機械仕掛けの王とスタイラスドール (小ノ寺祐佑)
しおりを挟む

1節 王と妃の事情
第1部 "ビリケツ"ちゃん


 景色が赤く揺れている。

 パチパチと何かが燃える音は途絶えることなく、それと共に豚の鼻息を100万倍酷くしたような音があちこちから聞こえてくる。

 オークだ。何匹かわからないが、少なくない数が外をうろついている。

 蒸せ返るような熱気に呼吸が乱れ、心の音は跳び跳ねて鼓動を加速させる。

 とある民家の中、僕は台所にある壁のへこんだ部分で身を縮ませていた。こうしていると落ち着く…わけではないけど、壁に守られているような気がして、まだ安心感があった。

 

「痛っつぅ…!」

 

 右腕を少し動かしただけで鈍痛が走り顔をしかめる。だらんと垂れた腕は力が入らず、多分折れている。せっかく装備している盾もこれでは役に立たない。

 さらに最悪なことに、武器として持っていた片手剣を逃げ回るうちに落としてしまっていた。

 ここは公国ヴェイグランドから100km以上も離れた農村地帯、現在はオークの集団が村を絶賛蹂躙中だ。

 一体何故僕ことククル・アーチボルトがこんな場所で民家の隅っこに隠れているのか。それを説明するには、少し時間を遡る。

 

 ◆

 

 公国ヴェイグランドは6つの区に分けられている。それぞれの区には特色があり、南区はギルドが固まって置かれていて、ギルド団地とも呼ばれている。

 僕の所属する傭兵ギルドもこの区内に事務所を構えている。

 

「おい、ククル。またゴブリンでも狩ってたのか?」

 

 事務所の中、小馬鹿にするようにして、男性は薄ら笑いを浮かべ僕に問うてくる。

 別にこの男性だけではない。傭兵ギルドに所属する先輩や同期、後輩達からも僕は同じような扱いを受けている。

 

「アシュリー、さん…。う、うん…。」

 

「そうかそうか。まあ"ビリケツ"ちゃんにはお似合いの仕事だぜ。」

 

 ふんと鼻で笑う彼。ボウズ頭に褐色の肌、細身なのに筋肉質な体。アシュリー・グラーケンとは同期だけど、彼は今や先輩達にも一目置かれる程の傭兵に成長していた。

 そんな彼が僕をビリケツちゃんと呼ぶのは、傭兵としての成績が一番悪いから。

 

 傭兵の評価は依頼達成数とその内容で決まる。通常は複数人で依頼を受けるため達成数での差はつきにくいが、その内容、つまり武勲をあげたかどうかで傭兵としての評価が決まる。

 評価が一定を越えると、階級が上がり、それに準じた階級章が与えられる。

 階級は下から初級兵、下級兵、中級兵、上級兵、特上級兵とあり、さらに初級兵を除いてその中でも、評価によって階級章の星が増える。

 星の数は最高で3つまで増え、俗に星一つでシングル、二つでダブル、三つでトリプルと呼んでいる。

 アシュリーさんは既に上級兵のトリプルにまで昇進していて、数人しかいない特上級兵に時期にランクアップするだろうと目されている。

 それに比べて僕は未だに下級兵のまま。

 

 僕は、弱い。

 ゴブリンと言えば最弱のモンスターで、初等兵でも難なく倒せる。それどころか訓練を受けていない村人でも、ある程度腕に自身のある成人男性なら自力で退けられる程だ。

 それなのに僕は、それさえも苦労する。

 今回の依頼、村周辺に出没するゴブリンの討伐依頼でもやっと一、二匹倒せたぐらいだった。メンバーは新人ばかりだが、彼らの方がよっぽど活躍しただろう。

 原因ははっきりしている。

 

「しかし、魔力も神力じんりょくすらもまるっきりゼロじゃ苦労するだろ?うん?」

 

「は、ははは。そうだね、新人さんにもすぐ追い抜かれちゃうし…。」

 

「…んだよ、先に言うなよ。」

 

 チッ、と舌打ちが聞こえた。

 お決まりの嫌味に僕が出来る最大限の意趣返しはこの程度。なぜなら彼の言った通りだからだ。

 

 魔力とは魔法を使うための源で、すべてのものに存在する。生まれたての赤子でも保有しているし、なんなら大気中にも存在する。その保持量が多いと、魔道士としての才覚があると言われている。

 神力とは魔力とは異なるエネルギーで、光術こうじゅつを使う源となるものだ。保有量は違えど、これまた誰でも持っているもので、光術の一つである身体強化は傭兵を含む戦士の嗜みだ。

 

 僕にはこれらが存在しない。1ミリも、微塵も、まったくなし。ゼロである。ダブルパンチである。

 

 それが判明したのが、魔道士を目指すためにヴェイグランドへ上京し、ワクワクしながら魔導学院の門を叩いた時だった。

 

 ―"残念ながら、あなたにはまったく素質がありません。"―

 

 ショックだった。何がショックって、入学出来なかったことよりも魔力ゼロの事実を突きつけられたことだ。

 普通は才能のない人でも魔力は微量に存在し、なんとなく魔力を扱う感覚を理解している。それを魔感覚という。

 だから訓練して慣れていけばある程度は成長できるんだけど…その取っ掛かりとなる魔感覚もない僕は成長しようがないということだ。

 

 大見得を切って上京してきた手前、このまま帰郷することなんて考えられず、ならばと二つ目の夢を追いかけることにした。

 聖騎士である。僕は聖騎士学校の門を叩いた。

 

 ―"残念ながら、そなたにはまったく素質がない。"―

 

 ちょっと言葉遣いが違うだけの同じ台詞を聞くこととなった。

 神力がゼロなんて聞いたことがない、とも言われた。

 そのあとに続く言葉も同じ。

 

 項垂れてとぼとぼと歩く僕の横を屈強な男達が颯爽と歩いていく。

 目線で追った先には傭兵ギルドの門。

 なぜ僕は魔道士や聖騎士に憧れたのか。格好良いから。それもあるが、それだけじゃないはずだ。

 弱い存在を守れる力を持っているから。正義を貫けるから。

 

 なら傭兵でもいいじゃないか。

 僕は傭兵ギルドの門を叩いた。

 

 僕が傭兵になることが出来たのは、僕自身が何か認められたわけではない。

 来るもの拒まず、去る者偲ばず。傭兵ギルドは人を選ばず、とにかく安価で雇う。死んでしまったらまた雇えばいいのだ。幸いこの町にはあぶれ者がたくさんいる。

 

「あの~、そろそろククルくんから報告を受けたいんですけど…」

 

「…了解了解!」

 

 ねちねちと絡まれているところに助け舟を出してくれたのは、ギルド受付嬢のミアモ・ルーンセルトさんだった。

 ミアモさんに横槍を入れられ、興を削がれたようにそそくさとアシュリーさんは去っていった。

 

「ミアモさん、ありがとうございます。」

 

「大丈夫~。…あんまり気にしたらダメだよ?ククルくんはこれからなんだから!」

 

「…はい、ありがとうございます。じゃあ報告しますね。」

 

「うん、お願いするね!」

 

 綺麗に並んだ歯を見せながら笑う彼女。白の猫耳をピクピクさせている時はご機嫌な時だ。少しカールした栗色の髪は首辺りまで伸ばしたショートボブスタイル。弓形の目元には黒子があって、それがまたなんとも言えずセクシーだ。その温和な性格と美しい外見で傭兵達から人気がある。

 僕がギルドに入る前から受付嬢をしている人で、何故か懇意にしてもらっている。

 

「…と、こんな感じです。」

 

「うん、じゃあ報告書纏めておくね~。ククルくんの報告はいつも分かりやすくて助かるよ~。」

 

「ははっ、イレギュラーが発生するほど大した依頼じゃないですから…」

 

「あ、ごめんね。そういう意味じゃないんだよ?」

 

 自嘲気味に呟くと、手を振りながら慌ててフォローを入れてくれるミアモさんだったが、次にちょっと怒った表情になって続けた。

 

「でも大した・・・依頼じゃないってのはいただけないかな?確かに難易度に違いはあるけど、どれも人を助ける大切なお仕事でしょ?そんなこと言うなんて、ククルくんらしくないなぁ。」

 

 その言葉にはっとなって思い出す。何の取り柄もない僕でも、少しでも役に立てたらと頑張っていた自分の姿を。

 この人にはいつも何か大切なものに気付かされる。いつか恩返しができるように立派にならないと。

 

「す、すみません…」

 

「いいよ、分かってくれたら。それに君にそんな風に考えさせた環境も悪いんだし。」

 

 ミアモさんのジト目が周囲に振り撒かれ、それから逃れるように傭兵達の視線が宙を漂う。

 

 その時、乱暴に入り口の扉が開かれる音がした。

 周りがざわざわと騒ぎ出し、視線がそちらへと集中する。

 

「バーンウッドだ」「死神が通るぞ」「今度は何人死んだんだ?」

 

 "死"とか"死神"とかいう不吉な言葉を、傭兵達は口々に言い合っている。件の彼が周囲を一睨みするとしんと静まり返った。

 

 バーンウッド・リトリバー特上等兵。魔法とも光術とも違う力、特異性イデオを持つ人だ。

 特異性イデオはその詳細が語られず、謎が多い。

 

「…ルルクか。」

 

「…ククルです。いつも惜しいですね。」

 

「すまない、二文字以上続くと混乱してしまうんだ。」

 

「もう一年になるんですから覚えてくださいよ。」

 

 僕が苦笑しながら言うと、彼もつられて笑う。

 バーンウッドさんは二期上の先輩だけど、周りから敬遠されている者同士で共感するところがあるのか、気に掛けてもらってる。

 燃えるように真っ赤な髪とつり目が特徴的で、恐らくその見た目も相俟って近付き難い雰囲気が出てしまっているが、話せばまったく印象が変わる。

 彼が死神と呼ばれている理由。

 その一つは特異性イデオ保持者であることに所以するもので、その保有者は死を振り撒くと信じられている。

 それを証明するかのように彼と依頼を共にした傭兵が続々と亡くなっているが、僕は彼が死神だとは思わない。

 大体死を振りまくなんて何一つ根拠もないし、彼が受ける依頼の難易度を考えれば、死者が出てもおかしくないからだ。

 

「バーンウッドさん、こんにちは!」

 

「ああ。これから報告がしたいんだが。」

 

「わかりました!ククルくんへの支払いを先に済ませますね~。」

 

 ミアモさんから銅貨10枚の報酬をもらい、バーンウッドさんと交代して、掲示板で新しく貼り出された依頼を確認する。低難易度の依頼の報酬は少ないため、数をこなす必要があるのだ。

 ちなみに共同で依頼を受けた場合、完了報告を代表して一人がすれば、後は個々人が自由なタイミングで報酬を受け取れるシステムになっている。

 みんな面倒臭がって僕に任せるけど、僕は損していると思ったことはない。ミアモさんとも話せるし…。視線を感じたのかミアモさんは僕にウィンクをし、バーンウッドさんから報告を受ける。

 

「…そうですか。」

 

「済まない、守り切ることができなかった。」

 

「いえいえ!バーンウッドさんの責任じゃありませんし、ミノタウロスロード相手では致し方ないです。」

 

「…最近、通常種モンスターが亜種や上位種を連れてくるケースが増えている。注意をお願いしたい。」

 

「わかりました!依頼に当たるチームの編成にも気を配っておきますね。」

 

 今回も死者が出たらしい。

 モンスターは通常種の他に環境に適応した亜種や、個体の中でも強化された上位種というのが存在する。例えばミノタウロスが通常種であれば、ミノタウロスロードが上位種だ。

 

 報告を終えて報酬を受け取ると、バーンウッドさんが声を掛けてきた。

 

「お前も聞いていたと思うが、気を付けろよ。」

 

「僕は近郊の依頼しか受けないんで大丈夫だとは思いますけど…気を付けます。」

 

「…いつか一緒に依頼を受けられるといいな。」

 

 ぽそりとそう呟いて、彼は事務所を後にした。

 それはいつになるんだろうと苦笑しながらも、そう言って貰えたことに胸が弾んだ。

 

「随分とバーンと仲が良いみたいじゃねぇか、おお?」

 

「ま、まぁ、気に掛けてもらってる感じですかね。」

 

 暇を持て余しているのか、アシュリーさんがまた絡んできた。大方、成績争いで敵対心を(一方的に)燃やす

 バーンウッドさんと仲良くしているのが気に食わないのだろう。

 

「"いつか一緒に"、か。いいねぇ!!お前も早く追いつかねぇとなぁ。」

 

「そうですね…。いつになることやら、はは。」

 

「…だったら、そろそろゴブリン卒業して、オークでも行っとくか?」

 

 ニヤニヤしながらアシュリーさんが掲示板から剥がしたのは、オーク討伐依頼だ。場所はヴェイグランドから少し離れた村。

 息を飲み込んで依頼書を見る。

 

 "村近辺で通常種オークと思われる姿を発見。数は4頭程。現在被害はないものの、速やかに排除願う。"

 

 依頼毎に決められた人員枠は、まだ一人分空いているようだ。他の参加希望者を見ると中級兵のトリプルも1人含まれている。

 気持ちとしては、少しでも早くバーンウッドさんに追いつきたい…というのは烏滸おこがましいけど、せめて迷惑を掛けない程度にまで成長したい。

 オークは今の僕では荷が重いけど、参加メンバーを見る限りリスクも少ないし、経験するには丁度いい条件かもしれない。報酬は返納すれば他も納得するかな。

 

「ミアモさん、これ受けていいですか?」

 

「…う~ん。ククルくん、なんか焦ってる?」

 

 心配そうに問いかけてくるミアモさんに、さっき考えていたことを伝える。彼女はそれでも心配なのか悩んでいたが、最終的にはOKを出してくれた。リスクを負わないと成長しないことを知っているからだろう。

 

「おう、がんばれよ!ちょっとでもオークに傷を付ければ、お前の勝ちだぜ?」

 

「はい、頑張ってきます。それでは。」

 

 一体何が"勝ち"なのかはあえて聞かずに事務所を後にした。

 依頼の決行は明日だ。

 

 ◆

 

 翌日の早朝、公国の門前に僕はいた。

 村行きの馬車がここから出発するため、参加メンバーがここに集合することになっている。メンバーは僕を含めて5人。どの人もそれなりに良い装備を持っている。

 中には魔道士用のロッドをサブとして腰からぶら下げている人もいた。初級の魔法、例えばファイアーボール程度なら独学で習得できると聞いたことがある。

 僕はと言えば、未だに入団したときに支給された片手剣と鞘が収められた盾、そしてライトアーマーのままだ。

 

「はい、じゃあメンバーが揃ったみたいなんで行きますか。」

 

 そう告げるのは、今回皆を取り纏めるリーダー役のポーターさんだ。上等な鎧と銀色に光る剣を提げて、まさに上位グループの傭兵然としている。

 メンバーはぞろぞろと馬車に乗り込み、馬車が音を立てて走り始めた。

 公国から離れるに連れて、社外の景色は郊外の街並みから段々と田園が広がる長閑のどかな風景へと変わっていった。

 走る馬車の中では、オークがいると思われる位置や村の情報、フォーメーションなどが話し合われている。僕は最後尾で後方支援となっているが明確な役割はなく、要はただの見学者としての扱いらしい。

 

 随分な距離を走り、あともう少しで村へと辿り着くという時に、僕らは周辺の異常に気が付いた。村方面から火の手が上がっていて、泣き叫ぶ人々の声が聞こえ、その中には獣の咆哮も混じっている。

 

 ――オークに襲撃されている!

 

 何も言わずとも同じ結論に至ったメンバーは瞬時に戦闘態勢に入る。

 馬車を少し離れた場所に止めさせて、徒歩で村へ向かうと、一人の少女が泣きながら走って来るのが見える。

 少女は僕らを見つけると、縋りつきながら泣きじゃくった。

 

「おねがい、たすけて!パパとママがっ!うぅ…ぐすっ」

 

「怪我はないかい?僕らが来たからにはもう大丈夫だよ。ククルさん、僕らは村に急ぐから、彼女を馬車へ連れて行ってくれ!」

 

「は、はい!わかりました!」

 

 4人が村へ向かうのを見送ると、僕は少女を馬車へと連れて行った。

 

「おにいちゃん、ヨウヘイさんなんでしょ?ミルはここでおルスバンしてるから、はやくみんなのとこにいってあげて?」

 

「えっと、僕は多分必要ないかな…」

 

 ポーターさんが僕に彼女を託したのは、彼女を避難させるという他に厄介払いの意味も含んでいるはずだ。

 別に彼が意地が悪いのではなく、明らかな戦力外の僕を、この不測の事態で守りながら戦うのは困難で非効率だからだが――

 

「そんなことないよ!おにいちゃん、けんもっててつよそうだよ?おねがい、みんなをたすけて!」

 

 少女は必死に懇願する。少女にとって僕は頼るべき大人であり、守ってくれる存在なのだ。

 その想いに胸打たれて、武器を手に取る。

 

「いい?ここを絶対に動かないでね。」

 

「うんっ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2部 胸のつかえは取れずとも

 村の入り口には既に誰もいない。

 アーチ型の門を潜ると、その惨状に目を見張った。

 住居はほぼ全てが焼け落ち、村人の死体が転がっていて、その下半身は露出している。焦げ臭さとオークの獣臭さで鼻がひん曲がりそうになる。

 仲間の姿を探すべく奥へと進む。熱さで喉が干上がりそうだ。

 

「ブゥヒィィィィィィィッ」

 

「うぼぅっ!!」

 

 そこには棍棒で頭を殴りつけられ、脳漿を辺りにぶちまける仲間の姿があった。

 既に息絶えて横たわっている男女の二人にはそれぞれ別のオークがいきり立つ下半身を露出させ、何かを割く音を立てながら死体に腰を沈めていた。オークは男だろうが女だろうが、構わず犯す。

 おぞましい光景に身を震わせる。ありえない。こんなのはありえない。

 

 先程仲間を爆裂させたオークが目に入る。

 黒い。黒すぎる。通常種のオークであれば茶色の体毛で覆われているはずだ。

 あれは上位種のオークロードで間違いない。それが3匹と通常種も2匹、計5匹がこの場にいた。

 

 ――通常種が上位種を連れてくる。

 

 バーンウッドさんの話を思い出す。まさかこんな早くにそれが確認できるとは思わなかった。

 これでは勝ち目がまったくない。

 

 気付けば数メートル先にオークロードがいる。次の獲物を僕と決めたようだ。

 動かなきゃいけないのに、足が竦んでどうしても動かない。吐き気もする。

 ついに目前に迫り、手にした棍棒を振り上げるオークロード。

 

「避けるんだっ!!」

 

 そう叫ぶ声で我に返り、盾を構えながら後方へと跳んだ。クリーンヒットは避けられたものの、棍棒が盾を掠め、その衝撃で数メートルほど転がりながら吹っ飛んでいく。

 一瞬意識が遠のいて、気付けばポーターさんが頭から血を流しながら僕を揺さぶっていた。

 

「女の子はどうした!」

 

「ば、馬車の中に…」

 

「くそっなんで来たんだ!ここは俺が引きつけておくから、すぐに馬車に戻れ!馬の首辺りを2回君が意識を失くしても、馬が勝手に走ってヴェイクランドまで戻ってくれるから!」

 

 そう言うが早いか、盾を剣で叩いてオークの注意を僕から逸らしながら、さらに奥へと走っていく。僕は彼に従い、馬車のある方へと逆走する。

 

「うぅっ」

 

 右腕の鈍痛に耐えながら走っていくが、先の光景に目の前が真っ白になる。オークが2匹、入り口周辺をうろついていた。

 こちらにはまだ気付いていない。僕はすぐさままだ崩れていない民家へと入っていった。

 

 ◆

 

 こうして冒頭へと戻る。

 

 これからどうすべきかは明白だ。少女の元へと向かい、最悪彼女だけでも逃がす。

 そのためにはオーク達を掻い潜って馬車まで向かわなければならない。馬車は村から離れてはいるものの、いつオークに気付かれるか分からず、時間の猶予もそうないと考えたほうがいいだろう。

 

 服の中を探って、小さな鉄筆スタイラスを取り出す。長さは5センチ程で、柄端には王冠が象られている。

 両親が唯一残してくれた形見――らしい。らしいと言うのは、幼すぎて記憶にないのだ。幼い頃に両親を失くした僕は一旦施設に預けられたものの、程なくして叔父が引取ってくれた。

 叔父と一緒に住んでしばらくして、鉄筆をペンダントにして渡してくれた。

 

 ―"どうしようもなく困った時、それは君を救ってくれるはずだ"―

 

 叔父は常々僕にそう言い聞かせていた。

 それと共に彼が教えてくれた御伽噺は僕を魅了した。一人の英雄王と、それに付き従う家臣達。

 

 ―"王はすべての兵士を動かす原動力であり、またそれらを守る親だ"―

 

 それ鉄筆にはその資格に足る力が宿っているのだと、そう言っていた。

 

 ―"ククル、君が16才になれば、それを自分の能力ものにできるよ"―

 

 その鍵となるのがこの形見だとも。

 子供だと思ってからかっていたんだろうけど、当時は本気にしてたっけ。

 

 ――16才になれば、か。

 

 僕はつい先月成人年齢となる16才になった。

 僅かな期待にもならない期待を込めて。

 鉄筆スタイラスを額に押し当てながら、力がほしいとただ祈る。

 何も起こらない。

 やっぱり、と諦めかけた瞬間――それが中に吸い込まれていった。

 

「わっわっわぁ!!!」

 

 焦りの余り変な声を出しながら手をアタフタとさせるが、鉄筆スタイラスは完全に消えてしまった。いや、入り込んだというべきか?

 その割りにまったく痛みはなく、額が割けている様子もない。手にはチェーン部分のみが残っていた。

 そう思っていると、身体に異変が起こり始める。

 

 皮膚がメキメキと軋む。

 やがて皮膚が剥がれ浮かび上がったのは、光沢のある肌だ。ただし、それは人間のような柔らかいものではなく、もっと硬い、鉄のような肌だ。

 やけに物音が聞き取りやすい。

 意識を集中した音だけが反響したように聞こえる。

 直感も鋭くなっている。

 さっきまではオークが外にいるというぐらいしかわからなかったのに、今ではどの方角に何体いるかまでがなんとなく分かる。

 嗅覚もより鋭く、視界もクリアだ。

 ボロボロだった身体も元気を取り戻したように絶好調だ。気付けば折れていたはずの腕も普通に動かせる。

 身体の変化を実感している、そんな時だった。

 

「フゴッ」

 

 民家の扉が蹴り飛ばされ、1匹のオークが侵入してきた。全長は目側で2メートル半ぐらい。

 反応する間もなくそれは一瞬で迫って来て、その巨大な手で僕を掴み上げた。

 そのまま握り潰されていてもおかしくない程の握力なのに、多少の痛さはあるものの、身体はまったく平気だ。

 

「プギッ!?」

 

 オークも予想外だったのだろう、怪訝そうな表情をしている。多分。

 ふと、左手に棒状の何かを掴んでいるのに気付く。それは金属製のステッキのようだ。

 

「うあぁあああっ」

 

 それをとにかく振り回す。目を瞑って振り回す。

 ブン、ブン、ブンと振ると、ガンッ、ボコッ、メキッと相応の手応えが返ってきた。繰り返す内にオークの鼻声が弱々しくなっていき、やがて途絶えた。

 目を開けるとあちこちがへこみまくったオークが、口からも吐血しながら地面に転がっていた。

 

 少し冷静さを取り戻した僕は、現状を確認する。

 僕はオークを1匹倒せるぐらいには強化されているようだ。探ってみると、村の入り口近くにオークはいない。

 

 ――動くなら今だ。

 

 そう判断して、民家から入り口までを駆け抜ける。

 その速さにまたも驚かされる。体感的には馬よりは少し遅い程度か。そんなスピードなので、馬車まですぐに到達する。

 

「ひっ!?」

 

「あ、ごめん。僕だよ。」

 

「おにいちゃん…?」

 

 馬車を覗き込むと少女が膝を抱えて丸まっていた。僕の容姿も相当変化しているらしく、酷く怯えていた。

 

「僕、そんなに変わった?」

 

「う、うん。なんか、ニンゲンじゃない、みたい…?」

 

「そ、そっか。」

 

 鏡を見てみたい気分だが、今はそんな場合じゃない。彼女を連れてギルドへ帰り、応援を呼んで来なければ。

 ポーターさんを置いて、一人で?応援は間に合うのか?そうやって、目を逸らして、逃げるのか?

 

「…これから馬車が公国まで走るから、門兵さんに傭兵ギルドまで連れて行ってもらって、そこのミアモさんっていう人に村のことを話してくれるかな?できそう?」

 

「ミアモさんだねっ。うん、できるよ!オツカイいったことあるもん!」

 

「じゃあ、お願いね。また行ってくるね。」

 

「わかった!おにいちゃん、ありがとう!みんなのことおねがいね?」

 

 馬の首をトントンと叩いて馬車が走り出すのを見送ると、深呼吸を一つして再び村へと戻る。

 逆手に持ったステッキを見る。確かに強度はあるようだけど、杖術の心得のない僕は不安を覚えた。せめて、背の高いオークにも届くくらいの、扱いやすい武器があれば――

 

 そう思いながら手に持ったステッキ軽く振ると、まるで生きているかのように金属音を立てながら形を変えていき――大斧が誕生した。

 柄は少し長くて40センチ程。少しばかり重いが、田舎で散々薪割りをしてきたから、むしろ剣よりも扱い慣れている。

 ギュッと柄を両手で握り締め、歩を進めた。

 

 ◆

 

 村の中程まで行くと通常種オークが3体、こちらを向いて醜くブヒブヒ言っている。体長はオークロードよりも小さいが、それでも2メートルはある。

 落ち着け、落ち着け。今の僕なら、出来そうな気がする。

 オーク達が向かって来ている。特段ゆっくりとしている訳でもないのに、オークの動きがスローモーションのように見える。

 足に力を込めて踏み込み、一体のオークへと急接近する。オークはうろたえているが、そのチャンスを逃すわけがない。

 袈裟斬りを見舞うと、あっさりと肩から腰辺りまで刃が通り、血を撒き散らす。

 既に事切れたオークを足で蹴り倒して、長斧を力任せに引き抜いた。

 

「ブヒッフゴッ!!」

 

「はぁっ!!」

 

 残り二体が同時に飛び掛ってくる。

 だけど、遅い。

 棍棒やら手やらを掻い潜り、後ろへと回り込んで一閃――切り上げた刃はオークの背中を深く抉った。

 前のめりに倒れるその体を足蹴にして跳躍、隣にいたオークの首目掛けて薙ぎ払いを決める。

 

「ブヒャ…ッ」

 

 切れた喉では発声できず、断末魔の叫びは途絶えた。

 

 ――いける。

 

 大斧を握り直しそう確信する。以前とは比べ物にならないくらい動ける。体の変化は気になるけど、それは後だ。

 

 瓦礫の山を乗り越え、戦闘音が響き渡る方向を目指す。

 

 ――いた。

 

 浅くない傷を負いながらも、2体のオークロードを相手に果敢に立ち回るポーターさんの姿があった。

 2体相手だと攻撃するチャンスも少なく、攻めあぐねているようだ。

 散乱する瓦礫や民家の間を抜けてオークの後ろへと回り込む。

 

 オークロードは通常種とはまったく違う。

 見た目だけじゃない。パワー、スピード、体格、あらゆることが通常種の規格から外れている。まったく別物と思った方がいいだろう。それを二体相手にするなんて愚の骨頂。

 

 曲剣をイメージして大斧を振ると、イメージ通りに変化する。

 手に剣を握り締め、頃合を見計らって地面を蹴り一気にオークロードへ突進し、一方の足の腱へ切り付けた。

 その瞬間、オークロードが足から崩れ落ちる。

 通常種より抵抗はあったものの、なんとか肉を抉り、脚の健にまで到達する。

 

「フゴッ、ブギィイイイイ!」

 

 怒り狂ったように喚きながら、自由の利かなくなった足を引き摺って向かってくるが、もはや立つこともできない。

 僕は力任せに首元へと曲剣を落とすと、ぐしゃり、と音を立てて潰れ、ピクリともしなくなった。

 

「お、お前、誰だ…?」

 

 

 僕に存在に気付いたポーターさんだが、誰かまではわかないらしい。僕の容姿ってどれだけ変わってるんだ…?

 

「僕です!ククルです!」

 

「く、ククル…?とりあえず助かった!後一匹、ご助力願いたい!」

 

 どうも半信半疑なのか言葉遣いがおかしいが、一先ずは敵ではないことが伝わったのでよしとしよう。

 

 僕とポーターさんで化物の前後を取り囲む。こうなれば意識を二人に割かねばならず、容易には動けない、と思っていたけど。

 さすがはイノシシ、振り返り、猪突猛進で突っ込んでいった――ポーターさんの方に。

 

「危なっ…!」

 

 左手を振り下ろし気味に突き出すが、曲剣では届かない、と思った矢先。

 ビキリ、と。

 今度は高速で剣が槍に姿を変えて、オークロードの肩を突き刺した。

 

「ギッ!?」

 

「今だ、畳み掛けろ!ウラァーッ」

 

 さっきまで固まっていたポーターさんが雄叫びをあげながら剣技を放つ。

 

 ーーホリゾンタル・スラッシュ。

 

 オークの厚皮を易々と裂くそれはシンプルだが、ただの横薙ぎではない。

 放った刃は神秘的な光を纏っていて、鋭さが増している。

 その光は神属性であり光術のエンチャントの一つだ。

 

 僕も負けじと槍を振り、大斧に変化させて肩へと一撃を見舞う。真逆からポーターさんの得物が左脇を裂く。

 最期の悪あがきか、オークロードも両腕を振り回して反撃するが、ポーターさんは光術で強化された身体能力でするりと交わし、僕は被弾するがびくともしない。

 

「ブッ!?フ…ゴ…」

 

 やがて力なく崩れ落ちるオークロード。

 それでも油断は禁物だ。やるなら徹底的に。それが傭兵の心得でもある。

 

 僕とポーターさんは二度三度それぞれの武器を振り下ろし、完全にオークロードが動かなくなったのを確認して、漸く一息ついた。

 

「やった、か…」

 

「やりましたね…」

 

 周りを索敵しても他にモンスターの気配は感じられない。いても小動物くらいだ。

 二人してその場にへたり込む。

 と同時に、パラパラと僕の仮の顔・・・が崩れ落ちていく。

 恐る恐る触ると、そこには僕の皮膚があった。同じように全身も金属的な肌が崩れ落ち、元の人間らしさを取り戻す。手にしていた大斧も崩れ去った。

 

 

「…君は本当にククルだったんだな。」

 

「…はい。僕にも何がなんだかわからないんですけど。」

 

「そうなのか?魔法とも光術の身体強化とも違うから、恐らくは特異性イデオだと思うんだが…」

 

 多分そうだろうと僕も思う。そして、これは僕が発現した特異性イデオでもないと思う。

 僕の中に入っていった、王キングの鉄筆スタイラスは戻ってきていないが、なくなった訳ではなく、まだ心臓部辺りにその存在を感じる。

 変わりに手元にあるのは、鉄製のリングに纏められた15個の鉄筆スタイラス。

 それぞれ柄頭には馬、司教冠、戦車、歩兵のヘルム、そして王妃のティアラが象られている。

 すべて、叔父が読み聞かせてくれた御伽噺の通りだ。

 

 このことは叔父に聞かないとわからないだろうが、叔父は――

 

「それじゃあ、生存者の確認をするか。見た感じでは期待できないだろうが…」

 

 周囲には丸裸にされた死体が点在し、中には焼け焦げているものまである。

 

「いえ、まだわかりません。少しでも可能性がある限りは、捜索しましょう。」

 

「…そうだな。希望を持たないと、見つかるものも見つからないものな。よし、行こう!」

 

 胸のつかえが取れないまま、僕とポーターさんは真夜中近く、応援部隊が到着するまで捜索を続けたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

叔父の書斎

公国ヴェイグランドから南東へ馬車を走らせて4時間程。

 僕の故郷の街イデリックは、通称"ユニコーンの森"と呼ばれる森林を抜け、大陸随一と謳われる清流を有するカンタス山を隔てた向こうにある。

 辺境にあるとはいえ、名産品のユニコーンの角を粉末にした医薬品の交易と、それを利用した技術開発で街は独自の発展を遂げ、それなりの規模になった。

 

 ユニコーンが生息する森はどちらかと言うとヴェイグランドに近いのに、角の採取量はイデリックの方が多い。その理由は、ユニコーンの生態に関係している。

 

 ユニコーンは一年に一度、角の生え変わりの時期を迎える。その時期は彼らの体力が著しく落ちるため、食物も多い反面外敵もいる森は危険だ。よってユニコーン達はカンタス山へと入っていく。

 なぜ山なのか。イデリック側になる山の中腹辺りには靄が掛かっていて、この靄がポイントなのだ。実はこの靄、ユニコーン以外が入れば前後不覚に陥ってしまう。

 靄がユニコーン達を守り、角の生え変わりが終わった後、彼らは森へと帰っていくというサイクルが出来上がっている。

 

 その抜け落ちた角を回収して色々と利用するのだが、肝心のそれは靄の中だ。ではどうするのかというと、何事にも例外は存在するもので、唯一カンタス山に居を構える原住民インディアンだけは靄の中へ平然と入っていけるのだ。

 

 彼らはその特質上ユニコーンと面識があり、弱体化した一角馬の世話をしていることもあって、用心深いユニコーンが唯一気を許している人間でもある。そんな彼らと僕の叔父は長年親交を持っていて、特別に角を融通してくれているのだ。

 

 前置きが長くなったけど、僕は今、休暇を取って里帰り中だ。

 目的はもちろん、我が身に起こったことを解明するため。叔父に会えればいいのだが、恐らくはいないだろう。それでも、何かヒントになるものが見つかれば、助かるんだけど…。

 

 あのオークロードの襲撃から一夜明けて、増援隊によって治療を受けながらヴェイグランドへと送られた僕は、目に涙を溜めるミアモさんに抱擁で迎えられた。

 少し落ち着いた彼女から、ミールという少女が焦った様子でミアモさんを訪れたこと、村の急襲とオークロードの出現を聞き、増援隊が急遽組まれたことなどを聞いた。

 少女は無事に保護されたが、他に村の生存者はおらず、彼女の両親もまたオークの犠牲となった。

 彼女には近隣の村に住む母方の祖父母がいるらしいので、彼らに引取られることになるだろう。

 

 そうこう考えているうちに"光の街"とも呼ばれるイデリックに到着した。

 

「…変わってないなぁ。」

 

 そうは呟いたものの、この街を出てから1年しか経っていないし、半年前に一度帰省しているので、当たり前と言えば当たり前だ。

 街の入り口を潜ると、目の前には長閑な田園風景が広がっていて、合間に住宅がポツポツと建っている。

 田んぼの畦道では農家の人々が作業に勤しみ、たまに流れる汗をタオルで拭いて楽しげに話をしている。

 

 少し進んで住宅街を抜け、中央にある街広場に着くと、北側に豪邸が見える。

 それが叔父の家であり、僕の実家だ。

 

 正面玄関の扉を叩いてしばらく、中からパタパタと足音を立てながら誰かが来るのかが聞こえる。

 

「お帰りなさいませ、ククル様。」

 

 扉を開けてくれたのは、使用人のセシリアだ。

 彼女はどちらかと言うとクールな美人顔なのに、可愛い印象も与える。

 少し癖のあるワインレッドの髪を頭の両サイドに結わえて、さらに可愛らしいフリルの付いたリボンまで付けているせいか。

 

「ただいま、セシリア。いつも通りでいいよ。」

 

「…うん、わかった。今日はお泊り?」

 

「うーん、そうなるかも」

 

 柔らかく微笑むセシリア。垂れがちな目が細くなって僕を優しく見つめている。

 彼女とは同い年であり、幼い頃から屋敷で一緒に暮らしている幼馴染でもある。

 住み込みで働きに来たセシリアの母親、ターニャさんに彼女が付いて来たのだが、丁度街に来たばかりだった僕にとって良い話相手となり、すぐに友達になった。

 13歳になるとセシリアも屋敷の使用人として働き始め、さすがに人前では使用人らしく接するようになったが、それ以外では今も変わらず砕けた感じになる。

 

「叔父さんは…帰ってきてない、よね?」

 

「…うん。あれからもう2年ぐらい経つけど、本当にどこ行ったんだか…」

 

「そっか。思い出したように手紙は届くから、生きてはいるんだろうけど…」

 

 そう、僕がこの街を去る1年前、突然叔父はこの家からいなくなった。

 残されたのはこの家と預かり所に入っている財産、そしてしばらくいなくなることを告げる置手紙のみだった。

 幸い預かり所に入っている貯蓄と、定期的に入ってくる特許料で税金とセシリア達の給料、その他諸々の維持費は賄えているのだが…。

 

「少し叔父さんの書斎で調べたいことがあるから、行くね?」

 

「…わかった。今日は料理長にククルが帰ってきたって伝えるから、期待しててね?」

 

「了解!一人じゃ寂しいから、セシリア達も一緒に食べよう。」

 

「…ククルがそう言うなら。」

 

 彼女は落ち着いた素振りをしながらも、嬉しさを隠し切れないというように頬を緩ませながら仕事へと戻って行った。

 

 今はお昼を少し過ぎた辺りだ。

 叔父の書斎へと向かうべく2階に続く階段を上る。

 木製の階段は昔と変わらず、踏む度にギシギシと軋んだ。

 子供の頃はベッドの中でその音を聞くと怖くなり、よくセシリアを誘って一緒に寝ていたっけ。

 

 上りきった先を左に折れて真っ直ぐのところに書斎がある。扉を開けると、部屋を一周するほどの本棚が中を埋めている。

 化学や医療からはたまた童話までジャンルは様々だ。

 

 叔父は化学者であり、医者であり、童話作家でもある。

 童話については趣味で書いていたものの、子供達に人気があり、僕も好きで読んでいた。

 

 棚のうちのひとつに目が止まる。

 タイトルは"機械仕掛けの英雄王"。

 田舎町に住む平凡な少年がある日、ひょんなことから機械からくりの国の王女に出会い、世界を救う物語。

 

 叔父が僕のために作ってくれた童話。8歳の誕生日に、あの鉄筆と共に渡された。

 手を伸ばしかけて、今はそれどころじゃないと引っ込めた。

 

 部屋の奥にあるデスク。その一番上の引き出しは鍵が掛かっていた。叔父が家を出るときには外れていたようだ。

 

 中には束になったノートが纏めれたもの。叔父の古い日記だ。

 当初は気が引けて中身を読む気がしなかったが、こうなった以上読む他ない。

 むしろこうなることを分かっててわざと鍵を外していった気がする。

 

 意を決してページを捲り流し読みをすると、几帳面な叔父らしく、一日一ページずつ、ピシッとした文字で書かれている。

 

 しかし、後になるにつれて断片的になっていった。それはもう、箇条書きと言っていいレベルで。

 

"姫君に鉄筆スタイラスを戴いた。併せてもらった文献をこれから纏めてみることにする。"

 

"キングはすべての始まりだ。この鉄筆スタイラスをインストールした瞬間から、キングは他16本の鉄筆を得る。"

 

"鉄筆はそれぞれ役割があり、柄先がそれをよく表している。キングを主、それ以外を従者と呼ぶ。"

 

"クイーンは女性のみに、ビショップは男性女性どちらにでも利用できる。

生死は問わないが、生きている場合、本人が自ら鉄筆を受け入れる必要がある。

キングが生存する限り生き続けるが、鉄筆を引き抜くと対象は灰になる。"

 

"ナイトは馬や犬等、ある程度知能のある動物に刺すことができる。ポーンやルークは無機物にも使用できる。"

 

"キングはクイーン以外のスタイラスを自身にインストール可能。"

 

"キングは多くのそれらと同じように、死を迎えるまで鉄筆は体内に埋め込まれたままとなる。つまり、受け入れた瞬間から人外となるのだ。"

 

 そして日付のみが書かれた空白のページが何枚か続き、次の記述を最後に日記は途切れた。

 

"一度スタイラスを受け入れた者が、元に戻る術があるのか…あの人に聞いてみよう。"

 

 キングのスタイラスは、恐らく僕が持っていたものだ。僕は、人ではなくなった…?

 しばらく放心していたが、コンコン、とノックする音が聞こえ、我に返った。

 

「…ククル、大丈夫?」

 

 扉の向こうからセシリアの声が響く。時計を見ると既に20時を過ぎていた。

 慌てて日記を直して鍵を掛ける。

 

「あ、うん、大丈夫。」

 

「…入るね。」

 

 声が震えていたのだろう、セシリアが心配して入ってきた。

 

「っ!?…顔色がひどいよ?」

 

 そっと頬に触れる彼女の手が冷たくて、肩がびくりと震える。

 子供の頃から冷え性のその手を取って優しく握り、無理矢理に笑顔を作った。

 

「そういえばもう夕食の時間だね。すぐに行くから。」

 

「う、うん。わかった。」

 

 目を伏せてそう言い、足早に去っていくセシリア。

 手を握ったり近寄ったりすると、異性に対する耐性がないからか、顔を紅潮させるのも昔から変わらない。

 かくいう僕も、こんなことができるのはセシリアだけだけど。

 

 それはさておき、日記を読んでから前にも増して胸の違和感が強くなっている。それはまるで、心臓に刃物を直接突きつけられているような…

 不安を残したまま書斎を後にすることとなった。

 

********

 

 その日の夕食は、傭兵になってからのものとは比べようがないものだった。

 鴨肉のローストやフォアグラのソテーなど、メインばかりが食卓を彩っている。

 そんな絢爛豪華な食卓にも、頭を巡る疑問に気を取られて素直に楽しめなかった。

 

 本当に人ではなくなったのか。

 もう元には戻れないのか。

 日記の最後の"あの人"って…?

 

 結局夕食を早めに切り上げて風呂を浴び自室に戻ったが、どうにも眠れない。

 薄手のカーディガンを羽織って裏庭に出た。外はまだ肌寒い。

 庭先にあるベンチに腰掛けてぼうっとしていると、隣に誰かが座る気配がした。セシリアだ。

 

「眠れないの?」

 

「うん。ちょっと考え事しててね。」

 

「…昔みたいに一緒に寝る?」

 

 セシリアの悪戯っぽい表情が横から覗く。

 

「あれは昔の話だろ?もう大人だし。」

 

「…私は平気だけど。」

 

「すぐ赤くなるのに?」

 

 そう指摘すると何も言えなくなって、彼女は黙りこくった。

 少し強くなった風が肌を撫でる。セシリアが両手を組むのを見て、カーディガンを差し出した。

 それを素直に受け取る彼女を見て、少し聞きたくなった。

 

「僕がもし…」

 

「うん?」

 

「もし、人間じゃなくなったら、どうする?」

 

「…どういうこと?」

 

「人格はそのままなんだ。ただ、魔族とかそんなんじゃなくて、今までに知られてない存在になるってこと。」

 

 彼女は怪訝な顔で首を傾げた。それもそうだろう、突拍子もない話だ。

 彼女はしばらく考えてからゆっくりと答えた。

 

「どうもしない。だって、ククルはククルだもの。私にとって、それ以外はあまり重要じゃない。」

 

「…そっか。」

 

 今はまだ打ち明けられない。でも少なくとも一人は理解者がいることに安堵を覚えた。

 小さくありがとうと心の中で呟いた。

 

「じゃあ寝ようかな。セシリアも寝なよ。」

 

「…うん。明日はどうするの?」

 

「う~ん。もうちょっと調べものしながら、のんびりしようかな?」

 

「じゃあ明日、サーカスを見に行かない?」

 

 彼女の突然の誘い。

 どうやら街にサーカス団が巡業に来るらしい。

 

「へぇ、サーカスか。小さいとき以来だね。」

 

「うん、だから見に行きたい。」

 

 目をキラキラさせながらセシリアが見つめてくる。彼女はこういった見せ物が大好きなのだ。

 ずっと部屋に閉じ籠るのもなんだし、気晴らしにはいいだろうと誘いに乗ることにした。

 

「そうだね。一緒に行こうか。」

 

「明日の夕方からだから。…おやすみなさい。」

 

「うん、おやすみ。」

 

 彼女と話して少し胸がスッとした。お礼に何か奢ろうかな、なんて考えながら部屋に戻った。

 今日はよく眠れそうだ。

 

********

 

 翌日、成果の上がらない調べものにうんざりしてふて寝をした後、待ち合わせの場所へと向かった。

 同じ家にいるんだから一緒に出ればいいと言ったけど、セシリアがこれは気分の問題だからと言い張りそうなった。

 夕闇の色に空が染まり、それに併せてぽつぽつと等間隔に配置された精霊灯が灯り始める。

 

 街の特産でもある精霊灯は叔父の発明品だ。

 その呼び名は原材料に精霊の使いと信じられているユニコーンの角を使っていることに由来する。

 灯りは丸型の容器なっていて、中には角を粉状にしたものを亜鉛と一緒に水に溶かした液体が入っている。

 表面にはスイッチがあり、これを切り替えると2本の特殊な棒のどちらかが液体に触れ、それによって光が点いたり消えたりする。

 

 表通り立っている偉人を象った銅像でセシリアが待っていた。最近人気の待ち合わせスポットらしい。

 

「…ククル、こっち。」

 

「ご、ごめん。待った?」

 

「今来たところ。」

 

 15分前には着くように出たつもりだけど、彼女はそれ以上に早かった。

 セシリアは怒った様子もなく、ウキウキとしているのが表情から見てとれた。

 今日のためにか髪を団子状にクルクルと頭上に巻き上げていて、綺麗なうなじが見えた。

 ぐぅ、とお腹が鳴る。

 

「出店をまわる?」

 

「う、うん、そうしよっか。」

 

 くすりと笑って歩き出す彼女に手を引かれて人だかりの中へと入っていく。

 メインストリートには、サーカスの賑わいにあやかろうとする出店が所狭しと並んでいる。

 牛肉バーガーや鳥串でお腹を満たしながら街を歩いていると、どん、と肩に何かが当たった。

 

「きゃっ!」

 

「あっ!」

 

 声のした方向には少女が尻餅をついていた。間から白い下着が覗く。なるべく見ないようにしながら、彼女に手を差し出した。

 

「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?立てますか?」

 

「大丈夫ですよ?こちらこそすみません、前を見ていなくて。」

 

「い、いえ!僕の方こそ!」

 

「ふふっ。じゃあお互い様ですね。」

 

 彼女はにっこりと笑った。とても不思議な雰囲気を纏う少女。

 漆黒の髪は腰の上まで伸びて、根元から先端まで艶やかだ。女性が見たら一体どうやって手入れしているのか聞かれるに違いない。

 瞳も髪と同じく黒だが、光の加減では紫にも見える。

 鼻筋の通った美人顔だけど、ここらでは見かけない容姿だ。

 

「ははは…あなたもサーカスを見に?」

 

「いえ、私は出演する方ですよ。舞踏やアクロバットの演目で。」

 

「そ、そうなんですか!すごいですねっ!」

 

「ふふっすごくないと誰も見に来てくれませんからね。でも本当にすごいかは…あなたの目で確かめに来て下さいな。私はホタルビです。」

 

「あっ、僕はククルです。」

 

「すてきな名前。では会場でお待ちしてますね。」

 

 彼女は手をひらひらさせて人混みの中へ戻っていった。

 ホタルビさん。名前からして東の国の人だろう。

 服も確かコソデとハカマとかいうやつだ。とても女性的で可憐な服だな、なんて思っていると。

 

「…終わった?」

 

「うえっ!?あっう、うん」

 

 すっと隣に進み出たるは無表情のセシリアだ。彼女が無表情の時は大抵怒っているときだ。

 

「ど、どうしたの?なんか怒ってる…?」

 

「…ああいう華奢なのがタイプなの?」

 

「いや、タイプとかそういう問題じゃないっていうか…」

 

「あの子はきっと人を惑わす系女子だよ?ククルみたいに恋愛初心者は遊ばれて終わりだよ?」

 

「えぇ…」

 

「ククルには、もっと気心の知れた…何でもない。さぁ、行こう?」

 

 顔をずいと近付けて心配そうにしながらも、平気で毒を吐いてくるのはどうかと思うんだけれども。

 後半はあまり聞こえなかったけど、紅潮した頬が緩んでいるのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。

 

********

 

 サーカス・ショーの幕が上がった。

 ピエロ達や象が芸を披露する中、意外と早くホタルビさんが登場した。

 演目はアクロバットだが、彼女が主役ではないようだ。

 踊り子の格好をした数人の女性が宙高く張られた綱の上、有り得ない程に体を曲げて踊り、跳ね、回転する。

 

「すごいね。」

 

「体柔らかくないと出来ないよね。」

 

 僕とセシリアは興奮しながら言い合っていた。

 

 演目は進み、大トリを飾るのはホタルビさん。

 袴姿の彼女が目を閉じて中央で膝を折り、その周りには大小7本の曲剣。いや、あれは太刀か。

 

 しん、と場が静まりかえる。

 突如彼女の目が開かれ、次の瞬間には一本の太刀が振り抜かれていた。

 いつの間に、と皆がそう思ったに違いない。それほどに一瞬だった。

 振り抜かれた刀身は炎を宿したようにオーラを纏っている。それを2回,3回と振り淡い残像を残す。

 やがて刀身を鞘に収めたかと思うと、たちまちに青い柄の太刀を振り抜いていた。

 今度は刀身から水が滴っている。濡らしているわけでもない、まるで太刀自身から溢れているように。

 用意されたのは植木鉢に入った一本の生木。全長50cmほどの幼い木は生き生きとしている。

 ホタルビさんは太刀を一閃、木は瞬く間に――真っ二つにはならなかった。確かに刃は通したはずなのに。

 そんな不思議な現象を7つ、太刀の数だけ見せた後、彼女は拍手喝采を浴びながら退場していった。

 一瞬僕を見て微笑んだような気がして―

 

「気のせいだよ。」

 

 即座に否定するセシリア。

 顔が熱くなる。わかってるさ、もちろん。

 

 公演が終わった後も人集りは途絶えず、大通りは相変わらずの賑やかさだ。

 僕らは大通りを外れた、少し入り組んだ道を通って帰宅していた。

 

「セシリア、明日ヴェイグランドに帰るよ」

 

「…そう。もうちょっとゆっくりしていってもいいのに。」

 

 寂しそうにセシリアは言う。

 僕もそうしたいけど、いつまでもこうしている訳にもいかない。

 ここえ調べられることももうないし、いくつか得られた手掛かりを公国で調べられるかもしれない。

 

「また近いうちに戻ってくるよ。」

 

「…うん。私も、そっちに行っていい?」

 

「うん、もちろん!案内するよ。ていうか一緒に住んでくれたら助かるんだけどなぁ。」

 

「その時は頼りにしてるね。」

 

 僕の冗談で顔が林檎のように紅くなる彼女を見てけらけらと笑った。

 セシリアが来るときまでには、少しでも誇れる自分になっておこう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

サーカス団の少女

********

 

 翌朝、用意された馬に乗ってヴェイグランドへの帰路に就いた。

 山を越え、森を抜けたところでお昼を迎え、セシリアに渡された手作り弁当に手を付けていた頃。

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 血の臭いが鼻につき、胸の違和感が大きくなって、異常を訴えてくる。

 あの時(、、、)と同じ、神経が研ぎ澄まされる感覚。しかし体の変化は何もない。

 あれ以来、意識的にも無意識的にもあの鋼のような身体にはなっていない。

 だがそれがなくても今の僕にはわかる。これは人の血の臭いだ。

 自らを奮い立たせて森の中をかき分けていく。臭いの元までもう少し。

 

「へっ?なんで…?」

 

 一本の大きな木、そこにもたれ掛かるように倒れていたのは、ホタルビさんだった。

 全身が血にまみれ、どこから出血しているのかもわからない。

 よく見れば右の掌の皮は剥がれ、肉が見えている。

 

「だ、大丈夫ですか?生きてますか…?」

 

「うっ…あ…。」

 

 うめき声が聞こえた。

 胸のムカつきを抑えつつ、顔を覗き込む。既に視界がはっきりしていない様子だが、生きてはいる。

 

「あ、の時、のっ、お客さっ、んね…」

 

「無理に喋らないで下さい!今助けますから…」

 

「も、う…無理よ…」

 

 回復しようにも手持ちのポーションでは間に合わない。彼女の身がヴェイグランドまで持つかも怪しい。

 

「も、う、今更…。ああ、でも一つだけ…」

 

 彼女は突然、近付いていた僕の襟を引っ張り――

 

「ん~!?」

 

「ンっ」

 

 突然彼女の唇が僕のに触れた。

 かと思うと、口の中に彼女の舌が侵入してうねうねと動く。

 初めてのキスが血の味とか、笑えない。

 

 それも長くは続かず唇は離れ、彼女は息を荒げた。

 

「はぁっ、はぁっ…!初めてだったらっ、ごめ、んなさ、い…」

 

「な、なんで…!?」

 

「女の、子らしいこと、一つくらい、したくて…ふふ、冥土のみやげね…」

 

 息も絶え絶えに彼女は言う。

 彼女のことはよく知らない。でもこんな若くして、後悔無くして死ぬなんてありえない。

 きっともっとあるはずだ。生きてたら出来たこと。

 

 一つだけ、方法があるかもしれない。でもそれは、僕と同じ枷を背負わせることになる。

 

「助かるかどうかは賭けだけど、一つ方法がある。」

 

「…助かるの…?」

 

「恐らくは。」

 

 ホタルビさんが短くうん、と答えたのを見て、僕は腰からクイーンを象ったスタイラスを取り出し、彼女に手渡した。

 

「…生きたい…」

 

 彼女のその小さな呟きを契機に、スタイラスが彼女の中に取り込まれていく。

 真珠のような光の粒が彼女を包み、光沢を帯びた肌が露わになった。

 その姿はまるで呼吸をする人形のようで、不気味でもあるが、その美しさ故に見とれてしまう。

 やがて彼女が目を覚ました。

 

「ん…これは…」

 

「今から、説明するよ。」

 

 僕の知る限りのことを、経緯を交えてホタルビさんに語った。

 その間彼女は真剣に聞く――訳でもなく、興味深そうに自分の肌を拾った石で叩いてみたり抓ろうとしたりしていた。

 

「あ、あの、聞いてます?」

 

「ええ、聞いております。それで、私はこれからどうなるのでしょうか?」

 

 その顔に微笑みを湛えながら、こちらに向き直ってそう問いかける彼女。

 

「ご、ごめん!ひどい怪我だったから、普通じゃ間に合わないって思って…僕も腕を折ってて、スタイラスを取り込んだときに治ったから、もしかしたらって…。」

 

「私は怒ってないですよ?ヒトでなくなっても、死ぬよりはいいし。それに…」

 

 ホタルビさんの仮の肌が剥がれ、しっとりとした肌が露わになる。

 それはとても白く、新雪のようだ。改めて見てその独特の美しさに息を呑んだ。

 彼女はほっとしたように手で確かめながら、次に僕を見上げた。

 

「あなたも同じ状態なのでしょう?仲間がいるってだけで、それほど不安にならないものですね。私達の当面の目標は元に戻る方法を探すということで宜しいでしょうか?」

 

「そう…だね。叔父を探すのと、今ある手掛かりを探っていくしかないけど。」

 

 セシリアには叔父が帰ってきたときのために言付けておいた。

 スタイラスのことで至急会って話したいと聞けば、察しがつくだろう。

 

「それでは人間に戻るその日までお供します。恐らく離れられないでしょうしね。」

 

 僕は頷く。

 日記、というよりもメモに近い叔父の残した手掛かりには、スタイラスのルールみたいなものも含まれていた。

 それによると、従者は"キング"、つまり僕から一定範囲外は離れられないらしい。

 

「というわけで、付き合っていただけますか?」

 

「えっ!えっと…」

 

 あの時のキスがフラッシュバックする。この状況でそれはないと思いつつも、胸が高鳴る。

 しかし、彼女の口から出た言葉は1期待していたものとは180度違っていた。

 

「復讐、ですよ。私をこんな目にあわせた人達に。」

 

 裾で口を隠しながら彼女は言う。その目は妖しげに笑っていた。

 

***************

 

 その夜、森を少し抜けた大通りの脇に、仮の宿営地としてテントがいくつか張られていた。そのどれにも、サーカス団のトレードマークが刷られている。

 

 その中でも大きなテントの中、明かりもつけずに4人の男たちが一本のローソクを立てて卓を囲んでいた。

 すべての指に指輪をはめ、上座に座する男は、ルーカス・ホツビーだ。

 世界を渡り歩くサーカス団、ルーカス一座の座長を務めている。

 以前は本人も芸人であったが、引退して経営側についてからは丸まると肥っていき、今ではその面影もない。

 

「女が消えたと聞いたときは肝を冷やしたが、どうやら何事もなくいきそうだな。」

 

「大丈夫でさぁ、座長。あれほどの重傷を負わせたんだ、今頃はどこかで野垂れ死んでまさぁ。」

 

 座長に言葉を返したのは、背が曲がりきった男だ。その言葉にふん、と鼻を鳴らしてもうひとりの男が横やりを入れた。

 

「誰かさんがあの女を犯そうなんて言って生半可に殺さなきゃあ、こんな面倒なことにならなかったんだ。」

 

「まあまあ、それはもう終わったことだ。とにかく、宝は手には入った。」

 

 ルーカスの脂ぎった手が美しい藍色の太刀を撫で回した。

 彼等は併せて7本の貴重な太刀を手にするため、昨夜に一人のか弱い女子を手に掛けた。

 

「しかし、あの生意気な小娘も馬鹿だよなぁ。大人しく刀だけ置いて逃げればいいのに。」

 

「なかなかに強気な女だったな。請求するギャラもべらぼうに高かったしな。」

 

 件の女子は東の国からの放浪者であった。

 その美しさと太刀捌き、そして太刀自体の物珍しさから、入って間もなく一座の看板となった。

 

 一座は彼女のおかげで興行収入がうなぎ登りとなったが、彼女の要求する報酬がそれなりに高かった。

 元より団員から不当な搾取を行ってきた欲深きルーカスと経営陣が、それを許すわけがなかった。

 

 彼等が出した答えは、彼女を始末して刀を手に入れること。

 

 刀は生体認証が必要な、不思議なケースに入っていたため、最初は彼女を脅したが、頑なに拒否したので、掌の皮膚を剥いだ。

 この所業を嬉々として行っていた辺り、彼等の残虐な人間性を顕している。

 

「しかしこの刀、小娘が握っていた時のような反応は見せんな。剥いだ皮膚を接しても一緒か。」

 

「恐らく彼女にも何かあったんだろう。それは計算外だったが…刀自体は相当な業物、売れば一財産築けるぞ。」

 

「ちゃちい見世物小屋なんかしなくてよくなるな。」

 

 けらけらと笑う男たちの声が響き、卓を揺らした。

 蝋燭の火に有象無象の影が揺らぐ中、笑い声の中にシクシク、と泣く声が入り交じる。

 やがてその声ははっきりと男たちの耳に届き、彼等の背筋を凍らせた。

 

「おい!誰かそこにいやがるのか!ふざけてねぇで出てきやがれ!」

 

 それに呼応するように、テントの隅から赤い袴の裾が、続いて漆黒の袖が見え、遂にはうら若い少女が暗闇より現れた。

 その少女は疑いもなく、昨日確かに殺し掛けた少女と同一人物のはずだ。

 ところがどうだろう、その身には怪我一つない。

 いや、着物には血が付着しているし、よく見れば顔色も相当に悪く、生気を感じない。そう、まるで幽霊のような――

 

「ひ、ひぃ!お、女の怨霊だ!?化けて出てきやがった!!」

 

「ば、馬鹿やろう!んなわけあるか!?」

 

「じゃあお前何とかしろよ!」

 

「な何で俺が!?」

 

 狼狽する男たち。

 突然気配もなく現れた女。怪我も1日で治るようなものではない。であるならば、目の前の女は幽霊か――

 男達にはそうとしか思えないようになっていた。

 

「そ、それ以上寄るな!」

 

『刀、私の刀…』

 

 女の声が不自然に反響する。

 ルーカスが向ける刃を見つめる目には光がない。その様子に一層身の毛がよだつ。

 

「く、来るなぁ!!」

 

 屁っ放り腰で切りかかった彼だったが、手からするりと何かが抜ける感覚を覚えた。

 見れば手元に刀はなく、ただ虚しく空を掴んでいた。

 

『うふふ…刀…私の…』

 

 気付けば刀は大事そうに女に抱き抱えられていた。

 男達に戦慄が走る。

 女が構え直した刃から、透明な水が滴っている。

 

「ゆ、許してくれ!私の指示じゃなくて、こいつらが勝手にやったことで!」

 

「なに言ってやがる!?全部お前が仕組んだことだろう!き、聞いてくれ、俺は乗り気じゃなかったんだ!!」

 

「お前が女を犯そうとか言ったんだろうが!お、俺は止めたんだぜ!?」

 

「なにおう?!」

 

 口々に命乞いと擦り付けあいの言葉が飛び交い、目も当てられない。

 しかしその甲斐なく、女は不吉な言葉を口にしながら。

 

『ふふ…一緒…道連れ…』

 

 目にも留まらぬ早さで一閃、刃は4人を通っていった。

 

***************

 

 すべてを裏で見ていたククルは、事が終わったのを確認して現場へと向かう。

 そこには一人の少女と、無惨にも切り刻まれた男――ではなく、情けなく口を開けて伸びた男達が積み重なっていた。

 誰一人として死んでおらず、かすり傷一つない。斬られると同時に気を失っただけだ。

 妖を斬ると言われる秘刀ネネギリマルを鞘に戻し、ホタルビは息を吐いた。

 

「終わったみたいだね。」

 

「ええ、目的のものは取り返せました。やられた腹いせも出来ましたし、スーッとしました!」

 

 メッキが剥がれるように皮膚が剥けていき、彼女本来の柔肌が露わとなった。

 彼女は既に変身のコツを掴んでいる。

 無邪気に笑う彼女を見てククルは苦笑した。

 

 あの後、復讐なんてククルが許せるはずもなく止めようとしたが、よくよく聞いてみると彼女もその気はないことがわかった。

 ただ、奪われた家宝――7本の太刀は取り戻さねばならないと、そう彼女は言った。

 彼女の澄んだ目に嘘はないと、なんとなくククルは確信できた。

 

「…本当にそれだけでいいの?」

 

「ええ、勿論です!復讐なんてお馬鹿さんのすることです。」

 

 当然とばかりに腰に手を当てて胸を張る。

 

「あ、それとお着替えだけ取ってきますね。」

 

「うん、わかった。」

 

 すべてを回収した後、2人はヴェイグランドヘと向かう。

 背中に女の子の柔らかさを感じて、ククルは少々緊張している様子だ。

 一方の彼女はと言うと居心地良さそうにその身を預けている。

 

「こうしているとお兄様を思い出します。」

 

「お兄さんって、行方不明の?」

 

「ええ。こうやって後ろに乗せてもらっていました。」

 

 妖刀に魅入られしまい祖国を出奔した人物。相当の刀の使い手で、ホタルビも彼から手解きを受けた。

 

「妖刀と秘刀は互いに惹き合います。これらの太刀があれば、いつかは…」

 

 そう言って腰にある刀の鞘を握った。

 

 彼女は兄を追い、遠い東の祖国から一人で旅をしてきたのだ。

 それは可憐な少女にとっては苛烈なものだったはずだが、彼女の強固な意志が折れない心を育てた。

 

 事件が起こったのはそんな旅路の途中であった。

 世間擦れしていない彼女は、優しく声を掛けてくれたルーカスを信じてしまい、命を失い掛けた。

 

「貴方のことは信頼できそうです。」

 

「な、なんで?」

 

「とても嘘がつける人には見えませんから。あなたのお側にいるのが得策でしょう。」

 

 彼女は背中に押し付けられる感触にビクッとなるククルを見て、楽しそうにくすくすと笑う。

 

「そう言えば私のことですが、自己紹介すらしていませんでしたね。」

 

彼女は居住まいを正して続ける。

 

「改めまして、私はトヨシマ・ホタルビ、皆より照姫(てるひめ)とも呼ばれています。」

 

「照、姫…お姫様!?」

 

「改めて言われると恥ずかしいですが、そうなりますね。」

 

 そう言われると、言葉遣いから容姿までそれらしいと、ククルは納得できるものがあった。

 

「えっと、ククル・アーチボルトです。しがない傭兵やってます…」

 

「どうか言葉遣いはそのままで。名前も照姫と気軽にお呼び下さい。」

 

「…わかったよ、照姫。ふ、不敬罪になったりしない、よね?」

 

「まさか!」

 

 彼女はころころと笑う。

 

 ククルはこれからのことを考えていた。

 照姫とククルの共通の目的以外に、彼女の兄を探すという目的もできた。

 いくら秘刀を持っているとはいえ、兄が一所に居着いている可能性も考えて、各地を移動した方が良いだろう。

 ククルは最後まで彼女を見届けるつもりだ。

 

 こうしてお姫様と傭兵の旅が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。