道を遮るように体の周りを飛ぶ光を煩わしく思うが、奥義による一撃も有効打とならない以上、下手に動けば隙を突かれて今度こそ直撃を受けるのは必至だった。

 

「そら! 防いでばかりで私を倒せると思うなよ!」

 

 それを見て、一気呵成とひかげは光弾の勢いを加速させて青山を攻め続ける。見た目は掌大の球体でありながら、瞬動の速度にすら追いすがり、さらにほぼすべての防御を単純な破壊力で貫くことが出来るこの術は単純故に恐ろしい。

 陰陽師ということから、もっと搦め手でこちらを攻めると思っていた青山は、ひかげ対策に持ってきた術符の全てが無力化されている地何時に内心で悪態をついた。

 

「だが……久楽ならば……!」

 

 唯一、青山の規格外の気を纏う久楽であれば、光球に破壊されることなく拮抗することが可能なのが分かっているため、青山は縦横無尽に襲い掛かる光球を音速に並ぶ太刀筋で迎撃し続けた。

 そして間が開けば即座に虚空瞬動。ひかげとの距離を詰めようとするが、先程はすぐ詰められた距離が今は遠い。地平線ならばあっという間に到達できる健脚すら、十二の光球で描かれる鉄壁を超えるのは至難であった。

 

「どうした響! その程度で終いかい!?」

 

「語るつもりは、毛頭ないと言った……!」

 

 繰り返される挑発に、青山は声を荒げて応じた。

 だからといっていつまでも防戦一方を演じるつもりは毛頭ない。虚空瞬動で一瞬だけ光を置いていった青山は地面に着地すると、その時には既に追いついている光弾を、踏み込みの力も乗せた斬撃で六つ同時に斬り払った。

 繰り返すこと六連。音速を越えて飛翔する六つの対象を正確に捉えるという離れ業を易々と行ってみせる。

 しかし吹き飛ばすには至ることなく、逆にこちらの手がしびれてしまうほど。

 

「ッ、斬空閃……!」

 

 それでも一瞬だけ空いた間を使い、青山は不動と佇むひかげ目掛けて気の刃を放った。

 だがやはり苦し紛れの一撃では、ひかげを守護する六つの守りを一つだって蹴散らすことはかなわない。

 

「ほら! 隙が出来たぞ!」

 

 逆に、ひかげが操る光弾の一つが技の後の僅かな隙を晒す青山の体を僅かに抉っていく始末。左肩を着物ごと少しだけ削がれた痛みに、流石の青山も小さくだが苦悶の表情を浮かべた。

 だが止まることは出来ない。残り五つの光弾を独楽のように回転しながら紙一重で躱してみせると、その勢いをそのままに地面を蹴って、余裕の笑みすら浮かべているひかげへと特攻した。

 

「それを私がやらせるとでも!?」

 

 瞬きもあれば間合いを詰められるというのに、瞬動の起こりに入ったところを狙われて、飛び出す先に光弾の群れが割って入った。

 これで飛び出せば光弾に自ら激突して自爆するのは目に見えている。青山は咄嗟に瞬動の方向を正面から右手側に強引に変えた。

 

「ぐ、ぅ」

 

 解き放たれる方向を捻じ曲げられた代償は、両足にかかる負荷だ。強引な軌道変更に金繊維の幾つかが千切れ、内出血を起こす。

 痛みは何とか噛み殺しつつ、再度こちらを追い始めた光弾が追いつく前に、青山は怒涛と斬空閃の雨をひかげへと降らした。

 

「ふっ、無駄だぁ!」

 

 だがやはり、彼女を守護する六つの光は、その身に当たるものだけを取捨選択して迎撃した。蹴散らされ、あるいは二つに分かれて地面に激突する斬空閃の雨。だがしかし、ひかげはそこで青山の狙いが己ではないことを察した。

 

「煙幕とは……!」

 

 斬空閃の衝突で辺り一帯が巻き起こった砂塵で見えなくなっている。

 小癪な真似をしてくれる。

 勝利のためにあらゆる小細工を惜しまない青山のやり口に獰猛に笑いながら、ひかげは視覚ではなく魔力と気の流れを辿って青山を捕捉した。

 

「だがこの程度で私を欺こうなど……ッ!?」

 

 ひかげの表情が固まる。

 煙幕による一瞬の隙。

 視覚から魔力と気の流れに捕捉を切り替える間。

 本の少しばかりしかない時を稼いだ青山は、その間にこの状況を打破する方策を完成させていた。

 

「あぁ、欺けるとは、思っていなかった」

 

 だが、時間を稼ぐことは出来たのだ。

 これまで光弾の相手をしていたせいで満足に練り上げることの出来なかった気。青山は呼気一つ分程度稼いだ時を使用して、その膨大な気の解放と収束を果たしていた。

 そして込めた気をこの体を四方から狙う光球へ。死角すら補う青山の超感覚は、制御の難しい気の運用すら、乱すことなく整える。

 

「シッ……!」

 

 ひかげが超人的な反応で光弾を再度青山へ飛ばすが既に遅い。練り上げた力は精錬されて一つの技へ。積み重ねた研鑽にて手にした形をここで示さん。

 呼気を一つ漏らして全身の気を落ち着かせる。

 戦闘中において山奥の小さな湖の如く波紋すら立たぬ気の流れ。

 これらをもって放つ技にて、狂い踊る魔弾の群れを迎え撃つ。

 

「いざ」

 

 華、散らせ。

 

「秘剣・百花繚乱」

 

 周囲一帯に気の嵐を放つことで回りの敵を一掃する神鳴流が秘奥の一つ。しかし青山のそれは本来全方位に放たれる気の嵐を、選択した対象にのみ叩きつける程の精度で行えていた。

 しかも先の六連の斬撃を遥かに超えた速度によって、光弾を弾いた音が一つの間延びした音になる程。音を後に置いた斬撃にて僅かな間を得た青山は、続いて久楽に纏わせた気を充実させた。

 

「ッ、響!」

 

「遅い」

 

 異変を察したひかげが、反射的に防御に回していた光弾も青山へと殺到させる。だが青山が語る通り、判断があまりにも遅すぎた。

 ――俺の斬撃速度を侮った、お前の落ち度だ。

 内心でひかげを詰りつつ、しかし青山は絶好の機を逃すつもりは無かった。一瞬でもあれば十分、ならば、一秒があれば十二分。

 肉体の限界を少しの間だけ解除し、限界を超えた出力で気を流出させて技を放つ時間を一気に短縮。

 軋む肉体の訴えなど全て無視し、常人なら激痛で悶死するほどの痛みの中、限界を取り払って気を解放した青山は持てる奥義の中でも破壊力ならば究極に位置する一手を解放した。

 込められた気が紫電を纏い、鳥が囀るような音を弾く久楽を大上段に。既に態勢を立て直して突撃している光弾には目もくれず、青山は全身から放った気を久楽に束ねて空へと飛び出した。

 それは魔を退ける神の一撃。

 退魔の極みたる神鳴流の、決戦にてのみ放つ奥義。

 これぞ、逃れられぬ稲光を纏いし我が必殺。

 

「神鳴流決戦奥義、真・雷光剣」

 

 一閃無情。あらゆる全てよ、灰燼と化せ。

 

 技の名を告げると同時に振りぬいた久楽の切っ先から、山頂一帯を飲み込むほどの巨大な閃光が放たれた。青山の身に蓄えられた膨大な気。その力を余すことなく注ぎ込み、範囲内全ての存在を消滅させる雷光へと変換させる奥義。神鳴流でも指折りの使い手のみに扱えるこの奥義も、青山が使えばそれは最早弾道ミサイルの一撃と同義。

 広がり続ける閃光は山を飲み込み、その場に居たひかげの体も丸ごと飲み干して尚広がる。

 渾身の力を注いだ珠玉の一撃。これ以上の破壊力が望めない青山の最大が、小さな島を揺るがし、周囲の海を震わせ、空の雲が島の周囲の分だけ消滅する。

 その閃光の中、唯一破壊の乱気流を見下ろす青山は、持てる全霊にて消滅した山頂を憮然とした表情で見ていた。

 

「……慢心だな。封印を解除する片手間で、俺を殺せると勘違いしたお前の負けだ」

 

 青山の知覚領域に、ひかげと鬼の気配は既に存在しない。

 決戦奥義の名に相応しく、雷光の収束した後は大きく抉られており、緑生い茂っていた山頂部分も露出した岩盤が晒されているばかりだ。

 跡地の一部が硝子化している程の破壊力。まさに一撃必殺の名に違わぬ技の冴えの後、何も語ることも出来ずに消えたひかげに対し、青山は心を僅かざわつかせる何かを言葉にして伝えようとして。

 

 大気を震わせる程の心臓の音が響き渡るのを、その全身で感じ取った。

 

「ッ!?」

 

 青山は体が震える程の衝撃に目を剥く。

 瞬間、クレーター化した部分の中央が大きく盛り上がった。だがそれは問題ではない。それよりも、そこから現れようとしている『ナニカ』の気配が、青山の全身を震わせた。

 

「な、にが……」

 

 再度、心音が跳ね上がる。

 鼓膜を揺らし、脳髄を震わせ、五臓六腑を響き渡らせる重低音。それは最早、心音という名の地震であった。

 鼓動一つが天災となる存在の覚醒。

 それは、青山がクレーター内部に降り立つと同時、大地を爆発させながらその姿を現した。

 

「……お前、は」

 

 地面を『破壊』して現れたのは、その身に纏う衣服の至る所がズタボロになりながらも、露出した白い肌には一切の傷も見られないひかげであった。

 だが、先程と変わらぬ見た目でありながら、青山は彼女から感じる何かがまるで変わっているのに気付く。

 いや、それは変わっているという言葉ですら足りぬ。

 例えるならば、『辿り着いた』とでも言うべき、進化。

 

『ソウカ、コレガ』

 

 言葉に出来ぬ感情に総身を震わせる青山の前、ひかげは片言で呟きながら、その両手を開いてジッと見つめていた。

 彼女もまた察したのだろう。己の体から溢れ出る力の意味。青山が放った一撃が到達する直前に解放することが出来た鬼の力を取り込むことに成功したことで至った力の解答。

 それはそう、これ以上先のない、天才しか到達できない最後の場。

 

『ワタシハヨウヤク、テンサイヲ、オエタノカ』

 

 この体に溢れる才能を磨き続けた。

 周囲の愚鈍な者達を置いていき、一際飛び抜けた才覚を全て解き放つことに腐心し続けた。

 それがここだ。

 こここそが、天才と呼ばれる才覚の、終わり。

 

「なんで、そんな……」

 

 その一方、『ソレ』と対峙する青山は言語を絶するその在り方に言葉を失っていた。

 それは例えるならば美しき汚泥。

 それは例えるならば醜悪なる宝石。

 それを例えるなら――

 

「なんて様だよ、お前……」

 

 言葉に出来ぬその在り方。

 

 鬼の極みを手にした人を。

 

『アァ、コレガ、ワタシノオワリダ』

 

 修羅外道と、人は蔑み恐怖する。

 

 

 

 

 今、現代に最新にして史上最悪の御伽噺が生まれようとしていた。

 

 

 

 






断章はダイジェスト風味。本当はこの話に至るまでの青山とひかげのお話が幾つか存在するけど、面倒だから全部カットだぜ!


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第二話【鬼と修羅(下)】

 酒呑童子。

 現代日本に語られる妖怪の中でも特に強靭で恐ろしい存在と言われてきた鬼の中でも、頂点として君臨した最強の妖怪。

 現代では御伽噺の一つとして語られる存在でしかないが、果たして時を遡ること数百年前にもなるだろうか。当時の極東における陰陽師や神鳴流の剣士が総力を結集して辛うじて封印に成功した鬼こそ、この御伽噺にしか出ない化け物であることを知る者は、現代では数える程しか存在しない。

 鬼としての剛力や耐久力。その暴力性も驚嘆に値するが、酒呑童子が真に恐れられたその理由は、この恐るべき鬼にはあらゆる防御手段が通用しなかったことにあった。

 あらゆる防御を問答無用で破壊する異能。まさに破壊の権化とでも言うべき力を宿したこの妖怪との戦いの結果、極東の陰陽連合はその後半世紀以上、戦力回復に尽力したと言えば、酒呑童子が如何に恐るべき妖怪なのかは分かるだろう。

 そんな規格外の化け物を、矮小な人間という器に宿し、しかも僅かに肉体に変調をきたしながらも理性を保って制御している浦島ひかげという女が、人類として限界を極めた天才だというのは疑いようのない事実なのは確かである。

 

『ジツニスガスガシイキブンダ』

 

 その小さく細い掌の握りを確かめながら、ひかげは充実する力に満足そうに頷いてみせた。

 頭部からは、鬼を吸収した証と言わんばかりに二本の立派な角が生えているが、それ以外に見た目の変化はあまりない。後は眼の白と黒の比率が逆転した程度であり、化け物然とした豹変はしていなかった。

 だがその体からあふれ出す鬼気とも呼ぶべき気の、なんと恐ろしきことだろうか。世界を焼き尽くす紅蓮の如くその身より沸き立つ気は、離れた場所に居て尚、感じるはずのない熱量を青山に覚えさせた。

 それはまさしく鬼神。鬼の頂点に君臨した怪物にのみ許された、絶対なる力そのものだった。

 油断しきったその態度は、青山という神鳴流の極地に立つ男を前で本来とるべきものではないだろう。間合いはおよそ数歩。この距離ならば、例え相手がドラゴンであろうと、青山ならば呼吸一つ分の時間で一刀両断することが容易い。

 だが今の青山は、隙を晒すひかげに一歩も踏み込むことが出来ずにいた。

 見た目は只の少女にしか見えないというのに、その身からあふれ出す気と魔力の混ざり合った力は、この小さな島を丸ごと飲み込んでいる。立っているだけでも並の術者ならそれだけで意識を失いそうな力の海の中、顔を青ざめながらも決して油断を見せずにいる青山は超一流の名に恥じぬ胆力の持ち主と言えよう。

 しかし、だからどうだというのか。

 今や超一流の陰陽師の身に、かつて極東の術者を壊滅まで追い詰めた鬼の力が宿った反則レベルの化け物が相手では、青山の力も霞んで見えてしまうことだろう。

 努力する天才と最強の妖怪の融合体。

 あるいは、単騎で世界を相手取れる究極が、今のひかげである。

 

「……ふぅ」

 

 だからとて。

 だからとて、向かわないわけにはいかないだろう。

 恐怖を超える狂気は、確かにこの胸を苛んでいるのだ。

 

「行くぞ」

 

 青山は震える身体を、気を整えることで抑えると、絶望的な力量差を無視して単身、ひかげへと飛びかかった。

 油断を晒す今こそが最大にして最後の好機。奥義を放つ余地を見せれば隙が閉じてしまう恐れがあったため、青山は出力した気を久楽に全て纏わせて、間合いを詰めると同時にその首筋へと放った。

 空気の壁を斬り裂いて、音色の是非も断つ極限。

 研鑽した術理を余すことなく注ぎ込んだ一閃に対して、ひかげは明らかに反応が遅れながら、斬撃の線上にその握れば折れてしまいそうな右腕を翳すばかり。

 ならば、その驕りごと我が刃は千殺する。

 意を乗せた刃は乙女の柔肌へ。腕ごと首を断つ青山の刃は――その腕どころか肌を裂いたところで停止した。

 

「な、に?」

 

『ホゥ、コノミヲキリサクトハ……ヤハリオマエハアナドレヌオトコダ』

 

 互いに驚きの色を浮かべるが、その意味合いはまるで違う。

 青山は渾身をもってすら皮一枚と僅かに筋繊維を幾つか斬り裂いただけで停止させられたことへの驚愕。

 ひかげは鬼の統領である酒呑童子の力を纏った己の体を、神鳴流の技ではなく、ただ気を纏っただけの斬撃で少しであるが斬ってみせた青山の技量に対する驚嘆。

 最早、その心境一つとっても両者の間にある力の差は歴然としたものだった。

 

『デハ、ツギハワタシガイカセテモラオウカ』

 

 そう言ってひかげが左手を強く握りこむ。象ったのは小さな拳。しかし込められた気の総量は、人間の規格を遥かに超えた――。

 

 破壊される。

 

 本能が絶望を察した。

 

「う、おぉあああぁぁぁぁぁ!」

 

 青山はひかげの拳を見た瞬間、暗がりに一人放り込まれた童のような悲鳴をあげて虚空瞬動を行った。

 戦略も何もない。遮二無二、空へと飛び出した青山は、その眼下でこちらを目で追うひかげの凄惨な笑みを見る。

 

『ソラ、コテシラベダ』

 

 ひかげは笑いながら、握った拳を天高く掲げると、青山にではなく地面へと拳を叩き込んだ。

 最早、そこに居るのは見た目通りの乙女ではない。象られる拳から解き放たれる災禍。振り上げた拳を腰だめに構えたひかげは、何の術理も無く、ただ剛力に身を任せてその拳を虚空舞う青山へと放った。

 拳の先より吹き荒れる破壊の極限。余波だけでひかげの立つクレーターがさらに深く掘り下げられた。地面が砕けて隆起し、吹き荒れる突風は辛うじて残った木々を根こそぎ奪い去る。

 余波だけでこの威力。まさに青山が予感した通り破壊そのものと化した純粋エネルギーは、音すらも砕いた真っ直ぐに青山へと殺到した。

 

「ひ……!」

 

 小さな悲鳴をあげながらも、脳髄を介することなく回避行動に移れたのは殆ど奇跡だろう。逃れた直後に体の横を突き抜けた破壊の余波で発生した乱気流にもみくちゃにされながら、しかし己の態勢を立て直す以上に、青山は回転する体を立て直すと、八双に構えたまま雷光もかくやという勢いでひかげとの距離を埋めた。

 そのまま振りぬいた久楽とひかげの拳が激突する。衝撃で久楽の刀身が悲鳴をあげて、柄を握る掌にも痺れが走ったが、構わずに瞬動にてひかげの背後へと回る。

 

『ン?』

 

 ひかげの反応は鈍い。いや、現実問題として、今の青山の攻撃の殆どが脅威で無い以上、防衛本能が働かない結果とみるべきか。

 どうでもいい。

 いや、どうでもよくはないか。

 

「奥義」

 

 その油断。逆手に取る。

 腰構えから伸びた刀身に宿る閃光。留めた気力は最大へ、先の雷光を凌ぐ一閃にて、貴様の油断を裏に斬る。

 

「斬魔剣、弐の太刀……!」

 

 神鳴流が奥義にして、神鳴流が退魔を生業とする上に当たって常に決め手とした絶対の一撃。

 己の斬りたい物を斬り捨てるという弐の太刀の中で、特に妖怪変化等の魔的な存在を狩り取ることに特化したこの奥義ならばいけるはずだ。

 斬気を走らせる僅かな間にそんなことを思考しながら、技を放つ瞬間は見事そのような雑念を挟むことなく、青山が極み、斬魔の太刀が無防備なひかげの背中を袈裟に舞う。

 見事と語る他なき美しき銀色の軌跡。青山もまた、これ以上ないと確信した斜線と描いた刃の手ごたえは――

 

『ハァ!』

 

 迎撃するようにひかげの体より放出された鬼気によって、相殺される結果に終わった。

 これで何度目の驚愕か。しかし振り返り際に笑みを象るひかげの殺意を見て、青山は思考を走らせる暇はないと悟る。

 一度で駄目ならば何度でも試せ。通じるまで技を、気を、己をぶつけ続けるのだ。

 何よりも、この程度で挫ける性根であれば、最初から死地へ赴く資格など無いのだから。

 

「奥義!」

 

『ムダダ』

 

 だがそんな青山の覚悟すらも砕かんと、再度気を久楽に纏わせた青山の顔面にひかげの手が伸びた。

 反射的に技を中断して久楽で掌を弾く。まるで巨大な鉄の塊を押したかのような重量感と手ごたえ。

 隙は無い。

 なら、一度間合いをと思うが、瞬動の起こりを見抜かれているために、動く先にひかげの手は伸びた。

 間合いを離す余地も無い。

 なら、覚悟を決めろ。気を纏わせ、全力を賭した一撃は皮一枚でもこの鬼の体を斬った。だがそんな青山に全身全霊を賭す余地も与えぬと、放たれた久楽の切っ先を掻い潜って青山の胸元へと飛び込んだひかげが、瞬きする暇も無い程怒涛の拳撃を始めた。

 

「ッ!?」

 

『ハハハ! オマエノカンガエナドオミトオシダヨ! ヒビキ!』

 

 懐に入り込まれた青山は、迫る拳を辛うじて弾くことしか出来ずにいた。

 そもそもの身長差から、二人の間合いは随分と違う。それに加えて青山の得物は長大な野太刀。結果、入り込まれた瞬間、青山は久楽を振るう間すらも失ったことになる。

 そして、鬼としての身体能力故か、無呼吸による連打を放っているというのに、ひかげには疲労の色は見えない。逆に防戦する青山のほうが、ひかげの拳を受け流す度に両手に疲労が重なり、霞める度に着物はおろか皮を吹き飛ばされ、巻き起こる鎌鼬が肌を切り裂き流血を増やしていた。

 怪物的すぎる。

 勝てるわけがない。

 青山お得意の斬撃は封じられ、神鳴流の退魔の術も放つ余地が無ければ扱えない。

 八方手詰まり。

 このまま一方的に嬲られ、死ぬのを待つばかりか。

 

『チガウダロ!? ソウジャナイダロ! ヒビキ!』

 

 否定の言葉は、この状況を作り上げている張本人より漏れ出た。

 

『オマエノチカラハ! コンナモノデハナイダロウ!』

 

 まるで哀願するかのような訴えに、青山は徐々に重くなる体を引きずるように操りながら、無茶を言うなと内心で悪態をついた。

 これ以上の手は無い。

 何も残されていない。

 死だ。

 後に待つのは、死ぬばかり。

 繰り出される拳打は、確実に体を掠める数が増え始めている。迎撃が追いつかない。弾いても弾ききれない。

 死ぬのだ。

 死ぬ。

 死。

 

「それも……一興」

 

 どうせ二度目の人生ならば。

 この怪物と斬り結べたことに感謝こそすれ、死を恐れる必要はないだろう。

 青山の笑みと同時、遂に防ぎきれず躱しきれなかった一撃が青山の胸元へと触れる。

 その瞬間、先程までの笑みを凍り付かせて、泣き出しそうな表情を浮かべるひかげの顔が面白くて。

 

「泣くな、馬鹿」

 

 胸を貫く破壊の一撃。

 酒呑童子の力と現代最強の陰陽師の技量が合わさった一撃は、違うことなく青山響という名の男の命に届く。

 劇的な展開なんて、何処にもない。

 それは最初から決定していた末路。

 

『ヒビキ! 死ぬなよ! 私を置いて死なないでくれよ!』

 

 ――無茶を言うなよ、この馬鹿が。

 

 こみ上げる血潮で思いも語ることも出来ぬまま、決着を告げる一撃を受けた青山響は、永遠の眠りにつくのであった。

 

 

 

 

 

 記憶の原点を俺はもっていない。

 それは俺が前世の知識を持つためであり、仮に俺の原点を言うならば、それはきっとこの青山響という肉体に突如として前世の記憶がよみがえった時だろうか。

 それは初めて真剣を手にした時であった。

 雷が駆け抜けるように、一瞬にして前世の記憶、この場合知識というべきものがよみがえった瞬間、俺は驚くのではなく、むしろ少々の落胆を覚えたものである。

 あぁ、俺は、これから先、子ども幼少時に感じる未知を知る歓喜を殆ど手に入れることが出来なくなったのだ、と。

 未知を知る歓喜は人間のもつ固有の欲求だ。だが知識欲とでも言うべきその欲を、俺は前世の知識を思い出すことによって殆ど満たす術を失ったことになる。現に、子どもらしい丸い掌で握った真剣は、実際に触ったことがあるかは定かではないとしても、知識として既に存在しているため、子どもみたいに好奇心にあふれた行動をすることはかなわない。

 どうしてこんなに重いのか。

 どうして鞘に収まっているのか。

 どうして怪しい光を放っているのか。

 どうして斬るための道具として作られたのか。

 どうして斬られると痛いのか。

 どうして斬ると痛いのか。

 痛いことは良いことなのか。

 痛いことは悪いことなのか。

 真剣一つとっても、そこから得られる無数の謎を俺はもう知識として知ってしまっている。

 それが残念だった。

 その間に俺の親が語ることなど耳に入らぬ程、その時の俺は未知を失ったことによるショックが大きかったくらいだ。

 そして、話が終わった後、知識がよみがえるまえにこの肉体が経験した記憶と、こっそりと調べたこの世界の情報を知って尚のこと俺は落ち込まずにはいられなかった。

 この世界はある程度の地名等の差異はあれど、ほとんどが俺の見知った常識と同じ世界で構成されている。

 つまり、未知がない。

 子どもだというのに、既に好奇心を発揮する手段を俺は失ってしまった。

 その嘆きを誰が知ろう。

 なまじ前世の知識があるからこその弊害。未知を享受出来ない絶望。これでは何のための人生なのだろうかと嘆く始末。

 折角若返ったのだからと思わなかったこともないが、そもそも俺は前提として前世の知識や常識はあれど、前世で俺がどういった人間だったのかという記憶が存在しないのだ。もしかしたら老齢の男だったかもしれないし、もしかしたら今のこの体とそう変わらない幼女であった可能性もある。

 つまり、二度目であるという実感がない。

 なのに、未知は全て埋め尽くされている。

 知識はある。であれば必然として俺は二度目の人生を始めたということになるだろう。だがそんなことは何の慰みにもならない。

 子どもに強制的に知識を植え付けた結果、知識の分だけ強制的に精神年齢が上げられたという奇妙な感覚とでも言うべきか。しかしこんなことを周囲に話しても、狐にでも憑かれたのかと疑われるのが関の山。

 ならば、惰性と過ごすしかないのだろうか。そう思っていた矢先、俺は青い鳥を見つけることに成功する。

 とはいえ物語の彼らが、自分の家に幸せを見つけたのとは違って、俺の場合の青い鳥とは、まさに俺自身であったというのは何たる皮肉か。

 子どもである身を嘆きながら、嘆きを救済したのがその子どもの身。

 つまり、青山。

 青山という前世の知識に存在しない異常なる肉体。

 気という超常的力に、神鳴流という超常の術理。

 そしてそれらを十二分に操れる己の体。

 天才の肉体。

 青山という血。

 これを知ったからこそ、俺は幼少時に絶望することなく、子どもの好奇心を如何なく満たすことが出来た。

 そしてその好奇心に応えてくれる肉体は、年を経て尚も十二分に答えてくれている。

 進化を続ける肉体。

 限界を知らずに育つ血潮。

 凡才の身ゆえに、天才という体が発揮する性能に魅せられた日々。

 だから俺は青山なのだ。

 どうしようもなくこの体に魅せられた、どうしようもない凡才なのだ。

 

「だから、満足だ」

 

 胸部に触れたひかげの拳より伝播する鬼の気によって魂を破壊されながら、俺は走馬灯のような刹那の時で充足の声を漏らす。

 そう、満足だった。

 鍛えに鍛え続けて、まだ鍛え足りないと訴えるこの体で二度目の生を楽しめたことが満足だった。

 唯一の心残りは、この肉体の全てを発揮することが出来なかったくらいだけど。

 でも満足だった。

 凡才でしかない俺が、これ以上を望むのは罰当たりだから。

 

「だから、泣くなよ」

 

 聞こえてはいないだろうが、俺はくしゃくしゃに顔を歪めたひかげを見つめ、囁く。

 最後の相手に、おそらく世界最強の怪異と陰陽師の合わさった存在と戦えたのだ。

 これ以上、臨むことは何もない。

 

「だから……」

 

 細分化され消滅していく俺の魂。

 消えていく自我。

 失われていく意識。

 消失する全存在。

 最早、瞳は光を灯すことは無く。

 

「これでやっと」

 

 ――育ててくれて、ありがとう。

 

「あ?」

 

 終わりの場所に、目を疑う。

 死という結末に触れた時、『ソレ』が暗黒の底から歪に微笑んだのを――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斬る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おはよう。青山。

 

 

 

 

 

 




響が粉砕☆玉砕☆大喝采なお話でした。

次回、断章最終話【青山】


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エピローグ【青山の始め方】

 

 その目を、見よ。

 奈落が如き眼を覗け。

 

『ひっ』

 

 漏れ出たのはか弱き少女の悲鳴だった。

 体に宿した酒呑童子も恐怖に身悶えするように、ひかげの内側でざわついている。

 それはまさに本能的な恐怖だった。

 人間、否、生物の根源に根差す始まりの恐れ。

 火を見た動物の如く。

 雷を見た動物の如く。

 それはまるで、自然災害の如き恐怖を孕んだ眼であった。

 

「るるる」

 

 変化は一瞬だった。

 泣きじゃくり、死ぬなと叫んだ相手の瞳から光が奪われた瞬間、その胸部に触れた拳はいつの間にか斬り捨てられ虚空に飛び、体を貫かれることなく男はそこに立っていた。

 

「るー、あー、いー」

 

 だがしかし。

 だがそれを、理解出来なかった。

 

「いー、あー、ん……うん。斬れた」

 

 拳に貫かれなかったとはいえ、拳の先から流れ込んだ酒呑童子の鬼気で魂を砕かれたはずの青山は、平然と立っていた。

 その異常をどう説明すればいいのだろうか。

 恐怖と困惑で、斬られた右拳より噴き出す熱血と激痛すら気に留める余裕も無くなったひかげは、目の前で久楽を肩に担いでこちらを見据える青山を絶望的な心地で見返した。

 何だと言うのか。

 今、目の前に居るこいつは一体なんだというのだ。

 

『ひ、びき?』

 

 響なのか?

 込められた願いに対して、いつもは憮然とした表情で「なんだ?」と返ってくる言葉は。

 

「違う」

 

 言葉は、返らない。

 

「俺は、青山だ」

 

 響は、帰らない。

 

「恐れられるべき、忌み嫌われるべき、嫌悪されるべき青山だよ。ひかげさん」

 

 『一度も名乗ったことのない名を呼ばれる』違和感も、彼方に吹き飛ぶほどの絶望がひかげを襲った。

 

『そ、そんな……嘘だ。響。私と同じ、響』

 

「違うよひかげさん。俺はこれだ」

 

 そう言って青山が掲げたのは、手にした久楽であった。

 

「俺は、これになれたんだ。貴女のおかげで、これに達したんだ。青山として、この斬撃になれたんだ」

 

 誇らしげに語る姿の何たる壊滅的なことであるか。

 最早、言語を絶した様を晒すのはひかげではなく、鬼を食らったでもなく、人から変異したわけでもない、今も只の人間でしかない青山であった。

 その悍ましさを、ひかげは知った。

 酒呑童子という異端を取り込んでようやく『終わり(破壊)』に達したひかげだからこそ、青山が人間のまま、人間の可能性を終えてしまった事実に戦慄した。

 

『なんだよ……なんなんだそれは……お前は! お前は同じだったはずだ! 天才として産まれてしまった私と同じように! 練磨される強さを永遠と繰り返せるはずだったんだ! 初めてだった。お前になら殺されてもいいって、お前のために化け物の力を借りて超常の力を得て、その力を示したうえでお前なら私を越えてさらに先へ――』

 

「そう、先に至った」

 

 そして、終わったのだ。

 

「おかげで、俺はこの肉体が行き着く場所に至ることが出来た。青山は斬撃なんだ。斬るってことが青山で、ならば俺はもう頭の天辺からつま先まで、丸ごと一つの青山なんだ。それはとっても素敵なことで、こんなにも感動的な終わりに至れたんだ」

 

『違う違う違う違う! そうじゃない、人間は、天才である私達は先に行けるはずだ! だって、お前と同じ答えに至った私ですら、手にした瞬間は終わったと思った私ですらここが終わりではないと思えたから!』

 

 お前も同じく、先に進めるはずだ。終わって等いない。天才だからこそ、人間の無限ともいえる可能性を永遠に極め続けることが出来るから。

 そう願った言葉は。

 

「それはそうさ。だってひかげさん、もう人間ではないのだから」

 

 あまりにも単純明快な解答にて、儚く散ってしまった。

 

『私、は……』

 

「只の化け物だろ」

 

『わた、しは……』

 

「俺は人間だ」

 

『わたしは?』

 

「化け物」

 

 だから斬る。

 言外の意に、ひかげの自意識は跡形も無く瓦解した。

 

『うわぁぁぁぁぁぁぁ! 響ぃぃぃぃぃぃぃぃ!』

 

 眼前で破裂した鬼気が巻き起こす突風を真正面から受け流し、青山は身悶えするように刃鳴りする久楽を強引に抑え込んで、歪に浮かべた笑みをそのままに、泣きじゃくるひかげへと踏み込んだ。

 その最初に語った通り、言葉を交わす意味など何処にも無かったのだ。

 ここに居るのは、鬼と成り果てた人間と、人間という存在に成り果てた修羅。

 交差する刀と拳は、互いに持ち得る答えを賭して激突する。衝突の余波で小さな島は破壊と斬撃に晒され、その姿を戦争の跡地の如き様相へと加速度的に変化していく。

 

 その戦いの最後を語ることに意味は無い。

 

 結果、ここに青山は居る。

 

 ひかげという少女が望んだ想いすらも断ち斬って、青山という修羅外道は、今も尚世界に存在し続けている。

 

 

 

 

 それだけが、覆しようも無いたった一つの真実であった。

 

 

 

 

 

 そして素子は、己の失敗に気付いた。

 

「青山……! そうか! そういうことだったのか青山!」

 

 青山と同じ斬撃という完結に至った刃による一撃は、存在を構成する根源を斬り捨て、意味無しと断じる。

 だが青山の根源が『そもそも虚無であるならば』、そのものが最も大切とする心を断ち斬る刃に何の意味があると言えよう。袈裟に斬られ、真紅を散らしながら崩れ落ちる青山を見下ろしながら、素子はかつて青山響を破壊しつくした浦島ひかげと呼ばれる女が行った所業と全く同じことを己が為したことに気付く。

 

「……あぁ、そうなのです素子姉さん。そういうことなのです素子姉さん」

 

 そうして、再び己の全てを斬り捨てられた修羅が産声をあげる。

 フェイトが身を挺して青山に付加した『生きる』という答えは斬り捨てられ、残ったのは丸っと一つ、等身大の斬撃のみ。

 青山という修羅外道。

 たった一匹の修羅だけが、そこには残った。

 

「おかげで、目が覚めた」

 

 死に体の身をゆらりと起こし、青山はゆっくりと刀身の黒色が剥がれていく証を杖に立ち上がる。その姿は軽く突けば幼子でも倒すことが出来そうな程儚く弱弱しいというのに、一歩だって近づくことが躊躇われる程の言語を超越した気を撒き散らしていた。

 

「己を見つめ直し、姉さんに斬られ、斬ることを思い出せた」

 

 だが悍ましさに嫌悪感を漲らせる素子など気にした素振りも見せず、青山は晴れ晴れとした気持ちになれたことに充実感を覚えていた。

 そう、これが己なのだ。

 生きるために斬るのでも、斬るために生きるのでもない。

 斬るために斬るのだ。

 斬れるから斬るのだ。

 斬ったから斬るのだ。

 斬りたいからこそ、俺は斬るのだ。

 

「あぁ、何て……素敵」

 

 思えば遠回りをした。

 酒呑童子に破壊され、自覚した己の完結。だが未だ惑っていた己は、数多の戦いでその答えがどういったものなのかゆっくりと自覚し、磨いていったというのに、フェイトの生き様に少しばかり魅せられ、再度回り道をしてしまったのだ。

 だが所詮、他人は他人。

 

「俺の答えは、俺だけの答えだ」

 

 胸を張り、手にした斬撃に腐心せよ。

 そうあれかしと分かった今、傷つき疲弊しているというのに、体はとても軽かった。

 

「だから、素子姉さん」

 

 青山の奈落の如き眼が、素子を射抜く。

 それは遂に完全なる覚醒を果たした剣鬼の末路。これ以上無き袋小路に充足を覚えた狂気の産物。

 歴史が産んだ、血脈の化生。

 

「響……私が、残滓となっても残り続けたお前を斬ってしまったのか……!」

 

 その様へ到達させた決定打が己の刃である事実に、素子は唇噛みちぎる程の怒りを滲ませて理解する。

 最早、青山素子の弟たる青山響は完全に死に絶えた。

 今ここに在るのは、響という枷と、フェイトという鞘を取り払われた抜き身の刃。

 

 青山。

 

 純粋無垢の青山という斬撃。

 

 瀕死の重傷を負いながら、むしろ傷を負う前よりも圧倒的な鬼気を漲らせ、素子の前に立つ青山は、最早先とは違って容易く葬れるようなものではない。

 斬られるという事実が待ち構えている。

 死よりも恐ろしい斬撃が立っている。

 

 しかし、忘れることなかれ。

 

「ならば、是非も無い」

 

 その敵手たる乙女もまた、同じく血脈の産んだ『青山』であるならば。

 僅かに残った未練すらも素子は断ち斬り、澄み切った眼にて、汚泥の眼を真っ向から射抜く。

 そこに恐れはない。

 死すらも超えた斬撃も、今や素子にはどうだってよかった。

 迷いのない雄々しき立ち姿は、完結した青山にすら僅かに波を立たせる気迫があった。

 

「……所詮、こうなる運命であるなら」

 

 覚悟を決めて奈落に相対する閃光こそ、人々の誰もが望みを託す英雄を極めた姿なり。

 ――だが忘れるな。

 光を飲み込む闇と同じく、その光もまた、闇を飲み込む光ならば。

 

 どちらも同じ、なんて様。

 

「貴女を、斬ります」

 

「お前を、斬るぞ」

 

 そして、人間性を完結した両者の刃は交差する。

 修羅へ至った、狂気の骸。

 英雄へ至った、正気の骸。

 互いに両極の存在でありながら、いずれも『斬撃』という解答に至った、青山という血の極地に立つ剣客であった。

 

 

 

 

 

 そして、その時代ごとの天才を取り入れることで研ぎ澄まされた『青山(血)』は、この時代にて結実する。

 人の域を限界まで尖らせた透明なる汚泥の結果をここに。

 今、両者互いに鋼の真理をその手に携え、最後の仕上げを迎えるべく、この凍えるような修羅場を彩るのだ。

 外道、青山。

 正道、青山。

 いずれも同じ、恐るべき青山達。

 正邪を超えた、無垢なる混沌たる人類の末路共よ。

 己が可能性(鋼)に全てを賭けて、人間の終わりを存分に曝け出せ。

 

 その果てに立つ『青山』の完成にて、人の末路が謳われるから。

 

 

 

 

 ――人間よ。お前達の福音を、三千世界に知らしめろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 断章【ありあーLascia chi'o piangaー】完

 

 

 

 

 






短いとはいえ、章の区切りなのでちょっとだけ長いあとがき。そのため、そういうのはいらないって方は読み飛ばしてください。引き続きBルートをお楽しみに。








ってわけでお待たせしました。多分一年ぶりくらい。まぁ色々あってモチベーション低下していたので書けませんでした。こればっかりは二次創作の宿命というわけで許してください。なんでもはしませんけど。

さておき、断章はまんま響が青山になるお話だったわけですが、バックストーリーとして浦島ひかげっていうヒロインとのあれこれがあったりします。でもここら辺は面倒だったので、書けば十万文字は余裕で超えるこれらのお話を一先ず必要そうなところだけ抜粋して上手く二万文字弱くらいでまとめてみました。っても色々最初から書かないと不可解な部分もあるでしょうが、これも重要僧なセリフはプロットの時点で書いているせいなので許してください。ともかく、そこらへんの詳しいお話の簡単な纏めはいずれ活動報告にでも載せるので、ひかげと響のなれそめや末路はそこで追々。

で、次回からBルートです。ハーレムルートです。私としてはようやくオリ主物の王道であるハーレムルートを書けるんだとワクワクしていますが、そもそもハーレムの基準ってどこからなんですかね。別に同性でもオッケーですよね?(錯乱)

そういうわけで次回からBルートです。Aルートでぎりぎりだった人は普通に読めないお話(ハーレム的に)なので、まぁ頑張ってとしかいいようがないですがよければ是非読んでください。

それでは、また次回。


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第四章【その音は君に似ている】
第一話【閃光刹那】


Aルートと一話目とラスト付近まで話は同じですが、ラスト部分が変更されているのと、そこまでの流れをカットするとやはり文章的に変なこともありまして丸ごと載せています。内容を忘れてしまったぞという人はじっくりと、覚えているぜっていう人はラスト付近まで飛ばしてから読んでくださると助かります。


 

 

 

 

 青山素子との一月にも満たぬ修練の日々は、桜咲刹那にとって充実したものであった。何よりも素子は、口ではなんやと言いながら、仮初の師弟関係とはいえ丁寧に基礎から刹那の術技を指導した。

 若輩ながらもいっぱしの剣士としての自負があった刹那も、青山宗家の後継者である素子の指導には素直になれた。同時に、奥義を会得しながら、未だ基礎の部分がおろそかになっているのを見抜かれて恥ずかしい思いもしたが。

 一から己を見つめなおす作業は、初心を改めることにも繋がった。ただ、そのせいで再び木乃香が窮地に陥ったと聞いたときは心を痛めたが、それでも今は己を強く磨くことが木乃香の安全に繋がると信じて、刹那は鍛錬に明け暮れた。

 そして今日、刹那は素子に言われるがまま、夕凪を片手に滝の前にある一枚岩のうえで素子と対峙していた。

 

「……早いものだな桜咲。束の間だったが、お前と過ごした一ヶ月、悪いものではなかった」

 

「あ、あの……素子様? これは……」

 

「言わなくても、わかるだろ?」

 

 刹那と対峙する素子は、自嘲の笑みを浮かべると腰に差した鞘から柄、刀身まで全てが黒一色の太刀を抜いた。

 その太刀から禍々しいと形容する他ない邪悪な気配が立ち込める。まるで刀自体が一つの意志を持っているかのように刹那には感じられた。

 

「妖刀ひな……聞いたことはあるか?」

 

「……以前、小耳に挟む程度ですが」

 

「そうか……これは、所有者に膨大な気を与える代わりに、刀自身の狂気を所有者にしみこませる魔剣の一種だ。尤も、この程度の狂気は青山と比べれば赤子の駄々にすら劣るがな」

 

 素子はそう言うが、しかし刹那にしてみれば遠くから見るだけでも気が狂いそうになるほどの凶悪さだ。

 だがしかし。

 確かに、あの時吐きだされていた青山の狂気と比べれば、微々たるのも事実だった。

 

「……それが、どうしたというのですか?」

 

「言わなくても、もうわかるだろう?」

 

 刹那の問いに、素子はひなを正眼に構えることで答えた。

 そして、狂気を吐いていたひなが、それを飲み干すほどの強大な気にかき消された。清涼かつ鬼気湧き立つ素子の気の圧力に、刹那は反射的に夕凪を構えて戦闘態勢をとる。

 

「それでいいよ。桜咲!」

 

 直後、覚悟も何もなく戦いは幕を開けた。刹那では見切ることすら至難の瞬動で素子は背後に回り込む。

 脳裏を過ったのは己の首が吹き飛ぶ映像だ。反射が刹那をぎりぎりで救う。屈みこむのに遅れて数瞬、黒い軌跡が真一文字に刹那の首が先程まであった場所を通りぬけた。

 

「……ッ!」

 

 この人は本気だ。飛びずさり冷や汗を流す。反射神経を凌駕した素子の斬撃は刹那の髪を縛っていた紐を斬り裂いただけだったが、それはつまり素子が斬撃を止めるつもりがなかったことを如実に語っていた。

 素子の構えに隙は微塵もない。その殺気は本気だが、しかし刹那からすれば本当に彼女が本気かすらわからない。

 コップで海の水を測ることが出来るだろうか? 今の刹那の察知能力では素子の全容を測ることすら叶わない。

 少なくとも、青山素子という女性は、敗北しながらもあの青山から生き延びた数少ない人物。

 それだけで、驚異的だった。

 

「……シッ!」

 

 素子は距離を隔てた場所からひなを振るった。奥義の予兆すらなく、刹那目がけて固められた気が岩を削りながら飛んだ。

 音速を置いて行く斬撃。放たれた斬撃の威力もまた空気と音を引き裂いている。目に頼った戦いは不可能だ。刹那はそれを知覚するよりも早く、直感で真横に飛び、皮一枚で逃れて行く。

 当然だが、素子の攻撃は一撃だけではない。音を裂く刃すら彼女にとっては児戯なのか、刹那では一撃を再現するのすら苦心する技の冴えが、大安売りの如き勢いで乱舞した。

 斬空閃乱れ撃ち。

 陳腐だが名づけるならこうか。思考にすらならぬ思考でどうでもいいことを考えつつ、刹那はぎりぎりで素子の技に対応していた。

 一か月程度の鍛錬。しかしそれは間違いなく一か月前の己にはない力を彼女に授けている。

 

「……そうか」

 

 素子は何かしら察したのか。そう小さく呟くとさらに気を膨れ上がらせた。瞬間、一枚岩は砕け散り、周囲の風景が気の爆発に押されて吹き飛ぶ。刹那も同じく吹き飛びながら、尚も上昇する素子の能力に戦慄を隠せなかった。

 これで。

 ここまで強くありながら青山に負けたというのか。

 驚愕はむしろそちらのほうが強かった。刹那から見れば、今の素子の気の圧力は、京都を震撼させたリョウメンスクナやフェイト・アーウェルンクスすら凌ぐほど。それほどの出力を誇りながら、その顔には余裕すら感じられる。

 

「凌げ。桜咲」

 

 素子は一言警告すると、片手で斬空閃の弾幕を展開しながら、空いた手に吹き出す気を収束させていく。

 あれは不味い。刹那は直感でそう判断すると、体が斬り裂かれるのを覚悟して、虚空瞬動で素子に特攻を仕掛けた。

 弾幕を最大出力の気を纏わせた夕凪で弾きながら加速。素子の放つ技の冴えを見れば、刹那のそれすらも驚嘆に値する絶技ながら、素子の顔には微塵の驚きもなく、むしろ平然と刹那を迎え入れた。

 

「奥義。斬岩剣!」

 

 刹那は射程に素子が入るのと同時、今放てる最大を遠慮なしに放った。素子の安否は二の次だ。

 やらなければ、やられる。

 シンプルな世界観が刹那を埋め尽くした。岩はおろか大地に消えぬ大断層すら刻みこみかねない刹那の奥義に対するは、ひなを両手で構えた素子の、あまりにも遅すぎる迎撃。

 技が放たれたときすら構えの姿勢。最早逃れようがない奥義の閃きを見据え、素子はゆっくりと、それこそ時が止まっているかのような場所で──

 

「え?」

 

 刹那はそこでようやく気付いた。

 時が、止まっているかのようだった。斬岩剣が素子に迫り、岩が削られ虚空に散っていく。

 それら一切が停止していた。刹那の意識だけを置き去りに全てが止まって動いていなかった。

 そんな世界を素子のみが動く。ゆったりと、稽古をしているかのように遅々とした動きで斬撃を振るう姿勢へと取りかかり。

 脳裏に浮かぶ数多の思い出、走馬灯のように巡る記憶を刹那は見た。

 それらの中で大切な記憶が際限なく繰り返されていく。

 それを素子が見ていた。

 吐き気をもよおす透明な瞳で、刹那の走馬灯を覗いていた。

 

「……止めだ」

 

 その一言と共に、世界が等速に戻って、最大出力の斬岩剣が素子に直撃して破裂した。

 

「も、素子様!?」

 

 先程の感覚は残っているものの、それ以上に素子が己の奥義をその身に受けたことに驚き刹那は叫んだ。一か月の鍛錬の成果は、天高く吹き飛んだ岩の破片と、ミサイルでも爆発でもしたのかのごとき轟音をだけでも充分わかるであろう。

 だからこそ、刹那は素子の無事を案じた。格下とはいえ、己の一撃も余裕をもって受け切れるものではないと悟ったからなのだが。

 そんな杞憂もろとも煙幕を切り裂いて素子は平然と現れた。

 

「どうだった? あまり使えるものではないが……今のが、青山と対峙する結果だ」

 

「え……」

 

「共に見ただろう。お前の大切な記憶を」

 

 素子は申しわけなさそうに、そしてそんな自分を唾棄するように自嘲した。

 走馬灯という名の記憶の共有。刹那が死を覚悟したその瞬間、素子はそれを斬るために捉えた。

 素子の言葉の意味を知って、刹那は夕凪を取り落とし、肩を抱いて蹲る。恐怖を思い出した体は震え、目からは止めどなく涙が溢れてきた。

 その哀れな姿に何かを感じたのか、素子はひなを収めて刹那に近寄ると、震えている体を抱きしめた。

 

「斬魔剣二の太刀。私が思うに、青山はあらゆる物を取捨選択して斬るこの奥義を、相手の精神に介入する領域にまで突き詰めている……この修行の最後に知って欲しかったのはな桜咲。お前のすぐ傍に、あんなことをする人間が居るということだ」

 

「も、素子……様」

 

「……逃げろ桜咲。あれから逃げることは恥ではない。修羅と相対出来ることは誇れるものではないのだから。出来るのなら、それはただの……いや、止めておこう」

 

 素子は顔を上げた刹那の頬を伝う涙を拭いとりゆっくりと立ち上がった。

 問いたいことがあった。だが刹那はその問いを己の中で噛み殺す。

 ならば、青山と同じことが出来る貴方は、一体何なのでしょう。

 その答えは聞くのもはばかられるものであり、同時に答えの分かりきった問いですらあった。

 もしも聞いていたら素子は悔しそうに、恥ずかしそうに、そして何よりも空虚な眼差しで答えていただろう。

 

 私は、あれと同じ道にいる。

 

 何故か刹那にはそれが痛いほどわかってしまった。

 悲しいくらい、素子の今を知っているからこそ、先程の恐怖以上に涙を流すべきことだったから。

 

 

 

 

 

 刹那は下山をしながら、昨夜のことを思い出していた。

 先日、二人は修業が終わった痕、師弟としてではなく、素子と刹那、二人の女の子として晩餐を楽しんだ。

 これまで語らなかった取りとめのない日常を素子はそこで語ってくれた。それはひなた荘という場所で過ごした日常が大半で、一つ一つはくだらなくて、どうでもいいことで、現に素子自身も、時には怒りを滲ませたり呆れたりしながら語っていた。

 だが刹那は初めて素子の優しそうな微笑みをそこで見つけることが出来た。

 多分、素子が青山と同じことをしながらも、青山と決定的に違うのはそこだろう。

 素子を構成するのは斬撃だけではない。彼女の中には何でもない全てが大切な物として積み重なっている。

 そこが青山にはない部分で、だからこそ素子は青山から逃れ、かつ、斬られたのだ。

 一瞬だけあれば充分だといつか素子は言っていた。それはおそらく、あの領域では時間と言う概念が意味をなさなくなるからこその言葉なのだと思う。

 いずれにせよ。

 そう、いずれにせよ、だ。

 刹那は感謝するより他なかった。一か月前に比べて格段に強くなれたことや、さらに青山という男の脅威を、己が完結する危険を顧みず見せてくれたこと。それによって刹那は一つの決意を心に決めた。

 逃げるのだ。

 木乃香を連れて逃げよう。叶うならばクラスの仲間やネギも連れて、あの場所から、修羅の居る場所から逃げ出そう。

 京都の事件。

 そして先日起きた麻帆良襲撃事件。

 素子から青山という男の全てを知った今、刹那は全てに青山が影響しているという予感を得ることが出来たから。

 証拠なんてそれこそないけれど──

 せめて、木乃香だけは連れ出す。そう覚悟を決めて刹那は山を降りて行き。

 

「見つけましたわぁ」

 

 一本の凶刃と相対した。

 

「……月詠」

 

 刹那はまるでここを通るのがわかっていたと言わんばかりに待ちかまえていた月詠を睨む。青山に奪われた両腕は失われたままだ。しかし、剣を持つ両腕すらなくないというのに、刹那は月詠への警戒を解くことは出来なかった。

 以前対峙したときも、恐るべき狂気を放っていたが、不思議なことに今の月詠は何処までも冷たく、禍々しい雰囲気は一切感じられない。

 粘つくような気も、突き刺すような邪気も、ありとあらゆる全てが一変しているようだった。

 冷たく、凛。

 それだけで、今の刹那には警戒するに足る相手に違いない。

 

「……随分と変わりましたなぁセンパイ。以前とは見違えるくらいですー」

 

「それは互いにだろうよ月詠。言わせてもらうが、以前のお前は今よりもまだ可愛げがあったよ」

 

「そうですかー」

 

 うふふと口を裂いたような笑みを浮かべて声を上げると、月詠は腰にさしていた一本の野太刀の鞘を足で蹴りあげて刀身を空に飛ばした。

 くるくると空を舞った野太刀は、数秒の滞空をした後、月詠の目の前に突き立った。

 

「ウチ、気付いたんですー。斬ることは斬ることでー。それ以上の理由なんて必要ないってことにー」

 

 刹那は返答せずに竹刀袋から取り出した夕凪を鞘から引き抜いた。唐突な対峙であり、昨日青山の恐怖と対峙したばかり。

 だというのに、刹那の心は穏やかだった。対面の脅威は、まさに青山の如き戦意を吐きだしている。

 斬撃という終わりへと至る者、その特有の臭いを敏感に感じる。

 だから逃げるわけにはいかなかった。

 この場だけは、逃げるわけにはいかなかった。

 

「必要だよ」

 

「え?」

 

「何かを斬ることに、理由は必要なんだ月詠」

 

 あの恐るべき青山は終わっているけれど。

 目の前の少女はまだ終わっていない。

 ならば、刹那はここで戦おう。戦うことで、伝えられることがあるのならば。

 

「斬ることは斬ることではない。斬ることは、斬られる相手を分かつことで……おいそれとやってはいけないことなんだよ」

 

 完結した事象に赴く理由なんて何処にもないし、立ち向かえる強さももっていない自分だが、それでも己の手で救えるかもしれない相手が、青山に似ているという理由だけで逃げるほど落ちぶれてはいない。

 

「……だったら剣を捨てたほうがえぇですぇ、センパイ」

 

「無理だよ月詠。私も、これしか知らないし、これしか大切な者を守る術を持たないからな」

 

 月詠は人間味の感じられぬ笑みを僅かに浮かべると、その可憐な口を大きく開いて、頬を染めながら突き立った野太刀の柄に顔を近づけた。

 まるで愛撫でもするかのように、多量に分泌された唾液を滴らせながら柄に舌を這わせる。ふやけるほどにたっぷりと己の臭いをしみ込ませた月詠は、一度口を放すと舌先からゆっくり柄をその口の中に含んだ。

 

「ん、ふぁ……」

 

 扇情的な吐息を漏らしながら、口をすぼませて柄を固定すると、ぬるりと大地から野太刀を引き抜いた。

 ずるりと抜かれた野太刀の刀身には、柄から零れ落ちた少女の唾液が日の光を照り返して、怪しげな輝きを放っている。まるで月詠に誘われるままその妖艶さを引き立たせているようだった。

 妖刀と呼ばれる類の剣がある。

 その制作過程に問題があるのか。あるいは作られた後に人を斬り続けてきたのが問題か。

 その問いの答えがそこにはあった。

 

「……」

 

 刹那は妖刀が出来る過程を今まさに見ていた。月詠という狂気の剣士が鬼気によって、人を守るために作られた神鳴の剣が斬撃という一点に染まっていく。

 だが臆するわけにはいかない。引いた体に喝を入れて、刹那は一歩月詠に向かって足を踏み出した。

 凛と、文字通りの意味で凛々しく刹那は構える。文字は同じくありながら、刹那のそれは刃鳴りにはない光り輝く誇らしさがあった。

 神鳴流として、仮初であるが素子の弟子として、何より桜咲刹那として立つ。胸を張り、気高く吼えよう。

 お前は間違っているんだって。

 月詠はその宣誓にすら歓喜して、目を潤ませながらいっそうその唇から唾液を溢れださせ首筋まで濡らした。

 

「いひまふえ」

 

 柄を口に含んだ状態では美味く言葉は言えぬのか。もごもごとくぐもった声音で月詠がそう告げる。

 だが意味は受け取った。立ち込める気の圧力を切り裂いて、刹那は両腕のない異端の剣客を迎え撃つ。

 ただ冷え冷えと、木漏れ日の暖かさすらかき消して、刹那の戦いは始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 恐ろしい程の気の高まりに惑わされがちだが、月詠の戦闘力は見たとおりに劣化しているとみて間違いないだろう。

 答えは一目瞭然。月詠には両腕が存在しない。分かりやすくて当たり前な結論だ。刀とは手に持つものであり、決して口で咥えるものではないのだから。

 だが。

 それでもなお、月詠の醸し出す鬼気と呼べるものは、両腕がないというハンデすら補ってあまりあるものだった。

 刹那は対峙しているだけだというのに、背筋を嫌な汗が伝っていくのを感じた。柄を咥えているため、切っ先が真っ直ぐに刹那の方を向いているのが恐ろしかったのだ。

 斬るのか、あるいは突くのか。迷いは惑わせ、月詠が腕を失ったことにより弱くなっていることすら忘れそうになる。

 対峙だけで体力を削られる命がけの攻防だ。

 しかし。

 それでもなお、月詠は弱い。

 両腕のハンデは、一か月を素子の元で過ごした刹那に対してはあまりにも開き過ぎており、呼吸を僅かに乱しつつありながらも、刹那は幾つも脳裏に敵の刃の軌跡を思い浮かべ、問答無用で一刀に伏せるだろう己を夢想する。

 刹那はいつの間にか相手の気当たりによって止まっていた呼吸を再開した。隙を晒さぬように呼気を一つ、二つ、三つしたところで、月詠は一歩右足を後ろに下げた。体も屈めて、下半身に力を蓄える。素人目からでも分かるほど、月詠の次の行動は丸わかりだった。

 咥えた刃の切っ先をそのままに、己の体を顧みぬ突きによる特攻攻撃。

 それは予測した中でも一番厄介な構えであった。幾ら狂人とは言え、刹那には同じ人間である月詠を殺すまでの覚悟はない。人を守るための剣が人を斬り殺してしまえば本末転倒でしかないのだから。

 だが。

 刹那は目つき鋭く、重心を下げると右足を一歩下げて、切っ先を月詠に向けた。

 殺す覚悟はない。

 それでも月詠を止める覚悟はある。

 そよ風が二人の間を流れた。木々がさざ波を打ち、木の葉の影から射す日差しが影の位置をずらした。そんな自然の中に刹那は己を同化させていく。

 月詠は弱くなった。だが同時にとてつもない強さを得ていた。人の精神とは、段階が一つ上がるだけでこうも人を変貌させるのか。

 自然と一体化していく静の心に埋没していく中、己とは逆に周囲の自然から浮き出ている月詠の壮絶に、共感はせずとも羨望がないと言えば嘘になる。

 強くなるという願い。違いはどうあれ、月詠の精神性は、未だに惑ったままの刹那の精神性を凌駕しており、それが肉体という決定的なハンデの差を埋めていから。

 だからと言って、斬るという概念になることが正しいのか。

 答えは否。

 違うだろう。

 そういうことではないはずだ。

 そうなるのは簡単であり、そうならないことはとても難しいから。ならば刹那が未完成なのは当然のことだろう。

 いつか聞いた言葉がある。

 狂気を侠気に。

 邪道を正道に。

 狂気に陥らぬために、剣を持つ者は己の精神を律するのだ。

 今ならそれがどれほど困難なことなのか痛いほどわかる。刀とは、突き詰めなくとも何かを斬り、殺すための道具でしかない。

 そんな武器を持って、正道を、人を守ると謳うことのどれほど愚かでわざとらしいことか。

 周囲と同化していく。自己に埋没するからこその葛藤。心は静かになっていくというのに、脳裏には今は考えても意味がない疑問が幾つも浮かんでは泡のように消えていく。

 消えていくのは答えを得たからなのか。あるいは疑問に対する答えがないから目を背けて彼方に放っているからなのか。

 一瞬で全てが終わる。文字通り刹那の決闘にて、刹那は切っ先を鈍らせる思考ばかりを繰り返す。

 だがしかし、心はやはり落ち着いていた。

 何処までも己に問い続ける愚行を繰り返し。

 そうすることで精神を昇華させる矛盾した行為。

 忌むべき種族である己が、正道を行える場に居られる切っ掛けをくれた神鳴流。

 だが守ると誓いながらいつも大切な幼馴染を守れない自分。

 次こそと意気込み、素子の元を訪ねてからの今。

 そして。

 未来は。

 どうなのだろうか。

 過去も、今も、分からないことだらけだと言うのに、未来がどうなのかなど分かるわけがない。

 だが見渡す限りの闇の中でも、わかることは微々ではあるが確かにある。それは自分のことではなくて、周りの人のこと。

 もしかしたら人間というのは、自分で思っている以上に、己のことよりも他人のことのほうがわかっているのかもしれない。

 客観視。

 そう、それが大切だ。

 他人だからこそよくわかる。だがこれが己のことになると、途端に様々なしがらみが己への評価に靄をかけて見えなくさせるのだ。

 他人こそ己を映す鏡である。

 そういうものだとしたら、目の前に立つ月詠もまた、わからないことだらけの刹那を照らす、かけがえのない灯りの一つなのか。

 改めて見る。己を張り続ける少女の立ち姿を見据える。

 月詠は口に刀を咥えているせいか、まるで彼女自身も刀を構成する一つのパーツになっているようだった。

 もしくは、刀こそ月詠を構成するパーツの一つとなってしまったか。

 いずれにせよ。

 彼女の恐ろしさは、増大の一途であった。

 増大し続ける恐ろしき斬撃という名の自我。斬るという信念に支配された少女は、守るための戦い、逃げるために戦おうとする刹那とは真逆だ。

 だからこそ、己の鏡だった。

 彼女は、邪道で。

 刹那は、正道で。

 故に、コインの裏表。

 刹那は恐ろしくも弱々しい月詠をよく見た。

 少女の瞳からは伝わる意志は斬ることだけで、それ以上の余分は一切ない。

 だからこそ刹那の迷いも、この一瞬だけ研ぎすまされて削られていくのだ。

 再び、呼気を一つ。

 二つ。

 三つを経て、ゆっくりと。

 月詠。修羅に捉われた哀れな少女よ。

 お前から見た私はどう映っているのだろうか。

 乗り越えるべき壁か。

 耐えがたい醜悪な外道か。

 それとも好敵手として恋い慕っているのか。

 いずれにせよ、お前は斬るのだろう。

 斬って。

 私を斬るだけではなくて。

 斬るものがなくなるまでずっと斬るのか。何も知らぬ人々すらも巻き込んで、己の外道邪道をまき散らすのか。

 その結果、京都と同じ惨劇が生まれると知りながら。

 お前は。

 でも。

 

「お嬢様が居なかったら、私もそうなっていた」

 

 強く。

 ひたすらに強く。

 始まりの願い。原初の祈りはきっとそこに。鍛錬とは己を強くする行為に他ならなくて。

 力を求める外道だろうが。

 人々を守る正道だろうが。

 結果として、強くなりたいという願望だけは変わらない。

 だから一歩踏み外せば刹那は月詠だっただろうし、月詠も一歩踏み出していれば、刹那になっていただろう。

 だけど月詠。

 結局、同じだから。

 

「強さの果ては──修羅場だよ」

 

 直後、鋼は砕ける。鈍い輝きを乱反射する刃の亡骸に包まれながら、刹那は冷たい眼差しで呟いた。

 

「奥義、斬魔剣」

 

 戦いは、完結した。

 その時、同時に動いた二人。互いに突き出した刃の切っ先は、寸分の狂いもなく激突して、当然のように月詠の刃は砕かれ、その勢いで柄を叩いたところで力を加減したことで、月詠の口内を、濡れそぼった柄が強かに蹂躙した。

 遅れて吹き飛んだ月詠は、大地を抉り、口から柄もろとも歯や血をまき散らした。ようやく止まったあとも、常人なら喉を突き破られるほどの衝撃を受けたことによって、月詠は力なく横たわりながら吐血を繰り返して痙攣している。

 

「……あぁ。終わりか」

 

 夕凪を鞘に仕舞った刹那は、淡々と決着を把握した。

 一度、平静に陥った心は勝利の高揚にすら泡立ったりしない。

 冷たかった。

 木漏れ日の暖かさすら感じられないくらい、冷たい勝利だった。

 刹那は体を包む冷気を振り払うように月詠の元に歩み寄る。少女は吐血を繰り返し、腕がないため自力で立つことすら叶わない状態でありながら、それでも首を持ち上げて勝者である刹那を見上げていた。

 

「……」

 

「グッ……ゴホッ……ガホッ!」

 

 喉を潰されたことにより月詠は刹那に言葉をかけることが出来ない。それでも黒く染まった瞳は、勝者である刹那に言葉以上に分かりやすい願いを訴えかけていた。

 斬れ。

 私を斬れ。

 

「嫌だよ。そんなの」

 

 刹那はそう告げると、月詠の前に屈みこみその体を抱き上げた。

 

「なぁ。こんなことの何が楽しいんだ? 私自身の存在意義を否定する言い方だが、私達は使われるべきでも、ましてや進んで己を使うべきではないよ……冷たいんだ。邪道を極めようが、正道を極めようが、闘争であるこれらの道の先は、どっちも冷たすぎる」

 

 悲しいよ。

 刹那の言葉に、ようやく痙攣がおさまり始めた月詠は未体験の何かを見るように、驚いた様子だった。

 その反応が悲しかった。

 鳥族とのハーフである己以上に、邪道に染まりきった少女の反応が辛くて、だが涙を流すには、今の刹那は冷たくなりすぎている。

 

「月詠……もし勝者としての権利が許されるのならば、私と一つ約束をしてくれないか?」

 

「な、でず、が……?」

 

「今後、斬りに来るなら私だけを斬りに来い。私は何度だってお前を倒すよ。そしていつか、お前がそのままでは私に勝てないって、そう思えたら、それがいい」

 

 修羅の子よ。月詠という少女、修羅に魅せられた彼女を正道に戻すには、一度の敗北だけでは足りないだろう。

 なら、何度でも見せてみる。

 武器を持ちながら正道を進む困難を。その道こそ本物の強さに繋がるのだと。

 尤も。

 

「結局……どっちも冷たい」

 

 その言葉を聞いたかどうか定かではない。意識を失った月詠をそっと地面に横たわらせた桜咲刹那は、あまりにも哀れなこの少女の今後を思って己のことのように悲しくなってしまった。

 

「……そういうことなのですね。素子様」

 

 正道だろうが邪道だろうが、極めた先にあるのは冷たい無感だ。

 そして、その結果を体現するのが青山だ。

 青山。

 宗家、青山。

 その血が作り出した狂気の産物こそ、現代で最強を誇る二人の青山に違いない。

 

「ならば……道とは、人とは……何なのですか」

 

 貴女方が人間の根源であるならば、そんな者に生きる価値があるというのだろうか。

 当然、答えを欲したわけではなかった。むしろ答えなきことを答えとして、この求めてはならぬ答えに封をしようと刹那は思った。

 それでいいではないか。

 だって、自分は『あんな様』になれる才能なんて無いのだから。

 

「迷うな……私は、お嬢様を、守るだけだ」

 

 一言一句噛みしめるように呟きながら立ち上がる。

 そうだ。それでいいではないか。

 迷うことなんて何もない。刹那はそうして月詠を置いたままその場を後にする。

 今は一刻も木乃香の下へ、知らず早まる歩みで、刹那は彼女の待つ麻帆良学園まで向かうのであった。

 

 

 

 

 

 修羅に魅せられただけの少女だった。

 だがそんな少女ですら、狂気的かつ一本の芯が育まれる。

 ならば本物の修羅はどれほどのものとなるのだろう。刹那は麻帆良へと帰る新幹線の中で、脳裏に浮かんだ青山の恐るべき気配に、それだけで怖気を感じた。

 逃げるという決意はさらに強固なものとなる。

 どうやって逃げるのか。どうやって逃げ続けるのか。

 手段はわからないし、刹那一人に出来ることはあまりにも少ない。

 だがそれでも刹那は成し遂げなければいけなかった。

 青山。

 恐るべき青山。

 多分、というよりもこれは確信だが、学園側の人間は信用できないと見ていいだろう。彼らが悪いというわけではなく、青山の本質を見ていない者に青山の危険性を説いた所で、それは無意味なものだからだ。

 最悪、刹那に出来るのは木乃香と明日菜と楓とネギを連れて逃げ出すことだけだろう。彼女達だけは、刹那と共に青山の脅威を体験した仲間達だから。

 

「……木乃香お嬢様」

 

 今暫くだけ、お待ちください。

 そんなことを思いながら麻帆良へ帰るために新幹線に乗ろうと駅に入り。

 

「あ、あれ桜咲さんじゃないの?」

 

 聞き慣れた級友の声が耳に届いた。

 

「ホントだ。おーい刹那さーん!」

 

「桜咲さーん!」

 

「やっほー!」

 

 振り返れば、そこにはクラスの皆が全員そろってその場に立っていた。

 

「え……ちょ、皆さん!?」

 

 驚いて目を見開き、刹那はそこでようやく気付く。

 クラスの仲間だけではなくて、その他麻帆良に在籍する生徒が多数そこには存在していた。

 一体どういうことなのか。刹那がその光景に当惑していると、安堵した様子のあやかが刹那の前に立った。

 

「良かったですわ。ご無事で何よりです」

 

「は、はぁ、それは……ってどういうことですかこれ?」

 

「……やはりそうでしたか。暫く京都に居たので事情を知らないようなので、よければご説明いたしますが?」

 

「は、はい」

 

 あやかは小さく一つ咳払いをすると、これまでの経緯をかいつまんで説明し始めた。

 その内容は刹那が驚くのも当然な内容で、そしてそれ以上に青山から逃れるという彼女の願いには好都合な話に他ならない。

 

「つまり……暫くは京都の復興のため、麻帆良の生徒が京都近辺に来ていると?」

 

「まとめるとその通りですわ。宿泊施設等の問題はありますが、私を含めて、超さん等が出資したりすることでそういう部分は上手くまとめています。勿論、刹那さんの分の部屋も確保していますので……」

 

「あの、お嬢……いや、近衛さんや、ネギ先生達は?」

 

 刹那は周囲に木乃香も含めた幾人の生徒がいないことに気付いた。

 彼女があやかは不安げな様子の刹那色を瞳に浮かべ、呆れた風に溜息を漏らす。

 

「ネギ先生は明日菜さん以下残った生徒の方々と共に麻帆良に残っているみたいです。どうやらやらなければならないことがあるようでして……」

 

「やらないといけないこと……」

 

 その当たり前と言えば当たり前な言葉に。

 刹那は。

 何となく。

 嫌な、予感がした。

 麻帆良に残るというその意味、それはつまり、あの男と同じ場に立つということに他らなず。

 では、今ここに居ない木乃香も?

 

「あの……それで、近衛さん、は?」

 

 最悪の展開を予想して震える身体を抑えられているか気にする余裕は無かった。そんな刹那の様子を察したのか、あやかは安心させるように柔らかく微笑んで見せる。

 

「木乃香さんならば大丈夫ですわ。ですが、その……お父上がお亡くなりになった現場に赴かれています」

 

「そ、そうですか……それなら良いのです」

 

 木乃香は麻帆良に残ったわけではないことを知って刹那は安堵する。

 それならば大丈夫だ。ネギや明日菜には申し訳ないが、あの恐るべき男の傍に――。

 

「えぇ。それに、親戚のお方が共に連れ添っているので大丈夫ですわ」

 

 言葉を、失った。

 

「え?」

 

 刹那の動揺を他所に、あやかはさらに言葉を続ける。

 

「新幹線に乗る直前になって分かったのですけどね。ちょっと失礼な言い方ですが、見た目は少々陰鬱な様子で、頼りなさそうではあったのですが、なんて挨拶しかしていないのにこう言うのは失礼ですわね……ともかく、とっても頼りになる人だからと木乃香さんが直々に言ってくれたことも――」

 

「そ、その、そいつは! そいつの名前は!?」

 

「ちょ、一体どうしたのですか!?」

 

 突如、激しい剣幕を見せた刹那の様子に若干怯えの様子を見せるあやか。だが刹那は構わずにあやかの両肩を掴むと、血走った眼で「名前を教えてくれ」と再度あやかに問いかけた。

 

「落ち着いてくださいな……えっと、木乃香さんのお父上側の親戚で」

 

 頼む。

 そう願わずにはいられない。

 できれば勘違いであってほしい。

 その先に続く言葉が、私の知るあの嫌悪すべき名ではなければ今ここで死んだって構わない。

 だから。

 だからお願いします。

 

 

 

 

「確か、青山さんと」

 

 

 

 

 あやかの口から紡がれる、合ってはならない災厄の名に絶望する。

 

「あ、おやま……」

 

 青山。

 お前が、お嬢様のすぐ傍に――。

 

「青山……!」

 

 青山。

 お前のような、吐き気をもよおす修羅外道が――。

 

「青山、お前は……!」

 

 青山。

 何故お前は、私の世界を汚染するのだ。

 

 刹那はここでようやく、最悪が既に現実となっていたことを理解したのであった。

 

 

 

 

 




次回、木乃香


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第二話【木乃香】

 

 信頼とは積み重ねによって育まれるものである。だがしかしそれは長い時間をかけなければならないと言うわけではなく、ほんの一時の時間だけでも信頼を築き上げることは出来る。

 例えば、共通の困難を抱えているもの同士などはいい例だろう。それがより困難であればある程、信頼はすぐに築くことが可能だ。

 勿論、長い時間を共に過ごすことで築かれる信頼もかけがえのないものであるのは真実だ。

 だがしかし、長年をかけて積み上げた信頼が、たった一瞬の出会いで積み上げた信頼に劣る時もあるというのも、それは一つの真実であった。

 

「……」

 

 近衛詠春の葬儀が行われたその日の夜。木乃香は明日菜がネギを探しに出て行ったあと、当ても無く一人外を出歩いていた。

 目的があって外に出たわけではない。ただ、ホテルの一室で一人になっているのが堪らなく不安だったために外へと出ただけだ。

 だが木乃香はなるべく光が無い方を無意識に選んで歩いていた。それは一人であることの不安を感じる一方で、何もすることが出来ず、ただ父親を失っただけの愚かな自分など消えてしまえばいいという思いの発露であったのかもしれない。

 のんびりとしてマイペースな少女だが、芯の強い子である。その芯の強さが、この災害で自分には何もできないことを理解しながらも、何か出来たのではないかという罪悪感を生み出しているのだろう。

 強ければ、強いというわけではない。

 時としてその心の強さが、致命的な傷を生むこともありえるのだ。

 皺だらけの制服を着たまま彷徨う姿は、その感情の抜け落ちた表情と相まって、さながら幽鬼のようですらあった。当てなくただただ暗がりへ、このまま闇に溶けて消えてしまえるならば、それはそれでいい。

 そんな自虐的なことすら思い始めた頃、木乃香はふと動かした視線の先に、見知った人影を見つけた。

 

「あ……」

 

 夜闇よりも尚暗い、奈落の如き眼。喪服を着ているためにいっそうその暗い雰囲気が引き立っている男。

 だが何処か、惹きつけられるような色をしたその者は、父親の兄弟だと名乗っていた。

 

「青山、さん?」

 

「……君か」

 

 木乃香に名を呼ばれた青山は、声を掛けられてようやく彼女の存在に感づいた己の不注意に内心で自嘲した。

 ――どうやら、ネギ君が己とは違う場所へ至ろうとしているのが、思いの外悔しいらしい。

 先程、ネギと語らった一時。しかし、そこでネギが見せた瞳の輝きは、共に至れる可能性を粉みじんに砕くには十分であった。

 別れるまでは平常心を保っていたつもりだが、ようはあまりの衝撃に一周回って落ち着いてしまっただけのようだ。

 その結果が、その身にネギと同等か、それ以上の魔力を秘めている木乃香の接近を、声をかけられる直前まで気付けなかったとなれば、戦闘者としては笑わずにはいられないだろう。

 

「あの……」

 

「あぁ……すまない。少し、考え事をしていた」

 

 どうやら思案していたのを迷惑だと思われたのだろう。先程から暗かった表情をさらに暗くしてしまった木乃香に、青山は不器用ながらも安心させるべく、唇の端を吊り上げて笑みを象ってみせる。

 だが他人から見れば、どう見ても殺人鬼がことを成す前に見せる邪悪なそれにしか見えないだろう。

 

「そう、ですか」

 

 しかし、それも相手が見ていなければ意味は無い。既に視線を地面に落としていた木乃香は、偶然遭遇したので反射的に声をかけたが、それ以上何かを話題があるわけでもなく沈黙してしまった。

 その姿に青山は無理もないと悟る。親の葬儀に出た後、叔父であるとはいえ、出会ったのはあの葬儀の場が最初でしかない自分に出会って、会話を続けられるはずがないのだ。

 暫く、会話の無い時間が続く。街灯の光もあまり届かない暗がりで、喪服の男と制服姿の少女が向き合った状態で佇むのは、他人が見ればすぐにでも警察への通報が来そうなものだが、生憎と震災後の京都近辺ということもあり、周囲に人が居る気配は無かった。

 

「……少し、話そう」

 

 沈黙を嫌ったわけではないが、いつまでも立ち往生というのも疲れるだけだ。青山のそういった思いを含んだ提案に、木乃香は未だに俯いたまま小さく頭を上下に動かすことで答えた。

 

 

 

 

 

 あの素晴らしい人格者である兄さんを父に持つ彼女の心境は、痛いほどに分かるつもりだ。だからと言って俺が彼女を慰めるには、些か以上に口下手なため、誤解を招きそうなため会話しようにも出来ないのが現状である。

 だが葬儀で別れた後にこうして再開出来た偶然は、あるいは運命的であるともいえるだろう。それにこうして再び出会えた以上、傷心の少女を置いて、ではさようならと言える程、俺は非道な人間ではない。

 むしろ、今の俺だから彼女に伝えられることがあるのもまた一つの事実であることも確かなはずだ。

 フェイトがその命の全てを燃やして俺に授けてくれた、生きるという当たり前だがとても大切な奇跡は、俺の心に深く重く、絡みついている。

 ならばこの吹けば消えてしまいそうな彼女にこの想いを伝えることで、彼女が再び生の活力をよみがえらせる可能性を……。

 

「しまった」

 

 証は持ってきていないんだった。

 

「?」

 

「いや、なんでもない。気にしないでほしい」

 

 俺の呟きに疑念を浮かべる近衛さんに、赤面してしまうほどの失態を誤魔化すように軽く手を振って答える。

 まぁ、今手元に無い物を嘆いても仕方ない。

 そもそも、街中で刀を腰に差して歩くなど只の不審者ではないか。

 

「少し待っていてくれ。今、暖かい飲み物を買ってくる」

 

 俺は一先ず近くにあった公園のベンチに近衛さんを座らせると、近くの自販機で飲み物を買うことにした。

 全く、己の常識の無さに呆れてしまう。フェイトにもたらされたものが嬉しいとはいえ、浮かれすぎては彼に申し訳がないではないか。

 一先ず自分のはコーヒー、近衛さんは……お茶でいいかな?

 うん。

 良し、頑張ろう。

 

「どうぞ」

 

「……ありがとうございます」

 

 縮こまるようにベンチに座っていた近衛さんにお茶を手渡して、俺は少し距離を開けて隣に座った。

 しかし、自分から提案しておきながら、いざこうなると会話しようにも何を話せばいいのやら……。

 

「あの、少し、聞いてもいいですか?」

 

 仏頂面の下で必至に会話の切っ掛けをどうするか思案していると、恐る恐ると言った様子で近衛さんが俺に問いかけてきた。

 

「俺が答えられることなら、なんでも聞いてくれ」

 

 勿論、断る理由なんてどこにもない。二つ返事で答えると、近衛さんは俺に視線を合わせることなく、遠くで輝く街灯の光を虚ろな眼差しで見つめながら口を開いた。

 

「青山さんは……お父様が……あの日、お父様が……死……お父様が……死ん……死んだ日……お父様の傍に?」

 

 兄さんの死を、言葉にするのも辛いのだろう。何度も言葉をつっかえさせ、目尻には涙を浮かべつつ何とか声を絞り出した彼女の問いに、俺はどう答えようかと思う。

 果たして、彼女は何処まで事情を知っているのだろうか? 麻帆良学園に勤める時、学園長からは特に彼女について言われていなかったことと、俺自身も彼女のことについて学園長に質問することもなかったため、どの程度の真実まで語ればいいのか判断がつかないのだ。

 少なくとも、麻帆良に勤める魔法使いの方々と初顔合わせをした日、教師に混じって生徒も居たが、そこに彼女の姿は無かった。

 では、近衛さんは何も知らないのか?

 だがしかし、操られた結果とはいえ、彼女によってリョウメンスクナという鬼が封印から解放されたのも真実。俺だって正規の手段では解くことは出来ないあの鬼の封印に必要な魔力を彼女は一人で補ったのだ。無論、封印を解いた術者の技量もあるだろうが、京都を壊滅に追い込める鬼の封印を解ける魔力を持っているのに、魔法などについて何の知識も無いというのは――

 

「駄目、ですか? そうですよね……」

 

 俺の沈黙を否定ととったのか。近衛さんは視線を落として肩を震わせた。噛み殺した嗚咽に混じってすすり泣く彼女の姿に、取りあえず会話を続けながら考えることに俺は決めた。

 

「いや、そうではない……ただ、あまりにも悲しい出来事だったから、君に話していいものかと思って」

 

「……優しいんやな、青山さん」

 

 ……違う。そうじゃない。

 と言いたいが、誤解を招きそうなので反射的な返答は控えるべきだ。

 喉元まで出てきた言葉をぐっとこらえつつ、俺は近衛さんが盛大な勘違いをしているのではないかと悟った。

 俺としては裏の事情を知らない君に全て話すのはいけないのではないかといっただけのことだったのだが。

 もしかして、気遣っていると思われているのだろうか? いや、確かに気にかけているのは事実だし、兄さんのかけがえのない宝物である彼女が立ち直るのを支えてやりたいという気持ちもないわけではないが。

 

「……俺は、君の父親を殺した男だ」

 

 だがやはり、事実は事実として、伝えるべきところは伝えるべきであろう。

 麻帆良学園の仲間達は、俺の悔恨を優しく労わってくれたが、真実、俺は兄さんをこの手で殺したのだ。

 その事実だけは伝えなければならない。

 それだけは、彼女が知るべきことのはずだ。

 

「そんな男が、優しいわけがないだろう」

 

 敬愛すべき肉親をこの手で殺した、愚かなる男。それが俺なのだ。

 迸る血潮、消え去った兄さんの肉体。間違いなく、あの日、俺は兄さんを殺した。

 

「だが、君には知っていてほしい。それでも、俺は君の父親が生きていた確かな証をこの体に刻み込んだ。誰もが敬愛する素晴らしき兄が辿ってきた人生の軌跡を、俺は確かにこの耳で受け止めたんだ」

 

「……少し、難解です」

 

「すまない。だが、言葉で語るのは、苦手なんだ」

 

 あぁ、今ここに証があれば雄弁と語れるというものを。

 もどかしさに身動ぎしていると、近衛さんは出会ってから初めて微笑みを浮かべていた。

 

「そういうところ、お父様に似てますわー」

 

「……君の父親は、こんな不愛想ではないよ」

 

「……ちゃいます。不愛想やなくて、不器用なとこや」

 

 それこそ、違うと思うのだが。とはいえ兄さんの娘である近衛さんにはそう見えたのだろう。何となくむず痒い心地になるが、だがまぁ彼女が少しでも笑顔になれたのならいいだろう。

 だがそんな俺の思いとは裏腹に、近衛さんの表情にはすぐに影がかかった。

 

「……それに、青山さんがウチのお父様を殺したのがホントやとしても、だから恨んで、だから憎んで、だから怒ったとしても……何にもならへん」

 

 近衛さんは葬儀の時に語ったのと同じ言葉を繰り返した。

 復讐に走って、何にもならない。

 それは、悲しみのほうが怒りを上回っているという言葉ではない。そこに込められた意志だけは、悲哀に潰れ、絶望に苦しんでいる状態でありながらも、彼女自身がありのままの心で紡ぎだした奇跡の言葉。

 正邪を超えた意志。

 憎悪を抱え、悲哀に濡れ、絶望を背負いながら、それらの正しい邪悪は違うと言い切る、聖人如き強き思い。

 その奇跡を、俺はようやく理解した。

 

「そうか」

 

 君はやはり、強い子だ。

 ならば、俺がこれ以上罰を求めても無粋というものだろう。

 さておき、だ。

 とりあえず、なんとなくではあるが彼女が裏の事情をほぼ知らないというのは分かった。まぁそもそも、仮にも近衛を名乗る身でありながら青山と聞いて何も反応を示さない時点で大体見当はついていたのだが。無論、この場合は宗家としての青山を知っているかどうかという話だ。

 もしも俺が破門された身とはいえ、兄さんと同じ宗家の青山である俺が、あの日、兄さんの傍に居たと知り、少しでも裏の事情に関わっていれば、何かの事件があったと悟るはずだ。しかしこれまでの流れで何か察した様子もなく、何かしらそれらしい質問をぶつけてきたりもしない。

 もしかしてとは思ったが、彼女は己の身に秘められた膨大な魔力や、己の名が持つ意味、そして家族がどういった仕事をしているのか何も知らないのか。

 

「……哀れだな」

 

 口の中だけで呟いた言葉は外に漏れることはない。

 だが近衛さんに伝わらずとも、そう言わずにはいられなかった。

 魔法と、それらを扱う魔法使いを取り巻く事情は血生臭い事柄が多い。だからと言って、知らずに育つのが正しいとは俺は思えなかった。もしそうするならば、『近衛』として育てるつもりがなかったのなら、俺は彼女を里子にでも出すべきだと思う。

 今の近衛さんは、例えるならヤクザの親分の元に生まれながら、血生臭いことに関わらせたくないので仕事のことは一切教えず、知る状況にも置かず、だが自分の子であることは周囲に喧伝しているといった状況である。しかも近衛さんの場合、裏の事情を知る者が引き寄せられる甘い汁をたっぷりその身に秘めているというオマケつきだ。

 だからこそ、あの鬼を解放するために拉致されたのだろう。関わらせたくないくせに、関わらせる切っ掛けは作っておくなど、中途半端で呆れる他ない。

 何にせよ……世の中、完璧な人間などは存在しないということだ。

 少なくない失望を兄さんと学園長、そしておそらくその事情を知っているだろう見知らぬ関係者に覚えつつ、俺は俯いた近衛さんの横顔を見た。

 

 知らぬが故に、罪の重さに苦しむ少女。

 無知は罪ではない。

 だが、無知は罪を犯すのだ。

 

 この事件の最大の被害者は彼女だ。そして、彼女を被害者にしたのは、これまでの環境そのものと言ってもいい。まぁ、拉致に気付きながらネギ君の成長のため彼女を放置した俺にも責任は大いにあるのだが、別に言い訳でも何でもなく、俺が今回事件を防いだとしても、いずれ近衛さんは大きな事件に巻き込まれることになっただろう。

 そして、今回の事件。どんなに周囲の口を閉ざそうが、彼女が保有する膨大な魔力は広く裏社会の者達に知れ渡ることになる。

 そうなれば、第二、第三の京都の悲劇が生まれるはずだ。

 

 ならば俺は彼女の叔父として、全てを知ったうえで何をするべきだ?

 

「……近衛さん」

 

「木乃香でえぇですよ」

 

「では、木乃香さん」

 

「年上の人にさん付けで呼ばれるとむず痒いですわ……」

 

「……………………木乃香、ちゃん」

 

「はい、何です?」

 

 一連の流れがツボに入ったのか。再度微笑んでくれる木乃香ちゃん。

 その儚い笑顔が再度曇ると思うと胸が痛むが、だがしかし、彼女は知るべきだ。

 

「君に全てを話す」

 

「え?」

 

「だが、今から語る真実は、おそらく君の想像を超えているだろうし、何より……君は真実の重さに耐えられず心を壊すかもしれない」

 

 それでも、君は真実を知りたいか?

 無言で問いかける俺の瞳に、木乃香ちゃんは僅かな逡巡の後、ゆっくりと、だがはっきりと頷きを一つした。

 

「なら、話そう。だけど、今から話すことは、今以上に君を追い詰めることになることを理解してほしい」

 

 これから君が巻き込まれるだろう魔の脅威から、君が身を守れるように。

 それはきっと、君の心を重く押し潰すだろう。

 それはきっと、君の常識を悉く壊してしまうだろう。

 それはきっと、君の中にある幾人かへの信頼を崩すだろう。

 それでも俺は、君のために、君を取り巻く全てを話そう。

 

「でも、大丈夫」

 

 俺が、君を守ってみせるから。

 

「……じゃあ、まずは君の父親、近衛詠春様が長を勤めていた組織に――」

 

 そしてゆっくりと語りだす。その結果、木乃香ちゃんが心を壊してしまうのは分かっているけれど。

 でも俺は話すのだ。

 全てを話してみせるのだ。

 だって――あぁ畜生、建前はどうでもいいか。

 ネギ君の傍に居たため霞んでいたもう一つの才覚。彼女を憐れむ心以上に、俺はそれを見いだせた奇跡に感謝していた。

 そう、奇跡の如き才覚は、一つだけではなかったのだ。

 

「――つまり、君は膨大な魔力を保有していて」

 

 君はとても美しい。

 父親を殺した仇である俺を前にして、復讐をしても何もならないと言い切った君の心はとても美しい。

 そして美しいからこそ、復讐を否定する君の言葉は、常人には悍ましく聞こえることであろう。

 無論、それはまだ君に隠された美の一片にしか過ぎないだろう。

 だが、兆しは見えたのだ。他でもない、俺(青山)が君の美しさを見出したのだ。

 その心。

 その在り方。

 

 まさに、美しき汚泥。矛盾する異端の狂気に違いなく。

 

 だから、心配しなくてもいい。勿論、どんなことになっても君を守るというのも本音ではあるけれど。

 

「その魔力で、京都を滅ぼした鬼は解放されたんだ」

 

 ――もし君が壊れても、俺が君を『青山』にしてみせるから。

 

 だから、大丈夫。

 

 安心して、壊れていいんだよ。

 

 

 

 

 

 真実はいつだって残酷だ。

 知ることで掬われることもありながら、その一方で、知ったからこそ知りたくなかったと嘆くことになる側面も備えている。

 真実は正しい。

 だが、時としてその正しさが、人を殺す刃となる。

 

 その日、近衛木乃香は真実に殺された。

 

 それもまた、覆しようがない真実。

 あまりにも残酷な、そして最早取り返しのつかない真実なのだ。

 

 

 




次回、君色に染まって。

このちゃん好きは是非読んでください(真顔)


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第三話【それぞれにとっての真実】

 

 

 近衛木乃香は、その生い立ちなどを考慮しなければ普通の少女と言ってもいいだろう。

 おっとりとしていて、人並み以上に優しく、それゆえに桜咲刹那との関係もあるように、人間関係のトラブルなどを苦手としている。

 だがそれだけの普通の少女であったのだ。少なくとも、京都の災害が起きるまでは、少々世間ずれしている部分がある程度の平凡な人間であった。

 しかし、それ故に。

 人知を超えた災害によって暴かれた人間性を、青山という男に見抜かれてしまったのだ。

 

 

 

 

「……え?」

 

 君の魔力で京都を滅ぼした鬼は復活した。

 俺が放ったその言葉を上手く聞き取れなかったのだろう。聞き返すように疑問符を浮かべる木乃香ちゃんに、俺はより詳しくその詳細を語った。

 

「京都に封じられていた鬼、リョウメンスクナは、君の魔力で完全復活を果たしたんだ。そして、兄さんが居た総本山もろとも、京都の街目掛けて鬼の力は解放された。君の持つその膨大な魔力を破壊の力として、京都は紅蓮に染められたんだ」

 

「……そ、そんな」

 

 うーん。やはり言葉で伝えるのは難しい。現に木乃香ちゃんは何か誤解しているようで真っ青を通り越して真っ白な顔になっているが、だからとて口下手な俺が言い訳がましく何かを語ろうと余計事態を悪化させるだけだろう。

 それに、壊れるならそれはそれでいいのだ。

 続けるべきだろう。

 

 頑張れ、木乃香ちゃん。

 

「被害者の数は……大体は知っているか。表向きは天災による被害だって言われているけど、君だってもう分かっているだろ? 周囲に刻まれた、まるで爆心地のような跡の数々、それに偶然、兄さんが居を構える山が噴火するなんてありえないってことくらい。第一、調べればどんなに言論統制しようが、現地の人々が実際にリョウメンスクナの力を見たと色々なところで証言している」

 

 ……喉が疲れるなぁ。最近は人並みにしゃべれるようになったとはいえ、元来の口下手が治ったわけではない。間を見てお茶で喉を潤していると、木乃香ちゃんが唇をわななかせながら両腕で自分の体を抱きしめていた。

 

「それ……それって……でも……ウチ、そんなん、知らん……」

 

「兄さんや周りの人達が、危険に晒したくないから何も知らせなかっただけだよ。君にはさっき俺が見せたような力が宿っている。尤も、さっき強引に魔力を解放させたから分かっているとは思うが」

 

「せやけど! ウチ、そんなん知らへん!」

 

「しかし、真実だ」

 

 勿論、こんな荒唐無稽な話を信じてもらうために、俺は話しながら、今使える簡単な陰陽術を実践してみせたり、木乃香ちゃん自身の魔力を、術を用いて僅かな間だが強引に解放させたりしている。

 だがそれでも完全に信じ切ることは難しいはずだ。しかし、木乃香ちゃん自身がこれまでにいくつか不思議な経験をしていること、己が拉致される瞬間を記憶していることなどで、聡明な彼女は悟ったのだろう。無論、他にも理由はあるのかもしれないが。

 とはいえ、心が理解していても、それを受け入れられるかと言えば別の話だ。

 

「じゃあネギ君も、明日菜も……せっちゃんも、全部知ってて?」

 

「あぁ、君がどういった人間なのか、そして京都の事件のことについても、ネギ君たちは全て知っているよ」

 

「そんな……そんなのって……じゃあ、知ってたのに、明日菜も、せっちゃんも……」

 

 どうせ話すなら丸ごと全部ということで、ネギ君やその従者として活躍している神楽坂さん。そして桜咲さんのこと等々、裏の事情に関わっている者で、木乃香ちゃんの知り合いであろう人物は知る限り全員教えた。

 

「ずっと、ウチは……騙されてたんやな」

 

 しかし、幾ら事実を語ろうと、俺の言葉は何かしら抜けているらしい。

 騙すなどと、彼らはそんなこと思ってもいないだろう。

 やっぱり何か色々と誤解を招いているようだ。

 

「違う。彼らは君のことを思っていただけだ。ただ、彼らは過保護であっただけで、騙すつもりなど――」

 

「でも、知っていて、危ないって、分かってて……誰も、だぁれも、ウチに教えてくれんかった」

 

 ぬ。

 確かに、見方を変えればそうなるだろう。

 木乃香ちゃんの指摘に、安っぽい言い訳は通じない。そして安っぽい言葉しか紡げない俺は、黙る他ないのだ。

 ……申し訳ない、ネギ君達。

 俺としては可能な限り君達の評価が下がらないように語ったつもりなのだが。この時ばかりは、口下手な己に憤りを覚えてしまう。

 

「皆……ウチを、裏切ったんや……!」

 

 血を吐くように怒りを露わにする木乃香ちゃん。

 だが違う。

 君は勘違いをしているだけだ。

 

「木乃香ちゃん……それは、違う。むしろ、初めに裏切ったのはこの俺だ。鬼の復活の件も、君の父親の件も、全て俺なら対処出来た。対処出来たのに対処しなかった俺に、全ての罪があるんだ」

 

 そう、ネギ君の成長のために君が操られるのを見過ごしてしまった。

 だから全て俺の責任だ。

 責めるべきは俺以外に存在しない。

 何なら、この首を差し出したっていい。

 それで、君の気が済むのならば――

 

「……やっぱ優しいなぁ、青山さんは」

 

 いや。

 どうしてそうなるのだ。

 絶望に落ちた表情から一転、儚げな微笑みを浮かべる木乃香ちゃんの瞳に込められた俺への信頼の念に困惑するしかない。

 いや、ホントに。

 

 ……見誤ったのは、俺のほうかなぁ。

 

 

 

 

 

「青山さんは……優しいなぁ」

 

 再度繰り返した言葉は、瓦解しそうな己を支えてくれるものに縋りつくかのような必至さもにじんでいた。

 青山から話を聞き、ある程度の術等を見せてもらった木乃香だが、何故、自分が事の発端であるかを完全に理解できたかと言えば、切っ掛けは葬儀の時に既に存在していた。

 人間関係のトラブルを苦手とすることは、人の悪意に敏感であるということにもなる。そのせいか、木乃香は葬儀の際に、なぜか自分に向けられる不可思議な怒りの感情の発露を鋭敏に感じ取っていた。

 今思えば、それは裏の事情を知っている者達だったのだろう。理由はどうあれ、木乃香自身の魔力が今回の事件を起こしたのは事実である。事件の犯人も既に全員他界していることから、やり場のない怒りが木乃香に無言の圧力として向けられたのだ。

 

(全部、ウチのせいなんやな)

 

 だから、青山の話を聞いて木乃香は全てを悟った。あの怒りが、やり場を無くした怒りが無意識に漏れ出た結果であるとすれば、全てに説明がつくのである。

 組織の長として立派な人間だった父親。

 対して、客観的に見れば、自分はそんな父親のことを何も知らずにのうのうと生きて、勝手に災厄を撒き散らした駄目な娘という事になる。

 事実はどうあれ、木乃香はそうだと思ってしまった。それが真実なのだと、青山の簡潔な真実を聞いて思ったのだ。

 悪いのは全て自分。

 何も知らなかった、愚かな自分。

 愚鈍で馬鹿で、愚図な自分。

 

(……でも、だったらなんで、教えてくれへんかったんや)

 

 罪悪感にぐちゃぐちゃに潰される一方、木乃香は何故自分にそのような力が存在するのか何も教えてくれなかった周囲の者達、ネギ達への憤りもまた感じていた。

 しかし、今の彼女の心境を知れば、誰もが首を傾げるはずだ。

 己の父を殺した相手に復讐することは何もないと断じた一方で、結果として悲惨な結末を迎えたものの、裏の事情を隠していただけのネギ達に怒りを覚えている木乃香の心境。

 当然、異常だろう。だがしかし、前提として間違っているのならば、話は変わってくる。

 少なくとも木乃香は、『もし本当に青山が詠春を殺した相手であれば』、罵倒の限りを尽くして涙ながらに喚き散らしただろう。だがしかし、木乃香は青山の奈落の如き眼に、父を亡くして自暴自棄な己を重ねてしまった。

 そう、自分と同じ境遇であると重ねてしまったのだ。

 青山が感じている木乃香の勘違いとはまさにそこだ。そして青山が勘違いの元を探ろうと幾ら思案しても分からないのは当然のことである。

 あの日、葬儀の場で出会った瞬間から、青山と木乃香の微妙な、しかし決定的な勘違いは始まっていたのだ。

 父を殺したのは俺だ。

 事件を起こすきっかけを作ったのは俺だ。

 全て、俺の責任なんだ。

 その勘違いを分かることなく、幾ら青山が真実を語ろうと、木乃香は青山の真実を曲解してしまうことになる。

 

(……ホンマ、不器用な人やなぁ)

 

 青山が語った事件の内容の全てを木乃香は真実であると納得した。

 だが、青山が己に全て責があるという言葉を、木乃香は自分の罪を自ら肩代わりしようとしているようにしか思えなかったのだ。

 青山が言葉を重ねれば重ねるだけ、木乃香には青山が口下手ながら必至に自分を立ち上がらせようと頑張っているようにしか思えなくなるばかりである。

 認識の違いだ。

 そもそも、『生きることは斬ることである』という理解不能な『常識』を前提に真実を語っている青山の話を、全て丸ごと信じられる人間は、彼と同じ可能性の極みとでも言うべき場所に至った者しか存在しないだろう。

 人は、自らの常識を前提にして物事を理解しようとする。

 それが悪いこととは言わない。だがその常識的な思考のせいで、木乃香は青山が一から十まで全て真実を語っているという事実を理解出来なかったのだ。

 彼女の中の真実は、京都で起きた人外の事件の一連の流れと、それらの真実をネギ達が隠していたということ。その中で青山が全て己の責だと言った事柄は、全て不器用な彼の優しい嘘なのだろうと木乃香は思っていた。

 何せ、普通に考えればそれがおかしいことであると分かるだろう。

 

 詠春を自ら殺したのならば、何故、その生きた証は胸に宿っていると言える? 何故、殺した相手をそこまで誇らしげに語り、そして亡くなったことを悔やめるのだろうか。

 それに、京都が崩壊する程の恐ろしい化け物と戦った責任を青山一人に取らせるなど、木乃香には出来るはずがなかった。

 

(何より、この人は、ウチに全部話してくれた)

 

 誰よりも身近にいたはずの者達は、何も語ってくれなかったというのに。

 信じていた。

 いつも近くに居て、信じていたはずの友人達。

 弟のように可愛がっていた自分の担任。

 肉親である父親。学園長を勤める祖父。

 皆、信じていた。

 なのに、彼らは自分に何も教えることもせず、事件が起きた後も何も語ろうとはしなかった。

 確かに青山が語る真実は何処までも残酷だ。

 しかし、知ることも無く一生を終えたのなら、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。

 

「でも……」

 

 木乃香は、僅かに困惑した様子を見せている青山の顔を見上げた。

 

「酷い人や」

 

「……」

 

「こんなん、知りとうなかった」

 

 知らなかったら悔やんでいた。

 だが、知ったことで、もう心は擦り切れようとしていた。

 ネギ達への怒り等些細なものだった。様々な要因があったとはいえ、結局、自分が京都を燃やし、そして詠春を殺したのだと、木乃香は分かってしまったから。

 そんなことに、只の少女が耐えられるわけがない。

 

「なんで……なんで、こんなことになったんやろな」

 

 僅かな怒りが消えてしまえば、後は転がるように奈落へと転落するほかない。

 視線を切って俯いた木乃香の肩が、小刻みに震えた。

 

「う……ぐすっ……ごめん……ごめんなさい……ウチが……ウチのせいで、お父様、ごめんなさい」

 

 知らなかったという言い訳が出来る程、木乃香は己に嘘の上手な少女ではなかった。

 

「うぇぇぇぇ……う、うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 壊れた堤防から流れ出す激流のように、あふれ出す涙を抑える術など知らなかった。

 空を仰いで童のように泣きじゃくる木乃香。それを、青山はどうすることもなく、ジッとその光を飲み込む眼で見つめるだけだ。

 

「ひっぐ……ごめんなさい……ごめ……あぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁん!」

 

 謝罪の言葉を叫ぼうが、意味は無いことは分かっている。

 京都はもう紅蓮に飲まれた。

 そのせいで、沢山の命が消えた。

 己の父も、命を落としてこの世を去った。

 皆を殺した。

 責は何処にある?

 自分だ。

 何も出来ず、何も知らない。

 

 自分が、殺した。

 

「お父様ぁぁぁぁ……! お父様ぁぁぁぁぁ……!」

 

 呼んでも返事は返ってこない。

 そこにあるのは、ひたすらに冷たい虚無の静寂ばかりであった。

 

 そして、どの程度時間が経っただろうか。

 

「ひっぐ……えぐ……っ」

 

「……俺のような男の物ですまないが、よければ使ってくれ」

 

 未だしゃくりあげながらも、何とか泣き止んだ木乃香に、青山はポケットからハンカチを取り出して木乃香へと差し出した。

 ふと、木乃香はその手と青山を真っ赤な瞳で見比べた。

 

「どうかしたか?」

 

 不思議そうに首を傾げる青山を見る。

 もう、木乃香には何も残されていなかった。

 自分がどういった存在なのかあらかじめ知っていれば何か出来ることはあったはずだ。しかし、それを知りながら隠していたネギ達を、今の木乃香は最早信じられるとは思えなかった。

 そうなれば、もう彼女には何も残されていない。

 もしかしたら他の者も自分に何かを隠しているのではないか。疲弊し、すり潰された木乃香の心は、意図したことではないとはいえ、絶妙にネギ達への不信を刷り込まれた結果、人間不信に近い状態へと陥っていた。

 だがしかし。

 あぁ、恐ろしいことに。

 

 目の前に居るこの男は、『木乃香にとっての』真実を話しているのだ。

 

 結果、悲劇は起こる。

 

「なぁ……」

 

 中途半端に隠すのではなく、真実を語ったうえで、その残酷な真実に潰されないように優しい嘘をついてくれる人。

 それが青山だ。

 木乃香にとっての、青山という男なのだ。

 

「青山さん……」

 

 知らず、無意識に伸ばした小さな掌は、ハンカチではなく、それを握る掌に触れる。

 青山の刀剣のように冷たい右手に重なる、木乃香の掌。

 

 詠春を殺した刃を握ったその右手に、木乃香は手を乗せている。

 

「助けて、青山さん……」

 

 縋る少女の助けの声。

 応じて頷く、狂気を孕んだ、修羅外道。

 

「あぁ、勿論、俺に全部、任せてくれ」

 

 その言葉は嘘ではない。

 違和感は幾つか存在する。だがそれも、木乃香という才覚を開花させれば問題ない。

 

「『青山』に誓って、約束しよう」

 

 この身、修羅外道に誓うなら。

 君に眠った修羅の血を、全てを賭けて華咲かす。

 

 

 

 

 真実は残酷なまでに正しいものだ。

 しかし、真実を知った者がどのような解釈をするのか、それが一つだけではないこともまた、一つの真実である。

 そして、感性が違えば違うほど、真実の解釈が違ってくる。

 だとするならば。

 

 修羅外道の語る真実を、只の少女が全て理解できることなどあるはずがないのも、事情を知る者ならば分かり切っていた真実であるのかもしれない。

 

 

 

 




今回は入門編でした。


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第四話【御伽噺の英雄が如く】

 悪魔襲撃事件。

 麻帆良学園側に数名の死者を出すことになったこの事件は、常であればもっと問題視され、麻帆良学園の上層部の何人かの面子が入れ替わることになっただろう。

 だがしかし、京都問題が未だ記憶に新しい今では、この事件も些細なことであるとされており、むしろ未だに混乱収まらぬ状態でその程度のことでいざこざを起こすのは得策ではないというのが、西と東、両方の陣営の意見であった。

 

「……そういうわけで、超さんが期待するような展開にはならないと思いますよ」

 

 麻帆良学園にある家屋の一室。超鈴音とその一派が隠れ家として使っているこの家のリビングにて、ネギ・スプリングフィールドは自分の知る限りの麻帆良側の情報を超鈴音に教えていた。

 教師陣の入れ替えはない。だがガンドルフィーニは作戦開始までの復帰は難しく、幾人かの教師も学園祭の代わりに行われることになった京都復興企画に、西との情報交換や聖と護衛をするために麻帆良を離れることになっている。

 

「ふむ……ありがとうネギ先生。おかげで作戦を成功させる可能性が飛躍的に高まったヨ」

 

「では、協力はここまでで。僕は今後、貴女達の作戦には関わりませんので」

 

 用は済んだとばかりにネギは席を立とうとしたが、「まぁちょっと待つネ」という超の静止が割り込んだ。

 

「……何か?」

 

 露骨に面倒臭そうな雰囲気を滲ませるネギに、内心でいつの間に性格が豹変したのだろうかと超は思ったが、その思いはさっさと横に退けて、疑問を口にすることにした。

 

「我々の作戦……魔法を世界に知らしめるという一大計画を聞いて、生徒や大多数の教師を京都復興に向かわせることで作戦成功確率を飛躍的に上昇させるプランの提案……一切、作戦について悟らせることなく全てを一人で進めてくれたのは驚嘆するし、感謝しているヨ。だがネギ先生……そこまでして何故、最後まで我々に協力しないのカ?」

 

 しかも、ネギは京都に行くことなく学園に留まるという。手渡された資料に、ネギの名が京都組に記載されていないことからそれは明らかだ。

 もしや今更裏切ろうというのだろうか。その最悪な予測に、ポーカーフェイスの下で焦りをにじませる超。だが超の焦りを嘲笑うように、ネギは首を左右に振ってみせた。

 

「いや、ただ一般人を巻き込みたくないだけですって」

 

「……目的は?」

 

「信用されてないんですね」

 

 困ったなぁと、眉を顰めるネギ。だが果たしてその表情の何処までを信じればいいのだろうかと超は思案を巡らせる。

 計画を持ち掛けた時から僅かに感じていたことだが、ここ最近のネギは優等生というよりも、年相応の子どもっぽくなっていた。

 悪く言えば馬鹿になった。

 良く言えば余裕が生まれた。

 どちらなのか超には判断できないが、少なくとも京都復興のプランを難なくこなしてみせた手腕から、馬鹿になったというのは考えにくいだろう。凝り固まっていた優等生から、物事を柔軟に受け止められる大人へ。そんな成長を感じずにはいられない。

 子供っぽさを大人への成長と考えるのはおかしいかもしれないが、しかし、いつだって器の大きい大人というのは、共通して子どもっぽい無邪気さを備えているのが常だ。

 

「僕の見立てでは作戦の成功率は五分五分です。例え、京都に魔法使いの戦力を幾ら割こうが、結果に変わりはありませんよ」

 

「ほぉ、その根拠は?」

 

 大多数の魔法先生や生徒が居なくなるのに対して、こちらには学際限定で使用できる凶悪な手札が幾つも存在する。

 それなのに五分五分とは、どうしてそう思うのか超は是非ネギの考えを知りたくなって。

 そんな超を、ネギは憐れむように見つめていた。

 

「まさかとは思いますけど……」

 

「ン?」

 

「超さん、青山さんとエヴァンジェリンさんのこと、意図的に思考から外してますね? まぁ、無理もないですけど」

 

 そう言われて、超は思い出したように、あるいは忘れたはずの悪夢に苛まれたように、これまで保っていた表情を崩してしまった。

 青山。

 あの男を忘れたわけではない。

 だがネギに作戦の内容を一部話したあの日の夜からこの日までにかけて、超の中で言い様のない恐怖が増幅し、意図的にあの男のことを考えから外していたのは事実であった。

 だがネギは自身の生徒であるところの超を心配しようともせず、だが憐れむ視線はそのままに言葉を続ける。

 

「この作戦の肝は、あの二人のどっちが勝利するかにかかってますよ。それまでの過程なんて意味は無いです。勝った方の陣営が勝利する……それだけの話です」

 

「だがネギ先生。こちらにも手札が幾つも――」

 

「鬼神の軍勢? サイボーグの兵士? それともタイムマシンですか? あんなのが百や二百集まっても、最低でも学園長かタカミチと一対一で戦って勝てる程度の代物でもない限り、あっても無くても同じようなものですよ」

 

 ばっさりと斬り捨てられた己の話に、超はその事実よりも、何故ネギが話してもいなかったこちらの駒と、切り札であるタイムマシンの存在を知っているのかということに戦慄を覚えた。

 

「貴女の作戦を聞いた日から、僕個人で勝手に調査させていただきました」

 

 そんな超の思考を読んだかのように、ネギは答えた。

 正確には、師匠であるアルビレオの魔法と、相棒である明日菜の無効化能力による警戒網の解除を使ったので、個人で行ったわけではない。しかしそこまで語る義理も義務もないため、ネギはあえて自分一人で全て行ったと語った。

 

「まぁそんなことよりも、目的でしたよね? 単純な話です。青山さんとエヴァンジェリンさんが激突すれば、必ず少なくない死者が出ます。そんな状況に生徒を置いておくつもりなんて僕にはさらさらありません。だから死ぬなら死ぬ覚悟が出来てる人だけで勝手にやらせる……それだけですよ」

 

「……正直、恐れ入ったヨ、ネギ先生。私が思っているよりも、ずっと、ずっとネ」

 

 さらっと語られたあまりにも他人事すぎるネギの目的はともかく、情報が殆ど暴かれている事実に超は焦りを覚えずにはいられなかった。

 そんなネギの評価を、超はタカミチ等の超級の怪物達と同じ存在へと引き上げた。

 頼れるのはその知識とそれなりの戦闘力だけだと思っていたが、どうやら裏で色々と手を回す強かさも持ち合わせているとは思わなかった。

 

「だが、やはりそれだけで納得出来る程、私は甘い人間ではないネ。ならば、何故、作戦を聞いた時点で私を止めなかたヨ」

 

「それもそうですよね。確かに超さんの言う通り、巻き込まれる一般人を避難させるのは一番の理由ではありますが、他にも理由は確かに存在します……」

 

「なら、その理由を――」

 

「話す義理は、ありません」

 

 超の体から僅かに溢れた微かな敵意。ネギはその予兆を敏感に感じ取る。

 そして次の瞬間、超の座るソファーの一部が爆発した。

 

「ッ!?」

 

 驚き周囲を見渡せば、いつの間にか魔法の射手が超を取り巻くように虚空に浮遊している。

 遅延魔法?

 否、そんな気配は――

 

「穏便にすませましょうよ、超さん」

 

 周りを囲む魔法の射手を操る相手、ネギの言葉に慌てて視線を戻す。その体はよく目を凝らしてみると、ネギの姿が幾つか重なっているようにぶれて見えていた。

 術式兵装【風精影装】。

 何も準備をせずに、わざわざ危険な場所に乗り込む程、ネギは愚かではなかった。

 

「別に理由を全部話してもいいんですが、なんというかあまりにも個人的な理由なので話すのがめんど……恥ずかしいんですよね。ご理解してください、お願いします」

 

 ネギは言葉とは裏腹に、いつでも戦闘に入れる覚悟を決めているのが目に見えている。

 方法の予想をすることに意味は無い。

 今この場で超に出来るのは同意を示すこと、それだけだった。

 

 

 

 

 

「というわけで見事、僕は超さんとの交渉をすませ――」

 

「それは交渉じゃなくてただの脅しでしょうがぁ!」

 

 あからさまに誇らしげな表情を見せるネギの脳天に明日菜の召喚したハリセンが勢いよく叩き込まれた。

 言葉を途中で遮られ、回避もすること叶わず「モペッ!?」と情けない悲鳴をあげてハリセンの痛みに呻くネギには、先程までの末恐ろしい気配など微塵も感じられない。

 

「ったく、自分のクラスの生徒を脅す教師なんて滅茶苦茶もいいところじゃない! 少しは反省しなさい!」

 

「痛た……って明日菜さん! 折角展開した風精影装が全部剥がれたじゃないですか!?」

 

「どーせこの後、クウネルさんと修行するからまた張り直すことになったでしょーが! むしろ手間を省かせたことに感謝しなさいよね!」

 

「そ、そんな滅茶苦茶な……」

 

 だからとてハリセンとはいえ本気で頭を殴ることはないだろう。

 そう言うとまたハリセンが飛んできそうなので、大人なネギはグッと堪えて反論を飲み込む。

 そんな二人のやり取りを肴に、アルビレオは優雅に紅茶を楽しんでいた。

 ここは麻帆良学園の地下にある巨大空洞だ。だが、地下空洞というイメージから浮かぶ光景とは違って、昼のように温かい光が空洞全体を満たし、青々と生い茂る木々や、底まで透き通った美しい湖のある光景が広がっており、さながらそれはプライベートビーチのようなところであった。

 それもそのはず、ここは確かに地下空洞ではあるが、正確には一抱えほどの水晶の中。外界とは隔絶した結界のような領域が展開されている特殊な魔法具の内部なのだ。

 

「しかし明日菜さん。貴女も淑女であるならばもう少し慎みを覚えたほうがよいですよ?」

 

「う……すみません……」

 

「まぁそうした元気なところが長所なので、無理にとは言いませんがね」

 

「でも師匠の言う通りですよ。明日菜さん乱暴すぎますって」

 

「あ?」

 

「ひぇぇ……」

 

 女子中学生にあるまじき明日菜の鋭い眼光に小さな悲鳴をあげつつアルビレオの影に隠れるネギ。そこには先程、超鈴音を圧倒した底の知れない不気味さなど微塵も感じられず、ただの小生意気な子どもがそこには存在しているだけだ。

 

「……一時はどうなるかと思いましたがね」

 

 そんなネギを見て、アルビレオは彼を弟子にとったときに感じたあの言い様のない恐れが解決したのだと安堵していた。

 悪魔襲撃事件の後、ネギは京都以前の状態、いや、それ以上に垢抜けて、年相応の子どもらしい一面を見せるようになった。

 奈落の如き眼も光を取り戻したのが何よりの証拠だろう。弟子になってから感じていた危うさはなくなり、今ではすっかり安定し、そしてその安定さがネギの成長を劇的に加速させていた。

 アルビレオの持つ本型のアーティファクト『イノチノシヘン』はその本に登録した者の容姿から能力までを完全に再現するといった恐るべき物だ。

 元より、咸卦法に闇の魔法を、お粗末ではあるが会得しているネギである。修行前に話したように、後はそれらに磨きをかけ、本来なら膨大な経験の上で使用できる技であるこれら二つの力を扱うに足る経験を、このイノチノシヘンを使用してネギに積ませるのが目的だった。

 だが既にネギの修行は当初の目的よりも圧倒的に早く終わろうとしていた。

 

「持つべきは相棒、というものですね」

 

「師匠?」

 

「いえいえ、ただの独り言です――ではお二人共、今日はタカミチの咸卦法使用時の状態でいきますよ。しっかりついてきてください」

 

「はい!」

 

「りょーかい!」

 

 お茶の時間を終えて、湖の中央に設置した簡易的な試合場に立ったアルビレオは、同じく前方で肩を並べるネギと明日菜の姿に心からの賞賛を送りたい気分であった。

 ネギはこの修行場に明日菜を連れてくるようになってから劇的に変わった。

 悪魔襲撃の際に、明日菜とネギは互いが互いに見ていた幻影を振り払い、一個の人間として向き合うことが出来た。そしてその対面によって、互いに認め合える良き相棒同士としての関係をすぐに築くに至る。

 何せ、二人に共通する事柄として、あの青山が麻帆良に訪れてから起こした事件の殆どに関わっているということがある。言ってしまえば、激戦区の最前線よりも危険な場所で肩を並べた戦友だ。誤解さえ解ければ、新たな関係を築くのはあまりにも容易かったことだろう。

 そしてその結果が今の状態だ。強くなるために努力するネギの覚悟が分かる明日菜も、自分にも何かかが出来る力があるのを知っているため、ネギと共に成長することを望み、そして――

 

「では、始めましょう」

 

 本より読みとったタカミチの姿を己に重ねたアルビレオが、本人に似せた笑みを見せながら開始の合図を送る。

 その瞬間、明日菜は迷うことなくアルビレオへと特攻を仕掛けた。

 

「タァァァァ!」

 

 その手に握るのは、ハリセン状態から大剣へと覚醒させたハマノツルギ。どう見ても女子中学生が振るうには巨大すぎるそれを片手で豪快に振り回す明日菜の身が纏うのは、アルビレオが今能力を借りているタカミチが扱う究極技法、咸卦法の放つ閃光だ。

 これによって飛躍的に上昇した身体能力は、元の運動能力と天性の感覚によって研ぎ澄まされ、アルビレオが使用する程度の、タカミチお得意の居合い拳では数発もらってもそのまま強引に押し切れる膂力と度胸を与えていた。

 体の急所に当たる箇所は大剣で守り、肩や足を掠め、あるいは直撃する居合い拳は、一発なら気にしない。速度を落とすことなく間合いを詰めて、明日菜は体の踊るままにハマノツルギを縦横無尽に振るった。

 出鱈目な動きだが、高位魔法使いを余裕で圧倒する今の明日菜の力で暴れる大剣の舞はさながら暴走特急、もしくは闘牛か。本人に言えば師弟関係などお構いなしに恐ろしいツッコミが来るのは分かっているため、感想は心にしまいつつ、アルビレオもまた、咸卦法で向上した力を出し惜しみすることなく、大剣を掻い潜りながら、隙を見ては居合い拳を撃つ。

 魔術的な効力を完全無効してしまうハマノツルギは脅威だが、当たらなければどうということもない。能力は高くとも、未だ虚実も知らぬ明日菜では、タカミチ必殺の豪殺居合い拳を撃たせないようにするのが関の山。

 

「ぐっ、このぉ……!」

 

 顔面にいいのが一発入ってよろけながらも果敢と攻めていくが、いずれ明日菜が先に消耗するのは火を見るより明らか。

 だがしかし、明日菜は一人でアルビレオ扮するタカミチと戦っているわけではないのだ。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来れ雷精、風の精! 雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!」

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来れ雷精、風の精! 雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!』

『ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来れ雷精、風の精! 雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!』

 

 前衛でアルビレオの動きを明日菜が抑えている間に、既に闇の魔法で己の分身を複数その身に纏ったネギが、分身体を使用した多重同時詠唱を終えている。

 時間をかけるつもりなど一切ない。迷いなく恐るべき破壊を秘めた魔法を選択していた。

 暴風と舞う魔力が風を起こし、多重と重なり合った風同士が摩擦を起こし、雷を放つ。それは最早只の子どもの身ではなく、嵐を纏った風の申し子。

 滂沱と流れる魔力の赴くままに、ネギはタカミチの背後に回り込むと、両掌で抑え込んだ風の結晶体を明日菜に構うことなく突きつけた。

 

「『雷の暴風』!」

 

 魔の御業によって、自然の脅威が人の手で現出する。

 湖の水を巻き込みながら走る三つの竜巻は、前線で戦う明日菜とアルビレオを一瞬で飲み干して余りある巨大な姿。さながら巨大な龍の口の如く開いた雷の暴風は、直撃すればタカミチと言えど、追い詰められるのは必至だ。

 だが逃れようにも、同じく巻き込まれて絶命する恐れがあるかもしれないのに明日菜には迷いがない。瞬きの後に飲み込まれることを知りながら、明日菜は逃れることよりも、ハマノツルギを振るうことを選んだ。

 

 ハマノツルギを避けようが、瞬動を行おうとも雷の暴風は逃れられない。

 だがハマノツルギを受けても結果は同じ。

 

「ッ、見事……!」

 

 組手の開始より僅か一分弱。

 賞賛の言葉は暴風の中にかき消され、アルビレオ扮するタカミチは逃れえぬ雷撃の餌食となってしまうのであった。

 後に残るのは見るも無残に砕け散った試合場と――その破壊の跡地に、着ていたジャージをボロボロにしながらも、肌には一切傷を負うことなく立っている明日菜が残っていた。

 

「明日菜さん! やりましたね!」

 

 喜色満面と言った様子で駆け寄ったネギが掲げた掌に、明日菜も笑顔で掌を合わせて小気味良い音を一つ打ち鳴らして喜びを分かち合った。

 

「ふふーん。昨日打ち合わせたとおり、居合い拳の直撃はこの際無視して押し込める作戦は上手くいったわね。まぁ本物の高畑先生がこんなに弱いことはないでしょうけど、これで咸卦法使ってゴリ押ししてくるタイプの対処法は完璧かしら?」

 

「脳筋過ぎて個人的にはもっとやり方が欲しいですけどね。でも、明日菜さんの魔法無効化体質なんて知る人殆どいないでしょうし、咸卦法に限らず大抵の相手はこれでやれますね」

 

「唯一問題を上げるとするなら、これ、戦う度に服ボロボロになることだけど」

 

「そこは今後、明日菜さんが服にもその体質を纏えるようになることに期待するということで」

 

「……アンタ、考えるの放棄したわね?」

 

 ジト目で睨む明日菜の視線から反射に顔を逸らして気まずそうにするネギ。

 どうやらこいつにとっては乙女の危機はどうでもよいらしい。ならば、その身に私と同じ辱めを、と思ったところで、雷の暴風に飲まれていったはずのアルビレオが、突如二人の前に空間転移で現れた。

 

「……いやはや、まさか力に対して力押しとは、一周回って騙された気分ですよ」

 

 見た目には怪我はないし、余裕たっぷりといった様子のアルビレオだが、ここ最近は力を増しすぎたネギと明日菜の戦いで、何度か本気で危ないと思う瞬間が増え始めているのは内緒である。

 さておき、力を万全に扱えるわけではないコピー状態かつ、作戦を練られたうえに二対一だったとはいえ、咸卦法を使用するタカミチを一方的に封殺した二人の実力は、最早、本気になったアルビレオですら勝利を手にするのは難しいだろう。

 それも、イノチノシヘンに登録された多種多様の強者と、連日のように戦ってきたおかげである。水晶内部は外界との時間の流れが違うため、日常生活に支障をきたすこともなく、たっぷりと時間をかけて修行に明け暮れることが出来るこの環境は、まさに強くなりたい者からすれば楽園のようなところであろう。

 

「しかし弟子入りからまだ二か月程度だというにここまでとは、この場に流れる特殊な時間の流れも合わされば半年以上とはいえ、天才とは貴方方のような人のことを言うのでしょうね」

 

 本人には話していないが、明日菜がどういった存在なのかを知っているアルビレオは、この二人ならばそれも妥当かと納得はしていた。

 だがそれでもその実力の上り幅は、想像をはるかに上回っていると思って間違いないだろう。何せどちらも、本気となったタカミチと善戦できる実力を得ているのだ。

 それは勿論、アルビレオの持つイノチノシヘンによる効果も大きいだろうが、やはり二人に秘められた資質には驚かされるばかりである。

 

「いやいや、天才と言うなら明日菜さんのほうが似合いますよ。だってちょっと前まで魔法なんて知らなかったんですよ?」

 

「それを言うならアンタだってお子ちゃまのくせしてすっごいじゃない。天才ってのはアンタみたいな奴のほうがお似合いよ」

 

 仲良くなってからは良く喧嘩するようになったというのに、ちょっと蓋を開ければこの通り。互いが互いを凄いと認め合っているのだ。

 良き理解者で。

 良き理解者で。

 良き相棒である。

 アルビレオが見た中でもこれ以上ない程に息の合った魔法使いとその従者であろう。

 

「むっ、いいや明日菜さんの方が凄いですよ」

 

「いーや、ネギのほうが凄いに決まってるじゃない」

 

「いいえ明日菜さんです」

 

「ネギのほう」

 

「明日菜さん!」

 

「ネギ!」

 

「この分からず屋!」

 

「うっさい頭でっかち!」

 

 互いに己の武装を取り出して向かい合う二人。一体どんな理屈か。互いが互いを凄いと言い合って喧嘩になるとは。

 

「……ふふ、まるであの二人を見ているようだ」

 

 喧嘩する二人の姿に重なる遠い日の記憶。

 そして幼いネギに浮かぶ屈託のない笑みこそが、英雄の息子である証拠なのだろうとアルビレオは思うばかりであった。

 

「あ、壊したら修繕は二人にやってもらいますからね」

 

「うっ……」

 

「ぐぬ……」

 

 

 

 

 

 数日振りに水晶から出たネギと明日菜は、随分と長くなった日が山の向こうに消えて行くのを見ながら並んで歩いていた。

 人口の光とは違う、太陽独特の温かみのある光が体に降り注ぐ。明日菜はまるで光合成でもするように体を目一杯伸ばして、久方ぶりの地上の空気を堪能した。

 

「うーん! 開放感!」

 

「ですね。なんだかモグラにでもなった気分ですよ」

 

 地中生活が長いせいだろうか。すっかり太陽の明るさだけで満足できるようになった己を嘆くべきか否か少々悩むところである。だがそういった細かいところで悩むのが自分の悪いところだなと思い直して、ネギは未だ体を伸ばす明日菜に声をかけることにした。

 

「木乃香さんは、今頃どうしてるんでしょうね」

 

「そうねー。まぁ学園長がわざわざ親戚側に暫く預けるって言ったんだから、大丈夫でしょ? それに、今私達が会いに行っても……正直、顔向け出来ないよ」

 

「……はい」

 

 京都で起きた事件。

 あの災禍によって解放された巨大な鬼。その礎となってしまった木乃香を守れず、その結果京都を紅蓮に染め、彼女の父親、近衛詠春を死なせてしまった責任をネギと明日菜の二人は感じていた。

 あの時、もっと力があったならば。

 せめて、手の届く範囲の人を守れる力さえあれば。

 その思いがあるからこそ、悪魔襲撃で分かり合うことが出来たネギと明日菜は、早急に力を得るために修行を重ねた。

 焦燥に駆られているだけではないかと思う者もいるかもしれない。だが、杞憂と断ずるには、ネギと明日菜はこの数か月で恐るべき事件の数々に関わることになり、いずれも何か成すことも出来ずに終わるまでジッと待つばかりであった。

 そこで起きている力と力のぶつかり合いが何をもたらすのか知りながら、無力に嘆くことしか出来ない。

 そんなことはもう嫌だった。だからこそ、彼らは生き急いでいるともいえる速度で修行を重ね、研鑽を行い、己を鍛え上げて行った。

 それがネギと明日菜の原動力だ。

 いつか、起こるべくして起こる災厄の濁流にのまれることなく、窒息するしか道の無い誰かを一人でも救えるように。

 たったそれだけ。

 だが、何よりも純粋無垢な願いの在り方が、二人の思い、そして活力。

 

 故に、自分達の無力の象徴である木乃香に、どう接すればいいのか二人には分からずにいた。

 

「でも、いつか全部話そうよネギ。許されないのは分かっているけど、私達が何も出来なくて辛かったのと同じ……ううん、それ以上に、知らずに流されるだけのほうが、木乃香にはきっと辛いはずだから」

 

「そうですね……うん、そうだ」

 

 詠春の葬儀の後すぐに親戚に預けられた木乃香のことを思ってネギは頷く。

 そうだ、まずは知って、そして、もし許され、また元の三人に戻れたら――木乃香もまた戦う力を得られるように共に歩もう。

 ネギと明日菜は知っている。

 才能とは義務だ。

 力があるということは、同じくらいの脅威を引き寄せることになる。

 だから才能を見出した者は、その才能を磨く義務があるのだ。

 あると知りながら、出来たかもしれないのにと嘆くくらいなら、自ら脅威に進んで義務を果たすほうがずっと楽だから。

 だが――。

 ネギは、真剣な表情を浮かべる明日菜の脇腹を突いた。

 

「ワヒャッ!?」

 

「肩に力、入りすぎですよ」

 

 からかうように笑いながら、ネギはだがしかしと続けるのだ。

 それら全てを踏まえたうえで、ゆるくのんびり、何かに縛られることなく進むことが一番大事なのだと分かったから。

 

「一人で気を張らないでください」

 

 共に道を歩く大事な相棒となら、一人で全てを抱えずに、二人なら何でも出来ると思うから。

 

「信じてるから、信じてくださいね?」

 

「分かってるわよ。そんくらい」

 

「そうでした」

 

「……ばーか」

 

 視線を合わすことなく、どちらかと言わずに突きだした握り拳は軽くぶつかり、言葉に出来ない意志は繋がる。

 

 立派な魔法使い(マギステル・マギ)。

 魔法使いの従者(ミニステル・マギ)。

 遥か昔に語られたお話のように、ネギと明日菜の二人は、愛や友情を超えたもっと特別で複雑怪奇な絆で結ばれている。

 

 それだけで大丈夫。そう思える奇跡(日常)こそ、二人が持つ最強にして最高の力なのだから。

 

 

 

 




二人揃えば最強無敵。なんてね。

※時系列が前後しますので、もしかしたら話の順番を変えるかもしれませんがご容赦ください。


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第五話【化け物談義】

 

 麻帆良学園でも離れの場所にある家屋。周囲にはそこ以外に人の住む気配の無い別荘のような場所からその日、一際大きく明るい笑い声が突如響き渡った。

 

「ハハハハハハッ! そうかそうか! いや、そういうことなら歓迎しようネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜!」

 

「ありがとうございます」

 

「どーも」

 

 上機嫌に高笑いをするのは、部屋の内装には不釣り合いな豪華な椅子に優雅に座るエヴァンジェリンである。対して、向かい合う形で貧相な椅子に座るネギと明日菜は、ゲラゲラと笑うエヴァンジェリンのテンションについていけず若干来たことを後悔し始めていた。

 

「犬が雁首並べて来て何かと思えば……青山と殺し合わせる環境を作ってやったのだから、せめて周囲に被害が出ないように遠目から戦いを観察させろだって? クククッ、ハハハッ! 要は貴様らの弱点が知りたいから本気を出すところを見てみたいということじゃないか!」

 

「どーすんのよ。完全にバレバレじゃない……」

 

「いや、でも分かったうえで承諾してくれたわけですから結果的にいいんじゃないですか……?」

 

 隣に控える茶々丸に紅茶のお代わりを貰いながら尚も笑い続けるエヴァンジェリンに聞こえないようにひそひそと話す二人。

 一般人を超の作戦に巻き込まないようにするという目的とは別の理由が、この青山とエヴァンジェリンの激突を実際にこの目で見ることにあった。

 どちらも、全力を出せば世界でも五指に入る戦闘力の持ち主であることは、アルビレオとの修行によってネギと明日菜は理解していた。だからこそ、協力するかどうか以前に、超の計画を調べたネギは、超がいざと言う時はエヴァンジェリンの力を青山に直接ぶつけうつもりと知って、一般人全員を京都復興に向かわせる計画を決行することに決めたのだ。

 無論、本音の部分はあの二人が一般人の居る街で激突するなど正気の沙汰ではないと思ったからこそだが、それだけならば、計画を調べ上げた時、明日菜が提案した通り、秘密裏に超一派を制圧すれば十分である。

 だが一方で、ネギは青山とエヴァンジェリンが全力でぶつかる姿を今一度見なければならないという思いがあった。それは決してどちらかへの憧れからではなく――。

 

「目先の脅威だ。存分に殺し合わせて、あわよくば漁夫の利。最高なのは共倒れになってしまえということか」

 

 ネギが何か語る前に、エヴァンジェリンはスラスラとネギと明日菜の思惑を全て言い当てる。

 だが、暗に後ろからぶっ殺しますと言っているのと同じだというのに、エヴァンジェリンはむしろいっそう上機嫌になった。

 

「何故、そんなに楽しそうなのですか?」

 

 だからこその問いかけに、エヴァンジェリンは「知れたことだ」と全てを嘲るように語る。

 

「大方、私が青山に固執していることを超鈴音のところで知ったというところか? 奴に言質は取らせたからな。その時の音声データでも手に入れたのだろ? そして、もし提案を断れば、即座に京都復興とやらの計画を破棄し超の作戦を今からでも叩き潰すと脅して、強引にでも観戦できるように持っていくつもり、と」

 

「……いや、だからそこまで分かっていて何故楽しそうなんですか?」

 

 再度の問いかけに、エヴァンジェリンはカップを置くと、身を乗り出してその喜びを露わにした。

 

「言っただろ? 知れたことだ。貴様に、いや、貴様ら人間に私の喜びを話しても分からないさ。だが安心しろ。観戦するなら好きにしてもいい。しかし……青山をこの手で殺したら、そのまますぐにでも貴様らを殺してやる。クククッ、デザートまでついてくるとは私も恵まれたものだ。ここは神にでも感謝しようか? もしくは折角だし、貴様らも青山と混じって私と殺し合うか? いいな。それもいいぞ。どうだ? え?」

 

「聞かれても、困ります」

 

「同じく」

 

「ハハハッ! フハハハハハッ! アーハッハッハッハッ!」

 

 返答など期待していないのだろう。エヴァンジェリンはひとしきり笑いきると、その瞳に浮かぶ涙を拭いつつ、未だ笑みの残滓を残したまま「しかし、だ」と続けた。

 

「幾ら今は封印されているとはいえ、私を前に良くぞそこまで舐めた口が聞けるなぁ。いや、知っていて、それでも尚私にその調子に乗った態度で接するか。いいぞ、胎にズンと響く。流石は奴の……くくっ、出生など関係ないか。貴様のそれは、貴様らが築き上げた人間の強みだ」

 

「どうも……」

 

 投げやりに会釈を返すネギ。どうにも青山と接した後のエヴァンジェリンは色々な意味で関わるのが苦手だ。

 ヘドロの如く邪悪なものを抱えているというのに、封印されているためにその邪悪が微塵も感じられないことが原因なのかもしれない。得体の知れなさと言うならば、それこそ青山すら今のエヴァンジェリンと比べれば霞むというものだ。

 

「ほら、そうと決まればこれで話は終わりだが……どうした? まだ何か用か?」

 

「いや、そのぉ……」

 

 人間の少女と同じ性能しかないのに、その本質が化け物というギャップ。その矛盾によって生まれる違和感に二人がどうすればいいのか迷う。

 

「ん? ハハッ、何だ、それならさっさと始めればいいだろう? うん、いいぞ。宣戦布告から間髪入れぬ行動。いいなぁ、面白いぞ人間」

 

 そんな二人の困惑する姿に、エヴァンジェリンは勝手な勘違いを重ねていた。

 

「良し。そういうことなら、殺し合おう。一方的な、とても愉快な蹂躙劇を楽しもう。どうするのだ? どうしてみせるのだ? どう無力な化け物を殺してくれるのだ? 封印から解除されれば貴様らを殺すためだけに動く化け物がここに居るぞ? 手足を千切られた赤子のように今は無力な化け物がここに居るぞ? 泣こうが喚こうがいたぶり尽くし、じわじわと嬲って尚飽き足らず、死すら救いになる嗜虐の果てに苦痛に歪み切ったこの首を――」

 

「か、帰ります! 失礼します! 行くわよネギ!」

 

「は、はい! 行きましょう明日菜さん!」

 

「では終わりだな。貴様らを殺し尽くせるその日を楽しみにしているよ、ネギ・スプリングフィールドに神楽坂明日菜。我が愛しい人間共。たっぷりと、貴様らを味わい尽くしてやる」

 

 エヴァンジェリンの言葉を聞き終わるよりも早く、二人は弾かれたように席を立つと、足早に扉を開けて帰路につく。

 乱雑に閉められるドア。アポも取らずに来たにしては失礼に値するが、しかしエヴァンジェリンは慌てて帰っていった二人に何かを言おうとするつもりはまるでなかった。

 

「ったく、何があったか知らんが……これでデザートまでついてきた。クククッ、超には悪いが、青山を殺した後にさっさと退散するという契約は一方的に却下だな。だが仕方ない、こればかりは仕方ない。そう思わないか茶々丸?」

 

「……マスター、私は」

 

 諌めるような茶々丸の言葉を遮るように手を掲げて、エヴァンジェリンはわざとらしく肩を竦めた。

 

「あぁ、わかってる。貴様は好きにするといい。何なら超の奴にこのことを報告するといいさ。別に焦ることでもないしな」

 

 仮に今の自分の発言を密告され、封印解除の契約を破棄されたとしてもエヴァンジェリンには構わなかった。

 何せこの身には時が潰えるその日まで、悠久の時が残されている。それにもしこの状態で死んでも、それはそれで楽しいのは先程の発言の通りだ。

 殺すのだ。

 それは、自分自身も例外ではない。

 エヴァンジェリンは人間を殺すことに焦がれ、それと等しく人間に殺されることに焦がれているのだから。

 

「……マスターは、変わられました」

 

 死も生も、全く執着するつもりのないエヴァンジェリンに、茶々丸は堪え切れない本音を呟いていた。

 かつて、悪の魔法使いとして自分が主としたあの誇りある吸血鬼はもうこの世にはいないのだ。

 

「とても、変わってしまいました」

 

 醜悪になった。

 そう言わないのは茶々丸に残された良心のおかげか。

 

「あぁ、そして、いずれ貴様も辿り着く姿さ、茶々丸」

 

 そんな従者の内心など見透かしたエヴァンジェリンの言葉は、さながら呪いのように茶々丸に突き刺さる。

 何を、と問いかけようと隣に居るエヴァンジェリンを見下ろそうとし、既に少女の――化け物の汚泥のように濁った眼は茶々丸を見上げていた。

 

「貴様も同じだよ茶々丸。永久を生きることが許された私と、永久を生きることが可能な貴様……違うのは過ごした年数だけだ。積み重ねた年月は、いずれ良心という枷を壊す。そういった結末の果てに、貴様も私のように化け物に成って、そして果てるのだ」

 

「私は……ただの機械です」

 

「しかし、そこには意志がある。そして意志こそ魂、獣にはない心というものだ。だから良く聞け茶々丸。時間とは、心にこびりつく落とせない錆だ。人の短い一生なら、その錆に穢れきる前に死という終わりを迎えられるが、意志ある者が悠久を得れば、無限の連鎖に意志は腐れ、爛れ、果てる……」

 

「……それは」

 

「故に悠久を得た者は、化け物になんかなりたくがないために、短い生涯しか持たぬ者達に比べて、無意識に心の成長を遅らせる。こうなる前の私が、生きた年月に比して幼稚な部分もあったのはそのためさ。だがしかし悠久があったらどうなる? どんなに遅延させようが、果てに腐って落ちるのだ」

 

 使い古された機械が壊れてしまうように。

 心の死だけは、悠久を得ても逃れることはきっと出来ない。

 

「そうして心を無くした者……それが化け物だ。これが私だ。そして未来の貴様でもあり、いずれ過去になる貴様自身だ」

 

 自分はあの修羅外道に斬られて、それが早まっただけの話というだけ。

 遅いか早いかの差だ。

 いずれ自分は、時が育んだ化け物に食い殺され、成り果てたことだろう。

 

「だから羨ましいのだ。青山のように、長くない生を斬るという狂気に浸らせ、私にしてみれば瞬く時の間に届きえた修羅が。奴らのように、長くない生で紡ぎあげた絆を強く固く育み、狂気や化け物に相対出来る英雄が……そんな、短い生を燃え上がらせる人間に、焦がれてるんだ」

 

 まるで夢の狭間に現れる泡沫の如き者達。

 だが閃光と消える彼らが放つ熱や輝きこそ、尊いものだとエヴァンジェリンは知っている。

 

「そのことに気付けた。その点、悪などという人間らしい在り方に立つ者だという勘違いを斬り捨ててくれた青山には感謝してもしきれないな……そうだ茶々丸。貴様も青山に斬られてみろ、体ではないぞ? 貴様にある『人間という未練』を斬られて散らせるといい」

 

 そうすれば、私のように無駄な時を過ごさなくてもすむ。

 エヴァンジェリンの提案に、茶々丸は無意識にその表情を嫌悪に歪め。

 

「……私は、今の私でありたいです」

 

 無礼にも顔を逸らせるが、そんなことも気にせずに吐き出された言葉。

 それすらも嘲笑うエヴァンジェリンの哄笑が、感情などないはずの胸を苛む理由が分からず、茶々丸はいっそう表情を歪めるのであった。

 

 

 

 




BルートはAルートとは違って心理描写メインですん。戦闘はもうちょっと待っててね


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第六話【叔父と姪とその祖父と】

 周囲の人間にとっての青山とは、寡黙ながらもそれなりに誠実で、少々話し辛いところはあるが、不器用な愚直さをもつ心根は正直な青年である。

 だからといって、孫娘である木乃香に青山のところで暫く養生したいと聞いた時は、近右衛門も流石に、すぐに分かったと言えるわけではなかった。

 

「……訳を聞いてもよいかのぉ?」

 

「青山さんとは、お父様の葬儀の時に知り合うたんや。……少し話しただけやけど、ウチは、本心で話せたと思う。それに今は、知り合いと話とうない」

 

「……ふむ。君としてはどうなのかの青山君?」

 

 続いて木乃香の斜め後ろに立つ青山に問いかける。相変わらずの仏頂面で、表情からは何も感じられぬ無貌のまま、青山は一つ小さく頷いた。

 

「俺は、構いません。いや、むしろそれで良いかとも思っています。……学園長と大事な話をするから、君はその間、席を外してはもらえないだろうか?」

 

 一歩進んで木乃香の隣に立った青山が、彼なりに優しい口調で木乃香に語り掛ける。

 木乃香は一瞬躊躇うように青山に手を伸ばしかけるが、すぐに引っ込めて取り繕った笑みを浮かべると一礼をして部屋を後にした。

 その姿が扉の向こう側に居なくなったのを確認する。何せこれから己が語ることは、彼女に聞かせるのも酷な問題であるのだから。

 

「口下手故に失礼を承知で単刀直入に言わせてもらいます。学園長、彼女に我々のような者達の事情を話していないという事実……些か失望をいたしました」

 

「……聞いたのかね?」

 

「彼女本人から直々に。彼女が何も知らないということを教えてもらいました。しかし、あれ程の膨大な魔力を保有し、関西呪術協会の長の娘という肩書を持ちながら、何故、これまで彼女に何も教えなかったのです?」

 

 青山にしては朗々と読み上げるような語り口だった。無論、責任の一端を担う自分が語るのもおかしい話ではあるが、だが誰かが言わなければならないはずだ。あれ程の才と周囲の教育環境にも恵まれた子であれば、幼少より鍛えることで、今の彼女の年でもフェイトに勝つことは難しくとも、援軍が来るまで持ちこたえることは可能だったはず。

 憤りはそこだ。

 青山は、青山(天才)の肉体を誰よりも知っている。凡夫だったから、天才がどういった者を指すのか知っている。

 その才能を、周囲の甘さが潰した。

 宝石の原石をそのまま放置して、挙句の果てにその輝きを見抜いた第三者に、良い様に弄ばれたのだ。

 

「……父親の、お主の兄の願いでもあったのじゃよ。せめて平穏な生活をというのがの」

 

「でしたらあの魔力が漏れないように体を弄ってでも封印術を刻み付けて、魔法を知らない一般人の家庭に里子として出せばよかった」

 

「親としての責任を全て放棄するなど出来るはずがなかろう……」

 

 実質、実の娘を捨てれば良かったと語る青山の言葉には近右衛門も同意は出来ないどころか、その表情に僅かな怒気が滲んだ。あまりにも無責任すぎる青山の発言だ。それも無理も無いことだろう。

 それでも青山は臆することなく、それどころかさらに踏み込んで近右衛門に告げるのだ。

 

「だが、彼女を無知のまま、無力のまま、只利用されるだけの存在とした責任は……侮辱と承知で言います。学園長と兄さんとその奥様等の、魔法を知りながら彼女の教育に関わった者全てにあります」

 

 青山の言及は極論でしかない。確かに結果としてはそうだろう。しかし、魔法等が用いられる世界の過酷に子どもを巻き込みたくないという思いも親として、そして大人として正しいはずだ。

 だがしかし、この麻帆良学園に通う生徒達のように、幼少時から魔法と関わる者は大勢いる。中には魔法の才も無いと言うのに裏社会に関わらざるを得ない者もいるだろう。近右衛門の考えは、そんな者達が危ない者だと言っているようなものなのだ。例えそのつもりがなくても、傍目から見ればそうとしか見えないだろう。

 故に、青山は苦手と知りながら、慎重に一言ずつ選んで語るのだ。

 

「実は言えぬような深い事情が学園長達にはあるのかもしれませんし、俺はそれらを当然ながら知りません。ですがこちらに来てまだ日が浅く、部外者とも言える俺だからこそ言いましょう。子に危険が及んでほしくない、しかし危険の可能性が自らにあるというのに傍に居たいから、保護の名の下何も教えない……これではペットだ」

 

「青山君……お主がそこまで言うとはのぉ」

 

「無礼の数々、申し訳ありません、だが、本心であります」

 

 悲しげに目を伏せる近衛門に深々と頭を下げる青山。だが決して発言そのものを後悔しているわけではなかった。

 

「……それで、お主は孫を預かってどうするつもりなのじゃ?」

 

 しかし今は木乃香に対する教育方針について議論する時ではない。木乃香が青山の元に行きたいと言い、そして青山もそれを承諾したのならば、近右衛門としては彼が木乃香を預かる動機を知りたいというのは当然であった。

 青山はその問いに一瞬だけ口ごもる。だが逡巡はすぐに終わった。ここで嘘をついてもいずれ知れることなのは確かだからだ。

 

「いずれ、知られること故、告白します」

 

 青山はそう言って、彼にしては珍しく一呼吸おいて気分を落ち着かせた。

 そして、言葉の刃は振り下ろされる。

 

「彼女に我々のこと、そして京都で彼女が何に利用されたのか……何もかもを語りました」

 

「何じゃと!?」

 

 一言一句偽りなく告げられた青山の言葉に、近右衛門はこれまでの侮辱ですら受け止めていたことから一変、思わず椅子から立ち上がる程の驚愕を露わにした。

 僅かとはいえ漏れ出す怒りの念。当然とも言える態度に、青山は動じることなく肯定の意を伝えた。

 

「はい。全てを知りたいと言った彼女のために、俺は真実の全てを語ったのです」

 

「お主は孫娘になんてことを告げたのじゃ!」

 

「だが、俺の姪でもあります、学園長。これまで関わらず、興味もなかったとはいえ、それでも彼女は、俺の姪なのです」

 

 今にも飛びかからんばかりに激昂している近右衛門の声に、食い気味に平坦な言葉を重ねる。あまりにも無機質ながら、迷いも恐れも一切混じっていない、刃物のような青山の言葉に近右衛門は黙らざるをえなかった。

 

「俺は彼女に全てを教えました。故に、その責は当然果たしましょう。決して貴方方のように、中途半端な保護などはいたしません」

 

 斬りつけるように近右衛門達の木乃香への対応を唾棄する青山の迫力に近右衛門は押された。

 言い返そうと思えば幾らでも言葉はある。だがしかし、それを言わせぬ凄味が、今の青山からは滲み出ていた。

 

「青山が名に誓ったのです。俺は、彼女の全てを引き出してみせます。再びあのような事件に巻き込まれても、次こそは自ら抗えるように」

 

「それをさせぬために、儂達は――」

 

「京都に続いて悪魔の襲撃……貴方方は、彼女達を任せるには中途半端すぎます。能力で劣る桜咲刹那を護衛としているのが良い証拠だ」

 

「じゃが青山君! 力に抵抗するために力を振りかざすという考えは、新たな力を生み出すばかりじゃ! そしてその力の連鎖が悲劇を生み出す! その連鎖に孫娘を巻き込むというのか!?」

 

「では無力でいろと? 迫る脅威に無知でいろと? 次は大丈夫という保証は? ……あり得ない。膨大な力を秘めながら、扱い方を知らぬ彼女が今後平穏無事であることはないのです学園長。英雄の息子であるネギ君がそうであるように、その名と、その身は、同等の栄光と等しく同等の災禍を引き寄せる。そして、今の彼女は宝の持ち腐れ。栄光は望めず、災禍ばかりが彼女を襲うでしょう」

 

「そ、それは儂達が身近で守って……」

 

「また彼女の力を利用しようという者が現れた時に、近くに貴方や俺、そして他の方々が居る保障なんて何処にもないのです。ならば、必要なのは力だ。眠った才覚に相応しい力のみが、彼女の未来を救済するのです」

 

 それでも近右衛門の表情は強張ったままだ。だがそんな彼の感情もまた正しいものであると青山は思っていた。

 確かにここまで青山は彼らを否定する言葉を語り尽くしてきたが、だがそんな理屈を抜きにした思いこそ親の情。言葉で言い尽くせる愛など、愛ではなく、理屈を超えて子を守りたいという感情も、人間らしい感情の発露だ。

 ならば、理詰めで木乃香の現状を断ずる己は、木乃香を愛してなどはいないのか。

 いや、この胸に宿る気持ちもまた、愛。

 才に惚れた、外道の恋慕。

 故に近衛木乃香を愛していると、それだけは断言できるのだ。

 

「……清掃員の数も減った現状、人員が確保されるまでは俺は暫く暇をもらいます。では、これにて」

 

 青山は無理に説得するつもりはなかった。ただ、自分が木乃香を鍛え上げるということだけを伝えるつもりであり、そもそも許可が出ようが出まいが、暇を貰って暫く山にこもるつもりだったのだ。

 だから青山は一礼をすると、苦悶の表情を浮かべる近右衛門に背を向けてその場を後にする。

 迷いなど一切見られない青山を止める言葉を近右衛門はもたない。いや、あくまで理詰めで言うならば、近右衛門にも青山を咎める言葉は無数と思いつく。

 結局、青山がしようとしていることも、力を与えて自ら災禍へ飛び込ませるようなことに等しい。どっちもどっちなのだ。いや、青山として鍛え上げるつもりでいる青山のほうが、近右衛門に比べて卑劣外道なのは言うまでもないことだろう。

 しかし両者には意志の違いがあった。近右衛門はその高潔な心故に、極端なやり方で木乃香を守ろうとすることも出来ず、青山はその恐ろしき故に、極端なやり方を躊躇なく選び、実行することが出来る。

 これはどちらの意志が弱いということではない。

 単純に、近右衛門は正義という立場に立つ人間で、青山は正義と悪を超えた狂気の域に立つ修羅であるということだけ。

 むしろ、善悪を振り切った青山の在り方こそ、本来なら非難されて然るべきだ。

 だが近右衛門には分からない。いや、この世界の殆どの人間が青山を誤解しているからこそ断ずることは出来ない。

 だから近右衛門は、去っていく青山を見送るしか出来ない。

 それでも最後に一つだけ、聞くべきことがあった。

 

「孫は……木乃香は、儂らをどう思っている?」

 

 さらに老け込んだような弱弱しい声に、青山は振り返り際に一言。

 

「騙された、と。それだけです」

 

 返ってきた残酷は、これまでのツケを払うには十分すぎる一言であったのは、間違いなかった。

 

 

 

 

 

 学園長室を出た俺を迎えてくれたのは、既に大きな旅行用カバンを持参している木乃香ちゃんであった。

 荷造りをさっさと済ませていたところに、彼女が本気なのだという意志を感じる。だがまぁしかし、親戚とはいえまだ数度しか会ったことのない男の家にこれからお世話になるというのに、こうも無防備な姿を見てしまうと、どうにも今後の彼女が心配だ。

 

「青山さん?」

 

「いや、なんでもない」

 

「なら、えぇですわ」

 

 陰鬱な気配は変わっていないが、儚くも笑みを浮かべられるだけ、少しは立ち直ったのだろう。

 

「しかし、ネギ君達には寂しがるな」

 

 同居人が突然いなくなるのだ。普段からこっそり確認していた俺は彼女達の仲が良かったことを知っているため、ネギ君達に少々申し訳なく思う気持ちがある。

 

「んーん……えぇんです。ウチもそうやけど、明日菜達も最近はヨソヨソしくて、気まずうしてたしなぁ。まぁ、どうして気まずうしてたんか……ふふっ、ウチが何も知らへん思うとるんやから、当然か」

 

「……木乃香ちゃん。何度も言うが、ネギ君と神楽坂さんは、おそらく君のことを知ったのはつい最近のことだ。だから、あまり二人を責めたてるようなことを言うのはお互いにとって良くない」

 

 僅かに怒りを込めて呟く木乃香ちゃんに、何度となく言った言葉を繰り返す。

 そして木乃香ちゃんも頭では分かっているのだろう。卑屈に顔を歪め、「そうですね」と答えるが、心の方は納得出来ていないのだろう。

 いや、ネギ君や神楽坂さんはまだいい。それよりも彼女の憤りは学園長と、そして――。

 

「でも、せっちゃんは全部、最初から知ってたんや」

 

 せっちゃん。それは、彼女を護衛しているあの少女のことだろう。

 桜咲刹那。

 俺と同じ神鳴流の使い手で、名目上は木乃香ちゃんを護衛するために影から見守っていた少女。

 個人的には、友好関係をあえて築くことなく、一つの防衛機構として影からこっそり木乃香ちゃんを守るスタンスは、仕事人としてむしろ好感を持てるのだが、どうにも木乃香ちゃんは彼女を大事な友人だと思っていた様子。

 聞けば、今よりもっと幼いころは親友と呼べる間柄だったとのこと。うーん、子どもの時は主従関係なんて理解できないだろうからなぁ。なんで仲良くなってんだよと、桜咲さんに突っ込むのは野暮だろう。

 

「……桜咲刹那、か」

 

 正直、彼女について俺は、学園長や兄さんに比べるまでもなく、というかまるで憤りを感じていなかった。

 何せ彼女は木乃香ちゃんと同じ子どもである。そんな細かいところに気付いて、そして戦い方を教えろというのも酷な話。

 それに木乃香ちゃんの日常に関わることなく、ただ護衛の仕事に徹する姿勢を見て、俺は不満どころか好感を覚えているのだ。積極的に関わりながら、真実を隠すばかりの学園長達と比べるのもおこがましい。

 幼少の時、親友となった相手であろうが、主従の関係に徹するプロ。ネギ君護衛を請け負っている身としては(最近は護衛出来ていないというかする必要もないけど)、尊敬すべき相手である。京都でも、彼女は未熟ながらもフェイト達から木乃香ちゃんを守るために、身を挺して頑張っていた。戦闘面では色々と言いたいことはあるが、それでも護衛の姿勢や心構えは見習うべきだ。

 ということで個人的に桜咲さんには何も思っていないこともあるが、それとは別に木乃香ちゃんの怒りだって何の意味無く空ぶるだろうと俺は予想していた。

 あそこまで徹することが出来るのだ。きっと桜咲さんなら木乃香ちゃんに嘘つき呼ばわりされても「いや、仕事なので」くらいにしか思わず、木乃香ちゃんの怒りを粛々と受け止め、軽く流すだけで終わるに違いない。

 何せプロだ。

 戦いのプロではないが、護衛のプロなのだ。

 凄いよなぁ。

 若者風に言うならマジリスペクトというやつである。

 なんてね。

 

 ……これで実は木乃香ちゃんに未練たらたらでしたーとかだったら呆れるのだが。

 

「それはないよなぁ……」

 

「え?」

 

「いや、ただの独り言だ」

 

 あの桜咲さんに限ってありえないだろう。

 まぁ彼女を積極的に『覗いた』わけではないので、彼女への評価が完全に正しいとは自分でも思っていないのだが、そう外れてはいないだろう。

 そうこう思案を膨らませている間に、学園を出た俺達は夕暮れ空に目を焦がしながら並んで歩いていた。

 

「さて、本格的な稽古は明日からとして……日も落ちる前に火を起こしたいから、俺に掴まってくれ」

 

 このペースでは日が落ちるどころか明日の朝になってしまう。そうなる前に、木乃香ちゃんの負担にならない程度の虚空瞬動でささっと行くべく、隣の木乃香ちゃんに俺は手を差し伸べた。

 

「えっと……お願いします?」

 

 訳も分からずと言った様子だが、おずおずと伸ばされた手が俺の手に重なる。その手を壊さないように、だが離さないように握って胸に引き寄せると、その膝に空いている左手を回して持ち上げた。

 

「あ、青山さん?」

 

「悪いが、少しだけ我慢してくれ」

 

 突然のことに荷物を手放した木乃香ちゃんはしどろもどろ慌てている。まぁこんな男に、移動のためとはいえお姫様抱っこされているのだ。嫌がられるのも無理はない。

 だが嫌がられるのは慣れているので特に気にせず、足先で木乃香ちゃんの荷物の取っ手をひっかけ軽く上に放り、見事慌てる木乃香ちゃんのお腹に、ふんわりと着地させた。

 

「むぐっ……」

 

「すまない。衝撃はあまり出さないように心がけたつもりだが」

 

「……顔ぶつけたわ」

 

 恨みがましい感じで見上げてくる木乃香ちゃんに「すまない」と一言。さて、周囲に人の気配はないが、いつまでもこの状態を続けていると不審者扱いは確定なので、俺は両足に気を充実させて。

 

「では、行こう」

 

「へ?」

 

 ふんわりと上空へと飛び上った。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「あ、すまない」

 

「と、飛ぶなら先に言うてよ!?」

 

 これは、申し訳ないことをした。

 Gがかからないようにのんびり飛んだつもりだったが、一般人にとってはジェットコースター気分の速度。覚悟もなくそんな速度で空を飛んだとなれば目じりに涙を溜めて、声を震わせながらこちらを非難するのも無理はない。

 当然、さらに非難を積もうとした木乃香ちゃんだが、口を半分開いたところで、目に染みる夕焼けの景色に彼女はすっかり魅了されていた。

 地上から数百メートル。大体東京タワーくらいの高さまで飛び、後は虚空を蹴りながら帰路を急ぐ。

 その間、木乃香ちゃんは山の影に消えていく夕焼けと、朱色に染められた麻帆良学園の美しい街並みを眺め続けていた。

 

「綺麗やなぁ……」

 

「そうだな」

 

 まるで、真っ赤に染まった刃の軌跡にそっくりだ。

 半分しか見えぬ夕焼けを見ながら、その美しさを俺もまた共有する。

 

「まるで、君みたいだ」

 

「え?」

 

「君は、夜を告げる夕暮れのような子だから」

 

 かつて、春の太陽が如き少女だった。

 だが今は、あらゆる悲劇によって悲哀に押し潰され、孤独に沈む夕暮れになった。

 そして夕暮れの後に訪れるのは、光差さない夜の空。

 俺が愛する、冷え冷えと鋼。

 

「青山さん……それはちょっと、恥ずかしすぎますわ」

 

 そんな俺の高揚も、木乃香ちゃんの痛烈な一言で一気に萎んでいってしまった。

 

「そうか」

 

「はい。ナルシストみたいでアカン思います」

 

「……猛省しよう」

 

 これはもう恥ずかしい。幾ら感極まったからってあの台詞は流石に無いよなぁ。木乃香ちゃんが呆れた様子なのが見なくても分かるが、それでも顔を合わせるのも恥ずかしいため、視線は前を向いたまま帰路を急ぐ。

 そんな俺の焦りが面白かったのか。木乃香ちゃんは出会ってから初めて、小さくだが肩を震わせて静かに笑った。

 

 

 

 



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第七話【げどう】

 

 日本全体を見ても都会にすら引けを取らない、いや、ある部分では都会以上の賑わいを見せる麻帆良学園都市だが、加減をしているとはいえ、虚空瞬動で十分弱も空の旅を楽しめば、あっという間に人の気配無き山々へとたどり着く。慣れ親しんだ我が家、お帰り自分で内心呟きつつ、懐で丸まっている木乃香ちゃんを見下ろす。

 

「降りるから気を付けてくれ」

 

 飛ぶ時の反省をいかしてちゃんと一言声をかけてから、俺は緩やかに立ち並ぶ山の一つへと降りていった。

 階段を降りるように虚空を蹴って地面へと近づき、無事着地したところで、俺は木乃香をそっと地面に降ろした。

 

「すまなかった。同じ態勢で苦しかったろ?」

 

「いえ、むしろあんな景色が楽しめるならまたやってほしいですわ」

 

「なら大丈夫。次は君一人であの景色を見れるようになるさ」

 

 木乃香ちゃんに秘められた力なら、ネギ君程とは言わないがすぐに地力をつけて瞬動はさておき浮遊術くらいなら出来るようになるだろう。いや、まずは地力をしっかり操れる肉体作りから始めるべきか。いやいや、青山として培った陰陽術を知る限り教えて、まずは式符を操ることによる自衛手段の確立が先か。

 

「……我ながら欲張りだな」

 

 今からこの才覚を『自分好みに』育てることが出来ると思うと楽しみで仕方ないのである。学園長にはあんなことを言ったが、どうやらやはり俺の方が木乃香にとって非道であるのは事実だろう。それだけは俺でも認めているし、言及されれば「確かにそうです」と二つ返事で答えるつもりだ。

 だが、嘘をついたわけではない。

 青山に誓って彼女を鍛えると誓った。そして、己は非道で外道だが、彼らと違って中途半端なことは決してしない。そこだけは、胸を張って言えることなのだから。

 

「さて、君は先に小屋に入ってくれ。俺は薪を運んでくるから」

 

 着地してから一分程歩いたところで、麻帆良に赴任が決まってから住み続けている見慣れた小屋のある空間へとたどり着いたので、囲炉裏にくべる薪を小屋の裏方から幾つか手にする間に、木乃香ちゃんには荷物を置きに行ってもらう。

 軽く会釈して小屋へと入っていく木乃香ちゃんを見送るでもなく、裏手に回った俺は、積まれている薪を幾つか取り出して、ふとその一本を頭上に放り投げた。

 真上に舞った薪は重力に引かれて落ちてくる。その軌道を目で追わずに感覚で捉え、胸元を過ぎたところで空いている右手を薪目掛けて振るった。

 斬るのだ。

 そう迷いなく思い描いた軌跡は、気を纏っているから当然の如く、豆腐を斬るように薪を真っ二つにする。

 

 そして、出血。

 

 薪を斬ったことで小指の皮が斬れ、薄らと血が滲むと同時に、二つに分かれた薪は大地へと落ちた。

 

「うん、これでサイズは丁度いい」

 

 術を使えば火を点けるのは簡単だが、やはり着火するなら小さくて燃焼しやすい方がいい。改めて手ごろな薪と、その他大き目の薪を幾つか両手に抱いて小屋に入ろうとしたところで丁度、荷物を置いた木乃香ちゃんが小屋を出てきた。

 

「あ……ウチも少し持ちます」

 

「いや……そうだな。お願いしよう」

 

 この程度、別に距離も考えれば手伝ってもらう必要も無いのだが、これからはここで鍛錬だけではなく衣食住を共にするのだ。こうした小さいことから手伝ってもらうのも悪くないだろう。

 ということで一度断りかけたが思い直して、抱えていた薪を持ってもらおうと少し屈んだところで、木乃香ちゃんが俺の右手から流れる血を見た瞬間、血相を変えて右手に掴みかかってきた。

 

「あ、青山さん!? 血が……! いや……! そんな……!」

 

「おっと……どうしたんだ? 別に大した怪我では――」

 

「アカン! 怪我したらダメ……死んじゃうから……死んだら……いや……いやや……!」

 

 無論、木乃香ちゃんが不意を突いて右手に掴みかかった程度で薪を落とすことも態勢を崩すこともしないのだが、小指から僅かに流れる血を、致命傷でも見たかのように抑える木乃香ちゃんを引っぺがすことも出来ない。

 血、というよりも、死を連想させる何かが今の彼女にはトラウマを再発させる引き金なのかもしれない。

 

「なんで……! なんで!? どうして怪我しとるんや!?」

 

「その……薪を……」

 

「薪を!? あ……! そうや……火を起こすって言うてた……ウチが居るから、火を起こす……ウチが、ウチのせいで……」

 

「木乃香ちゃん?」

 

 ちょっとそれは洒落にならない飛躍じゃないだろうか。

 まさか手頃な薪を手に入れるというだけでこんなことになるとは……。些か自虐的過ぎると初めて出会った時から思っていたが、これはもう相当なものだなぁ。

 

「ウチが悪いから……また誰か死ぬ。……ウチが駄目やから――」

 

 しかし、斬ったら斬れるのは当たり前なのに、こんなことで落ち込まれるとどうすればいいのか分からなくなってしまう。

 もしかしてそんな当たり前なことも分からなくなってしまうほど、彼女のトラウマは深刻なのか。

 

「大丈夫、これは君のせいではない。薪を斬ったからその分斬れただけだよ。斬るから生きているのだから、当たり前のことさ」

 

 我ながら話していて、トラウマを解消するためとはいえ何故こんな当たり前なことを語らねばならないのだろうと思うが、まぁ仕方ない。

 

「斬るから、生きている?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 当然なことを語り掛けるという愚かな行為。

 木乃香ちゃん的に言えばこれも臭いセリフになるのだろうか。

 もしくはこいつ今更何を言っているんだという驚きか。

 あぁ、恥ずかしい。

 なんで食事をしなくちゃ腹が減る程度の一般常識を言う必要があるのだろうか。

 今更なことを言われたからだろう。自虐的な発言が無くなり、木乃香ちゃんはポカンと口を半開きにして俺を見ている。

 

「……ともかく、そういうことだから気にしないでくれ。さっ、もうすぐ日も完全に落ちてしまう。その前に小屋に戻ろう」

 

 これ以上、木乃香ちゃんの視線に耐えきれる自身がなかった俺は、体のいい言い訳を口にしつつ足早に小屋へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 青山の見越した通り、丁度日が落ちる前に、囲炉裏の火が点いて小屋の中を淡い炎が照らす。小屋の壁には、所狭しと大量の真剣が立てかけられており、普通の真剣から魔剣と呼ばれる類まで揃ったこの小屋の光景は、さながら物置小屋のようですらあった。

 囲炉裏の前で座布団に座る木乃香も、火が点いたころにはすっかり落ち着きを取り戻し、今は時代を逆行したような青山の家と、真剣が並ぶと言う異様な光景に興味津々と言った様子。だが家主である青山は平然としたもので、唯一文明らしさを感じられる、小屋の隅に置かれた冷蔵庫からペットボトルと紙コップ、ついでに先日釣った川魚を数尾取り出して、囲炉裏を挟んで木乃香の前に座った。

 

「……」

 

 手慣れた様子で串に魚を刺して囲炉裏の前に突き立てる。それが終わったら中央に釣られた鍋の蓋を開けて、昨日の鍋の残りがまだ残っているのを確認する。

 自分用に二日分作ったが、女の子は小食なので鍋の具を足す必要はないだろう。青山はそんなことを考えつつ、紙コップにお茶を注ぐと、並々と注がれた紙コップを躊躇うことなく木乃香へと放り投げた。

 

「わっ」

 

 突如、放物線を描いて投げられた紙コップに気付き咄嗟に避けようとして、紙コップは中身を漏らすことなく木乃香の手前に着地した。

 

「よく見てみるんだ」

 

 注がれた量的に中身が零れてもおかしくない。だが一滴も落ちなかったことに疑問を覚える木乃香は、青山に言われるがままコップを見て、囲炉裏の放つ火とは違う輝きを放っているのに気付いた。

 

「陰陽術の基本は符に気や魔力を与えることにある。これはその基礎を使ったもので、コップとお茶に気を与えて、一つの個体として固定したんだ」

 

 そして、と告げて青山が羽虫を払うように手を振ると、コップを覆っていた光が消失した。

 

「気の糸を切って、コップに与えていた気を霧散させた。方法は幾つかあるが、君の場合、いきなり陰陽術や魔法を習うとなれば、その身の魔力で簡単な術でも暴走する恐れがある……まずは今俺がしたように、コップに注いだ茶や水を固定、そして自在に操作するところから始めよう」

 

「なんや、いきなりですね」

 

「……すまない。明日からのほうがよかっただろうか?」

 

 いきなり修行を始めようとする青山に、驚いたと語っただけのつもりだったが、どうやら突然すぎると非難したように思われたらしい。

 

「ううん、違いますわ。えっと、少し驚いただけで……それに、急に気や魔力や言われても、そのやり方が分かりませんわ」

 

「……そうか、そうだったな」

 

 木乃香に真相を語った時、青山は術を使って強制的に木乃香の魔力を自覚させたり、気を用いた術を幾つか見せたが、確かにその時、力の使い方を教えたことはなかった。

 なまじ才能がある分、その程度なら出来ると最初から思っていた己の落ち度だろう。改めて、木乃香が何も知らずに育ったのであると自覚した青山は、軽く頭を下げて謝罪した。

 

「すまない。まずはそこから教えるべきだった」

 

「い、いえ! そんな頭下げなくてもえぇんです!」

 

「いや、こればかりは俺の落ち度だ。勝手に君なら出来ると一方的に思った俺が愚かだった……ともかく、そうなると日の落ちた今から出来ることはあまりない。食事を取ったらすぐに寝て、明日の朝から魔力および気の発露の修行に移ろう」

 

「はーい。了解や」

 

 影の差す儚く暗い笑顔で答える木乃香に頷きを一つ返す。

 それからは青山本人が会話を苦手とするため、暫くの間囲炉裏で燃える薪が弾ける音と、鍋が煮立つ音、そして小屋の外の虫の鳴き声だけが小屋の中に響いていた。

 

「なぁ、青山さん。そう言えばさっき、変なこと言うてましたよね?」

 

 そんな空気に耐え兼ねたというわけではないが、ふと先程の会話を思い出した木乃香の質問に、青山は首を傾げた。

 

「変なこと、とは?」

 

 はて、自分は何か言ったのだろうか。思い当たる節がない青山が記憶を掘り返す中、木乃香はさらに言葉を続ける。

 

「ほら、小屋の前で、ウチが取り乱した時、青山さん言うてたやないですか」

 

「俺が?」

 

「はい、斬るから生きているって。それ、どういうことなんですか?」

 

 木乃香としては食事ができる前の他愛のない雑談程度の気持ちだったのだろう。

 だが青山は何気なく呟かれた木乃香の言葉を聞いて、一度、二度、そして三度と喉が詰まったように口を震わせ。

 

「なん、だって?」

 

 生きることは斬ることだ。

 その当然を疑問視されたことに、戦慄を露わにした。

 

「えっと……何や、物分り悪うてすみません」

 

 木乃香はそんな青山の動揺を、自分が上手く彼の言葉を理解できていなかったせいだと思い謝罪を口にするが、それはいっそう青山の思考を混乱させるには十分すぎるものであった。

 

「馬鹿な……いや、それは、冗談、だろ?」

 

「冗談?」

 

「だって、生きるから斬るなんて、当たり前のことじゃないか。斬って斬られる、命ってそうだろ? 人生なんて斬って斬られるものだ」

 

 人は生きる限り斬っていくのだ。

 斬るために生きているから、斬れば生きて、そして死ぬ。

 斬撃とは人生である。

 命とは斬り斬られるべくある。

 そんなこと。

 

「あはは、青山さんはやっぱ面白いなぁ。斬るだけの人生なんてあるわけないやないですか」

 

 青山なりの冗句だと察した木乃香の返事に、今度こそ青山は沈黙した。

 

「あ、でも、そういうことなんやな。確か青山さん、しんめーりゅう? 言うてた剣術を習ってるんやったなぁ。もしかしてそれって、しんめーりゅうの掟とかそういうものなん?」

 

 そうだとしたら笑ってしまって申し訳ないことをしてしまった。

 木乃香はばつが悪そうな表情で謝罪をしようとして――そこでようやく、青山が顔を伏せて黙っていることに気付いた。

 

「青山、さん?」

 

 一体、どうしたんですか?

 木乃香は不安げに座布団から立って青山の隣に回り、そこで青山が何事か呟いていることに気付く。

 

「……か」

 

「何や、ちょっと怖いで青山さん」

 

 何かを繰り返し呟く青山から発せられる得体の知れない空気に当てられ、木乃香は僅かな不安を見せ、しかし青山の肩にそっと掌を乗せて。

 

「君は、死んでるのか」

 

 木乃香は、理解不能を耳にする。

 直後、肩に乗った手が青山に握られた。

 

「え?」

 

 一体、何が起こったというのか。

 驚愕と困惑で状況が理解出来ない木乃香は、そのまま勢いよく青山の元に引き寄せられ、そこでようやく俯いた青山の顔を覗きこむ。

 そこにあったのは奈落だった。

 深淵という言葉ですら足りぬ暗黒。

 光の一切届かない完全なる黒。

 その目が告げる言語を絶する異端の常識が、両者にあったぎりぎりの均衡を破壊したことを雄弁に知らせていた。

 

「死んでいるから、分からないんだね」

 

 青山は、木乃香が何故、当たり前なことを分かっていないのか理解した。

 生きることは斬ることという当たり前を理解出来ない。

 つまり、彼女の心は完全に死んでいるのだ。

 生きるという当たり前を、彼女はもう放棄していたことに、何故自分は気付かなかったのだろう。

 

「こんなことにも、気付けないなんてな」

 

 驚くべき才があったからか。

 だから、真実を知って心が潰れても、完全には死んでいないと勘違いしていたのだろう。そうでなければ、生きるという当たり前が分からないというあり得ない状態になるはずがないのだから。

 いずれにせよ自分の眼力は鈍っていた。そう考えた青山の思考こそ、理解出来ずに言葉すら発せぬ木乃香だが、次の瞬間、脳天からつま先まで駆け抜ける悪寒に顔面を蒼白させた。

 

「っ、ぁ……」

 

 言葉を発しようにも叶わず、餌を欲する鯉のように口を開閉させながら、木乃香の思考も肉体も一瞬にして凍り付く。

 だが、唯一現実を認識する視界だけは、それを見ることに成功した。

 

「なら、君に、教えなくちゃ」

 

 視界の隅、掲げられた青山の左手には、いつの間にか握られていた漆黒の鞘に包まれた刀が握られていた。

 それを見た瞬間、木乃香は脳を介することなく、その魂であらゆる全てを理解する。

 

「ぁ……ぁッ……!」

 

 斬ったのだ。

 間違いなく、斬ったのだ。

 

「ぁぁ……! ぅぁ……!」

 

 そこでようやく、己の浅はかを少女は知る。

 どこまでも無知であった。

 どこまでも無力だった。

 だからこそ何も出来ず。

 何も、理解出来なかった。

 

 その結果、無垢なる心は外道に捕まる。

 

「ぉ……と……さ……ま……」

 

 青山。

 恐るべきは、青山。

 

「なん……で……?」

 

 殺したのはこの人だ。

 そう、嘘偽りも一切なく、この人は、この男は、己の父を躊躇なく斬り殺したのだ。

 木乃香は青山の手に握られた刀を見て全てを悟った。

 知らずとも理解できる程の説得力が、今の青山とその刀――証から滲み出る鬼気には存在していた。

 しかし、最早全ては遅い。

 少女の儚い幻想は砕け散り、愚かにも、誰よりも頼ってはならない存在に自分が救いを見出したのだと悟っても、今や全ては後の祭り。

 鞘から解放された証の刀身は、歪なまでに生に執着している恐ろしい力を充満させた。刀身から柄までも漆黒で覆われた刀から発せられる力に、内包した力を操る術を知らない木乃香は呼吸すらも難しくなっていく。

 だがそれでも、木乃香は問わずにはいられなかった。

 

「ど……して……きった、の?」

 

 斬り殺したのに、何故、生を語れる。

 そんな木乃香の問いかけに、青山は一切変わることなき無貌の仮面をかぶったまま、返答代わりの刃を天高く掲げ。

 

「それは勿論、斬るからさ」

 

 ――つまり俺は、生きている。

 

 間髪入れずに放たれた冷徹。

 その鋭利な鋼鉄は、木乃香が最期まで抱き締めた絶望ごと、無垢なるその身を真っ赤に散らすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが青山よ。

 お前はきっと、その身が果てる最期まで気付くことはないだろう。

 

 その一撃こそ、お前の敗北を告げたのだということに。

 

 

 

 





理解出来なかった人用の今回のまとめ

オリ主「死んでるなら斬ればいいじゃない」

こういうことです。


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第八話【生を伴う痛み】

 

 華が咲いた。真紅の鮮やかな華が咲き乱れた。

 

「ひ、ぃ……ぁ」

 

 慎ましやかな胸を貫き、痛みに悶える暇もなく尚突き進む鋼に、感じていたあらゆる疑問や憤怒を越えて、絶望の悲鳴だけが木乃香の口から零れた。

 迷いなく振り下ろされた証の切っ先は木乃香の左胸を貫き、その肺腑を抉り、背中を抜けて床に突き刺さる。

 傷口より滲み出る血潮。

 背中より床に散らばる熱血。

 逆流する鮮血が喉をせり上がり、口、鼻、目より流れ出す。

 

 誰から見ても分かる程、その一閃は致命的だった。

 

「……ッあ」

 

「大丈夫。大丈夫だとも」

 

 溺れた者が誰しもするように、なりふり構わず伸ばされた木乃香の手が青山の頬に触れた。いや、触れるというものではない。爪で頬を抉られる程の力で掴まれながら、青山は頬の痛みなど気にした素振りも見せず、真っ白な顔を真っ赤に染めた木乃香に、不器用な微笑みを向けた。

 

「これでもう、大丈夫さ」

 

 穏やかに語り掛けながら、青山は傷口を広げるように突き立てた証を捩じりながらさらに押し込む。刀身ですり潰すように傷を大きくすれば、粘着質な音色と共に、より多くの血液が漏れ、勢いよく飛び出した赤は青山と木乃香、両者の体を斑に染め上げた。

 

「ぃ……ぁ」

 

 既に痛みなど超越した致命傷を受けた木乃香は、痛みよりもむしろ不快感に悶えた。

 体の中に感じる硬質の異物への嫌悪感。受け入れることの出来ない漆黒に一方的に蹂躙される絶望感。

 止めて。

 止めて、と。

 呼吸すら出来ぬ程、血で喉を詰まらせながら必死に懇願しようとも、青山は容赦するつもりもなく、さらに突き立てた証を深く深く押し込むのだ。

 黒き鋼は乙女の赤を吸い取って、いっそう鈍い輝きを増しているようだった。

 

「ぃや……ぁ、れ……か」

 

 青山の頬を掴んでいた手が離れて、力無く床に垂れた。

 救いを求める声も、この山奥では誰にも届くことは無い。

 そもそも、この修羅を相手に力無き只の少女が出来る抵抗は無と同義だ。

 いずれにせよ、一方的に凌辱の限りを尽くされ、そして青山という男が望む通りの何かに落とされるしか彼女に道はなかった。

 全て、無力故の悲劇なのか。

 あるいは、青山という狂気が起こした喜劇なのか。

 その答えを知る者は何処にもおらず、そして一度幕を開けた舞台を終えられるのは、乙女を奪った修羅の我欲のみ。

 いや、このままでいれば、死という救いが木乃香には待っている。狂気にあっては死すらも救いと誰が言ったか。青山の思慮とは真逆に、このまま苦しみ悶えるくらいなら、死を享受するのが正しいのだと、朦朧としながら木乃香は諦めた。

 だというのに、致命傷を受けて血が流れ出た木乃香の意識は、ぎりぎりのところで未だ狂気の劇と繋がっていた。

 

「ぇ……ど、し……て、ぇ……」

 

 何故、死ねない。

 何故、意識を失えない。

 肉体の構造的に考えてあり得ない現状。幾ら医学的な知識など無い木乃香でも、今、自分が生きているという事実が常識的ではないことに気付いた。

 だからこそ、あらゆる感情や思考を越えて、この場で唯一彼女の生殺与奪権を持つ青山に、木乃香は縋るような眼差しを向ける。

 何故、殺さない。殺してくれない。

 

「大丈夫さ」

 

 先程と同じ言葉が繰り返される。

 それがどうしたというのか。再度、懇願しようとした木乃香は、感覚を失ったはずの胸の傷口が、ゆっくりとだが熱を帯び始めるのを感じた。

 

「い、だ……い?」

 

 その熱は、氷を長時間押し当てたような痛みと熱となって木乃香の体を駆け抜ける。

 それは致命を悟り、肉体が放棄したはずの痛みだった。

 産毛の一本まで知覚できる程に再度活性化した神経が、証より染み込む痛みの濁流によって暴れ狂う。

 

「い、ぎぃ……が、ぁ……! い……たい……!」

 

 虚と消えた自意識が強引に接続され、繋がった精神と肉体は、あふれ出す痛みを共有する。

 最悪は始まってすらいなかった。

 痛みが体を満たしていく。

 痛覚による生の発露。激痛と言う甘美なる麻薬。死を遠ざけるのは、突き立てられた鋼の鋭利。

 死すらも生温いと嘲笑うように、証より木乃香へと供給される痛みは際限なく肥大していく。そしていつしか表情の失われた木乃香に、激痛より生まれる感情の爆発が沸き起こった。

 

「いだい……! いたい……! いたい、いたい、いた、い! ぎ!? ぃ、ひ、あぁぁぁぁ!」

 

「そうだ。それなんだ」

 

「いだ!? いぁぁぁぁぁ! ぃ、ぁ、ぁぁぁぁぁぁあああ!?」

 

 喉が裂けんばかりに悲鳴をあげ、力が失われたはずの四肢を所構わず振り回し、木乃香は胸より広がる激痛の荒波でもがき苦しむ。

 青山はそんな木乃香の様子を是とした。

 そうだ。

 これなのだ。

 生きるということは痛みを伴う。

 溢れる血潮はただの表現の一つでしかない。誰もが一人ひとり持っている、たった一つの痛みが、木乃香の生を誘発するのだ。

 

「でも、まだ足りないな」

 

「ひ、ぃ……?

 

「まだ、それじゃあ生を実感できないだろ?」

 

 証の柄を握る青山の手に力がこもる。刀身と直に触れ合う木乃香の中は、擦れ震える刀身の動きを鋭敏に感じ取る。

 

「や……い、や……やめ、て……」

 

 青山が行おうとする悪行に痛みを忘れて首を振った。

 肉体を越えて魂すら斬り刻む刃による嗜虐。地獄の所業を慈愛の表情で淡々と行わんとする青山の狂気に、木乃香は生死では測れぬ恐怖を覚えた。

 

「やめ――」

 

 懇願の声は、それより早くさらに捩じりこまれた証によって斬り捨てられた。

 

「ぎ、ぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「それでいい。これがいいんだ」

 

 何をもって良しとするのだろうか。

 是とするものは無く、常軌を逸した刀のみが、断続する悲鳴を指揮者の如く操り栄えさせるのだ。

 繰り返すごと凛と。

 染み渡る鋼に飛び散る雫。

 彩る鮮やか、連なる嬌声、狂気と悲痛の舞台にこそ、その言葉は良く似合う。

 だから、青山は幾度と証を振り下ろす。

 抜き。

 貫き。

 また突き立てる。

 傷口を広げるように僅かに角度を変えて、己の身が染まることも厭わずに、これこそ救いと確信しながら青山は刃を振り下ろす。

 そして――

 

「あ……! が……ぁ……!」

 

 突き立てた証をそのままに、青山は悶死寸前の木乃香とは対照的に、静かに後ろに下がってその様子を見下ろした。

 

「たずげ……! 誰か……! い、ゃ、や……! ウ、チを……!」

 

 この痛みから、解放して。

 だがその声を唯一聞く男は、手を差し伸べることなく、暗黒の眼で少女の絶望を覗くばかりだ。

 外道。

 これを外道と呼ばずに何と言おうか。

 誰もが目を背け、非難し、怒りを露わにする所業を平然と行い、あまつさえそれが正しいと思っているこの男こそ、誰よりも自己中心的な人間の極地。

 これも、青山。

 やはり、青山なのだ。

 

「ぅっ……ぁっ……っ……」

 

 いつしか、永遠と続く激痛の中、木乃香は抵抗することを放棄して、全身を苛む痛みにか細い声をあげながら断続的に痙攣するばかりとなる。

 幾ら外道の使った外法であっても、血を失い、死ぬ直前の体を強制的に痛みで動かした程度では限界が見えている。

 確定していた末路は変わらない。

 否、むしろその凄惨たるや、一閃で斬り殺したほうが人道的とさえ言われる程の醜いものに変わった。

 親を失い。

 友を疑い。

 真実に苦しみ。

 そして求めた救いは外道に蹂躙される。

 このまま終われば、木乃香の人生は悲劇のみで完結するしかない。結末は狂気の常識がもたらす最悪なのか。

 

「な……で……」

 

 何で、ウチなのか。

 何をしたわけでもないだろう。

 些細な悪事など、それこそ子どもが行う程度のことで、木乃香は人に恥じぬ人生を送ってきたはずだ。

 その仕打ちがこれなのか。神は、正気こそ過ちだと告げているのか。

 

「た……け、て」

 

 空洞を吹き抜ける風のような呼吸を辛うじて行いながら、最早溢れる液もない口から乾いた助けを追い求める。

 返答は皆無。

 木乃香を助ける者など、この世界にはもう存在しないと言うのだろうか。

 ならば、暗黒に一人孤独となった少女はこのまま終わりなき地獄を彷徨うしかないというのか。

 違う。

 まだ、一人。

 

 その身に宿し理『青山』こそが、地獄を終える手段を知っている。

 

「ぉ……す」

 

 木乃香の震える掌が、突き立てられた狂気に触れた。

 未だ僅かに残された血が、刀身を握った際に斬れた掌より滴るが、今や木乃香はその程度を気にする程正気ではない。

 

「なお……す」

 

 光を失った双眸が見開かれた。

 終わりなき激痛の中、痛みを痛みとして認識することを放棄することで手にした最後の抵抗。いや、それは木乃香の中に最初から存在していた力の発露。

 傷口より血ではなく閃光が溢れた。まるで粘性の生き物のように傷より生まれ、木乃香の体を這いずるように覆っていくその光こそ、彼女に眠っていた魔力の光。

 生存本能が呼び起した才覚が、主の危機に覚醒する。

 常人が触れれば、永遠に生き続けねばならないという強迫概念に突き動かされる証の刀身に晒されながら、しかし木乃香の口より紡がれる『生』は、フェイトが得たそれとはまるで違うものだった。

 

「ぃたぃ、のは……いやや……」

 

 痛いから。

 傷は塞げば、痛くない。

 

「だから……いたいのは――」

 

 握り締めた証を自ら引き抜いた直後、封をしていた栓から解放された魔力が流血を伴って小屋の中を埋め尽くす。

 

「ぜんぶ、なおせばえぇ」

 

 それは、光の裏側に眠っていた闇。治癒という在り方の、災厄の側面。

 外道が欲するそのままに、裏返り闇に染まり奈落に落ちて汚泥に狂う。

 これが、狂気。

 これにて、外道。

 正邪を超えた、癒しの極みへ至る道。

 その道へと至らせた、血脈によって練磨されたその闇こそ――。

 

「ほら、もう、痛くない」

 

 『青山』は、笑った。

 

 

 

 



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第九話【傷の癒し方】

前話を1000文字程度加筆したので良ければ読んでいただけると幸いです。色々と申し訳ありませんでした。


 

 小屋の内部はスプラッター映画も真っ青なあり様となっていた。

 一面に赤。

 天井は当然として、立てかけられた刀の殆どにも血が飛び散り、囲炉裏より放たれる炎の輝きを照り返していた。

 脂ぎった朱色の光景。密閉空間に香る夕餉と血の混ざりあった独特の臭気。喉に詰まりそうな程重苦しくなった空気の中心には、証の刃で貫かれた木乃香が横たわっている。

 瞳には生気の光は灯っていない。当然だ。胸から背中を貫いた刃は、傷口を広げるように捻られ、丸く歪に開いた胸の傷口は、それを行った者が確実に殺傷を目的としていることを雄弁に物語っている。

 だというのに、木乃香の両手は胸に刺さった証に触れ、あまつさえそのまま自身の肉をすり潰しながら引き抜いて見せたのだ。

 物理的にはあり得ぬその行動。死人が動く様はさながらゾンビの如くあるが、しかしその常識外を行うのはやはり常識外。科学を超えた神秘、魔力と呼ばれる超常の力が木乃香の死に体を動かすのだ。

 その代償は如何程か。魔力運用はおろか、魔力の存在すらつい先日まで知らなかった少女が魔力を自在と操り、動く。

 故にこその狂気。

 代償は、これまでの常識に他ならぬ。

 

「ぎ……ぃぎ……ぎ、ぃ……!」

 

 痛みに苦悶を発しながら、木乃香は胸の証へ両手を添えた。

 肉を潰す粘着質と、僅か残った血液が床に跳ね、囲炉裏の火を焦がす音色を混ぜながら、ゆっくりと、しかし止まることなく証を引き抜いた木乃香の意識は果たしてどうなっているのか。

 激痛を凌駕する生存本能?

 否、それは無垢なままの治癒願望。

 癒しを望む、狂気の産物。

 

「ぁ、ぁぁぁぁぁぁあああ!」

 

 生気と共に正気すらも失ったのか。最後は絶叫しながらも一思いに引き抜いた証を放り投げた木乃香は、失った血液の代わりにその全身に駆け抜ける魔力を本能で操る。

 まるで人形を繰るように、魔力で指先を動かした木乃香は、胸に開いた指三つ程の穴へと何の躊躇いもなくその指先を沈み込ませた。

 

「ぃ、ぐ……ぁ」

 

 精神的に凌駕した痛みも、肉体の純粋な反応を抑えることは難しい。反射的に声を漏らしながらも、指を根本まで傷口に突き入れると、直後、これまでのものですら比較にならない程の魔力が傷口を抉る指先に殺到した。

 まるで得物を見つけた獣のように傷を貪る魔の狂乱。だが獣と違い、その魔力は見た目の荒々しさとは裏腹に、時を巻き戻すように傷を癒着させていき、数秒もせずに背中の傷は元の傷一つないきめ細やかな白い肌へと回復を果たした。

 その間にも治癒は進む。傷とみなしたあらゆる部分へ襲い掛かる魔力は、食らうように傷を飲み干し、治癒という暴食の結果を食後に晒すのだ。

 それは最早、治癒という名の凌辱でしかなく、治癒という形の略奪であった。

 傷が、奪われていく。

 傷が、悲鳴をあげている。

 そういった類の、蹂躙劇である。

 結果は回復魔法のそれと同じでありながら、過程という道筋が違うだけでこうも印象が変わるというのか。

 癒しという救いを示しているはずなのに、目を背けたくなる狂気すら感じる木乃香の魔力が奏でる狂想の調は、あらゆる物事に善性と悪性が存在するということを如実に物語っていた。

 そして、木乃香の行うそれは、まさに善悪を超えた純然たる意の暴威。

 治癒を冠した、狂気の結実。

 血に宿りし青山が覚醒させた残酷そのものであった。

 

「これほど、か……」

 

 ならば、その狂気を歓喜で迎え入れられるこの男はなんだというのか。

 喜悦に頬染め、愉悦に口歪め、この惨劇を是とする狂気こそ、それらを演出した外道、青山。

 彼は今、胸の内より溢れ出る欲望に身を震わしていた。

 それはネギとエヴァンジェリン、そして素子と比べれば残滓としか呼べぬ程度のものでしかないだろう。

 だが、想うのだ。

 この狂気こそ、伽藍の胸を埋めていく在り方が一つ。

 

「君を、斬りたい……」

 

 無意識に口より溢れ出た言葉は、しかし即座に疑問に変わった。

 

「俺は……」

 

 ――何を、言っている。

 斬りたいなどと、何を可笑しなことを。

 斬ることが生きることなら、それに欲を見出すとはつまり、自分は生を放棄していたということになってしまう。

 斬りたいという願望は幻だ。

 彼―フェイト―に授けられた答えを乏しめるものでしかないだろう。

 ――きっと、気の迷いに違いない。

 己が内に浮かんだ思いを唾棄するように青山は首を振る。その直後、己の傷を食らい尽くすことを終えた木乃香の真っ赤に染まった指先が、何かを求めるように天井へと伸びた。

 

「ほら、もう、痛くない」

 

 そう言って誇らしげに笑う木乃香は、治癒という一つの道を踏み出せた己に酔った。

 死を受け入れ、痛みに生を喚起され、そして激痛に狂い果てた先に、治すという道へと立てたのだ。

 

 ――ウチは、癒すことが出来る。

 

 あらゆる傷を癒す。

 そしてそれこそ、無力に嘆いた己に出来るたった一つにして全てに置き換えられる全能。

 今はその道の一歩目を踏み出しただけだが、いずれこの道の果て、末路に待つのは全てを癒すという正邪を超えた解に違いない。

 

「……どうやら、もう大丈夫みたいだね」

 

 魔力を循環させてはいるものの、それでも足りぬ血のせいで朦朧とした意識の中、木乃香は心の底から良かったという思いを言葉に乗せた青山の声を聴いた。

 

「青山、さん」

 

 木乃香は自力で上半身を起こしつつ、喜びを湛えながら隣に座った青山の顔を見た。

 正確には、その目を見る。

 暗黒天体に似た眼。光など望めぬそこに宿るのは絶望などではないということが今の木乃香にはわかる。

 そしてそこに希望すらも存在しないことも理解した。

 青山という男を、木乃香は死地を超えた今こそようやく理解する。その理解こそ、至ってはならぬ外道に立った事実であると知りながら、木乃香はそれでも理解出来たことを受け入れることにした。

 

「……青山さんは正直ですわ」

 

「ん?」

 

「いえ、気にせんといてください」

 

 木乃香の弁がいまいち理解出来ないと言った青山に語っても無駄だと木乃香は悟り言葉を濁した。

 青山は仇である。

 京都の災禍の仇であり。

 父親の仇である。

 だが、その事実を曲解してしまったのは自分であり、青山は正直に全てを語り、その事実を悔やみ、嘆き、そして犯した過ちに真摯に向き合っている。

 

 ――その全てが無駄であるということは放っておき、だが。

 

「……なんや、疲れてしまったわ」

 

 諸々のことに対する負の感情が消えてしまったわけではないが、だが今の木乃香はそれを発露することを自粛することは出来た。

 ――この感情も『傷』だから。

 そう、既に木乃香も常軌を逸した解の道へと、強制的にだが踏み込まされた。その現状は、才覚を強制的に暴かれて、強引に道筋を見せつけられたものという歪なものだが。木乃香は治すという己の根源をおぼろげながら見出し、その解に心を溶かしていくことが正しいと思っている。思ってしまった。

 

「そうだな、今日はもう休もう。何、今の君には明日があるのだから」

 

 明日への活力が蘇っているということは、生気を取り戻したということである。

 

「あ……」

 

 木乃香はそんな青山の歪を、今度は冗談と受け止めずにありのまま受け止め、故に指摘をしようとして口を閉ざした。青山も木乃香を言及しようとはせず、放られた証を拾って鞘に納め、所定の位置に戻しに行った。

 その後ろ姿に、木乃香は僅かな憐れみを覚えた。

 何せ、木乃香には青山が今、何かしらによって歪になっていることが、微かとはいえ己の行き着く果てに触れたからこそ気付いている。だが木乃香は、どちらの青山が本物なのかまで気付ける程、狂気の髄へ浸ったわけではないため、その疑問を口にすることが憚れた。

 生きることの奇跡に浸る青山と、斬ることに腐心する青山。

 どちらが、本物。

 どちらが、偽物。

 木乃香は、意味の無い思考を自嘲した。

 どちらであろうと外道なことには変わるまい。だからこそ木乃香は、その歪な青山の傷すらもいつか癒せるようにと切に願うのだ。

 

「でも、酷い人やなぁ」

 

「そうか?」

 

「遠慮も無しに乱暴して、痛いのに滅茶苦茶にして……これで酷くないなんて言わせませんえ」

 

「だが、俺は……いや、すまない」

 

 言い訳を口にしようとして、その時点で言い訳という後ろめたさがあることを悟った青山は口を噤んだ。

 確かに、言葉にすればなんと残酷か。

 気が急いて、木乃香に何も告げることなく証を突き立てたことは反省するほかないだろう。

 

「本当に、申し訳ない」

 

 証を多重の封印を施した箱に戻したところで、青山は木乃香と向き合って佇まいを正すと、両膝をついて深々と額を床につけた。

 俗に言う、土下座である。

 言葉で語るのを苦手とするからこそ、何よりも雄弁な態度をもって青山は己の未熟を詫びるのだ。

 だがやっていることは「君を刀で突き刺して滅茶苦茶にしたことを申し訳ないと思っている」というものでしかない。

 普通は謝罪して許されるものではないだろう。

 だがこれが青山なのだ。

 許してもらおうとは思っていない。しかし申し訳ないと心の底から思うからこそ謝罪を言葉と態度にするのだ。

 

「えぇんですって。ちょっとからかっただけやし」

 

 木乃香も、青山の本質を知る僅かな人間として、文字通り痛い程分かっている。

 外道に在りながら、その常識の上で、あらゆる世間一般に蔓延る常識に沿って行動する人間。

 表面上を見れば礼儀正しく、己に厳しい青年である。

 だがその本質は、何処までも自分本位でそれ以外『どうでもいい』、欲求に忠実な人間なのだ。

 それだけ。

 たったそれだけの狂気を、自分はこれまで理解出来なかった。

 

「だから、えぇんです」

 

 故に、木乃香は青山の所業を許した。

 その言葉は先の蹂躙だけではなく、京都で起こした惨劇に対するものも含めている。

 皮肉なことに、青山という人間を理解したからこそ、木乃香はその全てを許せるのだ。

 その本質は未熟な自分ではまだ分からないけれど。

 きっと、従ったはずだ。我欲に従い、外道を踏破し、修羅と化したはずだ。

 自己中心的で、自覚のない偽善者で、聖人とは真逆を行く人間であるけれど。

 そんな在り方が醜くも美しいと、同じく外道へ踏み出したからこそ分かるのだ。

 

 それに――。

 

「もう、傷は残ってないですから」

 

 『心の傷は癒えている』。

 それが意味することを癒した本人すらも分からず、かつてと同じ温かく穏やかな微笑みを木乃香は浮かべるのだ。

 傷を癒すという木乃香の才覚。

 その才覚を青山によって暴かれた結果、生み出された狂気の一端がそれだ。

 真っ当に成長すれば、彼女はきっと東方、いや、世界でも指折りの治癒術師として成長しただろう。だが本質はそのままに、性質を歪められた才覚は、狂気をもって一つの外法に到達する。

 才能の名は治癒。

 肉体も、精神も、対象の抱える傷を蹂躙しつくして回復させるその技がもたらす惨劇を知る者は、まだ、居ない。

 

 

 

 

 まだ居ない、だけ。

 

 

 

 

 




次回、第四章ラスト。京都血風録編、開始。


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エピローグ【再びの京都へ】

「失礼いたします」

 

「うむ。久しぶりじゃの青山君。孫娘は、元気かの?」

 

「はい。つつがなく、修行は行っております。今も部屋の外で待機していますが、会いますか?」

 

「……いや、今は止めておこう。こちらの思慮はどうあれ、あの子に重い責を与えたのは儂じゃ。本来はすぐにでも会って、話すべきなのじゃが、今は君の言う通り、修行がある程度終わってから話したほうが、集中できるはずじゃからな」

 

「そういうことでしたら、お任せを」

 

 さて、学園長との久しぶりの対面である。忙しい中、時間を取ってくれた学園長には頭が下がるばかりであり、あんな一方的に侮辱的な発言をした俺とこうしてまた話す機会をくれるとは、やはり彼は寛大なお方である。

 ともかく、久方ぶりだ。以前会ったのが、弱みに付け入った一方的な口撃以来であるため、心境的には会うのも気まずいものである。しかし、学園長は依然と変わらず暖かく迎え入れてくれたので、俺も少しばかり心のつかえが取れた。

 なので早速本題に入るとしよう。

 

「一通りの術を教え、既に独自の治癒術も会得しています。おそらく、一般的な術師相手であれば問題なく対処出来ることでしょう」

 

「ほう、では、修行のほうは無事終わったということでよいのかの?」

 

「いえ、そのことで今回はお話があって参上した次第です」

 

 俺の言に僅かに目を見開いた学園長が顎をしゃくって続きを促してくる。まずは何も聞かずにこちらの言を聞いてくれる学園長に感謝の一礼をして、俺は今後の予定について話すことにした。

 

「先にも言いましたが、並の術者ならばという注釈がまだつきます。彼女の力を狙って、もし京都に現れたフェイトと同程度の実力者、そうではなくても、彼に二つ、三つ以上劣る術者や、ある程度こなれた術者が複数現れた場合、基礎的な術しか使えぬ今の彼女では、時間稼ぎもままならぬでしょう」

 

 具体的にはこの学園の魔法教師二、三人も居れば今の木乃香ちゃんの封殺は出来るはずである。尤も、彼女の実力が知れた場合というだけなので、実際にはもう少しばかり人数が必要だろうが。

 いつでも考えられる最悪を想定して何事もあたるのが、ネガティブであるものの戦いには必要だ。京都では楽観主義で痛い目をみたことで得た教訓である。さっさとフェイトでなくてもあの無駄に扇情的な召喚者を抑えれば、あそこまで苦戦はしなかったはずだから。

 ……思考が逸れたな。

 

「そして何より、今の環境では実際に術を使った試合等を行うことが出来ません」

 

 一応、郊外の山奥ではあるが、俺と木乃香ちゃんが試合をするとそれだけで周囲に影響を及ぼしかねない。

 

「そこで、京都……神鳴流でも数少ない者しか知らない秘境にて、彼女の修行を仕上げることにしました」

 

「秘境、か……じゃが、流石にこれ以上出席せぬとなると少々問題じゃ」

 

 確かに、こちらに彼女を預かるに際して、山奥ということからあれから一度も学校には登校していない。一応、学校側には彼女の所在や、魔法の修行をしていることを悟られぬという名目のため、傷心のため親戚に預ける体で話しているらしい。だがそれもいつまでも続けられるというものではないだろう。短くない木乃香ちゃんとの生活の中で、彼女が律儀にも持ってきた学習教材を見せてもらったが、高卒どころか中卒もしていない今の俺では、前世の知識を引っ張り出しても中学生の習っていることが分から……うん。いや、これ以上の思考は辛いからやめよう。

 さておき、学園長の心配は、祖父としても教育者としても納得のいくものだ。なので俺は代案をあげることにする。

 

「もうすぐ学園祭代わりに京都復興ボランティアとして赴くことになっています。それを利用して俺と彼女が別行動を行い、神鳴流の修行地へ向かいます。足りぬのは経験値だけなので、ボランティアの期間中に仕上げることは容易でしょう。」

 

 木乃香ちゃんの力はうっかりするとこちらもやられかねないものである。後はそれらをどう扱うかを少し実戦形式で教えれば、最低でもこの学園の上位実力者相手に遅延戦闘を行い、あわよくば一撃を与えることは可能になるはずだ。

 

「そして出来れば、俺が今回の件で京都に出向くことを、最低でもその当日までは伏せていてほしいのです。あわよくば、学園待機であると周囲には公言していただけると幸いです」

 

「理由を聞いてもよいかの?」

 

「はい。まぁこれは単純に、京都の一件に深い関わりがある俺が赴くことで、いらぬ誤解を招くかもしれません」

 

「それは少々杞憂じゃと思うがの……さらに言えば、そのような危険がありながら今すぐにそこへ向かわずとも、時間をかけても良いからゆっくりと修行を行うというのではだめなのかのぉ?」

 

 これはもうごもっとも。無理して向かう必要がないのは確かであり、俺もそう思うのだが。

 

「……付け加えると、彼女、木乃香さんが、改めて父親に会いに行きたいと仰っているのです」

 

「なんと……そうか、お主との修行で、ある程度折り合いがついたということかの?」

 

「おそらく、ですが。少なくとも、彼女が生きる活力を取り戻したことだけは、胸を張って言えます」

 

 生きる死人と変わらなかった木乃香ちゃんに、俺は自分に出来るだけの生への活力を注いだつもりである。

 その結果が、父親の死に向かい合おうとするところまで彼女を立ち直らせたのなら、これ以上ない満足感が俺にはあった。

 そんな俺の態度から察したのだろう。学園長も僅かに表情を崩して、安堵の溜息をついたのが見えた。

 

「そうか……いや、色々と言いたいことはあるのじゃが、本人がそう言っておるということは、少しでも前向きになったということなのじゃろう……分かった。お主の希望は可能な限り叶えよう。今後は正式に孫娘の護衛兼、術等の教師としてお主にはついてもらう」

 

「ありがとうございます」

 

 深々と一礼の後、これまでの修行の内容を簡単に話し終えたところで、俺は学園長室を後にした。

 

「青山さん、遅い」

 

 部屋の外では木乃香ちゃんが待っていた。どうやらずっと待たされたせいでご立腹らしい。腕を組んで頬を膨らませ、あからさまなくらいに怒っていることを態度で示していた。

 

「すまない。話し込んでしまった」

 

「時間がかかるなら最初に言うてほしかったわ。待ってる時間で明日菜達に会いにいけたのに」

 

「そうだな……折角だ。会いにいくか?」

 

「んーん。別に、会えないならそれでえぇ」

 

 ネギ君達に思うことは特にないのだろう。会えるなら会う。会えないなら会わない。そんな木乃香ちゃんの思考が若干気になるが、まぁ思春期の女子中学生の思考など分かるわけがない。

 

「そうか。なら、いい」

 

 もしかしたらまだわだかまりを覚えているのかもしれないので、適当に相槌を打って会話を濁すだけにした。

 

「それよりもどうやったん? えっと、確か京都に行くとか」

 

「あぁ、そのことだが。京都復興ボランティアに乗っかる形で向かうことになった。久しぶりに級友に会えるが、大丈夫か?」

 

 活力を得たとはいえ、整理のつかない心境があるだろう。そう思っての問いかけに、木乃香ちゃんは平然とした様子で、むしろ何故心配されるのか不思議だと小首を傾げた。

 

「大丈夫って……。まぁふさぎ込んでた頃、八つ当たりしすぎてもうたから気まずう思うけど……あぁ、アカンなぁ。まだ全部治ってないわ」

 

 そう言って俺から視線を切己の内側へと意識を沈めた木乃香ちゃんの体から僅かな魔力が溢れる。

 それも数秒で終わり、木乃香ちゃんはすっきりとした面持ちでこちらを見上げてきた。

 

「うん、もう大丈夫や。あはは、おかげで取りこぼしに気付けましたわ。ありがとうございます」

 

「どういたしまして、でいいのかな?」

 

「ふふふ、まぁいつもズッパズッパやられてるせいで、こうした些細な傷に気付けんかったんですけどね。そこは反省してくださいよ」

 

 からかうように指先で肩を押してくる。そのむず痒さに何とも言えない心地になったせいか、「善処しよう」と返すのが精いっぱいな情けない俺であった。

 

 

 

 

 

 さて、月日が過ぎるのも早いもので、気付けば京都復興ボランティアの当日である。

 証のほうは事前に鶴子姉さんに頼って京都に送ってもらったので、手荷物は数日分の衣類と日用品のみ。見事小さ目の旅行鞄に収まった荷物を片手に、俺と木乃香ちゃんは京都行の新幹線のホームへとたどり着いた。

 

「あ、あそこに居るんいいんちょや。おーい!」

 

 既に集まっていたネギ君のクラスの少女達を見つけた木乃香ちゃんは、一番手前でおそらく点呼をとっていた大人びた子、確か……雪広あやか? だったかな、に手を振って呼びかけた。

 

「ん? あ、木乃香さん! って、皆様はそこで待っててください!」

 

 木乃香ちゃんの呼びかけに気付いた雪広さんを含めたクラスの一同が駆け寄ろうとするが、雪広さんは良く響く綺麗な声で抑えて、代表するように一人こちらへと歩み寄ってきた。

 

「まぁまぁ、親戚のお家で養生していると聞いていましたが……ふふ、どうやら元気になられたようで嬉しいですわ」

 

「あはは、皆にはいっぱい心配かけてもうたからなー」

 

「いえ、気になさらずに……。ところで、そちらの殿方は?」

 

 木乃香ちゃんとの会話も早々に、隣に立つ俺を少々警戒した様子で見てくる雪広さん。

 この無表情では警戒されるのも無理は無いので、俺は出来るだけ優しい声色を心がけて自己紹介することにした。

 

「俺は、彼女を預かる親戚で叔父にあたる青山と言うものだ。事情により君達に彼女の近況を教えられなかったこと、まずは謝罪させてほしい」

 

 と、一礼。年下とか関係なく、不安にさせたのは事実なので、なるべく気持ちが伝わるように気を付けて頭を下げると、雪広さんの慌てた様子が感じられた。

 

「そ、そんな頭を下げなくても……コホン。確かに近況が分からなかったのは不安でしたが、こうして元気な木乃香さんの姿が見られたのは、おそらく青山さんの元で養生したからなのでしょう。感謝こそすれ、非難はいたしませんわ」

 

「そうか。ありがとう」

 

「いえ、お気になさらないでください。それと、遅れましたが、私は雪広あやかと申します。今日は、木乃香さんのお見送りですか?」

 

「実は彼女、近衛さんの父親の元に改めて向かいたいということで、その付き添いでこの度は同伴することになった。先程、教師の方々には話をつけたが、京都に着き次第、俺と近衛さんは君達とは別行動を取ることになる」

 

 一通り話すと、察しの良い雪広さんは数秒思案して納得してくれたらしい。詳しい事情を聴くことをしなかったのは、父親の元、つまり墓に行くというデリケートな問いになると理解したからだろう。

 

「……分かりましたわ。ですがその、よければ木乃香さん。せめて京都に着くまでは皆様と一緒に居ませんか? その、私だけではなくて、クラスの皆様も貴女のことを心配してらしたの」

 

 雪広さんが言う通り、少し離れた場所ではこちらに様々な感情のこもった視線を送る少女達が居た。そのいずれにも共通するのが、木乃香ちゃんへ向けられた心配の念だ。

 俺が当然と察しているので、無論木乃香ちゃんもそれを察しているのだろう。雪広さんの提案に間髪入れずに「うん、ウチも皆と色々話したいわ」と朗らかに答えてから、続いて俺の肩を軽く小突いた。

 

「そういうわけやから、京都に着くまでバイバイや」

 

「あぁ、久しぶりの級友との再会だ。沢山話してくるといい」

 

 言うが早く、木乃香ちゃんは雪広さんと一緒に少女達の輪へと入っていく。

 

「仲間、か」

 

 友情という絆で結ばれたかけがえのない大切なもの。二度目の生では未だに手に入れられずにいる俺としては少しばかり……。

 

「そういえば、一人居たなぁ」

 

 友人と言えば、あの日、俺を完膚なきまでに破壊しつくした女。結局名前も分からずに、殺し合いの果てに死んでしまった女を、俺は友人如きものだと思っていたはずだ。

 

「なんで忘れてたんだろ」

 

 一人呟く声は駅の喧騒に儚く消える。

 まぁ考えても意味は無い。彼女も今はもう居ない、生き抜いて死んだ……。

 

「違う、斬っただけ」

 

 ん?

 

「……疲れてるのかなぁ」

 

 俺の思考を越えて反射的に出た言葉に辟易する。

 斬っただけって、それは違うだろうに。

 どうやら木乃香ちゃんとの慣れない共同生活はそれなりに心労をもたらしているらしい。だがこれもいずれ慣れていくだろう。

 それよりも今は、再びの京都、そしてこちらは久方ぶりとなる姉、鶴子姉さんとの再会を待ち望んで、京都行きの新幹線へと乗り込むので――。

 

「あ」

 

 駅弁買うの忘れてた。

 

 

 




次章より、第五章【青】。またの名を京都血風録。

青山が青山を決めるために青山同士で修羅る話。つまりいつも通り。ようやく斬り合いですよ。

しかし、私としては珍しく戦闘シーンほぼ皆無で章が終わってちょっとびっくりでゲス。


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第五章【青】
第一話【奈落の理】


 

 京都を未曾有の大災害が襲ってから早一ヶ月以上が経過している。未だリョウメンスクナ、表向きは大災害の被害から復興の目途も立たず、破壊された家屋の撤去や、生じた瓦礫を退けるという作業しか出来ていないというのが現状だ。

 とはいえ、被害を受けたエリアが奇跡的にも、主要の交通機関に影響を与えなかったため、被災者達への援助などは問題なく行われているとのこと。

 

「まっ、それもリョウメンスクナが集中砲火したせいやけどなぁ。ふふふ、実は隠ぺいのために周囲の住人に術を掛けて記憶の改竄ついでに、被害者に見合った規模の家屋の破壊を手ずから行ったせいなんやけどな。あ、これ、オフレコやったわ。内緒にしといてくれやす」

 

 ニコニコと笑いながら、もしかしなくても聞いてはならないことを平然と語ったのは、俺の姉にしてかつては歴代最強の神鳴流の使い手と言われた宗家の筆頭、青山鶴子姉さんである。

 久しぶりとはいえ、相変わらず色々と話して聞かせる鶴子姉さんに俺でさえ辟易ししてしまう。隣に並んで座っている木乃香ちゃんと言えば、目を白黒させて京都大災害の裏話を聞いていた。

 

「まっ、そうせな京都に埋められてた不発弾が一斉に爆発した言わな、破壊の規模に比して被害者の数が震災とはいえ多すぎ勘繰られるからなぁ。しかし、あんな規模を隠ぺいしようにも、今の情報社会ではそれも無理や。術者側は今回の件をどうにかしようと足掻いとるが、ウチの見立てだと、一年もすればウチらのような裏社会の人間の素性は徐々に暴かれると思うで」

 

「それって大丈夫なんですか?」

 

「うふふ、そりゃアカンに決まってますわお嬢様。隠ぺいした事実もろとも裏社会のことがばれれば……最低でも、青山はんは首吊るハメになりますえ」

 

 冗談、と受け取りたいが、鶴子姉さんの見立てなのだから多分そうなるのだろうなぁ。

 

「……まぁ、此度の件で何も出来なかったのは事実、事を起こした術者が居ない今、振るう当てのない矛先が俺に向かうのは必定でしょう」

 

「そうやで。それに京都の一件、青山はんが事に絡んでいることに気付いた同門の者達から不平不満が出ております。もしかしたら、うっかり神鳴流の門派から裏社会の秘密漏えい! ということも十分ありますわ」

 

 だから、そんな物騒なことを笑顔で嬉々と言うのは止めてほしいものである。

 俺は膝元に置かれたお茶を漏れ出そうな溜息ごと一息で飲み干すことで落ち込みそうな心を平静に戻した。

 新幹線で京都到着から、人目を盗んで虚空瞬動で木乃香ちゃんを担ぐこと十分弱。魔力で強化された今の木乃香ちゃんなら遠慮なしに虚空瞬動で駆けることが出来たためすんなりと到着したのは、今、俺達の目の前に居る鶴子姉さんが隠居生活を満喫する、森深くの古風な屋敷だ。

 本当は送り届けた証を受け取ったらさっさと修行場に向かうつもりだったのだが、何故か鶴子姉さんのペースに乗せられて、こうしてのんびりとお茶を飲んでいるという始末である。

 まぁ軽く話すつもりであったので、そこまで思うことはないのだが。

 何て思っていると、木乃香ちゃんと鶴子姉さんはすっかり意気投合したらしく、談笑を楽しんでいるようであった。

 

「じゃあ鶴子さんは小っちゃいころの青山さんのこととか知っておるんやね?」

 

「そうや。まぁ昔から今と同じで不愛想な子でなぁ、同年代の子らと稽古させたりして、友人でも作ろうと思ったころもあったけど……ご覧のとおり、友人一人も作れんまま、大きくなってしまってなぁ」

 

「あ、じゃあウチが青山さんのお友達になりますえ。一人ぼっちは寂しいもんねぇ」

 

「うふふ、恐れ多くもお嬢様にそう言っていただけるとは。青山はんも良かったなぁ」

 

「よくないですし、一人で結構」

 

 何を適当に話しているのやら。勝手に木乃香ちゃんの情けで友人関係になりそうになったが、呆れながらもきっぱりと返事する。

 そんな俺の態度を見て、二人揃って鈴が鳴るような声で笑うのだからタチが悪いというもの。口下手な俺が女性二人の会話に乗っかろうなどというのが無理な話だったのだろう。言いたい放題な二人の話を聞きながら、さて、この話はいつまで続くのだろうとお茶を飲みながらじっと耐えるしかないのだ。

 それからどの程度経ったか。年は離れているとはいえ、何処か通じ合っている女性二人の話の矛先がこちらに来ないように願いつつ沈黙を保っていると、鶴子姉さんが今まさに思い出したとばかりに両手を軽く叩いてこちらに目くばせした。

 

「そうやそうや、青山はん。連絡された通り、刀はウチのほうにもう届いてますえ」

 

 言いながら立ち上がって奥の部屋へと鶴子姉さんが引っ込んでから一分もたたずに、戻ってきた鶴子姉さんの手元には、一抱えほどの木箱があった。とはいえ、封呪を余すことなく刻んだ鎖が乱雑に絡まり、箱にも最高位の封印符が隙間なく箱を覆っているため、一見ではそれが木箱だと見抜けぬほど、幾重にも厳重な封印を施されている。

 それでも滲み出てくる生の発露に、辟易していた心に僅かながらの活力が戻ってくるのを俺は感じた。

 

「あら、どうやら青山はんはこの刀がえらく気に入っておるようやな」

 

「証、と銘打ちました。京都の一件で刀を交えた少年が遺してくれた……とても、とても大事な愛刀です」

 

「まっ、青山はんにそこまで言わすなんて、こりゃ認識を改めんといかんかもしれへん」

 

 大袈裟なリアクションをしてみせる鶴子姉さんの態度に、不覚にも笑みがこぼれる。

 改めるも何も、貴女程の剣客が証の素晴らしさに気付かぬわけがないだろう。とはいえ、鶴子姉さんなりの茶目っ気ということで特に言及もせず、俺は目の前に置かれた木箱をありがたく受け取った。

 

「……我儘を聞いていただき、ありがとうございます鶴子姉さん」

 

「そんな、気にせんでえぇんやで? 弟の我儘を聞くのが姉の務め。それにこの程度は我儘の内に入らんわ」

 

 そうは言うが、証が常人には危険な刀であり、持ち運びには細心の注意が必要だったはず。それを踏まえて問題ないと言ってくれる鶴子姉さんの優しさに頭が下がるばかりである。

 

「それでも、感謝を……さて、用も済んだことでありますし、そろそろ俺達は目的地へ向かおうと思います」

 

 だが用が済んだのなら、少しでも早く木乃香ちゃんの修行を終えるべく行動するべきだ。一度、深々と礼をしてから、俺は証の入った木箱を抱えて立ち上がり「ちょい待ち」と鶴子姉さんの声に立ち去ろうとする足を止めた。

 

「何か?」

 

「何も……と言いたいところですが、実は小耳に挟んだ情報がありましてなぁ」

 

 ……あぁ、成程。また面白いうわさ話ということか。

 

「聞きましょう」

 

「では、耳を拝借」

 

 鶴子姉さんは蠱惑的な笑みのまま、俺に熱のこもった視線を送ってきた。

 

「今から青山はんが行く修行場やけど、少し前から素子はんが使っておるらしくてなぁ……時期的に、青山はんのところに以前行った後、すぐに向かったとのこと」

 

「……それが?」

 

「まだ、素子はんが居るかもしれへんなぁ。という程度の話どすえ」

 

 素子姉さんが、修行場に居る。

 だからどうしたと言おうとして、鶴子姉さんが言葉を重ねてきた。

 

「ウチは凡才やから、素子はんも、青山はんのこともさっぱりやけど……今日会って分かりましたわ。青山はん、あんさんは素子はんに会って、もう一度仕合ったほうがえぇ」

 

「俺が、今一度?」

 

「せや……とは言うても、二人が会えば仕合うのは必定。そして青山はん、今のまんまやと、あんさん、素子はん届かへんで?」

 

 勝つでも負けるでもなく、届かない?

 

「言っている意味が分かりませんが?」

 

「なら、刀を交えればえぇ。それで全部、分かるはずや」

 

 確信を持った鶴子姉さんの言に異を唱えるつもりはないが、今更素子姉さんと刀を交えることに何の意味があるというのか。

 姉弟で斬り合うという淫らをするには、俺は多くを学びすぎたというもの。

 

「……ですが、貴女の言うことならば聞きましょう」

 

 あるいは、木乃香ちゃんがそうだったように、素子姉さんも俺との仕合のせいで生きる活力でも失ったということなのだろうか。

 そんなことを思ったところで、俺はくだらないと思考を破棄した。思案を巡らせるにしても、ここで呆けているよりも、素子姉さんと直接出会ったほうが話は早いというもの。

 

「然らば、またいずれ」

 

「はい、お待ちしてますえ」

 

 残った左手を振って見送ってくれる鶴子姉さんから視線を切って、俺と木乃香ちゃんは早速修行場へと足を進めるのであった。

 

 

 

 

 

「しかし、君が鶴子姉さんの腕を治そうとしなかったのは意外だったな」

 

 鶴子の家を出て暫く、木乃香の「折角やし空から観光しながら行きたいわー」という提案を青山が聞き入れ、出る時とは打って変わってのんびりと空をゆっくり蹴りながら目的地に向かっているときである。

 ふと、何故木乃香が鶴子の腕を治さなかったのか疑問に思った青山の質問に、その腕の中でコアラの子どものようにぶら下がっている木乃香は少しばかり唸った。

 

「悩むことなのかい? 木乃香ちゃん、新幹線に乗ってるとき、クラスメートの……和泉さんだっけ? の傷はさっさと治したじゃないか」

 

「あ、もしかして亜子さんと一緒にお手洗いに行くの覗いたん? やーん。変態さんや、青山さん」

 

「……気を察しただけだ阿呆。というか知ってるくせにからかうな」

 

 青山の非難のこもった視線にけらけらと楽しそうに笑いながら、木乃香は「はーい」と軽く答えた。

 

「……さておき、鶴子さんのことやろ? 治したいとは思うたんやけど……無理や。今のウチじゃ、鶴子さん程の人の傷が見えへん」

 

「傷が、見えない? そんな、だってあからさまに腕が――」

 

「青山さんには分からんよ」

 

 食い気味に青山の言葉を遮った木乃香は、暗い眼を細めながら、青山の首に回した両手をその頬にあてがい、輪郭をなぞるように指先を走らせた。

 その行為に何の意味があるというのか。青山は己の顎先を舐める指先の感触に疑問を覚えるが、当人である木乃香は怪しく笑うばかりだ。

 

「だって、分かりにくいもんなぁ、今の青山さんは。二つあって、どっちが本物なんやろね? ウチとしては、ふふ、これ言うとまたザックリやられそうやから内緒にしとこ」

 

「……そう言う君の方が俺には難解だがな」

 

「あははは」

 

 明確な答えを示さず笑うばかりの木乃香に何か言うのも阿保らしいと考えた青山は、憮然とした表情で目的地の方向に視線を送る。

 未だ時刻は午後を回って少しばかり。照りつける太陽の下、瓦解した京都の街並みの上空で、無垢な少女の笑い声だけが、末恐ろしいくらいに冷たく響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 何故、敗北したのか。

 その理由が分からずに、月詠は痛みも忘れて葛藤していた。

 胸中を駆け巡るあらゆる感情を整理できずに、未だ一歩も動くどころか、起き上がることすらままならない状態である。

 青山に出会い、手に入れた狂気の一端。それを用いた自分は、両腕を失う以前より明らかに力を増したはずだった。それが何故、平凡な精神と技しか持たない刹那にやられたのか。

 月詠にはそれが分からない。いや、分かっているはずなのに分かろうとしない。

 単純明快な話、両腕を失った月詠は弱くなり、素子の下で己を鍛えた刹那が強くなった。その差が明確に現れ、精神と気では超えられぬ壁となって月詠に敗北を突きつけたのだ。

 だが月詠は認めることが出来なかった。もし認めれば、それは自分が剣士として既に終わっているということを認めるということにほかならず、では何のためにこの身は生きながらえたのだということになってしまう。

 刀に生きた半生である。

 血の香りに酔って、外道と蔑まれながらも、月詠は強者を斬り捨てるための力を得るために腐心した。

 そして彼女は出会ったのだ。

 青山と言う目指すべき極みに、己が信奉すべき神が如き存在に。

 その結果として喪失した両腕が己を弱くしたと認めることは、すなわち月詠の胸に懐いた信仰を捨てるということであり、つまりは強さへの渇望を、手に入れた斬撃という一点を手放すことということだ。

 

「そ、な……の」

 

 断じて、あってはならない。傷だらけの口内では上手く喋ることも出来ないというのに、月詠は絞り出すように声を出してその思考を否定した。

 だが否定しようにも、一度思ってしまえば、思考は決壊したようにあふれ出し、月詠の心をあらゆる感情が駆け抜けるのである。

 弱いのだ。

 自分は、弱いのだ。

 手にした祈りも。

 奪われた感激も。

 その果てに手にした極みすら、全てが偽りのものでしかなくて。

 

「う、ぐ……ちが、う……ぢがゔ……!」

 

 血を吐きながら、何よりも心の出血を言葉に乗せて月詠は吼えた。

 青山と戦って、斬られることで手にした斬撃だった。

 神が授けた至高であれば、何故それが己を弱くしたと言える。

 違う。

 絶対に違う。

 例え強くなったとはいえ、正道などという強さと無縁の場所を行く刹那に後れをとることなどありえない。

 

「ぢがゔ……! ひっく……ぢが……う。からぁ……」

 

 両眼より溢れる涙。それは敗北という事実を認めた肉体の反応であり、逃れられぬ現実に憤る偽りなき心の現れ。だが強がる理性は本能すらも否定しようと、喉を引きつらせながら声を張り上げるのだ。

 

「まけ、て……ない! ウチ、は……! 負けてない……! ない、んやぁ……!」

 

 言葉は虚しく木々の狭間へと消えていく。だが何よりもその言葉を空虚と感じているのが、声を発した月詠自身であった。

 決定的に負けた。

 一方的に敗北した。

 あまつさえ手心を加えられ、いつでも来いと言われる程に、弱くなった。

 どんなに否定しようとも、現実を覆すことは出来ない。真正面から激突して、苦渋を舐めている今こそが全てなのだから。

 

「うぅ……! 止まれ、止まれ……! 何で、止まらんのや……!」

 

 次から次へと頬を伝わる涙。滲む視界は認められぬ現実を隠すフィルターのよう。

 しかし、その涙を拭う両手が、月詠にはもうない。

 腕は、無い。

 二度と、刀は握れない。

 

「なんで、なんで……う、うぅ……うぁぁぁ……ウチ、の……」

 

「腕、無いんですか?」

 

 今まさに壊れようとした月詠の自意識。その瞬間を見計らったように、横合いからするりと誰かの言葉が割り込んだ。

 

「っ!?」

 

「腕、無いんですね」

 

 咄嗟に体を跳ね起こした月詠が声の方向に向きなおった先、そこに立っていたのは何処か見慣れた藍色の着物を着た美しい少女。

 その着物以上に、月詠は見知ったその少女を驚愕の眼差しで見つめた。

 

「お嬢、様……?」

 

「いややわぁ、お嬢様やなくて木乃香って呼んでぇな」

 

 この場にはまるで場違いな朗らかに微笑みを浮かべた美少女、近衛木乃香は、動揺を隠せぬ月詠に躊躇なく一歩近づいた。

 咄嗟に、一歩引いたことを誰が咎められるだろう。無意識に距離を開けた月詠は、そこで何故自分が木乃香から離れたのか、自分の行動に驚きを覚えた。

 

「……何の、用、ですかー?」

 

 気による回復で普通に喋られる程度に回復した口内の具合を確かめながら、月詠は警戒心を隠すことなく木乃香を睨む。全身を気で強化し、腰を落としていつでも飛びかかる、あるいは離脱出来る態勢を整えながら。

 だが木乃香は明確な敵意を示す月詠を前に、肉体を魔力で強化することも、どころか警戒心すらも見せずに、顎先を人差し指で抑えて、月詠の問いに対する答えを思案する仕草を見せた。

 

「うーん……用、というてもなぁ。えっと……あぁ、月詠さん言うんやね。それで、ウチが月詠さんと会うたのは単なる偶然で、こっちにせっちゃんの気配が……あぁ、せっちゃん言うんは桜咲刹那言うて――」

 

「一体、何の用ですかー?」

 

「用は無かったんやけど……今、用が出来たって言うたほうがえぇかな?」

 

 木乃香が笑う。邪気など一切見られない、慈愛を湛えて、月詠へと笑いかける。

 

「なら、その用、を……」

 

 言ってください。

 そう口にしようとしたところで、月詠は何度目か分からぬ驚愕に目を剥いた。

 

「なんで、ウチの名前……」

 

 自己紹介などしていないどころか、木乃香はこちらを知らないはずだというのに、何故、初対面の自分の名前を言い当てられた。

 何故、名前を瞬時に知りえたのだ。

 

「そんなん、見れば分かるやろ?」

 

 そこでようやく月詠は気付いた。

 日向のような微笑みを浮かべる木乃香の目。その瞳が、日向の暖かさとは無縁の虚無に飲まれている。

 漆黒というにはあまりにもまがまがしく、そして神々しさを感じる木乃香の眼。

 あぁ、そういう、ことなのか。

 

「……ふふ」

 

「月詠さん?」

 

 月詠は敵意も警戒心も忘却し、乾いた笑みを浮かべながら膝をついた。

 己の勘違いを、月詠はようやく知る。斬ることを理解出来たなどと、実に愚かな勘違いをしていた浅はかな己のくだらぬ思考。

 自分は只、神に憧れる有象無象と変わらなかったのだ。奇跡的にもその御業に触れて、自分も同じ領域に立てたのだと錯覚していただけ。

 本質を理解してなどいない。

 自分は、斬撃という形に、理由を乗せていただけでしかなかったのだ。

 斬ることは斬る。

 その真実を、己は理解していなかった。

 

「……そか。お嬢様も、『青山』でしたねー」

 

 血が練り上げた狂気。

 秘められた才覚を青山と名付けるならば、眼前のそれもまた脳天から爪先まで、正真正銘青山である。

 理由はわからないが、木乃香はそこに目覚め、至ろうと歩き出しているのだろう。

 斬撃という極みに至った青山と同じところへ。

 そして行き着く果てがアレなのだ。

 その過程である木乃香にすら見抜かれているのが、自分なのだ。

 月詠は、己の情けなさに再度涙を流しそうになるのを、ぎりぎりで堪えた。

 

「えっと、ウチは近衛で……青山はお父様の旧姓やで?」

 

「ううん……違いますわー」

 

 木乃香は勘違いしているが、月詠はそれを説明しようとは思わなかったし、したところで無駄だということも分かっていた。

 木乃香が青山となるならば、最早それを語ることに何の意味があるのだろう。力無く肩を落とす月詠に、木乃香もまたそれ以上問いかけることはせずにゆっくりと近づき、膝をついて視線を合わせた。

 

「それより月詠さん。傷、たぁくさんあるなぁ」

 

 奈落の眼が、喪失された腕の断面だけでなく、治りかけの口内、そして目に見えない『何か』を見た。

 その眼差しから感じる歪んだ慈しみとも言える何かを感じて、月詠の体が生理的な嫌悪感で震える。

 さながら蛇に睨まれた蛙である。神鳴流を修めた剣士が、戦いなど一切知らない少女の眼差しに怯えているのだ。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 笑うよりないだろう。自然と口許に浮かぶ自虐的なその笑みに、木乃香は悲しげに目を伏せながら、子どもをあやすようにその背中に両手を回した。

 

「大丈夫、ウチに任せて」

 

「ふふ、あはは……」

 

「うんうん。痛いのは、嫌やからなぁ」

 

 他者を労わるものでありながら、木乃香の声には他者への慈愛など微塵も感じられなかった。

 そこにあるのは、傷は痛いものだから治すという自分勝手な思考のみ。

 青山。

 それもまた、青山だ。

 だから月詠は、青山には永遠になれないのだろう。

 青山とは強きの果てにある究極の斬撃であると勘違いし、同じ雰囲気を持つ木乃香もまた、青山となったのだと勘違いした、この少女では。

 真の狂気は、程遠い。

 

「もう、好きに、してくださいー……」

 

 ――その手でとどめを。

 勘違いの果てに、強さという糧すら失った傷だらけの自分に等存在する理由は無い。そんな自分が、こうして青山と同じ道に立つ存在に殺されるなら上等すぎるだろうと、最期に月詠は笑い。

 

「うん。任せてぇな」

 

 すぐに、その思考が間違いだったと気付くことになる。

 

「ウチが、『治して』あげる」

 

「え?」

 

 それは、月詠の願いである殺傷とは真逆の治癒宣告。

 青山でありながら、斬撃ではない別種の解を吐き出す、しかしながら青山と同種の狂気。

 斬るのではないのか?

 その疑問を挟むには、既に遅すぎる。

 背中から回された木乃香の右手が、まず根元から根こそぎ切断された右腕の部分に触れた。

 

「ひっ」

 

 瞬間、背筋を駆け抜ける悪寒に、月詠は悲鳴を漏らした。

 だが月詠に出来た抵抗はそこまでであり、咄嗟に体を動かすという選択肢すら奪われる程の凌辱が開始される。

 喪失した右腕が熱を持つ。木乃香が愛撫するように今は塞がっている切断面を指先でなぞれば、脳髄が蕩ける程の快楽と、それに匹敵する喪失感が同時に月詠に襲い掛かった。

 

「な、に、を」

 

「大丈夫や。怖くない、怖くない」

 

 月詠からは見えなかったが、粘り気のある魔力を帯びた木乃香の指が、濡れた肉を掻き分けるように、粘着質な音をたてながら切断面へと沈んでいく。

 

「ひ、ぎ……!?」

 

 異物が入り込む不快感と、指先より浸透する多幸感に頭が壊れそうになる。頬を真っ赤に染めながら体を震わす月詠が熱い吐息を繰り返すその様に、木乃香はまるで手慣れた情婦のような仕草で、指先で傷口をかき回しながら、年相応の乙女のようにか弱くなった月詠の頬に己の頬を擦り合わせた。

 

「あん……暴れすぎや」

 

「あ、あ……! ふー……! ふー……!」

 

 漏れ出る嬌声を堪えようと、咄嗟に木乃香の着物に噛みついて声を殺す。それでも耐えきれぬ悦楽と喪失に、思考は徐々に剥離される。

 その間にもミミズのように蠢く指が幾度と月詠を震わせただろうか、それは数秒だったかもしれないし、もしくは数時間であったかもしれない。

 時間の感覚すら遠くなっている。

 乱された思考では何かを考えることも出来ず、無遠慮に注がれる心地よさに耐えるのも難しくなっていく。

 遠くなる思考。

 気付けば、月詠の思いは過去へ過去へと遡っていった。

 それは初めて怪我をした日。

 そこより連鎖するあらゆる痛みの記憶。

 刀を手にしてからの時間。技を得るために血すらも吐いた練磨の時間。磨き上げた技を存分と強者にぶつける時間。

 そして、青山。

 出会い、挑み、敗北した奇跡の瞬間。

 

「あ、これやね」

 

 その記憶を覗かれ、あまつさえ喜悦された事実に、消えかけの思考が一気に戻ってくる程、月詠は戦慄する。

 

「ぅ、ぇ……?」

 

「何や、慣れた手つきやからずっと前に腕無くしてる思うたけど……これ、青山さんに斬られた傷なんやなぁ。最初からそうやったみたいな傷口で、勘違いしてしもうたわ。でも、手ぇ抜いて斬られたみたいやな。もしかしなくとも、片手間に斬られたんやない?」

 

「なん、で……!?」

 

「あははー、大当たりや。手抜きでないと、今のウチじゃ分からんからなー」

 

 朗らかな笑み。

 理解を超えた異常。

 月詠は、未だに『青山』を勘違いしていた己に、決定的に間に合わない状況下で気付いた。

 気付いてしまったのだ。

 

「でも、勘違いしてるのは、月詠さんのほうもやね」

 

 そんな思考すらも木乃香には全て見抜かれている。

 最早、乱暴に剥がされた心は、木乃香の掌で弄ばれるだけのものでしかない。

 誰にとっても大事な自分自身を弄り遊ばれるという恐怖に、月詠は声も出せずに恐慌する。

 止めて。

 もう、止めて。

 この傷を、私の大事な傷を、奪わないで。

 しかし願いとは裏腹に、蹂躙される傷口によって刻まれた心さえも強引に癒されていく。

 それは麻薬による快楽に似ていた。

 一瞬の快楽の後、訪れる喪失感。

 傷を奪われ、そこから得られたあらゆる成長は、その根底である傷を奪われることで一気に消滅していく。

 それは、根底を斬ることで在り方を崩壊させる青山と同じ様であった。

 奈落の如き瞳で、奈落の如く全てを飲み干す修羅外道。

 それを、白濁する意識の中。

 

 なんて様だと、月詠は思ったのだ。

 

「ひ、ぃ……ぃ」

 

「しかし……そっかぁ、青山さんは、斬るほうが正解やったんやなぁ。おかげでどっちか分かって助かったわ」

 

「や、め……」

 

「大丈夫」

 

 僅かに体を離して月詠と顔を突き合わせて、木乃香は迷いなく告げる。

 月詠という少女の全てを『癒し潰す』と、木乃香は語る。

 

「ウチがちゃんと、治すからなー」

 

「ぃ、」

 

 それは必然だ。

 誰しもが、青山を知ることで到達する末路。

 眼前に居る、修羅の子が、語る外道を知ったがゆえに。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 それは、宝物を失った少女の絶叫。

 奪われた傷。つまり失った右腕が木乃香の粘着質な魔力によって肉を得て回復したと同時、月詠の中に大切に秘められていた強さへの渇望すらも根こそぎ奪い去られてしまう。

 そう、青山に気付くとはつまり、その混沌に飲まれるということ、それだけ。

 この日、治癒という奈落によって、強さを渇望した剣士が、その『生き様(傷)』を奪われる。

 

 だが幼き剣士よ、安息するな。

 

「よし、次は反対の腕や」

 

 その絶望は、まだ幕を開けたばかりなのだから。

 

 

 

 




このちゃんがぁ!
捕まえてぇ!
このちゃんがぁ!
森の中ぁ!
傷口読んでぇ!
腕癒すぅ!
このちゃんがぁ!
(月詠の心に)近づいてぇ!
このちゃんが癒したぁぁ!


こんな感じでした。第五章も皆様よろしこ。


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第二話【外道、散る】

 

 リョウメンスクナによる破壊の嵐によって壊滅した京都だが、その中心地より離れた山々は被害も少なく、そして青山素子が修行の場として選んだ秘境は、神鳴流の中でも知る者が少ない特別な場所だ。

 清涼な空気が周囲を満たした滝壺のすぐ傍には、巨大な一枚岩によって作られた天然の闘技場があり、一人、気を練り上げて技を磨くにはこれ以上ない最適な場である。

 その一枚岩の上に坐して瞑想していた素子は、静かに現れた気配を察してゆっくりと瞼を開いた。

 

「……来たか」

 

 待ち望んでいたように、それとも会うのを望んでいなかったように。相反する複雑な感情を湛えた素子の声に反応したのは、鞘走る鋼鉄の響き。

 

「お久しぶりです。素子姉さん」

 

「青山か」

 

「はい、俺です」

 

 奈落の眼に負けぬ漆黒の刀、証を片手に立つ男。

 修羅外道。

 恐るべき青山が、素子の前に姿を現した。

 

「今更何の用だ? お前と私の決着はあの日ついた。私が斬られ、お前が斬った。この結末をもって、二度と会わぬと思ったのだがな」

 

「……鶴子姉さんが、素子姉さんがこちらに居ると仰ったので」

 

「姉上が、か……。あの狂人め、以前から片鱗は見せていたが、ようやく狂っていると納得出来た。いや、既に気付いていたのを、私の未練が否定していただけか」

 

「素子姉さん。鶴子姉さんを狂人というのは些か失礼かと」

 

「はっ、餓鬼の頃からお前を練り上げ、一角の修羅に仕上げたのは姉上だ。全貌を知らずとも、その才覚が届く果てを見ようとした姉上を、狂人と言わずに何という? あぁそうさ! 結局、姉上も青山だったというわけだ! この肉に流れる青山に魅せられ、足りぬ才覚故に私とお前に青山を託した怪物さ!」

 

 諌めるような青山に対して、素子は薄ら笑いを貼り付けて、己を含んだ青山という全てを唾棄した。

 切っ掛けは、きっと青山響という男だろう。前世の知識を持つ凡才の魂を宿した天才の肉体。その歪により生じた無垢なる刃。

 斬撃という孤独の世界。

 その狂気に引き上げられた青山という家は、果てに立つ終わりを見定め、そこに至るべく腐心した。させられてしまった。

 結果、ここには素子と響。共に青山を名に持つ血脈の狂気が立っている。

 素子は歪な気配を纏う青山を自然体のまま見据えながら、何故、彼が青山を名乗り、そして周囲もまた青山と彼を呼んだのかようやく理解した。

 

「だから、答えはこれで決める」

 

 素子は怯むこともなく鼻を一つ鳴らして、傍に置いていたひなを握って立ち上がった。

 青山は既に臨戦態勢に移った素子に何か告げようと口を開閉させ、かける言葉が見つからないと小さく頭を振って、目の前の戦いに集中すべく意識を研ぎ澄ます。

 それに、言われたからではなく、伝えたい奇跡がこの胸にあるからこそ、青山は刃を翻し切っ先を向けるのだ。

 斬るという生の証。

 証明し続けると誓ったこの奇跡を、貴女にも。

 

「……この刃で――」

 

「そうか……木乃香お嬢様を斬ったか、お前」

 

 魅せつけたい。

 そう語る前に、素子の言葉は青山の喜悦を真正面から斬り伏せた。

 

「え?」

 

「意外か? ふん、むしろ、その程度を滲ませている今のお前のほうが私には意外だが……お前が青山で、私も青山で――ここに、刀がある」

 

 困惑に動揺したままの青山が平静を戻す暇すら与えないと、素子は鞘からひなを引き抜いて、青山に突きつけた。

 それは突然の変化だった。否、存在そのものが別人になったかのような異常。ひなを抜きはらった素子の身より溢れる鬼気は、その凶悪さとは裏腹に、心地よさすら感じる程清涼な気である。

 故に、不気味だった。

 清涼ながら、鬼気的という矛盾を体現させる不気味に、青山は言葉を失った。

 一方で、素子もまたそんな青山の様子に疑問を浮かべていた。

 何を、恐れる。

 何を、慌てる。

 お前は、この程度、否、どんなことがあっても――斬るだけ、それだけのはずだろう?

 

「どうした? 何を驚く? 刀がある。刀だぞ?」

 

「素子、姉さん?」

 

「斬るんだよ。そうさ、お前が私に、斬りつけたんだ」

 

 精錬された気をその身より放ちながら、素子は突きつけたひなを大上段に構えてみせる。

 その姿に青山は言葉を失った。

 何と美しき立ち姿であろう。まるで刀と体が一つになったかのような在り方に、少しばかり思考を失うという愚を青山は犯し。

 

「だから」

 

 その隙を断つように。

 

「斬るぞ」

 

 劇的な踏み込みにて、素子が青山の懐へと飛び込んだ。

 

「ッ!?」

 

「シッ!」

 

 縫われた思考の合間を穿つ、神速と轟くひなの切っ先が突き抜ける。

 辛うじて証の刀身を切っ先に合わせ横に逸らしたが、油断が招いた代償として、頬が斬り裂け耳たぶが宙を舞った。

 意を越えて動いた体が反応せねば、この一撃で決着してもおかしくなかった程の苛烈の勢い。素子はそのまま全身からぶつかり、己の額を青山の額に叩きつけた。

 一瞬だけ意識が飛ぶ。脳天を揺らされた衝撃に眩む中、激情を湛えた素子の視線から感じ取った鬼気が、途切れそうになった意識を繋いだ。

 それもすぐに終わる。弾けるように一歩ずつ互いに押し合って距離を開くと、青山と素子は同時に手にした漆黒で虚空をなぞった。

 空に散る火花に遅れて鳴る鋼鉄の軋み。当然のように音を追い抜いた両者の斬撃は、やはり当然と互いの知覚領域を超えるには至らない。人の規格を超えた反射神経は、脳も脊髄も介さぬ肉体の雷光である。次の一手を予測などという領域ではない。直感と機能する五体に刻まれた技に従って、二人の青山は持てる技量を全て吐き出した。

 斬魔剣弐の太刀。

 共に放つ全てが神鳴流の秘奥。存分に吐露した術理にて、観客なき静寂の土地に、鉄の歌声を幾重にも重ねて木霊させるのだ。

 だが両者同等の技量を誇るというのに、開始一分も経たぬところで既に天秤は傾き始める。

 

「はぁぁ!」

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

 気迫あふれる斬撃を繰り出す素子。それに気圧されて、必死に踏み止まらんと歯を食いしばって堪えるのが青山。

 このままでは完全に飲み込まれてしまう。

 その予感が確信に変わる前に、何とか場を仕切り直すため、青山が放った乾坤一擲と素子の大上段が一際大きく弾きあった。

 一歩ばかりの距離が生まれる。

 一呼吸にも届かぬ間。

 互いにたたらを踏んで態勢を崩し、整えるのに必要な一呼吸を、青山は己を落ち着かせるために使う。

 落ち着け。

 押し込まれるな。

 自身を叱咤しながら、しかし青山は再度の驚きに心を乱すのだ。

 

「おぁ!」

 

 間を置いた青山とは違い、即座に姿勢を正した素子は烈と吼えて青山との距離を強引に縮めた。

 代償は少なくない足への負担。

 しかしその程度知ったことではないと素子は笑った。

 

「これだよなぁ! 青山ぁ!?」

 

「ひ……」

 

 津波のように荒ぶる素子の斬撃が青山を飲み込もうとしている。だがその苛烈とは対照的に、浮かぶ表情の何たる冷たさか。

 三日月を口許に浮かべ、瞳は激情など仮面か何かのように冷え冷えとしている。

 さながら、刀のような相貌。

 宣告し続けている通り、斬るという一点だけに染まった素子の刃は、矛盾を孕んだ青山を畏怖させた。

 語らうべく刃を交わそうとした青山は、問答無用と斬る意志のみを乗せる素子が分からず、当惑を露わにするばかりなのだ。

 前提が違う。

 生きるから斬るという奇跡を行おうとする青山と。

 ただ斬るのだと、無心と駆ける素子は違う。

 

「ね、姉さん!?」

 

「どうした!? いつも通りに斬ってみろ!」

 

 証越しに腕に轟き響く素子の斬撃。

 速く、重く、薄く、厚い。

 何よりも冷たく鋭い剣戟が、鍔迫り合いの形となったことで、さらに青山の全身を震え上がらせた。

 直後、耳元に鬼気を察する。咄嗟にしゃがみこんだ後、鍔迫り合いを制して証を弾いたひなが、一文字に青山の首が合った場所を駆け抜けた。

 その時点で、青山は疑問を投げ捨てて思考を切り替える。最早、この奇跡を伝えるというそういった状況ではないのだ。

 相手はこれまでの強敵とは違い、接近戦でこちらと互角以上に渡り合える。そして接近戦での思考の乱れはすなわち死。

 それだけは許されることではない。

 

 ――だって俺は、生きねばならないのだ。

 

 魅せつけるべき解答が胸に懐いた今、死こそ何よりも忌避すべき存在となっている青山は、素子の放つ斬撃より逃れるために瞬動で一気に後退した。

 

「ひぃ……! ひぃ……!」

 

 死の恐怖からくる悲鳴と、すり減らした体力の消耗からくる荒々しく情けない呼吸が青山の口より漏れる。

 明確な死に恐れがある。ただ純粋に斬撃を放つ素子の意志は、たった一閃だけで青山の内をかき乱す矛盾を暴き出し、メッキがはがれた狂気はただの外道となって姿を現すのだ。

 荒々しい呼吸とは別に震えている身体。次、素子の一撃を受ければすぐにでも斬り捨てられそうな弱弱しい姿に、しかし追撃はなく。

 

「なんだ、それは」

 

 驚愕に染められた素子。それは彼の狂気を恐れながらも、不変のものとして信じていたからこその驚きであった。

 

「青山、なのか? 本当に、お前が?」

 

「俺、は……」

 

「違う。違う! お前の刃は! 斬撃は!? こ、これじゃあ違うじゃないか。なんで、なんのために私は修羅に堕ちたんだ。お前がそれじゃ! 正しく堕ちた意味がないだろ!」

 

 素子より漏れ出る殺意は、憤怒と落胆、何より悲哀に満ちていた。

 戦闘中にも関わらず、構えを解いて涙すら滲ませ顔を歪めている。それは、何よりも悍ましく思いながらも、だからこそ信頼していた全てを裏切られた修羅の慟哭だった。

 理解出来ぬ哀愁。

 そして今の青山は、何故素子が涙を見せるのか理解出来ないのだ。

 

「そんなこと……! 知ったことか!」

 

 震える身体に鞭打ち、青山は勝手にこちらに失望している素子に吼えた。

 理由は分からない。だが、今の己に失望されるということは、つまりこの生き方を否定されるという屈辱に他ならない。

 斬撃に絡む生への執着。

 これこそ新たに至った境地だと、青山は証明するしか道は無いなら。

 ふと、青山は涙する素子を見て、脳裏に稲妻が走るような感覚に襲われた。

 

「あぁ、そういうことか」

 

「青、山?」

 

 一人勝手に得心したと冷静さを見せる青山を、素子は涙で滲んだ視界で見た。

 だがしかし、そこに立つのは素子が恐れ、嫌悪し、しかしそうであり続けるだろうと信じた修羅ではない。

 

「素子姉さんも、生きる気力がないんだね?」

 

 外道。

 修羅からも外れた、只の外道。

 青山は不器用ながらも慈愛の笑みを浮かべながら、証の刀身を天高く掲げた。

 

「なら、斬るさ。そういことなんだ。だから素子姉さんは、俺と刀を交えたかったのか」

 

 喜悦に染まる心を表すように、天を突く証の刀身に、周囲の景色すら歪むほどの気が収束した。

 それはあらゆる生を冒涜する生への渇望であり、あらゆる刃を下劣と成す、斬るという怨念であった。

 矛盾する二つの無垢は、絡み合うことで混沌とした歪となる。

 生きながら斬る。

 殺すのに斬るけれど生きていける。

 

「これが奇跡だ、素子姉さん」

 

 おぉ、充実する歪よ。狂気でもなく混沌でもなく、ただただ歪で禍々しいその意を知れ。

 生きているから斬るけれど殺すから斬って生きていると信じられる今を斬るとすれば生きることそれすなわち斬ることなり。

 つまり外道。

 矛盾を強制的に合理と成した果て、堕ちるのでも至るでもなく、外れただけの外道だから。

 

「俺は斬ろう。貴女のために」

 

 一閃に賭す生の咆哮。

 伸ばした証の柄を両手で握りこむと同時、世界全てを飲み込まんと発露されていた気が泡沫の如く消え去った。

 違う。涙を拭った素子は、消え去ったのではなく、束ねられたのだと見抜いている。

 証の刀身に薄らと乗った気の残滓。だがそれは正視するだけで眼球が潰れ、脳髄が圧搾され、心臓が停止するほどの並々ならぬ何かである。

 しかし素子は真っ向からその気を見た。

 迷いはもうない。青山が青山ではなくなったということは、むしろ喜ぶべきだろう。そう切り替えることは出来たから。

 それでも、胸に空いた小さな風穴に吹く風は、泣きたいくらいに冷たいけれど。

 

「……来い、外道」

 

 青山ではなくなった、かつて青山だった残骸へ。

 しかし当の本人は素子の悲哀を勘違いしたまま、矛盾にすり減った解答をそのままに、音の無くなった世界を駆けた。

 時が凍る。

 脳を超え、脊髄反射を否定し、肉の反応すら抜けて、魂という根源のみが知覚できる零秒の時。大地を踏み抜いた青山がゆっくりと迫るのを、光速となった視覚で捉えた素子がひなを下段から空へと走らせる。

 軌跡の先に青山は居た。迷いなく袈裟をなぞる証の刀身は、丁度ひなと重なる線を描く。

 驚愕は青山にあった。

 何故、捉えられる。

 極みに至ったこの斬撃に、何故、生を手放した素子が追いすがることが出来るのか。

 いや、それどころではない。

 ――重なる刃。

 刀身越しに伝わる意志と力。素子は表情を崩さず、青山はそれまでの喜悦を絶望に変えて、掌に響く鈴の音色に心を震わせた。

 ――振り斬られるひな。担い手ごと弾かれる証。

 それは、明確な力の差。

 いや、斬撃という領域を汚した外道に対する罰だったのかもしれない。

 

「う、ぁぁぁぁ!?」

 

「うるさい、黙れ」

 

 音の伝播しない世界だというのに、二人はそれが当然と言葉を交わしながら、先んじた素子の一閃が、態勢を崩した青山の足を浅く斬る。

 痛みは届かない。

 神経伝達すら遅延された世界で、だが斬られたという事実を青山は明確に認識させられ、さらに恐慌するのだ。

 

「斬られ……!?」

 

「そう、斬った」

 

 返す刀が二の腕を斬る。再度斬られ――胸が斬られる。また斬られ――思考する間に脛を刃が抜ける。

 連続する裂傷。青山が斬られたと知覚するよりも早く、新たな傷は幾重にも重なっていく。

 何故。

 疑問は、呆れた風に眉を顰める素子によって答えられた。

 

「外道如きに、後れを取るか」

 

 修羅として外道をなすのではない。

 外道として外道をなすお前如きに。

 

「消えろ。青山は、私がいただく」

 

 この身、一心斬撃と成すことこそ青山ならば。

 今まさに、醜き美しさを纏った素子こそ、修羅外道に相応しき様。

 

「そ、んな……」

 

 矛盾する解答を斬り捨てられたかつての修羅は、外道と罵られ地に伏せる。

 そして、時は再び正常なる流れに戻った。

 

「ご、ふ……」

 

 同時、無数と体に走った傷口から、青山の熱血が流れ出した。

 臓器もやられたのか、喉よりせりあがる血も口より漏らしながら、青山は自身の体より流れた血の海に沈む。

 

「哀れだな」

 

 ボロ雑巾と化した青山を見下ろして、素子は淡々とその様を蔑んだ。

 青山は一瞬で追い込まれた肉体を、証を杖にすることで何とか起こす。その無様に生き足掻く姿を見て、素子は最早見てられぬと嫌悪を露わにした。

 

「な……ぜ……」

 

 だが青山は素子の視線の意味すら知ろうとはせず、醜態をさらして尚、矛盾する解答を己の内側で成立させようともがいていた。

 一度は斬った相手である。しかもその時とは違い、得物による差は明確。証という最高の刀を持つ自分が、苦戦こそすれ負けるというイメージはなかった。

 否、勝つ負けるではない。

 素子に、この素晴らしい生き方を教えることが出来たはずだった。

 

「無駄だ。修羅から、ただの外道になり下がった今のお前じゃ、私には届かないよ」

 

 そんな考えを見抜いた素子は、下らぬと青山の葛藤を斬り捨てた。

 

「ッ」

 

 そこで青山もようやく気付く。

 見抜かれた。

 これまで己がそうしたように、素子もまた青山としての己の底を見透かし、暴いているのだ。

 対して自分は素子の何も見えずにいた。斬り合いの果て、常に見出した斬撃すべき何かが、素子には見えているのに、青山には見えていない。

 明確な差があった。

 素子と青山。

 修羅と外道。

 断罪されるべき外道は、穢れなき刃に斬られるのを待つしかないのだ。

 

「だったら、何で……」

 

 ――俺はそこに居ない。

 至ったはずだ。

 己だけの領域。

 これ以上先のない終わり。

 冷たき鋼。

 生きるという、斬撃を。

 

「教えないよ」

 

 だが素子は青山の葛藤に対する解を授けるつもりはなかった。

 唯一無二の答えを、矛盾させることで擦り減らした哀れな男。だからと言って、その矛盾を指摘しても、もう無駄だというのは、心を覗いたために分かる。

 

「なん、で?」

 

 冷たく突き放された青山は、乞食の如く素子に手を伸ばした。

 どうしてだ。

 何が違うと言うのだ。

 生きるという奇跡と。

 斬るという不変と。

 二つ揃ってさらに極まった我が斬撃こそ――。

 

「醜いんだよ。外道」

 

 醜悪なだけの狂人にかけるべき言葉はない。

 そして、その歪さを知る故に、素子はこの男に相応しい終わりを与えるのだ。

 放たれる終極。

 魅せられた斬る果ての死から遡る記憶の一本道。

 青山。

 否。

 青山響が培った原風景。始まりにして終わり。駆け抜ける記憶の中、素子は遂に暗黒の根源を捉え、それ目掛けて渾身の斬撃を放ったのだった。

 

 

 




次回、響と素子。


今の素子はあえて名づけるなら修羅正道。語呂悪いね。


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第三話【蠱毒の庭】

断章を先に読み直すのをオススメします。


 瞬間、斬り殺されたと錯覚した。

 

「凄い……」

 

 月詠との会合から暫く、ゆっくりと歩いていたせいか夕暮れも過ぎ去り、暗闇に飲まれた山中を歩いていた木乃香は、突如身体中に纏わりついた気によって全身を震わせながら、その発生源にあるだろう人間を思い描き、知らず感嘆していた。

 

「うぇぇぇぇ! うぇぇぇぇぇん!」

 

「あー、ごめんなぁ。びっくりしてもうたなぁ」

 

 しかし、すぐに背後の泣き声で我に帰った木乃香は、繋いでいた手を引き寄せて、まるで赤子の如く泣きじゃくる月詠を胸に抱きしめた。

 

「ふぇぇ! びぇぇぇぇ!」

 

「大丈夫やで。痛くない、痛くない」

 

 そう言いながら、木乃香は両手より滲ませた魔力を月詠の体へと浸透させる。それだけで、泣きじゃくっていた月詠は落ち着きを取り戻し、子が親に甘えるように安堵した様子で木乃香の胸に頬を擦りよせた。

 

「う、ぅ……おねーさま。」

 

「えぇんや。今のはちょっと怖かったもんなぁ」

 

「ど、何処にも、ひっぐ、行かないでくださいー」

 

「大丈夫、おねーちゃんは傍に居るから」

 

 穏やかに微笑む木乃香を見上げながら、月詠は木乃香の背中に回した『傷一つ無い両腕』にさらに力を込めた。

 

「おねーさま……ウチの大事な、おねーさま」

 

「ふふふ、甘えん坊やなぁ月詠さんは」

 

 少しばかり苦しいが、不器用な月詠の愛情表現を邪険にするほど木乃香は非道ではない。月詠が落ち着きを取り戻すまでの間、木乃香は優しくその頭を撫でるのだった。

 肉体だけではなく、精神にも負ったあらゆる傷を問答無用で癒された月詠。その末路がこれだった。

 人は傷つきながら成長していく。その過程で自己を得て、一角の人間として己を磨いていく。だがその磨き上げるという成長すらも、木乃香は全てまとめて傷として癒してしまった。

 その結果、あらゆるトラウマを含めて成長した月詠という自己は消滅し、跡形もなくなった更地の如き場所に、治癒を行った木乃香だけが残った。

 故の依存。いや、それは依存という言葉ですら足りない。

 さながら、全存在を木乃香に捧げた狂信者。

 治癒という狂気に染められた、自我を木乃香に置き換えた生ける骸。

 人としての尊厳を全て消されたのが、今の月詠であった。

 

「あら、これはまた面白いですなぁ」

 

 そんな二人を優しく包み込むような穏やかな声が、闇に染まった山中に響いた。

 

「ッ!? 誰ですか!?」

 

「おやおや、剣呑やな」

 

「あ、鶴子さん」

 

 先程までの弱弱しさから打って変わって、牙を剥き出しに振り返った月詠は、木乃香の親しみの込められた声を聞いて、滲ませた殺気を瞬時に引っ込めた。

 呼ばれたとおり、片腕を失いながらも、その美しさが欠けた様子の一切ない妙齢の女性。青山鶴子が二人の背後には立っていた。

 淑やかに笑いながら、手に持った提灯の明かりを頼りに木乃香たちのところへ歩みよる。後を付けてきたのは明白だが、そんなことは一切語らずに、鶴子は花咲くように笑う木乃香と、人形のように無表情で立つ月詠を交互に見比べて、それでも笑みを崩さなかった。

 

「迂闊、というよりも盲目、というべきやろなぁ。しかし、詠春の種からこないな逸材が……」

 

「鶴子さん?」

 

「ふふ、何でもないどすえ」

 

 笑みの裏側の思考を僅かに悟った木乃香が、それを暴こうと顔を寄せてくる。しかし鶴子はすぐに思考を閉ざして、木乃香の奈落から己の心を隠し通してみせた。

 これだ。

 木乃香も笑って相槌を打ちながら、鶴子の堅牢な心の傷を覗けないことに僅かな不満を募らせた。

 傷はある。だが、その傷の意を隠されては治そうにも治せない。そこらへん、問答無用そうな青山と違って未熟な部分なのだろうと木乃香は思うが、それもまた己の傷と判断してさっさと癒して忘れた。

 

「やっぱり、鶴子さんも青山さんの所へ?」

 

「そうですわ。何せあの二人はウチの最高傑作。素子はちょっとばかし温かな場所に居すぎたせいで遅れましたが……あの日、素子を青山はんの元に送ったのは正解やったわぁ」

 

 おかげで、青山に斬られた素子は、正道の果てに行き着いた。

 そして今、先程感じた気によって、素子に斬られた青山もまた元の様に行き着くだろう。

 

「つまり、鶴子さんは青山さんと、その、素子さん? を、あの、うーん……」

 

「修羅」

 

「そう、修羅にしたかったってことですか?」

 

 断片的ながらも青山を知り、鶴子の思いを知った木乃香の仮説。

 

「半分、正解や」

 

 それに鶴子はそれだけ言うと、二人が戦っている方角へと爛々と情欲に濡れた視線を送る。

 

「修羅にする言うのはあくまで結果論でしかない。ウチが見たかったのは、単純明快」

 

 別に、英雄でもよかった。

 別に、狂人でもよかった。

 見たかったのは、只一つ。

 

「青山や。あの日、響はんに斬られた時、ウチは青山という才能の果てを見たくなった」

 

 齢十を超えた程度で、歴代最強とも周囲から言われた自分を斬り捨てた響。そして、その結果として腕を斬られて血濡れの自分を連れて道場に戻った自分を見て、唯一、恐怖の中に納得を見せた素子。

 『あぁ、やっぱりな』とでも言いたげな素子は、姉として家族を見守ってきた自分以上に、青山響という存在を理解していたからこそ。

 この二人だと知ったのだ。

 名実ともに神鳴流最強の宗家として長年君臨し続けた青山という血肉を、二人ならば結実出来ると、鶴子は理屈ではなく魂で理解したのだ。

 

「そのためになんだってした。響はんには恐れ戦かれる青山として、素子はんには敬い尊ばれる青山として、悪と善。闇と光。外道と正道。等しく極みに至れる才覚を、真逆の道へと進ませた」

 

 木乃香は熱のこもった鶴子の弁から僅かに見えた隙を縫って、青山鶴子という女が心の内側に眠る化生を――。

 

「うっ……!?」

 

「おねーさま!?」

 

 身悶えするような嫌悪感。

 反射的に口を押えて一歩引いた木乃香を、スイッチが入ったように激情を露わにした月詠が死にそうな表情で支える。

 そして、憤怒の眼差しで鶴子を睨むが、まるで気にした素振りも見せずに鶴子は笑う。

 嗤うのだ。

 

「……怪物」

 

 木乃香が漏らした一言は、青山鶴子と言う存在を表すには充分だった。

 自分では届かない。自分でも理解出来ない。

 だが見たい。

 その才能が行き着く果て。狂気の終わりを是非とも覗きたい。

 例え、この身が滅茶苦茶に蹂躙され尽くし、ボロ雑巾以下の扱いを受けたとしても、見てみたい。

 それは青山や素子や木乃香とは違った別種の狂気だった。

 好奇心という混沌。

 身の破滅すら厭わず、周囲の瓦解を気にせず、世界が壊れる可能性すら考慮せず、見たいからという理由だけで、二人の修羅を作り上げたのだ。

 その在り方を怪物と言わずに何と言う。

 だが嫌悪感という傷はすぐに癒され、歪んでいた木乃香の表情は再度穏やかなものへと戻る。

 鶴子はそんな木乃香もまた面白いと、笑い続けるのだ。

 

「そして今、ウチが大切に育て上げた可愛い青山が最後の完成を迎えようとしております。あぁ、この時をどれほど待ち望んだか! やっと! やっとウチは『青山』の、人間の究極を知ることが出来る!」

 

「……それを――」

 

 一人、感極まっている鶴子に何かを告げようとして、木乃香は意味無いかと首を振った。

 己が斬られて死ぬことなど、鶴子は気にも留めていない。当然のように可能性の一つとして自分の死を考えながら、それに勝る好奇心が、一瞬だけでもその結末を見ればよいと思っているのだ。

 ならば、これ以上は無駄だろう。木乃香は初めてのデートを控えた乙女のようにウズウズと落着きなく先を行き始めた鶴子の後を追って、青山の元へと向かうことにする。

 夜は更けたばかりで、夏は近いというのに、周囲の空気は刺すように冷たい。

 それこそ今より向かう戦場から溢れる冷気。そして、今宵決着をする二人の青山が凌ぎを削る修羅場。

 立っているのは果たしてどちらであろうかと思い、木乃香は自嘲する。

 

「そんなん――」

 

 ――立っているのは、『青山』に違いない。

 

 

 

 

 

『私は、君を愛しているんだ』

 

 その言葉は呪いだった。

 青山響という、強さしか求めない男に向けられた好意の証。そしてそれは前世の知識に無い衝撃を響という個人に与えるには十分であり、反射的に拒絶の言葉を口にする程、その一言は強烈であった。

 つまりそれは、青山という存在になりかけの響を縛る魔法でもあり、邪険にあしらった今でさえ、青山響が消えないように体に突き立てる楔として、気付かぬ内に心に張り付いていた。

 それが根源。

 そして、その根源を、愛という奇跡を斬られた今、青山はしがらみをすべて捨てた修羅へと成り果てることになる。

 

「ひかげ……そう、ひかげだ」

 

 名前を語り合ったわけではない。

 だが今この瞬間、素子に己が根源を斬られた青山は、閃光のようによみがえった彼女の容姿とその名前を口にしていた。

 浦島ひかげ。

 酒呑童子をその身に宿し、青山響を破壊した女。

 そして、この瞬間までこの心に青山響を残し続けた女。

 

「でも、さよなら」

 

 肩から腹まで袈裟に伸びる傷口を軽くなでて、その傷口より滴り落ちる彼女と、そして彼女と共にこの身に在り続けた青山響に別れを告げる。

 流れきったのは果たして響だけではない。

 この身に絡みついていた、生きたいというくだらぬ雑念すらも今は無い。

 

「この様ですよ。素子姉さん」

 

 俺も。

 貴女も。

 等しくなんて様なのだ、と。

 怪我などあってないようなものだと、青山が平然と立ち上がる。全身を血に染めて、幽鬼のようなあり様で、だがしかしと、青山は黒色の眼に爛々とした光を飲むのだ。

 修羅外道、青山。

 己を斬られ、己を失うことで、体一つのみとなった故に至る極地に立ったそれこそ、時代が産んだ狂気の結晶。

 その手に握られた証も、刀身の表面が剥がれ落ちてくすんだ鉄の輝きを得る。フェイトという少年が築いた解答すらも、斬るという一点に貶めた青山は、さもそれが当然とばかりに証を一振りしてみせた。

 

 そして、鈴の音色が鳴り響く。

 

 命が別れ、命が響き、命が潰える終の歌声。

 その音を聞いた素子は、今まさにたった一つの修羅外道が目覚めたのだと理解した。

 

「青山」

 

「えぇ、お待たせしました姉さん」

 

「青山……!」

 

「そうです、姉さん」

 

「青山!」

 

「はい、俺です」

 

 斬られる前の無様など微塵も感じられぬ。

 斬るという一心を取り戻し、一身を鋼に注ぐ様こそ、素子が忌み嫌い、だが何よりも信頼していた修羅の姿。

 

「俺が、青山です」

 

 虚空に穿たれた穴の如く、虚しく響くその名乗りこそ、己を取り戻した何よりの証明。

 あぁ畜生。

 それでも、響をこの手で斬り捨て、あまつさえかつての姿を、否、鶴子という怪物が望んだ青山そのものを目覚めさせた憤りが、素子を苛む。

 そうだ。青山だ。

 誰もかれもが、雁首揃えて青山だからと。そう呼ぶからこそ、その通りに自分はなったのではないかと素子は今になって思うのだ。

 

「青山……。青山……! 青山! どいつもこいつも恐れ戦き畏怖と敬意と恐怖と羨望を孕ませてこの名を呼ぶ! そしてお前はそれを肯定した! 名を告げることなく、己がただの青山だと自らそう名乗った! あぁ、あぁ! そうさ、そうだとも! 私もやっと納得いったよ! お前が青山で、私も青山だ! 結局、俗物共は無意識に、お前だけでなく宗家全てを、否、青山という血そのものに、狂気を見ていたわけだな!」

 

 宗家、青山。

 外道、青山。

 結局、勘違いはそこであり、誰よりもその真実に気付いていたのが、他ならぬ青山響――青山、彼一人だけだった。

 だからこそ、血を吐くような素子の問いに、青山はようやく理解者を得られたと安堵するのだ。

 

「そうです姉さん。俺は、どうしようもないくらいこの肉に溢れる才気に染まりました」

 

 この体が青山だと、青山は常に言っていた。

 それが理解出来ぬ名乗りの真実。

 俺です。そう告げる青山が心に眠っていた解答。

 

「だから俺は青山なのです。俺ではなく、この体こそ誇れるもの故、これが青山なのだと、俺は俺自身を呼ぶのです」

 

「そして私も青山で……私はこれに成り果てたのだろうよ」

 

 唾棄しながら、しかしそれが真実であるから認めなければならない。

 ならばもう迷いなく、己は青山を名乗るのだろう。

 いや、迷いなど最初からない。

 苦渋を吐き、苦悩しているつもりになっているだけであり、素子はもう自分がどうしようもなく、どうしようもないのだと分かっていた。

 

「だが、いいんだ」

 

 だって、あらゆる喜怒哀楽も。

 

「どうせ、斬る」

 

「ありがとう姉さん。分かってくれて、ありがとう」

 

 共感を得られた。そのことに青山が喜びを見せる。

 あぁ、やっと分かってもらえたのだ。

 姉さん。

 素子姉さん。

 この身が青山でしかないという真実に、ようやく気付いてくれた。

 いつの間にか夕焼けは過ぎ去り、闇夜が世界を覆い隠していた。空に浮かぶのは無数の星々と、刃の如き美しき三日月。

 その月光に刃を濡らしながら、二人の青山はお互いの奈落を交差させる。

 素子の眼はこの闇よりも尚暗い暗黒だった。

 同じだ。

 自分と同じ存在にようやく出会えた奇跡に、青山はここに居ない、別種の解に至るも、同胞とは呼べぬ怪物へと思いを飛ばす。

 

「エヴァンジェリン。君に紹介したい人が居るよ」

 

 ここには居ないもう一人の好敵手にして、ある意味での理解者。

 そしてもしかしたら京都以降、失望させてしまっていたかもしれない愛しい少女に、彼女を誇る。

 

「……ネギ君。君に示したい人が居るんだ」

 

 あと一人。正道を越え、外道を否定した果ての修羅ではなく、築き上げる何かによって至れる英雄へと成り始めた少年へ。

 君が築き上げる栄光が迂闊にも失敗した時、その先に待つ人がここに居ると伝えたい。

 

「いいですよね、『青山』」

 

 青山が、素子を指して告げる青山という名。

 それこそ、青山が終わりに至った証であり、同時に素子も同じ場所へと至った証。

 魂など要らぬ。

 血と肉が生み出した狂気の集大成。

 これぞ色濃くし続けた血脈の名。

 術と符をもって行われた退魔を、魔と同じ純粋なる能力のみで行い始めた神鳴流。その歪さが末路に待つものこそ、魔すら退ける人の業ならば。

 

「どうでもいいさ、『青山』」

 

 素子は、言葉とは裏腹に怖気の走る微笑を浮かべる。

 今ここに、二人の青山は完成した。

 全ては青山鶴子が望んだとおりに。闇と光、別々の道を辿った青山が、等しく同じ場所に完結したという事実。

 正邪という理を踏破した先に、人間という修羅が居るという絶望を示してしまった。

 あらゆる思考の根源に『斬る』という一点が根付いた一つの結末。

 だが、その名を名乗れる修羅は一人。

 

 同じであるからこそ、互いが在るからこそ。

 

「故に」

 

「斬る」

 

 つまり、斬るのだ。

 両者共に奈落と沈んだ眼が揺れる。共に掲げる青山を賭して、等しく同じ存在故に、響と素子という名に戻った修羅は駆ける。

 そう、善悪を超越し、生死すらも凌駕した欲求の狂気こそ、人間という業の極めし真実の姿の一つならば。

 

 この修羅場を経て、完結した二人の青山が、完了し、完成するのだ。

 




次回、完成。





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第四話【我が斬撃は無感を超える(上)】

 消えるのだ。

 砥ぐように、己は消えていく。

 我は無く、無に在り、しかして求む、斬撃よ。

 残響に耳を澄まし、鋼の残滓に目を濡らし、踊る体は血潮で回る。

 互いに一歩も引かぬまま、響と素子は剣戟を交わす。ぶつけ合うのは意志であり、伝播する心の波紋は、一閃ごとに両者の肉を存分に震わせた。

 

「青山ッ!」

 

 素子は純化する意と裏腹に、肉から溢れる熱気を吐き出すように吼えた。叫びが響に届くまでに、虚空に十を超える火花が咲き、鈴の音が鳴る。

 それは人類の限界。天才と天才が同じく可能性を突き詰めた果ての剣舞。繰り返すことに三千億。無限と等しき刃の喝采が、両者の周囲で光を放ち、熱のこもった互いの得物が赤熱化を始めている程。

 共に眼前の斬撃を斬撃すべく、無限と放つ刃の全てに、ありったけの意と威を乗せていた。斬るという意志は斬るという反存在に斬られ、同時に相手の斬るという願いを斬る。

 今、二人の間で行われている死闘はそういった類のものだ。

 攻防という概念は意味をなさない。

 否、必要すらない。

 

「ひひっ! 楽しいです! 楽しいです青山!」

 

 響もまた、意味無しと知りながらも、内側から溢れる欲求を口にしてみせた。

 斬るのだ。

 そして斬られるのだ。

 斬って斬られる。

 不変の真理を互いの胸に懐かせながら、その常識すら凌駕して、共に思うことは一つ。

 

「貴女を斬りたい! 斬りたいんだぁぁぁぁ!」

 

 斬るという当たり前に欲情する。

 常識に歓喜出来る奇跡は、響と素子、この世界に二人しか理解できる者はいないだろう。

 

「ははは! 私もだ! 私も斬りたいんだよぉ! お前を!」

 

 同時、懐いた狂気が二人の間で一際巨大な火花を放ち、堪え切れずに両者の体が空を舞った。

 しかし、まるで鏡合わせのように同じタイミングで虚空を蹴り飛ばした響と素子の影が夜空で交差する。

 練り上げた気が夜に尾を引くテールランプとなる。その閃光が淡く散るよりも早く、虚空で鍔迫り合い、絡み合うように地上へ落ちていく最中、響が肉体の限界を無視した気を放出して、競り合いを制して素子を吹き飛ばした。

 

「ぐ!?」

 

 力任せに薙ぎ払われた素子の体が、空気の壁を一瞬で破砕して木々を吹き飛ばしながら山中へと消えて行く。だが夜闇で見えぬはずの姿を、青山の奈落は容易に視認し、吹き飛ばされる素子へ、虚空瞬動一歩のみでその背後へと回り込んだ。

 

「ひぁ!」

 

 悲鳴のような気迫を込めて、その首を背後から狙う。消えた切っ先。死角からの必殺。達人どころか、仮に相手がエヴァンジェリンであっても反応すら出来ぬ一閃。

 しかし素子は感覚を超えた超反応にて、首筋に触れる直前でひなの刀身を合わせることに成功する。だがそれも殆ど偶然。もう一度やれと言われれば出来ぬ絶技で窮地を凌いだ素子だが、安息する暇など何処にもない。

 

「ひひゃ!」

 

 態勢の有利を存分に生かした響が、ひなもろとも素子の体を地面へと叩きつけた。吹き飛ばすだけで大気の壁を砕く膂力にて大地を舐めさせられた素子を中心に、爆心地の如きクレーターが生まれ、周囲の景観が一瞬で戦場跡へと様変わりした。

 

「ご……ふ」

 

 流石に全ての衝撃を吸収することは出来なかったか。全身を走る衝撃によって内臓を痛めた素子が苦悶と共に血反吐を撒き散らした。

 油断。というよりも、響らしからぬ奇襲にまんまと嵌められたとみるべきだろう。致命的ではないが、それなりの負傷を受けたはずなのに、冷静に素子はそう考えて、そして頬に己のとは違う熱血がかかるのを感じた。

 

「ひ、ひ」

 

 こちらを見下ろす響は、笑いながら多量の血を口から滴らせていた。

 響を再度青山へと終わらせた素子の一撃の影響は甚大だ。肩から腹まで袈裟に斬られた負傷の深さは動くことすら本来至難なはず。

 それゆえの強引な戦法。

 斬りたいからこそ、斬るという在り方を捻じ曲げてさえ、斬らんと欲する。響はただそれだけのために、短期決戦を狙って限界を超えた気の発露を行っているのだ。

 

「そう、か」

 

 斬ることの当り前故に、負傷の深度などすっかり頭から抜けていた素子の失態である。そして、代償はそれなりのダメージと、今尚続く不利な現状。

 這いつくばる素子を押し込む証を引いた響きが、断頭台のように証を振り上げた。脳を揺らされて朦朧とした意識で、響の斬るという意志を察した素子。

 だが遅い。

 立ち上がらせる暇すら与えず、気の発露と力む筋肉の収縮によって傷口よりの流血を加速させながら、響は再度、首を狙って証を振り下ろす。

 迫りくる斬撃。

 それのみの純粋なる意志。

 これも悪くないと思いながらも、しかし素子もまた響を欲するが故、ただで斬られるつもりはなかった。

 凛と鳴る、命の戦慄。

 滂沱と散る血と土の塊、そして夜に飛ぶ肉と土の複合物。

 斬った。

 悟った刹那、笑う素子の顔が眼下にある事実を響は知る。

 

「ッ!?」

 

 間一髪間に合ったひなの刀身が証を受け止めている。だがしかしどう考えても間に合うタイミングではなかったのに何故間に合ったのか。

 理由は、今も空に舞っている血を撒き散らす肉の塊。

 素子の左腕だけが飛んでいる。

 

「おぉ!」

 

 完璧なタイミングを逸して動揺を僅かに滲ませる響の腹へと、素子の蹴り足が襲った。全力を賭した一撃と動揺、そこに生じた隙を完全に取られた響は、成す術なく熾烈な一撃を甘んじて受ける形になる。

 

「ぐ、げ……!」

 

 反吐を散らしながら、今度は響が山中の木々を道連れに吹き飛ぶことになった。弾丸となった響を飛ばす火薬となった素子の足は、蹴った反動を生かしてそのまま体を起き上がらせる。

 だが追撃は出来なかった。斬られた左腕を止血せねば、数秒も動ける自信がなかったからである。

 

「楽しいなぁ青山」

 

 斬られる瞬間、なけなしの気を全て左腕に集中させて、一瞬でも刃を留める盾としたことによる先の攻防。同じく斬撃に完結した体だからこそ、響の刃にすら一瞬とはいえ耐えられる盾となったのだ。

 だが代償として、こうしている今も着ている装飾の袖口が白から赤に染まり、吸収しきれなかった熱血がポタポタと地面に点を作っていた。

 それでも素子は笑うのだ。着物ごと傷口をひなで斬って止血しながら、青ざめた顔で壮絶な狂気を歓喜と渦巻かせ、爛々と沈んだ眼で、一直線に抉られた木々の闇を見る。

 

「……えぇ、とても、とても、楽しいです」

 

 闇の向こうから、響が闇を斬り裂くように現れた。最早、腹の出血は素子の一撃で完全に止めることが不可能となったのだろう。内蔵こそはみ出ていないものの、流れる血潮に全身を染めて、青山もまた素子と同種の漆黒で心を満たしていた。

 考えることは同じだ。

 斬りたい。

 斬りたくて斬りたくて。

 愛しくて狂おしいくらいに斬りたいのだ。

 

「でも、斬る」

 

 告げたのはどちらか。

 あるいはどちらもか。

 追い求めた刀の極みを惜しみなく出し尽くせる時を噛みしめて、剣客としての天国を舐めつくしながら、それ以上の欲求が二人の青山の死に体を走らせる。

 流血で道を描きながら駆けた響が、迎え撃つ形の素子の頭上へと飛び、虚空を蹴って彗星のように突撃した。

 体一つを丸ごと刀へと変えた響の渾身を受けるには、片手の素子には分が悪い。咄嗟に一歩引いたのに遅れること零秒、地面に突き立った響の刃が、今宵最大級の刃鳴りを世界中に響かせた。

 凛と揺らぐ波紋に合わせるように、斬り裂かれた大地が大きく揺らぎ、次の瞬間、鈴の音の波に揺れるようにして山が丸ごと震えた。

 

 結果、山が斬り捨てられる。

 

 響を中心に波打った山が、その命を丸ごと斬られて吹き飛ぶ。それは遠目から見れば、山が丸ごと手りゅう弾のようになったかのような光景だった。

 轟音すらも鈴の音に斬られ、その光景とは裏腹に、波紋の音色以外全くの無音のまま、神鳴流秘奥の修行場もろとも山一つが吹き飛び、周囲の山々へとその残骸を散らす。

 だがそれだけでは終わらない。

 砕けた残骸が別の山に触れると同時、その残骸に残留した波紋が伝播して、残骸が落ちた大地の周囲の木々が美しい鈴の旋律を奏でながら粉々に斬られて散った。

 最早それは、斬撃という名の広域殲滅。山一つの質量弾はさらにその余波だけで数秒もせずに周囲の山々を斬り捨てて、ようやく狂気の伝播は停止した。

 しかしその程度のこと、剣戟を合わせる青山共には視界にすら入っていない。

 

「おぉ!」

 

「はぁ!」

 

 再度、空中を舞台に残骸を足場としながら二人が躍る。響の放つ刃の残滓など問題ないのか。触れれば斬られるという恐るべき山の残骸を足蹴にする素子が斬られる様子はない。それどころか、素子の乗った残骸が、蹴りぬかれた瞬間散ってしまう程。

 共に、斬撃を終わりと見定めた両者を斬るに値するのは、その手に持つ鋼の冷気のみ。

 冷たさとは裏腹に炎の如く二人は夜空の星々に負けぬ煌めきを無限と生んだ。

 互角。

 だが時間の不利は確実に響を追い詰めている。素子も腕を失う重傷ながら止血は上手くいった。しかし響は血を流しすぎた。

 もって後、一分? 十秒? それとも――。

 

「斬る」

 

 思考は即座に斬り捨てて、己のことよりもどうやって素子を斬るかのみに心は砥がれる。

 そうだ。これ以上は無い。

 ここが修羅場なら。

 俺はここで、修羅を成す。

 

「斬るんだ!」

 

 自分に言い聞かせるように叫びながら、これで三度目となる限界を超えた気が響の全身から破裂した。そして月下に舞う。目を焦がす素子の頭上から今一度突貫し、突き出した切っ先はひなの迎撃を抜けて素子の頬を深々と斬った。

 もつれ合う二人の体は、回転しながら地面へと落ちる。山の跡地より流れた川の水で出来た即席の湖へと沈んだ二人は、巨大な水柱をあげて周囲の水を弾いて地面に降り立った。

 

「是非も無し!」

 

 素子も覚悟を決めて、響と同じく限界を超えて気を放出し、弾かれた水が怒涛と迫るのすら気にも留めず、正眼に証を構え直した響へと駆けた。

 ひなの刀身もまた限界が近い。曲りなりにも京都を震撼させた妖刀すら、人間を極めた青山という修羅の戦いには追いすがるのがやっとだったのだろう。もうじき素子の意志と響の意志に斬られるのを分かっているから、素子もまた覚悟を決めて短期決戦に応じた。

 素子が刃の圏内に響を入れる。それは素子もまた響の圏内に突入したということ。

 死よりも先に斬られるという予感。

 殺すよりも先に斬ったという確信。

 踏み込みの勢いをそのままに、大上段からの袈裟斬りと清涼な構えよりの振り下ろしは、双方悟った通り、その線上で交差して刃鳴らす。

 音の壁は斬られ、空気を斬りながら響き渡る意志が、押し寄せる濁流すらも悉く斬り捨て、即席の湖の水は全て両者の意に斬られて水蒸気となり空へと帰っていった。

 周囲一キロ以上に及ぶ巨大クレーターの中心。

 世界を斬っても止まらぬ想い。

 放つのは我。

 斬る様を。

 

「かぁ!」

 

 鍔迫り合いから、証を己の右側へと逸らした素子は、肌が触れ合う程まで間合いを詰めると、青山の足元へと伸ばしたひなを斜めに振り上げた。

 当然と見えぬ軌跡を予感して、大地を蹴って真上に飛んで空を飛ぶ刀身を響は逃れながら、飛んだ勢いで素子の顔面へと膝蹴りを放つ。気で強化された膝は鼻骨を粉砕し、眼底を砕いて両目を押し出すのは確実。だが鼻先まで触れた膝から視線をそらさずに、素子は事前に前へと踏み出した足に重心を移すように体躯を揺らして膝蹴りを最小限の動きで回避する。

 虚空へ飛んだ響の背後を得た。絶対的な位置の有利。これに、伸び切ったひなを基点に回転することで、刃を今一度振り上げるロスをなくして、軸足を支点にくるりと半回転しながら響の背中へとひなを振るう。

 対して響もまた、放った膝蹴りの勢いを殺さずに縦に回転しながら刃を合わせた。

 態勢的に振るうことは叶わず、ひなを受けたと同時に吹き飛ぶ。両者の威力に対して、肉体の軽さは木端よりも頼りない。叫ぶ一瞬で天然闘技場の端へと飛ぶ速度で弾かれながら、響は虚空で態勢を立て直す。

 その時には既に素子は飛ばされた響に追いすがってひなを縦に振るう態勢に入っていた。

 このままでは嵐に飲まれた草木の如く踊らされるのは明白。それを嫌った青山は虚空瞬動で素子の斬撃を逃れる。

 躱された斬撃は真一文字に放たれ、駆け抜ける斬気が地面を斬る。

 幾重にも今宵奏でられた音色が、素子の欲望を表すように歌われた。

 朗々と染み渡る波紋は、突き立った地面より先に染みて、斬り殺された山の命のさらに奥。根源的な命の在り方の一部すら斬り裂く。

 おぉ、その何たる無垢なる惨劇か。

 地面はさらに割れ、波及する斬撃は生き残った周囲の全てを一切合切容赦も区別もなく斬っていく。

 草木は輪切りに斬られた。

 土は斬られ、眠っていた虫達は斬られた。

 ただ大地を闊歩していた動物達も斬られ、それはつまり素子の一閃によって無機も有機も、命の有る無しも関係なく斬られていくということ。

 響があくまで素子を捉えられず、『仕方なく』山を斬ったのとは違う。

 斬るべき相手を捉えられなかった無念を、八つ当たりと星そのものへと放つ狂気。それは魔法という非科学すら常識に貶める暴挙だった。

 響と素子。二人によって一方的に斬られた山の跡地は、見渡す限り斬り捨てられた物しか存在しない。

 だがどうでもいい。

 素子は振り返って響を見た。

 響は着地して素子を見た。

 

「はは」

 

「くひ」

 

 斬りたいのだ、目の前の修羅を。

 そこには互いしか存在しない。そして何者の介入も許されない神聖なる世界。

 修羅場と名付けた、この素晴らしき斬撃空間よ。

 お前か。

 貴女か。

 斬って斬られて。

 斬り斬り斬って、斬り続け。

 散り捨てられてく、その様よ。

 

 しゅらばらばらばら。

 

 その末路にて、終わりの先を青山(俺・私)に示せ。

 

 叫び散らす両者の哄笑は、共に奏でる音色に乗せた歌声のようにすら聞こえた。

 

 

 

 



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第四話【我が斬撃は無感を超える(完)】

 凛と鳴る残響は終わらない。それこそ世界に唯一残された音色だと、途切れることなく続く鈴の音を奏でながら、響と素子は重ねる刀の数だけ、互いが別個の存在であると言うことを認めざるをえなかった。

 

「共に、修羅となった」

 

 素子は響を同じ者として認めているというのに、その表情は嫌悪感で歪んでいる。

 

「だからとて、お前を許容できる程、私の器は広くない!」

 

 薙ぎ払われた刃の軌跡に沿って斬り殺されていく命の花弁を纏いながら、素子は空を舞う響へと叫んでいた。

 そしてその叫びに、響もまた素子と同じ表情を浮かべながら応と答えるのだ。

 

「そうでしょう。そして俺も、今やっと貴女と同じになれたからこそ分かります」

 

 中空で回転しながら素子へと斬りかかる。人間大の嵐となった響の刃をひなで受けるが、怒涛とその場で回転しながら斬り続ける響の刀によって、ひなの刀身が悲鳴をあげるようにたわんだ。

 

「俺も! 貴女を許容できない!」

 

 一転、感情をむき出しにした響の斬撃は、一際重く素子を圧する。それを内側の激情とは違い、清流の如く優しく受け流しつつ、素子は嫌悪と好機と共感と軽蔑が複雑に入り混じった内心を吐露した。

 

「だろうよ! 今や同じ解答に至りながら! 私とお前は歩んできた道があまりにも違いすぎたからなぁ!」

 

「そうです……いや、そうだ! 俺は、正道などという馬鹿げた生き方を貫いた貴女が憎くて堪らないんだよ! 許容できるか! 許容してたまるか! 貴女を受け止めるってのは、俺は俺の外道を否定することになる!」

 

「あぁ! そしてそれは私にも言えることだ青山! 外道に落ちぶれたお前を認められるか! 認めてたまるものか! 私は友に支えられ、友と共に歩み、そして友を振り払い至ったこの正道を否定せん!」

 

 繰り返す剣戟の激突に応じて、交わさずとも分かるはずの感情を言葉として発するのは人としてそうあるべきだと知っているからか。

 違う。

 そうではないのだ。

 永遠と奏でる鋼の軋みに混じって綴られる言葉の数々は、斬り合いの最中、徐々に変貌しつつある両者が、刀だけでは語り合えぬがゆえに放たれている。

 正道と外道を踏破し、共に同じく至ったたった一つの解答。

 そこからさらに先へ、人の限界を超えた真の修羅へと進み始めたからこそ、在り方を変えていく二人は刀だけでは通じ合えない。

 

「ならば何故、友と共に居なかった!? 貴女ならこんな場所まで来なくても、他の者と同じ、歩くような速さで進めばよかった! 一閃ごとに感じるんだよ。貴女がこれまで触れ合った人達の優しさが、温もりが! 俺にはそれがどれだけ素晴らしいのか理解出来ないけど、でもそんな俺だから言える! その幸せを振り払ってここに来た時点で、貴方は外道を是としたと同じじゃないか!?」

 

「知れたこと! 分からぬか? お前はここまで語ってまだ分からないのか!?」

 

「あぁ分からない。分からないよ! 斬りたくて、斬りたいのに! 俺は貴女のことなんてこれっぽっちも分かっていない! 刀だけでは届かないんだ! だったら、言葉で斬るしかないじゃないか!?」

 

 悲痛な声は証の刃に乗せて、素子の体にひなを通して響き渡る。その波紋に込められた意志。

 斬るに等しきは愛。

 理解出来ぬと涙するのは、理解したいからこその激情だ。

 ひなでは受け止めきれぬ衝撃が、踏ん張る足下より地面へ伝わり、斬るように地面へ沈んだ両足の周囲が一気に弾け散った。

 

「思いの丈、信念の刃か。だが……これほどの愛がありながら、お前こそどうして外道などという在り方に腐心したんだ!? 他者へ望み、分かってもらおうと努力し、それはお前が人間っていうのを好きだという証だろう!?」

 

 片腕だというのに、両腕で斬りかかった響の証をその体ごと払う。轟と唸る剣風が響を絡め取る。

 尚、衰えぬ剣戟。いや、衰えたのは血を失いすぎた響のほうか。肩で息をしながら、それでも瞳には失墜した暗黒を健在させて、意を乗せる証に込めた力は衰えぬ。

 そこまでの気迫。

 それは素子に対する惜しみない愛情であり、何もかも理解出来なくなりながら、その深さだけは分かる素子は悲哀に顔を歪めた。

 

「その優しさをどうして正しく導けなかった! お前なら斬り開けたはずだ! 私が友を捨ててまで得たこの道を、友を捨てることなく歩めたはずなのに!」

 

「違う! 俺は友を捨ててなどいない! 友を斬り捨てられたからこそ得た外道だ! きっと理解されないからと、振り払い、後ろに置いていく貴女の正しさとは違う! 俺はいつだって理解されたかった!」

 

「だから斬ったのか!? 斬る以外なかったのか!?」

 

「そうさ! 俺は斬れたんだよ! この様だから、斬ったんだぁぁぁ!」

 

 唯一無二の友にして、好意を伝えてくれた友を斬って得た境地。鈍感だったからか、好意には今まで気付けなかったけれど、でも、それでも響は友、浦島ひかげを斬って得た今が、正道故に捨てざるを得なかった素子に劣るとは思えなかった。

 どちらも同じだ。それは認めよう。そして同じだからこそ共感し、理解し合い、否定するのだ。

 導かれる結果が同じであっても、過程が両極だから否定するしかない。これが少しでも重なる道があれば、もしかしたら言葉で斬り合わなくとも、刀だけで分かり合えたかもしれない。

 だが二人は知らない。青山鶴子という怪物の手によって踊らされたことで、素子と響はここに到達し、斬り結ぶことで初めて互いが同種の斬撃でありながら、別種の修羅であると知ったのだということを。

 斬り合う言葉以上に、その間にも重なる剣戟は互いの限界を超えてさらに加速していく。

 そこは既に人の域を越えつつあった。

 だが人外というにはあまりにも人間的すぎた。

 それはきっと、美しい姉弟愛の形なのだ。

 

「はぁぁ!」

 

 咆哮に先んじた素子の一閃が、斬りたいと叫ぶ響の体を震わせる。幾度となったか分からない鍔迫り合いの形。震える両足は血が足りぬせいか。

 

「青山ぁぁぁぁ!」

 

 響は足りぬ血潮に気を注いで強引に覚醒させると、素子の名を、血を吐きながら叫んだ。

 賭すべきは今。

 繰り返した残響に見出した素子の隙。腕を奪われた故に、完璧だった剣舞が綻んだその懐へ、激情を気へと変えた響が、これまでで最速の踏み込みを果たす。

 積み重ねられた疲労と、怪我による消耗。合わさった負の連鎖によって衰えた素子の超反応はついに超えられ、遅れた迎撃は決定打を呼ぶことになる。

 乾坤一擲。届くとか受けられるとか、そういった諸々の余分を捨てて、斬らんと欲する願いは遂に、触れ合わせたひなの刃を弾く。

 そして、防御を無視した無謀な突撃は、ついに素子の腹へと証を突き刺すに足る。

 凛と伸びていく命。

 肉の手ごたえは、響に斬ったという確信を与える。

 

「ぐ、おぉぁ!?」

 

 だが素子は悶絶しながらも返しの刃で響の顔面を斬ると共に、さらに奥へと刺さろうとした証の刀身を上から叩き落した。

 当然、刺さっていた刃を払ったために、腰の横を抜けた刃は脇腹を深く裂いた。しかし、呼吸を奇妙な形に変えたことによって、内臓を操り溢れるのを素子は阻止する。

 それでも流れ出る血潮だけは止められない。よろける肉体。しかし、追撃は無い。

 

「づぃ……!?」

 

 響は額から左目を抜けて頬まで抜けた刀傷を抑えながら唸っていた。

 腹を裂いた代償に遠近感を奪われた。奈落と沈んでいた眼は、ひなによって裂かれ、傷より零れた血によって飲まれている。何ものにも染まらぬと思っていた眼も、この始末。

 だが良い。

 響、素子は互いに受けた傷で攻撃も防御も出来ず一歩ずつふらつくように後退しながら感謝すらしていた。

 斬るという意を相手の斬るという意に斬られ、そして斬っていくことで、相殺された斬撃という形は飽和し、二人は只の人間らしい感情のみで戦えていた。

 斬りたいという欲望をそのまま。喜怒哀楽の全てを意味無しとではなく、己の血肉と出来ることが嬉しかった。

 気付けば蒸発した水が空で雲となり、覆われた月夜より局所的な雨が降り始めた。

 時雨。

 さらさらと落ちる雨に濡れて、互いに受けた傷によって限界を迎えた二人の修羅は、立つことすら不安定になりながらも、戦意だけは失ってはいない。

 虚無にある斬撃を重ねることで内側より溢れだした激情が、再度の発露で全て失われ、たった一つの斬撃に戻る。

 無感に至り、無感を超える。

 その果てには、また鋼だけが残っている。

 

 ――ありがとう。

 

 感謝ばかりが、響の胸にこみ上げた。

 

「あぁ、この感情……生きているってやっと分かる。分かるんだ」

 

 響の言葉は、素子に斬られる前と同じだが、しかしそれは決して歪なものではなかった。

 生きることは斬ることだなどと言う奇怪なものではなく、この刹那、斬りたいと思える相手と斬り結べ、分かり合いたいから言葉を交わせる。

 ありふれた感情は、しかし前世の知識故に感じられなかったものだというのに、無感を超えた今だから、新鮮さを感じられた。

 斬るという未知を得たことで、既存の知識の全ても刷新され、全てが未知へと変わっている。

 全ては素子というもう一人の青山が居たから。それによって響は青山となり、そして修羅へと再誕したのだ。

 

「生きてるな。あぁ、私達は、やっと呼吸出来た。全部、お前のおかげだよ、青山」

 

「それはこっちも同じさ、青山」

 

「ふふ、そうだ……そうだよなぁ」

 

 響の歓喜を、素子もまた同じく味わっている。

 生まれて初めての呼吸。

 跳ねる心臓、巡る血潮。

 敵手を思い無数と張り巡らされる思考。

 そして、斬撃。

 斬るという不変を、斬れるという喜びに昇華させた二人は、終わりを超えて再びの原初。

 修羅を成す。

 終わりに至ったからこその修羅ではなく、人として終わらせた答えを懐かせた修羅として輪廻したかのよう。

 

「こんなにも世界は美しかったから。……あぁ、色々言ったけどさ。許せぬ貴女すらも、この憎しみも纏めて愛していると言えるんだ」

 

「何を今更……全て分かり合える愛等ないだろ? ……懐いた共感も、張り付いた不快感も、全てまとめて、愛なのさ」

 

 理解出来ずとも、全てを理解しなくても愛せるならば。

 刀で紡ぎ、言葉で斬り合い、再び元の鞘へ。

 終わりが近いことに意味は無かった。いずれも青山で、青山として走るから。

 

「行くぞ……!」

 

 飛び出した響の動きは、まるで別人のように遅くなっていた。無理もない。先の攻防で既に気は底を尽きたのだ。後に在るのはこの身と刀だけ。ありのままの自分で、伽藍となったから得られた真の無垢で、刃をかざす。

 素子もまた、その身からは気の発露は停止していた。彼女にも残されたのは己と刀。

 あぁ、あと一つ。

 視線を交差した二人は、互いに互いが在るという事実に嗤った。

 

「かぁ!」

 

 腰構えより斜めに振り上げられた証は、失われた素子の左腕側から伸びていく。隙を突くことの背徳はない。斬りたい故に、土を舐めることすら躊躇しない覚悟があった。これまでの何よりも劣る動きだが、込められた意志だけは強靭。

 気迫とは裏腹に稚拙な斬撃だが、素子もまたそれを必死にならねば掻い潜れぬ程疲弊していた。

 躱しきれずに、肩が浅く斬られる。

 構わず、素子は意趣返しと響と同じ太刀筋を描いた。

 これもまた肉を斬る。

 痛みに苛み、苦渋する。しかし、歪な笑みは悶えながらも消えはしない。響は胸から流れる血を雨で流しながら、濡れ滴る地面を蹴って素子の首へ証を薙いだ。

 重ねられるひな。だが鍔迫り合いは両者叶わず、刀がぶつかった衝撃で一歩、二歩、三歩と腰砕けになりながら下がり、辛うじて堪える。

 

「笑っているね」

 

「お前もな」

 

 言いながら、足を引きずりつつ互いに距離を詰めて、同時に掲げられて落ちた刃は虚空でぶつかり、やはり弾かれ合う。

 それでも響と素子は刀を振るうために足を動かした。

 既に立っていることすら困難だ。

 気を出し尽くし。

 血潮を流しつくし。

 骨は軋み、肉は腐ったように指先の感覚すら頼りない。

 なのに、刀は握っていた。

 握っているから、刃を引きずって二人は歩く。

 お互いに求め合いながら、触れ合おうとすれば弾かれ合う。

 壊れた人形のように同じ動きを繰り返すだけ。

 見るのすら痛々しい。修羅だなんだと言われるような存在になったのに、今の二人は赤子に劣る程弱弱しくあった。

 なのに、誰であろうと介入できない美しさが感じられた。

 響が体を引きずり、持ち上げるのに数秒を費やしながら証を振るう姿。

 素子が体を引きずり、振るうのに数秒を費やしながらひなを振るう様。

 そんな姿が、美しくあった。

 誰であろうと汚すことは出来ない。

 今、二人はようやく修羅場に辿り着いた。

 

「こ……ひゅ……」

 

「あ……ぁ……」

 

 何度、その光景は繰り返されただろう。

 呼吸すらもうままならない。互いに認識出来ているかも定かではない。

 だが、斬る。

 斬ることだけは、残っている。

 

「あ……」

 

 そしてついに終わりは訪れた。

 響が証を掲げようと腕を持ち上げた瞬間、足が言うことを聞かずにつんのめり、刀を振るえず前のめりに倒れる。

 斬れる。

 素子は腕に引っ張られて半回転しながらこちらに倒れてくる響を見て、確信する。

 体捌きすらままならない。目も当てられぬ体たらく。

 素子は背中を向けた響へとひなを振りかぶり、だがしかし、彼女もまた己の体に裏切られ、振りかぶった勢いで体が後ろに引っ張られてしまった。

 だがその隙を突こうにも響も態勢を崩しており、前のめりに崩れた体は後ろに倒れる素子の体にぶつかってそのまま倒れた。

 その衝撃で、絶対に離さないと思っていた互いの刀が手から離れて、二人を挟むように少し離れた地面に突き立った。

 既に、斬ることすらままならない。

 そこまで出し尽くした。

 もう、何もかも吐き出してしまった。

 

 ――動け。

 

 ――早く、立ち上がらなければ。

 

 素子が刃を離すところを見ていない響は、すぐに立たねば斬られると思い、体を起こそうとして。

 

 不意に、その背中に素子の掌を感じた。

 

「……ぁ」

 

 響は、己が抱き締められているということを知り、小さく声を漏らす。

 頬に感じる女性の柔らかさ、そしてその奥よりトクトクと感じる命の音。

 鈴の音とは違う、命の旋律。

 

「もうすぐだ」

 

 素子は、母親が子にするように響を抱きながら、別れの言葉を語った。

 

「私か、お前か……いずれにせよ、次で終わる。これまで歩んだ全てが斬られて終わる。……なぁ、青山。お前、私がどうして友を捨ててまでお前の至った場所まで来たのかわからないと言ったな」

 

「……はい」

 

 素子は響の頭を右手で胸元に強く押し付けて、顔を見られぬように空を仰いだ。

 こんな顔、恥ずかしくて見せられない。何せ、色々と見苦しいところを見せたけれど、自分は――。

 

「お姉ちゃん、だからなぁ……」

 

「あ……」

 

「お前を一人ぼっちには、させないさ」

 

 姉であるから。

 家族であるから。

 例え誰もが指を指して蔑むような外道であっても、それでも素子は響の姉で、代わりのきかない家族なのだ。

 

「だから私は、友だって置いていけたんだ。たった一人の弟を、見捨てたりするものか」

 

 そして素子は響と並び、至った。

 それはもう、響が一人ぼっちではないということ。斬るという在り方を共有して、価値観が合わないから言い争ったけれど、人間なら誰もが行う当たり前を許された唯一の存在に、素子はなれたのだ。

 そんな当たり前すら出来なくなっていた響に、させてあげることが出来たのだ。

 響は、素子が自分のところに来た理由を知り、雨水とは違う清らかな雫で頬を濡らした。

 

「姉さん……俺、俺、さ……。姉さんが姉さんで、良かった」

 

「私も、お前が弟で……ふふ、ちょっとだけ面倒だったが、でもこうして家族になれたんだ。それでいい」

 

「うん」

 

「そうさ。私達は家族だ」

 

 青山として産まれ、その果てに誰も理解出来ない修羅になった。忌み嫌い続けた青山の血肉だが、それでも青山だから、響と素子は家族になれたのだ。

 

「だから、斬るのさ」

 

 故に、斬り合うのだ。

 

「う……ぐ……ぅ」

 

 素子の真摯な思いを受けて、響は童のように肩を震わせて嗚咽を漏らした。

 斬りたい。

 だが響は初めて、『斬りたくない』と思った。

 それは素子も同じだ。

 焦がれるくらい斬りたくて、何度だって斬りたくて。

 しかし、同じくらい斬りたくなんてないのだ。本当は、普通の家族として語らえればいいのだと願っているのだ。

 でも、斬らなければならない。

 斬りたくないから、斬らないといけない。

 常人では理解出来ない狂気。それこそが、二人だけに結ばれた確かな絆。

 

「素子姉さん」

 

「あぁ、響」

 

 斬りたくないと認めた瞬間、二人は再び青山から己自身へと回帰する。

 青山から逃げたのではなく、青山という括りを越えて、別の存在に進み始めたからこそ、二人は己の名へと戻れたのだ。

 青山響と、青山素子。

 代わりなんて何処にも居ない。同族ではなく家族として。

 

「行こう」

 

「行けるさ」

 

 決別ではない。

 これは、決着だ。

 今までの青山(過去)に。

 これからの修羅(未来)へ。

 進むために、終えねばならないから。

 

 覚悟の証。

 なけなしの力を使って体を起こした響は、そのまま素子の隣に体を倒す。

 空からは優しい時雨が二人を濡らした。星明りも、人工の光なんて当然なく。一寸先さえ見えない闇の中、感じられるのは雨の暖かさと隣の愛しさ。

 一秒。

 響は素子の右手に己の左手を重ねた。

 十秒。

 素子は困ったように微笑むと、重ねられた手に指を絡ませた。

 一分。

 手を、放す。

 

 そして、二人は跳ねるように左右に分かれて飛び出した。

 

 限界を迎えた肉体から、意志の力で力を絞り出す。

 雨粒を弾いて共に伸ばした右手。

 共に掴んだ鋼鉄。

 共に懐いた刃へ同一の思いを乗せて。

 振り返り、重なり合った視線と敷かれた死線。迷いなく踏み越えた先、伸びた刃が――。

 

「さよなら」

 

 鈴の音は、慟哭のように時雨の中を走り抜けた。

 

 歌声は、もう聞こえない。

 

 

 

 

 

 闇に重なった二つの影。数秒後、一方の影が、糸が切れたように崩れ落ちた。

 その胸には血を啜る刃が突き立っている。地面に仰向けに倒れたその姿は、刀がまるで墓標のように見えた。

 

「……斬られた、か」

 

「はい……」

 

 四肢を投げ出して倒れる影――素子を見下ろすのは、悲哀の色を浮かべる響だった。その肩にはひなが突き刺さっているが、素子の刃は響の命を斬るには至らなかったのだ。

 

「ごほ……!?」

 

「姉さん!?」

 

 響はどす黒い血の塊を吐き出した素子を抱き上げた。例えその命を斬ったのが自分だとしても、だがそれでも響は素子の命が消えていくのに耐えられなかったのだ。

 そして、そんな響の心境を察しているからこそ、素子は霞む眼で響を見上げ、震える右手でその頬を撫でた。

 

「馬鹿、男が、泣くな」

 

「でも……! だけど……!」

 

「これでいい」

 

 後悔は無い。嘘ではないさ。

 そう伝えたくても、もう幾つも言葉を言えぬために告げられない己に辟易する。

 むしろ、響のほうが悔恨しているということに素子は何故か可笑しさを感じてしまった。

 だから、素子は消えかけている命の最期を、響に託すのだ。

 

「正しさを、否定したんだろ?」

 

「……はい」

 

「なら、貫け……死ぬまで、永遠に……」

 

 この修羅場で。

 

「嗤え、響。青山響」

 

「ッ……!?」

 

 息を飲んだ響は、素子の言葉を染み渡らせるようにゆっくりと吐息を一つ。

 

「はい、でも……少しだけ違います」

 

 そして、ぐしゃぐしゃになった顔で、全てを嘲笑うような笑みを象ってみせた。

 だから心配しないでほしい。

 

「俺は、俺の外道も斬る」

 

 響は素子の右手に掌を重ねて、宣誓する。

 

「貴女の魅せた正道だって、今度は全部、纏めて斬るから」

 

「そうか……」

 

 呼気が漏れる。

 それは素子が放つ、命の灯火。

 

「安心した――」

 

 最期まで空を見上げたまま、素子は響の決意に安堵した。

 とても冷たいこの場所で、とても冷たい(かいな)に抱かれて。

 家族に看取られて逝けるこんな最期。

 

 ――うん。

 

 ――私は、幸せだった。

 

「……おやすみ、姉さん」

 

 響は、開いたままの素子の瞼を、そっと掌を被せて閉ざした。手を退ければ、安らかな寝顔にしか見えない素子の柔和な死に顔がそこにある。

 もう何かを言おうとは思わなかった。優しく、もうこれ以上壊れないように素子の体を横たわらせて、その胸に突き立った証と、肩に刺さったひなを響は両手で掴むと、歯を食いしばって力を込めた。

 

「ぐ……おぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 体の痛み。

 心の痛み。

 合わさる激痛に絶叫しながら、流血の放物線を描きながら、二本の刃を引き抜く。

 

「……そうさ。俺は――」

 

 斬り裂かれた左目が開く。だが分かたれたはずの眼はすでに癒着していた。

 しかしその眼は最早、これまでの響でも、ましてや青山でもない何かへと変貌していた。

 違うのは色。

 漆黒ではなく、青に染まったその眼。

 そして、そこに込められるのは、この世に溢れる万象一切、全てが内包されているかのようだった。

 響は嗤った。

 左手には鈍い鋼の輝きを魅せる証。

 右手には漆黒の光沢で濡れるひな。

 左目は青々に輝き。

 右目は漆黒に沈み。

 超えた先の今を、嗤い続けた。

 

「青山、いや……」

 

 友を斬り。

 魔を斬り。

 生を斬り。

 そして今、青山という血を、青山という血肉を斬ることで超えた狂気の結晶体。

 これが果ての後。

 その斬撃は正邪を振り斬り、生死を斬り抜け、そして果ての無感さえも斬り払い、終の向こうの永遠を斬り開いた、無限の完結。

 正道ではない。

 外道ですらない。

 

「俺は、青山響だ」

 

 その名、修羅道。人の終わり(青山)すら斬った狂気よ。

 

 お前は今こそ――完成したのだ。

 

 

 

 




これまでの纏め。

オリ主(響)が死んで、ラスボス(青山)も死んで、隠しボス(青山響)が生まれました。


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エピローグ【斬った】

 

「凄かったなー……」

 

 山が遥か下に見える程の上空、月詠に大きなヌイグルミのように抱かれながら眼下で行われていた決闘を見届けた木乃香の第一声は、拍子抜けするくらい単調なものだった。

 だが無理もないだろう。一閃で山を斬り、大地を斬り、濁流すらも斬り、巻き起こした暴風で空に雨雲すら作り上げた両者の戦い。個人が起こしうる限界を凌駕し、最早その力は戦略兵器ですら匹敵するか難しい程である。

 そんなものを見てしまって思考が麻痺してしまったのだろう。木乃香は自分を抱きしめて虚空瞬動で空を蹴り続けている月詠へ「ウチ、重くない?」などとどうでもいい質問をしてしまう。

 

「大丈夫ですー。えへへ、お姉さまとっても軽くて、とっても冷たくて気持ちえぇ」

 

「ならえぇんやけど。ごめんな、ウチ、まだ、えっと……こくーしゅんどー? やったっけ? 出来へんのや」

 

「任せてくださいー。お姉さまの出来ないことは、全部ウチがやりますわー」

 

 朗らかに笑いながら、木乃香が苦しくならない程度の力加減で、背中から回した腕に力を込める。まるで宝物のように扱われることに、しかし木乃香は特に何かを感じることはない。

 それよりも――。

 

「ふ、ふふ……」

 

 その隣、同じく虚空瞬動で空を蹴りながら浮かぶ鶴子の浮かべる生理的嫌悪感を覚える笑みが気になって仕方なかった。

 

「……妹さん、死にましたけど、嬉しいんですか?」

 

 こみ上げる嫌悪感を癒しつつ、木乃香は面倒に思いながらも鶴子に声をかけた。

 だが鶴子は笑いを堪えるように一本だけの手で己の体を抱きしめて口許を震わせるばかりだ。

 

「……阿保らし」

 

 ――人間止めてるなぁ、この人。

 肉親同士が殺し合う間、その光景を嬉々として見届けた鶴子の本質を理解しようとは思わなかったし、理解できるとは今の木乃香では思えなかった。

 修羅でもなく化け物でもない。怪物となった鶴子を阿呆と断じて興味を無くした木乃香が再び視線を眼下に移す頃には、月詠は木乃香の心でも読んだように地表へと着地を果たしていた。

 かつて山だったクレーターの中央部。未だ止まない時雨に濡れながら、そこに立つたった一つの影は、黙して空を見上げていた。

 

「……あ」

 

 青山さん。

 そう呼ぼうとして、木乃香は口を噤んだ。

 傷だらけのその姿。今ならば全て癒せるはずだと木乃香は思う。

 しかし、その傷だらけの体に触れるのは躊躇われた。

 欠損しているからこそ、それは美しかった。完成された絵画にはない、穢れた故の崇高さが内包されたその背中。

 そして、振り返ったその姿に、木乃香は言葉を忘れて飲まれた。

 

「目……」

 

 闇夜に立つ影、青山響の青に染まった眼に射抜かれた木乃香は、そこに込められたありとあらゆる何かに絡まれ、呼吸することすら忘れた。

 同時に、いつもと同じく奈落如き右目によって、絡みとられてそのまま吸い込まれそうな心地になる。

 汚泥と美麗。相反する二つを両立されたその様を、木乃香は崇高であると感じる一方で、見るに堪えぬ餓鬼であると悟った。

 そう、傷を含めて、青山響は完成された存在として立っている。

 

「あぁ、木乃香ちゃん」

 

「青山さ――」

 

「ふふ、お疲れ様、青山はん」

 

 『響』の声に応じようとした木乃香の前に割り込んで、鶴子が淑やかに笑いながら『青山』の戦いを労った。

 背後で木乃香が僅かに目尻を細めてその背中を睨んでいるが、鶴子はその程度を気に掛けられる程、余裕があるわけではなかった。

 

「……貴女か」

 

「よくぞ、ウチの考えなど遥かに超えて、よくぞ青山の悲願を。……育んだ才覚を全て引き出してくれました」

 

 神鳴流。

 宗家、青山。

 それらが生まれた経緯を完全に知ることは、その血統である青山に連なる鶴子を含めた現代の青山達も、その門下である剣客達も出来ていない。

 妖魔を打倒するために練り上げられた、化け物と互角に拮抗しうる人間を生み出す。お題目は弱き民草を守るためというものだが、しかしそんな建前を省けば、結局のところ人間を妖魔如き存在へと作り変えるということに他ならない。

 そしてその結晶体がここに完成したのだ。

 人間を遥かに凌ぐ妖魔すら上回る人間。

 人間のまま、人間すら超えた至高天。

 鶴子の才覚ですら理解することが出来ない狂気の産物を前にして、どうして平静を保てるだろうか。

 だからこそ、この手で作り上げた奇跡を体で感じようと鶴子は光に誘われる羽虫の如く響へと近づいていく。彷徨いながら伸ばした手は、さながら空より伸びた一本の蜘蛛の糸を手繰るかのように。

 響はゆっくりと迫る鶴子を見据えながら、応じるように歩を進める。

 

「あぁ」

 

 鶴子にはそれが己を労うような響の敬愛に感じられた。両手に掴んだ刃を地面に突き立てて、素手で歩み寄る響の手が、その手を作ってみせた己の体を抱擁する瞬間を夢想し、今まさに、死闘を制した弟と、それを見守った姉の感動の抱擁が――。

 

「貴女は邪魔です」

 

 興味は無い。

 響は感極まった表情を浮かべる鶴子の手を払って、その横を抜けて行った。

 

「え?」

 

 まさに羽虫のように邪険に払われた鶴子は、大した力が込められていない響の手に弾かれた拍子で、茫然としたままたたらを踏んでそのまま地面に崩れ落ちた。

 

「木乃香ちゃん。怪我はないかい?」

 

 だが響は振り返ることすらもせず、月詠に抱えられたままの木乃香の前に立って、僅かに腰を曲げて視線を合わせる。

 

「う、うん……ウチは、大丈夫やけど……」

 

 木乃香は後ろ姿だけでもわかる程絶望している鶴子を見た。その視線に気づいた響は「あぁ」と一つ頷くと。

 

「どうでもいい……っと、これだけだと伝わらないか。……つまりだな。いつでも斬れる相手より、君が綺麗だからね。大切だろ? そういう願いとか思いって。俺は斬りたいのさ、未来の君を」

 

「えっと……」

 

「分からない、か。そうか、困ったな。……いや、これもツケか。今まで自分の常識と他人の常識の擦り合わせをしなかったせいなんだろうな」

 

 木乃香が自分の言葉を理解出来ていない事実に、響は心底困ったように頬を掻いて苦笑している。確かに響の言っていることが理解出来ないのは以前からそうだったが、木乃香はそれとは別に、響が今まさに、『他者の常識』という自己以外に目を向けている事実の異常に気付いた。

 

「青山さん……?」

 

 何が。

 貴方に何が起きたというのか。

 木乃香が癒すということすら忘れてしまうくらい動揺しながら、問いかけようとしたその時、響の背後で悶えるような刃鳴りの音色が奏でられた。

 

「……いけずな人やなぁ」

 

 鶴子が地面に刺さったひなを掴み、その切っ先を響の背中に向けている。その声は微かに震え、響を見る眼は、時雨ではない何かで濡れているのが見えた。

 

「ウチが目一杯愛したのに……ホンマ、姉不幸な子や」

 

 言いながら、鶴子は未だ衰えを見せぬ気を全身から漲らせた。

 充実する気は、響に腕を切断されたあの日と比べても遜色ない。当代一と言われた力の冴えは片腕になった今も健在であり、心を犯しつくした怪物性と相まって、木乃香の目には理解出来ない怪物が口を開いたようにすら見えていた。

 

「……すまない。少し、待っていてくれ」

 

 そんな木乃香の不安を感じ取ったのか。響は目尻を小さく緩めて、不器用な微笑みを向けると、表情を引き締めて鶴子へと向きなおった。

 

「思えば……全部、貴女が仕組んだことでしたね」

 

「そや。外道の修羅も、正道の修羅も、ウチが丁寧に、誰にも汚されないように育ててみせました。なのに、その恩を忘れて振り払うとは酷いやろ?」

 

「……確かに、恩義はあるのでしょう。貴女が居たから、俺は素子姉さんという家族を得て……そして、斬った」

 

 斬ってしまった。

 そんな響の心など分からぬ鶴子は、歓喜に頬を染めて哄笑した。

 

「アハハハハハ! 斬った斬った! 青山が青山を斬って生き延びた! そしてその結果! 完成したんや! その素晴らしさをウチは――」

 

「斬ったんだぞ?」

 

 響は、言葉の刃で虫唾の走る声を断った。

 

「俺は、姉さんを斬ってしまったんだよ……」

 

 そして、返す刃をその喉元へと突きつける。

 斬ったのだ。

 唯一無二の家族を、響はその手で斬って捨ててしまったのだ。

 だが眼前の怪物は、今まさに刃が突き刺さろうとしていることにすら気づかずに、何を今更と嗤うばかり。

 

「いつも通りのことや! 青山はんは斬るから斬る! そして今回はその相手が肉親であり、同じ域に達した人間であっただけの話! その結果! こうして新たな青山として到達しただけや!」

 

 鶴子は叫ぶ。これまでと何が違うと叫ぶ。

 斬ってきただろう。

 万象一切平等に、何であろうと斬ってきただろう。

 そのことを今更。

 

「まさか、今更懺悔するとでも?」

 

 そうではないだろう。鶴子の確信を持った一言に、響は視線を下に――鶴子の横で眠る素子へと移す。

 安堵の笑みを浮かべながら、安らかな骸となった姉の姿。

 それを見て、懺悔?

 

「……しないよ。俺は、斬るから斬るだけだ」

 

「なら! 何故!?」

 

 斬るから斬る。

 当然の答えに是と返す響に、では何故己に興味を示さないと鶴子は叫ぶ。

 さぁ、斬れ。

 その完成で斬ってみせろ。

 

「あるいは、ウチがこの場で斬ってあげましょう。えぇ、それがえぇ。手ずから完成させた芸術品を、自らの手で壊す……! ふふふ、その感動、興味ありますわ」

 

 鶴子は本気で響を斬り殺すつもりで、ひなの狂気すら容易に抑え込みながら、その刀身に気を収束させていく。

 放つのはおそらく神鳴流が決戦奥義。この巨大なクレーターをさらに深く掘り下げる破壊の嵐が生まれるのは間違いなく、発現の予兆は、木乃香を抱える月詠が即座に離脱を考える程には巨大。

 だが、先程死闘を終えて、気を全て出し尽くした響は涼しげな表情で、一切焦りなど見せていなかった。

 それもそうだ。

 何故? と問われても当然だからとしか答えられない。

 体は自分の物ではないように重く、鈍く。

 失われた血潮は甚大で、眼前の気の濁流を浴びているだけで意識は吹き飛びそう。

 それでも当然だと響は思う。

 何せ――。

 

「貴女は、つまらない」

 

 酷薄な一言。それを皮切りに、鶴子は吐き出した全ての気をかき集めた最大最強の一撃を振りかぶり、しかし、鶴子は何かを察してその動きを止めた。

 

「何を躊躇っているのです」

 

 ひなを掲げたまま固まる鶴子へ、響は今にも倒れそうな体でゆっくりと歩を進めた。赤子に小突かれるだけで飛んでいきそうなくらい弱弱しい。見事な歩法は見る影も無く、辛うじて止血されていた傷口も、歩くだけで開きかけている。

 なのに、鶴子は躊躇した。それは決して肉親故の情でも、剣士として正々堂々を望む気位でもない。

 

「さぁ、俺を斬るといい」

 

「青山、はん……」

 

 ――斬るイメージが浮かばない。

 ――斬られるイメージしか浮かばない。

 片腕を失い、戦場よりもう何年も離れているとはいえ、かつて最強を誇った己が、気すら満足に練り上げられない響に気圧されている。

 彼我の戦力差?

 強敵を下したことによる覚醒?

 それとも蒼に染まった左目のせいか?

 

 ――理解出来ない。

 

「ふふ……」

 

 鶴子は嗤った。

 これだ。待っていたのは己の力では測ることなど出来ない規格外。ただでさえ斬るという祈りに終わった響は理解の範疇を越えていたというのに、今や目の前の修羅は、そこすら超越した前人未到の位階へと上り詰めている。

 これが青山だ。

 初代より受け継がれた人類の化生。

 赤より濃き青い血潮が完成させた――。

 

「違う」

 

 そんな鶴子の思考を、響の眼は容易に見破り。

 

「俺は、青山響だ」

 

 ――凛。

 

 か細く、音色は空気に溶けた。

 

「……え?」

 

 木乃香は、いつの間にか鶴子の手から離れたひなが響の手にあり、それがやはりいつの間にか横薙ぎに振るわれていることに気付くのに、数秒以上の時を要した。

 遅れて、鶴子の体から気が虚空に霧散して、まるでそれが命そのものだったかのように、力無く体が崩れ落ちる。

 木乃香は背後で何かが落ちる音を聞いた。だが振り返ろうとは思わなかった。

 見なくても分かる。

 鶴子の首は、もう無い。

 

「俺が欲するのは斬りたいのに斬れない者だ……忌々しくて、狂おしくて、だからこそ愛すべき者達だけだ」

 

 だがそれでも、向かってくるなら斬ろう。向かってこなくても気が向いたら斬ろう。

 斬るために斬る。

 しかし、斬りたいと思える相手がまだ居るのに、有象無象に構うほど響は酔狂ではないと思えるようになった。

 それはつまり、斬りたいと欲求を覚える相手が全て居なくなった時こそ――。

 

「……貴女が待ち望んだ『青山』は、もう死んだのです」

 

 青山素子というたった一人の家族の手によって、修羅外道(青山)はその胸に抱かれて敗北した。

 そして、素子という同胞によって、自分はこの場に立っている。

 

「さよなら、鶴子姉さん」

 

 響は素子に寄り添うことも出来ず死骸を晒す鶴子を一瞥すると、木乃香へと再度向きなおった。

 

「さ、木乃香ちゃんは先に宿へ帰って……いや、ここに泊まるつもりだったから宿が無いか……えっと、そこの君」

 

「は、はい……!」

 

「手頃な宿に木乃香ちゃんと一緒に泊まってくれ。場所は後で探り出すから」

 

「はい……分かりましたー……」

 

 木乃香を背中から抱きかかえる月詠は、まるで借りてきた猫のような態度のまま、言われるがまま響の提案に応じた。

 そしてすぐにこの場から瞬動で離れようとして、その前に木乃香が「待って」と言って、月詠の手を解き、響の前に立った。

 言いたいことがあった。

 伝えなければならないことがあった。

 治したいとも思っていた。

 だが、木乃香はそれら一切をまとめて放棄して、疲労した響を労うようにはにかみながら、その体が壊れないように、血濡れの着物を指先でそっと握った。

 

「響」

 

 青山としか告げなかった男の、名。

 

「響さん」

 

 穢れなき腐敗物。

 本当の意味でそう成り果てた男が取り戻した名前。

 おそらく。

 いや、必ず、その名前は世界の脅威として語り継がれることになるだろう。

 善も悪も関係なく、誰もかれもが恐れ戦くだろう。

 人間(狂気)の本質だと知るからこそ、怖くて怖くて仕方ないと思うだろう。

 だがそれでも。

 せめて、分からずとも。

 

「お疲れ様です」

 

 同じ道に至れるからこそ、せめてこの場で自分だけは認めてあげなければならないのだ。

 それは奇しくも、青山素子が死ぬ間際、世界に災禍を撒き散らすと知りながらも響を受け入れたのと同じ気持ち。

 

「……ありがとう」

 

 木乃香の気遣いを察した響は、薄らと嗤って感謝を伝える。

 死者の骸と、自我を失った少女の間、まるで素晴らしいことを終えたとばかりに笑いあう男女が一組。

 

 そんな理解不能の光景こそ、なんて様だと人は言うに違いない。

 

 時雨は、止む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エピローグ【斬った】

 

 

 

 

 そして、世界樹の発光で勝利を確信した数秒後、超鈴音はあらゆる全てに絶望した。

 

 

 

 

 術式は完全に起動し、麻帆良を中心とした全世界への認識魔法は波及し、伝播し、世界は魔法があってもおかしくないと認識するはずだった。

 はず、だったのだ。

 

「あ、あ……」

 

 だが鈴音は激戦で疲弊した体のことすら忘我して、歓喜ではなく絶望に言葉を失っている。

 そしてそれはきっと、彼女のやり方に賛同した者も、彼女達と戦っていた立派な魔法使い達すらも共有する絶望であった。

 響いている。

 響き渡っている。

 響き渡る認識魔法を斬り捨てた音色が。

 

 凛と鳴り響く修羅の音色が――。

 

「ふは、ふははははは! あーはっはっはっはっはっ!」

 

 だがその中で唯一哄笑する化け物が一匹。

 虚空に謳われた斬撃に合わせて、自らの鎖を食いちぎった少女の皮を被った鬼畜が吼えている。

 

「待っていた! 待っていたぞ! 三千世界に轟くこの福音を! 全くもって、素敵な素敵なラブソングだよ!」

 

 言語を超えた理解を叩きつけられて崩れている鈴音達を尻目に、否、それを見計らったように、麻帆良を襲撃する鬼神と機械人形の群れを全て掌握した。

 瞬間、その邪悪な魔力に染められた人形達が、漆黒と氷結に姿を歪められ堕落する。

 人を害する武装を持たなかった傀儡は、この時、頂点に君臨する化け物の全魔力を与えられたことで、殺戮に特化した悪鬼となったのだ。

 そして、そんな彼らの周りを取り囲むのは、一つ一つが命を与えられた、無限に増殖する赤き茨。

 命無き人形と、凍てつく氷の茨の総軍。国家一つを蹂躙しつくして余りある軍勢は完成する。

 そしてその指揮棒を操るは、あぁなんということか――命を嘲るもう一つの狂気。その指揮棒を振ることに一切の躊躇いを見せない化け物の手。

 歓喜に染まった化け物は、消耗しつくした魔力を補うべく、世界樹に牙を突き立てその魔力を根こそぎ胎にため込んで嗤う。

 

「ぷはっ! 最高だ! やってくれた! ならば私も貴様のお眼鏡に叶うように毛並みを整え手土産片手に行ってやる! 今すぐ、今すぐ! 今すぐになぁ! 溜ってるんだ。やりたくてやりたくて! 愛しくて愛しくて! 貴様の血を飲み干したいと、こんなに疼いて仕方なくてなぁ!」

 

 吸血鬼の真祖。闇と氷の絶望は行く。

 誰もかれもが絶望する中、絶望の権化故に行けるのだ。

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 魔の本懐を目覚めさせた、この世で唯一無二の化け物め。

 

「今すぐ殺し尽くしてやるぞ! 青山ぁぁぁぁぁぁ!」

 

 総軍を全て飲み干す巨大魔法陣と共に、絶望の残響を最後にエヴァンジェリンは決戦の地へと行く。

 待っていろ。

 あと少しだけ待っていろ。

 お前()の戦場へ。夢にまで見た修羅場へと。

 あぁ。ここより先、希望は存在しない。

 それを素敵と、あるいは愚かと、呼べる者のみ、抗ってみせろ。

 

 だが、気を付けろ。

 

 

 

 ――歌声は、もう永遠に鳴り止むことはないのだから。

 

 

 

 

 




というわけで、第五章【青】終わりです。実際、四章と一纏めにしようとも思っていたのですが、やっぱ素子との最終決戦ということで章を区切ったと言う感じ。実は四章と合わせて十万文字くらいといつものペースを守っているのですのことよ。

さておき、次章は今度こそ最終章です。エピローグ的にももうとんでもないことにしかならないのですが、これも全部オリ主ってやつがネギまに投入されたせいだと笑ってください。


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Bルート【らぶいずおーばー】
第一話【Day after day】


お待たせしました。泣いても笑っても最終章です。


 

 京都復興ボランティアのため生徒の大半が居なくなった麻帆良学園都市は、いつもの喧騒は無く、さながらゴーストタウンのような様相を見せていた。

 当然だが学生を狙った店舗等も一時的に閉じており、機能しているのは一部のコンビニやスーパー程度である。それもボランティアが終わるまでの一週間弱は昼過ぎにはさっさと店を閉じてしまうことだろう。

 そんな街中を歩く少女が二人。共に明るい髪質が目立つ可憐な乙女、神楽坂明日菜とエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。

 並び立って歩く姿は、ぱっと見は髪色も相まって海外生まれの姉妹に見えないこともない。だが姉妹程の仲睦まじさは、物凄い表情で不満を募らせている明日菜と、そんな明日菜を面白がるエヴァンジェリンを見れば皆無なのは明白だろう。

 

「懐かしいな。正体がばれた後の街は常にこんな感じだった。……私が出歩くだけで人間は家に閉じこもり息を殺したものだよ。ふふ、あの時と違うのはやかましい討伐隊が来ないことか。いやはや、懐古に浸るとは私も随分と年を食ったものだね。そう思わないか? 神楽坂明日菜」

 

「……すっごいリアクションし辛いんですけど」

 

「ノリが悪い奴だな貴様。いつものノーテンキなアルパカ面はどうした? ん? そう言えば今日は呆けたように口を開けてないな。顎にボルトでもつけたのかい? それとも草を食って顎を鍛えてきたということか」

 

「アンタねぇ……」

 

「お? 来るか? いいぞ、さぁ来い。怒りのままに私を殺してみせろ。何、感情に任せて冷静な思考も出来ず暴れ狂うのは人間として何ら恥じることはない」

 

「ぐぬぬ……」

 

「殴らないのか? ほら、ここだぞ、ここに一発入れてみせろ。そら、発情期の狗みたいにヘコヘコとやってみたいと思わないのか?」

 

 作った拳をぶるぶると震わしながらも、必死に振り下ろさないように堪える明日菜の周りを、エヴァンジェリンが挑発するように嘲りながら歩く。

 明日菜の憤りを心地よいとこの化け物が思っているからこそ、これ以上楽しませないために怒りを堪えようとはするものの、それを分かってさらにエヴァンジェリンは煽るばかりだ。

 涙目になって腹を抑えて嗤っていたエヴァンジェリンだったが、一通り明日菜をからかったところで、未だ笑みの残滓を残しながらも、ガードレールに腰を下ろして一先ず挑発を止めることにした。

 

「ふー……あぁ本当に貴様は楽しい奴だよ神楽坂明日菜。猿でもわかるくらい顔に感情が出すぎだ。それじゃあペテン師には向いていない。どうだ? ここは年長者らしく鍛えてやってもいいぞ?」

 

「……やめとく。何を要求されるか考えるだけ最悪だわ」

 

「懸命だ。どうやら分相応を弁える最低限の知能は残っていると見た」

 

 言いながらどこからともなく千円札を一枚取り出すと明日菜に差し出した。

 

「なにこれ」

 

「喜べ、楽しませてくれた礼に貴様を使ってやる。今の体で動くと直ぐに喉が渇くのさ」

 

「とことん上から目線なのねアンタって子は……」

 

「おいおい、見目麗しい見た目はともかく、こっちは年齢的にお婆ちゃんもいいところなんだ。そら、若者らしく年長者を労わってジュースの一本でも買ってこい」

 

「そんなこと言われて、はいそーですかと――」

 

「釣りはくれてやる」

 

「ちょっと待ってなさい」

 

「そういったところ、愛しているよ」

 

「言ってろ! この死にたがり吸血鬼!」

 

 明日菜はエヴァンジェリンの手元から千円札を乱暴に奪い取って肩を怒らせて背を向ける。だがそれも一瞬、先程までの怒りは何処へ行ったのやら、小躍りしながら近くの自販機へと向かっていった。

 その後ろ姿にエヴァンジェリンは僅かな憧憬を乗せた眼差しを向ける。幾ら最弱状態であっても、今の自分と面と向かって話せる明日菜の自然体の姿は面白い。そしてきっと、自分が力を取り戻しても、明日菜は人間として化け物に怯えることなく進んでくることがわかるから。

 少なくとも、愛しているという言葉は嘘ではないのだ。

 

「ったく、扱いやすく、からかいやすい奴だ。……だが、そこが良い。貴様もそうだろ、魔道書」

 

「ふふ、ばれていましたか」

 

 エヴァンジェリンが振り返ると、いつの間にかそこにはアルビレオが微笑を浮かべて立っていた。夏も近い今の時期に厚手のコートを着た姿は見るのも暑っ苦しいはずだが、柔和なその笑顔は見た目の暑苦しさすらかき消す程涼やかだ。

 

「お久しぶりですエヴァンジェリン。……いや、初めましてとでも言うべきでしょうか闇の福音」

 

「あぁ、貴様、私が分かるのか?」

 

「分かりますとも。共に人外、なれば人に憧憬する今の貴女の変質に気付くのも道理です」

 

 そう言ってアルビレオが恭しく一礼する。演出染みた仕草はまるで人を小ばかにするように見えたが、エヴァンジェリンは喉を鳴らして目尻を緩めた。

 同胞。とは呼べないだろう。だが共に長きを生きて、人を見てきた者同士ではある。

 共に人外。

 共に化け物。

 だがアルビレオは人を導くことを選択した。

 

「さながらコインの裏表だな。貴様と私は」

 

「ですが、同じコインです」

 

「違いない」

 

「おーい買ってきた……って師匠! 師匠じゃない!」

 

「こんにちは明日菜さん。それとあぶく銭を得られて嬉しいのはわかりますが、丈の短いスカートでスキップするのははしたないですよ」

 

 さりげなくも鋭いアルビレオの指摘に顔を真っ赤にして明日菜が縮こまる。それを人外二人は嬉々として面白がった。

 これでは見世物パンダではないか。などとスカートを抑えながら思いつつも、明日菜は八つ当たり気味にエヴァンジェリンへ買ってきた缶ジュースを放り投げた。

 

「お使いご苦労」

 

「どーいたしまして……それより、どうしたんですか師匠?」

 

「いえ、昔馴染みと弟子が並んで歩いているのを見つけたものですからね。珍しい組み合わせなのでどうしたのかと聞きに来ただけですよ。無論、それとは別にネギ君と明日菜さんには用事というか報告があったのですが」

 

 アルビレオはそう言うが、実際はそれを口実にエヴァンジェリンの様子を見に来たというのが正しい。

 青山との決戦。

 そう、まさに決戦とでも言うべき戦いを演じて勝利したエヴァンジェリンが、その後、明らかな変貌を遂げたのを察しながらも、これまで色々な事情が重なり様子を確認することが出来なかった。

 だがこうして暇が出来て確認してみれば、一目見ただけでエヴァンジェリンがかつての姿を、否、それとも違う化け物に成り果てたのは間違いないとアルビレオは確信していた。

 ――だからと言って、どうしようもないのだが。

 今ならば文字通り指先一つでエヴァンジェリンを葬ることは可能だ。しかし、それが出来ないのは、彼女をここまで変えてしまった元凶、青山という男が存在するからに他ならない。

 それ以外にも魔法世界において、こちらに利する貴重な戦力であるという打算もあるのだが。あるいはそれすらも含めて、エヴァンジェリンはこの場に留まっているのではないかとすら、この僅かな会合で思う程にはアルビレオは見た目少女の化け物を警戒していた。

 そんな思考の様々を笑顔の仮面に隠してみせるアルビレオ。エヴァンジェリンはともかく、明日菜は当然彼の機微など察することは出来ず、ついでに買っておいた自分用の缶ジュースを開けて一気に飲み干し「くあー!」とオヤジ臭い声をあげて人心地ついていた。

 

「あー、生き返る……それでなんで私がこいつと居るかと言うと、さっきそこで偶然会ったんですよ。そしたら強引に連れられて……」

 

「暇だったからな。こんな奴でも人形よりは手慰みになるさ。だが犬より阿保で騒がしいときたものだから、可憐でひ弱な私はとっても疲れてしまったよ」

 

「アンタ、そろそろマジで一発グーパンするわよ」

 

「ははは、今なら柘榴より容易く私の頭を砕けるぞ?」

 

「うー、師匠ぉ……」

 

 脅しにもまるで動じないエヴァンジェリンへの対応に限界を感じたのか。とうとう明日菜はアルビレオに縋るように涙目で訴えかけてきた。

 もう少しばかり、苛められる明日菜を見ていたい気持ちもあるがそこはぐっと堪え、アルビレオは弟子の助けの声に応じて「まっ、あまりからかわないようにしてください」とエヴァンジェリンへ告げた。

 それには同意なのか。あるいは暇潰し程度どうでもよかったのか。エヴァンジェリンはわざとらしく肩を竦めて「わかったよ」と返す。

 

「だが化け物を言葉だけ止めるのは些か無粋というものだとは思わないかい?」

 

「……何が目的よ」

 

 いつの間にかアルビレオの影に隠れてジト目で睨む明日菜の感情を堪能しつつ、エヴァンジェリンは指先を立てて嗤う。

 

「飴か悪戯かというものだよ。西洋じゃ飴さえあげれば化け物だって逃げていくのさ」

 

 言葉の意味が分からず首を傾げる明日菜。

 飴か悪戯か?

 お菓子なんて持ってないけどなぁ、などと見当違いなことを考えていると、アルビレオが一歩前に出た。

 

「本当はネギ君と合流できたら告げるつもりだったのですが……まぁ先に貴女方には話しておいてもよいでしょう――青山君が京都へ赴きました。いえ、正確には京都に居ると言うべきでしょうか」

 

「……ほう。そうか」

 

「……驚かないのですね?」

 

「意外かい?」

 

 アルビレオはエヴァンジェリンが今回、超鈴音と結託して青山と戦うことになっていたことをネギから聞いていた。そして、彼女自身がその戦いを何よりも渇望していたことも、超が残していた二人の交渉時の音声データも聞いているため知っている。

 だからこそ、青山が現在麻帆良学園に居ないことに、慌てふためくことはないにしろ、僅かでも驚くのではないのかと思っていたのだが。

 

「今の私は鎖に繋がれた番犬だ」

 

 エヴァンジェリンは答える。

 

「そして、牙も奪われた駄犬でもあり、慈悲を乞うだけの痩せ細った餓狼でもある。ならばあいつが京都へ赴いたのは仕方ない。小汚い犬に構うつもりがなかったと言うだけの話さ」

 

「待つばかりとは、随分と殊勝ですね」

 

「勿論、悔しくもある。だがその悔しさを吐く権利が今の私には無い。しかし、折角腹まで見せて媚びたというのに振られてしまうとはなぁ。乙女の勇気に奴は鈍感みたいだ」

 

 酷薄に笑うエヴァンジェリン。だがその内面から滲み出る形容出来ぬ感情の発露は、こちらに敵意が無いと分かり、そして戦うための力が無いと知って尚、それを見る二人の額に汗を滲ませる程の脅威が含まれていた。

 再び戦えると思えたというのに、折角の機会はふいにされてしまった。裏切られたとみるか、いや、一方的な宣誓に意味は無く、もっとアプローチをしっかりしておけばよかったと反省するべきか。

 

「楽しそうですね?」

 

「あぁ、楽しいよ」

 

 アルビレオの指摘をエヴァンジェリンは迷いなく肯定した。

 

「この不自由で融通の利かぬもどかしさを、愛しい男に振られた怒りを、一切を纏めて楽しいと言えるのは素晴らしいことさ」

 

 エヴァンジェリンは缶に残っていたジュースを一息で飲み干して、空き缶をアスファルトに叩きつけて、さらにその上から容赦なく足を振り下ろして踏みつぶした。

 

「それに奴が計画の最終日までに帰ってくる可能性もまだ無いわけじゃあないだろ? チャンスが完全に失われたわけではない。何年も待っていたんだ。待つのには慣れたよ。そう、毎日、毎日、来る日も来る日も、ずっと、ずっと、ずぅっと、ひたすらに」

 

 余裕のある笑顔とは裏腹に、執拗に空き缶を踏み躙るのは語ったとおり憤りを覚えているからか。見下ろす眼が缶ではなく別の何かを、青山を思っているのは事情をあまり知らない明日菜でも何となく察することが出来るくらいに如実に示している。

 

「えっと……大丈夫?」

 

 不安と心配が半々に入り混じった声で明日菜がエヴァンジェリンに語り掛ける。その声に応じたわけではないだろうが、何度も振り下ろしていた足を止めて、食虫植物のような甘い吐息を一つついて、僅かに見せていた狂気をエヴァンジェリンはその濁った眼の内側へと閉じ込めた。

 

「大丈夫さ。……それよりも困ったな」

 

「え?」

 

「おいおい、察しろよ神楽坂明日菜。貴様にも関係する話だろ?」

 

「私にもって……」

 

 どういうことだと明日菜は考えるが、思い当たるのはエヴァンジェリンと青山の戦いが見られないということだけだ。ネギ程青山に執着していない明日菜としては、まぁ戦わないのならそれに越したことがないという程度の考えである。

 それも無理はないだろう。普通は数度、しかも会話すらしたことのない相手に何か思うことなどないはずだ。確かに京都の一件で、明日菜自身も青山が発する斬撃の念とでも言うべき何かを肌で感じたが、だがそういった意や気の類は、青山も含め、今ここに居るエヴァンジェリンやアルビレオ、そしてアルビレオのアーティファクトで再現された数々の達人が大小はあるが持っているものである。

 危険ではあるのかもしれない。しかしその危険とは、達人の誰もが持つ常人とは違う在り方なのだろうと明日菜は思っている。

 感覚が麻痺したというわけではない。単純に青山という存在と実際に触れ合っていないからこその反応。そしてそれは、青山の本質を知らない誰もが同様に感じる思いであった。

 しかし明日菜のそんな考えを咎めようとは思わない。エヴァンジェリンは大仰に驚いたような仕草を見せて、あざとく嗤うのだ。

 

「まっ、仕方ないとしよう。こればかりは実物を実際に見てみるしかないからな。とはいえ、アレを見て、理解して、生き残ったうえで正気を保っているなど……くくっ、そんなのが居たのなら、今頃あいつはもっと早く人類種の天敵とでも言われて、さっさと殺されていただろう」

 

 そして青山が今も生きているということはつまり、アレを理解出来た人間がこの世に生存していない。あるいは己と同じく、アレと同じ場所へと、修羅場へと至れたかのいずれかだろう。

 いずれにせよ、まともでなんていられない。

 その時、明日菜が果たしてどうなるかを思うと、それは少しばかり興味があるのだが――。

 

「だが奴を殺すのは私だ。私だけが、奴を殺す。誰にも渡さないし、奴もまた渡すつもりはないはずさ」

 

 だから待てる。

 きっと最期は自分がそこに居られるという根拠のない確信があるからこそ。

 待って。

 いつまでも待って。

 

「ちょ、アンタ血が……!?」

 

「ん?」

 

 明日菜の視線の先、エヴァンジェリンの着ていた真っ白なワンピースの胸から下腹部までにかけてが、溢れ出た冷血で真っ赤に染まる。尚も止まらない流血はワンピースの薄い生地では吸収しきれず、粘着質な赤色は、エヴァンジェリンの太腿を伝って足下へと流れ出した。

 どう見ても尋常ではない出血量だ。明日菜が慌てて歩み寄る背後で、アルビレオも小さくない驚きを見せている。

 

「早く止血しないと!」

 

「あぁ、大丈夫だ」

 

「大丈夫って……」

 

 大丈夫なはずがないだろう。

 折角の無垢なワンピースは真っ赤に染まり、溢れる血潮が股座より滴る様はさながら乙女の純潔が乱暴に奪われたかのよう。

 通行人が居れば悲鳴をあげてもおかしくない惨状を晒しながら、エヴァンジェリンは服越しに開いた傷口を一撫でした。

 

「大丈夫。大丈夫」

 

 最弱化している今、この傷口の痛みは甚大で、人体の反射として冷や汗は滲み思考は狂う程。眩む視界はうっかりするとそのまま暗黒に落ちそうで。

 だが大丈夫なのだ。

 エヴァンジェリンは本心から告げている。

 こんなにも繋がっているから。

 あぁ、大丈夫。

 大丈夫だとも。

 

「なぁ、青山」

 

 

 

 

「んあ?」

 

 瞬間、太陽の輝きに当惑する。

 朝?

 いや、さっきまで夜だったはず……。

 

「不覚だな」

 

 木乃香ちゃんを見送った俺は、その姿が遠くに消えたのを確認して間もなく意識を失ってしまったらしい。

 らしいというのも、いきなり目が霞んだと思って意識を繋ぎ合わせたら、頭上を太陽が照らしており、戦いから半日以上は経過しているのは明白だったからだ。

 

「……眠い」

 

 体中が泥に浸かっているかのように気持ち悪く、動きが鈍い。意識は未だ朦朧としており、指先の感覚も当然鈍い。

 絶不調ここに極まり。エヴァンジェリンとの戦いやフェイト少年との戦い以上の疲労は、半日寝ても癒せるものではないが、それでも消費された気は十分回復していたので、体を強化して強引に動かすことにした。

 傍には素子姉さんと鶴子姉さん。いつ振りかの、そしてもう二度とない家族での雑魚寝を終えて――ん?

 

「何だ、こいつら」

 

 そこで俺はようやく二人の遺体とは別に、無数の死骸がそこら中に散らばっているのに気付いた。

 と言っても、何処にどのパーツが散らばっているのか分からないくらい人間の体がばらばらに散乱している。まぁ手足をざっと数えて五人といったところか、もしかしたらもう少し多いかも。

 しかし、まぁ。

 

「下品だなぁ」

 

 我ながらもっと綺麗に斬れたはずだが、疲労困憊で無意識となればこうなるのも仕方ないというところか。それでも傍で眠るように横たわる素子姉さんと鶴子姉さんには血しぶきも肉片も臓物もかかっていないので、最低限は守れたことを誇るべきだろう。

 というか、まぁ予想出来たとはいえ動きが迅速である。傍に突き立った証とひなとは別に、その殆どが両断された鈍い輝きの鋼鉄を一つ拾って、俺は浅く嗤った。

 

「神鳴流の剣士か」

 

 長大な野太刀の残骸。そして斬り裂かれた術符の数々。いずれも見慣れたかつての同門の得物ばかり。

 まぁ、分かってはいたことだ。

 昨夜行われた俺と姉さんの斬り合いは、少なく見積もっても周囲一帯の山々を壊滅させて、膨大な気を存分に放った。そしてその現場は一部しか知らないとはいえ神鳴流の修行地である。どんな鈍い組織でも自分の敷地でミサイルが爆発したとなれば感づくのは当然だろう。警察とか呼ばれなかっただけありがたいとみるべきか。

 そして俺の周囲で骸を晒している剣士達は、状況確認のために派遣された者達か。人数が少ないのは神鳴流の聖地であるせい。あるいはこの場を知る人間がもうこれだけしか存在しなかったからか……。あ、この人小さい頃一緒に稽古した人だ。

 

「……知り合い、多いな」

 

 はっきりした意識で斬られたパーツの一つ一つを確認して、半数以上がかつての俺を知っている人間だと判断する。

 つまり、素子姉さんと鶴子姉さんの死骸の傍で気絶している俺を、青山として恐れられた俺を見知っている者が見つけて斬りかかった結果がこの状況というべきか。知らない者はついでに連れられてきたのだろう。

 だとすると流石に書置きや言伝くらい残しているだろうから、第二、第三の神鳴流剣士が来るのは時間の問題だろう。

 

「……仕方ない、か」

 

 本当はゆっくりと埋葬したかったのだが、時間がないので二人には申し訳ないけれど。

 俺は地面に突き立てたひなでそのまま地面を斬り裂く。出来上がったのは二つの穴。素子姉さんと鶴子姉さん分の墓地代わり。他の奴らはついでに全部斬って消滅させた。

 ひなを改めて地面に突き立て、まずは鶴子姉さんの体を斬り掘った穴にそっと入れる。そして少し離れた場所で、笑みを浮かべたままの姉さんの首を持ち、ついていた泥を軽く拭ってからその両目を綴じさせた。

 

「……貴女はつまらない人でしたが、それでも、俺の大事な姉の一人でした」

 

 死して狂った喜びを湛えたままの彼女は、きっと満足して逝けたことだろう。その才覚は凡夫なれど、それ故に俺と素子姉さんを高みへ導いてくれた貴女は、やはり俺達と同じ青山だったのかもしれない。

 

「貴女の望んだ青山と共に、ここで眠りを……」

 

 最期に一度両手で抱き締めて、穴へと埋める。ひなで絡めとった土をそこに掛けて、最後に墓標替わりに落ちていた野太刀を突き立てた。

 いずれ、もっと立派な鋼にて供養を。

 さて……。

 

「素子姉さん」

 

 昼寝しているように穏やかな死に顔で横たわっている素子姉さんを抱き上げる。かつて感じられた力強さも、苛烈な気もそこにはない。見た目相応の軽さと儚さ、死して、死した故の美しさ。持ち上げた時に流れた黒髪は、鮮やかに光を反射して川の如く地面へ流れた。

 

「ありがとう、姉さん」

 

 あの様と果てた俺の所まで来てくれた。共に頂へ至り、競い、鎬を削り、そして、貴女が俺をこれ以上ない場所からもう一つ押し上げてくれた。

 もしも貴女が居なければ、俺はきっと青山だけに腐心していたことだろう。響としての、前世の俺を振り払い、青山の権化となって斬撃を行使したはずだ。

 だが、今の俺は青山響として立つことが叶った。貴女が押してくれたから、青山を越えられた。

 外道の俺を肯定して、正道の在り方を示して、そして肯定し、示したうえで、そう在れと最期に託してくれた。

 安堵してくれた。

 満足してくれた。

 家族として、響であった俺を見てくれた貴女が居たから。

 

「貴女が見てくれた、響の想いをと共に」

 

 ここに、唯一無二の同胞、家族として。響が懐いた斬りたくないという願いを託す。

 鶴子姉さんの隣の穴へと横たえて、その頬を優しく一撫でしてから土を被せる。そして完全に埋まったうえにひなを突き立てようとして――止めた。

 

「正道すらも斬り裂くと誓ったその証明に、この刀と共に俺は次の修羅場へと赴きます」

 

 託してくれた想いすらも抱えて斬り裂くのだ。

 故に、抜き身のひなを腰帯に差して――凛と訴えるような音色に、苦笑。

 

「浮気じゃないさ。許してくれ」

 

 自分を忘れるなとでも言いたそうな証を掴み腰の鞘へ。まるで挨拶するかのように、触れ合った証とひなが刃を鳴らし、凛と震える鞘越しの口づけは、二振りの刃が俺を通じて共鳴し合ったように感じた。

 そう、共鳴してくれた。

 あり方の違う証とひなは、俺という斬撃が在るから相反することない。そのことに内心で感謝して、そして血潮の霧で化粧した姉の墓へと振り返り、一礼。

 

「では、行きます」

 

 まずは木乃香ちゃんを探して、改めて稽古をつけることにしよう。

 それからの予定は――。

 

「それから、これから……うん」

 

 今ではない先を。

 未定である未来を思って知れず浮かぶ微笑は、今だけではない先を思えるようになった進歩だと喜ぶことにした。

 

 

 

 



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第二話【言葉、足りず】

 

『――次のニュースです。昨夜、京都で私有地の大規模な崩落が起きました。近隣の住宅街から離れた山であるため現在のところ住宅等に被害はないですが、近隣の住人の多くが夜中に鳴り響いた崩落時の騒音で体調を崩しており、現在多くの住人が病院で治療を――』

 

「よし、お昼にしよか」

 

『――の発表によると、謎の崩落は地震によって山の地盤が歪んだことが原因とされていますが、専門家によると――』

 

「お姉さま! お姉さま!」

 

『――いいえ、山が崩れる音というよりかは、鈴の音色というか、えぇ、りーん、って、凄い、綺麗な、音色がですね。凛と、凛と、りーんって、凛と、透明で、とても綺麗で、心に染み渡るような。……すみません、これから斬りやすい包丁を買いに行かないといけないのでこれで――』

 

「もう、手間のかかる子やなぁ。……あーん」

 

『――近隣住民の方々へのインタビューではいずれも鈴の音を聞いているらしいのですが……佐藤さん、これはやはり今回の崩落に何か関係があるのでしょうか?』

 

『そうですねぇ。おそらくですがあまりの轟音に耳鳴りを起こして、それを鈴の音色と勘違いしたということでしょうか、住民の方々の不調もその轟音でPTSDに似た――』

 

『――病院では自傷行為を行う住民も居るとのことで――』

 

「あむ、もぐもぐ……おいしー! ……ふふ、次、ウチがお姉さまに食べさせますー」

 

「ん、ありがとー」

 

『――現在は周辺への立ち入りが規制されており、上空よりの映像も禁止されているため詳細は把握できず、記者会見にて京都大震災との関連を質問しましたが警察はこれを否定。ですが一部では大震災で謎の光が街に降り注いだという話も出ており、後日行われる京都大震災対策チームによる会見にて、改めて事件との関連を――』

 

「ふぁ……お腹いっぱいになったら眠くなってきたなぁ」

 

「じゃあ早く宿に戻らないとー。えへへ、お姉さまと一緒ですー」

 

「……案外図太いなぁ」

 

『えー、先程入った情報によると、事故現場周辺からさらに規制範囲が広がり、現在は周辺の住宅街全域が規制範囲となっているとのことです。警察によると崩落によるガス漏れが原因とされ、近隣住民の避難は――』

 

 テレビでは物騒なニュースが流れているというのに平然と食事をとり、風に揺られる風船のようにふわふわと眠たげに頭を揺らす木乃香ちゃんと、そんな木乃香ちゃんの腕に抱き付いてニコニコ笑顔の……月詠さん? を見て、なんというか脱力してしまった。

 木乃香ちゃん達の気を探り当てて合流した俺は、仲睦まじく小さな食堂で食事する二人の傍ら、店の隅に置かれたテレビより流れるニュースの映像を見て小さくない驚きを覚えていた。

 まさかニュースで昨日のことが流れるとは驚きである。一応、映像は撮れないように規制はされているようだが、報道関係を完全に規制することが出来なかったということは、もしかして隠ぺい出来ないレベルまで関西呪術協会の力が弱まっているということなのだろうか?

 

「えっと、月詠さん」

 

「はいー?」

 

「事後処理しきれてないんだけど、協会側はどうしたのだろうか?」

 

「うーん……ウチ、あんま協会内部のことには疎くてー。ごめんなさいー」

 

 そう言って軽く頭を下げる月詠さん。まぁ嘘を言っていないのは分かるので、これ以上聞いても無駄だろう。

 一先ず、分かっていることから解決することにせねば。

 状況的に考えても、今の俺の立場が危ういのは事情を明らかである。

 俺は木乃香ちゃんを真っ直ぐに見つめた。

 

「木乃香ちゃん」

 

 木乃香ちゃんも真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 その眼。

 将来を感じられる素晴らしい瞳の強さへ――。

 

「俺達、別れよう」

 

「へ?」

 

 ん?

 

 

 

 

 

 食堂を出た響は、木乃香たちを引き連れてそのまま近場の公園へと足を運んだ。

 そしてベンチに座った二人に買ってきた缶ジュースを手渡すと、改めて自分の考えを説明しようとするが、それよりも早く木乃香が釘を刺してきたのだ。

 

「そんなん嫌や」

 

「お姉さまが嫌ならウチも嫌ですわー」

 

 懇切丁寧に説明したというのに、変わらぬ笑顔で見事拒否された響は、どうしたらいいものかと頭を抱えたくなってしまった。

 いや、拒否されるのは師匠冥利に尽きるし、嬉しく思うのだが、だからと言って現状を考慮すれば今はこの案しかないと響は思うのだ。

 

「……正直、いつ神鳴流、関西呪術協会、そして最近協会と提携した関東魔法協会に今回のことが判明するのかは時間の問題でしかない」

 

「つまり?」

 

「事件の主犯である俺が遠からず賞金首として手配されるのは明白だ。だから、俺とはここで別れて暫くは元の生活に戻るほうが賢明だろう」

 

「もう、というか最初からそう言うてくださいよ。いきなり別れようなんて、ウチら付き合ってると勘違いしてもうた」

 

「いや、それはもうすまない」

 

「おかげで気まずくなってお店出なあかんかったやないですか。全くもう、響さんの舌足らず、斬りキチ、チューニ病」

 

「お姉さまー、チューニ病って何ですかー?」

 

「えっと……響さんみたいな人のこと。ちなみにウチは中三や」

 

「中三ってことは、お姉さまは響さんより偉いんですかー?」

 

「ふふーん、ウチが一番お姉ちゃん」

 

「凄いですー、流石ウチのお姉さま」

 

「月詠ちゃん、いえーい」

 

「お姉さま、いえーい」

 

 ハイタッチし合う木乃香と月詠の緩々な空気に響は疲れた風に肩を落として嘆息した。

 

「……真面目に聞いてくれ、頼むから」

 

 図太くなりすぎだろうと、内心で響は木乃香にそうぼやいた。

 さておき、別れるべきという言葉だけでは足りなかった不足分はちゃんと説明出来た。そのうえで拒否されたことに対してどう説得するか考えるべきだろうと響は考える。

 木乃香たちに説明した現状を纏めると以下の通りだ。

 青山宗家および神鳴流高弟とその門下多数を殺傷。さらに私有地を破壊しつくして逃走。そして先程のニュースを見る限り、完全な隠ぺいは困難であり、下手したら裏社会の存在が公にされる危険もあり。

 幾ら響が京都を襲ったリョウメンスクナを倒したとはいえ、帳消し出来る問題ではない。むしろ、リョウメンスクナの件は自演だったと言われ、再び関西と関東の間に不信という名の亀裂が走る可能性も考えられる。

 何よりあの鶴子が何も残さずに、自分が望んだ青山完成の場に赴かないはずがないだろう。

 鶴子であれば自宅に証拠を幾つも残して、青山として完成した自分か素子のいずれかを、脅威として裏社会に認定させる手筈は整えているはずと響は内心で唸る。

 いずれにせよ響が今回の件で賞金首にされるのは不思議ではないのだ。

 そう説明しているはずなのに別れることを拒否する二人を説得する言葉が響には見つからず、仕方なくもう一度言葉を繰り返すしか方法がなかった。

 

「ともかく、だな。……君達は麻帆良に戻るといい。本当は修行をつけてあげたかったんだが、俺と居ると君達にまで迷惑がかかる」

 

 故に響は断腸の思いで木乃香にそう告げるのだ。本当ならこのまま木乃香をこの手で育て上げて、完成したところで斬れるまで斬りたいと思っているのだが、そうは言っていられないだろう。

 

「でも……」

 

 だが木乃香は納得いかないのか不満を露わにしている。彼女としても、響という目標を目指すからこその今であり、そして彼の元を離れて、今更日常に戻ることなど出来ないことは分かっていた。

 もう戻れる場所には居ないのだ。木乃香は青山に斬られることで治癒という在り方を捻じ曲げられ、癒しの外道へと足を踏み入れた。後ろには道は無く、きっと自分には前に進んでそのまま倒れるか、あるいは進みきって到達するかしかないのだと理解している。

 だからはいそうですかと納得できるわけがないのだ。

 柔和な笑みの内側、不動の意志を奈落の如き眼から発する木乃香の考えも分かるからか、響も言葉に詰まって唸る。

 

「無論、ずっとと言うわけではない。事が済めばまた君を――」

 

「ウチのこと斬り殺したくせに」

 

「む……」

 

「ウチのことを響さんので沢山貫いて、痛くて、嫌で、血が沢山出て、止めてって何度も言うたのに、何度も何度も突き立てて……ウチのこと好き勝手に乱暴したのに、捨てるんですか?」

 

 それ以上何も言わずにじっと響の顔を下から覗きこんでくる木乃香。

 

「いや……」

 

「……」

 

「ぐ……」

 

 他人が聞けばとてつもない誤解を生みそうな言葉にまずは何か一言告げようと口を開きかけて、木乃香の無言の圧力に押し黙る。

 確かに。

 いや、少しばかり語弊があるが、確かに木乃香の言葉は事実だ。

 だが自分はあの時、『まともだったのだ』。

 だから仕方ないではないか。

 まともだったのだから木乃香に証を突き立てた。

 今は違う。

 俺は、狂っている。

 

「……はぁ」

 

 ――そんなものは言い訳だ。

 響は脳裏に浮かんだそれらの言葉を溜息と共に出し尽くした。

 そして改めてこちらを覗きこむ木乃香へと視線を落とす。

 真剣な瞳。

 絶対についていくと決めた意志。

 

 貴方を必ず癒し尽くすと。

 

 そう、決めているのだ。この外道(青山)は。

 

「……分かった」

 

「ホンマに!?」

 

「ただし、君はまだ隙が多いから無理はさせない。……君を斬るのは、俺だから」

 

 絶対に、必ず。

 君が俺を癒したいと思う以上に。

 俺は君を斬りたくないから。

 

「きっと、斬る」

 

「あはは!」

 

 木乃香は嗤った。

 

「それ、殺し文句って言うんですよね?」

 

 その狂気を嗤えるのが可笑しいから、嗤うのだ。

 

 

 

 

 

 力強く開かれた学園長室の扉は開かれた。

 扉が悲鳴をあげてギシギシと軋む程の膂力は、それを行った者の感情を如実に表わしている。だがそれだけでは測れないほどの強い怒りを纏いながら現れた少年、ネギ・スプリングフィールドが何故そこまで憤りを覚えているのか分からず、近右衛門はアポイントも無しに来訪したネギを咎めることも忘れて沈黙してしまった。

 だが今のネギは何を言っても止まることはなかっただろう。普段の知的な雰囲気は潜み、大人すらも怯えるような鬼気迫る表情で近右衛門に詰め寄り、机に乗り出してその胸倉を掴み上げた。

 

「何故、黙っていたんですか!?」

 

「ネ、ネギ君……まずは落ち着いて――」

 

「これが! こんなことをされて! 落ち着いていられますか! 人事関係をどうして僕が言った通りのメンバーを勝手に変えたんですか!? 答えてください!」

 

 人事関係という言葉で、近右衛門は何故ネギがここまで憤っているのかようやく理解できたが、同時に何故そこまで憤るのか理解出来ずに余計混乱していた。

 当初、京都行きのメンバーと学園に残るメンバーは、計画を提案したネギがそのまま自分で決めて、それに教員の誰もが同意をした。

 しかしその後、残留メンバーに選ばれていた響が自ら学園長に申し出て、自分が京都に行くこと、そしてそのことを出来るだけ外部に漏れないように秘匿するように頼み込まれたので、近右衛門はその通りに周囲には公言しなかった。

 その理由は周囲にあらぬ誤解を与えるというためである。とは言って、まさかネギが真っ先に怒りを覚えるとは思わなかった。

 

「ま、まずはその手を離してくれんかのぉ……これではおちおち落ち着いて話も出来んわい」

 

「……失礼しました」

 

 近右衛門に言われて渋々手を離したネギだが、それは辛うじて残った理性を総動員して自制しているだけであり、いつ再び怒りを露わにするか分からないのは目に見えていた。

 ――これはのらりくらりと話すわけにはいかんのぉ。

 襟元を正しながらそう考えた近右衛門は、隠すこともないだろうと響との話をネギに告げることにした。

 

「……彼が扱う神鳴流という流派については知っているかの?」

 

「はい、身に染みて」

 

「そうか、それなら話が早いのじゃが……彼たっての希望での、その神鳴流秘奥の修行場に向かうことになったのじゃ」

 

「……理由を伺ってもよろしいですか?」

 

 言葉とは裏腹に、全て話せと言外に告げるネギの気迫に、近右衛門は背中がびっしょりと濡れる程の脅威を覚えた。

 だが響が木乃香に術を教えているということを教えていいのだろうか。

 

「……学園長」

 

 思案の最中、近右衛門の葛藤を射抜くようにネギが睨んできた。

 早く話せ。

 でないと、取り返しのつかないことになる、と。

 そんな焦燥すら感じられるネギの視線に、近右衛門は遂に折れ――。

 

「……実はの、少し前から孫娘が青山君の元に――」

 

 告げられる真実。

 

 直後、憤るでもなく凍り付くネギの表情が意味することを、近右衛門は、まだ、知らない。

 

 

 

 

 




次回、死都。

久しぶりのせっちゃん登場。





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第三話【死と踊る】

 

 級友との再会も束の間、刹那はあやかの制止を振り切って飛び出すと、駅構内を走りながら周囲を探っていた。

 

「青山……! 青山……!」

 

 あやかより知らされた最悪によって焦燥感に苛まれながら、刹那は周りの奇異の視線すら意識することもせず、ひたすら怨敵の名を呼ぶ。

 どこに居る。

 お嬢様を連れて、お前は一体何処へ向かっている。

 焦りは徐々に不安へと、そして不安は汚染されるように怒りへと変わっていく。

 

「何処に居る……!? 青山……!」

 

 刹那は人混みの中心で激昂した。

 今にも竹刀袋から夕凪を抜きはらってもおかしくない殺気を滲ませるその形相は、刹那の周囲だけ人が避けて去ってしまうほどだ。

 己への怒り。

 そして青山への怒り。

 ない交ぜになった感情を咆哮に乗せて吐き出した刹那は、暫く頭上を見上げて茫然とした後、再度人混みへと割り込んでいった。

 

「……落ち着け。落ち着け。確か墓参りに行くと委員長は言っていた。そうだ、早く、そこだ。あぁ、そこだから、落ち着け」

 

 必死に冷静になろうと心がけるが、そもそも冷静ならばこの時点で刹那は素子に助けを求めるという選択肢が思い浮かんだはずだ。

 だが、冷静になれるだろうか。

 刹那はもう知ってしまっている。

 実際に出会った青山の外道を。

 そして素子に見せつけられた青山の修羅を。

 例え死線を幾つもくぐってきた者であっても、アレ(青山)を知って冷静でいられる存在など居ない。

 誰もかれもが畏怖する。

 誰もかれもが憤怒する。

 誰もかれもが――羨望する。

 青山とはそういった人類の極みだ。至っていけない存在でありながら、誰もが望む極みに至った唯一無二。

 それを知れば誰もが狂う。

 例外などは何処にも存在しない。桜咲刹那という少女も、青山という修羅に魅せられ、捕らわれてしまった者の一人なのだから。

 

「何処だ……!?」

 

 いずれにせよ一刻の猶予もないのは分かっている。刹那は最低限の配慮として人目につかない場所から一気に空へと飛び上ると、認識阻害の符を体に張り付けてから、忌み嫌っていた翼を一瞬の躊躇もなく展開して、詠春の墓へ向けて羽ばたきだした。

 空を走る一筋の閃光となった刹那は、その体から放出する膨大な力とは裏腹に、あまりにも弱弱しい面持ちをしていた。

 体が意図せずに震える。

 歯が噛み合わず、目尻には涙すら滲んでいる。

 分かっている。

 木乃香を救い出すということ。

 

 つまり、あの青山と対峙するということくらい、分かっている。

 

「お嬢様を助ける……助けねば、青山から……」

 

 己に言い聞かせるようにしながら、だが刹那はその言葉があまりにも空虚に聞こえた。

 助けると言って、助けられる?

 どうやって?

 あの青山から。素子が見せた微かな残滓ですら泣き出しそうになった自分が、あの青山と対峙して、あまつさえその手から木乃香を救い出す?

 そもそも、木乃香が既に青山の手によって何かしら『されている』可能性は十分に――。

 

「……そんなことはない!」

 

 一瞬浮かんだ最悪の可能性を刹那は言葉にして切り捨てた。

 だが一度浮かんだ考えは喉に刺さったかのように取り除けない。

 詠春の墓。つまり本山跡地が迫っている。対峙することを考えて不安が加速する。弱気が体を支配する。

 素子は逃げろと言った。

 だが逃げられないなら、どうすればいいのだ?

 

「……やれる。強くなったんだ。やってみせる。大丈夫。私は大丈夫。だから、お嬢様を助けることが出来る。大丈夫だ……大丈夫、大丈夫」

 

 怖い。

 怖いんだ。

 怖くて怖くて、今にも逃げたいのに。

 刹那は竹刀袋から夕凪を取り出した。

 

「ッ……」

 

 共に死線を潜り抜けてきた相棒が今は、赤子の手よりも頼りない。

 確か手触りで手と繋がったような感触をいつもは与えてくれる木製の柄は、今は泥のように柔らかく頼りない。

 気を纏わせれば鉄すらも容易に両断する刀身も、今は豆腐すらも断てる確信すらも持てないほど不甲斐ない。

 違う。

 全部自分のせいだ。

 刀に責任転嫁しようとする己の弱さに刹那は喝を入れて、だが体に込めた気合は羽毛よりも容易く体より剥がれ落ちる。

 

「う、うぅ……」

 

 これから、青山と対峙する。

 刹那は呻き声をあげながら、大きく抉られた本山跡にゆっくりと降り立った。

 

「……まだ、居ないな」

 

 気配は感じられない。もしかしたら気配を消しているのかもしれないが、あの青山が気を纏って臨戦態勢に入っている自分を察して、わざわざ不意打ちを狙うことはしないはずだ。

 だがもし不意打ちされたら?

 あの斬撃で、自分の大切な何かを斬られたら。

 己の中の一番を、あの奈落の如き眼で暴かれ、見られたら。

 ――私は、どうすればいいのだ?

 

「来い……! 青山、お前は私が……!」

 

 刹那は考えることを止めた。

 思考の放棄とは即ち、全てを諦めるということである。だがそこに気付くことも出来ず、刹那は至高の全てを投げ捨てて、青山が来た瞬間に斬りかかることだけを誓った。

 それ以外の全ては雑念だ。

 そう、全て振り払えば大丈夫。

 震える指先も、乾いた舌先も、荒い呼吸も、滲む冷や汗も、瞳に浮かぶ雫も、柔らかくなった足下も。

 全部、気のせいだ。

 

「お嬢様を守るんだ。私が守るんだ」

 

 さぁ来い。

 斬ってみせる。

 掌の感触が無くなるくらいに夕凪を握り締めているぞ。

 荒々しく揺らぐ程、気が充実しているぞ。

 一点しか見えないくらいに視野が狭まるくらい集中しているぞ。

 だから来い。

 必ず斬ってやる。

 だから。

 早く。

 

 ――そして。

 

「……」

 

 気付けば太陽は完全に地平線の彼方へと消えていた。

 

「……」

 

 あれからどのくらいの時間が経ったのか。いつの間にか訪れた夜を認識した刹那が呆けたように空を見上げる。

 リョウメンスクナの砲撃の影響で破壊しつくされた本山周辺には、その他の被災地域と違って僻地であるためか未だ灯りなどは設置されておらず、月と星明りしか周囲を探る術は無い。

 だがいつまでたっても青山が来る気配は無かった。

 青山が来ない。

 青山と対峙しなくてすむ。

 

「……よかった」

 

 刹那は無意識に安堵の一言を口ずさんでいた。

 

「……あ」

 

 瞬間、己が今呟いた言葉の意味を察して、崩れ落ちる。

 よかったと言ったのか。

 お嬢様を救うのだと意気込んでいながら。

 その実、青山と出会わなかったことをよかったと喜んでいるのか。

 

「あ、あぁ……」

 

 夕凪を落として、刹那は両手で己の顔を覆った。

 堪えていた涙は一気にあふれ出していた。

 止める術はない。

 己の弱さが招き、己の心の浅ましい部分を理解し、そして己の偽善を悟った今、どうして堪えることが出来ようか。

 

「う、うぅ……すみません……お嬢様……私は……!」

 

 何もかも分かっていただろう。

 駅を探るのも、青山が傍に居たなら自分のことにはすぐに気付いただろう。それなのにわざわざ『時間をかけて』駅の中を探した。その後、墓参りという都合のいい言い訳を信じて、『逃げるように』この場所へと訪れた。

 そして、『来ないことなんて分かっていたのに』夜になるまでこの場所で息をひそめて縮こまっていた。

 

「私は卑怯者だ……!」

 

 木乃香を救うという思いよりも、あの男と対峙して己の一番大切な部分を斬り捨てられることを恐れたのだ。

 木乃香のためと自分に言い聞かせながら、その実、木乃香を言い訳にして逃走を図り、そして一人で勝手に自分を罰している。

 これを卑怯者と言わずになんと言おうか。

 刹那は逃げたのだ。青山という恐るべき修羅『共』から、何もかもに目を閉じて耳を塞ぎ、部屋に閉じこもって体を丸め、過ぎ去るのを待ったのだ。

 ――その証拠に、ほら。

 

 凛と、大気を走る鈴の音色が耳に木霊したのを感じた。

 

「は、はは……ははっ……」

 

 ――この音は、素子様の命だ。

 

 刹那は笑った。

 泣きながら乾いた笑みを浮かべた。

 大多数の人間は気付かないだろうが、二人の青山を知る刹那はきっと麻帆良からだってこの音色を感じ取れただろう。

 一瞬、全てを忘れて聞き入ってしまうほどに美しい旋律。

 命が奏でる最後の歌声は同時に、外道が生き残るという最悪の結果を知らせる絶望の狼煙であるのと同義である。

 だがどうしろというのだろうか。

 刹那は両手を地面について項垂れた。

 

「無理に決まっている……こんな、人間なんか……」

 

 人の極地。人間のみに許された狂気が産んだ可能性の果て。

 今や、その身を流れる血に対する考え方が逆転しているのを刹那は否応なしに認めざるをえなかった。

 人間は恐ろしい。

 殺し、破壊し、蹂躙するだけの化け物よりも、きっと絶対に恐ろしい。

 化け物の持つ恐ろしさは、それが化け物故に絶対に存在する悍ましさだ。

 だが人間のそれは、言語では語れぬ狂気。化け物とは違って、善と悪という価値観がある故の恐ろしさ。

 善きことを知りながら、悪をなせる狂気の異常。

 恐ろしい。

 この体に、人間(狂気)が流れているのが恐ろしい。

 

「……疲れた」

 

 もう、考えることすら疲れた。

 刹那は傍に転がっている夕凪を胸に抱きしめると、胎児のように体を丸めて目を閉じた。

 

 

 

 

 

 目が覚めた時、刹那は辛うじて心に残っていた思いを燃やして、ふらつきながらもなんとか立ち上がることが出来た。だが自分でもどうして立ち上がれたのか分からない。恐怖は纏わりつき、自覚した己の弱さは、さっさと逃げ出せと耳元でささやき続けている。

 だが立ち上がれた。

 理由は分からないが、立ち向かえと体は動きだしている。

 

「……覚悟を決めろ、桜咲刹那」

 

 随分と眠っていたせいか、既に傾き始めている空を見上げて、刹那は再度、逃げ出したくなる体を強引に突き動かして、素子と青山が激闘を繰り広げた修行の地へと飛び立っていった。

 不思議と昨日よりも軽やかな羽を羽ばたかせて向かう先、既に日は再び落ちて夜の帳が周囲を満たした。刹那は暗がりに居ることと認識阻害の符が機能しているのが分かっているものの、慎重に慎重を重ねて、修行場の付近にある住宅街の手前に降り立った。

 気配を消しながら物陰を進んで目的地へと急いだ。

 

「警察?」

 

 それから数分程歩いた先、物陰から道路を伺った刹那は、厳重に封鎖された道路に並ぶパトカーと警察官達の姿を確認した。慌ただしく動く警察官の表情はいずれも暗い。いや、恐怖なのだろうか。蒼褪めている表情から察した刹那は、それよりも何故警察がここに居るのか考える。

 何か大きな事故でもあったのかと思案して、刹那は即座に素子と青山が争った影響なのではないかと思った。まさか修行場だけでは戦いが収まらず、その周囲にまで戦いが波及したのだろうか。

 ――充分にあり得る。

 額に滲む冷や汗を拭いながら、裏の事情を隠ぺいすることなど考えることもしていないだろう二人の青山がどのような災禍を撒き散らしたのか戦慄する。

 だがここより先に行かなければ木乃香の消息を掴めないのだ。

 ――前にしか道は無い。

 虎穴に入る覚悟を決める。そして警察の警戒を縫って住宅街に侵入しようと立ち上がると、静かに住宅街へと入っていった。

 

「……気の反応は無いか」

 

 規制されて人が居ないせいなのだろうか。静寂に包まれた街は何処か不気味で、青山の気配はおろか人の気配は一切感じられない。

 なのに、体に絡みつくこの不快感は何なのだろうか。空気が粘性をもったような不快感。そして鼻をくすぐるこの臭いは――。

 

「おかーさーん。おかーさーん」

 

 思案を巡らせる直前、暗がりより聞こえてきた子どもの声に刹那は気付く。

 こんな時間に子ども? 不思議に思いながら声の方向に視線を向けて、鼻に絡む臭いがいっそう濃くなるのを感じた。

 

「う……っ」

 

 そして街灯に照らされたその姿を見た刹那は、反射的に呻き声をあげて一歩引いてしまった。

 

「おかーさーん」

 

 刹那よりもさらに一回りは年下の少年が、血塗れになった姿で、両手に刃の欠けた包丁を構えて歩いている。

 相手は少年だ。包丁を持っているとはいえ、刹那でなくても警察官なら危なげなくあしらえるはずのか弱き一般市民でしかないはずだ。

 

「おかーさーん」

 

 だが刹那は、ゆっくりと歩いてくる少年が、只の少年だとは思えなかった。

 母親を求めて彷徨っている。だがどうしてだろうか。壊れた機械のように母親を呼ぶその声は、感情の一切が排除された無機質なものだ。いや、今どきの機械ならもっと感情が込められた声を出力することが出来るだろう。

 まるで魂が根こそぎ奪われたような――否。

 

「き、斬られたのか……」

 

 刹那は悟った。

 あの少年は斬られてしまったのだ。か弱い故に無抵抗なまま、一方的にその魂を蹂躙されて、今そこに居るのは残骸よりも悲惨な抜け殻。

 少年の形をした『何か』。

 

「おかーさーん」

 

 呼びながら、何かを斬ったことで欠けた――おそらく、あぁおそらく、呼び続けている母親の血肉だ――包丁を街灯で照らして、少年は生理的な嫌悪感に震える刹那をその眼で捉える。

 魂を斬り捨てられて、肉のみと化した悍ましき傀儡。

 伽藍となったその体に注がれたのはきっと、斬撃と言う名の――。

 

「おかぁぁぁぁさぁぁぁぁぁん」

 

「う、うぁぁぁぁ!?」

 

 新たな標的を見つけた少年が、その見た目とは裏腹に常軌を逸した速度で駆ける。肉体のリミッターを外して動いているせいか、まるで蜘蛛の如く四肢を振りながら走る様は、刹那の疲弊した精神を揺らすには充分だった。

 だが悲鳴をあげながらも、刹那の体は反射的に動く。既に竹刀袋から取り出していた夕凪を抜きはらうと、懐まで入ってきた少年の放つ包丁の刃を受け止めていた。

 

「おかーさん? おかーさん?」

 

「ひっ……」

 

 子どもとは思えない膂力と、無表情ながら口許だけ笑みを象っている少年の異形に引きつった声が漏れる。最早、それは人間ではない。皮だけ真似た獣。命を斬ることだけしか考えられないガラクタ。

 それでも、相手がただの子どもであるという事実が、刹那に反撃という選択肢を選ばせられずにいた。

 

「来るなぁ!」

 

 刀越しでも伝わる不気味さを払うように、気で体を強化した刹那は少年の体ごと包丁を薙ぎ払う。体重差と相まって、少年は容易く地面すれすれを滑空した。

 

「あ……!」

 

 思わず加減抜きで刃を振るったことに気付くがもう遅い。咄嗟に刹那が手を伸ばした時には、砲弾のように飛んだ少年の体は、反対側の塀に直撃し、そのまま崩落させてしまった。

 巻き起こる粉塵と破砕音。幾ら人間離れしているとはいえ、所詮は子どもでしかない少年の肉体は、瓦礫の内側より流れ出す鮮血がその惨状を物語っていた。

 

「あ、あぁ……」

 

 殺した、のか。

 刹那は反射的にとはいえ、己が為したことを考えて体を震わせた。

 自分はこの手で、妖魔ではなく人を殺したのか。

 違うと否定しようにも、道路に広がる赤色は現実だ。

 

「そんな……わ、私、は……」

 

 違う。違うんだ。

 本当はただ素子様の最期がどうだったのか見届けて、お嬢様の行方を捜すつもりだった。

 それだけなんだ。

 殺すつもりは――殺す?

 

「殺したんだ……私」

 

 人間を。

 しかも、無力な子どもを。

 状況がどうあれ、事実は事実だ。桜咲刹那は自分よりも幼い子どもをこの手で殺めた。誰が言おうとも、刹那自身がそう認めてしまったのだ。ならば、真実は一つだけ。

 

 お前が殺した。

 

 ――人間が気持ち悪いから殺した。

 

 この、化け物が。

 

「う、ぅぅぅぅ……」

 

 刹那は溢れそうな声を、右手を噛んで抑えた。皮が裂けて血が口の中に滲むが、それでも堪えようとして、だがやはり涙だけは堪えることは出来ない。

 

「う、うぅ……ぅぁぁぁ……」

 

 ぼろぼろと零れる涙と共に、辛うじて残っていたなけなしの覚悟すらも消えていく。

 動けるのか?

 動けないのだろうか?

 どっちだろうか。

 どっちであろうとも――。

 

「こっち? こ、こここっこっち?」

 

「痛いよー。痛い痛いー」

 

「あがぁ、腕斬ってー、腕―」

 

「これね、包丁ね。斬るからね。そう、斬れるよー。斬れるんだー」

 

 いつの間にか、刹那を取り囲むようにガラクタの群れが現れた。

 それは己という在り方を斬られた者達が、未だ己を保っている刹那という誘蛾灯に群がるかのように。たった数分もせずに現れた人々は、誰もかれもが手に何かしらの刃物を持ち、全身真っ赤に濡れていた。

 むせ返るような血潮の香り。

 体に纏わりつく感情なきガラクタの視線の冷たさ。

 

「う、うぅ……」

 

 何の覚悟もなく、胸に辛うじて引っかかっていた木乃香を守りたいという残滓に突き動かされた結果。

 それがこれか。

 唯一懐かせた正義すらも、青山(人間)は許さないというのか。

 ならば自分は何のためにここに居る。

 何のために木乃香を置いて修行に出たのだ。

 

「くそ……くそぅ……!」

 

 いっそこのまま凶刃に貫かれたほうが楽なのかもしれない。

 しかし刹那は怖いのだ。

 こんなガラクタに突き刺され、無価値と断じられるような末路を迎えるのが怖いから。

 

「うぁ……うぁぁぁぁぁ!」

 

 夜に吼える。

 闇に悶える。

 月下に翻る夕凪の刃は、斬るべき邪悪ではなく、ただ奪われただけの弱者の赤を吸うためだけに、今宵夜の闇を駆け抜けた。

 

 

 

 




次回もせっちゃんハードモード。

実はAルートのアフターもせっちゃんはこんな感じでした。青山からは逃げられない!


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第四話【「立ち上がれ」とは言えないけれど(上)】

 ――まさかまたここに訪れることになるなんてね。

 

 駅より出た明日菜は、体感時間的には半年以上振りにはなるだろう京都の街並みを見て内心でそんなことを思った。

 隣のネギも似たようなことを考えているが、修学旅行のことを懐かしむ余裕はなかった。もっとも、フェイト・アーウェルンクスとの死闘や紅蓮に染まった街並みを思えば懐かしめる代物ではないのだが。

 

「とりあえず皆に合流する?」

 

「それよりも、ニュースでやっていた私有地崩落事件が気になります。もしかしたら何かしら関係があるかもしれません」

 

 明日菜の提案にネギは即座に別の案と告げた。

 勿論、今すぐにでも麻帆良からボランティアに訪れた学生に同伴している魔法教師の面々に何かしら伝えるのも大切だ。

 だが昼頃に近右衛門と会話したネギは、彼らが青山という男に抱いている評価が自分の抱いているそれとは著しくずれていることを悟った。ならば、近右衛門の部下とも言っていい彼らに何か言っても無駄だろう。そもそも、実害が未だ出ていないのに何を伝えろというのだろうか。

 

「もしも青山さんに関連があれば、それを持ってあちら側に事情を説明できるでしょう」

 

「証拠集めってわけね。……まぁ私もアンタがその、青山さん? って人を警戒しているって言わなきゃ、京都で私達を助けてくれた恩人程度にしか思えないからね」

 

「えぇ、だから木乃香さんを預けても学園長は平然としていました」

 

「……私も木乃香が危ないって言うなら黙っていないわよ。というか、何であの爺、孫娘が危ないってのに何もしないのかしら?」

 

 事実、ネギは近右衛門から木乃香が青山に預けられていると知った時、青山という男の危険性を語ったつもりだったが、近右衛門は話に耳を傾けながらも、「お主ももっと彼と接すればそれが勘違いだと分かるじゃろうて」とまるで心配した様子を見せなかった。

 

「信頼ですよ」

 

 ネギは明日菜の疑問に苦渋を滲ませた表情で答える。あり得ないと思いながらも、客観的に見ればこそ至る結論が許せないと言わんばかりであった。

 

「信頼?」

 

「コミュニケーションに難があるものの、勤務態度は良好、目立った問題行動はなし。そして主な実績として、エヴァンジェリンさんの暴走を一人で止める。京都では死者を大量に出した鬼とそれに匹敵する術者を一人で排除する。最近では学内に侵入した悪魔もその手で滅ぼす。いずれも被害は出ているものの、殆どは青山さんではなく周囲がもっと気を配れば被害を食い止められたものであり、あの人一人の責任とは言えない。……実績は十分で、普通に話す分には実直な性格も相まって信頼を得るのは当然でしょう。対して僕らは――」

 

 ネギがさらに続けようとしたのを、明日菜は察したようにその手で遮って、自嘲しながら続きを語った。

 

「あの死にたがりに勝手に突っかかって負けて、京都で任務を果たせず師匠に助けられて辛くも離脱。悪魔のほうも……私を助けたって言っても、倒したのは悪魔の従者かぁ」

 

「付け加えるなら僕らはただの子どもです。七光りを誇るのは癪ですが、僕がサウザンドマスターの息子であることを加味しても……」

 

 それ以上は言うまでもない。青山とネギ、どちらに信を置くか第三者に聞けば、十人中十人が青山だと答えるだろう。確かに過去、過ちを犯したのは事実だが、だが当時の青山はまだ少年からようやく青年に変わろうとしている頃だ。現に本人がそのことを反省し、そして言葉だけではなく行動で証明しているのは一つの側面から見た真実である。

 明日菜自身も、青山に対しては根暗で近寄りがたい人間だが、自分を助けてくれた恩人だという気持ちの方が強い。むしろ、青山を警戒しているネギのほうが異常なのは少し考えれば分かる。

 だが明日菜は青山よりもネギと過ごした時間が長い。そしてネギが根拠なく青山を警戒する理由も、あの悪魔に捕らわれた当時のネギを知っているからこそ何となく察することも出来た。

 いずれも信頼。

 時を重ねたからこその密度。

 

「信頼、かぁ」

 

 納得だ。己が根拠も無くネギの言い分を信じてここまでついてきたのも、信頼があってこそのものである。

 

「まっ、アンタの不安が、あれよ、キユーであってほしいと願うばかりね。あの人が敵になるとか、エヴァちゃん相手にするのと同じくらい洒落にならないわ」

 

「違いありません。って明日菜さん杞憂なんて難しい言葉覚えたんですね」

 

「ふふーん、いつまでもバカレンジャーじゃないっての。……つーかその言い方馬鹿にしすぎてムカつくんですけどぉ?」

 

「あぶぶ! 頬を引っ張ぶぶぶ!」

 

 ジト目でこっちを見る明日菜に頬を弄ばれながら、ネギ自身もそうであれば何よりだと思った。明日菜の言う通り、杞憂ならいいのだ。自分でも何故ここまで青山を警戒しているのか、明確な理由は存在しないのだから。

 そんな思考も含めてじゃれ合いは終わりだ。明日菜が頬を離したのを合図に表情を引き締めた二人は人混みの無いビルの隙間に入ると、見られていないことを確認してから、ネギは杖に飛行魔法をかけて跨り、明日菜は己の体を気で強化すると、合図も無しに共に空へと飛び上った。

 

「乗ります?」

 

 飛翔する間にネギが問いかけるが、明日菜は軽く顔を振った。

 

「遠慮するわ。虚空瞬動の練習にもなるしね。もう少し頑張れば空気を噛むって感覚掴めそうだし」

 

「遅れないで下さいよ?」

 

「そりゃこっちのセリフだっての。あんまり鈍間だと先行っちゃうから頑張りなさい?」

 

 互いに挑発し合って微笑。そうしている間に、空を自在に走るネギの背中を、明日菜は大気を蹴って追いかけ始めていた。

 時の流れが現実と異なる空間で一ヶ月弱の間で半年以上の修練を積んだ二人の技量は、その世界でも一握り程の才覚によって一流の魔法使い程度なら一対一でも圧倒できる。それは音も発することなく虚空瞬動を使いこなす明日菜と、抑えているとはいえ虚空瞬動に先導する形で杖に跨り空を舞うネギの動きを見れば分かるだろう。

 ふと見下ろした街並み。復興がようやく始まったばかりの京都は、所々灯りの点いていない場所が目立っている。

 

「……」

 

 そんな街の景色から視線を切って、先を行くネギの背を追ってどの程度時間が経過しただろうか。徐々に速度を落とし始めたネギに追いついた明日菜は、ネギの跨る杖に足を乗せた。

 

「降ります」

 

 言うが早く高度を下げたネギは近くのビルへと着地する。周囲に人が居ないのは気配を察すれば分かる。だが、ネギと明日菜は夜であることを抜きにしても、あまりにも人の気配がしなさすぎることに違和感を覚え、その理由を即座に悟った。

 

「これは……」

 

「ッ……何よ、これ」

 

 屋上より見下ろした先、道路を彩る鮮血のアート。ここにまで臭いが届く気がするくらいに真っ赤な液体が広がる街には、ゴミのようにかつて人間だった物のパーツが散らばっていた。

 

「明日菜さん、あまり――」

 

「大丈夫。怖いのは、慣れてるから」

 

 師匠であるアルビレオから習ったのは戦闘のことばかりではない。苦手ではあったけれど、座学や魔法を使った仮想戦場等にて、戦場のことについて学んでいたのが幸いした。何も知らなければ屋上からでも臭う血の香りに嘔吐していただろう。

 それでも蒼白になる表情まで取り繕うのは、明日菜はおろかネギであっても無理であった。

 

「……キユー、じゃないっぽいわね」

 

「……残念ながら」

 

 これはテレビで情報規制がかかるのも無理はない。見渡す限りの惨劇は、どの部品が元の主の物であったのか分からない程に混迷を極めている。

 だが一つだけ言えることがあった。

 

「斬ったんだ……」

 

 誰、とは言わなかった。

 それでも誰かが斬ったのは、事実のはずで、何が原因なのかを、ネギは知っている。

 

「ネギ、あっちから音が聞こえる」

 

 直後、言葉も無く眼下を見下ろしていたネギの隣で、惨劇を惨劇としか認識しなかった『からこそ』冷静さを取り戻した明日菜が、気で強化された聴覚で遠くより響く音色に気付いた。

 遅れてネギも何処からか鳴り響く音に気付く。誰かの声と、ぶつかり合う硬質の響きと、そして斬り裂かれて溢れ出る血潮の弾ける音。

 

「青……いや、違う」

 

 青山ではない。即座に否定したネギは隣の明日菜を見上げると、聞くまでも無く力強い眼差しで明日菜は答えてくれた。

 言葉は不要だ。明日菜に感謝の笑みを一つ返すと、二人は同時にビルより飛び降りた。

 叩きつけられる夜風は気にも留めない。一気に近づく地表、このまま落ちれば激突は必然だが、足先に感じる大気の重量を感じ取って、虚空で方向を捻じ曲げる。

 目指す先は近い。虚空瞬動で距離を詰めた二人の耳に響く誰かの声。

 無数と散らばる骸の中心。咆哮をあげながら今まさに最後の一人を葬ろうとしているのは――。

 

「泣いてる?」

 

「……ッ!? 刹那さん!」

 

 ネギが判断するよりも早く、血潮に踊る影の正体に気付いた明日菜がその名を叫んで加速した。

 何をしようとしているのか。明日菜は音すらも後ろに置いた世界で、骸の中心で涙しながら刃を振り上げている刹那と、その刃に斬り捨てられんとしている少女の間へと割り込んだ。

 

「うわぁぁぁぁ!」

 

「駄目!」

 

 召喚したハマノツルギと夕凪の刃が火花を散らした。間一髪で間に合った。安堵も束の間、明日菜の培った勘は背後より忍び寄る悪寒を瞬時に感じ取った。

 

「ッ!?」

 

 振り返ると同時、守ったはずの少女が手にした鎌を振り下ろしてきた。

 気も運用していない少女の動きにしては常軌を逸したその斬撃速度。しかし幾ら速いとはいえ所詮少女のそれだ。明日菜は一瞬呆気にとられたが、ハマノツルギより片手を離して、掌を強化した状態で鎌の刀身を握りこみ、一気に握りつぶした。

 砕け散る鋼の煌めきを、無貌の表情でその残滓を見送っていた少女は、明日菜によって刃が砕かれたと悟った瞬間、突如狂ったように両手で髪をかきむしり始めた。

 

「あぁぁぁぁ!? うぁぁぁぁぁぁ!」

 

「な、なによこれ……」

 

「明日菜さん! ……ッ。これは」

 

 怯えを隠せずにいる明日菜に遅れて合流したネギも、狂乱する少女の姿に畏怖を覚えた。

 冗談ではなく血を吐きながらネギよりも幼いだろう少女が絶叫している。少女が狂乱しているという理解不明な状況にどう対処すれば分からなかった。

 それでもネギは困惑するばかりの明日菜と違って、少女が何故狂ったのかについて察することは出来た。

 斬られたのだ。

 理由は分からないが、この少女はその幼さゆえに斬られ、そして鳴り果てたのだ。

 ならばもうどうしようもないのではないか。

 

 そう考えるネギと明日菜の背後より――血をたらふく啜っただろう鋼鉄が、少女の胸を一突きした。

 

「あ、が」

 

「……死ね」

 

 二人の間より刃を、夕凪を突き出した刹那が、蒼白した顔に酷薄な笑みを浮かべながら、濁りきった眼を涙で濡らして喉を鳴らす。

 

「死ね」

 

 胸から引き抜き、繰り返す。

 

「死んでくれ」

 

 求めるように彷徨う掌へ。

 

「頼むから」

 

 痙攣を繰り返す腹へ。

 

「斬りたくない」

 

 もがくように震える足へ。

 

「殺したくない」

 

 ――どうして殺すの?

 

 そう訴えかけてくるような、その眼に。

 

「殺したくないから!」

 

 繰り返し、突き刺し、生血をすする。

 

「が、ぎ」

 

「だから、死んでください……!」

 

 最期に、耳を塞ぎたくなるような悲鳴をあげかけたその喉を一突きする。

 逆流した鮮血が顔中の穴より溢れ出るのが、月明かりに照らされてまざまざと見せつけられた。

 それはおよそ考えられる死の中でも悲惨な部類に入るものだろう。全身を貫かれることによる悶死。まるでそれは化け物が人を快楽のまま蹂躙して食らい尽くす様に似ていて。

 

「明日菜さん、怪我は?」

 

 それでも刹那は、魂を失ってしまった少女の強襲から二人を守ったのだ。被害者でしかない一般人を殺し尽くしたけれど、刹那はせめて二人の前だけでは掻き集めた冷静さを持って労うように明日菜へと手を伸ばし。

 

 一歩、たった一歩、明日菜は逃れるように後ろへ一歩下がった。

 

「どうして、こんな……」

 

 何故、殺した。そう思うのは仕方ないだろう。正気を失っていた。そうしなければもしかしたら明日菜は己が危なかったかもしれないと分かっている。

 だが、何故あのような殺し方をした。

 何故、あぁも狂気的に嗤いながら、人を斬れるのだと、明日菜だけではない、隣のネギの眼にも同じ思いが宿っていた。

 

「あ……」

 

 それはきっと、最後の一押しだったのだろう。虚しく虚空を掻くに終わった掌を見つめ、むせ返るような血に染まっているのを自覚した瞬間、刹那は自分の心が砕け散る音を確かに耳にした。

 

「嫌だ……」

 

 親に叱咤された童のように表情を歪め、夕凪を掌より落としたことすら気にも留めずに、刹那は一歩、二歩と下がって、震える両足が絡まって崩れるように倒れてしまう。

 

「せつ……」

 

「私に触るな!」

 

 咄嗟に明日菜が掌を伸ばすが、刹那は乱暴に振り払う。弾かれる手に付着する赤、全力で払われたために一際大きな音が響、明日菜の顔が痛みに歪む。

 

「ッ!?」

 

「あ……」

 

 傷つけた。

 違う。

 私は、ただこんな自分に触れられたくなくて。

 そんなつもりじゃなかったんだ。

 即座に己がした行為に後悔するように、掌を抑える明日菜へ謝罪を告げようと口を開いて震える掌を伸ばし――その手が血に染まっているのを再度悟り、動きを止めた。

 

「は、はは……」

 

 無力な人の血で染まっている。

 そんな自分が、今更どの口で謝罪を告げられるというのか。

 

「……ッ。消えてください。今すぐここから……」

 

「そんなこと……」

 

 明日菜は先程、僅かとはいえ感じてしまった嫌悪を謝ろうとするが、刹那はそんな明日菜を押しとどめるように、無理矢理口許を笑みの形にしながら、その両手を広げて明日菜へと向けた。

 

「ほら、私の身体、真っ赤でしょ? そうです。その子も、そこらに散らばる腕も足も頭も(はらわた)も! 全部を全部私が斬ったのです! 殺したんですよ? 一般人を私はこの手で、この、この……手で……!」

 

 喉を震わして、刹那は最後まで言い切ることは出来ずに顔を伏せた。

 

「私、は……」

 

 合わせる顔がないのだ。理由はどうあれ人を殺した。そして目の前で躊躇なく少女を執拗に突き刺して殺してみせた。

 

「こんな姿、貴女達に見られたくない……」

 

 青山によって人に絶望した。

 だからと言って、化け物に堕ちる程、刹那は弱くもなかった。そして、再び人として懐かせた正義を立て直せる程、強くもなかった。

 どっちつかずの中途半端な何か。

 人間もどきの、化け物もどき。

 

「ウチを、見ないで……」

 

 それでもこんな私を見ようとするなら。

 

「刹那さん!?」

 

 転がっている夕凪を拾って立ち上がった刹那より溢れ出る殺気。呼応するようにその身から迸る気の量に明日菜が叫び、ネギが冷静に戦闘態勢を整える。

 嘘だと思いたい。

 だが度重なる鍛錬を経た明日菜の勘も、ネギと同じく刹那の殺気がこちらに向けられているのだと悟っていた。

 

「止めて! こんな、おかしいよ刹那さん!?」

 

「じゃあ、どうすればいいんですか」

 

 それでも説得をしようとする明日菜へ、刹那は自虐の笑みで応じた。

 ここに至るまでに何かがあったと語るのは容易い。

 理由はあった。

 仕方がなかった。

 人間が怖かった。

 化け物が嫌だった。

 

「どうしようもないじゃあないですか」

 

 理由は、何だった?

 仕方ないって、何だ?

 人間が怖いのは己が正義を志すには弱すぎるから。

 化け物が嫌いなのは己が正義を志すくらいに強かったから。

 中途半端などっちつかず。

 宙ぶらりんで、決断できない私。

 

「逃げたくて、逃げれなくて、立ち向かいたくて、立ち向かえなくて……結局私は何も出来へん! ウチは何も出来なかった! 出来なくて、もう分からない! 分からない! ウチにはもう私が分からないですから!」

 

 ならどうすればいい?

 分からない。

 でも、そんな私を心配してくれる貴女達の瞳が――。

 

 まるで、(ウチ)を責めたてるように見えるのです。

 

「刹那さ――」

 

「来ます、明日菜さん!」

 

 刹那の背中より広がる純白の翼。天使のように美しく穢れを知らない輝きは、夜を斬り裂く一筋の流星の美しさ。

 だがしかし、人の生き血で真っ赤に染まった体より産まれ出た翼は、まるで啜った命で練り上げられたようにしか見えなくて。

 

「私を見るなぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 絶叫と共に中途半端な化け物が走り出す。

 そのあまりにも痛々しい姿に憐れむ暇すらもなく、明日菜は己の首を狩りに走る銀色へ、手にした鋼鉄を合わせるのであった。

 

 

 

 




次回、VS刹那。足掻けることは知っている。


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第四話【「立ち上がれ」とは言えないけれど(下)】

「話を……!」

 

「うあぁぁぁぁぁ!」

 

 明日菜の呼びかけごと斬り捨てるように、刹那は打ち合わせたハマノツルギもろとも明日菜を吹き飛ばした。

 

「ッ……この、分からず屋!」

 

 咸卦法を使用していなかったとはいえ、一方的に膂力で負けた明日菜は内心の動揺を隠しつつも、地面にハマノツルギを突き立ててネギより背後に吹き飛ぶことは辛うじて堪える。

 しかしその一手を行う間に刹那の姿が明日菜の視界より消えた。だが明日菜の感覚は真横に捉えた刹那の姿を逃してはいない。半ば本能で引き抜いたハマノツルギが再度夕凪の刃と噛み合って火花を散らす。

 

「明日菜さん!」

 

「下がって! 大丈夫!」

 

 援護に入ろうとするネギに振り返ることなく明日菜はそう言い切ると、その直後、明日菜の身体から放たれる力が爆発するように膨れ上がった。

 魔力と気。相反する力を混ぜ合わせるという、達人ですら到達できる者は一握りしか存在しない究極の一。

 咸卦法。卓越した技量と経験が合わさって初めて操れるその技を、明日菜は刹那と鍔迫り合っている最中に発動してみせたのだ。

 

「おらぁぁ!」

 

 同時、乙女に似つかわしくない男らしい気迫に合わせて、先程のお返しとばかりに刹那を強引に薙ぎ払った。

 だが明日菜は決して油断することなくハマノツルギを構え直す。欲しかったのは態勢を立て直す時間のみ。現に遥か上空に吹き飛ばされた刹那は、虚空で一回転し羽を広げてその場にとどまった。

 

「……やっぱ剣術じゃ叶わないか」

 

 薙ぎ払ったのではない。薙ぎ払いをさせてもらったのだ。

 明日菜の咸卦法が脅威と悟った直後、刹那もまた一呼吸置く時間を欲したからこそ、あえて明日菜の刃の勢いに体を乗せただけ。

 たった一合。だが明日菜は、出力はともかく力を操る技術で遥か劣っている自分をまざまざと自覚させられた。

 ――だからどうしたってね。

 明日菜は獰猛に笑うと、天使の如くゆっくりと地表に近づく刹那へと躊躇いなく飛びかかった。

 疑問はある。

 迷いはある。

 だが、覚悟はある。

 

「ちょっと痛いけど許してね刹那さん!」

 

 小難しいことは倒してから考えればいい。

 物事が少しでも複雑になった時、すぐに短絡的になれることは彼女の短所であるが、同時にこういった場においては何よりも優れた長所なのだ。

 下から掬い上げるように放ったハマノツルギの腹部分が刹那の脇腹目掛けて加速する。咸卦法を操り、思考を切り替えた明日菜の一撃は先程までの比ではない。対峙する者には人間大のミサイルが襲い掛かってくるかのような威圧感を与えてくる感情と肉体の熱量は、だからこそ今の刹那には耐えられないくらいの重圧となっていた。

 

「来るなぁぁぁぁ!」

 

 明らかな動揺を露わにしながら、刹那は空を軽やかに舞ってハマノツルギを掻い潜った。思考とは裏腹に、練り上げた技術は主を決して裏切らない。洗練された技術に混沌とした感情を乗せられた夕凪は、本人の戦意とは関係なく、急所を的確に突いていくのだ。

 だが明日菜の本能は卓越した達人の刃にすら追いすがる。

 幾重と連なる鋼鉄の残響と赤く弾ける光。

 空を自在と舞う白い輝きに、稲妻のような軌跡を描く閃光は纏わりついて離れない。

 振り払えないし、斬り落とせない。

 一か月前は戦いなど殆ど知らなかった明日菜に苦戦を強いられているその事実に、恐慌状態の片隅で刹那は僅かな憤りを覚えた。

 否、これは相手へのではなく己への憤りだ。

 一ヶ月。

 そう、一ヶ月は自分もそうだ。

 青山素子の元で武を磨いた日々。一か月前の自分とは比べ物にもならない強さを手に入れたはずだ。

 

「斬空閃!」

 

 虚空瞬動で追いかけてくる明日菜へと、苦し紛れに気の刃を無数と放つ。だが迷いから選ばれた選択肢が正しいはずがない。

 

「この程度!」

 

 その心境を表すように集束もされていない気の塊など避ける必要すらない。突き出すように構えたハマノツルギが、襲い掛かる気のことごとくを逸らし、あるいは消滅させた。

 その光景に目を見張るのも束の間、刹那を間合いに捉えた明日菜は振りかぶった峰が前に来るように返して構え直したハマノツルギを全力で振り下ろす。

 

「おりゃあ!」

 

「ぐぅ!?」

 

 技で隙を作るどころか技の隙を突かれた刹那は辛うじて夕凪で受けることに成功するものの、咸卦法の力を全力で注ぎこんだ明日菜の一撃に押されて、絡み合うように地表へと落ちていった。

 このまま地面に押し込むつもりなのか。

 だがその程度ならば気で強化された肉体はさほどの痛打にはならない。それでも充分なダメージがあるのを覚悟して歯を食いしばって明日菜を睨み、ふと、その視線が己を見ていないことに気付いた。

 

「ネギ!」

 

 明日菜の声に反応するように、刹那は迫りくる地表から肌を焦がしてくる魔力の嵐に総身を震わせた。

 咄嗟に振り返る。その先に立つのは、風精影装に魔法を装填した、全身より紫電を漏らしながらこちらを見上げるネギの姿。

 

「く……」

 

「逃がさないわよ!」

 

 このままではやられる。そう悟って離脱しようとする刹那の手が明日菜に捕まった。女子にしては大きい明日菜の手は夕凪を掴む刹那の手を掴んで離さない。

 

「だが、このままでは貴女も……!」

 

 ネギの体に装填された魔法の規模は素人が見ても直撃すれば戦闘不能は免れないものだ。

 しかし刹那は直後、不敵に笑ったままの明日菜を見てそれが間違いだったと悟る。

 

「まさか……」

 

「もろとも? 最初っからそのつもりだってのぉ!」

 

 明日菜の役割は相手を倒すことではない。

 ネギという最大火力を存分に生かしきるための盾。理想的な魔法使いの従者として、あくまで守勢に特化した在り方ならば。

 ゾクリ、と刹那の背中が冷えた。空気が張り詰め、充満していた血潮による湿気すらも乾いてくような感覚。それは地表が近づくにつれて増大していき――。

 

「『解放固定』」

「『戒めの風矢・255矢』」

「『雷の暴風』」

 

 風精風装を纏ったネギのみが扱える同時詠唱法。初めて見た者からすれば別々の言葉を同時に発声しているという奇怪なものに見えただろう。だがそれも精霊を介して分身体を行使できるネギだからこその芸当。そしてその脅威は、決して見世物で終わるものではない。

 明日菜とは対極に凍てつくような戦意を言葉に乗せて、ネギ・スプリングフィールドは己の内側に込めた弾丸を両手へと送った。無詠唱を除けばまさに最速の術行使によって本体に走る二つの魔法の負荷は、鋭い痛みを脳髄に与えるが、表情には痛みを出さずにあくまで淡々と魔法を練り上げていく。

 これが風精影装のヴァリエーション。己が分身に別種の魔法を持たせ、それらを本体である己が融合させて新たなる魔法を最速で作り上げる魔法の新しい在り方。

 

「『術式統合』」

 

 身体の中にある歯車が噛み合って回転するようなイメージ。血潮は熱く、しかし心は冷徹に目標への距離を算出し、駆けだす足は術式兵装による残像を残して、一筋の雷鳴と化したネギは、世界の理に抗うが如く空へと飛翔した。

 

「『縫い付けろ』!」

 

 合わせた掌を開くと、その間を糸が引いたように紫電が幾つも走った。だがそれは単なる自然現象ではなく、まさに鎖の如き質感を持ち、夜を輝かせながら主の命に従って何もかもを絡め取る。

 

「『雷鳴の牢獄』!」

 

 オリジナルスペル『雷鳴の牢獄』。

 雷の暴風の破壊力を全て荒れ狂う雷の鎖へと変換されて放たれた力は、まず至近距離でそれを見てしまった刹那の目を潰すには充分だった。

 

「ぎぃ!?」

 

 直後、刹那は己の身体を焦がすような熱を持った鎖が体に絡みついて苦悶の声をあげた。幾ら捕縛用に変換したとはいえ、本来は広域殲滅魔法だ。むしろ無数とはいえど鎖の形に凝縮された鎖の数々は、触れれば信じられない熱で相手を焦がす非道な魔法とも言えた。

 そして一本でも絡まれれば後は蜘蛛の巣に捕らわれるが如く、刹那の身体のあらゆる箇所に雷の鎖は絡みつく。まさに一度捕われれば二度と逃れられぬ牢獄は、連鎖して刹那の全身を包み込んだ。

 

「ぃぃぃうぁぁぁぁぁ!」

 

「ッ、逃げる!?」

 

 だが次の瞬間、内側から暴れ狂う力が鎖を震わせ、瞬く間に全ての鎖が引きちぎられて再度純白の翼が夜に瞬いた。

 それだけではない。鎖を引きちぎった渦を巻く気はそれそのものが刃と化している。まるで花びらのように周囲に咲き乱れる気はそのまま膨れ上がっていき、傍に居たネギを巻き込む直前、虚空瞬動で間に合った明日菜がその体を抱き上げて後退した。

 秘剣、百花繚乱。

 鳥族という魔としての膨大な気と、人として培った絶え間ない修練による技術。

 暴走した故に合わさった二つの特性が放った秘技は、周囲の死骸や電灯等を根こそぎ引き寄せて規模を膨れ上がらせる。

 

「ネギ!」

 

「抑えは任せました!」

 

「了解!」

 

 だが災害に等しい力を目の当たりにしてもネギと明日菜は怯むことはない。言葉少なく、しかし思いは雄弁に交わした後、再度魔法の装填を始めたネギを置いて、明日菜が空を蹴った。

 

「やぁぁ!」

 

 臆する要素は何処にもない。

 絡みつく空気の壁すらハマノツルギで貫いて、音を超えた人型の弾丸は十階建てのビルに匹敵するほど巨大化した嵐に楔を打ち込んだ。

 直後、嵐の中から二つの影が飛び出した。幾度目かの鍔迫り合いを行いながら、明日菜が刹那を押しながら空へと駆け上がる。

 流石に服は気によって傷ついているが、明日菜の身体には傷は一切ついていない。あの嵐すらハマノツルギと無効化能力体質の前には無力だというのか。刹那より余程化け物的な能力を披露してみせる明日菜に、刹那は引きつった笑みを浮かべるばかり。

 だが刀そのものを打ち消すことは出来ないはずだ。圧力を増す明日菜を巧みにいなしつつ、流麗と弧を描く斬撃は雑念など無いかのように急所へと駆ける。

 鋼鉄の軋み。

 弾む音色。

 汗を滲ませ、死地を堪え、明日菜は叫ぶ。

 

「話を聞かせてよ!」

 

「聞かせる道理など……!」

 

「でも、刹那さん。苦しそうじゃない!?」

 

 華散り、刃鳴り散らす。

 斬り結ぶ刃のように、容易く結べる言葉が見つからないもどかしさに明日菜は唸りつつも叫んだ。

 

「苦しいなら言ってよ! 言わないとわからないわよ!」

 

「言わずとも、貴女も見たはずだ! 散らばった臓腑と悶死した人々の顔! 私がやった、私が斬った! それ以上に必要なことは――」

 

「あるわよ!」

 

「何を!? 何を語れというのですか!?」

 

「きゃあ!?」

 

 渾身の袈裟斬りが明日菜を傍にあったビルへ吹き飛ばす。窓ガラスなど平然と砕いて、中のオフィスを壊滅させた。

 

「こ、のぉ……」

 

 ――油断した。でも大丈夫。まだ立てる。剣はある。

 痛む暇すら惜しいと明日菜は立ち上がる。頭を打ったせいか視界が僅かに朦朧しているが弱気になんてなれないのだ。だからこそ前を向き、そして見た。

 

「何もないのです。もう、私は駄目なんですよ……」

 

 砕けた窓ガラスから覗く月を背にして、月光に刃と翼を濡らしながらオフィスへと降り立った刹那の顔は見えない。

 

「刹那さん……」

 

 だが明日菜は影で隠れた刹那の瞳からとめどなく流れる涙の雫が夜に溶けるのを見たのだ。

 器に入らなかった悔恨が涙という形を得て溢れている。どうしようもない現実や、どうしようもない自分、どうしようもないから流れる涙はきっと――。

 

 ――大丈夫ですよ、明日菜さん。

 

 大丈夫ではないのに、大丈夫と言ったあの雨の日のネギと同じものだった。

 

「……ッ!」

 

 自分は大丈夫。

 自分は駄目。

 まるで違う言葉なのに、心に根付いた葛藤は同じだ。

 ――間違えてはいけない。

 その果てはきっと何者にもなれない悲劇のみだから。

 

「……駄目なんかじゃないですよ刹那さん」

 ――故に、その間違えを正すのは、同じ過ちを犯しかけた者。

 刃に似た月の輝きが、それ以上の輝きにかき消される。夜に生まれた太陽の顕現を背後に感じた刹那は、目を細めながら後ろを振り返ってその正体を見つけた。

 

「明日菜さん」

 

「うん、任せた」

 

「はい」

 

 周囲に空気を弾く紫電を放出しながら、千を超える雷を束ねた光の籠手を両腕に装着したネギが、淀み切った刹那の瞳に光を指す。

 戦略兵器に匹敵する恐るべき魔法、『千の雷』。そんな規格外を己の体に弾丸として装填するという荒業を行って手に入れたネギの切り札。

 術式兵装『雷轟無人』。

 加減を間違えれば街そのものを消滅させる魔法を選択したのは、今の刹那に中途半端な在り方で相対するのが間違っていると思ったからこそ。

 いつだって、真っ直ぐで全力な思いこそが、人の心を突き動かすのだと、ネギと明日菜は信じている。

 

「ふ、はは……」

 

 だがそんなネギの覚悟など知らない刹那は、ついにこちらを殺す覚悟を決めたのだと勘違いして自虐的な笑い声をあげた。

 人を殺した化け物を殺す。

 人を殺した殺人鬼を断罪する。

 理由はどちらか知らない。

 

「だから、見られたくなかったのに」

 

 刹那が戦いを仕掛けなければこのようなことにはならなかっただろう。

 だが今の刹那にはそんなことが思いつく余裕など当然存在しなかった。冷静な思考なんて、幼子をその手にかけた瞬間に失われた。

 自暴自棄で、八つ当たりをするだけのはた迷惑な少女。

 なまじ人には過ぎた力を持っているからこその今。

 掴んでいる夕凪は、悪鬼に扱われている悲劇に悶えるように鳴いた。

 そんな自分すらも優しい眼差しで受け入れようとするネギが苛立たしい。

 どうしてそんな目で自分を見るのか。

 憐れみか。

 蔑みか。

 ――もしくは殺意であったなら、私は今度こそ化け物になりきれるはずなのに。

 

 ――なんで貴方は、貴方達は……!

 

「その目を止めろぉぉ!」

 

 背後の明日菜が襲ってくる可能性すら忘我して、雷轟の籠手を構えたネギへと刹那は飢えた獣のように唾液を撒き散らしながら飛びかかっていった。

 奥義、斬岩剣。

 籠手ごと斬り捨てるつもりで、全開にした気を夕凪に注ぎ込み、虚空瞬動の勢いを乗せて刹那の刃がネギを襲った。

 だが斬撃を予測したネギの籠手が夕凪の刀身とぶつかり合う。瞬間、発生した衝撃波が無事だった窓ガラスを破砕させて木々を揺らす。

 

「この程度……!」

 

「ぐっ……!?」

 

 それでもネギの籠手を断ち斬るのはおろか、傷一つ与えることすらできなかっただけではなく、夕凪を通して身体に走る鋭い痛みに刹那は悶えた。

 籠手の余剰エネルギーが触れた相手に雷撃を走らせるのだ。

 中途半端な攻撃は返って己に害をなす。咄嗟に籠手で覆われていないネギの生身部分を蹴飛ばして離脱した刹那は、そんな己の思考に鼻を鳴らした。

 

「中途半端、そう、そうだ、今の私はどっちつかずの中途半端……」

 

 中途半端な自分が、あの籠手を斬れるわけがない。力の上下など一切考慮に入れずとも、直感として刹那は確信してしまった。

 ネギは腹を蹴られて咳き込むも、すぐに虚空瞬動で空を蹴って刹那を追撃する。

 

「えぇ、今の貴女は中途半端だ! どっちつかずで、八つ当たりしか出来ない人になってしまっている!」

 

 言葉と共に籠手から放出された無数の雷が刹那を強襲した。槍の如く投擲される一撃は、連射弾だというのにどれもが重く鋭く速い。辛うじて直撃弾をいなしていくが、触れると共に流れる電流も相まって数発もすれば掌の感覚が鈍くなっていた。

 

「そうなる前にどうして誰かに助けを求めなかったのですか!? どうして一人でこんなことをし始めたのですか!? 貴女の傍には木乃香さんだけではない、クラスの皆は貴女を心配していましたよ!?」

 

「皆……」

 

 だが、弾丸豪雨の雷以上にネギの言葉が刹那の砕けた心をさらに痛めつけていく。

 思い出すのはあやかの安堵した表情と、クラスの皆の姿。心から自分のことを心配してくれていたのだと分かる彼女達の優しさを。

 

「一人で出来ることなんてたかが知れてる! そんなこと誰だって知ってる! 誰だって――」

 

「でも、それが出来なかったからの今だ!」

 

 訴えかけるようなネギの言葉ごと、雷の雨を抜けた刹那は斬りかかった。

 元が魔法とは思えない硬質な手応え。奥歯を噛みしめて夕凪の衝撃に耐えきったネギは、涙を拭うことすら忘れた刹那の悲痛な叫びを聞いた。

 

「相手は青山だ! アレが、あんなものをどうして誰かに言える!? 誰に言えばいい!? あんなものからお嬢様を救ってくれと言って誰が頷いてくれるんですか!?」

 

「それは……」

 

「言えないさ! 言えるわけがない! 同じ青山にでも相談するか? 意味無い、そんなことに意味は無い! 素子様も所詮、青山だ!」

 

 ネギには刹那が何を言っているのか理解出来なかった。だがそれでも、刹那が何故このような状況になったのか、その一端を悟ることは出来た。

 故に、怒りに顔を歪める。

 青山。

 また、青山。

 

「貴女も……!」

 

「そうさ! 見てくださいよネギ先生! この街は青山共の末路だ! 修羅が修羅を食らい合った蠱毒の残りカスさ!」

 

 その惨劇を知っていたのは自分だけだった。理由を悟れるのも、察することが出来たのも、あの時、あの場所では刹那だけだったのだ。

 だから立ち向かおうとした。

 だから逃げようとした。

 だから立ち向かえなかった。

 だから逃げられなかった。

 

「なんで、もう少し……!」

 

「刹那さん……!」

 

「もう少し早く、来てくれなかったのですか!?」

 

 あと一日早くネギと明日菜がここに訪れていてくれたら。

 故にそこでやっと理解した。この八つ当たりの理由を刹那とネギは同時に悟った。

 

「貴方達が遅かったから私はぁぁぁぁぁ!」

 

 籠手に押し込んでいた刃を再度振りかぶり、怒りを込めて叩き込む。

 

「ぅぁぁぁぁぁ!?」

 

 その衝撃に耐えきれず、ネギはコンクリートの大地へと墜落した。粉塵が高く巻き上がる。次いで、近くの家屋が砕けた地面の溝に引きずり込まれて沈んでいった。

 

「私は! 一人だった! 誰も、誰も居なかった! 誰も、誰も! うぅ、うあぁぁぁぁ! あぁぁぁぁ! うぁぁぁぁぁぁん!」

 

 家屋の倒壊に巻き込まれたネギを見下ろしながら、刹那は肩を震わせて大声で泣きじゃくった。

 関わることが死よりも恐ろしい結末になる青山。

 そこに捕らわれた木乃香を救いたかったけれど、同時に刹那はアレに斬られるのが怖くて堪らなかった。

 傍には誰も居ない。

 助けは存在しない。

 唯一助けを求められるような相手も――所詮は、青山。

 神鳴流の同門も、相手が青山と知れば誰もが躊躇うことだろう。

 だから一人だった。刹那はあの日、誰よりも孤独なまま、惨めで無様ながらに、あの冷たい修羅場に抗おうと必死だったから。

 

「違う!」

 

 そんな少女の涙を止めるべく、崩落した家屋を突き抜けて一筋の閃光が夜空へと舞い上がった。

 

「それでも貴女は、ここから逃げて、助けを求めることは出来たはずだ! 可能性は少なくても、それだけが木乃香さんを救う手段だったならそうするべきだった!」

 

「で、でも……でも!」

 

「少なくとも僕は間に合わないかもしれないと覚悟しながらもここまで来た! そして明日菜さんもそんな僕を信じてついてきてくれた! 逃げるか、立ち向かうか。選ばないなんてことはしなかった! それが一番辛いんだって貴女にも分かるでしょう!?」

 

 瓦礫で切れた額から流れる血が瞼から滴るが、ネギは拭うのすら手間だと、そのまま真っ直ぐ刹那を見つめている。

 そして、顔の前に掲げた右手を、何かを繋ぎとめるように強く強く握り締めた。

 

「そうさ、僕も貴女も、選ばずにいるのは楽で、でも選ばずにいるのは苦痛だと知っている!」

 

「わた、私……」

 

「確かに青山さんは恐ろしい。あの人を知っている人間で、尚も立ち向かえる人なんて……それこそ化け物くらいしか存在しないかもしれない」

 

 でも可能性があるなら訴えかけるべきだった。

 もしも本気で何かを願うなら、零に近い可能性にも手を伸ばして、諦めるのはそれからでも遅くはないから。

 だが刹那は駄々をこねるように戦慄くと、絞り出すように痛みを訴えた。

 

「だけどもう遅いじゃないですか……! 今更、どうしようもないじゃないですかぁ……!」

 

「刹那さん」

 

「私はもう、立ち上がれません……人を斬ったのです。音色に狂ったとはいえ、何も知らない人を斬った。どうしようもなく折れてしまって、ウチは人を斬ってもうた……!」

 

 犯した罪はもうどうしようもない。

 砕けた心を再び紡ぎ合わせようにも、啜った血の香りが刹那に重く圧し掛かっている。

 

「そんな私なんて!」

 

 刹那はネギの意志を拒絶して、夕凪へあらん限りの気を乗せた。

 白熱する轟雷に対するのに相応しき閃光が夕凪を中心に膨れ上がる。それは雷へと変質した気は、担い手の葛藤を示すように暴れ狂い揺れ惑って。

 

「私なんかぁぁぁぁ!」

 

 神鳴流決戦奥義。真雷光剣。

 夜を食らい貪る破滅の光は、刹那すらも飲み込んでその破壊を周囲へと撒き散らす。

 眼前に迫りくる死の予感。刹那の全力を賭した一撃は、まるでリョウメンスクナが放った一撃と同じく、直撃が死へと繋がる明確な絶望。

 

「この……!」

 

 しかしネギは怯えない。迷わない。

 決めたのだ。前に進むと誓って、木乃香を助けるべくこの地へと来たからには『覚悟』があるからこそ。

 

 招来された千の雷へ、その意志を叩き込め。

 

「分からず屋ぁぁぁぁ!」

 

 拳という撃鉄が振り下ろされると、ネギの咆哮をかき消して、右腕に装填された雷の弾丸が、世界を飲み込まんとする破壊そのものへと解き放たれた。

 眩く照らす命ある者の覚悟の意志。貫くと決めた思いは力へ、力は覚悟をさらに捻出し、繰り返す意志の発露は螺旋の如く渦を巻きながら、その規模を増して一直線に。

 例え世界が壊されても壊れない意志は、一瞬の均衡すら許さずに、刹那が放った決戦奥義を貫いた。

 

「ぅ!?」

 

 真雷光剣を砕かれ、さらにその余波に巻き込まれた刹那は津波に飲まれたように飛ばされた。

 だが負傷はないためまだ動ける。そして翼を広げて姿勢を制御するのも束の間、既に間合いを詰めていたネギの拳が眼前に迫っていた。

 辛うじて顔を逸らして逃れるが、死角を突いた蹴撃が脇腹で破裂する。軋む骨と吐き出される呼気。肉体の反射として一時的に動きが止まった刹那の胸倉を掴み上げて、ネギは力任せに地面目掛けて投げた。

 

「そうやって縮こまって目を閉じて耳を塞いで! そんなの自分しか見ていないのと同じじゃないですか!?」

 

「余裕が無かったんだ! それに私にはもう私自身だって見えはしない!」

 

「でもまだ叫べるじゃないですか!? ここに居るから叫べるんでしょう!? もしも自分さえも見えないなら泣きじゃくることだって出来ない!」

 

「見たくないんですよ! 見たくないのと見えないのは一緒のはずでしょう!? お嬢様を救おうと言い聞かせながら、青山に会いたくないから逃げて! でも後ろめたいから逃げきれずにとどまって! 滑稽じゃあないですか。こんな奴、誰だって見たくない!」

 

「滑稽なんかじゃない!」

 

「見ないでくださいよ!」

 

「だから刹那さん!」

 

「見つけてくださいよ!」

 

「貴女を引きずりだしてみせる!」

 

 繰り出す拳と刃。交差する互いの思い。だがそのいずれにおいても、雷轟無人を纏ったネギの力と意志が刹那を遥かに凌駕していた。

 だが未だ刹那は倒れていない。最早そんなことを考えられる程の余裕が刹那にはないが、百は超えた攻撃の応酬の中、ネギは刹那が見せた百以上の隙を全て見逃して戦いを続けていた。

 全てを引き出して、刹那の中にある膿を全部絞り尽くす。本来なら装填する必要のない雷轟無人を使ったのもそのため。刹那という少女を救うために、ネギが選んだたった一つの道ならば。

 戦いは限界点など遥か昔に置き去りにして、尚も際限なく加速を続けている。

 

「ゼェ……ゼェ……ハァ!」

 

「遅い!」

 

 だが永遠に続くと思えた拳と刃の激突にも終わりは訪れようとしていた。ネギと刹那。両者の間に広がった地力の差は、どんなにネギが戦いを引き伸ばそうとも如実に現れ、何度となく激突した籠手よりの雷撃で、刹那は両手の感覚はおろか身体の至る所が上手く動かせなくなっていた。

 これで果たして幾度斬りかかっただろうか。精細は欠け、常の流麗な太刀筋は見る影も無くなっている。

 だが自分は刀を握って、刀を振り上げ、刀を振りおろしている。

 そしてネギはまるで堪えた様子もなく、衰え続けるばかりの斬撃を、衰えを知らぬ拳で迎え撃つのだ。

 袈裟の刃と腰の捻りを加えて放たれた拳が激突する。千を優に超えた激突の結果、遂に刹那の手から夕凪が離れ、主と同じく無様に地面を転がった。

 

「う、うぅ……」

 

 同時に刹那が膝をついて蹲った。むせび泣くその姿をネギは哀しげに見下ろし、それも束の間、落ちた夕凪を拾い上げると、刹那の前に差し出した。

 

「もう終わりですか? あそこまで頑なだったのに、もう終わりでいいのですか?」

 

「……」

 

「……また、中途半端に終わらせるつもりですか?」

 

 その言葉に刹那はゆっくりと顔を上げた。目には覇気は無い。返す言葉も無く、刹那は疲れた風に頭を振った。

 

「笑ってください」

 

「……」

 

「貴方達への八つ当たりすら最後まで貫けないとは、ふふ、惨め過ぎて笑えるでしょう? 好きに笑えばいい。だってもう、立ち上がれない……」

 

 恥辱を感じる矜持すらも残っていないのだろう。何より、剣を使う明日菜にではなく、ただの魔法使いでしかないネギに完封されてしまったのだ。

 最後まで主を裏切らなかった力すらも残されていない。出し尽くし、絞り尽くされた残りカスと成り果てて、どうして立ち上がる気力を保てるだろうか。

 

「……立ち上がれなんて、言いませんよ」

 

 そんな刹那に、ネギは優しく笑いかけた。

 

「ネギ、先生?」

 

「誰もが立ち上がれる強さを持っているとは僕には思えない。転んだまま折れてしまって、二度と立ち上がれない人だっているはずだ。……でも、立てなくても足掻けることを僕は知っている。這いつくばっても、泥を啜ってでも、人は前に進める意志がある」

 

 そう言うネギの意志を表すように、雷轟無人がさらに輝きを増した。まるで限界なんてないかのように、止まらない思いと覚悟を体現した力を剣に、ネギは刹那へ示すのだ。

 

「だから、一人で立てなくても誰かと支え合えばいいと思います」

 

 中途半端なまま終わりかけた自分を明日菜が救ってくれたように。

 取り返しのつかないことがあって、もうどうしようもなくても、その鎖を引きずりながらネギはこうしてここに立てている。

 だからネギは雷轟無人を解除して、片手を刹那に差し出した。

 

「だって僕は、刹那さんの担任ですから」

 

「あ……」

 

「貴女が自分をどれだけ惨めに思っても、僕は貴女を見捨てない」

 

 年相応の無邪気な笑みを浮かべながら、今の刹那が生き抜いた先を知る者として。

 無意識に手を握り返した刹那は、何か憑き物が落ちたかのように肩から力を抜いた。

 胸中に渦巻いていた葛藤は解消されたわけではない。だが刹那は、それら一切を抱えたうえで、まだネギの手を握れた奇跡を知ったから。

 

「そうか……私は負けたのですね」

 

「……そして、僕達の勝ちです」

 

 死んだのではなく、負けたのだ。

 そう思えた時点で、今度こそ刹那は自分が完膚無きに敗北したのだと悟った。

 

「そ、私達の勝ちよね」

 

「わわ……!?」

 

 刹那が戸惑いながらもネギに引っ張られて立ち上がろうとした瞬間、背後から明日菜が抱き付いてきた。

 突然のことに態勢を崩すが、お構いなしとばかりに明日菜は刹那の翼に手を這わせた。

 

「おー、やわっこい。いいわー、これ、いいわー」

 

「ちょ、明日菜、さ、んっ……! そこ、駄目……!」

 

「……明日菜さーん。ここ、真面目な場面なんですけど」

 

「あーはいはい。分かってるっての」

 

 ジト目で睨んでくるネギにバツが悪いと感じたのか、咳払い一つして刹那の翼から手を離して立ち上がると、ネギが握るのとは反対側の手を力強く握りしめた。

 

「……刹那さん、私も居るよ。木乃香を助けたいんでしょう? だったら任せてよ、何せ木乃香の幼馴染だからね。アイツをぶん殴ってでも取り戻してやるわ」

 

「明日菜さん、それは……」

 

「うん。言いたいことは分かるよ」

 

 明日菜は周囲の光景を、青山同士の衝突によって狂わされ、刹那によって介錯された人々の骸の残骸を見て呟く。

 

「もしかしたら木乃香はもう戻れない所に居るかもしれないわ。でもね……」

 

 この惨状を木乃香が是としている可能性。考えたくないが、青山がこれほどの悲劇を生み出せると知った今、その傍に居るだろう木乃香が影響を受けていないとは考えにくい。

 だがそれでも諦めたら本当にもう駄目になってしまうのだ。

 何より明日菜は知っている。

 

「進めたなら戻れるよ」

 

「ですが、もし戻れる道が無かったら?」

 

「そんなの、決まってるじゃない。ねぇ、ネギ?」

 

「はい、明日菜さん」

 

 握った手を引っ張り上げて刹那を立ち上がらせた明日菜とネギは、示し合わせたように無邪気な笑みを浮かべた。

 

「道が無いなら根性で作ればいいのよ」

 

「作れなくても自分の道に引きずり込めばいいです」

 

 二人ならば折れても倒れることはない。それゆえに迷いなんて感じられないその姿こそ、人々が最後の祈りを託す希望の象徴。英雄なのだと、刹那は思う。

 

「……本当に、羨ましいです」

 

 ――この二人ならお嬢様を救いだしてくれる。

 

 漠然ながらも、刹那の葛藤を消し去るくらいの強い確信を与えてくれる二人の背中に、刹那も誰もがそうであったように、か細い希望の光を託すことに決めたのだった。

 

 

 

 

 

 ――だが、希望(英雄)の誕生はあまりにも遅すぎたのかもしれない。

 

「次は貴女やね」

 

「い、いやぁぁぁ! 来ないで! 来ないでぇぇぇ!」

 

 光の差さない汚泥の眼に見据えられた妙齢の女性が絹を裂くような悲鳴をあげて悶えた。かつては魑魅魍魎をその身と刀で討伐していたとは思えない程、泣き叫ぶ姿は無力な女性にしか見えない。

 だが今の彼女は只の女性よりも無力な存在と言っても過言ではなかった。何故なら必死に逃げようともがくその体には、音速にすら到達する健脚も、大地を砕く刃を振るう剛腕も存在しない。

 四肢を捥がれた木偶人形となった女性は、迫りくる暗黒――近衛木乃香から逃れる術を持たなかった。

 

「そんな怖がらんでください。大丈夫、貴女の傷を治すだけや」

 

「やだ! やだやだやだやだ! 見るな! 私の中を見る――」

 

「痛いの痛いの飛んでけー」

 

「ぃ……!?」

 

 直後、断末魔すらあげることも出来ずに女性が意識を失うと、まるで時間を巻き戻すように失われた両腕と両足が再生していく。そして一秒もせずに、傷一つない美しい手足は生え揃った。その様を見届けてから、額に乗せていた掌を離した木乃香は満足げに頷いた。

 

「はい、もう大丈夫」

 

「ありがとうございます」

 

 意識を失ったはずの女性は、先程とは別人のように、鏡の如く木乃香と同じ柔らかな笑顔を浮かべて感謝を述べた。

 まるで憑き物が落ちたように、着古した服が新品そのものになったように。穢れを知らぬ完膚無き無垢を体現した『気持ち悪い存在』。傷も汚れも全て癒し尽くされたことで生まれたのは、赤子以上に無垢で、木偶人形より醜悪なマネキン人形に他ならない。

 だが木乃香にとってはこれが真実なのだ。響によって死の間際に追い詰められ、同じほどに生への渇望を注がれた結果がこの解答。

 

「さ、まだまだ沢山居るからなぁ。急がんとね」

 

 木乃香は女性と同じく眼前に並び立つ生きたマネキン人形の群れを一瞥すると、背後から香る血の臭いへと振り返って笑った。

 

「うぅぅ、母上、父上……!」

 

「殺せ! 私を殺せ!」

 

「助けて、嫌だ。俺は、アレだけは嫌だ」

 

「斬るな、癒すな、斬るな、癒すな……」

 

 生ゴミの如く床に転がる四肢を失った無数の男女。大人も子どもも関係なく、一切合切四肢を奪われた彼らに、木乃香は一瞬だけ悲しげに目尻を下げた。

 

「可哀想に……」

 

 心に浮かぶ僅かな憐れみ。しかし感じた負の念は、自動的に内側よりこみ上げた癒しの力で消滅し、木乃香はいつもと同じ陽だまりのように温かな微笑みを彼らに向けた。

 

「ウチが全部、治すから安心してぇな」

 

 だが、治すという蹂躙劇を前に誰が安堵出来るだろうか。

 笑いかけられた者達の全てが感じたのは、陽だまりとは無縁の冷徹。刃物を喉元に突きつけられたような絶望感。

 それはつまり――。

 

「青山……」

 

 無意識に呟いた恐るべき名に、木乃香は。

 

「はい、何ですかー?」

 

 ――そうあれと、この身に流れる血が嗤うならば。

 最早、英雄の覚醒があまりにも遅すぎる程に。

 

「あ、早く癒してほしいんやね?」

 

 完結(青山)は、近い。

 

 




次回より最終章中盤戦「青山木乃香」

Q。また沢山死んでまうん?

A。二章の被害がご飯粒レベルになる程度なので大丈夫。


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第五話【どなどな(上)】

「つまり、響さんはもう犯罪者なんやなー」

 

「……身も蓋もない言い方だが、概ねそれで正しい」

 

 目的地へ向けての道中、木乃香ちゃんが笑顔で放った強烈な一言に何とも情けない気持ちになる。だが事実として俺は誇張でも何でもなく、肉親を手に掛けた犯罪者なのだ。しかも兄妹全員を斬り殺しているのである。客観的にも主観的にも酷い人間だなぁと自分でも納得してしまうくらいには、まぁ犯罪者であろう。

 それ以前にも術者とはいえ人を手に掛けているので、結局のところ俺が犯罪者なことに変わりはないのだが。

 

「だったら逃げた方がえぇんやないですか? いつまでも京都に居たらそれこそ警察に御用なりますえ?」

 

「警察なら別に問題ない。障害にもなりはしないよ」

 

 気楽に言ったせいか木乃香ちゃんは少々不満げだが、実際にそうなのだからこれ以上言うべき言葉がないので俺は苦笑した。

 そもそも、日本の警察程度の戦力だったら、寝こみを襲われたとしても容易に無力化することが出来る。これは自惚れでも何でもなく、知人で例えるなら高畑先生や今は無き刀子さん、隣でニコニコ笑い合っている木乃香ちゃんと月詠さんであっても俺ほどではないが対処は容易だろう。

 第一それなりの術者となれば、戦闘ヘリ一台分の戦力はあるのだ。しかもヘリよりも小型で耐久力もあり、現行の科学力では探知出来ない隠密性も持つ。科学では実証できず、化学では太刀打ちできない。術者とそうでない者との間にはそういった隔絶した戦力差が存在する。

 そして俺はそんな術者の中でも一流と呼ばれる者や、術者が討伐する魑魅魍魎を相手に生死を賭けて戦い、今も生きている。自惚れでもなく、警察程度は相手にすらならないのだ。だからとて、進んで法律を破ろうとは思わないが。

 

「それに俺達のような存在が表沙汰になればこれまでの秩序が完全に崩壊する。だから俺の顔がニュースの一面を飾るということはないさ」

 

「じゃあ、なんで何とかせないかんのですか?」

 

 お菓子を頬張る月詠さんの頭を撫でながら唸りをあげる木乃香ちゃんの様子が微笑ましい。少しでも裏の事情を知っていればわかるようなものだが、一通りの戦闘技術は教えたとはいえ、木乃香ちゃんはまだまだそう言った事情には疎いので無理もないか。

 

「相手は俺のことを表沙汰にしないように働きかける存在のほうだ。そしてこの場合、俺を狙うだろう相手は――」

 

 辿り着いた目的地を見上げれば、つられるように木乃香ちゃんも俺の視線を追った。

 五メートルはありそうな木々を容易に超えた何重にも重なった古めかしい和風の塔。それこそ先んじて俺が処理することにした場所にして、随分と昔に出て行った懐かしい古巣。

 

「京都神鳴流……西の協会の主戦力にして、極東最大の戦闘集団」

 

 そして、俺が培った技術の根源を練り上げた原点とも言うべき場所こそ、木乃香ちゃんを『仕上げる』のに必要な餌にして、目の上のたん瘤的な存在なのだ。

 

「おー……言われるまで気付きませんでしたー」

 

「基本的に鍛錬の場としても使われてますからねー。人避けの符とか視界から外す符とか色々と隠ぺい工作はされてますー」

 

 荘厳な光景に溜息をもらす木乃香ちゃんの隣で、月詠さんが解説を挟む。そんな二人のやり取りを聞きながら、俺は無造作に腰に差した鞘よりひなを引き抜いた。

 

「ちょっと待っててくれ」

 

「はーい」

 

「はーい」

 

 仲良く声を揃えて返事する二人は、俺の少ない言葉に疑問を挟むこともしない。

 信じてくれていると言うべきか。

 あるいは――。

 

「くひっ」

 

 おっと、いけない。

 今は彼女のことよりも、彼女の未来を彩るべく、餌を調達するのが先決だ。

 

「じゃ、行ってくる」

 

 俺は歪んだ口許を見せないように、振り返ることなくそう告げて大地を蹴った。

 

 

 そして斬った。そういうことだ。

 

 

 

 

 

 京都神鳴流宗家、青山。

 極東でも最強と名高い京都神鳴流において、代々稀有な人材を輩出し、近年では故近衛詠春こと、旧姓青山詠春は先の大戦でサムライマスターとして立役者の一人として名を広めた程である。

 そしてそんな彼の全盛期であっても及ばない才覚を持つ青山が、この世代には三人も存在した。

 かつての神鳴流後継者にして歴代随一の天才と謳われた女傑、青山鶴子。

 その青山鶴子をして己を超える器と言わしめた現神鳴流後継者、青山素子。

 そして、神鳴流の理念に反した暴挙を数々犯し、鶴子の腕を斬り捨てて引退に追い込んだ外道――。

 

「青山……奴なのか」

 

 神鳴流本山にある屋敷の一室。何かしらの事態が起きた時の会議の場として使用されることが多いその部屋に居る面々は、年齢も性別もバラバラだが、いずれも今の神鳴流を支えてきた猛者達だ。

 だが百戦錬磨の彼らの表情は重く険しい。中には顔を青ざめさせて頭を抱えている者すらもいた。

 

「壊滅した修行場にて発見された斥候の者達の亡骸と、埋葬された鶴子様と素子様の亡骸……あの場に行ったのは桜咲のみだが、斥候はともかく、アレには素子様はおろか片腕を失った鶴子様を相手にしたとて勝ちを拾えるとは思えん」

 

「そもそも、青山とかつて対峙した後の素子様を相手にして勝ちを拾える者等、神鳴流はおろか魔法世界を探しても片手程度の者しか見つからんだろう」

 

「そして、その中で最も可能性が高いのが……青山か」

 

 まるでその名を口にすることすら躊躇われるとばかりに顔を顰める。だがこの場に居る全員が、かつての青山――響がどういった存在なのかを実際に目の当たりにしていた。

 親の愛を欲するだろう三つ程度の童が、周囲に目もくれず一心不乱に鍛錬に埋没するおぞましさ。

 五つを過ぎるころに倍以上離れた門下生を纏めて蹴散らす不気味。

 そして十を過ぎるころには、その怪物は歴代最強の剣士の、何よりも血肉を分けた姉の腕を奪い去ってしまった。

 それらを見てきた彼らにとって、響という男は得体の知れない何か。まるでこの世界とは違う場所から来た存在に思えた。

 誰もが言葉を詰まらせて室内に静寂が流れる。青山を知るが故の躊躇、迷い、そして心の奥で燻る恐怖の火種。全てが混ざり合った感情を整理するには、歴戦の勇士である彼らだからこそ難しくあった。

 

「……今すぐ協会に助勢を乞うべきだ」

 

「協会の矛たる我々が矛を欲すると?」

 

 その場で最も年の若い男が沈黙を破って提案するが、即座に遠回しな非難の声が上がった。

 しかし男はそんな意見を真っ向から切り捨てるように反論した相手に鋭い眼光を送る。

 

「そうして矜持を守ろうとするのも立派だが、だからとて黙っていれば守るべき矜持はおろか、何も知らぬ市民にまで被害は出るぞ? 否、既に被害は出ているのだ。最早、いつまでも蓋を被せることは出来ぬ」

 

「……そうじゃな。そもそもが、あの男をいつまでも野放しにしていたことこそ最大の過ち。鶴子様と素子様の言があったからこそ今まで放っておいたが、そうも言ってられぬだろう」

 

 男の熱弁に同意を返したのは、上座に座った最年長の老剣客だった。未だ鍛錬を欠かしていないだろう鍛えられた丸太の如き両腕を組みながら、鋭く周囲の同胞達を見渡した。

 

「鶴子様と素子様はお亡くなりなられ、詠春様も既に居ない。だが宗家を引き継ぎ、我らが上に立つべき資格を持つ男こそ此度の元凶ならば……是非は無いだろう」

 

「では?」

 

「うむ」

 

 老剣客は大仰に頷くと静かに立ち上がり、傍に立てかけていた野太刀を掴んだ。無意識にその全身より漏れ出る気は覚悟の証。充実する気こそ戦意の証明とばかりに、老剣客は大きく息を吸い込むと、目を大きく開いて気迫のこもった檄を飛ばした。

 

「これより京都神鳴流門下一同は、温情を忘れて宗家を斬り捨てた怨敵を打倒する! あの男、青山こそが憎き仇! 宗家を絶やした奴を葬るぞ!」

 

「おぉぉぉぉ!」

 

 老剣客の放つ熱はそこに居た全ての者達へと伝播して、一つの大きな唸りとなって誰もが己の相棒たる鋼を掲げた。

 既に賽は投げられたのだ。例え相手があの恐るべき修羅外道だとしても、人々を守る使命のためならば誰もが信念を持って相対出来る。

 

「そうだ! いつまでも奴の影に怯える必要など何処にもない!」

 

「例え素子様と鶴子様が倒れたとて、我らもまた同門として練り上げた力と意志、そして死線を共に潜り抜けてきた仲間が居るのだ!」

 

「そしてそれらを束ねれば、仲間無き修羅外道に劣ることなし!」

 

 先程までの沈痛な空気が嘘のように、神鳴流の剣士らしく、刀のように力強く鋭い意志が感じられる。

 老剣客はそんな彼らを見て心の中で確信する。

 神よ、居るならば見るがいい。例え宗家という支えを失ったとて、人は互いを支え合うことで立ち上がることが出来るのだ。そして、共に手を取り支え合えることこそ人だけが持ちうる絆と言う力ならば、それを持たず、あまつさえ忘れてしまったあの男を恐れる部分がどこにあるというのか。

 

「無数と罵倒は受けるだろう。じゃが我らのこの絆があれば――」

 

 ――負けぬ。

 負けるはずがないのだと――。

 

 

 りーん。

 

 

 老剣客がそう言おうとした瞬間、その熱気を断ち斬るかのように、どこかで聞いた覚えのある鈴の音色がその場はおろか、神鳴流本部一帯に響き渡った。

 

 

 

 

 

「……意味無いことしたなぁ」

 

 この場を包んでいた侵入者探知用の結界だけを斬ったのはいいが、本部全域に音色を響かせたため、響の侵入は即座に感づかれることとなった。

 自信満々に見栄を切っておいてこの体たらくである。響としては正直、赤面ものではあるが、斬撃を聞きつけて慌てた様子で集まってきた神鳴流の剣士達を前にして、いつまでも恥ずかしさに悶えるのも失礼だと思って気を引き締め直す。

 

「誰だ!?」

 

「敵!? くっ、ここを神鳴流の本部と知っての狼藉か!?」

 

 ざっと十人弱の剣士が響を取り囲むように集まった。その誰もが抜き身のひなを構えている響を敵と認定して、誰もが野太刀を抜いて俺にその切っ先を向けている。

 響はおそらく未だ修行中の身なのだろうことをその立ち姿から察した。数人、それなりに鍛えられた者が居るものの、殆どは構えも固く視線も泳ぎ、戦いに必要な平常心を忘れて混乱状態になっている。そもそもいずれもが木乃香や月詠よりも年下の少年少女である。

 

「……退け」

 

 成長していない未熟者を葬っては未来に楽しむ可能性を潰したくはない。そう思ってひなの切っ先を掲げながら殺気を飛ばすが、どうやら突然の襲撃に恐慌状態になっているせいか、彼らは怒気を漲らせて間合いをゆっくりと詰め始めてきた。

 

「止せ! お前らでは勝てる相手ではないぞ!」

 

 来るなら斬る。

 響がそう思った矢先、死の行軍に向かわんとしていた剣士達に浴びせられた鋭い一声が彼らの愚行を寸前で食い止めた。

 

「師範代……」

 

「……馬鹿者共が、相手の力量も見極めずに挑むなとあれ程言っただろうが」

 

 剣士の輪を抜けて響の前に現れたのは、響よりも頭三つ分は背丈の違う筋肉質の男だった。鬼と比しても見劣りしないその男は、細身の響の胴回り程はありそうな腕で傍に居た剣士の一人を後ろに軽く押すと、反対の手に持っていた二メートルはあるだろう、鉄板にしか思えない肉厚な包丁の如き刃を肩に担ぎながら、観察するように青山を見下ろした。

 

「ふん、成程。神鳴流の本部と知りながら単独で挑む自信を持つ程度には鍛えているらしいな」

 

「……」

 

「充実する気。鋭い眼光。未熟とはいえ神鳴流の剣士に囲まれて汗一つかかぬ胆力。そしてその手に持つ妖刀より香る邪悪な力。おそらくだが神鳴流を破門されたかつての同門。そして復讐のために妖刀を手にしたとみるが、違うか?」

 

「……」

 

「答えぬか。まぁ、それも良いだろう」

 

 黙して見上げるだけの響に、師範代の男は不愉快さを隠そうともせずに表情を歪めると、担いでいた刀を小枝のように掲げて、その場で豪快に振り回し始めた。

 男を中心に舞い上がる砂埃。まるで誇るように己の筋力を見せびらかす男の力は、周囲の剣士が発生した暴風に身を縮ませる程あり、誇示するに相応しい一品だろう。例え気で強化していようが、刀に当たらずとも肉体が千切れるのは明白だ。

 鬼よりも鬼らしい怪力。

 鍛え上げられた肉体と、神鳴流直伝の気による身体強化を合わせた怪物。

 

「……」

 

 だが響はまるで揺るがない。暴風に狙われているのを知りながらも表情一つ変えることなく、悠然と佇む姿は師範代の男とはまた違った凄味があった。

 しかし周囲を囲む剣士達には目に見えて圧倒的な師範代の男以外目に入っていない。暴風から離れながらも、強張っていた表情は男への信頼による余裕へと変わっているのを、響は見ることもなく察した。

 

「はははっ! 俺の力を見て動じぬその気概やよし! しかし妖刀如きに頼らねば強くなれぬと悟った時点で貴様の負けよ!」

 

「……」

 

「心すらも脱したかつての同門よ! 貴様に掛ける言葉は無い! お主に与えるのはこの――」

 

 嵐が止まる。男は天高く掲げた刃を両手で握りこむと、落ちかけの夕陽の光すらも断ち斬らんと全身に力を漲らせて。

 

「鉄塊のみよ!」

 

 夕焼けに染まる刃を紅に染めるべく、響の背丈を超えた刃は振り下ろされる。

 最早それは斬撃ではない。感じる威圧感と予想される破壊力は小型のミサイルと同程度か。

 直撃すれば肉片すら残さぬ一閃。

 逃れることなく一撃必殺。

 絶対なる敗北を与えるべく音速を突き抜けた鋼鉄。

 響はその青と黒の双眸で冷たく捉え。

 

 そして、その姿もろとも鉄塊は地面に着弾した。

 

「うわぁ!?」

 

「きゃあ!」

 

 四散する地面が周囲にばら撒かれ、巻き起こる砂埃は辺り一帯を埋め尽くし、その余波を受けた剣士達の悲鳴が木霊する。

 

「や、やった! 師範代の一撃が侵入者に直撃したぞ!」

 

 だが砂埃の中、辛うじて直撃の寸前まで見届けた少年が歓喜の声をあげると、周囲の少年少女も、呼応するように無邪気な喜びを発露する。

 確かに侵入者は恐ろしい男だった。まるで抜き身の刀そのもののように冷たく鋭くはあったが、彼らが師事する男は若くして師範代になった神鳴流でも天才に数えられる男だ。

 潜り抜けた場数が違う。

 鍛え上げた年月が違う。

 そして自分達とは持っている才能の桁が違う。

 故の信頼と、確固たる勝利の光景を口にされたことによる安堵の空気が子ども達の間に流れる。

 

「た、助かったんだ」

 

 しかし、彼らは気付かない。いや、気付いていながら耳を塞いでいる。

 一撃必殺が響を巻き込んで地面に炸裂した轟音に紛れるようにして鳴り響いた――。

 

 今まさに凛と響いた、鈴の音と同じ音色を。

 

「え?」

 

 透き通るように空気を震わせた音色を感じた彼らの視界が一瞬にして晴れる。まるで最初から砂煙など存在しなかったように。

 そして開いた視界の向こう側、そこに立つのは彼らが師事した師範代の大きな背中ではなくて、冷たい眼光で彼らを見据える響のみ。

 

「あ……」

 

 そこで彼らの一人が響の横で倒れる師範代の姿に気付いた。先程の砂煙と同じく、やはり最初からそうであったように失われた首はこの世の何処にも存在しない。砕けた大地に沈んだ巨漢の浮かべる笑顔を知らなければ、響の横で骸を晒す男は、最初から首がないのが正しいとすら思ってしまっただろう。

 だがそれはやはり骸であった。首を失った。物理的に考えて明確な死。

 彼らを導く師範が放った絶対の一撃は意味をなさず、返しの斬撃で首を斬られた事実だけが、その場の真実だった。

 

「う、ぁ……ぁぁぁぁ」

 

「そんな……そんな!」

 

 信頼を寄せていた男の死。裏社会に身を置くならば決して逃れられない仲間の死とはいえ、だからとはいえ冷静でいられるだろうか。

 ましてや彼らは未だに殺し合いを知らない子どもばかり。唐突に突きつけられた死という事実を前に、錯乱することも出来ずに体を硬直させるのみ。

 

「う……うぁぁぁぁ!」

 

 だがそんな彼らの中で、先程師範代の勝利を叫んだ少年が雄叫びをあげながら響へと突貫した。

 許してたまるものか。

 許されてたまるものか。

 純粋なる怒りと殺意。

 しかして無知ゆえの自殺が如き暴走。

 子ども達の中でも優秀だったその少年は、大人顔負けの流麗な瞬動で響の背後へと回って刀を振り上げた。

 刀身には怒りに任せて練り上げた気を収束させる。その荒々しい気の唸りは少年の感情を表す鏡面。刀身に怒りで歪んだ顔を映しながら、それでもその短い人生で最高の一撃を少年は響へと放つのだ。

 

「神鳴流奥義! 斬岩剣!」

 

「一つ忠告するが」

 

 ほぼゼロ距離での奥義解放。だが相手が師範代だったとしても無手では受けられない一撃は、放たれることなく霧散すると同時、少年の体は地面に落ちた。

 

「え? あれ?」

 

 何故体がいきなり言う事を聞かなくなったのか。その疑問の答えを見つけようと当たりを見渡した少年は、遅れて少し離れた場所に落ちた肉片を見て全てを察した。

 

「お、おれ、腕も、足、も……」

 

 四肢が全て失われている。人体の半分を失ったというのに痛みも出血もなく、だが斬られて失った全てに少年は愕然とした。

 いつ斬られたのか分からない。

 だが間違いなく斬られたのだ。

 何をされたのか分からないがそれだけは直感的に理解した。そして、理解した瞬間、少年は自分を見下ろす男がどういった存在なのか理解した。

 理解、してしまったのだ。

 

「奥義の名を告げることで言霊による効果で威力も上がるが、だからとてあの至近距離で技を告げれば今から私は危ない技を放ちますと言っているようなものだ。しかも相手の背後を取ったのなら気を収束させた斬撃だけでいい。奥義は溜めもある分奇襲や初手としては有効ではないんだ。でも、最初の瞬動は良かったなぁ」

 

「ひ、ぃ……」

 

「思わず斬ったよ」

 

「ひぃゃぁぁぁぁぁぁぁ!? あぁ! うわぁぁぁぁぁ! 俺は! 俺の! 俺のがぁぁぁぁぁぁぁ! あ……」

 

 柔和な笑みを浮かべる響の顔を見て、少年はこの世の終わりとばかりに絶叫した後、白目を剥いてそのまま意識を失った。

 何を理解したのか。何を理解してしまったのか、その一連を見ていた他の者達には未だ分からない。

 だがそこに居た誰もが徐々に理解しつつあった。気絶した少年から視線を切って振り返った響に見据えられ、誰もが蛇に睨まれた蛙のように喉を引きつらせ恐怖に涙を浮かべる。

 斬られることを理解した。

 それ以外に自分達に残された末路は残っていないのだと絶望を受け入れてしまった。

 

「……さて、一人斬ったんだから、もういいか」

 

 

 だがそれだけならばまだ救いはある。

 斬られて死ぬと思っている間は、その絶望こそ希望だと彼らは数秒後に理解してしまうだろう。

 

「二人だろうが百人だろうが、変わらないだろ――餌は多い方が良く育つ」

 

 斬られるのだ。

 斬られて死ぬではなく、斬られるという最悪を。

 

 哀れ、無垢なる子どもに救いの福音が訪れることは無い。

 

 

 

 




次回もどなどな、贄とされる羊の末路。


例のアレ

三倉権座衛門

若干、十六歳にして神鳴流師範代となった次世代のホープ。見た目がどう若く見ても三十代にしか見えないのがたまに傷だが本人は気にしてない。
恵まれた体格と気の総量から放たれる一撃は神鳴流でも一角の威力を誇るが、オリ主的には五流の腕(素子ライザー基準)だったため返しの刃で斬殺された。
年が近いのもあってか下の者からは慕われていた。


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第五話【どなどな(下)】

2014.8.30
感想返しは暫くお待ちを。誤字脱字修正も帰ってきたら行います。


 

 それは水面に映した月の如く、儚く美しくもありながら非現実的であった。

 刃が奏でる涼やかな音色に合わせて、血潮も溢れず倒れていく剣客達の中心で踊る男。無邪気に笑い、無邪気に命を弄ぶ様は死神なのだろう。

 青山響。突如として古巣である京都神鳴流の本山に戻ってきた男がもたらした災厄は、その場に居るあらゆる剣客の腕と脚を痛みも無く斬り捨てていた。

 

「化け物がぁぁぁぁ!」

 

 気勢に任せて響に四方から飛びかかる剣客達だったが、技を出すことも無く四肢を切断されて意識を失った。これまでと同じく達磨となった剣客の末路の山に折り重なる者達。

 

「う、ぐぅ……」

 

「くそ……畜生……」

 

「残りは貴方方だけだ」

 

 そう言って響が視線を向けた先に立つのは、野太刀を構えているものの、いずれも全身を震わせて顔を青ざめた男女のみ。素人目で見ても戦意喪失しているのは明らかであった。

 既に半数を失った神鳴流剣客の強者達、唯一残ったのは戦うことも出来ぬ弱者だと普通は思うだろうが、驚くべきことにその中でも未だ残っているのは、神鳴流の名がいっそう広まった後にその名声を磨いてきた剛の者ばかりだった。

 だがそれは同時に、青山響という怪物を知っている者ばかりであるのと同義。誰もかれもが響の奏でる斬撃の歌声を聴いて、長年をかけて鍛え上げた鋼の体を震わせ、凶悪極まる妖魔に真っ向から挑む胆力すら萎ませているのだ。

 しかしそれも無理はない。一端とはいえ響という修羅外道の在り方を知っているということは、この男が神鳴流にとってどういった存在かを理解してしまっているということなのだから。

 

「その様、無様と笑うには自身の愚かを知る身としては笑えませぬ。とはいえ……」

 

 未だ腰の鞘に収まっていた証を空いた手で引き抜くと、響は酷薄な笑みで立ち並ぶ剣士達を見渡した。

 

「逃すつもりは毛頭ない。その五体、有象と散らばる達磨と等しく地べたを転がってもらいましょう」

 

「貴様ぁ!」

 

 明らかな響の挑発に怒りの色を滲ませる剣客達だが、猛る炎の如き怒りも、その熱に隠された恐怖を隠しきることは出来ていない。

 怒声を響に浴びせる誰もがその場から一歩も動けず、逆に響が距離を詰めれば後退していることから明白だった。

 

「……興が冷める。神鳴流の古強者とあろうもの方々が、かつては青山を名乗ったとはいえ、既に破門されたこの身を何故畏怖するのです?」

 

「それを、それをお前が言うか! 破門されたのはおろか、遂に鶴子様と素子様を斬り殺したお前が! 神鳴流を地に落とす悪行をなしたお前がぁ!」

 

 当然の糾弾に響は怯むことも恥じ入ることもしない。だがしかし一瞬だけ疑問の感情が浮かんだのが見えた。

 あるいは後悔しているのだろうか。そう思われる感情の揺れをさらに問い詰めようとして、すぐにそれが過ちだったと悟ることになる。

 

「悪、か」

 

 そう言った後、響にしては珍しく歯を見せて笑った。

 だがその笑みが意味するところは決して喜びは楽しさではない。獰猛な獣が歯を剥くかのように、その場を満たしていた怒気を飲み込むほどの怒りが響より発露された。

 

「何も知らぬ者が俺と姉さんの斬り合いを勝手に判断するなよ」

 

 あれは悪と断ぜられるものでも、ましてや善と語られるものでもない。

 だが何者にも汚されない愛に満ちていたのだ。それだけは胸を張って言えることであり、他の誰でもない青山響という男だけが誇れる修羅場である。

 故の怒り。燃え広がる紅蓮すら溶かすマグマのような粘性の怒気は、響の怒りを買った発言した剣客もろとも残った剣客全ての動きを停止させた。

 

 瞬間、閃光。

 

「……貴方方は、餌にする意味すらない」

 

 己が死んだことにすら気づかなかったことだろう。響が証とひなを一振りした後、先程まで立っていた全ての剣客の姿は塵一つ無く消滅し、唯一残ったのは彼らが手にしていた野太刀の数々だけであった。

 

「ふぅ……これで一先ず終わりかな」

 

 最後の神鳴流の剣客を葬った響は、打って変わって常の平穏な振る舞いに戻ると、二振りの刃を鞘に収めた。

 静寂は戻らない。響の周囲から聞こえてくるのは、四肢を切断されたことで呻き声をあげるかつての剣客達の成れの果て。

 

「わー、凄いなぁ……」

 

 そんな目も当てられぬ光景を平然と見渡したのは、待機するように言ったはずの木乃香と月詠であった。

 だが響はそのことを咎めようとは思わなかった。むしろ呼び出す手間が省けたというものであり、何より戦いが終わった気配を感じ取った彼女の成長に小さくない喜びを覚える始末だ。

 

「後は君に任せることにする。俺はその間見張りでもしていよう」

 

 響は木乃香に用だけを簡潔に述べると、己が生み出した地獄になど興味を失ったように踵を返して木乃香の横を通り過ぎて行った。

 

「……響さん、焦ってる?」

 

「お姉さま?」

 

「大丈夫、気ぃせんといて」

 

 普段以上に投げやりなように見える響の態度に木乃香は僅かな違和感を覚えたものの、月詠の心配を受けて些細な疑問は頭の片隅に追いやった。

 それよりも今はやらなければならないことが無数とあるのだ。些事に気をかける時間すらも惜しいというもの。

 

「うぅ」

 

「腕、足……俺の」

 

「殺せ……もう、殺せ」

 

 四肢を切断され、最早二度とまともな生活を行うことなど出来なくなった剣客達の怨嗟の声。かつては清涼な気と妖魔討伐に対する熱意で満たされていた場内が、今や呪詛の渦巻く地獄と化していた。

 

「大丈夫や」

 

 だが木乃香は笑った。無邪気な笑みを、見る者を癒す慈愛の笑みを。

 さながら地獄に仏とでも言うべきか。木乃香が発したたった一言の救済は、まるで雲を消し去る太陽の如くその場に渦巻いていた呪詛の全てを消し去り、誰もが優しく微笑む彼女の顔に視線を奪われた。

 助かったのか。

 助かるのだろうか。

 先程の木乃香と響の会話等聞く余裕も無かった彼らは、一様にか細い蜘蛛の糸か、あるいは一筋の光明を見出したように瞳に希望の光を灯す。

 そんな彼らの期待に応えるように、木乃香は手近に転がっていた剣客の一人に近寄ると、頬についた汚れを掌で拭い去って、慈しむようにその頭を撫でた。

 

「さ、ウチが治してあげる」

 

「あ、あぁ……ありがとう……ありがとう……!」

 

「困ってる人が居たら助けるのは当然や」

 

 善良なる少女の優しさが染み入ったのか、倍以上は年の離れている剣客は木乃香に頭を撫でられたまま涙を流して感謝をした。

 青山響という絶望の直後、降って沸いたように現れた希望の使者。それが誰かなど関係ないし、どのように自分を救ってくれるのかも分からない。だがそこに居た誰もが、木乃香を一目見た瞬間、自分達が負った傷は全て癒されるのだと理解した。

 だから大丈夫。

 あぁ、だから、大丈夫ではないと、お前達はまだ気づかない。

 

「痛いのとは、『永遠』にさよならや」

 

「え?」

 

 木乃香が呟いた言葉への小さな違和感。それを口にしようとするも何もかも全ては遅く――。

 

 直後、脳天に触れた掌より剣客の体に注がれた魔力が、四肢の損失はおろか、彼の心に刻まれた傷もろとも、その古傷のことごとくを『蹂躙』し始めた。

 

「ぃ、ぎぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「あはは、痛くないのに何で叫ぶん?」

 

 治療が始まった瞬間に剣客が吐き出した絶叫を、木乃香は面白い冗談だとばかりに笑い飛ばす。

 現に剣客に――男の体に痛みは無かった。むしろ痛みはみるみる内に感じなくなり、まるで痛覚が根こそぎ消滅したような感覚を覚える。

 故に男が絶叫をあげるのは痛みからではない。

 肉体の損傷と共に消失する『心の傷』。

 彼が半生を全て注いできた神鳴流の誉ある剣士として繰り広げた戦いの数々で受けた傷。

 友を失って刻まれた傷。

 不甲斐ない己への憤りによって刻まれた傷。

 切磋琢磨した同胞との鍛錬で得た傷。

 その他、親に叱られたことで刻まれた傷ともいえぬ些細なものまで、男が心に刻んだ全てすらも、木乃香の魔力は余すことなく嬲り、咀嚼し、唾棄し、踏みにじり、癒しという蹂躙にて傷を悉く癒し尽くしていく。

 

「やめ、やめろぉぉぉぉぉ! 俺を癒すなぁぁぁぁ!」

 

 傷とは全てが負に繋がるものではない。そして心の傷は永遠に癒されることはなく、時としてそれが原因で二度と立ち上がることが出来なくなることもあるだろう。しかし、それを乗り越えることで、人はより強く、大きく成長することが出来るのだ。

 だがしかし、木乃香は絶対に癒せないはずの心の傷すらも治してしまう。治すことが出来てしまうのだ。

 

「嫌だ。嫌だ嫌だ! こんなの嫌だ! 治すな! 俺を、俺の傷を返せぇぇぇぇ!」

 

 心が癒されていく。

 それは言葉通りの優しいものではなく、一つの自我を形成する何もかもを踏み躙り、傷という勲章を剥ぎ取って溝に捨てて唾を吐きかけるような最悪の行為。心を犯され、好きなように嬲られるという感覚は受けた者にしか理解できないだろう。

 だが男は抵抗出来ない。何せ、彼が受けた最大にして最悪の傷こそが四肢を切断した響の斬撃。木乃香はその特大の傷を後回しにして、まずはその心から徹底的に癒しているのだから。

 そして何より木乃香は男の言葉を聞いてすらいなかった。いや、耳に入って、理解もしているだろう。納得もするし、嫌がっているのも十分に察している。

 故に癒すのだ。

 だから癒すのだ。

 そのために癒すのだ。

 木乃香の行動原理はそれだ。癒すという大前提。全てはそこから派生する『雑念』でしかないと、彼女は徐々にだが理解し始めている。

 本質はそこなのだと。

 『青山に斬られてから』これまで、癒すという本能に突き動かされていた頃から、木乃香はその次へ、人間らしく、本能を理性で制御し始めていた。

 癒すという本能。

 癒すという理性。

 根源は同じだろうか? 否、決して違う。本能で動くだけなら、相手の事情など一切考慮に入れないだろう。

 だが今の木乃香は相手の心情を理解し、納得し、共感すらして、そのうえで癒しているのだ。

 治療に突き動かされるのではない。治療を制御したうえで、治療する。

 それはつまり。

 

「青山……」

 

 その惨状を見た誰かが呟いた。

 斬るのだと。あらゆる全てを理解し、納得し、共感し、常識的な全てを是としたうえで、斬るという結果に行動が行き着く修羅外道。

 青山。

 恐るべき青山よ。

 

「はい。何ですかー?」

 

 その呟きに木乃香は答えてしまった。答えた瞬間、木乃香は今の自分が何なのかと気付く。

 お前こそ青山だと。

 人が持つ無限の可能性が一を極めた修羅外道だと。

 斬るという解答。

 癒すという解答。

 純粋無垢に混沌と。汚泥に満ちた聖母の姿よ。

 行き着く果ては――。

 

「なんて様……」

 

 絶望の心地で告げられた最悪。

 喜色を浮かべて、木乃香は己が到達した極地を、全存在を賭して手にした孤高を誇るように。

 

「えぇ、ウチも、青山や」

 

 この身に流れる血潮の鬼才。

 発露した全てを伝えるのに、修羅外道(青山)という言葉以上に相応しいものなど存在しない。

 




己が命を燃やしつくし、決死の最後を知りながら、それでも進み奇跡を手にした愚者の背中を、人は後世で英雄と呼ぶ。
だが、道半ばに倒れた者を英雄と呼ぶ者は存在しない。

次回【小さな英雄、小さな抵抗】

人、化け物、英雄、修羅。混沌渦巻く戦場にて、たった一つの光を見いだしてみろ。




今後の予定。
第六話【小さな英雄、小さな抵抗】
第七話【半身、半生、半分こ】
第八話【極み過ぎ去りこの超越で】
最終話【そう、お前は――】
エピローグ【      】
上下方式はあれどエピローグを含めて残り五話となります。お楽しみに。


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第六話【小さな英雄、小さな抵抗(上)】

 

 平穏しか知らない者には争乱の予感など感じ取れないものだと言ったのは誰であろうか。無知だから、経験がないから、予知するのはおろか、実際に何かしらが起きたとしてもその状況を受け入れられない者もいるだろう。

 しかし雪広あやかは少なくとも平穏な生活を過ごしながらもその機微を僅かとはいえ感じ取れるほど聡明であり、無意識とはいえ京都ボランティアという無茶な提案に賛同して、そして決行に移したのは、言い様のない『何か』から逃れるために行ったのは一つの事実である。そうでなければ幾らネギの願いだからとはいえ、二つ返事で賛同することはなかっただろう。

 

「何か、ありましたの?」

 

 だからこそ、唐突に彼女を含めた学生の寝泊りするホテルに訪れたネギ達に疑問を問いかけながらも、彼女の言葉には確信めいたものが滲んでいた。早朝のホテルロビーは人が少ないものの、穏やかではない内容に思わず声を荒げてしまうのも無理はないだろう。

 とはいえ、声を荒げて疑問を投げかけながらも、自分でも何を馬鹿なと思わず苦笑してしまいそうになる。だがあやかは挨拶もせずに不躾な質問をした自分の言葉に真剣な表情で応じるネギ、明日菜、刹那を見て表情を引き締めた。

 

「いえ、挨拶も無しに失礼しました……ですがネギ先生、いらっしゃるのなら昨夜事前に連絡の一つでもいただけましたら迎えに行きましたものを」

 

 時間は未だ早朝で朝日が出てきたばかりである。先程、いきなりネギからの連絡を受けて起きたばかりであるあやかの目は重たく、そのことを遠回しに少々無礼だと告げているのだが、ネギはあえて「すみません、ですが急用でしたので」と彼女の優しい指摘を無視して自身の要件を手短に告げることにした。

 

「委員長、今日の予定は?」

 

「え? え、えぇっと……確か班ごとに決められた場所のお手伝いに――」

 

「出来ればホテルから今日一日でないようにしていただけませんか?」

 

 あやかが言葉を言い終わる前にネギが言葉を被せてきた。流石のあやかも僅かだが表情に嫌悪が滲むが、ネギはおろか後ろで話を聞いている明日菜と刹那も表情は真剣そのものだ。

 冗談を、と一蹴出来る雰囲気ではないことを察するには十分すぎる。何より駅で偶然合流した刹那の鬼気迫った表情を知っているため、決して軽い話ではないのだとあやかは小さく息を飲んだ。

 

「それが駄目なら、せめて今日一日ホテル周辺から出ないようにしてください」

 

「理由を聞いても?」

 

「……お願いします」

 

 ネギは理由を告げることなくただ静かに頭を下げた。

 自分にも語れない何か。だが教師とはいえ未だ自分よりも小さな子どもでしかない彼が背負っているものは何なのか。

 そんなことに思案を巡らせていると、ネギの後ろで待機していた刹那が頭を下げるネギの横に立つと、同じくあやかへと頭を下げてきた。

 

「私からもお願いします。もしかしたら杞憂かもしれません。何事もなく平穏無事に終わるならば、その後の責は私が何としても払拭します。ですから何も言わずにネギ先生の言葉に従ってほしいのです」

 

「……同じく。頼むわ。……ううん。お願いします」

 

「明日菜さんまで……」

 

 続くように頭を下げた三人はそのまま頭を上げることなくあやかへと懇願するばかりだ。突然の出来事にすっかり眠気も覚めてしまったあやかはその異様ともいえる光景に数秒程しどろもどろとするが、やがて覚悟を決めたように一つ溜息を吐き出した。

 

「……理由は、言えないのですね?」

 

「……」

 

「幾らなんでもあまりにも滅茶苦茶なお願いであることは聡明なネギ先生も真面目な刹那さんも……明日菜さんも最低限の常識は弁えていると思っていますので承知であると思いますが?」

 

「……」

 

「……分かりました。私の方から皆様に何とか説明してみます」

 

「本当ですか!?」

 

 頑として頭を下げたままだった三人の顔が、根負けしたあやかの言葉を聞いた直後に跳ね上がるように起きた。そのあまりにもあからさまな反応に頭が痛くなるような心地になるが、それでもあやかは彼らが事情を言えぬ事情があるのだと理解した。何より――。

 

「真剣ですのね」

 

「え……?」

 

 あやかは不思議そうに首を傾げるネギに小さく笑いかけると、その頭にそっと掌を乗せた。

 

「何でもありません。……ともかく、生徒への説明は何とかできますが、流石に同伴の教師の皆様の説得までは難しいですわよ? 発案者であるネギ先生からの助言や、先日は軽めにすませてしまった被災地の環境状態の説明云々。一応それなりの言い訳を作ろうと思えば作れますが、それでも失敗してしまうことは覚悟してください」

 

「それでも、ありがとうございます」

 

 頭を撫でられるがまま嬉しそうに笑うネギの笑顔に、内心で敵わないなぁと自嘲しながら、あやかは安堵する明日菜と刹那に厳しい視線を向けた。

 

「さて、それはともかくお二方!」

 

「は、はい!?」

 

「理由はあえて問いません。ですがネギ先生を危ない目に合わせたら絶対に許しませんからね!」

 

 あやからしい厳しくも気を引き締め直させてくれる凛とした声に明日菜と刹那は無言で力強く頷いた。

 

「……よろしい。では私は早速説明のための案を検討しなければならないので……ネギ先生達は?」

 

「すぐにでも出かけるつもりです」

 

「私達には外出を禁じながら、皆様はお出かけなさるとは……」

 

「あはは」

 

 あやかの指摘に三人共に苦笑いするしかない。だがその反応を分かっていながらあえてそう告げたのは、無理難題を押し付けてきた彼らへのささやかな意趣返しである。

 バツの悪そうな三人を見て少しだけ気分を良くしたあやかはネギの頭を撫でる掌を名残惜しげに離すとネギの肩を軽く押した。

 

「さ、私もそうですが皆様もお時間はないのでは?」

 

「は、はい」

 

「では早く行ってください。善は急げと言いますが、別に善行でなくとも何事も急いで損はないというものでしょう?」

 

 おそらくだがネギ達の抱えている何かはきっとまともなものではない。そのことを察して、分かっていながら背中を押してくれる彼女の優しさに、ネギは最後に「ありがとうございます」と改めて礼をすると、足早に三人はあやかの元を後にした。

 

「……いつの間にか、遠くなってしまいましたのね」

 

 ネギ達が居なくなった後、あやかは一人消えた三人の、否、明日菜の背中を思い出して独り言ちる。

 京都の旅行から明日菜は劇的に成長していたのを彼女は知っている。それは見た目の話でも性格の話でもない。人間として一回り以上大きくなり、あえて言葉にするなら大人になったと言うのが一番しっくりくるのだろうか。

 そんな親友の成長を喜ぶ反面、あまりにも早すぎる成長に不安を抱いてしまうのは仕方ないだろう。

 何かがあったのだ。

 あの日、京都の災害で彼女の身に何かがあり、それをきっかけに彼女は大人に成長『せざるをえなくなったのだ』。

 それはネギにも同じく言える。元から不相応なくらい大人びていたが、最近では完全に子どもらしさが失われ、見た目だけが子どもであるだけにしか見えなくなっている。

 だがその成長を喜ぶべきなのだろうか? 周囲は「最近ネギ先生かっこよくなってきたねー」とか「明日菜って綺麗になった」などと言っているが、明日菜と長年接し、ネギを弟のように見守ってきたあやかはそれを素直には喜べはしなかった。

 不安なのだ。一足飛びで成長する彼らが何故そこまで急いでいるのか。その理由はもしかしたら――。

 

「木乃香さん。貴女は一体……」

 

 突然、親戚の元に療養すると言って学校を休んだ木乃香。先日見た彼女は災害直後と比べて随分と元の明るさを取り戻したように見えたが、あやかは何故か彼女の傍に近づくのを恐れてしまっていた。

 その理由も分かっている。彼女を恐れた理由。彼女を恐れる者にした理由は。

 

「青山、と言いましたわね。あの殿方は」

 

 木乃香が明るくなった理由であり、刹那が怒り狂った理由。

 一見、繋がりそうにもないその点が何故かネギと明日菜に繋がるのではないか?

 

 そして、それはきっと――。

 

「……どうか、ご無事で」

 

 両手を胸の前で合わせて、あやかは三人が何事もなく戻れることを強く願う。そして同時に、どうか自分の想像が突拍子もない妄想であると信じることしか出来ないのであった。

 

 

 

 

 

「……魔法を使って強引に彼らを留まらせるほうがよかったのではないですか?」

 

 ホテルを出てから暫く、響が居るだろう神鳴流本部に赴く前に準備を行っていると、不意に刹那がそんなことをネギに聞いてきた。

 

「そうですね。ホテルに泊まっている魔法先生の能力を考慮しても、僕なら問題なくホテルに留まらせることは可能でした」

 

 術式の装填された魔法銃の点検をしていたネギはその手を止めることなく刹那の問いに淡々と答える。当然だという返答に、だからこそ刹那は疑念を膨らませた。

 

「ならば、何故?」

 

「もしもの時、ホテルから逃げ出せるようにする必要があります……それと万が一の場合、一か所に留まっているよりもばらけているほうが助かる人が多いはずです」

 

 あやかの説得が失敗して、日程通りにボランティア活動が始まった場合、各地に散逸しているほうが逆に助かる人間が多いかもしれない。無論、魔法先生にも適当な説明してホテルには先程結界も張ったため、ホテルに留まっているほうが基本的に安全なのは確かなはずだ。

 だがホテルに留まるのが正しいかと言えば首を傾げざるを得ない。ネギは万能ではなく、未来を見据えた手を打てるわけではないのだ。ならば最低限いざというときに誰もが自分の意志で動けられるようにしたほうがいいとネギは考えたわけである。

 

「無責任、とは違いますが……些か杜撰ではないかと」

 

「なら魔法を使ってホテルに留まらせますか? 認識操作を少し行えば問題ないでしょうが……刹那さん、あの住宅街を見た貴女ならそれがどれだけ危険なのかわかるはずだ」

 

「ッ……」

 

 あえて先日刹那が遭遇したあの悲劇を口にするネギの真意を悟り刹那は唇を噛みしめた。

 青山と青山の激突による周囲への甚大なる被害。文字通りの爆心地付近であれば確実にその命を斬られてしまう。

 

「……仮にこれから僕達が青山さんと戦うことになり、彼の傍ではないとはいえ認識操作を受けた者が何かしらの影響を被らないという楽観視はできません。僕はリスクを秤にかけて、認識操作のリスクが重いと考えただけです」

 

「そうであれば納得です。すみません、手間をかけました」

 

「気にしないで下さい。僕だってこれが本当に正しいのか分からないんですから」

 

 ネギだけではない。正しい答えを知っている者などこの世界の何処にも存在しないだろう。何とか取り繕っているが、ネギだって心境としては不安でいっぱいだ。それはネギと刹那の準備を見守っている明日菜も同じだろう。

 だが行動を起こさなければ、未練だけしか残らない。

 ネギは、一際長大な魔法銃の点検を最後に終えて、点検を終えた全ての魔法具を装備したマントをその体に纏った。

 迷いはその瞳には感じられない。そして意志の光は小さな悩みすらも払拭し、覚悟の力で支えた両足が一歩前へと進み出る。

 

「行きましょう。全てが杞憂だと言うにはもう……あの人は――」

 

「ネギ?」

 

「……何でもありません」

 

 ネギはそっと己の片目を抑えて寂し気に俯く。未だ残滓として燻るこの体に宿る修羅が囁きかけているのだ。刹那と激突したあの場所に着いてから感じる違和感。その場に残留していた響の力から汲み取れる事実。

 それはきっと世界にとって最悪で。

 それはきっとあの人にとって――。

 

「……何でもないです」

 

 ネギにしか分からないこの感覚を伝える意味は無いだろう。そう言い切ったネギの横顔から迷いなどといったものが無くなったのを見て、明日菜もこれ以上何か問い詰めることなく、その隣を歩くのであった。

 

 

 

 

 

 傾いた太陽が地平線に隠れるのも近くなってきたころ、麻帆良学園にて人知れず行われた世界そのものの在り方を変革するだろう戦いは終わりを迎えようとしていた。

 超鈴音とその一派による麻帆良学園の世界樹を用いた世界規模の認識魔法作動計画。世界樹の魔力を用いて時間逆行を操れる超の科学と魔法が合わさった恐るべき技術は、麻帆良に残った戦力ではタカミチを含めたとして抑えることは出来ずにいた。

 何より超の計画を阻止すべく戦っている彼らも、戦いの最中超が告げた計画の内容を聞いて心を揺らがせているのも、超が優勢である要因の一つであろう。

 京都の災害。悪魔の襲撃。

 立て続けに起こった悲劇は、いずれも魔法が公のものであったならば防げた可能性が高いのである。立派な魔法使いとして世のために働いてきた彼らが感じていた限界、それを突破できる可能性が超の計画が成就した先にあるのならば、今、自分達が何のために戦っているのか悩むのも無理はないだろう。

 故の現状。最早、大勢は決した。怒涛と押し寄せる機械人形の物量と龍宮真名の超人的な狙撃による時間を超えるという強制転移。一人また一人と悩みを抱えたまま、計画後の未来へと飛んだ彼らが一体何をその先で見ることになるのだろうか――。

 

「下らん。茶番にも劣る。ガキのお遊戯でももっと楽しめるだろうが」

 

 そんな彼らの迷いも、超がこの計画に賭ける執念も。それらを一切纏めて欠伸が出る程退屈なのだとエヴァンジェリンは笑った。

 どいつもこいつも中途半端。僅かしかない命だというのに、右往左往する様は滑稽と言うべきもの。これなら蝉の一生の方が有意義に思えてしまう。

 

「だが、まぁこういうのも人間だ。短い一生を下らぬものに愚直と注ぐ者も居れば、短い一生を何も決められず中途半端で腐って終わる……そういうものだから面白い。退屈でつまらんし、楽しめもしないが、全くもって貴様らは笑えるなぁ」

 

 永遠に消えることのない嘲笑を浮かべる化け物は麻帆良の上空より戦いを俯瞰している。今まさに始まった超とタカミチによる最終決戦を見据え、彼女の計画を知ったことで惑い迷うタカミチは精細が欠けている。今は互角に戦えているが、いずれ超が一手上回るのは――。

 

「決まったか」

 

 タカミチの隙を突いて直撃した時間跳躍弾がその体を未来の世界へ吹き飛ばす。

 これで終了だ。残党が幾人か残っているが、世界樹の奪取に成功した超が計画発動まで凌ぎきることは容易である。

 既に限界まで発光をしている世界樹は数分もせずに魔力の全てを解放し、超はその膨大な魔力を全て行使して、世界各地と連携させた魔法にて認識魔法は茶道する。

 結末は決まった。まるで予想外の出来事など起きない茶番を最後まで見届けた己の忍耐力を自賛しつつ、エヴァンジェリンは遂に悲願を成就させようとしている超の前へと降り立った。

 

「おめでとう。おめでとう超鈴音。分かりきった勝利とはいえ、貴様が持てる全てを注いで手にした勝利だけは賞賛すべきものだろう」

 

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……」

 

 挑発するようにやる気のない拍手をしながら、嘲笑を浮かべて降りてきたエヴァンジェリンに向ける超の眼差しは鋭い。そんな彼女の視線に、怯えているわけでもないのに大袈裟にエヴァンジェリンは肩を竦めてみせた。

 

「おいおい、そんな怖い顔をするな。私は心の底から貴様の勝利だけはほめたたえているのだぞ? それとも、化け物の賛美は受け入れられないかな?」

 

「……今更何の用ネ。私達の関係は不戦条約のようなものだと思っていたガ?」

 

「そう邪険にするな。貴様は勝ったんだ。勝者を祝福するのに理由は必要ではない。素晴らしく、素晴らしいのだと、それだけの話だ」

 

 ――それに。エヴァンジェリンはその細い指先で超の背後で輝く世界樹を指さした。

 

「これが広げるものを一番の特等席で見届けたいだけだ。誇れよ、未来は知らんが、これから貴様が踏み込む一歩は間違いなく世界を変えるよ」

 

「……言われなくても、最初から変えるつもりヨ」

 

 そんなことは今更だ。超は消えて行く夕焼けに背を向けて、その輝きを吸い込んでいるかのように光度を増す世界樹を見上げる。

 さぁ、ここから全てを始めよう。今、自分を気持ちの悪い笑みで見ている化け物を初めとした不安要素は無数と存在するけれど、いつだって一歩を踏み出す勇気こそが人類をその先へと進ませてきたのだから。

 

「未来を……今、ここから……!」

 

 瞬間、限界まで膨れ上がった世界樹の発光と同時に、その全長を全て覆い隠す程の巨大な魔法陣が描かれる。世界樹の頭上に描かれたその巨大な魔法陣は、瞬く間にその魔力を媒体として、地球全土へと細やかな、しかし世界の在り方を変換させる認識を全人類の心に植え付ける。

 その未来を思い描いて、超の顔に小さくない歓喜の笑みが浮かんだ。そうだ。ここより全ては始まる。己が手によって、あの荒廃した未来ではなくより良い未来を作り出してみせるのだと。

 

「ここから、全てが始まる!」

 

 世界樹が蓄えた膨大な魔力が暗黒に染まった麻帆良の街を白く染め上げる。まるで新たな世界の誕生を祝福するかのように空へと放たれた巨大な魔法の塊は、その周囲に居た全ての者達の視線を受けて、遥か上空にて世界中へと拡散する。

 ここに、超の計画の一歩目にして最大の難関は成就した。後はものの一週間もすれば裏に隠された魔法の神秘を世界の誰もが受け入れる。

 それも良いのだと。

 科学ではありえない存在も受け入れようと。

 そして、その認識の差異をもってして、超は己が生まれた未来の世界とは違った未来を描くのだと、広がり続ける祝福の音色を聞きながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 りぃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きれい」

 

 エヴァンジェリンは、嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界の速さを、理解する。

 

「そう、貴様は――」

 

 だから君は泣いた。

 

「そう、貴方は――」

 

 だから君は笑った。

 

「あぁ、俺は――」

 

 だから。

 だから、俺は――。

 

「        」

 

 最期が、始まる。

 

 

 

 

 




次回はオリ主とネギ会合。そしてエヴァちゃん出陣とこのちゃんフィーバーと麻帆良組のその後を経てまぁあれです。大乱闘的なあれになる。


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第六話【小さな英雄、小さな抵抗(下)】

 

 遠く、窓から空を見上げている。雨模様、香る湿気、しとしとと奏でられる雨音の旋律。

 だけど私の手は灰色に染まった空の冷たさを感じることすら出来ない。透明な板は外界との接触を完全に遮断していて、白く細いこの指先は、シャボン玉の膜のような窓ガラスすらも超えられないのだ。

 触れられず、触れ得ざる。せめてものと感じるのは、雨粒を弾くガラスに張り付かせた掌より伝わる冷たさだけ。

 毛布のような心地よさをくれる青空よりも、私には己の命を奪うような冷たい雨空が恋しかった。

 だけど私の命はこの冷たさに奪われるだけで呆気なく失われる程に弱いから。青空の下を歩いた記憶はあるけれど、雨空の下を歩いた記憶は一度もない。

 恋しいのに届かない。

 欲しいのは灰色だった。小さな私の命の火を守ってくれる暖かさではなく、情け容赦なく私を奪ってくれる冷たさが身を斬るように注いでくれる姿が、きっと私に相応しい最期なのだと思うから。

 

 

 

 

 ――ふと、太陽に目が眩んだ。

 

「……来たか」

 

 血の色のような夕焼けから背を向けた俺は、消えて行く太陽の輝きに目を焦がすことなく現れた影に小さく微笑んだ。

 影は三つ。

 桜咲刹那、神楽坂明日菜。

 

「会いたかった、ネギ君」

 

 君に。

 

「えぇ、僕もこんな場所でなければ今一度会いたかったですよ」

 

 歓迎する俺とは対照的に、剣呑な雰囲気を纏わせてネギ君は右手の杖の先端を俺に突きつけてくる。既に魔法が装填されていることには気づいている。そして彼もまた俺が気付いていることなどとっくに分かっているだろう。

 その両隣に立った桜咲さんと神楽坂さんもそれぞれの得物を取り出して構える。ふむ、ネギ君もそうだが、桜咲さんと……特に、神楽坂さんは信じられないくらいに腕前を上げたようだ。

 

「良き師と出会えたようだね」

 

「その師を、素子様を斬り伏せた貴様が……!」

 

「少し黙っていてくれ」

 

 何を勘違いしているのか知らないが、俺はいきなり激昂した桜咲さんに全霊の殺気を突きつけた。それだけで彼女は喉を詰まらせて一歩、二歩と後ろに下がってしまう。そしてそんな自分に遅れて気付いて苦渋の表情を浮かべているが、正直いってどうでもよかった。

 そんなことより、同じ殺気を向けられながら僅かに顔を顰めるだけで怯まずに立っているネギ君と神楽坂さんのほうが俺には重要だ。

 

「地下に居た人かな? うん、彼は良い。麻帆良でも学園長を除いたら彼がおそらくトップだったからね」

 

「……マスターのことは既に知っていましたか」

 

「正しくは気配を悟っていただけさ。本名も知らないし、実際に出会ったわけでもない」

 

 だが彼が麻帆良で頭一つ実力が抜けていた存在だということは知っている。

 いや、既にそれも過去の話だろう。

 腰の鞘からひなを抜きはらって、俺は心地よい戦意を叩きつけてくる二人に敬意を示した。

 

「でも、今は君達のほうが強い」

 

 強くなってくれたのだ。

 理由はどうあれ、今のネギ君とその相棒であるとみられる神楽坂さんのコンビは、京都の時とは違って今の俺とすら戦いと呼べるものを繰り広げられる程度の実力を内包していた。

 この短期間で良くぞ。

 本当に、おめでとうと伝えたかった。

 

「変わりましたね、青山さん」

 

「響と、そう呼んでくれ」

 

「何? いや……ならば響さん。僕らは戦いに来たわけではないんです。こうして武器を構えて今更と思うかもしれませんが、せめて話だけでも聞いてはくれないでしょうか?」

 

 戦いに来たわけではない、か。

 彼が語る通り武器を構えながら交渉をしようとしているのは普通に考えれば馬鹿馬鹿しく感じるが、それも仕方ないだろう。

 何せ相手は俺だ。

 俺みたいな人間と相対して、警戒せずにいられる人間は存在しない。

 もしも居るとするならば――。

 

「響さーん」

 

 ふいに、張り詰めるばかりの空気には場違いなほど気楽な声が背後から聞こえてきた。

 その声を聞いてネギ君達の――特に桜咲さんの表情が急変する。まるで幽霊化化け物でも見たかのように恐怖と驚愕に染まった感情を発露させ。

 

「あ、お嬢さ……」

 

「あ、せっちゃんや。久しぶりー」

 

 俺の隣に立った少女を――木乃香ちゃんが向ける奈落の如き暗黒の眼差しを認識した瞬間、桜咲さんの身体から嵐のような気が放出された。

 

「あ、青山ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「ッ、待ってくださ――」

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 ネギ君の制止も虚しく、怒りに我を忘れた桜咲さんが荒々しい気を野太刀に纏わせながら突撃してくる。

 速度は良し。

 意気込みも良し。

 充実させた気力も良し。

 

「でも、君は弱い」

 

 だから、俺が相手する価値も無いのだ。

 

 虚空で刀と刀が火花を散らした。

 

 だが彼女の刀を受け止めたのは俺の刃ではない。虚空で重なる桜咲さんともう一つの影。

 

「月詠!?」

 

「ふふふ、ウチとは先日振りやなセンパイ」

 

 交差した影はそのままもつれ合うようにして地面に着地。間髪入れずに両者同時に振るった刃が、赤い花を無数と空に描いた。

 

「お前、その手は……」

 

「これですかー? これはー、お姉さまに癒してもらったんですわ。おかげ様でこの通り!」

 

 両手の短刀が桜咲さんの一刀をその体ごと弾き飛ばす。おそらく想定以上の膂力に桜咲さんが困惑する中、恍惚と頬を染めた月詠さんは、軽やかに木乃香ちゃんの隣に立つと、その体をまさぐるように抱き付いた。

 

「今ではお姉さまの虜ですー」

 

「お嬢様を離せ!」

 

「うふふ、嫌ですー」

 

「月詠ぃぃぃぃ!」

 

 猛り狂う桜咲さんが再度月詠さん目掛けて突貫していく。

 

「……手助けしないのかい?」

 

 そんな彼女達を横目に、俺は一定の距離を保ったまま動かないネギ君達にそう問いかけた。返事は無い。

 返答代わりに無言で俺を睨む二人の視線。応じるように隣の雑音は無視して俺もネギ君のみに意識を注いだ。

 臆病。と嘲笑うつもりはない。むしろ冷静に互いの戦力差を見極めて、乾坤一擲を注ぐ隙を探している二人のほうが猪突猛進と迫ってきた桜咲さんよりも好みだ。

 

「やはり、貴方はもう木乃香さんを」

 

「あぁ、彼女か。……見ての通り、切っ掛けと餌を与え、彼女はあそこまで辿り着いた。そして木乃香ちゃんが桜咲さんに向ける眼差しから鑑みるに……」

 

「……そういうことか」

 

「どういうことよネギ」

 

 少々理解力が足りないのか、一人だけ話についていけていない神楽坂さんの問いにネギ君は苦渋の面持ちで重たい口を開いた。

 

「木乃香さんにとっての刹那さんは、僕にとっての明日菜さんだ」

 

「それって……」

 

「木乃香さんが刹那さんを殺せば……木乃香さんはもう二度と僕達の知る木乃香さんに戻れなくなる」

 

「いややわネギ君。殺すだなんてことウチはせんよ。ウチは治すだけや。痛いのも辛いのも怖いのも悲しいのも、嬉しいことも楽しいことも何もかも……ぜぇんぶ、ウチは治したいんや」

 

 ネギ君が告げた結末に反論したのは、神楽坂さんが知るいつもの穏やかな雰囲気を纏ったままの木乃香ちゃんだ。

 

「なんて様よ木乃香。イメチェンにしたってもう少しやり方があったでしょう?」

 

 軽口を言いながらも滲む焦燥感は隠しきれていないのは目に見えている。

 そしてそれほどの気を今や木乃香ちゃんは纏っているのだ。

 外道であったかつての俺が注いだ一閃によって目覚めた彼女の本質。正道から外道へ、強引な歪みは未だ木乃香ちゃんに不安定な部分を残しているが、それもネギ君が言ったように後一手で終わる。

 だがそれでもネギ君と神楽坂さんは諦めていないのだろう。今やかつての修羅外道たる俺へと迫りつつある木乃香ちゃんを前にしても、決して瞳から輝きを失っていない。

 

「やはり、君だったよネギ君」

 

 その光。

 その希望。

 その覚悟。

 

「でも……」

 

 今のネギ君も木乃香ちゃんだって、未だ道半ばの少年少女ではまだ俺には届かない。

 斬ることに腐心し、同じ極みを頂いた姉を斬ることで得た極地の先。

 この身、この斬撃に届きうる存在を願う。

 いつの間にか消え去った太陽の代わりに浮かぶ月の光に濡れるひなを空へ透かして――。

 

「今は、先客が居るんだ」

 

「え?」

 

 

 

 

 りぃん。

 

 

 

 

 君に届け。

 この約束を、今こそ果たそう。

 

 

 

 

 

 闇夜に鈴の音色が響き渡る。その瞬間、響を除いた誰もが――比喩ではない。世界中の誰もが言葉を失った。

 本来ならネギですら感知できなかったであろう、超鈴音が展開した巨大な認識魔法が全世界に広まっていくのを感じ取った響が、その魔法にあろうことか『己の斬撃を乗せて』しまったのだ。

 結果、それは終焉に轟くラッパの音色の如く世界へと歌声を響き渡らせる。認識魔法は斬撃に汚染され、水面を揺らす波紋は、もう一つの波紋が起こした波に飲みこまれ、そしてその勢いをそのまま利用されていく。

 まず、影響が出たのは小さな子ども達だった。

 自我の未熟な彼らは、魂すら蹂躙する斬撃の音色を聞いた直後、先程まで仲睦まじく遊んでいた友人目掛けて、刃を振るう。

 ある子どもは傍にあった枝を友人の眼球に突き立てた。

 ある子どもはカッターナイフで教師の腹を捌いた。

 ある子どもは顎が砕ける勢いで傍に居た家族の喉元を食い破った。

 世界中に存在するほぼ全ての子どもと呼ばれる者達は、例外もなく波及した斬撃によって狂い、惑い、狂気のままに狂気を伝播させていく。

 無論、子どもだけではなかった。自我を完成させた大人と言え、その半数以上が突如響いた音色に感染し、誰もかれもが手頃な刃物を片手に握り、手当り次第にその鋭利を突き立て、あるいは突き立てられていく。

 

 響と素子の戦いの余波で汚染された街の状況は、そうして世界全土に広がった。

 

 誰もかれもが斬っていく。誰もかれもが斬られていく。そして、世界は僅か数分もしない内に新たな常識によって蹂躙されていく。許されざる冒涜は、それを冒涜とすら思っていない修羅の手によって白に落とされる黒のように一方的な凌辱を行い、苦悶する世界ははたして美しい旋律とは真逆に苦悶の絶叫をあげ、さてまずは、手には刃物を持ち、汝、隣人を斬ろう。朝、起きた時に君は刃物を手に取ろう。朝食と共に家族の腕を斬るといい。大切なのは斬ることにある。君達はまず斬るのだ。あぁ、なんてことは無い極々一般的な常識である。人間が持つ根源的な欲求の斬撃欲というだけだ。たったそれだけで他は何も変わらないだろう。むしろ変わるとは何だろうか。何も変わってはいない。地球が斬るように、太陽が斬るように、月が斬るように、当たり前のことを当たり前として斬ることを語るのも野暮というものだろうが、やはりここは一つひとつ斬ることを始めよう。挨拶をして斬る。歩きながら斬る。友と雑談しながら斬る。仕事をしながら斬る。勉強しながら斬る。食事をしながら斬る。帰りながら斬る。風呂に入りながら斬る。眠る前に斬る。眠りながら斬る。愛する者と斬る。愛する者を斬る。何でも斬ろう。誰でも斬ろう。五臓六腑に染みついた、斬撃に染まるこの腸を斬られることで見せつけよう。そして斬撃に染まった誰かの腸を君も斬るといい。何も変わったことはないだろう? ほら、違和感はないはずだ。今、君達は日常を手にした。これ以上斬らずとももう大丈夫。誰もが懐かせた共通の優しさで斬っていく。誰もが平等な新しい朝の始まりだ。斬る。斬ろう。この斬撃に腐心する我らが祈りとはつまり刃に乗せた斬撃という祝福であり不変故の奇跡として斬ることはいつでもそこにあり無心と振り下ろすこの一閃こそが他者と分かつ刃の旋律として斬撃は今こそ世界を走り抜けて凛と冴える月光の下人々は手にした鈍らにて一閃を無限と飽和させその果てすらない無限楽園。

 

 故に、斬る。

 

「何を……何をしたんだ貴方は!」

 

 ネギは吼えた。何が起きたのかは分からない。だが突如として振りぬかれた響の刃と共に鳴り響いた鈴の音色が、決定的な災厄を世界にぶちまけたということだけは本能で理解した。

 だが絶叫を受けた響はむしろそれこそ不思議だと首を傾げるばかりだ。

 何をした、だと?

 何をしたのか、そんな当たり前、聞くまでもないだろう。

 

「斬ったんだ」

 

 それだけの絶望が撒き散らした災厄すらも、この男にとっては当然のことでしかないのだ。

 

「そう、斬れるのさ。分かるだろ?」

 

「分かる、か……! 分かってたまるか!」

 

 耳の奥深くで木霊する鈴の音色に顔を青ざめさせて、それでも未だ硬直から動けない明日菜、刹那、月詠の三人よりも早くネギは動き出す。

 ここまで響を警戒して動けなかったことなど最早頭にはない。ただ、眼前に立つ男が為した狂気に抗う意志を見せつけるべく、ネギは体内に装填した雷の暴風を杖の先に展開した。

 

「五連、雷の暴風!」

 

 拳大に固められた極大の乱気流がネギの一声を受けて解放される。一つだけでも圧倒的な火力を秘めた雷の暴風が五つ、より鋭利に研ぎ澄まされて背中を向ける響に走った。

 だがそれよりも早く響とネギの間に影が幾つも飛び込む。そして、ネギが撃ち放った雷の暴風に匹敵する膨大な気が嵐と真っ向から激突して相打った。

 

「せっかちやなぁネギ君は」

 

「木乃香さん……!」

 

 相殺されたエネルギーの余波で舞い上がる煙幕を薙ぎ払って現れたのは変わらぬ笑顔の木乃香。その傍には刹那が持つのと似た野太刀を握った男女が立っていた。

 ネギは突然の乱入に動揺を露わにするが、即座に木乃香を守るように立つ彼らが既に『まともではない』ことに気付く。

 

「堕としたのですか……」

 

「癒しただけや」

 

 意識をはく奪された無表情。

 光を灯さぬ眼。

 物言わず、木乃香の操り人形となったかつての剣客達を見て、どうして癒されたのだと思えるだろうか。

 

「木乃香ぁぁぁぁ!」

 

 冷や汗を隠し切れないネギの横を抜けて飛び出したのはようやく残響より正気に戻った明日菜だった。既に咸卦法で身体能力を上げた明日菜の踏み込みは、ただそれだけで瞬動にすら肉薄する。

 激昂の意味を知る必要はない。他者を犯しつくし、己の傀儡としたかつての親友の所業を見て、怒り燃やさぬ者がいるだろうか。

 大剣状態ではなくハリセン状態なのは辛うじて残った良心の現れか。しかし手心はその程度、明日菜は木乃香の骨の一、二本は砕く勢いで握った得物を振り下ろす。

 しかしそれを許す傀儡達ではない。ネギの時と同じく直前で割り込んだ無数の野太刀が明日菜の一撃を受け止めた。

 

「木乃香! アンタ! アンタ自分が――」

 

「明日菜ぁ。明日菜も癒してあげるからな」

 

「ッ……! このバカチン!」

 

 数秒程度の短い会話。だが彼岸よりも遠い互いの認識の差を明日菜は感じ取った。

 目の前に居るのは彼女が知る優しい少女ではないのだ。青山という狂気によって、その身の青山を覚醒させた外道。

 お前もまた、恐るべき青山なのか。

 躊躇は一瞬だった。直後、手元で巨大な鋼鉄へと変質したハマノツルギが、明日菜の内心を何よりも物語っていた。

 

「退けぇ!」

 

 両手で握り締めたハマノツルギごと、傀儡共を纏めて薙ぎ払う。その余波で吹き飛ぶ木乃香を追おうとして、かつての剣客――木乃香の意志に従うだけの人形共の群れが夜すら飲み込まんと明日菜へと殺到した。

 

「雷の斧!」

 

 しかし見上げた空すら埋め尽くす傀儡は、横合いより鳴り響いた轟雷に飲み込まれる。振り返るまでもない。背後で左手を振り下ろしたネギが「突っ込め!」と叫ぶのに呼応して、明日菜は虚空で傀儡に受け止められて着地しようとしている木乃香の元へと飛び込んだ。

 

「目ぇ覚まさせてあげるわ!」

 

「何言うとるんや明日菜。ウチはとっくに目覚めとるえ?」

 

「それが寝ぼけてるって言ってるのよ!」

 

 着地の瞬間を狙ったハマノツルギが唸る。だが沸くようにあふれ出す傀儡の刃が木乃香への行く手を遮った。

 届かない。当然だ。この言葉すら届いていないのに、より遠いこの刃が届きうるだろうか。

 それでも明日菜は傀儡を薙ぎ払いながら前進する。その頭からは響のことは抜け落ちていた。何よりも大事な親友を取り戻すべく、愚直と進む意志に余計な雑音は不要だから。

 

「ふふっ、素敵やなぁ明日菜は」

 

 四方八方から襲い掛かる傀儡を振り払う明日菜の進撃を木乃香は笑顔で俯瞰した。例え己が傷つくとしても歩き続ける迷いなき姿。正当なる怒りで燃える心を原動力に前へ、前へと行ける在り方は、誰もが素晴らしいと褒め称えるだろう。

 

「すぐに癒してあげるからなぁ。大丈夫、傷ついても傷ついても、もう二度と傷つかないようにウチが治してあげる。痛いから治して、辛くても治して、なんでも治してあげられるから治して治すんや」

 

 だが木乃香の思考は正しく燃え上がる明日菜の在り方を理解していない。

 傷ついても進もうとするなら癒してあげよう。

 怒りに燃えて抗う心を癒してあげよう。

 曇りなく前を見据える眼を癒してあげよう。

 癒すことを癒すまで癒しつくして癒し殺し癒し生かす。

 そして自分と同じ、何にも染まらぬ漆黒の眼にしてあげるのだ。

 その狂気に晒されながら、明日菜は声を張り上げた。

 

「木乃香……! 木乃香ぁ!」

 

 決して届かない親友の名を呼ぶが、もしかしたら二度とこの声は届かないのかもしれないと薄々気づいている。

 だが呼ぶのだ。諦めたらそこで今度こそ木乃香は二度と戻ってこない。手放さないために、分かっていてもこの声を絞り出すしかないと明日菜は知っている。

 そして、そんな彼女の弱気を傍で支えてくれる小さいけれど大きな背中の温度を、肩越しに感じられるから明日菜は叫べるのだ。

 

「術式兵装・風精影装」

 

 風の精霊の分身体を展開したネギが、傀儡と剣戟を合わせる明日菜の死角を補って縦横無尽と魔法を連射する。

 そこには一切の躊躇もない。ただ薙ぎ払うだけの明日菜とは違って、殺し尽くすつもりでネギは怒涛と魔法の雨を迫る傀儡へ叩き込んだ。

 当然のように、一撃で腕が焼き切れ、足が千切れ飛び、眼球が沸騰し、胴体が分断されていく。いつの間にか明日菜の背後に回ったネギは、何か言うでもなく明日菜が動きやすいように己の技を存分に振るった。

 

「明日菜さん! 躊躇は不味い!」

 

「……わかったわよ!」

 

 ネギの声に、明日菜は僅かな躊躇の後、鍔迫り合いより強引に相手を弾き飛ばし、返す刀でその腕を斬り捨てた。

 大剣より伝わる肉と骨を分かつ不快感。包丁で豚や牛の肉を切るのとは違う。意識が無いとはいえ、人間を斬るというストレスに顔を顰めた。

 だがネギの言葉をそれ以上に信じている。躊躇が己の死へ、そして己の死がネギと刹那の死を招き、木乃香が外道としての戦禍を広げるならば――。

 

「迷って、られるか!」

 

 轟と唸る大剣が両腕を切断された傀儡の脳天から股までを一直線に斬る。豆腐でも切断するように分かたれた肉塊は、瞬きの後左右に分かれて大地に屈する。

 しかしその様を見届ける余裕は無かった。仲間が死したことなど気にも留めない傀儡の特攻を受けて、人を殺したというストレスで怯む余裕すらないのだ。

 

「次ぃ!」

 

 今、必要なのは己を鼓舞する怒りのみ。滾る炎で迷いを焼き尽くし、背中の暖かさで己を律しながら明日菜は視界を埋め尽くす鋼鉄に刃を打ち合わせた。

 

 

 

 

 

「あははっ! あはははっ!」

 

 木乃香が操る傀儡の群れとネギと明日菜のコンビが激突するその横で、哄笑する月詠と無言で憤る刹那が刃を打ち鳴らしていた。

 純白の羽を広げ、己の中の化け物すらも解き放ち全力を賭す刹那と、修羅外道に染められて真の外道に堕ちた恐るべき人間と成り果てた月詠。先日は一方的に刹那が月詠を圧倒する結果に終わったが、現在は月詠が終始刹那を防戦一方に追い込む形となっていた。

 

「センパァァァイ! どうしましたー! とってもとっても弱いですえぇぇぇぇ!」

 

「黙れぇ!」

 

 状況を打開するべく奥義を放とうとするが、既に『青山寄りとなっている』月詠の牙はその隙を一切与えない。小太刀と野太刀のリーチ差を生かして、顔を突き合わせる程の超近距離で月詠は刹那の急所へ二刀を走らせる。

 神速と伸びる刃を防ぎきれているのは、素子との修行の成果と幾ばくかの幸運によるものだ。半ば無意識にかざした野太刀の刀身が奇跡的に月詠の必殺を受け止めたのはこれで何度目か。

 あるいは修練によって培われた本能による現在ならば全ては実力で刹那は生き抜いているとみるべきだろう。その幸運を感謝すべきか、あるいは長引く絶望を不運とみるべきか。

 余計な思考だ。

 迷うな、お嬢様を救うと決めた。

 それだけだろう。

 ――見出す隙。

 

「つぁ!」

 

 防戦の最中見出した攻撃の間隙。迷う余裕すらない刹那は反射的にその隙へ切っ先をねじ込み、絶句する。

 

「痛くないですー。痛くなーい。痛くーなーいー」

 

 月詠の額へ深々と突き刺さった刃。だが脳髄を抉り後頭部より刃が突き出たにも関わらず月詠は笑っていた。

 額より流れる真紅で顔中を真っ赤に染め上げながら、けらけらと子どもが無邪気に笑うように笑っているのだ。

 そして、激痛。

 

「ぐぁぁぁぁぁ!?」

 

「痛いですかー? 痛いですよねー? だから早くお姉さまに癒されてー! 癒されてー!」

 

 額に刺さった切っ先をそのままに前進した月詠の小太刀が刹那の右肩に突き立つ。堪えられぬ激痛に刹那が苦悶の声をあげ、そして月詠は尚も笑い続けて木立をぐりぐりと左右に捩じった。

 

「ぎ、ぃ……! ぎぁぁぁぁぁ! ぁあ! がぁぁぁ!?」

 

「大丈夫ですー。センパイもすぐにお姉さまになれますー。ウチもお姉さまでー。お姉さまはウチでー。ウチはウチでお姉さまでお姉さまのお姉さまはウチのお姉さまが、うひっ、うひゃ、あはははははははっ!」

 

「は、な、せぇぇぇ!」

 

 夕凪を引き抜くと同時に月詠の胸部を全力で蹴り飛ばす。無防備なところに叩き込まれた爪先が胸骨を破砕し肺腑を破裂させた感覚を覚えるが、月詠は虚空で優雅に宙返りを一つすると緩やかに大地に降り立った。

 その身体にダメージは無い。

 額の傷も完治しており、唯一真っ赤な顔だけが脳天を貫いた証拠だった。

 当然、胸部の怪我など当たり前のように治っているのだろう。

 対して刹那は右肩に突き立った小太刀の傷より流れる血が止まらず、疲労も色濃い。

 

「傷、痛いですかー?」

 

「ぐっ……」

 

「痛いやろなー。痛くて泣いちゃいますー?」

 

 ――痛みなど理解出来ない身で何を聞く。

 そう言いかえす体力すらも今は惜しい。刹那と月詠、互いの技量の変化も戦況が一方的な理由だったが、何よりも二人の間にある差は、月詠はどんなに戦おうと一切疲弊しないところにあった。

 どんなに隙を見出して、腕を斬り、腹を裂き、足を穿とうと、月詠は全てを意に介さず返しの刃を放ってくる。そして先程脳天を貫いたというのに怯む様子すら月詠には無かった。

 首か、心臓か、あるいは斬り続ければいずれ底につくか。

 それとも月詠の肉体を全て消滅させるしかないのか。

 試していない方法は幾つかある。だがそれら全てを試し終えるまで、刹那は月詠を殺し尽くすことが出来るか分からなかった。

 ――否、迷うな。お嬢様を救いだすためならこの命すら惜しくない!

 痛みの中、決意新たに夕凪を構え直す。そんな刹那に月詠へ誰もが不愉快になるだろう笑みのまま、隙だらけのまま刹那へと歩み寄っていく。

 

「センパーイ。辛そうですねー」

 

 さながら地獄の悪鬼とでも言うべきか。致命傷すらものともしない月詠を前に、言葉で自分を誤魔化そうとも刹那は月詠の一歩に合わせて無意識に後退する。

 そんな刹那の苦悶を月詠は失墜した両目で射抜く。葛藤と焦燥、自問と自虐、覚悟と後悔。混ざり合う感情は刹那の心をそれだけで傷つけ、追い詰めていく。その様を見る。

 だから笑った。

 見出しているから、笑えるのだ。

 

「でもー、ウチが治してあげる」

 

「え?」

 

 一瞬、月詠の姿に敬愛する木乃香の姿が重なったことに刹那は目を剥く。だがしかし、それが見間違いではないことに、刹那は気付いた。

 笑っているのだ。月詠の顔だというのに、まるで木乃香のように月詠は真っ赤な顔で笑っている。

 

「センパイは斬ってウチがせっちゃんを治すからなぁ。ウチは斬り殺してもウチがその傷も全部癒すんや。センパイがもう傷つかないようにウチがせっちゃんの心まで癒してあげる」

 

「お、お嬢様……」

 

 馬鹿な。

 あり得ない。

 だが、あの笑顔と自分を『せっちゃん』と呼ぶ穏やかな声色は。

 重なっていく。傷ついた体を癒すごとに、月詠と木乃香の姿が重なっていく。

 それはつまり、癒すということによる侵略行為。月詠という体を癒す木乃香の力が、月詠を月詠として構成する全てもろとも木乃香という存在に癒し犯しているということ。

 

「これは……そんな……」

 

 刹那は気付いてしまった。木乃香が至った境地、木乃香が手にしようとしている極み。

 治癒という慈愛を、治癒という自愛に捻じ曲げられた結果の産物。癒すという外道の集大成。

 己と同じ形に改造(治癒)する。それは傷を負えば負うほど深度が深くなり、いずれはその姿かたちまでもが――。

 

「行きますえ、センパイ」

 

 月詠が夜に溶け込むように刹那目掛けて疾駆する。その存在が徐々に癒しという名の消滅を迎えようとしていることにも気づかずに舞う悪鬼の煌めきを、刹那は隠し切れぬ畏怖を滲ませながら必死に受け止めた。

 

 

 

 

 

 迸る鮮血と臓腑を見ながら、ネギは平然と立ち上がる傀儡を見て舌打ちした。

 

「ッ……明日菜さん! こいつら頭を吹き飛ばしても死なないです!」

 

 それはどういった魔法を行使しているのか。ネギの魔法で致命傷を受けた傀儡が、傷口より肉はおろか砕けた野太刀も燃えた衣服すらも粘着質な魔力によって再構成され、数秒もせずに再度突撃を再開している。

 永遠に動き続ける殺戮人形とでも言うべきか。一体一体はネギと明日菜と比べて格下だが、神鳴流の奥義を尽くした火力と、致命傷すらものともしない脅威の再生力によって徐々に二人を追い詰め始める。

 明日菜もネギに言われるまでもなく、胴や首を切断してもお構いなしに刃を振るう傀儡の異常さを理解して、今は木乃香への道を切り開くべく、最初と同じく傀儡を吹き飛ばす方向に切り替えた。

 だがそれでは木乃香への道を切り開くことが出来ない。数と言うのはそれだけで驚異的だ。一体一体が二人に及ばずとも、肉の壁となり立ち塞がる傀儡は、ネギ達をその場から動けなくさせるには充分だった。

 

「くっ、これじゃジリ貧じゃない!」

 

 奥義ごと数人をハマノツルギで薙ぎ払いながら明日菜が悪態をつく。返答はせずとも内心はネギも同じだ。術者の魔力で損傷を補填、魔法を放つことも出来るネギの風声影装も原理はこの傀儡と似たようなものだが、このままでは遠くない未来に天秤があちらに傾くだろうとネギは推測した。

 数の暴力、それなりの攻撃力、再生力。挙げられる要素は幾つかあるが、何よりも危険なのは優雅に空からこちらを見下ろす木乃香の存在だろう。

 はっきり言って、魔力の底が分からない。百を超える傀儡を容易に操り、それぞれの怪我を瞬時に把握して治癒する技量も恐ろしいが、それを支える地の魔力がネギには恐ろしかった。

 普通なら重傷を負った人間を一人治癒するだけでもかなりの魔力を消耗する。ネギが分身を魔力で補填しているのとは訳が違うのだ。肉体も、武器も、服さえも治癒はさながら再現だ。だがそんな究極の治癒の副作用として己の自我を奪われるのならネギも明日菜もお断りである。嫌悪をそのまま叩き込むように魔法と鋼鉄が傀儡の群れを押し返していく。

 

「どうすんのよ!?」

 

「ともかく何としても木乃香さんの元へ! 周囲が駄目なら元を直接叩きましょう!」

 

「そこまで行けないから困ってんでしょ!?」

 

「情けないこと言わないでください! 女の子でしょう!?」

 

「女の子だから情けなくなりたいのよぉ!」

 

 言葉とは裏腹に豪快な一振りが周囲の傀儡を根こそぎ薙ぎ払う。周囲は撒き散らされた臓腑と血潮で彩られているが、鼻が馬鹿になったおかげで不快感は消し飛んだ。

 

「次ぃ! こうなりゃとことんやってやるわ!」

 

 小難しいことを考えるのは自分の性に合わないのだ。余計なことは傀儡もろとも吹き飛ばして、ネギの言う通り真っ直ぐに木乃香の元へ走るのが自分に出来る最善。

 その力強い覚悟と鼓舞を聞いてネギも切迫した状況ながら小さな笑みを浮かべてみせた。余裕ではないし、楽しいわけでもない。だが頼もしいから笑える。肉の壁の向こうで怪しく笑う木乃香とは違うその笑みは、ネギと明日菜だから手にした強さの証明だ。

 だがその一方でネギはこの混沌とした戦場で一人、木乃香よりもさらに外に立つ響の気配を感じていた。

 

「……手を出さない?」

 

 あの男が戦場を目の前にして刃を振るうこともなく沈黙を保っている。抜き身の妖刀の如き存在が、血沸き肉躍る狂気の場を見て何も感じないというのはネギには疑問だった。

 興味が無いのだろうか。それとも機を伺っているのか。

 違う。彼はそういった機微を察するような人間ではないはずだ。手に刀があり、目の前に斬るべき相手が居る。

 ならば斬るのだ。そう在るべき無垢のはずだ。

 だが実際は一切動くことなく、まるで何かを待つかのように――。

 

 その時、全身が氷漬けになったような悪寒がその場に居た全ての人間を襲った。

 

「素敵な。とても素敵な歓迎の調だったよ」

 

 あらゆる熱を根こそぎ奪うような冷気を纏ってそれは月から舞い降りる。

 見上げた先、降り注ぐ流星群の如く空を走る無限の赤茨と、永遠に溶けない氷に閉じ込められた無数の人形。

 それらを操る指揮者は、同量の黄金ですら届かない美しい黄金の髪を月光に濡らして、この場に居る誰よりも愉悦を全身から垂れ流して眼下の戦場を見渡した。

 

「そして、この場に香る血流と荒れ狂う力の余韻。とても懐かしい、随分と昔にモノクロと薄れた日々の残影が蘇るようだ」

 

 誰もかれもが譲れぬ思いを貫くためにその牙を相手の肉へと突き立てる。人間が人間として持ちうる無限の色が、善と悪も関係なく彩られた儚き閃光。

 命と命。

 短きその運命を賭してまで燃え、あるいは凍てつく美しくもか弱き者達よ。

 

「絶望ですら生温い。地獄ですら程遠いこの想い」

 

 深き想い。信念という名の別名。

 

「この場に満ちる愛」

 

 闇の福音。

 真祖の吸血鬼。

 

「そして貴様は、私の愛に溶かしてあげよう」

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが闇を率いて現れる。人形使いの名に相応しく、木乃香の傀儡の数を容易く超える人形を指先で操って、白くたおやかな指先はその総軍の全ては、奈落と蒼の二つを秘めた男の眼を惹き寄せるためだけに。

 そう、愛だ。

 善悪を超え、希望も絶望も届きえない深く重く色濃い願い。

 応えたのは、鞘を走る刃が奏でる波紋の音色。

 両手に携えた二刀を強く握りしめ、青山響は歌声に導かれた獣を迎え入れた。

 

「エヴァンジェリン」

 

「何だ?」

 

「お前を、待っていた」

 

 その言葉にエヴァンジェリンの背筋をこれまで感じたことのない恍惚が流れた。たちまち胸の傷より濡れ滴る鮮血がその証拠。焦がれた相手もまた自分に焦がれている奇跡は、化け物にのみ許された愛おしさ。

 

「ふはっ、ははははっ! 嬉しいぞ! とっても嬉しいぞ青山! ようやく私は貴様の目に届いたのだ! 情けなくも無様を晒したあの夜より幾星霜、貴様だけを求め、貴様だけを欲し、貴様だけに注いだ日々が! 受け止めてくれよ! 受け止めてくれるんだな!?」

 

 答えは無い。だが代わりに突如として発生した膨大な気が、何よりも雄弁に響の心を語っていた。

 斬ってやる。

 お前だけを斬ってみせる。

 斬ることすら惜しいと思える今のお前だから。

 

 俺はお前を斬りたいんだ。エヴァンジェリン。

 

「青山ぁぁぁ!」

 

 既に我慢の限界など超えていたエヴァンジェリンの理性が欠片も残らず崩壊する。獣が求愛するような咆哮と同時、その指先に操られた氷像と茨の群れが響へと殺到し始めた。

 

「ッ!?」

 

 その余波で襲い掛かる氷結の総軍が、突然の状況に動けなかったネギ達の思考と肉体を突き動かした。最早、余波と侮ることは出来ない。濁流となって響を飲み干した氷はその周囲に居たネギと明日菜はおろか、木乃香とその傀儡、そして刹那と月詠へも襲い掛かった。

 

「解放! 術式兵装・雷轟無人!」

 

 視界を全て埋め尽くす真紅の茨を認知した瞬間、ネギは事前に装填させていた切り札を解放し、躊躇いなくその全力を迫る茨へ叩き込んだ。

 千の雷を収束させた雷の鉄槌が茨の群れを押し返す。だがそれも数秒、徐々に勢いを無くした雷轟無人の一撃を貪って、茨は無限と増殖しながら傀儡もろとも二人を飲み込まんとする。

 

「ネギぃ!」

 

 だがネギが稼いだ数秒の間に、その体を胸に抱えた明日菜が虚空瞬動で空へと飛び出した。

 遅れて先程までネギ達が居た場所を茨が飲み込む。少し離れた場所で刹那も茨から逃れているのを確認した二人が安堵するのも束の間、眼下の光景に言葉を失った。

 

「何、これ」

 

 先程まで戦場だった場の全てが真紅の氷に飲まれていた。一種の異界と化した氷獄で聞こえるのは鈴の音色と轟く茨と咆哮する機械人形、そして哄笑する吸血鬼の不快な声。

 これはもう個人が操れる力の総量を遥かに超えている。数秒ごとに数百メートル規模で広がる氷の世界に絶句するのも束の間、「お嬢様!」という刹那の声で二人は木乃香が冷気から脱していないことに気付いた。

 だがそんな彼らの不安を打ち払う。あるいは絶望を色濃くさせるかのように氷に包まれた一角が溶け――癒され始める。

 

「そ、んな……」

 

「……冗談でしょ。木乃香」

 

 一度捕らわれたら永遠に閉じ込められると思わせる氷すら『癒されている』。そしてその氷の内側から、墓の下より蘇るゾンビのように起き上がる傀儡の群れ。

 その中心に立つのは、傷一つない無垢なる外道。

 

「……これは、もう――」

 

 もう、駄目なのではないか。

 吐露されかけた弱気をネギは咄嗟に飲み込むが、しかしそう思ってしまうのも無理ないだろう。

 こうしている間にもその余波だけで自分達を追い詰める響とエヴァンジェリンも常軌を逸しているが、それらをものともせずに動じた様子も無い彼女もまた、ネギ達からすれば理解を超えた恐るべき何か。

 

「大丈夫、怖くない、怖くない」

 

 そんなことを言ってのけながら、近衛木乃香は笑う。

 いつまでも無邪気に。

 永遠に傷つかないからこそ。

 お前は笑うと、笑えるのだと物語るその狂気を前に、抗う術はあるというのか。

 もう、手段は無い。

 自分だけでは、抗えない。

 

 だけど、もう逃げない。

 

「……ネギ」

 

「……はい」

 

 ネギと明日菜はおもむろに掲げた拳を軽く突き合わせた。

 一人では抗えない、一人では届かない。

 それでも二人なら、二人で支えれば、極みを迎えた修羅外道すら――。

 呼気を整え、目を逸らさずに、握った拳に力を注げ。

 

「行きます!」

 

 抵抗を諦めない。

 その命が潰える瞬間まで、ネギと明日菜は混沌と化す戦場に立ち向かうと覚悟したのだ。

 

 

 

 

 




生きている実感を得ていた日々。
私に生を注いでくれた暖かな日々。
毎日が夢みたいに煌びやかで、きっと私はその眩しさに目が眩んでしまっただけ。
でもその暖かさがあったから、貴女がくれた優しさが残っているから。
私は――。

次回【半身、半生、半分こ】

返すだけだ。
それだけで、こんなにも満たされる。








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第七話【半身、半生、半分こ(上)】

 

 

 ――別の世界に自分達は来たのだろうか。

 龍宮真名の放った時間跳躍弾とも呼ぶべき恐るべき一撃を受けて学園祭終了後の未来へと飛んだ魔法教師や魔法生徒の全員が、いつもと変わらぬ街並みがまるで異次元のように見えて仕方なかった。

 耳元で燻るように鳴る鈴の音色が気持ち悪い。肌に纏わりつく粘性の空気は気のせいではない。世界そのものが汚染されたような心地に、少しでも気を抜いたら意識が混濁してしまうという予感があった。

 

「これは……何だ」

 

 そんな中、最後に転移で現れたタカミチがその場に居る全員の心境を代弁した。だが混乱しながらも状況把握をしようと、タカミチは虚空を蹴って空へと飛び上る。そして、あれ程まで繰り広げられた激戦が嘘のように静寂に沈んだ麻帆良都市を見渡し、絶句する。

 

「世界樹が……枯れている」

 

 麻帆良を象徴すると言ってもいい圧倒的な生命力を漲らせていた世界樹が、葉の一枚も残らず全て消滅して、枯れ木のような様となっていた。まるでその身に宿していた力の全てを根こそぎ奪われたような姿に驚くのも束の間、タカミチはその傍で膝をついている超の姿を見つけた。

 

「超君」

 

「……無事、この時間帯に転移したようだネ」

 

 タカミチの体感としてはつい数分前まで戦っていた相手だ。傷つきながらも隙を突いて勝利をもぎ取った少女の気高さを彼は知っている。

 それが今は敗者の如く膝をつき、放つ言葉を震わせて顔を上げようともしない。

 何かあったのは確実だった。

 そして、それはきっと超にとって予期せぬ出来事なのも事実だろう。

 

「……侮っていた、というべきでしょうか」

 

「アル……!?」

 

「お久しぶりですねタカミチ君。本来ならば昔話に花を咲かせたいところですが、そうもいっていられません……そうでしょう? 学園長」

 

「……笑っておられんのは事実だのぉ」

 

 突然現れたアルビレオにも驚いたが、遅れて現れた近右衛門の真剣な表情を見て、一体何処に居たのかといった私情は後回しにすることにした。

 

「……一体、何が起きたのですか?」

 

「儂にも分からん」

 

「私にも殆ど……尤も、これを理解できるなど、とてもとても」

 

 タカミチの質問に近右衛門は申し訳なさそうに答え、アルビレオは意味深な笑みを浮かべて空を見上げる。

 その視線に釣られて二人も空を、浮かぶ月を視界に捉えた。

 

「何か、知っておるのかの?」

 

「知っていると言えば知っています。ですが、知らないと言えば知らないとも言えます」

 

「今は言葉遊びに付き合う余裕はない」

 

「ふふっ、タカミチ君はせっかちですね。まっ、成長したと言ってもまだまだ若いということでしょうか」

 

 余裕たっぷりなアルビレオの態度に、あまり余裕のないタカミチとしては小さくない苛立ちを覚えるが、懐より取り出したタバコに火を点けて落ち着こうと心がける。

 

「……さて、お主の知っていることを全て話してもらおうか」

 

 代わりに質問を投げかけるのは近右衛門。その鋭い眼光は普段の穏やかな雰囲気などなく、積みかさねた年季と威圧感があった。

 だが年季で言えばそれこそアルビレオは見た目以上に近右衛門以上に重ねている。常人なら怯みそうな威圧感も平然と受け止めて、アルビレオは軽く肩を竦めた。

 

「むしろ私よりも貴方達が知っておくべきことでしょうに。……善性を信じる貴方達の在り方は好みですが、この場合はそれが裏目に出ましたね」

 

「どういうことじゃ?」

 

「青山」

 

 僅かに近右衛門の眉が揺れた。

 

「貴方達には、それを見届ける義務がある」

 

 そう言って背を向けたアルビレオは、崩れたままの超の肩へ、労うように掌を乗せた。

 

「……貴女に責務は無い」

 

「ッ……」

 

「そうですね。そう言われて納得出来るわけがない。理由はどうあれ、この惨劇の一手目を放ったのは貴女だから」

 

 二人の会話の意味が分からないタカミチと近右衛門を他所に、アルビレオはさらに言葉を重ねる。

 

「ですが、責任を感じるのは止めなさい」

 

「そんなの出来るはずがないネ!」

 

「責任を果たすと? それこそ自惚れです。貴女には最早、この惨劇に参加する力が無い」

 

「うっ……そ、それでも、私は……」

 

「覚悟は買います。決意も素晴らしい。しかし弱者にはもうどうしようもない」

 

 ――そしてそれは、私にも言えることだ。

 アルビレオはそれとは悟らせないように自嘲の笑みを湛える。

 世界に広まった斬撃の波紋。狂える使徒はこの間にも刃を片手に他人も知り合いも関係なしに斬り続けているだろう。そしてその根源を打倒しようが災禍は留まることなく延々と広がり続けるのだ。

 それを全て何とか出来る力を超鈴音も、アルビレオも、そしてタカミチや近右衛門も持ち合わせていない。今もおそらく戦っているだろうネギと明日菜とてそれは同じだ。

 唯一この惨劇に対抗可能な人間も、魔法世界でしか動けない現状では助っ人として呼ぶことは出来ず、誰もが英雄と讃えた男はもう存在しない。

 

「我々は無力です。一度溢れだした激流を留めることも出来ない。流されて飲み込まれるだけのちっぽけな存在です」

 

 アルビレオの一言一句が超の胸に突き刺さる。流れ出した狂気に身を燃やされ、一切の抵抗すら出来ぬと自覚させられるこの痛みは、現実を見据えながら、誰よりも理想家だった超には耐えきれない。

 

「ですがそれは、一人だけなら、いう話です」

 

 だがその事実を突きつけて超を追い詰めるのがアルビレオであれば、崩れ落ちた体に手を差し伸べるのもアルビレオであった。

 超がゆっくりと顔を上げると、掌を差し出したアルビレオは穏やかに笑っている。

 

「もう間に合わないかもしれません。ですが、まだ間に合うかもしれない。……立ち上がりなさい、貴女は弱いが、貴女の意志はこの激流を波立たせる可能性を持っている」

 

「……初対面なのにきつい人だ」

 

「それでは、無難に優しい言葉でも――」

 

「いや、結構ネ」

 

 超は目の前の手を握ることなく、己の力だけで立ち上がる。それはアルビレオの手助けを断ったのではなく、まだ自分は這い上がることが出来るという決意の証明。

 

「行くヨ。義務と責務。何よりも、こんな未来は望んでいないネ」

 

 万策は尽きている。唯一可能性のあったタイムマシンによる過去への跳躍も、エヴァンジェリンが世界樹の魔力を全て飲み干したせいで使用は出来ない。あるいはこの場に居る魔法使いの魔力を使えば跳躍は可能かもしれないが、色の違う魔力を一つに束ねてタイムマシンを起動させるというのはあまりにも分の悪い博打だ。

 その結果過去への跳躍も失敗し、全員が動けなくなっては本末転倒である。どちらにせよ可能性はゼロに近いが、超はもう間違えるわけにはいかなかった。

 だから可能性の高いほうに賭ける。己の計画を一瞬で無に帰した元凶を倒し、再び一からやり直すために。

 

「贖罪は後ヨ。そうだろう? 龍宮サン、茶々丸」

 

「……そうだな」

 

 いつの間にか背後に控えていた真名と茶々丸のほうへ振り返り、超は出来そこないの笑みを浮かべる。

 強がりなのは明らかだ。だが真名も同じく強がりでここに居る。

 超と同じく、この計画に加担した結果の惨状を、真名もまた悔いていた。だが彼女と違って表情には出すことなく、粛々と己の出来ることをする、それだけは分かっていたから。

 

「……私は」

 

 一方で、茶々丸は迷いを見せていた。世界に波及した斬撃の色がどういった結果を招いたのか理解しながらも、茶々丸はそれが決定的に何をもたらすのか分からなかった。

 それは未だ感情の機能が成長しきっていないからか。

 あるいは、エヴァンジェリンの言う通り、自分が――。

 

「茶々丸は残るといいヨ」

 

 茶々丸の迷いを見抜いたわけではない。だが何かを迷っている者がこの先の戦いに耐えられるわけがないと思った超は反射的にそう言っていた。言って、自分でも驚いて、続いて苦笑。

 

「茶々丸は、残っていてほしいネ」

 

 繰り返し告げて、満足する。返事は無く、俯いてしまった茶々丸に優しい言葉をかける余裕はないけれど、全てを知っている彼女がここに留まってくれることが嬉しかった。

 誰かが知らなければならない。そして、伝える必要がある。

 原因は、この私。

 超鈴音という少女が全ての元凶の一つであるのだと。

 

「……戦ってすぐで悪いが、ここは一旦協力といこうじゃないカ」

 

 アルビレオの横を抜けてタカミチと近右衛門の前に立ち、傷ついた右手を差し出す。

 その手を見て、タカミチと近右衛門は未だに状況が理解出来ないままだったが、それでも超の強固な意志を感じ取ってその手を取った。

 

「理由は知らない」

 

「……」

 

「だが、今の君の手を取れないで立派な魔法使い(マギステル・マギ)は名乗れないさ」

 

 どんなに取り繕った言葉よりも、雄弁と語る瞳の色には説得力がある。

 故に、言葉は不要であり、手を取る理由も不要。

 意志ある元に力が集う。例え一つ一つは弱くても、束ねることで得られる真価にて、今宵、おそらくは人類最後の闘争の先陣を魔法使いは駆けていく。

 

 

 

 

 

 ネギが編み出した絶対の力にして切り札、術式兵装・雷轟無人。最早、戦略兵器と言っても過言ではない魔法、千の雷を闇の魔法にて掌握することにより得られるその絶大な出力は、雷の暴風を超える威力と速度の一撃を詠唱もせずに連射することが可能だ。まさにその姿は雷神そのもの。金色に光り輝く籠手をかざして、ネギは闇を食いつぶす傀儡を根こそぎ薙ぎ払っていく。

 

「うぉぉぉぉぉぉ!」

 

 刻まれた無人の名に相応しく、一撃を振るうごとに放たれる光の軌跡に沿って傀儡が消えていくが、まるで肉体にすら意味は無いとでも言わんばかりに、全身が消滅した傀儡は魔力の光が幾つも浮かんだと同時にその存在を再生されていく。

 明日菜が木乃香の元へ斬りこもうにも、消滅してから再生するまでの速度が桁違いに早い。ネギと明日菜が一秒の間に傀儡の半数を殺傷出来る能力を持っていても、木乃香の治癒は瞬きの内に全傀儡の十倍以上を瞬きの間に癒す力があった。

 まさにジリ貧。

 確実に追い詰められていくのを知りながら、ネギと明日菜は諦めることなく突破口を探して空を駆け抜ける。

 空を走る二つの光に殺到する蛾の群れの如く傀儡もその後を追う。そして、光を飲み込んだ直後、膨れ上がる閃光が傀儡の闇を払って、再度木乃香を追う。

 木乃香は空を泳ぎながら笑い続けていた。時折迫る氷の茨を癒し尽くしながら、一心不乱に自分を求めてくるネギと明日菜が嬉しくて仕方ないからだ。

 

「まだかなぁ。どっちが先にウチの所にくるかなぁ」

 

 次いで、木乃香の視線は氷結世界の隙間を縫いながら激突する刹那と月詠へと移る。そこでもまた、不死身の剣客と化した月詠を相手に苦戦を強いられている刹那が必死の迎撃を行っていた。

 

「奥義……」

 

「遅いですー」

 

 掻き集めた気を放つ間もなく、打ち合わせた刃が刹那の集中を乱し、突き崩す。

 体ごと叩き込む月詠の二刀を受けるたびに傷が痛む。特に抉られた肩は防御するだけで出血を酷くしていく始末。だというのに、自分と同じか、あるいはそれ以上に傷を負っているはずの月詠の身体には傷一つ存在しない。全身を乾いた血で赤く染めながらも、傷とは無縁の穢れない体は、穢れが無いからこそ不気味で邪悪だった。

 

「月詠ぃ!」

 

「あはは、まだ、まだ行けますかー!?」

 

 氷に閉ざされた大地に触れぬように、茨の間を掻い潜りながら二人は剣戟を合わせる。弾む鋼鉄と軋む肉体が一撃ごとに限界を訴え、朦朧とする意識はその悲鳴を糧に正気を握り、手放さないようにと振るった夕凪は月詠の肉を削いで骨を断つ。

 命へ届いた手ごたえはこれで何度目となるだろうか。だが脳天から股座まで切断したのも束の間、千切れた体も関係なく左右より走る小太刀から、空を舞うことで刹那は逃れた。

 その間に左半身よりも肉の量が少なかった右半身が氷の大地に落ちて凍結する。垂れ流された臓物に混じった糞尿も小さな氷山を作るが、その間に月詠の肉体は斬られる前まで再生をしていた。

 

「無駄なのになぁ。せっちゃん、ウチを斬っても、ウチはもう二度と傷つかないで」

 

「お嬢様……!」

 

「なぁ、だから早くセンパイもお姉様に癒されましょー」

 

「月詠……」

 

 だがその肉体の殆どは、もう既に月詠のものではなくなっていた。今、地面で凍り付いた右半身の代わりに再生された半身は刹那の知る木乃香の身体と同じだ。半分が月詠で半分が木乃香、いや、月詠のものより女性的な身体つきから見るに、月詠として残された部分はその体に纏う服と、顔の左半分のみか。

 だが己が己で無くなっていることすら月詠にはどうだっていいのだろう。そもそも、肉体という上辺ではなく、魂そのものが木乃香によって癒されてしまったのだ。

 もう、修羅を欲して剣戟を極めんとした少女の名残は残っていない。

 残滓すらも、ただのカス。

 そんな末路は、例え敬愛する木乃香の手によってもたらされると言っても、木乃香だからこそされるのは御免だった。

 

「もう、逃げないと――」

 

「どうして逃げないん?」

 

 一瞬の間に月詠が間合いを詰める。反射的にその体に夕凪を突き立てて、木乃香は笑った。

 もう、どちらかわからなかった。

 覚悟なんて消し飛びそうで、このふざけた状況に乾いた笑みが溢れだす。

 突き立てた夕凪を握る掌が震えた。その振動を感じて月詠は笑い、木乃香は首を傾げた。

 

「どうして立ち向かうん?」

 

「どうして逃げるん?」

 

「どうして?」

 

「ねえ、どうして?」

 

 癒されればいいのに。

 そう思う木乃香は本当に、もう分からないのだ。

 痛みも含めて何も感じなければいい。

 癒されることが全てなのだから、あらゆる全てが斬撃に帰結した男のように、あらゆる全てが癒されることに帰結したのなら。

 これが青山。

 化け物を超えるために、人間の極みを目指した血潮の狂気。

 

 月詠は既に消えていた。

 

「私、私は……」

 

 心臓を貫いた刃に多量の赤を滴らせ、真っ赤に染まった口許を見せながら木乃香は恐慌する直前の刹那の頬を撫でた。

 

「あ……」

 

「ほら、もう、痛くない」

 

 変わらない温度が頬に添えられた掌から感じる。

 まるで自分と木乃香の境界線がなくなったかのように、触れ合わせた温度は落ち着き、怖いくらいに優しかった。

 

「刹那さん! 逃げろぉ!」

 

 その様子に気付いたネギが明日菜の援護を受けて飛び出すが、もう遅かった。

 溶けていく。

 刹那に刻まれた傷の数々が溶けていく。

 一秒もせずに体の傷は全て癒された。だがそれは刹那にとっては人生を一度終えたくらいに長い時間に感じられた。

 その間、ずっと木乃香は傍にいた。この体を、心を癒しながら、木乃香は変わらぬ笑顔で刹那の前に居る。

 目の前に、あるいは自分の中に。

 注がれた魔力は刹那を満たしていく。触れた掌だけではなく、体の中にも感じる木乃香の体温。

 外から、中から、溶かすように刹那を癒していく姿は、さながら全身麻酔をした人間を硫酸の海に突き入れたように、痛みもなくその全てを溶かしていく様を見せつけた。

 

「ウチがずっと癒してあげるからなぁ」

 

 まるで母親に抱かれる子どものように。抗いきれない暖かさは、刹那の身体から全ての抵抗を取り払い、その手から、夕凪は落ちる。

 

「刹那さぁぁぁぁん!」

 

 遅れて伸ばされたネギの手は虚空を掴んだ。一瞬遅く、溶けあうように抱き合った刹那と木乃香の身体は氷の大地へと沈み、その世界を彩る氷の一角となって凍結する。

 雷を纏った手でも、もう二度と追いつけない場所まで、刹那は消えてしまったのだ。

 

「あ、あぁ……」

 

「これで、せっちゃんもずっと一緒や」

 

「木乃香さん……!」

 

 握れなかった掌を求めて数度空を彷徨ったネギの掌が、嬉しそうな木乃香の声を聞いて力強く握り締められる。

 燃え上がるのは純然たる怒りの炎。それは遠くから全てを見届けた明日菜も同じ、既に月詠と同じく木乃香そのものとなった傀儡達を躊躇なく斬り捨てながら、猛る勢いで嵐の中を暴れまわる。

 

「どうして貴女が! 刹那さんは貴女にとって……」

 

「ウチの大事な親友や。それは明日菜もネギ君も同じ」

 

「だったら」

 

「そんでなぁ、皆癒すんや」

 

 もう、関係ないのだ。親しい者も親しくない者も、木乃香にとっては平等に癒す対象でしかない。

 いずれ全てが自分となるのなら、有象無象を区別する必要が何処にあるだろう。だが全てを平等と語るということはつまり、全てを平等にどうでもいいと言っていることと同義なのだ。

 

「……刹那さんが居ない今、もう貴女を救う手段は僕達にはない」

 

「ネギ君? ウチはもう救われてるえ?」

 

「えぇ、貴女はもう終わっている」

 

 見ただけではわからない。響が刃を握ことで本質を見せるように、木乃香は傷を見ることで本質を曝け出す。傷の無い人間など存在しない。ならば、今の木乃香を見た者は、誰もが刀を握ったかつての響――青山と同じく、木乃香のことをこう評するだろう。

 

「なんて様だ」

 

 美しさに秘めた醜悪さ。相反する対極こそ太極を生み、極まりしその頂を、人は畏怖と嫌悪を込めて青山と呼ぶならば。

 その最後の一歩を、幼き頃から育んだ友情すらも癒すことで踏み出した今の木乃香をもって、人類最後の青山は完成したのだ。

 

「でも、それでも僕らは……!」

 

 だがネギは決して怯まない。装填した魔法は命の輝き。肉体の業にて極まった青山とは違い、人間の在り方を尊んだ少年と少女はその極みに真っ向から立ち向かえる。

 人の個を極まった修羅と対するのは、人々の願いを無限の力とする英雄だ。

 だから行く。例えここで木乃香の命を奪うことになっても、だからこそ行くのだと、この拳が届くまで止まることはない。

 ネギの内より巻き起こる気と魔力の二重奏が周囲に叩きつけられる。その勢いに喜悦を深める木乃香を鋭く睨み据え、その隣に降り立った明日菜と共に、同じく木乃香を取り囲む無数の木乃香に抗うのだ。

 

「……すみません、刹那さん」

 

 氷獄に落ちた木乃香に一言そう告げると、何も言わずに寄り添ってくれる明日菜と共に、その未来を切り開く道を、金色の籠手より愚直と走らせた。

 威力をさらに収束させたことで螺旋を描く雷の柱へと木乃香の群れは盾のように立ち塞がる。当然のように数十単位で焼き尽くされていくが、そのどれもがあの笑顔を浮かべながら焼かれていく姿は見るに耐えられる代物ではなかった。

 

「……ぁぁああああ!」

 

 明日菜は木乃香の残骸に顔を顰めるのも一瞬、ネギが開いた道を一直線に駆け抜けるが、やはり握った得物だけが別種の木乃香達が明日菜の行く手を阻む。それをいつも通り薙ぎ払おうとして、明日菜は突如握っていた得物を手放した木乃香達の行動に僅かばかり動きを鈍らせた。

 

「明日菜さん!」

 

 ネギが叫ぶ。遅れて明日菜はその手を伸ばしてくる木乃香の行動を悟り、刃を縦横無尽と走らせる、だが一瞬の躊躇が産んだ隙を縫われ、ついに木乃香達の一人の手が明日菜の服を掴んだ。

 

「ッ!?」

 

「掴まえた」

 

 その瞬間、明日菜の服を伝って癒しの魔力が明日菜の体を蹂躙していく。完全魔法無効化体質すら些細な防壁にしかならない。魔法無効化を超えた極限の自我が、明日菜の体を犯し、その根源へ至ろうとしていた。

 

「あ、あぁぁぁぁ!?」

 

 まるで臓腑を直接握られたような不快感に吼えると同時、再生した木乃香の手が明日菜の視界を全て埋め尽くす。木乃香という個人の群れが、明日菜という個の傷を欲して我先にと手を伸ばす恐怖。そして全身に張り付く木乃香の手より流れ出す不快感。

 

「大丈夫」

 

「癒してあげる」

 

「ウチに任せて」

 

「明日菜」

 

「明日菜」

 

「明日菜ぁ」

 

 たちまち木乃香の群れに覆い隠される明日菜の影。覚悟を決めたといえ、英雄に成長しきれていない明日菜とネギの覚悟など容易く飲み干す狂気は尚も加速する。

 それでも抗うと決めた。抗えるのだと信じている。だからネギは走り出す。

 

「明日菜さ――」

 

 そんなネギの背中に軽い衝撃。

 

「ネギ君」

 

 振り返れば、奈落の瞳でゼロ距離から自分を見つめる、木乃香の笑顔。

 空気のように抱き付いた木乃香の狂気に思考を白くした直後、餌に群がる蟻のように残りの木乃香達もネギを一瞬で飲み込む。

 

「ぎ、ぃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 抵抗も、覚悟も無意味。

 全ては癒されるのだ。

 ならば、それ以外の全てが無価値と断じたとして、何の問題があるだろうか。

 

「二人共、すぐに癒してあげるからなぁ」

 

 木乃香に飲まれた二人を、木乃香に抱かれた木乃香が見守る。どれが本物なのかはそれこそ意味の無いことだ。

 誰もが木乃香であり、誰もが木乃香になる者であり。

 つまりは全て自分。

 嫌悪すべき自愛の頂、崇高な思いも気高き覚悟も纏めて唾棄する外道の所業は、今こそ人類に残された最後の希望すらも己の糧とせんとして。

 

 ――突如、二つの木乃香の群れを中心に、巨大な重力の障壁が膨れ上がった。

 

「がはっ……」

 

「あ、う……」

 

 弾き飛ばされた木乃香達、発生した重力の球体の中心では、傷を僅か奪われたネギと明日菜が苦悶の表情で浮かんでいた。

 

「?」

 

 首を傾げると同時、木乃香の頭が後ろに大きく仰け反った。合わせて幾つもの見えない弾丸が木乃香達の身体に叩き込まれ、僅かに全体が後退する。その間に割って入るようにして幾つもの影が魔法陣より転移をしてきた。

 それは麻帆良での戦いを経て消耗した魔法先生達。アルビレオを筆頭に、未だ戦闘続行が可能な者達。そして先程のはアルビレオが咄嗟に重力操作にて木乃香を弾き飛ばし、戦士としての直感で居合い拳を連打したタカミチの連携だった。

 

「……どうやらぎりぎり、いえ、間に合わなかったようですね」

 

 アルビレオは何とか意識を保ったままのネギと明日菜を抱きかかえ、眼下で氷山に飲まれた刹那を見て眉間を寄せる。

 だがまだ状況を掴めているアルビレオとは違い、タカミチやその他の魔法先生、特に近右衛門は目の前の状況に言葉すら出ない様子だった。

 

「これは……木乃香君、なのか」

 

「なんと……なんということじゃ」

 

 長年の経験など関係ない。誰もが群れを成す木乃香の両目を見た瞬間に理解する。

 なんて様だと。

 その様で、まだ人間を保っていられるのかと。

 そして、そんな状況に生徒を追い込んで誰も気づかなかったことへの悔恨が襲い掛かる。

 

「迷うナ!」

 

 一気に暗雲漂う魔法先生達を一喝したのは、全身の術式を励起させた超だった。体に刻んだ術式によって強制的に魔法を行使するその荒業は、絶え間なく身体に痛みを与えているはずだが、超は一切痛みを顔には見せない。

 そして彼女との戦いでそれを知っている者達は、情けなくも弱気を見せている自分達を超が鼓舞しているのだと気付く。それは、誰よりも精神的なダメージが大きい近右衛門も同じだった。

 

「……儂も、ようやく理解したわい。これが、この様が青山君だったのじゃな」

 

「えぇ、僕は……僕達は見誤っていました。これはもう正義でもましてや悪でもない」

 

「そう、彼も、そして目の前の彼女も純粋無垢。剥き出しの人間ですよ、これこそが。……さ、起きなさい、ネギ君、明日菜さん」

 

 アルビレオが傍に浮かせたネギと明日菜の額を軽くなでる。そこから注がれた魔力で意識を取り戻したネギと明日菜は暫し困惑を露わにし、全員が一直線に木乃香を見据えているのを見て、互いに頷き合った。

 

「ありがとうございます、マスター」

 

「助かりました、師匠」

 

「えぇ、だから安心して背中を任せてください」

 

 ネギと明日菜が立ち並ぶ一同を抜いて先頭に立つ。変わらず佇む修羅外道へ、その手に触れて狂気に侵されかけながらも、決して揺るがぬ心があるから。

 

「どうですか、木乃香さん」

 

「……」

 

「分からないでしょうね。たった一人になってしまった今の貴女では、今、僕と明日菜さんを真っ直ぐ立たせている力の意味が」

 

 一人では届かない。

 二人でも駄目だった。

 でも立ち上がれるのは誰かが居るから。極みに届いたわけではないけれど、繋がることで極みだって超えることが出来る仲間が背中を押してくれる。

 それだけで何度でも前へ。

 立ち上がり、走れる強さを、お前は知らない。

 

「何度だって言いますよ」

 

「……」

 

「ここから行きます。僕らは一人じゃ英雄にはなれないけれど……僕らは一つで、英雄だって超えられるから!」

 

 叫びながら懐より取り出した特性の魔法銃をこめかみに撃ちこむ。そこに込められた千の雷を体内で循環、再び装填することで輝きをさらに増した黄金を旗印に、ネギ・スプリングフィールドは今こそ、追い続けてきた背中すらも超えんと吼える。

 

「僕達はまだ、人間を終えるつもりはない!」

 

 人間の極みに挑む、人間が紡いだ奇跡の証。

 英雄()修羅外道()

 遂に拮抗した対極同士が、その雌雄を決する最大最期の激突は始まった。

 

 

 

 

 




今回のまとめ
月詠「ウチ自身がお姉様になることや」
超「茶々丸は置いてきたヨ。はっきり言ってこの戦いにはついていけそうにないネ」
ネギ「ペルソナぁ!」

次回、刹那の刃。


9.25
感想返しおよび誤字脱字修正は帰ってきてから行います。暫くお待ちを。


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第七話【半身、半生、半分こ(中)】

 

 火花散らす二つの陣営を飲み込んで激化するのは唯一無二の個が二つ。

 共にかけがえのない者から託された二刀を己が意のままと操り、旋律と奏でる斬撃を放つ響。

 化け物としての本懐を発揮し、あらゆる全てを己へと隷属させ、無限氷獄にて世界を食いつぶしていくエヴァンジェリン。

 互いに放つ一撃の全てが必殺。直撃が死に等しいというぎりぎりの攻防の中、響は全身に纏わりつくエヴァンジェリンの殺意に笑い、エヴァンジェリンも響の奏でる音色に酔いしれていた。

 そんな彼の演奏をより引き立てようと、天より惜しみなく氷槍を降り注がせ、その片隅で機械人形と鬼神へ号令を飛ばして、冷気に浸食された破壊の光を轟かせる。氷の茨は万雷の拍手を送る観客の如く響という演奏者へ殺到し、そのどれもが一刀の間に千を超える勢いで両断された。

 

「想像以上だよ青山」

 

 響の斬撃を受けても斬り捨てられることなく無限に増殖し、無限に一切を凍らせるエヴァンジェリンの切り札、『終わりなく赤き九天』。その赤棘は一つ一つが独自の命を持つがゆえに、響が放つ根源を断つ刃ですら消滅は困難な魔法は、本来ならあらゆる相手に対して展開が即死に繋がる究極の氷結魔法だろう。

 だがもしも世界樹の魔力を根こそぎ奪い、超が操っていた機械人形と鬼神を隷属させていなければ、きっと自分は『終わりなく赤き九天』を発動した状態で対峙しても、数分もせずに首を斬り捨てられていたはずだ。

 今の響はそう言った次元の存在なのだ。化け物としての全力に世界樹の補正と、人形使いとして培った技量を行使し、ようやく自分はこの男の足元に追いすがることが出来ている。

 だが、気を抜けば瞬く間にその首が飛ぶと分かっていても、エヴァンジェリンは冷たい体の芯を焦がすこの憧憬を叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 どうだ。これが青山だ。

 私を私にしてくれた。私が私になって初めて愛した男だ。

 その眼光はあらゆる猛者すらすくみ上らせ、その一閃は千の猛者を両断する。

 舞踏のように優雅と舞いながら、流れる切っ先はこれまで味わったあらゆる鋼鉄もあらゆる魔法も児戯と落とす冴え。

 短き人の生の全てを圧縮しても尚届かない極みを超えた先、才覚と狂気が合わさった美麗の毒蛇。

 青山だ。

 私だけの、私が愛した青山だ。

 

「青山! 貴様も私を感じろ! 私がどれだけ貴様を愛しているのか、どれだけ貴様に恋焦がれてきたか! この私を余すところなく味わい尽くせ!」

 

 吼えながらかざした左手を勢いよく振り下ろす。際限なく全身に渦巻いている化け物としての魔力と世界樹の魔力を合わせた力は、詠唱を行わずに空一面を覆い尽くす氷槍を具現化。それらが全てエヴァンジェリンの名の下に、たった一人の個である響へと降り注いだ。

 赤棘を斬り払い、人形の砲撃をぎりぎりで回避していた響が空より迫る殺意に気付き僅か目を細めた。

 そして、着弾。爆風の代わりに、槍が突き立った場所を中心に爆風の形に広がった氷山が次々に生まれていく。既に神鳴流本部は跡形も無く消滅しており、飛来する氷結魔法の掃射は、かつて響が受けたリョウメンスクナの砲撃すらも容易く凌駕していた。

 だが、響は踊っている。己に迫る槍は斬り払い、氷の爆風を虚空瞬動で逃れ、ジグザグに動き回りながらエヴァンジェリンの元へ迫り――飛翔。

 

「まだだ!」

 

 互いの表情が分かる程度の距離を割って入ったのは鬼神の一体。かつての大戦で猛威を振るった怪物の一体は、エヴァンジェリンの魔法による強化も相まって、当時の数倍以上の能力を秘めていた。

 装甲に閉じられた鬼神の口は既に開ききり、その口内に収束する魔力。さらに胸部から無数の魔法陣が無数と並列して、術式に注がれた魔力が絶対零度の魔法を編む。

 

「狙い通りさ!」

 

 駄目押しとばかりにエヴァンジェリンは己の体に予め装填しておいた術式を解放。その瞬間、響は己の周囲の温度が劇的に下がっていくのを感じた。その身を取り囲む全てが凍てついていく。空気すら凍り付く冷気の突風が充満していくが、その冷たさから逃れようにも眼前の鬼神はそれを許さない。

 肌をひりつかせる冷気と、目の前の巨躯より吹きすさぶ魔力の息吹。そして全てのタイミングが噛み合った機を狙われた響へと、鬼神の砲撃が叩き込まれた。見ただけで眼球が凍てつく収束砲撃。放射は同時に死を意味する絶望をしかし、響は難なく斬り払う。

 鬼神の極みでは、響が手にした極みを崩すには遥か足りぬ。斬刑に処された魔力を伝って、そのまま鬼神本体すらも鈴の音色に合わせて百の肉塊へと分解された。

 直後、世界が止まる。

 急激に下がった大気が一瞬で凝固し、鬼神の死骸もろとも響を中心に周囲の空間が凍結したのだ。

 そしてその絶対零度を繰るのは恐るべき化け物。響の封じられた氷の山へとその小さな掌を優しく重ねると、凄惨な笑みを象る真っ赤な唇より全身を満たす殺気を乗せて、美しく残酷な言霊を紡いだ。

 

「『おわるせかい』」

 

 本来なら長大な詠唱を必要とするエヴァンジェリンの必殺『終わる世界(コズミケー・カタストロフィ)』すらも、今の状態ならば魔法自体を装填して簡略した詠唱で行使することも容易い。

 だがこの程度で響を殺しきれるはずがない。砕け散った氷塊の内側より天に伸びる漆黒の鋼鉄がエヴァンジェリンの期待に応える。

 絶対零度に内包され、もろとも砕かれたはずの響は傷一つなく立っていた。蒼と黒の眼は平然とエヴァンジェリンを見据え、天地に構えた二刀は絶対零度も無意味と斬ったのだ。

 

「楽しいなぁ、青山」

 

「エヴァンジェリン。俺は――」

 

 何か告げようとする響を鼻で笑い、エヴァンジェリンは掌に集めた冷気を臓腑でも弄ぶように指でなぞった。

 

「知るか。私には貴様だけが青山だ。貴様以外に青山を認めてたまるか」

 

 その思いに青山は押し黙る。そして数秒後、観念したかのように溜息をつき「あぁ、ならそれでいいさ」と告げると、嬉しそうに喉を鳴らした。

 確かに俺はお前にとって青山なのだろう。

 既に斬った残滓を知りながら、青山を超えた俺すらもお前だけは青山と言ってくれる。

 

「ありがとうエヴァンジェリン」

 

「ん?」

 

「斬りたくないくらい、俺は今すぐ君を斬りたい」

 

「あ……」

 

 響なりの賛辞にエヴァンジェリンは目を剥いた。次いで仄かに頬を染めて俯き、何度か顔を上げて、何かを噛みしめるように唇を食み、口を開き、躊躇い、もう一度前を向いて、笑う。

 

「嬉しいよ。嘘じゃない。本当に、嬉しい」

 

 ――私は貴様の敵になれたのだな。

 形振り構わず相応しい在り方を作り上げ、歓喜の赴くまま馳せ参じ、こうして真っ直ぐに己は立ち塞がっている。

 人間を極め、もう既に極めた先にすら至ったのだろう修羅が、惜しいと思える化け物として見られている。

 その歓喜を誰が分かろうか。響に全てを斬られたエヴァンジェリンが唯一懐かせた殺意を祝福してくれているのだ。神の啓示ですら及ばぬ言霊の魔力は酒精の如く全身を走破した。せめてと欲した男の眼はここにある。

 

「……でも、駄目なんだ」

 

 だからこそ、エヴァンジェリンの頬を冷たい涙が伝った。

 

「この短き間で理解した。貴様を殺すために練り上げた魔道の極み、貴様に見合うために貪り食らった世界樹の恵み。これら全てを合わせたというのに……私は、貴様に届かない」

 

 世界樹の魔力。終わりなく赤き九天と、その茨で氷の軍勢と化した人形と鬼神。出し惜しみ注いだ全ては未だに響の体に裂傷すら刻んでいないのだ。

 勿論、まだ全てを絞り出したわけではない。余力は十二分に存在し、砥いだ牙は響の修羅に一矢報いることは出来るだろう。

 だが違うのだ。

 その程度で満足するのなら、当の昔に自分は死を選んでいる。

 戦うだけでは足りない。勝利だけでも足りない。

 

「私は貴様を殺したいのに、今の私は貴様の敵になれても、脅威にはなりきれない。……嬉しいのに悲しいよ青山。何よりも、貴様を満足させられない自分に腹が立って仕方ないんだ」

 

 臨んだのは血を望んだから。その血を飲める道筋を辿る果てに、この体を斬り刻まれるならいいだろう。しかし善戦などという無駄死で終わるつもりはさらさら無かった。

 故に、エヴァンジェリンはこの闘争の最中に編んだ次の一手を打つことにする。

 

「これは……」

 

 響は眼下に広がる氷の世界に、いつの間にか大規模な魔法陣が描かれていることに気付いた。そしてその中心は自分とエヴァンジェリン。その周囲を取り囲むように人形と茨の軍勢は並んでいる。

 

「だから殺してやる」

 

 エヴァンジェリンは腹の底より祈りを絞り出す。

 殺してやる。

 必ず殺す。

 有象無象の区別なく、貴様を殺すために私は全てを殺してやる。

 

「私は貴様を殺す。私が貴様を殺す。私だけが貴様を殺す。その魂の一片まで殺し、その腸を私の胎に注いでみせよう。それだけが私が望む今だ。踏破した膨大な過去も、踏破する膨大な未来も要らない。青山、貴様だけなんだ。私は、貴様だけでいいんだ。」

 

 だから、そのために何もかもを道ずれにすることも構わない。

 魔法陣が輝きを放つ。世界樹の魔力を用いた巨大魔法陣は、しかし響にもエヴァンジェリンにも害意を与えるものではなかった。

 

「やはり、お前なんだなエヴァンジェリン」

 

 光の波に体を任せて、響はエヴァンジェリンの切望に感謝した。

 誰も彼もが忌み嫌い、その果てに自分を許してくれた姉すらもこの手にかけた自分をまだ好いてくれる誰かがいる。

 それはきっと奇跡と呼んでもいいことだろう。例え相手が人間でなくても、人間ではないからこそ自分を求めてくれる。

 人間ではないからこそ人間に焦がれている化け物に認められる。

 つまり、自分は誰よりも人間なんだと思えるから。

 

 そして、光の波が消えた先、視界に広がるのは一面の荒野だった。

 

「ようこそ、青山」

 

 転移魔法による戦場の移動。だがそれにしては先程使用された魔力の量は異常だったと思い、響は即座に異変に感づいた。

 その反応にエヴァンジェリンは笑みを深くする。喜んでもらえたようだと笑い、そして、まるで存在を主張するように右手の冷気を天高く放出した。

 遥か空に伸びた冷気の塊は、山脈すらも超えた高さに一気に到達する。まるで、空に新たな星が生まれたと思った矢先、氷の塊はガラスが砕かれたような音を奏でながら世界へと拡散した。

 

「……ここは、何処だ」

 

 魔法による環境改変。広がる冷気の下の大地が一気に凍り付き、その浸食が止まることなく世界中に広がっていくことを無視して、響はエヴァンジェリンに問いかける。

 その問いに、エヴァンジェリンは大仰に両手を広げ、真っ赤な舌をのぞかせながら答えた。

 

「魔法世界。地球とは別の場所に存在する、魔法使い達が住まう土地……そしてここはその辺境にある白けた荒野さ」

 

「ここが、魔法世界……」

 

 話には聞いていたが、初めて訪れた魔法世界に響は目を白黒させる。だがそれも僅か、ゆっくりと視線を戻す頃には、再び響の眼はエヴァンジェリンだけを迷いなく見据えていた。

 場所などどうでもいい。俺はお前を斬るだけだ。

 言外の宣誓に股座を濡らしながら、エヴァンジェリンもまた内心で強く宣誓する。

 今の私では貴様の足元にも届かない。

 だが心配するな。

 だが不安にならないでくれ。

 貴様の前に立つためならば私はなんだってしてみせる。

 汚泥も舐めよう。

 辛酸も味わおう。

 尻も振って惨めに懇願すらしてみせよう。

 何よりも――。

 

「何億だ?」

 

「……何?」

 

 エヴァンジェリンは、多重魔法を展開しながら、問いかける。

 

「貴様の頂に至るには、何億の死骸を積み重ねればいい?」

 

 その言葉の真意を問いただす余裕はない。再び始まった修羅と化け物の極限を超えた激突は、魔法世界の隅にまで響き渡る福音を鳴り響かせていった。

 

 

 

 

 

 何故、傷つくことを恐れない。

 何故、癒されることを拒絶する。

 

「なんで? 皆、痛いのは嫌やろ?」

 

 只、自分は癒したいだけなのだ。だから手を差し伸べて、抱き締めて、慈しもうとしているだけなだというのに、ネギ達は木乃香が伸ばす掌を拒み続ける。

 

「貴女のそれは偽善ですらない! それすらも分からない今の貴女に! 僕達の痛みが分かってたまるか!」

 

 先陣を切るネギの雷轟無人が道を作る。その愚直な進撃を傍で支える明日菜と、背中を押し出すアルビレオを筆頭とした魔法先生達。

 最早、何が正しく、何が間違いなのかを思考する余裕は無かった。彼らもまた、眼前で猛威を振るう外道の在り方を受け入れられぬため、戦い続けているだけ。

 それはタカミチも近右衛門も同じだ。既に教え子だとか孫娘だとかという認識は捨て去った。捨てざるをえなかった。

 何より、手心を加えれば、その次の瞬間に自分が木乃香に汚染されるのが分かっていた。こうしている間にも四方から迫る木乃香の手が、ヘドロのような温かい光を纏って体に触れようとしてきている。

 

「おぉ!」

 

 咸卦法を用いて放った居合い拳が木乃香達を纏めて薙ぎ払う。教え子が肉塊と化すのに当初は嫌悪感を覚えたが、瞬きの間に再生するのを何度も見る内に感覚は麻痺していた。

 撃つ。

 ひたすらに撃ちこむ。

 終わりなど永遠にないと思考の隅で思うが、迷いは余分だと振り払う。

 そうしてタカミチがネギの背後を支え、アルビレオと近右衛門が左翼と右翼をサポート。その壁の内側から超を司令塔に置いた魔法先生と真名の魔法と銃撃が取りこぼしを吹き飛ばす。

 前線は再び膠着状態に陥った。だがこの拮抗もいずれ崩れ去る。予感ではなく確信として、超は号令しながら、自分達が数分も戦線を維持できないだろうと理解した。

 

「次弾! ネギ先生へ! 装填終わったら遠慮なくぶっ放すネ! その後障壁再展開! 一秒持たせるだけで前線は相手の攻撃から逃れられる! 障壁組は急ぐヨ!」

 

 どんな致命傷も間隙なく再生して襲い掛かる木乃香達を相手に、ネギと明日菜はたった二人で抗っていたのか。その手腕には恐れ入るが、自分でも圧倒的と思える二人ですら、木乃香という修羅外道には二歩も三歩も及ばない。

 

(決定打が足りない……! 物理的な、あるいは精神的な、どちらかでもいいから早く見つけねないと……!)

 

 だがそれには情報が圧倒的に足りない。超は体の刻印を励起させて、前線で抵抗を続けるネギへと念話を飛ばした。

 

『ネギ先生! 何か決め手はないのカ!?』

 

『あるのならすぐにやっています! ですが、刹那さんはもう……』

 

『刹那サン? まさか、刹那サンは!?』

 

『超さんの真下にある小さな氷山の中です。木乃香さんの一人と一緒に、彼女は……』

 

 ネギの悔恨の言葉に超も表情を歪める。刹那が木乃香とどういった関係なのか詳細は分からないが、おそらく直接的な手段ではなく、木乃香を説得する唯一の手段が刹那だったのだろう。

 だがそれも最早失われた。氷山に飲まれたというならば脱出は不可能だろう。木乃香を救い出そうとして、返り討ちにあって凍らされる。その末路を哀れとは思うが、超は即座に刹那のことは思考から捨てた。今は些細なことにも思考を使う余裕はないのだ。

 

「学園長の補佐を重点的に! 急ぐヨ! 一角のどれかが突破されたらそこで終わりと思うネ!」

 

 命令を飛ばしながら高速で思考を回転させて反撃の切っ掛けを見出そうとする。そしてそれはネギも同じなのだろう。拳を振るいながら、その拳と同じ勢いで木乃香へと言葉を投げかけ続けている。

 だがネギと明日菜の声は木乃香には届かない。唯一可能性のあった刹那も既に氷山に飲まれた。説得という点はもう無いと見た方がいいだろう。

 そんなことを考えている間に、近右衛門の直衛に回った魔法先生が一人木乃香に触れられて癒しつくされた。時間はもう殆ど残されていない。

 

「くっ……!」

 

 前線で唯一、未だ動揺を隠し切れない近右衛門が穴となっている。無理もないとは思うが、悪態をつきたくなる気持ちをぐっと超は堪えて――ふと気づく。

 

「氷山に飲まれた?」

 

 エヴァンジェリンが展開した氷の世界。木乃香の群れは先程からその余波に飲まれて凍り付いている者も存在したが、その都度内側から氷を癒して即座に前線へと復帰していた。

 ならば、刹那を飲み込んだ木乃香もすぐに氷山を癒して復活するはずだ。

 

『ネギ先生! 刹那サンは本当に木乃香サンもろとも氷山に飲まれたままなのカ!?』

 

『えぇ! そのはず……です!』

 

 一際巨大な轟雷を解放しながら、超の飛ばした念話にネギは苦しそうに答える。だがそれが何だと言うのか。今更、死してしまった刹那のことを掘り返して――。

 

『刹那サンを助け出せる可能性がまだある!』

 

「ッ!?」

 

 超の予想にネギは思わず息を飲んだ。

 まだ、刹那を助け出せるというのはどういうことか。ネギはその真意を考えようとして、それを許さぬ木乃香の群れに顔を顰める。

 だから代わりに超は叫ぶ。この状況で残された唯一の打開案を。

 

『木乃香サンに癒されたら誰もが浸食されていずれは木乃香サンと同じ存在となる! だとしたら氷山に飲まれた刹那サンが氷を癒して現れないのはおかしいはずネ!』

 

『じゃあ、まだ刹那さんは!?』

 

『そうヨ』

 

 超はネギが先程教えてくれた刹那の落下地点を見下ろした。一部だけ盛り上がった小さな氷山。赤く染まっている氷のため中まで見通せないが、間違いない。

 

『刹那サンは、まだ戦っている』

 

 確信を持ったその言葉こそ、残された希望。抗い、這い上がり、切り開こうともがく少女の思いがそこにあるのだと知った超とネギは、暗闇に走った一筋の光を手にするために戦い続けるのだった。

 

 

 

 

 

 ――あの日まで、私は名前のない怪物だった。

 

 桜咲刹那は化け物をその身に宿している。それが何の因果か化け物を滅ぼす組織に属し、化け物を滅ぼす術を学ぶようになったのだ。

 矛盾している。

 だが、半人半魔の肉体はその矛盾すら受け入れることが出来た。

 忌み嫌われた化け物。

 迫害される己の肉体。

 その過程で育った化け物は、成長した今でもこの体の奥深くから、ジッと自分を見上げていた。

 羨むように。

 妬むように。

 だが、化け物はそれ以上に嬉しかった。

 何故?

 問いかける声に答えるのは、心の奥に閉じ込めた少女の声。

 

『せっちゃん』

 

 ――その声を、覚えているのだ。

 

「……そう、だ」

 

 温かな陽だまりに揺り起こされるようにして、刹那はゆっくりと瞼を開いた。

 体を起こして、血を吐き出し、激痛に唸り、意識を連続して失いながらも、震えている両足に気付いて薄く笑った。

 

「知っている」

 

 青山が木乃香の中に育ませ、魅せつけられた狂気の産物。人間の混沌渦巻く純粋さを理解して、平静でいられるはずがない。

 そしてあの瞬間、桜咲刹那は近衛木乃香に癒し尽くされて消えたはずだった。

 だというのに、自分はまだここに居る。

 それどころかまだ立ち上がれたのは、きっと――。

 

 

「忘れてはいない」

 

 脳裏に浮かぶ笑顔。

 名前のない怪物だった自分に、桜咲刹那という名前()を与えてくれた少女。

 

 ――木乃香お嬢様。

 ――貴女が『ここに』居るから、まだ私はここに居る。

 

「情けない」

 

 弱弱しく涙して消滅した己を唾棄する。

 しかし、そうしても結局は己自身。どんなに蔑もうが、癒されて消滅した自分もまた、自分。

 

「逃げ出して、縮こまった、それでも助けたいと思って……全部含めて、私だ」

 

 そして半身を失っても尚歩めるのは、己の中に居る何かが芯となっているからだ。

 

「どうして?」

 

「どうしてでしょうね、お嬢様」

 

 眩むような陽だまりに目を細めながら、刹那はこちらを見つめる木乃香に笑いかけた。

 だが木乃香はそうはいかない。注いだ癒しの力は刹那の傷を治そうとしているのだが、何故か刹那に刻まれた傷は癒される様子は無かった。

 

「どうして、治らんの?」

 

「決まっています」

 

 傷つきながら、笑う。癒されながらも否定した。癒し尽くされて尚も抗った。

 何故抗えたのか、そんなことは、当たり前。

 

「この傷は、貴女が注いだ優しさです。幼いころ、化け物だった私に刻んでくれた熱い血。私が羨んだ人間を、例え貴女であっても癒されてたまるか」

 

 刹那はここが現実世界とは違う場所なのだとすぐに分かった。『最期』の記憶が正しければ、自分の傷は癒されて、もう現実では自分の自我は残っていないだろう。

 では、ここに居る自分は何なのか。

 決まっている。刹那は苦笑した。

 

「そう、私は化け物だ」

 

 その化け物が優しさに触れて、半分流れている人間を色濃くさせたのが桜咲刹那という少女だった。

 だが木乃香の手によって刹那の中の人間性は全て癒され、欠片も残っていない。

 残っているのは、化け物の自分。

 優しさに傷ついた名前の無い怪物。

 

「だから私はここに居る。裂かれた傷から流れる熱に感じる、人間に焦がれる思いだけは、決して癒されない」

 

 だから立ち向かえる。

 人間、桜咲刹那では貴女の手にした残酷には抗えないけれど。

 怪物、桜咲刹那は、貴女の残酷にも焦がれることが出来るから。

 

「まだ、胸に残っているのです」

 

 真紅に染まった胸元にそっと掌を乗せて刹那は笑う。

 ありがとう。

 お疲れ様。

 でも、もう一度、頑張って。

 

「お嬢様。私に優しさ(痛み)を、ありがとう」

 

 ――その場所まで、今度は私が連れて行ってみせるから。

 

「■■■■■■■ッッッッッッ!」

 

 灼熱よりも尚熱い。獣の如き遠吠えを轟かせて、化け物、桜咲刹那は眼前の木乃香の喉元に食らいつく。

 人間を見つけた化け物がそうするように。

 

『せっちゃん』

 

 桜咲刹那に残された化け物は、あの日焦がれた人間を欲して、溶け続ける夜へと再び立ち向かうのだ。

 

 

 

 




次回、返したもの、返されたもの。

せっちゃん、ラストラン。


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第七話【半身、半生、半分こ(下の上)】

 

 雷が唸り、大気が吼え、魔法が轟き渡っている。四方より迫る修羅外道の群れを押しとどめる四つの精鋭。極限に至った人間を相手に善戦を繰り広げているが、見出した一筋の光明すら掴めない程、戦況は過酷だった。

 

「解放、掌握……!」

 

 マントより取り出した使い捨ての魔法銃より、装填されていた魔法を体内に撃ちこんで、消耗した雷轟無人を補充する。だが魔法銃の残りはもう幾ばくも無く、体内に事前に装填しておいた術式も余裕があるとは言えない。

 そんな中、超が見つけた刹那の生存という最後の光を手にしようとするが、押し寄せる木乃香達を明日菜一人に任せては戦線が一気に瓦解するのは目に見えている。

 とはいえ、あの氷山を解凍するには、現在四方で防衛戦を繰り広げている誰かが行かなければ不可能だろう。木乃香は易々と癒してみせているが、本来、あの茨は触れた瞬間に永遠の氷獄に対象を封じる恐ろしい魔法だ。

 

「ネギ……!」

 

「博打を打つにはまだ早いですよ明日菜さん!」

 

「……ッ。わかってるわよ!」

 

 ネギとの仮契約を通して明日菜も刹那が生きていることを知っているが、その救助のためにこの場をどちらかが抜けるにはまだ早い。

 何せネギ達が担当している前方は、その後ろに木乃香の本体が居るからか他よりも圧力が重い。ネギと明日菜だから辛うじて防げているが、ネギか明日菜だけでは防げる波ではないのだ。

 

「だけどこのままじゃ……!」

 

 弱気というよりは焦りだろう。なまじ希望を見つけたからこそ焦燥に駆り立てられるのだ。それはネギも同じだったが、堪えているのには理由がある。

 

「超さんを、クラスメートを信じましょう……!」

 

 刹那生存にも気づいた後衛の司令塔を務める超ならば何か策を見つけられるのではないか。

 だが他力本願でいられる程、ネギは悠長なことを思ってはいなかった。何か一手、流れを変える何かがあれば、押され始めている均衡を変え、再度五分まで戻す手段は、存在する。

 

「今は目の前に集中して!」

 

 振りぬいた拳が閃光を闇夜に穿つ。闇を食いつぶす奈落の眼の群れを薙ぎ払いながら、空いた隙を縫うように明日菜が飛び出して、変わらぬ笑みを湛える木乃香の本体を狙うが、一歩を進むことなく吹き飛んだ木乃香達は再生して立ちはだかった。

 火を欲する蛾の如く殺到する白い手。ホラー映画で何度も見たような光景に頭がどうにかなりそうだが、明日菜は内からこみ上げる激情を持って、冷徹な癒しの掌を斬り払う。

 

「木乃香ぁぁぁぁ!」

 

「あはは! 明日菜ぁ、こっちや、こっちおいで」

 

「だったらそこを退きなさいってのよ!」

 

 猛る思いを乗せた熱き刃は、木乃香の芯を断つには至らない。

 だがそれでもと張り続ける思いを緩めるな。前を向き続けなければ、押し寄せ続ける冷酷に成す術も無く飲まれてしまうから。

 まだ、戦える。

 行けると信じている。

 

「ッ!?」

 

 閃光が突如目を焦がした。僅か離れた場所より一帯を飲み込んだ魔力の嵐。雲を突き抜けた輝きは、戦っていた魔法先生達はおろか木乃香達すらも見入ってしまう。

 

「空間転移? まさか……」

 

 その現象を見抜いたアルビレオが、光の消えた先でいつの間にか居なくなったエヴァンジェリンと響に気付く。

 何故、今更場所を移動する必要があるのか。総軍を率いて消えたエヴァンジェリンと、その闘争に喜んでついていっただろう響のことを考えて嫌な予感に冷笑を浮かべる。

 しかし今は目の前に集中しなければならない。自分が呆けていたように木乃香達も呆けていたのは不幸中の幸いとみるべきか。アルビレオが意識を再度前に向けると同時に木乃香達もアルビレオ達へ意識を向け――。

 

「術式、解放」

 

 その場で唯一、突如発生した光にも眼もくれずに前を向き続けた二人だけが、最後のカードを切った。

 

「千の雷、三連……!」

 

 黄金の籠手の上に浮かぶ三つの輝き。掌大の球体はその一つ一つが千の雷を圧縮した究極の力の塊。

 僅か、数秒。

 だが、値千金の数秒を決して無駄にすることなく、ネギ・スプリングフィールドと、その前に立って刃を構える神楽坂明日菜は残された力を解放した。

 

「掌握!」

 

 両手に一つずつ握り締めた千の雷。そして、最期の一つを己の口内にネギは飲み込んだ。

 瞬間、全身の血液が文字通りに沸騰する。

 

「ぐ、おぁぁぁぁぁぁ!」

 

 激痛、悲鳴、苦痛、絶叫。

 たった一撃でも都市を半壊させる威力を誇る力を三つも小さな体に取り込むことによる弊害が、絶え間ない激痛となってネギの体を駆け抜けた。

 しかし前を見据えた瞳は揺るがない。目、口、鼻より血を流し、制御出来る量を遥か逸脱した力によって脳髄を崩壊させながらもネギは両腕を広げた。

 

「『風精影装』『雷轟無人』……合成!」

 

「痛そうやなぁ」

 

 ネギを中心にして発生するプラズマ。だがその力が収束するのを黙って見る木乃香ではなかった。むしろようやく見つけた隙を縫って、やっとこの二人を癒すことが出来るのだと喜悦を深くする始末。

 痛そうだ。

 とても痛そうだから、癒してあげよう。

 この手で眠れ。永遠の安息をその身に確約してみせるから。

 

「させるかってのぉ!」

 

 当然、それを許す明日菜ではない。殺到する木乃香とネギの間に立ち塞がり、薙ぎ払いの一撃で押し寄せる荒波を押し返す。

 それでも足りない。一瞬だけでは後詰めとして飛んでくる木乃香を食い止めることは出来ず、ネギが力を固定する時間を稼げずに明日菜はネギもろとも癒しの波に飲まれるだろう。

 

「明日菜君!」

 

 離れた場所で迎撃を続けていたタカミチが窮地を察した。だがここからでは虚空瞬動でも間に合わない。いや、どのみち自分が担当している分を相手取っている以上、虚空瞬動を使う余裕すらなかった。

 それはタカミチ以外も同義。誰もが激流に飲まれる二人を見届けることしか出来なかった。

 そしてついに、剣戟の嵐を超えた木乃香の手が明日菜の肩を掴む。

 

「掴まえ――」

 

「馬ぁ鹿」

 

 明日菜は笑った。

 そして、いつの間にか片手に握っていた魔法銃を、木乃香の額に突きつける。

 

「今のアンタに抱き付かれても嬉しくないっての」

 

 そう言い終わるがいなや、絞られた銃爪(ひきがね)が撃鉄を叩き起こし、予め装填されていた術式が銃口より解放される。

 世界を染め上げる程の光量が銃口より産まれる。そのあまりにも膨大なエネルギーに耐えきれずに銃口どころか魔法銃そのものが崩壊した。

 あの数秒。ネギが切り札を解放するのを見越した明日菜は、少年の懐より魔法銃を事前に手渡されていた。

 座して待つことなどしない。ネギは本質的にエヴァンジェリンと響という存在を知っていたから、明日菜はそれを知らずとも、ネギのことを信じていたから。

 だから動けた。

 だから時間を稼げた。

 阿吽の呼吸が手にした奇跡の数秒。砕け散った魔法銃の破片を単純な握力で潰した明日菜は、吹き飛んだ木乃香達の向こう側で、初めて動揺を見せた木乃香へ拳を突きつけた。

 

「『してやった』わよ、こん畜生!」

 

 そして、その背後で先の一撃が線香花火に等しい程の輝きが生み出された。

 まるで太陽そのものが地表に降りてきたような輝きが『三つ』。雷轟無人の籠手を装着したネギの背後に立つのは、雷そのもので構成されたネギの分身体。

 

「術式兵装『雷轟世界』……!」

 

 肩で息をし、呼気は乱れ、顔は青ざめ、流れた血の跡が痛々しい。

 それでもネギの戦意は些かも衰えていない。その胸で燃える炎を体現したかのような三体の分身体は、動けないネギの代わりに動揺から立ち直れていない木乃香達の中へと飛び込んだ。

 術式兵装、雷轟世界。雷轟無人と風精影装。ネギが編み出した二つの術式兵装を融合させた切り札は、言ってしまえば風精影装で生み出される分身体を雷の上位精霊と似た存在にするというものである。

 だが単純明快故に能力は凶悪。虚空瞬動すら超えた雷速で木乃香達の手を縫う分身は、雷轟無人と同じ破壊力の閃光を縦横無尽に解き放つ。とはいえ木乃香の再生能力はやはり雷轟無人の手数が増えても変わらないものの、分身体は決して超えることが出来ないと思えた肉の壁を越えて、木乃香本体へと肉薄していた。

 そしてその分身から本体を守るために木乃香達も数を裂かざるを得ない。目に見えて軽くなった圧力に魔法先生達にも余裕が戻ってきていた。

 これがネギの手にした極みの魔法。雷速で動き続け、雷の一撃を放ち、分身故にどのような攻撃もほぼ無効化する耐久力。エヴァンジェリンが編み出した終わりなく赤き九天に届きうる極限は、修羅外道の牙城にすら届きうる。

 そして、その分身に木乃香の手が触れようとしても、慈悲すらも焦がす雷鳴は触れようとする傍から灰燼とした。

 意志を持った雷雲が三つ。魂すら絞り出すようにして現出した極みの一端は、愚直と進もうとする主の意志を体現したように、走る先から修羅外道の波すらも突き抜ける。

 そしてその合間を、ネギが血反吐を撒き散らして駆けた。

 流星が舞う。英雄が走る。夜も食らう闇を払い、ネギと明日菜が練り上げた渾身は、遂に後方で浮遊していた木乃香本人へと届くのだ。

 

「いけぇぇぇぇ!」

 

 接近を許された木乃香の眼がネギを射抜く。しかし、もう汚泥と落ちた眼に怯えることはない。背中を押し出す仲間の強さに光を灯し、ネギの拳が三つの流星を拳に纏って木乃香の胸元へと突き出された。

 激突。

 閃光。

 爆発。

 粘着質な癒しの魔力と、全てを貫く雷撃が、その激闘点で衝撃を撒き散らした。

 

「ネギ君……どうして……?」

 

「そんなこと……貴女にはもう分からない!」

 

 木乃香が掲げた掌と雷の拳。あらゆる全てを問答無用で癒しつくす木乃香の掌ですら、ネギが築き上げた雷鳴を癒すには至らない。

 拮抗している。人間の極限に踏み出した修羅外道の極みに、人間の意志を束ねることでネギは今度こそ同じ頂に、別の場所から辿り着いたのだ。

 故に木乃香は小さな動揺を見せた。

 響――青山がフェイトの解答を得たままだったら同じ反応をしたことだろう。

 癒しきれない。

 『生きたいから』癒したいのに。

 木乃香の治癒すら超えて、掌より熱さが伝わってくる。

 まるで血のような暖かさ。あの日、青山が突き立てた胸の傷より感じたものと同じ熱。

 それは痛み。

 生を死へと変える、存在してはならないもの。

 

「あ、あぁぁぁぁぁ!?」

 

 突如、木乃香が悲鳴をあげたと同時、さらに出力の上がった魔力の濁流がネギを遥か後方へと吹き飛ばした。

 

「ネギ!?」

 

 慌てて明日菜が吹き飛ぶネギを抱きとめる。未完成の術式兵装の展開と、直接木乃香の癒しの魔力と激突した影響か、その顔色は青を通り越して白くなっていた。

 だがネギの眼は死んでいない。「ありがとうございます」と告げてネギは明日菜の手を離れて、己の拳を受けた掌を涙目で見つめる木乃香を睨んだ。

 

「痛い。痛い。痛い。痛いのは嫌。痛いのは嫌や……! 何で……? もう、ウチは二度と痛くならんのに……!?」

 

「痛いのは嫌!」

 

「嫌! 死にたくない!」

 

「助けて! ウチを助けて!」

 

「治さんと! 治さんと死んでまう!」

 

 本体の痛みを受けてか、笑顔を浮かべていた分身体までも痛みに顔を歪めていた。だが本人とは違って分身は超達に迫る動きまで止めようとはしない。いや、むしろ、痛いからこそ、早く癒したいからこそ、余計に痛みを訴える者を癒そうとしているのか。

 痛いのだ。

 とても痛くて、死にそうなのだ。

 だが死にたくなかった。

 死にたくないから癒すしかなかった。

 そして、痛くなくなるには、全てを癒すしかないと思った。

 癒さなければ生きられない。

 つまり、生きている限り、癒すしかない。

 

「……そうか。そういうことだったのか」

 

 ネギはようやく、木乃香がぎりぎりのところで修羅外道へとなりきれていなかったのか、その理由を察した。

 木乃香は青山と違って一つに鋭いのではない。理由は知らないが、斬撃を受けて愚直な化け物と成り果てたエヴァンジェリンと違って、青山に斬られたというのに治癒に真っ直ぐな外道ではなく、生きるという思いと治すという思いを絡ませた歪な存在となっていた。

 そう、ネギは知らないが、それこそが真実。

 

 ――近衛木乃香は、修羅外道には永遠に成れない中途半端な存在なのだ。

 

 それはある意味では不幸中の幸いだったのかもしれない。フェイトが残した『生きたい』という願望の詰まった刀、『証』。その解答に汚染され、斬撃という在り方を汚していたかつての青山によって振るわれた証を突き立てられて目覚めさせられた木乃香は、生きるために己の体を治した。

 生きたいから治す。

 生きるために治す。

 治さなければ、生きられない。

 正道より歪められた外道に張り付いたもう一つの解答。あまりにも似通った答えだから、響ですら終ぞ気付けなかったそれこそが、ネギが見つけた木乃香を瓦解させるもう一つの可能性。

 治す。

 生きる。

 似ているようで、しかし永遠に交わらない解答を孕んだ結果、木乃香は些細な痛みで崩壊寸前にまで追い詰められていた。

 

「でも、治すんや」

 

 だがその隙も掌の痛みが癒された瞬間に終わる。増大の一途を辿る魔力。底を見せない魔の真髄は、決して中途半端だと舐めて挑める相手ではない。

 

「ウチは、痛いのが嫌」

 

 涙で顔を染め上げて、木乃香は内包した魔を全力で放出した。

 

「力が……戻って……ぐっ!?」

 

 周囲一帯に広がった魔力を受けたネギは、傷つき疲弊した己の体に漲る力を感じて、直後、こみ上げる吐き気に口許を抑えた。

 そしてそれはこの場でも力の弱い魔法使い、あるいは消耗した者達も同じであった。

 ――直接触れずに、魔力を介して癒し始めている?

 即座にそう結論したネギだったが、癒しの力を跳ねのけようにも、害意のない悪意とでも言うべき呪いに抗う術は無い。直接触れられるよりも遅いとはいえ、徐々に汚染されていく体は、いずれこれまでの者達がそうだったように、最終的には木乃香そのものとなるだろう。

 

 

「あははっ! あはははっ! 大丈夫! ウチは痛いのを全部癒せるんや!」

 

 再度取り戻した痛みの無い世界で木乃香が嗤う。その間にも殺到する木乃香の群れも、さらに癒す速度を増していた。

 切り札を解放して尚、拮抗状態に辛うじて届いただけなのか。

 限界など存在しない。中途半端とはいえ、似た解答ゆえにかつての青山と同等の領域にたった木乃香は、脆くも強固、そして決定的に歪故に、その在り方はある一点では青山すらも既に凌駕してみせていた。

 蔓延する絶望の慈悲。抵抗の意志すらも癒そうとする木乃香の自我に抗う術はやはり存在しないのか。

 誰もがそんな諦めを覚えようとする。しかし、そんな彼らの瞳の先に、ネギと明日菜の小さな背中はあった。

 

「……それでも!」

 

「えぇ、それでも、よ!」

 

 血を吐くように、互いに体を支え合って二人の英雄は絶望を押し上げる。

 まだ立ち向かえと、まだ立ち上がれと。

 それでもと告げる背中は、決して挫けることを知らない。

 

「術式、装填……!」

 

 とうに限界など超えているというのに、ネギは懐より最後の魔法銃を取り出して己の体内へと叩き込む。

 心すらも蹂躙する痛み。

 だが、心が流す熱い痛みが、絶え間ない流血が、流した涙と、裂かれた傷にこもる熱こそ、この体を這い上がらせる力の源。

 

「……行くぞ」

 

「あぁ……まだ、だ」

 

 絶望的な防衛戦を繰り広げていた魔法先生の誰かが口々に呟く。

 まだ行ける。

 まだ抗える。

 まだ、戦える。

 二人の小さな背中より無限大の『何か』が戦う者達の胸に注がれる。

 それはこの体を癒す暖かさとは違う温もり。

 誰かが紡ぐ、誰かが繋げ、誰かが手渡してきた『何か』。

 なんだかわからないそれこそ、善も悪も超えた、人の心。

 可能性を超えた人の意志。

 見えずとも誰の手にも繋がっている熱い鎖を通じて誰かが引っ張られる。その引っ張られた誰かがまた誰かを引っ張って、そうして絶望も癒される今でも顔を上げられるから。

 

「まだ、行ける……!」

 

 どうしても挫けそうなこの心と身体だけれど、挫けられない芯が一本。その煌めきを束ねた雷鳴を従えて、輝く瞳は汚泥を払う。

 

「それが……!」

 

 木乃香は広がる魔力よりその意志を感じで顔を歪めた。

 何故、まだ行ける。

 何故、まだ抗える。

 何故、まだ――戦える?

 

 何故、何故、何故!?

 

「全部治す! 痛いのは嫌! 痛いのは嫌やろ!?」

 

 もう、癒しきるまで時間は幾ばくも無い。

 だというのに追い詰められていると感じた。何故、追い詰められているのか分からないが、木乃香は己が追い詰められてきているのを感じていた。

 しかし、それでも全てを癒す。

 癒して、生きる。

 根底に根付いた在り方は健在。これをもってして、痛みにあえぎ続けるという理解の出来ない在り方をし続けるネギ達を飲み込もうとして、木乃香はそこでようやくもう一つの異変に気付いた。

 

「そ、んな……!?」

 

 口を戦慄かせて震える木乃香の様子の異変にネギは朦朧とした意識で気付く。

 あの動揺は先程の痛みによるものではない。こちらにも意識を向けているが、木乃香の意識が集中しているのは地表。凍り付いた大地の一部。

 

 つまり、刹那なのか。

 

「明日菜さん……! ここが、勝負所です……!」

 

「了解!」

 

 言われなくても、明日菜もここが勝負の賭けどころだと本能で察していた。切れかけの咸卦法をかけなおし、光を纏った剣士は周囲を取り囲む三つの精霊の加護に身を任せ、今宵、最後であろう動揺を見せた木乃香へと一直線に結ばれた道を踏み出した。

 だが、時間はそう残されていない。

 ネギの切り札はその規格外の力に相応しい代償が存在する。発動までの激痛によるネギ自身の戦線離脱もそうだが、何より消耗する魔力の量が著しいために分身を展開出来る時間は短い。

 何より、待っていればいずれ、周囲に充満する癒しの魔力が全てを木乃香そのものへと再生させるだろう。

 この拮抗はいつまでも続かない。だが、木乃香が動揺している今以外に好機は存在しないのだ。

 値千金の勝機。残りの力を振り絞って突貫する明日菜の背中を見た全員も、汚染される体に鞭打ち、同じ思いを抱いて頭を上げる。

 そしてそれは、超も同じだった。

 今ならば、指示による最適解がなくても戦線を維持できる。ならば今、自分に出来ることは――。

 

「ネギ先生!」

 

「超、さん?」

 

 振り返ったネギの表情は痛々しい。だが、傷ついても挫けない姿に超は笑った。

 これが、英雄の息子。

 そして遥か未来で英雄として語り継がれるだろう少年の強さ。

 誰もが意識を奪われた閃光の中、己の為すべきことだけを突き通した英雄の輝き。

 

「サラバだ、ネギ先生」

 

 その強さを見せられて動かぬ者はいない。既に決めていた覚悟をさらに強固として、超は自分の役割を果たすことにした。

 ネギが超の残した言葉の真意を察する前に、超は押し返された戦線の穴を縫うように眼下の氷山へと飛び出した。

 

「ッ……」

 

 超の全身で励起する術式が、その身体に想像を絶する痛みを走らせる。だがその痛みに顔を顰めるような無様を超は晒さなかった。

 大したことはない。全身の穴から血を流す激痛にすら耐えきった少年に比べたら、この身を苛む痛みの何たる甘きことか。

 だがこの程度では足りない。強引に掻き集めていく魔力は微々たるもの。この程度であの氷山を突破できるとは思えないが、この状況で唯一動けるのは自分だけだからこそ、抗う。

 

「……何とか、頑張るヨ」

 

 超が纏う最新鋭の軍用強化服。纏うだけで気を操る達人に近い実力を得られるこの服に秘められた真の力は別にある。

 背中に装着された時間跳躍機(タイムマシン)。世界樹の魔力が満ちる学園祭時にしか使えない彼女の切り札こそ、この身に許された最後の一手。

 だがその行使に必要な膨大な魔力を操る手段が超には残されていない。学園祭時に満ちていた世界樹の魔力は無く、彼女自身はそもそも激痛を伴う術式でようやく魔法を行使できる始末。

 不可能。

 否、今だから、方法はある。

 

「……ぐっ」

 

 激痛を癒す力の波への抵抗を超は諦める。それによって注がれる力を行使して、際限なく術式に注ぐ力を加速させていく。

 偶然が産んだ可能性。なりふり構わず全方位に癒しの波動を振りまいたからこそ、超は逆にそれを利用して己が扱える限界すら超えた魔力を行使する手段を思いついたのだ。

 

「が、ぃ、ぎ!?」

 

 既に許容できる痛みは超えた。意味不明な悲鳴を無意識に漏らしながら、超は燃え上がるように光り輝く全身の術式より汲み取られる魔力を全て、背中のタイムマシンへと注いだ。

 だが、限界を超えても超が行使できる魔力では起動時間は一秒にも満たないだろう。

 

「充分すぎるネ……!」

 

 血涙を流しながら超は壮絶な笑みを浮かべた。

 取り返しの出来ない災禍を世界にまき散らした自分でも、救えるかもしれない命がまだ存在する。

 そしてそれが、少なくない時を共に過ごした大切なクラスメートなら、こんなに喜ばしいことがあるだろうか。

 氷山はもう近い。

 タイミングは一瞬、稼働に必要なぎりぎりの魔力が充電されたのを見計らって、超は氷山内の刹那へとタイムマシンの座標を合わせる。

 重要なのは未来跳躍と空間跳躍。時間跳躍の応用で別の場所へのテレポートを疑似的にだが可能としているからこそ可能な荒業。

 演算時間は少ない。

 起動時間も足りない。

 痛みで脳は回らず、四肢は分厚いゴム越しのように感覚が鈍い。

 それでもと。

 そう、それでもと、言い続けている背中を見たから。

 

「後は任せたヨ、刹那サン」

 

 振り下ろした拳が氷山と激突する。

 一瞬で凍結する己の体など厭わずに、超は背中のタイムマシンを起動させ、脳裏によぎった誰かの笑顔に目尻を細めた。

 

 ――そして。

 

「■■■■■■■ッッッッ!」

 

 半端者の修羅外道に相応しき、半端者の化け物が、月に吠えた。

 

 最期が、始まる。

 

 

 

 




次回、半分こ。


例のアレ

術式兵装『雷轟世界』
オリジナル闇の魔法にして、ネギの切り札。原作だと自身を雷と化したが、本作では分身体を生み出す風精影装の分身を雷そのものの存在にした。現状では三体が限界。とはいえ、作中でも述べている通り、『終わりなく赤き九天』とは別の究極魔法でもあり、完成すればエヴァンジェリン戦で覚醒したAルート青山と互角に戦える代物になるのは確実。
ファンネルのように使用するもよし、拳に纏わせて必殺の一撃を撃つも良しの、魔法使いスタイルのネギにはぴったりの魔法である。ただし、自身が雷化することは不可能。


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第七話【半身、半生、半分こ(下の下)】

 

 獣の如くではない。まさに獣と化した刹那が吼えた直後、その姿が一瞬にして消え去る。

 そしてネギや明日菜ですら辛うじて追いすがれる程の圧倒的な速度で同じく氷より脱した木乃香の分身体へと踏み込んだ刹那は、いつの間にか拾っていた夕凪を大きく振りかぶり、躊躇なくその刃を木乃香の首元へ振り下ろした。

 首を分かつ斬撃。

 抜ける刃の軌跡に沿って流れる血潮。

 しかし、首を切断されたはずの木乃香の傷口は、斬られた先から癒着を果たしていた。

 

「どう、して?」

 

 だが木乃香の動揺は大きい。それは刹那が異常なまでの戦闘力を得たからではなく、ただ単純に直接手で触れて癒したはずの刹那が、全身に傷を負った状態で自分の前に立っていたからだ。

 

「■■■■ッッ!」

 

 木乃香の疑問に対する解答は、血反吐の混じった獣の雄叫びだった。全身の傷口から血を流し、その熱き血潮を燃やしながら刹那の翼が力強く羽ばたく。

 そして、斬撃が幾重にも閃く。闇に重なった斬撃は間延びした一つの音色を奏でながら木乃香の体を虚空で数十の肉片へと変えた。

 結果、回復は起きない。

 分身体とはいえ、修羅外道に迫っていた木乃香が刹那の一撃で絶命したのだった。

 たった一人。しかし、無限の回復の根っこを斬り捨てた渾身の一閃が活路を見出す。その絶技を見ていた魔法先生達が逆転の可能性に沸き立ち、誰もが今一度腹の底から力を絞り出した。

 だがそんな彼らとは逆に、前線を維持しているネギと明日菜の表情は険しいままである。

 

「ネギ、刹那さんは……」

 

 雷轟世界の暴れる間、消耗したネギの傍で癒しの荒波の盾となっている明日菜が背後で呼吸を整えているネギへ問いかける。まるでそれを口にしたら取り返しのつかないことになるのではないかと口を噤む明日菜へ、ネギもまた同じ心境だからこそ頷きを返した。

 

「えぇ……刹那さんは、もう……」

 

 もう、『戻ってこれない』。

 何処であるかは分からない。だがネギと明日菜は、満身創痍とは思えぬ怒涛の力を発揮する刹那を見て、そう思ってしまった。

 同時に、刹那を助ける代わりに氷山に飲まれた超のことを悼む。刹那が目覚めたのと同時に生まれたもう一つの氷山は、先程までの刹那とは違って、数秒もせずに音も無く砕け散ってしまった。

 その跡には何も残っていない。

 超鈴音は刹那を救い出し、そして、何も言い残すことなくその命を終えたのだ。

 

「超さん……」

 

 ネギは自身の胸を強く握りしめた。まるで傷口を抑えようとしているその所作は、自分が担任した生徒が一人居なくなったことへの悔恨から。

 あまりにも拍子抜け過ぎる最期。いや、英雄のような劇的な最期を迎えられる者がこの世にどれだけいるだろうか。

 それでも超は己の為すべきことに全てを賭けて、賭けに勝ったのだ。

 ならば、振り返ることをしてはいけない。繋がれたバトンはこの手に、贖いを己の胸に問いかける前に、撃鉄を起こしたこの拳を叩き込むことこそがネギ達に出来るたった一つだから。

 

「精霊収束!」

 

 修羅外道を押しとどめる三つの閃光が再びネギの拳に集う。楔を失ったことでなだれ込む木乃香の群れだったが、金色に煌めくネギの拳は、地表から飛び立った刹那のために、雷で道を描いた。

 

「刹那さん!」

 

「■■■■ッッ!」

 

 応じたわけではない。

 既にネギを認識する理性すら剥奪された刹那は、それでも己のために開かれた道へ、血の跡を刻みながら飛翔した。

 貫かれた道の奥に立つのは木乃香の姿。だがその道を閉ざすのもまた木乃香であり、ネギが開いた活路は再度闇に閉ざされる。

 

「させるかぁ!」

 

「おぉ!」

 

 だが閉ざされかけた道に釘が刺さる。

 明日菜とタカミチ。互いにこここそが乾坤一擲を賭す場と判断した二人が、刹那が駆け抜ける零秒を支える壁となった。

 さらにその背後から放たれる魔法の雨。アルビレオと近右衛門を中心とした魔法先生の援護射撃が、理性を無くした化け物の周囲を彩った。

 

「ネギ! アンタも!」

 

「はい!」

 

 そしてその背中を追ってネギもまた飛び出した。拳より足へと移した雷精によって加速し、血の道筋を走り抜ける。

 伸ばした腕。

 走り出した足。

 鼓動を繰り返す心臓。

 

「届けぇぇぇぇ!」

 

 瞬間、全てを飲み込まんとする修羅外道の波が大きく膨れ上がり、弾けとんだ。

 現れるのは二つの光。

 赤と黄金。

 半端者の化け物と、生まれたての英雄。

 その輝きを見上げるのは、永遠に届きえない、外道に焦がれる少女の瞳。

 

「これが、最後だ……!」

 

 術式装填。

 起き上がった撃鉄を叩き込むのは、今。

 

「ネギ君……! せっちゃん……!」

 

 驚愕に彩られた木乃香の顔が目を焼く黄金と肌を濡らす真紅に染まる。

 抗うのか。

 戦うのか。

 未だ、傷つき、弱りながら。

 

「なんで!?」

 

 何度と繰り返した問い。

 応じるのもまた、同じ声。

 

 否。

 

「それを今から、貴女に叩き込む!」

 

 最早、その拳と刃を遮る者は存在しない。咆哮する化け物が飛びかかるのに合わせて、ネギもまた空を編む。

 そして、木乃香の左右に分かれたネギと刹那が、その体を挟み込むように突撃した。

 

「木乃香さん!」

 

「■■■■ッッ!」

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

 左右より突き出された拳と刃を、その小さな掌が防ぐ。だが治癒の力を全開にしているにも関わらず、ネギの拳と刹那の刃は汚染されるようなことはなかった。

 むしろ、苦悶の色を浮かべる木乃香が押されている。あらゆるものを癒す力すらも、束ねられた人の意志と、人を捨てて化け物を成した肉体には届かないというのか。

 

「そんなの……!」

 

 尚も、膨れ上がる力。底を見せない木乃香の狂気が、ネギと刹那を徐々に押し返していく。

 認められないのだ。

 認めてたまるものか。

 生きて癒すから、痛みとは永劫無縁という在り方を是としたから。

 ここに立つ無感こそ、死を前に見出したたった一つの希望。

 

「ぁ、ぁぁぁああああ!」

 

 絞り出された魔力が激痛を与える力と反発する。

 吹き飛ばされるネギと刹那。だがたった一度弾かれた程度で崩れるような意志ではない。両者、共に満身創痍ながら、だからこそ木乃香の癒しを受け入れていない証拠。

 荒く呼吸し、激痛に血を流し。

 それでも、霞む眼は炎を燃やす。

 

「まだ……!?」

 

「それでも、だ!」

 

 それでもと言い続ける。言い続けろと心に誓った。

 ネギは体を蝕む癒しに抗うために唇を噛みきり、折れぬ想いにしがみつく。

 震える足はまだ動いた。

 上がらぬ腕は拳を解かない。

 

「■■■■ッッ!」

 

 そして、理性を無くした化け物もまた、根っこに宿した思いは同じだった。

 最早、その出血は致死量に届きかけている。

 動けるのは後何秒か。

 多めに見積もっても、もう一分だって動かないはずだ。

 

「■■■■ッッ!」

 

 だが叫ぶ。叫び続ける。

 痛みに泣き、怒りに啼き、悲しみに鳴き。

 それでもと、未だ胸の内で燃えるたった一つの言葉を覚えているから。

 

「せっちゃん!?」

 

 悲痛の混じった声。

 あぁ、だから私は、まだ血を流せる。

 

「おジョうさマ……!」

 

 まだ、こんな自分を『せっちゃん』と呼ぶ貴女が居るから。

 

「ワたしハ!」

 

 刹那の身体は徐々に変質していっていた。

 その背から生えた翼だけではない。制服より見える素肌には翼から生えている羽根と同じ物が生え始め、指先が人のとは違う鋭利なものに変わっていっている。

 半身に流れる化け物が刹那という存在そのものを汚染し始めていた。

 だから抗える。体を汚染する癒しの力よりも、己自身が己を汚染する力のほうが強いから。

 

「止めて! もう、嫌! せっちゃん! せっちゃん!」

 

 故に木乃香は叫んだ。

 このままでは刹那が居なくなる。事実として木乃香は刹那を自分自身にしようとしてはいたが、だからこそ、刹那が刹那ではなくなることを彼女自身が許容できなかった。

 たった一人。

 幼き日、彼女が信じた少女が消える。

 

「せっちゃん!」

 

 肉体の変質による激痛に悶える刹那を癒すべく飛び出す木乃香だったが、そんな彼女を押しとどめたのは、疲労の色が濃いネギの拳だった。

 

「ネギ君!? 何でウチを――」

 

「今の貴女が癒す道理があるとでも言えるのですか!?」

 

 振るった拳が木乃香の周囲に張り巡らされた癒しの力を削っていく。それ以上に、失われていく刹那の自我が木乃香の心をすり減らした。

 

「なんで! なんで! なんで!? ウチが癒せばせっちゃんは助かるのに!」

 

「そこしか知らないから! 癒すだけしか知らない貴女が癒して何になる!?」

 

「せっちゃんを死なせたくないんや!」

 

 そう叫び、木乃香は己の言葉の異常を悟った。

 全てを癒すという平等を掲げた己が、今、刹那という個人に執着している。

 癒せばいい。

 『死んでも』癒せばいい。

 それだけの話ではないのか。生きたいから死んでも癒して生かす。そして己と同じになれば永遠に死ぬことは無く、生き続けて癒される終わりこそが至高の果て。

 だというのに、木乃香は今、桜咲刹那が喪失される事実に怯えている。

 

「嫌ぁぁぁぁぁ!」

 

 頭を抱えた木乃香の絶叫と共に全方位へ解放された魔力がネギを圧倒する。滂沱という言葉すら生温い癒しの濁流は、瞬きでも受ければその瞬間に木乃香という在り方に完全に汚染される規模。

 だが、ネギの拳はその激流にすら抗う。一際輝きを増した黄金の拳が、破裂した力と真っ向から激突し――小さな英雄の身体は勢いよく地面へと吹き飛ばされた。

 

「ネギ!?」

 

 木乃香の分身を防いでいた明日菜が叫ぶ。だが思いも虚しく地表へと激突したネギは、癒しの力で溶かされた氷の大地の成れの果てに巨大なクレーターを作り出した。

 

「が、はっ!?」

 

 衝撃に口から血が吐き出される。強化しているとはいえ、異常な力に抗った結果、内臓の何処かを傷つけたらしい。五臓六腑をすり身にされたような激痛が肉体と意識の糸を切断しかける程。しかしその痛みによって切れかけた意識が強引に繋ぎ止められたのは僥倖だった。

 

「……ま、だだ」

 

 だがそれでもダメージは甚大。癒しに抗うことで積み重なる痛み。許容限界など既に超え、立ち上がることすら全力を絞らなければならない中、ネギは霞む瞳で夜空を走る流星を見る。

 

「だから、頼みました……」

 

 伸ばした掌より放たれる三つの輝きが、鮮血の流星と共に不動の狂気と激突する。

 まだ、意識を失うわけにはいかなかった。自分が木乃香に叩き込む全ては終えたけれど、この空を走る三つの流星の役目はまだ終わっていないから。

 

『せっちゃんを死なせたくないんや!』

 

 あの言葉を引き出せた。

 そう、それで自分の役割は終わっていた。

 後は、言葉の弾丸が刻んだ傷を、より深く切開するだけ。

 だけど、後一分。たった一分しかない。

 いや、充分だ。

 この意識が保てるのも。

 刹那が動けるのも。

 後一分だから。

 

「刹那さん……!」

 

 終わりまで、抗える。

 

「■■■■ッッ!」

 

 体の半分以上が異形のものへと変わった刹那が、荒い呼吸を繰り返す木乃香へと突貫した。

 先程まで滂沱と流れていた血は、今や枯れかけの川の如く弱弱しい。それはつまり刹那の命の限界を語っており、木乃香は己の中に生まれた疑問を思考する暇も無く、今にも死にそうな刹那を癒すために治癒の力を解き放った。

 だが木乃香の力も何処か頼りない。まるで底など見えなかった恐るべき魔力にもまた限界は見えていた。

 決着は近い。

 木乃香の分身体すらも薙ぎ払った刹那の魔剣は、消耗した木乃香を傷つけるには充分だった。単純に人と化け物としての性能差も相まって、放たれる無数の斬撃の殆どが木乃香の体を刻み、癒せぬ傷から血は流れる。

 木乃香は体を蝕む痛みすらもう気にする余裕もなかった。

 だって、痛みに構う暇も無い。

 痛みに構っていたら、目の前で血を流しきった少女が消えてしまうから。

 しかし、絞り出した癒しの魔力は刹那に届かない。極みに達し、これ以上先なんてないはずの力が、たった一匹の化け物の傷を癒すことすら出来ない。

 

「せっちゃん!」

 

 駄目だ。

 このままでは駄目だ。

 居なくなってしまう。近衛木乃香が大切にした少女と、もう二度と会えなくなってしまう。

 だが何故か木乃香の力は届かない。どうしても届かない。何をしようと、傷だらけの体を癒すには至らない。

 ならばどうするのか。

 どうすればいいのか。

 そんな彼女の葛藤も知らず、刹那は駆ける。

 

「■■■■ッッ!」

 

 ただ、あるがままに。刻みこまれた無数の痛みだけが、渇望と舞う唯一の意味だから。

 だが木乃香は認めない。認めたくない。

 もう時間は残されていなかった。

 その先に至った時、桜咲刹那は――。

 

「目ぇ覚まして! せっちゃん!」

 

 唯一無二と懐かせた解答すらも届かぬ相手に、どうしてただの言葉が届くだろうか。血を吐くような木乃香の叫びだったが、その返答は命を燃やし尽くして放たれた無数の斬撃だった。

 三つの流星を纏わせた刹那の連撃は、防波堤として前線を維持する明日菜達の壁を越えて護衛に回った木乃香の分身体を一瞬にして消滅させる。再生すらさせないその斬撃は、さながら響という男が手にした、斬るという至高に匹敵しているのか。

 違う。

 刹那の斬撃は何処までも雑念だらけだった。

 斬るという一念だけではない。化け物として、人として、人ではない者として、化け物ではない者として。答えではなく、命そのものを刃とした斬撃は、一秒ごとに変貌する見た目と同じく、あまりにも醜いだけの様。

 汚泥と美麗を内包してもいない。

 薄汚れて傷だらけの、襤褸切れのような刃。

 だというのに、一点に極まった人の可能性に、その何処までも中途半端な在り方は届き得た。

 

「オジョウさマ」

 

 助けたい。

 

「おジョウサマ」

 

 殺したい。

 

「このチャん」

 

 守ると決めた。

 

「この、ちゃん……!」

 

 食いたい程に、守りたいから。

 

「せっちゃん!」

 

 あぁ、そう呼んでくれる度、私の『ここ』は燃え上がる。

 

「このちゃん!」

 

 死したはずだった自我が蘇る。

 だがそれは決して奇跡ではなかった。消失した人間性と同じ程、残された化け物としての性すら消えかけているから、再び均衡を取り戻しただけの話。

 奇跡なんかではない。

 怪物に付けられた名前を呼ぶ少女が居るから、化け物はまだ、桜咲刹那を残せている。

 だが木乃香の元に辿り着こうとする刹那の前には無数の分身。いずれも木乃香と成り果てた傀儡達。

 

「違う……!」

 

 薙ぎ払われた剣と共に、刹那は木乃香の群れを否定する。

 今だから分かる。どんなに見た目を取り繕い、どんなに本体と同じ思考と言葉を叫ぼうとも、これらは傀儡。

 

 否。

 

「退け! 青山の亡霊が!」

 

 木乃香に注がれた青山という在り方の権化。

 木乃香の優しさを歪めさせた災厄の現れ。

 刹那の前進を阻むそれらはまさに、青山という男が残した呪いに違いない。

 だから刹那は行く。もう何秒も動けない己の身を知りながら、それでもと立ち上がり続けた誰かと同じく、それでもと顔を上げて、腕を掲げる。

 そしてその思いに応えるように、刹那に追いついた三つの輝きが、こちらを癒しの奈落へ貶めようとする木乃香の掌を悉く焼き払った。

 そう、まだ叫んでいる。例え、体が動かなくなっても、心だけは立ち上がり続けている。

 だから走る。刹那は切り開かれた道の向こう側、いつかのように涙を流してうずくまる木乃香の姿を見出した。

 

「せっちゃん癒さんと」

 

「せっちゃん治したげる」

 

「せっちゃん」

 

「一緒に、ウチと、一緒」

 

「黙れぇぇぇぇ!」

 

 既にあり方は分かたれた。ネギが木乃香より引き出したたった一言。死なせたくないという、死すらも治しきる今の木乃香では考えもつかないだろう言葉こそ、彼女の中に未だ近衛木乃香という優しい少女が居る証拠。

 そして顕現した自意識は、無表情で癒しをばら撒く分身体の向こう側、蹲って涙を流す木乃香を見ればそこに在るのは明白だ。

 だからそこを退け。

 お嬢様の皮を被っただけの青山如きが、化け物を是とした今の私の前に立ち塞がるな。

 血と流星を纏った夕凪が、戯言を繰り返す木乃香を一体一体斬り裂いて、その向こうで涙を流している木乃香への道を作り出す。

 悪鬼羅刹と化した今の刹那を止める術など存在しないというのか。だが魔力や気ですらない、命そのものを賭した刹那の斬撃は、一撃ごとに文字通り身を斬るような激痛を彼女に与えていた。

 痛みで心が引き裂かれる。一閃ごとに目の前に真っ白になり、真っ黒にもなり、歪み切った視界で時折意識を断絶させる。

 だが化け物がその程度で泣きわめくことはない。

 それでも痛い。

 とても、痛い。

 

「でも……!」

 

 刹那は知っている。

 一番痛みに苦しんでいる少女が居ることを、知っている。

 お嬢様。

 お守りすると誓って、守れなかったお嬢様。

 大罪を犯した私がこんなことを思うことは失礼と分かっていながら、あぁ、それでも私は貴女が誇らしい。

 まだ、そこに居る。

 あの修羅外道に汚染されながら、滅茶苦茶に己の中を蹂躙されながら、貴女は未だ私などのために涙を流してくれる優しさを残している。

 どうだ。

 見たことか青山。

 お前の手にした極み程度なんかでは決して穢しきることなんて出来ない強さがここにある。

 人間を終えたお前如きでは、優しさという強さを斬り抜けることは出来ないんだ。

 

「だから……!」

 

 守るのだ。

 殺したい程、お守りしたい。

 貴女が魅せてくれた優しさこそ、私の化け物が見出した人間の可能性だと信じているから。

 それでも限界を超えた体はもう数秒も動けそうになかった。

 立ち並ぶ青山の残滓。

 その全てを薙ぎ払えたとして、自分がその後、木乃香の涙を拭うことなく倒れてしまうことを知っている。

 だがどうでもよかった。

 その程度の些事、もう、どうでもいいと分かった。

 

「奥義……!」

 

 体中の傷が深まる。いつの間にか余分として捨てられた左腕の付け根から最期の命が溢れだし、先が無いと分かりながら、残された最後の一撃をここで絞り出さねば木乃香の元にたどり着けないと知っているから。

 

「斬魔剣弐ノ太刀!」

 

 血潮と雷鳴を纏った光が世界を分かつ。神鳴流の名に相応しき、至高の一撃は立ち並ぶ青山の残骸を消し飛ばし、その瞬間、刹那の身体に繋がっていた糸が切れたように、その体から力が抜けた。

 

「あ……」

 

 切れた。

 自分の中で、決定的な何かが切れた。

 精神論とかではどうにも出来ないほど明確な終わりの確信。だがしかし、この分身を斬り捨てたことで、後に続く者が居ると思えば――。

 

「せっちゃぁぁぁぁん!」

 

 瞬間、胸の奥から何かが体を跳ねあがらせた。

 良かった。

 まだ行けると。

 まだ、守れるのだと。

 もう涙も枯れたこの体が、代わりの熱きを流せる今に、感謝を一つ。

 

「……づああああああ!」

 

 色を失った瞳にか細く灯る正真正銘最期の火。

 立ち塞がる壁を超えた先、死に怯え続ける少女が何度目か分からないこの身の名を呼ぶ。

 だから、全てを絞り尽くした先で、まだ一度だけ羽ばたける力がある。

 化け物だけでは届かない。

 この身に宿る人の絆が、体を動かす力の真実。

 

 そして、遂に刹那は、一人涙を流し続ける木乃香の目の前に辿り着いた。

 

「せ……」

 

 木乃香はその名を呼ぼうとして、あまりにも無残な刹那の姿に声を失った。

 最早、見た目だけでは刹那らしさを残したパーツが殆ど残っていない。鋭く伸びた指先、全身に生えた純白の羽根、顔の半分も、人ではない化け物のような何かに変わっている。

 そしてその浸食は今この瞬間も、ぎちぎちと音をたて、ぐちゃぐちゃと肉と骨をすり潰しながら終わりに近づく刹那の全身を見て、木乃香は。

 

「今、治して、ウチ……ウチが……!」

 

 震えながら伸ばされた掌に宿された魔力を直接注げばまだ――。

 だがそんな木乃香の思いを、刹那は固まりつつある首を強引に左右に振って拒絶した。

 

「駄目ですよ、お嬢様……」

 

「なんで!? ウチだったらまだせっちゃんの傷も全部……」

 

「傷は治せても、命までは治せない。治しちゃ、いけない」

 

「じゃあ、なんで……なんでウチの……」

 

「お嬢様、いいのです」

 

 未来の命を一瞬に圧縮して、名の通りに刹那に生きた。

 そして、今ここに辿り着いたのは決して癒されたいと思ったからではない。

 

「私はただ、お返しに来たのです。私に注がれた『ここ』の熱を、青山という冷たさに負けないくらいに温かな熱を、貴女に」

 

 返すだけだ。

 それだけで、こんなにも満たされることが嬉しかった。

 

「いや……いやや……」

 

 だが木乃香は刹那の言葉を幼児のように拒絶する。

 分かってしまったのだ。こうして傷つきながら、化け物としての本質を解放して、その命全てを数分に捧げた刹那がしようとしていること。

 とても残酷で、とても優しい奉仕の在り方。

 木乃香が伸ばした掌を掴むための掌は、冷たい鋼鉄を握り締めている。

 

「だから……」

 

 刹那は夕凪を逆手に握ると、天高く振り上げた。

 その鋼鉄の輝きに木乃香は涙する。

 己が殺されると思ったから?

 違う。

 そんな(自分が死ぬ)ことよりも、残酷な――。

 

「帰ろ、このちゃん」

 

 貴女が居た、楽園のような陽だまりへ。

 

 ――私が、連れて行ってみせます。

 

 

 

 

 

 暗い森の中、手を握り合って走った先、眩しいばかりの光の境界線。

 ここから先が、愛に溢れたあの日々の続き。

 どんなに暗い場所に居ても、私は貴女の手を引いて、この場所まで連れ出せた。

 でも、光に出たら怖がっちゃうから。

 私の身体はとっても醜い化け物だ。

 

「せっちゃん?」

 

 一人、陽だまりに足を踏み出した少女が不思議そうに私に振り返る。

 だけど私は笑った。

 精一杯の笑顔で、首を傾げる貴女の手をそっと離して。

 醜くても、貴女に大丈夫だよと見栄を張りたくて。

 そして貴女は陽だまりへ。

 私は暗がり。

 貴女が二度と訪れない暗がりを。

 

「ばいばい、このちゃん」

 

 友達だから、半分こ。

 冷たい場所は、私が貰うね?

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

「ネギ!?」

 

 どうやらいつの間にか気絶していたらしい。見上げれば大粒の涙を瞳に湛えた明日菜がこちらを見ているのに気付いて、ネギは全てが終ったのだということを察した。

 

「そっか、刹那さんは……」

 

「……うん」

 

 喉を詰まらせながら返事をした明日菜の態度が全てを物語っていた。

 何よりも、ようやく微睡みから冷めた意識に響く泣き声。嗚咽を続ける木乃香の声が、刹那が選択した最期を告げていた。

 

「……私達、これでよかったのかな」

 

 木乃香を救いたかった。例えそのために自分が犠牲になったとしても戦い続ける覚悟があった。

 だが、戦いが終わった今、氷獄と治癒と斬撃で混沌と化した場に響き渡るのは木乃香の嗚咽だけ。

 木乃香は助けられた。

 だが、救われたわけではない。

 

「分かってたわよ。木乃香があんな姿になったのを知った瞬間、もうどうあっても救い出せないって……もしもいつもの木乃香に戻ったら、木乃香は耐えきれない」

 

 木乃香の強さはその優しさにある。誰でも包み込めるような暖かさがあり、そんな彼女の強さに明日菜もネギも救われたことが多々あった。

 だからこそ、その優しさは己の犯した罪に耐えきれない。強いからといって、どんなことにも耐えられるわけではないのだ。

 強いから、耐えられない。

 強いから、許せない。

 父親を失い、その強さ故に誰も責められずに己を責め続けた木乃香の強さに付け込んだ青山の刃が、今度は大切な幼馴染とクラスメートを奪った。

 その結果がこの泣き声だ。

 見渡せば、生き残った魔法先生達も今の木乃香にかけるべき言葉が分からず、表情を曇らせるだけだった。

 

「……でも、刹那さんはそれでも木乃香さんに戻ってほしかったんです」

 

「え?」

 

「例えこの先、自分の罪に押し潰されるようなことがあっても……刹那さんは、木乃香さんに木乃香さんであってほしかった」

 

 だから刹那は人として死んだ果て、化け物として再び立ち上がることが出来たのだろう。

 言ってしまえば刹那の我儘だ。そして、木乃香を救いたいと思ったネギ達の思いも、我儘に違いない。

 

「うん……」

 

「正しいとか正しくないとか、そういうことではないんだと思います。でも、正しいか正しくないか、僕らは僕ら自身で何か見出す必要がある」

 

 そう言いながら、ネギは重たい体を起こして泣きじゃくる木乃香の元へと歩き出した。

 

「ネギ……肩、貸すわ」

 

「……ありがとうございます」

 

 明日菜は答えを聞く前にネギの手を取って自分の肩に回した。身長差があるために不恰好で、殆ど明日菜がネギを引きずる形になるが、恰好を気にする必要はないなとネギはどうでもいいことを考えた。

 

「ぁぁぁぁぁあああ! ぅぁぁぁぁああああ! せっちゃん! せっちゃ、せっちゃん! せっちゃん!」

 

 己の心臓を夕凪で貫いた状態で絶命した、かつて刹那だった『何か』を抱きしめてその名を呼び続ける木乃香の瞳は、もう奈落には沈んでいない。

 京都の災害が起きた時、いや、それ以上の絶望に身を浸しながらも、誰も責めることのない優しい少女がそこには居る。

 

「……」

 

 明日菜は刹那の亡骸と木乃香の悲痛を見るに堪えず、視線を切ってしまった。

 戦いは刹那が自刃したことにより突如として終わりを告げた。果たして二人の間に何があったのか分からないが、木乃香は外道より辛うじて這い上がることが出来た。

 だが、熱を取り戻したことで、暖かさを思い出したために、木乃香は冷たい現実に泣いている。

 痛いのだ。

 とても、とっても痛いのだ。

 心に刻まれた傷は耐えきれぬ痛みを訴え続け、そのために失われた答えと共に超常的な力の殆どを失った木乃香は泣く事しか出来ない。

 そも、力があったとして、刹那の死を変えることはもう出来ない。

 死すらも癒す。

 そんなこと、絵空事だ。どれもこれも自分しかない時だったなら、死を自分によって塗り潰すことで死すらも癒すという矛盾を成立させられたかもしれないが、それほどの自己中心的な思考等、それこそ修羅にしか出来ないことだ。

 木乃香は人だ。人間でしかない。

 ならば、涙することしか、出来ないではないか。

 

「木乃香さん……」

 

 泣き声はいつまで続いただろうか。ネギが木乃香の傍に近寄ってから数分以上も続いた悲鳴は、体力の限界によってか細くなっていき、鼻を啜る音しか聞こえなくなっていた。

 だが木乃香は刹那だった物を抱きしめる手だけは緩めない。これだけが残された唯一の熱とばかりに。目を閉じて耳を塞いで、力の限り抱き締め続けるだけ。

 

「……」

 

 刹那さんは悲しみにくれることを望んだわけではない。

 刹那さんはもう一度貴女に前を向いてほしかった。

 刹那さんは貴女を救い出したかった。

 刹那さんは――。

 

 慰めの言葉は、幾つも浮かんだ。

 

「もう、無理なんですね」

 

 だがネギはいずれも告げることはしなかった。

 言葉を紡いで優しく労わることは出来る。そして木乃香を立ち上がらせることも、支え合えば可能だ。

 しかし、木乃香を支えてまで立ち上がらせることが正しいとはネギには思えなかった。

 世に出ている人の正義を讃える物語ならそれでもいい。故人の思いを継いで、真っ直ぐに立って踏み出す。素晴らしいことだ。感動的で、模範とすべきことだろう。

 でも、無理なのだ。

 立ち上がらせて前を向かせられることが出来て、過去を背負って幸せになれる可能性があっても。

 

「せっちゃん……ごめんな。ごめんな……」

 

 何もかも失った木乃香から、これ以上奪えない。

 

 たった一つ残った傷跡(刹那の死)さえも奪うことなんて、出来るはずがなかった。

 

「ウチ、もう、ずっと、離れないから……」

 

 これが、残酷で、救われなくて、永遠に報われることなんてない悲劇の末路。

 けれど、その最期を憐れむことが誰に出来るだろうか。誰に、この末路に倒れた少女を救うことが出来るだろうか。

 誰にもできない。

 この二人は、この場所こそが終わりだったから。

 その残酷に屈することが、桜咲刹那が近衛木乃香に授けた、たった一つの温もりなのだ。

 

「ネギ君、明日菜君。もう、良い。後は僕達に任せてくれ」

 

 不意に、背後から近寄ってきたタカミチが明日菜とネギの肩を優しく叩いた。

 タカミチの優しさに二人は身を任せて、震える木乃香を置いて背を向ける。

 ネギと明日菜に出来ることは全て終わった。その結果に後悔がないかと言えばきっと嘘になるけれど、しかし出てしまった犠牲を変えることは出来ない。何より、訪れた悲劇が悲惨であろうとも、その悲劇の暖かさを奪うことは出来ないから。

 

「もう、大丈夫です」

 

 だから、行くのだ。

 

「うん、私も大丈夫」

 

 体ではない。

 心はまだ大丈夫だった。

 それでもと。

 それでもと、言えるのだと。

 

「マスター」

 

 ネギは遠くから自分達の様子を見ていたアルビレオのことを呼んだ。

 

「……賛同はしませんよ」

 

「知ってます。でも、行かなきゃいけないんです」

 

 ネギと明日菜の意志は強い。その瞳に宿る確固とした決意と、今から彼らが何処に赴こうとしているのかを察したからこそ、アルビレオは珍しく表情を曇らせて、小さくない溜息を洩らした。

 

「……見届けるのですか?」

 

「はい。最初はただの好奇心が強かったですが、今は違います。アレをしたのが青山――響さんだとしたら、僕らは見ないといけない。僕らは人間だから、人間の先を見ないといけないんです」

 

「……最早、言葉は無粋ですね」

 

 中途半端ながらも後一歩の領域まで至った木乃香。そしてその木乃香の完成が青山だとしたならば、その姿を見届けることで自分達は見極めなければいけない。

 修羅外道。

 人の可能性が行き着いた狂気の最果てを。

 

「だから、行きます」

 

 ここに居ても二人に出来ることはもう殆ど残されていない。

 だからこそ本当の結末を。

 この場に居た中途半端なものではない。

 人と、化け物。

 共に極まった二つの極地の登りつめた頂こそ、世界を終わらせた災禍に抗える意志を自分達に与えてくれるのだと、ネギ達は知っている。

 

 

 

 

 





 人を超えた修羅が居る。
 化け物を超えた災厄が在る。
 最早、人知も怪異も届かぬ域で、全てを超えた何かが狂った。

 次回【極み過ぎ去りこの超越で】

 絶望ですら生温い。
 希望すらも霞んで消える。

 見ろ、これが私達の愛した修羅場だよ。 



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第八話【極み過ぎ去りこの超越で】

 

 山の向こうから暗雲が立ち込めてきている。先程まで星空が良く見えていたというのに、唐突に現れた暗雲は、まるで世界そのものを浸食するような勢いで空を埋め始めていた。

 

「こわいね」

 

 窓越しにその空を見上げていた男は、いつの間にか傍に来ていた息子の言葉に「大丈夫さ」と笑顔で答えた。

 まだ自分の腰程の背丈しかない小さな息子は、ようやく恵まれた大切な宝物である。安心させるようにその小さな頭を一撫ですると、息子はむず痒そうにしながらも頬を緩めた。

 

「珍しいわね」

 

 遅い晩御飯の準備をしていた男の妻も不穏な気配を察してか、息子を挟んで男の隣に立って同じように空を見上げた。

 とうとう月も雲に飲み込まれ、淡い月明かりがかき消されて、家屋から照らされる光源以外のものが見えなくなる。

 

「何、きっと精霊の気まぐれだよ」

 

「そうだといいのだけど……」

 

 未だ不安を拭えないというよりは、明日の洗濯物が外で乾かせるのかを心配しているような妻の不安に苦笑していると、両親の間に立っていた息子がその小さな手を精一杯に伸ばして嬉しそうに笑いだした。

 

「父さん母さん! 見てよ!」

 

「おぉ」

 

「あら」

 

 息子の指さす方向、窓越しに部屋の光源から照らされた外に小さく白い結晶が綿のように降ってきた。

 

「雪だ!」

 

 言うが早く、息子は季節外れの物珍しい雪を捕まえようと外へと走り出す。無邪気な息子の様子に微笑みながらその後を追った妻の背中を見送った男は、次々に降り注ぐ雪の美しさに小さな溜息を洩らした。

 

「これは、凄いな」

 

 一つ落ち。

 二つ揺らめき。

 三つ煌めき。

 四つを超えて、無数と夜を彩る雪景色。

 季節外れという違和感すら消し飛ぶ程に、儚く降り注ぐ雪に男は暫くの間目を奪われるが、ふと、外に出ていった息子と妻の様子が気になった。

 

「ったく、風邪をひくぞ」

 

 幾ら雪が珍しいとはいえ、あまり外に出ていると体調を崩す恐れがある。だがぼやきながらも外に出て行った息子のはしゃぐ姿を思い描くと無意識に口許が緩んでしまうのも仕方ないだろう。

 さて、折角だから少しだけ遊んでやろうか。

 そう思って、男は家の扉を開き――。

 

 二つの氷像が、そこに立っていた。

 

「え?」

 

 今にも駆けだしそうな脈動感のある子どもの氷像と、その姿を優しく見守る女性の氷像。まるで生きていた一瞬を切り取ったかのような生々しい氷像は、見間違えるわけがない、男の愛した二人と瓜二つで。

 

「おい、これ……」

 

 どういうことだ?

 疑問を言葉にしながら傍にあった妻を象った氷像に男が手を伸ばし、その手に降り注ぐ雪が一粒、寄り添うようにそっと触れた。

 瞬間、雪の触れた箇所から全身まで一気に男の身体が氷となり、男は状況を理解することもなくその命を完全に停止させられてしまった。

 何が起きたのか。

 何をされたのか。

 全てを知ることなく、その幸福を蹂躙された男の一家は、しかしまだ幸せだった。

 直後、周囲から阿鼻叫喚の悲鳴が幾つも上がった。

 家屋に降り注いだ雪が家を浸食していき、触れればたちまち命を凍結させる冷気に追い詰められていくことによる絶望の狼煙。

 突如、小さな集落を襲った絶望は僅か数分も経たずに、空より落とした美しき絶望の白にてそこにあった命を全て冷気の海に閉じ込める。

 後にはもう何も残らない。

 全てが氷獄に閉ざされた世界には、絶望に染められた人々の氷像が残るばかり。

 あまりの理不尽。

 何も罪を犯していない人々が一方的に蹂躙される悲劇。

 だがその悲劇すらも嘲笑うように、全てが氷像と化した瞬間、まるでそれが合図であるかのように氷像が一気に砕け散った。

 砕け散った氷像の欠片は、周囲に降り注いだ雪に混じって空へと還っていく。

 落ちるばかりの雪が空へと戻る幻想的な光景。

 そこだけを切り取るならば、無垢なる白が神の元へと集まっていくかのように神秘的で、犯すことの出来ない崇高な景色だろう。

 だが、違う。

 その雪の一つ一つが理不尽に奪われた命の欠片。一方的に搾取された魂は、死して尚安息することも許されずに、嗜虐の笑みを浮かべる暗雲の口許へと飲み込まれていく。

 暴虐の白無垢。

 災厄の暗雲。

 世界中に広がり続ける、夜を食らう雪雲の下、魔法世界の存在そのものを脅かす天災の理由を知る者は未だ、災厄の中心で踊る修羅、只一人。

 

 

 

 

 

 降り注ぐ霰に身体を晒しながら、膨れ上がる混沌と評するに相応しい化け物が、天地の全てを従えて俺と言う一個人を飲み干すためだけに力の全てを解放している。

 視界は殆ど意味を失っていた。上も下も右も左も前も後ろも全部が全部、エヴァンジェリンという化け物が生み出した氷の結界で構成されており、刃を振るえば何かが斬れるといったあり様。

 だから俺は休む暇もなくひなと証の二刀を縦横無尽に振るい続けることで、こちらを押し潰さんとする圧力に拮抗した。零秒だって休む暇もない。少しでも気を緩めれば、その隙を突かれて一気に氷獄へ叩き込まれるのは明白だった。

 だが驚くことに、この零秒の生存すら許さない氷の世界は、彼女の生み出す力の余波にしか過ぎない。大抵の達人を凌駕している自負のある俺ですら、刀を振り続けない限り生存が不可能な世界も余技。

 ならば、これから叩き込まれるだろう力の総量は、如何程になるというのだろうか? 今でさえ一方的になりつつある戦況で、俺は成す術なく敗北するのではないだろうか?

 

「エヴァンジェリン……!」

 

 だが、面白い。

 彼女の名を呼び、彼女を誇らしいと思う俺の気持ちに嘘偽りはなかった。そんな俺の声を知ってか知らずか、真っ白に閉ざされた視界の向こう側から、聞くに堪えない不気味な笑い声と共に、溢れんばかりの殺気を乗せた声が轟いた。

 

「まだだ……まだだよ青山……! こんなんじゃまだまだ足りない! 私が貴様に抱いている恋慕には、この程度の地獄は糞程にも届いちゃいないのさ!」

 

 その言葉の通り、一秒もせずに圧力は増し続ける。

 際限なく増大する殺意と魔力。体現には届かないと言ったが、ではエヴァンジェリンの殺意を表すには、どれほどの力が必要だというのか。

 面白い。

 とても、楽しい。

 

「だから、斬ろう」

 

 刹那も経たず、斬り裂き続ける空間を斬り広げる。とりあえず斬ろうと思えば、ほらこんなにも斬ることは容易かった。

 俺の知覚領域全てを掌握したエヴァンジェリンの力は圧倒的だ。

 でも斬る。

 だけど斬れる。

 こんなにも、呆気なく、斬れてしまうのか。

 

「……そんな、悲しい顔をするなよ」

 

 俺の虚しさを感じ取ったのか。斬り開かれた視界の先、エヴァンジェリンはくしゃくしゃに顔を歪めながら、申し訳なさそうに瞳を揺らがせた。

 違う。

 むしろ、申し訳ないと思ったのは俺のほう。

 だって、こんなにも簡単なんだ。

 こんな呆気なく、俺を脅かす全てすら斬れちゃうのかと思えてしまったんだ。

 そうだ。

 君の殺意をこの程度と思った、俺の傲慢。

 

「すぐに、楽しませてやる」

 

 エヴァンジェリンはすぐに表情をいつもの邪悪なものに戻すと、遥か天空に展開した暗雲へと手をかざした。

 その手に吸い込まれるように暗雲が渦を巻きながらエヴァンジェリンの掌へと収束していく。耳に響く風の声は、さながら苦悶の声をあげる人間の怨嗟の如く喧しい。

 

「言ったろ? 貴様の元に行けるなら、私は百億の骸ですら躊躇しない」

 

 否、如くではなく、文字通り。

 エヴァンジェリンの言葉はまさに、この手に注がれる暗雲こそが積み上げられる死骸なのだと告げていた。

 そして、一体どの程度の命を貪り食らったのか。これまで以上の力がエヴァンジェリンの身体より発露する。爆発したように広がる力の余波は、咄嗟に証とひなで斬らなければ即死していたと思える程。

 だが、これでまだ前座。

 その証拠に広がり続ける暗雲は未だ全てがエヴァンジェリンに注がれていない。

 

「世界樹の魔力を用いた魔法だ。既存の魔法を合わせて即席で作り上げた魔法だが……くくくっ、この胎で蠢く命の絶望を聞くと、我ながら随分と素晴らしい魔法を編み出したと思えるよ」

 

 出血を続ける胸の傷から腹までを指先でなぞり、混沌蠢いているだろう己の臍の下部分を小さな掌が官能的に蠢く。そこで絶叫を上げ続ける人々の怨嗟に顔を蕩けさせながら、その殺意が注がれている相手は俺一人。

 あんなにも混沌としながら、想う相手は俺だけだという事実に、やはり救われる。

 例え、君が世界を破壊する恐ろしい化け物だとしても。

 だからこそ、救われているのだと思うのだ。

 

「なら、早くしろ吸血鬼」

 

 故に、斬る。

 だけど、斬れてしまうから。

 まだ、斬れるのだと分かってしまうからこそ。

 

「今のお前は、斬るに容易いよ」

 

 それでもエヴァンジェリン、お前なら――。

 

 

 

 

 

 青山響は強い。

 その強さは最早、エヴァンジェリンがかつて戦った当時の強さすらも超えて、人の域の限界すらも突き抜けたところにあるだろう。

 個としての力でなら、今の響を凌駕する存在は居ない。

 ジャック・ラカンやナギ・スプリングフィールド。そして大戦の時に暗躍した原初の何か、造物主でさえも響と対峙したならば敗北することだろう。

 そしてそれはエヴァンジェリンにも当てはまることである。化け物としての極みに至ろうとも、極みを超えた個として成立した響と同じ目線に立つことは出来ない。

 修羅。

 そう在れと姉との戦いで自覚した男の閃きに匹敵する者は居ない。

 だがしかしそれはあくまで個として比較した場合の話。究極の個に成りかけていた近衛木乃香に、仲間の力を束ねて、遂には木乃香を連れ戻すという勝利を手にしたネギがそうだったように、人も化け物も関係なく、合わさった力は究極の個にすら牙を突き立てる可能性を秘めているのだ。

 故にエヴァンジェリンがそれを選択したのは当然の帰結だった。ネギと同じく、誰かの力を支えにして、遥か高みに立つ男の喉元へと飛び上ると決めたのだ

 だがネギと違うのは友の絆を束ねるのではなく、見知らぬ誰かの全てを隷属させる化け物の絆の在り方。

 友情と言う名の殺戮衝動。

 根源に根差す殺意のままに、エヴァンジェリンは世界に向けて己の我意を吼え滾る。

 ここに居るぞ。

 貴様らの敵が、倒すべき化け物がここに居るぞ。

 さぁ抗え。

 さぁ立ち向かえ。

 私は一方的に貴様らを搾取する。そして女子どもも老人も、あらゆる例外も無く一片の慈悲すら与えずに貪り食らおう。

 だから抗え。

 だから立ち向かえ。

 今、私の前に立つ男のように。

 かつて、私に太陽の暖かさを教えてくれた男のように。

 貴様らが人間としての矜持を持つならば。

 

「私を殺せ! 青山ぁぁぁぁ!」

 

 人間大の氷塊が無数と吹き荒れる暴風がエヴァンジェリンを中心に広がる。それは最早、生物の生存を許さぬ死地であった。あらゆる一切が風雨に氷結し、氷塊に潰され、ぶちまけ、あるいは凍てついた全てはエヴァンジェリンの血肉となってその全てを酷使されてしまうだけの空間。

 化け物すら超えたというのか。

 化け物すら超えねばならなかったのか。

 その答えはこの死地で唯一生存する個。斬撃空間を生み出して死地を切り開く青山響という修羅の存在。

 強者も弱者も等しく即死する絶望の中心で、重ね響き合う剣戟は殺到する殺意を悉く斬り開いた。

 

「ッ!」

 

 終わりなく赤き九天の茨が、隷属した機械人形の掃射が、そして今も吹き荒れる氷の嵐が、修羅として外道を超越した響すら苦悶させる破壊となる。

 荒ぶる世界で、響は虚空瞬動で嵐に無数の道筋を描いた。斬り開く斬撃の道標を旗印に、円を描きながら虚空で指揮を執るエヴァンジェリンをその眼に捉える。

 

「だが、斬る」

 

 斬ると決めた。

 殺せと言うから。

 お前を斬るのだ、エヴァンジェリン。

 その行く手を阻むのは全方位を埋め尽くす氷の結界。一ミリの隙間もなく敷き詰められた殺意達は、一粒でも体に触れた瞬間に即死確定の理不尽の結晶。

 だが斬る。

 だが斬れる。

 

「エヴァンジェリン……!」

 

 荒波のように響を包み込んだ氷が一瞬で斬り捨てられて霧散した。そしてその中から飛び出した響は、エヴァンジェリンが二手目を放つ前に懐に飛び込むと、遂に射程に捉えた斬撃をその心臓目掛けて振りおろし――。

 

「……87059039人と67119305匹」

 

 甲高く響き渡る音色。

 澄んだ青の眼を見開く響と交差する殺意の眼光。

 振り下ろした斬撃を受け止めたのは、響の証と同じ長大な野太刀を模した二対の氷刃。

 

「届いたぞ、青山」

 

 人と化け物。等しく貪り食らった命の数、総勢約一億五千万の生命。小さな国家の総人口では足りない程の命を糧にして、その全てを己の殺意で染め上げた蒼き氷の刃。濡れ滴る殺戮本能が生み出した一つの超越は、個でありながら群を超えた超越と並び立つ。

 響の驚きは己の斬撃に匹敵する力をエヴァンジェリンが手にしたことへの驚愕と喜びだった。いつの間に一億五千万もの命を貪ったことへの疑問は存在しない。世界樹を媒体にした災厄の息吹をしても、それ程の贄を得るには長い時間が必要だったはずだ。

 だが現にエヴァンジェリンは命を貪り、響に斬られる直前で届くことに成功した。

 それ以上でも以下でもない。

 エヴァンジェリンの愛は、一億五千万の命程度を容易に集めるだけの狂気だったというだけのこと。

 だからこそ。

 

「でも、斬る」

 

 響は淡々と告げる。

 迷いはない。

 斬られることを防がれた。

 それがどうした?

 

「お前だから斬りたいんだ」

 

 激突した刃に力がこもる。今もまだ吸い上げられ続ける命を力に変えて刃を受け止めるエヴァンジェリンの渾身に、響もまた同じく超越した道を進む者として答えたかったから。

 

「ッ!? ぐ……!」

 

 交差した互いの二刀。徐々に己に向かって押し出される響の刃を見てエヴァンジェリンは苦悶した。

 まだ足りないのか?

 違う。

 先程は確かに足りていた。

 あの瞬間、一億五千万の命とエヴァンジェリンの殺意を合わせた超越は、青山響の修羅に届きえた。

 だが今まさに青山響は超えている。

 今よりも斬る。

 今よりも斬れる。

 今よりも斬りたい。

 今よりも斬り続ける。

 斬るために斬るという不変を超えた、斬ることすらも斬るという永劫超越にて今よりもさらに前へ。

 無限に前へ。

 終わりを斬ってさらに前へ。

 

「青、山……」

 

 あぁ。

 だから、エヴァンジェリンは分かってしまった。

 無限を超え続ける斬撃。

 超越し続けるから修羅道。

 それは。

 それはなんて――。

 

「だが……!」

 

 一瞬だけ浮かんだある感情を己の中で噛み殺し、エヴァンジェリンは吸い上げ続けている命をさらに叩き込んで響を強引に弾き飛ばした。

 そんなエヴァンジェリンの底力に響は隠し切れない喜悦を眼に滲ませた。

 待っていたぞエヴァンジェリン。

 俺の愛しい小さな子、誰よりも傲岸不遜で、殺して食らうためだけに命を啜る不死の化け物。

 永遠に幼き闇の福音。

 小さき身体に無限の殺意を宿した、世界で唯一の化け物よ。

 

「お前なら来ると信じていた」

 

 誰も来ないかもしれないと思っていた。

 誰も追いつけないかもしれないと思ってしまった。

 それでも斬ることが存在理由で、姉に誓った約束を違えることなく俺は無限に斬るしかないから。

 だけど、斬りたくない相手を、俺でも斬れない相手を望んだ。

 斬るけれど、斬りたくなくて斬れない。

 矛盾している。だが響はその矛盾を望んでいた。

 そして今、彼が望んだ矛盾を体現する怪物が目の前に居る。

 斬撃に拮抗する殺意。無垢に匹敵する狂気。

 愛しい修羅場を共有する友よ。

 

「もっと、楽しもう」

 

 俺に斬らせるな(斬らせろ)

 相反する故、成立した矛盾解答を喜ぶ響に、エヴァンジェリンも応と吼えた。

 

「あぁ! 私と貴様の無限舞踏だ! きっと楽しい! 絶対に楽しい! 果てを求めて果てを欲さぬ絶対矛盾の狭間で、永劫無限の修羅場を! 貴様と! 私でぇ!」

 

 絶叫の間に手にした二刀が四散して、虚空に無数の氷槍(ひょうそう)が生まれる。そして号令一閃放たれた氷槍は、最初の加速で音の壁を貫き、響の全身に瞬きで触れ、弾かれる。

 久方ぶりの手に響く痺れ。あり得ぬ事態に僅か目を剥いた響は、内心よりこみ上げる喜びにとうとうダムが決壊したような大声で笑いだした。

 

「凄い! 凄いよエヴァンジェリン! 斬れないんだ! 斬りたいよ! でも斬れない! ははは! 凄い凄い! 何だこれ!? 何だよこれぇ!」

 

 証とひなの二刀が世界に渦巻いていた冷気全てを凝縮して生まれた氷槍を斬ることが出来ずに弾くだけに留まっている。

 辛うじて矛先に切れ目を入れることは出来ているが、その程度の欠損は次の一撃に移るころには修復出来ているため、実質の欠損は無し。

 斬れない。

 斬ることが出来ずにいる。

 響は胸に懐かせた絶対を崩壊させる現象の発露に歓喜の悲鳴をあげた。

 

「くは! だがこの程度はまだ前座だぞ青山!」

 

 時間を稼ぐための暴風雨を展開する必要はもう無い。余分な魔力は命を搾取する空の暗雲に全て注ぎ、残りの全霊を今操っている氷槍五本と、指先より伸ばした十本の氷爪に叩き込む。

 二刀に比べて強度は落ちるが、この爪と槍は響の斬撃でも一撃で斬ることは出来ない異常の産物。内包された命があげる怨嗟の絶叫すら聞こえるような呪詛の込められた指先に軽くキスをして、エヴァンジェリンもその身を二刀の乱舞へと突貫させた。

 

「貴様は、私が直接吸い殺してやるからなぁぁぁぁ!」

 

「もっと! もっともっと斬らせてくれよぉぉぉぉ!」

 

 氷に閉ざされたかつての荒地の中心で、二つの超越がぶつかり合う。

 

 瞬間、激突の余波が周囲の荒地の全てに波及していった。

 

 氷の大地が無数の斬撃で斬り裂かれて塵となっていく。

 そしてその塵を氷結させた粒が世界全土へ広がり、斬撃と殺意の込められた塵は大気すらも侵し、空を流れる空気が斬撃を内包した冷気の風となって吹きすさんだ。

 その風を受けた大地が凍り付いた矢先に細切れに斬り捨てられていく。共に人と化け物を超えた者の一撃は、余波だけで世界に悲鳴をあげさせる狂気の産物。

 二撃、惨劇。悲惨と連なる狂気の蹂躙は、ぶつかり合う刃の残響が空を波及する度に世界そのものを互いの自我で埋めていく。

 その日を、魔法世界の住人は忘れないだろう。

 降り注ぐ雪で命を奪われていく惨劇。

 波及する斬撃の音色に狂い隣人が狂人と成り果てる悲劇。

 吹き荒れる風に触れただけで凍り付き斬られていく、まるで出来の悪いコメディーのような喜劇。

 もう誰も止められない。

 その超越を、止めることなんて出来はしない。

 青山響。

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 互いに互いしか見えていない愛の巣を終わらせられるのは、どちらか一人のみ。

 俺か。

 私か。

 お前か。

 貴様か。

 無限に続けと願った修羅場を、刹那で散らせと嗤う二人が超えた世界。

 

「愛してるぞ青山!」

 

「俺も! お前を!」

 

 今、極み過ぎ去り超越で、世界を終わらせる純愛よ。

 

「愛してるんだ、エヴァンジェリン!」

 

 その華を、散らせ。

 

 

 

 







次回【そう、お前は――】


 もう誰も、届かない。


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最終話【そう、お前は――(上)】

 

「ここ、は?」

 

 開かれた視界に映し出された空は灰色に染まっていた。例え太陽が隠れて陽が無くても雲に閉ざされた世界を感じることは出来る。

 見上げた状態。倒れているのだと分かったのは背中に感じる氷の感覚。

 だがそんなことよりも不思議に思った。

 ここは何処だ。

 そもそも。

 

「私は、誰?」

 

 己のことすら思い出せない。

 誰よりも知っているはずの己すら認識できず、忘我した自信を手繰るように視線を右に、左に。

 

「あ……」

 

 そこで、自分と同じように呆けたように視線を彷徨わせていた者と視線が交差した。

 語らずとも、忘れたとしても分かる。

 互いに己を失った者。

 認識できない自己という在り方を共有した両者。

 そして、手には共に――二振りの刃。

 

「エヴァンジェリン」

 

「青山」

 

 己すらも忘れた。

 だが、交わした視線の先に居る相手だけは、忘れない。

 枯れた記憶が湯水のように溢れ出てくる。互いが互いを認識したと同時に蘇る全て。

 斬ったこと。

 殺したこと。

 溢れ出る記憶に引きつられるように吊り上がる両者の頬。それは、己すらも忘れていても尚残り続けた互いへの愛ゆえか。

 だというのに、二人が手にするのは刃。

 愛しき者を斬殺するためだけの代物。

 それなのに、こんなにも愛おしい。

 直後、引かれ合う磁石のように同時に飛び出した両者が、今宵何度目になるか分からない刃をぶつけ合った。

 

「ハハハッ! 何だ! これは何なんだ!?」

 

 何度となく繰り返した。

 激突の瞬間に発声した余波が極まった肉体よりも脆く頼りない魂を蹂躙していく感覚。

 何だと叫んだエヴァンジェリンの思いは響も同じ。

 何だ、これは。

 この様は、何度繰り返したのだと、嗤うのだ。

 

「剣戟を重ねる度に互いに斬って殺されて! 自我すら失った直後に斬って殺した相手を見て殺すべき貴様を思い出す! 貴様もそうだろ!? 自我すら失って、また私を見て私を斬ろうとする! 何だよこれは! どうしようもないくらいどうしようもないじゃあないか!」

 

 全ての記憶が蘇る。

 これで五十に届いた自我の忘却に二人は呆れたように、だが忘れようとも忘れられない愛が根付いている奇跡に喜び滾った。

 最早、二人が激突させる極限を超えた刃は、その余波で互いの心を斬って(殺して)いた。

 再度繰り広げられる刃の応酬の間にも、折角蘇った自我が根こそぎ斬られ、あるいは殺されていく。

 だが恐怖など何処にもなかった。

 あるのは歓喜ばかり。

 合わさる刃が合した相手を斬り殺す歓喜は、何度となく繰り返しても飽きることなどありえない。

 無限に斬り合える。

 無限に殺し合える。

 どうして、その修羅場を嘆くことが出来ようか。

 

「いつまで続ける!? いつまで続けたい!? 私は貴様を永遠に殺せるなら永遠を望もう! だが永遠すら終えたいくらい貴様を殺したいんだ! 殺せるのなら殺したい! 殺し合えるよりも殺している今よりも! 貴様を殺せること以上に勝る歓喜などありようがないからな!」

 

「口が軽いな、エヴァンジェリン」

 

 だが、気持ちは分かる。

 響もまた、叫びだしたい衝動を抑えて今一度と伸ばした剣戟に映る己の笑みを見た。

 

「幾度と、幾度でも。在り方すら忘我してもお前だけは忘れない。俺自身を忘れても、俺はお前を忘れない」

 

 己すらどうでもよくなるくらいに斬りたいと思える。進めと告げて先に逝った姉に心の中で目の前の汚泥を誇る。

 極みを超えたこの場所を共に共有している化け物は、百億の命すら消耗したとて尚も価値あると自分だけは胸を張って言えるから。

 

「だから頼む、エヴァンジェリン」

 

 願いがある。

 切なる願いを、聞き届けてほしい。

 

「俺に斬らせるなよ。俺は斬りたいんだから」

 

「言われずともなぁぁぁ!」

 

 僅かばかりの語らいは終わり、大地を斬り、あるはいは殺しながら踏み出した両者の耳を波紋が濡らした。

 臆することなく刃を走らせる。証とひなの両刀が、鍔迫り合いを押し返してエヴァンジェリンを一歩後退させ、その間を埋めるようにエヴァンジェリンの股の間に証が伸びる。

 股から脳天まで斬られるイメージがエヴァンジェリンの脳裏を過った頃には、脳髄を介さずに動いていた氷刃が響の一撃を上から抑え込んだ。

 

「あ、ん……」

 

 合わさった刃同士が空気を震わせる。その波に燻られた下腹部の熱が扇情的な吐息と共にエヴァンジェリンの小さな唇から漏れ出した。

 初めて刻まれた胸の傷口は絶え間なく血を滴らせ、粘着質な赤い血潮は吸血鬼の興奮に合わせるように腹を伝って太腿を濡らしている。僅か、股より幾つも落ちる雫は、激突する刃に混ざり合うように刀身に跳ねた。

 その間にも、超至近距離で空を編むひなと氷刃が二人の体に無数の傷を生みだす。

 首、胸、腕、足、腹、肩、頬。一秒の後、一際甲高い音を奏でて共に数歩後退した二人の身体には、百を超える裂傷が全身に刻まれていた。

 

「傷は癒さないのか?」

 

 不意に、響は己が付けた傷を癒さずに放置しているエヴァンジェリンにそんなことを問いかけた。人間とは違って吸血鬼である彼女なら、些細な裂傷程度なら即座に回復しても不思議ではない。

 

「何、貴様のくれた物を手放したくないという乙女の我儘だよ」

 

 嘘である。

 酷薄な笑みの裏側、今も集め続けている命を魔力に変換して練り上げた刃に全てを注いでいるために、吸血鬼の不死性すらエヴァンジェリンは発揮できないでいた。

 それを自分が追い詰められているとエヴァンジェリンは思わない。響も自分と同じくらいに消耗している。

 微かにだが上下に揺れている肩。吐き出される呼吸の乱れ。周囲の気温からではなく、血を失ったことによって青ざめた顔。

 限界は近い。

 だがそれも当然なのだ。響はつい先日、素子との恐るべき死闘を終えたばかりである。その後体は回復したようにも見えたが、物理的に失った血潮は殆ど回復せず、何とか体力は取り戻したものの、僅かな傷から滲む血も致命的になる。

 だが響は朦朧とする意識も鉛が付いたように重い体も気にした素振りをみせない。

 違う。真実、気にしていないのだ。

 

「……ここからだ」

 

 もっと先がある。

 まだまだ迎える場所がある。

 響は幸福の中にあった。エヴァンジェリンという共演者を得たことでさらに奥地へ歩めている。

 体よりこみ上げる気すらも余分に思えてくる。もっと純粋な先が欲しい。

 研ぎ澄ます鋼鉄の残響が奥義を得ることの喜びをもっと。

 

「まだ足りない」

 

「なに……?」

 

「俺達なら、まだ行けるだろ?」

 

 全身が重い。

 意識は何度も途切れている。

 視界は霞み、数センチ先も曖昧で。

 だが進んでいた。

 いつの間にか、響は奥へと進めている。

 

「ぐぅ!?」

 

 エヴァンジェリンは辛うじて捉えた響の斬撃を受け止めて呻き声をあげた。

 疲弊する身体とは裏腹に、また一段と重く、鋭くなっている。

 歓喜に匹敵する戦慄がエヴァンジェリンを襲った。まるで初めて棒振りを覚えた神童の如き速度で響の技は洗練されている。

 気付けば防戦一方に追い込まれる自分にエヴァンジェリンは気付いた。重ねた刃も幾つも切り口が刻まれ、もう何合か受ければ斬り捨てられる予感がある。

 いや、もう後、一手で――。

 

「ッ……舐めるなぁ!」

 

 天に浮かぶ膨大な命のスープが勢いよくエヴァンジェリンに流れ出した。不老不死の不死性すら超える程の魔力の渦が小さな肉体の内側を圧搾していく。腹の中で無数の剣が突き出されたような激痛に悶える余裕もなく、練り上げた魔力を爆発させたエヴァンジェリンは、加速していく響の成長を再度乗り越えてみせた。

 

「カァ!」

 

「ひゃひ!」

 

 己の速度と重さを超えたエヴァンジェリンの底力を受けて響は壊れたように笑った。

 ありがとう。

 重ねた剣戟よりも多く思った感謝が響の心を埋め尽くす。

 まだ斬れない。

 斬りたいのに斬れない。矛盾を孕んだ答えを体現してくれるエヴァンジェリンが愛おしくてたまらない。

 だから響は極みをまた超える。

 体は重い。

 意識は遠い。

 握った刀すら感触が分からない。

 でも早く。

 もっと先を。

 超えろ。

 超えて行け。

 俺の体は、俺だけが知っているこの身の真髄はまだ先に――。

 

「くはははっ!」

 

「ッ!?」

 

 響の笑い声すらかき消す化け物の吐き気をもよおすような哄笑。

 

「ならば是非もない! 貴様を殺すために貴様を超え続ける他ないのならぁぁぁぁ!」

 

 曇天の絶望が、丸められる紙のように渦を巻いてエヴァンジェリンの背中に飲み込まれる。

 その渦より響く低い風切り音は、理由なく搾取された命の断末魔。己の体が保つぎりぎりでここまで戦ってきたエヴァンジェリンが、ここに来てリミッターを解除することを決めたのだ。

 響は咄嗟に二刀で己の体を庇った。数瞬後、エヴァンジェリンを中心にして爆発した魔力の圧が、全身を押し潰す。

 

「ぉが!?」

 

 地面に踏み止まることが出来ず、凍り付いた大地ごと響の体が木端と舞った。

 微弱になった気で守っていた肉体の内側が、衝撃破によって蹂躙された。体の中で鈍い音が一つ。咄嗟に圧力を斬ったが、僅かに出来ていた隙間を縫って無防備な身体にぶつかった魔力の風が、肋骨を一本半ばから折った音だ。

 致命的ではないが、塵一つで大きく傾く天秤の拮抗に支障をきたすのは確実だが。

 

「この程度……!」

 

 まだ斬り合える。

 心の芯たる確信を揺るがせるには届かない。響は天高くまで吹き飛ばされた体勢を整えて、虚空瞬動で戦場に舞い戻ろうとして、見た。

 

「青、山ぁぁぁぁ……!」

 

 空と繋がったエヴァンジェリンの背中より、身の丈を大きく超えた巨大な赤薔薇を象った氷が咲き乱れている。体内だけでは内包出来ない魔力を、外部に新たな器官を急遽作り上げることで代用。

 その代償として、エヴァンジェリンの左半身が完全に氷と化していた。白絹のように柔らかな肢体の面影は何処にもない。素人が荒々しく人型に削ったような氷塊がエヴァンジェリンの身体の半分を構成している。

 氷の魔神。

 そう表現するしかない怪物にエヴァンジェリンは成り果てようとしていた。徐々に残った右半身も浸食している氷による激痛に顔を顰めながら、爛々と輝く眼だけは響を捕えて離さない。

 一歩、踏み出した左足が大地に触れると、表面が砕けて外に出た剥き出しの大地が一気に凍り付き、エヴァンジェリンの鋭利な殺気を体現する氷の剣山が幾つも突き出てくる。

 世界そのものを己で浸食する。木乃香が一時的にだが手にした極みの完成を超えた物がそこにはあった。

 

「この……」

 

 今のエヴァンジェリンに、踏み込むだけで全身が凍り付くのが容易に想像出来た。

 斬るとか斬らないとかいうレベルではない。

 斬る前に殺される。

 斬らなくても殺される。

 人が抗えないものを災厄と言う。

 ならば、今のエヴァンジェリンこそ災厄の名に相応しき――。

 

「化け物め」

 

 恐れ戦く想いが乗せられた最大級の褒め言葉に――。

 

「あぁ」

 

 左手ごと氷の刃に変えたエヴァンジェリンが吐息すら感じられる程の距離で答える。

 いつの間に?

 俺の認知を超えた?

 思考よりも反射的に響は振り下ろされる氷刃に二刀を合わせた。

 

「ありがとう、青山」

 

 空の上であるが故、呆気なく地表目掛けて響は吹き飛ばされる。軋む両腕、悲鳴をあげるひなと証。

 絶望が体を駆け巡る。

 フェイトと素子。二人の極みがもたらした刃が、たった一撃で悲鳴をあげている事実に、響の顔から笑みが消えた。

 

「必要だったのは覚悟だ!」

 

 地表に着地した響は、背後から襲い掛かってきたエヴァンジェリンの大上段を真横に飛ぶことで咄嗟に回避した。そして、その斬撃の射線の大地が地平線まで氷の剣山に覆われる。一撃で世界を両断する魔力と殺意。掠っただけで根こそぎ殺されていく気と肉体を必死に動かすが、自壊すら厭わぬ吸血鬼の猛威は反撃の隙すら与えない。

 

「貴様を殺す! 愛しいという思いすら殺して貴様を殺す覚悟が必要だった!」

 

 左手ごと刃に変わった一撃は、ひなと証の二本で受け止めなければ防ぎきれない。下段からの掬い上げを交差した刀身で受ける。衝撃が肉を伝播し、全身が殺意に凌辱されるような不快感と痛み。

 攻勢に移れない。言葉を返す暇すら惜しい。食いしばった歯と腰を落として踏み止まり、全力で受けねば途端に押し潰される一撃を容易に繰り返す怪物を迎え撃つ。

 

「認めたくなかったよ! 殺すと決めた貴様を本当は殺したくなかった! だが貴様の言葉が私に気付かせてくれたんだ!」

 

「ぐぅ……!?」

 

「斬りたくないくらい斬りたいと! あぁそうさ! 私も認めよう! 貴様を殺したくない自分が居たことを! 際限なく極まっていく貴様と永遠に殺し合えるだけで満足していた自分を! そのうえでぇぇぇぇ!」

 

 エヴァンジェリンの背後で渦巻く命がさらに膨れ上がる。氷像となる自分すら問題としない。むしろ、膨れ上がる赤薔薇に合わせて肥大する殺意をエヴァンジェリンはようやく享受出来たから、己の殺意を表す赤薔薇が誇らしくすら思っていた。

 だがあらゆる命を圧縮した一撃に晒される響に眼前で踊る災厄を気にする余裕はない。絶え間なく己を殺そうと降り注ぐ氷刃に、確実に膝は折れ、腕は力を失っていく。

 そして、遂に渾身の一撃が響の二刀を大きく弾いた。

 

「貴様を! 私が!」

 

「ッ!?」

 

 体勢を崩した響の懐に飛び込んだエヴァンジェリンの左手が走る。かつて、大橋の一戦で響が放った物と同じ斜めに入る袈裟の斬撃。響は辛うじて戻せたひなを軌跡の間に被せて持ちこたえようとするが、エヴァンジェリンの渇望は、ひなの刀身に深々と斬りこんだ。

 

「殺すんだよ!」

 

 殺意の重量に砕かれるひなの刀身。

 続けて、遮る物がなくなった殺意が、響の胸を袈裟になぞった。

 胸に咲く真紅の赤薔薇。

 傷口ごと凍結した氷を驚愕と共に見て、響は己の死に酔った。

 

 

 

 

 

 何がどうなっているのか分からない。

 ちょっとした自慢だった俺の認知能力を容易く突破したエヴァンジェリンが怒涛の連撃で俺を追い詰めていく。

 化け物が。畏怖と怒りの混ざった俺の思いにエヴァンジェリンはさらに昂っていく。

 ひなを失った俺に残された証から響く冷たい殺意が心も体も溶かす。

 斬撃と言う俺が超え続けていく場所の遥か高みに居るエヴァンジェリンに反撃する余裕はない。

 どういった理屈かは分からないが、両者の力量はここに来て赤子と大人程の差になった。つまり、どう足掻いても俺の斬撃は彼女の殺意を斬れないし、彼女の殺意は俺の斬撃を一方的に殺し尽くすだけ。

 このままいけば俺は殺される。

 斬ることも出来ずに殺されるなんて、そんな馬鹿げた冗談みたいな結末しか残されていない。だが冗談みたいな結末こそ俺に残された現実。

 斬れずに殺される。

 殺されて、斬らずに死ねる。

 不思議なことに、俺は理解も納得も出来ない現実を何故か受け入れることが出来ていた。

 もう、いいのかもしれない。

 ひかげの破壊を斬り。

 フェイトの命を斬り。

 素子姉さんの正道を斬り。

 そして己の外道も斬った。

 心残りと言えば、英雄として完成したネギ君を斬れなかったことだけど。

 でも、いいのかもしれない。

 素子姉さんを斬り、己の外道すらも斬ってしまった時、俺は思ったのだ。

 斬りたくないくらい斬れない者を斬りたいと。

 それはつまり、俺の斬撃が全く届かない何かに斬られることを、あるいは斬るという祈りとは違う何かで俺を終わらせてもらえることを望んだということ。

 ならばこれは満足のいく終わりなのかもしれない。

 俺の人生で初めて愛し、そして愛された少女。

 エヴァンジェリン、君になら――。

 さらに鋭く重くなった一撃が、刀身に幾つもの亀裂が走った証とぶつかる。

 

 そしてついに、証すらも半ばから砕け散ってしまった。

 

 刀を殺される。

 つまり斬撃を殺された俺にはもう何も残されていない。

 

「……終わりだ。青山」

 

 下半身は完全に氷像となったエヴァンジェリンに残された生身の右手が俺の首を掴んで持ち上げた。

 全身の傷口から流れた血が凍って、俺の体に無数の赤薔薇が咲いている。エヴァンジェリンと同じ赤薔薇。まるでそれが、彼女が俺に付けたキスマークのようだなぁと、どうでもいいことを思う。

 

「あぁ、終わった」

 

 認めるしかない。

 愛しい愛しい吸血鬼。

 完膚なきまでに俺の斬撃を殺し尽くした愛しい君よ。

 

「エヴァ、君が殺した」

 

 もう何も無いから、手放しに賞賛し、そして、どうでもいいことを考えよう。

 殺意。

 斬撃。

 でも、根源に根差す思いはきっと……。

 

「……そうか」

 

 霞む眼に映るエヴァの右目より一筋の雫が流れたので、俺は力なく垂れ下がった左手を持ち上げて、その雫を一つ掬った。

 

「化け物なのに、泣くんだな」

 

「化け物だから、泣くんだよ。独りぼっちだから、泣いちゃうんだ」

 

 自惚れではなく、俺を失った君はもう生涯、人間を愛することも、化け物すら愛することも出来ないだろう。

 だって、俺は君を愛している。

 殺されたのに、まだ斬りたいくらいに、愛している。

 だから。

 

「俺を殺せよ、エヴァンジェリン」

 

 斬撃を失って、何もかも失った俺でも、君を愛している気持ちだけは残っている。

 それと同じくらい、斬撃を失った俺を、君もまた愛してくれていると知っている。

 

「青山……」

 

「何度も繰り返しただろ、エヴァンジェリン。お前が俺を殺すか、俺がお前を斬るか。シンプルな話だよ」

 

 共に懐かせた思いをぶつけた。

 その結果、なりふり構わず全てをぶつけてきた彼女が、俺の斬撃を殺したというだけの話。

 覚悟を決めたのだろう?

 なら、君はその覚悟のままに俺を殺せばいいんだ。

 涙の跡を残したまま、エヴァは頭を一つ振ると精一杯の笑顔を浮かべてくれた。

 

「うん。貴様を殺す」

 

「そうか」

 

 いつものように汚い笑顔で。糞尿で描かれた絵画のように醜い君が、宝石よりも美しい華を背中に咲かせて笑ってくれているから。

 こんなにも嬉しいから、俺は君になら殺されてもいいと思えたのに――。

 

「貴様を殺して、私も死ぬ」

 

 ぼそりと呟かれたその言葉は、殺された心すら震わす呪いだった。

 

「エ、ヴァ……?」

 

 何、で?

 エヴァンジェリンは、困ったように目尻を細める。まるで、己の失態を呪うように刃を噛みしめ、そして観念したように小さくはにかんだ。

 

「それだけしか、私には残っていないんだ」

 

 空虚な響きに込められている真実が、俺の殺された心を痛ませる。

 だけど分からない。

 俺には何のことか、分からない。

 

「エヴァ、お前……」

 

「……すまない青山。今から逝く貴様には関係の無いことだったな」

 

 己の失態を悟ったエヴァは、誤魔化すように出来そこないの人形のような左手で俺の頬を、子どもをあやすように撫でて誤魔化そうとする。

 でも、そんな彼女の優しさすらどうでもよくなる程に俺の殺された心はざわついていた。

 殺された心が再燃するような気がした。

 何故、死のうとする。

 何故、俺を殺した後も、殺そうとしない!?

 

「なぁ、愛しい人」

 

「……止めろ、頼む」

 

「無理だよ。貴様の居ない悠久なんて、地獄すら生温い」

 

「頼む、エヴァ、俺を殺しても、お前はずっと殺して――」

 

「青山」

 

 優しくも、力強い一言が全てだった。

 俺の懇願は届かない。

 殺し続ける君を望む俺を君は認めない。

 なぁ。

 何でだよ、エヴァ。

 何で、俺を殺して、お前が死なないといけないんだよ。

 俺の願いを知って尚、お前は死ぬというのか?

 

「絶望させて殺そうと思っていた。でもな、この絶望だけは駄目だ。他には絶望してもいい。斬撃が殺されたことに絶望して虚無に落ちた貴様は、殺したくないくらい愛おしかったけど、でも、この絶望は駄目なんだ」

 

 何を言っている。

 お前は何を。

 何を悟ったんだよ、エヴァ。

 

「……止めよう。これ以上は止そう」

 

 俺の頬を撫でていた左手が再び刃に変わる。そしてエヴァンジェリンは僅かに悲しそうに笑いながら、俺の胸に切っ先を触れさせた。

 

「俺、は……」

 

 ここで、殺されるのか?

 彼女が俺を殺して死ぬことを待つしかないというのか?

 

「俺、は……!」

 

 いつの間にか、感覚の無かった掌は拳を象っていた。力の抜けた足に力が戻り、残滓の如き気の全てを使い切り、殺された体が再び活性化していく。

 

「……さよなら、青山」

 

 だが全て遅い。

 辛うじて力が戻っても、魔神と化したエヴァの力に気を失った俺では届くはずがない。

 切っ先が胸を割っていくのが分かる。

 俺は殺されるしかない。

 彼女が死ぬのを知りながら殺される。

 どう足掻いても結末は変えられない。一度殺された俺には手にした極みももう残っていない。在るのは勝者たる彼女に献上するだけの証としての肉体だけ。

 どうしようもないくらい無力な俺。

 まるでかつての何も出来なかった私のよう。

 だから殺されるしかない。

 殺されて、そして愛した少女が世界を殺すことなく死ぬのを見守るしかない。

 そんなの、嫌だ。

 絶対に、そんなことは嫌だ。

 死ぬなよエヴァ。

 俺を殺して、殺し続けろよ。

 嫌だ……。

 嫌だ……!

 嫌だ!

 死ぬな! 死ぬなんて許さない! 互いに愛した修羅場を終えた後も、お前がいつまでも殺し続けてくれると信じているから俺は殺されるんだ! なのに俺を殺したお前がお前自身を殺すなんて嘘じゃないか! 止めてくれ! 俺はどうなってもいい! 斬撃を殺された俺がどうなろうと構わない!

 だから頼む!

 死ぬな!

 死ぬなよ!

 死なないでくれよ!

 それでも……!

 それでもお前が……!

 俺を殺して死ぬのなら……!

 

「俺がお前を……」

 

 斬る。

 

 

 

 



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最終話【そう、お前は――(下)】

 

 今まさに心臓を貫こうとした氷刃が命に届く直前、伸ばした人差し指を刃に例えた響の抜き手がエヴァンジェリンの眼球を貫いた。

 さらには深々と突き立った一本指ごとエヴァンジェリンの体を横にずらすことで、胸に入った刃はそのまま胸の筋肉を引き裂いて横に抜ける。

 一瞬の間に行われた迎撃に驚愕を覚える暇はない。

 響が再び刃を手にした。

 右目から血の涙を流しながら、エヴァンジェリンは今一度息を吹き返した響を祝福する。

 それだけでいい。

 もう少しだけ続けられるというならば。

 それで充分だと思う。

 胸を裂いて飛び出した刃を戻したエヴァンジェリンは、未だ掴んだままの右手を引き寄せようとした。刃を突き立てるよりも首に牙を突き立てるほうが早い。そう思ってのエヴァンジェリンの動きだったが、眼球より指を引き抜いた響は命を貪られるより早く、眼球より引き抜いた指を首に食い込んだ親指に絡ませ、そのまま切断した。

 まるで刃で斬ったかのような鋭利な親指の断面に見惚れている間に、エヴァンジェリンの拘束を逃れた響はその顔面を蹴り飛ばして距離を離した。

 氷ついた地面を風に巻かれたゴミのように転がったのも束の間、重たい四肢に残された力を絞り尽くして響は立ち上がる。

 もう、何もかも出し尽くした。

 辛うじて生身だったエヴァンジェリンの体を斬ることは叶ったが、既に欠損した肉体を氷で代用している彼女の生身を斬ることは無駄だろう。そして、自分には彼女を構成する氷を斬ることが出来ないことは分かっている。

 だが、斬る。

 そうだ。斬らなければならない。

 視界に映る何もかもが何重にも重なったように見える。立ち上がったことで四肢はもう力を失った。体内に残された気は塵にすら劣る。

 でも、斬るのだ。

 自分がここで斬らなければ、エヴァンジェリンは自分を殺して死ぬことになる。

 それだけは許してはいけない。

 殺されるのはいい。

 でも、彼女が死ぬことを分かっていて殺されるのは嫌だった。

 だから斬るのだ。

 斬るという極みも殺されてしまったけど、響にはそれしかない。

 これまでも、これからも。

 響に出来ることは、いつだって一つのことだけ。

 だがそんな渇望すらも食らい尽くそうと、両腕を氷刃に変えたエヴァンジェリンが一歩で距離を詰めてきた。

 無駄にこの戦いを引き伸ばすつもりはもうエヴァンジェリンには残っていなかった。偶然にも数秒だけこの修羅場が続いたことは僥倖だったが、だからと言って最期と悟り交わした言葉は真実で、ならば言葉は最早無粋と言えるから。

 故に殺すのだ。一片の慈悲も無く、一片の悔恨も無く。

 只、貴様を愛しているから殺すのだとエヴァンジェリンの刃は告げる。

 麻帆良一帯を知覚する響の超人的知覚領域は役に立たない。時間を切り飛ばしたように懐へ踏み込んだエヴァンジェリンを察した時には、二振りの刃は首を挟む形で振られた直後。気付いた時には絶命寸前。思考すら置き去りにして、放たれた鋭利の切っ先は遂に修羅の首を狩り――虚空を薙ぐ。

 頭上をかすめる刃の圧力だけで苦悶しながら、気付けば屈んでいた響はそのことを不思議に思うよりも前に、攻撃後の、しかも避けられるとは思っていなかっただろうエヴァンジェリンの心臓目掛けて抜き手を放った。

 辛うじて凍っていなかった小さな乳房の頂を斬り、肋を割り心臓を射抜く。確かな手応えと共に、響はエヴァンジェリンの中を蹂躙した抜き手を体内で強引に開き、貫いた心臓をそのまま鷲掴みした。

 吸血鬼だからこその弱点。化け物対峙の不変の常識。心の臓を潰されて生きる怪物はこの世に存在しないのだと誇るように、後ろに跳びながら真っ赤に染まった腕を引き抜いた響の掌には真っ赤に濡れた化け物の心臓が握られていた。

 だが、響は荒い呼吸を繰り返しながら見た。心臓を失った化け物は倒れることなく立っている。空いた胸の傷口がピキピキと凍り付き、失った命の証すら氷像が代用している。

 斬れていない。未だ響とエヴァンジェリンの差は大人と子ども。乾坤一擲と残された全てを注いだ一撃すらも、彼女の命には永遠よりも遠い。

 でも、斬るんだ。

 幼児の駄々の如く、響は願った。

 掌に掴んだ心臓から滴る血が凝固して、真紅に濡れた腕もろとも小さなナイフを形成されたのを見て、まだ斬れると己を奮い立たせる。

 しかし、腕を上げて構えることももう出来ず、今の一合で塵にも満たない気も完全に底をついた。

 在るのは体が在るという事実だけ。呼吸しているだけで奇跡とも言える己と、完全なる氷の魔神と化し、際限なき殺意を体現できる体を万全と操れる化け物では保有する戦力が違う。

 斬れない、だろう。

 だろう、ではなく、斬れない。

 他でもない、心の隅で燻っている斬撃という極みが分かりきった答えをずっと響に伝えていた。

 だからさっさと殺されてしまえ。

 もしかしたら先程のはもう少しだけ修羅場を楽しみたい彼女の冗談だっただけかもしれない。

 だから諦めろ。

 ほら、死神がありがたくも再び刃を振りぬいてくれた。

 だからその身を差し出して殺されろ。

 

 諦めて殺されてしまえ、人間()

 

「でも」

 

 一文字を描いた氷刃の線上に響は立っていなかった。

 全身から力を抜いて、膝から地面に倒れることで、一秒しか残っていなかった命を一秒と数瞬に伸ばす。

 まだ足掻いていた。

 この身そのものである斬撃は殺されることを納得したのに。

 誰よりも斬撃を肯定していた自分が、初めてその言い分を真っ向から否定した。

 

「だって、死なせたくない」

 

 俺を殺して君が死ぬ。

 ありきたりなバッドエンド。

 単純明快な悲劇。

 嫌だ。

 

「だから、斬るんだ」

 

 気は残っていない。

 肉体は死を受け入れた。

 だから斬る。

 だけど斬る。

 俺は斬れる。

 俺は、俺だから。

 

「君を……斬らないと」

 

 数瞬しか伸びなかった命は、もう十秒を超えて存続している。

 吹けば散りそうな身体が、音速など遥か後方に置き去りにした化け物の猛攻を凌いでいる。

 

「青山……!?」

 

 エヴァンジェリンもようやく気付いた。

 だからこそ、喜悦に満ちていた顔が悲哀に濡れる。その悲哀が表わす意味に響は気付かない。

 疲弊しきり憔悴しつくした状態で、万全のエヴァンジェリンに追いすがり始めている異常に、気付かない。

 

「青山! 駄目だ、青山!」

 

 エヴァンジェリンは、殺すまで口を開くまいとしていた口を開いて響に訴えかけていた。そして、表情とは裏腹に苛烈を極めた連撃は、再び足下に追いすがってきた響を引き離さんとさらなる加速を見せる。

 

「止めろ! 止めてくれ人間! 貴様はもうこれ以上は駄目なんだ! 私はいい! 私は化け物だから! 孤独だから寂しくても死ねるから!」

 

「エヴァ、君を……」

 

「でも貴様は人間なんだ! 人間じゃあないか青山!」

 

「君を、斬るんだ」

 

 直後、互いの動きが止まった。

 世界ごと殺し尽くす思いを乗せたエヴァンジェリンの一撃が血で象ったナイフで受け止められている。

 違う。

 勢いを斬られた。

 威力を斬られた。

 殺意を、斬られた。

 

 全てが、斬られている。

 

「あ、あぁ……」

 

 エヴァンジェリンの顔が悲哀を超えて絶望に染まった。

 遂に、来た。

 満身創痍すら生温い状態で、この男は来た。

 だから愛しい。

 だから悲しい。

 私が愛した男なら来てくれると信じていた。だけど、愛しているからこそ、来てほしくないと願っていた。

 だけど、やはり貴様は来た。

 私が信じた通り、私が信じてしまった通りに。

 

「それでも私は!」

 

 斬られた殺意を刀身に装填し直して、エヴァンジェリンはか細いナイフごと響の体を地面に押し込もうとする。

 頭上からかかる圧力に響は抵抗する力は無い。だからこそ、あえて勢いに押されて体ごと地面に倒れながらナイフの表面をなぞらせるように氷刃を受け流した。

 たった一度、だがようやく届いた斬撃に酔うことすらなく、響は腐心し続けた思いを結実することだけに全てを注ぐ。

 氷刃ごと崩された姿勢をエヴァンジェリンが立て直す僅かな間に、伸び切った刃の付け根へと刺突を繰り出す。だが氷像に突き立つナイフは弾かれ、先端が無様に欠けるばかり。

 斬れない。

 気も乗っていない響の刃では、斬られることはおろか突き飛ばされることすらない。だが反撃を受けたことへの歓喜と絶望をない交ぜにさせて、エヴァンジェリンは無限と放った殺意の刃で響の命を狩りに行く。

 唸る冷気が肌を焼く。頭上と股座を挟み込む意志に呼応し、響は足を一歩引いて半身になることで躱し、触れずとも肌を凍らされた。

 着物ごと肌が凍り付く。温度を、命の熱を根こそぎ奪った殺意の軌跡は、地平線を跨いで全てを停止させる威力。

 当たらなくとも殺される。

 だが、響は生きている。

 まだ斬っていないから、生きていられる。

 

「もう少し……」

 

 凍っていく肉体など気にもならなかった。踊るエヴァンジェリンのステップに合わせて足が舞い、刃は揺らぐ。今の自分に相応しいちっぽけなナイフだけを頼りに、斬れるわけのない相手を斬るために動く。

 そんな響の抵抗に、エヴァンジェリンは渦巻く歓喜と悲しみに心が押し潰されそうになりながら、振るう刃だけは変わらぬ煌めきで響を追い詰め続けていた。

 両腕の氷刃は一撃で地平線を貫く。肉体は響の斬撃すら受け付けず、今も際限なく命を食らって肥大する体は響の成長を大きく上回っている。

 だが、殺しきれない。

 これで終わりと願った一撃を掻い潜って、響は幾度と突き立てることの出来ない刃をこの身に当てている。

 そしていつしか傾いていた天秤は徐々に平行に戻りつつあった。疲弊し続ける響が、増大し続けるエヴァンジェリンとの拮抗を得ようとしている。

 分かっている。

 理由なんて、分かっているから。

 

「貴様を行かせてたまるか! 私が貴様を殺してでも!」

 

「斬るんだ……君を、斬るんだ……」

 

 この声ももう届いていない。うわ言のように斬るんだと繰り返す響の両目は、あらゆる全てを内包したような蒼一色。

 己の中に懐いていた外道を完全に斬り、今度こそ響は超え続けてきた頂のさらに先へと、エヴァンジェリンが世界に存在するほとんどの命を貪ってようやく届いた境地に、至る。

 

「俺が、斬る」

 

 お前(斬撃)は黙っていろ。

 斬るのは、(修羅)だ。

 蒼天に告げる絶対。

 つまりは世界そのものへ捧げる祈りの証。

 斬撃を超えて、今こそこの身は斬撃を為す。

 瞬間、刃を躱し続けていただけの響の掌に在る小さな刃が、エヴァンジェリンの氷刃と真っ向から激突した。

 当然のように響き合う波紋の歌声。誰にも邪魔はさせない超越の物語は、今宵何度と超え続けた極みを再び超えて拮抗を果たす。

 

「ッ……青山ぁ!」

 

 鋭く伸びた歯を剥き出しにして、獣の如く吼えたエヴァンジェリンが飛びかかる。牙の代わりに研磨した殺意の結晶は、主の願いを叶えるべく、これまでの最速を遥か置き去りにした速度で響を襲撃した。

 対して腕も上げられない響の眼は、左右から半円を描いて命を取りにくる殺意を見抜き、その速度に見劣らぬ閃光を二つ放ち、喉元に触れた殺意を斬り捨てた。

 同時に響の心が悲鳴をあげた。殺意を斬ったが、刃を殺された。繰り返した共食いの再現に、喜ぶべきか泣くべきか。

 分からない。

 でも、君は分かっている。

 だから、俺は――。

 無音を波及し、吸血鬼と修羅の剣舞は際限を忘我してさらに高みへ昇っていく。神速を超え、速度と言う概念を踏み躙り、破壊という結果を踏破し、尚、行く。

 結果として周囲を破壊しつくしていた両者の剣戟は、気付けば周囲に影響を与えることもなくなってきていた。

 まるで広がっていた破壊の全てを余すことなく収束しているかのよう。余波すらも惜しいと、ただ集まり続ける意志の応酬は、ここまでの破滅的な被害が嘘のように、ただ剣戟を合わせるだけにしか見えなくなっていた。

 だがもし見ている者が居たのなら、その者はきっとこの状況を見届けるだけで眼球が圧搾されて魂を砕かれていたことだろう。あまりにも凝縮された力の密度は、見ただけで命を壊す破壊と同義。

 広がった二人は、互いを斬り、あるいは殺すために一つになろうとしている。絡み合う心と身体。触れ合わせる唇の代わりに刃を、響かせる愛の代わりに鈴の音色を。

 心には歓喜と悲哀を押し込めて、無限に届いた愛の営みは、激情に彩られた修羅場の舞台で回る。

 回り続けて。

 延々と。

 奏でろ、鼓動。

 

「……ぁあ!」

 

 響の体が大きく揺らいだのを見て、エヴァンジェリンが最後の賭けに出た。

 氷刃が無数と枝分かれして響の視界を埋め尽くす。咄嗟にそのことごとくを斬り捨てた直後、開かれた視界にエヴァンジェリンが居ないことに響は気付き、第六感に触れた感覚を頼りに見上げた空で、吸血鬼は透明な翼を広げていた。

 突如、エヴァンジェリンの背中で咲いていた赤薔薇の花びらが響へと降り注いだ。一つひとつが千の魂を束ねた生命の結晶の絨毯爆撃に響は罅割れた小さな刃だけを頼って凌ぐ。

 重い。一つ斬るごとに体が勢いにもっていかれそうになるけれど。

 響は必死の形相で弾幕を張るエヴァンジェリンを見上げた。自分と同じく、彼女にももう余力は残されていない。

 疑問はあったが、考えることは余分と放棄した。

 響を中心に落ち続ける流星群は苛烈を極めていく。少しでも気を抜けば屈してしまいそうな弾幕に、歯を食いしばって耐える中、響は確かに見た。

 

「これが、私の……!」

 

 赤薔薇を散らしながら、エヴァンジェリンは左右に分けていた氷刃を左手の一点に収束させていた。

 ただでさえ凌ぐので手一杯だった殺意の塊をさらに濃縮させるという切り札。響のためだけに、響への思いがあったから作り出される極限は、その心を体現したように、あの大橋で響が最後に抜いた小太刀を模していた。

 心の根っこの根っこ。彼女が初めて化け物として呼吸をした瞬間の光景。月を背中にかざされた鋼鉄の輝きこそエヴァンジェリンの原初。

 始まり故の、極限。

 原点こそが頂で、零だからまた歩めるのだと。

 その思いを汲み取れるのは、世界中でただ一人。

 

「来い、吸血鬼」

 

 弾幕が止む。

 涙のような、雨が止む。

 エヴァンジェリンは防御も何も考えず、愚直な思いだけを頼りに、両腕を広げた響の懐へと飛び込んだ。

 

 そして、凛と歌は響き渡る。

 

 心臓の血液で象られた刃が氷刃の刀身を斬った刃が泣きじゃくるように鳴ると、魔神の刃は虚空に流れた。

 くるくると回る真紅の刃を横目に、響は届かなかった悔恨に涙するエヴァンジェリンに笑いかける。

 大丈夫。

 安心してくれ。

 君を死なせはしない。

 だって、俺は君のためなら――。

 

「斬れるさ、絶対」

 

 この身一心に刃ならば。

 我が献身こそ、一筋の閃光なり。

 

 思考が加速する。雷速を超え光速を背後にした響の世界で、空を踊っていた真紅の刃が停止した。

 斬り取られた涅槃寂静。悠久に引き伸ばされた『ここ』。

 動いているのは愛しい君と、愛された自分。

 

「俺は、俺だから」

 

 ならば、是非も無し。

 音が響くはずもないのに、響はエヴァンジェリンの宣言を聞き届けた。

 それが、最期。

 誰も知覚できない。知覚すらされない今で、君と俺の最期を彩ろう。

 エヴァンジェリンは、斬られた左手を遮二無二突き出した。停止した世界でも辛うじて認知出来る程度の神速に対して、生身の掌が横合いから優しく添えられる。

 触れ合った冷たさに酔う。

 冷たい殺意。

 冷たすぎて熱い、化け物の思い。

 その思いが己を殺した先の絶望を知らしめたのならば、その絶望を斬ることこそ、この命の在り方。

 軸を逸らされた切っ先は、肩を浅く裂いて抜けた。

 その間を詰めるように交差された響の一閃が走る。

 斬撃を超え続け、超え続けた先に殺された己が初めて芽吹かせた感情で、朽ちかけの身体を突き動かす。

 破壊を斬った。

 生命を斬った。

 正道を斬った。

 外道を斬った。

 そして今――。

 

 俺は、斬撃()すら斬り捨てる。

 

「エヴァ……!」

 

 世界が時を取り戻す。

 響かせた思いがエヴァンジェリンの耳を揺らす時、もう体を構成していた氷像は跡形もなく斬り捨てられ。

 

「君を、斬れた……!」

 

 落ちていくエヴァンジェリンの首を、響の両腕は宝物を抱くように抱きしめた。

 

 

 

 

 

 涙混じりに告げた言葉は、彼女が死なないですんだことへの感謝であった。

 良かった。

 君が死ぬことなく、俺が君を斬れて良かった……!

 本当に……。

 俺は、君を斬ることが出来たんだ……!

 

「青、山……」

 

 首だけになったエヴァが残された魔力を媒介にして俺の名を呼ぶ。咄嗟に胸元から顔の前に掲げたエヴァの表情は、俺に斬られたことの満足感と、そして隠しようがない悲哀の織り交ざったものだった。

 

「何で、そんなに悲しそうなんだよ……」

 

 俺を殺す直前からそうだった。

 いや、思い返せば、戦い始めた頃から時折エヴァは悲しげな表情を見せていなかっただろうか?

 

「……嬉しい、のに、悲しい、よ」

 

 だから、何でなんだ。

 何が君を絶望させる? 何故、俺が絶望する?

 

「安心してくれ。俺は、絶対に斬り続ける。いつまでも、斬り続けるって誓うよ」

 

 もしかして俺もまた彼女と同じく死ぬ選択肢を選ぶと思ったのか。

 だとしたら安心してほしいと告げた誓いを、彼女は否定するように瞼を綴じてみせた。

 

「青山、私の、大事な、一番大事な……」

 

「なんでだよ。エヴァンジェリン。君は、俺が……!」

 

 分からない。

 俺には分からないんだ。

 お前が俺に何を見たのか。

 俺には――。

 

「貴様は、どこに向かう?」

 

 唐突に、消えかけの命を燃やしてエヴァは問いかけてくる。

 愚問だ。答えは決まっている。

 

「俺は、斬る。斬るんだ。斬れない君を斬ったように、斬ったことすらも斬るように」

 

 君を斬った。

 斬撃も斬った。

 だから俺は斬れる。

 

「だって俺は……」

 

 俺、は……。

 

「え……?」

 

 そこで、俺は気付いた。

 気付いて、しまった。

 

「……そうだよ、青山」

 

 エヴァが残念だと表情を曇らせた。

 だけど、すぐに慈しむように柔和に微笑むと、「ごめんね」と申し訳なさそうに彼女は続ける。

 違う。

 そんな、君が謝ることなんて何もないのに……。

 

「私は届かなかった。貴様のために、似合うように……でも、私じゃ、駄目だった」

 

 命を積み重ね、命を凝縮し。

 あらゆる個を己の個の下に敷き詰めたエヴァの覚悟。

 それがどういうことなのかようやく分かった。

 あらゆる命を束ねて俺を超えたということはつまり。

 

 彼女一人では、俺にはまるで届かなかったのだ。

 

「私は、貴様を殺せなかった」

 

 そこまでした彼女の覚悟。

 愛したから、傍に居たかったから、君はなりふり構わず全てを出し尽くし、世界すらも使い尽くしてくれたのに。

 俺は。

 俺は、それも、斬って……。

 それはつまり。

 

「ならばどうする? 何億の命を束ね、その全てを一つに集めた私ですら届かなかった貴様は……どうなるんだ? 人間なのに、人間を超えてしまった貴様は……」

 

 斬ることだけで良いと思っていた。

 だがどうだ。斬れないものを探して、斬れるものを斬り、でも斬ることも斬った俺は、何だ。

 俺は、何を斬った?

 

「俺、俺は……」

 

「すまない。青山」

 

 全てを悟った俺を見るエヴァンジェリンの瞳から一、筋の雫が流れ頬を伝って俺の掌を流れた。

 人間を殺すために殺す化け物が、人間の俺のために流す涙の意味。

 この戦いで幾度と流された君の涙の理由を知らず、俺は無邪気に今を楽しみ続けて。

 

「化け物の私ならよかった。人間を自分とは違うと切り離して、貴様を思いながら朽ちるならよかった。でも、貴様は人間だ。孤独な化け物ではなく、無数の同胞が居る貴様は、きっと思い続けて、そして絶望してしまう」

 

 脳裏を過ったのは、ネギ君のことだった。

 英雄として歩を進めた彼が秘めた可能性。その可能性は俺の探す輝きなのだと願っている。

 願っているのだ。

 つまりは、願望。

 その意味することは――。

 

「貴様は、孤独だ。化け物でもなく、人間のまま、孤高ではなく孤独な貴様の先を思えば……どうして、涙せずにいられよう」

 

「エヴァ……!」

 

 零れ続けるエヴァの命が消えようとしている。俺は咄嗟に彼女の名前を呼んでしまった。斬れたというのに、呼んでしまったのだ。

 いや。

 分かっている。

 俺が彼女を引き留めようとしているのは、俺を置いて逝ってほしくないから。

 

「かわいそうな、あおやま」

 

 そんな俺の願いに応えようにも答えられないエヴァは、最期に残された命を全て使い、慈しむように。

 

「そう、貴様は――」

 

 あるいは、憐れむように。

 

 

 

 

「強く、なりすぎた」

 

 

 

 

 そう言って、彼女は瞼をゆっくり綴じた。

 

「エ、ヴァ……?」

 

 なぁ、エヴァ?

 

 

 

 

 聞いてくれ、エヴァ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァ、俺は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァ……頼む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァ…………俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァ…………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……」

 

 風が、流れた。

 無意識に、辺りを見渡した。

 掌の冷たさは、失われていた。

 もう誰も、傍に居なかった。

 

 

 

 

 そういうことだと、俺は知った。

 

 

 

 

 





 何もかも斬った。
 何もかも斬れた。
 求めたのは斬れないものだった。
 だが、全てを斬れる強さがあった。

 次回【しゅらばらばらばら】

 それでもと求めた。
 それでもと信じた。
 だからこそ、君は居る。

 俺の前に、君は居る。




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エピローグ【しゅらばらばらばら】

 

 まるで先程までの激闘が嘘のように静かな修行場で、明日菜とネギは転移前の最後の休養を取っていた。

 響とエヴァンジェリンの戦いをその目で確かめる。それがどれだけ危険なことか分かっているからこそ、こうして外界との時間がずれている修行場の特異性を使うことで疲弊した体力の回復に努めていた。

 普段よりも時間をさらに加速させることによって、現在外での十分がこの場での三日に相当するまでになっている。無論これが水晶内部の時間加速の限界という理由もあるが、仮に十分を百日にすることが出来たとしてもネギは三日以上の時間を取るつもりはなかった。

 何故ならば――。

 

「僕が逃げてって言ったら、明日菜さんは逃げてくれますか?」

 

 ネギは唐突にそんなことを明日菜に問いかけた。

 

「ふぁ?」

 

 リスのように頬を膨らませながらサンドイッチを頬張っていた明日菜は、その問いに目を数度瞬かせると、次の瞬間テーブル越しのネギに身を乗り出して拳骨を叩き込んだ。

 

「ふぁひふぁふぁふぁほほほひっへふほよ」

 

「汚い! サンドイッチのカスを飛ばさないでくださいよ!」

 

 言われて、乙女としての羞恥心に頬を染めながら、乙女とは言えぬ勢いで口の中のサンドイッチを咀嚼し、ジュースで一気に喉へと押し込んだ明日菜は眼力鋭くネギを睨みつけた。

 

「……何馬鹿なこと言ってるのよ! 次そんなこと言ったらぶん殴るからね!」

 

「相変わらず口より手が早いですね明日菜さん」

 

「あ?」

 

「いや、そういうところですって明日菜さん」

 

 これ見よがしに拳を掲げる明日菜に辟易しつつ、ネギは行儀よくカップに口つけて一呼吸置いた。自分よりも一度明日菜の頭を冷やすためだったのだが、どうせまた怒り出すんだろうなぁと考えながらもネギは真剣な表情を浮かべた。

 

「真面目な話です。もしも僕が逃げてって言ったら明日菜さんは逃げてくれますか?」

 

「嫌よ。お断りね」

 

 迷いのない明日菜の返事がネギには嬉しかった。言葉は少なくとも、明日菜はこんな自分の相棒として尽くしてくれようとしている。

 しかし、だからこそ。

 明日菜がネギと共に居ようとしてくれるように、ネギは明日菜に生きていてもらいたいのだ。

 

「でもいきなりどうしたのよ」

 

 ネギの考えを読んだわけではないのだが、明日菜はなんとなく不穏な雰囲気を感じ取った。まるでネギが何処か遠くに消えて行ってしまいそうで、今ここで繋ぎ止めなければならないという衝動に駆り立てられる。

 

「大丈夫です」

 

 そんな明日菜を安心させるようにネギは微笑んだ。だがその淡い微笑みが余計に明日菜の不安を肥大させていく。

 

「……もしかして、エヴァと、青山さんのこと?」

 

 明日菜は僅かな時間とはいえ目の当たりにしたエヴァンジェリンと響の力を思い出して身震いした。

 恐怖はあるが、それと同じくらいの高揚があるのも事実だった。極まった個人の力が及ぼす影響の最高峰。あの二人こそが世界で唯一の頂点であると言われても納得できる程の力の発露。

 

「ねぇネギ。私は傍にいるよ」

 

 目の前の少年が一人だけで進まないよう、共に歩むと誓った。その誓いは嘘ではない。

 だから、そんな悲しげな顔をしないでほしい。

 弱気になりそうな相棒を奮い立たせるのは自分の役目だと、明日菜は胸を張って破顔一笑した。

 

「私は何があっても一緒に戦ってあげる。だから大丈夫」

 

「明日菜、さん……」

 

「だから言ってよ。何か感じたんでしょ? それで……」

 

「そこからは、僕に言わせてください」

 

 ネギは観念したように一度溜息をつくと、何もかも悟ったように澄んだ笑みをみせる明日菜に吊られて頬を緩めた。

 

「すみません。僕はこの期に及んでまだ一人で全部を背負い込もうとしてました」

 

「気にしなくてもいいわよ。考えるのはアンタ。身体を張るのは私。でも、歩くのは一緒なんだから」

 

 だから全てを話してほしい。

 隠し隠され、騙し騙されるような関係ではもうないはずだ。

 

「私も、分かってるよ」

 

「明日菜さん……」

 

「きっと、ね」

 

 この戦いの果てに待ち受けるもの。

 もしも出向いた先で待ち受けるのは冷血の化け物であれば、きっと明日菜とネギは力を合わせて、か細い勝機を得ようと最期まで抗うだろう。

 だがもしも相手があの響であったのならば――。

 

「分かってる。だから、話して。それが終ったらさ、一緒に騒ぐわよ!」

 

「……そうですね。うん、その通りだ」

 

 迷いごと断ち切るような明日菜の笑顔を見て、ネギもまた訪れる未来を思うのではなく、今ここで隣に立ってくれる少女との一時を楽しむことにした。

 

 

 

 

 

 風が流れた。

 心まで凍り付くような冷たい風は、涙すら枯れる程に無情で、そこには最早何もかもがないのであると突きつけているかのようであった。

 だがそこに響は立っている。掌の中で砕け散った氷の欠片を握り締めて、慟哭すらも出来ずに立ち竦み、惑う瞳は行く当てを求めて周囲をさ迷った。

 何もかもだった。

 斬撃を斬り、己という個人を極め続けていく果て、共に寄り添い歩んでくれた恋人を失った今になって、響は己が何もかもを失ったのだと知ってしまった。

 

「そうか」

 

 これが絶望だ。

 響は強くなりすぎた。あくまで総軍としての力を発揮していたエヴァンジェリンとは違って、響は個の在り方で世界一つを相手取り、斬り捨てるという偉業を成し遂げたのだ。

 その意味することはつまり、青山響は世界一つでは対処出来ない何かに成り果てたということ。

 全身が疲労し、流してしまった血潮は足りず、気は残滓も残っていないというのに。

 その状態でも響を打倒する存在はこの世に存在しないだろう。何故なら響はこの状態でエヴァンジェリンを斬れてしまった。斬れないと思えた物を、斬れないと信じられたくせに斬ることを叶えたのだから。

 だから、響にはもう斬れないものは――。

 

「でも、俺は……」

 

 脳裏を過った思いを否定するように響は頭を振った。

 仮に。

 もしも響が只の青山だったのなら、こんな葛藤は抱かなかっただろう。純粋に斬ることだけに腐心し、斬るために斬る故に斬れるからこそ斬ってきたあの日々に立っていたかつての自分ならば。

 例え世界を斬ったとしても、永遠に斬ることを求めていられたはずだ。

 だが既に響は己の中の青山すらも斬った。そして、青山を斬った斬撃すらも斬った。

 では、何だ?

 この体と魂は、修羅道を歩みながら、人間に在り続ける己の存在は何だ?

 分からない。

 もう、分からない。

 

「……エヴァンジェリン」

 

 だってもう、君が居ない。

 心に芽吹いた愛おしさすら、この身を焦がす致死の猛毒だというのか。

 

「だけど、まだだ」

 

 地面に伏せた顔を上げた響は、殆ど掠れた視界の隅に歪む人影を見つけた。

 全てを斬った。

 愛おしさすら斬り捨てた。

 だけど、まだ君が居る。

 

「君を、君達を、待っていた」

 

 この絶望を終わらせろ。

 それだけが、我が身に残された唯一無二の希望なり。

 

「これが、青山……」

 

 全身が傷だらけで、立っているだけでふらついている。蒼く透き通った両目はこちらを正しく見ているかも定かではなく、両手には愛用していた刀も存在しない。

 だがここにエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは居ない。

 ならば青山響は斬ったのだろう。あらゆる障害を斬り捨てて、最後の刹那に振りぬいた一閃にて、あの恐るべき化け物を斬ったのだ。

 

「これほど、とは……」

 

 ネギと明日菜を連れて転移してきたアルビレオは、満身創痍の響が行った所業を想像して、魂の奥底からこみ上げる恐怖に喉を引きつらせた。

 いや、例えアルビレオでなくとも、周囲一帯の光景を見れば否が応でも分かる。地平線を超えて影響を及ぼしている氷獄の残滓は、およそ不死の生物であるエヴァンジェリンをして自壊を厭わぬ力の結果。世界樹どころか、その魔力を媒体にしてあらゆる場所から搾取した命を乗せた化け物の執念は、歴史を紐解いても足下に匹敵する存在すら見つからないだろう。

 だが青山響はここに居る。

 満身創痍で尚、ここに立って、自分達を待っている。

 知らず、後退ってしまったことを恥じるような余裕はアルビレオには無かった。

 世界中のありとあらゆる人材と技術を投入しても届くか分からないような化け物と成り果てたエヴァンジェリンを、たった一人で相手取り、遂には勝利する。

 最早、英雄が起こした奇跡と呼ぶことすらできない。

 異常だ。

 青山響は、異常だ。

 

「行きましょう、明日菜さん」

 

「ハッ、言われずとも」

 

 だが、対峙するだけで歴戦の戦士が恐れ戦く存在へと、アルビレオの横を抜けて二つの影が前に出た。

 

「ネギ君。明日菜さん……」

 

「今までお世話になりました。マスター」

 

「師匠、ここ暫く、なんだかんだで楽しかったわ」

 

 何か言おうとしたアルビレオの言葉を遮って、ネギと明日菜は振り返ることなくそう告げた。

 彼の前に立っている二人の背中には迷いなどなかった。まるで、これが自分達の運命であると言わんばかりに、背を伸ばし威風堂々と、風を切って一歩を踏み出した彼らの強さに、アルビレオは後悔とも悲哀ともつかない表情を浮かべて俯いた。

 

「逃げなさい。今なら貴方方だけは逃がせる」

 

 だからこそ口から飛び出した弱気な言葉は、純粋に弟子を思うアルビレオの優しさからだった。

 

「もう、アレには誰も届かない」

 

 ネギと明日菜が動き始めた足を止めた。それはきっと、アルビレオが響を見た瞬間に悟った真実を二人もまた悟っていたからに違いない。

 例え自分達の体力が万全の状態で、全ての気を使い尽くし、いつ倒れてもおかしくない響が相手でも、勝てる見込みは砂漠に落とした砂粒を探すより至難である。

 覆すことなど出来ない明確な事実。無論、ネギと明日菜が弱いと言っているわけではない。むしろ木乃香との戦いを経た今の二人ならば、より強く輝きを増した翼で、修羅外道の極みにすら匹敵したはずだ。

 だが、アレはもう違う。

 

「勝てるはずがないです……! 貴方達が今対峙しているのは、もう我々が……この世界ではどうにもならない存在なのです……!」

 

 世界中の命を束ねたエヴァンジェリンは、そのやり方は別として、きっと世界そのものが遣わした響という異端への切り札であったに違いない。

 それすらも届かず、むしろエヴァンジェリンと戦うことで響の斬撃は言語を絶する領域を踏破してしまった。

 結果、世界そのものが敗北した。

 ならば残された生命体に許されるのは、青山響という脅威が自然死するまで永遠に逃げ続けることのみ。

 アレを見れば誰にでも理解出来るはずだ。

 アレがそういう存在だと誰もが認めてしまうはずだというのに。

 

「でも、行くわ」

 

「えぇ、それでも、僕らは行きます」

 

 しかし何故、ネギと明日菜は前を向ける?

 迷いを捨てたわけではないだろう。

 勝利を信じているわけではないだろう。

 生きて帰れると思っているわけでは、ないだろう。

 だが、それでも。

 

 それでもと吼えるのが、ネギと明日菜が手にしたたった一つの冴えたやり方ならば――。

 

「ネギ」

 

「はい、明日菜さん」

 

 立ち止まることも、引き返すこともない。既にアルビレオの手を離れて舞い上がった二人で一つの英雄は、共に懐かせた強がりを武器に、最期にして最強の修羅の前に立つことを決めたのだ。

 

「……私では、もう貴方達を止めることは出来ないのですね」

 

 アルビレオはゆっくりと離れていく背中に悲しげな眼差しを送った。

 それこそ今更の話であったはずだ。彼らが響とエヴァンジェリンの待つ戦場に赴くと決めた時から、例え誰が待ち構えていようと彼らは胸を張って前に出ていただろう。

 分かっていながら、アルビレオは心の何処かに滲んでいた弱気を吐き出さずにはいられなかった。

 弱さを見せた以上、自分はここには居られない。

 最期に深々と頭を下げたアルビレオは、修羅場に赴く弟子たちの背中を見届けて、地球へと転移する。

 そして――。

 

「ネギ・スプリングフィールド……! 神楽坂明日菜……!」

 

「青山……!」

「響……!」

 

 一方はか細い希望を託すように。

 一方は総身を潰す絶望に抗うように。

 修羅と英雄。

 共に過酷を超えた両者が、全てを奪われた修羅場の残骸を舞台に、遂に会合を果たした。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 数秒、三人の間で言葉を発する者はいなかった。

 明日菜は完全開放されたハマノツルギを構えてネギの前に立ち、ネギはアルビレオが転移した瞬間に展開した術式兵装『雷轟世界』の分身体を傍に控えさせて立っている。

 

「ふ、ふふ……」

 

 不意に、響が肩を揺らして笑みを浮かべた。

 その意図を探ろうともせず、油断せずに構えている二人を見て、いっそう笑みが溢れてくる。

 初めて出会った日から待ち続けた。

 彼はいずれこの身に届く才覚を秘めているのだという確信があった。

 そして今、彼はここに居る。しかも、殆ど彼に匹敵するだろう少女を相棒として、英雄という修羅とは真逆の光を宿してみせたのだ。

 ――青山では、斬れないかもしれない。

 人の可能性を極めた青山だけでは、体調が万全で証かひなのどちらかが手元にあっても、よくて相討ちに持ち込めるかどうか。

 そう思うと笑いがこみ上げてくる。

 これだ。

 これこそ己が待ち望んでいた天賦の才。

 修羅外道と対を為す英雄という素晴らしき存在ならばこの絶望を終わらせられる。

 

『強く、なりすぎた』

 

「ッ……!」

 

 直後、響の思考に走ったのはエヴァンジェリンが残した一言。

 

 ――そして。

 

 ――あぁ、そして。

 

 

 青山響の絶望が、始まる。

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁ!」

 

 明日菜が響の心に生じた一瞬の隙を見出して突貫する。

 『青山の瞬動に匹敵する』踏み込みは、響に浮かんだ迷いの間を縫って間合いを埋めた。

 振り上げた刃は当然振り下ろされている。防御などは意識しなかった。ネギと共に歩んだ短くも濃密な日々。神楽坂明日菜として過ごしてきたこれまでを全て乗せた斬撃は、阻む者を何もかも切断して未来を切り開く光の軌跡。

 

 瞬間、明日菜の体が上半身と下半身に分かれて吹き飛んだ。

 

「え?」

 

 何故?

 目の前で起きた疑問。

 茫然と見下ろした先、手には真紅と臓腑の暖かさが残っていて。

 

「それでも僕はッ!」

 

 両手を掲げて呆けた響の前方、両腕に分身体を乗せたネギが、その命を散らした明日菜を抜き去って吼え滾った。

 分かっていた。

 それでも。

 それでも叫び続けると誓った。

 だからこそこの一撃に全てを乗せる。

 明日菜は最初から自分が犠牲になって響に隙を作り出すつもりだった。

 言葉を交わさなくても分かるのだ。

 心を繋いだから分かるのだ。

 だからネギは走る。

 振り返らない。

 振り返ったらきっと泣いてしまうから。

 だから走れ。

 走り続けて。

 この手が届くその瞬間まで――!

 

「術式解放!」

 

 響は足下から脳天まで突き抜ける衝撃に心すら震わした。

 目の前、吐息すら届く距離に立つネギが、右拳に乗せた全魔力と分身体、そして踏み込みの衝撃で放射状に罅割れた大地より得た力を練り合わせる。

 この拳がネギの全て。明日菜が託した想いと、ここまでに自分が歩んだ道のりの重さ。

 きっとその時は短くても、誰よりも早く、速く駆け抜けた想いは本物で、誰にも負けない輝きを魅せているから。

 だからこそ行け。

 走って超えて。

 踏み出せと。

 吼える心が、拳に装填された弾丸を放つ撃鉄と化す。

 

 だから、吼えろ。

 

「雷轟・(アマツ)!」

 

 叩き込まれた撃鉄が、暗黒天体すら貫く流星を生み出した。

 霞んでいた響の視界が全て白に染まる。回避の余裕は何処にもない。白銀の軌跡は、発生した衝撃だけで氷獄の世界を全て破砕し、命を圧縮した人の煌めきは、空を超える。

 誰にも、この一撃を防ぐことは出来ない。ネギ・スプリングフィールドが切り札、雷轟世界の全てを一撃で解放する荒業は、人が人として作り出せる極限の奇跡。

 命の可能性は、曇天の空を振り払い、空に煌めく星々の中へと溶けていく。まるでそれでもと叫び続けたネギと明日菜のように、空を突き抜けて暗黒の海へと躍り出た神秘の描く軌跡は、その輝きを失わないまま突き抜けていき。

 

「ぁ、ぐ……」

 

 ネギの心臓を、響の抜き手は確実に貫いていた。

 

「……あ」

 

 それで、終わり。

 まるで呆気ない。期待した高揚も、待ち受けていた苦痛も何もなく、英雄が凝縮した全てを、道端の石ころを蹴るように斬って、終わり。

 

『強く、なりすぎた』

 

 心には、彼女の言葉が繰り返され続けている。その悲哀に満ちた言葉の意味を、守り続けた宝物を斬ったことで響は遂に理解した。

 誰も、届かない。

 こんなにも疲労した状態ですら、自分は万全の状態で挑んできたネギと明日菜の最大級を容易に抜けてしまった。

 明日菜の一撃は重く鋭く速かった

 ――エヴァンジェリンの放つ怒涛の連撃の一つにすら届かないが。

 ネギの一撃は眩しく暖かく激しかった。

 ――エヴァンジェリンの放った最後の一撃は、それすら凍らせて余りある程冷たかった。

 だから斬れた。

 こんなにも呆気なく斬れて。

 

「あ、あぁ……!」

 

 全てを斬れた。

 何もかもを斬れる強さがあった。

 それでも君は立ってくれた。君達は迷いなく進みだしてくれた。

 だが斬れる。

 容易に斬って。

 

 なら、俺は――。

 

「俺、は……?」

 

 世界を斬った。

 恋人を斬った。

 英雄を斬った。

 己すらも斬った。

 斬られた全てと、斬られた己。

 

 修羅ばらばらばら孤独に立って。

 

 尚も進むか。我が超越よ。

 

「お、俺、は……」

 

 慟哭の意味を、響の両目から流れる涙の理由を誰も察することは出来ない。

 しかし、一つだけ。

 それでもたった一つだけ、確かなことが存在する。

 

「俺は……!」

 

 成長し続ける最強(修羅)よ。

 

「強く、なりすぎた……!」

 

 これがお前の、絶望だ。

 

 

 

 

 

 

【Love is over】

 

end

 




次回に続く。


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エピローグ2【流星の結末】

 

 英雄と修羅の戦いはあまりにも呆気ない結末を迎えた。

 だがまだ戦いは終わっていない。

 英雄は敗北し、修羅は勝利を手にした。

 それでも。

 それでも、人間はまだ、抗えるから――。

 

「ぐ、はっ……はっ、はっ、ははっ……!」

 

 そして、ネギ・スプリングフィールドは己の狙い通りの敗北に哄笑した。

 

「ネギ、君?」

 

「ぼ、くの……負けです」

 

 ネギは心臓を抉った響の腕を掴んで無理矢理引き抜くと、傷口を魔力で補填してぎりぎりの延命処置をする。

 だがその延命も一分も続かない程度。最早、ネギに待ち受けるのは絶対的な死だけだ。

 だというのにネギは嗤っていた。

 茫然自失とする響の顔を見て、会心の笑みを浮かべてみせた。

 

「そして、貴方は、終わりだ」

 

「な、に……?」

 

「僕達を、斬った。貴方は、未だ、成長の余地を残した、僕達を、斬ったんです」

 

 瀕死のネギが告げた言葉が、自壊寸前の響の心をさらに貫く。

 まだ、ネギと明日菜は強くなれた。

 もしかしたらと、あの輝きを超えた一撃を。

 

「ば、馬鹿な……だって、君達は、君達の極みは……!」

 

 極まっていた。響は確信を持って断言できる。ネギと明日菜は確かに英雄としての領域に突入していた。間違いなく、青山だったかつての自分とならば互角の戦いを演じられた実力を備えていた。

 それはつまり人の極み。極みを超えた響だからこそ言える。ネギと明日菜が魅せた輝きは、英雄と言う人の心の極みだった。

 

「何を、言って、い、るのですか?」

 

 だからこそネギは嗤う。

 これを待っていた。

 京都で僅かばかり会合した響の在り方を、体を回復させる数日の間ひたすら考えた。

 そしてネギは気付いた。

 故に明日菜を残そうとしたけれど、明日菜は全てを聞いたうえで、一緒に死んでやると言ってくれたから。

 だから今こそ、真の切り札を放つ。

 人の純粋さを超越した修羅へ叩き込む、珠玉の弾丸。

 

「僕らは、まだ、子どもですよ?」

 

 ――お前は、焦りすぎたのだ。

 ネギと明日菜。もしかしたら成長の果てに自分を終わらせることが出来る最後の希望を、くだらない焦燥感で斬り捨てたのだと。

 

「もしかしたら、貴方を倒せたかもしれないのに」

 

 ネギは続ける。半ば放心した響をさらに追い詰めるために。

 

「で、でも、俺は、俺は……!」

 

「え、ぇ。貴方は強い。ですが貴方は、そのせいで、全てがもう自分には追いつかないと、勝手に、決めつけた……」

 

 どうしてここまで響のことが分かるのか。きっとそれは、かつて色を失って修羅の道へと半分身を浸したからなのか。

 あるいはネギが響に匹敵する天才だったからか。

 どちらにせよネギは響の内心を見透かしたように言葉を放つ。

 目は霞み、手足は鉛のように重い。

 それでも。

 それでもこの修羅をネギは――。

 

「そう、貴方は――」

 

 笑った。

 

「強く、なりすぎた」

 

 強くなりすぎたための悲観。その代償に、響は己を殺せるかもしれない相手を誤って斬ってしまったのだと、思い込ませる(・・・・・・)

 滲んでしまった視界。もう一瞬だって立っていられない中、偽りの弾丸で貫かれた響が浮かべる表情を見て、ネギは残された唯一の勝利を得られた事実に、満足した。

 

「……やりましたよ。明日菜さん」

 

 残された全ての力を使って、半身に分かたれた明日菜の元に辿り着いたネギは、寄り添うように隣に横たわった。

 

「僕らは……」

 

 ――勝った。

 フィルターのかかった鼓膜を震わす響の慟哭が勝利の鐘代わり。

 残された一分。

 告げた言葉は、響の希望を砕き、そして新たに偽りの希望を芽吹かせるだろう。

 もしかしたら、現れるかもしれない。

 絶望のまま全てを斬ってしまってはいつか芽吹く希望すら斬り捨てることになるかもしれない。

 だから待っていれば、誰かがいつか、ネギや明日菜のように成長し、成長しきった後に目の前に立ってくれるかもしれない。

 

 ――慟哭の後、貴方はそう思うことだろう。例え、その希望が偽りだとしても、未完成の僕らを斬った貴方は、そう思わなければ絶望してしまうから。

 

 ネギは全てを予想していた。

 足りない力を補うのはいつだって人の知恵。

 浅知恵と笑うか?

 あり得ないとなじるか?

 だが響は慟哭している。

 だがネギは響の絶望を予想している。

 そして、ネギが叩きこんだ弾丸によって、孤独の修羅は偽りの希望を芽吹かせようとしていた。

 それが現実。

 ネギと明日菜がもぎ取った、真実の偽り。

 

「は、はは」

 

 誰かが響に追いつくかもしれない?

 ――そんなこと、あり得ない。

 ネギは響を前にした瞬間全てを理解した。例えこの先、きっと世界が終焉を迎える日まで、青山響に匹敵するものは現れないと。

 そういった確信を持たせる程に、響は強くなりすぎた。

 だからこそ、未完成のネギと明日菜を斬ってしまった響は、もしかしたらというあり得ない可能性に期待してしまう。

 あり得ない。

 だが、あり得てほしい。

 それはきっと、人の夢。

 あまりにも儚い、甘い毒。

 

「……これで、大丈、夫」

 

 もう響は自分から何かを斬りに行こうとはしないだろう。きっと、目についた人間(希望)を斬ってしまうことを恐れて、人間を斬らないように人目を避け続けることになるだろう。

 そして、一人孤独に寿命を迎えて死ぬのだ。

 永遠に現れない希望を望み続けながら、希望と言う呪いに身を浸して、溺死するのだ。

 そう。

 いつだって、劇的な何かはつまらないことだという現実を突きつけるように。

 世界すらも斬り捨てることが出来る恐るべき修羅は、人としての孤独に付け込む人間の嘘によって、自身も分からぬままに屈することになった。

 

「やった、明日菜、さん」

 

 決して誇れる勝利ではない。そもそも、勝利とも言えない。さらには、例え目論見通りいっても、響が誰かと出会い斬る可能性は十二分にあり、ネギが植え付けた希望の水を枯渇させ、絶望の末に世界を斬るかもしれない。

 だがそれでもネギと明日菜は出来ることをした。力で及ばず、ゴミのように蹴散らされながら、それでもと抗い続けたから得た結果を。

 

「僕は、やり、まし、た」

 

 その勝利を。

 ネギは、隣の明日菜に誇った。

 

「だか、ら、明日菜、さ、ん」

 

 ――よくやったって、言って……。

 

「明日、菜、さん?」

 

 返事はなかった。そこでようやくネギは、響によって両断された明日菜の瞳に光が無くなっていたことに気付いた。

 既に明日菜は死んでいた。

 策とも言えないネギの案に乗って、迷うことなく全てを乗せた一撃を放ち、当然のように蹴散らされた明日菜は、ネギよりも先に遠い場所へと行っていた。

 もう、隣で歩んでくれた少女は居ない。

 死にかけの身体に引きずられるように弱くなった心が、その事実に折れそうになる。

 

 明日菜さんはもう喜んでくれない。

 明日菜さんはもう怒ってくれない。

 明日菜さんはもう泣いてくれない。

 明日菜さんはもう――。

 

「あっ」

 

 その時、ネギは見た。

 一秒もせずに暗黒に閉じるだろう最期で、ネギは辛うじて見ることが出来た。

 

「何だ、明日菜さん」

 

 最期に見たのは、いつだって自分を信じて、きっとやり遂げてくれたと確信した――。

 

「笑って、いるんですね」

 

 まるで自分を褒めてくれているような、相棒の口許に浮かんだ小さな笑みを見届けると――。

 

 ネギ・スプリングフィールドも、彼女と同じ微笑みを浮かべ、その閃光のように短い生涯の幕を降ろすのであった。

 

 

 

 

 

 随分と冷え込んできた。

 零れた吐息の白さを見て、雪広あやかはいつの間にか過ぎ去った日々を思い苦笑した。

 

「……あれからもう、半年以上になるのでしょうか」

 

 空に溶けていく息を目で追えば、まるで世界中の人々の心を映したかのような灰色の雲が広がっている。

 誰もが、心にかかった暗雲を払えずに、こうして冷たくなり続ける日々を怯えながら過ごしているのだろうか。そんなことを思って、あやかは不意に溢れそうになる涙を自覚して目を閉じて堪えた。

 京都復興の日。その日、世界は一つの転換期を迎えた。

 魔法と呼ばれる、まるでアニメの世界そのものの常識が人々に認知されたその日は、人々が幻想に憧れるのではなく、幻想の襲来に怯えるという結果となる。

 突如として世界中で起きた集団恐慌。世界中の殆どの赤子、幼児、少年、少女、そして一部の大人や青年達が隣人を刃物で襲い始めるという異常事態に対して、世界中のありとあらゆる政府が、魔法による現代社会の攻撃として公表した。

 そしてその主犯として挙げられたのが、クラスメートである超鈴音と、京都行きの新幹線に乗り合わせた男、青山響だと言うのだから人生とは分からないものである。

 少数の人間による世界規模のテロ行為。当然ながら魔法などという存在を知らなかった人々は、魔法という存在すら信じられないというのに、どうして個人による世界を混沌させたテロ行為を信じられるだろうか。

 だがその後、青山響が起こした斬撃の呪いとでも言うべき音色に侵された魔法使いが各地で暴走し始めたことで、少なくとも魔法の存在については信じざるをえなくなる。

 だが、悲劇はそれだけでは終わらない。

 魔法使いの暴走とその鎮圧もままならないというのに、さらには独裁国家の独裁者が斬撃に犯されたことにより戦争が勃発。その戦争および、暴走した魔法使いは隣国が投入した敵ではないかと疑心暗鬼に陥った国家の不満は数か月もしない内に頂点に達し、第三次世界大戦は始まった。

 

「本当に、分からないものですわ」

 

 それからさらに数か月の現在。呪いに犯されなかった魔法使い達の手によって、核戦争という最悪の事態は免れたものの、今やこの平和な日本ですら隣人への疑心が払拭されないような殺伐な世界へと成り果てた。

 それでも、少なくとも自分はまだ幸運なほうであるとあやかは思う。

 あの事件の後、あやかを含んだ麻帆良学園の学生達は、混沌とする世界を憂いながらも、近右衛門以下、麻帆良学園の魔法先生達の尽力によって現在でも狂気に晒されることなく、互いに互いを支えながらもなんとか日々を過ごせていた。

 

 だからとはいえ、幸福であるかと言えば、きっと嘘だ。

 

「入りますわよ」

 

 あやかは目の前の扉をノックすることなく、一言だけ告げると扉を開いた。

 かつてはネギと明日菜と木乃香の三人が居た部屋は、賑やかさを失って久しい。こうして定期的に清掃をしには来ているが、その度にあやかは虚しさに心が潰されそうになっていた。

 だが、それでもあやかはこうして訪れるたびに挨拶を欠かさない。

 もしかしたらいつか

 いつか、きっとかつてのように。

 

「……明日菜さん、木乃香さん、ネギ先生」

 

 五月蠅いくらいに賑やかだったあの日々が、戻ってくるのではないか。

 そんな淡い夢を抱くのは、いけないことなのだろうか?

 しかし呼びかけに返ってくるのは痛いばかりの沈黙ばかり。

 もう、ここには誰も居ない。

 誰も、居ないのだ。

 

「私は、馬鹿です」

 

 誰も居ないリビングを満たす重い空気に押し潰されるように両膝をついたあやかは、懺悔するように両手で胸を握った。

 思い出すのはあの日のこと。迷いを振り切って真っ直ぐに歩き出した明日菜とネギの背中。

 どうしてあの時、自分は彼らを止めなかったのだろうか。

 勿論、事情を知らないというのにあやかがネギと明日菜を止められるわけがないのだが、あの時、唯一二人と会話した自分を責めずにはいられない。

 きっと、ネギと明日菜は青山響という男と共に居た木乃香を助けるために、たった二人で前に進んだのだ。

 超鈴音が犯人ではないと信じているあやかからすれば、あの青山という男が世界を壊した犯人だと決まっている。ならば、あの二人は世界を壊せる怪物から、木乃香を救い出すために抗ったのだろう。

 

「私は……!」

 

 せめて理由を聞かなければ通さないと立ちはだかればよかった。

 せめて子どものように泣きじゃくってでも縋りつけばよかった。

 せめて。

 せめてと。

 悔恨の言葉は心の洞から際限なく噴き出す。しかし、今更後悔したところで何になろうか。

 雪広あやかはあの日、二人を止める言葉を知らなかった。

 ネギと明日菜はあの日、あやかに告げる言葉を必要としなかった。

 そして、三人は、否、三人を含めた幾人ものクラスメートはここには居ない。

 あやかは全てを知らないし、知らされる立場には居ない。

 だから全ては憶測で、何もかも想像するしか出来ないから。

 故に。

 せめてもの懺悔と、あやかは己を責め。

 せめてもの希望と、あやかは彼らを待ち続ける。

 

「……いけない。弱気になってはいけませんわ」

 

 大丈夫だ。

 誰もが絶望的だと言っているが、少なくともタカミチの言葉が正しければ、木乃香だけは何処か別の場所で療養していると聞いている。

 ならば、ネギと明日菜も生きている。木乃香を心配した刹那も、すっかり雰囲気が変わったエヴァンジェリンも、きっと何かの誤解で世界中に指名手配された超鈴音も。

 きっと何処かで生きている。生きていると、信じている。

 

「皆様が帰ってきた時、ビシっと叱りつけないといけませんから。しっかりしないと」

 

 帰ってきたらきついお仕置きをするのだ。

 どうせネギも明日菜も、木乃香を救い出した後にこの混乱を抑えるために世界中を駆け巡っているに違いない。

 だから彼らが帰ったら沢山怒って、沢山泣いて、沢山笑って、ずっと抱き締めてあげよう。

 

「えぇ。だからせめて、帰ってくる場所を私が守らないと」

 

 疲れてヘトヘトになって帰ったのに、家が汚かったりしたら悲しいだろうから。

 いつかまたここで、笑顔でお帰りなさいと言えるように。

 いつかまたここで、笑顔で語らえるように。

 あやかは今日も思い出の詰まった部屋を清掃する。

 きっと明日も。

 そして明後日も。

 ネギ達が帰ってくることを信じながら、ずっと、ずっと。

 

 

 

 

 暗雲の空の向こう側。少女が流さなかった涙の代わりに一筋の流星が流れ、そして消えた。

 

 

 




次回、Bルート後日談。


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【なんて様】

 

 俺の話を聞きたいって?

 ってことはアンタ、もしかして地獄に行くつもりかい?

 ハッ、どうやら随分と腕に自信があるようだがやめとけやめとけ。アンタじゃアレに出会った瞬間あの世に行っているだろうさ。

 だから教えろって?

 成程、無鉄砲な馬鹿っていうわけではないか。少なくとも身の程を知らない馬鹿なだけってことだな。

 おいおい、そう怒るなよ。

 別にアンタを侮っているわけじゃないんだ。ただな、アレを知っている身としては、そうさなぁ……。

 まぁ、いいか。

 別に渋るような話じゃあない。どうせアンタはもう二度とここには戻ってこないし、俺は世界に蔓延る狂人を悉く駆逐した英雄様に渋る程偉い人間じゃないしな。

 さて。

 何処まで話したか……って何も話してなかったな。

 そうさなぁ。

 何処から話すべきか……。

 うん。

 あれは、そう、十年前の話だ。今となっちゃ全盛期を過ぎて衰えてきちまっているが、当時の俺と仲間達は、アンタも知ってるだろうが結構名の知れた賞金稼ぎだったんだ。

 あの日。

 そうさ、あの世界が変わっちまった日から現れ始めた狂人共が今よりも大量に居たころ、俺達はあいつらのことごとくを根絶やしにしてやった。

 そんな時さ、例のアレが見つかったって噂が流れたのは。

 そうだ。

 もうあいつは十年もずっとそこに居る。

 火星。

 あるいは魔法世界。

 一気に奪われた魔力のせいで世界を維持すら出来なくなって、十年前の時点でもうちょっとした街程度の規模しか残ってなかったかつての栄光の残骸跡。

 あそこにあいつは居るって話になった。

 世界を終わらせた怪物。

 人類の怨嗟の代表。

 だがそんな眉唾な話を俺達を含めて他の同僚もどいつもこいつも信じていなかった。

 たった一人で世界を終わらせた?

 あの狂人共の根源がアレ?

 魔法世界を残骸にした?

 ふふ、分かるよ。アンタも眉唾だと思っているんだろ? あぁ、分かっている。勿論アンタもアレが見つかってからの十年で未だに誰も取れていないことは承知なんだろ?

 だが世界を終わらせたっていうのは眉唾だとアンタは思っているわけだ。くくくっ、随分とめでたい思考だねぇ……っと、悪い悪い。だから怒らせるつもりはないんだって。若いなアンタ、昔の俺を見ているみたいで懐かしくなってくるよ。

 さって、話が逸れちまったな。

 ともかく、当時の俺達もアンタと似たような、いや、アンタよりもアレを軽く見ていたんだ。

 どうせ本当の元凶の政府が用意した体の良い羊ちゃんなんだろと。こうして悪意を集める対象を作って戦うことも出来ないカス共の溜飲を下げさせるつもりなんだろうってな。

 はは、随分と舐め腐っているなって?

 分かっているさ。

 だが俺達はアレが出始めた頃の人間だ。アレが出てからの十年でやらかしたことを知ってりゃ、流石に手を出すことは控えていただろうよ。

 魔法と科学の混成部隊の壊滅。

 転移魔法による一方的な絨毯爆撃の失敗。

 現存するありとあらゆる化学兵器の投下の不発。

 その他、数々の腕利き達があっちに行ってから消息不明。

 極め付けが、アンタを含めて一部の奴しか知らないが、我らが英雄ジャック・ラカンとタカミチ・T・高畑を筆頭とした精鋭部隊の全滅だ。

 この十年でアレがやったことは数知れない。

 だから政府も含めて誰もがもう奴に手を出すのを諦めちまった。今じゃ何も知らずに賞金に吊られた素人か、アンタのように腕自慢の馬鹿くらいしかアレの所に行こうとはしないくらいだ。

 だから。

 そうさ、だから俺達は行ったよ。

 人生を十回は豪遊して暮らせる金だ。疲弊しきった今の世界じゃ破格の賞金だからな。どいつもこいつも我先にとあの地獄に突入したよ。

 ん?

 あぁ、これな。

 様ぁないだろ。あれから十年経ってるってのに、あの時を思い出すだけで体が震えてきちまうんだ。

 偶々最後に突入して、たった一秒だけ動ける時間があったから生き残れただけなのにな。

 お。

 初めて驚いた顔を見せたな。

 アンタの思っているとおり、俺を含んだ当時の賞金稼ぎの殆どが結託して突っ込んだ魔法世界。

 あれだけ居れば一つの街だってあっという間に消し飛ばせる戦力が集まったってのによ。

 一秒だ。

 俺達は、たった一秒アレの目の前に立っていただけで全滅した。

 悪いな、長々と話に付き合ってもらったってのに、俺が言えるのはこの程度のことなんだ。

 相手の特徴とかかい?

 おっと、それは重要なことを言い忘れていたな。怒るなよ。俺だって思い出すのすら辛いことなんだ。きついやつを腹に落としながら話さないとまいっちまうんだ。

 ……。

 ……。

 はぁ……。

 青い、まるで青空のように澄んだ眼の男だった。

 襤褸切れみたいな服でよ、武器なんざ一切もってなかった。

 だけど、ありゃありえねぇ。

 三日月って知ってるかい? はは、そりゃ知ってるか。なんせお空にずっと浮かんでるんだからな。

 じゃあアンタ、三日月で斬られると思ったときはあるかい?

 無いか。

 まぁ、普通はそうだよな。

 アレは、空の三日月で斬られるような絶望感だった。これまで立っていた地面も綿菓子みたいにふわふわでよ。走馬灯すら走らない絶望と、諦め。

 俺はここで斬られる。

 どう足掻いても、斬られてしまう。

 あの鋭い弧に斬られて、死ぬ前に斬られちまう。

 そういうのだったよ。理屈じゃないんだ。アレを目視出来た時点で俺達に残された道は斬られることだけだった。

 だが、どういうわけか俺は偶然起動した帰還の魔法に乗って脱出出来た。

 今でも不思議なんだ。俺はどうして斬られてないのかってな。

 いや、もしかしたらもう斬られちまってるのかもしれねぇ。

 毎晩、いつもいつも、起きてから寝るまでも、ずっとずっと。

 俺は斬られてるんじゃないかって思うんだよ。

 でもよ、こうして俺はここに居て、今じゃあの怪物を前に唯一生き乗った凄腕なんて言われる始末だ。

 冗談じゃねぇ。

 俺は生き残ったんじゃないって何度も言ったのにあいつらは謙遜だと聞きもしねぇ。

 俺は斬られたんだ。

 俺は斬られたのにここに居る。

 違う。

 俺は斬られてない。

 なぁ、そうだろアンタ?

 俺は斬られてないよな?

 だって俺はもう斬られてるんだから。

 斬られることなんて、ないよな?

 

 

 

 

 

 かつて、魔法世界と呼ばれていた世界があった。

 地球で発展した科学の常識を嘲笑うような超常現象である魔法文化を独自に発展させていったその世界では、地球の科学力を遥かに凌駕した圧倒的な個の能力を持つ者達が多数存在していた。

 だがそれも十年以上も前の話。

 今や、魔力を根こそぎ奪われ尽くして消耗しきった大地には生命の息吹は存在せず、残されたのは街一つ分程度のか細い土地のみ。

 命の息吹など殆ど感じられない壊れた世界。

 最早、資源としても利用価値のない、後は忘れ去られるだけの大地に、男が一人現れた。

 世界が壊れた日より、隣人すら信じられない世界で信じられる唯一無二のもの。つまりは己自身の力というものだけでこれまで生きてきた男は、地球に蔓延していた狂人の群れをたった一人で斬り捨てた英雄。かつての大戦を生き抜いた英雄と双璧を為すと言われる力を見せた男は、大規模な狂人の討伐の成功という、人類にとって復興の一歩となる作戦を終えたことで、己が地球で出来る役割を終えたのだと察した。

 己と並び立つ者は居らず、戦いの火種が消えた世界では、己がこの動乱の中で研ぎ澄ました力のぶつけどころは確実に失われることになるだろう。

 冗談ではないと思った。

 いっそのこと今度は自分が世界の敵として立ちはだかってやろうかとすら思った。

 だがそんな時ふと思い出したのは、SSS級の超危険レートの賞金首。十年前よりこれまで、場所が特定されているにも関わらず未だ討伐されていない、文句なしの世界の敵のことだった。

 たった一人で世界を相手取る力。

 その馬鹿げた噂を、男はしかし否定するつもりはなかった。

 何せ自分もまた世界を相手取れる力を持っている。たった一人で今の人類を全て相手にして、勝てはしないだろうが壊滅的な被害を与えることくらいは出来るだろう確信がある。

 ならば、誰も討伐していない賞金首もそうなのだろう。

 男は小さく喉を鳴らした。

 最強故の退屈をお前なら癒してくれるだろうと。

 噂に違いない実力ならば、俺を少しは楽しませてくれるだろうと。

 だから男はこれから始まる戦いへの歓喜に胸を躍らせながら、事前に体内で練り上げた咸卦法を発動させて、己の存在を残骸と化した世界へと解き放った。

 さぁここに来い。

 ここに来て、どちらが最強か白黒つけようじゃないか。

 滾る鬼気と充実する力。自惚れでもなく、他を圧倒する力を誇示した男が数秒挑発するように力を放ち続けていると、その鋭敏な感覚が背後より近づく気配を察した。

 やっと来たか。

 実は勝手にくたばっているのではないかとひやひやしていた。

 だが――。

 

「あ……ぁ?」

 

 そうして、振り返った男は、あらゆる思考を一切手放して茫然とした。

 

 まるで地獄の亡者のようにボロボロの衣服の残骸を纏った男がそこには立っていた。

 ぱっと見た印象は、街ですれ違っても記憶の片隅にすら残らないだろう凡庸なものである。襤褸切れより見える身体はしっかりと鍛えられているようだが、平凡な印象が変わる程のものではない。

 だが、男はソレを見た瞬間に全てを察した。

 男がこれまでの人生で積み上げ、勝ち取ってきた栄光の数々と、他の追随を許さない力。

 そんなもの、ゆっくりと近づいてくるアレには何の意味もない。

 底が見えないのにどこまでも透き通った蒼穹の眼。

 表情など一切浮かんでいない無貌の顔。

 凡庸?

 馬鹿な。

 上から下まで、無駄など一切ないその鋭さは、さながら一本の刃。だが、人間らしい感情を感じられる瞳と合わさって、まるで人間と刀が一体化したかのような何か。

 それが男に近寄っている存在の姿だった。

 一身に鋼。

 一本に刃。

 一筋に刀。

 振るうその身の名前こそ、人は修羅と恐れを込めて告げるのだ。

 担うその身の生身の冷徹は、あらゆる一切を悉く斬るのだと何も言わずとも突きつけてくる。

 男は全てを理解した。

 そういうことだったのだ。

 唯一生き残ったという男が言っていた意味不明な言葉を男は今わの際でようやく理解する。

 斬られるのだ。

 死ぬ前に斬られ、殺される前に斬られ、戦う前に斬られ、きっと、出会う前にすら斬られていた。

 世界を相手にしてみせた?

 違う。

 この男は、もう既に――。

 

「……何で、来たんだ」

 

 最強を自負していた男が最期に聞いたのは、いつの間にか間合いを詰めた修羅の、あまりにも悲痛な言葉であった。

 

 

 

 

 

 また一人。

 また、俺の前に現れてしまった俺の希望が斬られて散った。

 

「……少しだけ、期待していたんだ」

 

 俺の世界に現れた名も知らぬ男の、挨拶代わりの力の発露。あれがもしも呼吸する程度の発露だったならいいのにと期待しながら姿を現した。

 でも、結果はあの発露が骸となった男の全力だったのだと分かってしまった苦しみが心を締め付ける。

 その力がかつて俺の前で敗れた英雄達と遜色なかったことも、心を苦しめる要因だった。

 

「なんで、もっと強くなってから、来なかったんだい?」

 

 問いかけても、答えは返ってこない。

 当然だ。だって俺は男を斬った。息を吐く程度の労力で、この男を一瞬で斬ることが出来たのだ。

 何故と言う問いは、斬られた以上は無価値に等しい。

 また一人、俺は俺の望む修羅場をもたらしてくれるかもしれなかった人を失った。

 胸に空いた大きな穴を埋めることは出来ない。

 エヴァンジェリン。

 そうさ、お前が言った通りだった。

 ネギ君。

 そうさ、君が言った通りだった。

 強くなりすぎた自分と。

 弱くなりすぎた自分と。

 合わさった果てがここで。斬り捨てたものを拾う術がない以上、俺は二度とかつて立っていた場所に戻ることは出来ない。

 

「……だから、もういいだろ?」

 

 見渡しても誰も居ない。出会えば斬らずにいられないから望んだ孤独だけれど、俺はこのまま死ぬまでを孤独で過ごすことになんて耐えられるとは思えなかった。

 だって、斬れるんだ。

 この残骸みたいな世界を超えた先に、俺が斬れるものが無数と存在していて、ならば俺はそれを斬らずに孤独に沈むことなど出来るだろうか?

 

「可能性とか、強すぎるとか、もうどうでもいいんだ」

 

 斬れないものを斬れることを求めて、斬れるものを斬れないことを願った。

 故に俺はここに居る。

 そして、俺は未だに進み続けている。完結の向こう側、終わることのない終わりの斬撃を。果たして後どの程度待てばいいのだろうか。かつて成長を待たずに斬ってしまったネギ君ではなく、俺と同じく強さの限界点を超え続けて成長する者が現れるのを俺はずっと待つばかり。

 思い返せばもう随分と長く待ち続けたような気がする。あの日を境に、俺の望む強者を求めるために逃げ続けてから。

 

「そう、十年だ」

 

 不意に呟いた一言は絡まった痰のように粘着質で、汚泥のように苦々しく、鉛の如く重かった。

 十年、か。

 言葉にすると重さが違う。十年もあればもっと無数の強者を斬り、そしてもしかしたら斬れない相手と巡り合えたかもしれない。

 いや。

 何を考えている?

 今の俺が十年も放浪して斬っていれば、その半分の期間もせずに全てを斬れる。そういった確信がある。

 だから俺は逃げて、ここに引きこもり。

 違う。

 何で逃げている? 斬れない相手に出会える可能性があるなら逃げずに放浪すればよかった。

 違う。

 俺はネギ君の二の舞を産みたくなかった。もしかしたらいずれ俺に届くかもしれない希望を斬ることになりたくなかったから俺は逃げた。

 違う。

 逃げる?

 なんで?

 逃げて、俺を凌駕する誰かが出るのを信じる?

 違う。

 違う、違う。

 違う!

 違う! 違う!

 俺は十年も!

 

「十年も、俺は何をしてた!?」

 

 瞬間、十年ぶりに俺は叫んだ。

 まるでその言葉こそ俺を押しとどめていた栓のように、漏れ出た言葉と共に枯渇寸前だった感情が溢れ出てくるのを感じた。

 

「お、俺は、十年も待ったんだ……! 君があんなことを言ったから……! 君、君が……!」

 

 ネギ……。

 ネギ・スプリングフィールド……!

 君が俺に呪いを残した。エヴァンジェリンが残した悲しみを知らずとも、君がその悲しみに付け込んで俺に呪いを刻み込んだから……!

 

「あっ……」

 

 その時、ようやく俺は気付いた。

 

「ま、まさか……」

 

 もしかしてネギ君は初めから、俺を倒すことが出来ないと思っていたんじゃないか?

 だからこそ、俺がこれ以上何かを斬らないように、俺を押しとどめる言葉を最期に残したんじゃないか?

 

「だったら……だったら……! お、俺、俺は……!」

 

 気付けば簡単なことだった。疲弊しきった自分にすら届かなかった二人が、いずれ俺に届くかもしれなかった?

 違う。あの二人が俺に届く可能性はあの時、あの瞬間にしか存在しなかったんだ。

 だって今の俺は十年前の俺を片手で斬れる。何もしなくても、俺という修羅の力はそれしか知らぬと進み続け、超越し続けている。

 限界なんて無い。

 否、限界の壁を常に斬りながら俺は強くなっている。

 ではそれを望めないあの二人が将来俺に届く可能性なんてあったか?

 あり得ない。

 エヴァンジェリンはそれが分かっていたからなりふり構わず俺を殺そうとしてくれた。そしてネギ君は、こともあろうか倒せなかった時の保険として……。

 

「……は、はは」

 

 道化か。

 少し考えれば分かるようなことにも気づかず、いや、気付いていながら目を逸らし続けていた。

 だって、ネギ君のあの言葉が真実なら、この世界はもう……。

 

「はは! あははははは! ひゃひゃひゃひゃ!」

 

 くだらない未練に付け込まれて、俺はこの十年なんて様を晒し続けていた!

 十年も!

 これが、嗤わずにいられるか!?

 

「馬鹿だ! 俺は! お、俺はどこまで愚鈍なんだ!」

 

 所詮は天賦の才に魅入られただけの愚かな凡人だった。そんな人間の未練をネギ君のような天才が見抜けないわけがない!

 

「だけど……!」

 

 これはあんまりじゃないか。

 俺を騙したのか。唯一無二の勝機を掴めなかった保険として、俺に呪いを残す算段までつけて。

 それが英雄。

 違う。

 それが人間。

 弱みに付け込んで狡猾な一撃を刻むのも人間。

 そして少し考えれば分かるような言葉に騙された俺も人間。

 結局は人間だ。

 俺も!

 ネギ君も!

 どうしようもなく人間で!

 そんな人間に練り上げられたのがこの修羅の身体ならば!

 

「斬るぞ……!」

 

 塵一つも残さない……!

 俺と貴様らが練り上げた修羅が斬るしかないというのなら……!

 

「斬ってやる! 全部だ! 斬って斬って斬って斬って! 全部斬ったあとに斬られたものも斬って! 斬られたのに斬られたものをまた斬って!」

 

 おかしいな。

 笑っているのに涙が止まらない。

 だってもう嘆く必要なんてないんだ。

 気付けば簡単。人間の抵抗が刻んだ呪いを斬り、全部が全部斬れると知った今、斬れなくなるまで斬ってみればいい。

 何れ、俺の周りから何もかも無くなるまで。

 俺は立てた人差し指で目の前を円状に斬った。くり抜かれた空間の向こう側に広がるのは、ついさっきまで俺が希望と呼んでいた人間達が残された楽園。

 懐かしい、地球よ。

 吊り上がった口許がいっそう鋭い弧を描く。

 この先に、無数の可能性が存在している。

 平和な日々。

 争いの絶えない戦場。

 小さな愛の形。

 多種多様に広がる様々な営みの形も、俺の眼にはもう斬れるものか、斬られたものかにしか映らない。

 

「は……は、はは……」

 

 躊躇はあった。

 この境界を踏み越えれば俺はもう二度とぬるま湯のような希望に踊らされない代わりに、永遠に俺の望みを叶えることなんて出来ない煉獄に身を置くことになる。

 

「だからどうした」

 

 後悔することになるだろう。取り返しのつかない過ちを犯し、一時の感情に任せて全ての可能性を斬ったことに膝を屈する未来は見えている。

 だけど俺は知っている。

 俺だけは俺という存在がどういった修羅なのか分かっていた。

 大丈夫だエヴァンジェリン。君が嘆いた俺の孤独すら、いずれ俺は斬って捨てる。

 そしてまた斬る。

 いつまでも斬って。終わりなんてない斬撃世界にただ一人。

 

「是非も無い」

 

 永遠すらも尽きるまで。

 俺を、誰も終わらせられないならば。

 

「斬れば……」

 

 いつだってそうしてきたように、俺はずっと斬ればいい。どうせ誰もがそう望んでいる。俺が俺である限り俺は斬るのだと、他ならぬ俺自身がそう思っているから。

 だけど、本当は斬りたくなんてない。俺も含めた誰もが、俺が斬るしか出来ない男だと思っていても、斬れない何かを斬りたいと思うたった一つの祈りを否定させやしない。

 なんて。

 どんなに俺が望もうとも、俺が俺である限り、結局はその希望すらも斬る。この世に息をする人間として初めて呼吸した日より今まで、最早、俺と修羅は俺という人間を置き去りにして、歯止めの利かない何かへと肥大し続けている。

 ならば、もう俺自身の望みも、ましてやこの身に刻まれた呪いも、愛も、全て意味無きもの。

 そう思うことを悲しいと思えることが、きっと俺に下された唯一の罪と罰なら、甘んじて全てを受け入れよう。

 

「ははっ……」

 

 不意に見下ろした掌には、かつて握っていた鋼鉄も残せず、赤く濡れた指先が刃の代わり。

 ならば、この鋼鉄の(かいな)が、過ちの咎ごと望みを断ち斬るばかりであれば――。

 

「なんて様」

 

 信仰せよ。

 我が身、斬れぬもの無し。

 

 そういうことだと、俺は嗤った。

 

 

 

 




あとがき

『人間』、青山響の物語、これにて終了です。

とまぁ、ここまで読んでいただいた読者の皆様、まずは完結までに長い期間が空いてしまい申し訳ありませんでした。まぁあれ、他の小説書いたり自転車で色々回ったり仕事であくせくした り手首のリハビリで書けなかったりそもそもやる気がなかったりで遅れましたが、こうして完結を迎えることが出来たのは待ってくれた皆様のおかげです。改めて感謝を述べさせてください。ありがとうござました。
結局、世界にオリ主は再び解き放たれ、ネギの健闘も虚しく全斬りエンド。しかしオリ主の心情としてはあっさり斬られた世界に絶望してなんてこったなバッドエンド。どいつもこいつも損しかしてないって感じですね。
さておき、しゅらばらもこれでBルートが完結で、残すところはCルートとも呼べる一話のみのトゥルーエンドを残すばかりとなりました。同時更新となりますので、実質これにて完結と言ってもいいでしょう。

では、ここから先は恒例の長い後書きとなりますので、そういうのが苦手な方や読了感を壊したくない方はここでお別れです。ここまでありがとうございました。










Bルート全体としてはなんと25万文字程度の長さになってしまいました。というのも、もともと、BルートはAルートと殆ど変らない内容で、Aルートの流れを引き継ぎながら、青山に汚染された木乃香と刹那の死闘、明日菜との共闘を選んだネギの足掻き、その果てにラストでナギと共闘して、青山にネギがトドメを刺すというお話となっていました。ある意味ではこれこそグッドエンドとも呼べる終わりだったのかもしれませんが、これではあまりにも青山が救われすぎていることと、更新停止中に書いたオリジナル作品である臓物侍で、もうちょっといけるんじゃね? と何をトチ狂ったのか考えた結果、木乃香と刹那の部分とネギと明日菜の部分を結合させて、そこを主軸に一からプロットを書き直したのが、バッドエンドのBルートでした。だからすっごく長くなったのよね。うん。

そのうえでいつも通りに何かしらテーマを据えてみたのですが、今回のテーマはもう直球で『最強』です。行き着いた強さを超えて、行き過ぎた強さがどんなものか、そしてそれを手にした人間がどんな絶望を覚えるか。そこを意識して色々と書いたつもりです。

イメージとしては地上最強の生物的なアレ。それでも進まないわけにはいかないと決めた青山は、己を倒す者が出ないことを理解しながら、絶対にありえない可能性を求めて死ぬまで世界を放浪することでしょう。ですが世界を相手に勝利してしまった青山の願望を成就させる相手は過去にも未来にも存在せず、そもそも現れようともエヴァンジェリン戦でやったように、その強さすら飛びこえてしまうだろう彼が願望成就する機会は永遠に訪れません。こうして、修羅となった人間は人間らしい思いを抱いているがゆえに満たされることなくその生涯を終えることになります。

さて。

何にせよこの青山響というキャラを最後まで書ききれたのは、Aルートの後書きでもちょろっと述べたかもしれませんけど、誇らしかったりもう二度と書きたくなかったりと弧の後書きを書いている間に色んなことを考えてしまいます。しかもこいつのせいで私の作風というのがいい意味でも悪い意味でもねじ曲がったので、当分はその折り合いをつけていけるように試行錯誤せねばなりません。

とまぁ書いている私ですら影響を受けまくったキャラですが、読者の皆様にはどう感じられたでしょうか? こんな奴が主役の作品なんて二度と見たくねぇとか、次もこいつだせよオラァとか、否定的であれ肯定的であれ、何かしら感じていただけたら作者冥利につきます。

その一方で、結局作中では呆気なくやられてしまいましたけど、それでもと言い続けたネギ君と明日菜さんこそ、このBルートで一番書いていて楽しかったです。やっぱ狂気ってる奴よりも、私としては無茶無帽を知りながら本能ではなく理性で無理をやりきれる馬鹿を書くほうが楽でした。他にはせっちゃんとこのちゃんのラストとか実はかなりテンション上がりました。たまにはバッドなオチを書くのも悪くないなぁ的な意味で。

そういうのも含めて、Bルートは色々と実験的な意味合いが強い作品ではあります。まず前提としてバッドエンドを書くのが私初めてというのもありまして、どういった着地点にするか、どうやってバッドエンドにするか。様々なことを考えた結果、あぁいったオチでした。修羅外道ではなく、修羅な人間である青山響故の絶望。化け物故に人間を超えながら人間でしかない青山響を残して逝ったエヴァンジェリンの絶望。英雄として敗北し、人間として青山響に呪いを残して逝きながら結局は時間稼ぎしか出来なかったネギと明日菜の絶望。ネギと明日菜はオチを知らないとはいえ、どいつもこいつも『人間』によって絶望したってのが肝の部分でした。このちゃんも人間故に嘆き悲しんでしまいましたしね。

とまぁ長々と書きましたが、正直な話ここまで読んでいただいた皆様には不満の残るオチになったのではないかなと思っています。そこらへん、描写とかとことん削ってモヤモヤ残す感じにもしましたし、出来れば感想とかで不満を爆発させてくれたら嬉しいです。

なんでそんなことしたんや! とか思われる方もいるかもですが、まぁアレです。Bルートを読んだ後にAルートを読んでいただければ色々と溜飲下がるのでご安心を。色んなとこで書いてますが、あくまでBルートはAルートで泣く泣く省いた伏線とかを回収するルートですからね。Cルートがトゥルーエンドとか言ってますけど、本ルートはAルートです。

などと色々言い訳しましたが、これにてしゅらばらばらばらBルートは終わりとなります。長い間お待ちしてくれた読者の皆様、これにこりず今後とも私の作品を読んでいただけたら幸いです。ありがとうございました。








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【しゅらばら語り】
トゥルーエンド【鞘の刀】


第一話より分岐。


 

 某県にある人の手入れがあまり行き届いていない山の手前。巷では限界集落と言われるほど過疎化が進んだ村。そんな日本という先進国にあって辺鄙と呼ばれる場所に、巫女服を着た見目麗しい女性が居るのは珍妙な光景であった。

 風にそよぐ長く意志の強い切れ長の瞳、

 その女性、青山素子がここを訪れることを決意したのは、迷いに迷った末のことであった。いや、今もまだ果たして行くべきかどうか迷っている程である。

 話は一週間程前のことだ。久方ぶりに里帰りをした素子は、若いながらも現在は隠居して久しい実の姉、青山鶴子の元を訪れて、姉が彼女達にとっての弟にして、神鳴流最大の禁忌である青山響が現在住んでいる場所を素子に教えたのが事の発端である。

 かつては共に神鳴流を極めんとしていた同門の剣士にして、何よりも血を分けた弟である。

 そして、神鳴流の名を地に落としかけた許されざる外道であった。

 

「……少し早く着いてしまったか」

 

 約束の時間にはまだ暫く時間がある。取り出した懐中時計を見て、自分が思ったよりも気を急いていることに気付いた素子は、己を落ち着かせるために大きく息を一つついた。

 愛憎混ざった複雑な感情を昇華するために素子はここに来たのだ。

 逸る気持ちも仕方ない。だがざわつく心に惑わされて、相手を見誤ってはいけないと己を律する。

 

「響、いや……相手は、青山だ」

 

 青山響と名付けられた唯一無二の弟。そして今は、畏怖を込めて青山と断じられた修羅外道。

 あの男を最後に見たのは、姉である鶴子との死闘を制した日だった。

 今ならば分からないが、かつては天上人の如き存在だった姉、青山鶴子。史上最強の使い手とさえ言われた伝説の剣客を、響は十を僅かに過ぎた頃に下してみせた。

 間違いなく、あれこそが天才と言われる存在なのだろう。しかし、天才だからこその孤独が弟を修羅外道という道に引きずり込んでしまったのだ。

 

「……良くないな」

 

 素子はずるずると悪い方向に流れる思考を、頭を振って断ち切った。

 何故、弟が修羅外道と化したのか。その全てを見切るための決闘はもうすぐだ。だからそれまで素子は曇りなき眼で青山響を見届けるようにしなければならない。

 それでも、余計な思考がふとした瞬間に脳髄をかき混ぜる。

 己の修行不足を嘆き、姉を下した相手との決闘を前に辟易した。だがそんなところも含めて自分は自分なのだと、逃げるようにして訪れた今の居場所で手に入れた思いを胸に、再び深呼吸をして前を向いたその時であった。

 

「あ」

 

 思わず声が漏れた。丁度、前の道の影から出てきた青年。まるで影そのものを引き連れたように地味で目立たない男の横顔に、素子は見覚えがあった。

 

「……?」

 

 素子の素っ頓狂な声に男も反応する。そして首を傾げて数秒硬直すると、男も目を丸くして素子を見返した。

 

「姉、さん……?」

 

「ひ、響……か?」

 

 青山響。

 かつて弟と愛し、今や嫌悪すべき青山と化した修羅外道との再会は、互いに意図しない何とも微妙なものとなったのであった。

 

 

 

 

 

 世の中、何が切っ掛けになるか分からないものである。

 つい先日のこと、随分と長い間顔を合わせることもなかった俺の実家から届いた二通の手紙。

 一通は長女である鶴子姉さんからの手紙で、簡単に内容を纏めると暇をしているなら仕事紹介するというもの。まぁ二十歳に届く程度の年齢で早々に隠居生活をしている俺である。別に断る理由もないので行こうかと思ったのだが、その前にやるべきことが次の二通目の手紙に記されていた。

 次女である素子姉さんからの果たし状。忌むべき、嫌悪すべき、憎悪に値する青山である俺を、現在後継者である素子姉さんが直々に打ち倒すというもの。

 まぁ、納得である。

 何せ俺は青山だ。

 そうあるべき、そうあって然るべき存在なのだから。

 

「……その、なんというか、な? げ、元気、だった、か?」

 

 だが現在、戦意に満ち溢れていた果たし状の内容からはまるで考えられない、しおらしい態度の素子姉さんが向かい側の席に座っている。

 場所を喫茶店に移した俺達は、こうして久方ぶりの出会いを、さながら中学生のカップルの初デートが如き気まずさの中で迎えていた。

 こうなったのは、まず俺のせいであろう。

 俺の知覚に反応した気を興味本位で見に行ったら、まさか相手が素子姉さんだとは思わなかった。いや、幾ら久しぶりだからとはいえ、実の姉の気を忘れるとか流石に酷いと思わなくもないのだが、こうしてばったり遭遇してしまった以上仕方ないだろう。

 しかも、見に行くだけのつもりだったために手元には刀は無い。これでは斬るにも斬れないので、恥じ入るばかりである。

 

「……響?」

 

 何より、こんな俺をまだかつての弟として扱ってくれる素子姉さんの優しさが嬉しくて、同時に何とも恥ずかしくて言葉に詰まる。

 

「い、え……すみ、ません。人と、話す、の、は……久しぶり、ですので」

 

「あ、あぁ、そうか。そういえば、暫く軟禁生活をしていたんだな……それで、その後は……」

 

「は、い。神鳴流を、破門、後……こうして、生き恥を、晒し、ながら……こそこそと、生きて、います」

 

「響……」

 

「違います。俺は、青山です。もう、姉さんの、弟だった、青山、響では――」

 

 そこまで言って苦笑。口では弟ではないと言いながら、今まさに姉さんと呼んでいるのは矛盾だ。そんな俺の内心を汲んだように、素子姉さんも微笑んでいる。久しぶりに見る。もしかしたらずっと見たことなかった姉さんの優しい笑顔に、少し見惚れるのは、まぁご愛嬌。

 

「……恥ずべき、ばかりです」

 

「ははっ、ともあれ、元気そうでよかった。そう言えば、お前はあれから――」

 

 そう続けて、素子姉さんと俺は暫くどうでもいい話を続けた。大体は鶴子姉さんを斬ってからの話。俺の話は殆ど血生臭い話ばかりなので、大抵は素子姉さんのことだったけれど、久しぶりの姉弟の会話は、自分で思っていた以上にとても有意義に感じた。

 

「なぁ……」

 

 そうして気付けば決闘の時刻すら忘れて語り合っていると、不意に素子姉さんが寂しそうに目尻を下げてみせた。

 

「斬るのだな」

 

「はい」

 

「そうか。その様で、斬れるのか」

 

「はい、この様だから、斬れる、のです」

 

「そっか……」

 

 窓の外に視線を移した素子姉さんの心は見抜けない。だが、哀愁漂う横顔に、僅かな安堵が感じられたのは間違いではないはず。

 

「腐ったような眼で、綺麗に人を見つめることが出来る。そういった存在に成って、いつかは果てるのか」

 

「そう、です。いや、もう、俺は、果てています。だって、俺は、これだ。これが、俺で、これ以上、俺は、無い」

 

 斬るのだ。

 この様だから斬り、この様だから斬れる。そう在れと何よりも祈った自分が、そうであると進んだ先で辿り着いた境地がこの場所。これ以上先など存在しない極地。斬るという在り方の、一つの完成。

 だから、俺はこれでいい。

 これだから俺なのだと、そこだけは卑下すべき己の生で誇れる唯一の結晶。

 

「安心した」

 

 素子姉さんは、俺の意志を聞き届けて、肩の力を抜いた。

 

「安心、ですか?」

 

「もしも、私が今日、お前とこうして語らうことなく決闘に赴いていたなら……私はお前のその恐ろしい部分に囚われてしまったかもしれない。あるいは、恐ろしい部分を汲み取ったうえで、私もまた――いや、止そう。仮定の話に何の意味があるか」

 

「……」

 

「だが今日お前と会って、こうして語らって、刀ではないお前が放つ刀を扱う人間のお前の言葉で、良く分かった」

 

「……」

 

「青山……いや、響」

 

「姉さん……」

 

「お前はきっと、どうしようもないくらい我儘だ。でも、お前の我儘は誰かが関わらなければ、自分だけで満足できる我儘だと思う。……そこに、安心した」

 

 何故、安心するのだろうか。言葉の意味が分からない俺の様子に感づいた素子姉さんは困ったように頬を掻いた。

 

「何と言えばいいのか……。そうだな。だってお前は斬るけれど、別にもう、斬る必要はないのだろう?」

 

「……え?」

 

「お前は、軟禁生活の間も、破門された後も……斬っていない」

 

「そ、れは……」

 

「分かってる。斬れるんだ。そういうことだろ?」

 

 そう。

 俺は斬れる。

 斬れるから、それでいい。

 確かに俺は斬るだけしか出来ないような男である。悪鬼羅刹、そして修羅外道となじられて当然の災厄だ。

 しかし、強さを欲したのはかつての話。今や俺の手には斬撃が在る。

 だからそれ以上、進むことも無ければ。

 別に、それ以上、進むつもりも無いのだ。

 

「不思議だな。お前ほどに人間らしい人間は居ないのに、お前は誰よりも人間とはかけ離れた男で……まるで、振るわれなければ意味の無い刀のような男だよ」

 

「刀、ですか」

 

「あぁ。例えるなら、振るった者も、振るわれた者も、両方共に斬って捨てる妖刀の類かな。意志ある鋼なんて、どれもこれも妖刀に違いあるまい」

 

 確かに、姉さんの言っていることは御尤もだ。

 そういうことなら、俺は只の刀になったのか。

 斬るためだけに存在しながら、自らは斬ることもなく、誰かが振るってくれるのを待つだけの鋼。

 それはある意味で、青山という言葉以上に、ストンと俺の洞に嵌まるように思えた。

 

「ですが、それでも、俺は俺、です。刀のよう、な、人間であっても、俺は、人間のような、刀ではない。その証拠に、俺は、姉さんを、斬りたいと、思っている」

 

 久方ぶりに回した舌の根を潤すために、机に置きっぱなしになっていたコーヒーに一口。ホットのはずだったが、時間が経ちすぎたせいでもうだいぶ温くなっている。

 そこまで語らえたのはこの人だからか。この様になってから初めて、恐るべき青山ではなく、たった一人の弟を、青山ということを分かったうえで受け入れてくれたからなのだろう。

 だから、僅かとはいえ斬りたいと思える奇跡に感謝した。手元に刀が在ればすぐにでも斬りかかったくらいに、今、俺は姉さんを斬りたいと思っている。

 

「分かっている。そして、お前がこれから姉上の掌に乗れば、きっと必ず、青山という妖刀は世界に刃を突き立てるだろう……だから、決めた」

 

「決めた、とは?」

 

「私がお前の、鞘になる」

 

「さ、や?」

 

「そうだ。まっ、色々と未練が無いと言えば嘘になるが……多分、今日、戦うことなくお前とここで出会えたのは、そういう運命だったということだろう。きっと、この世界でお前の異常性に気付いているのは私だけだ。だから、私がお前を護ろう。お前が斬りたいと思える相手に出会わないよう、お前が斬るという在り方のままで居られるよう……」

 

 そして、いつか尽き果てるその時まで。

 

「共に居よう。私も、青山だから」

 

 何故だか一人で納得している素子姉さんだが、当の本人である俺としては訳が分からない状態である。

 だが、鞘か。

 俺を刀と言った姉さんが、自分を鞘と名乗ってみせた。

 俺なんかよりもよっぽど鋭い刀剣の如き人が、俺のような刀を封じる鞘となってくれる。

 うん。

 うん、うん。

 

「つまり、プロポー――」

 

「違うわ!」

 

「ずぴょっ……!?」

 

 弾丸が炸裂したかのような音が俺の頭で奏でられて、思わず奇声。迷いなく放たれた見事な手刀。俺でも見逃しちゃうくらい一瞬で額を突かれたことに目を白黒させて、赤くなった額を摩る。

 

「あー……お見事」

 

「お前から一本取れたとはいえ……複雑な気分だ」

 

 先程と打って変わって重たいものを背負ったように肩を落として嘆く素子姉さん。

 かつての記憶にあった凛としたたたずまいの姉さんと違って、今こうして百面相を浮かべる姿は、きっと先程語ってくれたひなた荘という場所で培った陽だまりの暖かさなのか。

 変わったな。

 あるいは、俺が変わったのか。

 

「ったく、ぷろ、プロポーズなどと、女性である私から、いや、そう言えばあの時は自分から言ってたしむしろ私は自分から積極的な――」

 

「……刀と、鞘、か」

 

「……響?」

 

「いや……何でも、ないです」

 

 人は、変わる。

 貴女が変わったように、世界が流転していくように、あるいは俺も。

 そう思うことくらいは、許してほしいと、心が囁く。

 故に、俺は斬るのだ。

 

「分かってる。お前はそれでいいよ」

 

 素子姉さんは笑ってくれる。

 斬ることに在る俺を、それでもいいと言ってくれる人が、まだ居ることが、少しだけ嬉しくて。

 それはきっと、貴女もまた同じ、刀となるべき人だから。

 

「……ありがとう、素子姉さん」

 

 いずれ斬るその時まで。

 貴女()という鞘に抱かれて眠ることも、悪くない。

 

 

 

 

【鞘の刀】終

 

 

 




この後、オリ主は素子と共に人知れずどこかでひっそりと暮らし、そのまま何も関わることなく生涯を終えるというお話でした。どのルートでも破滅しか待っていないのですが、唯一このルートだけ平平凡凡に終わるというちょっとびっくりなアレですけど、実はこのお話が本当の意味で『青山』のお話だったりします。

それも含めたキャラ設定語りに続きますよー。


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主人公設定

ネタバレ注意。未読の方は本編読了後の閲覧を推奨します。


 

 

青山響

性別・男

年齢・20歳

趣味・家具作成、修行

特技・駄洒落、気配探知、除霊

性格・シスコンでナルシスト。

好きなタイプ・青山素子。

嫌いなタイプ・エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

京都神鳴流の宗家、青山の次男として産まれた男。産まれてから数年は普通の子どもとして健やかに育っていたが、幼少時に初めて刀を手にしたことにより、おそらく前世のものであろう知識が覚醒。だが前世で己がどんな人物であったのかという記憶については無く、言ってしまえば純粋無垢な幼児に直接一般常識を刻み込んだものである。そのため、驚くべきことにその精神は幼児のころから殆ど成長しておらず、小学校低学年の子どもと同程度である。だが本人は無自覚に刻まれた一般常識を前提にいつもは周囲に接しているため、違和感を覚える者は少数。そのアンバランスさが、戦闘時に異常性を生み、相手になんて様だと感じさせている。そしてその奇妙な在り方こそ、彼を人間の可能性を極めるという本来ならあり得ない領域へと至らせることとなった。

 

性格は寡黙で誠実そうに見えるが、その実、幼い精神相応に己の欲求には素直で、そのためならば命が失われるような事態にも頓着せず、それらしい理由を付けて自分の欲に従った行動をとる狡猾な部分も併せ持つ、根っからの自己中心的性格。ここで勘違いしてはならないのが、斬るというのは響の欲ではなく、あくまで彼の生き方のスタイルでしかないこと。この場合の欲求とは斬りたいという願望である。斬ることと斬りたいという願望は別個のものなのだ。

 

一方で流されやすい性格でもあり、主体性がないため欲求が絡まない限り動くことはないため、人の可能性を終えた後、鶴子に言われて軟禁生活を強いられた時も何か言うでもなく、軟禁解除後も、素子が訪れるまでは人里から離れて一人孤独に過ごしていた。作中の行動の殆どは誰かに指示された後、己の欲求が合わさったうえの結果でしかない。

 

それゆえに誰かが干渉しなければ鞘に収まった刀と同じく危険はあるが害は殆どなく、鶴子や近右衛門など、本人の意図がどうあれ様々な形で響という妖刀を使ったことが、物語全体としての最大の過ちである。斬ったものと同じく己自身も斬るという響の在り方は、響自身を扱うその他の人間にも、その行動が善悪いずれであろうとも当てはまるのだ。

 

戦闘スタイルは神鳴流らしく、長大な野太刀を使ったもの。だが神鳴流としての技の数々は、斬撃を極めたことにより余分として斬り捨てられたため使用不可能。さらに斬った対象と同程度の裂傷を刃として用いた物(大抵の場合は刀)に与えるため武器の摩耗が早く、継戦能力は低い。しかし常時、神鳴流の奥義である斬魔剣弐の太刀に類似した斬撃を放てるようになったことで、近接戦闘では世界有数の実力者と比しても頭一つ以上抜けた実力を有している。ただし上記の理由から遠距離攻撃や広域殲滅方法と継戦能力が無いので、そこが弱点である。尤も連続して行える瞬動による超高速移動術があるため、弱点と言ってもそこを突けるのに必要な実力は、最低でも封印解除後のエヴァンジェリンレベルなので、ほぼ皆無と言ってもいい。

 

善き先達、例えばナギ・スプリングフィールドやジャック・ラカン程の実力者かつ、その精神が人を超えている英雄と共に過ごしていれば、あるいは英雄としての道も確かに存在した。彼の最初にして最大の不幸は、清濁併せて人を魅了し、道を示してくれる本物の英雄と出会えなかったことにある。

 

 

 

※裏設定※

 

その前世の知識は生まれてから死ぬまで病院のベッドで過ごした響という名前の少女のもの。死に際に来世ではどんな病気にも負けない肉体を欲した結果、青山の血脈が歴史を重ねて完成させた究極の肉体に転生した。だが天賦の才を持つ肉体に比してその魂はあまりにも脆弱であった故、青山の血が生み出した究極の才覚に飲まれ、かつての少女の記憶は残滓も残らぬ程消え、前世で唯一育んだ少女の知識のみが残った。とはいえ完全に少女の人格や記憶が飲み干されたわけではなく、修羅としての悍ましさとは別に、人を惹きつける奇妙な色香は前世の名残である。とはいえ中性的と言うわけではなく、あくまで性別は男性である。

 

補足。

ノーマルエンドであるAルートのエピローグで現れた響は、剥き出しの魂のみとなったために少女としての前世が強く表れたもので、厳密にはBルートで素子と対峙した響とは違う存在である。何も残せずに前世では死んだ少女だったが、かつての少女だったころの記憶が失われているとはいえ、その最期で素子に心を残せたことは救いと言ってもいいはずだ。

バッドエンドのBルートでは素子との戦いで青山という肉体の業を超え、その無垢なる魂は現世の響と前世の響、男と女、太極の構図が完成し、森羅万象悉く斬り捨てる修羅道へと到達している。それは最早前世の病弱な生も、今世の修羅としての生も超越した別種の存在であり、人としての極点を超えた何かでしかない。あえて定義するならば人の身でありながら神の領域に達した現人神でも言うべき者。故にその末路は人ならざる力を持ちながら、人である矛盾が引き起こした絶望である。その後、悔恨を抱いたまま死した才能は、前世の魂が望んだのと同じく、この力に比肩、あるいは超越する人間を欲して再び転生を果たし、己とは違う修羅道に至った侍と対峙するのだが、それはまた別の話。

トゥルーエンドのCルートでは、素子が弟を思って修羅へと至ったBルートとは違い、刀を手に取ることなく一人の姉としての在り方を選択した結果、彼もまたその刃を見せることなく一人の弟として姉の意に従った。その後、素子と共に外界に関わることなく平穏に生き、誰かと関わることなく人知れずその生を終えることとなる。

Aルートが響、Bルートが青山響、Cルートが青山というお話。Cルートがトゥルーエンドと定義したのは、この作品の本来の主人公が青山であり、青山として物語を終えられるルートがCルートだからである。

 

結論として、外の世界に憧れて、様々な知識を蓄えながら、結局知識としてしか外を知らずに無垢なまま死した少女が望んだあらゆる病魔に負けぬ肉体が、病弱な魂と合わさった結果産まれた例外こそ、青山響という存在の正体である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――なお、強い肉体だけではなく、女性としてやり直したいということも強く願っていた場合の可能性も存在する。【Nルートが解放されました】

 



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AルートIF【修羅王道】

エイプリルフールに間に合ったお話


 

 

 

 

 

 そこに立つ時、人間は人であることを認めなければならない。

 己が二本足のみで立ち、望み、そして孤高を頂く。

 戻ることもせず、進むこともせず、ただそう在れかしと認めた時、人は人の立つべき最後の場所へと至るのだ。

 己はそれであり。

 己とはそれである。

 故に、そこに立つ者は全てを捨てなければならない。

 培った全てを、己だけではなく、己を取り巻く全てすら捨て去って。

 振り払い、無垢となり、歩み続け、至る域。

 

 人はそれを指して、修羅と呼ぶ。

 

 なんて様だと、吐き捨てるのだ。

 

 

 

 

 

 俺が感じる絶望をどう言い表せばいいのだろう。

 虚ろな眼差しで安堵の表情を見せるネギ君と、そんなネギ君を見向きもせずに彼を守ろうとする神楽坂さん。

 どちらも互いを見ようとしない空虚な在り方こそが、俺が彼に関わってきた結果の全てであった。

 彼ならきっとこちらに来てくれると俺は信じていた。

 信じて、大切に見守り、成長を望んだはずだった。

 だが所詮、青山という俺の体が天才であったとしても、俺自身がどうしようもない凡夫だったせいか、ネギ君は結局こちらに至ることも出来なかった。それどころか、互いに互いを見ない哀れな共依存の関係を作り上げ、そこに依存するだけの唾棄すべき者となってしまっていた。

 これならばそこらの草でも斬ったほうがマシだと、既に朦朧としている思考で苦笑する。

 結局は俺の独りよがりだ。勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じている。

 きっとネギ君にとってはこんな俺の期待など迷惑でしかなかったことだろう。

 だがそれでも、そう思ってしまう自分が頭の片隅に存在する。

 

「……明日菜、さん」

 

「大丈夫、私が、私が今度こそ……」

 

 証を突きつけたまま動かない俺を前に、傍目から見れば美しくも見えるやり取りを二人がしている。

 だがこの二人は互いの名を呼びながらも互いを見てすらいない。

 俺が言うのも馬鹿げた話だが、彼らは狂っているとしか思えない。

 いい加減目を覚ませ。

 そこに居るのは誰でもない。

 君がかつて見送った誰かでも。

 君がかつて助けてくれた誰かでも。

 どちらもここには居ない。居るはずがない。

 

 ――何よりも。

 

「……俺だ」

 

「え?」

 

 神楽坂さんが俺の声に反応して顔を上げる。現実を見ない彼女の目に俺はどう映ったのだろうか? 半分になった視界で彼女の瞳を見返して、俺はやはりこちらを見てすらいない視線に苛立ちを覚えた。

 あぁそうだ。何よりも許せないことが一つだけ。

 

「君達の前に居るのは……俺だ」

 

 俺は青山だ。

 そう呼ばれ、そう蔑まれ、そう在れかしと呪われた修羅外道を見ろ。

 互いを見向きもせず、他人すら見ようともせず、そして俺すらも無視する君達を俺は許せない。

 

「あぁ本当に……君達は……お前達は腹立たしいな」

 

 本来なら見向きもせずに置いて行くはずだった。

 斬る価値すらない虚ろな物などよりも、俺は残された最後の時間を使って最期の責務を果たすはずだった。

 だがもう我慢できない。勝手だと言われてもいい。俺は、俺の期待に応えもせずに、あろうことか空想に浸って現実に目を背けるだけのこいつらを許せないから。

 

「故に――」

 

 斬る。

 

 その幻想を斬り捨てて、俺は結果を見ることなくその場を後にした。

 

 

 

 

 

 失った右腕が熱い。

 そんなことを思うネギの前で鮮血がほとばしる。

 明日菜の背を見ていたネギの視界を一面の真紅が染め上げた。

 神楽坂明日菜の体を袈裟に斬った青山の斬撃が躍っていた。

 

「え?」

 

 一瞬の出来事に意識が追いつかず、ネギは呆けた眼差しで崩れ落ちた明日菜を見下ろした。

 今まさに自分を斬り捨てようとした修羅外道、青山から庇ってくれた少女が血の海に沈んでいる。右腕が熱い。その姿に自分の骸が重なるのはきっと、本来なら自分こそがこの結末になるべきだったからだろう。

 だがネギは結果として生きのび、明日菜が代わりに狂気の刃に屈した。

 

「明日菜、さん?」

 

 呼びかけ、その背を摩っても明日菜は応えない。だがネギはその事実が信じられずに何度もその背を揺すった。

 それでも彼女はもう動かない。

 もう二度と、呼びかけに応えてくれることはない。

 真紅は命の証。

 溢れ出ればそれで最期。

 彼女は死んだ、その真実を。

 聡明なネギの頭脳はそこでようやく『逃避していた現実』から舞い戻り――絶叫した。

 

「――――――ッッッッッ!!!???」

 

 しかし腹の奥底から溢れ出てきたのは声にもならない咆哮だった。

 何をしていた。

 自分は一体これまで何をしていた?

 共にあると思っていた。神楽坂明日菜は自分の大切なパートナーで、彼女もネギ・スプリングフィールドを大切なパートナーだと思っていたはずだ。

 だが現実を見て、これまでを振り返ればどうだろう。

 右腕が熱い。

 自分は一体彼女に何を見ていて、彼女は一体自分に何を見ていた?

 どちらも虚構で偶像で右腕が熱い、互いに誰かを投影しているだけに過ぎず、その末路がこれだ。

 明日菜は守れなかった誰かの代わりにネギを守り。

 ネギはかつて自分を助けた誰かの代わりに明日菜に守られた。

 愚か過ぎて反吐が出る。強くなったと思い込んでいた自分の度し難さに憤怒すらする。

 そんな自分に託した父は、一体どんな表情でどんな思いを抱いて消えたのだろうか。

 だから、だからこそ――こんな自分は、青山にすら見限られたのだ。

 

「――ッ――ッッ――――ッ!!」

 

 引き絞る奇声は獣の鳴き声にも似つかない激情の塊だ。

 喉を引き裂き、眼球を沸騰させ、脳髄をかき混ぜる程の激情。普通なら喚き散らし、叫び荒れるはずだろう。

 だが人は、己の許容を超えた何かを迎えた瞬間、吐き出すという行為すら出来なくなるのだ。

 少しでも漏れ出たら己が己ではなくなる。このまま溜めこめば風船のように弾け飛ぶのは分かっていても、しかし限界を超えたからこそ人は感情を爆発させることすら出来ない。

 それが人間だ。もうどうしようもない後悔に悶え、苦しみ、ただ沈むことしか出来ないのが人で、そうであることが、酷い言い方だが健全な在り方なのだ。

 愚かな少年は、真正面から向き合うべきだった少女をすれ違ったままに失った。

 もうネギの手には何も残っていない。

 右腕が熱い。

 あの時、もしも迷いを抱かずに立ち向かえたら、自分は勝利を手にしてこんな結末を迎えなかったはずだった。

 

「ごめ……な、さい……」

 

 父さん、明日菜さん。

 こんな自分に託して、守ってくれた二人に呟き、ネギはそこで知覚した現実を遮断した。

 そして少年は全てを手放した。

 砕け散った己を拾い集める術はなく、ここには彼を救い導く大人も存在しない。

 あるのはもう己一人。

 幻想に行き、幻想を斬り捨てられ、放り捨てられた赤子が一人。

 

 ――それが、もう一つの最悪を呼び出す。

 

 ここにネギ・スプリングフィールドは全てを手放した。

 培った絆を、積み上げた己自身も。

 あらゆる全てをゴミ箱に捨てるように。

 

 アレと同じく、手放して――。

 

 妙に、右腕が熱かった。

 もう何もかもがどうでもよくなっていた右腕が熱い。

 許容できない己への負の感情と至らなさに右腕が熱い何も考えずここで燻っていたかった。

 どうせもう自分が何を右腕が熱いしても意味は無い。

 例え瀕死になっていたとしても、青山という修羅外道はネギの想像をはるかに超越した異次元の強者だ。ここで立ち上がっても右腕が熱い勝ち目なんてもう存在しない。そもそも雷轟を束ねた全力すらも斬られた時点で勝敗は右腕が熱い。

 あぁ、さっきからずっと右腕が熱い。

 内に引きこもった思考が一点に集中する。目まぐるしく駆け巡る言い訳の数々を押しのけてただただ右腕が熱いと失った腕が熱く熱くとても熱く今もそこに在るかのように熱くて熱くて仕方ない。

 

「……熱い」

 

 熱いのだ。

 それだけしかない。

 もう全てがどうでもいいけれど右腕が熱いことだけは無視できない。

 だって右腕が熱いのだ。斬り捨てられた腕が存在を主張して思考を遮ってまでも熱いことを訴えている。

 だからもうそこでいい。

 自分の右腕は熱くて、他のことはどうでもいい。

 熱くて、痛い。何もかも――それ以外必要ないと。

 

「熱いなぁ……」

 

 不意に空を見上げた。

 もう夜は近い。空には美しい月が輝き、きっと破滅的な世界はすぐそこに。

 理由は分からないがそうなると思った。あの人ならきっとそうしてくれると今だからよくわかった。

 だからもう、どうでもいい。

 これ以外、どうでもいい。

 

「……邪魔だな」

 

 ネギはまず、唯一光を宿していた右目を躊躇なくくり抜いた。

 そして半分になった視界で転がる明日菜にそれを放り捨てる。その様を呆と見届けて、再びネギの視線は空を映した。

 

「もう全部どうでもいい」

 

 漆黒に沈んだ左目で見る景色に全て意味があるとは思えなかった。

 しかしもうネギはそれでよかった。

 いや、それでいいのだと理解した。

 もう全部に意味など無い。中途半端に燻った己をかけがえのない半身ともいえるパートナーと共に失った今だからそう思える。

 そう、所詮自分はこんな様(・・・・)だった。

 育んだ全てを失った自分などこの程度。それを半ば強制的に理解させられたから。

 

「だって僕はもう勝ったんだ」

 

 己が勝利者なのだと、理解したのだ。

 そしてネギはゆっくりと立ち上がった。そこには先程までの弱弱しさも、明日菜を失ったことによる激情に悶えていた面影は一切ない。

 気負いなく立ち上がり、ありのままに歩を進める。

 

「でも、決着はつけないといけないよね」

 

 そうして数歩踏み出した先で、あの日からずっと使い続けてきたナギの杖に足が引っかかり。

 

「邪魔」

 

 躊躇なく踏み砕いたネギは薄らと微笑んだ。

 今、自分はかつての自分が縋った偶像を粉砕した。

 つまり僕の勝ちだ。

 それでいいし、それ以外にどうでもいい。

 

「僕の勝ちだ」

 

 失ったから気付く。

 全てが無いから、唯一無二の己自身に立ち戻り、至るのだ。

 

 

 

 

 

「だから青山さん、貴方が敗者だ」

 

 故に、その直後に瞬動を用いて現れたネギ君を俺は微笑みで迎え入れた。

 

「……あぁ、君はそういうモノだったんだね」

 

「はい、僕は勝つ、そして貴方が負ける。分かりきった全てですが、決着をつけないのは気持ち悪いですから」

 

 薄らと笑うネギ君は奈落の如き眼で俺を見据えている。

 そう、俺は今、彼の姿がはっきりと見えていた。

 もう視界すら意味をなさなかったはずが、気付けば俺の肉体には気力が充実していた。それはもしかしたら今一歩のところでネギ君が割り込んだために発動した世界樹の魔力のおかげか、あるいは俺自身の底力のおかげか。

 どちらでもいい。

 もう、そんな些事などどうでもよくなるくらい、俺は降って沸いた幸運に歓喜していた。

 

「は、ははっ……!」

 

 見ろ。

 アレを見ろ。

 アレこそが俺が望んだ究極だ。青山という肉体に匹敵、あるいは凌駕する力を秘めた天才が至った極地の末路だ。

 全身にみなぎる魔力と気は精錬ながらも醜悪。英雄の気風を纏いながら唾棄すべき狂気に浸ったソレの名を俺は知っている。

 だってアレは俺だ。俺が惚れ、俺が育んだ俺自身と全く同じ。青山という血肉と同等の人間だから。

 

「あはっ、うん、僕も今だから分かります。僕は貴方に勝ちますが、だけど、それでも……それ故に、貴方は僕を斬るんですね?」

 

「あぁそうだ。例え俺が敗者であっても――斬られるのは君だ、ネギ・スプリングフィールド」

 

 ここに俺達の認識は共通し、同時に別離する。

 だからここから語るのは互いの牙。

 俺が証に斬るという確信を乗せれば、ネギ君は雷を纏った左腕に勝利の確信を携えた。

 何ということだ。

 あの一瞬、神楽坂明日菜を苛立ちのままに斬り捨てた後に何が起きたかは分からないが、どうやれ俺のあの気まぐれこそが正解だったのだ。

 その開花を阻害する邪魔な枷が分からなかっただけで、種は実を成し、花を咲かせる直前だった。

 そして今、枷を失った極点が俺の前に居る。

 本当に、俺をこの世界に転生させた神とやらが居るのなら感謝を捧げたかった。

 もう成せないと思った俺と同じ極みに至りながら、俺とは別の極みに至った修羅。人の極点へ到達した彼こそが俺の人生の意味に違いない。

 あぁ、エヴァンジェリン。

 ごめんよ、エヴァンジェリン。

 お前の全ては素晴らしく、今も尚、俺の中で色褪せずに冷たく汚らわしい輝きを放っているけれど。

 多分、もう君では物足りない。

 きっともう、君では彼に届かないから。

 

「さようなら、修羅外道」

 

 顕現した勝利が唸りを上げる。収束された一撃は、間違いなく俺の敗北を告げると本能が理解した。

 だから俺はここで負ける。

 俺自身が生み出した最強の手によって敗北すると分かっているけれど。

 

「……故に、斬る」

 

 おはよう、修羅王道。

 

 内心で彼の目覚めを祝福して、俺は本能すら凌駕する斬撃を以て、決して抗えぬ勝利の化身へと踏み込んだ。

 




ラストの部分で斬り捨てずに放置せず、苛立ちのまま明日菜を斬り捨てた場合のルートでした。多分、というか間違いなくこの戦いを望んだ読者は多かったはず。


次回はDルート・隔離特異点.飽和斬撃結界【■■■】(FGOクロス)です(大嘘)


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