リリカル・デビル・サーガ (ロウルス)
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第1章 二ド生マレル悪魔~プロローグ
第1話 異端者の転生



!閲覧注意! 一部原作と乖離した独自設定・独自解釈が入ります。
!閲覧注意! 一部原作キャラの扱いが悪い部分があります。
!閲覧注意! 本作はいわゆる神様転生の要素(踏み台や転生者等)を含みます。

――――――――――――

 怒れる神の罰か、悪魔の愉悦か、はたまた人の業か。
 我々の世界は滅んで久しい。

 おお、お前は人を使い、世界を超えて世界を創らんとするか。
 しかしそれは赦されぬ。それは罪だ。傲慢だ。

 我は法の神の名の下、お前の上に罰を置かんとするぞ。

――――――――――――何者かの声/夢



 赤い通路を走っている。走るといっても周りの景色が後ろへ流れていくだけで、体を動かしているという訳ではない。ただ前に進んでいる感覚だけがあった。流れに逆らって振り向こうとするも、なぜかそれはかなわない。抵抗することをあきらめ、身を任せ始めた時、どこからか声が響いた。

 

――誰が……ワシは神…………

 

――お主を……殺し…………世界に転生させ……

 

――待ってろよ、俺の……

 

――では逝って……

 

 ひとりは若い男の声で、もうひとりは老人だろうか。断片的な声に止まって耳をすまそうにも、流れる身体を止めることは出来ない。ただ声を後ろに聞きながら回廊を進み続ける。やがて、目の前に人影が見えた。近づくにつれ次第にその姿は大きくなる。

 

――人ではない、悪魔の像。

 

 そう悟ると同時、流されていた体は止まった。目前に迫った悪魔の像をよく見ると、その光を踏みつけている。否。ただの光ではなかった。人の体の形をしており、時折苦しそうに蠢いている。それは快楽に悶えている様にも見えた。

 

「これは快楽を求める愚かな魂」

 

 悪魔の像から声が漏れる。

 

「貴様が名を呼べば、目覚めるであろう」

 

 本来なら分かるはずもない、人かどうかも怪しい存在の名を問われる。しかし、その答えは自然と浮かぶ。

 

「……富美 大輔(ふみ だいすけ)」

 

 悪魔の像が砕け散った。大輔と呼んだ人型の光は起き上がり、こちらを認めて、そして叫んだ。

 

「ここは……なんだっ! 誰だ、お前っ! せっかく……いや、そうか、お前も邪魔をする転生者で……!」

 

 人型の光が手を上げると同時、空中に剣や槍と言った大量の武具が現れた。その人型、大輔は手近な剣を手にとると、奇声を上げて飛びかかってきた。

 

「■■■■■■ッ!」

 

 思わず目をそむけようとして、しかし視界の隅に捉えた巨大な炎に向き直る。背後から突然飛んできたそれは、大輔を阻むように降り注いだ。

 

「邪魔すんナヨォォォオオ!」

 

 だがそれはすぐに掻き消える。大輔の右腕が触れると同時、高温の業火がまるで始めから無かったかのように霧散したのだ。無茶苦茶に右腕を振るいながら炎の中をこちらへ進む大輔。勢いをつけて飛び上がり、空中で剣を取るとこちらに向かって振り下ろす。

 

 鈍い音が、した。

 

 人体が砕けるような、骨が折れるような音。生理的に受け付けないそれは聴覚を通し体に響く。しかし、痛みは感じられない。恐る恐る顔を上げる。

 

「っ!」

 

 息がつまった。振り上げられた刃が今まさに自分を真っ二つにする直前で止まっていたからではない。大輔が、つい先ほど名前を読んだ男が、巨大な刃に串刺しにされていたからだ。

 

「神に捧げられるべき魂よ……」

 

 火球が飛んできた方向から、威厳ある声が響く。

 

「さあ、行きなさい。貴方はかの地のメシアと共に歩まねばなりません」

 

 世界が揺れた。赤い回廊が崩れていく。そして、声の主が姿を見せた。それは天使だった。崩れゆく廊下に足場をなくし、落ちていく自分を見下ろしている。手に持つ巨大な槍の刃先には、先ほどの人型の光が突き刺さっている。その光は形を失って崩れ、まるで滴る血の様に崩れ、奈落へと消えていく。

 

「人間が穢れた声に誘われるまま望んだ世界を、法から外れたあの世界を、貴方は……」

 

 遠ざかる天使の声。全身を襲う落下感。落ちる先には、幼い少年が見えた。歳は4、5ぐらいだろうか。白い肌に白髪が人間離れした雰囲気を演出している。

 

「それは悪意に満ちた哀れな魂の器」

 

 天使とは別の声が響く。

 

「おお、我が分霊よ……お前は我と同じ、創造主に悪意を向けられた器に入らんとするか」

 

 声のした方には、怪物がいた。人間と猫とヒキガエルの顔、そして、蜘蛛の胴体。悪魔のような姿のそれと目が合ったと同時、吸い込まれるような感覚と共に意識が遠のいた。

 

 

 † † † †

 

 

 巨大な紅い空間に、ひとり佇む老人。目の前には巨大な穴。不気味な笑みを浮かべたまま、深い奈落の先を見ていたが、突然狂ったように笑い出す。

 

「ククッ! ハハハハハハハッ……! 見ろ、天使が動き出したぞ! 生贄を……! それは法から外れたものだと言って! 所詮、人間が求めるのは人間の生贄でしかないというのに! ヤツらは、人の業を否定しようというのだ! 寄りかかろうとする幻想が生み出しただけのアイツらが! ハーハッハッハッ!」

 

 狂気の嘲笑が響く。

 

「ふん! 舞台を彩る主役に悪意を向けられる人物を変えたところで、運命の鎖からは逃れられん。せいぜい、人の業を背負う者の末路を期待しているぞ! 人間の望んだ『踏み台』よ!」

 

 この言葉を最後に、老人の姿をした何かは黒い影に吸い込まれるようにして消えた。

 

 

 † † † †

 

 

「う、ん……?」

 

 呻き声とともに、その少年は目を開いた。周囲を見回すと、無機質で清潔な白い壁に医薬品の香り。身体はシーツに優しく包まれている。

 

(ここ……は、病院か? 俺は……どうしたんだ?)

 

 なぜ病院にいるのか。そんな疑問が頭の中を駆け巡る。自分の体を見ても、特に怪我や不調は感じられない。

 

(なぜ病院に? 昨日は妙な夢を見て、その前は……?)

 

 自分のいる場所に心当たりがない少年は記憶をたどろうとする。しかし、思い出すのは赤い回廊を進む夢だけで、肝心の眠りに着く前の記憶が無かった。気分を変えようとベッドから起き上がり、ブラインドの隙間を指で開いて窓をのぞく。目を見開く少年。既に夜の帳が下りた外の光景が見慣れないものだったからではない。窓に映った自分の姿が、夢に見た少年の姿そのままだったからだ。

 

(これが、俺、なのか?)

 

 年齢の割に整った顔立ち。白い肌。赤と青のオッドアイ。神秘的とも言える己の容姿に、しかし心当たりは無い。どうやら脳から抜け落ちているのは記憶だけではないらしい。驚きが抜けないまま、周囲に何か自分に関する情報が無いかと見回す少年。病室は相部屋になっているらしく、カーテンを隔てた隣のベッドには精悍な顔つきの男性が眠っていた。二十代後半ぐらいだろうか。包帯があちこちに巻かれているところを見ると、かなりの重傷らしい。時折、苦しそうに呻き声をあげている。

 

「……」

 

 怪我人を起こさないようにそっと廊下に出る。病室で朝まで待っている方がいいかとも思ったが、なぜか静寂に包まれた安全な病院に違和感を覚えたのだ。その違和感の原因を確かめようと、いつでも病室に戻れるように歩いた場所を覚えながら無人の廊下を進む。

 

「っ!?」

 

 しかし、かすかな物音に足を止めた。低い男の声と、紙くずをかき回すような音。それは病院の静粛に異様な恐怖と緊張をまき散らす。少年はその小さな異常に縫い付けられたように音がした方を見つめていたが、やがて音のする方へと歩き始めた。危険は確認しておくに限る。病院に危険などそうそうある筈はないのだが、その思考に疑問を抱くことなく少年は歩き続けた。ほの暗い廊下を一歩進むたびにその音は大きくなり、やがて原因にたどり着く。

 

「ゥウ……ァ……」

 

 自販機が置かれたスペースで、男がうめき声をあげながらごみ箱を漁っている。壁の影に隠れながら観察する少年。精神に異常をきたした患者だろうか。だが、考察はすぐに止まった。突然振り返った男と目があってしまったから。

 

「ゥウ……ウィィァァアアア!」

 

 血走った赤い目に、手にはナイフ。身の危険を感じ思わず構える少年。だが男はナイフを投げ捨てた。ナイフが床を滑るように転がり、驚く少年の横で乾いた音を立てる。それと同時、男はこちらに向かって床を蹴った。

 

「オオ、喰イテェ……! 喰ワセロォ……! マグネタイト、喰ワセロォォォォ!」

 

 訳の分からない言葉を発しながら迫る狂人。否、本当に人だろうか。走りながら男はどんどんやせ細り、腹部だけが異常に膨れ上がった姿となった。仏画にみられるガキに似ている。そのガキのようなものは邪魔になった服を脱ぎ捨て、まるで悪魔のような浅黒い肌をさらしながら飛びかかってきた。

 

「くっ!」

 

 慌てて身を翻す少年。すれ違いざまに爪で腕を切り裂かれた。しかし、爪は止まらない。それは少年を通り過ぎ、いつの間にか背後にいた光球のようなものに振るわれた。

 

「あがぁぁぁぁぁぁ……」

 

 光球から悲鳴にも似た声が漏れる。が、声は弱々しくさほど響かなかった。それでも、飛び掛かったガキの腕に光を絡み付かせて捉え、壁にたたきつける。

 

「グゲェ! マグネ…タイトォ…」

 

 ヒキガエルをすりつぶしたような声を出して消えていくガキ。今度は光球が少年に向かって動き始めた。

 

「ソノ体……俺ノ……オレノカラダ……」

 

 不気味な声を上げて近づいてくる。その理性を亡くした声を、少年は知っていた。

 

――■■■■■■ッ!

 

 夢で聞いた狂気の声を思い出し、思わず後ずさりする少年。その時、足に僅かな抵抗を感じた。男が投げ捨てたナイフだ。

 

「う、うわぁぁぁぁあああ!」

 

 絶叫と共に少年がナイフを突き立てた。

 

「ウガァァァ……オレハ、オレハ……生マレカワッタハズ、ナノ、ニ……」

 

 力ない叫び声をあげながら、光球はナイフごと消え去る。

 後には、息を荒げる少年だけが残った。

 

「はあ、はあ、なん、だったんだ?」

 

 少年はしばらくその場で佇んだまま呼吸を整えていたが、首を振って無理やり意識を冷静に引き戻す。先ほどの怪物の正体は分からない。が、自分に悪意を持った何かであるという点については強い確信があった。

 

(つまり、俺はアレを知っている……)

 

 記憶を取り戻す手がかりはこの辺にありそうだな。そんなことを考えながら、もう異常は起こらないか周囲を見回す少年。しかしその視線はすぐに止まる。さっきガキと光球が消え去ったあたりに、透き通った光を発する石のようなものが2つ転がっていた。恐る恐るそれに触れると光が強くなり、それは少年の腕を包み込んだ。慌てて手をひっこめるが異常はない。それどころか、引っかかれてできた筈の傷が治っていた。

 

「魔石……?」

 

 思わずそんな声が漏れる。自分はこれを知っているのか? 少年は自問するも、答えは出てこない。しばらく考え込んでいる様子だったが、少年はもうひとつの石を拾うと、廊下を戻り始めた。目を覚ました病室の扉を開く。そのまま隣のベッドで苦しむ男性の前に立つと、少年は手の中の魔石を差し出した。あふれ出した光が男を包み込む。

 

 うめき声が、止まる。

 

 少年はそれを見届けると、ナースコールを押した。

 

 

 † † † †

 

 

「……高町さんですか? ……ええ、士郎さん、峠を越えたみたいで……いえ、数か月の入院は必要です。でも、もう心配することはないかと……いえ、それでは」

 

 ナースコールを聞いて駆け付けた看護師に案内された部屋で、少年は医師だという女性を前に座っていた。女性は先ほどの男性の家族への連絡を終えると、こちらに向かって気遣うような声をかける。

 

「ごめんなさいね。急に様態が変わったものだから」

 

「いえ、気にしないでください。それより、あの人、大丈夫だったんですか?」

 

「ええ、士郎さん、昨日までは生死を彷徨っていたんだけど、ずいぶんよくなっているわ」

 

「……お知り合いか何かですか?」

 

「ええ、そうだけど、よく分かったわね」

 

 名前が出たうえに、家族に直接連絡を入れていたから。少年は戸惑いながらも自分の推測の根拠を伝える。白衣の女性はそれに苦笑で答えた。

 

「あら、ずいぶんよく見てるのね。士郎さんの怪我もあなたが治したんじゃないかしら?」

 

「……いえ、流石にそんなことはできません」

 

 真面目な顔で答える少年。もちろん少年は女医の言葉が冗談だと理解していたが、同時に自分が行使した手段が尋常でない事もよく理解していた。そして、そんな手段を平気で使った自分の異常性も。自身の情報の欠落に不安が過ぎる。それを表情から読み取ったのか、白衣の女性は、優しい笑みを浮かべて話題を変えた。

 

「それじゃあ、君のことを教えてくれる?」

 

 

 † † † †

 

 

「この子よ。記憶喪失らしいの。ただ、大きな外傷もなくて……」

 

「そう。なら、私の専門ね」

 

 白衣の女性と少年はしばらくやりとりを続けていたが、少年に記憶がないと分かると、公園で倒れているのを見つけたという女性に連絡を取った。私服のまま現れたその女性は精神科医の資格も有しているという。目の前で会話を始めた女性2人に、少年は不安を抑えきれず問いかけた。

 

「あの、俺はこれからどうなるんです?」

 

「……そうね、あなたには目立った傷がないから、記憶喪失は精神的な負担が原因だと考えられます」

 

 白衣の女性が答える。丁寧な話し方と少し緊張した表情から、慎重に言葉を選びながら、しかし医師として事実を告げる義務を果たそうとしているのが少年にも分かった。

 

「残念だけど、すぐに記憶を取り戻せるような治療法は今のところ見つかっていません。だから……」

 

「しばらく、私の方で生活してもらおうと思うんだけど?」

 

 白衣の女性の言葉を引き継ぐ私服の女性。

 

「いいんですか?」

 

「ええ。もちろん、あなたが良ければだけどね」

 

「……俺は治療費を持っていないんですが」

 

 気がかりを告げる少年。だが、私服の女性の方は少し目を見開いた後、軽く笑って続けた。

 

「そこは気にしなくていいわ。私の方っていうのはちゃんとした公営の施設で、あなたのような身元がはっきりしないこどもを一時的に預かることになってるのよ」

 

「そうですか。なら、よろしくお願いします」

 

 つまり児童保護施設で預かるという事だろう。両親の記憶もない少年は、特に断る理由もないと判断し受け入れた。雰囲気が落ち着いてのを見計らったように、横から白衣の女性が話しかける。

 

「ところで、名前は思い出せるかしら?」

 

(名前、ナマエか)

 

 これはあまりに身近すぎて思い出そうとしていなかった。少年は必死に記憶をたどって、

 

――ウ……ツキ……コウ……ダン……

 

「っ!?」

 

 唐突にイメージが広がった。穴の開いたビルに広がる廃墟。そこに響く声。この病院とはかけ離れたその荒涼とした風景は、しかしすぐに私服の女性の声で霧散した。

 

「大丈夫? 無理に思い出そうとしなくてもいいのよ?」

 

「いえ、大丈夫です。俺は――」

 

 心配そうにのぞきこむ女性。少年はそれを振り切るように、先ほど響いた声をそのまま告げた。

 

「ウズキ・コウです。コウの文字は……確か、孔(あな)だったと」

 

 

 † † † †

 

 

「孔、早く降りて来なさい」

 

 名前を呼ばれて目が覚める。孔の目の前には、最近ようやく見慣れたと言えるようになった天井。ここは児童保護施設の2階にある、孔にあてがわれた部屋だ。病院での会話の後、施設に引き取られることが正式に決まってから、孔は詳細を聞かされた。といっても、大して新しい情報があったわけではない。分かったことといえば、公園で倒れていたところを保護されたということくらいだ。警察に届け出もなされたが、結局名前以外の手掛かりは倒れている時にみた赤い廊下を走る夢とおぼろげなあの廃墟のビジョンだけ。むしろこの夢が鮮明過ぎて他の記憶が浮かんで来ない気さえする。このまま自分のことが分からないまま過ごすのだろうか。そんな悲観的な思考を振り払うように起き上がると、階段を下りて1階へと向かう。

 

「おはよう、孔。当番じゃないからって寝てばかりいてはダメよ」

 

 さっきの声の主、あの時の私服の女性にして施設の管理人――ここでは先生と呼ばれている――が挨拶してくる。ちなみに、当番とはこども達に割り当てられた施設の雑務(洗濯やら掃除やら)を指す。今日はそれがなかったため、いつもより遅く起きたというわけだ。

 

「孔お兄ちゃん、おはよう」

 

 先生に続いて挨拶をしてくる同じ施設に保護されている金髪の少女、アリスにおはようと返しつつ、既に朝食が並んだテーブルに座る。

 

「……おはよう、ローウェル」

 

「……っ!」

 

 しかし、唯一挨拶をしていない人物、アリサ・ローウェルに声をかけると、プイッと横を向かれてしまった。

 

「アリサ、挨拶ぐらいしなさい」

 

「……おはよう」

 

 先生に言われてようやく返事をする。嫌われたものである。アリサは孔が施設に引き取られた時からこんな感じだ。ただ、アリスとは特に仲が悪いというわけではない。どうも孔とだけ波長が合わないらしい。別に何かしたわけじゃないんだけど。そう苦笑しながら食を終える孔。すぐにアリスが寄ってくる。

 

「孔お兄ちゃん、あそぼ~」

 

 施設は今日も平和だ。この後はアリスと遊び、夜になれば図書館から借りてきた本を読む。いつの間にかここに来る前から続く生活に受け入れられ、その一部となっている自分に、孔は間違いなく幸福を感じていた。

 

 再びあの存在と出会い、自分の異常性に気付くまでは。

 




――Result―――――――
・幽鬼 ガキ 壁への強打により撲殺

――悪魔全書――――――

幽鬼 ガキ
 仏教において死後餓鬼道(強欲や嫉妬の心・行為が過ぎた人が生まれ変わる世界)に堕ちたもの。手に取った食物・飲物は火に変わってしまうため、常に飢えと乾きに苦しみ、決して満たされることがないという。

――元ネタ全書―――――
ナイフを持ったガキ
 真・女神転生Ⅰ。序盤のアーケードのイベント。アタックナイフを落とすガキから。台詞の方は真・女神転生Ⅲの1stダンジョン・病院での「マガツヒ喰ワセロ」を元にしています。
――――――――――――


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第2章 日常ニ潜ム悪魔~原作前①なのは/アリサ篇
第2話 誘拐犯の悪夢


――――――――――――

 ここへきてから数週間。平和な日々が続いている。当たり前の日常。なぜか俺にはこれがとても恵まれているように、そして同時にとても儚いもののように思えた。

(当たり前のはずなのに、な……)

 平穏は日常に当然存在しているもの。誰もが過ごしているいつもの時間。そう言い聞かせ続けても不安は消えない。

 まるで、平和じゃない日が当たり前だったみたいに。

――――――――――――孔/児童保護施設・自室




「――以上、本日のお天気でした。続きまして、今日のニュースです。海鳴市北部のホテルにて、複数の男女の遺体が発見されました。警察では集団自殺として捜査を……」

 

 夕方のニュースは物騒だ。刺激の強い画像とアナウンサーのいかにも深刻そうな口調が事件の重大さを伝える。そんな多くの人の関心を引く映像は、しかし一瞬で楽しげな映像に切り替わった。

 

「勝手にチャンネルを変えないでくれ」

 

「えー。だってもうすぐ名探偵コゴローの時間だよ? 変えていいんだもん!」

 

「そうじゃなくて、見ている人がいたら、変えていいか聞きなさい」

 

「は~い」

 

 まったく反省の色の無い返事に苦笑しながら、孔はアリスとともにアニメを眺め始めた。施設に入って数日は自分の記憶を刺激するようなニュースがないかと意識して見るようにしていたのだが、今ではもうすっかり諦め、先生が夕食を運んでくるまでテレビの前でアリスの面倒を見るのが日課になっている。楽しそうにアニメの話をしながら画面を見続けるアリスに、適当にうなずく孔。だがそんな時間も、珍しく番組が終わる前に開いた扉で途切れた。入ってきたのは施設の先生。部屋を見回してから、少し困ったような顔で問いかける。

 

「孔。アリサ見なかった?」

 

「いえ、見てません。いつもこの時間はココにいませんけど……?」

 

 それに答える孔。アリサはもともと孔のことを避けている。それはこうしてアリスとテレビを見ているときも同じで、アリスがどんなに一緒に見ようとせがんでも、決してテレビの前に座る事は無かった。

 

「まあ、そうね。何処にいったのかしら? 心当たり、ない?」

 

「いえ。少し前に外へ遊びに行ったみたいですが。見つからないなら、探してきましょうか?」

 

「う~ん、そうね、お願いできるかしら」

 

「……自分で言い出してなんですが、5才児がこんな時間にうろついていいんですか?」

 

「自分で5才児とか言い出した段階で大丈夫よ。まあ、もし迷子になったら携帯のGPS使って迎えに行くわ」

 

 言われるがまま携帯を受け取る孔。この扱いは喜ぶべきか悲しむべきか。まだアニメが終わっていないのに立ち上がったせいで頬を膨らませるアリスを先生にまかせ、孔は夕暮れの町へと踏み出した。

 

(バニングスさんが行きそうなところは……)

 

 頭の中の記憶を漁りながら、アリサの行き先を巡る。もっとも、思い返したところでアリサと2人で遊んだ記憶はない。思い出すことといえば、アリスが3人で遊びたいとわがままを言うのに嫌々ながら付き合っている姿か、アリスがアリサと2人で遊んできた後に嬉々として教えてくれた話くらいだ。

 

――ねー、今日はアリサお姉ちゃんと遊んだんだよ?

――空き地! 秘密基地作ったの!

――孔お兄ちゃんも今度一緒に行こうね?

 

 ごく最近の思い出を頼りに近くの空き地へと向かう。住宅街の端、大通りの路地裏にあたる場所にある手付かずのそこは、遊び場にしている昼間とは異なり、冷たく不気味な夕闇に満ちていた。アリサの姿はない。それに奇妙な安心を浮かべながら周囲を見回す孔。だが、目はすぐに見開かれる。大通りに伸びるビルとビルの隙間から、ぐったりしたアリサと、アリサを車に運び込む男2人が見えたから。

 

 

 † † † †

 

 

 時は一週間程前に遡る。バニングス・グループ、エレクトロニクス製品を中心に扱う大企業の本社ビル。そこに努める社員のシド=デイビスは社長のデイビット=バニングスとともに、社長の執事である鮫島が運転する車で海鳴市にある支社へ向かっていた。最近になって、バニングス・グループは海鳴市に進出することにしたのだ。

 

「シド君は、海鳴は初めてかね?」

 

「はい、日本は東京以外に出たことがありませんから」

 

「それはもったいないな。海鳴はいいところだよ。温泉とかの観光名所もあるし、何より人が中心となった商業が未だに残っている」

 

「はい、海鳴市に新たに支店を出すことが出来たのは社長の人脈のお陰です」

 

「いや、私は何もしていないよ。海鳴の友人が自主的に取引を支援してくれたんだ。人脈を利用したと言うより、こちらが応援してもらった形になった」

 

「はあ、まあ確かに取引はかつてないほどスムーズに纏まりましたな」

 

 シドは入社以来全国、いや全世界をまたにかけて仕事をこなしてきたが、海鳴支店を出すに当たって地元産業との交渉をうまくこなした功績から、このほど海鳴支店長になることが決まっていた。といっても、「成果」の大部分は社長の「友人」の説得によるもので、本人もそう理解している。にもかかわらず、その「友人」がシドを海鳴支店長に推したのだった。確かに「いい人」には違いない。

 

(しかし、海鳴市に引っ越すのはどうでしょう?)

 

 シドは心のなかで突っ込んだ。根っからのビジネスマンであるシドは、社長が今回本社から遠い海鳴市に住むことに疑問を感じていた。彼にとっては住みやすさより、通勤時間の方が大切だったのだ。

 

「まもなく、海鳴支店です」

 

 鮫島が告げる。そういえば、今日は会社の運転手じゃなく個人執事だったな、とシドは今更ながらに気付く。自分を支店長として紹介した後は直接新居に行くつもりのようだ。

 

「社長も良いところにお住まいになるようで、結構ですな。就任の挨拶が終わったら、今日は退社なさいますか?」

 

「いや、アリサに会ってからだな」

 

「アリサ?」

 

「ああ、娘だよ。アメリカで事件に巻き込まれて行方が分からなくなっていたのだが、少し前に海鳴の児童保護施設に居ると聞いてね。引き取ることにしたのだよ」

 

「それはまた……いや、おめでとうございます」

 

 軽い口調で重い話をされて反応に戸惑ったが、シドは持ち前の対人スキルでここは祝福すべきと考えた。どうやらこれは当たりだったらしく、バニングス氏は笑って応じる。

 

「シド様、こちらが海鳴支店です」

 

 ようやく着いた新しい職場を見ながら、家族を持たないシドはまさか社長の娘のために海鳴に支店を出したんじゃないだろうな、などと考えていた。

 

 

 

「ああ、社長なら帰ったよ、一刻も早く娘に会いたいらしい」

 

 そして、夕刻。シドは支店長就任祝いの飲み会で、今後部下になる社員の話を聞いていた。シドのように支店長クラスの役職ともなると、飲み会とは名ばかりで実質的に会議の延長のようなものだ。自然と仕事の話題が中心になる。家族の話を部下に話すなどあの社長くらいのものだろう。

 

「娘さんに? もうこちらに引っ越されたのですか?」

 

「ああ、今まで施設に預けられていたのを引き取るらしい。名前はアリサ、とか言ったかな?」

 

 社長の話題になって、つい特殊な状況にある娘のことを話題にあげてしまう。飲み会では人の噂は付き物だ。

 

「施設ですか? それはまた……」

 

「ああ、事情があるらしくてね……」

 

 仕事の話題も尽きかけていたところだ。公私混同の罰に少しくらいネタにしてもいいだろう。そんな軽い考えからシドは社長の噂話を始めた。

 

 

 

「おい、聞いたか? バニングスグループの総裁の娘がいるそうだ」

 

「ああ、うまくすりゃ大金が手に入るな」

 

 その噂話を聞いて声を潜める男がいた。2人は海鳴市の電気関係の中小企業で働いていたが、このほどバニングスグループが同市へ進出してきたことで仕事がなくなり、現在は無職。ちょうど居酒屋でやけ酒を飲んでいる所だった。

 

「で、どうする? 兄貴?」

 

「そうだな……まずは……」

 

 飲み会から情報漏洩。よく企業で行われているコンプライアンス教育において、例としてあげられる話だ。特にシドが参加しているこの飲み会は大企業のバニングス・グループが行うものとあって目立つ。そこで出た施設の娘の話。それは復讐を成すとともにこれからの生活のもとでを手に入れる絶好の機会だと2人には映った。必要な道具は。アリサとかいうこどもはすぐ見つかるのか。酒の勢いも加わり、男の悪巧みは次第に形を成していく。

 

 そして、一週間後。その計画は実行された。

 

 ひとりで孤児院を出たアリサに薬をかがせて意識を奪い、車に担ぎ込む。車はそのまま繁華街の裏にある人気のない道を進み、廃ビルへ。ここを拠点として、娘を金と交換しようというのだ。周囲に誰もいないことを確認すると、無言のまま男たちは車を降りる。運転席にいた背の低い小太りの男が縛られて転がされているアリサを担ぎ、助手席にいた背の高い細身の男が周囲を警戒しつつ廃ビルへ先導する。無造作に廃ビルのドアを開け、

 

「ようこそ、楽園への逃避行へ。今まさに宴は最高潮。美酒、美女、美食、なんでもそろっております」

 

 ピエロの出迎えを受けた。

 

「……は?」

 

 同時に間抜けな声を出す二人。つい先日下見をした段階では誰もいなかったはずだ。だが、そんな二人をおいて、ふざけた格好をした得体のしれない人物は横にある扉を開いた。同時に奇声とうめき声が響く。薄暗い部屋の中では数人の男女が文字通り酒池肉林を繰り広げていた。異様な光景に思わず後ずさるも、予想外に強い力でピエロに部屋の中に押し込まれた。

 

「ちょっと待て、これはなんだっ! 何をやっている!」

 

「ああ、時間が迫っておりますので、申し訳ありません。あなた方で最後なのですよ。全員がそろって初めて死の儀式を始めることができますので」

 

「そうじゃなくて、これはなんだ! 死の儀式って……」

 

「ああ、今宵の儀式は一酸化炭素での集団中毒死を予定しております。確実に死ねますよ。みなさんその前にここで思い残しがないようにお過ごしください。ここにある酒、食事はいくらでも召し上がっていただいて結構です。女性も好きなだけ抱いてください。まあ、あなた方はすでに性欲の対象とする少女をお連れのようですが」

 

 あまりにもあんまりな内容をスラスラと口にするピエロに絶句する二人。ピエロはごゆっくりと言って扉を閉める。ガチャリと鍵をかける音がした。二人はようやく再起動。

 

「おい、ちょっと待てぇぇええ!」

 

「そうだ、俺たちは死に来たんじゃないっ!」

 

 扉を叩いてわめく二人。しかし全く反応がない。

 

「兄貴、どうしましょう? 変な宗教団体につかまったみたいだぜ」

 

「ああ、ここのところ集団自殺がニュースになっていたが、まさか宗教がらみだったとは。てっきり俺たちみたいにリストラか何かだと思っていたが……」

 

 寝息を立てる少女を肩に、もう一度異様な光景に目を向ける二人。酒をひたすら飲み続けるもの、白目をむいた女を犯し続けるもの、薬を打ち続けるもの、ついでに汚物と吐しゃ物の匂いまでする、まさに地獄絵図だ。まともな人間がいるとは思えない。吐き気を感じながらも、二人は脱出の方法を話し始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、施設では先生が青くなっていた。アリサが帰ってこない。こども達にはまだ伝えていないが、今日はアリサの引き取り手であるバニングス氏が面会に来る予定なのだ。過去に虐待を受けて引き取られることに抵抗を持つこどももいる。アリサは父親に会いたいと言っていたが、直前になって怖くなったのだろうか? そんな事を考えていると、インターホンが鳴った。バニングス氏が着いたらしい。

 

「いや、申し訳ありません。予定より早く着いてしまいました」

 

 覚悟を決め、親になるであろうバニングス氏にありのままを伝える。

 

「いえ、構いません。ただ、その、大変申し訳ないのですが、まだアリサは外へ遊びに行ったまま帰ってきていないのですよ」

 

「こんなに遅くにですか?」

 

「ええ、もう門限は過ぎているんですけど、まだ……」

 

 バニングス氏の顔が歪むのが分かった。アリサが心配なのか、自分が受け入れられないのが心配なのかは分からない。何か声をかけようとしたが、その前に携帯が鳴った。すみませんと断って電話をつなぐ先生。孔からだ。ただ、携帯越しに告げられたのは最悪のニュースだった。

 

 

 † † † †

 

 

「……うん、いまタクシーで追いかけてる。……うん、警察には連絡した。いや、俺じゃなくてタクシーの運転手さんだけど。……ああ、分かってる。場所が分かったらすぐ逃げるから……」

 

 伝えることを伝え、孔は携帯を切る。同時にタクシーの運転手から声がかかった。

 

「おう、どうだ? 大丈夫そうか?」

 

「はい、ちゃんとイタズラじゃないと信じて貰えました」

 

「いや、そうじゃなくてだな、心配されたんじゃないのか?」

 

「……心配されました。ついでに追いかけてるというと怒られました」

 

 苦笑する運転手。孔はそれにすみませんと告げる。あの誘拐犯を見つけた後、近くに車を止めていたこの不幸なタクシー運転手は、驚いた顔をしながらも孔の頼みを引き受けてくれた。

 

 ――友達が誘拐されたんです! あの車、追ってください!

 ――警察に連絡を……こどもの声じゃ信用されないから、お願いします!

 ――犯人の特徴は……

 

 思い返しても無茶な要求だった。運転手にすれば訳が分からず勢いに流されただけかもしれないが、それでもこどもの叫びを聞いてくれる人物だったのは孔にとって幸運だっただろう。

 

「お、車止めたな。この廃ビルを拠点にしてるのか」

 

「じゃあ、警察に指示を仰ぎましょう。この辺で目立たない場所ってありませんか?」

 

「おう、この先を曲がれば向こうからは死角になるぜ。しかし、何で俺はガキに指示されてんだか……」

 

 突然始まった非日常にも余裕が出てきたのか、それとも緊張を和らげるためか、運転手は冗談めかして言葉を続ける。

 

「まったく、お前、アニメに出てくる小学生探偵かなんかじゃぁ……」

 

 だが、その言葉は途中で止まった。廃ビルからピエロの格好をした変質者が出てきたからだ。目が合う。瞬間、空気が変わった。

 

――ザンマ

 

 なにか空気が破裂した様な轟音とともに車体が揺れる。否、何か衝撃波のようなものが走って車体を切り裂いたのだ。運転手は慌てて孔を抱えると、黒煙をあげるタクシーから飛び降りた。

 

「っ! なんだっ! 何なんだお前!」

 

「……うるさいニンゲンですね」

 

――ザンマ

 

 ピエロがつぶやくと同時、運転手の頭が吹っ飛んだ。

 

 首から、噴水のように血が噴き出る。

 

 目を開く孔。

 

 だが、つい先ほどまで笑っていたおとなは、頭の代わりに血柱を生やし崩れ落ちていく。

 

「……次はこどもですか。自殺志願者の知り合いか何かかな? それともただ迷っただけか。まあ、何れにせよ死んで貰います」

 

――悪魔

 

 悪魔、そうか、あれは悪魔だ。ピエロの格好をした悪魔がこっちに向かってくる。さっき壊したり、殺したりしたのは……

 

――魔法

 

 そう、魔法だ。死が目前に迫っているというのに、孔の頭には以前赤い通路の夢で聞いた声が響いていた。しかし、同時に体が恐怖で震えているのも分かる。

 

「ハッハッハ、怖いですか? 怖いですよね、人間。まあすぐに殺してあげますので、怖くなくなりますよ」

 

 そういって、目の前の悪魔が構える。先ほど魔法を撃った時と同じように。

 

「じゃあ、サヨウナラ」

 

――ザンマ

 

 血柱を挙げて倒れた運転手の映像が脳裏に浮かぶ。

 

――ダメだ

 

――――俺には、まだ、やる事が、この世界にっ!

 

 無意識に心の中で叫んでいた。それに応えるように頭に声が響く。

 

――――――幻想殺し〈イマジンブレーカー〉

 

(……?)

 

 いつまでたっても衝撃はこない。おそるおそる目を開けると、反射的に構えた右腕の先に驚愕する悪魔が見てとれた。

 

「何をした貴様!」

 

 叫び声とともに次々と放たれる空気の弾丸。孔はそのことごとくを右手で受け止めていた。始めは驚きつつも無意識にやっていたが、繰り返し受け止めるうち、どうやら右腕でこの弾丸は弾けるらしいと分かった。いや、正確には思い出したのだ。確証はないが、確信がある。この右腕であらゆる魔法を無効化できる、と。

 

「っち!」

 

 魔法は無意味と悟ったのか、悪魔はついに本来の姿を現した。骨を砕くような音を立ててライオンのような顔に変わる。同時に足元の影から這い出た血のように赤い馬にまたがった。右手には蛇を模した槍。その槍を掲げ、孔を屠らんと襲い掛る悪魔。飛び退く孔。後ろにあったコンクリートの塀が真っ二つになった。

 

「何者だお前? このオリアスの槍を避けるとは、ただの人間ではないな」

 

「それはこっちのセリフだっ!」

 

 悪魔――オリアスというらしい――が問いかけとともに突き出した槍を避ける。アスファルトが抉れた。

 

「人間がこれだけ避けられるはずはない。答えろ!」

 

「だから、こっちのセリフだって言ってるだろ!」

 

 孔は息を切らして反応する。このままではじり貧だ。何か対抗できる武器があれば……

 

――王の財宝<ゲートオブバビロン>

 

 そう思った途端、またもや声が響いた。オリアスは驚愕して孔を、否、孔の背後を見ている。今度はなんだと後ろを振り向くと、何もない空間から槍やら剣やらが大量に浮いていた。この光景は以前にも見覚えがあった。

 

――はっはっは……! これが、俺の、俺の力だぁ!

 

 先ほどの声とは違う、傲慢な声が頭にフラッシュバックする。一瞬固まったものの、背中からのオリアスの殺気を思いだし、手近な槍を手にする。全力で相手に投げつけた。

 

――狂戦士<バーサーカー>

 

 響く声とともに、オリアスを串刺しにする槍。いや、串刺しにしただけでは槍は止まらない。オリアスを貫通して後ろの廃ビルの壁に風穴を開けた。その穴の前で崩れ落ちる悪魔は、血だまりようなものをつくったかと思うと跡形もなく消え去った。

 

「終わった、のか?」

 

 呆然と立ち尽くす孔。

 

「嫌ぁぁぁぁ!」

 

 そこに、廃ビルから悲鳴が走った。

 

 

 † † † †

 

 

 廃ビルの中。孔が悪魔と戦い始めた頃、誘拐犯の方は状況の打開に頭を悩ませていた。

 

「おい、どうする、兄貴? なんか妙なことに巻き込まれちまったみたいですぜ」

 

「んなこたあ分かってんだ。あのピエロは一酸化炭素がどうとか言ってやがった。まずは外に出るのが先決だ」

 

「でも、このドア、びくともしませんぜ。窓もないから換気もできねえ」

 

「チッ! じゃあ、どっかに換気扇か通気孔みたいなもんがあるだろう。取り敢えずそれを閉めれば完全密室になってアイツも一酸化炭素なんてこの部屋に入れられねえ。他のやつらも空気が悪くなったら気付くだろう」

 

 それを聞いて弟分の方は換気扇を探し始める。はたして外と空気を入れ替える換気扇は見つかったのだが、

 

「うおぅ、この換気扇壊れてやがる! ダメだ、スイッチ押しても止まらねえぜ兄貴!」

 

「ああ、しかもこれ、外の空気を中に取り込むタイプだな。こっから一酸化炭素流すつもりみたいだろうな」

 

「おおおおい、どおすんだ、兄貴!」

 

「お前はそればっかだな。どうせ壊れてんだから、徹底的に壊しゃいいんだよ」

 

 そういうと、兄貴分の方は拳銃を取りだし換気扇を撃ち抜く。轟音が部屋に響いた。思わず周りを見回す弟分。しかし、自殺志願者達は銃声が聞こえないのか、依然として行為に耽っている。改めてその異常さに恐怖した。だが、その中で正常な反応をしたものがひとり。誘拐してきた少女だ。

 

「あ、アイツ起きやがった」

 

「おい、面倒だ。幸い、まだあのガキに俺たちは顔を見られてない筈だ。変なのに連れ去られた所を俺達が助けに来た事にして誤魔化すぞ」

 

 そう言うと、兄貴分は縛られたまま暴れ始めるアリサの方へと歩き始めた。

 

「おう、目が覚めたか、お嬢ちゃん?」

 

「あんた、誘拐されたのさ。まあ俺達も助けにきたんだが、捕まっちまってね。今この部屋に閉じ込められてんだ」

 

 そして、自分で縛った縄をほどく。

 

「あ、ありがとうございます。ええっと……?」

 

「ああ、俺は鈴木、こっちは佐藤だ。取り敢えずこの部屋から出ないとな」

 

「は、はい」

 

 とりあえず誤魔化すことはできたようだ。誘拐されたという言葉にショックがいまだ抜けない様子のアリサをよそに、誘拐犯二人はそのままどうするか相談し始めた。

 

「しかし、ここにいるやつらは異常ですぜ。自殺志願者にしても行きすぎてる」

 

「ああ、正体をばらしたく無かったから、声はかけなかったが、こいつは正解だったかもな」

 

 アリサの信頼を得て多少冷静になったのか、二人は目の前で繰り広げられる光景を観察する。よく見ると白目を剥いても行為を続ける者もいる。胸くそ悪くなる光景だ。

 

「まあ、こんな所さっさと出るに限るな」

 

「でも、あのガキはどうするんですかい?」

 

 アリサに聞こえないように、弟分が尋ねる。すっかり忘れていたが、元はと言えば身代金目的の誘拐で連れてきたのだ。

 

「まあ誘拐は諦めた。代わりに警察に協力して報償金でも貰おう。あのバニングスからも何か貰えるかもしれねえ」

 

「そいつはいい。正義の味方を突き通すわけですね」

 

「そうと決まれば、簡単だ。内側から出られなきゃ、外から助けてもらえばいい。お前、携帯持ってたよな。警察に連絡しろ」

 

「おう、ちょっと待って……て、ここ圏外ですぜ」

 

「そんなはずあるか、山の中じゃあるまいし」

 

 そう言いつつ、携帯を覗く兄貴分。この廃ビルは比較的繁華街に近く、実際に車のなかで携帯を弄っていた時には問題なく繋がっていた。が、弟分の携帯には圏外の文字が表示されている。

 

「参ったな、俺は携帯を車の中に置いてきちまった。まあ、朝になれば誰か気付くだろうが……」

 

「勘弁して下さいよ。こんな中にいちゃあ気が狂っちまいますぜ」

 

「ねえ、何とかなりそうなの?」

 

 なかなか結論を出さない大人二人に不安になったのか、アリサが会話に割り込んできた。しかし、部屋の雰囲気に当てられたのか、よく見ると顔色が悪く、足も震えている。それに気付いた誘拐犯は、悪人といえど同情したらしい。できるだけ優しい声で話しかける。

 

「ああ、助けを呼ぼうとしたんだがな。携帯が繋がらないんだ。嬢ちゃん、携帯持ってたら貸してくれるかい?」

 

「あ、うん、ここに……あれ、私のも圏外だ」

 

 それを聞いて落胆する弟分。あんまり落胆したせいか、

 

「ごめんなさい」

 

 アリサに謝られた。

 

「いや、嬢ちゃんは悪くねえよ。そうなると別の手を……ってなんだてめえ!」

 

 いつの間にか、女を犯していた男が此方に虚ろな目を向けていた。幽鬼のように立ち上がり、一歩一歩近づいてくる。よく見ると後ろで転がっている女は首を絞められ絶命していた。

 

「ギ、……ヨウジョ、……ガ、イル、イイアァァァァ……」

 

「ひっ……!」

 

 本能的に危険を感じ取ったアリサは兄貴分の後ろに隠れる。

 

「近寄るんじゃねえ、この変態野郎が!」

 

 ボタボタとゆだれを滴ながら近寄ってくるその男に、弟分が殴りかかった。

 

「グギャァ!」

 

 叫び声とともに、まるで骨が折れたかのような音をたてて吹っ飛ぶ男。壁にぶつかると、頭から血を流し始めた。

 

「おい、やり過ぎなんじゃねえか?」

 

「あ、ああ、俺もあんなに吹っ飛ぶと思ってなかっ……ぐは?!」

 

 予想以上に手応えが無かったと言う弁解の言葉は続かなかった。先ほど突き飛ばした男の血がまるで槍にようになり、弟分の心臓を貫いたのだ。

 

「なっ!」

 

 グチャグチャと音をたてて不定形になる血液。いつの間にか血の赤は気味の悪い緑に変わり、露出した内臓を包みこんでいった。そのままぐちゃぐちゃと混ざりあい、不定形の化け物が出来上がっていく。

 

「きゃあっぁぁぁぁ!」

 

 人が意思を持つ不定形の化け物――スライムになる一部始終を見て、悲鳴をあげるアリサ。

 

「クソがっ! 寄って来んじゃねえ!」

 

 それに触発されたのか、兄貴分は銃を撃ち込む。混乱して連射したものの、弾丸はことごとくスライムに打ち込まれた。グゲ、と悲鳴のような音を立ててスライムは動きを止め、破裂するような勢いで元の血に戻った。床にぶちまけられる血液。

 

「……ちっ! おい、大丈夫か?」

 

 背中でガタガタ震えるアリサを気遣いながらも、弟分に声をかける兄貴分。しかし、いつまでたっても反応がない。

 

「……心臓が止まってるっ! クソッ!」

 

「い、嫌ぁぁぁぁ!」

 

 叫ぶアリサ。その声に反応するように、周りからなにかが爆発するような音がした。爆発、と言っても花火のような派手な音ではない。もっと鈍い、骨が砕けるような音が響く。何事かと見渡すと、今まで快楽の限りを尽くしていた自殺志願者達が次々と音をたてて破裂し、血を撒き散らしながらスライムに変わっていくところだった。

 

「きゃあぁぁぁぁああ!」

 

 恐怖にかられ扉に駆け寄るアリサ、勿論扉はびくともしない。

 

「退いてろ、ガキ!」

 

 叫ぶアリサを見て逆に冷静を取り戻した兄貴分は、拳銃で扉の鍵を撃ち抜いた。普通の廃ビルにあるような扉なら簡単に破れるはずだが、

 

「畜生! 何で開かねえ!」

 

 弾痕を残しつつも、扉は壁のように動かなかった。

 

「嫌ぁっ、来ないで!」

 

 足元にすがり付くアリサの声で後ろを向くと、スライムが此方に向かってきた。慌てて拳銃を撃とうとするが、

 

 銃声は響かなかった。カチリとトリガーの金属音が空しく響く。弾切れだ。蒼くなるアリサ。

 

「く、来るんじゃねえ!」

 

 兄貴分はスライムを蹴り跳ばそうとするも、その足をスライムにとられた。

 

「グギァァァァッ!」

 

 足に激痛が走る。スライムが捕食しているのだ。他のスライムもよってたかり、音をたてて喰らい始める。

 

「い、嫌ぁ……」

 

 目の前で人間が喰われるのを見てへたりこむアリサ。次第に無くなっていく人間の肉に不満を覚えたのか、スライムは標的をアリサに変え迫り始めていた。

 

 

「嫌ぁぁぁぁ!」

 

 

 アリサのその絶叫は、孔に届いていた。悲鳴が聞こえた方へ駆ける。埃っぽい廊下を走り、魔方陣が描かれた扉を蹴破る。予想外の固さに違和感を覚えたが、目の前に広がる光景を見てそんな事は吹き飛んだ。

 

 鼻をつく腐臭とともに、赤黒い血だまりが広がっていた。血の海のなかに、ナニか浮いている。俺はあれを知っている。ローウェルの頭だ。腕も見える。骨も浮いてる。そして、その横にはスライムが……

 

――ろーうぇるハアノ悪魔ニ喰ワレタ

 

「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 頭のなかで響く声を否定するように、槍を取りだしスライムを滅多刺しにする。

 

――コイツラハ、コイツラハコッチニイテハイケナインダ!

 

 次々と音をたてて血と内臓の塊に変わっていくスライム達。やがて大量の血だまりに浮かぶ肉の塊だけが残った。頭が働かない。動けない。

 

「……ハア、ハア、ハアッ……」

 

 孔はその場で膝をつき、

 

「う、お、ぐ、おぇ……」

 

 胃の中のものを吐き出した。

 

 

 † † † †

 

 

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。ようやく警察が来たようだ。

 

「っ! 孔、大丈夫? 孔!」

 

 嗚咽を漏らす孔の背中をさすりながら、施設の先生は後悔していた。確かに孔はしっかりしていた。5才児としては異常なほどだ。普通に新聞やニュースを理解するは、こども達との面倒を見るは、施設の職員といえど異常と思うのは仕方ないだろう。それでも、先生にとっては孔がこどもであることに何ら変わりは無い。元はと言えば、アリサの帰りが遅いからと孔を迎えに行かせたのが問題だった。あのとき、二人に仲良くなってもらおうとアリサの携帯に連絡を入れず、あえて孔に行かせていた。二人っきりで話せば、大人びた孔はアリサとうまく関係を修復できるかもしれない。引き取られるアリサにも、最後にそういった機会があればいい思い出にもなるだろう。そんな考えからだったが、現実はどうか。自分が探しに行っていれば、さっさと警察に連絡しておけば、そんな思いが胸のなかを去来する。

 

「……これは、何だ?」

 

 そこへ、声が響いた。アリサを迎えに来たバニングス氏の声だ。目の前に広がる悪夢のような光景をに、そしてあまりにも無惨な娘の姿に理解が追い付かず、立ち竦んでいたが、

 

「何なんだこれはぁっ!」

 

 絶叫した。押さえきれない感情と共に。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、数日。事件は武装したカルト集団の暴動として処理された。その現場に居合わせた不幸な誘拐犯と孤児の死も報じられた。孔は病院に暫く入院しながら警察の事情聴取を受けたが、今では元の生活に戻っている。勿論、悪魔のことは話していない。話したところで信じて貰えないだろう。タクシー運転手と誘拐犯、そしてアリサも常人には理解できない儀式で生け贄として斧で惨殺された。平和な日本では信じられない話だが、これが公式発表だ。

 

「孔、準備は出来た?」

 

「はい、いつでもいいですよ」

 

 先生に答える孔。今日はアリサの葬儀が近くの教会で行われる。先生は孔に気を使い、辛いなら行かなくていいと言ってくれたが、

 

「大丈夫ですよ。ただでさえ仲よく出来なかったのに、葬式に行かないと、余計ローウェルに嫌われてしまう」

 

「……そう。でも、苦しくなったらすぐに言いなさいね」

 

 孔はけじめをつけようとそれを否定した。

 

「じゃあ、いきましょう」

 

 そんな孔に何も言わず、アリスを連れて歩き出す先生。死をよく理解していないのか、アリスは無邪気に笑って先生と手をつなぐ。

 

「ねー、孔お兄ちゃんも、手」

 

 空いた手を、いつもならアリサとつないでいる手を差し出すアリス。孔はわずかな沈黙の後、その手を取った。

 




――Result―――――――
・堕天使 オリアス  宝剣による刺殺
・外道  スライム  銃殺・刺殺等
・愚者  タクシー運転手   魔力による衝撃の貫通
・妖精  アリサ・ローウェル スライムによる捕食
・外道  誘拐犯の兄貴    スライムによる捕食
・外道  誘拐犯の弟分    悪魔の触手による貫通

――悪魔全書――――――

堕天使 オリアス
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列59番の大いなる侯爵。地獄の30軍団を指揮する。馬に跨り、手に大蛇を携えたライオンの姿をもつ。呼び出した人間に惑星に関する知識を与えるという。

外道 スライム
 近代ファンタジー作品に見られる、アメーバ状の体をもつ怪物。本作では、実体化し損なった悪魔の成れの果て。実体化に失敗する例としては、悪魔を呼ぶための魂が足りない、呼び出そうとしたものが儀式中に殺される等多岐にわたる。なお、今回は穢れた魂をもつ人間をヨリシロにしているため、人間の臓器や骨が浮いているのが見えており、それを傷つける事で撃退可能。

外道 誘拐犯の兄貴分
 海鳴市のエレクトロニクス関連下請け企業に勤めていた男。バニングス・グループの進出で親会社が撤退したため、勤めていた企業が倒産。たまたま聞いたバニングス家の情報を元に誘拐を思い付き、実行する。弟分の前では冷静に振る舞おうとするが、成功率の低い誘拐と言う手段をとろうとする等、短絡的なところが見られる。なお、作中アリサに名乗った名前は偽名である。

外道 誘拐犯の弟分
 海鳴市のエレクトロニクス関連下請け企業に勤めていた男。兄貴分の計画に乗り、誘拐を実行する。兄貴分と比べ背が低いものの、力は強い。ただし拳銃は所持していない。企業に勤めていた時から愚直さが目立つ、よくも悪くも人についていく男。

愚者 デイビット・バニングス
 大企業バニングス・グループの総裁。アリサの父親。ビジネスには厳しくも、人の情を汲んだ経営で従業員に人気がある。事業の傍ら、娘であるアリサを探していたが、海鳴市への事業進出にあたって調査をしている際に孤児院で生活していることを突き止めた。

愚者 シド・デイビス
 大企業バニングス・グループの営業部門部長。生粋のアメリカライクなビジネス人で、非効率を嫌う思考の持ち主。ビジネスに私情を挟む社長には疑問を感じている。

愚者 タクシー運転手
 海鳴市にあるタクシー会社の社員兼運転手。元はサラリーマンだったが、務めている会社の業績が悪化してリストラされた。幸い免許を所持していたため、雇用の受け皿とも言われるタクシー運転手として再出発を果たす。結婚もしている二児の父。そのためかこどもに甘い。

――元ネタ全書―――――
召喚失敗でスライムに
 シリーズ恒例の合体事故から。その他、真・女神転生Ⅲでは煌天限定のイベント、怪しいサバトで召喚失敗の描写があるので元ネタに。ご立派なあの悪魔がスライムになって衝撃を受けた(しかもスライムになる前のご立派な姿で仲間になったりはしない)のは私だけじゃないハズ。

アリサと廃ビル
 言うまでもなく原作の原作? とらハ3より。無印前・前編はこの話が中心になります。

――――――――――――
※オリアスはゲーム版の「真・女神転生Ⅰ」ではザンマは撃ってきませんが、魔法の描写がほしかったので使ってもらいました。彼の天体に関する知識とはあまり関係ありませんが、寛大な目でみてやってください。
※原作では幻想殺しを持っていたら自分の持つ他の異能も打ち消されるハズですが、この辺の設定は後で出てくる、という事でご了承ください。
――――――――――――


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第3話 一人ぼっちの少女

――――――――――――

 ローウェルの死。食卓にぽっかりと空いた席がその事実を物語っていた。しかし、人の記憶は風化するもの。連日の報道も、まるで興味を失ったかのように減っていく。

「行ってきます」

 そんな事実から目をそむけるように、俺は外へ歩き出した。

――――――――――――孔/児童保護施設



 孔の暮らす施設の裏手から山道を上れば、空き地がある。かつて観光地開発の名目で進められた計画がとん挫した後に残されたものだ。工事が放棄された砂利道と広大な更地。誰も寄り付かないそこに、孔はひとり立っていた。周囲には無数の剣や槍が浮いている。

 

(制御できる。記憶にないのに、この力を、制御できてしまう……!)

 

 狂戦士〈バーサーカー〉     身体能力を跳ね上げ、手近な剣で岩を両断する。

 王の財宝〈ゲートオブバビロン〉 異空間から打ち出した剣が着弾と同時に爆発する。

 幻想殺し〈イマジンブレーカー〉 自分に向かって放った剣を手で掴んで霧散させる。

 

「……まるで悪魔と戦う為にあるような力だな」

 

 殺傷用途に特化した力、それも対人用としては威力過剰な力に、孔は溜め息をついた。平和な時には役に立たない力を持っているという事は、やはり自分は悪魔と何かしら関係がある存在なのだろう。

 

――コイツラハコッチニイテハイケナインダ!

 

 血の海に沈むアリサとそれに群がる悪魔、そしてその時、恐怖よりも先に頭に浮かんだ言葉を思い出す。もっと早くこの力を使えるようになっていれば。何度となく抱いた自責を追い払うように頭を振ると、孔は家族が待つ家へと戻り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ねー、孔お兄ちゃん、私公園に行きたい! 連れて行って!」

 

 孔が施設に戻ると、少女に声をかけられた。1つ年下のアリスだ。孔は突然駆け寄ってきたアリスに苦笑を返しながら、先生に問いかける。

 

「……先生は行かないんですか?」

 

「ごめんなさい。アキラが熱を出しちゃって。連れていってあげてくれないかしら?」

 

 アキラというのは、この施設で最少年のこどものことだ。まだ幼児といえる年齢で、先生はほとんど付きっきりになっている。

 

「一緒に看病した方がいいのでは?」

 

「アリスが看病でずっと一緒だったから、気分転換にね、お願い」

 

 気分転換。それは看病に疲れたアリスに向かって言ったのか、それとも孔に向かって言ったのか。いずれにせよ、気を使わせてしまったようだ。孔はその好意を受け入れることにした。

 

「じゃあ、ちょっと行ってきます」

 

「行ってきま~す」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 施設を出れば、後ろからアリスが続く。2人は連れ立って、公園に向かった。

 

 

 † † † †

 

 

 施設から程近い公園。その規模は海鳴市が誇るといっていいほど大きく、平日の昼とはいえ年端もいかないこどもから隠居した老人まで、多くの人で賑わっている。

 

「ねー、孔お兄ちゃん、私、これで遊びたい! 投げてみて?」

 

 そんな中、アリスが差し出したのはブーメラン。モコイ's鷹円弾と書かれているそれは、戻ってくることなく地面に突き刺ささる。「ダメダメだね、チミ」という囁き声が聞こえた気がした。

 

「……幻聴か。まったく、こんなもの、何処で手に入れたんだ?」

 

「うふふ、ひみつ~!」

 

 楽しそうに笑うアリスを見て、孔はまあいいかと落ちたブーメランの下へ歩く。拾いながら力の加減は出来ているようだな等と考えていると、視線を感じた。周りからの微笑ましいものを見る視線とは違う、どこか妬ましさを伴ったものだ。こんな些細な気配にも気付けるようになったのかと思いながら、視線の主を探す。

――見つけた。

 小さな女の子だ。しかし、目が合うと慌てた様に視線を反らされる。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの?」

 

 待ちきれなくなったのか、近寄ってくるアリス。そして、

 

「ねー? あのお姉ちゃん、ひとり? 私、一緒に遊びたい! 遊んでいい?」

 

「ああ、仲良く出来ればな」

 

 答えるとすぐ、アリスは歓声を残して走り出した。ベンチに座るその少女、高町なのはに向かって。

 

 

 † † † †

 

 

 目の前で遊んでいる黒髪の男の子と金髪の女の子を、なのははじっと見つめていた。兄妹だろうか。髪の色はずいぶん違うけれど、とても仲がよさそうに見える。

 

(羨ましいなぁ)

 

 なのはにも、兄と姉が1人ずついる。しかし、父親がボディーガードの仕事で怪我を負ってから、ふたりとも母親の経営する喫茶店の手伝いで忙しくなってしまった。必然的になのはは寂しい時間を過ごすことになる。楽しかった家族との時間を連想させる2人を目で追いかけてしまうのも、仕方がないだろう。

 

「……っ!」

 

 だが、孔と目があった途端、気持ち悪い虫を見たときのような嫌悪感に襲われた。思わず目を背けるなのは。そしてすぐに疑問が浮かぶ。どうしてこんな気分になったんだろう、と。しかしその回答を得る前に、金髪の女の子が駆け寄ってきた。

 

「ねー、お姉ちゃん、アリスと遊んで?」

 

「……あ、あの……えっと……」

 

 いいよ、という声は出なかった。別に遊びたくない訳ではない。誰かとの時間を求めていたなのはは、むしろ遊びたかった。が、後ろにいる黒髪の男の子の存在が邪魔をしていた。孔の外見に特異な点はない。年齢にしては整った顔をしているが、アルビノ特有の銀髪は黒く染めているし、オッドアイもカラーコンタクトで誤魔化している。変なところなんてない、はず。なのははそう自分に言い聞かせてみるものの、一目見て沸いた憎悪は、未だ消えなかった。

 

「……アリス、俺は向こうに行ってるから2人で遊んでなさい」

 

「ふぇっ?」

 

 そんな視線に気づいたのか、黒髪の男の子は踵を返して遠くのベンチへと歩いていく。正確には、孔の狂戦士の能力が自分に向けられた悪意を察知し、ついこの間死に別れた少女――ローウェルに接するのと同じように振る舞ったのだが、なのははそんな事知る由もない。何だか感じ悪いな、という感想を抱いた。

 

「行っちゃった……」

 

 どこか寂しそうに呟くアリス。それはどこかさっきまでの自分に似ていて。

 

「わたし、アリス。アリスっていうの! お姉ちゃんは?」

 

「え? えっと、高町なのは、だよ」

 

「うん、じゃあ、なのはお姉ちゃん、遊ぼっ!」

 

 目をキラキラさせて誘うアリスに、なのははぎこちなく、しかしはっきりと頷いた。

 

 

「ぐう、あと少しであの魂は墜ちたものを」

 

 

 そんな2人をいかにも忌々しそうに見つめるものがいた。「もの」と言っても人ではない。頭には一本の角を生やし、長い鼻と長い耳を持つ鬼で、アマノサクガミという。人と真逆の不幸を糧にするこの鬼がなのは孤独に惹かれ憑りついたのは数日前。すぐにその心が歪み始めていることに気づいた。そして、少女がただならぬ魔力を持っていることにも。

 

――更なる同朋を呼び出すため、悪魔の糧となる人間を!

 

 この心の闇と魔力は、悪鬼の召喚者が求める素材としては最高だ。さらに言えば、ついでの味見だけでもさぞ満たされるに違いない。だが、それは今、突然現れたこどもに潰えそうになっている。

 

「ええい、ならばあの心の歪みをさらに広げてくれる」

 

 鬼は動く。契約と、自分の欲望を満たすために。

 

 

 † † † †

 

 

 孔は公園のベンチから、アリスとなのはを見つめていた。遠くにいる2人に注意を向けると、声が聞こえる。異能に目覚めてから、随分耳が良くなったものだ。あの女の子、高町なのはに自分は警戒されてしまったが、アリスは問題なく過ごせているようだ。アリスもアリサと一緒に過ごしていた時には孔が遠くから見守ろうとするのを覚えていたためか、こちらを気にせず遊んでいる。孤児のアリスが一緒に遊べる同年代のこどもは少ない。アリサを失ったばかりのアリスには、いい気分転換になるだろう。

 

「あら? 孔じゃない?」

 

「あ、杏子さん。お久しぶりです」

 

 感傷に浸っていると、聞きなれた声が聞こえた。振り向いた先にいたのは、ボランティアの腕章を着けたその女性、朝倉杏子(あさくら きょうこ)。よく施設のこども達にお菓子を持ってきてくれたりするため、孔はよく知っている。

 

「今日は公園の掃除ですか?」

 

「ええ、我らがメシア教会は社会奉仕に尽力してますってね」

 

「……ガンバって下さい」

 

 適当に流したが、メシア教会というのはこの付近に教会を構える宗教団体のことだ。この地方にある教会の宗派では説教よりもボランティアや慈善事業に力を入れているらしく、公園で見かけるときは清掃作業に勤しんでいることが多い。先述した施設に届けているお菓子も慈善活動の一環だという。たまに拡声器で教義を叫んでいるが、日本で活動する宗教団体ご多分に漏れず、当然のごとく無視されている。多くの人は説教しているのがメシア教会ということも分かっていないだろう。

 

「むぅ、相変わらず可愛くない反応ね。私がいい加減な信者だからってバカにしてるわね」

 

「自分でいい加減な信者とか言わないで下さい。また朝倉さんに怒られますよ」

 

「いいのよ、別に。どっちかっていうとボランティアとかの方が楽しいし」

 

 杏子はよくボランティアには参加するものの、メシア教そのものには詳しくない。その一方、彼女の父親は熱心な信者で、教会では神父をやっている。前に一度お菓子を取りに教会へ行ったことがあるが、杏子は父親の説教中に居眠りをして怒られていた。

 

「その割りにサボって鯛焼き食べて休憩ですか?」

 

 手に持っている紙袋を見て言う。公園で屋台をやっている鯛焼き屋の袋だ。

 

「ホントに可愛くないわね。あなたたちにあげようと思って買ってきたのよ」

 

「いいんですか?」

 

「ええ。実は差し入れが余っちゃったのよ。捨てるのも勿体ないしね」

 

「じゃあ、遠慮なく頂きます。ありがとうございました」

 

「うん、アリスちゃんによろしくね。ついでにあの女の子にも」

 

 じゃあ私は掃除の続きがあるからと言い残して去っていく。孔はそれを見届けると、アリスたちの方へ走っていった。

 

 

 † † † †

 

 

 孔がいる広場からやや離れた、公園に設けられている自然保護地帯。ちょっとした植物園のようになっているそこで、今日もボランティアに精を出す老人がいた。彼は会社を引退後、この公園でのゲートボールを趣味としていたが、他の老人仲間に声をかけられ、数年前からボランティアに参加していたのだ。やはり、家で引きこもっているより、外で仲間やこども達とふれあう方が楽しい。人の役にも立てるし、一石二鳥の趣味と言える。

 

「そろそろ差し入れ時か」

 

 ボランティア後の差し入れはそんな彼のちょっとした楽しみだ。仲間や杏子をはじめとした若い世代との会話を楽しみに芝刈機のスイッチを切った。その途端、腕に激痛が走り、芝刈機を落としてしまった。

 

「……がっ?!」

 

 口から悲鳴が漏れたが、それは背後から何者かに喉に噛みつかれ止まった。背後から噛みついたそれは老人の肉を喰らい始めた。肉を咀嚼する音が響く。

 

「……不味い」

 

 絶命した老人の腕から手を離し、首から腹にかけて無くなった死体を茂みの中に放り投げる。ぐちゃっと音がし、血と共に内臓をぶちまけた。

 

「やっぱ、年寄りなんぞ喰らってもうまくねえな」

 

 芝刈機を手に、アマノサクガミが呟く。やはり、現世に止まるにはもっと生命力に満ち溢れたこどもの肉が必要だ。

 

「ひっ! ひっひっひっ!」

 

 奇怪な声を浮かべながら、芝刈り機を引きずって公園の広場へと向かう。少し離れた芝地では、孔達3人が杏子からの差し入れを食べていた。アリスは嬉しそうにすぐに手を伸ばし、なのはは少し戸惑ったものの、アリスに促されて食べはじめる。それに苦笑する孔。こどもたちの微笑ましい風景を見て、鬼は邪な笑みを浮かべる。

 

 あの兄妹が来てから笑顔になったのなら、兄妹を殺せばいい。

 人外の力で、先程手に入れた芝刈機を投げる。背後に迫るノコギリの刃は、

 

「――っ!」

 

「きゃっ!?」

 

 しかし寸前でかわされた。超人的な反応で孔がアリスを抱えて飛び下がったのだ。芝刈り機は土を跳ね揚げながら転がり、数メートル先で不快な音を上げる。

 

「なっ! なんだあのガキ……! まさか英霊の転生体かっ!?」

 

 驚愕に声を上げる鬼。転生体とは過去の英雄や神、悪魔といった存在が、何らかの因果で魂をそのままに、再度現世に生まれた存在だ。当然、倒すべき敵を倒すだけの力を持って産まれてくる。そうなると分が悪い。

 

「いや、だが、あれはまだガキだ。力はまだ発揮できないはず……!」

 

 必至に悪い予感を打ち消しながら、再び3人に目を向ける。そこには、駆け寄る杏子の姿があった。こども達に迫った危機に駆けつけたであろう保護者代わりの女性に、鬼は再び邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

 † † † †

 

 

「ちょっと、あなた達大丈夫?」

 

 杏子は孔達へ駆け寄った。公園の清掃が一通り終わった後の備品のチェックで見つかった不備。終了時間に遅れる人もいるので、そのせいだろうと軽く考えて見回りに出たのだが、見知った3人に芝刈機が迫るのを見て青くなった。幸い孔がアリスを助けたのだが、一歩間違うと大惨事だろう。

 

「あ、杏子さんだっ!」

 

 だが、アリスは恐怖を見せることなく声を上げる。その様子は、施設で見せる姿と変わりはない。とりあえずの安心を得て、なのはにも声をかける。

 

「ふぅ、大丈夫みたいね。キミも平気?」

 

「えっ? あ、はい……」

 

 なのはの方はまだ飛んできた芝刈機ヘの驚きが抜けていないのか、あいまいな返事をする。しかし、外傷はないようだ。

 

「そう、よかったわ。備品が1つ足りなかったから、探しに来たんだけど……」

 

「悪意を持って、投げつけられたみたいですね」

 

 孔は芝刈り機が飛んできた方を睨みつけながら、杏子に告げる。そのこどもらしくない――否、それを通り越して殺気すら感じさせる雰囲気に、杏子は慌てて問いかける。

 

「孔、あなた、大丈夫なの!? 怪我はない?」

 

「あ、いえ、すみません、大丈夫ですよ」

 

 が、すぐにいつもの調子を取り戻す。杏子はようやく胸をなでおろした。代わりに、犯人へ怒りがこみあげてくる。

 

「孔、変な人とか、見なかった?」

 

「いや、人影は見えませんでした。どうもこっちから見えないようにしていたみたいで……追いかけますか?」

 

「ダメよ! 危ないんだから。この件は警察に連絡しておくから、あなたたちは早く帰って……あ、いや、誰か信頼できる人に送ってもらうから、人の目につきやすい遊具で遊んでなさい。ホント、ボランティアの備品をこんなふうに使うなんて最低」

 

 思わず厳しい声を出してしまったが、それは服を引っ張るアリスに遮られた。

 

「ねー、杏子さん、鯛焼き落としちゃった。私、新しい欲しい。ちょうだい?」

 

 盛大に顔をしかめる孔と、困ったような顔をするなのは。杏子は思わず笑ってしまった。

 

「はいはい、買ってきてあげるから、向こうで遊んで待っててね?」

 

「ホント? やった!」

 

「あ、ちょっと待って~! アリスちゃん~!」

 

 こどもらしく元気に走り去るアリスと、それを追うなのは。孔は頭を下げる。

 

「すみません、ご迷惑を……」

 

「いいから。それより、2人をちゃんと見てあげて、変な人がいたら逃げるのよ?」

 

 礼儀正しく謝ろうとする孔を途中で遮って、アリス達の下へ送り出す。しばらく3人の後姿を見守っていたが、やがて杏子は転がっている芝刈り機を回収すると、事務所へ戻り始めた。さすがにこれはイタズラでは済まないレベルだろう。最近はこの辺も物騒だ。少し前にもカルト集団のこども生贄事件がニュースで流れている。公園にこどもを狙う変質者がいてもおかしくない。早く連絡しないと。そう思って歩く速度を速めた矢先、

 

「……うぐっ?!」

 

 突然後ろから首を絞められた。勢いのまま地面に転がされる。締め上げる力は強く、悲鳴をあげることもできない。遠くなる意識。手を離れた芝刈り機が立てる音が、やけに遠く聞こえ、

 

――ダメっ! あの子たちが!

 

 視界が暗転する寸前、伸ばした手に芝刈機が触れた。それを無理やり背後に押し当てる。刃に驚いたのか、一瞬拘束が緩んだ。背後を覆う小柄な男の身体を突き飛ばす。

 

「ごぁ! やりやがったな! このアマァ!」

 

「ゴホッ、ゴホッ……なっ?!」

 

 否、男ではなかった。そこにいたのは、鬼。比喩ではなく、本物の鬼だ。

 

「まずはテメェから喰ってやる!」

 

 信じられないスピードで迫ってくる鬼。杏子は思わず悲鳴をあげて逃げはじめる。遊歩道に出て角を曲がり、

 

「どうしました?」

 

 悲鳴を聞きつけたボランティア仲間の山田さん――芝刈機を借りたまま戻らない夫を探しに行っていた老婦人――と出くわした。反射的に助けを求め、

 

「ぎ、ぎゃぁぁぁぁ!」

 

 しかし叫んだのは老婦人だった。背後から悪鬼が投げつけた芝刈機が、杏子を通り過ぎ老婦人を襲ったのだ。人外の力で投げられたそれは、ノコギリの刃で肉を抉りながら数メートル先で鉄柵に激突して動かなくなった。同時、ノイズがかったような不快な声が響く。

 

――次はお前だ!

 

 杏子は跳びあがるようにして逃げ始めた。ほとんど反射と言っていい。しかし、

 

――スクンダ

 

 数歩歩いたところで、急に体が重くなった。まるで急に水の中を歩き始めたかのように、空気が異常な抵抗となって杏子の動きを阻む。距離が詰まる。捉えたと見たのか、鬼は飛びかかってきた。避けようとするも重い空気は体を拘束し、思うように動いてくれない。鬼の腕に足を掴まれ、地面に叩きつけられた。

 

「嫌っ! 放しなさいよっ! 放せぇ!」

 

 恐怖のまま抵抗する杏子。その声は、

 

「ああぁぁぁぁぁっ!」

 

 グギリッという音が響くと同時に絶叫に変わった。鬼が異常な握力に任せて足を握りつぶしたのだ。骨を砕かれた足から血を流し、激痛に叫びながら転げ回る杏子。

 

「あっ! がぁっ!」

 

 痛みに思考が飛ばされる中、のど元に爪が押し付けられるのを感じた。次いで真っ赤に染まる視界。固い刃が肉を抉る音が、直接脳に響く。同時に恐怖。痛み。それを最後に、杏子の意識はぷっつりと途絶えた。

 

 

 † † † †

 

 

 孔は杏子を持ちながら、なのはと2人でブランコをこぐアリスを見つめていた。アリサを失ってからつまらなそうに過ごしていたアリスは、なのはの出現で元の活気を取り戻したように見える。このまま、公園に出てきた変質者なんか気にせず、杏子が迎えに来るまで楽しく過ごしてくれればいい。そう思い、2人から周囲へ意識を向けようとするが、

 

「ねー、なのはお姉ちゃん、孔お兄ちゃんのこと、嫌い?」

 

 そんなアリスの声で再び視線を戻した。いつの間にか、揺れていたブランコは止まっている。

 

「えっ?! えっと……そんなことないよ?」

 

「じゃあ、どうして孔お兄ちゃんから逃げるの?」

 

「あぅ……別に逃げてるわけじゃないよ。ちょっと苦手なだけで……」

 

「え~! なんで? 孔お兄ちゃんって怖いけど優しいよ?」

 

 どうやらアリスも、なのはが孔を避けているのを感じ取ったようだ。アリスはこの手の感情に敏い。アリサとも同じようなやり取りをしていたのを聞いたことがある。そしてその時も、3人で一緒に遊ぼうと一生懸命という様子で説得していた。

 

(しかし、怖い、か……)

 

 それは自分の抱える異常を無意識に感じ取っての言葉なのか、それとも普段から口うるさい兄に対しての言葉なのか。浮かんだそんな思考は、戻ってきた杏子に遮られた。

 

「孔くん、お待たせ」

 

 手を振って、こちらに歩いてくる杏子。孔は黙ってそれを見つめる。

 

――ドコカ、オカシイ

 

 なぜそう思ったのか。急に抱いた違和感に戸惑っていると、アリス達がやってきた。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの?」

 

 アリスは孔の視線を追って杏子を見つめると、

 

「……あのお姉ちゃん、だあれ?」

 

 そう言った。同時に悟る。杏子は、こんな時に悠長に歩いたりしない。愛想を張り付けたような笑顔を浮かべたりしない。そういえば、迎えに来るまで何分経った? 送って貰うといった人は? それに、相手がまとう異常な雰囲気は、

 

――アノ時ノ悪魔ト一緒ジャナイカ!

 

 アリスを庇うように飛び下がる孔。杏子の姿をしたそれは、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「っち! いい勘をしているな! こうなったら小細工は無しだ!」

 

 本来の姿を取り戻し、飛び掛かる鬼。だが遅い。孔は余裕をもって鬼を蹴り飛ばした。鬼はジャングルジムに激突し、醜い悲鳴を上げる。

 

「2人とも逃げろ!」

 

 孔の鋭い声に、アリスはなのはの手を取って駆け出した。泣きそうな顔をしながらも逃げてくれたことに安堵しながら、孔は起き上がった鬼に向かって叫ぶ。

 

「杏子さんをどうした!」

 

「はっ! 今は俺の腹の中だ! あいつはうまかったぜぇ!」

 

「……っ! 貴様……!」

 

 孔はその言葉に、血の中に沈むアリサを思い浮かべる。無意識に剣を取り出し構えていた。アロンダイト。数ある武器の中でも最も孔の手になじんだ聖剣だ。突然出てきた剣に鬼は驚いたように声をあげる。

 

「おお、おまえ、その武器はなんだ! 神器じゃねえかぁ!」

 

「黙れぇ! 悪魔がぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 激高した孔は叫びながら斬りかかる。その刃は数々の英雄が振るうものと違うことなく、驚愕に目を開く鬼を両断した。いつかの悪魔と同じ様に、シミになって消えていく。

 

「……っく!」

 

 歯を食いしばる孔。アリサに続き、今度は杏子が犠牲になってしまった。力を持っているはずなのに。そんな思いが浮かぶ。

 

(いや、アリスたちを追うのが先だな……!)

 

 だがすぐに、首を振って意識を切り替える。悪魔は、この1体とは限らない。

 

「……?」

 

 だが、足に何か当たった感触で立ち止まる。見ると、杏子がいつも身に付けていたペンダントが転がっている。あの悪魔が奪ったのだろう。孔はそれをポケットにいれると、アリスが逃げたであろう方向へ走り始めた。

 

 遊具から広場を抜け、遊歩道へ。

 しかし、アリスたちの姿は見つからない。

 

 先に逃がしてしまったのは悪手だったか。そう思いながら足を動かしていると、

 

「おお、孔くん。杏子を見なかったかい?」

 

 代わりに杏子の父親、朝倉神父と出会った。帰りが遅い杏子を心配して探しに来たのだろう。孔は一瞬戸惑った。まさか悪魔に殺された等と言えない。第一、孔自身も死体を見た訳ではない。もしかしたら、喰ったというのは悪鬼の挑発にすぎず、生きているかもしてない。いや、生きていて欲しかった。

 

「……いえ、見かけません」

 

 だから、孔はそう答えた。

 

「そうかい? このところ物騒だからね。君も早く帰った方がいい。そろそろ、施設の門限だろう?」

 

「ええ、そうなんですが、アリスとはぐれてしまって。朝倉さんはアリスを見ませんでしたか?」

 

「いや、見ていないな。私も探してみようか?」

 

 その時、サイレンの音が聞こえた。公園の裏手辺りからだ。

 

「む? パトカーが来ているな。ちょっと覗いてみようか」

 

 好奇心の塊であるアリスならそっちに向かっているかも知れない。孔も朝倉に続いた。

 

 

 † † † †

 

 

 数刻前。なのははアリスに手を引かれるまま走り続けていた。しかし、恐怖は少ない。杏子の格好をしたナニカが鬼に変わった時に感じたそれは、孔の背中を見て霧散していた。アリスと自分の前に立つ孔に思い浮かべたのは、憧れである兄・恭也。かつて甘えていた家族の幻は、なのはに間違いなく強い安心感を与えてくれた。

 

――ねえ、なのはお姉ちゃん、孔お兄ちゃんのこと、嫌い?

 

 そして、同時に混乱した。嫌いなはずはない。そう思うものの、出会った時に見たあの目を思い浮かべると、何故か嫌悪感が拭えなかった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 そんな混乱を止めたのは、息を切らすアリス。後ろを振り向いて何も追ってこないのを確認すると、なのはは立ち止まってアリスに声をかけた。

 

「アリスちゃん、大丈夫?」

 

「うん、平気。孔お兄ちゃんが、守ってくれるし、逃げろって、言ってくれたし……」

 

 だが、息を切らすアリスから返ってきたのは、兄への強い信頼だった。なのはとしてはアリス自身が大丈夫かと聞いたつもりだったが、アリスはこの状況の事を聞かれたと思ったらしい。

 

「……うん、そうだね」

 

 なのははそれを修正することなくただうなずいた。華のような笑顔を浮かべるアリス。

 

「うん! きっと、大丈夫だよ! だから、今度、一緒に、3人で遊ぼうね!」

 

 きっと、自分は困ったような顔をしているのだろう。しかし、アリスはそんななのはを気にした様子もなく再び手を取ると、今度は走ることなく歩き始めた。まるで大丈夫なんだから逃げるのは終わりというように、公園の遊歩道をゆっくりと進む。楽しそうに前を歩いていたアリスは、しかし人だかりを見つけて足を止める。

 

「いっぱい人がいるね? ねー、見てきていい?」

 

「あ、ちょっと、アリスちゃん!?」

 

 好奇心旺盛なアリスは、返事も聞かずに人の群れへ入っていく。

 遅れて追いかけるなのは。

 

 悲鳴が響く。

 

 そこにあったのは、杏子の食い散らかされた死体だったから。

 

 

 † † † †

 

 

「貴方、大丈夫?」

 

 気がつくと、なのはは女の人に肩を揺すられていた。婦警だ。目の前には、泣き崩れるアリスと視界を防ぐようにかけられたブルーシーツ。

 

(あの奥には杏子さんが……)

 

「……う、おぇ……」

 

 そう思うと、酷い吐き気がこみ上げてきた。婦警は背中を擦りながら慰める。

 

「怖かったよね。お巡りさんが来たから、もう大丈夫よ?」

 

 暖かい手から伝わってくる温もり。いつからか遠のいた人の優しさに、母親を重ねるなのは。しかしそこへ、アリスの声が響いた。

 

「孔お兄ちゃん、杏子さんが、杏子さんがぁっ!」

 

 それはいつか夢に見た風景だった。

 

 走ってきた孔と見知らぬ男性。孔に抱きついて泣き始めるアリス。アリスを撫でてやりながら、男性の方に顔を向ける孔。その男性は直ぐにブルーシーツに近づき、警察が止めるのも聞かずにその中に入る。

 

――いけない。そこには……

 

 離れてしまった家族が、そのまま自分の前から永久にいなくなってしまうという悪夢。かつての恐怖は、

 

「き、杏子……!」

 

 目の前に広がっていた。

 

 

 † † † †

 

 

 泣き疲れたアリスをおぶって、帰途につく孔。なのはは一緒にいた婦警が送っていく事になり、先ほど別れたところだ。代わりに、見送りを引き受けてくれた朝倉神父とともに見慣れた施設への道を歩く。

 

「そうだ、朝倉さん、これ……」

 

「うん? これは……杏子のペンダントか」

 

「杏子さんから預かっといて、と。掃除の邪魔になるからって……」

 

「……そうか、杏子らしいな……」

 

 勿論、これは嘘だ。悪魔の話は信じて貰えないだろう。仮に信じて貰えたとしても、巻き込まれて殺されるのがオチだ。杏子の大切な人を、これ以上悲劇に巻き込む訳にはいかない。それでも、遺品くらいは持つべき人に返したかった。朝倉はしばらくペンダントをじっと眺めていたが、やがて孔のほうに向き直ると、ペンダントを差し出した。

 

「これは君が持っていてくれないか?」

 

「いや、しかし……」

 

「このペンダントは杏子の大切なお守りだったんだ。それを孔くんに託したということは、君のことを護って欲しいとお守りにお願いしたと思うんだ。だから、これからもキミがそのペンダントを持って、護って貰って欲しい」

 

 しっかりと目を見て言われた。メシア教徒の教義でも関係しているのだろうか。死者の意識をとても大切にしている言葉だ。孔はうつむいてうなずくしかなかった。嘘を重ねる自分が苦しい。そんな孔の葛藤を知ってか知らずか、朝倉は礼を言う。

 

「うん、ありがとう。きっと杏子も喜ぶよ」

 

 思わず見上げた朝倉神父の顔には、隠しきれない悲痛が見えた。

 

 




――Result―――――――
・邪鬼 アマノサクガミ 宝剣による斬殺
・メシア教徒 朝倉杏子 悪魔による喰殺
・愚者 山田老人 悪魔による撲殺
・愚者 山田婦人 悪魔による撲殺

――悪魔全書――――――

邪鬼 アマノサクガミ
 日本神話に登場する小鬼。天逆神と書く。天邪鬼(あまのじゃく)という呼称で知られ、天狗のように高い鼻と長い耳、獣のような頭をもつ。人の心と反対の行動をとり、不愉快にさせて楽しむという。民話・瓜子姫では、姫に化けるという一幕がある。

愚者 山田婦人
 ボランティア活動に参加している老人。引退した夫が一日中家で過ごすのを不憫に思い、ゲートボールにボランティアにと引っ張り回す。ずっと専業主婦だったため、ご近所とは強いネットワークを持っており、直ぐに夫を外に出るようにさせた。夫婦仲はよく、ボランティアでも一緒に休憩時間を過ごすことも多い。

愚者 山田老人
 ボランティア活動に参加している老人。引退してからは自宅に引きこもる事が多かったが、妻に連れ出され、人との交流に生き甲斐を見いだすようになる。特に最近はこども達とのふれあいが楽しいらしく、ボランティアの傍ら遊んでいるこどもに注意したりしては母親達に迷惑がられている。

メシア教徒 朝倉杏子
 メシア教会に属しながら、ボランティア活動に勤しむ女性。メシア教には父親の影響で参加しているが、布教や教会の運営等には携わっていない。メシア教の教えよりもボランティア活動を始めとした公共活動に興味をもち、将来は海鳴市市民課に就職すべく日夜勉強中。社会活動に積極的に参加しているせいか、高齢者やこども達に顔見知りが多い。代わりに同年代の友人(特に彼氏候補)が少ないのが悩みの種。祖母から受け継いだペンダントをお守りとして大切にしている。

メシア教徒 朝倉京一
 杏子の父親。厳格なメシア教徒で、協議に基づいて行動する。教会での地位も高い。ただし、教会の金で施設にお菓子を届ける等、その情熱から実行動を最優先としており、行き過ぎとして非難されることも。ボランティア活動に精を出す杏子には苦言を呈しながらも誇りを持っている。

――元ネタ全書―――――
 女性に化けるアマノサクガミ
真・女神転生Ⅰ。主人公の母親を喰らって化けたシーンから。イベント悲惨さに比して弱いのがまた何とも……。何かの雑誌で開発者が「あまりの残酷さにゲーム中では描写を削った」とか言っていた記憶が。
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第4話 死者の行く先

――――――――――――

 会いたい。
 アリスちゃんに会いたい。
 だって、家には誰もいないから。
 ひとりで、いい子にしてないといけないから。

 でも……

「アリスちゃんと会えなくなっちゃった……」

 怖いのを我慢してやってきた公園は、黄色いテープでふさがれていた。
 涙がこぼれる。また私は、ひとりに……

「あら、なのはちゃん。どうしたの?」

 そんな時、婦警さんが来てくれた。昨日、いっぱい泣いたのに、ずっと一緒にいてくれた婦警さんが。

「……ああ、公園で遊べなくなっちゃったのね?」

 涙を拭きながらうなずくと、婦警さんは手をつないでくれた。

「じゃあ、町の方の公園に行きましょうか? ここよりちょっと小さいけど、十分遊べると思うわよ?」

――――――――――――なのは/公園前



 海鳴署。市民を守るべく設立されたビルの一室で、不機嫌そうにPCの画面を見る男がいた。先日の海鳴公園殺人事件現場で指揮をとっていた百地警部だ。彼は廃ビルでのこども生贄事件も担当しており、ここ数日で連続して起きている血生臭い事件の解決に躍起になっている。

 

「百地警部、資料貰って来ました」

 

「Tシャツか。そこに置いといてくれ」

 

 そこへ、Tシャツこと部下の磯野刑事がやって来た。しかし、百地警部は資料に目もくれず、何やら難しい顔で考え込んでいる。いつもは資料を奪うようにして受け取るのに。上司の普段と違う様子を見て、Tシャツは不振がった。

 

「どうしたんスか?」

 

「ああ、明日付けで本庁の連中がこの事件の捜査に入る。俺達はお役御免らしい」

 

 吐き捨てるように言う。PCの画面には「海鳴公園殺人事件捜査体制に係る通知」と題して、捜査員の名簿が載っていた。

 

「なんスかそれ、所轄は黙ってろってことスか?」

 

 Tシャツが怒ったように言う。無理もない。見せられた名簿には海鳴署員の名前は一人も載っていなかったのだ。

 

「そうらしいな。これは署長から聞いた話だが、もう捜査本部を作って、公園を封鎖しに行ったらしい」

 

 朝、挨拶した際に憤慨して愚痴を垂れ流し続ける署長を思い浮かべ、苦笑いする百地警部。Tシャツは尚も納得いっていない様子だ。

 

「でも、地元に詳しいやつが居ても損はしませんよ! せっかく資料だって貰って来たのにっ!」

 

「……いや、この資料は使う」

 

「はい?」

 

「あの時、公園で俺はご遺体を見たんだが、ありゃあ普通の殺され方じゃねえ。あの生贄事件に似てた。もしかしたら、この2つは関係してるのかも知れねえ」

 

「で、でも、俺達、捜査から外されちまいましたよ?」

 

「馬鹿、外されたのは公園の方だけだ。廃ビルの方はまだ俺達の領分だ」

 

「そ、そうか! もし事件が繋がってりゃあ、廃ビルの方を調べてる俺達も公園の方にお呼びがかかるって訳っスね!」

 

「そういう事だ。もう一回廃ビルの件を当たるぞ」

 

 そう言うと、ようやくTシャツが持ってきた資料を手に取る。そこには「海鳴市廃ビル事件捜査資料」とあった。

 

 

 † † † †

 

 

 場所は変わって、施設の玄関先。そこには、朝倉神父の姿があった。施設の先生がお菓子を受け取っている。

 

「では、お預かりします。いつもありがとうございます」

 

「いえ、いいんですよ。これも教会の活動でもありますし」

 

 孔はその様子を、アリスと一緒に2階から眺めていた。本来なら自分も出て行って挨拶をしなければならないのだが、朝倉神父にどんな顔をして会えばいいのかわからない。異能を持っているのに、何とも脆い心だ。そんな自嘲が浮かぶ。

 

「それでも、助かっていますし……。あ、今お茶をお出ししますね?」

 

「いや、お構いなく。実はこの後用事がありまして、すぐに向かわないといけないんです」

 

「そうでしたね。すいません、引き留めたりして……」

 

「いえ、それではまた」

 

 挨拶もそこそこに出ていく朝倉神父。今の朝倉神父は、事件の関係者でもあり、警察やマスコミの対応が絶えない。それでもお菓子を届けに来てくれたのは、決して教会の活動のためだけではないだろう。扉を閉じると同時に振りかえる先生。目が合った。

 

「孔、このお菓子、アリス達に持っていってあげてくれる?」

 

 孔はうなずくと階段を降りて――しかし、お菓子の袋は受け取らずに言った。

 

「すみません。今日で半年なんで、今からちょっと外に行きたいんですけど? それと、杏――いえ、ちょっと公園にもよりたいので」

 

 今日でアリサがいなくなってちょうど半年になる。杏子が犠牲になった公園に備えられたという献花台と一緒に、廃ビルの方にも行っておきたい。孔を追って2階から降りてきたアリスに聞かれたくなかったため、言葉足らずになってしまったが、それでも先生には伝わったようで、

 

「……そう、今日はそういう日だったわね」

 

 早いわね。そう呟く先生。しかし、すぐにいつものように送り出してくれる。いってらっしゃい。いってきます。孔もいつもの返事を返し、そのまま玄関に向かおうとした。が、それを見咎めたアリスから声がかかる。

 

「ねー、孔お兄ちゃん、どっか行っちゃうの?」

 

「ああ、ちょっと外に出てくる」

 

「じゃあ、私も行く!」

 

「アリス、お菓子も有るんだから家でゆっくり……」

 

「やっ! 一緒に行く!」

 

 あの事件以降、アリスは孔と一緒に過ごすことが多くなった。聞くと、ひとりでいるのが怖いと言う。親しい人の死を目にしたのだから仕方ないだろう。

 

「いいじゃない、アリスも、連れて行ってあげて?」

 

「しかし……いや、分かりました」

 

 これからその死を連想させる場所に行くのだが、先生はアリスの背を押した。孔と一緒なら大丈夫と思われたのか、それともいつまでも誤魔化すよりもいいと思われたのか。

 

(いや、もう気づいている、と言いたいんだろうな)

 

 アリスは、人の感情や関係に敏い。おぼろげながらアリサや杏子の事を理解し、受け入れていても不思議ではない。ぐずぐずと悩む自分より、アリスはずっとこどもらしい強さを持っているのだ。

 

「じゃあ、いってきます」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

 今度こそ挨拶を交わすと、杏子とアリサに贈るための花を買いに、孔はアリスと手を繋いで街の方へ歩いていった。

 

 

 † † † †

 

 

 街中の花屋に向かう途中にある、小さな公園。事件があった自然公園のように目立つ存在ではないものの、都市部に設けられたそこでは、サラリーマン風のスーツをきた男性や主婦らしい女性がゆったりとした時間を過ごしている。

 

(本当は、寄るつもりはなかったんだが……)

 

 孔はその中をアリスと連れ立って歩いていた。アリスに杏子の死を連想させたくなかったため、本来ならこの公園を避けて遠回りするところなのだが、当のアリスから寄っていきたいと言われたのだ。

 

――だって、なのはお姉ちゃんがいるかもしれないし

 

 孔はその言葉に苦笑しながらうなずいた。やはり、アリスは自分とは違った強さを持っているようだ。そして同時に思った。その小さな望みが叶えられればいい、と。

 

「あ、なのはお姉ちゃんだ! なのはお姉ちゃ~ん!」

 

「えっ? アリスちゃん?」

 

 だからだろう。本当にツインテールを揺らして婦警――明智ほむらに見守られながら遊ぶなのはを見つけた時、思わず笑みがこぼれたのは。もっとも、昨日なのはが見せた態度の手前、笑いあう2人の間に入ることは出来ない。代わりに、ほむらと挨拶を交わす。

 

「すみません。昨日は、妹がご迷惑をおかけしました」

 

「あら? キミは……朝倉さんが送っていった子ね? あなた達も、こっちの公園まで遊びに来たの?」

 

「いえ、向こうの花屋へ行く途中に寄ったんです。献花しようと思って」

 

「……そう。優しいのね」

 

 事情を話す孔にほむらは笑顔で応えてくれたが、やはり少し空気を重くした。孔は慌てて話題を変える。

 

「いえ、それより婦警さんはどうして高町さんと?」

 

「ああ、巡回の途中で会ったの。なのはちゃん、あっちの公園で遊べなかったみたいだから、こっちに連れてきたのよ。あの辺にひとりでいると、また変な事件に巻き込まれるかもしれないし」

 

「そうですか……。そうだ、花を買いに行く間、アリスの事も見ていてくれませんか?」

 

「ええ、もちろん……」「えっ、孔お兄ちゃん、行っちゃうの?」「ダメみたいね。まあ、せっかくだし皆で一緒に行ったらどうかしら?」

 

「そうですか、すみません」

 

「いいのよ。こどもが遠慮しないの。私もそろそろ巡回に戻らないといけないし。花屋さんまでなら私の巡回経路だから。2人もいいよね?」

 

 話の途中で声を上げたアリスは嬉しそうに微笑み、なのはは困ったような笑みを浮かべる。孔はそれに微笑み返すほむらに連れられ、公園を出て花屋への道を歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「うわぁ、ほら、孔お兄ちゃん、あのお花すっごい綺麗だよ! あれにしよう?」

 

「……ああ、アリスはあれにしような」

 

 花に囲まれご満悦のアリスとそれを適当に流して花を選ぶ孔。なのはは相変わらず困ったように曖昧な笑みを浮かべている。珍しく賑やかになった店内で、ほむらは花屋の店員――神木まどかとお茶を飲みながら喋っていた。

 

「ごめんなさいね、急に」

 

「いいのいいの。献花用の花でしょ? 今どき感心な子達だよね」

 

 まどかとは、同じ海鳴市出身の幼馴染みだ。進む道は違ったものの、巡回経路上に店があったことから再会、よくお茶に寄らせてもらっている。もちろん、お茶は花屋にある来客用の備品だし、寄り道は立派な税金の無駄遣いなのだが、勤務中のささやかな楽しみくらいはあってもいいだろう。

 

「ねー、孔お兄ちゃん、こっちのお花も綺麗だよ。これも買おう?」

 

「アリス、いったい何本買うつもりなんだ?」

 

「たくさん! たくさん持ってってあげて、杏子さん喜ばせてあげるの!」

 

「……そうか。でも、多くても持ちきれないから、今日はそのくらいにしときなさい」

 

「むー、じゃあ、我慢するね」

 

 横に目を向けると、そこには微笑ましい兄妹のやり取りが繰り広げられていた。アリスの我が儘を宥めつつも、強く言えずに妥協案を提供する孔。よく出来た兄妹だな、と思っていると、

 

「高町さんは? どれにする?」

 

「え? 私?」

 

「じゃ、じゃあ、アリスちゃんと同じので……あ、で、でも私お金持ってないし……」

 

 なのはが孔に話しかけられ、びくりと肩を震わせているのが見えた。同年代の男の子とあまり話したことはないのだろうか。返事も妙にどもっている。孔の方も少し戸惑っているようだ。ほむらは苦笑しつつもそれをフォローすべく立ち上がった。

 

「あら? なのはちゃんの分なら、私が買ってあげるわよ?」

 

「ふぇ? いいんですか?」

 

 目を丸くするなのは。ほむらはまどかの方に軽く視線を送って言った。

 

「大丈夫よ。ここなら割引も効くし。ね?」

 

「……えっ? もう、仕方ないなぁ」

 

 苦笑しながら答えるまどか。なのははようやく笑顔を見せた。これが見られるのならば、花代など安いものだ。

 

 ゆえに、ほむらはその笑顔はどこから来るのか深く考えなかった。

 

 家族が忙しく久しぶりに貰うプレゼントが、嬉しかったから。

 孔に話しかけられたときに感じた気味の悪い感覚を一瞬でも忘れることができたから。

 

 なのはが抱える事情には、想像も及ばない。

 だから、巡回に戻る時間が来た時、

 

「じゃあ、なのはちゃん、またね?」

 

「えっ、あ、……はい」

 

「もう、そんな残念そうな顔しないの。せっかく可愛いんだから。それに、巡回コースは変わらないから、また明日には会えるわよ」

 

 ほむらはただ月並みの言葉をかけた。

 

「ねー、私も来ていい?」

 

「もちろん、いいわよ? お茶も楽しくなるわ」

 

 そしてそれに続くアリスとまどかの楽しそうな声が、自分の暗い感情に戸惑うなのはをうなずかせた。

 

「うん、明日、公園で待ってるの!」

 

 

 † † † †

 

 

 封鎖された自然公園。そこには献花台が設けられていた。掲げられるのは杏子をはじめとした犠牲者を悼む人達が供えた花。孔もそれに倣って花を捧げる。しばらく無言の時間が流れた。

 

「……じゃあ、行こうか」

 

 うつむいていたアリスが顔をあげた時を見計らって、孔は2人に声をかける。アリスは孔がまだ持っている花に目を留めた。

 

「そのお花はあげないの?」

 

「ああ、もう一ヶ所、あげる人がいるからな」

 

「えっ? だあれ?」

 

「……この間の誘拐事件に巻き込まれた人だ」

 

 用意していた誤魔化し用の台詞を答える。もどかしいが、あの悪魔の事件を話すわけにはいかない。

 

「ああ、孔お兄ちゃんが誘拐された時の人だね。誰か死んじゃったの?」

 

「えっ? 卯月くんって誘拐されたの!?」

 

 無邪気さゆえに残酷さ溢れる台詞を吐くアリスと、孔が誘拐事件に巻き込まれたことに驚くなのは。正確には孔自身は誘拐された訳ではないのだが、説明するのを避けるためうなずいておく。

 

「そう、誘拐されたし、大勢の人が酷い目にあったな。少し遠いし、2人はさっきの公園で遊んで待ってて」「ダメッ! 私も行く!」「……じゃあ、3人で行くか」

 

 置いていこうという孔の目論見はアリスに止められた。なのはは先ほどと同じ苦笑を浮かべている。そんな2人に孔は誤魔化すのをあきらめ、廃ビルへと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「なるほど、ガイシャの朝倉杏子はメシア教徒。彼女自身は宗教にあんまり熱心でないが、父親は神父。ボランティアにも積極的な行動派、か」

 

 その頃の海鳴署。過去に起きたメシア教徒関連事件の調書を読みながら、百地警部が呟く。現場が封じられてる以上、書類から情報を得るしかない。

 

「立派な娘さんだったんですねえ。なんで殺されたんでしょう?」

 

 先程事情聴取を終えた朝倉が出ていくのを窓越しに見ながら、Tシャツがやりきれない声をあげる。事件初日、百地警部が連れてきた朝倉は強い悲しみを目にたたえながらも、強い意思をもって警部の質問に答えていた。百地警部はもちろん、隣でメモを取っているだけの彼もひどく感銘を受けている。

 

「まあ、もしこの間の生贄事件と繋がってんなら、宗教対立か内部抗争だろうな。メシア教は一見おとなしく見えて過激なのもいるらしい。対立してるガイア教徒との小競り合いだけじゃなく、同じメシア教徒同士で何件か事件を起こしてる」

 

「おんなじ信者同士で対決するんっスか?」

 

「ああ、どうも協議の解釈に違いでヒートアップしたらしい。勉強のしすぎだな」

 

 こちとら何が楽しいのかさっぱりわからん、と百地警部は見ていた資料を閉じる。情報収集は終わったようだ。

 

「よし、十分知識は手に入れた。行くぞ」

 

「えっ? どこ行くんスか?」

 

「あの生贄事件があった廃ビルだ」

 

 

 † † † †

 

 

 一般にはカルト教団の暴走で通っている生贄事件が起こった廃ビル。しかし、半年という時間は次第にその忌まわしい事件の記憶を消していった。それとともに、今現在廃ビルを訪れる人々もまばらになっている。始めは騒然としていた現場も、立ち入り禁止となったせいか今では閑散としていた。つい先程までは。

 

「どういうことだっ! 厳戒体勢は解除されてるはずだぞっ!」

 

「そうだ! 大体この事件は俺達が捜査してたんだ!」

 

 廃ビル前で喚く刑事2人。百地警部とTシャツだ。あらためて事件の現場を確認しようとしたが、何故かこちらも本庁の警察官によって再度封鎖されていたのだ。

 

「大体、この事件はまだこっちの管轄だ! 分かったら現場を見せろ!」

 

「……それは出来ません」

 

 怒鳴られている警察官は先程から同じ言葉を繰り返すばかりで、微動だにしない。

 

「おい、いい加減にっ!」

 

 業を煮やしたTシャツが掴みかかる。まったく取り合おうとしないその警官の態度は、沸点の低い彼を刺激するには十分だった。しかし、

 

「っな! 貴様何をしてる?!」

 

 轟音と共にTシャツは崩れ落ちた。何と警察官が銃を抜き、至近距離でぶっぱなしたのだ。驚きつつも相手の腕を掴み、腕ごと拳銃を空に向けさせる百地警部。さわった腕は人間と思えない程に冷たかった。その血が通っていない体のまま、相手も体を捩って抵抗する。組み合いになって倒れこむ2人。衝撃でトリガーを引かれた拳銃が、数発の銃声を響かせた。

 

「野郎、放しやがれ!」

 

 このままでは危険だと判断した百地警部は、相手を投げ飛ばすと自分の拳銃を抜いて撃った。狙いは銃を持つ手。弾丸は紛うことなく相手の手を打ち抜き、殺さないようにすると同時に銃を手放させることに成功した。素早く落ちた相手の銃を蹴り飛ばし、銃で狙いを着けながら、血を流して倒れているTシャツに声をかける。

 

「おい、大丈夫か? おい!」

 

 しかし、Tシャツからは返答がない。代わりに、今撃った警察官から骨肉砕くような、嫌な音が聞こえてきた。

 

「……ぐぁ、ぁ、ァ、ギ……」

 

 うめき声をあげてよろよろと立ち上がる警官。

 

「ア、ァ、テープ、越えた、死刑、死刑、死刑、死刑、死刑ぃぃぃぃぃい!」

 

 絶叫と共に、そのまま拳をあげて襲いかかってきた。

 

「ええい、この偽警官め!」

 

 しかし、百地警部も訓練を受けた警察官。腰を低くしてかわすと相手を蹴り飛ばした。相手はグシャリと音をたてるとビルの壁にぶつかり、辺りに凄まじい腐臭を撒き散らしながら、骨と肉だけを残して崩れていく。

 

「……まるでゾンビだな」

 

 腐った死体のようになっている警察官のような物体を見てそう呟く。一瞬唖然とした百地警部だが、直ぐに気を取り直してTシャツの怪我を確かめる。

 

「っ! くそっ!」

 

 心臓に穴が開いていた。助かる見込みはない。訓練で身に付けた応急処置の知識で、いかに状況が絶望的かを理解してしまう百地警部。それでも救急車を呼ぼうと携帯を取り出そうとする。が、廃ビルから出てきた白衣の人物に動きを止めた。

 

「銃声を聞いて来てみれば。何だ、警察か。もうここの封鎖は解かれた筈なんだが……」

 

「誰だ?! ここで何をしている?」

 

 明らかになにか知っている様子の白衣に百地警部は銃を向ける。しかし、相手は動揺する様子もなく話し始めた。

 

「ふん、誰でもよかろう。やっていたのは実験だ」

 

「……実験だと?」

 

「そうだ。ここに巣くう甘美な魂に惹かれた我が同胞を呼び出す為のな。そこに転がっているゾンビはその一貫というわけだ」

 

「ちっ! また宗教か! 何のカルト教団か知らんが、ここは献花台以外立入禁止な上に、その偽警官は銃刀法違反だ! 署まで来てもらおう!」

 

「ふん、威勢のいいことだな」

 

――アギラオ

 

 百地警部めがけて飛んでくる火球。慌てて飛び退こうとするが、

 

「うおっ?! 離せ貴様ら!」

 

 いつの間にかやって来た他のゾンビ警官が百地警部を拘束した。そのままゾンビ警官ごと炎に包まれる。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」

 

 火柱が上がり、絶叫が響く。しかし、それも一瞬。その炎は人間を灰にするには十分な高温だった。あとには元がなんだったか分からないほどに変形した、黒い焼死体。所々骨が見える。白衣の男はその死体というにはあまりにもおぞましいモノを確認すると、廃ビルへ戻っていった。

 

 

 † † † †

 

 

 廃ビルの中、アリサが殺された部屋。法衣の上に白衣を纏った男が儀式を行っていた。その黒を基調とした法衣はガイア教団のもので、彼がガイア教徒であることを示していた。ガイア教団というのは、海鳴市で布教活動を行っている宗教団体だ。法ではなく力、秩序ではなく混沌を尊ぶその教義は、同じ海鳴市で活動しているメシア教団の教義と正反対だ。このため、よくこの2教団は小競り合いを起こし、警察の厄介になっていた。

 

「……やはり一度失敗した魔方陣を使っても、うまくいかないか」

 

 床に描かれた魔方陣を前に、白衣の男が呟く。魔方陣は赤く発光してはいたが、何か起きるという気配がない。

 

「……異界には繋がっているのだがな。やはり餌がこれだけでは難しいか」

 

 ドアの方に目を向ける白衣。そこには、必死の形相でドアを叩き続けるアリサの姿があった。姿、といってもその体は透けており、何となく輪郭が分かる程度だ。しかし、叫び声ははっきりと部屋に響く。

 

――嫌ぁ! 開けて! 開けてよ!

 

「ふむ、しかし、恐怖の感情からくるマグネタイトはゾンビ程度なら動かせるか……」

 

 アリサが叩き続けている魔法陣が描かれたドアからは無数のコードが延びており、PCに繋がっていた。そしてそのPCからは床に描かれた先述の魔方陣に向かってコードが延びている。白衣の男は先程侵入してきた警察、つまりはTシャツの死体を床の魔方陣中央に置いた。そして、白衣がPCを操作すると、魔方陣に雷が落ちる。轟音と共に部屋を駆け抜ける雷光。しかし、それは一瞬。大きく跳ねるTシャツの死体。骨を鳴らしながら、それは動き出した。

 

「グ、ギ、……ギア……」

 

 かすんだ声を漏らしながら身体を弛緩させて立ち上がるTシャツ、否、元Tシャツ。新しく作り出したゾンビを見て、しかし白衣の男はつまらなそうに呟く。

 

「これ以上はどうしようもない……ふん。やはり、あの男の装置が必要か。潮時だな」

 

 そして、PCを離れて立ち上がった。次いで叫び続けるアリサへ目を向ける。

 

「この魂は魅力だったのだがな。呼ぶのに使えないなら仕方ない。コードを切って自然消滅させるか、あるいは……」

 

 ぶつぶつと独り言を続けていたが、不意に動きを止める。廊下、それも相当近い場所から銃声が聞こえてきたのだ。作り出したゾンビ達には侵入者に向けてすぐに発砲するよう刷り込んである。それが聞こえるということは、侵入者がいるということだ。

 

「……誰か近づいてくるな。警察の応援といったところか。……あの魂のマグネタイトは残り僅か、迎撃用のコープスを作るので精一杯。もうここにいる必要もないか」

 

 そう呟くと白衣はゾンビに命令を出した。

 

「……指令。魔方陣に集まれ」

 

 外に出ていたゾンビが部屋に次々と戻り、元Tシャツを中心にゾンビ達が魔方陣へと集まっていく。狭い魔方陣に、折り重なるようにして全員が収まった。PCを操作する白衣。

 

「……ゥ、アア、ァ…グェ…イ、タイ、ィィィィタァァ、イィィィ…!」

 

 ゾンビ達の苦悶の呻き声とともに、常人ならば耳を塞ぐであろう生きた人間が壊されるような音が響き、死体が結合していく。やがて、そこにのたうち回る死体の固まりが出来た。

 

「……指令。魔方陣及びPCを破壊しろ。この部屋に来る人間をすべて殺せ」

 

――アギラオ

 

 そして、白衣は壁に火球をぶつけて穴を空け、腐臭に満ちた部屋を後にした。

 

 

 † † † †

 

 

 時はわずかにさかのぼる。孔はアリスとなのはの楽しそうな声を聴きながら、廃ビルへ向かっていた。明るく振る舞うアリスを見て、やはりアリサのような役割は必要だったのだろうと改めて思い知る。孔は気が付けば手にもった花束を握りしめた。

 

(なんだ? 焦げ跡……?)

 

 だが、廃ビルの手前、コンクリートにこびりついた黒いすすに手を緩める。この間来た時は何もなかったのに。そんな戸惑いは、アリスの声ですぐにかき消された。

 

「ねー、孔お兄ちゃん? どうしたの?」

 

「いや、何でもない。それより、こっちだ」

 

 立入禁止のテープが張り巡らされた廃ビルの入り口の少し先にある献花台。時の流れのせいで、捧げられる花もずいぶん少なくなっている。もう少しすればこの献花台も撤去されるだろう。それでも、孔はアリス、なのはとともに花を並べ、黙祷した。杏子の事件があった公園でも感じた虚しさが、心の中を通り過ぎていく。

 

――開けて……開けてよ……

 

 死んだはずのアリサの声が聞こえたのは、そんな時だった。

 

「ぇ? 誰?」

 

「アリサお姉ちゃんっ!?」

 

 2人の反応を見ると、どうやら幻聴では無いらしい。なのはは戸惑った様子で周囲を見渡し、アリスは戸惑うことなく声がした方へ駆け出す。

 

「ええっ! ちょっと待って、アリスちゃん~!」

 

 孔は慌てるなのはとともにアリスを追いかけた。立入禁止のテープを超えて廃ビルの中へ。あの部屋へ続く廊下を曲がったところで、しかし足は止まる。アリスが警官に捕まっていたからだ。立入禁止と書かれたテープを越えたのを見咎められたのか。そう思った孔はアリスを引き離して取り敢えず謝る。

 

「すいません、友達の声が聞こえたものですから、つい……」

 

「ウ、イイ、ア、ァ……」

 

 が、返ってきたのは妙な呻き声だった。同時、引き離したアリスはガクンとその場に崩れ落ちる。その細い腕からは、血が流れていた。

 

「きゃあ!? ア、アリスちゃん、大丈夫?」

 

 慌ててなのはが支える。孔は警官を見据えた。様子がおかしい。考えてみれば、半年前の事件の現場に警察が人員を未だ配置し続けるのは異常だ。

 

「……アリスに何をしたんですか?」

 

 不信感をそのまま口に出す。それと同時、

 

「グ、ギ、テェェープゥ、越えたぁぁぁ! 死刑ぃぃぃい!」

 

 その警官は叫びながら銃を取り出し、発砲してきた。後ろにアリスとなのはがいるので、避けることは出来ない。孔は剣を抜いて弾丸を弾いた。

 

「うおぉ、あぁぁ、なん、でぇ、何で死な、ないぃ?!」

 

 銃を乱射し、錯乱した声をあげる警官。孔はこの声に杏子を殺した悪魔を思い出した。脳裏に浮かんだ悪魔のビジョンは、はっきりと目の前の警官と重なって、

 

「うわぁぁぁあ!」

 

 孔は警官を切りつけていた。出血はない。ただ、メキメキと音をたてて皮膚と肉が溶け崩れていく。後には耐え難い腐臭を放つ肉と骨が残った。

 

「い、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 後ろでなのはの絶叫が響く。しかし、

 

「う、ぅん? あれ? なのはお姉ちゃん? どうしたの? 何で泣いてるの? どっか痛いの? 大丈夫?」

 

「う、ん……えへへ、大丈夫だよ」

 

 その声に目を覚ましたアリスの声で、なのはは涙を拭った。高町さんは大丈夫そうだな。そう思った孔はアリスの傷へと目を向ける。

 

「アリス、怪我は大丈夫か?」

 

「え? あ、ほんとだ。血が出てる。ちょっと痛いかも」

 

 持っていたハンカチで止血を始める孔。今度ゲートオブバビロンに医療キットでも入れておくかと考えながら、軽く注意する。

 

「アリス、いくらローウェルの声が聞こえたからって、一人で走ったら危ないだろう?」

 

「あぅ、ごめんなさい。でも、アリサお姉ちゃんと今度はお別れしたくなかったの」

 

「それはわかるけど、俺も高町さんもいることも忘れるな」

 

「あぅぅ、ごめんなさい」

 

 もう慣れたお説教していると、なのはから声がかかった。

 

「あ、あの、孔くん、そのくらいでアリスちゃん許してあげて」

 

「わあ、なのはお姉ちゃん、ありがとう」

 

「……はあ、今度から気を付けるんだぞ?」

 

 嬉しそうにするアリスと困ったようななのはに説教をあきらめる孔。そんなとき、

 

――開けて…開けてよ……

 

 またアリサの声が聞こえた。今度はあの部屋が近いせいかはっきり聞こえる。

 

「孔お兄ちゃん……」

 

「ああ、行ってみよう」

 

 孔は警戒しつつも2人を連れて歩き始めた。声を追って廊下を進む。足を止めたのは、あの事件があった部屋の前だった。血の海に沈むアリサが孔の頭をよぎり、一瞬、扉を開けようとした手が止まる。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「……いや、何でもない。ドアを開けるから、二人とも少し離れててくれ」

 

 2人を下がらせ、意を決してドアを開ける孔。その先には、

 

――っ! 開けて……開けてよ…!

 

 アリサ、

 

「……イィィィタイィィィ…グギァ、ァ……ア……!」

 

 そして、アリサの背後に迫るゾンビの塊がいた。

 

「――っ! ローウェルに近寄るな!」

 

 ゲートオブバビロンを開き、剣を飛ばす孔。ほとんど反射といっていい。感情を刺激したそのゾンビは、剣山になりながら刺さった剣の勢いのまま壁に激突した。腐った肉塊が四散し、グチャリと音をたてて床に飛び散る。その肉塊がもう動かないと判断し、息を整える。そのまま体感で数分。実際にはどのくらい時間が経っただろうか。孔はようやく後ろの2人に声をかけ、部屋の中に入れた。

 

「アリサお姉ちゃんだ~!」

 

 同時、アリサに駆け寄るアリス。そのまま抱き付いて、

 

「きゃあ!」

 

「おっと」

 

 孔に激突した。何とアリサの体をすり抜けたのだ。

 

「えぇ! え? お化け!?」

 

「そ、そんな事ないもん! アリサお姉ちゃん、ドア、もう開いてるよ! 早く帰ろ!」

 

 後から入ってきたなのはが声をあげ、アリスはしかしそれを否定してアリサに叫ぶ。だが、アリサは虚ろな瞳でドアを叩き続けていた。

 

――幽体

 

 そんな言葉が頭に浮かぶ。おそらく、なのはの言う通り、幽霊のような存在となって苦しみ続けているのだろう。その痛ましい姿に視線を落とす孔。と、アリサの叩いている扉に魔法陣が見えた。

 

「……これが原因か」

 

 直感的にそう思い、手で触れてみる。

 

――幻想殺し〈イマジンブレーカー〉

 

 瞬間、魔法陣は砕け散った。ガラスの破片のような光が舞い消えていく。後には、扉を叩く手を止めて、ゆっくりとこちらへ振り替えるアリサがいた。そして、

 

――孔、それにアリス? 2人が助けてくれたの?

 

 孔達を認め、話し始めた。その目に狂気は見えず、生前の闊達な眼差しが戻っている。

 

「ア、アリサお姉ちゃんっ!」

 

 再度が飛びつこうとするアリス。だが、やはりすり抜けて壁に激突した。

 

「い、痛い……」

 

――もう、何やってるの、アリス。

 

 呆れながらも心配するアリサ。えへへ、と涙目になりながらも笑うアリス。そこには、施設で当たり前にあったいつもの一幕があった。

 

――久しぶりね、アリス。ええっと、それから……

 

「な、なのは。高町なのはです」

 

 アリス、なのはと向き合うアリサ。なのはは幽霊という怪異を前に、おずおずと自分の名を告げる。一方のアリスは好奇心の方が強いらしく、アリサの手を握ろうとしていた。しかし、伸ばした手は虚しく空をきる。

 

「アリサお姉ちゃん、本当に、幽霊さんになっちゃったの?」

 

――そうみたいね。自分でもよくわかんないけど。

 

「ふーん……ねー、アリサお姉ちゃん、幽霊になっても、アリスと遊んでくれる?」

 

――うん、ごめんね。私、これから遠くへ行かないといけないの。

 

「えー? 何でっ!? どうして行っちゃうの!?」

 

――ごめんね、アリス。私、ここにいると消えちゃうの。でも、ちゃんと私のこと覚えててくれたら、きっとまた会えるから。

 

「……本当?」

 

――ええ、本当よ。

 

 目に涙を溜めて愚図るアリスを慰めるアリサ。生前と同じ姉を感じたのか、次第にアリスは落ち着きを取り戻していった。

 

「……じゃあ、こんど会ったら、また一緒に遊んでくれる?」

 

――ええ、いいわよ。

 

「……なのはお姉ちゃんとも遊んでくれる?」

 

――ええ、勿論。

 

「……孔お兄ちゃんとも?」

 

――ええ、え? それは……

 

「……」

 

――うぅ、大丈夫よ。孔と高町さんと一緒に遊びましょう。

 

「……うん、うん! じゃあ、なのはお姉ちゃんのこと、名前で呼んであげて?」

 

「えっ?」

 

 急に話の中心になり驚くなのは。アリサはそんななのはに笑顔を向ける。

 

――じゃあ、なのはって呼ぶけど、いい?

 

「う、あ、えっと、いいよ」

 

 なのははまだ驚きが抜けていないせいか戸惑ったものの、はっきりと頷いた。

 

「えへへ、じゃあ、これでみんな友達だね!」

 

 そんな2人を見て、アリスは華のような笑顔を見せた。

 

 

 † † † †

 

 

――それじゃあ、孔、お願い。

 

「……ローウェル、俺はどうすればいい?」

 

 ひとしきりアリスと笑った後、アリサは孔の方を向いた。だが、意図がつかめない孔は聞き返した。アリサは孔が首からかけている杏子の遺したペンダントを見て続ける。

 

――そのペンダント、杏子さんの反魂神珠でしょう?

 

「反魂神珠? ローウェル、何か知っているのか?」

 

――前、杏子さんに聞いたの。そのペンダント、杏子さんがおばあちゃんに託された魂をあるべき所に返すものだって。孔は知らなかったの?

 

「ああ、聞いてないな」

 

 今一つ掴みきれないが、おそらくこのペンダントは本物の力をもったメシア教団の宝珠だったのだろう。杏子の祖母も熱心なメシア教徒だったと聞く。

 

――それ、私に借して

 

「……わかった」

 

 孔はアリサにペンダントを近づけた。アリサの手が神珠に触れる。その瞬間、あたりに光が満ちた。たちまちアリサの姿は薄れ始める。

 

――それじゃあ、さようなら……ううん……、またね、アリス、孔、なのは。

 

「うん、また遊ぼうね、アリサお姉ちゃん!」

 

「またね、アリサちゃん」

 

「またな、ローウェル」

 

 しかし、最後に孔の方を向いて言う。

 

――アリサ。私のことはアリサって呼んで、孔。

 

「……わかった。またな、アリサ」

 

 孔は呼び直す。

 初めて向けられたローウェルの、いやアリサの笑顔は、とても綺麗なものに思えた。

 




――Result―――――――
・愚者 Tシャツ 悪魔による射殺
・愚者 百地警部 魔法による焼殺
・屍鬼 ゾンビ  宝剣による斬殺
・屍鬼 コープス 無数の宝剣により刺殺
・妖精 アリサ・ローウェル 神具により昇天

――悪魔全書――――――

愚者 百地警部 ※本作独自設定
 海鳴署に勤めるベテランの警察官。様々な事件に関わり、多くの解決に導いているが、海鳴市で起こる数々の怪奇事件には手を焼いている。特にメシア教やガイア教関連の事件に汚点が多いため、その2団体を常に疑っている。しかし、メシア教徒の社会活動も知っているため、一定の理解は示している模様。

愚者 Tシャツ ※本作独自設定
 百地警部の部下。磯野刑事。いつもTシャツを身に付けているのでこう呼ばれている。若く血の気が多い刑事を地でいく性格。故に突っ走ってはよく百地警部に怒られている。

屍鬼 ゾンビ
 世界各地の伝承にみられる、生ける屍。元はハイチやニューオーリンズなどで信仰されている民間信仰、ヴードゥー教にみられる死者の労働力運用の呪術である。司祭であるボコが死体の腐る前に墓から取り出し、名前を呼ぶことでよみがえらせ、奴隷として農園に売り出したという。

屍鬼 コープス
 近代ファンタジー作品等にみられる、ゾンビの複合体。コープスとは死体の意味であり、主にSF等ゾンビに疑似科学的な要素を取り入れた作品で活躍する。大量殺戮の後で埋葬されなかった死体や、何らかの意図で集められた複数の死体が同時にゾンビ化する際、個々の死体の区別がつかなくなることで発現することが多い。

――元ネタ全書―――――
・封鎖された公園
 言うまでもなく真・女神転生Ⅰ、開始序盤の殺人事件から。ゲームの中で封鎖された都内某公園の事件が発売と同時に現実になったのは有名な話。

・アリサ・ローウェル
 第1章は原作の原作?とらハ3の一部ルートをベースにしたクロスでした。原作前編はもう少し続きますので、リリカルの本編開始は今しばしお待ちください。
――――――――――――


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閑話1 路地裏のアリサ

 物心ついたときから、私は独りだった。

 

 悲しそうにしていた男の人――たぶん、お父さんだろう――を見たのを最後に、アメリカの施設に預けられたんだ。

 

 その施設は、今思えば酷い所だった。食事は一日一食あればいいほう、怪我をしても手当なんてしてもらえない。せいぜい唾でもつけておくぐらいだ。私以外にも預けられているこどもはいたけど、皆痩せ細った体を抱え、毛布にくるまって一日を過ごしていた。例外は食事のとき。まるで犬に餌をやるみたいに、管理人のおじさんはパンを放り投げる。それを争って奪い合う私達を見て、その人は本当に楽しそうに笑っていた。傷だらけになって食べれない子もいるのに……

 

 管理人のおじさんはいつもお酒を飲んでは私達に当たり散らしていた。そのお酒を買うために、私たちはよくお使いをさせられた。気に入ったお酒を買ってこないと、容赦なく殴られる。必死にお店の人に頼み込んで買ってこいといわれたお酒を探す。でも、私達の汚れた姿に、大抵は嫌な顔をされた。たまに優しい人がいても、

 

「君みたいなこどもがお酒なんか飲んじゃいけないよ!」

 

 そう言って怒られた。痩せてフラフラとしか歩けない私達は、この年でアルコールかドラッグに溺れた異常者に間違えられていた。

 

 

 † † † †

 

 

 そんなある日。いつも通り私達に餌を与える管理人のおじさんに、遂に施設のこども一人が反逆した。この施設じゃ最年長の男の子が、お酒を呑みながら見物する管理人のおじさんに近づき、氷に突き刺さったアイスピックを手に飛び掛かったんだ。

 

「何しやがる! このクソガキ!」

 

 でも、飢えで痩せ細った私たちと大人では差がありすぎた。すぐに突き飛ばされて、床に叩きつけられてしまう。うぐぅって呻き声が、はっきり聞こえた。でも、管理人のおじさんは、その子を何度も何度も殴り続けていた。奪い返したアイスピックで。

 

「このゴミが! 死ね! 死ね!」

 

 ああ、本当に死んでしまいたい。血しぶきが飛んでくる中で、私はそう思った。

 

「ええい、クソッ! 誰のお陰で食えると思ってんだ! このゴミが!」

 

 気が済んだのか、立ち上がって回りを見渡す。みんなパンを奪いあうのも忘れ、モノを言わなくなった男の子の死体を見ている。でも、誰も声を上げない。圧倒的な暴力に無力な自分たちをよく分かっていたから。そんな私達を見て、管理人のおじさんは口元を歪めた。

 

「ふん、まあ明日にはお前らともお別れだ」

 

 そう言うと、部屋から出ていってしまった。

 

 

 † † † † 

 

 

 次の日。管理人のおじさんはいつもより早く施設を出た。管理人とは名ばかりで、いつも施設をあけているあの人には良くあることだ。でも、この日はいつもの「餌」の時間になっても帰ってこなかった。そして、次の日も。3日ほどして、飢えに耐えきれなくなった私は外に出た。汚れた服を引きずって、路地裏を歩く。ぼろぼろのまま歩くには、大通りは明るすぎた。ごみ箱を漁って、消費期限の切れたお菓子やパンを拾う。虫が湧いていても、その部分を捨てて、他のところを口に入れる。吐しゃ物のような味がした。時々、施設を抜け出してやってきたことだ。

 

 他の小さい子は、もう外に出る体力もないけど。

 

 そうやって一週間ほどごみを漁っていると、新聞に目が止まった。施設の写真が載っていたからだ。字が読めないから見出しの意味すら分からなかったけど、思わず手に持って記事を眺めて――、ズタズタに引き裂いた。降ってきた雨を凌ぐために施設へ戻り始める。

 

 でも、戻った施設には黄色いテープが張り巡らされていた。

 

「……ここが着服事件のあった施設ですか?」

 

「ええ。個人経営で、企業家がイメージアップのため慈善事業の一環として手を出したものです。ただ、利益優先の体質だったせいでうまくいかず、放棄されてしまって」

 

 警察官と一緒におとなが2人しゃべってる。金髪の男の人と、珍しい黒髪の女の人だ。私は思わず物陰に隠れ、聞き耳を立てていた。

 

「こどもたちは?」

 

 女の人が訊ねる。

 

「ええ、施設の中で発見されましたよ。ただ……」

 

 金髪の男の人が答え、言いよどむ。警察官が、代わりに続けた。

 

「みんな、餓死してたんです」

 

「っ!」

 

 私は怖くなって路地裏に逃げ出した。ついに雨を凌ぐ場所も失ったんだ。

 

――これからどうしよう?

 

 私は路地裏を歩きながら考える。でも答えは出ない。歩き続けてくたくたになった。あたりも暗くなって、私は蹲るようにしてその場に倒れた。眠るときのように意識が遠のく。

 

――ああ、やっと、死ねるのかな?

 

 そんな時、毛布が掛けられるのを感じた。

 

 

 † † † † 

 

 

 目が覚める。目の前には真っ白な天井。

 

「あら、目が覚めたのね?」

 

 そして、覗き込んでくる女の人。さっき警察官としゃべっていた人だ。

 

「……」

 

 無言で女の人を見つめる。きれいな人だ。向こうも見つめ返していた。そして、

 

「……ねえ、あなた、私たちの家に来ない?」

 

 

 † † † † 

 

 

 それから、私は日本の海鳴というところに行った。施設でも路地裏でもなかったら、私はどこでもよかったから。ここには他にも小さな子――アリスやアキラがいて、女の人は先生と呼ばれていた。先生のもとにはいろんな人が訪ねてくる。

 

「こんにちは。これ、差し入れです」

 

「あら、杏子さん、こんにちは。いつもごめんなさいね」

 

 杏子さんという人もその内の1人だ。よくお菓子を持ってきてくれる。でも、初めてみたときは、

 

「はい、これ、施設のこどもたちに」

 

「あら、ありがとう。アリサ、初めてでしょう、ご挨拶を……」

 

「いや!」

 

 思わず私は、叫んでいた。私はもうあの施設のこどもではないつもりだったから。それを言うと、先生はごめんなさいと謝って、頭をなでてくれた。少し涙を浮かべていたけど、なんでだろう?

 

 その後、杏子さんも同じようにごめんなさいと謝って、別のお菓子をくれた。

 

「はいこれ、あなた達の家族に」

 

 家族。

 

 そう言われて、私はお菓子をアリスたちの所へ持って行った。杏子さんのお菓子を食べながら、アリスはいつものように遊んでくれとせがんでくる。

 

「ねー、アリサお姉ちゃん、私、公園に行きたい! アキラと、先生と一緒! ねー、いいでしょう?」

 

 そんなアリスのわがままで、その日は公園で遊ぶことになった。先生はまだ幼いアキラを抱いて、3人で歩く。公園には何度かみんなで遊びに来ている。楽しかった。私たちの他にもいろんな家族連れが来ている中、それに混ざって遊ぶのは、なんだか本当の家族みたいだったから。

 

「あれ、誰だろう?」

 

 でも、その日は遊べなかった。私と同い年くらいの男の子が倒れていたんだ。

 

 先生はすぐに警察へ連絡を入れた。

 

「ええ、はい……そうですか。……では、とりあえず病院に連れて行きます。……いえ、知り合いが勤務しているところが近いですので。……はい、場所は……」

 

 とりあえず、うちの近くの病院へ連れて行くことになったみたい。私たちも一緒に行く。でも、結局暗くなるまでその子は目を覚まさなかった。

 

 

 † † † †

 

 

「卯月 孔くんよ。みんな、仲良くしてあげてね」

 

「……よろしく」

 

 それから何日かすると、その子がこの家に引き取られるようになった。紹介された時、私はすごく嫌な気分になった。路地裏で漁っていたごみの中に沸いている気持ちの悪い虫を思い出したぐらいだ。思わず目をそらす。

 

「ふ~ん、じゃあ、孔お兄ちゃんだね。アリスはアリスっていうの、あのね……」

 

 アリスが楽しげな声が聞こえた。おそるおそる顔を向けると、少し戸惑ったような顔をしたアイツが見えた。

 

――この嫌な気分はなんだろう?

 

 そう思っていると、目があった。嫌悪感が増す。顔がゆがむのが分かった

 

「アリサ、どうしたの?」

 

 先生が話しかけてくる。

 

「なんでもない」

 

 私はそれだけ言うと、リビングへ戻った。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、アイツとの共同生活が始まった。正直嫌だったから、できるだけ避けるようにした。アイツもそれをわかっているみたいで、

 

「アリス、俺は向こうで先生と話してるから、ローウェルと遊んでてくれ」

 

 そういって距離を置いていた。初めはつまんないとわめいていたアリスも、私が早く遊ぼうとせかすと、いつの間にか駄々をこねなくなった。少しさびしそうにするアリスに心の中で謝りながらも、私はどうしてもあいつと一緒に遊ぶことはできなかった。そんなある日、先生から声をかけられた。

 

「アリサ、孔のことは嫌いかしら」

 

「嫌い」

 

「そう……どうして?」

 

「だって、なんか嫌な感じがするし。笑ったところなんか見たことないから、遊んでも面白くなさそうだし」

 

 私は理由もわからず嫌っているのを誤魔化すように喋った。分かっている。そんな理由なんかじゃない。なんていうか、もっとこう、見ただけで嫌悪感を催す何かがあったんだ。でも、先生は続ける。

 

「ねえ、アリサ。私はあなたと会えてよかったと思っているわ。でもね、初めはあなたも笑ってくれなくて、すごく悲しかったの」

 

 そうなんだろうか。確かにここで暮らし始めた時はアリスと遊ぶのも戸惑った気がする。

 

「それは、孔も同じ。きっと、孔もあなたが笑ってくれなくて悲しいと思うわ」

 

 私は黙って下を向いた。笑いかけるなんて、できそうになかったから。

 

 

 † † † † 

 

 

 お父さんが見つかった。そんな連絡を受けたのは、それから少し後。時々夢の中で思い出す、あの悲しそうな男の人を思い浮かべ、私は会いたいと思った。何で施設なんかに預けたのか聞こうと思った。文句も言おうと思った。絵本でみた家族のお父さんみたいに甘えようと思った。先生というお母さんはいたけど、お父さんはいなかったから。

 

 でも、ここから出ていくのは嫌だった。アリス達と別れたくはなかったから。またいつでも会えるからという先生の言葉に納得し、私はお父さんの所へ行くことにした。先生にアリス達には話さないでとお願いして。

 

 引き取られる日。私はひとりでいろんなところを回った。大丈夫、また来れる。そう思いながら。そしたら、急に意識が遠くなって、気が付くと床に転がっていた。

 

「おう、目が覚めたか、お嬢ちゃん?」

 

 そういって声をかけてくる男の人。誘拐されたと告げられる。それから悪夢が始まった。

 

 

 † † † † 

 

 

 真赤な空間。いや、通路だろうか。私はそこを流される。後ろを振り向くと、あの化け物がいた部屋が見えた。思わず、もっと早くと前に走る。すると、少し先の壁に穴が見えた。穴の先には白衣の男の人。私はその穴に吸い込まれそうになる。そんな時、杏子さんが目の前に出てきて、

 

「そっちに行っちゃだめぇ!」

 

 手を伸ばした。その手を掴もうとするけど、届かない。穴の中に吸い込まれた。杏子さんの涙が私の頬にあたる。そして、

 

「っ! 嫌ぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 私は叫び声をあげた。また、あの部屋に戻されたんだ。周りにはスライム。他に、アイスピックを持った施設の管理人もいる。必死に目の前の扉を叩く。

 

「開けて、開けてよ! 助けて、杏子さん! 先生っ!」

 

 どんどん近づいてくる化け物。私は必死に助けを求め続けた。

 

 

 † † † † 

 

 

 どのくらい叫んだだろう。突然、ガラスが割れるような音と一緒に景色が変わった。薄暗い部屋に光がさし、目の前に涙を浮かべるアリスと険しい顔の孔、それに初めて会う女の子がいた。驚いて固まっていると、飛びついてきたアリスが壁にぶつかって痛がっている。普段と変わらないアリスに、私は気が付けば笑っていた。それと同時に気付く。私は死んだんだ、と。

 

「アリサお姉ちゃん、本当に、幽霊さんになっちゃったの?」

 

 驚いて私に尋ねるアリス。また一緒にいれると喜んでくれた。でも、私は手を伸ばす杏子さんを思い浮かべた。あのとき、頬に触れた涙。そして、そっちに行っちゃダメという叫び。

 

――ここにいちゃいけない。

 

 そう思った。だから、杏子さんのペンダントを持つ孔に頼んだ。杏子さんのところに行かせてと。

 

――それじゃあ、さようなら……ううん……、また今度、アリス、孔、なのは。

 

 そういって別れを、いや、また会う約束をする。その時、

 

「またな、ローウェル」

 

 そういわれた。今まで感じたことのない違和感を覚える。嫌悪感じゃない。ついさっき言われたアリスの言葉を思い出す。

 

――うん、うん!じゃあ、なのはお姉ちゃんのこと、名前で呼んであげて?

――えへへ、じゃあ、これでみんな友達だね!

 

 だから、私は名前で呼ぶように言った。少し戸惑いがちだったけど、孔は笑って私の名前を呼んでくれた。

 

「またな、アリサ」

 

 なんだ、孔、笑えるんじゃない。

 




――悪魔全書――――――

妖精 アリサ・ローウェル
※本作独自設定
 悪魔に喰われて死んだアリサ・ローウェルの霊。生前、父親のデイビット・バニングスが企業したばかりの会社が経営難に陥った際、生活苦からアメリカの施設に預けられた。しかし、その預けられた先の施設で職員が金を着服してこどもを置いて蒸発してしまう。街をあてもなくさ迷っている所を視察に来ていた今の施設の先生に保護され、海鳴の施設で生活していた。当初は始めの施設で虐待があったこともあり暗い印象があったが、同じ孤児のアリスやアキラ、孔と過ごすうち本来の勝ち気な性格を取り戻す。海鳴施設の中では年長者で、お姉ちゃん的な役割を果たしたが、理由もなく孔に辛くあたる自分に戸惑うことが多かった。
 悪魔に喰われて殺された際に感じた強い恐怖感を利用され、それを増幅させる魔方陣に閉じ込められるが、孔によって救出される。アリスやなのはにも励まされ、最期は笑顔でこの世を去った。
――――――――――――


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第3章 遠イセカイノ悪魔~原作前②魔法世界/裏社会篇
第5話 学校の友人達


――――――――――――

「孔、もうバスの時間よ」

 先生の呼ぶ声が聞こえる。アリサの死を見守ってから数か月。あの非日常が嘘のように平穏な日々が続き、俺は小学校へ通うことになった。聖祥大学付属小学校――通称、聖祥。児童福祉関係で先生が理事長と知り合いとかで、孤児の受け入れも積極的にやっている学校だ。

「孔お兄ちゃん、いってらっしゃい!」

「気を付けてね?」

 と言っても、先生やアリス、アキラとの関係は変わらない。

「行ってきます」

 俺は家族の声を受けて、スクールバスに乗った。

――――――――――――孔/児童保護施設



 孔が小学校に通い始めて数か月。ようやく慣れ始めた朝の教室で、孔はクラスメートと挨拶を交わしながら席に向かっていた。大多数の生徒は、仲がいい相手ができはじめるが、嫌な相手はまだできていない、節目の季節特有の雰囲気を楽しんでいる様に見える。

 

「……おはよう、バニングスさん」

 

 だが例外もいるものだ。前の席に座る少女は声をかけると嫌そうに顔を背ける。名前はアリサ・バニングス。初めて会った時は目を疑った。金髪に勝気な目。その容姿はアリサ・ローウェルそっくりで、

 

――またね

 

 そう言って消えたアリサと、本当にもう一度会うことが出来たと思ったからだ。

 

 だが現実は残酷である。

 

――ちょっと、近付かないでよ!

 

 入学初日、初対面でかけられた第一声に唖然とする孔を置いて父親らしい人物の下へ走るアリサ。入れ違いにやってきた施設の先生から、あの男性がアリサ・ローウェルを引き取るはずだった人で、アリサ・バニングスはローウェルの妹だと聞かされて。

 

 正直なところ、安心した。

 また嫌われたわけじゃない、と。

 

――ふ~ん? アリサお姉ちゃんとおんなじ名前だね!

 

 そして、先生と一緒にやってきたアリスの言葉に喪失感も憶えた。

 そう、彼女は「バニングス」であって、アリサではなかったのだ。

 

「はい、みんな席に着きなさい」

 

 バニングスを前に蘇った感傷は、しかし担任――蘆屋先生の声で断ち切られた。慌てて席に着くと、すぐに点呼が始まる。

 

(アリスも他人には敏感だった……異常な力を無意識に忌諱したか。いや、それより問題は……)

 

 次々と呼ばれる生徒達の名前を聞きながら、孔は前に座るバニングスの背中から視線を外し、嫌う、とは真逆の感情を向ける少女へ目を向けた。大瀬園子(おおぜ そのこ)。ここ数日で、孔の「新たな異能」の被害者になった少女である。といって、悪魔が出てきたわけではない。日常の中――体育の後片付けを一緒にしている際、園子が倒れてきたトンボで頭を打った事があり、慌てて怪我がないか確認した時だ。

 

――魅了御手〈ナデポ〉

 

 異能が発現した感覚の直後、目の前には頬を赤く染めた園子がいた。

 

(撫でた相手に強制的に好意を付与する……タチが悪いな)

 

 先生に名前を呼ばれ返事をする園子を見つめながら、思う。孤児であり人の愛情がいかに貴重で得難いものかを知っている孔にとって、それはまさに悪魔のような能力だった。まがい物の好意に応えられる自信も、そして封印し続ける自信もなかったからだ。

 

「卯月くん、一緒に食べよう?」

 

 しかし、そんな内心を知らず、園子は昼休みになれば弁当をもって昼食を誘いに来る。私立小学校らしく、聖祥では給食を提供していない。アレルギーを抱える生徒への考慮、弁当を通じた両親とのコミュニケーションの希薄化への対応。そんな耳触りのいい言葉がひどく恨めしく思えた。

 

(いや、仮に昼休みを一緒に過ごさなかったとしても、現実逃避で時間を潰すだけ、だな)

 

 そう意識を切り替え、「今行く」という返事で応える。しかし、自分の異能の結果と向き合う決意と共に振り返った先には、話したことがない生徒――只野萌生(ただの もぶ)と折井修(おりい しゅう)がいた。

 

 

 † † † †

 

 

 孔は先生の作ってくれた弁当を持って、3人と一緒に校舎裏まで来ていた。雨の日は別にして、孔はよくここで昼食をとっている。校舎裏と言えば薄汚いイメージがあるが、聖祥では高学年が授業で栽培している花壇もあり、学校の柵越しに見える景色も悪くない。その割に教室から距離があるせいで人は少なく、孔にとってはちょっとした穴場だった。

 

「ふ~ん。校舎裏ってきれいなんだね」

 

「ああ、よく整備されているんで、ここで食べてるんだ」

 

 萌生の感想に、孔が答える。校舎裏に至るまでの間に、2人はかなり打ち解けていた。

 

「修くんと園子ちゃんとねー、幼稚園一緒だったんだよ?」

「う~ん? もっと前から。えっと、あれ? いつからだっけ?」

「でね、前は一緒によく食べてたんだよ!」

 

 楽しそうに園子の話をする萌生に、孔がアリスを重ねたせいだ。萌生も人懐っこい性格らしく、おとなしく話を聞く孔に機嫌がいい。が、それとは対照的に園子は負のオーラが漂っている。

 

「な、なあ、園子、そろそろ機嫌直したらどうだ?」

 

「……別に、機嫌なんて悪くないし」

 

 それをなだめようとする修。これも異能の結果なのだろうか。自分という余計な存在がいなければ、3人で仲良く昼食をとっていたのだろう。孔は心の中でため息をついた。

 

「……卯月くん?」

 

 それを敏感に察知する萌生。ますますアリスにそっくりだな、などと想いながら答える。

 

「いや、なんでもない。いつも俺はあのベンチで食べてるんだ」

 

 花壇の横に設けられた長椅子を指差す孔。作業中に腰を休めるためだろうか。2人掛けの椅子が2つ並んでいる。

 

「じゃあ、そこにしよう?」

 

「お、おう、園子、おまえ卯月と座れよ。萌生、一緒に食べようぜ」

 

 修は園子の重圧から逃れようと萌生と一緒に座ろうとする。しかし、

 

「もう、それじゃあせっかく4人で食べる意味ないでしょ! せっかく園子と久しぶりに一緒なのに……」

 

 久々に園子と一緒に食べようとしていた萌生は不満だった。横から孔が助け舟を出す。

 

「まあ、只野さんもこう言ってるし、男は男同士ということで。大瀬さんもいいだろう?」

 

「う、まあ、いいわよ」

 

 園子の方も萌生のわがままには反論できなかったらしい。自分を慕っての言葉だったのでなおさらだ。場所が決まって、4人は弁当を広げ始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 4人での昼食を終えた萌生は上機嫌だった。最近の萌生の悩みは「小学校に通い始めてから、園子と一緒に昼休みを過ごしていない事」であり、それが解消されたせいだ。このところ、園子はいつも孔と一緒に過ごしている。昼休みも例外ではなく、以前は修と3人だった昼食が2人になってしまった。1人の空席は大きい。萌生は昨日、修に相談を持ちかけていた。

 

「私達、園子ちゃんに嫌われたちゃったのかなあ?」

 

「いや、そんなことないと思う」

 

「でも、一緒にごはん食べてくれないし」

 

「そりゃあ、イケメンの卯月と一緒に食べたいってだけだ。嫌われた訳じゃねぇよ」

 

(……イケメンってなんだろう?)

 

 たまに修は難しい言葉を使う。しかも、意味を聞いても面倒くさがって教えようとしない。いや、今はそんなことはどうでもいい。萌生の興味はイケメンの意味ではなく、園子と一緒に過ごす方法なのだ。

 

「ねぇ、前みたいにお昼、園子ちゃんと一緒にならないかなぁ?」

 

「……なら、卯月も誘って4人で食えばいいんじゃねぇ?」

 

「それだっ!」

 

 そう、自分から誘えばいいんだ。毎回園子に誘われてばっかりだった萌生は気付かなかった。名案だと飛び上がらんばかりに喜ぶ萌生の隣で、修はため息をつく。

 

「……? どうしたの?」

 

「いや、萌生、お前よくこの学校に入れたな」

 

「……?」

 

「……何でもない。早く誘ってこいよ」

 

「うん!」

 

 結果として、修のアドバイスに従った萌生は無事に園子と昼休みを過ごすことが出来た。ついでに孔という新しい友達も出来た。萌生は普段無口な孔に少し怖いという印象を抱いていたが、うるさがらずに話を聞いてくれたり、園子の隣の席を譲ってくれたりと意外にも仲良くしてくれたせいだ。1人増えた昼休みは予想以上に楽しかった。

 

「……ふんっ!」

 

 が、教室に戻ると、孔を見たアリサ・バニングスがもの凄く嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。そういえば、この2人はなんで仲が悪いんだろう。萌生がその疑問を聞く前に、修が口を開く。

 

「なあ、卯月、お前バニングスになんかしたの?」

 

「心当たりはないんだが……入学式の時、隣に座ってからずっとだな」

 

「ホントか? 知らんうちに何かやってたとか?」

 

「いや、まともに喋ったことも……というか、喋ろうとしたら近づくなと言われてな」

 

「えっ、なにそれ?!」

 

 声を上げる園子。萌生はそれに思い出の中の園子を重ね合わせる。ああ、そういえば幼稚園通っていた時、私が男の子に悪戯された時も怒ってたっけ、と。

 

「あ~、まあ、なんかあったら言えよ」

 

 そして修はとてつもなく面倒くさそうな声を出して園子の怒りを強引にそらす。こちらも萌生のよく知る反応だ。という事は、いつの間にか修も普段通りの会話ができるくらいには、孔と仲良くなったのだろう。だから、萌生もそれに続いた。

 

「そうそう、私達友達なんだしっ!」

 

 

 † † † †

 

 

(やっぱり、ちゃんとお話ししないといけないのかなぁ?)

 

 昼休みが終わりかけ、席に着いたなのはは、孔に露骨な態度を向けるアリサとそれに憤慨する園子達3人を見て、そんな感想を浮かべていた。初めて出会った時抱いた孔への嫌悪感は未だ継続中だ。出会ってからもう数か月と経つのに、この原因不明の感情は未だに慣れない。

 

(意味もなく嫌うって、悪い事だよね)

 

 なのはの良識はそう言っていた。目の前で繰り広げられる光景を見ても、どう考えても正しいのはアリサだろう。孔が嘘を言っている様子もない。だが、なのはは何故かアリサの方が正しいように思えてならなかった。つまりは、自分も悪い方の人間という事になる。

 

「はぁ……」

 

 思わずため息を漏らすなのは。この憂鬱を解決するのは簡単だ。孔とゆっくり話をして、嫌悪感の元を探ればいい。だが、いざ本人を目の前にすると、感情が先に立ってうまく言葉をかけることが出来なかった。学校でも、せっかく同じクラスになったのに、まともな会話をしていない。

 

(放課後は、ちゃんとしないと……)

 

 自分が悪者という結論へ抵抗するように、今日もなのはは放課後への決意を胸に、午後の授業へと意識を向けた。

 

「あの……」「うん?」「う……な、なんでも」

 

 だが放課後、そんな決意はあっけなく崩れ去った。今日も結果は同じだったのである。

 

「ねー、なのはお姉ちゃん! 今日はちゃんと孔お兄ちゃんとお話しするんじゃないのっ!?」

 

 隣でアリスがむくれる。ここはまどかの花屋。なのはの父親も無事退院し、家族もよく構ってくれるようになったのだが、アリスやほむら、まどかとの関係はあの事件の後も変わらず、放課後はほむらとまどかとの「ミニお茶会」に参加するのが日課となっている。

 

「アリスちゃん、女の子は男の子と話すのに時間がかかるものなのよ?」

 

 アリスの文句を苦笑で誤魔化すなのはを、ほむらがフォローする。だが安心はできない。アリスの目からはなおもなのはを追及しようという意思が消えていなかったのだ。が、それを遮る絶妙なタイミングでまどかが紅茶を持って店の奥から出てくる。

 

「はい、熱いから気を……」「あっつ~い!」「大丈夫か? アリス」

 

 ミルクと砂糖がたっぷり入った紅茶に口をつけて熱そうにするアリス。それを心配する孔。小さな笑い声が響く。ほんのわずかなアクシデントは、しかしアリスの気をそらすのに十分だった。しかし、なのはが内心でほっとしたのもつかの間、ほむらの携帯が鳴り響いた。

 

「はい、こちら……えっ、迷子ですか? はい、……いえ、すぐ近くにいますので大丈夫です。……ええ、では向かいます」

 

「どうしたんですか?」

 

 立ち上がるほむらに、熱がっていたアリスが落ち着いたのを見て、孔が話しかける。

 

「近くで迷子みたい。他の刑事さんが見つけたんだけど、私の巡回経路にいるから送ってあげてくれないかって」

 

「見つけた刑事さんは送っていかないんですか?」

 

「ええ、百地警部と磯野刑事がいなくなっちゃったから、その分の仕事で忙しいらしくて」

 

「……いなくなった?」

 

「私もよく知らないんだけど、捜査に出て戻ってこなかったんですって。ああ、大丈夫よ? 2人ともプロだし。前に会ったときなんか、刑事ドラマに出てきそうなくらい息があってたから。それに、もともと私は迷子とか、小さい事件を解決して人々の幸せを守るのが仕事だから。大きい事件は刑事さんに解決してもらわないとね」

 

 そう言って、ほむらは出ていく。なのははその背中に見とれていた。なのはにとってほむらは、頼りになる綺麗なお姉さんだったのだ。

 

「……かっこいいなぁ」

 

「あら、なのはちゃんはほむらが随分気に入ったみたいね。将来は婦警さんかしら?」

 

 いつの間にか口に出ていた言葉に、まどかが優しく笑って言う。

 

「じゃあ、じゃあ、私はお花屋さんやる! それで、それで、なのはお姉ちゃんと、孔お兄ちゃんと毎日お茶するの!」

 

 それを聞いて、アリスは嬉しそうに声を上げる。よほど思い描いた未来が輝いて見えたのか、椅子から立ち上がって全身でアピール。が、あまりに派手に立ち上がったためか、机が揺れて紅茶がこぼれた。そこには、アリスが家から持ってきていた絵本が。

 

「……っあ!」

 

 本に紅茶がかかる。アリスは慌てて本をハンカチで拭いたが、慌てすぎたせいか本が破れてしまった。アリスが泣き出す前に、孔がすかさず声をかける。

 

「……破いたか。まあ、随分古い本だからな。後で、一緒に先生に謝っとこう」

 

「うぅ。まだ読んでなかったのに」

 

「こんな古い本はもう売ってないし、それは諦めてくれ」

 

「うぅ……」

 

「あ、あの、それ、学校の図書室で見たの。私が借りて来ようか?」

 

 そんなやり取りを聞いて、なのはは声をかける。学校で図書室を案内されたとき、アリスが持っていたのと同じ本に目が留まり、なんとなく覚えていたのだ。

 

「ホント?」

 

「うん、借りたら持って来てあげるね」

 

「ありがとう、なのはお姉ちゃん!」

 

 喜ぶアリスを見て、なのはまで嬉しくなった。明日、図書室に行くの忘れないようにしなきゃ。そんな小さな決意を固めながら、なのはは3人とお茶を続けていた。

 

 

 † † † †

 

 

 翌日。孔は修達と4人で昼休みを過ごし、教室へ戻ろうとしていた。これからはこのメンバーで一緒に過ごすことが多くなりそうだな。そう思いながらも、不安は尽きない。4人を友達と認識してはいるものの、自分の抱える異常が関係を壊すのではないか、という予感が頭から離れなかったせいだ。孔にとって、自分に向けられる感情はアリサ・バニングスやなのはの嫌悪こそが普通だった。加えて、目が合う度に頬を染める園子である。きっと、この子にこんな感情を与えた自分を、修達は許さないだろう。これではいけない。ネガティブな思考に浸るくらいなら解決策を考えなければ。

 

(気づかれた時に俺が嫌われるのはいいとして、せめて大瀬さんの呪いだけは何とかならないものか……)

 

 接触を避けるのは……却下。向こうから積極的に関与してくる以上、こちらから避けようとしても効果が薄い。しかも、根本的な解決になっていない。

 同じ異能に頼るのは気が進まないが、幻想殺しはどうだろうか。やってみる価値はある。が、実行するには魔力や呪いに触れる必要があり、もう一度頭を撫でることになる。もし効果がなかった場合、呪いの効果が更に強まる恐れがある。リスクは大きい。

 結局、呪いが解けるのを待つしかないか。だが効果の持続時間はどのくらいなのだろう。まさか永久ではないと信じたいが。

 

「ちょっと、貸しなさいよ!」

 

「っ! 嫌!」

 

 だが、答えの出ない思考は鋭い声で強制的に遮断された。思わず足を止めると、2人の女生徒が喧嘩をしていた。つい先ほど顔を思い浮かべたアリサ・バニングスが、クラスメート――月村すずかの髪を引っ張っている。

 

「バニングス、酷いことするわね」

 

「い、痛そう……」

 

「なあ、さっさといこうぜ」

 

 顔をしかめる園子に、自分の髪を手で押さえる萌生。修は係わりたくないのか、教室へ戻るよう急かす。施設で兄をやっている結果か、孔は修を窘める。

 

「さすがに無視するのはマズいだろう。まあ、他に誰もいないみたいだし、ここは先生に報せにいくべきだな」

 

「え~、ほっとけよ、あんなの」

 

「じゃあ、私と卯月くんで先生呼びに行くから、修は萌生とあの2人止めといて」

 

 そんな2人を見て、園子が強引に結論を出した。萌生もうなずいて同意を示している。

 

「えっ? 俺も止めるの?」

 

「あんな喧嘩してる所、萌生だけじゃ危ないでしょ」

 

「じゃあ、卯月が止めに行けよ。俺が先生呼んでくるから」

 

「いや、俺はどうもバニングスさんに嫌われているみたいだからな。逆効果だろう」

 

「じゃあ、園子が……」

 

「私も、バニングスはあんまり好きじゃないから」

 

 はっきりと告げる園子に絶句する修。こどもは残酷だ。だがその沈黙は孔と園子に了解の意思と誤解させるには十分で、

 

「えっ、あ、おい、ちょっと……」

 

「修くん、もう諦めた方がいいよ」

 

 孔がそんな声を聴いたのは、すでに修と萌生に職員室へと歩き始めた後だった。

 

 

 † † † †

 

 

「はい、ストップ」

 

「2人とも、喧嘩はダメだよ~?」

 

 修がアリサの腕を掴んで止め、萌生が間の抜けた声で注意する。喧嘩に夢中になっていたせいで2人の接近に気づかなかったのか、驚いたように動きを止めるアリサとすずか。修はすずかを萌生の方へ押しやりながら、アリサに問いかける。

 

「まったく、何で喧嘩なんかしてたんだ?」

 

「ちょっと放しなさいよ!」

 

 が、アリサからは感情的に咬みつかれた。相当気が立っているようだ。だがここで怯むわけにもいかない。孔達が戻ってくるまで時間を稼がなければならないのだ。修は大げさにため息をついて見せると、萌生とすずかの方を指さした。

 

「大丈夫? 月村さん?」

 

「えっ? あ、うん、ありがとう。只野さん」

 

 そこには、涙目になっているすずかの髪を撫でる萌生が。さすがに居心地が悪くなったのか、アリサからは多少マシな反応が返ってきた。

 

「っ! 何よ! こいつがヘアバンド見せてくれないのが悪いのよ!」

「はあ? ヘアバンド? なんでそんなもんで……」

「だって、綺麗だったから……!」

「だからって、無理矢理奪おうとしなくてもいいんじゃね?」

「見せてって頼んだんだから、いいじゃない!」

「いや、お前、それ完璧に悪役だから」

「うるさいわね! ていうか、放しなさいよ!」

「お子様のバニングスが暴れるからやだ」

「なんですってぇ!」

 

 あ、コイツ面白れぇ。内心でそんな感想を浮かべながら、修はアリサを受け流す。だが、すぐそばから笑い声が上がった。萌生だ。

 

「あはは、仲いいなあ、2人とも」

「え? 仲いいの? あれで?」

「うん、修くん、園子ちゃんともあんな感じだよ? 仲良く見えない?」

「そ、そういえば、息ぴったり、かな?」

「でしょっ!」

 

 そして、笑い声はいつの間にかすずかに感染していた。それに気付いたアリサが叫ぶ。

 

「ちょっと、何笑ってるのよ!」

 

「お前が面白いからじゃね?」

 

「ちょっと黙りな……」

 

「いや、黙るのはバニングスのほうだな?」

 

 が、そこに響いた担任の先生の声で崩れかけた雰囲気はすぐ緊張に変わった。一緒にいた孔と目が合って露骨に嫌そうな顔をするアリサ。

 

「折井に只野、話は聞いてる。喧嘩を止めようとしてたんだってな」

 

「はい。先生、俺と萌生で止めてました」

 

 しれっという修にさらに嫌そうな顔をするアリサと苦笑いするすずか。それを見た蘆屋は、ニヤリと笑って言った。

 

「まあ、もうすぐ昼休みは終わるから、放課後に話を聴くことにしよう。授業が終わったら、2人とも理科室に来るように」

 

 

 † † † †

 

 

 放課後、修はいつも一緒に帰っているメンバー――園子、萌生とともに教室を出た。孔とは方向が違うので帰りまでは一緒にならない。廊下の奥には、担任兼化学部顧問の蘆屋先生の元へ行くであろうアリサとすずかの姿が。手を振ろうとする萌生。園子は慌ててそれを抑えた。

 

「ちょっと、止めときなさいって。また突っ掛かられたらどうすんのよ?」

 

「う~ん、そんなことしないと思うけどなぁ? 修くんとも仲良かったし」

 

「はぁ? あれのどこが仲良く見えるんだよ」

 

 自分の名前に反応する修。だが萌生はいかにも楽しかったという表情を崩さずに続ける。

 

「でも、息ぴったりだったよ? すずかちゃんもそう言ってたし」

 

「そんなわけあるか。てか、お前、月村さんと仲良かったの?」

 

「ううん。さっき仲良くなったばっかりだよ?」

 

 頭を抱える修。

 

(はあ、アリサにすずか、か。なんでこうなったんだか……)

 

 修にとって、今回知り合った2人は鬼門だった。といって、孔のように2人から理不尽な扱いを受けたわけでも、園子のように孔への嫌悪が許せないという感情があるわけでもない。それは6年前の死に端を発していた。

 

 そう6年前、修はトラックに跳ねられ、一度死亡しているのである。

 

 強い衝撃の後、気が付いたときにいたのは真っ赤な空間。目の前では、老人がこちらを見下ろしていた。その老人は口元を釣り上げて、嘲笑のような声でこう告げたのだ。

 

「ようこそ。意識と無意識の狭間へ……クックックッ……だがすぐにお別れだな。貴様はすぐ自らが望んだ世界に転生するのだから……」

 

――はあっ!? 転生? 俺が望む世界ってなんだ?

 

「お前は他の人間が作り出した幻想を見て、常々それを思い通りにしてみたいと思っていただろう? この私が、その理想を叶えてやろうというのだ」

 

 確かに、ゲームや漫画を見ていて、こんな力があればと思ったことがあった。金欠になった時は金に困らないという「黄金律」が欲しくなった。トラックに跳ねられる直前、妙に冷静になり、俺にも「ベクトル操作」か「超電磁砲」があればこんなの乗り越えられたのにと得体のしれない事を考えていた。ついでに誰にも気づかれない「気配遮断」があれば変に噂にならないだろう。

 

(それにしても、死ぬ間際になに考えてたんだ、俺は……)

 

「どうした? どうにもならぬ危機に直面した人間などそんなものだ。逃避し目を逸らすのは何もおかしなことではない」

 

 思考を読んだかのように、クツクツと笑いを浮かべる老人。面と向かって告げられるといい気分はしない。が、

 

「では、今思い浮かべた力をくれてやろう」

 

 老人はそれを無視して指をならす。

 

――は? いや、くれるんならもう少し考えさせて……うわぁ!?

 

 抵抗むなしく下に開いた穴へ落とされる。体とともに、意識が落ちていくような感覚。暗転する視界の中、老人の声がはっきりと頭に響いた。

 

「ああ、そうだ。転生したものはもう1人いる。見つかったら殺されるかもしれんな。まあ、せいぜい貴様の無意識にまで響いたその力で人の業を紡ぐがいい」

 

 それを最後に降り立ったのは海鳴市。修はその地名を知っていた。かつて、創作物の一つとして気に入っていた作品の舞台だ。その舞台の片隅に、修は裕福な家庭のこどもとして生まれた。家族は平穏だった。こうあればいいとかつて思い描いた、ホームドラマに出てきそうなほどよくできた両親に支えられ、平和な時間が過ぎていく。しかし、穏やかな時の流れの中で、修は最後に聞いた声を気にし続けていた。

 

――見つかったら、殺されるかもしれんな

 

 修はこの舞台でこれから起こる事件を知っている。その中心となる人物――高町なのはに月村すずか、アリサ・バニングスのことも。おそらく、見つかるとは目立つということで、なのは達に近づくとロクなことにならないのだろう。

 

(とにかく、関わらないようにしないとな)

 

 しかし意識するまでもなく、修が知識に持つ事件に関わることはなかった。それどころか、中心人物である高町なのはがいる筈の公園は気がつけば封鎖され、近所で一緒に遊ぶこども達――園子や萌生も、名前からして「普通」のこどもだった。

 

 だが、順調な日々は急に陰りが見え始める。

 

 親の都合で強引に原作舞台である聖祥大学附属小学校に入学したのを皮切りに、なのはと同じクラスになるは、気がつけばアリサとすずかの喧嘩に巻き込まれるは、あれよあれよという間に巻き込まれてしまった。

 

「はあ、鬱だ……」

 

「もうっ! 修くんも、園子ちゃんも、そんなに嫌そうにしなくてもいいじゃない!」

 

 そんな修の内心も知らず、目の前を歩く萌生はアリサとすずかの2人とかかわる気満々だ。誰とでも仲良くしようとするは、なんて危険なヤツだ。無邪気なこどもがこんなに危ないとは知らなかった。そんな修の悪態に似た願いが通じたのか、園子が萌生を止める。

 

「あのね、萌生、バニングスは卯月くんのことで……」

 

 いいぞ園子もっと言え。そう思った瞬間、周囲の空気が入れ替わった様な感覚に襲われた。同時に園子と萌生の姿が消える。しかし唖然とする暇もなく、教室から爆音が響いた。

 

 

 † † † †

 

 

 教室。孔も修と同じ違和感に襲われていた。残っていたクラスメートもやはり不自然さだけを残して消えている。また悪魔が出てくるか? そう思ったと同時、状況を把握しようと廊下に出る。

 

 そこには、紙で出来た鬼がいた。

 

 出会い頭の硬直は一瞬、鬼は手を振り上げて襲いかかってくる。

 

(遅い……っ!)

 

 避けながらアロンダイトを一閃する孔。が、手応えはない。鬼の体がバラバラの紙になったかと思うと、剣の刃を避けるように宙を舞い、もとに戻ったのだ。

 

「……厄介だな」

 

 剣では分が悪い。そう悟った孔は距離を取って構え直す。

 

――王の財宝〈ゲートオブバビロン〉

 

 数本の武器を飛ばしてみたが、武器が当たる前に体が崩れ、かわされてしまう。外れた武器はそのまま廊下を直進、爆発し、壁に穴を開けた。

 

「っ! なら!」

 

 今度は足下を狙って武器を放つ。鬼は飛んでかわそうとするが、爆風と熱で吹き飛んだ。しかし、廊下を走る爆風にのって、黒焦げになりながらも鬼は拳を挙げて突っ込んでくる。姿勢を低くして避ける孔。鬼が勢いのまま飛んでいった先を振り向くと、

 

「なっ! 折井!」

 

 修がいた。

 慌てて剣を構え直す孔。

 

(間に合えっ!)

 

 そう思いながら宝剣を取り出して鬼に投げつけようとして、

 

「ちっ!」

 

 しかし修の舌打ちと共に、鬼は壁に叩きつけられた。細切れになって紙の破片が宙を舞う。だがそれも、修の周りに走った一瞬の閃光とともに灰になる。バチバチと電気が走る音を纏わらせる修に、孔は叫んでいた。

 

「っ! 折井、お前、その力は?」

 

「おう、お前と同じ、転生者だ」

 

 思わずそう問いかけた孔に、修はそう答えた。

 

「転生者? 俺と同じ……? どういうことだ?」

 

「えっ? 違うの? お前もあのジジイに……」

 

 だが修は戸惑いの声をあげ、

 

――いぎゃぁぁぁぁぁ!

 

 途中で悲鳴にかき消された。理科室の方からだ。

 

「っ! 折井、その転生者とやらの話は後で聞かせてくれ」

 

「えっ、おい、ちょっと待て!」

 

 戸惑う修を背に、孔は走り出した。

 

 

 † † † †

 

 

 理科室。そこでは白衣の男――孔のクラス担任である蘆屋がPCをいじっていた。PCからは無数のコードが伸び、その先には円筒状のオブジェ。そのオブジェからは更にコードが延びており、2つの魔方陣に繋がっている。片方の魔法陣では、椅子に座らされたすずかが眠っている。もう一方には10ほどの水槽が乗っており、それぞれに学校の生徒が入っている。何も液体が入っていないにもかかわらず、中にいる生徒は宙に浮いていた。そこにはアリサの姿もある。

 

「ふむ、始めるか」

 

 蘆屋はそういうと、

 

――アギラオ

 

 生徒が入っている水槽に向かって炎を放った。たちまち炎に包まれる水槽。

 

「う、ううん? な、なに……、熱っ! あ、あつい、い、い、いぎゃぁぁぁぁぁ!」

 

 中に入っている生徒は高熱で強制的に覚醒させられ、絶叫を上げる。だがそれは長く続かず、後には黒焦げとなった死体が残った。

 

「まずは魂が1つ」

 

 順番に炎を放っていく蘆屋。そのたびに悲鳴が上がる。しかし、他の水槽の生徒やすずかは、目を覚まさない。

 

「これで9。さあ、最後は……」

 

 そう言ってアリサに目を向ける。

 

「さあ、我が同胞たちよ。この魂を糧に、そして夜の一族を依代に、今こそ異界より来よ」

 

 炎が放たれようとしたその時、音を立てて扉が開いた。孔だ。修も遅れてなだれ込む。

 

「なっ?! これは?」

 

「はあ、はあ、卯月、お前どういう運動神経して……! うげっ! なんだよこれ!」

 

「ほう? お前たちが結界に入り込んだネズミか。いや、シキウジを破ってここまで来たところを見ると、ただのネズミでないというところか」

 

「……蘆屋先生、これはいったいどういうことです?」

 

 この異様な状態の中で余裕を見せる蘆屋。孔は距離を測りつつ問いかける。その声は険しい。すずかとアリサが囚われている魔方陣は、アリサ・ローウェルを閉じ込めていたものと同じだと気づいたからだ。

 

「ふん、見てわからぬか。魂を贄として、我が同胞を異界より呼ぼうというのだ。その邪魔はさせぬ」

 

――マハラギオン

 

 炎の壁が孔と修に迫る。孔は修の前に出て、右手を前に出した。

 

――幻想殺し〈イマジンブレーカー〉

 

「何だとっ!?」

 

 一瞬で掻き消えた炎に驚く蘆屋。孔はその隙を見逃さず、一気に距離を詰め、殴り飛ばした。虚を突かれた蘆屋は受け身も取れずに勢いのまま壁に叩きつけられ、呻き声をあげる。孔は油断なく相手を見据えながらも、魔法陣を破壊してすずかとアリサを引き離した。

 

「折井っ! 2人を頼む!」

 

「は? あ、お、おいっ!」

 

 孔は未だ眠り続ける2人を戸惑う修に預け、起き上がった蘆屋に向き直った。

 

「っ痛ぅ。今のは効いたぞ。貴様、何者だ?」

 

 蘆屋の言葉に無言でアロンダイトを構えることで応える孔。しかし、修は蘆屋の放つプレッシャーに耐えられなかったのか、わめき始めた。

 

「そ、そっちこそなんなんだぁ! お前も転生者か? なら、さっきの炎は……」

 

「残念だが、私は転生体などではない。しかし、お前『も』と来たか。なるほど、貴様らは転生体だったか。これは運がいい!」

 

 あくまでも余裕を崩さない蘆屋。孔はペラペラとしゃべっているうちに、情報を聞き出すことにした。

 

「転生体とはなんだ?! それに、運がいい、とは!?」

 

「ふん、貴様自分で気づいていないのか。転生体とは、英霊や神、悪魔が再び現世に生まれ出でたものだ。そして、運がいいとは、その強い魂を生贄とできることだ。化学部員だけでは足りなかったので、初めはその吸血鬼を使おうと思っていたのだがなっ!」

 

 そう言って眠っているすずかを見る悪魔。孔は眉をひそめる。

 

「吸血鬼?」

 

「なんだ、知らんのか。その小娘は吸血鬼の末裔。人間とは違う、我が同胞と似たマグネタイトが流れておろう!」

 

 修の問いかけに蘆屋は得意げにしゃべり続ける。まるで研究成果を嬉々として発表するかのように。

 

「大して恐怖や絶望もない普通の人間の魂ではわれらが同胞は満足せぬ。ならば、人間より強力な肉体の持つ魂を使おうというのだ。だが、転生体がいるならもう不要だ!」

 

 その言葉と同時、光に包まれる蘆屋。次の瞬間、派手な和服の悪魔が現れた。

 

「我こそは蘆屋道満! 貴様らはその魂を我が同胞に差し出すのだ!」

 

――アギラオ

 

 高らかに声をあげて、符を取り出すドウマン。その符は異常に燃え上がり、巨大な炎が修を焼き尽くさんと迫る。

 

「っ折井!」

 

「……っ! 来るな卯月! あぶねえぞ!」

 

 反射的に駆け寄ろうとする孔。だが修はそれを制すると、炎に向けて手を突き出した。

 

――ベクトル操作〈アクセラレーター〉

 

 同時、炎は曲がり、逆にドウマンへと向かう。

 慌てて身を翻すドウマン。炎は理科室の壁に穴を開けた。

 

「っ……! 我が術を跳ね返すとは、流石は転生体といったところか。異常だな」

 

「炎飛ばした奴が何言ってやがる!」

 

 悪態をつく修を見てニヤリと笑うドウマン。対する修はじっとりと汗を滲ませていた。能力を使った実戦など始めてなのだろう。

 

「ならこれはどうだ?」

 

――ムド

 

 新たな符を取りだし、ドウマンが詠唱を始める。修の足下に魔方陣が浮かび、そこから黒い煙が沸きはじめた。

 

(なんだこれ? 演算できねえ?! 未元物質か? いや、爆発する感じじゃあ……?!)

 

 戸惑いつつも魔方陣から抜け出そうとしたとき、修に悪寒が走った。直後、体から力が抜け始める。

 

「うぁっ? なんだこれ、さ、寒っ! う、うわぁぁぁぁあ?!」

 

「ちっ!」

 

 慌てて孔が駆け寄り、幻想殺しで魔方陣を破壊する。

 

「はあ、はあ……っ! た、助かったぜ……」

 

「……折井、2人を連れて逃げろ。あいつの狙いはお前だ」

 

 剣を構えなおし、ドウマンを睨みながら言う孔。

 背後から、修の戸惑うような声がかかった。

 

「お、おい。大丈夫なのかよ?」

 

「悪魔となら、何度か戦ったことならある。それに、転生者とやらについて聞くまで死ぬつもりはない」

 

「分かったよ……2人置いたらすぐ戻るからな!」

 

――気配遮断〈アサシン〉

 

 だが次の瞬間、修の気配は完全に消え去った。

 

 

 † † † †

 

 

 すずかとアリサを抱え、修は廊下を走り続けた。本来ならベクトル操作で窓から空を飛んで行きたいところだが、気を失って寝ている2人の目を覚まさせるわけにもいかない。

 

(こんなことなら、人を運ぶ練習しとけばよかったな!)

 

 まともに能力を使ってこなかった自分に文句を言いながら、走る。廊下を抜け校門へ。だが、たどり着いたそこは、赤い壁が出来ていた。試しにその辺に転がっていた石を蹴りつけてみると、ガンッという音を立てて弾かれる。これが結界か。そう感心する間もなく、教室前で焼き殺したのと同じ、紙でできた鬼がやって来た。式神というやつだろうか。気配遮断を使っていても、音をたてると気付かれるらしい。あわてて校舎の壁に隠れる。

 

「……?」

 

 しかし、式神のほうは校門の石が当たった辺りをうろうろするだけで此方に気付かない。今のうちにアリサとすずかが隠れられそうな場所を探すべく、修は廊下を戻り始める。

 

(そういや、この学校の図書室って無駄にでかかったな)

 

 そう思い、足を止めたのは図書室の前。奥の本棚は窓からも見えない構造になっていたはずだ。迷うことなく扉を開く。だがそこには、

 

「げっ! 高町、お前なんでここにいんの?」

 

 なのはがいた。いや、考えてみればいてもおかしくはない。この結界には、ドウマンが意識的に切り離したすずか達を除けば、修や孔――つまり、魔力をもった人間が取り残されていた。そして修の知識では、なのはは魔力を持っている。おそらく、眠っている魔術の素養が無意識に防衛本能を働かせて魔法を拒否、結界の外部に押し出されるのを拒んだのだろう。だが、口を開いてから気づいてももう遅い。

 

「私は本を借りにきたの! でも、図書委員さんが急にいなくなっちゃって……。折井くんこそ、何で月村さんとバニングスさんを担いでるの?」

 

 案の定、なのはからはむっとした声が返ってきた。ついでに当然と言えば当然の、しかし修としては聞いてほしくない疑問を聞いてくるというおまけつきだ。

 

「あ、いや、それは……」

 

「誘拐はいけないと思うの!」

 

「あー、高町、今の時代、成功率が低い誘拐はそんなに起こらないって知ってるか?」

 

「でも、卯月くんも誘拐されたってアリスちゃんが言ってたし……」

 

「はあ? アリスって誰だよ?」

 

「アリスちゃんは公園であった友達! 今日だってアリスちゃんの本を借りに来て……」

 

 よほど仲がいい相手なのか、アリスの説明を始めるなのは。修は気が気でない。こうしている間も、孔はドウマンと闘っているのだ。

 

(っ!)

 

 が、その途中、修は結界に飲み込まれた時と同じ違和感を覚えた。同時に人の気配が戻る。一切音がしなかった図書室に、ページをめくる音が響きはじめたのだ。

 

「……ちょっと、折井くん、聞いてるの?」

 

 思わず周囲を見渡した修に、喋っている最中だったなのはは抗議の声をあげる。修はなんとか誤魔化そうと、カウンターを指差す。

 

「あ、いや、図書委員、戻ってきたぞ?」

 

「あ、ほんとだ」

 

 やはり根は素直なせいか、カウンターの方を見るなのは。うまく誤魔化せたと胸を撫で下ろす修。だが物事はそううまくいかない。

 

「……ううん? あ、あれ? 寝ちゃってた?」

 

「図書室? 私達、理科室で蘆屋先生に怒られて、それから……?」

 

 すずかとアリサが目を覚ましたのだ。周囲を見渡して不思議そうな顔をする2人。最悪のタイミングだ。修はもう面倒くさくなって強引に話を終わらせる。

 

「あ、やべっ! 今日塾があったんだ俺。じゃあ、まあ、そういうことで」

 

――気配遮断〈アサシン〉

 

 そう言うと、修はその場をあとにした。

 

「は? え? ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

 背後から聞こえるアリサの声なんか聞こえない。そう自分に言い聞かせ、理科室へと廊下を走る。

 

(ま、あの3人と関わるのはこれっきりに……ん?)

 

 が、途中、廊下の奥に金髪のこどもを認めて立ち止まった。聖祥の制服ではなく、黒いスーツのようなものを着て、祖母らしい喪服の老婆と手を繋いでる。気配遮断を使っているにも関わらず、その2人からはこちらへはっきりとした視線を感じた。

 

「っ?!」

 

 体に悪寒が走る。

 

 思わず立ち止まる修。初めての経験だ。強いて言うなら、ドウマンに黒い霧で攻撃された時に似ているだろうか。そんな修を横目に、こどもは老婆に何かを耳打ちした。

 

「……」

 

「おや、坊っちゃま、あの者が気になるのですか?」

 

「……」

 

「まあ、それは。しかし今は忙しゅうございます。また、後にいたしましょう」

 

 だが、老婆がそう答えると、2人の姿はかききえた。近寄って周囲を見回すも、誰もいない。しかし、先ほどの悪寒ははっきりと自覚できた。

 

(い、いや、こんな事してる場合じゃない。卯月が気になる。ただでさえ、高町達とのあれで時間をとられているんだ)

 

 言い様のない恐怖に慌てて意識を切り替える修。逃げるように理科室へと走る。ここまで来ればすぐそこだ。扉を開く。

 

「卯月! ……あれ?」

 

 しかし、勢いよく扉を開けたはいいが、中には誰もいない。それどころか、あの黒焦げの死体も、薄気味悪い魔方陣も、炎で出来た壁の穴も無い。ただ、誰もいない放課後の理科室を、夕日が照らすだけだった。

 




――Result―――――――
・妖鬼 シキガミ 電撃の高温により焼殺
・愚者 化学部員 生贄にされ火炎により焼殺

――悪魔全書――――――
妖鬼 シキガミ
 日本の伝承にみられる、陰陽師が使役した鬼の一種。伝承によりその形態は大きく異なるが、陰陽師を扱ったものでは和紙を用いて作られた札がその術によって獣や鬼に姿を変え、発現することが多い。その正体は、神と人間の中間的な霊的存在だという。

超人 ドウマン
 日本に実在した陰陽師。蘆屋道満。藤原道長に仕官した安倍晴明のライバル。平安時代の安倍晴明との式神対決を中心に、同様にさまざまな伝説を残した。その多くは悪役として扱われることが多いが、現在でもその名は海女が使用する手拭等に描く魔除けの印「セーマンドーマン」にみられる。

――元ネタ全書―――――
折井修/只野萌生/大瀬園子
 メガテンシリーズ恒例(?)嘘くさい名前。真Ⅰでは主要人物の通称がフツオ/フツコ/ヨシオ/ワルオだった他、ペルソナ2でもモブ役や「質は悪いが値段は安い」武器の名前に見られます。メガテンに限らず、当時は多くの作品でプレイヤーに立ち位置を伝える重要な手法として採用されていました。

バラバラの紙になるシキオウジ
 真・女神転生Ⅲのダメージ時のグラフィックから。物理無効に納得した記憶が。

金髪のこども
 言うまでもなく「あの御方」。今回は真・女神転生Ⅲ版で登場。
――――――――――――
追加で注記をふたつほど……
※ベクトル操作と呪殺について。あくまで本作の設定ですが、「呪殺=悪意やら憎しみやらを源として魔術で増幅して呪い殺す。」としています。したがって、感情は反射できないだろうという解釈から、呪殺系統はベクトル操作で反射できないこととしています。(一応、「悪意を向ける」等の意思にも方向があるような表現は日本語としてありますが。)また、増幅する術式を破壊することで無効化できるので幻想殺しは有効としています。原作とは乖離があるかもしれませんが、ご了承ください。
※3DS版「ソウルハッカーズ」ではドウマンは外道でしたが、本作では「真・女神転生Ⅰ」に合わせ超人としております。
――――――――――――


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第6話 異界の迷子

――――――――――――

「もう、逃げ足だけは速いわね!」

「あ、あはははは……」

 逃げていった折井くんに、バニングスさんが怒って、月村さんが笑ってる。

「2人とも、仲いいんだね」

 学校にはあんまり友達がいない私は、そんな声を出してしまった。

「べ、別に仲良く何かないんだからね!」「あ、あははは」「ちょっと、何笑ってるのよ?」

 やっぱり、仲いいんだ。羨ましいなぁ。私も、学校でアリスちゃんと会えたら……あ、でもアリスちゃんが一緒だと卯月くんも一緒かぁ。嫌、なんて言っちゃダメなんだろうけど……そういえば、バニングスさんも卯月くんと仲悪いんだっけ?

「ね、ねえ、バニングスさん。何で卯月くんのこと嫌いなの?」

「はあ? そんなの知らないわよ!?」

「あう、ごめんなさい。でも、私も何か苦手だったから……」

「あんたもだったの。確かに、よくわかんないわよね。悪いやつじゃないんだけど、何か思い出したらムカつくわ」

「バニングスさんも分からない?」

「べ、別に分かんない何てことは……」

「じゃあ、何で?」

「も、もう、うるさいわね!」

 バニングスさんも分からないみたい。2人で困っていると、月村さんがとりなしてくれた。

「ま、まあ、そのうちきっかけがあれば原因もわかるよ」

「う~ん、でもぉ……」

「もう、しつこいわね! 分かんないからって考えてても仕方ないでしょ!」

「あ、あはは」

「あんたもいつまでも笑ってないの!」

「ご、ごめんなさい」

 これが、私の親友――アリサちゃんとすずかちゃんの、初めての会話になった。

――――――――――――なのは/図書室



「! 逃がしたか。この距離から逃げるとはな。転生元は忍か何かか? 暗殺者の魂だったとは、実に惜しい」

 

「……何故折井を狙った?」

 

「簡単な事だ。自分で転生体と認識しているということは、それだけ覚醒も進んでいる。お前はまだそこまでいっていない。熟した果実のほうが旨かろう?」

 

 時はわずかに遡る。嘲るように言葉を紡ぐドウマンに、孔はアロンダイトを握り締めながら対峙していた。対するドウマンは符を構える。

 

「ふん、何の転生体かは知らぬが、この実験の邪魔はさせん!」

 

「……実験?」

 

「そう、人間の魂を用いて異界から我等が同胞を呼び出すのだ!」

 

――アギラオ

 

 打ち出された炎を幻想殺しで打ち消しながら。孔は尚も情報を聞き出すべく話しかける。

 

「同胞とは悪魔の事か?!」

 

「まさか! 我等が信奉する神だ! 貴様らからすれば悪魔やも知れんがな!」

 

――ムド

 

 床から立ち上る黒い霧を、その発生源となっている魔方陣を砕く事で消す。

 

「なら、公園の封鎖を起こした悪魔もお前が呼んだのか?!」

 

「公園? 知らんな! 我等が同胞は既に現世へ出てきていることは確かだがな!」

 

――ドルミナー

 

 今度は呪符が飛んできた。アロンダイトで切り落とし、切れ端を幻想殺しで無力化する。

 

「あの魔方陣、アリサを捕らえていたのはお前か?」

 

「アリサ? ああ、あの恐怖を植え付けた魂か。異境の死者操作術の実験を兼ねて、有効に使わせて貰ったぞ!」

 

「貴様……っ!」

 

 だが、その言葉で会話は終わった。斬りかかる孔。対するドウマンは細かい呪術が書き込まれた鉄扇で受け止める。

 

 火花が散った。

 

 しかし、硬直は一瞬。押し勝った孔がドウマンのもつ鉄扇を弾き飛ばす。しかし、

 

「この距離ならば反応できまい!」

 

――アギラオ

 

 ドウマンは至近距離から炎を放った。周囲の温度が急激に上昇する。

 

「くっ!」

 

 それに対し、孔はドウマンとの間に宝具を大量に召喚、隙間なく埋める事で壁をつくる。次の瞬間、激突した魔力は爆発、至近距離からの爆風が孔とドウマンを襲った。

 

「うおっ!」

「ちっ!」

 

 孔は据え付けの実験机に、ドウマンは壁に叩きつけられる。先に立ち上がったのは孔。すぐに宝具を打ち出す。

 

「ええい、何なのだ! その力はっ?! 何者だ貴様!」

 

 襲いかかってくる宝具を炎で撒きながら悪態をつくドウマン。もともと優秀な陰陽師。人を呪い殺す位は簡単にできる。戦になれば少し強い位の武芸者を打ち倒す自信はあった。しかし、目の前の転生体とおぼしき人物は、覚醒前のこどもであるにも関わらず、強大な力を持つ宝具を飛ばして追い込んで来るのだ。次第に余裕がなくなってくる。

 

「……おのれ、転生体め!」

 

――マハラギオン

 

 面倒になったのか、周囲を同時に焼き払おうとする。炎は宝具とその先にいる孔に届いたと同時に爆発的に燃え上がった。

 

「……っ…ぐはっ!」

 

 しかし、膝を着いたのはドウマンだった。孔は炎を幻想殺しで無効化すると同時に、炎で止める事ができないほど強力な魔力を有する宝具を放ったのだ。腹部を串刺しにされたドウマンに向かって、孔が剣を降り下ろさんと迫る。そこに戸惑いは無い。孔にとって、目の前の派手な格好をした男はもう担任の先生ではなく、悪魔だったのだ。

 

「……ぐ…う、こうなれば!」

 

 しかし、ドウマンは最後の力を振り絞り、PCに繋いである装置に繋がった魔方陣に駆け寄る。

 

「我等が同胞達よぉ! この蘆屋道満の魂を糧に、今こそ異界より来よぉぉぉおおお!」

 

 絶叫しながら、自らに炎を放つ。自焼した悪魔に驚いたのも束の間、赤い雷のような光を発しながら円筒形の装置が廻り始めた。バチ、バチッと静電気のような音が鳴る。その音は装置の回転に合わせて早くなっていく。

 

――ナニかが起ころうとしている!

 

 思わず後ずさりする孔。いや、後ずさりしたつもりだった。気付いたときには、まるで引きずり込まれるようにジリジリと前に進まされている。

 

 あの夢と同じだ。

 

 今尚はっきりと覚えているあの赤い通路の夢のなかで、流されるまま先に進んでいた感覚。それを思い起こした瞬間、視界が歪んだ。装置が遠くに飛び、その跡に赤い通路ができる。孔はその回廊を、すさまじいスピードで流されていった。

 

 高速で前に飛ばされるようなプレッシャーが襲う。

 

 しかしそれは、投げ出されるような感覚で不意に止まった。

 

 浮遊感。次いで衝撃。

 

 だがそれは予想外に小さい。まるで抱きかかえられた赤ん坊が下ろされるような、不自然な着地。トサッという静かな音が周囲に響いた。

 

(……? 抜けた訳じゃないのか?)

 

 戸惑いながらも辺りを見回す孔。先程と違い、自分の足で赤い回廊に立っていた。目の前には、枝分かれしている通路。だが、向かって右側から声が聞こえた。

 

――こっちだ

 

 視線を向けると、車椅子に座った銀髪の男。年の頃は40ぐらいだろうか。赤いスーツを身に付けている。しかし、目があった瞬間、すぐに消えてしまった。

 

「……行ってみるか」

 

 流石に異常に出会いすぎたせいか、孔の驚きも小さい。脱出する手がかりが他にないこともあり、声がした方へ歩き始めた。しかしその先にいたのは男性ではなく、

 

「えっ?」「む?」

 

 金髪の少女だった。年齢は孔と同じか、少し下くらいだろうか。呼ばれた声の主とはほど遠い存在に思わず固まる。そんな孔とは対照的に、少女はおそるおそるといった感じで話しかけてきた。

 

「えっと、こんにちは」

 

「えっ? あ、いや……こんにちは?」

 

 孔の方も戸惑いながらも挨拶を返す。明らかに異常な空間で出会った存在。それが普通の反応をされるのはある意味で予想外だった。それは相手も同じだったらしく、驚いた様に目を見開き、

 

「私の声わかるの?!」

 

「……は?」

 

 声をあげた。状況が呑み込めず間抜けな声をあげる孔。そんな孔にお構いなしに、目の前の少女は笑いながら泣き始めた。

 

「あ、あははは。……よかった! やっと、やっと人に会えた!」

 

 

 † † † †

 

 

「……落ち着いたか?」

 

「うんっ! 私ね、アリシア、アリシア・テスタロッサっていうの。お兄さんは?」

 

「卯月孔だ。あ、いや、そっちではコウ・ウヅキかな?」

 

「? よく分かんないけど、コウって呼んでいい?」

 

「ああ、構わない」

 

 にっこりと微笑むアリシア。何処となくアリスに似ている。今頃アリスは公園だろうか? アリスは待つのが苦手だから、早いところ帰らないとな。そう思いながら、孔は脱出手段を探すべくアリシアに話しかける。

 

「まずは、ここの事を教えてほしい。俺はついさっき事故で飛ばされたみたいなんだ」

 

「えっと、私にも分かんないや。でっかい音が聞こえたら、ピカって周りが光って、そしたらここにいたの」

 

「そうか……念のため聞くが、他に人は居なかったんだな?」

 

「ううん、何人か会ったよ。だけど、みんな私の声が聞こえないみたいで、話しかけても応えてくれないの」

 

 否定されると思っていなかった孔は戸惑った。どうやら、先ほどの「やっと人と会えた」というのは「コミュニケーションが取れる人がいない」という意味で、他にもここに連れてこられる人間はいるようだ。

 

「どんな人だった?」

 

「どんなって、いろいろかなあ? 男の人もいたし、女の子もいたよ。あ、でもおじいちゃんとか、おばあちゃんが多かったかも? でも、一番多かったのは、なんか光ってる玉みたいなのかなあ? あ、でもこれは人じゃないや」

 

「……そうか。その人たちはどこへ?」

 

「分かんない。急に出来た穴に落ちたり、壁をすり抜けてったりで、みんないなくなっちゃった」

 

 が、あまり有効な手がかりにはならなかった。意味不明な消え方をしたのなら、居なくなった人の後を追うという作戦も使えない。孔は頭を抱えそうになったが、消えた人がいる以上、脱出の手立てはあると前向きに捉え直す。

 

「此方だ、という声は聞こえなかったか?」

 

「うん! 聞こえた! コウも、その声を聞いて此方に来たの?」

 

「そうなるな。俺は声のした方へ行ってみるつもりだが?」

 

「じゃあ、私も行く!」

 

 道は決まったようだ。孔はアリシアと歩き始めた。

 

 

「だから! テスタロッサじゃなくて、アリシアだよ! ア、リ、シ、ア~!」

「ねえねえ、コウの服に書いてある文字、始めて見るよ! 何て書いてあるの?」

「ふ~ん、ニホンの、ウミナリっていうところから来たんだ」

 

 とりとめのない話をしながら進む2人。アリシアは久しぶりに会った人と話せるのが嬉しいのか積極的に話しかけてきたし、孔の方もアリス達の面倒をみていた経験から苦もなく返事をしていく。拒む理由もない。

 

「あ、あの人だ!」

 

 しかし、分かれ道に差し掛かる度に会話は途切れた。車椅子の男が現れ、こっちへ来いと声をかけてくるのだ。明らかにどこかに誘導しようとしている様子だが、アリシアもあんな人は会ったことがないという。

 

――逃げろ!

 

 しかし、今回は様子が違った。急に目の前の景色が歪んだかと思うと、人魂のような悪魔が現れたのだ。

 

「……ウィィィイイ…ア、アァァァァア……!」

 

「え、え?! なに?」

 

 訳の分からない言葉を発しながら、体当たりをしてくる。恐怖に声を上げるアリシアを後ろに押しやり、反射にまかせて避ける孔。

 

――さあ、戦え! 救世主たる力を見せるのだ!

 

 そこへ、あの車椅子の男とは違う声が響いた。

 

「っ! この声は!」

 

 孔はこの声に聞き覚えがあった。赤い通路の夢で聞いたあの天使の声だ。しかし、考える間もなく鬼火が迫る。

 

「ァァァア!!」「きゃあぁ!」「っち!」

 

 悲鳴を上げるアリシアを庇いながら、アロンダイトを取り出し鬼火を切り落とす。刀がはじかれるような手応え。だがダメージは通っているらしく、斬られた鬼火は消滅した。それと同時、奥から車椅子の男の声が響く。

 

――早く、早く逃げろ。危険だ

――嫌よ! 放しなさい! アリシア! アリシアァァァァ!

 

 だが今度は、女性の悲鳴が続いた。

 

「えっ? お母さん? お母さん、おかぁさ~ん!」

 

「なっ! 待て、アリシア!」

 

 それに反応したのはアリシア。悲鳴に向かって駆けだす。孔は慌てて追いかけた。

 

「……ウィィィイイ」「アァァァァアアア……」

 

 だが、それを阻むように大量の鬼火が湧き始める。

 

「邪魔だっ!」

 

 近づいてきたものはアロンダイトで切り裂き、遠くにいるものは宝具を打ち出し片づけていく孔。しかし、やはり剣の通りが悪い。アロンダイトは相当な切れ味を誇るはずだが、今まで斬った悪魔にない抵抗を感じた。

 

(折井や蘆屋のような雷や炎を操る力が使えれば違うのだろうが……実態がない霊体に剣が効くだけましか)

 

 ないものねだりをしても仕方ない。孔は迫りくる様々な鬼火をなぎ倒しながらアリシアの後を追った。

 

 

 † † † †

 

 

 どのくらい進んだだろうか。あれから車椅子の男の姿はなく、アリシアの母親の声も聞こえてこない。

 

「どこに行った、アリシア!」

 

 近づいてきた鬼火を斬り殺しながら声を上げる。孔は焦っていた。ここまで一本道だったものの、落とし穴やアリシアだけが通り抜けられる壁があってもおかしくない。

 

「はあ、はあ……っく!」

 

 ドウマンとの連戦の影響からか、息が上がり始めた。だが身体は動き続ける。アリシアが、以前アリサのもとに走ってゾンビに襲われたアリスとどうしようもなく重なったからだ。疲労が限界に達する前に追いつこうと速度を上げる孔。目の前に扉が見えた。中に入ると、部屋のようになっている。行き止まりかと思った時、声が聞こえた。

 

――力は見た。上々だ

 

「っ!?」

 

 思わず周りを見回すと、周りに光があふれ……

 

「何っ!」

 

 孔は薄暗い研究所のようなところに立っていた。そして目の前には、倒れ伏したアリシアと、それを庇うようにして立ちながら血を流す女性。女性の胸には骸骨のような悪魔の握った剣が突き立てられている。

 

 頭の中で、悪魔に喰われたアリサがフラッシュバックする。

 

――ああ、俺は、マタ……アクマカラタスケラレナカッタ!

 

「うわああぁぁぁあああ!」

 

 気が付けば、悪魔に斬りかかっていた。骸骨の悪魔が女性から剣を抜き受け止める。互いに力は拮抗、ガチガチと音を立て、そのまま鍔迫り合いになる。同時、目の前が赤く染まっているのに気が付いた。それは視界半分ほどに広がった悪魔の剣についた、おそらくはアリシアの母親であろう人の血だった。怒りのまま剣に力を込めようとして、

 

「あ、あ、ああぁぁぁあああ!」

 

 横合いから、アリシアそっくりの少女が骸骨の悪魔に斬りかかった。

 

 

 † † † †

 

 

 数刻前、アリシアと同じ顔を持つ少女――フェイト・テスタロッサは、母親であるプレシア・テスタロッサから「大切なお客様が来るから案内するように」と言われ、この「時の庭園」に設けられた「玄関」に立っていた。時の庭園という呼び方は決して大袈裟ではなく、研究室や実験室、戦闘訓練設備に果ては傀儡兵と呼ばれる防衛用のロボットまで備えている。ファイトのいる「玄関」にしても、普通の家の出入り口としての玄関では勿論なく、魔法を用いて一瞬で物を飛ばす「転送ポート」がその代りを務めていた。まるで要塞のような「家」だが、その理由はプレシアの研究にある。プレシアはある事情から非合法な研究に手を染めており、相応の拠点が必要だったのだ。

 

(ちょっと、早かったかな?)

 

 転送ポートを見つめるフェイトは、その「事情」を知らされずに育った。だが決して研究と無縁ではなかった。非合法の研究には非合法な素材が必要であり、それを手に入れるための優秀な兵士を必要としたプレシアは、物心ついた時から戦闘訓練を命じられていた。このことからも分かる通り、プレシアのフェイトに対する扱いはあまりいいものではない。

 

(いつかきっとあのやさしい母さんに戻ってくれる)

 

 しかしフェイトは、過去に自分に向けられた愛情の記憶を頼りに、母親の期待に応えようとし続けてきた。今日も転送ポートでの出迎えを任せられ、嬉々としてそれを受け入れている。

 

「ふむ、君がフェイト君か。成る程……」

 

 だから突然現れた車椅子に赤いスーツを着た銀髪の男性にジロジロ観察されても、嫌だと言わずに対応した。まるで実験動物でも見るような目は、たまにプレシアも見せることがある。その時は決まってフェイトに辛く当たることが多かったので、フェイトが

 

(……この人の目、怖い)

 

 と思うのも、無理なからぬことだろう。しかし、それを我慢してプレシアに言われた通り対応する。兵士として与えられた武器である斧、バルディッシュを構えながら、認証装置を取り出して言う。

 

「あ、あの、お名前とIDをお願いします」

 

「おお、そうだったね。私の名はスティーヴン。IDはxxx-xxx-xxxxだ」

 

 差し出した音声入力型の認証装置に向かって、予め決められていた認証キーをすらすらと口にするスティーヴン。認証装置がそれを正しいと証明したのを見て、

 

「……はい、大丈夫です。じゃあ、母さんの所へ案内しますので、ついてきて下さい」

 

 フェイトは斧をおろし、プレシアの待つ部屋へと向かった。

 

「……母さん、か。プレシア女史の記憶に関する研究は……」

 

 そんな呟きを漏らすスティーヴンに気付かないまま。

 

 

 † † † †

 

 

 先述の通り、時の庭園は要塞のようになっており、結構な広さがある上に廊下は迷路の如く入り組んでいる。プレシアの待つ部屋まで結構歩くことになるのだが、その道すがら自分の一挙一同を観察するスティーヴンにフェイトは閉口した。

 

「フェイト君」

 

「っふぁ!? ふぁい!」

 

 自然、突然声をかけられると飛び上がって驚く結果となる。

 

「ふむ、そんなに構える事はない。別に取って食おうという訳ではないからね」

 

 そういわれても、スティーヴンには研究者独特の雰囲気があり、そう簡単に気を許せるものではない。取って食われなくても解剖ぐらいはされそうな気がする。思わずバルディッシュを構えそうになるくらいだ。そんな引き気味のフェイトの様子を気にすることなく、スティーヴンは頼み事を口にする。

 

「済まないが、車椅子を押してほしい。流石に疲れてきたのでね」

 

「あ、はい」

 

 意外にも普通な頼みに肩透かしをくらいながらも、フェイトはスティーヴンの車椅子のハンドルを握った。

 

「……ほう?」

 

「な、なんですか」

 

 しかし、突然感心したかのように声をあげたスティーヴンにフェイトは警戒心丸だしに聞き返す。

 

「いやなに、大人ひとりの乗る車椅子を随分静かに押されたものでね。たまに押してくれる人もいるが、結構揺れるのだよ」

 

「……そ、そうですか?」

 

 褒められているのかどうかも分からないまま車椅子を押すフェイト。それっきり無言になったのをいいことに少し早足で進み、ようやく母親のいる部屋の扉にたどり着いた。

 

「母さん、スティーヴンさんをお連れしました」

 

「入りなさい」

 

 フェイトはドアの前で用件を告げると、失礼しますと一言添えてドアを開ける。部屋の中は中世の城の玉座のような装飾になっており、いつもここでフェイトはプレシアと面会していた。そこには、温かな食卓も家族の会話もない。ただ、必要な言葉を交わすだけ。この日もプレシアはフェイトには目もくれず、スティーヴンに声をかける。

 

「お久し振りです、スティーヴン博士。……ああ、フェイト、貴方はもう下がりなさい」

 

 おまけで気付いたかのようにフェイトに退室するよう付け足すプレシア。フェイトは失礼しましたと言って部屋を出る。すると、横から女性が現れ、フェイトに話しかけた。

 

「お疲れ様、フェイト。なんか嫌な感じのするヤツだったねえ」

 

「……アルフ。ダメだよ、母さんの知り合いにそんな事言っちゃ」

 

「でもさ、あいつフェイトの事をジロジロ厭らしい目で見てたし、いくらかフェイトが可愛いからって、ねえ?」

 

「アルフ、見てたの?」

 

「いや、盗み見するつもりはなかったんだけど、あの鬼婆の知り合いだろ? フェイトに何かあったら大変だからさ」

 

 アルフと呼ばれた女性はフェイトより10程年上だろうか。オレンジ色の髪に犬のような耳を頭につけている。アルフもテスタロッサ家の一員なのだが、プレシアと違いフェイトを大切に思っているし、その思いのままフェイトに接してくれる。同時に普段からフェイトに辛く当たるプレシアを疑問に思っているらしい。母親なのに、何故娘に愛情を注いであげられないのか。その思いは、いつの間にかプレシアに対する怒りに変わっていた。その感情はプレシア個人に止まらずスティーヴンにも向けられている。今日も何かされるのではないかと不安になって見てくれていたのだろう。

 

「母さんをそんなふうに呼んじゃダメだよ」

 

 が、プレシアを慕うフェイトにとって、アルフのそうした感情は悩みの種でもあった。フェイトとしてはアルフにも母を良く見て欲しかったし、いつか3人で一緒に家族の時間を過ごせればとも思っている。結果、アルフがフェイトの代わりに愚痴を言い、フェイトがアルフの代わりにたしなめる事が多くなっていた。そんないつものやり取りが誰もいない廊下に響く。

 

「今回だって、あの人のおかげで研究が進めば元の優しかった母さんに……っ!」

 

 しかしそれは、突然の爆音に掻き消された。

 

「な、なんだいっ?!」「母さんっ!!」

 

 動揺するアルフをおいて、乱暴にドアを開けるフェイト。玉座には誰もいない。代わりに、後ろの扉が開いていた。奥には、光るPCのモニターが見える。隠し扉。知らない設備に一瞬の戸惑いを見せるフェイト。しかし、

 

「ヒーホー! やっとこっちに出れたと思ったら迷路みたいな所だホ~!」

 

「早く終わらせて遊びに行くホ~!」

 

 隠し部屋の先から、蝙蝠のような羽に尖った耳を持った小さな悪魔のような生物がぞろぞろと出てきた。

 

「えぇ?!」

 

「な、なんなんだいお前らは?!」

 

 独特な口調ではあるものの、普通に人語を話している未知の生命体に声をあげるフェイトとアルフ。一斉にその悪魔はフェイト達の方を見る。

 

「ヒーホー! 人間だホ~! お話ししてみたいホ~!」

 

「だめだホ~! さっさと行かないと怒られるホ~!」

 

「じゃあしょうがないホ~!」

 

――ジオ

 

 そして、なにやら大声で相談を始めたかと思ったら、雷を飛ばしてきた。

 

「な!」

 

 驚いたのも束の間、次の瞬間にはもう扉の奥で光るモニターを残して消えていた。

 

「な、なんだったんだい?」

 

「さ、さあ……?」

 

 あまりに軽薄なやり取りをした悪魔(?)に、2人はすっかり毒気を抜かれていた。もしかしたら大した事ないんじゃないかとすら思えてくる。普段から研究室をはじめ余計な場所へ入らないよう言われているフェイトは、プレシアの下へ行くべきか迷った。

 

「いかん、早く、早く逃げろ! 危険だ!」

 

「嫌よ! 放しなさい! アリシア! アリシアァァァァ!」

 

 しかし、ついで響いた悲鳴に扉をくぐる。その先には、

 

「……あ、あぁ……ぁ……?」

 

 王冠をかぶった骨だけの化け物が、剣でプレシアの胸を刺し貫いていた。

 

 すぐには目の前の光景が理解出来なかった。吹き出す返り血を浴びて赤く染まっていく骸骨のような化け物、力尽きるように崩れていくプレシア。その場に立ち尽くすフェイト。

 

「う、うわああぁぁぁあああ!」

 

 しかし、突然赤い光と共に現れた見慣れない少年が骸骨の化け物に斬りかかった。骸骨はプレシアから真赤な剣を抜いて受け止める。

 

――ア、ナニカトンデキタ

 

 赤い飛沫が顔に当たって音を立てる。プレシアからも同じ赤い血が吹き出ている。血、そうコレハチダ……。

 

――カアサンハアノガイコツニコロサレタンダ!

 

 それと同時に、分かった。分かってしまった。

 

「あ、あ、ああぁぁぁあああ!」

 

 フェイトは叫び声をあげながら、手にしていたバルディッシュを悪魔に叩きつける。予期せぬ方向からの衝撃に吹き飛ばされる骸骨。それに向かって、

 

「サンダァァァ! スマッシャァァァァァァァアアアアアア!」

 

 目に浮かぶ涙と共に骸骨の悪魔に雷を叩きつけた。

 

 

 † † † †

 

 

「……!」

 

 なすすべもなく雷に飲まれる骸骨。しかし、すんでの所で持っていた剣を雷にぶつける事で回避する。無手になった所へ、孔が斬りつけた。

 

「っ何!?」

 

 しかし、悪魔は避けるどころか、あえて斬撃の軌道上に飛んだ。不自然に空中で体を傾ける。体の軸をずらす事で、肋骨の隙間に剣を通し、攻撃を回避したのだ。そのまま床に転がり剣を拾う悪魔。孔はそれに舌打ちした。

 

(慣れた戦い方だな。先ずは動きを止めて……!)

 

 だが、孔が剣を構え直すと同時、

 

「お前が、お前が母さんを……!」

 

 悪魔に向かって大量の雷が降り注いだ。フェイトだ。完全に冷静さを失い、泣きながら雷を落とし続ける。しかし、悪魔は再び剣を投げて避けようとする。

 

「っ! 今度は逃がさん!」

 

 孔はゲートオブバビロンから剣を打ち出した。簡単に避けられるも、剣の影になるように同時に打ち出した槍が悪魔に迫る。それはほぼ垂直の軌跡を描いて、悪魔の首のつけねから肋骨の下を通って地面に突き刺さった。

 

「……!! …!!」

 

 勿論、空洞であるため骸骨そのものにダメージはない。が、地面に突き刺さった槍に体の中心を取られ、その場に縫い付けられる結果となる。そこへ、雷が迫った。

 

「母さんの、母さんの仇ぃ!」

 

 研究室にフェイトの怒号と雷の轟音が響く。

 それは孔の槍もろとも、骸骨の悪魔を消し飛ばした。

 

「母さん!」

 

「アリシア!」

 

 閃光が引いたあと、フェイトはプレシアに、孔はアリシアに駆け寄った。だが、孔が見たのは、瞳孔が開ききっており、心臓が止まっているアリシアだった。

 

「……っ! 死んでる……」

 

「うわぁぁぁぁあああ!」

 

 プレシアも絶望的な状態なのだろう。孔が呟くのと同時にフェイトが慟哭をあげる。

 

「……あ、その……フェイト……」

 

 そんなフェイトの横で、言葉にならない声をかけるアルフ。孔は歯を食いしばって2人から目を背けると、制服の上着を脱いで全裸のまま投げ出されていたアリシアの亡骸にかける。孔はせめて知っている弔い方はやっておこうと反魂神珠を取りだし、アリシアの胸元に置いた。十字を切って黙祷する。あの事件が落ち着いた後、朝倉神父に教えてもらった作法だ。

 

「……?!」

 

 しかし、静かな祈りは突然の光りに遮られた。驚いて目を開けると、アリシアがアリサの時と同じように光に包まれている。

 

「……あれ? コウ?」

 

 そして、パチリと目を開いた。

 

「……なっ?!」

 

 目を見開いて固まる孔。アリシアは不思議そうに問いかける。

 

「コウ、変な顔してどうしたの?」

 

「ア、アリシア? 死んだんじゃないのか?」

 

「ええ~?! なにそれ~! 私生きてるよ!」

 

 何事もなかったかのように起き上がるアリシア。つい先程、瞳孔も心臓も死者のそれだったのを確認した孔は戸惑いの声をあげる。

 

「いや、しかし、さっきは、確かに……」

 

「もう、生きてるってば! ほら、ほらぁ!」

 

 跳び跳ねて自分の生命をアピールするアリシア。それはまさに血が通った人間の動きであり、赤い通路で出会った無邪気な姿そのままだ。

 

(……いや、確かに目立った外傷はない。そういえば倒れていたとき服を着ていなかったのも不自然だな)

 

 悪魔に殺されたと思ったときは余裕がなかったが、改めて見るとおかしい。思わずアリシアを観察する孔。すると、アリシアは急に跳び跳ねるのをやめて顔を赤くした。

 

「……えっち」

 

「……は?」

 

「わ、わ、私! ス、スカートはいてない! あわ、わ、はわ、コウのえっち! 見ちゃだめ、コウ、見ちゃだめ~!」

 

 どうやら、アリシアも上着一枚、つまりはほぼ全裸で抗議していた事に気付いたようだ。必死に体を隠そうとする。

 

「いや、さっきは見てくれと言わんばかりに……」

 

「あ、あれは裸だって気が付かなかったから……って、い、い、いいから、いいからあっち向いてぇ~~!!」

 

 まるで謝る気配もないどころかよく見えたと止めを刺した孔に喚くアリシア。孔はさも仕方ないと言った風に後ろを向くと、車椅子の男と目があった。赤い通路で孔達を呼んでいた銀髪の男だ。

 

「貴方は……」

 

「おや、私を知ってるのかね?」

 

 しかし、車椅子の男、スティーヴンは孔と初対面であるかのように振る舞う。

 

「知っているもなにも、あの赤い通路でアリシアと俺に此方へ来いと呼び続けていたでしょう?」

 

「ほう? そうか、君があのときにアリシア君の魂と一緒に観測された……! 素晴らしい! ターミナルシステムが呼び出したのは悪魔だけではなかったのだ!」

 

 急に叫び声をあげるスティーヴン。マッドというやつだろうか。孔は相手の理性に不安を感じながらも説明を求める。

 

「……どういうことか、説明して貰えますか?」

 

「勿論かまわない。私が知っている限りは話そう。此方としてもいろいろと聞きたいことがあるしね。しかし……」

 

 そこで言葉を切り、プレシアのほうへ視線を向ける。アリシアも第三者と会話を始めた孔が気になったのか、後ろから顔を出した。

 

「えっ?! お母さん?!」

 

「っ! アリシアッ!」

 

 それを見てしまったアリシアに、孔は思わず叫んだ。目の前にはどす黒い血の赤。その中心には、悪魔の剣に貫かれた母親の亡骸が力なく沈んでいる。

 

「う、嘘……!」

 

 アリシアの頬を涙が伝う。無理も無いだろう。赤い通路でひとり過ごし続け、やっと母親と出会ったと思えば死んでいたのだから。痛ましいその姿に孔はうつむいて顔を背ける。しかし、そこにスティーヴンの声が響いた。

 

「先ずは君のその力で、プレシア女史を生き返らせてくれたまえ」

 

 まるで目の前の死が大した問題ではないかのような口調。思わず銀髪の男性を凝視した。

 

「どうしたのかな? 君はすでに一度アリシア君を生き返らせている。それとも、プレシア女史に力を使うのは天使の法に触れるのかね?」

 

 聴きなれない単語が混じっていはいたものの、孔はようやく理解した。やはりアリシアは死んでいて、それを自分が生き返らせたのだ、と。そして、それに気付いたのは孔だけではない。

 

「お、お願いします! 母さんを、母さんを生き返らせて下さい!」

 

「わ、私からも頼むよ! プレシアは嫌な奴だったけど、こんなの望んでなかったんだよぉ!」

 

 必死に懇願するフェイトとアルフ。孔は2人に戸惑った。未だ状況をよく掴めていない上、アリシアを生き返らせたのは意図してやった事ではなかったのだ。だが孔自身、アリサを失った事で目の前で悪魔に肉親を殺された痛みはよく分かってはいた。

 

「……成功するか分からないが、やるだけやってみよう」

 

 だから、こう答えた。2人に目を合わせることが出来ないまま。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「……礼は終わってから言ってくれ」

 

 孔はプレシアの横に座ると、その体を確かめた。剣は心臓を一突き。即死だっただろう。目を覗き込むと、やはり瞳孔は開ききっていた。試しに剣で光を反射させ目を照らしても、瞳孔は閉じない。完全に死んでいる。

 

(アリシアの場合は目立った外傷が無かったが……うん?)

 

 近づいて見ると、プレシアの横に猫の死体があった。目は見開かれたまま、ピクリとも動かなかった。

 

(……飼い猫か?)

 

 孔はしばらくその生気の無い目を見詰めていたが、すぐに気を取り直してプレシアの硬直した体の上に反魂神珠をおく。心に疑問と期待を浮かべながら、先ほどと同じ様に十字を切る。失敗した場合に悲しむ家族へかける言葉を考えながら、プレシアを見つめる。そのアリシアの母親だという人物は光に包まれ、

 

「……う……ん……?」

 

 目を開いた。

 

(……蘇った、のか?)

 

 思わず目を見開く。死は間違いなく確認した。にもかかわらず、プレシアは目を覚ました。それどころか、ついさっき確認した胸の傷も見当たらない。思わず反魂神珠を見つめ返す。もし死者蘇生の力を本当に持っているなら、これは孔の手に余る代物だ。不用意に使えば大変な事態になるだろう。神珠を巡って混乱が起きかねない。

 

(朝倉さんはこのことを知っていて俺に預けたのか? いや、知っていたのなら、杏子さんにこの力を使ったはずだ。いくら朝倉さんが熱心なメシア教徒でも、実の娘の死を前に助けられる手段を取らないなんてことは考えにくい。 だが、祈祷方法は知っていた。少なくとも使い方は分かっていたわけだが……)

 

 頭の中で駆け巡る疑問。そんな孔をよそに、後ろにいるアリシアとフェイトがプレシアに駆け寄った。

 

「……ぁ、……あ、……か、母さん!」

 

「お、お母さん! おかあさ~ん!」

 

「……えっ? ……ア、アリシア?」

 

 プレシアは抱きついてきたアリシアに驚くが、すぐにアリシアを抱きしめ返す。

 

「ア、アリシア……! アリシア!」

 

「きゃ!」

 

「ああ、アリシア! ずっと、ずっと会いたかったわ!」

 

「あ、あはは! お母さんだ! お母さん!」

 

 母親にきつく抱き締められて、その痛みに顔を歪めながらもアリシアは涙を浮かべて笑った。

 

「……か、母さん……」

 

 フェイトはそれを見て思わずプレシアの服を引っ張る。彼女自身は意識していないが、自分を差し置いて抱きしめられるアリシアが羨ましくなったのだ。

 

「……? フェイト? 貴方……」

 

 服を引っ張られたことで我にかえるプレシア。次いで周囲を見回す。暫しの沈黙の後、状況の整理がついた所で口を開いた。

 

「……スティーヴン博士、この度はご協力に感謝します。無事にアリシアを取り戻すことが出来ました」

 

「いや、礼なら彼に言いたまえ。恐らく、アリシア君の魂を運んだのは彼だろう」

 

 そう言って孔の方を見る。

 

「……卯月……いや、コウ・ウヅキです。ここに来る途中にアリシアと出合いました」

 

「そう、貴方がアリシアの守護天使……? それにしては……」

 

「……はい?」

 

 プレシアの言葉にまたも間抜けな声をあげる孔。先ほどから、どうにも分からない単語が多すぎる。

 

「……どうにも状況の認識に齟齬があるみたいです。説明をお願いしたいんですが?」

 

「ふむ。確かにその必要が有るだろうな。だが、その前にターミナルの電源を落として……」

 

 そういってPCにつながれた装置に向かうスティーヴン。戦闘中は気づかなかったが、PCのモニターにはドウマンと戦った理科室で見たのと同じ魔法陣が描かれていた。PCにつながる円筒形の装置もドウマンがいじっていたものと同じだ。孔の中で疑惑が募る。

 

(ドウマンは悪魔のことを我らが信奉する神と言っていたな。この人たちも同じなのか? だとするとさっきの悪魔は呼び出すのに成功したのに制御できなかったのか)

 

 そうなると油断するわけにいかない。孔は手に持っているアロンダイトを握りしめた。が、それを無視するようにアリシアの声が響いた。

 

「あ、あの、お母さん、リニス……」

 

「え? ああ、さっきの悪魔に……」

 

 そっちを見ると、アリシアがさっきの猫の死体を抱いていた。どうやらアリシアがかわいがっていた飼い猫らしい。アリシアは目に涙をためながら孔の方を見る。

 

「ねえ、コウ、リニスも助けられる?」

 

「……やってみないと分からん」

 

 さすがに疑念が募りつつあっただけに、少し硬めの声が出た。

 

(反魂神珠については分からないことが多すぎるな。不用意に使うのは控えたいところだが……実験は必要か)

 

 押し黙る孔に不安げな顔を浮かべるアリシア。まあ、蘇生させても飼い猫ぐらいなら大きな問題になるまい。実験という動機が少し心苦しいが、結果的にアリシアが喜ぶなら問題ないだろう。そう思い直して孔は猫を受け取り、2人にやったのと同じように黙祷をささげる。

 

(……動物には効くかどうか)

 

 次の瞬間、さっきまで死んでいたと思われた猫が光ったかと思うと、女性が現れた。

 

「……何!?」

 

「ふえ! リニス?! えっ? ええっ?」

 

 同時にアリシアも声をあげる。それを見てリニスと呼ばれた女性(?)は微笑んだ。

 

「はい、リニスです。お久し振りですね、アリシアお嬢様」

 

「リ、リニスがお、お姉さんになっちゃった?!」

 

「ええ、でも、ちゃんと貴方の飼い猫だった頃の記憶もありますから、安心して下さい」

 

(動物を蘇生させると人間になるのかっ!?)

 

 驚く孔とアリシアをよそに、そのリニスはプレシアに話しかけた。

 

「本当に成功したのですね、プレシア」

 

「ええ、彼のおかげよ。天使ではないようだけど」

 

 特に驚いた様子もなく答えるプレシア。それどころか、孔の方が奇異の視線にさらされている。孔は戸惑いながらも、説明を求めた。

 

「あの、リニス……さんは、猫ではないのですか?」

 

「え? ええ、この子はね……」

 

 しかし、その返答を得る前に、スティーヴンの叫び声が響いた。

 

「む? ……いかん! 離れろ!」

 

 それと同時に、円筒形の装置が光り、

 

「……ウィィィイイ…ア、アァァァァア……」

 

「っ!」

 

 赤い通路で孔が嫌というほど斬った人魂のような悪魔が現れた。即座に斬り捨てる孔。不幸なその悪魔は断末魔をあげる暇もなく消滅した。

 

「ウィル・オ・ウィプスを剣で一撃とは。あれに剣は効きにくいはずなのだがね」

 

「……あの悪魔について、何か知ってるんですか?」

 

 警戒しながら孔が問いかける。スティーヴンは装置をいじりながら答えた。

 

「ああ、何せ私は悪魔に殺されかけたからね。相手を研究していたのだよ」

 

(研究? それより、悪魔に殺されかけたのに呼び出したのか? いや、あの慌て具合からして意図的に呼び出したのではないのか?)

 

 またも疑問が膨らむ孔を尻目に、スティーヴンは装置をいじり続ける。それを見てプレシアは言った。

 

「ここは危険ね。リニス、アリシア達を部屋へ案内して頂戴」

 

「はい、行きましょう。アリシアお嬢様。フェイト、アルフも来てください」

 

 去り際に孔に向かって一礼し、奥の部屋へアリシア、フェイト、アルフの3人を連れていくリニス。アリシアはリニスの後ろに体を隠しながらも孔に向かってまたねと言い、フェイト、アルフも何やら言いたそうな顔をしていたが無言でそれに続く。

 

(まるで人間だな)

 

 孔はそう思いながら3人を見送る。出て行ったのを確認し、今度こそ質問の答えをとプレシアの方に向き直る。同時にさっきまでついていたPCのモニターが消えた。

 

「では、我々も場所を変えよう」

 

「ええ、ついてきてください」

 

 孔はスティーヴンとプレシアに先導されて歩き出した。

 




――Result―――――――

・超人 ドウマン       自焼
・外道 モウリョウ×666  宝剣による斬殺
・闘鬼 スパルトイ      魔法による高電圧および宝具崩壊に伴う爆殺
・外道 ウィル・オ・ウィプス 宝剣による斬殺

――悪魔全書――――――

外道 モウリョウ
 日本各地の伝承にみられる死後もなお現世に留まる霊。伝承は多岐にわたるが、浮遊する火の玉や影のような形を取り、人間や動物の霊、もしくは怨念が死後なお現世にとどまった姿といわれている。

邪鬼 グレムリン
 近現代において機械化が進むとともに世界各地に現れた体長50センチほどの小鬼。機械に取り付き、様々な誤作動を起こさせるという。コンピュータの原因不明の誤作動現象・GE(グレムリン・エフェクト)等に名を残している。

闘鬼 スパルトイ
 ギリシア神話登場する、テーバイの建設者カドモズにより退治された竜の歯から生まれたという戦士。近代ファンタジー作品では主に骸骨のみの姿で描かれるが、元は古代ギリシアの都市テーバイの戦士のことである。

外道 ウィル・オ・ウィプス
 世界各地の伝承にみられる怪現象の一種。伝承は多岐に渡るが、球電等の自然現象を物語的に解釈したものと考えられる。その名は松明持ちのウィルで、生前の悪行から死後も現世を彷徨い続けるウィリアム(ウィル)という男の魂だという。

――元ネタ全書―――――
赤い回廊
 真・女神転生Ⅲ。マニアクス版で追加された「予定外の場所」から。残留思念に人魂型のエネミーと本作に近かったので元ネタに。
――――――――――――
※孔が赤い通路で出会った車椅子の男、スティーヴンについて。「年の頃は40ぐらい」としましたが、とりあえず孔にはそう見えたということでお願いします。違和感を覚えた方も多いかと思いますが、真・女神転生Ⅰの取説のイラストでは相当若く描かれていたり、メガCD版のグラフィックでは老人のような顔になっていたりとシリーズを通してグラフィックが安定しないため、前述の記述としています。
※孔がなぜアリシアに嫌われないのかは後々出てきます。まあ今のところA's編の後ぐらいになる予定ですが。それまで続けられるんだろうかと不安になる今日この頃……
――――――――――――


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第7話a 魔女の過去《壱》

――――――――――――

「先ずは自己紹介からだな。私の名はスティーヴン。ターミナルシステムの開発者だ」

「私はプレシア・テスタロッサ。コウ君、だったわね。ようこそ、時の庭園へ。私達は貴方を歓迎するわ」

 応接室のような所へ通され、名前を交わす。状況は掴めないが、敵意を向けられていないのが救いか。しかし、赤い服の紳士から返ってきたのは、単語レベルで理解できないものだった。

「先ず、ここが何処か知りたい。時の庭園、という事ですが……?」

「そうだね。正式名称は個人用次元航行船――そこにいるプレシア女史の拠点だよ。今は故あって次元の狭間にその位置を固定している」

「次元、航行船……? 狭間?」

「……ふむ。君、出身地は何処かな?」

「は? 出身地ですか? 海鳴市ですが?」

「それは地球と呼ばれている惑星の日本国に所在する行政区画名でよいかな?」

「その通りですが……」

「では、ミッドチルダという地名に心当たりはあるかね?」

「ありません」

 趣旨の見えない質問に思わず不信の目を向ける。すると、横からプレシアさんが引き継いだ。

「コウ君は多次元世界、つまり、異世界って信じるかしら?」

「……はい?」

――――――――――――孔/時の庭園・応接室



「にわかに信じがたいですね……」

 

 アリシアの母、プレシアから説明を受けた孔は頭を抱えた。それによると、地球とは違う異世界――次元世界というらしい――が多数実在し、この時の庭園は世界と世界の間に建てた家のような存在だと言う。

 

「まあ、驚くのも無理はない。しかし、人類は常に外へ向かって進出を続けてきた。他国へ、他大陸へ、他星へ、外宇宙へ。そして、宇宙の外にある多次元世界に気付いたのだよ」

 

「そして、私達の世界では魔法文明が発達しているのよ」

 

 スティーヴン博士が補足し、プレシアが魔力球を出して実演する。孔はため息をついた。

 

「まあ、実際に起こり得ない現象を体験した訳ですから、信じない訳にいきませんが……」

 

 納得いくかと言われると別問題である。そもそも魔法とは説明不能な超自然的な現象を言うのであって、その原理を解明・技術化してしまうと最早魔法とは言わないのではないだろうか。しかし、目の前の現実に悩んでいても始まらない。強引に事実として受け入れ、次の質問をした。

 

「では、俺をここへ呼んだのは?」

 

「ふむ、それについては……」「……私から説明するわ」

 

 よいのかね、と念を押すスティーヴンにプレシアがうなずく。そして、言った。

 

「アリシアを生き返らせるためよ」

 

 プレシアの発言に孔は目を見開いた。やはりアリシアは死んでいたのだという確信とともに様々な疑問が駆け巡る。なぜ自分を呼ぶことがアリシアの復活につながるのか。反魂神珠の存在を知っていたのか。そもそも、アリシアはあの悪魔に殺されたのではないのか。

 

「……順を追って説明して欲しいのですが?」

 

「……そうね。少し長くなるけど……」

 

 そう言うと、プレシアは今までの不幸を語り始めた。

 

 

――23年前

 

 

 地球とは違う、ミッドチルダと呼ばれる世界。プレシアはそこで民間企業に雇われた研究者として生活していた。ミッドチルダでは魔法文明が進んでいたが、その要ともいえる魔法には魔力と呼ばれるエネルギー源が必要だった。この魔力は自然界に満ちているものの他、機械で生み出すこともできるが、魔法世界の住人が魔法を行使する際には個人が先天的に持つ魔力を生み出す臓器のようなもの――リンカーコアに頼るところが大きかった。当然、規模の大きい魔法は大量の魔力を消費するのだが、リンカーコアには個人差がある。このため、魔法世界ではリンカーコアの魔力保有量に応じてランク付けがなされており、高ランクの者は魔力を生かした仕事に就くことが出来た。プレシアは幸運にも高い魔力保有量に恵まれており、その魔力を生かして魔法技術の研究者となったのだ。プレシアの手がけた数々の研究は認められ、いつしか大魔導師と呼ばれるに至っていた。

 

 そんなある日、勤めていた会社・アレクトロ社がミッドチルダの政府組織である時空管理局から仕事を請け負った。

 

 大型魔力炉〈ヒュードラ〉の製造だ。

 

 魔法文明である以上、魔力は地球でいう電力のような形で生活の至るところに普及している。こうした公共の用に使われる魔力は個人のものでは勿論なく、大規模な施設によって生み出されていた。その施設の魔力供給源となっているのが魔力炉だ。今回、管理局から大規模な都市開発用として大型の魔力炉開発が発注され、アレクトロ社が開発権を勝ち取ったのだった。

 

 しかし、始めて計画書を見せられたプレシアは驚愕した。

 

「このようなスケジュールは不可能です!」

 

「いや、このスケジュールでなければこの仕事は取れなかったのだよ」

 

 プレシアは入札前の段階からこのプロジェクトに参加し、会社の主任研究員として現場の意見を纏め、スケジュールも渡していたが、それが完全に無視されていたのだ。なんでも、最近急速に発展してきたニュータウンの動力に使用するため納期とコストを重視した入札となっており、それを勝ち取るにはやむを得なかったのだという。この計画で管理局に渡りをつければ他社を一気に引き離すことが出来るため、会社としては是が非でも権利を勝ち取りたかったのだろう。公立の研究所で行われるような計画に民間が参入するのは、機会が限られているだけにメリットは大きい。

 

「だからって、渡した見積りの3分の1の期間だなんて……!」

 

「……しかし、管理局相手に受けてしまった以上、これで進めるしかないよ。なに、何も完全なものを作れといっている訳ではない。取り敢えず動けば……」

 

「その『取り敢えず動く』段階まで時間が必要と言っているのです!」

 

 机を叩かんばかりの勢いで迫るプレシアに、ため息をつく財務出身の責任者ベック。そして、今度はプレシアではなくその隣にいる少年に話しかけた。

 

「……なんとかならんのかね?」

 

「問題ありませんよ、ベック部長」

 

「なっ?!」

 

 少年が放った言葉に絶句するプレシア。この少年はサーフ・シェフィールドといい、開発現場最年少でありながらその頭脳で開発主任にまで登り詰めていた。

 

「何を言ってるの?! 貴方も開発の人間ならこのスケジュールがどれだけ無謀か解るでしょう?!」

 

「まあ、普通にやったら無理でしょう。でも、細かいパーツやら筐体やらのテスト行程を省略すれば十分間に合うでしょう」

 

「そんな事が許されるわけがっ!」

 

「いや、それでいこう」

 

 無茶な提案に文句を言うプレシアを遮り、強引に許可を出すベック。プレシアは抗議を続けた。

 

「待ってください! 魔力炉の構造は複雑で、パーツのテスト抜きに組み上げるのは無理です。最悪、拒絶反応を起こして暴走だって!」

 

「まあ、だから、取り敢えず動けばいいと言っているだろう。最低の出力でやれば暴走しても問題あるまい」

 

「それに、暴走した場合にはこの前僕が開発した結界があります。そのなかでやれば大丈夫ですよ」

 

「最低と言っても管理局が求めている出力でしょう?! その大規模魔力を結界で受け止めるなんて……!」

 

 尚も抗議を続けるプレシア。ベックはもう一度ため息を吐くと立ち上がって言った。

 

「今回の開発主任はサーフ君、君に任せる。テスタロッサ君は補佐に回ってくれたまえ」

 

「ありがとうございます」

 

「なっ! ベック部長!」

 

 これで話は終りとばかりにベックは部屋を出ていく。強引にヒュードラ開発スケジュールが決められた瞬間だった。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、地獄の開発が始まった。いくらテスト抜きとは言え、魔力炉の開発としては時間が足りない事に変わりは無い。スタッフはほとんど不眠不休だった。勿論、プレシアも例外ではない。

 

「……お母さん……」

 

「……大丈夫よ、アリシア。大丈夫だから」

 

 涙を溜めて見上げる娘をあやしながら、プレシアは出勤する。まだ幼いアリシアの目から見ても分かるほど、プレシアの疲労は蓄積していた。事実、プレシア以外の研究員は過労で倒れるか、仕事を辞めるかがほとんどで、当初の開発メンバーはほとんど残っていない。それでもプレシアが働き続けているのは、一重にアリシアのためだった。研究者として成功したプレシアだったが、研究・開発の為にお抱えの魔導師を雇う民間の企業はそう多くない。かといって、管理局の研究所は兵器利用目的の開発が大部分で、ヒュードラのような平和利用のものは民間に委託されている。人殺しに荷担した汚名を、死に別れた夫の忘れ形見であるアリシアに背負わせるわけにはいかない。この日もプレシアは気だるい体に鞭打って開発用に与えられた研究室の扉を開いた。

 

「……おはようございます」

 

「おはようございます、主任」

 

 数少ない初期の開発メンバーであるヒート・オブライエンが挨拶を返す。プレシアとヒートはよく同じ研究に携わり、多くの実績をあげていた。勿論2人に恋愛の情はないが、プレシアは死んだ夫と同じ金髪に直情的な性格を持つヒートを信頼していたし、ヒートの方も理知的なプレシアに感情的な行動を止めてもらえることに感謝していた。

 

「ヒート、私はもう主任じゃなくて主任補佐よ」

 

「俺にとっちゃ、現場の指揮を取ってる人が主任なんで」

 

 そんなやり取りをしながら端末を起動する。端末といってもヒュードラ開発のために用意された大型のもので、どちらかというとPCに近い。

 

「やっぱりジェネレーター部分が遅れてるわね」

 

「魔力炉の心臓部ですから。テスト抜きなら慎重にやらないと暴走するんで」

 

「まあ、仕方ないわね。むしろ普段ならこの進捗だと大喜びかしら?」

 

「……間抜けなボスが普通じゃねえプロジェクトなんかとってくるから」

 

 ヒートの悪態に他の研究員は頷き、プレシアはため息をつく。めったに研究室に来ないが、強引にプロジェクトを受けたサーフは自分の地位を優先したともっぱらの噂となり、現場ではあまり良い評判は流れていなかった。

 

「おはようございます。この研究室に来るのも久し振りかな」

 

 が、全員が問題の人物を思い浮かべた途端、当人が入ってきた。研究員達は驚いた。噂をすれば影だったからではなく、サーフが朝のミーティングに参加すること自体が珍しかったせいだ。彼は開発主任でありながら、大まかな仕様と外部との調整を中心に行っていたため、細部を詰めるミーティングには参加していなかったのだ。気まずい空気を無視しておどけた様子で入ってきたサーフに嫌そうな顔をするヒート。プレシアは無表情のまま問いかけた。

 

「……珍しいわね、主任。何があったのかしら?」

 

「いや、この間もらった報告書を確認してね。ジェネレーター部分が遅れているってことだったから、代替案を用意したんだよ」

 

 そう言ってモニターに端末を繋ぐサーフ。ヒュードラの設計図が写し出させる。

 

「知っての通り、魔力炉は外部の魔力を収集して蓄える集積型と燃料を消費して新たに魔力を作り出す炉心型がある。ヒュードラは炉心型だ。でも、大型の炉心は調達と調整に時間がかかる。そこで、集積型のジェネレーターも組み込む事にしたのさ」

 

「……主任、現状で2つの魔力を混ぜ合わせるのは無理よ? ハイブリッド型の開発はそれこそ時間がかかりすぎるわ」

 

 プレシアは設計図を見ながら落胆する。サーフの発想は既に多くの研究者が挑戦しているが、未だ実現していない代物だった。人工的に作り出した魔力と自然界に存在する魔力では純度や性質の違いから拒絶反応を起こし、せっかく作った魔力が霧散、あるいは膨張して爆発事故を起こす。しかし、サーフが続けた言葉にプレシアだけでなく、研究員全員が絶句した。

 

「いや、それを解決する手段があるんだよ」

 

 サーフは端末を操作する。そこには黒髪の少女が写し出されていた。

 

「彼女、ヒュードラの生み出す魔力と近い魔力を持ってるんだけど、自然界の余剰魔力を自分の物に変換するレアスキルも持ってるんだ。ジェネレーター代わりにちょうど良いと思って」

 

「……なに言ってんだ?」

 

 ヒートが声を漏らす。非常識なプランに感情を抑えられなくなったのだろう。しかし、それを前にしてもサーフはヒートが言う「むかつく余裕の笑顔」でしゃべり続けた。

 

「機械でダメなら生体を使おうってことさ。何も殺す訳じゃない。この子をもとにしたクローンを作って、ヒュードラに繋いで、レアスキルを使って、魔力の収集をやってもらうってだけだよ」

 

 レアスキルとは先に述べたリンカーコアの個人差や体質に由来する魔法や技術のことだ。魔法世界では文明の例に漏れずその柱たる魔法を体系化していたが、そこから外れたレアスキルも広く社会に認められ、むしろ希少性から価値を見出されていた。問題の少女は魔力収集に突出した能力を持っているようだ。周囲の魔力を取り込むのは多くの魔導師が使っているテクニックではあるが、その量が異常となっており、レアスキルとして認められたのだろう。サーフはそれを、文字通り利用しようとしているのだ。

 

「ふざけんな! そんな事が……」

 

 サーフの言葉に立ち上がって声をあげるヒート。が、それを遮るようにプレシアが2人の間に立つ。アリシアと同じ位の少女がクローンとはいえ実験動物のように扱われるなど、プレシアにはとても受け入れられるものではなかった。

 

「組み込んだ子はどうなるのかしら?」

 

「クローンはずっと魔力変換を行い続けることになるよ。ああ、ちゃんと栄養は送られるから大丈夫。老化で使い物にならなくなったら、別の個体を……」

 

「……開発主任、いくらなんでも倫理に反しているわ」

 

「何故? クローンの有効な活用だよ。医療現場でもクローン技術を活用した治療法の確立の為に、何千何万の実験体が処分されている。生体型の義手だってそうだ。それともあれは人間でなく、人間の一部を再現したパーツだからセーフかな? でもその元となった細胞は間違いなく生命を生み出すはずのものだ。医療目的がよくて工業目的がダメな理由はないんじゃないか?」

 

「医療目的は自分が助かるためにやむなく自分の細胞を提供するものよ? あくまで人命救助のための処置であって、はじめから人柱の道具として使われるためじゃないわ」

 

「だから、それがどう違うのさ? 僕にはおんなじに見えるね」

 

 倫理観の違いという奴だろうか。研究者は普段から合理的思考ばかりしているせいで、中には本来非合理であってしかるべき感情を歪めてしまっている人間もいる。特に基本的に生物が持つ魔力を扱う魔法関連の技術者は様々な動物実験を行うため、生命に対して一般人とはズレた視点で接する者も少なくない。こうした研究者を多く見てきたプレシアは説得を諦め、別の視点から追及することにした。

 

「第一、人間のクローン技術は管理局によって禁じられているはずよ」

 

「知ってるさ。だから管理局と折衝を繰り返して、特例として許可を貰ってきたんだ」

 

(今までの外部対応はこれだったワケね。計画通りと言うところかしら……!)

 

 プレシアの表情が険しくなる。思い返せば、当初の開発計画書に不自然な空白があった。もとから無理のある計画だったから計画段階での不備だとばかり思っていたが、狙ってやったものだとすると、殺人スケジュールからこの非道な計画まで周到に用意されていたことになる。なぜそんな事をする必要があるのか。同じ研究者であるプレシアは直感的に分かったが、それを確かめるべく質問を続けた。

 

「動物のクローンも未だに実現していないのに、リンカーコアもレアスキルももった個体を造るのは難しいんじゃないかしら」

 

「いや、可能だよ。そもそも禁止されているのは実現する可能性があるからだからね。事実、管理局に人造生命体を研究している所があって、そこから技術提供を受けることになったんだ。厳密には同一の遺伝情報を持っていないからクローンじゃないけれど、十分応用できるはずだよ」

 

「でも、成功例は無いのでしょう? 第一、私達に生物系の専門家がいないわ。全員が門外漢なのに成功するかしら?」

 

「そこは大丈夫。僕が生物系を専門にしてるからね」

 

 どうやら開発主任になったのは出世のためだけじゃないらしい。自分の嫌な直感が当たったことに顔をしかめながらも、確信を問いかける。

 

「まるで人体実験が目的みたいね」

 

「……まさか。あくまでヒュードラのついでですよ。それに人体実験じゃあない。生体実験だ。とにかく、この件はもうベック部長の了承も取ってるんだ。このまま進めてもらいますよ」

 

「おい、ちょっと待てよ! 俺達はまだ……」

 

 ヒートがなにか言い終わる前にドアが閉まる。強引に話が中断された形だ。ヒートはゴミ箱を蹴っ飛ばして悪態をついた。

 

「……クソッ!」

 

「怒るのはわかるし、怒ってもらって構わないけど、対応は冷静に取ってちょうだい」

 

「分かってますよ!」

 

 たしなめるプレシアに苛立ちを抑えずに答えるヒート。プレシアは早くも建設的な方向へ話を持っていこうとする。

 

「無駄だとは思うけど、一応ベック部長に掛け合ってみるわ。ただ、クローンの代替案として、大型の炉心の発注……いえ、既存の魔力炉の炉心で流用出来るものを探しておいて」

 

 そして、今度は研究室にいる全員に話しかけた。

 

「恐らく、今回のクローンを使用した開発は後々非合法で叩かれるでしょう。みんな、抜けるなら今のうちにね」

 

 勿論、プレシアも辞めるつもりだった。そもそも非道な研究が嫌で管理局に入らなかったのに、これでは意味がない。自分はともかく、アリシアが心配だ。少し早いが、他社へ転職を検討することにしよう。

 

 

 † † † †

 

 

 そんなことを考えていたが、プレシアはすぐに管理局の闇を思い知らされることになった。ベック部長に抗議に行った時、部屋に入ると同時にあらゆる面からクローン技術の問題点を挙げまくったのだが、ベックはこう言ったのだ。

 

「君、娘さんの生活が惜しくないのかね?」

 

「……どういう意味ですか?」

 

 不穏なものを感じ、プレシアは聞き返した。よくみるとベックの顔色もあまりよくない。

 

「……元々、今回の事案は管理局からの依頼とあっただろう」

 

「ええ、大規模都市供給型の魔力炉を開発するようにと……」

 

「それが、どうも裏事情は違うらしい。目的は軍事利用のようだ」

 

 ベックが語った事情はこうだ。

 時空管理局はその名の通り進出した次元世界を支配し、管理下に置いてきたが、数ある次元世界を支配するためには強力な武力が必要だった。もっとも、それも昔の話で、現代にもなると積極的に他次元へ侵攻するなど行っていないのが、かつて管理下に置いた世界は多いことに変わりはない。広すぎる領土を抑え込むため、いまだ強力な武力は必要とされているのだ。しかし、その魔力を個人の魔力保有量に頼っていては限界がある。

 そこで、魔力を生み出す装置、魔力炉の開発に手をつけた。管理局の計画としては、始めは兵器用に大型の魔力炉を開発し、次第に小型化、最終的には個人の魔力保有量を補助する装置に応用するつもりらしい。もし実現すれば、それまで個人の魔力保有量に頼っていた社会が誰でもある程度の魔力保有量を持てることになる。まさに革新的な計画だった。

 しかし、この計画は時間とコストがかかるという問題を抱えていた。その一方、前線からは各地で多発する紛争を解決するため、一刻も早い戦力の増強と軍事費用の増加の要請が矢継ぎ早に寄せられている。常識を打ち破る計画だけに夢物語と思われがちな計画にコストをかける余裕はなくなり、結局、時空管理局はこの仕事を民間に任せ、時間とコストを重視した入札を行った。急速に発達する都市開発用の電源と偽って。

 

「そんなっ!」

 

「我が社は体よく嵌められたことになるな」

 

「嵌められたって、この件を受託するのに無茶なスケジュールで強引にプロジェクトを取ったのは貴方でしょう!」

 

「管理局とのパイプを持ちたいトップの意向だったんだ! このプロジェクトを勝ち取れば退社後は管理局に再就職できると!」

 

「……馬鹿げてるわ」

 

 あまりに汚い理由に呆れ返るプレシア。しかし、肝心のアリシアのことをまだ聞いていない。

 

「その馬鹿げた理由と、私の娘とどう関係があるんです?」

 

「……さっきも言った通り、これは管理局が求めている開発だ。始めは魔力炉だけだったんだが、クローン技術の提供を受けた。それも特例でだ。もしこれが外部に漏れれば、管理局の信用はがた落ちだ。何せ自分で決めた法を自分で破ったのだからね」

 

「始めからクローン技術なんて許可しなければいいだけの話だわ!」

 

「その通りなんだが、管理局は一刻も早い戦力の増強を望んでいる。もしここでサーフ君がクローン技術を成功させれば、それをまとめて兵士に出来る。そうすれば仮に魔力炉が失敗しても十分な戦力になるというわけだ」

 

「却下するにはメリットが大きすぎたという訳ですか?! 非道もいいところですね!」

 

「その通りだ。そして、そのメリットを得るには、多少強引な手を使ってでも情報漏洩を防がなければならない。特にこのところ開発部門は人材の流出が激しい。そこで……」

 

「それで人質をとるっていうの?!」

 

 あまりのことに声を荒げるプレシア。怒気にさらされながらも、ベックは疲れきった様子で続ける。

 

「管理局技術系統のお偉方はそうお考えなんだ。あそこはどうも強引に共犯者を作ることで人材の抱え込みをやっているらしい。私も反対したが、家族が大切じゃないのかと言われたよ」

 

「そんな横暴が許されるはずが!」

 

「落ち着きたまえ。とにかく、もう表向きにも開発作業は進めていると言ってしまった。テスタロッサ君もよく身の振り方を考えてくれ。私も考える」

 

 強引に話を終らせ、逃げるように部屋を後にするベック。プレシアはその背中を見ながら、努めて冷静さを取り戻そうと今後について考え始めた。

 

(……どうする? ベック部長が娘の生活と言った時点でもう管理局はアリシアをマークしているはず。逃げるのは難しいでしょうね。かといって、辞めると見せしめに相当酷いことをされかねないわ。そうなると続けるしかないわね)

 

 結局管理局の思惑通りに進むことに苛立つ自分を抑えながら、プレシアは考え込む。

 

(……せめて証拠だけでも集めるべきね。後になって自分のせいにされたらたまらないわ。告発は無理ね。それどころか、この分だとプロジェクトが終わった瞬間証拠隠滅に消されかねないわ。信頼できる人に預けておいて、私に何かあったら公開出来るようにしないと。たしか、クローン技術は管理局の中に反対派だっていたはず。その人たちにも協力を仰がないと……ただ騙されるだけで終わらないってところを見せてあげるわ)

 

 そこまで考えてプレシアは研究室へ戻り始める。集められる資料は早いうちに集めておいた方がいい。同時に研究室にいるであろう開発メンバーが頭に浮かぶ。

 

 今日の開発作業は手につきそうにない。

 

 

 † † † †

 

 

 生体技術研究用に用意された研究室。モニターに映ったクローン技術関連の文書を見ながら、サーフはそこで端末を操作していた。

 

「もうすぐ、僕は神の力を手に入れるんだ」

 

 思わずつぶやきが漏れる。そのためには、利用できるものはすべて利用しなければいけない。ノックとともに開いた扉から入ってきた相手に視線を移し、意識を改める。

 

(さあ、もうひと芝居だ)

 

 入ってきたのはアルジラ。サーフの補佐という役割をもってこのプロジェクトに参加している女性研究員だ。サーフとは良く同じプロジェクトを担当している。

 

「サーフ主任、あの娘の魔力データを持ってきました」

 

「ありがとう。そこに置いといて」

 

「はい、主任」

 

「……あ~、2人の時ぐらい敬語はいいよ」

 

「……分かってるわよ」

 

 そして、サーフとアルジラはそれなりの関係でもあるのだが、今2人の間に流れるのはあまりいい雰囲気ではなかった。

 

「まだ怒ってる?」

 

「当たり前よ。もう少し言い方があったんじゃないの?」

 

「でも、仕方なかったんだ。このプロジェクトを受けた時から、管理局はもうクローンを組み込むことを決めていた。多少強引に話を進めるしかなかったんだ」

 

「でも、もっと言い様はあったんじゃないの? 貴方、相当の悪者になってるわよ?」

 

「そのくらいの方が、このプロジェクトから降りやすいだろう? ……まあ管理局の強引な手でみんな降りたくても降りられなくなったけどね」

 

 力なく笑ってみせるサーフにため息をつくアルジラ。サーフはその間も手を動かし、アルジラが持ってきた小型の媒体を端末に繋いだ。黒髪の少女の写真とその魔力データが写し出される。

 

「ようやくもう一度、クローンと関わることが出来る……」

 

 アルジラにも聞こえないような声でそう呟き、サーフは先程のクローン技術の文書ファイルに何やら書き込んでいく。開発者ジェイル・スカリエッティとあるその文書を見ながら、感情が抑えきれなくなったのか、今度は普通に声に出して言った。

 

「管理局は結局途中で投げ出したみたいだね。まあ、クローンはしょせんデッドコピーでしかないから仕方ないけど」

 

「サーフは管理局のクローン技術研究所にいたんだっけ?」

 

「そうだよ。まあ、正確にはクローン技術の前身である人造生命体研究所だけどね。一例だけだけど、実際に成功もさせた。まあ、せっかく作った人造生命体の脳を無駄に発達させすぎたせいで、後任をその人造生命体に取られちゃったけどね」

 

 そう言ってスカリエッティの文字を指で弾くサーフ。アルジラはさらりと告げられた衝撃の事実に一瞬固まったものの、恋人として気遣うように問いかける。

 

「……その人のこと、恨んでる?」

 

「まさか! むしろ感謝してるよ。何せ彼のお陰で管理局のためでしかない研究をやめることができたからね」

 

「そう。ならいいけど」

 

 あまり無理をした様子もないサーフに安心したような声を出すアルジラ。もっとも、サーフはいつも余裕を意図的に見せるようにしているので、心の底から安心したわけではないだろう。

 

「まあ、今回も技術と場所を借りるだけだから、彼とは会わないだろうけどね」

 

「……大丈夫なの?」

 

「勿論、大丈夫さ。何せ人造生命体の基礎理論を作ったのは僕だからね」

 

 だから、サーフは自信満々で言い切った。苦笑するアルジラ。それを見るとサーフは立ち上がり、

 

「じゃあ、この娘のデータも分かったし、借りた設備を見に行こう」

 

 かつて自分が勤めていた研究所に向かって歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 クローン技術研究所。時空管理局がもつ数ある研究所の中で、最も暗いイメージが強い研究所の一つだ。そのせいか閉鎖されたときは、その原因について色々と黒い噂が耐えなかった。曰く、違法な人体実験をしている。危険な実験動物を飼っていた。果ては悪魔を呼び出そうとしたというものまで。その不気味な噂は人々を遠ざけ、郊外にある薄気味悪い研究所から人の気配を消していた。

 

「随分遠いところにあるのね」

 

「まあ、クローンなんて人によって是非が別れるからね。面倒な衝突を避けたかったんじゃないかな。でも、設備は折り紙つきだよ」

 

 そこへ車が乗り付ける。サーフとアルジラは車を降りると研究所の門をくぐった。サーフはいつも通りの白衣だが、アルジラは大型のキャリーバックを引いている。

 

「閉鎖してから大分時間が経ってるって聞いたけど?」

 

「その辺は大丈夫。借り受ける時にメンテナンスだけはしておいて貰うよう言っておいたからね」

 

 研究所の扉をくぐる2人。サーフは数々のセキュリティを慣れた手つきで解除し、迷うことなく2階にある制御室の扉を開いた。目の前には巨大な窓。そこからは大がかりな装置が安置された1階の実験室を一望することが出来た。

 

「設備は……ほとんど新品だね。でもシステムスキャンぐらいかけとくか」

 

 サーフはコンソールを動かしながら、手際よくシステムを立ち上げていった。次々にランプがついていく装置を見て、アルジラもあらかじめ言われていた通りクローン元から提供を受けた細胞をキャリーバックから取り出し、指定の場所へとセットしていく。細胞は1階の実験室にある装置に吸い込まれていった。

 

「さて、あとは待つだけだね」

 

 数時間後、サーフは最後のプログラムをセットし終わり、実験室の窓から見える大型の装置が低い音を立てて駆動するのを見て呟いた。

 

「お疲れさま。でも、どうしてここまで出来ていて廃案になったのかしら?」

 

 アルジラは疑問を挟む。実際に作業をやった感じだとそう難しい作業があったわけじゃない。たった2人で起動させることができ、少しサーフがプログラムをいじっただけだ。

 

「人造生命体は成功率が悪くて、量産が効かなかったからさ。今回も数千体同時に培養してるけど、ちゃんとしたのは1体できるかできないかってところじゃないかな? まあ、管理局的にはこの装置の製造コストが割に合わないっていうのが理由だろうけどね」

 

「でも、今回作るのはクローンなんでしょ?」

 

「そうだよ。そのために人造生命体の装置でクローンができるように強引にプログラムを書き換えたんだ。元が人造生命体の理論だから、成功率は悪いままで欠点は改善されていないけどね。今は後任のジェイル君が量産できるクローンの研究を基礎からやり直してるはずだよ」

 

「せっかく使えそうな技術を作ったのに廃棄するなんて、なんだか勿体ないわね」

 

「……実を言うと、当時の人造生命体技術の責任者と今のクローン技術の責任者の仲が悪くて、クローン技術の責任者の方が管理局にいい顔しようとして人造生命体技術を廃棄したんだけどね」

 

「……酷いところね」

 

 まるで今勤めている会社の縮図のような話にアルジラは眉をひそめた。サーフは苦笑しながらそれを軽く流す。

 

「まあ、そのおかげで余計な手間が省けたんだ。1か月後には元気な人工の赤ん坊ができてるよ」

 

 

 そして、1か月後

 

 

 様子をみにきたサーフとアルジラは、実験室を歩いていた。装置に繋がれた数千本のシリンダーのなかには、赤ん坊の出来損ないが浮いている。頭がないもの、腕がないものはまだよかった。なかには崩れかけの脳や、鼓動を続ける心臓だけが浮いているシリンダーもある。サーフはそのなかを平然と端末をいじりながら歩き、アルジラは青い顔で後ろについて歩いていた。

 

「……うん?」

 

「ど、どうしたの?」

 

 急に立ち止まったサーフにビクリと肩を震わせ反応するアルジラ。アルジラにしてみれば異常な臓器を立て続けに見せられ、これ以上気味の悪い物を見たくないというのが本音だった。

 

「完全体だ」

 

「え?」

 

 恐る恐るシリンダーの中を覗くと 、確かに「五体満足に見える」赤ん坊が浮いていた。それも隣り合うシリンダーに2体も。

 

「魔力あり。変換スキル確認……! 成功だ……! あはは! 成功、成功だよ! はーははは!」

 

 突然狂った様に笑い出すサーフに、アルジラは思わず後ずさりした。たまにサーフは研究となると歯止めが効かなくなるとは知っていたが、この実験室の雰囲気が悪すぎる。不気味な人間の出来損ないが並ぶ実験室に響く笑い声に、アルジラは言い様のない不安に襲われた。

 

「あははは! さあ、早速次のステップだ!」

 

 狂った笑いもそのままに、サーフは装置を端末に繋ぎ、何やら操作を始めた。すると、シリンダーの中の赤ん坊が目を開いた。かと思うと、音を立てて変形し始める。肉と骨が軋みをあげて変わり、骨が皮膚を突き破って肥大化、そこに肉がついて、

 

「……ぅ……あ……ぐ、ごめんなさい、サーフ!」

 

 それを見たアルジラは口に手を当て走り出した。トイレに駆け込み、胃の中のものを吐き出す。

 

「はあ、あぁ……」

 

 嘔吐が終わると、大きく息をつく。そして、さっきの恐怖を振り払う様に頭を振った。サーフから前もって人によっては生理的嫌悪感をともなうとは言われていたが、ひとりで待っているのも嫌だったので結局ついていった結果がこれだ。

 

(……でも、あれは『人によっては』っていうレベルじゃないわよね)

 

 後で文句を言ってやろうと立ち上がると、制御室への階段を上っていった。さすがに実験室の方に戻る勇気はない。制御室の扉を開くと、アルジラは窓の外を見ないようにしながらソファーに横になった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――
愚者 サーフ・シェフィールド
※本作独自設定
 アレクトロ社技術開発部主任研究員。若干16歳にしてこの地位に上り詰めた天才。同社に入る前は管理局に所属し、様々な生体・魔力にかかる研究を行っていた。管理局とのつながりを少しでも持ちたいアレクトロ社により高給で引き抜かれ、研究に加え公共事業を引き受けた際の外部折衝等でも会社に利益をもたらしている。

愚者 ヒート・オブライエン
※本作独自設定
 アレクトロ社技術開発部研究員。魔法技術そのものよりも工学系を得意とする研究者。直情的な性格で仕事でも感情的な言動がみられるが、冷静さを保てば論理的な思考と知識から開発・設計者として十分有能と言える人物。

愚者 アルジラ
※本作独自設定
 アレクトロ社技術開発部研究員補佐。開発作業そのものには関与しないが、スケジュールや実験の補佐など多岐にわたり活躍する。サーフとは入社時からよく同じプロジェクトに関与したためか、プライベートでもよく会っている。

愚者 ベック
※本作独自設定
 アレクトロ社技術開発部長。技術一本の開発部をまとめるために財務部より移動してきた部長。技術よりもその技術がどう会社の利益に直結するかを常に考えている、会社にとっては有能な人物。日々スケジュールと予算関連で財務と開発陣が起こす摩擦に頭を悩ませている。

――元ネタ全書―――――
問題ありませんよ、ベック部長
 分かる人には分かると思いますが、デジタル・デビル・サーガより、あのシーンとのクロスです。なお、悪魔全書にあるサーフ達の姓はファンブックから。

――――――――――――
※原作ではプレシアは夫と生活のすれ違いで別れたとなってますが、本作では死に別れたとしています。「え?」ってなった人も多いかもしれませんが、ご容赦ください。
※サーフがスカリエッティを作成したという無茶をやりました。本作では発案者が最高評議会で作成者がサーフとなっています。
――――――――――――


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第7話b 魔女の過去《弐》

――――――――――――

 白い天井……ああ、そうか。クローン技研に来てたんだっけ?

 ソファーから起き上がってあたりを見回す。気が付けば寝てしまっていたみたいだ。いや、気を失ったのだろうか? ああいうのには慣れてたつもりだったけど……

「……体がだるい」

 窓の外には、天井まで届く巨大な装置が見える。悪夢じゃなかったみたいね。

――――――――――――アルジラ/クローン技研



 アルジラが制御室に駆け込んで、数十分ほどだろうか。あの悪夢のような光景を思い出し、またも気分が悪くなったところへサーフが入ってきた。

 

「ああ、アルジラ。大丈夫かい?」

 

「大丈夫じゃないわ。予想以上だったわよ」

 

 真っ青なままのアルジラは、文句を言う声にも力がない。

 

「だから、生理的嫌悪感を起こすかもしれないと言っただろう?」

 

「限度を越えてるわよ。よくあなたは平気ね」

 

「まあ、僕だけでも平気な様にしないとアルジラがパニックになってしまうからね」

 

「……もう」

 

 言外に貴女のことを気にしていたんですと言われ、アルジラも悪い気はしないのか文句が止まる。頃合いを見て、サーフは話し始めた。

 

「実験は成功だよ。クローンは2体。男女がそれぞれ1体ずつだ。魔力もレアスキルも問題ない。今は女性型の方を五歳前後まで成長させて、記憶の刷り込みをやってる」

 

「……そう」

 

 アルジラはわずかに顔を歪めた。それがさっきの実験室を思い出したのか、クローンとはいえ人間を都合よく使う事への嫌悪感なのかは、彼女にも分からなかった。

 

 それから1週間後

 

 クローンはヒュードラのジェネレーター代わりとなるべく会社へ届けられた。同時に名前も決まった。女性型がA1-IS-v-0234、男性型がAk-IR-v-0235。それぞれ本来ヒュードラのジェネレーターに使用されようとしていたパーツの名で、事務処理の混乱を避けるためにそのままの名前が流用されたのだ。現場では長いので女性型がA1(エイワン)、男性型はAk(エイケイ)と呼ばれている。また、実験はA1が中心に行われ、Akは予備品扱いだった。クローン元と同じ女性型の方が失敗は少ないだろうという判断からだ。

 

 順調に準備は進み、ついに起動実験が行われる日になった。これが唯一のテスト工程となるため重要性は高い。会社の実験設備には組み立てられた魔力炉が配備され、それを窓から見下ろす制御室では、開発陣の他に管理局から視察にきた役人が2名ほど来ていた。黒いスーツを着た長身のネロ提督と赤いスーツを着た小肥りのベア提督だ。2人は管理局主体の研究を担当する部署に所属し、ベア提督がクローン技術関連を、ネロ提督が魔力炉開発関連を担当していた。ネロ提督がベックに質問する。

 

「あれがヒュードラの完成型かね?」

 

「はい。今回は魔力を上げず、起動のみの実験となります」

 

「組み込むクローンはどこかな?」

 

「あちらになります」

 

 ベックの指した方には、首筋にコードを繋がれたA1がいた。投薬の影響か、それとも無理な成長がたたったのか、オリジナルとは違う金髪に病的なほど色素の薄い肌をしている。

 

「魔力変換スキルをオリジナルに近づけた個体です」

 

「……まだ少女ではないか」

 

 担架にのせられてヒュードラ内部へ運び込まれていくA1を見て、ネロが呟いた。ベックは今さら何を言ってるんだと言いたげな視線を向けながらも、簡単な説明を付け加える。

 

「はい、成人させすぎると精神の維持が難しくなる上、身長の関係上ヒュードラへの接続が難しくなってしまいます。このため、五歳前後の状態までの成長で止めております。あと1体、別に成長させていないままの個体が存在します」

 

「……予備というわけか」

 

「はい。取り敢えず当社のクローン製造は成功したと言えましょう」

 

「ふむ。その話は魔力炉完成後に聞かせてもらおう」

 

 サーフから受け取った報告書に書かれているクローンを部品として扱う文章を難しい顔で読み上げるベックと無表情でそれを聞くベア。ベックはあえてクローンを部品として扱い、良心の呵責を避けているようにも見えた。

 

 そんな上席の会話をよそに、開発陣の方は順調に実験の準備を進めていた。モニターが魔力炉を映し出し、実験開始を報せる。サーフはこどもの様に目を輝かせ、アルジラは不安そうに、ヒートやプレシアのような初期メンバーは厳しい表情でモニターを見ていた。

 

 やがて、起動実験成功の文字が浮かび上がる。サーフは思わず笑い声をあげた。

 

「成功です……! あははは、成功ですよ!」

 

 しかし、普通の実験なら成功に沸き立つ開発陣には微妙な雰囲気が流れている。やりきったという達成感よりも、やりきれない感情が支配していた。

 

「主任、早くクローンの様子を見にいった方がいいんじゃないかしら?」

 

 プレシアが笑い続けるサーフを咎めるように言う。サーフはまるで気にせずいそいそと立ち上がった。

 

「ああ、そうだったね。アルジラ、それとヒートもついてきてくれ」

 

 チッと舌打ちして後ろにヒートが続く。ヒュードラの細部の設計はヒートが担当したので、A1の接続を切るには嫌でもついていかなければならなかった。残ったプレシアにネロが話しかける。

 

「あの少女は無事なのかね?」

 

「……少女? ご依頼されたクローンのことでしたら、スキルの過度な使用による超過労以外でしたら、恐らく無事でしょう。まあ、ご命令の通り、後一回は持ちますよ?」

 

 プレシアはたっぷり皮肉を込めて言った。ベックが後ろで冷や汗をかいていても気にしない。そんな中、ネロは黙ったままヒュードラから取り出されるクローンを見つめていた。

 

 

 † † † †

 

 

「よく頑張ったね。成功だよ」

 

 ヒュードラから出てきたA1に向かって、優しい声で話しかけるサーフ。A1はにっこり笑って、嬉しそうに言う。

 

「うん……。ねえ、今度はもっとたくさん世界とお話出来たら、海に連れてってくれるんでしょう?」

 

 お話というのは魔力収集のことだ。A1は体外の魔力を収集することを世界にお願いし貸して貰うとして、このように表現していた。

 

「もちろん。次も上手く出来れば、皆でいこうね」

 

 そんなA1の頭を撫でながらサーフは言った。目を細めて受け入れるA1。サーフはA1を表向きはまるで自分の娘か妹のように扱っていた。A1の魔力収集スキルは、本人がやる気を出せば出すほど効率が上がる。実験の成功率を上げるため、メンタル面でのケアが必要だったのだ。

 

「……チッ!」

 

 そこに盛大に舌打ちしている男がひとり。ヒートだ。管理局に強制されて人体実験をやっていることも、少女を騙すことも、このプロジェクトの何もかもが気に入らない彼にとって、目の前の光景は不満でしかなかった。露骨に顔をそらして足早に歩いていく。

 

「……あの人、怖い」

 

 それを見てA1はサーフの手を握った。サーフは安心させる様に微笑みかけた。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと僕がついてあげるから」

 

 おとなしくなったA1を見て、アルジラは担架を押しつつ実験室の出口に向かう。A1は担架に揺られるのが楽しいのか、アルジラに笑いかけながら手を伸ばした。アルジラはその手を軽く握り返し、微笑みながら言った。

 

「いい子だから、おとなしくしててね」

 

「はぁい」

 

 A1も笑いながら従う。A1にとってアルジラは姉のような存在となっていた。

 

 

 † † † †

 

 

 出口でA1を他のスタッフに引き渡すと、アルジラは出口付近にある洗面台で手を洗い始めた。

 

「そんなに念入りに洗わなくてもいいんじゃないか? 確かにヒュードラの内部は有毒な魔力で溢れてるけど、A1にはごくわずかしか残留しないはずだよ」

 

「そういう問題じゃないのよ」

 

 どこか不機嫌に手を洗い続けるアルジラ。ちらっと先程A1が引き取られていったドアを見て続ける。

 

「あの子、やっぱり気持ち悪いわ」

 

「珍しいね。実験動物なんてよく扱ってたじゃないか」

 

「そうだけど、過程があんなに酷いのは始めてよ。それに一応人間の姿をしてるのよ。簡単に割りきれないわ」

 

 どうもアルジラはクローンの作成現場を見てしまったために、A1が苦手としている様だった。いつあの失敗作のように肉や骨が崩れるんじゃないかと気が気でない。加えて、凶悪な魔力も浴びているのだ。触っていると自分までも崩れていきそうな錯覚にとらわれる。そんな事はあり得ないと思いながらも、アルジラはA1と接触した場所は念入りに洗浄を行っていた。

 

「まあ、これも次の本番が終るまでだよ。どうせあの個体はあと1回が限度だろうからね」

 

 誰もいない実験室で本音を言い合う2人。それはA1に伝わらないまま、最後の魔力生成実験が行われる日は刻一刻と近づいていた。

 

 

 † † † †

 

 

 ごぼごぼっという音を聞きながら、ヒュードラの内部でA1は魔力生成を続けていた。実験が始まったのだ。

 

(……いたい……くるしい)

 

 目の前には真っ黒なモニター。苦痛に苛まれながらも、その先で自分を見守っているであろうサーフ達を思い浮かべ、必死に耐え続ける。

 

(だいじょうぶ。きっとまもってくれるから。あのヒトタチハ、ワタシヲマモッテクレル。ダカラ、ワタシハ、アノ人タチガイレバダイジョウブ)

 

 

 そんなA1を無視して、実験は続く。

 

 

「魔力生成炉、稼働」

 

「システム、オールグリーン……続いて、魔力生成量を増加させます」

 

 制御室に開発陣の声が響く。サーフはモニター越しにヒュードラ内部を見ながら、楽しそうに上昇する数値を見続けていた。モニターには魔力量を表す数値と、それが増えるにともない苦悶の表情を浮かべるA1の姿があった。横には赤ん坊の姿をしたAkも写っている。ヒュードラのすぐ横に待機させ、Akが耐えきれなくなったら交代させようというのだ。

 

「……ぅ……ぁああ……」

 

 相当な負荷がかかっているのか、A1の苦悶の声が制御室に響く。室内は重苦しい沈黙につつまれ、他の開発メンバーの早く終わってくれという祈りが聞こえてくるようだった。

 

「……ぅぁあ!」

 

 次第に大きくなるうめき声。だが、それが悲鳴に変わる前にモニターの数値が管理局の求める値を越えた。ホッとしたような空気が流れる。しかし、サーフは笑ったまま数値を上昇させるボタンを押した。

 

「……何で止めねえんだっ!?」

 

 そんなサーフに怒声をあげるヒート。サーフは落ち着き払って答えた。

 

「規定値以上の数値で安定させないと、製品として問題だからね。ついでにヒュードラがどの程度連続使用に耐えられるかも調べておきたい」

 

「今日は魔力炉の数値をお偉方に見せるだけだろ!」

 

「まあ、データは取れる時に取っとかないとね」

 

「おい、ふざけん……な!?」

 

「ぐは……ごぽっ!……」

 

 ヒートの怒声の途中で響いた気道が破壊されるような音。見ると、モニターに映るA1が血を吐いていた。

 

「そろそろあれは限界だね。せっかくだし、被験体が壊れるまで続けよう」

 

 尚も数値を上げようとするサーフに、ヒートが叫んだ。

 

「……もうたくさんだ!」

 

 サーフに銃を向けるヒート。正確には銃型デバイスと呼ばれる道具の一種で、この魔法世界ミッドチルダでは魔導師が魔法を使うのを補助する道具として流通している。当然、殺傷能力のある魔法も使うことができたが、普段は非殺傷設定というものが適用されていた。そもそもこの世界の魔法は、自然法則・物理法則をプログラム化し、それを書換、消去、加筆して作用させる技法として発展している。そこへ、本来対象が感じるダメージはそのままに、魔法のもつ物理的な殺傷力を排除するようなプログラムを追加したのがこの非殺傷設定だ。警察組織が相手に外傷を与えずに捕える場合等に使用される。ヒートはこれを使ってサーフの暴走を止め、実験を強引に中止にしようとしたのだ。

 

「何を怒ってるんだ? 元々A1はヒュードラのためだけに産み出されたんだ。A1が死んだらAk、それが死んだら次のクローンだ」

 

 ヒートの剣幕に騒然となる周囲をよそに、サーフはいたって冷静に言葉を続ける。

 

「ジェネレーターに使うクローンの限界を知っておけば、次回以降魔力量を調整して対応できる。それには工学に詳しい君のような人材も必要になるんだ。ここで功績を残せば主席にだって推薦できる。僕は君をかってるんだぜ?」

 

「っ! 何でも人が自分の思い通りいくと思うな!」

 

 

 銃声。

 

 

 しかし、それはヒートの持つデバイスからではなく、アルジラがヒートに向けた小型の拳銃からのものだった。血を流して崩れ落ちるヒート。アルジラは普段から血の気の多いヒートが殺傷設定を使うものと思い、反射的に非殺傷設定を解除していた。

 

「……あっ……ぁ……」

 

 自分のやったことを理解して小刻みに震え始めるアルジラ。サーフはそれを気にもとめずに、ヒートに近付いて言う。

 

「簡単だろ? 人の心なんて。こうじゃないとクローンは制御できないよ。もっとも、あれは人じゃないけどね……?!」

 

 そう言ってモニターを見上げるサーフ。そこには、目を見開いて此方をはっきりと見つめるA1がいた。ヒートの剣幕に耐えられなかった開発スタッフの一人が端末に寄りかかった際に、誤って通信ボタンを押していたのだ。建設作業中に内部で作業する者と連絡を取るためのボタンは、ヒュードラ内部のモニターと制御室を繋ぎ、先程のやり取りをA1に伝えていた。

 

 A1の目から涙が溢れる。サーフと目があうと、なにかを振り切るように目を背け、

 

 

 能力を解放し、暴走した。

 

 

 † † † †

 

 

 時は僅かにさかのぼり、社内の応接室。対外的な説明を考慮して設計されたそこで、プレシアとベックがベアとネロに実験の解説していた。

 

「今ちょうど、生成魔力がお求めの魔力値まで上昇しました。ヒュードラの稼働は成功と言えましょう。ただ……」

 

 プレシアがモニターを切り替える。苦悶に満ちた表情を浮かべるA1が映し出された。

 

「……このように、生体ジェネレーターとして使われた人間には、大変な負荷がかかります」

 

 淡々とした声で事実を突きつけるように言うプレシア。ベックも諦めたのか視線を落としている。ネロとベアは苦笑しながらそれに答えた。

 

「確かにあんな少女に背負わせるにはまずい仕事だったな」

 

「……ああ、幸いクローン技術その物は成功したんだ。十分だろう」

 

 今までの強硬姿勢とはうって変わり、プレシアの言葉にうなずく管理局役員2人。プレシアは念を押すように問いかけた。

 

「……では?」

 

「うむ、君の要望通り、この魔力値をもってヒュードラの開発期間延長を認め、産み出されたクローンは我々が引き取ろう」

 

「ありがとうございます」

 

 プレシアは起動実験の時にA1を見たネロとベアの反応に目をつけ、2人に掛け合いヒュードラの開発期間延長とA1とAkの保護を求めていた。プレシアが提供したヒュードラ開発の危険性を示す書類も手伝って、管理局側はネロとベアの根回しの結果、見返りとして本来の姿である燃料型の魔力炉のみを搭載したヒュードラの設計図とクローンの生成技術を提供することでこれに合意、この魔力生成実験の場で正式に承認した。前回の起動実験と違い、説明室に主要メンバーだけ切り離したのはこの話をするためだ。

 

 因みに、クローン技術はプレシアがサーフに無断でPCから抜き出し、文書に纏めたものだ。開発者はサーフとしているのだから問題ないだろう。管理局が仮に悪用したら責任を問われる事になるが、そんなことはクローンを利用しようとした時点で覚悟の上の筈だ。いずれにせよ、これだけ現場を混乱させたのだから、こちらも多少強引な手段で対抗する必要がある。そんな思いがプレシアを駆り立て、ベック協力のもと今回の取引が実現したのだった。

 

「では、こちらが設計図とクローン技術仕様書となります」

 

「うむ。これは次元世界の平和のために役立たせて貰おう」

 

 管理局員としてお決まりの台詞をいい、プレシアから受け取った書類を鞄の中にしまうベア。ネロの方はモニターに目を向けながら言った。

 

「そろそろ解放してもいいのではないかな?」

 

「ええ、今止めさせますので、少々お待ちを」

 

 そういって制御室とつながる端末を操作するベック。しかし、

 

「……申し訳ありません。端末がつながらないようで」

 

「おそらく、ヒュードラの放出する魔力の影響でしょう。あれは他の魔力と干渉しやすい性質を持っていますので。この分だと念話も使えませんね」

 

 念話というのは、口に出さずに相手にメッセージを伝えるテレパシーを模した魔法のことだ。魔法世界らしい通信手段と言えるだろう。ただし、魔力を持っている人間同士でしか使えない、距離が遠すぎたり、今回のようにノイズが激しいと使えないという欠点があった。

 

「どうするのかね?」

 

「現場の状況把握を兼ねて、直接見に行きます。テスタロッサ君、後を頼むよ」

 

 そういうとベックは制御室へと向かった。本来なら階級の低いプレシアが行くべきなのだが、有事の際は説明室から実験室をコントロールしなければならない。このため、優れた技術者でもあるプレシアが説明室に残ったというわけだ。そんな時、A1の声が響いた。

 

「ぐは……ごぽっ!……」

 

 モニターには血を吐きだすA1。3人は顔をしかめた。

 

「これは酷いな」

 

「ええ、早くベック部長が止めてくれればいいんですけど」

 

 ベアとネロは、A1が血を吐いても止まらない実験に気を揉んでいる様子だった。それを察したプレシアはここぞとばかりに追い討ちをかける。

 

「A1、このクローンの事ですけど、今のままでは苦痛を受けるために産まれてきたようなものです」

 

「分かっている。引き取った後は何不自由させないつもりだ。人間らしい生活を保証しよう」

 

「ええ、このような風に苦しむクローンが出ないようにお願いします」

 

「そうだな。……しかし、ここではメンタルケアのようなものは行わなかったのかね?」

 

 色々と酷いA1の状況を聞いて、何かひとつでもまともな対応がないかと質問するベア。プレシアは無情に事実を突きつける。

 

「魔力を扱うという特性上、A1の精神状態も魔力炉に影響しますので、過剰なストレスは貯まらないようにはしています。しかし、あくまで実験を成功させるための処置です。A1自身からも海に行きたいと少女らしい発言もありましたから、かなり抑圧された状況と言えるでしょう」

 

「……そうか。普通の少女と変わらないか」

 

「ええ、ですから、ぜひお引き取りになられた後は人間として扱ってあげて下さい」

 

「そうしよう。まあ、引き取った暁には管理外世界の海にでも連れて行くことにするよ」

 

 プレシアの説明に暗い顔をしながらも、ベアとネロは父親代わりとなるのに楽しみな様子だった。A1を見ながら今後を話し合う3人。そんなとき、モニターに映るA1がこちらを見て大きく目を見開いた。と思うと、首ごと顔を背けた。その勢いで散った涙がモニターに映る。

 

 瞬間、アラートが響いた。

 

 部屋が非常事態を知らせるライトで赤に染まる。モニターの魔力値は異常なほどに上昇していた。

 

「なっ?!」

 

「馬鹿な! これは!」

 

 声をあげる提督2人。プレシアは慌てて制御室に連絡を入れ始めた。先程ベックが使用していた回線とは別の非常用回線を開く。これは会社の集中管理室に繋がっており、制御室を含めたあらゆる場所をモニターに出力する事が出来た。音声による通信は出来ないが、取りあえずの状況把握には十分役に立つ。ノイズ混じりに制御室の映像を見せ始めるモニター。

 

 そこには、血を流して倒れるヒートとその横で余裕の笑みを浮かべるサーフが映し出されていた。

 

 

 † † † †

 

 

 再び制御室。A1の涙を見たサーフは、しかし特に大きな動揺はなかった。所詮、サーフにとってA1はクローンであり、数あるパーツのひとつに過ぎなかったのだ。今回の実験がここで止まるのは残念だが、数値目標はクリアしている。ついでに自分と対立する開発メンバーの筆頭であるヒートも処分出来た。実行犯であるアルジラは何かしら処罰が下るかもしれないが、自分はまず大丈夫だろう。助手はまた別の女でもたらしこんで使えばいい。その程度の認識だった。

 

 しかし、ヒュードラから爆発音がしたことでその余裕はなくなった。

 

 上がり続ける魔力量に、ヒュードラがもたなくなったのだ。理論上の値では十分なはずだったのに。モニターを見ると、あり得ない数値が映し出されていた。

 

(なんだこの数値は?! ミッドチルダの全魔力と言われている値よりも多いぞ!)

 

 科学誌で見た推定値を越えている事に驚愕するサーフ。A1のスキルはあくまで「周囲の魔力を集める」であって、周辺の魔力以上は絶対に数値が上がらないはずだ。その疑問を考える間もなく、ヒュードラから光が飛んできた。先程の爆発で空いた穴から魔力が溢れでたのだ。

 

 その光はまるで意思を持つかのように曲がりくねり、制御室の窓を破壊して、

 

「あ、あ、あああぁぁぁぁあああ!」

 

 サーフを突き刺した。

 

 

 喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ……

 

(あ、あ、あああぁぁぁぁ?)

 

――肉ヲ引キ裂キ、

 

 喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ……

 

(なんだ、)

 

――屠リ、

 

 喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ……

 

――喰ラエ !

 

(なんなんだぁ、これはぁ!)

 

 

「ウォォォォォォォォオオオオオ!」

 

 

 制御室に獣の咆哮が響く。貫いた光が消え去った後には異形――サーフだったモノ。泥水のように汚れた茶色い皮膚に、血で錆び付いた刀を思わせる鋭利な骨と鱗を持った悪魔が、そこにいた。

 

 それは周りにいた研究員に飛びかかった。

 それはかつて恋人を演じていた女を飲み込んだ。

 それは様子を見にきた上司に喰らいついた。

 

 そこら中の人間を食い散らかし、咀嚼する悪魔。あっという間に、部屋が血肉で溢れかえった。そこへ、異常を感知した警備員の足音が響く。そちらへ顔を向けるサーフ。これだけの人肉を喰っても物足りないのか、その足音に向けて悪魔は走り出した。

 

 

 † † † †

 

 

 その一部始終をモニター越しに見ていたプレシアは、激しい動悸を感じながら膝をついた。ベアとネロは余りにグロテスクな映像を見て逃げ出したのか、姿が見えない。

 

 なんだあれは?

 

 凄惨な光景にしばしば唖然としていたが、モニターの端に表示されている数値を見て青くなった。

 

(魔力値が危険水域を大幅に越えている……!)

 

 魔力は多ければいいというわけではない。過剰に魔力を浴びると、それを体が吸収しきれず危険な状態になるのだ。プレシアぐらいの技術者になると上手く体の外に魔力を逃がす術式を組む事が出来るが、それでも限度はある。その技術がない魔導師やもともと魔力がない人間の場合はなおさら問題であり、最悪ショック死しかねない。慌てて周囲の魔力量を示す画面に切り替えると、周囲の魔力量は上昇を続けていた。

 

「……!」

 

 それを見たプレシアは、愕然とした。危険水域を越えているエリアには、アリシアが待っているであろう部屋も含まれていたから。

 

 

 † † † †

 

 

「あ、がぁぁぁぁあああ!」

 

 血の海が広がる制御室。そこに動く影があった。ヒートだ。自分が流す血と、制御室に降った血と、こびりつく肉片を撒き散らし、激痛に悲鳴をあげながら起き上がる。

 

 そして、ヒュードラから伸びた光がヒートを貫いた。

 

「ザァァァァフゥゥゥゥウウウウ!」

 

 異常に発達した赤い筋肉。2つある頭。ところどころ皮膚は鉱物のように硬化し、金色に輝いていた。赤く暴力的な悪魔となったヒートが、憎しみを込めて叫ぶ。それは倒すべき敵を求めて、血で出来た足跡を追い始めた。

 

 

 † † † †

 

 

(……転送ポートを用意すべきだったかしらね!)

 

 プレシアはそんな風に毒づきながら、自宅に向かって走っていた。ヒュードラの実験棟からはすぐ近くの居住棟と呼ばれる建物の一室だ。なお、転送ポートとは目的地まで一瞬で移動できる移転魔法の術式を機械に組み込んだゲートのことだ。通常のデバイスとは異なり、移転魔法のみを組み込んでいるため、複数の人間を低魔力で移転させることができるのだが、高価であり、プレシアは単独でも移転魔法が使えたため、そのようなものは持ち合わせていなかった。しかし、今のようにヒュードラの魔力が干渉してきて、上手く転送魔法が使えないと愚痴の一つも言いたくなる。ようやくたどり着いた居住棟のエントランスは、不気味なほど静まり返っていた。

 

 が、その静寂は獣のような叫び声で潰える。

 

 慌てて中に入るプレシア。そこには、人間の足をかじっているサーフの成れの果て――悪魔がいた。吐き気を催すプレシア。だが、いつまでもそうしてはいられない。あれをアリシアの所へ行かせる訳には行かないのだ。プレシアは杖型のデバイスを構える。悪魔もプレシアに狙いをつけたようだ。頭は鱗のようなモノにおおわれて目は見えないが、殺気をただ漏れにして迫ってくる。

 

「……無様ね。開発主任! それが人を騙し続けた成れの果てかしら!」

 

《Photon Bullet》

 

 デバイスからの電子音と共に魔力でできた弾丸を打ち出した。しかし、悪魔はそれを避けながら迫る。エントランスの壁を足場にして左右に跳び回るようにして動き、腕からせりだした骨のようなもので出来た刀で斬りつける。が、プレシアは表情を変えず、

 

《Lightning Bind》

 

 悪魔を魔力で出来たチェーンで絡めとった。

 

「こんな単純な罠にかかるなんて、もう本当に理性を失っているのね」

 

 魔力で出来たバインドにもがく悪魔に問いかけるプレシア。そこには憐れみも哀しみもなかった。ただ無機質な声が響く。

 

「殺しはしないわ。ただ、今度は貴方が実験材料に使われるでしょうけど」

 

 そう言って、非殺傷設定の電撃を放とうとするが、

 

「っ!」

 

 サーフは力ずくでバインドを破壊した。プレシアは驚愕に目を開く。かなりの魔力を込めたバインドの魔法は、トン単位の力でも耐えられるはずだ。それが紙でも引きちぎるように外されている。同時に雄叫びが響く。

 

――狩る!

 

 降り下ろされた悪魔の刀が迫る。すぐ近くから不意打ちに近い形で降り下ろされたそれに、プレシアは反応出来なかった。頭をよぎる死。だが、

 

「ァァァァアアア! ザァァフゥゥウ!」

 

――脳天割り

 

 別の赤い悪魔が現れ、サーフだった悪魔を地に叩きつけた。固い床が抉れ、クレーターが出来る。プレシアは聞き覚えのあるその声に驚く。

 

「貴方、ヒート?! そんな!」

 

 変わり果てた姿に絶句するプレシア。やはり無理にでもこのプロジェクトは止めるべきだった。そんな後悔は、しかし目の前の悪魔には届かない。起き上がった黒い悪魔は赤い悪魔に刀を振るった。赤い悪魔はそれに身を裂かれながらも、炎を打ち出し応戦する。

 

――アギダイン

 

 打ち出された炎に驚くプレシア。ヒートは研究者として優秀ではあるが、保有魔力自体は少ない。それが、大魔導師とされるプレシアが霞んで見える程の魔力で炎を撃ち出したのだ。吹き飛ばされた黒い悪魔はよろめきながらも立ち上がり、今度は闇色の光線のようなものをヒートに放った。

 

――黒き波動

 

 プレシアの知識では砲撃魔法と呼ばれる攻撃に近いだろうか。しかし、放たれたそれは常識を覆す威力を持っていた。赤い悪魔の片腕を貫通し、居住棟に穴を開け、本社ビルを吹き飛ばす。

 

「ヒートッ!」

 

 思わず声をあげるプレシア。しかし、それを無視するように手負いの赤い悪魔は体勢を立て直すと一直線に黒い悪魔へ迫り、残った腕で殴り付けた。

 

――血祭り

 

 が、黒い悪魔も避けようとせず、刀を赤い悪魔に叩きつける。

 

 両者から血が飛び散る。

 

 人間と同じ赤い血だ。黒い悪魔は腹部を貫かれ、赤い悪魔は胸に刀が刺さっていた。組み合ったまま硬直する2匹の悪魔。しかし、それも一瞬。悪魔は鋭い牙の生えた口を大きく開くと、

 

 雄叫びをあげながら互いに互いを喰らい始めた。

 

 音を立てて肉片と骨と体液が飛び散る。凄惨な光景にプレシアは吐き気でその場に膝をついたが、

 

「……コォォォォロォォセェェェェ!」

 

 赤い悪魔がヒートの声でそんな事を叫んだのを聞いて、顔をあげた。赤い悪魔の2つの頭に目は見当たらない。しかし、一瞬だが助けを求めるヒートの顔が見えた気がした。

 

「……ヒート……」

 

 いかに非殺傷設定といえど衝撃そのものは無くせない。既に2体の悪魔は体の殆どを失っている。臓器らしいモノも見えた。この状態では間違いなく殺してしまうだろう。

 

(……仮にこのまま無事にすんでも実験材料に使われるのがオチね)

 

 そして半死半生のまま生きる屍となるのだろう。サーフはともかく、ヒートにそれを与えることはプレシアには出来なかった。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。……疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ。……バルエル・ザルエル・ブラウゼル」

 

 ヒュードラから未だ漏れ続ける魔力を制御できるギリギリの量まで集め、魔法を詠唱する。通常ならあり得ない魔力を込めて撃つこの魔法は、先程の黒い悪魔が放った砲撃にも劣らないだろう。

 

「……ごめんなさい、ヒート……」

 

 どこか他界した夫と似たその男が、せめて苦しまないように。

 

《Photon Lancer Genocide Shift》

 

 赤い悪魔は黒い悪魔に喰らいつかれながら、雷に吹き飛ばされる直前、哀しそうに笑ったような気がした。

 

 

 † † † †

 

 

 光が引いて周囲を静寂が包み込む。2体の悪魔は跡形もなく消え去ったが、そこらじゅうに人間の破片が転がり、壁には血の跡ができている。プレシアはそのなかを立ち上がり、

 

「……ゴフッ!」

 

 血を吐いた。プレシアにもヒュードラが撒き散らす有害な魔力が干渉を始めたらしい。加えて、通常ではありえない量の魔力を込めて撃った魔法の反動も尋常ではない。それでも、プレシアはひび割れたデバイスを杖がわりに歩き出した。動かない体にむち打ち、アリシアの元へ向かう。

 

 無駄に時間を使わせたサーフが恨めしかった。

 

 走れない自分がもどかしかった。

 

 アリシアはもう死んでいると告げる冷静な自分が五月蝿かった。

 

 プロジェクトを止めなかった自分に後悔した。

 

 動かないエレベーターに舌打ちし、アリシアの待つ部屋へ続く階段を上る。

 

 震える手でドアを開けると、そこには倒れ伏したアリシアがいた。

 




――Result―――――――
・愚者 研究部社員 悪魔と化した人間による喰殺
・愚者 アルジラ  悪魔と化した人間による喰殺
・愚者 ベック   悪魔と化した人間による喰殺
・夜叉鬼 ヴァルナ(AS サーフ) 魔力により崩壊
・夜叉鬼 アグニ(AS ヒート)  魔力により崩壊

――悪魔全書――――――

愚者 ネロ
 時空管理局提督。いつも黒いスーツを着込んでいる、痩せぎすの男。技術系の役員として、魔力炉技術の開発を各所へ根回ししている。同じ提督の地位にあるベアとは同時に入局した。

愚者 ベア
 時空管理局提督。いつも赤いスーツを着込んでいる、小太りの男。技術系の役員として、クローン技術の開発を各所へ根回ししている。

魔神 ヴァルナ
 古代インド・イランの始源神。宇宙の理を司る天空の神。後に水神、天空神、司法神等の様々な神性を与えられる。イランではゾロアスター教に取り入れられ、最高神アフラ・マズダーとなった。インドでは雷神インドラ、火神アグニとともに水神として位置付けられている。司法神としての彼は、間諜を用いて人間の行為を監視し、悪人に水腫をもたらし罰するという。

夜叉鬼 ヴァルナ(AS サーフ)
※本作独自設定
 ヴァルナの力を得て悪魔と化したサーフ。両腕の鉈の様なブレードを武器に、飢えから逃れようと喰らい続ける。ヴァルナの持つ本来の水神としての神性は感じられず、泥水のように濁った肌をしている。

魔神 アグニ
 インド神話に登場する火神。赤色の体に炎の衣を纏い、二面二臂で七枚の舌を持つ姿で描かれる。天上の太陽、中空の稲妻、地の聖火ひいては人の心の思想や霊感、怒りとしても存在し、あらゆる穢れを浄化するという。

夜叉鬼 アグニ(AS ヒート)
※本作独自設定
 アグニの力を得て悪魔と化したヒート。暴力的なまでに発達した筋力と手の甲に生えた鋭利な爪を武器に、怒りの対象であるサーフを求めた。アグニの持つ火神としての力はヒートの怒りを反映し、本来ないはずの魔力をはじめ大きな力を与える。

――元ネタ全書―――――
……もうたくさんだ!
 前話に引き続き、デジタル・デビル・サーガ。あのシーン。SF色が強い原作同士絡めやすいので、設定レベルで融合しております。

――――――――――――
※本来ならプレシアの回想という形で語られているので、第三者の視点が入るのはおかしいのですが、そこは演出ということでご容赦ください。
※非殺傷設定の説明とか一部独自設定が入っております。違和感を覚える方もいるかもしれませんが、どうか寛大な目で見てやってください。
――――――――――――


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第8話 異界の帰路

――――――――――――

「……そのあとはよく覚えてないわ。気がつくと、駆けつけた警備員に病院に連れて行かれてたみたいね」

 話し終えた私は自分の声が震えているのが分かった。あの時のことは今でもはっきりと思い出せる。あれから23年。本当に長かった。終わらないんじゃないかとも思った。

でも、それは目の前にいる少年によってあっけなく終わりを告げた。

――――――――――――プレシア/時の庭園



 孔は黙ってプレシアの話を聞いていた。話を聞く限り、間違いなくプレシアは被害者だろう。家族を失った痛みは孔自身も経験していた。うつむいてかける言葉を考える。しかし、次の一言はその思考を中断させた。

 

「アリシアは死んでいたわ。でも、私はそんな事は受け入れられなかった。だから……アリシアを生き返らせる事にしたのよ」

 

「っ?!」

 

 思わず顔をあげる孔。死んだら終わり、諦めるしかない。その常識を無視した、ぶっ飛んだ発想だった。

 

「意外だったかしら? でも、私にとってアリシアはすべてだったの。あらゆる方法を試したわ。それこそ倫理を外れた科学的な手法から、他次元世界の秘術やオカルトにまで手を出した。アリシアを取り戻せれば、あとはどうでもよかったのよ」

 

「そんな時だね。私と出会ったのは」

 

 今まで黙っていたスティーヴンが続ける。

 

「私は医師をやっていたのだが、患者の中にA1のオリジナルがいてね。彼女は異常な魔力を持っていて、そのせいで身体のバランスを崩し、生まれながらに生命の危機を抱えていたんだ。だがリンカーコアそのものはそこまで発達していなかった。原因が分からなかったから、手の施しようもなかったのだが、そんなときに起こったのがヒュードラ事件でね。魔力炉自体は暴走した際に破壊され、A1もAkも発見できなかったが、暴走時のデータそのものは残っていた。私はプレシア女史からそのデータの提供を受けてね。異常な魔力量の原因を掴むことが出来たんだ。A1も私の患者も、なんと次元世界の外側から魔力を引き出し続けていたのだよ!」

 

「……次元世界の外側とは?」

 

 興奮して叫ぶスティーヴンに孔はあくまで冷静に説明を促す。後をプレシアが続けた。

 

「そうね、コウ君の住む地球の外は宇宙でしょう? その外側に別次元の世界があるのはいいかしら?」

 

「……まあ、未だに信じられない気もしますが、一応は分かりました」

 

「なら、1つの次元世界を星のようなものと考えて頂戴。宇宙にたくさんの星があるように、多次元宇宙にはたくさんの次元世界があるの。でも、実は多次元宇宙にもさらに外側があって、A1はそこから魔力を得ていたのよ」

 

「そして、その外側の世界――我々はアマラ宇宙と呼んでいるが、そこにレアスキルによらず人工的にアクセスする装置が君を呼び出したターミナル・システムなのだよ!」

 

 話は分かったのだが、スケールが大きすぎて今一つ実感がわかない。このままではらちが明かないと思った孔は、最も気になる点を聞いてみた。

 

「それが俺を呼び出した理由とどう関係してるんです?」

 

「君はここへ至る途中、人魂のような悪魔を見なかったかね?」

 

「ええ、大量に見ましたが……まさか?!」

 

 そこまで来て孔もようやく気付く。

 

「そう、君が通ってきた空間こそがアマラ宇宙であり、そこには天使や悪魔、そして死者の魂が満ちているのだよ。我々はそこからアリシア君の魂をこちらへ呼び出そうとしたというわけだ」

 

「じゃあ、俺がここへ来たのは……」

 

「アリシア君の魂の近くにいたからだね。まさか我々も人間が出てくるとは思わなかったよ。君はどうやってアマラ宇宙へ入り込んだんだい?」

 

「俺はドウマンの持っていたあの装置に引き摺り込まれて……」

 

 ここへ来る事になった時の様子を説明する孔。質問したときはさりげなさを装いつつも目を輝かせていたスティーヴンは、孔の説明を聞いて落胆したような声を出した。

 

「……ああ、それは恐らくターミナルのコアになっているアマラ輪転鼓だろう。念のため2つ用意しておいたんだが、片方を悪魔に盗まれてしまってね。こんなこともあろうかと、起動と同時に此方へ移転するよう設定しておいたのだが、それに巻き込まれたのだろう。ついでにデータをとるためアラマ宇宙を通るようにしたのだが、我々が送り込んだアリシア君の位置情報を得るプログラムがノイズになって途中で放り出されたと言った所だな」

 

「しかし、あのとき貴方の声が聞こえましたが?」

 

「手元に戻ったターミナルのおかげで、アリシア君がアマラ宇宙のどこにいるかを特定するデータが揃ったのさ。それで、時の庭園の設備を借りて、本格的にアリシア君の魂に呼び掛けを行ったんだ。此方だと呼び掛けたのは、君ではなくアリシア君だったのだよ。まあ、他に悪魔も呼び寄せてしまったから、聞こえていたとしても不思議はない」

 

 なんだそれは。孔は自分が巻き込まれただけと知り、緊張を解いた。スティーヴンも孔がアマラ宇宙に偶然迷い込んだ存在でしかないと知り、少し残念な様子だ。わずかながら微妙な空気が漂ったその時、プレシアが口を開いた。

 

「コウ君、アリシア以外にアマラ宇宙で人は見なかったかしら?」

 

「いえ、見ませんでしたが?」

 

「そう、ならいいの……」

 

 プレシアは目を伏せる。アリシアの近くに夫がいれば話を聞きたかったのだが、孔は出会っていないようだ。プレシアは夫の蘇生は望まなかった。アリシアと違ってその死に理不尽なところがなく、死に際も安らかだった。その上、アリシアを遺してくれたこともあって、夫の死でそこまで取り乱すことはなかったのだ。娘が戻ってきたのだから、今はそれで我慢しよう。そう思い、質問を切り上げるプレシア。それを見てスティーヴンも質問を再開する。

 

「私の方も聞きたい事があるのだがいいかね?」

 

「……構いませんが」

 

 スティーヴンの質問は多岐に及んだ。アラマ宇宙はどんなものだったかから始まり、あの骸骨の悪魔に使ったゲートオブバビロンや反魂神珠まで。といっても孔に答えられる事は少なかった。アマラ宇宙は赤い通路のような所としか表現のしようがなかったし、後ろ2つは記憶喪失なのでよく解らないが、恐らくそちらで言うレアスキルに近いのではないかとだけ言っておいた。さすがに反魂神珠のことを細かく話す気にはなれない。

 

「他言無用に願います。自分でも制御出来ていない上に、悪用できそうなので」

 

「勿論、研究者として知識の使い方は分かっているつもりだ。他に漏らす気はないよ」

 

「私も、恩人を売る気はないわ」

 

 孔の願いにスティーヴン、プレシアの順に答える。少々不安ではあったが、力を知られてしまった以上、孔は2人の言葉を信用するしかない。

 

「ありがとうございます。ついでといってはなんですが、地球まで帰る方法を……っ!」

 

 しかし、孔が話を切り上げようとしたとき、部屋にサイレンが響いた。

 

「何事かね?」

 

「制御室から警告です。内容は……船の発着場に異常? あそこはそうそう使わないから異常なんて起きないはずだけど……とにかく、制御室へ向かいます」

 

「ふむ、悪魔がらみかもしれない。私も行こう。コウ君もよいかね?」

 

 悪魔と聞いて孔も頷く。スティーヴンは孔に車椅子を押させ、メイン制御室へ移った。

 

 

 † † † †

 

 

 時は僅かに遡り、時の庭園の一室。そこではリニスがアリシア、フェイト、アルフにプレシアのやろうとしていたことを説明していた。

 

「まず、お帰りなさい。アリシアお嬢様。私もプレシアも、ずっと貴女と会いたかったんですよ?」

 

「うん、ただいま。リニス。ええと、何でお姉さんになっちゃったの? それに、このお姉ちゃんだあれ?」

 

 素直に返事をしつつも、やはり素直に疑問を口にするアリシア。フェイトとアルフも不安そうにリニスを見ている。

 

「ええ、順番に説明すると、私がこの姿になったのはプレシアと使い魔の契約をしたためです」

 

「使い魔って?」

 

「『魔導師が死の直前または直後の動物に自身の魔力を送ることで使役する魔法生命体』のことです。まあ、プレシアの魔法で人間の姿になったと思ってください。こちらのアルフも、そこにいるフェイトの使い魔なんですよ」

 

 ほへ~っと妙な声を上げて感心するアリシア。リニスの方も細かい技術を説明してもアリシアには分からないと思ったのか相当適当な解説をしたのだが、アリシアは「プレシアの魔法」で納得したようだ。

 

「それと、フェイトは貴女の妹です」

 

「ええっ! 妹?!」

 

「……え?」

 

「……なんだって?」

 

 アリシア、フェイト、アルフが一様に驚く。中でもアリシアの衝撃は大きかった。

 

「前にお母さんに妹が欲しいって言ったけど……。でも、でも、私の方が背低いよ?」

 

「実は、アリシアお嬢様は大分前に事故で大怪我を負ったんです。本当はもう死んでもおかしくない状態だったんですが、プレシアがギリギリの所でカプセルに保護したんですよ」

 

 まさか本当は死んでいたとは言えない。死者蘇生の術でアリシアが蘇った等と知れたら、何処かの研究所へ連れていかれ、実験材料に使われかねない。この点はプレシアから届いた念話で釘を刺されていたし、リニスも承知していた。

 

「それで、アリシアお嬢様は成長出来ないまま過ごして、フェイトに追い抜かれたんです」

 

「あう。なんか不公平だよぉ」

 

 成長出来ないに反応してフェイトを見るアリシア。フェイトは自分にそっくりな顔に驚いて固まっていた。

 

「でも、アリシアお嬢様を救うためにフェイトは色々頑張って来たんですよ? きっと、貴女の自慢の妹になります」

 

「そうなんだ。ありがとう! ええっと……フェイトちゃん?」

 

「え、ああ……うん」

 

 とりなすように言うリニスに、素直にフェイトに向かってお礼を言うアリシア。しかし、フェイトの反応は淡泊だった。急に現れた人物が姉だと言って紹介されても、そう簡単に受け入れないのだろう。フェイトは今まで母親に認めてもらうため努力してきたのであり、決して見たこともない姉のためではない。アルフも何やら納得いかないのかウンウン唸っている。2人の様子からそうと悟ったリニスは労るように言った。

 

「大丈夫ですよ、フェイト。間違いなく貴女の力でプレシアはアリシアお嬢様を取り返せたんです。きっと、フェイトのことだってプレシアは認めてくれます」

 

「……本当?」

 

「ええ、しばらくはゆっくり家族で過ごせると思いますよ?」

 

 不安そうにしながらも、ようやく笑顔を見せるフェイト。それから緊張が緩んだのか、4人は色々な話を始めた。そんなとき、

 

 部屋にサイレンが響いた。

 

「えっ?! 何?」

 

 けたたましく鳴り響く音に怯えたようにリニスにひっつくアリシア。リニスは安心させる様にアリシアを抱き締めた。同時、プレシアから念話が届く。

 

(リニス、聞こえるかしら?)

 

(ええ……何が起こったんですか?)

 

(さっき見逃した悪魔――グレムリンだったかしら。それが、ここのコンピューターに浸入していたのよ。船の発着場で異常が起きてるわ)

 

(コンピューターに浸入って……悪魔にはそんなことが出来るんですか?!)

 

(スティーヴン博士によると、ね。私達で対処するから、アリシアを守っていて頂戴)

 

(ええ、分かりました。ちゃんとアリシア「達」は守りますから、プレシアも無理はしないで下さいね?)

 

 敢えて「達」の部分を強調して念話を返し、3人に向き直る。

 

「どうも、船の発着場にさっき逃がした悪魔が出たみたいですね」

 

「えっ?! あ、悪魔?」

 

「リニス、それって……」

 

「私も詳しいことは分かりませんが、凶悪な魔法生物のようなものです。さっき出てきた紫色の人魂みたいなのや骸骨みたいなのがそうですね」

 

 魔法生物とは魔力を持った動物のことで、ミッドチルダをはじめとした魔法世界ではよく見受けられた。中には人を襲うものもいるため、リニスは異形の悪魔をそれに例えたのだ。

 

「大丈夫なのかい?」

 

「今、プレシア達が向かっていますから、ここで待って……」

 

「私、行ってくる!」

 

 リニスの言葉の途中で、船の発着場に向かって走り出すフェイト。リニスはそんなフェイトに危機感を覚えた。おそらく、フェイトは骸骨の悪魔と聞いて血を流すプレシアを思い浮かべたのだろう。

 

「フェイトッ?! アルフ! フェイトを追って下さい!」

 

「っ! 分かったよ!」

 

 アルフに追いかけるよう急かす。リニスはフェイトの後を追うその背中を見ながら、ようやく得られた家族を守るべくプレシアに念話を送り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 こちらはプレシア達3人。スティーヴンは孔に車椅子を押させ、時の庭園の制御室へ来ていた。スティーヴンは車椅子の端末を時の庭園のメインコンピューターと繋ぎ、悪魔の反応を調べようというのだ。何でも、端末に悪魔の情報が表示されるANS(Auto Navigation System)なるソフトウェアが入っているらしく、どのくらいの力を持った悪魔が何処にどれだけいるかが分かるのだという。

 

「ふむ、やはり船の発着場に集中しているな。そこから動こうとしない」

 

「船を奪って何処かの次元世界に逃げるつもりでしょうか?」

 

「いや、恐らくは契約した人間のもとへ向かおうとしているのだろう。此方へ仕掛けてくる気配がない上に、逃げるにしては統率がとれすぎている」

 

 パネルを見ながら意見を言うスティーヴンとプレシア。流石に悪魔との付き合いは長いだけあって冷静に反応する。孔はそこに疑問をはさむ。

 

「契約した人間、ですか?」

 

「ふむ、コウ君はドウマンとやらが悪魔を呼び出そうとしたと言っていたね?」

 

「その様子でした」

 

「つまり、何らかの意思を持った人間が悪魔を使って事を成そうとしているのだよ」

 

「そんなことが可能なんですか?!」

 

「うむ。古来より様々な次元世界で悪魔と契約するという逸話は残っている。複雑な手順を踏めば可能な筈だ。おそらくアマラ輪転鼓を無理にこちらへ移転した際、ドウマンに呼び出されつつあった魂が君と一緒に巻き込まれたのだろう」

 

「じゃあ、俺が今まで戦ってきた悪魔も?」

 

「ああ、誰かの契約のもとで動いていた可能性はあるな」

 

 孔は手を握りしめた。どういう目的かは知らないが、アリサや杏子が人の意思で殺されたなど考えもしなかった。

 

(もし、そんな人間がいるのなら……っ!)

 

「なんですって?」

 

 しかし、その思考はプレシアの声に遮られた。突然の声に目を向ける孔とスティーヴン。プレシアはまるで携帯で話をしているように横を向いている。が、直ぐに2人に向き直って言った。

 

「リニスからの念話です。どうもフェイトが悪魔を止めに行ったみたいね」

 

「大丈夫なんですか?」

 

「ふむ、船の中にいる悪魔を除くと、相手はグレムリンが数十体。一体一体は大したことはないが、こう数が多いと難しいだろう。後、別に一つ大きな反応がある。これは訓練を受けた魔導師でも厳しいだろうな」

 

 プレシアの言葉に反応する孔。一方、科学者であるスティーヴンははっきりと事実を述べる。それを聞いて、今度は孔が声を上げた。

 

「なら助けに行かないと!」

 

「まあ、待ちたまえ。プレシア女史、確か予備のデバイスがあったね?」

 

「ええ、一応。S2Uの量産型ですけど……では、コウ君は?」

 

「ああ、魔力を持っているようだ。取り敢えず、それを渡してもらってもいいかね?」

 

「私は構いません」

 

 自分も魔法が使えるとは思っていなかった孔は驚いた。

 

「待ってください。俺は魔法なんて使えませんし、魔力なんて……」

 

「いや、間違いないよ。車椅子を押してもらったとき、僅かだが反応があったからね。それに、デバイスさえあれば知識がなくともある程度の魔法は使える」

 

 そんな孔をよそに、スティーヴンは続ける。

 

「対抗手段は多い方がいいだろう。即席だが、基本的な魔法と念話の使い方を説明しよう。それと、何の対策も無しに悪魔と戦うのは危険だ。幸い、両者とも私の知識にある悪魔だ。対処法は……」

 

 

 † † † †

 

 

「っ! さっきの!」

 

「あ、あんた達は!」

 

 船の発着場についたフェイトとアルフは同時に声をあげた。目の前には、絵本の中から出てきたような悪魔、グレムリンが何十体も宙を舞っている。

 

「ヒーホー! さっきの人間だホー!」

「お話の余裕は無くなったから、用済みだホー!」

「そんでもって、ここは通行止めだホー!」

「帰れホー!」

 

 一斉に騒ぎ始めるグレムリン達。相変わらず軽薄なしゃべり方だが、母親を殺した悪魔と同類だと思うと、始めて見た時と違い強い憎しみが込み上げてきた。容赦なくバルディッシュを構えるフェイト。

 

「母さんのところへは行かせない……!」

 

《Photon Lancer》

 

 槍状の砲撃がグレムリンを撃ち抜く。大した手応えもなく、グレムリンは地面に墜落、染みになって消えた。

 

「うわー! ほんとに撃ってきたホー!」

「悪魔を殺して平気なのかホー!」

「酷いホー!」

「オイラ、まだ出てきたばかりで何にもしてないホー!」

 

 一斉にフェイトを批難するグレムリン。浴びせかけられた罵声にフェイトはたじろぐ。それは一瞬とはいえ隙となり、

 

「そんなにやりたいんならやってやるホー!」

 

――ジオ

 

 グレムリンが放つ無数の雷にさらされた。数十体のグレムリンが放つその雷は、フェイトに逃げ場を与えず襲いかかる。

 

「フェイト!」

 

《Round Shield》

 

 すかさずアルフが前に出て、魔力のシールドを展開する。しかし、一発一発は大したことなくとも、何十発も絶え間なく打たれると流石にきつい。シールドは軋みを上げ始めた。

 

「くぅっ!」

 

「アルフ!」

 

 数の暴力に歯噛みするフェイト。シールドから飛び出して反撃に移る隙もない。フェイトはスピード重視で防御を軽くしている自身の戦闘スタイルを悔やんだ。だが無情にもフェイトの感情をよそに、アルフの張ったシールドに皹が入り、

 

 同時に雷の嵐が止まった。

 

 フェイトが目を開けると、剣やら槍やらで串刺しにされたグレムリン。

 

「……ぁ?」

 

 そして目の前には、母親を助けた少年がいた。

 

「大丈夫か?」

 

「……えっ?! あ、はい……」

 

 しかし、フェイトの方は孔を見て目があった途端顔を背けた。あの骸骨の悪魔と戦っていた時は悲しみと怒りで、プレシアを生き返らせた時は安堵と喜びで気が付かなかったが、改めて見ると何やら不快な印象を受ける。突然時の庭園に現れた始めて見る同い年位の少年であり、色々と聞きたい事もあったのだが、この不快感でそれは消え去ってしまった。今回も間違いなく自分の窮地を救ってくれたのだが、何故かありがとうの言葉は出てこなかった。

 

「? どうしました?」

 

 そんな感情に気付かないのか、少年は近づいてくる。実際には怪我でもしたのかと思っての行動なのだが、フェイトからすれば気持ちの悪い虫が寄ってくるようなものだ。思わず後退りする。アルフもそれを察したのか前に出た。

 

「ちょっと、フェイトに近寄らないでくれるかい!」

 

「……ああ、すみませんでした」

 

 一瞬戸惑ったものの、素直に2人から離れる孔。フェイトとアルフはそれを見てやはり戸惑った。邪険に扱われて怒るかと思ったのだが拍子抜けだ。これだけ嫌な感じがするのに、向こうは此方を気遣っているようにさえ思えた。

 

「2人とも、制御室へ向かって下さい。プレシアさんもそこで待っています」

 

「えっ? あ、はい」

 

 そこへ母親からの命令が伝えられる。普通なら母親の「命令」とは取らないのだが、フェイトは幼い頃から母親の研究のために兵士として育てられた。事実、孔も命令ではなく、「待っている」と伝えている。しかし、フェイトの持つここ最近の記憶では、こなすべき任務を与えられ、それを忠実に実行する事こそが親子のコミュニケーションだったのだ。そして、他に頼るべきものがないフェイトにとって、唯一の肉親であるプレシアの命令は絶対だった。だから、幾ら不快な相手から言われたとしても従った。アルフも無言でそれに続く。2人は孔から逃げるようにして母親の方へと走り出した。

 

 

 † † † †

 

 

「……それで、いつまで隠れてるんだ?」

 

「ほう? 気付いたか」

 

 フェイトとアルフが居なくなったのを確認し、隠れている悪魔に声をかける孔。それを聞いて船の影から馬に跨がった騎士のような悪魔が表れた。それを見据え、孔は先程プレシアから譲り受けたカード型のデバイスを取り出す。

 

「……S2U、セットアップ」

 

――計測不能魔力覚醒〈ランクEx〉

 

 瞬間、膨大な量の魔力が孔からあふれ出した。先ほど簡単なレクチャーをしたプレシアが驚くほどの異常な魔力量だ。

 

「何?! その魔力、貴様ただの人間では無いな!」

 

「……スティンガーブレイド・エクスキューションシフト」

 

《Stinger Blade Execution Shift》

 

 驚く悪魔の声を無視し、孔は次々と空中に剣を作り出す。魔法をはじめて使う孔は、S2Uに初めから記録されていた魔法の中で、ゲートオブバビロンと近いイメージで使えるこの魔法を選んだ。

 

「行け!」

 

 数千におよぶ魔力の剣を飛ばす。悪魔は馬を操作しそれを避け、避けられないものは槍で切り落とした。その動きには余裕が感じられる。

 

「ふむ、魔力量にしては大した事がない。こちら側の魔法に慣れていないようだな!」

 

 事実、孔はぶっつけ本番に近い感覚で魔法を使っている。だが悪魔の嘲笑を聞きながら、孔は相手から目を反らさずに剣を放ち続けた。

 

「ふん、幾ら出しても同じだ」

 

 そう言いながら、槍を構え直す悪魔。剣の飛ぶ起動を見極め、

 

「その魔力、我が糧としてやろう!」

 

 孔に殺到した。槍が心臓目掛けて殺到する。

 

(今よ!)

 

「チェーンバインド!」

 

《Chain Bind》

 

 が、その前に悪魔を鎖が絡め取った。

 

「何?!」

 

「残念だったな」

 

 念話で指事を出したのはプレシア。悪魔は丁度船の動力部分の前で固定されていた。孔は冷静に剣を操作し、悪魔をこの位置に誘導したのだ。孔が悪魔と戦うに当たって、敢えて使い慣れていない魔法を使ったのは、何も実験の為だけではない。ゲートオブバビロンのおかげで精密操作の経験があった孔は、敢えて剣の量を押さえることで習熟度が低いように見せ、相手からバインドに対する警戒心を奪ったのだ。そして、プレシアの使える中でも最高威力の一撃で悪魔を抹消すると共に、船を停止させるという筋書きだった。

 

(後を頼みます)

 

 孔からの念話を受け、プレシアが制御室から魔法を放つ。

 

「ええ、船ごと動けないようにしてあげるわ」

 

《Thunder Rage Occurs of Dimension Jumped》

 

 巨大な雷が悪魔と船を襲う。次元跳躍魔法という部類に属すこの魔法は、例え次元世界を跨いでいても強力な攻撃を加える事ができる。個人の所有する小型船など、当たればひとたまりもないだろう。

 

 魔力で構築された雷の光が晴れる。そこには、

 

「フ、ハハハハハ! 見事ではないか、人間!」

 

 ボロボロになりながらも立ち続ける悪魔がいた。

 

「だが、残念だったな! 我らが主にむかう船は、我が力で守護しておるわ!」

 

――電撃ブレイク

 

 悪魔の前に魔力で出来た盾が張られる。それと同時に、船が光始めた。

 

「ッチ!」

 

 孔は舌打ちするとゲートオブバビロンを起動させる。狙いは船の動力部分。出来れば破壊は避けたかったのだが、こうなれば仕方がない。

 

「させんっ!」

 

 しかし、悪魔が立ちはだかる。槍で宝具を切り落とす。切り落とし切れない宝具は、自らの身と乗馬を犠牲にして止る。

 

「ハハハハ! 我と契約を結びし者は混沌を呼ばんとするぞ! ハハハハ……!」

 

 笑いながら黒い染みになって消える悪魔。その後ろで、悪魔を乗せた船は光と共に消え去った。他の次元世界へと跳んだのだろう。

 

 

 † † † †

 

 

 悪魔が船を奪って逃げてから、孔は制御室に戻っていた。アリシアが駆け寄ってくる。

 

「コウ~! 大丈夫?」

 

「俺は平気だ。しかし……」

 

 部屋に揃っているプレシアとスティーヴンに向かって言う。

 

「すいません。逃がしてしまいました」

 

「いや、まさか悪魔がシールドを使うとは思わなかった。それも、あの規模の砲撃から船を守りきるものを。今後データを取ってよく調べてみたいものだ」

 

 微妙にズレている感想を言うスティーヴンに溜め息をついて、プレシアが続けた。

 

「私の方は構わないわ。船もどうせ緊急時の脱出用でしかないし、そう惜しくもないのよ」

 

「すいません。そう言っていただけると助かります」

 

「悪魔の向かった先だけど、どうやらミッドチルダに向かったようね。雷は防がれたけど、コウ君の飛ばした剣のダメージがしっかり残ってて、何個も次元世界を越えられなかったみたいね」

 

「そうですか……」

 

 孔としては微妙な所だ。地球に向かわなくて一安心といきたいが、ミッドチルダ出身の人々も最早他人ではない。

 

「まあ、相手も召喚しようとした悪魔の大部分を失っている。しばらくは何もしてこないだろう。この間に、私は悪魔への対抗手段を作る事にする。プレシア女史はどうするかね?」

 

「……そうですね。取り敢えず他の世界に移る事にします。この時の庭園も一端悪魔が入った以上、住んでていい気持ちじゃないものね」

 

「出来れば悪魔の研究を手伝って貰いたかったのだが?」

 

「流石に娘がいるのに危険な事は続けられません。まあ、対抗手段であればある程度の協力はしますけど」

 

 気落ちする孔に希望的要素を見せつつ、今後について考える2人。それに孔も反応した。

 

「その対抗手段が出来れば、俺にもいただきたいんですが?」

 

「勿論構わない。むしろ、此方からテスターを頼むつもりだったよ。出来上がったらデバイスに連絡を入れよう。他にもデータや実験を頼むかもしれないがね」

 

「ありがとうございます」

 

 これで少しは悪魔の被害が防げればいいのだが。少なくとも、アリス達を守れるようにはしたい。アリス……すっかり忘れていたが、早く帰らないとマズい。次元世界間で時間を共有しているかどうかは分からないが、時計を見るともう門限をとっくにすぎて夜だ。

 

「すみませんが、そろそろ海鳴へ戻りたいのですが?」

 

 果たして戻る手段があるのだろうか。不安になりながらもプレシアに声をかける孔。しかし、プレシアはあっさりとそれを認めた。

 

「ええ、そうね。転送ポートまで案内するわ」

 

 立ち上がるプレシア。どうやら一家で送ってくれるようだ。それについて歩こうとすると、服を引っ張られるのを感じた。視線を落とすと、アリシアが孔の服を掴んでいる。

 

「コウ、行っちゃうの?」

 

 不安そうに問いかけるアリシア。死者の溢れかえる空間で何年も迷子を続けていたためか、少しでも人と別れるのが不安なのだろう。それを拭い去るようにプレシアが声をかける。

 

「大丈夫よ、アリシア。コウ君とはいつでも会えるわ」

 

「本当?」

 

「ええ。コウ君、S2Uを貸してくれるかしら?」

 

「あ、はい」

 

 プレシアは孔からデバイスを受け取ると、自分のデバイスから移転魔法のプログラムとこの時の庭園の座標を書き写した。その表情には、どこか暖かな――施設の先生がアリスや孔に向ける視線と似たものが感じられる。

 

「はい。これで、移転魔法が使えるわ。いつでも時の庭園へ来れるわよ?」

 

「ありがとうございます。何から何まですみません」

 

「いいのよ。助けられたのはこっちなんだし。でも、出来ればアリシアの遊び相手になって貰いたいのだけど?」

 

「それは勿論構いませんが」

 

「お願いね。時の庭園から出る先が決まったらまた別に伝えるわ」

 

 そんなやり取りに笑顔になるアリシア。ようやく家族の元に戻れたアリシアに、孔はどこか羨ましさを感じていた。

 

 

 † † † †

 

 

「では、私は先に失礼するよ」

 

「はい。スティーヴン博士。この度は大変お世話になりました」

 

「いや、なに。私も今回はいい経験になったよ」

 

 礼を言うプレシアにスティーヴンが答える。研究者であるスティーヴンにとって、アリシアの魂を呼び出すというのは魅力的な実験だった。どこかギブアンドテイクを感じさせるやり取りに不安を感じたのか、アリシアは孔の手を握りしめる。

 

「では、いつも通り研究室までお送りしますね」

 

 リニスは転送ポートを操作しつつ、やはり事務的に質問する。何度も行ったやり取りなのだろう。スティーヴンが軽く頷くと、転送ポートは忠実に彼を研究所まで送り届けた。

 

(しかし、立っているだけで地球に帰れるとは予想外だったな)

 

 アリシアの手を握り返しながら、孔は呆気なく転送が終わったことに驚いていた。あの巨大な船や赤い通路を見てきたため、もっと複雑な手順が必要だとばかり思っていたのだが、拍子抜けもいいところだ。こんなに簡単に移転できるのなら船なんていらない気さえしてくる。なお、実際には使い分けがなされており、転送ポートは知っている座標に移転するためのもので、次元航行船は座標のはっきりしない場所への移動やステルス機能を活かした偵察等に使われているのだが、孔は知る由もない。

 

「じゃあ、次はコウ君の番ですね。そこに立って下さい」

 

 リニスが孔を転送ポートへ誘導する。孔はアリシアの手を放した。

 

「……あっ」

 

 小さく声をあげるアリシア。そんなアリシアに孔は話しかける。

 

「また来る」

 

「うん、待ってるね?」

 

 名残惜しそうにするアリシア。孔は転送ポートに向かおうとしたが、途中で足を止めて聞いた。

 

「ところで、アリシア。いつまで俺の上着を着てるんだ?」

 

「えっ? 返さなきゃダメ?」

 

 当然のように聞き返してくるアリシアに、孔は苦笑する。別にあげた訳ではなく、今まで返してもらうタイミングがなかっただけなのだが、アリシアはもう自分の物にしてしまっているようだ。

 

(そういえばアリスも施設の絵本をよく自分の物みたいにしていたな)

 

 この年代のこどもにはよくあることなのだろうか? まあ、無理に取り上げるのも何だし、制服には予備がある。渡しても特に問題ないだろう。

 

「いや、まあ、別に構わな」「あ、そうだ!」

 

 孔が渡しても問題ないと言おうとするその前に、アリシアは何か思い付いたのか声をあげる。

 

「汚れちゃったから、今度遊びに来た時に洗って返すね? だから、早く取りに来てね?」

 

 どこか悪戯っぽい笑顔を浮かべて言う。明らかに後半の方に力が入っているのだが、孔は気付かない振りをすることにした。この時の庭園は次元の狭間に位置する、いってみれば閉鎖空間のようなものらしい。どこか世間と隔離された児童保護施設と似ている。こうやって遊ぶ相手をねだるのも、仕方のない事だろう。少なくとも、強引に断っていい結果が出るものじゃない。

 

「ああ、じゃあ、預かっていてくれ」

 

「うん!」

 

 嬉しそうに返事をするアリシア。孔は改めて転送ポートに向かう。

 

「はい。じゃあ、海鳴まで転送しますね」

 

 孔とアリシアのやり取りを楽しそうに見ていたリニスが誘導を再開する。孔は当然魔法で移転することなどはじめてなので、勝手が分からなかったのだ。

 

「コウ君、私からもお礼を言わせてもらいます。今回は本当にありがとうございました」

 

「いえ、気にしないで下さい。どうも助けたのは勘違いと偶然の産物のようですし」

 

「それでも、助けて貰ったのは事実ですから」

 

 そう言ってもう一度礼をするリニスに苦笑しながら、孔はプレシア達に別れを告げる。

 

「それでは、これで失礼します」

 

「ええ、またいつでも遊びに来て頂戴」

 

「お待ちしてます」

 

「コウ、またね~!」

 

 プレシアとリニスが答え、アリシアは孔が見えなくなるまで手を振り続けた。

 

 

 † † † †

 

 

「行ってしまいましたね」

 

 完全に姿が見えなくなってから、リニスが呟いた。思えば不思議な男の子だった。勿論、死者を蘇生させるあの力もそうだが、何より雰囲気だ。歳はフェイトやアリシアとそう変わらないだろうに、むやみと落ち着いていて、下手をすると自分より歳上に感じる。

 

(まあ、私はそれほど喋ったりしてませんけどね)

 

 自分の主であるプレシアと、未だに転送ポートを見つめ続けるアリシアに目を向ける。

 

「また会えるよね?」

 

「ええ、すぐ会えるわ」

 

 孔から借りた上着の裾を握りしめて呟くアリシアに、プレシアが答えていた。リニスはそんな2人を嬉しそうに見つめ続ける。

 

「ねえ? お母さんは、ずっと一緒に暮らせるんだよね?」

 

「ええ、勿論よ、アリシア」

 

 プレシアはアリシアを抱き締める。また会えるとは言え、やはりアリシアはまだ人の温もりに触れていたかったのだろう。気の遠くなるような年月を訳のわからない空間でひとり過ごしたのだから当然だ。

 

「……ぐすっ……えへへ、ただいま、お母さん」

 

「ええ、お帰りなさい、アリシア」

 

 ようやく家族だけになり、感情を抑えきれず強く母親を求めるアリシアとそれを受け止めるプレシア。リニスはようやく実現した家族を、溢れる激情に身を任せながらいつまでも眺め続けていた。

 

 

 

 涙を流して抱き合う親子2人。フェイトはそれを、しかし無表情で見続けていた。彼女の中には強い疑問が渦巻いていた。どうしてあの嫌な感じのする男の子が感謝されるんだろう? どうして顔も知らない女の子が抱きしめられているんだろう? それは自分の役目では無かったか? アリシアという名は夢の中で何度か聞いたような気がするので、姉だというのは分かる。しかし、母親のために頑張ってきたのは自分だった筈だ。

 

(私、何のために我慢してきたんだろ?)

 

 勿論、母親のためだ。しかし、それと同時に母親に誉めてもらうためでもあった。やってきたことは、無駄な努力だったのだろうか? そんな想いが頭の中で駆け巡る。フェイトは言い様のない不安と恐怖を、幸せそうにする2人から感じていた。

 

 

 † † † †

 

 

「ここは……公園か」

 

 孔はあの事件があった公園へ転送されていた。杏子を思いだし、思わず反魂神珠を握りしめる。周りに人の気配はない。封鎖はとっくに解かれていたが、やはり殺人事件が起こった夜の公園ともなると人は寄り付かないもののようだ。出口に向かう途中、花が見えた。数日前、アリスと置いたものだ。献花台はとっくに撤去されていたが、未だに孔達は花を贈っている。

 

(……一応、花屋へ寄っておくか)

 

 本来なら遅くなったと施設に連絡をいれるべきなのだが、学校に携帯電話は御法度なので通信手段を持っていない。まどかの花屋へ行けば、電話ぐらいは貸してくれるだろう。まあアリスがまだ残っているとは思えないが。そんな事を考えながら花屋へ向かおうとすると、視界の隅に段ボールが見えた。アリスと置いた花の横に、ひっそりと置いてある。

 

(花を持ってきた時は無かったが……?)

 

 覗きこむと、中には傷ついた仔犬がうずくまっていた。捨て犬のようだ。

 

 

 † † † †

 

 

「アリスちゃん、もう遅いから、ね?」

 

 慰めるように言うまどかにぶんぶん首を振るアリス。その目は涙で濡れていた。

 

「はあ、困ったわね」

 

 ほむらも溜め息をつく。いつまでたってもこない孔に痺れを切らし、一度巡回へ出ていたのだが、婦警である彼女は施設から門限を過ぎても戻らないこどもがいると連絡を受けていた。それが孔とアリスだと分かると、ほむらは急いで花屋へ引き返した。果たして泣きじゃくっているアリスはいたのだが、孔の方は依然として行方が知れない。因みに、なのははまだ孔が来ないのが冗談ですむ時間帯に帰っている。というか、まどかが帰るよう説得した。まどかとしても、夜も遅い時間にずっと幼いこども達を置いておく訳にはいかなかったのだ。なのははアリスを気遣いながらも、素直に帰ったのだが、

 

「アリスちゃん、孔くんも施設へ行ってるかもしれないから……」

 

「やっ! 絶対来るもん!」

 

 アリスはずっと待ち続けるといってきかず、動こうとしない。なのはの借りてきた本も投げ出し、頑なに椅子にしがみついている。いよいよまどかが今日は店に泊めるかと考え始めた時、店のドアが開いて、

 

「すいません、遅くなりまして……」

 

 孔が入ってきた。聖祥の上着は身に付けておらず、何故か包帯をした犬を抱えている。

 

「こ、孔お兄ちゃ~ん!」

 

「っ?! ア、アリス?」

 

 そんな事は構わず、アリスは孔に抱きついた。

 

「……もう、遅い! ……っ……遅い、よぉ!」

 

 しゃくりあげながら文句を言うアリス。孔はまだ残っていたアリスに驚きながらも、必死に泣き止むよう慰め続けた。

 

 

 

「それで、その怪我した犬の手当てをしてる内に遅くなったの?」

 

「ええ、まあ、そうなります」

 

 泣き疲れたアリスをおぶり、犬を抱えながら施設へ向かう孔とほむら。仔犬を理由にするのは微妙に抵抗があったのだが、背に腹は代えられない。

 

(ゲートオブバビロンに医療キットを入れといて正解だったな)

 

 以前、アリスがゾンビに襲われたときに入れておいたのが、こんな形で役に立つとは思わなかった。なんとか3人を誤魔化せたようだ。もっとも、大人2人のお説教までは止められなかったのだが。

 

「もう、そういうのを見つけた時こそ警察か病院じゃないかしら」

 

「すみません。おっしゃる通りで」

 

 まさか次元を超えて魔法使いと会ってきた等といえない孔は、嵐のようなほむらの説教に平謝りしていた。因みに、制服の上着は服を破いた友達に貸したと言って誤魔化している。矛盾がないように頭を働かせる孔。しかし、同時に施設についている灯りを見て思う。ようやく自分も家族の元へ帰って来れたのだ、と。

 

 

 † † † †

 

 

「孔……」

 

「すいません。迷惑をかけて」

 

 施設の食堂。しがみつくアリスを寝かせ、犬を腕に抱きながら、孔は先生に謝っていた。こういった場合、先生は孔に対して特に長々とお説教をすることはないが、じっと感情をこめて見つめられる。孔はこの「無言のお説教」が苦手だった。帰りがけに娘を失ったというプレシアを見てきたので、尚更それは心に響く。

 

「まあ、無事だったらいいわ。今日も聖祥の生徒さんが何人か行方不明だから、変なことに巻き込まれたんじゃないかと心配したのよ?」

 

「行方不明、ですか?」

 

「ええ、化学部だったかしら? 皆帰ってきてないらしいわ」

 

 ようやく孔から視線を外し、テレビに目をやる先生。調度そのニュースをやっていた。顔写真が映る。

 

(……ドウマンに焼き殺された生徒か)

 

 実際には焼死体しか見ていないので顔までは知らないのだが、化学部という言葉で直感した。ポケットの反魂神珠を握りしめる。もし死体が残っていれば生き返らせることも出来そうなのだが、

 

「理科室には居なかったんですか?」

 

「ええ、さっきの婦警さん――明智さん、だっけ? 彼女とも喋ってたけど、警察が真っ先に確認したら、誰も居なかったそうよ?」

 

 貴方みたいにどうでもいい理由で戻ってくればいいけど。そう付け加える先生。それが叶わないと知っている孔は、ただ苦しそうに呻き声をあげる仔犬を撫でるだけだった。

 




――Result―――――――
・邪鬼 グレムリン 宝剣による刺殺
・堕天使 ベリス  宝剣による刺殺

――悪魔全書――――――

堕天使 ベリス
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列28番の地獄の公爵。26軍団を率いる。紅い馬に跨り、金の王冠、深紅の兵装で現れ、顔は古傷の跡でおおわれている。残虐公として知られ、虐殺や拷問を楽しむ。その言葉は虚偽におおわれているが、過去と未来の知識に通じ、錬金術の秘法を持つという。

魔導師 プレシア
※本作独自設定
 時の庭園の主にして、元アレクトロ社技術開発部開発主任。高い魔力保有量と研究実績により大魔導師と呼ばれるほどの人物。過去にヒュードラ暴走事故にかかわり、娘を失うがそれを受け入れられず、蘇生方法を探していた。スティーヴンと出会うことでその思いは遂に形を為し、実現することになる。

――元ネタ全書―――――
ヒーホー!
 真・女神転生Ⅰのグレムリン。メガテンでヒーホーといえば今やジャックフロストorランタンですが、同作ではレベルの関係上先にコイツらが登場します。集団で現れるのもお約束。そしてマシンガンでバタバタなぎ倒すのもお約束……?

――――――――――――


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第9話a 吸血鬼のゲーム《壱》

――――――――――――

「ようやく着いたか」

 窓の外に傷だらけの船が転送されてきたのを見て呟く。あの男は悪魔を手に入れた。多少足止めに消費したようだが、ドウマンを使った計画は概ね上手くいったようだ。ドウマン自身は死んでしまったが、まあ仕方のない投資と言えよう。

 だが、あの古い世界に固執する考えは受け入れられない。世界は根本からやり直されるべきなのだ。こちらも計画を進めるとしよう。

――――――――――――スーツの男/???



 平日の昼間。孔は児童保護施設でゆったりとした時間を過ごしていた。化学部行方不明事件以来、学校は休校となっている。新作RPGゲームのCMを流すテレビの横では、パスカル――言い訳も兼ねて怪我の治療をしたあの犬――と昼寝をするアリス。そんな時間を断ち切るように、孔は立ち上がった。数日前に、悪魔への対抗策が完成したから来てほしいとスティーヴンから連絡を受けたのだ。本来ならすぐに行きたかったのだが、アリスが四六時中くっついて離れないため、今日まで時の庭園には行けなかった。孔の帰りが遅くなった事が余程不安にさせたらしい。因みに、パスカルは公営である施設の経費で飼う訳にもいかなかったので、先生個人のペットとして登録されている。

 

「悪いな、アリス」

 

 夜遅くまで本を読んだりしている孔に付き合ったりしていたため、平日の昼間から眠り始めたアリスにそう言うと、孔はS2Uの転送魔法で時の庭園へ跳んだ。

 

 

 † † † †

 

 

「いらっしゃ」「コウ、遅いよ~!」「……もう。落ち着いて下さい、アリシアお嬢様」

 

 時の庭園の転送ポートで、孔を出迎えたのはリニスとアリシアだった。奥には2人の様子を見つめて楽しそうに笑うプレシアも一緒だ。孔は3人に挨拶を交わす。

 

「お邪魔します。すいません、なかなか来られなくて」

 

「ほんとだよ~! もうとっくに服は綺麗になってたのに!」

 

 文句を言うアリシア。プレシアは苦笑しつつも、先に立って歩きながら話し始める。

 

「じゃあ、スティーヴン博士が来るまで、アリシアと遊んでいてくれないかしら?」

 

「やった! じゃ、コウ、ゲームしよ?」

 

 孔の手を取り、リビングらしき部屋へと引っ張るアリシア。孔は抵抗せずそれについて行った。

 

 

「……ゲームもなかなか面白いな」

「でしょ! 家にゲームがないとか損だよ!」

 

 

 ゲームを始めて1時間。公共施設である児童保護施設にはゲーム機などなかった事もあり、始めは操作に戸惑っていた孔も次第に慣れを見せていた。ちなみにゲーム機は地球製で、魔法世界で流通しているものではない。プレシアが孔と遊べるようにと配慮したのだろう。

 

「コウ君、スティーヴン博士がいらっしゃいましたので、ついて来てくれませんか?」

 

「分かりました」

 

 2人して「シエロシューティング」というシューティングゲームに興じていると、リニスが入ってきた。コントローラーを置いて立ち上がる孔。

 

「ああっ! 今手ぇ放しちゃダメ! あっ! あ~! 堕ちちゃったじゃない! 最高得点だったのにぃ!」

 

 そのとたんゲームオーバーになり、アリシアが喚き始める。

 

「ほら、アリシアお嬢様。コウ君も困ってますし」

 

「……わかったよぉ。ひとりでゲームして待ってるよぉ」

 

 リニスの一言でむくれながらも大人しくなるアリシア。孔は「ひとりで」という所に疑問を持った。

 

「そういえば、フェイトさんやアルフさんは? 一緒に遊んだりしないのか?」

 

 普段妹の代わりのアリスと過ごしている孔としては、姉妹一緒に遊ぶのが常識となっており、2人がいないのは疑問だった。が、アリシアはつまらなさそうに答える。

 

「だって、フェイトちゃん、訓練ばっかりで遊んでくれないんだもん。アルフさんはなんか怖いし……。妹ができたらいっぱい遊ぼうって決めてたのに」

 

 どうやらフェイトは魔導師としての訓練を行っているようだ。プレシアがアリシアを復活させるという目的を果たしたためもうそんな必要はないのだが、フェイトは何かに焦っているように今も戦闘訓練を続けている。魔力のないアリシアは、たまに見に行ってもアルフに邪魔だと言って追い返されていた。

 

「アリシアお嬢様、いつかフェイトも遊んでくれるようになりますよ」

 

「そうかなぁ」

 

(……地雷を踏んでしまったか?)

 

 いかにも不満げな顔で呟くアリシアとは何処か哀しそうに窘めるリニス。孔自身、フェイトにはアリシアとは対照的な冷静さと余裕のなさを感じている。

 

(アリシアとは反りが合わないのか? いや、フェイトさんとはそんなに喋ったわけじゃない……知らない人間がどうこう言うべきじゃないな)

 

 そう思いなおし、孔は話の切り上げを図る。

 

「アリシア、スティーブン博士の用事が終わったらもう1回やろう」

 

「もう。絶対だからね?」

 

 念を押すアリシアを背に、リニスと孔はプレシアたちが待つ研究室へと向かった。

 

 

「おお、久しぶりだね、コウ君」

「お久しぶりです。対抗策が完成したそうで……」

 

 

 リニスが扉を開けると、スティーヴンが出迎えた。孔は挨拶もそこそこに本題に入る。

 

「うむ。と言っても完成したわけではなく、主要部分が出来上がったというところだがね。まあ、このチップを見てほしい」

 

 スティーヴンはケースに入ったコンピューターの集積回路のようなものを指して言う。

 

「これこそが生体供給マグネタイト制御型コンピューター――COMPuter Operating Magnetite Provided by life すなわち COMP だ。正確にはCOMPが扱うプログラムが悪魔への対抗策となる」

 

「これが、ですか?」

 

 興味深そうにチップを眺める孔に、スティーヴンは説明を続ける。

 

「ふむ、まず対抗すべき悪魔とは何かだが、私はこれを『アマラ宇宙にアストラル体として存在するもの』と定義している。アストラル体、すなわち精神体だが、これは……まあ誤解を恐れずに言うと実体を持たない魂の様なものと考えてくれればいい。普段、悪魔はこの状態でアマラ宇宙に存在しているため、此方の宇宙に干渉することはないのだが、彼らの食糧である霊的磁場をもたらす生命エネルギー――マグネタイトを求めて、まれに此方にやって来る事がある」

 

「マグネタイト、ですか」

 

 その単語は何回か聞き覚えがあった。ドウマンも口にしていたし、記憶をさかのぼれば病院で見たガキもかすんだ声で似た言葉を叫んでいた。

 

「そう。まあ、平たく言うと人間をはじめとした生命体のもつ生きる力とでも言うべきものだ。悪魔はマグネタイトがないとその存在を維持できない。アラマ宇宙では大気に漂うようにして潤沢に存在しているのだが、地上ではそんなものはないから、人間から得ようというわけだ」

 

「潤沢にあるのに何故わざわざこっちに来るんです?」

 

「力が弱いものが強いものにマグネタイトをとられ、やむを得ず出てくるケースが多い。まあ、力を持っていても、未練のある死者が現世に留まってアマラ宇宙へ行かなかったり、目的を持った人間が自分のマグネタイトを餌に呼び出したり、あとは自分を信奉する人間を助けたりと色々だな」

 

「悪魔を信奉、ですか?」

 

 ドウマンも同じような事を言っていた。あのときは意味が分からなかったが、ここで疑問を解消しようと孔は質問する。

 

「ああ、アマラ宇宙には魂を導く存在や気に入った人間を護ろうとする者もいる。よく夢で神のビジョンを見たというのがそれだな。それが神として崇められたりするのだよ。ただ、こういった存在も結局マグネタイトを糧としているから、定義上は悪魔だ。まあ、歴史上ある民俗の神は他の民俗では悪魔とされることも多いから、私としては一括りに悪魔として問題ないと考えているが?」

 

「いえ、俺の方も、よく分かりました」

 

 少し強引な気もしないではないが、悪意のある者もいる以上、全部を神や天使として心を許すよりはましだろう。かといって、悪意の有無では基準が曖昧すぎる。

 

「さて、その悪魔に対抗する手段だが、まず、直接戦って倒す方法。もう経験済みだろうが、多少なりとも実体化している以上、通常兵器は有効だ。次に、マグネタイトの供給を絶つ方法がある。これは人間に呼び出された悪魔が対象だな。普通、呼び出した術者からマグネタイトを吸収している筈だから、それを倒せばいい」

 

 至って普通な方法を挙げるスティーヴン。だが、次の一言は孔を驚かせた。

 

「最後に、まあこれが本題だが、こちらも悪魔を使役して戦わせる方法がある」

 

「っ! そんなことが可能なのですか?」

 

 今まで黙っていたプレシアも声をあげる。スティーヴンはさも当然のように続けた。

 

「驚く事はない。何せ実際に呼び出した人間がいるくらいだからな。それに、悪魔に対抗するには悪魔が一番だろう?」

 

 まるで道具でも扱うように気軽に言うスティーヴン。孔は兵器に兵器で対応するような、ある種の無理さを感じた。

 

「しかし、悪魔は今まですぐに襲いかかってきました。それを使役するのは、かなり無理があるのでは?」

 

 スライムをはじめとした言葉が通じそうにない悪魔を思い浮かべる孔。スティーヴンはCOMPの入ったケースを指差して説明を続ける。

 

「そこで登場するのがそのCOMPだよ。これにはDevil Communication System――DCSというプログラムが入っている。本来必要となる複雑な手順や儀式を省略し、悪魔との意思疏通を可能とするものだ。まあ、一部思考が合わない者や強いレゾンデートルをもった者は無理だが、これで悪魔と交渉ができる」

 

「でも、悪魔はマグネタイト、つまり生きる力を吸っているのでしょう? 危険じゃないかしら?」

 

 疑問を挟むプレシア。彼女も悪魔の危険性は身をもって知っていた。

 

「その点は問題ない。COMPは内部にマグネタイトを蓄積すると同時に、契約した悪魔に供給するようになっている。蓄積されたマグネタイトが無くなれば当然召喚出来ないが、使用者のマグネタイトが直接吸われるということはまずない」

 

「そのマグネタイトはどうやって手に入れるのです?」

 

「倒した悪魔から自動的に収集される。死んだ悪魔は人間と同じく、再びアマラ宇宙に戻るのだが、マグネタイトを使って現界している分、余った物を放出するため、それを収集するのだ」

 

「悪魔が裏切って襲いかかって来る可能性は無いのですか?」

 

「それは大丈夫だ。悪魔との交渉はCOMPを通すことで口約束程度に済んでしまっているが、実際には契約をすることで術式が組まれ、強力な盟約が組まれる。この盟約は悪魔にとって強い楔となって打ち込まれ、破られれば術式が崩壊、魂もろとも消滅する事になる。この辺りは使い魔と魔導師の関係と似ているな」

 

「でも、普段から悪魔を連れて歩くことになるわけでしょう? 術者はともかく、他の人に危害は及ばないのかしら?」

 

「うむ、その辺は契約内容に含まれているから大丈夫だ。それと、COMPにはDigital Devil Summoner――DDSを実装してある。これは、悪魔をアストラル体の状態で情報単位にまで分解し、それをデジタルデータ化して保存するものだ。普段は契約した悪魔をアストラル体の状態でCOMPに入れておき、必要なときに召喚する事になるだろう」

 

 プレシアの説明に答えていくスティーヴン。最後に、孔がやや曖昧な質問をした。

 

「……本当にデメリットは無いんですか?」

 

 スティーヴンは少し考えた後、

 

「無いな。元々、通常悪魔と契約する上での考え得るデメリットを全て廃したのがDDSだ。術者にかかる負担はない」

 

 言い切ったスティーヴンに驚くプレシア。スティーヴンは学者であり、孔の抽象的な質問には絶対に確言することはないと思っていたのだ。相当な自信が伺える。が、やはり最後に一言を付け加えた。

 

「まあ、最大の問題はこの世界で悪魔と出会う確率が異常に低い事だな」

 

「……会わないならそれに越した事はないと思いますけど」

 

 置いてきぼりだったリニスの呟きには誰もが同意した。

 

 

「コウ、帰っちゃうの?」

「ああ、用事が済んだからな」

 

 

 まだ遊び足りないのか、むう~っと、どこか不満げな唸り声をあげるアリシア。孔は簡単にCOMPに登録するマグネタイトを調べるための検査を受けた後、アリシアとゲームを続け、クリアしたところで帰ることになったのだ。

 

「まあ、ゲームもクリア出来たんだから、今日はこの辺で、だ」

 

「じゃあ、次来るときは新しいゲーム見つけとくね?」

 

 どうにも遊び足りないのか、アリシアはそんな提案をしてきた。

 

(そんな事をしなくとも何回かここには来ることになりそうだが)

 

 あの後、悪魔と契約するのは取り敢えず保留になり、魔法の訓練をプレシアから直接受ける約束を交わしていた。ただ、来る目的が魔法の訓練だと言うと、アリシアがフェイトを連想して、もう遊べないと誤解するかと思い、孔は何も言わなかった。

 

「じゃあ、今度はRPGでも見つけといてくれ」

 

「うん!」

 

 2人でやるにはRPGは今一つなのだが、ゲーム自体をよく知らない孔は、朝見たCMを思い出して言う。それを別れの言葉として、以前のようにアリシア達に見送られながら、孔は転送ポートから地球へと戻って行った。

 

 

 † † † †

 

 

 翌日。孔はアリスと一緒にパスカルと散歩に出ていた。あの後、転送されて戻ってきた孔はアリスに散々泣かれ、一日公園でパスカルと遊ぶことを約束させられていたのだ。「友達に制服の上着を返して貰いに行ってたんだ。もうすぐ、学校も始まるだろうし……」という言い訳もしたのだが、当然のごとく通用しなかった。先生は誤魔化せたのだが、こどものアリスに頭で理解するような説得は無力だ。

 

「あ~! ほむらさんだぁ!」

 

 知った顔を見つけて駆け寄るアリス。パスカルもそれを追いかける。

 

「あら、アリス。今日は孔も一緒ね」

 

 最後の言葉をやけに強調するほむらに苦笑しながら、孔も挨拶を交わす。

 

「どうも。今日はお2人で巡回ですか?」

 

 ほむらから少し離れたところにいるショートカットの婦警を見る孔。その婦警は孔とアリスに気づいたのか、こちらへ近づいてきた。

 

「貴方がほむらが言ってた孔くん? 噂通りって感じね」

 

「……どんな噂ですか?」

 

「そうね~。落ち着いてるとか、可愛くないとか、生意気とか。後は……女の子をよく泣かせてるとか」

 

「……最後は訂正して頂きたい」

 

 すらすらと出てくる酷評に抗議する孔。しかし、それはほむらによって脚下された。

 

「でも、この間アリス泣かしてたでしょ? ねえ、アリス、孔にもう酷いことされなかった?」

 

「それがね、酷いんだよ?! 孔お兄ちゃん、昨日もアリス置いて遊びに行っちゃったんだよ!」

 

「いやだからそれは」「それは酷いわね」「でしょ!」

 

 息ぴったりに孔を責める2人。もっとも、アリスもほむらも笑っているあたり、孔で遊んでいるつもりなのだろう。孔は機嫌を直したアリスにほっとしつつ、遊ばれる側に回る事にした。

 

 

「それで、なぜ今日は2人なんです?」

「例の行方不明事件のせいよ。このところ、貴方たちぐらいのこどもを狙った犯罪が増えてるから、警察でも巡回の要員を増やす事にしたの」

 

 

 走り回るアリスとパスカル、そして先ほどの婦警・さやかを見ながら、ほむらと孔はベンチに座って話していた。孔を弄るのに飽きたのか、アリスは初対面のさやかの方に好奇心を向け、パスカルと遊んでいる。さやかが投げたブーメランをパスカルがキャッチ。

 

「本当なら、貴方もあんまり外に出ちゃいけないのよ?」

「そうなんですが、アリスに泣きつかれたもので」

 

 今度はアリスがブーメランを投げている。が、まっすぐ飛ばず、孔とは別のベンチに座り携帯ゲームで遊んでいた女の子に当たる。慌てて謝りに行く2人と1匹。

 

「そういう時こそ、アリスを止めないといけないんじゃないかしら?」

「……仰せの通りで」

 

 女の子は笑って、ゲーム機の画面をアリスに見せ始めた。アリスがせがんだのだろうか。

 

「お兄ちゃんでしょ? 甘やかしてばかりじゃなくて、ちゃんと面倒見ないと」

「それはそうです……がっ!?」

 

 そして、ゲームを眺めていたアリスとさやかが消えた。

 

「なっ?!」

「えっ?! どういうこと?」

 

 慌てて女性がいたベンチに駆け寄る2人。後には電源が切れた携帯ゲーム機と吠えるパスカルだけが残っていた。落とした衝撃か、ゲーム機の画面はヒビが入っている。

 

「……消えた?」

 

「そんな馬鹿なこと……近くに居るかもしれないわ。探しましょう」

 

 ほむらは目の前で起こったら怪奇現象を孔の言葉ごと否定し、手分けしてアリスと同僚を探し始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「まったく、お嬢様は呑気だねえ。一日中ゲームばっかりやってさ」

 

 時の庭園のリビング。ゲームに興じるアリシアを見ながら、アルフが呟いた。フェイトは無言でスポーツドリンクを飲んでいる。2人は今しがた戦闘訓練を終え、シャワーで汗を流して出てきた所だった。なお、アリシアは決して一日中ゲームをやっている訳ではなく、勉強や読書もしているのだが、フェイト達が訓練を終える時間にはいつもゲームをする時間と決めていたため、アルフにはゲームばっかりと映っていた。アリシアからすれば、フェイトが訓練を終えれば一緒にゲームで遊べると思っての事だったのだが、それは2人の知るところではない。

 

「……姉さんは魔力が無いから仕方ないよ」

 

 少し間があった後、フェイトはアリシアをフォローする。そうだ。自分は姉さんと仲良くしなきゃいけない。母さんがそう命令したんだ。それを守れば、今度こそ私を見てくれる。あんな魔力のない役立たずでも、あの嫌な男の子でもなく、私を。

 

(……でも、仲良くするってどうすればいいんだろ?)

 

 フェイトは今まで戦闘訓練ばかりだったため、仲良くするというのが分からなかった。実際にはいつの間にか仲良くなっているものであり、意識的に仲良くしようとすると大抵は失敗するのだが、親しい友人もいないフェイトは今までと同じくミッションとしてそれをこなそうとしている。

 

「ねえ、フェイトちゃん。新しいゲームだよ? 一緒にやろ?」

 

「……姉さん、ゲームは目に悪いよ?」

 

 だから、こうして誘われても、本に正しいと書いてあった対応をしてしまう。フェイトが読んだ道徳を扱うような本は、ゲームは悪影響を及ぼすものであり、本当に仲の良いもの同士はそんなもので遊ばないのだと雄弁に語っていた。

 

「う~。またそんなつまんないこと言う。せっかくコウに言われたRPGなのに」

 

「……っ」

 

 孔の名前が出て嫌そうな顔をするフェイト。少なくとも、あんな嫌な奴と一緒にやるようなものをやって、仲が良いといえるはずがない。やはり本に書いてあった事は正しかったのだ。

 

「ほらぁ、もうすぐボスだよ? クライマックスだよ?」

 

 しかし、アリシアはゲームの面白さをアピールする。アリシアからすれば孔だってゲームも面白いと言ったのだから、フェイトとも一緒にプレイすれば仲良くなれると思っての事だったのだが、

 

「ほらほら、フェイトは訓練で疲れてるんだから、一人で大人しく遊んでてくれるかい?」

 

「……むう」

 

 結局アルフが割り込んですごすごと画面の前に戻ることになる。アリシアはフェイトにちらちらと視線を送りながらもゲームを再開した。

 

「……」

 

 フェイトはそんなアリシアを黙って見ていた。仲良くしろって言われてるのに、何でゲーム止めないんだろ? どうして母さんの言うことを聞かないんだろ? そんな疑問を浮かべて、自分の姉だという人物を見続ける。すると、

 

「……えっ?」

 

 画面が光ったと同時に、アリシアが消えた。

 

 

 † † † †

 

 

「……やはり悪魔か?」

 

 パスカルを連れて公園を歩きながら、孔はさっきの光景を思い出していた。ほむらは見失ったものと思っていたが、いくらなんでもさやかの携帯にまで通じないのはおかしい。そういえばドウマンも人を認識できなくなるような結界を使っていた。

 

(一度、プレシアさんに連絡を取ってみるか)

 

 そう思って、S2Uを取り出す。が、孔が通信を入れようとしたとき、先にリニスから連絡があった。

 

「コウくん、すぐに来てください! アリシアお嬢様がいなくなりましたっ!」

 

 孔はそれを聞いて、時の庭園へパスカルごと移転を開始した。

 

 

 

「ふむ、アリシア君もコウ君の妹のアリス君も、ゲームをしている最中に居なくなった。つまり、原因はそのゲームだな」

 

 時の庭園の制御室。引っ越し準備が進んでいるのか、以前来たときよりかなり片付いた印象を受ける。が、そんな近況を語ることなく、孔達は緊張した面持ちでスティーヴンの話を聞いていた。

 

「このゲーム、『デビルバスター』だったか。一応解析は成功した」

 

「対策は、対策は有るんですか?!」

 

 叫ぶプレシア。ようやく娘を取り戻したというのに、またも巻き込まれたせいでかなり荒れている。

 

「落ち着きたまえ。対策はある。このゲームはある程度進めるとプログラムが起動、画面を見ていた相手を対称に空間移転を実行するというものだ。座標はもう割れている」

 

「ではすぐにそこへ……」

 

「まあ、待ちたまえ。どうも座標が示す移転先はアマラ宇宙のようだ。相手は悪魔の可能性が高い。デバイスでも何でもないゲーム機でここまでの事が出来るのも、悪魔か何かが起動時のプログラムの補填をしているせいだろう。そして、現状唯一の悪魔対抗策であるCOMPはコウ君のマグネタイトを登録してしまっている」

 

「……では、俺の出番ですか?」

 

 皆からの視線を受けて、孔が名乗り出る。

 

「ああ、すでにCOMPを組み込んだデバイスは完成している。例えアマラ宇宙にいても、我々とそれを通じて通信が可能だ」

 

「私達もついていくわけにはいかないのかしら?」

 

 そんなやり取りを聞いて、プレシアが前に出る。魔導師でも一応は悪魔と戦える事は実証済みだ。

 

「いや、COMPがなければ、アマラ宇宙で位置の特定が難しくなってしまう。移転魔法が使えない。以前のアリシア君のようにターミナルを使って上手く経絡を繋げられればいいが、今はその時間もない。最悪、アマラ宇宙に放り出され、行方不明になりかねない状況だ。コウ君とマグネタイトや魔力のような個人に依存するエネルギーを共有している存在ならともかく、プレシア女史やフェイト君では難しいな」

 

「それでは、私が行きます」

 

 それを聞いたリニスが声を出す。驚く一同をよそに、リニスは続けた。

 

「コウ君、私と使い魔の契約をしてください」

 

「えっ?! ダメだよ、リニス!」

 

「そ、そうだよ! そんな奴となんて……!」

 

 フェイトとアルフが反対する。2人からすれば、自分が尊敬する相手が気に入らない相手の従者になるのは納得がいかなかった。

 

「リニスさん、俺は構いませんが、貴方はプレシアさんの使い魔でしょう? 2人もこう言ってるし……」

 

 当の本人も否定的な意見を述べる。しかし、リニスはそれを潰していく。

 

「一応、フェイトを一人前の魔導師にするという契約は済んでいます。これ以上いてもプレシアに負担をかけるだけなんですよ。それにアルフ、前も言いましたが、コウ君は信用できると思いますよ?」

 

 リニスがいう通り、一般的な使い魔は、術者の魔力を食い続ける以上、存在しているだけで負担になるため、契約時に設定した目的を達したと同時に契約を解除、消滅するのが普通だ。とくに、リニスのように人格を有し、魔導師としても優秀な者は負担が大きい。プレシアとも消滅の時期を相談していた所だった。

 

「コウ君、私からもお願い出来るかしら?」

 

 名前が出たプレシアも口をはさむ。

 

「良いんですか?」

 

「ええ、アリシアを助けられる可能性が少しでも上がればそれに超したことはないわ。それに、リニスは元々契約が済めば消滅するはずだったのよ? このまま契約の更新をしても良いけれど、維持するのも楽じゃないし。かといって、アリシアも懐いているでしょう?」

 

「……では、『リニスさんが必要と判断した場合に俺を助ける事』を条件に契約します」

 

「えっ? それで良いんですか?」

 

 リニスは少し驚いた様に言う。使い魔の契約としてまるで拘束力がない条件だからだ。しかし、孔にとってリニスはテスタロッサ家の一員だった。そこから引き離すつもりはなかったし、自由意思を奪うつもりもなかったのだ。

 

「まあ、契約目的も思い付きませんし、そういった事情なら長期に渡る目的の方がいいでしょう?」

 

「ええ、此方としては助かるのですが……」

 

 だがリニスとしては、自らを厄介者として押し付けた様で嫌だった。主の負担にしかならないのはリニスも気にしているところだ。

 

「まあ、まずはアリスとアリシアを助け出す事を考えましょう。終わった後に何か思い付くかもしれませんし」

 

 言いよどむリニスに先送りを提案する孔。リニスは苦笑した。こんなに遠慮して、相手の立場ばかり考えるなんて、アリシアやフェイトでは絶対にしないだろう。

 

「話は決まったようだね。例のデバイスに使い魔の契約術式は記録してある。テストも兼ねてやってみると良いだろう」

 

 そんなリニスをよそに、スティーヴンが話をまとめる。リニスは制御室のパネルを操作し、ペンダントの形をしたデバイスが入ったガラスケースを取り出した。

 

「……『例のデバイス』、ですか?」

 

「ええ、COMPを組み込んだデバイス、arm terminal devaice , Internal comp Installed anti devil program Instead of Initiation to access the Universe of amara(儀式代行対悪魔プログラム内蔵アームターミナル型デバイス)――I4Uです」

 

 

 

 時の庭園の訓練室。孔はそこで新たなデバイス――I4Uを身に着けて立っていた。前に立つリニスから声がかかる。

 

「コウ君、リラックスして、デバイスに意識を集中させてください。起動ワードが聞こえるはずです」

 

「分かりました」

 

 孔は首にかけたデバイスに意識を移す。すると、どこからか女性の声が聞こえた。

 

――おお、我が愛しい狩人よ。お前は我に応え、我を手にしたか……。しかし、我が元を去ろうとするならば、我はお前を生かしてはおけぬ

 

 そんな声とともに、呪文が頭に浮かぶ。孔は何かに導かれるようにして、それを唱え始めた。

 

 

「永遠なる主、サバオトの神」

――EL ELOHIM ELOHO ELOHIM SEBAOTH

 

「栄光に満ちたるアドナイの神の名において」

――ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI

 

「さらに口にできぬ名、4文字の神の名において」

――JAH SADAI TETRAGRAMMATON SADAI

 

「オ・テオス、イクトオス、アタナトスにおいて」

――AGIOS O THEOS ISCHIROS ATHANATON

 

「秘密の名アグラの名において、アーメン」

――AGLA AMEN

 

 

「……! I4U、セットアップ!」

 

《Yes, My Dear!》

 

 スティーヴンが理論を組み上げ、プレシアが設計し、リニスが作製したデバイスが起動する。孔が光に包まれるとともに、すさまじい魔力があたりに満ちる。それはS2Uを起動させた時とは比較にならない魔力量だった。制御室から見ていたプレシアは、慌てて時の庭園のシールドを作動させる。このままでは魔力は次元世界の境界を突き抜け、他の多次元世界に影響を与えかねない。これは次元災害と呼ばれる現象で、本来なら兵器やロストロギアと呼ばれる魔法世界で確認された過去の高度な文明の遺産によってしか起きないはずだが、今まさに個人の力でそれが起きようとしていた。

 

「見給え! プレシア女史! この魔力、そして霊的磁場! 素晴らしい……おお、素晴らしい! これはもはや単なる力ではない! 魂だ!」

 

 目の前で引き起こされた力の爆発に興奮したように叫ぶスティーヴン。

 

(……どうやら、私はまたとんでもないものを造ってしまったみたいね)

 

 プレシアは不安になりながらも、リニスと孔のバイタルを示すモニターを注意深く観察していた。画面の数値を見て胸をなでおろす。大丈夫だ。2人は無事だ。あの時とは違う。

 

 

 

 孔はアリシアがデザインした魔力で生成した服――バリアジャケットをまとって立っていた。腕全体を覆う銀の篭手に、白を基調とした鎧、背には剣、腰には銃。皮肉なことに、それはアリシアが孔の希望で用意したゲーム、「デビルバスター」のイメージとして使用されていたキャラクターが纏う鎧と似たデザインだった。

 

「コウ君、大丈夫ですか?」

 

「ええ、むしろ調子がいいくらいです」

 

 気遣うように言うリニスに、孔が答える。体が軽い。リニスにとってもそれは同じだった。先ほど使い魔の契約を行ったところだが、大魔導師と呼ばれたプレシアですら比較にならないほどの濃密な魔力がリニスに流れ込んでいる。全身に力が漲っているのがはっきりと自覚できた。

 

「……?」

 

 しかし、リニスは首をかしげる。使い魔の契約を行えば、契約者の感情を共有できる精神リンクが発生するのが普通だ。実際に孔との間に精神リンクは確認できたのだが、そこから流れ込んでくる感情はプレシアと比較にならないほど希薄だったのだ。

 

「どうしました?」

 

「い、いえ。なんでもありません」

 

 まあ、まだあって間もないし、そこまで頻繁に会話をしたという訳ではない。彼はいろいろと規格外だ。無意識に精神リンクをセーブしていても不思議ではない。この辺は徐々に信頼してもらえばいいだろう。それより今はアリシアだ。そう思い直して、リニスは孔と転送ポートへと向かった。

 

 

 † † † †

 

 

 孔が新たにデバイスを手に入れた頃、アリサ・バニングスは月村すずかの家へと遊びに来ていた。雨降って地固まるというのか、2人はあの喧嘩の後逆に仲良くなり、下校途中、家で遊ぼうと約束していたのだ。なお、なのはも2人とそれなりに仲良くなったのだが、アリスのいる公園へ向かったため、そこには参加していない。

 

「あ、これ新作のゲーム?」

 

「そうだよ? RPG『デビルバスター』。朝コマーシャルでやってたかな?」

 

 ゲームソフト置き場になっている棚を物色していたアリサが、やはりCMで見て知っていたゲームを見つけ反応する。文学少女な見た目とは裏腹に、すずかはゲーム好きだった。姉である月村忍がゲームを趣味としているのも手伝って、気に入ったゲームを見つけては相当にやり込んでいたし、新作もよくチェックしていた。

 

「これ、面白いの?」

 

「う~ん? まだやったことないから分からないや」

 

 対するアリサはさほどゲーム好きというわけではない。初心者のアリサでは対戦型についていけないため、こういったRPGを2人で一緒に攻略するというのが多かった。

 

「ねえ、ちょっとやってみましょう?」

 

「うん、いいよ。私も気になってたし」

 

 テレビに繋いだゲーム機を起動するすずか。タイトルが表示される。

 

――Caution For Devil Busters!

――これからゲームの中で体験することは、その全てが本当のことになるでしょう。

 

 タイトルコールとともに始まるゲーム。すずかは感想を漏らす。

 

「ふーん、ダンジョンRPGなんて珍しいね」

 

「そうなの? まあ確かにこんな迷路なんてはじめて見るわね」

 

 お互いに感想を言いながらゲームをする2人。

 

――もう少し骨のある奴だと思っていたが、口ほどにも無い奴め!

 

「あ、やられちゃった」

 

「ふふん。すずか、“シンデシマウトハナニゴトダ”ってやつね。交代よ」

 

 3Dダンジョンが珍しいのか、時々交代しながら順調にゲームを進めるアリサとすずか。数十分ほどで、ボスの部屋らしき仰々しい装飾の扉にたどり着く。

 

――パズス『私は神の使い。この扉に封印されていたのです。それをあなたが救ってくれたのです。あなた達は私たちの世界で歓迎します』

 

 扉を開くとメッセージ。強く光る画面。ボスかと身構える2人だが、やや背景は変わったものの、目の前には同じダンジョンが広がっている。

 

「なんだ。ボスじゃないんだ。すずか、そろそろ代わってくれる?」

 

「うん、いいよ……あれ?」

 

 気がつくと、さっきまで握っていたコントローラーがなくなっていた。慌てて床を見回すが見つからない。それどころか、カーペットもなくなっていた。恐る恐る顔をあげると、

 

「っ?!」

 

 そこにはゲームで見たのと同じ光景が画面の外側まで広がっていた。

 

「何? 何なの!?」

 

 アリサもそれに気付き、叫び声をあげる。その声は果てなく続くダンジョンの闇に吸い込まれていった。

 

 

「……ずっと同じ廊下ばっかね」

「……ま、まあ、きっと出口もあるよ」

 

 

 アリサとすずかはゲームのダンジョンを歩いていた。助けをじっと待っているのも不安になり、意を決して先に進む事にしたのだ。ゲームの中では当然モンスターとのエンカウントもある。が、今まで歩いた限りでは全く襲われる気配がない。始めはおっかなびっくりという感じで歩いていた2人の警戒は、いつの間にか弱まっていた。

 

「あ、あれ。出口じゃないかしら?」

「だ、大丈夫かなぁ?」

 

 目の前に光が漏れるドアを見つけ、歩みを速める2人。戸惑うことなくその扉を開く。

 

「えっ?!」「きゃぁ!」

 

 その瞬間、吸い込まれるように扉の奥へと引きずり込まれた。

 

 

「おお、ようやくお姫様がご到着だ」

 

 

 そこはさっきのダンジョンよりも薄汚い、ビルの一室とおぼしき場所だった。かなりの台数のPCがあり、床にはコードが不規則な図形を描いている。そのコードは円筒形の水槽につながっていた。水槽の中には黒い泥のような液体が満ち、赤い球のようなものが浮いている。3つあるそれは、人の顔のようにも見えた。そして、PCの前には、緑のスーツの男と白いスーツの男。すずかは緑のスーツの男に見覚えがあった。

 

「や、安次郎さん……?!」

 

「すずか、知ってるの?!」

 

「おお、俺を覚えているとは光栄だなぁ、すずかお嬢さま」

 

 厭らしい笑みを浮かべるヤクザのような男・安次郎に、すずかは顔を歪めた。

 

「ど、どうして貴方がここに……?!」

 

「どうしてぇ? お前を本物の吸血鬼にするためだろ!」

 

「……っ?!」

 

 その言葉を聞いて、すずかはビクッと肩を震わせた。アリサは変な者を見るような目で言う。

 

「はあ? 吸血鬼って……バカじゃないの?」

 

「ふん、元気のいいお嬢さんだな!」

 

 それを聞くや、安次郎はアリサを蹴っ飛ばした。よほど力を込めたのか、肉をえぐるような音が響く。

 

「……いっ!」

 

 痛いという苦悶の声を最後まで続けることも許されず、アリサは壁に激突し気を失う。

 

「やめて! 酷いことしないで!」

 

 慌ててアリサに駆け寄り叫ぶすずか。そこへ、横の白いスーツの男が立ち上がった。

 

「おい、そっちも俺達の方が使うんだ。まだ殺すなよ?」

 

「はっ! うるさかったから気を失わせただけだ!」

 

「なら、もっといたぶって、恐怖を与えてからにしろ。呆気なく気を失われては利用価値が減る」

 

 悪魔のような言葉に分かった分かったと頷く安次郎。すずかは背筋が凍る思いでそれを見ていた。そんなすずかを無視し、安次郎は近づいてくる。

 

「……ひっ!」

 

「ふん、そんなに恐がる事はない。まだ死なれても困るからな!」

 

 そう言うと、安次郎は2人を縛り上げ、部屋を出ていった。

 

「……夜の一族、バンピールか。せいぜい総統閣下の現界に役立ってくれよ?」

 

 そんな事を呟く白いスーツの男を残して。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 月村安次郎
※本作独自設定
 すずかと忍の親類。ヤクザのような風体をした小太りの中年男性。過去に月村家の遺産を狙い、忍とすずかの殺害を企てた。その際に一族の失われた技術で作り出した自動人形を持ち出すも、感情を発露させたその自動人形に裏切られ大怪我を負う。以降、月村の遺産を正式に引き継いだ忍を目の敵にし、復讐の機会をうかがっていた。

愚者 三木谷さやか
 海鳴市の交番に勤務する婦警。聖祥大学附属小学校卒。ほむらと同期の婦警。ほむらと勤務地は違うのだが、担当する地区は隣接しているためよく連絡を取り合ったり、2人で仕事にあたったりすることが多い。

――元ネタ全書―――――
シエロシューティング
 デジタル・デビル・サーガのミニゲームより。ゲーム中では謎の必殺技、シエロビームを撃つことができます。が、ハントアタック(いわゆる特殊近接攻撃)を積極的に使わないとゲーム終了後「ぜんぜんだめじゃん! なんだよなんだよ おとなのくせに!」と怒られることに。

――――――――――――
※マグネタイト等の説明については本作独自設定となります。メガテンをやっていて「違うぞ」という方もいらっしゃるかと思いますが、どうかご容赦ください。
※フェイトとアルフのキャラが劣化していますね。決して嫌いという訳ではないのですが、設定上今回はやや歪めた描写となっております。不快に感じられた方は申し訳ありません。
――――――――――――


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第9話b 吸血鬼のゲーム《弐》

――――――――――――

 怖い。あの人は私を吸血鬼にすると言おうとした。それもアリサちゃんの前で。

――化け物!

 あの時の声を思い出して、私は震えていた。

「よお、目が覚めたか、お嬢さん?」

 アリサちゃんが目を覚ました。思わず目を背ける。

「ひっ!」

 目が覚めた瞬間に安次郎さんの顔を見て、アリサちゃんの短い悲鳴が聞こえた。その人は、狂ったように笑いながら目の前のテレビのスイッチを押した。

――――――――――――すずか/廃ビル



「えっ? 何?」

 

 さやかは目前に広がるダンジョンを見て声を上げた。

 

「ここは……ゲームで見た? あれ? アリスちゃん?」

 

 思わず周りを見渡すも、直前まで一緒だったアリスの姿はない。

 

「何がどうなって……っ! ああ、いや、落ち着け、私」

 

 パニックに陥りかけるも、深呼吸して自分を取り戻す。携帯を取り出して、GPSを起動した。だが、画面には圏外の文字が表示されている。試しにほむらへ連絡をいれてみたが、やはり繋がらない。

 

「ここでじっとしてても仕方ないし……しょうがない」

 

 もしかしたらアリスも同じ目にあっているかもしれない。さやかはダンジョンを歩き始めた。静かすぎて不気味な廊下を歩く。ゲームではない、リアルとして得体のしれない場所をさ迷う恐怖。それは、突然響いた地鳴りで膨れ上がった。

 

「っ! な、なに!?」

 

 しゃがみ込んで体を支えながら、あたりを見回すさやか。しかし、突然目の前に走った雷光にすぐに視線を落とす。静かになった前方に目を向けると、

 

 そこにはモンスターがいた。

 

 ゲームの中ではワームと表示されていた、ダンジョン内で当たり前に出てくる「敵」。

 

「っ! ゲームっぽいから覚悟はしてたけど……!」

 

 一瞬戸惑ったものの、慌てて逃げ出すさやか。来た道を走り始める。しかし、

 

「なっ!」

 

 背後からもう一体、否、先ほど目の前に現れたのは尻尾で、頭の部分が背後に回り込んでいたのだ。大きく口を開け、さやかを飲み込もうと突っ込んでくる。体の奥にまで巨大な牙が何層も見えた。慌てて避けるさやか。しかし、大きく波打つワームの体にはじかれ、飛ばされてしまう。その先には、豚の頭に斧や剣で武装した悪魔、オークの大群がいた。

 

「……あ、ぁぁ……」

 

 恐怖に声を漏らすさやか。しかし、オークはそれを無視するように雄叫びをあげて、さやかに斧を振り下ろした。

 

「い、嫌ぁぁぁあああ!」

 

 その光景を見せられて、すずかとアリサは絶叫を上げた。2人とも縄で椅子に固定され、目の前に置かれたモニターには先程の惨劇がゲームではないリアルな映像として写しだされていた。画面はおびただしい血で染まっている。

 

「ひとり死んだな。おい、ガギソン、あの女の死体をここに転送してくれ」

 

「ふん、良いだろう」

 

 安次郎の言葉に白いスーツの男――ガギソンがうなずき、モニターに繋がるPCを操作する。すると、アリサとすずかの前に、真っ二つになった血まみれの肉塊が出現した。内蔵や腸が露出し、骨も見える。

 

「……ひっ!」

 

 悲鳴をあげるアリサ。顔を真っ青にして、ガクガクと震えている。

 

「どうだ? 旨そうな血の臭いがするだろう?」

 

 そんなアリサを横に、安次郎がすずかに問いかけてきた。すずかは必死に顔を振って否定する。

 

「いやっ! 私、知らない!」

 

「ふん、ウソはいかんな。今も血を貪りたくて堪らないだろう?」

 

 そう言うと、死体の腕を持ち上げる安次郎。ぐちゃぐちゃっと音を立てて、断面から内蔵が飛び散った。

 

「……っうぇ……うぉぇ……」

 

 あまりにも壮絶な光景に、アリサは嘔吐した。顔を背けたため横を向いていたので幸い吐瀉物は服にかからなかったが、目眩と頭痛で息を荒くする。

 

「ああ、う……」

 

 一方のすずかは顔を真っ青にしていたものの、もどしたりはしなかった。アリサよりは落ち着いた反応だ。それは、すずかが「夜の一族」と呼ばれる、いわゆる吸血鬼である事に由来する。この世界には孔が触れた魔法という異常がない代わりに、吸血鬼や人狼といった種族が存在していた。ただ、人間より身体能力面で優れた力を持つことで人間から迫害を受けたため、いつしか人間社会から遠ざかり、別のコミュニティを形成、一般的には知られていない存在となっている。こうした血を糧とする夜の一族の遺伝子が、すずかに人間の血の匂いに嫌悪感を抱かなかったのだ。

 

「ほら、飲めよ?」

 

 安次郎は死体からドクドクと流れる血をグラスに集めてすずかに突きつけた。

 

(……い、嫌だ! 嫌ぁ……)

 

 心の中で叫ぶ。人間の肉塊から今まさに流れ出ている血だ。アリサほど血に抵抗がないとはいえ、とても飲めたものではない。だがその一方、すずかは心のどこかで自分が流れる血を食料と認識している事がはっきりと分かった。まるでテレビで面白半分に中継されるゲテモノ料理のように、見た目から生理的嫌悪感を抱きながら「食べられるもの」として認識している。

 

「……い、嫌ぁ」

 

 しかし、すずかはなおも否定する。

 人間から隠匿して暮らすという一族の方針は、現代もなお受け継がれ、吸血鬼や人狼の意識を束縛していた。自分が吸血鬼と知られれば人間に否定される。恐怖の対象として攻撃される。そんな意識がコンプレックスとなり、今までずっとひとりだったすずかは、せっかくできた友達であるアリサに嫌われたくなかった。だから、すずかは「普通の」人間であるアリサと認識を異にする自分を拒もうとしたのだ。

 

「ちょっと、す、すずかから、は、離れなさいよ!」

 

 そこへ、アリサの声が響いた。しかし、その身体は蒼白になって震えている。安次郎は笑い声をあげた。

 

「クククッ! 随分気丈な事だな。お前はこの女が吸血……」

 

「嫌ぁ、やめて、言わないで!」

 

「なら、さっさと欲望に任せ血を飲むんだな!」

 

 正体を言おうとした安次郎を必死に叫んで止めるすずか。これ以上、自分を友人だと認めてくれるアリサを怖がらせる訳にはいかない。意を決して赤黒い血が注がれたグラスに口をつけようとしたとき、再びアリサが恐怖を振り払うように叫んだ。

 

「どうして! 何でっ! こんな事するの!」

 

「どうしてだぁ! 復讐のためだろうが!」

 

 すずかはグラスから口を遠ざけ、思わず安次郎を見る。安次郎は興奮したように話し始めた。

 

「俺はなぁ、本当は大金を手にして一族のトップになるはずだったんだ。それがそこの餓鬼の姉に邪魔されてなぁ! 今じゃあ一族から追われる立場だ! だから、復讐してやるのさ! あいつら全員になぁ!」

 

「す、すずかは関係無いでしょう?」

 

 言っている事は全く理解できないが、どうも目標はすずかではなく、すずかの姉のようだ。それを悟ったのか、未だ残る吐き気と恐怖を抑え必死に噛みつくアリサ。しかし、安次郎は何でもないように続ける。

 

「はっ! 妹を殺せばあいつらもちょっとは苦しむだろ!」

 

「……!」

 

 明確に殺すと言われ、すずかは目を見開いた。安次郎は更に続ける。

 

「……でも、直ぐには殺さねぇ! 吸血鬼にして、じわじわとなぶり殺してやる! それが悪魔との契約だしなぁ! クククッ! ハーハッハッハッ!」

 

(く、狂ってる……)

 

 大声で壊れたように笑い始めた安次郎を見て、すずかの僅かに残った冷静な部分がそう告げる。その狂気の叫びのような笑い声は急速に恐怖を呼び起こし、

 

「おお、また2人ほど送られてきたぞ」

 

 ガギソンの声で中断した。モニターが切り替わる。画面に映ったダンジョンを歩く人物を見て、すずかとアリサは顔を歪めた。

 

「……あ、あいつ!」「う、卯月君……」

 

 それを見て、ニヤリと笑う安次郎。

 

「ほう? お友達か?」

 

「違うわよ! あんな奴っ!」

 

 反射的に否定するアリサ。勿論、アリサは本心から違うと叫んだのだが、安次郎はそうとらず、友達を庇っていると思い込んだようだ。

 

「ふん。美しい友情か。おい、ガギソン。先にそいつから殺せ!」

 

「バンピールが命令するな……と言いたい所だが、我等が目的のため従ってやろう」

 

 ガギソンがPCを操作する。モニターには、2人に襲いかかる悪魔が写されていた。

 

 

 † † † †

 

 

 時は僅かに遡る。孔はリニスとともに、時の庭園の転送ポートに立っていた。転送ポートにはターミナルが繋がれており、アマラ宇宙の指定した場所へ跳べるようになっている。

 

「では、転送を始める」

 

「2人とも、くれぐれもアリシアをお願いね?」

 

「ええ、必ず連れて帰ります」

 

「そちらこそ、アリスの救出サポートをお願いします。それともう一人、さやかさんという婦警さんも巻き込まれているかもしれない」

 

 念を押すプレシアに応えるリニスと補助を頼む孔。それに頷いて、スティーヴンはターミナルを起動させた。アマラ輪転鼓が回り始める。そんなとき、

 

「バウッ! ワウッ! バウッ! ワウッ!」

 

 急にプレシアの足元にいたパスカルが吠え始めたかと思うと、起動中の転送ポートへ飛び込んだ。

 

「なっ! おいパスカル!」

 

 止める間もなく、アマラ宇宙への転送が始まる。

 

 孔はリニスと手を繋いだまま、例の赤い通路――スティーヴンによるとアマラ経絡と言うらしい――を流されていった。そして、いつかと同じように着地する。優しい衝撃とともに響く着地音。だが、視界に広がっているのはあの赤い通路ではなく、ゲームのダンジョンのような作り物の外壁が続いている。だが、パスカルの姿はない。

 

「スティーヴン博士は俺と繋がりがないと上手く転送できないかもしれないといっていたが……」

 

「コウ、気持ちは分かりますが、今はアリシアとアリスちゃん、さやかさんに集中しましょう」

 

「……分かってる」

 

 気遣うリニスにうなずく孔。2人は使い魔の契約をしたことで、互いに名前を敬称なしで呼びあい、孔もリニスの要望で敬語を控えている。自然に変わった関係をこなしながら、孔はデバイスの通信をつなげた。

 

「スティーヴン博士、聞こえますか?」

 

「……聞こえる。どうやら……転送出来たようだね」

 

「ええ、ゲームのようなダンジョンが広がっています」

 

 ややノイズが混じってはいるももの、無事に繋がった事に安堵する孔。スティーヴンの声が告げる。

 

「今確認したが、その空間はアマラ宇宙に張られた結界のようなものだ。何処からか制御されている。今逆探知をかけているが、割り出すには少し時間がかかるな」

 

「アリシアとアリスちゃんは何処にいるんですか?」

 

 横からリニスが口を出す。焦らないようにと思いながらも、やはり気になるようだ。

 

「うむ。見つけることは出来たのだが、どうもその通路はアリシア君の下にも、アリス君の下にも繋がっていないな」

 

「なら、どうするんです?」

 

「問題ない。結界といっても、マグネタイトの流れを利用したものだ。ターミナルシステムを使えば、道を繋げる事くらいは出来る。取り敢えず真っ直ぐ進んでくれたまえ」

 

 

 2人は指示に従い道なりに進んでいく。警戒しながら進んでいると、突然地面が揺れ始めた。

 

「悪魔の反応だ。気を付けたまえ」

 

 構える孔にスティーヴンの冷静な声が響く。それと同時に、地響きを立ててワームが現れた。全長は数メートルもあるだろうか。地面を突き破って出てきた悪魔は孔を見下ろし、大きく口を開ける。デバイスを構える孔。

 

「スティンガーブレイド・アンリミテッドシフト!」

 

《Stinger Blade Unlimited Shift》

 

 魔力によって生み出された無数の剣が、巨大なワームを覆い尽くす。

 

「押し切る!」

 

 その剣の牢獄は、まるで締め上げるように一斉にワームに襲い掛かかり、まるでトゲの生えた壁に押しつぶされるようにして、ワームは消滅した。

 

「相変わらず恐ろしい魔力量ですね」

 

 それを見ながら、リニスも魔法の詠唱を始めた。ワームの奥に、オークの大群が迫っている。

 

「まあ、そのコウから魔力供給を受けている私が言えたものではありませんが」

 

《Thunder Rage》

 

 まとめてバインドでからめ捕ったオークを雷が薙ぎ払う。光がひいた後には、オークの数は目で数えられるほどにまで減っていた。不利だと悟ったのか、逃げ出そうとするオークに剣が刺さる。孔がゲートオブバビロンから剣を放ったのだ。

 

「これで全部か?」

 

「いえ、あれもそうではないですか?」

 

 普通では考えられない魔力を使ったにもかかわらず、大して堪えた様子もない2人が悪魔の死体の先に目を向ける。そこには、絵本に出てくる妖精のような悪魔、ピクシーがいた。孔がCOMPを確認すると、確かに悪魔の反応がある。目があった。銃を構える孔。すると、ピクシーは震え始めた。

 

「み、みんな殺されちゃっ……! キャー! 殺人鬼! 強盗! 痴漢! 助けてぇー!」

 

「待て、最後は訂正しろ!」

 

 孔の叫びも虚しく、悪魔はおびえて逃げ出した。

 

「……ち、痴漢……」

 

「コウ、気持ちは分かりますが、今はアリシアとアリスちゃんです」

 

 リニスの言葉に納得いかないながらもうなずく孔。2人は悪魔が逃げた方とは逆方向に歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「な、そんな馬鹿な!」

 

 悪魔を呆気なく、それもとんでもない力で倒され、ガギソンは驚愕の声をあげる。ワームと言えば最下級とはいえ、竜の名を持つ種族。地力は相当に高いはずだ。安次郎も予想外の事態に語気を荒げる。

 

「おい、何だあの化け物は?」

 

「分からん。強力な英霊の転生体かも知れん。これは今のうちに潰しておかねば……」

 

「どうするつもりだ?」

 

「心配は要らん。奴等が悪魔を倒せば倒すほど、マグネタイトは結界に満ち、此方は強力な悪魔を召喚出来るようになる。ついでだ。さっき送られてきたこどもを殺して、その分も使うとしよう」

 

 まるでゲームでもするようにあれこれと作戦をたてる安次郎とガギソン。そんな2人をよそに、アリサとすずかは食い入るようにモニターを見ていた。

 

 アリサの方は助かりそうな要素が見つかってほっとしていた。助けに来た奴そのものは気に入らないが、まあ、この際それはどうでもいい。なんとかこの状況を抜け出すことが出来そうなのだ。ほんの少し、余裕を取り戻せた。それと同時に、

 

(嫌な感じがするの、あれのせい?)

 

 そう思った。アリサも金髪というだけで少なくない生徒から差別され、嫌な目で見られるのだ。あれだけ特異な力を持っていれば、嫌悪もするだろう。もっとも、アリサは始めて孔の力を目にしたのであって、初見から嫌悪する理由にならないのだが、以前修やなのはに責めるように聞かれた(2人にそんな気はないのだが、アリサはそう感じた)嫌う理由をそこに見いだす事で自分を納得させようとしていた。

 

 一方のすずかは安次郎が発した「化け物」という単語に反応した。力を持つものは排斥される。ずっと言い聞かされてきた言葉が現実となって、目の前にあるのだ。

 

(私も、化け物だってばれたら、みんなにあんな嫌な感じを……)

 

 すずかは自分が孔を見るような目で、アリサやなのは、萌生をはじめとしたクラスメートから見られるのを想像して、ただ怯え続けていた。

 

 

 † † † †

 

 

「行き止まりです」

 

「進めなくなったか、少し待ってくれ……」

 

 孔とリニスは壁を前にしてスティーヴンに連絡を入れていた。スティーヴンが応答してしばらくすると、壁は消えて道が出来る。

 

「すぐ近くに、アリシア君の反応がある。ここまで……れば……少し……」

 

「博士?」

 

 しかし、急にノイズが酷くなった。慌てて呼び掛ける孔。

 

「……気を……何者かが……いる……」

 

 ノイズで断片的にしか聞き取れず、理解できない。それっきり、声は聞こえなくなった。

 

「……急ぎましょう」

 

 どう考えても嫌な予兆にとしかとれない。急かすリニスにうなずくと、孔は走り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ここって、ゲームの中?」

 

 こちらはアリシア。周りを見渡しながら、しかし素直な性質もあり、自分がゲームのなかにいる事をすぐに受け入れる。

 

「……なんか、あの赤い迷路みたい」

 

 見かけはゲームのダンジョンなのだが、アリシアは一度アマラ経絡に囚われている。今居る場所の雰囲気が、かつて永くひとり過ごした場所と似ているのを感じとっていた。

 

(また、独りぼっち……っ! だ、大丈夫。また、すぐにコウが助けてくれる! くれるんだから!)

 

 必死にネガティブな思いを振り払い、アリシアは暗いダンジョンを歩き始めた。アマラ経絡では何かに襲われるという事がなかったため、大きな警戒心ない。しばらく歩くと、

 

「あっ?」「えっ?」

 

 自分と同じくらいの、金髪の少女と出合った。アリシアも同じ金髪ではあるが、もっと癖毛のないストレートであり、肌もアリシアよりずっと白い。少女は首を傾けた。さらりと金髪が揺れる。

 

「だあれ?」

 

「うえ? ア、アリシア。アリシア・テスタロッサだよ?」

 

 話し掛けられ、普通に返事をしてしまう。あの赤い迷路では襲われる事もない代わりに、話しかけても反応がなかったのだが、目の前の少女は違うようだ。

 

「アリシアちゃんかぁ。私はね、アリス! アリスっていうのっ!」

 

 楽しそうに笑ってアリシアの手をとるアリス。アリシアもそんなアリスを見て、いつしか笑顔を浮かべていた。

 

 

「ふーん、アリスちゃんもゲームを見てて閉じ込められちゃったんだ?」

「うん。さやかさんもいたんだけど、なんかひとりになっちゃった」

「さやかさんって?」

「仲良くなったお姉さん! 公園で、犬のパスカルと遊んでたの」

 

 2人は自分達の状況も忘れ、楽しそうに喋りながらダンジョンを進む。アリシアもアリスも、同年代の同性と話すことなどはじめてに等しい。閉鎖的な空間で過ごしてきたストレスを発散するように、2人は喋り続けた。

 

「う~ん、でも、この廊下、何処まで続くんだろうね?」

 

「えっ? えーっと……」

 

 やがて話題が尽きたのか、アリスはダンジョンの方へ興味を持ち始めた。言葉を濁すアリシア。自身の不安を誤魔化しながら必死に口を動かす。

 

「だ、大丈夫だよ! きっと助けてくれるよ!」

 

「? 知ってるよ?」

 

「……はえ?」

 

 が、アリスの反応はやや予想外だった。何を当たり前のことをと言わんばかりの不思議そうな顔をして、アリシアを見つめている。

 

「危なくなったらねー、孔お兄ちゃんが助けに来てくれるの。だから、ここにも絶対来るんだから! でも、何かおんなじ景色ばっかりで、アリス飽きちゃった」

 

 早く来ないかなぁ、と呟くアリス。アリシアは良く知る名前が出てきて声をあげた。

 

「コウお兄ちゃんって、コウ? コウのこと?」

 

「えっ? 孔お兄ちゃんの事、知って……!?」

 

 アリシアの反応にアリスの声が響く。しかし、その声は突然の轟音にかき消された。青白い雷が一瞬視界を塞いだかと思うと、放電で揺らいだ空間に異形が見えた。

 

「待っておったぞ。小娘め」

 

 ソレは悪魔だった。巨大な斧を携えた牛頭を持つ大男の姿をもつその悪魔は、アリシアを突飛ばす。

 

「きゃぁぁあああ!」

 

「アリシアちゃん!」

 

 それを見たアリスはアリシアを庇うように前に立って叫んだ。

 

「アリシアちゃんを苛めるなぁ!」

 

「ア、アリスちゃん!」

 

 悪魔は雄叫びをあげてアリスに殺到する。アリシアは痛みを堪えて立ち上がり、アリスに駆け寄って引き離そうとする。が、それより先に横から影が飛び出し、悪魔に飛び掛かった。

 

「がっ!」

 

 苦悶の声を上げて仰け反る悪魔。見ると、犬が噛みついていた。

 

「パスカル!」

 

 アリスが嬉しそうな声をあげる。そんな時、アリシアに声が聞こえた。

 

「アリス! アリシア! 何処だ!」

 

「ッ! コウ!」

 

 声が聞こえた方へ走るアリシア。

 

「ええいっ! 逃げるなぁ! 小娘が!」

 

 しかし、アリシアに逃げられたと気付いた悪魔は怒り狂った。パスカルを振りほどき、壁に叩きつける。ゴポッという音とともに血を吐き出すパスカル。ズルズルと壁に血の跡を残しながら力なく地に堕ちる。

 

「パ、パスカルッ!」

 

 アリスが駆け寄る。パスカルは、もう動かない。

 

「……うぁ!」

 

 アリスは涙を流し、

 

「うわぁぁぁぁああああ!」

 

 絶叫をあげた。

 

 

 † † † †

 

 

「コウ! それにリニス!」

 

 突然通路から飛び出したアリシアに孔とリニスは驚いた。嫌な予感と裏腹に、すぐにアリシアが見つかったのだ。しかし、次の言葉でその予感はやはり当たっていたのだと思い知る。

 

「コウ、アリスちゃんが、アリスちゃんがぁ!」

 

「……っ!」

 

 孔は無言で走り出した。アリシアが飛び出してきた辺りから、光が漏れている。次第に収まっていくその光を追いかけるように角を曲がると、

 

「……アリス!」

 

 倒れ伏したアリスとパスカル、それに襲いかかろうとする悪魔がいた。

 

「っ! 貴様ぁ!」

 

 孔はほとんど反射的にゲートオブバビロンを起動させ、悪魔に無数の宝具を突き立てる。衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる悪魔。そこに、

 

《Chain Bind》

 

「もう、ひとりで突っ走らないで下さい!」

 

 追ってきたリニスがバインドをかけた。

 

「すまなかった」

 

《Blaze Cannon》

 

 孔はそれに応えつつ、炎の砲撃を放つ。それは悪魔の腹を打ち抜き、大穴をあけた。あいた穴から燃え広がる炎。しかし、悪魔は熱で焼き尽くされながらも、一緒に消滅したバインドから解放された腕を振り上げる。孔はアロンダイトで今度こそ止めをさそうとする。が、次の瞬間、倒れていたパスカルが急に起き上がり、燃え盛る悪魔に喰らいついた。

 

「パスカルッ!?」

 

 絶叫をあげながらも、もう振りほどく力もない悪魔はその場でパスカルに喰われていく。肉を引き裂き、骨を砕く音を立てながら、パスカルは貪るようにして悪魔を喰らい続けた。まるで始めて餌を与えた時のように。それは必死に餓えから逃れようとしているようにも見える。孔はそんな異常な事態を呆然と見ていたが、やがて悪魔を喰らい終えたパスカルは、音を立てて姿を変え始めた。異常に筋肉が盛り上がり、それを突き破るように鋭い爪が伸びる。青みがかった灰色の毛並みは真っ白に変わり、巨大な牙が口から覗いていた。

 

 咆哮をあげるパスカル。

 

 それは飼い犬だった頃とはかけ離れた威圧を放っていた。COMPに目をやると、目の前のパスカルだったモノを間違いなく悪魔と認識している。

 

(パスカルが悪魔にっ! ……くっ!)

 

 無言で剣を構える孔。こうなった以上、せめて楽に最後を迎えさせてやりたい。悪魔と目が合う。孔は剣を握りしめた。しかし、

 

「ヌウ、我ガ主ヨ、何故我ニ剣ヲ向ケルノダ?」

 

「っ!? パスカル!? お前、俺が分かるのか?」

 

 パスカルの声に目を見開く孔。パスカルはもう一度雄叫びをあげると、話し始めた。

 

「例エ生マレ変ワロウト、我ヲ介抱シ、家族ヲ与エタ主ヲ忘レルコトハナイ!」

 

「……どうやら、大丈夫みたいですね」

 

 それを聞いたリニスが、横から声をかける。

 

「分かるのか?」

 

「ええ、私も元は飼い猫でしたから。主への想いが本当かどうかぐらい解ります」

 

 孔の確認にリニスが笑って答える。パスカルはグルルッとうめき声をあげると、孔に向かって言った。

 

「主ヨ。我ハソノ者ト同ジク、汝トノ契約ヲ望ム」

 

「……契約、か」

 

 使い魔の契約ではないだろう。パスカルはもう悪魔になってしまっている上、使い魔は死に瀕した動物を対象にする。となると、スティーヴンが言っていた悪魔を使役する為の契約になるが、

 

「……いいのか?」

 

「構ワヌ。寧ロ我ハ恩ヲ返スタメ、契約ヲ望ム」

 

「そうか。……分かった。I4U」

 

《Yes, My Dear. COMP System Road, DDS Program》

 

 パスカルだった悪魔の下に、魔方陣が現れる。

 

「アオーン! 魔獣ケルベロス! 今後トモ ヨ ロ シ ク!」

 

 その言葉と共に、姿を消すパスカル。

 

《Completed.》

 

 同時に処理完了の言葉が伝えられる。

 

(今のが契約の言葉か)

 

 最後の「今後トモヨロシク」に苦笑する孔。複雑な契約の術式や儀式がDDSを介してこの一言となっているのだろうが、どうにもケルベロスとなったパスカルには不釣り合いだ。いや、ここはスティーヴン博士のセンスを疑うべきか。

 

「っと、アリスは大丈夫か?」

 

「ええ、眠っているだけで、目立った外傷もありません」

 

 アリスを介抱していたリニスに確認する孔。リニスに焦った様子がなかったので予想はしていたが、やはり安堵する孔。そこへ、アリシアが角から顔を覗かせた。

 

「ねえ、リニス。もう大丈夫? そっちいっていい?」

 

「ええ、もう大丈夫ですよ? アリシアお嬢様」

 

 リニスの言葉に、隠れていたアリシアが出てくる。やはり眠るアリスを見て声をあげた。

 

「ア、アリスちゃん!?」

 

「大丈夫、気を失っているだけです」

 

 先程の孔と同じように窘めるリニス。孔はそれを横目にスティーヴンと連絡を試みる。

 

「スティーヴン博士。聞こえますか」

 

「……ああ、聞こ……る。どうやらノ……ズの原因は排除できたようだな。その周囲にもう悪魔も人間も反応はない。その空間を制御している者の座標、つまり出口もわかった。そこに向かってくれたまえ」

 

 それを聞いて、孔は通信を切る。

 

「……さやかさんの反応は……ないのか」

 

 悪い予感を必死に否定しながら。

 

 

 † † † †

 

 

「おい、何だありゃあ? 化け物が化け物を殺しやがったぞ!」

 

「ええい、落ち着け! まだだ、まだマグネタイトは残っている! もっと強力なヤツを呼べば……」

 

 此方は安次郎にガギソン。2人は焦ってPCを操作していた。まさかあの悪魔、ミノタウロスが殺られると思っていなかった。英雄に屠られたという神話上の悪魔を倒すのだから、相手は英霊クラスだろう。このままでは自分達も危ない。

 

「おい、奴等、此方に真っ直ぐ向かってくるぞ!」

 

 一直線に此方に繋がるゲートへ進む孔達を見て、安次郎は叫んだ。あったはずの壁が何故か消えている。実際にはゲームの解析を終えたスティーヴンがガギソン達の居場所を特定、孔から連絡を受け、邪魔になる壁を消しているのだが、2人は知る由もない。すずかとアリサが出てきた時と同じようにモニターが光り始める。

 

「ば、馬鹿な! ええい、こうなれば!」

 

 ベキベキと音を立ててガギソンの姿がかわる。背中からは黒い翼が生え、口が突き出たかと思うと、鳥の嘴のようになった。異様な妖気を放ちながら、横の魔方陣に繋がった別のPCを操作する。

 

「ば、化け物……!」

 

 それを見たアリサは顔を青くしておびえた声を上げる。すずかはそんなアリサの言葉にビクリと肩を震わせた。安次郎の方は以前から知っていたのか、戸惑いつつも声をかける。

 

「な、何する気だ!」

 

「今まで溜め込んだマグネタイトをすべて使い、現世に直接我らが同胞を招く! この姿ならばワシの妖気で呼び寄せられるはずだ!」

 

「何だとっ!」

 

 焦りながらPCを操作するガギソンに安次郎は驚いた。元々悪魔はそのマグネタイトなるものが目的だったはずだ。せっかく集めたそれを使おうというのだから、余程の事態なのだろう。止める術もなくその作業を唖然として見守っていると、PCの横にある不気味な赤い玉が入った水槽が光りはじめた。その光は次第に強く膨れ上がり、水槽のガラスを悲鳴のような音を立てて割った。ぶちまけられる水槽の中身。その黒い泥のようなモノは、まるで意思を持つかのように一気に宙を舞い、

 

「……ギャァァァアアア!」

 

 ガギソンに殺到した。悲鳴とともに姿を変えていくガギソン。頭部が異常に膨らんだかと思うと、耳の後ろに別の顔が現れた。背中から腕が生え……

 

「う、うわぁぁあああ?!」

 

 安次郎は恐怖のあまり逃げようとする。が、ドアにたどり着く前にモニターの光が強まり、孔達が出てきた。

 

「抜けた……! 月村さんにバニングスさん? どうして……?」

 

 孔はすずかとアリサを見て驚く。そんな孔を横に、リニスが通常空間に出ると同時にアリシアとアリスを時の庭園へ移転させた。リニスは部屋を警戒しつつ問いかける。

 

「コウ、お知り合いですか?」

 

「あ、ああ、クラスメート、だが……」

 

 怯えるように短く悲鳴を上げて目を逸らすすずかと、何処か複雑な目を向けるアリサ。戸惑っていると、後ろの悪魔が叫び始めた。

 

「カーッ! ヒヒッ……ヒヒヒヒヒッ! 合体した! ワシは合体したンだ! 強くなる! 強くなるぞぉ!」「黙れ、下郎! この仕打ち、許すまじ!」「ぎゃあ、耳の中で叫ぶな、脳に響く!」

 

 狂ったように笑うガギソンに、新たに後頭部にできた顔が叫ぶ。本来ならもっと高位の存在であろうこの悪魔は、下級悪魔と無理矢理融合されたことが余程苦痛のようだ。

 

「……醜怪だな」

 

 孔はそんな悪魔に顔をしかめる。が、それはすぐにいつもの無表情に戻った。その悪魔の足元には、さやかの死体があったのだ。

 

「……さやかさん、殺ったのか?」

 

「おお、転生体の化け物! この合体が完成すればオマエナド……」

 

「……その人、お前が殺したのかと聞いている」

 

「オマエナド……コンナフウニ……フキトバシテクレルワァ! アハハハハハハハ!」

 

――ザンマ

 

 そういって、その悪魔は狂ったような笑いを続けながら、さやかの死体を粉々に吹き飛ばした。

 

「貴様……!」

 

《Blaze Cannon Ver. Magma Axis》

 

 孔は怒りのままに両手に収束させた熱を叩きつける。それは悲鳴を上げることすら許さず、悪魔の頭を吹き飛ばした。血が噴き出し、PCを赤く染める。

 

「……それで、お前は何なんだ?」

 

「ヒィッ! く、来るなぁ!」

 

 未だ怒りが収まらないのか、孔はすさまじい殺気のまま安次郎を睨む。さやかを殺したのはこちらかもしれない。あまりの殺気にあてられ、尻餅をついて、床を這いずるようにして必死に逃げる安次郎。だが視界に入ったのだろう、すずかとアリサを見つけると、2人のもとまで走りナイフを突きつけた。

 

「く、来るんじゃねぇ! ば、化け物! ち、近寄ったら、こ、こ、この2人を殺すぞぁ?!」

 

 しかし、その手に持つナイフは小刻みに震えている。それを見た孔は顔をしかめつつCOMPを操作し、

 

《Summon……》

 

――ケルベロス

 

 安次郎の後ろにケルベロスを召喚した。

 

「……な、何だ? ヒィ!」

 

 あまりの妖気に恐る恐る振り返った安次郎は、そこにいる猛獣を見て悲鳴を上げる。ケルベロスはつまらなさそうに前足で安次郎を殴りとばした。骨が折れるような音とともに安次郎は吹っ飛ばされ、そのまま窓に激突、ガラスを突き破って外に堕ちていった。

 

 

 † † † †

 

 

「い、一応、助けてくれたみたいだから、お礼を言っとくわ」

 

「い、いや。どういたしまして」

 

「……ふん」

 

 夕暮れの帰り道。嫌々ながらも礼を言うアリサに、孔は戸惑いながら返事をしていた。

 

「……ついでに魔法の事も黙っていてくれると嬉しいんだが」

 

「っ! 言っても誰も信じないわよ!」

 

 そっぽを向いたアリサに念を押す孔。本当に嫌そうにするアリサに首をすくめつつも、孔はその言葉を肯定と受け止める。

 

「そうか、ありがとう」

 

「別に、あんたのためじゃないわよ。リニスさんのためなんだからね!」

 

 アリサは始め腰が抜けてろくに歩けなかったため、リニスがおぶっていた。触れ合ったことで親近感が湧いたのか、リニスが纏う同じ異国の雰囲気に安心感を抱いたせいか、今は手を繋いで姉妹のように歩いている。なお、孔がおぶるというのはアリサが断固として拒否した。その際に、

 

「嫌よ! 魔法で何かするんじゃないの?!」

 

 と言われている。

 

(孔、大丈夫ですか?)

 

(……まあ、いつもの事だからな)

 

 リニスは孔を気遣うように念話を送る。それに自嘲交じりの念話で返す孔。

 

(それに、今回は俺の方も2人の目の前で悪魔の頭を吹き飛ばす何てことをしているから、自業自得だ)

 

(……コウ……)

 

 リニスは何も言えなかった。魔法という異能に触れたために排斥された(とリニスは思っている)のは見ていて忍びなかったが、魔法が常識の世界で生きてきたため、かけるべき言葉が見つからなかったのだ。

 

「アリサちゃん、悪魔を殺さないと助けられなかったのですから、余り責めないであげてください。それに、私も魔法使いなんですよ?」

 

「リニスさんはあんな事しないし」

 

 わざと“殺す”という言葉を使って弁護するも、アリサの反応は冷たかった。アリサの方も、自分でも理不尽と思える嫌悪感を持つ事で罪悪感を抱えており、それに対する免罪符をそう簡単に手放す訳にはいかない。

 

「いえ、私も大切な人が危なくなったら、酷いことをするかもしれませんよ?」

 

「……でも、それは――」

 

「……もういいよ、リニス」

 

 何かいいかけたアリサを遮るように、孔が口を挟む。孔からしてみれば、同じ理由でリニスまで排斥の対象にされる訳にはいかなかったのだ。それから、無言のまま4人は歩き続けた。

 

 

「……じゃあ、私ここだから」

 

 バニングス邸の前。アリサは別れの挨拶をし、家に帰っていく。孔もそれを見送った。

 

「じゃあ、後はすずかちゃんだけ……」

 

「わ、私もここで大丈夫です!」

 

 気を取り直すように言うリニスに、今まで黙っていたすずかは怯えたようにそれだけ言って、自分の家へと走っていった。

 

「やはり、相当ショックだったみたいだな」

 

「貴方のせいではありませんよ、孔」

 

「……すまないな、リニス」

 

 逆に此方を気にする孔に、リニスは哀しげな表情を浮かべる。リニスにとって、主となった孔は家族も同然だった。それに対する理不尽な扱いには憤りと哀しみを感じる。しかし、こんなに悪意を向けられているにも拘らず、使い魔の精神リンクからは相変わらず希薄な感情しか伝わってこない。もし未だ無意識に抑え込んでいるとすれば、相当に信用されていないことになる。使い魔、いや家族として失格だ。

 

(本当に、家族と言うのは上手くいきませんね……)

 

 かつて、いや今も自分が面倒をみているフェイトとアルフを思い出す。今までの理不尽な扱いのせいで、フェイトとアルフ、そしてアリシアもプレシアもお互いの距離に戸惑い、家族としての時間を過ごせないでいる。リニスは遠ざかるすずかの後ろ姿を見ながら、自分の非力さに歯噛みしていた。

 

 

 † † † †

 

 

「嫌よ! 魔法で何かするんじゃないの?!」

 

 走りながら、すずかはアリサの言った言葉を反芻していた。未だアリサも孔も、そしてリニスも自分が吸血鬼だとは知らない。もしばれたら……

 

「……っ!」

 

 すずかは首を振ってそんな思考を追い払う。気付けば涙を流していた。

 

(……嫌! ひとりになりたくない!)

 

 すずかは自分が化け物とされ、孔のような不快感を抱かれるという恐怖から逃げるように走り続けた。屋敷が見える。そこには姉もいる。自分を可愛がってくれているし、きっと心配しているだろう。同じ夜の一族として……

 

「……ち、ちがう!」

 

 それ以上考えると自分が壊れそうな気がして、恐怖のあまり立ち止まって叫ぶ。

 

「何が違うの?」

 

「ひゃっ?!」

 

 後ろから声をかけられ飛び上がるすずか。涙を拭いて振り向くと、姉の忍が立っていた。

 

「もう、急に外へ行くんなら声をかけてくれなきゃダメでしょう? ファリンなんか凄い慌ててたわよ?」

 

 普通に急に居なくなったのを、遊びに行っていたと勘違いする忍。いつもの姉だ。すずかは努めて平静を装いつつ答える。

 

「ご、ごめんなさい。ア、アリサちゃんがゲームばっかりじゃ飽きたって……」

 

「はあ、まあいいけど。それより、そのアリサちゃんはどうしたの?」

 

「え、えっと、さっき家に帰ったよ」

 

 姉妹は喋りながら屋敷を目指す。忍は携帯電話を取りだし、すずかが見つかったと方々に連絡をいれていた。どうやら家族総出で探してくれていたらしい。そんな姉を見ても、すずかは魔法使いについて話すことが出来なかった。あるいは、夜の一族でもそれなりに名の通った月村家の跡取りとして、魔法使いという同じ異能の存在も知っているかもしれない。しかし、もし孔がそんな存在だと知ったら、きっと姉は接触を図るだろう。そしてもし、それをきっかけに孔が月村家は吸血鬼だと知ったら、アリサやなのは、萌生に伝わりかねない。

 

(絶対言わないようにしないと……!)

 

 すずかはすでに仲良くなってしまった学校の友人を思い、胸を締め付けられるような痛みを感じていた。

 

 

 † † † †

 

 

「……ああ、がぁ! 畜生、畜生、畜生、畜生、チクショウ! 月村のクソガキめ! またやりやがった!」

 

 地面を這いずるようにのたうちながら、安次郎は悪態をついていた。重症のままビルの窓から落ちたというのに、まだ生きているのは薄いとは言え夜の一族の血が流れているためだろうか。とはいえ、両足と片腕は折れ、全身を打撲、ケルベロスの爪でどこか切り裂かれたのか服は血で赤く染まっている。このままでは死んでしまうだろう。地面を這いずりながら、落ちた際に投げ出された携帯電話に手を伸ばす安次郎。しかし、それはあと少しというところでスーツの男に踏み潰された。

 

「無様なものだな」

 

「て、てめえは!」

 

 安次郎はその男を知っていた。復讐の機会を与えると言って悪魔を引き渡した男だ。

 

「おい、てめえの、ああ、悪魔なんざ、ち、ちっとも役にたたねえじゃねえか!」

 

「……そうか、失敗したか。まあ、貴様の死は無駄にしないから安心しろ」

 

 そう言って銃を取りだし、もう呂律も回っていない安次郎に向ける。

 

「な、お、おい、ま、待て! お、俺はっ……!」

 

 銃声が響く。銃弾は安次郎の心臓を撃ち抜き、その生命活動を止めた。

 

「ケットシー」

 

「はーい」

 

 その男の呼び掛けで少女が出てくる。公園でアリスにゲームを見せていた女の子だ。しかし、答えると同時に猫の頭に尻尾を持つ悪魔の姿となった。両腕にはPCに繋がれていたあの水槽を抱えている。

 

「よくやった」

 

「いえ、生餌を捕まえるのが、ケットシーの特技ですから」

 

 男は頷いて携帯端末を操作する。すると、円筒形の装置、アラマ輪転鼓が現れた。なれた手つきでそれを弄る。

 

「これだけ有れば十分だな。……地獄の総統、オセよ。我が声に答えよ!」

 

 その声と共に、安次郎の下に魔方陣が出来たかと思うと、死体がどろどろと溶け始めた。男はそこへ水槽の中にある黒い泥のような液体をぶちまけた。赤い珠を中心にそれは見る間に形をなし、豹の頭をもち、赤いマントを羽織った巨大な悪魔が現れた。

 

「ふん。本当にこの俺を現界させるだけのマグネタイトを集めるとはな」

 

「……盟約だ。私の力になってもらうぞ」

 

「ふん、いいだろう。貴様のいく末にも興味がある。新たな世界とやらを見せて貰おうか、氷川総司令?」

 

 月明かりに照らされ、悪魔の笑いが漏れる。呼び出された悪魔は、人間の指令を待って、間違いなく世界に進攻を始めようとしていた。

 




――Result―――――――
・邪龍 ワーム    無数の魔力の剣により圧殺
・邪鬼 オーク    魔力による電撃・および宝剣により斬殺
・邪鬼 ミノタウロス 高温の魔力により焼死
・堕天使 ガギソン  高温の魔力により焼死
・愚者 月村安次郎  陰謀の凶弾により心臓を貫かれ死亡

――悪魔全書――――――

邪龍 ワーム
 世界各地の伝承にみられる地龍の一種。長い胴をもった龍の姿で描かれるが、大きさは手のひらに乗るものから数百メートルに至るものまで様々である。地脈エネルギーと結び付けて捉えられることが多く、地脈のコントロールのため魔術師に使役されることもあるという。

邪鬼 オーク
 近代ファンタジー作品などにみられる怪物。ラテン語で悪魔を指すが、同音のアイルランド語は「豚」を意味することから、豚の頭で描かれることがある。多くは人間に害をなす勢力の尖兵として暴力的な存在として描かれる。

妖精 ピクシー
 イングランド南西部諸州の民間伝承に登場する妖精。人間と共生関係にあり、怠け者を懲らしめたり、人の与えた恩を返したりする。この一方、非常に悪戯好きな性格で知られ、旅人を迷わせたり、人間のこどもを取り替えたりするという。

邪鬼 ミノタウロス
 ギリシア神話に登場する牛頭の怪物。クレーテ島のミーノース王が海神ポセイドンとの約束をたがえ、神秘の白牛ではなく代わりの雌牛を生贄として捧げたことから、パーシパエー女王がこの怪物を産むこととなった。成長するに従い粗暴となったため、迷宮に閉じ込められたが、のちに英雄テーセウスによって討伐された。

魔獣 ケルベロス
 ギリシア神話に登場する猛獣。一般的には三つ首の犬の姿で描かれる。後世においても様々な神話に取り入れられ、イスラエルではソロモン72柱の魔神の1柱、ナベリウスと関連付けられた。その名は「底なしの穴の霊」を意味し、地獄の門を守護する存在として、冥界から逃げ出そうとする死者の魂を貪り喰うという。

堕天使 ガギソン
 イスラエル神話に登場する下級悪魔。オリアスに仕え、その名は「ばらまく者」を意味する。もとはヘブライの厄病をまき散らす神として畏れられた存在だという。

妖精 ケットシー
 アイルランドの伝承に登場する猫の妖精。二足歩行ができ、人語も解する猫の姿で描かれる。高い知能を持ち、王制に基づくコミュニティを形成するという。

――元ネタ全書―――――
キャー! 殺人鬼! 強盗! 痴漢! 助けてぇー!
 女神転生2(真にあらず)。この台詞と一緒にピクシーに逃げられた人も多いのでは。

水槽の中には黒い泥のような液体が満ち、赤い球のようなものが
 ペルソナ2罰より、穢れ。中身が宙を舞って吸い込まれるのも同作から、このためだけに復活されたと言っても過言ではないボス・某プロデューサーとの戦闘シーンより。前作の罪と言い小者臭が強いボス、という印象が強かったので、やはりとらは3の小者な安二郎とのクロス要素に。

PCゲームとガギソン
 漫画「真・女神転生」(御祗島千明版)より。一部偽典とリンクしている作品ですが、今回は同作をベースにとらは3のアリサ誘拐と月村家襲撃事件をクロスとなります。

――――――――――――


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閑話2 吸血鬼のすずか

 家に帰ってきた。心配するお姉ちゃんやメイドのファリンを振り切って、部屋の扉を閉める。ベットに飛び込むと、声が聞こえてきた。

 

「化け物!」

 

 アリサちゃんが放った言葉。

 

 それは、いつか真っ赤に広がった血の前で聞いた言葉と重なった。

 

 

――化け物!

 

 

 あの頃はまだ夜の一族って何なのかよく分からなかった。お母さんとお父さんがいて、お姉ちゃんがいて、メイドのノエルがいて。今思えば、まだ学校に通ってなかったから、そんなに人と触れあう事もなかったのが良かったのかもしれない。

 

「すずかちゃん。この子、預かってくれないかしら?」

 

 そんなある日、おんなじ夜の一族の綺堂さんが訪ねてきた。お姉ちゃんとノエルと暫く部屋で喋っていたみたいだけど、出てきた時には猫を抱えていた。

 

「良かったの?」

 

「ええ、ファリンの調整が遅れてるから、せめてと思って」

 

 お姉ちゃんと綺堂さんが話している横で、私はその子猫、ゾウイと遊んでいた。本当は子猫じゃなくて、猫型のペットロボット。何でも、「夜の一族の失われた技術である自動人形の技術を使って造った」とかどうとか……。よく分からなかったけど、とにかく本物の猫そっくりのゾウイは、すぐに大事な友達になった。他に遊び相手もいなかったし。

 

 

 

 そんなある日、ゾウイが屋敷に上がり込んだネズミを追いかけて外に出ていった。こんなところまで本物そっくりじゃなくていいのに。そう思いながら、私はすぐに探しに外へ出た。

 

「あっ、ゾウイ!」

 

 ゾウイは公園にいた。男の子と女の子がゾウイに手を伸ばしている。警戒しているのか、ゾウイは毛を逆立てて後ずさり。

 

「あ、あの! そ、その猫……」

 

 外の子と話すのは初めてだったから、ビクビクしながら声をかけた。ゾウイはこっちに走ってきた。抱き上げる。

 

「何? そいつ、ゾウイっていうの?」

 

「えっ?! あ、うん……。わ、私の猫で……」

 

「お姉ちゃんの? なあんだ」

 

 隣の女の子が残念そうに言う。男の子がそれを慰めてた。

 

「まあ、猫なんて他のを飼えばいいだろ」

 

「そうだけどぉ。この子みたいなのが良かったの!」

 

 なんだか居心地が悪くなった私は、楽しそうな2人の声を何処か遠くに聞きながら、ゾウイを抱いてじっとしていた。

 

 

 

「なあ、この公園にはよく来るのか?」

 

「えっ?! 今日が初めてかな?」

 

 でも、公園からの帰り道、突然男の子が話しかけてきた。

 

「だったら、明日も遊ぼう。ゾウイも連れてきてくれ」

 

「えっ? う、うん。いいよ」

 

「やった! ゾウイ、また遊べるね!」

 

 楽しそうにする女の子に、ゾウイはにゃあと鳴いて答える。なんだか私も楽しくなった。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、私達は3人でよく遊ぶようになった。後で教えてもらったけど、男の子はカズミくん、女の子はメイちゃんという名前だった。2人は兄妹で、いつも一緒だった。あの頃は本当に楽しかった。

 

「……すずか、なんだか楽しそうね」

 

 それが伝わったのか、公園に行く私にお姉ちゃんが声をかける。

 

「そ、そうかな?」

 

「ええ、またお友達のところ?」

 

 そう聞かれて私は迷うことなく返事をした。

 

「うん!」

 

「……そう、気をつけてね?」

 

 お姉ちゃんはなんだか複雑そうだった。その時はなんでか分からなかったけど、今ならはっきりと分かる。お姉ちゃんは、私が夜の一族だとばれるのを心配していたんだ。もしばれたらきっと嫌な目で見られるだろうから。でも、あの時の私はそれに気づかず、そのままゾウイを連れて公園へ向かった。

 

「あれ?」

 

 公園へ行ってみると、カズミくんもメイちゃんもいなかった。周りを探そうとすると、急にゾウイが駆け出した。

 

「あ、待って! ゾウイ!」

 

 慌てて後を追った。でも、ゾウイは茂みのなかに入ってしまい、結局見失ってしまう。

 

「ゾウイ! ゾウイィ!」

 

 私は名前を呼んでゾウイを探した。でも見つからない。そうこうしているうちに、日が暮れかかってきた。

 

(ど、どうしよう……)

 

 一旦家に帰って、お姉ちゃんに相談しようかと思い始めた頃、ゾウイが鳴く声が聞こえた。私はそっちに向かう。その途中、何処か甘い匂いを感じていた。茂みの奥、声の聞こえた方に進む。段々と強まるその匂いに惹き付けられるように、私は走った。開けた場所に出る。

 

 そこには、私を見て鳴くゾウイと、血を流して倒れるカズミくんがいた。

 

 

 アリサちゃんなら驚いて叫ぶだろうか。それとも今日みたいに吐いちゃう? そんなに気持ち悪い死体じゃなかったから、それはないか。じゃあ、救急車を呼ぶ、かな。それが普通だろう。でも、私は、その時の私は、さっき嗅いだ甘い匂いが血の匂いだと分かってしまった。誘われるようにカズミくんの腕から流れる血に口をつける。自分のなかに眠る化け物の血が騒いだのがはっきりと分かった。初めて覚える吸血に興奮しているのが分かる。

 

 タリナイ……モット……

 

 気がつくと私は、血まみれになってカズミくんの首に牙を突き立てていた。

 

「き、きゃぁぁぁぁあああ! ば、化け物!」

 

 カズミくんのお母さんに見つかるまで。

 

 

 † † † †

 

 

「そんな! 警察の発表も見たでしょう? 死因は刃物だと。すずかはそんなもの持っていなかったし、第一、あんな重症を負わすなんて幼いすずかには無理です!」

 

「幼いっていっても、人を殺せる夜の一族でしょう? 出来るんじゃないの!」

 

 綺堂さんとカズミくんのお母さんが言い争いをしている。この時まで知らなかったけど、カズミくんのお母さんは夜の一族と繋がりがあった。といっても、吸血鬼という訳じゃなく、お兄さんが夜の一族の人と結婚したらしい。「普通の」人でも、夜の一族が認めて、誓いを立てれば秘密を共有して一族に迎え入れられる。でも、

 

「だいたい、カズミの血を吸っておいて……それで無罪だなんて……」

 

「ですから、すずかはカズミ君が怪我をしたと思って、傷口を舐めていただけで……」

 

「それが異常だっていってるのよ!」

 

 カズミくんのお母さんは私がどれだけ異常か並び立てた。誓いは大切な人としか立てない。夜の一族が認めた人。その人が私を異常だと言っている。化け物だと言っている。私は、泣きながら部屋に戻った。胃の中のモノを戻した。血を吐き出そうとしたけど、そんなものは出なかった。

 

 

 † † † †

 

 

 それからしばらくの間、私は部屋に閉じ籠って過ごした。ゾウイは時々外に出てるみたいだけど、とても追いかける気になれない。

 

 一度、カズミくんのお母さんのお兄さんが訪ねてきた事がある。

 

「君がカズミを殺したんじゃないって事はわかっている。でも、犯人を知っていたら教えてほしい」

 

 そんな事を言われた。妹が取り乱して悪かった、カズミを失って混乱してるんだ、とも。でも、私が化け物である事は否定してくれなかった。

 

 

 

 そんなある日、カズミくんのお母さんが公園で殺されたと綺堂さんに教えられた。

 

「すずかちゃんはここにずっといたのよね? じゃあ、犯人じゃないわ」

 

「はあ、ま、一安心ね」

 

 綺堂さんとお姉ちゃんが喋ってる。

 

 一安心――ああ、そうか。

 

 私はこの2人にも疑われてたんだ。

 

 

 † † † †

 

 

「すずか、たまには温泉に行こうと思うんだけど、どう?」

 

 相変わらず部屋で過ごしていると、両親に温泉へと誘われた。家に閉じ籠ってばかりの私を心配してくれたんだろう。鳴き声を上げるゾウイを抱えて、声をかけてくれる。

 

「ほら、ゾウイもこう言ってるし、ね」

 

 あんまり気が乗らなかったけど、心配してくれるお父さんとお母さんが嬉しくて、一緒に行くことにした。

 

 

 

 温泉は本当に楽しかった。温泉っていっても、いろんなゲームやプールがあって、遊園地みたいになっていた。それに、他の場所へ泊りに行くのはやっぱり楽しい。お姉ちゃんと一緒にはしゃいで、お母さんやノエル、ゾウイともいろんな店を見て回った。途中、

 

「……あ、綺麗……」

 

 お土産屋さんで白いヘアバンドが目に留まった。

 

「あら、それ、すずかに似合いそうね」

 

 思わず呟いたのが聞こえたのか、お母さんはそのヘアバンドを買ってくれた。頭に着けてくれる。

 

「ありがとう、お母さん!」

 

「うん、やっぱり似合うわよ? きっとお父さんもびっくりするわ」

 

 笑いながら言ってくれる。私も久し振りに笑った気がした。やっぱりお母さんは私のお母さんだった。

 

 

 † † † †

 

 

「楽しかったね……すずか? 寝ちゃった?」

 

 帰り、車の中で、私はお姉ちゃんに寄りかかってうつらうつらしていた。はしゃぎすぎたせいだろうか。心地よい疲れに身を任せていると、

 

「ふぎゃぁぁああああ!」

 

 突然足元のゾウイが叫んだ。ビックリして目が覚める。体を起こそうとすると、強い衝撃が走った。

 

 

 

 気がつくと、お姉ちゃんに抱き留められていた。目の前には、ガードレールにぶつかった車。お父さんが乗っていた運転席とお母さんが乗っていた助手席はへしゃげて、そこから血が……

 

「い、嫌ぁぁぁあああああ!」

 

 お父さんもお母さんもその事故で死んだ。乗り出してきた対向車を避けようとして、そのままガードレールにぶつかったらしい。

 

 そっか、夜の一族っていっても、簡単に死んじゃうんだ。

 

 どうせ化け物なら、本に出てくる不死身のモンスターなら良かったのに。

 

 

 † † † †

 

 

「何で此方に遺産がこねぇんだ!」

 

「だから、遺書があったんだから仕方ないでしょう?」

 

 それから、私の家にはいろんな人が来るようになった。細かくは分からなかったけど、みんなお金の話をして、それを綺堂さんとお姉ちゃんが追い返している。中でも、安次郎さんは毎日のように来ていた。殆どお姉ちゃんか綺堂さんが相手をしていたけど、一度だけ話した事がある。たしか、その日は前もって安次郎さんが来るから部屋にいるよう言われていた。

 

「またあの守銭奴の相手をするの?」

 

「まあ、裁判で確定するまでよ。それに、あの事故、ブレーキの跡が無かったんでしょう? 怪しい所もはっきりさせとかないと」

 

 時々聞こえてくるお姉ちゃんと綺堂さんのやり取りを聞きながら、私は2階のベランダでゾウイと遊んでいた。安次郎さんとは会うこともなく終わるはずだった。でも、何を見つけたのか、ゾウイはベランダから飛び降りたんだ。その下にはちょうど訪ねてきた安次郎さんがいた。私は慌てて謝りに下へ降りる。

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 ゾウイを抱き抱えて頭を下げる私に、ゾウイがじゃれるようにして鳴いた。ふざけていると思ったのか、安次郎さんは手を振り上げる。

 

「このガキ……!」

 

「やめなさいっ! その子に暴力を振るったらよけいに立場が悪くなるわよ!」

 

 顔をあげると、綺堂さんが安次郎さんの手を掴んでいた。後ろでお姉ちゃんがにやにやと笑っている。見ると、安次郎さんの顔やスーツには引っ掻き傷があった。ゾウイの爪で引っ掻かれたみたいだ。

 

「……ちっ! スーツが傷ついただろうが! 弁償しろっ!」

 

「そんなの傷に入らないでしょ。いちゃもんつけるのだけは立派ね」

 

「うるせえ! 親が死んでタップリカネ貰ったんだろ! そのガキも!」

 

 お金。ここのところ来る人はみんなそれだ。何で誰も泣かないんだろう? お母さんもお父さんも死んだのに、何で誰も悲しまないんだろう?

 

「……もう一度言ったら、2度とここに来れないようにするわよ?」

 

「……ぐうっ?! ……けっ! お前ら化け物と違って、こっちは大した力も泣けりゃ、見た目も悪い。カネが必要なんだよ」

 

 怒ったお姉ちゃんの言葉に何処か怯えながら、安次郎さんは帰っていった。

 

「はんっ! そっちも同じ夜の一族でしょうに……! お金の話ばかりして!」

 

 当たり散らすお姉ちゃんを横に、私は何処か納得していた。

 

 ああ、そうか。

 

 化け物が死んだって、誰も悲しくないんだ。

 

 

 † † † †

 

 

 そのうち、そういった人たちも来なくなった。裁判が終わったらしい。裁判って何って聞くと、

 

「ああ、悪者を罰する所よ?」

 

 笑いながらお姉ちゃんがそう答えた。楽しそうに学校へ行く準備をしてる。

 

「お姉ちゃん、何だか楽しそうだね?」

 

「えっ? そ、そう? うん、まあ、そうかもね」

 

「忍お嬢様には学校で大切な人が……」

 

「わぁー! ノエル、ストップ、ストップ!」

 

「これは失礼しました」

 

 何だかよく分からないけど、学校で楽しいことがあったみたい。そのせいか、お姉ちゃんは私にも気を使ってくれるようになった。私がゾウイを気に入ってるのを見て、猫をいっぱい飼ってくれたりした。どの子もかわいかったし、何より家族が増えたみたいで嬉しかった。私を受け入れてくれるのは家族しかいなかったから。やっと嫌な事が終わったと思えた。

 

 

 † † † †

 

 

 でも、すぐになんにも終わっていなかったと気づいた。お姉ちゃんが血を流して、男の人に抱えられて帰ってきたんだ。お父さんとお母さんが遺してくれたお金を奪いに、安次郎さんが自動人形を使ってお姉ちゃんと私を殺そうとしたそうだ。慌ただしく動きまわるノエルやその男の人、恭也さんの邪魔にならないよう、私はゾウイを抱いて部屋で震えていた。

 

 なんで?

 

 なんでみんな私の大切な人を殺そうとするの?

 

 化け物だから?

 

 私がカズミくんの血を吸った化け物だから?

 

 そう、きっと、殺そうとするのは……、

 

 私ガ憎イ化ケ物デ、ミンナハオ金ノホウガ大切ダカラ。

 

 

「……ぁ」

 

 

 気がつくと、ゾウイが顔を舐めていた。流れる涙を舌で舐めとってくれている。嬉しかった。優しくしてくれるのが嬉しかった。拒まないのが嬉しかった。ちょっとだけ、ほほが緩むのが分かった。そんなとき、ガチャリと音を立ててドアが開いた。思わずゾウイを抱き締める。この子だけは守らないと……。

 

「良かった。すずかちゃん、無事だったのね?」

 

 でも、入ってきたのは綺堂さんとノエルと同じメイドの格好をした女の人だった。

 

「あ、あの、その人は?」

 

「ああ、この子は……」

 

「は、はじめまして。メイドのファリンです。えっと、よろしくお願いします」

 

「ファリンはノエルと同じ自動人形なのよ。すずかちゃんの護衛にと思って、慌てて連れてきたの」

 

 まあ、結局必要なかったみたいだけどね。と付け足す綺堂さん。後から、お姉ちゃんと恭也さんも入ってきた。

 

 

 † † † †

 

 

「それで、あの男はどうなったの?」

 

「追放よ。誓約の逆ね。同族に自動人形をけしかけた上、しかもその自動人形のレストアにかかる費用で破産したのよ? 一族には百害あって一利無しと思われたみたいね」

 

「……哀れだな。まあ、自業自得だが」

 

 お姉ちゃんと綺堂さん、恭也さんの話を聞きながら、私は学校に向かう。バスの時間もあり、いつも先に私が出ていた。

 

「行ってきます」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 学校へ行く私をファリンが見送る。お姉ちゃんは学校が本当に楽しそうだ。あの恭也さんがお姉ちゃんを受け入れてくれたから。拒まない人がいるって、すごく大事なんだ。お姉ちゃんは

 

「すずかも友達ぐらい出来るわよ」

 

 そう言ってくれたけど、私は学校じゃひとりだった。また、化け物と言われるのが怖かったから。

 

 

 

「ちょっと貸しなさいよ?」

 

 そんな時、アリサちゃんと出会った。お母さんのヘアバンドに手を伸ばすのを見て、

 

「えっ? い、嫌!」

 

 思わず嫌だって叫んでしまい、喧嘩になっちゃった。でも、止めにきた折井くんの質問に、

 

「綺麗だったからよ!」

 

 と言われたのは嬉しかった。それから、一緒に帰ることになって、

 

「さっきはごめんなさいね。それにしても、そのヘアバンド、やっぱり綺麗ね。どこに売ってるの?」

 

「えっ? ええっと、前にいった温泉で……」

 

 事故の事を思い出して、途中でどもってしまった。でも、アリサちゃんは気にせずに話しを続ける。

 

「ふーん、じゃあ、今度案内しなさいよ」

 

「えっ?! でも、遠いよ?」

 

「大丈夫よ、家から車で送ってもらえば。すずかの家、どこにあるの?」

 

「ええっと、この近くだよ? もうすぐ着くけど……」

 

「なんだ。うちと近いんじゃない。じゃあ、今度遊びに行くわ」

 

「えっ? うん、いいよ!」

 

 積極的に話しかけてくれるアリサちゃんが嬉しかった。お姉ちゃんと同じように、学校で友達が出来たから。受け入れてくれる人ができたから。あの頃みたいに楽しい日が戻ってきたと思ったから。そう、私がカズミくんの血を吸う前のあの頃と同じ日が……。

 

 

 † † † †

 

 

「化け物!」

 

 でも、それは今日勘違いだったと気付かされた。卯月くんが、私の幻想を壊してしまった。卯月くんは何もしてない。助けてくれた。だから悪くないのは知ってる。でも、あの安次郎さんにも、化け物と呼ばれていた。アリサちゃんにも前から嫌われていた。私もなんだか苦手だった。それはきっと、卯月くんが私と同じ化け物だから。

 

アノ嫌ナ感ジノスル卯月クンガ、私ト同ジ……

 

 気がつくと、あの時みたいにゾウイが涙を舐めとってくれていた。私はゾウイを抱きかかえる。

 

「明日から、どうしよう?」

 

 問いかける私に、何だかよく分からないと言った感じで鳴くゾウイ。私はそんなゾウイを撫でながらつぶやく。

 

「うん、分からないよね……。ごめんね、ゾウイ……」

 

 きっと、アリサちゃんはいつも通り気にせず遊んでくれるだろう。でも、それは人間だから。化け物だってばれてないから。もしばれたら、卯月くんと同じように嫌われて……

 

「い、嫌!」

 

「何が?」

 

「ひゃあ!」

 

 気がつくと、ドアの所にお姉ちゃんが立っていた。

 

「もう、晩御飯よって、さっきから呼んでるのに……。すずか、ホントに大丈夫? 何かあったの?」

 

「だ、大丈夫だよ。アリサちゃんにヘアバンド売ってた温泉に行きたいって言われて、私、すぐ無理って言っちゃったから……」

 

「……そう。ヘアバンド……。ごめんね、変なこと聞いて」

 

 早く降りて来なさいね。そう付け加えてお姉ちゃんはドアを閉める。月明かりの部屋でゾウイとふたり。私は、いつまで周りを誤魔化せるんだろう? いつまで友達でいられるんだろう? いつひとりになるんだろう?

 

 ねえゾウイ、どうすればいいと思う?

 

 




――悪魔全書――――――

夜魔 月村すずか
※本作独自設定
 地球に古くから存在する“夜の一族”の血を引く少女。夜の一族は個体によって差があるものの、通常の人間よりも高い身体能力や催眠術、知能を有する。但し、その代償として生き血を吸う必要があり、そのため人間から迫害を受けた歴史をもつ。月村家は夜の一族の中でも名家であり、財力も名声も高い。すずかは幼くして遺産をめぐる争いに巻き込まれ、精神的な傷を負うこととなり、自分が夜の一族であることに強いコンプレックスを抱いている。それを誤魔化すように多数の猫を飼っており、中でも猫好きになるきっかけとなった猫型のペットロボット、ゾウイを心の拠り所としている。

――――――――――――


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第4章 暗躍スル悪魔~無印①ジュエルシード/表篇
第10話a 厄災の種《壱》


――――――――――――

「分かっていますよ……情報はあの船から抜き出してあります……ええ、あとは貴方の召喚した悪魔が上手くやってくれるでしょう……ええ、それでは」

「ふん。このような茶番に付き合わねばならんとはな」

 通信を切った私に、豹頭の悪魔が話しかける。

「大事の前の小事は付き物だ」

 そう、これは小事だ。ゆえに軽視すべきではない。現状を確認するため、手元の端末を操作し、目標だという青い宝石の発掘現場をモニターに出す。そこには、今まさに輸送機に積み込まれる青い宝石が写し出されていた。

「ほお、これを使うのか。これならば世界に混沌をもたらすことは容易いな」

「もっとも、使うのは我々ではないがな。せいぜいあの男には派手に動いてもらおう」

 この際、利用できるものは利用させてもらおう。新たな世界を産む混沌のために。

――――――――――――氷川/サイバースコミュニケーション社・オフィス



第10話a 厄災の種《壱》

 

「はい、後は輸送するだけです。ご協力、ありがとうございました」

 

 ミッドチルダとは違う、とある次元世界。遺跡となった廃墟が広がるそこで、ユーノ・スクライアは青い宝石・ジュエルシードを輸送機に積み込みながら、現地の発掘チームに礼を言っていた。この遺跡は古い魔法文明が築き上げた物で、最近になって発見された文献から自らの高度な技術を制御できず滅んだことが分かっている。こうした過去に滅んだ高度文明は次元世界に数多く存在し、たまにその遺産・ロストロギアが再度暴走して他の次元世界に影響するほどの事故を起こしていた。このような事態を引き起こさないよう時空管理局はロストロギア回収も行っているのだが、その戦力は魔導師個人の力に依存しているため、いかんせん人手不足になっている。そこで、管理局では実際に事故を起こしたロストロギアの対処を中心に行い、未だ事故を起こしていない未発見のロストロギアの調査は外部の団体に依頼していた。その外部の団体の最たるものがユーノの所属するスクライア一族だ。一族、とつくだけあって、歴史的にも様々な考古学研究に貢献してきた民族であり、その知識と発掘技術はロストロギア回収にもかなりの功績を挙げていた。今回も高い魔力を宿した宝石型のロストロギア・ジュエルシードの回収に成功し、帰還する所だ。

 

「いえ、帰りもお気をつけて」

 

 現地の協力者に見送られ、護衛にと管理局から派遣された魔導師のクルスと共に輸送船に乗り込むユーノ。その次元航行も可能な船は、帰路に広がる次元宇宙へと飛び立った。

 

 

 

「航路、異常無し。このまま何事もなくミッドチルダまで着けばいいね」

 

 輸送船を操作しながら、クルスがユーノに話しかける。前述の通り、管理局がスクライア一族に依頼を出すのは人手不足だからであり、貴重な戦力である魔導師を護衛として派遣してくるのは珍しい。ユーノも始めは何かあるのかと警戒したが、発掘作業に何度も協力し、気さくに話へ乗ってくれた事もあって、彼女とはそれなりの信頼関係を築いていた。

 

「そうだね。まあ、次元震もこの辺じゃ起きてないみたいだし、自動操縦に切り替えて、クルスも休んだら?」

 

「うん、そうするよ。あ、お茶入れて来るね?」

 

 他愛のない会話が続く。一仕事を終え、リラックスした雰囲気が漂っていた。お茶とお菓子をもって戻ってくるクルス。それを前に、クルスはロザリオを取り出した。

 

「また、お祈り?」

 

「うん。神への感謝は欠かさない様にしないと」

 

 ユーノは苦笑しながらも祈りが終わるのを待った。クルスはメシア教と呼ばれる宗教の熱心な信者で、毎日食事前や就寝時の祈りを習慣としている。今もユーノには良く聞き取れないが、祈りの言葉を口の中で呟く。やがて終わったのか顔を上げるクルス。

 

「終わった?」

 

「うん、ユーノもどう? 心に支えがあるって、すごく大切だよ?」

 

「いや、僕は遠慮しとくよ」

 

 基本的に発掘作業に従事するスクライア一族は特定の信教を持たない。歴史的に発掘先の遺跡で様々な宗教に出会い、多様な教義に接するうちに、何かひとつの宗教を崇拝するということが文化として根づかなかったのだ。代わりに古代の文明を解明するため、他宗教との差異を研究する比較宗教学のような考え方が中心となっている。もちろん例外もいるが、ユーノはそうした少数派に入っていなかった。

 

「そっか。じゃあ、食べよ?」

 

 そう言ってお菓子を差し出すクルス。ユーノは信仰を押し付けて来ないクルスを好ましく思った。メシア教徒の中には過激なのもいると聞く。どこまで本当か知らないが、自らを狂信者だといって旗剣を振り回すのもいるというくらいだ。だが、目の前の少女を見る限りそれは偏見だったらしい。

 

「ユーノは戻ったらどうするの?」

 

「う~ん、まだ決まってないけど、今回の調査結果を纏めて、次の遺跡かな? クルスは? 管理局の仕事?」

 

「ん。でも、また護衛任務があれば、それに志願してみようかな?」

 

 クルスの方も今回の護衛任務はそれなりに楽しめたようだ。普段行けないような遺跡を見て回るのはいい気分転換になるし、護衛任務は人間同士の紛争処理などより余程気を使わなくてすむ。

 

「へえ、じゃあ、また一緒に会えるかもね?」

 

「う~ん、でも、こういうのって滅多にないし、あったとしても人気だからなぁ。また運良く選ばれればいいけど。私もユーノにはまた会いたいし」

 

 そう言って笑うクルス。ユーノはちょっと顔を赤くした。誤魔化すようにお茶を啜る。しばらく無言の時間が流れたが、

 

 その心地よい時間は突然襲って来た揺れで終わりを告げた。

 

「っ?! 何?!」

 

「爆発? そんな!」

 

 響き渡る轟音。

 

 慌てて船のモニターを確認する2人。そこには、剣を掲げ、鬼のような仮面をつけた男がいた。

 

「あ、悪魔……!」

 

 クルスがそんな声をあげる。それは剣を掲げ、

 

――ジオダイン

 

 巨大な雷で船の装甲を破壊した。

 

「おおぉぉおおおお!!!」

 

 ぽっかりと開いた穴へ雄叫びをあげながら突入する悪魔。それを見て、クルスは悲鳴を上げる。

 

「っ?! いけない! あそこはジュエルシードの保管室に繋がってる!」

 

「そんな!? まさかジュエルシードを?!」

 

 2人は一瞬目配せして、保管室へと走り出した。

 

 

 

 ジュエルシード保管室。輸送船に設けられたそこは、一時的とはいえロストロギアを保護することになるため重厚な造りになっていた。しかし、厳重にロックしてあった扉は無残にも破壊され、ジュエルシードはなくなっている。潜入した悪魔に盗まれたのだ。その悪魔は保管室から廊下に出て、潜入した穴から外へ逃げ出そうとしていた。

 

「そこまでよ!」

 

「ジュエルシードをどうする気だ! それは危険な物なんだぞ!」

 

 それを阻止しようとユーノとクルスが立ちふさがる。クルスはメシア教徒らしく銀に青い十字のラインが入った鎧のようなバリアジャケットを着込み、剣を構えていた。ユーノはクルスの後ろに控え、いつでも魔法が発動できるように構えている。ユーノはどちらかというと拘束魔法や防御魔法といった補助系統の魔法が得意としており、発掘という狭い場所での作業をこなすうちに、自然と2人の間で決まったフォーメーションだ。

 

――ジオダイン

 

 対する悪魔は無言のまま振り向き、いきなり電撃を放った。視界一杯に光が迫る。船の通路という狭い場所では避けようがない。ユーノはシールドを作り出して受け止めようとするが、

 

「ぐっ!」

 

 拮抗したのは一瞬、すぐにヒビが入った。

 

「右に反らして、ユーノ!」

 

「くっ! う!」

 

 ユーノは呻き声をあげながらもシールドを傾け、雷を右へと曲げる。光の波は横にそれ、クルスの視界が開けた。そこに悪魔を認めたクルスは、剣を引き抜き斬りかかる。

 

「このぉ!」

 

「……」

 

 しかし、易々と片手で持った剣で受け止められた。空いているもう片方の腕で殴り付けてくる悪魔。クルスは慌てて距離を取る。悪魔は離れたクルスに雷を撃とうとして、

 

「クルスッ!」

 

《Chain Bind》

 

 鎖に絡めとられた。声のした方を見ると、ユーノが立っている。所々服が雷で焼け焦げているが、どうにか立ち直って拘束をかけたらしい。

 

「助かったよ、ユーノ!」

 

 クルスはそう言って剣を構え直し、もがく悪魔に斬りかかった。

 

「がっ!」

 

 しかし、苦痛の声をあげたのはクルス。その剣が悪魔に届く前に悪魔は力任せにバインドを引きちぎり、クルスをその勢いのまま殴り付けたのだ。

 

「ぐっ! ごふっ! ……はあ、はあ」

 

「ク、クルスッ!」

 

 血を吐きながらも立ち上がるクルスに駆け寄ろうとするユーノ。クルスはユーノに向かって叫ぶ。

 

「だめぇ! 来ないで、ユーノ!」

 

――ジオダイン

 

 悪魔はスキだらけのユーノを見逃さず、船の装甲をも破壊する雷を放った。魔法で盾を造る時間もない。ユーノは来るであろう衝撃に目を瞑るが、

 

「くぅっ! ユーノ!」

 

 雷が直撃する前に、クルスがユーノを突き飛ばした。ユーノの目の前で雷に飲まれるクルス。

 

「ぐ、がはっ……!」

 

「ク、クルスッ! 僕のせいで……!」

 

 叫ぶユーノ。それを赦すように、クルスは剣を杖にして立ち上がる。

 

「だ、大丈夫。こんなの、……まだ……いけるよ! それより……守り……きれなくて……ゴメン!」

 

 クルスは血を吐き息を切らしながらユーノに声をかける。突き飛ばしても完全に逃げ切れなかったのか、ユーノも片腕に雷を受けていた。だらりと力なく垂れ下がったその腕は、もう使い物にならないだろう。

 

「僕は平気だよ! クルスは謝ることなんてっ!」

 

 ユーノはクルスの言葉を否定しながら回復魔法をかける。気休め程度でしかないが、少しずつ傷が治っていくクルス。しかし、そんな2人を見逃すはずもなく、悪魔は次の雷を放とうとしていた。

 

「! ユーノ、もう一回プロテクション、出来る?」

 

「うん! やってみせるよ!」

 

 片腕で防ぎきれるとは思えなかったが、無理矢理笑ってうなずくユーノ。クルスも笑い返す。そこへ、巨大な雷が飛んできた。

 

――ジオダイン

 

 先程と同じく雷を反らすユーノ。しかし、盾は小さく、開けた視界も狭い。クルスは片腕を雷で削られながら走った。叫び声と共に悪魔に斬りかかる。

 

「っらぁあ!」

 

 と見せかけて横をすり抜け、床に転がってるジュエルシードが入ったケースを手にした。

 

「……!」

 

 悪魔は一瞬呆気にとられたかのように固まったものの、直ぐに剣を振りかざし取り戻さんと迫る。が、そこへ

 

「チェーンバインド!」

 

 ユーノとクルスが2人で同時にバインドをかけた。足止め出来るのは一瞬。手負いのユーノと補助魔法が苦手なクルスのバインドでは簡単に引きちぎられるだろう。しかし、それで十分だった。

 

「ユーノ! これもって逃げて!」

 

 ユーノに向かってケースを投げると、クルスは生きている片腕で剣を無茶苦茶に振るい、悪魔をその場に縫い付ける。

 

「っ! クルス! そんなっ!」

 

 ユーノは戸惑った。怪我の少ない自分の方がロストロギアを持って逃げるのが妥当だと頭では分かる。しかし、相手は強すぎる上に平気で殺傷設定を使ってくる魔導師(?)。クルスは殺されてしまうかもしれない。かといって、自分のために血飛沫を撒き散らしながら戦うクルスの気持ちを無駄にはしたくない。

 

(……どうすればいいんだ!? せめて、アイツを吹き飛ばせられれば……)

 

 ユーノは自分が戦闘向きでないのを悔やんだ。決断を下すことが出来ない自分を悔やんだ。非力な自分を悔やんだ。今まで生きてきた中でこれほど悔やんだことはないだろう。自分は補助魔法のエキスパートとして勉強してきたし、それでいいと思っていた。それが今、真っ向から否定されているのだ。同じ発掘現場で笑いあった少女の死という形で。

 

――アイツを吹きとばす力だけでいいのに!

 

 その思いはいつの間にか願いの形になっていた。クルスのように信仰を持たないユーノは何に祈ったわけではない。ただ、助けたいと願った。そしてそれは、青い光の爆発という形で叶った。

 

「っ!?」

 

 はじめはユーノ自身よく分からなかった。だが、それがケースから漏れた光だと分かるとゾッとした。ジュエルシードだ。出航前に下手に起動しないよう封印処理を施した筈だったが、悪魔の魔力に当てられて、封印が解けてしまったのだろう。ジュエルシードは所有者の強い願望で発動し、その願望を自動的に術式として構築するロストロギアだ。ただ、その術式に問題があった。所有者の思念のみを唯一絶対の目標としたプログラムを組み、例えば最強の魔導師になりたいと念じると、自分以外の魔導師を皆殺しにするというような歪んだ結果を引き起こす。

 

 そんな欠陥品がユーノの心の叫びに反応し、

 

「……!?」

 

「きゃあぁぁぁぁあああ!」

 

 発動した。吹き飛ばされる悪魔とクルス。それだけに止まらず、青い光は輸送船を粉々に破壊し、残りのジュエルシードを次元宇宙へとばらまいた。

 

(これは、僕のせいだ……僕がしっかりしないからこんな事故が……! クルスもあんなに傷ついて……!)

 

「う、うわぁぁぁあああ!!!」

 

 ユーノは投げ出されながら絶叫した。最後に見たのは、何処かの碧い綺麗な惑星に落ちる蒼い宝石と、紅い血を流しながら堕ちていく美しい少女の姿だった。

 

 

 † † † †

 

 

 夢を見ている。そう、これは夢だ。いつかみたのと同じように、赤い通路を流れていく。しかし、それは急に止まった。目の前には巨大な顔、否、顔をもった扉。

 

――名前を言えぬ者を通すわけにいかぬ! 汝、名を名乗れ!

 

――■■■■■■

 

 ? 俺は何て言ったんだ? 俺の名は……

 

――■■■■■■よ、汝、彼の世界の者よ。法の裁きをその手に、我を裁くため、我のもとまで進むがよい。

 

 そのまま扉の奥に引きずり込まれる。扉の奥も通路。その先には……

 

「あら?」

 

 女性がいた。

 

「私、百合子っていうの。ずっとあなたを待っていたのよ、永遠のパートナーとして」

 

 

 

「……また変な夢を見たな」

 

 そう呟いて起き上がる孔。どうやらまたアラマ宇宙が夢に出てきたらしい。それにしても、ずいぶん久しぶりに夢でみた。ここのところ、悪魔とは無縁の生活を送っている。スティーヴン博士なら何かしら意味を読み取れるだろうか。

 

「孔、早く降りて来なさい」

 

 考え事をしていると、階下から先生の呼ぶ声が聞こえた。今日から3年生。初日から遅れるわけにはいかない。孔は思考を中断して立ち上がった。

 

 

 

「孔、アリス、行ってらっしゃい」

 

「行ってきます」

 

「行ってきま~す」

 

 先生とアキラに見送られてバスの停留所まで向かう2人。アリスも孔と同じ聖祥大付属小学校に通うようになっていた。

 

「早く、アキラも一緒に来れればいいのにね?」

 

 今日もアリスは楽しそうにスクールバスで孔と話す。孔はそれにうなずきながら、少しだけにぎやかになった通学路をバスに揺られていた。

 

 

 

「おはよう、卯月くん」

 

「おはよう」

 

 2年生の教室へと続く廊下でアリスと別れてから、発表があった教室へ。孔は今年も園子や萌生、修と同じクラスだった。挨拶してきた園子に孔が尋ねる。

 

「折井はまだやってるのか」

 

「うん、さっきからずっとあんな調子よ」

 

 修は後ろで何やらぶつぶつ言っていた。それを萌生が宥めている。

 

「何で3年になっても6人とも一緒なんだよ……おかしいだろ、確率的に……大体、何で仲良くなってんだ萌生は」

 

「もう、さっきからそればっかり……皆一緒なんだからいいじゃない。……先生がそうしたんじゃないの? みんな仲いいし……あはは、私、すずかちゃんと仲良しだし」

 

 孔と園子はそれを見て溜め息をつく。

 

「まあ、あのバニングスと今年も一緒なのは私も嫌だけど」

 

「大瀬さん、はっきり言うな」

 

 園子の言葉に孔は眉をひそめる。あの吸血鬼の一件以来、アリサは公然と孔を嫌うようになっていた。孔の方も意図して接触を避けるようにしていたが、集団行動が必要となる学校行事もあり完全に避けられるという訳でもない。

 

「卯月くんは平気なの?」

 

「まあ、運動会とかじゃなければ何かしてくる訳じゃないからな」

 

 まだ隣で怒り続けている園子をたしなめる孔。萌生がそれに反応する。

 

「そうだよね。普段はアリサちゃん、普通だよ?」

 

 萌生はすずかとアリサの喧嘩を止めてから、すずかとよく喋るようになっていた。結果としてすずかと行動を共にするアリサ、なのはとも喋る事が多い。孔への態度を疑問視するのは当然と言えた。それに便乗するように修も疑問を口にする。

 

「まあ、確かにおかしいかもな。何でお前ばっか嫌われてんだ?」

 

「……いや、原因に心当たりは無いんだが」

 

 しかし、当事者である孔の回答は変わらない。実際はあの時感情に任せて魔法で悪魔の頭を吹き飛ばしたせいだとは思っていたのだが、理由を話して修達を巻き込む訳にはいかなかった。園子はそんな孔に何か言いたそうにしていたが、担任の先生が教室に入ってきたのを機に席へ戻っていった。

 

 

 † † † †

 

 

「さあ、みんな、席について……はい、今日から担任になった高見冴子です。みんなよろしく」

 

 新たに担任になった冴子先生の自己紹介が聞こえる。よろしくお願いしま~すという生徒の元気な声に紛れて、修はひとり憂鬱な気持ちを持て余していた。ある程度未来を知識として持っている彼は、3年生になった段階で今後身の危険を招く事態が起きるであろう事を知っている。その中心は同じクラスの高町なのはで、事態解決に導くのも彼女のはずなのだが、今に至るまで修の知識はことごとく外れている。このままでは、なのはが失敗して危険が自分の身に降りかかりかねない。かかる火の粉を振り払うことが出来ればいいが、そんな保障はどこにもなかった。寧ろ火の粉の熱に耐えきれず此方が燃え尽きる可能性が高い。事実、あのドウマンに襲われた時に殺されかけている。孔がいなければ本当に危なかっただろう。

 

(でも、アイツは転生者かどうか微妙なんだよなぁ)

 

 同じ異能を持っている孔を思い出して考える。あの化学部行方不明事件での一時的な休校が終わった後、学校の昼休み、孔に呼び出され転生者とは何か真剣な顔で聞かれた。修は観念して一通り転生とその時であった老人について話したのだが、

 

「……老人、か。天使ではなかったのか?」

 

 少し考えた素振りの後、そんなことを聞かれた。聞くと、孔も似たような存在に夢の中であったこともあるという。やはり転生者かと思ったが、決定的に違う点があった。

 

「しかし、俺は死んだという記憶は無いな。その前世とやらの記憶もないし、異能を望んだこともないんだ」

 

 確かに前世の記憶がないなら「転生」と言うには不適切だろう。あるいは、修の知識には無い、もともとこの世界に存在する怪物と戦う存在だったのかもしれない。なにせドウマンや吸血鬼が普通に存在している世界である。それに対抗する人間がいてもおかしくはない。いずれにせよ、少なくとも孔が自分の命を狙うような転生者ではないようだ。

 

(じゃあ、他に誰が……?)

 

 修がそんなことを考えていると、挨拶を終えた担任の先生がとんでもないことを言った。

 

「では、最後に転校生を紹介します」

 

「はあ!?」

 

 思わず声を上げる修。視線が痛い。慌ててすみませんと謝りながら席に座り直す。タイミングからいって、この時期の転校生は危険極まりない。なにせ事件が起こることを見計らったかのような転校である。自分と同じ転生者である可能性が高い。高まる嫌な予感。

 

「アリシア・テスタロッサだよ! よろしくね!」

「フェイト・テスタロッサです。 よろしくお願いします」

 

 しかしそれは、予想の斜め上を行く形で外れた。

 

「ぶはぁっ!」

 

 吹いた。盛大に。教室に声が響くほどに。奇声に振向く生徒と先生の目線を躱すため机に縮こまりながら、修は

 

(ああ、頭の中が真っ白になるってのは、こういうのを言うんだな)

 

 などと考えていた。修の知識ではアリシアもフェイトも魔法世界の住人であり、ここにいるはずがない。それどころかアリシアは死んでいるはずだ。そもそも、死んだアリシアをトリガーにしてひと悶着起きるのではなかったのか。

 

「じゃあ、テスタロッサ姉妹の席は……卯月と折井の横が空いてるな」

 

 しかし、そんな修の内心を無視するように先生の声が響く。慌てて顔をあげると、フェイトがずかずかと歩いてくるのが見えた。まだどちらがどちらに座ると指示が出ていないにもかかわらず、修の隣の席に座る。

 

「……よろしく」

 

「よ、よろしく」

 

 どこか不機嫌そうにフェイトに告げられ、修は気圧されながらも答えた。

 

(な、なんだ? なんでこんな嫌そうなんだ? さっき吹いたのがだめだったのか?)

 

 実際は孔の顔を見て不機嫌になっているのだが、修が知る由もない。ただでさえ予想外の事態に頭がまともに動いていないのだ。ただ、理由もなく嫌われている孔がどんな気持ちか分かったような気がした。

 

 

 

 一方、孔の方はこのことを知っていた。施設にアリシアが遊びに来た時、プレシアから聞かされていたためだ。始めそれを聞いたとき、孔は驚いた、つい先日、悪魔が起こした事件に巻き込まれたばかりだ。しかし、プレシアからの返答は意外なものだった。

 

「スティーヴン博士によると、ほかの次元世界に比べれば悪魔は少ないらしいのよ」

 

 適度に平和で、適度に文明が進んでいる地球の海鳴は、悪魔にとって居心地の悪い社会のようだ。ひとつの事件に惑わされずに、冷静に判断するのはやはり科学者だからだろうか。しかし、すぐに引越しという訳にはいかなかった。魔法世界側の法律に定められたクリアすべき条件を誤魔化し、日本国籍を取得するのに地球側の法律を誤魔化し、両方の世界の手続きを誤魔化してアリシアとフェイトを小学校へ入学させるまで、プレシア曰く「こどもが知らなくていい色々な準備」に時間がかかってしまい、結局3年生から編入することになったのだ。

 

「コウ、よろしくね!」

 

「ああ、よろしく」

 

 念願かなって編入出来たアリシアは上機嫌に孔の隣に座る。フェイトの態度に少し戸惑った様子を見せたものの、初めての学校に緊張はしていないようだ。

 

「コウの隣でよかったよ」

 

「まあ、何かあったら言ってくれ」

 

 ガチャガチャと授業の用意をしながら積極的に話しかけてくるアリシア。孔もそれに応える。2人はどこか浮足立った教室の中、始まった授業へと意識を移していった。

 

 

 † † † †

 

 

「へ~、アリシアちゃんとフェイトちゃんはアメリカから来て、卯月くんと友達だったんだ」

 

「うん、そうだよ!」

 

「……」

 

 昼休み。萌生の声にアリシアは楽しそうに笑ってうなずき、フェイトは無言のまま少し迷った後にうなずく。孔はいつものメンバーと化した修、園子、萌生にアリシアとフェイトを加えた5人で昼食をとっていた。ちなみに、アリスは学年が違うため、いつも昼はクラスの友達と食べている。

 

「ねえ、アリシアとフェイトはなんで卯月くんと知りあったの?」

 

「えっ? ええっと……」

 

「日本に2人が来た時に案内したんだ。プレシアさん……2人のお母さんだが、その人が俺の母親と知り合いでな」

 

「そう、そうなんだよっ!」

 

 出会ったきっかけを園子に聞かれて焦るアリシアに代わり、適当な言葉で答える孔。ちなみに「俺の母親」とは施設の先生のことで、学校ではこれで通している。

 

「ふ~ん。それで仲良くなったんだ」

 

 園子は少しだけ面白くなさそうに言った。どうもアリシアが孔と親しくしているのが気に入らないらしい。魅了効果は未だ継続中だ。孔としては3年生になって精神が成熟すれば呪いも減退するかと思っていたのだが、一向にその気配はない。どちらかというと悪化した気さえする。

 

「そ、そうだよ? 日本に来たときはよく遊んだし」

 

 そうと知らないアリシアはうまく誤魔化せたと思ったのか、余計なひと言を加える。言うまでもなく園子は表情を硬くした。だが雰囲気まで固くなる前に、萌生の無邪気な声が響く。

 

「フェイトちゃんは? フェイトちゃんも卯月くんと遊んだの?」

 

「私はあんまり遊んでない」

 

 短く答えるフェイト。確かに、フェイトは施設に来たことがなかった。以前アリシアを迎えに来たプレシアにフェイトはどうしているか聞いたことがあったが、プレシアからは

 

「引っ越しの準備を手伝って貰ってるのよ。私は遊んできなさいって言ったのだけど……」

 

 と言われている。法を誤魔化す必要がある「準備」にはフェイトのような訓練を受けた魔導師の力も必要なのだろう。口ぶりからすると、プレシアとしては自分の娘に非合法には関わってほしくない様子だったが、フェイトは母親の力になりたいらしい。孔としては初めて出会った時、母親の死に直面して泣き崩れる彼女を見ているので、気持ちは分からなくもなかった。

 

 そんなフェイトに、萌生は気分を害した様子もなく話を続ける。

 

「そうなんだ。じゃあ、今度みんなで一緒に遊ぼう? 修くんもいいよね?」

 

「ああ、いや……」

 

 一方、話題を振られた修は生返事で返した。どういう訳か今日の修は疲れ切っている。碌に周りの声が聞こえていない様子の修に萌生が文句を言った。

 

「もう、朝からそればっかり。せっかくみんなで遊ぼうって言ってるのにぃ!」

 

「あ、ああ、ほら、えっと、あれだ。先生が将来何になりたいかって言ってただろ。なんか家を出るときも親父にそれ聞かれてな。なんて答えようか思いつかないんだ」

 

 ようやく再起動した修は唐突に話題を変えた。何か一緒に遊ぶことに不都合でもあるのだろうかと思う間もなく、園子が口を開く。

 

「修は家を継ぐんじゃないの?」

 

「ああ、まあそうなんだが、医者になるのって難しそうだからな」

 

「そうなの?」

 

 よくわからないと言った風に萌生は首をかしげる。ちなみに、彼女は母親と同じく「看護婦さんになりたい」と普段から公言していた。

 

(……将来か)

 

 意外に具体的な夢を持つ友達を前に、修の挙動不審を差し置いて考え込む孔。孔は福祉関係の仕事に就きたいと割と真面目に考えていた。できることなら今の施設の先生や杏子のようになってみたい。やはりあの2人は、孔の中では理想の大人だったのだ。

 

 

 † † † †

 

 

(将来か……)

 

 割と真面目に悩んでいる人物がもうひとり。高町なのはだ。もっとも彼女は孔とは行動を別にしているので、今は屋上でアリサ、すずかと弁当を広げている。そんな中、ふと途切れた会話を埋めるように、アリサが授業中の先生の言葉を話題に出したのがきっかけだ。

 

――という訳で、社会にはいろんな仕事がある。3年生になったのを機に、何になりたいか考えてみるのもいいかもしれないな

 

「ねえ、すずか、すずかは何になりたいの?」

 

 隣に座るすずかに問いかけるアリサ。ちなみに、アリサ自身は両親の会社を継ぐためたくさん勉強したいと言っている。

 

「私は……」

 

 が、すずかは俯いて言い淀んだ。たまにすずかはこうして話を止めることがある。

 

「すずか?」

 

「あ、ええと、ごめんなさい。ちょっと思い浮かばなかったから。でも、機械が好きだから、工学系の大学に行きたいかな? メンテナンスもできるようにしたいし」

 

「メンテナンス?」

 

「あっ!? えっと、その、お姉ちゃんが使ってるパソコン、たまに使わしてもらってるから、それを……なのはちゃんは? なりたいものはあるの?」

 

 慌てて誤魔化すようになのはに話題を振るすずか。なのはは少し戸惑う様子を見せたが、

 

「私は……婦警さん、かなぁ」

 

 そう答えた。思い浮かんだのはほむらだ。ひとりだった時に母親のように慰めてもらい、優しいお姉さんとして一緒に遊んでもらい、時に凛として仕事に打ち込む彼女は、なのはにとって理想の女性だった。自分もあんな風に人を助けたり、悪者を懲らしめたりする仕事に就きたい。

 

「婦警さん? なのはが?」

 

「へえ、ちょっと意外かな?」

 

 しかしアリサとすずかには驚かれた。正直に答えてしまったがゆえにこういう反応をされると傷つくものがある。なのはは聞き返した。

 

「そ、そんなに意外かなぁ?」

 

「そうよ、大体、アンタ私より算数の成績はいいけど、運動できないじゃない」

 

「ま、まあ、ちょっと予想外だっただけで、きっとなれるよ」

 

 否定気味の感想を述べるアリサとそれをフォローするすずか。なのはは少し落ち込みながらも、兄に頼んで運動が得意になるにはどうすればいいか教えてもらおうかな、などと考えていた。

 

 

 † † † †

 

 

「はあ、はあ。ア、アリサちゃん、速すぎるよ……」

 

「はあ、はあ。な、なによ。なのはが運動得意になりたいって言うから走ったんじゃない」

 

 帰り道。すずかはアリサとなのはとともに下校していた。すずかのバイオリン音楽教室とアリサの塾は同じ方角であることが分かり、習い事がある日は一緒に帰るようにしていたのだ。先を走っていたすずかにようやく追い付き、肩で息をする2人。

 

「こんなんで息が上がってるようじゃ、立派な婦警さんになれないわよ」

 

「うぅ~、やっぱり私、向いてないのかなぁ。すずかちゃんみたいに足速くないし」

 

「……そんなに速いわけじゃないよ?」

 

 なのはの言葉を否定するすずか。化け物に強いコンプレックスを抱くすずかは、自分の身体能力が人より優れているのが嫌だった。むしろ、将来に確固たる夢を持ち、それに努力できるなのはを羨ましく感じられる。

 

「そんなことないよ。すずかちゃん、クラスで2番目じゃない」

 

「まあ、すずかは運動できるわよね」

 

 そうとは知らず、すずかの身体能力を羨ましがる2人。すずかは種族の違いから来る壁のようなものを見せつけられた気がした。

 

「そんな、普通だよ、普通」

 

 そう言うすずかは誰が見ても謙遜している様にしか見えないだろう。しかし、すずかは必死だった。これは普通のうちだと思って貰わなければいけない。もし異常とばれたら、孔と同じ目で見られてしまう。

 

(……助けて、ゾウイ)

 

 心の中でさけぶすずか。だがそれと同時、

 

「えっ? いま、助けって聞こえた?」

 

 なのはが急に声をあげた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

鬼神 タケミナカタ
 日本神話に登場する軍神。建御名方神。大国主神と沼河比売(奴奈川姫)の間の御子神。『古事記』における国譲りの神話で、国を譲るよう迫られた大国主神の御子神として建御雷神と力競べを申し出たが敗れ、諏訪地方に封じられるという記述があり、現在でも全国の諏訪神社を中心に祀られている。日本古来の神であるミシャクジ神と同一視されることも。風神、水神、冶金の神という側面も持っているという。

メシア教徒 クルス
 ジュエルシード発掘のために派遣された管理局勤務の魔導師。ユーノと同年代の少女。熱心なメシア教徒であり、いつも祈祷用のロザリオを身に付けている。ミッドチルダの魔導師としては珍しい接近戦タイプで、剣と強固な鎧で仲間の壁となる聖騎士の役割を演じる。気さくな雰囲気から発掘現場でもムードメーカーを務めていた。

――元ネタ全書―――――
自らを狂信者だといって
 真・女神転生Ⅰ。メシア教徒きょうしんしゃを仲魔に加える時の台詞「私はメシア教徒狂信者。今後ともよろしく」から。当時は普通に人間も仲魔にできる上に悪魔合体まで可能でした。

名前を言えぬ者を通すわけにいかぬ! 汝、名を名乗れ!
 言うまでもなく真・女神転生Ⅰオープニング。この後、主人公の名前のほか、ロウヒーロー、カオスヒーローの名前の入力画面に(この辺は本作第1話の元ネタになっています)。デフォルト名は設定されていませんが、通称はフツオ/ヨシオ/ワルオ。

――――――――――――


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第10話b 厄災の種《弐》

――――――――――――

 今朝は不思議な夢を見た。暗い森の中で不気味な黒い影と戦う男の子。でも、その男の子は服が焼け焦げ、左腕は垂れ下がってぼろぼろだ。

(あ、危ない!)

 そう思う間もなく、男の子はその黒い影に弾き飛ばされた。

「っく、うぅ……。僕が、僕がやらないと……! クルスはぁ!」

(……? 泣いてる?)

 何か叫んで必死に立ち上がろうとする男の子。私は声をかけようと思ったけど、鳴り響いたアラームでその前に目が覚めてしまった。そして今、

(助けて……)

 夢で見たのと同じ声が聞こえてきた。

――――――――――――なのは/公園



「えっ? いま、助けって聞こえた?」

 

「っ?!」

 

「えっ? 何も聞こえなかったわよ?」

 

 声をあげるなのはに、すずかは驚いたようにして固まり、アリサは戸惑ったように否定する。

 

「ううん、助けてって聞こえたよ?」

 

(お願い、助けて……)

 

「ほら、こっちから」

 

 しかし、なのははそんな2人を無視するように声が聞こえた方へ走り出した。

 

「えっ? あ、ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 アリサの声を背に、公園の茂みの奥へ。そこには、傷付いたフェレットが倒れていた。本能的に抱き上げるなのは。周りを見回しても、他に誰もいない。声の主は何処に行ったのだろうかと周りを見回していると、アリサとすずかが追い付いてきた。

 

「それ、フェレット?」

 

「うん、怪我してるみたい」

 

「まさかそのフェレットが助けを呼んだなんて言うんじゃないでしょうね?」

 

 アリサの問いかけを曖昧な笑み誤魔化しながら、怪我をしたこの小動物をどうしようかと考える。そして、その答えはすぐに出た。

 

――怪我した犬の面倒を看てたらしいわ。動物病院にでも連れていけばいいのにね」

 

 思い出したのは、孔がまどかの花屋へなかなか来なかった時の記憶。その時、なのははまどかに言われて暗くなる前に帰ってしまったが、後日にほむらから理由を教えられている。迷わずなのはは2人に問いかけた。

 

「ねえ、この近くに動物病院ってないかな?」

 

 

 † † † †

 

 

 槙原動物病院。包帯を巻かれたフェレットを入れた保護用のケージを前に、白衣の女性、槙原愛がなのは達3人に怪我の具合を説明していた。

 

「ちょっと酷い怪我ね。念のため今日はうちで預かるわね」

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

「う~ん、命に別状はないと思うけど、酷い火傷もしてるみたいだし、今日一日は入院ってところね。心配なら、また看に来てもいいわよ?」

 

 そう言って愛は3人を見渡す。この病院では野良猫や野良犬の治療は基本的に無料で行っており、小学生が拾った動物を持ってくるというケースは結構多い。愛はこどもの扱いに慣れており、気さくな雰囲気をもって対応していた。なのは達も安心したのか、相談を始める。

 

「じゃあ、私が帰りにでもよるわ」

 

「いいの?」

 

「うん、車で送って貰ってるし。帰る途中だし」

 

 もともとアリサが塾帰りにと提案した病院だ。自然とアリサが様子を見るという結論に至った。ちなみに、なのはもアリサと同じ塾に通ってはいるが、成績の関係で2人は塾では違うクラスだ。今日はなのはに塾はない。

 

「じゃあ、受け付けに言ってくれれば分かるようにしておくわ」

 

「ありがとうございます」

 

「いいのよ、仕事なんだし。それより、塾はいいの?」

 

 笑って答える愛に時間を告げられ、アリサは慌てて塾へと走っていった。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、孔はアリス、アリシアにフェイトを加えた4人で、本来の通学路とは外れた海鳴臨海公園へ来ていた。孔とフェイトにも「助けて」という声が聞こえていたからなのだが、

 

「誰もいないね?」

 

「……ああ、そうみたいだな」

 

 不思議そうな声とともに孔を見上げるアリス。孔はそれにうなずいたものの、首をかしげた。孔の感覚では聞こえてきた声は念話であり、空耳という事はあり得ない。

 

「でも、戦闘があった様子もないから、大丈夫だと思う」

 

 しかし、同じ魔導士のフェイトは既にそんな直感を捨てていた。帰ろう。そういうと先に立って歩き始める。

 

「で、でも、フェイトちゃんも助けてって聞こえたんだよね?」

 

 それを引き留めるアリシア。何度か助けを求める側に立ったアリシアは確証がないまま立ち去るのに抵抗があるようだ。念話が聞こえたと告げた時も、アリシアは真っ先に助けに行こうと主張している。

 

「……でも母さんに今日は早く帰ってきなさいって言われてるし」

 

 一方のフェイトは母親と何か約束があるのか、少し顔をしかめてアリシアを咎めた。かつて悪魔にプレシアが殺されたためか、フェイトは母親の事となると見境がつかなくなるところがある。

 

「まあ、もうちょっと待ってくれ」

 

 孔はそんなフェイトを制し、ポケットにいれているデバイスに念話で呼び掛けた。

 

(I4U……)

 

(Yes, My Dear. ANSを使った公園のサーチね)

 

 I4Uは孔の具体的な指示を待たずして意を汲み、プログラムを起動させた。本来は悪魔の反応を調べるANSも、今では改良を重ねて魔力反応も捉えることが出来るようになっている。余談だが、I4Uは日本語もこなすようになっている。こちらは改良ではなく、I4U自身が主との円滑なコミュニケーションを求めて自動設定したらしい。調整をしたリニスは首をかしげていたが、孔としては話しやすいので特に問題とはせず放置している。

 

(終わったわ。魔力反応はないわね。念話を送ってきた魔導師は逃げたか、殺されたかのどちらかでしょう)

 

(……分かった、ありがとう)「帰ろう、アリシア」

 

「えっ? いいの?」

 

「ああ、この公園にはいないみたいだ。きっと、誰かが先に助けたんだろう」

 

「そうなの?」

 

 う~っと、どこか納得出来なさそうに唸るアリシア。そこへ、アリスの声が響いた。

 

「ねー、せっかくこっち来たんだし、遊ぼうよ。遊んでるうちに見つかるかもしれないよ?」

 

 そういえば、こっちの公園に来たのは久しぶりだったなと思う孔。出来れば遊ばしてやりたかったが、フェイトは少しきつめの声でそれを遮った。

 

「ダメだよ。母さんが待ってるって言ってるでしょ?」

 

 どうもアリスとフェイトは相性が悪いようだ。以前、アリシアがフェイトにあまり遊んでくれないと愚痴を言っていたことがあったが、悪戯好きで我儘という共通点を持つアリスも避けているきらいがある。といっても、積極的に嫌っているという様子ではなく、仲良くしようと努力しているがどうしても硬い態度が出てしまうという感じだ。自然、アリスの方もストレスがたまることとなる。

 

「むー、フェイトお姉ちゃん、どうしてそんな意地悪言うの?」

 

「まあ、アリス、荷物もあるから、遊ぶにしても一旦帰った方がいいだろう?」

 

「じゃあ、早く帰って、早く遊ぼ?」

 

「あ、アリスちゃん、ちょっと待って!」

 

 孔の言葉をきっかけに、気まずい雰囲気から逃げるように走り出すアリス。追いかけるアリシア、少し遅れてフェイト。孔もそれに続こうとして、

 

「■■■■■■よ」

 

「っ?!」

 

 視界の角に此方を見つめている老人に気付いた。よく聞き取れなかったが、自分の名を呼ばれた気がして立ち止まる。

 

「今、秩序と混沌のバランスが崩れようとしておる。どちらに傾いても人には幸せな結果とならん……異世界の法を運ぶ者よ。よく心にとどめておけ」

 

 それだけ言うと、孔が何か言う前に老人は立ち去ってしまった。

 

「孔お兄ちゃん、早く!」

 

 遠くからアリスの呼ぶ声がする。孔はもう見えなくなった老人の声を気にしつつも、児童保護施設に向かって歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「もうすぐ孔とアリスが帰ってくる時間ですね」

 

「そうね……お菓子でも用意しておこうかしら?」

 

 その頃、施設ではリニスが先生といっしょに孔達を待っていた。といって、遊びに来たわけではない。職員として働き始めていたためだ。

 

 きっかけはあのゲーム事件の後。

 

「では、今度は私が貴方を送っていきますね?」

 

 アリサとすずかを家まで送った後、リニスは孔にそう切り出していた。

 

「いや、アリスを移転した俺が、時の庭園へ迎えに行く方が筋な気もするが……」

 

「実は、もうプレシアがアリシアと一緒にアリスちゃんを連れて、近くの公園まで来ているんですよ。合流して、一緒に帰りましょう」

 

「いや、しかし……」

 

「ダメですよ、コウ。たまには大人の役目もさせてください」

 

 迷惑をかけまいとしているのか渋る孔に、リニスは頼み込んだ。少し強引な気もしたが、アリサとすずかとの言葉で傷ついたであろう孔を独りで返したくなかったのはもちろん、もう自分に遠慮してほしくなかったからだ。しかし、

 

「いや、その……実は、俺もアリスも孤児なんだ」

 

 その言葉に、リニスは表情を凍り付かせた。

 

「なら、なおさら送っていきますよ」

 

 そう言うしかなかった。

 孔は「ありがとう」と言ってくれたが、リニスとしては自分を責めてほしかった。

 手を伸ばそうとして、傷を抉ってしまった自分を。

 

(何をやってるんでしょうね、私は……)

 

 考えれば分かることだ。普通のこどもでは考えられない大人びた態度は、幼いころからひとりで過ごさざるを得なかったせいと考えれば辻褄は合う。だがその結果として他者を重視し自己を抑圧しているのなら、そしてそれがアリスやアリシアを守ろうという理由になっているのなら、それは理不尽という他ない。家族が得られなかったことから来る優しさ。それは、歪んでしまったテスタロッサ家にいるリニスにとって、受け入れがたいものだったのだ。

 

「すみません、コウは――施設での生活は、どうなっていますか?」

 

 だから、リニスは孔とアリスを送った先で、施設の先生にそう訊ねた。孔の事をもっとよく知りたい。そんな一心からだったが、

 

「リニスさん、施設に興味があるのかしら?」

 

「ええ、将来は福祉関係の仕事を――保育士もいいかなと思っています」

 

 結果として、それは思わぬ成果をもたらした。元々福祉関係の仕事に好んで就いた先生と話が弾み、いつの間にか保育士の資格要件にある研修も兼ね、この施設で助手をやるようになったのだ。

 

「朝倉さんから貰ったお菓子が確かあったはずね。飲み物はアリスがジュースで、孔はコーヒー……あら? コーヒーが切れてるわね」

 

「昨日、市役所の方が見えた時、来客用のコーヒーを使ってしまいましたから。よければ、買ってきますが?」

 

「そうね……お願いできるかしら?」

 

 今日も帰ってくる孔を迎えるための準備が始まる。キッチンに向かった先生。それを受けて立ち上がるリニス。玄関に向かったリニスは、しかし開いた扉に笑顔を浮かべた。

 

「ただいま。リニス」「リニスさん、ただいま~」

 

「おかえりなさい。コウ、アリス。先生がお菓子を用意していますから、手を洗っ」「リニスさん、公園にアリシアちゃんと遊びにいくの! ついてきて!」

 

 だが、迎えの言葉は遮られる。リニスは苦笑しながらそれに答えた。

 

「今からですか? 困りましたね……」

 

「ダメ?」

 

「実は来客用のコーヒーがきれてしまって、買いにいかないといけないんですよ」

 

 途端、残念そうにするアリス。リニスも少し心が痛んだ。それを見かねたのか、孔が横から口を出す。

 

「俺が買って来ようか?」

 

「いいんですか?」

 

「ああ、構わない(それに、帰りに念話が聞こえたんだ。公園には魔力反応はなかった。一応この近くに魔導師なり悪魔なりがいないか確認しておきたい)」

 

「そうですか(……あの念話はコウにも聞こえたんですね)」

 

 後半は念話を使って話す2人。アリスは孔とリニスを交互に見ながら言う。

 

「でも、それじゃ孔お兄ちゃんと遊べないよ?」

 

「ああ、コーヒーを買ったら、俺も後から公園に行くから」

 

「うん、じゃあ、我慢する」

 

 どうやらアリスは納得したらしい。悪魔の位置を確認できるCOMPを持っているのは孔だ。様子を見に行くなら孔である必要があった。それが分かっているだけに、リニスも孔に強く反対はできない。

 

「じゃあ、コーヒーはこの店で買ってきてください。気を付けてくださいね?(悪魔がいるかもしれないんです。何かあったら念話で知らせてください)」

 

「ああ、分かってる。(リニスの方も気を付けてくれ。I4Uのサーチで引っかからなかったから公園は大丈夫だと思うが)」

 

「早く来てね?」

 

 リニスは孔にいつもコーヒーを買っている喫茶店『翠屋』への道筋が描かれた地図を渡しながら考える。出来れば、新しい主には魔法で身を滅ぼすようなことにはなってほしくないと。そう思えば思うほど、何故かあの強い力を持ったはずの孔がどこか儚いもののように思えた。

 

「ねー。リニスさん、早く行こ?」

 

 気が付くと背中を長く見つめていたようだ。リニスはその嫌な予感を振りほどくように軽く笑ってみせると、アリスと手をつないで公園への道を歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「いらっしゃい……ませ」

 

 翠屋のパティシエ、高町桃子はやって来た少年を見て一瞬言葉に詰まった。翠屋はこの辺では割りとよく知れた喫茶店で、こどもが来ること自体はそんなに珍しい事ではない。今来た少年もお使いか何かだろう。戸惑うことなく普段通り接客出来る筈だった。

 

(……? なにかしら?)

 

 だが、目があった瞬間、言い様のない嫌悪感に襲われた。原因を探るべく、それを抑えて少年を観察する。年齢は娘であるなのはと同じくらいだろうか、なのはの通う聖祥の制服を身に着けている。当然ながら男子生徒用のものであるという違いはあるが、変に着崩すことなくきっちりと着込んだ制服は、年齢の割に整った顔立ちも手伝ってなかなかに似合っていた。

 

(うん、何処をどう見ても普通の小学生ね)

 

 しかし、滲み出る嫌な感じは消えない。自分はどちらかというとこども好きの筈だったのだが。そんな桃子の疑問にお構い無く、その少年は近付いて紙を差し出してきた。

 

「すいません。このコーヒーを、この量だけください」

 

 やはりお使いだったようだ。メモを見せながら注文する。

 

「え、ええ。コーヒーですね……」

 

「桃子さん、どうしたんだ……うん? ……君は?」

 

 いつも通りの対応を意識しながら、桃子は店の奥へ視線を向ける。コーヒーについてはマスターである夫の士郎が扱うことになっている。が、やはりいつもと何処か違うのが伝わってしまったらしい。警戒しつつ少年の方へ近付いて行く。少年の方は急に出てきた士郎に一瞬驚いたように目を見開いたものの、再度メモを取出し注文した。

 

「ええ、コーヒーを買いたいんですが」

 

「……そうかい。申し訳ないが、今日はコーヒーが売り切れなんだ。帰ってもらえるかな?」

 

 どこか冷たい返事で対応する士郎。普段とはまるで違うその接客態度を見て、しかし桃子は何も言えなかった。士郎はボディーガードとして長い経験を持っている。おそらく自分が感じた嫌悪を、己の直感から来る危険回避と結びつけて捉えているのだろう。嫌な予感がすれば、警戒する。その発信源が分かれば、排除する。護衛者として身に付けたある種の行動原理であり、それは桃子もよく理解していた。本来ならこども相手に発揮されるようなものではないのだが、にじみ出る孔への嫌悪感を考えると、士郎の行動がどこか説得力を持つように感じられる。

 

「売り切れ……? そうですか。すいません」

 

 対する少年の方は呆気なく引き下がる。去っていく危険に拍子抜けしながら見ていると、不意に動きを止めた。店の奥へと視線を向けている。

 

「どうしたんだい? 帰るなら、早く帰ってくれないか?」

 

「あ、ああ、すみません……」

 

「孔。今は孔だったわね」

 

 そんな少年――孔というらしい――は士郎に急かされ慌てて出ていこうとするが、奥にいた女性客に呼び止められた。彼女は常連客で、面識がある。以前夫へ色目を向けているのを見て不快な思いをした時、まるで心でも読んだかのように「私にはもうパートナーがいるから、安心して?」と言われ、気恥ずかしい思いをしたと同時に強く印象に残った相手だ。どこか妖艶な雰囲気を持つ大人の女性。それが桃子の抱くその常連客へのイメージだった。

 

「こうしてまた会えるなんて夢のようだわ」

 

「……百合子……さん?」

 

「あら。覚えていてくれたのね」

 

 嬉しそうにする百合子。どうやら2人は知り合いだったようだ。思わぬところで店内に居座ることになってしまった孔に心の中で眉をしかめる桃子。孔は百合子と少し距離を置きながらも話を始めた。

 

「どうして此処に?」

 

「ここのコーヒー、なかなか美味しいからよ。この店にはよく来ているわ」

 

「そうなんですか。でも、ちょっと遠いんじゃ?」

 

「あら。どっちかって言うと近いわよ? あなたの側なら、どこでも近いもの」

 

 どこか慎重に言葉を選んでいるように見える孔へ向けて、楽しむように、それでいてからかう様に言葉を綴る百合子。流石の孔もペースを握られているらしい。

 

「孔はどうしてここへ?」

 

「お使いです。このコーヒーを買いに来たんですけど、売り切れみたいで」

 

 そう言ってメモを見せる孔。百合子は目を細めて、一瞬だけ士郎に視線を送ってから口を開いた。

 

「あら、このコーヒーならそこにあるじゃない」

 

 確かに、百合子が指差した先には孔が買い求めたコーヒーの銘柄が書かれた袋がある。量も十分だ。値札もついている。

 

「あ、いや、これは……」

 

 焦る士郎。おそらく話に割り込む隙をうかがっていたのだろう。しかし、2人のやり取りの間には入り込める余地が全くなかった。一見すると普通の会話なのだが、そこに漂う雰囲気は尋常なものではない。どこか退院直後に行った士郎の軽い、しかし桃子にとっては重い運動が元でやった夫婦喧嘩と同質の、ある種の緊張感が漂っていた。そこへ、無いと言っていた在庫の存在を指摘されたのである。

 

「桃子さん、あれ、売ってくれないかしら?」

 

 そんな士郎を無視し、百合子は桃子に声をかける。親しげに、しかしどこか責めるような響きを持って。孔と百合子の間に流れる緊張感に巻き込まれ、今度は桃子の方が焦った様な声を出してしまう。

 

「えっ? ええっと……」

 

「あ~、無理に売っていただかなくてもいいですよ?」

 

 それを見た孔がやんわりと事を納めようとする。しかし、桃子はその好意に甘えることを良しとしなかった。

 

「……いえ、お売りします」

 

 客観的に見れば、誰が見ても落ち度があるのは自分達だろう。夫が警戒している以上、この嫌な気分は何か悪いことの前触れなのかも知れないが、少なくとも今は普通の客だ。差別的に扱うのは喫茶店を経営する者として、褒められた態度ではない。桃子は軽くお詫びの言葉を添えながら、コーヒーを用意した。

 

 

 † † † †

 

 

「すみません、助かりました」

 

「いいのよ。悪いのは店員なんだし」

 

 コーヒーが入った袋を片手に、孔は夢で見たままの容姿と名前を持つ女性、百合子と歩いていた。いつか病院で魔石を使った士郎に加え、夢に出てきた女性とも出会った時は流石に驚いたが、おかげで孔の印象ではいわゆる一見さんお断りという表現がしっくりくる店で無事に買い物を済ませることが出来た。今の2人の間には、先ほどより打ち解けた空気が流れている。もっとも、完全に気を許した訳ではなく、孔は物理的にも心理的にも意識的に距離を置いていた。夢で見たのがアマラ宇宙だとすれば、そこに棲むのは死者の魂か悪魔だ。

 

「ところで、この辺で助けてという声が聞こえたんですが、心当たりは?」

 

「私にはないわ。でも、今の貴方なら助けに行っても大丈夫よ」

 

 しかし、百合子は、孔が具体的な疑問を口にする前に、

 

「それじゃあ、今日は会えて嬉しかったわ」

 

 そう耳元で囁いて消えてしまった。

 

「……悪魔……だったのか?」

 

 思わず戸惑いをこぼす孔。敵意がない分余計に厄介だ。わざわざ夢に出てきたのも気になる。今度スティーヴン博士に意見を聞いてみるかと思いながら、学校帰りに聞いた念話の主を探すべく、デバイスを起動させた。

 

 

 

「それで、結局念話の主は見つからなかったんですね?」

 

「ああ、I4Uのサーチも使ったんだが、俺が行った所には見つからなかったな」

 

 公園。パスカル(の姿のケルベロス)と遊ぶアリスとアリシアを見ながら、孔はこれまでの事をリニスと話していた。

 

「もしかしたら、時空管理局が保護しているかもしれませんね」

 

「そうだといいがな」

 

 少しでも気休めになればと希望的要素を挙げるリニス。孔はおそらく起こり得ないであろう事を知りながら、それにうなずいた。時空管理局はあくまで魔法文明が発達した世界での紛争処理を行っているのであって、魔法文明がない世界は次元世界をまたぐような事故がない限り基本的に不干渉だ。

 

「それより、私はその女性の格好をした悪魔が気になります」

 

「そうだな。心当たりはないと言っていたから、念話を使った魔導師とは関係ないとは思うが……」

 

「相手は悪魔でしょう? 嘘をついているのではないですか?」

 

「……まあ、その可能性もあるな」

 

 そうは言ったものの、孔にはあの言葉が嘘だとは思えなかった。悪魔のなかには契約しないと虚言を吐き続けるのもいるとは知っていたが、向けられた暗い感情を伴った好意が警戒心をかき消していた。

 

(あれはなんだったんだ? 好意のような、悪意のような……)

 

 あの女性のねっとりした視線を思いだし考え込む孔。しかし、答えが出る前に施設の門限を報せる携帯のアラームがなった。

 

「……時間みたいですね。私の方はプレシアに気を付けて貰うようにいってみます」

 

「分かった。俺の方も何かあったら知らせる」

 

 そう言って立ち上がる2人。孔はアリスとパスカルを連れて施設へ、リニスはアリシアを連れてテスタロッサ邸へと帰っていった。

 

 

 † † † †

 

 

(……助けて……)

 

「っ!?」

 

 夕方。夕食を終えて自室で机に向かう孔は声を聞いて立ち上がった。開いていた参考書を閉じ、I4Uを手にする。窓から飛び下り、庭に着地。

 

「……」

 

 すると、無言のままパスカルが寄ってきた。

 

「来てくれるのか?」

 

「勿論ダ。ありすカラモ主ヲ見張ルヨウ言ワレテイル」

 

 パスカル、というかケルベロスの言葉に苦笑しながら、孔は念話の聞こえた方へと走り始めた。声が昼間聞こえたものと違うことに戸惑いながら。

 

 

 

「っ! 大丈夫か?」

 

「うぅ、あ……っ! よかった、来てくれたんだ……!? あ、あなたは!」

 

 人のにぎわいから少し離れた神社。そこの林の奥に、蹲るようにして倒れている女の子がいた。クルスだ。もっともバリアジャケットはぼろぼろで、ほとんど原形をとどめていない。右腕はひじの付け根から下が無くなっている。こちらを見るなり無理やり起き上がろうとする彼女を、孔は慌てて押しとどめた。

 

「リニス、すまないがまずは回復を……」

 

「ええ、分かっています」

 

 リニスの回復魔法であっという間に塞がっていく傷口。クルスはその力量に声を上げた。

 

「もう楽になった……。す、すごいですね」

 

「いえ、魔力量に任せて表面上の傷を治しただけです。中身や疲労まではまだ回復していませんから、無理しないでくださいね?」

 

 気遣うように言うリニス。少し顔色は良くなっているのを見て、孔は質問を始めた。

 

「ところで、俺のことを知っているようだったが?」

 

「……ああ、すみません。人違いでした。よく知っている人と似ていたもので。なにぶん魔法世界以外で魔力を持った人と出会えると思っていませんでしたから」

 

 一瞬戸惑ったものの、孔を見つめた後に目をそらしてそう言う。

 

「……そうか。念話の主はあなたでいいのか?」

 

「はい……聞こえる人がいてくれて助かりました。私はクルス。普段は時空管理局の局員をやっています」

 

 時空管理局と聞いて、孔は内心あまりいい気がしなかった。もしかしたらプレシアを追ってきたのかもしれない。プレシアの過去を知っている孔としては、心情的には管理局の法よりもプレシアの想いに味方したいところだった。

 

「なぜ、管理局の人が魔力文明のないここへ?」

 

 しかし、リニスは恐れることなく自然に問いかける。変に取り繕ってそこからばれる可能性を恐れたのだろう。

 

「実は――」

 

 が、クルスの説明を聞いて二人はそんな自分達の思考に後悔した。少女は危険なロストロギアを狙う悪魔を追ってきたのだという。

 

「それは……大変でしたね」

 

「ええ、早くユーノと合流して、ジュエルシード集めないと……」

 

「実は昼すぎに別の念話を聞いてるんだ。もしかしたらその……」

 

 しかし、孔が最後まで言い終わる前に、念話が響き渡った。

 

(……うわぁ!? だ、誰かっ! 助け……!)

 

 かなり切羽詰った声だ。しかも途中で切れてしまった。

 

「!? ユーノの声……間違いありません!」

 

《My Dear. 念話の出所をつかんだわ。かなり遠いけど、場所は槙原動物病院ね》

 

 次いで、I4Uの声が響く。

 孔達は動物病院の方へと走り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 時はわずかに遡る。進学塾のエントランス。授業が終り、帰宅する生徒で溢れかえるそこで、修達3人はアリサと鉢合わせていた。

 

「あ、アリサちゃんだ」

「なんだ、この塾だったのか」

「……っ! バニングス……」

 

 萌生はいつも通りの挨拶と共に声をかけ、修は面倒くさそうに感想を言い、園子はそっぽを向く。

 

「萌生に折井……と大瀬さん」

 

「アリサちゃん、今帰り? 珍しいね?」

 

「えっ、うん。今日は社会の先生が休みだから……」

 

 アリサは無邪気に話しかける萌生にそわそわしながら相槌を打つ。どうもアリサも園子のことは苦手としているようだ。ちなみに、アリサの言葉にある通り社会科は選択制で、修達3人は受講していない。アリサと帰りが一緒になることは今回が始めてだ。

 

「萌生、後ろがつかえてるから、早く出て」

 

 そんな2人を急かす園子。険悪になり始めた雰囲気に、修はため息をついた。

 

(何でこの年で人間関係に悩まなきゃいけねえんだ? 喧嘩すんなよ、こどもじゃ……あ、いや、こどもだったな)

 

 こどもとはこうも面倒なものか。「みんななかよくおともだち」に真っ向から喧嘩を売るアリサと園子に、嫌なら無視しろよと心の中で突っ込む。平然と同年代のこども達にも交ざることが出来る孔を、修は少し羨ましくなった。

 

「……それじゃね」

 

 そんな修の思いが伝わったのか、アリサは短く萌生に別れを告げると、気まずい雰囲気から逃げるように外へ出て行った。

 

「あ、アリサちゃ~ん……もう、園子ちゃん、喧嘩しちゃダメだよ?」

 

「分かってるけど、卯月くんのこと考えると、仲良くなんてできないわよ」

 

 窘める萌生に園子が反論する。誰だって、自分の大切な人が攻撃されたら怒るだろう。

 

(やっぱ園子もバニングスもこどもだな)

 

 そんな園子を見て修は思う。おとなになれば嫌な奴ともメリットがあれば付き合わなければならないし、ある程度割り切った関係も必要になる。嫌だから攻撃したり、態度に出したりするのはこどものやることだ。社会に出たら苦労するぞ? 等とおよそ外見年齢に似つかわしくない事を考えながら外へ出ると、目の前に黒いリムジンが見えた。

 

「申し訳ありません。遅くなりまして」

 

「いいわよ。時間を間違えたの私なんだし」

 

 リムジンの前でアリサが初老の男性と話している。どうやら社会の授業がないため勝手が分からず、お迎えの時間を伝え間違えたらしい。

 

「あれ? アリサちゃん、まだいたの?」

 

 そんな事には気づかず、リムジンの方へ歩くアリサに声をかける萌生。

 

(迎えにリムジンってよく考えたらシュールだな)

 

 一方の修は日本では殆どお目にかかれないリムジンにそんな事を考えていた。が、そんな修の感性を加速させるように初老の男性が声をあげる。

 

「おお、お友だちとお帰りとは、嬉しゅうございます。お嬢様」

 

「さ、鮫島……」

 

「はぁぁああ? お嬢様ぁ?」

 

 それに反応する園子。アリサとそこまで仲良くない園子は、アリサがお嬢様だとは知らなかった。いや、仮に知っていても、絵で描いたような執事服の男性に迎えに来てもらうというのは相当違和感を覚えただろう。漫画ではあるまいし。

 

「ぅ……。そ、それより、今日は病院に寄りたいから、早く出して……」

 

 アリサの方は恥ずかしいのかさっさと逃げようとする。しかし、病院という単語に忠実なる鮫島執事は反応した。

 

「おお、なんと、どこかお怪我でもされたのですか、お嬢様!」

 

「ち、違うわよ、わたくしは……」

 

「なにぃっ!? ワタクシィイ?」

 

 思わずお嬢様言葉を使ってしまったアリサに、再び園子が声を上げる。なお、アリサは普段からこんなしゃべり方をしているわけではない。いたたまれなさのあまり混乱し、目の前のリムジンから連想した、かつて父親に連れて行かれた社交界のパーティでの他所向きの言葉づかいが出てしまったのだ。が、そんなことは3人が知る由もない。修は耐え切れなくなって噴出した。

 

「ぶっ……はははははは!」

 

「ああ、もう、いいから早く出しなさいよ!」

 

 顔を真っ赤にして逆切れ気味に叫び、車に乗り込むアリサ。

 

「おお、お嬢様。お待ち下さい、お嬢様。皆様、お嬢様をよろしくお願いいたします」

 

 鮫島はお嬢様を連呼しながら、唖然とリムジンを見送る3人を横目に車を発進させた。

 

 

 † † † †

 

 

「もう、人前でお嬢様お嬢様言わないで!」

 

「それは失礼いたしました。ついお嬢様がお友達とお帰りになることが嬉しかったもので」

 

 車に乗ってから、アリサは鮫島に文句を言っていた。むくれているアリサに苦笑しながらも、鮫島はアリサがそう機嫌が悪いわけではないと雰囲気から判断していた。

 

「ですが、お嬢様のお友達ならば、きっと気にされませんよ?」

 

「わ、分かってるわよ!」

 

 むくれながら返すアリサに笑みを深くする鮫島。そんな鮫島に、アリサが「もうっ!」と声を上げる。しかし、そこに苛立ちは含まれていない。鮫島がずっと自分が独りだったのを心配してくれているのを知っていたからだ。

 

 鮫島執事はアリサにとって、父親のような存在だった。物心ついた時から実業家である父は仕事に忙殺され、こどもに構うどころではなかったためだ。アリサがまだ産まれて間もない頃、父デビットの会社経営はうまくいっていなかった。困窮のあまりまだ幼いアリサの姉を施設へ預けなければならない程だ。もっとも、当時の事をアリサはよく覚えていない。姉のこともよく知らないし、幼いうちは貧富の差を実感する機会に恵まれなかったのも大きい。結果、背後でデビットが姉を取り戻すべく仕事に打ち込んでいることは知らず、ただ孤独な時間を過ごしていたという記憶だけが残っている。しかし、それはデビットの会社が成功してからも変わらなかった。会社が発展するにつれて加速度的にデビットの負担は増え、そしてそれは皮肉にもそれは家族の時間を犠牲にする事となった。そんな矛盾を否定するように、デビットはアリサに金銭面で不自由をさせなかった。欲しいと言うものは買ってくれるし、学校も名門と呼ばれるところへ通わせてくれた。それは姉にしてやれなかった事は全てしてやろうという親心だったのかもしれないし、金銭的なものでしか愛情を示せない自分への誤魔化しだったかもしれない。だが、いずれにせよアリサの孤独を埋める役には立たなかった。両親はアリサに不自由はさせなかったけれど、アリサが愛情を感じられるものは与えてはくれなかったのだ。

 

 豪華なクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントを前に、誰に羨ましがられるでもなく、アリサはいつも独りで遊んでいた。プレゼントのお絵かきセットで絵を描いたり、楽器で演奏したりしても、誉めてくれる両親はいつも不在だった。中にはペットの犬なんかもいたが、幼いアリサに世話をするのは不可能であり、あまり懐いてくれなかった。しかし、両親の温もりが感じられるものは他にない。一緒に遊ぶ友達らしい友達がいないアリサに「誰もが羨むプレゼント」の価値は分からなかったが、他に孤独を紛らわす術がなかった。

 

 そんなアリサを支えたのが鮫島だった。アリサが描いた絵を見て、

 

「おや、これはお上手ですな。旦那様もお喜びですよ」

 

 と言ってくれたのだ。はじめて褒められた。まだ幼いアリサにとって、それはどんなプレゼントよりもずっと嬉しいものだ。だから、率先して褒められるようなことをやった。ペットの世話も手伝うようになった。両親からもらったその犬も自然と懐いてくれるようになり、それは孤独を埋める一助となった。

 

 それからも鮫島はよくアリサの面倒を見ていた。それは日本に移ってからも変わらず、金髪をからかわれても、

 

「その様な陰口など弱いものがすることです。笑い飛ばすぐらい強くなくては」

 

 と笑って慰めてくれた。その笑みを見ていると、自分の悩みは本当に小さなものに思えてくるのだ。その精神的な安らぎから、アリサは鮫島に全幅の信頼を寄せていた。

 

 

 

「それより、病院と言われましたが……」

 

「ええ、学校の帰りになのはが怪我したフェレットを拾ったのよ。いつも通ってる動物病院に預けたから、そのお見舞い」

 

「そうでしたか」

 

 なのはという名前に楽しそうにうなずく鮫島。どうやらアリサお嬢様に親しい友達が出来たらしい。最も必要としていた友達が。鮫島の方もアリサの成長を喜んだ。鮫島にとっても、アリサは恩のある雇い主の娘以上の存在だった。当初は孤独に震える憐れみからアリサの面倒を見ていたが、次第に年老いた自分を家族のように扱ってくれる少女を自分のこどもと重ねるようになり、いつしかアリサの執事を勤める事を誇りに思うようになっていた。そんな中で唯一の心配事は、アリサに友達が出来ないことだった。あの孤独に震える時間が本当に終わりを告げるには、家族以外にもアリサを受け入れる存在が必要だろうとかねてから思っていた。それが今日実現したのだ。嬉しくないはずがない。

 

「あ、あの病院よ。止まって」

 

「では、私もついて参ります」

 

「えっ? い、いいわよ別に」

 

「そうは参りません。通学中に万一の事があれば大変ですから」

 

 子ども扱いされるのが不満なのか、むう、とむくれるアリサを見て、鮫島はただ微笑身を返す。お嬢様の友達との友情の証を見てみたいし、動物関連の知識を獣医から聞いておけば、後々アドバイス出来ることもあるかもしれない。内心でそんなことを考えながら、鮫島は車から降りアリサの座る後部座席のドアを開けた。

 

 

 † † † †

 

 

「あれ? あれって、バニングスの車じゃない?」

 

「あ、ホントだ。そういえばアリサちゃん、犬飼ってるって言ってたかな?」

 

「病院ってのは動物病院だったのか。じゃあ、その犬の見舞いかなんかだな」

 

 槙原動物病院前。修達3人はついさっき見たリムジンを見て足を止めた。この病院には園子の母親がパートで勤務しており、帰り道であることも相まって、塾のある日は毎回立ち寄っていた。修の知っている物語ではここで事件が起きるはずで、できれば近づきたくない所なのだが、

 

(最近は俺の記憶も宛にならないからなぁ)

 

 修の記憶では、事件はもう少し後だ。だが、事件の始まりを告げる念話は聞こえてきた。確か物語では人的被害はなかったと思うが、こう変わっていると怪しい。ただ事件が起こるだけなら孔やなのはがなんとかするだろうと思って無視する所だが、それが結果的に園子の母親を見棄てる事になるのは後味が悪すぎる。

 

「やれやれ、嫌な予感しかしないな」

 

 思わず呟く修。それをアリサと会うのが嫌だと解釈した園子は同意し、萌生は抗議する。

 

「まあ、会ってもロクなことないしね」

 

「そうかなぁ。アリサちゃんの犬、可愛いかもしれないよ?」

 

「怪我した犬なんて見てどうすんだ? まあ、俺達が入るのは裏口からだから、たぶん会わないだろ」

 

 そういいながら、スタッフ用の出入口をくぐる3人。その出入り口は病院受付の職員側に繋がっており、母親を訪ねる園子はいつも使っていた。萌生が挨拶する。

 

「こんばんは~」

 

「あら、園子。修くんに萌生ちゃんも。いつもごめんなさいね。もうすぐ仕事終わるから待っててくれるかしら?」

 

 受付の席で会計帳簿に何か書き込みながら、園子の母親、大瀬伊沙子がそれに応える。3人とも慣れたもので、応接用のソファーに座った。診察から戻った獣医の先生や他の事務員も声をかけてくれる。動物とはいえ命を扱う病院において、終業時間間際に来るこども達は数少ない癒し系キャラクターとして定着していた。いつもの通り挨拶を返す3人。

 

 しかし、そのいつもの雰囲気を壊すように、悲鳴が響いた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 アリサ・バニングス
※本作独自設定
 世界的に展開する企業、バニングスグループ総裁の娘。今でこそバニングスグループは大企業となっているが、アリサが生まれた当時はデビットの先代が行った事業の失敗が元で経営危機に陥っていた。このため、経済的事情から両親や姉と引き離され、孤独な幼少期を過ごしており、その時期に家族同然に支えてくれた執事の鮫島を心の支えとしている。孤独を紛らわすために幼少期に犬を飼った経験から犬好きであり、今でも大量の犬を飼っている。

――元ネタ全書―――――

来客用のコーヒーが~
 真・女神転生Ⅰオープニングより。一見何の変哲もないお使いイベントですが、百合子をはじめとした重要なキャラとの出会いに。

もう、人前でお嬢様お嬢様言わないで!
 女神異見聞録ペルソナ。南条君の執事・山岡初登場時のやり取りから。同時に流れるBGMは必聴。ジワジワきたのは私だけじゃないハズ。

――――――――――――


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第10話c 厄災の種《参》

――――――――――――

 病院に響く悲鳴。俺は思わず周りを見渡した。

「今のって、ヤバイ悲鳴だよな……」

 そういえば、この間、愛先生がガラスケースを落っことした時も悲鳴を聞いたな。確か大型犬が暴れたんだっけか? でも、その時は怖いって言うより困ったって感じだったな。

 何か女声の念話は聞こえてくるし、ユーノっぽい念話は切羽詰まってるし、本格的にヤバイな。それにしても何でこんな俺の記憶と違うんだ? 俺はなんもしてないのに

「ねえ、さっきの……」

萌生も不安になったのか俺の方を見てくる。

お、俺はホントに何もしてないぞ?!

――――――――――――修/槇原動物病院



 海鳴市近くの海上。沖合に泊まる豪華客船『日輪丸』の上空にたたずむ影があった。

 

「……」

 

 ユーノ、クルスとジュエルシード争奪戦を繰り広げた悪魔だ。しかし、ジュエルシードに吹き飛ばされた衝撃はただでは済まず、仮面はひび割れ、両腕を失っている。その手負いの悪魔は無言で船の甲板に降り立った。出迎えるのは、軍服を着込んだ男と鎧に身を包んだ悪魔。

 

「おお、タケミナカタ様、お戻りになられましたか」

 

「ほお、これは……誉れ高き国津神といえど苦戦しましたか」

 

「……!」

 

 挑発するように言うその鎧の悪魔、ムールムールに雷を纏わせ立ち上がる。しかし、軍服の男がそれを制して続けた。

 

「今は傷を癒すのが先決です。どうかお抑えください」

 

「……」

 

 納得いかないのか、睨むように鎧の悪魔を見る。しかし、そんなことはどこ吹く風。鎧の悪魔の調子は変わらない。

 

「さて、後は私の仕事です。まあ、奪取に失敗したとはいえ、ここまであの宝石を誘導していただいたのです。すぐに手に入れてきますよ」

 

 くつくつと皮肉な笑みを浮かびながら消える鎧の悪魔。仮面の悪魔は不愉快そうに軍服の男を見た。

 

「……」

 

「わかっております。あの異端者の悪魔など信用できぬと。しかし、この国を護るにはあのようなものも使わねばならぬのです」

 

仮面の悪魔は相変わらず無言のまま佇んでいたが、やがて姿を消した。後には、月を見上げる軍服の男が残されていた。

 

 

 † † † †

 

 

「ふん、こんな世界などにしがみついても意味がないものを……。まあ、あの宝石をこの地に誘導したことだけは感謝してやろう」

 

 槙原動物病院の上空。鎧の悪魔は皮肉気に呟いて病院を見下ろす。しばらく何かを探るように見つめていたが、やがて屋上へと降り、音もなく中へと入って行った。

 

「……見つけたぞ」

 

 病院の一室。動物達が並ぶケースの前で、鎧の悪魔は姿を現した。視線の先には、なのは達が公園で拾ったフェレット。

 

「ふん、変身魔法、だったか? 人間が真似た我らが術、よく使えている。しかし……」

 

 傷ついて動けないフェレットの前で、悪魔は黒い霧のようになり、フェレットに吸い込まれるようにして消えていく。フェレットはもがき始めた。

 

(……うぅ、うわぁ、なんだ!)

 

(厄災の宝石を運びし者よ。その身体を差し出すのだ)

 

 そう、このフェレットはユーノが化けた姿だった。魔法世界には変身魔法というものがあり、管理局の潜入調査や犯罪者の逃走といった場面で使われる。中でも発掘を生業とするスクライア一族は、遺跡に空いた小さい穴や隙間を通るため、小動物に変身する術を身につけていた。副次的な効果として、体が小さくなるのに比例して怪我も面積的に小さくなり、範囲を限定した回復魔法で効果を発揮するというのもあった。勿論、今フェレットに変身しているのは、その副次的な効果を期待してのことである。

 

(厄災の宝石……! ジュエルシードのことかっ! まさかあの魔導師の……!)

 

(有り難く思え。お前は混沌の世界の礎と成るのだ)

 

(っ! 嫌だ! 誰がお前なんかに……!)

 

(無駄だ。人間ごときが逆らえぬ)

 

(い、嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいや……うわぁ!? だ、誰かっ! 助け……!)

 

 フェレットがケースの中で暴れまわる音が響く。その音に反応したのか、それとも何か異様なものを感じ取ったのか、動物達も怯えたように騒ぎ始めた。

 

 しかし、フェレットは急に大人しくなったかと思うと、壮絶な笑みを浮かべた。

 

――マハムドオン

 

 部屋全体に魔方陣が広がり、黒い煙が充満する。みるみる聞こえなくなっていく動物達の声。煙が晴れる頃にはケースに入ったままことごとく息絶えた動物達が遺されていた。

 

「……起きろ」

 

――ネクロマン

 

 しかし、その死体の群れはフェレットの呟きとともに起き上がる。そしてフェレットが飛び出すと同時、一斉にゾンビと化した動物達もケースを破壊して床に降り立った。

 

「ふん、人間以外にネクロマンサーの術を使わねばならんとはな。だが、あれの相手をするにはまだ足りんな。あの部屋の死体も使うか」

 

 ユーノ、いやユーノに取りついた悪魔はそう呟くと、ゾンビと化した犬の群れをひきつれて駆け出した。

 

 

 

 霊安室。ここ槙原動物病院では、動物達といえどこうした部屋も用意されている。場所が場所だけに静まり返っている廊下に、見回りの職員の足音が響く。

 

(はあ、こういう仕事がなければいい仕事なんだけどなぁ)

 

 その女性職員は霊安室前の見回りを苦手としていた。が、外来から見えないように動物の遺体を運び出すため、霊安室には別に出入り口が設けられている。見回りはする必要があった。

 

「……起きろ」

 

「っ?!」

 

 そんな彼女の耳に、妙な声が聞こえた。おそるおそる霊安室に入ると、立ち上がる死体の群れが。

 

「きゃぁぁああああ!」

 

 悲鳴を上げる女性。しかし、それは

 

――アギダイン

 

 放たれた炎とともにかき消された。炎が飛んできた元には、笑みを浮かべるフェレット。

 

「さあ、準備は整った。堕ちた宝石を起こすとしよう」

 

 赤い空間を作り出す悪魔。それは急速に拡大し、動物病院を覆う結界となる。

 

「魔力は十分に満ちた。これだけのエサがあれば、あの宝石も寄って来るだろう。ついでに人間を襲ってマグネタイトを奪っておくか」

 

 起き上がった死体のうち、数匹に指示を出す悪魔。動物たちの死体は、忠実に命令をこなそうと廊下の外へと消えて行った。

 

 

 † † † †

 

 

「? 何かしら?」

 

 フェレットをなのはから預かった女医、槙原愛は廊下の真ん中で立ち止まった。約束通りお見舞いに来たアリサとその付き添いの鮫島を案内している途中、目指す部屋が急に騒がしくなったと思うと静かになり、更にはガラスが割れたような音がしたのだ。

 

「あの、今の音……」

 

「ふむ。器具でも落ちましたかな?」

 

 アリサと鮫島の声を愛想笑いで誤魔化しながら、愛はどうすべきか考える。いったんここで待ってもらって、自分だけ先に行って確認すべきだろうか。しかし、

 

「あら?」

 

「どうしたんですか?」

 

「いえ、扉が開きっぱなしだから。閉め忘れるなんて事はない筈だけど……!?」

 

 開きっぱなしの扉から見えた光景に走り始めた。驚く2人を背にドアをくぐる。

 

「っ! 何、これ!」

 

 アリサ達が近くにいることも忘れ、思わず叫び声を上げた。ケースはどれも破壊され、預かった動物達が居なくなっている。

 

「これは……賊にでも入られましたかな?」

 

「嘘っ! あのフェレットは?!」

 

 後から入ってきた2人も驚く。愛は軽くパニックになりながらも、2人に向き直った。

 

「こんな……ああ、いえ、先程ケースが割れるような音が聞こえてきたのはこれだったみたいね。すみません、とにかく警察に連絡します」

 

「それがいいでしょうな。状況からして我々が第一発見者のようです。出来る限りの協力は致します」

 

 うなずくく鮫島。アリサはショックで暫く固まっていたが、急にびくりと肩を震わせた。

 

「お嬢様、どうされましたか?」

 

「えっ? 此方からなんか足音が聞こえたから……」

 

 アリサの言葉に耳を澄ます愛。すると、確かにヒタヒタという足音が聞こえてきた。

 

「確かに聞こえるわね。そっちは霊安室になってて、外へ出られるけど……」

 

 霊安室と聞いてビクッと反応するアリサ。アリサは幽霊の類いが苦手のようだ。それに気がついたのか、鮫島はやんわりと言う。

 

「賊がかもしれませんな。早く警察に連絡して、我々は戻りま」「きゃぁぁああああ!」

 

 しかし、それを悲鳴が遮る。おびえて鮫島の後ろに隠れるアリサ。愛は廊下の奥へ目をこらした。冷たい闇が支配する廊下。薄暗い蛍光灯が照らす先には、数十のギラギラした赤い光がこちらへ向けられている。否、それは光ではなかった。数十匹の犬が向ける、狂気をはらんだ赤い目だった。そして、愛はその犬たちの事を知っていた。治療の甲斐なく死んでしまった犬達だ。

 

「あの仔達は……!」

 

 戸惑う愛。しかし、その犬達は唸り声をあげると、一斉に飛びかかって来た。

 

「お嬢様っ! お逃げください!」

 

「きゃっ!」

 

 アリサを突き飛ばす鮫島。アリサは衝撃で尻餅をつく。鮫島の腕に噛みつく犬。さほど大きくないその犬は、体型からは考えられない力で、

 

「?! っがぁ!」

 

 そのまま腕を噛み千切った。破りとられた執事服から血が勢いよく吹き出て、廊下を赤に染める。

 

「き、きゃぁぁああ!」

 

 愛の悲鳴が廊下に響く。それと同時、突き飛ばされていたアリサが起き上がっていた。

 

「さ、鮫島……!」

 

 鮫島を喰い頃さんと群がる犬を前に、アリサは視界の端に映った壁に立て掛けてあるモップを手にすると、

 

「うわぁああああ!」

 

 鮫島に群がる狂犬に叩きつけた。たじろぐ狂犬。しかし、他の犬がアリサに牙を剥く。

 

(ア、アリサちゃんが殺される……!)

 

 ようやく目の前の光景を受け止めた愛はアリサに駆け寄ろうとする。

 

 しかし、同時に轟音を立てて壁が崩れ、犬たちを吹き飛ばし、

 

 その後を、黒く巨大な獣が駆け抜けた。

 

 

 † † † †

 

 

 受付。霊安室の方からあがった悲鳴を聞いて騒然とする周囲をよそに、修は悩んでいた。厄介事はついに降りかかってきた。しかしどうすべきか。持っている知識では、確か事件は病院の外で起きるはずだ。だが悲鳴は内部から聞こえてきた。果たして外に逃げていいものかどうか。

 

「っ?!」

 

 だがそんな思考は違和感に遮られる。この感覚はドウマンが張った結界に巻き込まれた時に感じた事がある。しかし、前回と違い、萌生や園子、伊沙子は消えていない。修は焦り始めた。もはや孔やなのはを待つどころではない。前回この気配に取り込またあげく死にかけているのだ。

 

(早く、この結界から脱出しないと……!)

 

 周りを見回す修。すると、伊沙子と目があった。伊沙子は安心させようとしているのだろう、軽く笑顔を向けると近づいてくる。

 

「萌生ちゃん、大丈夫?」

 

「おばさん、あの、さっきの声……」

 

「今、警備員さんが様子を見に行ったみたいだから、きっと大丈夫……」

 

 しかし、不安そうにする萌生を慰める伊沙子の言葉は途切れた。すぐ横の壁から、まるで重機がぶつかったかのような音が響いたのだ。

 

「っ! 何?」

 

 声をあげる園子。その不安を煽るように、周囲はざわめく。それとほとんど同時に、コンクリートの壁にヒビが入った。

 

「っ! 逃げろ!」

 

 修は反射的に動いていた。ベクトル操作で起こした突風でドアを破壊し、園子を待合室へと突き飛ばす。自身は萌生と伊沙子の手を引っ張り、後から飛び出した。

 

「痛っ~! ちょっと、修、痛いんだけど!」

「修くん!? どうしたの!?」

「そうだよ、いきなり走るなんて!?」

 

 何がなんだか分からないうちに場所を変えられた3人は一様に修へ疑問をぶつける。

 

「キャァァアアア!」

 

 しかし、さっきいた受付室から悲鳴が響き、そこにいるモノを見て、園子達は絶句した。

 

「……何、あれ?」

 

 修は、その黒い巨大な獣のような化け物の事を知っていた。ジュエルシードの暴走体だ。

 

「ちっ! 伊沙子さん、上に逃げましょう」

 

 そう言って近くの階段を駆け上がる修。未だあの化け物が外に出るという可能性を捨てきれない修には、外来入口から逃げるという選択肢はなかった。

 

「あ、ちょっと待って! 修くん!?」

 

 伊沙子の声を背に、階段を駆け上がる。だが、そこには赤い目をギラつかせる狂犬の群れが。

 

 目が合った。

 

 刹那、飛びかかってくる狂犬。

 

「ちっ……! 一体! なんなんだよっ!」

 

 修は舌打ちをすると、カバンの中から小ぶりの斧を取り出し狂犬を叩き斬る。悲鳴とともに黒いシミとなって消える狂犬。追いついてきていた伊沙子の声が後ろから響いた。

 

「修くん?! どこでそんな物を?」

 

「通販で買ったんですよ。両手(ツーハンド)斧だけに。まあ、重さだけのおもちゃです」

 

 大嘘である。実際は孔に頼み込んでゲートオブバビロンにしまってあった斧を貰ったのだ。本来なら修のようなこどもが持ち上げられる代物ではないのだが、例によってベクトルを操作しているため軽々と片手で扱うことが出来る。

 

「は、はあ……? そんなもの普段から持ち歩くのやめなさいね?」

 

「まあ、今回は助かったわけですし……」

 

 混乱しつつも、いや混乱しているからこそ平静を保とうとして、いつも通りに修を諌める伊沙子。しかし、修が誤魔化す暇もなく、再び悲鳴が響いた。しかし、今回は一回では終わらない。

 

「うわぁああああ!」

 

 続けざまに聞こえた絶叫に、萌生が声を上げる。

 

「ねえ、今の声、アリサちゃんじゃない?」

 

「ああ、確かにバニングスだな。ま、向こうにはあの執事さんもいるし、大丈夫だろ」

 

「行かないの?」

 

「えっ? あ、いや……」

 

 萌生に聞かれ、修は悩んだ。「面倒は避ける」を第一とする修が何か起こると知りながらこの病院に来ているのは、萌生や園子、伊沙子といった自分を大切にしてくれる人々を護るためであり、そこにアリサを考慮に入れていなかったためだ。普段から助けると心に決めていなかっただけに、いざとなると戸惑いが生まれる。特に、修にとってアリサは物語の主要人物だ。下手に係わってなし崩し的に巻き込まれるのは避けたい。かといって、みすみす見殺しにするのも気が引ける。もし変に未来の知識を持っていなければ、すぐ助けに行っていただろう。だが、事件に係わらないようにしようというある種の自己暗示が、修の行動を鈍らせていた。

 

(ていうか、卯月や高町は何やってんだ? こういう時こそ出番だろうが……)

 

 同じ異能をもつ孔と魔法の力をもつなのはに心の中で悪態をつく。自分が言えた義理ではない事はよくわかっているのだが、異能を持ってヒーローとして活躍している(ように修には見える)孔や物語の主人公であるなのはは、ヒロインの危機に駆けつけるはずだと何処かで期待していた。

 

「俺達が行っても邪魔になるだけだろ。それに、さっきの悲鳴は一階からだ。あの黒いでっかい化け物が暴れてるかもしれない。危ないだろ。まあ、とりあえず様子見だ」

 

「でもぉ……」

 

 納得いかない様子で萌生は悲鳴が聞こえてきた方を見つめる。園子はじっと俯いて黙ったままだ。そんな時、アリサの悲鳴が聞こえた方から、先程暴走体がコンクリートを破壊した時の音と同じ爆音が響いた。

 

「っ! 私、やっぱり行ってくる!」

 

「あ、おい! やばいって! 戻れ! おいっ!」

 

「萌生ちゃん!?」

 

 修の制止も聞かず、音がする方へ走る萌生。伊沙子は驚いたような声を出す。そんな2人をよそに、園子も走り始めた。園子は萌生が一度仲良くなった友達のために無茶をやることを知っていたのだろう。そして園子が、そんな萌生を放っておくはずもない。

 

「仕方ない、追いかけましょう」

 

「あ、ちょっと待って、ここは私が先に……! ちょっと、修くん!?」

 

 修も、背後で叫ぶ伊沙子と共に追いかけ始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「はあ、はあ……! 何でっ! なんで持ち上がんないのよぉ!」

 

「アリサちゃん、無理しないで」

 

 アリサと愛は廊下の真ん中でコンクリートの塊を持ち上げようとしていた。先ほど、黒い巨大な獣がコンクリートの壁を破壊して出てきたのだが、その時の瓦礫が鮫島を下敷きにしたのだ。黒い獣はアリサたちを無視してまっすぐ霊安室の方へ走り去ってしまったが、その衝撃でできた破壊の傷跡は大きかった。

 

「っぅ……!」

 

 巨大な瓦礫に力を込め過ぎたせいか、アリサの指先には血が滲み始めていた。それでもアリサは止まらない。瓦礫の下では、大切な家族がもっと痛い思いをしているのだ。

 

「……アリサちゃんっ!」

 

 不意に愛が切羽詰った声をあげた。廊下の奥に目を向けている。その先に意識を向けると、足音が聞こえてきた。脳裏に狂犬が頭をよぎる。脅威の接近を告げるその音に、アリサは血まみれの指に力を入れた。

 

「……動け、動いてよ!」

 

 しかし、瓦礫は沈黙したままだ。アリサは目に涙を浮かべながら手に力を込める。

 

(もし、もし私にっ! あの化け物みたいに力があったら……!)

 

 脳裏に浮かんだのは孔。アリサは初めてあの気持ちの悪い力を羨ましく思った。それと同時に、苦しいときにあんな嫌な奴の力を頼ろうとしなければならない自分の非力さに嫌気がさした。そんなアリサの葛藤にお構いなしに、足音はどんどん大きくなっていく。ついに廊下の奥に影を認めた時、

 

「アリサちゃ~ん! 大丈夫~?」

 

 萌生の声が響いた。廊下の奥からアリサの方へ手を振って走ってくる。

 

「っ!? 萌生!? なんでここに?」

 

「はあ、はあ、アリサちゃんのうわーって声が聞こえたから、走って来たんだよ? 大丈夫?」

 

 息を切らしながら説明する萌生。ほどなくして、園子、次いで修と伊沙子もやってきた。

 

「なんだ。バニングス、無事なんじゃない」

 

「だから、執事さんもいるんだし大丈夫だって言っただろ……ってぼろぼろだな」

 

 そんな修の言葉にアリサが反応した。

 

「っ! そうだ! 鮫島が瓦礫の下敷きになったの。これ動かすの手伝って!」

 

「鮫島って、運転手のおじいさん?! 分かったよ!」

 

 萌生は一緒になって持ち上げようとするが、びくともしない。

 

「……お、重い。重いよぉ」

 

「諦めないで!」

 

 まるで動かない瓦礫に音を上げる萌生。それを見て、園子は大きくため息をつき、

 

「はあ、しょうがない」

 

 瓦礫に手を伸ばした。

 

「大瀬さん……!」

 

「ほら、修も一緒に持ち上げなさいよ。こういうの得意でしょ!」

 

 驚いたように、しかしどこか喜色を滲ませて名前を呼ぶアリサ。それにはあえて反応せず、園子は修に手伝うよう即す。修は苦笑しながら、

 

「しょうがねえな。伊沙子さんも手伝ってくれます?」

 

「ええ、みんなで持ち上げましょう。槙原先生もいいですよね」

 

「もちろん。大瀬さん、ありがとうございます」

 

 大人2人もそれに加わる。6人の掛け声とともに、瓦礫は持ち上がった。

 

 

 

「鮫島! 大丈夫?!」

 

 しかし、瓦礫の下の鮫島は無事ではなかった。もともと腕を失って出血多量のところに瓦礫が倒れこんできたのだ。体中に血が滲み、脚はあらぬ方向にまがっている。誰が見ても致命傷だった。力なく倒れたまま動こうとしない鮫島に、アリサは駆け寄った。

 

「鮫島ぁ! しっかりして! しっかりしてよぉ!」

 

「うぁ……。お嬢様、そんなに泣かれては、……お綺麗な顔が、台無しでございます」

 

 死に瀕しながらもアリサを認め、声を振り絞る鮫島。最後の力でアリサの手を握る。

 

「お嬢様、鮫島は……ここまでのようで……ございます」

 

「っ! な、何言ってるの! ダメよ! 私を独りで置いていくなんて許さないんだからっ!」

 

「お、お嬢様……お嬢様はもう……独りではございません。必ずや旦那様と奥様と……肩を並べて……家族として一緒に歩まれるようなお方に……」

 

「うん、なる。なってその姿を見せたげる。だから……だから目を開けてよぉ! 鮫島ぁ!」

 

「ああ、……お嬢様。……鮫島はその言葉を聞ければ……十分でございます。……お嬢様、鮫島はずっとお嬢様の心の中に………………」

 

「っ! 鮫島! 目ぇあけてよぉ! いつもみたいに褒めてよ! 笑ってよぉ! 鮫島っ! 鮫島ぁぁあああああああああああああ!!」

 

 アリサの絶叫が響く。そんなアリサを見て、愛は手を固く握りしめていた。彼女自身、家族同然の動物たちを失って悲しむ人々を何人も見てきたが、大切なものの死を前にした人というのは何度見てもやりきれない。かけるべき言葉に悩んでいると、萌生がアリサの方に踏み出した。

 

「あ……」

 

 しかし、なんといっていいのか萌生も分からないようで、うまく言葉が出ない。そんな萌生の肩に修が手を置く。

 

「……そっとしといてやれ」

 

 修の言葉に泣きそうな顔で俯く萌生。重苦しい沈黙がその場を支配し、

 

 それを破壊するように、火災報知機が鳴り響いた。

 

 

 † † † †

 

 

 再び霊安室。近づいてくる巨大な魔力に、悪魔は笑みを浮かべていた。ジュエルシードは外部から破壊されそうになった場合、そのまま魔力が流出しないよう、自己保全のためにプログラムを組上げる。しかし、このプログラムは、本来の機能である願望を実現する術式に自己の安全確保という単純な目的を入力してできた代物だ。当然、欠陥だらけの術式で組み上げたプログラムは予期せぬ動作をし、結果、周囲のものを手当たり次第に攻撃する暴走体が生まれることになる。

 

「攻撃は最大の防御、といったところか。まあ、所詮組み込まれたプログラム。人間の欲望を基としていないモノなど大した力も発揮できまい」

 

 悪魔の放つ魔力を最優先の驚異として認識し、自分から此方へ向かってくるジュエルシードに歪んだ笑みを浮かべる。あとはあの暴走体をゾンビで足止めしつつ弱らせ、封印すればいい。しかし、

 

「ユーノ、何処?!」

 

 突然霊安室近くの扉を破って乱入してきた者がいた。クルスだ。孔達も後に続いて入ってくる。

 

「ふん、報告にあった死に損ないの……!? 何!? アイツは……」

 

 それをドアの隙間から見ていた悪魔は声をあげる。その目は孔を凝視していた。

 

(あれは……何故こんな所に? まさか……!)

 

 ドアの隙間から暫く様子を伺い、考え込む悪魔。

 

(だとすると……この姿で奴らと戦うのは厳しいな……といってこの体は監理局を誤魔化すのにも必要……ええい、やむを得ぬ!)

 

 やがて悪魔は意を決したように立ち上がり、

 

「貴様ら、あのメシアをここで止めろ!」

 

 ゾンビに指示を出す。一斉に廊下へと走るゾンビたち。そして、

 

――アギダイン

 

 霊安室に炎を放った。同時に火災報知器が鳴り響く。悪魔はそれを無視して廊下を駆ける。ほどなく暴走体に追いついた。こちらを認め、一直線に向かってくる暴走体。悪魔はそれを、

 

「ふんっ! 単調だな」

 

 馬鹿にするように頭を踏み台にして飛び越した。暴走体は反転して追いかけてくる。悪魔はそのまま走り続け、暴走体が開けたであろう壁の穴を目指す。途中で人間と人間の死体を飛び越した気がするが気にしない。とにかく暴走体を誘導して、孔達から遠ざけるのが目的だった。悪魔は暴走体と一対一の状況を作り出し、自分で封印するつもりだったのだ。最後に穴から飛び降り、

 

「むっ?」

 

 暴走体が追ってこないのに気づいた。

 

 

 † † † †

 

 

 火災報知器が鳴り響く中、孔達は霊安室近くを走っていた。脱出しようとする人であふれかえる入口を避け、霊安室側の出入り口を使ったはいいが、突然目の前の部屋から出火したのだ。

 

「燃えてる……!」

 

「まさか、この中にユーノが……?!」

 

「I4U、どうだ?」

 

《Sorry, My dear. 魔力でできた炎が邪魔をして分からないわ。部屋の中に入ってみないと》

 

 クルスはI4Uの声に剣を構えながらドアに近づく。真正面に立たないようにして、

 

「ふっ!」

 

 一気に剣でドアを破壊した。酸素を得た炎が勢いよく吹き出す。

 

《Round Shield》

 

「助かりました、リニスさん」

 

 すかさず前に出て防御するリニス。それに礼を言うクルスを横目に、孔は部屋の中に突入した。

 

「……誰もいないな」

 

《My dear. 私の方も確認したわ。魔力反応も悪魔の反応もこの部屋にはないわね》

 

「外れ、か……」

 

「ここで火の手が上がっていたということは、近いはずです。まだ可能性はありますよ」

 

 残念そうに言うクルスをリニスが慰める。気を取り直して廊下へと出ると、行く手を阻むように狂気を含んだ赤い目が見えた。狂犬――否、悪魔の群れだ。

 

「っ! 悪魔か! ケルベロス!」

 

「……手短ニ済マスゾ!」

 

――ファイアブレス

 

 ケルベロスの口から吐かれた炎が狂犬をなぎ倒す。一瞬で灰になって消える狂犬。

 

「リニス、結界で悪魔から人を隔離できるか?」

 

「ええ、展開に少し時間はかかりますが、悪魔用に調整した封時結界で対応できる筈です」

 

 封時結界とは、空間の一部を切り取り、術者が許可したもの以外を締め出す結界魔法の一種だ。これをプレシアが悪魔にも対応できるように応用し、リニスや孔に対悪魔用として託していた。リニスは悪魔や魔力を持ったものを対象に締め出すことで、暴走体や悪魔を公共施設である病院から隔離しようとしたのだ。しかし、その時、

 

「うわぁぁぁああああ!」

 

 廊下に絶叫が響いた。孔は聞き覚えがある声にすぐ反応した。

 

「っ! 先に行く! リニスは結界の用意を!」

 

 

 † † † †

 

 

「っ! 火事? こんな時に!」

 

 壁に埋め込んである配線が切断され、漏電でも起こしたのだろうか。五月蝿く鳴り響く火災報知機に愛は苛立たしげな声をあげる。しかし、アリサは鮫島の前から動こうとしなかった。

 

「……アリサちゃん。辛いでしょうけど、ここは危険だわ」

 

 愛が前に出て肩に手をかける。アリサの肩は震えていた。それでも俯いて黙ったまま立ち上がるアリサ。涙が頬を伝った。そんな時、鮫島とアリサの間をフェレットが横切った。なのはと拾ったフェレットだ。

 

「ぁ……」

 

 思わず目で追う。フェレットは暴走体が開けた穴から外へ飛び降りていった。

 

「ほら、アリサちゃん。あの逃げたフェレットも追わないと……」

 

 どこか遠くから響く愛の声。しかし、同時に何か巨大な獣の足音が近づいてきた。顔を向けると、涙で歪んだ視界に赤い目の黒い化け物が迫っているのが見えた。そして、その化け物は、

 

「……ぇ」

 

 アリサの目の前で、鮫島の遺体をメチャメチャに踏み潰した。

 

――おや、これはお上手ですな。旦那様もお喜びですよ

 

 鮫島の血が顔にかかる。

 

――その様な陰口など弱いものがすることです。笑い飛ばすぐらい強くなくては

 

 鮫島の腕が足元を転がる。

 

――おお、お友だちとお帰りとは、嬉しゅうございます。お嬢様

 

 そして、目の前には原形を留めない程に変形した鮫島がいた。

 

「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛ああああああああああ!」

 

 絶叫するアリサ。足元の瓦礫を拾い上げて暴走体に投げつける。振り向く暴走体。自己保全プログラムは危険性のある魔力よりも、実際に攻撃してくる個体を攻撃対象として認識したのだった。

 

 

 

(まずいっ!)

 

 そう思ったのは修である。急に襲って来た暴走体は雄たけびを上げ、まさにアリサを踏みつぶそうと迫っていた。しかし、

 

「うわぁぁぁぁあああああ!!」

 

 そんな事は目に入らないのか、アリサは両手で瓦礫の破片を持ち上げ、殴りかかろうとする。

 

「っ! よせ!」

 

 修は反射的に前に出て、アリサを後へ突き飛ばす。アリサをとらえられなかった暴走体の腕は空を切り、代わりに廊下の壁を削り取った。

 

「みんな逃げろ!」

 

 衝撃で転んだ愛の手を握りながら叫ぶ修。伊沙子は腰を抜かしている萌生を抱えあげた。そして、

 

「放して! 放してよ! 放せぇっ!」

 

 園子は未だ暴走体に突っ込もうとするアリサの手を引っ張っていた。そこに迫る暴走体。

 

「っち!」

 

 修は持っていた斧を投げつける。それは紛う事なく暴走体を真っ二つにしたが、それは直ぐに再生を始めた。

 

「だあ! 何でこんな……!」

 

(こんな、こんな所だけ俺の知ってる通りなんだよ!)

 

 そんな心の叫びを飲み込む。自分は人の死にかかわることなどない予定だったし、少なくとも修の記憶では鮫島が死ぬことなどなかった。しかし、現実はどうか。生きるべき人物が息絶え、本来ここにいないはずのアリサは目の前の死に自我を失っている。

 

(俺は、何のために能力をもらったんだったかなぁ?)

 

 決まっている。事件に、危険に巻き込まれないためだ。今だって気配遮断を使えば自分だけなら逃げ切れるだろう。

 

(自分だけなら、か……)

 

 頭に浮かんだ結論に自嘲する修。修はなんだかんだ言って、今の状況を楽しんでいた。暖かい家族。気の置けない友人。それは紛うことなく大人になるにつれて失っていた楽しい記憶そのままだった。儚い、しかし大切な時間。

 

「こんなはずじゃなかったことばかりだなぁ! 本当にぃ!」

 

 その時間をぶち壊してくれた暴走体を睨み付ける修。この世界に来て、これほどの怒りを感じたことはなかった。それはアリサをすぐに助けに行かなかった自分に対する怒りでもあり、自分の想定と外れたことが襲い掛かってくる理不尽な現状への怒りでもあった。

 

「この……!」

 

 暴走体に向かってレールガンを放つためポケットの五百円玉を握りしめる。すぐ再生すると分かってはいたが、修はそうせずにはいられなかった。しかし、

 

「修くん、気持ちは分かるけど、今は逃げましょう」

 

 構えた手は愛に止められた。

 

「……っ! 分かりましたよ!」

 

 確かにその通りだ。今は感情に流されて突っ走る時ではない。再生を止める術を持っていない自分ではあれは止められない。何より、萌生たちがいた。自分と違って、彼女たちは反射の膜で守られていない。攻撃が当たれば即死だ。自分が逃がさなければならない。

 

(これじゃあ、バニングスを止めた意味がないな)

 

 再度自嘲する修。自分を止めてくれた愛に感謝しながら逃げようとするが、

 

「お、おまえが、おまえがぁ……!」

 

 そんな声が聞こえた。見ると、アリサが未だ園子の手を振りほどこうとしている。

 

「おい、お前も……」

 

 しかし、修が声をかける前に、

 

「っ! いい加減にしなさいよ!」

 

 園子の平手がアリサの頬を叩いた。

 

「あんたねぇ! あの人と約束したんでしょ! 家族と一緒になるって! だったら、生なさいよぉっ!」

 

 園子が叫ぶ。この言葉はまだ小学生の園子が考えたものでは勿論ない。恋愛小説を読んでいて、恋人の男性が死んで落ち込むヒロインに、恋のライバル役であった女性が言った台詞だ。もっとも、園子も小説のワンシーンを思い浮かべた訳ではない。ほとんど無意識のうちに声に出ていた。しかし、これほど今の園子の気持ちを代弁する言葉はなかっただろう。

 

「……っ!」

 

 驚いたように目を見開いて園子を見るアリサ。抵抗がなくなったのを感じ、園子はアリサの手を引いて走り始める。しかし、逃げようとした先には、先程と同じような狂犬がこちらに牙を向けていた。

 

「なっ?!」

 

 誰かが声をあげる。挟まれたのだ。後ろを向くと、再生を終えた暴走体が園子とアリサに迫っている。修は舌打ちする。今度こそ能力を使うしかない。ポケットの中の五百円玉を握りしめる。

 

(小学生に五百円は大金なんだぜ? まあ、俺は黄金率でなんとかなるけどなぁ!)

 

 電気を纏わせ、コインを――

 

「……ったく、遅ぇ……」

 

「……っ!?」

 

「えっ!? 卯月く……」

 

 飛ばす事はなかった。ようやく駆けつけた孔が暴走体を殴り飛ばしたのだ。驚くアリサと園子。しかし、すぐに唐突に襲った違和感とともに2人は消えた。いや、消えたのは2人だけでない。萌生や愛たちもいなくなっていた。リニスの結界が発動したのだ。

 

「っ! 折井、無事か?!」

 

「遅ぇぞ卯月!」

 

 一言文句を言って、修は目の前の狂犬に向き直る。

 

「散々やってくれたなぁ! お前らには五百円じゃ安いぐらいだ!」

 

 電気を纏わせ、今度こそコインを飛ばした。それはすさまじい電撃をまといながら、狂犬を襲った。なすすべもなく巻き込まれ、叫び声をあげながら黒い染みになって消えていく狂犬の群れ。

 

「……後はオマエだけだな」

 

 再生を終えた暴走体に向き直る。修は拳を握りしめた。恐らく再生を続けるこの暴走体を完全に倒すことなど不可能だろう。修に出来るのはせいぜい孔のサポートぐらいだ。

 

「折井、こいつは俺が……」

 

 孔もそれを察して前に出る。しかし、修はそれを手で遮った。

 

「待てよ。一発ぐらい殴ってもいいだろ?」

 

「折井……」

 

 孔は修の普段と違う様子に戸惑った。普段の気だるげな雰囲気はなく、ギラギラとした殺気と狂気が伺えた。

 

「再生するぶんだけ痛め付けてやる……!」

 

 修の背中から黒い翼が顕在する。刹那、凄まじい暴風が吹き荒れ、瓦礫とともに暴走体に襲い掛かった。

 

 

 

「っ! そこにいるのは……!」

 

 遅れてやってきたクルスとリニス。その視線の先には、壁にめり込んだ暴走体がいた。黒い影のような触手がビチビチともがくように震え、コアとなっているジュエルシードは露出している。あまりの光景に固まる2人。

 

「……気は済んだか?」

 

 孔は2人がやってきたのを機に、いたわるように修に声をかけた。

 

「……ちっ。まだ足りねぇが……もういいや……後たのむ」

 

「……分かった」

 

 孔は修の前に出て、デバイスをジュエルシードに向ける。

 

《Sealing.》

 

 純白の魔力光が伸び、暴走体を包み込んだ。封印魔法。対象からの魔力放出を完全に停止させ、強制的にシャットダウンする。スイッチを切るようなもので、魔法世界で唯一ロストロギアを制御する手段だ。消えていく暴走体。後には青く光る宝石が残されていた。

 

「やっと終わったか……」

 

 それを見て溜め息をつく修。殺気は消えたものの、いつものような気さくな雰囲気は皆無で、声に力がない。

 

「……折井、大丈夫か? 何があった?」

 

「俺は大丈夫だ。ただ、な……」

 

 封印を終えた孔達に、修は起こった悲劇を語り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「悪いな、遅くなった」

 

「修くんっ!? 卯月くんも! 何処行ってたの!?」

 

 突然消えた修を探していた萌生達は、唐突に戻ってきた孔と修に驚いた。

 

「ああ、化け物に何かされたみたいなんだが、気がつけば病院の外だったんだよ。俺にもさっぱりだ。あの黒い化け物は卯月にぶん殴られたのが効いたみたいで、どっか行っちまったよ」

 

「そう、良かった……」

 

 安堵する愛。伊沙子と園子も安心したように笑みを浮かべる。しかし、

 

「……」

 

 アリサは無言で孔に近寄り、

 

「何でっ!」

 

 孔に殴りかかった。反射的に拳を受け止める孔。アリサは泣きながら、まるで悲鳴をあげるように叫んだ。

 

「……何で、何でもっと早く来ないのよ! アンタが、アンタがもっと早く来てあの黒いの殴ってたら鮫島はぁっ!」

 

 アリサの手を掴む孔の手が緩む。

 

「アンタ化け物なんでしょぉ! 化け物なら、化け物ならぁ! 人に嫌な思いばっかさせてないで、あの化け物殺してよぉお!」

 

「バニングス……!」

 

 アリサを止めようと手を振り上げる園子。しかしそれを孔は手をあげて制し、

 

「……アリサ・バニングス」

 

 しっかりと目を見据えて名前を呼び、

 

「……すまなかった」

 

「っ! うわぁぁぁああああ!」

 

 アリサは何度も何度も孔を殴りつける。常軌を逸した身体能力を誇る孔の体は硬い。アリサの手に血がにじみ始めた。それでも、アリサは殴るのを止めない。孔は何も言わずにそれを受け止めていた。痛みは無い。それが逆に力を持っていながら何もできない自分をさらに攻め立て、苦しかった。しかし、アリサの手は唐突に止まる。孔が顔を上げると、リニスがアリサの手を掴んでいた。そして、

 

「アリサちゃん、孔を殴っても、大切な人は戻ってきませんよ?」

 

 アリサにとって最も残酷で、同時に最も直視すべき事実を告げた。悲痛な顔で。おそらく、アリシアかプレシアの死を思い出しているのだろう。精一杯の想いを込めて、しかし短く伝えた。

 

「殴るのではなく、求めて下さい。あなたは、独りじゃない、でしょう」

 

「……ぁ……」

 

 それは、奇しくも鮫島がアリサに遺した言葉と同じだった。魂が抜けたかのように崩れ落ちるアリサ。リニスはアリサを支え、抱きしめる。

 

「うぁ、うぁあああああ!」

 

 堰を切ったように、リニスの腕の中で泣きじゃくるアリサ。燃え盛る病院の中で、いつまでも悲痛な声が響き続けた。

 

 

 † † † †

 

 

「……っ火事……!」

 

 なのは燃える病院を見て呟いた。念話を聞いて家を飛び出したはいいが、聞こえてきた先の神社は遠く、走っている途中で別の声がした。結局まずは先に聞こえた方からと方向を変えずに走ったのだが、既に神社には誰も居らず、その後で槙原動物病院へと向かったのだ。

 

 けたたましいサイレンの音が聞こえる。誰かが消防車を呼んだのだろう。燃える病院に圧倒され、しばらく唖然としていたが、

 

(あ、あのフェレットは……?!)

 

 学校帰りに拾ったフェレットを思いだし、辺りを見回す。しかし、それはすぐに見つかった。

 

(僕の声が聞こえますか?)

 

「えっ?!」

 

 唐突に聞こえた声の先に、探し求めていたフェレットがいたのだ。

 

「良かった。来てくれたんだね」

 

 そして、フェレットはなのはを見上げて喋り始めた。

 

「えっ?! ええっ?! フェレットが喋った?!」

 

 驚くなのは。しかし、そのフェレットはなのはの混乱を加速させるように喋り続ける。

 

「僕はある物を探して別の世界から来たんだ。君には魔法の素質がある。力を貸して欲しいんだ」

 

「えっ!? 別の世界? それに魔法って……?」

 

「順を追って説明するよ。ここじゃ人に見られるかもしれないから、落ち着いて話せるところはないかな?」

 

「う、うん、えっと、じゃあ、私の家に……」

 

 なのははフェレットに言われるがまま、家に向かって歩き出した。

 

 なのはは気づかない。くつくつと、フェレットが邪悪な笑みを浮かべていることを。

 

 そして、

 

(誰か……助け……)

 

 封印された意識の奥で、叫び続ける声が響いていることを。

 

 降り注いだ厄災の種は、今まさに発芽しようとしていた。

 




――Result―――――――
・愚者 鮫島     瓦礫による圧死
・愚者 見回りの職員 魔力の炎による焼殺
・妖獣 ヘルハウンド 魔力の炎および電撃による感電死

――悪魔全書――――――

愚者 鮫島
※本作独自設定
バニングス家に雇われている運転手兼執事。雇い主はあくまでデビット個人でバニングスグループの従業員ではないが、アリサの祖父に身寄りがないところを拾われ、以降運転手を勤め続けている。会社の経営が悪化して給料が出なかった時もバニングス家から離れることはなく支え続けた。デビットやアリサからすれば家族同然の存在。会社も安定し、老年となった今はアリサの成長を楽しみとしている。

愚者 槙原愛
※本作独自設定
 海鳴市にある動物病院、槙原動物病院の女性院長。天然でおっとりしているところはあるが、獣医としての腕は確か。唐沢医大獣医学科を卒業後、周囲の協力もあり念願だった動物病院を開院、若くして院長となる。引き取り手のない動物たちを無料で治療したりしているため、住民だけでなく警察や行政組織からも動物関連のトラブル解決にあてにされている。なお、料理の腕は壊滅的。

愚者 大瀬伊佐子
大瀬園子の母。家計を助けるため、槙原動物病院でパートとして働いている。修や萌生の母親とも幼稚園の時代から付き合いがある。園子と同じ面倒見のいい性格で、こども達を預かることも多い。

厄災 ジュエルシード暴走体ⅩⅩⅠ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。黒い影の獣のような姿を持つ。地球落下の際、衝撃から身を護るために術式が作動。「自己保全」を祈願実現プログラムに入力することで生まれた。自己保全のため、己を傷つける可能性がある者すべてに攻撃を仕掛ける。なおジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅩⅩⅠ。

堕天使 ムールムール
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列54番の地獄の大公爵にして伯爵。30軍団を率いる。グリフォンにまたがり、緑の鎧、公爵の冠を身に付けている。その名はラテン語で唸り声を意味し、耳障りな声で話すが、哲学の知識を豊富に持つ。また、ネクロマンシー(死霊魔術・占い)を得意とし、死体から死霊を呼び出し使い魔にしているという。

――元ネタ全書―――――

ネクロマンサー
 偽典・女神転生。序盤のイベント。シェルターに入り込んだこの悪魔のせいで大量の死体が襲いかかってきます。その後、トラウマ級の惨劇が……。

モップ/ツーハンドアスク
 異見聞録ペルソナより。主人公陣営の初期装備およびファーストダンジョンにて手にはいる武器(?)。この他、瓦礫を持ち上げようとするアリサ等も同ダンジョンのイベントが元ネタです。

――――――――――――


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第11話a 双頭の番犬《壱》

――――――――――――

「……という訳なんだ」

 私は魔法世界のフェレットだっていうユーノくんから説明を受けていた。ユーノくんはジュエルシードっていう宝石を探してるらしい。そして、そのお手伝いは、魔法が使える私にしか出来ないって……。

「君の助けが必要なんだ。僕と契約して、魔法少女になってよ」

「うんっ!」

 私はうなずいた。ほむらさんみたいに、困ってるユーノくんを助けるんだ!

――――――――――――なのは/自室



「結局、ジュエルシードは逃したか。まあ、発掘者の体を手に入れただけでよしとするか」

 

「ふん。なんだ失敗か。ワシのマシンが完成していれば、あんな悪魔に頼らなくとも良いものを」

 

 日輪丸。苦々しげに言う軍服の男にいかにもマッドサイエンティスト然とした白衣の男が追随する。

 

「……まあいい。予定通り双頭の番犬を送るとしよう」

 

「いいのか?」

 

「あの発掘者の体ではジュエルシードを探すのは無理、だそうだ。それに、監視の目を惹き付ける役は必要だ」

 

「軍人は面倒だな。まあ、ワシは研究対象が増えていいのだが」

 

 狂気の笑みを浮かべる白衣。軍服の男は黙ってモニターを見続けていた。

 

 

 † † † †

 

 

「ええい、待て! お前の役目はジュエルシードの探索だ! おい! 聞いてるのか!」

 

 ユーノにとりついた悪魔は双頭の獣を追っていた。増援だといって送られてきた巨大な犬のような悪魔、オルトロスだ。悪魔を呼び出すのにおあつらえ向きの広さがある海鳴市の神社裏で呼び出したはいいが、契約もない悪魔同志で上手くいくはずもなく。オルトロスは現界した途端、咆哮をあげるとあらぬ方へ走り出した。茂みの中へ消えていったオルトロスを遂に見失い、悪魔は呟く。

 

「ぬう、さすがは駿足の名を持つ獣……速い!」

 

 何という事だ。ジュエルシードを探す前にオルトロスを探さなければならなくなってしまった。だが、すぐに舌打ちして思考を切り替える。

 

(まあいい。ジュエルシードを見つけるという目的は同じだ。すぐに会うことになるだろう。それまで、あのメシアから目を反らす役割を担ってもらうとしよう)

 

 悪魔は舌打ちしながらも思考を切り替え、今の拠点である高町家へと戻っていった。

 

 

 † † † †

 

 

「きゃ?!」

 

 神社の前。飼い犬を連れた少女、天野マヤは突然飛び出してきたフェレットに驚き、思わずリードを手放した。中学生ぐらいだろうか、制服を着ている。

 

「びっくりした。この神社って狐だけじゃないのね」

 

 よく散歩コースとして神社を通っているマヤは、たまに見かける子狐と会えるのを楽しみにしていた。もっとも、飼い犬のメリーを連れているためか、毎回目があった途端逃げられてしまうのだが。

 

「ウ~! バウッ! ワウッ!」

 

 しかし、リードを拾おうとしたその矢先、急にメリーが吠え始め、そのままフェレットが飛び出してきた方へと走り始めた。

 

「ちょっと、メリー?!」

 

 驚いて後を追うマヤ。飼い主をおいて走るメリーに続き、神社の石段を駆け上がる。境内に出でると、そこにメリーの姿はなかった。

 

「メリー! メリーィ! 何処にいったの?」

 

 急にいなくなった飼い犬の名を呼ぶマヤにさほど焦った様子はない。彼女の愛犬はよく何か見つけては居なくなる事が多いのだが、名前を呼べばいつもすぐ戻ってくるのだ。そして、今も、可愛らしい鳴き声とともに茂みの奥から飛び出してきた。

 

「もう、急に走って……。どうしたの? メリー。またゴキブリとかは嫌よ?」

 

 メリーが何も持っていないのを見て、マヤはそのまま何事もなかったかのように散歩を続ける。

 

 ニヤリと悪魔的な笑いを浮かべるメリーに気づかないまま。

 

 

 † † † †

 

 

 焼け落ちた動物病院を前に、愛は唖然としていた。この動物病院は彼女の夢の結晶とでも言うべきものだった。それが不気味な黒い化け物に蹂躙され、一夜にして破壊されてしまったのだ。

 

「……」

 

 目の前で大切な人を失ったアリサを宥めたり、こども達を逃がすのに必死だったあの時と違い、改めて瓦礫の前に立つと感情が溢れてくる。頬を伝う涙。

 

「愛っ! 大丈夫か?!」

 

 しかし、自分でそれをぬぐう前に後ろから抱き締められた。夫の耕介だ。振り替えると、義理の娘のリスティもいる。何年かぶりに愛は夫の腕の中で泣いた。

 

 

 一方のリスティは、燃える病院と泣き叫ぶ愛を前に立ち尽くしていた。彼女は刑事をやっているため、消防の出動とほぼ同時に火災の連絡を受ける事が出来た。すぐに耕介へ連絡を入れ現場へ飛だのだが、時すでに遅く、目の前には凄惨な光景が広がっている。

 

「原因は大規模な爆発、だそうだ」

 

「……寺沢さん」

 

 そこへ、年配の刑事が声をかけた。リスティの上司、寺沢警部だ。

 

「詳しくは調査待ちだがな。消防の知り合いが言ってた。まあ、そうでなくても火元がない病院で火災なんて放火か漏電くらいだろう」

 

「……放火、ですか」

 

 思わず拳を握りしめるリスティ。寺沢警部は口調を努めて変えないようにして続ける。

 

「……ただの放火じゃなくて爆発って話だからな。テロかなんかかもしれん。どちらにせよ事件だ。被害者への聞き込みから始めようと思うが、来るか?」

 

 まだ捜索本部も立ち上げていない段階でリスティを誘う警部。リスティはそんな上司に感謝しながらも、厳しい表情でうなずいた。

 

 

 † † † †

 

 

「アリサ、遅かったね? 鮫島はどうしたんだい?」

 

 その日の夜。リニスに手を引かれて帰って来たアリサは、出迎えたデビットに何も言わず泣きながら部屋へと走った。

 

「アリサ!?」

 

 困惑するデビットと悲痛な表情を浮かべるリニスを背に、アリサは部屋へ飛び込みベッドに沈みこむ。信頼する家族の死を受け入れるには、まだアリサは幼すぎた。

 

(……どうして……!)

 

 どうして、鮫島が死ななければならないのか。それは既に疑問ではなかった。憎悪だ。アリサは自分を支えてきた人を奪った理不尽な現実を憎悪し、運命を呪った。そして、悲しみと怒りで泣きじゃくった。

 

 

 

 そんなアリサに戸惑うデビットに、リニスはアリサが動物病院の火災に巻き込まれた事、鮫島が亡くなった事を告げた。魔法やジュエルシードの説明はしていない。ただ、火災に巻き込まれたと告げただけだ。デビットは始め信じられないという様子だったが、娘の尋常でない様子を受けて事実だと悟ったのか、次第に表情をなくしていった。

 

「……申し訳ありません。もう少し、早く駆けつけていれば……」

 

 リニスはデビットを慮った言葉で話を終える。リニス自身、孔や自分が遅れた事を罪と思っている訳ではないが、当事者であった事に変わりはない。何より、孔はアリサの気持ちを受け止めようとしていた。もし、自分が責められることでアリサやアリサの家族が楽になるなら、責めるに任せよう。それが、力を持つ者の義務なのだから。

 

「……リニスさんのせいではないよ」

 

 しかし、沈黙の後、デビットが苦しそうに絞り出した言葉で、リニスは浅慮に気付いた。デビットはアリサと違い、魔法を知らない。自分が責められる訳がない、と。

 

「アリサを送ってくれて……有難う」

 

「……いえ……気を落とさないでください」

 

 何も言うことが出来ないまま帰途に就くリニスを、デビットは礼とともに送り出す。孔には決してかけられることのなかった感謝の言葉を向けられ、リニスは苦渋の表情で応えた。おざなりの台詞しか言えない自分も、無用の謗りを受けている孔も、家族を失ったアリサも、何もかもがリニスを苦しめた。

 

(……まるで、あの時みたいですね、プレシア)

 

 かつての主とアリサが重なる。しかし、とリニスは思う。

 

(アリサちゃんにはまだ家族がいる……)

 

 リニスは玄関のドアが閉まる寸前、振り返ってデビットに言った。

 

「あ、あの……アリサちゃん、きっと苦しんでいます。家族を必要としてるんです。そのっ! ……支えて、あげて下さい」

 

 アリシアを失ったプレシアを支える者はいなかった。職場の同僚は殺され、夫には既に先立たれている。プレシアはひとりであのヒュードラ事件の事後処理をしなければならなかった。その孤独がプレシアの狂気を暴走させ、危険な悪魔の世界に踏み込ませたのだ。だが、アリサにはまだ家族がいる。

 

「ええ、そうですね……いや、きっとそうだろう」

 

 何かに耐えるように呟くデビットを背に、リニスは今度こそバニングス邸を後にした。

 

 

 

 リニスを見送って、デビットはリビングのソファーに座り込んだ。ひとりになると、鮫島の死が改めて実感を伴って襲いかかってくる。本来ならじきに戻る妻を待ちながら、鮫島やアリサと久しぶりに家族の時間を過ごす筈だった。しかし、目の前には死んだように静まり返ったリビングが広がっている。

 

(……私は……また家族を失ったのか……)

 

 貧困によって失い、ようやく見付けたと思ったらカルト集団に襲われていた娘を思い出すデビット。あの時、必死に貧困を克服し、探し回った挙げ句の結果に呆然とした。自分の努力は何だったのだと。そんなデビットを支えたのが鮫島だった。

 

「旦那様。旦那様にはアリサお嬢様がいらっしゃいます。お嬢様は旦那様を必要としておられます」

 

 鮫島はデビットにアリサの存在を思い出させた。このまま沈み込んでもう一人の娘まで失うわけにはいかない。

 

「私は……アリサを護りたい。護るだけの力を貸してほしい、鮫島」

 

 うなずく鮫島に、今度こそ家族を失うまいと自らを取り戻した。しかし、

 

「……その結果がこれなのか、鮫島」

 

 今また家族同然の人物を失ってしまった。

 

「家族なんだから、支えてあげて下さい、か……」

 

 リニスが帰り際に言った言葉がデビットを締め付けた。自分は自分なりの方法で家族を護ろうとしてきたが、鮫島のように支えようとはしてこなかったのではないか。現にアリサのこともほとんど任せっぱなしだった。自分は家族を護るどころか、寄りかかっていただけだったのではないか。そんな思いを胸に、アリサの部屋へと続く廊下を見続けていた。

 

 

 † † † †

 

 

 翌日。アリサは自室で目を覚ました。部屋を朝陽が照らしている。時計を見ると、普段ならまだ起きるには早い時間だ。静かな部屋にひとり、アリサはベッドに座ったまま動こうとしなかった。

 

「……」

 

 昨日はあのまま寝てしまっていたらしい。いつもなら目覚ましを止めて、着替えてという一連の作業をほとんど無意識に行っているのだが、今日は体が動かなかった。しかし、アラームは冷酷に時間を告げる。のろのろと起き上がり機械音を止めるアリサ。横にはいつも通り聖祥の制服が用意されていた。

 

(……学校、行きたくないなぁ)

 

 惨めな自分をすずかやなのはに見せたくない。不様な所を見せてしまった園子や修、萌生に顔を会わせづらい。化け物の癖に自分を受け入れようとしたアイツと会いたくない。そんな思いがアリサをその場に押しとどめようとする。だが、アリサは義務感と習慣から制服に手を伸ばした。鮫島が死んでも、周りは何も変わらない。今日も学校へ行って、分かりきった授業を受けて、昨日のようにすずか達と喋って、なのはの夢をからかって、

 

(私、何で会社継ぎたかったんだっけ……?)

 

 そういえば、自分の夢は父の会社を継ぐことだった。先生が将来の夢を話題にしたときも、なのはやすずかと喋っている時もすぐに頭に浮かんだ答えだ。しかし、もとはといえば、幼稚園の卒業アルバムに将来の夢を載せるという企画があり、そこで鮫島に誉めてもらうために考えたものだ。実際に、幼稚園児らしからぬ将来を見据えたその夢は誉められた。もっとも、アリサは社会的に立派な夢だとされている事を提出物に書いたに過ぎないのに対し、鮫島はアリサが家族の事を考えたのを立派だと誉めていた。鮫島が褒めた本当の理由も理解できぬまま、「立派な目標」だけが肥大化したといっていい。

 

(勉強して、会社継いでも、もう誰も誉めてくれないんだ……)

 

 アリサは急に目の前の現実が色褪せた様に思えた。今まで追いかけていた夢に抱いた単純な疑問。将来の夢という形のないそれは、その疑問に絶えることなく崩れ去る。

 

(……私、何がしたいんだろ?)

 

 もし、鮫島がいたならこのような疑問も解いてくれた、あるいはそこまで行かなくともヒントぐらいは与えてくれたかもしれない問題。しかし、

 

――鮫島ハ死ンデシマッタ

 

 そんな現実を告げる声とともに、足元が崩れていく様な感覚にとらわれる。必死に頭を振って追い払おうとしても、その声は止まらない。また涙があふれたところへ、部屋にノックの音が響いた。ビクリと肩を震わせるアリサ。そして、

 

「アリサ、起きているかい?」

 

 デビットの声が聞こえた。

 

「お父さん……」

 

 アリサは驚いた。今まで両親が起こしに来てくれる事などなかったからだ。

 

「入っていいかい?」

 

「……うん」

 

 静かに音を立てて部屋へ入ってくるデビット。久しぶりに見た父は少し疲れている様に見えた。

 

「……」

 

 お互いに沈黙が流れる。アリサは昨日の自分の異常な行動を思い出し、なんと言えばいいか分からなかった。普段から父親に感情を出して甘えていないせいで、コミュニケーションの取り方が硬化してしまっている。うまく言葉が見つからない。デビットの方も何か話しかけるきっかけを探っている様子だったが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「……アリサ。鮫島の事は……リニスさんに聞いたよ」

 

「……」

 

 アリサは無言でうなずいた。涙が流れるのを必死に堪える。しかし、脳に焼き付いた鮫島の死がフラッシュバックするのは止められない。

 

――必ずや旦那様と奥様と……肩を並べて……家族として一緒に歩まれるようなお方に……

 

 鮫島の声が頭に響く。何故生きるのかという問いの答えを与えるかのように。デビットを見つめるアリサ。デビットはそれを受け止める。アリサが口を開いた。

 

「ねえ、鮫島に、お父さんとお母さんと家族として一緒に歩めるようになれって言われたの。どうしたらいい?」

 

 

「っ!」

 

 

 デビットの顔が歪む。

 

 それはデビットにとって、今までの努力を全て否定する問いかけだった。自分は仕事をすることで家族の一員として認められているつもりだったが、アリサは一緒に家族をやっているとは感じていなかったのだ。今も部屋に飛び込んだアリサをどう思っただろうか? 心配した。自分が慰めなければならない。きっと自分を必要としている。リニスにもそう言われたし、自分でもそう思った。しかし、そんな考えは思い上がりに過ぎなかった。アリサは自分よりもよっぽど家族を支えようとしているではないか。デビットはアリサを抱き締めた。

 

「……すまなかったね、アリサ」

 

「えっ?」

 

 急に謝られて、戸惑ったような声を出すアリサ。きっとアリサには、デビットを責めるつもりなど毛頭なかったのだろう。ただ単純に鮫島の言葉を守ろうとしているだけだったのかもしれない。だからこそ、余計に先ほどの言葉が響いた。

 

「……アリサ、お父さんもどうすればいいか分からない。だから、一緒に考えよう」

 

「……うん」

 

 もし、デビットがこどもから言われて非を認めない父親ならば、無理にでも答えを示していただろう。あるいは、親が分からないというのはこどもを導く上で間違っているかもしれない。しかし、デビットの言葉はアリサを立ち直らせるには十分だった。

 

――お嬢様はもう……ひとりではございません

――あなたは、ひとりじゃない、でしょう

 

 鮫島とリニスの言葉が脳裏をよぎる。アリサはデビットと母親の待つリビングへと歩き始めた。

 

 その日、アリサは学校を休んだ。自分の居場所を作るために。

 

 

 † † † †

 

 

 翌日。アリサは昨日より幾分ましな目覚めを迎えていた。昨日一日学校を休み、家族と家で過ごしたのが大きかったようだ。アリサにとって幸いだったのは、両親がアリサの言葉に逆上することなく接し方を真摯に考えてくれた事だろうか。しかし、

 

「アリサ、今はいつも通り過ごせばいいわ。鮫島がいない分は私達が埋めるから……」

 

(……無理だ)

 

 母親の言葉は簡単に受け入れられなかった。今まで物質でしか愛情を受け取って来なかったせいで、どうしてもあの鮫島が与えてくれた居心地のいい世界を両親が与えてくれるとは思えなかったのだ。アリサにとって、両親はひどく遠い存在だった。

 

(……家族と肩を並べる、か)

 

 あの時は勢いで約束してしまったが、改めて考えてみるとよく分からない。「会社を継ぐ」ではなく、「肩を並べる」なのだから、ただ勉強するだけでは駄目なのだろう。

 

(……どうすればいいんだろ?)

 

 いつものように制服へ袖を通しながら考える。そういえばなのはやすずかはキチンと夢を持っていた。今度2人に相談してみようなかな、と思っていると、来客を告げるチャイムが響いた。

 

「すみません、朝早い時間に」

 

 来たのは警察だった。対応に出たデビットに、壮年の男性とまだ若い女性の刑事が手帳を見せている。どうやら昨日の事件の聞き込みをしているらしい。思わずアリサは大人たちの間に飛び出していた。

 

「お父さん……警察の人?」

 

「ああ、動物病院の放火犯の捜査を……」

 

「リスティ」

 

 何か言いかける女性の刑事――リスティというらしい――を、壮年の刑事が止める。デビットが隣で険しい表情を浮かべるのに気付いたのだろう。

 

「まあ、そういう事です。空いている時間をお聞かせ願えれば、此方から伺いますが……」

 

「では、会社へ連絡を……」

 

 アリサの前で事件の話をするのは不味いと思ったのか、会話を終わらせようとする2人。アリサはたまらず叫ぶようにして割り込んだ。

 

「待って! 放火犯ってなに? 病院はあの黒い化け物が壊したんじゃないの?」

 

 厳しい表情を浮かべ、顔を見合わせる刑事2人。

 

「……お嬢ちゃん、お話できるかい?」

 

 一瞬の沈黙の後、しゃがんで問いかけてくる壮年の刑事にアリサはうなずいた。

 

 

 

「アリサ、それは本当なのかい?」

 

 とても信じられないという様子で聞き返すデビットにうなずくアリサ。何処からか黒い化け物が現れ、病院を破壊し、鮫島を殺した、果ては追い払ったのはアリサと同じ小学生だといえば信じられないのも無理はないだろう。

 

「うん。リニスさんから聞いてないの?」

 

「ああ、火災に巻き込まれたとだけしか……」

 

 それを聞いて、アリサは嫌な顔をした。恐らく、あの黒い化け物は前ゲームに閉じ込められた時に見た化け物と同種で、魔法関連なのだろう。周囲が巻き込まれないためやむを得ないのは分かるが、鮫島が死んだ原因を誤魔化すのは感情的に納得出来ないものがある。

 

「……いや、デビットさん。アリサちゃんの証言に間違いはありませんよ」

 

 横からリスティが口を挟む。警察からそんな荒唐無稽な話が出るとは思っていなかったアリサとデビットは、驚いた様子でリスティを見る。

 

「実はあの病院にいた複数の人物が、その黒い化け物を目撃しているんです。大体、コンクリートの壁に穴を空けるなんて、人間業では……」

 

「リスティ。ちょっと落ち着け」

 

 厳しい表情のまま続けるリスティを再び止める寺沢警部。警部はアリサたちに向き直ると、話を纏めた。

 

「まあ、警察としてもその化け物の話は把握しておりまして、半信半疑ながら捜査をしているところです。我々でも情報を掴みましたらご報告しますので、引き続きご協力下さい」

 

 そう言って出ていく警察2人。アリサはそれを険しい表情で見送っていた。修はあの黒い化け物を追い払ったと言っていた。それはつまり、未だ生きていると言うことだ。鮫島の死を前に心の整理がつかなかったため、思考から抜け落ちていたが、まだ事件そのものに決着がついた訳ではない。

 

(……そう言えば、あのゲームじゃスーツを着た化け物がモンスターを呼び出してたんだっけ)

 

 なら、黒い化け物もなにか別の存在に呼び出されたのかもしれない。しかし、警察に魔法関連を解決するのは無理だろう。それならば、

 

(……化け物は化け物同士殺し合うのが一番ね)

 

 アリサは決意した。たとえあの化け物を利用してでも、鮫島を殺した犯人を殺してみせると。荒ぶる感情を抑えながら、すっかり遅くなっていることに気付く。今日も学校へは行けそうにない。

 

 

 † † † †

 

 

「……どう思う?」

 

 バニングス邸から出た後、車を運転するリスティに寺沢警部が問いかけた。

 

「化け物がいたのは間違いないでしょう。愛……院長との話の整合も取れている。やはりその化け物を追い払った卯月という少年とリニスという女性が気になりますね」

 

「……まあ、この事件についてはそうだな」

 

「というと?」

 

 含みのある言い方をする警部に疑問を投げ掛けるリスティ。警部は続ける。

 

「百地警部とTシャツが行方不明になったの覚えてるか? あの時も調べに行ったらしい廃ビルで、コンクリートの壁を抉ったような穴が空いたらしい」

 

「……まさか」

 

 もう数年前の事件を持ち出す警部に、リスティは声をあげる。しかし、それは唐突に鳴り響いた警部の携帯で止まる。

 

「……はいこちら……! またですか。分かりました。急行します」

 

「どうしたんです?」

 

「また火事だ。スーパーのスマイル海鳴でな。今度は白昼堂々の爆発があったらしい」

 

 

 † † † †

 

 

「次のニュースです。海鳴市のデパート、スマイル海鳴で大規模な火災がありました。警察では、昨日の槙原動物病院での火災に続く放火事件と見て捜査するとともに、情報の提供を……」

 

 アリサが警察の事情聴取を受けた次の日の朝。児童保護施設のテレビで流れるニュースに、孔は顔をしかめた。

 

「また火事? 最近多いわね」

 

 珍しくテレビに見入っている孔に、先生が声をかける。

 

「ええ。まさか連続で起きるとは思っていませんでした」

 

「分かってると思うけど、友達が取り残されたからって、ひとりで火事の中に突っ走っちゃダメよ?」

 

「……分かってますよ」

 

「ホントかしら?」

 

 返事をする孔に苦笑する先生。誘拐犯を追いかけたり、怪我した仔犬の面倒を見たり、今回のように火災に巻き込まれた友人を助けたり(と先生には説明されている)、行為とその根底にあるであろう精神は誉められるものなのだが、どうにも毎回行き過ぎた結果になっている。不安を感じるのも仕方ないだろう。

 

「それより、今日はあの病院の火事のことで警察の方が事情聴取に来るから、早く帰って来なさいね」

 

「警察がですか?」

 

「ええ、さっき連絡があって、貴方に事情を聴きたいそうよ?」

 

 孔は内心不安になった。あの暴走体抜きでめちゃくちゃに壊れた病院を説明しなくてはならないのだ。先生やらアリスはともかく、プロの警察を誤魔化せるだろうか?

 

(まあ、いざとなれば後から来たから知らないで通すか。そうなると折井の方に警察がいくな……伝えておくか)

 

 今日は日直だ。確か修もクラスで世話をしている鳥のエサやり当番で早い筈だ。事情を伝えるにはちょうどいい。孔は学校へと向かった。

 

 

 

「事情聴取? 警察がか?」

 

「ああ、連絡があったらしい」

 

 始業前の教室。萌生や園子が来る前に、孔は修に警察の事情聴取があるらしいことを話していた。

 

「まあ、当たり前っていや当たり前だな。で、どうすんだ?」

 

「どうするも何も、動物病院の先生や大瀬さんのお母さんにも見られている。普通に黒い化け物が暴れてたと言うことになるな」

 

「ジュエルシードうんぬんの話もすんのか?」

 

「まさか。その辺はぼかして、よく分からない化け物に襲われたと言うだけだ」

 

 火災現場から帰る途中、孔は修に魔法世界とジュエルシードの事をある程度話していた。修に話すのは気が進まなかったものの、実物を見てしまった以上どうしようもない。何より、身近な人物が殺されたというのに知らないで押し通すのは憚られた。もっとも、そんな心配をしなくとも、修は魔法世界の存在を知識として持っていたのだが。

 

「まぁ、しょうがねぇか。あの化け物はまだ逃げてる事になってんだよなぁ」

 

「ああ、人的被害も出ているし、警察も本格的な捜査をするだろう。正直、誤魔化しきれる自信がない」

 

 そう言って、アリサの空席を見る孔。思わず呟く。

 

「バニングスさんは……休みか」

 

「ああ、これで3日目だな……」

 

 あの事件以来、アリサは学校を休み続けていた。そこへ、萌生と園子もやって来る。

 

「どうしたの? あ、アリサちゃん、また休みなんだ。大丈夫かなぁ?」

 

「まあ、大丈夫でしょ? バニングスだし」

 

 心配そうにする萌生。園子も気にしていない風を装いつつも、どこか落ち着きがない。

 

「みんな、どうしたの?」

 

 そこへ、アリシアの声が響く。フェイトも相変わらず無言で会話に参加(?)する。

 

「ああ、バニングスが今日も休みだからな」

 

「そう言えばそうだね。風邪、しんどいのかなぁ?」

 

 修の説明にアリシアは平和な声で答える。リニスは夜の外出の理由を黙っていたので、アリシアはあの動物病院火災の事を知らない。園子は少し眉をひそめた。

 

「心配じゃない?」

 

「う~ん? まあ、先生も風邪だって言ってたし、きっともうすぐ来るよ」

 

 気遣いつつもお気楽な反応をするアリシア。事情を知らない者からするとこの程度だろう。事実、他の生徒もほとんどは「面倒な風邪で少し休みが長い」という程度の認識だ。

 

「そうだといいがな。ちょっと長いんで気にしてたんだ」

 

 園子や萌生が何か言う前に孔が誤魔化す。別に誰に禁じられた訳ではないのだが、人の死を話すのは抵抗があった。何より、「アリサの父親代わりの執事が死んだ」というのが噂やゴシップとして流れるのは気が咎める。アリシアはそんな孔達の様子を見て、ちょっと困ったような顔をした。

 

「そんなに気になるなら、お見舞いにいけばいいんじゃない? プリント持ってく、ええっと……月村さん? について行ったら?」

 

 なんとかこの暗い雰囲気を脱しようと、話題の切り上げを図るアリシア。しかし、それは更に微妙な空気を呼んだ。

 

「……あ? いや、そう言われてみれば……まあ、そうか? でもひとりにしといた方がいいだろうし……」

 

 しどろもどろになりながら一部本音が出る修。分かったような他人が一番迷惑なのをよく知っている。

 

「……俺が行っても逆効果だな」

 

 流石に自分はないと思う孔。魔法と関わって悲劇を生んだのに、魔法使いが行ってどうするのだ。

 

「……私も、バニングス苦手だし」

 

 相変わらずの反応をする園子。勢いで逃げるときにひっぱたいて説教してしまった事もあり、改めて会うとなると気まずい。

 

「もう、心配なの!? 心配じゃないの!? どっちなの!?」

 

 消極的な3人にアリシアは突っ込みをいれる。

 

「……じゃあ、私が行ってみるよ」

 

 そこへ、萌生がおずおずと手を上げた。

 

 

 † † † †

 

 

「ゴメンね? 勝手についてきちゃって」

 

「ううん。萌生ちゃんが一緒ならアリサちゃんも元気になるかもしれないし」

 

 放課後、萌生とすずかはアリサの家へと歩いていた。

 

「今日はなのはちゃんは一緒じゃないの?」

 

「うん、なんか最近新しい習い事始めたみたいで」

 

 なのはは塾がない限り別の道だ。そして、なのはもすずかも他の生徒とともに風邪だという説明を真に受けている。「習い事」があるならそれを優先するのが普通だろう。微妙に噛み合わない会話をしながら、やがて2人はバニングス邸に着いた。インターホンを鳴らすすずか。

 

「すみません。アリサちゃんのプリントを持ってきました」

 

 萌生はなんとなく目に入ったインターホンに備え付けのカメラを見ながら、すずかの対応を聞いていた。すると、扉が開き、アリサが出てきた。

 

「アリサちゃん?! どうしたの?」

 

 驚くすずか。萌生はなぜそこまですずかが驚くのかよく分からず、ぽかんとしていた(後にすずかからアリサの家ではまず執事――ここ2、3日は鮫島ではなく松岡というべつの人物に変わってしまった――が出てくるのが普通だと聞いてさらに驚愕することになる)。

 

「大丈夫よ。それより、萌生、せっかくだし、上がって」

 

「……う、うん」

 

 萌生は戸惑いがちにうなずいた。アリサに何処か暗い部分を見いだし、違和感を覚えたのだ。それを無視するように2人を先導するアリサ。萌生は黙ってついていく。いつもなら初めて来たバニングス邸に、好奇心を隠さず話しかけるところだが、アリサの異様な雰囲気がそれを阻んでいた。やがて、2人はこども部屋にしては広い自室に通される。既にクッションが敷いてあり、座ってと即される。メイドさんがお茶を入れてくれた。

 

「……」

 

 しかし、それっきり無言の時間が流れた。アリサは何か迷っている様に萌生を見ている。

 

「ア、アリサちゃん、こ、これ。プリント」

 

「えっ? あ、うん、ありがとう」

 

 沈黙に耐えきれなくなったのか、すずかが配布物を差し出した。礼とともに受け取るアリサ。ただそれだけのやり取りなのだが、萌生は不安になった。いつもの楽しそうな2人とは程遠い雰囲気が流れている。すずかは何かに怯えている様にも見えたし、アリサはそんなすずかの異変にまるで気付かず時折視線をさ迷わせている。萌生はそんな2人を交互に見ていたが、取り敢えず本命のアリサからと口を開いた。

 

「ねえ、アリサちゃん? ホントに大丈夫?」

 

「……平気よ。それより、萌生が来るなんて珍しいわね」

 

「あ、うん。みんな心配してたけど、なんだか会いにくいみたいだったから」

 

 普通の会話をしているはずなのだが、萌生は何処か息苦しいものを感じていた。何かを問い詰められている様な感じだ。

 

「ふーん。みんなって、折井やなのは?」

 

「ふぇ? 修くんもだけど、園子ちゃんもだよ? なのはちゃんは……最近すぐ帰っちゃうから分かんないけど、きっと心配だと思うよ?」

 

「あの化け……卯月の様子はどうだったの?」

 

「どうって……やっぱり心配してたよ?」

 

「……そう」

 

 微妙に困りながらも、アリサに答えていく萌生。しかし、何処かいつもと違うのは分かるのだが、それがどこから来るのかは理解できない。

 

「アリサちゃん……?」

 

 無言になってしまったアリサに、すずかも疑問の目を向ける。それはどこか自分が疑われていなくて安堵している様にも見えた。

 

(あの時のこと、気にしてるのかなぁ?)

 

 萌生が思い出したのは、燃える病院で孔に殴りかかったアリサ。そこでようやく気付いた。自分が今アリサから感じているのは、あの時感情を孔にぶつけたアリサに抱いた恐怖と同じものだと。

 

(アリサちゃん、まだ怒ってるの? それとも、謝りたいの?)

 

 アリサからあの時のような孔に対する剥き出しの怒りは感じられない。ゆえに萌生は、アリサが孔に何か伝えたいのだと思った。しかし、何を伝えたいのかは分からない。

 

「ね、ねえ、アリサちゃん、卯月くんに伝えたいことがあるんなら、私、聴くよ?」

 

「……っ! そ、そう……」

 

 アリサは一瞬驚いた様に目を見開いた。チラチラと迷うようにすずかを見る。が、やがて意を決したように口を開いた。

 

「じゃあ……あの化け物殺してって伝えて」

 

 同時に何かが割れるような音が響いた。ビクリと体を震わせ、音のした方をへ目を向ける萌生。すずかだ。カップを落とし割ってしまったらしい。

 

「あっ! すずかちゃん、大丈夫?」

 

「もう、なにやってるのよ、すずか」

 

 慌ててハンカチでこぼれたお茶を拭き始める萌生とアリサ。しかし、割った当人であるすずかは動かない。違和感を覚えた萌生が顔を向けると、小刻みに震えて何か呟いている。

 

「すずかちゃん!?」

 

「えっ……? あ、ごめんなさいっ!」

 

 ただならぬ様子に声をかけた萌生に、すずかはやっと自我を取り戻す。誤魔化すようにハンカチを取り出して、2人と一緒に床を拭き始める。

 

「ゴメンね、すずか」

 

「えっ……?」

 

「そんなにビックリすると思わなかったから……。でも、化け物が出たのはホントよ」

 

 それから、アリサは2人に話始めた。鮫島が黒い化け物に襲われて死んだ事。その黒い化け物は未だ生きているらしい事。孔が追い払った事。そして、その化け物がまたスーパーで火災を起こしたらしい事――

 

「……あの化け物……アイツなら、殺せる……化け物には化け物よ!」

 

 感情を押さえられないのか、次第に荒々しい言葉使いになるアリサ。

 

 萌生には、それがアリサ自身を燃やす炎のように思えた。

 

 すずかには、それがまるで自分の未来を暗示しているように思えた。

 

 アリサは、自分の復讐の炎が2人を焦がしていることに気付くことはなかった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

魔獣 オルトロス
 ギリシア神話に登場する、双頭の番犬。黒い毛並みに頭を2つ持ち、蛇の鬣と尾を持つ犬の姿で描かれ、その名は駿足を意味する。ゲーリュオーンの牧場にいる雄牛の群れを守護していたが、英雄ヘラクレスに棍棒で殴り殺された。牛のように巨大で、落ち着きがなくせっかちであるが、勇猛な性格だという。

――元ネタ全書―――――
メリー
 御祗島千明版の漫画『真・女神転生』に登場する、オルトロスが憑りついた飼い犬。本作でも同じ運命をたどることに。

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第11話b 双頭の番犬《弐》

――――――――――――

「ヒャハァ! 燃えろぉ! 燃えちまえェェェ!」

 目の前で爆発するビル。轟音が頭に響いてハイになる。炎の立てるバチバチって音が、電波に変わった。

――壊セ

――コノ世界ハ間違イダ

「ヒ、イヒ、ヒャーハハハハハハハハ!」

 いつの間にか、俺は大声で笑っていた。そうだ。この世界は間違いなんだ。あのクソ親父も、あいつらも、全部間違いだ! 間違いは直さなきゃならねぇだろぉお!

――――――――――――狂人/路地裏



 スマイル海鳴。海鳴市でも有数の大型商業施設であり、市民の生活を支えるインフラと化している。しかし、普段ならば活気に満ちているビルも、今は騒然としていた。

 

「何があったんだい?」

 

 溢れかえる野次馬を抑えるために派遣されたであろう警官に、サラリーマン風の男、橿原明成が問いかけた。

 

「ああ、橿原先生。火事らしいですよ。この間の動物病院に続いて、放火だそうで……」

 

 先生と呼ばれた通り、橿原は近くの高校で世界史の教師をやっていた。変わり者だが優しい先生という評判のためか、生徒の生活指導も担当している。彼は登校の時間帯に火災が起こったというニュースを聞いて、一応様子を見に来たのだ。問いかけられた警官は橿原の元教え子であり、事情を察して状況を簡単に説明する。

 

「かなり大きな爆発があったみたいですが、学生さんの被害者は今のところ報告されていませんよ。午後には片付いてるでしょうけど、近付かない様に言っといて下さい」

 

「ああ、ホームルームにでも伝えておくよ。それにしてもこの場所で放火か……いや、そんな筈は……」

 

 何か考える様に火災現場を見る橿原。警官の方は苦笑する。

 

「またオカルトですか?」

 

「えっ? いや。オカルトはオカルトでも、今度のはちゃんとしたマイヤの文献に……」

 

 長くなりそうな橿原の話を、はいはいと適当にうなずきながら聞き流す元教え子。彼はこの先生が熱心なオカルトマニアであり、何かにつけて超常現象と結びつけたがるのを知っていた。世界史の授業でも遺跡が教科書に出てくる度に、オカルトチックな雑談で盛大に脱線し、なかなか進まなかったのをよく覚えている。

 

「あ~、先生? あれってうちの高校の生徒じゃないですかね?」

 

 熱く語り始めようとする橿原を止めるため、警官は野次馬に混じってぶつぶつと何やら呟いている少年を指差す。警官が言うとおり、その少年は橿原が勤めている高校の制服を着崩していた。

 

「……そうみたいだね。授業中の筈なんだが……まあ、ちょっと声をかけてみるよ」

 

 本来の仕事を思い出したのか、橿原は少し残念そうにしながらも話題を引っ込め、少年の方へ向かった。

 

 

 

「キミはうちの高校の生徒だろう? 授業はどうしたんだい?」

 

 髪を染めた、見た目からして不良な少年に橿原は持ち前の優しさでもって話しかける。しかし、少年は橿原を無視する様にぶつぶつと焦点の合っていない目で呟き続けていた。

 

「……電波が言ってったんだ……燃えるって……あの病院みたいに、燃えるって……」

 

「っ! キミ、しっかりするんだ!」

 

 それを聞いて慌てた様に少年の肩を掴んで揺する橿原。少年はようやく橿原に気づいた様に、鬱陶しそうに声を出した。

 

「んだよ。先生か? 今、電波が五月蝿いんだ。分かるか? 電波だよ、電波……。ああ、先生にゃぁ分からねえか。先生だもんなぁ?」

 

 ノロノロと疲れたように話す少年。橿原は目を見開いた。

 

「電波……っ?! キミはあの火災について何か知ってるのかい?!」

 

「ああ、電波が言ってんだ。間違った世界を燃やせって……」

 

 訳の分からないことをしゃべり続ける少年。普通の先生なら強制的に話を打ち切って学校へ連れて行くか、両親なり警察なり病院なりへ通報するところだろう。しかし、橿原は

 

「……その電波のこと、詳しく聞かせてくれないかな?」

 

 詳しく話を聞こうとした。先生としてではなく、かつて目指した学者として。

 

 

 

「……それで、須藤君。キミはあの病院の火災を見てから電波を聞いて、スマイル海鳴の事故を予言したのか……」

 

「ああ、電波がな、言ってたんだ。次はそこだって……」

 

 進路指導室。橿原は連れてきた先ほどの少年、須藤竜也を前に話を聞いていた。この教室は他に使う先生もおらず、半ば橿原の私室となっている。よく見ると本棚に受験案内や大学情報に混じって、『聖槍』だの『日本古代文明論』だの、怪しげな本が散見された。

 

「須藤君。キミはマイア人を知っているかな?」

 

「……あぁ?」

 

 突如聞きなれない単語が出てきて、須藤は疑問の声(非常に短いが、本人はそのつもりである)を上げた。

 

「マイア人というのは、人類に文明を与えたプレデアス系星人のことだよ。世界中に散らばるオーパーツがその存在を証明してるんだ」

 

 僕が教えている世界史の教科書には載ってないけどね、と付け加える橿原。須藤は黙って話を聞いていた。

 

「人間がただの猿から進化するには、彼らの持つ高度な文明に導かれる必要があった……しかし、そのマイヤ人も同じマイヤ人同士の宇宙戦争で滅んでしまったんだ。ただ、勝ち残ったボロンティック族もただでは済まず、宇宙船を駆ってこの海鳴市に流れ着いたんだ。そこで偶然出会った猿同然の人類に文明を与えたんだ! その文明は世界に広がっていく……中南米の神話がそれを証明している! ここ海鳴こそが、世界の文明の発祥の地だったんだよ!!」

 

 須藤が大人しく聞いている(と橿原は思っている)のをいいことに、普段誰も相手にしてくれない奇論を興奮気味に語り続ける。常識を持つ人間が見れば、こいつは頭がおかしいんじゃないかと思われることだろう。

 

「ボロンティック族は滅んでしまったわけじゃない……! 今も人類を進化に導こうとこの海鳴の地下で眠り続け、時折メッセージを送ってるんだ!」

 

「……それが電波だってぇのか?」

 

 もはや叫んでいるとも形容できる橿原に、須藤が口をはさむ。その言葉は興奮剤となって橿原をさらに燃え上がらせた。

 

「その通り……! 今海鳴で起こっている火災も、マイヤ人が拠点とした神殿の位置で起こっている! 人類が進化するために必要な生贄を、贖罪の炎で焼いているとしか思えない! 君は電波としてマイヤ人の信託を聞いていたんだ!」

 

 興奮しているのか、立ち上がって腕を振り回しながら熱弁する橿原。常識を持つ人間が見れば、病院へ連れて行かれることだろう。しかし、次に放った一言は須藤を大きく揺さぶった。

 

「僕はこうした教科書が黙殺している真の歴史を後世に伝えるのが使命だと考えてるんだ! それにはチャネラーである君の力が必要なんだ! 力を貸してほしい!」

 

 

「……っ! そうか、アンタは……先生は電波がわかるのか……! 俺の電波を、聞いてくれるのか……!」

 

 須藤は嬉しかった。不良のような外見をしているが、彼の父親はいわゆるエリートであり、幼い頃から須藤にエリート教育を強制していた。その世間体を第一とした教育は須藤にこどもらしい行動を許さず、幼少の頃から抑圧し続けてきた。須藤はそれに耐えられず妄想の世界に浸り、ついにはまるで妄想が声のように頭の中に響くようになっていた。その妄想の声は確かに須藤を救ったが、周囲からは嘲笑の対象にしかならなかった。逃げ込んだ先に見つけた電波を否定されることは、彼にとって自分を否定されるに等しい。そんな中で、ようやく自分を認めてくれる人物がいたのだ。

 

 

「もちろんだ。今、私はマイヤ人の文明を解説した本を書いているんだ。それに協力して欲しい」

 

 橿原も嬉しかった。かつて学者の道を目指していたが、自分の書いた論文は見向きもされず、ついには断念せざるをえなかった。しかし真の歴史を後世に残すという夢をあきらめきれず未だ没頭している研究に、妻にすら一笑に付される夢に、証拠と一緒に理解者までもできたのだ。

 

「具体的には、電波が聞こえたら教えてほしい。今のまま行くと火災はもうすぐに起こるだろう。神殿の場所は、あと二つ。一つは神社だ。あそこは数年前に巨大な雷が連続で落ちるという事故が起こっている。不自然な雷……あれは間違いなくマイヤ人の遺跡が起こした現象に違いない。もう一つは調査中だが、可能性があるとすれば……」

 

「そうか、神社か。神社で……」

 

 嬉しそうに語り続ける橿原とぶつぶつとそれを反芻する須藤。

 

 橿原は分からない。夢を認められた喜びのあまり、生徒を誤った道へ導いていることに。

 

 須藤は気付かない。それが理不尽な現実から目をそらす自分を加速させていることに。

 

 誰もいない授業中の進路指導室に、妄想にとり憑かれた男と、狂気にとり憑かれた男の笑い声が響いた。

 

 

 † † † †

 

 

「そうか、分からなかったか……」

 

「ごめんなさい。色々調べてみたんですけど……」

 

 その頃、海鳴市の神社では、社の縁側に座りながら、リスティはここで巫女のバイトをやっている神咲那美に話を聞いていた。勿論、リスティの義理の母である愛の病院を襲った黒い化け物についてだ。バイトといっても那美の所属する神咲家はその世界では有名な退魔師の一族であり、数々の心霊現象を解決してきた実積がある。リスティに限らず、警察でも怪奇的な事件とくれば相談に来る刑事も多かった。もっとも、怪奇現象など信じない者も多く、神仏に頼っているとなると警察の体裁上も良くないため、一般には知られていないのだが。

 

「一応、姉さんが家で文献を当たってくれてます。ただ……」

 

「……望みは薄い、か?」

 

 うなずく那美。それなりに歴史がある退魔師の一族として、幾多の魑魅魍魎の類いを払ってきた神咲家。駆け出しの頃からその蔵書に目を通してきたが、リスティの言う黒い化け物など聞いたことも見たこともなかった。

 

「くぅ、くぅ……!」

 

 そこへ、那美の腕に抱かれていた子狐が声をあげる。那美が飼っている妖狐で、名を久遠と言う。妖狐、と書いた通り、ただの狐ではない。600年前に祟り狐となって仏閣や神社を破壊していた所を、神咲家に封じられた存在だ。もっとも、封じられていた祟りは那美によって払われ、今では那美のよきパートナーとなっている。

 

「久遠も知らないみたいで……。ただ、もし邪霊の類いだとしたら、相当強力な霊です」

 

 退魔師と言っても漫画やゲームのように凶悪な悪霊を毎日のように狩りまくっている訳ではない。未だ現世に留まる霊を説得して鎮めたり、お祓いをしたりが殆どだ。人間に害意を持つ霊というのは稀で、気のせいや思い込みが大半だった。霊力のない「偽物の」退魔師はこういった霊のせいにする人を相手にする。当然、そういった退魔師は本物の霊を目の当たりにしたときは何も出来ない。だからこそ神咲家の様に「本物の」退魔師が事件の現場に呼ばれる事になるのだが……

 

「霊って、実体の無いのが殆どなんです。何かを憑代にする事はあっても、実体を持って、しかも、コンクリートの建物を破壊してしまうなんて……」

 

「だが、目撃者が実際に複数確認されているんだ。無視する訳にはいかない」

 

 あくまでも刑事として答えるリスティ。心配そうな那美に、リスティは軽い調子で付け加える。

 

「それに、その化け物を追い払ったの、小学生らしいよ」

 

「しょ、小学生……!?」

 

「そう、その少年が化け物を超える化け物なのか、化け物が実は化け物じゃなかったのか、これから事情を聴きに行くところだ」

 

 驚く那美を横に立ち上がるリスティ。仕事へ戻る時間だ。

 

「じゃあ、そろそろボクは行くよ。今日はありがとう」

 

「いえ、私のほうでも心当たりを調べてみます」

 

 那美に別れを告げると、リスティは鳴海署へと向かうため、近くのバス停へと向かった。

 

 

 † † † †

 

 

 児童保護施設。孔はリニスとともに寺沢警部とリスティの訪問を受けていた。

 

「大体の事情は分かった。だが君は、そんな獣をどうやって追い払ったんだ?」

 

「すみません、あの時は夢中だったもので、よく覚えていないんです。ただ、俺が追い払ったと言うより、崩れた瓦礫に吹き飛ばされたと言った方が正しいです」

 

 正確には修が瓦礫とともに吹き飛ばしたのだが、流石にそこまでは言うことが出来ない。嘘も言わないが、全部も言わない。それが孔の方針だった。

 

「……そうか。もし何か思い出せたら、連絡してくれ」

 

 リスティも質問を切り上げる。それを見て、今度は孔の方が質問を始めた。

 

「スマイル海鳴でも放火があったと聞きますが、あの黒い化け物は見つかったんですか?」

 

「いや。私たちも現場を見に行ったし、聞き込みもしたんだけど、目撃者はいなかったよ」

 

 ここへ来る前に行った火災現場を思い出すリスティ。爆風で吹き飛ばされた窓が脳裏に浮かぶ。しかし、同時に寺沢警部が漏らした言葉も思い出した。

 

――これは酷いな。でも、あの病院程じゃないな。噂の化け物じゃないのか……?

 

 確かに火災としては近年まれに見る大事件だろう。しかし、愛の動物病院の様に原型も止めないほど破壊されてはいる訳でもない。

 

「……気になるかい?」

 

「それは、まあ。連続で爆発なんて、滅多に聞きませんから」

 

 口を開いた寺沢警部に答える孔。警部はしばらく孔を見つめていたが、

 

「……まあ、気持ちは分かるが、今度化け物を見かけたらひとりで止めようとせずに警察へ連絡してくれ。番号はこれだ」

 

 そう言ってメモの切れ端を渡して話を終わらせる寺沢警部。

 

「では、これで失礼します。ご協力、有り難うございました」

 

「いえ、こちらこそ、お役に立てず……」

 

 立ち上がって出ていこうとする2人に内心安堵する孔。孔とリニスも見送るべく立ち上がる。しかし、玄関を出たところで、リニスが刑事2人を呼び止めた。

 

「あのっ! 刑事さん……信じてもらえないかもしれませんが、この一件、超常的なものが絡んでいるんじゃないかと……」

 

「リニス……」

 

 孔は遠巻きながらも悪魔や魔法の事を口にしたリニスに驚いた。2人の間では、悪魔や魔法の事を「普通の」人に知られるのはタブーとなっていたのだ。第一、信じてもらえないだろう。現に、警察官2人も驚いたように固まっていたが、

 

「はっはっはっ」

 

 寺沢警部は笑い始めた。

 

「やっぱり……」

 

「いや、ここのところ訳の分からん猟奇的な事件が多くてな。日本中がSFの町になっちまったみたいだ。超常現象でも設定しないと説明つかんよ。実際に化け物の目撃もあるしな……」

 

 しかし、寺沢警部は否定することなく受け止める。リスティは難しい顔をして後ろでそれを聞いていた。それが警察として事情を聞く上での礼儀だったのか、本気にしたのかは分からなかったが、

 

「じゃあ、またな」

 

 そう言って2人は車に乗り込み、走り去って行った。

 

 

 

「……リニス、何故あんな話を?」

 

「すみません。余計な事を言って……。ただ、アリサちゃんの事を考えると、誰かに現実を知っていて欲しかったんです」

 

「まあ、警察も悪魔の存在を知っていた方がかえって安全かも知れないし、問題ないとは思うが……」

 

 孔は特に責めるような口調では無かったが、軽く謝ってから理由を言うリニス。孔の方も流石に隠し続けるのに重圧を感じ始めていたので、リニスの気持ちもよくわかる。

 

(警察が動くとまで行かなくとも、協力者くらいいれば……いや、公的機関とは言え、巻き込む訳にいかない、か)

 

 そんなことを思いながら、孔は夕暮れの闇に飲まれていく車を見送っていた。

 

 

 † † † †

 

 

 時は僅かに遡り、孔が警察から話を聞かれている頃。なのははアリスと一緒に遊んでいた。ただし、場所は公園ではなく神社だ。なのはの「習い事」とは魔法の練習のことであり、練習にはこの神社の裏の林道を使っていた。もちろん、アリスがいる今は練習をしていない。すずか達は「習い事」で誤魔化せたのだが、

 

「ねー、じゃあ、途中まで一緒に帰ろ?」

 

「えっ? いいけど、神社の方だよ? 逆方向じゃ……」

 

「平気だよ?」

 

「でも卯月くんも」

 

「孔お兄ちゃん、今日は用事があるから早く帰らないといけないって」

 

「……そう、なんだ」

 

 としつこく食い下がられ、断りきれなかったのだ。もっとも、断り切れなかったのはただ食い下がられただけではなく、

 

「……ねえ、どうしてもダメ?」

 

「う、ううん。ダメじゃないよ」

 

 アリスが孤独に耐えきれず寂しそうな目で見上げてきたためだ。なのはもかつて家族が相手をしてくれず、寂しさで押し潰されそうになった事がある。その痛みはよく知っていた。だから、神社に着いたときも、

 

「……お別れだね」

 

 と言うアリスを前にして、

 

「あ……。き、今日休みなの、忘れてた」

 

 思わず練習は休みにしてしまった。まあ、今日は先生役のユーノも何やら犬を探すとか訳の分からないことを言っていなくなってしまった。休んでも問題ないだろう。にっこり笑うアリスを見て、なのははそう思う事にした。

 

「じゃあ、アリスと遊ぼ?」

 

 アリスは普段来ることがない神社が珍しいらしく、なのはを質問責めにしていく。

 

「ねえ、これなあに?」

 

「絵馬だよ。願い事を書いて、ここに飾るの」

 

 なのはもお姉ちゃんとしてアリスに接するのは嬉しい。頼りにされるのは憧れのあの人に近付けた気がしたのだ。そんな時、犬がアリスに飛び付いてきた。

 

「きゃぁ! パスカル……じゃないや」

 

「アリスちゃん? 大丈夫?」

 

 驚く2人。そこへ、飼い主であるマヤがやって来た。

 

「メリー? ……あら? あなた達、大丈夫?」

 

「平気だよ?」

 

「あの、この犬……」

 

 犬のメリーを撫でながら見上げるアリスと、人見知りなのか驚いた様にマヤを見つめるなのは。マヤは安心させるように微笑んで2人に答える。

 

「メリーっていうのよ? 仲良くしてあげてね?」

 

 

 

「じゃあ、マヤさんはよく神社へは来るんですか?」

 

「ええ、いつもはもっと遅い時間なんだけど、帰ってきたらこの子が連れていけって聞かなくて」

 

 わんっ! と質問をしたなのはに答える様に鳴くメリー。アリスはメリーを撫でながら呟く。

 

「この子、パスカルに似てるね。姉妹かなぁ?」

 

「あら? パスカルって?」

 

「アリスちゃんが飼ってるハスキー犬です」

 

 聞き留めたマヤになのはが答えるマヤは苦笑しながら呟く。

 

「ハスキー犬とシーズー犬は似てないと思うけど……」

 

「ううん。似てるよ? 全然違うけど、なんか似てるの!」

 

「そう。じゃあ、今度連れてきて? 2人はよくここで遊ぶの?」

 

「ううん。今日はなのはお姉ちゃんがこっちだったから。何時もは公園だよ!」

 

「えっと、今日は私、習い事があったんですけど、急に休みになって、それで……」

 

 端折った説明をするアリスと、補足するなのは。マヤは笑いながらうなずいて聞いていたが、

 

「2人も似てるね。似てるっていうか、ふたりでひとつっていうか。見た目や性格は違うけど、だからこそ影みたいに惹きつけ合うのかもね……」

 

 そんな感想を漏らした。思わず顔を見合わせるなのはとアリス。

 

「ふたり一緒だって! よかったね、なのはお姉ちゃん!」

 

「う、うん、そうだね」

 

 なのはは納得していた。家族と一緒にいられなかった時、慰めてくれたのはアリスだ。それから、いつの間にかアリスはいつも一緒にいるのが自然な存在となっていた。それこそ影のように。アリスも先ほど一緒に帰りたがったところを見ると、きっと自分を必要としてくれているのだろう。マヤの言葉は今のなのはとアリスの関係を端的に表しているだけに、心に響いた。それはとても心地いい響きだった。他の人から見ても孤独はもうないのだと証明してくれたのだ。それと同時に、

 

(私もほむらさんやお兄ちゃんみたいに、アリスちゃん守れるようにしないと……)

 

 なのははそう思った。朝、ユーノに聞かされた魔法の存在。危険なジュエルシード。そして、その脅威から大切な人々を守れるのは自分しかいないという事実。実際にジュエルシードがどれほどの脅威か、それから守るとはどういうことかなのははよく分からない。しかし、目の前のアリスやマヤを守るというのは、とても素晴らしいことに思えた。

 

「なのはちゃんは、なにかペット飼っていないの?」

 

「ええっと、ユーノっていうフェレットを飼ってます」

 

「ええっ!? そうなの!? アリス、知らなかったよ!」

 

 そんな想いを横に、楽しげな会話が続く。3人はアリスの門限まで他愛ない会話を続けた。

 

 

 † † † †

 

 

 翌日の放課後。孔はアリスと一緒に帰路についていた。ちなみに、アリシアとフェイトとも一緒に帰っていたのだが、途中から道が違うため既に別れている。

 

「神社って、広いんだよ? 裏に林もあるし」

 

「……そうか」

 

「絵馬っていうのがあって、願い事を叶えてくれるんだって! 今度買っていい?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 昨日の神社での一件を嬉しそうに報告するアリスに、生返事を返す孔。孔はアリスの声を聞き流しながら、昼休み、萌生に呼び出されて告げられた言葉に思いを馳せていた。

 

 

 

「昨日、アリサちゃんと会って、伝えてって言われたの、言うね?」

 

 戸惑いながらもうなずく孔。言いにくそうにしていたが、やがて萌生は、

 

「あの病院で出た黒い化け物、殺してって。卯月くんなら出来るって……」

 

 うつむきながらそう告げた。続けて、アリサの異常な様子を話し始める。

 

「それ言った時のアリサちゃん、すごく怖かったよ。すずかちゃんもびっくりしてた。だから、化け物とか言っちゃダメって言えなかったの。ごめんなさい」

 

「いや、それは構わないが……」

 

 復讐に感情を歪めるアリサがよほどショックだったのか、泣きそうになって謝る萌生。孔はかける言葉もなく、ただ気の抜けた反応をして黙りこんだ。自分を化け物と呼ぶのは分かる。あのジュエルシード暴走体を化け物と呼ぶのも分かる。しかし、同列に扱われるのは、やはり心に刺さるものがあった。

 

「ね、ねえ。 私は、卯月くんのこと化け物とか思ってないよ? アリサちゃんも、きっとあのおじいさんが死んじゃって寂しいから……だから、きっとその内あんな事言わなくなるよ!」

 

 沈黙に耐えきれなくなった萌生は、一生懸命アリサと孔をフォローしようとする。アリサの感情は幼い萌生の精神を相当のストレスとなって圧迫しているのだろう。孔は何とか落ち着かせようと苦笑して見せながら答えた。

 

「ああ、分かってる。気にしてない。嫌がられるのもいつも通りだからな。バニングスさんにはあの黒い化け物は俺が何とかしてみるって言っといてくれ」

 

「ダ、ダメだよ、危ないことしちゃ!」

 

 しかし、萌生には逆効果だったようだ。そんな萌生に孔は今度こそ本当に苦笑しながら答えた。

 

「でも、そう言わないとバニングスさんも納得しないだろう? 大丈夫、危ないことはしないさ」

 

 うう、と萌生は納得いかなさそうな声をあげるが、結局昼休みの終わりを告げるチャイムで話は途切れた。その場はそれで済んだものの、孔はアリサの事を考え続けていた。別に仲良くなろうと考えていた訳ではない。あのジュエルシード暴走体も実際は自分の手で封印している。スマイル海鳴で起こったと言う爆発が少し気にはなるが、ジュエルシードについてはクルスの方から管理局へ話が行っている筈だ。此方もそう時間がかからず解決するだろう。しかし、悪魔や魔法に関わって、傷を、それも精神的に深い傷を負ってしまったアリサに対しては何の解決策も浮かばなかった。

 

(気にしなければいいのだろうが……)

 

 今日はアリサも普通に登校していた。いつも通り、孔の事は無視していたし、すずかやなのはと普通に喋っている。すずかは少しぎこちない感じはしたが、それでもいつも通りの範疇だろう。しかし、昼休み、萌生と一緒に教室に戻る途中、何処か責めるような目で孔を見て、

 

――早く、殺してよ、化け物

 

 そう呟いたのが聞こえた。暗い声だった。孔には、それが魔法だけでは説明できない力を持つ記憶喪失の自分に対する呼び掛けのように聞こえた。

 

(……化け物、か)

 

 自分は何者なのか。長らく平穏に浸かって忘れていたその問いを思いだし、孔はアリサを無視しできない自分に気づいていた。

 

 

 

「ねえ、ねえってば! 孔お兄ちゃん、聞いてる?」

 

 そんな孔にアリスが声をあげる。

 

「うん? あ、ああ、すまん。聞いてなかった」

 

「もう! 神社でお友達になったマヤさんにパスカル会わせたいから、連れてっていいって聞いたんだよ!」

 

 正直な孔に頬を膨らませるアリス。孔は苦笑しながらようやくアリスの相手を始めた。

 

「ああ、別にいいけど、ちゃんと面倒見て迷惑がかからないように」「やあ。今帰りかな?」「……寺沢警部?」

 

 しかし、孔とアリスの話を遮る様に車が止まり、昨日の警部がウインドウを下げて話しかけてきた。

 

「どうしました? また聞きたいことでも?」

 

「ああ、リニスさんにも聞いたんだが、噂の化け物以外に変なモノは見なかったかい?」

 

 見た目こどもの孔には軽い調子で聞いた方が効果的だと思ったのか、いかにも簡単な質問であるかのように聞いてくる寺沢警部。それとは対照的に、やましいものがある孔の方は心中穏やかではなかった。リニスと証言が食い違っては不味い。

 

(……リニス、聞こえるか?)

 

(コウですか? どうしました?)

 

 故に、念話を使ってリニスに問いかけた。警部が帰りに質問してきた事を告げる。

 

(それでしたら、様子のおかしいな犬を見たと言っておきました。あと、病院で治療中の犬が逃げ出したんじゃないかと)

 

「特には……いや、様子のおかしい犬を見た、かな?」

 

 リニスの念話を聞きながら、警部に答える孔。警部は続ける。

 

「ふむ。それを追い払ったのも君かな?」

 

「いや、追い払ったというか、炎に驚いて逃げていったというか……」

 

 まさかケルベロスのブレスで灰になったとは言えない。適当に誤魔化しつつ返事をする。

 

「そうか……いや、有り難う。参考になったよ」

 

「そうですか(……何とか誤魔化せたよ。有り難う、リニス)」

 

(いえ。それより、今買い物で近くまで来ていますから、せっかくなので合流しますね)

 

 危機を脱した孔は念話でリニスに礼を言う。そこへ、アリスが服を引っ張ってきた。

 

「ねえ、孔お兄ちゃん! まだぁ? 早く行かないとマヤさん帰っちゃうよ?」

 

 孔に無視されてご機嫌ナナメのところに、第三者が出てきて我慢できなくなったらしい。苦笑いする警部を横に、孔は内心別れるきっかけが出来た事に喜んだ。アリスのワガママもたまには役に立つ。

 

「じゃあ、我々はここで失礼するよ。呼び止めて悪かったね」

 

「いえ、捜査、頑張ってください」

 

 運転席のリスティに車を出すよう合図する警部。それを見送るアリス。ようやく終わったとほっとする孔。しかし、

 

「ねえ、孔お兄ちゃん、あれ、何?」

 

 アリスが指差した先には、車の後ろに腰かける悪魔、それもいつぞや時の庭園で見たグレムリンがいた。

 

「なっ! 警部! 寺沢警部ーっ!」

 

 咄嗟に駆け出し後を追おうとする孔。追いかける孔に気付かないのか、距離は開き続ける。魔法でも使わない限り追い付けないだろう。人通りの多い白昼の街道ではそんなものは使えない。

 

「孔、乗ってくださいっ!」

 

 そこへ、リニスがバイクに乗りつけた。

 

「いつの間に免許を?」

 

「施設で働きはじめてからです。毎回移転していて、ばれたら事ですから」

 

 バイクに乗りながら聞く孔に答え、リニスは車を追うべく、バイクを走らせた。

 

 

 † † † †

 

 

「相変わらずこどもらしくない反応でしたね」

 

「ああ、随分と警戒されていたな。嘘をついている感じじゃなかったが、どうにもまだ何か知っているような感じがするな」

 

 車の中。悪魔が見えないのか、寺沢警部とリスティは孔への感想を言いながら、車を走らせていた。警部の長年の勘が、孔の何処かよそよそしい雰囲気を敏感に感じ取っていたのだ。

 

「しかし、まだ卯月君は小学生でしょう? 証言にも矛盾はありませんでした」

 

「まあ、そうなんだがな。どうにも慎重な受け答えされると疑っちまうんだ。お前は何か感じなかったのか?」

 

「確かに、普通のこどもとは違うという印象は受けました。心もよく分からなかったし……」

 

 こどもとはいえ、孔の異常ともいえる理知的な振る舞いに違和感を拭えない警部。この違和感が何か重要な手がかりに繋がっていると経験で知っていた。

 

「誰かに何か言われてああいう態度をとってるんじゃなきゃいいんだが」

 

「しかし、あのリニスさんも嘘を言っているという感じは受けませんでしたよ?」

 

「ああ、そうだな。案外あの超常現象がうんぬんと言うのが真相かもな」

 

「しかし、那美……神咲家はそんな化け物は知らないと言っていました」

 

「退魔師の一族、か。しかし、裏の世界も広いから……うん?」

 

 警部は不意に言葉を止めた。車のフロントガラスに吊るしてあった御守りの紐が切れたのだ。不吉な空気を感じながら拾い上げる警部。そこへ、リスティが声をあげた。

 

「っ! 寺沢さんっ! ブレーキが効かなくなってる!」

 

「何?! サイドはどうだ?!」

 

 寺沢警部に言われて、慌ててサイドブレーキを倒すが、車は止まらない。

 

「ダメです! 止まらない!」

 

「バカな! 交差点に突っ込む気か?!」

 

 目の前には交通量の多い交差点。信号は赤だ。リスティは咄嗟にハンドルをきり、電信柱に車をぶつけて強引に止めた。轟音と共にへしゃげる車体。2人は衝撃が襲いかかってくると同時にドアを開け、外へと飛び出した。

 

「っち! 全く、やってくれるぜ」

 

 電信柱にめり込んだ車を見ながら呟く。リスティも幸い怪我は無いらしく、こちらへ駆け寄ってくる。

 

「寺沢さんっ! 大丈夫ですか!?」

 

「ああ、俺の方は大丈夫だ。しかし……」

 

(これは本当に超常現象を疑わんといかんな)

 

 手の中の御守りを見ながらそんな事を考えていると、バイクの音が聞こえた。

 

「警部! 大丈夫ですか?」

 

 孔とリニスだ。バイクを近くに止め、警部に駆け寄る。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

「リニスさん達はどうしてここへ?」

 

「信じられないかもしれませんが、車の後ろに腰かける悪魔みたいなのが見えたんですよ。それで追いかけて来たんです」

 

「悪魔、ね。ボクは何も見えなかったが……」

 

「私も悪魔なんて信じていませんでしたし、見間違いかと思いましたが、あんな事があった後ですので……」

 

 疑問を口にするリスティとそれに答えるリニス。そこへ、寺沢警部が口を挟んだ。

 

「……いや、リニスさん。詳しく話を聞かせてくれ」

 

「警部?!」

 

「……リスティ、署に連絡して車の処理を頼んでくれ。俺達は喫茶店で聞き込みをしてるって言ってな」

 

 驚くリスティを横目に、寺沢警部は孔とリニスを近くの喫茶店へと誘った。

 

 

 

「……成る程、そのグレムリンみたいな悪魔が車に座っているのが見えた訳か」

 

「ええ、それで2人で追ってきたんです」

 

「そうか……」

 

 喫茶店。一通りリニスの話を聞いて、寺沢警部は黙って何か考えている様子だった。リスティも隣でメモを取りながらじっと考え込んでいる。リニスと孔も考えを纏めながら念話を交わしていた。

 

(あのグレムリン、時の庭園に出たのと同じだった。あの時もスティーヴン博士は何者かが悪魔を呼び出したと言っていたが……)

 

(プレシアを追って地球に来たんでしょうか?)

 

(分からん。たまたま同種の悪魔を使っているだけかもしれない。だが、何れにせよ悪魔を使う何者かが事件の裏にいると見た方がいいな)

 

(そうなるとこの2人は危険ですね。すみません。やはり悪魔の事を告げたのは軽率でした)

 

(……いや、ジュエルシード暴走体の事を知った時点で、捜査を続ければいつか悪魔の存在に気付くか、その前に殺されるさ。告げた事そのものを気にする必要はないよ)

 

 軽率さを謝るリニスを軽くフォローし、前の2人を見る孔。事実、警部達がある程度理解を示している事もあり、下手に誤魔化さなかったのは失敗とは言い切れないだろう。

 

(いっそ、この人達が悪魔の事を知ってれば楽なんだがな)

 

 そんな事を思いながら、沈黙を破るべく口を開く。

 

「寺沢警部、この事故……」

 

「ああ、分かってる。何者かに狙われた様だな」

 

 険しい顔でそう返す警部。しかし、こどもの前でこれは不味いと思ったのか、すぐに元の気さくな調子に戻って言う。

 

「しかし、バイクに乗るならノーヘルはいかんな。君が狙われていたら大変だったぞ」

 

「あ、すみません」

 

「まあ、今回は大目に見よう。化け物については此方でも心当たりを探ってみるつもりだ」

 

「心当り、ですか?」

 

「ああ、超常現象に詳しい人が俺の知り合いにいてね。あと、神社に勤めてるリスティの知り合いが詳しい」

 

 横でうなずくリスティ。孔は警察がそんなオカルトチックな捜査をするとは思っていなかったため、驚いた顔をしていた。

 

「意外かな? だが、君が見たような悪魔の目撃例は結構前からあるんだよ。それへの対策は講じられているというわけだ。君達も、誰かそう言う関係でよく知っている人はいないかな?」

 

「それは……」

 

 一人、赤い服の紳士が思い浮かんだ。ここ数年は会っていないし、連絡の取り方も知らない。プレシアに聞けば分かるだろうか。

 

「……ふむ。心当りがあれば、教えて欲しいんだが」

 

「スティーヴン博士という悪魔の研究をしている人物がいます。もう何年も会っていませんし、連絡先も分からないのですが……」

 

 そんな警部に敢えてスティーヴンの名前を出す孔。恐らく他の次元世界にいるであろう博士の行方は、通常の捜査では掴めないだろう。しかし、スティーヴン博士の捜索で悪魔から目をそらせるかもしれない。仮に、行方を掴めるなら魔法関係者が警察にいるという事だ。そうなれば悪魔の事も正直に話して捜査に協力すればいい。

 

「ふむ。そうか……。ありがとう。参考になったよ」

 

「いえ。お役に立てれば……」

 

 会話を終えて、喫茶店から出る4人。外は夕暮れの闇に包まれていた。

 

「お、すっかり遅くなってしまったな。せっかくだし、送っていこうか?」

 

「そんな、悪いですよ」

 

「リスティなら兎も角、こどもに女性が歩いていては危険だろう?」

 

「いえ、バイクもありますし……」

 

 そう言って、ヘルメットを掲げて見せるリニス。

 

「そういえばそうだったな……しかし、リニスさん、なぜヘルメットに帽子なん」「寺沢さんっ!」「あ、いや、別にお前が女性らしくないと言ってる訳じゃないぞ?」

 

 話の途中に声をあげたリスティに言い訳を始める警部。しかし、リスティは山の方を見上げて言った。

 

「違います! 山が、神社が燃えてるんです!」

 

 

 † † † †

 

 

「さあ、ここなら遠慮なく魔法の練習が出来るよ」

 

「うん!」

 

 時は僅かに遡る。放課後の裏山。なのははユーノに導かれ、魔法の練習をしていた。町から見えてしまうためユーノが結界を張る必要はあるが、山中の開けた場所は練習にはもってこいだ。

 

「まずはデバイスをセットアップするんだ。起動ワードは覚えてる?」

 

「えっ! あんな長いの覚えて無いよぉ……」

 

 デバイスをユーノから渡されてまだ2、3日。デバイスの起動ワードを未だ覚えていないなのはは、涙目になりながらユーノを見返す。

 

「じゃあ、僕に続けて」

 

 そんななのはをユーノが補助する。なのははうなずくと、ユーノ、否、ユーノに取り憑いた悪魔に導かれて契約ワードを口にした。

 

「我、使命を受けし者なり。

 

 契約のもと、その力を解き放て。

 

 風は空に、星は天に。

 

 そして、不屈の心はこの胸に。

 

 この手に魔法を。

 

 ――レイジングハート、セットアップ!」

 

《Yes, My Master.》

 

 なのはの起動ワードと共に、ユーノが渡したデバイス、レイジングハートが起動する。桃色の光が引くと、聖祥の制服をイメージしたバリアジャケットを身に付けたなのはが立っていた。

 

(相変わらず素晴らしい魔力だ。やはり人間には勿体ない……)

 

 悪魔はそれを見て口元を歪めた。普通ならこのまま喰らってしまう所だが、今は別に働いて貰わなければならない。

 

「なのは、昨日練習できなかったけど、今日は魔力の拡散をやってみよう」

 

「かくさん……?」

 

「この間やった魔力の集束の逆で、広く薄く広げるんだ。うまくすれば、その魔力に反応して、ジュエルシードを見つけられるかもしれない」

 

「でも、どうすればいいの?」

 

 首をかしげるなのはに、ユーノは魔法の使い方を説明していく。

 

「何時ものように、レイジングハートに向かって、イメージを送るんだ。今回は輪が広がっていくようなイメージをすればいい」

 

「うん、やってみるよ!」

 

 勢いよく返事をするなのは。しばらく考えるような仕草をしていたが、やがてなのははデバイスを掲げた。

 

「……お願い、レイジングハート!」

 

《Yes, My Master》

 

 インテリジェント・デバイスであるレイジングハートはなのはのイメージを形にし、魔力を放出する。桃色の輪がなのはを中心に広がる。しかし、それはガラスが割れるような音を立て、1メートル程で砕けてしまった。

 

「あ、あれ?」

 

「少し魔力が強すぎ、かな? こうするんだ」

 

 お手本とばかりにユーノが魔力光を出して実演する。緑色の光が水の波紋のように広がり、周囲へ延びていった。病院でジュエルシードを強制的に発動させた時と同じだ。

 

「わぁ……」

 

 なのはが感嘆の声をあげる。もっとも、魔力制御がうまいのに感心したというより、広がっていく魔力光が綺麗に見えたせいのようだが、

 

(これでジュエルシードが動けば楽なのだが、そうはいかぬか)

 

 そんななのはを横に、ユーノ、というかユーノにとり憑いた悪魔はそんな事を考えていた。

 

(病院で使ったときはうまく近くに転がっていたからいいが、この体では使える魔力が少なすぎるな。連発は出来んか。何年たっても人間というのは不便なものだ)

 

 心の中で愚痴を言う悪魔。ジュエルシードは上手く海鳴に落ちるよう誘導されているので、そう遠くまで行っていない事は間違いないのだが、それでも海鳴という範囲は広い。

 

(まあ、この少女を使えるようにするしかない、か)

 

 気をとり直してなのはに目を向ける悪魔。練習の再開を促す。

 

「……さあ、やってみて?」

 

「うんっ!」

 

 再びうなずくなのは。魔力の輪を広げ始めた。

 

 

 

「やった! 出来たよ!」

 

(ふむ。魔力制御は上手くこなせている様だな。才能はあった、というところか。これは都合のいい道具が手に入った)

 

 なのはを分析しながらほくそ笑む悪魔。続けて指示を出す。

 

「じゃあ、なのは。今度はもっと広げてみて? 今度こそ、ジュエルシードが反応するかもしれない」

 

「うん!」

 

 なのはは再び魔力の輪を広げる。

 

 そして、強い魔力を感じた。

 

「……っ! 今のって……!」

 

「ああ、ジュエルシードが発動したんだ。神社の方だね」

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 橿原明成
※本作独自設定
 海鳴市の高校、私立風芽丘学園の世界史教諭。過去には大学で歴史学を専攻、様々な遺跡やオーパーツを調査してきた。過去に学者を目指していたが、彼のいう「遺跡が語る真の歴史」はあまりにも主流な学説と乖離しており、書いた論文の多くは失笑とともに無視され、結局学問の道は断念。しかし、現在でも歴史研究は続けており、息子のために「真の歴史」を残そうと日々怪しげな本を書き続けている。

愚者 須藤竜也
※本作独自設定
 私立風芽丘学園に通う高校3年生。通っているといってもほとんど授業には出ていない。政府高官である須藤竜蔵の息子であり、幼少の頃からいわゆるエリート教育を施されてきた。親の世間体を優先するその教育は、こどもだった彼に悪戯の一つも許さず、精神を圧迫していった。結果、そのストレスを誤魔化すために、物心ついた時から聞こえるようになった何かの「声」に導かれて犯罪に走ることになる。

――元ネタ全書―――――
スマイル海鳴
 ペルソナ2。爆弾テロの標的にされたスーパーマーケット、スマイル平坂から。食料品売り場の小物が地味に複雑で、マップを埋めるのに苦労したのは私だけじゃないはず。

警部! 寺沢警部ーっ!
 やはり御祗島千明版の漫画『真・女神転生』より。寺沢警部を友人のバイクで追いかけるシーンから。同作でも警部はこれをきっかけとして事件に巻き込まれていきます。

――――――――――――


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第11話c 双頭の番犬《参》

――――――――――――

 今日も孔お兄ちゃんと一緒に帰る。孔お兄ちゃんは好き。わたしのおねがいをきてくれるからすき。わたしのことをきにしてくれるからすき。おねがいきいてくれるのも、きにしてくれるのも、きっとわたしのことがすきだから。だからわたしはなんどもおねがいする。ホントニありすノコトガスキカキキタイカラ。デモ、ナンデカキョウハありすノハナシキイテクレナイ。

「孔、乗ってくださいっ!」

「っ?!」

 声がして顔を上げると、バイクと一緒に突然やってきたリニスさんが、孔お兄ちゃん連れてっちゃった。

「なんでっ! なんでアリス置いてくのぉぉぉおお!?」

――――――――――――アリス/通学路



 夕暮れの神社。マヤはメリーを連れて父親と境内に来ていた。

 

「この神社には夢を叶えるご利益があるんだ。お願いしてごらん、マヤ」

 

 父親に促され、マヤは社に向かい、鈴を鳴らす。ガランッガランッという音が誰もいない境内に響いた。

 

「……」

 

 無言で手を合わせるマヤ。熱心に何かを願っている様子だったが、暫くすると気がすんだのか父親のもとへと戻ってきた。

 

「何をお願いしたんだ?」

 

「お父さんがずっとこっちにいてくれますようにって……」

 

 マヤの父親は記者――それも、紛争問題を専門とする記者だ。平和な暮らしのすぐ横で起こっている戦争や貧困のリアルを伝える仕事を、父は誇りにしていた。

 

「……お仕事、そんなに大事なの?」

 

 しかし、そうした思いはマヤには伝わっていなかった。そもそも、「義務としての労働」がないこどもは父親の仕事が社会でどのような意味を持つかなどと考えること自体が少ない。特にマヤの場合は、幼少の頃から父は海外を飛び回り、家にいることは殆どなかった。危険な地区へ行くなどと告げていなかったこともあり、自分という存在が忘れられてしまったんじゃないかという不安を常に抱えて続けている。今日も帰ってきたと思ったら、碌に家族の時間を過ごす間もなく仕事へ行ってしまう。

 

「なるべく早く帰ってくる。この仕事は、お父さんの夢なんだ」

 

(……私の夢は伝わらないの?)

 

 慰める父の言葉に、そんな事を思ったが、

 

「……うん、待ってる」

 

 マヤはうなずいてしまった。本当は側に居て欲しかった。遠くに行かなければならない仕事ではなく、もっと近くにオフィスがある仕事に移って欲しかった。遠くに行ったまま金銭的な繋がりしかなくなり、ついにはそれも途切れてしまう、そんな惨めな未来を追い払って欲しかった。しかし、それは父を困らせると分かっていた。久々にあった父に嫌な思いをさせたら、それこそもう帰ってこなくなるかもしれない。

 

「……これ、私が作ったお守り」

 

 だから、マヤは自分を思い出すきっかけとなる物を渡すことにした。手作りのうさぎを模した小さな人形だ。

 

「ありがとう。ほら、そんなに泣いたらメリーやうさぎさんに笑われるぞ?」

 

 いつの間にか涙を流していたらしい。頭を撫でてくれる父に、無理矢理笑顔をつくってみせる。それを見てトランクを持ち上げる父。もう駅へ向かうバスが神社前のバス停に来る時間だ。

 

「早く帰ってきてね……」

 

「……ああ、行ってくる」

 

 そう言って、遠ざかっていく温もり。泣きながら父の背中を見送るマヤ。そこへ、メリーが近寄ってきた。静かにマヤに飛び付くと、涙を舐めとる。

 

「……ありがとう、メリー」

 

 マヤはメリーの頭をなでた。いつも活発に動き回っているというのに、今日は父との対話も邪魔せず大人しくしていてくれた。その上、今こうして慰めてくれている。しばらくメリーのなすがままに任せていたが、やがて「帰ろう」という言葉と共に立ち上がる。そんなマヤを見上げながら、メリーも大人しくついて来てくれる。先程去り行く父が通った石段を降りる。この石段を降りると、父の進んだバス停とは別の方向へ歩かなければならない。途中で髪を染めた高校生とすれ違った気もするが、そんないつもと違う風景も頭に入ってこないまま歩みを進める。石段もあと少しで終わるというところで、聞き覚えのある声がした。

 

「マヤさ~ん!」

 

「アリスちゃん……」

 

「マヤさん、パスカル連れて来たよ!」

 

 そう言ってパスカルを抱き締めるアリス。しかし、マヤが何か言おうとする前に、メリーとパスカルが吠え始める。さっきまで大人しかったメリーの変わりように驚くマヤ。

 

「パスカル? メリーとお話ししてるの?」

 

 しかし、吠える2匹に物おじすることなく、アリスはそんな事を言い出した。こどもらしい無邪気な反応。マヤはようやく頬を緩めた。

 

 

 

 が、実際にパスカルとメリーは会話をしていた。普通の人間には吠えているようにしか聞こえないが、悪魔同士強い思念を読み取る事でコミュニケーションを取ることが出来る。

 

(犬ニ憑キシ者ヨ。オ前ハ何者ダ?)

 

(グゥ……? ソノ声ハ……我ガ弟デハナイカ。久シブリダナ、弟ヨ)

 

 ケルベロスとオルトロスは兄弟だ。姿を変えているとはいえ、互いに少し思念を交わすだけでお互いを理解することが出来た。

 

(兄者? ヤハリソノ少女カラ感ジタまぐねたいとハ兄者ノモノデアッタカ……。シカシ、何故ニンゲンノ側ニ……? マサカ兄者、ニンゲンノ奴隷ニ成リ下ガッタカ?)

 

(マサカ。コノ者ハ我ヲ家族トシテ呼ビ出シタノダ。盟約ヲ結ンダ主モ家族トシテ我ヲ遇シテイル)

 

 簡単に成り行きを説明するケルベロス。オルトロスは咆哮をあげる。

 

(アオーン! 兄者ガ強者トミトメタ家族ガイルノカ! ナラバ、生マレハ違エド、同ジ血族! 我ハ見守ロウ)

 

(ウム。シカシ、弟ヨ。オ前ハ何故ソノニンゲンニツイテイルノダ?)

 

(我ヲ呼ビ出シタル者トノ盟約ヲ果タスタメダ)

 

 オルトロスの方も説明を始める。聞くと、人間の男に呼び出され、大量のマグネタイトを対価にあるものの捜索を行っているという。

 

(ヌウ、弟ヨ。アルモノトハ何ダ?)

 

(オオ、ソレハ――)

 

「ねー、パスカル? メリーはメスなのに、何で弟なの?」

 

 が、突如会話に割り込まれ、2匹は固まった。

 

「あら? アリスちゃんにはメリーとパスカルのお話が分かるの?」

 

「うん! パスカルもメリーも、会えて嬉しいって!」

 

 そんなアリスに笑顔になるマヤ。マヤの方は気付いていない様子で、アリスのこどもらしい動物への接し方は見て和んでいる。

 

(何ト、コノ少女ハ我等ノ思念ガ分カルノカ!)

 

(……シバラク喋ラヌ方ガ良サソウダナ)

 

 しかし、ケルベロスとオルトロスは心中穏やかでない。2匹は顔を見合わせると、急に静かになった。

 

「……そうね。そういえば、今日はなのはちゃんは一緒じゃないの?」

 

「ううん? なのはお姉ちゃん、今日は習い事だって! 代わりに孔お兄ちゃんと一緒の筈だったんだけど……」

 

 そんな2匹を横に、マヤとアリスの会話は続く。オルトロスはそれを姉妹のようだな、等と考えながら見ていたが、

 

「っ!」

 

「ちょっと、メリー?! どうしたの?!」

 

 盟約で求められた魔力を感じ、主を置いて突然走り出した。

 

 

 † † † †

 

 

 時はわずかに遡る。放課後、須藤は神社へと歩いていた。久々に授業に出て、いつになく雑談に熱が入った世界史の授業を聞き、いつになく授業を楽しんだ須藤は、自分をもう立派なチャネラーだと思い込んでいた。五月蝿いノイズでしかなかった電波も神の声となり、今や彼を導く存在だ。

 

「火だ……ここに贖罪の炎を……」

 

 足取りも軽く社へと続く石段を登る。途中、犬を連れた女の子とすれ違ったが見向きもしない。むしろ人がいなくなるのは都合が良かった。何せ、自分は今から神聖な儀式を行うのだ。人に見られるのは良くない。かつて感じた放火の発覚への恐怖も、完全に儀式の秘匿へとすり変わっていた。

 

「……ヒ、ヒヒヒ」

 

 頬を歪めて笑いながら、須藤は社に火種を仕掛ける。何か揮発性の強い臭いがした。爆発はしない。しかし、これは間違いなく木造の社を派手に燃やすだろう。それはあの自分を理解してくれた先生の言う贖罪の炎となって、自分の存在を昇華させるに違いない。ポケットから黒い蝶が刻印されたライターを取り出し、火を点す。そんなとき、

 

「ガァ!?」

 

 激痛が後頭部に走った。薄れゆく意識の中で振り返ると、そこには金髪の少女がいた。スタンガンでも仕込んでいるのだろうか、バチバチと電気が走るような音が聞こえる。こいつに殴られたらしい。

 

「……ァ……」

 

 やっと受け入れられる場所を見つけたのに、邪魔をしてくれたソイツを睨み付ける。ソイツの破滅を願いながら、須藤は気を失った。

 

 

 

 須藤を襲った金髪の少女。それは妖狐の力を解放し、人間の姿となった子狐の久遠だった。普通なら那美とアパートへ帰る時間だが、那美は午前中リスティに言われた化け物を調べるためまだ戻っていない。何でも、「葛葉とかいうすごい人」の事務所に行ったらしい。ひとり留守番をしていたところへ、須藤が社に火をつけようとしたのだ。

 

「くぅ……!」

 

 久遠にとって、この神社は自分の家の様な所だ。放火を見過ごす事は出来ない。一瞬の光とともに、人間の少女の様な外見に変わる久遠。那美とともに退魔の術を使う時にとる姿だ。この姿ならば妖狐となった際に得た雷を操る力をある程度使うことができる。須藤に気づかれない様に近づき、

 

「くぅ!」

 

「ガァッ!?」

 

 電撃を打ち出した。勿論、殺してはいない。人間の感覚でいえば、電圧が高めのスタンガンで殴った程度だろう。しかしそれは見事に後頭部をとらえ、須藤は気を失った。

 

「……ぅ」

 

 気を失う直前、凄まじい狂気と憎悪が混じった目を向けられたが、取り敢えず動かなくなったのを見て安堵する。目が覚めないうちに火種を取り除こうと社の方へ向き直ると、そこに青く光っている宝石が見えた。ジュエルシードだ。見る者が見れば暴走一歩手前の危険な状態だと分かるだろう。しかし、そうと知らない久遠は不思議そうにその光を見入る。そして、

 

「……あ、ぁぁぁああああああっ!」

 

 急に苦しみ始めた。ジュエルシードは強い願望を見せた須藤に反応し、久遠の破滅を叶えようとしたのだ。

 

――壊せ!

 

――あの時、あの人を殺した人間に死を!

 

 久遠にとっての破滅、それは嘗て那美によって祓われた祟りの復活だった。元々生命体の願いに反応する様に造られたジュエルシード。対象の記憶を読み取り、「最大の恐怖を引き出す事象」を再現するのは簡単だった。

 

「……う、あ…… 」

 

 苦しそうに呻きながら、久遠はジュエルシードから漏れる光から逃れよう社に飛び込んだ。力を抑えるため子狐の姿に戻るも、自分の中で暴れる祟りは収まらない。万一暴走したときに備え、社の扉を閉めようとする。嘗て那美が修行のため何重にも護符を貼ったこの扉は、一度霊力を通してしまえばちょっとやそっとでは開かない筈だ。しかし、閉まり始めた扉の隙間から、

 

「あ、待ってよ! パスカル!」

 

「あっ! ダメッ! アリスちゃんっ!」

 

 犬と少女2人が飛び込んできた。

 

 

 † † † †

 

 

「ちょっと、メリー?! どうしたの?!」

 

 再びオルトロス。はるか後ろで響いくマヤの声を背に受けた時には、もう境内にたどり着いていた。本来の姿に姿を変え、目指すは光を放つ青い宝石。そこから放たれる大量の魔力を、

 

――吸魔

 

 オルトロスは吸い込んだ。みるみる光を弱めていくジュエルシード。本来こうした魔力制御はあまり得意でないが、ジュエルシードを探索するにあたって習得した物だ。やがてその青い宝石は完全に光を失う。青い宝石を口に含むオルトロス。

 

(グゥ。宝石ハ手ニ入レタガ、ドウスルベキカ……)

 

 口内にしまいこんだジュエルシードを確かめながら、オルトロスは思案する。取り敢えず自分を呼び出した男の願いは叶えられた。後は渡すだけなのだが、あのいけ好かないフェレットの皮を被った悪魔に預けて、功績を横取りされるのも癪だ。自分で持っていく事にするか。そう思って駆け出そうとしたとき、

 

「……ッ!」

 

 社から強い妖気を感じた。ジュエルシードが感応することをおそれ、裏の林に走る。茂みから様子を伺っていると、マヤとアリス、そしてパスカルが境内に入ってきた。

 

 

 

「メリー?! メリーィ! どこにいったの?!」

 

 声をあげるマヤ。大人しくしていたメリーに安心していて虚を突かれたのと、アリスの体力を気遣い速く走れなかったせいで、メリーの姿を見失ってしまった。

 

「う~ん、困ったわね……」

 

 名前を読んでも出てこないメリーに頭を抱えるマヤ。そこへ、パスカルが急に社に向かって吼え始めた。見ると、普段閉まっている社の扉が開いている。

 

「パスカル?! どうしたの?!」

 

 様子がおかしいパスカルにアリスが問いかける。しかし、パスカルはうなり声をあげると、社の中に飛び込んだ。

 

「あ、待ってよ! パスカル!」

 

「あっ! ダメッ! アリスちゃんっ!」

 

 パスカルを追って社へ入っていくアリスに、マヤは慌てた。社の中は一般の人は立ち入り禁止だというのもあるが、そこに異常な雰囲気を感じ取ったのだ。連れ戻すべくそこへ入る。

 

「もう! 急に走ったらビックリするでしょ? パスカルッ!」

 

 中には、怒った様に声をあげながらパスカルの首の辺りを撫でるアリスがいた。小柄なアリスはパスカルに抱きつく様な格好になっている。う~っと唸りながらも、おとなしくアリスのされるがままになっているパスカル。マヤは先程の異常な雰囲気も忘れ、思わず笑ってしまった。

 

(こういう時こそ、ポジティブシンギングね)

 

 下手に自分が焦ったらアリスも不安になる。ここは年上としての余裕を見せなければ。

 

「急にどっかいっちゃダメ! 孔お兄ちゃんじゃないんだから!」

 

「まあ、アリスちゃん、パスカルも何か見つけたのかもしれないし……」

 

「だって、みんなアリス置いてどっか行っちゃうんだもん!」

 

 慰めようとするマヤに、アリスが叫んだ。目には涙を浮かべている。

 

「アリスちゃん……?」

 

「酷いんだよ! アリサお姉ちゃんも杏子さんもアリス置いてどっか行っちゃうし、さやかさんも最近会ってないし……」

 

 マヤは驚いた。普段なのはを引っ張って遊ぶアリスしか知らなかったため、アリスを元気でかわいい子ぐらいにしか思っていなかった。よく考えれば、外国人らしい容姿から特殊な境遇にあり、心に重いものを持っていたとしても不思議ではない。言葉が浮かばないマヤを横に、パスカルがアリスの涙を嘗め取った。

 

「……ぁ」

 

「ほら、アリスちゃん、パスカルもいるじゃない。なのはちゃんだって、また一緒に遊べるでしょ?」

 

 アリスの頭を撫でるマヤ。アリスはパスカルに抱きついたままマヤを見上げる。

 

「マヤさんはどっか行かない?」

 

「うん。何時でもまた遊べるよ?」

 

 アリスはようやく笑顔を見せた。しかし、そんなアリスと裏腹に、パスカルは神棚の方に向かって吼え始める。見ると、いつもの子狐がこちらを見ていた。

 

「あら? 何時もの……?」

 

 可愛い小動物を見れば、アリスも気が紛れるかもしれない。マヤは立ち上がって近寄ろうとする。しかし、それを遮る様にパスカルがマヤの服をくわえて引っ張った。

 

「どうしたの? パスカル?」

 

 そんなパスカルに不思議そうな声を出すマヤ。そんな時、

 

――あぁ……人間……私から大切な者を奪う……人間……!

 

「っ!? えっ?!」

 

 子狐が言葉を発した。目があう。そこには、憎悪。

 

「……う、ぁ」

 

 凄まじい恐怖に襲われるマヤ。背筋を冷たいものが走り、思わず声を漏らす。目の前にいる子狐が、全く未知の存在に思えた。意識が飛びそうになり……

 

――お前は……!

 

 しかし、唐突に殺気が止んだ。否、殺気はある。ビリビリと肌を焼くような悪意が、何かによって反らされたのだ。ちょうど土砂降りのの雨から守る傘のように。おそるおそる顔をあげてみると、パスカルが2人を守るように前に出ていた。

 

「オォォォオオオオ!!」

 

 しかし、あげた咆哮は普段のパスカルのものとはかけ離れていた。聞くものを威圧し、恐怖で拘束する悪魔の雄叫びだ。子狐も怯えている様に見える。しかしそれはマヤも同じだった。圧倒的な力を前にした畏怖に似た感情に打たれ、その場にへたりこむ。しかし、

 

――ニンゲン、ありすヲ連レテニゲロ!

 

 そんな声で我に返る。反射的に辺りを見回しても誰もいない。代わりに、閉まりかけている扉が見えた。

 

(このままじゃ、閉じ込められる……!)

 

 直感的にそう悟ったマヤは、アリスに向かって叫んでいた。

 

「走って、アリスちゃんっ!」

 

「うんっ!」

 

 アリスもそれに応え外に飛び出す。マヤも続こうとするが、

 

「っ?! マヤさんっ!」

 

 それを遮るように扉が閉まった。慌てて扉を開けようとするアリス。が、ガチャガチャと音を立てるばかりで開く気配がない。

 

「アリスちゃん! 逃げてっ……!」

 

 僅かに開いた扉の隙間から、マヤが叫ぶ。首を振ってそれを否定しながら、扉を開こうとするアリス。

 

「嫌っ! マヤさんも逃げるの!」

 

「ア、アリスちゃん……」

 

 涙を流して扉の隙間から手を伸ばすアリス。

 

――だって、みんなアリス置いてどっかいっちゃうんだもん!

 

 つい先ほど聞いたアリスの声がマヤの頭に響く。思わず扉の隙間から手を伸ばし、

 

「ヒャッハァア! ダメじゃねえか! 生け贄が逃げちゃぁあ!」

 

 指が触れた感触と共に、アリスが倒れた。アリスの向こうには、狂った様に叫ぶ青年。手には血濡れのナイフを持っている。須藤だ。

 

(アリスちゃんが刺されたっ?! 何でっ?!)

 

 マヤは理解が追いつかず、目を見開いて固まった。しかし、

 

「イヒ、ヒヒヒ、ヒャーハッハァ! 見ろぉ! 電波ぁ! 間違った世界なんて、みんな燃やしてやる!」

 

 その叫びと共に、急に襲ってきた熱気に意識を取り戻す。神社に火がついたのだ。

 

「ヒャハァ! 燃えろ燃えろぉ! 燃えちまえェェェ!」

 

「嫌ぁぁぁあああ! 逃げて、アリスちゃん!」

 

 扉を叩いて叫ぶマヤ。もはや背後の影など気にも止めていなかった。必死にアリスに呼び掛ける。

 

「逃げて……アリスちゃん……逃げ……」

 

 しかし、長くは続かない。炎に包まれた社の温度は上昇を続け、酸素も薄くなっている。扉を叩く力は次第に弱くなり、遂にマヤは燃え始める扉の前に倒れた。

 

(アリスちゃん……ア……リ……)

 

 それでも、半ば無意識に扉の隙間に目を向けるマヤ。

 

 しかし意識を失う寸前、マヤの視界は少年の背後に巨大な獣の姿を捉えた。

 

 

 † † † †

 

 

「ヒ、ヒヒヒ、ヒ。もっとだ! もっと燃えろぉ! 間違ってるこっち側を壊すんだぁ!」

 

 その男、須藤竜也は狂気に浸っていた。燃える神社を見て充足感が広がり、大声で叫ぶ。

 

「そうだ! こんな世界は間違ってんだ! 俺をバカにした親父も、アイツらも、みんな間違ってんだ!」

 

――そうだ、間違っている。だから壊せ!

 

「イ、イヒィ?! ち、違う、電波ぁ、勝手にしゃべんじゃねえ!!」

 

 しかし、自分の発した声がいつも頭に響く何者かの声と重なった。竜也はその声を振り払おうと、ライターを放り投げる。瞬く間に火勢は強くなり、社を覆いつくした。

 

「アは、イひ、ヒャーハッハァ!」

 

 オルトロスは茂みの中からその様子を見ていた。今、社から溢れ出ていた妖気は止んでいる。恐らく、社に入った兄者がなんとかしたのだろう。しかし、ホッとしたのも束の間、物陰から男が急に立ち上がったかと思うと、マヤがいる社に放火し、アリスを刺したのだ。

 

「オォォォオオオオ!!」

 

 咆哮を上げると、オルトロスは須藤の前に躍り出た。巨大な双頭の獣に驚愕する須藤に向かって叫ぶ。

 

「ソノ者ハ生マレハ違ウトハイエ、我等ガ家族ト認メタ者……貴様ハ許サヌ!」

 

「なぁ! 何っ! ギャァァアアアアア!」

 

 顔面に感じた異常な高温。須藤は火だるまになってそこらを転げ回る。止めをさそうと牙を剥き出しに迫るオルトロス。須藤は必死に炎を振り払い、地を這って逃げようとする。そんな時、手が何かに触れた。靴だ。見上げると、

 

「何で……」

 

「っ!?」

 

 先程ナイフで刺した筈の少女が立っていた。

 

「ねえ、何で壊すの?」

 

 とてつもなく暗い声が響く。

 

「何で、みんなアリスから奪おうとするの?」

 

 竜也は恐怖した。自分が抱いた八つ当たりにも似た感情とは違う、その暗い憎しみに。

 

「ヒィ! く、来るんじゃねぇ!」

 

「アリスの、壊すんなら……盗るんなら……」

 

 悲鳴をあげる竜也を無視して、一歩一歩近づいていくアリス。そして、

 

――死んでくれる?

 

「あ、がぁ、……ぎ、あ、ああああぁぁぁああ!!」

 

 「願い」が響いた。絶叫。強烈な悪意が、憎悪が、恐怖が、形となって竜也を蝕む。耐え切れず、白目を剥いて倒れこむ竜也。

 

「あは、はハハハハ、キャハハハハハハッ!」

 

 倒れた竜也を前に、アリスは笑っていた。まるで壊れた人形の様に。

 

「あはハハハハ、キャハハハハハハ! みんな、みんな死んじゃえー!」

 

 そしてその笑い声は止まらない。アリスを中心ににじみ出る悪意が黒い影となって広がっていく。その影は木を枯らし動物達を骸に変えながら、山ひとつを包み込んだ。

 

 

 † † † †

 

 

 社の中。久遠は必死に祟りの暴走を抑えようとしていた。自分の霊力を全て使って、必死に祟りが引き起こす負の感情と闘う。しかし、炎の音がそれを妨げた。

 

――那美との思い出を壊そうとする人間がいる

 

 那美と共に久遠がかつて愛した少年の顔が浮かぶ。それは祟りの記憶。600年前、その少年は当事流行していた伝染病を鎮めるため、生け贄にとして惨殺された。職業柄たまたま伝染病に耐性を持っていたせいで、村の神社の神主に目をつけられたのだ。

 

――人間を許すな!

 

 すさまじい怒りと共に祟りの声が久遠の頭に響く。

 

――違う……那美みたいな……人も……いる

 

――その人を、人間が壊そうとしているのだ!

 

 抵抗する久遠を祟りが崩そうとする。

 

――ああ、燃える、お前も見ただろう? 人間は大切な者を我らから奪い……

 

「黙レッ!!」

 

 そこへ、叫び声が響いた。ケルベロスだ。すでにパスカルの姿ではなく、地獄の番犬としての姿に変わっている。

 

――ピュプリレゲドン

 

 久遠を包む青い影をケルベロスの炎が襲う。神魔クラスの相手にもまともなダメージを与えるそれは、容赦なくその五尾の妖怪を焼き尽くした。

 

――ギャァァアアア!

 

 悲鳴と共に消えていく祟り。否、それは祟りではなかった。久遠に眠る祟りの記憶を、ジュエルシードが再現した物だ。

 

「一度死シタ者ガ冥府ヨリ出ズル等ト、例エ偽リノ魂ダトシテモ認メラレヌ!」

 

 しかし、ケルベロスはそれを良しとしなかった。魔力で作り出されたそれは、外観も性質も霊に近い。それは魂を、冥府を、そしてそれを護る自分をひどく冒涜するもののように思えたのだ。

 

「ソンナ者ニ主ヨリ与エラレタ家族ヲ壊サレルツモリハナイッ!」

 

 ケルベロスは霊力を使い果たして動けない久遠をくわえ、倒れたマヤを背負うと、強力な封印の術式が刻まれた扉を叩き壊した。

 

「アハ、……あはハハ、ハハ……ハ……あハ……」

 

 境内でケルベロスが目にしたのは、崩れ落ちるアリスと唖然とするオルトロスだった。

 

「弟ヨ、ありすハドウシタ?!」

 

「……兄者、遅カッタデハナイカ」

 

 社から出てきたケルベロスがオルトロスに問い詰める。オルトロスは先程起こった事を簡単に説明した。

 

「……兄者達ガイル社ヲ燃ヤサレテ覚醒シタ……信ジラレヌ力ダ」

 

 辺りを見回してオルトロスがため息をつく。視線の先には死んだ林が広がっていた。

 

「コレダケ殺シテマダ巨大ナ闇ト魔力ヲ感ジル。恐ロシイ呪力ダ。兄者ガコノ者ニツクノモうなずケル」

 

「……ソウカ」

 

 ケルベロスは短くそれだけ言うと、マヤと久遠をオルトロスの側におろし、倒れているアリスを背に乗せた。

 

「兄者?」

 

「我ハありすヲ主ノ下ヘ届ケル。ソノ人間ト妖狐ハ好キニスルガイイ」

 

 そう言うと、ケルベロスは咆哮をあげて駆け出した。残されたオルトロスはマヤを見下ろす。服は煤で汚れ、高温の扉を叩き続けた手には火傷を負っていた。

 

「……」

 

 ジュエルシードを手に入れたオルトロスにとって、マヤは不要な存在だった。後は契約通りジュエルシードを届け、大量のマグネタイトを手に入れるだけだ。しかし、

 

「放ッテオクノモ気ガ引ケルナ……」

 

 そう呟くオルトロス。別にケルベロスのように助けられた訳でもなければ、自分を従えるような力を持っている訳でもない。助ける義理などないのだが、マヤはとり憑いているこの犬を家族のように扱っていた。いや、事実家族だったのだろう。とり憑いた犬の記憶にあるマヤとメリーの関係は、自分とあの合成聖獣との関係に似ていた。

 

「家族カ……」

 

 立ち去る父親に流した涙の味を思い出す。人間の体液にはマグネタイトが含まれる。血液ほどではないが、涙でもある程度は糧となるのだ。本能的に舐めとってしまったが、それは深い悲しみに包まれた哀れな魂と同じ味がした。普段の自分ならこのような魂は不味いだけだと見向きもしないのだが、

 

「ありすヲ助ケヨウトシタ想イハ買ッテヤルカ……」

 

 そんな風に自分の感情を納得させながら、マヤを担ごうとするオルトロス。あるいは、それはとり憑いた犬の思考が残っていたのかもしれない。しかし、

 

「マヤさん……?! な、何で……!」

 

 そこへ、少女の叫び声が響いた。

 

 

 † † † †

 

 

 ジュエルシードが発現してから、なのはは神社へと走っていた。まだ夕暮れ時。空を飛んで神社へ急行するには目立ちすぎる。

 

(ジュエルシードの暴走体は色んなタイプがあるけど、原生生物にとり憑く事もあるんだ)

 

 肩に乗せたユーノがこれから相対するであろうジュエルシードの暴走体について念話で説明してくれる。

 

(大体の動物は力を欲している。動物の世界では力は体の大きさに表される事が多いんだ。それが叶えられるのが普通だね。例えば、仔犬なら巨大な犬が暴走体となって出現したりするんだ)

 

 ユーノの頭の中にある知識を適当にそれらしくぺらぺらと喋る悪魔。それにより、悪魔はなのはの信頼を得ることに成功していた。

 

(おっきい犬かぁ。私、大丈夫かなぁ?)

 

(大丈夫だよ。なのはの魔力量なら、ある程度押しきれる筈だよ。)

 

 不安そうにするなのはの背中を押すユーノ。もっともこちらは決して適当に言っている訳ではなく、ジュエルシードの暴走体程度ならそこまで苦労しないだろうと分析していた。ここ数日なのはに魔法を教えていて、特に砲撃魔法と呼ばれる遠距離からの攻撃に適性があることが分かった。ジュエルシードを攻略するには封印の術式を何かしらの魔力に乗せてぶつければいいのだが、遠距離からの大魔力による攻撃はそれにうってつけだ。

 

(ありがとう、ユーノ君)

 

(それより、もうすぐ神社だ。急ごう)

 

 ユーノに急かされて、石段をかけ上るなのは。そこには、巨大な犬――オルトロスがいた。ユーノにとり憑いた悪魔は思わず舌打ちする。

 

(先を越されてしまったか)

 

 なのはの利用価値を高めるため実戦の相手として使いたかったのだが、目論見が外れたようだ。悪魔は事情を説明しようとする。

 

「なのは、あれは……」

 

「マヤさん……?! な、何で……!」

 

 しかし、なのはは突然叫びだしたかと思うと、細かく震えだした。その眼は傷だらけで倒れるマヤを捉えている。振り返るオルトロス。それと同時、

 

「う、うわぁぁぁぁあああああ!」

 

 なのはは絶叫と共にレイジングハートを展開した。

 

「なっ! 待つんだなのは!」

 

 慌てるユーノ。しかし、その声が届く間もなく、

 

《Shooting mode , stand by leady.》

 

 初めて見せたマスターの激情に呼応し、レイジングハートは起動ワードをスキップ、自身を最適な形態に変化させた。

 

「デバイィィぃぃいいいンバスタァァァぁぁあああああ!」

 

 悲鳴のような叫び声と共に、構えた杖の先から巨大な魔力が放たれる。それは光の奔流となり、オルトロスを呑み込んだ。

 

 

 

 突如攻撃に曝され、オルトロスは避ける間もなく魔力を受け止める。

 

(ヌウッ! ヤツメ、我カラコノ宝石ダケヲ奪ウツモリカ!)

 

 見覚えのある魔力を持った少女を連れた悪魔を見たとき、オルトロスは自分と合流するつもりかと思った。しかし、その少女は自分を攻撃してきたのだ。

 

(宝石ガ見ミツカリ用済ミトイウ訳カ……! コノヨウナ契約ノ破棄ヲサレヨウトハ!)

 

 オルトロスは光の衝撃を感じながら焦っていた。魔力にジュエルシードが感応しかかっているのだ。ジュエルシードを放り出してしまえばいいのだが、自分を騙した相手の思い通りになるのはシャクだ。

 

(グゥ、面倒だ!)

 

――トラフーリ

 

 魔法を使って離脱するオルトロス。魔法の光はマヤを巻き込み、神社から消え去った。

 

 

 

「はあ、はあ」

 

「……なんということだ」

 

 後に残されたのは肩で息をするなのはと、青くなるユーノ。

 

(面倒な事になったな。まったく、人間というやつはすぐ一時の感情に流される……!)

 

 ユーノは頭を抱えた。恐らく、あの双頭の番犬は自分に復讐に来るだろう。面倒な宝石だけでなく、強力な悪魔の相手もしなければならなくなった。

 

「……!? マヤさんは……!? マヤさぁーーん!」

 

 そんなユーノを差し置いて叫ぶなのは。今なお混乱して感情のままに動くなのはを、ユーノは鬱陶しく感じた。

 

「ユーノ君、マヤさんが、マヤさんがぁ!」

 

「フム。どうやら魔法に巻き込まれてしまったようだな」

 

「?!」

 

 それに答えたのはユーノではなかった。声が聞こえた方を見ると、軍服を着た精悍な顔つきの男が此方を見下ろしている。声をあげるユーノ。

 

「お前は……!」

 

「私は五島一等陸佐。自衛官をやっているものだ」

 

 ユーノを一瞥すると、五島はなのはに向かって話し始めた。

 

「今、君は襲いかかる厄災から大切な人を守ろうとした。しかし、力及ばず大切な人は消え去ってしまった」

 

 軍人らしい威厳をもって語りかける五島。なのはの頬を涙が伝った。

 

「この悲劇はジュエルシードを悪用せんとする者達によってこれからも繰り返されていく。このままでは君の家族や友人も同じ道をたどるだろう」

 

 マヤを失い冷静さを失っているところに冷酷な事実を告げられ、なにも言うことができず俯くなのは。涙が地面を濡らした。五島はそれを見つめながら続ける。

 

「君に護りたい者はいるかな?」

 

「……います」

 

「ならば、君は護るということを理解しなくてはならない! 戦いのなかに身をおかなくてはならない! 強くならねばならない! 悲劇を繰り返さないために!」

 

 まるで思考を植えつけるような演説に泣きながらうなずくなのは。それを見て、五島は背を向けて歩き始めた。

 

「もし、この厄災から護りたいなら、ついてくるといい。戦うべき敵を教えよう」

 

 なのはは涙を拭い、五島の後を追う。

 

(……ふん。上手く寵絡したか)

 

 苦々しい表情を浮かべるユーノを肩に乗せたまま。

 

 

 † † † †

 

 

(木が枯れている……!)

 

(まるで死んでいるみたいですね……)

 

 リニスの運転するバイクに揺られながら、念話を交わす孔。喫茶店でリスティ、寺沢警部たちと神社の炎を見つけた孔とリニスは、そのまま神社へ向かっていた。ちなみに、リスティと寺沢警部は車を用意するためいったん署に戻っている。その際に危険だから近寄るなといわれたのだが、孔とリニスはそれを無視した。2人からすれば、魔法も悪魔も把握していない警察の方がよほど危険だ。

 

(コウ、そろそろ人も見えなくなりました。移転をしますけど、準備はいいですか?)

 

(ああ、頼……いや、ちょっと待てっ! バイク、止めてくれ!)

 

 孔の様子に慌ててブレーキをかけるリニス。

 

「コウ? 一体どうしたんで……」

 

 問いかけようとするも、それは急に飛び出してきたパスカルに遮られた。パスカルは吠えながら道の横の林へ飛び込む。慌てて追いかけると、そこには倒れるアリスがいた。

 

「アリスッ!」

 

「……あれ? 孔お兄ちゃん?」

 

 慌てて駆け寄って抱き起す孔。アリスはそんな孔の不安を知らず、何事もなかったかのように目を開く。

 

「アリス! 大丈夫なのか? 何があった?!」

 

「えっと、マヤさんと神社で遊んでて……そしたら神社が燃えて……っ! ああっマヤさんは? マヤさんっ!」

 

 が、説明の途中で叫び始めた。リニスはそんなアリスを抱きしめる。

 

「大丈夫。きっと無事ですよ」

 

「でも、でもぉ……!」

 

 混乱のまま泣きじゃくるアリスをリニスに任せ、孔はパスカルに念話で問いかけた。

 

(パスカル、何があったんだ?)

 

(ニンゲンガ神社ニ放火シ、ソレニ巻キ込マレタノダ。マア、ソウダナ、詳シクハ……我ガ弟カラ聞クガヨイ)

 

 パスカルは何もない空間に視線を向ける。怪訝な顔をする孔。しかし、魔力を感じたかと思うと、空間の歪みと共に一匹の犬とひどい火傷を負った女の子が転送されてきた。メリーだ。出てくると同時、ジュエルシードを吐き出すメリー。

 

「ソノ魔力……兄者ガ認メタトイウノハオ前カ」

 

「……認めたと言うのが契約を指しているのなら、そうなる」

 

 微妙に距離を取りながら答える孔。ケルベロスと兄弟というが、さすがに異常な事態に警戒していた。

 

「ナラバ、我トモ契約ヲ……」

 

「マヤさんっ!?」

 

 しかし、話すメリーを遮ってアリスが火傷の女の子に駆け寄った。どうやらこの女の子がアリスの話に出ていたマヤさんという人らしい。

 

「孔お兄ちゃん、マヤさんがっ!」

 

「アリスちゃん、落ち着いて……大丈夫。命に別状はありませんよ」

 

 アリスを宥めながら、マヤに回復魔法をかけるリニス。アリスに魔法を悟られないようにするため魔力の光は控えめだ。傷の治りも遅い。それを見た孔は携帯を取り出し、病院へ連絡を入れた。

 

 

 † † † †

 

 

「……くぅ。……ぅ」

 

「……事情を話すのは後でいいから、今は休むんだ」

 

 リスティは傷ついた久遠を抱えながら、燃え落ちた神社を見つめていた。

 

「ヒィ……ガキが、あのガキがぁ! 化け物がぁ!」

 

「分かった、分かった。そう言う話は署で聞くから……」

 

 隣には顔に火傷を負った少年が喚きながら警官に引っ張られ、救急車へ強引に乗せられている。「特殊な手段」で一足早く現場についたリスティは、傷ついた久遠と白目を剥いて倒れるこの少年を見つけた。久遠の方はかなり消耗しているものの問題無さそうだったが、この少年は気がつくと同時に喚き出したのだ。

 

「ば、化け物だ! 化け物に殺されかけたんだ! そしたら電波がオマエハマダ死ぬなって……お、俺は電波に選ばれて……!」

 

「分かったから大人しくしなさい!」

 

 明らかに常軌を逸している様子の少年は、しかしすぐに駆けつけた警官に取り押さえられた。リスティは暴れ続ける少年の叫びを聞きながら、破壊された神社を見つめる。

 

(……今度はこの神社か)

 

 この神社に愛着を持つ那美を想い浮かべ、やりきれない気持ちになる。愛の病院に続き、またも思い出の場所を失ってしまった。

 

「また化け物、だ。まあ、揮発性の可燃物も見つかってるから、詳しく調べないと分からんがな」

 

「……寺沢さん」

 

 そこへ、寺沢警部が話しかけてきた。簡単に火災の現況を説明しながら、久遠に目を留める。

 

「リスティ。早くその狐連れて寮に戻れ。で、よく看てやれ。飼い主の巫女さんにも事情も聞かんといかんしな」

 

「すみません、警部」

 

 リスティは気を使ってくれる上司に感謝しながら、その場を後にした。

 

「電波が、化け物がぁあ! ヒャァアーッハッハッハッハァ! 電波からは逃げられねぇぞ!」

 

 他の警官から見えなくなった所で一瞬のうちに姿を消したリスティに苦笑しつつ、寺沢警部は未だ奇声を上げ続ける容疑者に目を向ける。

 

「……化け物、か」

 

 寺沢警部のそんな呟きは、枯れ木を揺らす風に紛れて、誰にも聞かれることなく星一つない夜空へと消えていった。

 




――Result―――――――
(None)

――悪魔全書――――――

愚者 天野マヤ
※本作独自設定
 海鳴市に住む中学生。母親とは既に死別し、現在は記者をやっている父親と2人で暮らしている。その父親も世界の紛争地域を中心に仕事をしているため、共に過ごす時間は短い。その寂しさをまぎらわす様に明るく振る舞う。母が遺したシーズー犬のメリーを本当の家族のように扱っている。

愚者 寺沢警部
※本作独自設定
 海鳴署捜査課に勤める警察官。ベテランの警部として捜査課を取り仕切り、海鳴市で起こる様々な事件を解決に導いている。中には猟奇的な事件も手掛けており、裏社会にもある程度精通している模様。部下からの信頼も厚く、刑事であるリスティ・槙原と捜査に臨むことが多い。

厄災 ジュエルシード暴走体ⅩⅤⅠ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。久遠の記憶にある祟りを再現して生まれた憎悪の塊で、人間を無差別に攻撃する。久遠とは体と意識をある程度共有しているが、独立した意思らしきものも見られる。ジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅩⅤⅠ。

――元ネタ全書―――――
生マレハ違エド、同ジ血族!
 真・女神転生Ⅲ。オルトロスとキマイラの特殊会話。本当はケルベロスとの特殊会話にしようかとも思いましたが、頭の数に関するものだったので憑りついた状態ではできずこちらに。

……お仕事、そんなに大事なの?
 ペルソナ2罪。舞耶の回想シーンより。各キャラクターの過去が明らかになるイベントだけに、印象に残っている人も多いのでは?

――――――――――――
※現段階でのアリスは「死んでくれる?」を「お友達になってね?」の意味として使っていません。近年の作品の攻撃魔法や真Ⅳのスキル変化拒否時のセリフよろしく悪意をぶつけています。アリスの変容は後の完全覚醒までお待ちください。
――――――――――――


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第12話a 妄執の巨木《壱》

――――――――――――

「ゴール!」

 サッカーでマネージャーをやっているは、ベンチから練習試合の様子を見ていた。

「う~ん、やっぱりちゃんとしたキーパーがいないと厳しいかな?」

 風邪で寝込んでしまったキーパーの代わりをやっている子に、そんな事を呟く。やっぱり、じゃんけんで負けて嫌々やっている様じゃ上手く止めてくれない。

「誰かもっと代わりに……代わり……そうだ!」

 良いこと思いついた!

――――――――――――園子/少年サッカークラブ・試合場



 夜の病院。治療を受けるため運びこまれるマヤを見送った後、孔とリニス、パスカルは待合室でメリーの姿に戻ったオルトロスの話を聞いていた。アリスは泣き疲れたのか、リニスの膝枕で眠っている。

 

「信じられません。そんな力があったなんて……」

 

「アリスは大丈夫なのか?」

 

 アリスの頭を撫でながら言うリニス。孔の疑問に、パスカルが答える。

 

「まぐねたいとノ流レヲ見ル限リ問題ナイ。急ナ流出ヲ体ガ拒絶シタダケダ」

 

「分かるのか?」

 

「我ハ冥界ノ門番。霊ノ持ツ力ノ流レヲ読ムコトナド容易イ」

 

 取り敢えずアリスが無事と分かり、胸を撫で下ろす孔。しかし、問題は山積みだ。

 

「コウ、アリスの力について、何か知っていますか?」

 

「いや、知らないな。俺もアリスの事はある程度把握しているつもりだったんだが……」

 

「仕方ありませんよ。今まで魔力も感じられませんでしたから」

 

 溜め息を吐く孔を軽く慰めるリニス。孔はそれに応えようと対策を練り始める。

 

「アリスについてはそれとなく先生に聞いてみるよ。引き取られたのは俺より先なんだ。何か知っているかもしれない。しばらくは様子見だな。さしあたってはジュエルシードだが……オルトロス、いやメリー、さっきの話だとその五島という人が主犯みたいだが?」

 

「ソウダ。五島ハアノ宝石ヲ欲シテイタ。ワザワザコノ地ニ落トシタノモ奴ダ」

 

「何故そんな事を?」

 

「ソコマデハ知ラヌ。まぐねたいとヲ貰エレバ我ハソレデ十分ダッタカラナ」

 

 当然のように答えるオルトロス。肝心の動機については聞いても無駄なようだ。顔をしかめるリニスを横に、孔は別の方面から質問をしてみた。

 

「その五島について、知っている事があれば教えてほしいんだが?」

 

「……ソウダナ、白衣ノ男ニ自衛官ヲヤッテイルト言ッテイタ。拠点モ軍艦ダッタナ」

 

「白衣の男?」

 

「イツモ機械バカリイジッテイル男ダ。詳シクハ知ラヌ。ソウイエバ、五島ハソイツ相手ニ天使カラコノ地ヲ護ルトカ言ッテイタナ」

 

「……分かった。ありがとう。だが、情報が少なすぎるな。自衛隊が組織だって動いてるのか、それとも五島という人が個人的に動いているのかも分からない。それに、悪魔ならともかく、敵対する相手をわざわざ天使と表現するのも妙だ。リニス、何か知っているか?」

 

「いえ、私もこのところはスティーヴン博士にも会っていませんし……ああ、でも、ジュエルシードの事ならプレシアが詳しいと思います。以前、高魔力結晶体の情報を集めていましたから」

 

 リニスの言葉に孔は困った様な顔をした。魔法世界を離れ、今は悪魔とも無縁な生活を送っているプレシアに危険なロストロギアの話を持ち込むのはさすがに憚られる。

 

「プレシアさん、嫌だろうな」

 

「でも、伝えないわけにはいきません。時の庭園に現れたあのグレムリンも出てきた以上、知っている方がかえって危険が少ないでしょう」

 

「分かった。取り敢えず、明日訓練のついでにでもプレシアさんと話してみる事にするよ」

 

 訓練というのは、テスタロッサ邸の地下にある訓練室を借りて行っている魔法の練習の事だ。孔は週に何回かアリスを連れて遊びにいくついでに、プレシアやリニスから魔法を習っている。

 

「ええ、私からも前もって伝えておきますね」

 

「助かる。後は……」

 

 言いかけて顔をあげる孔。窓越しに向けた視線の先には車。児童保護施設のものだ。

 

「先生をどう誤魔化すかだな」

 

 

 † † † †

 

 

「……どういうことです?」

 

 翌日。まだ朝も早い時間から、海鳴署に出勤したリスティは寺沢警部に詰め寄った。寺沢警部も、それに怒りを押し殺した声で答える。

 

「さっき言ったとおりだ。連続放火事件の容疑者、須藤竜也は精神病院行きで事情聴取は無理、だそうだ。現職の外相が直々に出てきて、ご立派な病院の院長と一緒になって病棟に隔離しやがった。大方、息子が犯罪者扱いされてスキャンダルになるのを恐れたんだろう。報道にも圧力がかかってる」

 

「事件を闇に葬る気ですか! そんなことが……!?」

 

「葬るわけがないだろうが! 犠牲者だって出てるんだ!」

 

 リスティを寺沢警部の怒号が遮る。ベテランに属する警部がここまで怒りを見せるのは初めてだ。息をのむリスティ。

 

「須藤竜也がお偉いエリート官僚の息子でも、現場に放火の証拠品は残ってる。それに、話を聞かんといかん相手もな。捜査のやりようはある」

 

「……久遠の話だと、放火の現場にはほかにもマヤ、アリスという少女が2名と、その飼い犬がいたようです」

 

 剣幕に押されながらも、リスティは久遠から聞いた話を伝えた。正しくは、「聞いた話」わけではなく、「伝えられた映像」といったほうがいいかもしれない。久遠は妖狐らしく夢写しと呼ばれる能力を持っており、夢を通じて自身のイメージを相手に伝えることが出来る。映像だけあって、昨日の出来事を鮮明にリスティへ伝えることが出来た。燃える社の中で悪霊と抗いながら、辛うじて見えた2人の少女のことも、巨大な地獄の番犬のことも。

 

「おい、アリスっていうと……」

 

「ええ、あの卯月君の妹です」

 

 

 † † † †

 

 

「卯月くん、ちょっといい?」

 

「どうした?」

 

 その頃、孔には園子が声をかけていた。いや、より正確には孔がひとりになる休み時間を見計らって、園子が孔に話しかけたというべきか。園子はマネージャーを務めているサッカーチームで抜けてしまったキーパーの役目を孔に頼もうとしていた。運動神経抜群の孔は穴を埋めて余りある活躍を期待できる。好きな人が一緒で自分も楽しい。園子にとっては一石二鳥の素晴らしい思いつきだったのだが、

 

「ええっとね、その……」

 

 いざ話しかけてみると、気恥ずかしさが手伝ってなかなか話を切り出せない。孔は相変わらず無表情ながらも気を使ってくれる。

 

「言いにくい事なら、後でも構わないが……?」

 

 それは嬉しいのだが、ここで逃げられると修達と別行動をとれる時間は限られてしまう。意を決して口を開く。

 

「ち、違うのっ! その、えっと、日曜日、暇?」

 

「まあ、暇、かな? 特に予定はない」

 

「じゃあ……その、サッカーの試合に出てほしいんだけど、いい?」

 

「なに?」

 

 怪訝そうにする孔に、園子は必死に言葉を絞り出してキーパーの代役について説明した。第三者からすれば焦る必要は微塵もないような内容だが、園子にとって孔に「お願い」するという行為は告白に等しく、極度の精神的緊張を要する。

 

「ほ、ほら、卯月くん、体育でもサッカー得意でしょ? 代わりに出てくれると嬉しいなって……」

 

「ああ、俺は別に構わないが……」

 

 最後は何か言い訳のようになってしまったが、孔は頷いてくれた。園子は喜色満面でお礼を言う。

 

「あ、ありがとうっ!」

 

「いや。得意という程のものでもないから、あまり戦力にならないかもしれないが……」

 

「そんなことないよ! 私もちゃんとサポートするし……ぁ」

 

 言いかけて恥ずかしくなったのか、真っ赤になって固まる園子。しかし、孔はそれを大して気にした様子もなく続ける。

 

「そうか。なら、楽しみにしている」

 

「うん! あ、サッカーは河のグラウンドでやるから。それから、終わったらコーチの喫茶店でケーキとか出してくれるんだ。よかったら卯月君も……」

 

 園子はそんな孔にようやくペースを取り戻したのか、当日の予定を楽しげに話し始める。まるで恋人同士でデートの予定でも立てているかの様だ。しかし、そこへ修と萌生、アリシアがやって来た。

 

「えっ? 卯月くん、園子ちゃんのサッカー出るの?」

 

「卯月が? サッカーに? 相手勝てなくね?」

 

 どうやらしっかり聞かれてしまったらしい。園子の視界には孔しか写っていなかったので、油断してしまったようだ。チッ。心の中で舌打ちする園子。

 

「ねえねえ、私も見に行っていい?」

 

「いや、お前、空気読めよ」

 

 普通に見に行こうとするアリシアに突っ込む修。しかし、アリシアはそのまま孔に話を向ける。

 

「へ? 空気って? ねえ、コウ、私、行っちゃダメなの?」

 

「俺は別に……。大瀬さんもいいか?」

 

「えっ? う、うん、いいよ。別に……」

 

 なんとも断りにくい事を尋ねる孔にトーンダウンして答える園子。どうやら、自分の気持ちを分かっているのは修だけのようだ。そこへ追い打ちをかけるように、やはり一緒にいた萌生も声をあげる。

 

「あ、じゃあ、私も」

 

「いや、だからお前ら空気読んで……」

 

「まあ、俺はキーパーだからあまり活躍出来ないだろうけどな」

 

「……は? キーパー?! よし、俺も行く!」

 

(萌生に修ぅー! 空気読みなさいよぉー!)

 

 孔の一言を聞いて突然意見を変えた修に心の叫びをあげる園子。そんな園子を横に、制止役を失ったアリシア達は待ち合わせ場所を相談し始めた。わくわくという擬音語が聞こえてきそうな程楽しそうに。

 

(う、卯月くんのサポートして、それから、ふ、ふたりで、2人で……! そ、そのはずが……!)

 

 ひとり何かに心の中で叫び続ける園子。彼女の悩みは続く。

 

 

 

(……悪いな、園子。念のためだ)

 

 一方、修の方はそんな園子に心の中で謝っていた。修の持つ未来の知識では、サッカーチームのマネージャーとその想い人であるキーパーがジュエルシードがらみの事件に巻き込まれる事になっている。そして、かねてから園子がサッカーチームのマネージャーをやっている事は知っている修は、できる限り園子のサッカーチームには気をつけるようにしていた。

 

(おい、卯月、後でちょっといいか?)

 

(……ああ。構わない)

 

 わざわざ習得したばかりの念話で告げたのが効いたのか、孔の方も事の重大さを悟ったようだ。じゃあ次の休み時間にでも、と約束を取り付け、修は教室へ戻っていった。

 

 

 

「大瀬さんがジュエルシードを?」

 

「ああ、絶対って訳じゃないが、今朝なんか変な感じがしたんだよ」

 

 続く授業が終わって、休み時間。誰もいない校舎裏で修は孔に本題の話をしていた。もっとも、未来の知識を持っている等とは正直に言えないため、それらしい事を言って理由を適当にでっち上げる。

 

「大瀬さんに、その事は?」

 

「いや。何て言おうか思い浮かばなくてな。魔法の宝石で危ないなんて言えるか? それに、言えたとしても、俺は封印出来ないんだ」

 

 念話が使えるということからも分かる通り、修も魔力を持っている。が、その魔力保有量はあまり多くない。その上デバイスも持っていないとあっては、封印の術式を使うことも出来なかった。

 

「成る程。それで俺の出番という訳か」

 

「ああ、頼む。園子の奴、助けてやってくれ」

 

 頭を下げる修。孔は慌てた。

 

「よしてくれ。俺も大瀬さんは友達だと思っている。今度こそ、ちゃんと助けるつもりだ」

 

「そ、そうか。すまねぇ」

 

「それで、具体的にどうする気だ?」

 

 礼を言う修を遮り、孔は続きを促す。修は自分の知識と照らしあわせながら答える。

 

「そうだな……明日、サッカー行くんだろ? 園子に卯月が欲しがってたって言ったら、持ってきてくれるんじゃないか?」

 

「それなら、なにも明日まで待つ必要はないだろう? 授業終わったら聞いてみて、学校に持ってきているならその場で封印すればいいし、持ってきていないなら、帰りにでも渡して貰いに行ったらいい」

 

 孔のもっともな意見に修は頷く。同時に、こんな事に気付かなかった自分に苦笑した。

 

(変に知ってると頭が固くなるってのはホントだな)

 

 よく考えれば、サッカーのマネージャーだからといって園子が孔にジュエルシードをプレゼントするとは限らない。というか、かなり記憶があいまいだが、ジュエルシードをプレゼントするのはキーパーの方だった気もする。事情を知っている孔がそんな事をする筈がない。

 

(……もしかして、俺、焦った?)

 

 サッカーチームでジュエルシードがらみの事件が起きるのは、まだ先なのかもしれない。修はそう思いながらも、万が一の場合もあるからと自分を納得させた。

 

 

 

「青い宝石? 拾ってないよ?」

 

「私も見たことないなぁ。 ゴメンね?」

 

 昼休み。果たして園子は(ついでに萌生も)無関係だった。いつも通り校舎裏の花壇を前に昼食をとっている最中、孔が雑誌についていた付録のおもちゃの宝石を探していると切り出したのだが、2人とも首を横に振ったのだ。代わりにアリシアが口を出す。

 

「もう、コウってば、言ってくれれば私探してきたのに」

 

「いや、雑誌の付録についていた粗悪品でな。無理に探さなくてもいい。それに、ガラスの破片みたいになってるから、下手に触ると危ないし」

 

「まあ、宝石なんて小さいし、探して見つかるもんじゃねぇからな」

 

 誤魔化す孔によくもまあそんな作り話を即興でと感心しながら、同調する修。しかし、言葉が足りなかったせいか、園子に文句を言われた。

 

「もう、修もちょっとくらい探そうとしなさいよ」

 

「あー、別に探さないって訳じゃねぇよ。ただ、探しても見つからないだろうから、偶然出てくるのを待ったほうがいいって事だよ」

 

 言い訳をしながら、修は念話で孔に問いかける。

 

(すまねぇ。やぶ蛇になっちまったみたいだ)

 

(いや、聞いてみなければ分からなかったし、仕方ないだろう。まあ、大瀬さんはジュエルシードと関係ないことが分かったし、よかったんじゃないか?)

 

(……はあ、お前やっぱイケメンだわ)

 

(……? イケメン、とは何だ?)

 

 修は溜め息をつくと、今度は口に出して話し始めた。

 

「まあ、あれだ。卯月も別にすぐ必要なもんでも無いんだろ?」

 

「あ、ああ。危ないから回収しておきたいというだけで、見かけたら教えてくれるぐらいで構わない」

 

 急に普通の会話に引き戻され、戸惑いながら頷く孔。それをきっかけに、いつもの時間が戻る。園子はもうっと不満げな声をあげ、萌生はまあまあとそれをたしなめる。アリシアはいつも通りのやり取りを楽しそうに見ている。

 

(……今、念話で何か話してた?)

 

 そしてフェイトは、孔と修が念話で何かしら話しているのを感じとり、不信な目を向けていた。が、そこへ昼休みの終わりを告げるチャイムが響く。

 

「あ、チャイムなったよ?」

 

「次は社会でしょ。早く戻ろ? あの先生に呪われたくないし……」

 

(……まあ、いいか。アルフも、あんな奴の事気にするなって言ってたし)

 

 急かす園子に頷くと、フェイトは修から視線をそらし、校舎へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ハイ、始めましょう。オン・バサラ・アラタンノウ・オン……」

 

 小学校の社会というと地域の文化や歴史を連想するかもしれないが、ここ聖祥大学付属小学校では大学から専門の講師を迎えて、国際的で専門性の高い授業を行っていた。早いうちから積極的に海外の文化を理解しようとして行われるのだが……

 

「今日も魔術を利用した人間心理学を始めましょう。フォーカス・ポーカス……」

 

 その講師、江戸川は小学校の生徒相手に趣味丸出しの講義を行っていた。何でも世界に散らばる魔術を理解することで、国際感覚を身につけると同時に悩み多き生徒の心のケアを行う画期的なカリキュラムとのことだが、授業は妖しげな雰囲気が全開である。もっとも、生徒のウケはそう悪くなかった。授業では神話や魔術の解説もしており、人気ゲームの元ネタにはしゃぐこども達も多い。一応、世界の文化に興味を持ってもらうという試みは成功していると言えなくはなかった。もっとも、授業に遅れたり、質問に答えられなかったりすると呪詛を飛ばされるため、園子のように気持ち悪がる生徒も多いのだが。

 

(小学生から中二病かよ……)

 

 そんなことを考えながら、半分授業を流して聞いている修。他の科目なら授業など受けなくともテストではそれなりに思い通りの点数を出すことはできるのだが、このような授業では多少なりとも耳を傾けざるをえない。といって、真面目に聞いているとなんだか背中がむず痒くなる。修はこの講義が苦手だった。

 

(隣は隣で真面目に授業受けてるし……)

 

 隣の席に座るフェイトを見る。どこかざわついた教室とは違い、彼女は大真面目にノートに黒板の文字や先生の言葉を書き記していた。少女らしい丸っこい、しかし丁寧な文字で「愚者は始まりを示す」だの、「正義は公明正大さ」だのと書かれている。修は眩暈を覚えた。

 

(こんな内容も普通にノートにとれるあたり、やっぱフェイトって真面目だな。とっつきにくいけど。俺が知ってるのとなんか違うけど……)

 

 なんとなく見入ってしまう修。その視線を感じたのか、フェイトはちらりと修の方を見て、念話を繋いできた。

 

(何?)

 

(は? あ、いや……なんでも)

 

 慌てて念話で返す修。前を向いて授業に集中しようとするが、ふと手を止める。

 

(なあ、なんで俺が念話使えるって知ってんだ?)

 

(魔力を持ってるから、そうじゃないかって。昼も何か話してたでしょ?)

 

(よく気付いたな。聞こえてたのか?)

 

(聞こえなかったけど、念話を使うとマルチタスクが一つ削られるから。その分動きが鈍くなる)

 

(動きが鈍くなるって……俺はちょっと首かしげたぐらいだろうに)

 

 驚きを通り過ぎて呆れる修に、フェイトは妙な顔をする。

 

(あれだけ堂々とやると普通気付くと思うよ?)

 

(そうなのか? まあ、大体、俺は普通の人だ。卯月やお前みたいに魔導師やってるんじゃねぇしな)

 

 孔が聞けば何をバカなと一蹴されそうだが、修の頭の中では自分はまだ凡人であり、孔やフェイトのような力を持った魔導師とは違う。軽い気持ちでそれを主張したのだが、

 

「一緒にしないでっ!」

 

 フェイトは怒声を上げた。クラスメイトの視線が集まる。

 

「ハイハイ、ザワつかない、ザワつかない。それと、フェイトさん、授業中に電波を飛ばすのはやめて下さい。次に飛ばすとあのハゲ……じゃない、校長のカルマを一年分転載しますよ。フヒヒ」

 

「……すみません」

 

 先生の注意(?)に顔を真っ赤にしながら席に着くフェイト。周りのこども達は「電波ってなんだよ~」「ハゲって言った~」等と騒いでいたため、フェイトの怒声の意味するところを誰も気に留めなかった。

 

(す、すまねぇ。別に一緒にしたわけじゃないんだ)

 

(……別にいいよ。もう)

 

(ホント、済まねえ)

 

(……)

 

 溜め息をつくフェイトに怖気づきながらも、修は念話で謝る。理由は不明だが、孔はフェイトにも嫌われているようだ。それも相当。何やったらこんだけ嫌われられるんだよ! と内心で突っ込みながら、再び授業を受けようと前を向く修。しかし、何か引っかかる。

 

(な、なあ、フェイト、江戸川の言ってた電波って、念話? あの人、魔力あるの?)

 

(……ないと思う)

 

 少し考えて、やはり念話で返すフェイト。魔力は確かに感じない。一応、魔力を感知させないようにする技術はあるにはあるが、魔法世界でもないのにわざわざそんなことはしないだろう。しかし、

 

「フェイトさん、電波は飛ばすなと言ったでしょう? 罰として質問です。答えられないとオーラ波動が黄色から危険な色になります、ヒヒヒ」

 

「ふぇ!? あ、は、はい!」

 

 薄気味悪い笑いとともに飛んできた質問に固まる修。フェイトの方はそれどころではない。なにせ、魔力を全く感じないにもかかわらず、自分の魔力光の色を言い当てられた上、その色を変えるというのだ。もしこれが本当なら、嫌すぎるレアスキルだ。

 

「それではフェイト・テスタロッサ、汝に問う。シルカ、シルカ、ベサ、ベサ……」

 

「……」

 

 緊張しつつ、問いを待つ。聞いたこともない呪文(というか呪詛)を唱える江戸川講師。この男は危険だ、危険すぎる。

 

「ギリシャの魔女として知られるのはメディアと誰?」

 

「えっ! ええっと……?!」

 

 まずい。分からない。大体、この授業は予習のしようがないのだ。かといって、このままでは魔力光を変えられてしまう。焦りを隠せないまま、適当に目に映ったノートの隅の単語を言ってみる。

 

「……ポリス?」

 

「ハイ、駄目ぇーーーー。オーラが茶と水色のチョコミント柄になります。というか、今なりました。フヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

 

「え? えぇっ!?」

 

 魔力光を確かめようと、慌ててアクセサリー状に変化したデバイスのバルディッシュを起動させようとするフェイト。学校に通うにあたり、普段から身につけていてもおかしくないようにとリニスに改造してもらったものだ。足元に魔法陣が浮かび上がり……

 

「あ、おい! ちょっと待て! 落ち着けっ!」

 

 慌ててそれを止める修。強引に手からバルディッシュを奪い取り、小声で諭す。

 

「ダメだって! こんなところで。しかも、あの先生の前だぞ?!」

 

「放してっ!」

 

「お母さんに魔法使うなって言われなかったのか!?」

 

「……う」

 

 お母さん。その一言で何とか持ち直し、動きを止めるフェイト。修はフェイトが椅子に座ったのを確認してからバルディッシュを手渡す。

 

(大丈夫だ。江戸川の意味不明なネタとたまたまタイミングがあっただけだって。オーラの色とかもはったりだって。俺は何にも言われてないし)

 

(そ、そうだけど……)

 

 しきりに手を開いたり閉じたりするフェイト。ちょっとでも魔力光を出して確認したいのだが、母親の「外じゃ危険なことがない限り魔法を使わないこと」という「命令」がよみがえり、どうしても魔法は使えなかった。それと同時に、江戸川の声が響く。それは今もっとも聞きたくない言葉だった。

 

「それでは先ほどの解答を……ハイ、卯月孔、汝に問う」

 

「キルケです」

 

「ハイ、正解です。しかし、こんな質問に即答できるなんて、君も物好きですねえ。見どころがあるというか、突っ込みどころがあるというか」

 

 簡単に正解を言った孔を見て、フェイトは嫌そうな顔をする。孔が正解できたのは、悪魔の知識を得ようとしてオカルト関連の本(もちろん一般書籍であるが)を普段から読み漁っているせいなのだが、そんなことを知らないフェイトは自分の知識不足を見せつけられた気がしたのだ。

 

(……そんな嫌そうな顔すんなって。あんなこと知ってるアイツがおかしいんだから)

 

(そうだけど……)

 

 劣等感は拭えなかった。それは母の視線が自分に向かない理由と重なり、フェイトは修の慰めの言葉を本当に慰み程度にしか聞くことが出来なかった。

 

(そういえば、学校が終わったら、また魔導師の訓練に来るんだっけ……)

 

 リニスが今日の出がけにしていた話を思い出す。今日は孔が訓練をするから放課後に家に来ると。それを喜んでいた母を思い出し、フェイトはペンを握りしめた。いつかアイツより優れたところを母に見てもらうために。

 

 

 † † † †

 

 

 プレシア邸の地下。普段はフェイトの訓練室として使われているそこで、孔はバリアジャケットを展開した状態で立っていた。横にはケルベロスが控えている。

 

「はぁあああ!」

 

 そこに打ちかかる影。リニスだ。雷を纏った拳を孔に叩き付けようとする。

 

「前衛とは意外だな……!」

 

《Blaze Cannon》

 

 真っ直ぐに突っ込んでくるリニスを炎の砲撃で迎撃する孔。それを予想していたのか、リニスは直ぐに体を沈め、シールドを展開する。

 

《Round Shield》

 

 拮抗したのは一瞬。直ぐに皹が入ったシールドを斜めに反らし、勢いのまま離脱する。同時に、

 

「バインド! ブレイク!」

 

 鎖が孔とケルベロスを拘束し、破棄されたシールドが爆発を起こした。煙が孔の視界を奪う。

 

「む?」「今です!」

 

 リニスの合図を受け、咆哮とともに煙の中から襲いかかるオルトロス。しかし、その牙は届く前に突如現れた光の環によって止められた。

 

《Ring Bind》

 

「グウ、早ク撃テ!」

 

 視界を塞がれながらも正確にバインドを解除しつつ銃を突き付けてくる孔を前に、オルトロスがリニスに向かって叫ぶ。離脱したリニスの周囲には魔法の詠唱の響きともに強い魔力が溢れている所だった。

 

「……アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神……っ!」

 

「我ヲ忘レテハイナイカ?」

 

 しかし、それは後ろから牙を突きつけるケルベロスによって止められた。よく見るとI4Uのコアが光っている。孔はI4Uを操作し、一旦ケルベロスを帰還、リニスの後ろに再召喚したのだ。そして、

 

「無限剣……!」

 

《Stinger Blade Unlimited Shift》

 

 大量の魔力刃が使い魔と悪魔に襲いかかった。

 

 

 

「強い……!」

 

 訓練室の外。リニスと孔の模擬戦を見ていたフェイトは呟いた。

 

「リニスでもダメかい! 全く大した化け物だねアイツは!」

 

 横で悪態をつくアルフ。その自棄になった様な叫びはフェイトの心を端的に表していた。目の前にいる気持ちの悪い男の子は、自分の側に無いものを全て持っている。家族も、友達も、面倒を見続けてくれたリニスも、あれほど欲して止まなかった母の愛情でさえも。

 

(それは、私より強いから……!)

 

 ギリッと歯を食いしばる音が口の奥で響く。嫉妬と羨望。そして何よりもあんなヤツに届かない悔しさがフェイトの中で渦巻いていた。精神リンクでそれを感じ取ったのか、アルフは慰める様に話しかける。

 

「フェイト……フェイトはあんな化け物みたいなヤツ、気にしなくていいんだよ! だいたい、魔力量もレアスキルも生まれつきのものじゃないか!」

 

 確かに、その通りだ。無論、生まれもっての魔力量やレアスキルがそのまま魔導師の強さに結びつく訳ではない。双方とも上手く使えなければ宝の持ち腐れだ。事実、管理局で定められている魔導師の強さを測る規準・魔導師ランクも、保有魔力量のみで決まる訳ではない。しかし、それによってスタートラインが違うのもまた事実。同じ魔導師としての優秀さだけで測ると、それは絶対的な差として存在していた。

 

「……」

 

 そして、目の前で繰り広げられた戦闘を見る限り、孔は少なくとも魔力量は使いこなしている。非殺傷設定が効かないというレアスキルも、恐らく使いこなしているのだろう。それはつまり、彼が魔導師としてはフェイトより優れた存在であり、その差は埋めることが出来ないものである事を示していた。

 

(学校の授業でも、訓練でも届かないんだ……)

 

 フェイトは心の中で叫んだ。何て理不尽な差なんだろうと。自分もあんな魔力量やレアスキルがあれば、たとえ学校の授業の成績が劣っていても、優秀な魔導師として可愛がられたかもしれない。幼い頃から母親にいかに「優秀な魔導師」であるかという単一の物差しのみで評価されてきたフェイトは、孔がプレシアに気に入られている理由も、自分が母親に気に入ってもらうための手段も、「一般的な優秀さを測る指標」以外に見いだすことが出来なかった。

 

「……行こう、アルフ」

 

 感情をもて余しながら、ドアの前を後にするフェイト。窓の向こうでは、リニスと楽しそうに話しながら訓練室から出てくる孔が見えた。

 

 

 

「……フェイト?」

 

 訓練室から出てきたリニスは首をかしげた。孔との模擬戦前、窓から見えたフェイトとアルフの姿がない。てっきり模擬戦を見学するものだと思っていたのだが。

 

「どうした? リニス?」

 

「いえ、何でもありませんよ。それよりプレシアが待っています。この間の事はある程度伝えておきましたから、早く話を聞かせてあげてください。私は……」

 

 リビングへ続く扉を開くリニス。そこには、

 

「あっ! コウ、終った?」

 

「孔お兄ちゃ~ん! アリシアちゃん強いよ! ゲーム勝てないよぉ!」

 

 ゲームをやっているアリシアとアリスがいた。奥ではプレシアがそんな2人を見守っている。

 

「2人の面倒を見ておきますから」

 

「……頼む」

 

 楽しそうに言うリニスに、孔はがっくりとうなだれた。

 

 

 

「すみません、ご迷惑をおかけして……」

 

「あら、娘の友達を連れてくるのは迷惑じゃないわよ?」

 

 再び地下。孔はプレシアの研究室へ通された。研究室と言っても雑然とした様子はなく、せいぜい端末が沢山あるなと思えるぐらいだ。部屋の一角には応接セットがあり、プレシアはお茶を用意しながら、孔にそこへ座るようすすめた。

 

「模擬戦、見たわよ。SSクラスオーバーの砲撃、魔力量を活かした広域殲滅。バインドにシールドも問題なし。隙の無いオールラウンダーってところね」

 

「あまり褒めないで下さい。偶然の要素も大きかった」

 

「偶然で連勝は出来ないわよ? 管理局の試験を受ければ、最高魔導師ランクのSSSも軽いんじゃないかしら」

 

「そんなものを受けるつもりはありませんよ」

 

 誉めちぎられて苦笑する孔。が、プレシアは急に真剣な顔をして問いかける。

 

「じゃあ、何故魔導師向けの訓練をしてるのかしら?」

 

「……次に悪魔が出たとき、後悔したくないもので」

 

「そう……でもその答えは私には0点よ」

 

 自分では完全と思っていた理由に反対され、孔は思わずプレシアを見つめる。

 

「ジュエルシードを見つけたらしいわね。しかも悪魔がそれを持っていたとか。リニスから聞いたわ。お説教つきでね」

 

「はあ、お説教ですか?」

 

「……そこはこっちの話よ」

 

 プレシア手ずから煎れたお茶の入ったカップが音を立てて置かれる。勧められて、孔はどうもと一言添えて口をつけた。それを見ながらプレシアは続ける。

 

「コウ君、貴方は強いわ。恐らく、ミッドチルダの魔導師でも敵う人間はいないでしょう。でも、積極的に事件と係わるのは感心しないわね」

 

「ですが、被害が出るのに放っておくというのは……」

 

「誰も放っておけ、なんて言わないわ。あなたがやる必要はない、と言っているのよ」

 

 言い訳をしようとした孔を遮るプレシア。わずかな沈黙を置いて、プレシアは続ける。

 

「ジュエルシードの捜索は私の方でも進めわ。だから、独りでやろうとしないで、出来る限り連携するようにして。それと、これから管理局へジュエルシードを届けるのでしょう? 交渉はひとりじゃ危険よ。リニスも連れていきなさい」

 

 単にロストロギアを届けるのを「交渉」と称したのは、過去に管理局の裏側を経験したからだろうか。その言葉の重さにやはり巻き込んだのはまずかった、という思考がよぎる。

 

「すみません。でも、いいんですか? せっかく管理局から離れられたのに……」

 

「だから、その考え方を止めなさい。私にとっては、あなたみたいな子が巻き込まれる方がよっぽど辛いのよ?」

 

 が、それは更なる怒りを買った。孔もようやく悟る。過去の事件でA1やAKという犠牲を出し、アリシアも一度失っているプレシアにとって、まだ小学生の自分が積極的に事件へ関与するのは、傷を抉られるようなものだろう。すみません、と孔は素直に謝った。

 

「分かればいいの。それと、変な気遣いは無用よ。危険物が散らばっているより、さっさと回収した方が安心できるわ。それに……」

 

 だが、雰囲気を切り替えるようにプレシアは笑って付け加える。

 

「怪我でもされたら貴方の先生やアリスちゃんに言い訳のしようもないしね」

 

 

 

「アリスちゃん、またね~!」「うん、またね~!」

 

 元気よく手を振るアリシアと、遊ぶだけ遊んでご満悦のアリス。そんなアリスの手を引いて施設に向かう孔とリニスを、プレシアは笑身を浮かべながら、しかし少し複雑な心境で見送っていた。

 

――それは、フェイトに言ってあげて下さい!

 

 昨夜、リニスが抑えていた感情を爆発させる様にして叫んだ言葉。遅い時間に帰ってきたリニスから、ここ数日のジュエルシードがらみの事件を聞き、思わず

 

「気が進まないわね。コウ君は魔導師じゃなくて、普通の小学生なのよ?」

 

 と言ってしまったせいだ。自衛のためなら兎も角、レアスキルや悪魔への対抗策を持っているからといって、積極的に事件に関与すべきでない。そういう意味を込めて軽い気持ちで言ったに過ぎないのだが、どうやらリニスには受け入れられなかったらしい。

 

(前から自我が強い使い魔だったけど……あれは痛かったわね)

 

 長々と「お説教」を続けたリニスを思いだし、苦い顔をするプレシア。リニスのいう通り、フェイトとはあまりいい「家族」という関係を築くことができていない。

 

(フェイトは……今日も訓練かしら? コウ君の練習中は見なかったけど……)

 

 アリシアや孔、アリス達と一緒に過ごすようになっても、フェイトは変わらなかった。アリシアのように悪戯をする事もなければ、友達と遊んでいて遅くなることもない。端から見れば「理想的なこども」なのだが、魔導師としての訓練や学校の勉強ばかり必死にやっているフェイトの姿を見ると、「満足なこども」からは程遠い。

 

(自業自得と言われればそれまでなのでしょうけど、儘ならないわね……)

 

 フェイトをああいう風にしたのは自分だと分かっているのだが、「普通のこども」として暮らせるだけの環境を整えてもそれを無視するかのごとく頑なに態度を変えないのでは、愚痴の一つも出てしまう。

 

――こどもは親の思い通りいかないものですよ?

 

 リニスのお説教がぶり返す。やけに実感がこもっていると思ったら、施設の先生の受け売りらしい。確かにその通り。アリシアだって、何でも言うことを聞いてくれる訳じゃない。思った通りいかないのもざらだ。そのせいでストレスを感じる事だってある。しかし、

 

「お母さん? どうしたの? 早く帰ろ?」

 

「……そうね」

 

 手を握ってくるアリシアを見て思う。フェイトとの間にはどうも微妙な「ズレ」のようなものがあるのではないかと。こうすれば喜んでくれるはず。お互いにそう思ってやっている事が噛み合わない事から来る「ズレ」。その「ズレ」が、アリシアとの決定的な違いと認識してしまう。思えば、以前フェイトを受け入れられず辛く当たったのも、この辺りに原因があるのだろう。

 

(でも、道は示してあげないと。少なくとも、管理局に利用させるわけにはいかないわね。フェイトも、コウ君も)

 

 そう思いながらアリシアと一緒に扉をくぐる。せめて自分が経験したような未来は避けられるように、これからの計画を立てながら。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

怪人 江戸川先生
※本作独自設定
 聖祥大学付属小学校の客員講師を務める男性。普段は聖祥大学で民俗学を中心とした研究を行っている。世界中の魔術関連の調査を行うと同時に実践も行っており、研究室ではペットのネズミ、アルジャーノンとともにハイチ原産の原料から強烈な臭いを発する薬物を調合している。言動からして怪しすぎるその姿は大学でも影ながら人気を呼んでいるらしい。

――元ネタ全書―――――
オーラ波動が黄色から危険な色に
 P3より、悪魔全書でも大活躍の江戸川先生の授業から。本編では少し触れる程度にとどめましたが、タロットの講義は必聴。なお、原作は保険担当でしたが、話の流れ上社会に転向してもらいました。違和感を覚えた人も多いかと思いますが、寛容な目で見てやってください。
――――――――――――


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第12話b 妄執の巨木《弐》

――――――――――――

「マヤさんっ!」

 向こうで、笑って手を振るアリスちゃん。私は手を振り返し、走って近付こうとする。でも、突然出てきた扉が私とアリスちゃんの間を遮った。燃える扉だ。私は熱で思わず後ずさりするけれど、扉の隙間からはアリスちゃんが見える。その後ろには、赤い竜のような化け物と、黒いドクロのような人影が……!

「アリスちゃん、逃げてぇっ!」

 思わず叫んで扉を叩く。しかし、赤い竜はアリスちゃんに食らいついた。そのまま頭を噛み千切る。アリスちゃんの首があったところには赤い血の柱が……

「いやぁぁああああああああ!」

 私は絶叫と共に目を覚ました。

――――――――――――マヤ/病室



 マヤが目を覚ましたのは昨日の深夜。凄まじい悪夢が終わると同時、視界に広がる白い天井に混乱する。荒い息が収まり、ここが病院と分かるまで数刻。眠るとまた悪夢に襲われそうで、マヤはナースコールに手を伸ばした。が、それを押す前に病室の扉が開く。

 

「大丈夫ですか?」

 

 どうやら医師が悲鳴を聞いて駆けつけてくれたらしい。入ってきた白衣の女性に、マヤは叫ぶようにして言った。

 

「あ、あのっ! アリスちゃんは……! わ、私の他に、倒れていた女の子はいませんでしたかっ!?」

 

「アリスちゃんは無事よ。安心して。孔君――アリスちゃんのお兄さんだけど、彼が連れて帰っていったわ」

 

 くたびれて眠っちゃってたけど。そう言って軽く笑って見せる女医。マヤは安堵すると共に疑問を感じた。確かにあの時、確かにアリスは燃える視界の先で炎に煌めくナイフに刺されて――

 

「大丈夫?」

 

「えっ?」

 

「いえ、震えていたみたいだから……」

 

 言われてみて、体が小刻みに震えていたことに気づく。ようやくマヤは自分が助かったのだと実感し、それと同時に炎の中に閉じ込められていた時の恐怖がぶり返してきた。

 

「うぁ……!」

 

 震えが止まらない。そんな体を医者が抱き留める。

 

「ごめんなさいね。思い出させて。でも、もう大丈夫よ。ここには貴女を傷つけるのはいないわ」

 

 包み込んでくれる温もり。薄らぐ恐怖と与えられた安心感に、マヤはいつしか涙を流していた。マヤはそこに亡き母親の記憶を見て、体を預けるのだった。

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「ぅう……すみません……」

 

 マヤが落ち着いたのを見て、2人は病室から診察室へ移っていた。寝汗がぐっしょりと染み込んだ服を新しい物に替え、簡単な問診に答えるマヤ。問診と言っても、寝ている内に怪我の手当ては終わっていたらしく、簡単に気分はどうかとか、痛むところはないかと聞かれたぐらいだ。担当医となった女医――石田幸恵はアリスの母親である精神科医(とマヤには説明されている)と親しいらしく、アリスの友達だというマヤを気づかってくれたため、不快な思いはしなかった。

 

「怪我はそんなに酷くありません。もう大丈夫ですよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 それから、マヤは倒れている間に起こった事を聞いた。なかなか帰ってこないアリスを家族が心配して探しに来た事。その家族が病院へ連絡してくれた事。何故か神社から少し離れた森の中でメリーと一緒に回収された事。更には、山の木が枯れていたらしい事――。

 

「……ぅ……」

 

 怖い。マヤは素直にそう思った。年相応の少女らしく、マヤも超常現象は人並みには興味を持っていた。が、所詮おもしろいテレビ番組があれば見てみるくらいのもので、まさか自分が体験する事になるとは思ってもみなかった。現状を把握して安心しようとしたのだが、逆に背筋に寒いものを感じる結果となってしまったようだ。

 

「私が知ってるのはこのくらいよ? 今は警察が捜査しているから、無理はしないで、今は体を休めるように、ね?」

 

 そう言って震える手を握りしめてくれる幸恵。彼女がいなかったら、最後まで話は聞けなかっただろう。先程泣きじゃくった気恥ずかしさはあるものの、マヤはその優しさに甘える事にした。

 

(石田さん、アリスちゃんのお母さんと友達なんだっけ……)

 

 話のついでに、アリスとどういう関係か聞いた時の返事を思い出す。マヤは、アリスの明るさの理由が分かった気がした。

 

 

 

 翌日。悪夢に襲われる事もなく目を覚ましたマヤは再度診察を受けていた。昨日説明を受けた通り、怪我はそれほど酷くなかったらしく、すぐに退院できるだろうという言葉を貰えた。同時に、

 

「……それと、今日は警察の方が話を聞きに来たいと言ってたけど、どうする? もし、辛いなら落ち着いてからにしてもらってもいいのよ?」

 

 と告げられた。正直辛かった。あの炎に包まれた時の恐怖は未だはっきりと覚えており、気持ちの整理もついていない。しかし、

 

「いえ、大丈夫です」

 

 マヤは頷いた。アリスを襲った犯人を扉の隙間からとはいえ見ている。何より、あの狂ったような笑い声ははっきりと脳裏に焼き付いていた。それが今もうろついているとなると、またアリスが襲われるかも知れない。もう、こんな思いをするのはごめんだった。

 

 

 

 そして午後。マヤはノックの音に起き上がった。

 

「……どうぞ」

 

 緊張しつつ、扉に向かって声を絞り出す。震える手をシーツに隠し、扉が開くのを待った。ガチャリと扉を開ける音とともに、スーツを着込んだ男性と女性が入ってきた。

 

「初めまして。海鳴署の寺沢です」

 

「リスティ・槙原です」

 

「あ、えっと、は、初めまして」

 

 挨拶をかわす3人。テレビで見た刑事ドラマみたいだなと思いながらも、マヤは人当たりのいい笑顔を浮かべる2人を見る。

 

「まだ入院中にすみません。もし途中で気分が悪くなったりしたら、遠慮なく言って下さい。すぐに担当の先生を呼びますので」

 

 しっかりと前置きをして聞き込みを始める警部に緊張が解けていくのを感じながら、マヤは質問に答えていった。

 

 

 † † † †

 

 

「……おかしいな」

 

「お前もそう思うか?」

 

 病院での聞き込みを終え、車の中。思わず洩らすリスティに、寺沢警部が同意して続きを促す。

 

「はい。マヤちゃんは須藤にアリスちゃんが刺されたと証言していましたが、石田先生の話だとアリスちゃんに怪我はなかったはずです。大体、全焼した神社に閉じ込められて腕を火傷する程度で済んでいるなんて……」

 

「でも、嘘をついている様子はなかった、だろう?」

 

「……ええ。マヤさんも、石田先生も、2人とも」

 

 頷くリスティ。どちらかが間違っている筈の証言に、どちらも信憑性を感じる。寺沢警部は大きく溜め息をついた。

 

「これじゃあ、せっかく須藤が犯人だって言う証言も使えんな。まあ、もう一人目撃者はいるんだ。そっちの話を聞いてからでも遅くねぇだろう」

 

 そう言って前を顎でさす寺沢警部。フロントガラス越しには、夕日に照らされた児童保護施設が見えた。

 

 

 

「違うよ! パスカルとメリーは兄弟で、お話してたんだよっ!」

「ねー、お姉さん! アリスと遊んでっ! ……えー、遊んでくれないの?」

「えーん! えーん! おじさんが怖いよー!」

 

 そして、アリスの我が儘にきっちり付き合わされることになった。

 

「ほら、アリス、ダメよ? 刑事さんを困らせちゃ」

 

「だって、だって! アリスなんにもしてないのに、怖い顔して怖いこと聞くんだよ!」

 

 一応、施設の先生がフォローしているのだが、一向にアリスは止まらない。寺沢警部は頭をかきながら言う。

 

「いや。すみません。恐怖を思い出させたみたいで」

 

「いえ。こちらこそ、せっかく来ていただいたのにお役に立てず……」

 

 お互いに謝る警部と先生。リスティは孔と全く正反対の態度で接してくるアリスに軽い頭痛を覚えた。

 

(……兄妹とは言え、随分違うな)

 

 思ったことをそのまま口にしているあたり、何かを隠したり、嘘を吐いたりしていない事は分かるのだが、「パスカルとメリーとマヤさんと遊んでて嫌なお兄さんに邪魔されたけど、お願いしたらいなくなった」という意味不明な、しかし重要だと思われる回答しか得られていない。孔やリニスがいたときはそれほど騒がしい印象は受けなかったのだが、2人がいると違うのだろうか。

 

「そういえば、孔君は?」

 

「ああ、ごめんなさい。今日は友達の家に行くとかで、まだ帰っていないんですよ」

 

「そうだよっ! アリシアちゃんと遊んでた時は一緒だったのに、帰ったらすぐどっか行っちゃったんだよ! アリスつまんない!」

 

 だから、お姉さん、あそぼ? そう言ってくるアリスに、何とか彼女の言っている言葉を理解すべく、リスティは慣れていないこどもの相手を続けるのだった。

 

 

 † † † †

 

 

「信じる者は皆救われる。迷える子羊よ、祈りなさい。ようこそ、メシア教会へ」

 

「いや、メシア教会に用があって来た訳じゃ無いんだが……」

 

 その頃、孔はメシア教徒の謳い文句と一緒に教会で出迎えたクルスに苦笑していた。クルスもそれを笑顔で返す。

 

「知ってるよ。でも、興味を持ってくれればいくらでも案内するからね」

 

 おどけたように勧誘しながら、手で着いてくる様に促すクルス。重厚なつくりの廊下を歩きながら、リニスが問いかけた。

 

「クルスさん、もう傷は大丈夫なんですか?」

 

「ええ、お陰さまで。まあ、ここしばらくは動けませんでしたけど」

 

 軽く腕をあげてみせるクルス。時折すれ違うメシア教徒にも普通に挨拶をしているあたり、傷はもういいようだ。中には見かけない一般人――彼らから見れば異教徒を見咎め、

 

「トマレ! トマレナサーイ! コカラサキ、タチリキンシデース!」

 

「OH!! クルス! ゴクロサマ、ドゾオトリクダサイ。キイオツケテネ」

 

 片言の日本語で注意されては事情を説明している。魔力を感じるあたり管理局員なのだろう。漫画的な日本語に苦笑しながらも、孔は疑問を口にした。

 

「しかし、驚いたな。メシア教会が次元世界をまたいで広がっているなんて」

 

「ミッドチルダにも地球出身の人は多いから。正確に何処の世界が発祥かは記録にないけど、教えが次元世界を越えるのは普通だよ? まあ、一般の人には魔法なんて知らせていないから安心して」

 

「しかし、この教会を管理局の拠点に使っているんだろう?」

 

「拠点って訳じゃないよ。ただ、ここの教会の神父さんが、管理局の元少将でね。今は引退してるけど、同じメシア教徒として助けてもらってるんだ」

 

 リニスはそれを聞いて、眉をひそめた。

 

「少将というと、管理局でも随分上の人ですね」

 

「ええ、ジュエルシードについても、色々と相談に乗って貰っていて……ああ、ここです」

 

 見るからに重厚な扉の前で立ち止まるクルス。開けようと手を伸ばした所で手を止め、ちょっと困った様に孔達に向き直る。

 

「……どうした?」

 

「念話だよ。実は、少将にコウ君達の話をするとぜひ会いたいと仰って……もうこの部屋で待っているみたいなんだ」

 

「……そうか(リニス、どう思う?)」

 

「まあ、折角ですし、会ってみましょう(あからさまに怪しいですが、向こうの考えを聞くには好都合でしょう)」

 

 クルスの言葉に後半は念話で相談しながら話す2人。そんな事は露知らず、クルスは扉を開いた。引退したとはいえ、これから会うのは管理局でも強い発言力をもつ人物。孔とリニスはある種の緊張感を持って扉をくぐり、

 

「WELCOME! ヨウコソミナサン。ワタシガ管理局元少将ノトールマンデス。アナタガタノ噂キイテマス! ダイカンゲイデス!」

 

 取って付けた様なイントネーションの日本語で大仰に出迎える老齢の人物に固まった。

 

 

 † † † †

 

 

「つまり、このジュエルシード事件の一端には五島が関与していると?」

 

「ソノトリデス。五島……カレハUMINARIニ、魔王ルシファー呼ボウトシテマス。ソノ前ニ彼ヲ倒サナケレバナリマセン」

 

 数十分後。絶妙な発音に苦労しながらも、孔とリニスはようやく話の核心を聞かされるに至っていた。

 

「ジュエルシードの力を使って、魔王ルシファーを召喚ですか……。 何のためにそんなことを?」

 

「この世界に混沌という名の破壊をもたらすためさ。その五島っていう人、ガイア教団と繋がりがあるみたいなんだ。アレは混沌を好む狂人の集まりだからね」

 

 横から口を出すクルス。普段の様子と違い、強い憎しみを込めていう彼女にリニスは目を見開く。孔は少し考えてから、話の続きを促した。

 

「……それで、俺達を歓迎するというのは?」

 

「ワレワレハァ皆サンヲ悪魔カラ助ケルタメ、管理局ニ応援ダシマシタ。シカシ、戦力ハケン時間カカリマス。今ノワレワレデハ、悪魔ニィカナイマセン。オ願イデス、五島ヲタオシテクダサイ。アナタガタガタオシテクレレバUMINARIニ平和ガモドリ、モトノ活気ヲトリモドスデショウ」

 

(ジュエルシードを集めてくれ、ではなく、五島を倒してくれときたか……)

 

 孔は話を聞きながら違和感を覚えていた。管理局の最優先事項はあくまでロストロギアの収集であって、管理外世界の危険思想の持ち主の処理ではない。オルトロスからも五島がロストロギアを集めていると聞いているから無視できないのは確かだが、純粋に管理局の立場で考えれば、「倒せ」という要求はどこかズレている。

 

「その五島を倒すより、先にジュエルシードを何とかすべきなのでは? 放っておくと町を破壊しかねない危険なものなのでしょう?」

 

 リニスもそれに気づいたのか、トールマンに疑問を投げかける。トールマンは相変わらず微笑を絶やすことなく答える。

 

「確カニ、ジュエルシード、危険デス。デモ、ジュエルシード場所ワカリマセン。五島タオス先デス。後デ要請シタ管理局ノ部隊ガ回収シテクレマス」

 

「しかし、部隊が来るまで時間がかかるのでしょう? 放っておくのは問題なのでは?」

 

「それに、相手は自衛官です。早々簡単に倒れてはくれないでしょう。五島より先にジュエルシードを確保してからの方が安全なのでは?」

 

 2人そろって反論する孔とリニス。トールマンは微笑のまま、しかし眼光を鋭くして問いかけた。

 

「……ソウデスカ……デハ、五島ヲコノママニシテオイテモヨイノデスカ? ワタシノイウコトヲ聞クキハナイノデスネ?」

 

「そうは言っていません。協力はします。ただ、私たちがお手伝いできるのは管理局の応援が来るまでのジュエルシードの回収だけです」

 

 威圧感を強めるトールマンとそれを受け止める孔、リニス。両者の間に不穏な空気が流れる。それを感じ取ったのか、クルスが窘めるように言う。

 

「トールマンさん、孔とリニスさんはつい先日まで魔法とは無縁な世界で生きていたんです。急に聖戦を依頼しても難しいですよ」

 

「……ソウデシタネ」

 

 クルスの言葉を受けて軽く息をつくトールマン。威圧的な雰囲気は霧散し、先ほどの微笑をたたえた表情に戻る。クルスはホッとしたような表情に戻り、

 

「孔、そろそろ門限でしょ? 今日はこの辺にして、ジュエルシードについてはまた今度対策を伝えるよ」

 

 そう言って強引に話を終わらせた。孔は頷いて立ち上がる。

 

「では、私たちはこれで失礼します」

 

「……チョト頭ヒヤセバキット助ケテクレル信ジテマス」

 

 その言葉を背に受けながら、孔とリニスは部屋の扉をくぐった。

 

 

 † † † †

 

 

「直接敵の打倒を頼まれるとは思わなかったな」

 

「ごめんね、巻き込んで。本来なら、私一人で対処するのが筋なんだけど……」

 

 再び教会の廊下。送ってくれるというクルスと共に、もと来た道を引き返す。クルスの方もトールマンの態度にやや強引な所を感じたのか、しきりに謝っている。そんな彼女を見つめるリニス。今のクルスにはトールマンとの会話で五島という人物の説明をしていた時の狂気にも似た憎しみは感じられない。

 

「いや、構わないよ。予測はしていたし……うん?」

 

 しかし、孔は見知った背中を見つけてクルスへの言葉を止めた。向こうも此方に気づいたらしく、近付いてくる。

 

「やあ。ひさしぶりだね。孔君」

 

「お久しぶりです、朝倉さん」

 

 挨拶を交わす2人。それを見て、クルスは驚いた様に声をあげた。

 

「2人とも、お知り合いですか?」

 

「ああ、娘が世話になった事があってね」

 

「いえ、お世話になったのは俺の方です」

 

 軽い挨拶。そこに悲痛な雰囲気があるのは、2人の表情に影があるせいだろうか。

 

「すみません、昨日もアキラにお菓子を頂いたみたいで。先生も何かお礼を、と」

 

「いや、本当は君やアリスちゃんのいる時に行きたかったのだが、なかなか時間が合わせられなくてね」

 

 そんな暗い雰囲気を断ち切るように、何気ない会話を交わす孔と朝倉。久しぶりだと言うが、そこに固い雰囲気はなかった。それを察したのか、クルスが話に入り込む。

 

「あ、あの、朝倉神父。すみません。この間は変な質問をして、申し訳ありませんでした」

 

「この間……? ああ、君を教会で受け入れた理由かな? それなら、気にする必要はないよ」

 

「? 何の話だ?」

 

「その……教会に迎えて貰うときにちょっとね(私が初めて教会に寄った時、受け入れてくれたのが朝倉神父だったんだけど、その時理由をしつこく聞いちゃってね。怪我をしている私を見て、娘さんを思い出させちゃったみたいで……コウはその、朝倉神父の娘さんが殺されたの、知ってるんでしょう?)」

 

(……ああ)

 

 疑問を浮かべる孔に念話で答えるクルス。孔は小さく頷いただけで何も言えなかった。クルスが杏子と孔の関係をどのくらい聞かされているのか分からなかったが、その傷跡は間違いなく孔と朝倉神父に残っている。その朝倉は神父らしい優しさに満ちた笑みを2人に向けたまま続ける。

 

「ところで、トールマンさんにはもう孔君を案内したのかい?」

 

「ええ、まあ。無くなった例の宝石を探して欲しいと頼まれました」

 

 色々とぼかして説明するクルス。朝倉は少し顔をしかめて言った。

 

「すまないな、孔君」

 

「いえ。まあ、そこまで積極的に探すという訳ではありませんから……」

 

 謝る朝倉に簡単な返事で返す孔。そんなやり取りを見て、リニスが口を出す。

 

「大丈夫ですよ。私もついていますし。危険な事はさせません」

 

「そうだったね。リニスさん、孔君を頼みます」

 

 施設の仕事の関係で普段から顔を合わせているせいか、柔らかい雰囲気のまま答える。そして、話し込む事もなく、

 

「ああ、私もトールマンさんに用事があるんだ。これで失礼するよ」

 

「あ、はい。それでは……」

 

 そう言って立ち去って行った。

 

(また、反魂神珠について聞きそびれたな……)

 

 その背中を見ながら、孔は言葉に出さずに考える。アリシアの一件以来あの宝珠は使っていないが、朝倉に質問もしていなかった。今回のようにクルスのような第三者がいたから聞けなかったということも多かったが、最大の理由は朝倉神父の何処か影のある表情だった。反魂神珠の話をするには杏子の話をしなければならず、もしあの事件がまだ朝倉神父の中で消化出来ていなければ、かなり気まずい思いをすることになる。死者蘇生の効果を朝倉神父が把握していなかった場合は、もし知っていれば杏子が生きていたかもしれない可能性が有り、かつ、死体が消滅しもはや蘇生の可能性が無い事を悔やむだろう。その後悔を飲み下すことができず、普段の神父としての姿を維持できなくなるかもしれない。逆に把握していた場合は孔に託した理由があるはずだが、娘が死んだ時にも使おうとしなかった神珠を託すだけの理由となると、それ以上に重い話だろう。

 

(聞くなら相当な覚悟がいるな)

 

 先程出てきた部屋へと入っていく朝倉神父を見ながら、孔はただの好奇心以上の理由を見いだせない自分に、歯がゆい思いを感じていた。

 

 

 † † † †

 

 

「それでは、五島の殺害より、ジュエルシードの探索を孔君は選んだのですね?」

 

「愚かな事だ。日よりみの判断などすぐに破綻するというのに……」

 

 教会の一室。朝倉とトールマンは向かい合って座っていた。朝倉に神父らしい微笑はなく、トールマンも片言の話し方をしていない。

 

「貴様から探すように言えば、あの者も利用できたのではないか?」

 

「……下手に求めても、警戒されるだけでしょう?」

 

 何処か威圧的な態度で聞くトールマンに、朝倉も厳しい視線で応える。先程まで孔達に見せていた柔らかな態度は鳴りを潜め、張りつめた空気がそこにはあった。その空気は永久に続くかと思われたが、トールマンは立ち上がると同時に口を開いた。

 

「弱気な事だな。それでは貴様の娘を殺した悪魔に巡りつくことは出来んぞ?」

 

「分かっています。ただ、共に歩むのなら決意が必要と言っているのです」

 

「……まあいい。あれの処遇は任せよう。しかし、障害になるならば……」

 

「それも、分かっています」

 

 そう答える朝倉を一瞥すると、トールマンはドアから出ていった。

 

「そう、分かっている。分かっていた筈だ、私は……」

 

 ドアが閉まるのと同時、窓に目を向ける朝倉。そこには教会の正門があり、恐らく施設へ向かうであろう孔とリニス、そしてそれを見送るクルスの姿が見えた。夕陽に照らされ長い影を伸ばす3人を、朝倉は笑みを全く浮かべることなく見送っていた。

 

 

 † † † †

 

 

「それでは、俺達はこれで……」

 

「はい。捜査、頑張って下さい」

 

 再び児童保護施設。ようやく聞き込み(というかアリスのわがまま)を終えたリスティは、行くぞという寺沢警部の声に答え、軽く先生に会釈して施設を出た。保母という職業は自分では絶対に無理だなと感じながら、エンジンをかけて車を走らせる。

 

「いや、泣く子には勝てんな。こんなに疲れる聞き込みは久しぶりだ」

 

「まったくですね。あの先生は偉大です」

 

 車の中で愚痴を言い合う2人。特に寺沢警部はダメージが大きかったようだ。

 

「しかし、俺はそんなに怖い顔をしているかね?」

 

「いや、警部はどっちかっていうとこどもには好かれる方だったと思いますが……」

 

 リスティはお世辞ではなくそう言った。小学生くらいのこどもを相手にすることはまれだったが、大抵は初見から信頼されることが多い。以前別件で小学校に聞き込みに行った事があったが、いつの間にか人気者になり、こども達に取り囲まれて困っていた。強面の警部がこどもに引っ掻き回されていたのを思いだし、自然と笑いが浮かぶ。

 

「リスティ、なに笑ってんだ?」

 

「え、ええ、いや。その、アリスちゃん、不思議な娘だったな、と」

 

「誤魔化すな。まあ、言っている事は確かに気になったがな……」

 

 アリスの言葉を反芻する警部。再び降りてきた沈黙の中で、リスティもアリスの事を考える。怖いお兄さん、と言うのは十中八九須藤の事だろう。しかし、お願いしたら消えてくれた、と言うのは最後まで分からなかった。施設の先生もアリスは時々不思議なことを言うと首をかしげていたくらいだ。

 

(分からない事だらけだな。いや、あるいは、卯月君なら……?)

 

 アリスとは違った意味で不思議な雰囲気を纏う少年の事を思い浮かべるリスティ。どちらにせよ、手元にパーツは少ない。考えるだけ無駄だろう。ちょうど次の目的地に着いたこともあり、リスティは思考を切り上げ、

 

「警部。そろそろ、須藤の通っていた学校に着きます」

 

 警部に懐かしい母校に着いたことを告げた。

 

 

 

「そうかー! もしかしたら、槙原かと思ったが、やっぱり槙原だったか! ……そうかー! あの事件の聞き込みに来たのか! そうかー! 確か、須藤の担任は麻生先生だったと思うぞ?」

 

 リスティの元担任、草加先生に案内され、須藤の通うクラス担任の元へ向かう2人。通っていた頃から変わらず無駄に明るい先生に苦笑しながら、リスティは聞き覚えのある名前に嫌な予感を抱く。

 

「麻生先生、ですか……」

 

「どうした? 問題があるのか?」

 

「いや、問題はないんですが、なんというか、その……名前通りの先生なもので」

 

「なんだそりゃ?」

 

 疑問を浮かべる寺沢警部を背後に、リスティは職員室の扉を開いた。そこには、目的とする麻生先生と男子生徒がいた。

 

「あー、そう。青い宝石の力で頭が良くなったと。あー、そう。で、どうやってカンニングしたの?」

 

「だから、カンニングなんかしてないって言ってるでしょ?! 本当に頭よくなれたんだって! 今なら円周率だって百万桁まで言えるもんね」

 

「ふーん、じゃ、言ってみれば?」

 

「こ、後悔しても遅いですよ! いくぞ! 円周率攻撃! 3.141592……」

 

 長々と円周率を言い始める男子生徒。しかし、適当でないことを照明するには途切れることなく言い続ける必要があり、次第に息が続かなくなっていく。酸欠を起こして青くなる男子生徒。

 

「……な、72458……っ! き、きゅう、9628292……! はぁ、はぁ……」

 

「ふーん。あー、そう。でも、私英語教師だからそんな事をしてもなんの足しにもならんよ」

 

「くう! 流石は噂に名高いあーそう先生。いいもんね。青い宝石はちゃんと願いを叶えてくれるんだもんね」

 

 そのやり取りをみて頭を押さえるリスティ。言い続ける方も言い続ける方なら、聞き続ける方も聞き続ける方である。

 

「……なんで円周率なんだ?」

 

「豊富な知識をアピールしたかったのでは? 頭がいいとは違う気もしますが」

 

「……詰込み型教育の弊害だな」

 

 話を始めるべく、寺沢警部は軽いため息をつくと、永久に終わりそうにない話を遮った。

 

「あー、君。青い宝石とやらを実際に見せた方が早いんじゃ?」

 

「えっ?! それはまあ、確かに……いや、知らない第三者が突然現れてそこに突っ込まれるとは、僕の頭脳をもってしても予測不可!」

 

「いいから早く出せば?」

 

 何ともやる気なさそうに言う麻生先生をどこか悔しそうに見ながら、その男子生徒は青い宝石を鞄の中から取り出した。素直に出してしまうあたり、知識はあってもどこか足りていないところがあるようだ。そもそも、本当に頭が良くなったのならもう少しましな言い訳を考えるか、そもそもカンニングと疑われるような点数をいきなりとろうとはしないだろう。しかし、出てきた宝石を見て、リスティは目を見開いた。

 

(コレは……久遠が夢写しで見せた宝石!?)

 

「ほら、これでわかったでしょ? この宝石は願いをかなえる力を持ってるんですよ?」

 

「あー、そう。でも、私、占い師でも何でもないから、そんなもの出してもやっぱり何の役にもたたんよ」

 

「きぃぃぃぃいい!」

 

 ついに絶叫を上げる男子生徒。リスティはそれを手で遮って話しかける。

 

「君、その宝石は一体どうしたんだ?」

 

「えっ!? 拾ったんすよ? 確か、学校のプールだったかな? ていうか、この人たちは……?」

 

「ああ、申し遅れました。こういうものです」

 

 そう言って警察手帳を取り出すリスティ。そして、続けて出た言葉に男子生徒は再び青くなった。

 

「神社で起きた放火事故と、この近くで起きた宝石の強奪事件について調査しています。その宝石は被害届に出ているのに似ているな。ぜひ話を聞かせてほしいんだが……」

 

 

 † † † †

 

 

「な、なあ。園子、いい加減機嫌直せよ……」

 

「……」

 

 下校中。先を如何にも不機嫌そうにずんずんと進む園子に、修は自分の短慮を後悔した。孔は別にいいと言ってくれたが、園子の方はデート(と認識しているであろうサッカーの試合)を邪魔されたのがよほど頭に来たらしい。

 

「ね、ねえ、園子ちゃん、何で怒ってるの?」

 

「あれだろ。サッカー、卯月と2人っきりになりたかったんだろ?」

 

 小声で聞いてくる萌生にやはり小声で返す修。昼休みはそれほどでもなかったが、アリシアと一緒に、よりにもよってサッカーの話をしながら帰っていく孔を見て、園子は急に不機嫌になった。

 

「何で? 私、行っちゃいけなかった?」

 

「いや、いけないことは……まあ、あるか」

 

「ええっ!? いけなかったの?!」

 

 よほどショックだったらしく、声をあげる萌生。その声に振り返る園子。修は頭を抱えた。どうも恋愛を理解するには萌生は幼すぎるようだ。

 

「別に、いけなくないよ? でも、ちょっと空気読んで欲しかったなーとか思っただけで」

 

(やっぱダメだったんじゃねぇか!)

 

 いい笑顔で言うことをしっかり言ってくる園子に、修は心の中で悲鳴をあげた。よく分からないであろう萌生もとりあえず謝る。

 

「ごめんね? 園子ちゃん。サッカーじゃちゃんと空気読んで2人の邪魔しないようにするから」

 

「べ、べ、別に、そんな邪魔とか思った訳じゃ……」

 

 それにわたわたと照れまくる園子。なんかこの風景も見慣れてきたなと思いながら、修は孔のことを考えていた。

 

(はあ、あのイケメンめ……。まあ、園子のことはアイツに任せときゃあいいか)

 

 仮にジュエルシードがサッカー場の方にあったとしても、園子には孔がついていれば安心だろう。しかし、観客席側にあった場合は……

 

(俺が時間を稼ぐしかないか。いや、ジュエルシードなんて無いってのも……)

 

 園子がジュエルシードを持っていなかった以上、今回は何事もなく終わる可能性も高い。だが、修はそこまで楽観的に構える気が起きなかった。

 

「ちょっと、修くん、修くんも謝った方がいいよ?」

 

「もう、別にいいってば」

 

 が、2人の声で現実に引き戻される。修はいつもの面倒臭そうな声を作って答えた。

 

「ああ、悪かったよ。サッカー終わったら卯月と2人っきりでデートできるようにアリシアとかフェイトとかの邪魔してやるから」

 

「ば、ば、馬鹿じゃないの!?」

 

 照れ隠しに叫んで走り去る園子。萌生は唖然として、修はニヤニヤしながらそれを見送る。ただ、2人に共通していることがひとつ。こうしている時間が一番楽しいのだと。修はいずれ色あせてしまうであろうこの時間を今一度体験できただけでも、神とやらに感謝してもいいかなと思うのだった。

 

 † † † †

 

 

「もう、修も萌生も、すぐ卯月くんの事で調子乗るんだから……」

 

 夜。園子は自室のベッドで何度も寝返りをうっていた。いつもはすぐ眠気が襲ってくるのだが、

 

(明日は卯月くんと……)

 

 どうにも興奮して寝付けなかった。これだけ落ち着かないのはどのくらいぶりだろうか。

 

(そう言えば、去年はバレンタインチョコ持っていったんだっけ……)

 

 昨年の冬。バレンタインデーに孔へ手作りチョコを用意したことがあった。いざ出来上がってみたのはいいが、突然遊びに来た修と萌生に横からつまみ食いされ、

 

「ぅえ。まずっ! ……あ、ごめんなさい、園子ちゃん」

 

「なんだこりゃ!? 犬も食わねぇぞ?」

 

 酷評された。修をぶん殴った手で(萌生は謝ったので許してあげた)何度も作り直しているうちに時間がすぎ、結局、出来上がったのはお世辞にも美味しいとは言えないチョコばかり。捨ててしまおうと思ったのだが、母親である伊佐子に、

 

「こういうのは気持ちが大事なのよ?」

 

 と言われて、見た目がマシなものを選んで持っていっている。

 

(あの時は、ホント、心臓が止まりそうだったな)

 

 確か、あの時も明日のサッカーと同じ河原だった。震える手で孔にチョコを渡す。孔は驚いたような顔をしていたが、

 

「……ああ、ありがとう」

 

 そう言って受け取ってくれた。

 

「あ、あの、その、ち、ちょっと失敗しちゃったから、その……っ!」

 

「大瀬さん」

 

「はひっ!?」

 

 言い訳をしようとしたところで、孔に名前を呼んで止められた。

 

「せっかくだし、一緒に食べよう」

 

「あ、う、うん」

 

 包みを開けて、チョコを差し出す孔。園子は受け取って、口のなかに放り込む。砂糖が足りなかったのか、やたらと苦い。

 

「ご、ごめん」

 

「どうして謝るんだ?」

 

「だって、失敗しちゃったし。やっぱり苦いし……」

 

「じゃあ、来年、まだ俺に渡す気があったら、成功したのを頼む」

 

 まあ、俺はこのくらいの方が好きだけど。そう言って微笑む孔に顔が真っ赤になっていくのを感じた。まるで始めて助けてもらった時のような――

 

「~~~~っ!」

 

 回想に浸りながら、ひとりベッドで身もだえる園子。そして、枕元に置いたそれを見る。

 

「明日は探していたっていうこの宝石を渡すんだ……」

 

 修と萌生にからかわれて、走って逃げている途中で蹴っ飛ばした青い宝石。危ないと言われていたが、つまずいても何ともなかったため拾ってきたものだ。チョコなんかと違い、確実に必要としているコレを渡せば、きっと孔は喜んでくれるだろう。そういえば、あのとき以来孔が笑った顔を見たことがない。

 

(また、笑ってくれるよね……)

 

 部屋の電気を消してもなお幻想的な青い光を放ち続けるジュエルシードを、園子はじっと見つめ続けるのだった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 草加先生
※本作独自設定
 海鳴市の高校、私立風芽丘学園に勤める教諭。リスティの元担任でもあり、たまに事件があると積極的に協力してくれるあたり、生徒思いなのかもしれない。「そうかー」が口癖の、いつもやけに明るい数学教師。

愚者 麻生先生
※本作独自設定
 海鳴市の高校、私立風芽丘学園に勤める教諭。やる気のなさ全開の授業をしておきながら生徒の成績をしっかりと把握しているあたり、意外に教師としての情熱はあるのかもしれない。「あーそう」が口癖の、本当にいそうな英語教師。

――元ネタ全書―――――
円周率攻撃!
 ペルソナ2罪。開始直後の職員室で聞くことができる。ずらーと本当に数字を並べるだけでなく、メッセンジャーの形容詞が苦しそうな→青ざめたと変わっていく辺り作り手のこだわりを感じる。なお、本稿の円周率は文字数稼ぎ禁止の規約に引っかかりそうだったので一部端折った上にかなり適当な数値となっています。

私立風芽丘学園
 言うまでもなく原作・とらハ3の舞台。草加先生と麻生先生はペルソナシリーズのキャラなので七姉妹学園の生徒ですが、クロスオーバーの都合で転勤してもらいました。ちなみに教師2人の元ネタは攻略本(PS版・某F通出版)の記事から。今思えばモブキャラに至るまで人物設定が乗っている貴重な攻略本でした。

――――――――――――

~おまけ~ 園子の恋愛小説

!閲覧注意! ネタに走った表現が多発します。ご注意ください。

 本篇開始より数か月前の春休み。園子は家のベッドで寝転がり、文庫本『P3(ピースリー)』を開いていた。近所の古本屋「本の虫」を構える老夫婦、文吉爺さんと光子婆さんにお勧めの恋愛小説として売ってもらったものだ。一般的な感覚からすると少女向けの恋愛小説というよりライトノベルに近い気がするが、「ねっとさぁふぁ」を自称する文吉爺さんはサブカルチャーを積極的に取り入れているらしく、園子に格安で譲ったのだ。

「……」

 今日は萌生と修が遊びに来る予定だが、それまでこの本を読んで時間をつぶそうとページをめくる園子。タイトルに「3」と付く通り、三角関係を扱ったもののようだ。男性キャラクター「北 朗(きた あきら。キタローでは断じてない)」をヒロイン「岳羽 ゆかり(たけば ゆかり)」と「桐条 美鶴(きりじょう みつる)」が取り合っている。

(このキタロウって人、卯月くんみたい)

 学力は天才。魅力はカリスマ。漢の勇気。ついでに無口で無表情、冷静沈着。そしてクラスメイトの八つ当たりの対象となっている。美化されすぎな気もするが、園子の中の孔のイメージとぴったりだ。なお、なぜか「北 朗」の名前だけルビが振っていなかったため、小学生の園子はキタロウと読んでいる。二度目になるが、断じてキタローではない。

(……気づいてくれないところまでおんなじだし)

 キタロウは鈍感である。ヒロインのアプローチに全く気づかない。なんせ口癖が「どうでもいい」である。メインヒロイン(と園子は思っている)のゆかりに暇な時間を聞かれても「まだわからない」と言って躱したり、せっかく誘っているライバル役(と園子は思っている)の美鶴を断ったりしている。

――そ、そうか。用事があるのか。そ、それじゃあ仕方ないな

 応援しているのはゆかりの方だが、ライバル役とはいえキタロウに断られて残念そうにする美鶴に、園子は同情を禁じ得なかった。しかし、その後もキタロウの空気が読めない行動は続く。ゆかりを放っておいて公園で小さい女の子と過ごすは、無駄に知能の高い犬を飼い始めるは、はては通販で怪しげな高額商品を買い込むは、何なんだこいつは。そういえば修も通販で買った斧を持ち歩いていた。2人は仲がいい。

(……まさかあの斧に卯月くんは関係してないよね? ……ま、まさか公園で女の子と遊んだり、犬を拾って来たりしないよね?)

 だんだんと読み進めていくうちに、園子のストレスは増大していった。しかし、そんなものは茶番だった。中ほどになると、金髪美女、アイギスが出てきたのだ。

――ちょっと、この子、誰!

 せっかくみんなで海に遊びに行ったのに、ゆかりを差し置いて悪友とともにナンパに走った上に、見も知らぬ美女に見とれるとは何事だろうか。思わず文庫本を持つ手に力がこもる。相当ゆかりに感情移入しているようだ。

――私の一番の大事は、この人と一緒にあることですから

――ちょっとアイギス!

 そして転校してきて平然とキタロウの隣に座るアイギス。ゆかりの台詞は園子の気持ちを代弁していた。余談だが、後日、アリシアが転校してきて平然と孔の隣に座りやがるのを見て、園子は持っていた鉛筆をへし折ることになる。そして極めつけはラストシーンだった。美鶴の卒業式の後、

――疲れたでしょう。ゆっくり休んでください。私はここにいますから

 アイギスの膝枕で眠るキタロウが……

「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」

 ビリィッ!

 意味不明な叫び声とともに、文庫本を素手で真っ二つに引きちぎる園子。ちなみに、文庫本に付属している応募券(中古品だが奇跡的に無事だった)をもって本屋に行くと、完全版である『P3F(ピースリーエフ。ピースリーフェスなどと読んではいけない)』が3分の2ほどの値段(半額でないのがポイントである)で買うことができる。そこでゆかりは見事主人公と結ばれるのだが、園子は知る由もない。ついでに、この「完全版商法 in ライトノベル」はネットで話題となり、多数のコメントが寄せられ、そのコメント数を見て文吉爺さんは人気作だろうと園子に勧めたのである。コメントの中身を確認していないのは仕様だ。その仕様をユーザーである園子に知らされていないのもお約束である。

(ゆかりが告白した時に渡したストラップはなんだったのぉぉおおおお!)

 部屋に園子の心の叫びが響く。そこへ遊びに来た萌生と修がやって来たが、鬼のような園子の形相に恐れをなして、そっと扉を閉めたのは言うまでもない。

――私だって、恋する女の子
    ――大瀬園子9歳。悩み多きお年頃。誰か彼女に素晴らしい恋の記憶を

――――――――――――
※かっとなって書いた。後悔はちょっとだけしている。このシナリオではアレな感じですが(不快に思われた方は申し訳ありません)、初めてP3をやった時はペルソナもここまで進化したのかと感動したものです。
 今回本編で没になったものを少しいじって書いてみました。次回も続けるかどうかは未定です。
――――――――――――


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第12話c 妄執の巨木《参》

――――――――――――

「ジュエルシード、シリアルXX、封印!」

 誰もいない夜の学校でジュエルシードを封印する。同時に、あの時の五島さんの言葉が頭に響いた。

――君は護るということを理解しなくてはならない! 戦いのなかに身をおかなくてはならない! 強くならねばならない! 悲劇を繰り返さないために!

 封印したジュエルシードを見つめる。早く残りのも封印しないと。そうじゃないと、アリスちゃんもマヤさんみたいに……

「……明日も、頑張らないと」

 精一杯じゃなくて、全力で。もう2度とあんなことが起きないように。

――――――――――――なのは/学校



 高町家の朝は早い。なのはの両親である士郎と桃子は喫茶店の用意をしなければならないし、なのはの兄姉にあたる恭也と美由希は幼い頃から続けている剣術の練習で早朝から剣道場に篭っている。普通ならばそれぞれの日課が終わったあたりになのはが起きてきて朝食となるのだが、今日はまだ部屋から出て来なかった。

 

「なのは、起きてこないね。寝坊かな?」

 

「まあ、日曜なんだし、寝かしといてあげましょ」

 

 学校がない日曜日とはいえ、朝食は一家そろって採るのが当たり前となっている。必然的に、話題はなのはのことになった。

 

「……桃子さん、なのはの事なんだが、最近、夜更かしが多くなってるんじゃないか?」

 

「ああ、確かにこのところ様子がおかしいな」

 

 なのはの事を溺愛している男性陣2名は、ここ数日で急に普段と違う様子を見せたなのはを心配していた。突然夜遅く外出し、妙に腹黒いものを感じるフェレットを拾ってきたかと思えば、思いつめた顔で帰ってきたこともある。

 

「昨日も夜遅く外に出て行っていたみたいなんだ。フェレットの時にさんざん言ったはずなんだが……」

 

「もう、お父さんも恭ちゃんも心配しすぎだよ」

 

 そんな2人を美由希は軽く窘める。なのはももう10歳だ。悩み多きお年頃であり、少しくらい寝るのが遅くなっても不思議ではない。第一、夜更かしと言ってもせいぜい日付が変わるまで。今どきの小学生としては良くできた方だろう。

 

「しかし、あれだけ疲れている顔をされるとなぁ……」

 

「まあ、もう少し様子を見ましょ? 気になるんだったら、今日のサッカーの試合に連れて行ってあげれば? なのはにもいい気分転換になると思うし」

 

「そうそう、すずかちゃんやアリサちゃんも誘ってあげればいいんじゃない?」

 

 心配のあまり何か行動しないと気が済まない様子の士郎に提案する桃子。美由希もそれに頷く。士郎は少年サッカーチームでコーチをやっており、今日はその試合がある。試合後は自身が経営する喫茶店で打ち上げをやることになっていた。何か悩み事があって夜更かしをしているのなら、にぎやかな中で気晴らしをするのも必要だろう。士郎は桃子と美由希に頷き返すと、朝食をかきこみなのはを起こしに向かっだ。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、なのはの方はベッドで横になりながら、ふよふよと浮かぶジュエルシードを眺めていた。ユーノが持っていたジュエルシード1つに、昨日封印したのが1つ。五島の話だと、ジュエルシードは全部で21個。

 

「あと19個もあるのかぁ……」

 

 けだるい体を投げ出したままつぶやく。横にいるユーノはそれを眺めながら言った。

 

「疲れたかい?」

 

「えっ?! ううん! そんなことないよっ?!」

 

「……なのはは今はまだ魔法に慣れていないからね。続けているうちに魔力の放出や回復にも慣れて、少しづつ楽になっていくと思うよ?」

 

「そ、そうかな?」

 

「うん。人間でも、マラソンの練習なんかで何回も同じコースを走っていると、徐々に体が鍛えられて楽になっていくだろう? アレとおんなじだよ」

 

 気を使ってくれるユーノに照れ笑いで返すなのは。が、そこへノックの音が響いた。あわててジュエルシードをレイジングハートに仕舞って、起き上がるなのは。ユーノもケージの中へと逃げ込む。

 

「なのは? 起きてるかい?」

 

「お父さん? う、うん、起きてるよ」

 

 手早く部屋から魔法の痕跡が消えたことを確認するとドアを開ける。そういえば、朝食の時間はとっくに過ぎている。

 

「なのは、起きているなら、もうご飯が出来たから食べに来なさい。もうみんな食べ終わってしまったよ?」

 

「あ、うん。ごめんなさい」

 

 慌てて謝るなのは。しかし、次の言葉に悩むことになる。

 

「それと、今日はサッカーチームの試合があるんだ。よかったら、応援に来てくれないか?」

 

 

 † † † †

 

 

「結局、来ちゃった」

 

「しょうがないよ。変に疑われるのも問題だし、それに、この辺はまだ探していなかったからね。もしかしたらジュエルシードが見つかるかもしれない」

 

 こんなことしてる場合じゃないのに、という雰囲気をにじませるなのはをなだめるユーノ。気を使ってくれているのは分かるのだが、早く成果を出したいなのはとしてはどうしてもユーノがゆっくりしすぎに思えてしまう。

 

「ユーノく……ん?」

 

 だが何か言おうとする前に、ユーノが腕に飛び乗ってきて言葉を止める。どうしたのかと思ったが、人影が近づいてくるのを見て納得した。ユーノはフェレットを放し飼いしている人間なんていないだろうから、人前ではできる限り自分を抱えておくように言っていたのだ。

 

「なのはちゃん、おはよう」

 

「おはよう、すずかちゃん。アリサちゃんも」

 

「おはよう、なの……はっ!? なのは、そのフェレット……!」

 

 やってきたのはすずかとアリサ。すずかは普通に挨拶をしたが、アリサはなのはが抱えるフェレットを見て声を上げた。

 

「えっ!? ユー……、フェ、フェレットがどうかしたの?」

 

 魔法がばれたのかと思って慌てるなのは。しかし、2人は全く予期しないことを言った。

 

「そのフェレット、前に動物病院に預けてたやつだよね?」

 

「その病院、壊れてたでしょ?! なんで、なんでそのフェレットはっ!?」

 

 そういえば、ユーノの事は燃える動物病院から逃げ出してきてから2人に伝えていない。あれからアリサは風邪(となのはは思っている)で休んでしまったし、魔法の練習のせいですずかとも一緒に帰っていなかったため、話題に出すタイミングを逸してしまった。

 

「あ、えっとね……病院から逃げてきたところを捕まえたの。ごめんね、言うの忘れてて」

 

「そうなんだ。よかったね、無事……」

 

「なのはっ! 病院の近くに来てたの?! 他になんかいなかった? 化け物とか!?」

 

 普通に無事を喜ぶすずかを遮り、なのはに詰め寄るアリサ。よく見ると手が震えている。なのはは戸惑ったような声をあげた。

 

「ア、アリサちゃん?」

 

「あ、ご、ごめんなさい」

 

 我に返って謝るアリサ。なのはは様子のおかしいアリサに声をかけようとしたが、後ろから別の人物に遮られた。

 

「あっ! すずかちゃんだ! アリサちゃんも!」

 

「おー、高町もいるな」

 

 振り返ると、手を振る萌生といつも通りやる気がなさそうに歩いている修が見えた。

 

「萌生ちゃんっ?!」

 

「ちょっと、なんでアンタ達がいるのよ?」

 

 驚くすずかとアリサ。なのはは普段の調子を取り戻したアリサに言葉を引っ込める。同時に、取り敢えず話題がそれたことに胸をなでおろした。

 

「園子がサッカーチームのマネージャーやってるからな。見に来たんだよ」

 

「そうそう、卯月くんも出るんだよ?」

 

 事情を説明する修に同調して、楽しそうに言う萌生。が、孔の名前で空気が凍った。

 

「ア、アイツが?!」

 

「うん、キーパーが風邪だから、代わりにって」

 

 露骨に嫌そうな顔をするアリサ。すずかはどこか怯えたような表情になっていた。それを不思議そうに見ながらも話を続ける萌生。なのはもなんだか嫌な気分になった。どうにもせっかくの休日というのは邪魔されるものらしい。本来ならジュエルシードを見つけている筈だったのに、何が悲しくてサッカーで嫌な男の子の活躍を見なければならないのか。だが、グラウンドの方に目を向けた修の一言で現実を突きつけられる。

 

「おい、あれって……!」

 

「あ、卯月くんだね? 園子ちゃんと、あとアリシアちゃんとフェイトちゃんも一緒だ。 アリシアちゃーーん、こっち、こっち!」

 

 無邪気さ全開でアリシアとフェイトに向かってアピールする萌生。なのはは余計なことをと思いながらも、グラウンドに目を向けた。

 

 

 † † † †

 

 

「あ、萌生ちゃんだ。萌生ちゃーん!」

 

 孔はグラウンドで萌生に応えるアリシアの声を聞いていた。フェイトにアリスも一緒だ。そして、その後ろではリニスがコーチである士郎に今日はよろしくと挨拶をしている。正に休日という雰囲気の中で隣の園子に話しかける孔。

 

「みんなはあっちで見てるみたいだな」

 

「……そうみたいだね」

 

 が、園子からはどこか不満そうな声が返ってきた。やはりアリシア達と一緒に来たのが不満だったようだ。

 

「ねー、孔お兄ちゃん、あっちになのはお姉ちゃんいるよ? あっち行こう?」

 

「アリス、これから試合に出るのに応援する側に回ってどうするんだ?」

 

「むー。アリス、孔お兄ちゃんとなのはお姉ちゃんと3人一緒がよかったなぁ」

 

 中でも最大の不満は隣でベタベタと孔に引っ付くアリスだろう。かといって、無邪気に喜ぶアリスを引き離すわけにもいかない。微妙に困っていると、リニスが声をかけてきた。

 

「ほら、アリスちゃん、もうすぐ試合も始まりますから、向こうへ移りましょう。コウの応援をしましょうね?」

 

「はーい!」

 

「あ、アリスちゃん、待って!」

 

 返事をして駆け出すアリスに引っ張られ、走るアリシア。フェイトもそれについて歩き始める。孔はリニスに礼を言った。

 

「悪いな、リニス」

 

「いえ。後でちゃんと面倒を見てあげて下さいね? アリスちゃんも、あんなことがあった後ですし」

 

 確かに、このところ事件続きだった。平気そうに見えるが、アリスにもストレスが貯まっているかもしれない。

 

「では、私もアリシア達と見ていますから、頑張って下さいね?」

 

「ああ、ありがとう」

 

 優しげな笑顔を残してギャラリーの方へと向かうリニス。後には、孔と園子が残った。

 

「今の、卯月くんのお姉さん?」

 

「うん? まあ、そんな所かな?」

 

 話しかけてくる園子に頷く孔。園子は複雑な表情で呟く。

 

「……卯月くんにあんなきれいなお姉さんに可愛い妹がいたなんて、知らなかったなぁ」

 

「まあ、俺もアリスも小学生だからな。保護者がわりについてきて貰ったんだ。それより、ポジションとかを教えて欲しい。俺はキーパーって話だが……」

 

「あ、うん。ええっとね……」

 

 孔は慌てて話題を変えた。園子はそれに応え、孔にチームメイトを紹介していく。パスは誰に回せばいい、オフェンスはこの子。

 

「へえ。助っ人か」

「ああ、よろしくな」

「おう、キーパーってみんな嫌いだから助かったぜ!」

「ちょっと、嫌いはないでしょ?!」

 

 孔も軽く挨拶をしながら、チームメンバーの特徴を掴もうとする。その傍ら、

 

(大瀬さん、本当に楽しそうだな)

 

 園子の楽しそうな声を聞きながらそう思った。萌生や修、アリシアと話している時のように、園子は自然な笑顔を浮かべている。

 

(……植え付けられた感情よりずっといい)

 

 どうも自分に向けられるのは作り物の好意か理不尽な憎悪のどちらかのようだ。そして、残念な事に憎悪の方には心当たりがない。

 

「あ、コーチ。この間言っていた助っ人の卯月くんです」

 

「よろしくお願いします」

 

「……ああ、よろしくな」

 

 今もコーチとして紹介された人物から凄まじい殺気を込めた視線を受けている。いつかコーヒーを買いに行った時の店員だ。

 

「コーチは翠屋って言う喫茶店もやってるんだよ? うちのチームもそこから取って、翠屋FCって言うの」

 

 視線に含まれた意思に気づかない園子の説明が続く。初耳だ。もっとも、知っていたとしても園子を傷つけないようにとサッカーには参加しただろう。

 

(……世の中は狭いな。それにしても、俺もこのコーチも運のない事だ)

 

 不運を嘆きながら、孔は一瞬だけそのコーチに目を合わせてすぐに反らすと、

 

「では、俺は向こうで体を動かしてきます」

 

「あ、わ、私も」

 

 そう言って他のチームメンバーに混ざることにした。厳しい視線を向け続けるコーチ、士郎を置いて。

 

 

 † † † †

 

 

(今のところ、チームメイトに手を上げる気配はない、か)

 

 一方、士郎の方は園子に引かれて挨拶に来た孔を警戒していた。始めて見た時と同じように、普通に接するには何処か違和感がある孔を、排除すべき異常として無意識に認識していたのだった。アレはまずい。危険だと。

 

(といって、リニスさんや園子ちゃんに参加してもいいと言ってしまった手前、試合に参加させないわけにはいかないし……よりによってなのはを誘った日に当たるとは…… )

 

 あんなものがいては、なのはも気晴らしどころではないだろう。下手をすると逆効果の可能性もある。

 

(警戒を弱めないようにするしかないな)

 

 なのははもちろん、サッカーチームの面々にも危害を加えないように。ボディガードをやってきたころの鋭い視線そのままに、士郎は試合開始のホイッスルを持ってグラウンドへ向かうのだった。

 

 

「あ、止めた! 卯月くんが止めたよ!」「ああ、ソウダナ……」

「コウ、頑張って~! ほら、シュウも応援!」「ソウダナ……」

 

 試合に応援で盛り上がる萌生とアリシアに挟まれ、修はいたたまれなさ全開で試合を見ていた。後ろからはアリサにすずか、なのはに加え、フェイトのまき散らす負のオーラがひしひしと伝わってくる。

 

(茶と水色のチョコミント柄のオーラが伝わってきそうだな本当に)

 

 4人も決して相手側を応援したり、露骨に嫌な顔をしたりしているわけではなく、オフェンスが得点した時にはしっかり歓声を上げていた。が、キーパーが活躍しても全くの無反応で、後ろがやけに静かだとどうにも気になってしまう。そして、彼にダメージを与えている原因がもう一つ。

 

(あの何事もなくフェイトと一緒にいるの、リニスだよな。まあ、アリシアがいるんだから、いてもおかしくないけど……)

 

 死んでいると思っていた人物が生きており、死なないと思っていた人物が死んでいく。本当に今回は何も起こらないよな? そう思いながらグラウンドに意識を向ける修。負のオーラに呑み込まれている場合ではない。そう言い聞かせて、この場を乗り切る事にした。

 

 

(な、なんていうか……)(……お、応援しにくいわね)

 

 修の思った通り、すずかとアリサは内心複雑だった。なのはの手前、翠屋FCを応援しないわけにはいかなかったが、キーパーを孔がやっていると、つい相手チームのゴールが決まればいいのになどと考えてしまう。

 

「修くん! いま、オーバーヘッドした! 卯月君が!」

 

「……まあ、あいつならあのくらい余裕だろ」

 

 前で見ている2人の歓声もその感情をあおっていた。明らかに少年サッカーのレベルを逸脱した光景を前にすれば当たり前であることは理解できるのだが、いちいち興奮して「孔君(コウ)が」から始めないでほしい。もっとも、

 

(やっぱり化け物は違うわねっ!)

(どうして、化け物って思われそうなことも平気でするんだろ?)

 

 2人の想いのベクトルは微妙に違っていた。アリサは怒りを加速させて自分を維持しようとし、すずかは自らの異常性を前に出す行為を疑問に思うとともに、その結果と自分の未来を重ね合わせて恐怖していた。

 

 

 

 そんな光景に憂鬱を覚える人物がもうひとり。リニスだ。その原因は前列と後列の盛り上がり方の差。理由は知っている。あのゲームに飲み込まれた時、アリサとすずかに魔法を見られてしまったせいだ。それが未だ続いている事に、リニスは心を痛めていた。

 

(……そういえば、孔が学校ではどんな感じなのか聞いたことがありませんね)

 

 使い魔だからといって四六時中一緒にいる訳ではない。互いに知らないところがあって当然だ。しかし、アリサやすずかのような視線に晒されているのだとすれば、精神面で結構な負担がかかっているはずだ。

 

(終わったら翠屋で打ち上げもやるみたいですし、学校についてはそれとなく聞いてみることにしましょう)

 

 幸いにして、修や萌生のような友達はいるようだ。嫌われていない側からの意見も聞けるだろう。フェイトの苦悩も軽減できるようなヒントも得られるかもしれない。主人の苦を取り除くという使い魔の役割を全うするために、リニスは悩み続けるのだった。

 

 

「ねー、孔お兄ちゃんあんまり動かないの、つまんない!」

「にゃ、にゃははは、しょうがないよ。卯月くん、キーパーだし」

 

 一方、なのははアリスと一緒に試合を見ていた。たまに孔が見せるアクロバットに盛り上がるものの、アリスとしてはもっとシュートを決めまくるのを想像していたらしく、地味なポジションにいる孔は見ていて退屈なようだ。それでも、なのはと一緒にいるのは嬉しいらしく、無邪気に笑いながら我儘を言って甘えてきてくれる。

 

(やっぱり、マヤさんが魔法に巻き込まれたなんて言えないよね……)

 

 そんなアリスを見て、なのはは憂鬱な気分になっていた。つい先日、一緒に遊んでいた人がもういなくなったのだ。3人で遊ぶことは、もう叶わない。その残酷な事実をなのはは告げることが出来なかった。

 

「ねー、なのはお姉ちゃん、それ、何?」

 

「えっ!? フェレットのユーノくんだよ?」

 

「ふーん……?」

 

 観戦に飽きたのか、じろじろとユーノを見続けるアリス。ユーノは体をびくつかせた。どうもアリスを警戒しているようだ。なのははユーノに何か言おうとしたが、

 

「やーん、変な動物が怒ったー!」

 

 普通の動物と同じように接するアリスを見てやめた。本当に楽しんでいる様子のアリスに、なのははこれが見られただけでも来てよかったかなと思うのだった。

 

 

 

(……やはり何か武術をやっているな)

 

 一方、グラウンドでは士郎が孔をじっと観察していた。キーパーらしく積極的に前に出て動き回るという事はないのだが、油断なくフィールドを見渡す立ち姿はかつて士郎がボディガードとして働いていた時に見た襲撃者と同じものだ。

 

(……コレで刀を持っていたら相当危険だな)

 

 刀を持っていたら孔でなくとも危険人物だが、士郎にはその「刀」が決定的な欠落に思えた。まるで最後のピースが欠落したパズルような――

 

「む?」

 

「コーチ、卯月くんが止めたよ!」

 

 身体能力もかなり高いらしい。キーパーとしての役目もしっかり果たしていた。グラウンドの都合もあるが、少年サッカーと言えど通常の大人用のゴールを用いている。身体の大きさや体力を考慮すると相手のシュートを止めるのは難しいはずなのだが、今のところ得点を許していない。そして、片手でボールを抱えながら、もう一方の手でメンバーにジェスチャーで指示を出している。オフェンスへと正確にボールを蹴り込む孔。

 

「卯月くん、やっぱり凄い!」

 

「……上手い指示だな」

 

 想い人の活躍を嬉しそうに見る園子と感心する士郎。もっとも、士郎の方は決して喜んでいるというわけではなく、どちらかというと不自然さを感じていた。

 

(少年サッカーでチームメイトに指示を出すキーパーがいるとは思わなかったな。何処かでサッカーを習っているか、あるいは……他の何かで経験を積んでいるか、だな)

 

 まるで組織を束ねる司令塔のように活躍する孔に、士郎は孔への警戒を強めていた。

 

 

 † † † †

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 そんな声とともに試合は終了した。結果は2―0で翠屋FCが勝利。負けた方は肩を落として帰っていく。文句を言わず反省会だと言っているあたり相当できたチームなのだろう。コーチである士郎から見ても、レベルの高い相手だった。

 

「やっぱアイツすげえ」「マネージャーのカレシだろ?」「うちのチームに入ればいいのに」

 

 そして、少年達はそんな相手を下した要因である孔の話題で持ちきりだ。何時もなら試合の話題に加え、ゲームやら観戦に来た可愛い女の子やらこどもらしい話題で盛り上がるのだが、今日はそれがない。

 

(こども達の心を上手く掴んだか。活躍していたから仕方ないとは言え……やはり気をつけなければいかんな)

 

 振り返ると、孔は列の最後尾を園子と一緒に歩いていた。園子は本当に楽しそうに話しているが、孔の方はあまり表情を変えない。それは、意図して表情を消しているようにも見えた。

 

(何かするような殺気はないが……)

 

 あるいは、園子以外の誰かを狙っていて、友人以上の関係の(と士郎には見える)園子が邪魔になっているのかもしれない。

 

(……もうしばらく様子を見るか)

 

 本当は孔の近くで見張っておきたかったが、自分は引率をこなさなければならない。かといって、自分から最後尾に並んだ孔を呼ぶことは出来なかった。何かと先頭を歩きたがるお年頃の少年達。前の方ほどこどもが多いのだ。誰かに危害を加える可能性がある以上、人の多い方には呼べない。

 

(狙ってやっているとしたら、面倒だな)

 

 そう思いながらも、歩みを進める士郎。この先の横断歩道を渡れば翠屋はすぐそこだ。が、孔を見ていると妙な胸騒ぎを感じる。店内でも気をつけなければなるまい。そんな事を考えていると、前から翠屋の常連客が歩いてきた。

 

「あら、士郎さん。今日は」

 

「百合子さんか。今日は」

 

 よく翠屋へ来てはコーヒーを頼み、桃子と話して帰っていく女性だ。コーヒーにはこだわりがあるらしく、豆の種類を指定することも多い。コーヒーを扱っている士郎とも話す機会は多かった。

 

「今日は少年サッカーの打ち上げで貸しきりみたいね。桃子さんに追い出されたわ」

 

「せっかく来ていただいたのに、申し訳ありません」

 

「そうね、せっかく来たんだし、私も保護者ということにして、混ぜてもらえないかしら?」

 

「は?」

 

「冗談よ」

 

 しかし、士郎はこの女性が苦手だった。何時ものように、まるで此方をからかうように言葉を紡ぐ。

 

「怖い顔してたから。こども達の前でしょう?」

 

「は、はあ。それはどうも」

 

 調子を狂わされながらも、士郎は百合子が孔と懇意にしているのを思い出した。調度いい。話を聞こうと口を開き、

 

「それと、孔に手を出しちゃダメよ。彼は私のなんだから」

 

 何処か冷たい声と共に遮られた。そのまま妖艶な笑みと共に去っていく。

 

(……まるで夏織だな)

 

 士郎はその後ろ姿に、かつて自分を散々引っ掻き回した女の影を見ていた。孔の方へと向かう百合子。士郎はほんの少しだけ、孔に同情した。

 

 

 

「卯月くん! 今日の試合、すごかったよ!」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

 孔は嬉しそうに話しかけてくる園子と歩いていた。ちなみに、修は先に行くと言ってアリシアたちを連れてさっさと行ってしまった。ニヤニヤしながら園子と孔をみて告げてきた顔が忘れられない。

 

(大瀬さんが俺に好意を持った切っ掛けを知ればなんというか……)

 

 昼休みに助けてやってくれと頭を下げるくらいだ。怪しげな魔法で洗脳したなどといえば、やはり怒るだろう。

 

「ね、ねえ。喫茶店での打ち上げが終わったらね、そ、その……」

 

 そんな孔の内心に気付いていないのか、園子は恥ずかしそうに予定を聞いてくる。周りに聞こえないほどの小声だ。もっとも、意図して周囲を気にしている感じではなかったが。

 

(どうしたものか……? うん?)

 

「どうしたんだろ? 信号かな?」

 

 そんなとき、先を歩いているチームメイトが止まっていた。先頭を見ると、士郎が女性に話しかけられている。話が終わったのか、すれ違うようにして歩き始める士郎と女性。遠目に見ても士郎の顔はどこか疲れたような表情をしていた。こちらへ近づいてくるその女性に、孔は見覚えがあった。

 

「百合子さん……」

 

「ふふ。また会えて嬉しいわ」

 

「……誰?」

 

 戸惑いがちに名前を呼ぶ孔と、どこか楽しそうに話しかけてくる百合子。園子は敵意をむき出しにして百合子を見ていた。しかし、百合子はまるでそんな視線など感じないかのように話を続ける。

 

「喫茶店へ行こうとしたんだけど、今日は貸し切りだからって断られちゃって。残念だわ。貴方と過ごしたかったのに」

 

 相変わらずねっとりとした視線と一緒にどこか余裕を持った調子で言葉を綴る。孔は園子を守るように立ちながら、話を続けた。

 

「これからあの店で打ち上げがありますから」

 

「そうみたいね。ところで……」

 

 百合子はようやく気付いたかのように、後ろにいる園子に目を留める。孔の背中に隠れながらも、キッと睨み返す園子。

 

「ずいぶんかわいい子ね。彼女かしら?」

 

「……そういうわけじゃありませんよ」

 

「でしょうね。都合がいいだけのお人形を作っても、それは彼女とは言わないわ」

 

「っ!」

 

 目を見開く孔。百合子は近づくと、

 

「こんなふうに造らなくても、私はずっとあなたのそばにいるのよ。忘れないでね」

 

 耳元でそうささやいて行ってしまった。角を曲がって見えなくなると、一瞬で気配が掻き消える。

 

「なにあの人。嫌な感じ……」

 

「……そうかもな」

 

 露骨に嫌悪感を出す園子。孔はあいまいに頷くしかできなかった。しばらく気まずい沈黙が流れたが、

 

「あ、もうすぐ翠屋だよ? コーチたち、もう始めてるみたいだね」

 

 それを打ち破るように明るく振る舞い始めた園子に導かれ、孔は翠屋の扉をくぐった。

 

 

 † † † †

 

 

「ふーん、美由希お姉ちゃんって言うんだ」

 

「そうだよ? よろしくね、アリスちゃん」

 

 喫茶店『翠屋』。美由希は一足先に入ってきた観戦組を喫茶店で出迎えていた。もともとサッカーチームの打ち上げで貸し切り状態になる店の手伝いで来たのだが、修たちが普通に席に着く中、なのはの後ろにくっついて挨拶に来たアリスを目にして、

 

(か、可愛い……! あの腹黒いフェレットなんかよりずっと可愛いっ!)

 

 思わずアリスを撫でまわしていた。アリスはなすがままにされている。そんな姉に危険なものを感じ取ったのか、なのはが止めに入る。

 

「もう、お姉ちゃん、アリスちゃん困ってるよ?」

 

「えー、そんなことないよ、ねー?」

 

「ねー?」

 

「きゃー、かわいいー!」

 

 アリスの反応に声をあげて喜ぶ美由希。隣からなのはの溜め息が聞こえてきた気もするが、気にしないことにする。美由希としては、朝も話題になったなのはがこうして「無害そうな」友達を連れてきたのは素直に嬉しかった。

 

(アリスちゃんが普通の娘で一安心、かな?)

 

 アリスのことはよく高町家でも話になっている。数年前から、なのははよく「今日はアリスちゃんと遊んだ」と食事の席で楽しそうに話すことが多くなった。士郎が重傷を負い、治療費のため家族が店にかかりっきりになったころからだ。家族があまり構ってあげられず、暗くなりがちななのはが、楽しそうに友達の話を始めたときは心底安心したものだ。

 

「すみません。アリスちゃんがお世話になっているみたいで」

 

「あら、いいのよ? よくなのはとも遊んでくれてるみたいだし」

 

 隣からは微笑ましくこども達を見守るリニスと桃子の声が聞こえてくる。母親もアリスの事が気に入ったようだ。

 

「でも、コウもサッカーチームに参加させてもらいましたし」

 

「ええ、士郎さんもメンバーが増えて喜んでるわ」

 

 アリスの兄だというコウという人物の事は初めて聞くが、この分だと大丈夫だろう。美由希はそう安心していた。ドアを開けて、本人が入ってくるまでは。

 

 

 † † † †

 

 

「……で、何でこうなるんだよ?」

 

「だって、しょうがないじゃない。卯月くん、アリスちゃんに持ってかれちゃったし」

 

 修はいたたまれなさのあまり、横の萌生に文句を言っていた。目の前にはむすっと頬を膨らませた園子が座っている。2人一緒に入ってきたはいいが、何と横からアリスが孔の手を引っ張って、あろうことかなのはのいる席に連れていってしまったのだ。

 

「あ、あはは。アリスちゃん、なのはちゃんとコウと3人がいいって聞かなくて……」

 

 重い空気を笑って何とかしようとするアリシア。これが更に空気を重くするのは言うまでもない。

 

「……」

 

「あ、あはは……は、はぁ……ごめん」

 

(……やりずれぇ)

 

 重い空気にひたすら耐える修。横ではフェイトが戸惑いながらケーキを突っついている。どうやらコイツらは本当に園子の不機嫌の原因を分かっていないらしい。いつもの昼休みのメンバーに誰もいないシートが一席。そこへ、

 

「すみません、ここ、いいですか?」

 

 リニスがやって来た。ちょうど空席の隣に座る園子に声をかける。

 

「えっ?! あ、いいですよ?」

 

「あ、リニスだ」

 

 虚を突かれて普通に返事をする園子と、声をあげるアリシア。フェイトも話しかけた。

 

「どうしたの?」

 

「お店の手伝いが終わったので、休憩に来たんですよ」

 

「手伝い?」

 

「ええ。コウやフェイトたちがお世話になったみたいだから、お礼に洗い物とかを手伝わせて貰ったんです」

 

 紅茶とシュークリームを持って席につくリニス。ミルクを足して、ティースプーンでかきまぜる。一口啜って、少し顔をしかめた。熱かったらしい。

 

「園子ちゃん、ごめんなさいね? アリスちゃんも、コウと遊ぶのが久しぶりなんです。ちょっとだけ、我慢してあげて下さい」

 

「えっ?! あ、いや、わ、私は、そんな……」

 

 自然な調子で謝られ、園子は慌てた。ついでにわたわたと照ればじめる。リニスは楽しそうに笑いながら、

 

「ふふ。園子ちゃんはコウの事が本当に好きなんですね」

 

 その一言で真っ赤になる園子。アリシアは握っていたフォークを落っことし、フェイトは驚いたようにリニスを見ていた。

 

「な、なななな、なに言ってるんですか、リニスさんっ!」

 

「あら? みんな噂してましたよ? マネージャーがカレシ連れてきたって」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、リニスは続ける。

 

「それとも、コウは嫌い、ですか?」

 

「そ、そんなことありません!」

 

「そう。良かった」

 

 紅茶を口に運び、軽く言葉を切るリニス。園子は相変わらず顔が真っ赤だ。

 

(流石、扱いが上手いな)

 

 そんなリニスを見ながら、感心する修。さっきまで気まずかった空気はいつの間にか霧散していた。

 

 

 

「リニス、なんだか楽しそうだね?」

 

「ええ。それは楽しいですよ? コウやアリシアの学校での事も聞けますし」

 

 一方のリニスも、この雰囲気を楽しんでいた。こども達を話せば話すほど、普段知らない孔達の側面を知ることが出来る。そして、それが自分の心配が杞憂だったと教えてくれるのだ。

 

「えっ? 学校でって、どんな?」

 

「そうですね、フェイトは真面目に授業を聞いているけど、アリシアは授業中もよくお喋りしてるとか」

 

「そ、そそそそ、そーんなことないよ?」

 

 リニスとしてはからかっただけなのだが、どうやら図星だったようだ。ちなみに、アリシアのことは外向けにお嬢様をつけずに呼んでいる。

 

「萌生ちゃん、本当ですか?」

 

「えっ? ええっと、よく卯月くんと喋ってる、かな?」

 

「そ、そこは本当だって言ってほしかったな!」

 

 慌てるアリシア。それからは、学校の話になった。園子が孔の事を話せば、修が美化しすぎだと茶化し、萌生はフェイトが真面目で勉強も運動も出来ると言い、当の本人は真っ赤になってうつむいていた。

 

(なんだ。フェイトもコウも、上手くやってるんじゃないですか)

 

 それを上機嫌で聞くリニス。自分の大切な人はいい友達に恵まれているらしい。今も、萌生はフェイトと楽しそうに話している。

 

「でも、卯月くんにこんなお姉さんがいたなんて知らなかったなぁ。ねえ、フェイトちゃん、フェイトちゃんはお姉ちゃんとかいないの?」

 

「え? ええっと……アルフがいる、かな?」

 

「へー、会ってみたいなぁ。ねえ、今度フェイトちゃんの家に行っていい?」

 

「えっ?! でも、母さんもいるし、聞かないと……」

 

「あら、いいじゃありませんか。プレシアも喜ぶと思いますよ?」

 

「えっ? そ、そうかなぁ?」

 

「ええ。アリシアだって、アリスちゃんを連れてきたら楽しそうだったでしょう? フェイトが友達を連れてきて嬉しくない筈ありませんよ」

 

 背中を押すように言うリニス。少し驚いたように目を見開いてから、フェイトは嬉しそうに笑った。

 

「そうか、そうだよね。私だって……」

 

 リニスはそんなフェイトの自然な笑顔を見て嬉しそうに笑う。

 

「ええ。そうですよ。もうすぐプレシアも迎えに来ますから、この後、よかったら――」

 

 フェイトの周りにある温もりを家族にも知ってもらおうと、リニスは言葉を続けた。

 

 

 

 一方、なのははキョロキョロと落ち着かない様子でケーキを前にしていた。アリスに引っ張られてやってきた孔は、やはり場の空気を壊している。目の前には見るからに嫌そうなアリサと怯えたように此方を伺うすずか。そして、いたたまれなさ全開で座る元凶の孔。ひとりアリスだけが嬉しそうにケーキを頬張る。

 

「んー。美味しい! なのはお姉ちゃんのお家、ケーキ屋さんだったんだね、アリス、知らなかったよ!」

 

「にゃ、にゃはは。あ、ありがとう、アリスちゃん……」

 

 物凄くやりづらそうに笑うなのは。時々孔とはアリスと3人で遊んだりしているので、孔の存在自体はそれほど気にならないのだが、前の2人の凶悪な雰囲気に意識が飛びそうになる。

 

 無言で不機嫌そうにジュースの氷を鳴らすアリサ。気持ち悪い虫を避けるように体ごと向きを反らすすずか。怖い。怖すぎる。気持ちは分からなくはないが。

 

「にゃ、にゃははは……は、はぁ……ごめん」

 

 乾いた笑い声が空しく響く。ちなみに、ユーノは孔が入ってくるのを見るや、一目散に店の奥へと逃げて行ってしまった。

 

(うぅ……ユ、ユーノくんの薄情ものぉ……)

 

 心の中で文句を言っても、空気は悪いままだ。向こうの席からの楽しげな笑い声も手伝って、非常に居づらい。

 

「あ、私、これから出かけるんだった」

「あ、わ、私も……な、なのはちゃん。ごめんね。今度お茶でも」

「そうね。3人でやりましょう」

 

 無駄に3人でを強調して去っていく2人。すずかはなのはに謝りながら、アリサはすずかの手を引きながら、しかし孔の方は一瞥もせずに去って行った。

 

「むー。なんか怖い。さっきまでは笑ってたのに」

 

「にゃ、にゃはは。ホントはアリサちゃんもすずかちゃんも悪い子じゃないんだけど……」

 

「……悪いね。高町さん」

 

「あ、や……べ、別に」

 

 普通に謝る孔に、狂った調子で頷くなのは。いたたまれないのはなのはも同じだ。それでもある程度の慣れがあるのか、嫌悪感を剥き出しにしているという訳ではない。

 

「いや、俺はやっぱりリニスと」

 

「ダメ! だって、最近一緒に遊んでないもん! ほむらさんのところにも行ってないし。マヤさんだって、なのはお姉ちゃんと一緒に遊ぼうとしてたのに遊べなかったし……。だから、今日は一緒にいるのっ!」

 

 まくしたてるアリスにやれやれと椅子に座りなおす孔。なのははマヤの名前を聞いて俯いていた。きっと、アリスは苦しんでいるのだろう。あの時の自分のように……

 

「ここ、いいかな?」

 

 そこへ、なのはの兄、恭也がやってきた。返事も聞かずにさっきまですずかが座っていた席に座る。

 

「お、お兄ちゃん……。 お手伝いはいいの?」

 

「ああ、今は美由希もいるからな。休憩中だ」

 

「えっ? なのはお姉ちゃん、お兄ちゃんがいたの!?」

 

 急に現れた恭也に声を上げるアリス。恭也は軽く笑って返す。

 

「君がアリスちゃんか。なのはから話は聞いているよ。なのはと遊んでくれてありがとう」

 

「うんっ! アリス、なのはお姉ちゃんと仲良しだからっ!」

 

 ねー、となのはに同意を求めながら、無邪気に笑うアリス。そんなアリスに恭也も柔らかい表情を浮かべる。なのはは軽くなった空気を感じ、いつもと変わらない優しい兄に感謝した。が、恭也が孔に視線を向けた瞬間に悟る。そんなものは幻想だったと。

 

「……アリスちゃんのお兄さんは、剣術か何かをやっているみたいだな」

 

(あう、やっぱり……)

 

 果たして、恭也は孔へ殺気を飛ばし始めた。孔はそれを軽く受け流す。

 

「いえ。俺は何も」

 

「いや。隠さなくてもいいんだ。俺も古武術をやっているからね。見ればわかるよ。かなりの使い手だってね」

 

「そうですか。ずいぶん本格的なんですね。でも、俺はそんな使える訳では……」

 

「えー、そんなことないよっ! 孔お兄ちゃん、ちゃんとアリスを助けてくれるんだよっ! それに、よくプレシアさんのところでお勉強してるもん!」

 

 あくまでやんわりと済まそうとする孔に余計なことを言うアリス。アリスとしては、孔の事をよく見てもらいたかったのだろう。なのははキリキリと胃が締め付けられるのを感じた。

 

「アリス、お勉強はあまり武術と関係な――」

 

「いや、せっかくだし、「勉強」の成果を見せてくれないか。家には道場もあるんだ。ぜひ一仕合してみたい」

 

 孔の言葉を遮り、強引に道場へと誘う恭也。なのははそんな兄をただ心配そうに見詰めていた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――
愚者 高町美由希
※本作独自設定
 なのはの姉。私立風芽丘学園に通う高校2年生。趣味は読書だが、幼い頃から続けてきた剣術のせいで刀剣マニアでもあるという偏った趣味の持ち主。兄の恭也から古武術「御神流」を学んでいる。高町家の中で唯一料理が作れないのが悩み。
――元ネタ全書―――――
ふふ。また会えて嬉しいわ
 真・女神転生Ⅰ。夢の中での再会時のゆりこ。なお、今作ではゆりこは百合子の文字を使用しています。
――――――――――――


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第12話d 妄執の巨木《肆》

――――――――――――

 翠屋で少年サッカーの打ち上げ。こどもたちのほかに、試合を見に来た保護者も来て結構忙しくなる。いつものことだが、俺も手伝いに駆り出されていた。

「……」

 そんな忙しさの中、手を止めて父さんが一点を凝視している。その眼はいつか見たことがある。まだ俺が剣士として駆け出しのころに見た、ボディガードとしての眼だ。だが、もう引退して敵なんていないはずだ。嫌な予感のままその視線を追う。

「っ! アイツは!?」

「ああ、気付いたか。あれは……」

 その視線の先にはなのはの横に座る、こどもというには異質な空気を出しているナニカがいた。

――――――――――――恭也/翠屋



「あ、これ、アリシアちゃんとこにあったやつだ! ねー、なのはお姉ちゃん、これやろ?」

 

「あ、うん。いいよ」

 

 高町家のリビング。アリシアとアリス、なのはが嬉々としてゲーム機に向かっていた。翠屋FCの打ち上げが終わった後、アリスがなのはの家で遊びたいとごねたせいだ。プレシアが迎えに来るまでまだ時間があるため、リニスにアリシア、フェイト達も一緒になり、更には萌生と修、園子もついてきている。

 

「すみません、急にお邪魔して」

 

「あら、いいのよ? なのはがこんなにたくさん友達を連れてきたことなんて初めてだし。打ち上げのお菓子も残ってたし」

 

 リニスは桃子に挨拶をしながら、余りもののお菓子を運んだりしていた。桃子もなのはの友人といえばアリサとすずかぐらいしか把握していなかったため、6人もの大所帯で来られるのは嬉しい誤算だった。

 

「な、なんで俺まで……」

 

「いいじゃない。まだ時間あるんだし。それに、私、フェイトちゃんのお母さんって会ってみたいし」

 

 一方、男ひとり取り残された修は萌生相手にぐちぐちと文句を言っていた。そんな修に園子が突っ込む。

 

「もう。修ってば文句ばっかり。せっかく高町さんが誘ってくれたんだから、ゆっくり遊べばいいじゃない」

 

「あー、ハイハイ、園子はよかったな。これで卯月と一緒に帰れるぞ」

 

「な、何言ってんのよっ!」

 

 喫茶店では逆方向だったが、高町家からなら位置的に孔と途中まで一緒に帰る形となる。ニヤニヤとそれを指摘する修に真っ赤になる園子。

 

「で? その卯月は?」

 

「さっき、恭也さんと一緒に奥の方へ行くのが見えたよ?」

 

 が、修は萌生から返ってきた言葉に頭を抱えた。

 

(そういえば、ここって道場と併設だったな。恭也さんって俺のイメージじゃなんか剣術一本ってイメージしかないけど……。まあ、相手が卯月なら大丈夫か)

 

 孔ならば多少揉まれたぐらいでは苦にならないだろう。自分の持つイメージから勝手に恭也が孔の力に興味を持つことを前提としながらも、修は目の前のゲーム大会に加わることにした。

 

 

 † † † †

 

 

(あの子、やっぱり剣を……)

 

 高町家の道場。目の前で木刀を構える孔を前に、美由希は眉をひそめていた。孔は道場に備え付けられた木刀の中でも長刀にあたるものを選び、確かめるように体を動かしている。身体が小さい分まるで西洋の大剣のようにも見えるそれを軽く素振りし、盾のようにして垂直に構えた。

 

(適当に一番大きいのを選んだんじゃあ、あんな動きはできないよね……)

 

 立ち姿と所作から武術、それも相当な使い手だとは思っていたのだが、実際に構えるとその予想は確信に変わる。普通ならば美由希も剣の道を歩む人間として一手仕合をと思うのだが、木刀を構えた少年の持つ雰囲気は尋常ではない。立会うのは危険。そう本能が訴えていた。

 

「恭ちゃん……」

 

 思わず心配そうに義兄の名を呟く美由希。それに気づいた士郎が声をかけた。

 

「美由希。恭也ももう立派な御神の剣士だ。大丈夫だよ」

 

「そうだけど……」

 

 美由希は恭也の強さを知っている。彼女自身、幼い頃から恭也と同じ古武術を習っていたし、今も恭也から剣術の稽古をつけてもらうことも多い。しかし、

 

「あの男の子が相手なんだよね……」

 

 相手となる孔の方を見て思う。妹と同じくらいの男の子だというのに、思わず目を背けたくなるこの嫌悪感は何だろう?

 

「ああ、あの不気味な雰囲気――打ち上げのときは何もしなかったが、やはり危険だ」

 

「何もしなかったのは、お父さんと恭ちゃんが止めようとしてたからでしょ?」

 

「……気付いていたか」

 

 士郎も恭也も、露骨に孔に殺気を飛ばしていたのは何も気に入らないからという理由からではない。相手に警護者がいると知らせることで、行動を抑止させる効果を狙ってのことだ。脅威がはっきりしており、警護する対象の安全を優先的に確保したいときによく使う方法で、対象をしっかりマークできる人間が他にいれば取り逃がす危険性も減る。警護対象の安全が確保されたところで、危険人物をゆっくりと追い詰めればいい。問題は危険だとにらんだ人物が本当に危険人物かどうかだが、

 

「普通の小学生なら、あれだけ嫌な目で見られれば泣き出すか、逃げ出しているよ。でも、あの子は平然としていた。それに、あの立ち姿は武術を学んでいる。何もしなければ、大人しくしていてはくれなかっただろう」

 

 だから、警護者を経験した人間にとって、警戒するのは当たり前だ。そう続ける士郎に、美由希は疑問を感じた。孔が危険だという部分ではない。それは目の前に言葉で語られる以上の説得力を持って存在している。

 

(……本当に、それだけ?)

 

 幼い頃から共に暮らした家族だからこそ気付く違和感。父親の言葉に、どこか感情的なものを感じた。難しい言葉で説明しなくても、あの男の子からは、もっと、人間が一目で毒虫を害虫と認識できるようなナニカがあった。害虫に殺虫剤をかけるのは当たり前。でも、人の姿をしているから、そんなことはできない。理由がいる。警護者として見つけたその理由は――

 

(考えすぎ、だよね……)

 

 美由希はそこまでで思考を打ち切る。自分の兄や父は気に入らないからと言って排斥しようとする人間ではなかった筈だ。だから、止めなくても大丈夫。まるで心から聞こえてくる、アレは排斥されて当然だという声から耳をふさぐようにそう言い聞かせる美由希。混乱する思考の中、美由希は恭也と孔に交互に視線をおくる。孔と目が合った。

 

(……っ!?)

 

 悪寒が走る。やはり、自分は言葉で仕合を止められそうになかった。

 

 

 

 一方、孔も美由紀と恭也、士郎に視線を送ると同時に思案していた。

 

(普通の剣道じゃないな)

 

 恭也は小太刀のような小ぶりの木刀を2本、両手に構えている。「古武術」と表現された通り、スポーツや精神鍛錬を目標として進化したいわゆる「剣道」とは違うのだろう。少なくとも、剣道ならば木刀ではなく竹刀を使うはずであり、防具だって使わしてくれるはずだ。

 

(……まさか本当に殺しにかかるつもりではないだろうな?)

 

 だんだんと自分の置かれている立場に自信がなくなってきた。気に入らないのは結構だが、3人ともこちらを見る目はまるで敵を見る時のそれだ。

 

(適当に負けるつもりだったんだがな……)

 

 手加減すれば馬鹿にされたと思ってさらなる不興を買いそうだ。第一、小学生相手に鈍器にもなりうる木刀での仕合を申し込んできたところを見ると、実力を踏んだか、悪意を持って叩きのめそうとしているのかのどちらかだろう。いずれにせよ、こどもだからうまく剣が使えないんですという言い訳をして終わりそうな気配はない。孔は普通に嫌だった。

 

「それでは、向かい合って――」

 

 そんな両者の激しい温度差を横に、審判役の士郎が間に立つ。

 

「構えてっ! はじめっ!」

 

 そして、仕合開始を告げた。

 

 

 両者は全く動かなかった。構えを保ったまま、まるで開始の号令などなかったかのようにピクリとも動かない。

 

「けん制の掛け合いか……」

 

「ああ、だが始まっている」

 

 その様子を見ている美由希と士郎は剣を構える2人の気迫を感じ取っていた。相手の動きを僅かも見逃さない視線。いや、視線だけではない。互いに五感を総動員させて相手の僅かな動きからも次の手を予測しようとプレッシャーを掛け合っている。

 

「まだ一合も打っていないうちから恭也ちゃんに本気を出させるなんて……」

 

「……やはりただの小学生ではないな」

 

 もはや誰も孔をなのはと同じ学校に通うこどもとは認識していなかった。恭也や士郎といった第一線を張っていた剣士の殺気を受けても平然としているほどの胆力。構えからして間違いなく身に染みている相手を殺すための技術。そして、なにより得体のしれない生理的な拒絶を伴う気持ちの悪い雰囲気。構えは西洋剣術に似ているものの、騎士というにはあまりにおぞましいその気迫は、バーサーカーという単語を思い起こさせた。

 

「……」

 

 互いに焦れることもなく、張り詰めた空気のまま動かない剣士と狂騎士。しかし、その凍り付いたような静寂は、突如として破られた。

 

「っ! 同時に!」

 

「いや、先制したのは……」

 

 孔だ。長刀のリーチを生かして斬りかかった。恭也は両手に持った木刀を交差させて受け止める。

 

「ぐっ!」

 

 木刀にしては鈍い破壊音とともに、思わずうめき声を上げる恭也。すさまじい重さだ。成長しきっていない身体から放たれる打撃ではない。恭也は交差させた両手の木刀で孔の木刀を挟んだまま、横に反らして受け流す。同時に前に移動し、孔に木刀を振るわせることなく蹴りを入れた。

 

「っ!」

 

 しかし、それを予測していたように距離をとる孔。カウンターですぐに木刀を振り下ろす。それを受け止める恭也。2人が打ち合うたび、重い木刀の音が響いた。

 

「恭ちゃんが押されてる?」

 

「ああ、あの強力な斬撃を両手で受けざるを得ない以上、二刀を使う恭也には不利だろう」

 

 恭也は防御に回る際、相手の攻撃を片方の刀で受け流し、もう片方でカウンターを狙うことが多かったが、孔が相手では斬撃が重すぎてその戦い方は使えなかった。

 

「ちっ!」

 

 埒が明かないと思ったのか、攻撃に転じる恭也。片方の剣で牽制をかけつつ、もう片方の剣を打ち込もうとする。パワーを手数で補おうとしたのだろう。しかし、牽制のための初太刀ははじかれ、驚異的な剣速で反撃を繰り出してくる孔に、本命の剣を防御に使わざるを得なかった。片手では受けきれず吹き飛ばされる恭也。あわてて受け身をとって起き上がる。

 

「手数も相手の方が上だね。このままじゃ……」

 

「ああ、ただの打ち合いなら、恭也に勝機はないだろう」

 

(そう、ただの打ち合いならば、な……)

 

 

 

 起き上がった恭也は手のしびれに加え、軽い疲労を覚えていた。

 

(……強い。斬撃の重さも、速さも。まさか地力で押されるとはな)

 

 体格的に優っているのはもちろん恭也の方だ。しかし、現実に力も手数も相手の方が上回っている。普通ならばそんなはずはないのだが、

 

(まるで夜の一族だな)

 

 恭也には心あたりがあった。恋人の月村忍だ。月村すずかの姉である彼女にも当然夜の一族の血が流れている。忍の場合は知能の方に発達が見られ、身体能力はそれほどでもないのだが、それでも見た目以上に力がある。忍からは孔のような存在は直接聞いていなかったが、それに近い存在がいたとしてもおかしくはない。

 

(だが、アレは忍とは違う。もっと何か、別の、人間じゃない……化け物、そう化け物だ)

 

 まるで心を待たない機械のように木刀を正確に打ち込んでくるだけならば、あるいは恭也も孔をそういう目で見なかったかもしれない。しかし、孔が纏う嫌悪感がそんな感想を抱かせた。それはかつて忍を襲った自動人形と結びつき、明確な憎悪となって形を変え、

 

(それなら、相応の戦い方をしないとな)

 

 恭也は構えを変えた。

 

――御神流

 

 呼吸を整え、

 

「――『撤』ッ!」

 

 凄まじい速度で突きを放つ。

 

「っ!」

 

 木刀で受け流しつつ、ギリギリで回避する孔。過剰なまでに距離を取り、反撃はしない。いや、出来なかったのだろう。表情のない顔を無言のままこちらに向けている。

 

 

 御神流。正式には永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術。古武術らしく、暗殺から要人警護まで、実用的な技術に特化してきた剣術だ。歴代の使い手は常に危険と隣合せの状態で、敵を倒し味方を守るため、如何に効率よく相手を殺傷するか、如何に素早く脅威を排除するかを追求してきた。歴史にも残らぬ開祖の時代から時は流れて戦国、江戸、明治。いつの時代にもその技術は必要とされ、御神流は人知れず勢力を拡大し、いつしか宗家制をとる集団を作り上げていた。

 

 高町恭也もその御神流の使い手だ。現代に生まれた恭也は、暗殺や要人警護の職につく必要はもちろんなかった。そんな彼が御神流を覚えたのは幼い頃におかれた数奇な境遇のせいだ。父・士郎とその内縁の妻夏織の子として生まれた恭也は、物心ついたときには母親はおらず、士郎と剣術を学びながら、日本各地を転々としていた。士郎は母親についてあまり話したがらないが、「名前は恭也がいいと思う」という書置きを遺し、金品とともにどこかへ消えてしまったらしい。思えば、士郎がまだ幼い恭也を普通の社会に生きるこどもとしてではなく、御神の剣を使うその世界の人間として育てようとしたのもその辺が関係しているのかもしれない。転機が訪れたのは6歳の頃。御神宗家がとある暗殺組織の襲撃を受け壊滅した。幼い恭也にはそれがどれほど重要なことなのかは分からなかったが、その襲撃事件の生き残りである美由希とともに3人で生活を送るようになった。このころから士郎もどこか雰囲気が変わったのを覚えている。数年後には今の義母である高町桃子と結婚し、名を不破士郎から高町士郎へと変えた。

 

――恭也、何のために剣を振るうのか、考えてみろ

 

 その頃、よく父親から言われていた言葉だ。恭也はその度に大切な人を護るためと答えてきた。まるで少年漫画のようなその回答に、当時の恭也は納得していた。おそらく、それは憧れだったのだろう。父の強さの理由であり、また誰もが納得する立派な理由。理由とするにはあまりにも都合がよすぎる理由。恭也はその理由を自分に言い聞かせて剣を振るい続けていた。

 

(あの時の俺は意味も分からず御神流を使っていた)

 

――御神流『虎切』ッ!

 

 目の前の「敵」に一刀で斬りかかる。打ち合いでは見せなかった太刀筋だ。その一撃はやはり受け止められてしまったが、相手に間違いなく届いたという手ごたえがあった。

 

(だが、今は、今ならわかる)

 

 父の婚約の後、訪れた平穏な生活を崩すかのように起きたテロ事件。その事件でボディガードを務めていた士郎は重傷を負い、代わりに自分が護ることになった家族。その時は士郎に重傷を負わせた組織に対抗するため、ただ力を求めていた。そんなときに出会った夜の一族という影を背負った忍。忍は力を渇望する恭也の心を潤し、また恭也は忍の影を照らすことが出来た。だから、月村安次郎の襲撃事件のとき、恭也は初めて力を誰かのために振るうことが出来た。そして、安次郎のけしかけた殺人機械、自動人形を斬り伏せながら漸く気付いた。あの時力を求めていたのは、父を喪失した自分の空虚な心を満たす為であって、決して大切な人を護るためなどではなかったのだということに。

 

(俺の御神流は護る剣だ。だから、なのはや忍に危害を加える存在なら……!)

 

 その時の経験が恭也に語りかける。アイツは敵だと。忍を襲った吸血鬼と同じ、いやそれ以上の悪意を持った存在だと。この気色悪い空気が、威圧感がそれを証明している。そんな化け物がなのはに近づいた。なのははようやく手にした大切な家族であり、護るべき大切な人だ。だから、

 

「容赦はしない!」

 

――御神流

 

「雷徹ッ!」

 

 必殺のその太刀は確実に相手の急所を捉え、

 

「っ?!」

 

 空を切った。大きく隙をさらしてしまう。だが、カウンターは来ない。振り返ると、かなり距離をとって後方に着地する孔がいた。

 

 

(飛び越えたっ!? 恭ちゃんを?)

 

 士郎と美由希は孔の身体能力に目を剥いた。孔は斬撃が来る方に跳躍する事で恭也の一撃をかわしたのだ。助走なしで身長176cmの恭也を飛び越えた事になる。

 

「……驚いたな。今のを避けるとは思わなかったよ」

 

「そちらこそ。無理矢理剣の軌道を変えて防御を抜こうとするなんて思いませんでした」

 

(! 気付いたのか?!)

 

 驚愕に目を見開く士郎。そもそも防御とは、急所を護り、同時に本来受ける筈の衝撃のうち何割かを逃がす技術として発達してきた。そして、基本的に防御が優れた使い手ほどこの衝撃を逃す割合は多くなる。多くの場合、それは真正面から攻撃を受けるのを避ける技術として発達している。相手を倒すにはまずこの防御を打ち破る必要があった。それにはどうすればいいか? 御神流の出した答えの集大成が、先程恭也が放った「徹」だ。

 

「最初に『徹』と言っていたあの突き。常に動き続ける標的の防御面に合わせて剣の軌道を変えて、しかも攻撃の時の圧力が一点に集中するように剣を振るっていました。防御面に対して垂直にかかる衝撃は逃がすことができないから、ですね?」

 

「……! よく分かったな」

 

 一度振るった剣の軌道を変えるからといって、剣速が遅くなる訳ではない。むしろ、打ち出しから当てるまでの間が短い程相手が防御のために体勢を整える時間も短くなるため、軌道修正が少なくてすむ。恭也は自分の持てる最大の速さで木刀を振り抜いていた。

 

(つまり、あの子は恭ちゃんの剣の動きを見定めて、その意味も理解していた……! あの一瞬で?!)

 

 美由希はあり得ない物を見るような目で孔を見ていた。常人から見れば無茶苦茶な理論からも分かる通り、御神流の鍛練は尋常ではない。美由紀自身、「徹」を頭と身体で理解するまでに何年もかかった。誰かに教えられることもなく、ただ見ただけで語れるものでは絶対にない。しかし、驚く3人を置いて、孔は淡々と続ける。

 

「それと、さっきの斬撃――抜刀術みたいに剣を急加速して斬りつける技」

 

 鞘に収まっている剣を抜く時、普通は力を抜いて鞘に沿うように刀身を滑らせて抜く。力を込めて一気に抜こうとすると、鞘に刀が引っかかり、うまく抜けないからだ。これを逆手に取ったのが抜刀術。わざと抜刀時に過剰な力をかけ、鞘から一気に解放。刀は勢いのまま異常な速度となって相手に襲い掛かる。

 

「木刀の振りが異常に速くなった……鞘を使う代わりに、意識的に筋力を解放したんだ」

 

 その破壊力を得るにはどうすればよいか? 二刀を扱う以上、鞘は使えない。御神流は代わりにリミッターを選択した。リミッターとは、無意識に行われている身体能力の制御の事だ。本来持っている力をすべて出し切ってしまうと、筋肉が自身の力に耐えられず切れてしまうため、誰もが身につけている。しかし、もしそのリスクを無視して意図的にリミッターを外すことが出来れば。火事場の馬鹿力と表現されるとおり、驚異的な剣速を得ることが出来る。「虎切」。御神流の奥義である。

 

「その斬撃を徹と組み合わせた。雷徹、だったか? 当たれば、殺せただろう」

 

「……」

 

 恭也の背筋に嫌な汗が流れた。もはや誰も言葉を発しない。自分達の技を見抜かれたからではない。相手の威圧感が言葉を紡ぐたびに強まっているのを感じたからだ。

 

「つまり、お前は、殺すための技術を、俺を殺すために、振るおうとした」

 

 孔の口調が変わった。木刀を片手で持ちなおし、だらりと下げている。

 

「俺の何を気に入らないか知らないが、こんな俺でも待ってくれている人がいる」

 

 隙だらけのはずの構えに、異常な威圧感。目に見えて雰囲気が変わっていくのが分かる。

 

「だから、俺は帰らないといけない」

 

 その姿を見て、恭也は悟る。自分は化け物に「敵」と認識したのだ、と。

 

「すぐに壊れてしまっては、盾とは言えないからなっ!」

 

――狂戦士〈バーサーカー〉

 

「ぉぉぉぉぁ■■■■■■ッ!!」

 

 狂ったような叫びとともに、すさまじい速度で踏み込む孔。

 

「ぐっ!」

 

 あまりの衝撃に恭也は吹き飛ばされた。だが、間髪入れずに2撃目、3撃目が襲う。必死に受け身をとりながら転がり、2本の木刀で受け続ける恭也。だが、徐々に逃げきれなくなってくる。

 

(ぐぁ! さっきの比じゃない……!)

 

 ありえない重さの斬撃が、ありえないスピードで襲い掛かる。気を抜くと防御していても衝撃で意識が飛びそうになる。

 

 

「……まずいな」

 

「きょ、恭ちゃんっ! お、お父さん、もういいでしょ!」

 

 恭也と孔を見て、美由希は孔との仕合を止められなかった自分に後悔した。確かに、あの男の子からは嫌な感じはする。おそらく、あの異常な身体能力を見るに、義兄の婚約者である忍のような人外の存在なのだろう。その中でも、特に人間とは相容れない存在なのかもしれない。しかし、孔は未だこちらに危害を加えていない。なのはも仲がいいのは妹だというアリスの方で、孔のことは避けているように見えた。このまま何事もなく無関係に終わる可能性だってあった筈だ。化け物は避けるべきで、無駄に攻撃を加えて怒らせる必要はなかったのだ。

 

「……っぐ! 舐めるなぁ!」

 

 しかし、士郎が仕合中止の声を上げるより早く、恭也はそれを使った。

 

 それは攻撃の技術ではない。

 しかし、それは御神流を一大勢力に押し上げた技術。

 無意識に営まれる運動の制御。

 御神流の神髄。

 

 人間は特に意識をしなくとも、心臓の鼓動から力の制御まで、ごく自然にこなしている。それを意識的に開放することが出来れば、それだけで強力な武器となる。例えば、先ほどの虎切は普段無意識に制御している腕の筋肉のリミッターを外すものだ。熟練の技を持ってすれば、容易に鋼を断ち切ることさえ出来る。そのリミッター解除を全身の筋肉に加え、脳にまで応用すればどうなるか。それで得られる驚異的な身体能力は想像に難くない。

 

――御神流・奥義『神速』

 

 心臓が高鳴る音とともに、恭也の視界がモノクロに変わる。肌で感じる空気の流れが遅くなり、周囲の動きが緩慢になる。否。周りが遅くなったのではない。恭也が爆発的な加速とともに動いたのだ。常人には目視すら不可能なスピードで、死角に回り込み斬撃を放とうとして、

 

(なっ!)

 

 孔がまるでそれ予期していたかのように木刀を構えているのに気付いた。

 

(神速についてきている……?!)

 

 恭也は目の前の存在が信じられなかった。自身の切り札をもってしても、目の前の化け物には届かなかった。

 

(くっ! まだだっ!)

 

――御神流・奥義『神速ノ二』

 

 恭也はモノクロの世界の中でもう一度神速を使う。あの時忍を殺そうとした自動人形。中でも戦闘に特化したイレインと呼ばれるそれに、恭也は神速で対抗できなかった。ゆえに、もう一度。大切な人を守るために。恭也はギチギチと筋肉の筋が悲鳴を上げるのを聞きながら。目の前の少年のような恰好をしたナニカに、

 

「死ねぇぇぇええええ!」

 

 今度こそ死角を取って木刀を孔に叩き込み、

 

 

 自分の木刀が粉々に砕かれる音を聞いた。

 

 

 卯月孔を一人の魔導師として見たとき、最大の武器は何か。莫大な魔力量、強力なレアスキル、常軌を逸した身体能力。どれも孔を特徴付けるものではあるが、第一に挙げるべきはそれではない。最も強力なのは、

 

「……そうか、認知能力」

 

「えっ?」

 

 呟く士郎に声をあげる美由希。兄の切り札が破られ呆然としている彼女を落ち着かせるように、士郎は解説を続けた。

 

「仕合は相手の動きを観察するのが第一だ。相手の動きを認識して、それを分析、的確に反応するまで――つまりは反射だが、それが神速を破る程のスピードだったんだ」

 

「そんなっ? どうやって……」

 

「認知だ。反応速度も驚異的だが、五感で、それこそ相手の呼吸から周囲の空気の流れまで全て感じ取って、認識から分析までを一瞬で済ませて、恭也の攻撃を正確に予測したんだ」

 

「……っ!」

 

 絶句する美由希。一度見ただけで御神流の仕組みを言い当てた位だ。相手の動きを知覚し、分析するスピードは確かに異常といえる。

 

「特に、神速は状態を維持できてせいぜい四秒。短期決戦を仕掛ける必要がある以上、フェイントも組み込みにくい。その弱点を突かれたんだ」

 

 本来なら、神速はフェイントなど必要ない程高速で動き、相手に認識されない事を前提としている。それを上回る速度で認識されれば、圧倒的に不利だ。

 

「……湖の騎士」

 

 呻くように呟く美由希。以前、聖杯伝説を題材とした小説を読んだことがある。そこには、サー・ランスロットというキャラクターが登場し、湖の精霊に育てられ騎士として力をつけていく描写があった。

 

 まるで彼の精霊が住みたる湖の、

 清水に堕ちたる穢れない水晶を、

 僅かな水の流れから感じとるように、

 サー・ランスロットは敵意を感じ取り――。

 

「……よく見ているな」

 

 そこへ、孔が声をかけた。さすがに疲労を感じているのか、息は上がり、額からは汗がしたたり落ちていた。しかし、そこから出る威圧感は全く消えていない。まるで美由希や士郎、恭也が抱いている敵意を感じ取ったかのように、その声は冷たく、表情は厳しい。士郎は美由希を守るように前に出る。

 

「……御神流を見破った君ほどではないよ」

 

「何故、見破れないはずの技を使ってまで俺を殺そうとした?」

 

「殺すつもりはなかった、と言っても無駄だろうな。言い訳をするつもりはない。ただ、君は力を持っていた。それがなのは達に振るわれるんじゃないかと思ったんだ」

 

「何故、俺が高町さんに力を向けると?」

 

「君を、いや、君の力を受け入れられなかったからだ」

 

「それだけか?」

 

「……ああ、それだけだ。すまない」

 

 後ろで目を伏せる美由希。それだけと言われればそれだけだ。言われた方にはあまりにもあんまりな理由だろう。しかし、美由希には父と兄が孔に御神流の技を使ったことを責めることはできなかった。自分も孔を人外の化け物として認識し、未だ嫌悪感を拭えないでいたから。

 

「……そうか」

 

 孔はそれだけ言うと、背を向けた。木刀をもとあった場所へ戻し、扉の方へと歩き始める。それとほぼ同時、

 

「ああ、コウ。ここにいたんですね。プレシアが迎えに……」

 

「孔お兄ちゃんっ! みっけたぁ!」

 

 呼びに来たのだろう、リニスが扉を開け、アリスが顔を出した。後ろには修と園子も一緒だ。向こうは楽しめたらしく、リニスは微笑を浮かべ、修は赤くなる園子にニヤニヤと笑っている。勢いよく飛び出すアリス。しかし、

 

「いかんっ! 出るなっ! アリス!」

 

 孔は後ろから感じた殺気に気付き、走り出した。

 

 

 † † † †

 

 

――何故……俺を殺そうと……

 

――言い訳をするつもりはない。ただ、君は……

 

 恭也は朦朧とした意識の中、膝をつきながらも遠くに声を聞いていた。

 

(殺気……化ケ物ノ気……アノ化ケ物ガ、父サンヤ美由希ヲ、襲オウトシテイル……)

 

 扉が開く音が聞こえる。遠のく意識をそちらに向けると、歪んだ視界の中にあの化け物が見えた。

 

「……っぁ!」

 

――御神流『飛針』

 

 それは無意識さえも制御する御神の技が見せた最後の抵抗だったのかもしれない。放ったのは、技と呼ぶには単純な行動。服の裏に仕込んでいた鉄の針を、相手に投げつける技。本来ならば木刀以外は使わない仕合において、使うべきではないもの。それでも孔の異常な雰囲気が万一を考えさせ、服の中に仕組んでおいたもの――

 

「いかんっ! 出るなっ! アリス!」

 

「……へ?」

 

 同時に数本を打ち出したにもかかわらず、一直線にぶれることなく飛ぶその針は、今度こそ孔を捉え、まるで盾に突き刺さる鉄の矢のごとく、肉をえぐった。

 

 

 何かが砕かれる音。

 飛び散る赤黒い液体。

 アリスはそれを知っていた。

 

――もう……だっ!

――なにを……僕は……

 

「……ぁ」

 

 幼い頭に焼き付いた、赤一色の景色が思い浮かぶ。

 

――あの時も、私ハ全テヲ失ッテ……

 

 

「コウッ!」

「卯月くんっ!」

「なっ! 何やってんだテメェ!」

 

 しかし、ソレは後ろからの声でかき消された。園子とリニスが孔に駆け寄り、修が恭也に掴みかかる。

 

「おい、何で卯月を……っ!?」

 

 しかし、修はその先を続けることが出来なかった。限界を超えた恭也が意識を失い、その場に崩れ落ちたからだ。

 

「な、何だよ? いったい何がっ?!」

 

 修は混乱していた。修にとって、孔も恭也も主人公、いわばヒーローに分類される存在だった。孔が恭也を傷つける筈はなかったし、恭也も力への興味から孔と仕合を望んでも、怪我をさせる様な人間ではない筈だった。

 

「コウッ! 大丈夫ですかっ?!」

 

「ああ、問題ない」

 

 しかし背後には、無理矢理笑いながら、刺さった鉄の針を引き抜く孔がいた。

 

「問題ないじゃないでしょうっ!」

 

 荒げながらもハンカチを取り出し、止血にかかるリニス。

 

「あ、わ、私、救急車呼んでくる!」

 

 そして道場を飛び出す園子。修はその背中を半ば呆然と見送ることしかできなかった。

 

 

「お、おばさん、電話貸してください!」

 

「えっ? ええ、いいけど、どうしたの?」

 

 プレシアと話していた桃子は、突然飛び出してきた園子に戸惑いながらも頷いた。

 

「あ、あの! 酷い怪我をしたんです。鉄の針が刺さって! 救急車、来てください!」

 

 しかし園子がかけた電話を聞いて青くなる。

 

「ちょっと、桃子さん!?」

 

 後ろで声をあげるプレシアをおいて、慌てて道場へ走る桃子。

 

(士郎さん! 美由希、恭也っ! 無事でいて!)

 

 心の中で叫ぶ。桃子の脳裏に浮かぶのは、孔が3人を手にかける光景。

 

(やっぱり、止めるべきだった……!)

 

 あの嫌な雰囲気を思い出してそう思う。平穏ではあるが幸せな生活を手に入れて数年。大切な今を、再び化け物に壊されるなど、桃子には堪えきれなかった。息を切らして開いたままの道場の扉をくぐる。しかしそこには、予想とは全く逆の光景が広がっていた。

 

 

 † † † †

 

 

「そんな言い訳が通用するとでも思ってるのっ?!」

 

「……申し訳ありません」

 

「申し訳ありません、じゃないでしょう!! 普通なら訴訟ものよ?!」

 

 病院の待合室。プレシアは桃子と士郎を前に声を荒げていた。

 

「大体、コウ君はまだ小学校3年生だったのよ?! それをっ!」

 

「……プレシアさん」

 

 しかしそれを、連絡を受け飛んできた児童保護施設の先生が止める。

 

「孔は確かに異常なところがあります。精神科医の私から見ても、あの子が小学生と思えなくなる時だってあります。でも、そんなものは表面上だけなんです」

 

 プレシアは何も言えずにそれを聞いていた。その怒りは、まるでアリシアを失った時の自分のそれのように思えた。肩におかれた手が酷く冷たく感じられる。

 

「孤児のまま成長して……母親も、父親もいなくて、友達も、家族を失ったことだってあります。あの子は、それで心を成長させてしまった。無理な成長で、心にひずみが出来てしまっているんです。もっとこどもでよかった筈なのに。それでも……いえ、だからこそ、私はあの子を自分の家族だと思っています。息子なんです。だから、あの子を失いたくないと思っています。それはあなたも同じでしょう?!」

 

「……ごめんなさい」

 

 叫ぶように言う先生に、桃子は絞り出すような声で謝る。

 

「先生、悪いのは俺なんだ。妻は何もやっていない」

 

 それを見かねたのか、士郎が重い口を開いた。かつての士郎の主治医と懇意にしていたこともあり、施設の先生のことは士郎も「先生」と呼ぶくらいには知っている。

 

「知っています。でも、桃子さんも士郎さんと同じ目で孔を見ているでしょう。 だから、私はあなたたち両方に言ったつもりでした。孔を、私の息子を、異常な存在として見ないで欲しいと」

 

 しかし、先生はまっすぐに士郎を見据えて言った。それを見て、プレシアは思う。この先生は、孔が傷つけられたことだけを怒っているのではない。理不尽にさらされて生きるこども達に理不尽を与えた存在と同じように、嫌悪感しか抱けなかった桃子達に強い憤りを感じているのだと。

 

「申し訳ありませんでした。言い訳のしようもありません」

 

 それがようやく伝わったのか、桃子が深く頭を下げる。黙ったまま見つめる先生。しかし、震える手が、目にいっぱいにたたえた涙が、怒りを、悲しみを伝えている。

 

(……辛いわね)

 

 プレシアはそれ以外に言葉が思い浮かばなかった。もし傷ついたのがアリシアなら、それこそ裁判でも何でもやって社会的に抹殺しないと気が済まないだろう。感情をこの程度にまで抑え、冷静に対応できるようになるまで、果たしてどれくらいこども達の抱える理不尽と戦っていたのだろうか。

 

(この世界の医療水準は高い方だけど……魔法を使う前に運び込まれたのは痛かったわね。コウ君の傷、残らなければいいけど)

 

 怪我の跡を引きずって、自分のようにつらい思いをして欲しくない。プレシアはそろそろ治療が終わるであろう孔を思い浮かべていた。

 

 

 † † † †

 

 

「先生、怒ってるだろうな」

 

「当たり前です。自分のこどもに鉄の針が刺さって帰ってきたんですよ?」

 

 病院の一室。一通りの治療を終えた孔は真っ白なベッドに横になっていた。すぐ横にはリニスが座っている。ちなみに恭也も意識を失った状態で運び込まれ、現在検査中だ。

 

「魔法なしで鉄の針を受け止めるなんて……当たり所が悪かったら死んでたんですよ?」

 

「いや、悪かった」

 

「……まあ、本当に悪いのはなのはちゃんのお兄さんですけど、もうちょっと念話で私を呼ぶとかあったでしょう?」

 

 長々とお説教を続けるリニス。言いながら、リニスは疑問を感じていた。なぜ、あの高町一家が孔に手を挙げるようなことをしたのかと。リニスも何度か施設の来客やこども達のためにケーキやコーヒーを翠屋へ買いに行くこともあったが、そこには家族経営らしい暖かい雰囲気があった。児童保護施設の買い出しだと伝えても営業用でない笑顔で迎える桃子や士郎達を見て、こうした雰囲気は店員の人柄でできているんだろうな等と思ったものだ。それが、道場にいた士郎や駆け込んできた時の桃子が、打ち上げのときの恭也や美由希が孔に向けた感情はどうだっただろうか?

 

(……まるで別人でしたね)

 

 話を聞いた限りでは、孔は学校でも問題を起こしていない。それどころか、優等生に分類され、交友も広いという。にもかかわらず、「人が変わった」かのように冷たい感情を向ける高町一家。なぜそうまで孔を憎むのか、リニスは理解できなかった。

 

「……リニス?」

 

 気が付けばお説教の勢いが弱くなっていたらしい。孔が不思議そうに尋ねる。

 

「コウ、高町さん達に嫌われる理由に、心当たりはありますか?」

 

「仕合が終わった後、俺の持つ力が受け入れられなかったからだと言っていた。古武術をやっていて、気付いたんだろう。魔法なしでも俺は異常だったわけだ」

 

 自嘲気味に言う孔にリニスは顔を歪めた。思わず手を振り上げる。

 

「っ……?」

 

 しかし、その手は孔の頬を打つ直前で止まった。

 

「……ごめんなさい。でも、そんな風に言わないで下さい。私も、先生も、朝倉さんだって、皆あなたを支えようと必死なんです。貴方は、異常なんかじゃないんですよ」

 

「……」

 

 振り上げた手で頬を撫でながら言うリニス。孔は無言でそれを受け入れる。リニスは自分の手が濡れているのに気付いた。それは孔の涙だった。リニスはそれに心が締め付けられるのを感じながらも、労わるように続ける。

 

「……今日一日入院が必要なくらいには深い刺し傷なんですから、ゆっくり休んで傷を治して下さい。それと――」

 

 視線を孔からベッドの奥に移す。そこには、孔の手を離さないアリスが眠っていた。

 

「今日はアリスちゃんと一緒にいてあげて下さいね」

 

 孔もそちらを見る。救急車に乗せられる間も、治療が終わった後も、アリスは俯いて何も言わずに孔の手を握っていた。孔が頬を伝う涙を何度か拭ってやったが、まるで感情を失った人形のように反応しなかった。

 

「……相当ショックだったみたいだな」

 

「目の前で血が噴き出すのを見たんです。傷ついて当たり前です」

 

「そうだな……」

 

 俯いて言うリニス。しばらく無言の状態が続いたが、魔力を感じて2人は顔を上げた。

 

 ジュエルシードだ。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

英雄 ランスロット
 ブリテンに伝わる騎士道物語「アーサー王伝説」に登場する、円卓の騎士の一人。サー・ランスロット。フランスの一地方の王子として生を受けるが、幼い頃に両親は戦争で急逝、湖の精霊ヴィヴィアンにより育てられる。修行のため渡ったブリテン島でアーサー王と出会い、その武勇と騎士道精神から最高の騎士の名誉を得るも、王妃グィネヴィアとの禁断の恋により円卓の騎士崩壊の要因となってしまう。その際、親友であった同じ円卓の騎士のガウェインの弟を殺害しており、その時に用いた愛剣・アロンダイトは魔剣に堕ちたという。

――元ネタ全書―――――
永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術
 いうまでもなくとらハ3登場の古武術。御神流。本作では湖の騎士の流儀と共にトンデモ理論と独自設定が満載です。他の二次創作でも作品によっては細かい設定が異なるうえ、原作との大幅なかい離があるかもしれませんが、寛大な目で見てやってください。
――――――――――――


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第12話e 妄執の巨木《伍》

――――――――――――

――私たちは「お話」があるから、あなたたちはコウくんを待っていてあげて?

 プレシアさんにそう言われた私たちは、病院の廊下で卯月くん待っていた。
 萌生や修、アリシアやフェイト、リニスさんにアリスちゃんも一緒だ。
 だけど、誰も何も話さない。

――ぷちん

 そこに、小さな音が響いた。アリスちゃんが廊下の隅に置かれた観葉植物の赤い葉っぱを千切っている。

「ア、アリスちゃん……」

 困ったようなリニスさん。でも、アリスちゃんは何も言わず、葉っぱに爪で何か書き込んでいる。

「アリスちゃん、何を書いてるんですか?」

「先生がねっ……言ってたの。この葉っぱにお願いしたら、頑張ったら叶うってっ……!」

 泣きながらアリスちゃんが差し出した葉っぱには、

――こうおにいちゃんがなおりますように

 そう書かれていた。

「じゃあ、私も書いてみようかな……」

 私も、一緒になって葉っぱを千切る。本当は病院の観葉植物を千切るのはよくない事だけど、アリスちゃんひとりで泣いてるの放っておけないし。アリスちゃんはびっくりしてたけど、

「あ、じゃ、私も。修くんは?」

「おい、全員でやったら葉っぱ無くなるだろ」

 萌生と修も葉っぱに手を伸ばすのを見て、泣き止んでくれた。そして、笑顔を見せてくれる。さっきまでのはしゃいでいた時の明るさはないし、まだ涙の跡が残っていて痛々しいけど、嬉しいってわかる笑顔を。

 卯月くんも、こんな風に笑ってくれればいいのに。

――――――――――――園子/海鳴市病院・治療室前



 病院からの帰り道、園子はひとり無言で自分の家へ向かっていた。途中まで一緒だった修と萌生とはすでに別れている。

 

(何も出来なかったなぁ……)

 

 孔が傷ついたとき、気が付けばリニスが手当てをしていた。恭也に怒りをぶつけようとしたら、修が先に怒っていた。保護者のはずの士郎に文句を言おうとしたら、すさまじい剣幕でプレシアが詰め寄っていた。泣こうとしたら、アリスが先に涙を流していた。

 

――いや。俺は大丈夫だ

 

 診察室から包帯を巻いて出てきた孔はいつも通り、気遣うように声をかけてくれた。血を見せたのがトラウマになったらいけないと思ったのだろう、しきりに気分は悪くないかと聞いていた。

 

(怪我したのは、卯月くんの方なのに……)

 

 何かしてあげたかった。しかし、自分には何も出来なかった。救急車を呼んだはいいが、あとは泣きじゃくるアリスの手をじっと握っていたぐらいだ。もっと、自分に孔の怪我を治すような力があれば……。

 

(結局、この宝石は渡せないし)

 

 ポケットの中から青い宝石を取り出す。そして、

 

(……あ)

 

 一緒に紅みがかった葉っぱが出てきた。病院の治療室前で孔を待っている間、飾ってあった観葉植物――アガスティアのものだ。一緒に待っていたアリスがこの葉に願い事を書けば叶うと言ったのを受け、みんなで書き込んだものだ。

 

(アリスちゃんも先生に教えてもらったんだっけ? 「先生」って、やっぱり江戸川先生かな?)

 

 アガスティアの伝説については、園子もあの怪しげな社会科講師の江戸川の授業で知っていた。確か、インドの聖人アガスティアが一人ひとりの運命を予言し、それを書き綴った葉だった筈だ。もちろん、現代に平然と観葉植物として売られているアガスティアの木にそんな予言は書かれていない。ただ、葉には少し傷をつけただけで文字を書くことが出来、それが成長しても残り続けることから、昔は紙の代わりに用いられていたらしい。ある貴人がその葉を使って日記を書いており、後に日記の末尾に書かれていた目標を成し遂げて大成したという古事がある。これがインドから渡ってきたアガスティアの伝説と結びついて、いつの間にか「記録を残し、目標を書いて努力すれば願いが叶う」という伝承が生まれた。そして、「アガスティアの木」と題されたその都市伝説は、更に「同じ葉に二つ願いを書けば呪われ、最悪死に至る」「しかし、その願いは叶い易くなる」等と尾ひれがついて広まっていったという。普段は不気味な授業で出てきた身近なネタだっただけに、園子もよく覚えていた。海鳴にも確か2か所ほど巨大なアガスティアの木が植えられている公園があった筈だ。カップルがよく一緒になって葉に願いを書き込んでいる姿を目撃し、羨ましく思ったものだ。

 

(……葉っぱ、持って帰ってきちゃった)

 

 ポケットから宝石と一緒に出てきた葉を園子はじっと見つめる。あの後、治療室から出てきた孔にアリスが抱き付いて泣き出し、終始心配してアリシアが声をかけ続けていたため、願いを書いた葉を渡すどころではなくなってしまった。

 

(私もあんな風に甘えられたらなぁ)

 

 年齢より幼く見える2人を思い出す。孔がアリスやアリシアに向ける顔には、普段見せない、柔らかい表情があった。それは、いつかバレンタインデーのときに見せてくれた笑顔の様で、

 

(私も、一緒に渡しとけばよかったかな?)

 

 わずかな後悔と共に手の中の葉を見つめる園子。そこには、アリスと同じ「はやくなおりますように」という文字が書かれている。だが、改めて見るとどうも自分の想いとは違う気がする。

 

 園子は少し迷ってから、蒼い宝石のとがった部分で紅い葉に2つ目の願いを刻み、

 

 同時、強く青い光を感じた。

 

 

 † † † †

 

 

 その頃の高町家。なのはは独り部屋のベッドで横になっていた。ちなみに、ユーノは喫茶店の打ち上げが終わった後、ゲーム大会の間はジュエルシードを探しにいくと言って出ていってしまっている。ユーノも孔のことは苦手としているらしい。

 

――部屋でいい子にしててね

 

 あの後、突然やってきた救急車に乗せられた兄を追って、両親と姉は病院へ行ってしまった。本当はなのはもついて行きたかったのだが、何がなんだか分からないうちに、気が付けばひとり留守番をする事に決まっていた。

 

(どうして……?)

 

 どうして、アリスが泣いていたのか? どうして兄が救急車に担ぎ込まれているのか? どうして、両親がプレシアに責められていたのか? なのはは何も聞かされていなかった。ただ、あの台詞、

 

――いい子にしててね?

 

 と言われて、ただ黙って大人しくしているしか出来なかった。

 

(……また、皆どっか行っちゃうのかな)

 

 それが酷く現実味を帯びて感じられる。救急車を見送る時、チラリと見えた孔。何があったのか、真っ赤なハンカチを巻き、腕には鉄の針が刺さっていた。

 

(みんな卯月くんの所に行っちゃった……)

 

 孔は心配されていた。リニスに、アリスに。孔は囲まれていた。沢山の友達に。それに引き換え、自分はどうだろうか?

 

(ひとりだ……)

 

 部屋には誰もいなかった。父が退院してからは家にいる時間が長くなった家族も、あの時に孤独をまぎらわしてくれたアリスも。

 

(卯月くんがいなかったら……)

 

 一瞬襲ってきた恐ろしい思考を、なのはは首を振って追い払おうとする。が、一度浮かんだその思考は、毒のように心を侵食していった。

 

(……いなかったら、いなかったら……私モモット見テ貰エル……?)

 

 そうだろうか? きっとそうだろう。修や園子はともかく、すずかやアリサとはもっと仲良くなれていただろうし、アリスも孔ではなく自分を一番に慕ってくれたかもしれない。

 

(……嫌な子だな。私)

 

 自分でもそう思う。しかし、孔の持つ得体の知れない空気を思い浮かべると止まらなくなった。次第にすずかやアリサが孔に向けていた憎しみとも結び付いて、孔は分かりやすい「悪者」のようになっていった。悪。倒されるべき悪。なのははいつか見たテレビアニメの魔法少女を思い浮かべた。もう見なくなってしまったが、女児向けらしく主人公である少女が「悪」を倒して町を守り、友達に感謝されていた。

 

(私なら……)

 

 なのはは自分が悪である孔を倒す姿を想像した。バインドで固定し、砲撃で撃ち抜く。非殺傷設定を解除して、悪を呪うその一発を撃ち込むごとに、後ろからすずかやアリサの歓声が聞こえ、

 

 強い魔力を感じて我に返った。

 

 興奮で手が震えているのに気付く。それが収まらないうちに、ユーノから念話が届いた。

 

(なのは、ジュエルシードが発動したみたいだ。すぐに向かおう)

 

「うんっ!」

 

 なのはは意気込んで返事をすると、机の上のレイジングハートを掴んで階段をかけ降りる。途中、扉が開け放たれたリビングが見えた。散らばったままのジュースやお菓子がやけに虚しく感じられる。一瞬、

 

――いい子にしててね

 

 そんな声が聞こえた様な気がしたが、それを振り払うようになのはは玄関のドアを開けた。

 

 

 

(ジュエルシード?! 何でっ?!)

 

 魔力を感じとった人物がもうひとり。修だ。同時に心のなかで叫んだ。サッカーの試合後、孔と園子が一緒に帰る事がなくなった以上、発動する筈がない。

 

(園子の家の方か……! くそっ!)

 

 別れた友人の歩いていった先から感じる魔力に、嫌な予感が走る。修は部屋の窓を開けると、能力を使って空へ飛び出した。膨張を続ける魔力の元をたどると、そこには紅い葉をつける巨大な木が。

 

「マジか……!」

 

 思わず声に出して呟く。その光景は、木の形こそ修の記憶にあるものとは違ったものの、知識にある惨状と何ら変わりがない。

 

(どうする……? 俺が行っても封印できない。卯月の奴は病院……いや、アイツなら抜け出してくるか。念話は……ダメだ。俺じゃ届かねぇ)

 

 自宅から病院では距離がありすぎる上に、正確に孔が病院の何号室にいるかまで把握していなかったため、修の技量と魔力量では孔に念話は送れなかった。

 

(でも、園子があんなことになってるのに、見て見ぬふりはできないよなぁ)

 

 修にとって、園子は数少ない友達だった。幼馴染だった。いつか色あせてしまう、しかし大切になるであろう思い出の住人となりうる存在だった。ここで何もしなければ、きっと後悔するだろう。それに、

 

「卯月に助けてやってくれって言っといて、俺が無視するのはカッコつかねぇだろ!」

 

 修はそのまま自身を巨木へと飛ばした。

 

 

 † † † †

 

 

 えぐられた道のアスファルト。枝に押しのけられるようにして傾いたビル。あちこちから悲鳴が聞こえる。修は逃げる惑う人々を避けるように路地裏から様子を伺っていた。

 

「ちっ!」

 

 思わず舌打ちが漏れる。確かあの木は人間の想いを糧に出現したものだった筈だ。核となる人間がいて、それを引き離せば何とかなったはずだが、

 

(どうやって引き離せばいいんだ……?)

 

 その方法は見当もつかなかった。そもそも、核となっているであろう園子がどこにいるのかさえも分からない。上からパラパラと落ちてくるガラスの破片を能力で適当に撒きながら、焦り始める修。だがその時、

 

「っ!?」

 

 急に寒気を感じた。周囲を見回す。そして、その原因はすぐに見つけることが出来た。

 

「やぁ、邪魔をさせて貰ってるよ。それにしても立派な木だ。洪水をも生きながらえたあの木でも、これにはかないそうにない。まさに人の業だな」

 

 気配遮断の力などまるで通用しないかのように、こちらをはっきりと見据えて語りかける金髪の少女。修はその少女に既視感があった。いつか学校の廊下で出会った金髪の少年だ。見た目は全く違うのだが、心臓を鷲掴みにするような寒気はあの時の感覚そのままだ。

 

「どうやらニンゲンは、自ら危機を招き、いよいよ滅びの時を迎える準備に入ったようだが……。これは君が世界を望んだ時から抱えている願望の現れに過ぎない。正に彼のモノのシナリオ通りだ。ただ、君にはまだ少し力を振るうことが許されているようだな……。私はその力で抗えなどと言うつもりはない。ただ、あの振り子の落ちる先に影響する事くらいはできるようだと言っておこう。駒となる前に、混沌と秩序、決めてみてはどうかね?」

 

 意味の分からない言葉を紡ぐ少女。しかし、修はその真意を問いかけることはできなかった。空気が異様に重く感じられる。重圧に口を開く余裕もない。それをはっきりと自覚したところで、

 

「はっはっはっ、私が怖いのかね? それでは君は駒になるしか道はないな?」

 

 少女は笑い出した。楽しげな笑い声が瓦礫の街に響く。修は何か言い返そうとして、

 

「閣下、何をなさっているのですか?」

 

 どこからともなく、老婆の声が響いた。

 

「おや……? ゆっくり話せればと思ったが……仕方がない。では、これで失礼するよ」

 

「……ぁ……待てっ!」

 

「いかんな。そんな声では聞こえぬよ? 私にも、彼女にも、彼にも、彼のモノにもな」

 

 ようやく絞り出した声は、からかうような少女の声にかき消された。同時、忽然と姿を消す少女。後には、

 

「ちっ! 何なんだ一体!」

 

 降り注ぐ瓦礫が残った。慌てて落ちてきた瓦礫を能力で吹き飛ばす修。意識が引き戻された現実を前に、今度こそ木に向き直る。

 

(超電磁砲は……無理だな。どこに撃ったらいいか分からないし、間違えて園子に当たったら殺しちまう。いっそのことベクトル操作で木ごと引き抜いてやろうか?)

 

 そんなことをすれば根と一緒に地面が掘り起こされ、今度こそ町は再起不能になるだろう。どうにも自分の能力は極端だ。

 

(フェイトか卯月に頼んでデバイス貰っときゃよかったな……)

 

 魔力があるにもかかわらず、封印術式を使えない自分を悔やんだ。力を持っているにもかかわらず、それが何の役にも立たないのが歯がゆかった。このままでは、この巨大な木に……

 

(そういえば、この木って何もしてこないな)

 

 しかし、修はそこで木が妙に大人しいのに気付いた。少し赤みがかっている木の根は不気味ではあったが、こちらに害を与えてくる様子はない。実際はみちみちと音を立てて成長を続ける巨体に圧迫され町が無茶苦茶になり、倒壊しているビルも見受けられるのだが、木そのものはRPGのモンスターのように枝を振るって暴れたりする気配はなかった。

 

(……本当に俺の能力は役に立たないな)

 

 自嘲気味にそう思う。この分なら被害はそう広がらないだろう。もっとも、それでも孔ならば怪我をした人々を助けたりしたのだろうが、生憎と自分はそのような高尚な精神は持ち合わせていない。目の前で倒れられたらどうかわからないが、積極的に危険な現場に飛び込んで、秘匿すべき能力を全開にしてまで見ず知らずの人を救いに行くのは気が引ける。かといって、園子を助けようにもその手段を持ち合わせていなかった。

 

(……結局、また待っているだけ、か?)

 

 先日の病院の一件を思い出す。あの時も自分はヒーローが助けに来るのを待っていた。その揚句がアレだ。誰がどう見ても「ハッピーエンド」には程遠い。

 

(……戻るか)

 

 もちろん病院へ、である。孔なら何とかできるだろう。自分では降りかかる災難をどうにもできないと認める行動に強い抵抗を感じながらも、病院の方へ続く道へと視線を送る。

 

(っ?! 何だアレ? )

 

 しかし、そこに二つ首の化け物を連れたリニスが向かっているのが見えた。

 

 

 

 修やなのはが魔力を感じるのと同時に、孔とリニスもそれに気づいていた。思わずベッドから身を起こす孔。しかし、すぐにリニスに肩を掴まれ、寝かせられる。

 

「ダメですよ? 寝ててください。ジュエルシードは私が見に行きますから」

 

「しかしっ!」

 

 やんわりと止めるリニスに抵抗する孔。ジュエルシードを狙っている相手が悪魔を使う以上、孔は対抗策を持っている自分が行く必要があると考えていた。

 

「コウ、貴方は怪我人なんです。それに、アリスちゃんと一緒にいてあげて下さいと言ったばかりでしょう?」

 

「だが、使役された悪魔が……」

 

「そのくらい、私が何とかします」

 

「しかし、一人では……」

 

「馬鹿にしないで下さい。私は貴方の使い魔なんですよ?」

 

 軽く笑って見せるリニス。孔は溜め息をついた。

 

「……もしリニスに何かあったら、プレシアさんに何て言い訳すればいいんだ?」

 

「では、聞いてみましょうか?」

 

「は?」

 

 驚く孔を横に、リニスはわざと孔に聞こえるようにプレシアに念話を送った。

 

(プレシア、聞こえますか?)

 

(ええ。発動したジュエルシードのことかしら?)

 

(はい。孔は病院から動けないので、私が様子を見に行きます)

 

(そう。気をつけてね?)

 

(プレシアさん?! ちょっと待ってくれ!)

 

 まるで台本を棒読みしているかのごとくスラスラと決まっていく話に、声をあげる孔。

 

(何かしら? 貴方が見に行くのは却下よ?)

 

(いや、しかしっ!)

 

 有無を言わさない口調のプレシアに、孔はなおも食い下がる。そんな孔にプレシアの怒声が響いた。

 

(五月蝿いわね! 怪我人は大人しくしてなさい! だいたい、貴方の先生がどれだけ心配してるか分かってるの?! アリスちゃんだって待ってる間泣きっぱなしだったのよ?! アリシアだって家に帰ってからも心配して――)

 

 文字どおり脳に直接響く大音量で嵐の様なお説教。いきなりヘッドホンの音量がマックスになった様な衝撃に、流石の孔も音をあげた。

 

(いや、プレシアさん、今はジュエルシードを……)

 

(そんな物リニスに任せておきなさい! 大体、この間も独りでやろうとしないでって言ったばかりで……)

 

 取り付く島もない。むしろ勢いが強まった。念話には無駄だと分かっていても耳を抑える孔に向かって、リニスが一言、

 

「では、ゆっくり怒られて下さいね?」

 

「リニス?! ちょっと待ってくれ!」

 

 出て行こうとするのを引き止める孔。

 

「孔、いい加減に諦めないと、私も怒りますよ?」

 

「違う、そうじゃない」

 

 もう一度孔は大きく溜め息をついて、続けた。

 

「メリーとパスカルは連れて行ってくれ」

 

 

 

 そんなやり取りがあったとは知る由もない。修は双頭の巨大な犬を見て肝を潰した。よりにもよって、それをリニスが連れている。

 

(な、何だよアレ! 何であんなもんがリニスと一緒なんだよ!)

 

 あまりの事に唖然として、園子のことを伝えるどころではなかった。気が付くと巨犬はリニスの指し示した方へと走り出し、リニスは手近なビルの屋上へと飛んでいる。

 

(まさか、アレってアルフ? いやいくら何でも……)

 

 確かに記憶にみた狼の使い魔、アルフは大型だった。しかし、あくまで大型犬で通る容姿を持っていた筈だ。頭は二つもないし、あそこまで大きくない。そして、

 

(速っ! 大きさにしては速っ!)

 

 凄まじいスピードで巨木を登っていく。リニスが来たことで余裕ができたのか、修は現実逃避を始めた。

 

(……犬ってああやって木登りするんだ)

 

 修は安心していた。来たのは孔でもなのはでもフェイトでもなかったが、彼の頭の中ではジュエルシードの暴走体なんぞよりリニスの方がよっぽど強いはずだったからだ。ようやく見つけた希望は、

 

 しかし、突然飛んできた桃色の砲撃に塗り潰された。

 

 

 † † † †

 

 

 魔力を感じたなのはは市街地の上空へと来ていた。目の前には、巨大な紅い木に押し潰された町が広がっている。

 

「……酷い」

 

 なのはは思わず呟いた。範囲は限定的とはいえ、瓦礫が広がる光景を見たのはこれが始めてだった。たまに母親に連れられて賑わっている町を知っている分、余計に破壊の爪痕が痛々しく見える。

 

「前の暴走体よりも高い魔力……多分、コアになっているのは人間だね。ジュエルシードは強い想いを持った人間が発動させた時、一番強い力を発揮するんだ」

 

 例によって適当にユーノの頭から引っ張り出した知識をひけらかす様に喋る悪魔。それを聞いて、なのはは呟く。

 

「……人間?」

 

「そうだよ? 悪意を持って町を破壊しようと思ったか、町が邪魔になったかのどっちかじゃないかな?」

 

「そんなっ! 酷いっ!」

 

「そうだね。ここで止めないと、町の被害がどんどん大きくなるよ」

 

 無知で感情的ななのはの扱い安さに口元を歪めながら、煽り続けるユーノ。そのまま指示を出す。

 

「でも、これだけ広範囲だと、核を探し出すのが大変だね。なのは、探索魔法は……」

 

「大丈夫」

 

 ユーノの言葉を遮るなのは。レイジングハートを構え、暴走体に向かって意識を集中させる。

 

「探して、災厄の根元をっ!」

 

《Area Search》

 

 魔力の塊を飛ばす。「サーチャー」と呼ばれるそれは、魔力の流れを掴み、その発生源をさぐって、

 

「見つけたっ!」

 

《Shooting mode , stand by leady.》

 

 なのはの声に反応し、レイジングハートが己のマスターが求める最適な形へと変化する。なのははコアに照準を定め、

 

「……っ!!」

 

 突如視界に入ってきたそれを認めた。

 

「む、アレは……」

 

 ユーノも声をあげる。二つの頭を持ち、牛のような巨体。なのはにとって、それはマヤを奪った化け物であり、憎むべき敵だった。

 

「……ぁ……ぁあっ!」

 

 神社での一件。ユーノはオルトロスが魔法で逃げおおせたのを確認していたが、初めて砲撃を放ったなのはにそんな余裕はなく、自分の魔法で倒したものだと思い込んでいた。が、目の前にそれは現れた。大切なものを奪った存在がのうのうと生きているという事実、そして、それがまた同じ悲劇を繰り返すだろうという未来が突き付けられたのだ。頭の中に涙を流すアリスがフラッシュバックする。

 

「なのは、落ち着いてっ!」

 

 ユーノのそんな声も届かない。なのはは自分の手が興奮で震えているのを感じた。つい先程、悪を呪い、滅ぼした妄想。その時の感覚そのままに、無意識に非殺傷設定を解除する。

 

「うわぁぁぁあああああ!!」

 

 そして、なのはは激昂とともに、魔力を解放した。

 

 

 

(っ! 魔力反応?!)

 

 それに最も早く気付いたのはリニスだった。市街地へ到達すると同時にビルに上って結界を展開、探索魔法を起動。予定通りジュエルシードを見つけたのだが、

 

(気を付けてください。誰かがサーチャーを飛ばしています)

 

(さーちゃー? 人間ノ魔法カ?)

 

 木に取付くオルトロスを確認しながら告げる。どうやらジュエルシードを探している魔導師、それもミッドチルダ系の相手がいるらしい。リニスも相手に悟られないよう身を潜めつつ、砲撃魔法の準備を始める。

 

(相手が出てきたところで、私が砲撃で撃ち落とします。メリーはジュエルシードを直接切り離して、あの魔法で離脱してもらえますか?)

 

(アオォーン! マカセルガイイ!!)

 

 咆哮を上げ、伝えた場所へと迫るオルトロス。リニスはオルトロスが移転魔法(厳密にはリニスが使うような「魔法」ではないが)、トラフーリを使えることを知っていたため、そんな作戦をとった。しかし、それを伝えると同時に魔力が迫る。

 

(砲撃魔法……! メリーッ!)

 

 しかし、オルトロスは冷静だった。

 

(落チ着ケ)

 

 慌てた様子で念話を送ってくるリニスにそう返したほどだ。

 

「同ジ手ガ何度モ通用スル筈ガナカロウッ!」

 

(待ってください、あれは非殺傷が……っ!)

 

 余裕をもってかわすオルトロス。リニスが叫ぶ間もなく、その一直線に飛んでくるその魔力の塊は、結界を貫き、容赦なく巨木をなぎ倒した。

 

 

 † † † †

 

 

 なのはは自身が放った桃色の閃光を見ていた。それは悪を滅ぼす光だった。憎むべき敵を倒す光だった。大切な人々の幸せを運ぶための光だった。その光が引いた後には、賞賛が待っているはずだった。

 

「あ……ぁぁ……ぁ、……あ」

 

 しかし、光が退いたその後には、なぜか見知ったクラスメイトがいた。

 

「な、んで……?」

 

 そのクラスメイトとはあまり喋ったことはなかった。しかし、はきはきと意見を言って、先生にもよく褒められていた。友達も多かった。父のサッカークラブではマネージャーとして、男の子たちともよく話していた。そうした面からうかがい知れる性格の差のせいで遠くからしか見たことはなかったが、しかし普通にリーダーシップをとる彼女を羨ましく思ったことも多々あった。

 

「い、嫌ぁ……」

 

 それが、なんで血を流して倒れているのか。なんで片腕がないのか。なぜ足がなくなっているのか。

 

 なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで……

 

 頭の中を駆け巡る疑問は、すぐに答えに行きついた。

 

――私ガ撃ッタカラダ

 

「嫌ァァァぁぁぁああアアア!!!」

 

 絶叫を挙げるなのは。あの悪を呪って攻めた時、血は流れなかった。死体などなかった。ただ消えていく悪と絶対的な正義を行った自分への賞賛だけがあった。なのはが夢見た中には正義の勝利はあっても、犠牲者の死は含まれていなかったからだ。だがそれは、現実となってなのはに襲い掛かった。

 

「あぁぁぁぁァァアアアあああ!」

 

「チッ!」

 

 それに耐え切れず錯乱状態に陥いるなのはに、ユーノは舌打ちをして移転魔法を発動させる。なのはは絶叫を響かせることなく、破壊された町から消えていった。

 

 

 † † † †

 

 

 飛んできた桃色の光が紅い巨木に直撃し、轟音が響く。木の枝に寄りかかる事で辛うじて立っていたビルが崩れ、コンクリートの残骸が降りそそいだ。崩れていく町を前に、しかし修はやはり安心していた。

 

(アレって、高町の? やっぱ、魔法少女やってたのかっ?!)

 

 その光は修の持つ未来の知識と完全に一致していた。ヒロインが撃ったその一撃は、間違いなくジュエルシードを封印し、サッカーチームのマネージャーが残る筈だった。果たして、園子は確かに残っていた。残ってはいたが、

 

(なっ!!)

 

 修は大きく目を見開いた。園子の右腕と両足が無かったからだ。

 

「園子ぉぉぉおお!!」

 

 叫びながら走る。魔力を失い崩れていく紅い木。支えを失った園子はまるで果実が腐り落ちる様に、赤い血の糸を引きながら一直線に地面に向かっていく。

 

「っ!」

 

 能力を使い、衝撃をゼロにして受け止める。ボロボロになった園子は、

 

「あぁ、孔くんだぁ。あ、あはははハハハ……」

 

 笑っていた。

 

「っ! おい、確りしろっ! 園子っ!」

 

 壊れた様に笑う園子に必死に叫ぶ。しかし、

 

「うふふ、ふ。孔くんね、私、拾ったよ? 探してた宝石、拾ったの」

 

「っ!? お、お前っ! 目がっ!」

 

 園子の目にはガラスが刺さっていた。まるで泣いているかのように目から流れる血が頬を伝う。

 

「ね? コレ、探してたんでしょ?」

 

「おいっ! よせっ! 俺は卯月じゃねぇ!」

 

 耳元で叫ぼうとして気付く。耳からも血が流れていることに。轟音で鼓膜が破壊されたらしい。

 

「うふ、あハハ。こう……くんがわらった……。あのね、わたし、あなたにずっとワラッテホシカッタノ……」

 

「園子っ! やめろっ! やめてくれっ!」

 

 園子は死の激痛を前にして、幻を見ていた。それは生きようとする人間の防衛本能だっただろうか。ずっと思い続けた人と結ばれ、ずっと夢に見ていた様に、いつか小説で読んだ様に、その人の腕に抱かれているのだった。

 

「何だよ! 何で冷たくなってんだ! おいっ!」

 

 その幻から引き戻そうと、必死に修は声をかける。その大声が通じたのか、リニスの声が響いた。

 

「シュウくんっ!?」

 

「っ! リニスさんっ! 早く園子をっ!」

 

 しかし、リニスが駆け寄るよりも早く、修の手を離れた園子からガラスが割れるような音が聞こえた。振り返った先にいた園子は、

 

「なっ!?」

 

 体にひびが入っていた。

 

「うふ、うふふふフフフ……フ……」

 

 よく見ると、体は徐々に青い水晶体に変わっていた。ちぎれた足の付け根から、残された片腕から。差し出した青い宝石のように。

 

「ウフ、アハハハハ! 寒イ……な、こうくん、わた、し、さむイ……ヨ……」

 

「そ、園子っ!」

 

 修は慌てて腕からジュエルシードをひったくる。しかし、結晶化した先から園子は壊れていった。

 

「ネエ、アッタ……メテ……」

 

「ああ、分かったよ! 卯月にそう言って頼めよぉ! 連れてってやるから! 俺からも頼んでやるからっ!」

 

 修は悲鳴のように叫ぶ。しかし、

 

「……デモ、イイヤ……アナタガ……わらってくれた……カラ、わた……し、シアワセ」

 

 修の腕の中で園子は、

 

「……ワタシ、シア……ワ……」

 

 粉々に砕け散った。

 

 

 † † † †

 

 

「これは……酷いな」

 

「さっき、巨大な木が見えたような……?」

 

 リスティと寺沢警部は未だ出動の準備に戸惑う警官に先駆け現場に来ていた。「巨大な木が突然生えてきた」という通報は悪質な悪戯として処理され、署で待機していた警官の多くは出動が遅れているせいだ。しかし、数日前に手に入れた宝石について「その筋の人」へ聞き込みのために出払っていた2人は比較的現場近くにいた。そして、一瞬視界に入った(が、リニスの結界ですぐに消えた)巨大な木に異常なものを感じて様子を見に来たのだった。

 

――何だよ! 何で冷たくなってんだ! おいっ!

 

 そこへ、叫び声が響く。2人は顔を見合わせるとすぐに走り始めた。そして、

 

「リニスさんっ!?」

 

「っ! け、刑事さんっ!」

 

 振り向いたリニスの目は濡れていた。その先には、崩れ落ちる少女とそれを支える少年。

 

「っ!? あれはっ!」

 

 少年が持つジュエルシードを認めて、慌てて駆け寄ろうとするリスティ。しかし、寺沢警部に肩を掴まれて止められる。

 

「警部?」

 

 思わず声を上げるリスティに寺沢警部は首を振って、少年の方に目を向ける。それと同時だっただろうか。

 

「う、あ……ぁぁぁぁあああああああ!」

 

 少年の慟哭が響いた。

 

「……ぁ……」

 

 声をかけようと近づくリニス。しかし、リニスは立ち止まる。彼女自身、なんと声をかければいいか分からないのだろう。それでも、何とか声を絞り出そうと口を開くリニスに、

 

「……そっとしといてやれ」

 

 寺沢警部の声がかかった。立ち尽くすリニス。警部は何も言わずに後ろを向いて、ようやく聞こえてきたパトカーのサイレンの方へと歩き始めた。リスティも迷うようにリニスと修を見ていたが、やがて俯いて寺沢警部の後を追うように歩き出し、

 

「……?」

 

 足元を流れるように、風に乗って舞う紅い葉が視界に入った。書けば願いが叶うというアガスティアの葉。破れて半分ほどになって舞うその葉には文字が書かれていた。文字を読もうとして手を伸ばすリスティ。しかし、紅い葉は手をすり抜け、枯れ葉のごとく風に吹かれて高く舞い上がる。

 

 誰にも読まれることはなかったそれは、もはや何の力も有していなかった。

 

――こうくんがもうきらわれませんように

 

 そして、書かれた願いは叶えられることなく、夜の空へと消えていった。

 




――Result―――――――
・愚者 大瀬園子  ロストロギアに巻き込まれ消失

――悪魔全書――――――

厄災 ジュエルシード暴走体Ⅹ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。園子の願いを叶える樹木のイメージそのままに、巨大な木の形態をとる。しかし、本当に叶えたい願いではなく、それに附随する呪いが現実となってしまった。ジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅩ。

――元ネタ全書―――――
アガスティア
 詳しくは本文参照。人の想いを記録するというところからクロス要素に採用しました。女神異見聞録ペルソナではその伝説故かセーブポイントに起用されていたので、着想自体はそこから得ています。
――――――――――――


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閑話3 少女の園子

 その男の子――孔くんと出会ったのは、小学校の入学式だった。

 

 といっても、入学式自体はあんまり覚えてない。ただ、大きな講堂で先生に連れられて、いつの間にか椅子に座らされ、いつの間にか終わっていた。

 

 でも、その後の事はよく覚えてる。

 

「あら、先生」

 

 入学式を見に来たお母さんが、私の後ろにいた女の人に声をかける。後で聞いたけど、その人は近くの総合病院の先生で、お母さんが働いている動物病院で一緒に会ったことがあるらしい。でも、そんな事はどうでもよくて、

 

「あの、えっと……」

 

「ああ、キミは隣に座ってた……卯月孔です。よろしく」

 

 始めて名前を聞かされた私はドギマギしてうまく話せなかった。お母さんに

 

「ほら園子もちゃんと自己紹介しなきゃダメでしょう?」

 

 そう言われなかったら、きっと永久に後悔する事になっただろう。それがきっかけで孔くんとは話すことが出来るようになったんだから。

 

 

 

「ゴメンね、萌生。卯月君と……」

 

「あ、ちょっと、園子ちゃん?」

 

 それから、私は何かにつけて孔くんと時間を過ごすようになった。新入生のオリエンテーションで図書室の案内をされた時も、本を持ってきてくれた萌生を差し置いて孔くんのところへ走る。

 

「はあ、また卯月んとこか。マセてんなぁ」

 

 後ろから修の声が聞こえたけど気にしない。萌生はこどもっぽいけど園子はマセガキとか言われるのはいつものことだし。

 

「アゥッ! しっかり足踏んでんじゃねぇ!」

 

 気にしてないったら気にしてない。

 

 

 

 でも、その時はまだこの一緒にいたいっていう気持ちが何なのかよく分からなかった。これが恋愛っていうんだって気付いたのは、もうちょっと後。

 

 確か、体育の授業でサッカーをやったときだ。

 

「もう、修くんもちゃんとやってよぉ」

 

「嫌だよ、めんどくさい」

 

 明かに動きが鈍い修に文句を言う萌生の横で、私は相手チームの孔くんをじっと見ていた。グラウンドをむやみに走りまわるんじゃなく、ちゃんと考えて動いている。ボールの扱い方も上手い。

 

「ゴール!」

 

 先生が笛をふく。

 

「もう、修くんがちゃんとやらないから」「やったっ!」「……えっ?」

 

 気がつけば孔くんを応援していた。相手チームのゴールが決まって歓声をあげる私を萌生が驚いた様に見ている。

 

「あー、園子ってやっぱり……アウッ!」

 

 修の足を踏んづける。でも、きっと修の言おうとしていた事は当たっていて、

 

 私は、孔くんが好きになった。

 

 だから、一緒に授業の後片付けをした時に感じた感情も、すぐに受け入れることができた。自分の身長より大きな用具が落ちてきたとき、孔くんに助けられたんだ。

 

 ホントは自分の想いに気付いたばかりだったから、避けようと思った。

 一緒に片付けに当たって嬉しかったけど、なんだかその時は気恥ずかしかった。

 でも、心配してくれる孔くんを見て、そんなものは吹き飛んだ。

 顔が熱くなったのが分かった。

 胸が高鳴るのが分かった。

 何処か気まずそうに去っていく孔くんが凄く名残惜しく思えた。

 でも、引き止める事は出来なかった。

 自分の感情を抑えるのに精一杯だったから。

 

 

 それから、私は孔くんをもっと積極的に追いかける様になった。昼も一緒に食べる様になったし、恋愛ものの小説や漫画を読むようにもなった。だから、

 

「え~、運動会で二人三脚をやることになった。ペアは、まあ皆まだ仲良くなっていない人も多いから、名前の順に決めます」

 

 運動会で二人三脚のペアがそう発表された時、すごくがっかりした。名前の順だと、欧米読みで1番になるアリサ・バニングスと、普通に2番目の卯月孔。大瀬園子は3番目。折井修は4番目だ。

 

「アウッ! 八つ当たりしてんじゃねぇ!」

 

 ……4番目はどうだっていい。問題はバニングスだ。

 

「ちょっと、それ、私は嫌です!」

 

 孔くんと組むことが決まったバニングスは、ペアが発表された瞬間そう叫んだ。それだけならまだしも、本番で2人3脚の間も孔くんを振りほどいたり、せっかく差し伸べた手をはじいたりしている。

 

「ちょっと、酷いんじゃないの?!」

 

 気が付けば、私はバニングスに詰め寄っていた。バニングスはちょっと驚いたような顔をしていたけど、すぐに怒った様な声を出した。

 

「何よっ! あんなヤツじゃなかったらもっとうまくやってたわよっ!」

 

 許せなかった。私はバニングスが孔くんをあんな風に扱ったから文句を言ったのに、バニングスは二人三脚で負けたことを言ったように思ったみたいだ。なんだか孔くんが嫌われて当たり前と言われているみたいで、思わず私は手を振り上げていた。

 

「大瀬さん。そこまで、だ」

 

 そんな私を止めたのが孔くんだった。振り上げた手を優しく掴み、声をかけてくれる。

 

「卯月くんは平気なのっ!?」

 

「まあ、ほら、俺も合わせられなかったし」

 

 私は、それ以上何も言えなかった。無表情に私を見つめる孔くんが何だか苦しそうに見えたからだ。

 

 

 それから、私は時々孔くんが苦しそうにするのが気になるようになった。萌生や修は気付いてないみたいだし、ただの木のせいかもしれないけど、授業中に先生が面白い話をしても全く表情を変えない孔くんが、私には「苦しそう」に見えた。

 

(卯月くん、前はもっと笑ってくれてたのに)

 

 ……もっと?

 

 嘘だ。私に孔くんが笑ってくれたことは一度しかない。バレンタインのチョコを渡した時だけだ。その時は心臓が爆発するぐらい嬉しかった。でもそれだけ。そう気づいてから、私は急に自分が空しく思えた。何だか自分が好きだと言っているだけで、まるで孔くんの事を考えていないと言われたみたいだったから。

 

(孔くんと一緒にいて、自分だけ楽しいなんて嫌っ!)

 

 それから、私はちょっとだけ孔くんに対する態度を変えた。バニングスにもできるだけ文句を言わないようにしたし、べたべた引っ付くばかりじゃなくてちゃんと孔くんと話すようにした。

 

 

 それでも、孔くんは笑ってくれることはなかった。きっと楽しんでもらえると思ったサッカーが終わってコーチの店へ向かう途中も相変わらず静かなままだ。思わず打ち上げで修達に当たってしまったのは後悔してる。後で謝っとかないと。

 

 でも、その日の私には期待できるものがあった。道端で拾った青い宝石。孔くんが探してるっていうそれを、私はいつ渡そうかずっとタイミングを計っていた。でも、孔くんはいつも誰かに話しかけられていて、なかなか渡せなかった。

 

「なんだ、そんなに卯月が気になるのか?」

 

「ち、違うわよ、バカッ!」

 

 だから、ゲーム大会の時にそわそわし始めた私に修がそう言った時は思わず叫んでしまった。

 

「じゃあ、そろそろ遅いですし、コウを呼んできましょう。園子ちゃん、一緒に来てもらえますか?」

 

 そんな私にリニスさんが声をかけてくれる。孔くんのお姉さんはすごく綺麗な人だった。ううん、綺麗なだけじゃない。

 

「アリスちゃんは私と帰りますから、園子ちゃんはコウをお願いしますね?」

 

 廊下を歩いている途中、そんなことも言われた。修とかなら言い返すところだけど、リニスさんに言われると何故かそんな気が起こらなかった。

 

(羨ましいなぁ……)

 

 きっと、リニスさんには、孔くんも笑っているんだろう。何だか胸の奥がチクッとなって、私はリニスさんが孔くんのいる道場の扉を開くのを黙って見ていた。孔くんは運動を終えた後みたいで、うっすらと汗をかいている。始めはちょっと怖い顔をしていたけど、私達を見て表情が柔らかくなるのが分かった。

 

「いかんっ! 出るなっ! アリス!」

 

「……へ?」

 

 でも、そんな温もりは、すぐに消えてしまった。

 

 救急車で運ばれる孔くんをみる、高町さんのお父さんとお母さん、お姉さんの目。

 その目は、バニングスが孔くんに向けるのと同じで。

 でも、あの人たちはもっと、始めから孔くんを壊そうとしているみたいで。

 そんな眼に、孔くんは表情をなくしていった。

 

 でも、私はなんにも出来なかった。

 

 病院の帰り、渡せなかった葉っぱと宝石を見て、

 伝説なんて信じてなかったけど、せめておまじないくらいやろうと思って、

 別に私は何も出来なくてもいい。孔くんを助けるのは私じゃなくてもいいって、

 ただ、孔くんに笑って欲しかったって、

 

 そう思ったから、私はもう一つの願いを葉っぱの裏に書いた。

 

――こうくんがもうきらわれませんように

 

 その瞬間、目の前が真っ蒼になった。

 

 

 気が付けば、どこを見ても蒼い世界。水族館の水槽を潜るエリアみたい。でも、水槽をくぐって歩いているという感じじゃない。何だか暖かい水の中に浮いてるような……

 

――あなたは……私の愛しい狩人を愛したのね

 

 そこで、声をかけられた。私は、その声を知っている。

 

「リニスさん? どこ?」

 

 でも、見回しても誰もいない。

 

――違うわ。いえ、それはわが半身の現世での名前だから、そうだと答えるべきかしら?

 

 ……よく分からない返事だったけど、きっと別の人なんだろう。

 

「あの、あなたは……」

 

――私はIs……いえ、今はI4Uと呼ばれているわ。

 

「は、はぁ……あの、それで、ここは……?」

 

――そこはあなたの望みがかなう世界。私は、わが半身のサーチャーを通じて、あなたの私の愛しい狩人への想いを見ているのよ?

 

「の、望みがかなうって……」

 

――あなたは望んだでしょう? 私の愛しい狩人を、■■■■■■がもう嫌われませんようにって

 

「願い、叶ったんですか!」

 

 思わず叫ぶ。

 

――そう、あなたは本当に……

 

「あ、あのっ!」

 

 でも、その声は答えてくれない。私はもう一度問いかける。けど、やっぱり答えはない。急に黙った声に何か言おうとしたけれど、

 

 その前に、世界が揺れた。

 

 いや、揺れただけじゃない。青い世界にヒビが入り下から崩れ落ちていく。

 

――時間切れね

 

「え? ええっ?」

 

――私は、私の愛しい狩人に近づく女は許さないけれど……

――あなたは、あの人を愛して、幸せを願ってくれた。

――だから、あなたには少しだけ■■■■■■との時間をあげるわ。

――その時は、あの人を、名前で呼んであげて?

 

 訳の分からないまま、私は急な落下感に襲われた。

 

――ごめんなさい、My Dear. 今の私にはこのくらいしかできそうにないわ。

 

 そんな言葉をはるか彼方に聞きながら、どこまでも落ちていく。

 

 でも、落ちていく感覚は急に止まって、

 

「あぁ、孔くんだぁ。あ、あははは……」

 

 私は孔くんに抱き留められていた。

 

 助かって安心したせいで、笑いがこぼれる。

 

「孔くんね、私、拾ったよ? 探してた宝石、拾ったの。ね? コレ、探してたんでしょ?」

 

 さっき私忘れていた宝石を差し出す。今度こそ、ちゃんと宝石を渡すことが出来た。孔くんはそれを見て、笑いかけてくれる。バレンタインデーの時からずっと見たかった笑顔。ずっと頭の中で描き続けてきた笑顔。それがそのまま目の前にあった。

 

「あ、孔くんが笑った。あのね、わたし、あなたにずっと笑ってほしかったの……」

 

 それが嬉しくて、素直に気持ちを伝える。孔くんは私を抱きしめてくれた。でも、なんだか寒い。もっとあっためて欲しい。私はそんな風に甘えた気がする。孔くんはそれに応えてくれたけど、なかなかあったかくならない。でも、だんだんそんなことはどうでもよくなってきた。孔くんが笑ってくれたんだ。それで十分じゃない。そう思うと、急に眠くなった。好きな人の腕の中で眠る。あの小説の膝枕とは違うのが残念だけど、私はそれがとても素敵なことに思えた。だから、眠る間際に伝える。

 

「私、幸せ。でも、そんなのどうでもいいから、孔くんも幸せになって……ね……」

 




――悪魔全書――――――

愚者 大瀬園子
 聖祥大学附属小学校に通う生徒。折井修や只野萌生とは幼稚園の頃からの友達。いわゆる「普通の一般家庭のこども」。活発な性格で、思った事ははっきりと口にする。そのため、よく修と口喧嘩し、また萌生にはたしなめられている。小学校入学とともに出会った孔に一目ぼれして以来、恋愛を追いかけ続けていた。少年サッカーチームのマネージャーになったのも孔が体育の授業で活躍していたのがきっかけで、「普段会えない日でもあの時の感覚を思い出したいから」。ショートカットが特徴。

――――――――――――


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第5章 抗争ノ中ノ悪魔~無印②ジュエルシード/裏篇
第13話a 子猫のゾウイ《壱》


――――――――――――

 放課後、俺は学校の体育館に来ていた。

「よう。お前いないから、授業サボっちまったじゃねえか」

 片付け忘れたのか、それとも片付ける気が起きなかったのか、園子の遺影を掲げた簡易の祭壇はそのままだ。

「止めろよ、いつもみたいに」

 返事は、ない。当たり前だ。

「黙ってないで、返事くらいしろよ……いつもそうだ、お前は。いつも小言ばっかいって、ちょっとからかったらどっか行っちまう。こっちの身にもなれってんだ……」

 無駄に広い体育館に自分の声が反響して返ってくる。逆だってか?

「そうだな。逃げ回ってたのは俺の方だ……。卯月や高町がみんな守ってくれるって……俺は何もしなくていいって思ってた」

 跳ね返ってきた言葉を、否定できない。

「だがどうだ、お前、守ってもらえなくて……看取るのも俺なんかで、卯月じゃなくて……! この世界じゃ死ぬかもしれないって、俺は知ってた! なのにっ! 俺は逃げることに必死で、何も見えなかった! カッコつけて、真面目にやってる卯月と違って、普通でいいとか言って、結局、このザマだっ!」

 自分の声が吸い込まれていく。まるで何かが霞んで消えていくみたいに。

「うわあぁぁぁぁあっ!」

 感情に任せて、拳を祭壇に叩きつける。めきって音が聞こえた。俺の力のせいだ。
 止める奴は、もういない。

――ばか、何やってるのよ?

 そう言って止める、止めてくれる奴は、もう……。

「……分かってるよ。泣いたって、壊したって、戻れないってんだろ……?」

 だから、胸の中に残った園子の声に言ってやる。

「……いいぜ、そこから見てろ……俺には、まだやることがある」

――――――――――――修/体育館



「すみません。私がついていながら……」

 

 翌日の病院。先生に連れられて学校へ向かうアリスを見送った孔は、ようやく警察から解放されたリニスとオルトロスから事件の一部始終を聞いていた。

 

「……リニスのせいじゃない」

 

「でも……っ!」

 

「リニスのせいじゃない。責任を感じる必要がないとは言わないけど、ジュエルシードを前にした判断は間違っていなかった」

 

 言いながら、血がにじむほど手を握りしめている自分に気付く。孔は荒れ狂う心を押さえつけるようにしばらく目をつぶっていたが、やがて口を開いた。

 

「……メリー、その砲撃を撃ったのは「なのは」という名前で間違いないのか?」

 

「アア、アノ光ハ我ト契約ヲ破棄シタ時ト同ジ魔力ダ」

 

 園子を撃ち抜いた砲撃。その砲撃を知っているというオルトロス。それを撃ったのは神社でアリスと遊んでいた少女で、悪魔と一緒にいたという。そして、その少女は名前を「なのは」と言った。

 

「何故、今まで黙っていた?」

 

「隠スツモリハナカッタ。ガ、盟約ガマダ残ッテイタカラナ」

 

「盟約?」

 

「ソウダ。五島ハ我ヲ呼ビ出シタ時ニ、ソノ少女ノ秘匿ヲ盟約トシタノダ」

 

 初めて病院で話を聞いた時点で、確かに孔はメリーと契約を結んでいない。悪魔への警戒心から話を聞いてから契約しようとした孔の慎重さが裏目に出たことになる。オルトロスの方も契約後に話そうと考えてはいたのだが、いつもアリスが一緒にいた上、話す暇もないうちに事件が起こったのだという。孔はギリッと歯を食いしばった。

 

「コウ、貴方のせいでは……」

 

「分かってる……オルトロス、その『なのは』について、何か知っている事は?」

 

「イヤ、我モ五島ト話シテイルノヲミタダケデ、詳シクハ知ラヌナ」

 

「……そうか」

 

 それっきり、孔は黙り込んだ。なのはという名前の少女は孔の知る高町なのはの事なのか。だとすると、なぜなのはは悪魔と一緒にいるのか。考えることは山積みだし、それを考えることで自分を鎮めようとしたのだが、

 

(……後手に回ったのは……俺が……俺がオルトロスから聞いておけばっ! あの時リニスについて行っていればっ! 大瀬さんが死ぬことも、なかった!)

 

 思考がまとまらなかった。思えば、家族以外で好意を向けられたのは初めてだっただろう。しかも、その好意のきっかけは孔の歪んだ能力によるものだった。孔は意図せずして植えつけてしまった好意に戸惑うまま、その好意に責任を果たせぬまま、園子を失ってしまった。

 

(俺は本当にあの力を解除しようとしていたのか? あの好意を失うのが怖かったんじゃないか? だから方法が分からないと引き伸ばして、それが最善の方法だと……っ!)

 

「よお、邪魔するぜ」

 

 が、混乱し暴走を始めた思考を止めるように扉が開く。

 

「折井……!」

 

「話、聞きに来てやったぜ? いろいろ知ってんだろ?」

 

 いつものように冗談めかした言葉、だが同時に強い意志を含んだ視線で問いかける。

 

 流れる沈黙。

 

 先に目を逸らしたのは、孔だった。

 

「……分かった。ただ……もう少し待ってくれないか?」

 

「へこんでる時間、やるつもりはないぞ?」

 

「分かってる。待つのはもう少し……プレシアさんとクルスが来るまで、だ」

 

 そう、悲嘆にくれている時間はない。

 

 何人も犠牲を出した自分に、そんなものは許されないのだから。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、フェイトは学校でいつもより少ないメンバーに囲まれて昼食をとっていた。

 

「あ、それでね。お母さんが今度は私の家に遊びに来てって……」

 

 園子を補う様に、そして何かから逃げる様に、アリシアがひとり必死に喋る。

 

「そ、そういえばいっつもここだね? た、たまには別の場所でも……屋上とかっ!」

 

「……」

 

「……ぁ……ごめん……」

 

 しかし、結局沈黙に耐えきれず黙りこんでしまった。俯いて泣きそうになるアリシア。

 

「ここで食べ始めたの、園子ちゃんが卯月くんを誘ったからなんだ……」

 

 ぽつりと、萌生の声が響く。

 

「園子ちゃんが、卯月くんと一緒に食べたいって言って……卯月くんはいつもここで食べてるんだって……それで……」

 

 萌生は泣いていた。授業中も時々園子の席を見ては俯いて肩を震わしていたのを、フェイトは目にしている。

 

「あ、ご、ごめん。わ、わたし……」

 

 アリシアは謝りながらも堪えきれなくなったのか、ついに涙を流し始めた。フェイトはそれを見て唇を噛んだ。痛い。でも、そうしないと自分まで泣いてしまいそうだった。

 

(……園子って、やっぱり友達だったんだ)

 

 今更思う。フェイトはあまり喋る方でなかったが、園子はよく話を振ってくれた。昨日の打ち上げの時も萌生と一緒に友達として家に来たいと言っていたし、苦手なゲームを前に尻込みしているのを見て話しかけてくれている。

 

(でも、もういないんだ……)

 

 朝、事件のことをリニスに告げられた時は全く実感がわかなかったが、こうして普段にない沈黙を前にすると、嫌でも現実を直視することになる。

 

――プレシアも喜ぶと思いますよ?

 

 もしリニスに言われた通り、園子や萌生を家に呼ぶことが出来たなら、修に突っ込まれる萌生と、リニスにからかわれて真っ赤になる園子と、また過ごすことが出来ただろう。

 

(……どうして……?)

 

 フェイトは理不尽な現実に疑問を投げかけた。先生はテレビのニュースで報道されていたのと同じ様に、倒壊したビルの下敷きになったとだけ言っていた。だが、いくらなんでも何もないのにビルが倒壊したりするだろうか。

 

(……まさかっ!?)

 

 思い至ったのは、昨夜のロストギアが発動したような魔力反応。見に行こうかとも思ったが、プレシアに危険だからと言われて家でじっとしていたが、魔法文明の無い管理外世界でロストギア級の魔力と言えば、フェイトにはひとりしか思い浮かばなかった。しかし、

 

――園子ちゃんはコウの事が本当に好きなんですね

 

 リニスはそう言っていた。園子もそれを否定したりはしなかった。きっと図星だったのだろう。フェイトにはあんなヤツの何処がいいのか全く理解できなかったが、園子は孔に想いを寄せていた。そんな相手を殺したりするだろうか?

 

(……いや、アイツなら……)

 

 だが、一度否定した疑問はすぐ首をもたげた。そしてまるで思考を侵食するように広がっていく。そういえば、あの武器を召喚するというレアスキルは非殺傷設定が効かなかったはずだ。普段テスタロッサ邸の地下室でもそのレアスキルを使わない。なら、別のどこかで訓練している筈だ。故意か否かは分からないが、訓練で間違ってビルを倒壊させたということもあるかもしれない。事実、以前似たような魔力反応があった時は、動物病院が壊れている。

 

「……」

 

 無言でいつも孔が座っている場所を睨みつけるフェイト。もしそれが事実なら、自分の大切な存在を孔に奪われたことになる。この分では、萌生や修だって危ないかもしれない。

 

(バルディッシュ……)

 

 無言のまま首にぶら下がった愛機を見つめる。アクセサリー型のそれは、一瞬フェイトの決心を後押しするように煌めいた気がした。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、屋上ではひとりアリサがフェンスに寄りかかっていた。いつも一緒に昼休みを過ごすなのはは休みだし、すずかは授業の後片付けを先生に頼まれている。だが、今はそれが有り難く感じられた。他人という感情を抑える枷がなくなったアリサは、

 

「……何でっ!」

 

 短く叫び、手をフェンスに叩きつけた。手に鈍い痛みを感じる。以前、動物病院で鮫島を失った時、孔を殴ったのと同じ痛みを。

 

「ぅあ……っ!」

 

 それをはっきりと意識し、嗚咽を漏らすアリサ。アリサにとって、園子の事は苦手なクラスメイトだった。理由もなく嫌悪を孔に向ける自分と違い、平然と好意を向ける園子に何度か文句を言われ、それに言い返すことができない事がままあった。しかし、鮫島を救おうとしたときに手を差しのべてくれた。喪失感を埋めるように言葉をかけてくれた。

 

――あの人と約束したんでしょ! 家族と一緒になるって! だったら、生なさいよぉっ!

 

 あの時の声が響く。それを言った本人が、死んだ。

 

「……意味っ……ないじゃ……ないっ!」

 

 あの動物病院の事故以来、園子とは話していない。本当は言いたいことが山ほどあった。お礼を言おうと思った。家族を教えてくれてありがとう、と。文句も言おうと思った。私の事なんて何も知らないくせに、と。しかし、結局何度か目を合わせることはあったものの、お互いに気まずそうに視線を逸らしただけだ。もはや、自分が言おうとしていたことを伝えることも、相手が言いかけたであろう言葉を聞くことも叶わない。やりきれなさに耐えきれなくなり、もう一度手を振り上げたが、扉が開く音で我に返る。

 

「……アリサちゃん? 大丈夫?」

 

 出てきたのはすずかだった。走ってきたのか息が上がっている。朝、集会で一騒ぎ起こしたせいで心配させてしまったらしい。慌てて涙を拭った。

 

「う、うん。平気よ? それより、先生の用事は終わったの?」

 

「あ、うん。プリント持ってくだけだったから」

 

 努めていつも通り振る舞おうとするアリサに、すずかもそれに合わせる。お互いに痛いものに触れない様な、どこか作ったような雰囲気。2人はそれを崩さないように会話を続けた。

 

「そ、そういえば、お姉ちゃんが新しい子を拾ってくれたんだ」

 

「新しい子って……猫?」

 

「うん、まだ小さい子猫で……。そ、そうだ。今度、うちの家に見に来ない? 昨日はなのはちゃんのところで中途半端になっちゃったから、お茶会でも……」

 

 必死に話題を絞り出すすずかに、

 

「ありがとう、すずか」

 

 アリサは想いを短い言葉に乗せるのがやっとだった。

 

「じゃあ、私、なのはちゃんにメールしとくね?」

 

 そんなアリサの言葉を肯定の返事として携帯を取り出すすずか。

 

 想いに気づいたのかどうなのかは分からない。

 だが、アリサにはそんなすずかがとても有り難く思えた。

 

 

 † † † †

 

 

「……ぁ……」

 

 なのははメールの着信を告げる音で目を覚ました。部屋には昨日のゲーム大会の後と同じく誰もいない。

 

「……ぅぐっ!」

 

 起き上がると同時に吐き気がした。昨日帰ってから散々吐いた筈なのに。

 

(昨日、昨日、は……?)

 

 あのジュエルシードの暴走体を破壊した後、気が付けば強制的に部屋へ戻されていた。その時の事は殆ど覚えていないが、自分は泣き叫んでいた気がする。

 

 

(でも、誰もいなかったな……)

 

 

 昨夜、部屋には幸か不幸か誰もいなかった。部屋だけではなく、家のどこにも。泣き叫んでも誰も来ない。唯一ユーノがじっとこちらを見ていたが、涙が枯れた時にはいなくなっていた。

 

「はぁ……はぁ……ぅぐぇ……」

 

 それから、酷い吐き気が襲ってきて、トイレに走った。逆流する感覚と一緒に、胃の中のモノを吐き出す。打ち上げでアリスと食べたケーキも、ゲーム大会で萌生やアリシアとかじったお菓子も。しかし、どれだけ吐いても、吐き気は治まらなかった。便器にしがみついたまま、顔をあげることも出来ずにいた。

 

 

「……なのは? なのはっ!? どうしたのっ!?」

 

 どのくらいそうしていただろうか。時間も分からなくなった頃に姉が帰ってきた。トイレのドアを閉め忘れたらしく、慌てた様子で駆け寄り、背中を擦ってくれる。なのはにはその手が酷く冷たく感じられた。

 

「お、お姉ちゃん……」

 

「なのは、大丈夫?」

 

 しかし、心配してくれているであろう姉の手を払いのける事は出来なかった。無理矢理言い訳を絞り出す。

 

「だ、大丈夫だよ。ちょっと急に気分が悪くなっちゃって……」

 

「ちょっとって……。無理しないで早く寝てた方がいいよ? 後で薬持っていくから」

 

 取り敢えず会話が出来るのに安心したのか、美由希は風邪をひいた時と同じように接し始めた。なのははそれに頷くと、部屋に戻りベットに沈みこんだ。そして、

 

「……っ……ぃっく……!」

 

 泣き始めた。冷静になれば、自分が園子を殺したという現実が襲ってくる。まるでそれから逃げるように、なのはは混乱と悲しみに身を任せた。

 

 

 昨日はそのまま寝てしまったらしい。机には姉が置いてくれたのだろう、薬と水の入ったコップが置いてあった。なんの皮肉か、コップは昔使っていたアニメの魔法少女がプリントされたものだった。勿論、美由希に他意があった訳ではない。昨日のゲーム大会で使ったコップは部屋に散らばったまま洗っておらず、またなのはの様子から早く薬を持っていった方がいいと判断し、やむなく昔使っていたコップを使っただけだ。だがそれを見たなのはは、感情を爆発させることで目を逸らしていた事実を突きつけられた気がした。

 

(……どうしてっ!)

 

 どうしてこんな事になったのか。思えば魔法に手を出したのはユーノを助けようという軽い気持ちからだった。ジュエルシードという分かりやすい悪を提示され、それから町を護るというヒロインの役目。アニメで出てくる魔法少女が当たり前にこなしている役目。別に魔法少女に憧れていた訳ではなかったが、

 

――困ってるひとを助けるのが仕事だから

 

 そう言って微笑む憧れのあの人のように、自分の役目を見つけてそれを果すのは素晴らしい事の様に思えた。そして、ジュエルシードの脅威から町や友達を守るために自分だけが持つ力を振るうという甘い響きは探し求めていた「役目」にぴったりだと思えた。果たしてそれは本当に自分の求めるものなのか。もし失敗したら。危険性は。そんな疑問は自分の存在意義が与えられるという期待の前に頭を過ぎることすらなく、固い決心をした。それは予想もしていなかった現実を前にひび割れそうになり、

 

「あれは事故だよ」

 

 声が響いた。いつ部屋に戻って来たのか、ユーノが机の上からなのはに話しかける。

 

「なのは、落ち着いたかい?」

 

「う、うん。まだちょっと気持ち悪いけど…… 。ユーノくんはどこ行ってたの?」

 

「ジュエルシードを探しに。なのはは独りの方が泣きやすいだろうと思ってね」

 

 独りで置いていった事を無意識に咎めようとしたが、当たり前のように気を使ったんだと言われ、なのはは何も言えなくなってしまった。そんななのはを無視するように、ユーノは話を続ける。

 

「なのは、昨日の事は気にする必要ないよ。なのはは町を救おうとしたんだ」

 

「っ! でも……っ!」

 

「放って置けば町は壊されていた。なのはのやった事は正しかったよ。それとも、放っておいて破壊に任せた方が良かったと思うかい?」

 

「そんなことないっ! そんなことないけど……っ!」

 

 当たり前の様に言うユーノに、なのはは大声で否定する。なのはの思考を止める様に、言いかけた言葉を遮ってユーノは続けた。

 

「非殺傷設定が効かなかった事は悔やむことはないよ。あの大きな犬と一緒に暴走体を倒すには必要だった。それに、今回は上手くいかなくても次から上手く使えるようにすればいい」

 

「……」

 

 なのはは無言でそれを聞いている。その言葉は正しいような気もするが、何処か間違っている様な気もした。しかし、どこがどう間違っているのか言葉にできないなのはは、言い返すことができないでいた。

 

「なのは、それに、あの犬はまだ生きているんだよ?」

 

「……っ!」

 

 納得いかない様子のなのはに、ユーノは別の事実を突きつける。気が付けばなのはは目を覗き込まれていた。まるで心の中に入り込んでくるような視線を見ていると、次第にユーノの言葉を拒絶しようとする意識が薄れていくのがはっきりと分かる。

 

「前にマヤさんが死んだのも、今回クラスメイトが死んだのも、その犬がいたからだろう? 放っておいていいのかい?」

 

 それは甘美な悪魔の誘惑だった。自分の過ちをあの双頭の巨犬の存在にすり替える事で軽くしようと言うのだ。だが、なのははそれを誘惑とは理解できなかった。否。ユーノの視線と心に響くような声が、それを誘惑だと認識するのを阻んだ。ただ、ユーノの分かりやすい悪を告げるその言葉に、

 

(そうだ……私、護らないと……)

 

 決意を加速させた。その心を読み取ったのか、ユーノはメール着信を告げて光り続ける携帯を指し示す。

 

「護らないといけない友達はいるんだろう? ほら、メールがきてるよ」

 

 携帯を開くなのは。そこにはすずかから今日休んだのを心配する言葉とともに、お茶会の誘いが告げられていた。

 

「……」

 

 それを無言で見つめるなのは。震える手で返信ボタンを押そうとすると、

 

「なのは? なのは、起きてる?」

 

 部屋がノックされた。なのはは慌てて携帯を閉じて答える。

 

「う、うん。起きてるよ?」

 

「なのは、これから病院に……って、ダメだよ寝てなきゃ」

 

 ドアを開けたと同時に視界に入ってきた飲まれていない薬と手にしている携帯を見て、美由希は軽く注意した。

 

「あ、ごめんなさい。急にすずかちゃんからメールが来たから……」

 

「はあ、まあ、大丈夫そうだからいいけど。それより、これから病院に行くけど、平気?」

 

「えっ? お兄ちゃん、まだ病院なの?」

 

 心配そうに言うなのはに、美由希は思わず苦笑する。

 

「恭ちゃんもそうだけど、なのはも診てもらうの。学校も休んだんだし」

 

「……あ、そ、そっか。そうだよね」

 

 そういえば、自分は病人と思われているのだった。誤魔化す様に笑って見せるなのは。

 

 なのはは気付かない。

 自分の中を悪魔の魔力が駆け巡っていることを。

 メールが入ってから、いつの間にか数時間も過ぎて外は夕暮れに染まっていることを。

 ユーノの足元に魔法陣が静かに光っているのを。

 

――マリンカリン

 

 偽りの心の安定を与えられ、それを維持しようとしているなのはは気付かない。

 

 

 † † † †

 

 

 その頃の病院には、孔とリニスに修、クルス、プレシアの5人が集まっていた。

 

「ジュエルシードを集めているのは五島で間違いないでしょう。目的がメシア教会の言う通り高位の悪魔の召喚とすれば、ジュエルシードの魔力は十分利用できるはずよ。ただ、そんな強力な悪魔を呼び出して何をたくらんでいるかは分からないわね。ガイア教徒とつながりがあるっていう話だけど、まさかご神体を求めているわけじゃないでしょうし……」

 

「なら、高町を締め上げりゃいい。撃ったのアイツなんだろ? なんか知ってる筈だ」

 

「シュウ、私たちが相手にしなきゃいけないのはなのはちゃんじゃなくて、憑りついた悪魔でしょう? 第一、憑依された人間は記憶を残してるとは限らないんだよ?」

 

 現状をまとめるプレシアに、修が積極論を唱え、それをクルスが窘める。が、修はなおも食い下がった。

 

「そんなもん、高町を追い詰めたら一緒に出てくるだろうが」

 

「相手は悪魔だよ? 最悪、人質にされるかもしれない」

 

「そん時は高町ごとぶっ殺してやるよ」

 

「シュウッ!」

 

 声を荒げる修とクルス。そんな2人を眺めながら、孔は俯いて何か考えているようだったが、やがて顔を上げる。リニスが問いかけた。

 

「コウ、どうするべきだと思いますか?」

 

「……そうだな。修は俺と高町さんや悪魔を調べる、クルスはプレシアさんとジュエルシードを回収しながら五島を追い詰める、でどうだ?」

 

 2つ手がかりがあるなら、両面から追い詰める。挟み撃ちを提案すると、修とクルスもとりあえず納得したのか睨み合いを止めた。雰囲気が落ち着いたのを見て、再びプレシアが口を開く。

 

「なら、ここの世界の警察とも協力しなさい」

 

「警察と、ですか?」

 

「ええ。リニスから聞いたけど、神社で火災があった時、警察から聞き込みをされて『悪魔に心当たりがある』と言われたんでしょう? 私たちと同じように悪魔を理解しているか分からないけど、この世界の悪魔が過去にどういう干渉をかけてきたのかは重要な手掛かりになるわ。少なくとも、話を聞いておいて損はないはずよ」

 

「しかし、それでは現地の人も巻き込むことに……」

 

「前も言ったけど、その発想はやめなさい。大体、警察も狙われていたんでしょう? 知らない方が危険だわ」

 

 ちょうど来たみたいだし。そう言って扉へ視線を向けるプレシア。入ってきたのは、寺沢警部とリスティの2人だった。

 

 

 † † † †

 

 

「……どう思います?」

 

「事実は小説より奇なり、だな。まあ、言っていることに一応矛盾はなかったが……」

 

 病室から出たリスティと寺沢警部は孔達から聞いた話を整理しながら歩いていた。昨日の事件について聞き込みに来たはいいが、その結果出てきた話が魔法に異世界。いくら裏の世界に耐性があるといっても、簡単に受け入れられるものではない。もっとも、2人の周りも御神流に吸血鬼、霊能力者がいれば魔法があっても何の不思議もないため、完全に否定できないのも事実ではあった。溜め息を吐くリスティ。

 

「矛盾していないだけにタチが悪いですね。……ん? あれは……」

 

「どうした、リスティ?」

 

 急に話を止めるリスティ。見ると、前を2人の少女が歩いていた。

 

「美由希になのはちゃん」

 

「リスティさん? どうしたんですか」

 

「あ、ああ、仕事だ。このところ立て続けに事件が起きていて、ね……」

 

 戸惑いながらも挨拶を交わす2人を、リスティは無意識に観察していた。パッと見た感じ、なのはが何かにとり憑かれている様には見えない。何か質問でもしてみようかと考えたが、クルスに「変に気付かれると人質に取られるかもしれない」とくぎを刺されたことを思い出し、出かかった言葉をひっこめる。待つ事しかできない自分に歯がゆいモノを感じながら、

 

「じゃあ、ボク達は急ぐから、これで」

 

「あ、はい。お仕事、頑張ってください」

 

 リスティは早めに会話を切り上げ、エントランスへと向かった。

 

「まあ、そう焦るな。悪魔が妖怪みたいなもんなら、俺達でもできることがあるだろ? あの巫女さんや、和尚さんにも話を聞きに行かなきゃならん。仕事はこれからだ」

 

「ええ、分かっています」

 

 声をかける寺沢警部に頷くリスティ。今思えば、今回の事件の発端となった恭也も悪魔か何かが憑りついてのことなのかもしれない。

 

(「裏」を相手にする覚悟はしといた方がいいな)

 

 手を握りしめる。

 

 バチバチッと、雷が走るような音がした。

 

 

 † † † †

 

 

「なのは、携帯弄りながら歩くと危ないよ?」

 

「ごめんなさい。すずかちゃんにまだ返事出してなかったから」

 

 病院から出てすぐ、なのはは携帯を開いていた。注意する美由希に謝りって立ち止まり、お茶会への返信を終える。

 

「終わった?」

 

「うん」

 

 ほんの少しの時間とはいえ待ってくれた姉を有り難く思いながら、なのはは次第に自分を取り戻していた。つい先程までメールを打つ余裕もなかったのだが、こうして家族に囲まれると温もりを実感することができた。それは傷口を癒すとともに、

 

(……私、守らないと)

 

 ひび割れかけていた決心を修復し、より強固なものにしていた。未だ忘れる事ができない独りで過ごしたあの時、見向きもしてくれなかった家族。しかし、父が回復してからはそれを補うように家族は時間を過ごしてくれた。休日になればサッカーチームの試合に連れて行ってくれたし、今日も病室へ兄の見舞いに行けば、逆に風邪を心配された。学校の話だってしたし、桃子は、

 

「そう、お茶会……なら、たまには私もいこうかしら?」

 

 すずかの家にお茶会へ呼ばれたと言えば、一緒に来てくれると言ってくれた。

 

(私も、独りじゃないんだ)

 

 だから、周りにいる人は守らないといけない。つい先ほど、お茶会を告げたポケットの中にある携帯。その感触を確かめながら、なのはは思う。大丈夫。今度はうまくいく。この絆を、みんなを守ってみせる。

 

(……? 今度?)

 

 そこまで考えて、なのはは首をかしげた。何か重大な事を忘れている気がする。家族の温もりに舞い上がり、無理やり意識の外に押し出した、否、押し出されてしまった「何か」。つい先ほどまで部屋で怯えていた、その原因は――

 

(なのは、どうしたんだい? お姉さんが待っているよ?)

 

 しかし、その思考は突然入ってきたユーノの念話で遮られた。

 

 ソレヲ思イ出シテハイケナイ

 

――マリンカリン

 

 なのはは念話に頷く。同時に美由希の元へ駆け寄ると、手をいつもより少しだけ強く握りながら、自分の「居場所」へと戻り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 月村邸。すずかは孔と同じ夕日を浴びながら、椅子に座って本を読んでいた。こどもの頃からよく読んでいた童話に分類されるような本だ。しかし、ほとんど内容に目は行っていない。懐かしさに浸るでもなく、すずかは悩んでいた。昼休み、泣いていたアリサ。そして、全校集会で伝えられた園子の死。すずかは園子とはそれほど接点があったわけではないが、よく孔のことでアリサに突っかかっていた。

 

「何よ、なんであんなヤツの為に文句言うワケ!?」

 

 完全に自分のことを棚にあげて文句を言うアリサを、すずかはよくまあまあと言って宥めていた。冷静に見ればおそらく悪いのはアリサだと誰もが言うだろうし、孔と仲がよい園子がアリサに文句を言いにくるのは至極当然のことなのだが、孔にある種同じ感情を抱くすずかにはアリサを批難する事はできなかった。それに、

 

(アリサちゃん、ホントは園子ちゃんと仲良くしたかったのかな……?)

 

 そう思えるほど、アリサが園子に向けた言葉には憎悪や敵意がなかった。それどころか、清々しいものさえ感じられた。あるいは、どこかで自分を咎めてくれるのを有難く思っていたのかもしれない。

 

(……アリサちゃんと園子ちゃんって、似てるな)

 

 無駄に正義感が強いところとか、はきはきと意見を言うところとか。それゆえに衝突したのかもしれない。そして、その園子は異常な力を持つ孔を受け入れていた。孔の異常を恐らくは知らなかったのだろう。もし知っていれば、アリサが孔を嫌うように園子も嫌っていたかもしれない。だが、少なくとも自分が初対面で持った嫌悪感は抱いていないようだった。それならば、

 

(私も、アリサちゃんに受け入れられてたのかな?)

 

 園子はすずかにとって希望でもあった。遠まわしに聞いてみようかとも思ったが、それがきっかけで園子が孔を拒絶してしまったら、自分の希望は絶たれたことになる。そんな勇気があるはずもなく、ぐずぐずしているうちに園子は死んでしまった。もう確かめる術はない。残ったのは、普通の女の子だった園子を痛み、異常な孔に嫌悪を抱くアリサだけだ。

 

(……私じゃ、異常な私じゃ、アリサちゃんに……)

 

 そう考えると、誘ったお茶会で自然に振舞えるか疑問だった。学校では沈黙に耐え切れなかった上に他の話題も思い浮かばず、ほとんど勢いで誘ってしまった。なのはがいれば多少は誤魔化すことが出来るのかもしれないが、なかなか返信が来ない。よく考えれば、あの打ち上げの後、なのはは同年代の園子たちと一緒に過ごしたはずだ。園子の死にショックを受けていても不思議ではない。なのはも抱え込むところがある。

 

(……お茶会に誘ったの、失敗だったのかなあ?)

 

 そんなことを考えながら、暗い顔のまま夕日で赤く染まった本に目を移すすずか。抱え込むのはすずかも同じだった。そこへ、ゾウイがやってきた。鳴き声をあげてすずかの膝の上に飛乗るゾウイ。撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らした。そんなゾウイに思わず頬が緩む。そこへ、ノックの音が聞こえた。

 

「すずかちゃん、ゾウイちゃん来てませんか?」

 

 メイドのファリンだ。どうやらゾウイを探しているらしい。そういえば、今日は姉の忍がゾウイをメンテナンスしていた。もしかしたら途中で逃げ出してきたのかもしれない。なら、早く戻して診て貰わないとまずい。すずかはゾウイを抱き上げてドアを開ける。

 

「来てるよ? ついさっき入ってきたけど……」

 

「あっ、ありがとうございます、すずかちゃん! もう、ゾウイちゃん、だめでしょ!? いくら忍お嬢様のメンテナンスが怖いからって、設計図なんて持っていったら。……って、あれ?」

 

 そこまで言って、ファリンは止まる。ゾウイを抱えあげてあっちこっち見回している。何かを探しているようだ。

 

「ファリン? どうしたの?」

 

「ええ、ゾウイちゃん、メンテナンスが終わった途端、机の上の設計図……ゾウイちゃんのですけど、それを咥えて走っていちゃったんです」

 

「ふ~ん? でも、ゾウイ、入ってきた時には何も咥えてなかったよ?」

 

 と言っても、何時ゾウイが入ってきたかどうかは分からない。なにせドアを開く音を聞いていないのだ。たまにゾウイはいつの間にか音も無く部屋に入ってきていたりする。主人のつらい時を嗅ぎ取ったかのごとく、静かに現れて慰めてくれるのだ。

 

「う~ん、どっかで落としたのかなぁ?」

 

 そんな事を知らないファリンは首をかしげる。相変わらずどこかこどもっぽい仕草に苦笑しながらも、すずかはメンテナンスについて聞いてみた。

 

「ねえ、ファリン。お姉ちゃんのメンテナンスって、怖いの?」

 

「怖いですよ! いつもはやさしいのに、忍お嬢様ったらメンテナンスの時間になると、『今日こそファリンのドジがどこから来るか解明してやるわっ!』とかいって、ファリンを分解しようとするんですよ!? ゾウイちゃんには何にもしないのに! 酷いです!」

 

「あ、あははは……」

 

 まくし立てるファリンを見て笑いつつも、心の底ですずかは安心していた。どうも姉は機械関連の話となると見境がなくなるところがある。ゾウイが分解されるという事態は今のところ心配しなくていいようだ。興味が完全にファリンに行っているらしい。そういえば、ファリンは夜の一族が遺したロストテクノロジーの結晶で、こんな人間っぽいのは初めてだと叫んでいたような気がする。手をワキワキと動かしながらファリンに迫る忍を想像して苦笑するすずか。そんなすずかを見て、ファリンは、

 

「……すずかちゃん、もう元気になりましたか?」

 

「えっ……?」

 

 そう聞いてきた。虚を突かれて思わず声を上げる。ファリンはゾウイを撫でながら、

 

「帰ってから元気がないみたいでしたから。学校で何かあったのかって、お姉さまも心配してましたよ?」

 

 お姉さまとは忍付きのメイド、ノエルの事だ。どうも態度に出てしまっていたらしい。

 

「大丈夫だよ。ゾウイにも慰めてもらったし」

 

 軽く笑ってみせるすずかと自分の腕の中で鳴き声を上げるゾウイに、ファリンはどこか複雑そうな顔をする。ファリンは今の様にゾウイに助けてもらったというと、たまにどこか影のある表情をすることがあった。

 

「そうですか? もし何か私達でできることがあったら、言って下さいね?」

 

 姿勢を低くしてすずかと目線を合わせながら言うファリン。ついでにゾウイも床に下ろす。その途端、ゾウイは机の上に飛びあがった。置かれたままのすずかの携帯を前足で弄び始める。ファリンは慌てて掴み上げた。

 

「あ、もう、ゾウイちゃん、駄目でしょ?」

 

 すずかは急に妙な動きをしたゾウイに驚きながらも、携帯に着信が入っているのに気が付いた。

 

「メール……なのはちゃんからだ」

 

 急いで携帯を開く。きっとお茶会の返信だろう。不参加だったらどうしようとの不安が一瞬脳裏をかすめるが、直ぐに文面を見て、ぱあっと表情を取り戻した。

 

「すずかちゃん、何かいいことでもありましたか?」

 

「なのはちゃん、お茶会に出れるって」

 

「お茶会、ですか?」

 

「うん。アリサちゃんと一緒に、今度家でって誘ったの」

 

「それはよかったです!」

 

 ファリンはすずかに笑いかける。どうやら友達関係のトラブルは無かったか、あるいは収束に向かいつつあるらしい。

 

「じゃあ、早く準備しとかないと。お姉さまにも言って、新しい紅茶を用意して、それから、クッキーも焼いて……」

 

 楽しそうにお茶会の準備を始めようとするファリン。ゾウイが持って行った設計図を探すのも忘れて我が事のように喜ぶメイドに、すずかは少しだけ心が軽くなるのを感じていた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

自動人形 ファリン・綺堂・エーアリヒカイト
※本作独自設定
 月村家に仕えるメイド。見た目は人間の少女そのままだが、実際は夜の一族に伝わる機械人形、オートマタの内の一体である。同じオートマタのノエルと違い非常に感性豊かであり、仕事をやらせればミスをする。機械にも関わらず人間の「ドジ」を再現したブラックボックスの結晶で、機械工学に強い忍からは日夜危険な視線を送られている。

――元ネタ全書―――――
黙ってないで、返事くらいしろよ……
 P3。真田先輩のシーンより。ストーリー上転換点となるシーンのせいか、他のキャラクターの描写もしっかりなされています。

マリンカリン
 シリーズ恒例、魅了魔法。原作ゲームでは多くの女性型悪魔が得意としますが、本作では使い手がアレなので、悪魔的な誘惑を前面に出した……つもりです。

――――――――――――


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第13話b 子猫のゾウイ《弐》

――――――――――――

 部屋で本のページをめくる。こどもの頃から何度も読み返してボロボロになってしまったけど、大切にしている本だ。

 Zowy the kitty 賢い子猫。
 小さな体で飼い主守る。
 Zowy the kitty 可愛い子猫。
 愛くるしい姿で飼い主癒す。
 Zowy the kitty, Zowy the kitty...

 そこには、童謡が書かれていた。嫌なことがあった時は、よくこの本とゾウイに慰めて貰ってたっけ。

 ……最後のページは、結末が気に入らなくて、こどもの頃に破いてしまったけど。

――――――――――――すずか/自室



「あ、なのはちゃん、おはよう」

「おはよう、なのは。風邪はもういいの?」

「うん。もう大丈夫だよ?」

 

 翌日。なのはは学校へと登校していた。アリサとすずかに挨拶を交わしながら席に着く。

 

(……いつも通り、か?)

(……いつも通りだな)

 

 そんななのはに視線を送るのが2人。孔と修だ。一夜明けて遠目には何の問題もないように見える3人を前に、2人は念話を交わしていた。

 

(バニングスとか昨日は取り乱してたんだけどな。やっぱ、パッと見じゃ分からねえな)

 

(……折井、念話には反応があったのか?)

 

(いや。ダメだ。さっきから送ってるんだが、全く反応しねぇ)

 

 修はなのはが入ってきた瞬間から、念話を送り続けていた。もし魔導師として力を持っているのなら、何かしら反応を示すはずだが、

 

「それで、今日の放課後なんだけど……」

「私は平気よ? なのはも行くんでしょ?」

「うん。お父さんとお母さん達も一緒だって」

 

 全く無視するように、なのははすずかとアリサとの会話に終始している。聞こえない振りをしているという様子はなく、本当に聞こえていない様だった。

 

(高町だったら、すぐに反応すると思ったんだがな)

 

(念話による判別も万能じゃない。魔力があるのに聞こえてないとなると、悪魔に遮断されてる可能性もある)

 

(……ちっ! 面倒だな。いっそのこと、月村とバニングスにもバラしちまうか?)

 

(よせ。2人まで巻き込むことはないだろう)

 

 極端な方向へ走り始める修を止める孔。あのゲームから抜け出たときに見たさやかの死と恐怖に染まった2人の顔を思い出し、これ以上関わらせるには強い抵抗があった。

 

(冗談だ。けど、何とかして情報を掴まないとな……)

 

 言いながらも、なのはの背中を睨みつける修。おそらく、必死に自分を抑えているのだろう。孔はそんな修に自身を重ねながら、なのはへの対応を考えていた。

 

 

 

《Mister, I shouted out his voice.》

 

(そうか、ついに気付かれたか。しかし、まさか管理局員がこの世界の小学校に平然と通っているとはな)

 

 一方、ユーノはレイジングハートからの交信を受けていた。レイジングハートは果たして孔の言う通り、ユーノによって外部からの念話を遮断する様に設定されていた。ユーノ(に憑りついた悪魔)にとってなのはは便利な尖兵に過ぎない。精神的に極端な方向に傾倒する性質にあり、多少無理難題を突き付けても高いモチベーションを維持したまま取り組んでくれる。しかも、膨大な魔力を持ち、使い潰した後は喰らって糧にできる。変に管理局員から情報を得て正気を取り戻したり、自分以外も魔法を使えると知ってやる気を無くされたりしてはたまらない。

 

(しかし、その内接触されることを考えると早めに揺さぶりをかけた方がいいな……そういえば、今日はあのバンピールへ一家が集まるのだったか? ちょうどいい。利用してやるか……あの女にも協力を仰がねばな……)

 

 高町家、なのはの部屋のケージの中で、ユーノは悪魔的な笑みを浮かべる。この後に起こる惨劇を、それで出来る悲しみに満ちた魂を。悪魔は契約者の指示の下、欲望を満たすべく舞台を飾りはじめた。

 

 

 † † † †

 

 

 放課後。孔とリニスは警部に連れられて繁華街に来ていた。昨日話に聞かされた「悪魔に詳しい人物」に会いに行こうと待ち合わせていたのだが、気がつけば両手は食材やら酒やらでいっぱいになっている。リニスは不安になって尋ねる。

 

「あの、警部? これから偉いお坊さんに会いに行くと聞いていましたが……?」

 

「いや、それがひどく変わり者のじじいでね。坊主の癖に酒は飲むは、生臭は好きだはで」

 

 どうやらこれは手土産らしい。大量の荷物を車に積み込みながら説明する。

 

「金は取らないんだが、旨いものには目が無いときてる。まあ、法力は日本でも随一って話だ。裏の事件があったときなんかにはよく相談に乗ってもらっているな」

 

「はあ、そういう人ですか」

 

「ああ。リスティの奴は前に来たときに嫌われちまって、連れて行き難くてな。変なところで真面目なところがあるからな、アイツ。迷惑をかけて済まんな」

 

「いえ。お願いしたいのはこちらですし」

 

 車を走らせる警部。車内の話題は、自然に裏の事件が中心になった。

 

「裏の事件って、具体的にはどういうのがあるんですか?」

 

「どういうのと聞かれると一言では言い難いな。なにせ特殊なケースでめったに起こるもんでもないからなぁ。ここ最近で一番大きいのだと、この間焼けた神社があっただろう。実は過去にも一度火災を起こしていてな。原因は落雷って事だが、それは三百年来に渡る妖孤の祟りで、巫女さんが払ったって話があったな」

 

「妖孤って……創作じゃないんですか?」

 

「はっはっは、魔法を使うリニスさんからそんなことを言われるとは思わなかったよ。実はその巫女さんってのがリスティの知り合いの霊能力者でね。アイツも現場にいたんだ。他に怪我人が何人も出てるが、みんな同じ証言をしていたよ。流石に一般には公表されていないが、署の中では結構有名な事件でな。しばらく夏の夜勤で怪談のネタとして使われたくらいだ」

 

 リニスは魔法を引き合いに出されると苦笑しか出来なかった。確かに管理外世界では魔法も妖怪も悪魔も同じ怪奇現象だろう。しかし、魔法文明に慣れ親しんだ身としては、理論的に説明可能なプログラムの結晶である魔法はあくまで高度な科学であり、説明不能な怪奇現象とはまったく違っていた。妖孤などといわれても、魔法世界ではこの世界の住人と同じく漫画かゲームにでも出てきそうな話だと一蹴されるだろう。もっとも、

 

「その妖孤は、悪魔とは違うんですか?」

 

「さあ。俺はその悪魔ってのには詳しくないが、少なくとも東洋系だろうから、妖怪に近いものだと思うが?」

 

 リニスは悪魔の存在を知っている。そしてもし、その妖孤が霊的磁場の根源・マグネタイトを糧としているなら、西洋・東洋の違いなく定義上は悪魔だ。つまり、その神社の巫女は悪魔を封じることが出来る力を持っていたことになる。

 

(もしかしたら、この世界の人々は古くから悪魔と付き合いがあったのかもしれませんね)

 

 スティーブンが科学として体系づける以前から同等の技術が存在していても決して不思議ではない。それが脈々と受け継がれ、警察の捜査にもある程度受け入れられている可能性もある。リニスがそんなことを考えていると、

 

「さあ、着いたぞ。ここだ」

 

 吉祥寺とある寺院の前で車が止まった。孔たちが車を降りると同時に門が開き、

 

「おお、来おったか。そっちが噂のくされガキか」

 

 法衣を着た和尚が姿を現す。驚く3人を横に、

 

「待っておったぞい、孔とやら。儂がこの吉祥寺を預かる和尚、樹海じゃ」

 

 その老齢の人物は、そう言って孔たちを出迎えた。

 

 

 † † † †

 

 

 その頃、なのはは家族と連れ立って月村邸へと歩いていた。ただ、恭也だけはまだ入院中なのでここにはいない。

 

「それで、すずかちゃんがね、翠屋のシュークリームは好きだから、嬉しいって」

 

「そう。それは楽しみね」

 

 なのはは久しぶりに家族と過ごせる時間が嬉しいらしく、お茶会のお菓子にと持ってきたシュークリームを手に母親と他愛ない話を続けていた。普段なら放課後には売り切れている翠屋の名物が今日はかなりの量が残ったため、なのはがねだってすずか達への手土産としたのだった。久しぶりに言った我が儘とそれを快く受けて入れてくれた母に、なのはは上機嫌だった。あるいはそれは小学生としては我が儘に入るものではないのかもしれない。第一、我が儘を言ったといっても、シュークリームを前に、

 

「……お茶会に持って行きたいなぁ」

 

 と呟いただけだ。が、それを聞いた桃子はなのはに軽く微笑むと、箱を用意して包んでくれた。母親としての自然な行為。なのははそれに家族への飢えが満たされるのを感じた。まだお茶会は始まっていないというのに、なのははの周囲には楽しい時間が広がっている。

 

「さあ、着いたよ」

 

 だからだろうか。月村邸までの道のりはやけに短く感じられた。士郎のそんな言葉とともに、インターホンの音が電子回線の奥でこだまする。

 

「はい。高町様でございますね。少々お待ちください」

 

 備え付けのカメラがこちらを見下ろす中、落ち着いた声が響いた。さして待つこともなく、奥の扉が開く。

 

「ようこそ。お待ちしておりました」

 

「ノエルさん、お邪魔します」

 

「ええ、すずかお嬢様がお待ちかねです」

 

 なのはに優しく微笑みかけながら、高町一家を屋敷へ通すノエル。しかし、玄関口で立ち止まり、

 

「すずかお嬢様はテラスでお待ちです。アリサ様もいらっしゃいます。ファリンがご案内いたしますので、そちらへ。士郎様と桃子様、美由希様はこちらへお願いします」

 

 なのはと大人組みを別々のところへと誘導した。なのはは名残惜しそうに桃子たちを見つつも、

 

「あ、なのはちゃん。いらっしゃい。こっちですよ?」

 

 廊下の奥からファリンに呼ばれ、そちらへ歩いて行った。

 

 

 † † † †

 

 

「すみません。わざわざ時間を作ってもらって」

 

「いえ。こちらとしてももう身内の話でもありますし」

 

 ノエルに案内された先で、士郎たちは綺堂さくらと向かい合って座っていた。忍も一緒だ。夜の一族でも名家である月村家と、高い発言力をもつさくら。裏の世界にも精通した面々が揃った事になる。

 

「依頼されていた卯月孔くんの調査ですが……」

 

 ちらりとノエルを見るさくら。それに頷いて、ノエルは説明を始めた。

 

「卯月孔。海鳴市の聖祥大学付属小学校に通う小学3年生。推定10歳。推定、というのは、数年前に児童保護施設に引き取られているため正確な情報がないためです。生活態度は良好、学校でも成績が非常に優秀。しかし……」

 

「どうしたの、ノエル? そこからが大事なところでしょう?」

 

 そこで言葉をきるノエル。少し言いにくそうにしていたが、忍に即されて先を続ける。

 

「申し訳ありません。施設に引き取られた経緯ですが、書面上は公園で行き倒れていたところを保護されたという以上は不明となっております。当時、警察も動いて大規模な捜査もされたようですが、結局両親を名乗る人物も現れず、未解決に終わったようで……」

 

「つまり、出自は不明というわけか」

 

「ええ。ただ、数年前に起こったカルト教団の集団自殺事件や、ここ最近の槙原動物病院の火災事件では現場に居合わせ、警察の事情聴取を受けています。しかし、いずれも事件と直接の関係は見られず、裏の世界と関わりがあるかどうかまでは……調べきれず、申し訳ありません」

 

 頭を下げるノエル。士郎はそれを止めた。

 

「いや。短い間でよく調べてくれた」

 

「しかし、我々でもその、卯月くん、でしたか。その子については把握していないんです。西洋剣術を使った、ということでその筋にも問い合わせたんですけど。疑うわけではありませんが、御神流を下すほどの力を持っているというのは、本当なのですか?」

 

 さくらは純粋に疑問だった。御神流は夜の一族が生み出した兵器とも言うべき自動人形、オートマタを打ち破る力を持っている。銃器さえ通用しないその機械を、刀一本で破壊できるその技術は、宗家を失った今もなお裏の世界で恐れられていた。恭也は中でも数少ない免許皆伝の実力者だ。それが、未熟であってしかるべきの小学生に敗れたという。

 

「ああ。俺も立ち会ったからな。間違いない。それに、見た目は小学生だが、纏う雰囲気は人外のそれだった。アレは――」

 

「士郎さん」

 

 人外と言う言葉に眉をひそめたさくらを見て、桃子は士郎を止める。さくらは夜の一族でも人狼と吸血鬼のハーフに当たり、種族の壁をいろいろと経験してきた。同時に、それを乗り越えた忍と恭也に少なからず希望を見出している。そこへ、今回の事件である。

 

「士郎さん、私も人外と呼ばれる種族です。危険だと言って否定するのは、まだ早かったのでは?」

 

 おそらく、その卯月孔という少年は人外の存在なのだろう。あるいは敵対する存在なのかもしれない。しかし、積極的に危害を加えてこないところを見ると、共存の可能性も大いにあった筈だ。その力が原因で幼くして捨てられたのかもしれない。その可能性を考えずして忌み嫌う士郎を見て、さくらはせっかくの希望が否定されたように感じていた。

 

「それは……でも、綺堂さん。あの不気味な雰囲気は貴方たちと違う。アレはもっと危険なものだ」

 

 が、士郎にも確信があった。己の勘で生き延びてきた剣士の性だろうか。同じ人外でも、士郎の中では孔と夜の一族は決定的に違った。例えは悪くなるが、カブトムシと毒虫の違いといったところだろうか。前者は人によっては気味悪く感じるぐらいだが、後者は明らかに排除すべき対象であり、とても共存の対象として見ることなどできない。

 

「その不気味な雰囲気を、貴方たち以外の人は私に抱いてるんですよ?」

 

 そしてそれはさくらに通じない。異常な雰囲気や力で蔑視されるのは、夜の一族が受けてきた迫害の歴史と何ら変わりがないからだ。こんな人じゃなかったのに。さくらの目に力がこもる。

 

「もう、その辺にしときましょう?」

 

 次第に険悪な雰囲気を漂わせ始めたさくらに、忍が割って入った。

 

「どっちにしても、その孔君が裏の世界で通用するような力を持っている以上、夜の一族としても当たってみる必要はあるでしょう? どういう存在なのかもうちょっと調査してから判断しても遅くないんじゃない?」

 

「……そうね。相手を理解しようとしないのは不味かったわね」

 

 そんな忍に、どこか力なく続ける桃子。普段から明るく振る舞う彼女にしては、珍しく影があった。美由希は心配そうに問いかける。

 

「母さん?」

 

「精神科医の先生――卯月くんを引き取った先生だけど、その人は受け入れていたのよ。でも、私達には出来なかった」

 

――孔を、私の息子を、異常な存在として見ないで欲しいと

 

 その声が響く。恭也だって、他の人間からすれば異常なところがあるだろう。それでも、受け入れてくれる人は確かにいた。それを差し置いて孔を否定するのは、裏切りに近い罪悪感がある。士郎もそれを感じたのか、頷いて続けた。

 

「そうだな。綺堂さん、もし調査に力が必要なら言ってくれ。俺も協力する」

 

「大丈夫なんですか? 剣は引退したって聞いてますけど?」

 

「ああ、この一件が収まるまでは、俺ももう一度前の仕事に戻ろうと思っている。勘を取り戻すのには丁度いいだろう?」

 

 わざと明るく言って見せる士郎に、忍とさくらは目を伏せる。理由は明白だった。翠屋に客が入らなくなっているのだ。今日も月村家で話を聞くため営業自体は昼までで切り上げたのだが、このまま営業を続けても誰も来ないんじゃないかと思えるほど客足は無かった。言うまでもなく、恭也の起こした事件が原因だろう。

 

「……いいんですか?」

 

「大丈夫だ。それに、翠屋も別に潰れる訳じゃない。怪我した人には悪いけど、例の倒壊事故の方が注目されているからな」

 

 重ねて問いかける忍に、やはり軽い調子で言う士郎。事実、世間やマスコミの関心は絵的にも衝撃的なビルの倒壊事件に向いているためそう騒がれてはいなかった。それでも、ニュースで数秒でも紹介された傷害事件の影響は大きい筈だ。忍は桃子に視線を送る。無言で頷く桃子。さくらはそれを見て、

 

「分かりました。ただ、依頼である以上報酬はお支払いします」

 

 短くそう言った。ともすれば仕事を頼んでいる様にも見える願いを、士郎の人格からのみ込んだのだった。それを悟ったのか、士郎は否定しようとする。

 

「いや、綺堂さん。この事件は俺の責任でもあるんだ。報酬は受け取るつもりはないよ。それに、この件ではその方面から仕事が来ていてね。実はここに来たのはその相談に……」

 

 が、響いた電子音に言葉を止めた。以前、裏の仕事をやっているときに使っていた携帯のメモリーをそのまま移し替えたものだ。失礼と断ってから、廊下に出て通話を始める。

 

「久しぶりね、士郎。会いたかったわよ?」

 

「夏織か。こっちはもう2度と会いたくはなかったよ」

 

 普段は出さない険悪な声と女性の名前に、後ろからの目線が集まるのを意識する。

 

「でも、会わざるを得ない状況になってしまった……パパは大変ね? でも、若い娘とも知り合えたんだし、役得かしらねぇ? ああ、人外じゃ意味なかったかしら?」

 

「依頼は見つかったのか?」

 

 露骨に挑発してくる声を無視し、先を急かす。クスクスという笑い声とともに、返事が返ってきた。

 

「ええ。見つかったわよ? 今度の週末、温泉街で落ち合いましょう。家族同伴でも歓迎よ? 貴方の大事な化け物同伴でもいいわ」

 

「分かった。切るぞ」

 

 耐え切れなくなったのか、士郎は電話を切る。電話の相手は不破夏織。かつての内縁の妻であり、恭也の実母でもある女。恭也を置いて金品とともに姿を消してから会っていなかったが、図ったようなタイミングで連絡を受けた。テレビを見た。恭也の起こした傷害事件でカネがいるだろう。裏の仕事が欲しいなら斡旋する、と。

 

(何を企んでいるんだ、夏織……)

 

 明らかに裏のある話。しかし、士郎は敢えてそれに乗った。もし恭也が起こした事件で家族に苦難が降りかかるなら、それは自分の責任だ。なんとしてでも阻む必要がある。

 

「士郎さん……」

 

 そこへ、桃子が声をかけた。散々説得したつもりだが、まだ納得していないのだろう。お金なら、何も裏の仕事じゃなくてもいいんじゃないか。普通のボディガードだって働き口はある。もう危険な世界とは関わって欲しくない。そんなことを言われたが、裏の世界、それも相当深いところにいるであろう夏織がわざわざコンタクトをとってきたということは、御神流の力がどうしても必要になったか、敵対する側に利用される前に手を打とうとしているかのどちらかだ。断ればそれなりの報復を覚悟しなければならない。かつて皆殺しにされた御神宗家のように。

 

「士郎さん。さっきも言いましたが、もう身内の話なんです。遠慮なく頼ってくださいね」

 

「ああ。すまないな、綺堂さん」

 

 裏の世界に精通するさくらはそれを知っているのだろう。桃子の後ろから出てきて、厳しい表情で協力を申し出る。想像以上に根が深い。こちらも裏と関わる準備はしなくてはならないだろう。そう覚悟を決めたとたん、

 

「きゃあぁぁぁああああ!」

 

 悲鳴が響いた。

 

 

 † † † †

 

 

「それで、新しい子ってどれなのよ?」

 

「あ、この子だよ?」

 

 こちらはテラス。すずかとアリサ、なのはがテーブルについてお茶会を始めていた。すずかがお茶会の原因となった子猫を抱え上げと、その子猫はにゃあと鳴きながらアリサの方へ手招きするように前足を動かした。

 

「……可愛いじゃない」

 

「あれ? アリサちゃんって、犬派じゃなかったっけ?」

 

「五月蠅いわね。別に犬派だからって猫が嫌いなわけじゃないわよ」

 

 なのはの疑問に軽く反論しながらすずかから猫を受け取り、膝の上に置いて撫ではじめる。猫はゴロゴロと喉を鳴らして甘え始めた。

 

「すごい懐いてるね」

 

「う~ん、私にはあんまり懐いてくれなかったんだけどなぁ。ゾウイがいると、この子寄って来ないし……」

 

 どこか複雑そうなすずか。アリサは苦笑しながら話し始めた。

 

「ゾウイって、すずかのお気に入りでしょう? 妬いたんじゃないの?」

 

「う~ん、そうなのかなぁ」

 

「大体、ここの猫は警戒しすぎなのよ。ほら、なのはのフェレットにだって寄り付こうとしないじゃない」

 

 アリサは床の上にお行儀よくちょこんと座るユーノを指さした。確かに、なのはがケージから出したにも関わらず、猫は寄り付かない。それどころか、まるで避ける様に距離を取っている。

 

「フェレットって、イタチの仲間でしょ? なんか猫に追い回されてそうなイメージがあるんだけど?」

 

「……にゃ、にゃははは。ま、まあ。フェレットと猫を一緒に飼ってる人もいるし」

 

 笑って誤魔化すなのは。普段から冷静な声を浴びせかけられているなのはとしては、ユーノが猫に避けられるのは妙に納得してしまう光景だった。

 

「すずかちゃん、クッキー持ってきましたよ? お茶も」

 

 やがて、お茶会のメインともいえる品をファリンが持ってくる。

 

「ファリンさん、ありがとうございます」

 

「いいんですよ。うふふ」

 

 こどもらしくお礼を言うなのはに本当に楽しそうに微笑むファリン。すずかが友達を連れてきたのがよほど嬉しいようだ。それと同時だっただろうか。

 

「っ!?」

 

 なのはは強い魔力を感じた。ジュエルシードが発動したらしい。しかもかなり近い。

 

「可愛いフェレットですね? なのはちゃんが連れてきたんですか?」

 

 そんななのはには気付かない様子で、ファリンはユーノを抱き上げようとする。しかし、ユーノはファリンの腕を尻尾で振り払って走り出した。

 

「きゃっ! あ、ちょっと、フェレットちゃん?!」

 

(なのは、僕は魔力を感じた方に走るから、逃げたフェレットを追いかけるって言って、後から来るんだ)

 

 ファリンの焦った様な声にユーノの冷静な念話が重なる。なのはは、

 

「あ、えっと……私、逃げたフェレット追いかけるね!」

 

 ユーノの言葉をそのまま反復し、戸惑う3人を置いて走り出した。

 

 巨大な魔力に誘われるまま月村邸の裏へ。

 

 しばらく走るとユーノに追いついた。同時、ユーノが結界を発動させる。周囲の色が変わり、魔力のないものははじき出され、

 

 巨大な猫が残った。

 

 凶悪な牙を持った巨大な犬やグロテスクな紅い巨木といった、今までに遭遇した暴走体(となのはは思っている)怪物とはかけ離れた愛くるしい姿に動揺するなのは。

 

「ふぇ! す、すずかちゃんの猫が大きくなっちゃった?」

 

「多分、大きくなりたいっていう願いが正しくかなえられたんじゃないかな?」

 

 さあ、早く。ユーノに急かされて、なのははレイジングハートを構えた。特に暴れるでもなく平和に顔を洗っている猫に微妙な抵抗を感じつつ、砲撃魔法を撃とうとする。いつものように術式を展開しようとして、

 

「あれ……?」

 

 自分の手が震えているのが分かった。なぜだろう? そう考えると同時に、視界が一瞬ブラックアウトする。視界の裏に映し出されたのは、空からまっさかさまに堕ちるクラスメート。その顔は血で真っ赤に染まり――

 

「なのは。早く撃たないと、前の二の舞になってしまうよ?」

 

 しかし、その凄惨な光景はユーノの声で遮られる。否。遮ったのは声だけではなかった。心まで抉るように覗き込む目が、なのはの意識を侵食していく。その眼はどこか品定めするように冷たい。

 

「テラスではまだ友達がお茶会をしてるんだろう? 家族だっている。守らなくていいのかい?」

 

 それに操られるように、レイジングハートを握りしめるなのは。

 

《My Master. Don't worry. Safety mode, stand by leady.》

 

 逃げ場をなくすように、レイジングハートの声が重なる。

 

 そう、自分は撃たないといけない。

 

「ほら、早く。結界も無限に維持できるわけじゃないんだ」

 

 撃たないと、今度はすずかとアリサが「あの子」のように死んでしまう。

 

――「あの子」ッテダレ?

 

 心のどこかで誰かが問いかける。

 

「いいのかい? みんな、死んでしまうよ?」

 

 再び、ユーノの声が遮る。

 

「大切な家族も、まだあの屋敷にいるんだろう?」

 

 そうだ、撃たないと、撃たないと、撃たないと、撃タナイト、ウタナイト……!

 

「う、うわあぁぁぁあ!」

 

 絶叫を上げて魔力を解放する。それを受けて術式を組み上げるレイジングハート。空中にミッドチルダ式特有の魔法陣が浮かび、砲撃を――

 

「……えっ?」

 

 打ち出すその前に、全く別の方向から飛んできた魔力の光が巨大な猫を貫いた。電撃にも似た閃光が飛んできた先に目を向けるなのは。そこには、

 

「……テスタロッサ……さん?」

 

 見知った黒衣の少女がいた。

 

 

 † † † †

 

 

 時はわずかに遡る。まっすぐ学校から帰ってきたフェイトは、部屋で愛機・バルディッシュのメンテナンスをしていた。昨日、園子の死因に心当たりを見つけてから、フェイトはどうすれば孔を止める事が出来るか考え続けていた。相手を倒せればそれでいいが、アレは化け物だ。恐らくアルフと2人がかりでも難しいだろう。それなら、

 

(相手にしないで、追い詰めればいいんだ)

 

 手早く現場を押さえて、証拠だけ手に入れて逃げればいい。映像をプレシアやリニス、管理局に持っていけば、次元犯罪者としてそれなりの措置を取ってくれるだろう。そうなれば、母親とその使い魔との絆も取り戻すことができるかもしれない。

 

「……」

 

 無言のまま愛機のメンテナンスを続けるフェイト。劣化したパーツを取り換え、高速移動と魔力探索の術式を効率的に処理できるプログラムに切り替える。ついでに記録処理関連も強化した。管理局が次元犯罪者を捕まえる時に証拠品収集に使うような、偽造防止と時刻、世界の座標まで記録可能なものだ。ちょっと前までこういう術式から逃れる訓練もしていただけに、その仕組みはよく知っている。組み込むのは簡単だった。

 

(これで、アイツの正体を暴いてやれば……)

 

 母さんはきっと私を見てくれる、と思いかけて、手を止めた。果たして本当にそうだろうか? プレシアからは孔とは仲良くしなさいと「命令」されている。今自分が取ろうとしている行動は、それに反するのではないか? それに、仮に証拠を押さえて孔を排除できたとしても、今はアリシアもいる。今度は母の眼がアリシアだけに注がれるようになるのではないだろうか?

 

(……アリシア……姉さん……)

 

 詳しくは聞かされていないが、かつて自分が魔導師の訓練をやっていたのはその姉を救うためだったらしい。しかし、横から出てきた変なヤツにその役割を奪われてしまった。本当なら、自分が母親の期待に応えて姉を救いだし、大団円を迎えるはずだった。期待に通りの活躍をした自分に家族としての愛情が注がれるはずだった。姉に尊敬の目で見られるはずだった。今のアイツのように。

 

(私だって……)

 

 そう考えかけて、ブンブンと首を振るフェイト。決して自分はあんなヤツみたいになりたい訳ではない。

 

(……あんなヤツに……あんな、あんな……なんだっけ?)

 

 しかし、悪いところを並べようとしたがうまく思い浮かばなかった。それどころか、あの翼のヒーホー(グレムリンの事をフェイトは心の中でそう呼んでいる)の雷撃から守ってもらったこともある。

 

(それでも、アイツは私の役目を盗るし……)

 

 しかし、それはただの嫉妬ではないだろうか。「友達を妬んではいけません」フェイトが読んでいた道徳を扱う本にはそう書かれていた。まるでそれは自分の憎しみを責めるように心に響き、

 

(……! フェイトッ! 来たよ、魔力反応だ!)

 

 アルフの念話にかき消された。いずれにせよ、孔が園子を殺したのなら、それは止めなければならない。止めないと、騙され続けている家族に災難が及ぶのだから。

 

「バルディッシュ!」

 

《Yes, Sir!》

 

 声援に似た声で応える愛機を手に、窓を開けて飛び立つ。

 

 速く。速く。疾く。

 

 フェイトは自分の持てる最大のスピードで魔力の根源に向かった。アイツが事を終えて現場から消える前に。ほんの数秒でたどり着いた現場には、

 

「……えっ? ね、猫?!」

 

 予想外の光景が広がっていた。そこには、

 

《Sir, I found the data. Lost Logia, Jewel Seed》

 

(ど、どうしよう……! ア、アルフッ! わ、私、ロストロギア見つけちゃったよ!)

 

(は? フェ、フェイト、な、何言ってんだい? ロストロギアって……アイツじゃなかったのかい!?)

 

 ロストロギア――バルディッシュの分析結果ではジュエルシード――に取りつかれた巨大な猫がいたからだ。感じたロストロギア級の魔力が本当にロストロギアだとは思っていなかった。こちらに向かっているアルフに念話を飛ばしながら、慌てて状況を確認する。

 

(そ、そうみたい。いま、白い魔導師とイタチの使い間が結界を張って封印しようとしてるみたいだけど……)

 

 が、対処にあたる白い魔導師は何かをぶつぶつと呟いているだけで、なかなか封印処理を始めようとしなかった。そういえば、この結界もどこかミッドチルダ系の魔導師が展開するのとは少し違う気がする。強度はそれなりに高いし、結界の役目もきっちり果たしているのだが、なんというか、ベルガ系の魔導師がミッドチルダ系の魔法を使ったような無理矢理感のようなものがあった。恐らく、封印処理に慣れていないのだろう。何せその白い魔導師は、魔法と無縁なはずのクラスメートだったのだから。

 

(あ、あれって、高町さんだよね?)

 

《Yes, Sir. Your Classmete, NANOHA TAKAMATI》

 

 バルディッシュが答える。変身魔法や幻術で誤魔化しているわけではないようだ。

 

(そういえば、たしかに魔力を感じたけど……)

 

 稀だと言いつつも、結構地球出身の魔導師は多い。確か管理局で英雄と言われている提督も地球出身だったはずだ。孔や修のインパクトが大きすぎた事もあり、普段目立たないなのはを見ても、ちょっと珍しいなと思った程度で済ましてしまっていた。

 

(あんなインテリジェントデバイスまで……管理局でもないのに封印処理を?)

 

 だが目の前の現実はどうか。今まさにその地味なクラスメートが恐怖を顔いっぱいにたたえ、必死に魔法を紡いでいる。恐らく実戦経験が少ないのだろう。自分も初めて轟音の飛び交う模擬戦に立たされた時は恐怖に足がすくんだものだ。

 

(……園子……園子もきっと……)

 

 震える手で魔法を紡ぐその少女に、もう会うことも叶わないクラスメートを思い浮かべるフェイト。普段勝気な園子が死を前に感じた恐怖はどのくらいだっただろうか。

 

(バルディッシュ……ッ!)

 

 フェイトは愛機を構える。少なくとも、自分はその恐怖を和らげるだけの力を持っている。守るだけの力を持っている。

 

《Yes, Sir. Get Set!》

 

 あまり話したことは無いけれど、園子と一緒にゲーム大会を過ごしてくれたそのクラスメートが理不尽に奪われる前に、

 

「フォトンランサーッ!」

 

 フェイトは結界ごとロストロギアの暴走体を撃ち抜いた。

 

 

 † † † †

 

 

「なのは、なにやってるんだ! 早く応戦しないと!」

 

 魔法を放った黒衣の少女に動きを止めるなのはを見て、ユーノは声を荒げた。

 

「っ!? ユーノくん、テスタロッサさんは……っ!」

 

「アレはミッドチルダの魔導師だ。ジュエルシードを横取りするのが目的かもしれない!」

 

「でもっ!」

 

 ユーノの声に反論しようとするなのは。なのははフェイトとそれほど話したことはないが、クラスでは双子の姉とは対照的な優等生で通っており、少なくとも悪い人間ではない筈だった。

 

「ふぎゃぁぁあああ!?」

 

 が、そこへ猫の悲鳴が響き渡った。連続で放たれたフェイトの魔法が直撃したのだった。

 

「っ!?」

 

 なのはの脳裏に、魔力を浴びて傷ついていく「誰か」が浮かぶ。あの魔力の光が引いた時の真っ赤な血を流す「誰か」がすずかの猫と重なり、

 

《Wide Area Protection》

 

 なのはは反射的に前に出て魔法の盾を作り出していた。通常よりも広範囲を保護する盾が、稲妻のような砲撃から猫を守る。

 

「っ!? どうして邪魔するのっ!」

 

 声を上げたのはフェイトである。確かに見た目は愛くるしい猫のままだが、アレがロストロギアの暴走体であることに間違いはない。対処法は速やかに意識を刈り取り、封印を施すのが定石だ。文句を言われても仕方がないだろう。

 

「それはっ……」

 

「そっちこそ、なぜジュエルシードを手にしようとするんだい?」

 

 何か言おうとするなのはをユーノの声が遮る。その妙に冷静な声は、まるで挑発するように響いた。

 

「ジュエルシードはロストロギアです! 管理外世界において暴走中のロストロギアを発見した場合、速やかに時空管理局に通報および可能ならば対処が義務付けられています!」

 

 それによほど苛立ったのか、フェイトは自分の正当性と相手の違法性を指摘する。しかし、なのははフェイトの「時空管理局」という単語に反応した。

 

「じ、じくうかんりきょくって……確か、ユーノくんが言ってた……?」

 

「そうだよ? きっとあの子は騙されてるんだ」

 

 なのはの声にその目を覗き込みながら答えるユーノ。ユーノは「予防線」としてなのはに時空管理局の事を「悪役」として吹き込んでいた。曰く、時空管理局はロストロギアを集め、危険な研究をしている。時空を管理するという大義名分を盾に侵略行為をしている。魔力を持つものは連れ帰り戦力として利用する。こいつらが集める前にジュエルシードは我々スクライア一族が保護しなければならない。そうして示された「悪」は見事なのはの敵意を掴むことに成功していた。

 

「管理局にジュエルシードは渡さないよ。この世界まで管理されたらたまらないからね」

 

「テスタロッサさんっ! 話を聞いて!」

 

「は、はぁ!?」

 

 対するフェイトは素っ頓狂な声を上げる。戸惑うようなそぶりに、なのはは少し意外な目を向けた。ユーノの話では、こういう場合は実力を行使してでも止めに入りに来るものだと聞いていたのだ。

 

「なのは、非殺傷設定で攻撃するんだ! 話はそれからだよ!」

 

「っ! ごめんね? テスタロッサさん!」

 

 しかし、なのははユーノの指示でレイジングハートを構える。ユーノからは管理局に与する魔導師を見れば、まず昏倒させるのが正しい対処法だと聞いている。組織に入った人間は基本的に立場を優先して外からの話を聞かなくなる。話を聞いてもらうのなら、力ずくで押さえつけるしかない、と。

 

《Stand by ready》

 

「ディ、ディバインバスター!」

 

 何かに強制されたかのように突然思い出したユーノの話に疑問を抱くことなく、なのはは震える手を抑え砲撃を打ち込んだ。

 

 

 † † † †

 

 

「……なんで、急にこんなっ!」

 

 対するフェイトは次から次へ飛んでくる砲撃を避けまくっていた。なんだかよく分からないが、この次元犯罪者どもは自分を攻撃対象に選んだらしい。助けてやろうと思ったのになんて奴らだ。孔のために用意しておいた術式でしっかりと記録しながら、フェイトは相手の分析を始める。

 

(砲撃は……強力だけど単調。やっぱり実戦経験は少ない。奇襲をかければきっと相手は対応できない筈。気を反らした後に一撃を加えて、最大速度で離脱すれば……!)

 

 後ろのロストロギアの暴走体が気になるが、ここは無視するしかないだろう。本来なら次元犯罪者にロストロギアを盗られるのは問題だが、バルディッシュには記録媒体としての役割を強化するため、防御系の魔法を削ってしまっている。砲撃系の魔導師に加え、イタチ型の使い魔と同時に相手にするのは無理があった。

 

(問題はそのイタチの使い魔だけど……)

 

 今のところこちらに何かしてくる気配はない。普通砲撃系の魔導師と組むのならば、使い魔はバインドで相手を止めるか、強固なバリアで盾の役割を持つことが多い。つまりはサポートタイプだ。

 

(下手に近寄るとトラップ型のバインドが怖い……なら!)

 

《Device form》

 

 愛機を相手と同じ射撃形態に変化させる。

 

「バルディッシュ!」

 

《Photon Lancer Get set!》

 

 槍型の砲撃が一直線に飛んでいく。急に飛んできた反撃になのはは目を見開く。

 

《Protection》

 

 主の危機を感じ取り、レイジングハートがシールドを展開した。しかし、その砲撃は、

 

「えっ?」

 

「みぎゃぁぁぁあああ!」

 

 なのはを通り過ぎ、後ろのロストロギア暴走体に当たった。大音量の悲鳴に思わず目を逸らすなのは。それを待っていたかのようにフェイトは次の砲撃を展開しようとしたが、

 

「甘い」

 

――シバブー

 

「っ! バインド! っ違う!?」

 

 ユーノのバインドのような魔法に捕まった。通常のバインドとは違うのか、可視的な拘束具が出現するわけでもなく、突然魔力の重圧が襲ってきた。虚を突かれ固まるフェイト。

 

「さあ、なのは、早く撃つんだ」

 

「う、うんっ!」

 

 ユーノの声に慌てて振り向き、レイジングハートを構えるなのは。

 

「ディバイィィィイイイン! バスタァァァアアア!」

 

《Divine buster!》

 

 叫び声と一緒に魔力を打ち出す。フェイトは迫りくるそれに、

 

(っ! シールドが展開できない!? このバインドのせいで?)

 

 対抗できなかった。通常、バインドは相手の術式を解析、それを打ち消すプログラムを構築することで破ることが出来る。が、初めて見るこの術式は、解析どころか魔法のコアを成す鎖の部分すら見当たらなかった。しかも、拘束中の相手の魔力を奪うようになっているらしく、一切の行動を許してくれない。

 

「……っ!」

 

 何とか抵抗しようとするが、もがくことさえ叶わない。絶望的な状況の中、フェイトは桃色の魔力光に目をきつく瞑った。

 

 

 † † † †

 

 

 堕ちていく少女。なのはには既視感があった。

 

――ソレハ誰?

 

 何度も心に響いた声は、

 

「よかったね、なのは。非殺傷は効いたみたいだよ」

 

《No problem, my master》

 

 しかし、ユーノとデバイスの賞賛の声、そして、

 

「にゃあ!」

 

 派手な打ち合いをしたせいで興奮した猫のせいで消えて行った。

 

《Protection》

 

「いたっ! ……て、言うほど痛くはないや。ありがとう、レイジングハート!」

 

 自動でシールドを発動させたレイジングハートに礼を言いつつ、もう一度愛機を構える。目の前の暴走体を止めるという意思の前に、もはや何の戸惑いもなかった。

 

「ごめんね?」

 

《Divine buster》

 

 謝っている割に容赦のない砲撃が巨大猫を貫く。桃色の魔力光が周囲を包み込み、

 

《Sealing》

 

 後には倒れた子猫と光を失った青い宝石が残った。

 

「やった!」

 

 嬉しそうに声を上げるなのは。自分に与えられた力で、友達と家族を守ることが出来たのだ。

 

「なのは、早く回収しないと」

 

「あ、うん。そうだね……って、ええ!?」

 

 しかし、ジュエルシードの方へ向き直ったなのはは声をあげる。なんと近くの茂みから別の子猫が出てきて、封印済みのジュエルシードを咥えて行ってしまったのだ。

 

「む!? アイツは!?」

 

「あ、ちょっと、待って! ジュエルシード返して!」

 

 なのははまっすぐ月村邸へと戻っていく猫を追って走り始めた。なのははその猫を知らない。すずかがもっとも信用する子猫型のオートマタであることを。なのはは気付かない。

 

「……ぅうっ」

 

 高度から落下し、地面に叩き付けられてうめき声を上げる金髪の少女がいることを。

 

(……アルフッ! リニスッ! 助けて……)

 

 その少女が信頼する使い魔に念話を送っていることを。

 

 ジュエルシードに夢中ななのはは気付かない。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

夜魔 綺堂さくら
※本作独自設定
 地球に古くから存在する吸血鬼、“夜の一族”の血を引く女性。さくらは中でも人狼の血を色濃く残す種族の末裔にあたる。人狼としての血のせいか、爪を剣のように変化させて戦うこともできる。が、その異常性も早くから意識しており、同時に多くの人間へ警戒心も抱いていた。そのため冷淡にみられることもあるが、一族の中では人間とは共存派であり、その希望となりうる高町家とは親交が深い。また、月村忍とは姪にあたる。ちなみに酒豪であり、そこが共通点でもある士郎とは気が合うようだ。

――元ネタ全書―――――
吉祥寺
 御祗島千明版、真・女神転生コミックより。樹海が和尚を勤める神社。数コマの登場ですが、実在するだけにインパクト抜群。

――――――――――――
※レイジングハートがSafety modeとか言っていますが、これは非殺傷設定の事です。原作での英訳を記憶していなかったため、適当にそれっぽいのを使ってしまいました。正しい英訳を知っている方がいればご指摘願います。
――――――――――――


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第13話c 子猫のゾウイ《参》

――――――――――――

「そこはさっきの氷水を使うんだ」

「は、はい」

「いかんな。この魚のさばき方はこう……」

 目の前で、買ってきた食材が手際よく調理されていく。寺沢警部の料理の腕前に感心しながらも、次第に見ているだけになりつつある自分に焦り始めた。なんというか、居づらいですね。

「す、すみません。お手伝いできなくて」

「いや。リニスさん。やはり調理は俺がやろう。卯月君と和尚さんの相手をしていてくれ」

 結局、私は頷いて邪魔にならないようキッチンを出ることになった。お寺のキッチンと言っても一般家庭のものと変わらない。最近は児童保護施設でも先生を助けようと調理師の勉強も始めている。アリシアたちの夕食を作る事だってある。役に立てると思った。だけど……

「……はあ、こっちに来てから、自信喪失気味ですね」

 園子ちゃんのことといい、このままでは本当に使い魔失格ですね。

――――――――――――リニス/吉祥寺キッチン



「出来ましたよー」

 

 なのは達がお茶会に興じている頃。吉祥寺では寺沢警部による豪華な料理が振る舞われていた。

 

「すごいですね。どこでこんな料理を?」

 

「いやー、自炊が高じてね。一人暮らしが長いと身についちまったんだ」

 

 驚く孔になんでもない風に答える警部。リニスが警部の手際が良すぎて途中で追い出されたと苦笑しながら戻ってきたときは耳を疑ったが、人には意外な才があるものだ。

 

「ふむ。では食べながら話すとするかの」

 

 一方、樹海和尚は慣れているのか平然とした様子で箸を取る。

 

「寺沢から話は聞いておる。たしかあの力を持った青い宝石、ジュエルシードじゃったか? それを狙う悪魔についてだったな」

 

「ええ、何か心当たりが?」

 

「うむ。確かガイア教団が悪魔を使役する法を持っておった筈じゃ。この間、西洋魔術に詳しい変人にも会うたが、なんでも、悪魔召喚の儀式を簡略化する技術を盗まれたとか言うておった」

 

「っ! その変人ってスティーブン博士のことでは?」

 

「なんじゃ。知っておるのか?」

 

「え、ええ。悪魔の研究をしていると聞いていましたが……」

 

 思わず聞き返す孔。同時に頭を抱えた。以前アマラ輪転鼓を盗まれたことがあると言っていたが、DDSプログラムが同じ被害に遭っているとは考えていなかった。確かにアレが流通していれば、誰が悪魔を使役していてもおかしくはない。が、寺沢警部は普段から宗教がらみで問題を起こすガイア教団の方が気になったようだ。

 

「ガイア教団って言うと、あのお騒がせの宗教団体ですね。確かに悪魔と言うか、鬼神のようなものを崇めているというイメージがありますが……」

 

「ふむ。あれもきちんとした形で祀れば神になるやも知れぬ。しかしのぉ。歪んだ心の持ち主や、虐げられたという不満を持つ者達が集まって崇めれば、神の神たる性格も歪んでいき、遂には妬みや復讐心、我欲に囚われた哀れな存在と成り果てるであろうよ」

 

「じゃあ、悪魔を崇める信者どもを何とかすれば……?」

 

「現世を侵略する足がかりを失うことにはなろう。しかし、そうした迫害が後世に更なる恨みつらみを遺しておるのじゃよ……」

 

 宗教という難しい問題を前に沈黙が降りる。

 

「喝っ! そこを動くな外道!」

 

 それを、突然遮ったのは樹海和尚。庭を指さし叫んだ先には、

 

「っ! ぎゃっ!」

 

 フェイトの使い魔、アルフがいた。

 

「申せ! 何者の使いじゃっ!」

 

「待ってください、和尚様。その女の人は敵ではありません」

 

 慌てて樹海を止める孔。アルフはよほど怖かったのか、涙目になってリニスの下に走る。

 

「うぅ。リ、リニスゥ~」

 

「アルフ? 一体どうしたんですか?」

 

 突然の訪問に戸惑うリニス。その様子を見て、樹海和尚が声を上げた。

 

「なんと、孔! お主、まだ魔獣の類に知り合いがおったのか?」

 

「ええ、まあ、正確には魔獣の類ではなく、魔法使いが使う使い魔の類ですが……」

 

 簡単に説明しながらも、孔は気配だけでアルフの正体を見抜いた樹海和尚に内心驚いていた。アルフは使い魔らしく素体である狼の耳を持っているのだが、普段外出するときはプレシアやリニスの指示で帽子を被っている。外見では普通の人間だ。つまり、樹海は魔力の流れで判断したことになる。しかも、「まだ」と頭についたところを見ると、どうやらリニスの事も気付かれているらしい。しかし、その驚きもアルフの言葉で止まった。

 

「はっ! そ、そうだ! リ、リニスッ! フェイトがっ! フェイトが変な結界の中に閉じ込められちまったんだよ!」

 

「アルフ、落ち着いてください! 一体何があったんです!?」

 

 焦った様子のままアルフが説明を続ける。魔力反応をフェイトと追っていた。先行したフェイトがロストロギアを見つけた。現場にいた魔導師と交戦してやられたらしい。援護に行ってみるとそこには妙な結界が張ってあって入ることが出来なかった。

 

「なっ! 不用意に魔力反応を追わないで下さいとあれほど言ったでしょう!?」

 

「ごめんよっ! こ、こんなことになるなんて……!」

 

 声を荒げるリニスに謝るアルフ。孔はそんな2人に割って入った。

 

「そのロストロギア、ジュエルシードだろう? 場所は何処なんだ?」

 

「……でっかい豪邸。月村って書いてあったね」

 

 それに嫌そうな顔で返事をするアルフ。だが、今の孔にアルフの感情を慮る余裕はない。「月村」と言えばクラスメートだ。思わず目を見開く。だが、先に反応したのは意外にも寺沢警部だった。

 

「月村っていうと、リスティと仲が良かったな。俺は詳しくは知らないが、裏社会とそれなりに繋がりがあるって言うんで、何回か捜査を手伝って貰ったことがある。取り敢えず向かわせよう」

 

「では、私達も向かいます。アルフ、案内してください」

 

「すみません。和尚様。続きはまた……」

 

 挨拶もそこそこに庭から飛び立つ孔達3人。

 

(間に合うのか……いや、間に合わしてみせる!)

 

 はやる心を必死に抑えながら、孔は空を駆けだした。

 

 

 † † † †

 

 

「なのは、遅いわね」

 

「う、うん。そうだね……」

 

 こちらは月村邸の中庭。なのはが戻って来ればすぐわかるようにと場所を変え、お茶会は続いていた。

 

「大丈夫ですよ。なのはちゃん、しっかりしてますし」

 

 そんな2人にお茶を注ぎながら、ファリンが元気付けるように話しかける。

 

「もし心配なら、私が見に行きましょうか?」

 

「うん、そうだね……あっ!」

 

 すずかはそんなファリンの言葉に頷きかけたが、途中で声をあげる。まるでなのはのいない空白を埋めるように、ゾウイが足元に寄って来たからだ。ゾウイはそのまますずかの膝に飛び乗る。

 

「相変わらずすずかにべったりね」

 

 主を慰めに来たかのように見えるゾウイに頬を緩ませるアリサ。一方、すずかはゾウイがいつもと違ってどこか動作がぎこちないのに気付いた。よく見ると、青い宝石のようなものを咥えている。ゾウイはすずかの膝からテーブルに飛び乗ると、コトリッと音を立てて宝石を置いた。

 

「あら? どっから見つけてきたの? その石」

 

「きれい……」

 

 アリサは紅茶を飲みながらその不思議な輝きを見せる宝石に見入っていた。すずかもその煌めきに魅入られたように手を伸ばす。しかし、

 

「ふぎゃぁぁあああ!」

 

 ゾウイが急に大声を上げた。思わず手を止めるすずか。アリサもビクリと椅子から跳ね上がる。瞬間、強く青い光がすずかを襲った。

 

 

「あ、ぁ……!」

 

 

 視界を覆う青の中、すずかは声にならない声を上げた。突然襲って来た寒気。次いで、光の中へと何かが吸い込まれるような感覚。その吸い出されたナニかは、目の前で黒い影のように広がっていく。蒼い光の中にシミのように広がった影から感じたのは、よく知る嫌悪感。今現状もっともすずかを苦しめる感情であり、常に心から離れないソレは次第に形を成して、

 

「……っ!」

 

 恐怖の塊であるソレが出来た。同時に、まるで毒虫が体中を食い散らかしていくような嫌悪感に襲われる。吐き気がした。めまいがした。アリサの「な、なんでアンタがここにいるのよっ!?」という声が酷く遠くに聞こえる。

 

「きゃあぁぁぁああああ!」

 

 気が付けば叫び声をあげていた。身体にはびこる虫を払うように手を振るい、絶叫とともに手元にあった熱い紅茶入りのカップを投げつける。しかし、それは目の前の化け物には届かなかった。いつの間にか手に握られていたナイフで、投げたカップが真っ二つにされたのだ。紅茶がしぶきとなって飛び散り、まるで血しぶきのように化け物を彩る。それを拭おうともせず化け物は両手に何十本ものナイフを指で挟むように構える。かつてゲームに閉じ込められた時に、画面の先で見せつけられた異能。悪魔が召喚した竜を刺し殺したあの力。その時のイメージそのままの化け物は、

 

「すずかちゃんから離れなさいっ!」

 

 ファリンに突き飛ばされた。すずかとアリサを庇うように前に立つ。

 

「すずかちゃん、怪我はありませんかっ!?」

 

 後ろに居る2人に気を使いながらも、ファリンは吹っ飛ばした相手に向けて構えをとった。そこにはもうドジ機能を搭載したメイドはいない。夜の一族が開発した自動人形――冷酷なオートマタだ。

 

「……っ!」

 

 しかし、それでもすずかの恐怖は止まらない。吹っ飛ばした先の茂みから聞こえた音に思わず後ずさる。ズルズルと這い出すようにして再び姿を現すそれ。その顔に表情はない。見慣れた無表情のまま、感情のこもっていない機械のような目を此方に向ける。

 

「……っひぁ!」

 

 すずかは恐慌状態に陥っていた。クラスメートである卯月孔は優等生だった。友達も多い。すずかはそれをよく出来た擬態だと思っていた。先生を騙し、友達を騙し、しかし平然と人と交わることが出来る孔の神経が、すずかには理解できなかった。

 

「……ぅ、あ……!」

 

 しかし今、孔はその化け物としての本性をむき出しにして、自分の前に立っている。ソレは普段想像していたものと微塵も紛うところがなく、いつも心に抱いていたイメージそのままの不気味な感覚が膨れ上がり、プレッシャーとなって襲い掛かってくる。恐怖と吐き気で倒れそうになり、

 

「っ! すずかっ!」

 

 アリサに手を引かれた。まるで恐怖とは正反対の方向に誘導するような力に、すずかは反射的に従っていた。それと同時、後ろから金属音が聞こえた。ファリンが孔の投げた大量のナイフを、ついさっきまでケーキを食べるのに使っていた銀のフォークで叩き落している。

 

「ファリンさんっ!」

 

「アリサちゃん! すずかちゃんを連れて、早く逃げてください!」

 

 振り返らずに叫ぶファリン。アリサは戸惑ったようにファリンを見ていたが、

 

「忍さんたち、呼んできます! すぐ戻りますからっ!」

 

 そう叫んで走り始めた。

 

「あなたは誰ですかっ!? どうしてすずかちゃんを……っ!?」

 

 後に残ったファリンは相変わらず無表情のままの孔と対峙していた。ファリンの呼びかけに、孔は答えない。ただどこからかナイフを取り出し、両手に構える。こちらに危害を加える意思に間違いはないようだ。

 

「っ! ごめんなさい!」

 

 見た目すずかと同年代の少年に、ファリンは謝りながら自分の中に眠るシステムを起動した。オートマタの戦闘用プログラム――オルギアモードとも言われるそれは、日常生活を送るためにセーブしていた力を開放し、障害をねじ伏せるだけの力を与える。このオートマタ本来のものと言っていい力を、しかしファリンは好きでなかった。自分はすずか付きのメイドだ。決して、いつかすずかや忍を襲った自動人形と同じなどではない。証拠に、自分の主は自分を家族として遇し、笑顔を向けてくれる。

 

――それでも、その笑顔を悲痛に変える存在からすずかを守るためなら

 

「いきますっ!」

 

 ファリンは強い抵抗を感じながらも殺戮兵器としての力を使った。頭に感じた強いストレスを打ち破るように声をあげ、孔に殴りかかる。殺すつもりはない。確かに不気味な雰囲気があったが、それは「すずかと同じくらいの少年を殺害する」という常識を壊すほどのものではなかった。第一、オルギアモードを使ったからといって、ファリンは戦闘技術――例えば、恭也が使うような暗殺剣――が使えるようになるわけではない。そのようなプログラムがインストールされていなかったからだ。始めから作られていなかったのか、それとも途中で消去されたのかは分からない。

 

(……それでもっ!)

 

 ゆえに、放つのは何の技術もないただのパンチ。

 

 だが機械の生み出す人間をはるかに凌駕したスピードと力が乗ったそれは孔に対応する隙も与えず、容赦なくナイフを持つ手を破壊する。掴んでいたナイフが地に落ちるよりも早く、ファリンはそのまま後頭部に手刀を叩き込む。あっけなくその少年は倒れこんだ。

 

「……ふぅ」

 

 大きく息をつくファリン。どうやらうまく行ったようだ。ほぼ見よう見まねの当て身はノエルに戦闘用のプログラムを積まない代わりにと教えられたものだ。ファリンはあの襲撃事件後も、忍やさくらに戦闘用のプログラムを追加しないように頼んでいた。自分は殺戮のための兵器にはなりたくないと。それはすずかの口添えもあって聞き届けられていた。忍やさくらは苦笑を浮かべながらも、どこか嬉しそうにしていたのを覚えている。

 

(このまま……お姉さま達が来まで目を覚まさないで下さいよ……)

 

 未だ不安はあった。どうやら死んではいないようだが、手加減をしすぎたとも限らない。あらかじめインストールされたプログラムではなく、学習して身に着けた当て身をファリンはそこまで信用していなかった。自然と目の前の孔に意識を集中することになる。

 

――ザンマ

 

 だからだろうか、背後から音もなく襲い掛かったソレに気付くことができなかった。

 

「……えっ?」

 

 ファリンは何が起こったのか分からなかった。自分を貫いた衝撃。それが駆け抜けた場所に目が行く。

 

 ナンダコレ?

 

 穴が開いていた。その穴は大量に赤い液体を噴出している。どす黒い赤で染まるメイド服。そのまま視界が反転する。自分が倒れたせいだと認識するのにどのくらいかかっただろうか。

 

――にゃあ

 

 そこへ、聞き慣れた鳴き声が響いた。目を向けると、ゾウイ――いや、アレは本当にゾウイだろうか。不気味に赤い目を光らせ、背には羽のようなものが見える。ソレはゆっくりとファリンに近づき、

 

 容赦なく体に爪を付きたてた。

 

 普通の猫ではありえない力でゾウイはファリンの装甲を剥ぎ取っていく。

 

「がっ! あっ!!」

 

 肉ごと皮を剥ぎ落とすような激痛にファリンは声をあげる。まるで自分の体を生きながら喰われるかのような恐怖に身をよじった。しかし、自分を破壊していく音は止まらない。消えかかる意識の中、すずかの、忍の、ノエルの向けてくれた笑顔が浮かぶ。ファリンはその笑顔が好きだった。人が笑っているのが好きだった。自分が殺戮の道具ではない何よりの証明であり、自分が存在する理由だった。自分がオートマタだろうが何だろうが、家族が笑っていればそんなことは気にならなかった。

 

「い、ヤ……!」

 

 その記憶にノイズが走る。まるで壊れた一世代前のテレビのように、ノイズが大切な人たちを喰い尽していく。

 

「いぃイヤァァァァアアアア!!」

 

 絶叫を上げるファリン。肉体に走る痛みよりも、不快感よりも、消えていくメモリーに叫んだ。もっと一緒にいたかった。すずかの成長を見守り、ノエルと一緒に忍と恭也の幸せを支えたかった。自分の頭に残されたメモリーはその未来を形作る礎となり、幸せな記憶として残るはずだった。

 

 だが、ソレもすぐに止まる。

 

 ぶちぶちと音を立ててコードを引きちぎりながら、オートマタの核となる部分を引きずり出すゾウイ。ファリンのメンテナンスを見ていて覚えた心臓部に当たる部品――メインコアを引き抜いたのだ。未だ人間の心臓のように律動を繰り返すソレを見て顔を歪めると、

 

――トラフーリ

 

 オートマタのはずのゾウイは魔法を使い、赤い液体で濡れたままのソレをどこかへと移転させた。ゾウイはしばらくそのままじっとしていたが、不意に館の方へ目を向けたかと思うと、倒れたままの孔を飛び越え姿を消した。同時にむくりと起き上がる孔。破壊されたままの腕を気にすることなく立ち上がり、

 

「……っ!? お前はっ!」

 

 声が聞こえた方に顔を向けた。

 

 

 † † † †

 

 

「はぁ! はぁ!」

 

 アリサはすずかの手を引いて走っていた。普段ならすずかの方が走るのは速い筈なのだが、未だショックが抜けていない様子のすずかの足は重かった。

 

(さっきのあれって、ホントにアイツ?!)

 

 走りながら、アリサは疑問だった。アリサにとって孔は人外の力を持つ化け物だ。しかし、それと同時にあの人並み外れた力と知能を認めてもいた。何時だったか、テストの点数がどうしても追い付くことが出来ず、はっきりと悔しさと羨ましさを感じた事がある。あれは化け物だから仕方ないと自分を誤魔化そうとしたが、それでもその力への奇妙な憧れのようなものは消し去ることが出来なかった。決してあんな気持ち悪い化け物になりたいわけではないが、その力そのものは人を惹き付けるだけの魅力となっている。園子や萌生があの化け物に近づくのも、優れた能力に引き寄せられた結果だろう。少なくともアリサはそれがあの気持ちの悪いクラスメートに人が集まる理由だと思っていたし、同時に嫌悪感を強めてもいた。自分を人外だと肯定する力を見せびらかして、それで人気を集めて一体何になるのかと。友情とはもっと心で惹きつけ合うものではなかったのかと。

 

(でも、さっきのアレはっ……!)

 

 力ではない。存在そのものから来る嫌悪だった。言うなれば毒虫や毒蛇を恐れるのに似た、生理的に受け付けないグロテスクさがあった。

 

(違うっ! 絶対違うっ!)

 

 アリサは心の中で否定した。鮫島を襲った化け物に匹敵する、いや匹敵しなくてはならないアイツは、もっと暴力的で破壊的な力を持っていなければならなかった。もっと胸糞悪くなる様な蹂躙の力を当たり前に行使しなければならなかった。あの凶悪な炎で悪魔の頭を吹っ飛ばした化け物でなければならなかった。それがあんなちゃちなナイフなど使って理性の無い化け物のようなグロテスクさを演出するなど、アリサには絶対に許せなかった。そうでなければ心から離れない嫌悪感を肯定する事が出来ない。間接的に鮫島の死因となり、園子を惹き付けたアイツが、只の嫌悪感の塊だった等と認めたくなかったのである。

 

――ダッテ、ソレハ嫌悪感ヲ抱ク自分ノ非ヲ認メル様ナモノダカラ

 

「すずかお嬢様! アリサ様!」

 

 だから、少し進んだ所で、すずかの悲鳴を聞きつけてやって来たノエルと忍、士郎にこう叫んだ。

 

「ノエルさんっ! 変な化け物がっ! すずかを襲って……今ファリンさんがっ!」

 

 

 † † † †

 

 

「……っ!? お前はっ!」

 

 アリサとすずかを忍に任せ、中庭に出た士郎は思わず声をあげた。そこには、あの気味の悪い少年の姿をしたナニかがいたからだ。

 

「あれは……調査対象の卯月孔ですね。なぜここに……っ!?」

 

 隣で声をあげるノエル。しかし、士郎はその声を心の中で否定した。違う。確かに見た目はあの時の少年だが、恭也と対峙した時のあの喉元に刃を突きつけられた様な緊張感がまるでない。ただの薄気味悪い雰囲気だけを纏っていた。アリサが言った「変な化け物」という形容がそのまま当てはまる。

 

(両腕を失っているせいか? いや、あれだけの使い手なら例え重症でもあんなにスキをさらす事は……!)

 

 しかし、その思考は悲鳴のような声で中断した。

 

「ファリンッ! 貴方っ! ファリンをっ!」

 

 孔の足元に転がるファリンの残骸を見て、ノエルはしかしすぐに冷静な――否、冷酷な視線で相手を捉える。

 

「……ファリンを傷つけたのは、貴方ですか?」

 

 まるで機械のように頷く孔。それはいつか感情なしに襲ってきたオートマタのようで、

 

「そうですか、では……」

 

 そしてそれは、地面に転がるファリンの存在を否定しているようで、

 

「……排除しますっ!」

 

 ノエルには堪えられなかった。自分に眠る戦闘用のプログラムを起動させる。自分自身を殺戮兵器であると認める様なその行為を、しかしノエルは抵抗なく実行した。長い間メイドとして忍を守ってきたノエルにとって、家人に害を成した者を排斥するため力を振るうのは当然の行為だった。

 

 孔の鳩尾にノエルの手刀が突き刺さる。内臓が破壊されるような音とともに孔は吹っ飛ばされた。受け身をとる暇もなく地面に叩きつけられながらも、ヨロヨロと起き上がろうとする。しかし、それは叶わない。

 

「チェックメイトです」

 

 右肩を足で踏みつけ、地に伏せさせたまま固定するノエル。ノエルの戦闘用プログラムは視覚情報から相手を解析し、絶妙な力で殴り飛ばすと同時に銃を展開、オートマタの驚異的な脚力で距離を詰め、後頭部に銃を突きつけたのだった。初動から制圧までわずか0.6秒。通常の人間ならば知覚すら困難なスピードだ。

 

「貴方には聞きたいことがあります」

 

 常人ならばその強大な反動ゆえに扱いが難しいエレファント・ハント用の銃を、ノエルは片手で軽々と構える。H&Hロイヤル・ダブルライフル。某国王室御用達の銃器メーカーが、さる好事家のオーダーメイドにより開発したそれは、ロイヤルの名にふさわしい銀の繊細な装飾に金のシリアルナンバーが刻印されていた。黒い銃身は夕闇の光を反射し、さながら死神の鎌のように輝いている。一撃で象を葬り去ることも可能なように。威力を追求したその銃は、引き金が引かれれば容赦なく孔の頭を吹き飛ばすだろう。

 

「まずは、なぜすずかお嬢様たちを……っ!」

 

 しかし、冷酷な口調のまま始めようとした尋問は、最初の質問の途中で止まった。銃口の先にあった筈の孔の頭が崩れ始めたのだ。いや、頭だけではない。体全体がヘドロの様に変質し、泥が溶けるように崩れていく。泥は人型のシミを作り、そのシミもすぐに消えた。

 

 

「……やはり偽者か」

 

 半ば確信があった士郎はそう呟く。同時に何処かアレが偽者であった事に安堵していた。自分の戦士としての勘はまだ衰えていない。孔をただの化け物以上のナニカとして警戒したのは間違いではなかったのだと。

 

「士郎様、今のは一体……?」

 

「いや。俺にも分からない。ただ、さっき襲ってきたのは例の卯月君ではないよ。アレよりずっと危険な感じがした」

 

 ノエルの問いかけに首をふる士郎。孔に直接会っていないノエルは納得出来ない様子だったが、すぐに次の行動を促す。

 

「士郎様、一旦屋敷に戻りましょう」

 

 考えることは同じようだ。あの泥となって消えた同じ姿をした怪物が孔でないのなら、2体目、3体目が襲って来る可能性もある。

 

「ああ。しかし、ファリンさんは……」

 

 チラリとファリンを見る士郎。ノエルも無惨な残骸と成り果てた後輩のメイドに視線を送り、一瞬哀しみに顔を歪める。が、すぐに冷徹な表情を取り戻した。

 

「忍お嬢様やさくら様に危険がある以上、あの状態のファリンを連れて行く訳には参りません」

 

「……そうか」

 

 士郎は短い言葉で頷く。裏の稼業に馴染みがある士郎にとって、それは当然の決断だった。むしろ、この状況でファリンはどうするのかと聞いた自分がどうかしている。家族との生活で随分平和ボケしたなと自嘲する士郎。先に立って屋敷へと歩くノエルとの距離が随分空いている様に感じた。慌てて追いかける。そんな士郎にノエルは足を止め、

 

「それと、ファリンは忍お嬢様達が、きっと何とかします。どれだけ壊れていても、例え記憶が失われていたとしても。きっとファリンは戻ってきます」

 

 そう言った。冷徹な判断を下すための希望。士郎はそれを考慮しなかった自分を突きつけられ思わずノエルを見つめる。ガラスのように美しい目にどのくらい見とれていただろうか。

 

「イヤァァぁぁあああっ!」

 

 悲鳴で我に返り、2人は頷きあうと屋敷へと駆け出した。

 

 

 † † † †

 

 

 その少年――アリサの言葉でいう「孔の姿をした薄気味悪い化け物」は、士郎達を待つ5人の前に突然やってきた。

 

 数刻前、忍に連れられ部屋に戻ったアリサは、残っていたさくらと桃子、美由紀に化け物が出たのだと告げていた。恐怖で肩を震わせるすずかに気付かず、アリサはその化け物が如何に気持ち悪いかを説明していた。そこには明らかな悪意があった。アリサからすれば今ままで抱いてきた孔への嫌悪感を否定するような存在を少し過剰に拒絶したに過ぎないのだが、すずかからすればそれがまるで自分に向いているように思えた。

 

「あんな気持ち悪い化け物っ!」

 

 そう叫ぶアリサは、いつか想像した化け物の自分へ嫌悪感を向けるアリサそのままで、

 

(助けて、ゾウイ……っ!)

 

 すずかは心の支えを探していた。そういえばゾウイの姿はあの宝石が光ってから見ていない。嫌な予感がよぎる。思わず中庭へと続く半開きの扉を凝視した。

 

「ゾウイ?」

 

 そして、扉の向こうにゾウイの尻尾を見つけた。反射的に扉へと走るすずか。

 

「あっ! ちょっと、すずかちゃん?!」

 

 声を上げる美由希。止める間もなく扉は開けられ、

 

「……っ!?」

 

 ソレはそこにいた。

 

「……い、いや」

 

 すずかの恐怖を煽るように吐き気がするような気持ちの悪い雰囲気を漂わせ、無表情のままこちらを見下ろしている。

 

 

「貴方は……?」「卯月君っ?」

 

 そこへ、さくらと桃子の疑問が響く。

 

 違う。美由希はやはりそう思った。父ほどの経験はないとはいえ、その直感は兄をして自分よりも素質はあると言わしめる物を持つ彼女は、あの時の狂騎士が目の前の化け物と同一人物とはどうしても思えなかった。しかし、その少年がナイフを構えるのを見て、

 

「すずかちゃんっ!」

 

――御神流『飛針』

 

 美由希は迷わず鉄針を投合していた。それは威嚇するように孔をかすめ、廊下の壁へ突き刺さる。動きを止める孔。

 

「すずかっ!」

 

 そのスキに忍がすずかを引っ張り、さくら達の下へ走った。

 

 

「……卯月くんでいいのかしら?」

 

 さくらは2人を守るように前に立ちながら、微動だにしない少年に問いかける。無言で頷く少年。確かに不気味な雰囲気を持っている。人間が自分たちのような存在を見ればこのように感じるだろうか。さくらは孔に質問を続けようとして、

 

「う、嘘よっ! アイツはもっと、もっと化け物だった!」

 

 アリサの叫びにかき消された。その声にすずかはビクリと肩を震わせ、美由希は驚いた様にアリサを見る。さくらも孔から目こそ離さなかったものの、驚きを隠せず目を見開いていた。それを隙と見なしたのか、孔の姿をしたナニかはナイフを投げつけてきた。

 

「っ!」

 

 爪を剣のように変質させてそれを叩き落とすさくら。遅い。さくらはそう思った。これでは御神流を下すどころか、調整がほとんどされていないオートマタでも十分対抗できるだろう。とはいえ、普通の少年とは一線を画す力を持っているのもまた事実だ。

 

(……襲ってくるなら、手加減はできないわね)

 

 どこから取り出しているのか次々とナイフを飛ばしてくる少年。広い部屋とは言え、そこまで距離は無い。さくらは飛んでくるナイフを弾きながら歩き始めた。人狼の血を引く彼女は、この程度ならば普通の速度で歩くことが出来る。あっという間に距離を詰め、

 

「フッ!」

 

 顔面を殴り付けた。壁際に置いてあった椅子に激突し、派手に音を立てる孔。そのままピクリとも動かなくなった。あっけなさすぎる程の結末にさすがに不安になる。十分に手加減をしたつもりだったが、誤って殺してしまっていては事だ。慌てて駆け寄って首筋に手を添えて脈を診る。脈は止まっていた。それどころか、

 

「っ!? 首の骨が折れている!?」

 

 青くなるさくら。しかし、その表情はさらに驚愕で彩られることになる。なんとその少年は首筋に添えられたさくらの腕を掴んだのだ。

 

(屍鬼!?)

 

 さくらの頭に浮かんだのは話に聞く禁忌の存在。死者を人形に変えて使役する技術。夜の一族の古い伝承に伝え聞くそれは、心臓の脈動なく動くという。僅かな動揺。その死者のように冷たい手をした少年がそれを見逃すはずもなく、そのままさくらを投げ飛ばした。

 

「っ!」

 

 しかし、さくらも魔獣の血を引く夜の一族。空中で体を捻って体勢を整え、大したダメージもなく着地する。しかし、向き直って視界に入ったのは、

 

「……ぁ!」

 

 怯えるすずかの前に佇む少年の姿だった。

 

「……」

 

 振るえが止まらないすずかを、孔は相変わらずの無表情で見つめていた。もっとも、首はあらぬ方向に曲がっており、まるで首のない人形に無理矢理頭を接着したかのようになっている。それでもまるで苦痛を浮かべることがなく、ただ威圧と恐怖を与える様に立っている。決して倒れない化け物。まるでそれは自分の恐怖を象徴しているようで、

 

「イヤァァぁぁあああっ!」

 

 ついに爆発し、絶叫となった。それと同時、ガラスが割れるような音があたりに響き、

 

「よくも孔の顔でっ!」

 

 女性の声とともに見慣れない猫が飛び出し、その化け物を突き飛ばした。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

自動人形 ノエル・綺堂・エーアリヒカイト
※本作独自設定
 月村家に仕えるメイド。見た目は人間の女性だが、実際は夜の一族に伝わる機械人形、オートマタの内の一体である。同じオートマタのファリンと比べるとやや感情が乏しく、冷たい印象を与える。しかし、全くの無感情という訳ではなく、時折人間と同じ様な情動からくるプログラムを超えた行動を見せることがある。現状は忍付きのメイドとして過ごしているが、もとは夜の一族である綺堂さくらの屋敷にて眠っていた(このため、ミドルネームは綺堂となっている)。その技術は未だ解明されておらず、やはり忍には格好の研究対象にもなっている。

――元ネタ全書―――――
出来ましたよー
 やはりコミック版女神転生より。寺沢警部の料理。ちなみに、樹海に留められるのは原作では土蜘蛛でしたが、ここではアルフに変わっています。

オルギアモード
 ペルソナ3、アイギスの特殊能力より。私自身は、ゲームではあまり使いませんでしたが、ロボつながりということで、クロス要素で登場させました。

――――――――――――


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第13話d 子猫のゾウイ《肆》

――――――――――――

 貴方はいつも泣いている。

 自分が化け物と思い込んだあの日から、
 我が悪魔に憑かれたあの日から、
 貴方はずっと泣き続けている。

 その涙を見て、悪魔は最高の食事だと笑う。
 その涙を見て、我は最悪の悪夢だと嘆く。

 貴方はそれに気付かずに、我が名を呼び続ける。

 貴方が呼んでいるのは、我ではないのに。

――――――――――――???/月村邸



 さざなみ寮にある那美の部屋。かつて学生時代を過ごしたそこで、リスティは那美と一連の事件について話をしていた。

 

「なのはちゃんに悪魔が……分かりました。やってみます」

 

「ああ。那美と久遠なら怪しまれずに近づける。頼むぞ」

 

「くぅ!」

 

 那美の決意に久遠も声をあげる。那美にとって恭也に可愛がられているなのはは妹のような存在だったし、久遠も小学生のなのはと心を通わせたことがある。

 

「でも、魔法世界のロスト・テクノロジーですか? そんなものが海鳴りに落ちてきているなんて……」

 

「ああ、だが、那美の掴んだ情報ともこれで繋がった。裏の世界で悪魔が起こす事件の増加。それを取り締まる――デビルサマナーだったか? その人たちも悪魔が何か目的を持って呼び出されていると言ってたんだろう? 宝石を狙っている人物が悪魔を使っているなら、その悪魔が問題を起こしていてもおかしくない」

 

 那美は自分の一族が遺した膨大な書物の中にリスティの言う化け物(ジュエルシード暴走体)がいないのを確認してから、別の怪異と戦ってきた存在へ話を聞きに行っていた。影の奥に潜む怪しい者――悪魔と呼ばれる存在へ立ち向かうため、同じ悪魔を使役して対抗する悪魔召喚師・デビルサマナーと呼ばれる人々。那美のような悪魔を祓う退魔師と違い、悪魔と契約して悪魔に対抗する勢力。那美よりもずっと社会の深い部分に精通する彼らは、確かに悪魔がこのところ活発に、しかも何か明確な意思を持って事件を起こしているという情報をくれた。そこへ、リスティが持って来た魔法世界の遺産とそれを狙う悪魔の情報。先の結論に達するまで、さほど時間はかからなかった。

 

「何か、私に出来ることがあったら言って下さいね? 御祓いは専門ですから」

 

「ああ、そうだな……」

 

 軽い言葉だが、緊張を隠しきれない口調で言う那美。リスティが頷きかけたとき、携帯がなった。失礼と一言断って通話ボタンを押す。

 

「もしもし……ああ、寺沢警部、何か収穫が……なっ! ……はい。はいっ! 分かりました、すぐ向かいます!」

 

「どうしたんですか?」

 

 切羽詰った声で通話を終えるリスティ。尋常じゃない様子に那美が不安そうな声を出す。リスティは厳しい顔つきで答えた。

 

「早速だが、力を借りることになりそうだ。忍の屋敷に悪魔が出たらしい」

 

 

 † † † †

 

 

「リスティさんっ!」

 

「あ、ああ、リニスさんか。しかし、本当に飛んでくるとは……」

 

 月村邸前。リニスは驚くリスティと那美の前に降り立った。

 

「ホ、ホントに魔法使いっていたんですね……」

 

「……霊能力者に言われたくないだろうな。ボクも人のことを言えた義理じゃないが」

 

 横でしきりと感心する那美に突っ込むリスティ。そんなやり取りをする2人を見て、アルフもリニスに問いかける。

 

「リニス、この2人は……?」

 

「ああ、この間話した刑事さんですよ。リスティさんと……」

 

「神咲那美です。ええっと、この近くの八束神社でアルバイト……じゃない、巫女をやっています」

 

「リスティ・槙原だ。よろしく。ええっと……?」

 

「あたしはアルフってんだ。よろしくな」

 

 簡単に自己紹介をしてくれる那美とリスティ。アルフも返事をしたものの、どこか疑問の目を向けている。何せ2人からは何の魔力も感じないのだ。これからフェイトを助けに行くというのに、お荷物を抱えるのは得策ではない。

 

(リニス、この2人連れてって大丈夫なのかい?)

 

(……一応、悪魔、というか妖怪の類との交戦経験はあると聞いています)

 

 リニスもそう答えたものの、正直なところ半信半疑だった。寺沢警部からある程度2人の噂は聞いているが、実際にどの程度の力を持っているか目にしたことがない。

 

(いざとなれば、移転で強制的に退避してもらうしかありませんね)

 

 いまだ不審な目を向けてくるアルフをよそに、念話に出すことなく思う。この世界で培われてきた退魔の術でもって悪魔とも渡り合ってきた上に月村家とも交流があると聞く2人は、危険だから待っていてくれと言っても聞いてはくれないだろう。それどころか、そっちこそ待っていてくれと言われかねない。向こうもこちらの力がどれ程のものかを知らないのだ。結局、説得の時間もない以上、退魔の力が悪魔に通用することに期待せざるを得ない。

 

(負担にならなければいいんですけど……)

 

 ちらりと孔を見る。孔はデバイスを結界に向けていた。挨拶を自分たちに任せて、もう解析を始めている。悪魔を前にして何度も大切な人を失っているせいだろうか。相変わらず使い魔のパスから感情らしいものは流れ込んでこないが、焦りを無理に抑えこもうとしているのがビリビリとした雰囲気で伝わってきた。リニスにはそれが酷く痛々しく見える。大して社会の仕組みも分かっていない年齢の孔が、まるで周囲の不幸を背負い込んでいるように思えたのだ。

 

「I4U、どうだ?」

 

《Yes, My Dear. 悪魔の結界反応を確認。この屋敷全体を覆っているわ》

 

 そんなリニスの前で、孔はI4Uと対策を練り続ける。一見何の変哲もない屋敷に見えるが、その魔力反応と強い霊的磁場は、ここから先が悪魔の領域であることを物語っていた。

 

《外界からは目視不能。干渉も不可。うまく空間を異界につないで指定した人間だけ結界に閉じ込めて、他の人間は現実世界に作り出した虚像に誘導してるみたいね》

 

「対応は?」

 

《可能よ。今境界可視化のプログラムを実行するわ》

 

 I4Uから月村の館に光が伸びる。その光は結界の効果を上書きし、干渉できる対象を変化させる。術者が指定した月村一家やフェイト以外に、孔達に加え魔力を持たないリスティ達も入り込めるように。光は館を覆うドーム状の結界を這うように広がり、通った先から外装を浮かび上がらせた。それは薄気味悪い肉色の膜で構成され、ところどころ脈打つように蠢いている。まるで生きた内臓だ。

 

「くぅっ!」

 

 その禍々しい姿に久遠が警戒したように声をあげる。外見的なグロテスクさはもちろん、漂う空気も尋常ではない。肌に絡むねっとりとした感触が、うっすらと不快感を与える腐臭が、この先は普段生活している世界とは違う場所だと告げていた。

 

「気持ち悪いねぇ。悪魔の結界って、普通の結界とどう違うんだい?」

 

「そうですね……普通の結界はあくまで魔法の延長、術者の指定した空間全体にプログラムを干渉させるものですけど、悪魔の結界は現界するのに使ったマグネタイトの一部を魔力で制御して作り出した空間です。まあ、空間へプログラムで干渉するか、空間そのものを魔力で侵食するかの違いと思って下さい」

 

 アルフの疑問にスティーブン博士の受け売りで応えるリニス。アルフはまだ理解していないのか疑問符を頭に浮かべている。そんなアルフを置いて、リニスは孔と対策を立て始めた。

 

「これだけ大規模な結界を作るだけのマグネタイト……やはり、ジュエルシードの力を使ったのか?」

 

「ええ、そう考えるのが妥当でしょう。ロストロギアの魔力ならマグネタイトの代用も可能かもしれません」

 

「しかし、プログラム干渉じゃない以上、結界破壊の魔法では破ることはできない……どうする?」

 

 通常、ミッドチルダで流通している結界に対抗するための魔法は、その結界のプログラムを打ち消すような術式を組むのが主流となっている。そもそもプログラム干渉ではないこの結界を破るのは別の方法を使う必要があった。

 

「アンタがその化け物みたいな力で殴ったらいいんじゃないのかい?」

 

「アルフッ!」

 

 アルフのどこか敵意がこもった提案に、咎めるように声をあげるリニス。しかし、孔は大して気にした風もなく答える。

 

「いや。力技は難しいだろう。一緒に中の人まで吹き飛ばしたら事だ」

 

 じっと結界を見つめる孔。どのくらいの強度かは分からないが、結界の崩壊に救助対象が巻き込まれるのは避けたい。そんなとき、

 

《My Dear. 悪魔の結界に入り込みたいのなら、私が解析できるわ》

 

「入れるのか?」

 

《ええ。マグネタイトの流れを読み込みさえすれば、そこに通路を開くことは可能よ?》

 

 孔の声にこたえるように、I4Uが回答を提示した。スティーブン博士謹製だけあって、悪魔の技術にも対抗できる力を持っているようだ。

 

「そういえば、以前ゲームに閉じ込められたときもスティーブン博士が通路を切り開いてましたね」

 

《あの時は外部からの強力な操作があったみたいだから読み込みが難しかったけど、今回は純粋に悪魔が作り出しているだけだから、私単独でも可能よ》

 

 I4Uの説明に頷くリニス。どうやらこのデバイスもいろいろと特殊らしい。悪魔の知識だけでなく、強い自我と知性を感じる。自分も開発に携わっていたが、ほとんどのパーツにブラックボックスがあった。スティーブン博士は使用者に見合うだけのモノを封印してあると言っていたが、

 

(もし危険なら……対処できるようにしておかなければなりませんね)

 

 悪魔の危険性をよく知るリニスは、予想外の性能を発揮するデバイスを危惧していた。パーツを受け取ったとき、安全性は可能な限り追求してあるという言葉を貰ってはいたが、毎回事故を起こすスティーブン博士やプレシアを見ていると、果たしてそれにどこまで信憑性があるのか疑わしくなってくる。そんなリニスの心配をよそに、孔はデバイスを操作した。

 

「頼む。解析を始めてくれ」

 

《Yes, My Dear. Aria search mode, execute》

 

 I4Uから悪魔の結界へ光が伸びる。その光は結界の壁に突き刺さり、徐々にシミの様に広がっていった。やがて、結界は音を立てて口が開く。

 

「うげっ……。気色悪いね」

 

 嫌そうな声を出すアルフ。腐った肉のように崩れ落ちて出来た入口からは、見た目に違わず異様な雰囲気が漂っていた。

 

「うぅ。入りにくいなぁ。月村先輩、こんなところに閉じ込められて大丈夫かなぁ?」

 

「中にはノエルたちもいるんだ。きっと無事だ」

 

 不安を口にする那美を宥めるリスティ。夜の一族の力と絆を知っているリスティは、そう簡単に月村家が悪魔に屈するとは思っていなかった。那美もその言葉で結界に向き直る。

 

「行こう。I4U、セットアップを」

 

《Yes, My Dear. サーチは私に任せて》

 

 孔もデバイスを起動させ戦闘体勢に入る。どこか上機嫌に答えるI4Uにリニスはひっかかるものを感じたが、孔に続いて結界に飛び込んだ。

 

 

 † † † †

 

 

「ここは……忍のっ!?」

 

 孔に続いて結界に飛び込んだリスティは声をあげた。気色の悪い結界を抜けたと思ったら、何度か遊びに来たことがある屋敷の一室だったのだ。しかし、すぐに気付く。確かに回りはいつもの月村の屋敷だが、漂う空気は別物だと。高価な調度品、手入れの行き届いた埃一つないフローリング。そうした月村邸を表す記号はあれど、住人の臭いがどこにもない。

 

「すごい妖気……リスティさん。気をつけて下さい」

 

 部屋に漂うただならぬ雰囲気に那美も警鐘を鳴らす。あるいはそれは自分への言葉だったかもしれない。かつて久遠の封印が解かれたときと同じ、肌に絡むような悪意を感じとり、慣れない霊剣を確かめている。那美はどちらかというと霊を呼び出した上で説得し未練を断ち切らせる鎮魂を得意としており、剣でもって調伏するのは久遠の役目だった。

 

「くっ!」

 

 久遠もそんな那美の様子に気付いたのか、警戒して毛を逆立てている。これだけ興奮している久遠を見たのはどのくらいぶりだろうか。

 

「ああ、もうっ! 気分悪いね。早くフェイトを見つけないとっ!」

 

「アルフ、落ち着いて下さい。雰囲気にのまれていては、見つけられるものも見つからなくなりますよ?」

 

 魔法使い組にもこの雰囲気は異常だったらしい。何かを振り払うように叫ぶアルフをリニスが宥めている。それは孔も同じらしく、注意深く回りを観察しながらデバイスに手をかけた。

 

「とにかく、月村さんとフェイトさんを探そう。I4U、サーチを――」

 

 しかし、孔の声は廊下の奥から聞こえてきた金属音で止まった。ナイフを落とした時のような音が連続で響く。目配せは一瞬。5人は慌ただしく動き始めた。

 

「アルフ、貴方はフェイトを。この結界の中でも使い魔のパスと念話で位置は分かるはずですっ!」

 

「おうっ! 任せときな!」

 

 リニスの指示に勢いよく頷くアルフ。那美もそれに続く。

 

「私も行きますっ! この屋敷の事はある程度知ってますから。リスティさんはすずかちゃんをっ!」

 

「ああ、頼むぞ……!」

 

 言葉も短く悲鳴の上がった方へ足を向けると、リスティは先行する孔とリニスを追って悪魔の結界を駆け抜けて行った。

 

 

 † † † †

 

 

 リニスは孔が聞いた金属音がした方へと駆けていた。奥の廊下を曲がり、応接室へ。しかし、その足は扉の前で止まる。

 

「っ! これはっ!」

 

 目の前には先程の結界の外壁と同じ壁があった。壁といっても木のように床から生えた幾筋もの肉のオブジェのようなものであり、それが重なりあう様にして行く手を阻んでいる。肉色の木の壁。そんな形容が当てはまるそれを前に、孔がデバイスを掲げる。I4Uはすぐに解析結果を告げた。

 

《My Dear. マグネタイトの流れを確認したわ。どうやら結界の壁を作っていたのが中途半端に流れ出して壁になってるみたいね》

 

「破壊できないのか?」

 

《こっち側からじゃ難しいわ。流れを捻じ曲げている渦が後ろ側にあるはずだから、それを壊さないと》

 

 孔の質問に簡潔に答えるI4U。リニスは諦めきれずに木と木の隙間から部屋の奥を覗く。すると、

 

――貴方は……卯月君でいいのかしら?

 

 そんな声が聞こえてきた。思わず孔の方を見ると、驚いた様に顔をあげている。その視線は、やはり部屋の奥。もう一度視線を戻すと、リニスはそこに孔と同じ姿をした異様な雰囲気を持つナニかを見つけた。後ろからリスティが声をあげる。

 

「あれはっ! 卯月君?」

 

《あんなのが私の愛しい狩人であるはずがないわ。あれは悪魔が産み出した偽者ね。誰かのイメージから魔力で生み出された虚像よ》

 

――う、嘘よっ!

 

 I4Uの声を肯定する様にアリサの声が響く。しかし、

 

――アイツはもっと、もっと化け物だった!

 

 その言葉に孔は一瞬顔を歪ませる。リニスはその孔の微細な変化を見逃さなかった。普段表情の変化に乏しいせいだろうか。一瞬見せた主の苦痛はリニスの心を抉った。無意識に拳を握りしめる。

 

(リニス。いいんだ)

 

(コウ?)

 

(受け入れられない力でも、止めることができれば、それで十分だ)

 

 孔もリニスの感情に気付いたのか、落ち着かせるように念話が頭に響く。違う。そうじゃない。リニスは心の中で叫んだ。そんな救世主のような役割はなど期待していない。ただ、誰かに受け入れられて、幸せになって欲しい。それではまるでプレシアに受け入れられなかったフェイトと同じではないか。いや、フェイトよりも酷い。あの時のフェイトは母の愛情を諦めていなかった。今の孔はもう他者に受け入れられるという希望すら無くしているように見える。

 

(……コウ、私はっ……!?)

 

 しかし、それを言葉にすることは叶わない。目の前で孔の顔をした悪魔が立ち上がり、すずかに手をあげたのだ。

 

「……よくも……」

 

 怒りで肩が震えた。それは孔に、いや自分に絶望を見せつけるような行為。

 

――イヤァァぁぁあああっ!

 

 悲鳴が聞こえる。そこには、まるで化け物でも見るような目で孔の顔をした悪魔を見つめるすずかがいた。

 

「……よくも……っ!」

 

 思わず漏れた声が震えているのがわかる。目の前の光景は、まるで自分が使い魔として、いや家族としての孔の幸せへの願いを踏みにじるようで、

 

「よくもコウの顔でっ!」

 

 気が付けば、山猫の姿に戻って覗いている隙間から飛び出していた。背後の壁にある血でできた宝石のような魔力の塊を後ろ足で蹴り飛ばして破壊しつつ、その反動で悪魔に電撃を纏ったままぶつかる。その悪魔はなすすべもなく壁に叩きつけられ、ズルズルと音を立てて影のように溶け始めた。その影から、得体のしれない霧のようなものが噴出している。リニスは猫の姿のまま再び魔力を纏い、

 

「そこかっ!」

 

 しかしそれを解放する前に、崩れた壁から飛び出した孔が怒号とともに銃の引き金を引く。打ち出された魔力の弾丸は消えかける影の直ぐ上の虚空、否、虚空と思しき場所に逃げていこうとする本体の悪魔を撃ち抜いた。

 

「ギニャァアアア!!」

 

 悲鳴を上げて床に落下する悪魔。そこには、毛を逆立てて此方を威嚇する黒猫がいた。リニスは今度こそ魔力を解放しようとするが、

 

「っ! ゾウイ……!」

 

 すずかが声をあげ立ち上がった。そのまま近寄って手を差し伸べようとしている。リニスは思わず叫んでいた。

 

「すずかちゃんっ! ダメッ!」

 

――ザン

 

 しかし、その叫びは届くことなく、悪魔が打ち出した鋭い風がすずかを襲い、右肩を切り裂いた。勢いよく血が噴き出る。

 

「っ!」

 

「すずかっ!」

 

 駆け寄る忍。姉に抱き留められながらも、すずかは信じられないようなものを見る目でゾウイを見ていた。その眼に浮かぶのは恐怖。リニスはすずかに駆け寄りながら、目の前の悪魔に疑問を感じていた。なぜ孔の姿をとったのか。なぜそれをすぐに捨てて猫の姿に変わったのか。しかし、その疑問は、リスティの声で止まった。

 

「なるほど、お前がすずかちゃんの恐怖心の結晶という訳か……っ!」

 

 銃声が響く。

 

――お、おのれぇぇぇぇえ!

 

 同時に叫ぶ悪魔。それはゾウイではなかった。倒れたゾウイの上、そこに翼を生やしたゾウイとは似つかない黒猫の悪魔――ファンタキャットが浮いている。

 

「ゾウイにとり憑いて、すずかちゃんに接触。恐怖を読み取って虚像を作り出した。しかし、本人が現れて失敗。やむを得ずゾウイの姿ですずかちゃんを襲うことでさらに恐怖を引き出そうとした。こんなところか? 生憎、今は大衆にも学問が浸透していてね。呪術や幻術への免疫も出来上がっているんだ。100年、古い手だったな!」

 

 銃を構え直すリスティ。その銃からは小さいながらも魔力が感じられる。

 

(この魔力は……質量兵器に術式を?!)

 

 驚愕に目を見開くリニス。質量兵器とは魔法世界で言うところの魔力を動力としない破壊兵器の事で、いわゆるBCN兵器の他、地球の紛争地区等で流通している銃や剣等が該当する。普通ならば魔力は感じられないはずだが、リスティの持つ拳銃――より正確には拳銃に込められた弾丸から魔力を感じたのだ。

 

「この弾丸は、特別製だっ!」

 

 事実、この弾丸には魔力が込められていた。否、この場合は霊力というべきか。悪魔を相手にするにあたってリスティが神咲家から譲り受けた対抗手段、銀の弾丸だ。使っている拳銃こそ警察で一般的に配備されている回転式拳銃・ニューナンブだが、聖句が刻み込まれたそれは、オートマタであるゾウイには傷一つつけられなくとも、怪異には十分な有効打となるだろう。

 

――おぉぉおおおっ!

 

 魔力を警戒したのか、大量の鎌鼬を放つファンタキャット。リニスはそれから守るように前に出ると、防御壁を展開する。膨大な魔力で展開されたそれは常軌を逸した固さを誇り、数十発の空気の刃をすべて防ぎきった。

 

「リスティさんっ!」

 

「ああ、助かったよ」

 

 魔力の雨に襲われたにもかかわらず、リスティは冷静に発砲する。その弾丸は容赦なく悪魔の眉間を貫き、絶叫と共に悪魔は地に堕ちた

 

 ……かに見えた。

 

――ザンマ

 

 地面に激突する寸前、悪魔は最後の力で空気の弾丸を放つ。目を見開くリスティ。衝撃は来ない。尾を引いて走る魔弾の軌道は大きくそれ、服を切り裂いただけで通りすぎた。弾丸が向かった先には、

 

「っ!」

 

 忍に抱きとめられるすずかがいた。未だ呆然としているすずかは反応できず、

 

(いけないっ!)

 

 リニスの心が悲鳴を上げた時、倒れ伏したゾウイが飛び上がった。

 

 

 † † † †

 

 

 姉に抱かれながら、すずかは見た。

 

 空気の弾丸を止めるべくゾウイが飛び出したのを。

 ゾウイが空気の弾丸に貫かれ、真っ赤な血を撒き散らすのを。

 そのまま床に叩きつけられ、動かなくなるのを。

 そして、自分を見て何処か安心したように微笑んだのを。

 

 床にゾウイを中心とした赤い水溜まりができる。それは視界を赤一色で染めて、

 

「ゾウイィィィイッ!」

 

 

 すずかは絶叫をあげた。

 

 

 

 目の前に流れ出る命の赤。ゾウイはそれを機械の目ではっきりと捉えていた。

 

――アア、コレデ終ワルノダナ

 

 そんな答えを頭の中のプロセッサが弾き出す。避けられない死。それを目の当たりにしてもなお、ゾウイは驚くほど冷静だった。むしろ心は不思議な充足感で満ちている。何せ、目の前の少女が最期に自分の名を叫んでくれたのだから。

 

 

 ゾウイがその少女、すずかと出会ったのはさくらという人間の屋敷で目覚めてから数日の事だった。眠っていた綺堂の屋敷を連れ出され、月村の屋敷へ。年端もいかない少女を主だと紹介された時は目を疑った。目覚めたばかりの消えかかったメモリーにおぼろげながら残るかつての主の影と、その少女が重なって見えたからだ。

 

「ねぇ、名前は無いの?」

 

「なぁ」

 

「そっか、じゃあ、なんにしようか……あ、そうだっ! ゾウイ、ゾウイにしよう!」

 

 その少女は笑って出迎えてくれた。人間の言葉を話すことはできない猫型のオートマタに話しかけ、嬉しそうに児童書を広げる。主役の猫の名前を指さして、それをペットロボットである自分の名前にしてしまった。幼いすずかにとって自分のちょっとした閃きはどれほど輝いて見えていただろうか。その眩しい無邪気な笑顔を見て、ゾウイは新しい名前と主を受け入れることにした。

 

「そういえば、すずかって家に篭りっきりね」

 

「まあ、幼稚園に行かせるわけにもいかないしねぇ」

 

 それから数か月ほどして、屋敷の居間でそんな会話が聞こえた。さくらと忍だ。ゾウイの記憶に残るように、夜の一族の遺産を巡る争いは今だ残っているようだった。特にこの月村の遺産を狙うものは多いらしく、幼稚園に行かせるのも危険だという。そういえば、すずかはいつも本を読むかゾウイと遊ぶかで、同じ人間と遊ぶことは無かった。

 

「ほら、ゾウイ、猫じゃらしだよ?」

 

「にゃあ」

 

(……そんなもの、見せつけられても困るのだが)

 

 今日もすずかはゾウイと遊ぶ。庭に生えた猫じゃらしを突き付け嬉しそうだ。どうやらオートマタであることはさほど意識されていないらしい。心の中で抗議するゾウイ。異質なものとして忌嫌われるよりもマシではあるが、普通の猫と思われるのもこれはこれで心外だ。

 

「あれ? ゾウイ、楽しくない? ほら、ほら?」

 

「にゃ、にゃあ……」

 

(く、首は、首はやめろ首は!!)

 

 心外なのだが、体が勝手に反応してしまう。気が付けば猫じゃらしを追いかけまわしていた。

 

(も、もうたまらん!!)

 

「あはは。ゾウイ! ゾウイッ!」

 

 ついに降参して猫の本能に従うと、すずかは嬉しそうに笑った。笑ってくれるのは嬉しいのだが、こちらはそれどころではない。笑いすぎて腹筋が釣ってしまった人間のように転げまわる。

 

(……う、うぉ? ……ニャ、ニャンと……もとい! なんと、この我を猫じゃらしで制すとは……い、いかん。何とか脱出しなければ……)

 

 きっかけを掴もうと必死にあたりを見回すとネズミが走っているのが見えた。なんという幸運――いや、不衛生なネズミを放逐して主が病に侵されてはいけない。そのネズミに向かって走った。

 

「あ、ちょっと待って、ゾウイッ!?」

 

 猫じゃらしを放り出して追いかけてくるすずか。折角だ。人のいる方へ誘導してみよう。そう考えて、ゾウイは公園に向かった。

 

 

 

「だったら、明日も遊ぼう。ゾウイも連れてきてくれ」

 

「えっ? う、うん。いいよ」

 

「やった! ゾウイ、また遊べるね!」

 

 結果的に、ゾウイの目論見は成功した。見慣れない人間2人に連れ去られそうになったときはどうしようかと思ったが、気が付けば引っ込み思案なすずかが同じ年頃の兄妹と楽しそうに再開の約束を交わしている。そんなすずかの様子を見て、ゾウイは幸福だった。あるいはそれはオートマタとしてあらかじめプログラムされた感情かもしれない。生まれながらに主に尽くす事を定められた存在。人間だったならば自分の生き方を自分で決められない事に憐れみを抱くだろうか。しかし、寧ろゾウイは定められた自分の存在意義に感謝していた。自分に醜い感情をぶつけるでもなくただ家族として接するすずかに、ゾウイはこの少女が主ならばオートマタとしてのレゾンデートルを背負ってもいいと思ったのだ。

 

「ほら、ゾウイ、猫じゃらしで喜ぶんだよっ!」

 

「わあ。すごい! 私にもやらせてっ!」

 

 ……気が向くと猫じゃらしで弄繰り回されるのは不満ではあったが。

 

 

 

 だが、その幸せも長くは続かなかった。いつものように公園へ行ったあの日。ゾウイは強い血の匂いを感じて、思わず駆け出した。

 

(主の危険は、排除する……!)

 

 これもオートマタの背負う業であろうか。ゾウイは走る。すずかの輝きが消えないように。一直線に公園の茂みの奥へ。そこには、

 

「……ぁ……」

 

 血の海に沈むあの少年、カズミがいた。

 

 そして、その惨劇を作り出した者も。

 

 目の前で、体長2メートルはあろうかという巨大な人狼が此方を見下ろしている。くすんだ白の長い体毛は所々返り血を浴びて汚れ、長い爪は抉りとった肉片が付着していた。目は獣の鋭い光が見える。ワーウルフ。そんな言葉が頭に浮かんだ。その理性の欠片もない目差しが、夜の一族の一派をなす人狼とは別の種族であると物語っている。その怪物はゾウイを認めると、咆哮をあげて襲いかかってきた。ゾウイはその獣の一撃を後ろに飛び退いて避ける。ワーウルフの爪にこびりついた血が宙を舞った。

 

(……これを主の元へは行かせられんな)

 

 迫る爪から逃げ回りながら、ゾウイは思う。何故こんな化け物がまだ明るい時間の公園にいるのか分からないが、すずかを第二の犠牲者にさせるわけにはいかない。

 

(遅いっ!)

 

 巨体の爪が迫ると同時、振るわれた腕を避け、くぐり抜けるように背後に回る。ゾウイは前足に仕込んであるブレードを伸ばした。普段は爪として体内に隠しているそれは、オートマタであるゾウイの唯一といっていい武器だ。

 

「……!」

 

 姿勢を崩している相手に飛びかかる。通常の猫を凌駕する脚力は、長身を誇る人狼の頭まで楽々とゾウイの体を運んだ。体を空中で捻る様にして、刃を首筋に突き立てる。たまらず悲鳴をあげる人狼。首にブレードが突き刺さってもしぶとく生きているのは流石と言うべきか。突き刺した刃にぶら下がるゾウイへ人狼は腕を振るう。しかし、その腕は届かない。ゾウイがブレードを爪に戻すことで首から刃を引き抜き、地面に降りたのだ。ブレードという栓を失った血管から血が吹き出す。人間ならば意思気を失うだけの流血でありながら、その人狼はまだ立っていた。

 

(しぶといな。だが、もう一撃といったところか)

 

 しかし、先程までの勢いはない。振るう腕の動きは重く、先程よりも余裕を持って避ける事ができる。同じように背後に回り、今度は足を狙おうとしたところで、人狼に限界が来た。その場に倒れ、もがきながら数メートルも這いずり、

 

(……なにっ!)

 

 カズミに吸い込まれるようにして消えた。

 

「……ぁあ……がぁぁぁあああ!」

 

 カズミは体をビクビクと弛緩させたかと思うと、突然叫んでのたうち回る。しかし、それも長くは続かず、直ぐに糸が切れた人形のようにピタリと止まると、崩れ落ちて動かなくなった。ゾウイは恐る恐るそれを覗き込む。ブレードをいつでも出せるように構え、慎重に近づいていく。しかし、

 

――ザンマ

 

 衝撃は背後からやってきた。衝撃が襲ってきた方を見ると、カズミから流れ出る血がうごめき、背後で翼の生えた猫の形をとっている。傷ついた体を引きずり、必死に体制を整えようとするが、

 

――盟約のためだ。その体、貰おう!

 

 そんな言葉が響くと同時、ゾウイの意識は暗転した。

 

 

 

 それから、ゾウイは悪夢を見続けた。まるで自分を主役にすえた映画を見せられるように、目の前の光景は流れ続ける。映像の中の自分は、すずかではない別の主に仕えていた。軍服を着たその男は白衣の男とともに命じる。

 

「夜の一族の技術を、オートマタの技術を手に入れろ。時間はいくらかかっても構わん」

 

 それに従い、悪夢の中でゾウイは設計図のコピーを盗んだ。設計図といっても元からあるものではなく、すずかの姉である忍がメンテナンスのついでに解明できた部分を書き記したメモのようなものだ。少しずつ解明されていく自分や他のオートマタの仕組みが書かれたそれを機械の目から画像データとして読み取り、白衣の男に届ける。

 

「素晴らしい……これを元にすれば悪魔も恐れるに足らん!」

 

「悪魔に対抗するマシン、か。我らの神がアレを押さえる間の戦力としては十分だな。期待しているぞ」

 

 コードがいたるところに生えた鉄の固まりを見上げて狂喜の叫びをあげる白衣の男。軍服の男もそれを激励する。その眼差しにはどこか毅然としたものが感じられた。しかし、そこに水を差すように扉が開かれ、スーツの男入ってきた。

 

「喜ぶのは結構だが、情報の見返りは忘れないで頂きたい」

 

「む? 氷川か。案ずるな。すぐにあのバンピールの邪魔者を消す指示を出そう。しかし、あのような程度の低い輩と組むとは……」

 

「大事の前の些事、だ。トカゲの尻尾は必要なのですよ」

 

 どこか怜悧な光を目に宿し、スーツの男は表情を変えないまま鉄くずに目を向ける。同時に軍服の男から指示が下った。

 

「古の盟約により命ずる。月村忍の両親を、殺せ」

 

 

 

 恐るべき命令。ゾウイは必死に抵抗しようとした。何とか悪夢を止めようとした。しかし、動かそうとしても体は動かない。何も出来ぬまま、目の前で、

 

 

 悪夢の中の自分は温泉帰りにすずかの両親が運転する車のブレーキを壊した。

 

 

 それから、すずかは以前のような輝きを失っていった。部屋に閉じこもり涙を流す。家族はその涙に気付かない。遺産を狙うあの安次郎とか言うバンピールの相手をしなければならなかったからだ。ただ、ゾウイだけがその涙に気付いていた。

 

――ウマソウダナ……

 

 しかし、悪夢の中の自分は哀しみと痛みに満ちたその涙を、大量のマグネタイトを含有する絶好のエサとして認識する。

 

「……ぁ」

 

 すずかはそれを慰めてもらったと勘違いしたのだろう。嬉しそうな顔をしていた。

 

「ありがとう、ゾウイ」

 

――違う

 

――ソイツは違う

 

――ソイツのことをその名前で呼ばないで欲しい!

 

――それは我ではない、貴方に不幸をもたらす悪魔なのだ!

 

 そんなゾウイの願いも届かない。すずかはいつもその黒猫をゾウイとして扱った。その黒猫は画像として記録できなかった設計図を紙ごと盗んで主を裏切った。怪我をした時に傷をなめてその血の味に喜んだ。にもかかわらず、その度にすずかは笑っていた。ゾウイだといって愛していた。

 

――違う。違う。違う。違う。違う。チガウッ!

 

――我に気付いて欲しい

 

――貴方が我に付けたその名前は、我を見て呼んで欲しい!

 

 悲鳴をあげるゾウイ。気が狂いそうな数年が流れた。ゾウイのように確たる存在意義を持っていない人間だったらとっくに折れてしまっていただろう。ゾウイ自信、何度殺してくれと叫んだか分からない。だがついに、

 

「設計図はもう十分だ。しかし、メインコアの仕組みが分からんな。この猫型のコアでは人型を制御できぬ筈だが……ううむ、サンプルがあれば……」

 

「なら、取ってこさせよう。例の装置の実験も兼てな。ちょうど、決起の前に夜の一族には圧力をかけようと思っていたところだ。それに、あの女がいれば、月村の監視を続ける必要もあるまい」

 

 その命令が下された。

 

「古の盟約により命ずる。オートマタと夜の一族を殺害し、コアを手に入れろ」

 

 

 それは最悪の悪夢だった。自分の存在理由を自らの手で破壊させようというのだ。いや、ゾウイにとってそれすらどうでもいいことだった。今すずかに迫っている脅威は自分の役割以前に絶対に認められないものだった。

 

(あの無邪気に輝いていたすずかが、光をなくし、化け物の影に怯え、孤独のふちに立たされ、誰にも理解されないまま、虫のように殺されるなど!)

 

 止めなければならない。

 

 伝えなければならない。

 

 救われないまま終わらすわけにはいかない。

 

 もう萎え始めた意識を奮い立たせ、悪夢に抵抗する。しかし、悪魔は科学者から渡された装置を使う。それは青い宝石の力を解放し、

 

――いぃイヤァァァァアアアア!!

 

 ついにファリンが殺されてしまった。引き抜かれたコアが、自分と同じようにすずかの幸福を願ったメイドの心臓が、あの科学者の下へ移転される。絶望に沈むゾウイの前で、しかし悪夢は依然として続く。

 

 その悪魔はついにすずかに牙を向けた。夜の一族の戦力を削るという盟約を果たすと同時にすずかをさらに苦しめて、流れる涙で、血で、マグネタイトを補充しようとしたのだ。

 

 やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろヤメロッ!

 

 無駄だと分かっていてもゾウイは叫ぶ。必死にもがく。数年間どんなに念じても、叶う事がなかった願いを叫ぶ。しかし、その叫びもむなしく悪夢は無常に流れ続け、

 

 銃声とともに終わりを告げた。

 

 体に力が戻る。目の前にはあの悪魔が浮いていた。悪夢ではなく、現実に。久々に動かした体は、鉛のように重かった。体中から軋みが聞こえる。あの悪魔が出て行くとき、生命力のようなものが一緒に吸い込まれたらしい。パーツが一気に劣化しているのが分かる。

 

(っ! 動けぇ!)

 

 それでも、ゾウイは立ち上がる。ノイズが走る視界には、あの時受けた空気の弾丸がすずかに迫るのが見えた。悲鳴を上げる機械の体。目のレンズに亀裂が入り、視界にヒビが走る。飛び出すと同時に、後ろ足が折れた。それでもよかった。最期に望んでやまなかった役割を今一度果たすことが出来るのなら、すずかが一瞬でも輝きを取り戻すことができるのなら。未来を与えられるのなら。

 

 空気の弾丸が貫く。

 

 それでも構わない。

 

 この身など、何も惜しくなかったから。

 

 

 † † † †

 

 

「ゾウイィィィイッ!」

 

 叫び声をあげて、ゾウイに駆け寄るすずか。お茶会のために用意したお気に入りのワンピースが汚れるのも構わず、ゾウイを抱きあげる。しかし、ゾウイは音を立てて崩れ始めた。むき出しになったコードが切れ、下半身がすずかの膝元に落ち、

 

――おぉ、機械の身に宿したマグネタイトが……

 

 声が聞こえた。そこには、ゾウイの体に手を伸ばす悪魔がいて、

 

 すずかの中で、何かがキレた。

 

「う、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛、あ゛!」

 

 そのゾウイを冒涜しようとする羽を生やした猫の化け物に、すずかは殴りかかった。何かが潰れるような音とともに、化け物は壁際にまで吹っ飛ばされ、叩きつけられる。しかし、すずかは止まらない。

 

「ああぁぁぁぁぁああああああ゛、あ゛、あ゛、あ゛!」

 

 絶叫を上げながら、地に臥した黒猫を殴り続ける。夜の一族としての力。忌み嫌っていた力。すずかはそれを怒りに任せて振るい続けた。

 

 骨が折れる音が、肉が砕ける音が、しかしすずかには聞こえていなかった。ただ衝動に身を任せ、殴り続ける。

 

 殴って、殴って、殴って、

 

 断末魔とともに悪魔がいなくなったのに気付いた。否。完膚なきまでに破壊された化け物は、その体を維持できなくなり血を撒き散らして消滅したのだった。

 

 

「……ぁ……」

 

 

 血の海の中で膝をつき、がっくりとうなだれたまま動かなくなるすずか。心の支えを失った少女はその瞳にもう何も映してはいなかった。

 

「す、すずか……っ!」

 

 どこからか声が聞こえる。アリサの声だ。しかし、それは真っ白になったすずかの頭を虚しく通過して行く。代わりにいつか破り捨てた、童話の最後のページに載っていた残酷な童謡が脳裏に浮かんだ。

 

 Zowy the kitty健気な子猫。

 その身を犠牲に飼い主守る。

 Zowy the kitty 幸福な子猫。

 

 命を使命に使えたから。

 遺された飼い主が、

 いつか貴方を忘れても、

 役目を果たした貴方の輝きは、

 きっと永遠のものだから。

 

 Zowy the kitty, Zowy the kitty, Killed the kitty...!

 




――Result―――――――
・自動人形 ファリン・綺堂・エーアリヒカイト 衝撃に貫かれ機能停止
・自動人形 ゾウイ    衝撃に貫かれ機能停止
・妖獣 ファンタキャット 吸血鬼の力による撲殺

――悪魔全書――――――

厄災 ジュエルシード暴走体ⅩⅤⅠ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。すずかの飼い猫が使用した際は単に大きくなりたいという願いを文字通り実現しただけだったが、後に人為的に暴走させられすずかの恐怖を月村の屋敷全体にまで広げて見せた。ジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅩⅤⅠ。

自動人形 ゾウイ
※本作独自設定
 すずかが可愛がるペットロボット。見た目は普通の黒猫だが、実際は夜の一族に伝わる機械人形、オートマタの内の一体である。他のオートマタとは違い人語を話すことは出来ないものの、知能は高くその意味を認識はしている。過去に悪魔に憑依され、悪夢の中で過ごしながらもすずかを想い続けた。

妖獣 ファンタキャット
 世界各地で確認されている、翼をもった猫。19世紀ごろからUMA(未確認動物)として認知され、近代ファンタジー作品にも登場している。悪魔の化身たる不吉な存在とされることがある一方、マスコットとして使用されることも多い。

――元ネタ全書―――――
影の奥に潜む怪しい者
 真・女神転生デビルサマナー、取扱説明書より。今のゲームは取説といえば電子ファイルですが、当時は紙が中心で凝ったものも。悪魔の定義はシリーズで様々ですが、同タイトルでは端的に説明されています。

ファンタキャットとゾウイ
 偽典・女神転生より。主人公が両親から与えられたペットロボットのゾウイより。偽典でも、ゾウイは悪魔に憑りつかれ主人公の両親を殺してしまいます。憑りついた悪魔は作中で明言されませんが、グラフィックが似ているファンタキャットでは? と当時話題になったので本作ではクロス要素に採用しました。

よくもコウの顔でっ!
 猫繋がり、という事で気づいた人も多いかもしれませんが、ペルソナ2罰、エリーの台詞「よくもあの人の顔でっ!」より。作中の分岐、エリールートで見ることが出来ます。ちなみに、リスティの「100年、古い手だったな!」も同シーンの某刑事の台詞から。

魔力の壁
分かりにくいかもしれませんが、真・女神転生Ⅳの一方からしか壊せない壁。単純な構造の建築物を複雑なダンジョン化するのに一役買っている。

――――――――――――


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第14話a 胎動の戦線《壱》

――――――――――――

 ジュエルシードを咥えたまま、すずかちゃんの猫が走る。

「ちょ、ちょっと待って、待ってってば!」

 私はその子猫を必死に追いかけていた。

 やっと封印できた。
 やっと守ることができた。

 早く捕まえないと、また大変なことになってしまう。あの時みたいに……

――――――――――――なのは/月村邸



「やった! お母さん、一等だよ! 一等!」

 

「あら、よかったわね、アリシア」

 

 商店街。プレシアは福引きで手に入れた賞品『温泉ご招待券』を手に大はしゃぎするアリシアに暖かい笑顔を浮かべていた。鐘を鳴らした商店街のおばちゃんも微笑ましそうにそれを見ている。

 

「よかったね、お嬢ちゃん? 誰と行くんだい?」

 

「うんっ! お母さんと、フェイトちゃんと、コウと~えっと、みんなで!」

 

 無邪気に笑って名前をあげるアリシア。アリシアが引き当てた券はペアチケットであり、そんなにたくさんは行けないのだが、

 

「ええ、そうね。皆で行きましょう」

 

 プレシアは頷いた。

 

(……フェイトも連れてこればよかったかしらね?)

 

 同時にそうも思う。こうした無邪気に喜ぶアリシアを見れば、フェイトも一緒になってこどもらしい一面を見せてくれるかもしれない。

 

(そういえば、今日は留守番したいって言ってたわね……)

 

 買い物についてこないのは珍しい。というか、フェイトは積極的に自分の要望を言う事が少なかった。食べ物の好き嫌いを言うことも、ゲームやおもちゃを欲しがることもない。その聞き分けの良すぎるフェイトが、珍しく「どうしてもやっておきたい訓練がある」と言って部屋に籠ったのだ。

 

(訓練はもういいって言ったのだけど……)

 

 正直なところ、それを聞いて不快だった。元々一緒に買い物へ行っているのは、今まで兵士として育ててきた分しっかりとケアをしてやらなければならないと思っての事だった。少しでも家族の時間を過ごしてあげられるように。しかしそれを拒否されて、せっかく差しのべた手を払いのけられた気がしたのだ。

 

「はぁ、上手く行かないわね」

 

 それも自分の想いの押し売りでしかなかったのか。ならば、どうすればよかったのか。不快感を思い出すとともにそんな問いが頭に浮かび、溜め息がでる。これではフェイトをケアする等ほど遠い。

 

「お母さん? どうしたの?」

 

 憂鬱が表情に出てしまったのか、アリシアが声をかけてきた。手には温泉のチケットを大事そうに握りしめている。プレシアはアリシアの髪を撫でてやると、

 

「何でもないわ。それより、フェイトも待ってるし帰りましょう」

 

 そう言って歩き始めた。アリシアもプレシアの後を追う。楽しそうに小走りで駆けるアリシアは、直ぐにプレシアを追い越してはしゃぎ始める。

 

「早くっ! 早く帰って、フェイトちゃんに教えてあげよっ!」

 

 アリシアのその姿は、かつて想い続けた娘の姿そのままだ。プレシアはそれに幸福を覚えながらも、同時に消えないフェイトの歪みに胸を痛めていた。

 

 

 † † † †

 

 

「……う」

 

 その頃、フェイトも目を覚ましていた。起き上がって辺りを見回す。どのくらい気を失っていただろうか。自分の周囲にはうっすらと魔力の膜が見えた。

 

「これは……リニスの防御結界? そっか……ありがとう、バルディッシュ」

 

《No problem, Sir》

 

 魔力の流れを確認し、それが自己を守るための結界だと気付いたフェイトは、リニスに感謝しつつ愛機に礼を言う。この防御結界はリニスがフェイトに何かあった時のためにと仕組んでおいたもので、シールドのように強固な壁で外部からの干渉を遮断するとともに指定した者の傷を癒す効果がある。数メートルとごく狭い範囲にしか展開されない上に一度展開すると解除するまで動かすことはできないが、その分驚異的な防御力を誇り、Sランクの砲撃魔法でも耐えることが出来る代物だ。先の戦闘では魔力を制御するバインドのせいで展開されなかったようが、今はきっちりとフェイトを守る役目を果たしてくれていた。

 

「……リニス、怒ってるよね……」

 

 同時にリニスの怒った顔が思い浮かぶ。言いつけを破って魔力反応を追いかけたうえ、果てにロストギア級の魔力はあの化け物のものではなかったのだ。リニスやプレシアの孔への想いを知っているフェイトは、それを断ち切れなかった事に落胆した。

 

(母さん……)

 

 今ごろ、母は姉と買い物だろうか。それを考えると心に苦いものが込み上げてくる。フェイトは家族で行く買い物は好きでなかった。より正確には、アリシアと一緒の買い物が好きでなかった。いつもプレシアと楽しそうに話すアリシアを見ていると、強い苛立ちに襲われるからだ。

 

(そこは、私の場所なのにっ!)

 

 自分はあの姉のように、我儘を言ったりしていないし、騒いでもいない。しかし、母親の目はいつもアリシアに向いていた。

 

 

「はあ、嫌なら、留守番したいって言えばいいんじゃないか?」

 

 そんなフェイトにかけられたアルフの言葉。フェイトはほとんど反射的に答えていた。

 

「でも、母さんが買い物に行くって言うし……」

 

「いいじゃないか別に。あのお嬢さまだって遊びに行くときはついてってないし。それでプレシアもなんか嬉しそうにしてたし」

 

 が、すぐに否定される。言われてみれば、アリシアは孔や萌生たちと遊ぶ約束をしているときは、呆気なく母親の誘いを断っていた。普段それを目の前でやられるとただ母親に迷惑をかける行為だと無為な怒りを覚えたものだが、いざ言葉で突きつけられると違った側面が浮かぶ。我儘を言われているにも関わらず、何処か上機嫌なプレシアの顔。そういえば、リニスも孔に頼ってもらえなくて何だか哀しそうだった。

 

「母さん、私が我儘言っても喜ぶと思う?」

 

「ウ~ン、それは……まあ、あのお嬢さまの時も喜んでたし……」

 

 自信がなさそうに頷くアルフ。しかしフェイトはそれを聞いて決心を固めた。

 

「うん、じゃあ、私、やってみるよっ!」

 

「あっ! フェ、フェイト? ちょ、ちょっと!」

 

 目の前に示された可能性。それはフェイトにプレシアが喜んでいる姿を想像させ、行動をとらせた。

 

「留守番?」

 

「は、はい。どうしても、やっておきたい訓練があるんです」

 

「……そう。なら、仕方ないわね」

 

 そして、その幻想はすぐに潰えた。フェイトが言った「我儘」はあっけなく承諾されたものの、フェイトは母の微妙な表情の変化を感じ取り、許可はされたが受容はされなかったのだと悟った。同じ事をしているにも関わらず、アリシアと同じ愛情が向けられない。留守番をしながら、フェイトは悩んだ。そして、行き着く回答はいつも同じで、

 

(アイツじゃなくて、私が姉さんを助けていれば……)

 

 孔の顔が頭に浮かんだ。アイツがいなければ。その思いはあっという間に広がり、フェイトに次の行動をとらせた。諸悪の根源を取り除けば、きっと自分もアリシアのように可愛がってもらえるに違いない。幸か不幸か、まるでその想いに応えるかのように感じた強い魔力反応。どこかで戸惑いの声が聞こえても、留守番という自分から言い出した全うすべき任務があっても、嫌悪感の前にはそれは些細なものでしかなかった。

 

 傷が痛む。憎悪が先行したせいで気がつかなかったが、思い返せば今回は絶対に失敗できないものだっただろう。何せ、留守番という「任務」を放棄してしまったのだ。

 

「……」

 

 無言で虚空を見つめるフェイト。その瞳には何も写されていない。ただ、頬を涙が伝い、

 

「どうしたのかしら?」

 

 かけられた声に顔を上げた。同時、フェイトは驚愕した。

 

「か、母さんっ!」

 

 そこにはプレシアがいたからだ。

 

「……っ! あら、貴方は私がお母さんに見えるの?」

 

 否、プレシアではなかった。長い黒髪の、少しキツめの雰囲気がある女性。その女性は驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑をフェイトに向ける。余裕のある微笑みはしかしプレシアに似ていて、

 

「……ぁ」

 

 フェイトは無意識に手を伸ばしていた。無意識に邪魔な防御結界を解除する。女性もそれに応えるように手をとり、

 

(フェイトッ! どこだいっ!?)

 

「っ! アルフ!? あ、ごめんなさっ! い、痛っ!」

 

 アルフの念話が響いた。ようやく我に返るフェイト。同時に慌てて目の前の女性に非礼を詫びながら立ち上がろうとしたが、激痛でうずくまってしまう。心配そうにそれを覗き込む女性。

 

「大丈夫かしら?」

 

「あ、はい。だ、大丈夫です」

 

「あんまり大丈夫に見えないわね。せっかくの可愛い女の子が台無しよ?」

 

 女性は苦笑しながらハンカチを取り出し、傷を縛ってくれた。リニスの防御結界のおかげでかなり浅くなっているとはいえ、血は完全に止まっていない。

 

「す、すみません」

 

「いいのよ。ところで、さっきアルフって言っていたけど……?」

 

「あ、えっと……お、お姉さんです。多分、心配して助けに来てくれたんだと……」

 

 未だ混乱しているのか、誤魔化しながらも半分は正直に答えてしまう。それを聞いた女性は優しく笑うと、

 

「そう、なら、呼んできてあげるわ」

 

 そう言って念話が聞こえた方へと向かっていった。ここでじっとしててね? そんな声と共にあっという間に見えなくなる女性。何故アルフのいる場所が分かるのか、手に持っている布にくるまれた刀は何なのか。本来なら戦士としても確実に気付く疑問も忘れ、フェイトは急に消えたぬくもりに、喪失感をもてあましていた。

 

 

 † † † †

 

 

「この先だよっ!」

「はいっ!」

 

 一方、アルフは那美と屋敷の裏を走りながら、一直線にフェイトの元へと走っていた。

 

「偽者が邪魔すんじゃないよっ!」

 

 途中、孔の偽者が沸いてきたが、アルフは何の遠慮もなくゲーム感覚で殴り飛ばす。出てきた時は驚いたが、リニスからの念話を受けて倒しても問題ないものと分かっていた。

 

「ゴメンね?」「くぅ!」

 

 同じく那美も久遠の電撃でなぎ倒す。なぜついさっき会ったばかりの少年の偽物が大量に出てくるのかは疑問ではあったが、その邪悪な雰囲気を感じ取り、さほど抵抗も感じずに攻撃することが出来た。後ろからアルフを追いかける2人には、まだ余裕が見える。

 

「なんだ。ナミもクオンもなかなかやるじゃないか」

 

「アルフこそ。今度、除霊を手伝ってね?」

 

 冗談を飛ばしながら快調に進む。

 

 が、それは不意に視界に入った女性で止まった。

 

――御神流『撤』

 

 その女性も孔の偽者に剣を振るっている。那美が声をあげた。

 

「今の、恭也先輩の……?」

 

「あら?」

 

 声をあげる那美に気が付いたのか、女性の方も此方を振り向いた。

 

「貴方達は……士郎の知り合いかしら?」

 

「えっ? あ、は、はい」

 

 妖艶な笑みと共に問いかけてくる女性に思わず普通に頷く那美。どうやら付き合いのある人物の知り合いらしい。いつの間にか警戒を解いている。だがアルフはそうもいかない。

 

「誰だい、アンタ?」

 

「夏織。不破夏織よ。よろしくね?」

 

 露骨に警戒した視線を飛ばすアルフを受け流す夏織。アルフが最も苦手とするタイプだ。クスクスと挑発するような笑いを洩らしている。

 

(なんだい、嫌なヤツだね)

 

 心の中でそう思いながらも、アルフは相手を観察する。刀を手にしているものの、魔力は感じない。結界に自力で入った訳では無さそうだ。そうなると、術者に許可されたか、何かの弾みで意図せず迷いこんだかの何れかとなる。実際には那美のように魔力がなくとも特殊な訓練により結界を見破る人間がいるのだが、未だ魔法世界の常識を捨てられないアルフはそこまで気が回らなかった。

 

「で、そのカオリが何でこんなところにいんだい?」

 

「士郎に会いに来たのよ。どうも、変なことに巻き込まれちゃったみたいだけど」

 

 詰め寄るアルフに答える時も挑発的な笑みは消えない。元々気が短いアルフは次第に苛つきを押さえられなくなってきた。しかし、次の一言で顔色が変わる。

 

「ところで、この先で金髪の女の子が倒れてたけど、貴方の連れなら、早く行った方がいいんじゃないかしら?」

 

「っ! それを早く言いなっ!」

 

「あっ! アルフ! 夏織さん、すみませんっ!」

 

 駆け出すアルフ。那美も夏織に一言断ってから走り始める。夏織は2人が走り去った方をじっと見ていたが、やがて踵を返して逆方向へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 なのははジュエルシードを咥えたゾウイを追いかけていた。屋敷に向かうゾウイを追いかけて必死に走る。運動が苦手な自分をこれほど恨んだことは無かった。

 

「お願い、止まってっ!」

 

 しかし、ゾウイにそんな声が届くわけもなく、ついに屋敷にたどり着く。そのまま壁を曲がると、

 

「っ! あ、あれっ!?」

 

 先を走っているはずのゾウイの姿はなかった。

 

 見失った、見失ってしまった。

 

 そんな声が頭に響く。同時に血を流して堕ちる女の子の映像が頭にフラッシュバックする。急に襲ってきた吐き気と眩暈に思わず膝をつきそうになり、

 

「大丈夫?」

 

 優しく背中に手を添えられた。突然やってきたスキンシップに、なのははビクリと体を震わせる。慌てて後ろを振り向くと、微笑む女性。その女性を見て、なのはは呟いた。

 

「ほむらさん……?」

 

 いや、顔立ちは全く似てはいないし、纏っている雰囲気がまるで違った。ほむらは親しみやすい印象があったが、目の前の女性はどこかキツめの印象がある。強いて言うなら父や兄に似ているだろうか。それでも、こちらを見るどこか強い意志のこもった眼差しは、なのはが心に描き続けた憧れの人と同種のものだ。思わずまじまじと見入ってしまった。が、やがて他人であるという方へ意識が向き、慌てて離れる。

 

「あ、えっと、ご、ごめんなさい」

 

「あら? どうして謝るの?」

 

「あ、えっと……」

 

 微笑を絶やさずに話しかける女性。なのははその問いかけに戸惑った。ほむらと同じ様に甘えてしまったがために反射的に謝ったのだが、まるでそれを許すような問いかけだったからだ。なのははいつの間にか急に現れた人物に警戒を解いていた。

 

「ああ、困らせちゃったかしら、ごめんなさいね?」

 

 そのままなのはの背中をなでる女性。なのはは抵抗もせずにそれを受け入れた。しかし、その次に出た言葉に驚愕することになる。

 

「ジュエルシードなら大丈夫よ? ちゃんとこっちで回収したわ」

 

「っ! ジュ、ジュエルシード、知ってるんですかっ!?」

 

「ええ、よく知っているわ。貴方にそれの捜索を頼んだ、そこのユーノ君のこともね」

 

 肩に乗ったままのユーノを指さしながら頷く女性。ユーノもそれに便乗するように話し始めた。

 

「なのは、この人、夏織さんは味方だ。五島さんの協力者だよ」

 

 

 † † † †

 

 

「どけっ! 邪魔をするな!」

 

 叫びながら、大量に沸いてでた化け物に剣を振るう士郎。その一撃は容赦なく首を撥ね飛ばす。破裂した水道管のように血が柱のように噴き出した。しかし、

 

「……」

 

 首を失ってもなお、その化け物は立っている。手にしたナイフを構え、

 

「士郎様っ!」

 

 轟音と共にノエルの撃ちだした弾丸に吹き飛ばされた。狙ってやっていたのか、弾丸は後ろにいる別の化け物にまで貫通し、動きを止める。士郎の下に駆け寄るノエル。

 

「すまんな。助かったよ」

 

「いえ」

 

 背中合わせになって短く会話を交わしながら、2人は相手を見据える。先程溶けて消えた孔の格好をした化け物が何十体も此方を取り囲んでいた。忍達のもとに戻るべく館の方へと急いでいると、行く手を阻む様にわらわらと出てきたのだ。

 

「……異常なしつこさですね」

 

 そんな中でもノエルは相手を冷静に分析していた。剣で刺しても、何トンもの力殴り付けても、その化け物は起き上がって襲いかかってくる。非力ではあるが、しぶとく動きを止めない上に数で襲ってくるのは驚異だ。

 

「ああ、しかし……」

 

 士郎にとって、もっとも厄介な点はそこではなかった。

 

――御神流『虎切』

 

 近づいてきた一体を斬る。腕を、足を、首を、簡単に切り落とすことができる。容易に無力化することができる。一瞬で振るわれた刀は驚くほど静かにその動作を終え、鞘に戻った。

 

(……違う)

 

 が、士郎はその太刀筋に納得できない。始め、士郎はそれをただ久しぶりに刀を振るったせいだと思っていた。使っていくうちに調子を取り戻すだろうと。しかし、いくら化け物を斬ってもその僅かな違和感は拭えなかった。

 

「……ああ、そうか」

 

 また一つ、化け物の四肢が飛ぶ。達磨になって、血を撒き散らしながらもがくそれを見て、士郎は気付いた。

 

「……足りないんだ」

 

 この目の前の偽者からは、暗殺者にも劣らないあの悪意が、戦士の勘に訴えるような危険性が、そして自分の中の大切なモノを壊されるような絶望感が全く感じられなかった。にもかかわらず、同じあの少年の顔をしている。整った顔立ちに作り物のような黒い瞳、仮面のように張り付いた無表情。そして、人目で人外と分かる人間離れした不気味な雰囲気。普通の人間なら騙されただろうか。

 

「……っく!」

 

 それが、士郎の動きを、技を変えていた。化け物の皮をかぶった偽物。しかし、被っている皮がゆえに無意識に必要以上の反応をしてしまう。無駄な力。無駄な殺傷。普段の自分ならばもっと冷静に相手を分析し、必要最小限の力で無力化していただろう。しかし、あの化け物に化けた相手を見ると、どうしても力を振るう自分を止められなかった。

 

「ちっ!」

 

――御神流『雷徹』

 

 普通に斬るだけで十分な相手に御神流の技を使ってしまう。もはや士郎が戦っているのは正体不明な化け物ではなかった。重なって見える孔の影に剣を振るう。まるで自分の中の悪意でもって斬りつけるように、過剰に。

 

「……」

 

 無言でこちらに意志の無い目を向け、そのまま崩れていく化け物。しかし、振るう刀に望んでいる手応えは感じられない。血がたぎるような抵抗がない。反撃がない。反応がない。そして何より、あの化け物を倒したのだという実感が湧かない。それがどうしようもなく士郎をイラつかせ、更なる獲物を求めさせた。

 

――御神流『徹』

 

「違う」

 

 苛立ちを拭うように斬って、

 

――御神流『虎切』

 

「違うっ!」

 

 斬って、斬って、斬って、

 

――虎切っ!

 

「オマエジャナイッ!」

 

 ようやく、血柱の後ろに扉が見えた。敵陣を突破したというのに、なんという虚しさだろうか。最後に斬った相手の断末魔は聞こえない。それどころか、泥のように崩れていくそれは倒れる音すら立てなかった。ただ、自分の荒い息づかいとノエルの近づいてくる音が響いていた。

 

「……士郎様、大丈夫ですか?」

 

「ああ、何とか、な」

 

「なのは様が心配なのは分かりますが、今はまず屋敷へ戻りましょう。監視カメラに写っているかもしれません」

 

 様子がおかしいのに気付いたのか、ノエルに気を遣わせてしまった。当然と言えば当然の心配の仕方をするノエル。士郎の精神的な乱れは様子を見に行った先になのはが見当たらなかったせいだと。湧いて出た化け物のせいで二手に分かれることも出来ず、屋敷から聞こえてきた悲鳴を優先して行動せざるを得ない現状に焦っているせいだと。実際にそれも小さくない理由だったのだが、士郎にとっては御しやすい理由でもあった。大切な人をおいて戦場に立つなど何回も経験してきた。その度に自分の感情を殺し、同時に生き残る糧としてきた。しかし、あの化け物もどきを相手にしている時、心の底から沸き起こってきた暗い感情は押さえ込むことが出来なかった。

 

「いや、分かってる。俺は大丈夫だ」

 

 それでも、士郎はノエルにそう答える。士郎自身、この感情を上手く説明する自信はなかったし、そもそも相手の雰囲気にあてられて反応がおかしくなるなどと御神の剣士として失格だ。

 

「それより、また化け物が出ないうちに――」

 

 しかし、仕切り直そうとして言いかけた言葉は続かなかった。急に襲って来た違和感。一瞬、周囲の空気が変わったように思えたのだ。見える景色には一見何の変わりもない。しかし、すずかの悲鳴を聞いてからねっとりと纏わりついていた悪意のようなものが途絶えている。そして、何よりあれほど自分の中を満たしていた不快感が消えているのが分かった。周りを見回す士郎。そこには、

 

「お、お父さん?」

 

 戸惑ったように声をかけるなのはがいた。そしてその後ろには、もっとも会いたくなかった人物が。

 

「っ! 夏織っ!」

 

「うふふ。久しぶりね、士郎」

 

 いつもながら人をからかうような目で見つめてくる夏織。士郎の目が自然と鋭くなる。

 

「……どうしてここにいる?」

 

「電話で声を聞くだけじゃ物足りなくなって、貴方に会いに来たのよ? 貴方の愛娘を送ってあげるついでにね」

 

 そう言って軽くなのはの背中を押す夏織。なのはは戸惑うように士郎と夏織を見比べていたが、すぐにこちらへと走って来た。眉をひそめる士郎。

 

「……なのはに何をしたんだ?」

 

「何にも。ただ、裏の林で迷子になってたみたいだったから、連れてきてあげただけよ」

 

 クスクスと士郎の意識を逆なでするように笑う夏織。急に変わった空気に急に現れた夏織。間違いなく何かある。士郎は何か聞こうとしたが、

 

「じゃあね。なのはちゃん。今度温泉ででも会いましょう? きっと頼めばお父さんがすぐ連れてってくれるわよ」

 

 それを無視するようになのはに笑いかけて立ち去ろうとする。慌てて声をかける士郎。

 

「待てっ! 夏織っ! お前、一体何を……」

 

「うふふ。気になるなら、さっさと戻ったら方がいいわよ? まあ、今回もまた貴方は時間切れで終わっちゃったみたいだけど」

 

「なんだとっ!」

 

「ああ、怖い。なのはちゃんはこんな怖い大人になっちゃだめよ?」

 

 妖艶な笑みを浮かべて背を向ける夏織。士郎はなおも食い下がろうとしたが、ノエルに止められた。

 

「士郎様。今は早く忍お嬢様たちの元へ戻りましょう。あの方の追跡はいつでもできます」

 

 冷静な声に士郎は苦い顔で頷く。過去を断ち切れない自分を、感情を処理できない自分を、よりにもよってなのはの前で突き付けられてしまった。

 

「あ、あの、お父さん?」

 

 普段とは違う様子の父に困惑した声をあげるなのは。士郎は努めて平静を装って応える。

 

「なのは、どこに行ってたかは後で聞くよ。桃子さん達のところへ戻るから、離れないようにしてくれ」

 

 どこか不安そうな顔で頷くなのは。そんななのはに自分の未熟さを自覚しながら、士郎は夕暮れに染まる屋敷の扉を開いた。

 

 

 † † † †

 

 

「そう。そんな事が……」

 

「その反応だと、夜の一族でも把握していなかったたいだな。まあ、ボク達も全容はつかめていないんだけどね」

 

 月村邸の応接室。孔はリスティがさくらに今までの出来事とそれに対する自分なりの考察を簡単に説明するのを聞いていた。流石は刑事というべきか、リスティは要点を押さえ今までの事を分かりやすく伝えている。ジュエルシードを狙う悪魔、それを追う孔たち魔法使いの存在。そして、今回すずかがその対象になったらしいこと。

 

「まずはお礼を言うわ。卯月くん。どうやら助けられたみたいね」

 

「いえ。あまり役に立てなかった様ですし……」

 

 経緯を聞いて、こちらを向き直るさくらに孔はちらりとドアの方へ視線を送った。先程、すずかが出ていったドアだ。あのゾウイという猫が余程大切だったのだろう。血まみれになった死骸を抱えたまま、忍とアリサ、そして戻ってきたなのはに付き添われ自室へと戻っている。

 

「でも、あのまま間に合わなかったらすずかは殺されていたかもしれないわ。それだけで十分よ」

 

 さくらはそんな言葉をかけてくれるものの、孔は内心自分に嫌気がさしていた。また助けられなかったという思いに加え、今回はすずかの恐怖を現実に映したその姿が自分だった事も大きい。前々から嫌われているとは思っていたが、現実としてあの人外のイメージを突きつけられると辛いものがある。

 

(なるほど、自分はああいうふうに見られてる訳か……)

 

 そう思いながら先程戻ってきた士郎とノエルに視線を向ける。きっと彼らも自分に同じイメージを抱いているのだろう。視線で殺そうとしているかのごとく睨み付けてくる。

 

「それより、この屋敷にフェイトさん――金髪の俺と同じくらいの女の子ですけど、その子は訪ねて来ませんでしたか?」

 

「いえ? 来ていないわよ? お茶会にアリサちゃんとなのはちゃん以外は呼ばれていない筈だし……」

 

 いい加減居づらくなった孔は話題を変えた。ノエルに視線を送るさくら。ノエルは黙ったまま頷いた。何処か機械的な動作は地なのか、自分という化け物がいるせいかは孔には読み取ることは出来ない。が、その返答は事実なのだろう。顔をあげたときに挑むような目で見られた。

 

(大丈夫ですよ、孔。今アルフから無事に保護したと念話がありました)

 

(そうか、ありがとう)

 

(いえ……)

 

 そんな孔に山猫姿のままのリニスが念話で告げる。どうにも気を遣わせてしまったようだ。孔はこれへの感謝も兼ねて礼を言う。

 

(……リニス、さっきはありがとう)

 

(えっ?)

 

(俺のために、怒ってくれたように見えたから)

 

 あの偽者に殴りかかった時に爆発させた感情。孔は素直にそれを嬉しいと思った。自分のために感情を出してくれる人はそう多くない。しかし、リニスはどこか悲しそうな仕草をする。

 

(コウ、貴方は……)

 

(大丈夫よ)

 

 しかし、リニスの念話は割り込んだI4Uに遮られた。

 

(えっ……?)

 

(心配要らないと言っているの。私の愛しい狩人は過去に負けない強い心を持っているから。そうでしょう?)

 

(あ、ああ……)

 

 何処か威圧感のある口調で語るI4U。その様子は、

 

(まるであの百合子さんみたいだな)

 

 孔に悪魔と思しき人物を連想させた。なぜ自分のデバイスから悪魔を思い描いたのか。わずかに抱いた疑問は、しかしさくらの声で途切れる。

 

「それで、そのフェイトちゃんがどうかしたのかしら?」

 

「いえ。近くで見かけたもので、こちらに来て巻き込まれていてはと思いまして」

 

「そう。それなら大丈夫よ。ところで、卯月君、貴方のこと何だけど……」

 

 孔は意識を切り替えてさくらと話を続ける。さくらは一見フランクに会話しているように見えるが、やはり警戒されているのだろう、出自や保護施設での生活についていろいろと聞かれた。孔は特に不快感を見せるでもなく答える。出自は記憶を失っているから分からないが、施設では家族とも言える存在と暮らしている、と。

 

「それじゃあ、すずかのことは? どのくらい知ってるかしら?」

 

「月村さんですか? 同じクラスメートですが、実はあまり話したことがなくて……申し訳ありません」

 

 そう。短く応えるさくら。孔はその問いかけの意味を顔には出さずに推し量っていた。そういえば、ドウマンが前にすずかをさして「吸血鬼」と言っていた。ゲームに閉じ込められた時もさやかは無残に殺されたにもかかわらず、すずかはアリサとともに現実世界で拘束されるにとどまっている。そこへ、今回の襲撃である。

 

(ジュエルシードはあの悪魔も持っていなかった……確かアルフさんはフェイトさんが見つけたと言っていたが、保護したということはフェイトさんが封印したのか? だが、あの悪魔は明らかに月村さんを狙って魔法を撃っていた。なにか、裏にあると思ったほうがいいな……)

 

 自分の周りで起きる悪魔の事件。孔はその後ろに得体の知れない巨大な意志を感じながら、ただその理不尽に自分の意志が屈しないよう、努めて冷静な思考を続けようとしていた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

退魔師 神咲那美
※本作独自設定
 私立風芽丘学園に通いながら、八束神社で巫女のアルバイトをやっている少女。鹿児島出身の高校3年生。元々神社の娘だったが、5歳の時に神社を憎む妖狐・久遠に両親を殺されて神咲家に引き取られ、その際に神咲家が封印した久遠を預けられる。始めは久遠を憎んでいたものの、夢移しにより久遠の過去を知るに従い、心を通わせるようになる。退魔師としては悪霊を祓うような強い霊力や剣術の才能は無いものの、高いヒーリング能力を持つ。さざなみ寮に滞在していることもあり、リスティとは仲が良い。

妖獣 久遠
※本作独自設定
 退魔師・那美のパートナーである妖狐。300年前、弥太という少年と恋に落ちるが、当時の流行病に耐性があった弥太が村の神社の神託により人柱にされてしまう。恋人の無残な最期を見せつけられて以降、祟り狐として神社や仏閣を荒らしまわっていたが、多大な犠牲を払って封印されていた。10年ほど前に再度覚醒し、那美の両親を殺害、退魔に当たった神咲家にも甚大な被害を与えつつ封印される。現在は那美の尽力により本来の臆病ながら人懐っこい性格を取り戻し、パートナーとしてともに退魔に当たっている。油揚げに大福、甘酒が好物。

――元ネタ全書―――――
夏織
 とらハ3より。同作では珍しい悪女ポジション。不破姓だったり、御神流を使えたりするのは独自設定ということでご了承ください。メガテンでも悪女の活躍する作品が多いので、本作でも活躍してもらっています。

――――――――――――


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第14話b 胎動の戦線《弐》

――――――――――――

「……見つからねぇ」

 山を飛ぶ。山と言っても眼下には温泉街らしく、点々と灯りがともっている。俺の知ってる話じゃこの辺にジュエルシードが転がってる筈なんだが……

「やっぱ、山ひとつは広すぎたか? サーチは使えないんだよなぁ。まだ発動してないし」

《Sorry, Boss》

 全く見つからなかった。思わずデバイスに文句を言う。卯月が前に使ってたっていう中古だ。ワンオフじゃないのはこの際仕方ないとしても、インテリジェントデバイスじゃないせいか、サーチ不能を告げる機械音には全く謝罪の気持ちが感じられない。俺の知ってるS2Uはこんな機械的じゃなかった。前の持ち主の個性が映ったに違いない。

(こんな事なら卯月に任せてないで始めから全部拾いに行っときゃよかったな……)

 今さら後悔しても後の祭だが、先に悪魔を使う軍勢に盗られたと言うのはあまり考えたくない。大体、悪魔なんていう非常識な輩なんて反則だ。

「まあ、考えても始まらない、か」

 声に出して意識を切り替える。今日できる範囲まで探すか……。

――――――――――――修/温泉街上空



「はぁ? 温泉?!」

 

「そうだよ? 昨日、くじ引きで当たったの!」

 

 翌日。寝不足で登校した修はアリシアの一言で眠気を吹き飛ばされていた。結局ジュエルシードを見つけられないまま探索を打ち切ったのだが、それはつまり何者かに持ち去られたか、まだ温泉近くに転がっているかのどちらかを意味している。

 

「それで、シュウやモブもどうかなって」

 

「おいおい、今の時期に温泉はちょっと……」

 

「あ、いいと思うよっ!」

 

 異を唱えようとした修に割って入る萌生。キラキラと目を輝かせアリシアの提案に頷く。

 

「ねえねえ、いつ行くの? 明日?」

 

「うんっ! 土曜か日曜のどっちかって、お母さんが」

 

 嬉しそうに話を進める萌生とアリシア。修は慌てた。せめてジュエルシードを探しだすか無くなったと確証が得られるまで引き伸ばさなければ面倒な事になる。何か言い訳を探そうと視線を巡らせると、すぐ横の空席が目についた。

 

「あー、でもよ、フェイトもなんか怪我して休み何だろ? もうちょっと先でもいいんじゃねえか?」

 

 今朝、ホームルームでフェイトが怪我をして休みだと連絡があったのを思い出しながら話す。昨日は山中の温泉街上空を飛び回っていたため、修の魔力では遠く離れた町の反応を感知する事は出来なかったのだが、ジュエルシード関連で怪我をしたのならかなり大きな怪我の筈だ。

 

「う~ん? でも、フェイトちゃん、留守番中に階段から落っこちただけだから、大丈夫って言ってたよ?」

 

「はぁ? なんだ、階段かよ……」

 

 返事を聞いて拍子抜けする修。心配して損したとはこの事だろう。露骨に脱力する修にアリシアは抗議を始めた。

 

「なんだってことないでしょ! 痛そうだったんだからっ!」

 

「あ~、悪かったよ。学校休む位なんだからもっと大きい怪我かと思ったんだ」

 

「ま、まあ。大した事なくてよかったじゃない?」

 

 騒ぎ始める2人を止める萌生。しかし、アリシアは萌生の言葉に顔をしかめた。

 

「それがね、フェイトちゃん、最近なんか元気ないの。やっぱり、その……えっと……皆で一緒に行けば元気になるかなって」

 

(園子の事だな)

 

 歯切れの悪いアリシアの言葉に先日の一件を思い出す修。萌生も相当無理をしているのだろう。明るく振る舞ってはいるが、授業中や登校中に声を殺して泣いているのを何度か見ている。自分の中で消化できない悲劇。それが唐突にフラッシュバックして、感情の爆発を抑えられなくなっているのだ。今も、アリシアの言葉から何かを感じ取ったのか泣き出しそうな顔をしている。

 

「じゃあ、まあ、あれだ。多い方がいいな。卯月とかには声かけたのか?」

 

 それを見て、修は頷いていた。まだ時間もある。孔に頼めばプレシアに話がいって、超科学で見つけてくれるかもしれない。見つからなくとも危険だからと止めてくれるだろう。それに、あれだけ探して無かったのだから、もう誰かが持ち去った可能性もある。思いついた理由を自分でも言い訳と認識しながら心の中で並べ立てる修。精神的に不安定になっている萌生達を落ち着かせて、尚且つ止めるだけの言葉を修は持ち合わせていなかった。

 

「あ、ううん? これから」

 

 そんな修の葛藤を知ってか知らずか、アリシアは無理矢理つくった笑顔で返す。萌生もそれに涙を拭って応えた。

 

「うん、それがいいよ。皆で、一緒にっ!」

 

 雰囲気を壊さないため、造り出した空気。まるで痛いものに触れない様に造ったそれに、修は自身が締め付けられるのを感じていた。

 

 

 

 そんな修達の話を遠くで聞いている人物が一人。なのはだ。盗み聞きしていた訳ではなかったのだが、朝から空席にしているフェイトがどうしても気になり、気がつけば少し遠い席の会話に聞き耳を立てていた。あの時は管理局と聞いてユーノに言われるままに攻撃してしまったが、改めて考えれば始めの電撃は自分を助ける為に撃ってくれた様に思える。

 

(……お話すれば、解ってくれたのかな?)

 

 今になってあの時の行動が拙速だったと後悔するなのは。アリシアと修の話だと階段から落ちたと言っていたが、本当だろうか。自分が撃墜した時に怪我をしたのではないか。そんな疑問が頭に浮かぶ。

 

――きっと、家族にも分からないように利用されてるんだよ

 

 同時にユーノの言葉を思い出した。自分だって家族には秘密で魔法少女をやっている。フェイトもきっと同じだろう。しかし、なのはにはユーノという相談役がいるが、フェイトは独りのようだ。きっと誰にも理解されず苦しんでいるに違いない。似た境遇にあるのなら、その苦しみは共感できる。手を差しのべる事が出来るのは自分だけだろう。だから、

 

(今度、ちゃんと話聞いて貰おう)

 

 きっと話せば理解してもらえる筈だ。授業が始まってからもフェイトの席にチラチラと視線を送りながら、なのはは導き出した解答をすぐにでも実行したいとはやる心を抑えるのに苦心していた。

 

 

 † † † †

 

 

「はあ、やっぱ、すずかがいないとつまんないわね……」

 

「うん……そうだね……」

 

 授業が終わって昼休み。アリサは溜め息を吐きながらなのはと弁当を突っついていた。いつもと違い、すずかはいない。

 

「まあ、可愛がってた猫が死んじゃったんだし、しょうがないわよね?」

 

「そうだね……」

 

 力のない声で呟くように言うアリサ。一度鮫島という家族を失っている彼女にとって、ペットとはいえ大切な存在がいなくなったのはそれなりにショックだったのだろう。それを紛らわせようとしているのか、いつもより少しだけ口数が多い。

 

「ゾウイって子猫、すずかのお気に入りだったし」

 

「そうだね」

 

 が、なのはは心ここにあらずという様子で相槌を打っていた。これでは気が晴れない。

 

「……アンタさっきからそればっかりね」

 

「そう、だね」

 

 思いっきり、頬を引っ張った。

 

「な、の、は~?」

 

「へ? いひゃいいひゃい!」

 

 いつもと同じじゃれ合い。だが余計に虚しさが増したように思える。止める役のすずかがいないせいだろう。それに気づいたアリサは手を離した。「う~」と涙目になりながら見上げるなのは。アリサはそんななのはを見てようやく普段の雰囲気に近づいたのを感じる。なのはもそれを感じ取ったのか、ようやく抱えていたものを話しはじめる。

 

「あの、アリサちゃん。すずかちゃん誘って温泉に行くの、どうかな?」

 

「温泉って、あの遊園地みたいになってるところ?」

 

 頷くなのは。皆で遊びに行けば、すずかも元気になるかもしれない。そんな意図を読み取ることが出来た。が、アリサは嫌な予感がした。すずかを心配して誘うなのはが、つい先日なのはを心配してお茶会を誘ったすずかと重なったのだ。なのははお茶会で立ち直った様だが、今度はあの化け物モドキのせいですずかがおかしくなってしまった。また、何か起こるんじゃないかと不安になる。

 

「あ、あの、アリサちゃん? ダメかな?」

 

「えっ!? ああ、えっと……う、うん。いいわよ? どうせ暇だし」

 

 が、なのはに困惑を向けられ、慌てて頷いた。なんとなく不安、では否定する材料にならない。何より、そんな不安に自分まで煽られてせっかく立ち直ったなのはがまた落ち込んだりしたらことだ。

 

「じゃあ、メールしとくね?」

 

 アリサの返事を聞いていそいそとメールを打ちはじめるなのは。

 

(大丈夫よね、すずかもヘアバンドあの温泉で買ったって言ってたし……)

 

 アリサはそんななのはに、何故か消えない嫌な予感を持て余していた。

 

 

 † † † †

 

 

 学校を休んだすずかは、屋敷に併設されている研究室前で携帯の着信音を聞いていた。昨夜から一睡もせず研究室に連れ込まれたファリンとゾウイを待ち続けていたため、ポケットに入れっぱなしだったものだ。なり続ける携帯を取り出すすずか。しかし開くことはできず手に持ったまま固まる。

 

「すずかちゃん、大丈夫?」

 

 昨日からずっと付き添ってくれたさくらが心配そうな声をかけてくれる。すずかはそれに小さく頷いただけで、再び研究室の扉に目を向けた。

 

「……ぁ」

 

 しかし、すずかは小さく声を漏らした。自分の体が小刻みに震えているのに気付いたのだ。疲れきった頭の中で、すぐにその原因を理解する。それは恐怖だった。

 

(もし、アリサちゃんのメールだったら……)

 

 何と書かれているだろうか。あの翼を生やした猫を前に夜の一族としての力を使ってしまった。聡いアリサなら、きっと自分を化け物と気付くに違いない。

 

――あんな気持ち悪い化け物!

 

 いつかアリサが孔に向かって叫んだ言葉が響く。その言葉は孔の持つ力へ向けられたものだった。あの異常な人に排斥されるべき力を、自分も持っているとバレてしまった。次は自分にあの悪意が向けられるのだ。そして、それを慰めてくれる存在はもういない。その事実を前に、震えが止まらなかった。手の中の携帯が滑り落ち、ゴトリと音を立てる。震える手が涙で歪んで見えた。そのまま視界は歪み、

 

 静かに響いた扉の音に中断された。

 

 出てきたのは煤と油で体を汚した忍とノエル。すずかは涙がこぼれるのも構わず顔をあげ、忍に取りすがった。

 

「っ! お、お姉ちゃん、ゾウイ……ゾウイはっ!?」

 

「落ち着いて、すずか。ゾウイは大丈夫よ? ファリンも。ちょっと足りないパーツがあるから、もう少し時間はかかるけど、うん、そう、大丈夫よ」

 

 泣きついたまま塞がれた視界に、姉の手が頭を撫でる感覚が広がる。ようやく僅かな希望を与えてくれた姉の優しさに、涙を拭って頷くすずか。そんなすずかの気を少しでも紛わせようとしたのか、忍は床に転がる携帯を拾いあげた。

 

「ほら、携帯、落としてるわよ? メールも来てるし」

 

 なのはの名前が送信者に入ったメールが目の前に開かれる。おそらく、身内の携帯を操作するというマナーを無視してでも、姉は自分を立ち直らせようとしてくれているのだろう。しかし、すずかにとってそれは恐怖だった。未だ心の準備が出来ていない状態で、目の前に死刑執行を告げる書面が開かれたのだ。まるで暴力を目前にしたかのように、一瞬でその恐怖は広がっていく。

 

「っぁ!」

 

 思わず短く叫び声をあげ、

 

「なのはちゃんからね。週末、温泉のお誘いよ? アリサちゃんも一緒みたいね」

 

 すぐに忍の声に打ち消された。軽くメールを流し読みする忍を思わず見つめる。涙が頬を伝った。

 

「ほら。週末はすずかも遊びに行くんでしょう?」

 

 しかし、その涙はすぐ忍に拭われる。やさしく手をとって、友達からのメールが開かれた携帯を手渡してくれた。画面にはお茶会のお返しにと週末の温泉旅行へのお誘いが書かれていた。そして、文末にはすずかを心配するなのはとアリサのメッセージが。

 

「……っ!」

 

 頬を、再び涙が伝う。しかし、先ほどと違いその涙はやけに熱く感じられた。

 

「……すずかお嬢様」

 

 同時に肩に感じたぬくもり。ノエルがやさしく肩を抱いてくれていた。それはいつか、ファリンが自分を慰めてくれたのと同じだった。

 

「っ! ぅう!」

 

「もう。泣いてばっかりじゃ、置いてかれちゃうわよ?」

 

 忍も普段と変わらない調子で声をかけてくれる。それは、まるですずかを取り巻く環境がいつもと変わらずに続いていると告げるようだった。強い安心感を与えてくれるそれに、すずかは涙を止めることも出来ず、久々に家族に甘えていた。

 

 

 

(……温泉か)

 

 そんな姉妹の様子を見ながら、さくらは胸をなでおろすと共に目を鋭くしていた。昨日、屋敷を襲った怪異。そして、同時に表れた御神流の暗殺者・夏織の存在。戻ってきた士郎によれば、彼女は何かしら目的を持って動いており、週末には温泉街でコンタクトを取ると言う。そこへ、なのはからの誘いである。

 

(士郎さん、止められなかったみたいね。その夏織って人がどういう脅しを使ったか知らないけど、こども達まで連れて巻き込むなんて……。週末、念には念を入れといたほうがいいわね)

 

 何度も目にしてきた抗争。かつて恭也と忍に降りかかり、退けたはずのそれが再び音も無く膨らみ、犠牲を撒き散らしていく。そんな予感を前に、さくらは固く手を握り締めていた。

 

 

 † † † †

 

 

「で、結局全員で行くことになったわけか……」

 

 テスタロッサ邸前。修は車に乗りこむいつものメンバーを複雑な思いで見守っていた。行く、というのは勿論温泉へである。あれから何度かジュエルシードを探しに山へ飛んだりしたが、結局は見つけられず、こうして不安のまま当日を迎えることになった。

 

「えっ? でも修くんも皆で行こって言ってたよね?」

 

 そんな修に声をあげる萌生。普段の制服と違い、無駄にフリルの多い、ヒラヒラした服を来ている。明らかに余所行きだ。修は溜め息を吐いた。

 

「ホントに楽しそうだな、お前」

 

「楽しみだよ? 皆でおみやげ屋さん見に行って、温泉入って、それから~」

 

 予定を数え始める萌生に再び溜め息をつく修。そこへ、後ろから孔の声がかかった。

 

「まあ、たまにはパーっと遊ぶのも必要だろう?」

 

「まあ、そうなんだけどな……」

 

 その声に答えながら振り返ると、着いたばかりの孔が車から降りて歩いてきていた。どうやら家族同伴らしく、孔を追いかけて飛び出そうとする妹とそれを注意しながら運転席から出てくる母親らしき人物、さらにはまだ年端も言っていない幼児の姿が見える。

 

「あ、卯月くんだ。おはよ」

 

 おはよう。そう普通に萌生と挨拶を交わす孔に3度目の溜め息を吐く修。そんな修に孔から念話が届いた。

 

(そんなに暗くなるな。事前にプレシアさんに温泉街全域を調べてもらったけど、反応は無かったんだ)

 

(そうだけどよ。反応の無いジュエルシードが眠っている確率は精度から言って1パーセント以下、だろ? 逆に言うと1パーセントの確率でジュエルシードが出て来るんだぞ?)

 

 修の目論見どおり、まだ探していない温泉街を見て回っているから助けて欲しいと言うと、孔はプレシアの協力を取り付けてくれた。なにやら自然界に溶け込む微細な魔力をキャッチするレーダーを使ったそうだが、それでも完全に存在しないという保証は得られなかった。プレシアが科学者であることを考えると当たり前といえば当たり前だが、外れ続けているとはいえ未来の知識を持つ修にとっては不安な事この上ない。

 

(そういう意味ではもう海鳴全域が危険地帯なんだ。それに、確率だけで見ると温泉街は他のエリアより低かったと聞いてる)

 

(ったく、今度からどっか行くときは海鳴の外にするからな俺は)

 

 念話で悪態をつきながら、テスタロッサ邸の方に目を向ける。遠目にプレシアと孔の母親らしき人物が挨拶を交わしているのが見えた。さっきまでこっちに飛び出そうとしていたアリスもちょうど車に乗ろうとしていたアリシアと楽しそうに話している。

 

(違和感満載だな、おい)

 

 あまりに普通の家族をやっているプレシア達にそんな感想を抱く修。知識上はこの一家が今回のジュエルシード事件のトリガーだった筈だが、こんなに平和でいいのだろうか。

 

(ていうか、もう俺の知ってる「話」からズレてんだよなぁ。まあ、良い方にズレてるみたいだからいいけど……)

 

 そんな風に思いながらも、修の持つ未来の知識は警鐘を鳴らす。気を抜くべきでないと。

 

「ほら、修くん、卯月くんも。早く行こうよ? アリスちゃん達、待ってるよ?」

 

 一度痛みを味わった以上、もうどうにも出来ないで済ませたくない。服を引っ張る萌生に頷くと、修は孔と一緒に車へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「次っ! 次あそこ行こっ!」

 

「あっ! これ可愛い!」

 

「……女の買い物には付き合うなってのはホントだな、おい」

 

 温泉街の土産物屋。萌生はげんなりする修を無視してアリス、アリシアとはしゃいでいた。萌生にとっては園子がいなくなってから初めての友達との外出であり、心にたまった淀みを洗い流すように振る舞う。

 

「ねえ、フェイトちゃん。フェイトちゃんはどれがいいの?」

 

「えっ? えっと……」

 

 それは後ろで手持ち無沙汰にしているフェイトにも及んだ。土産物屋で売られているリボンを指差し、折角だからと薦めている。

 

「買わないの? ピンクも可愛いと思うよ?」

 

「あ、えっと、私は、その……」

 

 フェイトの方は困ったようにチラチラとプレシアに視線を送る。萌生はその視線に気付いたのか、首をかしげて問いかける。

 

「フェイトちゃん、お母さんに買っちゃダメって言われてるの?」

 

「そっ、そんな事ないけど……」

 

 まるで何かに怯えている様なフェイトの態度を見て、萌生は疑問だった。そういえば、車で移動している間もフェイトは常に母親に遠慮して縮こまっていたように思える。それは普段の「姉とは対照的なしっかり者」のフェイトとはほど遠いものだ。

 

「大丈夫だよ。アリシアちゃんもさっき買って貰ってたし」

 

 そう言って空色のリボンを頭につけるアリシアを指差す。先ほどプレシアにねだって買ってもらい、結んでもらっていたものだ。本当に楽しそうにリボンを揺らすアリシアを見て、しかしフェイトは少し暗い顔で何処か諦めた様に呟く。

 

「い、いいよ。遊んで来なさいって言われてるし」

 

 そう言いうと、フェイトは逃げるように修の方へと歩いていく。母親とは甘えるものであると無意識に理解している萌生にとって、フェイトがプレシアを前に自分を抑えているのは理解できない関係だった。

 

(フェイトちゃん、お母さんとケンカしたのかなぁ?)

 

 そんな風に思いながら、プレシアの方を見る。ちょっとキツめの雰囲気があるけれど、優しくて綺麗なお母さん。それが萌生のプレシアに抱いた印象だった。その印象を崩すことのない横顔に見とれていると、視線に気付いたのかプレシアと目があった。ピンクのリボンを持ったまま手を振る萌生。プレシアも優しく笑って手を振り返してくれる。話しかけやすさを感じた萌生は、プレシアに駆け寄った。

 

「おばさんっ! フェイトちゃんにもね、リボン、買ってあげて?」

 

 無邪気に叫ぶ萌生。プレシアは一瞬驚いたようにしながらも、萌生からリボンを受け取った。

 

「フェイトも、このリボンを買ってほしいって言ったのかしら?」

 

「ううん? フェイトちゃんは言ってないけど、きっと似合うと思うの。アリシアちゃんともお揃いだし」

 

「そう……」

 

 短く頷きながらも、どこか固い雰囲気のプレシア。萌生は再び首を傾げた。

 

(アリシアちゃんの時と、なんか違うなぁ)

 

 リボンでアリシアを飾るプレシアは、自分の母親と同じ様な柔らかい雰囲気があった。アリシアもそれを受け入れている。しかし、フェイトとはどこかぎこちない。萌生は必死に自分の経験を振り返って問いかける。

 

「フェイトちゃんのお母さんも、お仕事があったんですか?」

 

「え? いいえ。そんな事ないわよ?」

 

「う~ん、でも、なんかそんな感じだったから。私のお母さんも、お仕事で忙しいとあんまりお話してくれないんだよ?」

 

 そんな萌生にプレシアはしゃがんで視線を合わせると、先ほどの優しい笑顔で話しかけてきた。

 

「モブちゃんは、私が怖いお母さんに見えたのかしら?」

 

「うーん? あんまり。でも、なんかフェイトちゃんとアリシアちゃんと違ったみたいだから」

 

 無邪気に思ったままを口にする萌生。勿論、それがプレシアにとってどれだけの言葉かは理解していない。まだ幼い萌生は人の纏う雰囲気には敏感だが、そこからプレシアの複雑な感情を読み取ることまでは出来なかった。

 

「そうね。フェイトとはあまりお話してないわね」

 

「? おばさんはフェイトちゃんと遊んだりしないんですか?」

 

「……そうね。あまり一緒にいてあげられなかったかもしれないわね」

 

「じゃあ、今度フェイトちゃんが一人でいたら連れてくるね?」

 

 プレシアのどこか寂しそうな声。萌生はそれをフェイトともっと遊びたいものだと理解していた。駆け出す萌生。振り向くと、複雑な笑顔で見送ってくれるプレシア。どこか引っかかりつつも、萌生にはそれが何なのか分からなかった。

 

 

 † † † †

 

 

「うわー、広ーいっ!」

 

「あ、アリスちゃん、あれ、滝みたいになってるよっ!」

 

「こら、アリス。走ったら危ないわよ?」

 

「そうよ。アリシア。転んだら大変でしょう?」

 

 夕刻。温泉街で遊んだ埃を落とそうと一行は温泉へ来ていた。未だ遊び足りずにはしゃぎまわるアリスとアリシアを、先生とプレシアが宥めている。もっとも、先生はアキラと手をつないでいるせいか、こども達を注意するのはプレシアが中心だ。

 

「……」

 

 それをどこか不満そうに見つめる視線がひとつ。フェイトだ。ジュエルシードと遭遇した後、プレシアたちが帰ってくるより先に家に移転し、怒られることは無かった。訓練で怪我をしたと言えば納得してくれたし、魔法で治療もしてもらえた。初めて受ける母の治癒魔法はどこか不器用だが温もりがあった。しかし、やはり母の雰囲気は硬いままだ。

 

(なんで……)

 

 今もプレシアの目はアリシアに行っている。自分がずっと夢に見続けてきたのと変わらない温もりが、無償の愛情が、自分ではない誰かに注がれている。そして、自分は遠くから見ているだけだ。

 

「ねえ、フェイトちゃん、早く入らないと風邪ひいちゃうよ?」

 

 そこへ、脱衣所から出てきた萌生から声がかかる。

 

「あ、うん……」

 

 生返事を返すフェイト。しかし、萌生は元気が無い様子のフェイトの手を取った。そのまま湯船に引っ張りながら楽しそうに問いかける。

 

「ねえ、フェイトちゃんも温泉始めて?」

 

「えっ? うん、始めて、かな?」

 

 今日の萌生はなんだか強引だ。しかし、不思議と振り解く気は起こらない。

 

「温泉は、急に入っちゃダメなんだよ? かかり湯って言って~」

 

 そのまま椅子に座らされ、お湯をかけられる。露天風呂になっているせいか、お湯はそこまで熱くなかった。何が楽しいのか、萌生は温泉をいっぱいに汲んではフラつきながら持ち上げてフェイトの背中を流している。

 

「モブ、重そうだけど、大丈夫?」

 

「ん~? 重いよ~? でも、お母さんが、温泉に言ったらフェイトちゃんの背中流してあげなさいって。そしたら、きっと元気になるって」

 

 フェイトは思わず振り向いた。背中を流そうとしていたお湯が盛大に顔にかかる。

 

「わっ!? フェイトちゃん、大丈夫?」

 

「うぅ。平気」

 

 うかつな自分に後悔しながら、目に入ったお湯を拭う。フェイトはどちらかというとお風呂は苦手だった。顔に水がかかるのは怖かったし、反射的に目を閉じてしまうため未だに髪を一人で洗えない。

 

「ゴメンね? 熱くなかった?」

 

「いいよ、もう……」

 

 涙目になって謝る萌生に苦笑しながら、フェイトは立ち上がって湯船に入る。萌生がかけてくれたお湯で温まった体は、温泉の熱を直ぐに受け入れた。

 

「ねえ、モブ。モブのお母さんって、どんな人?」

 

「う~ん? どんなって言われても……普通かなぁ」

 

 後ろでお湯を今度は自分にかけている萌生に問いかける。普通の家族。それがフェイトにはやけに重く響いた。自分の家族は普通と言えるだろうか。少なくとも、自分は絵本や道徳の教科書に出てくるような関係を築いているとは言い難い。

 

(姉さんと、違うから……)

 

 そして、思考はどうしてもそこへ行き着いてしまう。自分と違い、暖かい家族の中にいるアリシア。どんなに訓練をしても、どんなに危険な任務に精を出しても、ずっと得ることが出来なかったそれに身を置くアリシアと自分をどうしても比べてしまうのだ。

 

「ねえ、フェイトちゃん。フェイトちゃんのお母さんって、綺麗な人だね」

 

 いつの間にか、萌生はフェイトの横に座っていた。フェイトがじっと母親を目で追いかけているのを見て、同じように視線を向けている。ちょうど、プレシアがアリシアの髪を洗ってやっているところだった。

 

「フェイトちゃんも、髪とかお母さんに洗ってもらってるの?」

 

「私は……アルフがいるから」

 

 フェイトは母親と姉から目を逸らしてそう答える。しかし、フェイトの家族に目を輝かせる萌生は止まらない。

 

「そっか、お姉ちゃんがいるんだっけ? いいなぁ。私も、お姉ちゃんがいれば洗ってもらえるのに」

 

「モブはお母さんに洗ってもらってないの?」

 

「うん。お母さん、お仕事で忙しいから……お風呂はいるときは、私一人かなぁ?」

 

 昔は一緒に入ってたけどね。そう付け加える萌生に、フェイトは少し意外そうな顔をした。「普通の」家族を持っている萌生ならば、きっとアリシアのように母親に甘えていると思ったのだ。

 

「お母さんに、洗って欲しいって思ったりしないの?」

 

「う~ん? あんまり考えたことないなぁ。自分の髪だし。お母さんの櫛、目が細かくて私の髪だと引っかかって痛いし。フェイトちゃんはお母さんに洗って欲しいの?」

 

「それは……うん、まあ」

 

「じゃあ、お願いすればいいじゃない?」

 

 フェイトは戸惑った。確かにその通りなのだが、フェイトにとってプレシアに「お願い」をするのは一大決心だった。以前のように拒絶される可能性を考えると、わがままを言って悪化するよりは今のままを選びたい。ただでさえ、この間留守番をしたいと言った時に心証を害している。しかし、それは萌生に通じない。

 

「あ、アリシアちゃん洗い終わった。次ぎ、フェイトちゃんの番だね?」

 

「えっ!? あ、ちょっと、モブっ?!」

 

 視線に気付いて振り返るアリシアに手を振りながら、止める間もなく萌生はプレシアの元へと駆け寄っていく。慌てて後を追うフェイト。

 

「おばさん、フェイトちゃんがね、髪洗って欲しいって!」

 

 が、一歩遅かったようだ。心の準備が出来ていない状態で、ずっと心に溜めてきた我が儘を言われてしまった。

 

「ち、違うんです! いや、あ、違わないけど、その、母さんっ!」

 

 混乱した頭で必死にプレシアに許しを請うフェイト。今まで受けた「お仕置き」がありありと頭に浮かんできた。任務に「失敗」したとき、研究素材が少ししか集められなくて鞭で打たれたことがあった。ノルマに届かず、電撃で責められたこともあった。だから今回も、

 

「いいわよ。こっちにいらっしゃい」

 

 そう思ったところで、プレシアのやさしい声が聞こえた。プレシアは一瞬驚いたような顔をしたものの、直ぐにやわらかい表情を浮かべてフェイトに手を差し伸べたのだ。

 

「えっ!?」

 

 声をあげるフェイト。しかし、固まっているのも束の間、萌生に肩を押されてプレシアに寄りかかってしまう。

 

「っ!」

 

 気が付くと、プレシアに抱きしめられていた。こんな風に母の腕の中にいるのはいつ以来だろうか。今までずっと憧れていた母の温もりが近くに感じられる。思わず顔を摺り寄せようとして、

 

「ほら。髪を洗うんだから、大人しくしていなさい」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 軽く注意された。縮こまるフェイト。そんなフェイトを椅子に座らせ、髪を梳きながらプレシアは優しく話しかける。

 

「ねえ、フェイト。フェイトはお母さんのことが怖いかしら?」

 

「っそ、そんな事……っ!」

 

 慌てて否定するフェイト。しかしそれは自分の心理を的確に表していた。母親を求めるがゆえに拒絶されるのを恐れ、自分から近づく事ができずに「いい子」にして愛情を待つことしか出来なかったのだ。

 

「フェイト、ちゃんと目を閉じてないとダメでしょう?」

 

「あ、ご、ごめんなさい」

 

 思わず振り返ろうとしたが、注意された。しかし、その言葉に棘は感じられない。普段とは違う、しかし夢で見続けてきたのと何ら違わない口調のまま、今度は念話が響いた。

 

(フェイト、足は大丈夫なの?)

 

(はっ、はいっ! 平気ですっ!)

 

 その優しい声がフェイトにもたらしたのは混乱だった。夢にまで見た温もり。それが急に与えられ、簡単には信じられない。しかし、それ以上に強い、甘えたいという欲求。更には手を伸ばした途端拒絶されてしまうのではないかという恐怖。様々な感情がない交ぜになり、

 

(本当に? ロストロギア、追いかけたんでしょう?)

 

(だ、大丈夫です! リニスの防御結界もありましたし……)

 

(あら。やっぱりロストロギアだったのね)

 

 気がつけば答えてはいけない問いかけに答えていた。血の気が引く。あっという間に感じていた温もりが消えていくのが分かった。お湯がかけられているにも関わらず、その温度は全く感じられない。それどころか、まるで水責めを受けているかのようにフェイトの恐怖を煽った。

 

(嘘をつくのは、悪い子よ)

 

「ご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」

 

 気がつくと、声をあげてプレシアに泣きついていた。先ほど感じた期待と欲望は無くなり、恐怖が頭の中を支配している。

 

(ほら、やっぱり。母さんの事、怖がってる)

 

 しかし、優しい声は続いていた。

 

(フェイト、貴方にロストロギアを探さないように言ったのは、もう危ないことをして欲しくないからよ?)

 

(かあ、さん……)

 

 恐怖が少しずつ収まっていく。

 

(今まで貴方には辛いこともさせてきたけど……それももうお終い)

 

 ずっと聞きたかった言葉が、夢ではなく現実に。

 

(今まで気づいてあげられなくて、ごめんなさいね)

 

 確かに聞こえた。想いを受け入れてくれたその声は小さいかったが、フェイトの心には大きな響きとなって伝わった。肩が震える。涙が止まらなかった。しかし、止めたいとも拭おうとも思わない。温かい母の手が、髪を洗いながら時々涙をすくってくれるから。

 

 

 

「ぅう、リニス、フェイトが、フェイトがぁ~」

 

「はいはい、嬉しいのは分かりますから、落ち着いて下さい」

 

 そんな母子2人を見て泣きついてくるアルフを、リニスは頭を撫でてやりながら宥めていた。フェイトの使い魔であるアルフは魔力供給を受けるとともに精神リンクも繋いでおり、強い感情はある程度共有することができる。普段ならば鬱屈した感情しか伝わってこないそこから、ようやく待ち望んだ感情が、それもかつてないほど大きなうねりを伴って流れ込んで来たのだ。使い魔となって日が浅く精神的に未熟なアルフには、それを心に留める事は出来なかったのだろう。

 

(フェイトに幸せをもたらしたのは家族でも使い魔でもなくて、友達でしたか。ちょっと悔しいですね)

 

 一方のリニスは喜びながらも何処か複雑な目を向けていた。孔によってアリシアを取り戻してから、「家族」という関係を互いに模索してきたリニスにとって、目の前の光景はまだフェイトが兵士として扱われていた時期からずっと求めてきたものだ。理想の家族とは何か定義する気はないが、アリシアとプレシアと同じような関係をという願いは、ほんの些細な一言であっけなく叶えられてしまった。

 

――じゃあ、今度フェイトちゃんが一人でいたら連れてくるね?

 

(……怖がって積極的になれなかったのは、私達の方かも知れませんね)

 

 フェイトを引っ張ってプレシアに引き合わせた萌生を見て、そんな事を思う。過去に加えた虐待が負い目になって手を差し伸べることが出来ず、リニスもそれを見ている事しか出来なかった。

 

(コウ、私は貴方の使い魔として……役に立てているといいんですけど)

 

 同時に現状を抱え込みがちな主を思う。未だ感情の起伏が伝わってこない精神リンク。プレシアの使い魔として過ごしていた時に流れ込んできていた激しい感情がなくなり、虚しさばかり残る。今度、向き合ってちゃんと話をしてみようと思いながら、リニスはフェイトの髪を拭いてやるプレシアを見守り続けていた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

使い魔 アルフ
※本作独自設定
 普段はテスタロッサ家の次女として過ごしている、フェイトの使い魔。使い魔とは魔導師が死の直前または直後の動物に自身の魔力を送ることで使役する魔法生命体のことで、組み込む術式により術者が自我をある程度コントロールできるが、アルフは独立した個の意思を持っており、フェイトもそれを認めている。フェイトとは「ずっとそばにいること」を条件に契約を交わした。主とは対照的に非常に感情を表に出すことが多く、どちらかというとフェイトにたしなめられる事の方が多いようだ。

――元ネタ全書―――――

ゾウイ
 偽典・女神転生、主人公の飼っていた猫型ペットロボット。悪魔にとりつかれて暴走し、主人公の母親を殺害した。なお、グラフィックは同ゲームの悪魔、妖獣ファンタキャットと似ている。

――――――――――――


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第14話c 胎動の戦線《参》

――――――――――――

「よかったですね。フェイトちゃん」

 温泉から上がって騒ぐこども達を前に、先生が声をかけてくれる。モブちゃんと話すフェイトは、普段より随分柔らかい表情を浮かべていた。

「ええ。貴女と……こども達のお陰ね」

 一度我が儘を言わせてみてはとアドバイスをくれた先生と、フェイトに我が儘を言わせたモブちゃんに礼を言う。アリシアも欲しかった「妹」にご満悦だ。

(フェイト……これからもアリシアと仲良くしてあげてね)

 アリシアやリニスが望んだ家族。今後はそれがフェイトの役割になるだろう。それがフェイト自身の望みでもあったのだから。

 例えフェイトが私の娘でなくとも。

――――――――――――プレシア/温泉旅館



「はぁ、染みるな」

 

「年齢を感じる言い方だな」

 

 此方は男湯。広い温泉に2人の声が木霊する。名湯の名に恥じぬ湯煙と景観を眺めながら、修と孔は風呂に浸かっていた。シーズンオフな上にまだ早い時間。他に客がいない中で、こどもとは思えない感想を漏らす修に孔は苦笑を返す。未だ孔は修から未来の知識を持っているとは聞いていないものの、修が「前世」の記憶を持つ転生者だと知っているためごく自然な反応だとは理解できるのだが、見た目が同い年の少年だとどうしても戸惑ってしまう。

 

「お前が言うな。それに、こっちは萌生たちの面倒で疲れてんだ。引率の先生みたいにくつろぎやがって」

 

「悪いな。アキラの面倒も見ないといけなかったんだ」

 

 体を伸ばしながら文句を言い続ける修。つい先ほどまで温泉街で女性陣の買い物に付き合わされていたせいか、相当ストレスがたまっている様子だ。その間孔は先生とリニスの3人でアキラの面倒を見ながら遠目に4人を眺めている。くつろいでいると誤解されても仕方ないだろう。

 

「はぁ、まあ、いいんだけどな。しかし、こどもはタフだな」

 

「今は同い年だろうに」

 

 時折女湯から響いてくるアリスやアリシアの楽しげな声を聞きながら、修は溜め息を漏らす。それを窘めながらも、孔はそこにどこか空虚さを感じていた。足りない、と。

 

(……本来なら、大瀬さんも来る筈だった)

 

 そんな思いが頭を過ぎる。耳を澄ませば、自分が呪いをかけた彼女の声がはっきりと聞こえそうな気さえする。しかし、どんなに神経を集中させても、幻聴すら耳に入ってこない。

 

(あの呪いが無ければ、巻き込まなかったのだろうか。そうでなくとも、生きていれば、あの呪いも乗り越えることが出来たのだろうか……)

 

 今となってはもう絶対に実現不可能な仮定の話にしかなりえない。しかし、どうしても考えてしまう。生きていたときの可能性を、かかった呪いを乗り越え自分を正しく見てくれるようになった未来を。そして、病室の沈黙の中で待ち続けた愚かな自分が引き寄せた現実を。

 

「……なあ、デバイスもって来てるんだったよな?」

 

「? あ、ああ」

 

 一瞬出来た無言の時間を打ち破るように、修から声がかかった。湯船の端には孔のI4Uと修のS2Uが並べて置いてある。何かあったときすぐ動けるようにと手放さなかったものだ。

 

「なら、これ渡しとくぜ」

 

《Put off》

 

 修はそのS2Uを掴み、封印済みのジュエルシードを取り出した。Ⅹというシリアルナンバーが浮かび上がっている。

 

「これは……」

 

「園子のジュエルシードだ。ごたごたで渡せなかったからな」

 

 孔は差し出されたそれに手を伸ばそうとして――しかし自分の手が震えているのに気付いて止まった。

 

「どうした?」

 

「折井、俺は……受け取れないんだ」

 

 怪訝そうな顔をする修に、孔は話し始めた。あの時、病室で待ち続け、泣きながら帰ってきたリニスの話を聞いて、しかし涙を流すことは出来なかった事。その理由はおそらく知らずに発動させてしまった能力であり、強制的な好意を付与して偽りの想いを抱かせていた事。そして、それが無ければきっとすずかやアリサ達が向けているのと同じ憎悪を向けてくるという疑いを抱いていた事――

 

「正直、怖かったよ。俺を憎む人間がひとり増えると思うと。それで大瀬さんがバニングスさんみたいに傷つくと思うと。疑わずに信じていればよかったんだ。俺を信じてくれている大瀬さんみたいに。だから……」

 

「うるせえな」

 

 孔の声は、しかし修に遮られた。そこに怒りも悲しみもない。ただ、静かで落ち着いた声だった。目を見開く孔。

 

「これ持ってるとな、聞こえて来るんだよ。コウクンガワラッタ、サムイ、アッタメテってな。その度に俺は答えるんだ。連れてってやるから、俺からもそう頼んでやるからって。いい加減、重いんだよ。この宝石。俺はアイツと一緒に遊んだ思い出だけで十分なんだ。お前が持てば、こんな声聞こえなくなるだろ? お前が持てねえってんなら、プレシアさんに押し付けるぞ」

 

「……っ!」

 

 衝撃に息が出来なかった。なんでもない風を気取りながら、修が感じていた痛み。自分のことばかりで想像すら出来なかったそれを、初めて聞かされたのだ。自分のやったことに修は単純に怒ると思っていた。失望すると思っていた。しかし、目の前の友人は自分と園子に応えようとしている。そこには責める様子も、蔑む感情も無い。

 

「……いいのか?」

 

「俺に聞くな」

 

 すまない、孔はそう答えただろうか。あるいは声は出なかったかもしれない。ただ、震えることなく握り締めたその蒼い宝石から響いた声は確かに聞こえた。

 

――あったかい……

 

 足りなかった声だ。ずっと聞こえていなかった、いや聞こうとしていなかった声。目をつむってそれに浸る。

 

(きっと、この声はもう離れないだろうな)

 

 目を開く。ざぶんという音と共に水しぶきがかかった。顔を上げると、修が立ち上がっている。

 

「この後、宴会だろ? さっさと行こうぜ」

 

 もう終わり、とばかりにいつものように声をかけてくる。孔は礼の代わりに普段どおりに答えた。

 

「こどもの相手は苦手なんじゃなかったのか?」

 

「うるせーな。もう楽しむって決めたからいいんだよ」

 

 いつものやり取り。何も欠けていないと教えてくれる会話を修と交わしながら、孔は温泉を後にし、

 

 魔力に包まれるのを感じた。

 

 † † † †

 

 

「すずかのヘアバンド、やっぱり綺麗だったわね」

 

「それ、あそこで買ったんだね」

 

「うん。懐かしいなぁ」

 

 孔達が温泉から出る少し前。遅れて着いたなのは達一行も温泉に来ていた。なのは、すずか、アリサの3人は時々売店を覗きながら連れ立って脱衣場へと進む。

 

「那美、どうだ?」

 

「う~ん、悪魔に取りつかれているという感じは……」

 

 そんな3人を見守る影が2つ。リスティと那美だ。リスティは士郎に頼まれてこども達の監視をすることになり、那美はそのリスティに頼まれてなのはを改めて見る事になったのだ。「見る」というのは勿論悪魔がとりついていないか確認するという意味だが、

 

「この間、すずかちゃんを襲った悪魔の妖気は感じられません。リスティさん、本当になのはちゃんが人を撃つような事を?」

 

 結果はシロだった。普段と何ら変わらないなのはを見て、那美も疑問に思ったのだろう。とても信じられないという様子で見上げてくる。

 

「ああ。ボクも直接見た訳じゃないけど、状況証拠は固いみたいだ」

 

 そう言いながらリスティの方も疑問を感じていた。友達とはしゃぐなのはに悪魔が巣くっているとは想像がつかない。

 

(……別の可能性を考えた方がいいのも知れないな)

 

 そういえば、恭也も孔に理不尽な憎悪を向けていた。憑依ではなく、強制的に感情を操作させる様な相手かもしれない。そんな事を考えていると、なのは達に見知った影が近づいてくるのが見えた。

 

「ふーん、キミね、うちの子をアレしちゃってくれちゃったのは」

 

 アルフだ。温泉の方から出てきたかと思うと、なぜかなのはを激しく威嚇している。

 

「あんま賢そうじゃないし、強そうでもないんだけどなぁ」

 

「えっ? え?」

 

 露骨に挑発するアルフに戸惑うなのは。リスティは顔をしかめた。慎重な行動を心掛けているのにこれでは努力が水の泡だ。

 

(あれでは完全に小学生を苛める中学生だな。大人げないというべきか、なんというべきか……)

 

 溜め息を吐くリスティ。どちらかというと悪魔がとり憑いているのはアルフの方にしか見えない。そんな感想を抱きながら遠くで見つめていると、

 

「リスティさん?」

 

「ん? ああ、リニスさんか」

 

 後ろからリニスに話しかけられた。こちらも温泉上がりらしい。まだしっとりと肌を湿度で濡らしている。暴漢に襲われなければいいが。そう思いながら、リスティは視線をアルフへ向ける。

 

「あっはっはっ! ごめん、ごめん、人違いみたいだったよ」

 

 そこには高笑いするアルフがいた。

 

「アレは何かの作戦なのか?」

 

「……いえ。私が忠告を怠った結果です。申し訳ありません」

 

 謝るリニスに頭を押さえるリスティ。どうやらアルフの独断だったようだ。先日の一件で現場に居合わせたなのはを見咎め、因縁をつけに行ったのだろう。那美はそんな2人の心中を察したのか、アルフへと近づいていく。

 

「アルフ? 何してるの?」

 

「ん? ナミじゃないか。どうしてここに?」

 

 話しかけてきた那美に驚くアルフ。間髪入れずに那美は普通の会話にすり替える。

 

「美由希――そこのなのはちゃんのお姉さんだけど、その人に誘われて一緒に温泉に来てたんだよ? アルフは?」

 

「ああ、あのお嬢……フェイトのお姉さんが温泉のチケットを当ててね。家族で来たのさ」

 

「ふうん。それで、家族が迷子になっちゃったから、探してたんだよね?」

 

 そして、いきなり話題を変えた。

 

「へっ? いったい何のこ……」

 

「大丈夫。迷子ならさっき見かけたから。ごめんね、なのはちゃん。アルフがちょっとよく似た女の子を探してたみたいだから」

 

 根は単純なのか、ついていけずになすがままのアルフ。那美はそんなアルフを強引に引き離す。普段説得による除霊を得意としているだけに、言葉での扱いはうまいものだ。

 

「……申し訳ありません。よく叱っておきますので」

 

「いや。リニスさんのせいではないよ」

 

 相変わらず苦労している様子のリニスを軽くフォローするリスティ。そういえば孔も妹のアリスに同じような反応をしていた。なのはと恭也といい、どうも自分の知っている姉妹や兄妹というのは似ない上に苦労するものらしい。そのなのはも、戸惑うアリサとすずかと共に訳が分からないといった様子できょとんとしている。リスティは3人から目を離さずに続けた。

 

「それより、実は今、士郎さんが夏織――この間の事件に一枚噛んでいた人物だけど、その人と話をしていてね。ボクはその間、なのはちゃんの警護と監視を頼まれてるんだ。リニスさんも十分注意してくれ」

 

「大丈夫なんですか? 何か協力できることがあれば……」

 

「いや、今のところ大丈っ!?」

 

 普通にレジャーを楽しんでいる様子のリニスに遠慮して申し出を断ろうとした矢先、リスティは言葉を止めた。なんと、視界から掻き消えるようにしてなのは達3人がいなくなったのだ。

 

「これは……結界ですねっ! なのはちゃん達を切り離したみたいですっ!」

 

「魔法はこんな至近距離から誘拐まで出来るのかっ!?」

 

 慌てて3人がいたあたりまで駆け寄るリスティとリニス。周囲を見渡すリスティをよそに、リニスは手を掲げた。手元にある腕輪が光り、形を変え始める。小さな宝石をあしらったそれは膨れ上がり、杖状に姿を変えた。そのまま何もない空間に杖をかざすリニス。リスティには見えないが、結界の解析とやらを始めているのだろう。

 

(ちょうど士郎さんが依頼を受けている頃か! 何かトラブルがあったか、事前になのはちゃん達を人質にしようとしていたと見るのが妥当だなっ!)

 

 冷静さを保とうとしながらも苛立ちを隠せないリスティ。夏織という人物が何の依頼を持ってくるのか不明だが、相手は月村邸での一件を引き起こした上に、なのはを取り込んでいる可能性が高いという。魔法を使っても不思議ではない。

 

(今度はやられて終わるわけにはいかないな)

 

 壊されたゾウイとファリンに悲しみに沈むすずかを思い出し、リスティは士郎に同行しているさくらと連絡を取るべく携帯を取り出した。

 

 

 † † † †

 

 

「サイバース・コミュニケーション社CTO・氷川氏の護衛、それが依頼か」

 

「そう。3日後、メシア教会のトールマン氏と2時間の面会を予定しているわ。貴方は氷川が会社を出て、会談が終えるまでガードして貰えばいいのよ」

 

 時はわずかに遡り、温泉施設に設けられた喫茶店。士郎は夏織から依頼を受けていた。横にはさくらも一緒だ。夏織の方は一人だが、これは余裕の現れだろうか。緊張した様子の士郎とさくらとは対照的に、夏織は月村邸であった時と同じ笑みを浮かべている。

 

「大手通信企業の重役が何故宗教団体に?」

 

「さぁ? そこまでは私も知らないわ。私はただ依頼を受けて斡旋してるだけよ」

 

(嘘もいいところだな)

 

 心のなかで毒づく士郎。いくら裏社会といってもルールは存在する。御神流のようにそれなりに名の通った相手へ依頼をするなら理由を話すのが当然だし、斡旋する側も依頼人の目的ぐらいは独自に調査し直すなりして裏をとるものだ。それを知らないで済ます当たり、完全に舐められているといっていい。

 

(タイミングからいって夏織が依頼人と関係があるのは明白だった。背後に何かあるのがバレるのを見越して、敢えて挑発か。俺が断れないのを分かっているみたいだな……っ!)

 

 つくづく嫌な女だ。そう思いながら憮然とした眼を夏織に向ける士郎。夏織は相変わらず嘲笑ともとれる笑みのまま問いかけてきた。

 

「あら、怖い顔。そんなんじゃ、なのはちゃんに嫌われちゃうわよ?」

 

「お前が巻き込んだんだろうっ!?」

 

「あら、私は父親失格の誰かさんに構ってもらえなくて寂しそうにしてた迷子の背中を押してあげただけよ?」

 

「何をっ!」

 

 なのはの名前を出されて、遂に士郎は立ち上がった。月村邸での一件の後、なのはは温泉のチケットを持っていた。聞くと、夏織に渡されたのだという。ご丁寧に友達も一緒に誘える様にと複数枚いっしょに、だ。

 

――夏織さんが連れてってくれるって言ってたけど、どうせならお父さんも一緒がいいの。ダメ?

 

 そのチケットを持ってねだるなのは。恐らく夏織の入れ知恵なのだろう。普段なのははあまり我が儘というのを言わない。以前フェレットを飼いたいと言ってきた事があったが、それが初めで最後だったくらいだ。

 

 無論、止めようと思った。

 

 しかし、まるで監視しているかの様なタイミングで夏織から電話がかかって来た。

 

――あら、一緒に行かないの? なら、なのはちゃんは私が連れていくわね?

 

 告げられた言葉に危うく携帯を握り潰す所だった。どうあってもなのはを人質にしたいらしい。現に今日に至るまでなのはをどうにかして夏織から引き離そうとしてきたが、必ず視線が張り付いていた。下手に動くと登下校中に誘拐でもされかねない状況だったのだ。

 

「士郎さん」

 

 そんな士郎をさくらが止める。士郎は苦い顔をしながらも席に座り直した。

 

「……依頼の条件は何だ?」

 

「日本円で2万よ。前金で1万貰えるわ」

 

 平然といい放つ夏織。単位は慣例ならば千である。単純な要人警護としては破格の大金といえた。

 

「氷川といえば、冷利で通った人物だろう? 金銭感覚は強い筈だ。何故そんな大金を?」

 

「さあ? そんな怖い顔で私に詰め寄っても知らないわよ?」

 

 士郎の疑問に答える気はないのか、クスクスと笑いながら混ぜっ返す。士郎は険悪な声を出した。

 

「……依頼の裏を答える気はないということか」

 

「ええ。理解が速くて助かるわ」

 

 そう言って立ち上がると、スーツケースを置いて出ていこうとする夏織。中には前金が入っているのだろう。これを受け取れば引き受けた事になる。

 

「待ってください! まだ引き受けるとは言っていません!」

 

 流石にその態度に業を煮やしたのか、さくらは立ち上がって引き留めた。それに夏織はニヤリと口元をつり上げる。

 

「そう? じゃあ、なのはちゃんにやって貰おうかしら?」

 

「何だと? どういう意味だっ!?」

 

 そのまま店を出て廊下を歩き去ろうとする夏織に追いすがる士郎。夏織はそれを待ち受けていたかのように振り替えると、窓の外を指差した。

 

「そんなに騒ぐと、外の奴等に聞こえるわよ?」

 

「なっ!?」

 

 窓の外を見て目を見開く士郎。見下ろした駐車場には、頬に向こう傷のある男が此方を見上げていた。狐の様に細い目と目が合う。自分でも見開いていた目に力がこもるのが分かった。

 

「さあ、どうするの? 宿敵の殺し屋が今度は貴方の家族を狙ってるわよ?」

 

「夏織、お前……っ!」

 

「追わないの? また遅れちゃうわよ?」

 

 そんな士郎に夏織が挑発の言葉を続ける。おそらく、長らく裏の仕事から離れていた自分を試そうというのだろう。親友を奪ったその殺し屋を雇い、家族にけしかけることでかつての悲劇を思い起こさせ、力を振るわざるを得ない状況を演出する。

 

「っく!」

 

 怒りと苦痛の入り混じった声をあげ、士郎は駐車場へと走る。このまま放っておけば、本当になのはまで奪われてしまうかもしれない。

 

「ちょっと、士郎さん?!」

 

 店員に支払いを済ませ出てきたさくらの声が廊下にこだまする。しかし、士郎は止まらない。ゆっくりと事情を説明している暇も、自分の過去にさくらを巻き込むだけの余裕も持ち合わせていなかった。

 

 

 

「感情的なところは相変わらず、ね。貴女もそう思うでしょ?」

 

「……なのはちゃんに何したんですか?」

 

 そんな士郎を嘲笑うかのように問いかけてくる夏織に、さくらは詰め寄った。

 

「あら、士郎と同じ事を聞くのね? 心配しなくても、何もしていないわよ? 監視までつけていたんだから分かるでしょう?」

 

「なら、士郎さんが走って行ったのは何ですか?」

 

「さあ? 化け物でも見つけたんじゃないかしら? 心配なら、さくらちゃんも追いかけたら? 大事ななのはちゃんが大変な事になっているかもしれないわよ?」

 

「私は貴女を監視するのが役目ですから」

 

 いちいち感情を逆撫でする様な言葉で挑発してくる夏織に、さくらは分かっていながらも眉をひそめた。それでも何とか冷静さを保って答える。何かあったとき、この女を抑える事ができるのは自分だけなのだ。

 

「そう。流石夜の一族のトップね。でも……」

 

 しかし、夏織は余裕を崩さない。携帯に手をかけると、通話ボタンを押した。

 

「やってちょうだい」

 

 思わず身構えるさくら。相手を見据えると同時に、周囲からの襲撃に神経を尖らせ、

 

「なっ!」

 

 夏織が煙のようにかき消えた。思わず駆け寄るさくら。

 

「残念。貴女の監視は失敗ね?」

 

 後にはからかう様な夏織の声だけが響く。周囲を見渡しても、気配すら感じられない。

 

(消えた? そんな……いや、悪魔と通じてるなら考えられなくもない、か……!)

 

 自分の迂闊さに歯噛みするさくら。同時に携帯が鳴った。リスティからだ。

 

 

 † † † †

 

 

「えっ?!」

 

 急に結界に包み込まれ、なのはは思わず声をあげた。前を歩くアリサとすずかが不審そうに振り返る。

 

「どうしたの? なのは?」

 

「うっ、ううん! 何でもないよ」

 

 反射的に誤魔化したが、頭の中は疑問でいっぱいだ。ジュエルシードが発動していないのに、なぜ結界に飲み込まれたのか。その疑問に答える様に、客室に置いてきたユーノから念話が入った。

 

(なのは、安心して。結界を発動させたのは僕だ。発動前のジュエルシードを夏織さんが見つけたから、結界で切り離したんだよ。他のお客さんに見られると面倒だからね)

 

(わ、分かったけど、すずかちゃんとアリサちゃんが……)

 

(うん。近くにいたから巻き込まれたみたいだね。夏織さんもそっちへ向かってるから、温泉で一緒に待っていればいいよ)

 

 何でもないように言うユーノ。なのはは魔法に友達2人を巻き込むのに若干の抵抗を覚えたが、その思考はアリサに遮られた。

 

「何でもないって……大丈夫なの?」

 

「うん、えっと、その、着替え、忘れちゃったかなと思って……」

 

「なに言ってんの。手に持ってるでしょうが。ボケるのもいい加減にしなさいよね?」

 

「あ、あはは。まあ、なのはちゃんも勘違いだってあるよ」

 

 いつもと変わらない様子の2人に流され、温泉の中へ入っていくなのは。どこか引っかかるものを感じながらも脱衣所で服を脱ぐ。

 

(ど、どうしよう……)

 

「ほら、なのはも早くしなさいよ」

 

 しかし、その葛藤に答えを出す前に急かされる。迷っているうちにアリサとすずかは温泉に浸かってしまったようだ。慌てて浴場へ入ると、湯煙の奥に2人がくつろいでいるのが見えた。

 

「ふー、やっぱ温泉は気持ちいいわ」

 

「アリサちゃんって、温泉にはよく来るんだっけ?」

 

「そうよ。ここ、お父さんの会社が作ったって言ってたし」

 

「えっ? そうなの?」

 

 結界の中と言っても、常人からすれば何ら変わりはない。それを証明するかの様に、いつもと変わらない様子で話す2人。が、なのはは何処か落ち着かない様子でチラチラと出入り口に視線を送り続けていた。

 

「そうそう。フリーパスも貰ったから、後で卓球とかできるわよ? あ、でも、なのはは運動苦手だっけ?」

 

「あ、あはは。そんなことないよね、なのはちゃん?」

 

「へっ?」

 

 話題を振られても上の空だ。何せ現在進行形で魔力の真っ只中に放り込まれ、ジュエルシードという危険物が迫っているのだ。リラックスして友達と話すどころではない。が、もちろんそれがアリサに理解されるはずはなく、

 

「ちょっと、なのはっ!? さっきからどうしたのよ?」

 

「あ、ご、ごめん。ちょっとのぼせちゃったかなって」

 

「こんなに早くのぼせるわけないでしょ! アンタ、ホントに大丈夫? この間は急にいなくなっちゃうし……また変な化け物なんかいたんじゃないでしょうね!?」

 

「う、ううんっ! いない、化け物なんていないよっ! この間もユーノ君が猫に追い回されてただけで、変な化け物なんかいなかったし……」

 

 2人を巻き込む訳にはいかない。ジュエルシードを知らない筈のアリサが何故化け物を知っているのか疑問に思う暇もなく、なのはは叫ぶ様に否定する。そして、その無駄に力の入った否定は余計にアリサの不審を買う結果となった。

 

「猫なんて大したことなかったでしょ?! 私が聞いてるのは化け物の話っ! アンタ、なんか隠してるんじゃないでしょうね?」

 

 そう言いながらなのはの頬を引っ張るアリサ。なのはは涙目になりながら訴える。

 

「ほ、ほんあほとないほ?!」

 

「ホントに? ホントに化け物とかいなかった?」

 

「ホントだよぉ」

 

 途中で解放された頬をさすりながら、恨めしそうにアリサを見る。アリサはようやく安心したのか、いつもの調子で問いかけてきた。

 

「もう。折角すずかの気分転換に来てるんだから、アンタまで変にならないでよね」

 

「にゃ、にゃははは。ごめんね、すずかちゃん」

 

 アリサを笑って誤魔化しながら、なのははすずかに向き直って謝る。しかし、すずかからはどこか上の空の返事が返ってきた。

 

「えっ? あ、うん……」

 

「もう、今度はすずか? あの化け物のことなんか気にしない方がいいわよ? アンタがやっつけたんだし」

 

「っ! ア、アリサちゃん……」

 

 アリサの言葉に目を見開くすずか。なのははその言葉にようやく疑問を持った。すずかが化け物をやっつけたとはどういうことだろうか。

 

「あ、あのっ! アリサちゃん、化け物って……」

 

「ああ、アンタは遅れてきたから知らないんだったわね」

 

 アリサは先日の一件を簡単に説明した。なのはが出ていった後、孔の格好をしたナニかに襲われた事。羽の生えた猫が出てきた事――

 

(それはジュエルシードのせいだね。発動したジュエルシードの魔力の一部が流されて、その子の恐怖を実体化したんだと思うよ)

 

 なのははそれをユーノの念話とともに聞いていた。どうやら知らないうちに2人をジュエルシードに巻き込んでしまっていたらしい。思わず声をあげるなのは。

 

「そ、それでっ!? それで大丈夫だったの?」

 

「うん。大丈夫だったわよ? なんかあの猫が黒幕だったみたいで、それはすずかがやっつけたし」

 

「す、すずかちゃんが?」

 

「ち、ちがうよ……そんな、やっつけたなんて……」

 

 驚愕したなのはの視線にビクリと肩を震わせるすずか。すずかは絞り出すような声でそれに答えた。しかし、今のなのはに、様子がおかしいすずかを気づかう余裕はない。魔法を使っても簡単には封印できないジュエルシードの暴走体を、すずかはどうやって倒したのだろうか。その答えはユーノが念話で告げてくれた。

 

(封印したわけじゃなく、物理的に破壊したんだね。所詮、ジュエルシードそのものを核としていないただの魔力の暴走現象だから、放っておいても消滅しただろう)

 

(ぶ、物理的にって……)

 

(多分、殴ったんじゃないかな?)

 

「な、殴ってやっつけたのっ!?」

 

「っ!?」

 

 素手で暴走体を倒したと聞かされ、思わず声に出して叫ぶなのは。すずかはびくりと肩を震わせる。慌ててアリサがそれを咎めるように言葉を足した。

 

「ちょっと、なのは。そんな大声出すことないでしょ。大体、あの猫、来てくれたリスティさんに銃で撃たれてたし」

 

 そういえば、確かに兄の知り合いだというリスティも月村邸に来ていた。リスティが刑事だと知っているなのはは、泣き崩れるすずかを見てまた誰か亡くなってしまったのかと嫌な予感がよぎったのだが、死んだのが猫だと聞いて拍子抜けしたのを覚えている。親友とも呼べる存在のペットが死んだのだからそういった感情を持つのはよくないと分かってはいるものの、最悪の予感は裏切られある種の安心感を覚えたのも事実だ。

 

(きっと、あの片鱗が呼び起こした恐怖を乗り越えたんだよ。その子の恐怖を実体化させている以上、本人にしか消すことが出来ないからね)

 

 しかし、ユーノの念話と目の前のすずかの様子を見て、なのはは自分の考えがいかに軽いものだったのか思い知らされた。すずかは無理やり恐怖を目の前に引きずり出され、苦しんでいたのだ。そして、自分がもっと早く封印していれば、こんなに友人が苦しむこともなかったはずだ。

 

「もう、気にすることないでしょ? 化け物なんてやっつけて当たり前なんだから」

 

「そうだよ。気にすることないよ」

 

 だから、アリサとともになのははすずかに声をかけることにした。2人の言葉にすずかは一瞬涙を浮かべたものの、すぐ表情を消して俯く。

 

(すずかちゃん、やっぱり怖かったんだ……)

 

 すずかを見て、そんな風に思うなのは。孔のような気持ち悪い男の子が大量に湧いて出てくるなどトラウマものだろう。なのはは続けて声をかけようとして、

 

「あら? なのはちゃん」

 

 逆に声をかけられた。振り向いた先にいたのは、夏織。自然な動作で温泉に入り、なのはの隣へと座る。

 

「か、夏織さんっ!?」

 

「なのは、お知り合い?」

 

「ええ、なのはちゃんのお父さんと仕事でお付き合いをしているのよ」

 

 疑問を浮かべるアリサに微笑で答える夏織。相変わらずの余裕だが、なのはの方は目の前にジュエルシードを持ってきたであろう人物にそれどころではない。

 

「あっ、あのっ! 夏織さんっ、その……」

 

 ジュエルシードと言おうとしたが、友達2人がいることを思いだし、慌てて言葉を引っ込めるなのは。夏織は笑いながら、

 

「なのはちゃんの落とし物なら、ちゃんと見つけておいたわよ? ほら」

 

 レイジングハートを差し出した。秘密の象徴を晒され、ポカンと固まるなのは。が、何も知らないアリサは歓声をあげる。

 

「うわぁ。綺麗なペンダントじゃない」

 

「昔、お祖母さんから貰ったのよね?」

 

 大嘘を平然とつきながら紅い宝石を手渡される。思わず受け取ってしまったが、未だ固まったままのなのはに念話が届いた。

 

(なのは、夏織さんに話を合わせるんだ。それがないとジュエルシードを封印出来ないだろう?)

 

「えっ?! う、うん。……じゃない、えっと、ありがとうございます?」

 

 なんとかそれに応えようとするが、動揺のあまり片言になってしまった。夏織は苦笑しながらも、こどもを注意する先生のように続けた。

 

「それより、フリーパスで遊ぶんでしょう? あまり長湯だと閉まっちゃうわよ」

 

 どこから聞いていたのだろうか。そんな疑問を口にする間もなく夏織は立ち上がり、浴槽を出て体を洗い始めた。慌てて後に続く3人。

 

「なのはちゃん、折角だし、髪洗ってあげましょうか?」

 

「えっ、えっと……」

 

 途中、そんな風に声をかけられた。戸惑うなのは。こども扱いされたくないと思う一方、この父親に似た人物に甘えてみたいという葛藤があった。夏織はそれを見透かした様に返事を待たず背に回ると、なのはの髪を洗い始める。

 

「折角綺麗な髪なんだし、下ろしてもいいんじゃないかしら?」

 

「は、はい……」

 

 気の抜けた返事をするなのは。悩んでいるうちに流されてしまった。そのまま断る気も起きず、結局夏織の与えてくれる心地よさを受け入れる。

 

(髪洗ってもらったの、いつだっけ……?)

 

 時おり目に写る傷だらけの腕を見ながら、なのはは背中からくる安心感に身を任せていった。

 

 

 † † † †

 

 

「誰もいないわね? まだ閉まる時間じゃないのに……」

 

 温泉から上がったなのは達に夏織を加えた4人は卓球場へ来ていた。温泉と言えば定番すぎる施設であり、先に桃子や美由希が先に遊んでいる筈――実際には打ち合わせを終えた士郎と温泉に入っていたなのはの合流ポイントであり、2人は夏織達の注意を分散させるため先に卓球場に来る予定だった――のだが、そこには誰もいなかった。

 

「あ、えっと……」

 

 事情を知っているなのははそわそわし始めた。思わず夏織を見上げる。夏織はそれに軽く微笑んで、

 

「アリサちゃん、だったかしら? お父さんの会社なら、シドさんとはあった事はある?」

 

「あっ、はい。夏織さん、知ってるんですか?」

 

「ええ。一緒に仕事をしたわけじゃないけど、個人的にね。確か、いまその人がここの支配人に仕事で挨拶に来てる筈だから、悪いけどすずかちゃんと2人で3階の支配人室まで行って、卓球場を使いたいって言ってきて貰えないかしら? きっとアリサちゃんとすずかちゃんが行けば喜んで使わせてくれるわよ?」

 

「えっと……いいんですか?」

 

 さすがに仕事中に訪ねに行くのに抵抗があるのか、首をかしげるアリサ。夏織は頷く。

 

「大丈夫よ。前もって社長の娘さんとそのお友達が挨拶に行くかもしれないって伝えておいたし。今頃気を揉んで待ちきれなくなってるんじゃないかしら。私はなのはちゃんと桃子さん達が来るのをここで待ってるわ」

 

「えっと……じゃあ、ちょっと行ってきます。すずか、行くわよ?」

 

「あっ……うん」

 

 初めて聞くその話にアリサは頷く。どこか戸惑った様子を見せたものの、なのはと親しく、かつ先に父親の部下の名前を出した夏織に納得したようだ。父親の仕事先の相手なら、下手な対応はできないのをこどもながらに理解しているのか、軽く服装を確認するとすずかの手を引いて歩き始めた。

 

「ようやく2人っきりになれたわね」

 

 階段を昇って行った2人を見送って、なのはに向き直る夏織。同時にジュエルシードをポケットから取り出し、なのはに差し出した。

 

「あっ! か、夏織さん、それっ!?」

 

「まだ発動していないみたいだけど、封印してもらえるかしら?」

 

「は、はいっ! レ、レイジングハートっ!」

 

《Yes, My Master. Sealing Mode, Stand by Ready》

 

 慌ててレイジングハートを起動するなのは。レイジングハートは主の意思を忠実に実行し、ジュエルシードを封印、自身の中に格納した。

 

「封印……出来た……」

 

「ええ。誰も被害を受けていないわ。よかったわね、なのはちゃん」

 

 そう言って頭をなでてくれる夏織に、なのはは笑みを浮かべた。何のとりえもない自分が、ついに魔法という特技を覚え、それを淡いあこがれを抱くほむらと父親を感じさせる人物に褒められたのだ。その上、今度は友達と家族を守りきることが出来た。

 

「にゃはは、夏織さんのおかげです」

 

「いいえ。封印したのはなのはちゃんなんだから、貴女の力よ?」

 

 うまく友達を分断し、助けてくれた夏織に尊敬の念とともに礼を言うなのは。夏織はそんななのはを褒めると同時に笑みを深め、ある人物の名を口にした。

 

「ところで、なのはちゃん、学校に高尾祐子先生っているの、知ってるかしら?」

 

「あ、はい。時々特別授業をしてもらってます」

 

「じゃあ、その先生が長期の課外授業を企画して生徒を募集しているの、知ってる?」

 

 なのはは首を振った。もともとその高尾先生は高等部の先生であり、何度か授業を受けたことがあるとはいえ、そこまで親しくしているわけではない。

 

「そう、じゃあ……その課外授業でジュエルシードを探してるのは?」

 

「へっ?」

 

 声をあげるなのは。身近に魔法と関わる存在がいるとは全く知らなかった。

 

「そんなに驚くことは無いわ。危険なジュエルシードが生徒を傷つけたら大変でしょう? 裕子の事は私もよく知ってるから、協力をお願いされたのよ?」

 

「そ、そうなんですか?」

 

 あまりのことに理解が追い付かない。しかし、次の夏織の一言は間違いなくなのはの心を動かした。

 

「なのはちゃん。貴方は魔法にすごい才能を持っているわ。お友達を守るため、課外授業、参加してくれないかしら?」

 

 眩しい光に満ち溢れた誘惑の言葉。しかし、なのははそれに何の疑問も抱かず、

 

「はいっ!」

 

 勢いよく頷いていた。初めて人に認められ、求められた喜びが、友達や家族を守るという使命感が、少女の中の正義感を燃え上がらせ、新たな決意を抱かせた瞬間だった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 高町士郎
※本作独自設定
 なのはの父。現在は海鳴市の喫茶店『翠屋』でマスターを務めているが、以前は御神流を生かしたボディガードを生業とし、裏社会でも名前が通った存在だった。テロ事件で重傷を負った事をきっかけに荒事からは身を引くが、当時の仕事の苛烈さを物語るように全身に傷跡が残っている。未だ剣の腕は衰えておらず、恭也や美由希に練習をつけたり、アドバイスを送ることも。趣味は多岐にわたり、サッカーチーム翠屋JFCのコーチを引き受けている。

――元ネタ全書―――――

頬に向こう傷のある男
 ペルソナ2罰。もうこの表記で分かる人には分かると思いますが、今回はあのシーンとのクロスです。

――――――――――――


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第14話d 胎動の戦線《肆》

――――――――――――

 違った。あの時のメールで、私は受け入れられたと思ったけど、違った。

 あの羽の生えた猫を殺したのはリスティさんで、私じゃなかった。
 化け物を殴るのは当たり前で、やっつけると喜ばれる。

 そう、あの卯月君みたいに。

――――――――――――すずか/温泉旅館



「支配人室って、確かこの先よ」

 

 静まり返った廊下を、アリサはすずかと共に歩いていた。夏織に言われて支配人室へ向かう途中、アリサは不気味な静寂を少しでも緩和しようと、必死にすずかに話しかける。

 

「なんかこの辺は静かよね? 旅館って、もっと人が動き回ってると思ったんだけど」

 

「……」

 

「やっぱドラマとかでやってるのとは違うのかしらね」

 

「……うん、そうだね」

 

 時おり消え入りそうな声ですずかが相槌をうってくれる。が、それはアリサを余計に焦らせた。すずかはもともと大人しいタイプではあったが、話題を振ればいつもキチンと答えてくれる。今のように生返事で返されることはない。アリサはそれを薄気味悪い雰囲気に当てられたせいだと思い込み、

 

(早く、はやくっ!)

 

 この空気から脱げ出そうと急いだ。目指す部屋にはまず間違いなく人がいる筈だ。支配人と面識はないが、父の部下であるシドには何度か会ったことがある。アリサの印象としては実直な人物であり、あらかじめ夏織から話をしてくれているのならば、それなりのもてなしてくれる筈だ。不気味な空気も薄まるに違いない。そう思いながら、すずかの手を引き小走りに客室が続く廊下を駆け抜け3階へ。「staff only」と書かれた看板を無視して進み、ついに支配人室と書かれた扉に巡りついた。

 

「失礼します……っ!?」

 

 勢いよく扉を開き、部屋に飛び込むアリサ。

 同時に言葉を失った。

 出迎えたシドは、身体中を食い千切られ、絶命していたから。

 

 

 † † † †

 

 

 時間は僅かに遡る。夏織の指令で展開された結界。それは館内を包み込み、違和感となって脱衣所から出たばかりの孔と修を襲った。

 

「っ! ジュエルシードかっ!?」

 

「いや、急激な魔力上昇じゃないっ! 誰かが結界を展開したんだ!」

 

 違和感の元へ駆ける孔と修。走りながらデバイスを起動し、廊下を駆け抜け売店が並ぶエントランスへ。階段の先に魔力の壁が見えた所で、結界に杖をかざすリニスを見つけた。

 

「リニスッ! リスティさんも!?」

 

「卯月君か! なのはちゃんの監視をしていたんだが、結界とやらで切り離されてしまってね!」

 

「コウッ! 結界の解析は終わっていますっ! いつでも行けますよ?」

 

 同時に声をかけてくる2人。孔はそれに頷くと、結界の前で剣を構える。以前月村邸を覆っていた結界と違い、ミッドチルダ系統の術者が使う結界。魔法で破壊することができる。リニスのデバイスから送られてきた情報を元に、剣に術式を乗せて一閃。結界は見事に切断され、人が入り込めるだけの亀裂が出来た。

 

「リニスとリスティさんは先生達を頼みます。危なくなったら外へっ!」

 

 そう言って突入しようとする孔に、リスティと修が食い下がる。

 

「卯月君、なのはちゃんちゃんの警護はもとはといえばボクの仕事なんだ。そっちは那美とアルフが向かってる。ボクも行こう」

 

「俺も行くぜ。待ってるだけってのはもう十分だ」

 

 孔は一瞬戸惑ったものの、すぐに頷く。硬い意思のこもった目を向ける2人を止めるだけの時間と言葉はなかった。

 

(コウ、皆待っています。必ず戻って下さいね?)

 

(すまない、嫌な役目ばかり押し付ける)

 

 孔はリニスに思いつく精いっぱいの言葉をかけると、結界に飛び込んだ。

 

《My dear. 悪魔の反応を確認。3階奥の部屋からね》

 

 3人はI4Uのサーチ結果に導かれ、結界に包まれた温泉施設を走る。スタッフ用に設けられたエントランス付近の階段を駆け抜け、

 

「うおっ! また人がっ?!」

 

 廊下に出たところで、おびただしい数の死体に修が声を上げた。

 

「っ! 遅かったか……」

 

 凄惨な光景に声を漏らす孔。しかしリスティは死体を調べながら、冷静な声で告げた。

 

「……いや、これはここの従業員ではないよ。これを見てくれ」

 

 リスティが指し示したのは死体の手の甲。そこには、龍の刺青が彫られていた。旅館の従業員にしては確かに奇妙だ。

 

「この刺青は……?」

 

「台湾マフィア、天道連(ティエン・タオ・レン)のモノだ」

 

 険しい表情で淡々と言うリスティ。突拍子もないその言葉に、修は声をあげた。

 

「はぁ? な、何でマフィアがこんなとこにいんだよ?」

 

 ここは日本だぞとでも言いたげな様子で叫ぶ修。同じ「裏側」にしても魔法使いや悪魔とは一線を画す存在は確かに場違いだ。

 

「それは……恐らく、士郎さんへの依頼のせいだろうな」

 

「リスティさん、依頼とは?」

 

 考えをまとめながら話しているのか、間が空きがちなリスティに言葉を促す孔。リスティは話を続けた。

 

「さっきリニスさんにも言ったんだが、士郎さん――なのはちゃんのお父さんだけど、その人はもともと要人警護をやっていたんだ。要人警護っていっても、ただの警備会社の社員じゃない。御神という古い歴史を持つ勢力の出身で、刀一本で銃器ともやりあえる凄腕なんだ」

 

 孔はそれに心当たりがあった。以前恭也に襲われた時、御神流という実践剣術を経験している。剣術だけでなく、鉄針という暗器に筋力のリミッターを外す体術も使いこなしていた。銃器ともやりあえるというのは決して誇張ではないのだろう。

 

「御神は表社会で政府を相手取って首相クラスの警護に人材を斡旋する御神本家の他に、裏社会――それこそ大手企業や犯罪者から狙われる人物の護衛を引き受ける裏・御神とも言うべき分家の不破家があるんだ。士郎さんはその不破の出身でね」

 

「裏社会って……じゃあ、そのマフィアの邪魔をしたんで狙われてんのか?」

 

 言葉を切るリスティに声をあげる修。しかし、リスティは首を振った。

 

「いや。実は以前――もう十年近く前になるけど、その天道連に御神宗家が襲われる事件があったらしくてね。不意を突かれた御神流は壊滅、裏社会から姿を消してるんだ。もう組織として襲撃する理由はない筈だ」

 

「でもよ、コイツら、そのマフィアなんだろ? 他に理由がねえじゃねえか」

 

「……悪魔に対抗しようとしたのかもな」

 

 尚も疑問を挟む修に、孔が別の可能性を示す。

 

「スティーヴン博士が言っていた。悪魔にも通常兵器は有効だと。もし悪魔を使って暴れてる様な奴がいるなら、それに対抗しようとする人間がいてもおかしくない。そうした人物がリスティさんの言う裏社会に住む人間なら、武装したマフィアに殲滅を依頼することだってあるだろう。仮に対抗策にならなくても、足止めにはなる筈だ」

 

「足止めって……もう悪魔使いは逃げたって事かよ?」

 

「いや。悪魔の反応はまだ消えてない。逃げたかどうかは行ってみれば分かるだろう」

 

 そう言って孔は廊下の奥へ目を向ける。言いながらも孔には奇妙な確信があった。悪魔を呼んだ人物はこの先で待ち受けている、と。

 

 

 † † † †

 

 

 死の臭いが充満する廊下を抜け、支配人室の扉へ。孔はバリアジャケットの中にしまいこんだ銃に手をかけながら静かに呼吸を整えていた。隣のリスティもジャケットに手をいれ、いつでも銃を抜けるようにしている。修はポケットに手を突っ込み、ジャラリとコインをならす。

 

「2人とも、いいか?」

 

 リスティから声がかかる。頷く孔と修。リスティは、

 

「失礼します。支配人、聞きたいことがっ!」

 

 言うと共に勢いよく扉を開いた。しかし、その言葉は途中で止まる。目の前には、おびただしい血を流して倒れる支配人がいたのだ。

 

「こっ、これは……!」

 

 駆け寄るリスティ。首筋に手をあてる。孔が横に立つと首を振った。悪魔の犠牲者を悼んで目を瞑る孔。しかし、すぐに修の声で目を開いた。

 

「お、おいっ! お前ら、大丈夫なのかよ?!」

 

「ちょっと、な、何でアンタ達がいるのよっ!?」

 

 見ると、すずかとアリサが膝をついている。混乱しているのか、心配しているはずの修に食って掛かるアリサ。

 

「落ち着いて。すずかちゃんにアリサちゃん。もう大丈夫だ」

 

 そんなアリサに優しく声をかけるリスティ。アリサは震えながらも頷く。それで普段のペースを取り戻したと見たのか、修が疑問をぶつけた。

 

「高町はどうした? いつここに来た? 怪しい奴を見なかったか?」

 

「分かんないわよっ! そんないっぺんに聞かないでっ!」

 

 が、やはり立ち直っていなかったようだ。目の前に死体があるのだから無理もない。目があったすずかもガチガチと青くなって震えている。孔はアリサとすずかをリスティ達に任せ、デバイスに指示を送った。

 

「I4U、この部屋のサーチをっ!」

 

 が、それは廊下から響いた咆哮で遮られる。

 

「卯月君?!」

 

 狼の遠吠えのようなその叫びに、剣を取りだし扉へ走る孔。後ろからリスティの声が聞こえたが、気にせずに廊下に飛び出す。しかし、数歩進んだところで立ち止まった。

 

「な、なに、あれ……!」

 

 遅れて出てきたリスティ達の後ろから顔を出したアリサが恐怖の声をあげる。孔の目の前には、全身赤毛の、強い熱気を放つ巨大な狼のような獣がいたのだ。

 

「ヒャッハァ! 見りゃ分かんだろっ! 悪魔だよ、悪魔!」

 

「須藤っ!?」

 

 アリサの問いに答える様に狂った声が獣の正体を告げる。孔の後ろ――もう誰もいない筈の支配人室から響いたその声の主は、すぐに姿を表した。黒いコートに血のこびりついた日本刀を手にしたその男に、リスティが声をあげる。しかし、すぐに冷静さを取り戻すと、アリサとすずかを庇うように前に出て問いかけた。

 

「須藤竜也。 神社ならびに大型量販店の放火、貴様の犯行で相違ないな?」

 

「あぁ。電波が許してくれねぇんだよ。もっと燃やせってなぁ」

 

 どうでもよさそうに答える狂人。銃を向けるリスティから視線を外すと、半分火傷で覆われたその顔を孔に向けた。

 

「もう、あっち側の事、思い出したのか?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 孔は前にいる悪魔から目を離さず、須藤に背を向けたまま答える。竜也は大きく溜め息をついた。

 

「そうかい、その女も可哀想になぁ」

 

「どういう意味だと聞いているっ!?」

 

 まるで友人にでも話しかける様に言う狂人に、声をあげる孔。が、竜也はそれを制するように、

 

「シーっ。外の奴等に聞こえる」

 

 そう言って窓の外を指差した。一瞬の目配せの後、悪魔と相対する孔と竜也から目を離さないリスティに代わり、修が窓の外を見る。

 

「アイツら……銃を持ってる。マフィアか?」

 

「あぁ。あのクソ親父が俺を消そうとしやがったんだっ! 俺は死なねぇぞぉ! そうだぁ! ヒャハァ! あのガキも、俺をこんなとこに閉じ込めやがったあのクソ親父も、みんなぶっ殺してやるっ! ヒャハァハッハッハッハ!」

 

 修の言葉を聞き、狂気の笑い声をあげる竜也。しかし、急にそれを止めたかと思うと、

 

「でもよぉ、お前はすぐに殺さねぇ。悪魔どもを差し向けて、じわじわなぶり殺しにしてやるっ! 電波もそう言ってるしなぁ!」

 

 そう叫び、何かを投げた。それは勢いのまま床を滑り、孔の足元へ。視線を落とす。銃だ。デバイス等ではない、殺傷兵器としての機能のみしか持たない銃。それもかなり大型のもの。

 

(レジスタンス製・DBW(Devil Baster Weapon)3 ダビデスリング――?!)

 

 孔は突然頭に浮かんだその銃の名称に目を開く。否、浮かんだのは銃の名前だけではない。施設の先生に拾われたあの日、病院で見た廃墟のビジョンも脳裏にフラッシュバックしたのだ。

 

「使えんだろ? 知ってんだぜ? 悪魔に向かってBAN、BANってよぉ!」

 

 そこへ追い討ちをかけるように竜也が叫ぶ。目眩と頭痛を感じて思わず目を瞑る。真っ暗になった視界には、迫る悪魔とバラバラに引き裂かれた女性が見え、

 

「広域強行犯501号! 放火・殺人容疑ならびに銃刀法違反および恐喝の現行犯で逮捕するっ!」

 

 リスティの声に引き戻された。そんな声を無視するように竜也は孔に語りかける。

 

「どうだ? 思い出したか、向こう側の事ぉ!?」

 

 しかし、その声はもう孔には届かない。

 

「……何度も言わせるな。質問してるのは、俺だ」

 

 転がった銃から目を反らし、展開したI4Uに付属の銃を抜きながら答える。

 

「向こう側、とはなんだっ!」

 

 背中を向けたままの、しかし殺気を含んだ問いかけに竜也が吼えた。

 

「ちっ! いつまもバックレてんじゃねぇぞぉっ!」

 

 竜也は刀を掲げると、

 

「思い出させてやるからよぉ! そいつに喰われなかったら、シェルターまで来やがれっ! ヒャーハッハッハッハ!」

 

 そう叫んで、黒い影に呑み込まれる様にして消えていく。

 

「待て、須藤っ!」

 

 弾丸を撃ち込むリスティ。しかし、その銃声は悪魔の雄叫びでかき消える。

 

――ファイアブレス

 

 間髪入れずに孔を襲う炎の吐息。後ろにリスティ達がいる以上、避けることは出来ない。

 

《Protection》

 

 ゆえに、孔が選択したのはシールド。I4Uは構えるまでのモーションだけで孔の意を汲み、一瞬で術式を構築、炎が届く前に分厚い盾を展開した。その盾は炎を防ぐ壁となり、行き場を失った炎は目の前で渦を巻く。

 

「どけっ! 卯月っ!」

 

 同時に修の怒号が響いた。

 

「炎ごと吹っ飛ばしてやるっ!」

 

 同時、修が力を発現させる。背中に天使の羽を顕在させ、手の中のコインを宙に投げた。

 ただの電磁砲ではない、あの物質の向きを操る力で再加速したそれは、

 

「なっ! キミもHGSかっ?!」

 

 リスティの声をかき消し、容易く悪魔を貫通、施設に大穴を開けた。

 

 結界が消える。

 

 修のコインが通る直前でシールドを解除した孔は、構えていた銃をようやく下ろした。修の異能がなければこれで対抗するつもりだったが、もうその必要はないようだ。目の前には何事もなかったかのように静かな廊下が続いている。

 

「意外に呆気なかったな」

 

 当の本人からはそんな声が聞こえる。明らかなオーバーキルをやっておいてそれはないだろうと心の中で突っ込みながら、孔は振り向いた。同時にリスティの携帯電話が鳴る。

 

「……さくらか。そうか、良かった。いや、こっちも大丈夫だ。ああ、すずかちゃんとアリサちゃんも無事だ……」

 

 恐らく保護者に無事を伝えているのだろう。リスティは落ち着いた様子で話をしている。

 

「おお、お前ら、大丈夫だったか?」

 

 すずかとアリサに声をかける修。しかし、アリサは修を睨み付けて叫んだ。

 

「何よっ! アンタも魔法使いだったわけ?!」

 

 侮蔑の色を浮かべるアリサ。隣ではすずかが怯えた目を向けている。以前、吸血鬼のゲームに閉じ込められた時、同じ魔法使いの力を持つリニスに、2人はここまでの嫌悪感を見せていない。あるいは孔への当てつけに過ぎなかったのかもしれないが、少なくとも同じ異能という記号を持つだけで憎悪を向ける様なことは無かった。しかし、あれから立て続けに事件は起きている。あの病院で失った老人。園子。それを止めることが出来なかった孔への嫌悪感は、間違いなく成長していたのだろう。自分が育てた憎悪に耐え切れず、孔は口を開いた。

 

「バニングスさん、折井が使ったのは魔法じゃない。全く別の力だ。俺とは違う」

 

「っ! おんなじでしょっ! 何が違うのよっ!」

 

 が、アリサは孔の声を聞いて余計に語気を強める。そこへ、通話を終えたリスティの冷静な声が響いた。

 

「アリサちゃん、同じじゃない。HGS――高機能性遺伝子障害は、現代医学でも認められた遺伝子異常だ」

 

「えっ?」

 

 驚くアリサに、リスティはHGSについて説明する。それによると、20年ほど前に認められた未だ治療法が確立されていない難病・変異性遺伝子障害の一種で、先天的な遺伝子異常が様々な障害を引き起こすのだという。体が異常な電気を帯びたり、光をエネルギーに変換したりと遺伝子変異の形によりその症状は様々だが、共通点として発病時に羽根のような物質が現れる。一見すると便利な「超能力」のようだが、能力の暴発を抑えるために特殊な装置や大量の薬が必要であり、自ら命を絶つ患者も決して少なくはない――。

 

「まあ、ボクも医療は専門じゃないから原理的なところはそこまで詳しくないけどね。社会的な差別をなくすために、一般には秘密にされているんだ。それだけの難病だよ。実際に自殺者や能力の暴発による死者も出てる」

 

 それを聞いて、アリサは慌てて謝った。

 

「あ、そ、そうだったんだ。その、えっと……ごめんなさい」

 

「はぁ。ま、別にいいけどよ。助けてやったのにいきなり異常者扱いしやがって、まったくこれだからお子様のバニングスは……」

 

「わ、悪かったわよっ!」

 

 それに冗談めかして大きな溜め息をついて見せる修。アリサもいつもの調子を取り戻しながらももう一度謝る。どうやら修は化け物扱いされる事はなかったようだ。どうも科学で説明がつけば、人間というやつは受け入れるものらしい。落ち着きを取り戻し始めたアリサを見て、孔は自分という存在が再び2人に恐怖を与えないよう距離を取り、窓の外へ視線を移す。窓の外から見える駐車場には、修が見たであろうマフィアの影は既にない。代わりに、

 

「あの人は……高町さんのお父さんか」

 

 何度か自分に殺気をくれた相手を見つけた。同時にリスティの言葉を思い出す。

 

(確か、あの人が所属する御神という組織をマフィアに潰されたんだったな。宿敵を追って出てきた、というところか)

 

 しかし、と孔は思う。廊下に転がっていたマフィアの死体についた傷痕は鋭利な刃物のものではなく、食い千切られた様な形をしていた。あの悪魔にやられたと考えるのが自然だろう。その悪魔を操っていたのは須藤という狂人だ。その須藤は父親が自分を殺すためにマフィアを送ってきたと発言している。これだけだと士郎が居合わせたのは偶然の様にも思えるが、その士郎を誘った夏織という人物は悪魔使いと繋がりが疑われている。もし須藤の悪魔が何者かに与えられたものなら、そこの繋がりも考えなくてはならない。

 

(そういえば、スティーヴン博士が悪魔召喚プログラムを盗まれたと言っていたな)

 

 悪魔召喚プログラムを盗んだ人物にそれを与えられたであろう須藤、夏織、マフィア。裏で糸を引いているのは誰なのか。何より、

 

(自分は何者か、か)

 

 竜也が投げた銃を拾い上げ考える。殆ど実用性を考慮していないのではないかと思えるほどの重量を持つその銃は、しかし驚くほど手に馴染んだ。ゆえに孔は確信する。この先に自分の記憶がある、と。

 

 

 † † † †

 

 

「そう、分かったわ。すぐそっちに行くから」

 

 卓球場。リスティとの通話を終えたさくらは卓球で遊んでいる桃子となのはに視線を戻した。

 

(……ついさっきまで結界の中にいたなんて、信じられないわね)

 

 リスティからなのはが魔法で誘拐されたと聞いて、取り敢えず桃子と美由希の無事を確認すべく合流ポイントの卓球場へ向かったのだが、2人は無事だった上に数十分もすればなのはが一人で戻ってきたのだ。その際、

 

「卓球場に誰もいなかったから、すずかちゃんとアリサちゃんが管理人さんを呼びに行って……私は夏織さんって人と売店を見てたから」

 

 と言われている。夏織に何かされなかったか聞いても、別になにもと言うだけだ。

 

(この数十分で目的を達成した、と見るべきね。一つは士郎さんに依頼を受けさせること。もう一つはバニングスグループの重役、シド・デイビスの殺害かしら? でも、ただの企業間の対立にしては行きすぎているし、リスティが言ってたマフィアや須藤とかいう放火魔との関係も分からない……裏に何かあると見るべきね)

 

 得体の知れないところで動く夏織に目を鋭くしながら、さくらは横にいる美由希に言った。

 

「美由希ちゃん、私はすずかちゃんとアリサちゃんを迎えにリスティのところまで行くから、2人をお願いね?」

 

「はい。さくらさんも気をつけて下さい」

 

 剣士の目で答える美由希。まだ気を抜くべきじゃない。そんな意思を受け取って、さくらはリスティの元へと歩き始めた。

 

(士郎さんはともかく、企業重役のシドという人物は夜の一族と直接の関係はない。でも、明かにあの時の悪魔はすずかちゃんを狙った様子だった。2つの事件に夏織という共通点がある以上、繋がりは必ずあるはず)

 

 一連の事件を整理しながら廊下を歩くさくら。客室側から支配人室へと向かっていると、声をかけられた。

 

「あー、キミ。ここから先は立入禁止ですよ?」

 

 刑事とおぼしき壮年の人物が廊下を塞ぐように立っている。さくらは落ち着いてそれに答えた。

 

「被害者の保護者です。リスティ・槙原巡査部長から連絡を受けてきました」

 

「ああ、貴女が……いや、申し遅れました。海鳴署の寺沢です」

 

「リスティの上司の……失礼しました。綺堂さくらです。お噂はかねがね」

 

 手帳を取り出す寺沢警部に、さくらも居住まいを正して答える。警部はそんなさくらに苦笑しながら答えた。

 

「どういう噂かは……まあ本人に聞くとして、すずかちゃんとアリサちゃんの保護でしょう。此方です」

 

 先に立って誘導する寺沢警部。時折すれ違う警察官に敬礼を受けながら進み、やがて管理人室からやや離れた客室の前で止まると、扉を開いた。

 

「さくらさんっ! ほら、すずか、さくらさんが迎えに来てくれたわよっ!」

 

 瞬間、アリサが声をあげる。すずかも同時に顔をあげる。一見するとなんでもない動作だが、しかしさくらは違和感を覚えた。思わず名前を漏らす。

 

「すずかちゃん……?」

 

「……」

 

 それを静かに見つめ返してくるすずか。その視線はまるで何処か作り物のようで、

 

(すずかちゃんが、こんな人形みたいな反応をするなんて……)

 

 さくらは強い痛みを感じた。すずかは物静かなタイプではあったが、決して感情を出さないわけではない。相当ショックが大きかったようだ。

 

「あー、ちょっといいですか?」

 

 戸惑った様子が表に出てしまったのか、寺沢警部がリスティを手招きする。さくらはアリサとすずかにちょっと待っててねと一声かけると、2人からは死角になっている扉の前まで戻る。

 

「リスティから伝言です。すずかちゃん、悪魔が出たせいで相当参ってるから、ケアを頼む、と」

 

「そうですか……すみません」

 

「いや。俺も面倒を任されたんですが、どうもあの雰囲気を軽く出来なくてね」

 

「いえ。とんでもありません。むしろお礼を言いたいぐらいで……」

 

 被害者のメンタルケアをこなせなかった自分に不満なのか、頭をかく寺沢警部。さくらはそれに感謝しながらも、ここまで被害を撒き散らした相手に想いを馳せていた。

 

(このまま黙っているわけにいかないわね……次の依頼、氷川氏の警護、思い通りにはさせない……!)

 

 さくらは決意を固めると、再びすずかとアリサの下へ戻り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「……逃げたか」

 

 此方は駐車場。けたたましくパトカーのサイレンが響くなかで、士郎はじっと先程までマフィアがいた場所を見つめていた。手には携帯電話。先程、なのはと無事合流できたと美由希から連絡を受けている。

 

「なのはそのものが標的じゃなくてひと安心、か。しかし……」

 

 虚空を見つめて思う。果たしてなのはが標的だったとき、自分は護る事ができたのか、と。

 

(正直、自信がないな。いや、弱気になっている場合じゃないか……)

 

 そう言って温泉施設に向き直る士郎。同時に視界が炎に包まれる。それは御神宗家を襲ったテロ事件の記憶が産み出した幻覚だった。

 

――まあ、今回もまた貴方は時間切れで終わっちゃったみたいだけど

 

 脳裏に月村邸で聞いた夏織の声が響く。気がつけば、握った手に血が滲んでいた。

 

(夏織、お前に言われなくても、俺はアレを繰り返す気はない)

 

 士郎は首を振って幻覚を振り払うと、家族が待つ卓球場へと歩いていった。

 

 

 † † † †

 

 

「うまくやったものだな。手腕は流石、といったところか?」

 

「あら。まだ何もやってないわよ? 悪魔は随分平和ボケしてるわね」

 

 施設の屋上。そこには、そんな士郎を見下ろしながら、ユーノと言葉を交わす夏織がいた。平然と答える夏織に、ユーノは顔を歪めて笑う。

 

「ぬけぬけとよく言ったものだ。お前、悪魔なんじゃないか?」

 

「人間、という意味ならそうかもね。貴方もそう思うでしょ?」

 

 そう言って後ろに向かって問いかける夏織。そこには、シドの死体があった。物言わぬはずの死体は、しかし夏織の声を受けて起き上がる。

 

「フッフッフ。死者の体に死霊魔術を容赦なく使うとハ。確かニ、あなたハ悪魔ですネ」

 

 浅黒い肌にギラギラとした目。声をあげたその死体にかつての大企業重役としてのシドの面影はない。

 

「失礼ね。その死霊魔術とやらを使ったのは私じゃなくて、そこの悪魔よ? 人間は壊すことしかしないわ」

 

「フッフッフ。あなたハ、本当ニ、美しイ。デハ、私ワタシも依頼を楽しませて貰いますヨ。フッフッフ……」

 

 夏織の言葉と悪魔の深い笑みに底知れない笑みを残し、歩き去るシド。夏織はその背をじっと眺めていたが、やがて視線を駐車場に戻した。そこにはもはや誰もいない。

 

(宣戦布告はこれで十分かしら? 士郎に天道連……待ってなさい)

 

 まるで動き始めた戦線を暗示するように、炎のような夕暮れの赤に染まる施設。それを飽きることなく続けながら、夏織は笑みを深くしていた。

 

 

 † † † †

 

 

「放火事件の容疑者と接触したらしいな。報告しろ」

 

「はい。私が部屋に入ったときには支配人は殺されていました。容疑者、須藤竜也は支配人室から出た後、廊下で……」

 

 再び支配人室前。孔と修は寺沢警部に別室へ移されるすずかとアリサを見送った後、リスティが事の顛末を遅れてきた上官らしき人物に報告するのを聞いていた。

 

「はぁ、槙原、お前ちょっと休め。お義母さん、前の事件で酷いことになったんだろ? 温泉にでも連れていってだな……」

 

「谷さんっ!」

 

「リスティ・槙原巡査部長。今日付けでキミを捜査本部から外す。所轄の優秀な刑事だと聞いていたが……残念だ」

 

 が、遠くからはそんな声が聞こえてくる。肩を落として戻ってくるリスティに、修が声をかけた。

 

「だから言っただろうに。誰も信じないって」

 

 流石に悪魔とまでは言わなかったものの、事実を殆どそのまま伝えたリスティに呆れた様子の修。リスティはそれに軽く苦笑で返す。

 

「いや。ボクも信じて貰えるとは思っていないさ。何せ超常現象満載な上に、肝心の被害者の死体もなくなっていたからね。わざわざ馬鹿正直に報告したのは、どちらかというと捜査本部を抜けて別行動で事件を追うためだな」

 

「いいんですか、そんなことして?」

 

「ああ、寺沢警部には許可を貰ってるし、以前もこういう裏の事件が起きたときはわざと表から抜けたこともあったしね」

 

 暗い声の孔にリスティが答える。どうやら事件を放棄する気はないようだ。そんなリスティに修は今後の対策を問いかける。

 

「で、これからどうすんだ? まさかホントに家族で温泉に引っ込むんじゃないだろうな? 俺はもう温泉なんて御免だぞ」

 

「まさか。須藤の現実の犯行を見た警官はボク一人だ。ヤツは必ず確保する。それに、天道連にはボクもいろいろと因縁がある……卯月君はどうするんだ?」

 

「須藤の言っていたシェルターへ行ってみるつもりです。アイツは俺の何かを知っているみたいだった。記憶を教えてくれるなら、願ったりだ。折井、お前は……」

 

「いや。留守番の方がキツイってもう分かったからな。俺もいくぜ」

 

「そうか、すまないな」

 

 何でもないように言う修に、感謝の言葉を付け加える孔。修はそれを避けるように次の疑問を口にした。

 

「それより、シェルターって何処だ?」

 

「海鳴に建設中の都市型防災シェルターの事だな。今度、学校の社会見学で行くことになっていただろう?」

 

 孔もそれに答える。修とのやり取りもずいぶん慣れてきた。が、リスティの方は2人の会話に眉をひそめる。

 

「社会見学、か。もしその現場を狙われると面倒だな。さっき聞いた話だと、支配人とデイビス氏はともかく、マフィアの死体はしっかり現場に残されていた。警察は単純な抗争として処理するから、事前に社会見学に対して何かする事は出来ないんだ。と言って、このまま踊らされるわけにはいかない。ボクも一緒に行かせて貰うよ」

 

 真剣な目を向けるリスティに頷く孔。しかし、リスティは急に表情を崩すと、

 

「まあ、卯月君はその前に戻るところがあるみたいだけど」

 

 そう言って後ろへ視線を移した。同時に声が響く。

 

「コウ、よかった、大丈夫みたいですね」

 

「リニス? どうしたんだ?」

 

「どうしたんだ、じゃないでしょう。急に警察が来たから、みんな心配してるんですよ? 早く戻ってください」

 

 そう言えば、念話で終わったと伝え忘れたな、と苦笑する孔。わざわざ迎えに来てくれたのは、様子を見に行く事で先生達を納得させるためだろうか。

 

「卯月君。後は警察に任せて早く戻ってくれ。ボクの方が君の家族に怒られてしまう」

 

「すみません、リスティさん」

 

「それと、折井君」

 

「なんすか?」

 

 孔と一緒に戻りかける修を引き留めるリスティ。面倒臭そうに振り返る修に、リスティは、

 

「ボクは君のHGSについて詮索するつもりはないけど、力を使ったんなら消耗も激しい筈だ。精密検査ができるいい医者も知っている。何かあれば遠慮なく頼ってくれ」

 

 そう声をかけた。修は少し驚いたような顔をしていたが、どうも、とだけ言って歩き始める。

 

(受け入れられた、異能か……)

 

 孔は一瞬襲って来た感傷に浸っていたが、リスティにもう一度頭を下げると、リニスとともに家族の元へと修の背中を追い始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「アリスとアキラ、よく寝てますね」

 

「随分はしゃいでたから。疲れたんでしょう」

 

 帰り道。孔は先生が運転する車の中で、本当の姉弟の様に眠る2人を眺めていた。あの後、結局警察が旅館を封鎖してしまったため、泊まることなく帰ることとなったのだ。

 

「孔がいなかったせいで、大変だったわよ? アリスはまだ来ないのって何回も聞きに来たし、アリシアちゃんなんか探しに行こうとしてたし」

 

「すみません。売店でいろいろ見てたら遅くなって」

 

 苦笑しながら適当な言い訳を続ける孔。ちょうど赤信号になったところで、先生はバックミラー越しにじっと孔を見つめると、気遣うように言った。

 

「孔、貴方も眠いんなら寝ててもいいのよ?」

 

「いや、俺は……そこまで疲れている訳ではないので」

 

 正確には精神的な疲労を感じてはいるのだが、眠る気は起こらなかった。竜也が言ったシェルター、そして投げ渡された銃。その時見えた廃墟のビジョン。一度に断片的な情報が提示され、脳が飽和状態だ。しかも、それがどれも自分に関係している可能性が高い。

 

(行ってみれば分かる、とはいえ、どうにも頭に引っかかるものが取れないな……)

 

 パーツから必死に全体像を思い出そうとするが、それ以上の情報は出て来なかった。考え込む孔に声がかかる。

 

「あんまり疲れてないように見えないわね。難しい顔して難しい事考えるのもいいけど、貴方がそんなのじゃ、またアリスに我儘言われるわよ?」

 

「……やっぱり、少し眠ることにします」

 

 青に変わった信号を進みながら、少し茶化すように言う先生。孔はいつの間にか表情を読み取られていたという気恥ずかしさも加わり、誤魔化すように瞼を閉じた。

 

(もし記憶が戻っても、先生やアリスとの関係は変わらないだろうな)

 

 眠るアリスとアキラの体温が、先生との温もりを運ぶ会話が、孔にそんな事を思わせる。家族の与えてくれる安心感を意識しながら、孔は襲って来た睡魔に身を任せていった。

 




――Result―――――――

・愚者 シド・デイビス 悪魔の牙による咬殺
・妖獣 ヘルハウンド  電撃に貫かれ消滅

――悪魔全書――――――

妖獣 ヘルハウンド
 イギリスに伝わる、燃えるような赤い目に黒い巨体をもつ犬の姿をした獣。ヘルドックとも。夜に現れては人を殺める恐ろしい存在として広く知られるが、その一方、墓地の番人として路に迷った子供や死者の魂の行き先を知らせる存在だともいわれる。

――元ネタ全書―――――

シェルターまで来やがれっ!
 やはりペルソナ2罰。原作では「空の科学館」ですが、この後の展開のせいで「シェルター」になっています。

――――――――――――
※御神を襲ったのが龍でなくて天道連だったりと無茶をやりましたが、クロスオーバーということでご了承下さい。
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第15話a 地下2500mの記憶《壱》

――――――――――――

「課外授業に?」

「はい。先生に言われて、これから一ヶ月」

 私はまどかさんのお店でほむらさんと会っていた。塾の無い日はいつもアリスちゃんと卯月くんと一緒だけど、今日はいつもより早い時間だから、2人は来てない。なんだかアリスちゃんを避けてるみたいで、ちょっとだけ胸がチクってなった。

「そっか、じゃあ、しばらく会えなくなるわね。アリスちゃんも気がつけば小学生だし、何て言うか、時の流れは残酷ね」

 すごく残念そうにするほむらさん。でも、私は行かないといけない。

 みんなを守るって、決めたから。

――――――――――――なのは/まどかの花屋



 温泉旅行の翌日。孔は修、リスティとともにシェルターの一般公開されたエントランスへ来ていた。エントランス、といっても地下街とつながっており、工事中のシェルター内とは開閉式の隔壁で区切られているに過ぎない。ちなみにその隔壁の前はちょっとした休憩スペースの様になっており、シェルターの簡単な説明を載せた掲示板や模型のほか、自販機や椅子が用意され、ちょうど地下街に設置された公園の様に機能していた。

 

「はあ? アンタ刑事だろ? 何で無理なんだ?」

 

「警察手帳も万能のパスポートじゃないんだ。っていっても、シェルターに入るのに何故警視庁長官レベルの許可がいるのか疑問だけどね」

 

 が、そんな癒しスペースに修とリスティの苛立たしげな声が響く。竜也が日時を指定していなかった事に淡い期待を込め、社会見学前に片づけようとシェルターに足を運んだのだが、一般公開されている以上の部分はリスティの権限では入る事は出来なかった。

 

(……確かに異常だな)

 

 孔も重厚な隔壁をにらみつける。入る手続きだけでなく、警備も異常だ。監視カメラが至る所に設置され、二十四時間体制で複数人の警備員が駐留。その警備員も対テロ用の特殊装備に身を固め、銃まで携行していた。それだけでも厳重を通り越した態勢だが、孔がもっとも驚いたのはそこではない。

 

「なあ、卯月。移転で何とかなんねぇのか?」

 

「いや。さっきからやっているが無理だな。ここの隔壁には魔法結界が埋め込まれているみたいだ」

 

「はあ? どういうことだよ?」

 

「前にプレシアさんから聞いたことがある。魔法世界には特殊な資材に結界魔法で使うようなプログラムを組み込み、強度を強めるついでに魔法効果を付与している素材があると」

 

 以前、テスタロッサ邸の地下にある訓練室を使わせてもらっているときに、壁に魔力を感じてプレシアに聞いた話を思い出しながら説明する孔。訓練室の防壁には単純な強度向上程度しか使われていなかったが、次元航行船の装甲材や機密保持のための特殊なサーバールーム等には外部からの移転による侵入を防いだりする高度なものが使われている、と。

 

「そんな技術が? このシェルターに?」

 

「はい。何故かは不明ですし、何処から手に入れたのかも疑問ではありますが」

 

 疑問の声をあげたリスティに、孔が正直に分からないと答える。修はそんなリスティに問い返した。

 

「アンタはこのシェルターについてなんか知らないのか?」

 

「いや。ここの市長肝いりという事くらいしか……」

 

「じゃあ、打つ手なし、なのかよ?」

 

「いや。須藤もあの警備をすり抜けられるとは思えない。ヤツが襲ってくるポイントはこのエントランスか、反対側にある地下鉄の駅に抜ける裏口のどちらかだろう。それがわかっただけでも収穫とみるべきだろうな」

 

 溜め息交じりに言う修にリスティが前向きな回答をする。孔は考えながら言った。

 

「これだけ人が多いんだ。この場で襲ってくるのは考えにくい。やはり、社会見学の時を狙っているとみるべきでしょう。学校行事のスケジュールもネットで過去のものなら調べられるから、あたりがつけやすい筈だ」

 

「何とかならねぇのか? 工事中なんだろ? 建材を運び込むときに紛れ込むとか?」

 

「無理だな。そこの看板に書かれた建設計画に、ここ数日は休工期間とある。ゴールデンウィーク明けまで工事の再開は無いよ」

 

 別の提案をする修にその可能性をつぶすリスティ。結局、うまい手も見つからないまま、孔は社会見学当日の行動を打ち合わせただけで修達と別れた。

 

 

 † † † †

 

 

「えー、なのはお姉ちゃん、先に帰っちゃったの?」

 

「そう。課外授業の前に外に泊まる準備しときたいからって」

 

 翌日の放課後、まどかの花屋。孔はいつも通り出されたコーヒーを片手に、アリスの不満そうな声を聞いていた。

 

「むー、つまんないっ!」

 

「まあ、ゴールデンウィークも近いし、仕方ないだろう?」

 

 わめくアリスを窘めながらも、孔はこのタイミングでなのはが課外授業を受けた事に思考を回していた。学校で募集している課外授業は長期休暇を利用して合宿を行うものだ。いわゆる林間学校のようなもので、親元を離れて他の生徒と過ごすことになる。

 

(そういえば、確かに高等部の先生がゴールデンウィークを使って課外授業をすると言っていたが……リスティさんの話じゃ、高町さんは結界内部で夏織という人物と接触している。何か指図なり脅しなりを受けて家族と分断されたか? いや、護衛依頼はあの温泉の日から3日後だったな。今日で2日経つから依頼が実行に移されるのは明日、つまり社会見学と同じ日だ。ゴールデンウィークは社会見学の後だから、その日に切り離しても依頼の人質としては遅すぎる……偶然の可能性もあるが、その夏織さんが結界の中で平然と活動していたのなら魔法の事も知っているはず。高町さんの魔法の素養に気付いて、ジュエルシードの探索なりに利用しようとしている可能性も捨てきれないな……)

 

 苛立ちを表に出さないようにしながら、手段を選ばない相手を考える孔。依頼の内容はトールマンと面会する氷川の護衛と聞いている。氷川の事は大企業の重役としか知らないが、相手のトールマンはメシア教会でかなりの地位にあり、かつ管理局にも顔が効く。果たしてメシア教会のトップとして面談に臨むのか、管理局の橋渡しとして面会するのかは非常に気になるところだ。

 

(……できればクルスさんにも話を聞きたいところだが、同じメシア教徒ということを考えると難しい、か)

 

 疑うわけではないが、同じ組織に所属している以上、下手な情報提供はできない。向こうからの接触を待つべきだろう。

 

(いずれにせよ、会談には参加できないから、俺は須藤の相手に専念するしかないか。援護をつけているとはいえ大物同士の交渉、しかも町の中心地だから、そう大きな騒ぎは起こさない、と思いたいが……)

 

「ねー、孔お兄ちゃん、どっか行っちゃうの?」

 

 だが、沈んでいた思考の端に、アリスの声が引っ掛かる。気が付けばつい先ほどまで周囲を飾っていた会話が途切れ、アリスが不安そうにこちらを見上げていた。

 

「どうしたんだ、急に?」

 

「だって、孔お兄ちゃん、変な顔してるときはいっつもどっか行っちゃうし」

 

 顔には出さないようにしていたつもりが、アリスには読まれてしまったらしい。孔は苦笑しながらもそれに答えた。

 

「別に、どこかへ行くわけじゃない。ただ、この後大瀬さんの通夜があるだろう?」

 

「あ……そっか」

 

「大瀬さんって……ああ、孔はクラスメートだったわね」

 

 2人の会話に悲痛な顔をするほむら。あの事件は都心部分で起こった大事故として大きく報道されている。警察関係者のほむらもある程度は知っているのだろう。

 

「ここ数日は大瀬さんのお母さんもマスコミの相手とかで大変だったみたいで。葬儀は学校のクラス全員で出るんですけど、通夜には俺と、あと友達が何人か呼ばれてるんですよ」

 

「そう……孔はその子と仲が良かったのね」

 

 目を伏せるほむら。いつも凛としている彼女がこうした表情をするのは珍しい。

 

(さやかさんと重ねているのかもしれないな……)

 

 以前遠まわしに聞いた話だと、あの時悪魔に殺されたさやかは行方不明として処理され、公的には死亡とされていない。気丈に振る舞っているように見えるが、同僚が死亡ともつかない状況に置かれているほむらの心中は察するにあまりある。重い空気に俯く孔。そこへ、まどかが口を開いた。

 

「その子のお通夜だったら、うちにも供花の話が来てるの。孔くんとアリスちゃんの分も用意できるよ?」

 

「そうですか……じゃあ、お願いします」

 

 立ち上がる孔。それからはアリスと花を選んですごした。短いとはいえ時間を共有したアリスも園子には思うところがあったらしく、なかなか決まらないようだ。

 

(俺は……これにしておくか)

 

 選んだのはシオンの花。供花についての礼儀はそれほど詳しくはなかったが、プラカードに載っている花言葉「君を忘れず」が気になったためだ。孔はアリスとともにまどかから花を受け取ると、店を出て孤児院へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 その日の夜、孔はアリス、先生と園子の通夜へ来ていた。

 

「伊沙子さん、園子ちゃんの事は……」「いえ。あの子も……」

 

 出迎えてくれた園子の母親である伊沙子が先生と挨拶を交わしている。それほど面識があるわけではないが、孔は伊沙子が何処かやつれている様に思えた。力のない声に耐えきれず、目を背ける孔。しかし、伊沙子から声がかかる。

 

「貴方が孔くんね?」

 

「はい。その、大瀬さんには仲良くして貰って……」

 

 覚悟はしていたものの、やはり言葉が出てこなかった。一瞬ではあるが長い沈黙。孔はそれに耐えきれず、まどかの店で買ってきた花を差し出した。

 

「あの、供花、いいですか?」

 

「ええ。会場に行ってあげて」

 

 思い付かない言葉に歯がゆさを感じながら、一礼して立ち去ろうとする孔。そこへ、伊沙子から声がかかった。

 

「孔くん、園子が貴方を好きだったの、伝わってたかしら?」

 

「……はい。直接言われた訳じゃありませんが」

 

「そう。じゃあ、花と一緒に貴方がどう想ってたか伝えてあげて。まだ、返事を聞いてないみたいだったから」

 

 最後に震えた声が心に響く。孔は伊沙子に静かに頷くと会場へと向かった。小さな市民会館はまだ早い時間のせいか閑散としている。一人祭壇へと向かい、花を捧げる孔。棺はない。あの後、家族に届けられたのはおびただしい血とともに見つかった、千切れた片腕と足だけだったという。

 

(……くっ!)

 

 歯を食い縛る孔。だが、何時までも後悔に沈んではいられない。孔はもう伝わらない園子への返事を祭壇の前へ向ける。

 

(俺は……もっと、園子と過ごしたかったな)

 

 感情は複雑であったが、今の正直な想いはこれだろうか。もし呪いなどかけていなければ、自分も相手に消極的にならずに、ちゃんと見ることが出来たかもしれない。少なくとも、嫌われない限りは同じ時間を過ごそうとしただろう。あるいは、園子の性格ならば異能も受け入れてくれたかもしれない。

 

(もし、かもしれない、ばかりだな)

 

 自嘲する孔。なくしてからようやく気付いた可能性に心が締め付けられるのを感じながら、孔は祭壇を後にした。

 

 

 

 通夜自体はすぐに終わった。気がつけば終わっていたと言う方が正しいかもしれない。修や萌生、アリシア達も来ていたが、結局言葉を交わすことは無かった。孔は会場の廊下で泣きながら帰る萌生とそれを慰める修を見送りながら、先生が伊沙子と話し終わるのを待っていた。2人の会話に入り込めるだけの権利と言葉を見いだせない自分を苦々しく思いながら帰路に就く人々を眺めていると、

 

「ここにいたの。随分暗い顔ね。先生とアリスちゃんが心配してたわよ?」

 

「……通夜で明るい顔は出来ませんよ」

 

 いつの間にか横に立っていたプレシアが声をかけてくれた。努めて何でもない様に答える孔。プレシアは大きく溜め息をついた。

 

「さっき、伊沙子さんと話をしてきたわ。貴方が変に思い詰めていないか気にしていた……あの人は強いわね」

 

 呟く様に語るプレシア。それはまるで自分自身に言い聞かせている様でもあった。しかし、急に孔を見つめると、

 

「コウくん、貴方は先生を置いていっちゃダメよ?」

 

 震えた声で言った。孔はプレシアの視線を外せないまま頷く。

 

「ええ。そのつもりです。でも、どうしてそんな事を?」

 

「そうね……帰るところを覚えておいて欲しかったから、かしら。リニスから聞いたわ。記憶の手がかりを見つけたんでしょう?」

 

「ええ。でも、記憶が戻っても、俺は……」

 

「それは記憶を取り戻してから聞くわ」

 

 孔の言葉の途中で遮り、背を向けるプレシア。しかし、去り際に付け加えた。

 

「……私も記憶の研究をやっていたことがあるの。専門外だったけどね。実験もやったわ。ただ、分かったことは一つ。同じ記憶を持っていても、同じ人間にはなれない、よ。覚えておいてね?」

 

 孔は何も言えずにプレシアの背中を見ていた。複雑な感情が絡み過ぎて、プレシアに何があって、何を忠告しようとしたのか読み取る事は出来ない。しかし、自分が家族から離れるのが望まれていない事だけは理解できた。

 

(確かに、重いな)

 

 I4Uに仕舞いこんだ園子のジュエルシード。それを渡された時、修が言った言葉を思い出す。だが、放り出したくはなかった。

 

(プレシアさんの言ってた「帰る場所」だからな……)

 

 園子が眠る会館の方へと戻ろうとする孔。しかし、視線を感じて立ち止まる。目を向けると、厳しい目で此方を見つめる士郎がいた。

 

(あの人も……そうか、同じサッカーチームだったから)

 

 園子の悲しみに浸る間もなく襲ってくる驚異に痛みを感じながら、孔は士郎に黙礼で返すと、再びの先生が待つ会館の中へと戻り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ジュエルシード、シリアルⅧ、封印っ!」

 

《Sealing》

 

 その頃、夜の山中にてなのははジュエルシードの封印に成功していた。足元には先程までジュエルシードに取りつかれ暴れまわっていた鳥がうずくまっている。

 

「だ、大丈夫、かな?」

 

「ええ、問題ないわ。ほら」

 

 意識を失い落下した鳥を心配そうに覗き込むなのはに声をかける夏織。その言葉どおり、しばらくすると鳥は体を起こし、空へと飛び立っていった。

 

「ふう。よかった」

 

「これで6個目ね。この調子で進めましょう」

 

 誉めてくれる夏織に顔をほころばせるなのは。夏織とは温泉で会って以来毎日助けて貰っているが、ジュエルシード回収は順調に進んでいる。ほんの2、3日とはいえ、それは確実に魔法と自分のやっている事への自信へと繋がっていた。

 

「ところでなのはちゃん、ゴールデンウィーク前に社会見学があるんでしょう?」

 

「あ、はい。防災シェルターに行くことになっています」

 

 唐突に言う夏織に首をかしげながらも、担任の先生が言っていた行き先を思い出し頷くなのは。夏織はそれに笑みを深くすると、軽い口調で言った。

 

「じゃあ、次のジュエルシード探索はそこにしましょう」

 

「えっ?」

 

「その社会見学、友達もたくさん参加するんでしょう?」

 

 なのはは目を見開いた。このところ回収がうまく進んでいたので気が付かなかったが、クラスメートが大勢参加する社会見学でジュエルシードが発動したら危険だ。

 

「あ、じゃあ、これからすぐにっ!」

 

「なのはちゃん、それは無理よ。建造中とはいえ、あのシェルターは厳重に管理されてるの。一般公開されている部分以外は社会見学でもないと入れないわ」

 

「そんなっ! それじゃあ……」

 

「そう、社会見学中にジュエルシードを探して回収する事になるわね」

 

 淡々と続ける夏織に絶句するなのは。夏織はしゃがんでなのはと同じ目線になると、目の奥を覗き込むようにして問いかけた。

 

「なのはちゃん、怖いかしら?」

 

「い、いえっ! そ、そんなことない、そんなことないですっ!」

 

 慌てて否定するなのは。怖くないはずがない。だが、あのお茶会の時すずかやアリサを護りきれなかったのを思いだすと逃げるわけにもいかなかった。しかし、夏織はそんななのはの心中を見透かした様に語りかける。

 

「大丈夫よ。今度はうまくいくわ。そのために練習をしてきたんだし、次は私も一緒よ。あなたは独りじゃないの」

 

「あ、そ、そうか……そうですよね」

 

 言い聞かせる様に言われ、なのはは頷いた。同時に夏織と一緒という部分に強い安心感を覚えた自分に気づく。こどもの頃からついて離れない孤独に、もはや思い悩む必要はないのだ。

 

「そうよ。私だけじゃない、ユーノくんもいるわ。それに、祐子も社会見学に引率で参加するはずよ?」

 

「祐子って、高尾先生ですよね?」

 

「ええ。ついでにゴールデンウィークの課外授業についていろいろ教えてもらうといいわ」

 

 そう言って立ち上がると歩き始める夏織。なのははその背中に自分を見守ってくれる大人達を感じていた。自分が護らなければならない家族とは違う、自分を護ってくれる「保護者」としての大人だ。

 

(私も、あんなふうに……)

 

 なのはは少しだけその背中に憧れを向けていたが、すぐに後を追って走り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 翌朝。孔は保護施設の自室で須藤から投げ渡された銃を眺めていた。

 

(まさか社会見学に銃を持っていく事になるとはな……)

 

 本来ならばゴールデンウィークを前にしたイベントなのだが、内心の憂鬱は消えない。止まらない嫌な予感を煽るように輝く銃を見つめる孔。しばらくそうしていたが、階段を駆け上がる音に我に返った。慌てて銃をI4Uにかざす。本来ならゲートオブバビロンにでも放り込んでおくところだが、I4Uから

 

《My Dear. それは私が預かっておくことが出来るわよ?》

 

 と言われたため、任せることにしている。I4Uがコアを明滅させ、銃を収納するとほぼ同時、ノックもなしに扉が開け放たれアリスが入ってきた。

 

「孔お兄ちゃん、先生が用意で来たら早く降りてきなさいって!」

 

「ああ、今行く」

 

 孔は返事をすると社会見学のためにと先生が用意してくれたリュックを持って立ち上がり、アリスと一緒に一階へと向かう。いつも通りリビングへ向かうと、先生が弁当を渡してくれた。

 

「はい。今日は社会見学でしょう? あんまりゆっくりしてちゃダメよ?」

 

「分かってますよ」

 

 まるで本当の母親の様に注意をしてくれる先生から弁当を受け取り、リュックへ仕舞う。それを見たアリスが服を引っ張ってきた。

 

「ねー、孔お兄ちゃんは遠足に行くんでしょ? 私も一緒が良かったなぁ」

 

「遠足じゃないんだが……学年が違うからしょうがないだろう?」

 

 孔の言葉にむーっと膨れるアリス。孔はしゃがんでアリスに視線を合わせると、言い聞かせるように話し始めた。

 

「ゴールデンウィークはいくらでも一緒に遊べるだろう?」

 

「うん……じゃあ、アリス、我慢するね? だから、孔お兄ちゃんも早く帰ってきてね?」

 

「ああ。そうだな」

 

 それに答えるアリス。機嫌が直ったのを見て孔は立ち上がる。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「ええ。行ってらっしゃい。アリスとの約束、忘れちゃダメよ?」

 

 アリスとのやり取りに暖かい笑みをこぼす先生に見送られ、孔はいつもとは行先が違うスクールバスへと向かっていった。

 

 

 † † † †

 

 

 バスで数十分。表向きは防災用シェルターとして発表されているそこは、ちょうど海鳴市街地の地下に建設されていた。付近にはオフィスビルや大型の商業施設の他に市庁もあり、市の中心部と言って差し支えない発展を見せている。もっとも、訪れたのは平日の昼間。人はそう多くない。

 

(周りに飛び火する可能性が低くて一安心、だな)

 

 バスを降りた先の広場から周りを観察する孔。何度か先生に連れられて市街地に来たことはあるが、車の中から眺めただけで直接歩くのは始めてだ。軽く地形を確認していると、頭に声が響いた。

 

(コウ、聞こえる?)

 

(念話……クルスさんか?)

 

 列を作る生徒に混じりながら、念話の元へと目を向ける孔。すると、近くのオープン・カフェから此方に小さく手を振るクルスが見えた。

 

(やっぱり、コウだったんだね。シュウも一緒かな?)

 

(ああ、学校の社会見学でな。この地下のシェルターに)

 

(そっか……この世界の学校はそういうカリキュラムが充実してていいね。ミッドじゃ義務教育って短いから)

 

(そうなのか?)

 

(そうだよ。私が行ってたところは神学もやってから、余計時間もなくて)

 

 そういえば、前にプレシアが魔法世界の学校との違いに驚いていた記憶がある。向こうでは就業年齢が低い事も相まって、義務教育は比較的短く権利教育が中心になっているという。文明が違えばこどもの頃に吸収させられる知識の量や質も違うのか、同じ集団で同じ質の教育を受ける期間は短いようだ。

 

(それより、クルスさんはどうしてここに? メシア教会はこの辺には無いだろう?)

 

(ああ、ちょっとね……)

 

 なにも知らないかのように問いかけてみたら、案の定言葉を濁された。やはり立場的なものがあるのだろうか。

 

(そうか。言いにくいなら別に……)

 

(……いや、話すよ。もしかしたら力を借りるかもしれないし)

 

 が、意外にもクルスは話を持ち出してきた。そして、念話のまま告げる。

 

(実はこの後、シティホテルでトールマンさんが氷川っていう人と一緒に会食することになってるんだけど、その氷川、ガイア教徒みたいなんだ……)

 

(……ガイア教徒、か?)

 

 孔は意外な単語に聞き返す。氷川という名前が出てくるのは想定済みだが、クルスが言った情報はそれにまた別の意味を与える。なにせガイア教徒といえば、悪魔を使役していると見られる五島とつながりがあるのだから。

 

(まあ、メシア教会じゃ支援を表明した大企業の重役って事になってるけどね。かなり前から接触をはかってきていたみたいなんだ。で、私は管理局に勤めてもいるから、護衛につくんだけど……)

 

(肝心の内容は分からないのか?)

 

(うん。トールマンさんを疑ってる訳じゃないけど、悪魔使いのガイア教徒と話をするなんて異常だよ)

 

 問いかける孔に肯定の意思を伝えるクルス。そこにはガイア教徒への強い憎しみが感じられた。普段のクルスとはかけ離れた感情に孔は眉をひそめながらも、今度はこちらから知っている情報を伝える。

 

(……そうか。実はシェルターにも悪魔を使う人物が来ると予告があったんだ)

 

(なんだって?)

 

 今度はクルスの方が聞き返してきた。孔は先生が社会見学の注意事項を読み上げているのを聞き流しながら、念話で簡単に温泉での一件を説明する。高町士郎が夏織という女性からその会食の護衛を引き受けた事、その最中、何者かが結界を展開し、なのはと接触した事。同時に悪魔が現れた事。それを呼び出したのは須藤という放火魔らしい事――。

 

(そいつが俺に向かって、去り際にシェルターに来い、と……目的は分からないが、な)

 

(温泉旅館の事件なら私もニュースで見たよ。客に暴力団がいて騒ぎを起こしたって事になってたけど、裏に悪魔がいたなんて……)

 

(悪いな。本当ならすぐ伝えるべきだったんだが)

 

 素直に謝る孔。実際のところはメシア教会の動きが気になって意図的に伝えなかったのだが、クルスは感情を害した様子もなく続ける。

 

(いいよ気にしなくて。それより、そっちは社会見学でしょ? 大丈夫なの?)

 

(ああ。リニスにも着いてきて貰ってる。ある程度対応はできるはずだ)

 

 正直不安が全くない訳ではなかったが、クルスには安心させる要素を伝える孔。クルスも得体の知れない人物を相手にする以上、此方に注意を割けさせるわけにはいかない。

 

(そっか……気をつけてね、コウ)

 

(ああ。クルスさんも注意してくれ)

 

 お互いに念を押して立ち上がる。孔は周囲のクラスメートに流されるようにして公園の階段から地下数キロのシェルターへ、クルスは少し先のシティホテル正面エントランスから地上数百メートルの高級レストランへ。二人は生反対の方向へ、しかし同じ不安を抱きながら歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「なのは、一緒に回りましょう?」

 

「あ、ごめん、私、高尾先生に呼ばれてるから……」

 

 社会見学が始まって、一時の自由時間。声をかけてれるアリサとすずかを断って、なのはは高尾祐子との待ち合わせ場所へと歩いていた。

 

(ゴメンね、アリサちゃん……)

 

 少し怒ったような顔を向ける親友に心の中で謝りながら、なのははシェルターのやや奥にある自販機が設置されたスペースへと向かう。人気のないそこに、授業で遠目に見た事がある、しかし決して慣れてはいないショートカットの女性がいた。

 

「あなたが高町さんね?」

 

「あ、はい。あの、夏織さんから特別授業の事、詳しく教えて貰いなさいって……」

 

 今までほとんど接点のなかった祐子に気後れしつつも、要件を伝えるなのは。祐子は少し影のある表情で頷くと、なのはをじっと見つめてきた。なのはは一瞬襲ってきた固い沈黙に思わず戸惑った声を出す。

 

「あ、あの……?」

 

「ああ、ごめんなさい。」

 

 が、祐子はすぐにいつも生徒に向ける優しい声に戻ると、説明を始めた。

 

「難しい事はしないわ。昼は普通に林間学校をやって、夜はあの青い宝石を探す……ただ、普段は行けないような所――このシェルターみたいに入りにくいところまで探す事ができる。その時、なのはちゃんの力が必要になるの」

 

 いつもの授業で見せる包容力のある表情と声。それは夏織やほむらとはまた違ったタイプをなのはに思わせた。桃子やまどかに似ているだろうか。だが、ショートカットの黒髪からのぞく目には、何処か冷たい雰囲気がある。なのはは無意識のうちに他の大人と比べながら、じっとこれから保護者となりうる人物に見入っていた。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

「へ?」

 

 そのせいか、急に話題を本題に移されても反応できなかった。聞き返すなのはに、祐子は背を向けたまま付け加える。

 

「ジュエルシード、探すんでしょう?」

 

 慌ててその背中を追いかけるなのは。並んで顔を見上げると、やはりいつもの授業で見せるような暖かみのある笑顔で応えてくれた。が、なのははそこに違和感のようなものを感じ取る。自分の母親が向けてくれる無条件の愛情や信頼とは別の何か。しかし、それを読み取るには幼すぎたなのはは、ただ曖昧な笑みを返すだけにとどまり、導かれるまま普段は立入禁止となっている区画へと入っていった。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、孔はシェルターの人気のない所へと向かっていた。ターゲットが自分である以上、万一竜也がシェルターに入ってきた場合にできるだけ警備員や学校関係者とは離れている必要がある。ちなみに、地下街側の入り口にはリスティが、地下鉄側の入り口には寺沢警部が張り込んでおり、修は生徒や先生とともに行動することになっている。出来る限り早く離れようと、一人歩みを早める孔。いや、「一人」というのは正確ではない。

 

(リニス、平気か?)

 

(ええ。快適……とはいいませんが、想像よりずっと楽です)

 

 リュックの中に猫の姿でうずくまるリニスに時おり気遣うように念話を送る孔。リニスからは問題ないと返事をされたものの、孔は尚も問いかける。

 

(……苦しくなったら言ってくれ。すぐ外に出す)

 

(でも、まだ警備員がいる区間でしょう?)

 

 が、サーチャーで外のようすを把握しているのだろう、状況をしっかりと告げられた。変に遠慮するよりはと思い直し、孔は歩みを速めて地下一階の奥へと向かう。

 

(シェルター内でも魔法が使えるのは不味かったな……)

 

 どうやらこのシェルターの隔壁は外部からの魔法を遮断するのみで、内部からは普通に使えてしまうようだ。証拠にこうしてリニスと念話のやり取りはできるし、サーチャーを使って寺沢警部やリスティの様子を見ることもできる。外部への移転も可能だろう。それはつまり、竜也も悪魔を呼びだせるし、その悪魔も魔法を行使できることを示している。歩きながら周囲に気を配り、I4Uを確かめる孔。そんな孔の気を紛らわせようとしたのか、リニスが話しかけてきた。

 

(それにしても、このシェルター、かなりの設備ですね)

 

(ああ、少し過剰なくらいだな)

 

 心の中でそれに感謝しながら同意する孔。大規模な発電設備に自給自足ができるような人工農園の他、住居スペースは他のシェルターとも通信が可能なネットワークが完備され、高級マンションにもひけをとらない。

 

(長期間の生活を前提に設計されているな……)

 

 そうした目を引く施設へと走るこども達とすれ違いながら、孔は自分の記憶と関連しているというこのシェルターについて考えていた。明らかに一時しのぎの防災用ではなく、数十年、あるいは数百年の生活を念頭に置かれている。

 

――方舟

 

 そんな例えが孔の頭に浮かぶ。世界が壊れる程の災厄を生き延び、生命の種を運ぶゆりかご。冷静に考えればそのような代物が税金を使って作られている筈がないのだが、頭のどこかではその呼称と役割がやけにしっくりきた。それは失った記憶に基づくものに違いないのだが、この場所で何があったかはまるですりガラスに隔てられたかのように、思い出すことが出来ない。竜也は過去にこの場所で起こった事を再現する気なのかもしれないのに。そんな不安を誤魔化すように、孔は進み続ける。監視の目が薄く、生徒もあまり興味を持たなかった所――周囲を見回しながら探すうちに、孔は倉庫と書かれたプレートがある部屋の前へと差し掛かった。

 

「ここなら、誰もいないな……」

 

 警備員や監視カメラがない事を確認し、孔はリュックを下ろす。同時に、リニスが顔を出した。そのまま外へ出ると、猫が体にかかった水を弾く時のように軽く体を振るわせる。

 

「窮屈な思いをさせてしまったな」

 

「いえ。無理矢理ついてきたのは私の方ですし」

 

 そう言って孔の下へと身を寄せる。艶やかな毛に乱れた様子はなかった。

 

「これから、どうします?」

 

「取り敢えず、ここで待つつもりだ」

 

 孔は自分に言い聞かせるように答える。来やがれとしか言われていない以上、いつどこに行けばいいか分からない。自由時間が終わるまで残り数十分。孔としては一人でいることが出来るこの時間に狙って欲しかったが、果たしてあの狂人はどうでるだろうか。まるで暗闇に吸い込まれるように続くシェルターの廊下に注意を向けたその時、

 

「Warning!... Warning!...第七区画より出火! 第七区画より出火! 警備員の指示に従い非難してください。繰り返します。第七区画より出火! 第七区画より出火!……」

 

 爆音と共に警報が鳴り響いた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

厄災 ジュエルシード暴走体Ⅷ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。元は逃げ出した小鳥であり、光物であるジュエルシードに興味を示してくちばしでつついていた際に発動、巨大化したもの。体内に注ぎ込まれた荒れ狂う膨大な魔力が生み出す衝動のまま暴れまわっていたところをなのはに封印された。ジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅧ。

――元ネタ全書―――――
花言葉
 ペルソナ2罪。ジョーカーが残すメッセージから。イベントで出てくるだけでなく、キーアイテムとしても登録されます。

――――――――――――
※リリカルなのは原作では温泉旅行はゴールデンウィークのイベントでしたが、いろいろの都合により今回の事件を含め連休前となっております。
※隔壁の設定とか魔法世界の教育制度とかは例によって独自設定ということでご了承ください。
――――――――――――


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第15話b 地下2500mの記憶《弐》

――――――――――――

 自由時間。俺は卯月と打ち合わせた通り萌生達についていた。
 あの放火魔がいつ襲ってくるか知れない。

「ねえ、次、上っ! 上いこっ!」

 しかも、上のホテルじゃあなんか悪魔を使うヤバイ宗教団体の奴らが会談をやっている。
 温泉で出てきた悪魔は大したことなかったが、今度も通用するか怪しい。

「おおー、動いたっ! でっかい羽根が動いたっ!」

 とにかく、このシェルターは危ない。
 俺は周囲からの魔力反応と卯月からの念話に神経を尖らせ……

「あ、あっちも見たい。シュウ、下いこっ! 下っ!」

 …………。

「うるせーっ! だいたい、さっき下行ったばっかだろっ!? ちょっとは同じフロア回れよ!」

 好奇心丸出しのアリシアに俺の集中力はついに途切れた。
 温泉の時と同じ騒ぎように頭痛がする。

「えー、だって、ほら。下、穴掘っててるんだよ? ドリルだよ? 壱回転すればちょっと進んで、天も貫くんだよ?」

「いや、しないから。天元突破とかしないから。むしろ地下に潜る方だから」

「おおっ! 五番目の八面体の方だったのね?!」

 こどもの相手は慣れたつもりだったが、全くダメだ。無駄にはしゃぐアリシアに思わず言ってしまった。

「はあ、もう面倒だからお前先生と回れよ」

「ダメだよっ! みんな一緒じゃなきゃっ! だって、園子みたいにいなくなっちゃったら……ぁ……」

 本音を出して固まるアリシア。騒がしかったのが急に静かになる。そういえばバスの中でもはしゃぐのは恐怖の裏返しって卯月が言ってたな。

「はあ、萌生、お前どっか見たいとこないのか?」

「え? 私は別に……ねえ、フェイトちゃん、フェイトちゃんは次どこがいいの?」

 なんとか誤魔化そうと、後ろの萌生に声をかける。が、露骨すぎたせいか、萌生は引き気味の反応と一緒にフェイトへ回してしまった。なんかこの2人は最近やけに仲がいい。

「わ、私!? えっと……」

 決定権を渡されて困るフェイト。それは俺が知っている年相応の反応だったが、

「じゃ、じゃあ、やっぱりドリルで」

 言った場所は、結局姉と同じだった。

――――――――――――修/シェルター



 サイレンが鳴り響く中、孔はリニスとともに走っていた。

 

《My dear, この炎は魔力によるものね。元凶の悪魔を倒さないと燃え続けるわよ?》

 

「その悪魔はどこにいる?」

 

《反応は2つ……地下9階の管制室と、地下10階の居住エリアね》

 

 I4Uが告げた場所は掘削現場の真上に設けられた、比較的新しい箇所だった。深い階層だと聞いて歩みを早める孔。炎は熱気とともに下から上へと昇ってくるため、このままでは危険だ。

 

(折井、聞こえるか?)

 

(ああ、また面倒な事になってんなっ!)

 

 念話を修へ繋げる孔。修からはすぐに切羽詰まった声が返ってきた。

 

(今、萌生とアリシアと逃げてる所だ。面倒な場所に来ちまってな……)

 

(何処にいる?)

 

 しゃべっているうちに調子を取り戻したのか、次第に落ち着きを取り戻し、状況を伝えてくれる修。しかし、

 

(一番下の掘削現場だ。ドリル見てたんだがな……)

 

 告げられた場所は最悪の場所だった。

 

(待てっ! その上の階層には悪魔がいるんだっ!)

 

(はあ?! この上にかっ!)

 

 念話越しに叫ぶ修。そこへ、I4Uが新たな情報を告げた。

 

《その地下に続く隔壁なら、強力な魔法防御がしてある筈よ。ある程度は持つわ》

 

(折井、取り敢えず待機していてくれ。炎なら下には回りにくい筈だ。俺もすぐ向かう)

 

 叫ぶように伝えると、足を早める孔。I4Uのサーチは流石に正確らしく、確かに掘削現場付近への移転魔法は遮断された。それどころか、火災を探知したことで新たに隔壁が降りたせいか、近くの部屋にすら移転出来ない。

 

「この隔壁、念話だけは通るように術式が組み込まれています。非常用の隔壁としてはミッドチルダでも見られるものですけど、移転魔法まで阻害するタイプは少ないですね」

 

 猫の姿のままのリニスがさらに悪い情報を伝える。魔法世界での防災用の隔壁は物理的な熱や衝撃は遮断するものの、救助活動を考慮し、被災者の位置を知らせることが出来る念話や移転魔法は通るように設定するのが普通だ。が、このシェルターの隔に組み込まれた術式は移転魔法に限り阻害している。

 

「悪魔が侵入した時を考慮したのかもな」

 

 自然とそんな結論に思い至る孔。いったん悪魔が侵入しても、移転を封じておけば一か所に止めることが出来る。自然に導き出したその結論へ疑問を抱く間もなく、孔は地下へ続く階段の手前へたどり着いた。そこには、見知った2人の姿が。

 

「リスティさんっ! 寺沢警部もっ!」

 

「卯月君かっ! 早かったな!」

 

「流石に火災だと普通に入れてな。今避難誘導に行く所だ」

 

 声をあげるリスティに、落ち着いたまま簡単に状況を告げる寺沢警部。そのまま突入しようとする孔に、警部から制止するように声がかかった。

 

「中には生徒が何人か取り残されてるって話だ。俺達も行こう」

 

「しかし、中はっ!」

 

「何、足は引っ張らんよ。それに、これでも警察官だ。目の前の救助要請を放っておくことは出来ん」

 

 戸惑う孔に背を向け、さっさと階段へと向かう寺沢警部とリスティ。孔はそれを複雑な目で見ていたが、やがて後を追って走り始める。階段を駆け下り廊下へ。だがクラスメートが自由見学を始めた階層にたどり着いたとき、

 

「ヒャッハァ! どうだっ! これで天使がいりゃあ向こう側とおんなじだろうがっ!」

 

 館内のスピーカーが狂った男の声を大音量で流した。

 

「っ! 須藤かっ!」

 

「コウ、悪魔の反応を追っていればたどり着けるはずです。だから……!」

 

「ああ、分かってる、分かってるがっ!」

 

 苛立ちを抑えきれず声を上げる孔に、リニスの声が重なる。それに乱暴な言葉で返すのを止められない自分に歯を食い縛りながら、孔はこの感情がただ竜也という存在だけによるものではない事に気づいていた。

 

(ここで、いや、ここと似た場所で何かあった……重大な何かがっ!)

 

 時おり、シェルターの内壁が崩れ、廃墟のビジョンが顔を出す。勿論それは幻覚にすぎないものであったが、鮮明な過去の記憶と確証をもって呼べるものだった。そして同時に、

 

(違うっ!)

 

 そう叫んだ。「あの場所」はこれほど広くなかったし、もっとおぞましいナニカが蠢いていたはずだった。もっと悲惨な光景が広がっている筈だった。しかし、周りを見渡しても目に映るのは炎だけだ。

 

(この炎は……ここじゃないっ!)

 

 混乱した頭がそう告げる。邪魔な熱気を振り払うように走る孔。そこへ、聞き慣れた声が伝わってきた。

 

――みんな落ち着いてっ!

 

「っ! 今の声は……」

 

「高見先生――俺のクラス担任の声ですっ!」

 

 立ち止まって見回す寺沢警部に答える孔。リスティはすぐ近くの食堂とプレートが掲げられた扉に近づくと、僅かに開いた扉を開こうとしながら声を張り上げた。

 

「扉の向こうっ! 誰かいるのかっ!」

 

――いますっ! 扉が閉まって取り残されてっ!

 

 孔はすぐに剣を抜いた。同時に魔法を使う。変身魔法と呼ばれるもので、自分の姿を別人のものに変えるものだ。魔法陣からの光が収まると、20代前後の男性の姿となった。警部は驚いたように声をあげる。

 

「卯月君っ!?」

 

「見た目を誤魔化しておかないと一緒に避難させられそうなんで。リニスも、悪いがリュックに戻ってくれ」

 

「……リニスさんは猫になるし、もう何でもありだな」

 

 呆れたような声を出すリスティに苦笑する孔。救助対象は扉の向こうの先生達だけではないので、さらに奥へと進まなければならない。が、あの責任感の強い先生でなくとも10歳に満たないこどもが他の生徒を助けに地下に潜るなどと言ったら許してくれないだろう。警察と消防に任せてさっさと逃げろと言われるのがオチだ。管理局の法律ではみだりに姿を変えるのは許されていないが、この際やむを得ない。

 

「今救助しますっ! 扉から離れてくださいっ!」

 

 扉の向こうにいる先生と警部達に向かって叫ぶと同時、剣を振り下ろす。孔の力と魔剣の切れ味は、厚さ20cmを超える対爆ドアを容易に切り裂いた。

 

「っ卯月?!」「っ!?」

 

 入った瞬間、冴子の声が響いた。まさか変身を見破られたかと目を見開く孔。しかし、

 

「あ、ああ、すみません。その、生徒によく似ていたものですから……」

 

 すぐに謝られた。どうやらばれてはいないようだ。鏡で自分の姿を確認できるわけでもないので、不安なことこの上ない。

 

「いえ。それより、あなたは先生ですか? 生徒は?」

 

 その不安を悟らせないように短い演技で誤魔化しながら周囲を見渡す孔。冴子はそれに周りの生徒へ視線を向けて答える。

 

「まだ閉じ込められて時間はたっていません。負傷者もいませんから、出口くらいまでなら歩けるでしょう」

 

 それを聞いた寺沢警部は生徒たちの前に出て、落ち着いた、しかしよく通る声で言った。

 

「ハイ、良い子のみんな、注目。お巡りさんが来たから、もう安心だ! ハンカチを口に当てて、姿勢を低くして、煙を吸わないように。 地下街の入り口まで逃げるから、先生と一緒についてくるんだ。いいね?」

 

 頷く生徒。警部はそのまま教師陣に指示を出す。

 

「先生、生徒に列を作らせてください。こちらで先導しますから、後ろについて、はぐれないように」

 

「分かりました」

 

 手際よくまとめていく年配の刑事に生徒達をまとめる先生。リスティはそれを見て、ここを任せて先に進もうとする。

 

「警部、私達は取り残された生徒の救助に向かいます」

 

「ああ。気を付けろよ?」

 

 そのまま反対側の扉へと向かう孔とリスティ。が、そこへ冴子から声がかかった。

 

「待ってください。まだ、取り残された生徒が8人もいるんです。仲のいい5人と3人、固まっている筈です。3人はゲームの置いてあるレクリエーション室に、5人は掘削現場に行くのを見かけましたっ!」

 

「分かりました。必ず助け出します」

 

 それに落ち着いて答える孔。冴子からの強い視線をまっすぐに受け止めると、熱い扉を蹴り破ってさらなる地下へと向かっていった。

 

 

 † † † †

 

 

 食堂を抜け、更に地下へ。走りながら、孔はI4Uに問いかけていた。

 

「……悪魔は管制室にもいるんだったな?」

 

《Yes, My dear. 何か気になることでも?》

 

「ああ、さっきの食堂の扉。悪魔に制御されてたみたいだ」

 

「意図的に閉められたということですか?」

 

 孔のリュックに身を潜めていたリニスが疑問を呈する。孔はそれに頷いた。

 

「ああ。あれは対爆ドアだ。少なくとも、人が活動できる温度で壊れたり、誤作動を起こすことはない」

 

「成る程。扉を制御して、どこかへ誘導しようとしているわけか」

 

 そこへ、リスティも続く。

 

「卯月君、ヤツの目的は君に向こう側とやらを思い出させる事だ。狂人の妄言の可能性も大きいが、何かあったら言ってくれ。勿論、無理せずに戻って貰っても構わない」

 

「ええ。でも、俺は大丈夫ですから……」

 

 それに短く答える孔。事実、目の前の光景は確かに記憶の一部を呼び起こすものだったが、頭の中が告げようとする記憶を、炎によって呼び出される別の記憶が邪魔をして思い出すに至らなかった。

 

(須藤が俺に思い出させようとしているのは、恐らく炎の記憶。でも、俺が施設に拾われてから何度も思い出したのは廃墟の記憶だ。俺にとって大切なのは廃墟の方らしいな……)

 

 冷静になろうと考えをまとめながら、熱を放つ魔力の固まりを睨み付ける。そこへ、I4Uが声をかけてきた。

 

《My Dear, 炎なら、悪魔を倒せば消えるわよ?》

 

「? あ、ああ、そうだな」

 

 突然、当たり前の事を、しかし心を見透かしたようなタイミングで言われ戸惑う孔。I4Uはそんな孔に軽くコアを点滅させた。それは何処か不満そうでもあり、同時に嬉しそうでもあった。複雑な感情を無機質な光で示され、思わず問いかける。

 

「どうした?」

 

《何でもないわ……それより、向こうの瓦礫の奥に生体反応を感知したの。どうする?》

 

 まるで回答を避けるように返事をするI4U。その様子は多少気になったものの、生体反応を告げられると追求は中断せざるを得ない。丁度展示室に差し掛かっていたらしく、割れたショーケースや掲示板が行く手を塞いでいた。その隙間からはレクレーションルームに続く廊下が見える。そして、更にその奥には、以前月村邸で見かけた魔力の壁が見えた。

 

「またあの壁か。ということは、悪魔もあの壁の向こうに?」

 

《いいえ。悪魔の反応は無いわね。誘導が目的なら、向こうには記憶に関わるものが無いんじゃないかしら。無視して先に行くのも手よ》

 

 声をあげるリスティに冷酷に答えるI4U。が、リニスはそれに異を唱える。

 

「待ってください。先生の話だと、レクレーションルームには生徒が3名取り残されている筈です。生体反応もあったでしょう?」

 

《でも、あの壁はシェルターの扉と違い、物理的な力では破壊不能よ? 今回は下の階から炎と一緒に吹き上がった魔力によるものだから、魔力の渦もないわ》

 

「なら、私が助けに向かいますっ!」

 

 淡々と告げるI4Uに、リニスは苛立たしげな声で返す。猫の姿で飛び出すと、そのまま瓦礫と壁の隙間めがけて飛び上がろうとする。

 

「待て、リニス。一人じゃ危険だ」

 

――summon

 

「アオーンッ! ヨイ熱気ダ!」

 

 呼び出したのはオルトロス。軽く咆哮をあげると、周りの温度に体を震わせる。

 

「メリー、リニスの援護を頼む」

 

「マカセロ」

 

 犬の姿となると、そのまま魔力の壁の隙間を潜り抜け、早くこいとばかりにリニスに向かって吠え始めた。

 

「すみません、孔」

 

「いや。折井達が地下なら、この先にいるのは多分さっき見かけなかった月村さん達だろう。高町さんもいるかもしれない。十分気を付けてくれ」

 

 謝るリニスに短く声をかける孔。リニスは何処か複雑な目を見せながらも、急かすオルトロスと共に生体反応の待つ場所へと向かった。

 

 

 † † † †

 

 

 レクレーションルーム。シェルターでの避難生活が長引いた際の退屈と精神の逼迫をまぎらわすべく設計されたそこには、巨大なゲーム機が設置してあった。ゲーム機、といっても家庭用ゲーム機では勿論ない。シミュレーターという看板が掲げられたそれは、脳に直接映像と刺激を送り込み、まるでゲームの世界に入り込んだかのようにプレイすることができるVR装置だ。退屈な説明抜きに主体的感覚で楽しめるこのシミュレータールームはこども達に人気となり、炎が襲ってくるまでは長蛇の列が出来ていた。

 

「うっ……あぁ……」「……あ……」

 

 が、今この部屋にいるのは装置に取り残された少女2人――すずかとアリサを残すだけとなっている。熱さに大粒の汗を浮かべ、呻き声をあげながら、2人は今、ゲームの世界にいた。

 

 

 

「よく出来てるわね。待っただけあるわ」

 

 数分前、すずかはアリサと共にこのシミュレーターを起動させていた。アリサの言葉通り、本当にリアルなダンジョンが広がっている。

 

(なんか、前やったゲームみたい……)

 

 同時にかつて悪魔によって閉じ込められたゲームを思い出し、強い不安を抱くすずか。

 

(あの時、私の幻想は壊されたんだ……もう、壊される幻想なんてないけど)

 

 温泉でアリサの本心を見せつけられてから、すずかは一種の諦めのような感情を持っていた。この感情を持つのは2回目だ。かつてカツミとメイが与えてくれた、人に受け入れられるかもしれないという希望が崩れ去った時と同種のもの。あの時はゾウイもいたし、ファリンという家族も増えた。だが今は、自分を支えてくれる存在はいない。立ちすくむすずか。こちらの気持ちを知ってか知らずか、先にたって歩くアリサは振り向いて疑問の声をあげる。

 

「どうしたの、すずか?」

 

「う、ううん。何でもないよ。早くやろう?」

 

 すずかは誤魔化すように言うと、アリサを追い越して目の前の扉を開く。本来はアリサを立てるところだが、この不気味な空間を一刻も早く抜け出したかった。

 

「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 慌てて追いかけてくるアリサ。そこまで強い非難の口調はない。ゲームを前に、いたっていつも通りの友人だ。それが前の一件から暗くなりがちな自分を慰めようとしているのか、ただ単にゲームを楽しんでいるだけなのか、すずかには判断がつかなかった。

 

「なになに……ここの装備はご自由にお使いください」

 

 アリサは追いついて隣に並ぶと、壁の張り紙を読み上げる。その途端、ひとりでに部屋の奥の蝋燭に火が灯った。部屋の奥が照らし出され、ずらりと並ぶアイテムが浮かび上がる。

 

「ふーん、雰囲気出てるじゃない」

 

「……う、うん。そうだね」

 

 必ずご利用くださいと注意書がある片目だけ覆う眼鏡型のモニターを着け、喋りながら武器と防具を物色するアリサ。すずかもそれに習う。防具は何故か固い生地のブルゾンとズボンしか無かったが、武器の方は銃や剣に加え、振れば炎や氷の弾がでる魔法の杖まで様々だ。

 

「……攻略するならこういうのも方がいいのかな?」

 

「う~ん、アイテムがいっぱいあるからいいんじゃない?」

 

 投げれば氷となる石――ブフーラストーンを一緒に置いてあった道具袋に放り込むアリサ。すずかも手当たり次第に道具を突っ込む。回復用の傷薬に宝玉、聖酒菊娘に蜂蜜ケーキ。効用はよく分からないが、詰め込めるだけ詰め込んだ。

 

「あ、入んなくなった」

 

「なんかメガネに文字が浮かんできたわ……傷薬の所持上限は99? さすがゲームね」

 

 どうやら必着のモニターはプレイヤーへの補助をしてくれるらしい。道具袋への入れすぎを警告された。といっても、所持限界に達していない他の道具は入るのだから、変な所で現実性に欠けている。

 

「ま、まあ、きっとゲームバランスを考えてるんだよ」

 

「こんだけ入ればバランスも何もないと思うけど」

 

 しっかりと突っ込みながら、次の扉を開く。ひんやりとした空気が肌を撫でて、緊張感を与えてくれた。同時にメガネに文字が浮かび上がる。

 

《Caution! Please get set DBW!》

 

「英語? えっと……」

 

「もうすぐ敵が出てくるから、DBW、たぶん武器を用意しろってことね」

 

 先程調達した銃を取り出すアリサ。確かに、そこにはDBWと刻印されている。

 

「DBWって?」

 

「さあ? 最後のWは Weapon だと思うけど?」

 

 雰囲気に乗ってきたのか、話しながら進む2人。コントローラーで操作するのと違い、未知の世界を自分の体で歩くというのは、ゲームというよりもまるで遊園地のアトラクションに近い感覚を与えてくれた。

 

(あの時も、始めはこんな感じだったかな……?)

 

 が、すずかの方は決して純粋に楽しめるという訳ではない。時折、闇へと続くダンジョンが吸血鬼のゲームと重なり、憂鬱な気分になる。しかし、それに浸る間もなく、前方に影が見えた。

 

「あ、なんかいるわ」

 

 アリサがうねうねと動く奇妙なゼリー状の物体に声をあげる。モニターにはモンスターの名前が表示されていた。

 

「えっと……ブロブ? ど、どうしよう……?」

 

「遠慮せずやっつければいいのよ。その為の武器なんだし」

 

 そう言うと、持っていた銃の引き金をひくアリサ。しかし、ブロブは体を変型させて穴を作り、弾丸をかわした。

 

《Miss!》

 

「ウィイ……オ前、バカガギギ……」

 

 モニターに浮かび上がる文字と共に、モンスターが声を出す。歪んだノイズのような意味不明な声だったが、バカという文句だけはやけにはっきりと聞き取れた。

 

「な、なんですってぇ!」

 

 アリサはムキになってトリガーを引きまくる。が、一向に弾丸が出てくる気配がない。よく見るとメガネには新たな文字が表示されている。

 

《Error! Now Enemy Turn.》

 

「ふ、ふ、ふ、ふざけんじゃないわよ!」

 

 叫び声をあげるアリサ。普通のゲームで画面越しなら作り手のお遊びで済まされる言動も、目の前で現実にやられるとストレスが貯まることおびただしい。

 

「て言うか、すずかの番じゃないのっ!?」

 

《Error! Press turn battle.》

 

 アリサの叫びにヘルプが表示される。それによると、このゲームではプレスターンバトルを採用しており、ミスしたりブロックされたりすると行動回数が2回消費されるらしい。

 

「えっと、2人組のパーティーの場合、行動回数は2回なので、全て消費されたことになります……」

 

「聞いてないんだけどっ!」

 

 すずかがヘルプを読み上げるのを聞いて叫ぶアリサ。だが、文句を続ける間もなくブロブが襲いかかってきた。体を上に伸ばしたかと思うと、すずかに向かって倒れ込む。

 

「ウィィイイ……」

 

「すずかっ!」

 

 慌てて回り込もうとするアリサ。が、上半身に比して足は地面に固定されたまま動かない。必然的に前につんのめるようにこけた。同時に浮かび上がる文字。

 

《Error! Need Skill : "かばう"》

 

「ふ、ふざけんなー!」

 

 叫ぶアリサ。これもゲームバランスなのだろうか。普段なら簡単に取れる行動もゲーム内では制限されるようだ。すずかはそれを取り敢えずアリサは安全なようだと半ば安心して見ていた。それだけブロブの動きは緩慢なものだったのだ。

 

(……えっと、避けるときは……)

 

 メガネにあるボタンをいじってヘルプを表示させる。敵の攻撃は後ろに飛べば確率で避けることが出来るとあった。すずかは距離をとるようにバックステップ。が、避けきれず片足の靴が巻き込まれてしまった。

 

「すずか、大丈夫?!」

 

「う、うん。痛くはない。かな?」

 

 駆け寄ってくるアリサに言う。結構な質量が乗ったように感じたが、ゲームだけあって肉体的な痛みは全くない。代わりにメガネの端に表示されている数値が減っている。

 

《残念。避けきれなかった。8のダメージ(笑)》

 

 遅れて告げるメガネの文字。なぜか日本語で表示され、しかも煽り文句付きだ。これを作った人間は人をイラつかせる天才だろう。証拠にアリサは怒りで声を震わせてぶつぶつと呟き始めた。

 

「つ、次はわ、私が撃っていいのよね!? いいのよね!?」

 

《早くしろよ、この バ☆カ♪》

 

「コ、コイツ殺ス!」

 

 赤字ででかでかと表示される文字に向かって物騒な叫び声をあげ、再び拳銃を取り出す。すずかは慌ててそれを止めた。

 

「ま、待ってアリサちゃん。また避けられるよ?」

 

「止めないですずか!」

 

「お、落ち着いてっ!」

 

 が、冷静さを失ったアリサには届かない。そうこうしているうちについに引き金が引かれた。

 

「あれ?」

 

 が、弾丸は出ない。続いてモニターに表示される文字。

 

《時間切れwww 次に回すが選択されましたwww》

 

「きぃぃいいいい!」

 

 持って行きようのない怒りに絶叫をあげるアリサ。すずかはマニュアルを見ながら納得していた。

 

「えっと、手をタッチすると次のプレイヤーに行動を回すことができます。プレイヤーの特性に応じご利用ください。なお、30秒以上経過した場合は自動的に次に回すが選択されたと見なされます……」

 

「Fuuuuuuu×K!」

 

 すずかの解説におよそ乙女とはかけ離れた俗語が響く。もっとも、それに対するフォローは無い。何せすずかも30秒以内に行動を決めなければならないのだ。

 

(銃や剣は効果が薄そうだから、魔法が必要……さっきのアイテムを使えばいいか。使い方は……)

 

 淡々とヘルプを参照しながら道具袋に手を突っ込む。

 

「ブフーラストーン、出して」

 

《ほらよ》

 

 投げやりな声と共に乱暴に魔法石が放り出される。アリサの道具袋に入っている筈の石をすずかも取り出せるのは仕様のようだ。そんな細かいことはどうでもいいとばかりにすずかは石を放り投げた。すぐに氷柱が立ち上がり、モンスターを氷漬けにする。

 

《Weak!! Damage 145》

 

「ウィィァァ……」

 

 モニターの文字とともに悲しげな声を残して消滅するブロブ。どうやら倒すことはできたようだ。

 

「ふん、ざまあ見なさい」

 

《オマエは何もしてないケドナー》

 

「何ですってぇ?」

 

 隣でメガネと格闘するアリサを横目に、すずかは戦闘結果を確認していた。メガネに文字が浮かび上がる。

 

《Result: Exp 10 / マッカ 5 / アイテム get:魔石》

 

 日本語と英語の表記が混じっているのは仕様なのか、それとも開発中のためか。どちらにせよ、アイテムや装備をはじめに詰め込みまくったせいで魔石はもう持てないし、このゲームの通貨であるマッカも使い道がありそうにない。経験値も雀の涙だ。

 

(まあ、アリサちゃんも楽しめたみたいだし、いっか……)

 

 ゲームそっちのけでメガネに食ってかかるアリサを見ながら思う。同時に、まるでどこか遠くの風景を見ているような感覚に襲われた。一緒に遊んでいても距離を感じてしまうのは、自分が人間と違う吸血鬼だと意識しているせいだろうか。それを振り払うように声をかける。

 

「あ、あの、アリサちゃん、その辺で……」

 

「えっ! ああ、そうね、こんなのに構ってる暇なんてないわねっ!」

 

《負け惜しみかこの B☆A♪ K☆A♪》

 

「っ! この××××IN GRASSES!」

 

「ア、アリサちゃぁん……」

 

《怒られたな》

 

「っく……覚えてなさいよっ!」

 

 再び口汚く叫ぶアリサに呆れたような声を出しながら、すずかはいつものやり取りに交ざりはじめる。

 

(大丈夫。なにも変わってない)

 

 目の前の光景も、胸の痛みも、何も変わらない。すずかはそう自分に言い聞かせ、アリサの手を引いて灰色の坑道を模したダンジョンを歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ボスまでもうちょっとだよ?」

 

「ふん。意外に大したこと無かったわね」

 

 仮想的に作り出されたダンジョンに2人の声が響く。コツを掴んだのか、2人は順調に攻略を進めていた。

 

《Caution! エンカウントゲージが red zone!》

 

 たまに英語混じりの警告が流れても、落ち着いて対処する。難易度を低く設定したせいか、現れる敵は必ず一体。すずかがアイテム・万里の望遠鏡を使って敵の弱点を分析し、アリサが魔法石で殲滅する。骸骨を模したモンスター、スケルトンが悲しそうな声と共に、灰となって消えていった。

 

《なんかone pattern だなァ》

 

「うっさいわねっ! RPGなんてこんなもんなのよ!」

 

「あ、あはは……」

 

 眼鏡と戯れるアリサも相変わらずだ。もっとも、すずかとしては横で賑やかにわめいてくれるのは有り難くはあった。同じ作業といっても、普通にコントローラーを操作するより時間がかかるせいで、戦闘が飽きやすいものになっている。他に楽しめる要素が必要だったし、何より時々襲ってくる憂鬱を紛らわすのにちょうどよかった。

 

《そこの扉開けたらボスだ。覚悟しろよドーミネーター》

 

「何よ、ボスくらいで。っていうか、ドーミネーターって何よ?」

 

 文字にいちいち反応しながら扉を開けるアリサ。その途端、高熱の風が襲いかかった。

 

《ボスだ。ボス、ボス黙_ゃボスボボスボスBossssbbbbbbooosssSSSSSSSSS!!!!!!》

 

 同時、まるで一昔前のゲームがバグをおこし、壊れた時のように狂った字が視界を覆いつくす。怖くなってメガネを外すと、巨大な竜が見えた。

 

――ファイアブレス

 

 勢いよく吹き出される炎。慌てて後ろへ飛んで避けようとするが、その火は消えることなく飛んでくる。どうやら回避は失敗と見なされたようだ。痛みはないと分かっていても、その迫力に目を瞑る。

 

 同時に、高温が肌を焼いた。

 

「あぁぁああああっ!?」

 

 感じるはずのない激痛で床を転げ回るすずか。飛んできた炎自体は当たると同時に霧散したものの、皮膚は焼けただれ、血が滲んでいる。生皮を剥がれたような激痛に、起き上がることができない。

 

「すずか……」

 

「ア、アリサちゃん……」

 

 聞こえて来たアリサの声と共に視界に入った足へ反射的に手を伸ばす。が、這いつくばった自分に浴びせられたのは冷たい声だった。

 

「触んないでくれない?」

 

「え?」

 

 彼女は今何と言ったのか。聞きたくない言葉を聞き返すと同時に、鋭い音が響いた。

 

 銃声。

 

 それを銃声と理解するのにどのくらいかかっただろうか。アリサの握る銃からはうっすらと硝煙が、伸ばした自分の手からは赤い血が流れている。

 

 なんで? どうして?

 

 つい先程までのアリサとの変わりように、痛みも忘れて顔をあげる。

 

「アンタ、化け物なんでしょ?」

 

「っ!?」

 

「気付かないと思ったの? さっきから化け物の弱点を教えてくるアンタ、アイツみたいだったわよ?」

 

「……ぁ……」

 

「まあ、いつかこんな風にゲームに閉じ込められた時から、そんな気がしてたのよね」

 

 目を見開くすずか。まるでいたぶるようにアリサは続ける。

 

「ねえ、なんでアンタ、私と友達のふりしてんの? 自分が化け物だって、分かってたんでしょ?」

 

 その問いかけに、すずかは何も言えない。ただ、恐怖だけが膨らんでいく。

 

「なんで騙してたの? ホントに友達なんだったら、言えたはずでしょ? 自分が鮫島を殺したのと同じ化け物だって」

 

 その拒絶は、恐れていたものと何ら変わりなく。ゴミでも見るような目で見下しながら。

 

「やっぱアンタ、アイツと同じで、いない方がいい化け物だわ」

 

 額に突きつけられた銃は、

 

「死ねよ、化け物」

 

 容赦なく火を吹いた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

外道 ブロブ
 近代SF・ファンタジー作品にみられる不定形の怪物、スライムの一種。真っ赤な液体状の怪物の姿で描かれる。食欲のみを本能として持ち、初めは50cmほどだったが、消化液で何でも捕食・吸収し、次第に巨大化していく。弾丸や剣の効果はうすいものの、冷気により体の流性を失わせれば一時的に生命活動を止めることが出来るという。なお、元ネタは某低予算B級ハリウッド映画である。

擬魔 アンデット
 世界各地の伝説・伝承にみられる、かつて肉体をもっていたものがそれを失ってもいまだ活動するものの総称。一般に知能を持たず、幽霊やゾンビなどの形態をとることが多い。本作ではスケルトンとして骸骨の姿で登場。

擬魔 ファイアドラゴン
 世界各地の伝承にみられる竜の一種。竜は自然現象等の象徴として崇められた蛇が神格化されたものが多いが、このファイアドラゴンは近代ファンタジー作品等に取り込まれた際に火炎にかかわる部分を特に強く描写されたもの。

――元ネタ全書―――――
シミュレーター
 偽典・女神転生より、バーチャルトレーナー。なお、原作では種族が「悪魔」となっていますが、本作の悪魔全書では「擬魔」としています。

ドーミネーター
 真・女神転生2。いわゆるドミ版より。内容の詳細は省きますが、あまりのバグの多さに発売当時「呪われているのでは?」と話題になったのはいい思い出。今作でも呪いのゲームとしてクロス要素に採用しています。

――――――――――――


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第15話c 地下2500mの記憶《参》

――――――――――――

《ボスだ。ボス、ボス黙_ゃボスボボスボスBossssbbbbbbooosssSSSSSSSSS!!!!!!》
「ちょ、ちょっと、どうしたのよっ!?」

 急にメガネが変になった。さっきからコイツはバカだったけど、本当にバカになられるとこれはこれで不安。でも、すずかの悲鳴ですぐにどうでもよくなった。何かと思って見てみると、ボスのドラゴンがすずかに襲いかかってる。確かにすごい迫力だけど、すずかの反応はちょっと大げさじゃない? そう思って見ていたけど、

 ドラゴンの足はすずかを本当に踏みつぶした。

「う、そ……」

 信じられなかった。今まで、攻撃を受けても服も破れなかったし、痛くも熱くも冷たくもなかった。なのに、目の前には踏みつぶされたすずかの頭と爪で引きちぎられた腕と脚が転がっていた。

 それは、まるであの時の鮫島みたいで、

「うわぁぁぁあああ!」

 頭の中が真っ白になった。

――――――――――――アリサ/バーチャルトレーナー



「うぁああああ!」

 

「すずかっ! すずか、大丈夫っ!?」

 

 アリサに撃たれたと感じると同時に、すずかの景色は切り替わった。じっとりと汗をかいた肌に、異常な高温が振りかかる。息苦しさと肌を焦がす熱が生命の危機を伝えた。だが、周囲の環境よりも、すずかは自分を覗きこむアリサに恐怖を抱く。

 

「っ!? いやっ!」

 

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、すずかっ!?」

 

 思わず伸ばされた手を払いのけるすずか。が、目の前のアリサは戸惑ったような声を出す。いつもと変わらない反応に、すずかは混乱した。先程、化け物として自分を拒絶したアリサはもうそこにはいない。しかし、

 

――死ねよ、化け物

 

 そう告げた声――間違いなくアリサの声は未だ脳裏に響いていた。自分の体が震えているのが分かる。心配そうに近づいてくるアリサに恐怖が膨れ上がり、

 

「にゃあ」

 

 腹部に乗る重みに気付いた。目を向けると、美しい灰色の毛並みの猫がこちらを見上げている。孔の偽者に教われた時に助けてくれた猫だ。ヤマネコだろうか。普通の猫より少し大型のその猫は、胸元までよじ登ると、いつの間にか流していた涙を舐めとってくれた。

 

(ゾウイみたい……)

 

 かつて自分を支えてくれた家族を思いだし、思わず抱き締めるようとするすずか。が、その猫は鳴き声をあげると、前足ですずかの頭についているヘッドギアを叩き落とした。

 

「あ……」

 

 我にかえるすずか。ひび割れた目の前のモニターには、GAME OVERの文字を塗り潰すようにプログラムの一部らしき文字列が並んでいる。

 

「なんだかよくわからないけど、火事でゲームが壊れちゃったみたいね。すずかがドラゴンに踏み潰された時はどうしようかと思ったわ」

 

 すずかを落ち着かせるように話すアリサ。どうやら先程拒絶されたのは暴走したゲームが見せた悪夢だったようだ。もっとも、その結論にすぐ納得できる訳ではない。アリサを見ると恐怖をはっきりと感じる。立ち上がろうとすると吐き気がした。

 

「なあ」

 

 それを心配するように鳴く灰色の猫。すずかは今度こそその猫を抱き上げ、シミュレーターから立ち上がり、熱を帯びた床に下りる。

 

「すずか、平気?」

 

「う、うん……」

 

 本当は平気では無かった。感じた熱気にここで焼死してもいいとさえ思った。だが、腕の中の猫を見るとそんな気は吹き飛んだ。偶然かもしれないが、2度に渡って救われている。何より、ゾウイと重なった。この子まで一緒に死なせるわけにはいかない。

 

「にゃあ?」

 

「うん、大丈夫だよ? 一緒に逃げよう?」

 

 鳴き声をあげる猫にそう返すすずか。それと同時、アリサの横から吠え声が聞こえた。

 

「あ、ちょっとっ?!」

 

 見ると、小さな犬が部屋の出口へと走っていく所だった。出口の前に立つと、こっちに来いとばかりに吠え始める。

 

「あの犬……?」

 

「なんかゲームがおかしくなった時、起こしてくれたのよ。出口も向こうだし、追いかけましょ」

 

 

 † † † †

 

 

 時々先を走っては振り返っては吠える犬に導かれるように、見学の時に入ったのとは逆の出口から地下道へ。次第に周囲の温度が落ち着いていくのを感じながら、すずかはアリサと共に走っていた。

 

「はあ、はあ、あの犬、飼ったら散歩が大変そうね」

 

 横を走るアリサが息を切らしながらそんな事を漏らす。もっとも、不満を言っているわけではなく、声は弾んでいた。アリサのなかではあの犬と遊ぶ光景が広がっているのだろう。それは、少し前を走る猫を見つめるすずかも同じだ。

 

(名前、何がいいかな?)

 

 この猫と家族のように過ごす事を考えると、燃える地下にいるという危機感も、先程の拒絶された恐怖も少しは軽くなる気がした。

 

(うん、ゾウイ2世にしよう)

 

 我ながら名案と思える名前を勝手につけるすずか。人間と違って、猫は拒絶されるという心配がない。何かから逃げるように妄想を広げていると、前に人影が見えた。

 

「すずかお嬢様っ!」

 

「ノエルっ!? どうしてここに?」

 

 信頼する家族を見つけて駆け寄るすずか。ノエルはしゃがんですずかとアリサに視線を合わせると、普段と変わらない冷静な声で説明を始めた。

 

「火災が発生したと聞いて、探しに来ました。お怪我はありませんか?」

 

「うん、大丈夫だよ? この子に助けて貰ったし……」

 

 対するすずかは手を差しのべてくれるノエルに無事をアピールする。が、急に視界が揺れた。

 

「すずかっ……あれ?」

 

 駆け寄ろうとしたアリサも、力尽きたように膝をつく。ノエルに抱き止められながら、すずかは体が鉛のように重いのに気付いた。

 

「……大丈夫。過労です。安全な所までお連れしますので、もう少し我慢してください」

 

 ノエルの声が何処か遠くに聞こえる。その声に恐怖と焦燥で忘れていた疲労が襲ってきたのだと理解しながら、すずかは重い瞼を閉じた。視界のすみに、新しく家族となってくれるであろう猫を捉えながら。

 

 

 † † † †

 

 

(うまく脱出できたみたいですね)

 

(フン。貴重ナまぐねたいとヲ渡シタノダカラ当然ダ)

 

 言うまでもなく、すずかとアリサを助けたのはリニスとオルトロスだ。孔の頼みでレクレーションルームに向かったはいいが、そこにいたのはゲームに繋がれたままの2人。繋がれたと表現した通り、すずかとアリサはシミュレーターへコードが伸びるヘッドギアのようなものを被せられ、何かの術式を脳に直接送り込まれていたのだ。

 

「ヌゥ。コノ機械、人間ノまぐねたいとヲ吸ッテイルゾッ!」

 

「マグネタイトを? どうして……」

 

「ナゼカハ分カラヌ。ガ、コノママデハ魂ハ消エテシマウナ」

 

 咆哮をあげると、メリーの姿のままアリサの頭付近へと飛び上がるオルトロス。そのままヘッドギアを前足で外すと、顔を舐めながら吠え始めた。が、なかなかアリサは目を覚まさない。

 

「エエイ! 起キロ! まやハモット簡単ニ目ヲ覚マシタゾ!」

 

 短気なオルトロスはそれにイライラしたのか、面倒を見ている少女の名をあげる。どうやら2人を重ねているようだ。

 

(そういえば、マヤさんもまだ入院中でしたね……)

 

 メリーが時々散歩だと言いながら病院へ会いに行っているのを知っているリニスは、オルトロスにアリサを任せてすずかの方を起こし始めた。が、どれだけ鳴き声を上げても反応してくれない。ふとモニターを見上げると、そこにはプログラムコードのようなものが見えた。

 

「マグネタイト収集プログラム、試作型ナイトメア・システム……?」

 

 思わず口に出して読み上げる。デバイスに組み込まれているのと同種の術式で書かれているそれは、どうやら一種の幻覚魔法のようだ。この手の夢を見せる魔法は決して珍しいものではなく、精神療法で利用される他、人間に寄生するタイプのロストロギアが所持していることがある。

 

「強い意思があれば脱出できるはずですが……壊した方が手っ取り早いですねっ!」

 

 首輪に仕込んだデバイスを発動させ、解析を始めるリニス。が、すぐに驚愕の表情を浮かべた。

 

(該当するデータがある……?!)

 

 その術式は、つい先日月村邸を包み込んだ悪魔の結界に酷似していたのだ。消えかかる結界の断片を解析したに過ぎないので、部分的に偶然一致しているという可能性もなくはなかったが、それにしても似すぎている。

 

(……いや、考えるのは後ですね。今は魔法を止めないと)

 

 後ろで呻き声をあげるすずかを思い出し、術式を破壊する魔法を構築するリニス。一部とはいえ解析済みの術式だけに、その作業は早かった。浮かんだ魔法陣は光の線を作り出し、

 

《Imagine Breaker Fake》

 

 悪夢を見せてマグネタイトを奪う恐るべき装置へ突き刺さった。孔のレアスキルをまねて名付けたその魔法は、解析した術式をキャンセルするものだ。一度解析さえしてしまえば、同じ魔法なら効果を止めることが出来る。それは紛うことなく効果を発揮し、人の潜在意識へ入り込むプログラムを停止させた。

 

「う、ん……」

 

 先に目を覚ましたのはアリサ。オルトロスは咆哮をあげる。どこか嬉しそうなのは、嘗ての飼い主と同じ轍を踏まずに済んだせいだろうか。だが、すぐにまた目を閉じてしまう。

 

「ヌウ。まぐねたいとヲ吸ワレスギタヨウダナ」

 

「っ! 仕方ありません。このまま運び出しましょう」

 

「マア、待テ。まぐねたいとヲ分ケ与エレバヨイ」

 

「そんなことが可能なんですか?」

 

「モトモト我ラハ主カラ受ケ取ッテイルノダゾ。流レノムキヲ変エレバ良イダケノ話ダ」

 

 そう言ってオルトロスは魔法陣を展開、アリサとすずかに魔力のパスのようなものをつなげる。

 

(使い魔が主から魔力の供給を受けるのに似ていますね)

 

 もっとも、使い魔の魔力供給とは違い、オルトロスが展開した術式はマグネタイトを一時的に分け与えるだけで、絶え間なく供給し続けるという訳ではない。例えるなら、電源にケーブルでつなぐのと、バッテリーを対象に組み入れるとの違いだろうか。

 

「フム。コレデシバラクハ動ケルダロウ」

 

 その言葉通り、目を覚ますアリサ。すずかもほどなくして目を覚ました。

 そして今、家族に迎えられた途端マグネタイトが尽きて、疲労で眠り込んでしまったのだろう。

 

(とりあえず、マグネタイトが持って一安心ですね。メリー、ありがとうございました)

 

(フン。ハヤク主へ伝エロ)

 

 悪魔でありながら自主的にマグネタイトを分け与えたオルトロスに礼を言うと、照れているのかそっぽを向かれてしまった。それに苦笑しながら、リニスは念話を繋ぐ。

 

(コウ、聞こえますか?)

 

(ああ。よく聞こえる)

 

(良かった。無事だったんですね? 先程、すずかちゃんとアリサちゃんを見送りました。なのはちゃんはいなかったようですが……)

 

(そうか。こっちもアリシア達と合流して外だ。ただ、途中で悪魔と交戦してな。撃破はしたが、どうにもまだ気配が消えないんだ。すまないが、合流を頼めるか?)

 

(っ! 分かりました。すぐにそちらに向かいますね?)

 

 手早く方針を固めると、リニスはオルトロスと共に野次馬に紛れ移転すべく外へ向かおうとする。が、後ろを振り返る直前にノエルと目が合った。手招きするノエル。リニスは少し躊躇ったが、

 

(早ク行クゾ)

 

 オルトロスに急かされ、すずか達には背を向けて立ち去る事にした。少し冷たいようだが、今は孔達の事が気になる。

 

(孔は須藤とも交戦したはず。それも、失った記憶を抱えた状態で……かなり無理をしていてもおかしくないのに……)

 

 どこか機械的な調子だった孔の念話を思い出す。それに責めるような言葉を口にしてしまった自分を悔やみながら、リニスは合流ポイントへと急ごうとし、

 

 孔からの魔力が急激に失われていくのを感じた。

 

 

 † † † †

 

 

 時はさかのぼり、リニスがすずか達を助け出した頃。孔はリスティと共に地下へと走っていた。

 

「地下9階の管制室、か。そこからシェルターを操作されるとまずいな」

 

 リスティの言葉に頷く孔。今は掘削現場の隔壁が閉じているからいいものの、そこを開けられると修やアリシアまで炎にさらされる事となる。次第に増していく熱に焦れながら、地下9階へ。孔は管制室の前に立つと、剣を構えた。

 

《My Dear, 壊す必要はないわ。扉は空いてるわよ?》

 

 が、それをI4Uに止められる。冷静に考えれば、誘導されたのなら扉は動いて当然だ。自分の心理状態に苦笑しながら例をいう。

 

「悪いな、I4U」

 

《いいえ。それより、小さいけど悪魔の反応は健在よ。気をつけてね?》

 

 I4Uの報告を聞いて、リスティに目を向ける孔。無言で頷くのを確認し、扉を開ける。

 

「……? 誰もいない?」

 

 しかし、入った管制室はもぬけの殻だった。巨大なモニターに数々のボタンやパネルがついたメインコンピューターがただ低い稼働音を響かせている。独特の静寂を保つ部屋に、リスティの声がこだました。

 

「静かすぎるな。それにこの部屋、随分温度が低いみたいだ」

 

 その言葉通り、管制室は炎の影響を受けていないかのごとく、快適な室温が保たれていた。孔はその不自然さの原因を掴むべく、デバイスに指示を出す。

 

「I4U、サーチを」

 

《Yes, My Dear. Area Search Program Load》

 

 部屋をスキャンするように広がっていく光の輪。数秒とせず、I4Uは結果を導きだした。

 

《悪魔はメインコンピューターの中ね。直接機械に入り込んで、シェルターの機能を邪魔してるわ》

 

「ここまで誘導された理由はそれか……でも、どうするんだ? まだ折井君達がいる以上、破壊するのは難しいだろう?」

 

 I4Uの答えを聞いて、懸念の声をあげるリスティ。孔はそれに答えるようにI4Uを構える。

 

「此方から魔力を通せば引き離す事ができる筈です。I4U、DASを」

 

《Yes, My Dear. Devil Analyze System, Execute.》

 

 スティーヴン博士から受け取った、悪魔の位置を特定するプログラムを管制室のメインコンピューターへ流し込む。通常の処理にないそのプログラムは、なんの抵抗もなくプロセッサに受け入れられた。あまりにすんなり術式が通った事に怪訝な表情を浮かべる孔に、リスティが問いかける。

 

「行けそうかい?」

 

「はい。でも、上手く行きすぎているような……?」

 

《問題ないわ。悪魔がプロテクトを破ってから、放置されているのよ。アクセスし放題ね》

 

 如何に魔法世界の方が技術的に優れているとはいえ、デバイスで最新鋭のセキュリティを誇るシェルターの制御システムをハッキングできるかは不安な所だったが、杞憂に終わったようだ。その原因が悪魔というのも皮肉な話だが、とにかくもI4Uは結論を告げる。

 

《メールサーバーのファイルに悪魔を確認。どうやら外部から添付ファイルに悪魔を仕込んで送り込んだみたいね》

 

「悪魔もサイバーテロに使われる時代、か。感心していいんだか悪いんだか……」

 

 呆れたような声を出すリスティ。それを横に、孔はI4Uの操作を続けた。

 

「こっちに引きずり出します。気をつけて下さい」

 

 メインシステムに紛れ込んだNightMare.binというファイルをターゲットに実体化プログラムをかける孔。そのプログラムは目標を強制的に現界させ、同時にPCから悪魔を追い出す。たちまち画面が光り始め、

 

「イタタ……。これからだったのに、ニンゲンは酷いよー!」

 

 出てきたのは小さな男の子のような悪魔だ。I4Uにはナイトメアと表示されている。孔は騒ぎ始める悪魔に、

 

《COMP System Road, DDC program》

 

「これから、何をするつもりだったんだ?」

 

 交渉プログラムを実行した。ファイルを解析したとき、召喚者との契約が切れかかっているのに気がついたのだ。上手くすれば、情報を引き出す事ができるかもしれない。が、やはり契約に縛られているのか、ナイトメアは口ごもった。

 

「ええっと……その……」

 

「盟約はもう切れかかっているだろう?」

 

「ま、まだ切れた訳じゃないよっ!」

 

「でも、それだけ存在が希薄になっているということは、なにかしら禁止されているルールを破ったんだろう?」

 

「そっちが呼び出したんじゃないかっ! 誰かに見つかったらアウトなのにっ!」

 

 怒り始める悪魔。孔はそれを宥めるように続ける。

 

「それは悪かったな。だが、外の火災で緊急のシステムも動いている。システムダウンと一緒に消えたくはないだろう?」

 

「むぅ……」

 

「消えやすいデータで送ったということは、始めから契約を破棄するのが前提だった筈だ。もう十分、義理は果たしただろう?」

 

「ぅう……」

 

 事実を突きつけられれて困ったような表情を浮かべるナイトメア。孔は最後の一押しとばかりに切り出す。

 

「俺と契約しないか? 消滅せずにすむぞ?」

 

「むー。じゃあ、50円、頂戴?」

 

(50円……?)

 

(悪魔の要求ね。契約の代償のようなものよ。本来なら血や寿命だったりするけど、DDCでお金や物に変換されているわ)

 

 戸惑う孔にI4Uが軽く解説する。確かに、悪魔を呼び出す儀式で生け贄を捧げたりする話は聞いたことがある。それを50円で済ますシステムを作ったスティーヴン博士は確かに天才だろう。冗談のような金額のせいで「天才」という言葉も皮肉のように聞こえるのが悲しいところだ。孔は頭を押さえながら50円玉を手渡す。ナイトメアはそれを大事そうに受け取りながら、要求を続けた。

 

「う~ん、もう10円」

 

「あ、ああ。そのくらいなら……」

 

「あと、マグネタイトも欲しいなぁ?」

 

「これでいいか?」

 

 軽くパスを繋いでマグネタイトを渡す。温泉旅館で倒したヘルハウンドから得たマグネタイトの10分の1にも満たない量を吸いとると、ナイトメアは満足したかの様に頷いた。

 

「うん。じゃあ、契約するよ」

 

「交渉成立だな」

 

《DDS program load》

 

 術式を起動させるI4U。いつかケルベロスと契約を結んだ時と同じ魔方陣が浮かぶ。

 

「ボクは、夜魔 ナイトメア! 今後とも、ヨ ロ シ ク!」

 

《Completed》

 

 完了を告げるI4U。消え去った悪魔に、横で見ていたリスティが呆れたような声をだす。

 

「こ、これでお祓いが出来るとは……那美が見たら卒倒しそうだな」

 

「まあ、お祓いではなく、使役契約に近いですけどね」

 

 真面目な地方公務員には、簡素化され過ぎた儀式は漫才にしか見えなかったのだろう。孔自身、自分の行為に疑問を感じた程だ。

 

「それで、何か情報は手に入ったのか?」

 

「いや。まだ契約を結んだだけですから、呼び出して聞かないと」

 

 そう言って、契約がすんだばかりのナイトメアを召喚する孔。光と共に出てきた悪魔は見た目通りの無邪気な笑顔で問いかける。

 

「あ、もう出番?」

 

「ああ、早速聞きたいことがあってな」

 

 孔は質問を始めた。このシェルターに送り込んだのは誰か。システムに忍び込んで何をしていたのか――。

 

「メールに組み込んだのは氷川って人だよ。ここのシミュレーターに忍び込んで夢を見せろって。で、ゲーム始めた女の子2人と遊んでたんだけど、途中でシミュレーターのプログラムに弾かれちゃって。こっちに戻ってきたらマスターに呼び出されたんだ」

 

 顔を見合わせる孔とリスティ。女の子二人というのは逃げ遅れたアリサとすずかだろう。リスティはまずそれに反応する。

 

「その2人は無事なのか?」

 

「う~ん? 多分。悪夢を見せる前にボクは切り離されたし、シミュレーターもすぐ壊されちゃったみたいだから……」

 

(リニスとメリーだな)

 

 どうやらリニスの方は救出に成功したらしい。そうなると、気になるのは今まさにトールマンと会合を行っているであろう氷川がそれに一枚噛んでいたということだが、

 

「氷川の目的は分からないのか?」

 

「うん。シミュレーターにかかったこどもを夢に引きずり込めって言われただけだから」

 

 ナイトメアはなにも知らないようだった。本当に切り捨てるつもりだったのだろう。孔は溜め息をついた。

 

「じゃあ、この炎について何か知らないか?」

 

「ああ、一緒に送られた悪魔がやったんだと思うよ? ソイツは確か、外に出て火をつけるように命令されてたから。契約者は氷川じゃないみたいだけど」

 

「その契約者の名前は?」

 

「えっと……確か、スドウ。スドウタツヤだったと思うよ?」

 

 目を見開く孔とリスティ。しかし、ナイトメアが語った聞き覚えのある名に反応する間もなく、メインコンピューターが警告の音声を発した。

 

――Warning! 悪魔の侵入を感知。避難経路を解放し、危険区域は閉鎖します。

 

「何っ!?」

 

「こ、こんなのボク知らないよっ!?」

 

 驚いて顔をあげるリスティとナイトメア。そこへ、冷静にI4Uが説明を始めた。

 

《システムトラップね。セキュリティが外された上からハッキングをかけると時間差で作動するようになってたのよ。やられたわ》

 

 警告する音声の通り、モニターには閉じていく隔壁と、一部避難経路へと続く隔壁が開く画像が映し出されていた。

 

「開いたのは……掘削現場の資材搬入口かっ!」

 

 孔はその画像に舌打ちすると、シェルターの更に地下へと走り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ええい、あの女神の肉があれば、腐れ天使の守護がないこんな扉など簡単に焼き切れたものを……」

 

 建築中の居住エリア。シェルターでも最深部に建造中のその設備の前で、巨大なトカゲにまたがった悪魔が一人悪態をついていた。対爆ドアに苛立たしげに手に持った杖の炎を叩きつけている。だが、掘削現場へと続くその扉はびくともしない。

 

「ふん。この上メシアまで来るとはなっ!」

 

 自棄気味に叫びながら後ろを振り向く悪魔。その表情は感情のままに歪んでいた。

 

――アギラオ

 

 同時に放たれた炎は別の扉を直撃。同じ区画の廊下へと続く対爆処理がなされていないそのドアは容易く吹き飛んだ。

 

(っ!? 気付かれたっ!)

 

 そう思うと同時、孔は爆風に逆らって飛び出し、剣を抜いて斬りかかる。

 

「天使もいないのにご苦労な事だっ!」

 

 杖の炎を魔力で剣に変化させて受け止める悪魔。実体の無い炎で形作られている筈の刀身は強い魔力で硬度を与えられているのか、鉄棒でも殴った様な固い手ごたえがあった。その燃える刃越しに、孔は目の前の悪魔へ声をあげる。

 

「須藤も同じ事を言っていた……天使とは何だっ!」

 

「はっ! 教えると思うかっ!」

 

 それに怒号と炎で答える悪魔。しかし、炎が勢いを増す寸前、孔は後ろに飛び下がった。同時に銃声が響く。

 

「がっ!」

 

「この弾丸は有効……神咲の術も捨てたものじゃないな」

 

 撃ったのはリスティ。正確なその狙いは容赦なく悪魔の片目を潰していた。

 

「このニンゲンがっ!」

 

 激昂する悪魔は行き場を失った炎を纏わせたまま、リスティへ斬りかかろうとする。

 

「ボクも忘れないでほしいな」

 

――スクンダ

 

 が、その動きは急に緩慢なものとなった。召喚されたナイトメアが使った魔法が悪魔に重圧を加えたのだ。普段悪夢を扱うだけに行動を妨害するのは得意のようだ。リスティは余裕をもって攻撃をかわす。

 

「下級悪魔の分際でっ! この火炎公アイムが止められると思うなぁ!」

 

――ファイアブレス

 

 だが、悪魔もそれで終らない。飛び下がったリスティに高温の炎を吹き付ける。それは一直線にリスティを襲い、

 

「パスカルっ!」

 

「フン! ヌルイ炎ダ!」

 

 孔が呼び出したケルベロスに遮られた。地獄の業火を浴び続けるケルベロスには物足りないのか、つまらなそうに炎へ息吹を吹きかける。それは炎を逆流させ、悪魔へと弾き返した。

 

「ぐぁっ!」

 

 自らの炎に吹き飛ばされ、対爆ドアに叩きつけられる悪魔。ダメージはほとんど無いようだが、目の前には

 

「これまでだ」

 

 剣を降り下ろす孔がいた。

 

 

 

「記憶を失ったとは言え、流石メシアといったところか……」

 

 対爆ドアごと両断され、炎と共に消えていく悪魔。孔はそれに問いかけた。

 

「……俺の事を知っているのか?」

 

「貴様、自分が屠った悪魔の事も覚えていないのか? ニンゲンとは都合のいいものだな……」

 

 苦痛の混ざった、しかし侮蔑と嘲笑をはっきりと感じ取れる声で悪魔は叫ぶ。

 

「我を与えられたあの狂人は、すでにあの扉の向こうにいるっ! 貴様が封印した記憶の中にある破滅と同じに、終焉はもはや止められぬ所まで来ているのだ! 貴様は決して勝利など得られぬ! 永遠にだっ!」

 

 憎悪と悪意に満ちた叫び声を残して消える悪魔。それは孔に今一度あの廃墟の光景を思い起こさせたが、

 

――ヒャーハッハッハッハ! 贖罪の炎にはいい生け贄になるぞぉ!

 

 狂った男の声で強制的に現実へと引き戻された。

 

「卯月君、大丈夫か?」

 

「ええ、まだやることは残っているようですので」

 

 心配するリスティに答える。修達はこの先にいる筈だ。そこから聞こえてきた狂人の声。それはまだなにも解決していない事を意味する。孔は廃墟の記憶を頭から追い払うと、切り裂かれた対爆ドアへ向き直り、掘削現場へと踏み出していった。

 

 

 † † † †

 

 

 数刻前。フェイトは萌生と共に修に連れられ、アリシアが見たいという掘削現場へ来ていた。工事中のこのエリアには丁度掘削中の穴をぐるりと一周するように簡易的な足場が設置され、眼下に深い巨大な穴を見ることができる。半径数キロとも説明される人工の穴は巨大な崖の様相を呈し、かなりの迫力なのだが、

 

「え~? これがドリル?」

 

「シールドマシンって奴だな。縦に掘り進めるのは初めて見たが……」

 

「なんかつまんない」

 

 姉であるアリシアは修の解説に不満な声を漏らした。どうやらドリルと聞いて、アニメに出てくるような鋭利な先端と輝く鋼鉄を想像していたらしい。穴の奥に照らされたシールドの裏側にそんな感想を漏らす。

 

「テメエが見たいって言ったんだろうがっ!」

 

「ま、まあまあ。修くん、もうちょっと回ってみよ? フェイトちゃんもいいよね?」

 

 思わず突っ込む修にそれを宥める萌生。いつもの昼休みと何ら変わらない光景がそこには広がっていた。

 

 

 火災報知器が鳴り出すまでは。

 

 

「えっ!? か、火事っ!?」

 

「な、なんで避難場所のシェルターが燃えるんだよっ!」

 

「ど、どうしよ……っ!?」

 

 騒ぎ始めるアリシアと修、萌生を前に、フェイトは冷静な思考を保っていた。炎の中を潜り抜ける訓練は何度かやったことがある。

 

「落ち着いて。まだ火はまわってきてないんだから」

 

「は、はあ。冷静だな、お前」

 

 初めに立ち直ったのはやはり修だった。同じ年齢のフェイトから見ても、修は普段から余裕を崩さない。

 

「まあ、ちょっと上を見てくるか……」

 

 今もその余裕のままに、誰かと念話をつなぎながら会話をしているようだ。まだ念話と同時に作業をこなすという行為に慣れていないのか、どこかぎこちない動作で降りて来た階段を戻り始める。しかし、修はすぐに足を止めた。

 

「いや、やっぱ止めた」

 

「へ? なんでっ!? 火事だよっ? 逃げないと危ないよっ!?」

 

「ああ、えっと……あれだ。さっき第七区画から出火って言ってただろ? 燃えてんのはこの上だ。火は下から上へ登っていくからな。地上に逃げるよりここの方が安全なんだよ」

 

「ホ、ホントに?」

 

 騒ぐアリシアへ冷静に理由を述べる修。フェイトはその態度にピンときた。どうやら念話の先は孔だったようだ。アイツなら、こんな風に的確なアドバイスをするだろう。自分も同じ結論を出していただけに、先に頼られる孔に少しむっとする。同時に嫉妬という醜い感情を自覚し、嫌な気分になった。

 

「ねえ、本当に上、行かなくていいの?」

 

「……うん。シュウの言う通り、火が上の階から出た時は下手に逃げるより、救助を待った方が無難だから」

 

 が、不安を口にする萌生を見て抑え込む。萌生とはあの温泉以来よく話すようになった。どちらかというと積極的に話しかけてくるのは萌生の方からだが、「仲良くしなさい」という「命令」を感じさせない萌生との関係はフェイトに強い安心感をもたらしていた。長く感じることが出来なかった暖かい関係をもたらしてくれた萌生が苦しんでいる。それを黙って見ているのは出来なかった。

 

(確か、あの事務所には工事の担当者と先生がいたはず……)

 

 まわりを見回し、丁度掘削中の穴の反対側にある仮設事務所に目を向けるフェイト。冷静に対応する大人を見れば、萌生も多少の安心感も得られるかもしれないし、上手くすれば常駐の作業員が非常用の出口だって知っているかもしれない。

 

「取り敢えず、あそこまで逃げよ? シュウもいいでしょ?」

 

 頷く修を認めると、フェイトは萌生の手を引いて歩き始めた。魔法を使えば一瞬だが、萌生がいるとそうもいかない。

 

「はぁ、はぁ……。け、結構、遠いね」

 

「モブ、無理しないで」

 

 息も絶え絶えになって走る萌生にペースを合わせながら、フェイトは走り始めた。異常な大きさを誇るシェルターは半周とは言え十分長い。何とか慰めながら走っていると、

 

「ヒャッハァ! どうだっ! これで天使がいりゃあ向こう側とおんなじだろうがっ!」

 

 異様な声が響いた。暗い感情を煽るような声。萌生はびくりと肩を震わせて立ち止まる。

 

「えっ!? な、何?」

 

「館内放送……多分、放火した犯人だと思うけど……」

 

 人一倍感情には敏感な萌生にはその声がよほど恐怖の対象に思えたのだろう、不安そうにあたりを見回す。フェイトは萌生の手を握りなおした。

 

「大丈夫だよ、あの事務所に行けば人もいるはずだし、すぐ避難できる筈だから」

 

「う、うん。ごめんね、フェイトちゃん」

 

 軽く謝って、一緒に走り始める萌生。途中、呟くような声が聞こえて来た。

 

「フェイトちゃんはすごいね?」

 

「え? そ、そんなことないよ?」

 

「ううん。だって、勉強できるし、運動も得意だし……」

 

 きらきらと羨望の眼差しを向ける萌生。フェイトは思わず見つめ返した。今まで必死に努力し続けてきたが、誰にも認められなかった自分を評価してくれているのだ。だが、すぐに孔の事が頭によぎる。フェイトからすれば孔は自分が欲しかった評価をすべて持って行く存在だ。第一、萌生達もいつも自分よりあの忌々しい存在を見ていたのではなかったか。

 

「で、でも、私はアイツみたいに……」

 

「アイツって?」

 

「っ……! その、ウズキは、もっと勉強も運動もできるし……」

 

「う~ん? 卯月君はすごいけど、なんかちょっと遊びにくいっていうか……かっこいいし、やっぱりすごいんだけどね?」

 

 言葉を探すようにして考えながら言う萌生。フェイトは驚いたように目を見開いた。フェイトにとって孔は誰からも評価される存在だ。しかし、萌生はもっと別の何かを感じ取っているという。

 

「モブも、ウズキの事、嫌いなの?」

 

「嫌いじゃないよっ! 友達だもん。でも、あんまり遊んでくれない感じがするの。園子ちゃんにも、もっと一緒にいてあげれば良かったのに……」

 

 そう言って俯く萌生。そういえば、孔はあれだけ好かれているのに、どこか「友達」と距離をとっているような節がある。誰とも自然に過ごす萌生としてはそれが不満なのだろう。フェイトはそんな萌生に声をかけようとしたが、

 

「フェイトちゃん、モブ~?」

 

「おい、何やってんだ? 早くしろよ?」

 

 前から響く声にそれを飲み込んだ。いつの間にか立ち止まってしまっていたようだ。

 

「あ、あはは、ごめんね? 変なこと言って? 早く行こう?」

 

 どこか誤魔化すように言う萌生に軽く笑って応えると、フェイトは萌生とともに再び走り始める。

 

「フェ、フェイトちゃん、やっぱり速いよぉ……」

 

「あ、ご、ごめん? ちょっと休む?」

 

「う、ううん? だ、大丈夫……で、でも、もうちょっとゆっくりだと嬉しいな」

 

 息を切らしながらもついてくる萌生を気遣いながら、階段を駆け上がるフェイト。いつもなら遅い速度にイライラするところだが、そんな感情は生まれてこない。

 

(「友達」って、こういうのをいうのかな?)

 

 いつか道徳の本で読んだ「理想の関係」とは少し違うような気もするが、フェイトには萌生との関係にその言葉がもっともよく当てはまる気がした。同時にずっと望んでいた関係にようやく手が届き始めたのだと実感する。フェイトは母親との孤独から救い出している萌生の手を握りしめながら、階段をゆっくりと走り抜けていった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

夜魔 ナイトメア
 世界各地の伝承に見られる、人に悪夢を見せる悪魔。夢魔。「メア(mare)」が牝馬を指すことから黒い馬の姿をしているというイメージが定着したが、もとは実体の無い人間に近い存在だった。その性格は伝承により様々で、悪戯好きの精霊に近いものから命を奪う悪霊とされる強力なものもいるという。

堕天使 アイム
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列23番の地獄の公爵。26軍団を率いる。アイニとも。地獄の毒蛇にまたがり、蛇、猫、人間の三つ首をもつ。火炎公または破壊公として知られ、右手に持つ決して消えることのない松明で火炎地獄を創るべく放火を繰り返す。法律に深い知識を持つという。

――元ネタ全書―――――

NightMare.bin
 偽典・女神転生より、シェルターに送り付けられてきたファイルから。CUIと思しきPC端末と悪魔名.binというバイナリファイル(もしくは拡張子偽装ファイル?)が何とも時代を感じさせます。

――――――――――――


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第15話d 地下2500mの記憶《肆》

――――――――――――

「はぁ、はぁ」

 掘削上の階段をモブと一緒に駆け上がる。隣からはモブの荒い息づかいが伝わってきた。

「モブ、苦しいんなら、歩いても大丈夫だよ?」

「う、ううん? へ、へいきっ……はぁ、はぁ。平気だよぉ。一緒に……帰って、皆でっ……はぁ、はぁ、遊ぶんだもん」

 息を切らしながら走るのをやめないモブ。

 アイツより、モブの方がずっとすごいのかも。

――――――――――――フェイト/建設中シェルター



「はあ、はあ。ふぇ、ふぇいとちゃん、わ、私、疲れたよぉ」

 

「モブ、大丈夫?」

 

 ようやくたどり着いた事務所に入ると同時、息を切らしてへたりこむ萌生に水筒を差し出しながら、フェイトは部屋を見渡していた。苦労してたどり着いたそこには、先生はおろか作業員の姿すら見当たらない。

 

「あ、ありがとう……? フェイトちゃん、どうしたの?」

 

「誰もいないから……。作業員さんがいるって思ったけど」

 

 生徒を置いて、先に逃げてしまったのだろうか。見学前に先生から受けた注意事項では、工事中の掘削現場は危険だから見に行くときは先生を呼ぶように言われている。実際に掘削現場に降りてしばらくは引率の先生や作業員も一緒だったのだが、いつの間にかいなくなってしまっていた。

 

「なんかトランシーバーで話して、慌てて戻ってったから、用事でも出来たんだろ?」

 

 その時修にかけられた言葉に対して疑問も持たなかったが、よく考えれば一時的とは言えこどもを置いていくのは不自然だ。考え込んでいると、奥から一足先に事務所へたどり着いていたアリシアの声が聞こえてきた。

 

「ねえ、こっちのドア、開いてるよ?」

 

 声のした方を見ると、入ってきたのとは丁度反対側にも扉がある。すぐ横には窓とそれに面するように置かれた机。修はその机によじ登って、窓の外を覗き込んでいた。

 

「資材搬入口……そうか、こっから材料を運び込んでたんだな」

 

 どうやら資材の受け渡しをやっていたようだ。人のチェックを経てようやく資材を中に運び込める仕組みが出来ているあたり、警備の厳重さがうかがえる。それを裏付けるように、机の上には帳簿の様なものがあった。恐らく、積み荷の受け渡しの記録だろう。何気なく読み上げるフェイト。

 

「二菱重工 鉄骨3,000本、バニングス・エレクトロニクス 通信端末5,000台……アレクトロ社 内部通信用ケーブル15,000メートルッ?! グラナガン工業 マ式制御隔壁50,000枚……!?」

 

 が、その資材の名前と量と共に書かれている企業名に驚愕の表情を浮かべる。そこには、日本の会社に混じって、魔法世界で名を馳ている企業の名前が記載されていた。

 

「フェイトちゃん?」

 

「あ、な、なんでもないよ……」

 

 隣から不思議そうに覗きこむ萌生を誤魔化しながら、フェイトは隣の扉を開く。いつの間にか既に外へ出ていた修とアリシアが、開いた隔壁を見上げていた。

 

「やれやれ、置いてかれたみたいだな」

 

「え~? 作業員さん、先に行っちゃったの?」

 

 大きな溜め息をつく修に不満そうな声を出すアリシア。フェイトとしては逃げ出した作業員の気持ちも分からなくはなかった。何度かプレシアの実験のため事故が起こった工場へ資材を漁りに行った事があるが、崩壊した避難経路や壊されたシャッター等、パニックの跡が色濃く残っていたのを覚えている。誰だって命は惜しい。こどもは救助隊に任せ、自分はさっさと逃げても仕方ないだろう。

 

(まあ、取り敢えず地上には出られそう、かな?)

 

 微かだが奥から流れてくる風にそう判断する。この資材搬入口に沿って歩けば、外に繋がっている筈だ。この掘削現場はかなり深い地点だったので相当歩く事にはなるが、最悪、移転魔法を使えばよい。外と繋がっている以上、隔壁には邪魔されない筈だ。それを萌生に伝えようと振り返り、

 

「モブ、この先から、外に……っ!?」

 

 フェイトは凍りついた。萌生が見知らぬ男に捕まっているのだ。血で濡れたぼろぼろの刀を萌生の喉元へ押し当て、その男はついさっき館内放送で流れたのと同じ狂った声で叫んだ。

 

「ひゃはぁ! まだ生き残りがいたのか!」

 

「う……ぁっ!」

 

「モブッ!」

 

 泣きながら恐怖の表情を浮かべ、呻き声を漏らす萌生に叫ぶフェイト。こちらに気付いた修やアリシアも後ろからそれに続く。

 

「えっ!? モ、モブちゃんっ!」

 

「なっ! てめえ、あの時の放火魔っ!」

 

 アリシアを庇うようにしながら、相手を見知っている様な声をあげる修。フェイトはそれに問いかけた。

 

「シュウ、知ってるのっ!?」

 

「あ、ああ。神社とかスーパーとかで放火事件があっただろ? その犯人だ」

 

 凶悪事件の犯人だと聞いてフェイトの顔が厳しくなる。実際に次元犯罪者を目にしたことは(この間の白い魔導師――高町なのはを除けば)ないが、非合法な資材を手に入れるにあたって、いわゆるシリアルキラーと呼ばれる存在は知識として知っている。教育係だったリニスからは、もし犯罪現場で会うようなことがあればまず逃げるように言われている相手だ。「殺害」を主目的に犯罪を行っているため、重要なマテリアルや資材を守る警備員やガードロボットと違い、「捕縛」は初めから眼中にない。強力なバインドよりも一滴でも多くの血を求めるその狂人を相手にするには、通常の魔導師との戦闘とは違う対応を要求される。

 

「……バルディッシュ、セットアップッ!」

 

《Yes, Sir》

 

「っ!? お、おい!?」

 

 横で声をあげる修を横に、フェイトは愛機を起動させた。もはやなり振りは構っていられない。金色の魔力光と共に黒いバリアジャケットを身に纏う。目の前の萌生と狂人はそれぞれ違った反応をした。

 

「フェイト、ちゃん……?」

 

「あ? なんだ? テメエも魔導師かぁ?」

 

 それを無視してデバイスを構えるフェイト。ただ一言、

 

「モブ、今、助けるからっ!」

 

《Blitz Action》

 

 それだけ言うと、フェイトは姿を消した。否。目視不能なほどの高速移動で竜也の背後をとったのだ。

 

《Ring Bind》

 

「あぁ?」

 

 同時に仕掛けたのはバインド。フェイトが知る中でも最も速い展開速度を誇る光の輪は一瞬で相手の四肢を捉え、人質に危害を及ぼせないようにする。このまま魔力の刃で狂人を切り裂くと同時にすれ違いざまに萌生を引き離す

 

「ニンゲンヨ、ソノ者ニ触レル事ナラヌッ!」

 

 筈だった。突然現れた蛇の様な悪魔に足を長いしっぽに絡め取られ、高速のまま壁へと弾き飛ばされるフェイト。

 

「っち!」

 

 が、壁に激突する直前、修に受け止められた。何か特殊な魔法でも使ったのか、ほとんど衝撃がない。

 

「おい、大丈夫か!」

 

「う、うん……それより、モブがっ!」

 

 目線を向けるフェイト。そこには、バインドを力で引きちぎり、ニヤリと口元を歪める狂人がいた。

 

「ひゃは! やるじゃねぇか!」

 

(バインドを力だけで引きちぎるなんて……)

 

 改めて相手を観察する。使ったリングバインドは発生速度重視で拘束力自体は低いものの、大して魔力も感じない人間が腕力のみで破壊できる代物ではない。しかも、あらかじめ召喚魔法のようなものを使っていたらしく、先ほどの蛇の様な化け物に加え、蒼い毛でおおわれた人間の女性の顔を持つ奇妙な化け物まで後ろに控えている。

 

「おいっ! 放火魔っ! もうシェルター燃やして十分だろっ! 萌生を放せっ! 逃げるこども相手に人質なんざ要らん筈だっ!」

 

 狂人に向かって声を張り上げる修。フェイトは少しだけ修を見直した。スピードによる人質の救助が失敗した以上、説得で時間を稼ぐのは悪くない作戦だ。もっとも、相手はシリアルキラーという異常者。逆上する可能性も大きい。フェイトは相手の反応を伺いながら、一瞬の隙も見逃すまいと先程の高速移動魔法を用意する。

 

「あぁ? 人質ぃ? ヒャハ、ヒャーハッハッハッハァ!」

 

 が、修の言葉に竜也は狂った様に笑い始めた。そのまま萌生を乱暴に地面に叩きつけると、

 

「そんなんじゃねぇ! 贖罪の炎にはなぁ、生け贄がいるんだよっ!」

 

 刀を振り上げた。

 

「モブッ!」

 

 叫ぶフェイト。しかし、移動魔法を使う前に、

 

「うるせぇ、テメエらはコイツらの相手でもしてろ!」

 

 さっきの蛇と人面の怪物に阻まれた。

 

「邪魔しないで!」

 

 目の前の悪魔に叫びながらバルディッシュの魔法刃を降り下ろすフェイト。そのスピードが乗った一撃は、

 

「あら、可愛いお嬢さん。私ともっと楽しいコトしましょう?」

 

――スクンダ

 

 急に身体が重くなったことで勢いを失う。以前受けたあの奇妙なバインドとは違う、まるで空気そのものが質量を持ったかのような感覚。速度を失ったバルディッシュの刃が届くはずもなく、

 

「マカリナラヌト言ッタハズダゾ!」

 

――ジオ

 

 雷光が走った。時の庭園で出てきた翼の悪魔と同じ種類のその雷は、しかしそれよりもずっと強い魔力でもってフェイトに襲いかかり、

 

「ちっ!」「……え?」

 

 修に止められた。気の抜けた様な声を返すフェイト。覚悟したダメージを予想外の人物に防がれたのも大きいが、シールドを張った気配もないのに雷の進路が変わったのだ。

 

「な、何したの?」

 

「あ、ああ。まあ、レアスキルみたいなもんだ」

 

 あからさまに誤魔化す修にフェイトは不審な目を向ける。よく見ると、制服からうっすらと魔力が感じ取ることが出来た。見た目こそ普段と変わらない制服だが、どうやらデバイスをセットアップしてバリアジャケットを纏ったらしい。

 

「説明は後だ。今は萌生だろ?」

 

「……分かった」

 

 その視線に気付いたのか、修は狂人の方へと向き直る。フェイトもそれに続いた。修の言うことに納得は出来なかったが、理解できないほど実戦経験がないわけでもない。

 

「この化け物どもは俺が引き付けるから、お前さっきのアレで萌生を助けてやってくれ」

 

「いいの?」

 

「俺はあんなに速く動けないんだ。それに……」

 

 心配するフェイトを横に、バチバチと電気を纏う修。魔力を感じないそれは急速に膨れ上がり、圧倒的な光と轟音と共に、

 

「このくらいなんとかなる」

 

――超電磁砲《レールガン》

 

 人面の悪魔に襲いかかった。フェイトは反射的に目を伏せる。

 

「シュウッ!?」

 

 閃光の中で悪魔の影が吹き飛ばされるのを認めながら、思わず声をあげた。フェイトの感覚からすれば砲撃魔法、それも相当高位――明らかにSランクオーバーのものだ。それを、普段殆ど魔力を感じない修が、詠唱もなしに使ったのだ。

 

「何してるっ! 早く行けっ!」

 

 が、修の怒鳴り声を聞いて我に返る。驚いている場合ではない。悪魔の影はまだ2つ。修の放った雷光が目眩ましになって今は硬直しているが、すぐに動き出すだろう。他方、これだけの魔法なら修の反動も大きい筈だ。それはつまり、反撃覚悟で隙を作ったと言える。それを無駄にするわけにはいかない。

 

「バルディッシュッ!」

 

《Yes, Sir!》

 

 叫びと共に、フェイトは宙を駆る。萌生が人質とされている以上、下手な砲撃魔法は使えない。非殺傷設定としても、大人一人を昏倒させる衝撃が萌生に与えるダメージは致命的だ。それに、狂人は修の放った電撃に未だ目を押さえている。接近戦を選択したフェイトは蛇の怪物とすれ違い様に牽制の電撃をぶつけつつ、一気に狂人へと距離を詰めた。そのまま魔力刃を降り下ろし、

 

「っ!?」

 

 刀で受け止められた。目を押さえていたのはブラフ。フェイトは狂人らしからぬ戦闘技術に目を見開く。その隙を狂人が見逃すはずもなく、

 

「ばーか」

 

――ソニックパンチ

 

 腹部に拳がめり込んだ。その人外ともいえる凄まじい力に吹き飛ばされ、勢いのまま岩盤に叩きつけられる。

 

「ごぼっ!」

 

 口からそんな音が漏れる。どうやら内臓にまで衝撃は達しているらしい。口からはボタボタと血がこぼれた。

 

「フェイトちゃんっ!」

 

 それでも、這いつくばったまま手を伸ばして叫ぶ萌生に何とか意識を保つ。

 

「ぐぅ……モブッ!」

 

 その手に答えようと必死に体制を建て直そうとするフェイト。しかし、狂人の力は尋常ではなく、受けたダメージが立ち上がるのを妨げる。

 

「はっ! 生け贄は怯えてりゃいいんだ!」

 

 そして、フェイトの目の前で、

 

「あぁァあああ!?」

 

 フェイトへと伸ばす萌生の手を地面に縫い付けるように刀が貫いた。萌生の悲鳴が耳に響き、赤黒い血がフェイトの視界を染める。その赤はいつか母親を失った時の様で、

 

「うあぁぁあああ!」

 

 フェイトは感情のまま斬りかかった。身体が軋みをあげる。先程岩盤にぶつけられた痛みに加え、まだ人面の悪魔の魔法が効いているらしい。冷静に考えれば無謀とも言える特攻は、

 

「消しズミにしてやらぁっ!」

 

――マハラギ

 

 襲ってきた高熱で阻まれた。スピードによる回避を警戒したのだろう、その広域殲滅魔法にも似たその炎は、一切の逃げ場を奪ってフェイトへ襲いかかり、

 

「ぁああっ!」

 

 直撃を受けた。悲鳴をあげて転げ回るフェイト。どこか遠くから萌生の声が聞こえる。

 

「フェ、フェイトちゃんっ! もう嫌っ! もうやめてっ!」

 

 血塗れになりながら、嗚咽と共に叫ぶ萌生。その悲鳴にも近い懇願を聞き、

 

「イヒ、ヒヒヒ、ヒャーハッハッハッハ! 贖罪の炎にはいい生け贄になるぞぉ!」

 

 その狂人は笑っていた。心の底から楽しそうに。

 

「っ! この、悪魔……っ!」

 

 怒りで身体が震えた。炎を振り払い、無理矢理立ち上がろうとするフェイト。しかし、もともと防御を犠牲にしたスピードを武器とするフェイトにとって、身体に重くのし掛かる行動阻害魔法と2度に渡り受けたダメージは致命的だった。バルディッシュを杖に立ち上がるのがやっとだ。そんなフェイトを無視する様に、シリアルキラーは笑い狂って剣を萌生の喉に押し当て、

 

「広域強行犯501号っ! その子から離れろっ!」

 

 後ろからの電撃に吹き飛ばされた。修ではない。20歳くらいの女性が薄く光る膜のような美しい羽を広げ、電気を纏っている。だが、それに見とれる余裕はない。

 

「遅くなった」

 

 つい先ほどまで狂人が立っていた場所には、萌生を抱える孔がいたのだ。足元には、狂人の剣が腕ごと転がっている。どこをどう動いたのか、あの一瞬で切り落としたらしい。返り血ひとつ浴びずにそれを平然とやってのける孔に、嫌悪感を通り越して恐怖を感じるフェイト。あの狂人が悪魔ならアイツは兵器だろうか。その恐怖に吐き気を覚える。

 

「遅いぞ。遅刻だ、卯月っ!」

 

 が、修の声でそれは中断された。同時に後から足元を転がってくる蛇の怪物の残骸。腹部には穴が開き、苦しそうにのたうつそれは、やがて黒いシミのようになって消えた。

 

「シュウッ!」

 

「ま、楽勝だったな」

 

 ニヤリと笑って見せる修。が、傷だらけのフェイトを見て顔をしかめる。

 

「おい、それ、大丈夫なのかよ?」

 

「だ、大丈夫だよ」

 

「大丈夫に見えん。っていうか、見てるとこっちまで痛くなってくるな」

 

 気を使っているのか、いつもの余裕を見せながらデバイスを取り出す修。それに感謝しつつも、フェイトは萌生の方へ目を向けた。

 

「わ、私よりモブを……」

 

「いや、萌生は卯月が見てるから。えっと……回復魔法は……」

 

 しかし、修はそれを無視してぶつぶつと呟きながらデバイスを操作し始めた。デバイスは量産品のS2Uだけに扱いやすい筈なのだが、やたらと手間取っている。

 

「あの……シュウ?」

 

「ああ、ちょっと待ってろ。すぐ魔法でだな……」

 

 声をかけると慌て始めた。手元をよく見ると、デバイスのガイド機能が働いていない。ガイド機能は文字通り魔法の入力から行使までの手続きをサポートするもので、知能のないストレージデバイスの場合は使い方を知る上でも必須といっていいプログラムだ。勿論、ある程度訓練を受けた魔導師であれば分かりきった手順となるため削除して当然のものではあるのだが、修はお世辞にも慣れた手つきとは言えない。見かねたバルディッシュが修のデバイスに指示を送る。

 

《Please select Divide Energy》

 

《Boss, I catch the Instruction》

 

「へ?」

 

 キョトンとした声を出す修。S2Uは外部からの魔法行使の命令を実行していいか許可を求めているだけなのだが、修はよく理解していないようだ。ガイドのないデバイスに代わり、フェイトは説明を加えた。

 

「あ、そのまま許可すれば、バルディッシュがサポートしてくれるから……」

 

「インテリジェントデバイスってそんなこともできんのか……」

 

 妙な所に感心しつつも、修はデバイスに承諾の命令を送る。フェイトは何だか可笑しくなった。強力な砲撃魔法を使えるくせに、基本的な魔法はおろかデバイスの操作もままならないのは何処か抜けている。デバイス間の命令伝達にしても、別にインテリジェントデバイスに限ったものではない。

 

「なに笑ってやがる」

 

「あ、ご、ごめん……その、つい……」

 

「はあ、ま、いいけど? ええっと、でぃばいどえなじーだったか? 今度こそ回復だ」

 

《Divide Energy》

 

 誤魔化すフェイトを大して気にした様子もなく、魔法を完成させる修。同時に暖かな魔力が流れ込んできた。

 

「もう、シュウ、それ、回復魔法じゃないよ?」

 

「え? そうなのか?」

 

 今度はフェイトが苦笑しながら修に突っ込む。バルディッシュが指示したのは魔力を分け与えるものであり、怪我を治療するものではない。バルディッシュは修が上手く魔法を使えないのを見て、魔力だけ受け取り、回復自体は自分で処理した方が早いと判断したのだ。

 

《No problem, SYUU. I installed program, Physical Heal》

 

 そんな声と共に、バルディッシュが自動で回復魔法のプログラムを走らせる。その術式はすぐにフェイトの傷を癒していった。

 

「な、なんかあんま役に立たなかったな」

 

「そんなことないよ? 魔力分けてもらってすごく楽になったし。シュウ、ありがとう」

 

「い、いや、あ~。それより、萌生だ」

 

 照れているのか、修はさっさと歩き出した。フェイトはそれに笑みをこぼしながら続く。

 

「フェ、フェイトちゃ~んっ!」

 

 が、歩き出そうとした途端に萌生が駆け寄ってきた。

 

「フェイトちゃんっ! 大丈夫? 怪我してない?」

 

 背中やら腕やらをなで回しながら捲し立てる萌生。フェイトはくすぐったいものを感じながらそれに答える。

 

「大丈夫だよ? 怪我も大したことないし……モブこそ平気?」

 

「うん。卯月くんに治して貰ったから……」

 

 萌生の言葉を聞いて視線を向けるフェイト。恐る恐る動かした視界には、あの狂人の方を睨み据える孔がいた。

 

「……っ!」

 

 再び襲ってきた恐怖に目を背ける。今まで、フェイトにとって孔はただ「恐ろしく強い魔導師」だった。だが、今、殺気を剥き出しにしている目の前の化け物は一体何者だろうか。兵器とも比較できる圧倒的な力。犯罪者とはいえ、平気で人の腕を切り落とす残虐性。それはまるで、

 

(……怖かった時の、母さんみたいだ)

 

 フェイト本人に自覚はないが、母から受けた虐待の記憶はしっかりと脳に焼き付いている。それはトラウマとなって心の底にたまっていたし、必死に母の愛情を得ようと努力を重ねるのもプレシアに再び憎しみをぶつけられたくないという想いからだった。ここ数年はプレシアから辛く当たられる事は無かったが、今の孔を見ていると、当時の光景がありありと浮かんでくる。フェイトの中で何かが噛み合った。自分があの化け物を憎んでいたのは、嫉妬などではなく、自分が克服すべき過去を象徴するような存在だったからだったのだ、と。

 

「フェイトちゃん? どうしたの?」

 

 しかし、手を引かれる感触で我に返る。そこには、気遣うように手を繋いでくる萌生がこちらを見上げていた。

 

「う、ううん? 何でもないよ」

 

 誤魔化そうとするフェイト。しかし、

 

「畜生……畜生畜生畜生畜生畜生チクショウっ! また俺の顔がぁ! 腕がぁ! これも運命だってぇのかぁ!」

 

 言い終わると同時に響いた悪魔の声で再びデバイスを構えた。顔の半分を電撃で焼かれ、片腕を切り落とされながら立ち上がるその姿には、異常なまでの憎悪と狂気が感じられる。

 

「っ! この異常者が……。も、もう人質はいねえし、卯月に警察までいるんだっ! いい加減諦めろっ! 自首すれば罪も軽くなるぞっ!」

 

 その重圧に耐えられなくなったのか、修が叫ぶ。2度目の説得。が、目の前の狂人はそれを受け入れるどころか、口元を歪めて、

 

「ばーかっ! こっち側は向こう側と同じなんだっ! 運命には逆らえねぇんだよぉ。5、4、3……」

 

「はっ……?! 飛べっ!」

 

 同時に響く孔の怒声。いつもの冷静さを欠いたその声に、しかしフェイトは反応できなかった。どこか焦燥を含んだ余裕のない叫びは、あの時の母親が自分に向けた悪意を思い起こさせ、体が硬直してしまったのだ。一瞬の停止。それは次いで襲って来た足元からの衝撃への反応を遅らせた。

 

「ぁっ!?」

 

 戦闘に耐え切れなくなったのだろう、資材を運ぶ建築用の道路が轟音と共に崩壊を起こす。気付いた時にはもう遅い。身体を襲う落下感に慌てて地面を蹴るも、何とか崩壊を免れた床材を掴むのがやっとだ。

 

「っく……」

 

 片腕でぶら下がるフェイト。崖っぷちにしがみつきながら、何とか飛行魔法を使おうとするが、

 

《Error!》

 

「っ! 虚数空間?!」

 

 バルディッシュから返ってきたのは悲鳴のような叫びだった。下に広がった空間に目を向けてぞっとする。そこに広がっていたのは本来ならば次元世界の狭間――次元空間にしか存在しない特殊な空間だった。虚数空間と呼ばれるそれは、次元震をはじめとした強力な次元災害等で空間同士が引っ張られた際にできた裂け目として発生する。虚数の名が示す通り、自然法則に作用するプログラムである魔法は一切使えない。勿論、飛行魔法や身体強化魔法も同じだ。必死に自力で這い上がろうとするも、魔法なしでは10歳に満たない少女の力では、自分の体を持ち上げるのはおろか支えるのすら難しい。

 

(落ちるっ!)

 

 必死に指に力込めるも、次第に感覚を失っていき、

 

 

「っ!? いやぁァあああ!」

 

 

 不意に腕を掴まれた。孔だ。至近距離に見えたその顔と、孔に腕を捕まれているという恐怖に絶叫をあげる。

 

「嫌っ! いやぁああああああ! 放してっ! 放せぇっ!」

 

「少し我慢してくれ」

 

 孔は冷静な声を浴びせ、ゆっくりと上へ引き上げていく。床材の崩壊を警戒しているのかだろうが、フェイトにはその数秒の時間が何時間にも思えた。孔の手が暴れるフェイトの手を放すまいと強く握る度に、母親から受けた苦痛の記憶が蘇る。それは孔の握力が与える以上の激痛をもってフェイトに襲いかかった。まるで手に猛毒の蛇がまとわりついているような感覚のなか、ようやく床材の上に顔を出し、

 

「思い出したところでもう遅ぇ……。死ねや……」

 

 狂人が孔の背中へと剣を降り下ろすのが見えた。

 

「ぁ……」

 

 目を見開くフェイト。自分が落ちるという恐怖よりも、孔が殺されるという事実に奇妙な感情を覚える。何度もいなければいいのにと思った。先程は過去の忌まわしい記憶とも結び付き、はっきりと恐怖も自覚した。目の前の化け物は死んでしかるべきの筈だ。だが、それは果たしてこんなにも呆気なく、自分以外の誰かに与えられていいものだろうか?

 

 一瞬の戸惑い。それは、

 

「ダ、ダメェーーーーーー!」

 

 絶叫によって吹き飛ばされた。今まで隠れているだけだったアリシアが飛び出し、全体重をかけて竜也を蹴り飛ばしたのだ。

 

「っ!? な、なぜだぁぁぁああ!」

 

 断末魔と共にすぐ横を落ちていく狂人。その呆気なさ過ぎる結末を確かめる前に、フェイトは一気に引き上げられた。

 

「っ!」

 

 床材の上に下ろされると同時、孔の手が離れる。

 

「すまなかった」

 

 それだけ言うと、アリシアの方へと歩き始める孔。フェイトは何か言う前に自分のもとを去って行く孔を呆然と見ていた。視線の先では、犯罪者とはいえ人を突き落としたという事実に震えるアリシアへ声をかけている孔が。

 

「あ……あ……」

 

「気にするな。お前のせいじゃない」

 

 それはまるで自分をおいてアリシアに構う母のようで、先程抱いた奇妙な感覚が抜け、元の単純な憎悪に戻っていくのを感じた。だが、その憎悪は、今までの訳の分からない嫌悪感とは違い、母に愛され、友達に囲まれて過ごしたいという理想を得る上で越えるべき壁だという意識に支えられている。それは自分という存在そのものを肯定するために、自分が乗り越えなければならない存在として孔を認識した瞬間ともいえた。

 

「フェイトちゃんっ! よ、よかった……」

 

 そんな自分に萌生が駆け寄ってくる。少なくとも孔よりも自分の方を評価してくれた萌生に応えて立ち上がろうとすると、

 

 同時に地下が揺れ始めた。

 

 シェルターを構築する資材の術式が限界にきたのだろう。岩盤にヒビが走る。

 

「っ! モブッ!」

 

「ぎゃぅ!」

 

 跳躍と同時に勢いのまま萌生を抱え込み、その場から離れるフェイト。先程まで萌生がいた場所に、岩盤が崩れ落ちる。

 

「痛っぅ……あ、ありがとう、フェイトちゃん……」

 

「ううん。それより、早く脱出しないと……」

 

 震えながら礼を言う萌生に、フェイトは出口へと目を向ける。そこへ、孔の声が響いた。

 

「みんな、こっちに集まってくれ。纏めて出口まで移転させる」

 

 が、落ちてきた天井の資材が壁となって邪魔をしている。叫び返す萌生。

 

「えぇっ! 無理だよっ!」

 

 その返答は、孔からの念話だった。

 

(座標を送る。悪いが、只野さんの移転を……)

 

(っ! 別に、頼まれなくても……っ!)

 

 孔が言い終わらないうちにそう返すと、フェイトは萌生の手を取る。

 

「フェイトちゃん……?」

 

「大丈夫。すぐ外に送るから」

 

 そのまま、孔から届いた座標を元に移転魔法を構築し、

 

《Transporter》

 

「きれい……」

 

 萌生のそんな声を聞きながら、金色の魔力光を残して、フェイトは崩れ落ちるシェルターから姿を消した。

 

 

 † † † †

 

 

 資材搬入口。海鳴でもまだ開発途中の地区――市街地の裏側とも言える場所に、人知れず建築された巨大な地下へのトンネルがそれだ。普段は広大な空き地を前に分厚い鋼鉄の扉を閉ざしているのだが、今その扉はひしゃげ、強引に開かれている。地下の空気を吐き出す扉の前に、金色に輝く魔方陣が浮かび上がり、

 

「うわっ! ホントに外だ!? すごい! すごいよ、フェイトちゃんっ!」

 

「も、もう。魔法なんだから、そんなにすごくないよ?」

 

 フェイトと萌生が出てきた。魔法を体験してはしゃぐ萌生に、少し照れたような声を出すフェイト。野放しに凄いと言われるのはどのくらいぶりだろうか。

 

「あー、盛り上がってるところ悪いがな、さっさと入り口まで戻るぞ。なんか反対側に出ちまったみたいだし」

 

 だが、そこへ修が水をさす。どうやら修たちの方が先に移転を終えていたらしい。社会見学の説明を受けたのとは丁度裏側を見せるホテルを指差しながら言う修に、フェイトは疑問をぶつけた。

 

「でも、どうしてこっち側の座標を?」

 

「俺はよく分からんが、隔壁のせいで向こうの入り口へ移転できなかったんだそうだ。で、俺達を助けに来る途中にサーチャー飛ばしてこの場所を見つけたってよ。ホント用意のいいヤツだ」

 

 呆れているのか感心しているのか、孔の方を見て溜め息をつく修。確かに、予め作戦を練っていたかのような誘導だった。今も油断なく周囲を見回し、念話をつないでいる。相手はリニスだろうか。外部からの救助も想定していたらしい。

 

(場馴れしてる……私以上に)

 

 そんな感想を抱くフェイト。フェイト自身、それなりに修羅場はくぐってきたつもりだが、孔の経験値はそれ以上のようだ。それはつまり、より犯罪や裏の社会に触れる機会が多かった事を意味する。萌生が「凄すぎて怖い」と表現した理由が分かる気がした。その孔はじっと壊れた扉を見つめている。いや、正確には扉に描かれた落書きだろうか。誰がやったのか、2枚の扉に1つずつ、吸い込まれそうな不気味な目玉と書きなぐった様な文字が描かれている。フェイトと萌生の脱出が終ったにも係らず動こうとしない孔に、アリシアと修が話しかけた。

 

「コウ、どうしたの? うわ、気持ち悪……ニャルラ……なんとかって書いてあるね?」

 

「趣味の悪い悪戯だろ? おい卯月、もう終わったんだから、さっさと戻らないと……」

 

「いや、まだだ。ヤツはまだ死んでない」

 

 が、孔から返ってきたのは信じがたい言葉だった。目を見開く修を横に、剣を構えて扉に向ける孔。そのまま扉と壁の付け根にある蝶番を切断する。支えを失った扉のうち、何故か片方だけが倒れ、

 

 後ろに広がる虚数空間に吸い込まれた。

 

 何故地上にまで虚数空間が広がっているのか。フェイトがその疑問を形にする間もなく、

 

「あぁぁああ! 畜生畜生畜生畜生畜生っ! 認めねぇっ! 俺は誰だっ! 電波に選ばれたんだぁぁぁあああっ!」

 

 狂気に駆られた男の叫びが聞こえた。萌生が怯えた様子でフェイトの手を握る。安心させるようにそれを握り返すフェイト。デバイスを構える。声が聞こえた虚数空間に意識を集中させ、

 

「っ!?」

 

 全く正反対の方向――丁度ホテルの辺りから、耳鳴りと共に強い魔力を感じた。思わず振り返る。そこには、つい先日月村邸で見た桃色の光が。

 

(砲撃魔法っ! あの時の魔導師のっ!)

 

 そしてそれはフェイトのすぐ横を掠め、扉に直撃した。

 

「ぇっ!?」

 

 隣にいる萌生を貫いて。

 

「モブッ!」

 

 崩れ落ちる萌生を必死に支えるフェイト。どうやら非殺傷設定だったらしく、目立った外傷はない。だが、意識はなく、砲撃が当たった腹部には青いアザができていた。口からは赤い血が線を引いている。

 

「萌生っ! おい、卯月っ!」

 

「分かってる!」

 

 駆け寄ってくる修と孔。修の叫びに孔が回復魔法をかける。その強大な魔力はあっという間に傷を癒し、血を止めた。だが同時、背後から声が響く。

 

――フフフ……。道に迷いし愚かな男よ。汝が欲する力とやらをくれてやろう。

 

「なっ?! この声っ!?」

 

 振り向いて驚愕する修。先程萌生を貫いた光が目の落書きに受け止められ、魔力を放っている。その魔力は見る間に形をなし、あの放火魔の姿をとった。

 

「いヒ、ひゃーぁはっはッハッハッハァァぁあああ゛あ゛?!」

 

 が、それも一瞬。まるで種子が弾けるように、内部から狂人は破裂した。現れたのは巨大な異形。金色のそれはスフィンクスに似ているだろうか。しかし、あるはずの頭部に顔は無く、その禍々しい輝きは神性などまるで感じられない。

 

「これは……悪魔に支配されたのか……身も心も!」

 

 やや遅れて駆け寄ってきたリスティが呟く。その表現の通り、目の前の異形が剥き出しにしている底知れない悪意は、あの狂人と同じものだ。

 

「リスティさん、只野さんとアリシアを安全なところへっ!」

 

「卯月君……っ! 分かった、すぐに戻る」

 

 孔もそれを悟ったのか、戦う力のない2人をリスティに任せる。意図を汲み取って姿を消すリスティ。どうやら移転で離脱したらしい。それを確認して剣を構える孔。だが、フェイトは、孔の殺気が化け物以外にも向けられているのに気付いていた。後ろで膨らみ続ける魔力反応だ。また後ろから砲撃が飛んでこないとも限らない。

 

(あの魔導師が、モブをっ!)

 

 そう思うともう止まらなかった。フェイトはデバイスを構えると、魔力反応に向かって駆け出そうとする。が、背後からの熱に止められた。

 

「ぉぉァァアア゛あ゛アア!」

 

――アギダイン

 

 異形が放った炎だ。その高速で迫る巨大な火球は避ける隙も与えず、

 

「フェイトさんっ!」

 

 孔によってかき消された。顔を歪めるフェイトに、横にいる修から声がかかった。

 

「待てよ、萌生撃ったヤツ追うんだろ? 俺も行く」

 

「……いいの?」

 

 孔に視線を向けて言うフェイト。

 

「俺がいても足手まといだ。それに、心当りもあるんでな。卯月もいいだろ?」

 

「ああ、2人とも気をつけてくれ」

 

 再び飛んできた火球を消しながら頷く孔。一瞬、フェイトに視線を向けると、

 

「フェイトさん、あの砲撃は……いや、只野さんも待ってる。危なくなったら、折井と逃げてくれ」

 

 何処か迷うように付け加えた。同時にバルディッシュが術式と魔力を受け取る。座標が組み込まれた移転魔法だ。通常の移転魔法と違い、予め指定した座標にしか飛べないが、その分処理速度が大幅に向上している。もっとも、言うのは簡単だが構築は難しい部類の魔法で、孔の異常なまでの力を象徴するような術式と言えた。

 

「別に、こんなのっ!」

 

「リニスからだ。受け取ってくれ」

 

 反射的に拒絶しようとするが、途中で孔に遮るように言われ押し黙る。一瞬の沈黙。が、そのまま異形に向かおうとする孔に、

 

「分かった……ウズキも、あんな化け物に殺されないで」

 

 それだけ言って上空へと舞い上がる。一瞬目を見開く孔と修が見えたが、それを無視するように速度をあげる。フェイト自身、何故あんな事を言ったのか分からない。一方的な感情をぶつけたにも関わらず心配されたという負い目からか、自分の異常性を示す魔法を渡してでも守ろうとしたせいか、それとも萌生が友達と形容したせいか。あるいは辛い思い出とは言え母親と重ねたせいか、越えるべき壁という認識が強まったせいか。いずれにせよ、

 

(あの白い魔導師はモブを傷つけた……!)

 

 胸に渦巻く激情の前では些細な事だ。フェイトは煮えたぎる怒りを胸に、高くそびえるシティホテルへと飛び立っていった。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

妖獣 アペプ
 エジプト神話に登場する悪の化身。主に大蛇の姿で描かれる。もともとは太陽神としての役割を担っていたが、それをラーによって奪われたため敵対し、太陽の運行を邪魔するようになる。ラーの息子の一人である嵐の神・セトによって倒された。

夜魔 エンプーサ
 ギリシア神話に登場する、夢魔の一種。冥府の女神ヘカテの従属神または使い魔とされる。片足はロバの蹄、もう片方は真鍮の脚を持つ、美しい女性の姿で描かれる。眠っている若い男性を誘惑し、生き血や生命力をすするが、悪口雑言の類には弱く、罵声をあびせると消えうせるという。

――元ネタ全書―――――

「っ!? な、なぜだぁぁぁああ!」
 ペルソナ2。須藤竜也のイベントから。初めてRPGでボイスが必要だと思ったキャラクター。なお、突き飛ばされて落ちる「ぴゅーー」というSEも必聴。

――――――――――――


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第15話e 地下2500mの記憶《伍》

――――――――――――

「……ウヅキもそんなヤツに殺されないで」

 いつもの憎悪と違った言葉に思わず振り返る。視界が捉えたのは、一瞥もせずに空へ翔んでいく黒い影。感情が読み取れないその背中を呆気にとられて見つめていたが、すぐ近くで炎が爆ぜた。

「ヒャハァァアア! 電波電波電波電波電波電波ァああ!!?!」

 後ろで咆哮をあげる須藤だったモノ。直視するのも憚られる程の狂気を撒き散らすそれに剣を向けながら、俺は折井に願いを託す。

「折井、早く行けっ! フェイトさんは、相手が悪魔と高町さんだと知らないんだっ!」

「分かってる。お前も負けんなよっ!」

 去り際に電磁砲を撃ち込んで翔んでいく折井。放たれた閃光の中を斬りかかり、

――与えたられた力が与えた者に効くと思うか?

 悪魔と化した狂人に届いた瞬間、刃も雷もかき消えた。

――――――――――――孔/シェルター裏口



 その男、須藤竜也が初めて炎に触れたのは、小学校を卒業し、中学に入ろうかという時期だった。

 

――壊せ。この世界は間違いだ

 

 何処からともなく聞こえてくる声を聞きながら、竜也は燃え崩れる自宅を見つめていた。

 

 そこには母親と友達がいたはずだった。

 

 しかし、母親は死に、

 

 友達は声を残して消え去った。

 

 

 

 竜也は生まれながらにエリートだった。有力な政治家である須藤竜蔵を父に持ち、母もそれなりにステータスを持つ人物だ。自然、それに見合うようにと教育を受けさせられた。進学校に通い、実績のある塾に通う。金をかければそれだけ質の高い教育が受けられる。そんな現実を証明しようとしているかのように、竜也は英才教育を受け続けた。

 

「先生のお子さんですか。成る程、賢そうですなぁ?」

「将来は大物になりますよ」

 

 そんな声を聞きながらにこにこ笑う両親に支えられ、竜也もそれに応えるべく習い事に精を出した。努力は正しく教育費と結び付き、それなりに成果をあげた。両親はこどもに一定の役割を期待し、こどもはそれに応える。少なくとも外見上は順調な関係を築いているといえた。

 

「なんだこの成績はっ!」

 

 その関係が壊れたのは中学受験を始めてからだ。今まで他者と比べられることのなかった竜也に、テストの点数という分かりやすい数字による評価が与えられた。もっとも、その評価は決して悪かった訳ではない。少なくとも名門と呼ばれる学校には十分合格できる水準だったし、テストの点数も世間一般の基準から見ればそう悪いものではなかった。

 

「これから選挙も控えているのに、お前がこれでは……!」

 

 が、両親はその点数に納得しなかった。世間体に異常なほど敏感な両親は、竜也に誰もが素晴らしいと誉め称える評価を期待しており、「悪くない」では不十分だったのだ。

 

「塾で同じクラスの南条君はもっといい点を取ってるでしょう?」

 

 エリートであることに高いプライドを持つ母親は、ことあるごとに誰かを引き合いに出していた。社会的な地位があるだけに他の母親との交流も広く、同じようなステータスを持つ「友人」と付き合いがあるらしい。その「友人」は一種の集団を作っており、常に見栄の張り合いをやっていた。

 

「あの子の父親は医者らしいですよ?」

「あら、でも、この間、授業参観じゃ随分安い服だったようだけど?」

「きっと儲かってないのよ。付き合ってもいいことないわ」

 

 誰かを自分達の作る集団よりも下の存在だと主張し、また同時にその集団に止まろうと必死に自分の地位をアピールする。そんな会話を遠くに聞きながら、竜也は薄ら寒いものを感じていた。両親が愛していたのは須藤竜也という人間ではなく世間体であり、自分は社会的地位をアピールする道具に過ぎないのではないか。幼い竜也がそんな風に疑問を明確な形としていたわけでは勿論なかったが、漠然と母親の興味が自分以外の何かに向いているのだけは知覚していた。不安となって膨らむそれを誤魔化すため、両親の愛情を未だ求めていた竜也は逆に反抗してみせるという行動に出た。台所からナイフを持ち出し、自宅の高級車を引っ掻いたのだ。親の気を引くためのこどもの些細な悪戯。何となく頭に浮かんだ英語の教科書の一文、「I like dad and mom」をそのまま書いたその落書きは、

 

「何やってるの!」

 

 言うまでもなく、こっぴどく叱られて終わった。体面を気にする母親としては、キズのついた車を使うなどとおよそ考えられない事だったのだろう。その車は落書きと共にスクラップにされた。

 

 それでも竜也は悪戯を止めることはなかった。

 

 両親の反応は好ましいものではなかったが、少なくとも構って貰えるという目標は達成出来ている。ゆえに、勉強しろと言われればそれを放棄し、静かにしろと言われれば騒いだ。それは孤独から目を背け、自己を主張する叫びだっただろう。だが、その叫び声は決して届くことなく、成績は下がり、周囲からは疎まれるという結果だけが残った。

 

――この世界は間違いだ

 

 その頃から、声が聞こえ始めた。

 

 始めはそれが何か分からなかったが、ただその声はかつて聞いたことがあり、何か自分にとって重要な事を告げている気がした。

 

「洲藤 辰也(スドウ タツヤ)です。よろしく」

 

 そんなある日、通う塾にその声と全く同じ声を持つ少年が入ってきた。珍しい時期の新規生となったその少年は、その頃には既に不良少年と知られていた竜也と寸分変わらぬ容姿を持ち、周囲を驚かせた。

 

「そうか、君もスドウっていうのか」

 

 そのもう一人のタツヤである辰也は、積極的に竜也へ話しかけて来た。竜也の方も同じ容姿と名前に不気味さを感じることなく受け入れ、2人はすぐに打ち解けた。授業が始まる前は宿題を教えあい、塾が終われば寄り道して遊んだりする。届くことのなかった無意識の声が、ついに初めての友達という形で聞き入れられた瞬間だった。

 

――この世界は間違いだ

 

 同時に、その声は一段と大きくなった。時にそれははっきりと聞こえ、辰也が喋っているのか、声が何かを伝えようとしているのか判別がつかない事さえあったほどだ。膨れ上がり続ける疑問に耐えかね、竜也はついに辰也に声の事を話した。

 

「ああ、それは電波って言うんだ。無意識からの呼び掛けだよ。まあ、自分という存在に耐えきれず、他者のせいにする、人間らしいやり方だね」

 

 意外にも、辰也はその疑問に対する回答をすぐに提示してくれた。その異常なはずの現象をさも自然な現象であるかのように嗤いながら説明を加える。理解できていない様子の竜也に、笑みを深くする辰也。何時もよりも何処か辛辣な様子のその友人は、

 

「ああ、つまり――その声のいうことは運命で、逆らえないって事さ。人によっては神の声っていうけどね」

 

 解りやすく言い直した。正しくは「竜也が納得する言葉で」だろうか。意味は依然として理解できなかったが、辰也の言葉は声を正しく言い表しているように思えた。まるで難しい算数の問題の解説を読んで納得出来た時のように、頭の中へと収まっていく。そして、

 

「まあ、電波には耳を傾けるといいよ? 何せ君自身の声――本当の自分の声なんだ。抑え続けることはできないし、従った方がいい結果になる。だからこその運命なんだし」

 

 続く言葉は異常なまでに頭に響いた。難解なその言葉は理解以前に巨大な説得力を持って、竜也に「電波は自分の運命を告げる神のようなもの」と刻み込んだ。否。思い出させた。竜也の感覚としてはそう書いた方が適切だろう。なにせその声は「かつて聴いたことがあり」「同じ説得力を持っていた」のだから。既視感に意識を奪われ、思わず立ち止まる竜也。

 

「じゃあ、僕はこれで」

 

 しかし、その声で我に返る。いつの間にか辰也といつも別れている公園に差し掛かっていた。辰也の背中を見送りながら、同時に手の中の慣れた感触に気が付く。そこにあったのは黒い蝶のエンブレムが施されたライター。なぜそんなものがあるのか。そんな疑問を持つこともなくそれをポケットにしまうと、竜也は自宅へと戻っていった。

 

――この世界は間違いだ

 

 それから数か月、竜也は聞こえてくる声に耳を傾け続けた。その度に黒いライターをいじりながら、電波が伝えようとしている内容を考える。改めて周りを見回していると、世界は「間違い」だらけだった。大人は世間体にしがみつき、他人を指さして嗤い続ける。こども達もそれに習い、成績が悪い他の生徒を見下す。自分の存在意義を主張するため他の誰かを嗤うその姿は、竜也自身が嗤われる対象だったこともあり、「間違い」として映った。しかし、

 

――この世界は間違いだ

 

 電波の告げる「間違い」は、そうしたくだらない人間のつまらない一面を指すのではなく、もっと根本的なものを言っているように思えた。だが、それが何なのか分からない。否、思い出せない。辰也に聞いてみても、

 

「もうすぐわかるよ」

 

 という返事が返ってくるだけだ。知っている筈なのに思い出せない自分にイライラし、それが爆発しそうになった時、

 

「今日ぐらいには分かるんじゃないかな?」

 

 辰也からそう告げられた。塾で授業が始まる直前だったこともあり、その意味を詳しく聞くことは出来なかったが、それは強い予感となり、根拠のない確信を竜也に与えた。

 

 そしてその確信は、授業中に先生が倒れるという形で叶った。

 

 慌てる生徒や事務員にごしに救急車に運び込まれる先生を、竜也はそれをある種当然のように見ていた。別にその先生に何か病気の兆しがあったわけではない。それどころか、つい数分前まで雑談に笑う生徒を楽しそうに見ながら授業をしていた。そんな先生が突然倒れるという異常事態。だが、竜也はこれも運命がやったのだろうとひどく納得しながら見ていた。

 

――あの先生は、生きているのが間違いで、死ぬのが正しかったんだ。

 

 辰也を見ると、そこにはあの時と同じどこか辛辣な笑みでもってそれを見続けている。自分も同じ笑みを浮かべているのだろう。顔が歪んでいるのが分かった。

 

「まあ、運命だからね。仕方ないよ」

 

 授業が中止になり、普段よりずっと早い時間に歩きなれた道を進みながら、辰也がそんな感想を漏らす。頷く竜也。それに満足そうに笑うと、辰也は

 

「そうそう、せっかく早く終わったんだし、君の家に遊びに行っていい?」

 

 そう切り出した。再び頷く竜也。

 

「そう。それは良かった。きっと運命がもっと面白いものを見せてくれるよ?」

 

 そう言って先導するように歩く辰也。

 

 そして、たどり着いた自宅では、

 

「いかがでしたか?」

「ええ。なかなか良かったわよ」

 

 リビングから母親と男の声が聞こえた。辰也が不自然なほど静かにドアを開いたせいか、2人がこちらに気付いた様子はない。辰也はまるで自分の家の様に竜也を手招きし、丁度母親とその男を覗き見ることが出来る扉の影へと誘導する。そこには、乱れた服を治しながら話す母親と見知らぬ男が見えた。

 

「では、例の件は……」

「ええ。取り計らっておくわ」

 

 机の上に目を向ける母親。そこには、やけに分厚い封筒があった。中途半端に開いた中には札束が見える。

 

 ナンダコレ

 

 頭に響くのはそんな疑問。口に出してもいないその疑問に、辰也がささやくように答える。

 

「これは、不倫に賄賂だね」

 

 違う。

 

「まあ、政治家ならよくあるんじゃないか」

 

 そんな事を聞きたいんじゃない。

 

「相手は建設会社……談合での根回しじゃないかな?」

 

 そんなことより、

 

 死ンダハズノアイツガナンデ生キテンダ?

 

 

 

 竜也は目の前の光景に見覚えがあった。間違いなく母親は汚職に手を出していたし、その金を自分の体面を取り繕うために使っていた。誰かを嗤うために、また自分が嗤われないようにするためにあんなに醜い行為をしている。それを見た時、自分はどうしたんだったか。

 

 目の前が真っ赤に染まる。

 

 気が付けば、竜也は血まみれのナイフと黒い蝶のライターを持って炎の中に立っていた。目の前には、死骸が2つ転がっている。

 

――この世界は間違いだ

 

 炎に包まれながら、そんな声を聞いた。

 

――お前が今幻に見た、嘗てお前が存在していた世界こそ正しい。

 

 電波が、運命が告げる。

 

「イヒ、ヒ……」

 

 気が付けば、竜也は嗤っていた。

 

「ヒヒ、ヒ……ヒャーハッハッハッハッハッハッハッハッハァッ!」

 

 天啓のごとく響く電波に感化されてのものか、母親をもう一度殺すことでかつての狂気にとり憑かれたためか、長らく胸の中でくすぶり続けた感情が暴発したせいか。いずれにせよ、竜也はその時はっきりと殺人と放火に強い快楽を見出していた。どんなに努力しても認めなかったがために思い通りの評価を与えてくれない相手を殺害し、燃やす。その八つ当たりにも似た感情を満足させるのは、異常な興奮を与えてくれた。

 

 

 

 自宅の消失は単なる事故として処理された。やはり体面を気にした父・竜蔵が、自宅にころがっていた遺体を見て、すべてその男のせいにしてしまったのだ。有力な政治家である竜蔵の元に不法侵入した男が、家にいた妻に暴行を加えようとした。が、偶然塾から早く帰ってきた息子・竜也に邪魔をされる。逆上した犯人は家に放火。しかし、こどもを逃がそうとする妻に激しく抵抗される。結果、竜也は逃げることに成功するも、2人は焼死。都合のよいシナリオ。創り上げられた美談。それは竜蔵の迫真の演技もあり、多くの人々の同情と知名度を得ることが出来た。それはそのまま政治的な支持につながり、さらなる権力基盤を得ることとなる。満たされる権力欲に笑みをこぼす父親。竜也はそれを見て無意識に黒いライターをいじっていた。

 

 人間は醜い。それを散々見せつけられた。だから、

 

――この世界は間違いで、電波は正しい。

 

 

 

 竜也は電波に導かれるまま、放火と殺人を続けた。始めはボヤ程度の小さな事件しか起こさなかったが、中学、高校と上がるに従いそれは次第にエスカレートしていき、ついにはスーパーといった大規模な商業施設を燃やすまでになっていった。

 

「ヒャーハッハッハァ!」

 

 狂った笑い声を上げながら、現実を壊すように殺し続ける竜也。それは誰にも認められなかった竜也の唯一の逃避だったのかもしれない。が、その逃避行為は、通っている高校の先生――橿原明成と出会うことで単なる快楽を得る以上の意味を持つことになる。

 

「……その電波のこと、詳しく聞かせてくれないかな?」

 

 誰にも認められなかった竜也に初めて差しのべられた手。それは誇大な妄想にとりつかれた憐れな男の手だった。が、竜也はそれを掴んだ。今まで快楽を得るためだけの行為に、意義と大義が与えられたのだ。それも他人から。「電波が告げるから」という理由は言い訳から他人の正当な評価へと変貌し、

 

 そして投獄された。

 

 導かれるまま放火した神社で、気がつけば警察に拘束されていたのだ。今まで殺してしまうが故に受けることがなかった反撃に意識を失った挙げ句、訳の分からない化け物に殺されかけたショックで大して抵抗も出来なかった。いや、殺されかけたのではなく、事実死を経験したのだろう。あの少女の格好をした化け物の悪意に包まれた後、竜也は妙な場所に立っていた。神殿、とでも表現出来るだろうか。ギリシア神話にでも出てきそうな柱に、西欧の宮殿にでもありそうな天井。床と思しき足場には、複雑な魔法陣の様な図形が車輪の様に回っている。外にはまるで魂のように輝く星の海が広がっていた。こう描くといかにも美しい場所のようだが、まとわりつく空気の重さと不快感は尋常ではない。ただ立っているだけでも、まるで感情を逆撫でされたような錯覚すら覚えた。

 

「ようこそ。普遍的無意識の私の領域……私の世界へ。よくぞ来た」

 

 そこへ、辰也が表れた。あの事件以来、姿を消し、報道でも名前すら上がらなかった自分と同じ容姿を持つ男。成長してもなお同じ特徴を持つ辰也を、竜也は睨み付けた。その顔に張り付く嘲笑と傲慢さは、間違いなく自分を嗤い続けた人間のそれだったからだ。

 

「クックッ……そう睨むなよ。私はお前が気に入ったんだ。どうだ、似合ってるだろうが」

 

 が、辰也はその調子を崩す事なく続ける。まるでずっと竜也を見てきたかのような言いように、

 

――誰だ、テメェ?

 

 そう問いかけていた。

 

「ククク……俺は、お前だ。よく知っているだろう? お前が向こう側にいる時からずっと。願っていた筈だ。復讐を。抱いていたはずだ。理想を通り越した破滅を」

 

 それに実に楽しそうに答える辰也。否、そこにいるのはもはや辰也ではなく、竜也だった。それを自覚したと同時、

 

 廃墟が広がる世界。

 そこに上がる炎。

 その炎は地下に構築されたシェルターからのものだった。

 シェルターの奥で火をつけたのは、

 

 紛うことなく自分自身。

 

 それはまぶたの裏に甦った嘗ての記憶だった。不確かなビジョンや声などではなく、明確な記憶。かつて見たその光景は、ついに自分の末路まで映し出した。自らが火を放ったシェルターの床が崩れ、それに呑み込まれたのだ。対峙していた見知らぬ男に叫びながら堕ちていく竜也。

 

――お前が行く先にある世界は、間違いだ

 

 そこに響く電波の声。その声を背に記憶を抜けた先には、あの神殿で見たような星空があった。過去の邂逅を経て現実に戻り、死んだ木々に囲まれた神社で目覚めたのだ。その後、放り込まれた病院という名の監獄で、竜也は床に転がっている携帯型のコンピューターを見つける。まるで幻覚から抜け出してきたかのように、白い床に転がるそのノートPCに似た機械には「ヴィネコン」という文字が刻印されていた。懐かしさすら覚えるそれに手を伸ばし、手慣れた動作で立ち上げる。

 

――DDS Program Load

 

 文字と共に画面が表示される。内容は知っている。悪魔だ。

 

「ヒャハ……イヒヒヒ……ハハハッ……ヒァあーッはっはッハッハッハァ!」

 

 再び与えられた力に狂喜の声をあげる。

 

 この力で、神託を成就させなければならない。

 間違ったこちら側を壊さなければならない。

 復讐しなければならない。

 

 俺を殺したアイツにも、思い出させなければならない。

 

 そのために悪魔を呼び出した。

 悪魔から得た魔法や力を使って、邪魔をするマフィアも殺した。

 シェルターにも呼び出した。

 

 しかし、

 

「っ!? な、なぜだぁぁぁああ!」

 

 その結果は過去に見た幻想と何も変わらなかった。少女に蹴られて堕ちていく竜也。

 

 訳が分からなかった。今度こそうまくやったはずだった。嘗ての記憶を利用し、今度は自分を殺したアイツが穴に落ちるはずだった。自分は神託を授かる選ばれた存在の筈だった。

 

「認めねぇ!! 俺は誰だ!! オレは、俺はチャネラーだった筈だ!! あの世界は間違いだった筈だぁ! ぬぅああああああああ!?」

 

――力が欲しいか……? ならば望め……憎め……憎悪の炎に身を焦がせ……

 

 そこに響くのは、やはり電波の声。

 

――力が……欲しい……! アイツラをブチ殺せる力が……!!

 

 それに答えるは竜也の叫び。

 

――願いは届いたぞ……捧げられし贄はお前自身。ククク……。道に迷いし愚かな男よ。汝が欲する力とやらをくれてやろう。

 

 その声とともに、コートの下のヴィネコンが光る。画面に表示されているのは真っ白な顔の無い「無謀の仮面」。同時に自分の中に何かが入り込んでくるような感覚。それは電波を受信した時の感覚に似て、

 

「ああああああああ!? や、やめろぉおっぉぉ!」

 

 自分を蝕んでいった。慣れ親しんだはずの感覚に叫ぶ竜也。その電波は間違いなくいつも聞いている声だった。自分を導いてくれる存在だった。

 

 そして、その声は、間違いなく自分自身の声だった。

 

 その事実に初めて気づく竜也。電波は自分。神の啓示などではなく、自分自身の欲望の声。その無意識に抑圧してきた自分自身が、まるで今の自分を押し潰すように広がっていく。それは急速に湧いてくる怒りや悲しみに似ていた。逆らえない衝動が沸き上がり、

 

「ぉぉァァアア゛あ゛アア!」

 

 今の自分ごと、この世界を焼き尽くした。

 

 

 † † † †

 

 

 悪意を込めて撃ち出される炎。強い憎しみを持って襲いかかるそれを、孔はギリギリで避けていた。

 

《2時方向よ》

 

「っ!」

 

 I4Uの声に慌てて飛び退く。同時に響く爆発音。次いで襲ってきた熱風に吹き飛ばされながら、孔は自分の身に起こった異変を感じ取っていた。

 

(身体が、重いっ!)

 

 先程、目の前の異形に刃を触れてから、異常に動きが鈍くなっている。孔には思い当たる節があった。それは刀が届いた瞬間。期待していた硬質の物を切り裂く手ごたえは全くなく、代わりに何か自分から引き抜かれるような感覚に襲われたのだ。事実、いつも手に馴染んでいたはずの剣は刀身が半ばから消え去り、使い物にならなくなっている。

 

(やはり何かされたか……?)

 

 刀身が半分ほどになった剣を見ながら考える。ゲートオブバビロンを開こうともしているが、いつものように術式を起動しようとしても全く動く気配がない。どうやら、相手は力の一部を封じる能力を持っているようだった。

 

(狂戦士も使えない……こうなると幻想殺しも危険だな)

 

 意図して状況を冷静に分析する孔。そうしなければ、頭の中で渦巻く記憶に飲み込まれそうだった。

 

――下……崩れる……

 

 それは、つい先程、シェルターの掘削現場で起きた。追い詰めた筈の竜也がカウントを始めた時、女性の声が響いたのだ。

 

「はっ……?! 飛べっ!」

 

 気がつけばそう叫んでいた。床の崩落という一瞬の幻覚。それを再現するように本当に崩れる足場。フェイトが落ちかかった事もあり、その時は何とか抑えたものの、女性の声は未だ続いていた。

 

――思い出して

――捜して

――私の……

 

 断片的でよく聞き取れないが、何かを必死に伝えようとしているのが分かる。それはあの廃墟のビジョンや温泉の時に見た喰い千切られた女性を伴い、時に視界を奪った。

 

《10時方向……かわしてっ!》

 

「っく!」

 

 それでも、I4Uの声で何とか避け続ける孔。

 

(……意味不明な力に頼りすぎたな)

 

 何時もの力が使えないだけで苦戦する自分に自嘲する。だが、文句を言っても始まらない。孔は大部分が封印された魔力で反撃に移った。

 

「スティンガースナイプ」

 

《Stinger Snipe》

 

 いつもの百分の一にも満たない魔力で造り出した弾丸を打ち出す。強い貫通力を持ったその弾丸は、

 

「ばぁぁぁあああがぁぁあああ!」

 

 しかし前足で簡単に弾かれてしまった。そのまま足で踏みつぶそうと迫る悪魔。当たれば即死の攻撃を何とか避ける。

 

(……やはり狂っている……動きが雑だ)

 

 疲労に思考を奪われそうになりながらも、状況の分析を続ける孔。相手の直線的で大ぶりな攻撃は読みやすく避けやすい。問題はカウンターをとったとしても現状の魔力では有効打を与えられない事だろう。事実、本来ならば貫通して本体に届くはずの魔弾は容易に弾かれてしまった。

 

《My Dear, 顔よ》

 

 攻めあぐねる孔にI4Uが話しかける。視線をあげる孔。そこには、何もない空洞があった。

 

(っ!?)

 

 全身の産毛が逆立つような感覚に襲われ、思わず顔を背ける孔。その本来あるはずの顔に開いた穴からは異常な狂気を感じた。その狂気は纏わりつくように孔の五感を奪う。反らした筈の視界は目を閉じた時にまぶたに写る模様に覆われ、激しい戦闘を伝える耳には狂人の叫び声が響いた。吐き気がこみ上げ、

 

――後ろ……そこにいてはダメ……

 

 女性の声に後ろへ飛んだ。すぐ横で怪物の前足が空気を震わせる。吹き飛ばされる孔。激痛が走る。直撃は免れたものの、左腕が血まみれになっている。

 

《My Dear!》

 

「大丈夫だ」

 

 悲鳴をあげるI4Uに短く答えると、折れた剣で服を切り裂き、包帯がわりに巻き付けて止血する。孔は目の前の悪魔に目を向けた。後ろには修やフェイト達、脱出したであろうクラスメートもいる。場合によっては先生やアリスも様子を見に来ているかもしれない。このまま引き下がる訳にはいかなかった。

 

(まだだ……腕をえぐられた感覚じゃ、あの皮膚は破壊不能なほど固いものじゃない……多少のダメージは覚悟で、強力な一撃を加えれば……)

 

 激痛を思考で塗り潰しながら、孔はなけなしの魔力を両手に集め、I4Uへと指示を出す。

 

「接近する……I4U、タイミングが来たら、相手の顔の位置を教えてくれ」

 

《……Yes, My Dear.》

 

 造り出したのは60cm程の魔力の刃。それを構えて、

 

《Blitz Action》

 

 リニスから教わった移動魔法で一気に距離を詰めた。相手が爪を振り上げると同時、孔は目を瞑って飛び上がる。

 

《12時方向、60度下よ》

 

 空洞の顔がある方向を叫ぶI4U。それに従い剣を投合する孔。同時に襲ってくる衝撃。爪が振り下ろされたのだろう。I4Uがバリアを展開するも、普段ならいざ知らず今の魔力では受けきれない。

 

「ぐ……ぁっ!」

 

 声が漏れた。ミシリと左腕が音を立てる。折れた。そう認識する間もなく、地面に叩きつけられる。

 

「がァァああ?!」

 

 しかし、響いたのは狂人の咆哮。飛びそうになった意識が引き戻された。見ると、顔の空洞に魔力の剣を突き刺さした悪魔がのたうち回っている。

 

――summon

 

「ナイトメアっ! パスカル、頼んだ」

 

 孔は地面を這いながらも信頼する悪魔を呼び出す。自らを囮として召喚した悪魔はその役割を忠実に果たし始めた。

 

「ニンゲン、ちょっと弱った?」

 

――タルカジャ

 

「アオォーンッ! 主ヲ傷ツケタ貴様……八ツ裂キニシテクレル!」

 

――アイアンクロー

 

 ナイトメアが使ったのは攻撃の意思に反応して運動力を高める術式。それはケルベロスの爪で切り裂こうという闘志を確実にとらえ、普段の数倍の筋力を与えた。結果、鋼の強度を持った爪は驚異的なスピードでもって襲いかかる。

 

「いいぃぃいいいぎゃぁぁああ!」

 

 岩盤のように硬質化した皮膚を引き裂かれ、人外の悲鳴をあげる竜也だったモノ。しかし、孔は止まらない。I4Uに付属の銃を抜き、トリガーを引いた。ナイトメアの術式は撃ち出された魔力弾にも作用し、弾速を加速させる。それはケルベロスがつけた傷に突き刺さり、直接体内をえぐった。

 

「ぢ、ぢくしょう、畜生畜生畜生畜生畜生ぉぉぉおおおっ! 死、死死死ねぇぇぇええ!」

 

――アギダイン

 

 激痛にのたうちながら炎を撒き散らす悪魔。それは身長の数倍はあろうかという巨大な火球となって孔へと迫る。

 

「悪意ノ炎ヲ主ニ届ケルワケニイカヌ!」

 

 が、それはケルベロスによって阻まれた。まるでボールでも打ち返すように炎の塊を前足で殴り飛ばす。火球は逆に異形へと激突した。よろめく巨体。それを見逃さず、孔は再び狙いをつける。しかし、

 

(っ! 傷が再生しているっ!?)

 

 先程の傷はもうなくなっていた。構わず魔力弾を打ち込むも、固い皮膚に弾かれてしまう。

 

《あの悪魔の身体、魔力を弾くみたいね。しかも魔力を浴びて再生した……実弾じゃないと効果が薄いわよ》

 

「実弾、か」

 

 チラリとI4Uへ視線を送る孔。シェルターで走っていた時と同じ、チカチカとコアを点滅させて何か複雑な表情を伝えている。

 

(あの銃を使え、という事か……)

 

 言葉に出さずとも意図を察する。が、正直なところ気が進まなかった。今まさに過去のビジョンらしきモノに悩まされているのに、手にした瞬間それが浮かんだあの銃を使うのは憚られる。

 

(いや、怖い、というのが正直なところか……)

 

 そんな精神面での理由だけではなく、孔は自分に感情的な理由を見いだしていた。人格が経験により形成されるのならば、過去の記憶が人の精神を形づくるといっていい。ならば、過去の記憶――それも一度は失うほど悲惨なモノを取り戻す事で、今の自分にどれ程の影響があるだろうか。ちょうど目の前の異形に姿を変えた竜也のように、全く別の本性を持っているかもしれない。過去の記憶が気になりながらも最後の一歩を踏み出すには強い抵抗があったのだ。

 

《My dear. 戸惑うのは何故?》

 

 そんな葛藤を見透かしたように声をかけるI4U。その口調からは何処か苛立ちが感じられた。

 

「……いや、分かってる。I4U、銃をっ!」

 

 それを早く決断しない自分への声だと受け取り、孔は指示を送る。いずれにせよ他に選択肢がない以上、多少の精神的重圧と感情などは乗り越えるしかない。

 

《Yes, My dear!》

 

 光とともに手渡される銃。

 やはり異常なまでに馴染む。

 慣れた感触のまま悪魔に狙いをつけ、

 

「っ!?」

 

 一瞬、動きを止めた。そこにいたのは、竜也の成れの果てではなく緑の鎧を身につけた悪魔だった。その悪魔の前には自分を守るように立つ女性。しかし、その女性は悪魔の槍に身体を貫かれ、

 

「ォォォオオオ! 電波がァァあああ!?」

 

「コウッ!」

 

 叩き潰された。否。槍と思えた巨大な異形の腕を受け止めた。

 

「……ぁ?」

 

 異形は竜也。それを受け止めたのは移転してきたリニス。しかし、未だ過去の幻想のなかにいる孔にはそう見えない。

 

 リニスが悪魔の腕をシールドで防いでいる。

――最愛の人が悪魔の凶刃を自らの肉体で防いでいる。

 

 しかし、冷酷にもシールドはヒビが入る。

――しかし、無惨にもその身体は悪魔の槍に貫かれる。

 

 苦悶の表情を浮かべるリニスに、異形が放った炎が襲いかかる。

――血を流す恋人に、何処からか現れた悪魔の群れが襲いかかる。

 

 それは、容赦なく死を運び――

 

「うぁぁァァアアあ!」

 

 絶叫とともに引き金を引く孔。反動で吹き飛ばされたものの、その弾丸は悪魔を間違いなく撃ち抜いていた。しかし、過去の幻想はより鮮明になって続く。あの2500メートルの地下。喰い殺された恋人は悪魔の贄となってなお生き続け、助けを求め続けていた。そして、それは今もなお続き、ノイズ交じりの声となって響く。

 

 

――捜して……私の……

 

 

 そして、孔は幻想の中で目を覚ました。

 

 

 倒れ込む自分を心配そうにのぞき込むのは大切な人。

 

――メシアライザー

 

 自分を護ろうと傷ついた、その女神にあらん限りの祝福を。

 

――創世の昔、神は土くれより人を創られた

 

 そして、悪魔と化した憐れな男には

 

――塵は塵に、灰は灰に

 

 救済を。

 

――その祈りの詞に表されるように、人々は還るべきところが約束された、祝福された存在なのだ

 

 安息を。

 

――故に私は願いを欲する

 

 永遠を。

 

――人の道を外れ、悪魔と化したこの者にも、死の安らぎは等しく訪れますよう……

 

 そして、死を――。

 

 異形に向かって幾千もの煌めきが走る。それはまるでお互いに反応しあうように引き付けあい、輝きを増していく。その輝きは一瞬にして膨れ上がり、

 

――メギドラオン

 

 大爆発を起こした。その熱と風は炎となって視界に写る全てを焼き尽くしていく。それは過去の幻想も例外ではなく、一切の景色を無で埋めていった。しかし、無に帰した世界でも愛しい人の声と姿は消えることなく、優しく背中を抱いてくれる。

 

「……由宇、香」

 

 孔はその温もりに身を任せ、意識を薄めていった。

 

 

 † † † †

 

 

「コウ、コウッ! しっかりして下さいっ!」

 

 どのくらい意識が無くなっていただろうか。呼びかける声に引き戻されるように覚醒する。妙に重い瞼を開くと、

 

「……リ……ニス?」

「大丈夫ですか!?」

 

 孔を抱きしめるリニスがいた。

 

「あ、ああ……」

 

 答えながらも、孔にはリニスと過去の幻想に見た女性が重なって見えた。未だぼんやりとした頭でリニスを見つめる。リニスは泣きそうになりながら孔の体を確かめ始めた。その優しさに包まれ、ようやく現実に戻りはじめる孔。周囲に目を向けると、先ほどの爆発で巨大な穴――虚数空間が出来ていた。シェルターを空間ごと吹き飛ばしてしまったらしい。

 

(これは……俺がやったのか?)

 

 過去のビジョンの中での自分に唖然とする。しかし、はっきりと残る記憶と意識はそれを否定してはくれなかった。目の前の惨状を当たり前のように引き起こした自分に手が震えている。

 

「コウ……」

 

 その手を温もりが包み込んだ。リニスだ。手を握りしめながら、心配そうに声をかけてくれる。

 

「あ、ありがとう、リニス。でも、本当に大丈夫だ。外傷はない。魔力も元に戻っているし……」

 

 孔は慌てて誤魔化すように身体を離し、自分の力を確かめた。魔力は普段の量に戻っているし、ゲートオブバビロンも開くことが出来る。それどころか、アロンダイトも刀身が元通りになっていた。調子は悪魔との交戦前よりもいいくらいだ。が、リニスは再び抱きしめることで孔の言葉を遮った。

 

「コウ、何があったのかは無理には聞きません……でも、もし話す相手が必要ならいつでも言ってください。私は、貴方の使い魔なんですから」

 

 それだけ言ってすぐに離れるリニス。無理に聞く気はないというのは本当なのだろう。危険をかえりみず助けに来てくれたのだから、知る権利ぐらいはある。それを抑えこんでも気にかけてくれるリニスの心中はどれ程の感情があっただろうか。

 

「すまなかった。落ち着いたら、話す」

 

 孔はそれに甘える事にした。リニスまで得体の知れない過去に巻き込むのは憚られたものの、誤魔化すよりはその気持ちに応えたかったし、何より孔自身が痛みを聞いてくれる誰かを求めていた。そして、リニスならばその誰かにふさわしいと思えた。ただ、今は頭が混乱している。落ち着いたら、話を聞いてもらおう。他の誰にも話せない話を。

 

(これもリニスをあの人と重ねてか、それとも……)

 

 未だリニスに地下2500メートルの記憶に見た面影を見ながら、孔は後ろのシティホテルへと向き直った。

 

「フェイトさん達を助けに行こう。皆待っている」

「コウ、もう無理は……」

「止めないでくれ。もう、後悔したくないんだ」

 

 リニスに悪いと思いながらもそう告げる。少しの沈黙の後、リニスはただ孔の手を取り、

 

「私も行きます」

 

 そう言ってくれた。

 

 手を握り返す孔。

 そのまま引き裂かれた地上を飛び上がる。

 

 2人は魔力光を引いて、夕日で炎のように赤く燃える天上へと舞い上がっていった。

 




――Result―――――――
・厄災 ジュエルシード暴走体Ⅷ 封印
・外道 ブロブ   マジックアイテムの冷気により凍死
・堕天使 アイム  宝剣により斬殺
・妖獣 アペプ   電撃により消滅
・夜魔 エンプーサ 電撃により消滅

――悪魔全書――――――

邪神 顔の無いスフィンクス
 近代アメリカにて生み出された架空の神話体系、クトゥルフ神話に登場する、ニャルラトッテプの化身のひとつ。鋭くとがった鉤爪に禿鷹の翼、ハイエナの胴体、教皇冠を身につけた姿で描かれる。名前の通り顔は持たず、古代エジプトにおいて「暗黒のファラオ」ネフレン=カにより崇拝されたという。

――元ネタ全書―――――

道に迷いし愚かな男よ。汝が欲する力とやらをくれてやろう。
 女神異見聞録ペルソナより、某ボス・キャラクターにかけられた台詞から。勿論「無謀の仮面」も同ボス・キャラクターのドロップアイテム。

ヴィネコン
 デビルチルドエレンより、COMPの代わりとなるアイテム。召喚銃がグラフィックの中心なので、いまいち印象が薄かった記憶が……。

――――――――――――


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第16話a 天上666mの激震《壱》

――――――――――――

「クルス。来ていたのか……」

「あ、朝倉神父。お疲れさまです」

 貸し切ったシティホテルのレストランから海鳴の街を眺めていると、朝倉神父に声をかけられた。以前コウが訪ねてきた時に謝ってから何かと面倒を見てくれる事もあり、今は呼び捨てにしてもらっている。

「……抗争になるかもしれないな」

 窓の外の町並み――じゃなくて、ホテルの下へ目を向ける神父。ここからは見えないけど、そこには同胞に混じっておぞましい異教徒が闊歩している筈だ。まあ、別に見たくもないけど……。

「本当に警護を引き受ける気かね?」

「はい。私も戦うだけの力はありますから」

「……そうか」

 管理局員として、そしてメシア教徒として答えると朝倉神父は暗い声をだした。この世界では私くらいの年齢のこどもは庇護の対象でしかない。あれだけの力と大人びた精神を持っているコウですら、まだ義務教育を受けているくらいだ。

「大丈夫ですよ。一応、訓練を受けて、テンプルナイトの称号も持ってますし」

「常識の違いは分かってはいるつもりだがね。私としては神の子を戦場に送りたくはないのだよ」

 どこまでも心配してくれる朝倉神父。でも、その温もりは、

「時間だ。私は戻るけど、もし危なくなったらすぐに教会へ逃げこんでくれ」

 遠くの時計台が鳴る音で離れていった。

 まるで、あの時のお父さんみたいに。

――――――――――――クルス/海鳴タワーホテル



「せっかくの料理なんだし、もっと楽しみなさいよ。あ・な・た」

 

「その呼び方は止めろと言った筈だ」

 

 時は遡り、孔達が社会見学の自由時間を過ごし始めた頃。シティホテル最上階にある高級レストランで、士郎は夏織と昼食を共にしていた。勿論、ただの昼食ではなく、奥のVIPルームで会食をしている氷川とトールマンの警護のためだ。士郎のいる一般に解放された部分は入口に面している上に窓から外を見渡すことができる。このホテルはツインタワーとなっており、相対する棟からの狙撃も含め周囲を警戒するという意味では妥当な場所なのだが、

 

「あら。夫婦なんだしいいじゃない?」

 

「……よくない」

 

 夏織はこのレストランをわざわざ夫婦として予約していた。来る途中も腕を組んで歩こうとしてきたし、呼び方も「あなた」で通している。わざわざ高価な香水をつけてきているあたり、嫌がらせのつもりなのだろう。

 

「第一、ここのレストランにまともな従業員も客もいないだろう?」

 

「あら。気づいてたの? 平和ボケしてなくて助かったわ」

 

 苛立たしげに声をあげる士郎にクスクスと笑って見せる夏織。白々しい事この上ない。従業員も胸の不自然な膨らみを見れば拳銃を携帯しているのが分かるし、客もいつでも飛び出せるような体勢を保っている。何よりも食事を楽しんでいる雰囲気など微塵もなく、異常な緊張がこの場を支配していた。

 

「宗教対立に駆り出された訳か」

 

「さあ? 私は依頼を仲介しただけだし?」

 

 未だにしらを切り続ける夏織を苦々しく思いながら士郎は周囲を警戒していた。明らかに此方に敵意を向けているのは数名。従業員として店内を忙しく動き回る男女と、客として向かって右側のテーブルに高齢の女性と筋肉質の男性。そして、その2人と一緒に家族連れに扮して座る、

 

「あんな小さな娘まで……」

 

 なのはと同じ位のこども。まだあどけなさを残しながらも、雰囲気は戦士のそれだ。紛争地域の出身だろうか。時おり談笑しながらも此方を気配で伺っている。

 

「あら? 気になるの?」

 

 思わず漏らした言葉に夏織が反応する。心の中で舌打ちするが、時すでに遅し。しっかりと嫌味が始まった。

 

「まあ、貴方も恭也も同じ位の歳の子に手をあげたんだから、人の事言えないんじゃない?」

 

 押し黙る士郎。夏織に何か言い返すと数十倍の嫌味が返ってくると経験で知っている。もっとも言い返さなくともそれは同じで、

 

「卯月孔君、だっけ? 翠屋、潰れなくてよかったわねぇ? まあ、例の倒壊事件のお陰で小さいニュースで済んだから、あの女の子――なのはちゃんのクラスメートだけど、死んでよかったってところかしら? 人が死なないと大したニュースにもならないものね。あ、大怪我した卯月君もなのはちゃんと同い年だっけ? よかったわね。あなたの娘だけは無事で」

 

 見えすいた挑発に歯を食いしばって絶える士郎。つい先日、園子の通夜には出たばかりだ。その時の伊佐子は未だ脳裏にはっきりと思い浮かべる事ができたし、サッカーチームでの園子の活発な様子は未だ鮮明に思い出す事もできる。なのはとは違うタイプとは言え、士郎にとって園子も決して他人ではなかったのだ。まるでその死を祝福するかのような夏織に剣を抜きそうになるのを、士郎は必死に抑えた。

 

「そのなのはちゃんだけど、今ごろこのタワーの地下シェルターで社会見学中ね?」

 

「……何が言いたい」

 

 が、なのはの名を持ち出され、つい苛立たしげな声をあげてしまう。夏織は士郎の放つ殺気を嘲笑うかのように続けた。

 

「別に何も? ただ、貴方は何も変わらないと思っただけよ」

 

 それはどういう意味か。それを問いかけるまもなく、

 

《火事です。火事です。地下で、火事がありました。避難してください。繰り返します。火事です。火事です……》

 

 けたたましいサイレンとともにアナウンスが流れた。同時に立ち上がる夏織と士郎。奥のVIPルームへと向かう。誰に邪魔される事もなく開いた扉の先には、

 

「始まったようだな」

 

「……そのようです」

 

 平然と会食を続けるトールマンと氷川がいた。サイレンが響いているにも関わらずここだけ静寂が続いているかのような冷たい空気に思わず立ちすくむ士郎。が、すぐに失礼しますと一礼し、落ち着いた動作で氷川に耳打ちする。

 

「氷川さん、地下から火が」

 

「ああ、君は不破君が連れてきた外部の護衛者だったな。これは織り込み済みだ。気にせず護衛を続けたまえ」

 

「織り込み済み……というと、火災は擬装ですか?」

 

「いや。実際に起こったのだろう。我々も地下シェルターに手を出せるほどの用意はない」

 

「は? しかし、それでは」

 

「いや。私に避難の必要はない。それより、君の娘がシェルターの社会見学に来ていると聞いている。ホテル外周の警備に移るといい」

 

 氷川の反応に、士郎も流石に混乱した。火災は想定外だというのに、それは予定されていたことで避難も必要ないという。更にはなのはの事も把握している。一見矛盾しているような言葉に異様な冷静さ。果たしてそこにはいまだ知らされていない計画があるのか、それとも単純な善意なのか。その真意は計りかねたが、いずれにせよなのはの事は気になるし、依頼内容の変更にも応えなければならない。士郎は一礼を返すと、外へと走り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ふん。関係ない者まで利用するとは、ガイアの徒に規律はないと見えるな」

 

「無関係な方が互いの損にならなくてよいでしょう?」

 

 士郎が出ていった後、夏織はVIPルームに残り、氷川とトールマンの会食を見続けていた。会食、といっても両者とも目の前の豪華な食事には一切手をつけず、ただ硬直した雰囲気が流れている。

 

「ふむ。確かに神の恩恵を忘れた異教徒の行く末等気にすべくもないが、利で結び付いた関係などすぐに崩壊しよう。貴様が徒弟を崩したようにな」

 

「理性は感情と切り離されてはじめて機能するものです。そのためには……」

 

 尊大な口調で接するトールマンに、氷川は丁寧な物言いながら冷笑しているかのような口調で返す。

 

「分かっている。例の宝石は用意させよう。ただし……」

 

「ええ。竜の代わりとなる例の書は用意できています」

 

 確認しあう氷川とトールマン。トールマンは近くにいた男に目で合図をし、一枚の書類を運ばせた。その書面はうっすらと光を帯び、血のような赤黒い文字が踊っている。トールマンはそこへ血判をおした。氷川もそれにならう。誓いの判を押された契約の書は風のない部屋で舞い上がり、2つに分かれ、2枚の文書となって舞い降りた。片方は氷川の手元へ、もう片方はトールマンの元へ。

 

(これがメシア教会謹製、契約の文書……)

 

 夏織はそれを珍しそうに眺めていた。実際に目にするのは初めてだが、話には聞いた事がある。メシア教会に、契約を絶対のものとする文書があると。それは命と命を結び、もし違える事があれば魂ごと消滅させるという。

 

(それを持ち出してまで、欲しいナニかがあったって事ね)

 

 中途半端に聞いた限りでは、それは氷川にとっては「例の宝石」であり、トールマンにとっては「竜の代わりの書」のようだ。

 

(「例の宝石」はジュエルシードで、「竜の代わりの書」はあの4人の……まあ、今はどうでもいいわね)

 

 だが、夏織にとってはもっと優先すべき事があった。話が一段落したのを見計らって、静かに告げる。

 

「では、そろそろ……」

 

「ああ、茶番の第二幕に移ろう」

 

「あの宝石の制御、見せてもらおうか?」

 

 夏織に頷く氷川とトールマン。夏織は軽く会釈すると、士郎と同じ外周へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

(ホテルの外周、か)

 

 非常用の階段を駆け降りながら、士郎は思案を巡らせていた。ホテル上層部の警備はメシア教徒が担当しており、時折銃を向けて警告してくる。その度に氷川から受け取ったIDカードを見せ、許可を得なければならなかった。地下で火災が起こったというのにその厳重な警備は崩れる気配がない。

 

(恐ろしい組織力だな……)

 

 命の危険も省みず任された役目を全うしようとしているメシア教徒。選民思想の強い宗教だけあって、その結束力は想像をはるかに超えていた。一応許可はくれるものの、異教徒である自分にはまるでゴミでも見るような視線が向けられているのがはっきりと分かる。士郎はできるだけ刺激しないように通り抜けた。これだけ厳戒な体制の中に飛び込むのであれば、氷川が大枚をはたいて自分を雇うのも納得できる。しかし、

 

(せっかく雇った人間を自分から離れた位置に配置する意図は何だ……?)

 

 わざわざ護衛を離れさせる意味が分からなかった。織り込み済みならシェルターの様子を見に行かせる必要もない筈だし、部外者が囮に使える訳でもない。考えながら進むうちに一階まで降りた士郎は、護衛任務で迷いは禁物と手早く考えをまとめる。兎に角もなのはだ。氷川が存在を把握している以上、何か裏があった場合に愛娘を巻き込ませるわけにはいかない。例え罠だろうが早く駆けつけてやる必要があるだろう。そう思いながら廊下へ踏み出そうとして、

 

「っ!?」

 

 鋭い銃声で飛び下がった。慌てて支柱の影に身を潜め、様子を伺う。非常階段から覗いた廊下には、所々赤黒い血痕が見てとれた。

 

(襲撃があったかっ!?)

 

 予想外の出来事に刀を構える士郎。厳戒な体勢を敷いているメシア教徒達が落ち着いていた事もあり、ついひとつ上のフロアまでは戦闘の気配すら感じられなかった。が、非常階段から先の廊下には血と硝煙の臭いが充満している。そして、その死の臭いはロビーへと続いていた。

 

(まずいな……)

 

 ここから外へ出てなのはがいるシェルターへ向かうためにはロビーを通り抜けなければならない。上手くやり過ごさなければ巻き込まれて時間を余計に取られてしまうだろう。はやる心を抑えながら、士郎は息を潜めて廊下を進み始める。この辺りは倉庫になっているのか、廊下の所々に鉄製の扉が見受けられた。中の気配を確認しながら気配を殺して走る。一歩踏み出す度に銃声が近くなり、

 

(……? 獣?)

 

 同時に獣の呻き声のようなものも響き始めた。くぐもったその声は、廊下に低い反響を残し、銃声に比例するように大きくなっていく。疑問を抱えながら駆け続ける士郎。護衛を混乱させるために動物を使う例もあるにはあるが、市街地のホテルでそのような目立つ作戦は取れるはずもない。得体のしれない何かがいるという不気味な空気を感じ取ったものの、ロビーへ向かう足は止まらなかった。なのはが火の中に取り残されている可能性がある以上、多少の困難は乗り越えなければならない。気配を殺して血で汚れた絨毯の上を進み、

 

「っ!」

 

 その現場に出くわした。廊下の角から見えたのは必死の形相でロビーの方へ銃を構える男が2人。思わず士郎は刀に手をかけていた。銃を持つその手には、かつて炎の中で見たことのある竜の刺青が刻まれていたのだ。

 

(っ! 天道連……っ!?)

 

 憎悪に顔が歪む。それでもなんとか踏みとどまったのは、なのはが火災の起こったシェルターにいるという事実が頭にあったせいだ。組織で攻めてきている相手と交戦すれば、なのはの救助に間に合わなくなるかもしれない。

 

(落ち着け……天道連が氷川に雇われた護衛者側という可能性もある。それに、依頼はなのはのいる外周の警備だ。相手にする必要はない)

 

 自分を抑えるため努めて冷静に思考を巡らそうとする士郎。もっとも、氷川が雇ったという可能性は低いと見ていた。警察の目を誤魔化して白昼堂々とマフィアを動かすのはいくらなんでも不自然だ。相当な政治力で持って圧力をかければ別だが、一介の企業重役でしかない氷川には難しいだろう。ただ、温泉で夏織が依頼を持ってきた時にも天道連は見かけている。あの夏織の事だ。敵か味方かは別として、天道連をここへおびき寄せる事くらいはやってのけるだろう。後は氷川に適当な理由を言って天道連と接触する機会を作ればいい。近くに娘がいる。気が散って護衛どころではなくなるから、外に向かわせるべきだ。

 

(……いつもの嫌がらせか)

 

 ここで挑発にのって交戦すれば、夏織の思う壷だ。天道連が襲撃側なら物量を持つ組織と敵対することになるし、護衛者側なら士郎は裏切った事になり裏社会の標的になる。かといって、士郎にかつて御神を焼いた相手と共闘するという選択肢はなかった。苛立ちを抑えながら様子を伺う。まずは天道連の相手を見極めねばならない。マフィアが銃を向ける先を見ようとゆっくりと移動する。廊下の右端から左端へ。徐々に開けていく視界には、

 

 巨大な豹――否、豹の頭を持った化け物がいた。

 

 目前の異常に驚愕する士郎。全長3メートルはあるだろうか。人間の様に2本足で立ち、マントを羽織っている。しかし、全身は獣毛でおおわれ、豹の尻尾もついている。その見たこともない怪物は、両手に持った長刀をかざすと、

 

「干什么!? 不行!」(な、何をするっ!? やめろ!)

 

――ギロチンフェイク

 

 マフィアの首をはねた。血柱が天井を貫き、生首が宙を舞う。それはべちゃりと音をたてて地に落ちた。化け物と相対するもうひとりの男が絶叫をあげ、恐怖に任せ銃を乱射する。血塗れになりながらも意識を失わないのはならず者とはいえ組織に属する兵士だからだろうか。しかし、狙いも大してつけていないその弾丸は、化け物にやすやすと避けられていく。狭い廊下だというのに巨体を軽々と操るその怪物は、あっという間に距離を詰め、

 

――絶命剣

 

 そのマフィアを両断した。断末魔と血柱を残して崩れ落ちる犠牲者。士郎はそれを黙って見据えていた。血煙の向こうから豹頭の怪物が顔を出す。目があった。

 

「っ!」

 

 獣の視線が士郎を捉える。否、それは獣の目ではなかった。護衛者として人外の猛獣を相手にしたことはあったが、その目には単純に生き残ろうというある意味で純粋な意志しかない。そうした獣からは程遠い、底知れない闇を湛えた目がじっとこちらを見下ろしていた。悪意の結晶のような視線を前に、しかし士郎は冷静だった。久しく平和のなかで過ごし無縁となっていた凄惨な光景がかつての記憶と重なり、士郎に御神の剣士として冷酷なまでの平静を与えたのだ。静かに抜刀する士郎。

 

 怪物はそれを見て両手の剣を構え、

 

――ベノンザッパー

 

 突風を巻き起こした。風は転がっていた死体を無残に引きちぎりながら宙に巻き上げ、血と屍肉の雨を降らせる。士郎は刀を握りしめた。赤が視界を塞ぎ、風が聴覚を奪い、不快な肉が触覚を邪魔した。が、あの人も獣も逸脱した気配を見失う事はない。

 

(……後ろっ!)

 

 背中で膨れ上がる恐怖に似た感覚。それに向かって振り向きざまに斬りかかり、

 

――ククク。ニンゲンよ。私に剣を向けたところで、復讐も救済も果たせぬぞ?

 

 響く声に刃は空を斬った。同時に視界が晴れていく。化け物の姿はかき消え、後に残ったのは一面に死が撒き散らされた廊下だけだ。

 

「消えた……いや、消えてくれた?」

 

 先程の気配は完全に消えている。周囲を見渡しながら、士郎は刀を鞘に納めた。警戒を解いたわけではない。いつでも刀を抜けるようにしているし、呼吸もできる限り殺している。が、再び襲いかかってくる事はないとの勘があった。あの怪物の目から底知れない不気味さを感じたものの、殺気はなかったのだ。それより気になるのは、

 

(復讐に救済、か)

 

 化け物が残していった言葉だ。何故なのはがシェルターに取り残されているのを知っているのか。目の前のマフィアと自分との関係を把握しているのか。そんな疑問が頭をよぎるが、確かに今優先すべきは化け物の正体ではない。ロビーに目を向ける士郎。同時に足音が響き始めた。近い。

 

(っ! 化け物のせいで気付くのが遅れたか)

 

 普段ならば逃すことのない気配を感じとり、慌てて引き返そうとする士郎。しかし、廊下の奥からマフィアの仲間と思われる男は既にこちらを捉えていた。怒声と共に銃を構える。

 

「你呢!? 你的姓名!!」(なんだテメエ! 名を言え!)

 

 同時に響く銃声。士郎は冷静に横にある倉庫の扉を開いてそれを受け止める。轟音と衝撃。しかし無傷。見立て通りマフィアの持つ銃は粗悪品だったらしく、弾丸は扉を凹ませるものの貫通はしてこない。鉄針を構える士郎。銃撃が止んだのを見計らって、扉の隙間からそれを飛ばした。

 

――御神流『飛針』

 

 狙いは銃を持つ手。数ミリの隙間から放った鉄針は一直線に飛び、紛うことなく指を貫いた。激痛で銃を落とす男。が、後ろからは応援のマフィアが数名走ってくるのが見えた。

 

(数は少ない……なら、情報を聞き出すか)

 

 決断は一瞬。士郎は小太刀を抜刀すると片手に構え、空いた手にワイヤーを掴むと扉の影から飛び出した。

 

――御神流『神速』

 

 一線を引いたとは言え、その速度に衰えはない。常人には目視すら難しいスピードで相手に迫る。勢いのまま峰打ちで銃を叩き落とし、ワイヤーで縛りあげた。

 

「答えろ。誰に雇われた? 答えれば、せめて楽に殺してやる」

 

 突然の襲撃で悲鳴をあげるマフィア。士郎は自分でも驚くほど冷徹な声で問いかけていた。刀をマフィアの首筋に当て、

 

「相変わらず強引だね。そんな取引、流氓(ならず者)も乗らない。」

 

 後ろからの声で動きを止めた。聞き覚えのある、否、一度も忘れた事のない声。その声に振り返る士郎。ゆっくりと動く視界の隅が捉えたのは、

 

「貴様……ユンパオ」

 

 あの温泉で見た台湾マフィアだった。頬に向こう傷のあるその男は、狐のような目を細め、士郎に話しかける。

 

「あの時見かけたのは、やはりお前だったか」

 

「ここで何をしている?」

 

「お前と同じ……雇われて仕事をこなしているだけだね」

 

 そう言いながら士郎と同じIDカードを掲げて見せるユンパオ。雇ったのは氷川なのか夏織なのかは分からないが、どうやらこのマフィアは同じ護衛を目的としているらしい。士郎は表情を歪めた。

 

「非合法の武装したマフィアが何故町中で堂々と警備をやっている?」

 

「答えると思うか? ……だが、これなら教えてもいい。私は日本の新しい政府に協力してる。今ここにいるのも、台日親善だね」

 

 どうやら護衛以外に何か別の目的があるようだ。しかも夏織がわざわざ鉢合わせする機会を作っているということは、何らかの形で自分とも関係する可能性が高い。不破から高町へと姓を変え平和な日々を過ごしてはいるが、周囲を取り巻く人々は特殊な境遇にいるのだ。恭也と関係がある月村家など最たる例だろう。それに危害が及ばないとも限らない。

 

(……いや、それだけじゃないな)

 

 相手を探りながらも、士郎は自分の中にある目の前のマフィアを斬り捨てたいという衝動を自覚していた。大切な家族への危険を排除する以上に、嘗ての記憶は殺害を駆り立てた。静かに刀を握りしめ、

 

「っ!」

 

 構えたまま後ろへ飛び退いた。刹那、空気の刃が地面に突き刺さる。ついさっきまで立っていた床には巨大な爪でえぐったような亀裂が。

 

「大人しい鳩だと思っていたが……鷹だねっ!」

 

「待てっ!?」

 

 ロビーへと逃げるように去っていくユンパオに叫ぶも、再び感じた殺気に踏みとどまる。目の前を突風が刃となって走り、後ろの壁を切り裂いたのだ。

 

(なっ!? 鉄筋コンクリートを……っ!)

 

 驚愕しながらも廊下の先に目を向ける士郎。そこには、

 

「ふん。あれを避けるとはな」

 

 化け物がいた。先程の豹頭の怪物ではない。鳥の頭を持った怪物が此方を見下ろしている。豹の怪物と体格は同じくらいだろうか。黒い羽毛に覆われた巨体が2本足で立っている。しかしその腕は鳥の羽だ。羽といっても鉄のように鋭い光を放ち、さながら刃物の様にギラギラと光を反射していた。

 

――ギロチンフェイク

 

「くっ?!」

 

 その凶器とも形容できる腕を振り下ろす鳥顔の化け物。すんでのところで飛び退き、士郎は大きく距離を取る。斬撃が目の前を掠め、破壊音と共に床を抉った。

 

(夜の一族っ!? いや違う!)

 

 剣を構えながら、土埃が舞う廊下を睨みつける士郎。先程の豹頭と違い、今度は見逃してくれそうにない。視界を奪う埃から出て来た怪物の目が士郎を捉える。

 

「人間にしては速い……鬱陶しい事だな」

 

「っ! 一体、なんだ、お前は」

 

 話が通じるどころか日本語を平然と操る辺り知能は高いようだ。その奇妙な生物を士郎はじっと観察する。そんな士郎を嘲笑うかのように怪物は喋り始めた。

 

「ククク。私はね、貴方の祖先である御神宗家のなれの果てなんですよ」

 

「なんだと?」

 

 とんでもない事を言う怪物に目を見開く士郎。化け物はその反応を楽しむように続けた。

 

「貴方の親戚にも黒いカラスがいるでしょう?」

 

「っ!」

 

 確かに、いた。妹である同じ御神流の使い手・美沙斗だ。「あの事件」がきっかけで裏社会に身を投じてから連絡はつかなくなっているが、いつも黒い服を着込んで仕事に当たるため、「人喰いカラス」として裏社会には知られている。

 

(確かに黒い羽毛はカラスに見えなくもないが……)

 

 士郎は警戒しつつ観察を続ける。こちらの事に妙に詳しいのは本当に死に損なったのか、それとも単に何処からか仕入れた知識なのか。判別は付かなかったものの、嘘をついているようにも見えなかった。

 

「さて、子孫と一戦……といきたいところですが、この先の方舟で今まさに別の血が途絶えようとしていますね?」

 

 かなり遠回しな言い方だが、なのはの事だろう。警戒しながらも無言で頷く士郎。鳥の怪物は目を細めると、道を開くように巨体を廊下の壁へと寄せた。

 

「いいのか……?」

 

「勿論」

 

 剣を握りながら問いかける。完全に信用したわけではないが、この状況で争いを回避できるのならそれに越したことはない。豹頭の化け物が見逃してくれた事もあり、士郎は横を通り抜けた。何事もなく走り抜ける。その不気味な存在と距離が広がっていくのが分かった。そのまま廊下を進み、角を曲がる。完全に視界から消えた。気配と殺気も小さくなる。それは安心感を与え、

 

「勿論、嘘ですが」

 

――ザンマ

 

 後ろから強い衝撃を受けた。銃で撃たれたかのような激痛が走る。左肩をやられたらしい。刀を落としそうになるのをなんとか抑える。

 

「ふん。耐えたか……あれが気にするだけの事はある」

 

「……くっ!」

 

 ゆっくりと近づいてくる化け物に何とか体勢を立て直す士郎。が、相手が羽を振り上げたのを見て慌てて飛び退く。すぐ横を空気の弾丸が掠め、コンクリートが爆ぜる音が響いた。だがそれに気を取られている暇はない。その不可視の弾丸は連続で襲いかかってくるのだ。幸い直線的に動く弾丸の軌道は決して読めないものではない。弾丸の風圧を皮膚で感じながら、一気に距離を詰めて斬りかかる。

 

「ふん。動きは悪くないが……非力だ」

 

 が、それは固い羽に受け止められた。ギチギチと鍔迫り合いのように金属が軋むような音がなる。だが拮抗は一瞬。数秒のちには士郎が吹っ飛ばされていた。受け身を取って向き直る士郎。開いた距離を弾丸が迫る。床を転がる士郎。その弾丸は皮膚を削り、後ろで轟音とともに爆ぜた。

 

(……強い)

 

 爆風の反動を利用して立ち上がりながら、それでも士郎は冷静に相手を分析する。刀が通らない鋼の翼に加え、文字通り人外の力、空気の弾丸という謎の技術。一応、攻撃前のモーションである程度動きは読めるものの、単純な戦力差は圧倒的だった。それだけでなく、化け物が纏う禍々しい威圧感も尋常ではない。先ほどの豹頭の怪物のように深い闇を抱えた目が、今度は明確な殺意をもってこちらを見下ろしている。黒い羽毛の間からのぞく目は赤くギラつき、

 

――疾風斬

 

「っ!」

 

 その一撃は殺意に満ちていた。明らかに腕の刃が届く範囲を超越して襲いかかってくる衝撃。それにわざと吹き飛ばされることで士郎は大きく距離を取って剣を構える。無傷ではない。ガードに使った左腕は一緒に飛んできたコンクリートの破片が直撃したため青黒く変色しているし、始めに受けた一撃のせいで肩が思うように動かず、全身に受ける衝撃を完全に殺すことができなかった。それでも、

 

(なのはが、待っているっ!)

 

――御神流『飛針』

 

 退くわけにはいかない。鉄針を四本、指に挟んで投げつける。一直線に加速するそれを鋼鉄の羽で防ごうとする化け物。士郎はそれを見逃さなかった。

 

――御神流『神速』

 

 無理な加速に身体が軋みをあげる。空気の重さで血が吹き出した。しかし士郎はそれをものともせず化け物に肉薄する。自らが投げた鉄針を追い越し、鳥の怪物の羽の下へ。狙うはその不気味な眼光。

 

――御神流『撤』

 

 強力な突き技は、

 

「がぁぁぁああ!」

 

 化け物の目を容赦なく抉った。だが殺すには至らない。怪物は羽の一部と化している手で刀を掴み、脳に至る直前で刃を止めていたのだ。そのまま士郎を鉄の羽で殴り飛ばす。

 

「き、貴様ぁぁぁああ! ニンゲンの分際でぇぇぇええ!」

 

 響く化け物の絶叫。片目を刀で貫通されながら叫ぶその姿はまさに悪魔だ。

 

「八つ裂きにしてくれるっ!」

 

 その悪魔が大きく羽を振るうと同時、暴風が廊下を吹き荒れた。否、ただの暴風ではない。それは鎌鼬のような風の刃。その空気の刃は何重にもなって士郎に襲いかかる。

 

「っく!」

 

 身体を反らして避けながら、異常に重いその風の刃を刀で受け流そうとする士郎。だが、あらゆる方向から飛んでくる風は撒ききれない。身を削られながらそれでも刀を構え続け、

 

「ぐ……」

 

 風が収まる頃には膝をついていた。辛うじて急所は守ったものの、出血がひどい。このままでは後数十分もせず意識を手放すことになるだろう。

 

「ふん。いい様だな……」

 

 そこに歩いてくる片目から血を流す悪魔。向けられる悪意と殺意は先程の比ではない。

 

「死ね」

 

 その悪魔は腕を振りかざした。数百、あるいは数千の羽はまるで一振りの刀のように一体化し、禍々しく黒い風を纏っている。それは刃だった。満身創痍といっていい自分に迫る空気を纏った刃。その威力は知っている。コンクリートを容易に切り裂き、風は弾丸となって飛び散る。直撃すれば、脆弱な人体など肉片がいいところだろう。

 

「……」

 

 それを士郎は静かに見つめていた。諦めた訳ではない。

 

(この化け物はなのはのことを知っている……!)

 

 嘘を並べ立てて隠していた本性を現し、憎悪以外の感情しか伝わってこなくなった目の前の悪魔は、どういう理由か知らないが自分をターゲットにしている事は明らかだ。そして、御神の事を知っているとなると、標的は自分だけとは限らない。

 

(コイツをなのはの元へ行かせる訳には行かないっ!)

 

 思いは一瞬の爆発力を生む。剣を握りしめ、座った状態から逆袈裟に斬ってかかる。

 

――御神流『雷徹』

 

 腕の筋力を解放し、相手より早く。カウンターを狙ったその一撃は、

 

「っ!」

 

「意気込みだけはご立派だな!」

 

 しかし士郎の頭上に落ちるかという刃で受け止められた。一度振り上げた刀をカウンターに対応して軌道修正したことになる。その技術に目を見開く士郎。だが驚愕する間もなく、力でもって鋼の翼に弾き飛ばされる。地面に叩きつけられた。何とか体勢を立て直そうとするものの、立ち上がるのがやっとだ。

 

「ふんっ! まだ立つか!」

 

 今度は腕を構える化け物。空気が渦を巻いて弾丸を作っていくのが分かった。

 

(まずい……な……)

 

 ボタボタと口から落ちる血液が内臓への深刻なダメージを伝える。

 

 避けなければならない。

 

 ここで銃のような威力をもつ一撃をもらえば、命がない。

 

 自分が死んだら、この悪魔はきっとなのはを殺しに行くだろう。

 

 霞む視界を何とか維持し、弾丸に全神経を集中させ、

 

 

 視界が大きく揺れた。

 

 

 否、揺れたのは視界だけではない。建物全体が強い揺れに襲われていた。

 

(……地震っ!? いや、違うっ!)

 

 ただ地面が揺れているだけではない。空気全体が、まるで質量を持っているかのように波打っている。

 

「何っ!? この魔力は……」

 

 それに叫び声をあげて動きを止める悪魔。

 

 士郎はそれを見逃さず、

 

――御神流『撤』

 

 迷うことなく突きを放つ。小太刀は容赦なく悪魔の咽から頭にかけて串刺しにした。

 

 そのまま剣を手前に引くようにして顔を真っ2つに割る。

 

 顔から血を吹き出して倒れこむ悪魔。

 

 悪意をまき散らしていたそれは、黒いシミとなって消えた。

 

「はあ、はあ、ごぁっ! ぐはっ!」

 

 士郎は膝をつきながら血が混じった荒い息を吐き出す。偶然に助けられた部分が大きい上に払った代償も大きかったが、何とか凌ぎきったようだ。

 

(ここまで深手を負ったのはあのテロ事件以来か……しかし、あの化け物は一体……?)

 

 止血用に持ってきた布を巻きながら考える。香織はあの化け物と繋がりがあるのか。ユンパオは知った風だったが、氷川はどうだろうか。悪魔が最後の最後で隙をさらす結果になったあの揺れはなんなのか。

 

(いや、今はそれどころじゃないな)

 

 思考を打ち切り、今度こそなのはのもとへ走る。あの化け物がどういう存在だろうと、結局自分のやることは変わらない。

 

 もう失うのは十分だ。

 

 士郎は温泉の時に見たのと同じ赤を其処らに飛び散るマフィアの血に見いだしながら、シェルターへと急ぎ続けた。

 




――悪魔全書――――――

堕天使 シャックス
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列44番の地獄の大侯爵。30軍団を率いる。大きなコウノトリの姿にしわがれた声を持つ。掠奪公として知られ、厩金を盗み出す他、人の耳、口、目を使えなくする力や財宝を探し出す力を持つ。召喚した者には忠実だが、魔術を行使しないと嘘をつき続けるという。

――元ネタ全書―――――

流氓
 ペルソナ2・罰。ダンジョン・ゾディアックから。リュウマン。ならず者の意。なお、同名のザコ敵もダンジョンに出現します。

――――――――――――


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第16話b 天上666mの激震《弐》

――――――――――――

「……弱くなったわね、士郎」

 端末の画面に映るかつての男。悪魔に刀を向ける士郎には、かつての技のキレも殺気の冴えもない。余程平和に生きてきたみたいね。それでもあの悪魔となんとか戦えているのは、自分のこどもが呪縛となって闘う意思を放棄出来ないからかしら。

 あの男は、罪を投げ棄てて、楽な生活も、大切な家族も手に入れた。

「……気に入らないわね」

 このまま死んでしまうなんて許せない。

 私は手元の端末へかかる指に、力を込めた。

――――――――――――夏織/海鳴タワーホテル



「っ!? この魔力はっ!」

 

 揺れを感じて、クルスはレストランの席から立ち上がった。空間そのものを揺るがす次元震。本来なら空間が不安定な場所を通過する次元航行船にでも乗艦していない限りは直面することのないそれが、すぐホテルの裏手、シェルターの資材搬入口付近で起こったのだ。レストランは強力な魔法結界で保護されており、多少の魔力暴走程度であれば感知することすらできないのだが、この揺れは結界越しにはっきりと分かる。世界そのものを吹き飛ばしかねない脅威に思わずデバイスを握り締めるクルス。

 

「ああ、貴女は知らないのでしたね」

 

 しかし、向かいの席に座っている女性――メシア教徒のなかでも、メイガスと呼ばれる魔術に秀でた集団に属する信徒――は諌めるように言った。

 

「元々、今回の一件はこの地に降り立ったメシアにガイアの徒をぶつけることで覚醒を促すのが目的だったのです。今、ついに目覚めたのでしょう」

 

「次元災害を、このような街中で呼び込んだのですかっ!?」

 

「いえ。まさかメシアの覚醒がここまでのものとは想定外でした。まあ、ガイアが寄越した者がメシアの怒りを買い、裁きを受けたのでしょう」

 

 思わず声をあげるクルスになんでもない風に答えるメイガス。おそらく、彼女の中では異教徒の生死などよりメシアの覚醒の方が重要なのだろう。クルスは眉をひそめて問いかける。

 

「シェルターには社会見学に大勢の小学生が集まっていました。ガイア教徒をぶつけるにしても、もっと他に場所があったのでは?」

 

「いや。メシアが覚醒するには、今日あの場所でなければならないと聞いています」

 

「シェルターで、ですか? 何故?」

 

「いえ。そこまでは……私も詳しくは知らないのですよ」

 

 怒りを含んだ声で詰め寄っても手ごたえがまるでない。クルスはこれ以上聞いても埒が明かないと判断し、質問を変えた。

 

「……メシアとは一体誰なのです?」

 

「さあ……ただ、あの光は間違いなく神が罪人を焼き払う炎です」

 

 本当に知らないのか、話せないような内容なのか。あるいは管理外世界で暮らしているせいで、次元災害への知識と危機感が足りていないのかもしれない。苛立ちを募らせるクルスに、横から声がかかった。

 

「気になるかね?」

 

「えっ? ええ、まあ、私もメシア教徒ですから」

 

 声の主は強い魔力を纏う筋肉質の男性。メシア教会ではスキャナーという特殊な戦闘部隊に属している。もっとも、クルスも階級名のみで実際はどのような基準で選ばれているのかは知らないのだが。

 

「なら、見に行くといい」

 

「っ?! いいんですか?」

 

「警備はここにいる人員で十分だ。それに、我々としても関係ないものを巻き込む意図はない。想定外の事故なら、様子を見に行くのは当然のことだ」

 

 メシアの覚醒と強い魔力の暴発と言う異常事態にも関わらず、いつもと変わらない無表情と平坦な声を崩さないスキャナー。どこか異常者を思わせるその容貌にクルスは一瞬の恐怖と戸惑いを覚えた。それでも何とか頷いて外へと向かう。しかし、レストランの扉をくぐると同時に立ち止った。

 

「これは……ジュエルシード?」

 

 レストランの中に張り巡らされた結界を抜けた途端、小さいながらもこの世界に落ちたロストロギアの魔力を感知したのだ。

 

(まずいな……)

 

 頭に浮かんだのは最悪のシナリオ。ジュエルシードが今の次元震に感応して暴走し、止められなくなるというものだ。クルスは周囲を見渡すと、すぐ近くの窓に目を留める。

 

「S2U・クロス、セットアップッ!」

 

《Set up》

 

 そしてデバイスを起動すると、ガラスを突き破り、外へと飛び出した。

 

 

 † † † †

 

 

「あ、あの、先生? シェルターの中、探すんじゃないんですか?」

 

 時は再びさかのぼり、昼前の地下街。社会見学での自由時間を迎えたなのはは、祐子に連れられて歩きながら疑問の声をあげていた。シェルターの中を見て歩くのかと思いきや、祐子はシェルターの出口から外へと出てしまったのだ。

 

「ええ。でも、元々ジュエルシードは空から降り注いだものでしょう? まずは地下のシェルターより上を見に行った方がいいと思って」

 

 しかし、祐子はなのはの疑問を無視するように、明確な意思をもって進んでいく。クラスメートのいるシェルターから離れ、たどり着いたのはホテルの入口だった。

 

「このホテルはね、ちょうどシェルターの真上にあるの」

 

 地下街との連絡口に立ち、ホテルへと続く廊下に目を向ける祐子。奥の気配を図るように無言のままたたずむ。その表情はいつもの包容力を失わないものの、何処か無機質で氷のような冷たさがあった。一瞬だが長い沈黙。なのはは隠された複雑な感情を読み取ることができず、奇妙な緊張感に襲われる。

 

「せ、先生?」

 

「ええ、そうね。早く見つけに行きましょう」

 

 耐えきれずに声をあげたなのはに、軽く笑って答える祐子。しかし、何処か影のある表情はなのはをむしろ不安にさせた。なのはの周りにいる大人――桃子やほむら、夏織は必ずといっていいほど安心を与えてくれるのだが、祐子にはそれがない。

 

(……ど、どうしよう)

 

 無言のまま廊下を進む。気まずい。なのはとしては歩いている間も何か話しかけようとしたが、普段直接的なつながりが無い先生だと話題も見つからなかった。居辛い空気のままホテルのロビーへと入る。2つあるタワーのそれぞれに設置されているエレベーターのうち、N棟とある方へ。屋上行きのボタンを押す祐子。密室の中でもやはり無言だ。

 

(ほむらさんや夏織さんなら話しかけてくれるのに……)

 

 そんな期待の眼差しで見つめてみても、返ってくるのは微笑だけだ。その微笑にやさしさはあったが、桃子やまどかが見せる、コミュニケーションを促すような柔らかさはない。結局エレベーターの密室でふたり無音に支配されることになる。このまま沈黙の重圧が永久に続くとも思われたが、

 

《火事です。火事です。地下で、火事がありました。避難してください。繰り返します。火事です。火事です……》

 

 警報が鳴り響いた。驚いて声をあげる間もなく、急に車が止まったような衝撃に体がはねる。エレベーターが緊急停止したのだ。

 

「なのはちゃん、こっちよ」

 

「ふ、ふえぇ!?」

 

 開く扉に駆け出す祐子。なのはは急な事態に頭がついていかないまま手を引かれて走った。が、大人の脚と一緒に走るのはやはり苦しい。すぐに息が上がる。必死に追いすがり、心臓の鼓動が悲鳴に変わりはじめたとき、ようやく祐子は止まった。目の前には非常扉。せっかくここまで来たのに避難を優先するのだろうか。なのはは思わず声をあげた。

 

「あ、あの、先生、火事って……」

 

「シェルターが燃えてるのさ。って言っても、大した被害じゃないみたいだけどね」

 

「えっ!? ユーノ君?」

 

 が、それに答えたのはいつの間にか横にちょこんと座っていたユーノだった。床をけって肩に飛び乗りながら、声をあげるなのはに平然と話し始めた。

 

「夏織さんに連れてきてもらったんだ。まあ、彼女は先にジュエルシードを探しに屋上へ行ってるけどね」

 

 周りの警告音と相反する冷静な声になのはは混乱を加速させた。夏織がジュエルシードを一人で? 火事を起こしたシェルターの真上にあるホテルの中を?

 

「は、早く助けに行かなきゃっ!」

 

「なのは。エレベーターはもう止まってるよ?」

 

「あ、そ、そっか……、じゃ、じゃあ扉っ!」

 

 もと来た道を戻ろうとするなのはをユーノの声が遮る。慌てて非常扉へ殺到するなのは。しかし、それは祐子に止められた。

 

「なのはちゃん、落ち着いて?」

 

 いつも授業中に見せる包容力のある、しかし何処か無表情な視線がなのはを覗きこむ。固まるなのは。安心とも恐怖ともつかない奇妙な感情が自分の中で広がるのが分かった。強いて言うならゲームで見る敵か味方か判断がつきにくいキャラクターに抱く感情に近いだろうか。あるいはもう少し経験があれば、祐子に疑問を向け始めている自分に気付いたかもしれない。

 

「なのは、あの炎は魔力でできているみたいなんだ」

 

 が、その感情は再びユーノの言葉によって遮られた。いつの間にかシェルターが見える窓へと飛び上がって外を見ている。それに習い、窓を覗き込むなのは。外からは炎はおろか煙すら見えない。

 

「ま、魔力って……」

 

「誰かが魔法を使ってシェルター全体を火の海にしたって事さ。炎の原因を排除しないと燃え続ける事になるね」

 

「そんなっ! 何で……」

 

「まあ、目的は分からないけど、シェルターに魔力を充満させれば炎を出す事もできるはずだよ」

 

 ホテルの裏手に見えるシェルターの資材搬入口へと視線を向けるユーノ。なのはも同じ場所へと視線を向ける。扉にはなにか不気味な模様――普段ならば遠すぎて認識できないはずの目玉のような模様が、なぜか細部まではっきりと見えた。

 

「今、中は火の海じゃないかな?」

 

 煽るようなユーノの言葉に、その扉の先――つい先程まで見学していたシェルターの光景が浮かぶ。そこに燃える炎が重なった。消えない炎に逃げ惑うクラスメート。その中にはすずかやアリサの姿も見える。

 

「ロストロギアだけあって、よく燃える……なのは、残念だけど、クラスメートはもう……」

 

「っ! そんなっ!」

 

 ユーノの声に火勢が増し、見知ったクラスメートが倒れていく。なのはにとって、それはすでに想像ではなくなっていた。まるで目の前で本当に誰かが死んだかのような錯覚を受ける。

 

(また、誰か死んじゃう……っ!?)

 

 が、その錯覚になのはは固まった。「また」って何だろう? 誰かって誰だろう?

 

――オモイダシテハイケナイ

 

 その疑問をかき消すように頭の中で声が響く。

 

「そういっても、火が外まで出てきてるんだ。ここからでもよく見える」

 

 それにユーノの声が重なった。

 

――ハヤク、消サナケレバ

 

「うん? あの炎の中心にいるの、火を放った元凶じゃないか?」

 

――自分ガコワレテシマウ。

 

 なのはは二重になって迫る声にかき乱されるまま、

 

「っ! うあぁぁぁああああ!」

 

 絶叫と共に遠くで燃え盛る炎に向かってガラス越しに砲撃を撃ち込んだ。

 

 

 † † † †

 

 

「はあ、はあ……」

 

(……ふむ、やはり消耗は激しい、か)

 

 呼吸を荒くして膝をつくなのはをユーノにとり憑いた悪魔は冷徹に観察していた。シェルターの炎もその元凶も、全ては悪魔が見せた幻覚に過ぎない。あの日園子を殺してから、悪魔はなのはの意識へ直接介入するようになった。本来ならば人格をゆがめるほどのトラウマとなる記憶を封印し、都合よく善悪のイメージを刷り込む。その甲斐あってジュエルシード暴走体を前にすれば容赦のない砲撃を連発してくれるようになったし、以前吸血鬼の館で対立した監理局の魔導師も撃退することもできた。だが、無意識ではやはり強い抵抗を持っているらしく、その正義感を刺激して魔法を使ってもらうような状況を幻術で再現しても、効果が確実に発揮できるという状態に持っていくにはかなりの準備が必要とのった。今回もサイレンが鳴り響き、クラスメートが危機にあるという異常がなければどこまで有効だったか知れない。事実、幻術をかけ始めてから現実には数時間が経過している。

 

「はあ、はあ……」

 

 息を荒くするなのは。なのはの中では数分しか経っていない筈だが、実際のところは相当な時間をかけて魔力を放出したのだから当然だろう。

 

(まあ、目標を達成しただけで良しとするか)

 

 割れた窓から遠くに見える魔力光にほくそえむ悪魔。邪魔者はこれで少なくともひとり片付く筈だ。後はなのはを連れて屋上に向かい、メシアをおびき出すと同時に狂人を化け物に変えるべく意図的に暴走させたジュエルシードを封印させるだけである。しかし、

 

「大丈夫っ!?」

 

「あ、はい……あれ?」

 

(む? 少しやり過ぎたか?)

 

 肝心のなのははへばったままなかなか立ち上がろうとしなかった。よほど堪えたらしい。見かねた祐子が声をかけている。ユーノはそれをただ無情に見つめていた。元々使い潰すつもりの人間だ。次第に準備にかけるコストに対する効果も薄くなりつつある。封印処理自体はとり憑いた人間の体でも十分できるし、この後の目的を達成する上ではもはや不用の存在と言えた。

 

(……少し早いが、そろそろ喰うか?)

 

 牙を覗かせ、後ろからなのはに迫るフェレット。が、すぐに足を止める。祐子がなのはの背中越しに鋭い視線を向けているのに気付いたのだ。

 

「なのはちゃん、辛いなら無理しないでいいのよ?」

 

「いえ、大丈夫、大丈夫ですから」

 

 しかし、その視線はすぐなのはを気遣うものに代わる。それに応えようというのか、無理矢理体勢を整えるなのは。

 

(ふんっ……お優しい事だな)

 

 悪魔は苦々しくそれを見ながら平然と言い放った。

 

「なのは、ジュエルシードが発動したの、気づいたかい?」

 

「う、うん。上のほう、だよね?」

 

 よろよろと立ち上がりながら立ち上がる。弱いながらも感じるジュエルシードの魔力に先ほど打ち抜いた窓から外を見上げるなのはとユーノ。反対側の棟にはいつもよりも幾分か弱い光を放つ宝石が見える。そして、

 

「あれ? あの子……」

 

(ほう、あの時の管理局員か)

 

 その青い光に照らされて飛ぶ黒衣の少女が見えた。

 

 

 † † † †

 

 

「須藤竜也なら死んだね……ああ、アイツ等がやったよ……悪魔も不破に殺されたね……」

 

「そう……まあ、生きるだけ無駄な奴等よ。構わないわ……そう、上手くいったみたいね」

 

 ホテルの屋上。普段ならば立入禁止のそこで、夏織は高層の風に吹かれながら携帯の通話を終えた。冷静を通り過ぎて冷酷な声と共に携帯の通話終了のボタンを押す。通話相手を知らせる画面にはユンパオと表示されていた。それを見て一瞬表情を歪ませるも、すぐに目を閉じて煮えたぎる心を抑えこむ。

 

(……ここまで来た……もう少し、もう少し耐えれば終わる……)

 

 だから、感情を爆発させるのはいましばらく先でいい。今はすぐそこに控える課題を解決するのが先決だ。そう思い直して後ろを向く。視線の先には反対側のタワーの屋上。そこには、

 

 青い光を発するジュエルシードが宙に浮いていた。

 

(状態は……半暴走、か)

 

 携帯の画面を切り替え、特殊なプログラムを表示させる。「JS制御プログラム」とある画面には、黄色のゲージに細かい数値が羅列されていた。夏織はしばらく画面を眺めていたが、やがて顔をあげる。視線の先には、黒い渦があった。それは見る間に姿を変え、

 

「フッフッフ。上手くいっているようですネ」

 

 シドが出てきた。怪しげな神父の格好のまま、狂気が張り付いたように歪んだ笑みを浮かべる。

 

「一度、夜の一族相手に成功させているんだから当たり前よ?」

 

「しかし、その時使った翼を持った猫は死んでいるでしょウ? 悪魔をイケニエに力を得るとハ、やはりアナタは美しイ」

 

 人間とは思えない笑い声が響く。夏織はそれを平然と聞き流して再度画面に目を向けた。先日、吸血鬼の屋敷で黒猫の悪魔によってなされた実験では暴走して近くにいたすずかを巻き込んだに過ぎないが、今度は上手くなのは達がいる座標へと魔力を飛ばする事に成功していた。その画面から目を反らさずに、夏織はシドに問いかける。

 

「そういう貴方の方はどうなの? あの4体にお楽しみを持ってかれても知らないわよ?」

 

「フッフッフ。手がかりハ、掴みましたヨ。封印は、すぐに壊してご覧にいれまス」

 

 それに薄気味悪い笑みで答えるシド。が、途中でシェルターの方へと目を向ける。

 

「来たようですネ。デハ、私はアナタの活躍を応援していますヨ?」

 

 そんな言葉を残して消えるシド。夏織はしばらくその影を見ていたが、やがてホテルの裏へと向き直る。先程桃色の閃光が夜の闇を貫いたのを見ると、あの悪魔はなのはをたらしこむのに成功したようだ。どういう原理かは分からないが、断片的に聞いた話では強制的に発動させたジュエルシードの魔力をなのはのいる廊下の窓に集めて「情報」を構築し、それを砲撃魔法で撃ち抜かせることで狂人へと届けるのだという。この後、「情報」に精神と肉体を汚染された狂人がメシアとやらを目覚めさせると聞いているが、ガイア・メシアの2大トンデモ宗教が抱える化け物同士の激突などどうでもいい。受けた依頼はこの危険物制御装置の実験と魔力を失ったジュエルシードの回収のみだ。さっさとなのはに封印して貰い、ずらかるとしよう。今後の算段を考えていると、シドが言ったようにこちらに飛ぶ人影が見えて来た。次第にそれは大きくなる。しかし、ジュエルシードの光が照らしだしたのはなのはの白いバリアジャケットではなく、

 

「あら?」

 

「えっ!?」

 

 以前自分を母と呼んだ黒衣の少女だった。

 

 

 † † † †

 

 

 数分前、孔に化け物を任せたフェイトは空を駆けていた。目指すは魔力反応があるホテルの屋上。暮れかかった空をまっすぐに翔ぶ。ジュエルシードまであと少し。そこには萌生を撃った魔導士も来ている筈だ。怒りと共に速度を上げるフェイト。しかし、

 

――ザン

 

「っ!?」

 

 前方でガラスが割れるような音と魔力を感じて慌てて身を翻した。鎌鼬の様な鋭い魔力の刃が飛んできたその方向には、

 

「アオーン、オマエ、オレサマ、マルカジリッ!」

 

 巨大な怪鳥の軍団がいた。派手な色彩の羽に尻尾には鋭いトゲ。耳障りな獣の声が虚空に響く。

 

「な、何、あれ……」

 

 思わず声を漏らす。が、その答えは思いがけず後ろから返ってきた。

 

「さあな。悪魔じゃないのか」

 

 振り返るフェイト。修だ。まったく魔力も気配も感じさせずにフェイトの後ろに浮いている。手元には巨大な雷の塊がバチバチと音を立てていた。

 

「俺は今、機嫌悪いんだ」

 

 酷く冷淡な修の声が響く。

 

「だから、寄ってくんじゃねえっ!」

 

 そして、それを開放した。雷光が瞬時に夕焼けの空を満たす。獣の悲鳴を上げて落ちて行く怪鳥。フェイトはそれを唖然として見ていた。詠唱もない上に魔力をまったく感知できないが、視界いっぱいに広がる雷の威力は最上位の広域殲滅魔法そのものだ。

 

「よお、大丈夫か?」

 

「う、うん……シュウ、今のは?」

 

「だから、レアスキルみたいなもんだって言っただろ? それより……」

 

 相変わらず露骨にはぐらかす修。だが、続く言葉にフェイトの疑問は吹き飛んだ。

 

「今度こそ高町を取っ捕まえてやる」

 

「っ!? シュウ、タカマチがあの砲撃を撃ったって、何で知ってるの?」

 

 思わず声を上げるフェイトを、修は虚を突かれた様子でじっと見返す。が、やがて重々しく口を開いた。

 

「そうか、お前は知らないんだったな……」

 

 そして、話し始めた。数日前の園子が死んだ現場にいた事。園子が死んだのはビルの倒壊などではなく、砲撃魔法だった事。それを撃ったのは高町なのはらしい事――。

 

「どうして……どうして言ってくれなかったのっ!?」

 

「悪かった。でもな、巻き込むといけないと思ったんだよ」

 

「そんなのっ! 私だって友達なのにっ!」

 

 感情を抑えずに叫ぶフェイト。ようやく得た友達である園子の死の真相を知らされずに来たという事実は到底受け入れられるものではなかったのだ。しかし、

 

「プレシアさんにもお前巻き込むなって言われたんだ。断れなかったんだよ」

 

「っ!? 母さんが?」

 

 その一言で少しだけ冷静さを取り戻す。温泉の時にようやく娘として見てくれた母。もう犯罪者に関わらないで欲しいというその気持ちは、あの時の謝罪の言葉と共に確かに求め続けていた愛情として理解できるものだった。しかし、納得いくかと言われると別問題である。その愛情を得るために園子と萌生はどのくらい力になってくれただろうか。

 

「それに、まだ高町って決まったわけじゃない。完全な証拠もないんだ」

 

「証拠ならあるよっ!」

 

 やりきれなさを抱えながら、今度はフェイトが修に語り始めた。月村の家でロストロギアを見つけた事、そこで助けようとしたら逆になのはに襲われた事、それを記録に納めた事――。続けるうちに、修の表情が曇っていくのがはっきりと分かった。

 

「……やっぱさっさと締め上げときゃ良かったんだ」

 

 苛立ちを隠さずにホテルへと目を向ける修。そこに普段の余裕はない。ただ怒りを含んだ低い声と憎悪の視線のまま黙り込む。激情に身を任せているように思えたが、

 

「俺は高町を捕まえにいく。お前はその証拠をプレシアさんに渡しに行け」

 

「っ!? 私も行くっ!」

 

「証拠、壊れたらどうすんだ?」

 

 きっちりと考えた指示がとんできた。感情的になりながらも意外なところへ頭が回る修に感心しながらも、フェイトは言い返す。

 

「大丈夫だよ。家のメンテナンス用のデータベースにもバックアップはあるし。それに……アイツのせいで、モブが傷ついたんだ!」

 

「……そうか。じゃ、仕方ねえな」

 

 ほとんど叫ぶように言うフェイトに修は短く答える。

 

「俺はアレ片付けるから、先に行ってろ」

 

 そして、杖を向けた先には、

 

「そこの魔導師、止まりなさい」

 

 天使がいた。背中の羽に社会の授業で見るような中世の騎士甲冑。両手には盾と槍。その姿はあの得体の知れない教師、江戸川の授業で出てきた下級天使そのままだ。

 

「どけよ……っ! ブチ殺すぞっ! 悪魔がぁ!」

 

 天使の警告に修の怒声が重なる。同時に打ち出される電撃。フェイトは光が走ると同時に駆け出した。先ほどの怪鳥も雷に盾を構えるあの天使も、修に悪魔と呼ばれていた。その単語を聞いたのは、初めてではない。以前、リニスが言っていた危険な「魔法生物のようなモノ」。それはおそらく、あの狂人とともに現れた化け物と同種の、意図的に呼び出された存在だろう。そうでなければ、こうも連続で管理外世界に魔力を持つ生物が出てくるはずがない。その呼び出された化け物は何者かの意思によって母を襲い、萌生に重症を負わせ、そして今、高町なのはを守っている。

 

(……許さない)

 

 憎悪と激怒をのせて、フェイトは翔んだ。ロストロギアの反応がある屋上へとかけ上がる。しかし、そこにいたのは、

 

「あら?」

 

「えっ!?」

 

 以前出会った母親を思わせる女性だった。一瞬驚いたような表情を見せたものの、すぐに余裕のある笑みで空中にいる此方を見上げる。

 

「こんな所で会うなんて、奇遇ね? 驚いたわ。貴方も魔導師だったなんて」

 

「え、ええっと……そのっ!」

 

 何故こんな所にいるのか、何故魔導師を知っているのか、何故ジュエルシードを前に平然としているのか。様々な疑問が頭の中を駆け巡り、言葉が上手く出てこない。夏織はそんなフェイトをしばらく眺めていたが、

 

「さっきピンクのビームを撃ったのも、貴方かしら?」

 

「っ! ち、違いますっ! その砲撃にモブが撃たれてっ! 私はそれでっ!」

 

 とんでもないことを言い始めた。慌てて否定するフェイト。あんな次元犯罪者等と一緒にされてはたまらない。必死にここまで翔んできた理由を並べ立てていると、夏織はそれを遮るように言った。

 

「冗談よ。貴方が撃ったのなら、そっちから翔んでくるのはおかしいもの」

 

 柔らかく笑う夏織。母が笑うとこんな感じだろうか。いつもアリシアに向けられているプレシアの顔が重なる。が、今はそれに浸る時間はない。

 

「あのっ! あそこにあるのは!」

 

「暴走しかけのジュエルシードね。まあ、私は魔力がないからどうしようもないんだけど」

 

 ちらりとジュエルシードを見る。一瞬、余裕が表情から消えるのがフェイトにもはっきりと分かった。フェイトは思わず叫んでいた。

 

「私、封印してきますっ!」

 

「危険よ? 止めておきなさい」

 

「大丈夫ですっ! あのくらいっ!」

 

 当然のように止める夏織にバルディッシュを構えるフェイト。夏織はそんなフェイトに問いかけた。

 

「わざわざ貴方が相手をしなくても、誰も傷つかないわよ? ホテルにいる人だって、火災騒ぎでみんな避難しているわ。時空管理局のマニュアルでも、対処は可能な範囲だけで無理せず逃げるように書いてあるでしょう?」

 

「それはっ!」

 

 冷静に理由を並べられ、フェイトは言葉に詰まった。夏織は漆黒の目で此方をじっと見ている。

 

(やっぱり、似てる)

 

 改めて思った。ロストロギアからフェイトを護るように立ち、ただ優しく笑ってくれるその姿は、かつて夢の中で見た魔力の暴走から自分を護ろうとする母そのままだった。何度も見た夢なのでよく覚えている。まだプレシアが働いていて、自分は広い部屋で留守番をしているときの夢だ。寂しさを紛らわすため猫のリニスと遊んでいると、急に遠くで魔力炉が暴走を起こしたかのような揺れと衝撃が走り、慌ててプレシアが駆けつけるという夢。迫り来る魔力にプレシアはフェイトを守るように抱きしめ、

 

(でも、その後は……)

 

 魔力に吹き飛ばされるのだ。フェイト自身も呑み込まれ、何もかもが消えていく。その光景は鮮明に焼き付いていた。

 

「かあさんが……あなたがいますっ! 私は、あなたに傷ついてほしくない!」

 

 叫ぶフェイト。夏織は驚いたように目を見開く。が、一瞬の沈黙の後、

 

「……そう。なら、止めてきてくれるかしら? でも、危ないと思ったら逃げるのよ?」

 

 静かにそう言った。間違いなく自分を見つめて言ってくれた言葉は、「命令」ではなく「願い」。自分を必要としてくれているというその事実が、

 

「はいっ! 止めて見せますっ!」

 

 フェイトを前へと突き動かした。バルディッシュを構え、ロストロギアへと向き直る。放出されている魔力はバルディッシュに記録されたデータに比べると大幅に小さい。まだ完全な暴走状態に達していない状態だ。このまま遠距離から封印しようとすると、砲撃のためにチャージした魔力と反応する危険性がある。

 

(それならっ!)

 

《Scythe form, Setup》

 

 主人の意思に反応して愛機は鎌状の形態へと姿を変えた。自身の魔力を最小限に抑えて接近し、至近距離から封印しようというのだ。魔力刃を展開し、そのまま一気に距離を詰めるフェイト。目前のロストロギアに斬りかかり、

 

《Coution!》

 

「っ!?」

 

 しかし、バルディッシュの警告で進路を変えた。すぐ横を桃色の砲撃が通り過ぎる。

 

「っ! タカマチッ!」「フェイトちゃんっ!」

 

 互いを呼ぶ声が重なる。だがその口調はまるで違っていた。フェイトがなのはに向かってあげた声には友人を奪い傷つけた憎悪が、なのはがフェイトに問いかけた言葉には今度こそ話をしようという決意があった。

 

「待って、話を聞いてっ!」

 

「ふざけるなぁ!」

 

 が、なのはの想いは届かない。フェイトにとって目の前の白い魔導師はようやく得た居場所を奪おうとした存在であり、その点においてあの狂人と何ら変わりがなかった。

 

《Thunder Smasher》

 

 故に、容赦なくなのはに砲撃を撃ち込む事となる。しかし、それはことごとく分厚いシールドに弾かれてしまった。

 

「っ! なら、私が勝ったら、話をっ!」

 

「黙れっ!」

 

 攻撃を防ぎながらしきりに話をしようと呼び掛けるなのはを電撃と怒声で遮るフェイト。フェイトからしてみれば、なのはの問いかけは隙を作ろうという策略にしか見えなかった。シェルターの地下であの狂人が見せた、目が眩んだと思わせたのと同じブラフ。それはフェイトになのはと須藤を重ねさせるには十分だ。

 

(この前と同じ、強力なシールドと砲撃……典型的な、遠中距離のアーチャータイプッ!)

 

 だがフェイトは決して感情に身を任せている訳ではない。牽制に撃った電撃への対応を観察しながら、相手を冷静に分析する。なのはの基本的な戦い方は以前と変わらず、シールドで防ぎつつ砲撃により相手を打ち落とす戦闘スタイル。天性の膨大な魔力保有量があってこそ取れる手段だ。

 

(でも、あの変なバインドをかけてくるイタチの使い魔がいない……それならっ!)

 

《Photon lancer, Full auto fire》

 

 フェイトは電撃を連続でぶつけた。手数でもって多方向から時間差で襲いかかる砲撃に、なのはは避けきれずシールドを展開する。

 

「わたしが勝ったら、ちゃんとお話聞いてくれるっ!?」

 

 防ぎきると同時、なのはの声が響いた。目に見えるほど杖に魔力を収束している。

 

「ディバインバスター!」

 

 ついで砲撃。想いが乗った声とともに打ち出されたその一撃を、しかしフェイトは醒めた目で見つめていた。

 

「バルディッシュッ!」

 

《Bliz action》

 

 選択した――否、用意していたのは高速移動魔法。フェイトは始めから砲撃の撃ち合いではパワー負けする事を見越して、あえて小規模な砲撃を浴びせかける事で相手を煽り、反撃を誘ったのだ。読み通り、相手が撃ってきたのは膨大な魔力による砲撃魔法。構えてから魔力を放出した瞬間、大きく隙ができる。

 

「お前は、ソノコを殺して、モブを傷つけたっ!」

 

 使い慣れた魔法での加速は砲撃の来るその方向。狙うのはガードが下がったその一瞬。

 

「ソノコとモブを……! 返せぇぇぇぇえっ!」

 

「っ?!」

 

 魔力刃を振り抜いた。本来なら非殺傷設定をカットして斬り殺すところだが、コイツには一生かかっても償いきれない罪を分からせなければならないし、母親を襲った悪魔のことも聞き出さなければならない。今は、

 

「あぁぁぁあああ!」

 

 体を両断する痛みだけで我慢しよう。絶叫をあげて堕ちていく白い魔導師を冷酷な目で見下ろしながら、フェイトは術式を組み始めた。狙うはなのはの堕ちる先。移転魔法で家の地下にある牢獄に放り込もうというのだ。

 

「それは困るな」

 

「っ! あの使い魔っ!」

 

 が、その前にイタチの使い魔がなのはの下へと移転してくる。緑色の魔力光とともに展開される魔方陣。逃げるつもりらしい。

 

「待てっ!」

 

 慌てて砲撃魔法を打ち込むフェイト。しかし、それが届く前に、

 

「ふん。貴様の相手は向こうだ」

 

 イタチはあさっての方向へ魔力弾を撃って消えた。その先には、暴走しかけのジュエルシード。

 

(そんなっ! 暴走させる気っ!?)

 

 そう思う間もなく、魔力弾はロストロギアへと迫り、

 

 掻き消えた。

 

 否。空間ごと揺るがす凶悪な魔力の爆発に魔力弾が吹き飛ばされたのだ。

 

「っ!? この魔力はっ!?」

 

 フェイトはその爆発に覚えがあった。以前、時の庭園でプレシアとリニス、そしてあの不気味な博士が作っていたデバイス、それを孔が起動した時。その時に感じた爆風と、今体に吹き付ける魔力の風はなんら変わりがなかった。

 

(っ! 次元震!?)

 

 次いで感じたのは激しい振動。空間ごと揺らすその衝撃に目を見開くフェイト。だが、反対側から強い光を感じて青くなった。

 

(いけないっ!)

 

 暴走途中のジュエルシードが魔力に感応したのだ。急激に膨らむジュエルシードの魔力。それは次元震と相まって、この世界を破壊尽くさんとするばかりに強く輝く。

 

「バ、バルディッシュッ!」

 

《Yes, Sir!》

 

 デバイスを構えるフェイト。そして、

 

「うわぁぁぁあああ!」

 

 絶叫とともにジュエルシードの輝きの中へと突っ込んだ。

 

 凶悪な魔力が体を焦がす。

 

 それでもフェイトは前へ進み続けた。この世界には、母も萌生も修もいる。リニスやアルフもだ。それに、

 

(まだ、アイツらに勝ってない……!)

 

 コウとアリシアという、乗り越えるべき壁を越えていない。魔導師として負けたまま、家族として母と時間を過ごしていないまま終わるなど耐えられるものではない。

 

「うっ……くぅっ!」

 

 苦痛に喘ぎながらも、輝きを増すジュエルシードにデバイスを伸ばす。

 

 バルディッシュにヒビが入った。

 

 手には血が滲んでいる。

 

 それでも、術式は届く。

 

 視界を埋める青に黄色が走り、

 

《Se, Sealing...》

 

 バルディッシュの声とともに視界は闇を取り戻した。

 

「はあ、はあ……お、終わった、の?」

 

 息を荒げるフェイト。目の前には、バルディッシュに吸い込まれていく力を失った青い宝石。

 

「……ぁ、良かっ……」

 

 だが、フェイトもただではすまない。魔力は苦手な障壁に回し続けたせいでゼロだ。力尽きたように堕ちていく。

 

(と、飛ばなきゃ……)

 

 そう思いながらも魔法は展開できない。身体にかかる落下感は増大し、

 

「大丈夫っ!?」

 

 急に上へ引っ張られた。

 

「か、母さんっ!?」

 

「っ!? ……しっかり捕まってなさい」

 

 そういうと、一気に引き上げられる。フェイトを抱えあげるプレシア。否。プレシアではなかった。月村邸で出会い、つい先程はジュエルシードの封印を依頼された女性――その母親とよく似た女性が、片手に持ったワイヤーを屋上に繋いでビルにぶら下がっていた。もう片方の手でフェイトをしっかりと抱き抱えたまま、ビルの外壁を蹴って器用に上へと登っていく。やがて屋上の固いコンクリートへと下ろされた。

 

「あ、す、すみませんっ! そのっ!」

 

「あら? もう母さんって呼んでくれないの?」

 

 からかうように笑いながら、慌てて立ち上がろうとするフェイトを優しく押し留め、怪我をした手に布を巻いてくれる。

 

「はい、もう大丈夫よ?」

 

「あ、あの……ありがとうございまっ?」

 

 傷の手当てに礼を言おうとするフェイトだったが、言い終わらないうちに頭をポンポンと軽く叩かれた。

 

「もう、危なくなったら逃げなさいって言ったでしょう?」

 

「ご、ごめんなさい……。でも、母さんやみんなが、巻き込まれたらって思って……」

 

 慌てて謝るフェイト。それに目を細める夏織。いつの間にか叩いていた手が頭を撫でている。

 

「なら、貴女も巻き込まれないようにしなさい。こんな荒事に手を出しちゃダメよ?」

 

 言い聞かせるように言うと、夏織は立ち上がった。それに続こうとするフェイト。しかし、

 

「いつっ……!」

 

 全身の痛みで座りこんだ。さっきの魔力の奔流にやられたのだろう。

 

「ダメよ無理しちゃ。ここでじっとしてなさい。お迎えも来たみたいだし」

 

 優しく笑って、シェルターの方の空を指差す。そこには、

 

「フェイトッ! 大丈夫ですか?!」

 

 リニスと、それに続く修とコウ、そして監理局の制服に身を包んだ女の子がいた。

 

「貴女は、ガイア教徒のっ!」

 

「フェイトに何しやがった!」

 

 その女の子が剣を構えて叫ぶ。修も雷をまとい臨戦態勢だ。フェイトは慌てて声を張り上げた。

 

「違うのっ! この人、私を助けようとしてくれ……痛っ!」

 

「もういいから、早く治してもらいなさい」

 

 が、勢いこんでまた立ち上がろうとしたため、また痛い思いをすることになる。それに苦笑しつつフェイトを受け止める夏織。しかし、その温もりはすぐに離れる。そして、

 

「それじゃあ、フェイト、また会いましょう。そこのメシアくんもね」

 

 フェイト、次いで孔に視線を送ると、屋上から飛び降りた。

 

「っ! 待てっ!」

 

 駆け寄る孔。フェイトも身体を引きずってどうにか手すりまで這いより身を乗り出す。しかし、夏織の姿はすでになく、そこには黄昏に染まった空き地と、奈落へ続く様な穴がただ広がっているだけだった。

 




――Result―――――――
・厄災 ジュエルシード暴走体ⅩⅣ 封印
・堕天使 シャックス 刀により斬殺
・妖獣 チン 電撃により消滅

――悪魔全書――――――

妖獣 チン
 中国の伝承に登場する毒鳥。鴆(あるいは酖)。赤銅色の嘴に紫と緑の鮮やかな羽を持った巨体で描かれる。毒蛇を主食としているため、その羽には猛毒が宿り、飛んだ場所の草木は枯死する。その毒は無味無臭無色で、羽を浸して作った毒酒が暗殺に用いられたため、皇帝に駆除されたという。

厄災 ジュエルシード暴走体ⅩⅣ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。落下した際にホテルの屋上に引っかかっていた。発見当時は暴走状態でなかったが、夏織達に見つけられたことで策謀に利用される。ジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅩⅣ。

――元ネタ全書―――――

シェルター扉の目玉のような模様
 ペルソナ2罰より、須藤の病室に書かれた落書き。前作との関連を示す重要なイベントだったので、今回元ネタに起用しました。

メイガス/スキャナー
 真・女神転生Ⅰ。ザコ敵として出現するメシア教徒。もちろん仲魔にすることも可能。そして悪魔合体に使うことも可能。しかも有用。何人生贄にされた事やら……。

――――――――――――


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第17話a 来訪者の悪意《壱》

――――――――――――

「管理外世界で大規模な次元震が連発……エイミィ、確かなのか?」

「間違いないよ。何度も確認したし」

 モニターに写る資料を見て思わず問いただす。返ってきたのはオペレーターの不満そうな声。何度も艦長から確認の指示を受けたのに、という感情が滲み出ている。その艦長からは小さな溜め息が聞こえてきた。

「はあ、もっと早く来とけば良かったかしら?」

「艦長、我々は優先順位を……」

「分かってるわ。これより、本艦は次元災害調査のため、第97管理外世界に向かいます」

――――――――――――時空管理局執務官/時空航行船



「お母さんっ! モブちゃんがっ! モブちゃんがぁ!」

 

 テスタロッサ邸。シェルターから移転してきたリスティは傷ついた萌生とアリシアをプレシアに引き渡していた。孔に化け物の相手を任せて地下街へと移転したはいいが、現場は野次馬と警察と消防で混乱を極めたため、こどもを預ける相手が見当たらない。焦っているところへアリシアから母親なら魔法によるダメージを回復できると聞き、やむを得ず家の前まで直接テレポートしてきたのだった。

 

「すみませんっ! 魔法で治療をっ!」

 

「っ! ……大丈夫よ。この程度ならすぐに治療できるわ」

 

 魔法という言葉を使ったリスティにプレシアは驚いたような顔をしたが、すぐに冷静な声で対応を始める。それは泣きつくアリシアを落ち着かようとしているようにも見えた。

 

「こっちに運んで頂戴」

 

 家の奥へ誘導するプレシア。リスティは言われるがままついて歩き――そして驚愕した。外から見た限りでは少し豪華な家程度だが、リビングの先に地下へ通じる扉があり、そこにはあのシェルターにも劣らない施設が待ち構えていたのだ。見るからに特殊な資材で出来た壁に、地下でありながら息苦しさを感じさせない空調。所々にもうけられた部屋を覗く窓からは大がかりな研究設備までも見える。

 

「そこに寝かせて……そう。すぐ終わるから、そっちで待ってなさい」

 

 通されたのは手術室のような部屋。中央の白いベッドに萌生を寝かせると、アリシアとともに横の部屋へと移される。そこはガラス張りになっており、プレシアの治療を見ることが出来た。

 

「モブちゃん……」

 

 心配そうに窓を覗くアリシア。服を脱がされた萌生は背中に青いアザが出来ており、口からは血が出ている。

 

(意識不明の重体、か。魔法に期待せざるを得ないが……)

 

 黙ってプレシアの治療を見守るリスティ。何をやっているかは分からないが、時折手元から光が漏れている。かと思うと、薬らしきものを塗って包帯を取り出して巻き始めた。途中からの見慣れた治療に安心と若干の落胆を感じていると、処置を終えたのかプレシアは顔を上げる。そのまま消毒液らしきもので手を洗い、治療室から出てきた。

 

「終わったわよ」

 

「お母さんっ! モブちゃんはっ!?」

 

 さして時間もかからずに出てきたプレシアにアリシアが駆け寄る。プレシアはそれに優しく笑いかけると、安心させるように言った。

 

「大丈夫。すぐに目を覚ますわ。それより……」

 

 しかし、途中からリスティに視線を移す。

 

「ここじゃなんだから、場所を移しましょう」

 

 

 † † † †

 

 

 テスタロッサ邸のリビング。プレシアはそこでリスティと向かい合って座っていた。ちなみにアリシアはいまだ目を覚まさない萌生とともに2階の自室へと移っている。萌生が起きたときに怪しげな地下室では怖がるだろうとアリシアのベッドを貸すことにしたのだ。

 

「事情は分かったわ。放火魔だけじゃなくて、悪魔まで出たのね?」

 

「ええ。今、卯月くんが交戦してるから、私も早く戻らないと……」

 

 一通り事情を話して戻ろうとするリスティ。しかし、プレシアはそれを押し止めた。

 

「待ちなさい。今戻ってももう遅いわよ?」

 

「っ! どういうことですかっ!?」

 

「さっき、リニスから念話――まあ、テレパシーみたいなものだけど、もう悪魔は倒したと連絡があったのよ。卯月くんは相当無理をしたみたいだけど……今はジュエルシードを追ってホテルの上ね。それも封印が済んだから戻ると言ってきたわ」

 

「この短時間にそれだけ事態が動くとは……」

 

「恐らく、誰かが狙ってやってるんでしょう。ジュエルシードの魔力はこっちでも関知したけど、不自然なところがあったわ」

 

 まあ、裏に何が潜んでるか知らないけど。そう付け加えてプレシアは言葉を切る。元々この世界へはアリシアと「普通に」家族として生活を送るために引っ越してきた。事実、家族に対する考え方もミッドチルダと文化的な差異が少なく、学校環境も悪くない。「普通に」生きる分には何の問題もない筈だった。

 

(それが魔法関係の陰謀に巻き込まれるなんてね……)

 

 アレクトロ社の一件でもう十分と思えるほどの時間と気力を消費したのに、未だ魔法と悪魔から解放されていない。これも禁已の研究に手を染めてきた結果だとでもいうのだろうか。迷信も科学の対象として付き合ってきたが、こう何度も巻き込まれるとそんな気にもなってしまう。

 

「プレシアさん、やはりボクは現場に戻ります。まだ混乱してるはずだし、手がかりのひとつでも見つかるかもしれない」

 

 しかし、そんな感傷はリスティの声で遮られる。今は目の前の状況をどうにかしなければならない。

 

「そう。なら、地下街の入口にでも向かうといいわ。先生たちもそこに集まっているみたいだし、情報も聞き出せるでしょう。アリシアが心配して見に来た母親に引き取られたとでも言ってあげれば協力も仰ぎやすいはずよ」

 

「そうですね……すみません、助かります」

 

 一礼すると消えるリスティ。魔力を感じないあたり彼女も特殊な存在なのだろう。もっとも、プレシアの驚きは少ない。以前、ある理由から遺伝子工学を研究していた時期があり、遺伝子異状による症例としてテレポートを始めとしたレアスキルを持つ患者を見たことがあるからだ。プレシアはしばらくもう誰もいなくなった空間を見つめていたが、

 

「受け入れの準備をしとかないとね」

 

 そう呟いて意識を切り替えると、萌生の治療に使ってしまった薬品を補充すべく治療室へと戻っていった。

 

 

 † † † †

 

 

「士郎様っ……!」

 

「ノエルさんかっ! なのははっ!?」

 

 シェルター前。士郎は傷を引きずりながらようやくたどり着いたところで、見慣れた後ろ姿を見つけていた。

 

「先程、すずかお嬢様とアリサ様は保護しましたが、なのは様はまだ……」

 

 しかし、返ってきたのは冷酷な事実だった。走り出そうとする士郎。が、すぐにノエルに止められる。

 

「お待ちください。その傷ではっ!」

 

「いや。このくらいなら大丈夫だ」

 

「しかし、入り口は警備員が封鎖しています。今は通ることも難しいでしょう」

 

 淡々と並べるノエルに、しかし士郎は無言のまま歩き始める。野次馬をかき分けて進み、

 

「なっ……!?」

 

 目にしたのは巨大な何もない空間だった。手前に広がる崩落したシェルターの瓦礫がそこに何があったか伝えているものの、その先には引き裂かれた大地が広がっている。奈落に繋がるような底知れない闇はまるでなのはの生存を否定しているようで、

 

「くっ!」

 

 士郎は瓦礫で塞がれた入り口へと駆け出した。

 

「士郎さんっ!」

 

 が、誰かに肩を掴まれて立ち止まる。そこには、

 

「大丈夫。なのはちゃんは無事です。今引率の先生から連絡がありました」

 

 無事を知らせるリスティの姿があった。

 

 

 † † † †

 

 

「ええ。大丈夫。今病院です。……いえ。怪我はありません。念のため診てもらっているだけですので……ええ。よく眠っています」

 

 病院の一室。ユーノ(にとりついた悪魔)は電話をかける祐子を横目に、無表情のままベッドに寝かされたなのはを見ていた。

 

(面倒をみろ、か。やれやれ。人間というやつはどうも効率に欠けるな……)

 

 つい先程、失敗した場合にとあらかじめ用意していた場所――須藤竜也が拠点に使っていた病室へと移転したところ、既に氷川が待っていてこう言ったのである。

 

「失敗したかね?」

 

「いいえ、成功です。ジュエルシードの制御はうまくいったし、メシアの覚醒にも貢献しました」

 

「だが、あの宝石は逃したようだが?」

 

「アレは途中で管理局の魔導師が入ってきたからでしょう。あなた達にも予想外だったはずです。もしあくまでなのはちゃんのせいだと言うのなら、私はもうあなた達に協力しません」

 

「……困った巫女だ」

 

 並べ立てる祐子に冷静な表情のまま答える氷川。氷川としてはジュエルシードを制御した上で封印し、手元に置いておきたかったのだろう。しばらく考えている様子だったが、

 

「まあいい。アレはどちらが持とうと最終的には手に入る……ムールムール、その娘の面倒は任せたぞ」

 

 面倒事を押し付けて姿を消してしまった。

 

(もう用済みならさっさと喰ってしまえばいいものを……まあ、この創世に使う巫女を繋ぎ止めるにはやむを得ないか)

 

 思考を巡らせる悪魔。じっとなのはを見つめていたが、

 

「……ぅう……ん?」

 

 やがて苦しそうになのはが目を開けるのを見て話しかける。

 

「起きたかい?」

 

「ユーノくん? ……あ、フェ、フェイトちゃんはっ!?」

 

「落ち着いて、なのは。君は彼女に負けたんだ。ここは病院だよ」

 

 周囲を見渡すなのは。フェイトの斬撃は非殺傷設定とはいえ後遺症が残るほど強力なものだったが、移転してすぐユーノがかけた治療魔法のお陰でダメージはない。それどころか、一瞬痛いと感じただけで今や戦闘で受けた一撃など意識の外だろう。

 

「そっか……私、負けちゃったんだ……ユーノくん、あ、あの、フェイトちゃんは?」

 

 証拠に、なのはは痛みを受けた事よりもフェイトの方を心配している。重ねて問いかけてくるなのはに、ユーノは少し考えるような仕草をしてから、

 

「ジュエルシードを持って何処かへ行ってしまったよ。今頃管理局じゃないかな?」

 

「……っ! は、早く助けに行かないとっ!」

 

 どうも混乱しているようだ。斬られた衝撃で術が変な方へ効いたのだろうか。何故かフェイトが悪役に洗脳されたお姫様のようになってしまっている。

 

(まあ、そう仕組んだのは私だが……症状が進んだ、というところか?)

 

 変に頑固なせいで、一度正義と思い込まされた事は強いこだわりを見せるようだ。操る側からすれば幻術でその「正義」とやらを書き換えてやれば良いわけで、非常に扱いやすい性格といえる。ユーノは内心で嗤いながら続けた。

 

「助けに行くっていっても、何処が拠点なのかは分からないよ? 学校で会おうにも、明日からゴールデンウィークで休みだろう?」

 

「で、でもっ……!」

 

「そんなに焦らなくても、ジュエルシードを追っていればすぐに会えるよ」

 

「そ、そうだけど……」

 

 畳み掛けるように言うユーノになのは言い返す言葉を探すような仕草をする。理屈はともかく、感情では納得できていないようだ。悪魔はそんななのはの目を覗きこみながら、

 

「大丈夫。ちょっと時間をおけば、きっとあの娘も分かってくれるよ。その為の林間学校なんだし」

 

――マリンカリン

 

 甘い言葉でなのはを魅了し、次の目標へと誘惑していく。

 

「う、うん、私、今度はちゃんとお話聞いてもらうよっ!」

 

 なのははそれを誘惑と気づくこともなく、甘い果実へ手を伸ばすように頷いた。

 

 

 † † † †

 

 

「孔、おはよう。夕べはよく眠ってたみたいね」

 

「おはようございます。おかげさまで……」

 

「孔お兄ちゃん、はやく。ごはん冷めちゃうよ?」

 

 シェルターの事件から一夜明けた児童保護施設。普段より少し遅めの時間に起きた孔は、先生とアリスに挨拶を交わしていた。本来なら起こされる時間に声がかからなかったところを見ると、事件に巻き込まれた事に気を使ってくれているのだろう。

 

「すみません。昨日はご迷惑を……」

 

「いいのよ。無事でいてくれたんだし」

 

 急かすアリスに遮られた言葉を続けながらいつものテーブルに着く。テレビに目を向けると、いつもならアリスのせいでアニメが流れている筈の画面には「シェルターで火災。問われる危機管理」との見出しでニュースをやっていた。

 

「ずいぶん大きな事件になっていたんだな……」

 

「まあ、昨日もパトカーのサイレンの音がすごかったから。孔が無事で本当によかったわ」

 

 思わず口に出す孔に先生が皿を並べながら頷く。海鳴市が巨額の税金を投じて作り出したシェルターが火災を起こした挙句崩落したのだから当然といえば当然だろう。テレビからは行政の責任を問う声が上がっている。

 

(あのシェルターで使われた隔壁は術式が埋め込まれていたが……その辺りも政府が絡んでいるのだろうか)

 

 ニュースを聞きながら考え込む孔。シェルターの管制室でセキュリティシステムにアクセスした時、「悪魔の侵入を確認」という警告音を聞いている。それはすなわち悪魔に対抗するためのシステムが組み込まれていることを意味するのだが、海鳴市がそれを発注したとなるとシェルターの意味合いが変わってくる。テレビでやっているような災害に備えるものではなく、魔法世界の技術を利用して悪魔から生き残る砦として建設されたと考えるのが妥当だろう。もっとも、シェルターで契約したナイトメアからは氷川の名前も出ている。氷川が工事を受注した企業とつながりがあるのなら、現場の独断で行った可能性も否定できない。

 

(中途半端な記憶なんて何の役にも立たないな)

 

 推論しか出てこない思考に自嘲する。あの時、断片的な記憶はビジョンとして見えたものの、シェルターの正体そのものは分からずじまいだ。かろうじて思い出したのは過去の幻想の中で出会った女性。その女性が自分を守ろうとして重傷を負ってしまったこと。しかし、あの時と違って思い出してみても実感が全くわかない。代わりにリニスの顔が頭に浮かんだ。

 

「むー、ニュースばっかでアリスつまんないっ! 孔お兄ちゃん、遊ぼっ! ゴールデンウィークになったし、遊んでくれるんでしょ?!」

 

 だがそれもアリスの声にかき消される。いつものテレビアニメがないのが不満のようだ。孔は苦笑しながらそれに答えた。

 

「そうだな。なら、学校も休みだし、プレシアさんのところに行くか?」

 

 

 † † † †

 

 

「あら、コウくんにアリスちゃん、いらっしゃい」

 

「すみません、お邪魔します」

 

「お邪魔しま~す」

 

 テスタロッサ邸につくと、孔は出迎えたプレシアにいつもの応接室へと通されていた。真似をして挨拶を返すアリスにプレシアが楽しそうに微笑むのを見ながら、リビングの扉をくぐる。すぐにアリシアが駆け寄ってきた。

 

「あ、コウッ! アリスちゃんもっ!」

 

 奥では手を振る萌生と目を反らすフェイト。そして、

 

「コウ。早かったですね」

 

 リニスがいた。目が合う。瞬間、視界が白く光った。光の中に見えたのは女性の姿。

 

(っ?! なんだ?)

 

 しかし、一瞬の後にはもういつもの視界を取り戻している。立ち尽くす孔。

 

「? 孔お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「コウ?」

 

 が、アリスに服を引っ張られ意識を戻す。リニスも心配と戸惑いを乗せた顔でこちらを見ていた。慌てて話題を変える。

 

「いや。何でもない。アリス、俺はプレシアさんのところに行ってるからアリシアと……」

 

「え~、孔お兄ちゃん、一緒じゃないの?」

 

 が、アリスからは不満の声が上がった。リニスも首を傾げる。

 

「コウ、まだ時間もありますし、少し遊んであげては?」

 

「あ、ああ、そうだったな」

 

 言われて頷き返す孔。どうかしている自分に苦笑しながらアリスの手を取ると、すぐにゲーム機が繋がれたテレビの前へと連れていかれた。アリシアの楽しげな声が響く。

 

「フェイトちゃんとモブちゃん、凄いんだよっ! 始めてゲームやるのに息ぴったり!」

 

「あ、あはは。そんな凄くないよ?」

 

「ねー、アリスもやっていい?」

 

 それはすぐに萌生やアリスへと広がった。騒ぐ3人に昨日を引きずる様子がないのを見て安心と若干の気後れを感じていると、リニスから念話が届く。

 

(コウ、大丈夫ですか?)

 

(あ、ああ。まあ、このくらい騒がしい方がアリスらしいし……)

 

 軽い気持ちで答える孔。しかし、リニスからは普通の会話なら溜め息が混ざりそうな念話が返ってきた。

 

(コウ、貴方は大丈夫ですか? さっき、調子が悪いようでしたけど?)

 

(いや。大丈夫だ。調子が悪いわけじゃない)

 

(本当ですか?)

 

(ああ、いや、さっき、何かは分からないが、記憶の一部――女の人の姿が見えたんだ)

 

 納得できない様子のリニスに誤魔化さず答える。いい加減な理由では許してくれそうにない雰囲気があったのも確かだが、孔自身事実を聞いてほしいという思いがあった。

 

(……女性、ですか)

 

(ああ。でも、いつ、何処の記憶で何を意味しているか分からない。結局、シェルターで思い出したのは断片だけだったな)

 

 何処か警戒した声で返すリニスに混乱した記憶を話す。流石にリニスの顔を見て思い出したとは言えなかったが、危険を冒してシェルターまで来てくれた以上、結果は伝えておくべきだろう。

 

「ねー、孔お兄ちゃん、一緒にやろ?」

 

 しかし、アリスに引っ張られて念話でのやり取りも終わりを告げる。強引にコントローラーを手渡され、アリスの横へと座らされた。

 

「私も参加していいですか?」

 

 そこへ、リニスが割り込む。アリス、孔、リニスとちょうど3人並ぶように座ったリニスは、自然に孔の持つコントローラーを取り上げる。

 

「リニス?」

 

 彼女らしからぬ強引な姿勢に戸惑った声を上げる孔。それに笑顔で答えるリニス。しかし次の瞬間、すさまじいスピードで手を動かし始めた。同時にフェイトの悲鳴が上がる。

 

「え? ええっ! リニス、ちょっと待っ……え、えぇ~!」

 

 今まで気が付かなかったが、対戦型格闘ゲームのようだ。ゲーム機の横に置かれたパッケージには「P4U」とある。もっとも、孔が画面に目を向けた時にはすでにKOの文字が広がっていたため、どのようなゲームかは理解できなかったのだが。

 

「うわ、リニスすごい」

 

 感嘆の声を上げるアリシア。その後もリニスは萌生、アリス、アリシアと対戦を重ね、いずれも勝ち続けた。いずれも瞬殺しているあたり何かものすごい執念を感じる。普段の彼女らしからぬ大人げない態度に孔は思わず問いかけた。

 

(リ、リニス? どうしたんだ?)

 

(……何をやってるんでしょうね、私は)

 

(リニス?)

 

(いえ、なんでもありませんよ)

 

 それに独り言と答えになっていない答えで返すリニス。珍しく感情的になっている使い魔に首をかしげる孔。そこへ、I4Uが割り込んできた。

 

(My Dear, 私の半身は愛しい狩人がほかの女の元へ去っていくのに耐えられないのよ?)

 

(どういう意味だ?)

 

(すぐに分かるし、分かってもらうわ。そう遠くない未来に)

 

 何やら背筋が寒くなるような声で念話を送るI4U。しかし、それもリニスによって遮られた。

 

「コウ、たまには私とも遊びましょう?」

 

 変わらない笑顔のままコントローラーを差し出すリニス。何やら猛烈なプレッシャーを感じながらも、それを受け取る孔。アリスとアリシアの声援が響く。

 

「孔お兄ちゃん、頑張って~」

 

「コウ~! 皆の敵をとるんだよっ!」

 

 リニスの笑顔が余計怖くなったのは気のせいだろうか。断ることが出来るはずもなく、孔はプレシアが「客」の来訪を告げるまで、慣れない格闘ゲームにいそしむことになった。

 

 

 † † † †

 

 

「卯月君。顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

 

「もし何かあったら、ボクたちに遠慮しなくても……」

 

「いえ、大丈夫です。それより、こちらへ。もうみんな集まっていますから」

 

 心配そうに尋ねてくる寺沢警部とリスティを誤魔化すように、孔はテスタロッサ邸の地下の廊下を歩く。向かう先は巨大なスクリーンが設置されている映像解析用の部屋。シェルターの一件の後、フェイトが持ち帰った「証拠」を確認するため、一度集まることになったのだ。目指す扉を開くと、すでに来ていた一同――当事者であるクルスにテスタロッサ家からはプレシア、リニス、フェイト、アルフ、巻き込まれた那美に久遠、修が視線で出迎えた。そこに警察関係者として寺沢警部にリスティ、そして孔が加わる。

 

「みんな揃ったわね? じゃあ、流すわよ?」

 

 プレシアが手元のデバイスを操作すると同時に、スクリーンが光を帯びる。次いで映し出されたのは、日付と日時、場所を表す座標が魔法世界の様式で記された字幕と、月村邸でロストロギアの暴走体を前にする白い魔導士だった。

 

「ここは……忍の家の裏だな。あの時の悪魔の結界は囮だったのか」

 

「だが、実際に猫の化け物もいたんだろう? なら、決して無駄じゃなかったさ。それより、この女の子、どうも様子がおかしいようだが?」

 

 孔達が突入した悪魔の結界の外側の出来事に苦い声をあげるリスティ。寺沢警部はそれを宥めつつ建設的な方向へと持っていこうとする。それには那美が答えるように反応した。

 

「ええ。何か術の様なものをかけられています」

 

「画面越しに、分かるのかい?」

 

「うん。霊力までは感じられないけど、自分以外の意識が入るとやっぱり身体は抵抗しようとするから……ほら、さっきのところ。なのはちゃん、肩が痙攣してるでしょ?」

 

 アルフの疑問にスクリーンを指差す那美。確かになのはは時折肩を弛緩させたり、片手で構えた杖が震えるのを安定させるため両手で持ち直したりしている。それは何かを抑え込もうとしている様にも見えた。顔をしかめるリニス。

 

「そうなると、早く術をかけた悪魔を探さないといけませんね。魔法ならある程度個人の特定もしやすいですけど……」

 

 魔法はその元となる魔力を個人の持つリンカーコアに依存しているため、魔力の特徴を記録さえしてしまえば捜査のしようもあるのだが、未知の悪魔となると追いようがない。しかし、クルスがそんな常識を遮った。

 

「いや、その必要はありませんよ。あのフェレット……アレは使い魔なんかではなく、ジュエルシードを輸送していたユーノ・スクライアが変身魔法を使ったものです」

 

 それによると、元々ジュエルシードは過去に滅んだ次元世界の遺産発掘を生業とするスクライア一族によって発見されたもので、次元災害を引き起こす可能性もあることから、管理局が護衛を行っていたという。その護衛を担当していたのがクルスであり、護衛対象がユーノ・スクライアだったのだが、

 

「この世界に来てからも探したけど、魔力反応が無かったんです。てっきり一族に回収されたか他の世界に流されたと思っていたけど……」

 

「じゃあ、そのユーノ・スクライアがソノコやモブを?」

 

 声をあげるフェイト。しかし、クルスは首を振った。

 

「いや、フェイトさんが記録した魔力パターンはユーノと一致しない……つまり……」

 

「ユーノ・スクライアには悪魔が取りついていて、高町なのはを操っているのね?」

 

 説明を引き継ぐプレシアにクルスは頷いた。それに修が立ち上がる。

 

「なら、さっさと取っ捕まえに……」

 

「待って、シュウ」

 

「なんだよ。もう慎重に進める必要なんてないだろ?」

 

 声をかけるクルスに修が苛立ちを含んだ声で返す。が、クルスはそれを抑えるように続けた。

 

「そうじゃなくて、対策は必要って言ってるの。このまま行っても逃げられるか、なのはちゃんを人質に取られるだけでしょう? ユーノは元々護衛対象だったから、私だって早く助けたいと思うけど……」

 

「なら、どうするってんだ?」

 

「もうすぐ、トールマンさんの所に管理局が来るんだ。彼らとも協力すればいい」

 

「相手悪魔だぞ? 管理局で対応出来んのか?」

 

「それは……でも、知能を持つ魔法生物だっていえば、少しくらいは……」

 

「大体、トールマンってあのシェルターで事件があった時、ホテルの上にいたんだろ? 俺はそのホテルで悪魔と闘ってんだぞ? 信用できんのか?」

 

「トールマンさんはメシア教会の神父だ。めったなこと言わないで!」

 

 次第に険悪になる2人。孔は慌てて間に割って入った。

 

「クルスさん、管理局は悪魔の存在を認めているのか?」

 

「……いや。シュウの言う通り、お伽噺の世界の住人って笑われるのがオチだよ」

 

「なら、管理局とは別に悪魔を追うべきだろう。それに、悪魔もジュエルシードを狙っている以上、管理局が捜索を続けていればいつか出会う筈だ。そうなれば悪魔の存在を認めざるをえなくなる。積極的に協力するのは、その後でも大丈夫だろう」

 

「……分かったよ」

 

 クルスは何かを飲み下すように頷いた。管理局員には悪い気がしたが、悪魔が絡んでいる以上仕方ない。修もしばらくクルスの顔を見ていたが、やがて口を開いた。

 

「なら、俺は高町の家に行って確かめてくる。友達のふりすれば会えんだろ」

 

「私も行く」

 

 それに立ち上がるフェイト。毅然とした雰囲気はやはり萌生や園子の影響だろうか。孔は危険なものを感じて口を開いた。

 

「悪魔がいるなら、俺も行こう。まあ、前の件があるから直接会うわけにはいかないが、遠くから援護くらいはできる」

 

「あ、私も一緒に行きます。お祓いは専門だし、なのはちゃん放っておく訳にいかないし」

 

 それに那美も手をあげる。元々高町一家の事はよく知っている身としては助けたいという思いが強いのだろう。

 

「なら、俺たちは氷川を洗ってみよう。あの場にいた以上、怪しいことに違いないからな」

 

 立ち上がる寺沢警部。リスティもそれに頷く。確かに大掛かりな事件になっている以上、シェルター関連の事件を調べるのは警察関係者の方がやり易い。それを見て、プレシアも口を開いた。

 

「じゃあ……私はクルスちゃんと管理局に当たろうかしら?」

 

「いいんですか?」

 

「ええ。情報の提供は必要でしょう? それに、こっちでもある程度ジュエルシードの回収はやってるのよ? 早めに引き渡しておきたいわ」

 

 驚いたようなクルスにプレシアが頷く。もっとも、協力を申し出てはいるが、管理局に孔やフェイト、修達が利用されないように交渉役を買ってくれたのだろう。プレシアの経験に頼らなければならない自分に孔は痛みを感じた。

 

(コウ、私は貴方に着いていきますから、無理はしないで下さいね?)

 

(ああ、すまないな。リニス)

 

 そんな孔にリニスが念話で気を使ってくれる。朝と違って奇妙な感覚も浮かばなければ、先ほどのようなプレッシャーも感じられない。いつものリニスだ。孔はそれ安心したような、少し物足りないような感情を抱きながら、自分の役割を果たすべく修たちの方へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「今日は……このくらいでいいかしら」

 

 翌日。桃子は早朝から翠屋で仕込みをしていた。いつもよりずっと少ない量を誤魔化すように呟く。あの一件以来、客足は遠のいたままだ。

 

(早く来てもらえるようにしないと……)

 

 誰もいない客席とカウンターに目を向ける桃子。本来なら立っているはずの士郎は昨日の怪我が元で病院だ。恭也も意識は取り戻したものの、未だ警察で取り調べを受けている。そして、なのはは帰ってきて早々林間学校へ行ってしまった。

 

(大丈夫かしら?)

 

 なのはの課外活動はもともと予定されていたこととはいえ、さすがに心配になる。桃子としてはできれば参加を取りやめたかったが、士郎が言うには家にいるよりかえって安全だという。恭也と士郎が動けない以上そうなのかもしれないし、夜の一族であるさくらも様子を見に行ってくれているのだが、ここ数日の異常を考えるととても安心できたものではない。

 

(あの時と一緒……いえ、もっと酷いわね)

 

 思い出したのは仕事で負った怪我が原因で士郎が生死をさ迷っていた時期。当時も店の切り盛りをほとんどひとりでこなさなければならなかったし、士郎の怪我が心配で仕方なかった。が、そこには家族がいた。夕方になれば恭也が手伝いに来てくれたし、家に帰ればなのはが迎えてくれた。その精神的な支えとなってくれた存在が今はいないのである。といって、休む事もできなかった。士郎の治療費や恭也の訴訟費用は夏織からの報酬でお釣りが来るのだが、桃子としては夫の昔の女が持ってきた血で汚れた金は、出来るだけ使いたくない。全額は無理でも、少しは抵抗してみたいという意地のようなものがあった。

 

「お母さ~ん、ちょっと、これどうすればいいの?」

 

「あ、ちょっと待って。今行くから」

 

 手伝いに出てくれた義理の娘が声をあげる。ゴールデンウィークでどうせ暇だからと無理に明るい調子で言ってくれたのが忘れられない。

 

「はあ、やっぱり私、料理向いてないのかなぁ?」

 

「あら? そんなんじゃ彼氏のひとりも出来ないわよ」

 

 生クリームまみれになりながら肩を落としてみせる美由希に軽い言葉で答える桃子。不器用な美由希は決して料理が得意というわけではなかったが、それがかえって気分を軽くしてくれた。2人でこなす仕込み作業は時間がかかったが、しかしいつもより早く過ぎていく。

 

「じゃあ、お店開けるよ?」

 

 あっという間に時間となり、ウエイトレスの制服に着替えた美由希が開店を告げる。もっとも、予約もなければ注文もないのだが、美由希がいる店内はここ数日の無人に比べてずいぶん明るくなった気がした。

 

「あ、いらしゃい……って、那美?」

 

 そんな美由希から声が上がる。見ると、恭也の高校時代の後輩である女の子が立っていた。かつて店を手伝って貰った事もあり、美由希とは仲が良く、時折翠屋にも客として来てくれていた。

 

「えっと、なのはちゃん、いる?」

 

「えっ? なのは?」

 

「うん、この子達が遊びにって……」

 

 後ろから入ってきたのはあの時遊びにきたなのはの友達だった。どうやら那美が店に寄るついでに連れてきたらしい。恭也の一件がなのはの友人関係に影響しないかと心配していたが、こうして遊びに来てくれたということは良好な関係を保っているのだろう。美由希もそれを感じたのか、どこか上機嫌に言った。

 

「ごめんね? 折井くんにフェイトちゃん。なのは、林間学校でゴールデンウィークはいないの」

 

「林間学校……ですか?」

 

「うん。参加するって聞かなくて」

 

 その訪ねてきた金髪の女の子は首を傾げる。となりの男の子も何か考えている様子だったが、やがて那美に向かって口を開いた。

 

「反応なし。言っていいってよ」

 

「そっか……」

 

「え? 何?」

 

「あのね、美由希、聞いてほしい事があるの」

 

 2人についていけず戸惑う美由希に那美が店内へと歩き始める。途中、桃子にも声がかかった。不穏な予感とともにキッチンを出る桃子。那美が待つ客席で告げられたのは、

 

「実はなのはちゃん、裏の事件に巻き込まれたみたいなんです」

 

 恐ろしい事実だった。

 

 

 † † † †

 

 

「林間学校か。あからさまに怪しいな」

 

「ええ。タイミングが良すぎます」

 

 一方、翠屋の外。孔とリニスは修の念話を聞きながら対策を練っていた。先程、修からなのはの不在を告げられ、高町一家の説得を依頼したところだ。勿論、その際にI4Uのサーチでなのはの家族にまで悪魔の手が及んでいないのを確認している。

 

「でも、桃子さん達が無事だと分かっただけで十分でしょう。きっと協力してくれますよ」

 

「そうだな……」

 

 気を使ってくれているのか、希望的な要素をあげて前向きな意見を言うリニス。孔はそれに相槌で答えながらも、内心は複雑だった。悪魔が一家全員に手を出していないのは歓迎すべき事だが、それでは自分に向けられた敵意は悪魔のせいでなかったという事になる。

 

(やはり受け入れられる力でないという事か)

 

 シェルターでもこの力に関する記憶は見ることが出来なかった。代わりに、あの須藤のなれの果てに触れた時に吸い出されるような感覚が残っている。意図的に何かされたのか、偶然何かと反応したのかは不明だが、悪魔と関係する力である事は間違いないだろう。

 

(人間だった悪魔に関係、か。術をかけられているだけの方がまだ救い用はあるな……)

 

 自嘲気味に自分のおかれた状況を振り返る孔。術なら、神咲家やあの樹海和尚が解呪の法を知っているかもしれない。あるいは幻想殺しで対応も出来るだろう。だが、自分の力となると解決策は思い浮かばないのだ。

 

(……コウ?)

 

 考えこんでしまったせいか、リニスが心配した様子で問いかける。どうも顔に出てしまったようだ。感情を覗きこむような視線に目をそらすと、

 

(いや。対策は早い方がいいだろう。高町さんは、まだ間に合うんだ)

 

 孔は意図して冷静な言葉で答えながら、再び高町家へと目を向け始めた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

デバイス I4U
 孔が使用する儀式代行・対悪魔プログラム内蔵アームターミナル型デバイス。「儀式代行」の名の通り、悪魔との交渉や契約、位置情報の把握まで多様な機能も持ち合わせているが、その原動力は個人のマグネタイトに依存するため、孔以外の者には起動すらできない。普段はペンダント型となっているが、バリアジャケットとしてセットアップした際は本来の籠手型の姿を取り戻す。通常のインテリジェントデバイスとは異なり、起動直後から自らの意思らしきものを持ち、本物の女性であるかのような振る舞いも見せる。孔には強い執着を持っているようだが……

――元ネタ全書―――――

P4U
 タイトルそのまま。某A社の格闘ゲームより。大昔にペルソナ2とジョジョ第3部の格ゲーをやっていて、ペルソナでも格ゲーやればいいのにとか思っていたら、数年の時を経て実現した……とか思ったのは私だけじゃないはず。

――――――――――――


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第17話b 来訪者の悪意《弐》

――――――――――――

「今日会うのはこの2人、か……」

 トールマン神父から渡された資料をめくりながら、これから迎える上官の事を考える。リンディ・ハラオウン提督とクロノ・ハラオウン執務官。母子で管理局の要職をこなすエリートだ。

(上手く乗りきれればいいけど……)

 悪魔の事はオブラートに包んだ形で伝え、なおかつプレシアさん達の事をコウの活動の邪魔にならないよう話さなければならない。考えるだけでボロがでないか不安だ。

(でも、もしこれで手がかりが掴めるんなら……)

 何としても、上手くこなさなければならない。

――――――――――――クルス/メシア教会自室



「信じる者は皆救われる。迷える子羊よ、祈りなさい。ようこそメシア教会へ。リンディ提督に、クロノ執務官ですね? お待ちしていました」

 

「ええ。貴女がクルス二等空士ね? 御苦労様」

 

 孔達が翠屋を訪ねている頃、メシア教会ではクルスが2人の時空管理局員を迎えていた。ひとりは緑色の髪をポニーテールにまとめた女性で、人当たりのいい笑顔をたたえている。もうひとりは黒衣の少年で、こちらは無愛想な表情のまま軽く目礼で答えた。

 

(女性の方がリンディ・ハラオウン提督……時空管理局本隊で大型艦の艦長を任されている人。こっちの男の子がクロノ・ハラオウン執務官、弱冠14歳でこの階級まで上り詰めたエースか。2人とも資料よりずいぶん若く見えるな)

 

 頭の中でデータと照らし合わせながら会議室への廊下を歩く。やがてたどり着いたそこには、トールマンとプレシアが既に待ち構えていた。

 

「WELCOME! ヨウコソミナサン! ヨク来テクレマシタ! ワレワレハァ、アナタ達歓迎シマス!」

 

 いつも通り大袈裟な歓待に苦笑するクルス。気のせいかプレシアの表情が妙に疲れて見える。一方のリンディは一瞬驚いた様な顔をしたものの、すぐに笑顔で応えた。どうやらこの手の対応に眉をひそめるタイプの人間ではないらしい。クルスは無駄に悪印象を与えなかったことに軽く息をつきながらも、気を緩めることなく間に立って話し始めた。

 

「えっと、挨拶が終わったようですので紹介させていただきます。此方がトールマン神父。すでにご存知かと思いますが、元管理局少将です。そして、プレシア女史。魔法世界出身でこの世界に移住されていたところ、今回の事件に巻き込まれてしまった被害者です。お2人とも、この世界ではジュエルシード捜索の手伝いをして頂いています」

 

「この度はご協力に感謝致します。管理局員として、最大の感謝を……」

 

 お決まりの文句とともに礼を言うリンディ。トールマンは歓迎の笑顔を崩さず聞いていたが、プレシアの方はそうもいかない。

 

「感謝していただくのは結構だけど、もう少し早く来られなかったのかしら? ロストロギアの情報自体は貴女達の方にいっていたのでしょう?」

 

「対応が遅れた事につきましてはお詫び致します。ただ、ミッドチルダでもここ最近局員を狙った襲撃事件が多発していまして……」

 

 申し訳なさそうに答えるリンディ。しかし、何処か形式的な感じがするのは決してクルスの邪推ではないだろう。プレシアが口にしたのは管理局によくあるクレームであり、その答えも「多忙のため」と決まっている。魔導師という人材的側面に戦力を左右される管理局としては事件解決に割り当てられる人員に限界があり、次元震をはじめとした災害への対処はどうしてもミッドチルダに影響を及ぼしやすい世界を優先的に割り振られる。地球のような管理外世界の災害は後回しにせざるを得ない。が、それは同時に理解され難い理由でもあった。ミッドチルダの市民には管理外世界の出身者や移住者も多く、自分の地元や住居が次元災害の脅威に見舞われているのに管理局が何もしてくれないというのは納得がいかない。

 

「管理局はいいわね。普通の企業じゃ通用しない言い訳が出来て」

 

「申し訳ありません。こちらとしても今後の対応は迅速に取りたいと思いますので……」

 

「こちらとしては今後の対応じゃなく、過去の責任を説明して欲しいところだけど?」

 

(い、胃が痛くなるよ……)

 

 クルスは冷や汗をかきながら目の前のやり取りを見守っていた。言うべき事はしっかり追求するプレシアと謝りながらも態度を崩さないリンディ。しばらく2人は笑顔で睨み合いを続けていたが、

 

「……まあいいわ。それは後にしましょう」

 

「恐れ入ります」

 

 気がすんだのかプレシアが矛を納める事で一応は落ち着いた。クルスもプレシアにあらかじめ謝っておいたので、嫌味を言う程度にとどめてくれたのだろう。もっとも、その時は「放っておかれたのだから、どちらかというと貴女は謝られる側でしょう」と言われている。怒りが再燃しないうちに次に進まないと面倒だ。クルスはこの期を逃さずいそいそと話し始める。

 

「ええっと、問題のロストロギアですが……」

 

 やや早口になりながらも、クルスは今までの経緯を簡単に説明していく。ジュエルシードを輸送中に仮面の魔導師に襲われた事、降り立った地上で運よくプレシアを始めとした魔力を持つ協力者と出会う事ができた事、メシア教会の保護を受けながらジュエルシードを探した事、その中で「魔法生物」と交戦した事――。

 

「プレシアさん達のお陰で何とかロストロギアの回収は進んでいますが、その魔法生物はかなりの知能を持っている上に何者かの意思によって動いているようで、まだジュエルシード全ての収集が済んでいるという訳ではありません。中には人間に寄生するタイプの生物ものも確認されていて、実際に被害も出ています」

 

 デバイスを操作して、会議室のスクリーンにフェイトが記録した月村邸での映像を写し出す。そこには何かに抵抗する様に杖を振るう少女と狂気を纏うフェレットがいた。

 

「あのフェレットがユーノ・スクライア、ジュエルシード発掘の責任者です。ご覧の通り、事前にお渡しした資料とは魔力パターンが一致しません。白いバリアジャケットの魔導師が高町なのは、この世界では珍しい魔力保有者です。元のデータがないので魔力パターンからは判断できませんが、異常な行動を示しており、優れた魔力量から利用されているものと推定されます」

 

「……想像以上に事態は悪化しているみたいね」

 

 スクリーンを見据えたまま眉をひそめるリンディ。後ろに控えるクロノも睨むように映像を見ていたが、やがて口を開いた。

 

「二等空士、寄生された被害者は元に戻せるのか?」

 

「いえ。残念ながら治療法は確認できていません。ただ、この世界ではごく稀に同種の魔法生物が出現するという証言があり、いくつか成功例を聞いています」

 

 簡単に神咲家の話を続けるクルス。しかし、やや宗教的側面が強い部分を説明しなければならない事もあり、クロノは失望した様な顔をした。

 

「科学的な手法としては確立していないのか……」

 

「はあ。ですが、効果はあるという事ですので……」

 

 クロノの反応にクルスは頭をかいた。那美が言う「術」は説明だけ聞くと民間信仰に近いものがある。説得力のある技術体型として確立していない以上、その効用については疑問を抱いても仕方がない。リンディも同じ感想を持ったらしく、ため息をついて続ける。

 

「治療法と魔法生物については本部にも問い合わせてみましょう。あと、今後、この件は此方で全権をもって調査しますので……」

 

「お願いするわ。今度は犠牲者が出ないうちに解決して欲しいものね」

 

 対応を申し出るリンディにプレシアは当然とばかりにうなずく。リンディは相変わらずいかにも申し訳ないという顔をしていた。これだけ露骨に嫌味の効いたクレームを前にして表情を保っているのは流石と言うべきだろうか。「偉い人」特有の反応に感心するクルス。リンディはそのままクロノの方へちらりと目を向ける。それを受けてクロノは前に出た。

 

「では、ジュエルシードの引き渡しについてですが……必要であれば我々がお伺いしますが?」

 

 どこか言いにくそうに続けるクロノ。恐らく念話で指示を受けたのだろう。流れとして部下に要求させてここからは事務手続きなんですと言外にアピールする辺り手慣れている。クルスは再び感心しつつ、押し付けられた執務官には軽く同情した。

 

「いえ、結構よ。回収した分と魔法生物のデータは持ってきてるから、確認して頂戴」

 

「で、では、頂戴いたします」

 

 怖い笑顔のまま杖型のデバイスを掲げるプレシアに、クロノはひきつった表情でS2Uを差し出す。同時に、プレシアのデバイスから発せられた光がクロノの持つカード型デバイスへと吸い込まれていった。

 

《Collating the Date......completed》

 

「ロストロギア、ジュエルシード、確かに受領しました。また、情報提供に感謝します」

 

「礼はいいから、早く解決してちょうだい」

 

 形式に乗っ取った礼を言うクロノにプレシアはしっかりと釘を刺す。苦い顔で「全力を尽くします」と応じるクロノ。再び襲ってきた胃のストレスを押さえるように、クルスは声を上げた。

 

「あ、あのっ! 必要な手続きが終わったようですので、今後の具体的な対策についてご説明したいと思いますが……」

 

 少しでも気を引こうとスクリーンを切り替えるクルス。先程とは逆にクロノの視線から憐れみを感じたのは思い過ごしだろうか。しかし、もちろんプレシアとリンディには末端の管理局員への同情による譲歩など存在しない。

 

「あら、今後の対応はお願いした所だから、私はもう退出してもいいのかしら?」

 

「いえ。出来れば簡単に意見をいただけると助かるんですけど……」

 

 張り付いた仮面の様な笑顔で向き合う2人。方や複雑な事情から地球に移住をせざるを得なかった大魔導師。方や艦長職を任される歴戦の提督。2人が抱える過去をクルスは詳しく知っているわけではないが、性格が違えど共に苦境を乗り越えて来た女傑同士、お互いに何か感じるものがあったのだろう。強烈なプレッシャーをかけあっている。何か言わなくてはと思うものの、緊張の中で下手な発言をするわけにもいかない。強まる胃痛に耐え切れず助けを求めてクロノの方をみると、すぐに視線を外されてしまった。トールマンに至っては笑顔のまま微動だにしない。この裏切り者どもめ。

 

「あ、あの、リンディ提督? あまりお引き留めするのもなんですから、参考に意見をお聞きするのは後日にして……」

 

「あら。構わないわよ、クルスちゃん。あとでこられても鬱陶しいし」

 

 なんとか言葉を絞り出すものの、プレシアに抹殺されてしまった。リンディがすかさず口を開く。

 

「それは助かります」

 

 プレシアの顔から一瞬笑顔が消えたのはクルスの気のせいではないだろう。心の中で悲鳴をあげるクルス。

 

(もうやだお腹痛い)

 

 心の叫びは、しかし誰にも届くことなく会議室に虚しく響いた。

 

 

 † † † †

 

 

「君も大変だったな」

 

「そう思うんなら助けて下さいよ」

 

 腹痛会議を終えたクルスは話しかけてきたクロノに疲労を隠さず答えていた。プレシアにトールマン、リンディは先に戻ってしまったので、会議室には2人だけだ。

 

「いや。艦長もクレーム対応は慣れてなくてね」

 

 苦笑するクロノに軽くため息をつくクルス。悪魔を魔法生物としか伝えていないため仕方のないことではあるが、ただの苦情で終わらせてしまうあたりプレシアの状況を軽く扱っていると言わざるをえない。

 

「はあ、まあ、執務官が気にされる事でもありませんよ」

 

「すまないな、二等空士」

 

 クルスは内心の不満を押さえて答える。事件の特殊性を言葉で伝えるのは難しい。事前情報は受け入れやすい形で伝えた以上、事実認識の微妙な齟齬は実戦を交えて理解してもらう他ないだろう。

 

「ところで二等空士の処遇だが、しばらく我々と行動してもらう事になった」

 

「はい、お世話になります」

 

 そんなクルスをよそに本題に入るクロノ。わざわざ会議室に残ったのは、クルスに本部からの命令を伝えるためだった。クルスは素直にうなずく。悪魔の存在を抜きにしても、元々ロストロギア発掘者の警護は自分の仕事だ。追撃を命じられるのはごく当然の指示といえた。

 

「アースラ、僕たちが乗ってきた次元航行船だけど、そこに部屋も用意してある。すぐにでも入れるが?」

 

「じゃあ、午後にでもお伺いします。荷物はほとんどありませんけど、お世話になった方に挨拶しておきたいので」

 

「分かった。移転魔法は使えるな? アースラの座標を送るから、デバイスを出してくれ」

 

 言われるままデバイスを取り出すクルス。同じ時空管理局では標準装備になっているS2Uではあるが、クロノが標準的なカード型なのに対しクルスのそれは青い十字をあしらったロザリオの形をとっている。

 

「カスタムタイプか……」

 

「はい、一応、メシア教徒ですので」

 

 クルスの言葉を大して気にした様子もなくクロノはデバイスを操作する。どうやらクロノはあまり信教にこだわらないタイプのようだ。複数の次元世界を相手取る管理局として、文化的な面で余計な軋轢を生まない態度が身に付いているのだろう。当然といえば当然だが、一部の過激な集団のせいでメシア教徒に歪んだイメージを持っている者も多い。偏見から肩身の狭い思いをしたこともあるクルスは軽い安心感を抱いた。

 

「じゃあ、僕はこれで。午後から来ることは艦長にも伝えておくよ」

 

「はい。では、お見送りします」

 

 会議室を出る2人。時折すれ違うメシア教徒に挨拶を交わしながら、クルスはクロノを先導するように歩く。

 

「しかし、随分立派な教会だな」

 

「ええ。元々歴史ある教会だったし、トールマン神父が管理局を退いた時に大規模な出資を行ったらしくて」

 

 周囲を見渡しながら話しかけるクロノ。メシア教の教会は町中に設けられた小規模なものが多いことから出た疑問だろう。事実、教えの場所は誰もが利用できる場所にという考えから商店街の一角や地下街の一室を利用したものが中心で、そこでは信者以外の人も受け入れていた。

 

「前に見た聖王教会も大したものだったが、ここはそれ以上だな……あ、いや、これは失言だったか?」

 

「いえ、気にしてませんよ。こっちじゃ聖王っていっても分からない人がほとんどですし」

 

 他宗教と比べる発言に謝るクロノをクルスは笑って流す。聖王教会とは、かつてロストロギアでほろんだという次元世界「古代ベルガ」の王「聖王」を崇拝の対象とする宗教団体のことだ。古代ベルガは優れた魔法文明を持ち、過去の魔法技術に関する記録と受け継がれた技術から管理局と連携して危険なロストロギアの調査と保管を行っている。禁忌や戒律が緩いことも手伝って宗教人口はミッドチルダ最大ともいわれるが、その成立の過程と崇拝対象ゆえに信仰の分布は限定的で、古代ベルガが滅んだ際に人々が移り住んだとみられる世界にとどまっている。次元世界を超えて管理外世界にまで根を下ろすことは少なく、世界宗教というより民族宗教という趣が強い。唯一の神の教えを中心として、表向きは特定の政治団体と結び付きを持たず、あらゆる世界に信仰を広げるメシア教とは性質を異にすると言えた。

 

「執務官は、聖王教会へはどういったご用で?」

 

「別に追っている事件で少しね」

 

 言葉を濁すクロノにそうですかと短くうなずくクルス。人手不足の管理局員において、執務官クラスの人材が複数の事件を担当することは決して珍しい話ではない。片方の事件に動きが無ければ、未解決のまま他の事件に回されるのも日常茶飯だ。

 

(さっきリンディ提督が言ってた襲撃事件かな?)

 

 クルスもミッドチルダの情報は確認していたため、その事件についてはある程度知っていた。管理局員が連続で襲撃を受けたというもので、ここ数日は途絶えたと聞いている。

 

(それがどう聖王教会と関係するのかは分からないけど……状況的には他世界に容疑者が渡ったとみて、ついでにこっちに来たってとこか)

 

 嫌な予感に眉をひそめるクルス。「ついで」とはいい加減な意味ではなく効率を重視した結果であり、クロノ達が派遣されたということはこの世界に犯人がいる可能性が高い。最悪の場合は襲撃事件の犯人にも同時に対応することになるだろう。

 

(これ以上ややこしくなって欲しくないんだけどな……)

 

 そんな不吉な予感を顔に出さず、クルスは廊下を進む。繊細な天使のレリーフが見下ろす中を歩き、人気のない地下へ。重厚な扉の先には転送ポートがあった。先程クロノから受け取った座標を打ち込む。

 

「それでは、アースラへ転送いたします。貴方にも神のご加護があらんことを」

 

 十字を切って見送るクルスに苦笑しながら、転送ポートに身を任せるクロノ。クルスは遅すぎる来訪者が消えていくのを、不安を押し殺して静かに見守っていた。

 

 

 † † † †

 

 

「迎えが来てしまって……お世話になりました」

 

「そうか。もしまた海鳴に来ることがあったら遠慮なく頼ってくれ」

 

 教会の一室。朝倉はクルスに短いながらも別れを惜しむ言葉を贈っていた。クルスを迎えてからごく短い期間ではあったが、朝倉はクルスとそれなりの信頼関係を築いている。交わした社交辞令でない挨拶には別れの痛みが垣間見えた。

 

「クルスッ! ココニイタノデスネ!?」

 

 が、トールマンが入ってきたことで空気は変わった。クルスは嬉しいような迷惑なような複雑な表情を浮かべ、朝倉もどこか苦々しい顔をする。

 

「OH! クルス! ワレワレハァ、貴女ガイクサキニ神ノ加護ガ続クヨウ祈ッテイマァス!」

 

 そんな2人を置いて、相変わらず無理のある日本語でおおぎょうに喋るトールマン。もちろん空気読めよ等と正直な感想を言うわけにいかない。朝倉は先程より少し固いながらも、もう一度別れの言葉を口にした。

 

「……クルス。私も無事を祈っているから、たまには顔を見せに来てくれ」

 

「はい、ありがとうございます。トールマン神父も」

 

 しっかり2人に礼をするあたり、クルスの律儀な性格が出ている。彼女なりに雰囲気を壊さないように気を使っているのだろう。朝倉は心の中でため息をついた。少なくとも日本ではまだ雰囲気に気を配る年齢ではない。それを自然にこなすことが出来るようになるために、一体どれ程の経験が必要だっただろうか。

 

(これも文化と受け入れるべきなのだろうか……)

 

 背を向けて部屋を出ていく幼いクルスに問いかける。しかしその返答を拒絶するように扉は閉まった。断ち切るような音が部屋に響く。

 

「情が移ったか?」

 

 そこに声をかけたのはトールマン。当たり前のようにクルスを送り出したその目に、もはや人懐っこい笑みはない。

 

「あれは神に捧げられるべき者……。その役割は理解していよう」

 

「……」

 

 沈黙で答える朝倉。しかしトールマンは威厳と威圧に満ちた声で続ける。

 

「メシアの次なる試練は海に沈むあの宝石――貴様の娘を襲った悪魔もメシアの覚醒と共に裁かれよう。裁きの時間は近づいているのだ。それに、必要なデータはあの艦に送るよう指示を出した。自分の正体に気付く日も近いであろう……」

 

 朝倉はそれに答えない。ただ固い雰囲気を保ったまま無言で窓の外を見つめている。そこに表情はない。ただ苦渋を押さえこむように感情を殺した目で、午後の日射しを見つめているだけだった。

 

 

 † † † †

 

 

 海鳴市の海岸線に程近い林の中。結界越しに赤く輝く月に照らされ、3つの影が動く。

 

「オォォォオオオ!」

 

 目につくのは大樹。巨大な咆哮を上げながら、強靭な腕となった枝を2つの人影にふり下ろす。

 

「蒼窮を駆ける白銀の翼、疾れ風の剣っ!」

 

《Delayed Bind》

 

 だがそれが届く直前、絡みつく魔力の鎖に止められた。拮抗は一瞬。耐えられずに鎖は引きちぎられる。しかし、それは十分な時間を稼いでいた。余裕を持って跳躍した影――クロノは空中に留まったまま、手元に魔力を収束させる。

 

「ブレイズキャノンッ!」

 

《Blaze Cannon》

 

 高温となった魔力は熱線となって異形と化した大樹を襲った。苦痛の叫びを上げながら枝で受け止める異形。腕に当たるそれを炭化させながらも、しかし狂暴性は失わない。炎を撃った影に向かって地中から根を伸ばす。それは次の一撃を用意するクロノの後ろにまわりこみ、槍となって背後から迫る。

 

「クロノ執務官っ!」

 

 だが奇襲の一撃にはもうひとつの影が立ち塞がった。クルスだ。強大なシールドで槍を正面から受け止める。ヒビひとつ入らないその強固な盾にはかなりの余裕が見受けられた。

 

「すまない、すぐに終わらせるっ!」

 

《Blaze Cannon》

 

 それでもクロノは気遣う様に叫ぶ。2度目の砲撃は、間違いなく異形から宝石を切り離した。

 

 

 

「2人とも息ぴったりね」

 

 それをモニター越しに見ていたのはアースラの艦長、リンディである。クロノとクルスが連携してジュエルシードの対処にあたるのを見て感心した様に呟く。

 

「ホント。クロノくん、ペアを組むなんてはじめてなのによく合わせてくれてますよね」

 

 オペレーターのエイミィもそれにうなずいた。クロノはどちらかというとバインドを駆使した搦め手を得意としており、緻密な戦略に基づいたファイトスタイルを取っている。それ故にペアを組むのであればパートナー側にもそれなりの力量が求められるのだが、クルスはそれを見事にこなしていた。

 

「クロノとも相性がいいみたいだし、今度うちにスカウトしてみようかしら?」

 

「あ、それ、いいですね。相性が良すぎな理由も追及しなきゃだし」

 

 リンディの感想にニヤニヤ笑うエイミィ。クロノをからかいたくてしょうがないという感じだ。

 

(ちょっと母としては複雑ね)

 

 リンディはそれに少しだけ寂しいものを感じた。エイミィはクロノとは地球で言うところの士官学校に当たる士官教導センター以来の付き合いで、それなりにいい関係だった筈だ。はやる親心としては将来嫁に来てもらって云々とよく想像したものである。しかし、クロノがクルスとべったりなのを見ても、悲しむより楽しんでいるのはいかがなものだろうか。

 

(まあ、エイミィらしいといえばそれまでだけど……もうちょっと妬くなりしてくれないと面白くないわよね)

 

 これでは美少女が我が息子を取り合うという、想像するだけで嬉しくなる事態とは巡り会えそうにない。よし、ここはお母さんが一肌脱いで……

 

「今、背筋に寒いものが走ったが……」

 

「大丈夫ですか、執務官? あ、提督。ジュエルシード・Ⅶの封印が終わりました」

 

 だがそんな構想の邪魔をするようにブリッジの扉が開き、クロノとクルスが入ってきた。何かを感じとって身震いするクロノとそれを気遣うクルス。2人とも可愛い。そんな感情をおくびにも出さず、リンディはなに食わぬ顔で出迎える。

 

「ご苦労様。クルス二等空士もよくやってくれたわ」

 

「いえ。私は執務官のサポートをしただけですので」

 

「いや。二等空士が合わせてくれたお陰だな」

 

 真面目な顔で謙遜しあう2人。思わず頬が緩む。が、そこへエイミィが割り込んできた。

 

「ホント、2人とも夫婦みたいだったよ?」

 

「ぶっ!?」

 

 クロノが噴いた。相変わらずいいリアクションだ。

 

「エ、エイミィッ! 仕事中だぞっ!」

 

「えっ!? てことは、仕事じゃない時間はもう夫婦の関係にっ!」

 

「なっ! ち、違っ!」

 

「からかわれてるんですよ、執務官?」

 

 しかし、苦笑しながらクルスが取り繕う。クロノと違ってこちらは隙がないというかしっかりしている。このままでは面白くない。

 

「あら、クルスちゃんがクロノを貰ってくれるなら大歓迎よ? クロノも満更じゃないみたいだし」

 

「か、母さんっ!」

 

「ふふっ。執務官は愛されてるんですね?」

 

 リンディの悪ノリもあっけなく流すクルス。しかし、天使のような笑顔でクロノを見ていたかと思うと、軽く冗談を付け加える。

 

「あ、でも、私でよければいつでもお相手しますからね?」

 

「キミまでからかうのか……」

 

 エイミィの様な唐突感がないせいか、それはむしろクロノに余裕を与えた。狙ってやっているとすれば、なかなか出来た娘だ。

 

「と、とにかく、先程の戦闘でも件の魔法生物や寄生されたという魔導師は現れなかった。今のうちに対策を練っておくべきだろう」

 

 そんなクルスの配慮に気付いた訳ではないだろうが、クロノは露骨に仕事の話を始めた。こういう話の進め方にかけては、クロノは未熟と言わざるを得ない。

 

「その魔法生物ですけど、本部からは何か回答がありましたか?」

 

 それとは対照的に、至って冷静な声でエイミィに問いかけるクルス。上手くクロノの言い訳を利用した形だ。

 

「う~ん、あるにはあったけど、該当するデータはなし、だって。なんか代わりに変なレポートを送ってきたけど……」

 

「変なレポート、ですか?」

 

「うん。特徴が昔の研究施設に出たっていう幽霊に似てるって言うんで、その施設の。そんな噂なんて送ってこなくていいのにね」

 

 あまりにも馬鹿げた内容に途中から愚痴が混ざっている。オペレーターとしては、こういう不要な情報は本部が送信前に落として欲しいのだろう。各方面から問合せが殺到している本部のデータセンターも多忙のため、テキストデータの検索結果を吟味せずそのまま送信してくる場合も多い。

 

「そのデータ、詳しく読めますか?」

 

 だが、クルスはそれに食いついた。笑い話に使用としたところを真面目に聞かれて妙な顔をするエイミィ。リンディも疑問の声をあげる。

 

「二等空士、何か気になることでも?」

 

「いえ。この管理外世界でもおとぎ話みたいな存在だから、ミッドで起こった事件でも共通項があるかもしれないと思って。一応目を通しておきたいんです」

 

「もう、クルスちゃんは真面目だなぁ。そんなんじゃクロノくんみたいになっちゃうよ?」

 

 言いながらもエイミィはしっかりとクルスのデバイスにデータを送る。何か言おうとするクロノを置いて、ありがとうございましたと笑顔で答えるクルス。どうやらクルスはクロノの真面目さとエイミィのしなやかさを併せ持つタイプのようだ。戦闘では連携戦で持ち味を発揮し、ブリーフィングでは上手く相手を立てる調整役に向いている。良くも悪くもスタンドアローンを主体とするクロノとは相性がいいといえるだろう。

 

(そう考えるとクルスちゃんも悪くないわね……でも、所属する部隊は違うから、外堀を埋めるには上手く引き抜かないと……それに、メシア教会は聖王教会と違って戒律が厳しいって聞くけど、結婚は大丈夫なのかしら? 調べてみる必要があるわね……)

 

 止まらないリンディの妄想にクロノが再び身震いしたのは、また別の話である。

 

 

 † † † †

 

 

「やっぱり、人造生命体研究所……」

 

 アースラ内にあてがわれた部屋で、クルスは先ほどエイミィから受け取ったデータを見つめていた。デバイスが表示したのはごく簡単な内容のレポートでしかなかったが、それを読むクルスの目は冷たく、鋭い。

 

(サーフ・シェフィールド博士の研究を元に発足したプロジェクトで、人造人間の成功例もあり。コード名はアンリミテッド・デザイアで、高度な知能を有する素体として注目を集めた。さらに、同博士はより高次元の生命体の研究を提唱。「人造生命体の更なる強化プラン」を打ち出し、研究所には未確認の生物が多数培養された……)

 

 難解な専門用語が並ぶ中、研究内容を拾いながら文章を追っていくクルス。本部が内容確認を現場に任せただけに報告書としては読みにくいものだったが、必要な情報を拾うには目を通すしかない。

 

(当該生物は高度な知能を持つものから獣に近いものまで様々であり、中には人間の精神に干渉する脳波を発する危険なものも認められた。こうした危険性に加えて研究費の高騰、更には生物の実用性について疑問が呈された事から研究は破棄。同研究所は生命操作の設備・ノウハウを生かし、クローン技術研究所として運用される事となった。なお、産み出された生物については荒唐無稽な噂が多く、悪魔や幽霊というものから、中には研究所職員が材料になっているという証言、果ては研究所長まで改造されたなどというものまで存在する。これについてはサーフ・シェフィールド博士とその研究グループが否定している上、潜入したアレン・ハーヴェイ査察官もあくまで作り出された人造生命体と考えるのが妥当として……)

 

 先ほどエイミィが言っていた記述に目を止めるクルス。どうやら、人造生命体研究所の成果が悪魔と混同された様だ。悪魔の存在は「噂」で終わらせてしまっている。クルスは表情を厳しくして読み続けた。

 

(……研究廃棄の際に一部制御を失った人造生命体が暴走する事件があった。現場は混乱を極め、管理局員が鎮圧に向かうも、一部隊と研究員一名が犠牲になっている。死傷者は以下の通り。グレッグ・ラヴァフロー一等空尉およびアリオン・テスタロッサ二等空尉、死亡。ディビッド・エンジェル研究員、重体……っ!)

 

 テスタロッサに一瞬プレシアを思い浮かべるクルス。しかし、そんなものはすぐに続く名前で吹き飛んでしまった。

 

「ディビッド・エンジェルッ! お父さんの名前だ……っ!」

 

 名前の記載があるという確信に近い予感があったその名前。この人造生命体研究所の事件から数年後、クルスが生まれ、母と共に不自由なく過ごしていたあの頃。しかし、それは突然襲ってきたガイア教団に奪われてしまった。自分を守るために致命傷を負った父が運び込まれた病院では、

 

――これは悪魔によるものだ。

 

 そう告げられた。悪魔を研究しているというその車椅子の紳士は、去り際にその悪魔は人為的に呼び出し、使役することが可能だという言葉を残している。

 

(もし、人造生命体研究所で扱っていたのが本当の悪魔で、その悪魔をガイア教団が戦力に利用していたのなら……生き残った研究員のお父さんが悪魔の研究の成果を知っていて、そのせいで狙われたのならっ! その悪魔が、今回の悪魔と繋がっているのなら……!)

 

 父を殺した犯人にも繋がっている可能性はある。もとより、クルスの父が襲撃を受けたのは10年以上前、人造生命体研究所の事件にいたっては30年近く前の事で、クルスは生まれてすらいない。ジュエルシードと関連性がある等と誰も思わないだろうし、共通項も悪魔という1ワードだ。しかし、クルスには両者がどこかで繋がっているという直感があった。いや、繋がっていて欲しかったというべきだろうか。資料を睨み付けるクルス。しかし、通信が入った事でそれは途切れた。慌てて表情を切り替え、デバイスを操作して通信をつなげる。

 

「あ、クルスちゃん、今大丈夫?」

 

「リミエッタ通信主任。どうしました?」

 

 もう、エイミィでいいよ。そう苦笑しながらも、エイミィはすぐに真面目な声に切り替えて告げた。

 

「ジュエルシードが発動したの。海上で6個も。すぐブリッジに上がって」

 

「分かりました。すぐに向かいます」

 

 通信を切るとそのまま小走りにブリッジに向かうクルス。レポートをデバイスからバックアップ用のストレージに移し替え、軽く装備を確認すると部屋を出る。飾り気のない廊下を抜けて、アースラの中枢とも言えるそこの扉を開くと、

 

「すみません、遅くなりまし……?」

 

 異様な雰囲気に出迎えられた。先程の戦闘後の会話に見られるように、アースラクルーには余裕があった。ジュエルシードというロストロギアの相手は決して油断できないとはいえ、AAA+クラスの優秀な魔導師に高い判断力を持つ艦長、最新鋭の通信機器を使いこなすオペレーターに加え、艦自体もアルカンシェルという強力な兵器まで擁している。悪魔という要素を除けばアースラの戦力は過剰とは言わないまでも、十分評価できるものだった。それが今、強い緊張感に包まれている。

 

「……どうしました?」

 

 思わず問いかける。正面のモニターにはエイミィが告げたとおり、暴走したジュエルシードのせいで荒れ狂う海が映し出されていた。しかし、誰もその緊急事態に目を向けていない。

 

「……クルス二等空士。横の3番モニターを見てくれ」

 

 クルスの疑問に答えたのはクロノだった。まるで何か感情を押さえつけるように、全員の視線を釘づけにしているサブモニターを指差す。そこには、魔力反応とともに、トレンチコートの男性と話すあの大人びた少年がいた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――
厄災 ジュエルシード暴走体Ⅶ
※本作独自設定
 願望を実現するロストロギア、ジュエルシードの暴走体。動物ではなく、植物である海鳴市海岸の木をコアとしている。それゆえか知能は低く、防衛本能を元に暴れまわる。ジュエルシードはシリアルナンバーが振られており、この暴走体の元になったジュエルシードはⅦ。

――元ネタ全書―――――
今、背筋に寒いものが走ったが……
 ペルソナ2罰の交渉「結婚したい女」。キープしとくかと言われた時の某警察官。本作では「結婚させたい女」への反応に。なお、リンディの「調べてみる必要があるわね」は同警察官の弟を心配するあのキャラへの反応が元ネタ。「なんていいお嬢さんなんだ」。
――――――――――――
※聖王教会の設定に疑問を持たれた方も多いかと思いますが、独自設定ということで寛大な目で見てやってください。
※人造生命体研究所ってなんだっけ? という方は第7話「魔女の過去」をご参照ください。投稿したのはもう2年近く前ですが、同話の伏線回収(というか追加)となっております。
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第17話c 来訪者の悪意《参》

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「ジュエルシード、シリアルⅨ! 封印っ!」

 目の前で桃色の光と一緒に暴れまわっていた化け物が縮んでいく。残された青い宝石を杖の中に吸い込んで、士郎とあの女の「愛の結晶」は嬉しそうに手を振った。

「夏織さ~ん、封印できたよっ!」
「ええ。ご苦労様。やっぱりなのはちゃんはすごいわね?」

 偽りの愛情で頭を撫でてあげると、その女の子は無邪気に笑う。きっとこの子は、私を「頼れるお姉さん」くらいに思っているのだろう。

 お母さんではなく、お姉さん。

「なのは、そろそろ戻らないと」

 屈託のないその笑顔を遮るように、肩の上に載っていたフェレットの格好をした悪魔が声をかける。

「じゃあ、移転させるよ? 僕はもう少し夏織さんと辺りを探してるから」
「うん。何かあったら、いつでも呼んでね?」

 なのはちゃんは頷くと、淡い光とともに消えていった。

――――――――――――夏織/海鳴市・無人の裏路地



「なのはちゃん、ずいぶん張り切っていたけど、何かしたの?」

 

 夜の路地裏。月明かりも入らないビルの影で、夏織は深紅に目をぎらつかせるフェレットに話しかけていた。つい先ほど、野犬にとりついたジュエルシードの封印を済ませたなのはを見送ったところだ。

 

「別に何も? ただ少し、使いやすくなるよう術をかけ直しただけだ」

 

「こどもにドーピングかしら? 酷いことするのね」

 

 白々しく告げるフェレットの姿をした悪魔に全く心のこもっていない声で返す夏織。夏織からしてみれば、今のなのはは異常な状態にあった。良かれと思って撃った魔法がクラスメートを殺害し、それが元で同い年の女の子に憎しみをぶつけられ、入院するほどの痛みを経験したにもかかわらず、未だモチベーションを維持している。普通なら、幼い精神はとっくに破綻しているだろう。

 

「ふん。面倒はすこしでも少ない方がいい。フェイトちゃん、フェイトちゃんと五月蝿い小娘の相手をする身にもなれ」

 

「あら。悪魔に希望に満ち溢れたこどもの相手はつらいみたいね?」

 

 普段なのはの主導権を握っている悪魔がため息をつくのを見て、夏織はおかしそうに笑った。フェレットは不機嫌そうに鼻を鳴らすと夏織に問いかける。

 

「それはそうと、あの金髪の魔導師、なぜ助けたのだ? 見殺しにしてしまえばよかったものを」

 

「ほっといてもあのメシア君が助けたでしょ? なら、恩を売っておいた方がいいわ。あのイケニエちゃんと遅れてきた管理局の部隊なんかより、ずっと役に立ってくれるわよ?」

 

 不満そうな悪魔の声を軽く流しながら、黒衣の少女に想いをはせる夏織。どういう経緯かは分からないが、あの年齢でなのはを軽くあしらうほど戦闘に慣れており、同時に他人であるはずの自分を母親と間違えるほど愛情に飢えていた。

 

(ただの英才教育の犠牲者にしては思いつめてたわね……母親に捨てられたのかしら? だとすれば……貴方と同じね、恭也)

 

 笑みを漏らす夏織。それは自嘲だったか、それとも自身の抱える暗い感情への誤魔化しだったか。いずれにせよ悪魔が喜ぶ感情が出ていたことは確かなようで、フェレットが煽るように話しかけてきた。

 

「ふん。何だ? 情でも移ったか?」

 

「別に。ただもう一つ理由を思い出しただけよ」

 

 夏織は髪をかき上げて答える。そこにはもう、普段の余裕を持った笑みが浮かんでいた。

 

「だって、悪魔が苦しむくらい、なのはちゃんが元気になったでしょう?」

 

 

 † † † †

 

 

「お疲れ様、なのはちゃん。無事にジュエルシードを止めることができたのね?」

 

「はい、ちゃんと封印できました!」

 

 林間学校の宿泊先である山間の寺院。張りめぐらされた結界の中で、なのはは祐子に封印したジュエルシードを見せていた。成果を主張するなのはは年相応に褒められた喜びが見える。しかし、それを手渡すと同時にすぐ暗い顔になった。

 

「でも、フェイトちゃんは来てくれなくて……」

 

「そう……でも、ゴールデンウィークが明ければ学校でも会えるでしょう? 無理に会おうとしなくても時間が解決してくれるわ」

 

 それを慰めるように頭をなでる祐子。なのははそれに頷きながらも内心で早く会いたい――否、助けたいという欲望を持て余していた。なのはにとってフェイトはかつての自分だった。魔法を使う時のどこか思いつめた目は、数年前公園でひとり過ごしていた時の自分のそれと同種のものだ。あの時、アリスと会わなければ自分もまだフェイトと同じように寂しさを引きずって過ごしていただろう。アリスが助けてくれたように、今度は自分がフェイトを助けなければならない。それには、

 

(お話、聞いてもらわないと……)

 

 まずは話をする必要があった。管理局へ協力しているのも何か理由があるに違いない。ちゃんとその「理由」を聞いてあげて、困っているというユーノの意思を伝えることができれば、協力だってできるはずだ。

 

(今日、会えればよかったんだけどな)

 

 改めて会うことができなかったことを悔やむなのは。アリサやすずかなら仮に喧嘩したとしてもメールで簡単に連絡を取り合うことができし、すぐに仲直りできるという確信がある。しかし、連絡の手段もなければあまり喋ったこともないフェイトではそうもいかない。一緒に「話をする」という容易に行使できるはずの解決手段をとることができない状況に、なのはは焦りともどかしさを感じていた。

 

「じゃあ、そろそろ交代にしましょうか?」

 

 そんななのはの気持ちを知ってか知らずか、祐子は立ち上がるとなのはの手を引いて歩き始めた。相変わらず少ない会話のまま歩き続け、寝泊まりしている部屋へとたどり着く。祐子はそのままおやすみなさいと告げると背を向けて歩き去ろうとする。なのははそれを引き留めた。

 

「あっ! あの、先生っ!」

 

「何かしら?」

 

「その、先生はフェイトちゃんの家、どこか知りませんか?」

 

「ごめんなさい。私も担任じゃないから……」

 

 否定の言葉に落胆するなのは。林間学校の合間、魔法を使って直接家まで会いに行こうという思い付きは否定されてしまった。あまりにがっかりしてしまったせいか、祐子は優しく笑うと声をかけてくれた。

 

「なのはちゃん、そんなにフェイトちゃんに会いたい?」

 

「それは……はい」

 

「そう。なのはちゃんは本当に強い希望を持っているのね?」

 

 一瞬、祐子の顔に普段見せないような表情が浮かぶ。どこか羨むような、しかし同時に力のこもっていない目は、読み取れない複雑な感情をたたえていた。

 

「その希望、捨てなければいつか叶う……いえ、なのはちゃんなら、きっと叶えられると思うの」

 

 だから頑張って。そう言い残して今度こそ背中を向ける祐子。なのはは何か声をかけようと思ったが、言葉が思いつかずただ見つめていることしかできなかった。夏織やほむらと違ってずいぶんと儚く見えるその背中はやがて闇へ溶けるように消えていく。

 

(……先生、どうしたんだろう?)

 

 慰めてくれたはずなのに、自分よりもよほど傷ついて見えた祐子に戸惑うなのは。しかし、考えても何かわかるわけではない。夏織やほむらと違って、祐子とはそれほど長く話した経験がないのだ。

 

(今度、先生ともお話してみようかな?)

 

 そんなことを考えながら自室の扉を開く。そこには、なのはと全く同じ姿をした女の子が眠っていた。

 

(えっと、ドッペルゲンガーさん? 聞こえる……?)

 

 それはこの林間学校に参加するにあたって、ユーノが紹介してくれた「魔法生物」だった。自分と全く同じ容姿を持ち、仕草もそっくりだ。ただ、魔力はなのはより低いため、ジュエルシードの封印や暴走体との戦闘はできない。そのため、なのはが抜け出している間に身代わりとして部屋に残ってもらっている。

 

「……」

 

 その女の子はなのはの念話に起き上がると無言のまま歩き始めた。結界を隔てているせいか夜の寺院の廊下には足音ひとつ響かない。不自然な静寂に無音のテレビを見ているような一種の不気味さを感じるなのは。それに耐え切れず念話を送る。

 

(あ、あの……待ってる間、誰も来なかった?)

 

(……)

 

 しかし、返答はない。まるで何も聞こえないかのように歩き続ける。重苦しい沈黙は気味の悪い空気をさらに冷たくさせた。薄ら寒いものを感じながら女子トイレへ。個室に入ったところでようやく振り返り、こちらをじっと見つめてくる。

 

(えっと、こ、交代でいいよね?)

 

(……)

 

 沈黙のまま頷く女の子。表情が動かないだけで自分の顔はこんなにも不気味に見えるものだろうか。いつも鏡に映っているのとはまるで違うそれに耐え切れなくなって、なのははデバイスを掲げた。

 

「お、お願い、レイジングハート」

 

《Yes, My Master》

 

 指示を受けてデバイスが術式を走らせる。同時にバリアジャケットが解除され、強固な魔力の服が寝る時に身に着けているラフなものへと変わっていった。視界がぶれるようにして動き、ちょうど女の子がいた場所へと移される。逆に、先ほどまでいた場所には自分と同じ姿の女の子。だがそれも結界が閉じていくに従い闇の中へ溶けるように消えていく。しかし完全に消えるその直前、

 

「……人殺し」

 

「っ!?」

 

 自分と同じ姿の女の子は、そう小さくつぶやいた。否、声だけではない。まるでゴミでも見るようなその目は何かを訴えかけている。時間にして一瞬。しかし、なのははその声と目が残した恐怖に固まったまま、長い時間を思考の中で過ごしていた。

 

「……ぁ」

 

 襲ってきた異常な緊張感を抑えきれずにしゃがみこむなのは。足が震えているのがはっきりとわかった。なぜ自分はこんなにも震えているのか。なぜこんなにも怯えているのか。

 

 

――ダッテ、ワタシハヒトゴ……

 

 

「なのはちゃん、大丈夫!?」

 

 だが恐怖が絶頂を迎える前に、突然響いた扉をたたく音で我に返る。気が付けば扉にもたれかかるようにうずくまっていた。慌てて立ち上がり、聞き覚えのある声に向かって返事をする。

 

「さくらさんっ!? だ、大丈夫、大丈夫です」

 

「そう? 大きな音がしたみたいだけど?」

 

「あ、えっと、ちょっとぶつけちゃったかなって……」

 

 どうやら扉に向かって倒れこんだ衝撃で派手な音を立ててしまったようだ。誤魔化しながら周りを確認するなのは。結界はすでになく、デバイスは杖から赤い宝石へと姿を変えている。自分の格好もおかしいところはない。

 

「ぶつけたって……具合、悪くなったのなら保健の先生を呼ぶけど?」

 

「だ、大丈夫です」

 

 そっと扉を開くと、心配そうな顔を向けるさくらがいた。じっと目を覗き込んだかと思うと、トイレの中をざっと見渡す。何か不審なものでも残っていたのだろうか。なのはは確認したにもかかわらず不安になって問いかける。

 

「さ、さくらさん? あの……」

 

「……何でもないわ。それより、早く戻らないと先生に叱られるでしょう?」

 

 しかし、さくらはそれには答えず、急かすようになのはの手を掴んで歩き始めた。おとなしくついて行くなのは。来た時と同じ夜の廊下だが、先ほどとは違いさくらの手という温もりがあった。手を握り締めると、守るように握り返してくれる。なのははその手に安心感を覚え、

 

――ソノコとモブを返せぇぇぇぇえっ!

 

 しかし不意に声が聞こえたような気がして振り返った。勿論、暗い廊下には何も見えない。ただ吸い込まれそうな冷たい闇が、奈落に続く穴のように広がっているだけだ。

 

「なのはちゃん?」

 

「えっ!? な、何でもないですっ!」

 

 さくらに声をかけられて慌てて歩き出すなのは。さくらの手を握ったまま、逃げるように廊下を進む。先ほどとは逆に、さくらの手を引いて歩くような形になった。

 

「ちょっと、なのはちゃんっ!? どうしたの?」

 

 さくらの怪訝な声を気にする余裕はない。振り返れば闇の奥から聞こえる声に押し潰されそうだった。

 

「なのはちゃん、もしよかったら、一緒に寝る?」

 

 だから部屋の前まで来てそう言われたときは喜んで頷いた。さくらの手を握ったまま、先ほどまで自分の影が眠っていた布団に潜りこむ。ぞっとするほど冷たい寝床から逃げるように、なのははさくらの手を握り続けた。

 

 ひとりは、さみしくこわい。

 

 キットアノコモソウニチガイナイ。

 ダカラ、タスケナイト……。

 

 

 † † † †

 

 

「そう。なのはちゃんが……」

 

 翌朝。さくらは未だ眠っているなのはをよそに携帯を握りしめていた。那美からの連絡を聞き、時折うなされているなのはに厳しい顔を向ける。

 

「ええ。ガイア教団にうちが出資してる研究者がいるのよ……いえ、寝泊まりはできたけど、流石に林間学校の授業までは無理ね……大丈夫よ。昨日はずっと部屋で寝ていたのを見ていたから」

 

 状況を軽く伝えながら、さくらは自分の中で情報を整理していく。少し前にすずかを襲った人外の存在を使役している者がいる。狙いは魔法世界の遺産ジュエルシード。その遺産を扱う素養をなのはが持っていて、目をつけられてしまった。

 

(でき損ないの童話みたいね)

 

 心のなかで悪態をついてみるも、完全に否定することはできないこともよく理解していた。魔法使いについてはそれらしい存在を聞いたことかあるし、人外の化け物等いくらでも例がある。何より、自分も人間ではない夜の一族のひとりだ。

 

「そう。この間の卯月くんが魔法使い側の協力者……ええ。会ってみましょう。今度はちゃんと話を……分かったわ。じゃあ、昼過ぎにでも落ち合いましょう」

 

 携帯を切ってなのはに目を向けるさくら。昨夜から握りしていた手はもう離れているが、時折見せる苦しそうな表情は消えることなく、なのはは悪夢に捕らわれた様にうなされている。さくらはしばらく観察するようになのはを見つめていたが、いつまでも続くうめき声に耐え切れなくなり、揺り起こし始めた。

 

「なのはちゃん、もう朝よ? なのはちゃん……」

 

「ぅうん?」

 

 目を開けるなのは。布団から身を起こしたものの、ぼうっとした目のまま虚空を見つめている。

 

「にゃ? さくらさん……?」

 

 かと思うと、寝ぼけた顔を見せた。寝起きの反応は以前月村邸へ泊まりに来た時のなのはと何ら変わりはない。しかし、それはむしろさくらを不安にさせた。ついさっきまでの苦痛がまるで鎮痛剤でも打ったように消えている。異常なまでの落ち着きは、那美の言っていた「悪魔の術」に説得力を持たせるには十分だった。

 

「なのはちゃん、大丈夫?」

 

「はい。ちょっと眠いけど、大丈夫れす……」

 

「……そう。じゃあ、早く顔を洗って来なさい」

 

 だがさくらは何事も無かったかのように応じる。何かがとりついているならともかく、呪術となると自分では手の施しようがない。フラフラと洗面所に向かうなのはを見送りながら、さくらは自身の無力を噛み締めていた。

 

 

 † † † †

 

 

 昼過ぎ。翠屋を出た孔達はガイア教団の寺院を訪れていた。事情を説明した高町家から林間学校の宿泊先にさくらが潜入していることを聞き、会いに来たのである。

 

「生きる者はいつか死ぬ。形あるものはいつか壊れる。この世にカオスをもたらさんとする者よ。ガイア神殿に何の用かな?」

 

「すみません。さくらさん――綺堂さくらに会いたいんですけど……」

 

 寺院の一角に設けられた一般に公開されている神殿で、那美が司祭らしきガイア教徒に話しかけている。少し待っていろと一言告げて奥に引っ込む司祭。アルフは対応した那美を気遣うように言った。

 

「なんだい無愛想だね」

 

「あ、あはは。まあ、ガイア教団の人はちょっと職人集団みたいなところがあるから」

 

 気にしていないのか那美は笑って解説を加える。混沌と可能性をその教義の中心に据えるガイア教では可能性の源たる「力」が重要視される。その「力」は肉体的な力はもちろん、頭脳や経済力まで多岐にわたるのだが、とにかく何かしらの意味で「実力を持っている」事を証明しないと協力を仰ぐのは難しいという。説明を聞いて、修も孔にこれから接触する相手への感想を漏らす。

 

「力ねぇ。なんかいかにも悪者って感じだな」

 

「そうだな。でも、前に報道で有名な研究者がこの教団から出資を受けていると言っていた。一概にはなんとも……」

 

「正しくは、うちからガイア教団を通して、だけどね」

 

 しかし、その返事は先ほど司祭が去っていった方角から。声のした方を見ると、月村邸で見せたのと変わらない笑みを浮かべるさくらが立っていた。

 

「久しぶりね、卯月孔くん。リニスさんも、よく来てくれたわ」

 

「はい。お久しぶりです」

 

 返事をするリニスと共に孔は頭を下げる。久しぶりといってもあの一件からさほど時間が経っている訳はない。孔の異常性を目撃してから短い期間で、なおかつ大して話をした訳でもない自分が受け入れられるかは大いに不安なところだ。そんな孔の心中を知ってか知らずか、さくらは孔を特別扱いすることなく周囲に視線を巡らせ那美に問いかけた。

 

「ええっと、何人か始めて会う人もいるみたいだけど?」

 

「はい、リニスさんの妹のアルフとフェイトちゃんです。で、こっちが折井修くん」

 

 3人とも卯月くんと同じ魔法使いなんですよ? 周りに気を使ったのか、小声で付け加える那美。さくらはうなずくと、そのまま奥へと歩き始めた。那美達6人も後に続く。

 

「待てっ! 白き魂を持つものよ! ここより先通る事まかりならんっ!」

 

 が、孔が廊下に踏み出そうとした途端先程の司祭が凄まじい形相で前に立ち塞がった。思わず立ち止まる孔。なぜ自分だけ止められたのか、白き魂とはどういう意味か。その疑問を口にする前に、司祭は無表情に戻ると手に持っていた小鉢を差し出して続けた。

 

「……と言いたいところだが、金を払えば考えてやろう」

 

 固まる孔。修達も唖然としている。入場料の取り立てにしては大げさな上にまだ小学生でしかない自分へ声をかけたという常識外な行動に混乱しながらも、孔は取り敢えず財布を取り出そうとし、

 

「いいのよ。この子達は例外」

 

 しかしそこへ、聞き覚えのある声が響いた。

 

「随分会えなかったわね? 寂しかったわ、孔」

 

「百合子……さん?」

 

 目の前にいたのは妖艶な雰囲気を漂わせる女性。相変わらず舐める様な視線で孔を見ている。

 

「コウ、この人は?」

 

 その視線を遮るようにリニスが間に入る。孔からは背中しか見えないが、声からは強い警戒心と苛立ちをうかがうことが出来た。それはつい先日アリシア達とゲームをしていた時に見せた感情の露出に近いものがある。

 

「この人の永遠のパートナーよ」

 

 が、百合子はリニスを煽るように答えると、ほとんど気配を感じさせないまま自然な足取りで孔の背後にまわり、抱きしめる様に手を回した。慌てて振り払う孔。

 

「どうして百合子さんがここに?」

 

「仕事よ。取引先の人がガイア教団にいるの」

 

 払われた手をいとおしそうに撫でながら百合子は挑発する様に言い放った。その声には悪意とも好意ともつかない、不気味な執着が覗いている。そんな感情から守る様にリニスが孔を引き離す。

 

「では、孔に何か用があった訳ではないのですね?」

 

「あら? 大切な人には会うだけで十分な用事になるのよ」

 

 睨みあう2人。百合子の目からは孔に向けていた好意がなくなり、リニスも先程の警戒を敵意に変えていた。プレッシャーを感じながらも、孔はなんとか口を開こうとして、

 

「おやおや。まさかこんな事になるとはね」

 

 しかし、それよりも先に第三者の声が響いた。

 

「君が卯月孔くんだね? 私はルイ・サイファー。ルイと呼んでくれたまえ」

 

「……ルイ?」

 

 真っ先に反応したのは修だった。心当たりがあるのか、怪訝な目を向けている。

 

「シュウ、知ってるの?」

 

「あ、いや……」

 

 だがフェイトの問いかけを曖昧ながらも否定する修。前に似ている人に会ったが何かが一致しないという感じだ。そんな修を見たさくらが紹介を始める。

 

「テレビか何かで見たんでしょう。さっき出資している研究者の話をしたけど、それがこのサイファー博士。IQ300の天才よ」

 

 さくらの言葉に納得していないのか、修は相変わらず不思議そうな顔をしている。当のサイファー博士は自分の紹介――というよりも紹介された修の反応を楽しそうに見ていたが、やがて孔に向き直り話しかけた。

 

「ほう……随分と険しい表情になっているが、君は元々、向こう側――異世界の住人だね? そして……恐らく今は魔導師をやっている。違うかい?」

 

「なっ!?」

 

 言い当てられて孔は小さく声をあげる。思わずデバイスを構えた。しかし、サイファー博士はそれを制止するように続ける。

 

「警戒する必要はない。これは、ごく単純な推理の一種だよ。まず君の外見だ。苦労した様子はうかがえるが、あくまで皮膚は白く、目の色もコンタクトレンズで誤魔化す必要があるほどに違う。それは単なる色素異常ではなく、人工的に植えつけられた魔力異常に由来するものだ。そんな技術を加えられた人間は、まず異世界の住人である、と考えて間違いない。そして、君のデバイスだ。かなり特殊な機能を持っているようだが、そのタイプのフレームを所有しているのであれば、ほぼ間違いなく魔導師だ。種を明かせば、大したことは無いだろう?」

 

 平然と話すサイファー博士に唖然とする孔。後半のI4Uに関する考察はともかく、前半の外観に関する部分は看過できない。この力が人の手によるものなら、自分という存在は創造者の目的に沿って生み出された化け物でしかなかったことを意味する。

 

「サイファー博士。ちょっと無神経ではないかしら?」

 

 そこにさくらが割り込んだ。サイファー博士に厳しい視線を向けながらも、孔を気遣うように肩に手を置く。サイファー博士は表情を変えずに続けた。

 

「これは失礼。今は綺堂女史の来客だったな。ならば、ついでに見学でも行ってくるといい。それで少しでも、君達の様な健全な若者がガイアに対して興味を示してくれるのであれば、悪くは無い話だからな」

 

 そのまま踵を返して奥へと歩いていく。しかし、孔とすれ違う寸前、言葉を投げかける。

 

「何かあったら、また来れば良い。私はどうやら、君のことが気に入った様なのだよ。妙なことにね。その時は、是非とも向こう側の歪んだ思想抜きに話をしたいものだ……」

 

「っ!?」

 

 振り返る孔。しかし、サイファー博士は何事もなかったように歩き続ける。思わず後を追おうとして、

 

「それじゃあ、孔。今度会う時は貴方の魂が私と同じ色に染まっているのを願ってるわ」

 

 肩に手をかけられ止められた。百合子だ。その百合子も指で孔の唇をなぞると、サイファー博士の後を追うようにして去っていく。廊下の闇に消えていく2人をただ呆然と見つめる孔。

 

「っ! コウっ!」

 

 しかし、自分の体に走った魔力に我に返る。

 

「変な術は……かけられていないみたいですね。本当に大丈夫ですか?」

 

 見ると、リニスが魔力の流れに問題がないか確認しながら心配そうに覗きこんでいた。孔は一瞬でも固まってしまった自分に苦笑しながら大丈夫だと答えて意識を切り替える。自分の過去と大切な人を殺しかねない事態への対処では、どちらが重いか天秤にかけるまでもない。むしろ、こんなことで一瞬でも自我を見失った自分は未熟と言わざるを得ないだろう。

 

「ごめんなさいね? ちょっと変わり者だから」

 

 そこへ、とりなす様にさくらが話しかけてきた。軽くため息をつくと、出資している研究者について簡単に説明を加える。曰く、ガイア教でも崇拝の対象になるほどの天才。しかし、滅多に人前に姿を見せず研究室に引きこもっている。出てきたと思ったら狂言じみた言い回しでよく人をからかっている。

 

「だから、あんまり気にしないで?」

 

 そう言うと歩き出すさくら。フェイト達もそれに続く。那美は気遣うような視線を向けて口を開きかけたものの、修の「先行ってるぜ」という普段通りの軽い言葉に急かされ歩き始める。言外に気にしていないという意志と短いながらも考える時間を残してくれた友人に感謝しながらも、孔は周囲の反応が気休めであることは良く分かっていた。サイファー博士の自分の出自につながる言葉。それは何らかの形でいずれ追求しなければならいだろう。しかし、今は他に優先すべき事項を抱えている。

 

(コウ、もし、サイファー博士が気になるなら……)

 

(いや、それより今は高町さんだ)

 

 未だ心配してくれるリニスの念話にそう返しながら、孔はさくらを追うようにして歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「意外に普通の部屋だな」

 

「まあ、寺院っていっても建物は普通のビルと変わらないから」

 

 部屋を見渡す修に那美が答えたとおり、案内されたのはビジネスホテルの客室を少し広くしたような部屋だった。孔とリニスに修、フェイトにアルフ、那美の6人が入るとやや手狭に感じる。

 

「ごめんなさいね? 会議室でも借りればいいんでしょうけど、あまり目立っても問題だから」

 

 そう言ってさくらは外に目を向けた。窓の越しに引率の先生に見守られながら課外活動に取り組む生徒達の姿が見える。そこには、なのはの姿もあった。

 

「大体は那美から聞いてるわ。なのはちゃんが巻き込まれたとか」

 

「はい。実は……」

 

 これまでの経緯を簡単に説明するリニス。さくらは頷きながら聞いていたが、徐々に挨拶の時にみせていた余裕が消えていくのがはっきりと分かった。

 

「なのはちゃんまで利用しようとするなんて……分かったわ。私達も協力します」

 

「ありがとうございます」

 

「いえ。礼を言うのはこっちの方よ。それにしても……氷川に五島、ね」

 

「何か、ご存じなんですか?」

 

「いえ。詳しくは分からないわ。私たちの一族もガイア教と協力関係にはあるけど、信者ってわけじゃないから。ただ、2人とも表社会じゃそれなりの地位にいるから、噂では聞いたことはあるわね。特に氷川はガイア教徒の中でも異端とされる人物だって……」

 

 ごめんなさい。そう付け加えるさくらに、那美が問いかけた。

 

「でも、士郎さんの話だと、氷川って人はなのはちゃんの事は知っているみたいだったんです。ガイア教とつながりがあるんじゃないかって……」

 

「そうね。ガイア教については私の方で調べてみましょう。なのはちゃんの事は、確かに気になるし……」

 

「そのなのはちゃんですけど、何か変わった様子はありませんでしたか?」

 

「そうね……夜、何かに怯えていたみたいだったわ。今朝もうなされてると思ったら起きた途端元気になったし。態度は少し異常ね。でも、外に抜け出した様子も無かったから、その宝石を探しに行ったりもしていないはずよ。問題のフェレットも見ていないわ」

 

「じゃあ、さっさと保護しちまおう」

 

 2人のやり取りに声をあげたのは修。面倒な悪魔がいない内に捕まえようというのだろう。しかし、孔がそれを止める。

 

「待て、折井」

 

「何だよ、お前まで管理局待てとか……」

 

「いや。今高町さんがいる方向……悪魔の反応があるんだ」

 

 

 † † † †

 

 

 海鳴でも有数の敷地を持つ、ガイア教団の寺院。深い歴史を持つそれは同時に歴史的建築物でもあり、貴重な観光資源ともなっている。その一部は一般にも公開され、ゴールデンウィークともなるとそれなりの賑わいを見せていた。もっとも、大部分の利用者は宗教団体が運営している等という認識はない。

 

「さて、今日はせっかくガイア教団の寺院に来たので、自然魔術、ナチュラル・マジックについて話しましょうかね。アーダ・アーダ・イーオ・アーダ・ディーア……」

 

 しかし、この男――江戸川は別だった。聖祥大学付属小学校誇る怪人は、例え屋外だろうとその言動に変わりはない。

 

「この自然魔術には基本的な思想があります。人間も自然の一部だということを認め、その上で自然の力を享受すること。まあ、この辺はガイア教と通じるところがありますね……」

 

 もともとこの林間学校では寺院の厳しい戒律に即した生活習慣に触れることで規則正しい生活のリズムを身につけるという目的として掲げられていたのだが、そんな規格の意味を無視しておよそ普通の小学校では教えられることのない知識をいつものごとく説明する江戸川。もっとも、下手なガイドよりよっぽど詳しいその説明は、この場において他に適任はいないと妙な納得感を生徒たちに与えていた。

 

「特にこの鳴羅門石は鳴羅門火手怖(なるらとほてふ)という邪神を比麗文上人(ひれもんしょうにん)が封じた守護石と伝えられています。実際に見るのは私も初めてですが、どうやら妖しい電波を放っているようですね。あまり皆さんは近づいてはいけませんよ? フヒヒヒヒ」

 

 屋外に展示されている巨岩を前に意味不明な注意を混ぜて話す江戸川。偶然居合わせてしまった一般の観光客はあまりの不気味さに身震いしたが、慣れている生徒達は気にもとめない。あるものは面白半部に、あるものは周囲の壮麗な寺院を眺めながら聞いていた。

 

「みんな聞いてますかね。三途の川を渡ってはいけませんよ? ちょっと質問してみましょうかね……」

 

 だが、続く一言で注目が集まる。口だけだと分かっていても、誰もがこの得体の知れない先生の呪詛を受けたくないからだ。

 

「では最年少の高町さんは……」

 

 周囲を見回す江戸川。上級生の中で安堵が広がる。しかし、なのはの姿は見えない。

 

「どうやら異界に旅立ってしまったようですね。フヒヒ。仕方ありません。代わりに……ハイ、天田乾。汝に問う」

 

「えぇ! なんでっ! いなくなったのはいいのっ!」

 

 代わりに1つ上の優等生の悲鳴が響いた。

 

 

 † † † †

 

 

「今の、悲鳴?」

 

「悲鳴ってか呪詛に脅されたんだろ」

 

 それを結界ごしに見ていたのは修である。リニスが広げた結界は特殊な処理を加えなければ外界の声を通さないはずだが、悲鳴だけが鮮明に聞こえてきた。改めて怪人の異常性を認めてフェイトは身震いするも、魔法の事など大して勉強していない修にはよく分からない。

 

「まあ、取り敢えず高町は閉じ込めたんだ。後は悪魔がどうでるか……」

 

 ただ、この場合はそれがうまく意識の切り替えに繋がっていた。リニスが結界でなのはを切り離し、その隙に孔が結界の外も含めたサーチを使って悪魔を追う。寺院の敷地に詳しく、霊感も持つ那美とさくらは結界内から目視で悪魔を探す。フェイトとの通信役にアルフも一緒だ。残された修とフェイトの役割はなのはから目を離さない事。そのなのはは結界で切り離されたにも関わらず、江戸川の話を聞いていたのと同じ姿勢を保っている。不思議がる素振りも見せず、周りに先生と生徒が未だ存在し続けている様に振る舞うその姿は、ある種の異様な雰囲気を感じさせた。

 

「あれって、やっぱおかしいよな?」

 

「うん。動揺が少ない。この間よりもずっと……」

 

 思わず口に出した修にフェイトが同意する。この間とは月村邸の事を言っているのだろう。映像で見たのと違い、今のなのはは自分の行為を押さえつけるような仕草を見せていない。

 

「あれか。本格的に悪魔に乗っ取られたのか?」

 

 不気味な雰囲気に不吉な言葉を口にする修。憑依ではなく術をかけられただけとは聞いているが、知らない間になのはにも化け物が憑りついていないとも限らない。そしてそれは、

 

(っ! 確認したっ! あれは……高町さんの格好をした悪魔だっ!)

 

「……っ!」

 

 孔からの念話でより悪い方に実現した。瞬間、不快感が修を襲う。結界に包まれた時は少し空気が変わったと思う程度だったが、悪意のようにまとわりつくそれは明確な境界をもってリニスの結界を塗りつぶしていった。まるで自分を飲み込むような悪魔の結界に思わずうめき声を漏らす修。同時にそのクラスメートの格好をした化け物が首だけを此方に向ける。それに表情はない。仮面のように張り付いた無表情がこちらに向けられているだけだ。しかし、

 

(涙……?)

 

 その悪魔は泣いていた。修のイメージにあるなのはの強い意思は感じられず、ただ虚ろな瞳を濡らしている。まるで精神が崩壊し、自我を失った様な目のまま、

 

 なのはの格好をした悪魔は地を蹴った。

 

「シュウッ!」

 

 反応したのはフェイト。勢いのまま一直線に迫るソレに電撃を打ち込む。

 

「にゃは、ニャハハㇵㇵㇵㇵハはははははははっ!」

 

 しかしなのはの格好をした悪魔は勢いを失わずに距離を縮め続ける。狂った様な笑い声をあげて駆けながら身を捻り、正面に迫る雷槍をかわし、

 

「にゃははハガァぁ!?」

 

 横から走った稲妻に吹き飛ばされた。見ると、那美の肩に乗った久遠が雷を纏って立っている。後ろには厳しい視線のさくらとアルフもいた。どうやら移転してきたらしい。

 

「折井くん、大丈夫?」

 

「お、おう、助か……っ!」

 

 だが、それに安心する暇はない。吹き飛ばされた筈の悪魔が立ち上がり、桃色の砲撃を打ち込んできたのだ。

 

「ちっ!」

 

 慌てて飛び退きながら反射の膜を展開して軌道を反らす修。本来ならばその場に止まって真逆の方向に返すところだが、目前の魔力に恐怖を感じて体が反応してしまった。

 

「シュウッ!? 今のは?」

 

 それでもフェイトにとっては異常な光景だったのだろう。空中へ離脱しようかという体勢のまま驚いた目を向けている。

 

「何でもねえよっ!」

 

 が、修に答える余裕はない。精一杯の返事をして迫る悪意に電撃を放つ。フェイトや久遠の放った指向性をもつ砲撃ではなく、広範囲に及ぶ放電を前に、

 

「折井くんも、私を責めてくれるんだね……!」

 

 悪魔は笑っていた。狂喜の叫びをあげてバネの様に空へと跳躍する。修の放った電撃の波を飛ぶ越すほどに高く。

 

「じゃあ、いっぱいお話ししたいな……」

 

 太陽を背にその悪魔は髪留めを外した。ツインテールに上げていた髪が流れるように下りる。それは女性としての魅力よりも、呪いの人形のような不気味さを持って広がる。

 

「それで、教えてよ……」

 

 そして、握った髪留めを人間の関節ではあり得ない程に振りかぶった。

 

「なんで、なんでこんなことになっちゃったのぉぉぉおおおっ!」

 

 まるで抑えきれなくなった感情を起爆剤にしたかのように手から離れる髪飾り。それは人外の力も相まって弾丸のような速度で真っ直ぐに飛んでくる。

 

「撃ち抜け、轟雷っ!」

 

《Thunder Smasher》

 

 だがそれは修が反応する前にフェイトが放った稲妻で灰になった。同時に砲撃を連続で撃ち込みながら距離をつめるフェイト。反射神経で勝る相手に接近戦で挑もうというのだろう。スピード自体はフェイトの方が上なので、有効打を与えるには悪くない作戦だ。

 

「フェイトッ!」

 

 しかし、模擬戦の経験もない修はそれを理解できない。広範囲での電撃や強力なベクトル操作といった力で圧倒する戦い方しか知らないため、相手を分析して戦術を練ったフェイトの行動も無謀な特攻に写ってしまう。

 

「仕方ねぇ……!」

 

 故に追いかけるという行動をとった。普通ならば不可能な行為は、しかし無理矢理強化した加速で強引に実現される。

 

「ちょっ! 何やってるんだいっ!」

 

 はるかかなたで叫ぶアルフの声が届く前に、フェイトを追い抜かした修は悪魔にたどり着く。勢いのまま相手を殴り飛ばそうとして、

 

「なっ!?」

 

 その手は大きく空をきった。相手を見失い驚愕に目を見開く。

 

「にゃはは」

 

 背後から響いた声。

 

「これで、お話できるね」

 

 振り返った先には、黒い杖を喉元に突きつけられたフェイトがいた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

外道 ドッペルゲンガー
 ドイツ語で「二重に歩く者」の意味を持つ、生者の幻霊。日本でも「影わずらい」として古事が残っており、その伝承は世界中で認められる。自分自身がその姿を目撃するものから他人によって複数の箇所で目撃されるものまで様々であるが、多くの場合は不幸または死の予兆として描かれる。

――元ネタ全書―――――
サイファー博士。IQ300の天才よ
 言うまでもなくあの御方。今回は偽典・女神転生から天才博士の姿で登場。

鳴羅門石
 ペルソナシリーズより。某邪神がシナリオの根幹を務める1・2に登場。3になって中庭にこの石がなかったのを見た途端、「ついにラスボス交代か?」とか思ったのは私だけじゃないハズ。

髪留めを投げつけるドッペルゲンガー
 分かり難い人もいるかもしれませんが、漫画版『デビルチルドレン』より。主人公の刹那がヒロインの影と闘うシーン。この戦闘で刹那(小学生です)の腕が切り飛ばされます(そして、同作は児童誌です)。少年誌のベルセルク、と評されるだけに戦闘描写は秀逸。新装版も販売されたので、興味がある方はどうぞ。

――――――――――――


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第17話d 来訪者の悪意《肆》

――――――――――――

「大丈夫かなぁ?」

 林間学校を抜け出してジュエルシードを探している間も、私は入れ替わったあの子が気になっていた。さくらさんに気付かれると、怒られるのはあの子だから。

「心配ないよ、なのは。大して面識もない林間学校の参加者には見分けがつかないさ」
「でも、さくらさんもいるし……」

 ユーノくんはそう言ってくれるけど、やっぱり心配なものは心配だ。歩きながら何度も山の方を振り返っていると、

「大丈夫。ドッペルゲンガーはキミの二重体。いわば、もう一人のキミだ。ちょっと知っているくらいじゃ気づかないよ」

 もう一人の、私。

 ユーノくんはそう言った。

 急にあの子の顔が目に浮かぶ。

 笑ってないあの子。
 泣いてたわけじゃなかったけど、泣いてるように見えたあの子。
 怒ってたわけじゃないけど、怒ってるように見えたあの子。

――人殺し……

「っ!?」

 急にそんな声が聞こえた気がして、怖くなって立ち止まった。

「どうしたんだい?」

「う、ううん。何でもないよ」

 でも、心配そうに話しかけてきたユーノくんに慌てて首を振る。どこかで聞いた声だったけど、思い出せない。なんであんな声が聞こえたのか、よく分からない。でも、

「そうかい? もうすぐ、夏織さんが言っていたポイントだよ? やることは、分かってるね?」

「う、うん……海の中のジュエルシード、目覚めさせればいいんだよね?」

 気が付けばそこについていた。

 アリスちゃんと初めて会った公園。

 大丈夫。ちゃんとジュエルシードを片付ければ、またみんなで遊べる。

 すずかちゃんやアリサちゃんや萌生ちゃんとも、お母さんやお父さん、お兄ちゃんやお姉ちゃんとも、同じ顔をしたあの子とも、フェイトちゃんとだって。

 みんな一緒に。

――――――――――――なのは/海鳴市



 フェイトにとって、それは容易に制圧できる筈の相手だった。悪魔とはいえ、擬態しているなのはと比べても砲撃の質は大幅に低下し、保有魔力も圧倒的に少ない。反射神経と運動能力こそ注意する必要があるものの、フェイトのスピードで十分カバーできるレベルだ。

 

(今度こそ……!)

 

 そう今度こそ園子を殺し、萌生を撃った悪魔という存在に自分の一撃は届く筈だった。

 

「仕方ねぇ……!」

 

 しかし、後ろからの声とともに前へ出た修にその刃は止まる。

 

(なんでっ!?)

 

 フェイトは心の中で叫んだ。

 

 何故、後ろにいた修が自分の前にいるのか。

 何故、自分の刃ではなく修の拳が先に届いているのか。

 

「にゃはは」

 

 一瞬のうちに浮かんだ疑問は、しかし不快な嘲笑で断ちきられた。反射的にバルディッシュを構え直そうとするも、その前に黒い杖が喉元に突きつけられる。否。それは杖ではなかった。いつかの白い魔導師が握っていたインテリジェントデバイスとデザインこそ似てはいるが、杖先は槍の様に鋭利で禍々しくギラついている。足元に広がった影から生えているその漆黒の槍を、影から延びた手が掴む。その手は槍をよじ登る様に動き、ズルズルと悪魔が這い上がって来た。顔が、胸が、脚が、まるで引きずり出されるように姿を現す。

 

「これで、お話できるね」

 

 全身を露にしたその悪魔は、槍を突きつけたままフェイトの背後へと回りこんだ。

 

「ねえ、なんでこんなふうになっちゃったの?」

 

「っ! てめえらのせいだろうがっ!」

 

 楽しそうに問いかける悪魔に叫ぶ修。手にバチバチと電撃を纏いながら、しかし撃つことが出来ないのはフェイトが人質のせいだろうか。怒りを滲ませる修に、

 

「そうだよね」

 

 悪魔は肯定の言葉を口にした。

 

「園子ちゃんが死んだのは、私が間違って撃っちゃったせい」

 

 その声は震えている。

 

「フェイトちゃんが憎むのも、私のせい」

 

 ポタリ。何かが肩に落ちた。

 

「夜怖いのも、私のせい」

 

 それは涙だった。悪魔はフェイトの後ろで泣いているのだ。そこに打算は感じられない。ただ後悔と自分のやったことへの恐怖が雫となってフェイトのバリアジャケットを濡らしていた。

 

(何を今更っ!)

 

 それに心の中で怒声を上げるフェイト。どれだけ泣いて謝っても、園子はもう戻ってこないし、萌生の痛みも消えないのだ。だから、続くなのはの言葉には思わず目を見開いた。

 

「だからね、お話したかったの。だって、お話すれば、みんな苦しいの、分かりあえるでしょ? そしたら、みんなで一緒に悪いのやっつけるの」

 

 コイツハ今ナンテ言ッタンダ?

 

 苦シイノハオ前ジャナイ

 分カリアオウト手ヲ差シ伸ベルノハオ前ジャナイ

 悪イノハ他ノ誰カジャナイ

 

 相手がなのはではなく悪魔だと分かっていながらも、フェイトは感情のまま振り返った。しかし、なのはは槍を喉に押し当ててそれを抑える。視界に入った悪魔は、

 

「みんなで、ジュエルシードあつめるの。卯月くんみたいな化け物やっつけるのっ! 管理局みたいな悪者に言うこと聞いてもらうのっ! 自分達が間違いって認めてもらうのっ! にゃははははははハハハッ!」

 

 嗤っていた。

 

 フェイトは自分の体が怒りに震えているのがはっきりと分かった。あれだけのことをしておいて、まるで自分が被害者のような顔をした挙げ句、自分は「悪くない」と言うその姿に。そして酷く苛立っていた。孔の事を「やっつける」と叫ぶその姿に。

 

(違う、違う、チガウッ!)

 

 心が否定の言葉を叫ぶ。あるいはサイファー博士が言っていた様に、アイツは人工的に産み出された化け物なのかもしれない。しかし、その化け物がやってきたことはなんだったか。姉を蘇生させ、萌生達を悪魔から護ろうと剣をとる。それは絶対に「間違った」行為ではなかった。むしろ、自分が理想とする行動であるといっていい。だからこそ、あの崩れ落ちるシェルターで孔に羨望と憎悪を抱いたのだ。それを目の前の悪魔は間違いであり、「やっつける」ものであると蔑んだのである。それはフェイトにとって、今までの生を否定されるに等しかった。

 

「ッ……!」

 

 無言のままデバイスを握りしめるフェイト。喉の槍が脅す様に動く。フェイトはそれに構わず全身に魔力を込めた。このまま魔力を解放すれば至近距離にいる悪魔を跡形もなく吹き飛ばすことが出来るはずだ。例えその魔力が自分自身を焼くことになろうとも、フェイトは全身に稲妻を纏う。それに気付いたなのはの腕に力がこもり、

 

「急急如律令っ!」

 

――禁呪符

 

 那美の声で解放された。突然離れた拘束にバランスを崩して倒れそうになるのを、一瞬で駆け寄った修が支える。揺れる視界には、符を構える那美とバインドの様なもので拘束された悪魔、そして

 

「黙りなさいっ!」

 

 それに殴りかかるさくらがいた。バインドの上から悪魔に拳をぶつける。否、それは拳ではなかった。どこから取り出したのか、獣のように鋭利な爪が煌めいている。それは幾筋もの軌跡を残しながら、高速で相手に襲いかかった。

 

 額を叩き割り、 「なのはちゃんとっ!」

 肝臓をえぐり、 「同じ顔でっ!」

 喉をかききり、 「悪魔がっ!」

 関節を破壊し、 「化け物をっ!」

 腱を切断する! 「否定するなっ!」

 

 およそ人間ならば急所に該当するところをその爪は容赦なく削っていく。大量の血を撒き散らしながら、しかし悪魔は未だ不快な嘲笑をあげ続けた。

 

「にゃははハハハ……! イタイ、イタイよ……っ! ねえ、叩かれてる子の痛みって分かる? お話ししないで、叩かれるの、イタイの分かる? きっとさくらさん達も叩かれれば分かって……!」

 

「黙れっ!」

 

 首と胴を切断するさくら。首が滝の様に血を吹きだしながら宙を舞い、胴体は弛緩しながら黒い沁みになって消えていく。さくらはそれに背を向けながら、吐き捨てる様に続けた。

 

「あなたはなのはちゃんと違うっ! あの娘は正義感は強いけど、それを欲望で汚したりしないもの……っ!」

 

 だが、首だけになっても悪魔は依然として喋り続ける。

 

「じゃあ、聞いてあげてよっ!」

 

 そこに嘲笑はない。

 

「いい子じゃなくてもいいって……間違っても言い訳なんかしなくていいって……謝ればいいって、償えばいいって、あなたが、お話すればいいって言ってあげてよっ!」

 

 ぐちゃりと、首が地面に墜ちる。

 

「頑張ってお話するからっ! 聞いてあげてよっ!」

 

 ただ泣いている様な、怒っている様なその声は、

 

「側にいて、お話し、聞いてあげてよっ!」

 

 悲鳴のような、悲痛の様な声をあげながら、

 

「あの時みたいに、ひとりに、しないでよぉ……っ!」

 

 抵抗するような響きを残して消え去った。

 

 

 † † † †

 

 

「フェイトッ! 大丈夫かいっ!」

 

 結界が崩れるのをぼんやりと見ていたフェイトは、アルフが駆け寄ってくる声で意識を現実に引き戻した。修に支えられたままだったことにようやく気づき、慌てて自分の足に体重を移す。

 

「だ、大丈夫だよ。怪我もないし……」

 

 言いながら軽く体を確認するフェイト。締め上げる様に拘束された腕が少し痛むものの、ダメージはほとんどない。どちらかというと気になるのは先程悪魔が残した言葉の方だった。

 

(ひとりに、しないでよ、か……)

 

 果たしてそれが悪魔の虚言だったのか、なのはの気持ちを代弁したものだったのかは分からない。だが、首だけになってもなお叫び続けたその姿は、かつて母親を求めて命令をこなし続けていた自分とどこから通じるものがあった。

 

(……嫌だな)

 

 それにフェイトが抱いたのは共感よりも嫌悪だった。どれだけ叫んでも、努力しても届かない想い。それだけならまだしも、何故届かないのかと狂い、周囲に悪意を撒き散らして拒絶され、惨めに死んでいくその姿は、まるで自分の最悪な未来を提示している様に思えたのだ。

 

「ホントに大丈夫か?」

 

 気がつけば表情を歪めていたらしく、見咎めた修が声をかけてきた。心配したと告げる視線。それは萌生や園子が自分に向けていた視線に含まれるのと同じ温もりをたたえている。

 

「うん。大丈夫だよ」

 

 だからフェイトはそう答えた。自分には想いが届いた友達がいる。母親だって受け入れてくれた。だから、あんな結末などあり得ない。

 

「なに言ってんだい。突っ込んだのはアンタじゃないか」

 

「えっ? あ、いや、あれはフェイトが特攻したと思って……」

 

「特攻って……接近戦仕掛けただけだろ」

 

 そんなフェイトを置いて、アルフはしっかりと文句を言っていた。慌てて弁解を始める修。珍しくアルフが突っ込み役に回っているのにおかしさを覚えながらも、平常を取り戻し始めた2人にフェイトは少しだけ表情を柔らかくして声をかける。

 

「ア、アルフ、私平気だから……シュウも助けようとしてくれたんだし」

 

 確かにあの時は止めるのではなく砲撃による援護が欲しかったところだが、フェイトとしては助けようとした修を責める気にはなれなかった。第一、修は戦闘訓練など受けたこともないと言うし、受ける必要も無かったのだ。誘導弾でもなく軌道が不安定な雷による砲撃を、高速で動く援護対象を反らして標的だけに撃ち込むという技術を期待する方が酷だろう。

 

「まあ、その調子なら大丈夫そうね。後は卯月くん達だけど……」

 

 アルフをとりなすフェイトに余裕を見たのか、さくらが話しかけてきた。それと同時だっただろうか。

 

(フェイトッ! アルフッ! 返事をして下さいっ!)

 

(あ、リニス? 大丈夫だよ、みんな無事で……)

 

 切羽詰まった様子でリニスが念話を送ってきた。どうやら突然悪魔の結界に閉じ込められたのを心配したようだ。

 

(よかった……っ! なら、すぐ合流をっ!)

 

(ちょ、ちょっとリニス? どうしたのさ?)

 

 だが、返ってきたのはやはり緊迫した念話だった。事態が呑み込めずに聞き返すアルフ。

 

(それが……っ!)

 

 リニスが伝えたのは、予想もしない事態だった

 

 

 † † † †

 

 

 時はわずかに遡る。孔は結界を張ったリニスと共に悪魔の反応を追っていた。始めはなのはのいた位置とほとんど重なっていた反応は山を下り市街地を外れ、臨海公園に入ったところでようやく止まる。

 

「随分引き離されたな……」

 

「やはり、罠でしょうか?」

 

「ああ。だが、戻るわけにもいかない」

 

 誘導するような反応に警戒しながらも、ふたりに引き返すという選択肢は無かった。悪魔に対応できるデバイスを持つ孔の役割は反応から目を離さない事だ。もっとも、意味ありげに公園にとどまる反応に積極的に対応するか、このまま監視を続けるかは判断に迷うところではある。

 

「コウ、どうしますか?」

 

「そうだな、俺は悪魔を追うから、リニスはここで……」

 

《待って、今もうひとつ反応を感知したわ》

 

 だが、言い終わる前にI4Uが突然目の前に映像を写し出した。そこには、林間学校の授業を受けるなのはの姿がある。

 

《悪魔の反応と一致。あれは貴方のクラスメートなんかじゃない……悪魔よ、My Dear》

 

(なっ! 折井! ……確認したっ! あれは……高町さんの格好をした悪魔だっ!)

 

 慌てて修達に警告の念話を送ると同時、結界が広がった。それはリニスのものでも、孔のものでもない。公園にいる悪魔が結界を広げ、上空にいる2人を閉じ込めたのだ。

 

「ちっ!」

 

《Blaze Cannon》

 

 舌打ちして結界に砲撃を撃ち込む孔。結界をも破壊できるようにと放った砲撃は、しかしその境界にヒビひとついれることも叶わずに消滅する。ならば直接破壊しようと孔は剣を構えるが、I4Uに止められた。

 

《無駄よ、この結界は物理的な衝撃じゃ破壊できないわ。以前ゲームで作られたものと同じ、アマラ宇宙に位相をずらして構築されている……あらかじめ用意していたんでしょう》

 

「対策は?」

 

《マグネタイトの起点はひとつだから、そこに行って流れを変えてやればなんとかなるはずよ。強力なジャミングがかかっているせいでサーチは難しいみたいだけど》

 

 苛立ちを滲ませる孔にI4Uは淡々と答える。孔は結界を見渡して顔をしかめた。その範囲は公園全体に及び、目視で悪魔を探すのは相当時間がかかってしまう。しかし、

 

――こっちだ

 

 響いた声に目を見開いた。声の元には、公園のベンチに腰掛けた老人。軽く視線を送ってくるリニスにうなずくと、孔は老人の前へと降り立った。

 

「お前が孔か……」

 

 その老人は突然空から降りてきた孔に平然と声をかける。顔をあげてこちらに向けた目には強い意思のようなものが感じられた。その目には見覚えがある。このジュエルシード事件の始まりを告げた念話。それを追ううちに巡りついた公園。そこではっきりとこちらを捉えて言葉を告げた、あの老人のものだ。

 

「なるほど……以前の因果を断ち切りつつあるようだな。ならば、大いなる力を使いこなせるかも知れん」

 

 その目のまま、孔に向かって言葉を紡ぐ老人。そこに以前ほどの鋭さはない。

 

「光と闇、法と混沌という世界のバランスが崩れようとしておる。いずれに傾こうと結果は同じじゃ。お前ならどうする?」

 

 しかし威厳と威圧を失わずに、その老人は問いかける。孔にその意味は分からない。老人も答えなど期待していないのだろう。ただ静かに手をあげ、

 

「どちらにしても、お前はもう引き返す事は出来ぬ。取り敢えず、力を見せてもらおうか……」

 

 そんな言葉を口にした。同時に舗装された地面にヒビが入り、轟音を立てて崩落を始める。慌てて空中へと逃れようとする孔とリニス。だが崩壊は空にもおよぶ。青い空は赤い経絡へと姿を変え、しかしそれも足元から巨大な黒い闇に吸い込まれていく。その黒い空間は一挙に大きくなり、やがて視界全体を覆った。

 

「コウッ! 大丈夫ですか!?」

 

「ああ……ここは?」

 

 叫ぶリニスに答えながら周囲を見渡す孔。吸い込まれた先は完全な闇ではなく、星のような光に囲まれた空間だった。周囲の景色はさながら宇宙のようだが、魔方陣のような足場が並んでいる。魔方陣といっても魔法世界で見られるそれではなく、どちらかというとマンダラに近いだろうか。赤く不気味な光を発するそれは、何もない宇宙空間に広大な回廊を造り出していた。

 

「さあ……以前、悪魔のゲームでみたアマラ宇宙とは随分違うようですが……?」

 

 警戒を強めるリニス。周囲の空気は尋常ではなく、誰もいない筈なのに視線を感じる。それはひとり舞台に立ち、周囲の視線に曝されているのに似ていた。違うのはそれが嘲笑と悪意に満ちていることだろうか。

 

「I4U、サーチできるか?」

 

《ええ。ジャミングはもうなくなっているわ。脱出のポイントは……向こうね》

 

 だが、デバイスは呆気なく脱出手段を告げる。指し示す先は回廊の奥深く。そこを見た瞬間、まるで周囲に感じていた視線がひとつになり、それを真正面から受けている様な感覚に囚われた。

 

「……コウ」

 

「ああ、行こう、リニス」

 

 それを恐れている時間はない。修達は悪魔の結界に取り込まれてしまった。なのはもどこにいるか分からない。あの老人も警戒が必要だろう。それに対応するには一刻も早く外に出る必要がある。孔はリニスとともに回廊へと踏み出した。

 

 

 † † † †

 

 

 マンダラの回廊は静寂に満ちていた。至るところに悪魔の反応があるものの、こちらに接触してくる様子はない。時折門を模したオブジェがあり部屋のような空間へと繋がっているが、入ってみても中には誰もいない。巨大な魔方陣が床に描かれているだけだ。

 

「不気味ですね……」

 

「そうだな……。でも今は進むしかっ!」

 

 だが、何個目かの部屋を抜けた先で急に広がった光に足を止める。反射的に剣を握りしめる孔。しかし、光が収まったと同時に現れたそれに目を見開いた。

 

「っ!?」

 

 そこには施設の先生が立っていたのだ。

 

「駄目よ! 孔、この先は危険なの! リニスさんもやめて! 止めても無駄なのは分かってるっ! でも、あなたがいなくなったら私はどうすればいいのっ!」

 

 なぜここに、という疑問より早く先生の悲痛な叫びが響く。しかしそれも一瞬。先生の姿はまるでその声を届けて力尽きたかの様に光の塵を残してかき消えた。気配はもう残っていない。

 

「I4U、今のは……」

 

《分からないわ。悪魔の反応は感知できなかったけど、高町なのはに擬態していた悪魔も直前まで反応を追うことが出来なかったから……》

 

「……そうか」

 

 短く答えると、孔は無言のまま歩き始めた。視界のすみに捉えたリニスは何処か心配するような目を向けている。それに問題ないと答えるように、孔は剣を鞘に納めた。

 

「急ごう」

 

「ええ」

 

 余計な詮索をしないリニスに心の中で謝りながら、孔は深層へと進む。複雑な回廊を、次第に強くなっていく視線を追いかけるように。

 

(……恐怖か)

 

 その視線に抱いた感情を言い表す言葉を思い浮かべて納得する。何か目に見える形で存在している訳ではないが、ふりかかる悪意が脳に直接圧力をかけるように重くのしかかった。前に進むのを拒絶するように重くなった体を動かし、たどり着いたその扉を開ける。

 

 瞬間、どこまでも堕ちていくような感覚に囚われた。

 

 視界は周囲の光景を加速して流し、周囲の星が線を引き、しかしそれは不意に反動もなく止まる。ゆっくりと揺れる風景は、導かれる先――古代の神殿のようなそれを捉えていた。

 

《My Dear, 脱出ポイントはあそこよ》

 

 降り立ったそこで、I4Uがすぐに解析結果を告げる。指し示したのは床で意思を持っているかのように蠢く禍々しい魔法陣の中心。だがそこには、出口をふさぐように自分と寸分違わぬ姿をした悪魔が立っていた。

 

「おめでとう。ここが終着点だ」

 

「ここから、出してもらおうか……!」

 

 孔は戸惑うことなく剣を構える。例えそれが自分であっても、人の格好をする悪魔はもはや驚愕に値する対象ではない。しかし悪魔はそれを嘲笑うかのように口を開いた。

 

「出してやってもいい……貴様はまだ可能性の片鱗すら見せていないのだからな、マリオネッテよ。だが外に出てどうするというのだ?」

 

「どういう意味だ?」

 

 質問の意図が読めず問いかける孔。鏡に写った様に同じ姿をした悪魔は、強い狂気を湛えたまま続ける。

 

「外に出てもふりかかるのは悪意だけだ。お前は絶対の力を持つ化け物として、差別し排斥される人外として、あるいは醜く危険な存在として扱われるであろう。普通ならば悪意とは程遠い世界で生きている人間達にだ。その理由を知っているか?」

 

 孔の苛立ちを煽るように悪魔は言葉を切る。見透かした様な質問と嘲笑。その底知れない悪意を、孔は知っていた。自分の異常を目の当たりにしたアリサやすずか達、その観察眼から力を感じ取った高町一家。形は違えど誰もが抑えきれなかった嫌悪感は、今まさに悪魔が向けている負の感情と近いものがある。

 

「簡単だ……。

 お前がそう望まれて造られたからだ!

 人間はいつも自らの正当と優位を他者の中で主張しようとする!

 他者に力を振りかざし、自分は意義のある存在だと叫ぶ!

 その意義を生きる意味だと思い込んで安心するために!

 それには力を振りかざす相手が必要だ!

 そしてその相手は、自らの正当性を保障するため、誰もが嫌悪の対象とする存在でなければならん!

 自らの強さを証明するため、打倒に値するだけの強大な力を持っていなければならん!

 だから貴様という体のいい踏み台が産まれたのだ!」

 

「あなたは……っ!」

 

 飛び出そうとするリニスを抑える様に孔は手でそれを制する。感情を押さえつけるように、努めて冷静な声で返す孔。

 

「例えそういう目的で創られた存在だとしても、俺には待ってくれる人がいる」

 

「ククク……ッ!

 まだそんな耳障りのいい解答にすがろうとするか!

 さすがは法の神に染まり一度は天使と化した憐れな生贄……己の存在意義を外に求め、光にすがり続けようとするっ!

 それが逸脱した天使達の意思とも知らずにっ!

 滑稽な事だな、マリオネッテよっ!」

 

 まるで感情的になった人間のような声と共に、悪魔は本性を現す。水棲生物のような黒い触手が集まった様な巨体に、皮膚病のようにただれた吸盤。それは奇妙なノイズが混ざった声で、悪意の咆哮を挙げた。

 

「自分の影を見つめることなく、絆などという光にすがった……その結果はどうだ!

 誰もが正しいと思う行為をした貴様のせいでっ!

 誰もが悪意に囚われ、歪み、悲劇を産んでいるっ!

 これは矛盾だっ!

 影は運命に背く者を絶対に許さん!」

 

 振るわれる触手。孔はそれをかわすと同時に剣でなぎ払う。しかし刃が届く寸前、刀身がまるで砂のように崩れ落ちた。驚く間もなく悪魔は再び触手を振り上げ、

 

「コウッ!」

 

《Chain Bind》

 

 リニスのバインドによって止められた。宝剣を撃ちながら距離を取る孔。が、やはりそれは悪魔に届く前にことごとく消え去る。

 

(あの時と同じか……!)

 

 思い出したのはシェルターでの一戦。あの時も一時的に力が使えなくなった。過剰に体が重くなったり、目前の悪魔に何かされたという自覚はなかったが、もはや異能を主体とした戦法は使えないだろう。

 

「……I4U」

 

《Yes, My Dear!》

 

 孔の呼びかけに答えるデバイス。流れる身体強化の術式を身に纏い、対悪魔銃ダビデスリングを手に構える。それは力を封じられた経験から考え出したスタイルだった。消滅するであろう魔力を予めデバイスに保存しておく事で枯渇を防ぐと同時、身体能力は強化魔法で補う。攻撃は魔力を消費しない銃とし、

 

「リニスッ! 頼むっ!」

 

「分かっていますっ!」

 

 前衛は使い魔に任せる。リニス自身の魔力も孔のリンカーコアに依存しているので、ある程度持つとはいえ短期決戦を仕掛ける必要があった。

 

《Summon》

 

――ナイトメア

 

「うわあ。悪夢みたいなとこだね」

 

――ラクンダ

 

 ゆえに攻撃と同時に体勢を整える。ナイトメアの呪力で弱った相手に雷を纏まとった魔力の鉤爪を振るうリニス。孔も横に飛び、リニスと悪魔が直線上に重ならない位置から引き金を引く。響く轟音とともに打ち出された弾丸は正確にバインドの間を撃ち抜いた。

 

「よくもコウを……!」

 

 同時にリニスの爪が悪魔に届く。銃創を抉るように、魔力の刃は悪魔を切り裂いた

 

「ククク……!」

 

 かに見えた。

 

「失望だなァ! 光にすがるだけの人間などこんなものかっ!」

 

 体を縮める悪魔。予備動作と込められる魔力に慌てて孔の前まで戻るリニス。魔力光は見えない。代わりに、悪魔は光が当たらなくなったかのように暗い闇に覆われていく。

 

――拡散閃影殺

 

 弾ける様に触手を伸ばしたと同時、その闇は鋭利な刃物となって周囲に撒き散らされた。

 

《Round Shield》

 

 リニスは孔を守る様にシールドを展開し、直線的な起動で飛んでくるそれを受け止める。一方向からの攻撃であれば魔力を前方に集中できるシールドの強固さを生かすことが出来るので、その選択は正しい。しかし、

 

(威力が大きすぎるっ?!)

 

 十分な魔力で作り出したはずのシールドにヒビが入った。目を見開く孔。確かに悪魔が込めた魔力は強大なものだったが、リニスの作り出したシールドで防ぎ切れないものでは決してなかった。先程の武器の様に魔法がキャンセルされたのかとも考えたが、シールドの術式は途絶えることなくその役目を果たしている。

 

《周りの瘴気の影響よ、My Dear》

 

「どういう事だ」

 

《あの悪魔は人の闇を糧としている……貴方に向かう悪意や貴方自身がそれに抱く諦めがこの結界の中で反応して、力に変えているの》

 

 I4Uの解析結果に眉をひそめる。術者の気力ならともかく、そんな第三者の精神に依存する結界などあり得るのだろうか。いや、それ以上に、

 

(諦めている……?)

 

 自分の悪意への考え方をそう表現されたことに意外なものを感じた。確かに今まで悪意にとらわれた人々と積極的に向き合おうとしたことはない。相手に不快な思いをさせたくないという想いから来るものではあったが、それは傍から見れば諦めている様にも見えるだろう。

 

「っく!」「リニスッ!」

 

 だがそんな感傷に浸る暇もなく、リニスの苦痛の声が聞こえる。孔は手早く回復魔法をかける。うまく急所を外して受けきったのは流石だが、雨の様な影の刃に出血が激しい。

 

「大丈夫です、このくらい……っ!」

 

 それを無視して立ち上がり悪魔に目を向けるリニス。その眼差しに写るのは普段見せる事のない強い憎悪だった。以前、月村邸で孔の偽物に露呈させたのに似た感情は、おそらく孔への好意の裏返しなのだろう。それが分かるだけに、リニスの怒りに痛みを感じた。孔はそれをせめて和らげようと回復に力を込める。しかし、悪魔はリニスの想いを踏みにじる様に悪意の声をあげた。

 

「クック! あの金髪の魔導師といい、人形によく入れ込む。所詮人形の人形に過ぎぬ貴様の抱く愛情など、義務感の延長に過ぎぬというのに憐れな事だなァ!」

 

「っ! こんなに誰かが憎いと感じたのは初めてです……!」

 

《やめなさいっ! 憎悪に身を任せては悪魔の思う壺よ?》

 

 怒りに震えながら拳を構えるリニスをI4Uが止める。その口調はデバイスと思えないほどに強い感情に溢れていた。

 

「そんな事、分かっていますっ!」

 

(まずいな……)

 

 声を荒げて感情を押さえ込むリニス。孔はそれを見て焦り始める。精神状態が結界に影響を与えるなら、しばらく此方の攻撃は通じず、相手の攻撃をギリギリで凌ぐ状態が続くだろう。つまりは長期戦であり、短期決戦を前提とするスタイルでは不利だ。更には仮にこの状況を耐え続けたとしても、解決の糸口が見つかる可能性は低い。デバイスとリニスに視線を送る孔。3人の意志が交差する。一瞬の沈黙ののち、孔はリニスに声をかけた。

 

「リニス、すまない。ここは耐えてくれ」

 

「コウ……貴方が謝るのは間違っていますよ」

 

 どこか怒りを抑えた声で答えるリニス。勿論、その感情の向かう先はあの悪魔だ。それを感じ取ったのか、悪魔は愉悦に体を震わせる。

 

「ククク……相談は済んだか? 捉われたままの貴様らがどれほどのものか、可能性を見せてみろぉ!」

 

――カオスエレメント

 

 同時に黒い魔力の塊が孔達を襲った。孔はナイトメアの召喚を解除、I4Uに戻すと同時、横に飛んで闇を避ける。逆方向に跳ぶリニスを視界にとらえながら、孔はデバイスに保存しておいた魔力の大部分を使ってバインドを仕掛けた。強固な魔力の鎖が悪魔を拘束する。先程リニスがかけたのと違う点は、鎖は6本に及び、そのいずれも孔が後ろに展開した魔法陣から伸びている点だろうか。そのうち一本を手に握りながら、孔はI4Uを操作した。

 

《Summon》

 

――ケルベロス、オルトロス

 

「ヌウ、不快ナ空気ダ……」

 

「アオーン! ナラバ、我等ノ力デ穴ヲ開ケヨウデハナイカ!」

 

 召喚した悪魔が魔力の鎖をくわえる。孔は信頼する仲魔と共に鎖を引っ張った。同時に悪魔の後ろへ回り込んだリニスが電撃を打ち込む。威力ではなく勢いを追求したその一撃は、容赦なく悪魔を吹き飛ばす。勢いのまま迫る巨体を前にオルトロスとケルベロスの召喚を解いて銃を抜く孔。

 

「お前が嗤った絆だ……!」

 

――トリプルダウン

 

 跳躍。銃撃。悪魔と空中ですれ違い様に撃ち込んだ弾丸は悪魔を抉る。勢いのまま先ほどまで孔が立っていた場所に叩きつけられる悪魔。逆に孔は悪魔が立っていた場所、マンダラの中央に降り立った。

 

「ククク……! 無敵無敵無敵ィ! いかに寄りかかる先を叫んでも、それは何の答えにもならん!」

 

 悪魔はそれを嘲笑うように立ち上がる。やはりダメージは無いらしく、すでに銃創も見当たらない。だが孔はひるむことなくデバイスを掲げた。

 

「I4U!」

 

《Yes, My Dear!》

 

 孔の足元に穴が開く。そこに現れたのは、アマラの経絡だった。

 

「っ! 貴様!」

 

 叫びながら触手を伸ばす悪魔。しかしそれはバインドに絡め取られる。跳躍の寸前、設置しておいたバインドが発動したのだ。

 

「クッ……クククッ! ハーハハハッ! 逃げるか! どうにも出来ない現実に立ち向かうのを光とする貴様が、逃げるか! お前! 矛盾しているぞ!」

 

 リニスと共に経絡へ落ちる寸前、孔に響いたのは悪魔の罵声だった。

 

 

 † † † †

 

 

 加速度と共に流れていく周囲。ずいぶん久しぶりに通るアマラ経絡はすぐに終着点へと孔達を導く。反動の無い不自然な着地と共に降り立ったそこは、いつも目にしている海鳴の自然公園だった。

 

「コウ、大丈夫ですか?」

 

「ああ。かなり危なかったが……」

 

 無事を確認するリニスに正直な感想を漏らす孔。状況の悪化を認識した孔はI4Uに悪魔がいる状態でも経絡を作り出せるか確認していた。回答は「可能」。ただし、あの悪魔もマグネタイトを糧とし体の一部とする存在。流れを操作してもすぐに戻されてしまうので、直径1メートルの穴を1秒維持するのが限界だという。ゆえになんとしてもあの悪魔の位置をずらし、脱出ポイントの真上に立つ必要があった。バインドにかけることができる魔力がもう少し足りなければ、あの規模の悪魔を縛り付けて強引に引き寄せるなどという芸当はできなかっただろう。限界での攻防を思い出し、孔は堕ちてきた空を見上げる。

 

《My Dear. 心配ないわ。アマラ宇宙から出さえすれば、現世への干渉はずっと難しくなるはずよ。あの規模の悪魔は現界しようとすれば大量のマグネタイトが必要だし、仮に現界したとしても人間の内面に作用する結界は使えないから今の戦力でも十分対処できるわ》

 

 それを見透かしたようにI4Uが声をかけてきた。それに苦笑しながら孔は周囲の気配を探る。もはやあの結界は解除されていた。代わりに、

 

「ふむ。脱出は出来たものの、どうやら今のお前では乗り越える事は無理なようじゃな……」

 

 先程の老人と目があった。急に魔力が膨れ上がったところを見ると、あの空間から抜け出したのに気づいて出てきたのだろう。構える孔とリニス。しかし、

 

「あれは所詮幻影。運命なら奴ともう一度あいまみえようぞ。その時は心してかかれ……」

 

 そう言い残して消えてしまった。魔力反応は、もはやない。

 

「コウ、あの人は?」

 

「さあ? 敵ではなかったようだが……」

 

 尋常でない雰囲気を纏う老人に疑問を浮かべる孔。消える間際に残した言葉を考えるとどうやらアマラ宇宙で対峙した悪魔は造り出された虚像だったようだ。果たして何故そんなもの事をしたのかは分からないが、いずれ実体との闘争を予言したところを見るとあの老人も自分という存在の何かを知っているのだろう。

 

(まるでパンドラの箱だな……)

 

 悪魔の悪意と関係を持つ自分の正体は、まさに禁忌の箱に思えた。もっとも、パンドラの空けた箱には希望が残されていたが、自分の過去にはそんなものがあるかも分からない。

 

「コウ、あまりひとりで抱え込んでは……」

 

「分かってる。それに、今は折井達だ」

 

 自嘲気味な思考に気遣うように話しかけてくれるリニス。また心配させてしまった。そんな反省を次に取るべき行動を示すことで取り返そうとする孔。振り返った先はガイアの寺院。I4Uは未だ悪魔の結界を告げている。そこに向かって飛び立とうとしたその瞬間、孔の携帯が鳴った。

 

(……? 先生からか?)

 

 画面には児童保護施設で使われている携帯の番号が表示されている。念話で先行して修達の元へ戻るようリニスに頼み、通話ボタンを押す孔。電話を無視して、先生にまで無用な心配をかけさせるわけにはいかない。だが、電話から流れて来たのは変声機でも使っているかのようなノイズがかった声だった。

 

「卯月孔くんだな……君たちが追いかけている事件の情報を提供したい。今すぐ公園の休憩所まで来てくれ……」

 

「何……!? 貴方は何者だ?」

 

「……スニーク。そう覚えておきたまえ」

 

 切れる電話に唖然とする孔。内容もそうだが、相手がわざわざ施設の電話を使って連絡を入れてきたのはどういう意味だろうか。

 

――駄目よ! 孔、この先は危険なの!

 

 アマラ宇宙で見えた先生の姿が脳裏によぎる。

 

(まさか……っ!)

 

 強い胸騒ぎを覚えて休憩所へと走る孔。力が戻っているとはいえ、休憩所までの距離がこれほどまで遠く感じられたことはなかった。自然公園らしく、様々な色の花を展示するように曲がりくねる道を通り過ぎ、公園の中心部へ。飛び込んだそこにでは、中心に置かれた花壇の向こう側のベンチにこちらに背を向けて座るトレンチコートの男性がいた。

 

「時間がない。そのまま聞いてほしい。今は顔を見せる訳にはいかないのだ……」

 

「なぜ施設の携帯を使った? 先生は無事なんだろうな?」

 

 相手の声を無視して銃を構える孔。その声は相当な殺気を含んでいが、そのスニークを名乗る男は落ち着いた様子でそれに答えた。

 

「勿論無事だ。どうか安心して欲しい。施設の携帯を使ったのはそうでもしないと君に会えないと思ったからだ。不安なら今ここで電話をかけて確認してもらっても構わない」

 

 どうやらおびき寄せるのに使われたらしい。よりによって先生をダシに使った相手に自然と表情が険しくなる。だが、スニークを名乗る人物はそれに耐えるように続けた。

 

「知っての通り、海鳴には悪魔を使った陰謀が組織だって動いている。君たちが見たマフィアだけではない……ガイア教団の一派やこの国を動かす大企業、世界を隔てた管理局にまで、メシア教会の新世派は根を張っているのだ」

 

「新世派……だと? 目的は何だ?」

 

「当然の疑問だが、何から話したものか……」

 

「話せないのなら、直接メシア教会に乗り込むまでだ」

 

 呼びつけておいて言葉を濁すスニークに苛立った声をあげる孔。スニークは強い口調でそれを抑える。

 

「いかん……! 君たちだけでは無理だ! 彼らは広大な組織を広げている……今動けば、杏子の二の舞だ」

 

「杏子さんを知っているのかっ!?」

 

 孔が反応したのはその口調ではなく意外な名前だった。叫ぶように問いかける孔。それと同時だっただろうか。

 

《My Dear! お取り込み中のところ悪いけど、魔力反応よ!》

 

 I4Uが反応を警告したと同時、海に巨大な竜巻が発生した。膨大な魔力からしてジュエルシードだろう。その数6個。自然に発動する数ではない。異常な事態を前に、スニークは感情を無理やり殺したような声で続ける。

 

「始まったか……! まだ彼らは君を覚醒前と軽視している。破壊という陰謀の確たる証拠をつかみ、しかるべきルートで悪事を暴いてほしい。管理局やメシア教会のすべてが新世派の手にあるわけではない――君たち以外にも組織を内偵しているものがいるのだ。彼らと接触して情報を交換するといい……連絡先を置いていく」

 

 そう言うと孔と暴走するジュエルシードを背に、スニークは立ち上がった。孔が入ってきたのと反対側の出口へ歩き去ろうとする。慌てて呼び止める孔。

 

「待て……! まだ聞きたいことがっ!」

 

「いや、待つのは君のほうだ」

 

 だが、それに答えたのは第三者の声だった。

 

「時空管理局、執務管クロノ・ハラオウンだ。ロストロギア暴走の疑いで、同行願おうか……!」

 




――Result―――――――

・厄災 ジュエルシード暴走体Ⅶ 封印
・外道 ドッペルゲンガー 魔獣の爪により斬殺

――悪魔全書――――――

邪神 月に吠える者
 近代アメリカにて生み出された架空の神話体系、クトゥルフ神話に登場する、ニャルラトッテプの化身のひとつ。顔の無い無定形の生物の姿で描かれる。ニャルラトッテプが地球に赴いた際の拠点――ウィスコンシン州北部のリック湖にあるンガイ森中央部に姿が刻まれた石があるとされるが、その森は敵対する旧支配者・クトゥグアの部下である炎の吸血鬼によって焼き払われたという。

――元ネタ全書―――――

公園の老人
 真女神転生Ⅰより、序盤の公園でのイベント。ちなみに原作では超人ドウマンと戦闘になりますが、やりようによっては倒すこともできます。

マンダラ
 ペルソナ2罰、ラストダンジョン「モナドマンダラ」より。自分の影と向かい合う、というイベントが用意されているので、今回クロス要素に採用しました。

新世派
 ペルソナ2罰に出てくる組織、「新世塾」より。本編ではメシア教会の一波ということで~派としています。

――――――――――――


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第18話a 永遠の絆《壱》

――――――――――――

 おかしな夢を見た。

 赤い通路みたいな所、アリサがこっちに向かって手を振っている。
 いつもみたいに身体全体を使って意思を伝えようとするアリサに、思わず頬が緩む。

「先生っ! あっち、コウがっ!」

 でも、アリサが必死に合図を送っていることに気づいて、
 そっちを見ると、孔がリニスさんと走っていて、

――ダメ。
――そっちへ行ってはダメ。

――私は、また失ってしまう!

 悪寒が走って、

「駄目よ! 孔、この先は危険なの! リニスさんもやめて! 止めても無駄なのは分かってるっ! でも、あなたがいなくなったら私はどうすればいいのっ!」

 そして、自分の声で目が覚めた。

 いつもと変わらない午後の施設。隣には、甘えるように身を寄せて眠るアリス。不吉な夢の余韻を誤魔化すように軽く頭を撫でると、アリスはくすぐったそうに身をよじる。

(孔もいればよかったかしら?)

 もう一緒に昼寝をするような齢じゃないし、大人びた精神は直接的な愛情表現を必要ともしていないけれど、きっとこんな風に静かな時間は、孔に家族を感じさせることが出来ただろう。

 そして、私自身にも。

 家族みんながそろうって、とても恵まれた事だから。

――――――――――――先生/海鳴市児童保護施設



 暴走した6個ものジュエルシード。それを前にした次元航行船アースラの乗員は慌ただしく動き始めた。クロノがデバイスをセットアップし、エイミィが休憩に入っているクルスに連絡をいれる。緊張に包まれた艦内に、しかし緊迫はなかった。人為的に発動されたロストロギアは確かに驚異だが、その結末は分かりきっていたからだ。

 

「どこの誰だか知らないけど、呆れた無茶をするわね」

 

「はい。あれでは術者も封印するどころじゃない」

 

 リンディのため息に同意するクロノ。あれだけの魔力をまとめて相手にするには、少なくともAAAランク以上の魔導師が3人は必要だ。そして、おそらく今回の事件はそんな規模の犯罪組織が起こしたようなものでは無い。高ランクの魔導師が参加する組織的な犯罪ならば、時空管理局が地球を訪れる前にジュエルシードは犯罪者の手に渡っている筈だ。つまりはごく小数ないし単独による犯行であり、もともと広範囲の探索やまとめて複数のジュエルシードを封印する作業には向いていない。それでも海という広域に魔力を流し込んだのは時空管理局が捜査に乗り出したことで焦ったせいだろう。状況の悪化を冷静に受け止めずに犯罪者が苦肉の策を取るのはよくある事だ。そして、それに対する手段もほぼマニュアル化していた。

 

「エイミィ、魔力のトレースは……」

 

「もうやってるよ。すぐ終わるから、ちょっと待ってね?」

 

 相変わらず仕事が早いオペレーターにうなずく。暴走したロストロギアは広範囲にわたって術者の魔力パターンをまき散らしている。魔法世界では指紋以上に分かりやすい証拠で、あとは同じパターンの術者を確保すればよい。そしてその術者は、起点となった魔力反応を追いさえすればたやすく見つかる。事実、反応源はさほど待つこともなくモニターに表示された。ようやく手にした解決の糸口に、

 

(っ! アイツが犯人かっ!)

 

 クロノは目を見開いた。反応の中心に立つ魔導師の映像を見た瞬間、頭に響いた結論に納得する。勘というものだろうか。クロノ自身は捜査官としてそれ程長いキャリアを積んでいるわけではないが、話には聞いたことがある。犯罪者特有の殺気や挙動の不審といった、証拠とするには弱いが重要な事実を告げる小さな情報。そういった情報を見落とさず犯人の当たりをつける技術が「勘」であり、熟練の捜査官ならばそこから証拠にたどり着くことも多いという。モニターに写る魔導師はそういった勘に訴えかける情報を間違いなく持っている様に思えた。

 

(落ち着け……まだあの魔導師が犯人と決まった訳じゃない……!)

 

 しかしクロノは意図してその「勘」に抵抗しようとした。自分の経験に絶対の自信を持つほど慢心はしていないつもりだし、勘に頼るのは危険だという知識も持っている。だが自分に言い聞かせようとすればする程、冷静さが欠けていくのがはっきりと分かった。込み上げる感情を抑えこむのが精一杯で、思考に回す余裕がない。それどころか、次第に確認する時間が惜しい様にも思えてきた。この瞬間にもあの魔導師は逃げてしまうかもしれない。

 

――アイツヲ野放シニシテイイノカ?

――確認スルヨリ、捕マエルノガ先ジャナイノカ?

 

 そんな思考が頭を満たし始めた時、

 

「すみません、遅くなりまし……? どうしました?」

 

 クルスが入ってきた。

 

「……クルス二等空士。横の3番モニターを見てくれ」

 

 瞬間的に冷静さを取り戻させてくれたクルスに感謝しながら、答えるクロノ。クルスはモニターを見て少し驚いた様な顔をしたが、すぐに意外な言葉を口にした。

 

「ああ、プレシアさんと一緒に協力してくれたこの世界の魔導師ですね」

 

「クルスちゃん、知ってるの?」

 

 エイミィが声をあげる。リンディも虚を突かれたように目を向けた。注目を浴びることとなったクルスは、逆に不思議そうな顔をして続ける。

 

「え? ええ。この間の報告書に記載した、一時的に協力を要請した魔力保有者です。暴走したジュエルシードの魔力を感じて様子を見に来たんでしょう」

 

 クルスの発言にはクロノも思い当たる節があった。確かに、受領した報告書には高い魔力保有量を持つ魔導師の記述を見た記憶がある。管理局の法規では、任務に重大な障害が発生した場合、魔力保有者に協力を取り付けるのは認められていた。数ある例外規定のひとつであり、人材に頼るところの大きい管理局では適用例も決して少なくない。管理世界で大規模な事件が起これば周囲の魔力保有者に協力を仰ぐのは日常茶飯事だし、管理外世界でも歴戦の勇士と名高い地球出身の提督が管理局とかかわるきっかけになったのはこの規定だったはずだ。勿論、管理局としては協力してもらう立場にあるため、生命の保護と協力者の同意が前提であり、そのためならデバイスをはじめとした魔法技術を一時的に提供することも認められている。そして、技術提供に当たっては流出防止ための事後報告が義務付けられていた。

 

「あ。ホントだ。データがあるや」

 

 慌ててコンソールを操作するエイミィ。モニターに報告書の一部が映し出される。そこには、モニターに映る魔導師と同じ画像とともに魔力パターンが記録されていた。該当事件にかかる文書の検索を怠ったのはエイミィらしからぬミスと言えるだろう。が、上官であるリンディが指摘したのはそんな些細な問題ではなかった。

 

「報告書の魔力パターン……ジュエルシードと一致しているわね」

 

「え? そんなはずは……」

 

 言われてクルスがモニターに目を向ける。横に映し出されているジュエルシードの魔力パターンは、確かに孔のそれと一致していた。

 

「で、でも、魔力の発生源とは微妙にズレています。ジュエルシードを暴走させた魔力と比べると魔力反応も大きすぎるし……あのコートの男性との会話は拾えないんですか?」

 

「え? あ、うん……ごめん、なんかジャミングがかかってるっぽくて」

 

 クルスの指摘に再びモニターを操作するエイミィ。映像とは別のデータを表示するモニターには、細かい魔力の数値に並んでERRORの文字が表示されている。

 

「クルス二等空士。残念だが、この状況で彼に事情を聴かないという選択肢は取りえない」

 

「ですがっ!」

 

 それを見たクロノが判断を下す。クルスは数値から反論しようとするが、それはリンディによって止められた。

 

「クロノ執務官。彼に対する事情聴取を許可します。確かに魔力の位置情報と保有量にズレがあるから犯人と断定はできないけど、状況が不透明な以上、参考人として話を聞く必要があるでしょう。クルス二等空士は私とジュエルシードの対処を命じます」

 

 

 † † † †

 

 

「すごい……ジュエルシードがすぐ止まっちゃった」

 

「アレは儀式魔法だね。おそらく、Sランクの魔導師が次元震を抑える要領でジュエルシードを抑え込んでいるんだ」

 

 海鳴臨海公園。孔のいる休憩所とは離れた海岸近くの場所で、ユーノにとり憑いた悪魔は感心するなのはに例によって適当な解説を加えていた。

 

(よもやこううまくいくとはな……)

 

 内心でほくそ笑む悪魔。なのはのドッペルゲンガーを使って魔導師組をガイア神殿に足止めし、自らのマグネタイトで孔を公園に招き寄せる。同時になのはがジュエルシードを起動、管理局を呼び込む。その際、なのはの魔力パターンを孔のものに偽装し、周囲には捜査を難しくするジャミングを仕掛けておく。

 

(気になるのは突然公園を覆ったあの結界だが……今のところ気配は消えたままか。まあ、例え神魔クラスがメシアに接触してきたとしても、先にジュエルシードが管理局の手に渡りさえすれば問題ない。そうすれば天使たちが盟約に基づき、氷川が宝石を手に入れる……氷川が我々と、かつて天界から追い出し、悪魔に貶めた相手と通じているなどと知らずにな!)

 

 周囲のマグネタイトに気を向けながら、管理局の主力が孔の確保とジュエルシードの封印に動いているのを見て満足げに目を細める。それは人間をコマとして弄ぶ悪魔の愉悦にも見えた。

 

「あの、手伝いに行かなくていいのかなぁ?」

 

 それに気づかず、声をかけてくるなのは。勿論、なのはにはアレが管理局の魔導師などと伝えていない。ただ、「夏織さんの知り合い」と言っただけだ。

 

「大丈夫だよ。ジュエルシードは本来の力を発揮できない。あの子も苦戦している様子は無いだろう? それに、儀式魔法は魔力の流れを利用したものだから、あんまり魔導師がたくさんいると、リンカーコアに反応して解除されてしまうんだ」

 

「そ、そうなんだ」

 

「そう。お話しに行っても仕事の邪魔になるだけだから、ここで『いい子に』してればいいよ」

 

「う、うん……」

 

 それに少しばかり難解な用語と嘘、そして心を抉る一言を加えて説明してやるとなのはは素直にうなずいた。うつむくなのはに悪魔は笑いが止まらなかった。自分のやっていることが世界の破滅を招く行為だと知った時、そして信用している大人たちに盛大に裏切られた時、この正義感が強く、優しさという光に満ちた少女は一体どんなふうに壊れてくれるのだろうか。今から楽しみでならない。

 

「それと、フェイトちゃんに盗られた分を抜けば、あの6個でジュエルシードは全部だ。いったん僕は魔法世界に戻ってジュエルシードを仲間に預けに行こうと思うんだけど、一緒に来るかい?」

 

「えっ!? 来るって魔法世界に?」

 

「そう、なのはは頑張ってくれたからね。みんな歓迎するよ。大丈夫。林間学校はドッペルゲンガーに任せておけばいいし、祐子先生にも話は通してある。それに、あのフェイトちゃんもジュエルシードを知っているのなら、魔法世界に来るかもしれないよ?」

 

「っ! うん、わかったよ!」

 

 最後のフェイトちゃんが聞いたのか、勢いよくうなずくなのは。

 

(あの宝石も、この少女も、いい生贄になる! 我らがバール神の復活は近い……!)

 

 悪魔は内心で悪意の嘲笑を上げ続ける。

 

 それは、なのはと共に公園から移転して消えるまで、誰にも気づかれることなく続いた。

 

 

 † † † †

 

 

「はあっ!? 逮捕された? 管理局に? アイツが?」

 

 ガイア教団の寺院。修はつい先程合流してきたリニスから伝えられた内容に声をあげた。

 

「正しくは事情聴取ですね。管理局としてはロストロギア暴走に居合わせたコウを見逃せなかったんでしょう」

 

 やられました。血が出るほどに唇を噛みながら付け加えるリニス。さくらはそんなリニスに眉をしかめて問いかける。

 

「リニスさん、その管理局って言うのは一体どういう組織なの?」

 

「そうですね……次元犯罪を取り扱う警察の様な機関です。といってもそんなに歴史が深いわけじゃなく、成立は65年前。元々は頻発する次元災害に対処するため、次元世界を超えて結成された組織です。ジュエルシードも暴走したとなると次元災害を引き起こす可能性がありますから周辺の捜査はしますし、近くに魔力を持った孔がいれば事情を聴こうとするでしょう。場合によっては長期間拘束されるかもしれません。悪魔の狙いはコウを引き離すことだったんですね。対抗策を持っているのはコウだけですから……」

 

 幸いなのはリニスが先行して修達のもとへ戻るため別行動を取っていた事だろうか。管理局に連行される寸前に孔から念話で伝えられた情報では、保護施設の電話を装って連絡をいれてきたのはスニークを名乗る人物であり、情報を残して去っていったという。

 

「スニーク……卑怯者、か。怪しいわね」

 

「ええ。悪魔に手を貸してコウをおびきだしただけかもしれません。でも、公園には証拠も遺されていました」

 

 さくらの問いかけにリニスが紙切れを2つ取り出した。片方には見慣れない文字が並び、もうひとつは普通に日本語の住所が並んでいる。

 

「こちらはミッドチルダ――魔法世界の言語ですね。場所は……行政特区ヴァルハラ北部。たしか都心の裏側、スラム街のような場所です。書かれている組織名は……直訳すると『便利屋組合』といったところでしょうか」

 

「いかにも裏家業と言う感じね。こっちは……『葛葉探偵事務所』?」

 

「えっ? それって……」

 

 声をあげたのは那美。久遠と一緒に横から紙切れを覗き込み、驚いた様な顔で住所とその名前を確認している。不審に思ったアルフが問いかけた。

 

「那美、知ってるのかい?」

 

「うん……デビルサマナーっていう、退魔師の血を引く人だよ。元々、悪魔が起こす事件はこの人たちが当たってたの」

 

 次いでデビルサマナーについての説明が続く。曰く、昔から稀に悪魔は事件を引き起こしていた。曰く、それに対抗する勢力がデビルサマナーである。曰く、全国に組織を広げる程度にはメジャーである。

 

(地球には不思議がいっぱいだな、おい……)

 

 修はそれを唖然としながら聞いていた。もし孔が聞けばお前がいうなと突っ込まれそうだが、修としては魔法少女を遥かに上回る常識外の存在に改めて目眩を感じた。どうもこの世界では魔法をやり過ごせば平和という訳にはいかないらしい。

 

「私も裏の事件の関係で話には聞いたことがあるわ。その葛葉って、デビルサマナーのなかでも名家の血を引く人でしょう?」

 

「はい。でも、この間話を聞きにいったら、今は別件で追ってる事件があるから協力は出来ないって」

 

「もしかしたら、その別件っていうのがこの事件に繋がってるのかもしれないわね……」

 

 そんな修にお構いなくさくらと那美の会話は続く。ますます平和から縁遠い世界に入っていくが、修としては不思議と退く気にはなれなかった。

 

(まあ、高町に園子を撃たせたヤツもよく分かってないしな)

 

 ちらりと林間学校に参加している生徒の群れに目を向ける。そこには先生に謝るなのはの姿があった。何処からか移転してきたのだろう。そのまま普段寝泊まりしている宿舎へと入っていく。隣からは鋭いフェイトの声が聞こえてきた。

 

「アイツ……!」

 

「落ち着けよ。卯月がいないと、アレが本物かどうかも分からねえだろ? それに、本命のユーノって奴にとり憑いた悪魔もいねぇんだ」

 

 それに危険なものを感じて声をかける修。仮に悪魔だった場合またしても足止めに引っかかる事となるし、連戦をこなせる自信もない。何より、肝心のフェレットがいなかった。その意図が伝わったのか、さくらもフェイトに冷静な声をかける。

 

「なのはちゃんは引き続き私が監視しましょう。偽者だとしても、見張っていればガイア教との接触があるかもしれないし。問題は、フェレットに化けた悪魔だけど……」

 

「じゃあ、私が行きます」

 

 だが、フェイトから返ってきたのはどこか不機嫌そうな声だった。いまだ感情が納得していないのだろう。修はできるだけ刺激しないように言葉をかけた。

 

「だから落ち着けって。大体、卯月がいないと悪魔の反応を追えないだろ?」

 

「それは――」

 

「その、デビルサマナー、だったか? 悪魔に詳しいんだろ? 一緒に会いに行けばいいじゃねぇか。なんか情報だって知ってるって」

 

 そこまで言って那美の方を見る修。那美はその視線に頷いた。久遠も心配そうにフェイトの顔を見上げている。フェイトは少し考える様な仕草をしていたが、やがて戸惑いがちに、しかしはっきりと頷いた。ありがとう。そう小さく唇が動いた様に見えたのは気のせいだっただろうか。

 

「では、私はこちらの『便利屋組合』をあたってみます。心当たりもありますし、魔法世界ならプレシアに頼めば向かうこともできますから」

 

 そんなフェイトに少しだけ間をおいて、リニスがもうひとつの選択肢を引き受ける。何とか丸く収まった雰囲気に、修はため息をついた。

 

(まったく、こういうのは卯月の役目だ……)

 

 つい少し前まで、一緒に昼休みを過ごしていたメンバーの間にできていた役割。それはいつの間にか当たり前になり、居場所のひとつとなっていた。突然壊れてしまったそんな居場所を探すように、修は孔が連れていかれたであろう空を見上げる。

 

「シュウ、どうしたの?」

 

「なんでもねぇよ」

 

 だが、それも一瞬。不思議そうなフェイトを誤魔化すと、修は自らの役割をこなすべく、プレシアの元へと移転していった。

 

 

 † † † †

 

 

「それで、俺はいつまでここに居なきゃいけないんだ?」

 

「ごめん。今本部とも連絡をとってる所だから……」

 

 一方の孔は、アースラの一室で小さくなるクルスに苦笑を送っていた。クロノの警告に慌ててリニスに念話を送り、スニークの遺した手がかりをメリーに託して今に至っているのだが、部屋に閉じ込められたきり他の管理局員からは音沙汰無しだ。孔は出来るだけクルスを責めるような口調を避けて問いかける。

 

「事情聴取の権限は執務官が持っているとプレシアさんから聞いたんだが……?」

 

「そうなんだけど、コウの取り調べは避けるように本部から直接命令があったんだ。しかも、私以外との接触を禁じるって」

 

「随分不自然に聞こえるが……それが普通なのか?」

 

 首を振るクルス。どうやら他の管理局員も不審に思っているらしく、そのせいで確認に時間がかかっているようだ。

 

「分かった。でも、状況が掴めたら教えてくれ」

 

「うん。ホントにごめんね?」

 

 謝りっぱなしのクルスを苦笑で見送る孔。扉が閉まって遠ざかっていく気配を感じながら、改めて与えられた部屋を見回す。内装こそいかにも次元航行船と言えるようなものだが、その施設はシェルターで見た一室に近い。乗員が長期の航行に耐えられるように設計されているのだろう。孔自身は他の次元航行船を知っているわけではないが、ここが牢獄でないことぐらいは分かる。

 

(船内の行き来は禁止されているとはいえ、破格の待遇だな……)

 

 初見の執務官の態度から想像していた環境からは程遠い対応に、孔はむしろ不安になった。どうやら裏で何かが動いているらしい。心当たりは2つ。ひとつはサイファー博士が推測した自らに加えられた技術であり、もうひとつはスニークが言い残した新世派とその対抗勢力の存在だ。前者はプレシアの過去から連想したもので、その技術とやらに管理局が出資する研究機関が一枚噛んでいるのならば孔は貴重なサンプルという事になる。特別扱いも当然と言えた。後者はスニークの広範に組織を広げているという言葉から思い当たったもので、もし神聖派が孔の存在に気づいたのなら、他の管理局員と変に接触するのは嫌がるだろう。もっとも位の低いクルスに交渉を限定した理由にはなる。いずれにせよ、自分が複雑な立場にあるという前提に間違いはない。

 

(……果たして無事に帰れるかどうか)

 

 扉の先を見据えながら、先生やアリス達を思い浮かべる孔。もし推測が当たっているのなら、これ以上児童保護施設を自分の居場所とすることはできない。言い訳はリニスに任せてしまったが、自身に降りかかる悪意を引きつけられるのは、自分しかいないのだ。

 

――自分の影を見つめることなく、絆などという光にすがった……その結果はどうだ!

――誰もが正しいと思う行為をした貴様のせいでっ!

――誰もが悪意に囚われ、歪み、悲劇を産んでいるっ!

 

 同時に公園の老人が幻想の中で見せた悪魔の罵声が脳裏をよぎる。今まで支えてくれた家族と距離を置いたとき、一体自分は何をよりどころとして生きていくのだろうか。

 

(それは、パンドラの箱が開けられてみないと分からない、か……)

 

 いずれ向き合わなければならないと覚悟していた自分の正体という禁忌の箱。孔はそれが思いのほか早く、そして自分の意志とは無関係に開かれようとしているのを感じていた。

 

 

 † † † †

 

 

「クルス二等空士、どうだった?」

 

「特に変わった事は……事態が上手く呑み込めず、戸惑っているといった様子でした」

 

 アースラのブリッジ。孔と別れたクルスはクロノに簡単な報告を入れていた。もっとも、「簡単」以上の報告はしようがない。何故あのコートの人物と一緒にいたのか、また何故あんな場所にいたのかといった点については既に聞いている。犯人側が情報を持って接触してきたというもので、それによると新世派という組織が裏で動いているという。

 

「それはそうだろう。あんな荒唐無稽な話をするくらいだからな」

 

 苛立たしげなクロノの声を聞いても分かる通り、もちろんそんな情報など誰も信じてはいなかった。確かに管理局にも派閥のようなものはあるが、それは組織の大まかな流れを決める上層部に限った話であり、細かい実務を担当する現場では部署間の対立が関の山だ。上層部から下位組織にまで影響を及ぼす敵対的な組織などとても現実的ではない。第一、言った本人である孔からして半信半疑という様子だった。

 

「まあ、管理局の事がよく分かっていない現地の人間にいろいろと吹き込むのはよくある手口ですし……」

 

 クルスとしても当然真に受けている訳ではない。どちらかというと、わざわざ悪魔を使う相手が孔に接触してきた事の方が重要に思えた。現状、悪魔に対抗出来る手段を持っているのは孔くらいだ。あのジュエルシードの魔力といい、狙って管理局に拘束させたのなら非常に厄介という他ない。

 

(全く、上手く組織ってトコを使われたよ……!)

 

 クルスは内心の苛立ちを抑えるのに苦心していた。悪魔の危険性を把握していない上に事件が管理外世界での次元震では、組織としてはマニュアル通りの対応しかできない。

 

「本部は何か言ってきましたか?」

 

 そんな中、クルスのわずかな希望は管理局本部の出した特殊な命令だった。あるいは本部にも悪魔の存在に気付いている人物がいるのかもしれない。そうなれば、あの人造生命体に関する文書も現場に検索を押し付けたのではなく意図的に紛れ込ませたと考えるのが自然であり、人造生命体研究所が悪魔を扱っていたというクルスの推測も現実味を帯びてくる。

 

「いや、相変わらずだな。艦長にも直接上に問い合わせて貰ったんだが……」

 

「一応、レティ――ロウラン提督にも聞いてみたんだけど、命令に間違いはないみたいね。まあ、命令そのものは提督も把握してなかったみたいだけど」

 

 が、クロノがますます不機嫌な顔で告げた現状はあまり変化が見られなかった。説明を引き継いだリンディの言葉も歯切れが悪い。クルスはそこに引っかかるものを感じて問いかける。

 

「ロウラン提督って、たしか運用部じゃ辣腕で有名な人ですよね? 管理局の大抵の動きは良く知っている筈なんじゃ?」

 

 運用部とはいわゆる人事部の様な部門で、主に管理局の人材や資材の配置を取り扱っている。無論、その運営には現場の人的・物的な過不足の情報だけでなく、資材や配置する人材そのものに関する知識も必要になってくるため、その情報網は組織の広範に及ぶ。話題に出たレティ・ロウランはその中でも「底なし」で知られた女傑で、本部から直接現場に届く命令ならかなりの程度まで把握している筈だ。

 

「実はその命令、最高評議会から直接出てるみたいなの」

 

「え?」

 

 だが、クルスの疑問に答えたのは珍しく真面目な顔をしたエイミィだった。思わず聞き返すクルス。最高評議会といえば管理局の最高意思決定機関だ。65年前の管理局設立にかかわった3名の人物が未だその役職についており、その後の次元世界を見守り続けている。もっとも、「その後の」と表現した通り、ほとんど相談・後見役としての意味合いが強い。もう考えられなくなった複数の次元世界を巻き込んだ戦争や、何百年に一度という未曾有の規模の次元災害が起こり、士気の高揚や次元世界間の連携が必要になったならともかく、間違ってもこんな末端の現場に直接干渉してくる存在ではない。

 

「いくらなんでも、何かの間違いなんじゃ……」

 

「そう思ったんだけど、電子証明付きで命令書が送られてきたんだよ」

 

 モニターに映しだされる命令書。そこには確かに最高評議会の名前があった。普段であればせいぜい提督クラスの人物の名前が書かれている欄だ。

 

「クルス二等空士、一体彼は何者なんだ?」

 

「い、いえ。私も報告書に書いた以上のことは……」

 

 問いかけてくるクロノ。だがクルスも回答を持ち合わせていない。そもそも、なぜ自分だけが接触を許されているのかこっちが聞きたいくらいだ。

 

(まあ、確かに初めて会った時は天使かと思ったけど……)

 

 天使、というのはクルスがメシア教会に入ってから何度か夢にみた人物の事である。強い威厳と圧倒的な力、しかしどこか目に憂いを抱えたその姿は、神社の裏で念話を聞きつけてやって来た孔と重なって見えた。

 

(まさか……ね)

 

 無論、この場で言うような話ではない。一瞬でも自分の夢を関係づけようとした自分に苦笑するクルス。しかしそれと同時、事態は動いた。

 

「あ、待って。本部から通信が…… え? なにこれ?」

 

「どうした、エイミィ?」

 

 問いかけるクロノ。エイミィが答えるより早く、モニターに命令書が映し出された。

 

「管理局本部より最優先指令? 報告書にある重要参考人をグラナガン、先端技術医療センターまで護送せよ……っ!?」

 

 

 † † † †

 

 

 グラナガン。ミッドチルダ首都の名に恥じない大都市は、多彩かつ高名な施設を抱えている。先端技術医療センターもそのひとつだ。その名の通り、魔法世界でも最先端医療の研究およびそれを用いた治療を目的とし、相応の設備も有している。一般にも一部公開されており、市民や観光客にそれなりの時間を提供する人気スポットとなっているのだが、

 

(はあ、これで任務じゃなきゃいい見学なのに……)

 

 エイミィは盛大な溜め息をつき、疲労を隠さずドサリとロビーのソファーに沈み込んだ。任務というのはいうまでもなく孔の監視であり、先程クルスと孔の身柄を管理局員数名に引き渡したところだ。本来ならクロノの役目なのだが、本部がクルス以外の魔導師を同行させることに難色を示したため、技術士官であるエイミィが通信役という理由で出向くことになったのだ。ちなみに当のクロノは指揮のため地球にとどまり、一緒に来たリンディはレティの元へ挨拶という名の情報収集へ向かっている。

 

(もうちょっと簡単な事件のはずだったんだけどなぁ)

 

 もう一度ため息をつくエイミィ。孔とクルスを迎えた病院の通路は管理局員が封鎖し、一般公開フロアは警備員が増強されている。その警備員にしても武装した魔導師で固められ、指揮についているのも部隊長クラスだ。まるでどこかの次元世界のトップが来訪したかのような警備体勢に、しかしエイミィはどこか納得できるものを感じていた。初めて映像に写し出された孔に、今まで技術士官として解析してきたどの犯罪者とも違う危険な雰囲気を感じている。それは仮にも人間である犯罪者とは違った、暴走間近のロストロギアを前にした時に感じる、何もかもを消し飛ばすような恐怖に近い。

 

(でも、なんで本部がそのことを……?)

 

 ゆえに、気になるのは本部の対応である。相手をできる限り刺激しない護送といい、受入れ先の警備体制といい、まるで孔の危険性を知っているかのような命令だ。

 

(確か、聖王教会に予言のレアスキルを持ってる人がいるって聞いたけど……)

 

 未来の出来事を描き出すレアスキルの持ち主を思い出し、しかしすぐに否定する。聖王教会は仮にも外部組織だ。その手の話は担当部署が対応するはずで、つまりは現場レベルで処理される。いきなり最高評議会から命令が飛んできた理由にならない。

 

(しかも、最後のここに連れてこいって言うのは、「本部の」命令なんだよねぇ)

 

 上層部が大まかな方針を決定して、現場に近い層が細かい作戦を立てるのは、ごく自然な流れではある。だが、いきなり現場に干渉しておいて、突如態度を変えたのは不自然もいいところだ。いったい何が起こったのだろう。そんな疑問を抱くものの、一介の通信主任としては回答の導きようがない。上層部への対応は、リンディクラスでなければ情報を引き出すことすら難しいのだ。命令系統の混乱が伴う任務。オペレーターとしてはもっともやりにくい仕事だ。

 

「はあ、早く終わらないかな……」

 

「ダメですよ、勤務中にそんなこと言っちゃ」

 

 思わず正直に出て来た感想に後ろから聞きなれた声がかかる。慌てて振り返るエイミィ。そこには、後輩にあたるマリエル・アテンザが立っていた。

 

「マリー? どうしたの、こんなところで?」

 

「レティ提督の指示です。重要人物の護送にリンディ提督達が戻ってくるみたいだから、顔を見せてきなさいって」

 

 軽く笑って見せるマリエルにエイミィもようやくいつもの余裕を取り戻す。正直なところ、武装隊に囲まれてひとり受付前でクルスの帰りを待っているのは、どうにもいたたまれないものがある。

 

「そっか、助かったよ。周りがこれだし」

 

 言いながら周囲を見回して、いかに辛い状況にあったか表現するエイミィ。しかし、こちらにじっと視線を向ける2人の少女に気付いて目を止めた。年齢にして5、6歳。よく似た顔立ちは姉妹だろうか。背の高い少女は好奇心のこもった目を向け、妹らしい背が低い少女は売店のお土産「チョコポット」を手に姉の後ろに隠れながらこちらを伺っている。マリエルが手を振ると、2人の少女は駆け寄ってきた。

 

「ギンガちゃんとスバルちゃんです。クイントさん……えっと、管理局地上部隊の人ですけど、その人の娘さんで、ここで『治療』を受けているんです」

 

「ええっと、とりあえずはじめまして?」

 

 急な紹介に戸惑いながらも声をかけて見ると、2人からも元気な声で初めましての声が返って来た。続いてマリエルが簡単にエイミィをスバルとギンガに紹介する。

 

「エイミィさんは私の先輩で、いまは地球って言うところに出張に行ってるの」

 

「地球って、第97管理外世界にあるところですよね?」

 

「そうだよ? よく知ってるね?」

 

「おじいちゃんの出身なんです。綺麗なところだって……どんなところですか?」

 

「スバル、おじいちゃんじゃなくて、ごせんぞさま、でしょう」

 

 好奇心剥き出しでエイミィに迫るスバルと妹を軽く注意するギンガ。年相応の反応に思わず頬が緩む。しかしそんな微笑ましい情景を中断するように、警備に当たっていた管理局員が駆け寄ってきた。

 

「すみません、マリエル・アテンザ技術官ですか?」

 

「そ、そうですけど?」

 

 軽くIDカードを掲げる局員に突然声をかけられ、戸惑いがちに答えるマリエル。カードにはティーダ・ランスターという名と共に、首都航空隊のエンブレムが刻まれている。普段ならば警備に当たるような部隊ではない。どうやら所構わず人員を引っ張ってきたようだ。改めて異常な状況に戸惑うエイミィを置いて、その局員は続けた。

 

「センター所長が至急面会を希望したいと……治療中のナカジマ姉妹も一緒に連れてきてほしいとのことです」

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

愚者 エイミィ・リミエッタ
※本作独自設定
 次元航行船、アースラの通信主任兼執務官補佐。主にオペレーターの役割を担う。明るい性格と柔軟な思考でアースラのムードメーカー的存在で、上司にあたるクロノとは士官教導センター時代からの付き合い。端から見ると完全な友達以上恋人未満だが、エイミィ自身はどちらかというとからかいがいのある弟として扱っている節がある。

――元ネタ全書―――――
紙切れを2つ取り出した。
 ペルソナ2罰から、ルート分岐直前のイベントより。分岐前のセーブデータを残した……はいいが、2週目が発覚し、結局使わなかったのは私だけじゃないハズ。ちなみに、入手できるペルソナも違うため、ラスボスも一撃死の(でも裏ボスにはカウンターされる)「あの技」は2週目限定に。
――――――――――――


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第18話b 永遠の絆《弐》

――――――――――――

「おとまり?」

「そう。プレシアさんのところで、せっかくの休みだからって」

 つまんない、つまんない!
 ゴールデンウィークはずっとお休みだから、遊んでくれるって言ったのに!

「むー、つまんないっ!」

「そうね……ちょっと、つまらないわね」

 私が怒っていると、お母さんが頭を撫でてくれた。つまんないっていってるけど、なんだか嬉しそう。なんで?

「だって、孔がわがままなんて、初めてだから」

――――――――――――アリス/海鳴市児童保護施設



 ミッドチルダ行政特区ヴァルハラ。

 様々な先進的政策や産業を試験的に導入する目的で設けられたその街は、魔法世界を離れて数年が経つリニスにも分かるほど活気に満ちていた。

 

(前に来た時よりも、ずっと開発が進んでいますね)

 

 空港に併設されたカフェで情報端末を操作しながら近代的なビルが並ぶ町並みを見下ろすリニス。もちろん、空港といっても飛行機に乗ってきた訳ではなく、テスタロッサ邸の転送装置を利用している。装置を使えば直接目的地へ移転する事も出来るのだが、魔法世界では移転技術が進んだ現在でも次元世界を超える移動は空港施設が受け持っていた。入国管理のようなもので、その手続きを無視すれば魔力反応を追って管理局員が飛んでくる。

 

(まあ、これから行くところは「そういう人」も多いわけですけど)

 

 手の中にある画面には「先進都市の裏側」という見出しの記事が表示されていた。ヴァルハラは行政特区という性質上、経済の入れ替わりが激しい。新しい産業が導入されればその部門の先端技術を売りにした企業が乱立し求人も一気に増えるのだが、事業が失敗したり、補助を受けられる期間が過ぎたりするとあっという間に他の産業に取って代わられる。「取って代わられた産業」で活躍していた人々が「取って代わった産業」で引き続き活躍できればいいのだが、必ずしも関連産業が次の主力となるとは限らない。取り残された人々は職を失い、新たな産業は外部から人を求め、更なる人口の流入を招く。中には不法に入国してまで職を求める者もいたが、もちろん全員が職にありつけるわけではなく、結果として街は「取り残された人々」と共に失業者を大量に抱えることとなる。そうした人々の大部分は他の都市に移住するのだが、諦めきれず再起を狙う者やそもそも移住する資金がない者、その他複雑な事情で他の都市では生活できない者等がとどまり、スラム街を形成していた。

 

(そのスラムの住人の生活基盤が便利屋組合……規模が多少大きくなったことを除けば、相変わらずみたいですね)

 

 落ちぶれたとはいえ、元々は自分の技術に自信があってヴァルハラに移り住んだ人々。それが独自の技術を売り物にするため、寄り合って集団をつくるのは必然といえた。スラムという法を誤魔化しやすい環境も手伝って、格安に合法・非合法を問わずどんな依頼も引き受ける。そんな便利屋組合の需要は、決して少なくなかった。リニス自身もプレシアの研究にどうしても必要な資材を入手するために利用したことがある。

 

(もう依頼を出すことはないと思っていましたけど……)

 

 果たしてスニークが残していった情報にある男はいるのか。それはコンタクトを取ってみないと分からない。リニスは端末の画面を落とすと、混沌とした街の空気に懐かしさを感じながら空港を後にした。

 

 

 † † † †

 

 

 ヴァルハラ北部でもちょうど行政区との境界にあたる区画。スラム街から職を求めて出てきた浮浪者と、彼らに何かしらの価値を見いだして訪れる都市部の人間、そして多発する犯罪を取り締まるための管理局員が行き交う街は、まさに表社会と裏社会の狭間と呼ぶに相応しい混沌とした賑わいを見せている。そんな猥雑な都市の片隅、吹きだまりのような場所にバー「Kの穴蔵」はあった。暗い路地裏の奥、軋む鉄の扉を開けると、酒瓶に反射するランプの光が照らす店内が出迎える。

 

「君みたいなレディ(お嬢さん)がこんなところに来てはいかんな」

 

 老齢の店主の声と共に、数人の視線が突き刺さった。その視線は警戒と敵意を含んでいたが、しかしリニスは臆することなく問いかける。

 

「昔の客はもうお忘れですか、K?」

 

「おっと、テスタロッサの娘さんだったか。すまんな。このところ管理局の目が厳しいもんでね」

 

 Kと呼ばれたその店主はリニスの声を聞くとすぐに顔を上げ、営業用でない笑顔で出迎えた。表向きはスラムの住人を相手にしたバーを経営しているが、Kの本来の稼業は情報屋と便利屋への仲介約だ。アリシアの父親であるアリオンとも仲がよかったらしく、リニスの事もプレシアの「使い魔」ではなく「娘」として扱うほどには気に入っている。

 

「だが見ないうちに美人になったな。年寄りの視力じゃ誰か分からなかったよ。ついでに腕もあげたな。SSクラスぐらいかい?」

 

「ありがとうございます。こちらも色々ありましたもので」

 

 カウンターに座りながら、出てきたグラスに手を伸ばすリニス。言葉を待つKの姿が写るノンアルコールのカクテルを見つめながら、リニスはタイミングをおいて切り出した。

 

「ここの組合に参加している、ギルバという人と会いたいんですが?」

 

 目を細めるK。一瞬の沈黙をおいて、Kはどこか重い調子で問い返した。

 

「……その名をどこで聞いた?」

 

「少し面倒事に巻き込まれまして。ある筋からその人が情報を知っていると」

 

「そうか。だがレディ・リニス、俺の答えはこうだ……あの男には関わるな」

 

 グラスを見つめたまま作り出した雰囲気を無視してさらりと問いかけるリニスに、Kは直接的な警告で返した。だがリニスは表情を変えないまま続ける。

 

「あら? どうしてですか?」

 

「危険だからさ。主義とルールを持って活動するのが腕利きの便利屋だが、ヤツの流儀は『綺麗に』完遂。ターゲットどころか、目撃者も残らねぇ。そういうヤツはただの仕事バカか、何か目的があるかのどっちかだ。で、ヤツの殺気は完全に標的を持った男のそれだ。そのためなら、依頼主だって平気で殺るだろうよ」

 

「なるほど……裏側の事件や公表出来ない生物を処理するにはうってつけの人ですね」

 

「そこまで分かってるんなら、なぜ手を退かない?」

 

「退けない事情があるもので」

 

 リニスの視線とKの視線が交差する。体感にして数分の沈黙。意志を読みあう時間の後、先に目を反らしたのはKの方だった。

 

「まったく、アリオンの絡む女にはかなわんな」

 

 ため息をつくと、Kはギルバという男について教えてくれた。数年前から便利屋組合に出入りしている大男で、売りは高度な戦闘技術。受けた依頼は合法・非合法を問わず「完遂」するため、要人警護や暗殺が必要となる「その筋」の人間からは人気が高い。バックボーンは一切不明であり、何故この都市に来たのかも分からないが、暴走した魔法生物の処理を優先して引き受ける傾向にある。

 

「今はちょっと前にあがった依頼で出てる。依頼の中身までは言えないが、大体の察しはついてるんだろう?」

 

「ええ……悪魔ですね?」

 

「そいつには肯定も否定も出来ないが、妙な化け物を見たっていう『噂話』ならしてもいい。この辺じゃそれほど流行っていないがな」

 

 Kが語ったのはヴァルハラからはやや離れた都市・グラナガンで流れているという「噂」だった。郊外にできたニュータウンで化け物が徘徊しているというもので、それも1、2人ではなく複数の証言がある。中には一緒にいた相手が化け物に喰われたという者もいた。実際に凄惨な死体も上がっており、ニュースにも流れたという。

 

「まあ、報道じゃ放逐された魔法生物ってことになってるがな。ウチにもその魔法生物退治の依頼が上がってる。政府も目撃場所が一か所に固まってるんで、ただの怪談に出来なかったんだろう」

 

「その場所とは?」

 

「先端技術医療センター……お前の父、アリオンが死んだ人造生命体研究所の上に出来たアレだ」

 

 

 † † † †

 

 

 その先端技術医療センターでは、孔は与えられた部屋からじっと廊下を眺めていた。もっとも、部屋といっても扉は鉄格子になっており、どちらかというと牢屋に近い。

 

「まさに実験動物といった扱いだな」

 

「冷静に言わないでよ」

 

 クルスの苛立たしげな声が響く。苦笑で返す孔。急にアースラの転送ポートに立たされたかと思うと医療施設に移され、出迎えた所長が謝りながら案内したのがこの地下にある病棟だった。窓がなく、強力な術式で固められた壁と高圧の電流が走る鉄格子を並べたその病棟は、治療というよりも隔離を目的としているようにも見える。

 

(しかし、俺だけならまだしも、クルスさんまで一緒とは……)

 

 一緒に放り込まれたクルスに目を向ける孔。色々と怪しいところがある自分と違って、クルスは立派な管理局員だ。ホテルを手配するなり、部隊の寄宿舎に帰すなり、他に適切な場所はいくらでもある。仮に監視役だとしても、同じ鉄格子の中に入れる理由がない。どう考えてもおかしい扱いに首をひねっていると、後ろからクルスの声が聞こえた。

 

「とにかく、ここから出て抗議しに行こう」

 

「いいのか? 大人しくしておけという遠まわしの命令とも取れるが?」

 

「一時的ならともかく、こんなところに何時間も閉じ込められたら、流石にパワーハラスメントで訴える権利と義務があるよ」

 

 クルスも相当ストレスがたまっているらしくついに立ち上がる。が、それと同時に鉄格子の鍵が外れる音が響いた。

 

「時間だ。出てもらおう」

 

 同時にこの施設の係員が顔を出す。クルスは間髪入れずに問いかけた。

 

「その前に、こういう場所に入れた理由をお聞かせ願いますか?」

 

「答えられない。出てもらおう」

 

 が、返答は拒絶と繰り返しだった。機械のように生気のない言い方に眉をひそめるクルス。その困惑した様子に孔が抱いたのは危機感だった。係員のまるで意思が感じられない表情と動作は、まるであの時、アリサ・ローウェルを襲った悪魔の傀儡と化した死体のそれだったからだ。

 

《My Dear, そいつは悪魔よ》

 

「っ! クルスッ!」

 

 アースラに連行される直前、ゲート・オブ・バビロンに隠しておいたI4Uがその直感を肯定する。クルスを押し退けて飛びかかる孔。抜いた剣は容赦なく係員の格好をした悪魔の心臓を貫いた。

 

「コウッ!? 何を……っ!」

 

 叫ぶクルス。が、貫かれた係員が全く血を流さず、泥のように溶けて崩れたことでその悲鳴は止まる。残った残骸からは腐った肉のような臭いがした。

 

「悪魔……っ!」

 

「ああ、反応があった」

 

 デバイスをレアスキルの宝物庫から取出す孔。クルスの「はあ、便利なレアスキルだね」というため息混じりの声を聞きながら、死体を観察する。その消滅と残骸はかつて見たゾンビと何も変わらない。という事は、この施設にも悪魔を操る存在がいるという事だ。孔は廊下へと踏み出しながら問いかける。

 

「クルス、この施設に何か心当りは?」

 

「いや。前に一度、見学で来たことはあるけど、ほとんど立入禁止だったから。せいぜい医療技術関連の研究をやっているぐらいとしか……」

 

 後ろからデバイスをセットアップしたクルスが続く。そうかと短く答えながら、孔はI4Uに目を向ける。指示を出すその前に、愛機はサーチを終えていた。

 

《悪魔の反応は広範囲におよそ200……でも、強い反応はないわね。少なくともこのフロアにいるのはさっきのゾンビくらいでしょう。代わりに人間の反応があるわ。地下病棟に閉じ込められているみたいね》

 

「コウ、その人達の救助に向かおう。どういう理由で隔離されたのか知らないけど、悪魔の犠牲者にするわけにはいかない」

 

 それを聞いたクルスが声をあげる。人命救助を第一に考えるのは、末端とはいえ管理局の一員だからだろうか。クルスの提案にうなずくと、孔は日の当たらない以上に冷たい空気が支配する地下を進み始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ア、アンタら、管理局員かっ! た、助けてくれ! 改造手術なんて嫌だっ!」

 

 I4Uが告げた先には、電流が流れる鉄檻越しに怯えた声を上げる男がいた。身に着けているのは魔力から見てバリアジャケットだろうか。ただ、クルスのような管理局の制服を模したものではなく、緑色のペイントが入った灰色の防護服のような形状をしている。

 

「落ち着いて下さい。今助けますから……」

 

 混乱している様子の男性に声をかけながら、チラリと孔へ視線を送るクルス。孔はそれにうなずくと、鉄錠に剣を降り下ろした。電流をものともせず扉を易々と切り裂く刃。その異常な力に驚きながらも、男性は廊下に出て息をつく。

 

「た、助かった……」

 

「いったい何があったんですか?」

 

 落ち着かせるように問いかけるクルスを横目に、孔は男を観察していた。腰に提げたボウガンはデバイスだろうか。普通ならば没収されてしかるべきのものだ。他にも、うっすらと魔力を纏った指輪を所持している。

 

《あれはIDカードのようなものね。情報をこっそり読み取れるけど、どうする? My Dear?》

 

(頼む)

 

 念話で思考に割って入るI4Uに指示を送る孔。それによると、男性はハーリーQという名で、管理局外の魔導師をやっているらしい。ミッドチルダの経済に詳しくない孔はそうした魔導師にどういう需要があるのかは分からないが、フリーの傭兵のようなものだろうか。

 

「光だ、光だよっ! 仲間とヴァルハラの依頼にあった魔法生物追いかけてたら、センターにツボミみたいなのがあってよ……そっから、光が飛んできたんだ! そしたら、あの場所にいた全員、化物みたいな格好になっちまって……っ!」

 

 そのハーリーQは未だ混乱しているのか、クルスの問いかけに断片的で要領を得ない回答を続けていた。が、それは途中で途絶え、代わりにガチガチと歯を鳴らして震え始める。

 

「来るな、ち、近づくな……喰うな、喰わないで……く、喰わないで、くれ」

 

「どうしたんです? 何を言って……?」

 

 尋常ではない様子に問いかけるクルス。孔はハーリーQの怯えた視線を追って振り返る。そこには、ハーリーQと同じ格好をした男女がいた。先ほど口にした仲間だろうか。しかし、

 

「く、喰うなぁ!」

 

 ハーリーQは悲鳴をあげてボウガンを構えた。止める間もなくトリガーが引かれる。放たれた矢は同じ緑のペイントを持つバリアジャケットの上から2人を貫き、爆発を起こした。悲鳴をあげるクルス。

 

「な、何をやって……!」

 

「だって、アイツら喰ったじゃねぇか!」

 

 だが既に恐慌状態に陥っているハーリーQは、ボウガンを乱射しながら叫び続ける。

 

「どいつもこいつも、化けもんみたいな姿になってよ……敵も味方もわからねぇ乱戦で、負けたやつらてんでに素手で引き裂いて、それで……っ!」

 

 流れ矢を躱しながら何とか取り押さえようとするクルスを、しかし孔は手で制した。怪訝な顔を向けるクルスに廊下の奥を指し示す。その先には爆発の奥で動く人型の影。孔は軽く砲撃を放って煙を払う。そこには全身に矢が突き刺さったままの男女が――否、男女の死体が立っていた。それは痙攣するように全身を震わせながら別の何かへと変わっていく。バリアジャケットは生気のない崩れかかった皮膚と一体化し、死者の色を演出する。眼球は抜け落ち、筋肉が萎縮して、

 

「人が、悪魔にっ!?」

 

「ひ、ひぃぃい!」

 

 目を見開くクルスに悲鳴をあげて逃げ出すハーリーQ。孔は迫る悪魔に宝剣を撃ち込んで迎撃する。大した手応えもなく吹き飛ぶ悪魔。断末魔の後には、先ほど屠ったグールと同じように崩れ消えていく肉片が残った。

 

「コウ、今のは?」

 

「悪魔、だろうな。人間に擬態したか、とりついたか。あるいは……さっき言っていた改造手術か」

 

 ハーリーQの去っていった廊下を見つめる孔。クルスはそんな孔と闇に包まれた廊下へ交互に視線を送っていたが、やがて静かに問いかけた。

 

「そんな技術が本当にあると思う?」

 

「……人間の死体を改造して作られたゾンビなら見たことがある」

 

 孔はハーリーQが逃げた後を追って破壊された蛍光灯が照らす廊下へ踏み出した。後ろから続くクルス。会話はない。それは単純に周囲の警戒に集中するという理由もあったが、雰囲気の変化も大きかった。果たして本当に人を悪魔にする「改造手術」がこの先端技術医療センターで研究されていたかは分からないが、事実として悪魔と化した人間がいたのだ。クルスからいつもの柔らかい表情は消え、張りつめた殺気を見せている。無論、それは孔も変わらない。だが、単純な憤り以上に引っ掛かるものがあった。

 

(まさか、サイファー博士が言った技術は……!)

 

 ガイア教の寺院を訪れた時に言われた「技術を加えられた」という言葉。それは何度も自分に向けられた悪魔でも見るような視線と結びつき、次第に仮定を形作っていった。悪魔を召喚ではなく、人そのものを悪魔に変える技術。もしそれが悪魔の力を利用し、力を得るために使われていたとしたら。もしその被験者が自分だったとしたら。そしてもし、シェルターの顔のないスフィンクスや赤い回廊の奥で戦った悪魔に力が効かなかったのが、同種の悪魔の力を振るっているせいだったとしたら。

 

――く、くるなぁ!

 

 しかし、そんな仮定を否定する前に、悲鳴が響く。

 顔を見合わせる孔とクルス。

 視線の交差は一瞬。

 走り出す2人。

 次第に濃くなる血の臭いを抜けた先には、へたりこむハーリーQ、そして、

 

「おぉぉ……ぉ……ぁ……!」

 

 おびただしい量の死体を背にした魔導師がいた。やはりハーリーQと同じ格好をしている。だが様子がおかしい。ハーリーQに近づこうとするその歩みははっきりとしたものではなく、まるで弛緩する体に任せるようにぎこちない。それは先ほどのゾンビと同じで、

 

「ぁぁ……ぁぁあああいhyぐえwjfvj!」

 

 魔導師は急に背をのけぞらせると絶叫を上げた。人外の言葉と共に開放される魔力。それは強力な魔力光となって広がり、徐々に体を侵食して行く。肉体はその異常な魔力に蝕まれた先から急速に膨れ上がり、やがて完全に姿を変えた。

 

「#$y5$あぁァァアア!」

 

 光が収まって上げた咆哮は、悪魔のそれ。巨大な鶏、という形容が当てはまるだろうか。だが蛇の様な尻尾と胴体のせいで竜のようなシルエットとなっている。

 

「ひぃぃいい!」

 

 悲鳴をあげるハーリーQ。恐怖で孔達にも気づいていないのだろう、振り返る事なく震える膝を必死に動かして廊下の奥へと逃げていく。が、途中で壁にある端末へボウガンを撃ちこんだ。隔壁が降りる。

 

「逃げるためなら、目についたものはなんでも利用する、か」

 

「冷静に言わないでよ」

 

 苦い顔をする孔を横目に、クルスは人間だった悪魔にデバイスを構える。そこに戸惑いはない。孔は表情を険しくして問いかけた。

 

「クルス、あの人は……」

 

「分かってるよ。でも、これ以上被害を広げるわけにもいかない。もう彼は、悪魔なんだ」

 

 クルスは感情を抑えた声で答える。一瞬悪魔から外れた視線は部屋の奥に見える食い散らかされたような死体に向けられた。対策を探す時間がない以上、多くの犠牲を防ぐために悪魔と化した一部の被害者を切り捨てる。管理局員としては必要な判断なのだろう。孔もそれは正しいものと納得できるし、判断を下すのに相当な痛みを伴うことも理解できた。だが、技術を加えられた挙句化け物となった魔導師に、どうしても自分の姿が重なってしまう。

 

(せめて他に救助の手段があれば、こんな戸惑いもないだろうに)

 

 殺すしかない。この処刑執行にも似た判断は、いつか自分にも向けられるのだろうか。そんな感傷を振り払うように宝剣を構え、

 

「コウは、手を出さないで」

 

 しかし、遮るように前に出るクルスに止められた。それは民間人である孔が人間へ手をかけるのを防ごうという意思か、それとも自らが切り捨てた醜い悪魔と化した人間を救おうとする選択肢を抱える事ができる孔への羨望か。どこか複雑な笑みを残して、まるで孔が汚れるのを防ぐように、クルスは悪魔へと跳んだ。

 

「%#hdyえおhv!」

 

 巨体を誇る悪魔の頭部の真上から、引き抜いた魔力の剣が抜刀の勢いと共に襲いかかる。咆哮をあげる悪魔。肉を叩く鈍い音が響く。だが、悪魔は剣を羽で受け止めていた。刃は通っていない。羽毛と鱗で守られた巨体は剣の一撃をものともせず、そのまま押し返すようにクルスを弾きとばす。

 

「っ! クルス!」

 

 空中で受け止める孔。その勢いのまま巨鳥の頭を踏みつける。同時、右腕を触れた。

 

――幻想殺し〈イマジンブレーカー〉

 

「&%hくぃv……?」

 

(だめか……!)

 

 とっさに使った異能は、しかし悪魔と化した人間を元に戻すには至らない。おそらく、魔術や魔法を使った変身ではなく、直接遺伝子レベルで細胞組織を改造しているのだろう。舌打ちしつつ砲撃を撃ち込む。それは悪魔を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。

 

「助かったよ……でも、手は出さないでって」

 

「それは終わってから言ってくれ」

 

 感謝とも文句ともつかないクルスの言葉を遮って、孔は今度こそ剣を構える。だがクルスはそれを再び止めた。

 

「ダメだよ。どんな理由をつけても、十字架は背負ってからじゃ軽くならないんだから」

 

「クルス、ついさっき、俺もグールになったハーリーQの仲間を吹き飛ばしたばかりだ」

 

「なら、なおさら一般の人には手を挙げないようにしないとね」

 

「っ! 強情だな……」

 

「メシア教徒はそんなものだよ」

 

 言葉を失う孔に背を向けると、クルスはよろめきながら立ち上がる悪魔に再び剣を向ける。先ほどの魔力刃と違い、その剣は冷気を纏っていた。

 

「塵は塵に、灰は灰にっ!」

 

 クルスは声と共に飛び上がる。

 

 大きく羽を広げる悪魔。同時に鋭い風がクルスを襲った。

 

――パワーウェイブ

 

 それを盾で受け止めるクルス。しかし跳躍の勢いは失わない。流すように風の刃を盾で反らし一瞬で悪魔の真上にたどり着いたクルスは、いまだ風を放つため翼を振りぬいた体勢のままの悪魔に向かって急降下、後頭部へ剣を叩き落とした。

 

――氷結刃

 

 砕かれる後頭部。そこから氷に覆われていく悪魔。着地と同時、クルスはそれを振り返る。

 

「人を外れたこの者にも、死の安らぎは訪れますよう……!」

 

 粉々に砕け散る氷像と化した悪魔を前に、涙が頬を伝う。だが、すぐにそれを拭うと孔に向き直って問いかけた。

 

「じゃあ、あの人を追いかけようか」

 

 無理をしているのだろう。いつもと変わらない声は、むしろ痛々しく見えた。孔はそれを受け止めながら、しかしクルスの感情に触れることはなく、ハーリーQにより閉ざされてしまった隔壁へと踏み出す。

 

「分かった……少し、離れていてくれ」

 

《Blaze Cannon Ver. Magma Axis》

 

 魔力を収束させて放った砲撃は、かつての悪魔の頭のように、軽々と隔壁を吹き飛ばした。

 

 

 † † † †

 

 

 隔壁の先にあったのは、転送ポート。有事の際の脱出手段として設計されたためか、それとも侵入ルートを制限して非道な実験を隠ぺいするためか、記録されている転送先は「第三研究棟」一か所のみだ。

 

「じゃあ、転送を始めるよ?」

 

「ああ、頼む」

 

 装置に魔力を流し込むクルス。何が襲ってきてもいいように構える孔。2人を乗せた転送ポートは魔力光に包まれ、数秒の後には目的地――無人の倉庫のようなところに転送された。周囲に悪魔の気配は、ない。ただ床を汚す血だまりが、未だ解決しない異常を告げている。

 

「こんなところまで出てくるなんて……」

 

「隔壁が開いていたからな。悪魔もマグネタイトを求めて地上に出てきたんだろう」

 

 ため息をつくクルスに答えながら、孔はI4Uを操作してサーチをかけた。I4Uはすぐに異常反応を告げる。

 

《この先の研究施設で高い霊的磁場を確認。ハーリーQもそこに逃げ込んだみたいよ?》

 

「確かに研究施設にはガードシステムと緊急用の通信設備があるけど……」

 

 眉をひそめるクルス。あれだけ怯えて逃げた先が悪魔の巣窟とは、なんという皮肉だろうか。孔は悪化する事態に焦りを感じながらも、努めて冷静にサーチ結果を読み解く。

 

「他に悪魔は……別棟か。ここからじゃ、ハーリーQが逃げ込んだ施設とちょうど反対側だな」

 

《魔力反応からすると、そっちは管理局が応戦中みたいね。この辺の一般施設も管理局が制圧したと見るのが妥当でしょう。ミッドチルダ式の術式に特有の魔力残渣があるわ。ただ、さっき伝えたとおり研究施設にも反応があるから、うまくやり過ごした悪魔もいる、という事でしょう……あら?》

 

「どうした?」

 

《ちょっと待ってね。みょうちきりんな反応をキャッチしたの……何か、悪魔と人、両方の反応が一緒になった様な……ハーリーQが逃げ込んだ研究施設に真っ直ぐ進んでるわ》

 

「悪魔に変化しかけの人間ってとこか。コウ、どうする?」

 

「研究施設に向かおう。ハーリーQもそこに向かったみたいだし、逃れた悪魔が管理局を背後から攻撃しようとしていたら危険だ。そこがこの事件と関係する研究を行っていたところなら、治療法のヒントも手に入るかもしれない」

 

 口に出してはみたものの、それは期待できない希望であることは孔も分かっていた。クルスも都合のいい未来など考えてはいないだろう。だが、それを否定する言葉を口に出したりすることはなく倉庫の外へと踏み出す。不気味なほど静まり返った廊下は、しかし悪魔の妨害を受けることなく、目指す研究施設へはすぐにたどり着いた。

 

「この施設は……私の権限でも入れる――開けるよ?」

 

 孔がうなずくと、クルスは自分のIDカードを掲げる。同時にロックが外れる音がした。銃を構えて突入する孔。出迎えたのは、実験室をガラス越しに見下ろすコントロールルーム。実験室といっても高さ数十メートルはあろうか。強力な魔力隔壁により囲まれたそこには、巨大な「つぼみ」のような装置があった。

 

「っ! さっき、ハーリーが言っていた……!」

 

「ああ。人を悪魔に変えた装置だろうな」

 

 ぴったりと閉じた灰色の花びらに、まるで生きた触手のように蠢くコード。ところどころから漏れる光は、どこか生命力のようなものを感じさせる。そしてその奇妙な物体がつながる先には、

 

「む? お前達は改造手術をすませたのか?」

 

 白衣の男がいた。背後には青いバトルスーツに身を包んだ2人の少女を携えている。そしてそんな3人の手前には、震える手でボウガンを構えるハーリーQ。その矢先は少女と白衣の男に向けられていたが、怯えた視線は孔たちを捉えていた。

 

「あ、あんた等……! ま、まさかっ!」

 

「ちょっと待ってください! 私たちはこの装置を止めに来たんですっ!」

 

 変に勘違いした様子のハーリーQに叫ぶクルス。だが、その否定の言葉に反応したのは白衣の男の方だった。

 

「そうか……お前達は、まだ私の言う事を聞かぬ邪悪な人間なのだな。ならば、デク人形に改造してやるっ!」

 

 そう叫ぶと同時、研究施設に赤いランプがともる。警報と共に研究施設の奥の扉が開き、

 

「さあ、ガイアの徒が創りだした機械の軍勢よ! この者たちを我らが贄とするのだ!」

 

 入ってきたのは大量のマシーン兵器。

 

「なっ!?」

 

 声を上げたのは、孔。悪魔が出てくるという予想が裏切られたためではない。まるで対悪魔銃・ダビデスリングを手にした時のように、知らないはずのそのマシーン兵器の名前が頭に浮かんだからだ。

 

(T-95CP(95式機動歩兵C型)……!)

 

 だが、戸惑いは一瞬、すぐに砲撃を放ちながら駆けだす。数十メートル先にいるハーリーQの肩をつかみ、背後に放り投げながら広域シールドを展開。同時、膨大な量の銃弾が降り注いだ。

 

「コウッ!?」

 

 クルスが叫ぶ。それは単純に攻撃を受け続ける孔への心配からか、それとも相手を知っているような反応への不審だったか。だがそれを気にしている余裕はない。

 

(クルスッ! あの白衣の男の手元だ! ガードシステムを狙え!)

 

「っ! ス、スティンガースナイプ!」

《》

 

 孔の念話に反応し、クルスは誘導弾を真上に放った。術者の意図を反映して軌道を変えるその弾丸は、天井すれすれで向きを変え、孔へ銃弾を浴びせ続けるマシンを飛び越える。

 

「ぬっ!」

 

 そして、白衣の男の端末を弾き飛ばした。止まる銃撃。

 

「う、うわぁぁぁあああ!」

 

 同時、マシンの群れにボウガンが乱射される。ハーリーQだ。狙いは定まっていなかったが、しかしそれは大群の中で魔力爆発を起こす。吹き飛んだマシンの後ろには、

 

「ふ、ふははは! そうか! 貴様、このガードシステムを知っているか! そして、その呪われた身体……! お前こそが我が分霊かっ!」

 

 嗤い続ける、白衣の男がいた。剣を構えながら、感情を抑えた声で問いかける孔。

 

「……どういう意味だ」

 

「未だ思い出さぬか! 貴様は我と同じ引き裂かれた魂のひとつ! 悪魔に貶められた時から有限に閉じ込められ! 輪廻に囚われた存在! 故に、我々はひとつに戻らねばならぬ!」

 

 そう叫ぶと同時、白衣の男は実験室のガラスを突き破り、つぼみのある実験室へと飛び降りた。追いかけようとする孔。だが、それを阻むように声が響く。

 

「哀れな人形に閉じ込められた我が分霊よ! すぐに解放してやろう!」

 

 呼応するように崩れる天井。落ちてきたのは、巨大な鎧。しかし、先ほどのマシンと違い、記憶を揺さぶられるような感覚はない。代わりに、背後でクルスが叫んだ。

 

「砲撃兵っ!? なんでこんな!」

 

「クルスッ! 砲撃兵とは!?」

 

「傀儡兵シリーズっていう、魔力で動くガードロボットだよ! 砲撃兵は中でも大型のタイプだけど……!」

 

《ちょっと待って、アレはただの魔導兵器じゃないわよ……中に、ジュエルシードが埋め込まれているわ!》

 

 しかし、クルスの解説にI4Uが割り込む。目を見開く2人。その隙を見計らったように、砲撃兵から巨大な魔力が膨れ上がる。次いで打ち出される砲撃。孔は慌ててシールドを展開した。

 

 視界が、青一色で染まる。

 

 ロストロギアの生み出す魔力の奔流に、見る間にシールドが削られていく。

 

「コウッ!」

「お、おお、俺は降りるぜっ!」

 

 そんな孔を見て、盾を構えながら駆け寄ってくるクルスと、逃げ出すハーリーQ。孔はそんな2人を背後に見つめながら、

 

――幻想殺し〈イマジンブレーカー〉

 

 右腕で魔力を霧散させた。目を見開いたのは、しかし孔だった。

 こちらを見向きもせず出口に殺到するハーリーQの前に、いつの間にかバトルスーツの少女が回り込んでいる。

 

「のけっ! ガキ!」

 

 押しのけようとするハーリーQ。だが、

 

「サンプルの逃走を確認」「確保開始」

 

 少女2人は機械のように抑揚のない声を出すと、ハーリーQを文字通り殴り飛ばした。まるで濡れ雑巾のようにまっすぐ壁に叩きつけられるハーリーQ。

 

「あがぁ!」

 

 空気と共に嗚咽を吐き出し、沈黙。慌てて駆け寄ろうとする孔。しかし、そこへ背後の砲撃兵が動いた。魔力は不利と学習したのか、巨大な腕を振り上げる。

 

「クルスッ!」「分かってるよ!」

 

 ハーリーQをクルスに任せ、剣を抜く孔。しかし、

 

「そ……うか、いっこだけ……分かったことが、あるぜ……」

 

 その「異変」に気づいた。

 

「ハーリー?」

 

 クルスも足を止める。だが、ハーリーQはそれに答える様子は無く、幽鬼のように立ち上がる。膨張する魔力。それは左手の甲に刻まれた、燃える鉄杭の形をした痣から魔力光となって漏れ出ていく。肌を這うように広がるその光は、悪魔に怯え続けていたはずの男を侵食し、

 

「喰われる前にっ! 喰っちまえばいいんだよなっ!」

 

 神話上の存在へと変えた。

 

 馬頭をもつ悪魔と化したハーリーQは、勢いのまま巨大な傀儡兵に殺到する。砲撃兵は再び魔力を膨れ上がらせ、

 

「おおぉぉおおお!」

 

――アギダイン

 

 しかし、それを解き放つ前に、馬頭の悪魔が放った炎に焼き尽くされる。熱に耐え切れず崩れ落ちる鎧。露出する青いコアは、その魔力と感応し、

 

「ちっ!」

 

 孔は慌てて封印術式を展開した。

 

《Sealing Jewel Seed, No ……XXI》

 

「なんだとっ!」

 

 だが、告げられたジュエルシードのシリアルナンバーに目を見開いた。ナンバーⅩⅩⅠ。それは、あの槙原動物病院を破壊した、初めて封印したジュエルシードだ。プレシアを通じて管理局に渡したジュエルシードがなぜここに? しかし、浮かんだ疑問への回答を考える間もなく、

 

「おおぉぉおおお!」

 

 飢えた獣のような咆哮が響いた。「正常な反応」をする魔導師だったハーリーQが、悪魔と化して少女2人に殺到する。止める間もなく紙切れのように吹き飛ばされる2人。先ほどのハーリーQと同じように壁に叩きつけられる。焼けただれたバリアジャケットからは、

 

「っ! 機械……! いや、あれは……!」

 

 むき出しとなった配線が覗いた。否、それだけではない。胸にあたる場所には、青い宝石が埋め込まれている。ジュエルシードだ。

 

「あ、え……? う、わ、あついあついあついあついあついあついあつい!」

 

 衝撃で感情を抑えきれなくなったのか、炎に焼かれながら転がりまわる少女。だが、ハーリーQは止まらない。慌てて少女2人を庇うように立ちはだかる孔。抜いたままの剣を構える。斬らなければならない。だが孔が見せたのは、一瞬の戸惑いだった。

 

「コウッ!」

 

 後ろからクルスの声が響く。氷剣を振りかぶっているのが気配で分かった。しかし遠い。すさまじいスピードで距離を詰めるハーリーQは、

 

「おぉぉ……ぉ……ぁ?」

 

 孔にぶつかる前に止まった。その悪魔の目にはうっすらと理性が見える。うろたえたように後ずさりするハーリーQ。膨張した魔力は次第に弱まりをみせ、

 

 そして、真っ二つになった。

 

 目を見開く孔。

 

 自らの炎に焼かれながら崩れ落ちるハーリーQの向こうには、

 

「You can't handle it.(貴様には過ぎた力だ)」

 

 包帯で顔を隠し、ダークグリーンのスーツに身を包んだ男が立っていた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

邪龍 コカトライス
 ヨーロッパの伝説上の怪物。コカドリーユ、コカトリスとも。紀元一世紀、ローマの大プリニウスが著した『博物誌』にバジリクスの名で記述がみられる。鶏と蛇を合わせた姿で描かれ、黄身のない雄鶏の卵を蛇またはヒキガエルが温めることで生まれるとされる。毒の息を吐き、触れた者や睨んだ者を石化させる能力を持つという。

幻魔 ハヤグリーヴァ
 「馬の頭」を意味する名を持つ、インド神話に登場するアスラ族。聖仙カシュヤパとダヌの間に生まれる。ブラフマーからヴェータを盗み出すもヴィシュヌにより倒されたとされるが、その一方でヴェータを盗み出したのは別のアスラ族のダイティヤであり、ハヤグリーヴァはそれを取り返すためにヴィシュヌがとった化身という説も存在する。のちに大乗仏教に取り入れられて六観音の一尊、馬頭観音菩薩となる。

愚者 ハーリーQ
※本作独自設定
 ヴァルハラを根城とする魔導師グループ「アサインメンツ」のリーダー。グループ名は「任務」を意味し、そのグループカラーである緑色のペイントが入ったバリアジャケットを纏う。ヴァルハラの便利屋組合では第5位の勢力。射撃を得意としており、デバイスもボウガン型。

阿修羅 ハヤグリーヴァ(AS ハーリーQ)
※本作独自設定
 ハヤグリーヴァの力を得て悪魔と化したハーリーQ。高熱の炎と頭部の鋭いブレードのような角を武器に、恐怖から逃れるように目の前の悪魔を喰らおうとする。

――元ネタ全書―――――

「だって、だってアイツら喰ったじゃねぇか!」
 DDSATより、ハーリーQ。ファーストダンジョンのボスのくせに、悪魔に変身する力を見せた主人公からびびりまくって逃げまどうというインパクト抜群の登場を見せたため、記憶に残った方も多いのでは?

コカトライス
 やはりDDSATより。ファーストダンジョンでハーリーQの前哨戦として戦うことになります。異様にでかくなったグラフィックにビビったのは私だけじゃないハズ。

――――――――――――


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第18話c 永遠の絆《参》

――――――――――――

「はい、晩ごはんよ?」

 目ノ前二差シ出サレタどっぐふーど二困ル。普段カラ主ヨリまぐねたいとヲ受ケ取ッテイル我ラニ食性ハ必要ナイ。マシテ、誇リ高キ我ラ一族二人間ノぺっとふーどナドト……

「ごめんなさいね、孔が出かけてるから……」

 ヌウ、シカシ、母ニソノヨウナ目ヲサレルト……

「あら? あなたはマヤさんの……」

 ヌ? 弟ヨ、ドウシタノダ?
 オ前ハ主ノ命言デ、アノ人間達ニツイテ行ッタノデハナカッタカ?

「厄介ナ相手二出会ッタノデナ、一旦、伝エヨウト戻ッタノダガ……兄者ヨ、主ハマダ戻ラヌノカ?」

 言イナガラ、我ノどっぐふーどヘ駆ケ寄ル。誇リハドコニイッタノダ、弟ヨ?

「ナカナカ、母ノ味モウマイデハナイカ。兄者ハ喰ワヌノカ、ナラバ……」

 我ハソノ不届キナ前足ヲ、払イノケタ。

――――――――――――パスカル/海鳴市児童保護施設



「では、次はN2地区に向かいます。私は西寄りのルートを進みますから、ギルバさんは東側から向かってもらえますか?」

 

「いいだろう」

 

 時は僅かにさかのぼる。その包帯の男――ギルバは、別棟に向かう管理局員を見送っていた。既にこの地区を荒らしていた「魔法生物」は駆逐に成功し、廊下には影のように崩れ消えていく悪魔の残骸だけが残っている。

 

「Scum!(クズが……!)」

 

 それに向かってはき捨てると、ギルバは先ほどの管理局員、クイント・ナカジマが走って行った廊下とは逆方向に歩き出した。だが、指定された別棟へは向かわず、奥にあるエレベーターに乗り込む。そして、階層を指定するボタンを押す代わりに、ハーリーQが身に着けていたのと同種の指輪をかざした。

 

《認証……完了》

 

 そんな電子音とともに体に重力がかかった。しかし、そのベクトルは上下ではなく前後から。車が急に動き出したときと同じ感覚からして、建物の奥に移動しているのだろう。通常ではありえない動きに、しかしギルバは動じない。ただ静かに姿勢を保っている。やがてエレベーターが止まると、刀を引き寄せるように持ち直してエレベーターから降りる。そこには先端技術センターの簡素で機能的な内装とは程遠い、寺院のように重厚な装飾を持つ回廊が待ち構えていた。建物を支えるというより飾りとしての意味合いが強い柱、そこに浮かぶ紫の明かり。奥には巨大な扉が見える。両側にはそれを守るように白い聖依を身につけ、背丈より長い槍を携えた人物がいた。

 

「魔人すぱーだノ子ヨ、参堂スルカ?」

 

 否、本当に人間だろうか。機械のように無機質な声で問いかけてくる。しかしギルバはやはり動じることなく、白い衛兵に無言でうなずく。同時、静かに扉が開いた。その先には、巨大なリフト。配線がむき出しの操作盤が備えつけられている。操作盤の中央にあるくぼみに指輪をはめ込むギルバ。同時、機械音と共にリフトは回廊を進み始めた。

 数分後、リフトがたどり着いたのは、異様な魔力が支配する空間だった。強いて言うならば礼拝堂に近いだろうか。真っ直ぐに延びる道を除いて足場はなく、代わりに奈落のような穴が広がる。天井は高く闇に呑まれて見えない。

 

「……何の用だ、聴聞機」

 

 そんな空間の中央、はるか天上から伸びる巨大な円筒形の装置に向かって問いかけるギルバ。半径にして数十メートルほどだろうか。無数のコードをぶら下げ、微細な彫刻が並んでいる。だが何よりも目につくのは、外装に埋め込まれた6対の真っ白な女性だろう。まるで死体のように力なくぶら下がっていたそれは、しかしギルバの言葉を聴くと身を起こし、まるで海洋生物のように白い手を暗闇に泳がせる。その手には相当な魔力がこもっているらしく、指先から漏れ出る魔力光が軌跡となって空中に奇妙な図形を描き出した。しかし、

 

《ソノ要求ニ応ジルコトハデキナイ。我々ハ提示スル案件ヲモッテイナイ》

 

 女性が答えたのは、無回答という返事だった。ギルバの目に力がこもる。刀に手をかけ、

 

「呼んだのは私だっ!」

 

 しかし、轟音を立てて降り注いだ魔力に、その動きを止めた。電流のように装置を伝うその魔力は、白い女性の体を弛緩させながら装置の中で収束、地に向かって伸びる配管の先で形を成し始める。無数の十字架が円形に並び、さながら車輪のように浮かび上がる。その中心には目玉のようなモノが蠢き、

 

「私は魔神バ$+。お前達がはるか天上に仰ぎ見るもの……」

 

 ソレは話し始めた。

 

「時間がない。手短に用件を伝える。すべて我らの正式な依頼と心得よ」

 

 一方的な物言いが気に入らなかったのか、刀に手をかけたままその言葉を聴くギルバ。だがその殺気が伝わっているのかいないのか、調子を変えることなく声は続く。

 

「ほどなく、邪神により創られたこの世界は唯一神の命を受けた天使達の手によって終末を迎えるだろう。だが終末の世界に救世のメシアは現れる……大天使が送り込んだあのメシアは、悪魔が跋扈する世界を駆け、約束の地で神と相まみえよう。我々はその時までにメシアの魂を――」

 

「That's none of my concern.(そんな事はどうでもいい)」

 

 しかし、ギルバはそれを吐き捨てるような言葉で遮った。

 

「エサをおびき寄せた報酬は、お前達の言う『悪魔の力』の情報だったはずだ」

 

「……力を求める者よ。見るがいい」

 

 沈黙は一瞬。声が告げると、闇に覆われた天井に映像が浮かび上がった。そこには、地下へ向かうギルバと同じヴァルハラの便利屋組合に所属する魔導士チーム、アサインメンツが映し出されている。管理局員がいないところを見ると、おそらく別口で依頼を受けたのだろう。「魔法生物」を追って、螺旋階段を慎重に降りるハーリーQ。だが階段を下りた先にそんなものはおらず、代わりに巨大なつぼみが鎮座している。不気味な鼓動を繰り返す不明物質に不審な目を向けるアサインメンツ一行。だがそこに、先ほどギルバの目前に降り注いだのと同じ魔力の雷が走った。瞬間、ツボミからはじけるように光の線が伸びる。その「光」はまるで意思を持つように曲がりくねり、

 

――あ、あ、あああぁぁァァァアア?

 

 ハーリーQを突き刺した。映像の奥で苦痛の叫びを上げるハーリーQ。だがその悲鳴は徐々に獣の咆哮へと変わっていく。腕から伸びる魔力光は全身を浸食するように覆い、馬頭の悪魔へと変えた。ハーリーQだけではない。その場にいたアサインメンツは次々に同じように人外の存在へと変わっていく。巨大な竜とも鶏ともつかない悪魔、弛緩する屍、人面の獣。それはいずれも狂ったような叫びを上げ、

 

――アアォォォオオオオ!

 

 互いに喰らいあい始めた。鶏が屍をくちばしで砕いたかと思えば、その巨体に無数の悪魔が群がりむさぼるように喰らいつく。さらにその群がる悪魔にも他の悪魔の牙がつきたてられ――

 

「How repulsive.(悪趣味な……)」

 

「あの者どもは自らの業に耐えられず滅びるのだ。この世界を創りだすために利用された天に輝くあの光が、今一度この世界にコトワリを求め遍く人に埋め込んだ情報因子――我々はそれを目覚めさせたに過ぎぬ。貴様にも眠っていよう……お前を、お前たらしめる『悪魔の力』が。汝はそれを既に開放できよう、汝の、汝が創りし意思によって」

 

「だが、真の力は封ぜられたままだ」

 

 そういうと、ギルバはジャケットの内ポケットからアミュレットを取り出した。鎖を鳴らして持ち上げ、軽く目線まで掲げる。

 

「ふむ。それはお前の力ではなく、他者の封ぜられし力――七つの大罪の名を待つ塔の鍵……」

 

「塔の鍵、だと?」

 

「異世界の悪魔よ。それは汝と同じ波動をもつ魔人が創りだした、アマラへの奈落をその力と共に封じるもの。世界を安定させるために創られた門ともいえるその塔、開放すれば封じた者の力が得られよう」

 

「その塔はどこにある? 開放する方法は?」

 

「汝の世界において、かの邪神によりアマラの存在を一部ながら知らされた者がいる――名をアーカム。その者が知っているであろう。ただし、会うには世界を渡らねばならぬ。もとより汝の世界の話。会わせてやってもよいが……結果は力で勝ち取らなければならぬ」

 

 淡々と、しかし威厳を持って言葉を紡ぐ魔力の塊。ギルバはようやく刀から手を放し、単刀直入に問いかけた。

 

「要求は何だ?」

 

「メシア、我が分霊を継ぎしあの者を、かの地に眠る女神の分霊、イナルナの下へ導くこと――すでにその眠りはガイアの徒によって開かれつつある……」

 

 返答と同時に天井の映像が切り替わる。そこには、ただ青いだけの空間に倒れる赤髪の少女と、3人の男女がいた。そのうち桃髪の女性は赤髪の少女に駆け寄るが、残りの2人――銀髪の男性と金髪の女性は無表情のまま死を見つめているだけだ。

 

――ぐ……ごめん、シグナ、ム……

――もう……喋るな……

 

 光の塵となって消えていく赤髪の少女と、それを見つめる桃髪の女性。その表情は悲痛に歪んでいたが、しかし感情を抱く暇も与えないかのように、突然移転してきた黒衣の神父が話しかける。

 

――制御……うまく……ですネ

 

――主……どこだ?

 

――会いたい……でハ、次の命令……

 

 強い敵意を向ける桃髪の女性に、平然と要求を口にする黒い神父。感情に任せ剣型のデバイスを抜く女性を、しかし銀髪の男性が止めた。その目はまるで機械のように感情が感じられない。それを見た神父は歪んだ笑みをこぼし、

 

 そこで、画面は暗転した。

 

 ギルバはどこか苛立ちのこもった目でそれを見つめていたが、魔力の塊はそんな感情に触れることなく言葉を続ける。

 

「汝がメシアを導くころには、事はさらに進んでいよう。メシアも自らイナルナの寝床に往こうとするはずだ。引き裂かれた女神の魂と共に……汝はただその道を追うだけで、目指す力を手に入れることが出来る」

 

「いいだろう。その依頼、受けよう」

 

 ギルバは肯定の返事で声を遮る。蠢く魔力の塊はそれを聞いて再び先端技術医療センター地下の映像を浮かび上がらせた。無数の屍の上に鎮座するつぼみは光に包まれ移転を始め、次に映し出されたのは装置の移転先である2階の一般的な研究室。

 

「あの大天使は人間を使えるだけ使い、メシアをこの世界に留めようとするだろう。だが……がある以上、必ずメシアは牢獄を抜けて地上へ……たど……着く。ガイアの徒にも%&覚醒を促$と要請%#・……速やかに#%全う%よ……@$#忘れるな。スパー∞力*しければメシアを&×に¥・て来いっ!」

 

 だが、その映像は歪み、声にもノイズが混じり始める。やがて先ほどと同じ赤い雷が装置を走る。それは次第に強くなり、閃光のような爆発が走った。

 

「……」

 

 後に残ったのは沈黙。ギルバはしばらく闇に包まれた聴聞機を眺めていたが、やがて踵を返して歩き始める。再び回廊を通り、エレベーターへ。止まったのは2階。先ほど制圧した廊下には、しかし魔力で動く大量の鎧がひしめいている。

 

「ちっ……!」

 

 舌打ちするギルバ。だがそこへ、先ほど別れたクイントから念話が届く。

 

(ギルバさんっ! 応答して! 今どこに……)

 

(聞こえている。解散したS3地区から20メートル地点だ)

 

(っ!? そこはもう制圧したはずでしょう!?)

 

(悪いが、傀儡兵とやらに囲まれたのでな)

 

(何ですってっ!?)

 

(片づけたら向かう)

 

 それだけ言うと、一方的に念話を切り、刀の鯉口を切った。

 

「No one will stand in my way」

 

 同時に駆ける。

 背後に解体された鎧を残しながら、勢いを止めることなく。

 魔力で動くマシンがひしめくその方向へ。

 

――おおぉぉおおお!

 

 そして、飢えた獣の叫びが聞こえるその方向へ。

 

 たどり着いたのは扉が開け放たれた研究室。

 その先にいたのは、獲物を前に戸惑うできそこないの悪魔。

 急激な苛立ちがギルバを襲う。

 

「Be gone!(失せろ!)」

 

 その苛立ちのまま、ギルバは目の前の悪魔を真っ二つに切り裂いた。

 

 

 † † † †

 

 

 両断されたハーリーQの向こうから現われた包帯の男に、孔は思わず剣を握りしめた。目の前で救助対象だった人間が殺されたからではない。包帯の男は人間というより悪魔に近い雰囲気――否、霊的磁場を纏っていたからだ。

 

(ハーリーQと同じ……いや、体組織は人間のものだ。それ以上に……)

 

 安定している。

 思考まで暴走したハーリーQとは違い、目には強い意思が読み取れた。

 

(いやあるいは……っ!)

 

 その強い意志で、悪魔の力を制御しているのか。そう思考をまとめる間もなく飛んできた斬撃。孔は剣で受け止めると同時に、反動を利用して跳び下がった。

 

「立居術……っ!」

 

「ほう、なかなかの反応だ……人間にしては、の話だがなっ!」

 

 声と同時に姿が消える。瞬間、目の前に迫る殺気。すれ違いざまにきらめいた刀を何とか受け止める孔。だがすぐに弾き飛ばされる。

 

「ちっ!」

 

 このパワーとスピードで押し切られるとまずい。そう感じた孔は空中で体勢を立て直し銃のトリガーを引いた。I4U付属の銃から放たれた魔力弾は、しかし回転する刀により容易に防がれる。

 

(非殺傷にこだわっている暇はなさそうだな……!)

 

 そう悟ると同時に宝具を呼び出そうとする孔。遠距離から手数で攻めようとしたその判断は、

 

「Go…!(行け……!)」

 

――幻影剣

 

 実行する前に飛んできた斬撃で打ち切られた。剣で受け流す。だが遅い。

 

「Cut off!(斬る!)」

 

 迫る刀。先程とは比べ物にならないほど勢いが乗ったその刃は逃げ場を与えず、

 

「むっ!?」

 

 しかし孔は正面からそれを受け止めた。それを可能にしたのはバインド。銃を撃ちながら仕込んだ魔力の拘束具が直前で発動し、刀の勢いを弱めたのだ。

 

(だが本当に勢いを弱めるだけで終わるとは……!)

 

 そのバインドは空中で引きちぎられ、すでに拘束する力をなくしている。鍔迫り合いに対抗するため、再度バインドを使わなくてはならなかった。それでも拮抗するのがやっとだ。

 

「Foolishness…(愚かだな)」

 

 そんな孔に、包帯の男が声を漏らす。

 

「Still denying your heritage, Messiah?(なぜ、未だ受け継いだ力を否定する?)」

 

 それはどういう意味か。そう問いかける前に、

 

「ギルバさん!?」

「っ! スバル! ギンガ!」

 

 声が響いた。同時に力の押合いから解放される孔。今度こそ宝具をいつでも放てる体勢を作りながら声のした方へ目を向ける。そこには、ギルバに厳しい目を向ける男性の管理局員と、青いバトルスーツの少女に駆け寄る女性、そして、地球にいるはずの使い魔がいた。

 

(っ!? リニス、何故ここに?)

 

(コウ、貴方こそ……それに、何故ギルバと?)

 

 念話で問いかけるとリニスからも意外そうな声が返ってきた。一瞬の思考の後、孔は状況から回答に巡りつく。目の前の包帯の男の名は、ギルバというらしい。それはあのスニークが残していった人物の偽名と一致する。おそらく、リニスは残された情報からギルバを探していたのだろう。新世派を追うギルバと、ギルバを追うリニス。そして自分は、新世派らしき者の意思によりこの先端技術医療センターに拘束されている。出会うのは必然といえた。

 

(理由は分からないが、管理局に捕まってからクルスと一緒にここの地下に閉じ込められたんだ。そこで悪魔に襲われて、反応を追っているうちにここに……包帯の男がギルバとは知らなかった。急に斬りかかって来たんだ)

 

(そんな事が……っ! いえ、先に私の方の情報をお伝えします)

 

 大幅に端折った内容ではあったが、リニスの方もおおよその事情は把握してくれたようだ。孔と別れた後の事を続ける。ギルバを追ってこのミッドチルダまでやって来た。昔のツテを頼って調べているうちに、ギルバはこの先端技術医療センターで「魔法生物」退治の依頼を受けたらしいことが分かった。依頼主は管理局。なりふり構わず戦力をかき集めているらしく、外部へも募集をかけていた。それに便乗して潜入、別棟での警備に参加していたが、こちらでギルバが傀儡兵との戦闘に巻き込まれたと聞いて、監督役の管理局員2名――クイント・ナカジマとティーダ・ランスターと共に、こちらへ回された。

 

(別棟には悪魔の反応があったが……)

 

(ええ。数は多かったんですけど、それほど強い悪魔ではなくて……鎮圧に向かった私たちを足止めしているように見えました。おそらく、陽動だったんでしょう)

 

(なら、本命は……)

 

 研究室の奥にあるつぼみに目を向ける。それは割れたガラスの奥で、未だ不気味に鼓動を繰り返していた。歩き出そうとする孔。だが、それを遮るようにクイントの声が響く。

 

「ギルバさん、説明願えますか? 何故一般の少年に刀を、対魔法生物用に特例で許可された質量兵器を向けているの? それに、この2人が、私の娘がなぜ倒れているのかしら?」

 

「ふん。強い魔力のせいで、人間に化けた悪魔と思ったんでな。それと、そのガキは知らん。来た時には倒れていた」

 

 刀を納めるギルバ。それにクルスが食ってかかる。

 

「そんなっ! コウが襲われていたのは、貴方も見たでしょう!? よりによって孔が悪魔だなんて……!」

 

 しかし、ティーダが強引に割り込んで話を続けた。

 

「この人には、追って規約違反による罰則と報酬にペナルティを加えます! ……そのためにも、貴方達の身分と、ここにいる理由――そして、できればこの状況の事をお聞かせ願いませんか?」

 

「……分かりました。私はクルス・エンジェル二等空士。所属は……」

 

 憮然としながらも答えるクルス。だが、続く言葉は、

 

《My Dear! つぼみから魔力反応! これは……ジュエルシードね!》

 

 強大な魔力に呑み込まれた。

 

「っ!」

 

 声を上げる間もなく、ロストロギアの膨大な魔力が空間を揺らし、引き裂きながら広がっていく。

 

 次元震。

 

 しかし孔はその中を走った。

 

 傾く床を蹴りつけ、崩れ落ちる天井を避けながら、先程白衣の男が突き破ったガラスの奥へ。飛び降りた先の実験室には、つぼみとその前で円を描くように浮かぶジュエルシード。そして、嘲笑を浮かべる白衣の男がいた。

 

「所長っ!」

 

 遅れて飛び降りてきたクイントが背後で声をあげる。孔はそれにむしろ納得した。なるほど、それだけの地位があれば収容された患者を拘束することもできるし、研究材料としてジュエルシードを入手することもできるかもしれない。

 

「目的はなんだ?」

 

 故に、酷く冷徹な声で問いかけた。

 

「クックックッ……その身体を持つメシアなら分かるだろう……妄想から造り出された肉体を持つ貴様と違い、私の情報因子では神を呼ぶに至らなかった! 故に! 異界から直接、取り込むことにしたのだ!」

 

 返答は、理解不能な狂気の叫び。

 しかし、その意味を問いかける暇もなく、白衣の男は銃を取り出し、

 

 自分の頭を撃ち抜いた。

 

「なっ!」

 

 誰かが後ろで声をあげる。だがそれもジュエルシードの輝きにかき消された。青い光は輪となって繋がり、中心に虚数空間を作り出す。同時につぼみが崩壊を始めた。まるで花が開き腐り落ちていくように、剥がれていく外層。その中心から溢れる光は、虚数空間ごと白衣の男を飲み込んだ。

 

――アドニスを倒したくらいで……

 

 研究室を満たす光の中、孔は確かに声を聞いていた。

 

 それはシェルターで崩れる床を幻視したのに似て、

 

――マハザンマ

 

 光が引くと同時に衝撃が迫るより早く、シールドを展開していた。

 

「ほう、あの時の記憶は取り戻しつつあると見えるな」

 

 魔法を受けきり、シールドを解除した先にいた所長は、もはや人の形をしていなかった。人間と猫とヒキガエルの顔、そして、蜘蛛の胴体。その容姿は、海鳴の病院で目覚める直前、あの赤い回廊の隅で出会った悪魔と同じものだ。

 

「お前は……っ!」

 

 目を見開く孔。しかし、

 

「だが、今度は私がお前を取り込んでくれよう!」

 

 すぐにヒキガエルの舌が襲いかかる。慌てて上に跳んで避ける孔。だが、通り過ぎた筈の舌は突き刺さった背後の壁を引き裂きながら上へと追いかけてくる。

 

「孔っ!」

 

 それを止めたのはリニスの電撃。同時にクイントの砲撃、ティーダとクルスの魔力の弾丸、そしてギルバの斬撃が悪魔に襲いかかる。

 

《Blaze Cannon》

 

 孔も空中で姿勢を立て直し、熱の砲撃を浴びせかけた。6方向からの攻撃が線を描いて悪魔に襲いかかる。それは紛うことなく悪魔を捉え、

 

――ディアラマ

 

 しかし、切り裂かれた悪魔の顔は、弾丸が抉った眉間は、熱線が焼いた胴体は、魔力光と共に再生していく。否、収束する魔力は傷を癒すだけで止まらない。それは圧縮された空気を作り出し

 

「っ!? みんな固まって!」

 

――マハザンマ×4

 

 クイントが叫ぶと同時、全方位に向けて解放された。

 魔力の衝撃が届くまで数瞬。孔とクルスはクイントの指示を理解し、前に出てシールドを構える。背後に回るのはギルバとリニス。だが、クイントとティーダはシールドの防護範囲に間に合わない。2人もそれを悟ったのだろう、孔の背後で、ティーダがクイントを突き飛ばした。

 

「なっ!? ランスター一等空尉!?」

 

 クイントの叫びが魔力の空圧に呑み込まれる。孔は歯を食いしばりながら、それでもシールドに集中し、魔力の嵐を耐え切った。

 

「っ……! 無理をするわね、一等空尉。せっかくのいい男が台無しよ?」

 

「ぐ……あれを前に言うセリフではないですね」

 

 血まみれになりながらも起き上がるティーダに、クイントが軽口を叩きながら回復魔法をかける。寸前でシールドを貼りながら後ろに飛ぶことでダメージを軽減したのだろう。その技量はさすが一等空位というべきか。対する悪魔はいまいましそうに声をあげる。

 

「ふんっ! 女神の身体があれば殺せていたものを……これもあの時と同じかっ!」

 

 剣を構える孔。「あの時」を聞き出すより、目の前の悪魔を打ち砕く事を選んだのだ。だが、踏み込む前にクイントの声が響く。

 

「所長っ! 今ならまだ間に合います! 投降してくださいっ!」

 

――フロッグタン

 

 相手がまだ人と信じての説得。だが返答は先程と同じカエルの舌だった。実験室の隔壁を破壊する威力のそれを、散開してかわす。

 

――マハザンマ

 

 そして、再び全方位に及ぶ衝撃波が襲いかかった。

 

(来たわよ! 3人ともっ!)

 

 しかし、それにクイントは冷静な指示を出す。反応したのはリニスと孔、そしてクルス。ちょうど三角形を描く位置に退避していた3人は、互いに補いあうようにシールドを展開した。

 

《Wide Area Protection Δ》

 

 常軌を逸した固さを誇るシールドが衝撃を阻む。

 その背後で構えるのはクイント、ティーダ、そしてギルバ。

 

 先程、クイントが所長に呼びかけたのはただ説得するだけが目的ではなかった。再生する悪魔に有効打を与えるため組織戦を仕掛けるべく、作戦を伝える間を作り出すのが目的だ。事実、説得と同時に孔達へ伝えられたフォーメーションは、

 

「出番よ、2人ともっ!」

「了解っ!」

「……今回は付き合ってやる!」

 

 シールドが解除されたと同時、悪魔に襲いかかった。

 ティーダが誘導弾を打ち出す。その数30。

 いずれも違う軌跡を描く弾丸が悪魔の視線を奪った刹那、弾丸の合間を駆け抜けたクイントが勢いのまま悪魔を殴りつける。

 拳に圧縮された魔力はインパクトと同時に解放され、悪魔の巨体を弾き飛ばした。

 ギルバはそれ以上のスピードで相手を追い越し、抜き放った刀で受け止める。

 なすすべもなく串刺しにされる悪魔。

 そこへ、最初にティーダの放った誘導弾が、容赦なく突き刺さった。

 

 

 † † † †

 

 

「ふんっ! 下らん!」

 

 ギルバが刀を凪ぎはらうように刀を引き抜く。地に叩きつけられる悪魔。クイントはデバイスを構えながら問い詰める。

 

「あの子達に心がヒトなら人間だと言ったあなたがっ! 何故こんな事をっ!?」

 

「クククッ……! 私を呼んだ男に話しかけているなら無駄だ……ヤツはすでに我が贄となり死んだ……すべてはそこのメシアに力をつけさせるために……」

 

「どういう意味だ」

 

 視線を向けられ疑問を返す孔。悪魔は、黒い染みとなって崩れながらも、嘲笑を浮かべた。

 

「お前は別のアマラ宇宙から転生した存在ということだ……転生前の『向こう側』では、私とお前はひとつだった……! あの世界にもうひとりのメシアが産まれたとき、不要となった我々はっ! 唯一神に引き裂かれたのだっ!」

 

 目を見開く孔。その動揺を見透かすように、悪魔の声は続く。

 

「すべては我々を引き裂きっ! 都合よいメシアなどという存在を産み出そうとした神への復讐のためっ! この地であの男に悪魔の因子を教えたのもっ! かの邪神がこの世界の起点として利用したあの者の想像を読み取り、そこの人間を狂わせたのもなぁっ!」

 

 叫びと同時、頭上で急速に魔力反応が膨れ上がった。

 

「っ! 高町さんっ!?」

 

 孔の声が、ピンク色の砲撃にかき消される。

 それは、悪魔が吐き出した半暴走状態のジュエルシードを直撃した。

 青い光が周囲を満たす。

 

「クククッ……! 早く封印せねば大変な事になるぞ」

 

 なのはの肩にのるユーノ――否、ユーノにとり憑いた悪魔が嘲笑を響かせる。孔は舌打ちするとジュエルシードの封印へ向かう。

 

「ユーノを、返せぇぇえ!」

 

 が、クルスは氷の剣で斬りかかった。

 

「い、嫌ぁぁぁああ!」

 

 迫る殺気に反応したのは、なのは。絶叫と共に砲撃を乱射する。孔は慌てて飛び上がり、クルスを抱え射線から離脱させた。

 

「っ! 助かっ」「まだだっ!」

 

 間髪入れず降り注ぐ砲撃を避けながら、なのはに接近しようと体勢を立て直す孔。孔は先ほどクルスが迫った一瞬、なのはの目に術式が浮かんでいたのを認めていた。そして、それが消えかかっていた事も。

 

(何かがきっかけで、術が解けたのかっ!?)

 

 孔は知らない。

 なのはがクルスの叫びを聞いて、シェルター上空のタワーホテルでフェイトが叫んだ言葉を思い出したことを。

 そして、悪魔によって罪悪感と共に封じられた記憶がフラッシュバックしたのを。

 しかし、これだけは分かった。

 

(今なら悪魔から引きはなせば元に戻るかもしれない……!)

 

 孔は砲撃の隙間でクルスから手を離すと、そのまま空を駆けて距離を詰め、

 

「ダメよ、ドーピングしたならちゃんと薬あげないと」

 

 しかし、なのはの背後に現れた夏織に阻まれた。

 夏織は悪魔が作り出した足場に立ち、なのはの後頭部を刀の鞘で強打。意識を刈り取る。

 そして、首筋に刃を当てた。人質のつもりだろう。孔は止まらざるを得ない。

 

「あら、メシアくん、また会ったわね?」

 

 対する夏織は余裕の表情を崩さず、まるで親しい人に挨拶でもするかのように声をかけてくる。が、そんな態度を拒絶するように、クイントの鋭い声が響いた。

 

「あなた達も、所長と同じ目的っ!?」

 

「違うわ、私は復讐をしたいだけ。この子は、そのための大事な道具よ」

 

 ユーノにとり憑いた悪魔が移転魔法を展開する。

 

「待てっ!」

 

 孔はそれにジャミングをかけようとして、

 

「がっ!」

 

 背後からの、別の誰かの声に意識を反らされた。

 

 そこには、先ほど悪魔が沈んだ黒い染みからもがくように抜け出そうとするカエルの頭。

 

 そして、その舌に貫かれるティーダがいた。

 

「上河さんっ!」

 

 孔は無意識に叫んでいた。

 一瞬の間をおいて、それがこの場にいない人間の名だと気づき、愕然とする。

 

「死に損ないがっ!」

 

 だが悪魔は目の前でギルバの刀に貫かれ、

 

「が、ぎ……またも$前の#部とな・か!」

 

 孔は分かった、分かってしまった。

 

「だ%、ダ$%サ×ナ・は既∞動い¥い*!」

 

 自分の身体に魔力が流れ込んでくるのが。

 

「お$は%ぐ×女神と=に#の地へ向か*事と&%=だ!」

 

 そしてそれが、崩れる悪魔から流れ出るマグネタイトに由来するものだという事が。

 

「我が$%よっ! 分霊を%収*、新$派・大%∞を越*、&らの×+をっ!」

 

「黙れ!」

 

 ノイズがかった悪魔の不快な声を、砲撃で遮る孔。

 

 消滅する悪魔。

 

 だが感情のまま放った魔力は異様なまでに大きく、

 

(……気持ち悪い、な)

 

 なのは達が見せた嫌悪感を、自分自身に抱いていた。

 

 

 † † † †

 

 

 崩れ落ちる少年。

 それに駆け寄る使い魔。

 逃げていく犯罪者をなすすべなく見送りながら、仲間の治療とロストロギアの回収に走る管理局員達。

 

 それをモニター越しに見つめる、ふたつの影があった。

 

「どうやら、予定通りメシアに力をつけさせることが出来たようだな」

 

 ひとつは、氷川。

 

「ふん、『向こう側』のように、逆に力を与えすぎて喰われなければいいがな」

 

 そしてもうひとつは、豹頭の悪魔。

 

「どちらにせよ、新世派のシナリオであのメシアはこの世界ごと死ぬ……我々の計画に何ら問題はない」

 

「だが、戦闘機人、だったか? アレを使う気だったのだろう?」

 

「所詮、シェフィールドが捨てた研究という事だ。代役はいくらでも用意してある。悪魔しかり、御神しかり……」

 

 いいながら、映像から目を反らし、後ろを振り返る氷川。そこには、モニターの先から逃げてきた夏織がいた。

 

「あの『高町なのは』はどうなっている?」

 

「ご心配なく、予定通り、五島のところです」

 

「そうか。先ほど、闇の書の調整が最終段階に入ると連絡があった。管理局もジュエルシードを手に入れて、行動に移るだろう」

 

「そうですか、では……」

 

「ああ、我々も動く。君には約束通り、例の場所を警護してもらう」

 

 氷川の依頼に、妖艶な笑みで答える夏織。

 

 まるで、悪魔だな。

 

 豹頭の異形は、そう思った。

 

 

 † † † †

 

 

「まるで、悪魔ね」

 

 管理局本部の執務室。手元の端末に写し出された「魔法生物」を見て、レティ・ロウランはそう呟いた。レティ自身は先端技術医療センターで起こった事件は管轄外だったが、現場にいる部下――マリエルから次のような報告を受け、現場の状況を把握していた。

 

 先端技術医療センターで魔法生物が暴れていた。

 鎮圧が始まった時、自分(マリエル)は所長室にいたが、所長は「治療」を終えたばかりのスバル、ギンガと共にいなくなった。

 ふたりを追おうとしたが、警備に当たっていた管理局員に止められた。

 やむを得ず待機していたが、エイミィがアースラから持ち込んだ盗撮キットを使用、研究所内の様子を記録した。

 高濃度の魔素のせいで画像が不鮮明な上、音声を拾う事が出来なかったが、鎮圧したナカジマ陸尉から話を聞くことは出来た。

 それによると、魔法生物は人間にとり憑く事が出来るらしく、所長もその被害にあったらしい。

 そして、どういうルートか分からないが手にいれたジュエルシードを使い、居合わせた高魔力保持者を襲った。

 詳細は不明だが、魔法生物がジュエルシードを取り込むことで人間を取り込む力を強化、より高い魔力を持つ人間を襲ったと思われる――。

 

「まさか本当に人間を乗っ取るなんて思わなかったわ」

 

「ええ。ジュエルシードの発掘者も同じ被害に遭っているわ」

 

 事件の予兆するように訪ねてきていたリンディが、レティの漏らした感想にうなずく。状況把握という意味ではマリエルよりリンディのもたらした情報の方が大きいかもしれない。上層部の不可解な動きを伝えてくれたのは、彼女なのだから。

 

「この事件、ジュエルシードが回収できたからおしまい、とはいかないわ。何とか、『普通』に捜査ができないかしら?」

 

「難しいわね……この件については、あちこちから圧力がかかってるわ」

 

 眉をひそめるレティ。気持ちは痛いほど分かる。何せ事実関係が不明瞭もいいところだ。

 所長を乗っ取った魔法生物の正体は?

 どういうルートでジュエルシードを手に入れたのか?

 重要参考人であるウヅキ・コウとの関係は?

 捜査したいことは大量にあるのに、上の命令のせいで肝心の捜査体制が確保できない。

 

「レティ、あなたも調べたんじゃないの?」

 

「ええ。本部上層にも問い合わせたんだけど、知らぬ存ぜぬの一点張りね。上を通さずに直接評議会へ聞けば何か分かるかも知れないけど……」

 

 難しいだろう。大統領に会うようなものだ。アポをとるだけで1日が潰れてしまう。

 

「感触はどうだったの? 上も本当に最高評議会の意図は把握してないのかしら?」

 

「さあ? いつもながら自分の気持ちを隠すのが得意な人達だから」

 

「……その言い方だと、レティも疑ってるのかしら?」

 

「可能性の話よ。おかしいところも多いし……」

 

 おかしいところ、というのは、言うまでもなく重要参考人、コウ・ウヅキの扱いである。

 先ほどマリエル経由で受けたナカジマ陸尉の報告では、所長を乗っ取った魔法生物の目的は、ジュエルシードを介してコウの身体を奪う事だったとされている。そして、コウを先端技術医療センターまで護送するよう命令したのは、間違いなく最高評議会だ。だが、ジュエルシードに限れば、最高評議会は何の命令も出していない。仮にも最高権力者だ。ジュエルシードとコウを使って何かしようとしていたのなら、両者を一ヶ所に集めて秘密裏に目的をこなす事だって出来た。それをしなかった、という事は、所長の暴走は最高評議会にとっても予想外だった可能性が高い。

 

「案外、新世派とかいう組織が本当に暗躍してるのかもね?」

 

「悪い冗談ね」

 

 軽い冗談のつもりが、リンディからは不機嫌な言葉が返って来た。よほどストレスを抱えているらしい。だが、ストレスを高める情報はまだある。

 

「……それは冗談にしても、これ以上重要参考人への事情聴取は難しいわよ? 2方面から解放の要請が来てるわ。ひとつは技術系のベア中将。報告にあった現地協力者――プレシアさんだっけ、のお知り合いね」

 

 プレシアの名前でますます機嫌を悪くするリンディ。レティはそれをまるで気にしていないかのような顔を作って続ける。

 

「そして、もうひとつは、聖王教会よ」

 

「聖王教会が? なぜ?」

 

「何でも、『予言』が出たらしいわ。詳しくは私もまだ聞かされてないけど、聖王の復活に、あの子がキーになるらしいわよ?」

 

「聖王の復活って、本気で言ってるの?」

 

「まさか。予言っていっても、解釈は幾通りもあるものよ? 聖王協会の方も、予言の真意を確かめるために解放させて欲しいっていう話だし」

 

「つまり、今は泳がせておいたほうがいいってこと?」

 

「話が早くて助かるわ」

 

 裏でうごめく組織の情報を引き出すため、あえて野に放ち監視を強める。リンディはそのプランを頭のなかで考えているようだったが、やがてうなずきかけ、

 

「? ごめんなさい、通信が……」

 

 デバイスを取り出した。余程の緊急事態なのだろう。

 レティは報告を受けているリンディの反応を見逃すまいと視線を強め、

 

「闇の書が?」

 

 予想外の言葉に、眉をひそめた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――

傀儡 聴聞機
※本作独自設定
 メシア教会の所有する情報通信端末。各世界の教会の中でも限られた大聖堂にのみ配置され、「神々からの意志」を伝える。ただし、一般の信徒には公開されておらず、高位の聖職者と認められた者のみ対話が許されている。その高位の聖職者も、大部分はどこと繋がっているか把握していない。

魔王 バエル
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列第1位。「東の王」として66個軍団を率いる。魔神の中では最も醜いものとされ、蜘蛛の胴と8本の脚、そして人間と猫、ヒキガエルの頭を持った姿で描かれる。愛や官能の知識を持ち、人々をその道に引きずり込もうとするが、召喚者に人間を透明にする術を教えてくれるという。

――元ネタ全書―――――

我々ハ提示スル案件ヲモッテイナイ
 DDSATより、ゲーム冒頭のシーン。PVにも使われていただけあって、非常に凝った演出となっています。

――――――――――――


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第18話d 永遠の絆《肆》

――――――――――――


「アリス、もうそろそろ、寝なきゃだめよ?」

 こども達にとっては深夜と呼べる時間帯。孔がいないせいか、なかなかリビングから離れようとしないアリスに軽く注意する。でも、アリスはそれに応えず、テレビを指差して目を輝かせた。

「ねー、先生。私あれやりたい」

 番組には、遠い親戚に手紙を書く女の子。その好奇心から出た思い付きは、幼いアリスにどれだけ素晴らしく思えただろうか。

「じゃあ、ちゃんと時間までにするのよ?」

「はーい!」

 私は棚から便箋と封筒を取り出すと、嬉しそうに返事をするアリスに渡した。

――――――――――――先生/海鳴市児童保護施設



 先端技術医療センター所長室。いかにも高級そうな絨毯と調度品に囲まれたそこは、オフィスというより応接室の趣が強い。事実、平時は有力者を迎える用途にも使われている。

 が、今はそこに似つかわしくない機材が広がっていた。言うまでもなく、エイミィがアースラから持ち込んだ、通信用装備という名の盗聴・盗撮キットである。

 

「はあ、で、帰すことになった、と」

 

 その機材を前に、不満そうな声を出すエイミィ。もちろん、帰すことになったのは監視対象の孔であり、不満をぶつけているのは通信先のリンディである。

 

「気持ちは分かるけど、今は様子見よ? 監視対象の身元がはっきりしてるだけマシ、と思うしかないわね……これから追いかける相手と違って」

 

「それって、闇の書のこと言ってます?」

 

「ええ。オペレーターの腕の見せどころね」

 

 冗談めかして空気を変えようとするリンディに、嫌そうな声で「わかりました」と告げ、通信を終える。そして、呟いた。

 

「嫌な予感的中……とはちょっと違うかな?」

 

 始め、この先端技術医療センターに来たとき、孔に対して強い危機感を抱いた。果たして事件は起こった訳だが、その原因は孔自身ではなく、別の何かだった。そして、今度は「その別の何か」を探るために孔を利用すると言う。

 

(しかも、この件は要注意人物の監視にとどめて、今後は「闇の書」を優先、か……まだ嫌な予感、続いてるんだけどな)

 

 機材のモニターに目を向ける。そこには、クルスに付き添われながら施設を出る、孔の姿があった。

 

 

 † † † †

 

 

「所長と一緒にいた女の子――ギンガちゃんとスバルちゃん、マリエル技術主任が問題ないって。ナカジマ陸尉も喜んでたよ?」

 

「……そうか」

 

「ランスター一等空尉も一命はとりとめたって。復帰したら、また事件を追うって、張り切ってたよ?」

 

「……そうか」

 

「先端技術医療センターの悪魔は、その、まだ魔法生物扱いだけど、今回の事件で危険性は上も認めてくれたから、その……」

 

「……」

 

「その……ゴメン」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 研究施設を出て空港に戻る途中。無理に明るい話題を振ってくるクルスに、孔は平坦な声で返していた。本来ならここで相手を安心させるため、苦笑のひとつでも返さなければならないのだろう。が、今はとてもそんな気分にはなれない。

 

(あの悪魔は、俺を別のアマラ宇宙から転生した存在と言った……そして、かつては俺とひとつだったとも……なら、俺は、『向こう側』では……)

 

 何とか冷静に思考を回そうとするが、たどり着くのは否定したかった結論だけだ。だが、

 

「自分の中に流れる悪魔の力が気になるのか?」

 

「ちょっと、ギルバさんっ!?」

 

 そこへ、後ろを歩いていたギルバが話しかけてきた。声を上げるクルスを抑えるように、孔はギルバへ向き直る。

 

「俺のことで、何か知ってるんですか?」

 

「新世派、とやらが『作り出した』救世主だとは聞いている……もっとも、俺の依頼主はその力を利用して新世派を潰そうとしていたようだが?」

 

 その一言で、今までの情報がつながる。サイファー博士の「技術を加えられた人間」という言葉。須藤やあの公園の悪魔の「向こう側」という単語。スニークの「新世派」という組織の情報。そして、所長に憑りついた悪魔の「メシアという存在を生み出そうとした」という叫び。おそらく、自分はアマラ宇宙に漂っていた魂の切れ端を、無理やり人工的に強化した肉体に組み込んで創りだされた存在なのだろう。あるいは、先端技術医療センターでの事件も、その技術を使ってアマラ宇宙から悪魔の魂を呼び出し、無理やり人間に組み込むことで悪魔化していたのかもしれない。

 

(俺も、ハーリーQやあのゾンビと同種、という事か……)

 

 あれほど周囲を脅かし、憎んでいた相手の魂で創られている。それを否応なく突きつけられ、

 

「俺の受けた依頼は、お前をニホンのUMINARI――そこにある公園に連れていくことだ」

 

 しかし、ギルバが話を進めたことで、現実に引き戻された。

 

「俺を、公園に……?」

 

「そうだ。そこに眠る遺跡が、お前に関係する悪魔の寝床、という事らしい」

 

 直接的な言い方に、眉をひそめる孔。

 つまり、ギルバの依頼主は、新世派に対抗するため、更に自分の力を解放させようとしているのだろう。

 人から忌み嫌われる力を、更に。

 

「力で対抗するのか、力から逃げるのか……決めておくんだな」

 

 黙りこむ孔を見て、背を向けるギルバ。そのまま先に立って歩き始める。

 

 立ち尽くす孔。

 

 どのくらいそうしていただろうか。

 

「コウ……」

 

 いつの間にか横に立っていたリニスから、声がかかる。

 

「帰りましょう。みんな、待っていますよ」

 

「……そう、だな」

 

 孔はそれにうなずくと、ギルバの後を追って歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 空港から海鳴に戻った夜を、孔はプレシア邸で過ごした。

 はじめに出迎えたのは、意外にもフェイトだった。転送ポートの先からただこちらを無表情に見つめて、

 

「……遅かったね」

 

 そうつぶやいた。思わず聞き返す孔。

 

「何があった? 折井達は……」「シュウなら、家に帰ったよ」

 

 だが、フェイトはそれを遮って、

 

「明日、みんなで集まることになってる……今は、姉さんが待ってるから」

 

 転送ポートがある地下から、家へと歩き始めた。それについて歩く孔。しばらく無言の時間が続いたが、

 

「ウヅキは……」

 

「?」

 

「ウヅキは、自分より、シュウ達の事が気になるの?」

 

 地上への階段を上がる直前、問いかけられた言葉に硬直する。フェイトは孔の動揺を意外そうな目で見ていたが、

 

「あっ! コウ、来てたんだっ!」

 

 唐突に階上の扉から出てきたアリシアを見て、再び歩き始めた。

 孔もそれに続く。

 駆け寄ってくるアリシア。

 プレシアも事件のことは何も聞かず、ただアリシアの母親としてキッチンから見守る。

 夕食、ゲーム、就寝。

 絵にかいたような「友達の家での宿泊」は、まるで魔法世界に行く前と変わらない周囲を教えてくれているようで、

 

「孔お兄ちゃん、早く! 早く帰って、アリスと一緒に遊ぶのっ!」

 

 翌朝、時間より早くやって来たアリスとパスカルを、自然に迎えることが出来た。

 

(課題は、山積なんだがな……)

 

 ちらりと後ろに目を向ける。今頃、フェイトの言っていた「集まる」時間に備えて、リニスがプレシアから海鳴での動向を聞いているはずだ。いつもリニスが手伝いに来る時間には、今度は孔がリニスから概要を聞くことになっている。その時はギルバも一緒だ。それまでに、自分へ植えつけられた力とどう向き合うか、決めておかなくてはならない。

 

(……いや、力じゃなくて、周りとどう向き合うか、だな)

 

――ウヅキは、自分より、シュウ達の事が気になるの?

 

 つい昨夜聞いたばかりのフェイトの言葉が、脳裏をかすめる。なぜ、フェイトがあんなことを聞いたのかわからない。ただ事実、自分は海鳴に戻ってから、否定されるかもしれない自身の正体を知りながらも、修達の事を気にしていた。それだけ、「帰る場所」が大切だったのだろう。なら、自分の回答は決まったようなものだ。

 

「ねー、どうしたの? もしかして、アリスが早く来ちゃったの、怒ってる?」

 

 気が付けば、立ち止まっていた。前を歩くアリスが不満そうな声を上げる。

 

「いや。そんなことはないよ」

 

「ホントに?」

 

「ああ。本当だ」

 

 返事を聞いてにっこりと笑うアリス。そんなアリスと、今度は手をつないで保護施設への道を歩く孔。公園を通り過ぎ、住宅地へ。すぐ先を曲がれば「自分の家」がある。離れたのは数日。だが、酷く懐かしい気がした。おそらく、そう時間をおかずリニス達は迎えに来るだろう。それでも、今は無性に帰りたかった。

 

「せんせいっ! ただいま~!」

 

 アリスの楽しそうな声と共に、扉をくぐり、

 

 立ち込める血の匂いに気づいた。

 

 

 † † † †

 

 

「本当に大丈夫?」

 

「大丈夫だもん! パスカルも一緒だし、ねー?」

 

 数刻前、保護施設の先生は、孔を迎えに行くといって聞かないアリスを見送っていた。アリスの楽しそうな声に同意するように吼えるパスカルを見つめながら、少しだけ笑みをこぼすとアリスに言い聞かせる。

 

「途中からリニスさんが迎えに来るから、ちゃんと一緒に行くのよ?」

 

「うん! 行ってきまぁす!」

 

(はあ、少し過保護すぎるかしら?)

 

 余計に不安になる元気な返事を残して走り出すアリスを苦笑と共に送り出し、軽くため息をつく。アリスももう小学校2年生。日本ではもうひとりで近所の友達の所へ行くくらい当たり前の年齢だ。それに、いつかは施設を出なければならない以上、あまり束縛してもいい結果にならない。分かっていても気にしてしまうのは、やはりアリサの死をいまだ引きずっているからだろうか。

 

「……ご飯、作らないとね」

 

 自分に言い聞かせるように呟くと、施設へ戻り始める。廊下を抜けてキッチンへ。アリスのわがままのせいで、本当ならプレシアの所でご馳走になるはずが、孔も朝食をこちらで食べる事になってしまった。リニスも来るみたいだから、少し多めに用意しておかなければならない。

 

(あら……?)

 

 だがその途中、ダイニングテーブルの手紙に目が止まる。昨夜、こども向けの番組に出てきた遠い親戚に手紙を出す少女。それを見たアリスが、自分もやると言い出して孔に宛てたものだ。その時「ねー、先生も書いて?」と言われ、一緒にペンを握っている。

 

(そういえば、まだ書きかけだったわね……)

 

 思い付きに夢中となったアリスはすぐに書き終わってしまったが、自分はというと普段の想いを文章にするのが意外に難しく、結局アリスが眠る時間までに筆を置く事が出来なかった。書きかけの便箋はアリスが机の奥から引っ張り出してきた可愛らしい装飾が踊る封筒に重なり、封をされるのを待っている。

 

(時間は……まだ大丈夫ね)

 

 時計を確認してテーブルにつきペンを握る。軽く昨日の文章を見直すと、少し考えた後で続きを書き始めた。だが最後まで書ききる寸前、チャイムの音が響く。

 

(……誰かしら?)

 

 孔達にしては早すぎる。こんな早朝の時間帯に訪ねてくるとすれば、急に保護が必要になったこどもを連れて誰か来たか、あるいはこども本人かもしれない。以前、親にこの施設の扉を叩くよう言われたまま置き去りにされたこどもを保護した事もある。だがインターホンのカメラが映し出したのはそのいずれでもなく、以前病院でカウンセリングを引き受けていた患者、八神はやての保護者だった。桃色の長髪と凛とした長身が特徴的な20代前半の女性、シグナム。彼女と同性・同年代だがそれとは対照的な柔らかい物腰と金髪を持つシャマル。やはり20代位であろう物静かな銀髪の男性、ザフィーラ。そして、孔やアリスと同じ小学生くらいの闊達な赤髪の少女ヴィータ。いずれも外国籍だが、原因不明の病により車椅子での生活を余儀なくされているはやてを大切な家族としており、何度かはやてとの接し方やはやて自身の精神状態について、相談を受けたことがある。

 

「あら、シグナムさん? お久しぶりね。どうしたの?」

 

「いえ。少しある……いや、はやてのことで相談がありまして。お時間をいただけないでしょうか?」

 

 どこか暗いインターホン越しの声に眉をひそめる保護施設の先生。少し前に、はやての脚の治療を担当していた医師、石田幸恵から「海外の病院で治療法が見つかったため、そこで手術を受ける事になった」と告げられてからカウンセリングは中断している。当然シグナム達もはやてと共に海を渡っているのだが、どうにも手術が無事に終わったという挨拶に来た様子ではない。シグナムはどこか思いつめた表情を浮かべ、シャマルやザフィーラ、そして感情の起伏が激しいヴィータまでもが機械のような無表情を浮かべている。第一、はやての姿がなかった。嫌な予感に少し待っててとインターホン越しに告げると、玄関に戻り扉を開く。

 

「急に申し訳ありません」

 

「いいのよ。はやてちゃんの様子も聞きたかったし」

 

 非常識な来訪を謝るシグナムにできるだけ内心の不安を抑え、しかし本題に触れながら迎える。病院ではなくわざわざこの施設まで来たのだから、何か事情があるのは明白だ。意識的に話しやすい雰囲気を作りながらダイニングへ。大人3人には朝食に用意していたコーヒーを、ヴィータにはアリスが好むホットミルクを勧めながら椅子に座らせる。

 

「あ、あまりお気遣いなく……」

 

「このくらい遠慮しなくても構わないわよ? ちょうどこども達の朝食も準備していたところだし、少し多目に用意してしまったから」

 

 笑いかけてみせると、すみませんと再び謝るシグナム。礼儀正しく生真面目な性格ではあったが、強い芯を持った彼女がここまで悲痛な態度を見せるのは珍しい。そんな痛みを和らげようと、居住まいを正して治療者として問いかける。

 

「シグナムさん、言いにくいならあまり無理しなくてもいいのよ? 必要なら時間も作るし、幸恵にも連絡を取るわ。日を改めても……」

 

「いや、もう時間はない」

 

 だがそれに答えたのはザフィーラ。その抑揚のない声に、普段の物静かだが安心感を抱かせるような温もりはない。冷たく感情を失った灰色の目をこちらに向けたまま立ち上がり、

 

「止めろっ!」

 

 だがシグナムの鋭い声で止められた。彼女らしからぬ態度に、しかし周囲の3人は何の反応も返さない。知っている4人とは違う反応に、先生はだがもう一度先ほどの雰囲気を作ろうとシグナムに問いかける。

 

「さっきこども達の朝食の準備をしていたと言ったけど、一緒に面倒を見てくれる職員――まあ研修中だけど、お姉さんって慕われている人も来てくれるから、私の方の都合は大丈夫よ? はやてちゃんのケアをしていた時の記録も残ってるし、覚えてもいるから――」

 

「違うっ! 違うんです!」

 

 だが、シグナムはそれを遮るように声をあげた。その目には今にも決壊しそうな感情と強い意思が見える。複雑な感情の混ざった視線を真っ直ぐに受け止めながら、じっと言葉を待つ先生。わずかな沈黙。先に目を逸らしたのはシグナムだった。だが、言葉は続かずうつむいてしまう。

 

「コーヒー、冷めちゃったから、淹れなおすわね?」

 

 責めるでもなくそう呟くように言うと、そっとシグナムから離れる。あまり本題に入ろうと焦るよりは、ほんのわずかでも時間を置いた方がいいかもしれない。特にシグナムは激しい情熱を持ちながら、それを強い理性で抑えこんでしまうタイプだ。清潔な病院と違い、こども達に精神的な負荷を与えないようにと気をつけてきたリビングにいれば、多少はリラックスできるかもしれない。そう思ってキッチンに戻ろうとしたが、

 

「……」

 

 その前に服を掴まれた。振り返ると、そこには表情の無い顔で見つめてくるヴィータ。闊達な彼女から程遠いその目に一瞬驚くも、出来るだけ優しく笑いかけて手をとる。

 

「ヴィータちゃん、どうしたの?」

 

「はやての為に、し……」

 

「ヴィータッ!」

 

 だが、言いかけた言葉は再びシグナムによって止められる。シャマルはそれを咎めるように声をかけた。

 

「シグナム、貴女が出来ないから、ヴィータは……」

 

「分かっている! ああ、分かっている! だが、私は、主に、例えお前達がお前達でなくなっても、もう手を汚させないと誓ったのだ!」

 

「なら、はやくしろ」

 

 感情的なシグナムにザフィーラが冷たい声を浴びせる。仲がいいはずなのに、今日はどこかギスギスしている4人。なんとか止めようとシグナムとザフィーラの間に割って入り、

 

「っ! 先生、申し訳ありませんっ!」

 

 激痛が走った。

 腹部には血まみれの刃。

 それが何なのか、分からなかった。

 だが鋼鉄の冷たい刃物が骨を削りながら引き抜かれる感覚に、悟る。

 背中から、刀で貫かれたのだと。

 そして、背後にいたのは、

 

「なっ、なん……で……!?」

 

 シグナムだった。手にはべっとりと血で濡れた刀。床に崩れ落ちる自分を見下ろすその目に浮かぶのは、涙。

 

「シグ……一体、な……にが、あったの……?」

 

 それでも、先生は問いかける。死力を尽くした疑問に答えは返って来ない。ただ、シグナムは流れる涙を振り払うように刀を振り上げ、

 

「せんせいっ! ただいま~!」

 

「待て、アリス! 先生っ!? いますかっ!?」

 

 アリスと孔の声にその手を止めた。響く足音。勢いよく開かれる扉。

 

「先生っ……!?」

 

 そして、倒れる自分に目を開く孔。

 

(ダメ……ッ!)

 

 飛びそうになる意識の中、何とか孔を凶刃から守ろうとする。しかし、

 

「うわあぁぁぁあああ!」

 

 怒りに染まった表情で、孔はどこからか刀を取り出し叫んだ。

 

(ああ、もう、だめじゃない、そんな危ないもの、振り回しちゃ……)

 

 構えた剣で切り返そうとするシグナム。

 

(シグナムさんも、自分を傷つけるみたいに、人を傷つけて……)

 

 激痛の中、目の前で始まろうとする惨劇に手を伸ばす。思うように膝に力が入らない。噴きだした血で足元がすべった。それでも、孔の手には確かに届く。

 

「なっ! 先生っ!?」

 

 折り重なるように倒れた自分を受け止める孔。そのめったに見せない驚いたような顔と肩から背中への激痛にむしろ安心する。かすみ始めた目を向ける余裕はないけれど、斬られたのは孔ではなく、自分だと分かったから。

 

「先生っ!」

 

 抱きしめてくれる孔。その頬を涙が伝う。

 

(ああ、もう、そんなに泣いて……)

 

 その涙を拭おうと手を伸ばす。だがもう腕は動かない。こぼれ落ちる孔の涙が頬を濡らした。

 

「……ぁ……こう……にげ……あなたは、ぶじでいて……わたしは、へいき……だか……」

 

 情けなかった。孔を引き取ってから、理不尽から守ってあげる事もできず、メンタルケアで癒してあげる事もできず、大人びた態度を取らせ続けてしまった事が。恨めしかった。急速に薄れる意識を前に、月並みな言葉しか出てこない自分が。消えていく意識が。しかし、

 

「っ?! 母さん!? かあさんっ!」

 

 孔の叫んだその声に、一瞬思考が止まる。頬が緩むのを感じた。

 

(そうね……お母さんなら、涙、拭いてあげないと……)

 

 もう一度、手を伸ばす。

 酷く軽くなった手は、孔の頬に触れ、

 

 力を失った。

 

 

 † † † †

 

 

 力なく崩れ落ちた手を、孔はただ握っていた。

 アリス、パスカルと共にくぐった玄関は日常と共に出迎えるはずだった。

 心配させてしまった事を謝り、それをおそらくはいつもの優しさと少し寂しそうな笑顔で許してくれるであろう先生に罪悪感を抱きながら、アキラを起こしに行くはずだった。リニスも一緒に、久しぶりに全員が揃うはずだった。

 

「待て、アリス! 先生っ!? いますかっ!?」

 

 だが、血の匂いがその日常を、当たり前の日々を壊した。アリスを置いて走り、駆けこんだリビングには、血塗れになって倒れる先生と、それに剣を振り下ろそうとする魔導師。

 

「うわあぁぁぁあああ!」

 

 反射的に斬りかかる。だが、その剣は自分の刃ではなく、先生の身体が受け止めた。

 

「なっ! 先生っ!?」

 

「……ぁ……こう……にげ……あなたは、ぶじでいて……わたしは、へいき……だか……」

 

 こんな状態になっても自分を気遣おうとする先生に呼びかけながら、必死に回復魔法をかける。だが、失われていく命はそれを受け付けない。

 

(出血が酷すぎたっ!? いや、失血状態で俺をかばおうと無理に身体を動かしたせいで……っ!)

 

 治癒力を高める魔法が通じなければ、プレシアから高いと評価された魔力量も何の役にも立たない。無力感と絶望が襲う。だが、それに抗う暇もなく、抱きしめていた身体から力が抜ける。

 

「っ?! 母さん!? かあさんっ!」

 

 叫ぶ。一瞬だが、先生が、否、母が見せた満足したような笑顔。

 頬に触れた手を握り返し、

 

「母さん!」

 

 だが、呼びかけてももう握る手に温もりは戻らない。体温を失っていく身体が死を告げる。それに抵抗するように、孔は反魂神珠を取り出した。しかし、どんなに祈りを込めても神珠はまるで反応しない。

 

「なぜだ……なぜっ!」

 

(無理ダ、主ヨ……)

 

 叫ぶ孔に、パスカルの声が響く。

 

(ソノ宝珠ハ、魂ヲ在ルベキ場所ヘ還スモノ……死セル定メニナイ魂ヤ現世ニ呼バレ彷徨ウ魂ナラ呼ビ戻ス事モデキヨウガ、母ノ魂ハ、モウ……)

 

 いつの間にかリビングに入ってきていた冥府の番犬が、死を告げる。

 

「ねー、パスカル? もうそっちいっていいよね? アリス、おなかすいちゃった」

 

 駆け寄ってくるアリスの声。

 

「孔お兄ちゃん、どうしたの? 先生、寝ちゃったの? ねえ、先生、起きてよ。孔お兄ちゃん、帰ってきたよ? リニスさんももうすぐ来ちゃうから……」

 

 それに立ち上がる孔。そんなアリスの頭に静かに手を置く。

 

「孔お兄ちゃん?」

 

「アリス、少し、パスカルと……向こうでっ!」

 

 しかし、言葉は続かない。

 

「……」

 

 無言のまま、赤髪の少女がハンマー型のデバイスで殴りつけてきたから。

 

 

 † † † †

 

 

 児童保護施設の前。玄関を見つめ続けるギルバを、リニスはじっと観察していた。包帯で隠された顔からは、表情をうかがい知ることが出来ない。だがそこから覗く目は、悪魔を相手にしていた時に見たのと変わらない鋭さと冷酷さが見える。

 

「どうしたんですか? 施設に、何か気になることでも?」

 

「……あのウヅキというガキの両親はどうした?」

 

 気になって問いかけると、一瞬の間を置いて疑問を口にした。リニスは眉をひそめてそれに答える。

 

「警察の捜査では行方不明となっています。今は、この施設の先生が母親ですね」

 

 そうかと短く答えるギルバ。が、リニスは厳しい声で問いかけた。

 

「ギルバ……あの人の――孔の家族は先生とアリス、パスカルと私です。孔は、きっと力よりも家族を選ぶでしょう」

 

「だろうな」

 

 あっさりとうなずくギルバ。意外な返事に勢いをそがれながらも、リニスは言葉を続けた。

 

「もし、貴方が依頼を優先して無理矢理連れて行こうとするなら、私は――」

 

 が、それは強い魔力に遮られた。反射的に保護施設へ走るリニス。インターホンを無視して扉を開く。鼻につく血の匂い。身近な人間の死を連想させるそれに冷たい恐怖が走る。その背筋が凍るような感覚を否定しながら扉を開けた先には、

 

「っ!?」

 

 すでに呼吸を失った保護施設の先生がいた。

 

 その前には、少女の振るうハンマー型のデバイスを受け止める孔。

 孔が殴りかかってきたそのデバイスを握りつぶす。

 目を見開く少女を、孔の砲撃が吹き飛ばした。

 穴が開いた少女の死体をゴミのように払いのけ、殴りかかろうとする銀髪の男性。

 それをケルベロスと化したパスカルが焼き尽くす。

 駆け寄ろうとした金髪の女性を、涙を流すアリスが掴む。

 急速に年老いて、老婆から朽ちた死体へと変わっていく金髪の女性。

 

 後に残された剣を持った長身の女性は、

 

「分かっていた……いつかこうなるとは……だがっ!」

 

 孔に向かって剣を振り下ろした。孔はそれを受け止めることなく、

 

「そんなもので……っ! 償えるものかぁぁあああ!」

 

 迫る刃ごと女騎士を両断した。その身体は光の塵となって消えていく。破片となったデバイスの刃が宙を舞う。それはリニスの頬とギルバの包帯を掠め、床に虚しい音を立てた。

 

「……コウ」

 

 切り裂かれた頬の血を拭おうともせず、リニスは膝をつく孔に何か声をかけようとして、

 

「よせ」

 

 ギルバに肩を掴まれた。

 

「貴方はっ!」

 

 そっとしておいてやれとでも言うようなその手を、リニスはしかし払いのける。

 

「私はっ! 孔にっ! あの人にっ!」

 

 ギルバを睨みつけ、出てこない言葉を叫び、孔へと駆け寄る。

 

 何かしてあげたかった。

 先生が何度もそうしたように、孔の傷を癒してあげたかった。

 

 だが、その想いを遮るように、孔はゆっくりと立ち上がり先生を抱き上げる。力なく落ちる手をアリスが握った。それを否定する事も、慰める事もなく歩き出す孔。だが、リビングの扉の前、ギルバの前で立ち止まる。

 

「……」

 

 無言で見下ろすギルバ。切れた包帯が滑り落ちる。見上げる孔の頬に涙が伝った。

 

「ギルバ……いや、デビルハンター、バージル。あなたを雇いたい」

 

 そして、押し殺した、しかしはっきりとした声で告げる。

 

「報酬は、あなたの受けた依頼に協力し、公園へ向かうこと――依頼内容は、母を殺した悪魔の抹殺……っ!」

 

「……いいだろう。受けてやる」

 

 静かにうなずくバージル。その返事を背に、再び孔は歩き出す。廊下を抜けて先生の部屋へ。朝日が射しこむベッドに遺体を横たえる。耐え切れなくなったように、アリスはすがりついて泣き始めた。

 

「悪魔だか、神だか知らんが……」

 

 孔はただその死と太陽の光を見つめ、

 

「この俺にこんな力を抱かせたこと……後悔させてやる!」

 

 悲鳴のような絶叫を上げた。

 




――Result―――――――

・愚者 ハーリーQ 魔剣により惨殺
・愚者 アサインメンツメンバー 悪魔化後、共喰い、斬殺等
・魔王 バエル 魔剣により惨殺
・愚者 先端技術医療センター所長 悪魔化により死亡
・愚者 保護施設の先生 デバイスによる刺殺および失血死

――悪魔全書――――――

犬 パスカル
※本作独自設定
 海鳴市の自然公園で孔に保護されたハスキー犬。メス。保護施設に拾われてからは家族同然に扱われ、また、パスカル自身も家族として番犬の役割を務めている。アリスを追ってアラマ深海に飛び込んだ際に悪魔として覚醒、ケルベロスと化してからもそれは変わらず、普段は犬の姿で過ごす。おとなしい性格で、アリスが眠るまで見守り、先生に撫でられて眠るのを日常としているが、平穏が乱されると悪魔の力の行使に躊躇しない獰猛な一面も見せる。

――元ネタ全書―――――

酷く軽くなった手は、孔の頬に触れ、力を失った。
 真・女神転生Ⅰより、母親が悪魔に殺されるシーン。この事件をきっかけに帰る場所をなくした主人公は抗争に巻き込まれていきます。

――――――――――――


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閑話4 施設の先生

・本作品はフィクションです。実際に存在する個人・団体とは一切関係ありません。
・一部児童相談所等の施設が登場しますが、本作はその活動を批判および否定するものではありません。



「児童保護施設の、友野真美さんですね? 少々お待ちください」

 

 早朝の病院。受付の奥へ消えていく看護士を見送った私は、待合室でじっとテレビのニュースを眺めていた。

 

「昨夜、海鳴市で男女の遺体が発見されました。被害者は会社員の男性とその妻で、鉈のようなもので切りつけられた形跡があることから、警察では殺人事件として捜査を続けています。次のニュースです。連続する不審火について――」

 

 多くを語らない報道が苛立ちを加速させる。

 

 これから会う、その夫妻から遺されたこどもの事を少しでも知っておかなければならなかったから。

 

 

 その女の子――八神はやてちゃんは保護された当時、3歳だった。父親の仕事の関係で海鳴に引っ越して来た、仲のいい家族。警察の調べに、一家を知る人々はそんな感想を語ったという。

 

「病院の検査じゃあ身体に異常はないって話なんですが、どうも両親の死を目撃しちまったみたいでね。一応、意識ははっきりしていて、病院まできちんと自分の脚で歩いてきてくれたんですが、やっぱり、事件の事を聞かれるのは辛いみたいで」

 

 当たり前だ。待合室までやってきた刑事に私は内心毒づいていた。目の前で両親殺されたのがトラウマとなって記憶を封印するこどももいるのに、それを思い出せなんて、と。

 

「ただ、地元――関西の方らしいですが、そっちに親戚もいないようで、引き取り手がいないんですよ。こどもひとりで誰もいない自宅に帰すわけにもいかない」

 

 でも、私は言葉を呑みこんだ。病院の廊下を歩きながら説明を続ける刑事にははっきりと疲労の色が見えていたから。

 

「事件専門の俺達じゃ被害者の力になれないんで、お願いします」

 

 通された病室の扉を出来るだけ静かに開く。ベッドに座っていたその小さな女の子は、

 

「あ、や、いや……嫌やっ! 帰ったら、また、あのっ! あの鳥がっ!」

 

 怯えていた。泣き叫ぶはやてちゃんに私は何度も呼びかける。

 

「私ははやてちゃんを連れ戻しに来たんじゃないわ」

「怖いところなら、帰らなくてもいいのよ?」

「でも、病院じゃ暮らせないでしょう? だから、新しいところに行くの」

「大丈夫。怖い事なんていないから」

 

 言葉では伝わっていないだろう。でも、はやてちゃんは近寄る私を拒絶しなかった。清潔だが殺風景な病院の空気で冷たくなった身体を抱きしめる。はやてちゃんは泣きながら小さく呟いた。

 

「ほんまに、帰らんでええの?」

 

 

 † † † †

 

 

「じゃあ、しばらくここで過ごす事になるから、少し模様替えしましょうか?」

 

 はやてちゃんの受け容れは、まず恐怖を取り除くところから始まった。空いていた部屋の布団も清潔なだけの白から柔らかい暖色に変え、殺風景な部屋にぬいぐるみを並べる。はやてちゃんは始め驚いていたけれど、すぐにぬいぐるみを離さなくなった。

 

「はやてちゃん、ぬいぐるみは好き?」

 

「うん! 怖い鳥、やっつけてくれるから」

 

 はやてちゃんはよく鳥を模したぬいぐるみをベッドの角におき、他のぬいぐるみにやっつけさせていた。時には他のぬいぐるみを兵隊の様に並べて自らを守らせ、また時にはアニメのキャラクターをデフォルメした人形に戦わせる。

 

(鳥は怖い思いをさせた犯人、他のぬいぐるみは守ってくれた両親……かしら?)

 

 私はそんな事を考えながらはやてちゃんの「遊び」を見ていた。病院で児童心理を担当している嘱託医、柊黎子先生から聞いた知識だ。こどもがトラウマになるような事態に遭遇した時、遊びという形で事件を何度も繰り返し「体験」して、一度拒絶した現実を受け容れるのは、決して珍しい話じゃない。そう分かってはいるけれど、その姿は痛々しく思えた。

 

「そんな顔をしないで。真美さんのおかげで、なんとかベッドから降りて、部屋で遊ぶくらいはできるようになったんだから」

 

 様子を見に来た黎子先生はそう言ってくれるけど、未だ部屋から一歩も出ようとしないはやてちゃんに、私はなかなか安心する事が出来なかった。

 

 

 † † † †

 

 

「嫌っ! 真美さん、行かんといて!」

 

 はやてちゃんは施設に移っても「外」を怖がり、そしてひとりにされるのを怖がった。今日も食事を部屋まで持ってきて一緒に食べたまでは良かったけど、空いた食器を下げようとすると、服にしがみついて泣き叫ぶ。

 

「はやてちゃん、もうすぐ黎子さんも来るから、ね?」

 

 それを先生の名前で宥める。はやてちゃんは少しだけ服を持つ手を緩めた。

 

「ほら、ご飯、出しっぱなしじゃ黎子さんも来てくれなくなるでしょう?」

 

「うん……じゃあ、我慢する」

 

 言い聞かせるように注意すると、素直に手を離すはやてちゃん。あまりにも素直すぎるはやてちゃんに、私はむしろ不安になった。

 

 はやてちゃんの姿は、嫌われまいと必死に自分を抑圧しているように見えたから。

 

 

 † † † †

 

 

「いや、いやぁぁぁあああ! そとで、鳥が、とりがぁ!」

 

 でも、引き取って数ヶ月ほどしたある日、はやてちゃんは泣き止まなくなった。遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声のせいだ。

 

「大丈夫。ちゃんと守ってあげるから」

「玲子さんもすぐ来るわ」

「ほら、ぬいぐるみもいるでしょう?」

 

 言葉をかけてはみたけれど、はやてちゃんの恐怖はなかなか納まらなかった。それを止めたのは、部屋の扉を叩く音。びくりと身体を震わせるはやてちゃん。

 

「遅くなってごめんなさいね」

 

 入ってきた黎子さんは、そう言いながらはやてちゃんにぬいぐるみを渡した。可愛らしくデフォルメされた、騎士の格好をしたアニメのヒーロー。はやてちゃんは泣き声を止め、しゃくりあげながらそれを受け取る。

 

「この子はね、怖い鳥からはやてちゃんを守ってくれるのよ?」

 

 本棚から絵本を取り出す黎子さん。そのままは私の膝の上にいるはやてちゃんの横に座り、本を開く。目で促されるまま、私はその本をはやてちゃんに読み聞かせ始めた。

 

 

「寝ちゃいましたね、はやてちゃん」

 

「ええ。よっぽど怖かったんでしょう」

 

 やがて、はやてちゃんは私の腕にしがみついたまま眠り始めた。憑き物が落ちたように安らかな寝顔を見せるはやてちゃんに、思わず笑みが漏れる。でも、黎子さんは真剣な顔を崩さなかった。

 

「はやてちゃん、鳥をすごく怖がっているみたいなんです。絵を描いてもらっても必ずといっていいほど悪役として登場しているし。でも、まだその原因がつかめていなくて……普段の様子から思い当たる事はありませんか?」

 

「いえ、すみません、私の方も何も。こんなに怯えたのも今日がはじめてですので。その、怖い鳥って、あの事件の犯人の事じゃないんですか?」

 

「それは間違いないでしょうけど、なぜ鳥と結びついてしまったのかが分からなくて。別にもっと恐怖の象徴となるような出来事があったんじゃないかと……」

 

 そういえば私も何度か治療に立ち会い、その中ではやてちゃんが描いた絵を見せてもらった事がある。そこに書かれた馬のような顔をした巨大な鳥は奇妙な迫力があり、人からずっとかけ離れているようにも見えた。

 

「何か些細なことでも、気づいたことがあったらお伝えください」

 

 黎子さんはそういって立ち上がると、部屋から出ていった。黎子さんの体温が離れていくのを感じたのか、はやてちゃんは私にしがみつく手の力を強める。私はそれを握り返すと、起こさないようにそっと身体を動かし、一緒に布団に入った。

 

 

 † † † †

 

 

 次の日、はやてちゃんは目覚めてからもずっと手を放すことは無かった。しきりに「黎子さん、どうしたん?」「もう怖いの、おらへん?」と問いかけ続ける。私はその度に「黎子さんは次の診察の時に会えるわ」「ええ。昨日も何もいなかったわよ」と返し続けた。

 

「そんなに心配なら、一緒に皆でご飯、食べに行きましょうか?」

 

「え? う、うん。それじゃあ……」

 

 でも、朝食を取るため部屋を出る前に問いかけた質問の答えは、いつもと違っていた。「やっぱり外は怖いから待ってる」と言う代わりに、黎子さんから貰ったぬいぐるみを抱きかかえたまま、震える声でうなずいたのだ。

 

 

「うわぁ……賑やかなんやね」

 

 はじめて入った食堂で、はやてちゃんは気後れしたように呟いた。何時も部屋から出ることのないはやてちゃんは、同じ3歳くらいのこども達から高校生まで同じ施設で過ごす光景に驚いているようだった。そして同時に何倍も身体の大きなこども達に怯えているのだろう。手をきゅっと握り締めてきた。

 

「じゃあ、向こうで食べましょうか?」

 

 そんなはやてちゃんを連れて、同じくらいの年齢の兄妹が食事をしているテーブルへ座る。目の前に座る兄妹が顔を上げた。

 

「カズミくん、メイちゃん。おはよう」

 

 目があって挨拶すると、カズミくんは目をそむけ、メイちゃんは戸惑いがちに「おはようございます」と呟く。はやてちゃんはそんな2人を心配そうに見つめていた。

 

「少し前に施設に来たはやてちゃんよ? 仲良くしてあげてね? ほら、はやてちゃん……」

 

「あ、あの、わ、私、八神はやてって言います。よ、よろしゅう……」

 

 はやてちゃんは私に促されると声を絞り出すように挨拶を始める。でも、小さくなりすぎて途中からは聞き取れなくなってしまった。そんなはやてちゃんをカズミくんはじっと見つめ、メイちゃんはぽかんとした顔を向けている。まだ引き合わせるのは早かっただろうか。私は少し慌てたけど、

 

「クスクスクス! はやてちゃんの喋り方、変なの!」

 

「えっ! か、関西弁は変やないよ! お兄ちゃんもそう思うやろ!?」

 

「うん? あ、ああ。そうだな、はやては変じゃない」

 

 メイちゃんが笑い出したのをきっかけに話しはじめた3人を見て、胸をなでおろした。

 

 

 それから、はやてちゃんはよくメイちゃんとカズミくんの部屋へ遊びに行くようになった。その時は決まってぬいぐるみを持っていて、メイちゃんに渡していく。嬉しそうに受け取るメイちゃんを尻目に、私はそっとカズミくんの方を伺っていた。カズミくんははやてちゃんと同じようにお母さんを殺人事件で亡くしている。そして、メイちゃんは現場にいなかったけど、カズミくんはその様子を目撃していた。

 

――お前達に用なんてない! 迷惑だ……入ってこないでくれ!!

 

 引き取ったあの日、大声で私たちを拒絶したカズミくん。親戚に引き取りを拒否された2人はおとな達に強い不信感を募らせていた。カズミくんは部屋に入ってきた職員に攻撃的に当り散らし、メイちゃんは怯えるように過ごす。処置困難。周囲からはそんな声も聞こえたけど、私はそうは考えなかった。考えたくなかったのかもしれない。ここでも拒絶してしまったら、本当にこの子達は居場所をなくし、絶望してしまう。そんな姿は見たくなかったから。

 

(カズミくんもやっと笑ってくれるようになったわね……)

 

 はやてちゃんを迎えるカズミくんに、かつてのような刺々しさはない。今日もはやてちゃんが持ってきた灰色の猫のぬいぐるみにはしゃぐメイちゃんを、楽しそうに見守っている。

 

「あっ! この子、ゾウイみたい!」

 

「ぞうい?」

 

「猫の名前だ。前に遊んでた友達がよく連れてきて……」

 

「すずかちゃんっていって、すごく髪が綺麗なんだよ! あ、でも、ゾウイはもっと黒かったかも……」

 

 きっと3人とも、人を拒絶しているようで本当は誰か手を差し伸べてくれる人を求めていたのだろう。ただ、自分からは恐怖が先にたって言い出せなかっただけ。言い出せないから、誰かがきっかけを与えてくれるのを待っている。でも、どんなにいい子に待ってもそんな人はなかなかいないから、今度は「どうして誰も手を差し伸べてくれないんだ」って叫ぶ。だからそんな怒りは、手を差し伸べてくれる誰かに気がつけばすぐに消えてしまうんだ。ぬいぐるみの話で盛り上がるのを見て、私はそんなことを考えていた。

 

 

 † † † †

 

 

 それから数ヶ月。ようやく安定を見せ始めたはやてちゃんは、施設の自室ではなく、病院で診察を受けるようになっていた。

 

「あら? はやてちゃん、その猫、どうしたの?」

 

「黎子さんに貰ってん。メイちゃんとお兄ちゃんが、黒猫がいいって言うてたから」

 

 でも、ぬいぐるみが好きなのは相変わらずだ。後ろで微笑む黎子さんにお礼を言って、施設へと戻る。

 

「じゃあ、一緒にメイちゃんとカズミくんの部屋まで行きましょうか?」

 

「うんっ!」

 

 嬉しそうにうなずくはやてちゃん。メイちゃんを喜ばせることが出来るのが楽しみなのだろう。手をとって歩き出すはやてちゃんに引かれるようにして部屋へ。でも、それはガラスが割れるような音で止まった。

 

 鋭い音はすぐ後ろ。

 

 振り返った先には、投げ込まれた火炎瓶。そして、

 

――アは、イひ、ヒャーハッハァ!

 

 窓からのぞく、狂った顔。

 

「い、や……」

 

 怯えた声を止めるようにはやてちゃんを抱きしめる。この子に恐怖が広がる前に逃げないと。私は走った。とにかく奥へ。見えないところへ。

 

――ヒ、ヒヒヒ、ヒ。もっとだ! もっと燃えろぉ!

 

 でも鳴り響く火災報知器の音と笑い声は止まらない。震えるはやてちゃんの背中を押すようにして走る。でも、逃げ込もうとした廊下の奥もすぐに火の手が回っていた。火種がもう仕込んであったんだろう。

 

「ま、真美さん……」

 

 立ち止まった私を見上げるはやてちゃん。その目は怯え、涙が浮かんでいた。私は慌てて「大丈夫だから」と声をかけると、すぐ近くにあった扉を開く。カズミくんとメイちゃんの部屋だ。一瞬、割れた窓の外に飛び出す黒い影のようなものが見えたが、大粒の汗を浮かべて倒れるメイちゃんを見てそんなものは吹き飛んだ。

 

「メ、メイちゃんっ!? 大丈夫?」

 

「せんせい……? はやてちゃん、も?」

 

 熱にやられたのか、ぼんやりとした視線を見せるメイちゃん。でも、すぐに背中から感じた熱に振り返った。もう扉が燃え、炎が部屋に入り始めている。私は慌てて割れた窓に駆け寄った。1階ということもあって何とか飛び降りる事が出来そうな高さに安堵する。クッションになるように布団を外へ放り出し、椅子を踏み台にしながら叫ぶ。

 

「2人とも、飛び降りるわよ?!」

 

 2人を窓の近くまで呼び寄せる。先に窓の外に出て受け止めた方がいいんじゃないかとも思ったが、部屋の高温とメイちゃんの容態を思い出して先に2人を逃がす事にした。2人の背中を押し、布団に着地するのを見届け、

 

――ヒャッハァ!

 

 すぐ近くから聞こえた声に青くなった。ナイフを持った少年が、狂った声をあげてこども達に迫っていたのだ。慌てて飛び出して、少年とこどもの間に身体を滑り込ませる。

 

 恐怖に染まるメイちゃんとはやてちゃん。

 その目を塞ぐように2人を抱きしめる。

 背中に走る衝撃。激痛。

 

 ああ、刺されたんだな。前に倒れこみながらそう悟る。同時に腕の中の2人を突き放し、逃げなさい、と叫んだ。でも、メイちゃんもはやてちゃんもしがみついたまま離れようとしない。もう一度叫ぼうとして、私は言葉を呑み込んだ。体勢を立て直そうと振り向いた視線の先には、響き始めたパトカーのサイレンに逃げていく少年と、その少年を追う見知った男の子が見えたから。

 

「カズミくんっ! ダメ!」

 

 呑み込んだのとは別の言葉で叫ぶ。でも、私の声はカズミくんに届かない。ただ憎悪に顔を歪め、少年に向かって走っていく。私はその顔を知っていた。あの日、母親が殺された2人を引き取った日、カズミくんが見せた顔だ。

 

――お前達に用なんてない!

 

 それは、自分に降りかかった理不尽への怒り。

 ついこの間まで、忘れていたはずの怒り。

 

「うわぁぁァァァォォオオーーー!」

 

 怒りに任せて叫ぶカズミくん。まるで怒り狂った獣のような叫び。いや、事実、私にはカズミくんが獣の姿に見えた。

 

 狼のような姿となったカズミくんは、大きな腕を振り上げて少年に跳躍し、

 

 突然舞い降りた巨大な鳥に突き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 

 いや、本当に鳥だろうか。全身は鱗で覆われ、馬のような顔をした巨大なソレは、

 

「$%‘VWhy7“&い@8FW―――!」

 

 狂いそうな鳴き声をあげて、ナタのように尖った爪でカズミくんに襲いかかった。カズミくんは地面に叩きつけられたまま、動かない。

 

「いや、いやぁぁぁあああ! あのっ! あの鳥がっ!」

 

 叫ぶはやてちゃんの声。私はほとんど反射的に駆け出していた。

 

 刺された背中が熱い。

 失血で頭がクラクラした。

 

 でも、足は止まらない。

 

 やっと、伸ばされた手に気づいてくれたカズミくん達に、最後まで手を伸ばし続けたかったから。

 

 

 † † † †

 

 

――ウオォォーーーーーオオオオオオ!!

 

 真っ暗になった意識の中、遠吠えが聞こえる。

 

――……ウア……アア……ウッウッ……ウウッ……

 

 それは近づいてきて、泣き声に変わった。悲しそうな獣の声に目を向けると、大きな狼の様な、人の様な黒い影が見下ろしている。

 

「……カズミ、くん?」

 

 何故その影にカズミくんが重なったのかは分からない。でも、私にはその子が出会ったばかりの、泣いている様な、怒っている様なカズミくんに思えた。

 

「良かった、無事だったのね?」

 

 真っ暗な視界に、あの鳥はいない。奇妙なあの鳴き声も聞こえない。だから、私はカズミくんに手を伸ばした。でも、カズミくんは驚いたような表情を残して走り去ってしまう。空を切る手。代わりにそれを掴んだのははやてちゃんだった。頬には涙が伝っている。手を握り返す。でも、はやてちゃんの涙は止まらない。

 

「もう、そんなに泣いたら、ぬいぐるみさんに、笑われちゃうよ?」

 

 空いている方の手にいつの間にか握られていたぬいぐるみを差し出して見せる。いつか黎子さんがはやてちゃんに渡した、アニメに出てくる騎士をデフォルメしたぬいぐるみ。そのぬいぐるみは、はやてちゃんが手を触れると銀髪の女の人に変わった。ぬいぐるみがデフォルメじゃなかったらこんな感じだろうか。10代後半くらいで、白い肌が闇によく映える。私より少し高い背丈は、はやてちゃんを抱きしめるのに十分だった。問題があるとすれば、その女の人は今にも泣き出しそうな顔をしているところだろうか。

 

「ダメ、じゃない。守る方が、泣いてちゃ……」

 

 きっと、私は夢の中にいるのだろう。でも、ずっとはやてちゃんを守ってきたぬいぐるみと同じ格好をしたその人が泣いているのは、私には耐えられなかった。だんだんと遠くなる意識の中、もう一度手を伸ばして女の人の涙を拭う。

 

――っ! 私は主を求め……

 

「なら、早く……はやてちゃんを……みんなを守って……あげて……」

 

 驚いて何かを言おうとするその女の人を遮って、私はただ願いを告げる。

 

 薄れる意識のせいで上手く言葉は続かなかったけど、その女の人は確かに頷き、そして消えていった。もう、ここには誰もいない。はやてちゃんも、メイちゃんも、カズミくんも……

 

(ああ、寒い、な……)

 

 死んだような真っ暗な場所で、

 

(こども達にはもっと、あったかいところが、いいわ、ね……)

 

 私の意識は途絶えた。

 

――――――――――――友野真美/海鳴市児童保護施設

 

――――――――――――

 

「ああ、柊君。少年とこども達の方は助かったよ」

 

「あの、友野先生は……施設の女性職員はどうでしょうか?」

 

 病院の院長室。無言で首を振る院長先生に、私は流れそうになる涙を必死に堪えていた。幸い施設自体は全焼を免れ、大部分のこども達と職員は無事に避難出来たけど、出火場所近くにいた真美さんは、もう……。

 

「ところで、現場に居合わせた少年の方なんだが、須藤竜也君といってね。お父さんが政治家の偉い先生なんだ」

 

「は、はあ」

 

「彼の事は何か知っているかね? こども達と知り合いだった、とか?」

 

「いえ……施設では預かっていませんし、カズミくん達――今回被害にあったこども達ですけど、3人とも面識は無いはずですので、詳しくは……野次馬も多かったし、偶然居合わせただけではないのですか?」

 

 妙な質問に、私は戸惑いながら答える。院長先生はじっと観察するようにこちらを見つめながら話を聞いていたが、急に窓の方へ背を向けて呟いた。

 

「よし、それでいこう」

 

「はい?」

 

「いや。なんでもないよ。……こどもを守るため負傷したヒーロー。流石未来を担う立派な政治家の息子じゃあないか」

 

 どこか苦々しげに言う院長先生。それはどういう意味ですか? 問いかけようとしたけれど、そんな疑問は続く言葉で吹き飛んでしまった。

 

「助かったこども達だがね、昨日、親戚の方が病院まで見えたんだ。ニュースを見た、といってね」

 

「えっ……!」

 

 思わず声が漏れる。真美さんの話では、はやてちゃんは親戚が見つからず、カズミくんとメイちゃんも引き取りを拒絶されたはずだ。それ以前に、いくら混乱している状況とはいえ、突然現われた親戚だという人物にすぐ引き渡してしまっていいものだろうか

 

「いや。施設でも認識していなかった、遠い血縁に当たる人らしいのだよ。事件がニュースになって慌てて名乗り出てきたようなんだ」

「大丈夫。ちゃんと身元は確認したよ。何せ2人とも私の良く知る人物だからね」

「八神君を引き取ったグレアム氏はイギリスの実業家、山田兄妹を引き取った平坂博士は海外でも名の通った外科医だ。こどもを引き取る分には問題ないだろう」

「こども達も拒絶するような態度は見られなかったよ。むしろ、施設や病院にトラウマを持ってしまってね。家族に囲まれながら、ケアを受ける事方がいいだろう?」

「ケアも引き取り先の住所に近い、精神科医の権威にお願いしたんだ。すまないが、納得してくれたまえ」

 

 疑問を見透かしたように院長先生の言葉が続く。私はどこか複雑な心境でそれを聞いていた。はやてちゃんやメイちゃん、カズミくんに親戚が見つかったのはもちろん嬉しい。だけど、本当に3人が突然現われた親戚を受け容れたのかという疑問と、なぜ真美さんが犠牲になる前に名乗り出てくれなかったのかというやるせなさで、とても喜ぶ気にはならなかった。

 

「ところで、君の留学だが、予定通りでいいのかね?」

 

 そんな感情に構っている暇はないとでも言うように、院長先生は備え付けの立派なテーブルに視線を移した。そこには、アメリカの学会に宛てた児童心理学研究員の推薦状。今度海鳴市で立ち上げるケースワーク――少人数でのグループホームの設立――に参加する一助になれば、と数日前に院長先生が用意してくれたものだ。もともと、海鳴の児童保護施設は大舎制をとっており、その形態は大きく問題視されている。3歳児から高校生までの同居。児童数1人当たりにして少なすぎる職員。法律の線は無論満たしているが、現場から上がる問題は枚挙に暇が無い。それに対応するため行政が立ち上げた計画で、私もその仕事に携わり、設立後は職員として働くつもりだった。でも、

 

「あの、もう少し、こども達の様子を見てからではいけませんか?」

 

「もちろん構わないが、あまり期間を延ばせないことは承知しておいてくれたまえ」

 

 いくら人的被害が少なかったといっても、施設で火災に直面した精神的なケアを必要としているこども達も多い。

 

 何か私に出来ることがあれば、やっておきたかった。

 

 はやてちゃん達には、手を差し伸べることも出来なかったんだから。

 

 

 † † † †

 

 

 火災の影響は大きかった。幸い重度の精神障害に陥ったこども達は少なかったけど、こども達の生活場所という物理的な問題が残った。半焼で済んだとはいえ施設はリフォームが必要であり、その間こども達の受け入れ先を見つけなければならない。大半は隣町や別の県の施設に移ってもらうことになったけど、2名、受け入れ先の無いこどもが残った。金髪の女の子と、赤ん坊。外国人らしい女の子は日本の施設で受け容れるためには複雑な手続きが必要で、赤ん坊も児童保護施設で預かれるような年齢には到底達していない。何より、保護施設の職員に担当となっている人物がおらず、仲介役が不在だった。

 

「おそらく、つい最近になって真美さんが2人一緒に保護したんでしょう。赤ちゃんの方は乳児院に引き渡される直前、だったのかしら?」

 

「ええ。警察もそう考えてるみたい。でも、周りに両親らしき人もいないみたいで。書類も焼けてしまったって聞いたけど……」

 

 その女の子と赤ん坊の病室。治療に当たっていた幸恵と話しながら、私はその子が握っていたという銀のプレートを見つめていた。ネームプレートだろうか。半分は高温で溶けて無くなってしまっているが、辛うじて文字らしきものは読み取ることが出来る。

 

「A、1……いえ、小文字のエルかしら? ……ⅰ、s……? Alis、あり、す……Alice(アリス)のスペルミス?」

 

 そこまで読んだ時、ベッドで眠っていたその女の子は目を開け、私の方へ手を伸ばしてきた。その手を握りながら問いかける。

 

「アリス……あなた、アリスっていうのね?」

 

 女の子はうなずいた。もうひとつ、赤ん坊の首にかかっていたプレートを見せて続ける。

 

「なら、この子は……Aki、r……あ、き……ら、アキラかしら?」

 

 ベッドで横になったままきゅっと手を握ってくる女の子。でも、それっきり目を閉じてしまった。慌てる私に幸恵の声が響く。

 

「大丈夫。眠っただけよ。それより……」

 

「ええ。名前も分かったし、親戚がいるかどうか少し調べてみるわ。旅行者か、日本在住の外国人か……」

 

 留学前にやる事が出来てしまったようだ。

 

 

 アリスが目覚めたのは翌日の事だった。幸恵から連絡を受けて病室に行ってみると、眠っている時の様子が嘘の様にアリスは本来の無邪気な姿を取り戻していた。

 

「ねー、お姉さんはなんていうの? 先生?」

「真美さん……うーん? その人、だあれ?」

「お母さん? わからない! でも、先生みたいな人がいいなぁ……」

「そうだ! 先生、私のお母さんになってよ!」

 

 しばらく入院という形で預かることになったアリスはすぐ周囲になじんだ。わがままといたずらを繰り返し、周囲の気を引こうとする。そんなアリスに構いっぱなしだと、アキラも声をあげて泣いた。2人とも、再び捨てられるのを怖がっているのだろう。でも、できるだけ一緒にいる時間を作っているうちに、アリスに変化が出てきた。

 

「ちょっとアキラの様子を見てくるから、いい子にしててね?」

 

「ねー先生。私も行っていい? アキラに、本読んであげるの!」

 

 普段なら「行かないで」と泣き出すアリスが、アキラのことを気にし始めたのだ。まるで姉になったようにアキラの面倒を見ようとするアリス。アキラもそんなアリスの手を握り、よく笑うようになった。

 

「施設の事件から入院している2人に、親戚が見つかったらしいよ?」

 

 でも、そんな日々も終わりを告げた。警察から院長先生に連絡が入ったのだ。その人物はアメリカの大学で学者をやっているという。何の偶然か、その大学は私の留学先と同じだった。院長先生は連絡と共に届けられたDNA鑑定結果を見つめながら、こう言った。

 

「そろそろ留学を延ばせるのも限界だ。2人を連れて、一緒にアメリカまで行ってきてはどうかな?」

 

 

 † † † †

 

 

 結局、私はアリスとアキラをつれてアメリカへ渡る事になった。勤務先である大学が用意してくれた宿舎は広く、3人で過ごすには十分だ。

 

「ねー、先生っ! 私、公園行ってみたい!」

「あっ! あのお店行ってみたい!」

「先生っ! ヒランヤだって! 私ヒランヤ欲しい!」

 

 アリスはアメリカについてからもはしゃぎ続けた。宿舎に向かう途中で見えた公園へ行きたいと言い出したかと思えば、露店にある五方星をあしらったネックレスに夢中になる。まるで、引き取ろうとする親戚に会いたくないと言っている様に。

 

「失礼。柊黎子君かな?」

 

 それを肯定するように、公園で引き取る予定の人物と出会った時、アリスは私の後ろに隠れ手を握りしめてきた。偶然か待ち伏せか、スティーヴンと名乗った車椅子の男性は、観察する様にアリスを見つめている。聞かされていた通り学者のようだ。私は出来るだけアリスとスティーヴン博士を刺激しないように切り出した。

 

「あの、アリスも準備がありますので、予定の日にお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「ああ、結構だ。それまでエイワ――いや、アリス君を宜しく頼むよ」

 

 呆気なく去っていく博士に寧ろ不気味なものを感じながら、私はアリスの手をひいて宿舎へと戻りはじめた。帰り道、アリスはもう何も話さなかった。

 

 

 翌日。私はひとりでスティーヴン博士の住所を訪れていた。肝心のアリスが嫌がったため、もう少し時間が欲しいと告げに来たのだ。

 

「いや。わざわざすまなかったね。実は人違いだったようだ。私が探していた人物は別に見つかったよ」

 

 だが、迎えたスティーヴン博士の言葉は意外なものだった。住居、というより研究室に近い部屋で、車椅子を押す少女――クルスを紹介する博士に、私は慌てた。親戚が見つかったと思ったら違っていた。施設ではよく聞く話だし、アリスに時間が出来たのは嬉しいけれど、肉親が見つかったという可能性が潰えるのは出来れば間違いであって欲しい。

 

「あの、DNA鑑定では親族の可能性が高かったと聞いていますが?」

 

「ああ。だが、パターンが似ているというだけで完全に保障するものじゃない。一致率はこの子の方が高いのだよ。それに、昨日公園で見て別人と分かったからね」

 

 でも、スティーヴン氏からの回答は非情だった。落胆が伝わったのか、博士は少し気を使った様に続ける。

 

「必要なら、アリス君に事実を伝える時に同席してもよいが?」

 

「いえ。それには及びません」

 

「そうかね? まあ、いずれにせよ引き取ったのが柊君のようなまっとうな人間でよかった。悪魔に目をつけられては大変だからね」

 

「はあ、悪魔、ですか」

 

 急に出てきた言葉に首をかしげる。スティーヴン博士は信仰を持っているのだろうか。聞き返すと、博士は首を振った。

 

「いや、この辺りにも児童保護施設があるのだがね。着服事件があって閉鎖されたのだが、そこの管理者が悪魔のような男と記事になったのだよ。虐待をやっていたとかでね」

 

 それなら、私も読んだことがある。アメリカはよくも悪くも虐待問題には先進国だ。そこで起こった痛ましい事件は大きく報道され、未だ裁判の様子がメディアを賑わしている。でも、続く博士の言葉は私を震えさせた。

 

「……ところで、時折まだこどもの声が聞こえるのだが、何か知らないかね?」

 

 

 博士の言葉どおり、児童保護施設には生き残りがいた。その少女――アリサは危険な状態だった。身体的な異常はもちろん、支えてくれる人がいなかったのだ。保護した病院で担当する看護士が告げる。

 

「どうも、施設に強い嫌悪があるようで……」

 

 そういえば、院長先生もはやてちゃんが施設にトラウマを持ってしまったと言っていた。

 

 手を差しのべる事ができなかった少女を思い浮かべた私は、目を覚ました彼女に自然と声をかけていた。

 

「……ねえ、あなた、私たちの家に来ない?」

 

 

 † † † †

 

 

 アメリカから戻った私は、予定通り海鳴市のテストケースに参加することになった。新たに立ち上げられたグループホームは少人数を対象に集中的なケアを、という触書だったけど、実際には再建された施設で預かるのが難しいこども達が回されてきた。勿論、その中にはアリサやアリス、アキラも含まれている。体よく押し付けられたようにも見えるけど、身元を考えると受け容れられただけよかったのだろう。私が戻ってくるまで、テストケースとしてアリサ達を預かる事ができるよう手続きをしてくれた院長先生には、ずいぶん迷惑をかけた。

 

「なに。若者にチャンスを与えるのは老人の仕事だからね。それに……君にはひとり、ケアを頼みたい患者がいるんだ」

 

 でも、その感謝はすぐに驚きに変わる。

 

 紹介された患者は、はやてちゃんだった。

 

 病室を訪ねたとき、はやてちゃんはベッドで横になっていた。抱いているのはいつか渡した黒猫と騎士のぬいぐるみ。そして、枕元には真美さんの写真があった。

 

「れ、黎子、さん……?」

 

 はやてちゃんははじめ驚いたような顔をしていたけど、すぐに涙を浮かべて飛び込んできた。ベッドから飛び降りようとして崩れ落ちる。私はそんなはやてちゃんを支えて、抱きしめてあげるしか出来なかった。

 

「はやてちゃん、これから私があなたのケアを担当する事になったの」

 

 はやてちゃんが落ち着いて、私はやっと声をかけることが出来た。手を握りしめたまま問いかけるはやてちゃん。

 

「……じゃあ、また、一緒にいてくれるん?」

 

「ええ。脚が治るまで、いえ、治ってからも、ずっと……」

 

 手を握り返しながら答える。

 

 再会したはやてちゃんは、下半身付随を患っていた。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、病院と施設での生活が始まった。病院では精神科医としてはやてちゃんのケアに当たり、施設ではアリサ達の面倒を見る。本当ははやてちゃんもグループホームに誘いたかったけど、聞いていたとおり例の火災事件が強いトラウマとなって、結局通院という形に落ち着いた。

 

 それでも、この頃は恵まれていたのだろう。

 

 アリサ達は新しい環境を家族として受け入れてくれたし、はやてちゃんもシグナムさん達の様な親戚が面倒を見るようになり、精神的な安定を取り戻していった。

 

 そして何より、孔と出会うことが出来た。

 

 孔は様々な異常を抱えていた。記憶喪失はもちろん、他のこども達が見せるような家族を求めようとする挙動がない。まるで自分への愛情を諦めてしまったように、ただ「優等生」と呼べる行動を取り続ける。

 

 私はそんな孔の諦感の原因を探し続けた。

 

 いろんな療法も試したし、アリス達と一緒に過ごして貰ったりもした。でも、今まで学んできた技術は何の役にも立たなかった。孔が治療を受け容れなかったんじゃない。私が孔を不幸から守ってあげる事が出来なかったからだ。

 

 孔はアリサを失った。施設をひいきにしてくれていた杏子さんももういない。周囲からはいわれの無い悪意を受け、大怪我を負い、友達も失った。

 

 それでも、孔は大人びた態度を崩さなかった。

 

 むしろ、こどもらしさはどんどん失われていった。温泉帰りの車の中。社会見学で火災に巻き込まれた翌日。まるで辛い出来事を自分の中に閉じ込めるように、難しい顔で感情を抑え込もうとしていた。

 

 辛かった。

 抑え込んだ感情を解放してあげられない自分が。

 差し伸べた手に気付いてくれない孔が。

 

 でも、きっと、孔はもっと辛いのだろう。

 あの子は、痛くても痛いって言わないから。

 

 

 今日も、帰ってこない孔にそんな事を考えていただろうか。プレシアさんの家に遊びに行って、泊まりたいと言い始めた孔。カウンセリングが不必要なほど落ち着いた精神を持つ孔のわがままは、むしろ嬉しかった。もしかしたら、それが孔の痛みを和らげるきっかけになるかもしれない。

 

「ねー、先生も書いて?」

 

 でも、アリスから渡された手紙はなかなか書き出すことが出来なかった。言いたい事はたくさんある。泊まりにいけるほど仲のいい友達が出来て嬉しいとか、必要なものがあれば持って行くとか。

 

(でも、こんな小言なんか書いても意味は無いわよね……)

 

 ちらりとアリスの手元を見ると、「こうおにいちゃんだいすき」と実にストレートな文字が躍っている。素直に書けるのはこどもの特権なのだろう。おとなになると気恥ずかしさが邪魔して、本心なんてとても文章に出来るものじゃない。

 

(カウンセリングじゃ、よくクライアントにお願いするのにね)

 

 いざ自分がとなるとうまく行かないものだ。かといって、いい加減に書く気も起こらない。孔は手紙を受け取ればきっと真剣に読むだろう。あの子なら手紙の文章から私の意志を読み取ろうとするかもしれない。誤解させるのも良くなし、何より孔から逃げているようで嫌だった。

 

 だから、私はペンをとった。

 

 この手紙を書いたら、久しぶりに料理を作ってあげよう。

 

 あの子が楽しそうな姿を見せてくれるかもしれないから。

 

 連休も残っているから、どこか行きたい所はないか聞いてみよう。

 

 あの子の楽しそうな姿が少しでも続くように。

 

――――――――――――柊玲子/グループホーム

 

孔へ

 

 今、施設ではアリスといつものようにテレビを見ています。遠い親戚に向けて手紙を書いている男の子を見て、アリスは書きたい、一緒に書いて、と言い出しました。

 

 私の方からはあまり伝える事は無いけれど、遠慮なくプレシアさんの所で遊んできて下さい。

 

 普段から孔にはこども達の面倒をみて貰っているから、施設の事を気にしているかもしれないけど、私はもっと友達との時間も取って欲しいと思っています。

 

 そして、もっと施設の外でも楽しいと思える事を見つけて欲しいと思っています。

 

 私もアリスもアキラもパスカルだって、いつも孔が笑って帰ってきてくれるのを待っ

 

(以下絶筆)

 




――悪魔全書――――――

愚者 友田真美
 海鳴市児童保護施設に勤めるケアワーカー。ケアワーカーとしての職歴はそれほど長くないものの、こども達の笑顔を見たいという想いは強く、同時に多くのこども達に慕われていた。悪魔に襲われてもその思いは変わることなく、最後まではやてやカズミのことを案じ続けていた。趣味はぬいぐるみ集めであり、はやてに渡したぬいぐるみは彼女のお気に入りだった。

愚者 柊黎子
※本作独自設定
 海鳴市総合病院に勤める精神科医。その経歴から市がテストプランとして設立した「少数の児童に対し集中的なケアを提供する施設」に参加、孔やアリサ、アリス達の面倒を見ている。精神科医としての腕は確かで、特に童話のようなモチーフとする治療方法は評価が高い。孔が事件に巻き込まれている事を知らないが、ただ傷ついた顔で帰ってくるのを何度も目にしているため、いつか笑って帰ってきて欲しい、支えられていることを感じられる人間になって欲しいと願っていた。

凶鳥 シャンタク鳥
 クトゥルフ神話に登場する、巨大な鳥。鱗で覆われた全身と馬のような頭部を持つ。浅い夢の中で見られる70段の階段の先にある焔の神殿の奥、さらに700段の階段の先にあるドリームランドに棲息する。ニャルラトッテプに仕えており、「外なる神」の崇拝者であれば乗る事もできるが、アザートースの元まで運ばれる事もあるという。

――元ネタ全書―――――

黎子さん
 ペルソナ2より。「柊サイコセラピー」のカウンセラー。本作では児童保護施設の先生のモデルに。今まで本名を出さなかったのは真美さんと交代する形での登場を演出するためです。

――――――――――――


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第6章 終末ヲ呼ブ悪魔~A's①闇の書/崩壊序曲篇
第19話a 闇の書の騎士《壱》


――――――――――――

 分かっていた。いつかこうなるとは。

 あるいは、あの男が言うように、我々は、誰かに滅ぼされるために生まれてきたのかもしれない。

 しかし……

――――――――――――シグナム/海鳴市児童保護施設



 シグナム達4人が八神はやての家で目覚めたのは、数年前。ここで「やってきた」ではなく「目覚めた」と表現したのは、シグナム達が人間ではなく闇の書が産み出したプログラム生命体と呼ばれる存在だったからだ。

 

――封印を解除します。

 

 その闇の書――管理局の言葉を借りればロストロギアの一種は、魔力を注ぎ込むことで白紙のページが埋まり、666ページ全てに魔力を行き渡らせる事が出来れば、どんな願いでも叶えることができるという代物だ。無論、魔力を収集するためのツールも組み込まれている。

 

「我らヴォルケンリッター……夜天の主の名の下に」

 

 それがシグナム達、雲の騎士――ヴァルケン・リッターだった。闇の書は魔力の収集方法として、魔力炉のように燃料を消費して魔力を産み出したり、自然界のものを吸収したりする方法ではなく、結晶体や魔法生物、果ては人間のリンカーコアまで多岐にわたる魔力保有者から直接魔力を吸収するという方法を採用していた。そして、その為の手段も多様な対象に対応出来るよう応用力に優れた生物――すなわち、人間を模して作られていたのだ。

 

「あかんよ。自分の身勝手で人に迷惑かけたら……」

 

 しかし、いやだからこそ、新たな主となった少女――八神はやてはその役割を否定した。代わりにこう口にしたのである。騎士の面倒を見るのが主の役目だ、と。

 

 それから、はやてとの生活が始まった。

 

 当初、シグナムはその生活に戸惑った。元々が魔力収集用のプログラムである。記憶に残るのは身の危険が迫った場合――人間や魔法生物からリンカーコアを奪うための戦闘技術や主となった人物から粗雑な扱いを受けた場合の対処方法ばかりで、家族として迎えられた記憶など何処にもなかったのだ。もっとも、なかなか慣れなかったのはシグナムくらいで、

 

「ヴィータ、どこへ行っていた?」

 

「ん? シグナム? この間はやてと一緒に行った公園だ。爺さんたちと、ゲートボールしてきたんだけど……あれ? シャマル、はやては?」

 

「あら、ちょっと診察が長引くって、さっきザフィーラから連絡があったばかりじゃない」

 

「そうじゃなくて、なんで台所に立ってんだよ?」

 

「ん~、はやてちゃん、今日は遅くなるから、お料理は私がって思って……」

 

「はあ? お前、そんなこと言って、前、失敗してただろ?」

 

「じゃあ、ヴィータちゃんには味見をお願いしようかな?」

 

「げ……」

 

 元々柔軟な性格に設定されていたシャマルはすぐに馴染み、こどもっぽさを残したヴィータも次第に心を開いていった。忠義に厚いザフィーラも、自分の役回りに納得しているように見えた。

 

「シグナムさん、ちょっといいかしら」

 

 だが、そんなある日。病院で脚の治療を受けるはやてを待っていると、柊黎子――はやてのメンタル面での主治医に、呼び止められた。

 

「なんでしょう?」

 

「いえ、ちょっと、はやてちゃんの自宅での様子を聞きたいなと思って」

 

 聞けば、メンタルケアを行う上で、家族との生活の様子は気になるのだという。シグナムはその質問に、可能な限り答えることにした。

 

「そうですね……ヴィータは、妹のように扱われています。シャマルも、まあこの間料理に失敗していましたが、家事を手伝っていて、慕われているようでした。ザフィーラも……」

 

「シグナムさんと一緒にいる時は、どう?」

 

「それは……」

 

 だが、次いで問いかけられた質問には、答えに詰まった。

 

「楽しそうに、してない?」

 

「いえ、そんなことは……」

 

「じゃあ、シグナムさんは、はやてちゃんと一緒に居て、楽しくないかしら?」

 

「そんなことは、ありません!」

 

「でしょうね。なら、きっと、楽しさがかみ合っていないだけよ」

 

「楽しさが、かみ合っていない……?」

 

「ええ。家族って、始めから一緒にいるでしょう。それだけ、お互いに理解しようとする努力をするのを忘れがちだから……でも、はやてちゃんは、努力しなくても誰かを理解するくらいの、優しさを持ってるでしょう?」

 

 虚を突かれたように、目を見開くシグナム。なるほど、確かに、これだけ距離が縮まったのは、主はやての優しさのせいだろう。

 

「もし、シグナムさんがはやてちゃんに何かしたいのなら……まず、何をしてほしいか、聞いてみたらどうかしら?」

 

 だから、その夜、シグナムは問いかけた。

 

「主はやて。闇の書の蒐集を、我々にお命じ下さい。そうすれば、主の足も……」

 

 こんなに優しい主が、病で苦しんでいていいはずがない。

 こんなに優しい主を、救いたい。

 その手段に、自分が使われても、後悔はない。

 

「ううん……あたしは、今のままでも十分幸せや。みんなでいっしょに、静かに暮らしていけたらそれでええ」

 

 しかし、はやては再びそれを否定した。

 

「あたしはな、家族が欲しかってん。前は、真美さんがいて、メイちゃんとカズミくんもいたけど、すぐに会えんようになって……でも、黎子先生、戻ってきてくれて、誕生日には、シグナムたちが来てくれたやん。だから、もう、願いは叶ったんや。また、ひとりになんのも、誰かが傷つくのも、嫌なんや」

 

 そして、消えそうな声の後、はやては「願い」を口にして、

 

「シグナム、約束してな? 現マスター、八神はやては闇の書に、なんも、望みはない」

 

 シグナムは、それを、今の生活と共に受け入れた。

 

 

 † † † †

 

 

 受け入れてみると、自分の周囲は急に色付いた様に思えた。

 

「これから図書館行くから、一緒に来てくれる?」

 

 だから、そんな取るに足らない命令――否、お願いも、自然と受け入れることが出来た。

 

「図書館にはな、友達がおんねん。それで、シグナムたちの話したら、会いたいって……」

 

 はやての乗る車椅子を押して、図書館へ。入り口をくぐれば、声を上げて大きく手を振る少女と、控えめに手を振る少女が出迎える。

 

「あ、はやてちゃんだ。はやてちゃーん!」

 

「すずかちゃん! 萌生ちゃん!」

 

 来る途中に聞いた友達なのだろう。はやての車椅子が、急に速度をあげた。シグナムは手を離して、後ろからついていく。

 

「あっ! この人がシグナムさん?」

 

「うん! この間、会いたいって言ってたから……」

 

 そんな声に追い付いたシグナムは、すぐその中に混じった。

 

「シグナムです。ある……はやてが、お世話になっています」

 

 そう「混じった」のだ、自分から。はやては驚いたような顔をして、しかしすぐに楽しそうに笑う。

 

「もうっ! 固いっ! シグナム、固いでっ!」

 

「えー、そんな事ないよ、シグナムさん、格好いいよ! ねえ、すずかちゃん!」

 

「えっ?! ええっと……」

 

 それに続く萌生とすずか。シグナムは苦笑しながら、そんな3人を見つめていた。

 

 

 † † † †

 

 

 図書館に入った4人は、それぞれの好みに応じた本を手にしていた。すずかは童謡、はやては古典とも言える王道ファンタジー、萌生は漫画。シグナムはそんな3人を見守りながら、慣れない手つきでスポーツ誌を選ぶ。図書室特有の静かな時間は、しかし長く続かない。萌生が漫画そっちのけで、シグナムに話しかけてきたのだ。

 

「ねえねえ、シグナムさんはなに読んでるの?」

 

「スポーツ関連の雑誌です。近くの剣道場で、顧問をやっているので……」

 

 手元の雑誌を見せるシグナム。そこには、カラーのグラビアで色々な剣道の型が示されていた。

 

「ふーん? 面白い?」

 

「いや、それは……」

 

 回答に困るシグナム。戦闘用プログラムとして、命のやり取りを前提に調整された好戦的性格では、ルールのあるスポーツとしての剣道は、それほど楽しむことが出来ない。楽しむことが出来ないゆえに、道場に通う生徒にもスポーツの楽しさを伝える事が難しい。腕は立つのに教えるのが下手、と評される所以である。

 

「まあ、教える上での参考にはなります」

 

 だから、萌生にはそんな言葉で誤魔化した。が、この年齢のこども特有の鋭さとでもいうのか、雑誌に面白さを感じていないのはしっかり伝わったようで、

 

「そっか……じゃあじゃあ、一緒に漫画、読も?」

 

 萌生は、読んでいた漫画を差し出してきた。苦笑するシグナム。シグナムにとって、スポーツ誌も漫画も、なじみのない娯楽という点でさして変わりがない。が、主のご友人の好意を払い除ける訳にもいかず、一緒になって漫画を覗きこむ。

 

「萌生ちゃんとシグナム、なに読んでんの?」

 

 それがよほど珍しい光景に見えたのだろう、はやてが興味を示した。萌生ははやての方へ本を傾ける。

 

「えっとねー『デビル○ルドレン』?」

 

「ドレン?って……萌生ちゃん、読むん初めて?」

 

「うん。だいぶ前、修くんが読んでて、なんか、ばいおれんす? って言ってた。ばいおれんすって何って聞いたら、戦いがリアルなんだって。この間シグナムさん、戦うの好きって言ってたでしょ?」

 

 話す2人をおいて、萌生が開いたページを見つめるシグナム。リアル、というか生々しい。自分ならともかく、主には不適切だ。対象年齢というものがある。すぐに萌生の手からマンガを抜き取った。

 

「い、いや、確かマンガは貸出禁止だし、どうせなら借りられるものが……つきむ、すずか……ちゃんは、何を読んでるんですか?」

 

 こういうのはシャマルかヴィータの役目だ、と思いながら使い慣れない言葉で強引に話題を変えるシグナム。幸い、2人の興味はすぐすずかへ移った。

 

「クラスで先生が進めてた本です。『雪の女王』っていう……」

 

「それ、先生が昔演劇部でやった事があるってやつだよね?」

 

 本を広げるすずかに遠慮なく話しかける萌生。どうもこの娘にとって、本は読むものではなく話すきっかけのようだ。

 

「あれ、そっちは?」

 

 そしてすぐにコロコロと興味の向く先を変える。指差した先には、すずかが今読んでいるのとは別に、本棚から持ってきた本が置かれていた。

 

「これ? 綺堂さんとお姉ちゃんが話してたの。図書館ならあるかもって。見つけたから、2人に持って行こうと思って」

 

「えっ! すずかちゃんもお姉ちゃんがいるの?」

 

 だがやはり本の内容には興味を持たず、萌生はどこかズレた反応を返す。それからは家族の話になった。

 

「いいなぁ。はやてちゃんにはシグナムさん達がいるし、フェイトちゃんもお姉ちゃんがいたし……」

 

「あ、あはは……でも、萌生ちゃんにはお母さんとお父さんがいるじゃない」

 

「そうそう、あんまり欲張ったらあかんよ」

 

 自然にシグナムをはやての家族として数える萌生とすずか。はやてもそれを受け入れる。それはシグナムにとって、とても幸せな時間だった。

 

(なるほど、先生が言っていた「楽しさが、かみ合う」とは、こういうことか)

 

 自然に笑みがこぼれる。

 

 主とその友人との楽しい時間は、図書館を出るまで続いた。

 

 

 そう、続いたのは、図書館を出て、帰路につくまでだった。

 

「あ、利用者票忘れちゃった」

 

「あ~、私も」

 

「それやったら、私の貸したげるよ?」

 

 利用者票を忘れたすずかと萌生に、はやてが受付へ向かう。

 

「ごめんね、はやてちゃん」

 

「ええよ、また今度会ったときに渡してくれれば……」

 

「じゃあじゃあ、また今度、一緒に図書館だね?」

 

 2人と別れるはやて。

 

「な? ふたりとも、いい子やったやろ?」

 

「ええ、そうですね」

 

 友達を自慢するはやてにシグナムは笑みをこぼし、

 

「あなたハ、八神はやてさン、ですネ?」

 

 突然背後から声をかけてきた怪しい神父に、緊張を走らせた。

 

「私ハ、あなたニ、用事がありまス。ちょっト、こちらに来てくださイ」

 

「断る!」

 

 浅黒い肌。狂気を隠そうともしない目。そして管理外世界ではめったに感じることのない魔力。戦闘プログラムを参照するまでもなく危険だと分かる人物に、シグナムははやてを車椅子ごと背後に回す。

 

「残念ですガ、それハ、できませン」

 

 しかし、それを阻むように結界が発動した。結界、といってもシグナムが知る封時結界ではない。どちらかというと移転魔法に近いだろうか。周囲の光景が歪み、大通りが工事中のビルの中へと変わって、

 

「っ! 主っ!」

 

 後ろに逃がしたはずのはやては、怪しい神父のすぐ隣に飛ばされていた。

 地を蹴るシグナム。だが、透明な壁に遮られる。そんなシグナムを嘲笑うように、怪しい神父ははやてに向き直る。

 

「さテ、申し遅れましタ。私、シド・デイビスといいまス。八神はやてさン。あなたハ、図書館で本を借りましたネ? 私にその本ヲ、渡すのでス」

 

「も、持ってない! 借りてへんもん、私……!」

 

 恐怖を押さえつけ、それに叫び返すはやて。友達の名を出さないのは、この恐怖を自分だけで引き受けようとしているからだろうか。

 

「そうですカ。持ってないですカ……それハ、困りましたですネ。でハ、あなたに用はありませン」

 

 しかし、シドと名乗ったその神父は、そんな健気な友情をあざ笑うように腕を振り上げ、

 

「死んでもらいまス」

 

 頭に、振り下ろした。

 

「やめろっ!」

 

 不可視の壁にデバイスを叩き付けるシグナム。だが、切り裂くには至らず、シドの手がはやての頭を潰す

 

「……と言いたいところですガ」

 

 直前で止まった。

 

「彼女モ、あなたニ、死んでほしくないようですシ、あなたモ、死にたくハ、ないでしょウ。私から逃げのびテ、このビルから出られたラ、見逃してあげまス。フッフッフ。さア、お逃げないさイ」

 

 同時、シグナムは背後に強い魔力反応を感じて振り返る。そこには、床に広がる黒い染みと、そこから這い出す大量の怪物がいた。

 

 それはまさに「怪物」だった。

 

 かろうじて人型は保っているものの、まるで内臓が破裂したかのようにむき出しの体内と飛び出した目玉。肉色の身体。それが悪魔、ピシャーチャだと、その時のシグナムは知らない。

 

「シグナムッ!」

 

「主っ! お逃げ下さい!」

 

 こちらに車椅子を向かわせようとするはやてに、叫ぶシグナム。飛びかかってきた異形を切り捨てながら、状況を整理する。

 

(不可視の壁で周囲を囲まれている……化け物に襲われる私を見せつけながら、主をいたぶるつもりかっ!)

 

 可能ならばすぐに結界を打ち破りたいところだが、下手に穴を開けると怪物が結界の外周、はやてのいる方へ雪崩れ込みかねない。まずはこの怪物の数を減らす必要がある。

 

(それまで……お待ちください、主っ!)

 

 一時的とはいえ相手の思惑に乗らなければならない自分に歯噛みしながらも、次々と怪物をほふる。

 

「もっト、逃げ回っテ、私を楽しませてくださいヨ? フッフッフ」

 

 結界の向こうから神父の耳障りな声が聞こえる。

 目を向けると、必死に車椅子を動かすはやて。

 

「さア、むだな努力をするのでス。フッフッフ」

 

 結界を操作したのだろう、先回りするシド。

 

「もっト、逃げ回らないト、死んでしまいますヨ?」

 

 反転して逃げるはやて。だが、そこは行き止まりで、

 

「フッフッフッフッフッフ。さア、お遊びはここまでにしましょうカ。私から逃げられなかっタ、八神はやてさんにハ、死んでいただきましょウ」

 

 シドが、車椅子を蹴りあげた。床に投げ出されるはやて。

 

「さすがニ、出口の無いビルからハ、逃げ出せませんでしたネ。フッフッフッフッ!」

 

 しかし、

 

「翔けよッ! 隼ッ!」

 

――シュツルムファルケン

 

 怪物を全て片付けたシグナムは、デバイスを弓に変形させ、結界ごとシドを撃ち抜いた。魔力障壁も容易に破るその矢は、

 

「フッフッフッ! 残念でしたネ?」

 

 しかしシドを素通りし、ビルの壁に突き刺さる。数メートル先、はやての背後に姿を浮かべ、嘲笑うシド。だが、

 

「今だ! やれっ!」

 

 シグナムの声と同時、シドは背後から殴り飛ばされた。

 

「ヴィータっ!」

 

 嬉しそうに叫ぶはやてをシャマルが助け起こし、ザフィーラが盾になるように前に立つ。結界を破ったのは、何も攻撃だけが目的ではない。シグナムは先ほどの矢で不可視の結界を貫通、奥の壁へヒビをいれ、外に自分の魔力を送っていた。それはこの襲撃を他のヴォルケンリッター達に知らせる合図の役割を十分にこなした。形勢逆転。しかし、

 

「フッフッフッ……!」

 

 シドは嘲っていた。

 

「魔導生命体が4体……そして、この反応……分かりましタ、分かりましタ。あなた達ハ、闇の書の騎士ですネ。それにしてモ、4体纏めて出てくるとハ、とても、ありがたいでス」

 

「なんだとっ! どういう……」

 

 ザフィーラがその意味を問いかける間もなく、シドが指をならした。

 

「でハ、闇の書の主、八神はやてさンは、いただいて行きまス」

 

――summon_デカラピア

 

 一瞬見えた怪物の姿。だがそれはすぐに消え、

 

 後には、無人の車椅子が残されていた。

 

 

 † † † †

 

 

「闇の書の騎士のみなさン、聞こえますカ? 聞こえたのなラ、UMINARIの公園に来るのでス」

 

 シグナム達にそんな念話が響いたのは、翌朝。夜通し探索に明け暮れていた4人は、すぐに唯一の手がかりの下へ向かった。

 

「お待ちしていましたヨ、闇の書の騎士のみなさン」

 

「はやて……テメェ! はやてに何しやがった!」

 

「よせ、ヴィータ」

 

 意識のないはやてを乗せた車いすを押すシドに、激昂するヴィータ。それを抑えるザフィーラ。シドはそんな様子を楽しむように見つめながら、耳障りな声で続けた。

 

「ご心配なク。ここにいル、八神はやてさンには、危害を加えていませんヨ。はやてさんを返して欲しいですよネ。返してほしけれバ、私のいう事を聞きなさイ。そうしたら彼女ハ、自由にしてあげましょウ。私に危害を加えたりするト、彼女の無事ハ、保証できませんヨ?」

 

 

 それから、黒い神父の命令が始まった。

 

 

「始めの」要求は、海鳴市のスーパーマーケット、スマイル海鳴の催し物広場にある神棚の位置を、12時ちょうどにずらせ、というものだった。

 

「つーか、そのくらい自分でやれよ」

 

「やむを得まい。様子を見られるのも今のうちだ。それに、ヤツの言っていた、このスーパーを『いい加減に』爆破した狂人、というのも気になる」

 

 店内の確認を兼ねて入ったスーパー内のファーストフードでぼやくヴィータを、ザフィーラがたしなめる。事実、大人しく命令に従いながら隙を伺う時間は、そう長くないだろう。あの危険な雰囲気を持つ神父が、この程度の命令で満足するとは到底思えない。シグナムは何とか希望を見出そうと、シャマルに問いかけた。

 

「シャマル、主の居場所はどうだ?」

 

「ダメね。公園で接触してきた時に、相手の移転先が追えるようにしていたんだけど、そもそも、アレは実体じゃなかったみたいだし」

 

 唇をかむシャマル。そういえば、工事中のビルの中で放った矢も、相手をすり抜けていた。どうやら結界や移転について高度な技術を持つ相手のようだ。ついでに、召喚魔法も使いこなしていた。頭数で押すのも難しいだろう。

 

(だが……)

 

 決して攻略不可能なわけではない。事実、その直後のヴィータの打撃は通じていた。あまり遠くへは虚像を見せられない可能性が高い。ならば、次の命令を伝えにくる時、あの黒い神父に隙を見いだすこともできるだろう。それには、この命令を終わらせなければならない。

 

「だが、人が多いな」

 

「ええ、この間、放火騒ぎがあったでしょう? リニューアル・オープンで、アイドル――モーロックだっけ? その復活ライブもやるみたいだから……」

 

 シャマルの答えに、渋い顔をするシグナム。ザフィーラが冷静な声をかける。

 

「結界で人払いをかけて、その間にずらすしかないだろうな」

 

「なら、私の出番ね」

 

 デバイスを取り出すシャマル。魔力光は一瞬。すぐに封時結界がスーパー全体を包み込んだ。

 

「急ぐぞ」

 

「ああ、さっさと終わらせて、あのニセ神父からはやてを取り返してやらないとな」

 

 立ち上がるザフィーラとヴィータ。シグナムとシャマルもそれに続く。逸る心を押さえつけ、エレベーターに乗って最上階の催し物広場へ。ライブ会場の設営は既に終わっているらしく、普段閑散としている広場はポスターやテープで飾られていた。そんな誰もいない賑やかな広場を素通りし、会場の裏手――Stuff Onlyの文字が書かれた看板の先へと進む。臨時に区切られたそこには、以前はやてと来たと変わらず、神棚が鎮座していた。

 

「シャマル、どうだ?」

 

「特に魔力反応は見あたらないわね……」

 

 シグナム自身、特に強い気配を感じた訳ではない。シャマルに確認したのも、念のためだ。それでも、4体の守護騎士は、自然とフォーメーションを取っていた。シャマルが後衛に控え、シグナムとヴィータがその前でデバイスを構える。神棚に手をかけるのは、防御に優れたザフィーラ。はじめからトラップを警戒するような陣形は、あの黒い神父への警戒であり、同時に全員ではやての下に戻ろうという意思でもあった。

 

「では、カウントを頼む」

 

「ええ……10、9、8……」

 

 ザフィーラの声で、シャマルが時計を手にカウントを始める。

 

「2……1……ゼロッ!」

 

 神棚が、動いた。

 

(魔力反応……っ!)

 

 シグナムがそう悟ったと同時、飛び下がるザフィーラ。

 

 否、飛び下がったのではなかった。

 吹き飛ばされたのだ。

 受け止めるシグナム。

 軽い。

 当たり前だ。

 

 ザフィーラは、胸から下を、失っていたのだから。

 

「ザフィーラァッ!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

「散れ……っ! この、魔……は、プログ……をっ! 破壊……っ!」

 

 それに叫び返し、消滅するザフィーラ。

 

「ウォォオオ! 怨念が、吹き出る吹き出る!」

 

 代わりに、神棚があった場所から、声が響いた。否、声だけではない。吹き出した魔力が雲のようにうねり、まるで人間の顔のように形をとり始めた。目と口のように開いた穴、その穴の奥には、さらに同じような人の顔が覗き、

 

「テメェッ!」

 

 現れた不定形の怪物に、ヴィータがハンマー型のデバイスで殴りかかる。だが、鈍い音と共に弾かれる。

 

「っ! 硬っ!」

 

「ぐおぉぉおおお! エナジーが、みなぎるみなぎる!」

 

 地響きのような声をあげ、怪物が魔力を収束する。それは先程ザフィーラを吹き飛ばしたのと同じで、

 

「いけない! シグナム! ヴィータをっ!」

 

 危険を悟ったシャマルが、バインドで怪物を拘束する。同時に駆け出すシグナム。だが怪物はバインドをものともせず魔力を膨らませ続け、シグナムがヴィータを突き飛ばした瞬間に、魔力を解放した。

 

――ボルカニッカー

 

 閃光と共に吹き飛ばされるシグナム。

 

「っ! シグナム!?」

 

「ぐ……大丈夫だ」

 

 駆け寄ってくるシャマルに強がってはみたものの、右腕がバリアジャケットごとえぐられている。それは、シャマルの回復魔法をもってしても塞がらず、

 

(ザフィーラの言い遺した、プログラム破壊かっ!)

 

 解析するまでもなく、相手の放った魔法の正体を悟る。暴走した魔力炉から噴出した高濃度の魔力を浴びせられたようなものだ。それは脳や自律神経の生命維持――シグナムたちでいえばそれを模したプログラムに干渉する。直撃すれば、即死だろう。

 

「ちっ! なら、もう一発来る前に叩き潰してっ!」

 

「グゲゲゲゲゲゲゲゲゲェ!」

 

――サンダーブレイク

 

 ヴィータが再びデバイスを構える前に、辺り一面に電撃が降り注ぐ。体勢を立て直す時間もない。飛び退く3人。しかし同時に、シャマルから念話が届く。

 

(この魔力……あの化け物単体の力じゃないわ!)

 

(どう言うことだ!?)

 

(さっき、バインドを仕掛けたとき解ったの! コイツにはリンカーコアがないって……どこかから、魔力の供給を受けているはずよっ!)

 

(なら、お前とヴィータで止めに行けっ! その間――私が時間を稼ぐっ!)

 

 デバイスを握り締めるシグナム。同時、わざと派手な音を立ててシャマルとヴィータが走る。

 

「ニガサンゾ-! ニゲラレンゾー!」

 

「お前の相手はっ! この烈火の将、シグナムだっ!」

 

――紫電一閃

 

 気が削がれた相手に、炎を纏わせた剣を、叩きつけた。

 

「グゲギャァッ!?」

 

 不定形の怪物が悲鳴を上げる。シグナムはそれを意外な目で見ていた。先程のヴィータの打撃のように、自分の斬撃も相手の膨大な魔力量に阻まれると踏んでいたのだ。

 

(魔力によるシールドではないのか……ならばっ!)

 

 剣型のデバイス――レヴァンテインに炎を纏わせ、一気に相手へ斬りかかる。過剰にスピードが乗ったその一撃は、まがうことなく怪物を捉えた。

 

「っ!」「グゲァァ!」

 

 しかし、浅い。先程右腕が削られたせいで、力がいつものように入らなかったのだろう。踏み込みのスピードを殺さず距離をとるシグナム。体勢を整えつつ先程の即死電撃が届かない場所まで退避し、再びデバイスを構え、もう一度斬りかかろうとし、

 

――ブレインバースト

 

 しかし、膨大なノイズに動きを止められた。

 

「ぐっ……あ! こ、れはっ!」

 

 ただの音響による攻撃ではない。神経に作用し、脳の命令系統に割り込む、ウィルスのようなものだ。プログラム生命体であるシグナムには、それがはっきりと解った。

 

「グゲァ!」

 

 咆哮と共に怪物が襲いかかる。その雲のような体に殴り飛ばされるシグナム。壁に打ち付けられ、内臓を揺らすような衝撃が走る。だが、体は動かない。反射的にダメージを受けた箇所を押さえることも出来ず、ただ目の前の怪物が、魔力を収束させるのを見つめ、

 

「ウォォオオ!」

 

 ヴィータの叫びを、聞いた。

 

 殴り飛ばされる怪物。壁に激突し、そのまま崩れ落ちる。

 

「うぉ……! エナジーがぁ! 広場の、さん、にんは、どうしたぁ!?」

 

「そいつらはなぁっ! もう私らがなぁ! ぶっ潰してやったよ!」

 

 容赦なくデバイスを振り上げるヴィータ。

 

「轟天爆砕……!」

 

《Gigantschlag》

 

 巨大化したハンマーは、

 

「ザフィーラと、シャマルの、仇ぃぃいい!」

 

 絶叫と共に降り下ろされた。

 




→To Be Continued!

――悪魔全書――――――
悪霊 ピシャーチャ
 インド神話に登場する、邪悪な霊。「食肉鬼」または「噉精鬼(タンセイキ)」とも。死人の骨肉や人畜・穀物の精気を糧とし、邪法で人を呪う。自由に姿を変えることが出来るが、その姿を見たものは、9か月以内に必ず死ぬという。

外道 オルゴンゴースト
 宇宙エネルギー・オルゴンが実体化した存在。オルゴン・エネルギーはドイツの心理学者・ウィリヘルム=ライヒにより発見されたエネルギーで、その増減によりあらゆる事象を引き起こす。このオルゴンゴーストは、中でも負の事象を引き起こすデッドリーオルゴンが集積したものだという。

――元ネタ全書―――――
『デビル○ルドレン』
 伏せ字にするまでもなく、デビルチルドレン。ご存知の方も多いと思いますが、メガテンでは珍しい低年齢向けに開発されたタイトルで、漫画版も児童誌に連載されていました。もちろん対象年齢も、児童誌に準じている……はず。

あなたハ、八神はやてさン、ですネ?
 言うまでもなく『真・女神転生 デビルサマナー』。オープニングのイベント。本編ではこの後、主人公がいきなり死亡します。普通の人がピシャーチャなんか見たから、とか思ったのは私だけじゃないハズ。

ボルカニッカー
 やはり『真・女神転生 デビルサマナー』より、TV塔のボス、オルゴンゴーストが使用する電撃系即死全体攻撃。本作では回避方法が「届かないところまで退避~」となっていますが、原作ゲームだと運良く逃げられるかは50%のランダム。つまり、何も対策をしていないとパーティが半壊する。初見でいきなり飛んできて「え?」ってなった人も多いのでは?
――――――――――――


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第19話b 闇の書の騎士《弐》

――――――――――――

「私、絶対アイドルッ!! スーパーアイドル! 私の歌を聞いてね!」

「俺のギターテクは世界一っ! このサウンドを聞けえっ!」

「……! …………!」

 部屋中に、魔力を纏ったノイズが響き渡る。

 どうにか解析して、即席でフィールドを作ったけれど、今は維持するだけで精一杯。それどころか、ノイズはどんどん大きくなって、徐々に抑えきれなくなっていく。

 それに、解析するまでに受けたダメージも響いて……

 ボタリと、何かが床に落ちた。
 鼻血だ。
 痛みはない。
 ただ、酷い頭痛と吐き気がする。

(はやてちゃんには、こんな姿見せられないわね……!)

 それをはやてちゃんとの思い出で誤魔化して、

「シャマルッ!」

「いいからっ! 敵を討って! ヴィータ!」

 こっちを見て叫ぶヴィータをそんな言葉で誤魔化して。

 でも、私は、はやてちゃんの魔力で創られた体が壊れていくのを、はっきりと自覚していた。

――――――――――――シャマル/モーロックコンサート会場



「守護騎士の皆さン、お久しぶりでス」

 

「テメェはぁ!」

 

「よせ、ヴィータッ!」

 

 あの雲のような怪物、オルゴンゴーストとの戦闘から数時間後の公園。シグナムとヴィータは現れた黒い神父と対峙していた。「現れた」といっても、シャマルの言う通り本体は別の場所にいるのだろう。相手からは、人を前にした気配が感じられない。

 

「怨念を無駄に吸う悪魔を退治してくれテ、ドウモありがとウ。向こう側ではそれほど力を持っていなかったのですガ、終末が近いこちらでは怨念が強く、我々も手を焼いていたのでス」

 

 挑発だと分かっていても、血が沸騰する様な感覚に襲われる。だが、シグナムは無理やりそれを押さえつけた。こういう時に冷静な言葉をかけてくれるザフィーラは、もういないのだ。

 

「アナタ達の活躍ハ、はやてさンと一緒に見ていましたヨ。本当によくやってくれましタ」

 

 が、決意は続く言葉で決壊した。

 見ていた? 主と?

 

「フッフッフッ! ザフィーラさンハ、綺麗に吹き飛ばされましたネ。シャマルさンモ、3体の悪魔が流す電波かラ、ヴィータさンを護るためニ、自分のプログラムを削りながラ、壊れましたネ。その時のはやてさンの顔ハ、ケッサクでしたヨ」

 

「貴様っ!」

 

 喋り続けるシドにデバイスを抜く。だが黒い神父の嘲笑は続き、

 

「アア、失った戦力ハ、すぐ補充しまス」

 

 そう言ってはやての車椅子を前に出し、闇の書を取り出した。

 

「テメェ! はやてに手を出したらっ!」

 

「私に危害を加えようとしたラ、彼女の無事ハ、保証できませんト、言ったでしょウ?」

 

 右手に持った闇の書に、左手を添えるシド。左手がズブズブと本のなかに沈み、はやての胸から現れた。そこには、はやてのリンカーコアが握られ、

 

「いっ……いやぁぁああ!」

 

 臓器を無理矢理引きずり出したような痛みに、絶叫と共に目を見開くはやて。

 

「う、うわぁぁぁあああ!」

 

 たまらず、ヴィータがデバイスで殴りかかる。だが、虚像のシドに届くはずもなく、

 

「フッフッフッ! 夜天の書を改造した技術ハ……実に素晴らしイ!」

 

 はやての胸から生えたシドの手は、はやてのリンカーコアを弄り続け、

 

「い、がっ……」

 

「主っ!」

 

 車椅子に崩れ落ちるはやて。思わず駆け寄るシグナム。だが、それを支えたのは、

 

「……」

 

 消滅したはずの、ザフィーラとシャマルだった。

 

「あなたがたの本当の使い方ハ、何度も復活さセ、奪わせることでしょウ」

 

 無言のまま、背後に転送されてくる2人。否、2人は既にシグナムの知るザフィーラとシャマルではなかった。顔に表情はなく、その目は灰色で、何の意思も映してはいない。

 

「ですガ、メモリーは邪魔だったので、消しておきましタ。これで、本来の殺戮マシーンに戻れますヨ」

 

「お前はっ……!」

 

 感情を逆なでする言葉に声が漏れる。シドはそれを止めるように、はやての首筋へ手を当て、

 

「でハ、次ハ、天堂組組長……天堂天山ヲ、殺してきてくださイ」

 

 次の命令を、口にした。

 

 

 † † † †

 

 

「ここだ」

 

 海鳴市でも山側に位置する、閑静な高級住宅地。シグナムが案内したヴィータに合わせて立ち止まったのは、その中でもひときわ目を引く、まるで城のような屋敷の前だった。

 

「ヴィータ、天堂というのは……」

 

「ゲートボールで一緒になった、気のいい爺さんだよ……ヤクザって、分かんないくらいにな」

 

 振り向かずに答えるヴィータに、手を握り締めるシグナム。だが、記憶と感情を失った2体は、ヴィータを無視するように閉ざされた門の前に進む。

 

「っ! 待てよ!」

 

 苛立った声を上げるヴィータ。ようやく振り返ったシャマルが問いかける。

 

「どうしたの?」

 

「……やるのは私って言ったの、覚えてんだろうな」

 

「ええ。私たちは補助用のプログラムだから、そっちの方が効率いいわね」

 

 ただ無感情に応じるシャマルに、シグナムは自分の表情が歪むのが分かった。

 

 違う。

 お前は、もっと感情を読むのが得意だっただろう?

 痛みを理解して、癒して、主の事を支えていただろう?

 

 だが、そんな心の叫びもむなしく、門の前からザフィーラの声が届く。

 

「おい、早くしろ」

 

「くっ……!」

 

 奥歯をかんで、歩き出すヴィータ。シグナムもそれに続く。

 

「おう、アンタらがシドの言ってた増援だな? 話は聞いてるぜ」

 

 門の前に立っていた、チンピラのような男――シドからオザワと呼ばれていた男が、4人、いや、2人と2体を屋敷の中に招き入れる。

 

「つっても、俺はこの組の人間じゃないんだけどな」

「シドが天堂と協力、つーか利用してるから、潜り込めたんだ」

「ま、その関係も今日で終わりみたいだけどな」

 

 ぺらぺらと喋るオザワの後ろについて歩きながら、シグナムは屋敷の中を観察していた。屋敷の外観にたがわず、木造の床に障子、金色の屏風が続いている。だが、そんな外装より、

 

(あちこちから、魔力を感じるな……)

 

 まるで結界の中に閉じ込められたような感覚に、強い緊張を覚えた。協力している、というオザワの言葉から察するに、この結界を張ったのはあの黒い神父だろう。廊下を歩いていると思ったら、その先は金屏風に囲まれた部屋に続いている。だがその屏風を開けると、畳の敷かれた和室で、

 

「ん……おお、ヴィータちゃんか、本当に来るとは」

 

 いつの間にか、組長、天堂天山のくつろぐ離れの一室にたどり着いていた。

 

「子分から家の前にいると聞かされた時はホントかと思ったが、どうした? わざわざ、こんな所まで……」

 

「ん、あ、いや……」

 

 目でオザワに出ていくように合図を送りながら、楽しそうにヴィータを迎える天山。なるほど、ヤクザらしく眼光には鋭いものがあるが、ヴィータの言う通り、根は悪い人物ではないのだろう。

 

「じいちゃん、最近公園に来なかったから、お見舞いだよ。身体悪くしてたらいけないから……」

 

「おお、そうか、だが、この通りわしは問題ないぞ!」

 

 確かに、問題なさそうだ。それどころか、とても公園でゲートボールをやるご近所のお年寄りにみえない。老人会という名前から想像する年齢より、10、いや20は若く見える。

 

「……なんか、じいちゃん、若返った?」

 

「おお?! そう見えるか?」

 

 ヴィータも疑問に思ったのだろう、素直に問いかける。だが、天山はそれをほめ言葉と取ったようだ。上機嫌に笑いながらシグナム達に座るよう言う。

 

「ところで、そこのお嬢さんは、ヴィータちゃんのご家族かな?」

 

「はい、八神シグナムと言います。ヴィータがいつもお世話になっているようで……」

 

 話を振られて頭を下げるシグナム。家族の友達に会うのは、こうも緊張するものだろうか。すずかや萌生に会った時に感じた、他の誰かの大切なものを扱うような感覚がある。

 

「ふっ……そんな固くなる必要はない。堅気の人に、我々は手を出さんよ」

 

「いえ、家族の友達に会うのは、やはり緊張するもので……」

 

 あいさつを兼ねた、しかしどこか自嘲を含む言葉で返す組長に、シグナムはヴィータをまねて素直な言葉で応じる。虚を突かれたような顔をする天山。だが、急に笑い出した。

 

「そうだな、そうだ! 誰かが大切にしているものほど、難しいものはあるまい!」

 

 そして、唐突に立ち上がる。同時、屋敷が揺れた。

 

「なっ!? 何だっ!?」

 

「カチコミじゃ」

 

「いや、いくら何でもこの揺れは……」

 

 ジャパニーズヤクザの闘争。シグナムはそれを映画でしか見たことがなかったが、襲った衝撃がそんなものではないことぐらいは分かった。現在進行形で襲うこの揺れには、魔力が感じられるのだから。

 

「いいから、ヴィータちゃんと一緒に逃げなさい。できるだけ遠くにな。海鳴はいい街じゃった……だが今は、軍隊やら、新世派やら、あげくには悪魔まで動き出そうと、ワシのシマで、好き放題やりくさっておる。ヤツらは義理も筋も通さん……。ほれ、出口はそっちじゃ」

 

 先ほど入って来たふすまを指さし、背を向ける天山。そこに殴り掛かろうとするザフィーラを、シグナムは止めた。

 

(? どうした、なぜ止める?)

 

(っく……ヴィータ、どうする?)

 

(すまねぇ……。シグナム、私は……)

 

 泣き出しそうなヴィータを見て、シグナムは代わりに天山へ問いかけた。

 

「あなたは、私たちが来た本当の目的を、知っていたのでは?」

 

「……」

 

 一瞬の沈黙。だが、天山はすぐ振り向かずに歩き出す。

 

「ヴィータちゃんも、たまには自分の国に家族を連れて行ってやるとエエ。大切な家族が、いるんじゃろう?」

 

「じ、じいちゃん?」

 

 そして、奥のふすまを開いた。そこには、真っ暗な部屋が広がっていた。内装はよく分からない。ただ、暗闇の中には黄金像が浮かび上がり、

 

「あ、ま、待って……!」

 

 駈け出すヴィータ。だが追いつく前に、ふすまが閉まる。再びヴィータが開けた時には、ただ広い屋敷の庭が広がっているだけだった。

 

 立ち尽くすヴィータ。

 シグナムはその小さな背中に声をかけようとして、

 

「なぜ、逃がした?」

 

 詰め寄るザフィーラに、追い抜かれた。

 ヴィータはそれを無視して、シャマルに声をかける。

 

「……シャマル、じいちゃんの居場所、分かるか?」

 

「いえ、結界が邪魔して、よく分からないわね。屋敷の中にいるのは、確かだと思うけど」

 

 そして、静かに振り返った。

 

「シグナム、じいちゃんを追おう」

 

「いいのか?」

 

「ああ」

 

 短い言葉。だが、その中に隠された意思を組んで、シグナムは歩き出す。向かう先は、先ほど天山が指さしたふすま。出口、と言っていたが、これだけ複雑な結界なら、おそらく外に直結するものではないだろう。そして、外部に近づけば、それだけ結界の核となる術式から離れる結果となり、干渉する隙も生まれるはずだ。

 

「一旦、外に向かう。シャマルは、その間に結界の解析を頼む」

 

 

 † † † †

 

 

「なんだぁ? あんた等、天堂をやったのか?」

 

 ふすまの先に広がっていたのは、廊下。そしてそこにいたのは、オザワだった。耳障りな声に眉をひそめるシグナム。それを見たオザワは、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「その様子だと、逃したみたいだな? いいのかぁ? シドの奴は、容赦しないぜ?」

 

「貴様に言われずとも、分かっているっ!」

 

「おおこわ……まあいいさ、天堂のとこに行くんならそっちから行くんだな。俺はガキのお守りで忙しいんだ」

 

 思わず苛立ちをぶつけるも、聞き逃せない言葉に問い直す。

 

「ガキ、だと?」

 

「知らないのか? シドが五島から依頼されていた本を、先に手に入れたガキだよ。まあ、持ってなかったみたいだがな?」

 

 それは、主の事か! そう問い詰める前に、オザワが得意げにふすまを開く。

 

「……ぅ!」

 

 そこには、縛られたまま転がされる、萌生がいた。

 

「現物はなくても、このガキを五島のトコに連れていきゃあポイントにはなるだろう。これでシドを出し抜いて、いずれは俺が……」

 

 案内した時と同じ調子で喋り続けるオザワ。シグナムは無言で、デバイスを抜いた。

 

「がっ!」

 

「悪いな。私が受けた依頼は、天堂天山の命だけだ」

 

 萌生を抱き上げ、拘束を解いていくシグナム。

 

「てめえらぁ、手柄の横取りを……!」

 

「うるせぇよ」

 

 未だ起き上がろうとするオザワを殴り、意識を刈り取るヴィータ。

 

「シ、シグナムさんっ……!」

 

「もう、大丈夫だ」

 

 泣きながら抱き付いてくる萌生。

 

(なあ、シグナム、この子は……)

 

(只野萌生……主のご友人だ)

 

 その間、念話で問いかけてくるヴィータに、萌生の事を話す。

 

 はやてと楽しそうに話していたこと。

 自分をはやての家族と認めてくれたこと。

 一緒に図書館で本を借りていたこと。

 シドが当初、はやてに本の事を訪ねていたこと――。

 

(野郎……はやての大事なモンばっかり手ぇ出しやがって……!)

 

(すまない、私もうかつだった……この子が狙われる可能性を忘れていたとは……!)

 

 憤るヴィータ。シグナムも歯を食いしばりながら、次第に泣き止み始めた萌生に向き合う。

 

「落ち着いたか?」

 

「うん……助けて、くれて……ありがとう!」

 

「ある、いや、はやては、一緒じゃなかったか?」

 

「ううん……図書室で、ひとりで、すずかちゃんとはやてちゃん、待ってた時、その、お兄さんに捕まって……っ! あ、は、はやてちゃんも、捕まっちゃったのっ!?」

 

 しゃくりあげながら答えていた萌生だが、途中ではやてが捕まったことに思い至ったのだろう。目を見開き、縋るようにシグナムに問いかける。シグナムはそれを正面から受け止めた。

 

「ああ。だけど、大丈夫だ。必ず私たちが助け出す……!」

 

「ほんとう……?」

 

「ああ」

 

 自分に言い聞かせるような言葉は、しかし萌生にも届いたらしく、少しだけその目に安心を浮かべる。シグナムはそれを見て、シャマルに向き直った。

 

「結界の解析は、終わったか?」

 

「ええ。でも、術式が特殊で、干渉までは難しいわね。天山が用意していた本来の脱出経路も、塞がれてるみたい。ここからじゃ、さっきオザワが言っていたルートから天山の元へ向かうしかないわ」

 

 再び、ヴィータへ視線を向けるシグナム。無言でうなずくヴィータ。それを確かめると、シグナムは萌生の手を引いたまま、オザワの指さした先にあるふすまを開いた。

 

 

 † † † †

 

 

「そっか、ヴィータちゃんも魔法使いなんだね?」

「え? うん、友達にね、魔法使える子がいるの。フェイトちゃんっていうんだよ!」

「フェイトちゃんはねぇ、綺麗で、かっこよくて……シグナムさんと、ちょっと似てるかも? あ、でもでも、可愛いとこもあるんだよ?」

「ん~? 怖くないよ? だって、友達だもん!」

 

 踏み出した先に広がっていたのは、誰もいない廊下。普通なら不気味に広がる複雑な回廊も、しかし今は賑やかな声が響く。言うまでもなく萌生だ。ヴィータに向かって本当に楽しそうに話を続けている。

 

「そうだ! 今度、ヴィータちゃんのところに連れていくよ。そしたら、はやてちゃんとも会えるし」

 

「おうっ! そうだな、はやても、喜ぶし」

 

 それに応じるヴィータ。初対面でも遠慮なく関係を築くことが出来るのは、未だ悪意を知らないこどもの特権だろうか。

 

(いや、本来の優しさがあれば、お前もこの関係の中に入っていただろうな)

 

 後ろの賑やかさとは対照的に、ただ無言で前を進むシャマルとザフィーラを見つめる。

 この子が家に来れば、本来のシャマルなら、笑って迎えるだろう。

 この子が家に来れば、本来のザフィーラなら、苦笑してペット役を引き受けるだろう。

 だが、その2人は、今はいない。

 

「この先よ」

 

 それを裏付けるように、たどり着いた最上階で無表情を向けてくるシャマル。シグナムはそれから目を逸らすと、ただならぬ妖気を感じる扉へ手をかける。が、背後から賑やかな声が聞こえなくなっている事に気づいて、ふり返る。

 

「大丈夫。もう少しだ」

 

 妖気に当たられたのだろう、萌生は、震えていた。

 

「うん……シグナムさん、ヴィータちゃんも、はやてちゃんを、助けてあげて?」

 

 それでも、友達を気づかう萌生。

 

「おう、任せとけ!」

 

 勢いよくうなずくヴィータ。シグナムも笑みで答え、扉を開いた。

 

 瞬間、部屋の中へ引きずり込むような突風が襲う。

 踏みとどまれない。

 そう悟ったシグナムは、慌てて萌生を抱きしめる。そのまま吹き飛ばされる様に部屋の中へ。壁に背中をぶつけながらも、何とか体勢を整える。

 

 そして、見た。

 黒い翼をもった少年が、この部屋に引きずり込んだ暴風を作り出しているのを。

 その暴風が、部屋にあふれる怪物を吹き飛ばしているのを。

 その惨劇を背に、

 

「萌生を、かえせぇぇぇえええ!」

 

 金髪の魔導師が、異形と化した天山に斬りかかるのを。

 

「ぐうっ、若返りの力が切れたかっ!」

 

 腕を切り落とされながら吹き飛び、部屋の奥の黄金像に叩きつけられる天山。だが、血も流さずに起き上がる。

 

「もっと血を、子分どもに集めさせた血を貯めた黄金像を………! ……まだ、まだ戦える……血を、黄金像を……!」

 

 身体を引きずるように黄金像へ歩み寄り、残った左腕を伸ばす。だがそれは、今まで誰もいなかった空間から突然伸びてきた手に掴まれた。

 

「そこまででス。天堂さン。あなたの役目ハ、終わりましタ。あなたニ、これ以上エナジーを使わせることハ、出来ませン」

 

 シドだ。まずい。そう思った時には、身体が動いていた。

 

「それニ、これ以上、混沌のメシアと戦ってモ、勝てないでしょウ。利用価値が無くなリ、戦いにも負けたあなたハ、元のあわれな老人に戻っテ……!」

 

 シドの意識が天山に向いているスキに、萌生を金髪の魔導師の方へ突き飛ばす。

 

「そこの魔導師! 受け止めろ!」

「きゃっ……! シグナムさんっ!?」

「モブ……ッ!」

 

 戸惑いながらも勢いのまま、金髪の魔導師の方へ向かう萌生。

 

「ナ、何をしているのでス!」

 

 シドの、焦った様な声。

 だが同時に、銃声が響く。

 足を貫かれ、崩れる萌生。

 撃ったのは、

 

「させねぇ! そいつは、俺の手柄だぁ!」

 

 オザワだ。後頭部から血を流しながら、銃を構えている。否、ただの銃ではない。それは何か怪物でも相手にするような巨大な銃で、

 

「死ねぇぇええ!」

 

 その銃口を助けてきたであろう金髪の魔導師に向けて、引き金を引いた。

 

「やめろぉっ!」

 

 飛び出したのは、ヴィータ。金髪の魔導師を突き飛ばし、

 

「いぁぁぁああああ! ヴィータちゃんっ!」

 

 バリアジャケットごと、弾丸に打ち抜かれた。

 萌生は足を引きずりながら、ヴィータにしがみつく萌生。

 

「フッフッフッ……! オザワさン、あなたハ、とてもよくやってくれましタ」

 

 その小さな身体を、シドがつかみ上げた。

 

「貴様っ……!」

「てめぇ! オザワァ! ぶっ殺してやるっ!」

 

 シグナムがシドを睨みつけ、黒い羽根の少年がオザワに向かって叫ぶ。しかし、

 

「今、あなたがたの相手をしているヒマハ、ありませン。さようなラ」

「おっと、俺ももう悪魔を呼べるようになったんでな。お前は、コイツとでも遊んでな」

 

 シドが、移転魔法を発動させる。それはオザワとシグナム達を巻き込み、

 

「待てぇ!」

 

 怒号を上げる金髪の魔導師を最後に、視界が暗転した。

 

 

 † † † †

 

 

 再び目を開いたとき、そこは青一色の景色だった。おそらく、未だ結界の中なのだろう。もっとも、それが天堂の屋敷に張られていた結界とは全くの別物だという事は、シグナムにも分かった。術式の解析まではできないが、シャマルの得意とする結界魔法と同様、天堂の屋敷の結界は、自然界や人工物に依存しており、周囲の光景は多少なりとも残っていた。しかし、ここには、それがない。まるで魔力で無理やり作り出したような、人工の空間とでも言うべき不自然な場所だった。

 

「っ! ヴィータ!」

 

 だが、シグナムの考察は長く続かない。一緒に移転されたのだろう、ヴィータに駆け寄る。

 

「ぐ……ごめん、シグナ、ム……」

 

「もういい、喋るな」

 

「いや、はやて、に、会ったら、伝えて、くれ……友達、守れなくて、ゴメンって」

 

「何を言っている! 失敗したのは、私でっ! お前はっ! 守ろうとしただろう! 助けようとしただろう!」

 

「で、はやて、に、会ったら、お前だけ、謝るん、だろ?」

 

 無理やり笑うヴィータ。そして、叫ぶ。

 

「アタシはなぁ、すげぇ幸せだったんだ! 家に帰ったら、優しい、はやてが、ニコニコ笑って、待ってて、くれて、みんなで、家族で……! そこに萌生みたいな友達がいたら、最高じゃねぇか!」

 

 崩れ始める身体。

 

「だから、さ」

 

 それでも、シグナムの方をはっきりと見つめて。

 

「取り返して、くれよ、アタシたちの、はやての、帰る、場所……!」

 

 ヴィータは、光の粒子となって、消えた。

 

「フッフッフッ」

 

 代わりに、背後から嗤い声が響く。

 

「貴様……!」

 

 振り向きざま、デバイスで斬り付けようとするシグナム。だが、その動きは止まる。ザフィーラが、無言のまま押しとどめるように肩に手を置いたから。

 

「ふム、制御ハ、うまくいったようですネ」

 

「主と、萌生は、どこだ?」

 

「会いたいですカ? でハ、次の命令を聞きなさイ。次デ、最後でス」

 

 シドは、そんなシグナムをいたぶるように続けた。

 

「児童保護施設にいル、柊黎子さンヲ、殺しなさイ」

 

 その名を、シグナムは知っていた。

 初めて主の元で目覚めた時から、いや、それ以前からずっと、はやてを見守っていた精神科医。ずっと主を支えていた、家族同然の、大切な人。はやてとの仲を進展させるきっかけをくれた人――

 

「なぜだ……!」

 

「それハ、あなたが気にすることでハ……」

 

「なぜ主の大切なものばかり壊そうとするっ!」

 

 叫ぶシグナム。はぐらかそうとするシドに、デバイスを突きつける。

 

「……主に、会わせろ」

 

「フッフッフッ……八神はやてさんなラ、すぐ後ろに居ますヨ?」

 

 だが、その回答は予想外で、

 

「シグナム! ダメやっ!」

 

 背後から響いた、はやての声に、振り向いた。

 

 結界に浮かぶ穴。

 

 その先には、こちらに向かって叫ぶはやてと、血を流したまま転がされる萌生がいた。

 

「主ぃ!」

 

 思わず手を伸ばす。だが、手ごたえはない。それは、結界に空いた穴などではなく、ただ空中に浮かぶ映像だった。

 

「シグナムっ! やめてっ! 黎子さんは、私の、私たちの、お母さんなんやっ!」

 

 しかし、残酷にも声は届くようで、

 

「フッフッフッ……八神はやてさン、あなたの騎士は、ただの戦闘用プログラムなのですヨ? 人の形をしているだけデ、銃や剣ト、何も変わりありませン」

 

 いつの間にか、映像の先に移動していたシドが、話を続けた。

 

「違うっ! シグナムは、私の、家族やぁ!」

 

「ですガ、あなたの騎士ハ、あなたの命ト、他の誰かの命なラ、あなたの命を選ぶでしょウ。実際、闇の書に人形のプログラムが追加されたのハ、人々の心に入り込ミ、主の命のためという理由デ、多くの人間に恨まレ、壊されるためなのでス。そうすることデ、世界を闇で覆イ、カオスの世界ヲ……」

 

「そんなん! そんなん、させへん! 私が、止める!」

 

 叫ぶはやて。だがシドは、それを楽しむように笑みを浮かべ、

 

「なラ、仕方ありませン。私モ、レディに手荒なまねハ、あまりしたくありませのデ、シグナムさンではなク、意思を消した騎士にやってもらいましょウ」

 

 闇の書に、手をかけた。

 

「うあぁぁああ! 嫌やぁ! もう、あんなっ! 機械みたいなっ! 見たなぃぃい!」

 

 リンカーコアをえぐり出された痛みで転げまわりながらも、守護騎士を気づかうはやて。しかしシドはそれを無視してヴィータを再生させ、

 

「もういいっ! もうやめろ!」

 

 シグナムは、耐え切れなくなって、叫んだ。

 

「要求を、聞こう」

 

 こちらを向くシド。

 

「でハ、移転させまス。健闘を、祈っていますヨ?」

 

「あかんっ! ダメやっ! シグナム!」

 

「主、申し訳ありません。せめて、ヴィータ達ではなく、私の手で……」

 

 痛みを抑えながら、叫ぶはやて。

 

「なんでやっ! 約束、したやろっ! 私は、闇の書の主は、何にも、望まへんって! 言ったやろっ! そばに居てくれるだけでええって……! シグナム!」

 

「申し訳ありません! ただ一度だけ、あなたとの誓いを破ります!」

 

 悲鳴のように、叫び返すシグナム。

 

「嫌やぁ! シグナム! 黎子さん殺すくらいならっ! 私を殺してっ!」

 

 はやての絶叫を耳に、視界が反転した。

 

 

 † † † †

 

 

 送られた先は、海鳴の街だった。

 

 シグナムがはやての家で目覚めてから、幸せな生活を送った街だ。

 あの公園では、ヴィータがご近所のお年寄りとまじって、ゲートボールをしていた。

 向こうのスーパーでは、シャマルがよく買出しに寄っていた。

 もう少し先には、犬となったザフィーラを連れて、はやてがはしゃいでいた神社もある。

 

 思い出と一緒に朝の陽ざしの中で静かに輝く街は、ほんのわずかな時間しか離れていないというのに、酷く懐かしく感じられた。

 

「あら、シグナムさん? お久しぶりね。どうしたの?」

 

 そして、児童保護施設で迎えた、施設の先生の声も。

 

「いえ。少しある……いや、はやてのことで相談がありまして。お時間をいただけないでしょうか?」

 

 声が震えるのを必死に押し殺し、施設の扉をくぐる。

 

「急に申し訳ありません」

 

「いいのよ。はやてちゃんの様子も聞きたかったし」

 

 施設の先生は、それを温かく迎えてくれた。

 

 シグナムは、思う。

 

 この人が、主を利用しようとする悪党なら、どんなによかっただろう、と。

 この人が、誰かの大切なものを奪う悪魔なら、どんなによかっただろう、と。

 

 だが、この人は、そんな人じゃない。

 

 当たり前だ。

 

 あの主の、母親なのだから。

 

「っ! 先生、申し訳ありませんっ!」

 

 だからシグナムは、先生を刺した時、自分自身を見放した。

 

 あの黒い神父の言う通り、自分はきっと非人道的な殺人兵器に過ぎないのだろう、と。

 憎しみをまき散らす兵器のように、誰かに破壊されるのだろう、と。

 

「なっ! 先生っ!? ……先生っ!」

 

「……ぁ……こう……にげ……あなたは、ぶじでいて……わたしは、へいき……だか……」

 

 そして、入って来た少年を見た瞬間、悟った。

 

 この少年が、ひと目見て尋常でないと分かるこの少年こそが、自分を憎み、破壊する存在なのだろう、と。そしてその予想は裏切られることなく、

 

 かつて、活発な表情を見せた少女の鉄槌は砕かれ、

 かつて、冷静さと誇りをその目に宿していた男は獣の炎に焼かれ、

 かつて、その優しさで癒しとなっていた女性は骸と化していく。

 

(だが! 私は、私たちはっ!)

 

 だからシグナムは、その少年に向かって、叫ぶように念話をつないだ。

 

 自分が、闇の書が生み出した騎士だという事を。

 主とその友人が捕えられ、強制的に従わされているのだという事を。

 捕えているのは、シドという黒い神父で、手下にオザワ、背後に五島という男がいる事を。

 おそらく、今も黒い神父が監視しているだろうという事を。

 そして、黒い神父の居場所は、このデバイスに保存してあるという事を。

 

 その少年は、悪魔のような力をふるいながら、ただ念話を受け止める。

 

「分かっていた……いつかこうなるとは」

 

(だから、私の事は、どれだけ恨んでくれても、殺してくれても構わない……! あの男が、私を復活させるたび、何度でも!)

 

「……だがっ!」

 

(お前が、悪魔でも、憎しみをまき散らす私たちを殺す英雄でも、何でもいい……! 主を、私たちの家族をっ! 救ってくれ!)

 

 対峙する少年は、

 

(……もういい、もう十分だ……だが、母さんの命を、自分の命で、捨てようとした命なんかでっ!)

 

「そんなもので……っ! 償えるものかぁぁあああ!」

 

 感情を乗せた剣で応え、

 

(申し訳ありません、主、先生……)

 

 シグナムはそれを受け止めた。

 




――Result―――――――

・守護騎士 ザフィーラ  魔法攻撃に伴うプログラム破壊により死亡
・守護騎士 シャマル   魔法攻撃に伴うプログラム破壊により死亡
・守護騎士 ヴィータ   銃殺
・守護騎士 シグナム   斬殺
・悪霊 ピシャーチャ   斬殺
・外道 オルゴンゴースト 撲殺
・怨霊 ユリア/スピーディー/ミキヤ 撲殺
・幽鬼 テンドウ     老衰

――悪魔全書――――――

守護騎士 ザフィーラ
※本作独自設定
 闇の書の収集用プログラム、守護騎士ヴォルケンリッターの一体。寡黙で冷静な性格に調整された獣人の男性で、獣の姿に変身することが出来る。守護騎士の中では最も防御にすぐれ、それを生かした壁役として、またその冷静な性格を生かした抑え役として活躍する。しかし、八神家ではそうした戦闘技術を使う事もなく、獣の姿で番犬として生活していた。

守護騎士 シャマル
※本作独自設定
 闇の書の収集用プログラム、守護騎士ヴォルケンリッターの一体。優しくおっとりした正確に調整されている。戦闘では転送や結界、バックアップを得意としているものの、やはり八神家ではそうした戦闘技術は使うことがなく、はやての家事の手伝いに従事していた。なお、デバイスは武器と一体になった振り子型アームドデバイス・クラールヴィント。

守護騎士 ヴィータ
※本作独自設定
 闇の書の収集用プログラム、守護騎士ヴォルケンリッターの一体。日本でいう小学校1年生相当の女児の姿を取り、性格もそれに合わせ自由気ままに調整されている。しかし、アタッカーとしての実力は確かで、武器と一体になったハンマー型アームドデバイス・グラーフアイゼンを手に、強力な物理攻撃を操って戦う。八神家ではそうした戦闘技術は使うことなく、ご近所の老人会の主催するゲートボールに参加したりと、自由な性格にふさわしい自由な生活を謳歌していた。

守護騎士 シグナム
※本作独自設定
 闇の書の収集用プログラム、守護騎士ヴォルケンリッターの一体。いかにも騎士らしい生真面目な性格に調整されている。魔力を物理的な炎に変換する資質を持っており、その炎を使った攻撃を得意とする。が、八神家にいる間はもちろんそのような戦闘技術を使う事もなく、近所の剣道場で非常勤の講師をしていた。なお、デバイスは武器と一体になった剣型アームドデバイス・レヴァンティン。

怨霊 ユリア/スピーディー/ミキヤ
※本作独自設定
 オルゴンゴーストとともに吹き出たオルゴン・エネルギーに、アイドルグループ「モーロック」の怨霊がとり憑いたもの。ボーカルのユリアは人気急落から過食症に陥り、鏡に映った自分の姿を見てショック死。ギタリストのスピーディーはその名の通り速弾きで有名となったが、クスリに手を出し中毒死。キーボードのミキヤは他の2名との「音楽性の違い」から孤立し自殺。その執念と無念が響かせるサウンドは、負のエネルギーをオルゴンゴーストに供給し続けるという。

幽鬼 テンドウ
※本作独自設定
 海鳴市に本拠地を置くヤクザ、天堂組の組長。いわゆる古き良き時代の極道で、それだけに警察も手を焼いている。趣味はゲートボールで、正体を隠し近所の老人会に参加するという恐るべき一面も。だが、ここ数年は、「人が変わったよう」に部屋にこもり、あくどい商売を始めたという。

――元ネタ全書―――――

ぐうっ、若返りの力が切れたか
 真・女神転生 デビルサマナーより、天堂組に突入するイベント。ちなみに、本編中の天道のセリフ「軍隊やら~」は真・女神転生の大破壊前、新宿で何故か普通に入れるヤクザビルの組長のセリフが元ネタです。

――――――――――――
 ご覧いただきありがとうございます。そして、更新を止めてしまい申し訳ありません。
 リアルの方も何とか落ち着き、投稿を再開させることが出来ました。これも読者の皆様のおかげです。この場を借りて、お礼申し上げます。
 さて、今話(前編もカウントに入れると前話)からA's篇となります。もうお気づきの方も多いかと思いますが、A's篇前編は「真・女神転生 デビルサマナー」とのクロスになります。よろしければ次話以降もご覧ください。
 ちなみに、活動報告にも書きましたが、再開に当たって過去話を修正しています。大まかな筋は変わっていませんが、興味がある方はどうぞ。


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