跳び出した蛆の落ちる先 (すぷりんがるど)
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戦場の愚者ども

改訂しながら投稿中


「わたしも、なかまにいれてください」

「帰れ糞ガキ」

「まぁまぁ」

 

 日差し照りつける中東の空。俺の前でガキが唸る。ちびっこい、五つぐらいのガキ。いっちょ前にどっかから拾ってきた拳銃を両手で抱えて、じっと俺たちの方を見つめている。

 

「君は確か、この村の生き残りの」

「マナ、マナ・アルカナ」

「そうそう、マナちゃんだったっけ。どうしてマナちゃんは僕たちの仲間にいれて欲しいんだい?」

 

 やさしげな問いかけにガキは神妙な顔を作ってみせる。その姿がどうにも癪に障る。自分にはまるでこれしかないとでも言いたげな顔が、俺は気に食わない。

 

「ケケケ、どーせ口だけだろ」

「ちがう」

「またまたー、そんなふてちゃってさぁ」

「さわるな」

 

 だからからかってやる。ぷにぷにほっぺたを触る俺の手をはねて、不機嫌そうにガキは言う。目付きは厳しい。譲れないのだと、邪魔するなと、明確に俺に語りかけてくる。

 

「かっちーん。おにーさんもんなこと言われると怒っちまうよ」

「じじぃ」

「誰がジジィだ? 言葉使いに気をつけろよガキ」

「辰也、子供に本気になるのはどうかと思うけどね」

「こどもじゃない、マナ」

「うん、悪かった悪かった。マナちゃんはマナちゃんだもんね」

「そう」

「うぜぇ」

「じじぃ」

「マジでうぜぇ」

 

 じろりと俺を睨むガキ。隣の柔和そうな友人には素直に答えているが、俺には売り言葉に買い言葉だ。そんなとこがガキだってのが解ってないみたいだな。どんなに取り繕うともテメェはガキでガキだっての。そんな反応がまさに、だ。

 ガキがふんと鼻を鳴らす。拳は音と一緒に突き出されていて、小さな手が俺の股間を撃ち抜いた。

 

「こここっつ」

「……はぁ、自業自得だね」

「ふん」

 

 蹲る俺を見るガキは楽しげだ。ざまあみやがれ、そんな意志が伝わってくる。

俺の様子を気にも留めず、隣の男がガキへと問いかける。

 

「マナちゃん、君はどうして仲間になりたいなんて言うんだい? 僕たちがどんな人間かは、君も分かっているはずだろう」

「せいぎのみかた」

「あははっ、そう言ってもらえたらすごくうれしいよ」

 

 跳ね返るように答えたガキの言葉に、男は膝を曲げて目線に合わせてやっていた。こんなガキにそんな真似しなくても良い――俺の想いなんて完全に置き去りだ。ただ目の前のガキと正面から語り合おうとしていた。

 

「お父さんとお母さんは?」

「うたれてしんだ。いくところない」

「だから仲間にいれて欲しいの?」

「そう」

 

 また先と同じ眼だ。自分にはこれしかない。こう生きていくしかない。そう決め切った、ちっぽけだがガキにとっては全ての自分を必死にこねくり回して出した答えだ。

やはり、そんな表情が癪に障る。だから俺はガキへと毒を吐いた。

 

「だったら孤児院いけよ。へーんなとこじゃなく、ちゃんとしたとこなんだからよ。それがいい、そうしろ、テメェ以外はみんな行くんだしよ」

「やだ」

「うわ、うぜぇ」

「じじぃ」

「やっぱうぜぇ」

「辰也、君もうざいよ」

 

 友人の言葉にへこんだ俺を視界にも入れず、男とガキの会話は進む。

 眼の前のガキの言い分を要約すると――自分は目の前で両親を殺された。そしてその時自分も殺されそうになったところを俺と隣の男、つまりNGO団体『四音階の組み鈴』の団員に救われたそうだ。だから生き残った自分が今度は誰かを救いたい。

 ガキの言い分はまぁ何ともガキらしい言い分だった。自分の死を汲み取ったヒーローに救われたからヒーローになりたいって言っている訳だ。

 NGO団体にしては実に武闘派の団体である俺の所属している組織は、主にテロリストやら妙な考えを抱いている阿保を武力介入で潰すのが役割。その後にアフターケアをする団体に助けた相手を送り届け、殺さず捕まえた相手を収容所に叩きこんでやるだけの簡単なお仕事だ。

 俺は別の団体から来ている、いわゆる派遣社員みたいなものなのだが。

 

「ケケケ、言ってやれや。ここはテメェが来る世界じゃねぇ……ってなんで泣いてんの?」

「僕は今、猛烈に感動している!」

 

 ふと隣を見てみれば涙を潤ませた俺の友人の顔。頭を少し巡らせて考えてみれば、泣いている答えはすぐに出てきた。隣の男もまた目の前のガキと同じ戦災孤児だったのだ。

 確か今俺と男が立つ世界に足を踏み入れたのも、この団体の団長に助けられたのが原因だったとは、酔っ払いながら絡んできたときの話されていたのを思い出した。

 

「マナちゃん、君のことは必ず僕が団長に話を通してあげるからね!」

「おいおい、本気か?」

「もちろんだとも。さぁ、まずは団長のところに行こうか」

「うん」

 

 ぎゅっと拳を握って振り切れんばかりに気合を入れた男をてかてかとガキが追う。

 その時ちらっと俺の方を見つめて、ガキはフンと鼻で笑って見せた。

 

 あぁ、やっぱりこのガキの目線は気に食わない。

 俺の嫌いなガキの眼だ。

 

 

 

 

 

 

 団長には殴られ、大いに怒られたが何とかマナの入団は認められた。

 

 自分ももう18になり、団長に救われてから12年が経っている。

 僕が救われた時、団長は今の僕と同じくらいの年齢だった。

 そう考えるとマナの面倒を見ても、何ら問題はないと思う。

 

 家族である団体の人たちもいるし、団長もいるし、何よりあのとき一緒に殴られてくれた辰也がいる。

 僕の我儘につき合わせてしまった形にはなってしまったが、それでも僕と友達でいてくれる辰也には頭が上がらないな。

 辰也が日本の関西呪術協会からやってきてもう一年が経つ。今度何かお礼を兼ねたお祝いをしなければ、と思う。

 

 マナについては順調に育ってきている。

 ヒーローとなる術を見つける。

 それは同時に人よりも強い力を得て、人を虐げることのできる人間となる術を見つけることに等しい。

 

 だがその使い方さえ誤らなければ、人は誰だって誰かのヒーローになれると信じている。

 そのための優しさも、マナは兼ね備えているはずだ。……相変わらず辰也とは犬猿の仲のようだけど。

 

 マナはどうやら純粋な人間ではないようだ。

 そもそもマナの村が狙われた原因も、彼女のような人外とのハーフが何人もその正体を隠して隠れ住んでいる――そんな情報がどこかから漏れ出し、戦闘兵器に、あるいは見世物や慰め物に、あるいはただ虐げるために。

 溢れんばかりの目先の欲望に囚われて、行動を起こしたのが原因なのだから。

 

 僕らが捉え、殺害した彼らもまた何か別の道があったのではないだろうか、本当はいろんな事情があって、仕方なく嫌々に、彼らはそんな行動に走ったのではないのだろうか。

 僕はいつもそんなことを考えてしまう。

 

 辰也に言わせればひどく下らないことらしい。

 相手が生きたいように自分も生きたい、相手が満たされたいように自分も満たされたい、だからぶつかるのは仕方がない。

そう言う辰也ほど僕はまだ割り切れてはいない。

 

 僕は……どうしたいんだろうか。

 真名のことを、僕自身のことを。

 

 ――ともかくと、今はマナの話。そして二冊目に手が届きそうになったこの日記も、マナのことを書くためのものだ。

 僕の話はまた、お酒でも飲みながら辰也に愚痴ろうと思う。

 

 マナは半魔族だからか、それとも元からの才能のためか、多少の魔力の扱い方は知っていたようだ。

やはり少しでも基礎を知っているというアドバンテージは大きく、僕の教えを水が綿にしみ込むように吸収している。

 

 マナはどうやら普段から魔力が身体の中を廻っているようで、それを放出する、というのは少々苦手な様子。

 その反面、供給を行えば僕たち普通の魔法使いよりもずっと効率的に魔力を体に巡らせて、身体強化を行えるみたいだ。

 マナが僕たちの仲間になってから三カ月が経ったけど、彼女はもう高位魔法使い並みの身体強化を行えている。

 

だったら魔法使いの路線は棄てて本来魔族が扱わない人間の体術をマナに覚えさせて武道家にすればいいじゃねぇか。

 そう辰也は提案したんだけど、マナはすぐさま否定した。

 

 ……そんなに辰也のこと、嫌いなのかなぁ。

 いつもいつもマナは辰也には対抗心剥き出し。普段は楽しそうにじゃれているけど……ほとんど辰也がマナをからかっているようだけどね。

 

 まぁもし武道家になったとしたら、強靭な肉体は持ち合わせているのかもしれないけれど、おそらく彼女は凡庸な人物で終わってしまうんだろう。

 純粋に肉体の強さで戦うのならば魔力や気の量が何にせよとても大事になってくるから。

 

 

 魔族化すれば話は違ってくるけど絶対的な魔力容量がマナは並ほどしかない。

 もともと外界から自分の中へと供給し、利用できる魔力量には才能が起因している。

 人間の場合長年の練磨によってその容量を少しずつ上げることはできるのだけど、半魔族のマナは成長によってその容量を上げることができないみたいだ。

いや、半魔族の彼女は上限の定められた魔族とは違って魔力をあげることは可能なのかもしれないが、僕たち純粋な人間よりもずっとその速度は緩やかだろう。

 

 と、いうことでマナを成長させる方向性を考えなければならないことになったわけだ。

 そこで注目したのは本来魔族が何らかの形でもっている特殊能力――半魔族のマナにも例外なくそれは備わっていた。

 

 マナの眼は『魔眼』と呼ばれる類のものだった。

 ギリシャ神話で有名な『メドゥーサ』のような見た相手を石化させるもの、ケルト神話の『バロール』のように見た相手を殺すもの。

 古今東西、様々な神話や物語で、そして現在僕たちの生きるこの世界でも、いろいろな魔眼が世の中にはある。

 マナの魔眼は霊体や不可視に纏わせた魔法障壁、姿を隠す魔法みたいに本来見ることのできないはずのものを見る効果があるみたいだ。その副次効果としてひどく視力も強化される。

 

 そんな中で白羽の矢が立ったのは、マナが僕たちの前に現れた時に抱えていたもの……『銃』だ。

 

 銃には本来マナ程の子供では耐えることのできない反動があるんだけど、身体強化ができるマナにはそこは問題にならない。加えて魔眼がある。

 幾重にも魔法障壁を張っていたとしても、魔法で姿を消していたとしても、魔眼があればそれを貫けるだけの弾丸を撃ち出すことができるだろう。

 

 もしも、これを完ぺきにマナがこなすことができたならば、彼女は現代の魔弾の射手としてきっと名を馳せるはずだ。

 

 だけど……銃はとても具体的な、人が人を殺すために技術の粋を集めて完成させた殺人兵器。

 彼女にこの使い方を教えるというのは、正直とても気が進まない。

 

 だけど僕は信じている。

 使う正しい心さえ伴えば、きっと銃は彼女のとても頼もしい相棒になるはずだと。

 

~高宮幸樹 ある日の日記より抜粋~

 

 

 

 ◆

 

 

 

 激しい音。褐色肌の小さなガキの手の中の鉄塊から飛び出してった弾は、百メートル先の空き缶にかすりもせず空を切った。

 

「ざまぁ」

「…………」

「無言で狙撃銃をこっちに向けんな。頭悪いんですかぁ糞ガキ」

 

 そんな言葉にぽいと狙撃銃を投げ捨てて、ガキは頬を膨らませた。

 

「やめた」

「意味わかんねーっての。テメェが練習したいっつーからわざわざ俺が缶を置きに行ってやったんだろうが」

「じじぃがいるときがちる。できない。どっかいけ」

「おまっ……自分の言ったことを思い出せや」

「おぼえてない。どっかいけ」

「かーわいくねぇの。故郷のテメェと同い年のガキはもっとかわいげがあったぞ? それに根性もあった」

「しらない。どっかいけ」

 

 元々目つきの悪い視線を更に鋭く、ガキは睨むように上を見る。その先にあるのは男の顔。黒と深緑が混じったような埃っぽい髪の毛を手で振り払いながら、男は溜め息をついた。

眼の前のガキは上手くいかないのを見られるのが嫌なのか。なるほど自分と友人の間に寝るのは恥ずかしくないくせに、失敗を見られるのが恥ずかしいのか。

 

「どっかいけどっかいけどっかいけ」

 

 年相応にガキらしい反応に、男は故郷に残した一人の少女を思い浮かべた。ちょうど頬を膨らませたガキと同世代。望郷の念が男の脳裏に現れた。

 

「……あ~わかったわかった、どっか行ってやる」

「そう……どっかいけ」

「ただ一つだけ、人生の先輩として教えといてやる。どんな物事もそうだが、練習しねぇと上達せんぞ。たとえどんな状況でも、周りになんと言われても、頑張り続ける奴が強くなるんだからな」

 

 だからその時の男は少しノスタルジックな気分だった。だからこそ捧げたいっちょ前に銃なんか抱えた少女を想った言葉は――

 

「しね」

 

 軟化しない態度によって打ち抜かれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「"魔法の射手 雷の32矢"」

 

 空を駆る幸樹の手から詠唱とともに放たれた三十二の弾丸。それに一拍遅れて、辰也は真っ直ぐと駆けだした。

 陸上選手、オリンピック金メダリスト真っ青な速度で大地を蹴る。直線状には待ち構えるように銃を構える男。標準を辰也の胸に合わせ引き金に指がかかった時、男の喉元には辰也の肘が突き刺さっていた。

 息を吐きだすことも許されず、急激に加速した速度からの肘は男を重力に逆らい一転二転、宙でくるり上下を反転させた。

 

「ふふっふ~ん」

 

 周りにいた男の仲間の銃口が辰也に向けられ、鉄の塊が音を超えて飛び出した。 

 

「仲間撃つなんざ、どーかと思うぜぇい」

 

 飛び出した弾丸は首根っこを掴まれ、肉盾にされた男を幾度も貫いた。その光景に喚く男たちの仲間を尻目に、達也は気にもせず蜂の巣の肉袋を声の聞こえる方へと投げつけた。

 紅く、温かい血潮が透明な空気を彩り地面が赤く染め上げた。男の仲間の一人がまた喉に肘を押し込まれ、くるりくるりと上下を反転させていた。

再び蜂の巣状の肉袋が出来あがる。また誰かがくるりくるりと上下を反転させた。

 

「夢の中へ、夢の中へ……逝っちまってるわ」

 

 誰かの何かが切れて、回転する男たちの仲間は狂ったように周囲に鉄雨を降らせだした。仲間に当たるのもお構いなしに。仲間たちが目の前でくるりくるり回転し、肉盾にされ、また回転し、同士討ちしていく異様な光景に耐えられなかったのだろう。

 一緒に笑いあった仲間の額から血が吹き出る。一緒に酒を飲んだ仲間の胸から血が吹き出る。一緒に色街に繰り出した仲間の腕から血が吹き出る。一緒に商品を弄んだ仲間の足から血が吹き出る。

 そんな思考を宿していた男が誰ひとり意識を保てなくなった頃、辰也はふとその場に足を止めて周囲を見渡した。

 

「探し物はなんだろね」

 

 後方で息のあるテロリストたちを捕縛魔法で捕える幸樹をちらと見て、辰也はまた駆け出した。前方で土煙が高く上がるところへ向けて。

 そこには中世の時代、馬上の騎士が持っていたようなランスを携えた大柄な男が見えた。振るうたびにひとが紙切れのように飛んでいく――そんな剛腕の主は辰也が今籍を置いているNGO団体の現団長だ。

 

「見つけられるわけねぇだろうが」

 

 団長と辰也の間に一台のトラックが疾走してきた。進行方向は辰也の想っていたのとはまるで明後日の方向。先程何人かを手玉に取った自分の方でもなく、現在仲間をお手玉のようにしている団長の方でもない。トラックの運転手の表情が目に入った――どうやら逃げる心積もりのようだ。

故に辰也は踏み出した歩幅を無理矢理縮め、直角にターンした。目指す先は走り出したトラック。速度を落とすことなく宛らバッタ能力を得た改造人間のように足の裏から突っ込んだ。防弾ガラスは粉々に砕け散り、運転手の頬骨は被さった皮膚に濡れた跡を残したままごきりと折れた。

 

「トラックの中、荷台の中に」

 

 グラリと車体が横に傾き、トラックは大きな音を立てて横転した。からからとタイヤが空に周る。もがくようなその姿が、辰也にはなんとも滑稽に見えた。

 

「探したけれど俺は狙われる」

 

 ターンと音が一つ。ターンともう一つ音。二百メートルほど先で、一人狙撃手が高台から転げ落ちるを確認して、ドアを蹴破った辰也はトラックの外へと這い出た。

 視線を後ろにやった。狙撃銃を構えたマナが辰也の目に飛び込んで来た。

 

「糞ガキも処女を捨てる」

 

 その姿に少しだけ苦い顔を作って、辰也はまた土煙の方へと駆け出した。

 

「それより俺は俺の仕事」

 

 先程の速度よりもう少しだけ速く、辰也は地面を蹴る。

 

「夢の中へ、夢も中へ、いってみたいと思いませんか」

 

 目の前にはまだ懲りず、猿のように弾丸を無駄遣いする男が一人。

 

「ふふっふ~ん」

 

 急激に加速した辰也の肘はそんなテロリストの喉元へと突き刺さった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「…………」

 

 見事に奴隷商人たちから奴隷を解放する事に成功した俺たちは、勝利の宴に盛り上がっている。酒瓶を投げ合って歌を唄い、笑い声が辺りで木霊する。

 それは俺たち団体のメンバーと同じように解放された奴隷たちも同じ。久々に与えられた、これからずっと続いていくであろう自由に酔いしれてる訳だ。

 

「…………」

 

 そんな周囲の状況とはまるで違って俺の目の前の二人は完全にお通夜モード。その理由は実に単純。ガキが処女捨てたから。性的な意味ではない。さすがに五つくらいの女を相手にする男は頭がおかしいのだろう。女といえば二十代前半から三十代の美人に限る。少なくとも俺はそう信じている。

 

「つーことで幸樹、せっかく任務成功した訳だし色街でも繰り出そうぜ。中東の美人さんと遊んでさぁ、ぱーっといこうや」

「今の状況を解って、それを本気で僕に言っているだったら僕は君を軽蔑するよ」

「……じょうだんですよーっと」

 

 本気で出した言葉は呑み込んで、あっけらかんと言う俺に冷たい視線を向けたのは高宮幸樹。目を伏せて暗いオーラをまとったガキの頭を撫でていた。

 戦場にいるならば、武器を持つならば、誰もが通る道。だとしても自分の気持ちは簡単に割り切れないのだろう。例えば俺のように小さな頃から人を殺すのは当たり前だ――という教育を受けておけばまた話は違ってくる。それが良いとはまるで言えないが。

 とはいえ俺の境遇は里でも特殊は特殊。

 少し神妙な顔を作ってみて、慰めの言葉でも一つ。

 

「ガキ、見てみろ。アレがテメェの守った人たちよ」

「……ん」

 

 ガキはちらりと俺のほうへと首を向けて、泣きながら笑う元奴隷たちを見つめている。

 

「辰也の言うとおりだよマナ。君は彼らを、そして僕たちを守ってくれた。そのお蔭で救えた命がある、笑えた命がある。やり方は間違っているのかもしれないけれど、マナのお蔭で今在る人たちがいる……それは誇りに思うべきことなんだ」

「ほこり」

「ありがとうマナ、僕の守りたかったものを守ってくれて。ありがとうマナ、僕の夢を叶えてくれて」

「んっ」

 

 くしゃくしゃと微笑みながら幸樹はガキの頭を撫でた。気持ちよさそうに目を細めるガキ。

 とりあえずは一件落着――なのかもしれないが、先ほどの幸樹の意見は余りにも綺麗すぎる。眩しくて、眩しすぎて、俺には正面から見つめられないほどに。だからこそ俺は幸樹と仲良くなれたのかもしれない。だからこそ、俺はこのガキに伝えておかねばならない。

 

「なーんてのは良い子ちゃんの意見。俺はんなこーしょーなもん掲げれねぇからよ、俺もひとつテメェに意見をくれてやっておこう」

「いらない」

「遠慮すんなや。ま、人間何か殺さんや生きていけねぇんだ。今回偶々人間だっただけの話。お前が磨いた技術で生きていくために、もっと俗に言えば金を稼ぐために、人を殺したんだ」

「辰也、でもそれは……」

「ままま、俺が話してるから後でな」

 

 幸樹が俺の意見をふさぐように手を伸ばす。だがこれだけは止める訳にはいかない。俺の本心で、珍しくまじめな顔で、ガキの視線と交差させた。

 

「と、もかくそんな考え方は誰かに駄目だ、なんざ言われるかもしれねぇ。だけどしかたねーじゃん、それしなきゃ生きていけねぇんだから。だから俺は人を殺す。人を殺せる技術があってそれで金を稼いで良いと思っているから。報酬さえリスクと技術に見合えば仕事に貴賎なし――覚えとけ」

 

 ガキは僅かに首を上げる。怪訝そうな瞳が、俺は癪に障った。

 この先このガキがどんな意見を自分の中に立て、人を傷付け殺す戦場に光り輝く信念を持って、あるいはビジネスだと割り切って身を置こうとするのか。それとも耐えきれずに廃人になるか、その前に逃げ出すか。

 俺は未来が読める訳ではないからわからないが――

 

「じじぃはくず、それはわかる」

 

 悪態が吐けるだけの強さは持っている。そんなガキの姿勢がやはり俺は気に食わなかった。

 

 

 

 

 

 

「あぁお姉さん、貴女は中東に咲く一輪の花。良ければ訪れるであろう月夜に、俺と葡萄酒で乾杯しませんか」

「結構です」

 

 褐色肌のグラマラスな美人は辰也を振り払って先に進んでいく。

 本日、幾度の戦場を超えてもただの一度たりと勝利が無かった。さんさん振り注ぐ太陽が辰也を照らす。蒸しかえるように熱く、冷たいビールが飲みたかった。

しかし、ナンパの極意はとにかく諦めないこと。声をかけ、声をかけ、声かけあるのみだ。心を立て直して次の美人さんへと辰也は狙いをつけた。

 お次は少し厚着のお姉様。スレンダーに見えるがアレはきっと着ヤセのはず――辰也の眼はそれを見逃さなかった。懐から取り出した手鏡できりっと顔を引き締めて、再び戦場へと足を踏み出した。

 

「お姉様、俺とお茶でもどうですか?」

「結婚してますので」

「それは……ならその溜まった欲望を俺が解き放って差し上げましょう」

 

 パーンと高い音。打ち抜かれた頬がジンジン痛む。侮蔑するような瞳は深く俺の心に突き刺さった。ちょっぴり苦い気分がした。

 

「意味がわからない。やっぱりジジィは莫迦だ」

「はっ! 素敵なお姉様と一夜を過ごしたいという気持ちがわからんとは、やっぱガキはまだまだガキだな」

「ガキじゃない」

「そこで突っかかって来るのがガキの証拠だ阿呆め」

 

 何故か道端の縁石に腰をおろして、じとーとこっちを見ているガキは呆れたような口調でそう言った。

果て、どうしてここにこのガキがいるのか。ふと疑問を抱くがすぐに氷解した。幸樹が組織の幹部候補になり、会議に出席しているからだ。あの男の代わりに世話を頼まれたのだった。

 構えていたキャンプに置いて来ていたはずなのだが、置いて行かれたと思ったのか。気づけばガキは隣にいた。

ちなみに辰也は幸樹が今出ている会議に参加したことがない。この団体に来て一年半は経っているはずなのだが、やはりそれは彼が他組織から出向してきた人間だからだろう。普通の作戦会議ならともかく、団体の運営方針を定める重要な会議には完全にノータッチだ。

漏らせない案件があるのだろう。その内容に思いをはせて、辰也は少し口元を上げた。

 

「そーゆーことは好きな人とだけするべき。ジジィはやっぱり頭がおかしい」

「そーゆーことってな~んですか? 俺わからない~」

「そーゆーことはそーゆーこと。私はガキじゃないから知ってる」

「嘘ばっかり、見栄はっちまってさぁ」

 

呆れた顔はぶすついた顔へと変化していた。そして視線をぐるりと回し、ふんすと鼻を鳴らした。

 

「大きくなった男性器を女性器に突っ込む。あんあん」

「性教育間違ってんぜ幸樹ぃ。イヤ、正しいのか?」

 

自慢気な顔だ。背伸びをしているその姿は辰也に彼の地元、日の本のとある村を思い起こさせた。ちょうど同じ年ごろの少女は、果たしてどんな教育をされているのか。辰也には異様なくらいにそれが気になっていた。

 

「で、何でお前が付いて来てんの?」

「拠点の外に出る時は団体の誰かと一緒に出ろって幸樹が言ってた。ジジィ以外にはいなかった。私も不本意」

 

問いかけた声に返ってきた答えは辰也の予想通りだった。しかし刺々しい態度は相変わらずで、可愛気を見せようとしなかった。いつもと変わらないそんな態度にちょっぴり傷ついた感情を辰也は胸の奥へとしまいこんだ。先ほどの疑念と一緒くたにして。

 

「ジジィ、私は食べたい物がある」

「だったらテメェの金で買え」

「幸樹に黙っててあげる」

 

 幸樹は一穴主義だ。だから童貞だ。顔も性格も良い『偉大なる魔法使い』に近い実力者なのだが、その態度は辰也にとって非常にもったいなくみえた。ナンパをして美人を引っかけようとするといちいち幸樹は突っかかってきていた。童貞の僻みか、理想が高いだけか、そのあたりの繊細な男の気持ちは辰也にはわからなかった。

 ちなみに幸樹の好きなタイプは看護師系の白衣の天使。以前怪我した時に入院した病院の白人ナースに心奪われていた。後で病院まで恋人と熱烈にキスしているの見て灰になった姿は何とも情けなかったが。

 

「人殺しでしっかり稼いでるだろうが」

「お金は稼いでも貯まらない、貯めるから貯まる。ジジィに奢らせてやる」

「結構ですぅ」

 

 しかしこの任務は何時まで続くのか。そろそろ日本食が懐かしい頃合いだ。白米みそ汁焼き鮭たくあん。辰也は遠い故郷のおふくろの味を思い出した。

 里の味。最近ホームシックになるのは幸樹が幹部候補になって遊ぶ時間が減ったからか。久々に出来た莫迦話ができる相手。それが遠くに行ってしまい、誇らしくも辰也は少し淋しく、薄く笑った。

 

「もし、そこのお姉さん」

「はい、私でしょうか?」

 

 次に狙いを定めたお姉さんは三十路越えくらい。眉唾もののスタイルをしたおっとり系の美人だ。彼女は辰也のほうを一目見ると、ちろり赤い舌で唇をなめた。

 

「少し道をお尋ねしたいのですが……幾分と土地勘がないもので」

 

その仕草は妖艶で、辰也は惑うことなく彼女のそばへと歩みよった。

 

「あらあら、それは大変。それにしても今日は日差しが強いわね」

「よろしければ僕がいる間だけでも貴方の傘になりましょう」

「まぁそれは素敵」

「…………」

 

 無言の威圧が辰也の背中にのしかかる。

 

「ガキ、おしゃぶりでも買って帰ってろ。俺は大人な夜を過ごすからな!」

 

 その視線を軽く蹴とばして、辰也は女の肩を抱いた。重ねられた彼女の指先は辰也の手の甲を惑わすように動いていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 組織というものは必ずしも一枚岩ではない。

 むしろ一枚岩である、という場合の方が少なかったりする。十人いれば十の、百人いれば百の考えがあるのだ。トップの思想に心酔して付いていく者もいれば、求める先が同じだから付いていく者もいて、他が嫌だから何となくという者もいて、嫌いだから適当にして甘い汁だけを吸うために、という者もいて当然のはずだ。

 大きな思想はいくつもの小さな思想が寄り集まり、おぼろげな形を作り組織が出来る。これはどうしようもないことだ。

 

「なっ……!」

 

 NGO団体『四音階の組み鈴』もその例に漏れない。

 現団長の採算度外視でも苦しむ人々を人間亜人と種族に括らず救う――その思想を崇高なものとして身を粉にして活動に励む幸樹のような人物も幾人といる。

 団長自身は魔法使いではなく戦士のため彼の称号を受け取ることが出来ないが、彼の妻であり本契約の相手である魔法使いは本国より『偉大なる魔法使い』として讃えられている。

十数年ほど前に起きた戦争で連合軍が自軍の鼓舞と正当化のために打ち立てた『正義の魔法使い』に近いものではなく。ただ目の前の相手を救いたいからと足掻く『高潔な魔法使い』として。

 

「あなっ!」

 

 しかし団長のその思想に諸手を上げて賛成できない者たちもいる。

 ある者は採算度外視の行動に疑問を持つ。非営利団体であるが故に、主に募金でまかなわれる資金にはどうしても限りがある。それを無視しても戦火に飛び込む団長の姿を悪いとは言えなくとも、良いとも言えない者たちが幾人といる。

 ある者は救う順番に疑問を持つ。目の前で苦しんでいる者がいれば、その規模に関わらず団長は手を差し伸べる。その行動は否定できないが、それ以前に、少数の一を救う前に多数の十を救わなければと考える者たちが幾人といる。また逆に、重要な一を救うために凡庸な十を切り捨てなければならないと考える者たちが幾人といる。

 ある者は救う種族に疑問を持つ。過去の遺恨はまだまだ人々に根強く残っている。戦争で人間に、あるいは亜人に家族や友を殺された亜人や人間がいる。割り切っているはずで、だからこそこんな団体に籍を置いているはずなのだが、どうしても割り切りきれない部分を持つ者たちが幾人といる。

 

「死んだ……死んだ……殺したっ。これで、俺は……」

 

 不意の一撃だった。男の手に持つ西洋剣からぽたりぽたりと血が滴りテントを濡らす。

 男はこの団体の幹部の一人で、長年団長やその妻と一緒に戦場を駆け抜けた間柄。だからこそ団長は彼を疑うことなくテントに招き入れ、喉に切っ先を突き込まれて首をボトリ落とされた。骨を断ち肉を裂く軌跡はそのまま団長の妻にも襲いかかり、美しい顔は右耳から左顎にかけて寸断されていた。

 

「これでいい……これで、これでいいんだっ!」

 

 戦友を殺した衝撃に跳ね上がる心臓。震える指先を無理矢理握りしめて、男はテントを後にした。

 空には白い星屑がぶちまけられ、赤い月はまるで男を見下ろしているように光る。唇を噛み、天上の審判員から注がれる視線を避ける男は下を向く。一歩一歩の歩みは鉛のように重かった。両耳にはいつもと変わらぬ、少しうるさいくらいの喧騒が過ぎ去っていく。

 

「あれ、こんな時間に出かけるんですか?」

「少し眠れなくてな。煙でも吸いながら散歩でもしようかと思ったんだ」

「今日は星が綺麗ですもんね。では、良い夜を」

 

 にこりと笑い男を送り出した見張りに、自分が作り上げた事柄がばれているのではないかと疑心を抱く。

 足はさらに重くなる。だが歩かなければ、退路のない男に道はなかった。捕まれば、自分はどのような仕打ちを受けるか。家族同然と過ごしてきた者たちからの侮蔑と怨嗟の視線が降り注ぐであろうことは簡単に予測できる。

 捕まる覚悟はしているつもりだが、出来るならば勘弁して欲しかった。そんな事態はご免こうむりたかった。これから男の行く先には何よりも輝かしい道があるはずなのだから。その未来を信じて男は手を友の血に染めたのだから。

 

 気付けば男は街を抜け、キャンプを張っているのとは逆側の街外れに立っていた。

 息はまだ荒い。きょろきょろと落ち着きなく男は首を振る。どこか括るような視線を、自分の全てを受け止めて欲しいとでも言いたげに、揺れる瞳は右へ左へ。やがて二つの眼は一点を見つめ、ずるずりと男は歩きだした。

 

「殺した、殺したよ君のために。君の敵は俺が討ったよ」

 

 男の視線の先にいたのは褐色の肌をした美しい女だった。薄ぼんやりと月光に照らされた女は口を覆うように手を広げる。微かにその指先は震えているようだ。

 不思議な印象を男に抱かせる女だった。だが現実に在り、幾度となく触れ、抱きしめ、貪った女だ。それでもどこまでも夢幻のようで、芯の強い清廉な、実に蟲惑的な女だった。

 

「殺したの……本当に?」

「殺したよ、君のために」

「テロリストの娘が逆恨みしているだけなのよ」

「それでも俺は、君の悲しみを癒してあげたかった」

「ああっ!」

「泣かないでくれ。君に少しでも笑って欲しくて、俺はあいつを殺したんだから」

 

 泣き崩れる女を男は抱きしめる。

 肌と肌が触れ合う。輝く涙が女の頬から男の胸へと染み込んでいく。なのにいつもより女は蟲惑的で、いつもよりもっと女は夢幻のようだった。

 男は女とひと月前、この街に滞在してすぐに知り合った。一目見た途端に焼けるような恋慕を女に抱いた男は、自分の知る限り、あらゆる方法でアプローチを掛けた。そして男の情熱に女は答えてくれた。やがて、女は『四音階の組み鈴』がかつて壊滅させたテロ集団に所属していたとあるテロリストの娘だと打ち明けた。

 

 それでも愛してくれるかと、戸惑いながら男に尋ねたのだった。

 

「逃げよう、二人で……どこか遠くで静かに暮らすんだ」

「無理よっ、貴方はきっと殺される。ここで逃げ切れてもいつかきっと見つかる。あの男を殺して、NGO団体を……世界を敵に回して逃げ続けることなんてできないわ!」

「俺が必ず君を守る」

「そんな言葉……私は、私は二度と私の大切な人の死ぬ姿がみたくないのよ」

 

 頭を胸に預ける女に、男は強く肩を抱きしめる。目の前の女が消えてしまわないように、必ず捕まえておくために。

 男は女に答えて友を殺した。女の影が少し伸びる。男と女の唇が重なる。

 

「決めていた……貴方が帰ってきてくれたら、本当にあの夜の約束を果たして帰って来てくれたら……。口ばかりだと思っていたのに」

「君のためだ……俺は何にでもなれるし何でもできる」

「だったら行きましょう。二人でずっと、静かに暮らせる場所に」

「あぁ、いつまでもずっと一緒だ」

 

 男は腰にさげていた西洋剣を地面に投げ捨てた。身体を廻っていた気も完全に断った。

 二人の間にはダイナマイトが一つ。ちりり、火が点けられた。

 

 爆発の後、現場に残ったものは男の愛剣ただひとつ。

 



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魔術師たちは光に闇に

「仮契約、しようと思うんだ」

「へぇ、いんでねぇの。誰と?」

「私。文句あるのかジジィ」

「べっつにぃ」

 

 平らな胸を張るマナを一瞥し、神妙な顔で告げる幸樹に辰也は視線を向けた。

 

 幸樹は偉大なる魔法使い候補として扱われる高位の魔法使い。未だに魔法使いの従者がいなかったということが驚かれるほどに優秀な男だ。

 彼は何かの分野にとりたてて秀でている、という訳でもないが攻撃、防御、支援、回復の魔法を分け隔てなく高水準に使用できるバランスを持っている。悪く言えば華がないのだが、万能であるということは臨機応変な対応が出来るということであり、『紅き翼』の登場以降無駄にド派手な魔法を覚えたがる者が多い現代では酷く重宝されるタイプの魔法使いだ。

 

「ロリコンか?」

「違う」

「光源氏計画か?」

「違う」

 

 幸樹がこれまで魔法使いの従者を特定の人物として指定しなかったのは、第一に万能であるが故にである。

前中後、すべての立ち位置で戦闘を行うことが出来る故に、すべての立ち位置での戦闘方法というものを自分の中で大まかにではあるが形作れていた。だからこそ特定の従者を定めて戦闘方法を絞るよりもその時々の戦力、作戦、戦況に合わせた方が都合が良かったためだ。

 

「好きなのか?」

「マナの事だったら好きだよ」

「ぶい」

「妹のように思っているさ」

「いぇ~い」

「これだから童貞は駄目なんだ」

 

 第二は先日殺された幸樹の育ての親である先代団長夫妻の影響からだ。

 魔法使いの従者は本来魔法使いの盾として、共に戦う相棒としてある者のことだがそれも今や昔。昔からの意味を残し実践しているのは戦場に出る一部の魔法使いだけとなっている。

 もっぱら現代では主人従者の契約方法が接吻ということもあって、将来を誓い合う恋人同士のための儀式として浸透しているのだ。先代団長夫妻は魔法界の魔法学校からそのままNGO団体『四音階の組み鈴』へと入団していた。多感な思春期にはそんな知識が嫌というほど頭の中に飛び込んで来ていたらしく、従者を持つということはそのような意味、と幸樹は教えられていた。

 

「父と母を僕には守れなかった。だから残された家族は、かけがえのない妹は必ず守る……この契約は僕の誓いだ」

「ガキはそれで良いのか?」

「良い。家族になれた、私にホントの家族が出来た、私はそれが嬉しいから良い」

「じゃあいんじゃねーの。二人にその意思がある訳だし、俺が口挟む問題でもねぇしな」

 

 ケケケと哂う辰也にマナは鼻を鳴らし、幸樹は苦さを含んだ笑顔を示した。

 

「辰也はこれからどうするんだい?」

「古巣に帰るさ。契約相手がいなくなっちまったし、一年+αの契約だったしな」

「そうか……寂しくなるね」

 

 人が死ぬという事柄が基本的日常である戦場。団長が死ぬ、ということも特別珍しい事態ではない。潰すならば頭から、というのは当り前の考え方なのだ。

 今回は内から湧き出た膿によって頭が腐った。

 NGO団体として、人のために働きたい、そう言っておきながらも働くのは所詮人間。良心を信じたかったから、その気持ちが本心からだと信じたかったから、迂闊であった故に今回起きた事件に今後はその対策も取られていくだろう。何度とない失敗によって組織は少しずつ昇華されていくものなのだから。

 

「お前は?」

「残るよ、僕の家はここだから。救いたいから救う、団長の意志を継いで、いろんなところに目を向けながら必ず笑顔で笑顔を作れる組織にしてみせるよ」

「熱血漢だねぇ」

 

 ともかく、今回の事件は四音階の組み鈴に波紋を呼んだことは間違いない。

 辰也のように組織を離れる者もいる。

 幸樹のように意志を強める者もいる。

 マナのように誰かに付いていく者もいる。

 誰かの死により人々はさまざまな方向へ向けて歩きだす。

 

「また会おう、親友。離れていても心は一つだ」

「くっせーっ! 何処よここ、便所か、ガキが屁でもしたのか?」

「してない、死ね」

「だから銃口をこっちに向けるな。あぶねーだろうが」

「あははははっ」

 

 頬を膨らませるマナの姿に、今度は曇りない笑顔を幸樹は浮かべた。じろりと効果音でも背景に付きそうなほどきつく睨む視線は暖簾に腕押し、辰也はポケットから一枚紙を取り出してマナの口に押し込んだ。

 

「むごぅ」

「まぁでも、どうしてもなんかあったら連絡くれや。良心的価格で雇われてやるぜ」

「貧乏な僕には手厳しいなぁ」

「それも無理だったら酒くれぇ付き合ってやるさ」

 

 ひらひらと手を振り、辰也は二人に背を向けて歩きだした。三人の道が再び交わるまで、辰也は、幸樹は、マナは、自分だけの道を歩いていく。他の誰でもない自分自身が決めた目的地に向けて、自分が選んだ道を、自分なりの歩き方で。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 照りつける苛烈な太陽も、見渡す限りの砂地も、イスラーム建築もどこにもない。巨大なケヤキ製の木造広間に幾つか座布団が並べられ、老獪そうな男や女が腰を落ち着けている。

 下座には辰也を合わせて四人、十代後半から二十代前半の若者は姿勢良く正座し言葉を待っていた。

 

「まずは楽にして欲しい。そして礼を言う……この試みに参加してくれてありがとう、生き残ってくれてありがとう」

 

 優しげな容貌をした眼鏡の男は上座より三人へと向けて深々と頭を下げた。白髪交じりの頭頂部は段々と持ち上がり、男はやがて正面を向く。その目には明らかに沈んだものが含まれていた。

 

「君たちには一年半の期間、日本の外に出てNGO団体の一員として活動をして貰った。この日本で長きに渡って積み上げられてきた技術を芯に、世界を個人として、関西呪術協会の一員として見て欲しかったからだ」

 

 眼鏡の男は神妙そうな表情で、言葉を選ぶようにしてちくちくと紡いでいく。

 四人の若者たちは、例えれば国が選んだ留学生のようなものだった。関西呪術協会は古くから日本に蔓延る魔性を駆逐するための、護国を基にした呪術機関である。その発端は陰陽寮の時代まで遡り、時の陰陽頭である土御門晴雄が没してから一度解体され、再び『日本呪術協会』の名前で構築された。

 だが直ぐにそれは現在の関西呪術協会という名前へと変わる事になった。

 長く江戸幕府が続けていた鎖国の歴史に終止符が打たれから。明治改革の波とともに日本へと入って来た西洋魔法使いたちは日本で恋をし、子供をもうけてそのまま腰を落ち着け、関東魔法協会という彼ら自身の組織を作り上げた。

時の政府は古きを棄て新しきを得ることを第一義としていた。

 そのため政府は陰陽寮を解体し、再び作り上げられた日本呪術協会も西洋魔法使いたちの行動を大きく考慮に入れて、関西呪術協会という名前に改めさせたのだった。

しかしこの政府の行動は日本にいる古くからの業を受け継ぐ者たちを怒らせた。これまで骨を砕き身を粉にしてまでお国の為、お国の為と戦い続けていた彼らを政府は蔑ろにしたのだ。不満は爆発し、西南戦争の裏で関西呪術協会は関東魔法協会と全面戦争が行われた。

 結果、関西呪術協会は幕府軍と同じく敗北を叩きつけられ、日本の聖地のひとつである世界樹近隣を彼らの拠点とすることを許す事態となったのだった。

 

「遡れば明治維新、歴史の裏で私たちは敗北を帰した。だが正面よりぶつかり負けた、その事実を私たちの先祖は真摯に受け止めた。古くより受け継いだ高潔な精神、それを私は誇りに思う」

 

 それは双方の陣営に甚大な被害を与えた大戦争だと、関西関東両方の歴史書は語っている。

 しかし同時にその戦争は日本の業の奥深さを世界に示すことにもなり、負けることは負けたのだが極東の神秘として日本の術者たちは讃えられる事となった。当時の関西呪術協会は突き付けられた事実に頭を下げ、快く世界樹を任せたとも記す歴史書もあるほどだ。

 多少の遺恨を残しつつも、両協会はそれなりに有効な関係を築いていた。二度に渡る世界大戦の折も、手に手を取り協力しあっていた。だが――

 

「ここにいる者たちの一部が、もしくは多くが、あるいは全員が、関東魔法協会を快く思わない理由は私自身も解る。私も当時その発言を耳にした時、幾度ゲートを突き破りあの豚に刃を浴びせてやろうかと思ったほどだ。仲間を、親を、子を、道具として扱われるその屈辱! ……私にも、痛いほど解る」

 

 眼鏡の男、現関西呪術協会会長である近衛詠春は拳を握りしめて、大きな塊を吐き出すように言葉を零した。

 

詠春は今から十数年前、とある戦争に参加していた。

 それは魔法使いたちの世界で起きた、古くから魔法使いの世界で暮らす民とその世界に移り住んだ民との間で起きた民族戦争。古き民は新しき民に虐げられ、自分たちの文明が生まれた地すら取り上げられた事をいつも不満に感じていた。二つの民族の領地境界では小競り合いが頻発しており、いつしかそれは遂に全土を巻き込む戦争にへと発展したのだ。

 詠春自身はただ単純に戦争によって苦しむ人間を減らしたいがために身を投じた。

 第二次世界大戦の広がりを抑えるために奔走した父の話を聞き、純粋な気持ちでその戦争へと身を投じた。

しかし――そんな、本来関西呪術協会とは大した関わりのない戦争へと歩んでいった者たちの気持ちを踏みにじる男がいた。

男は当時の関東魔法協会の理事長だった。

 魔法世界での戦争、『大分烈戦争』において新しき民は古き民の技術力と底知れぬ潜在能力の前に風前の灯まで追いやられていた。新しき民は、魔法使いたちは負けそうであった。だが今まで奴隷として虐げて来た者たちに負ける訳にはいかなかった。魔法使いであるという誇りがそれを許さなかったのだ。

そんな中、本国と魔法使いたちの間で呼ばれるメガロメセンブリア出身の関東魔法協会理事長であった男は、実に下劣な考えを思い付いた。

 

 男曰く、関西呪術協会は関東魔法協会に敗北した。

 故に関西呪術協会は関東魔法協会の傘下であることと同義である。

 関西呪術協会は即刻有望な人材を戦争に送り込むこと。

 

 当時の関東魔法協会理事長の発言によって日本の裏世界に激震が走った。そしてその衝撃は、親魔法使い派で穏健派だった当時の関西呪術協会会長の即合意によって更に激しくなった。

 多くの旧き業を持つ日本人が戦場へと、一番の激戦区であったグレート=ブリッジに送り込まれ、敵の攻撃で、味方の超広範囲殲滅魔法で命を落としていった。

後の調査で彼ら二人は癒着しており、間を巨額の金銭が飛び交っていたことが判明した。金のために、ちっぽけなプライドのために、日の本の術者たちは冥府へとたたき落とされたのだ。

 

「関東では当時副理事長で現在理事長の近衛近右衛門氏がすぐさまあの男を更迭し、こちら関西では前会長が首を刎ねる、という少し過激すぎる方法ではあったが流れを止めることに成功した。だが、その命令が下されてから僅かの間で失われた命はあまりにも……多過ぎるっ!」

 

 関西呪術協会の主要戦力、その半数以上がひと月足らずの間に戦場に押し込まれ、命を落とした。

 当時の二人は既にこの世にはいない。二人の考えに賛同した者たちも、戦争後の刑事裁判によって処刑されている。だからといって解決するような問題ではない。人の想いは深く、長く続いていく。

 

「関東魔法協会のある麻帆良、そこに襲撃を仕掛けている人間が関西呪術協会内部にいるのは知っている。拭い切れない怨嗟があるのは、私とて理解しているつもりだ。だがそれではいつまでたっても変わらない、私たちはそれでも変わらなければいけないのだ」

 

 詠春の言葉に座布団の上の重鎮たちはぴくりと反応する。

 ある者は詠春を睨みつけ、ある者は遠い目をし、ある者は並ぶ四人の若者たちを見つめ、ある者は目を閉じる。

 それぞれの反応の後、再び詠春は語りかけるような口ぶりで言葉を発した。

 

「だからこそ私は個々人ではなく、関西呪術協会という大きなまとまりとして、何処からか口を添えられたからではなく、自分たち自身から生まれた意志として、外の世界へと力を添えていきたいと思っている。まずは若い君たちに……そう思っての今回の行動だったのだが、結果として十人は四人になってしまった」

 

 木造の広間は静まり返る。

 いくらかの沈黙の後、笑顔を浮かべて詠春は問いかけた。

 

「聞かせてくれないか。君たち自身の目で見て、肌で感じたその想いを」

 

 一人は長い黒髪を大きな三つ編みにした女。

 大きな丸眼鏡をかけて、胸元をざっくり開けた扇情的な和服の女。

 

「名門天ヶ崎家の血を引く陰陽術士、天ヶ崎千草」

 

 一人はつんつんした黒髪からかわいい犬の耳がぴょこんと飛び出した男。

 上下学ランの、生意気そうな男。

 

「狗族の血を引く狗神使い、犬上弘太郎」

 

 一人は白木の太刀を脇に置いて、美しい黒髪を流す女。

 巫女服に身を纏ったにこやかな女。

 

「京都神鳴流が剣士、青山鶴子」

 

 一人は黒髪を後ろに撫でつけた目付きの悪い男。

 憮然とした態度でジャケットなんかきている男。

 

「甲賀中忍、景山辰也」

 

 四人を順々に、一様に見やって、詠春は口を開く。

 

「聞かせてくれ、飾りげない君たち自身の言葉で」

 

 詠春のことばにまず口火を切ったのは天ヶ崎千草だった。

 

「きっぱりと言わして貰います。私は関西呪術協会として魔法使いたちに協力する義理はどこにもないと思っとります」

 

 彼女はじぃと詠春を見つめ、はんと軽く鼻で笑ってみせた。不躾な行動に重鎮の幾らかが強い視線を千草に向ける。しかしその非礼を受けた当の詠春は、にわかに色めき立つ重鎮たちを手で制し、彼女を咎めることなく言葉を促した。

 

「どうして、千草くんはそう思うんだい?」

「そら……いや、その前に一つよろしいか」

「私にかい? 私の答えれる事ならば答えるが」

「それなら聞かせてください詠春様、正義って……なんでっしゃろ?」

 

 正義という言葉は日常の様々な場所で顔を出す。

 私たちは国民のために働く、と政治家が正義を語る。祖国解放のために立ち上がるのだ、と本の中の騎士が正義を語る。法に外れたお前は刑務所の中で悔い改めろ、と検事が正義を語る。大義は我らにあり、と過去の武将が正義を語る。お前は悪い子だ、と親が正義を語る。

 自分の信じるものこそ本当の正義だと、誰かは語る。

 

「人の行うべき社会的道義のことだ。仁義礼智信に基づく人格をもって道理の通った法に従う心、個人、集団、それによって成り立つ社会こそが正義だと私は思うよ」 

「随分とした、綺麗事で」

「綺麗事こそ正義だからね。例え汚い事柄だとしてもその威光で覆い隠す、そんな強い意味を持った言葉さ」

 

 正義という言葉の意味は昔から幾度となく論じられてきた。様々な哲学者が、様々な形で正義を表現してきた。ここでイギリスにおいて主に19世紀に活躍したアイルランド出身の劇作家にして社会主義者であった『ジョージ・バーナード・ショー』の言葉に注目してみようと思う。

 

 彼曰く、人が虎を殺そうとする場合には、人はそれをスポーツだといい、虎が人を殺そうとする場合には、人はそれを獰猛だという。罪悪と正義の区別も、まあそんなものだ。

 

 正義は自分の立場によって変わる。悪辣と貶す相手も同様だ。

 例えば貴方が無理矢理に女性を連れていこうとしているチンピラを見たとしよう。通行人は誰もが見て見ぬふり。女性の嫌がる表情と声が貴方の耳に飛び込んでくる。貴方にはそのチンピラを倒せる自信と裏打ちされた実力があった。貴方は正義感に多少の下心を混ぜ込んで女性とチンピラの間に入り、チンピラを殴りとばした。

 しかし、一日後に貴方は刑務所にいた。

 

 正義は貴方自身のはずだ。悪辣と貶すべき相手はチンピラのはずだ。だが暴力が何よりも悪、とされる場所に貴方がいたとすれば、誰よりも貴方が悪となる。

 正義という言葉は強い意向を持つ割にその境界は酷く曖昧である。三つ巴の戦争が起きた時、三つの国すべてが私たちこそが正しい、私たちこそが正義だと謳う。後の歴史には勝った国こそが正義として残るのだろう。

 だが本当は解らない。

 もしかしたら負けた国の方が正しい主張を持っていたのかもしれないが、すべては灰の中に消えていく。

 

「だから私は思う。自分から正義と宣言する人の中に正義はない、他人から称される人にこそ正義はあると思うよ」

 

 問いに答えた詠春はじっと顔を見つめてくる千草を見つめ返した。

 少しの後、千草は顔を伏せる。何か感じ取ってくれたのだろうか、そう詠春が思っていた矢先、くつくつとした小さな笑い声が木造広間を這っていった。

 

「毒され取りますな、詠春様」 

「……どういう意味だい?」

「そのままの意味です……魔を携え魔を狩る人間が正義だの悪だの、下らん論争を。まるで普通の、堅気の人らみたいに」

 

 ぞわりと肌寒い風が広間を駆け巡る。

 骨を舐め肉を這い魂に触れるような風はひゅー、ひゅーと閉ざされているはずの広間を駆け巡る。

 

「道理など無い不条理の中、生きようともがく蛆虫……それが私らのはずやろ」

 

 千草はずりぃと刷り上げるように顔を上げ、音なく立ち上がった。

 

「中庸中立の果て、それでも人間らしく生きようと持った仁義礼智信。基づいて混沌に沈み過ぎた者をさらなる混沌で飲み込む……そう在るべきなはずやろ」

「それは……しかし、今は時代が違う」

「それがどうしたんや? 時代が違おうが受け継ぐ業は同じ、幾度も繰り返された不条理の中で生み出された業を私らは、そして魔法使いさんがたは身に刻んできとるんやろ」

 

 吹く冷え切った風は千草の周りをぐるりぐるり周る。

 後押しされるように、千草はまた口を開く。

 

「それやのに私たちは良い人なんですよとでも言いたげに、人を助けて。果たすべき姿勢が違うやろ?……あの戦争の後処理もそう」

 

 千草は関東魔法協会によって突き付けられた赤紙に、両親を殺されていた。目の前の日常を奪われたのだ。

 陰陽の名門『天ヶ崎』の家に生まれた千草は、この世に現れた瞬間から混沌の中に、泥の中に身を沈めるのが決まりきっていた。陰陽術士として裏から政界に、財界に、占術の名手として、あるいは殺人鬼として。

 だが千草は幸せだった。

 英雄だろうと殺人鬼だろうと母親の母乳で育つのが世の常。子供として両親にありったけの愛情を注がれて、千草は幸せだった。父母が死んだ時、まだ五つ六つであった千草ではあるが、その意味は理解出来た。

 注がれる愛情は断ち切られた、奪い去られた。それでも千草はその不条理を自分の中で噛み砕いた。蛆虫だから、混沌の中でもがく蛆虫だから。幼いころから両親にそう教わり、蛆虫は簡単に消し飛ばされるということを知っていたから。

 その当時は年相応に泣いた、喚いた、怒り怨んだ。だが齢を重ねるにつれて、立派な蛆虫へと成長した千草は両親の死を割り切った。

 そして同時に彼女の目に入ったのは、蛆虫の仁義礼智信を忘れ、人間になろうと混沌の外へと泳いでいく魔法使いたちの姿だった。

 信じられなかった、理解できなかった、千草には彼らがわからなかった。

 

「まとめて幹部の首差し出すか、拷問の御膳立てして関西に送ってくれるっちゅうのが仁義やろ。やのにそんな事もせず、あまつさえ犯した非礼を償うため誠心誠意社会に貢献しようと思っている、やって……あははははっ! 笑いしか浮かばんわっ!」

 

 犯した罪を償うということ、その奉仕はどこに向けばよいのだろうか。

 社会、あるいは被害者家族。社会だと公言して、それを被害者家族は許すだろうか。深く暗い蛆虫の社会で、それは成り立つのだろうか。

 

「NGO団体作ってヒーロー気分味わう前にする事があるやろが。蛆虫でもない人間もどきに協力やこうしとうない。それに……何よりも蛆虫でなくもどきに私の父母を殺されたっちゅうなら、私は魔法使いを許せそうにないわ」

 

 言い終わると千草は足を折り正座し、口を閉ざした。

 そんな千草の態度にこれ以上の話を聞くのは無理かと判断した詠春は、苦くなっていた自分の顔を立て直し辰也へと問いかけた。

 

「辰也くんはどう思ったんだい、今回の事は?」

「里に寄ってから来たんですが、入金確認しました。また機会があればよろしくお願いします」

「イヤそうじゃなく」

「そのままの意味です。報酬が仕事のリスクと自分の技術に合いさえすれば必ず完遂して見せます。日本全国、世界全土、例え誰からの依頼だろうと」

 

 辰也の、何を当り前な、とでも言いたげな発言に重鎮たちは苦言を呈す。

 やはり忍びは、そんな言葉が主のようで、聞こえる様な音量で辰也を貶す。

 

「静かにしてくれ、君たちとてそんな彼ら忍びに助けられて来ているだろう」

 

 詠春の言葉に思い付く節があったのか、ふっと言葉をかき消すように重鎮たちは口を閉ざした。

 そんな様子にかりかりと頭を掻き、辰也は少しだけ目を細めた。

 

「それが君の意見かい?」

「はい、自分は個人的にそう感じ取りました。変わりません、今までとも、これからも……忍びですので。忠義を誓う相手の予定もありませんし」

「ウチも辰也はんと同じどす。もちろんメインは京都、西日本になりますが頼まれて報酬さえ貰えれれば日本全国、世界全土まで、魔性駆逐に参ります」

 

 言葉を被せたのは京都に蔓延る魔を駆逐することを目的として設立された武闘派集団、京都神鳴流の剣士である青山鶴子だった。

 にこりと紅を刺されて赤くなった唇を持ち上げて彼女は笑う。

 

「まぁ強いて言えば、少なくともウチ自身は誰に頼まれようとも人は殺しまへん。魔性駆逐を旨としとるウチらがどんな事情にしろ人に対して殺し目的で剣を振るう……考えられんわ。神鳴の錆びは神鳴で落とす、そこだけは例外やけどな」

 

 ぎょろりと、一瞬の間だったが鶴子の眼、その白目と黒目が反転する。だがそれも見間違いだったかのように、彼女は先程と変わらないようなにこやかな笑みを浮かべていた。

 

「ワイも一緒や! 気に喰わん奴はぶっ飛ばす! 誰やろうとぶっ飛ばす! ワイの中にあるのはそれだけやで!」

 

 わはははっ、と豪快に笑う弘太郎を一目、出発前とほぼ変わらない意見を言う三人を見て、詠春は自分の意見に反対する千草が一番今回の研修で身を厚くしたんだなぁ、と何となく悲しくなった。

 

 

 

 

 

「よくやったぞ、景山。流石は甲賀の傑物よ」

「お褒めに預かり恐悦至極です。では自分はこれで」

「まぁ良いだろう。アフターという奴だ、少し付き合わんか。貴様如きでは一生入れんような店だぞ」

 

 右腕で白磁のように美しい肌の京美人を引き寄せて、関西呪術協会の重鎮は笑ってみせた。

 ここは京都にあるとある料亭。総本山にて詠春の呼び出しを受けた後、辰也は時間を置いてこの場所を訪れていた。理由は先程渡された分厚い封筒。中には諭吉の描かれた紙が束になり入っていた。

 

「しかし貴様は長の考えをどう思う?」

「自分は先程の会合の通りですが」

「ハッ、なんとも忍びらしく下種で現実的な考えよ。まぁ構わぬ、日本の将来を憂う儂らとは身分が違うからの」

 

 くぴとお猪口に入った高価な日本酒を一口、がははと重鎮は笑う。その姿に芸子姿の京美人はすりりと胸元に顔を刷りよせた。

 

「しかし天ヶ崎の小娘は良いことを言った。儂らには儂らの法がある。何も下にし、這い蹲らせようとは思わぬが、それに準じ儂らと同等の報復を受けるまでは魔法使いは淘汰されるべきであろうの」

「はぁ、雇い主が減るのは困る事です」

「ならばいっその事、儂に忠義でも誓うか? 貴様なら高待遇で雇ってやろう」

「……考えさせていただけますか?」

「よいよい、考えよ。ともかく……かん、かんかね――」

「四音階の組み鈴カンパヌラエ・テトラコルドネスです」

「そう、それよ。よくぞそこの団長を殺してくれた。また頼むぞ」

「報酬が仕事のリスクと自分の技術に合いさえすれば」

 

 

 

 

 

 重鎮は薄暗い部屋の中で腰を振る。

 いつも抱き、貪っているはずの芸子の身体はいつもよりずっと熱く、脳を蝕むような甘さを感じさせた。

 芸子は月明かりに照らされながら哂う。

 その姿は重鎮の腕の中にいるはずなのに、まるで夢幻のようで。

 

「ふっ、くっ……はっ……」

 

 果てる精とともに、重鎮の命は夢幻へと果てた。

 芸子は重鎮から身体を離し、こきりこきりと首を鳴らす。目の前の障子に人影が映る。すぅと音もなく開き現れたのは寝息を立てる芸子を抱えた辰也であった。

 

「連れて来たのか」

「おぅ、処理もちゃんと済んでるぜ本体」

「そら結構。んじゃとっとと済ませて逃げるとするか」

「あいよーっと」

 

 裸の芸子は乱暴な口調で辰也に命令する。その言葉に従い、辰也は抱えて来た芸子の服を脱がし、その身体に何か細工を施していた。

 

「しっかり出されてるじゃねぇか、本体よ」

「無駄口叩いてねぇでとっととしろ。早く帰って寝たいんだよこっちは」

「へいへい」

 

 裸の芸子の声は段々と太く、男のモノに近付いていく。やがてそれは辰也のモノと重なり、裸の芸子の姿は消えていた。代わりに眠そうな顔をした辰也がもう一人、その場に立っていた。

 

「終わったか」

「終わった。んじゃ本体、ちゃっちゃと逃げようぜ」

「その前にテメェは消えろ」

「え~っ」

「疲れてるの、解れや」

「理不尽だぜぃそれむぷぁっ!」

 

 しゅんと芸子の身体に細工をしていた辰也は煙のように掻き消えた。

 やがてそこにいた辰也もふわぁと欠伸を一つ。

 部屋には重鎮と芸子が一人だけが裸に剥かれて横たわっていた。

 

 

 

 

 

「なんでっ、何で私がこんな牢屋に入れられなきゃいけないのよっ!」

「えっ、わからないとか何それ怖い」

「何をしたのよ私が! 何なのよアンタは!」

 

 ごつごつとした石が削られ、敷き詰められ形作った牢獄の中。女は白磁のような肌が傷つくのもお構いなしに、握りしめた拳を木製の柵へと叩きつけた。薄い皮膚が破れ、赤い血が滴る。だが幾人もの血を吸った樫の柵は女の細腕にビクリともせず、ただ憮然と女の激情を受け止めていた。

 

「そりゃぁ人を殺したからだろ。しかも関西呪術協会の重鎮を。やだねーそんな自己正当化なんざ」

「殺してない! 殺してないわよ! 人殺しなんてする訳ないじゃないの!」

 

 カッと目を見開き、憎しみの念を込めて女は柵の向こうで首を振る辰也を睨みつけた。そんな視線をやれやれと辰也は溜め息で弾きとばす。責任逃れって恐いねー、とでも言いたげに。

 女は京都にある、とある料亭に所属する芸子だった。

 関西呪術協会御用達の料亭。当主から女将、料理人から芸子に至るまで、ある程度裏世界に関わったそれなりの実力者が肩を並べている。有事の際はそん所そこらの結界の張られた場所よりも強固で安全だ、とも評価されている場所だ。

 そんな料亭の一室で、関西呪術協会の重鎮の一人が遺体で発見された。つい数時間前の話だ。第一発見者は今辰也の目の前で喚く芸子の同僚。いつものように昨日重鎮が芸子と楽しんでいた部屋に、起こせと言い聞かされていた時間になったため訪れたのだ。

 部屋の中にいるのは助平で有名な重鎮。引きずり込まれて剥かれるのか。その時芸子の同僚は重鎮が料亭を訪れた日ならば当り前のように起こる行為に、少しの気だるさを感じながら部屋の前に座したそうだ。

 しかし呼びかけて待てど待てど、中から返事は返ってこない。

 部屋の中から音はしない。流石に不思議がった同僚が襖を開けると、息を引き取り冷たくなった重鎮と死んだように眠る芸子の姿があった。

 

「でもよぅ、テメェの女陰から毒が検出されたんだよ……お前が重鎮を死に至らしめた毒と同じもんが。その上テメェからは多量の睡眠薬。こら愛憎の縺れからの無理心中とみるのが当然だろ」

「違うっ! 違うっ!」

「だがテメェは殺した男を愛してるだの、抱かれて幸せだの漏らしてたんだろ……売女のくせにいっちょ前に」

「ちっ、違うっ!」

「動揺したな? テメェは常連さんに叶わぬ恋慕を抱いちまった。地位も名誉もある、家庭も妻も子もある男に。だからせめてあの世で一緒になろうとした。だが言ったってきっと聞いてもらえねぇ、だから殺した……俺の推理、間違ってっか?」

「違うっ! そんな事、私はしないっ!」

 

 にへらと辰也は無神経に哂う。その笑顔は芸子の神経を逆撫でさせ、更に芸子はヒートアップする。

 しかしそれがどうしたと、辰也はにやにやと厭らしく顔を歪めた。樫の柵の間から芸子の手が飛び出し、辰也を掴もうと遮二無二に振り回される。されど必死の抵抗は空を切り、揺らぐ風も辰也の眉ひとつ動かす事は出来なかった。

 

「ま、そんな言い訳はあちらさんにしてくださいな。おねーさんがどれだけ恋慕の情を持ってたか、熱弁してあげればいーじゃねぇか」

 

 くいと辰也の顎が差す方向に芸子の視線が移った時、彼女の手は凍ったように固まった。

 

「この女が貴女様の御主人を殺した諸悪の根げ――」

「どけ下種」

「仰せのままに」

 

 すすすと辰也は二歩三歩と下がる。

 

 憤怒に彩られた気が、冷たい牢獄を焼き尽くす。

 伸び固まった芸子の手をめしりと掴んだのは、皺の入った皮膚で包まれた女の手だった。ぎちぎちと、枯れ木のような指先が白磁の肌に食い込む。狂乱していた芸子の表情は徐々に垂れ下がり、泣き笑いの顔面が張り付けられた。

 

「わっ、私じゃありません……違うんですっ!」

「随分な好き物なのね」

「違うんです奥様!」

「大丈夫、私が良い方を紹介してあげるから」

 

 皺の入ったの手は芸子から離れ、印を切るように六方星に振られた。

 芸子は笑う。ボロボロと大粒の涙を零して。慈悲を願い請う想いを視線に乗せて。皺の入ったの手の持ち主は嗤う。とてもにこやかに、泣き喚く子供をあやすように。

 六方星が描かれた時、芸子の前には一匹の蝦蟇がいた。泥をぶちまけたような茶色の皮膚。ぶつぶつと皮膚中に張り付いた疣からは、じゅくじゅくと黄色い汁が滴り落ちていた。ぐぅえと蝦蟇が大きな口を開けて鳴く。赤黒い舌は口中に溜められた薄汚い粘液に浸かり、鼻の曲がる酷い臭いがした。蝦蟇の舌先が芸子の頬を撫でる。その先端はまるで男根のように太かった。

 

「きっとすぐに良くなるわ。だって貴女は好きだもの、ね」

 

 皺の入った手の女は優しく笑う。ひきつった芸子の声が辰也の耳に飛び込んでくる。

 芸子の視線が辰也を捕らた。縋りつくような視線。それをひらひらと振る手で弾き返し、くるりと踵を返した。

 

「いっ、いやぁぁァァッ!」

 

 芸子の叫びが辰也の背中を叩く。しかし気にすら止めずに、辰也はずいずいと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 しばし距離を稼ぎ、芸子の叫びも風が木の葉を揺らす程度になった頃。辰也はジャケットの内ポケットに手を入れて、ライターとマイルドセブンと書かれた青い箱を取り出した。ととん、と親指で底を叩き、顔を出した煙草のフィルターを口に咥える。そして手で風を妨げて、その先端に火を点けた。

 ほふぅと白い煙は虚空に消える。

 景山辰也は忍びという職業に付いている。職業柄、煙草のように臭いの付く物は意外に気をつけなければならなかったりする。臭いが痕跡となり現場に残ってしまう、というのは愚の骨頂。プロとしてあるまじき行為である。なので辰也は煙草を吸うときはいつも、身体全体に薄い気の膜を張って臭いが付くのを防いでいる。口臭も気にするので口の中も言わずもがな、だ。

 

(しかしこれは、いつも思うが吸ってる意味があるのかねぇのか)

 

 ふむと煙とともに考えを飲み込み、まぁどっちでも良いかと煙とともに考えを吐き出す。好きで吸っているのだ。自分はそれでいいと思っていて、既に必需品であるのだ。同じくジャケットの内ポケットから取り出した携帯灰皿に吸殻を押し込み、辰也はまた歩き出す。 

そういえば吸いだしたのはいつの頃からだったろうか。確かアレは――十五の頃だったか。入り組んだ木造建築を抜けながら、辰也は思い返していた。歩は進み、やがて石畳が門へと続く庭園が開けて見えた。

 

「御苦労さまです。お金はいつもの口座に振り込んでおきましたので」

「どうも。では俺はこれで」

「聞かないのですか、何も?」

「何も、聞く必要がありませんので」

 

 石畳の中ごろで辰也はひたりと足を止める。すぐ脇の庭園には竹箒を持った男が一人。何を隠そう、関西呪術協会の長、近衛詠春その人であった。

 

「彼は東の魔法使いや西の術者、それになんの関係もない一般の女性を慰み者にしていました。あの芸子もその暴挙に携わり、幾人もの命をその手で」

 

 ぎゅぃと竹箒を握りしめる。めしりと割れ、地面に広がる竹屑に詠春の苛立ちが示し表されていた。

 彼が関西呪術協会という旧き組織の長に就いて、まだ十年も経っていない。海千山千の傑物たちを相手にしてか、就任当初よりもいくらか痩せ、顔色も悪くなっていると辰也は感じた。

 

「これも私の力不足。あんなことを言っておきながら、君にこんな真似を……」

「長様は自分たちを貶すような綺麗すぎる善人ではありませんし、権力を牛耳ろうとするために働く悪人でもありません。必要だからと割り切り扱ってくれる、実に自分にとっては好感のもてる相手です」

 

 沈痛な面持ちで告げる詠春に、辰也は努めて明るい声で振舞った。

 

「これまでも、歴代の長様方や重鎮の方々は自分たちを使って来られました。これからも、きっと変わらないと思います。だからといって自分たちは権力を握ろうと、昔のネタで強請るつもりもありません」

 

 自分を少し弱く瞳を燈す光で見つめる詠春に、辰也は足を揃えて礼儀正しく頭を下げた。

 恭しく、臣下のように。だが力強く、武人のように。それ以上に静かに、忍びとして。

 

「光がより輝くからこそ、自分たちの潜む場所は多くなります。どうかこれからも関西呪術協会に栄光あらんことを」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「良くやってくれた。またよろしく頼むぜ、スナイパー」

「報酬が仕事のリスクと私の技術に見合えば、ね」

 

 ぽんと受け取った札束を懐に、褐色肌の女は小さく溜め息をついた。

 何度となく繰り返したやり取り。自分の、戦場で磨いた技術で人を殺し、金を稼ぐ。その昔、女が貶し小馬鹿にした男の言った通りの方法で、男の言った通りの台詞を依頼者に返し、女は戦場を渡り歩いていた。

 たった一人、いったいどれだけの戦場を渡り歩いたのだろうか。いったいどれだけの屍を築きあげたのだろうか。いったいどれだけの笑顔を奪ったのだろうか。いったいどれだけの間、自分は笑っていないのだろうか。

 右手には武骨な銃器を、左手には笑う二人の家族を、唇には血の味、背中には亡骸を。

 ハードボイルドに、固ゆで卵に、仕事人として割り切って戦場を渡り歩いてきた。

 笑わなくなったのは一種の自己防衛本能からだろう。笑ってしまえば、女は自分自身が壊れてしまいそうな気がしたから。肉袋に穴をあけて、へたり込ませる毎日を彼女は続けていた。

 兄が目指した高潔な理想は、綺麗すぎて女には持ち切れなかった。

 幼い女が背負うには、あまりにも大き過ぎて、あまりにも神聖過ぎて、あまりにも重過ぎた。

 

 

 

 女は依頼人と別れ、自分が宿泊しているホテルの一室へと辿り着いた。

肩に掛けた重いバックを落とし、一人で宿泊するには有り余る大きさのベッドへと倒れ込む。全身を包み込むやわらかさに、女はムズ痒い違和感を覚えた。すると何を思ったか、女はかけ布団をぐるぐると丸め始めた。そして二つ、円柱を作り上げると床に並べ、その間へと滑りこんだ。圧迫感が左右から迫る。だが女はその圧迫感が心地よく、プチリと糸の切れた人形のように意識は消えていった。

 

 

 

 まどろむ頭が覚醒した時、女の視界に光の消えたカードが見せつけられた。

 いつの間にか手に取っていたそれは女が兄と家族となり、兄が理想を誓ったあの日。女があの男と別れたあの日以来光を消していた。

三つに分かれた道の一つは数ヶ月前、完全に消し潰されていた。

 女は精神的に限界に近かった。

 来る日も来る日も肉袋に穴を空け続ける日々は、想像以上に女の芯をすり減らしていた。女はまだ幼い。肉体的にはそこらの大人顔負けの身長、スタイルに無駄に成長しているが、精神的にはまだまだ子供だった。

 幾ら修羅場をくぐって来ても、命の危険にあったとしても、人によりかかって我が儘を言いたい年頃。女はまだ十代前半だ。

 だからそれに手を付けた。首に掛けたペンダントの中、優しく笑う兄と馬鹿みたいに笑う男の写真、その裏側に隠していたメモを取り出した。宝物を扱うように丁寧に、早鐘を急に打ち出した心臓を鎮め、広げたメモには三、四、四の順番で数字が羅列されていた。

 女はその数字を頭に刷り込む。何度も何度も頭の中で反芻させ、声に出して呟き、指で虚空を描いた。そしてゆっくりと受話器を手に、番号を打ち込む

 一度、二度、三度、呼び出し音が鳴り響く。

 それは亀の歩みのように遅く長い時間で、跳ねる兎のように早く短い時間だった。

 そしてついに――その時は訪れた。

 

「あいあい、長瀬でござるよ」

 

 日本語で問いかけてくる幼さの残った美しい電話の声に、女は思わず受話器を握り潰した。

 



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咎人裁くは女教皇の刃(上)

 少女の前にはいつも青年がいた。

 生まれた時、自分を取り上げたのは青年だと聞く。夜泣きが激しく周囲を困らせた自分は、青年にあやされるといつも熔けるように眠ったと聞かされた。嬉しいことがあったらまず青年に報告した。悲しいことがあったらまず青年に報告した。少女は青年の事が――幼子の稚拙な感情かも知れないが――心の底から大好きだった。

 少女はいつも青年の背中を追い掛けていた。

 だから少女は三つになり、まだ里の誰に言われるより前に苦無を持ってにへらと笑った。青年の立つ舞台に少しでも早く立ちたくて、ずっとずっと先にいる青年に少しでも早く追いつきたくて。薄い緋色の装束に小さな手足を通して、てかてかと森の中に消える青年を追いかけた。

 青年が少女の前にいる時間はあまり長くなかった。

 里屈指の実力を持つ青年は任務で四方八方に飛ぶことが多かった。週に一度か二度か、長ければ一カ月に一度も会わないことも稀ではなかった。だから少女は丁寧に、数限りなく青年から教わった挙動の一つ一つを繰り返した。青年がどこかに行く前に必ず自分がねだって教えてもらったそれを、少女は呆れるくらいに繰り返した。帰って来た時認められるだけになっていたら、頭を撫でて褒めてもらえるから。青年がご褒美だと買ってくれるコンビニのプリンが何より好きだった。

 青年が任務で一年以上帰らないと聞いた時、少女は烈しく泣き喚いた。

 いつも青年の手伝いをし、ある大人にはしっかりしていていい子だと言われ、ある大人には子供らしくないと言われ、青年にはどーでも良いと評価される少女は、巨大な堤防が決壊したかのように高ぶった感情を周囲にぶちまいた。三日三晩ぐずった少女にある大人には聞き分けのない子だと言われ、ある大人には子供らしいと言われ、青年にはどーでも良いと笑われた。

 幼い子供は純粋だ。本能的に、少女は青年が危ない目に合うかもしれないことを感じ取ったのだろう。

 いつも見つめて、いつも追い掛けてきた背中。それがふと、消え去ってしまうかもしれない。少女は嫌で嫌でたまらなく青年に縋りついた。

 そして少女は青年に殴られた。少女はその際に初めて骨を折った。少女の小さな身体は頬に突き刺さった拳の力で軽々浮き上がり、地面に背中を打ちつけてごろごろと転がっていった。木にぶつかり、回転を止めた少女は呆然とした顔で青年を見つめた。

 いつの間にか鼻先に突きつけられていた青年の顔。瞳は泳ぐでもなく、少女がこれまで見たどんな青年よりも真剣に、どんな青年よりも鋭利に少女の眼を捕えていた。

 青年は少女に告げた。

 

 ――お前は忍者だ。忍者は心に刃を秘める者。お前は秘めてもないし、刃は幻想に彩られた張りぼてだ、と。

 

 青年が海を渡り、追いかける背中の無くなった少女は今まで以上に青年から教わったことを繰り返した。

 それと同時に少女は物思いに耽る時間が増えた。

 自分の刃はなんだろうか、何の為に刃を磨いているのだろうか。うむむと頭を悩ませるが、鍛練中以外はなにぶん回転の良い頭でなかったため、結局少女はなにも思いつかなかった。

 なのでとりあえず、少女は刃を心に秘める事から始めた。

 まだ磨き切れていない、張りぼてと言われた刃ではあるが、青年が帰って来た時に頭を撫でて欲しかったから。良くも悪くも感情の出やすかった自分を、青年のように飄々とした人間へと矯正していった。ちょっとだけ青年に近付けた気がして、嬉しかったのは少女だけの秘密。

 青年が少女の前に帰って来た時、少女は青年の遠さに愕然とした。

 青年に近付けたと思ったのはただの妄想だった。褒めてもらえる、と期待した自分がどれだけ浅く、軽かったかを痛感させられた。だが成長したじゃねぇか、と笑う青年に頭を撫でてもらうのを拒否するほど少女は思いつめてもいなかった。

 遥か遠くにいる青年だが、伸ばせば届くところにも青年はいるのだ。不相応だと手をひっこめる少女ではない。考えるより先に身体が動く――少女は行動派だ。

 

 遠いならば追いかければ良い。少女は何時だってそうしてきた。

 簡単に見えるような背中ではない。

 簡単に追いつけるような背中ではない。

 簡単に追い抜けるような背中ではない。

 そんな相手を目指す事が出来る――それはきっと幸せな事だ。

 

 だから少女は今日も心に刃を秘める。

 

「辰也、餡蜜を食べに行こう」

「イヤイヤ意味がわからねぇ」

「せっかくこんな美人が奢らせてやると言っているんだ。答えないのは男として恥だよ」

 

 ぽんと青年が連れて来た、もう数ヶ月と里に滞在しているこの女。ぐいぐい青年の腕を引っ張り、ようやく膨らみだした自分のとは違う二つの毬を押し付ける女を横目で睨む。視線に気づいたのか、はんと鼻で笑う女に少女は自分の胸を揉む。

 

 自分の刃も磨く意味も理由も目的も、少女はまだわからない。

 だがせめて女の放つ弾丸よりも鋭くしなやかに。

 少女は今日も刃を探し刃を磨くのだ。

 

 少女――長瀬楓のいるのは昔風の家屋が建ち並ぶ集落から少し外れた山の中。

 ここは甲賀の里、忍びの里。山を一つ隔てた先にある伊賀と並び、日本で最も有名な忍者たちが住む里とされている場所だ。しかしそれも遥か昔のこと。甲賀忍者村などのテーマパークが立ち並び、太平である平成の世に、諜報活動等社会の闇に生きる忍者は絶滅したかと思われていた。

 だが忍者は今の世も場所を変え姿を変え、社会の闇に生きている。大きめの石に腰掛けた辰也が、薄い緋色の装束に身を包んでその前に座る楓こそが、数百年と続く忍術『甲賀流』をその身に受け継ぎ、現在に体現させる生き証人だ。

 

「さて楓よ、お前には半年後に控えた中忍昇格試験のために俺に鍛錬を請ってきた。それで間違いないな」

 

 糸のような細い目でにんにんと笑う楓に、すがりつくマナを振り払いながら辰也は問いかけた。

 

「あいあい、間違いないでござる。拙者は早く中忍となり、兄者と同じ立場に――」

 

 そこで楓の言葉は途切れた。外部からの物理的要因、つまり疾風の如く額に突き刺さった辰也のつま先により後ろへと吹き飛んだためだ。

 転がる身体を途中で立て直し、楓は血の垂れる額を押さえる。そして深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。

 

「申し訳ありませぬ、辰也様」

 

 甲賀の里には最高位である中忍、一般的構成員である下忍、下忍候補生である準忍、忍者ではないが里に貢献する里忍という四つの身分が制定されている。こと任務となれば、その力関係は絶対。任務に出ることを許されていない準忍を除き、里忍は下忍に逆らうことは許されず、下忍は中忍に逆らうことは許されない。

 辰也は若いながら中忍という立場に立っている。下忍の楓がこのような鍛錬の――任務に赴くための自分を作る――場で、馴れ馴れしく接してはいけない相手なのだ。

 

「理解しているなら最初からそうしろ。立場をわきまえられない人間ってのは、どんな場所でもただの愚図だ」

「はっ。ご指導のほど、痛み入るでござる」

「じゃあ口調崩せ。かたっ苦しいのは嫌いだからな」

「あい兄者」

 

 にへらと厳しい顔を崩す辰也につられて楓もにへらと笑う。

 元来あまり下忍たちからの礼儀を気にしない性質の辰也だが、払うべきところでは礼儀を払う、という態度を持たせることから鍛錬は始まっている。間者としても働く忍者なら当然身に付けておくべきもの。忍びとして常に社会の闇を駆けている辰也は特にそこを気にし、後進の育成に励んでいる。甲賀屈指の実力を誇る辰也は人気講師だ。

 

「んじゃとりあえず中忍試験合格のために鍛錬を始める訳だが……俺は正直、楓は中忍にならねぇで良いと思ってる」

 

 辰也の言葉に楓の耳はぴくぴくんと反応する。

 

「あぁ、中忍を目指すことを否定してる訳じゃねぇよ。でも正直向いてないわ、テメェみたいな莫迦単細胞」

 

 ケタケタ笑う辰也を見て、楓の眉間に皺が寄った。

 伊賀など他の里で見られる上忍という身分を制定せず、中忍を最高位としている甲賀に於いて、中忍はその昔郷士であった者たちのことだった。地方に住む者たちを束ねる豪族、それが本来の中忍。

現在ではそんな郷士たちの血を引き甲賀の里の行く先を定める『甲賀八衆』に加え、下忍たちを束ねる十二人の小頭、合計二十人が中忍の位を得ている。

 元の立場から察すれば易く、つまるところ中忍とは管理職。任務を厳選し、依頼人との交渉に赴き、その任務に見合う実力の下忍を選択し行わせるのが主な仕事だ。もちろん、前線に赴くことも重要な仕事ではあるのだが。

 楓は自分の口に出して告げた。辰也が長い任務から帰ってきた折に、中忍になりたいんでござる~、と言う軽い口調とは裏腹に真剣みを帯びた眼差しで。

 辰也はそんな楓に素質がないとはっきり断言した。楓は中忍すら下せる下忍にはなれても中忍末席にはなれないような性質だと。

 それでも中忍に楓はなりたかった。尊敬する兄に否定されても。

 里の者から称賛される中忍という称号が欲しかった訳ではない。楓は並ぶ立場が欲しいのだ。

 

「鍛錬には付き合ってやるが、俺はもっと場数を踏んで、年相応に青春して、それからでも全然遅くねぇと思うぞ。その過程で忍者なんかよりももっと好きでやりたい事が出てくるかもしれん訳だし、今はそれが許される時代なんだしよ」

 

 諭すように告げる辰也に楓は唇を尖がらせる。

 忍者の子は忍者、武士の子は武士、農民の子は農民と定められた時代は終わった。甲賀の里でも忍者稼業を辞め、製薬会社やその他様々な日の当たる職業に就く者たちも沢山いる。わざわざ身体を酷使し、鍛錬に励む日々を送る必要はないのだ。

 

「でも……拙者は忍者でござる、忍者でありたいでござる」

 

 むくれた顔を真剣に、真っ直ぐと辰也を見つめて楓は言った。

 

「ま、それはお前が勝手にお前で決めることだ。俺に言われても困る」

「なんでござるか、それ」

「んじゃ鍛錬でもするか。お前もいい加減離れろ」

 

 若干不満げな顔をしたマナは歩みを進めると、楓の隣へと立った。

 辰也はやれやれと言った様子で口を開く。

 楓は並び立ったマナを意識から逸らし、楓の耳は辰也の声を拾うことだけに集中した。

 

「今日はギャラリーもいることだし、基本的なとこから復習してくことにするわ。忍者という存在には役割的に大きく分けて二つある。まずはそれを答えろ」

「あい。姿を隠して敵地に忍び込む陰忍と姿を見せながら計略を行う陽忍でござる」

 

 姿を隠して敵地に忍び込み内情を探り破壊工作を行う――これがおそらく一般的に想像される忍者の姿だろう。これを甲賀の里では陰忍と呼ぶ。

 対して陽忍とは、姿を公にさらしつつ計略によって目的を遂げる存在で、いわゆる諜報活動や謀略、離間工作などを行う者がこれに当たる。

主として忍者というよりも彼らが持つ術の形態として、現在の甲賀の里はこの双方の役割を分割し、後進の育成を行っている。

 ちなみに楓は――かなり戦闘員色の濃い――陰忍だ。

 

「なら次は基本である五車の術について述べろ」

「喜車、怒車、哀車、楽車、恐車でござる」

 

 『五車の術』の術とは忍者が任務を行う中で相手と会話の中で心理を突く話術のこと。

 相手をおだてて隙を窺う『喜車の術』。

 相手を怒らせ、冷静さを失わせる『怒車の術』。

 相手の同情を誘う『哀車の術』。

 相手を羨ましがらせ戦意を喪失、あわよくば味方に引き込む『楽車の術』。

 迷信などを利用し相手の恐怖心に付け込み戦意喪失させる『恐車の術』。

 くのいちによるハニートラップ等が五車の術の良い例だろう。

 

 現代の情報戦に於いては敵方にスパイを送り込む正攻法だけでなく、相手の内側に情報提供者を作る、もしくは送り込まれてきたスパイと取引して二重スパイにする、といった搦め手を併用する場合が非常に多い。

 忍者も同様に諜報任務の際は敵陣に潜入して情報を奪取する正攻法だけでなく、敵の中に自分への協力者を作りだす搦め手を用いていた。人間に存在する感情を利用し、相手を手の平に乗せる術を忍者は数百年前から実践してきた――というのだからその点は旧くから大いに進んでいたと言えるだろう。

 

「んじゃ次は甲賀四術について」

「肉体を鍛え道具を扱う金術、歩法である風術、気を使った術を行う水術、様々な方法を用いて影に忍ぶ隠術でござる」

 

 物事には起源がある。勿論、忍者も然りだ。

 一説には聖徳太子に仕えた『大伴細入』という人物が最初の忍者だと言われる。

 一説にはまた聖徳太子が『志能便』と呼ばれる諜報集団を操ったと言われる。

 一説には独自の呪術を持つ山伏が忍者の源流だと言われる。

 一説には室町時代に活躍した『果心居士』という幻術師が忍者の始祖だともいわれる。

 ここで、一つの歌を紹介しようと思う。

 

 『草も木もわが大王の国なればいずくか鬼の棲なるべき』。

 

 四の鬼を従え伊賀にて朝廷に対し謀叛を起こした『藤原千方』へと、朝廷に任命された追討使の『紀友雄』はこう歌っている。

 伊賀では『忍者とは荘園の中で出た悪党を起源とする』とある。

 そして藤原千方の従えた四の鬼、

 即ちどんな武器も弾き返してしまう鋼のように堅固な体を持つ『金鬼』。

 強風を繰り出して敵を吹き飛ばし風を操り敵城を吹き破る『風鬼』。

 如何なる場所でも水を操り洪水を起こして敵を溺れさせる『水鬼』。

 姿を消し気配を消して敵に突如襲いかかる『隠形鬼』、あるいは『怨京鬼』。

 この四鬼を忍者の起源とする、という説もある。

 詳細な起源は定かではないが、甲賀ではその四鬼に則り彼らの名を借りた『甲賀四術』として忍者の育成を行っている。

 

「まぁ基礎基本だからな、答えられて当然だろ。ちなみに甲賀四術は気の扱いを旨とした鬼術を根底に置いているからよ」

 

 そこまで告げると辰也はふふんと少し誇らしげな楓ではなく、その隣のマナへと指を差した。

 

「さて、んじゃいよいよ実戦練習になるが――」

「ちょっと待ってくれるか」

 

 それまで黙ってふむふむと聞いていたマナが口を挟んできた。

 

「来てしまったのは私だが、これは隠すべき技術なんじゃないのか?」

「なんで?」

 

 即座に返答する辰也に、マナが言葉に詰まるのが解った。辰也の答えはマナにとって予想外のものだったのか、彼女は驚きの表情を作っている。そんな姿を気に留めるでもなく、辰也は口を開いた。

 楓もまた辰也の態度に則り、口を噤んでいた。

 

「技なんざ、隠したって仕方ねぇだろ。グローバルな時代でネットで調べてちと考えれば、今俺が言ったことはすぐに予想できる様な事ばっかだし」

「しかし魔法使いたちは、魔法は秘匿されるべきものだと言ってたが?」

 

 魔法、という単語に思わず意識がそちらに逸れた。あるとは聞いていたが、実際まだ目にしたことがない西洋の技術。自分の瞳に興味が湧いた気がした。

 しかし辰也は自分の視線を断ち切り、辰也はため息とともに言葉を押し出してきた。楓は開きかけた口をもう一度きつく噤んだ。

 

「そりゃ勿論隠すべき業もあるぜ。だけどよ、さっきも言ったが今の時代は昔と違うんだ。こっちの世界で生まれた人間が必ずこっちの世界で生きなきゃいけねぇ理由なんざ、絶対的にはねぇんだよ」

 

 マナに向けた言葉はいつも辰也が自分や里の人間に向けた言葉と同じだった。里一番の手だれの忍びが決まって訓練の前に口にする言葉と同じだった。

 忍びだけに囚われるな――世界を駆ける忍者が口にする声は、多くの幼い者たちに外への願望を抱かせた。甲賀に生まれて甲賀に育った子供たちの周りには、甲賀の者しかいなかった。甲賀の里には小学校もある。日の本の現状に触れる機会は、楓たちにはあまりないのだ。

 

「生きなきゃいけねぇ人間も中にはいるさ。そう生きようと、何かの拍子に決意する人間もいる。だが出ていこうとする人間を止める道理はどこにもねぇ」

 

 故にこそ楓たちにとって辰也が運ぶ風は新鮮で、心地よかった。

 辰也の言葉に感化され、忍者を志すことを止めた友人が楓には何人もいた。警官になる、学者になる、教師になる、花屋になる、保育士になる。普通の子供が抱く普通の未来への展望を持ち、幾人もが忍び装束を脱いだのを楓は見てきた。

 彼らを楓が非難したことはない。

 ただ自分も忍び装束を脱いだほうがいいのか。そう辰也に尋ねたことはあった。

 すると彼はいつものように、どうでも良さそうな表情で――好きにしろと短く告げたのを楓は覚えている。

 楓は自分が今楽しげな表情をしていると感じた。思い出は自身に許可証をくれた。

 嘆息してから続ける辰也とともにこの場に立つちっぽけな事実が、心を穏やかにしてくれていた。

 

「ま、だから何かを知ろうとする人間を、やろうとする人間を妨げる理由が無くなる訳だ。そもそもこっちの世界いる人間の絶対数が、魔法使いはともかく俺らは少ねぇ……だったら尚更だろ? 培った技術を後世に伝えてくれる人間が現れたなら、手をこまねくさ。だから俺は大層大事に隠す必要なんかないと思うのさ」

「そんなものなのか?」

「そんなもんだ。俺に言わせりゃ魔法使いはその辺神経質になり過ぎ……そう考えるから、魔法を特別視すっから、すげー魔法を使う少数の人間を英雄視するだろうがよ」

 

 頭が固い。そうけたけた声を上げる辰也の顔は心底下らなさそうに、どうでもよさげに、考え無しに笑った顔だった。

 

「つー訳で糞ガキ、テメェも楓と一緒に学べ」

「辰也が私の影になってくれればいい話だ」

 

 生意気に告げるマナに一言。

 

「調子に乗んな、糞ガキが」

 

 

 

 

 

 

「よぅ鶴子、偶然だな」

 

 へらへらと哂いながら手を振る辰也に、鶴子はじとりとする冷めた視線を向けた。

 

「そないな適当な言葉がよう吐けますな。ここ、道場でっせ」

「なんとっ! それは気付かなかった。俺には夢遊病者の気質でもあるのかね? 病院はどこが良いと思うよ?」

 

 過剰なリアクションで驚く態度に、自分の視線がより一層冷たくなる。おろおろと蹲り、言い訳を並べるのはきっと辰也の演出。乗せられるだけ阿保らしい。

 一体全体と何をしに来たのか。呆れた感情を隠すことなく、鶴子は手に持った木刀をそのままに辰也の方へと歩み寄った。

 やれやれといったご様子ではあるが、厳しい師範の顔はやわらかな女性らしさを感じさせる表情に切り替わった。そんな鶴子に、そして突如として現れた余所者に、汗の染みついた道場を満たす少年少女の好奇の視線が二人へと注がれる。

 

「で、あんたらは何してるん? とっとと素振りを続けいっ!」

 

 好奇が大半を占める視線は鶴子の一喝によって散らされる。

 再び少年少女たちは木刀を握りしめ、気合を張り上げ素振りを行っていく。振りかぶり、振り下ろす。一振り一振りに精魂を込めて彼、彼女らの鍛錬は引き続く。

 鶴子が立つここは京都神鳴流の道場。

 京を護り、魔性駆逐のために組織された戦闘集団の総本山である。

 

「おお怖い、さすが剣鬼」

「刻んだろ? 五寸ごとに」

「ごめんなさい」

 

 ぺたりと膝を折り、頭を道場の床にすりつけるほど頭を下げた辰也に、鶴子はめんどくさそうな視線を向ける。溜め息を落とし、情けない馴染み顔の右側に腰を下ろした。すると気配を感じ取ってかぐいと顔を持ち上げ、隣の自分へ向けてへらり軽く笑う。

 先ほどまで厳しい鍛錬を見守っていた鶴子は、少しだけ自分のにおいが気になった。

 

「辰也はん、今日は何の御用事で」

 

 僅かに着崩れていた道着を直しながら、鶴子はそう問いかけた。

 返事はえらくタイミング良く返ってきた。その内容も、まるで前々から考えていたようなものだった。

 

「つれねぇなぁ、せっかく遊びに来たってのに。という訳で鶴子よ、俺と一発ぶるっ!」

「一発と言わずもっとどうや」

「ふいまへんでした」

 

 鼻面に裏拳一発。ぐいりと反り返り、道場の壁に後頭部をぶつけた辰也は曲がった鼻を直しながら小さくなる。当の鶴子はにこにこ、いつもと変わらない笑みを差し出してやった。そんな姿に鶴子の顔をじぃと見つめ、はぁと諦めたように辰也は首を落とした。

 パンパンと鶴子が手を叩く。その音に少年少女は素振りを止め、張っていた筋肉と精神をだらり緩めた。皆が皆、汗まみれの顔や身体をもう冷たくなったタオルで拭き取る。将来、関西呪術協会直属の剣士として西へ東へ奔走する彼らの実力は、このような毎日の地道な鍛錬によりようやく実を結ぶのだ。

 ――と仰々しくいってはみても、今この道場に集められているのは十二歳以下の男女。幼稚園児や小学生の彼らにとって、魔性駆逐のために剣を振るうなどずっと未来の話。それより気になるのは今日何を食べるかだったり、何をして遊ぶかだったり、どんなアーティストが好きだったり、誰が好きだったり。そんなどこにでもいる子供らしい事柄。

 そして今は、いつの間にか現れた自分たちの美人師範と話す男について。

 遠巻きに目付きが悪いわね、顔は六十三点よね、大事なのは収入よ、などと口々に漏らす女子に反して誰だよアイツは、師範から離れろよ、などと淡い恋慕からの嫉妬を抱く男子。ひそひそ相談し合う声は段々と大きくなり、やがて何人かの気の強そうな女の子が二人の前へと歩いてきた。

 

「師範、この男の人とはどーゆー関係なんですか?」

 

 ぴっと辰也を指差し告げる女の子。道場の喧騒はしんと沈黙に変わり、返る言葉に誰もが注目する。恋人ですか、婚約者ですか、パシりアッシーお財布くんのどれですか、と少々過激な声も聞こえてくる。

 そんな様子に辰也はがしりと鶴子の肩を掴み、二ヤけた顔で自信満々に宣言した。

 

「毎晩毎晩肉欲を満たし合う爛れた関けぃぃるぼりっ!」

 

 しゅぱーんと、妙に甲高い音が道場中に鳴り響いた。

 

「ただの昔馴染みや……なぁ」

 

 鶴子の眼の白目と黒目がぎょろり反転する。血に濡れた左手の甲をちろりと更に朱い舌で舐めると、女の子たちに詰め寄るようにして鶴子は言葉を打ちだした。

 いつもと変わらない声。それ故に女の子たちは背中をぶるりと震わせた。壊れた人形さながらに、道場内の少年少女は上下に首を振る。鶴子の隣で、在りもしないはずの軸を中心に正座のまま回転する辰也を視界に入れないようにして。

 後頭部が床に叩きつけられた時、道場には先程の馬鹿騒ぎに加わっていなかった数人の門下生以外残っていなかった。

 まだまだ甘い。逃げ去った者のことを憂いつつ、鶴子へ手を振り道場を後にする少年少女一人一人に挨拶を返す。

やがて道場には辰也と鶴子以外、木刀も仕舞わず立っている少女一人となっていた。

 

「師範、うちもうちょっと練習していいですか?」

 

 つり目の小さな少女は悶える辰也から距離を置き、小首を傾げて鶴子に問いかけた。

 

「そやけどもアンタはちょい経ったら大人たちの鍛錬に加わらなきゃいけへんやろ。休んどいた方がええわ」

「大丈夫です、どっちもやれます」

 

 少女は真摯な眼差しで鶴子を見つめてきた。幼い頃から稽古を授けているが、この少女は実に真面目だ。

 

「……まぁええよ。アンタは今伸びとる、ほして気合もあるっちゅうにそれを止めるって言うのも野暮な話よな」

「師範っ、じゃあ……!」

「でも一つだけ。これ以上は無理、とウチが思ったら容赦なく止めるから、それだけはわかっとき」

 

 その性格が嬉しくも鶴子には淋しかった。同年代の輪には加わろうとしない――むしろ避けている様子の――少女は、はいと小気味良く頷くと、再び道場の中央に戻り、木刀を握りしめて振るい始めた

 振り上げ、振り下ろす。その一振り一振りは宛ら真剣のような鋭さを鶴子に感じさせた。

大人たちの稽古に交じれる少女は桜咲刹那という名前だった。

 

「アレが例のガキか」

 

 垂れる鼻血を拭い、起き上がって来た辰也は口を開く。鶴子は少女の挙動を逃さぬように見つめながら短く答えた。

 

「せやな」

「もう今更な話だが、わかってんだろうな」

「……わかっとるわ。ウチを誰やと思うとん」

 

 二人は見つめ合うでもなく、少女の方へと視線を向けて言葉を交わす。先程の安穏とした空気ではなく、もっと殺伐とした空気の中で、躊躇いながらも答える鶴子。その言葉に辰也は再び顔を崩してへらと笑っている気がした。

 

「なら良いわ。俺にゃ恐らく関係ねぇことだしよぅ」

「ウチに用事があったんやないの?」

「まぁ今忙しそうだし、暇になったら連絡してくれや。別に急ぐことでもねぇから」

 

 それだけ告げると辰也は立ち上がり、くるりと道場の外へ向けて歩きだした。もう用事は済んだと言わんばかりだ。久々に会ったというのに態度は素っ気ない、昔と変わらない辰也の振る舞いに鶴子は――

 

「辰也はんこそ、気を付けた方がええで。甲賀に余所者がおる……噂になっとるわ」

 

 小耳にはさんだ妙な噂を投げつけた。

 少々閉鎖的な国である日本。鎖国した歴史を持つお国柄からかもしれないが、日本人は余所者に酷く反応したりする。それは人の流入が多い都会よりも田舎に根強く残り、旧き業を残す蛆虫に社会にも根強く残る。

 歴史ある京都神鳴流の師範として多くの人々と触れ合う彼女は耳が広いのだ。

 言葉に込めた想いは隠匿し、投げた言葉に返ってきたのは興味無さそうな態度をありありと前面に押し出したものだった。かりかりと辰也は頭を掻いてから口を開いた。

 

「そもそもそこから違うんだよ。あのガキは甲賀にいるんじゃなく、俺の家にホームステイしているだけだぜ? どこに問題があんだ」

「そう言うんやったらウチはそう思っときます……けど――」

 

 そこで一旦鶴子は口をつぐむ。

 しばしの後、じりりと軽蔑するような眼差しを伴ない、一段上から鶴子は声を下ろした。

 

「まだ十ほどの楓はんもおるのに、女ぁ連れ込むのはいかがなもんでっしゃろな」

「あ? あのガキも楓と同い年くらいだぞ」

「……え゛?」

 

 それは鶴子の端正な顔立ちが、ここ数年で一番に歪んだ瞬間であった。

 



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咎人裁くは女教皇の刃(下)

 これはとある兄弟の話。

 

 弟がしっかりとした自分を持つまで大きくなった時、弟の家族は兄だけだった。

 焼いただけ、鍋に入れて煮ただけ、という弟の食事を作ってくれるのも兄だった。ボロボロで、汚い小屋のような家だったが、そこで待つ弟に『ただいま』をあげるのも兄だった。弟がいつも着用している学ランを、成長する身体の大きさに合わせて仕立てるのも兄だった。

 弟に戦い方を教えてくれるのも兄だった。喧嘩の作法、拳の作り方、気の扱い方。すべて兄から教わったものだ。

 生きるためには強くなくちゃいけない――それが兄の口癖。弱肉強食という生物の根幹的理念を兄は語り、兄は実践していた。ワイもにーちゃんねーちゃんから教えてもらったものやけど。そう言って誇らしげに笑いながら。

 兄の立場は兄のねーちゃんから教えてもらった。

 人外の血。狗族という古くは妖怪、旧くはけものの神、現在では亜人として扱われる存在の血を引く兄と弟。

人が人外から国を護るため魔性と断じて駆逐する――それを第一義として設立された機関に半妖怪の兄は籍を置いている。奇異と蔑みと怨嗟の視線は、絶えず兄に降り注いでいると聞かされた。

 それでも兄は必死に足掻いていた。

 護るべき弟がいるから、折れて負ける訳にはいかないから。どれだけ傷にまみれて帰って来ても、にへへと笑う兄は弟の誇りだった。

 弟は兄のように成りたかった。

 だから必死にもがき、強くなろうとした。

 いつの日か、兄の隣で戦うために。

 兄に護られるだけではなく、兄を護るために。

 兄は弟のため、弟は兄のため、二柱の狗神は今日も牙を磨く。

 

 これはそんな――兄弟の話。

 

 

 

 その日、兄のいない兄弟の家で、近付いて来るひとつのニオイに鼻をひくつかせたのは弟だった。

 薄く牙を剥き低い唸り声を伴なってニオイの源を探る。ふさふさの尻尾を股の間に入れて、僅かに眼を細めた犬耳の少年――犬上小太郎は今まで一度も嗅いだ事のない人間の体臭に対して警戒態勢に入った。

 それは即座の判断だった。

 小太郎が兄、弘太郎と暮らす家は今日の外れの山、その端に小さくポツンと建っている。人間の登山コースからも外れており、兄の関係者を除けば年に一二度、国の役員が調査と言う名目で近くを訪れる程度の辺鄙な場所。

 兄から人が来るとは聞いていない――小太郎にはそれで充分過ぎた。

 幼いながらも小太郎は自分の立場は理解している。むしろそれは、幼い故かもしれない。

 傷だらけの兄の背中は幾度となく見た。その傷を自分が少しでも背負おうと小太郎は自分を鍛え始めた。兄と同じくらいに愚直で純粋だと、兄のにーちゃんねーちゃんから笑われた。今はそれで良いと、頭を撫でられた。

 人の好意や意見を素直に受け取れるというのは、人間としての美点だ。目の前の事実に目を逸らさず逃げださず見据えられるというのは、人間としての強さだ。小太郎は幼い故に前者を持ち、少年の気質は後者を持っていた。

 だから兄の手を煩わせないために、小太郎は大きく息を吸い、這うように姿勢を低く構える。四足獣のような姿勢。腹を起点に巡る気は、兄と揃いの黒髪を重力に逆らい立ちあがらせた。伏せった耳は向って来る何者かの情報を取り入れようと時折持ち上がりひくひく動いている。

 警戒態勢に入っているが、元より小太郎に立ち向かう気などなかった。ただ一般人とは比べ物にならず、裏の人間らしく持つ魔力はニオイに交じり風に乗り、しっかりと小太郎の鼻によって捉えられていた。

 このニオイを兄のため自分のため、しっかりと記憶しておかなければならない。

 そう考えたのは小太郎が幼い故だろう。小さな男の子は自分には何にでもなれる――と分を超えた感情を抱く節がある。それは子供らしく、実に微笑ましい一面なのだが、今回に限ってその感情は全くの裏目に出ていた。

 小太郎は幼い。実践の場に出たことがない。

 そう言ってしまえばいくらでも言い訳のきく事柄だが、世の中にはそんな言い訳を素直に聞いてくれる人々だけで形作られてはいない。

 結果として、小太郎は逃げるために残された千載一遇のチャンスをヒーロー願望により棄て去ってしまったのだ。

 ニオイがどんどん近くなってきた。

 そこで小太郎の髪はふにゃんとへたり込んだ。小太郎の鼻に飛び込むニオイは更にと強くなっている。ニオイを発している人間は近付いているというのに、その場でぴょんこ跳び上がった小太郎の顔は喜色で染まっていた。警戒とは一体何だったのだろう、と再三疑問を投げつけたくなるほど小太郎の尻尾はぶんぶんと左右に振られている。

 やがて木々の間から顔を覗かせたのは、額に傷を持つ茶髪の青年だった。

 

「……辰にぃやないやんけ」

 

 明らかに落胆した顔色で小太郎はかくっと首を落とした。すんすん鼻をひくつかせる。確かに目の前の青年からは兄のにーちゃんのニオイがくっ付いていた。が、どうやらそれは残り香だったようだ。

 

「誰や、お前」

 

 唇をとんがらせて小太郎は手の届く位置までやって来た青年に問いかける。そんな様子に青年は目尻を引き下げ、少年を怖がらせないように作った顔で口を開く。

 

「急に訪ねてしまってゴメンよ。僕の名前は高宮幸樹……しがない奴隷商人だ」

 

 ぴりりと逆立つ黒髪を前に、青年は優しげな表情で哂っていた。 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 うっそうと茂る雑木林の中を高宮幸樹は駆け抜けていた。

 延びる幾本の枝を時に右腕で払い、時に身体を屈めてかわし、蛇行しながら木々の間を走る。小刻みに洩れる息遣いは非常に安定しており、自動車に匹敵する速度で走る事に死力を尽くしているようには感じられなかった。余裕綽々といった風体で、右左右左と脚は交互に回っている。

 左腕は肩へと続き、背中にまわる一本の紐を持っていた。先は小さな袋が繋がり、何か入っているのだろう、ふくらみが見受けられる。がさがさ土を蹴り走る音が聞こえる。そこで更に耳を澄ませてみれば、かすかな寝息がふくらみから自己主張されていた。

 寝息を耳に取り込んだ高宮幸樹はにこりと哂いを浮かべ、先程より強く地面を蹴る。

 そこに、息遣いも土を蹴る音も寝息も噛み砕く爆音が、後方より高宮幸樹を突きぬけ雑木林全体に響き渡った。

 音と同時に高宮幸樹は右脚に力を込め跳び上がり、斜め前にあった木に地面から離れた左足の裏を置き、二段跳びで木々の上へと身体を舞わせた。

 開かれた視界には、闇色に染められた雑木林があった。そこで首だけ後ろに回して後方を確認してみた。細めた眼には濃厚な獣の気配と目視できるほどに立ち上った気が飛び込んで来た。感情に任せてへし折られ、木屑となり宙を舞う木々もまた。

 

「ん~……ま、問題ないか」

 

 目尻を細めて哂う高宮幸樹は、口から漏らした言葉通り焦るでもなく、落ち着いた表情で展開される光景を一蹴した。重力に従い落下する身体をひねるように動かし、悠々と成長した木の枝に足の裏を乗せる。

 しなり、折れそうになる枝に対して高宮幸樹は枝を蹴る。本来彼の身体を支えきれるはずもない枝は強靭なゴムように反発し、高宮幸樹を再び上へ舞い上がらせた。

 とんとんとん、リズミカルに枝を蹴り雑木林の上を駆ける高宮幸樹。

 もしもその光景を誰かが見たら彼を天狗だと謳うだろう。それほどまでに高宮幸樹の行動は、同様にその後ろから重機のように雑木林を一筋の更地に変貌させる爆音の元凶は、現実離れしていると断言できるものだった。

 ここ――京都では旧くから化生の噂が後を絶たない。

 長年と帝が座し、様々な人間の情念が渦巻き台頭しては消えていき、残照ごと飲みほした古都。文献に多くあやかしや人知を超えた現象が残されているのにはそれなりの理由があるのだ。もしも人の想いが眼に見えて、人の中以外にも長きに渡り残るのであれば、京の都には他の都市の何百倍と言える怨念が空に地に漂っていることだろう。

 そもそも人は古来から闇を避け、自然に畏敬の念を持ち生活を続けてきた。

 視界の開けない闇の中にどのような魔物が潜んでいても不思議ではなく、日照り、強風、大雨、雷、地震、疫病、といった自然がもたらす様々の厄災は過去の人々にとって人知を超越した恐怖でしかなかったのだ。

 電灯が開発され、科学が発展し、人が本当の意味で闇や自然を怖がらなくなってからまだ百年ほどしか経っていない。 もしかしたらそれすらも驕りなのかもしれない。そう納得させる壮大さが自然にはある。

 『幽霊の正体見たり枯れ尾花』、『疑心暗鬼を生ず』、『杯中の蛇影』、『落ち武者は薄の穂にも怖ず』。

 思い描く異形の正体など所詮は見間違いで恐れる気持から生まれる、と数々の故事で示されている。

だとしても、人間に限らず恐いものは恐いのもまた確かだ。絶対に超常現象など存在しない――と本当には誰一人として言い切れないはずである。個人は個人にしかなれず、他人の感覚で受け取ったモノを完全否定することは出来ないのだから。

 実際に現在にも、やれ刀を持ち鬼を殺す女を見ただとか、やれ符を宙に舞わせて火を放つ男を見ただとか、暗がりに潜む影を見ただとか。少し気合を入れて探してみれば、妖しげな話は京都に限らずいくらでも出てくるのだ。

 無論、それはくだらない都市伝説の類なのかもしれない。しかし一時は世間を賑わすまことしやかな噂話は京都に限らず、様々な場所で発生するのだ。

 

 ひとつ、その中でも有名なものを紹介するとしよう。

 事は今から数年前。突如として京のとある森の中から一陣の光が天高く突き上がり、大地を揺らす轟音が辺りに響き渡った。轟音は地震のようなものとは違い、また重いものが落ちたような音とも違ったらしく、例えるならば何か巨大な生き物が、自らの存在を誇示するように吼えた――そんな音だったと、耳にした人間は口を揃える。

 だが事件の後、いくら探してもその光の原因も、音の原因は探し当てることが出来なかった。

 やがてその事件は時とともに人々の頭の中から消えていきつつあり、地鳴りか何かだと既存の価値観に合わせた答えを世間は打ち出した。だが、ここで興味深い話を付け加えてみるとしよう。噂の出所は関西のとある三流出版社から出た記事であるため信憑性は定かではないが。

 記事に曰く、どうやらその事件の現場は昔から曰くつきの森なのではないか、とのことである。

執筆した記者の独自調査で音が聞こえた範囲と強弱の印象により中心地を割り出したそうだ。記者の調査で突き止めた音源は、京都の中心から少し外れた森の中。関西の警察や消防の幹部が数多く籍を置く『関西警ら協会』が所有する土地だったと記事には書かれている。

 関西一帯に広く土地を持ち、そこがすべからく妖しげな噂を伴なう場所であることが多い『関西警ら協会』。彼らは『条件的に問題がある土地を管理している』と公言するが、果たしてそれがどこまで真実なのかは誰にもわからない。

 ともかく噂が絶えない京都の雑木林で、二つの非現実は危険な鬼ごっこを続けていた。

 

 天狗と爆音は雑木林の中心から端へと場所を移しつつあった。

 電灯に照らされた人々の住む街も、徐々に近付いて来ている。

 ひくり。高宮幸樹は眼を細めた。小さく息を吐いた顔は能面のように冷たく、ゆっくりと下降する身体はやがて雑木林の中に音も立てずに着地した。 

 対照的に爆音の元凶は雑木林の中から上昇した。夜の中、月明かりに照らされた姿は腰まで長く白銀の髪を伸ばした細身の男。狼のような耳を起立させ、金に光る眼は酷い苛立ちと顕しようもない怒りを振りまいていた。

 

「"犬上流・空牙ッ"!」

 

 掲げられ、唸り振り下ろされた両腕。

 指先から放たれた黒い十の爪は高宮幸樹の着地した地面目掛けて奔った。木々を引き裂き大地を抉り、痕跡が存在を主張する。休む事なく男は空を蹴り、弾丸のように土煙へと向かった。地面すれすれで方向転換し、燕のように地面を滑る。気の具現化により足場を生み出す『虚空瞬動』という技術だ。

 拳はぎりと握られ、剥き出しになった鋸のような歯はぎらぎらと月光を反射していた。

 

 

 

 獣の如き男の眼は、鼻は、耳は土煙の中の高宮幸樹をしっかりと捉えていた。

 男――犬上弘太郎はやさしげな表情で哂う高宮幸樹を捉えていたのだ。

 岩に岩をぶつけたかのような低く鈍い音。土煙の中から人影が飛び出したのは茶色の髪。それを弘太郎が追う。高宮幸樹は片腕を地面に突き立て、跳ねるように浮き上がり着地した。

 左手に力が籠る。噴火しそうな想いを乗せて、変わらず能面のような表情の顔に拳を突き立てた。力学の法則に合わせ後方に吹き飛ぼうとする誘拐犯――が、それより先に放った右拳は高宮幸樹を地面に縫い付けた。

 地面は割れ、へこんだクレーターの中心で弘太郎は吼える。

 

「何もんや、お前は」

「さぁ、誰だろうね」

 

 般若の形相で睨みつける弘太郎へ、高宮幸樹は茶化すかのように口笛を吹いた。ひらひらと軽く振られた手はめぎりとあらぬ方向に曲げてやった。

 

「ほなら……小太郎はどこや?」

 

 それならば、と話を転換させた弘太郎に高宮幸樹は眉をひそめる。そしてちらと目線を投げた袋を、弘太郎は何のためらいもなく踏み潰した。腕が感情に任せて伸びる。高宮幸樹の喉がへこんだ。

 

「偽者やない、囮やない、ホンモンのワイの弟や」

「……ちなみに何時から」

「最初から。鼻も耳もあるっちゅうに、実の弟を間違えるか」

「なるほど。じゃあどうして僕のことを……」

 

 のど輪により高宮幸樹を捕えている弘太郎の腕に更に力が籠る。軽く鼻を鳴らして、弘太郎は馬鹿したかのように口を開いた。

 

「ワイから逃げ切れる気やったんか、騙せる気やったんか知らんが、わざとらしく挑発してきたお前が気に喰わんかったからや!」

 

 少し高宮幸樹の身体は地面と離れた。薄く頭と地面の間に隙間が出来たのだ。弘太郎は叩きつけるようにして無防備な高宮幸樹の顔面に拳を打ち込んだ。 

 

「……ははっ」

 

 妙に、空ついた印象を受けた。哂う声にも、殴った感触にも。

 ――ここで弘太郎は気付くべきであった。

 先程の一撃の前に重なること幾度か。太い幹を砕き地面を陥没させる弘太郎の拳を受けたにもかかわらず、高宮幸樹の顔は尚も綺麗なままだった。

それは冷静になり考えれば、弘太郎にとって一歩引くことが必要な事態である。自分に比べればはるかに小さな気。実力差でなければ特殊な能力か。どちらにせよ、悠長に真正面から堂々と、事を構えるべきでなかったのだ。

 だが家に帰れば弟はおらず、強く弟のニオイを身体中に纏わせた男が居て、それが手の届くところに居て、冷静な頭を保ちきれるほどに弘太郎は大人ではなかった。

 重ねて叩きつけた拳は高宮幸樹の腕で弾かれ、地面に吸い込まれた。高宮幸樹の肩が、腕が、腰が、脚が弘太郎の指の間を抜ける。さながら蛇のようにずりりと目の前にすり上がり、変わらず歪んで哂う高宮幸樹に弘太郎は考えるよりも先に、背筋を冷やす感覚から逃れるためにもう一度と拳を突きだした。

 

「何もんやっ、お前は!」

 

 ようやく震えだした心を押し殺すように、強い声で弘太郎は叫ぶ。自分の一撃で後方に飛んだ高宮幸樹は宙で回転して体勢を整えた。足をクッションとして折り曲げ着地、ゆっくりと顔を上げる。

 頭に響く警鐘はすでに大きくなり過ぎていた。

 

「僕の名前は高宮幸樹……しがない奴隷商人だ」

「そないなっ……エエわ! 力尽くで聞きだしたる! "狗音影装"!」

 

 それでも引くことが出来なかった。性格からか、目の前の男の不気味さから逃げるという選択肢を戦うという決定事項が押しつぶした。

 影が弘太郎を包み、巨大な狗神が姿を示す。唸り声は大気を揺らし、先程に比べて数倍と膨れ上がった気は、作り上げたクレーターに新たな罅を入れた。

 

「阿雄雄雄雄雄雄雄雄津ッ!」

 

 狗神は牙を剥き出しに、烈風を伴なって高宮幸樹目掛けて進む。上顎と下顎が合わさり高宮幸樹を雑木林ごと噛み砕いた――はずだった。

 だが今弘太郎の口内には何もなかった。

 霞のように男の身体は消え去っていた。

 肉塊にしたはずの高宮幸樹は弘太郎の鼻先数メートルで薄く、苦く、笑っていた。

 

 弘太郎にはもう総てが遅過ぎた。振り向くべきはもっと以前だった。空ついた印象を高宮幸樹に抱く時だったか。この場所まで辿り着いた時だったか。逃げる高宮幸樹を追っている時だったか。本当はそれよりもっと前、小太郎が偽物だと気付いた時に弘太郎は――

 

「臨戦態勢での総本山警戒領域への不法侵入、器物破損、純然たる敵意を確認」

 

 鈴の音が声とともに闇夜に響いた。

 状況を理解する暇も与えられず、弘太郎は自身を蛆のように踏み潰す莫大な気を感じ取らされた。

 

「せやから……京都神鳴流師範青山鶴子の名に於いて、これより犬上弘太郎を魔性として認定――駆逐を開始させてらいますわ」

 

 息をする事すら許されない狂った気の持ち主は、赤の袴を穿き白木の太刀を持った弘太郎がねーちゃんと慕う相手。

 併せて眼の前で立つ高宮幸樹の顔はズルリと剥け、自身がにーちゃんと慕う相手の顔が見せつけられた。

 

「んならっ……なんやねんそれはっ!」

「昔から言ってるだろ、もうちょい冷静な頭を持てってよ」

「答えや、辰にぃっ!」

 

 叫びは一刀の下に斬り捨てられた。鞘から太刀を抜き、振るう。ただそれだけ。それだけで視界の端から端へと続く深い亀裂が地面へと刻まれた。

 

「ここはどこか、弘太郎はんは理解しとるやろ?」

 

 鶴子の声は悲痛に満ちていた。逆らうことを許さない絶対強者の言葉は急速に弘太郎の頭を冷やしていく。

 眼の前に居る剣士――青山鶴子は『関西呪術協会最強戦力』であり、『裏世界最強の退魔剣士』なのだ。

 神代の化身に匹敵するほどの気量。京都神鳴流に留まらず、あらゆる剣術の流派で天凛を噂される剣士を圧倒する剣才。流派において、協会において、彼女の地位を脅かす存在は過去未来に僅かであるとまで評価される女傑。

 どんな状況においても戦場では涼しげな表情を崩さない彼女の顔は今、泣きだしそうな幼子のように弘太郎には見えた。

 

「聞いとるんかっ! ここがどこか、アンタは理解しとるんやろっ!」

 

 吐き出した声に弘太郎の鼓膜は破れそうだった。声の大きさにではない、その迫力にだ。

 弘太郎の視線がぐるり辺りを巡り、足下が崩れ落ちるような錯覚が弘太郎を染め上げた。

 眼の前の女は処刑人だ。関西呪術協会という小さな枠を飛び出し『裏世界最強の退魔剣士』という立場に在る鶴子は自分の首を刈りに来たのだ。

 弘太郎が今立つ場所は関西呪術教会総本山のほど近く。侵入したあらゆる魔を滅っすることが条件付けられている土地。

 半妖であり、狗神と化した弘太郎は――約条を破った咎人でしかなかった。

 

 

 

 『紅き翼』。数年前に裏世界――というよりも魔法使いたちの世界――で『英雄』と謳われた一つの集団がある。

 『ナギ・スプリングフィールド』。

 『ラカン・ジャック』。

 『青山詠春』。

 『アルビレオ・イマ』。

 『ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ』。

 歴史に輝かしき名を残した彼らも、こと退魔というジャンルに於いては青山鶴子という傑物の足元にすら及ばない。

 青山鶴子は『裏世界最強の退魔剣士』なのだ。

 人間に対して、どのような状況、どのような相手であろうとも不殺を貫き魔性を駆逐し、ただ安易に殺すという行為に走らない彼女はその在り方は一種異様とも言えるだろう。

だが彼女は愚直なまでにその矜持を貫いていた。公式非公式を問わず魔性駆逐の現場に於いて、決して人を殺さない前人未到の所業を可能とする戦力を存分に振るって。

 

「鶴ねぇっ!」

「……"神鳴流奥義 斬魔剣 弐の太刀"」

 

 雷速。その言葉を体現する一撃は狗神と化した『亜人』犬上弘太郎――ではなく『妖怪』犬上弘太郎が反応するよりも疾く、彼を唐竹に斬り裂いた。鼻先から頭蓋、首、胴、腰、尻、尾を刹那で抜けた飛ぶ斬撃は弘太郎が作りだしたクレーターの上を奔り、木の一本と傷つけることなく虚空に消えてゆく。

 ぷしゅぅ、と間の抜けた何かが噴き出す音が辺りにこだました。

 

「牙阿阿阿阿阿阿阿津ッ!」

 

 太刀を白木の鞘に納める鶴子と静観する辰也の前。命を燃やす叫びが処刑人の鼓膜を揺さぶった。

 狗神と成り、膨れ上がっていた弘太郎の身体はみるみるとしぼんでゆく。腕は地面に叩きつけられ、爪は顔中を掻きむしり、眼は血が滲むほどに酷く見開かれ、喉が割れるほどに口は空けられ叫び声を漏らし、身体中の毛は逆立っていた。鶴子の目に映る弘太郎はさながら陸に打ち上げられた魚のようだった。

 縋るような光が双眸から注がれてきた。自分自身が斬った、辰也とともに共通の弟分として可愛がった青年から。

思わず鶴子は唇を噛んだ。血の味が舌を刺激する。その隣で辰也は普段と変わらない飄々とした態度を示し、人型の大きさまで小さくなってしまった弘太郎を見つめていた。狗神はもう居ない。居るのは弟分だ。

 

 現在門戸を広く開けている京都神鳴流。

 様々な技を用いて魔性を駆逐する彼らであるが、その中でも宗家たる青山家のみに代々伝承される業がある。それこそが『京都神鳴流 弐の太刀』。斬る対象を自在に選択することが出来るという離れ業だ。

 魔法使いが自信を護るために展開する障壁も、戦士が自分を護るために展開する気の鎧も、弐の太刀の前では意味を成さない。ただ斬る対象を魔法使いに、戦士に、選択するだけで、青山鶴子は防御不能の一撃を繰り出すことが可能となるのだ。

 そして先程青山鶴子が放った『京都神鳴流 斬魔剣』。本来これは魔法や陰陽術などの魔力や気を基にした技、あるいは怨霊悪霊などの霊体を消し去り滅ぼすことの出来る、京都神鳴流の技の中でも最上位に位置する技術だ。そんな破魔の太刀を青山鶴子は僅か数年で、自分だけが持つ独自の業へと昇華した。

 曰く、『青山鶴子の放つ斬魔剣は対象の魔力回路や気脈を断ち切る』。

 魔力回路や気脈が断たれた場合、魔力や気を扱うモノはその権利を失う。これを一撃必倒と呼ばずして、何をそう呼ぶのだろうか。

 

「弘太郎はん、アンタはハーフや。耐えられるか、耐えられんか、それはアンタ次第やけど耐えられたらアンタはただの人間になれる。小太郎はん連れて、表の世界で生き。その為の場所も紹介したるから」

「なんっ、でや」

 

 擦り切れたかのような弘太郎の言葉に鶴子は答えない。弟分の声は自分にではなく恐らく――

だが口を閉じた鶴子の後、月光の下には弘太郎の叫び声しかなかった。隣の辰也は先ほどから音ひとつ立てていない。ただ居るだけの幽鬼のようだ。

 不意に、薄い目で弘太郎を見つめ続けていた鶴子は凄惨な光景に目を逸らした。自分が作りだした光景、弘太郎には必要な光景。混じりでありながら関西呪術教会に身を置き、その本拠地近くで敵意を示してしまった彼には必要な事だった。

 だがそれでも、幼い時から可愛がった、両親を亡くして弟を護るために強くなろうとした弘太郎の意志を根元からへし折る所業に、鶴子は耐えられなかった。

 ――やがてびくんと今まで以上に彼の身体が跳ね上がった気がした。地面を叩く彼の腕が先ほど以上に強かったのだ。

 魔力回路や気脈を断つ際には気がふれるほどの痛みを伴う。しかしきっと弘太郎は耐えたのだろう。魔力や気を失くしてしまえばそれを罰として、これ以上の咎めを受ける必要が無くなるかもしれない。

 強張った顔から緊張が微かに抜け、安堵の色を少しだけ宿した双眸が再び弘太郎を捉えた。

 そこでは弘太郎の頭が宙を舞っていた。切断された首の断面が、痛みに歪んだままの瞳が、鶴子はしかと見た。赤い雨が前から降ってきた。

 

「……なっ」

 

 弘太郎の頭と身体の間に無骨な鉄の塊があった。分厚い斧だ。べっとりと血が張り付いている。

 呆けた声は自分の口から洩れたのだと鶴子は気づいた。目線が斧を辿っていく。

 木製の柄を手に、弟分の首を刎ねたのは、鶴子の幼馴染だった。

 鶴子の傍らには闇しか広がっていなかった。

 

「辰にぃ……景山ぁ辰也ァっ!」

 

 人の顔は人以外のそれに変わる。

 宙に浮いた弘太郎の顔は、のこぎりのような歯を張り付け、ねっとりとした赤い舌を出し、唾液を振りまく狼の顔へと変貌した。異形の怪物はきりもみ回転しながら上へ上へと昇っていく。そしてぴたりと動きを止めて、耳をつんざく唸り声をあげながら下降した。

 狙われた男はへらへら哂っていた。懐に手を入れて、無機質な鉄の塊を取りだし、辰也は何の躊躇いもなく引き金を引いた。

 たーんと一つ。

 たーんたーんと二つ。

 たーんたーんたーんと三つ。

 異形の怪物に六つの穴が空いていた。

 鶴子の伸ばした手は鉄の飛礫よりも遅かったのだ。

 

「わざわざお前のために高野山まで行って浄化して形作ってもらったんだぜ。銀の弾丸……良く効くだろ」

 

 兄が弟を殺す場面に、姉は割り込む事が出来なかった。

 

「ま、正面からやったら俺も死ぬかもしれねぇしな」

 

 力無く地面にぼとんと落ちた弘太郎の頭。赤黒い血に濡れた髪の毛を掴み、辰也はケタケタと哂っていた。そしてどこから取り出したのか巻き物を開き薄く呟くと現れたのは木の桶。そこに弘太郎の頭を押し込み、蓋をすると、てくてくと鶴子の前に歩み寄ってきた。

 

「任務完了だな。報酬は後日、青山の家に持ってくわ」

 

 にへらと辰也は哂う。弘太郎の首を持って。

 

「……いっ、てぇ」

 

 気づけば振り抜いていた。軽快な音を立てた鶴子の平手は、辰也の右頬を赤く腫れあがらせた。

 

「殺す必要が、どこにあったんやっ!」

「あのな、戦闘続行不可能に弘太郎をするのが今回の依頼なの。まぁここで暴れなけりゃ俺も見逃せたけどさ、暴れちまったじゃねぇの、コイツ」

「せやけどっ!」

「それにたとえ人間になったって、何かの折に気を取り戻したらどーするよ? それに銃でも持ってやって来たらどーする? おぉ、こわいこわい」

 

 快音がまた響く。返す手でさらに辰也の左頬を打った。

 

「辰也はんにはっ……たっちゃんには人の情ってもんがないんかっ!」

 

 瞼が焼けそうだった。喉も焼けそうだった。

 

「必要ならばなんだろうとする。つるちゃん、忍びってのはそんなもんだ」

 

 辰也の顔を見ることが鶴子にはできなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 髪を揺らす風はあたたかさを含み、甘い花の匂いが漂ってきそうな気配すら感じさせる。

 三月某日、長瀬楓は畳の敷かれたとある部屋に、何故だか里に滞在している龍宮真名と、数ヶ月前に甲賀の里に引き取られた犬上小太郎と並ばせられて座っていた。目の前では皺だらけの爺と婆。楓の祖父母と彼女が兄と慕う辰也が向かい合うようにこちらを見つめていた。

 

「さて、楓に真名ちゃん。お主らは春より関東にある麻帆良学園女子中等部に通う事になった訳じゃが、今さらではあるが言っておきたい事でもあるかぃの?」

 

 小首を傾げ、しゃがれた声で楓の祖父は問いかけた。

 

「私はお気楽に中学生、なんていうのはご免だが……まぁ昔の知り合いの頼みを無下に出来るほど薄情じゃないんでね。目的の為にも、向こうで色々と頑張ってみる事にするさ」

 

 その言葉に挑発的な視線を加えて返したのは真名。彼女は麻帆良で神社の神主を営む龍宮夫妻の養子として、日本人国籍を手に入れていた。

 マナ・アルカナではなく龍宮真名として、春より彼女は麻帆良に通う。

 

「拙者は、見識を広めるためにも麻帆良に通えるのは良い事だと思っているでござる。様々な物を見て、様々な事を経験して、拙者の刃の意味を見つける事にするでござるよ」

 

 にへへと楓は乗り気な様子で、楽しげに笑ってみせた。

 楓は関西出身、甲賀生まれの裏世界の住人。もともと外国で生まれた真名とは違い、関東関西にて面倒なしがらみが根強く残る日本で魔法使いたちの総本山である麻帆良に通う事が許されるのであろうか。

 現在関西呪術協会と関東魔法協会は融和に向けて歩きだしているとはいえ、まだまだそれは進展していない。にもかかわらず、彼女は関東へ行っても良いのか。――その上、今この時に麻帆良学園には関東魔法協会理事長の孫にして関西呪術協会の長の娘が通っている。

 尋常ではない劇薬にも、至上の特効薬にもなる存在。そんな面倒な人物が居る場所へと西日本の旧き術者の血を引く者を通わせるのは、本来反対されてしかるべきであろう。

 しかし、楓に対してそのようなしがらみは何ら影響を及ぼさなかった。それは単に、甲賀の在り方によるものだ。

 関西呪術協会近隣にあるが故に、旧くから日本にあるが為に、皆が皆と関西呪術協会に所属していると思われがちな甲賀忍者だが、それは根本的な勘違いによって生まれた噂である。

 『甲賀の忍びは主君を定め、主君の為に滅私奉公すべし』。

 甲賀の里に旧くから伝わる掟。甲賀の忍者たちは、その主君を定めるために四方八方へ散る事が許されているのだ。実際のところは関西呪術協会の人間を主君として定める、という場合が多いのではあるが。

 要するに楓はただの忍者なのだ。彼女は関西呪術教会にも、関東魔法協会にも所属していない。

 

「ふむ、それは良い事じゃの。……ところで小太郎、お主も二人と一緒に麻帆良に行かぬか?」

「行かん」

 

 やさしげに、探るように投げかけた言葉を、小太郎は切って捨てた。

 

「俺は強うなるんや、にぃちゃん殺した奴よりも。ヌルい魔法使いどものとこになんか行けるかっ!」

「何年かかる話じゃ」

「うっさい、俺は決めたんや!」

 

 ふん、とふてくされた表情で小太郎は腕を組む。子供ながら意固地になる様子に、辰也はちらりと視線を送った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 寸分違わず規則正しい歩幅で少女は歩く。機械的に計算されたようにぴったりな距離。

 右左右左と両足は道を刻む。

 道は古ぼけた教会の裏へと続いていた。

 そこで立ち止まった少女はゆっくりと腰を下ろす。

 目の前には黒い小さな首輪を付けた雄の三毛猫が一匹、大小様々な猫の中心で欠伸をしている。

 やがて少女に気付いてか、三毛猫は音も立てずに彼女の前に歩いて来きた。

 

「こんにちはタツヤ、今日も良い天気ですね」

 

 無表情に、無機質な目で見つめる少女に、タツヤと呼ばれた三毛猫はなー、と鳴き、眼を細めて哂ってみせた。

 



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間のお話~幼い杖は約束の地に~

改訂がようやく終了。
次回から新しい話に入ります。
そして原作突入だー!


 冬から春が顔を出そうとしている二月の某日。

 

「今日さ~、ちびっこ先生がきたんだよ。十歳だって……頭いいんだろうね」

 

 ぐでりと、気の抜けきった音が風に揺れていた。ぎしぎしと軋む椅子に腰をかけて、背もたれの上で組んだ腕に白く形の良い顎がヘしゃげている。食べカスの付いた口角は少しだけ上がっていた。

 

「フツー先生って私らより年上だもんね。でもでも、私らより年下だもんね。てことは、やっぱりフツーじゃなくてスゴイんだよね」

 

 声は弾むように紡がれている――澄んだ少女の声だ。

その方向が下から動き、自分の方へと変わった。

 

「にーにー、どー思う? 私はこれからの学校はもっと楽しくにゃるぞー! て感じで楽しみ楽しみぃ、にゃんだけど?」

 

 がったがったと古臭い椅子が前後に揺れている。少女は問いかけるような視線でこちらを見つめて来ていた。

 何時からだっただろうか。ふと、そんな疑問を抱く自分の思考回路に、更なる疑問を抱く。

 機械仕掛けに生みだされた視界の中央で、火色の髪が眩しく映る。にかり広がる笑顔は真っ直ぐとこちらを向いており、思わず首を横に走らせた。咄嗟の行動で、悪気はなかったのだが、なんとなしにまっすぐ少女の目を見ることが出来なかったのだ。

 誤魔化すように節の在る腕を伸ばす。その冷たい指の先には大きく口を開けた気だるそうな猫が一匹。茶と灰と白、三つの毛色で身体を包んだそれは、自分の思考など知ろうともせず、欠伸をしながらそっぽを向いた。結局と所在ない手はおずおずと引っ込めることになった。

 

「……私は、特に」

 

 冷静と言うよりも冷淡か無機質か。少女とは対照的な印象を受ける感情の灯っていない言葉は、笑顔の少女の顔を曇らせた――

 

「ふぅ~! 相変わらずクールだね、絡操さん!」

「そう、なのでしょうか」

「そうそう! 大人っぽいじぇぃ!」

 

 なんて事もなく、少女は笑みを更に深くしてみせた。朗らかな、自分にはできない表情だ。ふと、泳いでいた手は頬に添えられていた。人間のようにやわらかいのに、鉄のようにかたかった。

 

「おぉぅ、てかてかもぅ昼休みも終わりじゃん!」

 

 驚いたような表情を少女は作る。ポケットから携帯を取り出し立ち上がると、彼女はいそいそと弁当箱を袋に詰めていた。それを脇目に薄緑の髪の少女――絡操茶々丸はジッと目の前の三毛猫を見つめていた。

 眼差しの向こうの三毛猫も、自分の目を見つめている。

 視線が交差する。数字の羅列では表現し切れないような感覚が茶々丸に生まれた。なんとも妙な気分――そう、ヘンな気分だった。

 ガイノイドであるはずの自分が、まるで人間のような気分を味わっていた。

 未だ冷たさを観測させる風が吹く麻帆良学園の敷地内、とある教会の裏手。沢山の野良猫がねぐらにしているここで、悠然とたたずむ三毛猫はどの野良猫と比べてみて異質な印象を茶々丸に与えていた。彼がここらのボスだから、でもない気がした。有象無象の猫とも、まして犬や鳥獣ともまるで違う気がする。目の前の笑顔の少女でもなく、今日自分たちのクラス担任となった赤毛の少年ともまた違う。

 例えるならばただの三毛猫であるはずのものが纏う雰囲気は――

 

「絡操さん!」

「はい、何でしょうか」

 

 反射で返したその言葉は、笑顔の少女の肩に当たり、彼女の身体をクルリと回転させる。後ろに回した両手で弁当箱を持ち、小首をかしげて少女は続ける。

 

「一緒に教室か~えろ」

 

 平均以上の容姿を元に繰り出されたその仕草は、大凡の男性が好むものなのだろうかと、まるで関係ない思考を茶々丸の頭に浮かびあがらせた。

 それと同時に先ほどの気分が逃げていく。三毛猫もいつの間にか眠りにまどろんでいるようだ。

 

「私で良ければ、椎名さん」

 

 茶々丸の口角は一文字だった。先程抱いた気分もいつの間にか消えていた。

それでもその様な事は些細な問題だとでも言わんばかりに、微笑む少女――椎名桜子はあたたかい雰囲気を纏っていた。

 茶々丸は胸のあたりに在る歯車が、いつもより滑らかなような気がした。そんな気分が、また機械仕掛けの身に浮かんできていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 一般に教師という職業に就くためには、様々な条件が課せられる。中でも必要不可欠とも、条件だともいえるのが教員免許の取得だ。

 現在日本で教員免許を取得するためには、大学等の教育機関で一定以上の講義を受講しなければならない。教員を目指す人々は、文部省が定めた一定のラインを越える必要があるのだ。それは大人になる過程の子供たちにとって、より良い基準で教育を施すためであり。彼らが感じる様々な疑問に向かえるだけの準備をするため。

 考えてみれば誰もがわかる当たり前のことだろう。もちろんと、そのラインを越えた者が他の大人や、例えば彼らの同年代の誰よりも子供たちを教え導くことが出来る――と、言いきる訳ではないが、その可能性が他の者に比べれば高い、という訳で。

 無論、教員免許を取らなくとも、教職という立場に就くことは不可能ではない。

 『特別免許状制度』というものを知っているだろうか。教員免許状を持っていない人であっても、各分野の優れた知識経験や技能をもっている社会人に対して、都道府県教育委員会の行う教育職員検定により特別免許状を授与し教諭に任用することが出来るのだ。

 つまり極端な話、学校を一つも出ていなかったとしても教員に就くことは可能、ということ。これまで積み重ねてきた日々の研鑽が受け入れ側の学校の要望に合えばの話だが。

 例えば受け入れ側の学校がネイティブを話せる外国人教員を希望していたとしよう。それならば配属される学年を加味し、彼らに相応な、英語日本語ともに堪能な教員を選択せねばならない。

 しかし、どう考えても、どうどうどうやって自分の器量を最大限に広げて考えても――

 

「くまぱんって思ってますっ!」

 

 堂々と、何の躊躇いもなく、クラスメートにセクハラをかます自称十歳――数えでは九歳だそうだ――の少年が教員であっていいはずがない。ましてや目の前で楽しげに喋る中年の担任を副担任に降格させ、臨時担任という地位にのし上がったというのだから。

 

(悪夢だ……考えられねぇ)

 

 ぷるぷる紙コップを満たすオレンジジュースが震える。起こる波のように不条理が、絶えず絶えず自分に降りかかっていると。

 今日は厄日だと少女は確信した。人生最悪の、麻帆良学園に来て一番の、不条理の波。逆らえないほどの高過ぎる波が自分を飲み込み溺れさせたのだ。

 

(馬鹿どもが……本当に、馬鹿ばっかりで、ありえねぇさ)

 

 馬鹿騒ぎする級友を冷めた思考で見下して、長谷川千雨は暗いオーラを振り撒き椅子に腰かけうなだれていた。ずぶずぶと鎖で縛られ、重りを付けられ、波に攫われ海底へと沈んでいくような気分だった。

 

「やふー、千雨ちゃん盛り上がってるぅ?」

「え、あっ……まぁ、ちょっと……」

 

 澄んだ声に言葉に詰まった。不意に返せない自分自身の態度に千雨の頭は軽く負で埋まる。

 瞼が落ち込んだ気がした。だがそんな様子など気にも留めたようでもなく、声は次へと飛んでった。

 

「しょかしょか、ほにゃらばよかった! 絡操さんは楽しんでるぅ?」

「慣れぬもので、どう表現して良いかが」

「いいの良いのっ、きっと楽しんでるって!」

 

 とーんとーんと明るい雰囲気で話しかけて来たのは椎名桜子。幸せオーラ全開。笑顔のまんまで近くに居たクラスメート――千雨が絶対にロボだと思っている――絡操茶々丸とおしゃべりに興じていた。

 

「……はぁ」

 

 漏らしたため息は暗く重いものだと自覚していた。

 元々、千雨は今行われている少年教師歓迎会に乗り気ではなかったのだ。年がら年中騒ぎたい日和、そんなクラスのノリには少々肌が合わないと自分で思っている。

 ましてや今回は麻帆良学園に来て最悪の厄日。年下の少年が自分の担任になるという悪夢。部屋から出たくなかった。関わり合いたくなかった。非現実だと、どこか夢だと信じていたかった。

 

(テメェのせいで私は……イヤイヤイヤ、夢、これはきっと夢だっ!)

 

 だから体調が悪いと告げてそそくさと家路に就くはずだったのに――問答無用でクラスの元気娘たちに腕を引きづられて保健室へ連れ込まれ、保険医からの健康優良体、彼女にしてみれば死刑に近い宣告を受けて、しっかりこの馬鹿騒ぎの場に腰を納めていた。

 乱暴に千雨の腕が伸びた。スナック菓子を掴み取り、口に含んでバリバリ音を立ててやる。やけ食いだと解っていたが、もう構わなかった。

 ――千雨は特段と自分が変わった人間ではないと信じている。この状況に馴染み、のんべんたらりと過ごす方が変わっているのだと、千雨は信じ切っていた。

 そもそもこのクラス自体、千雨に言わせれば可笑しかった。他のクラスと比べて留学生が多いのは、まだ納得できる。明らかに大学生や社会人に見える中学生が居るのも、どう見ても小学生な中学生が居るのも、百歩譲って許容しよう。

 だが教室の端に座る自分よりさらに端。金髪幼女の傍らで桜子と話す茶々丸はどう考えても、どう頭を柔らかくしても、千雨には理解できなかった。頭から機械の角が生えているのだ。指や肘や膝の関節が明らかに人工の物だ。瞳だって良く見てやればその奥にカメラのレンズのような物が発見できた。

 ロボだった。もう人でもなかった。脳みそが熱暴走しそうだった。

 

「なぁ綾瀬、私は可笑しいのか、世界が間違っているのか。ガキが担任なんて常識はどこで生まれたんだ?」

 

 だから問いかけた。このクラスで常識を持っていると彼女が感じる一人に――バカレンジャーなどという妙なあだ名を受けているのだが。

 紙コップのオレンジジュースでスナック菓子を纏めて胃へと流し込み、千雨は縋るような気分で口を開いた。深い紺の瞳は言葉を吸いこみ、消化された文字列が小さな口から紡がれた。発信源は長い濃紺の髪の、身の小さな冷めた印象を与える少女だった。

 

「まぁ一般的に考えれば可笑しいのです」

「だよな! 私がどっか可笑しいってわけじゃねぇよな!」

 

 首を縦に振る綾瀬夕映に口調が荒くなる。目尻に合わせて張っていた気が弛緩するのを感じ――

 

「ですが、個人的にですが、この状況はとても好ましいです」

 

 ぎゅりりヘの字に口角が曲げられ、目付きも悪くなった。顔が強張ったのを如実に千雨は感じた。

 彼女はペットボトルを手に取ると、空になった紙コップにオレンジジュースを注いでくれた。会釈する千雨に小さく手を振り、夕映は手に持った紙コップを一気に呷り、ジュースを注ぎ、もう一度呷ってから続けた。

 

「ひとつはのどかのこと」

 

 呟いて千雨は横を向いた。ゴキブリのような触覚頭の少女と談笑する暗めの少女はほんのり頬を赤く染め、ちらちらと赤毛の少年教師の方を見つめていた。

 あぁ、なんとも分かりやすい。恋は盲目と言うが、それは級友にも浸食を進めるようだ。

 

「もうひとつは……」

 

 そこでグッと、彼女は押し黙った。もったいぶるように夕映は人差し指を掲げる。勘ぐるような思考とともに身構え姿勢を正してみせた千雨は、頭の中に蔓延る思考の糸から一本、鋼鉄の針金があることに気付いてしまった。

 大きな溜息が洩れた。接がれた言葉は千雨の予想通りだった。

 

「十歳の少年が担任教師。なんとも摩訶不思議な事ではないですか。むくむくと、私の中の好奇心がわき上がってくるのですよ……彼には何かある、と」

 

 爛々瞳を輝かせる夕映に、千雨のオレンジジュースは再び波を立てる。

 忘れていた。この友人は文学少女の皮を被ったまったく別の何かだったのだ。

 厄はまだまだ終わらない――そう確信できる自分自身が千雨は悲しかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 少年教師ネギ・スプリングフィールド。大学卒業程度の語学能力を操る十歳の臨時教員。

 この字面を見て、子供を預けたいと思う親は限りなく零に近いはずだ。

 教職に求められるのは、何も学力だけではない。生まれて二十年と経っていない子供たち。彼らに様々な常識教え、経験を積ませ、人として大凡真っ当な感情を育てるために、教員という職業はあるのだ。

 学校の役割は学力の向上と健全な青少年の育成。いくら優秀だろうと、十歳の少年にその両方をこなすことが出来るとは考えにくい。まぁ副産物として、不完全な教員を支えることで生徒が成長する――という可能性は否めないが、それは少年が教師をするという問題とは論点が異なっている。

 だったら教員免許を取ったうだつの上がらない駄目教師でも良いはずだ。

 単純に考えるならば、人としての厚みは積み重ねて来た年月とともに成長する。引き篭もり、外界へ壁を積み上げ、成長を拒否した人間に比べれば、小学生や中学生の方があるいは、人として厚みがある場合もある。

 ただ、これは一般論だ。特に激しい挫折で立ち上がる気力を無くすでもなく、小さな挫折が許せずそこで足踏みをし続けるでもなく、ただなんとなく気だるさから腰を持ち上げることをやめるでもなく。それなりな挫折をそれなりな努力や気合で越えて来た人間ならば、年の功はひどく正統であるだろう。

 少年教師ネギ・スプリングフィールドは教員としては不適正。これが普通で、正式で、常識的な答えであろう。

 にもかかわらず、彼が臨時教員として採用されたのには――裏がある。

 本人からすれば傍迷惑な、大人たちの『こうあって欲しい』という願望。

 

「つまりあの少年は将来を望まれたが故に、この麻帆良学園に?」

「そう考えるのが妥当だね」

「されど、何故ここなのでござるか?」

 

 漏れ出す明かりの外。花摘みだと項垂れる千雨に告げて教室を後にした少女二人は、薄暗い廊下の壁に背を預けて語らい合っていた。艶めかしい緑髪を後ろで束ね、尻尾のように伸ばした長瀬楓は数年前とは段違いに成長した二つの毬を、組んだ腕で持ち上げるようにして問いかけてきた。

 

「さぁ、私にはさっぱりだよ」

「知らんのでござるか」

「予想は出来るけどね。世界で数か所しかない聖地のひとつ――それが麻帆良さ」

 

 くっくっと喉の奥を鳴らして褐色の少女は笑う。相も変わらず年齢と身体が不相応に成長している龍宮真名は微かに口角を持ち上げて、やはり年齢と不相応なまでに大人な笑みを浮かべてみせた。

 

「だが何かここである必要があったのだろうさ。何のため――なんてややこしそうな理由は少年の成長を望む彼らのよりも私はまだ瑞々しく若いものでね、見当もつかないよ」

「拙者もさぱーりでござる」

「楓は頭が緩いからな」

 

 茶化すように、真名はまた笑う。そんな自分の態度に隣の彼女は無反応。いつもならば売り言葉に買い言葉、バーゲンセールで言い合いが始まるはずなのであるが――今日はしばしの沈黙。と、言うよりも静寂か。ピンと張りつめた糸のように、少女たちの空間が閉ざされた。

 アルカイックスマイルの掲げられた楓の下、細められていた彼女の糸目。

 重い瞼は、ゆっくりと持ち上げられた。

 

「拙者はそちらに疎いのでござるが……少年は、お主らの間で酷く重要な存在」

「正解だ」

「悠々と架け橋を吹き飛ばすほどに」

「ん、それも正解だろう」

「つまりは――」

「――そういうことなはずさ」

 

 私は魔法使いではないがね、と付け加え。ふふんと真名は挑発的な視線を楓に向ける。

 

「何故拙者に?」

 

 首をかしげて問う彼女に、今度は年齢相応で破顔してみせた。

 

「人生に張り合いを作るのは争いなのさ」

 

 応対するように楓の表情も緩む。安穏としたヌルい空気。それが真名には心地よかった。脳裏にいくつとある引き出しのひとつが腐るような感覚が、真名には妙に落ち着いたのだ。

 温泉のような空気を斬り裂いたのは凛とした声だった。声の主も、ぴんと張った糸のような印象を受ける少女だった。黒い髪をサイドポニーに結わえ、身の丈ほどある白木の棒を手に持っていた。その眼差しは、刃のような鋭さを真名に感じさせた。

 

「ああ、そこにいたのか。仕事の依頼だ」

 

 声を聞いた楓がこちらに顔を向けて来た。ヌルい表情は隠れていた。にんにんと微笑む顔は、自然だが不自然に真名の眼に映った。

 ちろと片の糸目が持ち上がる。そこに在る光は白木の棒を持つ少女よりも――

 

「どうした、行かないのか?」

 

 怪訝な表情に焦りを混ぜ合わせ、凛とした雰囲気の少女は問いかけてくる。

 

「いや――まずは内容を聞いてからだ。報酬が仕事のリスクと私の技術に見合えば、だよ」

 

 言葉に対して真名は内より暗い空気を纏い、仕事人としての思考で身体を染め上げていく。

 どんな学校にでもある普通の廊下は殺伐とした危うさを醸し出し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 ――それは闇に溶けていた。

 

 くるくると辺りを見渡してもそれは居らず、しかし全身が警鐘を鳴らしていた。

 踏み込んだのは金のため。ただいつものようにとあるルートから仕事を受けて、仕事先がたまたま麻帆良だったため、男は麻帆良にいたというそれだけの話。

 男は傭兵。雇われて動くつわものだ。

 右手に剣。幾人の血を吸い、幾匹の魔を打ち破り、幾度と戦場を駆けた。月光に濡れたそれは、根元から無造作にへし折られた。左手に銃。幾人を貫き、幾匹の魔を冥府に逆落とし、幾度と戦場を抜けた。月光を滴らせるそれは、見るも無残に砕け散った。

 文字通り折れ砕けたという訳ではない。剣は相変わらず惚れ惚れするような刀身を傷なく残しているし、銃も手入れの珠物か強い威圧感を未だに示している。

 だが男にとって、剣は折れ銃は砕けたのと同じだった。それどころか在るはずの脚はなく、在るはずの腕もなかった。首筋に手を添える。まだ繋がっているのに斬り取られたような気分だった。

 男の口から音が漏れる。自嘲を帯びた息が彼の鼻を鳴らした。

 警戒を怠った記憶はない。多額の報奨金に人生を眩ませる、安い男のつもりはない。金額相応以上の危険があると確信し、されど自分は仕事をこなせると確信し、踏み込んだ地にそれはいた。

 戦場が地獄なんて言葉は嘘っぱち。ただどこでも、人間の欲望にまみれた人の世ばかりというのが男の信念だった。次元の向こう、魔界ならばいざ知らず、この世に地獄などあるはずもないのだ。

 男の職場はずっとそうだった。これからもそれが自分の職場だと。

 男は――今日まで――思っていた。

 恥を忍んで生きる価値など無し。この国、日の本にはそんな信念が蠢いていたらしいが、男には関係ない。懐のナイフを確認し、ブーツに仕込んだ魔法陣を念頭に置いて生き抜くための術を探していた。腕がなくなろうとも、足がなくなろうとも、首が繋がっている限り戦い抜かねばならないのだ。例え歴戦の相棒を失っても、跪くのは愚図のやること。依頼の達成は諦めたとしても、命までも諦める訳にはいかなかった。

 男は繋がっているような、繋がっていないような脚を持ち上げ一歩踏み出した。当たり前の挙動に身体がふらつく。また、口から息が漏れた。

 男が現状を省みるならば過信していた。抑え込んだはずだったが、それは顔を覗かせ茨として男を傷付け縛ったのだ。自分の実力と依頼の難易度は天秤を取れていなかった。

 忍び込むのは至難なのは解っていた。

 人の皮を被った人ならざる者がいるのも解っていた。

 ただ気を付けるべき人外を把握しきれていなかった。

 同時に忍び込んだ同業者は紅い翼の一端や闇から聞こえる福音へと叩きこみ、目当ての情報だけ仕入れてとんずらこくつもりだった。当初から仲間意識などなかったし、それで今日も職務をこなしたと男は思っていた。

 

「……ははっ」

 

 三度目の声が男の口から漏れた。気づけば男の尻は地面に縫い付けられており、手に持った剣と銃は土の上に横たわっていた。

 だから男は肩を落とし、懐から取り出した煙草を取り出そうとする。嘲笑が思わず顔に浮かぶ。力が入らず、小刻みに震えるだけの指先は、煙草を手に取ることすら許してくれなかった。

 嗚呼なんと、愚かで小さきことか。鍛え上げ、どんな仕事でも達成できる実力を手にしたと思い込んでいた自分は、ただ頭が沸いていただけに過ぎなかったのだ。

 もう男の首から下が痺れて力が入らなかった。しかし反して男の頭はしっかりしていた。春の夜風が男の脳裏を吹き抜けていく。

 男は思い出した。幼い頃、自分に戦い方を教えてくれた祖父から聞いたおどろおどろしい物語を。

 

「手を挙げろ! 動かば斬るっ」

 

 ハッとし、総てを理解し、だからこそ男はからからと大きな声で笑った。怪訝な顔を浮かべる美剣士に、ただ米神を注視する狙撃手に、後方で揺らぐ影に向けて。

 

「気ぃつけな、お嬢ちゃんたち。日の本の闇には蛆が居るんだぜ」

 

 大人らしくニヒルに決めてみせたのだ。

 

 

 

 

 

 機械だらけの部屋。近未来的なそこに巨大なモニターが幾つかあった。そのひとつに映り込んだのは赤毛の少年。幼げな顔を見ると、思わず小躍りしたくなる心を抑えるのが面倒だった。積み重ねてきた幾星霜の日々――すべてはここから始まる。

 今までの努力は、ただこの瞬間のために。

 ひっくり返すのだ、世の中を。この手で、この手で、自分自身の手で。

 自分がようやく立ったスタートライン。道筋は見えている。下見も、基盤も、重々。後はただ転がすだけ。山道を転げ落ちる雪玉のように、ただ大きく、ただ速く――後戻りはもう出来ない。

 だからこそ――

 

「くっくっく、相変わらず惚れ惚れするような実力ネ」

 

 お団子頭の少女はその道を固めることに余念がないのだ。

 悪人面で嗤ってみせる彼女の前には一人の男が居た。黒髪を後ろに撫でつけた、細く鋭い眼の男だ。ジャケットを纏いジーパンを履いた男はどこにでも居るようで、どこにも居ないような矛盾を抱えている、そんな印象を鈴音は彼に感じた。

 現実に男は鈴音の眼の前に居た。だが正面を埋め尽くすモニター群の中にも男は居た。

 

「しかしどっちが本物なのかナ?」

 

 口に出した疑問に男は柔和そうな雰囲気をみせた。続けてにかっと快活そうに笑みを浮かべると、大げさに両手を振った。

 

「心外だねぇ超、心外だわ。重要な相手の前にはきちんと顔を出す。これって社会人の常識よ」

「向こうの相手は関東魔法協会の理事長だガ」

「俺は正直ものだぜ?」

「ト、言うことは私の方が重要な相手だと言てると考えていいのかナ?」

 

 訝るような視線に対し男はくつりと哂った。

 

「まぁ何にせ、これからもよろしく頼むヨ」

 

 故に、お前程度には底を見せないと言わんばかりの顔を作り、鈴音は笑う。

 眼の前の男は鬼札だ。強烈な力を持っているが、ひとつ間違えば道は崩れてしまうような男だ。だがこの程度使いこなせなければ、きっと自分の目的を遂げることはできないのだ。

 影が揺れると、男は目の前に居た。コロンか何かだろう、柑橘系の香りが鼻に飛び込んでくる。男はそのまま鈴音の前で膝をつく。気づけば男に手を取られていた。

 

「末長いお付き合いを」

 

 恭しく、臣下のような振る舞いで男は頭を下げた。男の指が鈴音の手の甲を滑る――本能に手を触れられた気がした。背筋にえも言えない感覚が走る。

 それでも鈴音は表情を崩さない。

 飲み込んでやるのだ。甲賀の傑物と謳われたこの男を。己の道の礎とするために。

 鈴音の口元は三日月のように裂けていた。



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黒き影は女帝に伸びる

 出会いはいつの頃だっただろうか――

 

「ねね、ねねっ、絡操さんはネギ先生の居場所とか知らない?」

 

 火色の髪の少女はぱたぱたと愛らしく手を振っていた。

 教会の裏手、茶々丸が持ってきた猫缶に群がる小山の中心に近づきながら、桜子は首をかしげて問いかけて来たのだ。その目は微かに潤んでいた。いや、潤んでいるというよりぼやけているとの表現が似つかわしいだろうか。さながら熱病のように、何かに魅入られた不可思議な表情を桜子は示していた。

 桜子の首がもう一度かしげられる。

 併せるように茶々丸は十八番の鉄面のまま首をかしげた。胸にデータ判別できないデータを生み出す桜子の仕草に比べ、自分の身ながら所作はぎこちないと解析した。

 

「私は見ていません」

 

 返答の声は同世代――茶々丸は麻帆良女子中等部の二年生だ――にしてみれば少し低く、かたかった。

 視線は重なり、その道筋は二人共に揺らぎがない。桜子は盲心的に何かを追っている風体で、茶々丸は真っ直ぐと相手を見ることしか知らなかったためだろうが、バチリと火花でも散るのではないかと感じさせるほどに、二人はしばらく見つめ合っていた。

 

「う~ん、こっちに来たと思ったんだけどにゃ~」

 

 右手の人差指で下唇を押し上げるように、むくれた顔を桜子は晒す。額には皺が集まり渓谷を作り、細められた目は一概にも可愛らしい眼差しといえるものではなかった。今の状況にイラついているように茶々丸には見て取れた。

 その姿に茶々丸は、その像を消すように口を開いた。

 

「……何故」

「ふぇ?」

「何故、ネギ先生を?」

 

 酷く珍しい言葉だった。もとい目の前の相手に質問を投げかけるという行為は別段ありふれた情景であるが、茶々丸の口から飛び出せば、という前口上を置くだけでその行動は珍しくなるのだ。

熱い血など巡っていない、冷たいオイルの通う茶々丸は珍しく、桜子に質問した。

 応答するようにぱたぱたと、桜子は両手を羽みたく動かした。腰をかがめ、整いすぎているほどにシャープな茶々丸の顎を覗き込むように、にへらとちょっぴりだらしなく、それ以上に明るく。言葉に押され、ころりと桜子の表情は反転した。

 

「にゃ~んかわからないけどね、ネギ先生見てるとスゴ~く胸の辺りがキュキュンキュンッってなるんだよ」

 

 桜子の瞳は熱に濡れていた。熱く、甘く、苦く、悲しい炎が――少なくとも茶々丸の知る限りの知識の中では――灯る機会のないはずの彼女の眼の中に浮かんでいた。

 

 故に茶々丸は、この現象を知っていた。

 世の中に氾濫する知識のすべてを知りその身に納めることは不可能だ。

 『アカシックレコード』や『アカシャ年代記』のように、人類の魂の活動を示すものがどこかにある――などと神話には語られているが、どちらにしてもそんな膨大な情報を人間の頭脳に納めるとは脳が拒否するであろうし、紙に起こすとしてもそれだけで地球全土が埋まると言っても過言ではないだろう。

 つまり何が言いたいかというと、誰しもが何かしら知らない事象を抱えて生きていく、ということ。例えば日々新たに生み出されていく科学の知識だったり、例えば世界全土に津々浦々とある一般常識だったり、例えば物語の中でしか語られるはずの無い超常的現象だったり。

 人間誰しもがどこか無知であることはもはや常識だ。そして例え本当だったとしても、既存の世界観から外れたモノは非常識となり、嘘となる。

 魔法はある。これは本当であるが、嘘なのだ。

 茶々丸にとっては本当で、桜子にとっては嘘であり、桜子は嘘に支配されていた。

 

 見上げるように見つめる桜子の顔。ピンで留められた髪の上へと茶々丸は無造作に右手を掲げ、ぺちりと弱々しくその額を打った。配慮たっぷり、多大な心配で包みこまれた視線は火色の髪をふるり揺らした。

 まがい物の手を下ろされた桜子は大きく丸い目を更にまん丸と、きょとんとした表情で茶々丸を見つめていた。

 

「どったの?」

「いえ、その、蚊が……」

「蚊? 春だからかにゃ?」

 

 細い遠慮しがちな声が茶々丸から漏れた。かりかり、猫が額をかくように桜子は自分のおでこに手を伸ばす。

 その様子を茶々丸は視界に納めることが難しかった。正しいと思った行動ではあったが、結界良い方向の目の前の級友は回復したと思考されたが、宛ら隠すように茶々丸は右手を自分の背後に隠した。きりきり軋む胸の歯車が、茶々丸には煩わしかった。それは生まれて始めて茶々丸が感じた不快感だった。

 大凡見積もって二年ほど。記憶メモリーの奥底から引っ張り出しても確実にババになるであろう自分の行動が、まるで重りのように圧し掛かってきた気がした――そんな気分を思考したではなく、感じていた。

 そんな不可思議な事態におろつく茶々丸を知ってか知らずか、桜子はにんまりと先とは違った爛漫な瞳で悪戯っぽく微笑む。

 

「絡操さん、蚊だっ!」

 

 ぺちりと茶々丸の肩が叩かれた。

 熱はもう消えていた。

 

「蚊だ、蚊だっ、蚊だぁっ!」

「あの、その、私は蚊に刺されるような身体では……」

 

 ぺちぺちと茶々丸の身体中を叩いてくる。

 突拍子の無い桜子の行動に、始終オロオロとしていた茶々丸がいつもの鉄面美を取り戻したのはそれから十数分。桜子を探しに来たクラスメートに彼女が首根っこを掴まれてからだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 出会いはいつの頃だったか覚えていない。だが出会いの切欠は一匹の猫だった。

 

 なぁ、と一匹の三毛猫が鳴く。

 『麻帆良の大ボス』、『流離いの一匹猫』、『猫キング』。様々な異名を、主に一人の少女から名づけられた三毛猫は今日も今日とて憮然とした態度。媚びるでもなく、諂うでもなく。悠然と石垣の上に体を寝かしていた。

 その周りにはたくさんの猫、猫、混ざって犬に、更に猫。三毛猫は毛並みの良い三色を陽光に晒し、金の瞳を納めたまぶたを薄く開く。

 そこを見やり、一直線に歩みを進めて来た火色の髪の人間が一人と、白と黒の子猫が二匹。なぁなぁ。抱えた子猫二匹は二本の腕から抜け出そうと躍起になっていた。ぐねりぐねり。小さな身体を軟体動物のようにうねらせて、小さな顔が二つ膨らんだ胸と腕の間で暴れまわる。すんすん。鼻を鳴らしてもがいて足掻き、遂にちっぽけな牙はかぷり突き立てられた。

 

「あたっ」

 

 ちくりとした痛みに思わず声が落ちた。僅かに力が腕から抜ける。その隙を幼いハンターたちは見逃さず、細い腕とやわらかなふくらみの間から白と黒が抜け出していった。まるで灰に混ざるように重なり合いながら、同じ呼吸で滑り出した二匹はとてと地面に着地し、すったかたーと三毛猫めがけてかけ出した。

 

「むぅ、まだパパの方が好きかぁ」

 

 少し不満気なのだと声に出してから確信した。しかしその実、楽しい気分がすぐにそれを覆い隠すのだろうと予想も出来た。

 ぎしりと軋む椅子に腰をかけて、桜子は小さくため息をついた。目を細めて二匹の猫は身体を擦り寄せている。心地よさ気に安心しきった表情で、白は顎を背中に乗せて、黒はゆるり動く尻尾を手で追うように、子猫たちと三毛猫はひとつの饅頭になっていたのだ。

 

「こんにちは、椎名さん」

 

 はしゃぐ二匹とまどろむそのほかいっぱい。一匹の猫を中心に形作られた猫サークルを眺めながら、ふわふらと意識が幸福感の彼方に連れていかれそうになっていた桜子は、そんなまだまだかたい口調で現実世界に引き戻された。

 

「ふぁ、茶々丸さん?」

 

 こてと首を寝かして、ぼやけた視界と垂れたよだれを手でぬぐう。ふるふる首を揺すって手招きし始めていた眠気を断ち切り、持っていった意識の先にはいつも以上にピシリと身体を固めた猫仲間が立っていた。

 きちりと正した姿勢は地面と直角だ。私服姿の自分とは違って、いつもの制服姿の茶々丸はかりかり足下にすり寄ってくる猫もなんのその。食い入るような目線で桜子を見つめていたのだ。

 

(ふゅ? どーしたんだろ)

 

 むむむぅとしかめ顔で頭をひねってみるが、どうにも状況が桜子には呑みこめない。恐らく手に提げたピニールの袋から見て、茶々丸は猫たちにごはんをあげに来たのだろう。

 桜子自身も、ぽかぽか春の陽気に誘われて、今日は所属している部活も休みであるし、実家で飼っている猫二匹と遊びに行こうと思った訳で。どうせならば外に出て、自分と飼い猫二匹を引き合わせてくれた三毛猫に会いに来ようと思った訳で。猫缶いくつかをカバンに入れて、とある教会の裏手にやってきたのだ。

 連れて来た二匹の姉弟――クッキとビッケはパパにご執心で、ほんのりの不満と猫好きの桜子からすれば天国のような猫群像にそれ以上の満足を抱え、桜子はゆっくりと流れていく時間に身を任せようとしたところだった。

 

「おぉい、どーしたの?」

「…………」

 

 完全停止中という言葉が級友の姿にはしっくりきた。声をかけても帰って来ない茶々丸に、桜子は無視されたのかと悲しい考えを抱いてしまう。それはこの同級生があまり人と話すのを見たことがないためだった。自分を除けばいつも一緒にいる留学生のエヴァンジェリンに超鈴音、秀才少女の葉加瀬聡美以外とはあまり口をきいていない。クラスで嫌われている訳ではなく、むしろクールな彼女の所作は好かれているのであるが、ちょっぴり浮いていたのだ。

 

(……嫌われた? はぅ、どーしよぅ……絡操さんとは茶々丸さん、桜子ちゃん、とか呼んで呼んでしたいのに)

 

 だからこそ――という深い考えを抱いたモノでもないが――桜子から見れば落ち着いてカッコイイ感じの茶々丸とは仲良くしたかった。せっかく猫という共通の話題が生まれて、少々じゃれ合う程度にはなれた一年といくらかを不意にするにはあまりにも、あまりにももったいなかった。

 はわわわと頭を抱える桜子とは対照的に相変わらず直立不動の茶々丸。呻く桜子の声を聞いてか徐々に起きだし、二人に群がり始めた猫たち。

 実に、ほのぼのとした光景だった。

 

「春の空は青く素敵だねぇ」

 

 低く通る男の声は確かに落とされた。しかし周りにいる猫たちが聞いた音は、悩み、固まる、二人の少女の耳を抜けて虚空に消えていった。

 次に落ちたのはなぁと鳴く猫の声だった。

 

「ふぎゅっ」

 

 つぶれた蛙のような鳴き声が漏れた。三毛猫はととん、猫のそれを越えた跳躍で桜子の顔をひと踏みすると茶々丸の頭の上にどっかり身体を置いた。そして鼻擦る眼前でビシビシ肉球を使って彼女の額を叩き始めた。

 

「――ハッ」

 

 なぁとひとつ猫は鳴く。

 

「どったの? どこか痛いの? おなか? 大丈夫?」

 

 覚醒したその姿に気づくと、怒涛の勢いで茶々丸に詰め寄った。自分に気圧されるかのように、人形のように――だがいつもよりもふんわりとした印象で――茶々丸は首を縦に振る。

 

「あの、はい、すいません」

「いいのいいの。なんにもないなら良かったにゃ」

 

 肩を落として微笑む桜子に、茶々丸はほんのり小さくなる。泳ぐように視線を回して、口を金魚のようにパクパクしていた。

 

「さ、さぅ……」

「ほじゃほじゃ絡操さん、みんなにごはんあーげよ」

 

 にかにか楽しげにカバンの中から猫缶をいくつか。腰をかがめてぱかっと蓋を開けた途端、桜子は猫にうずもれた。

 その脇で半開きの口を閉じた茶々丸は、ほんのり目尻を下げて――

 

「はい、桜子さん」

「にゃにゃにゃっ! 桜子ちゃんイヤーが反応したよっ」

 

 妙にキラキラと猫缶まみれの顔を輝かせた桜子と、脚にすり寄ってくる猫たちと、相変わらずと額を叩いている三毛猫に、もう一度茶々丸はおろろと視線を泳がせた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 うららかな春の陽気に肌寒さを残した風が吹き抜けた時、桜子は揺れる前髪によって意識を現実へと引き戻された。茶々丸と一緒に昼食を済ませた後に、猫だらけの教会の裏手で桜子は眠っていたようだった。布団となってくれていた彼らの体温があまりに心地よかったのだ。

 石畳の上に置かれていた背中が少し痛む。土埃で汚れているであろうそこを気に留めるでもなく、桜子は猫がするように目元を手でぬぐった。起き上がり、続いて伸びをする。かわいらしい小さな欠伸を一つ落として、ようやくはっきりしていた視界の中に、桜子は見たことのない男の子が居ることに気がついた。

 年の頃は十歳ほど。先日担任となった子供先生と同年代に見えた。針金のような黒い髪を逆立てて、少し目つきの悪い眼差しで桜子を見つめている。しかしその眼差しは一人の友人によって遮られているようだった。桜子と、その少年の間に茶々丸が立っていたのだ。

 知り合いだろうか。桜子はそうふと勘繰った。だがその疑問を深く考える前に、目の前の事実に注意を奪われた。

 桜子の膝にはまだ重さが残っている。それはちょうど猫ほどの重さで、膝の上に陣取っていたのはここら一帯のボス猫だった。三色に染まった毛並みは野良猫にしてはひどく整い、艶があった。僅かに持ち上げた瞼の奥にある金の瞳には理性さえ感じさせる。気位高く、人に触られることを良しとしない三毛猫が桜子の手の届くところにいたのだ。

 恐るおそる、桜子は三毛猫へと手を伸ばした。徐々に指先と鼻先との距離が縮まっていく。その仕草に気づいてか、三毛猫はけだるそうになぁと鳴いた。びくり、桜子の動きが硬直した。液体窒素の入った箱に中にでも押し込まれたかのような気分だった。それほどまでに、今の桜子は緊張しているのだ。

 自分も、茶々丸も、振れたことのないその身体に、もうすぐに――

 

「なぁ、そいつはねぇちゃんの猫か?」

 

 そんな折に、少年からの声が桜子へとかけられた。

 少年の声は独特のイントネーションを含んでいた。同じクラスの、関西から麻帆良へとやってきた少女と似通っていて、しかしどことなく尖がった音を耳に残す言葉だった。少年は黒い学ランを身に纏っていた。どうやらここの初等部の生徒ではないらしかった。

 桜子が声を聞き取ったのと、三毛猫の首筋に触れたのはほとんど同時だった。猫の身体に似つかわしくない硬い感覚を指先に感じ取った瞬間、それはばっと立ち上がり彼女の手が届かない場所にまで走って行った。

 三毛猫の視線はこちらを窺っているように桜子には思えた。膝の上から飛び出し逃げ出し、しかし彼女が目の届く範囲でまた腰をおろして、もう一度なぁと気だるそうな鳴き声をあげた。

 

「あ~あ、逃げちゃった」

 

 ぶすついた声だと自分でも解るものを漏らし、桜子は立ち上がった。そのままに少年を見やる。僅かに、彼の表情が曇った気がした。不機嫌そうな顔をしていたのだろうか。

 

「私の猫じゃないよ。タツヤは野良だもん」

「タツヤゆうんか?」

「私と絡操さんはそう呼んでるよ」

 

 吃驚した顔で尋ねかけてくる少年は、じとっとした目付きでこちらを見ている三毛猫の方を向いた。その視線が訝しがるような光を含んでいたのは、決して間違いではないだろう。

 しかしその理由は桜子にはとんと検討もつかないもので、軽く尻のあたりをはたいて土埃を落とすと、茶々丸の隣に立った。彼女は相変わらず、クールな様子で少年を捉えていた。警戒しているように一歩踏み出す級友。それが桜子は少し嬉しくて、それ以上に寂しかった。

 

「絡操さんの知り合い?」

「いえ」

 

 彼女の返事はいつも通りに形式一辺倒なものだった。

 桜子にはそれがわからなかった。不良じみた風格が混じる少年ではあるが、桜子にとって目の前に居るのは少年に違いなかった。なぜここに居るのか、どうして三毛猫を食い入るように見つめているのか、茶々丸がどんな理由があってまるで自分を守るような態度を示すのか、どれもこれも桜子には解らなかった。

 たが、最後の事柄だけは、そのままにしたくなかった。

 

「椎名桜子」

「はぁ?」

「だから椎名桜子、私の名前。君の名前は?」

 

 ただそれだけの、単純な理由。問いかける桜子に対して惑うように鼻をぐるり回すと、少年は年の割には低い声で返してきた。

 

「犬上小太郎や」

「ほかほか、んじゃ小太郎くんよろしくぅ!」

 

 そう告げると制止するかのように手を伸ばす茶々丸を振り切って、桜子は小太郎の頭をなでた。見た印象と変わらず、彼の髪はかたかった。触れる自分の手を短く受け入れて、すぐに我に返ったように振り払う小太郎。そんな姿に桜子は思わず綻んだ。

 

(何だ、イイ子じゃん)

 

 眉をひそめる小太郎に、桜子は悪戯っぽく微笑んだ。

 

「なになに、照れてんのかにゃ?」

「ちゃうわ阿保っ」

「なははははっ!」

 

 伸ばす手を振り払い、避ける小太郎にもうひとつ笑みが深くなる。睨みつけてくる小太郎は、意地っ張りで無愛想な、ちっぽけな仔犬のようだった。

 とんと後ろに引きさがり、うぅっと唸り声を上げだした頃、気づけば隣に茶々丸が居た。にへらっと考えなしの笑顔を茶々丸に差し出す。彼女の顔はいつものように鉄面美だったが、呆れたような様子を含んでいるように桜子には見えた。それが、嬉しかった。

 

「そいでさ、小太郎くんは何しに来たの?」

 

 うららかな春の陽ざしをそのまま貼り付けたかの表情で、桜子は耳をぴんと立てているような小太郎へと問いかけた。

 桜子の疑問は至極真っ当なものだった。人があまり寄りつかない――猫好きたちには秘密のスポットとなっているが――教会の裏手にこの少年が来る理由が不思議だったのだ。単に猫と触れ合いに来たのとは違うようだ。猫好きは通じ合うのだっ、と桜子はいつも豪語している。しかし彼にはどうもピンと感じるものがない。

 問いかけた桜子には何の悪気もなかった。ただ興味がわいて飛び出した疑問だった。だが世の中は、桜子が知っているよりもずっと広く、ずっと深く、ずっと暗い――それだけの話。

 ぞわり、背筋に氷でも入れられたかのような空気を桜子は感じ取った。そそぐ春の気温は暖かいはずなのに、肌寒さを感じさせる風よりも空気が冷たくなった気がした。

 

「ああ、せや、忘れるとこやった」

 

 不良じみた雰囲気の少年は、殊更その気配を濃くし始めた。冷気の原因はにたりと獣が牙を剥くかのごとく笑う眼の前の少年だ。

 打ち出した小太郎の声は影のように黒かった。

 

「そっちのガラクタねぇちゃんなら知っとるやろ。ここの土地で最強の魔法使いは誰や?」

 

 波紋作る単語は夢幻の中だけに許されたはずのものだった。

 黒き風が、火色の髪をたなびかせた。

 

 

 

 

 

 絡操茶々丸は困惑していた。

 それは口を開くなり不遜な態度で、最強の魔法使いに合わせろ、と告げた少年の言葉による訳ではなかった。

 茶々丸は『ミニステル・マギ』だ。

 ミニステル・マギとはラテン語で『魔法使いの従者』を意味し、字面の通りに魔法使いを補助するモノのことである。その関係は恋人であったり、友人であったり、主従であったりと様々ではあるが、魔法を放つ時に無防備となる魔法使いを護るのが彼らの役割であることは共通している。

とある大魔法使いのミニステル・マギとして、そう在るべく、そう為るべく生み出された――それこそが絡操茶々丸の存在意義だ。

 故に、小太郎の問いかけに茶々丸は困惑するはずがなかった。今までに幾人か、彼のように不遜な態度なり、怯えるような態度なり、見下すような態度なりで茶々丸の主人に会わせろと要求してきた者たちはいたのだ。尤も茶々丸の主人は余り他人から愛され尊敬される魔法使いではなく、蔑まれ恐れられる魔法使いであるため、その機会は非常に少なかったことは間違いないのだが。

 茶々丸は主人に常々彼女に言い聞かされている。私に会う度胸の在る者ならば連れて来い、と。だからこそ――茶々丸がこの麻帆良の地で最強だと思考している――主人の下へ小太郎を連れていくことはまるで問題ないのだ。

 問題ない――のだが、困惑の元凶は別にあった。

 

「なんで猫のねぇちゃんも来るんや?」

「さーくーらーこっ! 良いじゃん、私だって魔法使いなんだよ?」

「……どこがやねん」

 

 火色の髪が楽しげに揺れている。腕に白と黒の子猫を抱え、軽い足取りで歩を進める少女こそが、茶々丸の規則正しい思考回路を乱していた。

 茶々丸の知る限り、桜子が魔法使いであるという事実は存在していない。恐らく彼女は遊びか何かだと勘違いしているのだろう。十歳ほどの少年が魔法使いに会わせろと言って来たのならば、魔法を認識していない桜子からすればそう断ずることは容易だ。何せ現実に魔法はあり得ないはずと、そう広く世間では考えられている世界なのだ。

 しかし、小太郎は人ではなかった。彼女の視覚センサーは彼が亜人だということを見抜いていた。並の魔物や妖怪を超える気を徐々に高ぶらせている小太郎の言葉は遊びなどではない――本気なのだということが予測出来る。

 このまま小太郎が茶々丸の主人の下まで行けば、桜子が知るべきではないことを知るであろうことは火を見るよりも明らかだ。小太郎の言葉が夢物語ではなく現実であると、桜子自身が気づく未来がはっきり茶々丸の思考により導き出されていた。

 しかし、茶々丸は彼女を止めることが出来なかった。

 

「あの、椎名さん。私が案内しますので、その、椎名さんは……」

「にゃににゃに、仲間はずれ? ずっこいぞーっ」

「いえ、あの、けしてそう言う訳では……」

 

 うおーっ、と吼えるような仕草の桜子に、茶々丸はただ乱れ始める思考回路を必死に纏め上げようと足掻くことしか出来なかった。

 茶々丸はマギステル・マギとなるべく、誰かに仕えるべくして生み出されたガイノイドだ。故にその性質を組上げるプログラムは人に従順で謙虚な人物像を作り上げていた。茶々丸はまず他人に対して意見しない。だからこそ、行く、と言い切る桜子を止める方法が解らなかった。

 否。この場合解らない、という言葉で表現するのは少しおかしいかもしれない。主人に仕えるべくして生まれた茶々丸は、主人のために他人の要求を断る方法をプログラミングされている。一流の従者として、心地よく主人に活動してもらうためのノウハウを茶々丸は知識として持っているのだ。勿論、その中には主人に対して害の在る存在を遠ざける方法もある。

 しかし、茶々丸はその説得方法を目の前の桜子に使っても良いのか――そんな従者として生まれた茶々丸にとっては不条理ともいえる疑問を、そんな疑問を本来抱くはずのないガイノイドの彼女は抱いていた。

 

 茶々丸にとって桜子は特殊な存在として彼女の思考回路に位置付けられている。ただの級友とも違う、仕えている主人とも違う、自分を造り出した創造主とも違う。

 笑えば嬉しいという気分を数字の羅列の中に作り出し、落ち込んでいればどうにかしてやりたいという気分を血の通わない冷たい身体に生み出す――茶々丸にとって桜子は奇妙な存在だ。

 それがどういう存在か、世界に生きる大多数のモノたちは知っている。されどこの世に確立してまだ二年、親密な人間関係を作って来なかった茶々丸は、つまりのところ世間知らず。それが世間一般『友達』に対しての感情だと、数字と歯車と魔力によって形作られている茶々丸には解らなかった。知識では在ろうとも、実感が茶々丸には無かったのだ。

 だからこそ、楽しげな桜子へと届かない手を伸ばすことしか、茶々丸には出来なかった。

 この先で触れるべきではない事象に桜子は触れようとしている。しかし今の楽しげな桜子の表情を不機嫌にさせることが茶々丸は――怖かった。

 まるで人間のような思考だったことに、茶々丸の頭にある冷却部品が唸りを上げる。

 ぐるぐると視界が廻り、ずぶずぶと泥沼に頭部の集積回路が沈んでいくようだと思考した。

 気づけば彼女の主人が座すログハウスは目と鼻の先だ。

 

「魔法少女桜子ちゃん! 爆・誕っ!」

「……阿保か」

 

 ビシィっと眉の上あたりでピースし、腰を曲げて姿勢を低くポーズする桜子へ、茶々丸が許されたのはただ見守ることだけだった。

 脳内メモリーを電気信号が走る。それはいつもよりも鈍く、いつもよりも不規則に、歪む軌跡を残して走っている、そんな気分だった。

 

 

 

 

 

 硝子の世界の中、ルビーの海が揺れていた。幼い手が世界を掴み、小さな唇へと海が流れ込んでいく。

 気だるげな様子で溜め息を吐いた金糸の髪の幼子は、肌をぴりりとした刺激に眉を潜めた。従者に作らせたスパイス効く肴よりも強く、彼女を高ぶらせるその根源は、木造りの家の外より伝わってくる。

 その感覚はひどく懐かしいものだった。この地に縛られて以来振れることのなかった、しかし長きに渡って彼女が晒されていた場所の匂いがした。

 幼子はちりちりと肌を痺れさせるそれに、裂けんばかりに口元を持ち上げた。久しく感じていなかった鉄臭い空気に呼応したのか、小さな歯はまるで鋭利な刃の如く尖り始めているようだった。

 椅子から腰を下ろすと、躊躇うことなく彼女は扉の方へと足を運んだ。いつもならば従者に行わせ、ただ自分は座っているだけの事柄を、自発的に彼女は行ったのだ。今この場に従者はいない。だが例えこの場に従者が居たとしても、きっと彼女は同じようにおのずから足を運んでいただろう。

 それほどまでに、今自身に狙いを定めるかのように突き飛んで来る殺気とでも言うべき感覚は、彼女の喉を潤す熟成されたワインよりも脳髄を陶酔の果てへと導いていた。

 手に取るように解る――扉の向こうに居るそれは青く若く弱い存在だと。しかし、故にこそ、彼女は自分の顔が凄惨なほどにだらしなく緩んでいることを確信した。

 糸を垂らして操るマリオネットの如く、震えているのが解る、恐れているのが解る、泣きだしたい気持ちを抑えているのが解るのだ。そして――それでも気迫微塵と揺らぐことのない憐れな子羊により金髪の幼子――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの心の臓は激しく打ち鳴らされていた。

 

「クケケケ」

 

 哂い声がエヴァの耳に飛び込んできた。童のように純粋に、気狂いのように純粋に、興奮抑えきれないとでも言いたげな声が先程まで座っていた椅子の近くから発せられていた。

 エヴァは刻んだ笑みを更に深く刻み直した。早打つ胸の鐘は全身を震わせている。彼女の本質とでも言うべき場所が狂喜乱舞している。さながら初恋を歌う無垢な少女のような気分で、エヴァは座する家の扉へと手をかけた。

 

「阿阿阿阿阿津ッ!」

 

 開いてまず、彼女の神経細胞を刺激したのは無茶苦茶な獣の喚き声だった。次に彼女の感覚細胞を刺激したのは顔面に突き刺さった拳だった。気で強化された一撃に、小さなエヴァの身体は耐えきることなど出来るはずもなく後方へと吹き飛んだ。

 背中が壁に叩きつけられ、棚からいくつもの調度品が床に落ちて形をなくした。痛覚が絶叫をあげ、痛みとなって全身を駆け巡る。だがそれすらも心地よく――

 

「……ハハッ」

 

 反射的にエヴァは笑っていた。

 

「おおっ……おオ雄雄雄阿阿津ッ!」

 

 その声に襲撃者――白銀の髪たなびかせて狼の気配感じさせる少年は、一瞬怯むかのように音を途切れさせるが、更なる激情を込めた咆哮で身体を鼓舞して砲弾のように突っ込んできた。

 床に落ち、倒れ込んだ自分に馬乗りになると、襲撃者は血眼になりながら拳を幾度となく振りかぶり、振り下ろしてきた。

 そこに躊躇いなど一切なかった。ただ自分を打ち殺さんばかりの襲撃者は壊れた機械のように拳を振り乱していた。

 

「マスッ――」

 

 故にこそ、早鐘となっていた心臓はちっぽけな血と糞と肉に塗れた袋をぶち破るかのように鼓動を強くしていた。

 故にこそ、エヴァは自分を守ろうと走りだした従者を手で制して留まらせ、その奥で呆然とした表情を示すクラスメイトを意識の外に投げ出した。

 勝てぬと本能で理解していながらもエヴァに少年が踊りかかってきたからこそ、彼女の本能は彼女の意識を本質的なそれへと塗り替え始めていたのだ。

 

「クケッ、クケカクケケケケッ!」

 

 くいと人差し指を動かす。ただそれだけで、自分の上に乗っていた襲撃者の重みは無くなっていた。

 代わりに狂った哂い声がエヴァの居城にこだましていた。

 

「嗚呼、傲慢な者よ、不躾な犬よ、私に一体何の用だ?」

 

 額より垂れる血を朱い舌が舐め取る。ワインなどでは感じることのできない甘露がエヴァの口内を埋め尽くしていくようだった。

 頭がずきずきと痛む。力を縛られた身体ががくがくと震える。それ以上の快楽がエヴァの足を支えて立たせる。

 眼前の壁には大きく穴が空いていた。へし折られた壁の端には白銀の毛が幾本も引っ掛かっている。その奥、エヴァの座する場の外より苛烈な気が噴き出し、穴から這い出してきた。

 宛らそれは銀の弾丸だった。本来己を殺し尽くすはずの存在になり変わるかのような圧でもって、少年は再び穴からエヴァの方へと向かって来た。

 その様子にエヴァは焦るでもなく、優雅に指をもう一度動かした。

 ――狂声が弾丸を破壊した。

 打ち伏せられた襲撃者の上で、頭の大きな人形が壊れたように泣いていた。ここ最近、日常の世話をやらせている従者よりも濃い深緑の髪の人形だった。

 

「遊ブカ? モット遊ボウゼ御主人」

 

 クケケと哂う人形に対してエヴァの双眸は否定するような光を湛えていた。

 重ねて指を動かす。二等身の人形の脚が、襲撃者の背中へとめり込んだ。

 

「何を寝ているんだ、貴様は」

 

 襲撃者から大きく呼気が外へと漏れる。目を見開いたその髪色は、いつの間にか黒に変わっていた。恐らく体内で練ることが出来る気が切れたのだろう。

 

「答えろ、何故お前は私に敵意を示した?」

 

 しかしそれはエヴァにとっては些細な事。敗者の事情など知ったことではない。彼女が気になるのはただその一点だけだった。

 恐れられ、讃えられ、避けられ、謳われ闇の化身となったエヴァに、こうなる未来は見えていたとしても挑みかかり、自分の本能を刺激した少年の原動力が知りたかったのだ。

 エヴァの問いかけに、荒い呼吸を繰り返す少年は、うち伏せられたという事実があるにもかかわらず、身下げるような視線を投げつけて来た。

 そして、彼が口に出した答えは実に彼女の琴線にふれるものだった。

 

「この世は弱肉強食やからやっ! アンタを倒して俺は力を示す!」

 

 歳の頃は十ほどの少年の答えに、まずエヴァは自分の耳が可笑しくなったのではないかと疑った。次に睨みつけてくる彼の態度からそれが本気の言葉だと気付き――エヴァの口は耳元まで裂けた。

 だん、とエヴァは少年の頭を踏みつける。

 退屈で、安穏とし、穏やかさに彩られ、染まり始めていたエヴァの世界に影が落ちた。ふと記憶にメスを入れてみれば、この日の本に息づいていた術者はそんな螺子の外れた思考回路を持つ者ばかりだったのだ。いや、もっと掘り返してみれば正義面して跋扈する魔法使いたちとて、何ら変わりはなかったのだ。

 そしてエヴァは納得した。故にこそ、目の前のちっぽけな少年が狂ったように自分の本能を刺激したのだと。

 弱肉強食という旧き原初の理を、どんな事情があってかは知らないが信奉している少年がやってきたからこそ、エヴァは――

 

「ならば理のままに跪き、足を嘗めろよ駄犬」

 

 自身を縛り付けた魔法使いの息子がこの地にやって来て、それの踏み台となれと言わんばかりにその赤毛の少年の情報を流した者たちに――爪と牙と血をくれてやろうと決めたのだ。

 




小太郎と最初に会うのは夏美ではない……桜子だぁーっ!


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間のお話~堕ちてきてしまった剣~

長らく放置してしまい申し訳ありません。
リアルの方が少し落ち着いたのでようやく更新再開です。
今後とも『跳び出した蛆の落ちる先』をどうぞよろしくお願いします。


 そこは良く言えば古き良き、悪く言えば懐古的な雰囲気を持っていた。こぽこぽと音を立てて香りを漂わせるコーヒーメーカーが存在を主張する。噴き出す蒸気は髪に張り付く煙草の煙と混じり合い、空間に幅を利かせていた。少しばかり鼻に付く。だがその香りが嫌いではなかった。

 古めかしい木目調の椅子と机。思い描く昔ながらの喫茶店を体現したような店内の中、少女――長谷川千雨はカップを手に取りベージュの液体を口へと流し込んだ。ほんのりの甘さとまろやかな苦さ。喉をつたうそれはすっかり冷えていた。

 

「ん~、やっぱりここのプリンは格別でござるな」

「そう言ってもらえると作る甲斐がある」

「私は好きじゃないがね」

「……ほぉ」

「いや、はるかさんの作るプリンが、という訳ではなく、プリン自体が好きじゃないんだ」

「やれやれ、プリンが嫌いとは人生の半分は損をしているでござるよ」

「言ってろ」

 

 時折りに――というよりも見る度に本当に同級生か、と感じるクラスメイトと咥え煙草の店主との声をBGMに、千雨はぺらりと机の上に広げた雑誌のページをひとつ進める。紙上には色とりどりのコスチュームに身を包んだ少女たちと、彼女たちの身の上を簡単に示す一文が添えられていた。

 ぺらり、紙の擦れる音がする。千雨の指は動いていない。それは彼女の正面から聞こえてきた。

 大きな丸眼鏡の奥に置かれた、自分でも目付きが悪いと感じる瞳が持ち上げられる。視界には自分とは違って分厚く小難しそうなタイトルの本に顔を落としたクラスメイトが移っていた。彼女もまた、冷えているであろうコーヒーを口へと含む最中だった。

 

 カウンター合わせて十数席ほどの店内にはクラスメイトと店主、それとよく見かける優しげな風貌の老紳士が一人いるだけ。

 千雨が居る場所は喧騒に溢れた麻帆良学園都市にありながら喧騒とは無縁の場所、三十路になるかならないかの女店主が経営する小さな喫茶店の一席。目の前に居る小さなクラスメイトも、カウンターで会話するクラスメイトも、そして店主も、干渉してこずのんびりとした空気感を提供してくれる、彼女が週に一度か二度訪れるお気に入りの空間だ。

 だからこそ、千雨の胸には日常の騒々しさによって誤魔化されていく微かな違和感が去来する。

 

(……好きじゃねぇはずなんだがな、あのクラス)

 

 千雨は年齢の割に冷めた気質を持っている。それは本人も自覚するところで、だからこそ自分と合っていない自分の学級にいつも悪態をついている。無論、口に出せば面倒になると解りきっているために心の中での話だが。

 

(いや、別にアイツらが嫌いな訳じゃなく、ただどう考えても普通の観点からすれば可笑しいと思う訳であって――)

 

 がしがしと後頭部で纏めた髪を掻いて、彼女は溜め息をこぼした――諦めが含まれている溜め息を。

 千雨の在籍する学級は麻帆良学園女子中等部だけでなく、学園全体から見て確信できるほど屈指のお祭りクラスだ。財閥令嬢に理事長の孫に多数の留学生、大学生や小学生と見まごう同い年に先日やってきた子供先生。作為すら感じさせるほどバラエティーに富んだ人材がそろったクラスに、何故か普通だと思っている彼女は在籍している。

 そんな不思議空間に自分が居ることが――というよりも自分もその一翼を担っていると思われることが嫌な訳で、千雨は悪態をつく。無駄だと解っているのではあるが。

 

(……まぁでもアイツとは幼稚園から同じとこ通ってるし、昔は遊んでた気もするし)

 

 矢継ぎ早に言葉が脳裏に並べられ、いつもは見え隠れしないように封じ込めている感情へと伸びていく。宛らそれは映画スターが歩く赤絨毯のようで、歩かなければならない規定路線のようで、おずおずとちっぽけな想いが顔を出した。

 

(あのお祭り娘……椎名のやつは大丈夫なのか……?)

 

 想いに浮かぶのは桜色の髪の少女。中等部から多くの外部生を受け入れる麻帆良学園の中、千雨が昔からよく知る内部生の一人。かつては家に遊びに行ったこともあり、つっけんどんの態度ばかりになった今でも昔と変わらない態度で接してくれる彼女の級友。

 

(まぁ私がどうしなくても椎名には仲良しのやつらがいるし、最近ではあのロボ娘ともつるんでるみたいだし、だから私が心配する問題でもないんだが……だがっ!)

 

 千雨は乱暴な手つきでカップを取り、僅かな残りを一気に飲み下すと、ぶふぅと女子中学生らしからぬ鼻息を漏らしてみせた。

 その音に目の前の級友から訝しがるような視線が返ってくる。微かな時間訪れた確実な沈黙と、やがてまた本に落ちた目線。それに誘われるかの如く、千雨の額は木製の机へと押しつけられていった。

 もう何も聞こえない。頬が酷く熱い。

 

(あああっ! 全部意気消沈の椎名が悪いっ!)

 

――要するに千雨はひねくれ者なのだ。

 

 顔を伏せたままに大きく深呼吸を一度。綺麗に掃除された床から視線をおさらばさせて、そのまま手早く机の上に広げた雑誌を鞄に詰め込み、財布を取り出し伝票を持ち、千雨は席を立った。

 

「スイマセン、お支払いお願いします」

 

 カウンターを横目で見ながら短く言葉を締めると、彼女はレジの方へと真っ直ぐと歩いて行った。財布を開き、中から小銭を取り出してやる。目の前には煙草の煙を纏った妙齢の女が立っていた。整った顔立ちにエプロン姿のこの女こそが、千雨の贔屓にしている『喫茶ひなた麻帆良店』の店主なのだ。

 伝票と一緒に出した小銭は頼んだコーヒーセットと同じ額。ぺこりと頭を下げて、足早に去ろうとする千雨。だがその時はからずも視界に入った店主の表情に、千雨はひくりと口元を歪ませた。それはいつも憮然とした表情の店主の顔は変にニヤついていて、ぎりぎりと横を向いた先のクラスメイトも同じような顔をしていたからで――

 

「長谷川は……面倒見がいいな」

 

 心でも見透かしたかのような店主の一言に、千雨はもうどうしようもなく、とりあえず足を動かした。だんだんと彼女の耳に入る音が増えてくる。喧噪のなか、煙草の香りはもうしなかった。

 

 

 

 

 

 長谷川千雨は考える――とりあえず目の前のごちゃごちゃから片付けようと。

 つい先ほど抉られて、その窪みをどっぷりと満たしてしまった事柄を兎に角スッキリさせようと考えたのだ。

 彼女を悩ませる事柄は至って単純。昔を知るクラスメイトの椎名桜子の元気がない件についてだ。

 

(……てかなんで私がこんなこと悩んでんだ?)

 

 だんだんと夕焼けが消えて夜がやってこようかという時間帯。喫茶店を出て少し歩いた千雨には浮かんだ疑問を解決しよう意気込んだ矢先、別の疑問が鎌首をもたげてきた。

 確かに千雨と桜子の間に交流はある。だが彼女よりも深い交友を築いているクラスメイトが桜子には居るのだ。普段の自分ならば、彼女たちの方が桜子を励ますのに適役だと感じ、思い悩むことはないだろう。そしてクラスで一二を争うお祭り娘を心配する人間はたくさんいるのだ。

 だが変に今回の一件は千雨にそんな合理的な答えを浮かばせなかった。それは桜子がいつものほやんとした雰囲気を殆んど見せずに真剣な表情で悩んでいるからでもなく、そんな様子がもう数日と続いているからでもなく――

 

(絡操茶々丸……アイツとの間に何かあったから、か)

 

 地面に転がっていた石ころを蹴り飛ばしながら、千雨は疑問の正体にあたりをつけた。カラカラと石ころは道の脇にあるベンチの方へと転がっていき、近くにいたのであろ三毛猫が吃驚したような風体で駆けて行った。

 千雨はその後ろ姿を見つめながら、正体が被った薄皮を剥いでゆく。

 その中心に居たのはこれまたクラスメイト。真剣な表情で千雨が人間ではないと確信している茶々丸と話す姿を何度も目撃された事――そのちっぽけな事実が、大抵のことは笑って切りぬける長谷川千雨の知る椎名桜子を悩ませる事柄が尋常ではない何かに近づこうとしていると確信させる証拠だ。

 

 そもそもここ麻帆良学園都市には奇妙な都市伝説が多々存在している。やれ空飛ぶ少女を見ただとか、やれ黒マントの下にエロ下着を着た幼女を見ただとか、ほうきにまたがった魔法オヤジを見ただとか、怪物と戦う銃刀法違反者を見ただとか、妙な噂に事欠かない。

 それがすべからく唯の噂だったとしても、麻帆良学園はどこか可笑しいと千雨は感じている。

 例えば麻帆良格闘系の部活の間ではよくよく乱闘が起こっている。どちらが強いかという命題によって酷く揉めるらしいのだ。人目もはばからず殴り合う彼ら、それを更なる武力で鎮圧する教師――これは麻帆良では日常的に行われている光景だ。

 だが一度ネットの海に潜ってみれば、ニュースや新聞を眺めてみればどうだろうか。乱闘騒ぎでも起きようならば、それを武力で教師が鎮圧しようものならば、まるで一大事件のように取り扱われ、学校は謝罪し、評論家が批判を繰り返すだろう。

 

 麻帆良学園都市はどこか可笑しい――例え他の誰一人ともそう感じなかったとしても、それすら千雨にとっては可笑しい事であり、己は間違っていないと信じているのだ。

 故に、千雨は今回の桜子の一件が引っかかる。喉に刺さった小骨のような違和感に、その奥にあるであろう真実が、千雨の冷めた思考に熱を持たせる。そして先日、正に身に降りかかった『9歳児が担任になる』という非常識は燃料となり、熱は小さくとも間違いなく彼女の心臓にまで火をくべるに到ったのだ。

 

 すっかりとした夜風が千雨の肌を震えさせる。入口ばかりの春を消し去り、まだ暗ければしっかりと冬を残した気温は口から洩れた息を白く染め上げた。

 

(何かあった事は間違いねぇ。椎名とロボ娘の間で何かあったんだ。だとしたらマスターとか呼んじまってるあの金髪幼女とも関わりがある訳で、アイツは前任にタメ口聞いてた訳で……)

 

 そこまで辿り着き、千雨は乾いた笑いが自分の口から洩れていることに気がついた。

 と、同時に足元が崩れていくような感覚にも襲われた。

 心臓が跳ねる。燃料は油田にでも鶴嘴をぶち当てたかのように噴き出し、とどまるとこを知らず、痛いほど鼓動に鞭を打つ。

 

(……ちょっとコイツは、ヤバいんじゃねぇか)

 

 千雨は聡い人間だった。これまで抱いてきた小さな不信を繋ぎ繋いで察する事の出来るほどに聡い人間だったのだ。

 そしてその鋭さが、踏み込むべきではないと千雨に警鐘を鳴らしていた。

 子供が担任教師になる。それはちょっとお茶目な翁の悪戯――ではなく、ギャグテイストに歩んでいける桜子をシリアステイストに確変させる程の何かが裏に潜んでいるであろう事が解ってしまった。

 

 故に――千雨の思考は新たな回路を作りだし――答えを――

 

「おや、思ったよりものんびりしているのですね」

 

 ――と、出そうとした答えは自分と同じように冷めた色をした声によって霧散させられた。

 首を横に向ければ紺色の髪の少女がいた。千雨と同じ制服の、同じクラスの、先ほどまで同じ喫茶店にいた、綾瀬夕映がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 ロードローラーと呼ばれる重機がある。道路や基礎建築の際に用いられ、その圧倒的質量の鉄輪でもって道路を圧し固め平坦にならす鉄輪ローラーの事だ。スムーズローラーとも、単にローラーとも、日本の官公庁などでは締固め用機械と呼ばれるそれは、とある漫画の影響でひどく有名な重機となっている。それこそダンプカーやパイルバンカーやショベルカーのような看板重機と同じほどに。

 そんなロードローラーに長谷川千雨は乗っていた。それは千雨にとってよくある事だった。苛立ったり、悩んだり、焦ったりする時はよく巨大なそれに跨りひたすら平坦を作るのだ――勿論、妄想の中での話だが。

 妄想によって頭の中に生み出したロードローラーで以ってぐしゃぐしゃになっていた思考を平坦に、元の形に戻してゆく。先ほど出てきかけていた答えはコンクリートに混ぜ込んだ。今では立派に地面の一部でその奥底だ。

 

 蓋をして、てくてくと千雨は歩く。寒さ残る夜を自分よりも一回りは小さな綾瀬夕映の歩幅に合わせて。

 こうやって二人で寮――麻帆良学園女子中等部は全寮制だ――へと帰るのは初めてではない。同じ喫茶店を行きつけにしている身として、クラスメイトとして、タイミングが合えば一緒に帰る。

 二人の間には沈黙が横たわっていた。これも珍しい事ではなかった。話題があれば話をし、無ければただ並んで帰る。踏み込んでこず、かといって一緒に帰ることを止めはしない、そんな距離感が千雨にとっては心地よかった。

 心臓はもう跳ねていない。一定の、正常なリズムを刻んでいる。

 

(とりあえず、今日は考えるのは止めだ。明日会った時に大丈夫かって、何かあれば相談に乗るぜって……それで、良いよな)

 

 千雨はそう区切りを付け――

 

「そういえば最近椎名さんと絡操さんの仲が良いのですね」

 

 すぐさまに蹴散らされた。

 心臓がまた跳ね回ろうとする。ちりちりと燻っていた火に再び燃料が投下されていく。

 こつこつと地面を叩くローファーの音が耳障りだった。

 遠くで行われている乱痴気騒ぎが飛び込んでいく。

 こつこつと足がまた前へと進む。

 騒ぎが大きくなり、それを囲んでいるのだろう野次馬が目に入り、トトカルチョでもやっているのか食券が宙を舞い――岩と岩とを高速でぶつけあったような鈍い轟音が辺りの空気を圧し下した。

 

 足の先にあるのは開けた学園都市の広場のひとつ。そこをおそらくドーナッツ状に囲んでいた人の群れは段々と四散し、千雨の視界には倒れた大学生くらいの男たちと、彼らを見下ろすように立つ元担任の姿がうつりこんだ。

 少し寄れたスーツを着た壮年の男性。無精髭の口元には煙草を咥え、眼鏡の奥にある瞳はあくまでも優しげで――だからこそ千雨にはその光景が異様に見えた。

 いつもの光景。見慣れた麻帆良の情景。誰一人として不思議がらない――自分もつい先ほどまで可笑しくとも当たり前だと感じるようになっていた日常は、覆い被っていた影を取り去って千雨の前に現れた。

 鞄を握る千雨の手に力がこもった。帰りたかった。早く家に帰って趣味であるコスプレ写真でもブログにアップして、布団に入ってまどろみの彼方へと去ってしまいたかった。

 

(酒って、こんな時に飲みたくなるのかね)

 

 自嘲気味に笑い顔を作り、千雨は夕映の肩を軽くたたくと再び歩き始めようとした。

 だがその歩みは前からやってきた聞いた事のない声によって止められた。

 

「あら綾瀬さん、こんばんは」

 

 声はおっとりとした印象を抱かせるものだった。千雨と夕映の前には一人の女が立っていた。その女は千雨に妙な印象を――というよりも恐らくこんな感じだろう、という人物の概要を与えてくる女だった。

 年齢は二十代半ばほど、落ち着いた色のセーターと長いスカートとを着用し、丸眼鏡をかけている。黒髪は肩を少し過ぎたあたりまで伸び、おっとりとした風貌は顔立ち以上に彼女の持つ空気感に拍車をかけていた。

 

「はい、こんばんはです」

「今帰りかしら? まだまだ寒いわねぇ」

「はいです。……ああ、長谷川さん、こちら図書館島で司書をされている立花さんです」

 

 夕映は立花と呼ばれた女の視線に気づいてか、千雨の方へと向き直ってそう告げた。

 ぺこりと立花がお辞儀をする。千雨はつられるようにして頭を下げた。

 図書館島の司書――そういえば目にした事があるような気がする。立花の職業を聞いて、千雨は妙に得心した。なんというか、実に似合っていたのだ。

 

「伝説の司書?」

「いえいえ、普通の司書さんなのです」

「伝説の司書さんの話ね、私も噂には聞いたことがあるわ。残念ながら綾瀬さんの言う通り、私は普通の司書さん。また暇な時には遊びに来てね」

 

 そういうと立花はうふふ、とほほ笑んだ。それに合わせて胸が弾んだ。実に巨乳だった。

 

「立花さんも帰りですか?」

「そうなの。帰って何を作ろうかなーって悩んでたらこの騒ぎでしょ。はらはらしながら思わず見てちゃった。相変わらずみんな元気よねぇ」

 

 ちらと去っていく元担任の後姿を眺めながら言葉をひとまず止めると、立花はまた口を開いた。

 

「そういえば綾瀬さんのところには子供先生が来たのよね」

 

 子供先生――今の千雨には聞きたくもない単語だった。

 

「はいです。それがどうかされたのですか?」

「ええ。実はさっき女子中等部の校舎に本を持って行ったんだけどね、その時に黒髪の男の子がいたから、もしかしたら友達なのかなーって」

「いえ、私は知らないのです。長谷川さんはどうですか?」

「いや、私も知らないが……」

「そう。あの男の子、麻帆良の初等部のこの制服じゃなかったし、もしかしたらそうかもーって思ったんだけど、そういえば子供先生って海外から来たのよね。だったら私の勘違いだったみたい」

 

 腕を組んで立花は首をかしげた。セーターを盛り上げる巨乳がそのしぐさによってさらに強調されていた。道ゆく男の視線がそこに集まっているのは、おそらく千雨の気のせいではないだろう。

 

「じゃあ遅くなりすぎないうちに二人とも帰るのよ。長谷川さんもまたね」

 

 それだけ告げて手を振ると、立花は人混みの中に消え、やがて見えなくなった。

 かりかりと千雨は頬を掻く。周りの男どもにはアンタが今夜のおかず――そう考えてしまう千雨はやはりひねているのだ。

 

「では長谷川さん、自分はこれから借りていた本を図書館島まで返しに聞きますので」

「そうか、じゃあな」

 

 吹く冷たい風がそうさせるのか、早口で言い終えた夕映は図書館島の方へと向けて歩きだした。そして五歩か十歩、進んだあたりで立ち止まると、夕映は千雨の方に向き直って口を開いた。

 

「人を幸福にするものはどれだけ沢山のものを持っているかということではなく、手持ちの物をどのように楽しむかである――イギリス、バプステト派の神父であるチャールズ・スポルジョンの言葉です。私は出来ることだけをすればいいと思うのですよ」

 

 一礼し、夕映は踵を返した。

 風が吹いていた。まだまだ春の兆しを見せたとはいえ、冷たい冬の風だ。

 千雨にはそれが心地よかった。

 心臓のリズムはまた日常に戻っていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 人生には重要な岐路がある。

 右へ行くか左へ行くか――そんな岐路には奇しくも二つの種類がある。

 高校受験、大学受験、就職、結婚、離婚、その他諸々、様々にこれから訪れますよと警告してくれる、言葉としてこんな状況があると教えてくれる岐路と、突如何気なく起こした行動によって起きて後から気付く岐路。

 準備ができる岐路と準備ができない岐路。

 だが須らく何かしら起こした己の行動によって、周りの影響によって、岐路は生まれ、人間は踏み出さなければならず、人間は踏み出してしまうかもしれない。

 そして進んだからにはもう元には戻れないのだ――そこに自覚があろうとも、無かろうとも。

 

 

 

 その日は長谷川千雨にとって大きな岐路だった。

 彼女の積み上げてきた世界観と人生観を破壊するほどに大きな岐路だった。

 踏み出した自覚はなかった。ただ埋められていた地雷へと向けて彼女は気付かないうちに歩き出していたのだ。

 それは本当に些細な切欠からで、麻帆良女子中等部の寮へと帰る前に気になっていた子供先生の関係者かもしれないという少年を一目見ようと――ただそれだけだった。

 

 腕から力が抜ける。自然落下した鞄は草の上に落ち、ぽかんとだらしなく口は開いていた。

 目の前には少年ほどの体躯の者がいた。それが少年なのかどうか、そもそも人なのかどうかも千雨には理解できなかった。

 確かに腕がある、脚もある、顔もある。だがそのどれもが白銀色に煌めく毛に覆われていて、あり得ないはずの尻尾と耳が生えていた。

 ぎらりと光る牙は宛ら鋸のようで、爪は鉈のようだった。

 自分のものとは似ても似つかない爪の間には、どこかで目にした事のあるような赤毛がごっそりと握られている。

 

 その日は長谷川千雨にとって大きな岐路だった。

 その後の人生を変えてしまうほどに、大きな大きな岐路だった。

 春と冬が混じり合った満月の夜、長谷川千雨は世界の裏側を知った。

 

 蔓延る影がにたりと哂った気がした。

 




久しぶりなので少し短め
ちうちゃんの参戦だ―!


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傷痍の人形は皇帝の遺児か

「キャァァッ! ネギ先生ィッ!」

 

 その日は甲高い叫び声によって始まった。

 声の主はショタコンで名高い委員長、雪広あやか。よろよろふら付きながら、だが弾丸の様な速度で目標に駆け寄りながら、彼女はその整った顔立ちを真っ青に染めていた。

 彼女だけではない。教室に集まった麻帆良女子中等部2-Aの誰もが驚いた様子で、痛ましげな視線をガラリと開いた扉へと向けていた。

 そこには少年が一人立っていた。赤毛に小さな体躯の愛らしい彼女たちの担任――ネギ・スプリングフィールドは、顔中に絆創膏を張り、頭には包帯を巻き、膨れ上がった皮膚を隠すことも出来ずにいた。何かがあったことは誰が見ても明らかな、そしてその何かが外的衝撃によって作り出されたことが、如実に解らせてしまう風体をネギはしていたのだ。

 

「何がっ! いえ、誰がこんな事をっ……」

 

 鼻先が触れ合う距離までに顔を近づけたあやかは、触れようにも触れることが出来ず、微かにネギの頬との間に開けた空間に手を彷徨わせていた。純粋な心配に彩られたその視線の先、暗い瞳のネギはふっと耐えかねたように顔を背けた。あやかの瞳の色が変わった。

 正のベクトルは負のベクトルへ。怒り滲ませ般若の形相を作り上げたあやかは、どこと経由することもなくネギの隣に立っていたツインテールの少女へと向けられた。

 

「あっ、あああ明日菜さんッ! これはいったいどういうことですのっ!」

 

 逸らすことを許さない、射殺すような光だった。あやかの剃刀のような目付きにツインテールの少女――神楽坂明日菜は当然逸らすこともなく、彼女もそれを受け止めた――いつものようにはじき返すではなく、受け止めたのだ。

 あやかだけではない。気づけばクラス中の視線が自分に集まっていることを明日菜は感じていた。後ろに居る寮の同室である近衛木乃香からも心配そうな雰囲気が伝わってくる。そして、彼女の隣に控える今日合わせて登校することにならざるを得なかった綾瀬夕映からも、同質の、そして全く異質の感情をより合せた空気が注がれていた。

 明日菜はちらりと騒ぎの芯となっているネギの方へと視線を向けた。相変わらずと彼は昨晩以来、彼がこのような姿になった時と変わらないほの暗く落ち込んだ様子だ。

 

「昨晩コンビニに言った時に寝ぼけて溝に落ちたんだってさ」

 

 ふぅと溜め息をひとつ落とし、明日菜は呆れた態度でそう言った。間に息を挟まず、一辺倒の棒のように言葉を始めて締めくくった。けたけたと軽く笑いながら、おどけた様子で、明日菜はネギの頭を小突く。

 ぐわっしと腕があやかによって掴まれた。

 

「ネギ先生っ! 本当なんですの?」

「……はい」

「どうして……どうして貴女が付いていながらッ!」

 

 ネギの声は本当に蚊の鳴くような声だった。ぎりりと締め付けるようにあやかは明日菜の腕を握りつけてくる。意志を外に晒す顔には失望が添えられていた。

 あやかが鋭い視線を向けてくるには理由があった。それは彼女がネギを特別に愛でていたからでもなく、とある過去のトラウマにより年下の少年に執着を持つようになったからでもなく、一重にネギが彼女と木乃香の部屋で生活しているからであり、ネギにとって明日菜は――あやか自身は甚だ不満では在るのだが――クラス公認の世話係となっているからだ。

 故に、明日菜はあやかに尋問のような体制を取られているのだ。

 他のクラスメイトたちも続々とネギの傍に集まって来ていた。彼を心配して励ましている。

 しかしあやかは明日菜を離そうとしなかった。微動だにしない自分の目線にあやかのそれは真っ向からぶつかって来ていた。抜き身の刃を交わし合うような時間は十秒にも満たない程度だったのかもしれないが、明日菜にはその数倍以上は長く感じた。あやかの眼は本気だったのだ。

 

「本当に偶々で、明日菜さんは何も悪くないのですよ」

 

 均衡を破る切欠となったのはクールな一声だった。

 

「私が図書館島から寮に帰るとき、溝にはまっていたネギ先生を発見したのです。買い物途中についうっかり、そうネギ先生は言っていたのですよ」

 

 ずぞぞとえりくさーと書かれた紙パックジュースを飲みながら、夕映はいつもの冷めた声に違う何かをほんのりと添えてそう告げた。それだけで自分の仕事は済んだ、とでも言いたげな彼女は、そのまま団子のように集まるクラスメイトの脇を抜けて自分の席へと歩いていった。

 

「本当なんですのね?」

「嘘ついたって仕方無いでしょ。しかもあんたなんかに」

 

 明日菜は声に合わせて胸を張った。

 

「昨晩明日菜さんとネギ先生が帰らなかったのは?」

「綾瀬さんからネギのこと聞いて、そのまま保健室に行ったからよ」

 

 本当だった。明日菜とネギと夕映の三人は、怪我をしたネギを開放するために昨晩保健室に泊まり込んだのだ。麻帆良にある学校の保健室は深夜でも開放している。幼年部から大学院まである麻帆良学園の部活動には様々な年齢の学生が所属出来る体制を取っているモノが多い。その為どうしても不意の怪我が起きやすくなっていたりする故にだ、と一説には言われていたりする。

 何にせよ、保健室から直接教室に、という状況は珍しくなかったりする。木乃香が一緒に居るのは朝食を届けに来たから。ちなみにこのクラスの桜咲刹那などは愛用者だ。

 

「では本当に偶々溝に落ちただけなんですのね?」

「それ以外に何があるっての、このドジ馬鹿ネギが阿保なのよ」

 

 嘘だった。張った胸がきりりと痛んだ。だがそんな様子をおくびにも出す訳にも行かなかった。

 明日菜は自分が馬鹿だと自覚していた。しかし眼の前の友人を不用意に悲しませるほどに愚かではなかった。真実はこっそりと、自分と、ネギと、ネギを運んできてくれた夕映の胸にしまっておくべきなのだ。

 言えるはずがない――ネギは魔法使いで、狼のような男に襲撃されて傷だらけになったなどとは、言えるはずがないのだ。

 

 

 

 

 

「ネギくん、なんかすごーいお腹が痛くなったから早退するねっ!」

 

 授業開始のチャイムが鳴り、ようやく委員長が本来としての姿を取り戻し、生徒たちが着席し、ネギが出欠を取ろうかという頃、掲げるように手をあげて件の少女は鞄と一緒に教室の外へと飛び出していった。

 その様子を横目で見ながら、隣の席の長谷川千雨は欠席かと何処か興味の外で認識しながら、夕映は不謹慎ながら顔がニヤけるのを抑えることが出来なかった。

 扉が乱暴に閉められ、火色の髪の少女が教室から居なくなり、本日2-Aで空いている席は四つ目となった。他の二つはこのクラスのサボり常習犯の二人の物だ。再び教室がざわめきだす。しかし沈んだ声で出席を取り直すネギに段々と騒ぎは消え去っていった。

 

「綾瀬夕映さん」

「はいです」

 

 正直なところ、出欠の返事も心ここにあらず、といった生返事だった。だがテンションをあげていつも声を出していないことが幸いしてか、クラスのほとんどがそれに気づいていないようだった。まぁ若干名、彼女のいつもとは違う様子に首を向けてくれた友人もいたようだったが、夕映はそれに気づいていなかった。

 彼女の脳はただ一点の事柄に支配されていたのだ。

 

(魔法使い……魔法使いですか)

 

 恋とも違う熱っぽい視線がネギへと注がれる。びくっと、ひくひくんと、友人が反応した事も夕映は気づかない。有り得ないはずの非現実に、有り得ることを知った幻想に、どこかで求めていた異世界に、夕映は魅せられていたのだ。

 思い返せば可笑しなことはいくつもあった。幾ら他と比べれば無茶な出来事が横行している麻帆良学園とはいえ、数えで十歳の少年が担任教師になるなどとは追随を許さないほどの横暴なのだ。そしてその子供先生は天才で、いつも杖を背中に背負っていて、どこかスレた雰囲気を持つ元担任と昔からの知り合いで、仙人のような麻帆良学園理事長に特別視されている。

 しかしその全てが――麻帆良の特殊性も含めて――魔法という一言で解決できる。

 

(まるでハルナの持っているライトノベルの世界なのです)

 

 夕映は小躍りでもしたい気分だった。

 彼女の反応は別段特別ではない。中学二年生、酷く多感な思春期。『厨二病』という言葉もあるように、自分は特別であると思いたい年頃なのだ。

 そこに特別と為り得る要因が降ってきた――本の世界に魅せられた夕映で無くとも、跳び付きたいと願うのは自明の理であろう。

 

(図書館島、トラップの数々……となれば地下にはもしや魔法の本が? 世界樹も妖しいのです。発光には魔力などが関わっていても不思議ではないですね。それに空飛ぶ少女は魔法使いに間違いないのです)

 

 水を得た魚のように、彼女の脳裏には数々の麻帆良の不思議が浮かんでは消えていった。

 

(のどか、貴女の好きになった人はやはり特別な人だったのですよ)

 

 うんうんと一人で納得しながら――その一方で想われている友人は夕映の妙に熱っぽい視線にあたふたしていた――彼女は人生の岐路ともいえる昨晩の出来事に想いを馳せていた。

 

 夕映が『ネギ・スプリングフィールドは魔法使い』だと知ったのは本当に偶然の出来事だった。

 昨晩に千雨と別れ、図書館島に借りていた本を返しに行ってまた新しい本を借りて量に帰る途中、彼女はふと顔見知りの司書から聞いた一言が気になったのだ。外国から来たネギの知り合いかもしれない他校の少年――言うなれば第六感のようなところに引っ掛かったのだ。

 故に彼女は寮までの帰り道を少し変えてみた。女子中等部校舎の辺りまで周って帰ろうと思い――そこに運命があった。

 夕映が目にしたネギは満身創痍を体現する姿だった。口元は切れ、顔は青痣で腫らし、小奇麗なスーツは土埃にまみれ、足は小鹿のように震えながら立っていた。そしてそのふらつく足を支えていたのが、宙に浮く彼がいつも背負っていた杖だった。

 ネギを目にした夕映は極めて冷静だった。着任して幾日、どうも何かを誤魔化すような癖のあるネギに対して何の手札も無しに出ていっても意味がないと考えたのだ。夕映はまずポケットに手を突っ込み、シャッターを押した。

 二枚か三枚と空間を切り取り保存し、送信した後で彼女はネギへと歩みよって尋ねた――貴方は魔法使いなのですね、と。

 大方の予想通りにすぐさま杖を隠してネギは誤魔化し始めた。杖は手品で怪我は転んだだけだと一生懸命に、だが実に穴だらけの理論で。

 そこで誤魔化されてやっても良いものだが、獲物を見つけた獣のように夕映はネギを逃がさなかった。結局、明日菜へと電話をかけてポロリと裏を零させたところで彼は観念した。

 

 ネギ・スプリングフィールドは魔法使いらしい――納得した。

 麻帆良には修行をするためにやってきたらしい――納得した。

 学園長や元担任も関係者らしい――納得した。

 魔法は秘匿されるべき技術らしい――納得した。

 赴任初日にネギは明日菜に魔法使いであることがバレたらしい――最も納得できた。

 

 ネギは紙上でしかないと思っていた幻想の住人で、自分もその仲間入りが果たせるかもしれない――それだけで夕映は夢心地だった。

 故に、夕映は失念していた。夕映が見たネギは傷だらけだった。つまりそれは彼の居る幻想の世界は絵本のように愛と希望と優しさに溢れかえった世界ではなく、血と硝煙と憎しみに溢れかえった世界でもあるという事を。明確な答えが目の前にあったにもかかわらず、正しく幻想に覆い隠されて彼女の視界を曇らせていたのだ。

 ただ夕映は蕩けるほどに甘い蜜に猛進し、ただ夕映はどのようにしてネギから魔法を教えてもらうか――彼女の頭にはそれしかなかった。

 

 

 

 

 

 洋式便所の前で蹲り、嗚咽を繰り返すのはこれで何度目だろうか。昨日のコーヒーセット以降彼女の胃は何ひとつ食物を受け入れず、酸味と痛みだけの胃液がまた口から吐き出された。

 今の気持ちを一言で言い表すならば――自責の念、という言葉がしっくりくるだろう。もしも時を超える力があるのならば、全力で昨晩の自分を殴り飛ばしたかった。

 

(意味が解らねぇ、訳が解らねぇ……なんでっ、なんで私がこんな目に……)

 

 涙も枯れ果てたと思っていたのにまだ瞳が焼けるように熱く、想いが外へとこぼれ落ちる。千雨はただ数時間前の愚かな自分に後悔しか持っていなかった。

 

(余計な事考えるからこんな事になるんだっ! なんでだっ、私はただ草のように静かに暮したいだけだってのに、なんで……なんで私なんだよっ)

 

 身体中が気だるかった。このまま眠って、枯れるように死んでしまいたかった。だが――

 

「ねぇちゃん、大丈夫かいな?」

 

 心配そうに扉の向こうから掛けられる声がそれを許してくれず、自分はまだ生きているんだと自覚を強いてくる。

 

(テメェのせいだろうがっ!)

 

 声を大にして叫びたかった。しかし昨晩、扉向こうの彼がなんだかんだと自分を助けてくれた事と思うと、それが彼女には出来なかった。言葉の暴力を思う存分に叩きつけたかった。だがそれが非生産的で馬鹿なことであると理解できるくらいに聡く、それが彼に対して悪いことだと理解できるくらいに義理人情のある千雨は、決して言葉として外に排出することが出来なかった。

 結局ふらりと夢遊病者のような足取りで立ちあがり、鏡の前で末期患者のような自分の顔に悪態をつくことくらいしか、彼女の行動は許されなかった。

 ドアノブに手をかけ、引っ込め、意を決してひねる。

 

「おぉ、大丈夫そやな。そいや昨日から何も食うてないやろ……食う?」

 

 扉の先には黒髪の少年。無邪気な笑顔で抱えるように持った紙の器からフライドチキンを取り出して差し出す彼に、千雨は自分の頬がひきつる感覚をこれでもかというほどに強く感じた。

 

 

 

 

 

 大空という名の山脈を太陽が登り始めた頃、麻帆良女子中等部の制服を着た桜子は街並みの中で浮かんでいた。同級生たちが学業に励む中、周囲から注がれる訝しがるような視線を一身に浴びて。だがそれを意に反した様子もなく、桜子はぎゅっとその細い指先で携帯電話を握りしめていた。

 手のひらの中に自分が求める情報がないのは解っている。その歯痒さからか、彼女の指先には潰さんばかり一層と力がこもるのだ。

 何故息をきらせた彼女が不釣り合いな時間帯に街並みをうろついているか――その答えは会いたい人が居たからだった。

 数日前より自分の元気を吸い取ってしまった一人の少年。彼がきっと桜子の担任である子供先生を傷つけたのだ。桜子は彼がネギを傷つけた場面を見た訳ではないし、証拠のような仰々しい何かを持っていた訳でもない。だがそうなのだと感じさせる何かが今、彼女の身体を突き動かしていた。

 原動力は所詮、勘に過ぎない。それでも桜子には十分だった。

 目的の少年が何処に住んでいるかなどは知らないが、それでも走らずには居られなかったざわつく心が彼女を教室から飛び出させてどれだけの時間が経っただろう。チアリーディングで鍛えた肺は安定した呼気を送りだし、桜子の全身に力をくれる。皿のような眼で辺りを見渡しながら、桜子はまたかけ出した。

 西洋建築を想わせる石造りの町並みが視界に現れては流れてゆく。太陽はどんどんと高く昇っていく。段々と胸が熱くなり、足が熱くなり、切れ切れの呼気が口から漏れ出していた。やがて歩みは遅く、遂には止まってしまった。

 乾いた唇を噛む。ぽたり、大粒の汗が地面を染めた。

 

「小太郎くん、どこにいるのさ」

 

 声となった名前は目的の少年のもの。ぐいと制服の袖で濡れた額をぬぐって言った。声は明確な意思を感じさせたが、その装甲は徐々に崩れ始めていた。走っても、走っても、小太郎が見つからないのだ。

 小太郎と桜子はまだ会って数日程度の仲だった。故に彼の好みだとか、何処に住んでいるだとか、如何して麻帆良学園にいるのかだとか、何ひとつとして知らなかった。

 ただ桜子は小太郎の特殊な事情を知っていた。それは犬上小太郎という少年が――真っ当な人間では無いという事。狼のような耳と尻尾を生やして白銀に煌めく毛を纏う彼は、空想上で『狼男』などと言われる存在なのだ。

 幻想と現実が入り混じった世界に自分が生きていると自覚したのはほんの数日前の出来事だった。偶然に桜子は小太郎と出会い、偶然に彼が狼男だという事を知り、偶然に世界は幻想と重なっているという事を認識させられ、教わった。

 

「絡操さんならっ……」

 

 そう考え、すぐに震える身体が思考に蓋をした。全身が泡立つように、つま先から頭のてっぺんまで衝撃が駆け抜けた。合わせてぼわり、街並みの中に金色の髪が浮かび上がる。続いて紅い眼、裂けた口、鋭い牙。小さな体躯の幼子は、クラスメイトでバケモノだった。

 呼吸が乱れる。荒く、抑えようという意思に反して身勝手に、遮二無二に暴れ始める。

 

(止まれ、止まれっ……止まってって!)

 

 迫りくる壁に襲われている気分だった。呼吸の間隔は感情とは裏腹、加速度的に狭くなる。疲労が後押ししたのか、気づけば膝が崩れて蹲っていた。

 あの時、小太郎が人間ではないと知った時、桜子の中に抗おうという意志など垣間見る暇もなかった。完全に食いつぶされたのだ――狼男を手玉に取る巨凶によって。突き立てられた圧倒的な恐怖と絶望と諦めが訪れたあの時、逃走本能と手を取りあったのだ。

 次の日、自分の気真面目さを呪いながらも入った教室に彼女がいなかったことで、思わず涙をこぼして友人を心配させたのは記憶に新しい。帰り道、小太郎に頭を下げられたことも。だからこそ、桜子は小太郎を憎むことも避けることもできなかった。教会の裏手、猫たちの楽園にいた茶々丸からの謝罪を拒むことも、桜子にはできなかった。

 故に桜子は茶々丸から事情を聴き、小太郎を探していたというに――

 

「もう……いやっ」

 

 逃げたくても逃げられない矛盾だらけの思考回路が彼女を絡めとっていた。

 

「お嬢ちゃん、どーかしたのか?」

 

 愛らしく整った顔は台無しにして、持ち上げたのは蜘蛛の糸でも捜す願いからだった。

 彼女の視界に映ったのは心配そうな表情を浮かべた三十程の男。咥えた煙草の煙が目にしみて、ダムが決壊するように溢れ出した。

 

「違うっ、俺が泣かせたんじゃねぇっての!」

 

 取り繕う男の声を聞きながら、桜子はわんわんと人目も気にせず泣きじゃくった。

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 真っ赤に腫らした瞳のまま、俯いて手に持った缶を握りしめる。変形もせずその場にたたずんだ缶からは、ほんのり柑橘系の甘い香りがした。

 

「ったく、泣きやんでくれたから良かったものを、あのままだったら俺はブタ箱行きだぜ?」

「うぅっ」

「お嬢ちゃんだって補導されてたな、間違いねぇ。それも俺が誤魔化したから何とかなった訳だ」

 

 大げさに手首をさすり、桜子の正面に立った男はじとっとした目つきで見てきた。桜子は困ったような顔で視線を泳がし、ぽつりと呟いた。

 

「ごめんなさい」

「いや、別に謝ってほしい訳じゃねぇさ」

「……ごめん、なさい」

 

 何度目かもう覚えていない謝罪を呆れたため息で男は受け止めた。ぎしりと座ったボロくさい椅子が軋む。とある教会の裏手、まばらに集まり思い思いにくつろぐ猫たちを視界の端に収めながら、桜子は恥ずかしさでいっぱいだった。

 肌寒さと温かさが同居した風が二人の間を吹き抜ける。どれだけ口をつぐんで居ただろうか。いたたまれなくなり、桜子はおずおずと尋ねてみた。

 

「その……聞かないんですか?」

「何をだ?」

「それはにゃんで君は泣いてたんだー、とか?」

 

 返答は呆れたような声だった。

 

「聞いてほしい訳?」

 

 かちりとライターで煙草に火をつけながら、男は聞き返してきた。彼女のイメージするそれとは違い、ほんのりとした甘さとすっと抜けるハッカのような匂いが混じりあっていた。

 心臓はまだ高鳴らされていた。空に昇った太陽が生み出す影から手が伸びてくるような感覚が、彼女の血流を追い立てる。ずりり、影のない日向に椅子を引きずってから、桜子は申し訳程度に小さく頷いた。

 

 一度口から零れると、後から後からそれはやってきた。煙を四散させ、携帯灰皿に吸殻をため込み、桜子がすべて吐き出すまで男は一度と手口を挟んでこなかった。

 話し疲れて枯れた喉にぬるくなったジュースが注がれる。結局、桜子は胸にあったものすべてを吐き出していた。それは自分が何を言っても大丈夫だという予感めいたものによるものだった。

 

「妄想は紙にでもぶちまければ良いんじゃねぇの」

 

 思った通り、欠伸と一緒に男はそう告げた。別に男からの共感が欲しかったわけではない。付き合わされた男からすれば酷くはた迷惑な話だが――要するに桜子はぶちまけて自分で勝手にスッキリしたかっただけなのだ。

 最後の一本を取り出し、空になった煙草の箱――外国の言語で注意書きなどがされていた――を握りつぶして、男はジャケットのポケットの中に押し込んだ。

 

「…………」

 

 落ち着いた胸もとを撫で下ろして、桜子は男の方へと視線を投げた。いつの間に火をつけたのか、また煙くゆらす男はめんどくさそうな顔になっていた。

 

「なに?」

「えっと、その、お兄さんはどー思うかなって?」

 

 男の外見はおじさんが侵食し始めていた。人が見ればまだお兄さんで通用するかもしれないが、女子中学生のフィルターを通せば十中八九おじさんのものだった。それでも桜子が男をお兄さん、と呼んだ理由は考えるまでもないだろう。

 

「実はスーパーな力を持ってた主人公が修行して覚醒してラスボスを倒すかな」

 

 作戦は半分成功で半分失敗した、という感じだった。

 

「にゃにゃっ! そうじゃにゃくてっ!」

「だが主人公の両親が本当は凄い英雄で、大して頑張ってないような努力を経て周囲からは万歳されながらごり押しするのはクソだな」

「だーかーらーっ!」

 

 何か思うところがあるのか、妙に神妙な顔つきで男は頷いた。そして口から煙をもらしながら、男は桜子の方へと歩いてきた。そういえば初対面で名前も知らない男の人と二人っきりなんだ――と、今更ながら緊張して自然と背筋が伸びるのを感じた。猫好きからは有名だが、人通りの少ないこの教会の裏手。口に出すのも恥ずかしいことをされるとは思っていないが、ちょっとビビっているのだ。

 

「……イヤ、主人公は悪くねぇのか」

 

 ぽつと言葉を落とし、男は言葉を続けた。

 

 

「ま、主人公がラスボスを倒すのは何にせ、ヤツらが進んでるからだ。前向いてるか、後ろ向いてんのか、俯いてんのか、そりゃ知らねぇが、踏み出さなきゃ進めねぇわな」

「じゃあ私は……」

「イヤイヤ、妄想は自分でするもんだからな、俺に意見を求めんなよ」

 

 大げさに手を振りながら呟く男の声に、靄付いていた心の中で先ほどの自分の行動が現れた。

 何が起きているのか――自分より年下の少年と、やっと仲良くなれたクラスメイトの身には、何があるのか知りたい。頭が良い訳でもなく、人より元気で行動的なのだけが取り柄の自分は、だから走っていた。結局と、桜子の感情はそこに帰結するのだ。

 

「さて、お嬢ちゃんの用事も終わった訳だし、俺の用事も聞いてもらおうか」

「用事?」

 

 その言葉に眉を潜ませ思考に耽っていた桜子の表情が崩れる。男は頑張れば桜子の手が届くであろう距離に立っていた。すすっと顔を引いた。合わせるようにして、男は三歩後ろへと下がった。

 

「……喫茶ひなたってとこに行きたいんだが、場所を知らねぇか?」

 

 男の顔は呆れかえっていて、と同時に何処か寂しさを桜子に感じさせた。

 

 

 

 

 

 ネギは一人、俯き歩いていた。チャイムがおぼろげながらに耳に飛び込んでくる。まだ授業のある時間帯、彼は担当するひとコマを他の教員に代わってもらい、暮らしている寮へと帰る途中だった。

 君がそんな様子では生徒の勉強の邪魔になる――厳しい顔つきで学年主任である新田にそう勧告されたためだ。

 一人、歩くネギは所在なさ気だった。たったひとり国本を離れて日本にやってきてまだ僅か。行く宛もなく、言いようのない寂しさが彼を襲っていた。

 そんな彼の耳に、次に飛び込んできた音は歓声だった。吸い寄せられるようにネギの足は音の方へと進んでいった。一人、という事実を自覚するのが嫌だったのだ。

 音源には人の輪があった。その中の一人の女性が彼の姿に気づくと、手招きをしてきた。あれよあれよという間にネギは人の輪の一番前にいた。中心にいたのは、仮面を被った道化師だった。

 ぽんと自然な動作でボール宙へと放り投げる。ひとつ、ふたつ、その数はどんどんと増え、十のボールが道化師の手の中、まるで意志でも持っているかのようにジャグリングされていた。

 踊ってるみたいだ――素直にネギはそう思った。

 ぱっとすべてのボールを受け止めて道化師はお辞儀する。歓声が一層と強くなった。その声に煽るような仕草で道化師は胸を張る。一回り、歓声が大きくなった。

 満足したのか道化師はボールを地面に置いた鞄にしまうと、ぽかんと口を開いていたネギの方へと歩みよってきた。目の前で祈るように手を組む。隙間のなかった両手の間はだんだんと広くなり、開いた手の平には先ほど鞄にしまっていたボールが現れていた。

 

「僕に、ですか?」

 

 尋ねてみると張り付いた笑顔の仮面が縦に振られる。受け取るのを確認した道化師は、次々と観客にどこから取り出したのかボールを渡していく。そしてジャグリングしていた立ち位置に戻ると、両手で手招きをしてきた。

 輪になった観客からボールが投げられる。道化師はいとも簡単そうにジャグリングをし始めた。次々とボールが投げられるが、実に見事に、時にあたふたと、受け止め宙で踊らせていく。

 舞っているボールは九つになっていた。そして今だに自分の手の中にはボールがひとつ。道化師に見つめられながら、観客から視線を集めながら、ネギはボールを投げた。

 

 輪になっていた観客がまばらに散っていた頃、ネギはいつものような少年らしい笑顔を浮かべていた。あの後顔面にボールをぶつけて倒れた道化師は、パントマイムや椅子を使った軽業、トランペット演奏などで観客を楽しませた。ネギもその中の一人だった。

 

(日本にもピエロっているんだなぁ)

 

 先ほどとは正反対のきらきらした目で、ネギは後片付けをする道化師を見つめていた。

道化師の演目の中でネギが一番が気に入ったのはパントマイムによる英雄譚だった。

 それはどこにでもあるようなクラッシックでスタンダードな物語。一人の少年が悪い魔法使いを倒して姫を救うという筋書き。道化師は木でできた剣と楯を使って、見事に表現してみせたのだ。

 

(父さんも、悪い人から襲われるってことがあったのかな)

 

 ふと絆創膏の上から傷に触れてみた。そう考えるとなんだかこの傷が誇らしいものにネギは感じた。

 

(父さんは世界で一番強くてカッコいい魔法使いだけど、大変なこともあったのかな? ……だけど――)

 

 乗り越えてきた。英雄と称賛される父親は、きっとそんな存在なのだ。

 それを思うとなんだか自分がちっぽけに見えた。落ち込んで、迷惑をかけた、情けない自分。憧れの父親とは遥かに違うネギ・スプリングフィールド。

 故に、ネギはギュッと口元を引き締めた。しなびた赤毛に生気が走っていくようだった。

 

「ネギぃっ!」

 

 と、名前を呼ぶ声にそのまま様子でネギは振り返った。駆け寄ってきていたのはツインテールの少女。ネギが同室でお世話になっている明日菜だった。

 近くまで来た彼女の顔は不思議そうな色をはっきりと示していた。

 

「アスナさん、なんでここに?」

「もう昼休みよ。それよりアンタ、もう大丈夫なの?」

 

 明日菜の疑問にきょとんとした表情を作る。そんなネギの顔に不思議の色をさらに強くし、眉を歪め、最後に疲れたため息を吐き出してみせた。

 むにゅんと両のほっぺたが引っ張られる。女子中学生らしい細い腕にどんな力が隠されているのか、引きちぎられそうな痛みにネギは襲われた。

 

「なにするんですかっ!」

「ん? お仕置き」

 

 涙目になるも明日菜に止めるつもりはないようで、ネギはバタバタと身体を震わせることしかできなかった。

 彼女が満足そうに手を離したとき、ネギのほっぺは焼餅のようにぷっくら膨らんでいた。真っ赤な跡が残っているのはお約束だ。

 

「ネギ」

 

 強い口調だった。呼びかけられたネギは頬を擦りながら彼女を見返した。緑と青のオッドアイは真っ直ぐと意思を注いて来ていた。

 

「何があったのか知んないけど、何かあったなら私に言いなさい。私はバカだけど、ガキんちょ見捨てるほどバカじゃないのよ」

 

 胸が熱くなった。にししと笑う顔が包み込んでくれているようだった。

 ぱちぱちと拍手が聞こえる。どうやら道化師が二人の様子を見ていたらしい。笑顔の仮面を張り付けたまま、ネギの前へと歩み寄ってきた彼は右手を差し出してきた。

 

「そのっ……ありがとうございますっ!」

 

 道化師の右手を握りしめて、思わず感謝が飛び出していた。

 ネギは襲われた理由が何ひとつ思いつかなかった。だが道化師の滑稽な姿を見ているうちに、自分は――英雄である父親の血をひく自分が、泣き寝入りする訳にはいかないと考えたのだ。彼のお陰でネギは元気を貰えたのだ。

 

「へっ? 私も握手?」

 

 次いで明日菜の方へと差し出してきた手を、彼女はおずおずと握った。するとどうだろうか。道化師の右手が煙のように消え去ってしまった。

 のたうちまわる道化師に蒼白な顔となった明日菜、あわわと思考が乱れ出したネギ――というところで道化師はばんと身体を大の字に広げた。右手はしっかりと付いており、膨らんだズボンの裾もとから木でできたような手の模型がずり落ちてきた。

 それを見るとあわてた様子で道化師は逃げて行った。

 

「なに? 手品?」

 

 状況の飲み込めない明日菜を尻目に、ネギの顔にはまた笑顔が浮かんだ。

 

 少年は進むことを決めたのだ。

 頼れる人がいるという事実がネギから寂しさを奪い去った。

 何が起きたのかは本心から理解できていない。

 だがそれを乗り越えた時の一歩は憧れた父に近づくための一歩だと信じて。

 



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教皇の定めしは原初の法

書き溜め分が終了


 太陽は空の頂上に到達していた。

 

「ごちそうさまにござる」

 

 にへらっと自前の糸目をさらに細くして、着用している麻帆良女子中等部の制服には不釣り合いな長身少女はぺこりと頭を下げた。傍らに立つ――これまたコスプレに勘違いされそうに大人びている――褐色肌の少女はニヒルな笑みを浮かべ、ひらひらと手を振っている。

 言葉を受けた店の主人らしい女は客として彼女たちが訪れて来たにもかかわらず、少し不機嫌そうな表情だった。

 

「学生のお前らがこんな時間にこんなとこまで昼飯を食べに来るな」

 

 ノスタルジックな店内の中、壁に掲げられた時計が女主人の不満を後押ししていた。示す時刻は十二時と半ばを過ぎた頃。彼女らが学ぶ校舎まで普通に歩けば三十分近く掛かる場所に店は位置していたのだ。昼過ぎの授業が始まるまで残り十分程。麻帆良を走る路面電車を利用したとしても、遅刻は逃れられないだろう。

 ただ、彼女たちは普通ではなかった。

 

「良いじゃないか、真面目に授業には出る訳だし、校則違反をしている訳でもない」

「…………」

 

 褐色肌の少女――龍宮真名の意見に女主人は呆れ顔だった。その証拠にちりりと火のついた煙草の灰が、重力に耐え切れずぽとりと床に落ちていた。

 

「私たちはお手頃な昼食を食べて気合を入れて授業に臨める、はるかさんは昼食分儲かる。双方にとって良いことしかないと思うんだがね」

「で、ござるな。それに毎日来てるわけではないでござるし」

「昼来なかったら夕方に来るだろうが」

「うむ、拙者たちはこの店の売り上げにひじょーにこーけんしてるでござるな」

「まったく、楓の言うとおりだね」

 

 女主人は煙草のない右手で額をおさえていた。次にしっしと楓と呼ばれた少女と真名を追い払うような仕草をした。

 

「長瀬と真名は仲が良いのか悪いのか解らんな。売り言葉に買い言葉かと思えば――」

 

 と、そこでエプロン姿の女主人――浦島はるかは言葉を止めて、ちらりと律義に時を刻む壁掛け時計に視線をやった。時計はどこで買ったのか、幾何学的な形をしていた。なんでも辺境の国の民族工芸品らしい。

 ともかく、つられて楓もそちらに目線を移す。もう予鈴が鳴り響こうかという時間だった。

 

「まぁいい。中学生は中学生らしい行動を取るためにとっとと行け」

 

 はるかの声に促されるようにして、楓は真名を連れだって扉のほうへと向かっていく。そこでからん、扉に備え付けのベルが古ぼけた音を立てた。

 楓はその音に違和感を覚えた。麻帆良に来る前からの知り合いである――といっても祖父母が世話になっているらしい年に一度ある関西呪術協会の新年会で顔を合わせる程度の関係だったのだが――はるかの店を訪れる客は、自分たちのような常連ばかりだった。食事の最中に店内を見渡した限り、この時間帯に来る客は余さず店内にいるか、もう食事を終えて出た後だった。

 ご新規さんとは珍しいでござる――と、楓は口に出せば非常に失礼なことを考えていた。まあ道楽経営らしいはるかが聞いたところで気にも留めないであろうが。

 そんなことよりもずっと、気に留め考えなければいけないことが、楓の目の前で起きていたのだ。

 

「いやーまいったまいった、迷っちまったわ!」

 

 扉をくぐり、店内に入ってきたのは一人の男だった。わざとらしいほどに大げさな声を上げる姿は、静観とした店の雰囲気からずれていた。ジャケットを羽織る三十路ばかりの男――楓が兄と慕う景山辰也の顔を見たのは、実に一年ぶりだった。

 

 

 

 

 

 辰也がとりあえず目のついた席に――といってもその席を見つけるまでに色々あったため、落ち着いて腰を下ろすにはかなりの時間を要していた。

 理由は幾つかあった。まずは久方ぶりに再会した楓から怒涛の質問攻めを受けたからで、次にからかうような視線を伴う真名の言動に振り回されたからで、最後にようやく彼女たちを授業に向かわせたところで針の莚に立たされるような錯覚を受けたからだ。

 カウンター越しにいるはるかとの間に、あからさまな壁を作られたように感じた。落ち着けるはずの椅子も、剣山が敷き詰められているような気分だった。

 

「よぉ、久しぶりだ――」

「ご注文は?」

 

 と、どうやら取りつく島もないようで、形式的なはるかの言葉は冷たかった。

 

「昔馴染みが訪ねて来たってのに、その態度はないんじゃねぇの」

「私の昔馴染みは日本中飛び回りながら剣を振ってるよ。それより客なら注文しろ」

 

 ほんのり小さくなって、辰也は店内を見渡した。喫茶店という言葉を体現した店内には、物珍しい民芸品が数多く鎮座していた。そのどれもが妙に古臭く、石で出来たようなものまであった。

 

「じゃあブレンドコーヒーで」

 

 口を開くと同時に湯気を立てるカップが差し出された。口に運んだその香りは、掛け値なしに辰也好みだった。

 ちびちびと、それを飲んでいく。そんな辰也に眼を合わそうともせず、カウンターの中に置かれた椅子に腰かけてはるかは英字新聞を広げていた。

 

「また来るよ」

 

 そう言って店を出た老紳士を最後に、店内には辰也とはるかの二人になっていた。コーヒーのカップはもう空だった。

 

「で、何しに来た?」

 

 煙草に火をつけながら、はるかはそう切り出した。新聞はまだ開かれている。辰也の位置からでは彼女の顔は見えなかった。

 

「用事がなけりゃ、来ちゃいけなかったのか」

「さあ? 胸に手を当ててみれば良いだろう」

 

 女に口先で相手をするのが馬鹿なのだ、と教訓めいたことが辰也の頭に浮かんだ。この時期ならば京都にいるであろう女の顔も思い浮かべつつ、深く嘆息する。

 

「へいへい、わかりましたよっと。俺はクールに用件を告げるさ」

 

 半ば諦めた様子で――元よりアベックのような会話を期待していた訳でもないが、つと表情を真剣にした。新聞を閉じてくれたおかげで、やっとはるかの顔がはっきりと見えた。    

 以前目にした時と比べて、彼女はすっかりと大人になっていた。それもその筈だ、辰也がはるかと顔を見合わせて話をするのは実に十年ぶりくらいになるのだから。

 

「お前の甥っ子はしっかりと京都で頑張ってるさ。もう一流の腕前だってよ」

「……もしかしてそれを言いに来たのか?」

「まぁ、仕事がてらだが、そうだな」

「鶴子の差し金か。相変わらずいらんところに気を使うヤツだ」

 

 かちこちと時を示す秒針の音が耳に付いた。そもそも『忍び』という時代錯誤甚だしい業種についている辰也はその肉体を限界まで鍛えこんでいるのだが、その為だけではないだろう。

 ぷぅと白煙がはるかの口から吹き出す。そんな彼女に辰也は手を差し出した。

 

「一本くれ。さっき手持ちが無くなっちまってさ」

 

 返答はなかった。ただ一本、煙草とマッチを投げて寄越されただけだった。手に取るそれは、いつも以上に軽く感じた。

 

「用件はそれだけか」

「まぁ、そうだわな」

 

 言葉が続かなかった。神妙で、重苦しい空気だった。少なくとも昼食時を逃したらしい客の一人が、店内に入るや否や踵を返すほどには。

 いつものように腹から生み出した気によって全身を覆いながら――ではなく、生身の肺で感じた煙は苦かった。

 

「楓と真名はどんな様子だ? てか仲良かったんだな」

「それも鶴子だ。お前がいつも出ていない事になっている向こうの新年会でだよ」

 

 またまた幼い頃から見知った顔が浮かんだ。どうやら順調に彼女はお節介おばさんへの道を歩いているらしい。妹とその入り婿に本家を継がせてから、鶴子は自由気ままなようだ。

 

「それで、ここに店を出したのがバレてな。それからは入り浸るようになった」

「ま、仲が良いのは善きかな、ってとこか」

 

 けたけた手を叩きながら聖人君子じみた表情を作ってみるが、反応はやはり絶壁だった。

 次第に辰也の声も小さくなっていく。正味胸中を吐露するならば、沈黙が痛かった。そして願うことならばこんな状況を作り出した京都の幼馴染に毒のひとつでも吐きたかった。

 

「……誰のせいだ」

 

 が、そんな考えはすぐさま塵芥と消えた。視線を合わせようとしない横顔も、声のトーンも変わらない。だからこそそれだけが真実だと、幾千幾万の並びたてられた文節よりも如実に、はるかの意思が伝わってきた。

 

「――とにかく俺の用事はそれだけ。楓には子供の手助けするのも成長に繋がるって言っといてくれ。真名には……まぁアイツは大丈夫か」

 

 口に咥えた煙草からは煙が入ってこなかった。もうすべて灰となり、落ちてしまっていたのだから当然だろう。吸殻を懐の携帯灰皿に入れて、辰也は財布を取り出した。

 

「長瀬にも、真名にも、自分で言えば良いだろう」

「常連なんだろ? 俺はまた仕事だし、気にせず仲良くしとけ」

 

 カウンターに万札――小さいものがなかったのだ――を置いて、辰也はもう一度はるかの方を見つめた。

 やはり彼女は辰也の方を見ていなかったようで、新しい煙草にまた火をつけ煙をくゆらせていた。

 口元を隠すようにして肺に紫煙を運ぶその左手で、光るものが存在を主張していた。

 

「結婚、したんだな――おめでとう」

「お前のことだから知っていたんだろ。いつ結婚したのかも、誰と結婚したのかも」

 

 はるかの声は乾いていた。別にそれは結婚相手と上手くいっていないようでもなかった。カウンター奥の棚には旦那らしい男と、金髪の少女と、微笑みながら写った写真が飾られているし、はるかのとはサイズの違うエプロンが壁に掛けられていたのだから。

 

「知らねぇよ。そんなこと、何ひとつだってさ」

 

 乾いていたのは自分かもしれない――辰也はふと、感じていた。

 

 

 

 

 

 

 現状を一言で説明するには、かの有名な台詞が役に立つのだろう。そうネタに走れるくらいには千雨は冷静だった。否、冷静という表現は的を得ていない。考えることを放棄した、という方が正しいだろう。

 

「つまり俺にどないしろっちゅうねん」

 

 目の前に自分を誘拐した白銀の――今は黒髪だが狼男がいる。

 

「あれっぽっちの血と髪では時間がかかると言ったのだ。もうあのぼーやごと私に捧げろ駄犬」

 

 目の前にクラスメイト――どうやら吸血鬼らしい金髪幼女がいる。

 

「椎名さん、これは真ん中に置いてください」

 

 台所で包丁を振るうメイド――エプロン姿のロボ娘がいる。

 

「はーい。あ、千雨ちゃんも座りなよ」

 

 ここ数日間に渡り自分の頭を悩ませていた――元凶の昔馴染みがいる。

 

「……おぅ」

 

 僅かな沈黙は千雨なりの抵抗だった。無為になるとは解っているが、それでも甘んじて現状を受け入れたくなかった千雨の牙だった。

 結局意味を為さず、座らされ、一日ぶりの食事を胃に押し込むことにした。腹が減っては戦は出来ぬと古人が言ったように、湯気を立て胃袋を撫でる素敵な香りから無理に逃れる必要もないと思ったのだ。

 そう言えばロボ娘が作ったんだよな――と何処かで思いながら口に肉と野菜の炒め物をほおりこんだ。それは母親やどこぞのレストランのシェフが作った料理よりも数段と美味しく、『一家に一台メイドロボ』というテロップが頭の中に浮かんでいた。

 一通り平らげ、タイミングよく出てきたコーヒーとデザートまでご馳走になり、膨らんだ腹を撫でながら千雨は至福を感じていた。そこに尖った声が投げつけられた。

 

「小市民だな」

「うるせぇ、自覚してるんだよこっちは」

 

 鼻で笑う金髪幼女、エヴァの仕草に頬が熱くなる。女の自分が見てもほぅと熱いため息が出そうなくらいに、彼女の所作のひとつひとつが実に優美だった。それは宛ら銀幕の世界の住人のようで、思わず千雨は自身の行動を省みてしまうのだ。

 大きく息を吸って吐く。深呼吸で気分を落ち着けると、千雨は改めて周囲を見渡す。まず彼女の目に留まったのは黒髪の少年だった。

 

「それよりも貴様、私はまだ貴様から礼をもらっていないんだがな」

 

 その言葉に彼女の首が傾げられる。脳内会議に出席している千雨の分身も、全員一致で理解不能の札を上げた。

 

「解らないという顔だな。ならば教えてやろう――貴様はそこの駄犬に助けられた。故に礼をしろ、跪いて足を舐めろ」

 

 エヴァの顔は悪戯っぽくからかうようで、だが有無を言わせぬ獅子のような威圧感を醸し出していた。

 

「なんで私がそんなことしなきゃらなねぇんだよ! 足を舐めろ? 助けられた? 意味がわかんねぇ!」

 

 思わず声を荒げ、しまったとすぐさま思い直して口を塞いだ。与太話か真実は解らないが、この家――麻帆良の森の中にあるログハウスの支配者は間違いなく目の前の彼女なのだ。それは食事中甲斐甲斐しく世話をしていたメイド――茶々丸からも、彼女の振る舞い毎にビクりと肩を震わせていた昔馴染みの桜子からも、そしてただ一人の男である小太郎からも、それは見てとれていた。

 特に小太郎は警戒するように、時折抜き身の刃のような視線をエヴァに送っていたにもかかわらず、彼女は泰然自若とでもいった風に君臨していた。

 先の発言は失言に違いないのだ。

 

「怯えるなよ人間」

 

 にたりと見せつけるように口元が裂ける。紅い舌と、白い牙が、千雨の視線を奪い取った。

 

「言いたいことがあるなら言ってみろ。言葉使いも、態度も、気にせんさ」

 

 千雨は筋肉が硬直する、という感覚を初めて味わっていた。

 原因は考えるまでもない――考えたくもない、目の前の幼子の皮を被ったモノから。言葉を続ける以外の選択肢は幻想の中にも抱けなかった。

 

「じゃあ聞くが助けられたってどういうことだよ。私はそこのガキに誘拐されたんだ。椎名みたいに訪ねてきた訳じゃなく、連れ去られた……どこに間違いがあるってんだ」

「言葉そのままの意味さ。あのままそこの駄犬の姿を見たお前は抱えられてここまでやってきたんだろう?」

「誘拐じゃねぇか」

「そうだな、誘拐だ。だがあのまま貴様が居れば群がる魔法使いによって連れ去られ、尋問され、記憶を奪われていた」

 

 魔法使い――という非現実にまた千雨はふらつきそうになるが、彼女の意識が食いついたのはそこではない。

 目を潜め、重要な部位へとメスを入れた。

 

「記憶を奪われるって、どういうことだ」

「そのままの意味さ。貴様は昨日の出来事の根こそぎ消されていたってことだよ」

 

 記憶を消す。そんなことが本当にできるかどうかは疑問だが、吸血鬼や狼男や魔法使いが居る世界なのだ。都合の良い魔法があっても不思議ではない。だったら――

 

「消された方が良かった」

 

 ぽつり、心中が音となり室内に木霊した。

 瞬間、当たりの空気を締め付けていた威圧感はまるで元より無かったかのように消えていた。はっと顔をあげてエヴァを見る。その瞳に宿る光からは、完全に千雨が存在しなくなっていた。

 

「底まで小市民、か」

 

 それだけ言い残すと彼女は踵を返して階段に足をかけ、

 

「足を舐めろと言ったのはそこの駄犬が私の下僕だからだ。まぁ貴様に舐められては私の足が汚れるな」

 

 そのまま二階へと消えていった。

 

(意味わかんねぇよ)

 

 心の中で毒づきながら、裏腹に言いようのない情けなさを千雨は感じていた。

 

 

 

 

 

「スマン、俺のせいやな」

 

 二階に上がった主人の世話をしなければ。思考回路にそんな命令が下るが、千雨に向けて頭を下げた小太郎の姿を確認し、今の状況を伝える方が優先すべきか、と行動順位を変更する。珍しく外部の人間に対して興味を持ったエヴァのために、茶々丸はこの場に留まることを決定した。

 

「いや、事情も知らねぇのに私も言いすぎた」

 

 小太郎の謝罪はあっさりと受け入れられた。茶々丸の知る千雨は現実主義だが情に熱い人間でもある。二年間クラスメイトとして過ごしてきて、そんな人物評価を下していた。少なくとも訳の解らぬ子供のように、相手の言い分も聞かずに怒鳴り散らすタイプではないのだ。

 

「その代り教えろ。お前が追われてたってことは何をしたんだ?」

「そうだっ! 忘れるところだったよ!」

 

 と、そこで千雨を遮るようにして桜子が声を上げた。エヴァが居なくなったためか、滑らかな動作で小太郎の方に詰め寄ると、指を立てて問い詰めた。ぷんと膨らませた頬は私怒ってるんです、とでも言いたげだ。

 

「ネギくん、傷だらけだったよ! あれって小太郎くんがやったんでしょ!」

「はぁっ! ……ってことは私が見たあの赤毛はあのガキので、血と髪とかマクダゥエルが言ってたのはそのことか? と考えれば吸血鬼が学生なんかやってんのは――」

 

 ぶつぶつ呟きだす千雨を尻目に、ぷぅと頬を膨らませてみる。鏡の方を茶々丸は確認した。実に、似合っておらず、滑稽だった。

 

「それがどうかしたんか?」

 

 そして跳び出した小太郎の言葉に、世間一般的に滑稽とされる表情を桜子と千雨は顔に張り付けた。ぽかんと口を開け、ぱちぱち瞼を数度閉じたり開いたりし、開いた口はさらに大きくあんぐりした。

 だが小太郎にそれを気に留める様子もない。ただ純粋に、それが当然なのだと、有無を言わせぬ迫力のようなモノを持っていた。

 

「正面から殴り合い申し込んだ。んでアイツが負けた。せやったら悪いのはアイツやろ?」

「でもでも、にゃんでそんなことまでやらなきゃいけないのさ」

 

 解らない、と桜子はかぶりを振る。彼女に言わせれば数日前に魔法の存在を知り、小太郎が人ではないといことを知り、そして彼が自分の主人により完膚なきまでに叩き伏せられたばかりなのだ。

 暴力とは無縁の世界で生きて来た桜子にとってその刺激は異常なまでだったようで、いつも胸の歯車を軋ませる爛漫な笑顔に影を落としたのは、茶々丸にとって――ショックな、そんな感情を生み出す出来事だったのは思い出すまでもなく、記憶領域に刻まれている。

 

「アイツが弱くて俺が弱いからや」

 

 その声が小太郎の全てだった。

 『弱肉強食』。今、張り付けた子供のような笑顔で、アンティークの棚の上からこちらを虚ろな目でこちらを見ている――欠片と身体を動かさないのでそれを茶々丸に知る術はないが――チャチャゼロが縦横無尽に駆け巡っていた時代、自分の主人もまたその論理を掲げて生きていたらしい。

 茶々丸は二年前に製造されたため言伝にしかその姿を知らないのだが、古臭いその思想を芯として通し、小太郎は生きているようなのだ。故に、エヴァは彼を気に入り世話を茶々丸に命じたのだ。

 本来ならば襲撃者として麻帆良の上層部に知らせなければならない彼を、匿うようにと、力になってやるようにと。

 

「でもっ――」

「止めろ椎名。こいつらは生きてる世界が違うんだよ」

 

 桜子を制する千雨に、茶々丸は小さな違和感を感じた。彼女らの行動にではなく、何もせず傍観者となっている自分にだ。無論、そうなるとして、現状を報告すると決めたのは他ならない彼女なのだが――口も挟めない茶々丸は茶々丸という存在が歯痒かった。

 普通なら現れるはずもなく、最近現れ始めたバグを、茶々丸はこっそりと脳内フォルダに隠した。

 

「ほんならねぇちゃんら、俺は今日帰るわ」

 

 唸る桜子の姿を一目、たははっと笑って小太郎はそう告げた。

 桜子はまだまだ納得できてない、という顔だった。なんでも授業までサボって小太郎を探していたようなのだ。

 しかし桜子のその様子を無視して小太郎は続けた。

 

「まぁ真っ昼間はここの魔法使いにバレるかもしれへんから夜中にやけど」

 

 茶々丸を友人だと言ってくれる桜子に対してどうすれば良いか、やはり茶々丸には解らなかった。だが――肩に手を置き言葉をかける千雨を視界に収めると、今まで感じたどんな違和感よりもドロついた、そんな表現の似合う何かが胸の奥の無機質に張り付いた。

 

 

 

 

 

 

 集中して耳を傾ける。

 

「ついてくるんか?」

「うん……せめてお見送りくらいしにゃいと」

「私は椎名の付添いだ。ま、ロボ娘が居ればもう誘拐はされねぇだろ」

「マスターから力になるように、といわれておりますので」

 

 少女たちの声に交じって聞こえるのは覚えのある少年の声。

 腹から湧き上がる気を纏い、集中して耳を傾ける。

 

「ほぉ……情報集めに来てみれば日本産の狼男か。これは高く売れる」

「目標変更ですねっ」

 

 耳にしたのは聞いたこともない男と女の声。

 時刻は子の刻。太陽はすっかりと眠りに就いた静寂の世界。闇に溶ける影が息をした。

 

(流石は麻帆良、バーゲンセールだな)

 

 月は雲間に隠れている。街灯の明かりだけが申し訳程度に照らす麻帆良のメインストリート。学園祭の時期になれば巨大な山車が練り歩く石畳の上、存在しないように影は存在した。

 影は埋め尽くす黒に同調するような衣服を纏っていた。頭の先からつま先まで闇に染まった――皮膚が露出しているのは口と両目くらいのもので、そこもまた漆のような染料で黒に塗られていた――影は、世界の一部として石ころのようにただ在った。

 どぷんと水に入るかの如く影は闇に沈んだ。砂粒のひとつも立てず、影は石畳を這うように伸びる。目視した見知らぬ男たちは、影が知っている男たちだった。

 

(情報屋も兼業してんのかね? あーやだやだ)

 

 彼らは近年戦果の目覚ましい二人組の傭兵だった。年若い女と無口そうな壮年の男。紙の上でしか影は彼らを知らなかったが――

 

「他の女はどうするんです?」

「殺して終いだ。どうせ数時間後には他の国さ」

 

 かなりの力量を持つ者たちらしい。小太郎など片手間に掻っ攫える実力を持ちながら、周囲を鋭敏なレーダーのように警戒しているところからも窺い知れる。ぎりぎりと、気づかれないと踏んだ距離からもう数メートル離れた地点で、影は浅く息を吐いた。

 

(鶴子なら正面からでも余裕だろうが……才能ってのはホント悲しいわ)

 

 『最強』の一角にふと思いを馳せて、影は思考の中からそれを取り除いた。

 影には二人組を打倒したい理由があった。ならばやるという選択肢しか、影の中にはなかったのだ。

 ここ数年に渡って麻帆良を訪れる機会が影には増えていたが、まだまだ信頼関係などという架け橋は両者の間に存在していなかった。しかしこれから麻帆良を訪れる機会がもっと増えると影は確信していた。故に、影は手土産が欲しかったのだ。

 二人組はそれぞれの獲物を空気に潜らせていた。女の手には蛮刀が、壮年の男は十文字槍を、それぞれ握っていた。風に乗り、こびりついた血糊が鼻腔に侵入してくるような気分だった。

 

(正面からガチ勝負だったらヤバいだろうが――強い方が勝つわけじゃねぇって事で)

 

 影は手袋に覆われた指先で、これまた布に覆われた喉を撫でる。黒に染められた唇が開いた先には、落とし穴の底の底よりも真黒な口孔があった。

深淵の闇のような喉の奥から音が聞こえる。空気を震わすこの音は――虫の羽が空気を震わせるものだ。

 食道を通り、舌先に触れて、口から飛び出した音の正体は差し出した指に止まった。胡麻擦りする大きな複眼の持ち主は一匹の蝿。益虫としても働くが世間一般に駆除される害虫だった。

 彼らはどんどんと影の口から外に現れ、あっという間に百を超える数が影の全身に止まり、一斉に前肢をすり合わせていた。

 それは異様な光景だった。まるで死体の――影は腐った肉の塊のようだった。蝿に覆われ衣服か何かのように纏うその姿は、耐性の無い者が見れば嘔吐してしまうほどで、影が人だとすれば目撃者に歪んでいることを確信させる、そんな光景だった。

 だが影自身はどこ吹く風で、懐から取り出した錆び切ったナイフのようなものを手に、かぱりと口を開いた。それを合図に影の身体を止まり木にしていた蝿たちが、残さずに口内へと飛び込んで行き――影は闇とひとつになった。

 

 

 

 

 

 二人組の傭兵の内、女はまだまだ若かった。齢は二十になったばかりで、傭兵という物騒な職業に就いているがオシャレもしたい、美味しい物も食べたい、彼氏も欲しい、子供だって作ってみたい。将来は蛮刀片手に赤ん坊を背負って戦場を渡り歩き、血飛沫の中で一緒に笑いたいと夢も持つ、まだ年若い女だった。

 そんな女が男の傍を離れたのは散開して日本産の狼男に向けて襲撃をかけようか、という折だった。二人の間を羽音立てて駆け抜けた虫を感じて、女は虫の消えていった方から回り込むと言い出したのだ。あわよくばぷちっと、潰してから向かいたかったのだ。

 特に反対される訳でもなく、女は男と別れて歩き出した。足音を立てぬように細心の注意を払いながら、奇麗事を並べる奇麗な魔法使いたちに見つからぬように。そして今から刃の通るであろう柔らかい肉の感触に思いを馳せて、女は顔に愉悦を浮かべていた頃だった。

 そんな女は動かなかった。横薙ぎに振るった蛮刀をそのままに、じっとたたずんでいた。どうやら足元を見ているらしかった。

 足の甲からは刃というのもおこがましいほどに錆付き、原形を留めていない鉄の塊が突出していた。ちょうど虫――どうやら蝿だったらしい――が再び目先を通り、運が良いと斬り払った時だった。

 拙い――そう感じたのは遅かったようで、縛り付けるような痺れが足元から吹きあがってきた。それは針金が骨に絡みつきながら上へと伸し上がっていくようで、女は判断までにいくらか時間を要してしまった。

 破傷風、麻痺毒、二つの単語が彼女の頭を駆け巡る。辿り着いた答えは逃走だった。

 女は気を練り上げてふら付きながらも転移札を懐から取り出すと、力の篭り切らない腕でぽたりと自分の血が垂れた地面を切り取った。襲撃の痕跡はともかくと、己の痕跡だけは残すわけにはいかなかった。

 女はまだ若い。オシャレもしたい、美味しい物も食べたい、彼氏も欲しい、子供だって作ってみたい。それに夢だってあるのだ。聖地か何だか知らないが、小奇麗に規則正しい家柄の人間ばかりが集まった痒みの走る土地で、女は醜態を晒したくなかった。

 

 転移の光が女を包み込む。逃れた先で、恨みに身を焦がす女は足の甲を貫く鉄の塊を抜き取とることにした。段々と頭が熱くなり、呆けてきている気がする。兎に角、治療が先決なのだ。

 女は転移先にしていた場所に備えておいた魔法薬を手に取ると、惜しむことなく掛け流しながら足を抜いた。鉄の塊はやはりナイフのようで、一緒に転移してきた地面から生えているようだった。鉄の色など欠片と失ったその刀身には、いくつもの小さな孔まで開いていた。

 次に女は紐で太ももを鬱血するほど強く縛った。そして膝の辺りに蛮刀の切っ先を当てると、躊躇うことなく足首の方へと向けて滑らせる。破傷風菌も、麻痺毒も、これ以上身体の中を巡らせる訳にはいかなかった。

 たれりと黒くなった血が落ちる。ふぅと女が一息ついた時、彼女は自分の足の中で蠢く何かを見つけた。

 ぱっと空気が震える。ぱぱっと羽音によって空気が震える。

 それは黒くなった女の血で化粧した蝿だった。

 羽の音がどんどん大きくなる。引き寄せられるようにして女は振り向いた。錆付いたナイフの突き立っていた石畳の表面が崩れる。そこにあったのは人の顔のようなナニか。

 

「はじめましてこんにちは……って今はこんばんわ、だな」

 

 顔が発した声は酷く不快だった。まるで鼓膜を引っ掻かれているようで、女は真っ二つにせんとその顔を唐竹に切り裂いた。

 顔は確かに二つになった。そして四つになり、八つになり、十六つになり、無数の蝿となった。

 気づけば太ももを縛る紐は外れていた。痺れがまた、女を駆け上がっていく。

 そして女は蝿に埋もれた。

 女の蛮刀は雲間に隠れた月光に濡らされることもなく、闇にある重い塊として捲られた大地の上に落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 転移の光を感じた時、壮年の男はすぐさま逃走の為の気を練った。

コンビを組んでいる女に何かがあったのだ。危険を押してまで励む仕事はないと男は考えていた。目先の金に眼を眩ませて死んでいった同業者たちを何人も見ている。傭兵という職業は、生き残ることが第一なのだ。

 転移札を利用しなかったのは、女と同じ場所に異なるタイミングで移ったとして、そこに敵対者がいないとは限らないからだった。コンビを組んでいるとはいえ、あの女の肉体は素晴らしいとはいえ、己と天秤にかければ微塵と動くことはないのだ。

 男は現状出せる実力も十二分なほどに理解していた。男の本業は傭兵だ。暗殺者ではなく、隠密でもなく、戦争屋なのだ。対多数となる魔法使いたちの戦場に身を置くが為に、男の戦い方はド派手で、本気を出せばすぐに居場所がバレてしまう。それは愚かだ。

 足の裏で地面を掴み、飛び出そうとしたところだった。ぽひゅーと間の抜けた音と共に赤い煙が空へと打ちあがった。そして一泊ほど経つと、ぱぁんと花火のような破裂音と夜空へと満点に広がる煙が見て取れた。

 

(バレている、か)

 

 暗がりから自分目掛けて投げつけられたナイフを槍ではたき落とし、男は目星を付けて独りごちた。面倒なことになった、と。

 だが男の胸中はそんなに悲観的でなかった。ナイフの投擲は的当てのように正確無比だ。故に、男は相手がまだまだ未熟だと判断した。同時に目や喉や心臓を狙わず、足元を狙ったその者は甘ったるい世界で生きているとも。

 耳を澄ませば砂粒を踏む音も聞くことが出来る。回り込むようにして段々と自分と距離を離しながら、今度向かってきたナイフは曲線を描いていた。男は槍で再び砕き散らすと、地面を弾いた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。『瞬動』と呼ばれる移動術を用い、三足跳びで槍が貫いた首の上に乗っている顔は、予想通りまだ幼さを残す青年だった。額には十文字の傷、髪は天然ものらしい茶髪、整った顔立ちは突然の凶刃により醜く歪んでいた。

 月すら雲間に隠れ、男の姿を見た者はこれでいなくなったはずだ。男は槍を青年から引き抜こうと力を込める。だが、妙な抵抗がそれを阻んでいた。これではまるで、掴まれているようではないか。

 唐突に、死んでいるはずの青年の頬が膨らんだ。そして行動の算段をする間もなく、青年は苛烈な光と強烈な音を発して爆散した。

 男の視界がブラックアウトする。咄嗟に纏った気によりダメージというものは無きに等しかったが、閉じた瞼は光速よりも遅かったのだ。

 視界を奪われた男は心臓に気を込めて、鼓動を加速させる。血流を脳に送り、暗がりの世界を男に取り戻すためだ。

 男がぼんやりと周囲を認識し始めるまでには十秒と掛からなかった。そんな彼が回復した両目でまず見たものは、壁に立つ街並みだった。ごとりと頭が石畳と接触する――そこで男は自分が倒れていることに気がついた。力が入らないのだ。立とうにも、気を練ろうにも、さながらボタンをひとつ掛け間違えているかのように。

 

 男の身体が重くなっていく。強烈な痺れが次いで彼の全身を蝕みだしたのだ。

 やがて諦めの境地に至った男は闇の中に揺らぐ影を見た。それは口の中を蝿の死骸でいっぱいにした、男のような身形をしていた。

 




かげやまたつやにんぽーちょー
そのいち:はえつかい
からだのなかにはえをかってるぞ
はえをつかってぶんしんみたいなこともできるぞ
はえをくちゃくちゃかむことでどくいきなんかもはけるぞ
ほかにもはえをつかっていろいろできるぞ


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