レモンパイ (闇狐(あんこ))
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レモンパイ

「レモン」「悲しみの向こう側にあるもの」「逃げる」
三つのテーマで、二時間タイムアタック小説しました。
ネタだしから始めたため、だいぶ散文となっております(言い訳)
もし良ければ感想下さい!ツイッターでもここでも、お待ちしております。
いつも大体こんな世界観で書いております。


 鉛色の空が世界を覆う12月の出来事。

 

 段ボールいっぱいに詰まった果実を眺めていた。

 

 僕の実家では冬に檸檬を栽培しているため、毎年この季節になると仕送りとして送られてくるのだ。

 

 いらないと口を尖らせて何度文句を垂れても、「余ったから」と言って聞きやしない。

 

 家の畑で獲れた檸檬が誕生日プレゼントなんて随分と無粋だ。うちの親らしいといえばらしいが。

 

「僕一人でも……作れるよな」

 

 本当は檸檬なんて見るのも嫌だったが、今日は思い切ってレモンパイを作ってみようと思う。

 

 なぜそうしようと思ったかは分からない。

 

 ――自分の胸に釘を打ち付けるような、率先して泥水を啜るような。

 

 それでも今日の僕は、無性にレモンパイが食べたかったのだ。

 

「まずは……」

 

「まずは檸檬の皮を剥こ! 悠君はこっち側、私はこっち側ね!」

 

 そうだったな。檸檬を剥かないことには始まらない。

 

 彼女は当たり前のように僕の二倍の量を自身の皿に取り分けていた気がする。

 

 そんな遠い記憶を辿りつつ一人キッチンに立ち、檸檬の皮を淡々と剥いて種を取っていく。

 

 彼女の指からは柑橘類の鼻をつく匂いがした。

 

 檸檬臭くなった彼女の両手を邪険に払いのけてみせる僕が思い起こされる。

 

「このキッチンって、こんなに広かったんだな」

 

 今日は僕の誕生日。最後にレモンパイを食べたのは丁度2年前のことだ。

 

 もう誰にも祝われたくなかったから、僕は他人と関わることを放棄した。

 

 最初のうちは皆心配そうな顔をして僕に寄って来ていたが、今では誰一人として気に掛ける者はいない。

 

「誕生日くらい別に一人でも平気だ。今更歳が増えたって何も嬉しくない」

 

「またまた~。ほんとは祝って欲しいくせに!」

 

 どこからともなくそんな彼女の冷やかしが聞こえて来た。

 

 お願いだから静かにしてくれ。それならちゃんと此処で祝えよ……。

 

 フードプロセッサーで檸檬をペースト状にしたら下ごしらえは完了。

 

 彼女は物覚えが悪いようで、いつもフードプロセッサーを「混ぜるやつ」と呼んでいた。

 

 「それってフードプロセッサーのことか?」とからかうと、彼女は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。

 

 そんなどうでもいいことが頭を過っていく。

 

「悠くんは、メレンゲを作る係だよ?」

 

「ああ、分かってるって」

 

 毎年彼女がせっせとパイ生地をこしらえている間、僕はメレンゲを作っておくことが仕事だった。

 

 これは体が弱い彼女の代わりに僕が引き受けるべき領分だ。

 

 卵白をボウルに入れ、ほぐすようにゆっくりと泡立て始める。泡の立ち具合を見ながら次第に手を速めていくのだ。

 

 一見簡単そうに見えるが手首の絶妙なスナップが必要で、最初のうちは上手く完成するのに時間を要した。

 

 けれど、今となっては両目を瞑っていても余裕でこなせるくらいには上達している。皮肉なくらいに。

 

「さっすが悠君! 上手!」

 

 そんな彼女の黄色い声が頭の中を巡る。

 

 人と付き合うのが苦手な僕にとって、彼女は太陽のような存在だった。

 

 笑顔の絶えない君と過ごす時間は宝石のようにきらきら輝いていたんだ。

 

「悠君、もっと速く混ぜなきゃダメだよ!」

 

 彼女は疲労で手が止まりかけている僕に厳しい言葉を投げ掛ける。

 

 そのたびに僕は悪態をついていた。

 

 誕生日が近づくと、彼女は僕の母親と共に檸檬を収穫する。そして、僕の大好物のレモンパイを毎年必ず作ってくれるのだ。

 

 母親に弟子入りして懸命にレシピを吸収していた彼女の姿を鮮明に記憶している。

 

 あの時は恥ずかしいから止めろと声を荒げていたが、彼女は舌を突き出して止めなかった。

 

「ふう……」

 

 コツさえ掴んでしまえば楽なもので、メレンゲもすっかり角が立っている。

 

 パイ生地は前日のうちに購入していたから、あとはレモンクリームを作るだけだ。

 

「レモンクリームは、中火でコトコト煮込むんだよ」

 

「ああ、そうだったな」

 

 彼女が一番拘っていたのはこの工程だ。

 

 どうやら上手くとろみをつけるために、火加減に気を遣う必要があるらしい。

 

 鍋に先程下ごしらえをした檸檬と卵を入れて、中火で温める。

 

 コーンスターチやメープルシロップを混ぜるのは、母親のレシピ通りだ。

 

 ゆらゆらと揺れる青い炎を見つめながら、僕は今更思いふける。

 

 彼女の病気が深刻であると知った時にはもう遅かった。

 

 全身に管を刺してベッドに横たわる彼女は、そのままあっけなく煙になってしまった。

 

 今回も美味しいレモンパイを完成させると意気込んでいた彼女の姿は、もう何処にもいない。

 

「ちゃんと今年も作ってくれよ……」

 

 出来上がった熱々のレモンパイを前にして「さすがにもう飽きたよ」と言ってみせると、彼女はきまって悲しそうな表情を浮かべる。

 

 彼女のレモンパイは十分美味しかったのに、少し酸っぱかったのを咎めると悔しそうに涙を溜めていた。 

 

 こんなことになるなら、もっと喜んでやればよかった。普段からもっと優しく接してやればよかった。

 

 僕は彼女を失ってから、心に溜まった後悔の波に溺れていた。

 

「あっ」

 

 ――ふと鍋に目をやると、レモンクリームから沸々と泡が立っていた。

 

 慌ててボウルに移し、氷を当てて冷やす。

 

 出来上がったレモンクリームはすぐに冷ましてやらないと味が偏るらしい。彼女がそう得意げに呟いていた光景が呼び覚まされる。

 

 俺はこれからどうやって生きていけばいいのだろう。

 

 希望も無ければ、死ぬ勇気すら無い。

 

 大学も辞めてしまい、週2のバイトすらままならない。

 

 そんなほぼ死んだような僕が、レモンパイを食べたいと思ってしまった。

 

 誕生日にレモンパイを食べられないことが、どうしようもなく耐えられなかったのだ。

 

 もしかしたら何か変われるかもしれない。

 

 そんな一握りの期待を胸に、パイ生地にクリームを流し込んだ。

 

 「後はオーブンで焼くだけだね!」

 

 「ああ、そうだな」

 

 レモンパイをオーブンに入れて暫くすると、軽快な電子音が完成を知らせてくれた。

 

 香ばしいパイの匂いと檸檬の爽やかな芳香が合わさって僕の鼻孔を刺激する。

 

 そんな懐かしさが部屋中に広がり、僕は思わず眉をひそめた。

 

 「いただきます」

 

 切り分けた2人分のレモンパイをテーブルに置き、そっと手を合わせる。

 

 お誕生日おめでとうと、心の中で小さく呟いた。

 

 「……すっぱい」

 

 きっと君の事を考えていたせいでレモンクリームを煮詰め過ぎたんだろう。

 

 これは僕の仕事では無かったから、まだまだ練習が必要らしい。 

 

 どうしようもなく酸っぱくて、思わず涙が零れた。




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