とあるプラズマ団員の日記 (IronWorks)
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とあるプラズマ団員の日記
春の月 就職するまで


 

 

 春の月 二十日

 

 

 

 やっと就活難民から脱却し食い扶持を稼げるようになったので、日記というものを書いてみることにする。

 ここに日々の仕事内容を書き、失敗や成功を記しておけば今後の糧になることだろう。

 いざとなったら、読み返せばいい。そうすれば同じ失敗をしてクビ、就活難民に逆戻りなんてことはないはずだ。たぶん。

 

 

 さて、それはともかく、これまでのことと今日のことを書いていこうと思う。

 就職に可もなく不可もない政経学部を卒業して直ぐ、仕事を探し始めた。両親は熟年結婚で早々に天寿を全うしているし、兄弟姉妹もいない。旦那どころか彼氏もいないので、自分の食い扶持だけ稼げばやっていける。そんな風に考えていたのだが、どうやら甘かったようだ。

 どこでも良いから、と、のんびりと就職先を探してみても、私を雇ってくれる企業は無かった。出遅れたというべきなのだろう。

 仕方なくアルバイトを探して、就職が決まるまでそれを転々としていた。先立つ物は金だから。

 そんな私が偶然、正社員募集中の張り紙を見つけたのは、何社も何社も面接で落とされて途方にくれていた時のことだった。

 

 

 

 

 

   やる気のある方!

 

   誰でも歓迎!

 

   給料は歩合制!

 

 あなたの努力がお金になります!』

 

 

 

 

 

 私はそのまま、とくに仕事内容を確認することもなく電話を入れた。就活難民時代が、私の中に『先手必勝』の四文字を刻みつけていたからだ。ここで逃したら、無気力なフリーター生活に逆戻りしてしまう。

 

 緊張から受け答えがテンプレ的な物か無難な物になってしまい心配だったのだが、必死さが伝わったのだろうか、その日の内に二次面接まで終えて、そのまま採用。晴れて、社会人に仲間入りだ。明日には制服も支給されるらしい。

 タイトスカートのサイズが、私の背丈が小さすぎるせいで無かったので、面接なのにスーツの上着とネクタイにロンスカという嘗めた格好をすることになってしまったのに良い結果をいただけて、素直に嬉しく思う。なんだか、今から楽しみになってきた。

 

 思えば、この就職活動、碌なことがなかった。

 昔から緊張すると顔が強ばったり、目つきが悪くなってしまったりした。非常に遺憾ながら小柄なので何歳になっても“子供のすること”で許されて――個人的には、不服だが――きたが、就活となればそうもいかない。

 こんな調子で面接官に気に入られるなど夢のまた夢。何度も何度も落とされて、受けて落ちた会社は、両手足の指では数えられない。

 そんな中、やっとこの就活難民という名の暗澹とした世界に光明が差したのだ。その光を決して逃したりしないように、頑張らねばならないだろう。

 

 さて、明日も早いし、今日はもう休むことにしよう。

 それにしても、未だに仕事の内容がよくわからないのだが、それは明日になれば解ることだろうから深くは考えないことにしよう。

 

 それに、予想はつく。おそらくエネルギー系の研究や開発を行う会社だろう。私は文系四大卒だから営業だろうけれど。所謂サラリーマン、というやつだ。

 

 

 

 明日からは心機一転。

 私の新しい食い扶持、『プラズマ団』で頑張っていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 二十一日

 

 

 

 配属先が決まった。

 私の希望どおり、営業職だ。

 

 

 事前調査不足で恥ずかしい話だが、プラズマ団は私の予想とは大きく外れた職種だった。

 なんでも、虐待を受けたり行き場を失ったりしたポケモンを保護し、社会に役立たせるというボランティア団体のようなものらしい。社長の回りくどい説明を自分なりに噛み砕いたのだが、おおむね不足はないことだろう。

 

 この、ボランティア団体の“ような”もの、というにも訳がある。

 普通のボランティアなら給金はないのだろうが、ここは曲がりなりにも有限会社。無給にするはずもない。では給料はどこから出ているのかと社長に聞くと、なんと自腹なのだという。変な仮面を被っていて薄気味悪いと思っていたのだが、あれでけっこう優しいのだろうか。

 

 

 さて、それはともかく。

 仕事内容は、意識調査と宣伝だ。ポケモンの解放を謳い、理不尽な虐待や不当な置き捨てを防ぐというものだ。ポケモンを理不尽から解放する為の仕事といえばわかりやすいだろうか。

 公共団体と名乗ってもおかしくはないと思うのだが、その実態は大富豪、つまり社長が独自に立ち上げた組織なのだという。つまり、大規模な個人営業だ。

 そんな、社長が死んだら終わってしまいそうな会社だが、だからと言って仕事を適当にこなす訳にもいかない。中には個人営業かつ先も長くなさそうだから、手を抜いて給料を貰おうという人間もいるだろう。だが、私のモットーは“謹厳実直”だ。やるからには、真面目にやりたい。

 

 

 

 ということで意気込んで仕事に臨んだのだが、私の仕事場は普通とは言い難いものだった。

 何故だか私に興味を持ち直接面接をした、ゲーチス社長。彼は、制服を支給されて意気込んでいた私に声をかけると、突然仕事場の変更を言い渡してきた。事前に確認しておいた制服が格好悪くて残念に思っていたのが顔に出てしまったのかとも思ったのだが、そうではないようで安心したが。

 

 相変わらず遠回しに解りにくく言ってくる社長の言葉を噛み砕くと、なんでも、会社の人間だとは内密にして、意識調査をしつつ宣伝をして欲しいとのことだった。

 ようは、ポケモンを解放するということを世間の人々に刷り込みたいということなのだろう。会社の人間だと知られてはならないのは、社の利益の為だと勘違いされないため、と言ったところか。

 

 

 

 年頃の少年少女に混じってジム攻略とか正直恥ずかしいが、文句も言ってられない。ちゃんと給料も入るのだし、食い扶持を稼ぐ為にも頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 深淵に潜むモノ

 

 

 

 果たして、この選択が何を呼び込むのか。

 それはきっと――誰にも、わからない。

 

 

 

 その日のゲーチスの心情を言うならば、「気紛れになにかしたかった」という中年を過ぎようとする男には思えないような、適当な感情だった。

 世界征服という計画も、もう大詰めだ。彼の“道具”である息子《エヌ》はもう動きだし、配下の活動も盛んなものになってきた。もう、心配することはなにもない。

 

 

 

 そう信じて疑わなかった時のことだった。

 プラズマ団の知名度が低く、警戒されないうちに終えたはずの団員募集の張り紙を見たという連絡が、配下の元に届いたのは。

 配下の男は、あまりにも怪しいソレをスパイの類かもしれないと警戒して、気紛れに部署を回っていたゲーチスに声をかけたのだという。ゲーチスがこの場にいなければ、適当な幹部に連絡をして、適当に不採用にしていたことだろう。

 

「ふむ……ワタクシの計画に不穏分子は不要……だが、背後に組織があるのなら飼いならすのも手ですかねぇ」

 

 ゲーチスはそう呟くと、面接室の隣の部屋に入り、モニターで監視。また、面接官に無線を飛ばし質問の指示が出来る体勢を整えた。

 モニターに映し出されたのは、一人の少女の姿だった。血色の長い髪、翡翠の瞳。それから、喪服のような黒い服。十歳前後だろうか。小柄な少女は、ただそこにいるだけでモニター越しにゲーチスの肌を粟立たせるほどの“存在感”を宿していた。

 

「ほう、これは、なかなか」

 

 そう呟く声が、否応なしに震える。モニター越しに佇む少女に圧されているという事実を、ゲーチスは自覚してなお笑った。これは良い拾い物かも知れない、と。

 

『姓名と年齢は?』

『ナナシ・イル。二十四歳、です』

 

 なんとも、皮肉が効いている。名字を名乗らせれば“名無し”と、名前を名乗らせればイル……ただ、“居る”とだけ名乗る。おまけに外見年齢からかけ離れた年齢だ。これで詐称が無いと言えば、子供に指をさされて笑われてしまうことだろう。

 ゲーチスも当然、イルと名乗った少女の言葉を信じることが出来ず、喉の奥で小さく笑った。

 

「目的は?」

『――この組織に入って、なにがしたい?』

 

 ゲーチスの指示に従い、面接官が質問をする。

 

『理念に共感を受けました。私の力を以て、さらなる飛躍を求める為、努力致します』

 

 理念に共感。

 それはポケモンの解放という“表向き”の理念か、“世界征服”という裏向きの理念か。イルが両の眼に抱える暗澹とした闇を覗けば、わざわざ聞くまでもなく理解出来る。

 この幼い少女は――世界を憎み、破壊と再生を望んでいる、と。

 

「二次面接を行う。私の執務室に連れてきなさい」

『―― 一次面接通過だ。二次面接に移動する。誘導に従え』

 

 そう告げられると、イルは動じることなくただ頷いた。

 まるでそうされることが当然だと言わんばかりの姿に、ゲーチスは唇を歪める。鬼と出るか蛇と出るか。それとも、思わぬ“魔”を呼び寄せることになるのか。

 

「なんにしても、まずは見極める必要がありますねぇ」

 

 早速、自分の執務室に向かう。イルの方が先に到着などということになったら目も当てられない。

 

「ワタクシの夢のための礎となれば良し。そうでなければ、捨てればいい。けれど貴女が新たな可能性となるのであれば、ふくっ、それはそれで面白いかも知れません」

 

 その場から踵を返すと、明日からのことを考え出す。

 ゲーチスはもうとっくに、あの少女に囚われていたのだろう。イルのことを考えるだけで、ゲーチスの背筋に快楽にも似た怖気が走っていた。

 

 

 

 

 

 

 執務室で少し待つと、配下の者に連れられて、イルがやってきた。彼女はゲーチスに向かって恭しく礼をした。その様がどうにも慇懃無礼に見えて、ゲーチスは声を上げて笑い出しそうになるのをぐっと我慢する。

 

「さて。ワタクシの名前はゲーチス。プラズマ団の創設者、と言ったところでしょうか」

「ナナシ・イルと申します。よろしくお願いします」

 

 淡々と、愛想笑いの一つでさえ浮かべず告げるイルに、ゲーチスは心の底からの笑みを以て質問を始める。久しく手にしたことがなかった、新しい玩具を手に取るような、そんな好奇心に満ちた笑顔だ。

 

「さて、単刀直入にお尋ねしましょう。貴女にとって、ポケモンとは?」

 

 道具と答えるか?

 愛玩と答えるか?

 友達と答えるか?

 家族と答えるか?

 

 実の息子でさえ、この決まった四つのうち一つを選んだ。かく言うゲーチスも、ただ道具だと答える。けれど目の前の少女は、イルは、そうではないという予感があった。

 

「ただ、在るものと存知ます」

「――ほう?」

 

 答えがわからず、適当な無難なことを言った。

 ゲーチスは、そんな“つまらない”ことではないのだろうと考える。なにせ己を揮わせるほどの闇を抱えた少女なのだから。

 

「どんな扱いであろうと、無くなるものではありません。どんな姿であろうと、否定するものではありません」

「扱い方次第、ということですね」

「はい」

「では、貴女はどう扱うのでしょう?」

「ただ、理念のままに肯定します」

「――っ」

 

 思わず、頬を歪ませて笑う。

 世界を征服する為に、ただ在るものを使う。そこにポケモンの意思など関係ない。それはポケモンは道具なのだという“生易しい考え”とは一線を画した物。

 

 彼女にとっては、ポケモンを使うことなど、息を吸うこととなにも変わらない。例えその結果ポケモンが死に絶えようが、イルにとっては“在るがまま”の当たり前のことなのだ。

 

「良いでしょう。貴女の夢がここプラズマ団で叶うことを祈って」

「では」

「ええ、合格ですよ。イル」

「ありがとうございます」

 

 礼をし、イルは退室する。扉が閉じられ足音も遠のくと、ゲーチスはさっそく配属を考え出した。

 面接カードの希望には、ただ営業職とだけ書かれていた。おそらく、面接さえできればどうにでもなると、適当に書いたのだろう。

 

「良い役目が思い浮かぶまでは、“希望どおり”営業職に配属しましょう。もっとも、一日とかからず変更になりましょうが、ね」

 

 ゲーチスは深く椅子に腰掛けると、これからのことに思いを馳せる。

 無事世界の征服を終えたら、息子と契りを結ばせて、新たな礎にでもなって貰おう。そうすれば、きっと、矮小な自分などよりももっと深く暗澹とした“闇”が生まれてくるのではないか。

 純粋で、無垢な狂気の結晶が産声を上げるのではないか。

 

 踏み込んだ世界。

 我欲に塗れた男は、ただ破滅の未来を覗いて笑う。

 

「くっ、くくくくくっ、ふは、ははははははっ」

 

 ゲーチスはただ、永久の闇に囚われ狂う咎人のように、笑い声を上げ続けた。

 

 

 

 

 翌日、ゲーチスはイルの元に向かうと、新しい役目を告げる。

 するとイルは、それが当然のことのように役目を了承した。最後まで、支給された“一般団員の制服”などには触れることもせずに。

 



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春の月 新しい役職が増えるまで

 春の月 二十二日

 

 

 

 旅は道連れ世は情け。

 今日の出来事を簡単に言うのならば、そんな所だろう。

 

 

 

 レベルの低いジムから攻略するのは、ポケモントレーナーの基本らしい。『これで君もチャンピオン!』という如何にもな本の受け売りだが、とくに間違ってもいないことだろう。

 なにせ、私が持つのはレベル五のポケモン一匹(蛾の幼虫みたいな虫ポケモン。道端で拾って、ペットにしていた)だけ。これもそれもレンタルすると諸々の費用がこちら持ちだと聞いて諸費をけちった私の自業自得なのだが。

 

 

 

 とにかく、そんな訳で手持ちのポケモンを鍛えるところから始めなくてはならなくなった。今時、草むらでミネズミ狩りして地道に経験値稼ぎをする大人など、私くらいなものだろう。

 二十四(大学時代に海外留学したいが為に留年した。悔いはない)にもなって何をやっているんだろうと目頭が熱くなりもしたが、仕事だからと割り切る。

 そうやって草むらでミネズミ狩りを地道に、本当に地道に繰り返し、漸くペットのイシュタル(ニックネーム。イッシュ地方で拾ったからイシュたんと名付けようとして、噛んだ。ちなみに♀だ)がレベル十になったとき、近くを通りかかった少年に声をかけられた。ミネズミを火で炙って出て来たところを刺すという人には言えないレベルアップ方法をしていたところだったので、地味に焦ったが。気にしなかったようなので良かったけど。

 

 トウヤと名乗った彼も、私と同じく旅をしているのだという。将来の夢はポケモンチャンピオンという、なんとも初々しい少年だ。彼に一緒に旅をしようと提案され、私はそれに二つ返事で頷いた。

 ひっそり宣伝するのは良いが、やはり子供相手の方がやりやすい。大人になると色々しがらみも増えるし、こういった話は子供に、子供がその友人や親にしていく方がずっと浸透しやすいのだ。

 

 

 

 そんなこんなで、私はトウヤと旅をすることになった。十歳も年下の少年と旅をするというのも気恥ずかしいが、女性相手に精一杯背伸びをする“男の子”をからかいつつ旅をするのも、そんなに悪くないことだろう。

 

 

 

 追記。

 ジムリーダーはそんなに強くなかった。虫ポケモンの癖に『ひのこ』が使えるイシュタルが緑色のお猿さんを焼いて、瞬殺だった。それで良いのかジムリーダー。

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 二十三日

 

 

 

 少年と旅を始めて、二日目。

 トウヤの私用に付き合い、私は廃墟探検に向かった。そこで新しく二人の“友人”が出来たのだが、今日の重要な出来事はそこではない。

 

 

 

 彼のおつかいの内容は深く訪ねなかったが、廃墟に行くと聞いて最初は止めようかとも思った。建物が崩れでもしたら危険だし、第一そういった場所は街が管理しているから易々とは入れない。

 けれどどう説得しようか悩んでいる内に、気が付けば廃墟に向かって出発していた。考え出すと周囲が見えなくなる癖があるせいなのだろうが、そろそろ直した方が良いだろう。

 

 

 それはともかく。

 夢の跡というなんとも侘びしい名前の廃墟に突入した私たちは、そこでプラズマ団と名乗る男女がポケモンを虐待している場面を見つけてしまう。

 そう、私の勤め先のプラズマ団だ。ポケモンを虐待からの解放と謳いながら、いったい何をしているのか。事情を聞き出すにしても、まずは止めなくてはならないだろう。

 

 ということでトウヤと、その時に新しく知り合ったベルという女の子と三人でプラズマ団もどきと対峙。虐待されていたポケモンの奪還をした。その際、ムシャーナというポケモンがプラズマ団もどきたちに社長の幻影を見せて脅したのだが……やはり、どこの会社も上司には弱いと言うことか。世知辛い。

 

 会社のことを気にしながら、街中のポケモンを奪って逃走していたプラズマ団を、トウヤとベルの友達だという、チェレンという名の真面目そうな少年の力を借りて撃退。とくに苦労することもなく、ポケモンを奪還することに成功した。

 

 その後、夢の煙がどうたらこうたらという話をトウヤの知人の知人だとかいう女性から聞いたが、会社のことが気になって内容なんか覚えていない。この日記を書き終わったら、直ぐに連絡を入れてみようと思う。

 

 

 

 追記。

 社長と話をしてみてまたもや遠回しでわかりづらい言葉を噛み砕いてみたところ、末端の社員の暴走だということが判明した。

 それだけなら良いのだが、何故か査察官の兼任を頼まれた。ただその仕事は幅広く、査察と人事と懲罰の権限をまとめて貰ったようなものだった。

 正直、私には分不相応な気もするけど、期待された以上、やれるだけやってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 運命の炎

 

 

 

「最初の一歩、みんなで一緒に踏み出そうよ!」

 

 緑色の帽子を被った少女、ベルが勢いよく声を上げた。それに従うように、眼鏡を掛けた真面目そうな少年、チェレンが薄く笑いながら頷く。その光景に、青いパーカーにキャップを被った癖毛の少年、トウヤは朗らかに笑った。

 

「ここが始まり。最初の一歩、か」

「うん。そうだ。ここが僕たちのスタートラインだ」

 

 嬉しそうに呟くトウヤに、チェレンもまた興奮を隠しきれない声で頷く。

 十四歳になり、ポケモンを手に旅をすることになった。興奮も不安も喜びも、全部抱え込んで行くことになる。

 そうやって未知の世界へ踏み込んでいけることが、トウヤは嬉しかった。

 

「それじゃあ、私は行くね!」

「僕も行動しよう。トウヤ、君も早く来い」

「あ、うん!」

 

 スタートラインは同じ。けれど、歩幅はばらばらに。トウヤは二人の背中を見送ると、自分も前を見据えて歩き出した。

 

 

 

 

 

 そうして、順調に一番道路を抜けて次の街に辿り着き、トウヤはそこで一人の少年と出会う。緑色の長い髪を束ね、帽子を目深に被った――Nと名乗った少年の言葉が、トウヤの耳から離れなかった。

 

『ポケモン図鑑ね……そのために、幾多のポケモンをモンスターボールに閉じ込めているんだ』

 

 疑問に思ったことなど、無かった。ポケモンと一緒に居ることは、当たり前のこと。アララギ博士に貰ったミジュマルも、自分に懐いてくれている。だから気に留めようとはしなかったのだ。

 自分たちが、モンスターボールに“友達”を閉じ込めているということに。

 

「俺は……どうしたいんだろう」

 

 夜のサンヨウシティ。イッシュ地方の習わしに従い旅をする未成年トレーナーは、無償で宿が提供される。けれどトウヤは、宿に戻る気にもなれずトレーナースクールの前に座って考え込んでいた。

 ふと、モンスターボールを投げると、ミジュマルが出てくる。彼はトウヤに向かって首を傾げると、小走りで寄って来て抱きついてきた。

 

「ミジュマル……」

 

 ポケモンと、自分。否応なしに考えさせられる課題。トウヤは脳裏にちらつくNの言葉を振り払うように、歩き出す。

 到着したその時は輝いて見えたサンヨウシティの町並みも、気落ちしているせいか侘びしげに見える。ぽつぽつと灯るネオンにいたたまれなくなって背を向けると、気持ちを切り替えたくなり、一番道路に向かった。

 ベル、チェレン、そしてトウヤ自身が最初の一歩を踏み出した道路。ここに、何かヒントが無いものかと進んでいく。

 

 

 

 そうして――

 

 

「こんな時間に……子供?」

 

 

 ――トウヤは、運命の出逢いに邂逅した。

 

 

 

 ミネズミの群れだろうか。数匹のミネズミが、徒党を組んで子供に襲いかかる。トウヤはその光景に危機感を覚えて慌てて助けに入ろうとして――足を、止めた。

 

「イシュタル」

 

 子供から零れた声は、透明だった。決して小さくはないのに、胸の内側に染み込んでいくような声。その美しい音色に反応したのは、どこか気高い雰囲気を持つ白いポケモンだった。咄嗟にポケモン図鑑を開いてセンサーを向けると、ポケモンの名前だけが表示される。

 

「メラルバ……か。聞いたこと無い名前だ。あっ、いや、それよりも!」

 

 慌てて視線を戻して、子供の安否を確認する。だが、その時には既に、終わっていた。

 

「え……?」

 

 メラルバから放たれた【ひのこ】が、草むらに放たれて燃え上がる。ミネズミたちはそれに驚くと、散り散りになって逃げていった。火の勢いが大したことがないせいか、草むらは燃え広がることなく鎮火する。

 

 だが、子供の行動はそれでは終わらない。

 

「次」

 

 また、あの声だ。耳朶を震わせる、透きとおった声。

 

『ヂュウッ』

 

 刹那、メラルバが虚空に向かって触覚を突き出す。すると、散り散りになったはずのミネズミの中の一匹が、子供に襲いかかる寸前でメラルバによって止められた。

 メラルバの攻撃は、【きゅうけつ】だ。相手にダメージを与えた上で自身を回復させる技。ミネズミが【きゅうけつ】によって倒れると、メラルバの体力は完全に回復しているようだった。

 

「あの子……強い」

 

 声をかけよう。そう決心して一歩踏み込む。すると、月明かりに照らされて、子供の――少女の全容が見えた。

 闇に溶ける黒いブレザーと、同色のネクタイ。下も同じく真っ黒なロングスカート。背中に流された滑らかな髪は、炎のような鮮やかな真紅。月明かりに浮かび上がる整った横顔に見える瞳は、透きとおった翡翠の色をしていた。

 年の頃は十歳前後だろうか。トウヤはその少女から――目が、離せなかった。

 

 やがて、少女が踵を返して立ち去ろうとする。トウヤはそこで漸く我に返ると、慌てて少女に声をかけた。

 

「君!」

 

 ――が、かけたはいいが、何を言って良いのかわからない。声に反応してトウヤに顔を向けた少女は人形のように無表情で、何を考えているのかもわからなかった。

 

「なにか?」

 

 けれど、その声が自分に向けられていると思っただけで、トウヤは喜びを感じてしまう。

 

「俺はトウヤ。えっと、君は?」

「……イル」

 

 イル。不思議な響きだ、とトウヤは思う。“居る”と、ただ側に居ると、そう告げられた気がして――そこまで考えて、トウヤは頭を振った。出逢ったばかりの少女に向かって、何を考えているんだ、と。

 

「イルは、ここで何を?」

「イシュタルを、鍛えてた」

「イシュタル……その、メラルバだね?」

「? イシュタルはイシュタル、だよ」

 

 種族の名前で呼ぶのは、失礼だったか。そう、トウヤは慌てて話題を切り替えた。

 

「その子、モンスターボールには入れないの?」

「必要ないから」

「え? 必要、ない?」

「この子はずっと一緒だったから、必要ない。必要なら入れれば良い。それだけ」

 

 それで話は、終わり。少女が言外にそう告げたような気がして、トウヤは焦る。

 どんな言葉を選んで良いのかわからない。わからないけど、どうにかして引き止めたい。ここで終わってしまいたくない。

 そうして焦って、混乱して、トウヤはつい普段では、初対面の相手には絶対言わないようなことを口走ってしまった。

 

「イル――俺と一緒に、旅をしよう」

 

 これではまるで、口説いているみたいじゃないか。トウヤは一瞬で顔に熱が集まるのを自覚すると、言い訳がましく言葉を並べる。

 

「あ、そのちがくて! 旅をしたいのは嘘じゃないんだけど、ポケモン図鑑もあるし、いずれチャンピオンになりたいなって思ってるから協力して欲しいとか、えと、その!」

 

 上手く言えず、しどろもどろになってしまう。このままでは怪しく思われて遠ざけられてしまうのではないか。そう思考が悪い方向に動いてしまい、トウヤはますます何も言えなくなってしまう。

 そんなトウヤの耳に、また、美しい旋律が届いた。

 

「ぁ」

 

 クスクスと、少女が笑っている。声を上げる笑い方ではない。堪えきれずに笑ってしまったというところだろうか。人形のようだとさえ思っていたのに、ただ笑っただけで、途端に生気に溢れて見えた。

 その笑顔の美しさに、トウヤは囚われる。

 

「良いわ。一緒に旅、しましょう。トウヤ」

「うん――うんっ、よろしく、イル!」

「ええ、こちらこそ」

 

 イルと握手を交して、トウヤは朗らかに笑った。彼女の手は、まるで彼女の髪色のように熱くて、それが心を安らかにさせる。

 

 

 

 

 この日のことを、トウヤは生涯忘れない。何度すれ違おうと、最後まで道を交じらせてきた少女、イルとの出逢いを――忘れることは、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 翌日、トウヤはイルと一緒にジムを攻略した。

 トウヤの後ろについてイルも同時攻略。ジムのトレーナーは連戦できるよう十分な回復道具を持っていて、イルと一緒に、ということが可能だった。

 もっとも、後日“最初のジム”だから特別、ということで、次からは一人ずつ攻略に挑むように言われてしまったが。

 

 

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 

 

 草タイプのジムリーダー、デントが繰り出したヤナップにトウヤのミジュマルは苦戦するも、なんとか勝利。連戦して、そのままイルも勝利となった。

 

「虫タイプのポケモンだから炎は使わないと思ってたんだけど……炎と虫。相反する属性のポケモンだったんだね」

 

 デントはそう、楽しげに笑うと、トウヤとイルにジムバッジをくれた。

 

「これが、バッジ」

「八つ集められれば、夢も直ぐそこね」

「あはは、そう簡単にはいかないよ。でも、うん、そうだね」

 

 八つのバッジを集めて、四天王に打ち克ち、チャンピオンを退けその座に立つ。その光景にイルが居てくれたら、と、トウヤはそう考えずには居られなかった。

 

 

 

 

 

 ジムを出て、マコモに【いあいぎり】を貰ったトウヤたちは、頼まれた“おつかい”のために夢の跡に向かうことになった。

 そこにいるムンナというポケモンに夢の煙を出して貰う、というおつかいだ。トウヤは何も言わずに着いてきてくれるイルに心温まる気持ちを覚えながら、二人で郊外の廃墟に向かうことになった。

 

 そうして廃墟の直ぐ側まで来たとき。トウヤは見知った顔を見つけて声を上げる。

 

「あれは……ベル!」

 

 声をかけられた少女、ベルはトウヤの姿を見ると、嬉しそうな笑みを浮かべて駆け寄ってきた。

 

「トウヤ! ひさしぶり……でもないかな? えへへ」

「うん、そうだね。確かに“久しぶり”……でもないや。あははっ」

 

 ポケモン解放、チャンピオン、ここ最近考えることが多くなった。けれどこうして旧知の友人に再会出来たことで、僅かではあるが不安も和らいでいく。そして、僅かに和らいでしまえば、立ち直れる自信がトウヤにはあった。なにせ今は、隣にイルがいるのだから。

 

「あれ? その子は、新しいお友達?」

「うん、そうだよ、ベル。一緒に旅をすることにしたんだ」

「へーっ、そうなんだ! なんだか旅で出逢って一緒に……って、ステキだね!」

 

 ベルは目を輝かせながらそう言うと、イルに向かって頭を下げる。

 

「私はベル! あなたは?」

「イル。よろしく」

「イルちゃんだね! よろしくねっ!」

 

 イルに初めてあったとき、トウヤは困惑しっぱなしだった。なのにベルは物怖じすることなくイルに近づいて、手を握っている。その奔放さが、トウヤには少しだけ羨ましかった。

 

 

 

 

 

 ベルとイル、そしてトウヤの三人で夢の跡にやってきた。そこは、僅かな日が差し、寂しげながら静かで優しい雰囲気の場所だった。

 

「ゆめのけむりって、どんなんなんだろうね! イルちゃん!」

「さぁ? 法に抵触するものではない、とは思うけど」

「えええっ、危ない物じゃないよぅ、もうっ」

「うん、そうだと良いけれど」

「イルちゃんって、変わってるねー。あははっ」

「そう? 普通よ」

 

 普通ではないと思う。

 トウヤはかしましい二人の会話にツッコミを入れようとした自分を、ぐっと抑え込む。ベルは昔から人のペースを狂わせるところがあったが、イルと一緒だとそれが顕著になるようだ。

 

「あっ、あれ、ムンナじゃ――」

 

 ムンナを見つけて、ベルは目を輝かせる。だが、次いで飛び込んできた光景に――その表情を、曇らせた。

 

「あ、あなたたち、なにをやってるの!」

 

 駆けだしたベルに並ぶように、トウヤとイルが立つ。

 その先には、痛々しい叫び声を上げるムンナに暴力を振るう、男女の姿があった。

 

「なんだ、おまえら?」

「私たちはムンナに夢の煙を出させなきゃいけないの。子供は帰れ!」

「夢の煙でポケモンを手放すよう暗示を掛けて、逃げたポケモンを手に入れるんだ!」

 

 そう言って、ポケモンを傷つけることを止めない二人。その姿に、トウヤはNの言葉を思い出した。彼らのような人間がいるから、ポケモンの解放を謳っているのではないか、と。

 

「やめて! それ以上、その子を傷つけないで!」

 

 ベルが叫ぶと、男はムンナを傷つける手を止めて歪んだ笑みを浮かべる。それが我欲に塗れた人間の笑みなのだと、トウヤは漠然と感じ取った。怒りを覚えてモンスターボールを手に取るトウヤ、涙を浮かべながら立ち向かうベル、そんな二人をフォローに回ろうとする大人びた少女、イル。

 トウヤはイルを庇うように立ち男たちに挑もうとして――

 

「はんっ! 俺たち“プラズマ団”に敵対して、タダで済むと思うなよ!」

 

 ――ぴたりと、足を止めた。

 

「……プラズマ、団?」

「イ、イル?」

 

 トウヤの背後から響く、声。普段の透明な音はなりを潜め、その声色は苛烈な色に満ちていた。

 

「あなたたち、今、プラズマ団と言った?」

「な、なんだ、おまえ」

「質問に答えなさい」

「ぐっ、だったら何だって言うんだ!!」

 

 後ずさりする男に、イルは一歩踏み出した。するとそれに付き従うように、イシュタルがふわりと浮き上がる。男たちはそれに危機感を覚えたのだろう。震える手で、モンスターボールを取り出した。

 

「な、なんなんだよ、おまえはッ!」

「や、やらなきゃ、やられる!?」

 

 二人がモンスターボールを投げるのと、同時。我に返ったトウヤは牽制するようにモンスターボールを投げて、ミジュマルを出した。

 

「ベルはムンナを! 俺たちは――こいつらを、倒す!」

「う、うん、わかった!」

「ええ、そうね。まずは倒さないと」

 

 怯え惑いながら向かって来るプラズマ団の二人に、駆け出す。だがいざ戦おうとした瞬間、トウヤたちの目の前にぼんやりとした煙があつまり、やがてそれは人の形を作った。

 

「ゲ、ゲーチスさま?!」

「ひ、ひぃっ」

『おまえたち、こんなことをしてただで済むとでも思ったか!』

「お、お許しをーっ!!」

「ご、ごめんなさいーっ」

 

 そう言って逃げ去っていくプラズマ団員たちを、トウヤたちはぽかんと見送ってしまう。次いで、ゲーチスに対して警戒心を露わにしようとしたとき――不意に、その姿がゆらめいた。

 

「ムシャーナだ! ムンナを助ける為に、夢を見せたんだよ……」

 

 ムンナを大きくして、どことなく美しくした姿のポケモン、ムシャーナ。ムシャーナはトウヤたちの姿を見て、そしてムンナの無事を見ると、煙のように消えていった。

 

「ポケモンが、ポケモンを思う力……か」

「トウヤ?」

「っなんでもない。さ、行こう。イル、ベル」

 

 イルの声で我に返り、夢の廃墟を出る。とりあえず、おつかいは終了だ。だというのに、トウヤの心は晴れなかった。

 

 

 

 

 

 ポケモンセンターでポケモンを回復したトウヤたちはベルと別れ、その足で三番道路に向かった。気持ちは晴れないままだが、それでも次の街へ行かなければ前には進めない。

 それに、道中、トウヤはイルに聞きたい事があった。ずっと気がかりだった、Nの言葉。ポケモンを解放するということに対して彼女がどう思っているのか、それが知りたかったのだ。

 

「イル、あのさ――」

「どけ、邪魔だ!」

「――ッ」

 

 邪魔なのはどっちだ、と、叫ぼうとしたトウヤの横をプラズマ団が走り抜けていく。それを追いかけてきたのは、つい先日別れた友達の一人、チェレンだった。

 

「トウヤ! あの子のポケモンが、プラズマ団に奪われたんだ!」

「なんだって?!」

 

 チェレンの後ろから走ってきたのは、ベルと、それに小さな女の子だった。人のポケモンを奪い、それを傷つけるプラズマ団。その行為に、トウヤは怒りを覚える。

 

「行こう、トウヤ」

「イル――ああ、そうだね。行こう!」

「うん? おいトウヤ、その子は――って、おい!」

 

 チェレンをその場に置いて、走り出す。悪への怒りを抱いて止まらなくなっていたトウヤの腕をイルがそっと掴むと、自然と、心が安らぐような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 イルとタッグを組んでプラズマ団を撃退し、ポケモンを取り返した。女の子にポケモンを返し不満げなチェレンにイルを紹介し、シッポウシティに到着した頃にはすっかり日が落ちていた。

 

「ふぅ、疲れたー」

 

 トウヤはそう、大きく息を吐いて寝台に腰掛ける。その隣では、イルが苦笑しながらトウヤを見ていた。その視線に、トウヤは少しだけ以後心地が悪くなる。

 イルのような幼い少女を別の部屋に置いておく気にもなれず、トウヤはイルと同じ部屋に泊まることにしていた。

 

「あのさ、イル」

「なに?」

「イルは、ポケモンの解放について、どう思う?」

 

 聞きそびれた話をする。トウヤは彼女がどう思っているのか、どうしても知りたかった。

 

「――ポケモンに、暴力を振るう人がいる」

「……イル?」

「ポケモンに優しい人がいる。ポケモンを傷つける人がいる。ポケモンを家族だと想う人がいる。ポケモンを、道具だと思う人がいる」

 

 イルが語り出すと、トウヤはそれに耳を傾けることにした。

 

「ポケモンに対して、優しい人はいる。でも、それだけじゃない。ポケモンを傷つける人だって、たくさんいる」

 

 “いる”という、その響き。トウヤはイルの語る言葉から、耳を離せない。

 

「だから、ポケモンを傷つける人たちからは、ポケモンを解放しなくてはならない。ポケモンを傷つける人から護り、助けなくてはならない。それが……私の思う、ポケモンの解放」

 

 普段、口数少ないイルから饒舌に語られた言葉に、トウヤは聞き入っていた。ポケモンを解放することは、一方的に良いことでも悪いことでもない。ただ、悪い人たちからは助けてあげれば、それで良い。

 それはトウヤにとって、一つの“答え”だった。

 

「ありがとう、イル。俺、イルと出逢えて良かった」

「いいえ。私も、トウヤと旅をするのは楽しいから」

 

 イルの微笑みに、胸が跳ねる。けれどその感情を理解する前に、トウヤの意識は眠気の中に落ちていった。

 

「おやすみ、トウヤ」

 

 最後にそんな、心地よい声を聞きながら、トウヤは眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――/――

 

 

 

 各地に、計画の邪魔が入っている。そうなることは想定済みだ、と、暗闇の中でゲーチスは嗤う。誰がどれだけ足掻こうと、もはや計画は止められないのだから。

 計画が着々と進行していく様に満足感を覚えていたゲーチスは、ふと、特別な用途のときに使う回線に反応があることに気が付いた。どこかで、七賢者がなにか見つけたのか。いずれにせよ、この回線に連絡が来るということは、特別な報告に相違ない。

 

「誰ですかね?」

『――お聞きしたいことが、あります』

「ッ」

 

 ゲーチスは、思わず乾いた唇を舐め取り身を乗り出す。回線から聞こえる声は、間違いない、導かれるままに雇い入れた少女、イルのものだ。

 

「なにか?」

『ポケモンを虐待するプラズマ団を見つけました』

「ほう? どうやら、先んじて行動しているようですねぇ」

 

 まさか。ポケモンが傷つくのが許さないとは言わないだろう。だからこそ、ゲーチスはイルの真意を汲み取ろうと考える。

 

『先んじて? ああ、暴走ですか』

「ええ、若気の至りでしょう。ワタクシの本意ではないのですが、ね」

 

 そうして暴れるプラズマ団の行動を、ゲーチスは止める気はない。だが、大勢に見られて不穏分子を増やすのは、本意ではなかった。

 

「彼らをどうされました?」

『撃退しました』

「ふむ、そうですか」

『逃げようとしたので』

「ッ! なるほど、そうですか」

 

 ここに来て、ゲーチスは漸くイルの真意を汲み取る。つまりイルは、無様に逃げる彼らが許せなかったのだ。世界の破壊と再生という目標の為に、軟弱な輩は不要。だから、ゲーチスの指示を待つまでもない、と打ち倒した。

 

「くくくっ、なるほど、なるほど」

『どう、処分を?』

 

 処罰ではなく、処分。つまり、消しても良いかとイルは言っているのだ。その言葉に、ゲーチスは楽しげに嗤う。

 

「お任せします。ついでに、各地の団員を見極め、選抜していただきたい。もし貴女の目に敵わぬようでしたら――くくっ、その時は、お任せしますよ。まぁ、厄介なのに目は付けられない程度に、とだけは言っておきますがねぇ」

 

 流石に、本当に消しでもしたら厄介なことになる。たくさんのポケモンに暴力を振るうよりも人を一人消す方が大事になってしまうのだ。この段階で、そこまで大事にしたくはなかった。

 

『畏まりました。ただ、理念の為に』

「ええ、理念の為に」

 

 会話が終了すると、ゲーチスは途切れた回線をただじっと見つめていた。その落ちくぼんだ昏い目で、ずっと――。

 



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春の月 友人を見直すまで

 

 春の月 二十四日

 

 

 

 ベルとチェレンの二人とは、別々に旅をするようだ。

 挑むジムが同じなら一緒に旅をすればいいと思うのだが、そうもいかないようだ。チェレンは照れ屋なのか、どうにも心を開いて貰えなかったためもう少し話しておきたいとも思ったのだが。

 

 まぁ、競争は成長の助け。子供らしくのびのびと成長するに越したことはない。

 

 

 

 今日訪れたのは、あの芸術の街といわれるシッポウシティだった。

 私の故郷はブラックシティという、高層ビルがあるわりに何故か娯楽施設が極端に少ない街だった。だからこそ、旅先で見つける博物館や展示会、ミュージカルは否応なしに私の心を擽る。

 

 なので、楽しみにしていた私はトウヤの腕を引っ張り博物館に向かったのだが、入る前にキャップを被った少年に声をかけられた。

 

 トウヤの友人のようだったのだが、その、なんというか私が親だったら「友達は選べ」と言いたくなる感じの子だった。あまり他人様の交友関係に口出したくはないが、モンスターボールに入れるのは可哀相だからおまえのポケモンぼこぼこにして勝負!(意訳)という熱血電波系は流石にいかがなものかと。せっかく、顔は良いのにもったいない。

 

 とにかく、私とトウヤはNと名乗るその少年とポケモンバトル。結果、Nはイシュタルレベル二十七の前に敗れ去った。トウヤのように複数のポケモンを同時育成する甲斐性はないから、と一匹集中かつ朝練を欠かさなかったら、もう一匹で十分な力になってきたのだ。ビバ、レベル格差社会。

 

 で、勝ったはいいのだが、Nになんとも電波な言葉を残された。

 

 

「そんな、まさか君は――――ポケモン、だっていうのか?」

 

 

 私は人間だ。

 呆れてものも言えなかったのだが、彼は何故かそれに満足して帰っていった。トウヤの私を見る憐憫の目が忘れられない。忘れたいけど。

 

 疲労感に包まれながら、さくさくジム攻略。その後直ぐにプラズマ団の下っ端がまたもや暴走していたので、追いかけているとアーティと名乗る青年に合流。一緒に追いかけてプラズマ団をさくさく撃退。謹慎処分が妥当だろう。

 

 色々大変だったが、まぁ、博物館は楽しかったので満足した。終わりよければ全て良し、だ。

 

 

 

 追記。

 宿で寝るとき、隣で寝ていたトウヤ(どうしても一緒の部屋が良いと毎回押し切られる。親元を離れて寂しいのだろう)が切なげに私の手を握ってきた。電波少年と友達になれるくらい心優しい子だ。戦うことになって思うところがあるのだろう。

 この子がもっと大きくなって、大切な誰かとこうして居たいと思うようになるまで、お姉さんが付き合ってあげようかな、なんて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 二十五日

 

 

 

 ブラックシティから出たのは、海外留学の為のたった一度きり。

 そのため、スカイアローブリッジは私の心を躍らせるのに十分だった。

 広大な景観に胸を躍らせながら、何故かポケモンの能力を強化させる羽を拾う。色々種類があるようだったが、何故か攻撃強化オンリーしか拾わなかったのには不満があるが。脳筋にしろと?

 

 

 

 スカイアローブリッジを抜けると、ヒウンシティに到着した。ヒウンシティは忙しないながらも華やかで、同じビル街でも、私が生まれ育ったブラックシティとは大違いだ。

 

 故郷にこう言うのもアレだが、あそこは子供が住むには不便すぎると思う。ネット販売で健康器具まで揃えさせるくらいだったら、ジムの一つでも作ればいいのに。私がいつまで経っても背が伸びないのはあの街のせいだ。断言してやる。決して、両親とも背が小さかった事なんて関係ない。ないったらない。

 

 

 

 それはともかく。

 トウヤと合流場所を決めて、各々で街を回ってみることになり、私は噂のヒウンアイスを求めて散歩をしていた。まぁ、残念ながらアイスは買えなかったが。今日の分は売り切れとのことだ。今度からは、朝早く起きて行けるようにしよう。

 

 

 

 合流場所へ戻る道すがら、ベルにポケモンを盗まれたと聞いてプラズマ団探しに。社長はいったい何をやっているんだろう? いくらなんでも抑えが利かなすぎる。クビになりたくないから余り強い意見は言えないけど、見つけたら社長の得意な遠回しな言い方でちょっと嫌みの一つでも言ってやろう。

 

 そんな風に思っていたら、とぼとぼ歩く社長を発見。捕まえて一言二言告げてみると、またもや解りづらい返答が帰ってきた。今回は私も遠回しに言ったので人のことは言えないが。

 社長の話を要約すると「必要な事だから、引き続き頼んだ」とのことだった。つまり社長は、反感を持つ社員のあぶり出しをしているということだろう。後の禍根を断つ為だというのならば、致し方ない。期待に応えられるように頑張ろう。

 

 

 

 その後、アーティさんのジムもさくさく攻略。私のイシュタルは虫の癖に炎が使えるので、またもや瞬殺だった。これでジムバッジも三つ目。最初はあまりノリ気じゃなかったのだけれど、こうして徐々にバッジが集まってくると楽しくも思える。不思議なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 二十六日

 

 

 

 今回、久々に心の底から自分が恥ずかしいと思った。

 あんな不憫な少年を電波系だと思っていたなんて、過去の私を張り倒したい気分だ。

 

 

 

 というのも、今日の出来事に関連している。

 こう書くのは何度目になるかわからないが、私の故郷は娯楽に乏しい。そのため、次は娯楽のメッカと呼ばれるライモンシティに行くとなり、楽しみにしていた。

 

 けれど、遊園地前にたむろするプラズマ団の姿をトウヤが見つけてしまったことで、今日一日遊び倒すという脳内計画が瓦解してしまう。

 とくに悪いことをしているようにも見えなかったからおそらく一般社員だと思うのだが、あぶり出された反感を持つ社員しか見てなかったトウヤは当然のように勘違いして、団員を追いかけた。

 

 けれど何故か立ちふさがったNと観覧車に乗ることに。もうこの時点で、私の理解は追いつけなくなっていた。まさしく、「どうしてこうなった」である。

 更に、よくわからない状況は加速する。Nは、何故かプラズマ団の王様と名乗ったのだ。だが続いて言われた言葉で、唐突に私の中にあった沢山の疑問が氷解した。

 

 

 

 なんと彼は、「ゲーチスに請われて」と言ったのだ。

 

 

 

 なんとなく、疑問に思っていた。この遠回しで解りづらい言い方は、誰かに似ていると。だがまさか関係者だとは思えず、また社長の私事だしと考えないようにしていたのだが、“そう”考えれば全てが繋がる。

 

 

 

 そう、つまり――Nとゲーチス社長は親子だったのだ。

 

 

 

 遠回しな言い方しかしない社長に育てられたせいで、言葉が足らなく電波系のように思われてしまうようになったN。彼は、反抗期から父を呼び捨てにしながらも、父の気が惹きたかったのだろう。だから査察官である私から、子供心に無実だとわかっている社員を逃そうと身を挺して戦った。

 なんとも心温まる話じゃないか。なのに、私は純粋で父親思いな彼を電波扱い。これを恥じずになにを恥じれば良いというのだ。

 

 

 

 そう考えると、トウヤはすごい。

 なにせ、あの個性豊かな社長を知らずに、Nの心を理解し友達になっていたのだから。子供ってすごい。私も、見習わないと。

 

 

 

 

 ちなみに、ライモンシティのジムは久々に普通の戦いだった気がする。得意でもなく苦手でもない相手と善戦したと言えば聞こえは良いが、結局レベル差で押し切ったような……いや、それも実力だろう。たぶん。まぁいいか。

 

 その後、ミュージックホールの前でベルの決意を聞き、またもや子供の強さに気が付かされた。今日はなんだか、気が付かされてばかりだ。私もまだ二十代前半の小娘。学ぶことは沢山あるのだと、色々と気持ちを切り替えた方がよさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 その日の晩、素直にトウヤに「すごい」と褒めてみたら、「そんな顔しないで」と慰められた。自分を恥じていたのが顔に出てしまったのかも知れないが、トウヤ、それは追い打ちだ。子供に慰められるとは、逆に情けない。

 まぁでも気持ちはよく伝わったので、少しからかったあと、素直に礼を言っておいた。きっと彼は、将来人の心をよく掴む、立派な青年になることだろう。今は、まだまだかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 痛みを知る者

 

 

 

 ―― 一度目の邂逅は、痛みを孕んだものだった。

 

 

 

 森の中、少年と青年の中間、まだあどけなさを顔に残す男性がポケモンとともに空を見上げていた。彼――Nは、街のある方角に目を向けるとそっと呟く。

 

「ポケモンが、嬉しそうにしている。……あの子、か」

 

 モンスターボールに閉じ込められているのに、誰よりも嬉しそうにしていたポケモンたち。それを持つ一人の少年の姿を思いだして、Nは頭を振る。まだ、理解出来ないことが多すぎた。

 

「行こう」

 

 そうポケモンに告げると、Nは立ち上がり歩き出す。すると戯れていたポケモンのうち三匹がNに寄り添うようについて歩き出した。

 

「来てくれるの? ありがとう。直ぐに逃がしてあげるから、少しの間だけ我慢して」

 

 ポケモンが頷くと、Nは彼らをモンスターボールの中に入れる。窮屈だろう、屈辱だろう。モンスターボールに拘束されるポケモンたちを痛ましげに眺めると、Nは道を急いだ。

 少しでも早く疑問を解き、自身の理想を証明し。ポケモンたちを自由にするために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 シッポウシティに到着したNは、ポケモンに導かれるままに一人の少年の前に立った。ポケモンをモンスターボールに閉じ込めているのに、その可能性を誰よりも感じさせる少年。突然現れたNに驚く少年に、Nは語りかける。

 

「ボクは、ダレにも見えないものが見たいんだ。ボールの中のポケモンたちの理想、トレーナーという在り方の真実、そしてポケモンが完全となった未来……。キミも見たいだろう?」

 

 まくし立てると、少年は――トウヤは、真剣な顔つきになる。

 Nは自身が“特別”であることを知っている。そのため、他人から遠ざけられることも。それなのになお自分の言葉に真剣に耳を傾けるトウヤの在り方に、Nはポケモンに好かれる彼の“特別”の一端を見た気がした。

 

「トウヤ、彼は?」

 

 そうして、トウヤを見極めようとしていたとき、彼の背に庇われていた少女が小さく、けれどよくとおる声で訪ねる。

 

「ボクはN。キミはナニ?」

 

 Nにして見れば、唐突に水を差されたような物だ。不機嫌さを隠そうともせずに訪ねると、少女が一歩前に出た。

 

「私は、イル」

 

 容姿は目を惹くものがある。けれど、彼女からは特別なものを感じない。トウヤのように未知を内包した優しさも、彼の親であるゲーチスのように、危険な香りを孕んだ苛烈さもない。

 ただ、そこに“居る”少女。その名前の響きにだけ、何故だか囚われる。

 

「ふぅん。まぁ、いいよ。早速始めよう。ボクに未来を見せてくれ! トウヤ!」

「N……。ああ、わかった。そうしないと進めないのなら、俺は君と戦う!」

 

 トウヤがミジュマルを繰り出すのを見て、それからその後ろで表情を変えずに佇むイルを見る。そうしてただじっと見られていることに、Nは苛立ちにも似た感情を覚えた。

 

「見ているだけかい、イル。キミもキミの孕む可能性を見せてみろ!」

 

 Nは一度に三匹のポケモンを出す。ついて来てくれたポケモンたち。マメパト、オタマロ、ドッコラーによるトリプルバトル。それに対してトウヤが繰り出す二匹は、ミジュマルとモグリュー。イルが出すのはNがチャンピオンの情報を調べたときに知ったポケモン、メラルバ。

 

「ミジュマルは【きあいだめ】を。モグリュー、【メタルクロー】で牽制だ!」

「イシュタル。行って」

 

 トウヤの指示と、イルの指示。その違いにNは形の良い眉を顰める。イルの指示はどちらかというと“お願い”だ。それも、ポケモンと言葉が通じるNがするような。

 

 オタマロがモグリューに【みずでっぽう】を放とうとするも、メラルバの【いとをはく】によって止められる。その隙にモグリューの【メタルクロー】がドッコラーの急所に入り倒れた。

 マメパトが【かぜおこし】を撃とうとした瞬間、力を溜めたミジュマルの【たいあたり】が急所に入り、倒れる。慌ててオタマロを逃がそうとするも、メラルバの【きゅうけつ】とモグリューの【メタルクロー】の挟み撃ちを受けて倒れていた。

 

「なぜだ」

 

 Nは、小さくそう零す。勝てなかったことに疑問はない。ただ、未来が不確定だっただけのことだ。けれどそんなことよりも、Nはメラルバの声を聞いて、驚愕していた。

 

『例え何者であろうと関係ない。妾の“母”を傷つけることは、許さない』

 

 メラルバから響く声。ポケモンが“母”と認めるということは、その意味は――Nと同じ“モノ”であるということ。

 

「そんな、まさか君は――――ポケモン、だっていうのか?」

 

 Nが震える声でそう呟くと、イルはほんの僅かに顔を伏せ、それから何も言わず、瞳に感情すら乗せることなく透明な目でNを見た。その様子に、トウヤは驚いている。おそらく、普段はこんな“痛ましげな”表情を見せたりする少女ではないのだろう。

 

「……未来は不確定だ。そしてトウヤ、キミだけではなく彼女という要素も組み込まれた。その行く末を見るには、まだボクは足りない。だからボクは見つけ出す。伝説のポケモン、ゼクロムを!」

 

 Nは傷ついたポケモンたちをモンスターボールに一端しまい、走り去る。彼の胸中には、メラルバの声が染みついて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――二度目の発見は影から、疑問を携えて。

 

 

 

 自分の父であるゲーチスに、Nは聞きたい事があった。メラルバが残した疑問を解消する為にも、メラルバというポケモンのことが知りたかった。

 そうしてプラズマ団員にゲーチスの居場所を尋ね、向かった先。ヒウンシティの裏路地に彼の姿を見つけ――Nは、慌てて近くのゴミ箱の裏に隠れた。

 

「あれは、イル?」

 

 トウヤとプラズマ団が敵対していることは知っている。なのに、トウヤの友達であるはずの彼女が何故ゲーチスの側に居るのか、わからなかった。

 胸中を覆う疑問の数々。それを振り払う為にも、Nは二人の会話に耳を傾ける。

 

「――数多の暴力に、ただ等価の力を揮うだけでは理想には近づけない」

「ええ、ええ、そうでしょう。彼らは弱すぎる」

「脆弱だと知るのなら、裁きを下すのはあなたたちの役目では?」

「もちろん、動いていない訳ではありません。ですが、全てを把握するのは難しい。何故なら、弱き者たちはダレより狡賢いからです」

「賢い? アレの在り様で賢者を名乗らせる、と?」

「――っ。七賢人のことまで把握済みでしたか。確かに全員の質が良いとは言えませんが、それも貴女と比べたらの話ですよ」

 

 ゲーチスが、どこか焦りを覚えている。その姿にNは疑問符を浮かべる。何故、年端もいかぬ少女に圧されているのだろう、と。

 

「貴女には引き続き剪定をお願いしたい。その道中に賢者の影があり、それすらも足らないと思われましたら――」

「私が、処分を」

「――ええ、お願いします」

 

 言葉の意味はわからない。彼女がゲーチスとなにをしていたのかわからない。けれどNは、ただ一つだけ思ったことがある。

 

「イル、キミは、違う道を歩いているのか?」

 

 呟いた言葉に返事はない。けれどNは、疑問を零さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――三度目の邂逅は、苛烈な炎を心に灯して。

 

 

 

 疑問を孕んだまま、トウヤたちと対峙する。理想の為にプラズマ団を逃がし、負ける未来が見えていながらそれでもなお、立ち向かう。

 Nはそうまでしてでも知りたかった。イルという少女が、いったい何を考えているのかということを。

 

「ボクはプラズマ団の王様だ。ゲーチスに請われて、動いている」

 

 Nがそう告げると、イルが目を見開いた。何に驚いているのかわからないが、二度目に見たときの会話が、関係しているのだろう。けれどそんなことは、早々に頭から振り払う。

 

「未来は不確定だ。それでもなお、キミは、キミたちは未知なんだ」

「N……君は俺たちに、なにを伝えようとしているんだ? ポケモンを解放したいっていう気持ちは、理解出来た。でも俺は、ポケモンを捕まえることは、傷つけることと一緒じゃないって思ってる」

「確かに君の友達、君のポケモンはそれでもダレより幸福だろう。でも、万人がそうして無垢な訳ではないんだ!」

 

 Nは何かに導かれるように、モンスターボールを手にする。自分に力を貸してくれるポケモンたちを手に、プラズマ団を逃がす為に立ちはだかった。

 

「さぁ、見せてみろ、キミたちの心の全てを!」

 

 メグロコ、ダルマッカ、ズルッグ、シンボラー。二体ずつを出しダブルバトルの準備をすると、トウヤとイルは顔を見合わせて頷き合っていた。

 

「行こう、イル!」

「ええ、行きましょう。私も――いいえ、今は、集中しないと」

 

 メグロコがフタチマルの【シェルブレード】に敗れ、シンボラーが【きゅうけつ】を受けて弱り、フタチマルの援護で敗れる。

 次いで、ズルッグも【きゅうけつ】と【いとをはく】で足止めされている内にダルマッカが【シェルブレード】に敗れて、ズルッグもメラルバの【ニトロチャージ】によって打ち倒された。

 そうして戦っている間、Nはメラルバと言葉を交わしていた。少しでも、疑問が消えるように、と。

 

『キミは何故そうも、彼女に寄り添う? それは彼女がキミの母だからか?』

『妾の母? 妾は太陽の子。故に妾の母は太陽であり、全ての命の源だ』

『太陽――まさかキミの母は、イルは、全てのポケモンの母なのか?!』

『やっと気が付いたか。ポケモンと歩む者よ。貴様が敵対しているのは、貴様と対をなすべき者だ』

『メラルバ、キミは――』

『今はイシュタルだ。母が、そう名付けてくれたのだよ』

 

 小さく、「イシュタル」と呟く。ポケモンたちは負けて、けれどNが見えていたほとんど相打ちのような結末はそこにはなかった。Nの未来予知を飛び越えて結果を出したのは、“絆”の力か。

 けれど、その形を認めることは出来ない。だがNは思った。もしも全てのトレーナーが、彼らのようであったのならば、と。

 

 しかし、現実は違う。今も、どこかで泣いているポケモンがいるのだから。

 

「ボクには変えるべき未来がある! そのためにボクはチャンピオンを超え、唯一無二の存在になるんだ! そうすれば、トレーナーに全てのポケモンを解放させられる!」

 

 そしてその時こそ――イシュタルが告げたように、イルと対を成す存在として認められることだろう。

 Nは、決意を胸に踵を返す。そしてただ一度だけ振り返り、また、歩き出した。

 

 

 

 




Q:なんでイシュタルはこんな勘違いしてるの?
A:インプリンティング(刷り込み)


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春の月 厄介ごとが増えるまで

 

 春の月 三十日

 

 

 

 休まずに旅をしてきたので、この辺りで休憩をしようということになった。

 その間、ライモンシティで遊び倒したせいで日記を書く暇がなかったが、仕方がないということにしよう。遊んだ、以外に書くこともないし。

 

 初心に帰ると学んだおかげで、大人らしい羞恥心をほとんど覚えずに遊び回ることが出来た。それには、一緒になってはしゃいでくれたトウヤの存在もあるのだろう。

 

 そうして遊び倒した私たちは、春の月の最後にライモンシティを出ることになった。思えば旅を始めて、今日で一週間。あっという間だったように思える。

 

 まぁ先は長いのだし、感傷に浸るのはまだ早いというものだが。

 

 

 

 それはともかく。

 ライモンシティを出た私たちは、カミツレの協力で跳ね橋を渡ることになり、その途中で久々にチェレンに会った。せっかくなので四人――なんと、カミツレ自ら先導してくれた――で跳ね橋へ向かったのだが、思わぬ人物に遭遇することになった。

 

 その、アデクと名乗る中年男性は、なんとポケモンリーグの現チャンピオンなのだそうだ。こんなところにいるということはよほど暇なのだろう。そう考えると、チャンピオンとは相当楽な仕事なのかも知れない。もっとも、過程を度外視すれば、だが。

 

 そんなチャンピオンを見て不真面目だと思ったのだろう。チェレンが食ってかかったが、逆にやりこめられてしまった。年の功だろう。流石に、口で勝つのは無理か。

 

 アデクさんは同じような問いを、トウヤと私に対しても投げかけた。トウヤもまだ答えに窮してしまうようだが、彼は強い子だ。もうある程度自分の中に形が出来ているのだろう、自分の意思をハッキリと告げると、アデクさんを真っ直ぐと見返していた。

 

 私は、アデクさんに問いに対して少し困ってしまった。言ってしまえば、私の目的は自分の食い扶持を稼ぐことだ。だが、純真な子供達の前でそれを言うのも憚れる。仕方なく、社長直伝の“遠回しで解りづらい”説明で、もっともらしく食い扶持稼ぎと告げることにした。ようは、「今を生きる」的なことを言っておけばいいのだ。

 社長のおかげで言い回しに慣れていた私は、子供達の夢を壊さずにアデクさんを納得させることが出来た。アデクさんは最初は難しい顔をしていたが、直ぐにはっと気が付いてくれた。私の回りくどい言い方の裏に隠された本音に気が付いてくれたのだろう。

 

 チェレンに詳しく聞かれ言い淀みはしたが、それでも詳しく言おうとせず「自分で考えろ」と言ってくれたアデクさんには頭が下がる。きっと彼らも、大人になったときに私の言葉の意味を理解して、笑ってくれることだろう。もっとも、その時までには私の言葉なんか忘れてしまっていることだろうけれど。

 

 

 

 チャンピオンと別れた私たちは、跳ね橋を渡り、次の街に向かった。だが、何故か跳ね橋の側まで来ていたジムリーダーに遭遇し、面倒ごとを押しつけられてしまった。

 

 なんでも、プラズマ団が彼らに迷惑を掛けて、そのまま逃げ去ってしまったのだという。そのプラズマ団を捕まえれば、ジムリーダーに挑ませてくれる。ギブアンドテイクとは言うが、ジムに挑むのは我々トレーナーの権利だったと思うのだが……まぁ、放っておくわけにもいかないので、探し出すことにした。

 

 

 あっさりと見つけたはいいが、コンテナで震えていたのは七賢人の一人と名乗る大物だった。プラズマ団の重役に反意をもつものがいたことは驚きだが、それならいつまで経ってもあぶり出しが終わらないのも頷ける。社長に、重役の意識強化を徹底して貰うよう連絡しておかないと。

 

 

 とにかく。

 私たちはヴィオと名乗る重役をさっさと撃退。「おまえは、いや、あなた様はまさか」とか言われたが、私以外に聞かれた様子はないのでさっさと撃退。こんなところで査察官だと他の社員にまでばれたら、査察がやりにくくなってしまう。

 意気消沈とするヴィオを引き渡すと、いよいよ、とヤーコンに挑戦することに。チェレンは万全を期す為に鍛えに行ってしまったが。

 

 

 

 さて、ジムリーダー戦だが、一言でいえば「いつもどおり」だった。

 相手方が中々硬く、またもや普通の戦いとなった。というのも、攻撃特化イシュタルレベル四十二が孤軍奮闘してくれたからだ。私のこざかしい戦い方に順応してくれるイシュタルには、頭が下がる。

 

 

 そんなこんなでジムリーダー戦を突破した私たちは、カミツレさんの推薦もあり、電気石の洞窟の通行許可を認められた。とりあえず今日はホドモエシティで休んで、明日からはまた冒険だ。

 

 

 

 そう意気込んでいたのだが、チェレンに呼び止められてしまった。なんでも、ヴィオが言っていた言葉を聞いてしまったようだ。

 流石に、大人の世界の暗部を見せたくはない。なのでやっぱり遠回し気味にはぐらかすと、納得はしていないようだが呑み込んでくれた。一応トウヤの味方であることは強調しておいたので、そのおかげだろう。

 

 

 どうでもいいが、チェレンは将来恋人が出来たら、割と簡単にやりこめられてしまう気がする。お姉さんとしてはそれが少しだけ心配だ。まぁ、余計なお世話だろうが。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 ついでにイシュタルと交友を深めていたら、宿に戻るのが少し遅くなり、トウヤに心配したと怒られてしまった。なんでも、プラズマ団が押し寄せてきたらしい。普通は逆だと思うのだが、彼も一人で寂しかったのだろうと思うと、反省せねばならない気がしてきた。

 

 まだまだ独り立ちするには若すぎるのだし、故郷の家族に会えない分、私が彼の寂しさを紛らわせてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 春の月 未知なる未来、既知せぬ機知

 

 

 

 今日までの怒濤の日々を抜け、トウヤはライモンシティで三日間も過ごすことになった。というのも、大人びた表情を捨て年相応の少女のようにライモンシティで遊び回るイルの姿に絆され、この時間を一秒でも長く、と望んでしまったことが原因だった。

 けれど、いつまでもそうしている訳には行かない。幸いにもイルの方から旅の再開を告げてくれたため、トウヤはこの幼い少女を無理に“楽しいこと”から引き剥がさずに済んだことに安堵の息を吐きながら、街を離れることになった。

 そんな折り、カミツレの協力の下、跳ね橋を渡ることが出来たトウヤは離れていた友の顔を見つけ、思わず頬を綻ばせることとなった。

 

「チェレン!」

「トウヤ……まだ、彼女と一緒なのか」

 

 チェレンがそういうと、トウヤはついつい苦笑を零してしまった。人見知りで常に他人を警戒している。そういえば聞こえは悪いが、ようはトウヤを心配しているという事になるのだ。

 トウヤとしては、早くイルのことを認めて欲しい。だが、そう思う半面、そうまで気に掛けてくれるチェレンの気持ちが嬉しくもあった。

 

「いずれ、チェレンもわかるよ」

「彼女の魅力が、かい?」

「いや、それもあるけど、それだけじゃない」

 

 何故、自分がイルとともに在るのか。

 彼女の側にいるだけで、トウヤは自分以上になれる。自分の限界を超えて、もっと頑張ることが出来る。えらそうなことを言って置いて、その感情の名前をトウヤは知らない。けれど“それ”は魅力なんて言う言葉では片付けることが出来ない者だと、トウヤはそう考えていた。

 

「どうしたの? トウヤ」

「あ、ごめんイル」

 

 チェレンに駆け寄っていた為に置いていかれていたイルが、のんびりと歩いて合流してきた。そんなイルにトウヤは置いていったことを謝る。

 

「チェレン、だったよね? 久しぶり」

「ああ……久しぶり」

 

 未だ警戒心を拭えない様子のチェレンに、トウヤは苦笑する。対するイルがチェレンの反応を気にもしていないように見えるため、イルの方がチェレンよりも“大人”に見えることが、トウヤは少しだけおかしく感じた。

 

「その子も、一緒に行くの?」

 

 そうしていると、イルの更に後ろから声が響いた。跳ね橋を上げる為に協力を申し出てくれた女性、ライモンシティのジムリーダーであるカミツレだ。

 

「ええっと、はい。チェレン、カミツレさんが跳ね橋を上げてくれるって言ってくれたんだ。チェレンも一緒に行くよな」

「カミツレさん……、……はぁ、わかった」

 

 チェレンはイルとカミツレと跳ね橋を交互に見て幾らか逡巡すると、やがて諦めたようにため息を吐いて頷いた。トウヤはそんな彼を見て、どこか嬉しそうに笑う。

 トウヤはこの心配性で一本気な友達のことが、これでけっこう好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 跳ね橋を抜けると、様々な人達が賑わいを見せていた。大道芸にストリートライブと、どれもトウヤにとってブラウン管越しの光景でしかなかったものたち。その賑わいに、トウヤだけでなく、イルやチェレンも目を奪われているようだった。

 このまま通り抜けるには、少し惜しい。そうトウヤがカミツレに話すと、カミツレは快く頷いてくれた。

 

「お忙しい中、ありがとうございます」

「いいのよ、イル。興味を惹かれる気持ちはわかるもの」

「はは、イルに先を越されちゃったかな。えっと、ありがとう、カミツレさん」

「ふふ、いいわよ、別に」

 

 トウヤは、イルに先を越されてお礼を言われてしまったことを少し恥ずかしく思いながらも、直ぐに頭を下げる。そんな初々しい様子のトウヤを見て、カミツレはどこか楽しげだった。

 

「でも、せっかく見ていくならそこの自販機でなにか――あら?」

 

 トウヤたちの態度に気をよくしたのか、カミツレはデパート側の自販機に笑顔のまま立ち寄ろうとした。けれどその途中で不意に一点を見つめ、立ち止まる。

 

「どうかしましたか?」

「アデクさん――こんなところでなにを?」

 

 不審に思い声をかけたチェレンの言葉を遮りながら、カミツレは視線の先の人物に声をかける。

 何事にも動じないように見えたカミツレを動揺させるほどの人物が、彼女の視線の先にいる。その事実に、トウヤは首を傾げながらも、好奇心のままに彼女の視線の先を追った。

 

「んむ? おお、カミツレか。久しいな」

「ええ、お久しぶりです、アデクさん」

「そちらの子たちは?」

「ジムの挑戦者――いえ、ライモンまでに限れば、ジムの勝者です」

「ほう。では、彼らはチャンピオンを目指しているのか」

「ええ。みな、才気に溢れた“イイ”ものたちですよ」

「はっはっはっ、そうかそうか。それはなによりだ」

 

 ボサボサの赤い髪。それから、ガッシリとした身体。アデクと呼ばれた大柄な男は、カミツレを見ると野性味溢れる笑みを零した。

 

「彼はどなたですか?」

「あ、ああ、ごめんなさい」

 

 話に置いていかれそうになり、チェレンが慌てて声を上げる。それに付随して、トウヤもイルの手を引いて慌ててチェレンの隣りに立った。

 

「彼はアデクさんといって、ポケモンリーグの現チャンピオンよ」

『えぇっ?! この人が、チャンピオン!?』

 

 思わず、チェレンとトウヤの声が重なる。

 トウヤの、というより一般の少年たちのチャンピオンへ持つイメージは一定だ。まだ見ぬ憧れの座にどっしりと座る姿か、もしくは洞窟や遺跡でポケモンを鍛えていたり、毅然と悪へ立ち向かっている姿だ。

 けれど、目の前のアデクに、そのような“イメージ”は当て嵌められそうになかった。なにせ彼は、雑踏に紛れ込んで大道芸に一喜一憂していたのだから。

 

「――チャンピオンが、何故こんなところで“遊んで”いるのですか?」

 

 その声に名前を付けるとしたら、“失望”だろうか。苛立ちを孕んだ親友の声に、トウヤは思わず目を剥く。

 

「ははははっ、遊んでいる、とは手厳しいな」

 

 けれどそんなチェレンの失礼、ともいえる発言は、アデクの笑い声に遮られた。

 

「ワシはこのイッシュを旅している。故に、この地で知らぬものは無い。例え、どんなポケモンの声だろうと、ワシの耳と目と肌は感じ続けているのだよ」

 

 そう断言したアデクの表情は、不思議と力強さに満ちていた。己の在り方に、誇りを持っている。力強い瞳からは、そんな意思の力がありありと見える。

 その瞳に押されて、チェレンはぐっと押し黙ってしまった。

 

「キミたちはチャンピオンになってなにを望む? なにがしたいのかな?」

 

 アデクはそう、力強さの中に温かさを秘めたような表情でそう語りかける。それに、チェレンは真っ直ぐと見返すことも出来ず、唇を噛みながら俯いた。

 

「……チャンピオンになる。……その先が、必要なんですか? 強さを求めるから、チャンピオンを目指す。それだけです」

「それではいかん。手に入れた力で何を成すか。何を為したいと願うのか。その方向性を定めなければ、力はただ暴走する。なんでもいい。やりたいことを見つけなさい」

「やりたいこと……それがわからないから、強くなって、みんなに認めて貰おうとしているんじゃないか」

 

 そう言ったきり俯いてしまったチェレンを、トウヤは心配そうに覗き込む。けれどアデクの質問は、まだ終わった訳ではない。続いて、その矛先はトウヤに向けられた。

 

「キミはどうだ? チャンピオンになって、なにがしたい?」

「俺、は……」

 

 言われて、Nの顔が脳裏を過ぎる。ポケモンの解放を求め、何度も自分に“問いかけて”きた、友達になりたい少年。彼の純粋すぎる問いかけは、何度もトウヤを揺さぶった。

 その問いに対する答えを、トウヤはまだ、持っていない。

 けれど、思うことはある。漠然と、言葉に出来なくても、胸の裡に燻る、篝火のような想いがあった。

 

 ――あの夜、月の下で見た、鮮やかな炎のように。

 

 気が付けば、トウヤはイルの手を握りしめていた。その手が小さく、自分を安心させるように握り返してくれただけで、トウヤの心の炎が僅かに大きくなったような気がして、トウヤは微笑む。

 

「わかりません」

「ほう?」

 

 そう、力強く前を向くトウヤに、アデクは面白そうに笑う。

 

「でも、考えるのを止めたくありません。だから、強くなります!」

「くっ、ははははっ、そうか、そうか! それは重畳! ならば大いに悩め、少年よ!」

「はい!」

 

 あまりのことに、チェレンもカミツレも、ぽかんと口を開けて固まってしまう。そんな中、ただ、イルだけがほんの僅かに微笑んでいる。そのことが、トウヤはたまらなく嬉しかった。

 

「ふぅ――さて、キミで最後だな」

 

 アデクがそう言うと、トウヤとチェレンは不思議と身体が強ばった。いったい、何故チャンピオンを目指すのか? トウヤはイルに対してそんな疑問を抱いたことは無かった。

 いや、聞く機会はこれまでいくらでもあった。けれど何故だか言い出せずにいたことだった。

 いったい、どんな答えが返ってくるのか。自然とトウヤの手から抜け出していたイルの小さな指が、彼女の唇に当てられる。そして彼女は幾分か瞳を伏せると、やがて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

 

「――夜空に雲が浮かべば闇に覆われるように、日が昇れば大地が焦がされるように」

 

 唄うような、美しい声だった。

 

「芽が出れば木が伸び、種が落ちれば鳥が啄み、鳥が墜ちれば獣に喰われるように」

 

 頭の中に、“唄”が映し出される。トウヤはその事実を、自然と受け入れる。彼女の唄は、それほどまでに人に“イメージ”を喚起させる力に満ちていた。

 

「世界はただ、自然に流れる。けれどただ蒙昧に俯いていては、獣は墜ちる鳥を見つけられない」

 

 そうだろう。動かない物に自然の摂理は与えられない。動いてこそ得られる“当然”なのだ。それは、まだ経験の浅いトウヤにだって、理解出来る。

 

「だから私は、上を見なければならない。例えそれが定められた道だとわかっていても、歪めることが出来ないのなら、私はただ足掻かなければならない。それが唯一、己を保てる方法だから」

 

 それでは、まるで――チャンピオンになって当然でなければ“ならない”ようではないか。そう想いながら、トウヤはアデクを見る。するとアデクは幾分か逡巡したと思うと、当然、はっと目を瞠った。

 

「――まさか、P2ラボの?」

 

 アデクの呟きが、ほんの僅かに耳に響く。けれど直ぐに風にかき消え、なんと言ったのかわからなくなってしまった。

 

「イル? それはいったいどういう」

「まぁ待て、少年」

 

 イルに詰め寄ろうとしたチェレンを、アデクが止める。

 

「彼女の言った意味は、己で考えてみると良いだろう。彼女が確固とした意思を胸に抱いているというのならば、キミたちは己の胸から導き出した“答え”によってそれを知らねばならん」

「わかり、ました」

 

 言われて、チェレンは渋々とではあるが引き下がる。そして、イルを見て幾らか逡巡し、直ぐ目を逸らしてしまった。

 トウヤは、アデクがなにに気が付いたのかわからない。けれど少しだけ、トウヤにもわかったことがあった。それは、イルはチャンピオンにならなければ“ならない”のだということだ。

 いずれ、己の夢の為に、トウヤはイルとぶつからなくてはならないだろう。その時にイルに対峙することができるのか。トウヤはイルの背中が酷く儚いもののように見えてしまい、ただ強く拳を握り込んでしまった。

 

 ――私はただ足掻かなければならない。それが唯一、己を保てる方法だから。

 

 イルの言葉が、声が、“唄”が、耳から離れない。トウヤは心配そうに己を見上げるイルに無理矢理笑顔を作ると、ただ、彼女の手を強く握ってアデクの元を離れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 跳ね橋を降ろしたせいで、捕まえていたプラズマ団員が逃げた。それを捕まえなければならないという状況に、チェレンは思わずため息を吐く。

 事の始まりは、橋を渡った後、ホドモエジムのヤーコンという男に出逢ったことにある。彼はプラズマ団員が逃げたと知るや否や、すぐさまチェレンたちに“提案”を突きつけた。

 

『奴らをつかまえたら挑戦を受けてやるよ。世の中ギブアンドテイクだ』

 

 そう言われてしまえば、動かない訳には行かない。

 

「こんなところで、時間を潰している余裕はないのに……っ」

 

 自分と同じスタートをして、けれど自分よりも力強い“答え”をアデクに突きつけたトウヤ。自分よりも幼いのに自分よりも強く、確固たる意思を持ったイル。こことは違う場所に居るであろうベルも、チェレンよりもずっと力強い意思を持っていた。

 周囲に、置いていかれようとしている。それがチェレンの抱える、“焦り”の正体だ。

 

「僕は、いったい何がしたいんだろう……?」

 

 一緒に行こう。笑顔で手を取ってくれたトウヤに首を振り、拒絶したのはチェレン自身だ。手分けした方が効率が良い。そう告げたチェレンにトウヤは笑って『さすが、チェレンだ』などと言ってくれたが、別れた理由はそんな高尚の物じゃない。

 ただ、チェレンは嫉妬心からトウヤの元を離れた訳ではない。焦りもある。だが、それを差し引いたとしてもチェレンにとってトウヤという少年はかけがえのない友人だ。

 

 なら、何故、チェレンはトウヤの元を離れたのか。答えは単純だ。

 

「情けないな、僕は。あんな小さな少女が――イルが、“怖かった”なんて」

 

 翠玉の瞳に射抜かれて、チェレンは目の前が僅かに霞んだ。強大な力を持つポケモンをモンスターボールに入れもせずに連れ歩き、ただ気配だけで大の大人を震え上がらせる。その姿に恐怖せずには、居られなかった。

 

『いずれ、チェレンもわかるよ』

 

 わかるはずない。親友の言葉を思いだして、チェレンはそう自嘲する。いったい彼女にどんな魅力があるというのか、チェレンは解りたくもなかった。

 けれどだからといって、トウヤからイルを引き剥がすことは出来ない。そんなことをすれば、あの誰よりも心優しい少年は深く傷ついてしまうことだろうから。だから、チェレンは言い出せずにいた。

 

「臆病者の僕に、いったい何が出来るんだろう?」

 

 チェレンは親友を助け出すことの出来ない歯がゆさから、ほぞを噛む思いで走り出す。なんでもいい。この状況を打開するような“答え”が知りたくて、チェレンは奔走していた。

 

「見つけた!」

「!」

 

 そんな折りに、想像していた友の声が響く。慌てて近くのコンテナに乗り込むと、そこにはプラズマ団員たちと相対するトウヤとイルの姿があった。

 

「トウヤ、加勢する!」

「チェレン! ああ、頼む!」

 

 チェレンはジャノビーを繰り出すと、トウヤに並ぶ。チェレンとしては不服だが、フタチマル、ジャノビー、メラルバの水と草と火のトリプルバトルは非常に相性の良い物だった。

 襲いかかるプラズマ団員を切り抜け、奥で震えていた七賢人の一人と名乗るプラズマ団員の幹部、ヴィオの喉元にポケモンを突きつける。

 

「さぁ、もう逃げられないぞ、ヴィオ!」

 

 チェレンが来るまでの間にどんなやりとりがあったのか、チェレンは知らない。けれどこうまで追い詰められていると言うことは、“悪い人間”なのだろうということだけはチェレンにも察しが付いた。

 

「ぐ、ぐぬぬぬ。ええい、おのれ小娘ェェェッ!!」

 

 追い詰められたヴィオは、一番組み敷きやすいと思ったのか、または一番近くに居たからか、イルに襲いかかった。その光景にトウヤが動き出そうとするよりも遥かに早く、メラルバの【ニトロチャージ】がヴィオに炸裂する。

 

「イシュタル」

 

 イルは、ただ一言告げただけ。通常のトレーナーではあり得ない、指示。たったそれだけでメラルバはイルの意思を汲み取ると、【いとをはく】によってヴィオを締め上げた。その流れるような手さばきにプラズマ団員すら見惚れる中、ヴィオが、小さく呟く。

 その声を、偶然、チェレンは耳にする。

 

「おま……まさか……は」

 

 断片的にしか聞こえない。けれど自分の抱く恐怖を解き明かす“鍵”がそこにあるのならば、と、チェレンは必死に声を聞き取ろうとして――ヴィオに追い打ちの炎が迫る寸前、その声が響いた。

 

「――“紅蓮の断罪者”」

 

 ごうっと強い炎に包まれて、ヴィオの身体が落ちる。その光景を、チェレンはただ呆然と見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 チェレンの足に、迷いはなかった。

 ヤーコンとのジムリーダー戦を終え、宿に戻ろうとするイル。ヤーコンと話をしているというトウヤよりも一歩先に帰ろうとする彼女を引き止めるのは、さほど難しいことではなかった。

 

「ヴィオの言葉を聞いた」

 

 たったそれだけ告げただけで、イルは足を止める。

 

「……そう」

 

 聞かれてしまったことに何を思っているのか。チェレンは、緩く目を伏せた彼女に詰め寄る。

 

「キミは、いったい何者なんだ? 何者でもない、だなんて答えは受け付けない」

「私は何者か、か」

 

 チェレンの言葉に、イルは初めて瞳を揺らす。その瞳が何故だか悲しげで、チェレンはどうすればいいのかわからなくなってしまった。何を言っても、いつものように無表情で、毅然とした答えだけを持つのではなかったのか。

 そんな疑問が、チェレンの中を駆け巡る。

 

「私は私。けれど、私で居てはならないときもある。使命、宿命、運命。命運を賭けるときはいつも、私は私で居てはならない」

「き、キミは――誰の味方なんだ?」

「ひとつだけ、言えることがある。私はどうあっても、トウヤを裏切らない。だからお願い――それだけは、信じて」

 

 イルの言葉に、チェレンは目を伏せる。

 使命、運命、宿命。その全てが、簡単には退けられない物だ。そしてヴィオの言った言葉――“紅蓮の断罪者”という、名。その全ての意味するところは、ひどく単純な物だ。

 おそらくイルというこの幼い少女は――プラズマ団と“戦わされて”いる。それも、とても“正義の味方”とはいえないような連中の元で。

 

「わかった。けれどキミがもしトウヤの敵に回るというのであれば、その時は――」

「ええ、わかっているわ」

「――なら、いい」

 

 彼女がなんのために動いているのか、はっきりとしたことはわからない。けれど、と、チェレンは考える。

 イルの背中が見えなくなり、モンスターボールを片手に夜空を見上げ、呟く。

 

「僕はいずれ、真実を見つける。やりたいこと探しも、彼女のことも、なにもかも――僕は、必ず自分の手で真実を見つけると言うことを、ここに誓おう」

 

 チェレンの声に、揺らぎが無くなる。

 この日、この夜、この言葉が、チェレンというひとりの少年の心が力強く一歩を踏み出した瞬間だった。

 




今回から未投稿分です。

紅蓮の断罪者は、プラズマ団員の査察官への陰口です。
何故か一般団員が零す陰口の類を知っちゃってる根が小心者のヴィオさん。

2013/03/19
誤字修正しました。


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夏の月 忍者に出逢うまで

夏の月 一日

 

 

 

 今日の出来事:拉致られた。

 こう書くと冗談のようにも思えるが、真実だ。

 

 

 

 事の始まりは、カミツレに許可を貰って電気石の洞窟に訪れた事だった。夏の始まりは既に温かく、ひんやりとした洞窟はちょうど良い避暑になりそうだと期待したものだ。けれど、一歩入った瞬間に目の前が真っ暗になった。

 

 気が付けば、場所を移して洞窟の奥にトウヤと二人で移動させられていた。未来有望なトウヤ少年だけではなく私みたいな平々凡々な成人女性を捕まえて何がしたいのかと、年甲斐もなく呆然としてしまったのは、大人の女性として恥じ入るべき所だと思う。だって、トウヤは私よりも早く混乱から復帰し、モンスターボールを構えていたのだから。私も、彼の勇敢さを見習わなければならないことだろう。

 

 

 それはさておき。

 

 

 私が呆然としたのは、何も拉致られたからだけではない。もうひとつ、大きな要因があった。それが、私を浚った相手――“ニンジャー”である。カントー地方では忍者が当たり前のようにジムリーダーや四天王をやっていると聞くが、ここはイッシュ。ニンジャーなどブラウン管越しの存在でしかなかった。幼心にちょっとだけ憧れたニンジャーに拉致される。この奇妙な展開に突っ込まずにはいられなかった。

 

 で、思わず出た言葉が「あなたたち、出て来て良かったの?」だ。もちろん、ブラウン管の向こうから、という意味なのだが、当然伝わらない。しかも、心なしかうわずっている。

 

 私も社長に毒されてきてしまったというのだろうか。思わず出た言葉があまりにも意味不明だったせいで、ニンジャーのひとりに「どういう意味だ」と言われてしまった。どういう意味かって、言えるはずがないので、もうここまで来たら仕方がないと腹をくくって、社長直伝の遠回しかつ解りづらい言い方で「おかしなことを言ってごめんなさい」と言っておいた。もちろん、仕事の邪魔をされて機嫌が悪い彼(彼女かもしれない。見た目で判別しづらい格好なのだ)に、アイコンタクトと愛想笑いも忘れずに。

 

 

 これは後にわかった事だが、彼らもプラズマ団の一員らしい。なら私の、純真なトウヤに聞かせたくなくて遠回しに言った言葉の真意を汲んでくれたことだろう。やけにあっさり退いてくれたし。

 

 

 

 その後、再びN少年と対峙することになった。

 そこで私は、ニンジャーへのショックから立ち直る前に、さらにショックなことを聞かされてしまった。

 

 なんと、Nはわかっていなかったのだ。社長の言葉は遠回しなだけで、別段深い意味がある訳ではないということを。

 Nは社長に言われるがまま、“英雄”になろうとしていた。伝説のポケモンをゲット出来るくらいの立派な大人になれと、社長は親心からそう遠回しに言ったのだろう。それを、Nは真に受けたまま成長してしまったというのだ。不憫過ぎる。

 Nに真実を告げるべきか迷っているうちに、トウヤがさくさく勝利してしまった。イシュタルも活躍していたようだが、正直、私は何も指示していない。役に立たないトレーナーでごめんね、イシュタル。

 

 

 

 いずれ、彼も真実を知るときが来るだろう。

 それまで、このことはお姉さんの胸の裡にそっと納めておいてあげよう。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 夜、トウヤに抱き枕にされながら「遠くに行かないで欲しい」と頼まれた。彼もホームシックなのだろう。頷いて、背中を撫でてやると、トウヤは直ぐ眠りについた。懐かれるのは嬉しいけれど、将来恋人ができる時に私の存在が邪魔になりそうだ――なんて言うのは、自惚れだろうか。

 

 

 

 

 

 

 追記二。

 社長への定時連絡の最中、社長に彼ら――社長はダークなんたらと言っていたが思い出せない――の処遇について聞いて来たので、褒めちぎっておいた。

 これで許してね、ニンジャー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 砕けぬ過去

 

 

 

 ――地獄。

 

 その日々を一言で表せと言うのならば、それしか言いようがない。

 兄弟達と同じように性別や個性を隠し、ただひたすら恩人の為に奔走する日々の中、ダークトリニティの一人、唯一の女性たる“彼女”は、今回のターゲットの写真を睨み付けながらそう、回想する。

 

「気になるか?」

「ああ」

 

 兄弟の一人にそう言われて、頷く。“ターゲット”とともに浚うように指定を受けた少女。彼女が何者かは知らされていない。だが“彼女”は写真の少女のその煉獄が如き深紅の髪に、ただならぬ因縁を感じていた。

 地獄。そう、あの幾人もの名も知らぬ兄弟達を失ってきた、地獄を、少女は忘れたことがない。その忘れようとしても忘れられない記憶の中に、確かにあの“真紅”はあった。

 

「“継承者”の可能性がある、か?」

「ああ――気にせずにいるのが一番なのは、わかるが、な」

「任務に支障を来さなければ、多少調べても良いのではないか?」

「ゲーチス様の邪魔にならない程度であれば、な」

 

 兄弟達に言われ、“彼女”は珍しく表情を変えた。表情など捨て去って幾年経たことかわからない。だというのに、“彼女”の脳裏から決して消えること無い煉獄が、不気味な感情を呼び起こす。

 この任務で、何が起るかなどわからない。けれど、と、“彼女”はターゲットの少女が写された写真を握りつぶす。

 

「もし、貴様が“No-name-project”の“継承者”だというのならば、その時は――」

 

 暗闇が鳴動し、闇に墜ちた三人の“影”がその瞳をギラギラと輝かせる。だが任務開始の鐘が鳴ると同時に冷静さを取り戻すと、三人は影の中へ身を翻し、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――ターゲット、接近。

 

 その報せを聞いた瞬間から、ダークトリニティは動き出した。目の前にいる敵が例え因縁の相手かもしれなくとも、彼らには関係ない。彼らの行動指針はただ一つ。それは自身の抱える“闇”を復讐などと言う方法で吐露したり、誰かに恨み辛みを零して巻き込むことなどではない。

 彼らの理念は、ただ一つ。それは、ゲーチスの恩義に報いるということだけなのだ。

 

「しくじるなよ」

『応』

 

 一番上の兄の言葉に、“彼女”たちは素早く答える。そして、電気石の洞窟に入ってきた少年と少女の二人に、ダークトリニティは己の持つ異能の力を解放させた。

 影と影、闇と闇を渡り歩く瞬間移動能力。それが、今回使った“彼女”たちの能力の一環であった。

 

「捕まえた――」

 

 ポケモンも人間も、幾人もこうして誘拐してきた。この程度の事、“彼女”たちには雑作もないことだ。せいぜい、急な暗闇に怯えるが良い、と、“彼女”はらしくもなく封印したはずの“感情”――“歓喜”の色を滲ませる。

 

 狼狽するか? ――悲鳴を上げ、己の正体をなくせばいい。

 恐怖するか? ――豚のように泣きわめき、跪けばいい。

 後悔するか? ――犯した罪の多さに嘆き苦しめばいい。

 

 この幼い少女が、いったいどんな言葉で己を愉しませてくれるのか、“彼女”はマスクの下で暗い愉悦を零す。

 

 だが――安易に復讐にすら走らず、ただ恩義を返そうと己を律する彼らに、運命という名の神はどこまでも残酷だった。

 

「“貴女”たち――出て来て良かったの?」

「――え?」

 

 きょとん、と、「何故空が青いのか?」と無邪気に質問する幼子のように、ターゲットの少女――“イル”はただそう一言、言い放った。

 

「どういう、意味、だ」

 

 もう一人のターゲットが、自分を見て呆然としているのがわかる。わかるのに、“彼女”は声を震わせてそう問うことしかできなかった。

 

「意味? 硝子の向こう側。半透明な世界に生きてきたはずの存在が、何故ここにいるの? と、私はそう聞いたの」

 

 硝子の向こう側――自分たちが“飼われて”いた巨大な試験管。外の世界に憧れた同胞が、一人二人と減っていく世界。その向こう側でいつも自分たちを見ていた、赤い影。

 脳裏にフラッシュバックする光景に、彼女は己の肩を抱き締めて、ふらりと下がる。けれど、それでも、イルは口を閉ざしてはくれなかった。

 

「ああ、ごめんなさい。貴女たちには、意味のない言葉だったわね」

 

 意味のない言葉。その一言が、どうしようもなく胸に突き刺さる。

 “彼女”は、ゲーチスに助けられるまで人形のような人生を過ごしてきた。人形には、何を言っても意味はない。何を問うても意味はない。自由な意思を持つことなど許されず、ただ、使い潰されるだけの“道具”なのだ。

 ならば、なるほど。まさしく“彼女たち”には意味のない言葉だったと言えるだろう。

 

「私の言葉に意味はない。忘れて」

「意味を、意味を持たせようとしなかったのは、貴様――」

「ッ待て!任務を忘れるな!」

「――くっ」

 

 兄弟に止められてなお、“彼女”はイルを睨み付けることを止めない。常人ならば、それだけでへたり込んでしまいそうな程の殺気。現に、直接向けられている訳でもないのに、イルの隣に立つトウヤは顔を青くさせていた。

 今、“彼女”の心を占めるのは三つ。ゲーチスへの忠誠心と、憎悪と、「もう思いどおりにはなってやらない」という反骨心。その三つで立つ“彼女”を、イルはどう思うのか。

 思いどおりに生きなかったことを、悔しがればいい。ゲーチスへの忠誠心から、ただそれだけを考える“彼女”は、けれど、そんな淡い抵抗すらも打ち砕かれる。

 

「――ぁ」

 

 強い感情を向けられたイルのその表情が、淡く変化する。その表情は――

 

「よかった」

 

 ――笑顔だった。

 離れて行った我が子を慈しむような。

 石を割って芽生えた花を愉しむような。

 赤子の生誕を心の底から祝福するような。

 

「ちっ……退くぞ」

 

 兄弟の一人が、そう零す。どの道、これで任務は達成。兄弟は崩れ落ちそうな“彼女”を支えると、再び、闇の中へ消える。

 その最中で、一人イルとゲーチスの関係を知るリーダーたる“兄”は、最後に見たイルの表情を思いだして、身震いした。

 

「“紅蓮の断罪者”? はっ、あれがそんな生易しい存在なはずがない」

 

 ただ言葉だけで、屈強な工作員たる自分たちの心を折った存在。いや、イルは心を折ろうとは考えては居なかったのだろう。あの幼い少女は、愛でていたのだ。自分たちの手から離れて、自分たちの喉元に噛みつこうとする矮小な存在を、憐憫の感情で愛でていたに過ぎないのだ。

 そう、おそらく、イルにとって他人など――等しく、己の玩具に過ぎないのだ。

 

「いずれ、決着をつけよう――“箱庭の邪神”よ」

 

 声だけが、闇の中に木霊する。

 その声を聞き届ける事が出来た者は、ただの一人も居なかった。

 

 そう――今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 鳴り響く電話を前に、ゲーチスは薄く嗤う。ゲーチスの前に跪くのは、ただ一人。ダークトリニティのリーダーたる“兄”だけだ。

 

「さてさて、どう来ると思いますか?」

「――処罰は、なんなりと」

 

 どんな状況であれ、任務内容を越えてしまったことに変わりはない。ならば、如何にダークトリニティといえど、“査察官”からある程度の罰を受ける必要性があるだろう。

 それが如何なる罰なのか。ゲーチスは、信頼する部下を“喪う”かもしれない状況にありながら、心の何処かでイルの“裁定”を心待ちにしていた。

 

「遅れてすいませんねぇ」

『いえ。社長もお忙しいのは承知しておりますので』

「くくくっ、そう言っていただけると、助かります」

 

 ゲーチスは、魅せられていた。この鈴を転がすような鈴と美しい声から、どれほど残酷で美しい旋律が紡ぎ出されるのか。それを考えるだけで、ゲーチスの身体が歓喜に震える。

 

「さて、今日の本題なのですが――ワタクシ直属のダークトリニティが、貴女になにやらご迷惑をおかけしてしまったようですねぇ?」

『ダーク……ああ、彼らですか』

「ええ。査察官はアナタ、粗相をしたのはカレら。さて、アナタは如何様な裁定を下しますか?」

『裁定?』

「ええ、ええ。私直属と言うことで気にされているのですね。くくくっ、気にする必要はありません。好きなように、思うがままに、その指を鳴らし処刑台の刃を落としなさい。その刃を間引くも研ぐも、全てお任せします」

 

 ゲーチスが言い切ると、電話向こうからの声が途切れる。

 どんな言葉が返ってくるのか、どんな残酷な答えが来るのか。優秀な手駒を無くしてしまったとしても、ゲーチスはその答えを傾聴しようと言葉を待ちその期待を――

 

『おっしゃっている意味が、わかりません。何故、彼らに“裁定”が必要なのですか?』

 

 ――ゲーチスの“期待”を越える形で、裏切られた。

 

「ふむ、と、いうと?」

『彼らに処罰は必要在りません』

「何故? アナタに歯向かったのですよ、彼らは」

『ええ、ですから』

「……ふむ?」

 

 イルがなにを言おうとしているのか。ゲーチスは初めて渡されたパズルを解くような感覚で頭を巡らせる。それが如何なる意味を持つのか。如何なる状況になるのか。ゲーチスは、楽しくて仕方がなかった。

 

『箱の中から出て、己の本能に基づいて己を律する。彼らは決して絵空事では語り知れぬ、私たちの描いた想像を超えた存在だったのです』

「――ふむ」

『で、あるならば、その存在を祝福しその存在に歓喜こそすれ――処罰など、与えるべきではありません』

 

 ――なんと、無垢な。

 ゲーチスは己が扱おうとしていた少女の器に、戦慄を覚える。

 

 イルの経歴は調べてある。ただ己の欲望の為に己すらも道具として扱う魔都『ブラックシティ』の出身というだけで、最早他とは一線を画している存在。あの街は、移り住むことはあっても根城にしようなどとは誰も考えない。

 また、既に死去しているという両親。両親というには高齢な彼らは、おそらく養父母なのだろう。出産記録など金で買えるブラックシティのことだ。大方、養父母ということを――本当の両親を隠したかったのだろう。

 彼女が本当はどんな経歴を持つのか、ゲーチスは未だ調べ切れていない。その詳細もわからぬ謎に包まれた少女、イル。いったいどのような過去を持てば、このような“化け物”が誕生するというのだろうか。

 

「わかりました。では、アナタからは何も?」

『いえ、そうですね、できれば褒賞を与えたいと思います』

「くくくっ、ええ、ええ、承りました。では、次の連絡もお待ちしておりますよ」

『はい。ただ、理念の為に』

「ええ。理念の為に」

 

 途切れた電話を置くと、ゲーチスは肩を震わせる。ただ、ただ、悦びから笑顔を形作る。

 

「なんと無垢で、なんと残酷なのでしょう。そしてなんと純粋で、なんと平等なのでしょう」

 

 知りたい。

 世界を征服し己のモノとする以外に、初めて、ゲーチスが抱いた欲求。それが、あの幼い少女のことを知りたいと願う気持ちだった。

 

「彼女のことを知らしめましょう。そうすれば、過去を知る者が炙り出されるかも知れません」

「はっ」

「くくくっ、良い返事です。ああそうだ、褒賞は何が欲しいですか?」

「如何様にも」

「いいでしょう、くくっ、考えておきます」

「有り難き幸せ」

 

 ゲーチスは、愉悦から表情を歪ませ、己の欲求にただ付き従う。

 

「紅蓮の断罪者、それから、アナタは彼女をなんと呼びました?」

「――箱庭の邪神、と」

「くくっ、良いでしょう。では彼女の通称を、少しずつ、世界に浸透させなさい。そうですねぇ、前者二つに付け加えて、そう――“無垢なる咎人”と、ね」

「はっ。ただ、ゲーチス様の崇高なる目的の為に」

「ええ、行きなさい」

「御意」

 

 闇の中へかき消える己の忠心を見送ると、ゲーチスはただ一つ出て来たイルの養父母の経歴を見る。そのイルの両親を名乗る癖に、妙に平凡な経歴の中、ただ一つ異様な経歴が書かれていた。

 

「『ナナシ・アル。男。製薬会社“No-name”に勤務。開発班に組み込まれる。実績――一切不明』か……くくくっ」

 

 失敗ならば、成功ならば、平凡ならば、それはそれで経歴には残る。それが“特筆すべき点は無し”と言う言葉だったのならば、ゲーチスはここまで注目しなかったことだろう。

 イルの父親を名乗る男。謎に包まれた経歴。その全てに、ゲーチスは釘付けになっていた。

 

「必ず暴き出してみましょう――そう、ワタクシがアナタという“深淵”に、覗き込まれたとしても、ね。くくくくくっ、ふくっ、ハハハハハハハハハッ!!」

 

 ゲーチスの歓喜の声が、ただ、モニターばかりが映る部屋に木霊する。

 いつまでも――そう、ただ、いつまでも。

 

 

 

 

 

 

 




Q:イルのお父さんって何者?
A:勘違いは血筋。


2013/02/10
プロット再構成時にキャラクタプロフィールにミスがあったので修正しました。
具体的にはイルの瞳の色。真紅から翡翠に戻しました。


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夏の月 若さに微笑ましくなるまで

 

 

夏の月 二日

 

 

 

 電気石の洞窟を抜けた私たちは、まず、久しぶりのジム攻略に乗り出した。けれど、残念ながらジムリーダーは不在。私は待っていれば良いと思ったのだが、やる気溢れるトウヤに手を引かれてタワーオブヘブンに行くことになった。

 

 道中、手を握り返すと、耳まで赤くなったトウヤの姿が見られたのは幸運だった。なんだかんだで昨日のことが気恥ずかしかったのだろう。可愛いところもあるものだ。少しからかってみるとこちらを見てくれなくなったので、ほどほどにしておいた。あんまりいじめるのも可哀相だ。

 

 

 

 タワーオブヘブンとは、ようは、ポケモンの墓場らしい。

 

 墓場でも勝負を挑んでくる不謹慎なトレーナーたちを撃退しながら頂上に行くと、そこに、フライトスーツに身を包んだ女性が居た。彼女が、フキヨセのジムリーダーらしい。フライト中に怪我をしたポケモンを見つけて救助しに来たという、心優しい女性だ。

 

 

 

 私とトウヤは鎮魂の為に鐘を鳴らすと、早速、フキヨセに戻ってジムに挑むことにした。

 

 だが、そこで待っていたのは、なんと“人間大砲されながら進む”というとんでもないジムだった。下手をしたら大けがしそうなものだが、安全面の考慮はされているらしい。本当なのだろうか。

 

 とにかく攻略せねばらない。私はトウヤに先を譲ってのんびり攻略にかかろうと思ったのだが、トウヤが何故かジムの受付員の方に頼み込み、一緒に行くことに。人間大砲で空を飛んでいる間、抱き締められ続けた。まだ子供なのに、女性を護ろうということだろう。

 

 爆音でまったく聞こえないが、おそらく私が無事か一生懸命声をかけているのであろう、トウヤのそんなほほえましいさまに思わず笑いかけると、トウヤはそっぽを向いてしまった。初々しいなぁ。私もあと四年……いや、五年……七年若ければなぁ。

 

 無事、フウロに勝つとジムバッジを貰うことが出来た。

 思えば、このバッジで半分を超えたことになる。私がトウヤくらいの年頃の時は仕事で忙しい両親に構って貰えず、仕方なく通販で買いあさっていた健康器具でスリムアップばかりしていたような気がする。その頃は、まさか、私がジム攻略をするなんて想像もしてなかった。

 そう考えると、この年で旅をしているトウヤはすごい。まだまだ、トウヤに見習うことはあるだろう。年上の女性として彼を見守るのも良いが、たまには、彼の視点で世界を眺めてみるのも面白いかも知れない。

 

 

 

 

 

 追記。

 今日、初めてトウヤに「部屋を分けた方が良いか」と聞かれたので、思わず笑ってしまった。思春期到来だろうかとそんな風に考えていたら、「やっぱり同じ部屋が良い」と心なしか悔しそうに言われた。

 やっぱり、思春期なのだろう。年上の女性に気恥ずかしくなるなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 自覚し始めた篝火

 

 

 

 ――もう、貴方と旅をすることは出来ない。

 

 暗い場所。

 気が付けば、トウヤは闇の中に立っていた。上も下もわからない、不可思議な空間。その空間の中で、聞き慣れた声が響いてくる。

 

 ――私と貴方では、何もかも違いすぎるから。

 

 なんで。たった一言が、出ない。トウヤは声を出すことが出来ないことに気が付いて、愕然とする。

 待って。どうして。そんな言葉だけが、喉の奥で消えていった。

 

 ――だから私は、もう、貴方と“居る”ことはできない。

 ――ごめんなさい。それと、今までありがとう。楽しかったよ。

 

 そんなことを言わないで。一緒に居よう。守るから。

 どれだけ頭で反芻しようと、何時まで経っても声に成ってくれない。もどかしさに、トウヤは苛立ちを覚えて唇を噛んだ。

 

 ――だから、さようなら、トウヤ。

 

 手を伸ばして。

 足を動かして。

 目を見開いて。

 ひたすら、求めて。

 

 ――さようなら。

 

 そしてついに声は届かず、ただ、イルの言葉が闇の中に溶けていき――……

 

 

 

 

 

「だ、めだ、待って、待ってくれ、イル!!」

 

 

 

 がばり、と、手を伸ばしてトウヤは起き上がった。

 白いベッドの上。もがいて身体から落ちたシーツ。朝の陽気に遊ぶように響く、小鳥の鳴き声。

 いつもと変わらぬ朝の光景に、トウヤは漸く、先程までの光景がただの“夢”だと気が付いた。

 

「夢、夢っていうか、悪夢、かな」

 

 荒くなった息を整えて、ふぅ、と息を吐く。なによりも恐れていた光景――イルとの決別。夢の中で聞いたイルの声が頭から離れず。思わず、いつも隣にある重みを感じようと、トウヤは神経を尖らせた。だが、それが裏目に出ることになる。

 

「んっ……ぁ」

 

 どこか、耳朶を擽るような甘い声。慌てて左隣に顔を向けて、トウヤは硬直する。

 

「すぅ……すぅ……ん」

 

 己の左手に巻き付く、白くて華奢な腕。イルは、トウヤの左手にがっしりと抱きついていた。すると当然、イルの柔らかな四肢が、トウヤと密着することになる。

 その柔らかさと甘い匂いを意識すればするほど頭に血が上り、トウヤはふらりと倒れ込んだ。

 

 二度寝は出来ない。

 意識をなくすことも出来ない。

 イルを起こすのも、気が引ける。

 

「い、生き地獄だ……」

 

 嬉しいような、後ろめたいような、そんな感情をない交ぜにしながら、トウヤはイルが起きてくるのをじっと待たなければいけなくなる。

 夏の月も今日で二日目。前途多難を思わせるスタートに、トウヤは深く、深く息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 イルが寝ぼけ眼を擦りながら起きたのは、トウヤが飛び起きて耐え始めたちょうど一時間後のことだった。柔らかな笑顔で「おはよう」と挨拶されたのにもかかわらず、返すトウヤの声は小さく元気がない。今の今まで耐えてきてその笑顔は反則だ、と、トウヤは無邪気に首を傾げるイルから目を逸らしつつ、考えていた。

 

「トウヤ?」

「っ……なんでもないよ! さ、朝食を食べに行こう!」

「ええ、そうね。わかったわ」

 

 トウヤは、未だ覚醒しきっていないイルを置いて宿屋の脱衣所に飛び込むと、寝間着から旅着に着替える。そして、扉越しに聞こえてくる衣擦れの音に悶々としながら、イルが声をかけてくれるのをじっと待っていた。

 

「どうしちゃったんだろう、俺」

 

 守りたい。

 共にいたい。

 ただ、並んで歩きたい。

 

 そう思っていたはずなのに、心の中では『それだけでいいのか?』と不満そうな声が反響している。

 トウヤは今年で、十四歳になった。もうあと四年もすれば、世間的にも自立したと認められ、結婚も出来るようになる。それに対して、イルはまだ十歳程度だろうとトウヤはまともに年齢を聞いたこともない年下の少女を思い浮かべた。

 四歳の壁。それは果たして、本当に壁なのだろうか。トウヤはそこまで考えて、頭を抱えてうずくまる。

 

「何考えてるんだ、俺。これじゃあまるで、イルと結婚したいと思って――」

「トウヤ? どうかしたの?」

「――ないようなあるようなないようなあああああるうううう?!」

 

 そして、真っ赤な顔で独白している最中に扉越しに声をかけられ、飛び上がった。

 

「いいいいまいまの、聞いて?」

「“ああああある?”なら、聞こえたけれど……大丈夫?」

「全然大丈夫だよ! うん!」

「? そう、なら良いけれど……無理はしないでね?」

「もちろんさ! 心配してくれてありがとう、イル」

「どういたしまして、トウヤ」

 

 扉から離れて行く気配がすると、トウヤは思い切り息を吐きながらその場にへたれ込む。そしてばくばくと鳴る心臓と血が上って熱くなった額に手を当てると、どこか熱に浮かされたような表情で、ぽつりと呟いた。

 

「自覚、しちゃったかも」

 

 最早、自分の気持ちは疑いようがない。トウヤはそう小さく苦笑すると、決意を込めた目で立ち上がる。そして、随分昔に親友のチェレンに言われた言葉を、不意に、思いだした。

 

『おまえはどうして、決めたらそんなに割り切れるんだ』

 

 決断力がある。リーダーシップを取れる。そんな風に言われても、今よりももっと幼かったトウヤはよく理解出来なかった。

 けれどこうして自覚して、イルと共に在りたいと覚悟を決めて、漸く言われてきたことをほんの少しだけ理解する。理解して、また、苦笑する。

 

「そんな立派なモノじゃないよ、俺は。ただ――」

 

 ただ、どう繋げようと思ったのか、それはトウヤ自身にも解らない。けれどそれでも、トウヤの中でその答えは固まっていた。

 

 脱衣所を抜けて、待っていてくれたイルに笑いかける。

 もう、無様に照れたりなんかしない。トウヤはそう――数分で打ち砕かれそうな決意を胸に、イルの手を取った。

 

 

 

 

 

 ジムに向かう道中、イルが何を思ったのか手を所謂“恋人繋ぎ”にしてきたことに動揺させられる、数分前のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 フキヨセジムのジムリーダーは、残念ながら不在だった。

 待っていれば来るのかも知れないが、トウヤにはそんな余裕はなかった。一刻も早く、この悶々としてしまった気持ちを晴らしてしまいたいという一心で。

 そうしてフキヨセのジムリーダー、フウロがタワーオブヘブンに居ると知ったトウヤは、早速、イルを連れてフキヨセシティから北へ向かった。

 道中、前よりも強力になったポケモンたちをイルと一緒に退け、トウヤたちはさほど時間を掛けることもなく、目的の場所に到着する。

 

「ここが――」

「タワーオブヘブン、ね」

 

 どこからともなく鳴り響く音楽。そのオルゴールのような柔らかな音色に、トウヤは思わず立ち尽くす。

タワーオブヘブン。命つきたポケモンたちの眠る墓。命あるものは必ず辿り着く最後の場所は、どこまでも静かで寂しく、色のない優しさに満ちていた。

ふと、トウヤは不安を覚えて隣を見る。誰よりも深い瞳を持つ彼女は、この光景に何を思うのか、と。

 

「イル?」

 

名を呼んでみても、返事はない。

ただ彼女は、両目を閉じて手を合わせていた。

その仕草に、トウヤは慌てて追随する。今、トウヤたちがいるのは墓場。死んでいったポケモンたちを供養し、尊び、慈しむところだ。それなのにただこの光景に飲み込まれているだけでぼうっと立っていた自分が恥ずかしくなり、トウヤは手を合わせながらこの地に眠るポケモンたちに謝っていた。

 

(ごめんなさいっ!)

 

そうして目を開けると、イルはとうに祈りをやめて階段の上に続く道を見ていた。

 

「さ、行きましょう」

「う、うん……そうだね、行こう」

 

歩き出したイルについて、トウヤも動き出す。トウヤはそんなイルの背中がどこか物寂しげなような気がして、イルに共感するように心を痛めた。

 

 イルは、いつにも増して口数が少なかった。ポケモンの最後の供養のため、己のポケモンの墓の前でバトルを挑むトレーナーたちを退けながら、淡々と、イルは進んでいく。そんなイルの様子に、トウヤは今朝方見た夢を思いだして――直ぐに、頭を振った。

 

(イルも、大切なだれかを喪ったんだろうか)

 

 ――思えば、トウヤはイルのことをほとんど知らない。旅の中、両親がいないことや一人で暮らしてきたことは聞いていた。だが、それだけだ。何故旅をしていたのか。何故、一緒に居てくれるのか。

 微笑むことはあっても満面の笑みは見ない。ほとんど、表情を表に出さない小さな少女。彼女がどのようにしてこの地に来たのか、トウヤはなにも、知らなかった。

 

 考え事をしていたせいだろうか。

 ポケモンを助けにタワーオブヘブンを登ったというフウロに出逢い、話を聞いて鐘を鳴らしても、トウヤはどこか他人事のように相槌を打つことしかできなかった。

 

 鐘の音が、タワーオブヘブンに響く。

 フキヨセまで届くその慈愛の音色は、イルが鳴らしたせいか、どこか寂しさが宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 フキヨセジムに到着したトウヤは、その大胆なシステムに驚く。

 人間大砲で吹き飛ばされながら、ジムリーダーの下へ移動していく。ライモンのジェットコースターにも驚かされたが、これはそれ以上だ。

 

「私は後からで良いかな」

 

 イルが小声でそう呟くのを聞くと、トウヤは、それ以上イルがしゃべり出す前に動き出す。どうせ、イルのことだ。人間大砲が怖かろうがなんだろうが、いつもの無表情の下に隠してしまうに決まっている。

 イルに背を向けると、トウヤは真っ直ぐとポケモンジムエントリー用の受付に向かい、“二人で攻略”の許可を貰った。そして、それをイルに告げて、直ぐにでも攻略に乗り出す。

 

「私は、大丈夫よ?」

「心配、だから――来て」

 

 トウヤはイルに、勇気を振り絞って両手を広げる。動揺はある。気恥ずかしさもある。けれどそれ以上に、彼女を守りたいという気持ちが強くあった。

 トウヤはイルを強く抱き締めて、人間大砲に乗り込む。そして爆音が鳴り響く中、聞こえはしないだろうけれど、と、トウヤは小さく呟いた。

 

「俺はイルを守る。だから早くイルよりも強くなって、イルに信頼される男になる」

 

 着地して、バトルをこなし、次の大砲へ移動。

 

「だから、イル。ほんの少しだけ待っていて。直ぐに強くなるから」

 

 そうして移動する中、見下ろしてみると、イルはどこか嬉しそうに微笑んでいた。どうやら、聞かれていたようだ。トウヤは告白じみた己の台詞を反芻すると、ただ、気まずげに顔を逸らす。

 けれど、トウヤは逸らした先で、嬉しそうに笑う。守りたい。そんな願いをイルが微笑みで受け入れてくれたという事実に、ただ、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 本当に守れるかだなんて、わからない。

 けれどトウヤは諦めるつもりはなかった。イルが、未熟な自分を受け入れてくれたという事実が、トウヤの心を強くしていく。

 そうしてフウロの前に降り立ったトウヤの瞳は、これまでのどんな時よりも輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その夜。

 部屋を分けようと提案したトウヤは、イルに“微笑ましそうに”笑われて、思わず自分で「やっぱり同じ部屋にしよう」と言ってしまい、後悔することになる。

 そうして昨晩と同じように柔らかさと甘い匂いに葛藤しながら、トウヤは前途多難な道に頭を抱えてしまうのであった。

 

 

 

 




 この作品で不憫な人ベスト3

 3:N
 2:ゲーチス
 1:トウヤ

 果たして、トウヤの初恋は実るのか(棒)


 遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
 今回は、トウヤの受難のスタート的なお話をお送りしました。
 お楽しみいただけましたら、幸いです。

 それではまた次回、お会いしましょう!


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夏の月 強さを考えるまで

長らくお待たせしました。


 

 

 

 

 夏の月 五日

 

 

 

 

 

 流石に疲れも溜まっていたので、二日間ほど、フキヨセでのんびりと過ごした。

 

 

 

 そろそろ気温も上がり今までの服では暑くなってきたので、服装を変えることにした。ポケモンセンターのPCから自分の部屋のPCに接続し、道具預かりセンターを呼び出す。そこから、私が夏の就活を乗り切った際に使用したクールビズな一張羅を取り出した。

 足を見せる服はあまり好きではないので、黒のロングスカートはただ生地を薄くしただけのモノ。ワイシャツは半袖にして、生地も薄いモノに。あとは黒のブレザーを袖無しの黒いベストに替えれば完成だ。我ながら、地味な服装である。

 

 

 

 さて、それはともかく。

 

 

 

 飛行機に乗ってくる観光客を眺めたり、少年の宝探しに協力したりと中々に有意義な日々だったが、そろそろお別れだと思うと感慨深くもあった。

 最初にこの街に来てからたった三日であったが、心地よく過ごせたと思う。

 

 

 フキヨセを出た私たちは、ネジ山という山を抜けることとなった。今に始まったことではないが、子供に旅に出て良いと許可が下りる割りに、この地方の旅路は険しすぎる気がする。他の地方もこんなものだとしたら、死者が出ていないのが不思議なくらいだ。

 

 

 ネジ山に向かった私たちを迎えたのは、チェレンだった。

 なんでも彼は、互いにどれほど強くなったのか試しに来たらしいのだが、それが本当の理由ではないだろう。彼はあれで中々友達思いだ。きっと、トウヤのことが心配になって様子を見に来たのだろう。微笑ましい限りだ。

 

 トウヤとチェレンの勝負は、トウヤの勝利に終わった。ここ最近のトウヤは鍛錬によりいっそう精を出すようになり、めきめきと強くなっている。きっと、私なんかでは到底敵わないに違いない。いや、私は見てるだけで、戦ってるのはイシュタルだけど。

 

 

 

 さて、チェレンに勝ったは良いモノの、彼は一緒に旅をしてはくれないようだ。また、一人で修行をするのだという。だんだんストイックになってきた気がする。彼もまた、将来が楽しみな少年だ。強いってなんだ?と悩む姿は、どこか格好良くさえ見えて、ちょっとだけ心を許してくれるようになった彼と軽く話をする余裕さえあった。頑張れ、少年。

 

 

 

 チェレンと別れてさぁネジ山攻略だと乗り出すが、私たちはまた、呼び止められることになった。この渋い声は間違えることはない。アデクさんだ。

 

 アデクさんはトウヤを見て私を見て、またトウヤを見て「道は険しいぞ」と言っていた。トウヤはそれに「わかってる。それでも決めた」とだけ答え、アデクさんを納得させていた。男同士にだけわかるアイコンタクトというやつだろうか。大方、内容はこれから攻略するネジ山の道が険しいと言うことなのだろうが、こういう風に以心伝心ができるのは羨ましい。私にもそんな相手が欲しいものだ。

 海外留学中だって、友達なんかほとんどできなかったし。元気かな、アカギ。留学後から一度も連絡無いけど。まぁ、数少ない友達なのだし、今度メールの一本でも送っておこう。

 

 

 

 肝心のネジ山だが、事前準備に時間が掛かったわりに、道は険しくはなかった。道中ヤーコンさんに出会ったが、とくに仕事を任されるでもなく、「子供は旅を楽しめ」と豪快に笑って送り出してくれた。

 その言葉は、私も同感だ。トウヤには旅を楽しみながら、沢山のモノを学んで欲しい。私はヤーコンさんやアデクさんと違ってトウヤの側にいるのだから、少しでもその手助けが出来れば、幸いだ。

 

 

 

 ネジ山から出て行くとき、また、チェレンとプラズマ団を見かけた。

 とくに争っている様子ではないので、また“査察官”として動かなければいけない訳ではないようで、少し安心する。この調子で真っ当な社員ばかりになってくれれば、言うことはないのだが。

 まぁ、私を見て逃げ出されたのはショックだったが。何故だろう、本当に。

 

 

 

 なんにせよ、私たちは無事、ネジ山を抜けた。

 その頃には既に日も暮れ、セッカシティを観光することもなく宿に入り、今、日記を書いている。明日も良い日になれるように、頑張ろう。

 

 

 

 

 

 追記。

 トウヤに、「今度こそ別々のベッドで寝よう」と提案された。けれど、こうしてトウヤも大人になっていくのかと寂しいような楽しみなような気持ちで感慨に耽っていると、トウヤはたっぷり三十秒も間を置いて、「やっぱり、一緒に寝よう」と言ってきた。

 トウヤが何故良心にダメージを受けたかのような顔をしているかわからないが、私としてはどちらでも構わないので、一緒に寝てあげよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 陽光の誓いと一つの決意

 

 

 

 

 

 ピピッと、ライブキャスターから通信が入る。ポケモンと一緒に、元気にしているか? ポケモンを大事にしなければ、旅は続けられない。そんな風にアドバイスをしたあと、トウヤの母はにかっと笑った。

 

『旅は険しく道は長い。楽しいことが半分あれば、辛いことも半分ある。それでも、挫けずに頑張れば成功する。でもね、だからといって、大切なモノを見逃しちゃダメ。ポケモンと、友達。周りに居る人達のことも、ちゃんと考えなさい。――以上、先輩トレーナーのママからのアドバイスよ!』

 

 少しだけ照れたように通信を終える母の姿に、トウヤは恥ずかしそうに頬を掻く。それから、ぐっと背伸びをして、太陽に手をかざしながら空を仰いだ。

 ポケモンセンターに寄って買い物をしているイルを待つこと、十五分程度。彼は今、七番道路に立って、イルとともにネジ山を目指していた。

 

「おまたせ」

「イル……買い物は、もう大丈夫?」

「ええ、大丈夫。これから行くのは山だから、軽い準備」

「そっか……って、あ」

 

 振り返り、“おいしいみず”片手に告げるイルを見て、トウヤはぴしりと固まった。ポケモンセンターにあるパソコンからは、自身の家にあるパソコンの転送スペースに保存された道具を取り出すことが出来る。イルはその機能で、“服”を転送し引き出して、着替えてきたのだろう。

 ロングスカートは黒。シャツは半袖になっていて、白磁の肌が見えている。ブレザーは黒のベストになっていて、ネクタイもよく見れば真紅から緋色になっていた。どんな服を着ていても、可愛らしい。そんな感想をぐっと呑み込むと、たっぷり間を開けてイルを見た。ここ最近、トウヤの理性は“てっぺき”なのだ。

 

「よく、似合ってるよ」

「そう? ありがとう」

 

 肌を出すのは、あまり好きではないのだけれど。そんな風に呟くイルの曝された両腕を見て、トウヤは今度こそ視線を逸らすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ネジ山に向かったトウヤたちを待ち受けていたのは、同じくフウロを退けジェットバッジを手に入れたチェレンだった。チェレンはイルを一瞥すると「フンッ」と鼻を鳴らして、トウヤを見る。

 

「同じくジェットバッジを持つ者同士、どちらが強いか勝負だ! トウヤ!」

「ははっ……うん、いいよ、やろう! チェレン!」

 

 チェレンは真っ直ぐだ。

 行動は度々捻くれていたりするけれど、彼自身の性根や心意気はとても真っ直ぐで、トウヤはそんな彼の想いに応えるのが、心地よかった。

 ジャノビーとフタチマル。相性で言えば、トウヤの方が悪い。けれどイルと並んで培った経験が彼を後押しして、僅差ではあるが、トウヤはチェレンを退けた。

 けれど、チェレンの瞳から強い意思は消えていない。チェレンは鳥が雲間を抜けようと足掻くように、なにかを求めて必死な表情を浮かべると、ポケモンたちをまたたく間に回復させた。

 

「まだいけるか? ジャノビー」

『キュウッ!』

 

 チェレンは、ジャノビーを従えて、今度はイルに向き直る。

 

「今度は君の番だ! 来い! イル!」

「……ええ」

 

 少し前までは、話しかけられるのも拒んでいたように見えたのに、今はこうして自分から挑んでいる。そのことに、トウヤは少なからず驚きを覚えた。チェレンが――イルのことを、理解しようとしてくれているのだ。

 

「行け! ジャノビー!」

「イシュタル」

 

 対照的な二人。けれど、イルの鮮やかな翡翠の瞳は、真摯にチェレンを映しているように見える。トウヤは想い人と親友が手を取り合う姿を想像して、嬉しくも、寂しくも思うのであった。

 

 

 

 

 

 チェレンの猛攻を、イルは易々と潜り抜けた。その余裕さえみえる動きに、トウヤもまた、向上心を刺激されてしまう。

 彼女のようになりたい。それは、トウヤが描く理想の一つだ。

 

「負けないことが強さなのか? 勝つことが強さなのか? ポケモン勝負は楽しい。だけど、だけど……強いって、なんだよ――?」

 

 迷子のような、表情だった。

 トウヤは、そんなチェレンにかける言葉がわからない。トウヤにとって“強い”ということは、イルを――大切な人を守れる、ということだ。外敵や脅威だけでなく、心の傷や自分自身から、彼女を守ることが強さだと思っている。そして同時に、イルの強さが揺るがないこと、真摯であるということだとも、わかっている。

 だがそれはトウヤの答えで、イルの答えだ。それを告げたことで、チェレンの答えになるわけではない。それがわかっているからこそ、トウヤはどうしていいかわからなかった。

 そんなトウヤに、チェレンに手を差し伸べるのは、イルだった。また、彼女に助けられている。そう気が付いても、トウヤは動くことが出来ず、ただ見守る。

 

「君は強い」

「負けたのに?」

「ええ。勝ち負けじゃない。善悪でもない。強さとは、曲げないこと。曲げない想いが、あなたにもある。違う?」

「曲げない、こと? わからない」

「わからないなら、それで良い。探せば、想いは深くなる。探れば、心は強くなる。探しなさい、チェレン」

 

 蒼天の霹靂。そう、言うべきか。トウヤは、イルの言葉に衝撃を受ける。この幼い姿で、どれほどの経験を積んできたのだろう。確かに、トウヤもイルも想いを曲げていない。曲げていない想いそのものが、強さになっている。

 

「探す――わかっ、た。僕にどこまで出来るか解らない、けれど……君の言葉を、信じてみるよ」

 

 どこか晴れたような顔持ちになったチェレンが、顔を朱に染めてそっぽを向く。そしてそのままくるりと踵を返すと、背を向けたまま呟いた。

 

「借りにしとく。答えは探しておくよ――イル」

 

 走り去っていくチェレンの背中を見て、それから、トウヤはイルを見る。するとどうしてだか可笑しくなり、二人で少しだけ、笑い合った。

 

 

 

 

 

「――良い勝負。それに、良い言葉だった」

 

 そんな二人に、笑顔で近づいてくる姿があった。赤い髪に僧侶のような出で立ち。豪快に笑いながら、アデクが近づいてくる。

 

「強さとは、強くなってなにを得たいのか。そう考えたときに自ずと答えは見えてくる。導くのは大人の役目だと思っていたが、どうやら先を越されてしまったようだな」

 

 そう、豪快に笑うアデク。本当は彼がチェレンの導き手になろうと考えていたのだろう。だが、それを軽々と越えてしまったトウヤとイルに、笑うしかなかった様子だった。

 アデクはそうしてひとしきり笑うと、ふと、トウヤを見た。

 

「?」

 

 それから、イルを見て、また、トウヤを見る。それだけでなにを意図しているのか気が付いたトウヤは、頬をほんのりと朱に染めながらも、真っ直ぐとアデクに視線を返す。

 

「道は険しいぞ、少年」

「わかってます。でも、決めました!」

「そうか……揺るぐなとは言わない。迷うなとは言えない。だが、折れるなよ? 少年」

「はい!」

 

 アデクの言葉に、トウヤは心の底から返事をする。折れるつもりは――諦めるつもりはない。そう、その幼さの残る瞳が雄弁に語っていた。

 

「カカッ! そうか! なら、これをやる! これで更に高みを目指せ、少年よ!」

「おっと……これは?」

「それは“なみのり”だ! 海山越えてさらなる地へ踏み込むが良い、夢を追いし少年よ!!」

「っ、はい!」

「では、わしは彼を追いかけて、これをあげてこなければならんのでな。では、さらばだ!!」

 

 まるで、嵐のようだった。

 トウヤは、そんな感想を抱きながら、鞄の中に秘伝マシンをしまい込む。なんだか妙に時間が掛かってしまったが、まだまだこれから。山に踏み込んですらいないのに、少しだけ疲れてしまった。トウヤはそんな風に考えながらも、イルの手を引いてネジ山へと足を踏み込むのであった。

 

 

 

 

 

 早く大人になりたい。

 早く強くなりたい。

 そんな想いが、ないとは言えない。けれどトウヤは、同時に、今こうして彼女と、イルと手を繋いで過ごす日々を少しでも長く覚えていきたいと、そうも考えていた。

 ひとまず、彼女に自分を“男”として見て貰う。そのために、そろそろ別々のベッドで寝よう。それから、もっと頼られる男になろう。トウヤは朱くなっていく頬をイルに感づかれないように、力強く、歩き出すのであった。

 

 

 

 

 

 ――もっとも。

 別々のベッドで寝ようという提案は、イルの“寂しさを堪えながらも無理矢理笑顔を作ってトウヤを気遣う”姿に、粉々に打ち砕かれるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――逃げる。

 彼は、プラズマ団員としては古参で、けれどまだ年若く主だったる立場に立つことは出来ずとも重要な任務に参加させて貰える程度には信用されている。そんなポジションを長く続けていた。

 けれど、その立場に甘んじていたのが悪かったのか。血気盛んな少年に打ち負け、あげく、プラズマ団の査察官にして“裁定者”たる少女に、見つかってしまう。

 同僚の制止を振り切って、命を脅かされるという最大級の恐怖から逃げ、けれど立ち止まって。大きな木にもたれかかった。

 

「逃げなければ――死んでいた」

 

 “無垢なる咎人”その名を知らぬ彼ではない。彼女は誰よりも平等なのだ。大人も子供も男も女も、蝶も花も虫さえも、全て同じ基準で手折る。その有り様は、いっそ機械的と言っても良いかもしれない。その強さは、その姿勢は、長く見つめていると引き込まれそうになる。そうやって、真の主とは、真にこの世界を手中に収めるべきはゲーチスではなく彼女なのではないか。そんな風に心酔した同僚を見るのは、一度や二度ではない。

 

「ここで、終わるのか――? ……っ」

 

 頭を抱えた瞬間。本部より、メッセージが送られてくる。そこに書かれた言葉を見て、彼は凍り付いた。

 

『他に認められずとも、私が認めよう。この組織に於いて、貴殿は必要な存在である』

 

 ナナシ・イル。文末に書かれた言葉。誰も――若いというだけで、誰も認めてくれなかった彼を救う、囁き。

 

「は、はは、ははははははっ!」

 

 そうして、彼は立ち上がる。

 その瞳には、先程までの怯えはない。立場に甘んじる必要は、もうなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 加速する。

 辿るはずだった道程に、存在しないはずの亀裂が産まれると、それは徐々に、徐々に、広がっていくのであった――。

 

 

 

 




 本人不干渉どころか知りもしない下克上フラグなう。




 ということで、ながらくお待たせしました。
 次回、やっと、イルに手持ちが増えます。たぶん。

ちなみに、最後のメッセージの意味は、「真面目に頑張っているのは見てるよ。査察官なんかに怯えなくても大丈夫だから、頑張って!」というのを、査察官という立場に親しみをもたれないように固めの口調で言った……程度だと本人は考えています。
なのでこのメッセージ、普通にゲーチス経由で彼に届いていますw


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夏の月 仲間が増えるまで

 

 夏の月 八日

 

 

 

 前の日記から三日も空いてしまった訳だが、これには当然、訳がある。

 決してサボっていた訳ではないのだ。

 

 

 

 訳というのは、ネジ山を抜けた後の道筋にある。といっても、別に世界が崩壊しただとか悪の組織が大暴れしただとかそんな話ではない。

 

 ネジ山を抜けて宿を取った私たちは、ジムに寄る前に一度、アデクさんに貰った秘伝マシン「なみのり」を試してみることにした。そこで、トウヤの実家の直ぐ側にあるという水道を使ってみることにしたのだ。そのために、幾つか宿を経由しながら、私たちはカノコタウンにやってきた。

 

 カノコタウンでは、トウヤに「自分は母親に挨拶をしに行くけれどどうする?」と聞かれたので、私も同行したいと告げたら、トウヤは恥ずかしそうに顔を背けた。やっぱり、保護者同士の話を聞くことになるかも知れないと思うと、恥ずかしいのだろう。思春期、というやつだ。将来、思い出したくもない黒歴史にならなければいいけれど。

 

 

 

ちなみに、私の黒歴史は、私の数少ない友達であるアカギの知人の女性に初対面で跪かれたことだ。なんだ『私に命令できるのは、一人だけ――そう思っていたけれど』って。……うん、忘れよう。

 

 

 

 それはともかく。保護者として彼の母親には挨拶をしに行くべきだろう。そう思ってトウヤについていくと、温かく出迎えられ、その日の宿まで貸して貰えることになった。やはり子供を一人旅させるというのも、心配だったのだろう。私もトウヤの純粋さには癒やされているから、お互い様だ。そう言ったら、何故かひどく驚かれたが、彼は母親に不真面目だとでも思われているのだろうか。

 

 

 荷物をトウヤの部屋(同室。まぁ、一軒家だし、空き部屋は倉庫とかに使ってしまっているのだろう)で整理すると、私たちは早速水道に出ることにした。出迎え、トウヤのお母さんに「朝までには帰ってきなさいよ」とからかわれて真っ赤になって慌てるトウヤが可愛かったので、ついつい便乗してしまったことは反省した方が良いだろう。トウヤ、しばらく石になって動けなくなってしまったようだから。

 

 

 

 

 さて、肝心の水道だが、なみのりを使って初の移動は中々面白かった。こう、水上スキーみたいな感じだ。

 トウヤの背に捕まりながら移動し進んでいったのだが、誤算もあった。イシュタルが弱ってしまったことだ。イシュタルはけっこうたくましく、水飛沫程度ではどうにもならない。

けれど水上で。水タイプのポケモンとの連戦は厳しかったらしく、途中からは私たちは戦闘に参加せず、イシュタルを胸に抱いて移動することになってしまった。

ちなみに、その態勢だとトウヤの背に掴まれないので、移動して、トウヤの前に抱えて貰うような形にして貰った。重かろうに、迷惑を掛けてしまったと思う。ごめんね、トウヤ。

 

 

 

 そうして、問題もあったけれど、なんとか途中で一休みすることも出来た。そこで私は、新しい出逢いを得ることが出来た。

 

 と、いえば格好良いけれど、ただたんに二匹目のポケモンをゲットしたというだけの話だ。道中にあったプレハブ小屋に入って休んでいたら、地下室を発見。トウヤと別々に探検をしていたら、偶然、実験室のような場所を見つけたのだ。

そこで、試験管のようなものに入った私よりも背の高いポケモンが居たのだ。というか、最初は生きているとは思わず色々弄ってしまい、機械が暴走。中のポケモンが紫色から“黒色”に変化してしまい、焦っていたらポケモンが覚醒。イシュタルとなにやら目を合わせてじっとしていたかと思うと、何故だか私に着いてきてくれるようになったのだ。

いや、何故だ。まぁいいけれど。

 

 

 私はゲノセクトになみのりを覚えさせ、トウヤと一緒に寄り道せずに帰宅した。道中、トウヤがゲノセクトをちらちらと見て居たのは、ゲノセクトが所謂“メカっぽい”外見をしているからだろう。微笑ましい限りだ。今度、ゲノセクトの背中に乗せてあげよう。

 

 ところで、ゲノセクト、名前はどうしよう?

 今度こそ噛まずに名前を付けてあげなければ、と思う半面、名前そのものをなにも思い浮かばなかったりもする。伝説のポケモンにちなんで、ミュウツーとか……だめかな。

 なるべく早く、考えてあげなければ。

 

 

 

 

 

 追記。

 夜、トウヤに「どこにも行かないで」と久々に抱きつかれた。我が家に帰ってきたことで、封じていた寂しさや切なさが溢れ出してきてしまったのだろう。私もトウヤくらいの年の頃は、寂しい想いをしてきたような気がしないでも無いような気がするかも知れないし。たぶん。きっと。うん。

 彼だってまだ十代半ばだ。これからも旅を続けなければならないと思うと、色々と思うところもあるのだろう。これからは定期的に、こうして、抱き締めて頭を撫でてあげようと、彼の頭を胸に抱きかかえながら心に決めた。

 

 

 

 

 

 追記二。

 朝、起きたらトウヤに土下座をされた。えっ、なんで?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 真夏の陽炎

 

 

 

 陽光が鮮やかな光を放ち、周囲一帯を照らす。ここは、今までいた深く螺旋した山ではない。素朴な空気の流れる穏やかな街――カノコタウンだ。トウヤは彼女の希望もあって、イルとともに帰郷することになったのだ。

 

「穏やかな村だね。とても、優しい」

「イル……ありがとう。俺も、この街が好きだなって思う」

 

 イルが故郷を褒めてくれたことがうれしくて、トウヤは頬を綻ばせる。

 

「さて、と。俺は母さんに挨拶してくるけど、イルはどうする?」

「私も、トウヤのお母様に挨拶してもいい?」

「うん、もちろん、大歓、迎、だ……よ?」

 

 言いながら、気が付く。

 親に挨拶という状況が如何なるものか、想像できないトウヤではない。むしろこのごろ、とくに“こういったこと”に敏感になっているのだ。気にならないはずがなかった。トウヤはびくりと肩を震わせて、ついで顔を真っ赤にする。イルはまだ幼いためか、いまいち色恋沙汰に鈍感だ。だからトウヤが考えているような意図はないのだろう。

 ないのだろうが、照れる。

 

「トウヤ?」

「な、なんでもないよ? うん」

 

 トウヤは赤い顔を誤魔化すように笑いながら、差し出されたイルの手を取る。最近はこの程度のことでは意識しないと決めていたのに、イルの柔らかい掌にどうしても意識が傾いてしまった。

 いずれ、この幼い少女の抱えている闇も、取り除いてあげたいとトウヤは願っている。なら第一歩としていい加減慣れなければならないと、トウヤはイルの手を引きながら悶々と考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 見慣れた、けれど懐かしい家の扉を叩く。すると、ぱたぱたと足音が聞こえてきて、扉が開いた。

 

「はーい……って、あら? トウヤじゃない! お帰りなさい」

「うん、ただいま。母さん」

「まったく、帰るなら帰るって一言連絡しなさいよ。ほら、そんなところで立ってないで――」

「あ……と、母さん、その前に」

 

 トウヤの母が出迎えてくれたのだが、どうやらトウヤの背にいたイルの姿が見えなかったようだ。トウヤが母を呼び止めると、それに合わせてイルがトウヤの背から出てきた。

 

「初めまして。トウヤ君と一緒に旅をしている、ナナシ・イルと申します」

「あら? あらあらあら?」

「日頃からトウヤ君には、私の無精も助けられているので、是非挨拶にと参りました」

「イルちゃんね、よろしく。ところでちょっとだけ待ってくれる?」

「? はい」

 

 がしっとトウヤを掴んで、母は己の陰に彼を引っ張り上げた。

 そして、慌てるトウヤに小声で話しかける。

 

「ちょっと見ない間に綺麗な子捕まえちゃってもう、どうしたのよ、あの子?」

「どうしたもなにも、街を出て直ぐのところで出会って、それからずっと一緒に旅をしているんだ」

「はぁっー。奥手なあんたがねぇ? ……手、出してないでしょうね?」

「だだだだっ、出すわけないだろ!?」

「照れちゃって、もう。まぁいいわ、ママが協力してあげる」

「へ?」

 

 トウヤの母はそういうと、くるりと振り返ってイルを見る。首をかしげるイルは人形のようで本当に可愛らしいと、トウヤは母の背からイルをぼおっと眺めていた。

 

「うちのトウヤをありがとう。今日からここは、我が家だと思っていいからね? イルちゃん」

「いえ、そんな。彼の純真さには、いつも助けられています」

「! まったく奥手なんだから、こんなところでパパに似なくてもいいのに」

「はい?」

「なんでもないわ。あっ、それと、私のことは気軽に“お義母さん”って呼んでね?」

 

 ぶっ、と思わず吹き出すトウヤを、母は肘で黙らせる。いつだって、母は強いのだ。

 

「は、はい。ええと、お母様?」

「お義母様! いいわね、そんな感じよ、イルちゃん!」

 

 母のパワーに圧されたのだろう。イルはあっさりと頷くと、踵を返して家の中に案内するトウヤの母にふらふらとついていく。トウヤは、そんなイルの後をただついていくことしかできなくて、顔を真っ赤にしながら追いかけるのであった。

 

「まるで、新婚みたい……じゃなくて!! ああもう、だめかも」

 

 色々と余裕がなくなり、そう悶々としながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 その日は、天国と地獄とその他の何かが同居したようだった。

 何故か母はイルに花嫁修業をつけると言い出して、初めてイルの手料理を食べることになったのだ。手伝うことしかできなかった。あんなに手際がいいなんて、将来は安泰だ。そんな風にいちいち煽る母の言葉に、トウヤはついつい反応して顔を赤くしてしまう。

 ちなみに、夕飯はチンジャオロースだった。

 

「男の子なら、精のつく物のほうがいいかなと、思ったから。味はどう?」

「すごくおいしいよ! イル!」

「ふふ、ありがとう。まぁでもまだ、お母様にはかなわないけれどね」

「ぐふっ、げほっ、げほっ」

「ああ、大丈夫? 急いで食べるから。ほら、お水」

 

 このように。

 母の計らいによって、まるで新婚夫婦のようなやり取りになるように誘導されているのだ。照れや気恥ずかしさで、トウヤは気を休める暇はなかった。

 結局部屋も一緒にされて、いつもとは違った空気のままいつものように一緒に寝る。当然、無防備な表情であどけなく眠るイルを意識せずにはいられなくて、トウヤは満足に眠ることもできなかった。

 

 

 

 

 

 そうして結局、トウヤが気分転換をすることができたのは、朝日が昇ってからになってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 カノコタウンから下ると、水道が続いている。

 トウヤは【なみのり】を覚えさせたダイケンキの背に二人乗りをすると、背中から伝わるイルのぬくもりを極力気にしないように波間を進み始めた。

 

「戦闘は私が。トウヤはそのまま、進んで」

「わかった!」

 

 並み居るトレーナーや野生ポケモンを、イルのメラルバが蹴散らしていく。圧倒的に不利な炎属性でここまでできるのは、ひとえにイルの実力だろうとトウヤは思う。

けれどやはり、相性は最悪だ。すぐに限界が来てしまった。

 

「ちょっと、辛いかな」

「なら、戦闘交代するよ。イルはイシュタルを抱えていて」

「ありがとう。……ついでに、申し訳ないのだけれど」

「なに? なんでもいって」

 

 イルの願いなら叶えたい。

 トウヤは純粋な気持ちでそう告げて――ついで、ぴしりと硬直した。

 

(どうしてこうなった……?)

 

 イシュタルを抱えたままでは、トウヤの背につかまれない。そこでイルは、トウヤの前に回り込んだ。すなわち――トウヤが、イルを抱きしめるような形だ。

 

「(柔らかいし、いい匂い……って、俺は何を考えているんだ?!)……ご、ごめんイル。うち、騒がしかったよね?」

 

 よこしまな考えから振り切るように、トウヤは慌てて話題を振る。するとイルは、疑問に思うことなくトウヤに続いてくれた。

 

「そんなことないよ。とても、いいご家族だね」

「あはは、うん、ありがとう」

「あんなに温かいご家族に育てられたから、トウヤは温かいんだね」

 

 言われて、ふと気が付く。

 いつだったか、イルに両親がいないということは聞いていた。だがそれ以外に、イルのことをほとんど知らない。

 

「イルの故郷は、どんなところだったの?」

「なんでも揃うけれど、なにもないところ。街は黒く閉ざされていて、みんな、人と会話をすることよりも端末ばかりに目を落としていた、かな」

「あんまり、好きじゃない?」

「ええ、そうね。あまり好きではない」

「そっか」

 

 故郷を好きになれないのは、辛いことではないのだろうか。なぜなら、帰る場所がないのだから。

 なら、ならば、とトウヤは思う。

 

「なら、カノコタウンを第二の故郷だって思ってほしい。母さんも言ったけど、いつでもこの街に“帰ってきて”いいから、さ」

 

 頬を掻きながらそういうと、イルの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。トウヤはその小さな笑顔に、頬を綻ばせる。

 

「……ありがとう、トウヤ」

「うん。どういたしまして、イル」

 

 それから、どちらからともなく口を閉ざす。

 けれど二人の間に気まずさのようなものはなく、ただ、温かい空気だけが流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 小島に降り立った二人は、プレハブ小屋を見つけて足を踏み入れた。こういった場所には、珍しいアイテムやポケモンが見られることがあるからだ。

 だんだんと気恥ずかしくなってきたトウヤは、少しだけ落ち着きたくて、手分けして探検することを提案した。

 

「俺は上層を調べるから、イルは地下をお願いしてもいい?」

「わかった。何かあったら、呼ぶ」

 

 イルと別れたトウヤは、そのまま壁に背を預けてずるずると座り込む。

 

「なんでも揃うけれど、何もないところ、か」

 

 イルはいったい、どのような環境で育ったのだろうか。

 温かい家族に囲まれて、気の合う幼馴染と遊び、学び、穏やかに生きてきた。だから、イルの境遇を想像することしかできない。

 

「孤独、だったのかな」

 

 一人で生きてきた。

 トウヤはイルの人生をほんの少しだけ垣間見て、胸に痛みを覚える。一人で生きるなんて、きっと自分では耐えられない。ましてや、イルはまだ幼い少女だ。どれほど過酷に生きてきたのだろうか。

 

「俺は」

 

 どうすればいい?

 そんな問いが、虚空に消える。イルのために何ができるのか。重くのしかかる問題を、ため込んだ息と一緒に吐き出した。

 なんにしても、今考えていても仕方がない。トウヤは部屋を確認してとくに発見がないことを悟ると、イルのいる地下に足を向けた。

 

 

 ――……。

 

 

 そうして歩いていると、ふと、音が聞こえた。

 トウヤはその音の正体に惹かれるままに足を向け、やがて、光の洩れる部屋の前で足を止める。

 

「……なんだろう?」

 

 少しだけ開けられた扉の外から、部屋の中をのぞき込む。

 そして――目に飛び込んだ光景に、硬直した。

 

 機械の前、キーボードを叩くイル。

 大きな機械、巨大なカプセルと液体。

 その大きな水槽に浮かぶ、紫色のポケモン。

 

「あ、れは?」

 

 イルが軽やかにキーボードをタッチすると、やがて、カプセルの中に紫電が奔る。そして――ポケモンが、“紫”から“漆黒”へと変質した。

 

「え?」

 

 まるで、悪魔を生み出す邪教徒のように。

 まるで、皇子の誕生を祝福する神官のように。

 まるで、ただただ在るものを迎えほほ笑む聖母のように。

 

 イルは、ポケモンを解放した。

 

 イルに見つからないうちに、トウヤは地上に戻る。それから、ただ茫然とつぶやいた。

 

「イル、君は……何者なんだ?」

 

 トウヤの問いに、答える者はいない。

 ただ重く吐いた息が、虚空に溶けていった。

 

 

 

 

 

 ――結局、夜になっても暗澹とした思いをぬぐう事は出来なかった。

 いつものように一緒のベッドにもぐりこみ、トウヤはあどけない表情で己を見るイルに思いをはせる。

 

「イル」

「トウヤ?」

 

 自分の名を呼ぶイルの声は、いつも優しい。

 それが本心からくる言葉であると断ずることができる程度には、トウヤはイルを信頼している。なら、なににこんなにも、トウヤは怯えているのか。

 

 結局、答えは一つしかなかった。

 

「どこにも、いかないでくれ……イル」

 

 言って、イルを抱きしめる。するとイルはトウヤの手からすぐに逃れてしまった。

 拒絶された。そんな風に感じて思わず泣きそうになる。けれどイルはそんなトウヤの様子を知ってか知らずか、トウヤの頭を己の胸に掻き抱いた。

 

「大丈夫、どこにもいかないよ」

「イ、 ル?」

「聞こえる? 心臓の音。一緒に生きている証」

「うん、聞こえる……聞こえるよ、イル」

 

 イルは優しい。

 けれど、イルの優しさに甘えているだけでは、きっと、だめだ。

 ならば、とトウヤは誓う。この優しさに甘えない男になろうと、ただただ、己に誓うのであった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 トウヤはイルの胸の谷間に顔を埋めて眠ってしまったことに気が付き飛び起きて土下座するのだが……結局、イルの優しさに甘えて許してもらってしまい、項垂れることになるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 “それ”は、深い闇の中にいた。

 幾度となく目覚めさせられ、己の姿を変質させられ、それでも己を許容するものを求めていた。

 その深い記憶の中、“それ”は夢を見る。何度目かの実験の折、目覚めた先に居た赤い、真紅の髪。

 

『ふむ。ポケモンの実験、か』

『おまえ、おれの言葉がわかるか?』

『聞こえてはいる、か』

『なら、いい。おれは、本来はただの“掃除係”なんだが、なんの因果かここに配属された』

『まぁ、しばらくは一緒にいる仲だ。楽しくやろう』

『ひともポケモンも関係ない。さぁ、孤独に抗おう』

『そのための手段は、くれてやる。くっ、はははははっ』

 

 人間のオスはそういうと、なにやら楽しそうに機械を操作しはじめた。そして、幾度か目に、“それ”の体に紫電が奔る。

 

『あ、あれ? ま、まぁいいか!』

『次におまえにあうものが、きっとおまえを救うだろう。その時までに、おれのことはわすれておけ』

『おれの名前はナナシ・アル。――まぁ、覚える必要のない名前だよ』

 

 そうして“それ”――“ゲノセクト”は再び闇に落ちる。

 再びめぐり合う存在に、救いを期待しながら、眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――




あけましておめでとうございます。

今回は、いろいろと伏線というなにかな回でした。
というわけで、新ポケモンです。予想のついた方がほとんどでしたでしょうけれど、魔改造ゲノセクトだと予想された方はいないと信じてますw

それでは、また次回にお会いしましょう!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


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夏の月 何かの足音が響くまで

 

 

 夏の月 十三日

 

 

 

 さて、また日が空いてしまったが、やはりこれにも訳がある。

 

 ここ五日間、トウヤの悩みを解決するために、カノコタウンに滞在していたのだ。

 トウヤのお母さんに並んで食事を作ったり、彼の思い出の場所を案内して貰ったり、忙しなくも充実した日々だった。日記を書く時間が取れなくても仕方がないと、そう思う。

 

うん。言い訳だ。

 

 なんにせよ、そうやって過ごす内にトウヤは吹っ切れた顔をするようになった。やはり彼はそうやって真っ直ぐと前を向いている方が似合っていると思う。そう言ったら照れられた。こういうところは、まだまだ子供みたいだ。

 

 

 

 それはともかく。

 

 アララギ博士不在のため結局挨拶を交わすことが出来なかったのは残念だが、その他のやりたいことはだいたい済ませて、私たちはカノコタウンを出発した。もちろん、“そらをとぶ”を使ったのでセッカシティまでまたたく間に到着することが出来た。

 

 セッカシティに到着して直ぐ、私たちはアララギ博士のお父さん、と名乗る男性に出逢った。彼はトウヤを見て陽気な笑みを浮かべると、片手をあげて近づいてきて握手を求めた。フレンドリーな人物のようだ。

ならば、と、私も挨拶をすると、わざわざ腰をかがめて目線を合わせてくれたのだが、自分の背の低さを再確認することになってしまい少しだけ目を伏せた。仕方がないと思う。

 

 

 

 アララギさんは、きっと彼の街では先生のような立場だったのだろう。問題を出す教師のような口ぶりで、リュウラセンの塔について聞いてきた。

 

だが、私も一応大人だ。

トウヤが一生懸命答えを出してから自分の知識を伝えてあげようと、トウヤを待った。けれどどうやらわからなかったようで、恥ずかしそうに、けれど言い訳せずにわからないと告げていた。

 

今の子供は“それ”が中々できないから、彼は十分すごいと思う。

 

 さて、それではお姉さんの面目を保たせてもらおうとアララギさんに答えを告げる。

……といっても、大学時代に習った内容に数少ない友人であるアカギと一緒に考察したことをねじ込んだだけの、論文試験だったらせいぜいA評価いくかいかないかぐらいの内容だったのだが、アララギさんは過剰なほど驚いて捕捉までしてくれた。

女性や子供にやさしい人なのだろう。紳士だ。

 

 

 

 アララギさんからも捕捉で説明をもらってから、私たちはセッカシティのジムに挑むことになった。つるつると滑る床をトウヤとともに移動して、難なくジムリーダーの元へとたどり着く。ハチク、と名乗った彼は、普段は俳優をしている。私も何度かテレビで見たことがあったのだが、トウヤは知らなかったようだ。

 

 ハチクは、氷属性のエキスパートだったのだが、イシュタルとゲノセクト――名前はまだ決めてない――で難なく撃破。ゲノセクトは背中のカートリッジを入れ替えると属性を変化させて攻撃できるようだ。本来はトレーナーがやらなければならないのだろうが、自分でやってくれるので非常に助かっている。

 

 

 

 二人で撃破してジムを出ると、チェレンとベルに出会った。彼らもセッカジムを挑戦しに来たらしい。久々だったので、こうして出会えたのは嬉しい。

一言二言会話をしていると、ハチクさんも出てきた。が、ハチクさんは突然虚空に向かって「居るのは分かっているぞ」などと言い出したので一瞬電波な人かと思っていたら、何故か忍者が出現した。電気石の洞窟で色々言ってしまった忍者だ。とりあえず軽く会釈して曖昧にほほ笑んでみると、何故か肩をびくりと震わせて顔を逸らされた。ちょっと傷つく。

 

 忍者たちはトウヤと一言二言言葉を交わすと、消えるようにいなくなった。話を要約すると、どうも友達を呼び出すのにも遠回しな言い方しかわからないN君が、忍者たちに頼んでリュウラセンの塔にトウヤを呼び出した、ということらしい。わざわざ父親であるゲーチス社長を経由して忍者に頼んでしまうあたり、初々しい。

 寒い中待ちぼうけさせてしまうのも申し訳ないが、こちらもジムを終えたばかりで疲労がたまっている。今日はもう遅いから明日にしよう、今日はひとまず帰って休もうと提案したら、忍者たちも納得したのか、引いてくれた。

 

子供は風の子、とはいえ天気もよくないことだし、進んで嵐に飛び込ませる必要もないだろう。

 

 

 

 なんにせよ、微笑ましい気持ちのまま、今日はセッカシティで体を休めることにした。最近はトウヤも一緒のベッドで寝ることに躊躇いがなくなってきたようだ。お姉さんには素直に甘えるべきだと思っているので、温かく見守ってあげよう。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 久々に社長から連絡があった。夜に抜け出して宿の外で話さなければいけなかったので蒸し暑かったが、定時報告以外の連絡などいつ振りかわからない程なので渋々電話をする。

 また遠回しなことを言ってきたので自分なりに噛み砕くと、どうやら本社を移動するから私も本社に出向になるかも、ということだった。この旅が終わってしまうのは寂しいが、私も社会人なのだから仕方がない。でも、ここまで来たのだから、できればジムバッチは最後まで集めたいが……まぁ最悪、有給とって一人で取りに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の月 陽炎の足音

 

 

 

 ――暗い部屋。ぼんやりと光を放つ液晶モニターの前で、ゲーチスは微かに笑う。モニターに映るのは、彼が長い年月をかけ慎重に作り上げてきた“城”の建築風景だった。

 

「八割、というところですかねぇ」

 

 ゲーチスは進行度合いを示すグラフを見ながら、楽しそうに笑う。その笑顔はまるで、興味のある玩具を前にした子供のようであり、また、巨万の富を目前にした飢えた老人のようでもあった。

 

「王は玉座に、力は王錫に、王冠は――ここに。ククッ、あと、必要なものはただ一つ」

 

 ゲーチスは楽しそうにそういうと、パチンッと指を弾く。するとゲーチスの背後に、音もなく影が降り立った。

 

「最後の仕上げです。彼女のすべてを見極め、報告しなさい。アナタたちの主観で構いません」

「ハッ」

 

 三つの影は、ゲーチスの命に従う旨を示すと、その場から掻き消えた。

 ゲーチスはそんな己の忠臣たちのことなど気にするそぶりも見せず、笑みを深めたまま椅子の背もたれに深く背中を預ける。

 ゲーチスの眼前。纏められた書類。ようやく洗い出すことができた、彼女に深くかかわる存在の経歴がそこに綴られている。

 

「ククッ、まさかこんなモノが出てくるとは、ねぇ?」

 

 ゲーチスが調べ上げ、何度も何度も目を通した書類。その紙面にはこう、綴られていた。

 

 

 

 

 

 ナナシ・アル調査報告書。

 

製薬会社no-nameに就職後、直ぐにシルフカンパニー開発研究室にヘッドハンティングされる。

その後研究室が謎の爆発。開発部のメンバーは解散。

ナナシ・アルはその数か月後、カントーのポケモンジム事務員に就職。

就職の十日後より経歴抹消の痕跡有。

 

最終経歴のポケモンジムは、トキワジムだったということのみ判明している。 』

 

 

 

 

 

 経歴抹消という一文以外は、とくに問題がないように思えるその報告書。だが、裏のものが見れば、経歴抹消という一文など些事に過ぎないということに気が付くことだろう。

 トキワジム――ジムリーダー・サカキ。その名を知らぬものはいないとまでされる巨悪。史上最悪の秘密結社のボスと言われ、表の世界でも裏の世界でも実力者であり続けた男の名を知らぬものなど、いるはずがないのだ。

 

「元最強のジムリーダーにして、最高峰の秘密結社と呼ばれたロケット団のリーダー。その配下となった男が、娘として己の籍に加えた少女」

 

 

 ――ここまでピースがそろえば、その正体はおのずと見えてくる。

 

 

 未だに正体の掴めない母親。

 ロケット団とシルフカンパニーで猛威を振るった男。

 血のつながりなどあるはずがない経歴なのに、調べ上げた男の容姿とよく似た髪色。

 ポケモンの存在を無条件で受け入れ、ポケモンに忠誠を誓わせるカリスマ。

 

 

 ――そして、ロケット団の代名詞とすら呼ばれた研究。“人工ポケモンの開発”。コードネーム……“ミュウ=Ⅱ”。

 

 

「く、くくく、くっ、ハハハハハハハッ」

 

 実のところ、ダークトリニティに調べさせることなどもうない。だがゲーチスは最後に、確認がしたかったのだ。

 調べ上げた彼女の、イルの器が、ゲーチスの掌から零れるほどのものであるか、否か。ゲーチスの手で掌握できる器ならば、それでもいい。利用しきるだけだ。だが、もしも、ゲーチス程度では把握などできるはずもない器を持っているのならば、その芽はわずかに残った“計画とん挫の可能性”なんかよりももっと大きな力のうねりを己にもたらす事だろう。

 暗い部屋で、ゲーチスは笑う。ただただ、振って湧いた運命という名のアンノウンに感謝するように、大きな声で笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 笑い声が響くゲーチスの部屋を背に、ダークトリニティは闇を走る。

 

「名無し、か」

 

 ふと、一人が呟く。三人の中でもリーダー格の男だ。彼の声は小さかったが、思いのほかよく響いたようだ。以前、イルに相対した女のメンバーが、首をかしげながら顔を上げる。

 

「どうした?」

「いや、名無しであり“在る”者と、名無しであり“得る”者の娘の名前が、名無しであり“居る”者、なのだろう? いったい、どのような意味が込められているのかと、ふと、気になっただけだ」

「ナナシ・エル……ナナシ・イルの母親……か」

 

 いつも寡黙な男、彼らの最後の一人が呟く。

 完全に情報が隠ぺいされた家族。新しく多くの情報が手に入った父親にしても、まだその半生が判明していない。そんな二人の娘とされたあの少女は何を抱えて生きていたのだろうか。今さらながら、男はそんなことが気になった。

 

「アレがなんであろうと、関係ない。私たちは任務を遂行するだけ」

「そうだ……我々は……ただ、恩のあるゲーチス様のために」

「ああ、そうだな。わかっている」

 

 男はそれきり目を伏せて、それからゆっくりとイルの居場所を感じとる。闇の中に輝く、燃え盛る太陽。ただ誰もかれも問わず無慈悲に、慈悲深く他者を葬り去る浄化の火。その力強い気配を、掴む。

 

「跳ぶぞ」

『応』

 

 あの実験施設で……ロケット団によって手を加えられた体。数多くの仲間たちを犠牲にして作り変えられた肉体と精神。人の身でありながら行使できるように“調整”された力を用いて、ダークトリニティは空間を跳躍する。

 そうして降り立った先は、今後、Nが使用する予定の塔の前だった。

 

「気配を殺せ。会話を記録するぞ」

 

 返事はなく、ただ、行動だけが返ってくる。

 男は仲間の力に乱れがないことを確認すると、“アララギ”という男と並び立つイルとトウヤに意識を向けた。

 

「――ところでおまえさん、リュウラセンの塔を知っているかね?」

 

 世界的に有名なポケモン生態学者であるアララギが、トウヤとイルに質問をしているところだったようだ。その優しげで穏やかな眼差しは、黒板の前で教鞭をとる先生のようにも見える。

 どうやらアララギは、トウヤとイルの知識を試しているようだ。

 

「うーん……聞いたことは、あるんだけど……ごめんなさい」

「はっはっはっ、無理もない。観光名所ではあるが、一般人は指導員が付かない限り入ることができないような場所だ。調べでもしなければわからんよ」

 

 トウヤの答えに、アララギは気を悪くした様子でもなく、そう言った。それから彼は、イルに顔を向けて「君はどうだ?」と問いかける。

 

「少しなら」

「ほほう? 聞かせてもらっても構わないかね?」

「ええ」

 

 イルはそう、抑揚のない表情で頷く。

世界的な権威を前にしても、世界征服をもくろむ組織の長を前にしても、イルは態度を変える姿を見せない。まるで地位や人種、種族さえも垣根なく“平等”と捉えているかのような超然とした態度に、ダークトリニティの男は心のどこかで警報を発していた。

 もしかしたら、主たるゲーチスはイルの器を図り違えているのではないか、と。

 

「リュウラセンの塔は、イッシュが現在の形になるよりも遥かに昔に建造されたと思われている。太古の時代、人々はポケモンを神として崇めていた。リュウラセンの塔はそんなポケモンたちに人々が謁見するための聖域の一つだった」

「一つ? ということは、ほかにもあるの?」

「トウヤ……。ええ、そう。例えば、ホウエン地方の“空の柱”や“砂漠遺跡”。あとは、ジョウト地方の“アルフの遺跡”なんかもそうね」

「ふむ……あとは、カントー地方の“アスカナ遺跡”なんかも、同じ時期の遺跡だね」

 

 アララギが、イルの答えに驚きながらも、動揺することなく告げる。するとイルはこくりと頷いて見せた。

 

「古代、神であるポケモンと人間は平等ではなかった。近代に入りポケモンは人間に従えられる存在となった。今は、共存の方法が強く考えられている」

「ああ、そうだね。ポケモンを一方的に縛り付けるのではなく、モンスターボールの中でありながらも共存し、仲間になろうという試みは進められている。ポケモンの住みやすい空間をモンスターボールの中に作ろうとしたゴージャスボールの作成なんかが、良い例だね」

「そっか……みんな、そうやって考えているんだ……」

 

 イルと、それからアララギの話を聞いてトウヤはどこか嬉しそうに頬を綻ばせている。けれど、身を隠しながらその話を聞くダークトリニティにすると、イルがそれを語る様子には、違和感しか覚えなかった。

 彼らは、当然のことながらゲーチスからイルの話を聞いている。その中には、イルの“面接”での話も含まれているのだ。

 そう、ゲーチスによって、「ポケモンとはなにか?」と聞かれた時のイルの答えもそれに含まれている。

 

『ポケモンとは、ただ在るものと存じます』

 

 ただ在るもの。

 それは支配でなく。それはへりくだりではなく。それは平等ですらない。

 だからだろう。影からイルの言葉を聞く彼らは、イルの“語り”がこれで終わりではないのだろうということを、直感していた。

 

 

 

「――故に、運命は螺旋する」

「……?」

 

 

 

 続けられた言葉に、アララギは言葉を待つ。

 懐かしむような瞳に、トウヤは首をかしげる。

 濃密に変化した気配に、“彼ら”は思わず、息を呑む。

 

 刹那にして、“場”がイルに支配されていた。

 

「人間の歴史は、常に螺旋してきた」

 

 ――歌うように。

 

「支配の次は反逆、反逆の次は平等、平等の次には崩壊があり、支配が始まり反逆し平等になる」

 

 ――嘆くように。

 

「リュウラセンのリュウとは流、リュウラセンのラセンとは螺旋。運命の流れを監視する塔」

 

 ――憎むように。

 

「リュウラセンとは、螺旋の龍。伝説の神々が姿かたちを、在り様を変えながら人々を見守る箱庭の監視室」

 

 ――祝福するように。

 

「止まらぬ運命。降りかかる宿命。成し遂げ続けなければならない使命」

 

 ――まるですべてを呑み込むように。

 

「そう……誰かが成し遂げるまで、変わらぬ時を螺旋する、運命の塔」

 

 ――イルは、語り終えた。

 

 しん、と空気が凍結し、静まり返る。

 いったい、どれほどの時間がたったことだろうか。ダークトリニティは、額から流れた汗が手の甲に落ちた衝撃で、辛うじて目を覚ました。

 

「世界征服? ポケモンの平等? ――アレが、そんな生易しいものであるはずが、ない」

 

 ダークトリニティのリーダーたるものが、任務に私情を挟むことなど許されない。そうわかっていても、男は、呟かずにはいられなかった。

 プラズマ団の暗部として人間の暗がりと深淵ばかりを行き来していた彼らといえど、こんなにまで“空虚”な欲望を見たことがない。そんな風に戦慄させるのに、ふさわしい内容だった。

 

「それ、は、君の持論、かい?」

「ええ、そうです。お耳汚しを失礼いたしました」

「いや、いいよ。興味深い話だった。今度、じっくりと聞かせてくれないかい?」

「ええ、もちろん。このような不確かな考察でよろしければ、喜んで」

 

 イルが丁寧に頭を下げたことで場の空気が霧散し、ようやく元の雰囲気が戻ってきた。ダークトリニティたちもこの時になって漸く、心を持ち直す。

 

「報告を急がねば」

 

 普段は寡黙な仲間が口早にそう告げるが、男はそれに、首を横に振って妨げる。

 

「まずは、ゲーチス様からの言伝を彼らに伝えるのが先だ」

「だが……! いや、そうだな……すまない……気が、急いていた」

 

 だが、男とて気持ちは同じだ。仲間を止めるということで辛うじて保たれた理性を繋ぎ止めるように、より深く気配を沈め、イルたちの後ろにつく。

 最早この運命という名の螺旋は止めることができないのではないか。ダークトリニティは皆共通して、予知めいた予感を覚えるのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

「『――以上を持って、ナナシ・イルの報告を終える』か……なるほど」

 

 無事に任務を終えたダークトリニティによってもたらされた報告を、ゲーチスは満足げに眺めていた。報告書の最後は、イルの危険性について一言加えられているが、とくにゲーチスの興味を引くことはない。

 

「くくっ、これで確定しましたねぇ。もしかすると、彼女はワタクシの味方ではないかもしれない。けれど少なくとも、“彼ら”の味方には、なり得ない」

 

 これまで、世界が危機に瀕する度に、幾度となく救世主が訪れた。

 救世主たちは平凡な出生から偉業を成し遂げ、迫りくる闇を打ち砕き、世界に平和を呼び続けてきたのだ。

 

 

 

 例えば、赤き衣を身に纏いロケット団を壊滅させた少年。

 例えば、その三年後に復活したロケット団を潰した少年たち。

 例えば、世界地図を塗り替えようとした二大組織の野望を妨げた、少年と少女。

 例えば、己の力で、新世界の創造主になろうとした男の野望を打ち砕いた少女。

 

 

 

 彼ら彼女らは変わらず、ポケモンをパートナーや友達、家族として扱い世界を平和に導いてきた。

 だがそんな彼らに信頼されながらも、イルは、そんな彼らとは一線を画する。そのポケモンに対する在り方はむしろ、ポケモンはパートナーでも道具でもなく己の力であるとした男――ギンガ団のボス、“アカギ”に似た考え方だ。そんな彼女が“正義の味方”の側につく姿など、ゲーチスには想像できなかった。

 

「さて、ここまで来れば大詰めですねぇ。そろそろ、彼女のための舞台を用意せねばなりません」

 

 野望が叶うのならばそれが一番だ。

 だがここまで慎重に計画を進めてきたゲーチスが、最後の最後で気を抜くことなどしなかった。

 もしも、己の野望が叶わなかったとき、世界は己に牙をむくことだろう。そうして破滅に追いやられた悪の先達たちを、ゲーチスは蔑ろにすることなどできない。だからこそ、彼らから何も学ばずに計画を始めることなど、しないのだ。

 

「世界がワタクシに牙をむくというのなら、その世界そのものを変質させてしまえばいい」

 

 ゲーチスは、そう言いながら立ち上がる。

 己が世界に負けたとしても、決してそれだけでは終わらせない。確実に今ある世界を打ち砕くために、ゲーチスは猛毒になるかもしれない花を掴みとることを、決意した。

 

「彼女の拠点については、お任せしますよ――我が友よ」

 

 ゲーチスの声に呼応するように、彼の背後から落ち着いた声が響く。

 

「ええ、良いでしょう。例のアレは必ず間に合わせますよ、我が友よ」

 

 ゲーチスは声の返答に満足すると、ゆっくりと歩き出す。

 その顔には、狂気と欲望にまみれた笑顔が、理性という仮面の下で渦巻いているのであった。

 

 

 

 

 

 世界はもう、止まらない。

 望む望まないに限らずに、世界は運命という名の螺旋に呑み込まれていく。

 今はただ、決壊への足音を静かに響かせながら、ゆっくりと世界は回っていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 





副題「ゲーチスのフラグ立て」

今回は主に助走回です。残るバッヂもあと一つ。物語も終盤ですね。
しばらくトウヤ視点はお休みで、他者視点中心に物語を展開していこうと思います。

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました!
次回でまた、お会いしましょう!


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夏の月 旅を終えるまで

お待たせしました。


 

 

夏の月 十四日

 

 

 

 今日は本当に色々なことがあった。

 自分でも混乱している部分があるから、時系列を丁寧に並べて、どうして“こんなことになった”のか、原因解明のためにも整理して書いていきたい。

 

 

 

 

 

 一日ゆっくりと疲労をとった私たちは、約束の時間に間に合うように余裕を持ってリュウラセンの塔に向かった。トウヤも気合いは十分なのか、その横顔はりりしい。将来はさぞ女泣かせな青年になることだろう。私はこのときはまだそんなしようのないことを考えていたように思う。

 

 

 

 なんと飛行形態に変形というロボットじみたことができることが判明したセクトル(ゲノセクトの愛称だ。名前を縮めて“セクトん”にしようとしたら、また噛んだ)の背に乗ってリュウラセンの塔に入ると、塔の内部にはたくさんのプラズマ団員が待ち構えていた。

 

 誰も彼も、なぜか私と目が合うと挙動不審になることだけが気になったが、おおむねいつものとおりトウヤに突っかかり、敗北していく。きっと彼らは素直になれない社長がツンデレ的な何かでNのために配置したのだろう。社長のほほえましい我が儘に付き合わされた彼らを査察官として処分する気なんか勿論ないというのに、彼らは一様に私を避けて逃げていく。私だってまだまだ女盛りだ。その反応は地味に傷つく。

 

 仕方がないから、せめて彼らが後で怒られないようにするため、彼らと目を合わせないように俯いていたら、トウヤに気を遣われてしまった。ごめん、トウヤ。

 

 

 

 リュウラセンの塔の屋上にたどり着くと。そこには既にNがいた。どうやら自分から友達を遊びに誘ったことで緊張しているようだ。顔がこわばっている。

 そんなNが後ろに侍らせているのは、やけに黒くて大きなポケモンだった。ドラゴンタイプだろうか。昔、父に見せてもらったカイリュークラスの大きさだ。あの子をゲットしたから見せびらかしたいとか、そういった話だろうか。さすがのトウヤもドラゴンポケモンを前に驚いている。

 

 Nは英雄がなんたらといつものように遠回りな長口上でトウヤを誘う。要約すると、「ポケモンリーグに一緒に挑もうぜ! でもチャンピオンの座は譲らないからな!」だろうか。青春だ。あの社長の息子なのにちゃんと青春できていると思うと、心の底から応援したくなる。

 

 

 

 ここまでは、よかったのだ。

 

 

 

 けれどNとトウヤの会話が終わった瞬間。はかったようなタイミングでNの背後の壁がぶち破られた。

 こうして落ち着いて書いてみるとよくわかる。社長はきっと出待ちしていたのだろ。社長の給与を減らせないものだろうか。過剰演出のため予算削減とかで。

 

 重要文化財の粉砕という暴挙に頭痛を覚えていると、粉砕された壁の向こうから巨大な船が顔をのぞかせた。後から聞いた話によると“プラズマフリゲート”とかいうらしい。社長は趣味にお金をかけすぎだと思う。

 Nに誘われるままにプラズマフリゲートに乗り込むと、トウヤは非常に悲しそうな顔で私の名前を呼ぶ。私はその声に、ただ謝ることしかできなかった。だってそうだろう。誰が予想できるというのか。まさか重要文化財を破壊しながら出向命令とか冗談にならない事態だ。

 

 

 

 このときは混乱のあまり命令に従ってしまったが、よくよく考えれば、ここで逃げておいた方がよかったのかもしれない。ひょっとしなくてもこれでは共犯だ。

 

 

 

 どうしてこんなことになったのだろう。

 考えれば考えるほど“就職先を間違えた”という言葉が脳裏を過ぎるが、最早後の祭りだ。

 今日はもう寝て、明日改めてこの事態をどうするのか考えよう。現実逃避くらいさせて欲しい。切実に。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 社長から「明日にはもっとすごいことになるよ!」みたいなメッセージが長ったらしく遠回しに入っていた。トウヤたちには圏外で連絡できないのに社長のメッセージだけ届くとか意味がわからない。

 無視して寝ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そこは、ただ暗闇だった。

 見渡す限りの漆黒。闇に彩られた光景の中、トウヤは目を覚ます。右を向いても左を向いても黒一色。その光景に、トウヤは光を探そうと歩き回る。

 

『だれか! 誰か居ないのか!』

 

 焦燥ばかりが先に立ち、トウヤは苛立ちの声を上げた。なぜこんなにも胸騒ぎがするのか。なぜこんなにも不安に駆られるのか。理解できないままに、トウヤは一人さまよい歩く。

 

『いったい、ここは……』

 

 どれほど歩いた頃だろうか。トウヤは時間の感覚も曖昧なまま、歩き続けていた。だがそれも、ついには終わりが来る。

 

『あれは……イル?』

 

 ともに旅をする仲間。密かに想い慕う、守りたい人。その幼い背中を見つけて、トウヤは安堵の息を吐く。

 

『イル……よかった』

 

 イルはトウヤの声に気がついていないのか、振り向かない。そんなイルにトウヤは、小走りで近づいた。

 

『イル!』

 

 だが、不思議と、どんなに走ってもイルに近づくことはできない。走って、声を上げ、名前を呼んでもイルの背は遠くなるばかりだ。

 

『イル! っ、どうして!』

 

 トウヤの声は届かない。ただ光の先へ遠ざかっていくイルの背中を、見送ることしかできない。

 

 ――そして。

 

 

 

『ごめんね』

 

 

 

 イルの姿が、闇の中へと――

 

 

 

 

 

 

「イル!!」

 

 飛び起きて名を叫んだトウヤの視界に映り込んだのは、まだ登り切っていない太陽と、薄暗い宿の内装だった。混乱から冷めぬまま隣を見ると、そこには、いつものように柔らかな寝息を立てるイルの姿があって、トウヤは思わず脱力する。

 

「夢、か」

 

 そう、夢だ。だがトウヤにとってその夢は、悪夢と言っても差し支えがない。どうしようもなく胸騒ぎを覚える夢を見た影響で、トウヤの心臓は未だ早鐘を打っていた。

 改めて、イルの姿を見る。幼い横顔はとても静かで、彼女から匂わせる過酷な人生の片鱗も、今だけは感じさせない。ただ心穏やかに眠っている。

 

「イル……君は、俺が守るから」

 

 だから、どこにも行かないで欲しい。

 そう伝えることだけはできず、トウヤはただ祈るように頭を垂れることしか、できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 宿命の焔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、トウヤは二度寝することもできずに、イルが起きるのをじっと待つことしかできなかった。

 起き出したイルと挨拶を交わし、着替えを済ませて朝食を食べる。普段と何も変わらないはずの行動だが、トウヤは普段のような態度でいられているか自信がない。

 

「行こうか、イル」

「ええ、そうね」

 

 イルの視線が、自身の横顔に突き刺さっていることにトウヤは気がついていた。けれどいつものように振る舞える自信がなくて、トウヤはイルの視線に顔を向けることができない。

 ちらつくのだ。悲しそうな声で自分に謝る、夢の中のイルの姿が、イルの声を聞き、顔を見るたびに揺り起こされる。

 

「イル、Nとのことが終わったら、俺と……」

「? ……ごめん、トウヤ、良く聞こえなかった。どうしたの?」

「ええっと、が、頑張ろう! って言ったんだよ。あ、あははは」

「……ん。そうね。頑張ろう、トウヤ」

 

 自分の名前を呼ぶ柔らかい声に、トウヤは知らず安堵の息をつく。

 

(危なかった……俺は、何を口走ろうと……)

 

 恋人になって欲しい? それとも、結婚してくれ? いずれにせよ、自分の気持ちに整理も付いていないのに言える言葉ではないし、そもそも雰囲気もなにもあったものではない。トウヤは自分が思いの外追い詰められていたことに気がつくと、今度こそイルに気がつかれないようにため息をつく。

 どんなに悩んで迷っても、状況は何も変わらないし時間だって止まってくれない。だったらトウヤにできることは、不安を押し殺してでも全力を尽くすことだけだ。

 

 トウヤはそう、心の内側でざわめく何かに蓋をすると、イルを伴ってリュウラセンの塔へと踏み込んでゆくのだった。

 

 

 

 そこに何が待ち受けるのかなど、知る由もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 リュウラセンの塔は、喧噪に満ちていた。常ならば荘厳な空気に圧倒されるだろうその空間も、プラズマ団の侵入によりその空気が壊されてしまっている。トウヤはそのことがかえって緊張を和らげてくれているような気がして、小さく息をつくことができた。

 

「突破しよう、イル!」

「ええ。イシュタル、セクトル、行くよ」

 

 イルは、飛行形態に変形した黒いゲノセクトの背に横座りになると、ふわりと浮かんでイシュタルとともにトウヤに追従する。

 その姿にプラズマ団員たちはあからさまな動揺を見せると、決死の表情で襲いかかってきた。

 

「蹴散らせ! ダイケンキ! 【アクアテール】!」

「イシュタル、お願い」

 

 プラズマ団員たちを歯牙にもかけず、トウヤとイルは邁進する。快進撃、といっても過言ではない。だというのにイルの表情は優れなかった。

 

「イル? 大丈夫?」

「ええ……心配をかけてごめんなさい。私は、大丈夫。それよりも」

「っ」

 

 進むのに支障はないとはいえ、敵の数は多く、休む暇もない。

 結局トウヤはイルにきちんと声をかける暇もなく、ついに最上階へとたどり着いてしまった。

 

 

 

 最上階は、これまでの階層に比べて遙かに静かで、張り詰めていた。その理由は、ただ玉座にたたずむNの強ばった表情だけが理由ではない。

 問題はそのNの背後。青い電光を迸らせながら佇む漆黒の龍の存在が、リュウラセンの塔の空気を凍らせていた。

 

「ドラゴン、ポケモン」

 

 トウヤの口から、思わずそんな言葉が零れる。

 ドラゴン、と名が付くポケモンは、太古の時代から驚異という言葉で彩られてきた。他者を寄せ付けない耐性。強力な技の数々。なによりも、一つ一つの個体に秘められた力。 かつては神という呼び名で崇め奉られてきた存在のオーラに、トウヤは思わず生唾を飲み込む。

 

「――世界を導く英雄にその姿を顕し、共に歩む者」

 

 静かに、Nが語り出す。トウヤはそれにただ耳を傾けることしかできなかった。

 

「世界を変えるための数式。“ゼロ”から導き出された絶対の回答。それは誰にも覆すことができるものではない。何故なら、英雄を導くポケモン、ゼクロムに認められたボクは、誰にも覆すことのできない英雄となるのだから」

 

 Nの気持ちに答えるように、ドラゴンポケモン――ゼクロムが小さくうなり声を上げる。その声に、トウヤは小さく歯がみした。

 勝てない――そう想わせるだけの壁が、二人の間にあるのだから。

 

「君もまた英雄となりたいのなら、レシラムを探せ。ゼクロムと対になるレシラムならば、ボクと対等になることもできる。それに、ポケモンに信頼されている君ならば、必ずレシラムに認められるはずだ。ボクを、決められた運命の数式を覆したいのであれば、ポケモンリーグの頂上まで、ボクを追いかけてこい。けれど――」

 

 Nはそう言葉を句切ると、躊躇うように口を閉ざす。けれど、幾分かの春秋の後、ゆっくりと顔を上げてトウヤと、イルを、見た。

 

「――逃げたいのであれば、逃げてもいい。ボクの作る理想郷は、決して君を苦しめたりはしない。だが逃げた先に、トウヤの求める幸福は最早得られないだろう。本当は、こんな形で奪い取るつもりはなかった。けれどこれもまた運命であるというのなら、ボクは王者の隣を空けよう」

「……N?」

 

 Nは強い意志と覚悟を秘めた瞳で、トウヤを見る。その気迫に僅かに気圧され、トウヤは思わず後退した。

 

「さぁ、行こう。ボクとゼクロムが導く新世界へ!」

 

 Nがトウヤの……イルの方へ手を差し出した瞬間――ドンッという轟音とともに塔の壁面が崩れ落ちる。その向こう側から見えるのは、宙を浮く巨大な帆船だった。

 

「船? いや、飛行機?!」

 

 帆船は空中で停滞したまま横壁を見せ、側面が開いて階段が延びる。Nはその一段目に

片足をかけると、もう一度手を伸ばす。

 

「行こう――君の、本当の居場所へ」

「本当の居場所? N、君は何を……ッ!?」

 

 首をかしげるトウヤの横で、気配が動く。

 Nと遭遇して今まで一言も喋ることがなかったイルが、ゆっくりとトウヤの横を過ぎてゆく。トウヤはとっさに手を伸ばすが、僅かに届かない。揺らめく焔のように紅い髪が、指間を抜けて通り過ぎる。追いかけようにも、未だ放たれるゼクロムからのプレッシャーに縛られ、足は重く、地面に縫い付けられたように動かなかった。

 

「くっ……待ってくれッ! イル!!」

 

 それは、さながら悪夢の焼き回しのようだった。追いかけることもできず、ただ過ぎゆく焔の残滓を見送ることしかできない。そして。

 

 

 

「ごめんね」

 

 

 

 告げられた言葉が、トウヤの胸に突き刺さる。

 

「イル、待ってくれ! イル、イルッ!!」

 

 イルはもう、振り返らない。トウヤはただ、イルとNの乗った船と、その船に付きそうゼクロムを見送ることしかできなかった。

 

「あ、ああ、あああああああああああああああああッッッ!!!!!」

 

 イルたちが去った塔に、トウヤの慟哭が響く。

 追いかけてきたチェレンとベルは、そんなトウヤに声をかけることも近づくこともできずに、痛みをはらんだ叫び声を浴びながら、佇むことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――暗い闇の中、ただ一つの影が蠢く。

 

「賽は投げられました」

 

 かつん、と高い音が響く。敷き詰められた石畳を歩く音だった。

 

「最早、流転する運命は止まりません」

 

 影は嗤う。けれどふと、その足が止まった。

 

「けれど、けれどそう、運命とは本当に絶対なものなのでしょうか」

 

 影は笑う。けれどその笑みは、これまでとは少しだけ違ったものだった。

 

「ワタシは期待しているのです。この色褪せた世界に何をもたらしてくれるのか――なんて、ね」

 

 影はわらう。その笑みに乗せられたものは、闇に溶けて消えていった。

 

 




お読みいただき、ありがとうございました。
番外編を予定しておりましたが、本編となりました。


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夏の月 真面目に相談に乗った日

 

 夏の月 二十日

 

 

 

 船旅がスタートして、はや五日。船は船でも空飛ぶ船だが。

 

 おそらく初日以来のインドア仕事だ。トウヤたちのことを思うと胸が痛いが、仕事とプライベートを混同するわけにはいかない。社長がやらかしてしまった犯罪行為のフォローのためにも気持ちを切り替えて頑張ろう。

 

 そんな風に思っていたのだが、初日で早くも心が折れかけていた。というのも、この船、非常に乗り心地が悪い。だだっ広い空間にぽつんと一人。下の景色が見えるようにモニターとガラスの部屋で待機しているのだが、どうやら乗り心地はまったく考えていないようで非常に酔う。昔から船や飛行機は寝転がっていれば酔いに耐えられるからすぐさま這いつくばりたいが、そういう訳にもいかないのはわかっているから大人しくしているが、時間経過ごとにひどくなる頭痛と吐き気が正直、つらい。明日もあると思うと今から憂鬱だ。現に、辛すぎて日記を書けるようになるまで五日も掛かってしまった。

 

 また、仕事らしい仕事が割り振られていないのも苦痛だ。なにか仕事をしていれば気も紛らわせることができるのだが、していることと言えばただ座っているだけ。時々Nが来て話に付き合ってくれるのだけが心の癒やしだ。大半、なにを言っているのかわからないほど遠回しな言い方なのが玉に瑕だけれど。

 

 ただ、Nに関しては一度だけ遠回しではない言い方で話をした。というのも、あんなツンデレ奇人な父親のせいで、親子関係や将来のことで悩みがあるようだったのだ。さすがに、真剣な悩みに対して誤魔化したり、わかりづらいことを言ったりする訳にはいかない。

 

 ただ、最近遠回しな言い方が板に付きすぎたのか自分でもびっくりするほどたどたどしい言い方になってしまったのだが、まぁそれでも久々にまっすぐと言葉を伝えることができたように思える。

 

 頭痛のひどいのが来てNの悩みが解決するまで話に付き合ってあげなかったことと、その後すぐNがジムに挑むために船を出て行ってしまったことには悔いが残る。申し訳ないが、この先は自分で解決してもらおう。もちろん、相談を持ちかけてくれればいくらでも相手になる気持ちはあるが。

 

 

 

 これで彼らの親子関係が柔らかくなれば、Nも落ち着くことだろう。社長のストッパーになってくれれば言うことなしなのだが……うん、まぁ、そこはあまり期待しないでおこう。社長はちょっと奇抜すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記。

 Nから、ソウリュウシティでバッヂをゲットした旨が送られてきた。この調子で頑張って欲しいと返信したものの、同時にトウヤのことを思い出してしまう。ずっと一緒に寝ていた分、ちゃんと一人で寝られるか心配だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月 破滅へのプレリュード

 

 

 

 ――プラズマフリゲート。

 

 ゲーチスが古い友人という科学者に頼み込み、計画を大きく前倒しにして作られた飛行帆船だ。

 本来の役割はとあるポケモンを動力部に据え、最終手段である“武力行使”を行うために建造される予定であった。だが、イルという計画になかった上に強力なイレギュラーとして手駒に加わった存在のために、急遽予定を変更。こうして、イルを乗せるために作られることになった。

 その船の甲板。横に並んで飛ぶゼクロムに目を向ける姿がある。つば付き帽子を片手で押さえる緑の長髪の少年――Nだ。

 

「ゼクロムよ……これで、本当にイルは……」

 

 言葉は続かない。

 ゲーチスからもたらされた情報により、イルは今“ある場所”に送られている最中だ。その場所にイルのルーツがある。そう告げたゲーチスの顔は、今までのように歪んだ笑みではなく、どこか子供のような無邪気さが込められていた。

 その顔が、Nの瞼の裏に張り付いて、拭うことができない。

 

「いや、ボクが迷ってどうするんだ」

 

 父親は、自分に何かを隠している。そのことがわかったところでどうしようもない。隠していることが自身にとって良いことか悪いことかもわからないのだ。それに、人間はポケモンとは違い、嘘を言って自分偽る生き物だ。自分を偽ることなくさらけ出すことができる人間など、本当にごく一部。Nは、見知った二人の人間の顔を思い出して、瞑目する。

 

「考えても、仕方がない、か」

 

 Nはそう珍しく自嘲をこぼすと、踵を変えて船の中へと戻る。

 目指すのは、日課となった愛しい人の元へ通う道だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月   破滅へのプレリュード

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管制室。そう呼ばれる部屋の奥、重厚な作りの黒いソファーにイルは腰掛けていた。目を伏せ、微動だにせずに三人掛けのソファーの真ん中に座るイルの姿は、さながらビスクドールのようだ。

 イルの膝にはイシュタルが。ソファーを挟んで、背後にはセクトルが、彼女を守るように佇んでいる。さながら彼女は人形の女王。彼女を守るポケモンたちは、剣を持つ騎士のようにも見える。

 

「イル……」

 

 そんなイルの姿を見て、Nは僅かに後悔を滲ませた。

 今の彼女に、トウヤの隣で見せていた生気は感じられない。ただ何かに耐えるような痛ましさがあって、その度に、Nは己の胸が痛むことを自覚していた。

 

「宿命からは逃れることはできない。運命からは背を向けることができない。使命からは目を背けることができない。けれど、誰かと共に乗り越えることはできる」

 

 Nはそう言うと、ゆっくりとイルに近づく。

 

「闇を払う光は、英雄にこそ相応しい。ならばボクは、君の纏う闇を払おう」

「N……。闇は、払えるものではない。……探ることしか――できない」

「それでも! それでも、ボクは――」

 

 イルの表情は頑なだった。ただひたすら、何かに耐えるイルの姿に、Nは何も言えなくなってしまう。

 

「……なにか、必要なものがあったらいってくれ」

「うん……ありがとう」

 

 結局、そんなことしか言えない情けない自分に、それでもイルは痛みをこらえるような表情で薄く微笑んでくれた。

 気を遣わせてしまった情けなさに支配されながら、Nは踵を返す。もう、何も言うことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管制室から飛び出してすぐに、Nは別の場所で行動しているゲーチスに連絡を取る。それが、無駄だとわかっていても、そうせざるを得なかった。

 

『どうしました? Nサマ』

 

 電話に出たゲーチスの声は、穏やかだった。

 

「ゲーチス……答えてくれ、ゲーチス。あの場所へ導くことは、本当に彼女の幸せにつながるのか?」

 

 焦ったように、あるいは縋るようにNは声を絞り出す。

 

『ええ、ええ、もちろんですとも。ただ、一つだけ訂正があります』

 

 だが、ゲーチスの声は変わらず、穏やかなままだった。

 

「訂正?」

『そうです。導くのではありません。“帰す”のです。あの方の本当の居場所へ、ね』

「本当の、居場所?」

『そうです。あの場所には、彼女の本当の居場所がある。ワタシたちがしていることは、ただそれだけなのですよ。ですから躊躇ってはなりません。なにせ彼女は、“あの場所”がご自分にとって本当の居場所であることなど、忘れてしまっているかもしれないのですから』

 

 慈愛を感じさせるほどの声色。けれど、それだけだ。焦りも、怯えも、怒りもない。本当に心から慈悲を持っているかのような声だ。だからこそ、Nはわからなかった。ゲーチスは、それがなんであるかはNにもわからないが、言いようのない闇を抱えて生きるものだ。決して、慈悲や慈愛といった言葉と縁がある男ではない。

 けれど今のゲーチスの言葉には言いようのない説得力のようなものがあり、Nは耳を傾けることしかできなかった。

 

「居場所を、忘れる……」

『ええ、ええ、そうです。そして、思い出していただくにはただ一つ。あの場所にお連れするしかないのです。たとえどんなに、その過程が厳しくとも、ね』

 

 ゲーチスはそれだけ告げると、仕事が入ったといって通話を終えてしまう。

 

「居場所、帰すということ……いったい、君は何を抱え、何に苦しんでいるんだ……イル」

 

 答えは出てこない。それでも、Nは自室へ戻ることしかできず、重い足取りで甲板をおりていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 翌日も、Nはイルの元へ通う。本当に正しいことをしているのか。自分は何にそんなに悩んでいるのか。父親を――本当に信用して良いのか。Nは自身の中で渦巻く感情に名前をつけることすらできず、迷い、戸惑っていた。

 

「イル」

 

 管制室に入り、Nはそう声をかける。すると玉座に座る深紅の少女は、憂いに濡れた貌を上げる。

 

「具合はどう?」

「ええ。大丈夫」

 

 戸惑うこと無く告げられた言葉。だが、無理をしている感覚が拭えない。こんな苦しそうに、辛そうにしているというのに、ゲーチスはこの行為がイルの幸福に繋がるという。確かにNは、ゲーチスと言葉を交わしたその時はゲーチスの言葉に耳を傾けた。だが、イルの姿を見れば見るほどにわからなくなるのだ。

 本当に、ゲーチスに――父親に従うことが正しいことなのか。

 

「悩み事?」

「っ」

 

 イルに声をかけられて、Nははっと顔を上げる。

 

「私でよかったら、聞くよ」

 

 穏やかな声だった。

 辛そうに眉をひそめ、唇は青みがかっている。それでもなおNに向ける言葉は、優しい。その声を聞いて、ふと、不意にNの脳裏に彼女のポケモンの言葉が過ぎる。全てのポケモンの母であると、そういったポケモンの声。

 イルの膝元に抱かれるイシュタル。彼女に目を向けると、彼女もまたNを視る。

 

『母上が言っているのだ。己が胸の裡を吐露するがいい。そなたははき出すことを許されたのだ』

「ああ、ああ、そうだね。イシュタル。イル、聞いてくれるかい?」

「ええ、もちろん」

 

 普段、あまり表情を動かさないイルが、Nに微笑む。その笑みはまるで朝焼けの太陽のようで、Nの心を暖かく穏やかにしてくれた。

 

「わからないんだ。あの人が」

 

 ぽつりと、つぶやく。イルは静かに聞いてくれていた。

 

「あの人は、ゲーチスは正しいという。ボクの数式もあの人の正しさを納得している。だがわからないんだ! 正しいと思えないボクが、信用すべきと言うボクを攻撃する! でもそれでも、認められないんだ! 君はこんなに苦しそうで、ボクの胸は張り裂けそうで、それでもゲーチスのいうことがわからないんだ! ゲーチスは闇を抱えている。ボクはその闇を理解できない。わからない、わからないんだ、イル――」

 

 Nは、イルの膝にすがりつきながら気持ちを吐露する。それは叫びだった。ポケモンのために、自分のために、友のために、運命に従い渦中に己のみを飛び込ませてきたN。その心は常に正しさに支えられていた。だがその根底が、自身を立てる父親の手によって揺らいでいる。

 辛く、重い枷。その泥の鎖はNを掴んで離さない。だからNは欲しかった。泥を食い破る光が、なによりも欲しかった。

 

「N、あのね、人の気持ちは、理解できないよ」

「え?」

 

 たどたどしい言葉。その言葉は、Nの求めていたものではなかった。だが――。

 

「っ……だから、みんな、理解しようと努力する。ゲーチス、は、すごくわかりづらい人だよ。その苦しみは……理解、できる」

 

 イルも苦しいのだろう。だが、どんなに苦しみを覚えようとも、連ねる言葉は止まらない。

 

「でも、だから、理解できないから、あきらめてはダメ。どんなに伝わらない、ことば、でも、わからないなら聞いてもいい。理解できないならぶつかり合えば良い。人は何度も何度も衝突して、何度も何度も喧嘩して、泣いて、怒って、それでようやく笑えるんだよ」

 

 Nは何も言うことができず、ただ、イルの言葉に耳を傾ける。その言葉はこれまでのどんな言葉よりも、Nの胸に響いていた。

 

「あの人はああだから、今まで理解し合うことなんか難しかったと思う。でもね、N。悩んで、苦しいって思うなら、理解することをあきらめないで。ゲーチスだって同じだよ。きっと、息子の気持ちなんて理解していない。でもね、それなら今から理解し合えばいい。ポケモンと心を通じ合わせることと同じ。あなたが心の底から願って、その気持ちをぶつければ、きっと、道は開ける。だから、っ、くぅ」

「イル?!」

 

 頭を抑えて、イルは呻く。そんなイルにNは手を伸ばすが、その手は他ならぬイルによって包まれてしまった。

 

「だから、頑張って、N。大丈夫……つっぅ……あなたなら、Nならできる、よ。Nは、頑張り屋さん、だから――ね」

 

 微笑むイルに、Nは呆然と彼女を見つめる。その言葉の一つ一つが、Nの心の中で熱を帯びていくのが理解できて、自然と、Nは己の胸が熱く高鳴ったことを自覚した。

 

「ごめん、ね、今日はもう、少し、休む、から」

「ぁ――無理させてごめん。それから、ありがとう。ボクはこれからジムに挑むから、だからイルは吉報が届くまで休んでいて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イルの返事を待たず、Nは管制室を飛び出して、甲板に躍り出た。

 イルの言葉は泥の鎖を食い破ることはなかった。だが、N自身に、枷を打ち砕く力をくれた。

 

「ポケモンと同じ、か」

 

 Nはポケモンの言葉が理解できる。だが、理解できるからといって、必ずしも最初から信頼を寄せられていたわけでは無い。常に彼らの言葉に耳を貸し、彼らのために努力をして、そして信頼を勝ち取ってきたのはN自身の努力だ。

 その努力をNは、ゲーチスとの間に行ってきたであろうか。答えは最早、考えるまでも無い。

 Nは端末のスイッチを入れると、ゲーチスにメッセージを入れる。

 

 

 

『ジムバッヂを手に入れたら、話したいことがある』

 

 

 

 それは、決意の表明。最初で最後の父親への宣戦布告。

 

「行くよ、ゼクロム!」

 

 Nが空に身を躍らせると、ゼクロムが彼の下に回り込みその背に乗せる。

 

「イル、ボクはジムをクリアして、ゲーチスを理解して、チャンピオンになったら必ず君を迎えに行くよ」

 

 もうその横顔に、迷いは無い。ただ太陽に照らされたその姿は、まっすぐと前を見つめていた。

 

「――だってボクは、“頑張り屋さん”だからね。イル、君のことも、絶対にあきらめないよ」

 

 Nの言葉は風に溶け、消えてゆく。太陽に飛び込んでいくその背中は、まるで運命を切り開いていくかのように輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 ――そこは、歪な空間だった。

 全ての色彩が渦巻き、全ての存在が歪み、軋み、崩れては再生する世界。

 その歪な世界の中に、一つの影が浮かんでいた。影は空中に、まるで椅子でもあるかのように腰掛け、佇んでいる。

 

『もうすぐだ』

 

 呟く声に感情は無い。

 

『もうすぐだ』

 

 零れる声に想いはない。

 

『もうすぐだ』

 

 滲む声には、なにも込められていない。

 

『もうすぐ、ここに』

 

 ただあるのは、壊れたテープレコーダーのように繰り返す声。

 

『もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ』

 

 かつてあったモノ≪想い≫を繰り返すだけの、破壊され、歪み尽くした声。

 

『もうすぐ、もうすぐ、ここに、終わりが来る』

 

 その声には何も込められていない。

 

『ああ、これでやっと』

 

 ただ虚無だけがあった。

 




 色々な意味でプレリュード。

 お読み下りありがとうございました。

 2015/03/03
 誤字修正しました。
 ご報告のほどありがとうございます。

 2015/03/04
 誤字修正しました。
 今回、多かったですね……orz
 ご報告、ありがとうございます。


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夏の月 なにやら色々追い詰められた日

 夏の月 二十一日

 

 

 

 

 

 ここ最近、時間が過ぎるのが早い。ので、短い日記を細々とつけていこうと思う。

 

 

 

 

 

 二十一日

 

 

 今日は何もなかった。頭痛薬と酔い止めが欲しいと社長に送ったが、返信が来ない。忙しいのだろうか。

 

 

 

 

 二十二日

 

 

 酔い止めをプラズマ団員の方に分けてもらった。頭痛薬も欲しいが、なんとかならないことだろうか。

 

 

 

 

 二十三日

 

 

 頭痛薬も来たが、まったくよくならない。が、気休めにはなるので服用している。ただどこのメーカーの薬なのか、百草○ばりに大量に飲まなければならないのがつらい。重病患者みたいに見えて恥ずかしいし。

 

 

 

 

 二十四日

 

 

 最近、妙に人が増えたように思う。手元のコンソールパネルを開いたら、イッシュからも遠ざかっているように思えた。これはいったいどこに向かっているのだろうか。気になるが、返事がちゃんと返ってくるかもわからないのに頭痛と闘いながら聞くのも億劫だ。

 

 

 

 

 二十五日

 

 

 船が暗雲に突入した。揺れる、震える、回旋するとアクロバティックなプラズマフリゲートを前に心が折れかけている。贅沢は言わないから、せめて地上に降りたい。

 

 

 

 

 二十六日

 

 

 かなり久々の地上だ。

 嬉しいことは嬉しいのだが、旅の疲れのせいでテンションが上がらない。一日休んで良いそうなのでこのまま休ませてもらおう。

 

 

 

 

 二十七日

 

 

 今日は新しい同僚を紹介された。

 アクロマさんという方で、なんでもこの船の設計・開発に携わった、プラズマ団の開発主任だという。なんで社長の趣味のボランティア団体にそんな部署が必要でこんな船が必要なのかわからないが、無理矢理納得しておくことにする。

 

 もしかしたら、周囲の認識と私の認識に若干のズレがあるのかもしれない。

 

 

 

 

 二十八日

 

 

 今日と明日丸二日休んだら、また、プラズマフリゲートに乗り込むらしい。テンガン山を徒歩で登らされるより遙かにマシなので、乗り物酔いくらいは我慢しようと思う。

 目的地はやりのはしらということだが……旧友から何か聞いたことがあるような気がする。思い出せないからたいしたことではないのかもしれないけれど、一応頭の隅に置いておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記

 Nが父親と話し合う時間を取れたらしい。なんとかなるかはわからないけれど、精一杯、やれることをやってみるそうだ。久々のNの話題に少し嬉しくなった。これでトウヤの現状が聞ければ言うことなし、なのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――0――

 

 

 

 ――ゲーチスにとって、世界とは憎悪の対象だった。

 愛した女がいた。共に生きていくと誓ったひとがいた。その頃のゲーチスは表の世界で生きる科学者で、ただ、あまり人から理解されにくいことを研究するだけの一般人だった。

 ポケモンに頼らない文化の発展。ポケモンと人が密接すぎることは、均衡が崩れたとき、人は生きていけなくなるのではないか。ゲーチスは危機感を覚えて名乗りを上げた若き天才であり、彼が愛した女はそんな彼の唯一の理解者。

 

『結果さえ出せば、人は認めてくれる』

 

 ゲーチスはそう信じ、実践のためにたゆまぬ努力をしていた。そのために支えてくれるひとと、己の才を存分に注ぎ込んで。

 だが、その恵まれなくとも幸福な生活も、長くは続かなかった。

 

 ポケモン愛護団体。

 ゲーチスの愛した女の両親は、ポケモンを保護し、ポケモンを排除する人間に立ち向かう派閥に所属していた。それ故に、ポケモンを生活から追い出そうとするゲーチスを目の敵にしていた。

 ゲーチスは結果さえ出せば、彼女の両親も認めてくれる。半ば勘当状態となってしまった女と両親の仲を取り持つためにも、彼女に宿った“新たな命”を認めて貰うためにも、よりいっそうの努力を続ける。

 

 その努力が、ゲーチスと女の仲を、生涯引き裂くことになる。

 

 ゲーチスを悪とし、正義を叫ぶポケモン愛護団体の人間が、愛するばかりでろくに調教もしていなかった大型ポケモンをゲーチスにけしかけた。愛護団体の娘を誑かした畜生、として。

 女と二人で旅行に出かけていたゲーチスはポケモンに襲われ、意識を失う。目が覚めたとき、彼の右目は光を失い、愛した女の姿はなく、轟々と燃える森があった。

 

『は、ははははっ、ポケモンなどという汚らわしい獣が人間の上にあぐらをかき、人間はポケモンに飼い慣らされているというのなら、全てのポケモンは俺が、ワタシが支配して調教して、その上で全ての人間を躾けてやりましょう! ア、ハハハハヒャヒャヒャッ!! ポケモンに頼らない、ポケモンを支配し、ポケモンに支配された人間を征服して!!』

 

 ――それから、ゲーチスは女を殺した人間たちに復讐をして、表舞台から姿を消す。

 そして森で生活する、動物と暮らす子供を引き取ると、駒として育て始めた。

 

 全ては、自らの野望のために。

 女と過ごした幸福の日々の全てを、過去に葬り去って――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の月   父と子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 Nは、バッヂを集め終えると、建設中のプラズマ団の新しいアジトへ足を運ぶ。

 話がしたい。そう願ったNに、ゲーチスは頷き、この場所を指定した。

 

「イル……君に背を押してくれたから、ボクは成すべきことをするよ」

 

 そう呟いて、ゲーチスのいる玉座の間に踏み込む。

 おそらく計画が最終段階に入ったからだろう。ゲーチスは機嫌良くコンソールパネルに目を落として作業に勤しんでいた。

 

「ゲーチス」

「ん? おお、N様ではないですか。話があるということですが、しばしお待ちいただけますかな」

「ああ、待とう」

 

 ゲーチスはコントロールパネルに打ち込みを続け、一段落するとパネルを閉じてNに向き直る。

 

「お持たせしました。それで、ええと、ワタシに話、ですかね」

「いや、いい。そうだ、ゲーチス。いや……父さん」

 

 父と、そう呼ぶと、ゲーチスの雰囲気が僅かに鋭くなる。Nはこうなることを知っていたから、父を父と呼ばず、ゲーチスと呼んでいた。だが、父の顔色を伺うのも今日で最後だ。

 頑張り屋さん。そう言ってくれたイルの言葉に応えるためにも、Nは一歩踏み出すことを心に誓う。

 

「貴方の本当の目的が知りたい」

「本当の目的、ですか? ははは、ナニを仰るのですか? N様。いいですか、ワタシはポケモンの解放を――」

「建前は、もう、いい」

「――ほう?」

 

 ゲーチスは未だに笑っている。だがその笑みは普段のようにへりくだったようなものではない。見極めるような、確かめるような、あるいは嘲け笑うような、

 ――哀れな実験動物に向けるような、そんな無機質な笑みだった。

 

「思えば、貴方はいつも闇を抱えていた。底知れぬ闇だ。まるで世界そのものを憎むような、漆黒の闇だ。ボクはその闇から目を背けて、ただ、触りの良い言葉を揺り籠にして微睡んでいた。だけど、それももう終わりだ。本当の意味で王となるのであれば、清濁から目を背けるわけにはいかない」

 

 Nは目を伏せる。

 思い浮かべるのは、これまでの人生だ。ハルモニア。そう刻まれた部屋で孤独に過ごした幼い日々。

 もしもイルにもトウヤにも逢うことがなければ、Nの心は未だあの部屋で培われた世界で完結していたことだろう。

 だが、トウヤは自分を正面から見て、間違っていると声を張ってくれた。イルは自分の全てを包み込み、本当のNという名の少年を救い出してくれた。向き合う、勇気をくれた。だからNはもう、逃げないことを誓う。友達になりたい少年、トウヤにでもなく、隣に立ちたい少女、イルにでもない。

 ただ、イルの言ってくれた、“頑張り屋のN”に、逃げ出さないことを強く誓う。

 

「応えてくれ、父さん。なにが貴方をそんなに駆り立てる。なにが貴方を、そこまで追い詰める。貴方の闇を教えてくれ、父さん!!」

 

 Nの叫びに、しかしゲーチスは応えない。笑みを消し、顔を俯かせ、黙り込んだままだ。

 だがやがて、そのまま肩をふるわせ始めた。

 

「父さん……?」

「――っ、く」

「え?」

「くっ……はははっ」

 

 

 口を歪め。

 

 

「あははははっ」

 

 

 声を上げ。

 

 

「ひっ、ははっ、ひゃはははははっ」

 

 

 腹を抱え。

 

 

「ひ、ハハハハハハハハッ!!」

 

 

 笑い声を響かせる。

 

 その異様な様子に、Nは一歩後ずさった。

 

「くくくくくくっ、とんだイレギュラーです。彼女と関わった人間は、つくづくワタシの計画から遠ざかる」

「父さん?」

「父と呼ぶな。貴方はただ王であれば良いのですよ、N様」

 

 ゲーチスの笑みは冷たく、瞳の奥には虚無が広がっている。

 その暗黒の眼差しに、Nは思わず息を呑んだ。これが、Nがずっと目をそらしてきたモノ。深い闇を讃えた、ゲーチスという男の正体。

 

「いいや、呼ぶ。貴方がどう思おうと、貴方はボクの父親だ!」

「それが間違いだというのですよ、N」

「なに?」

「貴方はワタシが拾ってきた子供でしかない。拾い、過去を忘れさせ、王となるように育てた子でしかないのですよ、N」

「……拾った……?」

 

 言われて、Nはふらりとよろける。

 過去の、もっとも古い記憶は、玩具で溢れた部屋で、一人孤独に遊んでいたことだけ。時折連れてこられるポケモンと触れあい、過ごした日々があるだけだ。

 では、それより前は? どうしても思い出すことができない過去に、Nは愕然とした。

 

「本来は、貴方を王に据えることでこの世界のポケモンを全て手中に収め、世界をワタシの支配に置く予定でしたが――まぁ、代案もできました。こうなってしまえば、代案に移すだけのことです」

「え、なっ」

 

 言われた言葉に、追いつくことができない。

 だが無性に、代案という言葉が胸に残った。

 

「父さん、代案とは、いったい……」

「この歪な世界。征服が難しいというのなら、一度、平らにしてしまうことも考えてはいたのです。ですが、その手段も理由もなかった。だが」

「なにを……なにを言っているのかわかっているのか、貴方は!!」

「だが!」

「っ」

 

 ゲーチスは笑う。

 その笑みは今まで見てきたどんな表情よりも凄惨で鋭く、荒々しい狂気に包まれていた。

 

「だが、その代わりができた! 闇に愛された少女! 復讐の代行者! 彼女にアレが適合してしまえばその全てが、そう、全ての天秤が闇に傾くのです!!」

「まさか、いや、父さん! イルに、イルになにをした!!」

「ワタシは彼女になにもしていません。ただ運命が、宿命が、彼女を導いたのですよ!!」

 

 闇。

 運命。

 導き。

 

 その響きに、Nはこれまで考えたこともないような恐れに身を震わせる。

 だが混乱した頭でも、一つだけ、わかることがある。それはこの狂気に囚われた人間を、止めなければならないということだ。

 

「くぅっ!」

 

 Nは歯を食いしばると、ゲーチスに向かって一直線に駆け出す。

 そして薄ら笑いを浮かべるゲーチスの胸元に組み付――

 

「あっ」

 

 ――こうとして、その身体をすり抜けた。

 

「立体映像?!」

「くくくっ、あはっ、あひゃひゃひゃひゃひゃっ! ワタシは準備に戻らねばなりません。貴方は一人、その空の玉座で終焉を見守っていてください」

「ッ、待て、父さん! くっ、父さん、イルをどうする気だ!!」

 

 叫びは届かない。

 ただ消えゆく立体映像を前に、Nは焦燥の雄叫びをあげることしか、できなかった。

 

「く、そォッ!!」

 

 ダンッ、と強く玉座を叩く。

 ゲーチスは今頃、準備とやらのためにどこかに潜んでいるのだろう。

 

「ボクは、君のために何もできないのか、イル……」

 

 ふらりとよろめき、絶望を浮かべる。

 どうすればいい。どうしたらいい。そんな言葉が頭の中を駆け巡る。

 思い返すのは、いつだってイルのことだ。あまり笑うことはなかった。だが同時に悲観にくれることもほとんどなく、いつも寂しげな顔を押し隠し、Nに柔らかな言葉を投げかけてくれた。

 

「そうだ、あのときも――」

 

 迷い、立ち止まり、どうにもできなくなったとき。

 Nを助けてくれたのは、誰よりも苦しんでいたはずの少女の言葉だった。

 Nの戸惑う背を押してくれたのは、誰よりも運命に翻弄され、絶望の中にいるはずの少女の、温かな声だった。

 

 

 

 

『Nは、頑張り屋さんだから』

 

 

 

 

 胸の裡から響く声。

 絶望から、闇から掬い上げてくれるのは、いつだってあの幼い少女だった。

 

「そうだね、イル。負けるわけにはいかない。何度だってぶつかるんだ。ボクの過去がなんであれ、ボクの父さんはあの人しかいない。だったら、ボクがぶつかる相手もゲーチス、父さんただひとり」

 

 Nは気持ちを入れ替えると、しっかりとした足取りで歩き出す。

 まずはゲーチスの行方。それから、現在のプラズマフリゲートの位置を確かめる。ゲーチスのことだ、もう、Nの端末やアジトの端末から連絡はとれないようになっていることだろう。

 

 だが、動き出した未来は、どんなに足踏みをしようと止まらない。

 いつも運命とは、常に常人の及ばぬところで嘲け嗤うのだから。

 

「N様、大変です!!」

「どうした?」

 

 玉座の間に飛び込んできたのは、アジトに残ったプラズマ団員の一人だった。

 彼はNを見ると大きく息を切らせながら、告げる。

 

「プラズマフリゲートが操作を失い暴走! 禍々しいポケモンとイル様のみを乗せ、上空に移動! 空間の歪みが発生して位置の特定ができません!!」

「なっ」

 

 運命は、常に先を歩く。

 その善悪にかかわらず、無情にも、敷かれたレールを踏み歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 闇が蠢く。

 最早、止めるモノもいないままに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二十九日

 

 

 終わった。

 やだなにこれどうしよう。

 

 

 

 

 

 どうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 






ゲーチスの設定は捏造です。

お持たせしました。


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秋の月 色んなことを自覚した日

 二日連続投稿です。前話を見逃した方は、そちらからどうぞ。


 

 

 秋の月 一日

 

 

 

 

 

 私はもしかしたら、盛大な勘違いをしていたのかもしれない。

 

 そもそもなぜ、プラズマ団をボランティア団体だと思い込んだままで居られたのだろうか。社長の行動をよくよく考えればおのずと見えてくる。どう考えてもプラズマ団はテロリスト集団で、認めたくはないが私はテロリスト集団の幹部で謎のポエマーだ。

 

 

 問題を解決する必要もあることだし、一度整理し直すために、また、この日記に活躍してもらおうと思う。どこかに糸口があるはずなのだから。

 

 

 

 そもそもおかしいということに気がついたのは、旧友との唐突な再会が切っ掛けだった。

 

 テンガン山、そしてやりのはしらで私を待っていたのは、頂上に突然出現した空間の歪みだった。イシュタルもセクトルも近づくことができず、一人歪みに引きずり込まれる私を、プラズマ団員たちは恐れおののき助けてくれる気配もなかった。驚きすぎて硬直してしまった私も悪いのかもしれないが、あんまりだ。

 

 歪んだ世界の中で私を待っていたのは、やけに懐かしい顔だった。いつだったか、留学した私の友達になったアカギ。彼は相変わらずの仏頂面で、にこりともせずに私に近づくと、おもむろに私に手を差し出した。

 

 その後、なにやらぶつぶつと「やはり新世界を紡げるのは君だったか」とか「最早ここに在るのは残滓。真に選ばれし者は君だ」とか「さぁ受け取れ。これが運命だ」とかとか。

 なにやら思春期っぽいことを並べたあげく、私に真っ黒なモンスターボールを差し出したのだ。

 

 受け取らなければこの空間から帰ることができないことなど一目瞭然。嫌々私が受け取ると、アカギはちょっとイっちゃってる笑みを浮かべて消滅した。なにそれ怖い。

 受け取ると、やはりそれがキーだったのだろう。私は、気がつけばやりのはしらの前に立っていた。

 

 私を見て顔を引きつらせて道を空けてくれる同僚。

 心配そうに私に付き従うイシュタルとセクトル。

 この時点で、私はもうあの妙に生きづらいブラックシティのベッドでも良いから、帰って惰眠を貪りたかった。

 

 

 

 書き直してみるとわかる。

 この時、この瞬間が、私の、私自身の心の平穏の、最後の瞬間だったんだ。

 

 

 

 プラズマフリゲートの奥。

 

 与えられた部屋の背後には、大きな空間がある。この場所にポケモンを置くと、そのポケモンが動力源となって、始めて“プラズマフリゲート”は完成する。そう私に告げるアクロマに、私は状況に追いつくことに必死で、ただ言われるままにモンスターボールを手に取ることしかできなかった。

 

 たくさんのプラズマ団員たちが見守る中、私はモンスターボールのオープンスイッチを押し、指定の場所に投げる。すると、背筋が寒くなるような恐ろしい波動が、部屋いっぱいに溢れ出した。

 

 

 

 その時の光景を、私はきっと、生涯忘れることはないだろう。

 

 

 

 胴体は、銀をベースに血色の紅と漆黒をストライプに。

 背から生える翼は夜の色で、まるでかぎ爪のように紅い爪が伸びている。

 身体の横から胴体の上半分を守る、肋骨のような鎧と、下半分から突き出した爪は黄金。

 頭を守る兜――あるいは髑髏――のような骨もまた、黄金。

 そして、ゆらめく焔のような深紅の瞳が、兜の間、深淵の闇から輝いていた。

 

 

 私はそのポケモンを知っていた。昔、アカギと調べた文献に記されていた世界の裏側に存在するポケモン。その力は、共に歩む人間次第。正に従えば世界の歪みを正し、負に従えば暴走して世界を歪ませる。

 

 名前は確か、ギラティナ。ギラティナ・オリジンフォルム。幸い、私は負の人間ではない。だから制御すれば良いと思った。

 (後になって一文ここに書き加える。私はその時、重大なことを見逃していたのだ)

 

 

 

 周囲に上がる歓声。

 

 彼らは皆、口々に己の欲望を叫び立てる。だがそんな声も長くは続かなかった。何故なら、誰にとっても予想外の事態が起きたからだ。

 ギラティナの、悲鳴のような咆吼。その声と共にプラズマフリゲートが“歪み”に浸食され、私以外の全員、イシュタルとセクトルまでもが船からはじき出されてしまったのだ。

 

 完全に操舵手の手を離れて、動き出すプラズマフリゲート。アカギから譲り渡された以上、支配権は私にあるはずなのに、言うことを聞いてくれないギラティナ。明らかにポケモンを兵器として運用することを前提に作られたとしか思えない船の主砲は、ギラティナの力を受け取って真っ黒に輝くと、やりのはしらをただの一撃で吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 そうして、夜の空を飛びながら、私は日記を書いている。

 

 なぜもっと早く気がつかなかったのか。せめて社長、いや、ゲーチス率いるプラズマ団がリュウラセンの塔を壊した時点で引き返さなかったのか悔やまれる。

 けれど、なぜかギラティナが私の指示を聞いてくれない以上、できることもないからこうして日記を書いていた。

 

 

 

 これからどうなるのだろう。

 不安や焦りが胸の中を埋め尽くすようで、眠りにつくこともできない。

 ギラティナに話しかけ続ければ、言うことを聞いてくれるだろうか? 私自身が犯罪者であるとわかってしまった以上、私が自分でなんとかするしか、道はない。

 

 

 だけどせめて、今日は、ただ疲れを癒やしたい。

 だから、たとえ眠ることができなくても、目だけは閉じて丸くなろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記。

 

 突然だが、モンスターボールにはポケモンのレベルを見る機能がある。ボタンを押すと、浮かび上がるのだ。それによると、ギラティナのレベルは八十八。中々の高レベルだ

 

 

 

 そして、この世界に生きる者ならば誰もが知っている一つのルールがある。

 

 

 

 

 ジムバッチを七つしか持っていないトレーナーの場合、『他人から貰ったポケモンは、レベル八十までしか言うことをきいてくれない』という不動のルール≪常識≫。

 

 

 

 

 

 ああ、おわった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――0――

 

 

 

「は、はは、まさか、こんなことが……」

 

 

 

 ――アクロマは、ゲーチスのように世界征服を志すような人間ではない。

 

 彼はストイックな研究者だった。

 寝食も摂らずに研究に没頭することもあれば、学会で表立って栄光を浴びることも、干されることもある。全ては己の研究のため。ポケモンの可能性を引き出すという彼の目的のために行ってきたことだ。

 ではそんな彼がゲーチスに付き従う理由は何か。勿論、ゲーチスのように巨大な組織の実質上のトップに君臨するようなものの傍に居れば、研究素材に困ることはないだろ。なにせ、非合法な研究も容認してくれるような、“懐の広い”スポンサーだ。

 だが、アクロマはあくまで友人として彼に付き従っていた。その理由は諸人が耳にすれば「なぜそんなことで?」と思われるかも知れない。

 

 アクロマは、ゲーチスの“古い”友人だから。

 

 犯罪の片棒を担ぐには、弱い理由だ。

 だが聞く人が違えば、ずいぶんと意味合いが違ってくる。

 

 アクロマは、ゲーチスが狂う前からの友人、なのだ。

 

 狂う前のゲーチスは、未だ若く未熟であったアクロマをずいぶんと助けた。

 彼が今こうして界隈で名を轟かすに至った土台に関わったのは、先輩で有り、また友人でもあったゲーチスの存在があったからだ。

 幸いなことに、アクロマは“犯罪”程度のことで自身の研究を躊躇する質ではない。だから恩に報いてゲーチスの元で腕をふるうことも、彼にとっては当然の範疇であった。今回のことも、そうして腕を揮った研究の一つだ。

 

 高エネルギー保持ポケモンを主動力に、電力をサブ動力にした飛行戦艦の建造。

 

 アクロマは存分に指揮を執り、納得のいく成果を生み出した。

 実験のために氷ポケモン十二匹を暴走させたところ、“主砲”は、海面を数キロに渡り凍結させたほどだ。

 実験結果。導き出される威力。そう、アクロマには頭の中に、“大きく見積もってもこれほどの威力”という青写真があった。だが。

 

「伝承に伝えられるポケモン。確認されていない伝説。まさか、これほどまでとは……!!」

 

 アクロマの眼前には、“なにもない”。

 かつてはテンガン山の頂上には、やりのはしらと呼ばれる一角があった。それがいまや跡形もない。

 すすに塗れた白衣を風にはためかせながら、アクロマは笑う。彼は自身の謳う“ポケモンの可能性”という言葉が如何に傲慢であったかを知ったのだ。そう、ポケモンは常にアクロマの小さな脳みそでは計り知れない力を秘めている。それを彼は自身の物差しでしか見ていなかったことを認めた。

 そして同時に、かつてのゲーチスが危惧していたモノを、心の底から痛感した。

 

 

 

 ――もしもポケモンが反旗を翻したら、矮小な人間にそれを止める手段は存在しない。

 

 

 

 ……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋の月 運命の鍵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

『い、イル様を乗せたプラズマフリゲートが、やりのはしらを消滅させ、上空に消えました。ひ、ひひっ、もう終わりだ! 俺たちはイル様の逆鱗に触れた、あひゃ、あひゃひゃ』

 ――ブツッ

 

 

 

 Nは端末を荒々しく投げ捨てると、かつてゲーチスが座っていた彼の研究室の椅子にどかりと座り込む。

 柔らかかった緑の髪はぼさぼさで、光を讃えていた双眸は闇に憂いている。あらゆる伝手を使って情報を集めたが、研究主任であったアクロマとすら連絡がつかないのが現状だ。

 

「クソッ!!」

 

 思わず悪態をつくが、事態は好転しない。

 Nはまだ正気を保っている部下が煎れてくれたコーヒーを口に含むと、ふぅと息をついて背もたれに身体を預ける。

 

「イル……君はいま、どうしているんだ?」

 

 問いかけは、むなしく空に溶ける。

 Nはその場でしばらく、気を落ち着かせるように瞑想をした。未だ心は定まらず、できることをやりきってしまった焦燥感が身を焦がす。ならば、どうするのか。

 

「まずは原点か」

 

 Nはおもむろに立ち上がると、タウンマップを開いた。イルを招き入れて、決別の時を迎えた場所。天に螺旋を描く龍の塔。

 思い浮かぶのは憂いに満ちたイルの横顔。そして自分が興味を持った初めての同世代の人間、トウヤ。彼と最後に交えたあの場所に行けと、アジトの外で羽を休めているゼクロムが語りかけているような、そんな気がした。

 

「行こう」

 

 そう、Nは立ち上がる。

 暗雲の立ちこめた現状を打破するために、その瞳に焦燥と苛立ちと、希望を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 Nがゼクロムを伴ってリュウラセンの塔にたどり着いたとき、空は既に茜色に染まっていた。

 もうすぐ夜が来る。暗く、人を惑わす夜だ。

 

「こんなことじゃ、笑われる」

 

 Nはそう頭を振ると、苦笑する。

 塔の前に立ち、見上げ、そして胸に手を当てた。

 

「ゼクロム? どうかしたか?」

 

 ゼクロムがNに、なにかを問いかける。

 だがNはゼクロムの反応を待たずして、その問いかけの答えを知ることになった。

 

「N……か?」

 

 見知った声。

 目を見開いて。振り返った先。

 静謐たる白炎を従えて、まっすぐとNを見つめる双眸。

 

「トウヤ……」

 

 その感情の名前は知らない。

 だが共に目指すモノは同じと定め、理想と現実の狭間に揺れる、生涯の相対者と定めた少年。

 

 レシラムを従えた、トウヤの姿がそこにあった。

 かつては、トウヤこそが己と相対し、その結末こそに希望の終着点があると信じてやまなかった。だが今はどうだ。

 信じていた道は揺らぎ、真に手に入れたいと願った席は遙か空に消えた。ならば今、不甲斐なくもイルを守れなかった自分が、どうしてこのライバルの前に立っていられようか。Nはそう恥じ入る気持ちで顔を俯かせる。

 

「N。イルはどうしてる?」

「イル、は――」

 

 隠すのか。

 Nは己に問う。

 答えは直ぐに出た。

 

「ゲーチスの策に嵌まり、姿を消した」

「なっ」

「ボクは――イルを、守れなかったんだ」

 

 自戒だった。

 守れなかった。それは誰よりも自身に課さなければならない十字架だ。Nは、だからこそトウヤに告げる。誰よりもイルを守っていたライバルに、罵られても仕方が無いのだから、と。だが。

 

「だったら、なんでおまえはここにいるんだ!」

「え……?」

 

 首を傾げるNに、トウヤは掴みかかる。

 だがその表情に怒りはあっても憎しみがないことに気がついて、Nは混乱した。

 

「な、ぜ」

「何故、って、なんだよ!」

「何故、君はボクを罵らない? そうするだけの資格があるはずだ」

 

 そうだ。

 トウヤだけが、おそらく誰よりも守れなかったNを罵る資格がある。権利が、ある。だがトウヤはその選択肢を選ばない。まるでそんな選択肢なんて存在しないと言わんばかりの表情で、Nの胸元から手を放した。

 

「そんなの、決まってるだろ……っ」

 

 トウヤはきつく唇を噛みながら、強く拳を握りしめる。そして何かを耐えるように伏せさせていた双眸を、強く、Nに向けた。

 

「イルは、自分からプラズマフリゲートに乗った。イルがそうしたくしてしたんじゃなくて、そうしなきゃならなかったからそうしたのは、わかる」

 

 ――だって、辛そうにしていたから。

 そう呟いて、トウヤは一度息を吐く。落ち着こうとしているのだろう。

 

「そりゃ、悔しかったし、怒りもしたさ」

「だったら」

 

 

「けど! それはNに対してもイルに対してもじゃない! イルのことを気がついてあげられなかった俺が、一番許せなかった!」

 

 

 血を吐くように告げるトウヤの言葉に、Nは我が身を貫かれたかのような錯覚を覚える。

 トウヤはイルを奪ったプラズマ団を、ひいては自分を憎んでいる。憎んでいなければ、おかしい。そう思い込んでいたNは、殴られるよりもずっと強い衝撃を覚える。

 それと同時に、唐突に理解した。何故イルがずっとトウヤと共に在ったのか。その理由は他ならぬ、Nも知っていた。同世代の中で唯一、自身の数式を崩す少年。そう判断して、ライバルだと宣言したのは、他ならぬN自身だったのだから。

 

「それに、Nは今、“守れなかった”って言ったじゃないか。それは、守ろうとしていたってことじゃないのか?」

「ぁ。いや、だが」

「だったら、俺はNに礼を言わなきゃいけない。だってNは、俺が守れなかったイルを、ずっと守ってくれていたんだから」

「違う! ボクは守ってなんか居ない! 守っていたのは! ……守られていたのは、ボクだ」

 

 イルがいたから、ゲーチスと向き合うことができた。

 イルがいたから、Nは道を違え踏み外すことなく、ここにあれた。

 

 守られていたのは自分だ。Nは、その言葉を噛みしめる。

 

「それでも、イルは守られていた。だって彼女は、誰よりも自分だけで抱え込む、寂しがり屋な小さな少女だから」

「トウヤ、君は――君は、誰よりも、イルのことを見ていたんだね」

「見ていることしかできなかった、だけだよ」

 

 そう、寂しげに笑うトウヤの横顔に、Nはイルの顔を重ねた。

 イルもまた、同じような笑みを浮かべていたことがある。その度に声をかければ、どこか安心したように表情を和らげてくれた。

 ああ、それがイルを守ると言うことだというのなら、やはりNは恥じなければならない。そんなイルの表情に助けられてきたのは、他ならぬNなのだから。

 

「だから、聞きたい。こんなところでNはなにをやっているんだ? 守れなかったんなら助けろよ。助けたいんだったら動け! もし、自分だけの力でどうしようもないんだったら、頼れよ!」

「え、ぁ」

「俺はおまえのライバルだ! ライバルだから、誰よりも互いを理解できる友達だ! だったら俺を頼れよ! 俺にできることなんてたかが知れているかもしれない! でも!」

 

 トウヤはまた、Nに詰め寄る。

 そして力強く右手を差し出した。

 

「一人でできないことだって、二人いればなんとかなる! それに、俺たちには、喧嘩ばっかりしてた伝説が後ろにいるんだ! 手を取り合えばきっと、伝説にもできなかったすごいことができる!!」

 

 理想の守護者と、現実の導き手。道を違えた二つの伝説が、もしも手を取り合ったら?

 Nは、己の視界が開けてくるような感覚を覚える。そして、ゆっくりと瞑目し、やがて手を差し出した。

 

「ボクに、力を貸してくれ。トウヤ!」

「ああ、任せろ! 一緒にイルを助けだそう! N!!」

 

 握り返した手は、なによりも熱を持っていたような気がした。

 なんでもできる。なんでもやれる。一人では闇しか見えてこなかった道が、光によって拓いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウラセンの塔。

 タウンマップを拓いて、トウヤはNと情報を交換する。

 

「つまり、ゲーチスはなにかの準備をしに消えたんだよな?」

「ああ、それで間違いない」

「俺も、レシラムを探す段階で、色んな人に色んなことを聞いたんだ。その中で、ひとつ、気になるモノがある」

「気になるモノ?」

「ああ」

 

 そういって、トウヤはタウンマップのある場所を指さす。

 

「サザナミタウンから十三番道路に抜けて、水道を越えたそのさらに奥」

「ここは?」

「ジャイアントホール。ここに――レシラムとゼクロムに関わりのある、もう一個の“伝説”がある」

「もう一つの、伝説……」

 

 トウヤが、Nの瞳を覗き込む。

 そしてどこか緊張した面持ちで、喉を震わせた。

 

 

 

「そうだ。ここにもう一つの伝説――“キュレム”が、いる」

 

 

 

 だとしたら、ゲーチスはそこにいるかもしれない。

 告げられた言葉に、Nは緊張した面持ちで頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 もう二度と開くことのない、次元の狭間。

 そこでかつて“アカギ”と呼ばれた亡者の残骸は、一人楽しげに笑っていた。

 

『ああ、やはりそうだった』

 

 歪みの中。

 上下も左右もない空間で、消えかけの亡者は嗤う。

 

『おれではだめだった。運命に打ち勝てず朽ち果てた。それはわたしが、おれが、真に支配者たる器がなかったからだ。だが、ああ、そうか、君ならば、君こそが王だったのか』

 

 嗤う。笑う。ワラう。

 

『さぁイルよ。この世界を打ち壊し、本当の世界を生み出してくれ。それが、それこそがギラティナの宿命。君に課せられた運命!』

 

 もはやその言葉に力は無く、意思は亡く、思想は喪い。

 

『あは、はははは、ははははははははっ!!!』

 

 ただ、狂気に満ちた虚無だけが、歪んだ空間に消えていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――






 ギラティナは皆さん予想がついたようですが、『バッヂを七つしか集められなかった』という伏線には気がつかれなかったと信じてる。

 お読みいただき、ありがとうございました。


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秋の月 覚悟を決めて閃いた日

 秋の月 六日

 

 

 

 色々落ち込んでしまったけれど、くよくよしていても仕方がない。

 気持ちを切り替えるためにも、日記を再開しようと思う。

 

 

 

 この五日間、私は雲の上でひたすら浮かんでいた。というのもギラティナはどうも久々に動いた影響で疲れ果ててしまったらしく、超高度の誰かに干渉されにくい高さまで上昇すると、そのままプラズマフリゲートの中で休眠状態に入ってしまったのだ。

 先日、落ち込みに落ち込んだ私は膝を抱えて子供のように泣きわめいてしまったが、そうしていても事態は進行するだけで何も好転しないということに気がついたのだ。そこで私は、一念発起して事態をどうにか好転できないか、考えてみることにした。

 

 

 

 

 

 前回の日記にも書いたことだが、私はおそらく“謎のポエマー”という電波系幹部だと思われているはずだ。それも誠に遺憾なことに、下っ端どころか同じ幹部にすら恐れられる中二病DQN系ポケモントレーナーでもある。泣きたい。

 これまで組織のために身を粉にしてきたわけだが、ここに至って自らの手持ちポケモンすら手放し裏切り。組織もさぞ困惑していることだろう。これを、どうにか利用できないかと考えてみる。箇条書きで、とりあえず書き連ねていこう。

 

 

 

・イルちゃんは正義の味方。みんなの為にテロリストにスパイ☆

・イルちゃんは何も知らなかった。だから悪くないよ!

・イルちゃんは人質を取られて仕方なく組織のために働いていたのだ♪

・イルちゃんは哀れ悪逆非道のゲーチスに操られていたっ!

 

 

 

 我ながらテンションがおかしい。見返したときに悶えることになるのはわかりきっているが、今は現実逃避させて欲しい。切実に。

 

 

 で、まずは一つ目。スパイ大作戦。

 もしこの場でギラティナを制御できるのであれば、この作戦で大丈夫だろう。だが現実的に私はギラティナを制御できず、この有様だ。スパイも何も主犯だろう。

 

 

 次に二つ目。巻き込まれ系女子。

 何も知らなかったと言い逃れはできないことに気がついた。なんといっても私は、自主的に会社の状況をポエム調で報告していたのだ。よくよく思い出してみれば、ポエムの解釈によっては言い逃れできない。詰んだ。

 

 

 では三つ目。人質被害者スタイル。

 そもそも私は天涯孤独。唯一のズッ友も、ギラティナの時の様子を見るに極悪人臭がでている。なぜ留学中に本国で起きた事件を調べなかったんだ、私は。辛い。

 

 

 ならば四つ目。ゲーチス黒幕説。

 ゲーチスがうまいこと逃げてくれればこれでどうにかなりそうなものだが、あの人はアレで中々アレなひとだ。逃げ切れはしないだろう。というか、ゲーチスの最終兵器を私がこうして悲惨なことにしてしまったのだ。ゲーチスが捕まった時点で人生終了。連座でさようなら、だ。ころせ。

 

 

 では、どうしたらいいか。

 と、ここまで書いていて思いついたのだが、もしかしたらこれらを多少複合してアレンジすれば、何とかなるかもしれない。

 

 

 操られていた。誰に?

 たとえば、言葉を喋れず、現在進行形ではっちゃけてしまっている存在に。そう、船を乗っ取り、都合よく私だけを取り込んだ、正体不明の伝説ポケモン、とか。

 

 いつから操られていた?

 私は就活難民になるすこし前、両親の墓参りに赴いている。本人の希望で名も無い島に埋葬しているし、レンタルポケモンに乗って行ったから渡航記録もあってないようなものだ。その時に、どこかでなにかあってもおかしくはない。

 

 操られていたという証明は?

 誰というわけでも無く、誰もが証言してくれるはずだ。私のことを“謎めいた言動を繰り返す女”だと。

 

 

 これならば、何とかなるかもしれない。

 いつもの、所謂“遠回しな言い方”で、私が操られている旨とポケモンが、こう、世界を滅ぼそうとしているとでも言って捕まえて貰う。言うことは聞かなくても主人に危害は与えないからという理由で使わなかった、ポケモンを“逃がす”という手段も、誰かがギラティナにモンスターボールを投げる直前にでも行使すれば良い。

 私はその間、ポエム調を意識しながらこのほとんど動かない顔面筋を、更に意識してぴくりともしないようにすれば万全だ。

 

 

 

 最早、ここまで来たら全てが全てギャンブルだ。

 覚悟を決めよう。どのみち私は、後戻りなんかできないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記。

 どこからどんな手を使ったのか、トウヤとNから映像通信が入ったので、二人の前で早速実践してみた。

 だが、今までどうしていたのか、意識してポエムというのはかなり難しかった。うまくできていたかまったくわからない。どうしよう。先行き不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――0――

 

 

 

 ――そこは、美しい緑に満ちた場所だった。

 

 たくさんのポケモンたちが、二つの影を囲っている。

 一人は少年。まだ、はっきりと喋ることもできない子供だ。

 一人は女性。身体に痛々しい火傷の痕が走り、衰弱している。

 

『どうか、この子を』

 

 小さなポケモンが頷いた。

 

『まま? いたいの?』

『この子を、お願いします。わたしの、たからもの』

『……まま?』

 

 大きなポケモンが、差し出された少年を受け取る。

 宝ものに触れるように、恭しく。

 

『だいじょうぶよ。あなたなら、きっと』

『まま? やだ、やだよ、まま! いかないで!!』

 

 ポケモンたちに守られる少年を見て、女性は微笑む。

 死に瀕しているとは思えない、穏やかな笑みだった。その笑みが、少年には辛いモノだとしても。

 

『大丈夫、よ。あなたは――ハルモニアの、名前を継ぐ、男の子なんですから』

『いやだ、まま! ままー!!』

 

 静かに目をつむる女性から、少年が引き離される。

 あとには、ただ嗚咽だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋の月 切り拓く力

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 地の底から、音が響く。

 悲鳴のように。

 怨嗟のように。

 懇願のように。

 暗く、昏く、深く響く音。

 

 ――ジャイアントホール。

 季節違いの雪原に囲まれたその場所に、トウヤはNと連れ立っていた。

 

「寒い……」

「間違いない。キュレムだ」

 

 ゲーチスに気がつかれると、逃げられるかも知れない。そう告げたNの言葉に納得して、トウヤはイシュタルとセクトを連れ、ジャイアントホールまで足を運んだ。

 

「ここからは、より慎重にいくよ、トウヤ」

「ああ、N。イシュタルとセクトも、よろしく」

 

 イシュタルとセクトは、他のポケモンよりもはるかに意思疎通ができた。たったこれだけの言葉を理解して、しっかりと頷いてくれる。イルのポケモンたちが、応えてくれている。そのことが、今は何よりも心強かった。

 

 ジャイアントホールに踏み込むと、寒さは一段と強くなる。

 トウヤとNはイシュタルに暖めて貰っているからなんとかなっているが、そうでなければ判断力すら危うくなってしまいそうな、そんな凍てつく寒さだ。

 時折肌をさすりながらも、Nの感じる“気配”に導かれるまま、迷うことなく進んでいく。そうして進めば、レシラムに認められたトウヤもまた、だんだんと色濃くなっていくキュレムの“気配”に、気がつき始めた。その気配は、一言でいえば“空虚”。もしくは“欠落”であろうか。どこか、心の隙間を突かれるような恐怖が、そこにあった。

 

「トウヤ」

 

 あと一歩。

 自然とそう感じていたとき、トウヤは不意にNに呼び止められる。

 

「イルが危ないときに、ごめん。だが、少しだけ、父さんと話がしたい」

 

 帽子で目元を隠したNの表情は、真横から見るトウヤの視線から遮られている。だが強ばった、緊張した一言であることは容易に窺えた。

 だから、トウヤは苦笑する。苦笑して、強めにその背を叩いた。

 

「……イルを助けるのに必要なのは、総力戦だ。迷いや不安は全部解消してからじゃなきゃ、助けられるモノも助けられないよ」

「トウヤ……キミは」

「ただし!」

 

 指を立てて、なるべく気楽に笑う。

 それが、トウヤがNに“できること”だと、信じて疑わないかのように。

 

「ひとりで抱え込むな。乗り越えるときは“一緒に”だ。いいな、好敵手(N)

「ああ――ああ、約束だ、好敵手(トウヤ)

 

 もう、Nは帽子を下げない。

 ただ先を見据える瞳は、強く輝いているように見えた。

 

 

 

――2――

 

 

 

 階段を降り、進む。

 色濃くなった気配。

 重圧すら感じる存在感。

 

「――いた」

 

 どちらからともなく、声が漏れた。

 

 Nは、不意に隣を見る。

 同じ少女を好きになって、最初は敵同士で、互いに認め合った仲になった。自分が誰よりも信頼を置く少女が、誰よりも気にかける存在。その理由(みりょく)を、Nは納得しつつある。

 だからこそ、誰よりも負けられない。

 だからこそ、誰よりも背中を任せられる。

 

 今日、この日、この場でNは父と、運命と対峙する。それは不安で仕方の無いことであるはずなのに、トウヤが隣にいるだけで、どうになかなってしまうような気がしてならなかった。

 

「いこう」

「ああ」

 

 Nの呼びかけに、トウヤは頷く。その足取りには迷いも恐怖も、なかった。

 足を進めると、Nの視界に見慣れた緑色の髪が見えた。地面に機械杖を突き立てて、蹲る大きなモノに語りかけている。

 

「きたか」

 

 声が響いた。

 重い声。媚びる声でも、叱責をする声でもない。Nの知らない声だ。

 

「ハルモニアの名を継ぐべきモノが、ククッ、まさか女に惑わされてその役目を忘れるとは……。まぁ、彼女のすることですから、しようのないことかもしれませんが、ねぇ」

 

 ゲーチスは、Nたちに向かってゆっくりと振り返る。

 その顔に焦りや憎しみはない。ただ淡々と受け入れ、あるいは喜んでいるようにさえ見えた。

 

「とはいえ、前にも懇切丁寧にご説明いたしましたとおり、アナタは所詮、ワタクシが森で拾った子にすぎません。ハルモニアの血を継ぐ資格がないのであれば――」

「本当に、そう見えるのか? 父さん」

 

 前の彼ならば、否定されることに、拒絶されることに震え上がっていたことだろう。

 だが今は違う。父を思う気持ちに、気がつくことができた。誰かを信頼するということを、知ることができた。ひとを愛するという気持ちに、心を委ねることができた。

 

 だからNは、踏み出す。

 もう彼を押し殺す枷は、どこにもないのだから。

 

「父さん、あなたはボクを森で拾ったと言ったね」

「否定しても、無駄ですよ。事実は覆らない」

「そうだ。“事実は覆らない”んだよ、父さん。ボクは森で拾われた。それはいいんだ。“思い出した”から。でも、そうじゃないんだ。事実はもう一つあるんだ!」

 

 トウヤは、一歩引いてくれている。

 信頼を向ける友がいる。ポケモンも、人も、みんなが背中を押してくれる。ならば、Nに躊躇う理由はない。

 

「ポケモンに治療を受け、ボクを二年間も守ってくれた“母さん”の存在を、あなたは知っていますか?」

「ほう、親の記憶がありましたか。どこの誰かなどワタクシは――」

「聞いてくれ、父さん!」

 

 ゲーチスは、絶え間なく杖についたコンソールを動かしている。時間稼ぎの一環なのは、Nとて理解していた。それでも、Nには言わなければならないことがある。

 トウヤと邂逅し、己を見つめ直して、それから解き放たれたように見た夢。その夢には、幼い自分に手を伸ばす、優しげな顔の母がいた。

 

『いい、あなたのお父さんは――』

 

 その声を、忘れたままにしておけるはずがない。

 

「っ……父さん。ボクの母さんの名前を、知っているか?」

「アナタもしつこいお方だ。ですからワタクシは――」

「――“ナズナ”」

 

 Nの言葉に、コンソールを動かしていたゲーチスの手が止まる。

 狂気に染まりきっていたはずのゲーチスの時が、止まってしまったかのようにも見えた。

 

「母さんは、よく話していたよ」

「――さい」

「ナズナ、という名前には“七”という言葉が隠れている。父の名前は七文字だから、お揃いだ、と」

「――り、なさい」

「『だから、子供できたら、“七”に関わる名前を付けたい』」

 

 Nは静かに暗唱する。

 思い出して、それから片時も忘れることのない会話の数々を諳んじていく。

 

「『あの人は、いつも頑張りすぎてしまうから、子供ができたら振り返ってみて欲しいの。だからね、あなたにこう、名付けたのよ』」

「だま、り、なさい」

「『“Ghetsis”の七文字。一番最初の“G”から七つ振り向いて、私の“ナズナ”と合わせた名前。なんにでもなれる。それこそ、王様にだってなれちゃうような無限の可能性を持つ子供。だから貴方の名前は、“Name”から、“a me(私)”を抜いて、N』」

「黙れ、黙りなさい、黙れ黙れ黙れ黙れッ」

「『ふふ、お父さんによく似た、キザっぽくて格好良い名前でしょう?』」

「だまれぇぇぇぇぇっ!!!」

 

 ゲーチスの慇懃無礼な仮面が剥がれ落ち、憤怒の表情が浮かび上がる。

 その憎しみに満ちた顔こそが、ゲーチスの本来の思いに満ちた、顔なのだろう。

 

「今更、今更だ! なにがあろうと最早振り返ることなどできはしない! 死んだ彼女に報いる術は懺悔などではない! この歪みきった世界への報復だ!!」

 

 Nは、真正面からゲーチスの言葉を受け止めて、初めて思い知る。

 ゲーチスの本当の目的は、ゲーチスの本当の願いは、世界征服なんかではなかったということを。

 

「あなたが、父さんが世界に報復するというのなら、ボクは父さんを止めるよ。それが、この世界を、貴方を愛していた母さんに、報いる術だから!」

「“私”を父と呼ぶなッ!! ナズナが愛した世界は、他ならぬナズナ自身に牙を剥いた! その怨嗟を、その悔しさを忘れたというのなら、貴様に刻みつけてくれようぞ!!」

「っ、父さん!!」

 

 ついに、キュレムがその身を起こす。

 ゲーチスとある程度同調しているのだろう。その瞳は怒りによって染まりきっていた。

 

「父さん、貴方はボクが、いや――ボク“たち”が止める!」

 

 Nの言葉に、トウヤはひとつだけ頷くと、モンスターボールからレシラムを呼び起こす。同時に、上空に控えていて暮れたゼクロムもまた、ジャイアントホールのぽっかり抜けている天井から降りた。

 イシュタルもセクトも、援護をするように構えている。Nはその頼もしさに、緩む頬を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 機械によって増幅されたキュレムの力は、すさまじいものだった。

 斜めになぎ払われた冷凍ビームは、篤い岩盤をも切り裂き凍らせる。生身であったらと想像するだけで、Nは寒気を覚えてしまう。

 

「N、当たったら終わりなら、当たらなければ良い!」

「トウヤ、言うは易し、だよ!」

 

 ゼクロムとレシラムは自前でガードができるし、イシュタルとセクトルは上手に避けている。だが、そうはいかないのがトレーナーだ。

 キュレムの猛攻を避けながら、キュレムを落ち着けさせようとするが、中々上手くことは運ばなかった。

 

「キュレム! 【こごえるせかい】!」

 

 キュレムが全身から冷気を噴出する。するとキュレムを中心に霜が降り、Nたちはあっという間に動きのほとんどを封じられてしまった。

 

『力を貸そう、主の友よ』

「セクトル! ああ、頼む!」

 

 そんなときだった。

 援護に徹していたセクトルが、飛行形態に変形してNをその背に乗せる。見れば、トウヤの方にはイシュタルが付き、火の粉を散らして体温の低下から守っているようだった。

 

「ゼクロム!」

 

 指示は必要ない。

 あるのはただ、友への願いだけ。

 

「レシラム!」

 

 指示は聞こえない。

 あるのはただ、(ライバル)への想いだけ。

 

 だから。

 

「信頼など、愛など、なんの役にも立ちはしない! 愛する人間を失うだけの世界に、価値などない!」

「母さんが愛した世界だ!」

「その母を殺したのもまた、世間(世界)だ!」

「だから憎むのか? それでいいのか? 父さんは、母さんの想いを“なかったこと”にして、本当にそれでいいのか!」

「……私が間違っているというのなら、わからせてみせろォォォォッ! キュレムッ! 貴様の嘆きをッ、貴様の怒りをッ、貴様の憎しみの叫びを響かせよ!! 【ハイパーボイス】!」

 

 強力な音波攻撃。ポケモンならほとんどのものが覚える“なきごえ”の発展系にして、最終形。単純故に命中率は非常に高く、威力も高い。

 怨嗟の声に乗せられたそれを打たれれば、ポケモンたちがダメージを負うだけで無く、Nたちにも計り知れないダメージが与えられることだろう。だからこそ、狙うは相殺。そして、そのための準備はできている。

 

「N! 露払いは任せてくれ!」

「ああ、トウヤ!」

 

 躍り出たレシラムが、尾に宿る機関を高速回転させる。

 溢れ出る力に宿るのは、守護の想いか。レシラムが翼を広げながら咆吼すると、×字の炎が迸る。

 “クロスフレイム”。レシラムだけが持つ炎の波動砲が、ハイパーボイスをたたき割る。

 

「なに?! だが、まだ――」

「おおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 そして、続くのはN。

 セクトルに乗り、ゼクロムの真後ろに張り付く。ゼクロムはそんなNの姿を確認するまでもなく、尾の機関を高速稼働させ、その翼に高圧電流を纏わせた。

 これは、この二体にだけ許された技。片方が放った直後、空間に残留する“ドラゴン”の力をブースターにすることにより、後に続く仲間の攻撃の威力を増幅させる技。

 

「うちぬけッ! ゼクロム!!」

「ばかな、キュレムの、私の憎しみが、こんな――!」

 

 稲妻が走る。

 落雷が大地を砕くような激しい音が響き、キュレムを切り裂く。キュレムはその攻撃に耐えられるはずもなく、大きくはじき飛ばされて、洞窟の壁に激突した。

 

「憎しみに勝るモノを、ボクは知ってるよ」

 

 ポケモンたちの心。

 トウヤ()が差し伸べた手。

 イルの慈しむような優しい瞳。

 母が、命を賭けて繋いでくれた、愛。

 

「父さん。あなたも本当は、知っているはずだ」

 

 地面から機械杖が抜け、膝を突くゲーチスの足下に転がっている。俯くゲーチスの表情は、見えない。

 

 

「――『もし、あの人が、道に迷っていたら教えてあげて』」

 

 

 Nがそう諳んじる。

 すると不意に、ゲーチスの肩が揺れた。

 

「『私とあの人の最初の言葉。きっと、それを忘れてしまっているだけだから。それさえ思い出せば、あの人は迷わない。だって、私が愛した人だから』」

 

 もうほとんど掠れてしまったはずの、幼い頃の記憶。

 思い出したのは偶然か、それとも――。

 

「『誰もが対等に――」

「――笑うことが許される、優しい世界を作ろう」

「父、さん」

 

 淀みなく出てきた言葉に、Nは目を見開く。

 

「ナズナめ……。余計なことまで……。貴様の信頼は、いつだって重い」

 

 ゲーチスは、機械杖をよりどころに、ふらりと立ち上がる。

 その瞳にこれまでの狂気はなかった。

 

「ワタクシはこれより敗者です。煮るなり焼くなり――親子ごっこをさせるなり、ご随意に」

「親子づきあいは、あなたが自分からしたいって言うまで母さんの思い出語りをするから大丈夫。それよりも、今は」

 

 Nが視線を向けると、トウヤは強く頷いてNの隣に立つ。

 

「今は、イルのことが先だよ、父さん」

「ふん……イル、か。ならば己の瞳で確認すればよろしい」

「え?」

 

 ゲーチスは杖を再び地面に突き立てると、コンソールパネルになにかを入力していく。

 

「外部の電波も通信機も、ギラティナに取り込まれていれば使用不可でしょう。だが、この杖ならば、事情は変わります。この杖は特別製で、キュレムを手中に納めたときのように、ポケモンの発する音波や電波を機械に乗せることができますゆえ……このように」

 

 Nとトウヤの眼前に、ホログラフ画面が浮かび上がる。最初は強いノイズが走り、やがてだんだんと画質が鮮明になっていく。

 そこに現れたのは、涙の後を色濃く残し、眠るギラティナに祈りを捧げるイルの姿だった。

 

「「イル!!」」

 

 二人の呼び声に、イルは応えない。

 ただ延々と、祈りを捧げる。

 

『願いに従い、我は請う。願いに従い、我は祈る。汝は怨嗟、汝は憎悪、汝は憤怒の裁定者なり』

「イル!」

「なるほど、浸蝕ですね」

「浸蝕?」

 

 ゲーチスの言葉に、トウヤは首を傾げる。

 

「おそらくワタクシに出会ったときには既に、ギラティナからの干渉を受けていたのでしょう。もとより、彼女の経歴には欠落が多すぎます。最初の内は予言めいた言動はあっても、彼女自身から発せられた言葉でした。ですが、今は……」

 

 画面の中のイルは、祈りの言葉を捧げ続けている。

 その姿には強く違和感を覚え、Nは想わず眉をひそめる。

 

「言わされている。そうだね、父さん」

「……そうでしょうな」

 

 直後、ノイズが強くなり映像が途切れる。

 

「それで、どうするのですか?」

「キュレムと、ゼクロムとレシラムがいれば、ギラティナにだって打ち勝てる」

「ふむ、では持って行くがよろしいでしょう」

「ああ。連れて行くよ、父さん」

 

 Nはそう、不敵な笑みを浮かべる。

 その見せたことがない悪戯っぽい表情は、隣に立つトウヤが思わずぽかんと口を開けて固まってしまうほど、ゲーチスに似ていた。

 

「キュレムの指導者が必要だ。で、敗者はご随意に、だったよね? 父さん」

「ちっ……いいでしょう。ですが今回だけですよ、N」

「十分」

 

 差し出された手を、Nは取る。

 にらみ合うようにあわされた視線が、Nにはなぜだか心地よい。

 

「じゃ、三人でイル救出隊結成! だな、N、ゲーチス!」

「ああ!」

「ふん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――こうして、本来交わるはずのない三人が手を取り合う。

 ――目指すはただ一つ。空に根ざすプラズマフリゲート。

 ――そこでただ祈りを捧げる、幼い少女のために……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――





ゲーチスの設定は捏造です。
ポケモンの全ての登場人物を把握し切れていないので、お母さんの名前が被ったら申し訳ありません。

2016/01/07
元ネタを教えてくれた方、ありがとうございます。
2016/01/08
誤字修正しました。
ご報告、ありがとうございます。


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秋の月 色々乗り越えた日

※今回は日記が後になります。


 

――0――

 

 

 

 ――テンガン山、やりのはしら跡。

 

 準備を終えたトウヤは、かつてやりのはしらが建っていた場所から、空を見上げていた。

 四方に続く雲一つ無い蒼穹。けれどその中央、トウヤの真上の空だけは黒い雲に覆われ、歪んだ空間によって“孔”が穿たれていた。

 次元の歪み。ギラティナによって生み出された混沌は、時折、漆黒の稲妻を奔らせている。

 

「トウヤ……それは?」

 

 Nに問いかけられて、トウヤははっと我に返る。

 

「イルが、俺の家に置いていったんだ。その時にはたぶん、こうなることを予測していたんじゃないかなって、思う」

 

 傷薬やげんきのかけらなどのアイテムを準備している最中、母から渡された小さな箱。

 イルの忘れ物だとという古い木の箱を悪いと思いながら開けてみると、そこには一つのモンスターボールが入っていた。

 トウヤは箱を開けて、それを取り出してみせる。

 

「ほう」

 

 そう、感心したように零すのはゲーチスだ。

 

「クックックッ、なるほど。使い方を誤らないことです。さすれば“それ”は、我らの勝利の鍵となりましょう」

 

 紫と赤のボディ。

 特徴的な、Mの刻印。

 

「マスターボール……」

 

 それこそが、イルの残した鍵だ。

 

「行こう、N! ゲーチス!」

「ああ、トウヤ!」

「今回限りです。大人しく、従いましょう」

 

 トウヤの前には白。

 純白と紅蓮を纏う伝説、レシラム。

 Nの前には黒。

 漆黒と稲妻を纏う伝説、ゼクロム。

 ゲーチスの前には青。

 蒼淵と氷河を纏う伝説、キュレム。

 

 伝説に付き従うのは、赤と黒。

 太陽を掲げし火炎の徒、ウルガモス。

 忌まわしき研究からの解放者、ゲノセクト。

 

 歪みに覆われた太陽を救い出すために、伝説が立ち上がった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋の月 光の向こう側へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 鳥ポケモン、あるいはドラゴンポケモンであっても寄せ付けないような歪みの嵐も、伝説のポケモンが航路を切り拓けば話は別だ。

 歪みを突っ切り、暗雲に飛び込んだトウヤたちが見たのは、雲よりもはるか上の高度だというのにところどころに切り分けられたような足場が見える、歪んだ空間であった。

 

「小僧、N、うかつに足場以外の場所に降り立とうと思いますな。二度と、現世には戻れませんよ」

 

 ゲーチスの声も、心なしか硬い。

 トウヤたちはレシラムたちの助力があるからまっすぐ飛んでゆくことができるが、これがもしそうでなかったら、上も下もわからないような空間で永遠に彷徨うことになるだろう。

 気が狂いそうになるほどの恐怖――そんなものよりも、トウヤは、この空間にイルが居続けていることの方がはるかに怖かった。

 

「トウヤ、見て!」

 

 Nの言葉に、トウヤははっと顔を上げる。

 切り分けられたような場所しかなかったはずなのに、そこは一転して広かった。

 地図を無理矢理寄せ集めたような景色。大地には水が流れている。だがその水はエメラルドに輝き、どこから来てどこへ落ちているのかもわからない。そのだだっ広い空間の中心に、プラズマフリゲートが停泊している。

 トウヤはNたちに目配せをすると、プラズマフリゲートの甲版に降り、いったんレシラムたちをモンスターボールに戻す。

 

「中で彼らを出すことができるスペースがあるのは、動力室のみです。そしてそこに、件のポケモンとイルもいるのでしょうな」

「わかった。なら――行くよ、ダイケンキ!」

 

 トウヤがモンスターボールからダイケンキを呼び出す。

 同時に、イシュタルがNを護るように動き、セクトがゲーチスを護るように動いた。変則的なトリプルバトルだ。

 

「行こう」

 

 緊張したトウヤの声に頷くと、ゲーチスが前に出る。案内役は、道を知る彼が相応しい。

 

「この黒いヒビはなんだろう、父さん」

「浸蝕でしょうねぇ。かのギンガ団総帥、アカギが打ち倒されるときに傍に居たギラティナはここまでの力を有してはいなかったようですが……真の宿主では力の心地も違うと見える」

「ギラティナ……」

 

 ギラティナ。

 ゲーチスから聞かされたその名を、トウヤは噛みしめるほどに呟く。

 最終決戦を目前に幾度となく調べたポケモン。ゴーストタイプとドラゴンタイプを併せ持つ、蜃気楼がごとき伝説。

 宿主が悪であれば悪に、善であれば善に。本来はそうやって宿主によって性質を変えるはずだったポケモンも、今は暴走状態にある。

 

「過ぎたる力は身を滅ぼす。イルにとって、彼女のようなずば抜けた存在にとって、たとえギラティナでさえ“過ぎたる”というほどの物ではないでしょう。ですが――」

「ギラティナにとって、イルは“過ぎたる力”だった。そうだね、父さん」

「――ええ。かの伝説が、己を押さえることができぬほどに、ねぇ」

 

 ギラティナでさえ正気を失う器。

 それがイルであることは明白だ。あの日、あの場所で出会った小さな少女は、今も狂気に侵されながら、深奥に封ぜられている。

 

「来ましたよ!」

「ッ」

 

 彼らの前に現れたのは、影のような身体のポケモンたちだ。

 ヘルガー、ドンカラス、マニューラ、ギャラドス、クロバット。実体はなく、あっても時々ぶれるような不安定な存在。

 だが問題は、その数だ。彼らはプラズマフリゲートに奔る黒いヒビから滲み出るように、無数に存在していた。

 

「突っ切るぞ、穿てダイケンキ! ハイドロカノン!」

「イシュタル、我らが太陽に導いてくれ! ぎんいろのかぜ!」

「セクトル、力を借りますよ。でんじほう!」

 

 シャドウのポケモンたちをかき消しながら、走る。

 ただ決意だけを、瞳に秘めて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 幾重にも重なるシャドウのポケモンたちを退けた先。

 大きなゲートを前に、トウヤたちは足を止める。

 

「ゲーチス……」

「ええ、ここです」

 

 彼の言葉に頷くと、トウヤはゲートの前に立つ。

 すると、なんの承認も行っていないのに、自然とゲートが開いた。誘われている……の、ではない。

 

「イル……君は」

 

 イルが、ギラティナの気を逸らしてくれたのだろう。

 だだっ広い空間。その中央の台座に座り込み、ひたすらに祈りを捧げる幼い姿。

 その後ろでうなり声を上げる巨大なポケモンこそが――ギラティナだ。

 

「行こう、レシラム」

 

 ダイケンキを戻し、呼び出すのはレシラム。

 Nの前にゼクロム、ゲーチスの前にキュレム。そして、彼らの後ろにイシュタルとセクトルが控える。

 

「イル! 俺たちが、ぜったいにイルを助ける! だからそこで、待っていてくれ!」

 

 トウヤたちがレシラムたちに指示を出すと同時。

 ギラティナが動き出す。その巨体からは考えられないようなスピードで空を舞うと、彼は自身の正面の空間を歪ませて、不可視の弾丸を放った。

 

「はどうだん、ですか!」

 

 そういって冷凍ビームを放ったのは、キュレムだ。

 先制攻撃は防いだ。ならば次は、攻撃だ。

 

「ゼクロム!」

「レシラム!」

 

 多くの言葉は必要ない。

 ただ、自分が信じるポケモンと、自分を信じる親友に合わせればそれでいい。

 

『クロス』

「フレイム!」

「サンダー!」

 

 二極の光が、互いを増幅しながら迸る。

 その強大な力は、しかし、ギラティナには届かない。出力が足らなかったのか、ギラティナにたどり着く前にかき消えた。

 

「ッ」

「トウヤ、もう一度だ!」

「ちッ! キュレム!」

 

 冷凍ビームでギラティナの攻撃を相殺するキュレム。

 長所を生かし切れないレシラムとゼクロム。このまま無駄に時間が過ぎれば、イルがどうなってしまうのか。

 焦り。焦燥が、トウヤたちの身を焦がす。

 

「分の悪い賭けは嫌いなのですが、仕方ありません」

「父さん?」

「良いですか。成功率は低い。けれど、現状を打破する手段があります」

「やろう!」

「やろう!」

 

 即答。

 トウヤとNの言葉は、力強いものだった。

 

「まったく、後先考えない子供ですねぇ」

 

 そう良いながらも、ゲーチスはどこか納得したような顔だ。

 

「――もともと、ゼクロムとレシラムは一体のポケモンであり、キュレムはその接合部のような部分に過ぎませんでした。で、あるならばキュレムを介して、元の姿に戻すことも不可能ではない、はずです。理論上は、とつきますがね」

 

 ゲーチスが言い終わると同時に、イシュタルとセクトルが前に出る。

 その背中が何を言っているのか、わからないトウヤたちではない。

 

「やろう、N」

「行くよ、父さん」

「ええ、ええ、まったくしようのない」

 

 キュレムを中心に、レシラムとゼクロムが並ぶ。

 するとその願いに呼応するように、彼らの身体が輝く。

 

「作法も知らず、儀式もなく。これが、新世代の力というワケですか。道理で、ワタシが――私が、及ばない訳だ」

 

 やがて、輝きが収まる。

 キュレムの双銀を纏うのは、黒と白がバランス良く混在した龍。

 その背からは黄金の粒子が迸り、その尾からは紅蓮の光が溢れ出す。

 

「カオスキュレム。あるいは――オリジンキュレム」

「これなら」

「ああ!」

 

 トウヤたちの願いに呼応するように、足止めをしてくれていたイシュタルとセクトルの背を飛び越えてオリジンキュレムが飛び出す。

 その姿を見てギラティナは危機感を覚えたのか、自身の眼前の空間を歪ませた。

 

「シャドーダイブはさせませんよ! フリーズボルト!」

 

 ゲーチスの声に呼応して、ギラティナに吹雪を纏った稲妻が直撃する。

 ギラティナはシャドーダイブを阻止された次の瞬間には身を翻し、りゅうのいぶきを放った。

 

「コールドフレア! キミを正気に戻すためだ。ボクはキミを止めるよ、ギラティナ!」

 

 氷雪を纏った炎が、ギラティナのりゅうのいぶきに激突。

 相殺ではすまず、ギラティナはその余波にさがる。だが、この空間はギラティナを補助しているのだろう。ギラティナの攻撃こそ強くなってはいないが、傷の治りは異様に速い。

 なにか、なにか手はないか。千日手の状況を前に、トウヤは周囲をよく観察する。そして――

 

「N! あれ、見えるか?」

「? ……あれは、黒いモンスターボール?」

 

 祈るように手を重ねるイル。

 その掌に挟まれているモンスターボールを、トウヤは見つけた。

 

「N、小僧、良いですか、イルに呼びかけなさい。イルは、ギラティナの解放を試みようとしているぞ!」

「!」

 

 ポケモンの解放。

 モンスターボールから解き放たれたポケモンは、他のモンスターボールで捕まえられるようになる。

 もしもギラティナを簡単に逃がしてしまえるような状況では悪手だが、こうして押さえられる今ならば、モンスターボールを“当てられる”。

 そして、イルの残してくれた“鍵”があれば――。

 

「イル! 俺は、俺はずっとイルに頼ってきたし、甘えてきた。イルは俺よりもずっと小さな女の子なのに、ずっとずっと大人で――イルに、背負わせてばかりだった」

 

 だから、気がつけなかった。

 だから、イルを孤独にさせた。

 けれど、トウヤはイルをまっすぐと見つめる。

 

「だから、次は俺の番だ。俺がイルを守る。俺は、だって、俺は――」

 

 燃えさかる炎のような深紅。

 炎の中に煌めくエメラルドグリーン。

 表情はあまり多くない。けれど時折見せる横顔は、憂いと慈しみに満ちていた。

 

 笑顔を見たこともある。

 トウヤに優しく微笑んで、頭を撫でてくれたことがある。

 だがなんの憂いもなく笑ったことは、きっとなかった。

 

 そう思えば、わかる。

 トウヤは見たかったのだ。屈託なく笑う、最愛の彼女の笑顔が、ずっと、ずっと見たかった。

 

「――イルのことが、好きだから」

 

 Nの苦笑が聞こえる。

 先を越された、なんて背中を押してくれる親友。

 ゲーチスのため息が聞こえる。

 ただ、何も言わずに守ってくれる彼の背は、父のようだった。

 

「帰ろう、イル!」

「――――」

 

 そして。

 

「――――っ」

 

 黒いモンスターボールにヒビが入る。そのヒビは徐々に大きくなり、やがて。

 

「とう、や。え、ぬ」

 

 イルの唇が、僅かに震えた。

 

「ギラティナ! 悪いが、イルは帰して貰うぞ!!」

 

 トウヤがマスターボールを投げる。

 同時に、Nがトウヤに手を伸ばし、オリジンキュレムの上に乗せた。

 一直線に台座を目指し、遮るように身を乗り出すギラティナ。

 

 そして。

 一瞬の攻防は。

 

「セクトル、イシュタル、力を貸して貰いますよ。いかりのこな、テクノバスター!」

 

 虫属性の粒子が、ギラティナの動きを鈍らせ、外れようとしていたマスターボールの軌道を、テクノバスターが修正する。

 光を纏ったマスターボールはギラティナに直撃し――その身体を、光に変えて納める。

 

 やがて、イルに――トウヤとNの手が届いた。

 

「トウヤ、N!」

『イル!』

 

 トウヤとNが、イルを抱きしめる。

 ついで、イシュタルとセクトルもイルに飛びついた。

 

「聞こえてたよ、二人の声。二人の心に、助けられたよ」

「イル! 良かった、本当に」

「キミが、無事で! ああ、本当に――良かった」

「泣かないで――ありがとう」

 

 微笑むイルを抱きしめるトウヤと、その手を握るトウヤ。

 そんな二人にイルは初めて、心からの笑顔を見せると、安堵の息と共に目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 極度の負担から解放されたためか、気を失ったイルを抱えて、トウヤたちはようやくテンガン山に戻ることができた。

 そこで対峙するのは、Nとゲーチスだ。

 

「父さん。これから、どうするつもりなんだ?」

「……計画は振り出しですからねぇ。また練り直しですよ、まったく」

「まだ、諦めないのか? 父さん」

「ええ、もちろん」

 

 ゲーチスはそう、不敵に笑う。

 けれどどうしてだろう。その笑顔に、以前のような闇はない。そのことが、トウヤは直感的に気がついた。

 Nもそれは同じだったのだろう。問いかける声に、不安はない。もっとも、不満はあるようだが。

 

「まずは罪を償おうとは思わないのか?」

「私には私の目的があります。そう――この世界を、ポケモンに頼らなくても、ポケモンに依存しなくても、共存させるという目的が!」

 

 ゲーチスはそういって笑うと、機械杖で地面を叩く。

 すると、テンガン山の裏側から飛び出すように、小型の被空挺が現れた。

 

「プラズマフリゲート・プロト。悪いが私は往生際があまり良くないのでね」

「と、父さん?!」

「行きますよ、キュレム!」

 

 身を翻し、キュレムに捕まり飛び立つゲーチス。

 彼は被空挺に飛び乗ると、目立つキュレムをモンスターボールにしまった。

 

『舵は任せますよ、アクロマ。では、さらばだ、N、“トウヤ”よ。私は必ずこの野望を成就させる。そのためには、立ち止まっている暇などない! 私の……私とナズナの、理想のためにね!』

 

 スピーカーから聞こえてくる声に、呆気にとられる。

 残されたNは呆然と佇み、やがて、堪えきれないように笑い出した。

 

「まったく……あっ、はははははっ! 母さん、父さんはあなたが言ったとおりの人だったよ」

 

 そう、夕暮れを見守るNの背を、トウヤは静かに見守る。

 

「トウヤ。ボクは父さんを追うよ。罪を償わせて、それから、父さんと一緒に歩いてみようと思う。――ポケモンと人間が対等である世界の、ために」

 

 彼の顔は見えない。だが、きっとこの空のように澄んでいるのだろう。トウヤは腕に抱えるイルに小さく笑いかけながら、そう、小さく目を伏せた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の月 七日

 

 

 

 おそらく、しばらくは筆を執ることができないだろう。

 だから、書けるうちに現況を記しておこうと思う。

 

 

 

 ことの顛末から書いておこう。

 

 あの日、プラズマフリゲートで待ち構えていた私を迎え撃ったのは、トウヤとNと何故かゲーチスの三位一体だった。ポケモン三体合体とかなにそれ新しい。

 

 何故か進化をしていた私のイシュタルと、セクトルも参戦。私は怪しまれないことに必死で、俯き姿勢。祈りのポーズって便利だと思った。終始、それっぽいように演出できるのは強みだと思う。まぁ、二度と使わないが。

 

 必死に呼びかけてくれるトウヤたちに申し訳なく思いながら、ただひたすら祈りのポーズ。大の大人が子供たちにこんなにも情けない姿を晒しているという事実に泣けてきた。

 ギラティナが押され始めると、私は心の中で歓喜の舞を踊りながら経過を見守った。そして、ついにギラティナが弱々しくうなだれ始める。私は、このときを待っていた。

 

 ギラティナの歪みから、プラズマフリゲートが解放され始める。それに合わせて干渉を受け始めるのは、あの真っ黒なモンスターボールだ。それをトウヤたちに見えるように、祈りのポーズの、手の中に納める。モンスターボール裏側の蓋を開けて、晒し出すボタンは“ポケモンを逃がす”のボタンだ。そう、逃がしてしまえばまっとうなモンスターボールで捕まえられる。それを察して貰うためにも、トウヤたちに逃がしたことを悟らせなければならない。

 

 と、解放ボタンを押したとたん、何故か光に包まれて砕け散るモンスターボール。同時に、トウヤが目を見開き、けれど揺るぎない視線で手に取るのは“マスターボール”。

 

 

 なんでそんな代物を持っているのだろう。私だって、父に貰った一つしか持っていないから、小型化してお守りの中に入れておいたというのに。そういや、あのお守りどうしたっけ?

 

 

 とにかく。流石にバッヂを八つ抱えたスーパートレーナー様のマスターボールに、弱ったギラティナが抗えるはずがない。Nやゲーチスたちの力を借りて、切り開かれた道を突き進むトウヤ。その手には、ギラティナの収まったマスターボールが握られていた。

 だが、私には感慨に耽る余裕などない。今世最大の大芝居。トウヤとNにしてみれば、私は“とらわれの姉”ポジションだ。その役目を全うしなければ。

 

 そう、飛び込んだ私を、トウヤとNが二人同時に支える。どうせなら同年代のお姫様が良かったろうに、ごめんね、こんなおばちゃ……お姉さんで。

 一緒に飛び込んできたイシュタルとセクトもひっ捕まえて、私も思わず感無量。涙を流しながらお礼を言うと、二人は同じく泣きながら抱きしめてくれた。ちょっと恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 これ以上ボロを出すわけにはいかないので、ここから先は気絶したふりをさせてもらっった。いやだって、まず自己改革に励まないとポエムが、ね。

 

 ゲーチスは、妙にすっきりした笑顔で逃げていった。アクロマの作った“プラズマフリゲート・プロト”とかいう小型飛行戦艦にのって去って行く姿は、物語の悪役を匂わせる伝統美を感じる。

 Nはというと、彼はそんな父親を追いかけるそうだ。罪を償わせて、その上で父親の目指す“人とポケモンが対等に存在する世界”を手伝いたい、と、明るい笑みで言ってくれた。そんな綺麗な夢を持った社長、私は知らない。人間関係において、勘違いがあるとやっかいなことになると学んだ私としては一抹の不安が残るが、そこはまぁ、若人に託してみよう。

 

 

 

 

 

 

  無事に保護された私は、私の思惑どおり“不幸な被害者”ということで扱われるようだ。実際の状況は綱渡りの連続のようであったが、終わりよければ全てよし、ということで許して欲しい。

 細かい取り調べのようなことは、私の身体検査を終え、後遺症がないか確認してから行われるらしい。取り調べといっても怖いことや辛いことがあるわけではない、と丁寧に説明してくれた世界警察のハンサムさん。彼の対応がまるで幼い少女に接するかのようなもので、照れくさかったのは内緒だ。

 

 あまり、おばちゃんをからかわないで欲しい。まぁ、ハンサムさんからすればそう年は変わらないのだろうが。

 

 

 

 とにかく。

 佳境も越えて漸く一段落。今後のことは気になるものの、ひとまず今は疲れた身体を休ませよう。

 

 

 

 

 

 

 

 追記

 前みたいに、今夜は一緒に寝ようか。そうトウヤに告げたら、Nとトウヤで口論になった。姉のように慕ってくれるのは嬉しいし、取り合ってくれるのも照れくさいが悪い気はしない。ただ、なんだろう、流石に私はショタコンではない。

 宥め賺して、結局三人で寝ることになった。やっぱりなんだかんだと言っても、人肌恋しいのだろう。しばらくはまた離れることになりそうだし、今夜くらいはたっぷり甘えさせてあげようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

「前みたいに? 一緒に? 寝る? え、どういうことだい、トウヤ?」

「い、いやこれには、その、あ、ははは」

「ええと、だめ?」

『いや、いいよ。……あ』

 

 

 

 

 

 

――了――

 





 お待たせしました。
 残すはエピローグのみなので、近日中に公開いたします。



 解けない勘違い→年齢。


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冬の月 春へと続く日

二日連続投稿です。前話からお読み下さい。


冬の月 七日

 

 

 

 ここ一ヶ月ほど、色々と忙しくて日記を書くことができなかった。

 

 季節もがらりと変わり、秋の紅葉は冬の雪に移ろうようになった。このまま雪が溶けてしまう前に、あれからのことを書き記しておこうと思う。

 

 

 

 結局、私は私の狙いどおり、両親の墓参りへの道中からポケモンに操られていたということで決着が付いた。警察の方々はまるで幼児に対応するかのように優しげで良心が痛んだが、これも平穏な未来のためだ。許して欲しい。

 

 解決すると直ぐブラックシティに帰されると思ったのだが、意外なことにそちらはそうすんなりとはいかないようだ。というのも、ブラックシティの我が住居がうっかり更新を逃して契約切れになり、なんとも間抜けな理由で放り出されることになったからだ。

 

 さて、そうなってくると困るのが寝床だ。ただでさえ就職難民に逆戻り。しかも今回はやっかいな経歴までまとわりついていて、今更、新しい職につけるかなどわかったものではない。幸い、あの事件のおかげでイシュタルとセクトがちょっとびっくりするくらい強くなったので、適当なジムのトレーナーにでもなってしまうのがベストかも知れない。

 

 少し話はずれたが、ようは寝床をどうするのか、ということだ。そんな風に迷う私に声をかけてくれたのが、トウヤのお母さんだった。部屋は空いてるから、やっかいになれば良い。代わりに、息子の相手をしてあげて欲しい。そう告げた彼女に、直ぐに頷くことはできなかった。いや、お金も払わず働かずに居着くとか、私の良心が耐えられないから。

 

 だがこれも結局、色々と迷惑をかけてしまったトウヤにどうしてもと言われれば、頷かないわけには行かない。結局、就職が決まったら分割で家賃と生活費を払う、ということで片が付いた。トウヤ母は「うちに永久就職すればいい」と冗談を言っていたが、それには苦笑で誤魔化させて貰ったが。流石に、年下の男の子とか申し訳なくて無理。トウヤも、こんな年増は嬉しくないだろうし。

 

 

 

 

 

 Nは、それから一度も顔を見せてはいない。

 

 ――などということはまったくなく、週に一度は顔を見せにポケモンにのってやってくる。「リードされちゃったからね」などと微笑む姿は、まさに貴公子。お姉さんは、Nの将来が心配です。なんか、こう、女たらしになりそう。

 

 冗談なのか練習なのか素なのか天然なのか、こちらを口説こうとしてくるのはやめて欲しい。なんというか、心が痛い。若い子になにをやらしているんだとか考えてしまう。そしてその度にトウヤに見つかり、二人がポケモンバトルを始めるまでが一つの様式美と化している。トウヤもこうしてNと触れ合いたいのだろう。毎回、私が邪魔をしてしまっているようで申し訳なく思う。

 

 肩を組んで、ぼろぼろになる二人をねぎらい、そういった日は必ずNは泊まっていく。そして、三人で川の字で寝る、という流れが固定されつつあるように思える。なんとものどかで、私としては少しくすぐったい。

 

 

 

 

 

 思いがけず、色々なことがあった。

 

 けれど、たくさんの出逢いが私を助けてくれたおかげで、私は今も変わらずこうして日記を書けている。

 今日までの日々を忘れないためにも、日記を書くのは続けよう。いつか、曇りのない笑顔で人生を振り返ることができるその日まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記

 

 この日記を人に見られたら、詰んでしまうような気がする。

 まぁ、ここまで書いて燃やしてしまうのももったいない。この日記帳が終わったら、厳重に保管しておくことにしよう。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬の月 春へ

 

 

 

――†――

 

 

 

 イルは、ふっと息を吐くと窓の外を見る。

 冬になって幾ばくかの日が過ぎ、窓の外はすっかり雪化粧に彩られていた。

 色々あって落ち着いて、気がつけばトウヤの家に居候となっていたイルは、現状に若干の不安を覚える。

 このままではニート一直線。何故か生活保護のような状況になっているのは大事件の被害者であるためであろうが、イルとていい年をした成人女性。働かずに時が過ぎるのも気が気でない。

 とはいえ。

 

「イル! 外に出ようよ! ほら、すっかり積もってる!」

 

 自身を慕ってくれる弟のような男の子。

 事件以来、ことあるごとにイルを守ると公言する彼の手を逃れるのは、イルにとって難しいことだった。

 なにせ、好感ももちろんあるが、負い目もマシマシなのだから。

 

「トウヤ……ちょっと待って。コートを着てくるから」

 

 あてがわれた部屋は、もとは倉庫だったという場所だ。トウヤに弟か妹ができたら与えようと思っていたが、妹弟には恵まれなかったのだと、イルはトウヤの母から聞いていた。

 

『だから、娘のように思わせて』

 

 そんな風に笑った彼女の期待を裏切ることができず、イルはこうしてここで暮らしている。

 ハンガーラックにかけられた白いコートも、そんなトウヤの母に譲られたものだ。お古だから気にしなくていいなどと言われたそれは、どう見ても新品だ。イルは、申し訳なさで痛む胃を誤魔化すように、大切にコートを使う。ふわふわでふりふりの、ダッフルコートを。

 

「イル」

 

 イルが扉に手をかけようとしたとき、不意に、冷たい風が入る。

 声と風に気がつき振り向くと、窓から身を乗り出すNの姿があった。

 

「おかえり。でもなぜ、そんなところから?」

 

 色々解放されたイルとしては、もうちょっと明るく声をかけたい。だがあまり多くを喋るとポエム調が飛び出してしまいそうなので、イルは必然的に口数少なくなってしまう。

 イルとてそれが自業自得だと理解してはいるが、世知辛い。

 

「イルに、早く会いたかったんだ」

 

 Nはそう言うと、微笑みながらイルの手を取る。

 

「このままキミを連れ去ってしまいたいよ」

「だめだよ、N」

「わかっているさ。ボクだって――大切なキミを、悲しませたりはしない」

 

 Nの言葉に、イルは苦笑することしかできない。

 身内が一番最初に異性を認識するのは、家族であるという。姉貴分として接してきたイルに、Nは不器用に異性を意識してしまっているのだろう。

 聞けば周りの異性の居る環境でもなかったようだし、仕方にないことなのかもしれない。

 イルは、そんなことを考えながら優しく微笑むと、Nの頭を柔らかく撫でた。

 

「ぁ――イル、キミはずるいよ」

「いやだった?」

「いやじゃないよ。でも、そうだな。お返しにボクも」

 

 そういって、Nはイルの頬を撫でる。

 そう、頭ではなく頬だ。Nの将来が心配になる行動だ。女たらしになって刺傷沙汰になるようであれば、姉貴分として庇ってあげなくてはならない。そう、イルは密かに決心する。

 

「で? その続きはどうしようっていうんだ? N」

「どうするって、一つしか無いだろう、トウヤ」

 

 Nの後ろからそう声をかけたのは、トウヤだ。

 イルが遅いから気になったのだろう。

 

「雪合戦って知ってるか? N」

「ユキガッセン? それはどんな――へむっ?!」

 

 振り向いたNの顔に、雪玉が命中する。

 それだけで雪合戦の意味を理解したのだろう。Nはどこかゲーチスに似た笑みを浮かべると、イルに振り向く。

 

「イル。どうだろう? 勝者にはキミの口づけを賜りたい」

「なっ? お、おい、N?!」

 

 言われて、イルは最近増えてきた苦笑を浮かべる。

 ませているな、と思わないこともない。だが、どうせ彼らが自分のような年増を相手にしてくれるのも、同世代の素敵な少女たちと出会うまでのことだろう。

 だったら、少しくらい、“お姉さん”として応えてあげてもいいのかもしれない。

 

「ほら、イルが困ってるだろ?」

「む、そうか? イル、やはり――」

「……で、いいなら」

「――え?」

 

 口づけには、意味がある。どこかの劇作家が考えた物だったとイルは覚えていた。なお、調べたときの相方は留学先のズッ友、アカギである。ぶっちぎりの黒歴史だ。

 その内容を、イルは少しだけ反芻する。

 

 唇なら愛情。

 頬なら満足感。

 手の上なら尊敬。

 閉じた瞳なら憧憬。

 

 では、額なら?

 答えは、“友情”の口づけだ。

 

「額なら、いいよ」

 

 Nとトウヤは、とたんに無言になる。

 そしておもむろに互いに向き合い、雪玉を作り始めた。

 

「イル! 俺が勝つ!」

「イル。勝利をキミに!」

 

 それが合図だったのだろう。

 そっとよりそうセクトに腰掛け、イシュタルを抱きしめて見学の姿勢に入るイル。そんなイルに良いところを見せようと、雪玉を投げ合う二人。そういえば勝利条件は何だったのだろうか? そう疑問に思うも、もう質問できる雰囲気ではなかった。

 

「イシュタルはあったかいね。もちろん、セクトも」

 

 イシュタルはイルの言葉に、嬉しそうに身を捩る。

 セクトルも、イルの勘違いでなければ喜んでくれているようだ。

 

 思い返せば、激動の一年であった。

 就職氷河期から、迷い込んだプラズマ団。

 年下の男の子と旅をして、謎のポエマーに昇格。降格?

 気がつけば色々なことの中心人物になっていて、こうして丸く収まったのは奇跡のような偶然の連続だった。

 

「雪解けとともに闇は流れる。陽光と共に絶望の夜は終わる。希望の曙光は――と、危ない危ない」

 

 振り返っていたせいか、ポエム調になっていた。

 気恥ずかしく思いながらも、誰にも聞こえていなかったことにほっとする。もう、謎のポエマーの称号は捨て去りたい。

 

「さて、と。行こう? イシュタル、セクトル」

 

 立ち上がり、二匹に手を伸ばす。

 歩く先には、ダブルノックダウンして、仲良く倒れ伏すトウヤとNの姿がある。そんなに喜んでくれるのなら、健闘賞として二人に唇を落としても、流石にショタコン呼ばわりはされないだろう。

 

 微笑むイルに、トウヤとNは気がつかない。

 ただ彼らを見守るポケモンたちだけが、楽しげに身体を揺らしていた。

 

 

 

 

 

 

 さぁ、日常を始めよう。

 新しい春を、幸福で彩るために――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 






 長い間、応援ありがとうございました。
 これにて完結です。


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とある臨時商会員の日記
春の月 迷い込んだ日


ポケモン LEGENDS アルセウスのネタバレを含みます。


(たぶん)春の月

 

 

 

 

 

 

 

 

 とんでもないことになった。今も、なんとか平静を保って日記を書いている。

 色々あってから新調した日記には、華やかな新生活を綴っていく予定だったのだけれど、華やかどころか波瀾万丈な新生活が強制的にスタートしてしまった。

 自分自身の動揺を抑え込むために、こうなってしまった経緯を書いて振り返ることで、どうにかこうにか打開策を見つけたい。

 

 

 

 私の名前はナナシ・イル。ブラックシティ出身。年は二十六歳で、そろそろアラサーという言葉が脳裏にちらつき始めたお年頃、だ。一昨年までは色々あって、勤めていた会社が事実上の崩壊。私はともに旅した少年の自宅で世話になる、という、いい年した大人がそんなことでいいのか、と自問自答の末に罪悪感で爆発しそうになる……という日々を送っていた。

 

 就職活動をするものの、童顔小柄で無表情という属性のせいか、面接先にあしらわれてしまうような日々。そろそろなりふり構わず就職先を見つけなければ、人様のおうちでニートという罪悪感に負けて死ぬ、と、昔なじみの土地に戻ってきた。それが、海外に留学していた際、姉妹校があったため交流のあったシンオウ地方だ。広大な大地と歴史ある建造物。コンテストショーが盛んで物流の流れもあり、就職先を探すのであればこの上ない条件だ、なんて思ったのだけれど、私の就職への期待値は、はじめの一歩で頓挫した。というのも、フェリーで意気揚々とシンオウ地方に到着した私は、最初にチェックインしたホテルの部屋に踏み込むと同時に、謎の穴に転落。まるであの日、ギラティナに遭遇したときのような浮遊感に包まれたかと思ったら、霧の深い、石で出来た遺跡のような場所に放り出されていたのだった。

 

 

 手持ちのポケモンはイシュタル(ウルガモス。かわいい)とセクトル(ゲノセクト。かっこいい)の二匹のみ。しかも、移動のためにモンスターボールに入っていてくれているのは良いのだけれど、大枚はたいて買った特製ゴージャスボール(にしか入ってくれなかった)が故障して、手持ちから出すことが出来ない。おかげでセクトルに乗って空を飛ぶことも、イシュタルを抱きしめて暖を取ることも出来ず、こうして、旅行鞄につめてきた日記帳に思いの丈を綴ることでしか、自分を保つことが出来なかった。

 

 

 

 

 これからどうなってしまうのか、おおいに不安だ。けれど、なにも悪いことばかりではない。この地に放り出されて呆然としていた私に、声をかけてくれた人がいたのだ。金髪で人の良い笑顔を浮かべる青年で、名前を、ウォロというそうだ。困り果てた私を手助けしてくれる、という、なんとも人の良い青年だった。幸いにも、助けになってくれる人がいる、という、恵まれた状況には涙せずにはいられない。三つか四つか年下の青年だ。私のような役立たずのおばさんの世話をするのは大変だろうに、よく気遣ってくれている。トウヤといい、Nといい、年下の男の子に頼ってばかりという現状に、思うところはあるのだけれど。

 でも、どうにか彼に報いるためにも、ここがどこで、どうやって帰るのか調べながら、どうにかこうにか、彼に報いる方法を探したいところだ。

 

 

 

 

 ひとまず、今日の日記はここまで。私が情けないことと、ウォロへの感謝の気持ちしか振り返ることが出来なかったけれど、今日はもういっぱいいっぱいなので許して欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記

 ところで、とても遠くの山の上に次元の裂け目が見えるのだけれど、まさか、トウヤのマスターボールから逃げ出したとか言わないよね? ギラティナ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――†――

 

 

 

 

 

 

 芽吹きの月 使者との邂逅

 

 

 

 

 

 

(どうしてこんなことに)

 

 赤い髪に碧の瞳。外見年齢十歳そこそこの女性、イルは、そう、ため息を吐く。見渡す限りに広がる山麓は、とても人の手が入っているようには見えない。けれど、イルが背中を預けている石柱は、一目で本物だとわかる由緒正しい遺跡であることは間違いない。イルは、かつての友人、アカギと共に各地の遺跡について考察したときのことを思い出しながら、遺跡に触れてみる。

 祭壇のような中央部に描かれたポケモンの壁画。そこに記されているのは、古代のポケモンだろうか。イルの知らないものが多い。ただ、シンオウ地方を調べる考古学者なら誰でも耳にしたことがある、レジギガスのものと思われる壁画があることから、シンオウ地方である可能性が高い、と、イルはあたりをつけてみた。シンオウ地方、といえば、他にも伝説に数えられるポケモンが多い。

 

(ディアルガ、パルキア、マナフィなんかもそうだっけ? あとは、えーと、アル……アル……)

 

 そうだ、と、イルはアカギとの会話を記憶の奥から引っ張り上げる。それは同時に、中二病時代を振り返ることに似た、胸の奥の疼痛を呼び起こす作業でもあった。

 

「……アルセウス」

 

 その名を絞り出したとき、脳裏に過るのは同じく“ア”行のアカギが浮かべたアルカイックスマイルだった。最後の最期に超弩級の爆弾を落として満足していったアカギ。彼から受け取ったギラティナのせいで、イルはおおいに苦労したのだ。もっとも、ギラティナからすれば、イルのせいで汚名を着せられたようなモノでもあるのだが。

 己の身に降りかかった痛々しい日々を振り払うように、イルは小さく首を振る。そして、我に返ったことではじめて、イルは周囲に人影が近づいてきたことに、気が付いた。

 

(ん? 人影? まさか、私と一緒に遭難したひと?!)

 

 イルは内心で、孤独感から解放される可能性に色めき立つ。けれど彼女の鋼鉄のような表情はぴくりとも動いてはくれず、喉から出てきたのは抑揚の無い言葉だった。

 

「あなたも?」

 

 ファーストコンタクトとしては、なにもかも間違えていることだろう。けれどイルは気が付くことも無く、ただ物静かに見える視線を人影に投げかけた。イルの視線に人影……金髪の青年は、うろたえるように声を上げる。

 

「アナタは……まさか……」

 

 青年は一歩、怯えるように下がる。けれど瞬きの間に体勢を整えると、咳払いをして微笑んだ。

 

「こんにちは。ジブンはイチョウ商会のウォロといいます。あなたは、旅のお方で?」

「私は……」

 

 イルは、ウォロと名乗った青年の言葉選びから、現地の人だ、と思い至る。そうなると、自分のことをどう説明したモノかと悩み、逡巡の末、もっとも適切な言葉を選ぶことになる。

 

「私は、迷子」

 

 迷子。子供。子供じゃないやい、と、イルは内心で下策を悟る。もっと他に言いようがあったろうに、と。しかし、遭難といえばコトが大きくなるかも知れない。とにかく遭難関連のことにはお金がかかる。年下の少年の家に下宿している身としては、お金は掛けたくないというのが本音だ。イルは、二の句を告げることも出来ず、ただ、ウォロの反応を見ることしかできなかった。

 そうして見つめられたウォロはというと、何故か、イルの言葉に黙り込む。なにかを言おうと口を開き、しかし直ぐに頭を振ると、どこか軽薄な笑みを浮かべた。

 

「なるほど! でしたら、ジブンと一緒に来ませんか? ジブンは、遺跡を巡るのが趣味でして、それなりに伝手もあります。どうでしょう? 損はさせませんよ!」

「……報いることは、できないかもしれない。それでも?」

「っ……は、はは、いやぁ、先行投資というやつですよ! ハハハ」

 

 ウォロの言葉の節々には、動揺のようなものがあった。けれどイルは、己が悪の手先だとは気が付くことも無く意気揚々と過ごしてきただけあって、ウォロの様子に気が付かない。もちろん、見知らぬ土地に放り出された不安もあるのだろうけれど、基本的にイルは見た目不相応に暢気で天然な性格だった。ただただ、ウォロの優しさに感動して、告げられた言葉を素直に受け取る。

 

「あなたは、それでいいの?」

「え、ええ、ええ、は、はは、もちろん、構いませんとも!」

「わかった。ありがとう。報えることを祈るわ」

「……(あなたは。いや、時期尚早か?)」

「なにか言った?」

「い、いえ、なんでもありませんよ! さぁ、行きましょう!」

 

 互いにすれ違いながらも、手を取り合う二人。片方はただ己の帰還と恩に報いることを望み、片方は己に秘めた野望が叶えられる切っ掛けを望み。

 

 

 

(いい人に出会えて良かった)

(アルセウス……。この少女が、キミの使者、なのか?)

 

 

 

 互いに勘違いをしていることなどにはついぞ気が付かないまま、デコボコ珍道中が幕を開けた。

 

 

 

 




続きは、ダイパリメイクを購入したら書きます。


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