片翼の天使(笑)で剣をふるうのは間違っている (御伽草子)
しおりを挟む

第一話【ここはどこ? わたしはだぁれ?】

 

 

 

 

 

 

 

 

 死亡フラグ。

 

 近年アニメやマンガなどでよく見かける言葉だ。

 

 フラグとは「何かが起こるための見えない条件」というコンピューター用語である。

 物語の中で死ぬ人物が生前に「この戦いが終わったら結婚するんだ」や「嫁さんが子供を妊娠したんだ。これで俺も一児のパパさ、ハハッ!」などと幸せな未来を感じさせる発言をさせる事によって、よりその人物の死を悲劇的に強調するものが死亡フラグである。他にも普段寡黙な人物が急に身の上話を始めたり、実は不幸な過去を抱えていた、などの描写の末に死亡したりする場合も該当する。それら一連の行為には一定の法則があるため死を予感させる発言や行動を総じて死亡フラグと呼ばれているのだ。

 

 そこでふと考える。

 

 自分の今の状況はひょっとして『死亡フラグ』に該当するんじゃないかと。

 

 

 

 

 

         ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 気づいたら、どこともしれない森の中にいた。

 

 ……いや、おかしいだろ。

 

 一歩踏み出すつい直前まで、俺はアスファルトの道路と塀に囲まれた都内の住宅地を歩いていた。遠くには無機質なビル群がそびえ立ち、電柱を繋ぐ電線が空の青をジグザグに切り裂いていた。道路を車が間断なく走り抜け、騒音が雑多に入り混じる街中にいたのだ。

 

 それがどうしたことか。

 

 排気ガスの混じった空気は、次の瞬間、むせ返るほどの緑の匂いにすげ替えられた。目の前にあるのは原生林といって差し支えないような奥深い森の景色。薄霧が漂い、昼間といえど仄暗い。群がる木立が空の青を食い荒らすように複雑に枝葉を絡ませており、合間から差し込むわずかばかりの木漏れ日がか細いスポットライトのように淡く森の形を浮かび上がらせている。でこぼこの地面は青々とした苔に塗りつぶされていた。街の騒音もパッと消え、耳に届くのは小川のせせらぎと多種多様な鳥やら虫の鳴き声。

 背後を振り向く。たった今歩いていたはずの舗装された地面などそこに無く、あるのは樹海、どこまでも樹海。踏みしめる地面はちょっと力を込めれば靴が沈み込むほど柔らかい。木々に覆われているためか湿度が高く、空気が肌にまとわりつくように重く粘っこかった。

 

「おーまいごっど…………ん?」

 

 意味が分からずとりあえずつぶやいてみる。ふと妙な事に気づく。

 

「……あ、あー、あーあー、テステス、マイクのテスト中」

 

 声が甲高い。まるで子供みたいな声……というか、子供の声だった。

 ひとしきり考える。落ち着け。クールだ、クールになれ。よし。

 ゴホン、と一つ咳をする。

 

「生麦生米生卵この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけた東京特許許可局局長今日急遽許可却下パムポパムポニュチューハイエンドピューチューぱんみぇちょんぢゅきょんちゅぴょ……ってなんだこりゃぁっ!?」

 

 よく見ると自分の手足もひどく小さい。なぜ気づかなかったのか、視線もだいぶ低くなっており、おそらく十歳以下の身丈しかない。周囲を見渡すと苔むした大地の割れ目に小川が流れている。駆け寄り、生唾を飲み込みながら水底を覗くと、水鏡の中に自分の顔が映っている。

 

 ……知らない顔だ。

 

 少なくとも慣れ親しんだ日本人の醤油顔ではない。年齢もおそらく小学生くらいだ。

 長い睫に縁取られた切れ長の目、狐やあるいは猫のように縦に長い瞳孔は不思議な光彩を湛えていた。筋の通った鼻にふっくらとした唇。なにより目を引くのが……髪を一本プチンと抜いて木漏れ日にかざしてまじまじと見つめてみる。陽光を反射してきらきらと輝く、プラチナブロンドの髪の毛。

 

「……oh……」

 

 おっとイカンイカン、思わずネイティブな発音をしてしまった。こんなところでAET(英語指導助手)の先生に、肩をすくめたお前のジェスチャー腹が立つと言わしめた実力を発揮することになるなんて。

 

 うん、落ち着け。

 

 落ち着いて現状を整理して考えてみよう。

 

 ①都会のコンクリートジャングルを歩いていたら、マジもんのジャングルみたいな場所に迷い込んでいた。いや、知床の原生林が近いだろうか。

 

 ――すでにこの時点で空前絶後に意味不明だ。歩道のど真ん中にふたの開いたマンホールよろしくワープホールでも開いていたのか、どこの工事業者がやらかしやがった蓋閉めとけよクソッタレ。

 ……うん、アホみたいなこと考えてないでその辺りはひとまず置いておこう。

 

 ②なぜか子供になっていた。

 

 ――アポトキシン4869か。出てこい灰原。

 

 ③イケメン。

 

 ――はぜろ。

 

「……あー、やめやめ! アホらしい。というかそもそもどこココ、日本? 熊でも出てきそうでおっかないんだけど」

 

 混乱あふれて一周回って冷静になり(考えるのをあきらめたとも言う)、まずは目先の危険を確認することにする。猛獣やら危険な毒虫がいてもおかしくない。

 

 ガサ、ガササ!

 

 草木を掻き分ける音がした。

 熊がどうのこうの言った直後だ。

 

「ま、さ、か……っ」

 

 戦々恐々とした気持ちで音が聞こえた方向を見遣るが、熊らしい姿は見えない。気のせいか、ほっ、と胸をなでおろした直後。

 

「わっわっわっ! うわ……っ、なんだこれ、ねばねばして気持ちわる……っ」

 

 頭の上に粘り気を帯びた液体が垂れてきた。髪の毛を滴り落ちて地面に吸い込まれていく。不愉快なことにその液体は生ごみが腐ったようなひどい悪臭を放っていた。

 

「グルルルル……」

「へ?」

 

 そいつは俺の真上にいた。

 木の枝を足場にこちらを見下ろしていた。

 見た目は猿に近い。全身毛むくじゃらで、二メートルほどの体躯。腕から背筋にかけての筋肉が不自然な程隆起しており、拳に至っては人間くらいなら掴んでそのまま握りつぶせそうなほど巨大で武骨だった。

 口を開き鋭く尖った牙をむき出しにしてこちらを威嚇している。頭にぶっかけられた悪臭を放つ液体はこいつの涎だったようで、今なお口の端からドロドロと垂れ流されている。

 え、なに、こんなビックフットもびっくりな生き物知らないんだけど。

 熊? そんな可愛らしいものではない。むしろヒグマくらいなら片手で殴り殺せそうだ。パンチングマシーンで普通に100出すどころか、鉄くずに変えられるだろう。

 

「グルオオオオオオオオオ――っ!」

 

 燃えるような赤い瞳には敵意が溢れていた。縄張りを荒らす外敵に対するそれだ。猿の化け物は雄たけびとともに枝から飛び降りた。俺に向かって、その巨岩みたいな拳を振り上げて。

 

 ……し、死んだああああぁ――っ!。

 

 しかし次の瞬間、その猿の化け物は俺の視界から消えた。

 

「グギャオォゥッ!?」

 

 突然爆炎に飲み込まれ、断末魔の悲鳴を上げて吹き飛ばされた。ずいぶん離れた地面を転がり、火達磨のまま動かなくなった。

 

「なんだこれ……」

 

 ぺたんと尻持ちをついた。腰が抜けた。

 

「あぁ……っ、よかった危ないところだったわね……っ」

 

 森の奥から現れたのは妙齢の女性であった。長い髪を後ろで一まとめにしており、こちらを心配しているのか泣きそうな表情で駆け寄ってきた。爆弾か火炎放射器の類か、理屈も原理も不明だが、どうやら先ほど猿の化け物を吹き飛ばした爆炎はどうやら彼女によるものらしい。

 

「大丈夫? 怪我はない? 身体におかしい所はない?」

 

 女性は俺の前までやってくると、全身をくまなく眺める。怪我が無い事を確認すると安堵のため息をつき、目尻に涙を浮かべながら俺の身体を抱きしめた。

 

「よかった、あなたが無事で本当によかった……」

 

 ぐへへへへ、どうもご馳走様です。女性に抱きしめられて、豊満とまではいかないがその柔らかい双丘の感触を堪能していると女性はなにやら聞き捨てならないことを言葉を口にした。

 

「目を離してごめんねセフィロス、ダメな母親ね私は」

「……は?」

 

 しばし黙考。

 告げられた言葉の意味を理解して。

 

(はああああああああああ――っ!?)

 

 驚きのあまり口を開けず、内心で絶叫した。

 

 

 

 俺の名前はセフィロス・クレシェント。

 母親の名前はルクレツィア・クレシェント。

 だいぶ前にやりこんだRPGのファイナルファンタジー7の登場人物であり、セフィロスに至ってはラスボスである。

 今いるこの密林は『セオロの密林』というらしいが果たしてFF7にそんな地名の場所があっただろうか。

 

 

 どうやら今俺は想像以上にぶっとんだ状況にいるらしい。

 

 

 

 

 

 








目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話【死亡フラグを回避するんだ!】

 どうやら神様転生というやつをしたらしい。

 

 奥歯に物が挟まったような曖昧な前置きの仕方だが、神様に会ったという肝心な部分を覚えていないのだから仕方が無い。なら神様転生をした、と結論付けるのがそもそも間違いではないのか、と思わないわけではないが今の自分の状況を落としこむには神様転生というやつが一番しっくりきた。

 

 神様転生の定義を一度整理してみよう。

 

 まず何らかの理由で主人公が死ぬ。

 

 神様に出会う。

 死んだ原因は神様にあって、「君は本来死ぬはずじゃなかった人間だ。だからお詫びに異世界に転生させてあげよう」と言われる。

 

 ついでに転生するにあたっての特殊能力や際立った容姿、明晰な頭脳といった特典をもらえる場合が多い。

 

 ……まあ、おおむねこんなものか。

 

 そもそも俺死んだの? そんな記憶無いんだけど。

 

 いくら考えてもキリがない上、答えは出そうにないので、もう神様転生(仮)でいいだろう。当面はそれでとりあえず不都合は無い。いや、今の状況は不都合だらけなのだが。

 問題なのは日本で暮らしていた頃の記憶に加え、この世界で――ルクレツィア・クレシェントの息子、セフィロス・クレシェントとして生きていた記憶も持っているという点であった。日本で生きていた〝俺〟と、この世界で生きていたセフィロス少年としての記憶が交じり合って一つになったのが今の俺であった。

 そもそもだ。元々この世界で生きていたセフィロス少年の身に何が起こったのか。それをルクレツィア母さんが教えてくれた。

 

 ――セフィロス少年は一度死んだらしい。

 

 のっけからあさっての方向に大暴投である。

 

 もちろん実際に母さんが説明してくれた時は「死んだ」などと直接的な表現を幼子にする事は無かったが、状況やら言い回しから推察するに、どうやら事故で瀕死の重症を負ったようだ。愛息子の死という非情な現実を受け止めきれなかった母さんは運命に抗うことを決意。元々生命の起源や細胞などの研究をしていた優秀な研究者であった母さんは自ら知識を総動員した上で〝ある奇跡の欠片〟をセフィロス少年の体内に宿すことによってセフィロス少年の首元に掛かっていた死の運命を捻じ曲げることに成功したのだという。

 

 ……いや、なにやらかしたアンタ?

 

 FF7の中のヴィンセントの人生と同じような道程歩んでんだけど。奇跡の欠片ってなんだ? どうなったんだこの身体。

 

 等々。

 

 もうちょい突っ込んで聞きたい事はたくさんあったが、その辺りの事を理解した瞬間、元の世界……と言ったらいいのか、日本に戻りたいと思う感情は驚くほど薄れた。日本は確かに俺にとっての故郷だが、この世界も俺にとっての故郷である。俺とセフィロス少年の境界が限りなく薄まってどちらが現実でどちらが夢かなんてことをあれこれと考えた結果開き直った。

 日本に戻る方法なんか分からないのだ。そもそも親どころか親類縁者のいない天涯孤独の身の上だったし、戻らなくてもいいかとさえ思いはじめた。

 母さんにはきちんと自分が別の世界の記憶を持っていることを話してある。(どうも記憶が混乱しているとしか思われてないような気がするが)

 現状を理解するのに数日。

 現状を受け止めるのに更に数日掛かった。

 しかしここで新たな問題に直面した。前述した通り、今の自分の状況が所謂神様転生だった場合だ。日本に生きていた頃の俺なら妄想乙で片付けていたが、そもそも今の俺の状況からして妄想じみている。神様に別世界に転生させられるなんてありえるわけない、と切って捨てるのは簡単だが、そもそも今の俺の状況からしてありえるわけの無いありえない事態なのだ。

 さて、仮に今の俺の状況が神様転生だったとしよう。

 ここで情報を整理して見る。

 

 

 ①神様に転生させられたと仮定。

 

 ②セフィロス少年の記憶を読み取ると、この世界には魔法やらモンスターがおり、なにより本物の神様が地上に降臨して人と交わって生活している、ファンタジーっぽい世界。

 

 ③銀髪、イケメン、ラスボス、公式チートのセフィロスという〝いかにも〟なキャラクターに憑依もしくは転生した。

 

 

 ……なんだこの踏み台転生者は? 踏み台の素養抜群じゃないか。

 

 ここで俺TUEEEEやらハーレムやら言い出したら、踏み台がそのまま断頭台に変わるくらいの特大の死亡フラグだ。

 ただでさえ存在そのものが死亡フラグの塊みたいなものなのだ。これからは地味に堅実に生きていこう。

 目指すは平々凡々な幸せ。堅実に生きて美人な嫁さんもらって孫に囲まれ大往生。コレだ!

 やったるぞー、おおぉ――! と空に拳を突き上げて気合をいれる。

 顔はイケメン、身体能力も確認したがかなりのものだった。スペックは抜群。

 成功への軌跡は見えた……大丈夫だ、俺ならやれる!

 

「もう何も怖くない!」

 

 これ以上死亡フラグなんぞ立ててたまるか、とセフィロス(笑)は高らかに哄笑を上げた。

 

 突然訳の分からないことを叫んで、けたたましく笑いはじめた愛息子の奇行におろおろとするルクレツィア母さんの姿はとても可愛らしかったと追記しておく。

 

 

 

 ――後々になって考えてみるとここで人生の一歩を踏み外した気がしてならない。どうせセフィロスになったんだから、英雄だった頃のセフィロスらしく振舞おうなんて……なぜそんなことを考えてしまったのか。あれか、厨二病が再発したのか。

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ――それは歴史の彼方に埋もれた伝説ではない。

 

 

 彼の人生は激流に抗うが如き苦難の連続であった

 勇猛果敢に人々の先頭に立ち戦い続けた。数多の悪意を跳ね除け、無数の命の危機を潜り抜け、時に冒険者の歴史に数々の偉業を刻み、時に世界的な大事件を解決に導いた。

 身命を賭して悪に抗い人々を守りぬくその姿は、まさに英雄であった。

 彼に憧れた者は数知れない。彼と同じ時代に勇名を馳せた〝あの英雄〟もその一人である。

 彼の名はセフィロス。迷宮都市における二つ名は『片翼の天使』

 彼が迷宮都市オラリオの外交官として世界中を巡る中で打ちたてた功績は枚挙に暇がない。そこで紡がれた数々の冒険譚は書籍やあるいは演劇で後世まで語り継がれ、たくさんの人々に勇気と希望を与えている。

 どうすればあなたのような英雄になれますか、と聞いた者がいる。

 彼はこう答えた。

 ――どうしてこうなったか自分でも分からない。

 彼も時代という奔流の中でがむしゃらにもがいて生きてきたということなのだろう。

 彼は晩年、自分の人生を振り返り〝黒歴史〟という言葉をよく用いていた。後世の歴史家達がセフィロスが歩んで来た人生を、その道程を鑑みて単語の意味することを推察するに、黒き歴史とはつまり彼自身が打ち砕いた破滅の未来のことではないだろうかという見方が多くを占めている。神々がよく使う言葉で在るところの「無かった事にしたい、忘れたい歴史」という意味ではないかと言う歴史家もいるが、彼の生き様を少しでも齧った者ならそんなことはありえないと声を大にして否定する。人々の安寧を守る事こそ自身の生き様であった、おそらくそういう意味なのだろう。

 彼の守り抜いた未来を生きる我々にとって、今この瞬間を精一杯生き抜く事こそ、身命をとして未来への希望を紡いだ彼に対する恩返しではなかろうか。

 英雄セフィロス。

 彼の歩んできた道のりは、今なお色あせず多くの人々を魅了している。

 それは歴史の彼方に埋もれた伝説ではない。

 人とはかくあるべきという姿を、時を超え今も我々に示し続けている。

 過去の英雄から今の我々に対する問いかけとは何か、本書でそれを解明する手立てとなれば幸いである。

 

 

 

         セフィロス英雄譚第一巻 改定者あとがきより抜粋

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 時は流れ、一五年後。

 

 迷宮都市オラリオ。

 そこは世界有数の大都市である。都市の真ん中には巨大な白亜の塔バベルがそびえている。まさに天を衝くがごとし、その勇壮たるや空という世界の屋根を支える一本の柱のようだった。バベルは地下迷宮の蓋だった。どれほど深く、どれほど広いかもわからない。恐ろしいモンスターが跋扈し、訪れる冒険者達を飲み込む黒々とした穴はバベルの地下から続いている。

 他国……例えば王国であるなら都市の中央には王城がすえられているが、迷宮都市であるオラリオの中央はバベルである。オラリオはバベルを心棒として放射線状に街が形成されている。北、北東、東、南東、南、南西、西、北西の八方位に巨大なメインストリートが伸びており、街の各所を繋いでいる。

 

 まだ日も差していない早朝。

 

 ……その場所は、北西と西のメインストリートに挟まれた区画だった。人通りは無く、朽ちた教会がある。

 

 天井の崩れた礼拝堂で二人の男が対峙していた。

 方や筋骨隆々の大男。二メートルを超える巨躯は鋼のごとき筋肉の鎧に覆われていた。彼は膂力に優れた猪人(ボアズ)と呼ばれる種族であり、この迷宮都市オラリオにおいて最強との呼び声高い冒険者、オッタル。二つ名は『猛者(おうじゃ)』

 

「あの日、俺は敵を失った」

 

 オッタルは対峙するもう一人の男に静かに言葉を投げかける。頭からすっぽりと白いローブで覆われているが、フードの合間から覗く不思議な光彩を湛えた瞳は静かにオッタルを見据えていた。

 

「なあ、なぜだ? なぜ俺の前から消えた……俺はあの日唯一俺と並び立つことができる、お前という敵を失ってしまったんだ」

 

 オッタルとて理解している。オラリアという都市と近隣諸国との関係をより磐石にするために目の前の男の行った所業がいかに大きかったことを。

 オッタルは主神たるフレイヤに忠誠を誓っている。死ねと言われれば喜んで死のう、やれと言われれば例え大海の底に沈んだたった一つの宝石を献上しよう。太陽を沈めよう、月を斬ろう、星を砕こう。

 しかし彼の武人としての心は、敵を失った事で熱を失ってしまった。己の魂を、意地を、研鑽を積んだ技を、鍛えた抜いた肉体を……己の全てをぶつけてなお届かないかもしれない強敵が目の前から消えてしまった時の虚無感は言葉で言い表せないほど大きかった。

 オッタルと対峙していた男は、フードを脱いだ。

 

「まずは久しぶり、と言っておこうかオッタル」

 

 怖気が走るほどに顔立ちの整った美丈夫だった。目を惹くのは月の光を落としこんだような美しい銀髪。男の名はセフィロス。オラリオの頂点と謳われるオッタルに比肩するもう一人の最強。

 

「私が……いや、俺が特務でオラリオを離れてから五年ぶりか」

 

 セフィロスは落ち着いた声色で静かに語りかける。

 

「ああ……お前の後輩たちも今は一角の冒険者だ」

「……ロキ・ファミリアか。懐かしいな」

 

 自身のホームを思いだしたのか、セフィロスは目を細めて小さくフッと笑った。

 

「リヴェリアあたりにはどやされそうだ。一度くらい顔を見せに帰ってこいとな」

「九魔姫(ナイン・ヘル)か。理解してくれるさ、あれは聡い女だ」

「だといいがな」

 

 そこまで言ったところでオッタルの雰囲気が変わった。

 活火山の噴火を思わせるような圧倒的な存在感。周囲のものを押しつぶすようなプレッシャーがセフィロスを襲う。一般人なら、いや神の恩恵を受けた冒険者でも並大抵の者では膝をつくほどの重圧を、セフィロスは眉一つ動かさず受け流した。

 

「……待っていた……待っていたぞ、この日をっ!」

 

 セフィロスがオラリオを離れる日、約束を交わしていた。

 次に会った時に決着をつけよう、と。

 

「せっかちな奴だ」

 

 セフィロスはローブを脱ぎ捨てる。

 胸の大きく開いた黒いコートを身に纏い、背中まで伸びた長い銀髪がたなびいた。セフィロスはいつの間にか己の武器を手にしていた。

 

「正宗、か……っ」

 

 それは身の丈を遥かに超える規格外の長刀である。槍より長い刀など武器として馬鹿げている。刀の特性は突くことより斬ることに特化している。武器のリーチが長くとも、槍なら突くという最低限の動作で相手に致命傷を与えることもできるが、あのような長い刀を振るうのは戦いの場において致命的ほど大きな隙を生む。

 だがオッタルは知っている。目の前の男が並々ならぬ強者であると、絶技とさえ言える恐るべき剣技、迷宮都市……否、世界最強と言っても過言ではない剣の冴え。目の前の男は我々の常識をいともたやすく凌駕する。

 オッタルは普段表情を崩さない彼らしからず声を上げて笑った。

 

「この瞬間を俺は一日千秋の想いで待ち望んでいたぞセフィロスっ、我がライバルよ!!」

 

 身を焦がすほどに熱く燃え上がる血の昂ぶりに突き動かされるままオッタルは……迷宮都市最強の冒険者は吼えた。オッタルも己の武器を手にしていた。片刃で長大。バスターソードのような概観だが、余計な装飾を一切省いた無骨な剣。それはまさしく彼の在り方そのものだった。

 岩を砕き目の前のもの全てを突き崩すがごとき猛威。

 夜が開け、崩れた天井から薄明かりが室内を満たす。まるで分厚い雲の切れ間から差し込む天使の梯子のように、旭日が二人を包みこんだ。周囲をただよっていた埃が日の光を反射して輝き、朽ちかけた礼拝堂の景色とあいまって幻想的に舞い散る。

 

「っ!?」

 

 オッタルは息を呑んだ。

 

「どうした、こないのか?」

 

 刀をかまえたセフィロスから感じる凄まじいまでの覇気。

 

 やはり……あの頃よりも……っ

 

「…………っ」

 

 だがそれでこそ……それでこそだっ!

 胸を埋め尽くす歓喜にオッタルは、

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお――っ!!」

 

 冷静沈着な体裁をかなぐり捨てて、勲の雄たけびを上げた。

 

 

 

 

 

 セフィロスは思った。

 なんでオラリオを離れたかだって?

 そんなの決まってる。

 

 ――お前という超特大の死亡フラグから離れるためだよ!!

 

 そもそもオッタル(凶戦士)と会いたくないがため、まだ夜も明けていない早朝を狙ってオラリオに帰ってきたのだ。それも全身を覆うようなローブをかぶってだ。

 それなのに、だ。

 

 なんで俺の存在に気づいた、ストーカーかお前は!?

 

 オイそのばかでかい人斬り包丁みたいな凶器今すぐ下げろ!

 

 勝てなきゃ生き残れない。(やぶれかぶれで)剣を構え、セフィロスはオッタルを迎え撃つ。

 

 

 朽ちかけた廃教会で二人の戦士が激突する。 

 

 

 

 




 

 次回はたぶん土曜日か日曜日の更新です







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話【男にはやらねばならない時がある。ただしそれは今じゃない】







 その日、俺ことセフィロス・クレシェントは古巣である迷宮都市オラリオへと戻ってきた。

 

 ここを離れてもう五年と、ずいぶん経っていた。懐かしいと思うが、惜しむらくは真夜中で景色が全く見えない点であった。情緒もへったくれもないと思うが、わざわざ宵闇にまぎれるようにコソコソこの時間帯に帰ってきたのは訳があった。

 

 このオラリオで会いたくない奴がいる。

 

 奴の名前はオッタル。このオラリオにおける二つ名は【猛者(おうじゃ)】。

 

 私見でオッタルの人物像について説明させていただくと、主神を妄信する戦闘狂である。多分おおむね間違っていない。

 

 オラリオをしばらく離れる事になった時に「最後に一勝負(全力)」とかぬかしたので、また今度な今度会った時にでも、と強引に納得させたのだった。もっともオラリオで暮らしていればいつか必ず会うことになるがその〝いつか〟はできるだけ遠い日が良い。マラソン大会延期しろとテルテル坊主を逆さに吊るす子供の心境な気がしないでもないが嫌なものは嫌なのだ。だれが好き好んで隙あらば容赦なく命(タマ)とりにくるバーサーカーと戦いたいというのか。

 

 

 そんなこんなで頭からローブをすっぽり被って、オラリオに帰還した。オッタルとはまず会わないとは思うが、念には念を入れておく。時々思うが、俺の人生呪われてるんじゃないかと思うくらいトラブルに巻き込まれる。

 

 そもそもこの世界に転生(憑依でも可)してからおおよそ十五年。当初の予定では荒事に一切関わらず、美人な嫁さんもらって平凡だが幸せな生活を手に入れることを目標としていたはずだ。いや、今でもそうだけど。

 

 それが何が悲しくて命の危険のある冒険者なんぞやっているのか。ニコニコ現金収入で実入りがよかったからってバイト感覚で始めたのがいけなかった。あれよあれよという間にファミリアの中核に据えられて抜け出せなくなってしまった。理由の一つにセフィロスの肉体のスペックの高さがあった。まるで自転車を久しぶりに乗っても乗り方を覚えているように、セフィロスの肉体の〝乗り方〟が自然と分かった。もっとも子供の頃は頭の中の動きに幼い体がついていかなかったが、成長期を終えた辺りではもう現実が理想にほぼ追いつくようになっていた。その際に一つ問題が起きた。表情である。転生当初はセフィロスらしく振舞おうなんて考えた事もあったが、歳をとるにつれフリがフリでなくなってきた。肉体が理想に追いつこうと頑張った結果、それにつられてセフィロスらしい振る舞いも一緒に上書きされたようだ。内面はさほど変わったと思えないが、心の中で慌てふためいたとしても表情には一切表れないのだから、便利なのか不便なのかはいまいち判別できない。

 

 ちなみにダンジョンのあるオラリオにおいて冒険者になるには地上に降臨した神に恩恵(ファルナ)を授かる必要がある。恩恵と引き換えに冒険者はその神の組織するファミリアに所属するのだが……そのファミリア選びからして間違えた。俺の所属したのはロキ・ファミリア。オラリオでも1,2を争う大規模なファミリアである。つまりガチ中のガチ、命の危険がふんだんにあるダンジョンの下層にもぐる事を余儀なくされたのだ。日本人の頃の感覚で、大手の企業に就職決まって万々歳とか何とかのたまった過去の自分をぶん殴ってやりたい。

 

 その後とある事件を契機にオラリオを離れて放浪の旅をすることになるのだが……まあ、その後も行く先々でトラブルに巻き込まれ続けた。オラリオの外にもモンスターはいる。大体はダンジョンに出てくるモンスターほどは強くないが、『隻眼の黒竜』を始めとして、たまにとんでもない化け物がいる。それこそオラリオトップクラスの精鋭冒険者でパーティー組んでも勝てるかどうか分からない極めつけの化け物。なぜかそういったモンスターと命を賭けたガチンコ勝負をするハメになる事が多々あった。おまけに1on1、冗談じゃない……っ!

 

 色々なトラブルに巻き込まれているうちに、気づいたらいつのまにか巷で英雄と呼ばれるようになっていた。俺は戦々恐々とした。

 

 英雄セフィロス。

 

 あれ……コレってひょっとして踏み台街道驀進中じゃない?

 

 思えば死亡フラグも山ほど立てていた。一番危険なのはオッタルの存在そのものだが、二番目は二番目で厄介だった。ロキ・ファミリアの副団長リヴェリア・リヨス・アールヴ。二つ名は『九魔姫(ナイン・ヘル)』、ハイエルフという種族だ。俺は彼女に対して、オラリオを離れる切っ掛けとなった事件の中で泣かせた負い目がある。普段屹然とした彼女の涙は俺の中の罪悪感をこれ以上無いくらい刺激した。

 

 

 この責任はいつかきっちり取ってもらうとか言われたんだけど……なにそれめっちゃ怖い。責任てなに? え、なに俺、なにさせられんの? その後ちゃんと命は残ってる?

 

 リヴェリアはこの世でもっとも怒らせてはいけない女だと思ってる。土下座しようが何しようが罪の代償はキッチリ払わされるだろう。それはもうエゲツないくらいキッチリとだ。ハッキリ言って報復が恐ろしくてたまらない。オッタルとリヴェリアの二人が目下、俺の人生においての特筆すべき懸念事項だった。

 

 

 道に迷った。

 

 夜中だということと久しぶりのオラリオだという事で、そもそもここがどこの通りか分からない。気づけば東の空が白みはじめていた。オラリオの中央にそびえるバベルはどこにいってもハッキリ分かるので方角には困らないのだが、大通りから離れると区画にもよるが路地が入り組んでおり中々抜け出せないのだ。

 

 なんかもううろつくのが面倒になったのでいっそのこと屋根伝いに移動しようかと思った時、ふと視界の端に教会が見えた。もうずいぶん使われていないらしく、外壁が崩れ、朽ちかけていた。そもそも神が実際に降臨しているオラリオにおいて何の神を

祭っているのだろうか。興味を惹かれた俺は中に入ってみることにした。

 

 廃墟の魅力はうまく言葉に言い表せない。ノスタルジックに静かに語りかけてくる心地よさのようなものがある。崩れかけた天井から差し込んでくる淡い日の光が、まるで月明かりのように廃教会の輪郭を浮かび上がらせていた。

 

 ……へぇ、ちょっと良い雰囲気じゃん。

 

 そんな風に思っていた、そんな時に……ヤツが、現れた。

 

「帰ってきたのだな、セフィロス」

 

 忘れようはずもない、その声。

 

 ――お、オタァァァァァァァァァァァルっ!?

 

 会いたくないと、切実に願った男が廃教会の扉の前に立っていた。

 

 なんでコイツは俺のオラリオ到着が分かったのか。色々疑問はあるが……それよりも……気に、なる、こと、が……。

 

 動きを阻害しない肌にぴったり吸いつくバトルスーツ着用。傍らには奴の武器である巨大人斬り包丁が地面に突き刺さっている。

 

 ――殺る気マンマンでいらっしゃる!?

 

 オッタルは言う。なぜ俺の前からいなくなった、だの、あの日俺はお前を失っただの。

 

 乙女か貴様!?

 

 筋骨隆々の大男が同じ男に向けて言うセリフとしては悪夢の部類に入る。戦闘狂をこじらせた結果だいぶややこしいことになっていた。

 

 覚悟を決めなければいけないようだった。

 

 俺は刀を取り出した。見た目は小太刀が収まるくらいの短い鞘だが、刀を引き抜いてあら不思議、俺の身長を超える長刀が姿を現した。『神秘』ってホントに不思議で便利。などと言っている場合ではなかった。

 

 俺が刀をかまえると、オッタルは鉄面皮を崩し歓喜に顔を輝かせた。

 

 …………うっわぁ、ホントにうっわぁ……。

 

 とにもかくにも、どうか生き残れますようお願いします。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 先に仕掛けたのはオッタルだった。

 

 セフィロスに向かって真っ直ぐに、弾けるように跳躍する。矢のようにでは生温い、それは立ちふさがる全てを粉砕する猛撃。オッタルは剣を振り上げる。およそ華やかさなどは持ち合わせない無骨な剣はオッタルの長躯に比類するように巨大だ。並みの人間なら持つ事さえできないその剣で、オッタルは数々のモンスターを打ち滅ぼしてきた。見上げるほどの巨人のモンスターがいた、疾風のごとく素早いモンスターがいた、鉄をも溶かす火炎を吐き出すドラゴンがいた、鋼鉄に勝る外皮に覆われた巨大な甲虫がいた。それら全てを葬り、自身の力の糧としてきたオッタルが全力の一撃を放つ。並みの人間なら……否、たとえ一級の冒険者でさえ、その一撃を受け止める事はかなわない。

 

 ダンジョン下層に蠢く強力なモンスターたちに比べれば、目の前にいる男の外観はあまりに華奢である。超自然災害を人型(ひとがた)に押し込めたような男の一撃を喰らって無事ですむはずが無く、原型を留めないほどぐずぐずに崩れた惨めな躯を曝すだけだ。

 

 だがオッタルは止まらない。

 

 止まる必要が無いのだ。

 

 見上げるほどの巨人のモンスターがいた、疾風のごとく素早いモンスターがいた、鉄をも溶かす火炎を吐き出すドラゴンがいた、鋼鉄に勝る外皮に覆われた巨大な甲虫がいた。

 

 しかしそれら全ての脅威を足しても、目の前の男には――英雄セフィロスには決して届かない。

 

 セフィロスに肉薄する。矢をつがえた弦のごとく身体がしなる。筋繊維が断裂しかかるほど強く剣を握り締め……ふり、下ろす!

 

「…………っぅ!!」

 

 オッタル渾身の一撃は、しかしてセフィロスを捉える事はできなかった。

 銀髪が宙を舞う。円を描くように身体にひねりをくわえ、セフィロスはオッタルの背後へと回り込む。それは無駄を一切省いた流麗な演舞のようだった。

 

 セフィロスが長刀をかまえた。

 

 胴をはらう横薙ぎの一閃――!

 

 斬るという動作を極限まで研ぎ澄ませ、万物を断ち切るがごとき閃光へと昇華させた一撃をオッタルは他に知らない。

 

 だがセフィロスの動きを読んでいたオッタルは振り下ろした剣の勢いを殺さず、更に身体にひねりをくわえ、その鉄塊のような剣で背後のセフィロスめがけ斬り上げていた。

 

 鉄塊が閃光を撥ね、剣と刀がぶつかり合い――

 

 瞬間、世界がひび割れた。

 

 衝撃が波となって大気を軋ませ、二人を中心に球円状に景色がひしゃげた。石畳は陥没し、壁が撓み、天井が爆ぜる。まるで凝縮した嵐が一気に弾けたような暴威は、二人の怪物によってもたらされたものだった。

 

 戦塵が舞う中、つばぜり合いは一瞬。お互いの瞳が喰らいつくように交じり合う。

 

 衝撃で崩れ落ちた教会の天井が二人めがけて崩落する。

 

 二人は同時に地を蹴り、バックステップをとる。二人のいた場所に瓦礫が砕けた。

 

 未だ日は昇りきっておらず、西の空に瑠璃色が残っている。まだ目覚めていないオラリオの街で二人の戦士の技が、力が、意思がぶつかり合い火花を散らす。

 

 ――恐るべき男だ。

 

 廃教会から戦いの場をオラリオの街に移したオッタルは内心で舌を巻いていた。

 

 屋根から屋根へと二人の男は移動しながら刃を交えていた。

 

 セフィロスの斬閃は恐ろしく疾い。それは百戦錬磨のオッタルをして捉えきれなかった。セフィロスが刀をかまえた次の瞬間には、何条もの斬閃が軌跡を刻み終えている。音をも置き去りにする閃光に大気は爆ぜ、衝撃と共に繰り出された一閃一閃は鋼鉄の塊すら易々と切断する。大気を斬り裂く斬撃の連波を、オッタルは磨き上げた戦闘勘で防ぎ、既のところで回避していく。

 

 空気がびりびりと震えていた。

 

 時に苛烈に攻め、時に流水のごとく相手の技を受け流し、神業と呼べる技巧の冴えは悪手すら妙手に変えてしまう。あれほどの大太刀をどのように扱えばこれほどの斬閃の結界をつくり出せるというのか。どれほどの鍛錬を積めば届く、どれほどの修羅場を潜れば、どれほどの限界を超えれば、あれほどの境地に達することができる。

 

 目の前からセフィロスの姿がかき消えた。

 

 真横――!

 

 飛んできたのは斬撃ではなく回し蹴りだった。わき腹に向かってえぐり込むように放たれた踵をオッタルは剣を持っていない左手でガードする。骨の髄まで砕こうとするような重く響く一撃だった。雷にうたれたように体が痺れた。

 

 マズイっ。

 

 10メートル以上も蹴り飛ばされたオッタルは直感的に剣を盾のようにして前に突き出す。

 

 セフィロスが飛ばした斬撃は既の所で防がれた。

 

 ……相変わらずデタラメだな……っ。

 

 魔法ではない。驚くことにセフィロスはただの技術で斬撃を飛ばす。

 

 オッタルの体は斬撃の衝撃で更に後方に吹き飛ばされる。セフィロスはオッタルを追いかけ建物を屋根伝いに跳ねて追撃する。セフィロスが剣閃を走らせる度、見えない斬撃が豪雨のようにオッタルに襲いかかる。

 

「なめるなよ……っ」

 

 オッタルが体をコマのように回転させ、斬撃を後方へと受け流した。突進力に秀でた猪人(ボアズ)の特性を最大限に発揮してセフィロスに肉薄する。今度は俺が攻める番だと言わんばかりに大剣をふるうオッタル。

 

「やるな、オッタル」

 

 

 鉄と鉄が打ちあう甲高い音が響く。

 

 紅と銀。二つの閃光は火花を散らしながら衝突しあう。

 

 セフィロスの体さばきはおおよそ常識というものを置き去りにしていた。体軸を無理やり引っこ抜くようにして重心をずらし、しなやかな筋肉と全身のバネをもって自由自在に中空で体勢を変えていく。跳躍している途中、物体は落下するという当たり前の法則下で真横にスライドするように跳ねることができるのはセフィロスくらいのものだった。

 

 しかしオッタルとて負けていない。その巨躯からは想像もできないような敏捷な動きでセフィロスの予想を上回る。一瞬でも隙を見せればたちどころに喉元を食いちぎられてしまう。

 

 二人の戦いはいっそう苛烈さを増していく。

 

 オラリオの中心にあるバベルの外壁を駆け上がりながら二人は戦っていた。ほぼ垂直に近い壁だ。わずかな取っ掛かりを足場に、塔に絡み衝く大蛇がお互いを食い散らすように、激突を繰り返す。

 

 【天照】

 

 セフィロスが放ったのは上方に向かって斬り上げる渾身の一撃。セフィロスが自ら名前をつけた数少ない技の一つである。その威力、スピードと共に今までの斬撃とは一線を画する。

 

 オッタルは剣をかまえ、直撃こそ防ぐに至ったがその昇竜のごとき斬り上げを完全に殺しきることはできなかった。

 

「ぐっ!?」

 

 オッタルの体は天空高くに打ち上げられた。歯を食いしばり、天照の衝撃を上空へと受け流し、着地したのはバベルの頂上にほど近い場所であった。追いかけるようにセフィロスも同じ場所へと降り立つ。

 

 バベルの外壁に施された装飾部、足場は極めて悪いが、この二人にとって然したる問題ではない。

 

 セフィロスは刀の切っ先をオッタルに向ける。

 

 しかしオッタルは地面に剣を突き立てた。全身に突き刺さるような猛烈な戦意もしぼんでいた。

 

「……俺の負けだ」

 

 突然の敗北宣言だった。お互いにまだまだ余力がある状態でだ。

 

「フレイヤ様を俺の勝手で危険にさらすわけにはいかんからな」

 

 バベルの最上階はオッタルの主神、美の神フレイヤの住処である。崇拝する主神に万が一にも危害を与えてしまうかもしれないのに、力をふるうことなどできるはずも無い。それもオッタル自身の戦いへの渇望を潤すためなどという個人的な理由でだ。

 

 だからオッタルは負けを宣言した。

 

 そうか、とセフィロス。こちらも刀を下げる。勝負はついた。しかし。

 

「ならば今回の勝負は引き分けだな」

「……どういうつもりだ?」

 

 セフィロスの発言に、オッタルは殺気をにじませて返す。オッタルにとって一度認めた敗北を覆されることほど屈辱的な事は無かった。同じ条件で戦い、これ以上は戦えないと自ら戦闘を放棄したのだ。引き分けなどにされる云われは微塵も無い。

 

「今回の勝負……お前は全力だったか?」

 

 セフィロスの問いかけにオッタルは言葉を詰まらせた。

 

「……全力など出せようはずもないではないか」

 

 もし仮に、この二人が全力で斬り結ぼうものならオラリオの街は無事ではすまなかった。最初に廃教会でぶつけ合った一撃こそ本気に近い一撃だったが、それ以降のぶつかりあいでは周囲の建物を極力傷つけないように避け、力自体も大分セーブをして、より大きな被害を生みかねない魔法の力も一切使う事は無かった。

 

 セフィロスは「だからだ」と言葉を繋げた。視線を眼下に向ける。そこには迷宮都市オラリオが広がっている。東の地平から昇った太陽の光によって包みこまれていく、神と人とが暮らす神話の都。

 

 二人がいる場所はバベル、天にもっとも近い場所だ。そこに立つ、魂の器を広げ神にもっとも近づいた男達。迷宮都市の誇るレベル8の双巨頭。彼らが本気で戦うにはオラリオは狭すぎた。

 

 決着はいずれしかるべき場所であるべきだ。

 

 その言葉を聞いたオッタルは「そうか」と返した。だが。

 

「負けは負けだ」

 

 だから。

 

「次は俺が勝つ」

 

 オッタルは剣をセフィロスに突きつける。

 

「それは俺のセリフだ」

 

 セフィロスもまたそれに答えるように刀をオッタルに突きつける。

 交差する剣と刀。決着は、いずれまた……

 

 

 




オッタルさんレベル8に強化。お互いを高めあうライバルがいるって素敵だね(白目


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話【思いもよらない所で縁が生まれる】
















 

 

 日の出時。

 

 遠く彼方にそびえる山々の稜線から太陽が顔をのぞかせ、あふれ出た光の海原が夜の闇を押し流すように迷宮都市オラリオを飲み込んでいった。群青色の空は徐々に白みがかるように薄れていく。流れる雲は夜影をかかえこんだまま朱色に燃え、朝焼けの中にたなびいていた。

 

 日差しは柔らかい赤みを帯びた光で、肺を満たす空気はほろ苦く焼けている。

 

 オラリオの中央。天に向かって伸びる荘厳な塔、バベルの最上部にほど近い外壁部に立つオッタルは、ずいぶん前に敬愛すべき主神であるフレイヤがセフィロスのことを指して言っていた言葉を思い出していた。

 

『彼の魂は例えるなら黄昏の輝き。二つの色が交じり合った、黄金とは違う不思議な色合い。夕暮れが遠い昔を思い起こさせてくれるような、懐かしむような……そんなひどくノスタルジックな気持ちにさせてくれるわ』

 

 それがたまらなく愛おしいとフレイヤは瞳を潤ませていた。

 

 ……黄昏の輝き、か。

 

 夕陽と朝陽は同じ色なのだと聞く。

 

 オッタルは自分と同じようにバベルの上に立つセフィロスを横目で見遣った。

 

 セフィロスは紅と金が混ぜり鮮烈に輝き始めた空を背景に、静かにオラリオの街を見下ろしていた。その線が細く艶やかな銀髪は陽光に輝きながら、くしけずるように風の中になびいている。その姿はまるでこの世のものではないような幽玄の美しさをたたえていた。

 

 オッタルもまたセフィロスと同じようにオラリオの街を見下ろした。

 

 多くの建物が立ち並び、地上に降臨した神とその恩恵を与えられた人々が暮らす場所。

 

 果たしてセフィロスは懐かしんでいるのか、過去を愁いているのか。

 

 オッタルは日射に目を細めながら、静かに詠った

 

「深淵のなぞ それは女神の贈り物 われらは求め 飛びたった 彷徨い続ける心の水面に かすかなさざなみを立てて」

 

 傍らに立っていたセフィロスがわずかに反応を示したのを、オッタルは気配で感じた。

 

「それは……」

「お前がよく口ずさんでいた詩だったな」

 

 かつてセフィロスは同じように夕暮れを眺めながら、よくその詩を口にしていた。その時のセフィロスの悲しんでいるような、何かに足掻き苦しんでいるような顔は今でも忘れられない。それはオッタルが知るセフィロスという男の唯一小さな背中だった。

 

『俺は、俺自身が求め続けた真実の答えを探している』

 

 その言葉が指し示す意味をオッタルは知らない。知ろうとも思わない。

 ゆえにただ一つだけ尋ねる。

 

「外の世界に出て、探し求めていたものは見つかったか?」

 

 オッタルの問いかけに、セフィロスはふっと笑った。

 

「もう、とうに見つかっているさ」

 

 セフィロスがロキ・ファミリアを離れる経緯となった騒動はオッタルも聞き及んでいた。『片翼の天使』がセフィロスの二つ名になる契機となったあの事件。

 

 ――全てを失いかけたからこそ、見えたものがあったか。

 

 オッタルはセフィロスの言葉に「……そうか」とだけ答えた。

 

 それをうれしく思っている自分がいる。利害も建前も関係なく、セフィロスという男の愁いが一つ無くなったことに『よかったな』と心の中でセフィロスに向けて声をかけていた自分がいた。しかし決して口には出さない。傷を慰めるような生温い言葉は自分達には不要だ。武を競い、技を磨き、魂のぶつかり合う戦場こそ自分達の語らう場所なのだから。

 

 オッタルは口の端をわずかに吊り上げた。

 

「どうやら少しはマシな顔に戻ったか」

「そういうお前は、あいかわらずのしかめっ面だな」

「抜かせ」

 

 背中を向けたオッタルにセフィロスは声をかけた。

 

「帰るのか?」

「ああ、お前との戦いの件についてはフレイヤ様に以前から許可をとっていた。しかし決着がついた以上、長居する理由は無い」

 

 そもそも今回の邂逅自体たまたまだった。フレイヤの側近であるオッタルは、彼女が就寝している時間帯に鍛錬している。その日はたまたまダンジョンを訪れていた。フレイヤが起床するまでの短い時間ではあまり深い階層まではもぐれないが、それでも実戦の空気は味わうことができる。セフィロスがオラリオを離れた後も世界各地で上げた武功はオッタルの耳まで届いている。ライバルが前へ前へと歩み続けている中、自分だけのうのうと怠惰な日々を送ることなど出来る筈も無い。

 

 朝方にダンジョンを出たオッタルの元に、同じフレイヤ・ファミリアの所属である冒険者がやってきて伝えた。セフィロスがオラリオに帰ってきたらしい。その情報はギルドの職員から零れたものらしい。なるほど、確かに冒険者を管轄するギルドの者なら、外からオラリオに戻ってきた冒険者の情報はすぐさまに届くはずだ。細かな情報を集め、猪人の優れた嗅覚を使い、しかしそれ以上に、訴えかけてくる勘に導かれるまま、オッタルはセフィロスと邂逅した。

 

 決着がついた今、これ以上この場にいる理由は無い。なによりそろそろフレイヤが目覚める時間だ。側仕えである自分が私情であまり離れているわけにもいかない。

 

「オッタル」

 

 帰ろうと一歩踏み出したオッタルをセフィロスの誰何の声が引き止めた。

 

「万物普遍の事柄など存在しない。一つ所しか見えない視野狭窄に陥っては手痛いしっぺ返しを味わうことになるかもしれないぞ」

 

「…………何が言いたい?」

 

 訝しげに振り向いたオッタルに、セフィロスは静かな笑みで返した。

 

「お前との戦いは悪くなかった……が、たまにはゆっくり酒でも飲み交わそうということだ」

 

 オッタルは一瞬目を見開いた。

 

「俺は……いや、そうだな。それも悪くないかもしれん」

「ほう」

 

 誘ったセフィロスがむしろ意外そうにしていた。

 

 オッタルはいささか不快そうにジロリと睨む。

 

「なんだその反応は?」

「なに……お前が素直に酒の誘いに乗ったのは初めてだな、と思ってな」

「ふん、そういう気分の時もある。それにお前の外の世界の話は、酒の肴にするには悪くなかろう」

 

 ではな、と一歩踏み出し、「ああ、そうだ」とオッタルは呟いた。言い忘れていた。

 

「セフィロス、お前のオラリオへの帰還うれしく思う」

 

 今度はセフィロスが不意を突かれたように、眉を上げた。それでオッタルの溜飲はいくぶんか下がった。

 

「……ああ、ただいま」

 

 その言葉を背にオッタルは今度こそ、足場から身を放り出した。バベルの外壁の装飾部やわずかなへこみや出っ張りを八艘飛びの要領で、落下の衝撃を殺しつつ塔を降りていく。

 

 ――思えば昔からただ強さのみを求め続け、周囲から恐れられた自分に踏み込んで、酒の席に誘うのはあいつくらいのものだった。

 

 オッタルという存在をあまねく導き照らし続けたフレイヤにもただ一つ満たせないものがあった。それはオッタルの戦士としての心。戦いへの強い渇望だった。それを唯一正面から受け止めて満たしたのはただ一人、セフィロスだけだった。

 

 もし自身にとって唯一友と呼べる者がいるとすれば……それは、きっと。

 

「…………ふっ、世迷言だな」

 

 オッタルは誰に伝えるとも無く一人ごちる。

 

 これが絆と言うなら、宿命と言うなら、そうなのだろう。

 

 だが、それでも……いや、だからこそ――!

 

 オッタルは遠ざかっていく塔の最上部を、鋭い視線で射抜く。セフィロスがまだいる、その場所を。

 

「最後に勝つのは俺だ」

 

 身命を賭して仕えると誓ったフレイヤ様のため。

 

 そして俺自身の矜持のため。

 

「……お前を倒すのはこの俺だ、セフィロス!」

 

 ならば目指そう。遥か限界の向こう側を、英雄すら凌駕する強さの頂を――……。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 オッタルが視界から消えたのを確認したセフィロスはほっと一息をついた。

 

 

 おおむね計画通り!

 

 

 生きてるってすばらしい! 朝日が目にまぶしいぜ!

 

 いやぁ、それにしても効果は抜群だった。

 

 バーサークモードに突入したオッタル止めるにはフレイヤを絡めるのが一番だ。冗談みたいにあっさり冷静になる。わざわざフレイヤのいるバベルの最上階近くまで戦いの場を移してきたがその甲斐があった。思い描いた通り、オッタルはぴったり戦闘を止めた。

 

 まあ冷却剤がフレイヤなら可燃剤もフレイヤなのだが。彼女に危害をくわえようとしたり、バカにしようものならあいつは悪鬼羅刹へと変貌する。

 

 お前の勝ちだと言われたがそれは否定した。ここで勝利を喜ぼうものならあのバトルジャンキーは悔しさをバネに、とんでもない超進化をとげそうなので、あくまで引き分けを主張した。ココとても大事!

 

 それはともかく置いといて、だ。

 

 

 ――あの野郎、しれっと人の古傷(黒歴史)えぐって行きやがったよ!?

 

 

 クライシスコアというゲームの中の登場人物、ジェネシスのセリフ。

 

『深淵のなぞ それは女神の贈り物 われらは求め 飛びたった 彷徨い続ける心の水面に かすかなさざなみを立てて』

 

 あの詩が、LOVELESS第一章がカッコよさげだったからちょっと言ってみたかっただけじゃないか、夕日見ながらキメ顔で言いたかっただけなんだよ! あの頃はちょっと厨二病が再発してたんだよ、自分に酔ってたんだよ! 後悔してるよコンチクショウ!

 

 そもそも、求めているもの見つかったかって何だろう?

 

 最初から俺が求めているのは平穏無事な生活設計だ。今でこそ冒険者しているが、そのうち貯めた金で泉のほとりとかに小さな家を買って美人な嫁さんもらって平穏無事に暮らすことが俺の求めているものだ。

 

 まあ確かに、周囲に流されるままオラリオでも数少ない高位レベル者になったことでちょっぴり贅沢な生活夢みちゃおうかなーとか考えていた時期はあった。真実の答えがどうのこうのといって迷走していた時期があったが、結局原点である『質素だが満たされた生活』という答えに落ち着いた。

 

 やっぱり人間欲見ちゃいけない。お金は人間を狂わせる。手の届く場所にある幸せ掴もう。

 

 だが意外だった。

 

 オッタルが酒の勧めを承諾するなんて。

 

 あいつは今まで『フレイヤ様の身の回りの世話がある』とかなんとか言って俺の誘いを散々断ってきた。飲みの誘いを断るなんて社会人失格だぞ、と思ったがよくよく考えるとフレイヤ・ファミリアという一大企業の、奴は立派すぎる歯車だった。五年もファミリアほっぽらかして外の世界ほっつき歩いていた自分の方がよっぽど社会人失格だ。

 

 こっちとしては武器持ってつっかかってくるくらいなら肩並べて酒でも飲んでたほうがありがたいからこその申し出なのだが。さすがに酒の席で武器振り回すような男ではない、そのくらいの風情はわきまえている男だ。

 

 あまり俺に向かって勝負だ勝負だと付きまとうような視野狭窄になってたらいつかフレイヤに愛想を尽かされるぞ、と意味で誘ったのだが、こちらの意思はしっかり伝わったようだ。

 

 あいつらしい回りくどい言い方で「おかえり」って言ってくれたし、ひょっとしたらデレ期がきたのかもしれない。そのうちお弁当の差し入れとか……イヤ、やっぱごめん無理。一生フレイヤにだけデレていてください。

 

 とにかくこれでとりあえず命の危険は少なくとも一つ減った訳だ。

 

 いやぁ、よかったよかった。

 

 

 

 ――さて、と。

 

 そろそろいい時間帯だし。

 

 帰るとするか……我がホーム、ロキ・ファミリアに!

 

 

 お土産買ってくるの忘れたから、その辺の店でなんか買ってこうかなぁ。

 

 いや、久しぶりすぎる本拠(ホーム)への帰還ならびに過去の俺の失態について、頼れる皆の副団長ことリヴェリア様がお怒りだった場合の貢物とかじゃないよ。

 

 

 

 ……ほんとダヨ?

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ヘスティア・ファミリア。

 

 それはオラリオに数あるファミリアの中でもつい最近立ち上がったばかりの弱小ファミリアである。拠点もとある廃教会の地下にある隠し部屋で、その内部もおおよそ文化的とは言いえない質素なものである。

 

 なにしろ眷属が一人しかおらず、その眷属もつい最近恩恵(ファルナ)を刻んだばかりの駆け出し冒険者。無論のことながらレベルも最低の1である。その駆け出し冒険者の名前はベル・クラネル。まだ14歳の少年である。背も低く華奢な体格であるため冒険者としては、ずいぶん頼りない概観をしている。

 

「神様、今日朝早くに地震とかありませんでした? 一瞬、部屋がすごく揺れて、ものすごい音がした気がしたんですが」

 

 ベルはダンジョンにもぐるための準備をしながら、自分の主神であるヘスティアに声をかけた。

 

「おいおいベル君、夢でも見たのかい。ボクはぜんぜん気づかなかったぜ?」

 

 冒険者に成り立てで、ダンジョンにもぐってモンスターと戦い始めたばかりだ。体力はもちろん精神的な疲弊が大きくてもおかしくない。

 疲れてるのではないか、と心配そうに尋ねるヘスティア。

 

「いや、疲れてるのは神様じゃないですか。昨日ずいぶん遅くまでバイトしてて」

 

 ヘスティアは未だぐてーっとベッドに寝そべっている。身長が低く愛らしい姿であるが、不釣合いなほど胸が大きく、一部の人間ないし男神には絶大な人気を誇っており、バイト先ではマスコットキャラクターのような扱いを受けていた。昨日はずいぶん遅くまで屋台のバイトをしていたため、朝になっても疲れが取れず、まだベッドから起き上がれないようだ。

 

 神がバイトとは世も末と言う無かれ、まだ設立したばかりのファミリアは資金を始めとして何もかもが不足しているのだ。鍛冶や製薬といったものを収入源としているファミリアもあるが、一般的には所属している冒険者の所謂上納金で生計を立てている。そしてこのファミリアに所属している冒険者はベル一人。ダンジョンでお金を稼ぐには強力なモンスターを倒すほどより高値のつく魔石やドロップアイテムを手に入れることができる。だが駆け出し冒険者であるベルでは倒せるモンスターも下の下のみであり、ダンジョンに潜って稼げる賃金もすずめの涙ほどのものだった。

 

「ホントに大丈夫かい? 君はボクの大切な初めての眷属だ、もし疲れてるようなら今日は休んでも……」

「ホントに大丈夫ですって。じゃあ、行って来ますね!」

 

 防具を身につけたベルが、ヘスティアに向かって大きく挨拶して、隠し部屋の出入り口に続く階段に走っていった。

 

 ……純粋で素直でホントに良い子だなぁ、と思う。

 

 ちょっとだけ不満があるとするなら。

 

「何もロキの所の子に憧れなくてもいいのに……」

 

 机の上に一冊の本が投げ出されていた。

 

『セフィロス英雄譚』

 

 ベルがオラリオにやってきた時に持っていた数少ない私物の一つである。

 英雄セフィロス。所属はヘスティアと犬猿の仲である神ロキのファミリアである。

 

 

 

 

 ――そうだ、なるんだ。

 

 ベルはヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)である隠し部屋から廃教会へとつながる扉の前にいた。

 目を瞑り、手の平を胸板に押し当てた仕草は、胸の奥で燃え上がる熱い想いを確かめているかのようだった。

 ベルには夢がある、理想がある。

 そのうちの一つが。

 

『英雄』である。

 

 生前に祖父からよく聞かされていた冒険譚によって冒険者に憧れ、英雄になるという夢を抱いてオラリアにやってきたベル。英雄達の中でも特に彼が強い憧れを抱いたのが『片翼の天使』セフィロスである。彼はモノクロームの幻影の中にいる過去の英雄ではない。同じ時代を生きるセフィロスの英雄譚は確かな色彩を持って少年の理想の中で燦然と輝いていた。

 

「そうだ……なるんだ!」

 

 ベルはもう一度強く思い描く。

 

「僕も、セフィロスみたいな英雄に!」

 

 そして力強く扉を開け放つ。それが自分の未来を開く予兆になるかのように。

 

 ……しかし。

 

 そこはいつもの薄暗い礼拝堂ではなかった。

 

 半壊を通り越して倒壊寸前の建物。床が大きく砕け、壁が大きくへこみ、天井に至っては砕けて瓦礫の山が積み重なっている。

 

 ベルが力強く開いた扉も次の瞬間には真っ二つにへし折れ、崩れた天井にぶら下がっていた瓦礫がドスンとベルの傍らに落ちる。

 

 ベルはぶち抜かれた天井を仰いで、そこから差し込むまばゆい朝日に目を細めた。

 

「………………………………いやぁ、今日もいい朝だなぁ」

 

 それからちょっと息をついて。

 

 胸の動悸を抑え。

 

 くるりと体を反転させて。

 

「神様あああああああああああああ――――っ! これたぶん教会に隕石が落ちましたああああああぁぁぁぁ――――っ!!」

「……んん、なんだいベル君、ひょっとしてまだ寝ぼけて…………ほあぁああああああああああああ!!!!????」

 

 二人の奇声が周囲に響いた。

 

 

 

 英雄と謳われる男と、英雄に憧れた少年の出会いはそう遠くないのかもしれない。

 

 

 

 因縁と憧憬、悔恨と憂慮、そして過去と現在。

 

 新たな騒動の匂いとともに、迷宮都市オラリオに新しい朝が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


















目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

・挿話【リヴェリア・リヨス・アールヴ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢。

 

 

 夢を、見ている。

 

 

 懐かしい、夢だ。

 

 

 

 

 

 その日は焼けるような空だった。

 

 禍々しいほどの赤い色は群がる雲を焦がしながら、オラリオの街に夜の帳を下ろそうとしていた。人も建物も通りの風景も、全てが夕映えの中に沈んでおり、雨が通り過ぎた後の夕暮れの匂いがどこか物憂げに街を包みこんでいる。細く長く伸びた影法師をかき消すように、ぽつりぽつりと街路を照らし始めた魔石灯の淡い明かりがより郷愁を駆り立てた。

 

 華奢でありながら憂愁に閉ざされた朱色の光景は、私の心をも深い愁いの底へと引きずり込んでいくようだった。

 

 私ことリヴェリア・リヨス・アールヴはいくつもの尖塔が群がり天を衝く長大な館、ロキ・ファミリアの本拠(ホーム)【黄昏の館】にいた。そこは一基の塔頂部にほど近い場所、赤銅色の外壁にしがみつくように誂えられた小さな展望台だ。

 

 目の前に男が立っている。

 

 こちらに背中をむけ、暮れなずむオラリオの街を静かに見下ろしていた。女と見まごうほどの長い銀色の髪は黄昏の光を流し込まれ宝玉のように輝いている。 

 

 ――セフィロス。

 

 夢の中の私はその男に声をかけた。

 

 懐かしい名だ。懐かしい背中だ。もう久しく見ていない、懐かしい男の姿だった。

 

『リヴェリアか』

 

 夢の中だからなのか、セフィロスの声は壁一枚を隔てたように不鮮明だった。記憶を記録で補完しているような、そのほんのわずかな齟齬が鬱陶しい。せめて夢の中でも、自分の名を呼ぶその声を清澄に聞けないのが、たまらなく……もどかしかった。

 

 セフィロスがこちらを見遣る。

 

『今回の件ではずいぶん迷惑をかけたな』

『迷惑などと思っていない。私はもちろん、他の団員も誰一人としてな』

 

 過去の私の想い。それは今でも変わらない。責めるべき者がいるとするなら彼一人に全ての功罪を押し付けてしまった私達に他ならない。

 

『お前はなんでもかんでも一人で背負いすぎた。少しは私達に寄りかかれ。そんなお前を見ているのは、たまらなく、不安だ』

『そうか、だが』

 

 バサっ、とセフィロスの背中に漆黒の翼が顕現した。片翼のみ。それは確かな輪郭を持ちながら、触れれば消えてしまいそうな蜃気楼のようであった。ただその翼は魔力とも神威とも違う畏れを孕んでいた。緩やかな曲線美はその奥にある計り知れない何かを覆い隠している。見ているだけで、傍にいるだけで身震いするような玄妙な静謐を孕んでいた。それはまさに他に形容する言葉を持たない黒き天使の翼だった。

 

 かつてセフィロスが幼い頃に死にかけた時、彼の母がセフィロスの命を繋ぎ止めるために体に〝奇跡の欠片〟を宿らせた。それがいかなものかは分からなかったが、セフィロスが神の恩恵(ファルナ)によってその器を神に近づけたため、近づけすぎたため、本来は人の身で御することのできないその〝奇跡の欠片〟の力を発現するに至った。自分達の主神であるロキが『遥か古代の飛来物』と述べた力の発現が一連の騒動を引き起こし、セフィロスの運命を大きく変えることになった。

 

 あの事件でオラリオの神々はまるで祭りの夜のように狂乱的に色めき立った。元々退屈しのぎに娯楽を求めて地上に降臨した神々である。膨大な年月を過ごした彼らでさえ初めて遭遇したイレギュラーな事態を黙って静観しているとは思えなかった。そんな極上の娯楽の種が傍にありながら、黙って見ておけとそんな殺生なことは無い。今は地上に降臨して神力を封印した零能の存在に成り下がってしまったが、本来万能の存在でありながら……万能の存在であるからこその弊害か、彼らはある種の場面に置いては駄々をこねる幼子よりわがままになる。

 

 他の何を差し置いても、セフィロスを玩具にするためにちょっかいかけてこようとするのは目に見えていた。

 

 いくら相手が迷宮都市で1、2を争う最大手ファミリアであったとしても多くのファミリアが結託して立ち向かえば対処のしようはいくらでもある。強大な敵を打ち倒す方法はいくらでもあるのだ。そして今、多くのファミリアが結託するほどの理由がある。超一級特異点と言えるセフィロスの存在がそうだ。今はまだ表面化していないが、もしかするとセフィロスのみならずロキ・ファミリアすら巻き込んで何か大きな事件が起きても不思議ではない。それもロキ・ファミリアの存続を揺るがすほどの何かがだ。

 

 神々の熱がある程度でも冷めるまで、今回の件に対しての対処が整うまで、セフィロスの人柄と抜きん出た戦闘力と判断力を考慮に入れ以前からギルドの議題に上がっていた強力なモンスターに頭を悩ませる近隣諸国への武力援助の一環として、などのいくつもの事情と利害が絡んだ結果、セフィロスはしばらくの間オラリオを離れて外の世界に出ることが決まっていた。数年単位、もしかしたら十年単位。無論、私達の主神であるロキは最初このギルドからの提案を聞いて強行に反対した。激憤を滾らせた口調で、今回の件で敵対するファミリアが出てくるなら皆とも滅ぼすとまで言い放った。かつては悪神と恐れられた神の横溢する怒気に、ギルドの職員は震え上がったという。普段はおちゃらけた主神であるが、眷属への愛情は本物である。だからこそ許せなかった。自分の愛する眷族をくだらない政(まつりごと)の道具にされるなど到底許容できるものではない。武力を持って立ちふさがる敵がいるならそれ以上の武力で押しつぶそう、姦計を用いて立ちふさがる敵がいるならそれ以上の詭謀をもって絡めとろう。平等を謳う冒険者ギルドの横暴とも言える提案であったが、これを快諾したのはセフィロス当人であった。

 

 ロキ本人としてもセフィロス本人に、外の世界を見て回るまたとない機会だ、と説得されては怒りの矛を収めるほか無く、しぶしぶであるが特務――という名のギルドの提案を受けることにした。

 

 セフィロスは数奇な運命をたどる己の人生を振り返っているのか、その翼を自嘲気味に眺めながら呟いた。

 

『運命というものが本当にあるのなら、それは俺に何を求め、何を欲しているのだろうな』

 

 自身の前に忽然と現れた出口の見えない暗闇を見据えてか、セフィロスの口調はまるで世界に対する詰問だった。

 

『お前の居場所はここだ。お前にこれから先に何があっても、どんなお前に変わろうと、帰ってくる場所はここなんだ、セフィロス……っ』

 

 ――だから、どこにも行くな。行かないでくれ。ずっと……私の傍にいてくれ。

 

 あの日、喉をついて出てこなかった言葉は今も私の胸の奥でくすぶっていた。もしあの時、その続きを告げることができたなら、ほんの一歩踏み出す勇気があったなら、ひょっとしたら……。

 

 だが、出来なかった。私の立場が、『片翼の天使』セフィロス・クレシェントの所属するファミリアの副団長としての立場がそれを許さなかった。

 

 

 だからこそ、せめて……せめてもの、願いを込めた。

 

 

 いつか必ず帰ってきてくれと告げた。世界のどこにいようと、このオラリオ以外に宿り木を見つけて欲しくなかった。何年かかってもいい。必ずこの地に、私の傍に帰ってきてほしかった。

 

 想いが、あふれた。

 

『……初めてだな』

 

 セフィロスは驚いたように目を見開き、それから柔和な笑みを浮かべながら指で私の眦を拭った。

 

『お前の涙を、初めて見た』

『…………馬鹿者め。女を泣かせるなんて、お前はひどい男だな』

 

 ――この責任は、いつかきっちりとってもらうからな。

 

 遠く彼方に沈んでいく太陽と、オラリオの街を見下ろすようにたたずむバベルだけが、私達を静かに見つめていた。

 

 

 

 

 

 あの日からどれだけの夜を越えたことか。

 

 どれだけあの日の夢を見たことか。

 

 いや、あの別れの時の夢だけではない。

 

 セフィロスがロキ・ファミリアに入団した時のこと。

 

 あいつはすでにその頃からメキメキと頭角を現し、我々の常識などいともたやすく塗り替えていった。レベルアップの最速記録の更新、階層主の単独撃破数記録、単独での高難易度依頼達成記録、それら全てオラリオの歴史に残る偉業の数々だった。

 

 共にダンジョンにもぐって、共に困難を乗り越え、笑い、悲しみ、傷つき、敗北の悔しさも勝利の喜びも、不幸も幸福も、一緒に分かち合った黄金の日々。

 

 遥か後方から追いかけてきた少年は、いつしか私を追い抜き、皆を守る大きな青年の背中へと変わっていた。私が手を引いていたその小さな少年の手は、いつの間にか逞しい男の手となり、私の手を引っ張って新たな世界へと連れ出してくれた。

 

 夢を見る。この寂寥たる夜を越えて、再会する日の心華やぐ夢を。それはすぐに泡となってはじける悲しい夢だった。

 

 

 

 ……そして私は、今日も目覚める。

 

 

 

 見慣れた自室、見慣れた天井。

 

「……なあ、セフィロス」

 

 ベッドの上で、朝日に目を細め、腕を日除け代わりに掲げて、ぽつりとつぶやく。

 

「お前は今どこにいる」

 

 声が聞きたい。

 

「今、何をしている」

 

 姿を見たい。

 

「お前に、逢いたいな……セフィロス」

 

 駄目だな。

 あの日の夢を見ると、ひどく感傷的になってしまう……。

 

 頭を振りながら上体を起こす。副団長として今日の予定を頭に巡らせる。

 

 あれから五年。

 

 セフィロス本人からの音沙汰は無いが、その勇名は『片翼の天使』の二つ名と共に雷鳴のごとく全世界へ轟いていた。

 

 片翼の天使、英雄、白銀の剣士。

 

 形容する言葉はいくつもある。

 

 

 あの日、私の前から消えた男は全世界に認められた英雄となり、ロキ・ファミリアの誇りとなったのだった。

 

 それがうれしくもあり、誇らしくもあり、そして……寂しくもあった。

 

 

 

 

 

 




 乙女なリヴェリアさん……ありだと思います!






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話【今日嫌なことは明日に延ばすともっと嫌になる】前編

 長くなったので(全部書いていると予告した日時に間に合いそうにないので)二話に分けます。
 後編は明日17日に投稿します。

 中途半端でゴメンよ!


 

 

 

 黄昏の館。

 

 それは七基の尖塔が長大な中央塔に寄り添うように形成される【ロキ・ファミリア】のホームである。赤銅色の外壁に、空中回廊が入り組むようにいくつも格塔を繋いでおり、歪で鋭利な概観は剣山が連なったような石塊の魔城を思わせた。

 黄昏の館は女性用が四基、男性用が三基と分かれているが、この男女比率の違いは主神であるロキの趣味に寄るところが大きい。この主神、女神でありながら妙に親父くさいところがあり、美女美少女が大好きと言って憚らないのである。

 男性用の塔の内の一基に、使われていない部屋がある。正確に言うなら、もう五年もの間主不在の部屋である。

 

「こんなものか」

 

 雑巾を絞り、部屋の掃除を終えたのはロキ・ファミリアの副団長、リヴェリア・リヨス・アールヴだった。翡翠色の髪に尖った耳。一般的に美しいとされるエルフの端麗な容姿でも、彼女のそれは際立っていた。彼女はハイエルフと称されるエルフの王族であり、完璧に整った容姿を持つ神々でさえ嫉妬させるまさに絶世の美女であった。

 

 掃除を終えた部屋をぐるりと見回す。

 

 ベッドのシーツや毛布などは取り払われているが、壁一面の本棚やソファーや机といった調度品は今も当時と変わらない姿で、主人の帰りを静かに待ち続けていた。

 

 この部屋の主の名はセフィロス・クレシェント。

 

 現在は諸々の特務を受けてオラリオの外の世界を回っているロキ・ファミリアの幹部の一人である。

 

 五年前。セフィロスがオラリオを離れてから今日までの間、リヴェリアがセフィロスの自室の管理をしていた。本来なら一大派閥を取りまとめ多忙を極める副団長の仕事ではないが、誰あろうリヴェリア本人からの強い要望があったのだ。

 

 ……今日は夢見が悪かったせいで。どうにも気分がすぐれない。

 

 思いだすのは目覚める前に見ていた夢の内容である。セフィロスがオラリオを旅立つ前日のやりとり。セフィロスの前で、いや他の誰の目の前でも涙を流すなど、まったくもって不覚である。弱い女と思われなかっただろうか。

 考えれば考えるほど連絡の一つもよこさないで外の世界をほっつき歩いている不精者に文句の一つでも言ってやりたくなる。任務があると理解している、已むに已まれぬ事情があるのだと理解している。しかし納得できるかと言えばそうではない。

 

「いつになったら帰ってくるのだ……あいつは」

 

 現在のオラリオにはいつでもセフィロスが帰ってきても大丈夫なように準備が整っている。件の事件によって生じた様々な問題もすでに事後処理は済んでおり、セフィロスに目をつけた神々への牽制も終えている。その情報はすでにセフィロスの元へも届いているはずだ、と旧知の仲であるギルドの職員にも確認済みだ。

 

 ――そうかそうか、そんなに外の世界は居心地がいいのか……このオラリオよりも!

 

 半ば八つ当たり気味な感情に支配されながら、リヴェリアはふてくされたように鼻息を鳴らした。眉目秀麗を絵に描いた様なリヴェリアの、らしからぬその姿をファミリアの他の団員が見たら仰天すること間違い無しである。

 その後、クローゼットの中にあったセフィロスの服が大量に虫食いの被害にあっていたことに気づいた。しかもそのうちの何着かは自分がプレゼントしたものだと気づき、更に気落ちすることになるのだった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 黄昏の館の大食堂では五十人を超える団員がいっせいに食事をとっていた。

 様々な雑多な話し声が入り混じる食堂で、リヴェリアは端から見ても分かるほどひどく不機嫌だった。黙って食事をとっているが、肩の先からは怒気のようなものが揺らめいていた。

 

「あー、リヴェリア……何か気に障ることでもあったのかい?」

「なんでもない」

 

 ぴしゃりと跳ね除けられた。

 とりつく島も無いと思いつつも大方の見当はつく、とロキ・ファミリアの団長フィン・ディムナは考えていた。まるで幼い少年のような容姿だが、彼は立派な成人である。成体でありながら他種族で比べて身の丈が低く小柄なのが、彼の小人族(パルゥム)という種族の特徴である。風貌こそ金髪碧眼の美少年であり一見すると冒険者としては頼りなく見えるが、その瞳には無数の修羅場を潜り抜けた古強者としての格が垣間見えていた。権謀術数に長け、深い洞察力と指揮能力を持ち、オラリオの一大派閥を率いるのがこのフィンという男である。その二つ名は【勇者(ブレイバー)】。

 

(たぶんセフィロスがらみのことなんだろうな)

 

 フィンの予想は当たりである。

 そもそも予想ですらない。リヴェリアとは冒険者になって以来の長い付き合いだが、共に数々の命の危機を切り抜け、混沌と呼ぶにも生温いオラリオの世情を卓越した叡智で乗り越え、何事においても悠揚たる彼女が、こうもあからさまに心乱されるのはセフィロスのこと以外に考えられない。

 

 ……本当に昔だったら考えられないな。

 

 昔のリヴェリアとセフィロスの関係を良く知るフィンからすれば今リヴェリアがセフィロスに対して抱いている感情は意外も意外である。精々が仲のいい姉と弟といった間柄の二人に一体どのような転機が訪れたのかフィンは知らない。興味はあるが、昔それとなく聞いても、はぐらかされてばかりだったので、今のところ深くは踏み込んでいなかった。

 セフィロスがらみで機嫌の悪いときの彼女は放って置くのが一番だと経験則で理解しているので、とりあえず今やることをやってしまおう、とフィン。

 

「静粛に!」

 

 朗々と響き渡る声に食堂はいっせいに静まり返る。

 フィンは立ち上がり、百を超える瞳に一切物怖じすることなく声を張り上げた。

 

「食事中すまない。皆も知っての通り、我々ロキ・ファミリアは明日ダンジョンで大規模な遠征を執り行うこととなっている。昨日の内に備品の準備は済んでいることと思うが、各担当者は念のためにもう一度確認を行ってくれ。遠征に参加する者はしっかり身体を休め、不参加な者は可能な限り他の者達のサポートに回ってほしい」

 

 以上だ、と締めくくると、『はい!』といっせいに応答が返ってきた。もっとも、中には「凛々しい団長とても素敵です!」とやや調子っぱずれな返答もあったが、ロキ・ファミリアの規律と統率の高さが伺える一幕であった。

 フィンの激励により、食事中に取り沙汰される話題は明日のダンジョン遠征の事一色となった。とりわけ声を大にして意欲を語っているのは、遠征の要であり、ロキ・ファミリアの主力であるメンバーである。

 

「いやぁ腕が鳴るね~!」

 

 そう言って快活に笑うのはティオナ・ヒリュテ。アマゾネスの少女で二つ名は【大切断(アマゾン)】。

 

「そう言ってあんたいつも突っ込みすぎるんだからちょっとは自重しなさいよ」

 

 呆れ顔でティオナに注意を促したのはティオネ・ヒリュテ。ティオナの双子の姉で二つ名は【怒蛇(ヨルムガンド)】。

 

 ティオナは遠足を前にした子供のように、こらえきれない楽しみに心を躍らせていた。遠征の目標はダンジョンの遥か深層、未踏破層である59階層。より深くにもぐるほどに遭遇するモンスターが強力になるダンジョンにおいて、深層ともなれば高Lvの冒険者である彼女ですら場合によっては命を落としかねない危険な道程である。しかしその緊張感すら楽しむのが、アマゾネスたる彼女である。そしてその姉ティオネも戦闘に置いてやや突出傾向にある妹に対して苦言をもらしているが、その抑制的な言動は被った猫に過ぎない事は周知の事実である。本来のティオネはまさに闘争本能剥き出しの凶戦士である。所謂キレた時のティオネは言動が非常に荒々しく、目につくものを食いちぎらんとするほどの凶暴性を垣間見せる。

 

 妹であるティオナは天真爛漫という言葉がよく似合う明るく朗らかな性格だが、戦闘になれば長大な大双刃を振りかざし、並み居るモンスターを殴殺するがごとく蹴散らしていく。

 

 両名ともにロキ・ファミリアの主力であり、迷宮都市でも数えるほどしかおらず数多の冒険者に畏敬の念を抱かれるLv5以上の第一級冒険者である。

 

 ロキ・ファミリアの総力を持って当たるダンジョン遠征。これは今の自分達の限界を試すための儀式のようなものでもある。

 

 だが、だからこそ。

 

 昔とは違う、強くなった今だからこそ、抱く想いがある。

 

「これでセフィロスさんがいてくれたらなぁ~、一緒にダンジョンにもぐって戦えるのに」

 

 ぽつりとこぼしたティオナの言葉に顕著に反応したのが数名いた。

 

「またその話~?」とティオネは辟易した表情で返した。

 

 幼い頃から冒険譚や英雄譚を好んで読んでいたティオナにとって、昔から英雄と呼ばれていたセフィロスに対する憧憬は人一倍であった。幼い頃に物影からこそこそと追い回したことは数知れず、頑張って声をかけようとして勇気が出せないことなど日課であった。前に一度、そんなティオナの行動に首をかしげたセフィロスが「何か用事があるのか?」と優しく尋ねたところ、突然の事態に悲鳴を上げて逃げてしまうという醜態を晒したりもした。

 

 もう何年も昔の話だ。

 

 あの頃はまだ駆け出しの冒険者であったが、迷宮都市でも上位の実力者として成長した今なら英雄としての名声を高めたセフィロスの戦いを間近で見る事ができる。

 戦いこそが人生といえるアマゾネスの少女にとって最強とすら謳われる戦士の戦いを間近で見ることは何に置いても変えがたい甘美な経験となるだろう。

 

「おいバカゾネス! あの野郎の話はするんじゃねえよ!」 

 

 怒声をぶつけたのはベート・ローガ。狼人(ウェアウルフ)の青年だ。

 

「うるさいなー、ベートはいいじゃん。昔さんざんセフィロスさんとダンジョンにもぐったんだからさあ」

 

 ベートも凶狼(ヴァナルガンド)の二つ名を持つLv.5の冒険者だ。まだセフィロスがロキ・ファミリアにいたころは彼が教育係のような形で冒険者としての知識や技能を叩きこんでいたのだと聞く。

 

 ただベート自身はその頃の事を深く語らず、尋ねれば必ず不機嫌になり荒々しい言葉が更に棘を増す。何があったか知るのは本人ばかりだが、ベート当人にとっては好ましくない何があったことは想像に固くない。

 

「うるせえ、てめえは飯食い終わったんならさっさと出て行け! いつまでもうろうろしてんじゃねえ邪魔だ」

「なんだってー!」と姦しく言い争い始めた二人をよそに。

 

「どうしたんですか、アイズさん?」

 

 エルフの少女、レフィーヤが隣に座る金髪の少女アイズに声をかけた。迷宮都市の女性冒険者の中でも最強との呼び声高いLv.5の少女は、凛々しくも愛らしい人形のように整った容姿をしており【剣姫】の二つ名もよく似合っている。

 

 アイズは食事をする手を止め、スプーンを沈めたままのスープをじっと眺めている。レフィーヤが声をかけても上の空で「……なんでも、ない」と小さく言葉を漏らしただけだった。やがてもそもそと食事を再開した彼女であるが、どうにも違和感が拭えない。

 

 セフィロス。

 

 その名が出た途端、様子がおかしくなったように思える。

 

 セフィロス・クレシェント。

 

 【片翼の天使】の二つ名で知られ、世界中に名を轟かす英雄。レフィーヤ自身はロキ・ファミリアに来てから日が浅いため交流は無かったが、ファミリア全体に大きな影響力を持っていることは確かだ。セフィロスの刻んだ偉業の数々はロキ・ファミリア内においても語り草になっている。オラリオ最高峰の冒険者を普段から目の辺りにしているレフィーヤにしてもその逸話で語られる戦闘力や行動力は異常の一言に尽きた。

 

(一体どんな人なんだろう?)

 

 と、その時だ。

 

「お前らいい加減にしろ! 食事くらい黙って食べられないのか! ティオナもだ、食べ終わったなら邪魔だからさっさと食器を片付けてしまえ!」

 

 食堂が静まり返る。ハッ、と我に返るリヴェリア。

 

「すまん、少し気を張り詰めすぎているようだ。だがお前達はもう少し気を引き締めろ。ダンジョンで躯を晒したものに帰る場所は無い、ということをしっかり胸に刻んでおくんだ」

 

 食事を続けてくれ、と言い残し、リヴェリアは食堂を出て行った。

 さすがにこの状況で喧嘩を続けるほどティオナとベートは幼くない。ティオナはふんと鼻を鳴らし、ベートは忌々しげにチッと舌打ち、どちらともなく取っ組み合いを止めて席に戻った。

 

 ――ダンジョンで躯を晒したものに帰る場所はない。

 

 それは冒険者なら皆骨身にしみて理解していることだ。

 ダンジョンで死ぬ要因の多くはモンスターとの戦闘だ。敗北はそのまま死につながる。それも無残に死体を食い荒らされて、だ。例え仲間の死を看取っても、死体を持ち帰るのは極めて困難なことである。それも当然だ。自身も命の危険があるダンジョンにおいて――こういっては死した者への侮蔑にあたるかもしれないが――余計なお荷物を抱えて帰途につけるほど甘くは無い。

 残酷な話ではあるが、やむをえない話である。

 死した仲間や助からない仲間はその場に置いていく、というのがある種のダンジョンにおける通例となっている。

 

 ――それは油断はそのまま死を招くというダンジョンの恐ろしさを滲ませる話の一つだった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

(今日の私はどうかしている)

 

 リヴェリアは深いため息をつきながら黄昏の館を見上げた。もう数え切れないほど見上げた尖塔は今も変わらず悠然とたたずんでいた。

 リヴェリアはいくつかの用事を済ませるためにオラリオの街に出ようとしていた。

 ダンジョンへの遠征とくれば数日単位、場合によっては数十日単位ともなる。今日の内に片付けておかなければならない用件がまだあるのだ。

 手には大きな袋を持っている。

 それらはセフィロスの部屋を掃除した際に出てきたひどい虫食いにあった服だった。長期の遠征に出るという事情から、近場のゴミ捨て場に衣類を出しに来ていた。

 ゴミ置き場に、セフィロスの服を捨てる。

 たった今、捨てた服の一枚一枚に思い出があった。中にはリヴェリアがプレゼントした物もあった。セフィロスがレベルアップした際にお祝いとしてレストランに連れて行った時に着ていた服があった。どれもこれも、その全てにセフィロスが袖を通していた記憶がある。

 それらを捨てるという行為は、まるで思い出の一つ一つを自らの手で削ぎ落としていくような、ひどい空しさを覚えた。

 

(本当に……どうかしているな)

 

 こんな程度のことで心動かされるなど情けない話だと自分でも思う。

 セフィロスが目の前から消えて、自分の心が徐々に衰弱しているように感じた。

 

 ――いつから私はこんなに弱くなってしまったんだ?

 

 その呟きは誰に聞かれるとも無く空に解けて消えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話【今日嫌なことは明日に延ばすともっと嫌になる】後編

 

 

 

 この空には果てがあった。

 

 聳え立つ堅牢な市壁に取り囲まれたオラリオの空は、まるで額縁の中に切り抜かれた手抜きの絵画のようであった。外からの侵攻を防ぐための堅固な市壁は、初めてこの迷宮都市を訪れた者にとっては檻の中に閉じ込められているような閉塞感を抱く者も少なくないと聞く。

 

 私が、初めてこの地を訪れた時にはどう思ったのだろうか。

 

 自分を逃がすまいとする檻のように感じたのだろうか、それとも俗界からこの身を守ってくれる頼もしい盾のように感じたのだろうか。

 

 今となっては思い出せない。迷宮都市有数の高レベル保持者になった今、滅多な事ではオラリオの外に出る事ができなくなった。戦力の流出を防ぐ意味合いであることから、檻に閉じ込められているという表現もあながち間違いではないのだろう。だが、少なくともそれを窮屈だと感じた事は無かったし、息苦しいとも、不便だと感じる事も無かった。

 

 ダンジョンから採取できる魔石産業も隆盛を極め、あふれんばかりの富をこの地へと運んでくる。世界中のあらゆる物品が集まる世界有数の大都市で手に入らないものは無い。

 

 だがこのオラリオという都市は閉じられた箱庭だ。

 

 今の私は知らない。このオラリオを訪れる前の私が知っていたはずの、市壁によって切り抜かれた向こう側の世界の空を、知らない。吹き荒れた風に舞い上がった花弁の行方を、羽根を羽ばたかせ大空へと飛び立った鳥の行方を、私は知らない。

 

 この狭小な箱庭を飛び出し、広大な世界へと飛び立っていったあの男の目に、この都市の姿はどう映っているのだろうか。

 

 鳥篭に閉じ込められていた小鳥がある日、籠を抜け出して広大な自然の中を自由に飛び回る。果たしてその小鳥はわざわざ鳥篭の中に戻ってくるのだろうか。餌も貰え、天敵に命を脅かされる心配も無い。ただそこには空が無い。大きな翼を自在にはためかせ、どこにでもいける、どこまでも続いている大空が無いのだ。

 

 なんだかんだで義理堅いあの男のことだ。きっとこの地に戻ってくるのだろう。だが自由と言う名のしこりは消えることなくいつまでも心の中に残るのではないだろうか。私の目の前に帰ってきたとしても、ここではないどこか遠い世界に想いを馳せ続けるのではないだろうか。そんな姿など、私は見たくない。わがままと言われようが、了見が狭いと言われようが、私は……。

 

 このオラリオという都市の空には果てがあった。

 

 途切れた空が続く世界の景色を私は知らない。

 知らないことが、理解できないことが、たまらなく……もどかしかった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 オラリオの街を行き交う雑踏は様々な種族であふれいた。その中でもいっそう人々の目を惹く女性がいた。

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 エルフの王族出身で、神々をも嫉妬させた絶世の美貌の持ち主である。翡翠色の長い髪を揺らしながら街を歩く彼女の姿は道行く人々が思わず振り返るほどに魅力的であった。

 しかし羨望の対称である完成された相貌は物憂げに翳っていた。

 ふと、一軒の店が目に止まった。女子向けの小物を中心に取り扱っている雑貨店だ。店頭に並ぶ商品の中にペンがある。

 ペン尻の部分にセフィロスのデフォルメされた人形が乗っかっている。

 

「……ふふ」

 

 思わず笑みをこぼしてしまった。

 いつのまにかずいぶん有名になったものだ。ファミリアに入団した直後は背も低く頼りない見てくれをしていたというのに、今では英雄譚すら書かれるほどの男に成長したのだと思うとなんだか感慨深いものだ。

 

 ……ああ、だめだ。

 

 こんな些細なことで麻のごとく乱れていた心が解きほぐされていくのが分かる。自分はずいぶんとイカれてしまったようだ、ああ本当に困ったものだ。

 リヴェリアは視線の隅に気になる文言を見つけた。

 

『言葉に出せない想いは手紙で伝えよう』

 

(手紙か……そういうのも悪くないかもしれん。)

 

 セフィロスの人形付きのペンと羊皮紙を何枚か購入したリヴェリア。

 近場の喫茶店に席をとり、羊皮紙を広げ、ペンを取り出し、あーでもないこーでもないと手紙に書く内容に考えを巡らせる。

 しかしなんだ、改まって書こうとすると何を書いていいのやらさっぱりである。やはり最初は元気か、とでも書くべきか。いや、それでは少し硬すぎるのではないか、むしろ手紙自体本当に出す必要があるのだろうか。セフィロスとて忙しい身だ。いやでもしかし……。

 もごもご口を動かし、頭をひねり、やがて「よし」と息を吐くように小さく意気込んでペンを手に取るまで数分をかけた。

 

 そして……。

 

 相手が今世界のどこにいるとも知れない住所不定だと思い出し、そのペンをへし折ったのは、更にその数分後のことだった。

 

 

 

 

 

「もうあの阿呆のことは知らん!」

 

 誰に言うとも無く腹立ち紛れに叫んだ。肩を怒らせ、歩幅も大きくずんずんと歩く彼女の前を遮る者は一人もいなかった。まるで旧約聖書に語られる海を割ったモーゼの奇跡のように、人波が割れていく。美人が怒ると怖いという言葉があるがその姿はまさにそうだった。

 心がひどく情緒不安定だった。手紙の……住所の事など分かって当然のことだ。そんな事にも頭が回らないなど尋常の沙汰ではない。このままでは下手したら明日に差し迫ったダンジョン遠征にすら支障をきたしかねない。

 

 ロキ・ファミリアのホームである黄昏の館のある北のメインストリートは商業施設などが数多くあり遊楽目的の人々が集まる、オラリオの中でも華やかな印象の強い区画である。街を歩いているとそこかしこにセフィロスとの思い出が転がっていた。満たされた思い出が、心にあいた穴を容赦なくえぐってくる。

 この胸を締め付ける感情の正体は分かっている。初めての経験で最初の内は戸惑ったが、この暖かくも寒々しい感情の名前を知ってしまえば、ああこれがそうなのか、と妙に納得したものだ。

 

 セフィロスとの別れの日に言った言葉をもう一度繰り返す。

 

「本当に、ひどい男だ……お前は」

 

 その時だ。

 黄昏の館近くにある小高い公園に、くしけずるようにたなびく艶やかな銀髪を見た。

 リヴェリアはハッと目を見開いた。

 見間違い。いや、そんなはずはない。気づくとリヴェリアは走り出していた。彼女には珍しくひどく焦った風体で、行き交う人々の肩にぶつかりながらも短く「すまん!」とだけ謝って、その瞳はただ前を向いていた。ただ、一つの人影だけを見据えていた。

 リヴェリアがその男に近づくと、男もこちらに顔を向けた。

 

「セフィロス!」

 

 懐かしい顔だった。いや、五年前より若干大人びた顔立ちになっていた。

 

「リヴェリア……」

 

 聞き間違うはずのない、その声。

 

「本当に、セフィロスなんだな?」

「ああ、今日オラリオに着いた」

 

 久しぶりだな、元気にしていたか、などとありふれた再会の言葉しか出てこなかった。いつオラリオに着いた。リヴェリアはギルドの帰りか、などとそれはまで事務連絡であった。

 違う。

 違うっ、違う……っ。

 言いたいのはそんな事ではない。

 

「俺がいない間、何か変わりはあったか?」

「馬鹿者、いない間というが、お前は五年もファミリアを空けていたんだ。変わったことのほうが多いさ」

「ふ、そうだな。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン、【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ、【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ、【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ、それに【千の妖精(サウザンド・エルフ)】レフィーヤ・ウィリディス。あいつらの話は遠く山や海を越えた国々にまで響いている」

 

 世界の中心である迷宮都市オラリオにおいて第一級冒険者に昇り詰めた強者の名は、遠く離れた異国の地にすら轟いている。レフィーヤはまだLv3の第二級冒険者であるが、その二つ名の示す通り、エルフ族の魔法であるなら、詠唱及び効果を完全に把握すれば使用出来るという前代未聞のレア魔法を持っていることからその名を方々に知らしめていた。

 リヴェリアは苦笑を零した。

 

「それをお前が言うか。お前こそずいぶん派手にやっているらしいじゃないか」

 

 なあ、英雄殿? と意地悪く微笑むリヴェリアに「たまたまだ」とセフィロスは笑って答えた。

 こんな些細なやり取りが、セフィロスが目の前にいるだけで、心が満たされていくのを感じた。モノクロームだった世界が鮮やかに色づいて、騒がしい街の喧騒でさえ華やかな音楽のように聞こえた。

 

「セフィロス……おかしな事を聞くようだが、例えばの話だ」

 

 だが、今、私が伝えたい想いは。

 

「ずっと鳥篭に閉じ込められていた小鳥が鳥篭を飛び出して外の世界を――大空の下を自由に羽ばたいたとして、その小鳥はもう一度鳥篭に閉じ込められることを好しとするはずはないと思わないか?」

 

 ……何を言っているのだ私は。

 

 今言うべきことはそんな事ではない。

 おかえり、よく頑張ったな、会いたかったぞ、と声をかけるべきだ。必要なのは労いの言葉であり、再会した家族に対する慈しみの言葉でなければならない。

 しかし口から出てきたのは、一種の詰問の言葉だった。ひょっとしてお前はオラリオにいるより外の世界に居場所を見つけたのではないか、という。

 嫌な女だ、と自嘲する。しかし口からあふれてしまった言葉を汲み直す術など存在しない。黙考するセフィロスを、リヴェリアは祈るような気持ちで見つめた。

 セフィロスは自分の考えを纏め、ゆっくりと口を開いた。

 

「普通なら、そうだろうな」

 

 その返答にガツンと頭を殴られたような衝撃を受けるリヴェリア。

 だが、とセフィロスは続けた。

 

「一羽だけならな」

「……どういうことだ?」

「小鳥が鳥篭に一羽だけなら外の世界に恋焦がれるだろう。だが、仲間が、家族が鳥篭の中にいるなら、逆に大空の下を一羽で飛び回っていた時こそ、鳥篭の中に恋焦がれていたのかもしれない」

 

 そうは思わないか?

 と、どこか得意げに問いかけるセフィロスの顔を見て。

 

「……ふ、フフッ、そうか……」

 

 そう零して、彼女にしては珍しく、声を上げて笑った。本当におかしそうに……本当にうれしそうに……そして、本当に幸せそうに。

 ひとしきり笑い終えたリヴェリアはセフィロスに向かい直る。ひた、と瞳を見つめる。

 

「すまなかった。変な事を聞いたな」

「なに、いいさ」

「……なあ、セフィロス」

 

 ああ、まったく。

 

「本当にひどい男だな、お前は」

 

 こんなにも私の心を乱すのだから。

 

「……そうか、お前にそう言われるとは、まいったな」と苦笑を零すセフィロスの顔を見て、リヴェリアは何年ぶりかに童女のように声を上げて笑った。普段彼女が見せる貞淑な笑みでなく、ちょっとイタズラっぽく清廉に、それはまるで花が咲きほころぶような可愛らしい笑顔だった。

 

「さあ、帰ろう。私達のホームに」

 

 まったくもって厄介な感情である。

 ……だが、もうこれであの悲しい夢を見ることはなさそうだった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 はぁいっ、皆さんおひさしゅうございまぁーす!

 ただいまオラリオ! 懐かしいぜオラリオ!

 久しぶりのオラリオの街並みにテンション上がり気味の俺ことセフィロス・クレシェントである。

 

 いやー、それにしても懐かしい。たくさんの冒険者が道を行き交うこのぴりぴりとした緊張感と街全体を包みこむ活気。いくつもの国を巡ったが、この独特の熱量みたいなものが味わえるのはオラリオだけだった。

 

 オッタルとの戦闘という埒外のハプニングに遭遇したが、無事切り抜けて俺はロキ・ファミリアのホーム【黄昏の館】への帰途についていた。

 頭からすっぽりとローブを被っている。オッタルとの戦闘の際に脱いだものとは違う予備のローブである。なぜそんなにローブを持っているのかというと、俺の顔が全国規模で広がっているからである。原因は【セフィロス英雄譚】とかいう、俺のやってきたことを10割増しくらいで美化して描いた実に迷惑極まりない本のおかげである。本の中の挿絵は俺の容姿を本人そっくりに描いてくれていたせいで、道を歩けば声をかけられる始末。

 ある村に立ち寄ったときなど、俺の姿を見た途端、村長と思わしき人物が慌てふためいた様子でやってきて、何かこの村に災いが起こっているのでしょうか!? などと尋ねられたこともある。

 

 ――俺は災害探知機かなにかか!?

 

 果たしてこの怒りは誰にぶつければいいのだろうか。

 そういうわけで外を歩くときは、姿を覆い隠し、ついでに気配も消して出歩くようにしている。気分はアイドルと言うより、指名手配された凶悪犯である。

 それにしても五年、五年ぶりである。

 長いようで短い旅路であった。最初は片翼の天使(笑)事件の余波で決まった俺の諸国巡りであったが、ギルドから指定されていたモンスターを狩って、ほどほど……いや、だいぶ多くのトラブルに巻き込まれもしたが、こうして無事オラリオに帰り着くことができたのは実に喜ばしいことである。

 

 そうこうしているうちに、懐かしの黄昏の館が見えてきた。

 相変わらずサグラダファミリアみたいな仰々しい概観である。正直どういうセンスで図面を引いて着工したのか不思議であるが、無秩序で混沌とした内部の造りは、男の子の秘密基地願望みたいなものを刺激してくれるので、割と気に入っている。

 尖塔を見上げて懐かしんでいると、門から三人の人影が出てくるのが見えた。

 

 見覚えがある、見覚えがあるぞ。

 

 そのうち二人は小麦色に焼けた健康そうな肌が実に特徴的であるヒリュテ姉妹である。姉ティオネの方は昔からロキ・ファミリアの団長であるフィンにぞっこんラブだったので覚えている。そして妹ティオナのほうは……うん、なんか声かけて逃げられた覚えがある。当時ティオナは十歳そこそこであり、自分は成人した大人である。端から見ると少児をかどわかそうとして逃げられた立派な不審者にしか見えなかった気がする。

 そしてもう一人。

 

 ベート! ベートじゃないか!

 

 いやぁ立派になって。昔ベートがまだ駆け出し冒険者だった頃は一緒にダンジョンもぐってあれこれと指示やら指導をした記憶がある。反骨心がものすごくてまともに言葉を聞いてくれたことのほうが少なかった気がするけど。

 相変わらず口悪いなー、女の子にはもっと優しくしなきゃ駄目だぞー。

 どうも買出しに行く途中のようだ。話しぶりからするに近々ダンジョンへの遠征があるようだ。

 

 おーい、そこ行く少年少女、俺のこと覚えてるー?

 

 声をかけようとして。

 

「しかしリヴェリア、セフィロスさんのことそんなに嫌いなのかなー」

 

 ……………………へ?

 

「そうなんじゃない? セフィロスのこと話していただけであんなふうに機嫌悪くなって怒鳴るなんてよっぽどなんでしょ」

 

 ……………………マジで?

 

 耳をそばだてる。

 

「リヴェリアって叱ることはあっても周囲に当り散らすことってあまりないじゃない」

 

 うんうん、俺もそう思う。

 

「うん、それなのにセフィロスさんの事を話題にし始めた途端、急に声を荒げて、『邪魔だからさっさと片付けてしまえー』って」

 

 ――誰を!? 俺を!?

 

 いやいや、ちょっと待った! リヴェリアに限ってそんなはずはない。きっと掃除とか食器の片付けとかそういう……

 

「けっ、いつまでもうろうろしているから悪いんだろうが」

 

 ……お、おう、五年も外の世界ほっつき歩いていてすみませんでした。

 

 い、いやいや、まだだ! だいぶ妖しいけど、まだ俺の事とは……。

 

「結構厳しい訓示も言ってたよね、躯に帰る場所は無い、て」

 

 無いの!? 俺の帰る場所無くなったの!?

 

 っていうか、躯ってどんな比喩表現だよ!? それ渾名なの、俺の!? 

 

 もはやイジメだろ、それ!!

 

 混乱している俺を他所に、三人の姿は雑踏の中へと消えていった。

 嫌な汗が頬を伝っている。もしかしてリヴェリア……相当俺のこと頭にきているんじゃなかろうか。

 思い返して見るとリヴェリアには迷惑かけっ放しだった。怪我人こそ0で済んだが片翼の天使(笑)事件の騒動の中で黄昏の館の五分の一くらいを破壊したため修繕費が相当嵩んだろう。それとももしかして街中つれまわしたこと怒っているんだろうか。それとも風呂上りに脱衣所でばったり鉢合わせしたこととか……いやいややっぱり別れ際に泣かせたことが……。

 

 ――考えれば考えるほどロクなことしてなかった。

 

 皆のお母さんと言われるリヴェリアでもさすがに怒るだろうこれは……。

 どうやって謝ろうか考えあぐねていると、黄昏の館の門から出てくるリヴェリアの姿が見えた。

 おおっ、相変わらず見目麗しい。長い翡翠色の髪に、絶世の美女といって差し支えないほどに完璧に整った容姿である。ロキ・ファミリアの副団長にして迷宮都市最強の魔法使いと謳われる才女。

 その手には。

 手…に、は……。

 どう見ても。

 旅に出る前にファミリアに置いていった俺の私服の数々が……。

 え、ちょっと待って、それをどうするの? と嫌な予感がして後をついていくと。

 その足は、ゴミ捨て場の前にやってきていた。

 ま、さ、か……と戦慄する俺を他所に、リヴェリアは手に持った衣類の山を、ドスンと下ろした。

 ゴミ置き場に。

 

 ――俺の私服ゴミ捨て場にボッシュートされたぁああああああああああああああああああああああああ!!!????

 

 先ほどのティオナの言葉が頭の中で何度もリフレインする。

 

『帰る場所は無い……帰る場所は無い……帰る場所は無い……帰る――』

 

 こ、これは、相当まずい……っ!

 

 

 

 

 ただいまー、と黄昏の館に入ろうとしても門前払いを喰らう可能性も出てきたため、おっかなびっくりリヴェリアの後をついていくことにする。ストーカーなどと言う無かれ、こちらとしては少しでも謝罪の糸口みつけるために必死なのだ。

 リヴェリアは、何かにいらだっているように見える。状況的に俺に対しての可能性が高い。これ謝って許してもらえるのかな、と不安になってきた。

 リヴェリアは多忙な彼女らしくギルドやいくつかの関連施設を回って事務手続きの類をしているようだった。

 彼女の足は雑貨店の前で止まった。

 何かを購入して、道に面したオープンカフェに腰を下ろす。俺もこっそりと彼女の右後ろ辺りに席を取り、コーヒーを一杯注文してリヴェリアの様子を観察する。

 リヴェリアは先ほど買った物を袋からとりだした。

 それは一本のペンと羊皮紙だった。手紙でも書くのだろうか、と思っていると、ふと気づいた。ペン尻にデフォルメされた俺の……セフィロス君人形がくっついている。

 

 お、おおっ、なんか恥ずかしいな。

 

 過ぎた評価だとは思うが、英雄なんぞと呼ばれるようになってその人気に便乗した商品も売られていることは知っていたが、こうして知り合いに購入されているところを見たのは初めてである。

 

 セフィロスのペンをまじまじと見つめるリヴェリア。

 ひょっとして俺のこと懐かしんでくれているんだろうか。

 ほろりとしてしまう。ぐすん。ただいまリヴェリア、そして色々ごめんね、と声をかけようとした。その時。

 リヴェリアはおもむろに両手でペンを握った。

 おや? と思っていると。

 バキィッ! と乾いた音を響かせた。

 

 お、おぉっと……っ、リヴェリア選手……っ。

 

 なんとここでペンを真っ二つにへし折ったあああああぁぁぁああ――っ!!!???

 

 そしてぇ振りかぶってぇっ、ゴミ箱にぃっ、叩き込んだああああああああああああああああああああぁぁあ――っ!!!???

 

 いや、待って。

 

 ――どれだけ嫌いなの俺のこと!!!???

 

 俺の姿を模した物を破壊して心の安寧保つレベルでお怒りなの!?

 ふん、とか鼻息ならしちゃってるよ、ゴミを見る目だよアレは!

 やっぱりロキ・ファミリア出て行くときに置手紙の一つもしないで出て行ったこと怒ってる!? ゴメンね、お互いに別れが辛くなるかもって思っちゃったんだ!

 もはやリヴェリアの後を追いかける気力は無かった

 リヴェリアが立ち去った後に、ふとゴミ箱の中を見る。

 そこには彼女が真っ二つに折ったセフィロス君ペンが無造作に投げ捨てられている。背筋がぞくっと震えた。

 ペン尻のセフィロス君人形は、首がもげて胴体が砕けていた。

 俺は……底知れない恐怖を感じた。

 

 

 

 

 

 公園で夕暮れを眺めながら考える。

 結局リヴェリアに声をかけて、謝罪に踏みだせなかった。

 しっかしどうしたものか。

 今日嫌なことを明日に延ばしたところでなんの解決にもならない。むしろズルズルと引き伸ばせば引き延ばしただけ、やろうという気概は萎縮してしまいよりいっそう嫌になるものだ。

 覚悟を決めようと思う。

 そうだ、帰ろうロキ・ファミリアに……!

 そして謝ろうリヴェリアに!

 早速行くぜ! 

 

 ――……この公園を一周、いや三周くらい散歩してからな!

 

「セフィロス!」

 

 その声を、俺は知っている。

 リヴェリア……っ。

 ある意味今最も会いたくなくて、最も会いたかった女性である。

 そういえばこの公園は黄昏の館のすぐ近くである。

 ええい、ままよ! と覚悟を決めてリヴェリアと話して見るが……案外普通である。もしかしたら俺が思っているほど怒っていないのかもしれない。いや、だが怒りを押し殺しているのかもしれない。

 リヴェリアは唐突に「例えばの話だ」と前置いてから話始めた。

 

「ずっと鳥篭に閉じ込められていた小鳥が鳥篭を飛び出して外の世界を――大空の下を自由に羽ばたいたとして、その小鳥はもう一度鳥篭に閉じ込められることを好しとするはずはないと思わないか?」

 

 ……どういう意味だろうか、と考えてはたと気づいた。

 

 鳥……すなわち翼。ひょっとしてこれは俺の【片翼の天使】の二つ名をもじっているのではないだろうか。

 つまりこの小鳥とは俺のことである。

 要約すると。

 

『ファミリアからある日突然飛び出して好き勝手していた放蕩者が、もう一度ノコノコとファミリアに戻ってくることなど簡単に許されると思うか?』

 

 である。

 ……混乱と疑心暗鬼の中、とんでもない解釈をしていた。

 

 ――やっぱ怒ってるよコレぇっ!?

 

 すいません! あの頃はいっぱいいっぱいだったんです! オッタルとかオッタルとか、あとオッタルとかのせいで精神的に色々限界ギリギリだったんです! ギルドの申し出に渡りに船とばかりに思ってすいません! ロキを無理やり説得して飛び出していってすいませんでした!!

 以上の意味合いの言葉を必死で語る。

 一人でいた事で仲間の大切さに気づきました、どうか許してください!

 と、熱く熱く語る俺。情けないというなかれ、リヴェリアだけは怒らせたくないし、できれば嫌われたくもないのである。

 するとリヴェリアはひとしきり声を上げて笑った。粛々とした彼女からすれば珍しい光景である。

 ひょっとして、許してもらえたのだろうか。

 

「すまなかった。変な事を聞いたな」

 

 そう言って朗らかな笑みを浮かべるリヴェリア。その表情には怒りは微塵も感じられない。

 

 おお、これはやったのか!

 

 まさにそこは地雷原であり、薄氷を踏むかのような選択肢を切り抜けた達成感が俺の胸にあふれていた。

 それにしてもよかった! 

 本当に……本当に、よかった!!

 リヴェリア、俺のこと許してくれたん――。

 

「お前は本当に酷い男だな」

 

 ……………………………………………ダメだこれ、殺されるわ。

 

 ほころんだ花のような微笑が、獲物を前に殺意を隠した死神の笑みに見えた瞬間である。俺はあきらめと絶望の境地の中で静かに笑いが零れた。

「さあ帰ろう、私達のホームへ」と優しく先を促すリヴェリアの後をついていく俺の気分はさながら屠畜場に運ばれる子牛のそれだった。

 太陽が憎らしいほど真っ赤に焼け焦げている。

 これから。

 これから……リヴェリアに許してもらえるように誠心誠意尽くそうと、俺は夕日に固く固く誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話【アイズの渇求】 前編

 感想欄で次話は区切りの良いところまで書き上げる(キリッ)とか抜かしておいて、またも前編後編に分かれてます。笑ってくれてもええんやで。

 だ、だって好きなように書いてたら長くなっちゃったんだもの!

 区切りの良い所までだと書き上げるのにまだ時間が掛かりそうなので、前編後編という形で投稿する事にしました。
 ……速筆になりたい。









 

 

 

 

 

 ――【黄昏の館】室内訓練場

 

 

 

 

 

 

 それは三日月のごとき剣閃だった。

 少女が振り抜いた剣の一振りは刹那の閃きでありながら、大気が詰まっているだけの空間に、消えない痕を刻みつけるような鋭い軌跡を描いた。

 その剣のあり方は、まさに夜闇に浮かぶ月のようだった。その気高くもうら淋しげな姿が少女の振るう剣に重なった。

 心底に押し込めた弱さも己を発奮させるための情念となり、振るう剣は深みを増す。運命さえも捻じ伏せて取り戻すと誓った悲願が剣の重みとなり、強さを得るために我が身すら省みない苛烈さが剣の疾さとなった。峻烈な強さへの執念で熱せられ魂は、その歩みの前に立ちふさがった数々の艱難辛苦に打ちのめされる中で鍛錬され、研ぎ澄まされ、やがて己の宿願の前に立ちふさがるなら例えそれが怪物だろうが天だろうが、己の迷いも弱さも、すべからく斬り裂こうとする未完の神剣の形へと精錬された。剣と心のあり方を重ねた少女の歩みはやがてツワモノがひしめき合う迷宮都市オラリオにおいて最高峰の強さを誇る剣士の座へと至らせたのだった。

 

 剣と心を一つにする境地へと達したその剣閃は。

 

 ――ギンッ!

 

 しかし、事も無げに弾かれた。

 速度、タイミング共に申し分なかった。しかし隙を窺い必中を確信して放たれた斬撃は目の前の男には通じなかった。だがわずかな動揺があれど、張り詰めた意識の中でわずかでも緩みやほころびを生じさせるようでは戦闘者として三流以下だ。

 少女はむしろ奮然と剣を握り、舞うように連撃を見舞う。

 袈裟懸け、横薙ぎ、斬り上げ、逆袈裟、刺突。フェイントや体術も織り交ぜて、時に曲芸じみた体運びで翻弄しようとした。

 だが思いつく限りの手段を使っても、体に染みついたありとあらゆる戦技を駆使しても、そのどれもがまるで嵐に立ち向かう羽虫のように簡単に弾かれてしまう。

 相手の獲物も同じく剣。

 剣士と剣士。技量の差は隔絶としていた。今対峙している相手は彼女と比べようもないほどの遥か高みにいる剣士であった。

 

 ――炸裂する閃光は防がれた剣技の数だった。

 

 ――弾けた火花は跳ね除けられた斬撃の数だった。

 

 静寂を掻き毟るように、間断なく剣戟の音が鳴り響く。

 全身の骨が軋んでいた。限界を超えた挙動に四肢は燃え上がり、心臓は破裂しそうなほど激しく脈打っている。吸い込んだ空気は焼け焦げた鉄の匂いで、吐き出した肺の中の空気は喉が擦り切れるように鋭くて熱い。

 己が積み上げた研鑽を束ねて、連ねて、余すことなく叩きつけた。

 しかし、届かない。それがたまらなく悔しく、苛立たしく、やるせなく。

 たまらなく。

 

 ……嬉しかった。

 

 その一瞬一瞬は、より高みへ、より強くなっていく己の姿を鮮明に捉えられた。

 ずいぶん手加減してくれているらしい剣士の技が、動きが、自分に教授してくれるものには千金の価値があった。真似てみろ、もっとこうしてみろ、追い縋ってみろ、そう言わんばかりに吹き荒れる剣戟の嵐の中で魅せられた卓越した戦技は少女の動きにも見事に調和した。

 今、少女は目の前に確かな〝道〟を見た。ただ闇雲に、がむしゃらに、前へ前へと隘路とすら呼べない藪の中を突き進んできた今までとは違う。一撃、一撃の中で自分の技が研磨されていくのを感じる。高揚して研ぎ澄まされていく精神と、熱を持っていく肉体が限界という殻を破る。弱い自分が一合一合、剣を合わせる中で強くなっていくのを感じた。

 ひた走る少女の眼前に、強さの高みへ上り詰めるための黄金の〝道〟が明瞭と拓けていた。それを為しているのは、導いていてくれているのは……。

 

 ああ、と少女の口から恍惚と吐息が漏れた。

 

 やっぱり、あなたが……

 

 少女――アイズ・ヴァレンシュタインにとって目の前にいるセフィロス・クレシェントこそが、自身の力の理想として追い求めていた存在そのものだったのだ。

 

 だが、まだ足りない。

 

 間違いないのだと、そう確信させてくれるものが欲しい。

 それを見極めるために、限界すら超えた今の自分の全てを余すことなくぶつけようと、アイズは全身に力をみなぎらせた。

 跳躍。振り上げた剣をセフィロス目掛けて振り下ろす。当然今までありとあらゆる技巧を一蹴した剣士にそのような技とも呼べぬ単調な一撃は通用しない。難なく防がれ、お返しだとばかりにセフィロスは鍔迫り合う剣を力任せに振りぬいた。アイズを後方へ吹き飛ばす一撃、しかしアイズはただ吹き飛ばされるのではなく、セフィロスの斬撃を利用して力の向きをほんのわずかだが何とか逸らし、中空高くに飛び跳ねた。宙返りをして体勢を整えたアイズは天井にほど近い壁に激突するように足を着けた。靴の裏の内壁は巨大な鉄球が叩きつけられたように陥没している。アイズの全身の骨や筋肉、とりわけ膝には大きな負担が掛かかる。ともすれば崩れ落ちそうになる衝撃に全身を焼かれそうになりながらも、アイズは奥歯を砕けそうなほど噛み締めた。四肢に力を込める。

 

 ――これが、最後の……ッ!

 

 【目覚めよ(テンペスト)

 

 短いながらも玲瓏と呟かれた『詠唱』。

 アイズの唯一にして攻防一体の付加魔法(エンチャント)『エアリエル』が発動する。風は変幻自在、時に万敵を打ち砕く轟風となり、時にあらゆる万撃から身を守る鎧となる。アイズを中心にして生み出された風が渦を巻く。嵐と呼ぶにも生温い超高圧の烈風が周囲一体に轟々と逆巻いていた。吹き飛ばされた瓦礫が壁に激突して砕け、訓練場そのものがみしみしと軋みを上げるほどの風の暴力。並みの人間なら立っていることすらままならない暴風は、だがそれですら余波でしかない。轟風の奔流は今アイズの手の中にある。

 風がうねりをあげながら回転して速度を増す。

 セフィロスが剣を構えた。半身をずらし、背中が見えるほど上体を引き絞った。

 正面から迎え撃つつもりだ。

 これからアイズが放つ一撃の破壊力を知る者なら、それは無茶だ無謀だとなじるだろう。レベル差があろうとただの剣の一振りで抗うには不可能と断ずるほどの一撃なのだから。

 猛る風は龍のごとく鎌首をもたげ、獰猛な顎がセフィロスに向けられる。

 

 瞬間。解き放たれた。

 

 一点突破。剣の切っ先を敵に向けてかまえ、風を纏い、風で加速し、刺突に載せて放たれる、立ち塞がる全てを貫き穿つ風の螺旋錐。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの渾身の一撃にして、最大の奥義。

 

 ――リル・ラファーガ!

 

 刹那が限りなく引き伸ばされた。極限と極限が交差する瞬間、セフィロスが大きく一歩を踏み込むのが見えた。

 そして。

 繰り出された斬閃は、先ほどまでの斬撃が児戯に思える程のものだった。

 大気の悲鳴が鳴り響いた。皹の入った硝子を覗きこんだように周囲の景色が歪んだ。

 手から抜けた剣が、離れた地面に突き刺さった。何が起こったか理解した瞬間アイズの思考は驚愕で埋め尽くされた。

 

 そんな、ありえない……でもっ。

 

 セフィロスのただの一撃。ただの剣の一振りで。

 

 ……風が、砕かれ(・・・)た。

 

 意識が朦朧となる。

 砕けて千切れた風がほころぶように解けて、地面に倒れ行くアイズを柔らかく包みこんだ。普段戦闘で使用しているような轢断の嵐ではなく、それは本当に、優しい風だった。

 

 白やんだ意識。茫洋の彼岸の中で、アイズは……夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第六話【アイズの渇求】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とっぷりと日が暮れ、西の空に滲んでいたわずかな薄明も波が引くように遠く山稜の彼方へと消えていく。帳が落ちた暮夜を、魔石灯の明かりが粛々と照らし始めていた。

 ロキ・ファミリアのホーム【黄昏の館】の正門前には二人の門番が立っていた。彼らもまた主神であるロキに〝神の恩恵(ファルナ)〟を授かった冒険者である。双方共にLv.2であり、上級冒険者にカテゴライズされる者達である。

 冒険者達がダンジョンに潜る際に、力の指標としているものがステイタスである。ステイタス――神の恩恵(ファルナ)神血(イコル)を媒介にして刻まれた【神聖文字(ヒエログリフ)】が対象の能力を引き上げる効果を発揮する。

 基礎的な身体能力において神の恩恵(ファルナ)を授かった者と、そうでない者との間には霄壤の差があった。

 それも当然だ。

 例えダンジョン上層に徘徊している比較的弱いとされているコボルトでさえ大の大人が束になって挑んでも勝てるかどうかという怪物である。それらを路傍の石のごとく蹴散らす冒険者達の力たるや文字通り神がかっていた。

 そんな冒険者の能力にも階級がある。それがLvだ。神の恩恵(ファルナ)を授かったばかりの冒険者は軒並みLv.1であり、様々な出来事……例えばモンスターを倒すことによって得た【経験値(エクセリア)】が神の手によって抽出され、冒険者達の背中に刻まれた【神聖文字(ヒエログリフ)】を更新する事によって、彼らは自身の能力を向上させるのだ。 しかし自分自身が〝力〟を受け入れるための器であるとするなら、器を満たす力の容量には限界があり、それがそのままその者の到達できる強さの限界となる。

 Lvとは器の大きさであり、ランクアップとは器の拡張である。

 Lv.1と2の間には大きな力の差がある。Lv.1とは冒険者としてはまだまだ駆け出しの領域であり、Lv.2に到達する事で冒険者固有の二つ名を得る事が出来るのだ。

 ランクアップには多大な労力を必要とするため、その道程で命を落とす者は数知れず、Lv.1のまま燻っている冒険者も迷宮都市には無数に存在する。冒険者達の力関係はある種のピラミッド型構造になっている。Lv.1がもっとも多く、2、3、と階級を上げるごとに分子は少なくなっていく。迷宮都市で最高峰と呼ばれるLv.5以上の第一級冒険者など数えるほどしかいない。オラリオで最大規模を誇るロキ・ファミリアでさえ両の指数に足りないほどの人数しか在籍していないのだ。

 Lvを一つ上げるだけでも血反吐を吐くような修練と修羅場を潜り抜ければならない。Lv.3、4の第二級冒険者はおろか、Lv.5や6など雲の上。ましてやそれ以上のLvに到達した者となるとオラリオにたった二人だけであり、その超常的な強さたるや、まさに天蓋の王座に君臨する豪傑であった。

 黄昏の館の門を守る彼らもまたLv.1を脱却して、つい最近二つ名を拝命したばかりである。ロキ・ファミリアに入団して神の恩恵(ファルナ)を授かっておおよそ三年。一般の冒険者からすれば十分すぎるスピードでのランクアップである。迷宮都市オラリオ屈指のダンジョン探索系ファミリアであるロキ・ファミリアの潤沢なバックアップもさることながら、定めた目標にめがけてひた走った本人達の奮闘の賜物であった。彼らはまだ年若い。若いゆえのうぶな活力にあふれ、やや向こう見ずに邁進する傾向にあるが、それが良い方向に彼らの成長を促していた。

 しかし強くなる事に愚鈍ななほどひたむきになれる彼らにとって、門柱に張り付いたままの現状に愚痴の一つも零したくなるというものだ。

 

「俺達は今日も明日も明後日も門の警備かー。あー今日も明日も明後日もー」

「うっさいわね、何度も言わないでよ。しょうがないでしょ、ほとんどのメンバーはダンジョン遠征で出払っちゃうんだから」

 

 ダンジョン探索系のファミリアであるロキ・ファミリアにとって、最も重要かつ在り方そのものといえるダンジョン遠征が明日に迫っていた。幹部級を含めた第一級冒険者達はもちろん選ばれた精鋭メンバーによるダンジョン未到達階層への挑戦。

 そう、選ばれた(・・・・)精鋭達、がだ。

 二人は同時にため息をついた。

 

「分かってたんだけどさぁー、いざ選ばれなかったってなると気落ちしちまうよな」

「言うなって言ってんのに、この男ときたら」

 

 彼女とて落ち込んでいるのだ。ダンジョン遠征といえば、ロキ・ファミリアにとっての一大イベントである。目指すはダンジョンの遥か深層、長期間をかけて未到達階層である59階層を目指すのだ。未知という名の浪漫を追い求める冒険者にとって誰も知らない世界への挑戦に胸を熱くしないはずがない。もちろん命の危険はあるが、それも織り込み済みで冒険者になったのだ。今際の際のことなど考えてもしょうがない。

 二人はまだレベル2になったばかりである。レベルが一つ上がるだけで基礎能力が今までとは比べようもないほどに跳ね上がる。まだ自分自身の力と性能を十全に理解していない者を、色濃い死の匂いが香り立つ深層への遠征に連れて行くのは無謀だ、という、団長であるフィンの決定であった。

 二人とてその辺りは理解しているのだが、納得はできるかというと話は別である。むしろランクアップしたばかりで体中をみなぎるあふれんばかりの力を思う存分に振るいたかった。冒険者を目指す者の動機は様々だが、少なくともこの二人は浪漫や一攫千金といった冒険者にとっては健全な動機が志望理由である。迷宮都市オラリオ屈指の一大派閥であるロキ・ファミリアのダンジョン遠征への参加は、自身の力が認められた証であり、命知らずな探究心をこれでもかと満たしてくれ甘露である。

 ランクアップしたし今回こそは、と意気込んで結果は「また今度な」だ。気落ちしても仕方が無かった。

 二人は背後のロキ・ファミリアのホーム【黄昏の館】を見上げた。

 天に衝きたてられた峻険な尖塔のシルエットが、夜空を墨で塗りつぶすように聳えている。宵闇の中においては、ぬらりと見下ろす幽鬼のように不気味に見えるが、今は俄かに活気だっているのを二人は知っていた。なにせ此度の遠征の決起集会がそろそろ大食堂において開かれるはずだ。神ロキや遠征に参加するメンバーはもちろん、留守を預かるメンバーも参加予定である。参加しないのは運悪く門番のローテーションにぶち当たった彼らだけである。

 疎外感が彼らの落胆に拍車をかけていた。

 

「あ~ダンジョンダンジョンダンジョンダンジョン、それダンジョンダンジョンダンジョンダンジョン~」

「この野郎……」

 

 いい加減その野暮ったい口を力づくで閉じさせてやろうか、と物騒な事を考え初めていると、夜影の中に人影が見えた。二人組である。一人はよく知っている姿だった。

 

「ちょっとちょっとっ」

「ん、なにお前も一緒に歌う?」

「歌うかっ! いやそもそも今の歌だったの? イヤ、そうじゃなくて前、前ッ」

 

 前を向いた男が「ぬわっ」と小さくうめき声を漏らした。二人は背筋をピンと伸ばし肩を張り、直立不動の体勢で近づいてくる人影を迎えた。

 

「おかえりなさい!」

「お疲れ様ですリヴェリア様!」

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴ。神も嫉妬するほどの美貌を持ったハイエルフの麗人であり、彼らの所属するロキ・ファミリアの副団長である。

 

「うむ、お前達も御苦労。何事も無いと思うが警戒は怠るなよ」

 

 リヴェリアは鷹揚にうつむき、気の緩んでいた二人にさりげなく叱咤する。二人は内心びくりとしながら腹に力を込めて大声で「ハイ!」と答えた。

 

「あの……そちらの方は?」

 

 二人はリヴェリアの隣にいる男に目を向けた。リヴェリアと共にやってきたということはロキ・ファミリアの関係者であるはずだが、現在幹部も含めた他の団員達は決起集会のため大食堂にいるはずである。全身を覆い隠すようにローブをすっぽり被っている。妖しい。だがリヴェリアと一緒に来たということは少なくとも不審者ではないはずだ。

 自分達にとっては雲の上の存在であるLv.6の冒険者にして、所属するファミリアの副団長であるリヴェリアに問い質すのは不敬に感じるが、かといって素通りさせたら職務怠慢ではないだろうか。いやでも副団長が招き入れた人物なら、問題無いということか。

 二人の逡巡に、リヴェリアは苦笑しながら隣のローブの人物に発話した。

 

「ホームに着いたんだから、お前もいいかげんそのローブを脱げ」

「ああ、そうだな」

 

 男の声だった。被っていたフードを脱いで、現れた顔に、二人はハッと息を呑んだ。恐ろしく整った彫りが深い顔立ち。さらりと揺れる絹のように線の細い銀色の髪。その顔に、二人は見覚えがあった。

 

「もしや、セフィロス様でいらっしゃいますか……?」

 

 男が驚愕に目を瞠りながら問う。女も口をぽかんと空けていた。

 セフィロス・クレシェント。

 彼らと同じくロキ・ファミリアの一員であり、ファミリアの根幹を支える幹部でもある。しかし五年前に特別任務でオラリオを離れていた。三年前にファミリアに所属する事になった二人との接点は皆無である。しかし彼の肖像はその武勇や逸話と共に世界中に広がっている。生ける伝説であり英雄と謳われる男――

 

「リヴェリアはともかく、俺には〝様〟などつける必要はないぞ」

 

 彼は――セフィロスは苦笑と共に首肯した。 

 

「私はともかくと言われてもな、別に強制した覚えは無いのだが」

 

 リヴェリアのぼやきを他所に、二人は最大限の礼の形をとった。

 

「いいえ! そういうわけにはいきません!」

「市井にまで轟く数々の武勇、御身と所属を同じくする我らロキ・ファミリアの団員全てにとっての誉れであります!」

 

 ガチガチに緊張して声が上ずっていた。

 そんな二人の様子にリヴェリアは「だとさ」と忍び笑いをもらす。

 セフィロスがあまり格式ばった持ち上げ方をされるのを苦手と知っていて、怜悧な表情に稚気を滲ませて笑っていた。セフィロスは黙って肩をすくめておどけてみせた。

 

「ああ、ありがとう。今、帰った」

「長期に渡る都市外での任務お疲れ様でした!」

「お疲れ様でした!」

 

 彼らはまだ新米を脱却したばかりの冒険者である。彼らが冒険者という道に進んだのも、ロキ・ファミリアに入団した理由の中でも、セフィロスの存在は決して小さいものではなかった。冒険者の頂点であり、憧れの英雄を目の前にして二人の目は憧憬と歓喜に潤んでいた。

 

「早く来いセフィロス、時間が押している」

「ああ、分かった」

 

 二人の横を通り抜け【黄昏の館】に入っていく間際、セフィロスは「がんばれよ」と肩を叩いて中に入っていく。

 リヴェリアとセフィロスが去ったのを見届けた二人は肩からドッと力を抜いた。

 

「……すっげぇ」

 

 男がつぶやいた。女も惚けたように「うん」とつぶやくだけだった。

 ただそこにいるだけで敬服せずにはいられない威容と、自然と肌が粟立つような穏やかな覇気。ありていに言えば、纏っているオーラが違った。

 あれが英雄セフィロスか、と妙に納得すると共に、彼に叩かれた肩が熱を持ったように熱くなる。感触を思いだすかのように、恐る恐る肩に触れる。自分の体だと言うのにまるでそこだけが触れるのさえ戸惑われる珠玉のように感じた。

 伝記や戯曲、夢と口伝の中で編まれる英雄との邂逅に、先ほどまで虚しさに冷めていた二人の冒険者の胸中はいつの間にか熱く焼け焦げていた。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

「誰もいないな」

「明日には遠征を控えている。今頃は大食堂で決起表明会のために集まっているだろうさ」

 

 リヴェリアとセフィロスは塔の集合体である【黄昏の館】の中央塔、上階へと延びる螺旋階を上っていた。

 

「お前は行かなくていいのか、副団長殿?」

「まだ時間はある。今はこっちが先だ。まったく……事前に連絡の一つも入れず突然帰って来おってからに、この放蕩者め」

 

 中央塔の最上階に、このファミリアの主神であるロキの私室があった。

 螺旋階段を上りきり、木の扉をノックする。

 

「ロキ、入っていいか?」

 

 誰何の声に、室内から「ええよー」と間延びした声が聞こえた。

 ファミリアの主神であるロキの室内は、一言で現すなら〝酒場の雑音〟であった。多種多色の酒瓶がそこかしこの棚に所狭しと置かれえており、一体どういう意図で置かれたか分からない彫像。重厚な歴史書や学術書、小説やファッション詩、低俗なサブカルチャーまで網羅した本の数々が散乱している。他にも異国感溢れる装身具に、宝珠やら、短剣やら、絵画やら、様々な趣向の品々が雑然と交じり合っている。部屋は主の性格を反映するというが、この部屋は移り気で気まぐれな神々の気質を顕著に現していた。

 ロキは部屋の中央でスツールに浅く腰掛け、グラスでワインを煽っていた。微酔で頬はわずかに赤みがかっている。

 

「おぉ~、リヴェリア。どうしたんや、ひょっとして決起集会もう始まるん? 今、準備してるとこ、もうちょい待っといてー」

 

 朱色の髪を後ろで束ねており、完成された美麗な顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべてニヨニヨと笑っていた。 

 神としての威厳もへったくれもない風体だが、当の本人が崇拝やら奉りなどの堅苦しいものを一切望んでいないので、基本的にロキ・ファミリアの団員達は己の主神に対して敬いや畏敬とは無縁の接し方をしていた。

 リヴェリアは嘆息しながら、ロキの足元に転がっている酒瓶を胡乱げに見つめた。

 

「準備って酒煽ってるだけだろうが。いや、お前に引き合わせなきゃいけない奴が来たのでな」

「はあ?」

「入るぞ、ロキ」

 

 続いて入室してきた人物に、普段は糸のように細められた目も今回ばかりは大きく見開かれていた。ロキは酔いも忘れ唖然とつぶやく。

 

「……………………セフィロス?」

「ああ、久しぶりだな」

「お、おま……っ、いつの間に帰ってき……わたぁッ!?」

 

 慌てて立ち上がりセフィロスに駆け寄ろうとするロキだったか足元に転がっていたビンに躓いて顔面から地面に激突した。

 予想通りの痴態に「くくッ」と吹きだしたリヴェリアの頭を軽く小突いてから、セフィロスはロキに歩み寄った。

 地面に突っ込んだ姿勢のまま微動だにしない。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 声をかけるが反応が無い。いよいよ打ち所が悪かったか、と思いきや。

 

「せふぃろぉぉぉす!!」

 

 倒れ伏した状態から、突如ゾンビのように顔を上げ、がっしりとセフィロスの腰に抱きついた。

 

「あーもう! ホントもう! なんやなんなんや、自分帰ってくるなら連絡くらい入れんかい! っていうか旅してる最中にも手紙の一つくらいよこさんかいッ!」

「すまなかった。それにしても何だ……壮健そうでなによりだ」

「あー壮健やとも! 自分でもびっくりするくらい壮健や! 壮健万歳!」

 

 バンザーイバンザーイ! と酒が入っているせいか謎のテンションで何を言っているのか意味不明であったが、眷属のオラリオ帰還を喜んでくれていることは間違いなかった。

 

「では、私は食堂に行っている。ロキとセフィロスは準備してからゆっくり来るといい」

 

 主神と眷属の久方ぶりの再会を邪魔するのも野暮というものだろう。ほのかに笑いながら、そう言い残し、リヴェリアは部屋から出て行った。

 ロキは「あいよー」と返事を返してから、うきうきと上機嫌で机の上から新しいグラスを持ってきてセフィロスに差し出す。片手には火がつく度数の酒瓶が握られている。

 

「ホンマ、よ~帰ったなセフィロス! うんうん! よ~帰った! まあ、あれや……まずは駆けつけ一杯、ほら飲めや!」

「準備してさっさと来い!」

 

 去ったと思ったリヴェリアが扉の端から顔を覗かせ怒鳴りつける。ロキの行動は想定の範囲内だったらしい。ちぇー、と口を尖らすロキ。釘を何度も刺して、リヴェリアは今度こそ食堂に向かったようだった。

 その後ロキは準備――というか軽く身だしなみを調えただけなのだが――を終えて、セフィロスと二人遠征の決起集会が行われる食堂へと歩を進めていた。

 

「……ほお、噂には聞いていたが、皆ずいぶんがんばっているようじゃないか」

「皆つよなったでー。特にティオネ、ティオナ、ベート、それにアイズたん!」

 

 とりとめのない会話を重ねる中で、ロキが妙にそわそわというか、何かを言いかけては口ごもるといった仕草を繰り返している。

 

「ロキ、他に言いたい事でもあるのか」

「…………なんで、そう思うん?」

「さすがにそこまであからさまではな。珍しいじゃないか、天界にいたころは悪神などと呼ばれていたあなたが、そこまであからさまに動揺しているなんて」

 

 セフィロスの言葉にロキは歩を止めた。

 

「うー」と頭を掻き毟ってから、意を決してセフィロスに聞きたかった事を尋ねた。

「なあ……自分、ウチのこと恨んでるか?」

「なんだそれは?」

 

 ロキにとってセフィロスがオラリオを旅立つ原因となった五年前の事件は後悔に濡れた思い出だった。事件の引き金を引いたのはロキ自身であり、セフィロスの人生を狂わせてしまったのも自分自身。あまつさえ、結果的にセフィロスをオラリオの外に追いやらねばならなくなってしまい……他ならぬセフィロス自身がこのファミリアを守るためにと、その決断を下した。それがロキ自身を苛んでいる罪過の形だった。

 

「親は子を守らなアカンのになぁ」

 

 ロキは自嘲気味に呟いた。

 それにセフィロスは毅然と答えた。

 

「恨んでなんかいないさ」

「だけど」

 

 否定の言葉を重ねようとしたロキは、セフィロスの瞳を見て口を噤まされた。下界に降臨した神は神力を封印して零能へと身をやつしている。そんな神々でも下界の子供達の嘘を嘘と見抜く力は残っている。

 ロキは気づいた。セフィロスは本当に恨んでいない。何一つ嘘偽り無い気持ちで、恨んでいないと言葉を紡いだのだ。

 

「たしかにあの事件によって俺の人生は思いもよらない方向に進んだ。だが、それを不幸と決め付けるな。このオラリオを離れていた時間で新たに見えた景色があり、育んだ誓いがある。例えこれから先の未来でどんな運命が俺を待ち受けていたとしても、俺は折れない、曲がらない、砕けない」

 

 だから、と言葉を繋げた。

 

「これからも見守っていてくれないか? 俺の、もう一人の――――」

 

 母さん。

 

「…………ッ、そ、そっかぁ……」

 

 それからロキは、笑った。

 空を仰いで、手で目を塞ぎ、零れ落ちそうになるソレを必死にこらえ、大きな声で笑った。

 

「あー、まったく! こんのっ、いつの間にか小生意気なこと言うようになってからに! この間までこぉんなに小さかったのになぁ!」

「なんだその指と指の間隔は、俺は豆粒か何かか?」

 

 ケラケラと笑うロキ。

 ひとしきり笑った後。虚空を見つめ、ぽつりとつぶやいた。

 ああ、まったく。

 

「ホント……可愛いなー、子供達は」

 

 ここではないどこか遠くを見つめる瞳は何を想っているのか。

 

 ……きっとそれは、彼女達のような悠久の時を生きる者にしか分からない何かなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 あとで加筆するかも


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話【アイズの渇求】 中編

 すみません! 次回、後編とか言って中編を差し込んでます!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腰の剣を抜き、虚空を一閃させる。

 鋭くも清澄な風斬り音が、夕闇を弾く銀閃と共に繰り出された。一つ、二つ、三つ、と続けざまに放たれる大気を斬り裂く斬撃は、徐々に裂度を上げていく。身をひねり、腕をしならせ、大地を踏み抜く。煌びやかさとは無縁の凍てついた刃が縦横無尽に振るわれ、黄昏を斬り刻む。

 それは剣舞と呼ぶには型の纏まりが無く、我武者羅と言うには鮮麗で勇壮な練武の剣嵐だった。

 少女の細腕から生み出されているとは思えないほど斬撃はあまりに鋭く、いつまでも残るような軌跡に、斬り裂かれた大気そのものが姿形の見えない剃刀の刃に変容してしまったとすら思えた。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。【剣姫】の二つ名を持つ彼女は迷宮都市オラリオにおいて最高峰の剣士の一人である。

 愛らしくも美しい、人形のように整った面立ちは、今は凛然と固められている。柳眉を逆立て、唇を真一文字に引き締め、瞳の奥の光は執念と克己心で燃え上がっていた。膝に届きそうなほど長く美しい金の長髪が、彼女が剣を振るい身を躍動させるたびに黄昏に踊っている。

 

 強く、なるっ。

 

 胸を焦がすほどに想い描き、狂おしいほどに願い抱く。

 剣を握った手を事更に強く握り締める。強張った腕の筋肉を力任せに振りぬく。

 何よりも強さを追い求める少女の、それはまるで己に課した誓いのようでいて、呪いのようでもあり……。

 

「あ、いたいたー、アーイーズー!」

 

 誰何の声が、自己の世界に埋没していたアイズを呼び戻した。剣を振るう手を止め、声が投じられた方を見遣る。

 

「まーったく、こんな日にまで鍛錬なんて駄目だぞーっ」

 

 呆れたような、困ったような声色で、近づいてきたのはアイズとそう変わらない年齢の小柄な少女だ。

 

「……ティオナ」

 

 アイズが少女の名前を呟く。

 ティオナ・ヒリュテ。褐色肌が特徴的なアマゾネスの少女で、種族的な性質によるものか己自身を誇示するように肌の露出面が多い装いである。整った顔立ちに生来の天真爛漫な気質が溢れだしており、親しみやすく愛くるしい雰囲気を纏っている。しかし彼女もまたアイズと同じく迷宮都市最高峰の実力を持つ第一級冒険者の一人である。二つ名は【大切断(アマゾン)】 戦闘においては威力、重量共にトップクラスの武器、大双刃(ウルガ)を自在に操り、並み居るモンスターを路傍の石を跳ねるがごとく易々と斬り飛ばす女傑である。

 

「もう決起集会始まっちゃうよ。それに明日は朝早くに遠征に出発するから、今日はしっかり体を休めるようにって団長(フィン)も言ってたでしょ?」

 

 咎められたアイズは罰が悪そうに視線を地面に這わせる。

 

「……うん、ごめん」

 

 うなだれたアイズの肩に手を置くティオナ。アイズは普段から表情が乏しく、ともすれば完成されすぎた容姿と相まって本当に人形のように見える。しかしティオナは揺れ動く瞳の奥で渦巻く焦燥を感じ取っていた。アイズの親友を称する彼女は、アイズの心の機微については事更に敏感であった。

 

「もうちょっと肩の力抜こうよ。そうしないと本当に必要な時に、力が出せなくなっちゃうよ。うーん、つまりなんていうか……あー、うん……もうっ、とにかくアイズはもうちょっと気を緩めることも必要だってこと! あともっとあたし達を頼って!」

 

 うまい言葉が見つからなかったティオナはやや強引にまとめると、「さ、いこ?」とアイズの手を握る。足りない言葉は行動で補うといわんばかりに、アイズの手をやや強引に、それでも優しく導くように引っ張って決起集会の会場へと向かっていく。

 

 ティオナ自身、アイズが背負っているものの重さはおぼろげながら理解していたし、覚悟の程は見ているこちらが痛ましいほど見せつけられてきた。自分も大概向こう見ずだと思うが、アイズはそれ以上だ。単独でモンスターの群れの中央に突っ込むなど茶飯事であるし、ダンジョン攻略においては敵陣に攻め込むための取っ掛かりになる〝穴〟を穿つ急先鋒として頭抜けた突破力を誇っている。だがティオナにはそんなアイズの姿に、まるで迷子の子供が親を求めてどこともしれない虚空に手を伸ばし続けている姿を幻視した。躓き、転んで、壁にぶつかり、体中痣だらけになり、傷だらけになり、それでもひたすらに手を伸ばし続けてるか弱げな迷子の背中が、怪物達の群れの前で臆することなく昂然と対峙する【剣姫】の背中に重なるのだ。

 

 ティオナはアイズに対して憧憬のような感情を抱いていた。戦う力を重きに置くアマゾネスとして強者に対する畏敬の念もあったが、自分には無い楚々とした美しさの奥に秘められた烈火のごとき強き意思、弱さも強さに変えて己の道をひた走るアイズ自身の強さが、なによりまぶしかった。

 しかし宿願にかけた想いの強さが、そのままアイズの強さなのだとしたら、その背負った宿願の重みがいつかアイズ自身を押しつぶしてしまうのではないかという不安を、ティオナは拭いきれずにいた。

 もしアイズが倒れそうになったら支えるのはファミリアの仲間達で、何より自分が最初に駆けつけてみせると心の中で静かに誓っていた。

 

「今日はたっぷり休んでさ、明日からの遠征がんばろうよ、ね?」

「……うん」

 

 そんなティオナの言葉に感謝しながらも、アイズはティオナに引かれているのとは反対側の自分の手の平を見つめる。

 

 Lv.5にランクアップして三年。最近はステイタスの伸びが悪くなってきたのをハッキリと感じ取っていた。基本アビリティは【力】【耐久】【器用】【敏捷】【魔力】の五項目で現され、それぞれが0から最大999の熟練度で能力の高低が示される。例えば【耐久】を上げたいのであれば、ひたすらモンスターの攻撃や、訓練などの中で打ち据えられる痛みに耐えれば数値は上がっていく。【魔力】を上げたいのであればひたすら魔法を使えばいい。剣士として最前線で剣を振るうアイズは【器用】と【敏捷】の値が比較的高くなる。それにくわえ『エアリエル』という攻防一体の万能魔法を、自身の戦術の支柱にしているアイズは【魔力】の値がずば抜けて高い。

 しかし熟練度は上がっていくごとに徐々に上伸する数値の幅が小さくなっていく。最近のアイズでは、例えダンジョンの上層から中層にかけて跋扈するモンスターを何十、何百匹と倒しても、【力】や【敏捷】の値が2から3ほど上がる程度のものだった。

 最後にステイタスを更新した時の数値が、

 

 

 

 Lv.5

 力 :D549

 耐久:D540

 器用:A823

 敏捷:A821

 魔力:A899

 

 

 

 である。

 もしかしたらLv5という自分の器にとって、今の数値が頭打ちなのかもしれない。

 成長の著しい停滞が、アイズの心を苛んでいた。

 強くなろうという意思はとめどなくあふれ、この矮躯から零れ落ちるほどだというのに、力を込めれば込めるほど大きく空回りしてしまっているような現状がもどかしくてたまらなかった。なまじっか自身の力の成長が、ステイタスの数値の向上というハッキリとした指標で現されてしまっているのが、今のアイズの焦燥に拍車をかけていた。もはや中層までのダンジョン攻略で今以上の成長は見込めないだろう。

 だからこそ今度の遠征はよりいっそう力が入ろうというものだ。

 目指すは強力なモンスターたちが跋扈するダンジョン深層。得られる経験値(エクセリア)も単独で臨めるダンジョン中層部と比べてもかなり多いものとなる。そしてその先、未到達領域である59階層への挑戦。

 握り締めた自分の手を広げ、はたと見つめる。線の細い子女の指。自身の肥大する強さへの渇望に比べてそれはあまりに小さく、頼りなく見えた。

 時折、自分のしている行動がこれで本当に正しいのかと思うことがある。果ての見えない荒涼たる大地に一人佇んでいるような、そんな虚無感に苛まれる。戻る道などとうに見失っている。目指す目的地も、霞む地平の遥か彼方で、それも本当にあるのか分からない。

 今の自分の姿が悲願という名のガワを被っただけの、がらんどうの人形のように思えることがある。人形……たしかに自分は人形のようだと揶揄されることがある。己の主神や仲間達曰く、自分はそれなりに整った容姿であることが人形と呼ばれた理由だと言われる。アイズ自身には己の容姿の美醜などさして気にした事など無かったが、人形と呼ばれた理由が自分の変化の無い表情にあることが理由の一つでもあることは理解している。鏡の向こうの自分はいつだってニコリともしない。怒る事も無ければ、悲しむ事も無い。自分自身に感情が無いのかと問われてもそんな事はない。しかし例えばティオナのように笑うときは口を開けて笑って、悔しがるときは地団太を踏んで悔しがって、怒るときは体全体で怒りを爆発させる。そんな風に今目の前にある人生を全力で謳歌している姿を端で見ていると、どうしようもなく、まぶしく見える。

 自分といえば、自身の感情の所在が分からなくなる時があるというのに……。

 

 ――私は、本当に……強くなれているのだろうか?

 

 ここまで来るのに、どれほど多くを失い、この指の間からどれほど多くのモノが零れ落ちていったのだろうか。

 いくら考えても答えは出そうに無い。だが、それでも。

 ひたすら、前へ。

 前へ。

 前へ、と突き進むしか、道は、ないのだ。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 二人が食堂にたどり着くと、すでに鼻腔をくすぐるおいしそうな匂いが満ち満ちていた。大食堂は、ロキの「飯はいるもん全員でとる」という方針もあり、この何かと手狭で雑多な造りの『黄昏の館』の中では、かなり大きな床面積がある。ほぼファミリアのメンバーが全員集まっているため、整然と並ぶ椅子の間を縫うように移動しなければならない。

 

「わぁ~、おいしそーっ」

 

 ティオナが入り口近くの他の団員の料理を覗きこんで歓声を上げる。覗きこまれた団員も。まあティオナさんだし、と苦笑を零すのみだった。アイズもちらりと見てみる。テーブルの上には所狭しと数々の料理が並べられている。明日の遠征に向けて精力をつけるために肉料理が多く、どれも濃い目の味付けになっているらしく香ばしいソースの香りと、立ち込めるポタージュ系のスープの香りが絡み合いお腹を刺激してくる。どの料理も普段の食事より豪勢であり、なるほど、これはたしかにおいしそうだ。

 ダンジョンに長期に渡ってもぐるとなると、大量の物資の運搬が困難になるため料理と呼べるほどのまともなものは中々食べられなくなる。決起集会の夜にこうして大盤振る舞いしてくれるのはありがたい話だった。

 

「二人ともー、こっちよこっち」

 

 声が聞こえた方を見ると、ティオネがいた。

 ティオネ・ヒリュテ。ティオナの双子の姉だ。彼女もまたLv.5の第一級冒険者であり、二つ名は【怒蛇(ヨルムガンド)】である。身につけた服もアマゾネスらしく踊り子のように露出の高い服で、顔立ちも双子らしくティオナとそっくりだ。大きく異なる点を探すとなると、腰ほどまである長い髪と、女性的な起伏に富んだ体つきである。

 

「……って、アイズ。あんたそれ」

 

 ティオネは呆れたように目を細め、アイズが手にしている鞘に収まった細剣を睥睨した。慌てて背中に隠すアイズだったがもう遅い。

 こんな時まで鍛錬していたのかこの子は……と、一言文句をつけようかと思ったティオネだったが、アイズの脇に立っていたティオナがウインクをしてきた。もうティオナに絞られた後だと思い至り、「ほらさっさと座りなさい」と着席を促すのみだった。

 

「アイズさん、私の隣の席にどうぞ!」

 

 エルフの少女、レフィーヤ・ウィリディスは自分の席の隣の空席にとアイズを誘った。

 山吹色の髪を後ろで一まとめにくくっており、耳は槍の穂先のように尖っている。彼女はエルフと呼ばれる魔法に精通した種族であり、まだLv.3ではあるがその類まれな魔法の才能から、ロキ・ファミリアの副団長であり迷宮都市最高の魔法使いと謳われるリヴェリアの後釜になるのでは、と期待を寄せられている冒険者である。

 レフィーヤは美しく強いアイズに対して憧れを通り越して、やや崇拝のような感情を抱いていた。

 

「うん、ありがとう、レフィーヤ」

 

 ストン、とレフィーヤの横の席に座ったアイズに、レフィーヤは小さくガッツポーズをとった。

 

「んじゃあ、あたしの席は、と…………ゲッ」

 

 ティオナも空いている席に座ろうとして、その隣の席で陣取っている人物を見て、嫌そうにうめき声をもらした。

 

「ああっ?」

 

 件の人物はというと、ティオナの不満たらたらな視線を受け、むしろその視線をぶち破るような鋭い眼差しで睨みつけてきた。

 ベート・ローガ。その青年もまたロキ・ファミリアの誇るLv.5の第一級冒険者の一人である。二つ名は【凶狼(ヴァナルガンド)】。狼人(ウェアウルフ)と呼ばれる種族で、尖った獣の耳に、その白い髪はまさに狼のたてがみのように立っていた。周囲を威圧するようにギラギラと輝く双眸に、顔の左側全体に上下に走った青い稲妻のような刺青。整った顔立ちと相まってまるで飢狼のような野性味溢れる外見をしている。

 

「ええー、ベートの隣ぃーッ?」

 

 あからさまに嫌そうな顔をするティオナに、むしろベートこそ忌々しげに下打ちをした。

 

「おい、くるんじゃねえよ。横でやかましく騒がれたんじゃせっかくのメシがまずくなる」

「何だってー!? ベートったら、本当はアイズに隣に座って欲しかったからってスネてんだー、このヘタレ狼ーッ!」

「は、はぁっ!? 突然何わけわかんねえこと言ってやがるんだ!? テメエは食い残しの残飯でも食ってやがれ!」

 

 顔を突き合わせ、メンチをきりあい、威嚇しあう二人にティオネが仲裁に入った。

 

「喧嘩すんじゃないわよ! ほらティオナ、私と席変わりなさい、ベートもそれでいいわね!」

 

 ケッ、とそっぽを向くベート。ティオナも「フーンだ」と顔を背けた。

 

「あ、リヴェリア」

 

 アイズがぽつりと呟いた。

 全員がそちらを見遣ると、食堂に入ってきたリヴェリアが足早に、上座にいる団長(フィン)の元に歩いていった。

 フィン・ディムナにリヴェリア・リヨス・アールヴ。ロキ・ファミリアの団長と副団長が何事か言葉を交し合っている。するとフィンの目が大きく見開かれた。珍しい、とアイズは内心で零した。見た目こそ幼い少年の姿をしているが、小人族(パルゥム)という種族で、れっきとした成人であり歳も四十近い。第一級冒険者の中でも数少ないLv.6の保持者であり、指揮官としても非常に頭のきれるフィンは、泰然自若を画に描いた様に普段から落ち着きはらい、早々取り乱すことなど無い。

 

「あれー、どうしたんだろフィンってば?」

 

 ティオナも不思議そうに首をかしげた。「驚いた団長のレア顔、素敵だわぁ……」と頬を赤らめ、身をくねらせるティオネ(フィンにぞっこん)のことは置いておくとする。

 しかしフィンが驚いたような様子を見せたのはほんの一瞬のことだった。おそらくアイズ達以外にそれに気づいたのは極わずかだろう。

 フィンは隣に立っていたガレスに視線を送った。

 ガレス・ランドロック。彼もまた迷宮都市最高峰のLv.6の冒険者であり、ドワーフと呼ばれる種族だ。すでに老兵と言われる域に達した冒険者で、顔には彼が生きた長い年月を感じさせる深い皺が刻まれている。しかしその巍然とした覇気は衰える事を知らない。後に続く後輩達を見守るような穏やかな雰囲気は、時にモンスターを蹂躪するがごとき暴威の化身となる。【重傑(エルガルム)】の二つ名が暗喩するように、力と耐久に非常に優れた前衛特化型の古強者である。

 ガレスは立ち上がり、パンパンと大きく手を叩いた。

 

「ほれ、そろそろ時間じゃ! 静粛にせい!」

 

 頭の芯まで響くようなガレスの声。その瞬間、食堂に集まっている団員達の姦しい話し声がぷつりと途絶えた。全員が居住まいを正す。

 フィンが立ち上がり食堂の奥まで響くような浪々と声を張り上げた。

 

「諸君! これより明日より臨む、ダンジョンへの大遠征に向けての決起集会を始める!」

「総員起立!」

 

 リヴェリアの声に揃って団員達は立ち上がり、背筋を伸ばす。ベートだけがかったるそうに立ち上がって頭をかいているが、おおむねいつもの事だった。

 

「明日より始めるダンジョンへの大遠征。目標は未到達階層である59階層だ! 初めて大遠征に参加する者も中にはいるが、まずは自分自身にあてがわれた役割を遂行する事を第一とすること。それが結果的に諸君達の命を守る事につながる。そして遠征に参加しない団員達。キミ達も留守をしっかり守って欲しい。僕達がダンジョンにもぐっている間は、キミたちがオラリオにおけるロキ・ファミリアの顔であることを忘れないくれ。我々はロキ・ファミリアという群れであり、一つの個であり、そして掛け替えの無い仲間だ。全員がその事を胸に、今回の大遠征に望んで欲しい!」

 

 そこまで告げると、フィンは口端を小さく笑みの形に緩めた。

 

「と、堅苦しいのはここまでにしよう。諸々の諸注意は明日改めて行うことにして、今日はおおいに食べて程々に飲んで、存分に英気を養ってくれ!」

 

 フィンはワインの注がれたグラスを掲げた。

 団員達も同じようにグラスを高く掲げる。

 フィンは一度大きく全員の顔を見渡し、声を張り上げた。

 

「では、乾杯!」

『乾杯!!』

 

 そして無礼講であり、大暴れ一歩寸前の大宴会が始まった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

「おぅ~い、やっとるなぁ~」

 

 決起集会という名の宴会が始まって間もなくして、彼らの主神であるロキがぬらっと姿を現した。

 お付の侍女のごとく傍らに立って、次々に杓をしてくるティオネを何とか説得して席に戻らせたフィンは、やや疲れたような面持ちで「やあ」と手を上げた。

 ロキは早速フィンの隣に用意された自分の席に座って、手酌で酒を飲み始めた。フィンが杓をしようとするが「ええって、ほら自分とこの料理が冷めてしまう前にどんどん食べや」と手を振って、酒を煽り始める。

 

「本当に良かったのかい? 集会の最初から参加しなくて」

「ええんやええんや、激励の言葉とかウチあんまり堅っ苦しいの嫌いやし。明日、皆気ぃつけてなー、とでも言うわ」

 

 実に我らが主神らしいとフィンは思うが、こう見えて眷属に対しての情の深さは、オラリオに数いる神々の中でも、とても大きなものだと知っていた。

 

「ああ、でも乾杯の音頭だけは参加したかったなぁ」

 

 そう言ってからからと笑うロキに、フィンはぽつりと零した。

 

「彼、帰って来たんだね」

 

 ロキはにんまりと笑みを深めた。

 

「せや、元気にしとったでー」

「まだ紹介しなくていいのかい?」

「宴会終わった後でいいやろ。サプライズってやつや」

「またまた、そんなことを」

 

 フィンは長い付き合いからロキの性格をある程度理解している。普段は飄々としているが締めるところはしっかり締める性格だ。彼の影響力の大きさを考えると、決起集会前に彼の帰還を告げてしまえば、特に彼がオラリオを出た後に入団した団員達は浮き足立って、宴会などそっちのけになるだろう。

 これから魔窟と呼べるほどに過酷なダンジョン深層へと挑むのだ。実際に何度も未到達階層へ挑んでいるフィンにはその道程の過酷さは骨身に染みていた。

 ロキ自身、まずは気を緩めて今を存分に楽しんで欲しいという、心からのものだろう。

 もっとも。

 

「待ってもらってる彼にはちょっと申し訳ないかな?」

「大丈夫やて。それくらいで文句言う奴やあらへんし、皆に出してるのと同じ料理に今頃は舌鼓打ってるところやろ」

 

 そうして宴会も終盤に差し掛かり、明日の遠征のためにそろそろ部屋に戻って休もうかという者が現れ始める頃。

 

「ちょっと皆聞いてやー!」

 

 ロキが声を上げた。

 

「ちょっと皆に紹介したい奴がおる」

 

 突然何を言い出すのかと、団員達の目がロキに向けられた。

 

「そいつはずいぶん長い事ファミリアを離れておったが、今日やっと帰ってきおった。初めて会うモンもいるとは思うが、まあ気の良い奴やからダンジョンについて分からないことや聞きたいこと、訓練つけてもらいたい子はガンガン声かけぇや」

 

 意味が分からなそうに首を傾げる者もいたが、多くの者は「まさか」という思いを抱いた。今、ロキが述べた情報に該当するものなど一人しかいない。

 

「ええでー」とロキが扉に向かって声をかけると、扉が開く。そこにいたのは、長躯の青年だった。絹のように線が細く、繊細な銀の髪は膝に届きそうなほどに長く、美しい。彫りの深い顔立ちは、背筋を震わせるほどに整っている。

 息を呑んだ。

 

「セフィロス・クレシェントだ。永らくファミリアから離れていたが、任務を終え本日帰還した。初めて会う者もいると思うが、これからよろしく頼む」 

 

 その瞬間。

 歓声とも悲鳴ともつかない絶叫が食堂中に響いた。

 

 

 

 

 

「うわー、うわー! あれセフィロスさんだよ! 本物のセフィロスさん!」

 

 興奮したようにぴょんぴょんと飛び跳ねるティオナ。

 つい今朝方、セフィロスのことを話していたばかりだというのに図ったとしか思えないこのタイミング。幼い頃から英雄譚に憧れてきた彼女にとっては、セフィロスの存在は冒険者としても、ロキ・ファミリアの一員としても憧憬の象徴のようなものだった。

 

「え、えっ……声かけていいのかな? 前は逃げちゃったし、あの時のことまずは謝ったほうがいいのかなっ! ねえねえティオネどう思う!?」

「あー、もうこのおバカ落ち着きなさい!」

 

 わたわたと慌てふためくティオナに、ティオネはチョップを叩きこみとりあえずは黙らせた。「いったぁーッ」と蹲るティオナを尻目に、周りを見遣るが誰もが似たような状況だった。元々このロキ・ファミリアは主神の性格を反映して女性の冒険者が多いのだ。ティオナと同じように浮き足立つ者もいれば、ぽかんと口を空けているだけのもの(レフィーヤはこれだった)、中には早速黄色い声を上げているツワモノもいる。その騒動の中心はフィンの横に立ち、顔を満面の笑みで綻ばせたガレスにばんばんと背中を叩かれている。しかしベートだけは射殺さんばかりにセフィロスのことを睨み付けている。やはり過去に何かあったのだろうかと思うが、それより気になるのが。

 

「アイズ、どうしたの?」

 

 ティオネはアイズに声をかけた。

 セフィロスの姿を見た途端、アイズの様子がおかしい。目を大きく開いたまま、心臓の動悸を押さえ込むように胸に手を当てている。吐息が聞こえるほどに呼吸が荒い。

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

 

 ティオネの声がどこか遠くに聞こえていた。

 アイズの心は遠く過去の思い出の中へと引き戻されていた。

 地面に座り込み、泣いている幼い自分の前に立ったあの人の姿。

 アイズは剣を握り締めた。明日のために体を休めようなどいう考えは頭の中から消し飛んでいた。

 大切なものを失ったあの日から強くなろうと心に決めた。しかし、もしかしたら本当の意味で力を求め始めたのは、ひょっとして……。

 あの人なら、今の私に答えをくれるかもしれない。出口の見えない暗闇の中に、たった一筋でいいから光明を落としてくれるかもしれない。

 

 ――ねえ……わたし、つよくなれる?

 

 いつか自分が紡いだ言葉。その答えを、もう一度。

 あとたった一度でもいいから……示してもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 セフィロスの更新後のステイタスですが、感想欄で次話でのせるといって、更新するところまで行かなかったので、活動報告にとりあえずのせてあります。どっちみち六話の最後でのせる予定なので見なくてもいいよーという方は見ないほうがいいかも?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話【アイズの渇求】 後編







 

 もう十年以上も昔の話だ。

 

 長きに渡り迷宮都市オラリオの二大巨頭と謳われた最大派閥『ゼウス』『ヘラ』の両ファミリアの消滅からまもなく、迷宮都市には新たな次代を担う力が芽吹き始めていた。

 

 ガレス・ランドロックの所属するロキ・ファミリアも変遷する時代の渦中にいた。元々、オラリオにおいてトップクラスの錬度を誇るダンジョン探索系ファミリアの一角であったが、頭の上のコブ――もとい、オラリオ最強派閥の座で蜜月を重ねていた『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』が瓦解した事により、名実共にオラリオの最大規模の派閥に繰り上がったのが狡知の神ロキのファミリアであり、美の女神フレイヤのファミリアである。

 

 名声が高まると共にますます増えていったのがファミリアの入団希望者だった。元々ロキ・ファミリアは主神の趣向により美女、美少女の割合が多く、冒険者という荒くれ者が多い枠組みの中において絢爛と輝く華があった。頂いた最強の二文字、率いるは強さと智彗を兼ね備えた【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。支えるは絶世の美貌を湛えた才女にしてエルフの王族、【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ。そしてドワーフの古強者にして鋼の肉体と無双の怪力の持ち主である、【重傑(エルガレム)】ガレス・ランドロックらを始めとして、脇をがっちりと固める数々の豪傑達。

 屈強にして華麗、闊達にして峻厳。おとぎ話に綴られる煌びやかな英雄伝説(サーガ)のようなファミリアの在り方は、未知と浪漫を追い求める数多くの冒険者を魅了していた。

 

 ロキ・ファミリアの名はある種のブランドイメージとなり、轡を並べたいという入団希望者であふれていた。しかし彼ら彼女らを皆とも抱え込む事はできない。処理能力を超えて肥大しすぎた組織は、綻び総崩れになるのが世の常である。

 入団を希望する者たちは入団試験という篩いにかけられる。それに合格した者達だけが晴れてロキ・ファミリアの一員となり、その背に滑稽な笑みを浮かべる道化師のエンブレムを刻む事になるのだ。

 

 その日も多くの入団希望者達がロキ・ファミリアの本拠(ホーム)『黄昏の館』を訪れていた。中庭には他のファミリアで腕をならした改宗(コンバージョン)希望の者もいれば、夢と野望を胸に抱き迷宮都市に訪れた新たな冒険者志望の若者もいた。誰もが精悍な面立ちをしていた。迷宮都市最高峰のファミリアで己の才覚を試す高揚と緊張感で、空気が張り詰めている。

 その中に不自然に人が固まる一角があった。

 

 五人の逞しい男達が胴間声を張り上げている。受験者同士で喧嘩でもしているのかと思いきや、少しばかり様子がおかしい。男達同士で罵りあっているわけではなく、男達は一様に目の前にいる少年を嘲罵しているようだった。その少年は年のころはおそらく十やそこらだろう。身長も同年代の子供と比べれば小さめで体躯も歳相応に華奢である。中性的であり、繊細かつ端麗な顔立ちが、少年をよりか弱く見せていた。目を惹く銀色の髪もこの場に置いては悪目立ちをする要因でしかない。

 

 男達はこの少年の存在が気に食わないらしい。

 

 少年は見たところ体を鍛えているとすら思えない。夢見がちな子供が後先考えず英雄譚に出てくる英雄にでも憧れて冒険者になろうと粋がっているようにしか見えないのだ。誰とも知れないおめでたいガキがどこでどんなふうに何をやらかして死のうと男達には関係ないが、自分達が未来の命運を賭して挑もうとしているロキ・ファミリアの入団試験に同じく挑もうとしているのは我慢がならない。ふざけた冷やかしであり、それは自分達に対する侮辱ですらあった。

 

 さっさと失せろ、と男の一人が言った。周りの男達も同調するように口々に罵声を浴びせた。男が少年の肩を殴るように押すと、少年は尻持ちをついた。男達は笑う。無様だ、情けない、見苦しいと、笑い、嘲り、侮蔑の視線を浴びせかける。

 

 ……それら一連の行為は、試験官としてその場にいたガレスには我慢がならなかった。

 

 もしかしたらそれは試験に挑む緊張感がはけ口を求めて噴出した、精神安定を図るための行為だったのかもしれない。命を賭ける冒険者という土俵に上がった者同士だ。罵りあうことも嘲ることも良しとしよう。その程度の事が嫌ならそもそも冒険者になどならなければいいのだ。

 

 しかし今、男達が少年にしている行為はもっと低俗で愚かなものだった。

 

 男達は少年の真意も覚悟もまともに図らぬまま、ここはお前に相応しくない、と勝手に決め付けている。馬鹿にして、嘲笑して、爪弾きにしようとしている。

 ガレスは若人の可能性の芽を摘む行為を嫌っている。だからこそ男達のしている行為は彼の怒りを呼び起こした。

 

 くだらん真似はやめんか! と怒鳴りつけた。

 

 男達は一瞬びくりと肩を強張らせ、破れ鐘のような叱責を上げた声の主を睨みつけ、それが自分達がこれから入団試験を受けるロキ・ファミリアの幹部であるガレス・ランドロックだと気づき、顔を青ざめた。

 そんな男達の様子には目もくれず、ガレスは少年に歩み寄ると「大丈夫か、坊主」と声をかけた。銀髪の少年は無言で頷くと立ち上がり、服についた土ぼこりを払った。

 見れば見るほど頼りない外観をしている。たしかに幼い少年少女もファミリアに所属しているがそれらは皆、特殊な事情があったり、多くはファミリア内の男女が結ばれた結果、生まれながらにしてそのファミリアの所属になっている子供達がほとんどだ。

 荒くれ者がひしめき合う冒険者家業。それもこのロキ・ファミリアはダンジョン探索系ファミリアの最高峰である。まだ体も出来上がっていない幼い少年が訪れるには苛烈に過ぎている。

 しかしここはロキ・ファミリアに入団するための最低限の実力があるかを見極める共に、可能性を図る場でもある。

 

 ガレスは少年が腰に剣を佩いているのを見て、ちょっと剣を振ってみろ、と言った。

 

 少年は頷く。剣の柄に手をかけ、鞘から引き抜く。刃渡りは一般的なロングソードよりやや短いくらいであるが、少年の短躯には長すぎるくらいである。剣を構える。中々どうして、堂に入った構えである。剣先がぶれておらず、構えとしては悪くない。ただ腕や腰に余計な力が入っているため、緩急をつけた動きには鈍りを見せるだろう。対峙した相手がナイフやショートソードといった小回りが聞く武器だった場合、初手の一手を防げたとしても二手三手と続けざまに攻撃を重ねられるごとに隙が大きくなっていく傾向がある。

 本来少年くらいの短躯であるなら、それこそナイフやダガーなどを武器にした方がいいだろう。特別に武術を齧っているとも思えない。剣を選ぶにしても、なぜ肉厚で重量が嵩むロングソードを武器に選んだのかが分からず、試験としてはすでにこの時点で減点対象である。

 

 だが不思議な事に、ガレスにはそれがさほど不自然なことには思えなかった。

 

 少年にとって身丈を超える剣を操ることがさも当然であるかのような……。

 なぜそう思ったかは自分でも分からない。足運びか、重心のかけ方か、そうと判断する材料は皆無である。強いてあげれば勘である。勘というと曖昧に聞こえるがこれが中々馬鹿に出来ない。勘とはつまりそれまで積み上げた情報が弾き出す答えである。ガレスの場合は戦闘勘だ。数多の戦場を渡り歩き、数多の修羅場を潜り抜けてきたガレスが蓄積してきた戦闘に関する情報は膨大である。何かが起こるかもしれない、この状況は奇妙だ、次に相手がどう動くか……勘によって弾き出される答えは往々にして曖昧で不確定である。しかしそれらは全て寄る辺のない出鱈目な答えではない。蓄積してきた情報が出した答えを、明確に形付けるための言葉が見つからないだけなのだ。

 ガレスはすでにこの時点で、目の前にいる少年に並々ならぬ〝何か〟を感じ取っていた。

 

 少年が剣を振りかぶる。

 

 腰だめに構え、眼前をしかと見て、ぐっと手に力を込め。

 

 ――鋭い呼気が弾け、剣が振るわれた。

 

 斜めに斬り上げるただの一振り。

 少年の振るった剣は稚拙だった。剣士にとっては剣を腕の延長のように自在に操れるようになることが第一だ。少年はまだ剣の重みに振り回されおり、実戦どころか剣で物を斬った経験も少ないのか、刃を立てることもままならないでいた。ズブの素人丸出しの、太刀筋と呼称するにはあまりに未熟な剣裁き。

 

 先ほど、少年を馬鹿にしていた男達もそれを見て今度こそ声を上げて笑った。なんだそのへっぴり腰は、剣もまともに振れないのか、と。

 

 しかし。

 

 ガレスの背筋には稲妻のような衝撃が走った。

 底が見えなかった。少年の剣に、ガレスは武の深奥を覗き込むための穴を見た。それはまるで完璧以上に完成された剣技を、未熟な体と技で形だけでも体現しようとしているようだった。これがもし完成に至れば、理想に現実が追いついた時、いったいどれほどの高みに至るというのか。

 そこに思い至ったまでの経緯は全て推測にも劣る、勘である。

 そう……百戦錬磨の古強者であるガレス・ランドロックが導き出した何の確証もない、それはただの〝勘〟に過ぎない。

 

 ――坊主、お主の名はなんという?

 

 あの時、ひょっとしたら自分の声は震えていたかもしれない。

 いずれこの少年は世界に覇を轟かす、瞭然たる確信も持つに至った経緯は、あやふやで漠然としていた。

 しかし確たる予感に突き動かされ、ガレス・ランドロックは問いかける。

 

 俺は、と少年は答えた。

 

 

 

 

 

 ――……まだその時、世界はその少年の名を知らなかった。

 

 

 

 

 

「セフィロス!」

 

 ガレスは巌のような表情を笑みで綻ばせた。久方ぶりに見る後輩は前以上に逞しく成長していた。

 

「まったく! ようやく帰ってきおったか!」

「ああ、今朝方オラリオに到着した。それにしても、帰還の歓迎にしてはこれは少しばかり手荒くないか?」

 

 ガレスはセフィロスの背中をバンバンと叩いていた。それはとても力強く……力強すぎた。Lv.6の中でも『力』の熟練度がトップクラスのガレスが遠慮無しに力一杯叩いてくるのだ。下手なモンスターの一撃よりよっぽど骨に響く重さがあった。

 ガレスはセフィロスの苦言を受けて、なお声を上げて大笑いした。

 

「儂よりLvが高いくせに何をなまっちょろい事言っとるか! こまっしゃくれた小僧がいつの間にか立派になりおってからに!」

 

 まったく今日は良い酒が飲めそうじゃ! と破顔するガレスに、「宴会でしこたま飲んでおいてまだ飲む気か?」とリヴェリアが批判するが、知った事かと豪快に言い放つドワーフ(大酒のみ)

 

「こんなめでたい日に飲まんでどうする! ほれ、セフィロス! お主もさっさと座らんか。儂が酌をしてやる!」

 

 セフィロスの服の裾を引っ張って自分の隣に座らせようとするガレス。近くにいた団員に宴会場中の余った酒を集めてこいと指示を飛ばしている。

 

「ガレス、めでたい日はいいけど、明日から遠征だってこと忘れないでくれよ」

 

 団長であるフィンは苦笑を零しながらガレスに自重を促す。放って置いたら夜通し飲み明かしそうだった。

 

「なんじゃフィン、つまらんこと言うでないわ。それくらいで戦いに支障をきたすような柔な体しておらんわい」

「いいかげんにしろ。セフィロスとて長旅を終えて今日帰還したばかりなのだ。お前に付き合わされたらたまったものではなかろう。それに他の団員達の手前もある」

 

 ファミリアの幹部なのだから節度を持てと、リヴェリアに文句をつけられたガレスは「つまらんなぁ」と零す。

 

 セフィロスはそんな二人の様子を見て、ガレスの横に座り二つ分のグラスに酒を注ぐ。ガレスが「お」と目を見開き、リヴェリアはしょうがない奴めと小さくため息をついた。

 

「酒なら今度俺がおごるさ。だから今は一杯だけな」

「……くっ、ふふ、がはははは! そうじゃな、じゃあ今日は一杯だけで我慢しておくか!」

 

 チン、とグラスを鳴らし、一気に酒を煽る。喉をカッと焼くような熱さに心地よさそうに目を細めるガレス。喉の奥から立ち上る芳しい酒気を味わう。

 

「良い酒用意しとくんじゃぞ」

「まかせておけ」

「おう、その次は儂が奢ってやる。お主の帰還祝いじゃ」

「それは順序が逆じゃないか?」

「お主が先に酒を奢ると言ったんじゃろうが」

 

 断る理由なんぞないからな、と笑うガレス。セフィロスも「そうか」と笑みで返した。

 セフィロスは立ち上がると、団長であるフィンの前に立った。順序があべこべになってしまった。

 

「団長、セフィロス・クレシェント、長期の任務を終えて本日帰還した。挨拶が遅れてすまない」

 

 小人族(パルゥム)であるフィンは、ともすれば少年といえるほど小柄な体躯であるため、成人男性からしても長躯になるセフィロスを見上げる形になる。しかし身長が低かろうと自信と経験に裏打ちされた威風堂々とした佇まいは、例え初見であろうと彼が侮ることなど到底許されない傑物であると感じさせるだけのものがあった。

 

「……久しぶりだね、セフィロス。君の帰還、ロキ・ファミリアの団長としても、フィン・ディムナ個人としても喜ばしく思う」

 

 それにしても、と肩をフィンは肩をすくめた。

 

「さて、ずいぶんな騒ぎになってしまったね」

 

 決起集会の行われていた会場を見回す。そこはほぼ全てのロキ・ファミリアの団員が集まっていた。セフィロスの登場により、冷めかけていた熱を再び取り戻した会場は、どよどよとひどく騒がしい。中にはセフィロスに向けて艶の篭った黄色い声を上げる女性団員もいたが、彼女達は次の瞬間には一様に押し黙る事になった。氷のような冷たい怒気に射ぬかれ、総身を押しつぶす様な威圧を受けて、声を上げられるほど図太い者は誰一人いなかった。その発生源と思わしき方向を恐る恐る見遣ると、そこには眉目秀麗な副団長の姿があった。

 ああ、そういうことか、と納得させられたのと同時に、踏み込んでは不味いと背筋を凍らせたまま思い至る結果となった。

 

「ほれほれ、皆気持ちは分からんでもないけど、セフィロスも帰ってきたばかりで疲れてるんや。質問やらなんやらはまた今度にして、とりあえず今日は解散や、解散」

 

 ロキがそう告げると、ぽつりぽつりと団員達は会場を後にし始めた。普段は信仰やらとは無縁の立ち位置にいるロキではあるが、だからこそ場を締める時に発する言葉には遵奉せざるおえない重みがあった。

 

 しかし会場を抜ける人波に逆らうように、セフィロスに歩み寄る人物がいた。

 金髪を靡かせ、毅然とした表情の少女。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインである。

 

「ちょ、ちょっとアイズ、どうしたの?」

 

 様子のおかしいアイズの後をついてきたのはティオナであった。アイズはまるで周囲の声などまるで耳に入っていないかのように、セフィロスの前にまでやってきた。

 セフィロスや周りの者達が何かを言う前に、アイズは口を開いた。

 

「セフィロス……お願い。私と、戦って……ください」

 

 今すぐに、と懇願するように勝負を申し込んだ。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ロキ・ファミリアの室内訓練場に幹部級のメンバーが集まっていた。その室内訓練場は『黄昏の館』の中に何箇所かある訓練場の中でも最も大きく最も頑強な造りになっている。

 

「よかったんか、アイズをセフィロスと戦わせて」

 

 ロキは訓練場の中央で対峙するアイズとセフィロスを見澄ました。アイズは手にした剣を振りその感触を確かめている。さすがに試合とはいえ同じファミリアの団員同士で真剣の斬り合いをさせるわけにはいかない。刃を潰した訓練用の武器から自分達が普段使っている武器に近い物を選び、二人は戦いの場に立っていた。

 

 ロキの問いかけに、フィンは瞑目したまま頷いた。

 

「メリットとデメリットを天秤にかけた結果さ。君だってわかっているだろう?」

「…………そうやな、今のアイズたんはいつも以上に危ういわ」

 

 最近アイズの様子がおかしいことはロキ自身もよく分かっていた。ステイタスの伸びが悪い事が原因だと理解していたが、明日からは大遠征がある。経験値(エクセリア)がたまらない事による不安があっても、そこで奮起するだろうと思っていた。下手に目の届かない所で爆発されると厄介であるが、遠征中ならば自分達や他の団員達もいる分いくらでもフォローができると判断してアイズに対する懸念を後回しにしてしまった。

 

 アイズがセフィロスに試合を申し込んだ時。

 

 ロキやフィンはもちろん、リヴェリアやガレス、それにティオナ達まで止めるように言い含めようとした。それも当然だ。明日のダンジョン遠征のため体を休めろと再三に渡って団長から団員に向けて通達をしているというのに、幹部であり遠征の要である第一級冒険者のアイズがそれを破るなど他の者に示しがつかない上に、何が起こるか分からないダンジョンに疲弊したアイズを連れて行くというのは、団長の立場からしても仲間としても許容する事は出来ない。しかしそれらのデメリットを飲み込んでなお、フィンはセフィロスとの戦いを許可した。

 

 理由はアイズの目だった。

 

 今にも泣きそうで、壊れてしまいそうな……まるで迷子の子供のような目。生き急いでいるという言葉ですら言い尽くせない焦燥が瞳の奥で燻っていた。

 

「……ねえ、アイズ大丈夫かな?」

 

 ティオナが呟いた。

 彼女もまた、倒れそうな心と体を必死に繋ぎ止めているような今のアイズの状態には強い不安を感じていた。

 

「分からないわ。何があの子にあったのかしら」

 

 原因はセフィロスかと思うが、直接的な理由は別にある気がする。アイズの中で積もりに積もった感情が爆発したという印象である。その感情の正体は分からない。おそらくアイズ・ヴァレンシュタインという少女の心の根幹に関わる類のものだと思うが、どこまでいっても推測でしかない。

 

「今はセフィロスに任せておけ、あやつなら悪いようにはせん」

 

 そう告げたガレスにはセフィロスに対する強い信頼が見て取れた。しかしティオネ自身のセフィロス・クレシェントという人物に対しての総評は『よく分からない』であった。数々の逸話から高いステイタスを誇っているという点は確かであり、オラリオでただ二人のLv.8という高みに到達した冒険者であるというということは知っている。しかしどれもこれも伝え聞いたものばかりだ。セフィロスがロキ・ファミリアで活躍していた五年以上前は、冒険者としてやっと殻を破ったばかりの駆け出しのひよっこであったため、ティオネ自身がセフィロスと言葉を交わしたことは数えるほどしかない。

 

 信用と信頼は違う。

 

 セフィロスという人物について理解できていない以上、今は団長達のセフィロスに対する信頼を信じるしかない。

 そして気になることはもう一つ。

 

「ベート、あんたはなんでぶすっとしているのよ」

 

 ティオネの問いかけにもベートは何も答えない、壁に寄りかかったまま不機嫌そうに鼻をなら鳴らすだけだ。ティオネは大きくため息をついた。こんなんで明日からの遠征、大丈夫かしら、と。

 この勝負の場にいるのは当事者の二人を除けば、幹部メンバーだけであった。他のメンバーもこの勝負の行方に関しては興味深々であったが、フィンの一声によって今現在訓練場への立ち入りは禁止されている。レフィーヤなどはだいぶやきもきしていたようだ。単純なLvの差で言えば、セフィロスの勝利は間違いないが、ファミリアのメンバー達は【剣姫】の強さに対して全幅の信頼を置いている。アイズの敗北する姿が想像できない以上、もしかしたら大番狂わせがあるのでは、と思っているのだ。今頃は各自が勝負の決着についてあれやこれやと推測を出し合っているころだろうか。

 

「セフィロス」

 

 リヴェリアはセフィロスを見遣る。

 

 ――アイズを頼む。

 

 視線で語りかけると、セフィロスは口端を笑みの形に変える。任せろ、とその瞳が語っていた。

 フィンが一歩踏み出した。

 

「では二人とも準備はいいかい?」

 

 フィンの問いかけに、セフィロスとアイズは同時に頷いた。怪我のないように、とは言わないが無茶をしすぎないようにと一応の念押しをする。

 

「では……始め!」

 

 フィンの掛け声と共に、二人は激突した。

 

 苛烈なまでのアイズの斬撃。夥しく積み重なった剣激の響きが、室内の空気の中に重苦しく沈殿していた。

 

 アイズは強かった。流麗な体裁きは見惚れるほどに練磨されており、身震いするほど鋭い斬撃が瞬きの間にいくつも繰り出される。剣の腕は間違い無くオラリオ最高峰であり、戦闘に関しては優れた嗅覚と、分析力を持っている。対峙する相手のクセを見抜き、技や意識の間隙を縫うように攻撃を仕掛ける事など造作もない。

 しかしそんなアイズの猛攻を、セフィロスは難なく弾いていく。

 

「嘘……」

 

 ティオナが呆然ともらした。セフィロスの強さは伝え聞いていた。しかしアイズと比べてもここまで隔絶した差があるとは思わなかった。

 

「単純なステイタスの差……ではないわね、これは……」

 

 ティオネも口調こそ平素であるが、心中は驚愕で埋め尽くされていた。セフィロスはアイズの斬撃を防いでいるが、あれはスピードや力に頼ったものではない。どこに打ち込まれるか、アイズがどういう動きをするかを完全に見切っている。

 

「見極め? 直感系のスキルかしら?」

「ちげーよ」

 

 先ほどまで黙って二人の戦闘を見ていたベートがぽつりと零した。相変わらず不機嫌そうに、忌々しそうに二人を――いや、セフィロスを睨んでいる。

 

「何か知っているの?」

 

 ティオネが問いかけるがベートは押し黙ったまま何も答えない。いい加減頭に血が上り始めたティオネが怒鳴りつけてやろうと口を開いた時、フィンが言葉の接ぎ穂を繋いだ。

 

「あれは単純な剣技であり、セフィロス自身の技能さ」

 

 フィンの言葉をティオネはゆっくりと噛み砕いた。剣聖。それはセフィロスの呼称の一つである。剣の頂点、その言葉の重みと高みをティオネは身震いと共に心に刻み付けられた。

 

「アイズ……楽しそう」

 

 ティオナが呟いた。アイズの瞳は真剣そのものであり、その奥で燃え上がる炎に爛々と輝いている。アマゾネスという戦いの中で喜悦を求める傾向の強い種族である彼女達にとって、戦いの高揚を満遍なく感受しているアイズの喜びは見ているだけで伝わってくる。

 ティオナは拳を握り締めていた。

 興奮した子供のようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。困った子だと思いながら、自分も汗が浮かぶほど拳を握り締めていたことに気づき、やっぱり姉妹かぁ、と嘆息した。

 

 やがて加速した二人の戦いは、アイズの体力が限界に近づいたことで終わりに近づいたかと思えた。セフィロスにより壁に叩きつけられるように脚をついた。アイズが呟いた。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 風が、逆巻いた。

 

「くっ、あの馬鹿娘……っ」

 

 リヴェリアが苦々しく呟いて、舌を打った。ほどほどに、と戦いのまえに告げた文言など忘れたかのように発動したアイズの魔法『エアリエル』の最大出力。

 

「うわっ、ちょ、これやりすぎだよアイズ!」

「何考えてんのあの子はっ!?」

 

 ティオネとティオナが口々に叫ぶ。

 ロキが「アイズたんマジで堪忍したって!」と叫びながら暴風に吹き飛ばされそうになるが、ガレスが掴んでくれたため無事であった。

 密閉された室内で使っていい技ではない。烈風は逆巻き、渦を巻き、うねり、轟き、アイズに向かって収斂する。

 

「リル……ラファーガ!」

 

 アイズが叫ぶ。

 

 かつてロキに、必殺技は叫ぶ事によって攻撃力を増す、などと冗談を教え込まれ今日まで騙され続けてきた。いつもは静かに告げられる技の名前だが、今は渾身の力を振り絞り、血を吐くような苛烈さで紡がれた乾坤一擲の大技。

 恐るべき貫通力と破砕力を孕んだ風の災禍がセフィロスに向けて解き放たれ――

 

【閃光】

 

 激突する瞬間、アイズが突き出すように構えた剣が弾き飛ばされた。あまりにも一瞬で、その刹那に何が起こったかはLv.5という第一級冒険者に到達した彼女達でさえ視認出来なかった。

 

 見えたのはセフィロスが剣を振り抜いた姿だった。

 一閃――いや、違う。セフィロスの剣によって迸った白銀の残光は、アイズの纏った風を斬り刻む様に何条も走っていた。

 その光景は何の冗談であろうか。剣先はおろか、セフィロスが剣を振り抜く腕の動きすら感知することが出来なかった。俯瞰していた自分達でさえそうなのだ、相対していたアイズには剣を振りぬく姿でさえ見えたかどうかも妖しい。

 セフィロスが剣を構えた次の瞬間、刹那にすら満たぬ雲燿の閃きの果てに、斬るという行為はすでに過去に置き去り、斬られたという完結した結果のみが投げ渡された。

 

 理解の範疇を超えた桁違いの疾さだった。

 

 アイズの魔法によって生み出された風は斬り刻まれ、突き穿たれた直後、斬閃が作り出した真空に殺到するように集まり、ぶつかり合い、散り散りに砕けた。

 意識を失い、地面にゆっくりと倒れようとするアイズをセフィロスが抱きとめた。

 

「…………フィン」

 

 セフィロスの呼びかけに、フィンも鷹揚に頷いた。

 

「この勝負、セフィロスの勝ちだ」

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ファミリアに帰ってきてすぐ、主神であるロキとの再会を果たした今、俺の心は悲鳴を上げていた。

 

「親は子を守らなアカンのになぁ」

 

 痛い! 痛い! やだコレッ、心がたまらなく痛いぃっ!!??

 

 ――ちょっと自分探しの旅に出てくる。 

 

 あの時は、ほぼこのノリであった。

 日に日に激しくなってきたオッタルからの勝負しようぜコールから逃げるという大きな理由もあったが。自分がこのままファミリアにいたらひょっとしたら迷惑掛けるかも、と思って、話に渡りに船とばかりに飛びついたのである。

 

 ……少なくともロキの表情を悲痛に歪ませるような悲壮感マシマシな決意や自己犠牲の念など皆無であった。

 

「自分、ウチのこと恨んでるか?」

 

 との問いかけに俺は声を大にして答える。

 

 恨んでなどおりません! つうかむしろ申し訳ありませんでしたッ!!

 

 外の世界で広げた見聞を生かし、これからどんな無理難題だろうと艱難辛苦を課せられようともファミリアのために身を粉にして働くとここに誓います!

 だからどうか見捨てないでください、お願いします マイ フェイバリット マザー!

 

 という、必死の懇願がどうやら通じたようで、許してもらえたようだった。

 哄笑を上げる皆の肝っ玉オカンの懐の深さにはただただ感謝するのみである。

 そうして俺は決起集会の会場に連れられ……と、思いきや、通されたのは会場から少し離れた小部屋であった。

 ロキの話ではちょっと皆を驚かせたろ、という理由で俺のことを発表するらしいが……。

 

 遠くから聞こえてくる決起集会――もといファミリアあげての大宴会の楽しそうな声が、かえって閑寂をかき立てるように聞こえていた。

 狂乱一歩手前のドンちゃん騒ぎに、楽しそうな笑い声、グラスとグラスを打ちつけ合う小気味良い音色が……遠くから、響いて来る。

 

 ……なんだろう、この……うん……なんだ…………なんだろうな、この気持ち……。

 

 噛み締めた料理の味は、なぜだかひどく味気なかった。決起集会で出されているのと同じ豪華な料理の数々だが、なんだろう……あまりおいしいとは思えなかった。便所飯という言葉が一瞬脳裏をよぎって、泣きそうになった。

 

 あの一応聞いておきたんだけど……イジメとか……そういうんじゃないよねコレ?

 

 答えてくれる者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 ロキの合図があり決起集会の会場にやって来た俺は懐かしい面々と再会を果たすことになった。

 女性の団員に声をかけられそうになったが、次の瞬間には恐ろしいものでも見たように口を噤んでしまった。俺の顔を見てから、次の瞬間弾けるようにリヴェリアの顔を見て「ひぃっ!?」とか戦慄きを漏らすのだ。

 

 え、なにこの状況?

 

 リヴェリアさん、俺の事に関して他の団員に何らかの圧力をかけてませんか?

 踏み込んだら恐ろしい答えが返ってきそうで聞けなかった。ハブだの、ぼっちだの、不穏当な単語が思い浮かんだが無理矢理忘れる事にした。

 

 ガレスにやたら酒を勧められたが、バッカスの化身かと思うほど大酒のみのガレスに付き合っていたんでは俺の肝臓が破壊される。曖昧な言葉遣いである、また今度、でうまく濁せたと思うが、まあ機会があればその時は覚悟を決めて酒に付き合おう。なんだかんだでガレスには昔から面倒見てもらったし、酒に付き合うこと自体は歓迎である。

 

 ……飲まされすぎなければ。

 

 その中で、突然団員の一人に勝負を挑まれた。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。名乗られてやっとその少女が、昔一度だけ稽古をつけた少女なのだと気づいた。ずいぶん美人になったものだ。ロキがお気に入りだと言っていたのも頷けるが、どうにも様子がおかしい。何かに追い立てられているような必死な雰囲気が伝わってくる。

 

 フィンも了承したし、一勝負……となったのだが。

 

 ハッキリ言ってリヴェリアが怖い。

「セフィロス」と声をかけられ、何事かとリヴェリアを見ると、……ジッと俺の事をにらんでいた。

 

 分かってるな、オマエ? と言わんばかりの眼光である。

 

 皆のお母さんと囁かれるリヴェリアがアイズのことを心の底から大切に思っているのは分かりきっている。傷つけたらタダじゃおかんぞ貴様、と眼が語っていた。

 

 ……ハイ、リヴェリア様、十二分に分かっておりますとも、ええ本当に。

 

 内心(リヴェリアに)ガクブルしながら、始まったアイズとの勝負。

 【剣姫】の二つ名を持つ剣士との戦い。モンスターを中心に相手取っているため、対人戦に不慣れな印象があるが、俺が戦ってきた中でもかなりの実力を持つ剣士だった。

 戦いの中で、アイズの体力もそろそろ限界かと思われた時。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 ――ちょっとなにしてんのこの子ぉ!!!???

 

 轟々とうねる風、あんなもの室内でぶっ放されたら修繕費やらが半端ない。

 潤沢な資金をプールしているロキ・ファミリアにとっては微々たる支出かもしれないが、ファミリアの財布を握るリヴェリアの俺に対する心象をこれ以上悪くする行為は避けたい。

 

 今も、ホラ。

 

 ジッと事態の推移を見ている。あ、今、舌打ちをした……。

 

 ――え、ええ、もちろん分かっていますとも!

 

 五年も外の世界ほっつき歩いてファミリアに一切貢献しなかった私のような不心得者が、修繕費やら被害額が嵩むようなマネは決していたしません。あまつさえ後輩を傷つけるなどもっての他でアリマス。

 アイズが力をためる様に身を引き絞り、烈風が回転するように轟いた。

 

 よけられるものならよけてみろ、貴様は助かっても地球はコナゴナだーっ! と、某野菜王子のセリフが思い起こされた。下手打つと俺がリヴェリアにコナゴナにされそうなので、ここは死ぬ気で対処しなければならない。

 

 意識を、切り替える。

 

 ……さて。

 

 アイズの動きを注視する。

 生み出された風は轟々と渦を巻きながら、烈風の中心であるアイズに収斂していく。

 アイズは上体を引き絞り、刺突の構え。牙突……いや、それは置いといて、地……というか壁を両の脚でしかと踏みしめ、上体を深く沈みこませている。それは獲物に飛び掛る直前の猛禽類が身を屈めている姿のようだった。

 

 おそらくは風を螺旋状に纏って、刺突に乗せて、敵目掛けて特攻する技だろう。

 動きが愚鈍なモンスターに対しては極めて有効だ。たとえ疾さを武器にするようなモンスター相手でも、吹き荒れる風の余波で動きを封じられ、仮に避けられたとしても物理的な破壊力さえ伴う烈風によって身を裂かれることになる。

 

 迎撃も難しい。高速で回転する高圧力の風が術者を守る強固な盾の役割をしている。まさに攻防一体。よく考えられ、よく修錬された技だ。

 

 だが対処できないかと言われるとそうでもない。

 

 アイズのLvは5であり、俺は8だ。ステイタスの能力差によるゴリ押しで力任せに打ち破り、アイズの意識を刈り取ることは可能だ。しかしその場合、術者の制御を失った風は、荒れ狂う龍がのた打ち回るようにこの訓練場を破壊するだろう。訓練場ならびに俺の命(おもにリヴェリアの手によって)が危ぶまれる事態であるが、それ以上に問題なのは暴走する風の中心にいるアイズの身に及ぶ危険である。

 避けるのも駄目。

 力任せに打ち破るのも駄目。

 

 こうなったら覚悟を決めて俺自身が盾になって全ての風、及びアイズの剣を受け止め……イヤ、それは流石に死ぬ。 

 

 一番問題なのは風の無力化である。

 付け込む隙があるとするなら、アイズの風は精神力(マインド)で生み出された魔法であるという点であり、アイズ自身の精密な操作を受けている二点である。

 

 アイズの意識を刈り取り、風の制御を失わせる。元々魔法で生み出された風である。術者から供給される精神力(マインド)と制御を失えば、すぐに消えるだろう。問題は魔法の残滓が色濃く残っている状態の風による被害を防ぐことだ。

 

 方針は風を可能な限り斬り刻む形にしよう。

 

 おおざっぱに説明すると、氷をお湯に溶かすなら、デカイ塊より細かく砕いたほうが早く溶けきるよね、という話だ。

 真空の刃をアイズが操る風全体に走らせる。可能な限り速く、コマ切れにする。

 本当にそんなこと出来るのか、実現可能な理屈なのかと問われても現状それしか取る手段がないのだ。

 やるっきゃない。

 失敗したらその時だ。最悪、アイズが無事ならそれでいい。リヴェリア云々は置いといても、後輩のハッチャけの一つや二つ受け止めてやれなきゃ冒険者の先達として、Lv上位者として流石にどうなのかと思ってしまう。

 

 ……開き直ったというか、やや破れかぶれな感が強いがそこは置いておこう。

 

 ヨッシャ、やったるぞぉ~。

 と、俺は剣を構えて突貫してくるアイズを迎え撃った。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 ……風が、砕かれた。

 信じられない現象を目の当たりにしたのを最後に、アイズの意識は闇の中に沈んでいった。 白い、果てしなく、白い景色。

 まるで水の中を逆さまに、ゆっくりと沈んでいくような浮遊感の中にアイズはいた。

 

 夢。

 

『アイズ』

 

 それが夢だと気づいたのは、遠く過ぎ去った日々の向こうで、自分を置いて行ってしまった大好きな両親が目の前で微笑んでいたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次話は【アイズの宿望】です。
 前中後編でも書き切れなかったので、結局もう一話付け足すことになりました!(開き直り)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話【アイズの宿望】

 

 

 

 

 

 

 あの頃はよく笑っていたな、と思う。

 

 

 セピア色に烟る思い出の中で、幼い金髪の少女がいた。大好きな両親に囲まれ、この世界の無常も悲しみも一切知らない純真無垢な笑顔を浮かべている。

 

 

 両親の手を引っ張って、街を駆け巡り、たまに転んで、泣いて、両親になぐさめられている。抱きしめてくれた母の胸に顔をうずめて嗚咽を零し、父が頭をなでてくれる感触の中で、女の子の涙はいつのまにか引っ込んでいた

 

 

 母の膝に座り、本を読んでもらい、うつらうつらと頭を傾げている。

 ねむいの? と母が聞いた。ねむくない、と女の子が言う。だからもっとお話を聞かせてとねだっていた。母は女の子の頭を包みこむように撫でながら、暖かな音色で本を読んでいた。

 

 

 父が一緒に遊びに行く約束を破って、仕事に行ってしまった。女の子は赤みがかった頬をリスみたいにぷっくり膨らませて怒っている。目は潤んでおり、今にも泣きそうだ。

 母がそんな女の子の頬をツンツンとつついている。楽しそうだ。女の子はそれで更に気分を害したようで「ふーんだ!」と大きな声を上げてそっぽを向いてしまった。母は笑いながら謝っていた。

 父が帰ってきた。

 あら早かったわね、と母は言った。女の子はスネているようで、父に背中をむけたまま何を言わない。

 女の子は知らんぷり。

 父は小さな女の子に向かって何度もぺこぺこと頭を下げている。

 まだ、女の子は知らんぷり。

 これ、と言って父は女の子に何かを差し出してきた。ケーキだ。おいしそうだ。甘そうだ。

 でも。女の子は知らんぷり。

 明日休める事になったんだ、と父は言った。

 

「だから明日皆で出かけよう」

 

 ――な、アイズ。

 

 ……私は、しょうがないから許してあげる事にした。

 

 でもなぜか母はいつのまにか持っていたフォークでぱくぱくとケーキを食べていた。負けじと私もケーキを食べる。父が、私と母の頬についた生クリームを指で拭って自分の口に入れた。

 父が笑った。

 母も笑った。

 私も笑った。

 皆で、声を上げて笑った。

 

 

 えい! やー! と私は精一杯声を張り上げて父に向かって剣を振り下ろした。

 小さな手足を一生懸命動かして木で作られた剣を振り回すが、父には全く通じなかった。転ばされた、吹き飛ばされた、弾かれた。

 

「むー! むぅーっ!」

 

 地面にへたり込んで唸る私に、父は笑いかけた。焦らなくてもアイズならきっと強くなれる、と言った。

 父に剣の振り方を教えてもらった。

 理由は覚えていない。きっと父がいつもしている鍛錬を見て、自分も真似してみたかったんだと思う。だけど……父と一緒の時間が増えるのが何よりもうれしかった。

 うまく剣を振れると父がほめてくれた

 

「おお。今のはよかった! よくやったなアイズ」

 

 父が頭をなでてくれる。母の包みこむような柔らかななでかたとは違い、荒っぽくて力強い。でもそれが、こそばゆくて、勲章をもらったみたいで誇らしかった。

 

 

 風のように自由で純粋な母が大好きだった。

 英雄のように頼もしい父が大好きだった。

 そんな二人に囲まれて、家族で一緒にいる時間が、何よりも大好きだった。

 

 しかし。

 

 ――さよならも、言えなかった。

 

 両親は、いつの間にか私の前から姿を消していた。

 

 ――いってらっしゃい、も言えなかった。

 

 二度と、私の前に帰ってくることはなかった。

 

 ――おかえりと……言いたかった……。

 

 

 それはどんな本の中に描かれているものより、世界で一番幸福な物語だった。

 それはどんな本の中に描かれているものより、世界で一番残酷な物語だった。

 

 泣いてもなぐさめてくれる人はもういなくて、笑っても一緒に笑ってくれる人はもういなかった。

 

 一生懸命貯めたお小遣いでケーキを買った。

 おいしくなかった。

 

 ロキ・ファミリアで冒険者見習いとして、たくさんの人に教えを請う中で、大好きだった人達を取り戻す一縷の可能性をダンジョンに見出した。

 まずは強くならなければいけない。もう両親の帰りを待っているだけの弱い自分でいるのが許せなかった。

 強さを求めた。

 求めて、ひた走って

 

 ふと気づいた。 

 

 

 振るった剣の中に、父がいた。

 

 紡いだ風の中に、母がいた。

 

 

 剣を振るっていて出来なかったステップと技ができた。『よくやったなアイズ』幻想の中で父がほめてくれた。「うん!」アイズは大きな声で答えた。アイズは自分の頭をくしゃりとなでた。父の手の感触を思いだしながら、自分の頭を、自分で撫でて、うれしそうにハニカミながら笑って……狂おしいほどの悲しみに大粒の涙をぽろぽろと零した。

 剣をうまく振るえたのがうれしくて……。

 その事を、ほめてくれる人がいないのが悲しくて……。

 声を上げて、泣いた。

 声を上げて、笑った。

 

 

 私が放つ風は、最初は母のように柔らかく暖かな風だった。

 しかしダンジョンでモンスター達にふるうにつれ、その風は全てを切り刻むように鋭く、激しい烈風と変わっていった。

 こんなものが優しかった母の風であるはずがなかった。それに気づいた瞬間、私の中にあった自らの風に想った母の姿は、風に溶けるように消えた。

 

 

 いつしか精神は、これ以上傷つかないように、鈍く、重くなった。

 凪いだ湖面のような心は、いつしか多感だった少女の表情まで人形のように固めてしまった。

 もうどうなってもよかった。

 でも死ぬことがなかったのは、また両親に会いたいという強い想いがあったからだった。

 その日は、遠征に出ていたリヴェリア達の言いつけを破って、一人でダンジョンに飛び込み、狂ったように剣を振るっていた。

 モンスターの屍の山をきずき、体中が傷だらけになっていた。しかしこの狂おしいほどの心の痛みに比べれば、体の痛みなど些細なものに過ぎなかった。

 しかしこの時の私はダンジョンの狡猾さを甘く見ていた。

 壁、天井、床。

 私を囲むように、ダンジョンから生み出されたモンスター達がいっせいに襲い掛かってきた。万全の状態ならともかく、疲弊しきった私に抗う術は残されていなかった。

 その瞬間。

 

【閃光】

 

 一瞬で切り刻まれるモンスター達。剣を構えて、私を守るように立っていたのは、銀色の髪の男の人だった。

 知っている。あまり話した事なかったけれど、リヴェリア達が言っていた、ファミリアの中でもすごく強い人。

 どうやら遠征の帰りだったようで、リヴェリア達も一緒にいた。

 すごく怒られた。拳骨だってすごく痛かった。でもそのあと抱き締めてくれた。まるで母のように……。

 思えばこの時からだったかもしれない。リヴェリアの事を、ファミリアの他の誰よりも身近に感じるようになったのは。

 リヴェリアからは後でこってり絞ってやるといわれた。

 

 ……まだ怒られるんだ、と今にも泣きたい気持ちになった。

 

 助けてくれたその人の名前はセフィロスといった。ダンジョンからの帰り道はセフィロスの背中に背負われて帰路についた。大きくて暖かな背中だった。そんなセフィロスに、かつて同じような状況で助けてくれた父の面影が重なった。

 

 父は、私にはお前の母親がいるからお前の英雄になることはできない、と言った。

 

『いつか、お前だけの英雄にめぐり逢えるといいな』

 

 父のその時、明瞭に聞こえた。

 セフィロスの背中に背負われている中で、私はぽつりと零した。

 

 ――ねえ、わたし……つよくなれる?

 

 父の面影が重なったその人は、答えてくれた。

 

『ああ、あきらめずに歩み続ければ、きっとな』

 

 

 

 

 

 

 意識がぼやけていた。

 まどろんだ、夢と現の境界。夢の中の、一人の寂しさに震えすすり泣いていた小さな少女の心が重なった。

 心の水面の奥に沈めていた感情という名の宝箱がゆっくりと開いていく。

 現在と過去の想いが交差して、入り混じり、忘我と幻想、夢と現の狭間で、ぽつりと言葉が漏れた。

 

「………わたし、つよくなれた?」

「ああ、良い剣だった」

 

 父の面影が重なったその人が、微笑と共にうなづくと、少女の口から「あはっ」と声が漏れ、

 

「そっかぁ」

 

 少女の目指す頂は果てなく遠い。

 強さは手段でしかない。だが、差し伸べられた手の重みをアイズは忘れない。避けることも出来ただろうに、自身の力を正面から受け止めてくれたうれしさを忘れない。示された道しるべをたがえる事は無い。今更生き方を変えられるほど器用ではないし、取り戻すと決めた宿願は今も少女の胸で煌々と燃え上がっている。

 

 だけど、せめて今は……

「よかったぁ」

 

 顔をふにゃりと崩した。

 それはまるで両親にほめられた童女のような……アイズが遠い昔に置いてきた、この世のどんな宝石よりも眩い輝きを湛えた、心の底からの無邪気な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 奈落に通ずる深い穴は、いつだって人生のそこかしこでぽっかりと口を開けている。

 時に、いやがおうにも飲み込まれ、その先に広がるのは抗えない苦悩と絶望だった。暗闇の底で、膝をつけ、頭を垂れ、泣きじゃくる迷い子の目の前に、差し込んだあたたかな陽光は、迷い子が顔を上げて前に進むための優しい道しるべとなった。

 

 

 

 

 

 気絶したように再び眠りについたアイズを部屋で休ませ、その場にいたメンバーも解散した後。

 

「ありがとうな、アイズのこと」

 

 ロキの私室。極彩色の模様を見せる雑多な室内にセフィロスはいた。あぐらをかくように脚を開き、肘を大腿の上に乗せ、激動の一日を超えた体の緊張を解きほぐすように全身の力を弛緩させて、スツールに座っていた。黒いコートは身につけておらず、諸肌を脱いでいた。首の横をなでるように長髪を前に垂らして背中を晒している。

 

「礼を言われるようなことはしていないさ」

「例えあんたがそう思ってても、ウチが言いたいから言うんや。いいから受け取っとき」

 

 主神に頭を下げさせて、そんなものはいらないと突っぱねるつもりか、と悪童じみた稚気を傲慢という色で上塗りした、冗談めいた神の言葉に、セフィロスは小さく笑って答えた。

 

「主神殿の頭を下げさせたままにしておくわけにもいかないな。では、賜っておこう」

 

 ロキはニシシと歯を見せて笑いながら「それでヨシ」と相槌を打った。

 

 ベッドに置いた器具の中から一本の針を取り出したロキは、ぷつりと人差し指の腹に指した。小さな刺し傷から、赤い血がぷっくりと盛り上がってくる。セフィロスの背中に神血(イコル)をこすりつけるように、あるいは文字を描くように、人差し指を走らせ、(ロック)を解除する。

 

 すると何も描かれていなかったはずの素肌に、にじみ出るように文字が浮かんできた。まるで古代の遺跡に描かれているような威容として荘厳な文字列。それは一般的に普及している言語ではない。神々の扱う【神聖文字(ヒエログリフ)】と呼ばれる文字だ。

 

 そしてそれこそが神々の恩恵(ファルナ)の顕現であり、眷属であるところの冒険者の生命線である【ステイタス】である。

 

 【ステイタス】は基本的に秘匿するものである。基本アビリティは【力】【耐久】【器用】【敏捷】【魔力】の五項目で現されるため、何が得意で、何が不得手かを一目で浮き彫りにしてしまう。それはいわば弱点を曝け出すことに他ならない。弱点が分かれば対処法も立て易い。何も冒険者にとってダンジョンに巣くうモンスターだけが敵ではない。冒険者同士の確執や嫉妬、対立する神々の代理戦争である戦争遊戯(ウォーゲーム)。同じ冒険者と敵対することもそう珍しい話ではない。だからこそ神々は己の眷属の身命に関わる【ステイタス】を余人に知られる事を嫌い、同じファミリアのメンバーとて【ステイタス】に関する詳細な情報が伝播することは少ない。

 

 今、ロキが開錠した(ロック)も、他者に【ステイタス】を暴かれないための封印であった。

 

 セフィロスの背中に浮かび上がった【ステイタス】を見て「自分、あいかわらずデタラメな力やなあ」と零しながら更新するロキ。

 

 眷属の魂に蓄積された【経験値(エクセリア)】を抽出して、神血(イコル)を媒介に新しく【ステイタス】を上書きする行為を一般的に、【ステイタス】の更新と呼ぶ。これによって各々の冒険者は己の力を――魂の器を、より高いステージへと昇華させていくのだ。

 

 更新されたセフィロスの【ステイタス】を見て、驚き、目を見張るロキ。

 

 予想はついていた。が、こうして目の当たりにすると驚きもひとしおである。

 

 セフィロスの背中に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)が、胎動するように発光していた。これは普段の【ステイタス】の更新では現れない現象である。意味する事柄は、【ステイタス】の昇格。

 

 すなわちLv.8からLv.9へのランクアップである。

 

 フレイヤ・ファミリアの【猛者(おうじゃ)】オッタルを抜き去り、迷宮都市唯一のLv.9という高みに、セフィロスは至ったのだ。

 

 だが、その事を素直にロキは喜べないでいた。無論、飛び上がりたいほどの歓喜はある。大声で自慢を巻き散らしたいほど誇らしい気持ちが溢れている。だが。

 ――この子は、ウチらの手から遠く離れた場所でどれだけの無茶をやらかしたんやろうなぁ。

 

 寂寥と諦観、それからうまく言葉に言い現せない申し訳なさのような感情がロキの胸中にたゆたっていた。

 

 セフィロスの背中をそっと撫でる。セフィロスが世界の方々で打ちたてた逸話はよく聞いていた。人々に賞賛され、英雄と祭り上げられるほどの偉業の数々。しかしそれらはファミリアの仲間達と切り離された外界で遂行された、セフィロスの孤独な奮闘の記録でもあった。

 

 Lvが上がれば上がるほど、次のLvへの昇華にはより多くの【経験値(エクセリア)】が必要となる。LV.1からLv.2へのランクアップですら数年がかりでダンジョンに潜って幾多のモンスターを打ち倒す努力の果てに、やっと成し遂げられる境地なのだ。魂の器をより高次へと押し上げ、神に近づいていく昇格(ランクアップ)という奇跡。心身ともに屈強な冒険者がひしめき合う迷宮都市でさえ、セフィロスとオッタルの両名を除けば、最高峰の冒険者と呼ばれるLv.6でさえ両の指の数に足りるかどうかというほどのものだ。それほどまでに過酷で厳しい道程であり、Lv.9への昇格(ランクアップ)などと言えば、一体どれほどの敵を打ち倒し、どれほど心身を痛めつけ、そして……この背中にどれほどたくさんの荷を背負ってここまでの道のりを歩いてきたのか、想像がつかないほどの苦難の連続であったはずだ。

 

 迷宮都市オラリオの最大派閥と呼ばれるようになった昨今でも、眷属のランクアップはたまらなくうれしいものだ。それは極上の美酒によってもたらされる多幸感にも勝る悦びである。

 

 だが、ことセフィロスに至ってはあまりに先を歩きすぎている。アイズも大概、生き急いでいるきらいがあるが、ひょっとするとセフィロスはアイズ以上に……。

 

「ロキ? どうしたんだ」

 

 黙りこくったロキを不思議に思ったセフィロスが問いかける。

 

 ――今、そんなこと考えてもしょうがないなあ。 

 

「あ、ううん、なんでもないわ……そ、れ、よ、り、も」

 

 ロキはセフィロスの腰をバチーンと叩いた。

 

「ランクアップや! Lv.9やで9! 自分あいかわらずやってくれるなぁっ!」

「…………そうか」

「あまりうれしそうやないやないか」

「そんなことはない。ただ少しばかり感慨に浸っていただけだ」

 

 ロキはセフィロスの肩に顔を乗せ、人差し指でぐりぐりとセフィロスの頬をえぐった。

 

「なんやつまらんな…………おらぁッ、喜べ! その仏頂面をニンマリ素敵な笑顔に変えて、声を出してヤッタァッ! て叫ぶんや! 主神命令!」

「そんな命令があるか」

 

 近づけた顔を、手で押し退けられたロキは「おかげでしばらく神会(デナトゥス)でデカイ顔できるわ」と笑いながら、セフィロスの背中に刻まれた【ステイタス】を新たに上書きしていく。

 

「んー、今回発現可能な『発展アビリティ』は一つだけあるなあ……なになに、『単独戦闘』? ……そんな感じやろうな」

 

 発展アビリティは【ランクアップ】の時にだけ発現可能な特典のようなものだ。発現する条件は様々で、【ランクアップ】の際にその条件を満たしていなければ、一つも発現しないことも往々にしてある。例えばレアアビリティと呼ばれるものの一つである【狩人】という発展アビリティがある。これはLv.2に【ランクアップ】する時にのみ発現可能な発展アビリティで、発現条件は『短期間の内に大量のモンスターを撃退する』だ。効果は、交戦して撃破したことのある同種のモンスター戦において発揮される能力値が強化されるというものである。

 

 【ランクアップ】の際に、発展アビリティが発現するか否か。あるいは、発現できるとして、どのような発展アビリティになるのか、という点については、その者がどのような【経験値(エクセリア)】の積み方をしてきたかに由縁する。

 

 今回セフィロスが発現した発展アビリティ『単独戦闘』 おそらく孤立無援の状況、単騎で戦闘する場合に限り能力値が強化される類のモノと考えて間違いないだろう。

 

 この五年間、人々の期待と憧憬を背負って、たった一人で戦い続けてきたセフィロスが、このような発展アビリティを発現するのは、ある意味必然だったのかもしれない。

 

 聞いた事がない、レアアビリティには違いないが、諸手を上げて素直に喜べない。

 

 このアビリティの発現こそが、先ほどロキがセフィロスに抱いていた〝孤独な奮闘〟という事実を明確に結論付けるものだった。

 

 ――この子は一体、どこまで昇りつめるんやろうなぁ。

 

 ロキにとってそれが楽しみでもあり、同じくらい不安でもあった。

 

 

 

 

 

 セフィロス・クレシェント

 Lv.9

 力:I0

 耐久:I0

 器用:I0

 俊敏:I0

 魔力:I0

 狩人:D

 身体操術:B

 耐異常:E

 剣士:A

 切断:A

 単独戦闘:I

 

 

 

 

 

 階位を上げると共に、潜在値(エクストラポイント)を反映し初期数値化(リセット)された能力値(アビリティ)

 

 本来ならここまでが【ランクアップ】のプロセスである。

 

 しかしセフィロスの場合、まだ工程が残っている。ロキはおもむろに、セフィロスの魂の中で交じり合うように存在する〝もう一つの魂(・・・・・・)〟の器からも【経験値(エクセリア)】を抽出する。

 

 それは普通ではありえない事象である。人や動物、あるいは昆虫やモンスターに至るまで、本来一つの肉体に一つの魂というのが、この世界に与えられた当たり前のルールである。

 

 しかしセフィロスの肉体には、二つの魂があった。

 

 そこにあるべきセフィロス自身の魂……そして、もう一つ。かつてセフィロスが幼い時分に死にかけた時、彼の命を繋ぎ止めるために体内に埋め込まれた〝奇跡の欠片〟と呼ばれる物。

 

 ……ロキは、その〝奇跡の欠片〟の正体を知っていた。

 

 新たに抽出された【経験値(エクセリア)】によって、セフィロスの【ステイタス】が更に更新される。

 

 

 

 

 

 セフィロス・クレシェント

 Lv.9

 力 :A832

 耐久:D502

 器用:S987

 敏捷:S912

 魔力:B719

 狩人:D

 身体操術:B

 耐異常:E

 剣士:A

 切断:A

 単独戦闘:I

 

 

 

 

 

 

 

 ――もういつ次のランクアップしてもおかしくないやないかい……ッ。 

 

 驚きを通り越して、呆れるほか無い【ステイタス】の上がりようだった。どれだけ【経験値(エクセリア)】を溜め込んで帰ってきたのだこの眷属は、加えてどれだけ危険な橋を渡ってきたのだこの眷属は……ッ。

 

「……なぜ叩く?」

「うっさいわアホ、心配ばっかりかけさせおってからに」

 

 頭を叩かれて、胡乱げな目でロキを見遣るセフィロス。ロキはそんなこと知った事かとばかりに、セフィロスの背中に新たに刻まれた【ステイタス】を【神聖文字(ヒエログリフ)】から、下界に一般的に普及している共通語(コイネー)に訳して、羽根ペンで羊皮紙に書き写していく。

 

 基本アビリティと発展アビリティの概要を書き記したところで、ペンを止める。

 

 次に書き写すのは【スキル】の欄である。そのスキルに、ロキは思うところがあった。

 

 セフィロスの体内に埋め込まれた〝奇跡の欠片〟 それはセフィロスの魂にリンクしている外付けに近い魂であるため、Lvなどの概念こそ無いが、【経験値(エクセリア)】という力を満たす器としての機能は損なわれていない。今はセフィロスの肉体と魂に剥離不能なほどに癒着して混じった〝奇跡の欠片〟が、形ある文言として【ステイタス】に顕現した【スキル】としての名前。それが。

 

 

 

神艙の魂片(ナグルファル・ウングウィス)

 

 

 

 

 効果は『経験値の貯蔵と、指向性を持たせた限定的開放』である。

 

 ……これは何の因果だろうか、とロキは思う。

 

 まさか、あの船の欠片をその身に宿した者が自分の眷属になろうとは。

 

 オラリオに数多の神がいようとも――否、天界中を探したとしても、【神艙の魂片(ナグルファル・ウングウィス)】というスキルを目覚めさせ、力を引き出すことが出来るのはロキだけである。そう、『終わらせる者』を意味する名を持ち、あの船を駆ることを宿命づけられた、狡知の神ロキただ一人なのだ。

 

 しかし、これは本当に偶然なのだろうか。

 

 あまりにも出来すぎている。あの船の欠片が、たまたま下界に迷い込み、たまたまそれを扱える女の元に渡り、たまたま死にかけた息子に移植して、たまたまその息子があの船の力を操れる自分の眷属となり……ついにその少年は魂の器をより高次に押し上げて〝奇跡の欠片〟の力を発現できるほどに、神に近づいたのだ。

 

 偶然? いや、そんなわけない。

 

 おそらくは、居るのだ。

 

 全ての事象の背後で隠れ、これに纏わる全ての事件の点を打ち、線で結び、何らかの意図を持って、構図を描いている者が、居るのだ。

 

 そして……それは、おそらく……。

 

「ロキ? なにか問題でもあったか?」

 

 セフィロスが訝しげに声をかける。何事かを考えるようにジッと押し黙り、眉間に皺を寄せていたロキはその声で引き戻された。

 

「悪い悪い、なんでもないんや。ちょっとばっかし難しい言葉が出てきたもんでな、共通語(コイネー)だとどう訳すもんかと思いだしてたんや」

 

 渦巻いていた思慮を心の底に落とし込める。今はまだ全て推測の段階でしかない。念のためいくつか手は打って置く事にするが、現状まだ事を荒立てることはない。

 

「ほいほいほい~と、そぉれサラサラサラ~、よっしゃ、できたで~」

 

 【ステイタス】を全て書き写した羊皮紙をセフィロスに渡すと、ロキは手早くセフィロスの背中に現れている【神聖文字(ヒエログリフ)】に(ロック)をかける。【神聖文字(ヒエログリフ)】の朱色の碑文が、背中の白に溶け込むように消えて見えなくなるのを確認する。

 

「これで【ステイタス】の更新終了や」

「ああ、礼を言う」

「あいよ~」と間延びした声を上げるロキ。セフィロスは渡された羊皮紙に書き込まれた自らの【ステイタス】の全容を熟視する。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 セフィロス・クレシェント

 Lv.9

 力 :A832

 耐久:D502

 器用:S987

 敏捷:S912

 魔力:B719

 狩人:D

 身体操術:B

 耐異常:E

 剣士:A

 切断:A

 単独戦闘:I

 

 

《魔法》

 

【マテリア・スロット】

 ・一つの魔法スロットから分岐するように、複数の魔法を習得できる。

 

【スーパーノヴァ】

 ・リユニオン発動中にのみ使用できる。

 ・生み出した膨大なエネルギーの、膨張と爆縮を同時に引き起こす。

 ・光、炎属性。

 

 

《スキル》

 

神艙の魂片(ナグルファル・ウングウィス)

 ・経験値の貯蔵

 ・指向性を持たせた限定的開放

 

剣聖(ブレイドマスター)

 ・剣に類する武器を装備している場合に限り発動。

 ・【力】【器用】【敏捷】の熟練度の能力値がそれぞれ2段階引き上げられる。

 ・装備した武器に【不壊属性】と同等の効果を付与。

 

【リユニオン】

 ・受けたダメージ、および与えたダメージが一定以上に蓄積されることで使用可能。

 ・???

 ・時間の経過、または【スーパーノヴァ】の使用により、解除される

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

「悪くないな」

「この遥か天空にかっ飛んだステイタスを、『悪くない』の一言で片付けるんか」

「一気に上がりすぎるのも問題だという話だ。今までの動きと勝手が違いすぎてな。自分の肉体だというのに、暴れ馬を手懐ける気分だ」

 

 セフィロスは黒いコートを身に纏い、身だしなみを整え始めた。

 

「夜遅くだというのにすまなかったな。俺も今日は休むとしよう、部屋は前と同じで問題ないのか?」

「せやで、今日までリヴェリアがこまめに掃除してくれてたんや。今度礼を言っときぃ」

「いつだって感謝しきりさ……だが、了解した」

 

 ではな、と部屋を立ち去ろうとする背中に「セフィロス」とロキが声をかけた。

 

「自分、ウチのファミリアに来て何年になるねん?」

「……おおよそ15、6年といったところか」

「そっかぁ、ホントあっというまやなぁ」

「永き時を生きる神の感覚からすればそうだろうな」

「ふふん、せやで。ウチらにすれば100年や200年なんか、気づいたらす~ぐに過ぎ去ってしまうわ」

 

 ロキはベッドに深く座り、脚を組んだ。その目は遠き時代を思い起こしているかのように虚空を見つめていた。

 

「でもな、下界に降臨して気づいたんよ。今までウチはなんてもったいない時間の使い方してたんやろうなぁってな」

 

 この世界はたくさんのワクワクドキドキに満ち満ちていた。少し目を凝らして周りを眺めて見れば、そこは神である自分達にすら想像だにしない、未知という子供達の可能性にあふれていたのだ。 

 

「天界にいたころは本当に退屈でなぁ、退屈しのぎに神同士でドンパチやらせたろ、なんてぶっそうなことも考えてたわ。でもな、今はこうやって子供達に囲まれている毎日が楽しくて仕方ないんよ」

 

 ――まるで夢みたいな時間や、とロキは笑った。

 

「俺達人間の人生はエルフと比べてもずいぶん短い。神々からすれば夏の陽炎のように、そこにあったかも分からないうちに過ぎ去ってしまうものじゃないか」

「そうかもしれん。でもな、だからこそ愛おしいんや」

 

 ロキはセフィロスを見遣る。その眼差しに深い慈愛の色を湛えて。

 

「ウチら神からしたら自分らの人生はたしかに短い。だが自分らにしたら、まだまだ長い道のりの途中や。たまには背負った荷物下ろして、ゆっくりと景色でも見ながら歩いていき。ウチら神々は下界のモンからしたら、ちょこっとこの世界にお邪魔しているだけのお客様に過ぎん。そんなウチらでさえ見つけられたんや、最初からこの世界で生きているあんたら子供達に見つけられないはずあらへんよ」

 

 だって、とロキは言った。

 

「この世界はみぃんな、あんたら子供達が楽しむためにあるもんなんやからな」

 

 そうして姿は天真爛漫な子供のようだった。

 

「あんたは英雄やらなんやら呼ばれるようになった。でもな、それを重荷に思う必要なんてこれっぽっちもあらへん。そんなもんは世間が勝手にあんたに押し付けようとしている期待にすぎないんやから、重いと思ったら捨ててしまえばいい。あんたは十分がんばったんやから、もう本当に大事なモンだけ腕に抱え込んでおけばいいんや」

 

「ロキ……」

「たくさん楽しんで、たくさん悲しんで、たくさん笑って、たくさん泣いて……そんでもって、いっぱい幸せを見つけや。きっと、それがあんたら子供達にとっての生きるってことなんやからな」

 

 ……そうか、とセフィロスは答えた。

 

 扉に手をかけて開くと、夜気が流れ込んできた。薄暗い螺旋階段が階下に向かって伸びている。

 

「まあ、努力しよう」

「努力するもんやない、もっと肩の力抜け言うとるんや」

 

 手をひらめかせて答えるセフィロス。

 本当に分かってるんかい、と思いつつ、ロキは去ろうとするセフィロスの背中に最後に一言声をかけた。微笑を浮かべながら。

 

「セフィロス……良い旅路をな」

 

 セフィロスも笑みを浮かべながら答えた。

 

「ロキも、良い夢を」

 

 そう言ってセフィロスの背中は扉の向こうに消えていった。

 ロキはベッドに背中から倒れこんだ。天井を仰ぎ見て、ぽつりと零した。

 

 ――良い夢を、か。

 

 反復して、くすぐったそうに笑った。

 

「本当に、夢みたいに心が躍る世界やなぁ」

 

 

 そうして騒乱の一日を終え、迷宮都市の夜は静かに更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 奇跡の欠片こと【神艙の魂片】は今回のステイタス更新では曖昧な描写にして、もっと後で開示する予定だったのですが、今回ステイタスの上昇の仕方の理屈を補強するため前倒しで開示しました。
 お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、【神艙の魂片】の正体は、幼い頃のセフィロスに宿った主人公の魂そのものです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話【懐かしのオラリオ】 プロローグ

 すみません。活動報告にも書きましたが、この間の土日は時間が取れなかったため、今回はかなり短めになります。


 

 

 

 【片翼の天使】セフィロス・クレシェントがオラリオに――ひいてはロキ・ファミリアに帰還して数日が流れた。

 

 現在、ロキ・ファミリアの主要メンバーはダンジョン遠征の真っ最中であり、ロキ・ファミリアの本拠(ホーム)である『黄昏の館』に残るのは、留守を任された者達ばかりである。

 

 セフィロスもそのうちの一人だった。

 

 純粋な戦闘力ならロキ・ファミリアはおろかオラリオでも最高峰であるセフィロスが、遠征に出ないというのもおかしな話であるが、今回は事情が事情である。

 

 なにせ、セフィロスは遠征に出発する前夜に帰ってきたばかりなのだ。

 

 遠征はあくまでロキ・ファミリアという一つの群れとして行動する必要がある。そこにあるのは軍隊のような規律であり、何よりも必要なのは一糸乱れぬ統率である。何度も訓練を重ね、各々の役割分担や、どう動くかを明確にする事により、迷宮での生存率を上げるのだ。

 

 セフィロスは個としてあまりに突出しすぎた武力である。遊撃に回れば比類無い力を発揮するだろう。しかし連携の取り方などの打ち合わせの一つもなく参加したのでは全体の足並みが乱れる恐れがある上、セフィロスにあまり頼りすぎるのも将来的なファミリア全体の成長に悪影響を生みかねないという団長(フィン)の判断である。

 

 なによりセフィロスにはやらなければならないことが山ほどあるのだ。

 

 まず第一に、オラリオに帰還した事について、ギルドへの正式な報告。加えてセフィロスが外の世界を巡る契機になった事件の中でロキ・ファミリアのために骨を折ってくれた方達への挨拶回り。

 

 通すべき筋を通さずに、ダンジョン遠征に行くわけには行かなかった。

 

 そういった事情もあり、今回セフィロスのダンジョン遠征への参加は見送られることになった。

 

 

 

 

 

 ――しかし、そうも言っていられない事態となった。

 

 

 

 

 

 夜も深まった頃、ロキの自室に扉をノックする音が響いた。

 

「ん~、誰やぁ~?」

 

 晩酌を終え、眠りにつこうとしていたロキは胡乱げな表情で扉を見遣った。こんな夜遅くに尋ねてくる眷属なんて珍しい。ましてや団長であるフィンや副団長のリヴェリアを始め、現在主要メンバーは遠征で出払っているのだ。

 

「俺だ。すまないな夜遅く」

「ん、なんやセフィロスかい……どうしたん、こんな時間に?」

「ロキの耳に入れておきたい火急の用件があってな」

「……ふむ、聞こか。入ってええよ」

 

 ロキはベッドから起き上がるとそのまま縁に腰掛けた。扉を開けて部屋に入ってきたセフィロスに、ロキは茶化すような視線を投げかけた。

 

「ふふん、淑女の部屋にこんな夜更けに尋ねてくるなんてなぁ……自分、なかなかやるやないか」

 

 意地の悪い含み笑いだった。

 

 セフィロスもフッと笑みを零しながら、床をぐるりと見渡して大仰に肩を落とした。

 

「その淑女の部屋に山ほど酒瓶が転がっているのはどうなんだ? 注意するリヴェリアがいないからって少し気が緩んでるんじゃないのか?」

「う……自分、なかなかエゲツないカウンター使うやないか」

 

 足の踏み場も無い、とは言わないが、まるで紛争地帯の地雷のように部屋の各所に酒瓶が転がっている。うっかり踏んで転んだり、瓶を踏んで割りそうな危険があった。

 セフィロスの言うとおり、注意する人間がいないからといって、普段よりやや自堕落な生活になっていたのはロキ自身も認めるところだった。

 

「んで、どうしたんや。火急の用件なんて、あまり穏やかじゃない言い回しやな」

「実際、穏やかとは言えない内容でな」

「うわー、あんまり聞きとうないな」

 

 しかしセフィロスの物言いからそうも言っていられない内容なのだろうということは容易に想像がついた。「まあ座り」と手近にあった椅子への着席を促す。

 

「なんか飲むか? ……まあ酒しかないんやけどな」

 

 そう言って笑うロキだったが、セフィロスの言う火急の用件とやらが気になっているようで視線は真剣そのものだった。

 

 セフィロスは手を振って答えてから、椅子に座り、話し始めた。

 

「……今日オッタルと会った」

「フレイヤんとこの猛者(おうじゃ)か……まさか街中でドンパチなんてやらかしてないやろうな?」

 

 茶化すような物言いだが内容そのものは笑い話で済むようなものではなかった。

 

 セフィロスとオッタル。両名共に迷宮都市を代表する強者だ。その気になれば一区画まるまる崩壊させかねないほどの力を持っており、その二人が市内で激突したとなれば戦闘の余波だけで周囲に与える被害は計り知れないだろう。

 

 ――まさか、ちゃうよなぁ……いや、ホントにそれは勘弁してえな。

 

 そうなった場合にギルドから下されるであろうペナルティやら被害額を考えると頭が痛いどころの話では無い。もちろんセフィロスが考え無しで戦うような人物で無い事は分かりきっているが、フレイヤのところの猛者(おうじゃ)に関しては結構な戦闘脳だと聞く。喧嘩をふっかけられたセフィロスが止むに止まれず応戦、というシナリオも無くは無い上、実際にセフィロスがらみで昔同じような事をやらかしているのでその可能性はあった。

 

 もしそうなら被害額は全額フレイヤにふっかけようと心に固く誓い、じっとセフィロスを見つめる。するとそのあまりに真剣な眼差しがおかしかったのか、セフィロスは笑みを浮かべながら答えた。

 

「まさか、そこまで浅慮ではない。オッタルから気になる情報を耳にしてな」

「気になる情報?」

 

 オウム返しにロキが聞き返すと、セフィロスは懐から小石を取り出した。いや。それはただの石では無い。

 

「魔石、なんかコレ?」

 

 それはモンスターに取っての核になる魔石であった。しかし本来魔石の色は一様に紫紺色である。しかしセフィロスが取り出したのは形や雰囲気は魔石であるが中心の辺りが毒々しい極彩色に輝いていた。

 

「ダンジョンに異変が起きている可能性がある」

「これを……ダンジョンのモンスターが?」

 

 確かめるように問いかけるロキに、セフィロスは肯定の意を示して、語り始める。

 剣を交えたことで、セフィロスの昇格(ランクアップ)を確信したオッタルが、フレイヤの許可を取り、今日までのしばらくの間ダンジョンに潜っていたこと。そして50階層付近に現れた異変。

 

 遭遇した謎のモンスターから入手したという、この魔石。

 

「腐食液を出すモンスター……それも50階層付近か」

 

 ダンジョンでモンスターが新たに発見されることはもちろんある。しかし今回の場合、過去の事例のどれにも当てはまらない。

 

 神妙な面持ちで、もたらされた情報を吟味するロキは、まず前提となる条件を確固たる物にするためセフィロスに確認をとった。

 

「ここまでの一連の話が猛者(おうじゃ)の虚言だという可能性はあるんか?」

「それはないだろう。そんなくだらないことをする奴ではない。オッタルに唯一命令できる立場であるフレイヤに関しても……まあ、そちらのほうはロキの方が詳しいだろう」

「まあなー、フレイヤの方かて意味無くそんなことする奴やないわ」

 

 逆に言えば、意味さえあればやりかねないのだが。例えば、気になった男がらみとか。ただしそこにさえ突っ込んでいなければ例え悪巧みの類であったとしても〝華〟の無い行為はしない女神である。

 

 それに……。

 

 ロキは手にした魔石をまじまじと見つめる。色こそ異常であるが、間違い無く魔石だ。これを騙しの小道具とするには、あまりに手が込んでいる。

 

「なら、今までの一連の話を全て真実とする。となると、気になるのは……」

「フィン達だな」

 

 現在ロキ・ファミリアの主要メンバーが行っているダンジョンへの遠征。目的は未到達領域である59階層へのアタックである。必ず50階層は通り抜けることになる。オッタルが遭遇したという未知のモンスターと遭遇する可能性は十分ある。

 

「それに……」

「出てくるモンスターは猛者(おうじゃ)が遭遇したモンスターだけとは限らへんちゅうことか」

 

 オッタルが遭遇したのは腐食液を体内に溜め込んだ芋虫形のモンスターだけだったらしい。下手に攻撃すると、腐食液によって武器破壊を引き起こされる極めて厄介なモンスターだ。

 

 腐食液自体も相当に強力なものらしく、第一級冒険者の【耐久】を持ってしても、恐らくは場合によっては致命傷になるほどだという。

 

 ダンジョンでは何が起こるか分からない。

 

 しかし今回の事態はイレギュラーに過ぎていた。

 

「報告は以上だ。それともう一つ、許可を貰いたい」

 

 セフィロスはすくっと立ち上がった。

 ロキは細めていた目をわずかに開いて、セフィロスを見つめた。

 

「もしかして……自分」

 

 ああ、とセフィロスはうつむく。

 

「こうして頭を突き合わせて悩んでいても仕方がないだろう」

「……そっか、そやな。んじゃあ正式に主神命令や」

 

 誤情報だった場合も含め、何も無いのならそれに越した事は無い。

 

 例え困難が立ち塞がろうとフィン達なら乗り越えるだろうという信頼と確信がある。しかしだからといって打てるべき手を打たないことは意味が違う。

 

 ――幸いにして、今この手中にはこれ以上は望めないほどの強力な援軍を送る準備があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 第八話はロキ・ファミリアが遠征に出発後した後、セフィロスのオラリオ巡りみたいなものが話の中心になります。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話【懐かしのオラリオ】 前編

 昨夜降ったわずかな雨が空気のよどみを洗い流し、澄明な空気が街を満たしていた。早朝。東の空から湧き上がった乳白色の陽光が、夜の闇を溶かしきった頃。

 

 迷宮都市オラリオの中でも最大規模の派閥であるロキ・ファミリアの本拠(ホーム)『黄昏の館』の中庭に、三人の男女がたたずんでいた。

 

 お互いにずいぶん距離を置いている。

 

 近すぎず、かといって離れすぎず。3メートル、いや4メートルか。

 

 男と女が挟み撃ちにするように、もう一人の男と対峙している。開いた距離は手にした武器の間合いであった。男女の内、男が手にしている武器はハルバードである。斧槍とも呼ばれ、その名の通り槍の穂先に斧刃がついている。反対側にはピックと呼ばれる鋭い突起が取り付けられている。その特異な形状から、斬る、突く、引っ掛けるなど様々な使用方法が可能で、使いこなすことが出来れば変幻自在な戦法をとる事が出来る武器である。

 

 女が構えているのは槍である。身丈よりやや長いくらいで、穂先は十字に刃がついている。

 

 二人がそれぞれ得意とする武器の切っ先を向けている男が手にしている武器は刀である。それもただの刀でなく、刀身が恐ろしく長い。身丈すら超える長刀『正宗』を手にしたまま、男は――セフィロスは、瞑目している。構えもなく、手をだらりと下げ、脚をわずかに開いただけの、自然体である。

 

 一見すると無防備な姿である。

 

 戦意を漲らせ、今にも手にした武器を振り上げて襲い掛かってきそうな冒険者達と対峙しているというのに、セフィロスに気負った様子は微塵も無い。しかしそこに油断、慢心といった驕りは一切感じられない。

 

 だからこそ男女の冒険者は、踏み込めずにいた。どう攻めても、どう打ち込んでも、回避され、防がれ、返す刀で自身が斬り裂かれる姿を幻視した。

 

 対峙しただけで彼我の戦力差を感じる事は多々ある。ロキ・ファミリアに所属する第一級、第二級冒険者達に訓練をつけてもらったこともあるが、彼等彼女等から感じたのは胎動する活火山のような威圧であった。エネルギーに満ち溢れ、敵対するもの全てを打ち砕かんとする烈火のごとき覇気。

 

 しかし目の前に静かにたたずむセフィロスから感じる覇気は全く別種のものだった。

 

 まるで崖の上から奈落の底を覗きこんでいるような底知れ無さを感じる。そこに在るのは黒々とした静寂に、全てを飲み込むがごとき深淵。あらゆる技を持ってしても、届く気がしない。どんな武器を用いても、届く気がしない。まるで全ての色を塗りつぶす黒、あらゆる技巧を嚥下する武の極地。

 

 汗が頬を伝う。獲物を握る手を殊更にぎゅっと握り締める。あと一歩。その一歩が踏み込めない。一歩、いや半歩踏み込めば、そこはすでにセフィロスの間合いである。

 

 じりじりと、にじり寄る様に足を動かし、近づいては離れを繰り返している。

 

「……来ないのか?」

 

 セフィロスが問いかける。

 

 それが戦闘開始の合図であった。

 

 弾かれたように飛び出したのは女であった。腰だめに構えた槍をセフィロス目掛けて突き出した。狙うは鳩尾。一点の淀みもブレもない、矢のように繰り出される穂先。しかしセフィロスは半歩足を後ろに下げ、ひらりと刺突を避ける。女は四肢に力を込め、突き出した槍をそのまま力任せに振り抜く、横薙ぎの一閃。

 

 瞬間、セフィロスは刀の柄尻で、迫り来る槍の柄をわずかに押し上げる。槍の打撃軌道が逸らされセフィロスの頭上を空しく薙ぎ払った。

 

 背後から男が襲い掛かる。

 

 鋭い呼気とともに、手にしたハルバードをセフィロス目掛け振り下ろす。

 

 セフィロスは背後を一瞥することなく、刀を頭上に構え、ハルバードの一撃を易々と受け止めた。男はひるむことなく、セフィロスの背中に足蹴りを見舞う。しかし、セフィロスがハルバードの刃を押し上げるように刀を降りぬくと、男は体勢を崩され、手を天に掲げるような無防備な姿を晒してしまう。そこにお返しだとばかりにセフィロスが蹴りを叩きこもうとすると、女がすかさず割って入り、セフィロスの蹴りを槍の柄で受け止めた。

 

 二人折り重なるように後方に吹き飛ばされる。しかし男が意地を見せ、地面に轍を刻むように足を踏み占め、転倒するのは防がれた。

 

 すかさず二人同時にセフィロスに襲い掛かる。

 

 上と思えば下から、左と思えば右から。

 

 間断なく変化する戦局の中で、お互いの立ち位置を変え、予想を覆すような動きを見せる二人。言葉を一切交わすことなく――交わす必要は無いほどそのコンビプレーは上手かった。

 

 息が荒く乱れ、動きも精彩を欠いた頃。

 

「…………この辺りにしておくか」

 

 そうセフィロスが言うや否や、二人は同時に動きを止め、地面にぐったりと倒れこんだ。

 

「ヒィー、ヒィー……ッ! ダンジョンだってこんなに体力も神経も使わないぜ……?」

「な、なっさけないわね……これくらいで……ゴホッゴホッ!」

「お前だって……似たようなもんじゃないか……ガサツ女」

「んだとぉ……この野郎……っ」

 

 先ほどまでの息の合った戦いはどこへやら。口を開くや否やお互いを罵りあう二人に、セフィロスは苦笑を零した。

 

「お前達二人とも無駄に足を動かしすぎだ。隙を見つけ出せないからといって、とりあえずひたすら動き回って撹乱すれば良いというものではない」

「……ウッス」

「……はぁい」

 

 ただでさえ残り少なくなった体力を、罵り合いで使いきった二人は息も絶え絶えな様子で、セフィロスの言葉に返答した。

 

 少し扱き過ぎたか、と零すセフィロス。

 

「【清らかなる生命の風よ 失いし力とならん】」

 

 二人に手をかざす。

 

「【ケアル】」

 

 玲瓏と紡がれた魔法は、力を発現すると共に、いくつもの小さな光球が生まれ、二人を包みこむように舞い落ちる。

 

 傷を治し、失った体力をわずかだが回復させる魔法の効果はすぐさま現れることになった。

 

 鉛のように重くなった二人の体は、固く結んだ紐が綻んで解けるように、沈殿していた疲労もほぐれていくのを感じた。

 

 倒れたまま何度も大きく深呼吸すると二人は立ち上がり、稽古をつけてもらった礼を何度もセフィロスに述べた。

 

「二人ともまだ【ステイタス】に振り回されているな。戦場において【ステイタス】は、武器の種類や戦術などと同じで、戦闘を行うための手段の一つに過ぎない。扱いきれない武器や、理解していない戦術では足を引っ張るどころか、己の命さえ危うくしかねない。【ステイタス】もそれと同じだ。十全に扱いきれないのでは、いざという場面で思わぬ形で痛手をこうむる事を忘れるな」

「うっす!」

「ハイ!」

 

 セフィロスの言葉に張りのある声で答えた二人。

 

 彼等はセフィロスが『黄昏の館』に帰還した時に、門番をしていた二人組みだった。Lv.2になったばかりで、団長(フィン)から『まだ自分自身の力と性能を十全に理解していない者を色濃い死の匂いが香り立つ深層への遠征に連れて行くのは無謀だ』との決定を下され、今回のダンジョン遠征には不参加であった。

 

 しかし今、二人はむしろ遠征に参加できなくて、不謹慎かもしれないがラッキーだったとさえ思っていた。

 

「だが、初日と比べればだいぶ良くなった。イメージと体の動きのすり合わせに、齟齬が無くなってきたようだ」

 

「「ありがとうございます!」」

 

 おかげでこうして英雄セフィロスに稽古をつけてもらうことが出来ている。

 

 今はダンジョン遠征に赴いている先輩達を差し置いて、という思いもあるが、だからこそまだロキ・ファミリアでそれほど立場が高くない自分達がセフィロスに稽古をつけてもらえるまたと無い機会が今だった。

 

 セフィロスは小さく笑みを浮かべた。

 

「まあ、偉そうな事を言っているが、俺自身まだ自分の力を扱いきれていなくてな」

 

 己の手中に掴んだ力を確かめるように、掌を握っては開いてを繰り返す。

 

 その言葉の意味する事を二人はすぐさま思い至った。

 

 セフィロスのLv.9への昇格(ランクアップ)は同じファミリアに所属する二人も当然のことながら知っていた。いや、今やその情報は、オラリオ全土に広がっている。迷宮都市唯一の最高Lv保持者となったセフィロスの話題は、冒険者や神々はもちろん一般の人々にまで知れ渡っている。

 

 オラリオを『世界の中心』と呼んでも差し支えない大都市にまで押し上げた冒険者の存在。とりわけ、第一級冒険者は世界中にその名声を轟かせている。中でも当代において最も高い知名度を誇るセフィロスの更なるLv昇格は、特報としてすでに周知の事実となっている。

 

 セフィロスも昇格(ランクアップ)によって能力値が大幅に強化されたことによって、自身の力を完全に掌握していないのだ。己の力を把握するには、まずは一度全力を出してみる必要がある。上限を知る事によって、微細な手加減や、力の緩急のつけ方を覚えるのだ。しかしLv.9ほどの高みに至った【ステイタス】であると、どうしても全力を出せる場面というのは限られてしまう。ダンジョン内部ならともかく、オラリオ市街ではどうしても無理があるだろう。

 

「俺もお前達に負けないように気張らないとな」

「そんな俺達なんて……ッ」

「そ、そうですよ!」

 

 恐れ多いとばかりに焦って吃る二人。セフィロスは、フッと笑みを零して、激励するように二人の背中をバンと力強く叩いた。

 

「さっ、そろそろ朝食の時間だな。食堂に行くぞ」

 

 二人は一瞬ぽかんとした表情を浮かべてから、ハッとなって、大きな声で「ハイ!」と答え、セフィロスの背中を追いかけた。

 

 セフィロス・クレシェント。

 

 英雄とまで謳われる冒険者。正直言えばもっと居丈高で、威圧的な人柄を想像していた。しかし実際にこうして接してみると、想像を超えるほどに強く、情に厚く、面倒見が良く、そして誇り高き剣士だった。

 

「なあ」

「なによ?」

「このファミリアに入団してよかったな」

「……ええ、本当にそうね」

 

 かつて彼等が憧れた英雄は、憧憬のままの姿の英雄であった事に、たまらないうれしさを覚えた。そして、そんなセフィロスにこうして鍛錬をつけてもらえることが誇らしかった。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

「で、今日はどうするん?」

 

 朝食を食べ終わる頃に、セフィロスの元に主神であるロキがやってきた。隣に空いていた席に座り、セフィロスが食べていた朝食のプレートからミニトマトを一つ摘み上げ、口に入れる。

 

「よせ、はしたない」

「ええやん、ええやん。で、セフィロス殿の今日のご予定はなんでっしゃろ?」

 

 ロキはここ数日の事を思いだしながら、セフィロスに話しかけた。

 

 ファミリアの主力メンバーがダンジョン遠征へと赴いて、数日。セフィロスはオラリオ帰還に対する事務処理や方々への挨拶回りで忙殺されていた。

 

 まず帰還して次の朝にはダンジョン遠征に向かうメンバーを見送った。しかし、まずはそこで騒ぎがあった。

 

 その日の朝食の時間から妙にセフィロスにくっついていたのが【剣姫】の二つ名を冠する冒険者アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

 元々人付き合いが苦手で自分から積極的に他者に話しかける事があまり無いアイズだったが、食堂でセフィロスの横の席にいつの間にか陣取り、たどたどしく話しかけ始めた時は、我が目を疑った。

 

 その前夜にはセフィロスと勝負して負けたアイズであったが、最後に見せた童女のような笑みにはロキ自身もつられて涙が出そうになった。アイズの生い立ちや葛藤を、保護者代わりとなって彼女の成長を支えたリヴェリアと同じくらい、身に染みて理解していたのがロキだった。

 

 だからこそ、幼い頃の無邪気な笑い方を思いだしたアイズの姿を見た時に、言葉にできないうれしさを感じた。永い永い時を生きた己でさえ、その時の感情を明確な言葉に当てはめることは出来なかった。否、陳腐な言葉を山よりも高く海よりも深く並べようとも、あの時の情動をあらわすことは出来無いだろうし、上辺だけの文字の枠組みに、あの時の感動を当てはめようとする気も毛頭無かった。

 

 しかしあの時のアイズの笑顔は夢うつつの中で、ほんの一時だけ顔を覗かせた、幼き日の残照でしかないことも理解していた。

 

 そう簡単に人の人格は変わらないし、無垢だった幼い日々に戻るには、アイズは世の悪意に晒されすぎていた。それでも心根の優しいまま真っ直ぐに育ってくれたことを誇らしく思うが、アイズは同年代の子に比べて幾分か情緒が幼いままであった。自身の感情を律する事は問題ないのだが、対人に対するコミュニケーションが不得手なのだ。

 

 元々勘が鋭い子なので、感情の機微を察する事は得意なのだが、そこからなにかしらの対応をするとなると悩んでしまう。例えば喧嘩の仲裁するための適切な言葉をその場ですぐに発するのは苦手だ。なぐさめの言葉を述べるには、たどたどしく一語一語を選びながらになってしまう。

 

 必死になって剣に生きてきた、で締め括ることは簡単であるし、それだけで周囲を納得させるだけの功績と強さをアイズは積み上げてきた。

 

 しかしここから先のアイズ自身の幸せを考えると……と、頭を悩ませていた中で今回の出来事が起きた。

 

 たしかにセフィロスとの戦いの後、アイズが浮かべた無垢な笑いはその場限りの儚い幻だったかもしれない。だが切っ掛けにはなるはずだ。ずっと固く閉ざされていた宝箱の鍵をやっと開けられたのだ。時間はかかるかもしれないし、もしかしたらまた鍵を閉ざしてしまうかもしれない。だが、ここから先、きっとアイズは良い方向に変わっていけると、ロキは信じているし、例えまたアイズが自身の世界を閉ざそうとしても自分を始めとしたファミリアのメンバー達がそうとはさせない。無理やりにでもこじ開けて、何度でも日の当たる暖かい場所に引きずり出してやるのだと固く誓っていた。

 

 少しずつでもいいから、変わって欲しい、と思っていた矢先である。

 

『ここ、いい?』

 

 アイズはもじもじしながらセフィロスの隣の席に座っていいかを聞いた。

 

 セフィロスは『ああ』と頷いた。

 

『体はもう大丈夫か?』

『うん……』

 

 アイズは着席するも目は伏せたまま、両手も膝の上に置いたまま、朝食に手をつけようとしない。

 

 そんなアイズの様子を見ていたセフィロスは『どうした?』と問いかけた。

 

『えっと、その……』

 

 見るからにわたわたと慌てて、口にするべき言葉を探して思案しているアイズ。セフィロスは助け舟を出すように、落ち着いた声色で話しかけた。

 

『ゆっくりでいい。落ち着いて頭の中を整理して……そうだな、深呼吸の一つでもしてみるといい』

 

『う、うん』と首肯したアイズは目を瞑り、ゆっくり言われた通りに大きく、息を吸って、吐き出す。それから小さくウンと頷き、瞼を開き、セフィロスの目をまっすぐ見つめた。

 

『昨日は、ありがとう』

 

 それだけだった。しかしその一言に万感の想いが込められていたことは、傍目で見ているロキにも感じ取れた。あまり表情を変える事が無いアイズがふわりとした笑みを浮かべていた。それは道端に咲いた小さな花が綻ぶような可憐な笑顔だった。

 

 セフィロスは『ああ』とややぶっきらぼうに頷いた。しかし口元には笑みを浮かべている。変な所で不器用なやっちゃなぁ、と思いつつ、ロキは二人の会話に興味深々で耳を欹てた。よく周囲を見渡すと食堂にいる他の団員もこっそり耳を傾けていた。

 

 アイズは朝食にもそもそと手をつけながら、ちらちらとセフィロスに目を向けている。何かしゃべらなきゃ、と思いながらも、距離感を図りきれず、何を話題にすればいいか迷っている様子だった。セフィロスもそれを察している様子だったが……いや、察しているからこそ自分から話しかけることはしない。アイズが自分から言葉を搾り出して発するのをじっと待っている。ロキはその行動に〝ナイス!〟と内心で親指を立てると同時に、アイズに向けて声援をひそかに送った。

 

 アイズはもごもごと口を動かしてから、朝食を食べながら思いついた無難な話題を言葉にした。

 

『あの、セフィロスは……何か好きな食べ物とか、ある?』

『そうだな。これといっては特にない。旅をしている間は食べ物の選り好みはしていられなかったしな』

 

 それからセフィロスはアイズに尋ねた。

 

『アイズは、何が好きなんだ?』

『うーん……じゃが丸くん、かな。小豆クリーム味が、好き』

 

 ジャガ丸くんとは潰した芋に調味料と、それぞれのトッピングを加えた料理のことだ。街に出れば露天などでも売っている定番のおやつメニューだった。

 

『そうか、小豆クリーム味は食べた事がないな』

『そうなんだ……じゃあ、今度、食べに行こ?』

 

 アイズたんが遊びの誘いをしたやとぉ!? ていうか……なんや、この初々しい会話は?

 

 背中がむずがゆくなってくる。

 

 と、悶えていたロキの視界に、ふと映るものがあった。

 

 並んで座るセフィロスとアイズの二人の後ろ、テーブルを四つほど隔てた壁際にいつの間にか立っていたエルフの麗人。

 

 それに気づいた瞬間、ロキは内心で『ヒィ!?』っと悲鳴を上げた。声に出なかったのは幸いだった。

 

 リヴェリアが……。

 

 表情の抜け落ちたリヴェリアが、セフィロスとアイズの様子をジッと眺めていた。

 

 正確に言うと今にも触れ合いそうなほどに近づいているお互いの肩の辺りの空間を、ジッと、眺めている。

 

 アカン! あれアカンって!?

 

 何がアカンのか自分でもよく分からないが、とにかくアカンかった。

 

 しかしリヴェリアはハッと表情に色を取り戻すと、慌てたような、悔いるような、怒りやら切なさが色々混じったような表情を浮かべて、迷いを振り切るように頭を振った。

 

 それから二人の傍に近づく。

 

『おはよう二人とも』

 

 そう挨拶するリヴェリアに、二人も「おはよう」と返した。リヴェリアはアイズとは反対側のセフィロスの隣の席に座ろうとして……やや考えてから、なぜかアイズの隣に席を落ち着けた。セフィロスとリヴェリアでアイズを挟むような形で、朝食をとり始めた。

 

 ……え、どゆこと? 

 

 と、戦々恐々とした面持ちで見つめる。リヴェリアの意図がよく分からなかった。

 

 朝食を食べながら話題を重ねる三人。リヴェリアが話題を振って、セフィロスが答え、時々アイズが合いの手を入れている。リヴェリア相手ならアイズも言いよどむ事や、遠慮は無いため、うまく会話のバトンをセフィロスに受け渡し、そこから更にアイズに繋いでいる。時折アイズが自分から話題を振り、それに二人が答える。

 

『どうしたアイズ、ニコニコして?』

『……べつに、なんでもない』

 

 ……いや、本当になんやろうなアレ?

 

 いつもの自分なら適当にセクハラを挟みつつ、そろそろ声をかけるのだが、なんだか今のあの三人に声をかける事は出来なかった。すごく茶々を入れづらい。

 

 ふと、視界の端に目を引く人影がもう一つあった。

 

 銀髪の髪からぴょこんと飛び出た獣の耳。狼人(ウェアウルフ)のベートである。 

 

 元々鋭い双眸を更に鋭く尖らせ、歯を向き出しにして三人を……より正確に言うなら、先ほどのリヴェリアと同じく、アイズとセフィロスのお互いの肩の間に空いたわずかな空間を睨み付けている。

 

 ロキもベートがアイズに懸想しているのは知っているため、それをにんまりと意地の悪い笑みで眺めた。

 

 セフィロスとアイズが食事のため肩を動かし、こすれるようにお互いの肩が触れ合うたびに『あ』『クッ』『チィッ』と小さく唸っている。

 

 ……あ、こっちはなんかメッチャおもろい。いいぞもっとやれ。

 

 その後、寝坊したティオナと叩き起こしたティオネの二人が騒々しくその輪の中に乱入した事によって、更に騒がしい空気になったがそれは置いておこう。

 

 その後、遠征に向かうメンバーを送り出す時に、なぜセフィロスはついて来ないのかと、アイズがフィンに詰め寄り、ティオナが普段快活な彼女らしくないおどおどした様子でセフィロス本人に理由を聞きに行く一場面もあったが、理由を説明すると納得してくれた様子だった。

 

 なにせセフィロスにはやることが山ほどある。

 

 まずは冒険者ギルドへの、オラリオ帰還の正式な報告だ。五年前、セフィロスがオラリオを離れるに辺り、対外的にはギルドからの任務で諸外国でのモンスター討伐に出た事になっている。本来神の恩恵(ファルナ)を得た眷属はオラリオから出る事ができない。戦力の流出を防ぐためなのだが、迷宮都市最強クラスの冒険者であるセフィロスがオラリオの市壁を潜り抜けるには、殊更多くの外交的な事情が絡んできた。そのためにいくつもの書類が用意されたし、いくつもの複雑な手続きを経た。

 

 だからこそ帰還に際しても、多くの手続きが必要となるのだ。

 

 更に、報告書という名の分厚いレポートを提出せねばならない。セフィロスが外の世界で行った活動を詳細に書き記し、更にオラリオにとって有益となる情報もそこに明記する必要がある。さすがにこちらは一両日中には不可能なので、一定の期間を定められその中で提出という形になるだろう。

 

 ここまでが事務手続き。

 

 加えて、五年前の事件の際に、ロキ・ファミリアとセフィロスのために骨を折って動いてくれた方達への挨拶回りが加えられる。こちらは事務手続きと違って、必須なものではなかったが、だからこそ欠いてはならない行いだ。義理や人情といった話だけでなく打算的なものも含まれるが、他の派閥などとの横のつながりを維持するためには欠いてはならない礼儀がある。

 

 これらを蔑ろにしてダンジョン遠征について行く事はファミリアとしても、セフィロス本人としても許容できないことだ。理屈と感情的な理由を理路整然と並べられては遠征に赴くファミリアのメンバーもそういうものかと納得するほか無かった。

 

 こうしてロキ・ファミリアの主要メンバーは遠征に出発したのだった。

 

 その後、正式な帰還報告ということなので、ロキもファミリアの主神としてセフィロスに着いてギルドに行った。受付を通し、事実上ギルドのトップであるロイマン・マルディールに面晤した。

 

 このロイマンという男、一般的に謹厳実直とされるエルフの一族でありながら、金にあかして豪遊しているため、肥え太った体躯をしている。それに加えギルドの財布の紐の締め具合の強さとのギャップが彼の評価を更に地に落とすことになった。なにせ新米冒険者にギルドから支給される武器がナイフ一本だというのだから、ここまで行くと失笑ものである。

 

 そんなロイマンだからこそオラリオ中のエルフからは『ギルドの豚』と強烈に唾棄されていた。

 

 ロイマンの執務室に通され、セフィロスの行った任務の成果について、ギルドとしての正式な謝辞……というかおべっかを、大仰な身振り手振りを交えて汗を振りまきながら散々まくし立てられた。五年前の事件ではギルドに助けられた面もあるので、しばらくの間黙って聞いていたロキだったが、いよいよ我慢が限界に近づくと「もう、そういうのはええから」と無理やり話の腰をぶった切った。そもそも神に嘘はつけないので、ロキからすれば形骸的な美辞麗句をいくら並べられたところで心には全く持って響かないのだ。

 

 ここまででほぼ丸一日時間を取られた。元々退屈を何より嫌う神の気質が強いロキはこの時点でげんなりしていた。最後のとどめとばかりに、七面倒な書類を大量に渡された瞬間、それら全てを窓の外に放り投げたくなる衝動に駆られたが、セフィロスになだめられ何とか我慢したロキだった。

 

 去り際にセフィロスの昇格(ランクアップ)の申請を素早く済ませ、何か言われる前にさっさと逃げ出したのは、タイミングとしては悪く無かったと思う。

 Lv.9の文字を見て、絶句というか、目をまん丸に見開いていたギルドの職員達の顔はしばらく忘れないだろう。無論自分にとっては良いほうの意味で。

 

 次の日、その次の日と、書類を書く傍ら、セフィロスはロキの神友(しんゆう)などへ挨拶回りをしていた。その中でも時間を取り、遠征メンバーから外れ留守番をしているファミリアのメンバー達と交友を深め、時に希望があれば鍛錬をつけていたりなど、それなりに忙しい時間を過ごしていた。

 

 ロキに今日の予定を尋ねられた、セフィロスは考えを巡らせるように顎に手を当てた。

 

「そうだな、挨拶回りもほとんど終わったしな。今日はまずゴブニュを尋ねようと思う」

「ゴブニュか、あんたの武器もあいつの作やったな」

 

 【ゴブニュ・ファミリア】は武器や防具などの製作を行う鍛冶の派閥である。勢力こそ業界最大手の【ヘファイストス・ファミリア】に劣るものの、生み出される武器の性能は一級品であり、ロキ・ファミリアにもファンが多い〝ブランド〟である。そしてセフィロスの愛刀である『正宗』は主神であるゴブニュ自らが槌を振り、鍛えた武器である。

 

 ゴブニュと聞いて、ロキは思いだしたことがあった。

 

「ついでに武器を研ぎに出しといてくれるか。もう誰も使ってない武器なんやけどたまには最低限の手入れはしとこ思ってな」

 

 分かった、と頷くセフィロス。

 

 

 

 

 

 その後、出かける間際、ロキから渡された剣を見て、セフィロスは「これは……」と柄を撫でた。

 

「懐かしいやろ? 自分がウチのファミリアに来た時に持ってきた剣やで」

 

 ロキの言うとおり、その剣はセフィロスがロキ・ファミリアの入団試験の時に持参して来た剣だった。一振り30万ヴァリスもしない安物の剣である。

 

「そうだな。たしか入団試験に受かった後しばらく使っていたが、すぐに耐久の限界がきてな、倉庫に放り投げたままだった」

「この間、リヴェリアが偶然見つけてきてな。一応自分の武器なんやからセフィロスが帰ってきたら自分で研ぎに出させろ言うててな」

「そうするとしよう」

 

 そう言ってセフィロスは、外に出るときは必ず羽織るようにしているローブを身に纏った。頭まですっぽり覆えるタイプのもので、何かと顔が売れているセフィロスにとっては重宝するものだった。

 

 マントの上から背中に、渡された剣を背負う。

 

「では行ってくる」

「気いつけてな~」

 

 ロキに見送られセフィロスは『黄昏の館』を後にした。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 街頭に一人の少女がいた。

 

 頭まで覆うローブを身にまとっており、子供と見まごう程にずいぶん短躯であるが、出るところは出た女性的な体つきであり、フードの奥に覗く顔立ちは整っている。その少女は身長の半分くらいある巨大なリュックを背負っている。中身も詰まっているようで、雪ダルマの胴体のようにパンパンに膨れ上がっていた。しかしそれだけ大きな荷物を抱えているというのに、少女の足取りは軽かった。背筋を伸ばしたまま街中をすいすいとあるいており、まるで荷物の重さを感じていないようだった。

 

 少女の目は、獲物を物色するように道を行き交う人々を眺めている。

 

 一人の冒険者が、少女の目に止まった。

 

 頭から全身をすっぽりとローブで覆い隠している。これだけなら妖しいだけだが、背中には剣を背負っているため、冒険者なのだろう。

 

 冒険者のグレードは武器で判別できる。

 

 弱すぎる武器では冒険者の力にそもそもついていけず、逆に強すぎる武器は冒険者の成長を阻害してしまう。高い武器を無理に買い求めようとしても、同じファミリアのメンバーに顰蹙を買ったり、止められるのが常だ。

 

 見た所、ローブの冒険者が背負っている剣は25万から40万といった所だろう。命を預ける武器としては安物だが、それがそのまま、あの冒険者の力量なのだろう。

 

 しかし背負っているのは安物の剣だが、身に纏っているローブは結構な高級品である。

 

 金はある様子だが武器は安物。

 

 とくれば、どこぞかのボンボンが興味半分で冒険者の真似事でもしているのかもしれない。

 

 ……本当に、虫唾が走る。

 

 彼女にとって冒険者は唾棄すべき存在だった。

 

 傲慢で、厚かましく、自分のような〝サポーター〟の事など、体の良い奴隷のようにしか思っていないのだ。

 

 だからこそ、常日頃から搾取されてばかりの自分だからこそ……盗られた物を盗り返しても良いだろう。

 

 そうだ、そうだ。

 

 そうだ……今度のカモは、あの冒険者様にしよう。

 

 その少女は、深い憎悪と悲観でドロドロに濁った瞳をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 








 魔法の詠唱文については『タクティクス』のものを使用させてもらっています。

 あと一応明言しますと、ベルの見せ場を奪うだけの展開にはしません。

















目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話【懐かしのオラリオ】 中編

 ずいぶんお待たせしてしまって申し訳ありませんでした















 

 

 華やかなメインストリートから外れ、薄暗い路地を奥へ奥へと進む。

 

 埃っぽいせいか澱んだ湿気が満ちており、肌にじっとりと纏わりつくような不快な空気が蔓延っている。道の両端に屹立する小高い建物に、青空が細々とした小川のように切り抜かれており、それが返って閉塞感を煽っていた。

 

 砕けた石畳がそのまま放置されているせいで、うっかりすると地面の窪みに足を引っ掛けそうになる。お世辞にも整備されているとは言えない、陽の光が遮られた細く入り組んだ小道を進んでいると、自分が街の雑踏の横を潜り抜けるネズミになったような陰鬱な気分になってくる。

 

 そこは北と北西のメインストリートに挟まれた区画だった。

 

 路地裏深く。石造りの平屋があり、扉の横には三つの槌が刻まれたエンブレムが掲げられている。

 

 鍛冶の派閥である【ゴブニュ・ファミリア】の本拠(ホーム)『三槌の鍛冶場』は、迷宮都市の中でもずいぶん奥まった場所に工房を構えていた。

 

 あるいはそんな知る人ぞ知る隠れ家的な立地条件も、コアなファンを惹きつける要因になっているのかもしれない。

 

 この派閥に所属する職人達の腕は良い。

 

 鍛冶を生業とするファミリアの中でも最大派閥である【ヘファイストス・ファミリア】に比べれば、規模こそずいぶんこじんまりしているものの、生み出される武器の性能は決して引けをとらない。

 

 ここに来るまでに進んできた路地と負けず劣らず、工房の中も薄暗い。しかしそこは鍛冶場らしく焼け付くような熱気と、体の芯まで響くような金属を鍛錬する甲高い打撃音が掻き鳴らされていた。

 

 精悍な男達は諸肌脱ぎで汗をほとばしらせながら槌を振るっている。

 

 火花が弾け、周囲に閃光を巻き散らし、彼等の手によってただの金属塊が、冒険者が命を預ける武器の形へと昇華されていく。

 

「やっと顔を見せたか。四年……いや、もう五年になるか」

 

 そう言った神は老人の外見とはいえ、神らしく非常に整った面立ちをしてた。筋肉質な体躯は、鍛冶神と呼ぶに相応しい精悍さを持ち合わせている。

 

 神、ゴブニュは出来上がった剣の仕上がりを確認しながら、ちらりと横目で目の前に立っている人物に視線を這わせた。

 

 件の人物は全身をすっぽりと覆うローブ姿だった。

 

「驚いたな」

 

 頭を覆っていたフードをするりと剥ぐと艶やかな銀髪に整った顔立ちがあらわれた。

 

「万代不易の時を重ねる神々にとって一年単位の歳月などは、夜ごとに飲み干したエールの杯を思いだすような曖昧なものだと聞いていたが、ぴたりと当てられたな」

 

 むしろそろそろ俺の顔すら忘れられているのではないかと心配していた、とわずかな稚気を滲ませながらしゃべるセフィロス。

 

 それに対してゴブニュはくだらない事を言うなとばかりに鼻を鳴らした。

 

「神とは言え俺のような職人にとっては歳月を区切るための納期という目盛りがある。一年と十年の区別もつかないような時間の使い方はしてはおらん」

 

 ぶっきらぼうに口を開くゴブニュに、セフィロスは「そうか、それはすまなかった」と笑いながら返した。

 

「久しぶりだなゴブニュ。ずいぶん間を空けてしまったか?」

「それこそ余計な考えだ。なにせこちらは〝万代不易の時を重ねる神々〟とやら、らしいからな」

 

 朴訥な表情を崩さない彼には珍しく、小さく笑っていた。

 

「ほう、普段は寡黙なあなたが冗談を口にするとは珍しいな」

「ただの気まぐれだ……見せてみろ」

 

 ゴブニュの言葉の意味することを察したセフィロスは腰に佩いていた刀を差出した。

 

 鞘と柄を合わせても1(メドル)にさえ満たない。むしろ柄が一般的な太刀に比べずいぶん長く、鞘と柄がほぼ同じくらいの長さであった。鍔は装飾の無い四角形で、握り手には縁金から柄頭にかけて菱形が連なるような形に、青紫色の柄糸が巻かれている。

 

 ゴブニュは柄に手をかけ、すらりと刀を引き抜く。

 

 すると鞘に納まるだけの長さを優に超える刀身が姿を現した。刃渡りだけで2(メドル)を超える超長刀。希少な素材をセフィロスがダンジョンで集め、『神の力(アルカナム)』を封印している鍛冶神であるゴブニュ自身が、唯一地上で発揮できる鍛冶師としての技術を全て注ぎ込んで鍛え上げた名刀『正宗』である。

 

 美しくも妖しく輝く銀色の刃の中にゴブニュの顔が映りこむ。

 

「正宗……こんな無茶な注文をしてきたのは後にも先にもお前だけだ。本当にお前等、ロキ・ファミリアは鍛冶師泣かせだな」

 

 オラリオに置いて極東の武器である刀がそもそも珍しいのに、多種多様な武器の製造を引き受けるゴブニュ・ファミリアの歴史においても、本来の規格を遥かに超える馬鹿げた長刀を注文してきたのはセフィロスただ一人である。

 

 鞘は柄と同じ青紫色。鞘の外装こそゴブニュ・ファミリアで鍛造された物だが、内側には『神秘』によって生み出された特殊なアイテムが貼り合わされている。『神秘』とは発展アビリティの一つであり、迷宮都市オラリオにおいても保有者が五人といないレアアビリティだ。その効果は神の十八番である『奇跡』を発動するというものである。『奇跡』の形は様々であり、生み出される秘薬や道具(アイテム)も多岐に渡る。ダンジョンで重宝する状態異常回復の魔薬やインクいらずの羽根ペンなどの日用雑貨、中には永遠の命を発現させる『賢者の石』と呼ばれる伝説の道具(アイテム)の精製も『神秘』を極めた先に到達できるかもしれないと云われる極致である。

 

 正宗の鞘に用いられた『神秘』は元々は『空間収納』と呼ばれる道具(アイテム)だ。見た目はなめし革の巾着のような袋であり、中の空間を折りたたむ事によって容量以上の物を収納できるという道具(アイテム)だ。これに特殊な加工を施し、鞘の内側に張る事によって規格外の長刀である正宗の刀身を実際より短い鞘の尺で収め、普段から帯刀しやすくしていた。

 

 ゴブニュは鞘を机の上に置き、指を這わせながら刀身をじっくりと眺める。

 

「普段からしっかり最低限の手入れはしていたようだな。特に問題はない。それにお前のスキル、【剣聖(ブレイドマスター)】だったか? それのおかげもあるだろう」

 

 本来スキルとは他人に秘匿するべきものであるが、かつてセフィロスが正宗をオーダーメイドする際に、伝えなければいけない情報としてゴブニュにスキルの詳細を明かしていた。武器とはダンジョンに限らず戦場において命をあずける相棒である。自身の力を十全に発揮し、自身も武器の力を十全に引き出してこそ、己を超える敵に打ち勝つ光明を見出すことが出来る。だからこそ武器を拵えるに当たって、その武器の性質を変異させる『剣聖(ブレイドマスター)』というスキルの委細を伝えることは必要不可欠なことだった。無論、己の仕事に高い誇りと責任を持ち、愚直なまでに口が堅いゴブニュだからこそ明かした秘密でもある。

 

 セフィロスのスキル、【剣聖(ブレイドマスター)】 その効果の一つに装備している武器が剣に属する場合に限り【不壊属性】と同等の効果を付与する、というものがある。

 

 不壊属性(デュランダル)とは字のごとく、決して壊れない特殊武器(スペリオルズ)のことだ。とはいえ、それが完璧かというとそうではない。壊れない事と引き換えに武器としての性能の要である攻撃力はやや落ちることになり、刀身に無茶な負荷を重ねれば刃は劣化し、切れ味や威力が低下するという弱点もあった。

 

 しかしセフィロスのスキルによって後付けされる【不壊属性】の場合、少しばかり事情が異なる。

 

 まず、武器としての攻撃力の低下が無い。

 

 後付けの【不壊属性】だからこそ、すでに武器として完成されている鋭い切れ味と強力な攻撃力を持つ正宗の性能は、損なわれること無く保たれていた。これが神の恩恵(ファルナ)というシステムの隙間に浮き出たバグと捉えるか、思いもかけない副次効果と捉えるかは人それぞれ、神それぞれだろう。

 

 【不壊属性】の特殊武器(スペリオルズ)はその特性のため、手入れが困難である。なにせ刃を研ぐという整備でさえ、決して欠けることすら無いという【不壊属性】の性質に反するのだ。とは言え、無茶をすれば刃の劣化は起こるため、【不壊属性】の武器は本来特別な職人の手によってしか行えない。

 

 しかし刃の特性を十分に理解しており、斬るという行為はもちろん衝撃を受け流す技術を極めたセフィロスが振るう正宗には、刃が劣化するほどの過度な負荷が掛かる事は無かった。

 

 剣を〝装備〟している場合にのみ【剣聖(ブレイドマスター)】は発動する。最低限の手入れなら特別な職人の手は必要なく、普通の武器と同じく自分自身で行えるため、この五年もの間正宗はセフィロスの唯一無二の相棒として共に戦場を駆け抜けてこれたのだった。

 

「Lv.9になったそうだな」

 

 ゴブニュは正宗を観察し続けたまま呟いた。

 

「知っていたか。てっきり世情には関心が薄いと思っていたが」

「興味が無いとは言わんよ。最も、どこぞの神々のように騒ぎわめき散らすような痴態は晒さんがな」

 

 どこぞの神々とやらの姿に心辺りがありすぎるセフィロスは「まあ、想像は出来ないな」と苦笑を返すのみだった。秀麗な顔の造形を、下品に歪めながらゲラゲラと腹を抱えて笑う神の姿など、オラリオにおいては街角の郵便ポストと同じくらい有り触れた光景だ。しかし目の前の峻厳な鍛冶神がそれ等の神物(じんぶつ)と同じように笑い転げている姿など想像できない。

 

「団員達が噂していた。お前のオラリオ帰還と昇格(ランクアップ)のことはな」

 

 そう言うとゴブニュは正宗を鞘に戻し、セフィロスに差し出した。

 

「差し当たっての整備は必要ない。とは言え、お前にせよロキ・ファミリアのメンバーは何かと無茶をしたがる連中ばかりだ。武器に関して問題があればすぐに来い」

「ああ、礼を言う」

「必要ない。これが俺達の仕事だ」

 

 セフィロスは正宗を腰に佩くと、今度は背中に背負っていた剣を差し出した。

 

「ついでと言ってはなんだが、これの整備を頼めるか?」

 

 ゴブニュは剣を受け取り、まじまじと見つめるが何の変哲もないロングソードである。剣士として超一流の域に達したセフィロスが持ってきた武器としては、言っては何だが三流品である。

 

「なんだこの剣は?」

「俺が昔使っていた剣だ。所謂思い出の品だ」

 

 ゴブニュは剣を引き抜く。そこかしこに刃こぼれがあり、剣そのものが歪んでいる。耐久限界は超えており、錆びも浮かんでいる。鍛冶の神としては少しばかりの怒りさえ覚える武器の状態である。

 

 じろりとセフィロスを睨みつけるが、当の本人は涼しい顔をしたままだった。

 

「ずいぶんぞんざいに扱われている思い出だな」

「思い出の形のまま倉庫の奥に大切に保管していたからな」

「ぬかせ。そうだな、二週間後に取りに来い。大切な思い出とやらは新品同然に鍛え直してやる」

「頼んだ。では俺も生まれ変わったつもりで己を鍛え直すとしよう」

 

 これ以上鍛える気か、と零すゴブニュを背に立ち去ろうとするセフィロス。

 

「セフィロス」

 

 ゴブニュに呼び止められ、セフィロスは振り向いた。

 

「武器は己を映す鏡だ。昔のお前がこの己の限界さえ超えて極限まで酷使された刃なら、今のお前はその正宗の刃に何を映す?」

 

 鍛冶神からの意味深な問いかけに、セフィロスはしばらく考えてからこう答えた。

 

「さあな。まあ、何でもよく映るように今は磨き上げる事に専念するさ」

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 リリルカ・アーデ。

 

 それが少女の名前だった。

 

 種族は小人族(パルゥム)で年は十五歳。【ソーマ・ファミリア】に所属するサポーターである。

 

 サポーターとは文字通り冒険者のサポートをすることが仕事である。荷物持ちであり雑用係でもあるが、ダンジョンにおいては冒険者が冒険に専念するために意外に重宝する役割だ。ドロップした魔石の回収はもちろんのこと、冒険者がモンスターとの戦いに傾注できるように動きを阻害する余計な荷物を引き受け、予備の武器や回復薬なども常備して後方支援に徹するのである。

 

 戦術的にはもちろん遠征などの戦略的な場面で重要なウェイトを占める役割である。

 

 しかしサポーターの多くは見習い冒険者が勉強のために同じファミリアのメンバーに付き添う場合や、冒険者としてダンジョンを攻略するには実力が足りずドロップアウトした者が結果的に落ち着いてしまう役柄のため、多くの冒険者から見下され、不当な扱いを受けることが多くある。

 

 リリルカもそんなサポーターの一人だった。

 

 いや、リリルカの場合は特に酷い扱いを受ける者の一人だった。

 

 リリルカの両親は共に【ソーマ・ファミリア】に所属する冒険者だった。つまりリリルカはこの世に生まれ落ちたその瞬間から【ソーマ・ファミリア】の団員となった。それが己を縛る鎖であることにリリルカは物心ついた頃にはすでに気づいてしまった。

 

 両親はリリルカに対して、親愛の情を見せた事は無かった。

 

 告げる事はただ一つ。

 

 金を稼いで来い、だ。

 

 【ソーマ・ファミリア】には、ある悪病が蔓延していた。その病は人の心を醜く歪め、理性の箍を破壊してしまう。他人を蹴落とし、利用することも厭わず、心を満たすのは利己的欲求を満たす願望のみ。この病によって生み出されたのはファミリアという名前でさえ滑稽な皮肉に聞こえる団員達の不和であり、団員同士による血生臭さすら漂う暴虐である。

 

 病の正体は『神酒(ソーマ)

 

 主神の名を冠する天上の美酒である。

 

 市場に出回っている失敗作でさえ60000ヴァリスと高額であり、完成品が流通しているのはファミリア内のみ。それも普通の手段ではない。元々、完成品の『神酒(ソーマ)』は主神であるほうのソーマが己の趣味である酒造の資金集めのために団員達を奮起させるエサとして用いた事が全ての発端であった。

 

 『神酒(ソーマ)』は下界の子供達が口にするにはあまりに美味過ぎた。いや、もはやそれは美味いなどという言葉すら卑俗に貶めてしまう極上の美酒だった。

 

 心を侵し、精神そのものを塗りつぶすような、陶酔感は『神酒(ソーマ)』に対する強烈な依存症状を引き起こした。

 

 もっと、もっと、と『神酒(ソーマ)』を求める団員達。

 

 ファミリア内には上納金のノルマが決められ、成績上位者のみ『神酒(ソーマ)』が与えられるようになったことで、おぞましいまでにファミリアの団員達は金に執着するようになった。

 

 リリルカの両親もそんな団員達の中におり、そしてリリルカ自身もそうだった。

 

 両親は稼ぎを求めるあまり自分達の力量を超える階層に挑んでモンスターに殺された。リリルカも一度口にした『神酒(ソーマ)』の虜になり、他の冒険者に混じって金を稼ぐ日々。

 

 しかし生来冒険者としての才能に恵まれなかったため、サポーターへの転身を余儀なくされた。

 

 しかし、そこからが本当の地獄だった。

 

 サポーターは冒険者のおこぼれで金を稼ぐ寄生虫。

 

 それが【ソーマ・ファミリア】の冒険者にとってのサポーターに対する考え方だった。

 

 魔石をくすねた、金をちょろまかした、そんな言い掛かりをかけられ報酬をもらえないことなど日常茶飯事であった。

 

 いつしか『神酒(ソーマ)』の酔いは冷めていた。

 

 正気を取り戻したからこそ、よりこの地獄を鮮明に見渡す事が出来た。

 

 世界は常に自分を虐げていた。

 

 世界は変わらず自分を苦しめていた。

 

 殴られ。

 

 蹴られ。

 

 罵声を浴びせられ。

 

 苦しめられ。

 

 狂わされ。

 

 恨み、恨まれ。

 

 妬み、妬まれ。

 

 憎み、憎しみ。

 

 この世は、地獄だった。

 

 しかし、いつしかリリルカは気づいた。

 

 ……地獄の住人は自分一人である事に。

 

 酒場では冒険者達が楽しそうに杯を打ち鳴らしていた。おいしそうな料理に舌鼓を打ち、仲間達と談笑を交し合っている。

 

 街角ではカップルが腕を組み、楽しそうにその日の予定を話し合っている。服飾店でたくさんの服に目移りしながらあれも欲しいこれも良いと、購入するかも分からない服を物色していた。

 通りを幼い子供達が走っていた。手には木で出来たおもちゃの剣をふるって冒険者ごっこに興じていた。頭に木剣が振り下ろされ、その痛みで大声を上げて泣き出した子供を、母親が寄り添い抱きしめながらあやしていた。

 

 広場の片隅では女の子と父親らしき男性が手を繋いで歩きながら、母親が作ってくれる今日の晩御飯について笑顔で語り合っていた。

 

 あの人達の目に映る世界はきっと輝いているのだろう。

 

 自分はきっと幸福の海原の中に、ぽつんと漂う木の切れ端なのだと思い知らされた。どこに行くとも無く波間をゆらゆらと漂っている。少なくともリリルカの目に映る【ソーマ・ファミリア】以外の世界は笑顔に満たされていた。

 

 酒場で酒を煽りながら不幸だ不幸だと嘆く冒険者の傍らには、仲間がいて慰めていた。

 

 泣き喚く子供には両親が寄り添っていた。

 

 自分は一人だ。

 

 泣いても誰も慰めてくれない。

 

 助けてと叫んでも誰も助けてくれない。

 

 苦しいと嘆いても誰も寄り添ってくれない。

 

 だったらもういい。もうたくさんだった。

 

 自分から搾取し続けてきた世界に少しばかり反抗しても罰は当たらないはずだ。

 

 そもそも罰は神様が与えるものだ。

 

 その神様は……主神であるソーマは自分に対して一欠片の興味すらないのだから問題無いだろう。

 

 変わらない世界なら自分の手で変えてやろうと決意した。

 

 リリルカの標的は冒険者だった。

 

 フリーのサポーターとして冒険者のパーティーに潜りこみ、折を見て金目の物を盗んで逃げる。

 

 逃げ切る自信はあったし、身元がバレない自信もあった。

 

 リリルカの変身魔法『シンダー・エラ』は己の外見を偽ることができた。平たく言えば高度な変装だ。時に少年の姿で盗みを働き、時に犬人(シアンスロープ)の姿で盗みを働いた。

 

 冒険者達が気づいた時にはすでに手遅れだ。

 

 盗人である小人族(パルゥム)の少年はどこにもいなかった。

 

 盗人である犬人(シアンスロープ)の姿はどこを探しても影も形も無かった。

 

 それも当然だ。それらは全てリリルカの変装であり、最初からこの世のどこにも存在しない虚構の人物なのだから。

 

 今日も、リリルカは周囲を見回しながら標的にしようとしていた冒険者の姿を探していた。

 

 一目で高級と分かるローブを纏い、安物の剣を背負った冒険者。

 

 追いかけていたはずだが途中で見失ってしまった。

 

 雑踏の中でいつの間にか消えていた。路地裏にでも入ったのだろうか。しかしリリルカはサポーターとしてダンジョンに幾度となく潜る中で、注意力や観察力はそれなりに長けている自身があった。

 

 それなのに見失わないようにと注意を向けていたはずの件の人物は煙のように忽然と消えてしまっていた。

 

 しばらく周囲を彷徨っていたリリルカの目に――いた。あの冒険者だ。

 

 全身をローブで覆い隠している。背中に背負っていた安物の剣は無くなっていた。道具屋にでも売り払ったのか、それとも研ぎにでも出したのか。理由は分からないが、あんな安物の剣には最初から盗みの食指は動いていない。

 

 とりあえずあのローブは見た所売却価格でも200000ヴァリスはかたいはずだ。少なくともあのローブは剥ぎ盗ってやろうではないか。

 

 妖しくほくそ笑みながら、リリルカは自分の姿を一度確認した。

 

 人間の子供のような短躯は変わらないが、それなりに出ていた胸は跡形もなく引っ込んでいる。

 

 大丈夫だ。

 

 今の自分はどう見ても小人族(パルゥム)の少年だ。

 

 リリルカはローブの冒険者に近づいた。

 

「そこのお方、ちょっとよろしいでしょうか」

 

 声をかけるとローブの冒険者が振り向いた。

 

 フードの奥から覗く双眸がリリルカに向けられる。不思議な瞳だった。瞳孔が猫のように縦に細長いが、光彩は不思議な色合いで揺らめいている。一瞬気圧されたリリルカだったが、すぐに気を取り直してその冒険者にその言葉を告げた。

 

「初めまして。突然ですが、どうか〝僕〟のお願いを聞き届けてはもらえないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 ……もし。

 もし、時間を巻き戻せる術があるならば、数時間前に戻ってあの時の自分をぶん殴ってでも止めたことだろう。

 よせ、馬鹿、やめろ! とあらん限りの静止の言葉を浴びせていたはずだ。

 

 

 

 

 

 今現在。

 

 剥ぎ盗ろうと決意していた冒険者のローブを手中にした……してしまったリリルカの目の前で、二人の男が対峙していた。

 

 片方は筋骨隆々の大男だった。錆色の短髪に猪の耳。鋭い眼光に引き締まった口元は無骨な男の雰囲気を殊更に強調していた。

 

 ――男の名はオッタル。フレイヤ・ファミリア所属の冒険者で二つ名は『猛者(おうじゃ)

 

 片方は細身に見えるが胸部が開けたロングコートから覗く身躯は鋼のように鍛え上げられていた。特徴的な長い銀髪に涼やかな相貌の美丈夫。

 

 ――男の名はセフィロス。ロキ・ファミリア所属の冒険者で二つ名は『片翼の天使』

 

 ……そしてリリがターゲットに選んだ……選んでしまった冒険者の正体でもあった。

 

 二人は対峙していた。

 

 しかもただ睨み合っているわけでは無い。

 

 オッタルは巨大な剣を、セフィロスは恐ろしく長い刀を、対峙するお互いの首筋につきつけ合っている。

 

 なんだこれは、一体どういう状況だ。

 

 リリルカは激しく混乱していた。

 

 両名共に迷宮都市の頂点に君臨する冒険者であり、宿敵同士だとリリルカも聞き及んでいた。かつてこの二人が本気で対決した時はダンジョンの五十一階層の地盤の一部を砕いて崩落させ、五十二階層のある区画を、そこにいたモンスターもろとも破壊しつくしたことで有名である。

 

 そんな大規模破壊を平然と行使できる怪物二人が今にも斬り合いを始めそうな剣呑とした雰囲気で刃をつきつけ合っているのだ。リリルカのすぐ目の前で。

 

 今にも破裂しそうな濃密な殺気と覇気の暴風。遠くで大量の鳥が慌てふためいて空に飛び立っていた。眩暈で立っていることさえ出来ず尻もちをつく。激しい嘔吐感が喉の奥からせり上がってくるのを必死にこらえる。

 

 二人が何事かを口にしているのが遠くで聞こえた。そして精神が限界に達した意識は、ゆっくりと閉ざされていった。霞む視界と思考の中で、リリルカはセフィロスに声をかけてしまった己の迂闊さに怨みつらみを浴びせかけているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 リリ in 爆心地

 すみません、アイズとリヴェリアの描写は次回になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話【懐かしのオラリオ】 後編

 


すみません、お待たせしました






















 その長身の男は、頭頂から足首まで灰色のローブに覆われていた。

 

 フードは深くて幅があるため、頭に被ると余った布地が肩の辺りで折り重なっていた。ローブもゆったりとした余裕のあるつくりになっているため、わずかでも風に晒されると裾がゆらりゆらりとはためいており、男のシルエットはまるで灰色の靄が揺らめいているような、どこか掴み所の無さを感じた。

 

 しかしリリルカの目には、それが警戒心の薄い雛鳥が羽根をばたばたとはためかせ、必死に空を飛ぼうと息巻いているように見えた。無防備で無警戒で脆弱。狩猟者にとっては格好の獲物だ。

 

 男が纏っているローブは、その布地や織りの緻密さはもちろんのこと、鋼のように重い光沢があった。かなりの高級品であり、下手な鎧よりも耐久性に優れた一品であることが容易に見て取れた。

 

 売ったらそれなりの金額になるはずだ。

 

 ――剥ぎ取ってあげますよ。

 

 リリルカは内心ほくそ笑みながら、ローブの冒険者に声をかけた。

 

「初めまして。突然ですが、どうか僕のお願いを聞き届けてはもらえないでしょうか?」

 

 にっこりと人懐っこい笑みを浮かべているリリルカに、ローブの冒険者が振り向いた。

 

 顔半分を覆い隠すように目深に被ったフードの奥から、不思議な光彩を湛えた瞳がリリルカに向けられた。瞳孔は縦に細長く、暗闇の中に浮かぶ猫の瞳のように見えた。

 

 ローブの冒険者が自分の存在を認知したのを確認したリリルカは続いて言葉を発した。

 

「ずばり、あなた様は冒険者様ですよね」

 

 リリルカの問いかけにローブの冒険者は「……そうだ」と一言だけ答えた。

 

 やはりそうか、と確信すると同時に、リリルカは『この冒険者のローブを剥ぎ取る』という目的を達成するための取っ掛かりを掴んだ手ごたえを感じた。

 

 無関係の他人が道端で突然声をかけてきたら、大抵の者は警戒する。だからこそ最初にかける言葉は非常に重要だった。『お願いを聞いて欲しい』などと道をすれ違った赤の他人が無遠慮に突然言ってくればまずは困惑するだろう。だからこそ選んだ言葉だった。これが『ちょっとお話を聞いてくれませんか』や『少しお時間よろしいですか』と、伺いを立ててから相手の返答を待つような第一声では失敗である。一言目で拒絶されるか無視される可能性が高い。

 

 しかしリリルカは相手に思考する隙を与えず続けて『冒険者ですか』と問いかけた。『はい』『いいえ』だけで返せる単純かつ他愛ない言葉だ。相手にこちらの要求を最初に伝え、続く会話のキャッチボールを返させることで、相手に自分と対話させるための下地を作らせることに成功した。

 

 警戒されることには変わりは無い。しかしその中に、あてずっぽうでも適当でも〝冒険者である〟ことを言い当てたことに対して、ほんのわずかでも関心が含まれるなら、取り入るための第一歩として成功であると言えよう。

 

 さて、ここからが問題だ。

 

 まずは〝お願い〟の中身を簡潔に伝えなければならない。

 

「どうか僕を助けてもらえませんか? あなた様の冒険にほんの一時でいいので、サポーターとして同行させてもらいたいのです」

 

「悪いが他を当たってくれ」

 

 ばっさりだった。

 

 まあ問題ない。この対応は織り込み済みである。むしろ荒くれ者が集い、狡賢い小悪党が跋扈する迷宮都市の冒険者として、ここでいきなり食いついてくるようではよほどのお人好しだろう。

 

 ローブの冒険者はリリルカに背を向けると、もう話すことはないと言うように雑踏の向こうへと歩いて行く。リリルカは逃がすものかと、ローブの冒険者を追いかけた。身長が倍以上違う両者の歩幅には大きな差があり、小人族(パルゥム)であるリリルカでは自然と小走りになってしまう。短躯には驚くほど不釣合いな巨大なバックパックが背負われており、しかし一切の重みと負担を感じさせず、リリルカの歩みと共に上下にゆさゆさと揺れていた。

 

「僕の名前はリリルカ・アーデと言います」

 

 自己紹介から始まり、自身の境遇を虚偽を混ぜながら、同情を引くように脚色して語った。

 

 ファミリアの仲間に邪魔者扱いされてパーティーに入れてもらえない。役立たずで肩身が狭いので本拠(ホーム)に居場所が無く、安宿を巡り歩いている事。サポーター一人ではダンジョンに潜ることが困難なため収入が無く、困窮していることをひたすら語った。

 

 しかしローブの冒険者からの返事は無い。

 

 リリの言葉に何の反応を示さないまま、前へ前へと歩いて行く。まるで壁にでも話しかけているみたいだとリリは思った。

 

「哀れなパルゥムを助けると思ってどうか御一助いただきたいのです」

 

 そこでローブの冒険者の足がぴたりと止まった。

 

「あいにくだがしばらくダンジョンに潜る予定はない。繰り返して言うが、他の冒険者を当たってくれ」

 

 それだけを告げ、こちらを一瞥することもなく、ローブの冒険者は再び歩を進めた。

 

 中々付け入る隙を見せてくれない。どう攻めようかと考えを深めていたリリはふとある事に気づいた。

 

 ローブの冒険者を追いかけていたリリの、小走りだった歩みが平素の歩幅に戻っている。

 

 ――ひょっとしてリリの歩くスピードにあわせてくれていたのだろうか。

 

 違う。そんなはずは無い。あれは冒険者なのだ。自分勝手で横柄気ままな冒険者が、卑しいサポーターに対してそんな殊勝なこと考えるはずではないではないか。

 

 リリは自分に何度も言い聞かせた。しかし胸の奥に蟠ったわずかばかりの疑念は取り払うことができなかった。

 

 自分の有用性を語り、サポーターの重要性を語ったが、ローブの冒険者は何を言っても興味を示さなかった。

 

 ここまで取り付く島もないのは初めてだった。

 

 しかしリリに対してまったく無視をしているかというとそうでは無い。

 

 一度リリが転びそうになった時。地面に向かって、つんのめった体をいつの間にかローブの冒険者の腕が支えていた。軽く肩を押され、前倒しになりそうだった体は元に戻った。

 

「あ……ありがとうございます」

「他にサポーターを必要としてる連中はいくらでもいる。何も俺でなくてもいいだろう」

「そんなこと言わずに……あ、今なら、お試しということで報酬はいりませんよ」

 

 無報酬ならためしに、となるパターンが多い。もっともその分は後でごっそり頂くので問題ないのだが。この条件を告げれば、大抵は「じゃあ、まあ使ってやるか」となるのだが、ローブの冒険者は一向に興味を示さないでいた。

 

 ローブの冒険者はギルドに入って行く。

 

 リリもギルドの中まで追いかけていく事はしない。出来ないというのが正しい。盗みを生業にするリリにとって、それを取り締まるギルドに入る事は、自ら虎穴に飛び込む事に等しい。いくら魔法で変装しているとはいえ、取り締まる側のギルドの職員に自らを印象付けるようなマネは極力避けたい。

 

「あー、もう!」

 

 悔しそうに地団太を踏むリリ。

 

 ここまで無視されるとは。

 

 冒険者に声をかけて、サポーターとして無報酬で働かせて欲しいと言って一欠片の興味も持たれないことは初めてだ。

 

 警戒されるならまだしも、興味すら持たれていない。

 

 よっぽど大手のファミリアで、外部からのサポーターを必要としないのだろうか。最もそれならそれでやり方を変えるだけだ。常套手段としては徐々に取り入って、油断させ、隙が出てきたところで金目の物をいただく算段だが、多少強引でも短期勝負に出るべきだろうか。

 

 自分の情報を与えて大手のファミリアを敵に回すことは避けたい。自分の所のソーマ・ファミリアに迷惑をかけようが関係無いが、それによって自分に不利益がかかる事は避けたい。

 

 ローブの冒険者がギルドから出てきた。

 

 まだいたのか、という目で見られたが関係無い。

 

 むしろ「お待ちしてました」と皮肉を込めた言葉を告げ、にっこりと愛想の良い笑みを浮かべた。

 

 ローブの冒険者は何も言わず、リリの横を歩き去る。

 

 

 

 

 

 しかし目的のローブを得る機会は思いの他、唐突に訪れた。

 

 

 それは人通りの少ない路地を進んでいる時のことだ。

 

「……少し持っていてくれるか」

 

 そう言ってローブの冒険者は身に纏っていたローブを脱ぎ捨て、リリに投げ渡した。あれだけ苦労したのにこうもあっさりローブを手にする機会を得た事に拍子抜けするように惚けたリリだった。

 

 意味が分からない。

 

 まるでローブの存在が邪魔だとでも言わんばかりの行動だ。動きが阻害されると何かマズイことでもあるのだろうか、ダンジョンの中でもあるまいし。

 

 しかし。

 

 その冒険者の容姿に、リリは見覚えがあった。 

 

 会った事はないし、実際に見たのもこれが初めてだ。しかしその容姿については伝え聞いていた。英雄譚に語られる今代最強の冒険者。

 

 【片翼の天使】セフィロス・クレシェント。

 

 最大規模の派閥【ロキ・ファミリア】所属にして、迷宮都市オラリオにおいて唯一Lv.9に上り詰めた剣士。

 

 頭の中が真っ白になった。

 

 マズイ人物を標的にしてしまった。いや、マズイどころではない。相手は下手をすれば単身でファミリアを一つ二つ滅ぼしかねない化け物である。Lv.1のリリではどう足掻いても逃げることは不可能であった。

 

「少し下がっていろ」

 

 セフィロスはリリに告げた。その意味する事を、リリはセフィロスの視線を辿って察することが出来た。

 

 男がいた。見上げるような長躯は、鋼のような筋肉の鎧に覆われていた。錆色の短髪に猪の耳。なによりリリを恐れさせたのはその眼光だ。鋭くも猛々しく、近寄るもの全てを威圧するような強者の風格。

 

「……ひッ」

 

 リリは小さく悲鳴を上げた。男のかもし出す雰囲気は、今までリリが相手にしてきた冒険者がまるで赤子に見えるほどすさまじいものだった。

 

「……オッタル」

 

 セフィロスがぽつりと呟いたセリフに、リリは戦慄した。

 

 オッタル。その名はセフィロスと同じく迷宮都市の最強候補として名が上がるもう一人の冒険者である。

 

 【猛者(おうじゃ)】オッタル。

 

 【フレイヤ・ファミリア】所属の冒険者であり……オラリオで語り草になるような殺し合いじみた決闘を繰り広げた男である。

 

 セフィロスとオッタル。

 

 共に何度も殺し合いのような決闘を繰り広げた両雄が……今、目の前で対峙しているという現実がリリの頭を混乱と恐怖に落とし入れた。

 

 仮に。

 

 もし仮にだ。

 

 この二人がこの場で衝突したら……。

 

 そう恐怖せずにはいられないような強烈な気配がリリの目の前でぶつかり合い、高まりあう殺気の衝突点では、死神が手薬煉を引いている姿を幻視した。

 

 ここにいて万が一戦いに巻き込まれでもしたら……殺される……ッ!

 

 しかし足は動かない。混乱と恐怖で足がすくみ、何より物音を立てて怪物二人の意識がわずかでもこちらに向けられるのが恐ろしくてたまらなかった。

 

 慄くリリを他所に、二人は歩み寄り、その距離が数(メドル)まで近づくとぴたりと止まった。最初に口を開いたのはオッタルだった。

 

「……奇遇だな」

「ああ。お前は、見た所ダンジョン帰り……それも長期間潜っていたな。フレイヤの傍を離れたがらないお前が珍しい事もあるものだ」

 

 セフィロスはオッタルが背負っている皮袋を見ながら言葉を重ねた。女神フレイヤの腹心中の腹心であるオッタルが、彼女の傍を離れることなど滅多に無い。フレイヤからの命令か、それともやんごとなき事情があって自分の意思で離れたのか。

 

「許可をとってある。フレイヤ様に関してもアレンに任せてきたから問題ない」

 

 アレンとは【フレイヤ・ファミリア】に所属するLv.6の冒険者だ。猫人(キャットピープル)の男性で二つ名は【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】である。

 

「興味があるな。フレイヤに仕える事を第一とするお前が、そうまでしてダンジョンに潜った理由に」

 

 セフィロスの問いかけに、オッタルはぴくりと眉を動かした。

 

「それは興味本位の問いかけか? それとも……」

 

 その瞬間、オッタルは剣を抜いた。刀身と柄のみで構成された無骨な剣。その刃がセフィロスの首元に添えられる。しかしセフィロスに焦りはない。射抜くような視線はオッタルに真っ直ぐ向けられている。

 

「対立するファミリアの一団員としての間諜の真似事か?」

「…………それならば、どうする?」

 

 しかし、いつ抜いたのか。セフィロスも愛刀をオッタルの首元にひたりと添えていた。

 

 お互いがお互いの首筋に刃をつきつけ合っていた。横溢する殺気と敵意。共に幾多の修羅場を潜り抜けた豪傑同士、そのむき出しの刃のような鋭い闘気は目にこそ見えないが、混じりあい衝突して、空気を軋ませていた。

 

 幾ばくか睨み合っていると、オッタルがフッと口を笑みの形に変えた。それにつられてセフィロスも小さく笑った。

 

「もっとも、お前がそんな狡い真似をするとは思わんがな」

「分かっているなら、くだらんことを聞くな」

 

 口調を和らげた二人はお互いの獲物を相手の首元から除けた。オッタルは剣を肩に担ぎ、セフィロスは納刀する。

 

「だが、安心した」

 

 オッタルがぽつりと零した。牙を見せつけるように獰猛に笑った。

 

 それは先ほど、刀を抜いた時のセフィロスの動きを評しての言葉だった。

 

「もしランクアップに浮かれて己の鍛錬をおろそかにするような愚物に成り下がったのなら、この場で首を刎ねてやろうかと思ったがどうやらその心配はなさそうだな」

 

 仮に今、この二人が衝突しあえば、軍配はオッタルに上がる。

 

 確かにセフィロスはLv.9になり、オッタルより高いランクに到達した。しかし今まで自身の力を超える強者との戦いなど、この二人は数え切れないほど経験してきた。オッタルとセフィロスは互いの手の内を知り尽くしている。いくら速く動こうと、いくら力が強かろうと、連綿と続く攻防の中でわずかでも隙を見せればそこから一気に勝負を決められるだけの地力がこの二人にはある。そして今のセフィロスには大幅に上がった【ステイタス】と引き換えに、自分自身の力を完全に御しきれていないという弱点がある。それが綻びとなり、戦闘の中で致命的な隙を生む事は火を見るよりも明らかである。相手が格下なら問題はない。例え同ランクが相手だとしても膨大な戦闘経験を持つセフィロスなら、戦闘中に己の戦闘スタイルを既存の【ステイタス】に最適化させることをやってのける。しかしセフィロスの手の内を知りつくしたオッタルが相手ではその余裕すら持てない。持たせてもらえない。

 

 オッタルの言葉は決して虚勢でもまやかしでも無い。【ステイタス】の差をひっくり返すだけの戦闘経験がオッタルに、そしてセフィロスにもあるのだ。

 

「俺のランクアップの事も聞いていたか」

「いや。だがお前がオラリオに帰ってきて、剣を合わせた時に確信した。お前の振るう刀の中に息づく鬼の成長をな」

 

 剣を合わせた時。オッタルはセフィロスの潜り抜けてきた修羅場の数を感じ取っていた。鬼気迫る、とでも言うのだろうか。【ステイタス】の更新こそされていなかったが……いや、されていなかったからこそ、かつてのセフィロスより遥かに地力が伸ばされ、強さを増しているのを感じ取った。

 

 オッタルは続けて宣言した。

 

「一ヶ月だ。あと一ケ月で、俺はお前を超える」

 

 オッタルは剣の切っ先をセフィロスに向けた。それは次の勝負の申し込みであり、挑発的な勝利宣言でもあった。

 

 オッタルという男は無意味な嘘はつかず、見栄もはらない。己を偽るような器用な真似は出来ない、良くも悪くも真っ直ぐな男なのだ。そのオッタルが一ヵ月後にはセフィロスを超えると言った。

 

 つまり。

 

「――俺は、お前を倒す」

 

 そう思えるだけの確信と自信を、オッタルは手に入れたのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 ……………………………………いい加減にしろよ、この野郎。

 

 

 

 勘弁してくれよ、この野郎。

 

 そんなに俺が憎いのか、この野郎。

 

 タマ取る気満々じゃないか、この野郎。

 

 そろそろ許してくれよ、この野郎。

 

 勘弁してください、この野郎。

 

 どうしたら回避できるだろうか、この野郎。

 

 ……………………………………。

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 ……………………………………ああああああああ、もう!!! オッタルぅ! お前って奴は!! お前って奴はぁっ!!!??? どうしていつもこう俺をつけ狙うんだ!?

 

 本当に勘弁して欲しい。

 

 今までにもオッタルからの勝負の申し込みはあった。普段から隙あらば「少し手合わせするか」程度の軽い(俺にとっては重い)感じの勝負の誘いを仕掛けてくるオッタルだが、こういった改まった形で勝負の申し込みは、実は数えるほどしか無い。

 

 しかしそういった形で勃発した勝負の場合、それは文字通り死力を尽くした戦いになる。

 

 オッタルの場合【ステイタス】の面で引き離したから勝てるとか、そういう次元では無いのだ。

 

 どれだけ実力を引き離したと思っても、何かぶっ飛んだスキルでも発現しているんじゃないかと思えるほどに、毎度毎度勝負の中で肉薄してくるのがオッタルである。

 

 もはや成長とかそういう次元で無く、戦いの中で進化しているとしか思えない。

 

 今回の場合もおそらく、その勝負の果てにあるのはどちらかが死ぬかどうかの瀬戸際になる可能性が高い。

 

 ……ホント、いい加減にしろよ。俺はのんびりとした人生を送りたいんだよ。

 

 思えばオラリオに帰ってきてから災難続きであった。

 

 アイズとの戦い……は、まあ良い。アイズの生い立ちについては、フィン達からかいつまんで伝え聞いている。俺との戦いの結果、それが良い方向に転んだようだったので、そこは諸手を上げて喜ぼう。

 

 しかし、アイズは良くともリヴェリアはただそう思っているだけではないらしいと思うような出来事があったのは、次の日の朝だった。

 

 ………………………………睨んでる。

 

 めっちゃ睨んでる。

 

 俺が食堂でアイズと共に朝食をとっていると、突き刺すようなすさまじい怒気を感じた。

 

 外の世界で腹の探り合いや化かし合いを数多く経験した中で、殊更に鋭敏になった悪意に対するセンサーがガンガンと警報を鳴らしていた。

 

 一応気配にはそれなりに敏感である。

 

 だからこそ気づいた。気づけてしまった。

 

 背後でリヴェリアが俺を睨みつけていることに……。

 

 背中にバシバシと怒気が叩きつけられる。しかしリヴェリアが俺に向ける感情の中には悲しさのような哀の感情もまぎれているのを感じた。

 

 どういうことだろうと思ったが、その疑問はすぐに氷塊した。

 

 リヴェリアは俺の隣に座ろうとして、考えを改め、アイズの隣の席に腰を下ろしたのだった。 

 

 そして時折、悲しさやら申し訳なさのような感情を向け、俺に対してはこいつどうしたらいいか分からないといった目で見てくる。

 

 娘のように思っているアイズに申し訳なさ。俺に対しては睨みつけてから、コイツどうしてくれようかである。

 

 ……例えるならこれはそう……まるで…………守れずセクハラを受けてしまった娘をかばうような母の構図である。

 

 ……いや。

 

 ……待って。

 

 ……弁解させて。

 

 確かに俺は二十代後半に入り始めた年で、アイズは十六歳である。だからと言って……肩を寄せ合って食事をしたくらいでセクハラってのはちょっと乱暴……いやしかし日本では目が合っただけでセクハラで告訴されるというアクロバットな事件もあったしな。

 

 そもそもだ。

 

 昨日はアイズと勝負して、力ずくで気絶させて、気を失ったアイズを抱きとめて……じ、じつはちょっぴり胸が当たったりとかして………………あ、あれをリヴェリアが見ていたとしたら……ッ。

 

 ――チクショウ、判決有罪!

 

 その後、リヴェリアの視線に耐え抜いたが、正直何を話していたか覚えていない。リヴェリアがアイズの隣に座ったのも、視線で俺の動きを牽制する説が濃厚である。実際の所は不明だが、確かめる勇気は無かった。

 

 

 

 

 

 その後数日はオラリオ帰還に対する事後処理に追われていた。

 

 ギルドでしばらくカンヅメされたせいで半ギレになったロキを宥めたり、書類整理や神々への挨拶周りなんかで時間をとられ自分自身の時間はほぼ残らなかった。

 

 しかしその中でも、ファミリアの後輩達へのスキンシップは忘れなかった。

 

 なにせしばらくオラリオを離れて旅に出ていた放蕩者が突然帰ってきたのだ。ファミリアに貢献しなかったくせに、これで偉そうに先輩面してあれやこれやと口を出そうものなら、陰口の絨毯爆撃確実である。

 

『あいつ偉そうだよねー』

『突然帰ってきて何様って感じ? あ、英雄様か~、それじゃあしょうがないね(嘲笑)」

『家出息子(笑)』

 

 ……こんなこと言われたら俺は泣く。

 

 心の弱い部分にクリティカルヒットすること間違い無しだ。

 

 そんなこんなで俺は時間の許す限りファミリアの後輩達と会話を重ね、時に戦闘訓練を請け負い、コミュニケーションを深める作戦に出た。

 

 結局の所、誰かと仲良くなるには実際に会って会話を重ねるのが一番である。

 

 

 ゴブニュの所では正宗の扱いに関して花丸を貰えたのでヨシとしよう。

 

 ゴブニュは昔から武器の事に相談を乗ってもらったり、良くも悪くも裏表が無く取り繕ったり飾らない性格なので付き合いやすかった。いつの間にか神相手だというのに敬語が抜けていた。波長が合った、というのが一番的確な表現だろう。

 

 その後、男の子に会った。

 

 パルゥムの男の子だ。サポーターはいりませんか? と言われたが俺には必要ない。無料でも良いと言ってくれたが、それこそ俺以外の者と組むべきだろう。サポーターの手を借りたい者などたくさんいるのだ。

 

 嘆かわしいことに冒険者の一部ではサポーターのことを卑下する者もいるが、その認識は正しく無い。サポーターがいるといないとではダンジョン攻略の効率が全然違うのだ。荷物を持ってもらえる、という一点だけ取ってもとても助かる。

 

 ……もっとも俺が前にちょっとサポーターとしてダンジョンに潜ってくれないか、と同じファミリアの仲間に頼んだときの返答はおおむね「勘弁してください」や「俺には無理です」だった。

 

 うん……なんか…………ゴメンね。

 

 それにこのパルゥムの男の子から、なんというか嫌な気配を感じるというのも大きかった。このオラリオは場所によってはどこぞのスラム以上に治安が悪い。

 

 心根は悪い子には見えないが、色々事情があるのかもしれない。

 

 ……しかし、そんな所にヤツが現れた。

 

 

 

 平穏を脅かす悪魔――オッタルである。

 

 

 酒の約束を取り付けておけば、次にいきなり勝負を挑んでくることはないだろうと思っていた俺が馬鹿だった。

 

 しかもあの野郎、こっちが拒絶の言葉を発する前に、極彩色の魔石をこちらに投げてきて「そういえばダンジョンで不吉なものを感じた」などと抜かし始めた。

 

 お前こそが不吉の象徴だよ? と言いかけたが、話の内容がフィン達、遠征に出ているメンバーに関わる事案となれば耳を傾けないわけにはいかなかった。

 

 そしてオッタルは言う事言ったらすぐさま「この件はフレイヤ様にも報告せねば」と言って飛び立ってしまった。

 

 勝負を断る隙を与えずに。

 

 それも今回に限れば、フィン達に降りかかる危険を事前に知らせてくれたのだ。

 

 ……恩が生まれてしまった以上、断るのは難しくなってしまった。

 

 

 そういえば、いつの間にかローブを投げ渡した男の子が消えてしまっていた。

 

 何となく察しはつく。

 

 ――ゴメンね! 怖かったよね俺達!?

 

 あの子の事を忘れてオッタルと睨みあってしまった。殺気とかバシバシ飛ばし合ってたから逃げるのもしょうがないことだろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 迷宮都市の中央に屹立する塔、バベルの地下一階にダンジョンへの入り口がぽかりと開いている、直径十(メドル)ほどの大きな穴で、円周に沿うように階段が螺旋を描いている。

 

 オラリオの地下に広がるダンジョンは深い階層になるほど、一層ごとの面積が増える特徴がある。

 

 五階層で中央広場と同じほどの広さであり、それが四十階層ほどの深層ともなれば、その面積は迷宮都市オラリオ全土に匹敵するほどの規模の大空間となる。

 

 ダンジョンに遠征に訪れていた【ロキ・ファミリア】の一団は現在、四十四階層を進んでいた。岩肌は燃えるような朱色で、彼等の歩みを邪魔するようにいくつもの巨大な岩がそこかしこにごろごろと転がっている。壁面は炭化したように黒ずんでいて、稲妻のようなひび割れがそこかしこに刻まれていた。亀裂の合間から赤い光が胎動するように明滅していた。その光は太陽の日差しのような朗らかなものとは縁遠く、むしろ生物の内臓を覗きこんでいるような薄気味悪ささえあった。

 

「……リヴェリアはなに落ち込んでいるの?」

「さあ?」

 

 ティオネとティオナが囁き合っている目の前では副団長のリヴェリア・リヨス・アールヴが歩いていた。

 

 凛とした姿は親交の浅い者にはとても落ち込んでいるようには見えないが、同じファミリアで背中をあずける仲間として普段から深い関わりを持っている二人には――いや、多くの仲間達がリヴェリアの不調を感じ取っていた。

 

 戦闘となれば意識の切り替えは問題ないが、ふとした拍子に見せる雰囲気というか言葉でうまく言い現せない埒外の何かが、彼女が気落ちしていることを知らせていた。

 

 実際の所、リヴェリアの心の中には澱み、というか引っかかることがあった。

 

 それは数日前、ダンジョン遠征に出発する当日の出来事であった。

 

 朝食をとるために食堂を訪れたリヴェリアの目に映ったのは、セフィロスとアイズが仲睦まじく話している姿だった。

 

 その時、リヴェリアの胸中を埋めつくした感情は嫉妬である。しかしその嫉妬の感情は果たしてどちらに向けられたモノなのか、リヴェリアには分からなかった。想い人の隣で彼の視線を独占しているアイズに対してなのか、それとも本当の娘のようにすら思っているアイズの心根を引き出したセフィロスに対してなのか。

 

 ……はたまた両方か。

 

 答えは出ない。自分の内から湧き上がってきた醜い感情から目を逸らすのは簡単だが、心の底に押し込めた澱みがいつか自分の心を醜悪に歪めてしまうのではないかと思うと恐ろしかった。

 

 しかし今の感情を隠しもせず周囲に撒き散らすことは、同胞に誇られるべきエルフの王族としての矜持が許さなかった。

 

 意識を切り替えたリヴェリアのとった行動は、二人の輪に入ることだった。逃げる事も溜める事も出来ない想いなら、せめて正面から向き合う事がリヴェリアが唯一取れる選択であった。

 

『おはよう二人とも』

 

 セフィロスとアイズに声をかけたリヴェリアは、二人の返事が返って来ると、今度はアイズに向けて話しかけた。

 

『もう大丈夫か?』

 

 体と心。二つの意味を込められての言葉だったが、リヴェリアの意思を汲み取ったアイズは面映そうに頬を染めながら、小さく頷いた。

 

『あまり無茶はするな……なにかあればいつでも頼れよ』

 

 偽り一つない言葉だった。むしろもっと頼ってくれたほうがリヴェリアとしては安心するというものだ。

 

『……うん、あと……その……リヴェリア……ありがとう』

 

 リヴェリアはくすっと笑うとアイズの頭を一撫でしてからセフィロスの隣に座ろうとした。

 

『……本当に母親みたいだな』

『からかっているのか?』

『いや、感心しているだけだ』

 

 セフィロスと会話を重ねながら椅子を引いたところで、リヴェリアは気づいた。アイズの表情に。

 

 寂しげに眉根を寄せ、眦が悲しげに下がっている。

 

 まるで迷子になった子供のような寂寥とした表情である。その瞳はセフィロスの後頭部の辺りに向けられている。

 

 リヴェリアにしか見えなかったその仕草で「ああ……」と感じ入るものがあった。

 

 セフィロスとリヴェリアが二人だけで話していることに、アイズはまるで自分が置いてけぼりをくらって、除け者にされているみたいな寂しさを感じているのだろう。

 

 リヴェリアは内心で苦笑した。

 

 手間の掛かる子だ、と思いながらセフィロスの隣に座る事を止めアイズの隣に腰を落ち着けた。

 

 少し驚いたように眉を上げたアイズにリヴェリアは声をかけた。

 

『どうした? ほらさっさと食べてしまえ、遠征に出てしまえばしばらくは暖かい物は食べられなくなるぞ』

 

 セフィロスも言葉を重ねた。

 

『そうだな。ほら、俺の分も食べていいぞ』

『い、いや……それは流石に悪い……かな』

『セフィロス……お前はお前でこれからやることが山ほどあるだろうが、腹は膨れさせておけ。それにおかわりくらいならいくらでも用意できる』

 

 それからいくつか会話を重ねた。

 

 とりとめのない、日常の中で有り触れた他愛無い会話だ。例えその会話の内容が、セフィロスと二人だけで完結するような内容でも、アイズを間に挟んで言葉を交し合っているため自然な形でアイズも会話の輪の中に入っていた。

 

 気づくとアイズの表情には笑みが浮かんでいた。

 

『どうしたアイズ、ニコニコして?』

『……べつに、なんでもない』

 

 ちょっと困ったようにもじもじとうつむくアイズに、リヴェリアは内心でふと思った。

 

 ……このやり取りは、まるで親子みたいだな、と。

 

 ハッとした。

 

 ――何を考えているんだ私は。

 

 アイズには本当の両親がいる。自分もよく知っている者達だ。

 

 アイズが両親の事を何よりも大切に思い、求めている事かを幼少の頃より世話を焼いてきたリヴェリアには痛いほどよく分かっていた。幼い頃に両親に会いたいと泣きじゃくっていたアイズの姿が鮮烈に思い起こされ、申し訳なさでリヴェリアの胸は締め付けられた。

 

 例えそれが一瞬であっても、両親の立ち位置を自分と挿げ替えてしまった事にたまらない罪悪感を感じる。自分の想像の中で完結した出来事であることなど関係無い。アイズの心の宝物を土足で踏みにじってしまったような申し訳なさが、リヴェリアを悔恨の底に叩き込んだ。

 

 しかし表情には出さない。セフィロスやアイズに自分が勝手に感じ入った葛藤で余計な心配をかける事など、恥の上塗りをしているようなものだ。

 

 これ以上の無様は晒せない。

 

 しかしアイズを挟んでセフィロスと会話を重ねる事に、心の底からあたたかい感情が溢れだしているのも事実だった。

 

 リヴェリアの内心では幸福感と罪悪感が鬩ぎ合っていた。忙しい内心だ、と頭の中の冷静な部分が、自分の行動に対して呆れていた。

 

 ……しかし遠征に出発して、日を重ねるごとに、あの時の出来事に対する自分の捉え方も変わってきた。

 

 一時の幸福は酔いのようなものだ。しばらくすれば冷めていく幻である。しかし罪悪感は心につけられた傷口だ。時間をおいても中々治らず、長い間じくじくと痛みで胸を蝕んでいく。

 

 あの時は幸福と罪悪感の天秤がつり合っていた。しかし時間が経つにつれ、幸福感は薄れ、罪悪感のほうが強く残っていた。

 

「どうしたの、リヴェリア?」

 

 普段とは違うリヴェリアの雰囲気に、アイズが声をかけてきた。しばらく様子を見ていたようだったが、ついにたまりかねたようだった。

 

「いや」

 

 なんでもない、と言おうとしてリヴェリアは思いなおした。しばらく考える素振りを見せてから、アイズに問いを投げかけた。

 

「アイズ、セフィロスの事をどう思う?」

 

 アイズは予想外の質問に少し困ったように視線を宙に彷徨わせ、ぽつりと呟いた。

 

「……いたら……」

「ん?」

 

 アイズは胸の前で手を組み、恥ずかしそうに身をよじった。

 

「お兄さんがいたら……あんな感じ……だと、思う?」

 

 疑問系だった。しかしそれがアイズらしい気がした。

 

「そうか」とだけリヴェリアは答えた。しかし次の瞬間には肩を揺らし始めた。アイズが不思議に思って顔を覗きこむと……笑っていた。エルフの麗人がそれはもうおかしそうに声を押し殺して笑っていた。

 

 あっけにとられたアイズだったが、その笑いが自分の返答に対するものだとすぐに察して頬を膨らませた。

 

 なんで? と問いかけると「なんでもない」とリヴェリアは答えた。なんでもない、なんてこと無いはずだ。じゃなきゃ自分はこんなに腹を立てていない。

 

 むー、むー、唸り始めたアイズに、リヴェリアは今度こそ声を上げて笑った。声を上げて笑うことがはしたない事だと感情を乱すことが少ないエルフの王族の意外な姿に、周りにいた団員達がギョッとした目で見遣ってきた。しかしリヴェリアはそんなこと関係無いと言わんばかりに笑っていた。反面アイズはますます頬を膨らませている。リスみたいだ。

 

 笑いすぎたリヴェリアは眦に涙を溜めながら、今度はこう問いかけた。

 

「アイズ、じゃあ私のことはどう思ってる?」

「……知らない!」

 

 つっけんどんな返事だったが、それさえもおかしいというようにリヴェリアは笑った。

 

 ……たった一つの問いかけで、心のつっかえは驚くほど簡単に取れてしまった。なぜかは自分でもよく分からない。自分の感じてたものと、アイズの感じていたもの。微妙にかけ違ったようなちぐはぐな関係が可笑しかったのか、それともまた別の理由か。 

 

 とにもかくにも、この時の想いは、明確な形にするのは無粋だ。曖昧なままで良い気がした。

 

 ――リヴェリアの馬鹿ぁっ!! と珍しく聞くアイズの大声を聞きながら、【ロキ・ファミリア】を率いる団長であるフィン・ディムナは「あいかわらず騒がしいなぁ」と苦笑を零した。

 

 フィンは一団を率いる者として周囲の敵に警戒しながら、仲間達の隊列やコンディションに気を配り歩を進めていた。

 

 ダンジョン遠征。ここまでの道程に特に問題は無かった。幾多のモンスターと交戦し負傷者が出る事もあったが、魔法や薬で完治できる程度のものだった。薬などの消耗品の残数も想定の範囲内に収まっていた。

 

 ……しかし、疼くのだ。

 

 フィンは自らの親指に視線を落とした。

 

 わずかだが疼く親指。それは危険が差し迫っていることに対するシグナルであった。虫の知らせという言葉がある。潜在意識や感情の動きで、よくないことが起こりそうだと感じるという意味の言葉だが、フィンの親指はまるで〝虫の知らせ〟を知らせる器官そのものであった。今まで自分を含めたくさんの仲間達がこの親指の疼きのおかげで、危険を察知して窮地を退けた事が数え切れないくらいある。

 

 その親指がわずかだが疼いていた。

 

 ――なにか起こるかもしれない。

 

 コップ一杯の水に墨を一滴落としこんだようなおぼろげな不安が、フィンの頭の中に生まれた。

 

 なにが起こってもすぐに対処できるように、いっそう気を引き締める。

 

 次の目標は野営地として最適な五十階層。ダンジョンの中にいくつか存在するモンスターが生まれない安全階層(セーフティーポイント)である。しかしその前に四十九階層の大荒野(モイトラ)の攻略がある。そこは仕切りの無いただひたすらに広大な空間で、四方からモンスターの大群に襲われる場所である。大所帯である遠征では、素早く斬り抜けることは出来ず、向かってくるモンスターをひたすらに蹂躪しながら前へ進まなければいけないのだ。

 

 五十階層に到達するための最大の関門である。

 

 何か危険が起こるかもしれない、というのはダンジョンにおいては常に頭に置いておかねばならないことだ。

 

 例えどんな予想外の自体が起こっても、被害を最小限に留め活路を開くのが自分の役目である、とフィンは静かに疼く親指を掌の内に握りこんだ。

 

 ……しかし。

 

 【ロキ・ファミリア】が現在足を踏み入れている四十四階層。その更に下層の五十一階層では、とあるモンスターの断末魔の悲鳴がこだましていた。

 

 強竜(カドモス)

 

 Lv.6相当の階層主(ウダイオス)より、力だけなら上とされ、第一級冒険者でも単独での討伐は大きな危険が伴う強力なモンスターである。

 

 強竜(カドモス)を倒したのも、またダンジョンに生息するモンスターである。それは本来ならありえない事態である。モンスターをモンスターが倒すなど共食いに等しい行為だ。

 

 彼等はまだ知らない。知る由も無い。

 

 既存の常識にすら当てはまらない、強竜(カドモス)すら命を落とした異常事態(イレギュラー)が、フィン達【ロキ・ファミリア】の面々の前に、明確な脅威として立ち塞がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝未明。 

 

 最低限の休息を取り、ダンジョンに潜るための準備を終えたセフィロスは、『黄昏の館』の自室で戦装束である黒いコートに袖を通した。愛刀である正宗の感触を確かめてから腰に佩く。

 

 主神であるロキから受けた任務は二つ。

 

 一つ目は情報収集。ダンジョンに起こっている異変をその目で確かめること。

 

 二つ目はファミリアに襲い掛かろうとしている慮外の危機の打破。

 

 準備を整えたセフィロスが黄昏の館を出ようとすると、門番をしている二人の冒険者の姿が見えた。

 

 つい昨日もセフィロスが訓練をつけた男女の冒険者であった。

 

「お前達か……悪いな次に訓練につき合うのはしばらく先になりそうだ」

 

 セフィロスがそう告げると、二人は敬礼を返した。

 

「御武運を!」

「皆さんのお帰りをお待ちしています!」

 

 二人の返答に、セフィロスは小さく笑った。

 

「ああ、では行ってくる」

 

 朝焼けに烟る、空の下、【片翼の天使】セフィロス・クレシェントはダンジョンへ出撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう」

 

 リリは手にしたローブを眺めながら悩んでいた。

 

 【片翼の天使】セフィロス・クレシェントのローブである。

 

 あの時、あの二人の睨みあいの最中で一瞬気絶したリリだったが、気を失っていた時間は十秒にも満たなかった。

 

 意識を取り戻した時には、怪物二人は毒々しい色で輝く魔石について話し合っていた。なんだったのだろうか、あんな魔石は見たこと無い。もっとも自分のようなオラリオの底辺にいる者には関係無い話だと思うが、天上人の話の内容など自分の知るところでは無い。

 

 逃げるなら今しか無い、と忍び足でその場を離れ、大通りに出た瞬間全力疾走で逃げたリリだった。

 

 問題は一緒に持ってきてしまったセフィロスのローブだった。

 

 売却目的で狙ったローブだったが、あんな恐ろしい殺気を放つセフィロスの持ち物とくれば恐ろしくて売却など出来なかった。下手すれば自分の今のこの姿が魔法で偽ったものだということにも気づいているかもしれない。

 

 ローブを盗んだままでいたら、いつかあの恐ろしい冒険者が自分の元に報復にやってくるのではないかと考えられずにはいられない。

 

「返しに……いこう……」

 

 今ならまだ不可抗力で持ってきてしまいましたという言い訳がたつ。

 しかし体の震えが収まらない今の状態では、とても【ロキ・ファミリア】を訪ねる勇気がわいてこなかった。

気がわいてこなかた。

 

 あと数日後……と先延ばしする事を決めたリリ。

 

 しかし……

 

 なぜ無理を押しても、〝あのエルフ〟がいないあの時に、ローブを返しに行かなかったのかとリリは後悔することになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話【凶狼は迷宮で吼える】 ①

 新年あけましておめでとございます!


  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男が強さを追い求めるのに理由などいらない。

 

 誰よりも強く思い描いた、誰よりも強く理想を追い求めた。愚直なまでに、不器用なまでに、それしか生き方を知らないとばかりに、ただ強くなることだけを目指した。

 

 しかし高すぎた克己心は、やがてそれを持たぬ他者への苛立ちへと変わった。

 

 なぜ頑張れない?

 

 なぜそこで諦める?

 

 悔しく無いのか?

 

 止まることが辛くないのか?

 

 ――止めろよ……ッ、見ているだけでムカツクんだよお前等……。

 

 弱い事が許せなくなった。

 

 弱いままで満足している連中が嫌いだった。

 

 もしかしたら……だからこそ……、自分もうらやむほどに強さを渇望していた【剣姫(アイズ)】の意思の光に惹かれたのかもしれない。

 

 かつて憧れた男がいた。

 

 その男は誰よりも強かった。

 

 それは自分の意思を本当の意味で押し通せるほどの強さだった。

 

 理想そのものだった。

 

 だが、だからこそ許せなかった。

 

 俺がその背中に見た理想は、誰よりも俺の信条を否定する生き方をしていた。

 

 助けが欲しいと、自分では何も成さずただ泣き喚いているだけの雑魚共のために、身を挺して力を振るうなんて馬鹿げている。

 

 …………そんなのは、マヌケのすることだろうが……。

 

 アンタを見ていると雑魚共以上にイライラするんだよ。

 

 だから俺は、アンタが……セフィロスが嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【――間もなく、焔は放たれる】

 

 【忍び寄る戦火、免れえぬ破滅】

 

 【開戦の角笛は高らかに鳴り響き、暴虐なる争乱が全てを包み込む】

 

 【至れ、紅蓮の炎、無慈悲な猛火】

 

 【汝は業火の化身なり】

 

 【ことごとくを一掃し、大いなる戦乱に幕引きを――】

 

 

 

 

 

 怪物は悪魔のような姿だった。

 

 三(メドル)を超える巨躯。歪に積みあがった筋肉の層は、巌のように重々しくて鋭い。上半身は被毛が真っ黒な山羊のようだった。ねじくれた二本の角に、ぎょろぎょろとした赤い目玉。膨れ上がった鼻梁からは、ぬらぬらとした鼻息が絶え間なく吐き出されていた。

 

 人型を醜悪に歪めたような外観は本能的な恐怖を呼び起こす。手にした棍棒はそれその物が人間(ヒューマン)の身丈もある巨大な凶器だった。

 

 怪物――『フォモール』は一匹、二匹では無い。大地を埋め尽くすような大群が、猛々しい咆哮を幾重にも重ねながら犇めき合っていた。

 

 大地が鳴動する。

 

 夥しいフォモールの群れが地面を踏み鳴らして進軍する。いや、怪物には軍隊のような纏まった規律など存在しない。あるのは己が領土に足を踏み入れた異物を排除するという本能。振りかざすのは、侵入者を踏みにじり、打ち砕き、食い散らすという剥き出しの暴虐である。

 

 獰猛に血走った眼球が〝獲物達〟を捉えている。

 

 黒い津波となったフォモールの大群が飲み込もうとしているのは冒険者の一団だった。

 

「盾構えぇ――ッ!!」

 

 地下迷宮(ダンジョン)49階層、〝大荒野(モイトラ)〟に【ロキ・ファミリア】団長であるフィン・ディムナの鋭い号令が響いた。

 

 大盾を構えた部隊の最前衛で、突撃してきたフォモールの第一波は防がれる事となった。体の芯まで響くような破鐘のような打撃音が折り重なる。盾を構えた冒険者達の顔が苦悶に歪む。盾を伝った重い衝撃は、腕を痺らせ、肋骨にまで響く。体全体がひび割れたような痛みに、気を抜けば膝から崩れ落ちそうになった。しかし負けるものかと歯を食いしばり、どっしりと腰を据える。

 

「ブオォオオオオオオオオォッ!!」

 

 大盾の上から身を乗り出したフォモールは、冒険者の鼻先にまで顔を近づけていた。咆哮が弾ける。開いた口は冒険者の頭を噛み砕くように大きい。ねっとりとした唾液が撒き散らされ、吐きかけられた息は鼻が曲がりそうなほど生臭い。

 

 目を背けたくなるほど、おぞましい。

 

 しかし冒険者達は怯むことなく怪物達を正面からひたと睨み据えていた。彼等の背後には仲間達がいる。自分達の役割は壁だ。怪物共の進撃を阻む、堅固な鉄壁なのだと己を鼓舞する。

 

 フォモールが棍棒を振り上げた。腕を引き絞る。

 

 真上から叩き潰す気だ。

 

 ドス、と鈍い衝撃と共に、怪物の視界が揺れた。

 

 前のめりになった面貌。咆哮を重ねようと開かれた口の、上顎と下顎の間をすり抜けるように、槍が突き入れられていた。

 

 鋭い穂先は口蓋に突き刺さっている。

 

 今まさに殺されかけているフォモールは焦りと憎悪が迸る目で、槍を突き出した冒険者を見下ろした。まだ絶命には至っていない。渾身の力で棍棒を振り下ろそうとする。

 

 冒険者は槍を更に押し込んだ。穂先は鼻腔と脳を貫き、まるで角が一本新しく生えたように脳天に刃が貫通した。

 

 怪物は血を巻き散らしながら断末魔の悲鳴を上げた。

 

 仲間の死骸を邪魔だと押し退けて棍棒を振りかぶったフォモールに、何本もの矢が突き刺さる。密集したフォモールの群れの中に魔法の光芒が炸裂する。胴体に大穴を空けられた怪物、手足がばらばらに弾け飛んだ怪物、顎から上が消失した怪物共の躯が弾けた。

 

「前衛、密集陣形(たいけい)を崩すな! 後衛組は攻撃を続行!!」

 

 矢と魔法が飛び交い、怒号と戦塵が撒き散らされる苛烈な戦場に、矢継ぎ早に飛ぶ団長(フィン)の指示は鋭く、短く、的確だった。部隊が戦いを切り抜け、勝利を手繰り寄せるための最良の未来が彼の言葉の中に息づいていた。

 

 フィン・ディムナ。

 

勇者(ブレイバー)】の二つ名を持つ【ロキ・ファミリア】の団長。

 

 小人族(パルゥム)の特徴である小柄な体躯を生かした槍術の使い手であり、迷宮都市最高峰であるLv.6の冒険者である。

 

 しかし彼の真価はその頭脳にこそある。

 

 複雑かつ広大な地下迷宮(ダンジョン)を隅々まで把握する記憶力。常に最善的確な指示を下す事ができる経験値。ダンジョンにおいて命の危機はどんな形になって降りかかるか分からない。時に一歩先の未来ですら見えないダンジョンを行軍する中で、フィンは向かうべき光明を指し示す。心が燃え上がるような激励には生き抜こうと発奮させる力があった。彼こそが、誰もが認める勇者であり、都市最大規模の派閥である【ロキ・ファミリア】を束ねる統率者である。

 

「やはり、すんなりとは通らせてもらえんか」

 

 【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロックは、立派な髭を扱きながら呟いた。【ロキ・ファミリア】でも屈指の力と耐久の持ち主であり、超前衛特化型のガレスは今回の作戦を成功させるための要である〝盾〟としての職務を遂行すべく気合を入れ直すと共に、「お主等、しっかりと根性すえるんじゃぞ!」と同じく盾を構えた仲間に激励を飛ばした。

 

 団員達が己に与えられた役割をこなしていた。

 

 その中でも戦場を縦横無尽に駆け回り、崩れそうになる陣形を立て直すのは第一級冒険者に名を連ねる強者達である。

 

「とぉりゃああああああ――ッ!!」

 

 【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ。

 

 武器は握り手の両方から計二本の長大な刃が伸びる巨剣だ。超重量、超威力の大双刃(ウルガ)を振り回し、並み居る怪物を紙切れのように斬り飛ばす姿はまるで極縮の竜巻である。

 

「出すぎよティオナ! ちょっとは連携するこっちの身にもなりなさい!」

 

 【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ。

 

 ククリナイフを両手に構えて舞うように戦う姿は、肌の露出面積の多い女戦士(アマゾネス)の民族的な衣装も相まって、艶麗な踊り子のようだった。

 

「ティオナ、ティオネ! 左翼支援急げっ!!」

 

 頭上から降り注ぐように届いた、高らかな団長(フィン)の指示。

 

「あーん、体がいくつあっても足らなーいっ!」

「ごちゃごちゃ言ってないで働きなさい!」

 

 辟易したようにぼやくティオナを、叱咤するティオネ。

 

 敵は無尽蔵に生み出されるモンスターの大群。戦況は徐々に悪い方向に傾いていた。

 

「うああぁ!?」

 

 フォモールが振るった棍棒に、盾兵が弾き飛ばされた。こじ開けられた陣形の壁に、滑りこむように斬り込んできた人影があった。 

 

「――――ッ」

 

 呼気が鋭く吐きだされると共に翻った銀閃に、陣中にその身をねじ込んできたフォモールが瞬く間に切り刻まれる。

 

 鋭くも重い一撃は、見上げるような怪物の巨躯をバターのように寸断していた。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 愛剣はデスペレート。攻防共に強力無比な魔法(エアリアル)を纏い、卓越した剣技に耐え得るその武器の特性は『不壊属性(デュランダル)』。  

 

 アイズは連なるフォモール達の頭上を風車のように旋転しながら跳んだ。金の髪が舞い、銀の剣閃が踊る。地面に着地した瞬間には、すでにフォモール達の胸から上部が磨り潰されたように弾け飛んでいた。

 

「――ハッ、なかなか景気いいじゃねえかアイズのヤツ」

 

 ベート・ローガは獰猛に口角を上げた。最初にこじ開けられた防衛線を埋めろとフィンに命じられたベートは、結果的にアイズに先を越される形となった。しかし悔しがるどころか、彼はむしろ愉しそうに笑いながら、目の前の敵の駆逐に戻った。

 

「オラァッ!!」

 

 ベートの武器はフロスヴィルト。魔法効果を吸収して特性攻撃に変えるミスリルブーツである。目の前にいたフォモールに飛びかかったベートは跳躍すると同時に、怪物の首を蹴り飛ばした。文字通り、蹴り()()()()のである。胴体と首が泣き別れしたフォモールは痛みを感じる間もなく絶命した。

 

 敵から、敵へ。

 

 ベートは次から次へとフォモールに躍り掛かる。全て一撃で仕留めた。首を撥ね、胴体を穿ち、頭を潰す。獲物を食い散らすように暴れる姿は、まさに二つ名である【凶狼(ヴァナルガンド)】そのものであった。

 

 しかし足りない。

 

 こんな連中じゃ……こんな雑魚どもじゃ幾ら喰ったって喰い足らねぇッ!

 

「……負けねえ」

 

 呟いた言葉は戦場の怒号にまぎれて消えた。

 

 ベートの脳裏によぎるのは一人の剣士。

 

 アイズでは無い。今ここにいる誰でも無い。

 

 ――俺が俺でいるために……

 

「あの野郎には負けられねえんだよ!!」

 

 踏み締めた地面が陥没するほどの力が込められた脚技は、フォモールの一体を後方に大きく跳ね飛ばし、その後ろにいたフォモールの一団も纏めて打ち砕いた。彼の剣士を除けば、【ロキ・ファミリア】一の俊足であるベートの脚力は、それそのものが強力な武器であった。 彼等の武功はまさに一騎当千のごとくである。しかし【ロキ・ファミリア】全体としては戦況は極めて不利だった。

 

 土煙に霞む彼方まで埋め尽くすようなフォモールの大群に、【ロキ・ファミリア】は押されていた。押し寄せるモンスターの密度に、徐々に磨り潰されるように円陣は狭まっている。

 

 3(メドル)を超える怪物達が連なる黒い津波は、容赦なく彼等を飲み込もうとしている。フォモールの身の丈を超える槍やハルバードなどの長物の武器だけが、黒い津波の中で天に向かってか細く突き出ていた。それは消えかけた蝋燭の灯火が儚げに揺らめいているようだった。

 

 しかし、【ロキ・ファミリア】にはこのジリ貧の戦況を覆すに足る切り札があった。

 

 彼等の陣形の中心。

 

 膨大な魔力が高まり、横溢していた。

 

 紡がれた言葉は固定された韻文で、超常の事象を引き起こすための魔法の『詠唱』だった。

 

 魔法の詠唱は、その時間が短ければその分すぐに発動できる。逆に長ければ長いほどその威力は増す。

 

 【ロキ・ファミリア】の精鋭達が戦いの勝敗を決する切り札として、その一撃に絶大な信頼を寄せ、総出で時間を稼ぐ価値があるほどの威力の魔法が完成しようとしていた。

 

 身震いするほど高まる魔力の中央には、エルフの麗人がいた。

 

 祈るように杖を掲げている。

 

 翡翠色の長い髪。絶世の美貌を持った彼女が紡ぐ詠唱は神籟の音色だった。

 

「アイズ、戻りなさい! ベートもよ!」

 

 敵中深くに切り込んでいたアイズが、名を呼ばれるとフォモールの背を蹴り、大きく後方に跳躍した。一足速く戦線を離脱したアイズを追いかけるように、ベートもその場から離れようとする。

 

「チッ、時間切れみたいだな。あばよ、化け物共」

 

 最後に置き土産とばかりに一体のフォモールの首をへし折った。

 

 ちょうどその瞬間、『詠唱』が完成した。

 

『【焼きつくせ、スルトの剣――我が名はアールヴ】!』

 

 術者の足元の魔法円(マジックサークル)が、閃くようにフォモールの大群の足元にまで広がった。

 

 戦場にいる全てのモンスターが、標的だった。

 

『【レア・ラーヴァテイン】!』

 

 魔法円(マジックサークル)から無数の炎柱が立ち昇り、その場にいたフォモールを悉く焼き尽くした。灰すらも燃やし、絶叫も炎の海に飲み込み、魂すらも焼き滅ぼすようなすさまじい劫火。

 

 目に見える光景全てが煌々と燃え上がっていた。

 

 熱波に弄ばれた髪をかき上げながら、勝利を確信したフィンが武器を下ろした。今しがた特大の殲滅魔法を単独で放った、この戦闘最大の功労者に声をかける。

 

「お疲れ様、リヴェリア」

「すまなかった、詠唱に手間取った。皆には負担をかけたな」

「なに、想定の範囲内さ」 

 

 犠牲者もいないしね、と付けたして朗らかに笑うフィン。

 

 【九魔姫】リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 【ロキ・ファミリア】の副団長で、彼女こそ迷宮都市オラリオ最強の魔法使いである。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 49階層の激闘を終え、【ロキ・ファミリア】の面々は50階層へと降りていた。

 

 灰色の大樹林が眼下に広がる、10(メドル)ほどの大きな一枚岩の上を野営地と定めた。彼方には壁が屹立しており、空には蓋があった。

 

 オラリオの地下深く、ここ50階層はダンジョンの中でも、モンスターが生まれない数少ない安全階層(セーフティポイント)である。だからこそ腰を据えて本格的な野営が出来る貴重な休息地帯(レスト・エリア)でもあった。

 

 数多くの団員が、役割を分担しながら野営の準備をしていた。

 

 荷物が嵩張らず設置と撤去が楽なワンポール形のテントがいくつも並んでいる。どのテントにも一番高い所に、彼等の象徴である道化師を象った団旗がひらめいていた。

 

「いつもいつも足を引っ張ってしまって……その……すみません!」

 

 先の戦闘でアイズに助けられたレフィーヤは、すみません、すみません! と何度も何度も、頭を水飲み鳥のようにペコペコと下げていた。

 

 レフィーヤ・ウィリディス。

 

 長く尖った耳が特徴的なエルフの少女で、二つ名は【千の妖精(サウザンド・エルフ)】 まだステイタスはアイズ達より低く、Lv.3ではあるが魔法特化型であり、瞬間的な攻撃力ならアイズ達をも凌ぐ。リヴェリアの後釜と目されている有望株であるが、そんな彼女も未熟な部分はまだまだあるため、こうして頭を下げることは多々あった。

 

 アイズは困ったように言葉を詰まらせていた。

 

 今でこそオラリオの女性冒険者の最強候補筆頭であるアイズとて、昔はたくさんミスもしたし、無茶は……今もしている。仲間の役に立てないともどかしく思う気持ちは痛いほど分かるし、失敗を申し訳無いと思ってしまうのも十分理解できる。

 

 しかし誰だって最初はそうなのだ。失敗もするし、間違うことだってある。死んでしまったら元も子もないが、少なくとも今レフィーヤが感じている〝居た堪れなさ〟は見当違いというものだ。

 

 アイズはどうしたらレフィーヤを元気づけられるか分からず「怪我は平気?」と聞いてみる。しかしレフィーヤは返って恐縮したようで、頭を下げる角度が幾分か深くなった。

 

 本当に困った、どうしよう……とアイズは黙考する。

 自分は本当に気にしていない。どうすればそれを分かってもらえるのだろうか。

 

「止めろ、見ていて鬱陶しいんだよ」

 

 割り込んできたのはベートだった。

 

 蔑むような目でレフィーヤを見下ろした。

 

「……そう、ですよね……」

 

 気落ちしていたところに追い討ちをかけられる形になったレフィーヤは肩を落として項垂れた。

 

 は、励まさなきゃ……! と慌てふためきながら、何と声をかけるべきかオロオロと迷うアイズ。口下手な自分がこういう時こそもどかしかった。

 

「自分の身も守れず、助けてもらってばかりか? 泣くほど悔しいならさっさと――」

「コラァ!」

「ふん!」

「な……て、テメエらッ」

 

 ヒリュテ姉妹のコンビネーションがベートを襲った。ティオナが首を抱え込み、ティオネが右手を反り返らせるような間接技を極めていた。

 

「あんた……言っていい事と悪い事の区別もつかないの?」

「レフィーヤにあ、や、ま、れ!」

 

 ギリギリと力を強めていく二人。

 

「や、止めろ! 骨折る気か暴力アマゾネス共!」

「泣くほど悔しいなら何? 冒険者止めろとでもいうつもりだったのかぁ――ッ!」

「口の悪いアホにはちょ~とお仕置きが必要かしらね~」

「や、止めてくださいお二人とも!」

 

 二人がベートに制裁を加えているのを止めようとレフィーヤが頑張っている中、アイズが叫んだ。

 

「レフィーヤは――っ!」

 

 思いの他声が大きかった。必要以上に周囲の視線を集めてしまった事に、恥ずかしげに頬を染めたアイズは、やや声量を落とした。

 

「……レフィーヤは……頑張ってるよ」

 

 胸の前で拳を握って、アイズは真っ直ぐレフィーヤを見つめた。言葉が足りないならせめて目で伝えたかった。

 

「……あ、アイズさん……ありがとうございます」

 

 レフィーヤにも想いはしっかり伝わった。後頭部を見せるくらい大きく腰を折って、お辞儀をする。

 

 ちっ、と大きく舌打ちしたベートは力任せにヒリュテ姉妹を振り払うと、踵を返しその場を立ち去る。その間際に、こう言い放った。

 

「……泣くほど悔しいなら、さっさと()()()()()みやがれ」

 

 それはいっそ笑ってしまうくらい不器用な激励だった。

 

「……あ…………は、ハイ! 頑張ります!」

 

 ベートの後ろ姿が見えるまでレフィーヤは頭を何度も下げた。

 

「相変わらず面倒くさいわねベートって」とティオネが笑い、「だねー。つい勘違いしちゃったね」とティオナが相槌を打った。アイズがジト目で二人を見つめ「二人とも……本当は、分かってたでしょ?」と告げると、ティオネとティオナは意味ありげに笑みを深めるだけだった。相変わらずベート相手には当たりの強い二人だった。遠慮が無いとも言う。

 

「でもベートったら、相変わらず機嫌が悪いわね」

「そうだよね、前からつんけんしてたけど最近は前よりも嫌な感じ~」

 

 そんな風に言いあっていると、ティオナは笑顔を浮かべたままアイズに振り向き、話を切り出した。

 

「ところでさ、さっきの戦いでフォモールの群れのド真ん中に突っ込んで行ったよね、アイズ」

 

 防衛線を維持するだけで突っ込む必要の無かった敵陣のド真ん中で意気揚々と剣を振るっていたアイズはさっと目を逸らした。

 

 覚えがありません、と言いたかったが、今の静かに怒っているティオナにその言葉を発する勇気は持てなかった。

 

「……つ」と、言うと隙間なく追求すると言わんばかりに「つ?」とオウム返しで返された。

 

 アイズは観念したように呟いた。 

 

「…………つい」

 

 ティオナは盛大に溜息をついた。

 

「なぁんであんな無茶するかなぁ。突っ込む必要なかったよあれ」

「体に、染みついているのかもしれない……」

「厄介な習慣だね、それ」

 

 ティオナの言葉を引き継ぐように、ティオネがアイズの頭を軽く小突いた。

 

「セフィロスと戦った後、ある程度吹っ切れたんじゃないの? 危なっかしいと思うような気配がちょっとは薄れたと思ったら……」

 

 ティオネの言葉にアイズは「うーん」と唸った。

「吹っ切ったとは……ちょっと違うかな。でも」

「でも?」

「あんまり……自分を追い込んじゃ、駄目だとは思った……かな?」

「……そっか。うん、今はそれで十分! 困ったらばんばん頼ってよ!」

 

 ティオナはうれしそうに頷いてから、アイズの背中を叩いた。同じようにティオネも背中を叩いた。

 

「ま、アンタは元々無茶しすぎなのよ、助けが欲しいならいつでも声をかけなさい」

 

 アイズの背中を叩くことは大それて出来なかったレフィーヤもここでは声高らかに告げた。

 

「も、もちろん私なんかが助けになるならいつでも声をかけてください!」

 

 アイズは皆の言葉を噛み締めるようにまぶたを一度閉じた。

 

「…………うん、ありがとう」

 

 アイズも微笑みながら返した。

 

 ――どうやら、アイズにお説教は必要ないみたいだね。

 

 その光景を物陰からそっと見つめていたフィンはこれ以上は無粋と思い、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ今後の事を確認しよう」

 

 野営地の中央にメンバーは揃っていた。円陣を組むように座り、用意された料理に舌鼓を打った後、一息ついた彼等にフィンが今後の概要について話し始めた。

 

「遠征の目的は〝未到達階層の開拓〟 これは変わらない。けど今回は59階層を目指す前に『冒険者依頼(クエスト)』をこなしておく」

 

「『冒険者依頼(クエスト)』……確か【ディアンケヒト・ファミリア】からのものですか?」

 

 ティオネの問いかけに、フィンは「ああ」と頷いた。

 

 冒険者依頼(クエスト)とは字のごとく冒険者に出される依頼の事である。依頼人は個人から業者など多岐に渡り、受注した依頼の達成条件をクリアした場合、依頼主より報酬を受け取るシステムである。

 

 今回の依頼人は【ディアンケヒト・ファミリア】 治療と製薬の商業系ファミリアである。依頼の内容は、51階層の『カドモスの泉』から要求量の泉水を採取するというものだ。

 

「『カドモスの泉』……うえー、面倒くさー」

 

 ティオナが心底嫌そうな顔で舌を出した。

 

 『カドモスの泉』とは、強竜(カドモス)が番人のように守っている泉である。強竜(カドモス)とは現在確認されている中でも階層主(ボスモンスター)を除けば、最強クラスと呼ばれているモンスターである。

 

 今回の依頼を達成するには、強竜(カドモス)を撃破してから泉水を確保しなければならない。しかし泉水は湧いた先から強竜(カドモス)が飲み干してしまうため、掬い取れるのは微量である。今回依頼を出された泉水の量を確保するには、一箇所では足りず、少なくとも同時に二つの泉に赴かねばならない。一箇所の泉で要求量の泉水が溜まるのを待っているような時間的余裕は無く、物資の問題もあるため、あまりに大人数の移動は難しい。そのため二つのチームに分けた少数精鋭の選抜部隊で『カドモスの泉』を二箇所同時に攻略する。

 

「それに『カドモスの泉』は大人数で移動できないところにあるからね。戦力の分散は痛いけど、小回りは利いた方がいい」

 

 団長(フィン)の判断なら、それはこの遠征部隊の総意である。

 

 チーム編成もおおむね滞り無く決まった。

 

 一班 アイズ、ティオネ、ティオナ、レフィーヤ

 

 二班 フィン、ガレス、ベート、ラウル

 

 副団長であるリヴェリアは拠点の防衛とそこに残ったメンバーを束ねるため、そして大荒野(モイトラ)の戦闘で大量に消費した精神力(マインド)を回復させるために、キャンプに残る事になった。

 

 ――その後、数時間ほど仮眠した一班と二班のメンバーは、51階層の『カドモスの泉』に向けてキャンプを後にした。

 

「おい、フィン。カドモスとは俺一人でやらせろ」

「…………君までアイズみたいなこと言わないでくれよ」

 

 ベートの要求に、心労が増える一方だとフィンは重い溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 ◆     ◆     ◆     ◆

 

 

 

 

 

 

 異変は突然起きた。

 

 ダンジョンでは何が起こるか分からない。気を張り、警戒を怠ってはいなかった。しかし心のどこかで油断していたのではないかと問われれば、断言する事は出来ない。

 

 そうだ、確かに油断していた、とリヴェリアは自分の迂闊さを忌々しく思った。

 

 モンスターが発生しない安全階層(セーフティポイント)だからと、気を抜いていた部分は少なからずあった。ダンジョンに絶対は無い。50階層と同じく安全階層(セーフティポイント)である18階層の『リヴィラの街』でさえ、長い歴史の中で三百回以上破壊され、その度に再建してきたのだ。この50階層でも同じ事が起こらないとどうして言えようか。

 

 ――騒乱の一幕は、悲鳴により開幕した。

 

 その時、リヴェリアはキャンプの中央の一際大きな天幕の中にいた。遠くから聞こえた悲鳴の主が男か、女だったかは分からない。妙に金属的な甲高い悲鳴だったというのが印象だった。

 

「リヴェリア様!」

 

 天幕に団員の一人が飛び込んできた。血相を変えた様子で、荒い息遣いから焦りが見て取れた。

 

「どうした、今の悲鳴は何だ?」

 

 リヴェリアが問いかけると、団員は一度大きく吸って呼吸を整え、踵を揃え背筋を伸ばした。

 

「ご報告します! モンスターの大群がこのキャンプを目指して岩壁を昇って来ています。十や二十どころではありません、百は下らないほどの大群です!」

「何だと!? 種類は?」

「分かりません!」

「何?」

「見た事がありません! あんなモンスター初めてです!」

「……そうかっ」

 

 報告に来た団員もずいぶん混乱していた。

 

 こうしていても埒があかない。

 

 状況を確認で出来る場所に移動するため、リヴェリアは天幕の外へと出た。その瞬間、リヴェリアの鼻に異臭が届いた。顔をしかめる。髪を焼いたような不快な匂いだ。

 

「なんだ……アレは……?」

 

 リヴェリアの声色には、普段冷静沈着な彼女らしからぬ深い動揺が混じっていた。

 

 50階層と51階層を繋ぐ急傾斜の岩壁の向こうから黄緑の物体が蠢きながら、こちらに向かってきていた。まるで壁一面に蛆がびっしりと張り付いているような、おぞましい光景だ。よく観察してみると、それは芋虫のように見えた。黄緑色の体には所々に毒々しい極彩色の色が混じっており、それが異様さを際立たせていた。人一人くらいなら丸のみに出来そうなほど大きい。ぶよぶよとした体からは魚のヒレを思わせるような腕のような器官が伸びている。

 

 その芋虫のようなモンスターは列を成し、犇き合いながら、すでに先頭はキャンプの目と鼻の先にまでやって来ていた。ヒレをはためかせ跳ねるように体を動かして移動している。その速度は鈍重な外見には不釣合いなほど速い。

 

 ――迂闊! いくら異常事態とは言え、キャンプにここまで接近を許すとは……ッ

 

「全隊に通達! 現在キャンプに正体不明のモンスターが接近している。全団員装備を整えろ、敵を迎え撃つぞ!」

 

 リヴェリアの号令が打ち上がる。

 

 芋虫形のモンスターはすぐそこまで近づいて来ていた。

 

 もはや時間的な猶予は無い。リヴェリアはキャンプからいくらか離れた場所を防衛線と定めた。キャンプへの被害は最小限に抑えなければならない。大荒野(モイトラ)を抜けた時と同じく、最前面に盾兵を連ねた密集陣形である。

 

「これより先に一歩も通すな!」

 

 リヴェリアの鋭い指示が全隊に届く。モンスターの大群は、もはやすぐそこまで迫っていた。不安は拭いきれずにいる。初めて見る新種のモンスター。生態は不明であり、どんな攻撃手段を持っているかも不明である。

 

 団員が揃い踏み、陣形が完成するのと、展開した部隊と芋虫形のモンスターが接触したのはほぼ同時だった。

 

「盾構え!!」

 

 敵の突撃に備え、盾を押し出すようにどっしりと構える。しかしモンスターの群れは盾に衝突する瞬間、速度を緩めた。すると口から粘着性のある液体を吐きかけた。その液体が大盾に触れた瞬間、ジュウッとまるで熱したフライパンに冷水を注いだような音がした。

 

「う、うわぁあああああああああ――ッ!」

 

 盾を構えていた冒険者の絶叫が響いた。彼の腕は持っていた盾ごと溶かされていた。モンスターが吐きだした腐食液にふれた金属の盾は飴細工のようにどろりと溶け落ち、それを持っていた冒険者の腕は手首から先が消失していた。腐食液が触れた脚からは肉が焦げる匂いがした。

 

 それと同時にモンスターの胴体に槍を突き刺した冒険者にも同様に腐食液が降りかかった。頭から腐食液を浴びた冒険者はその場で崩れ落ち、半分溶け落ちた顔を抑えてこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。

 

 動揺は一瞬にして部隊に広がった。

 

 ――マズいっ! 

 

「負傷者を後方へ運べ! ヤツ等の吐きだした体液には触れるな!」

 

 超硬度の武装を易々と溶かし、おまけにあの芋虫形のモンスターそのものが腐食液でパンパンに膨れ上がった爆弾のようなものだ。

 

 魔法を使えば一掃できる。しかしこの至近距離では味方を巻き込みかねない上、返り血ならぬ大量の腐食液が降りかかってくる。

 

 なにより奴等の厄介極まりない腐食液の前では防衛線はまともに機能しておらず、詠唱の時間すら稼げない。予備の防具をありったけ投入して、腐食液を防いでいるが、こんな使い捨てのような方法ではそう長くは持たない。

 

「今は連中を押さえ込む事に注力しろ! フィン達が戻ってくるまで耐え抜くんだ!」

 

 反撃の糸口すら掴めない危機的状況では、それしか手は無い。いや……それしか心が折れかかっている味方を鼓舞する文言が無かった。

 

 このモンスター達はフィン達が向かった51階層から湧き出てきたのだ。あちらにも不測の事態が起こっている可能性が高い。だがリヴェリアは今、部隊を指揮する立場である。不安は伝播する。焦燥など噯にも出すわけにはいかない。

 

 ……すでに矢はありったけ放っていた。防具も底をつき、今はまな板や鍋の蓋でも使えそうな物を端から使っていた。

 

 後方には負傷者があふれ、ポーションのストックも危うい。

 

 ――このままでは……ッ

 

 リヴェリアの表情に隠しきれ無い焦りが浮かんだ。

 

 その瞬間。

 

 頭上から一条の銀光がモンスターと冒険者の一団の間に境界線を引くように閃いた。

 

 一瞬、何が起こったか分からなかった。気づくと1(メドル)はあるクレバスが突如として自分達の目の前の地面に刻まれていた。

 

 衝撃でモンスターはたたらを踏むように後退した。

 

「な……ッ」

 

 黒いコートに、長い銀の髪を靡かせ、一人の男が戦場に舞い降りた。

 

「セフィロス!?」

 

 【ロキ・ファミリア】に所属するLv.9の冒険者。【片翼の天使】の二つ名を持つ最強の剣士。

 

「無事……とはいかない様子だな。もう少し早く来れれば良かったが」

「それよりも……お前、なぜここに!?」

 

 しかしその返答を聞くより早く、モンスターの群れがまるで雪崩が覆いかぶさるように、跳躍してセフィロス目掛け襲い掛かった。

 

 セフィロスが正宗を構え、渾身の力を持って一閃させる。

 

 閃光。そして耳を劈くような爆音と残響が入り混じり、モンスターの群れがなぎ払われた。野営地の一枚岩ごと断ち切るのではないかと思えるような斬撃。剣圧に捲れ上がった岩盤が砲弾のようにモンスターを押しつぶし、飛礫は弾丸のように体に風穴を穿った。まるで濁流が全てを押し流すように、モンスターもその腐食液も全て一閃の元に斬り払われた。

 

 ――なんというデタラメだ……。

 

 もはや理解が追いつかない。ここまでくると呆れる他無い。

 

 セフィロスが投げてきた精神回復薬をリヴェリアは受け取った。

 

「リヴェリア・リヨス・アールヴ副団長! 部隊の指揮権を一時的に譲渡してもらいたい!」

 

 口の端を笑みの形に吊り上げた。

 

「……()()()()()()()()。リヴェリア」

「……………………ああ」

 

 色々問いただしたいことはあるが、今はそれより優先させることがある。

 

 ――礼を言うぞ、セフィロス。

 

「魔導師部隊は私に続け、その他の者はこれよりセフィロスの指揮下に入れ!」

 

 回復薬を一気に煽り、空瓶を放り投げ、口の端を袖で拭った。彼女らしからぬ荒々しい所作が、今の心情を現しているようだった。

 

 ――さあ、たっぷりお返ししてやるぞ……化け物共!

 

「【――終末の前触れよ、白き雪よ】」

 

 玲瓏と紡がれる詠唱。

 

 もはや心を覆っていた暗雲は取り払われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

・挿話【英雄未満の少年】



 ずいぶんお久しぶりな投稿になります。にも関わらずお持ちいただいていた方々にお礼をば!





 

 

 

 幾多の神話や御伽噺で語られる英雄達の物語。

 

 迷宮都市オラリオとはそんな彼らの物語を綴る叙事詩の大舞台と呼べる場所であり、今なお新たな英雄達の逸話が綴られ続ける未完の英雄譚が花咲く地であった。

 

 数多の冒険者達がその背中に神の恩恵を背負い、後世に語り継がれるほどの功績や伝説を世に生み落としていた。その偉業はさまざまだ。なにせ冒険者と一言で括るにしても、仕える主神の趣向や固有性、あるいはその者自身の素質によって貢献する分野は違うものへとなるからだ。鍛冶で名を馳せるものがいれば、製薬で名を馳せるものもいる。料理で数多くの人々の舌を唸らせる者もいれば、漁や狩りを本領として希少な食材を追い求める者もいる。

 

 しかし冒険者で一番花形と呼べるのはやはりダンジョン探索を生業とする者達である。

 

 彼らは武器を手に、防具を纏い凶悪なモンスターの跋扈する迷宮へと挑んでいく。トップクラスの実力者ともなればその名声はオラリオという都市を飛び越え世界中に轟き、多くの者達に憧憬を抱かれるほどだ。

 

 ダンジョン探索系のファミリアは数多くあれど、その中でも『フレイヤ・ファミリア』と並び最強の呼び声高い『ロキ・ファミリア』はまさにダンジョン遠征の真っ最中であった……。

 

 

 

 

 

 雷鳴のような轟音が、空洞をつんざいた。

 

 振り下ろされた尻尾は、強竜(カドモス)の何十(メドル)にも及ぶ巨躯に比例するように大きく、外皮は鋼鉄のような鈍い光沢を放つ硬い鱗に覆われていた。人一人を押しつぶして余りある質量と速度を伴った一撃はすでに標的目掛けて打ち下ろされた。その尾は鞭のように柔軟にしなる巨大な鉄槌だった。

 

 轟音と衝撃。残響が轟き、地面が穿たれた。

 

 捲れ上がって跳ねた岩盤が空中でぶつかり合い、石礫となって周囲に降り注ぐ。地面は振り下ろされた尻尾の形に陥没した。蹴散らされた風が壁にぶつかって砕ける。衝撃の残滓は瘧の様な鳴動となって、カドモスの泉がある空洞を揺さぶっていた。

 

 

 【強竜(カドモス)

 

 

 現在確認されている中でも、階層主を除けば最強と称されるモンスターである。

 

 その一撃は巨岩を粉微塵に砕き、牙は鋼鉄を噛み砕くほどに鋭い。強靭な鱗の前では並みの武器ではその身を脅かす脅威たりえず、凡庸な冒険者がいくら束になってかかろうと易々と踏み散らす。強力とされる竜種の中でもとりわけ大きな力を持った、まさに王者にふさわしい風格をそなえた強き竜。

 

 地の底から響くような低くくぐもった唸り声を上げる強竜(カドモス)は、地を撃砕した尾を持ち上げた。

 

 しかしそこに叩き潰したはずの異物の姿は無かった。

 

 ――真横。

 

 その男は舞い上がった砂塵を突き破って、放たれた矢のように猛然と強竜(カドモス)に襲い掛かった。

 

「ハッ」

 

 白い髪をなびかせ、浮かべた笑みは獰猛で攻撃的。突き刺さらんばかりに眼光は鋭く、燃え上がるように躍動する四肢には力が漲っていた。

 

「ウラァッ!!」

 

 拳から肘、肩、腰から膝へ、全身の捻りを使って加速された蹴りは強竜(カドモス)の眉間を打ち抜いた。

 

 耳を聾するような炸裂音に、強竜(カドモス)の引き絞るような悲鳴が重なった。男の身は強竜(カドモス)からすればいとも容易く踏み潰せるような小さなものである。しかし男を超一流の冒険者たらしめた脚力は、見上げるような鴻大な怪物を軽々と蹴り飛ばした。まるで超特大の鉄球にかち上げられたように、怪物の頭は大きくふき飛ばされ、首は伸びきり、次いで引っ張られるように身体がぐらりと傾いた。

 

 強竜(カドモス)は歯が砕ける程に強く噛み締める。たたらを踏み、しがみつく様に爪を大地につきたてて、倒れこみそうになるのを寸での所で堪えた。

 

 強竜(カドモス)が惚けたように天を仰いでいたのはほんの数瞬である。脳を揺さぶられ、混濁していた意識を崩れかけたパズルのピースを整えるように元に戻す。何が起きたか、何をされたかを思いだし、その瞳には煌々と煮えたぎるような怒りが灯った。この瞬間、強竜(カドモス)は今目の前に立っている小さな者が自身の生命を脅かす存在であると認識した。

 

「チッ、流石に頑丈だな」

 

 男は忌々しそうに、しかし愉しそうに舌打ちをした。

 

 強竜(カドモス)がその巨躯から想像できないような俊敏な動きで男に飛びかかる。振り上げられた前腕に、人の胴体ほどもある肉厚の尖り立った爪が鈍い輝きを揺らめかせていた。『オオオオオオオオッ!』という唸り声と共に、強竜(カドモス)は男を薙ぎ払うように腕を振り抜いた。

 

 しかし男の動きはそれよりも疾かった。

 

 矢のように、あるいは風のように。

 

 小山ほどもある大質量の怪物が敵意を漲らせ自分目掛けて飛びかかってくる。その暴力的な威圧感たるや、常人なら足が竦んで動けなくなる。

 

 しかし男は微塵も臆する事は無い。

 

 その怯む事を知らない鋭く尖った眼光が、打ち砕くべき敵を貫く。狙うは真っ向からの迎撃。男は強竜(カドモス)の鼻っ面目掛けて跳躍した。強竜(カドモス)は眼前に飛び込んできた獲物に喰らいつこうと、ぱっくりと口を開く。鋭い円錐形の歯がぞろりと上下に並んでおり、男の身を噛み砕こうと迫ってくる。

 

「馬鹿みてえに口開いてるんじゃねえよ、臭くてたまらねえぜ」

 

 男は強竜(カドモス)の下顎を蹴り上げた。上下の歯がぶつかり合い、ガチン! っと陶器が割れるような音を立てて砕けた。刃のように割れた歯が口内に突き刺さり、強竜(カドモス)の吐きだす怒りに満ちた咆哮は血に濡れていた。

 

 強竜(カドモス)という生まれついての強者にとって、目の前の男は地を這いずる虫のように矮小な存在であるはずだった。

 

 しかし男は壁を跳ね、天井すら足場にして、まるで中空を飛翔するように縦横無尽に動いた。男を踏み潰そうと足を振り上げれば股下を潜って背後から追撃を受け、尾で薙ぎ払おうとすれば空中に跳んでがら空きの背中を狙われる。舞い散った羽根をいくら振り払おうと纏まりついてくるように、男の追撃は強竜(カドモス)の身に絡みつき、骨の髄まで打ち砕かんといわんばかりに四方八方から突き刺さってくる。

 

「オラオラっ! どうしたバケモノ、もう終いか!?」

 

 体躯の差などものともしない。

 

 男にとっての武器はその脚。纏った武装はミスリルブーツ『フロスヴィルト』

 

 男の名はベート・ローガ。【凶狼(ヴァナルガンド)】の二つ名を持つ迷宮都市最高峰の第一級冒険者の一角である。

 

 

 

「すっげえ……」

 

 ベートと同じくロキ・ファミリアに名を連ねるラウル・ノールドはベートの戦いぶりを戦闘の被害が及ばない場所で見つめながら賞賛の声を上げた。

 

 彼とてLv.4の高みに到達した冒険者である。強者が跋扈する迷宮都市においても、その能力値は極めて高い水準にある。数々の強者を見て、幾多の修羅場を潜り抜けてきた眼識のあるラウルの目から見ても、ベートの戦闘力は並みの冒険者と比べても傑出していた。何かが違う。その何かは第一級冒険者としての格の違いと一言で纏めてしまえばそこまでだが、ベート・ローガという男の持つ個性は既存の枠組みに収めるにはやや歪だった。

 

 本来、強者になればなるほど己の命を守る術に長けているものだ。

 

 それは臆病とは意味が違う。いわば危険を察知する嗅覚である。

 

 己の生命を脅かす強敵と対峙した場合、いかに的確な状況判断を下せるか否かが生死の明暗を分ける鍵になる。守っているだけでは敵に打ち勝つ事は出来ず、かといって闇雲に攻めようとすれば敵に付け入る隙を与える。勝負は一瞬で決まる。いかに敵の虚を突き、勝負を決するに足る一撃を叩き込むかが重要だ。連綿と移ろう戦いの趨勢を見極めて、生と死が交錯する際涯の境界線に一歩踏み込むことでしかもぎ取れない首の皮一枚の勝利がある。ラウルの目から見てベートという男は稲光のようなわずかな一瞬しか見出せない勝機を感じ取る嗅覚に優れ、何より危険の中に己の身を滑り込ませる術に長けているように思えた。ベートの強さとは……と、そこまで考えたラウルは静かに嘆息した。自分が彼ら超一流の冒険者の強さを語ること自体が滑稽なことに思え、自嘲的な笑いを口の中で転がした。

 

「君は少し自己評価が低いんじゃないかな」

 

 まるでラウルの心の声を聞き取ったかのようなタイミングで声をかけてきたのは、ラウルと同じくベートの戦闘を遠巻きに見守るロキ・ファミリアの団長フィン・ディムナだった。

 

「……なんのことっすか?」

「隠さなくていいさ。自分とベートを比べていたんだろう」

 

 とりあえずすっとぼけてみたラウルだったが恐ろしく洞察力の高い団長にはお見通しだったようだ。見てくれこそ少年と見まごうような容姿であるがそれは所詮小人族(パルゥム)の種族的な特徴でしかない。彼の事を軽んずる者などこの迷宮都市には存在しない。

 

 さすがに敵わないなあとラウルは小さく笑みを浮かべた。

 

「まずは胸を張れ。萎縮して下を向いたままでは前に一歩踏み出すこともままならなくなる」

 

 強い眼差しだった。深く語ることは無かったが言外に込められた真っ直ぐな感情に答えたいと思えるような不思議な力が込められていた。

 

 本当に敵わない、と今度は妙に小気味良い情調で笑いながっら「ッス」と短く返事を返した。

 

「それにしても……今日は特にキレッキレすねベートさん」

 

 最初強竜(カドモス)とサシで殺り合うと言い出した時はどうなることかと思ったが、蓋を開けてみれば心配するだけ無駄であった。一緒についてきたガレスにいたってはベートと強竜(カドモス)の戦闘そっちのけで武装の手入れを始めているほどだった。おそらく決着は近い。一蹴とは行かないまでも終始優勢のまま畳み掛けているときたものだ。

 

 しかしフィンはラウルの言葉にわずかに顔を曇らせた。「無茶や無謀って一言だけで括れないからこそ諌め難い。厄介なものさ」とため息をついた。

 

「はい?」

 

 フィンの言葉にいまいち要領を得ないラウルだったが、フィンはおどける様に肩をすくめた。

 

「ウチのファミリアは頼りになる問題児ばかりってことさ」

 

 団長としては胃が痛いばかりだよ、と笑った。

 

 

 

 

 

 幾多の神話や御伽噺で語られる英雄達の物語。

 

 迷宮都市オラリオとはそんな彼らの物語を綴る叙事詩の大舞台と呼べる場所であり、今なお新たな英雄達の逸話が綴られ続ける未完の英雄譚が花咲く地であった。

 

 しかし。

 

 文章の向こう側や伝聞の中で語られる英雄達の物語であるが、そんな彼らにも生活があり、その周りには老いも若きも男も女も、多くの人々が暮らしてる。

 

 叙事詩にとって語るほどでも無いと判じられた脇役にすらなれなかった者達の中には、まだ表舞台に上がる資格を得ていないだけの英雄未満のひよっこが埋もれている。そんなことも、もしかしたらあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

  ・挿話【英雄未満の少年】

 

 

 

 

 

 ベル・クラネルは夢を見ていた。

 

 眠っていると自覚した途端、深い眠りの底から意識が徐々に浮かび上がってくるのを感じた。身体を包むブランケットの匂いや、頬でこすれる枕の肌触り。じわじわと活気を取り戻していく肉体の感触が脳味噌をとろかしていた睡魔を打ち散らしていく。

 

 まどろむ意識の切れ端で「もう朝か」やら「朝ごはんどうしよう」などと考えているうちに先ほどまで見ていた夢の内容などはすでに忘れかけている。雲が渦巻いているようなぼやけた意識の中に、夢が抜け落ちたばかりの無色透明な空白のようなものがぽっかりと生まれていた。人の意識が底の見えない海のようなものなら、夢というやつは海の底でしか生きられない深海魚のようなものなのかもしれない。普段は深くて暗い場所でゆったりと泳いでいて、その人が眠りについた時に一時だけ触れることが出来るのだ、と取り留めの無い感想がうつらうつらとした意識の中で浮かんで消えた。

 

 深い眠りの底からゆっくり浮かび上がってくる途中のまどろみは現実と夢の境界線で、どちらが現実でどちらが夢か分からなくなる一瞬がある。そんな時だ。ふいに眠りの底に置いてきた夢で聞いた言葉が現実の意識に向かってにじみ出てきた。

 

『男ならハーレム目指さなきゃな』

 

 その言葉を聞いて「そういえば昔の夢を見てたんだっけ」とベルは思い出した。

 

 それはベルが幼い頃から刷り込みのごとき頻度で、祖父から言い聞かせられてきた言葉である。おどけたような口調だった。人によっては冗談とも妄言ともとれる内容だった。しかしベルの祖父はまるで将来のために勉強をしなさいとか貯金をしなさいとか、そういう世の中の仕組みの中で上手に生きるための訓戒みたいなものを教え諭すような口振りで〝ハーレムを目指せ〟と至極真面目に孫に伝えた。世間一般の感覚で言えば少々ズレた意見かもしれないが、それでも祖父はベルの人生をより良いものにしてあげたいという人生の先達としての心からの助言であった。そんな祖父の言葉もあってかベルは幼心に素敵な女性との出会いに憧れ、そして祖父が読み聞かせてくれた冒険譚の中で活躍する英雄たちに憧れた。

 

 英雄と呼ばれた彼らは時に悪いドラゴンを打ち倒し、さらわれたお姫様を助け出した。凶悪なモンスターの大群をたった一人でなぎ払い窮地に立たされた仲間を救った。しかし彼らはただ強いだけではない。ひどく人間臭い面もあった。自分の冒険談を誇らしげに語りながら大酒をかっくらって陽気に笑い、女性にふられては自棄酒を涙で濡らしていた。意見を違えた仲間と子供みたいな殴り合いの喧嘩をしたかと思えば、次の日にはその仲間と肩を組んで酒場を梯子する。ダンジョンで宝物を見つけて無邪気に喜び、その夜には博打で全額すって頭を抱えている。

 

 彼らの生き方は……なんと言うか、激しくて荒々しかった。

 

 人生山あり谷ありというが、彼らの人生はまさに山と谷ばかりで平坦な場所など無い。それは安定した生活と呼ぶには程遠い刹那的な生き方だ。

 

 でも、羨むほどに楽しそうだった。少なくとも冒険譚の向こうで語られる彼らは心の底から人生を楽しんでいた。

 

 幾多の英雄たちが後世にまで紡がれてきた物語の中で今も燦然と輝いていた。ただカッコいいだけの英雄だけじゃなかった。怒りたい時は子供のように怒って、泣きたい時は男だって関係無いと言わんばかりに涙を零して悔し泣き、笑いたい時は空の果てに届けと言わんばかりの大声で精悍に笑う。

 

 でも決める時はきっちり決める

 

 相棒は腰に佩いた一振りの剣。あらゆる艱難辛苦をその剣で斬り払い、立ちふさがる強敵たちをねじ伏せる。己が身一つで人生を切り開き富と名声を手にする。

 

 そんな彼らが途方もなくカッコよく思えた。

 

 彼らはどこまでも自分の心に素直に生きていてどこまでも自由だ。彼らの人生は――それを語ってくれる祖父のしわがれた声は燃え滾るような息遣いで物語を綴っていた。とてつもない熱量を持った彼らの魂と生き様はいつしか幼いベルの心にも焼け付くような憧憬の火を灯していた。

 

 女性との素敵な出会い。

 

 英雄への憧れ。

 

 二つの願望は幼い少年の無垢な憧憬の中で育まれた。どちらか片方の願いだけでは、あるいは今と違う人生を歩んでいたかもしれない。素敵な女性との出会いというだけなら冒険者という苛烈な道を選ぶことは無かったかもしれない。英雄への憧れは正直年を重ねていくにつれ、自分では英雄みたいな偉大な存在になれないのだと客観的に考えてしまうようになっていた。

 

 しかし素敵な女性との出会いという願いが一場の夢に手放してしまいそうになった〝英雄〟の夢を繋ぎとめてくれた。愛読書であった『迷宮神聖譚』(ダンジョン・オラトリア)に登場する彼らのように、自分もオラリオで冒険者になれば想い焦がれていた形で素敵な女性達とお近づきになれるのではないか、そんな純で不純な想いがベルの人生を突き動かした。

 

 唯一の家族であった祖父が逝去してから一人になったベルは、冒険者になるべくオラリオを訪れた。不安こそ大きかったが湧き立つような高揚感も確かにあった。ここから僕の冒険が始まる! と期待に胸を膨らませていた。

 

 しかし人生そこまで甘くなかった。

 

 見た目小柄で貧弱な体型であり、ファミリアに貢献できるような専門的な知識などまるで無いベルではどこのファミリアでも門前払いであった。冒険者になるには【神の眷属】(ファミリア)に加わって【恩恵】を授かることが必須条件である。自分ではそもそもスタートラインにすら立てなかったという現実に、ひたむきに夢を追いかける少年の心は無残にへし折られようとしていた。

 

『――ボクたちの【ファミリア】はここから始まるんだ』

 

 だからこそ、そんな自分に手を差し伸べてくれた神ヘスティアはベルにとって恩人であり、かけがえの無い大切な人だった。見た目は可憐な美少女であり、身長は小柄なベルより更に低い。でも地上に降臨した本物の女神であり、正真正銘の超越存在(デウスデア)だ。さすがに恋愛感情どうこうというのは畏れ多いが、本当の家族のように近しく、同時に自身の主神として心の底から敬える存在。それがベルにとってのヘスティアだった。

 

「……神様」

 

 ぽつりと口をついて出てきた言葉の底にはまだ色濃い眠気が揺らめいていたが、まるで迷子の子供が親に焦がれるような語調であった。

 

 ベルはハッと瞼をこじ開けて慌てて周囲を見回す。そこは見慣れたヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)である教会地下の隠し部屋である。うらぶれた、というのは言いすぎであるが室内干しの洗濯物やら石作りの寒々とした地下室に無造作に配置された家具が妙な生活臭を醸し出している。そこに主であるヘスティアの姿は見えなかった。むしろ周囲の空気が持て余すほどの華やぐ美貌を持った彼の少女がいないからこそ、この部屋は雪曇の空のようにどんよりと重苦しい雰囲気に見えたのかもしれない。

 

「聞かれて……ないか。よかったぁ」

 

 世間一般では少年と呼べる年頃のベルではあるが胸に抱いた矜持は一端の男である。それなのに縋りつくような声色でヘスティアを求める声など聞かれたとあってはだいぶ恥ずかしいものがある。

 

 もっともベルに対してただの眷属という言葉では括りきれないほど大きな想いを寄せるヘスティア本人が耳にしていたとしたら「そんなに愛おしげにボクの名前を呼ぶなんて! キミってやつはまったくしょうがないなあー」と欠片もしょうがないと思っていなさそうな喜色満面な表情を浮かべながら床に押し倒すようにベルに抱きついてきかねない。四肢を絡め胸板に頬擦り十往復もセットだ。人によっては御褒美である行為ではあるのだが、そこは初心なベルである。嬉しいことは嬉しいのだが申し訳ないやら恥ずかしいやらが圧倒的な割合を占めるためトータル的な感想は「勘弁してください」だ。

 

「よっと……」

 

 ベルは寝床にしているソファーから半身を起こす。ずいぶん眠った感覚がある。体を駆け巡る神経の流れが粘り気を帯びたように鈍くなっていて、全身に軽い痺れを感じた。首や肩のコリをほぐし、昨夜から机の上に置いたままで生ぬるくなった水差しの水で渇いた喉を潤した。

 

「神様ー、どこですか神様ー」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、ベルは周囲に呼びかけてみるが返事は無い。おかしいな、と思いつつ手に持った水差しを机の上に戻す。そこで机の上にメモ書きが置かれているのに気づいた。

 

「これ……あ、神様の字だ。ええっと……なになに」

 

 メモ書きにはヘスティアの筆跡で『おはようベル君! 昨日言ったけれどボクは朝からちょっと出かけてくるよ』と綴られていた。

 

 そういえば、とベルは昨夜のヘスティアとのやり取りを思い出していた。

 

 朝から神友と会う約束があると言っていた。なんでも下界に来てからしばらくお世話になっていた神様で、このホームを提供してくれたりバイトの紹介までしてくれたらしい……穀潰しの居候でベッドの上でゴロゴロしながら書籍を読み漁っているような自堕落な生活を送っていたヘスティアに堪忍袋の緒が切れて叩き出したとも言うが。

 

 割の良いバイトがあるらしく、それを新しく紹介してくれるということだ。ヘスティアは『これで生活がちょっと楽になれば夕食に一品くらい彩りをつけられるかもしれない』と張り切っていた。

 

 僕ももっとがんばらないと、と意気込むベルだったがヘスティアからのメモ書きの続きを読んで、顔を青ざめさせた。

 

『おはようベル君。昨日言ったけれどボクは朝からちょっと出かけてくるよ。あと例の件、よろしく頼んだよ』 

 

 〝例の件〟という文言が目に留まった瞬間、寝起きで鈍くなっていた思考が加速度的に回転を始めた。錆付いて立て付けが悪くなったような記憶の扉がひしゃげるような勢いで蹴り開けられる。吐き気にも似た焦燥感が胸の奥からせり上がって来て、声にならない悲鳴が喉の奥で反響して頭を突き抜け雑巾を絞るように脳味噌をぎりぎりと軋ませた気がした。

 

『――追伸・寝坊しちゃダメだぜ?』

 

「や」震えた唇から吐き出された吐息は身体の内側からあふれ出す焦燥感で鋭く尖っていた。

 

「やらかしたぁああああああああ――――ッ!!」

 

 ベルの絶叫を皮切りに閑寂とした部屋の空気はまるで夜半過ぎの天井でネズミと蛇の追いかけっこが始まったような慌しいものへと様変わりした。

 

 生地が引き裂けるのではと思うような勢いで寝間着を自分の身体から引っぺがし普段着に袖を通した。脱いだ寝間着はいつの間にか手の中に無かったので床にでも放り投げたのかもしれないが、そのことに頓着している余裕も無かった。朝食は食べなかった。食べる時間も無かったし、歯を磨く手間がかからないので一食くらい抜いても問題無い。寝癖を直す時間などありはしないが、気付けの意味も込めて顔だけはしっかり洗った。両手ですくった水を顔に叩きつけ、タオルで豪快に水滴を拭う。財布をポケットにねじ込み、よし行くぞと意気込み大きく前足を踏み出した瞬間、足の小指を机の脚に向かって杭を打つような勢いで叩きつけた。脳が痛いと感じるまでの一瞬の空白の中で『あ、これヤバイ、絶対痛い。無理無理きっと耐えられないくらい痛いよ。誰か助けて』と中身の無い祈りを天に捧げた。一瞬遅れて痛いという情報が稲妻のように脳味噌に突き刺さった。ベルは「ひふらほあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」と魂を搾り出すようなけたたましい叫び声を上げて床にひっくり返った。頭の中ではなぜかジャーンジャーンという銅鑼の音が響いていた。小指から波及した痛みは全身がばらばらに砕けて血の変わりに焼け付く溶岩が体中を巡っているみたいな痛みだった。【恩恵】を授かって身体能力諸々が上がろうと痛いものは痛かった。

 

「ヒュー、ヒューッ……ふんぬあぁあああああああ――――ッ!」

 

 ひきつけを起こしたような呼吸を正常なリズムの型に無理矢理押し込んだ。痛みを振り払うように気焔を吐いて立ち上がろうとする。前足側の膝を立て、後ろ足側の膝を床につけてぐっと爪先に力を込めた。いわゆるクラウチングスタートのポーズに近い。今度こそ行くぞ! と痛みをこらえて扉目掛けて一目散に猛進しよとした。飛び出そうとしたその瞬間、爪先の下に先ほど脱ぎ散らかした寝間着があって上体ごと足をずるりと後ろに滑らせ、自分の膝目掛けて豪快なヘッドバット。おでこを押さえながら声にならない悲鳴を上げて床の上でのたうちまわった。

 

「~~~~~~~~~~っ!? ――ま、負けないッ!」

 

 自分でも何と戦っているかよく分かっていなかったが、少なくともダンジョンでモンスターと交戦したわけではないのにここ最近で一番の満身創痍っぷりだった。そうして這う這うの体で扉にたどり着いたベルはオラリオの街へと飛び出していた。 

 

 

 

 

 

 その日は朝から雲一つ無い青空だった。

 

 夜半過ぎに降った豪雨によって洗い清められてがらんどうになった空気は、今は湧き立つような若葉の青々しさや湿った土の匂いで満たされていた。雨水を吸い込んだ街の景色は爽やかな朝日を浴びて濡れ光り、レンガ造りの建築物などは妙に艶のある表情を浮かべていた。荒くれ者どもが跋扈する迷宮都市の騒音の吹き溜まりのような喧しさはまだ鳴りを潜めており、今はにわかごしらえにすぎない物静かな調和が都市全体を包み込んでいた。

 

 朝方だというのに風はやや強かった。気圧の大きな変化のため雨が降った翌日は大体そうだ。特にオラリオは高い市壁で囲まれた円形状の造りをしているため、市壁を吹き越した風が上空の気流を巻き込んで街へと吹き降りてくる。都市の中央から放射状に伸びる都合八本のメインストリートと、それらが合流する円形の中央広場(セントラルパーク)は、強い風から周囲の建物への影響を弱めるための風の通り道としての側面もあった。

 

 住宅地が密集する西のメインストリートからいくつにも枝分かれした通りの一つを、ベルは風を切り裂くようにひた走っていた。夜露に濡れた柳の枝葉が風に吹かれて水粒を散らすように、ベルの額や頬からあふれた大粒の汗が白い髪を伝わって後方へと絶え間なく迸っていた。ベルは跳ねるような足取りで前へ前へと突き進んでいる。ベルの背は低く華奢な体躯である。その姿は白い髪と深紅の瞳も相まって、まるですばしっこく愛らしい『兎』のような印象を見る者に与えた。

 

「クッ! なんてことだ!」

 

 口惜しげに歯を食いしばる。

 

 ベルが走っているのは彼の現在の住居であるヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)に程近い通りである。朝方であることと関係なく人の往来は滅多に無い。通りに面しているのはまるで古代の遺跡のように荒れ果てた石造りの建築物だけであり、それらには都市に流れる時間そのものから零れ落ちてしまったかのように蔓や雑草が伸び伸びと蔓延っていた。石材が砕けて剥がれ落ちた残骸が道のいたるところに散乱しており、それを片付けようとする人間は一人もおらず、片付けなくともさして困る人間もいない。そこはオラリオの都市機能から切り捨てられた場所といっても過言ではなかった。

 

 世界有数の大都市とはいえ、メインストリートから路地一つ隔てればこういったうらぶれた場所は数え切れないほどある。そしてそういった場所に本拠(ホーム)を置くヘスティア・ファミリアの財政状況といえば、言うまでも無く危機的状況……には間違いないのだが、厳密にはその言い方も正しくは無い。なぜなら危機じゃなかった時期など最初から無かったので崖っぷちこそが定位置であり、栄華を極める迷宮都市の光が届かない薄暗い場所でヘスティア・ファミリアは細々と生計を立てていた。着る物どころか日々の食事さえ困窮しているなど、おおよそ文化的な生活とは言いがたい。

 

 しかしながら人生裏街道驀進中な現状を打開しようという気概はあれど、持つ物を心の底から妬むような卑屈さはベルにも、そして彼の主神であるヘスティアにも無かった。何だかんだで底抜けに明るい一人と一柱なので、貧乏暮らしでさえ日々のちょっとしたアクシデントを笑いに変えて、日常の中にありふれている小さな幸せをかみ締めながらお互いを支えあって楽しく生きていた。

 

 たとえ余人には共感されなくとも、そこにはベルにとって満たされた生活があった。

 

 ――この(ひと)を助けてあげたい。

 

 それはヘスティアと出会ってからベルの心に深く刻み込まれた、一番最初の自分への約束だった。

 

 だというのに。

 

「こんな致命的なミスをするなんて……僕ってやつは……っ」

 

 嘆いていても時間が戻るわけではないが、嘆かずにはいられなかった。

 

 ベルは幼い頃より祖父を手伝い田舎で農作業を営んできた。そのため朝早くに起きるということに関しては自分の体内時計に全幅の信頼を置いていた。だがここ最近は遅くまでダンジョンに潜っているということが続いていたため、疲労が蓄積していたのかもしれない。自分自身の夢やファミリアのためにと頑張っていた結果、ある意味最悪のタイミングで跳ね返りがやって来た。

 

 ベルは昨夜のヘスティアとの会話を思い出していた。

 

『ベルくん……眷属である君にこんなことを頼むなんてボクは神様失格かもね』

 

 愁いを帯びた表情だった。どうしようもないやるせなさや自身の考え方や行為に対して懺悔するようような自虐的な色が綯い交ぜになった瞳は物憂げに揺れながら、所在無さげに床の上をさまよっていた。

 魔石灯で心細げに照らされた廃教会の地下室。まるで薄墨を溶かしたような重い湿り気を帯びた暗がりは、ヘスティアの憂いを帯びた顔によりいっそう深い影を落とし、神の身でありながら今はか弱げな少女にしか見えないその小さな肩を押しすくめるように圧し掛かっていた。

 

『これが許されないことだと分かっている。一部の人たちにとってはある種の裏切りに等しい事だともね』

 

 抑揚の欠けた語勢だった。ヘスティアが吐き出すように告解する内容よりも普段の陽気さが微塵も感じられ無いその声色がなによりもベルの心を締め付けた。

 

『神様』

 

 ベルはヘスティアの言葉を遮るように声をかけた。もういいんです、という言葉は激情で言葉尻を荒ぶらせたヘスティアによって途切れた。

 

『断ってくれてもかまわない! いや、むしろボクは君が断ってくれることを望んでいるのかもしれない。君まで後ろ指差されるようなことになったらボクは……っ』

『神さま!』

 

 びくりと、ヘスティアは肩を震わせた。

 

『大丈夫です。僕も、あなたと同じ気持ちです』

 

 迷子の子供のような不安で揺れるヘスティアの瞳を真っ直ぐ見つめながら、ベルは手をぎゅっと握り締めた。『ベル君……』と感極まったヘスティアはベルの手をぎゅっと握り返したまま『ありがとう』と返した。眷族に無様に姿は見せられなかった。だからこそその一言が今の精一杯で、それ以上は必死にせき止めていたものが決壊しそうで、すぐには口を開くことができなかった。

違えるわけにはいかない。神様の期待を裏切るわけにはいかない。ベルは猛々しい雄叫びを上げながらオラリオの街を駆け抜けていた。

 

「クッ! 間に合え――ッ!」

 

 タイムリミットである刻限はすぐそこまで迫っていた。

 

 幸いなことに早朝で周囲に人はいないため奇異の視線を向ける者はいない。せいぜい石塀の上に止まっていた鳥が数羽驚いて飛び立っていっただけだ。階段を段飛ばしで駆け上がる。道に転がる小さな瓦礫は蹴散らし、大きな瓦礫は飛び越えた。斜めに傾いで地面に倒れている巨大な石柱はスライディングの要領で柱と地面の隙間のわずかな空間に身体を滑り込ませて潜り抜けた。

 

「とう!」

 

 丁々発止と地面を斬り付けるような鋭い足音を絶え間なく響かせて、ベルは右足をドンといっそう強く踏みしめた。鳥が羽ばたく時に地面を鉤爪で踏みしめるように力を込め、跳ぶ。背丈ほどもある崩れた瓦礫に飛び乗り、そこを足場にいくつかの建物を屋上から屋上へと飛び移る。

ショートカットを重ねてメインストリートに出たベルはようやっと目的の地へとたどり着いた。

 ぎりぎり間に合った。ベルは安堵に胸を撫で下ろしながら、勝鬨を上げるように声高らかに叫んだ。

 

 

 

「おばさん! そこの早朝セール品の海鮮セットくださあああああああああいッ! ……あ、このビラに書いてあるおまけのちり紙ってまだ残ってますか?」

 

 

 

 生きることは戦いであり、時に他者を踏み越えてでも前に進まなければいけないことがあるとヘスティアは語った。

 

『タイ、えび、カニ……ああ、なんてことだ! 想像しただけでよだれがたれそうだよ!』

 

 天に向かって世界の愚かしさを語り聞かせる敬虔な殉教者のように、芝居がかった口調でまるで謡うように叫ぶヘスティア。ベルもそういえば最近海の幸とか食べてないなぁと生唾を飲み込んだ。なにせオラリオには海が無いため産地直送の新鮮な海鮮は結構な高級品である。

 

 少しでも新鮮な海鮮を提供するための朝一の販売。それも今回はオラリオ近くの港町で近年まれに見るほど大量に水揚げされたとかで滅多に無いセールなのだ。希少な海鮮物のセールがあると大々的に宣伝すれば商品はあっという間になくなってしまう。そのためこの情報は本来ならどこぞかの商会の会員に加入していなければ知らされることが無いのだとか。バイトしている屋台の常連さんからこっそり情報を流してもらったとヘスティアは言った。

 

『このことが商店街のおっちゃんやおばちゃんに知られたら、一体ボクはどんな制裁を受けるか……抜け駆けの罰と称して犬猫のように頭を撫でくりまわされるかもしれない。そんなに困っているのならと孫を見るような慈愛に満ちた瞳でお菓子を渡される……クッ、考えるだけで恐ろしいッ!』

 

 怒りやら恥ずかしいやらで身震いがしてきたよ! と地面をドンッと踏み鳴らすヘスティア。情緒不安定だった。

 

 色々溜まっているんだなあ、とベルは生暖かい目でヘスティアを見ていた。

 

『たまに贅沢したっていいじゃないか!』

 

 そうですね、ベルは答えた。変わらず生暖かい目だった。

 

『その……念のためだ、もう一回聞くよベル君。ボクは明日ヘファイストスに会わなきゃいけないからそっちのセールに行くことができないんだ。ヘファイストスにはなんだかんだで迷惑かけっぱなしだから約束の日を変えてとか言いにくくってさ』

 

 気まずそうに頬をかくヘスティア。負債というか恩がえらいことになっていると、この間こぼしていたことをベルは思い出した。

 

『だからこのお願いは断ってくれてもかまわない! いや、むしろ僕は君が断ってくれることを望んでいるのかもしれない。そうだよ、よくよく考えたら君に悪行の片棒を担がせるようなマネは――」

『神さま!』

 

 鋭い声でヘスティアの言葉を遮るベル。

 

『大丈夫です。僕も、あなたと同じ気持ちです』

 

 海鮮食べたいです、とすきっ腹を抑えながら自分の欲求を真っ直ぐ伝えた。

 

 そんなことを思い出しながら手に入れた海鮮セットを感動した面持ちで見つめた。海鮮のずっしりとした重みが幸せの重みに感じた。感無量で天を仰ぐ。雲一つない抜けるような青空が自分を祝福してくれているようだった。 

 

 スキップしそうな軽快な足取りで帰路に就くベル。

 

 その道中で街行く人々の話し声が耳元を通り過ぎた。

 

 曰く――彼の英雄の帰還。

 

 その話を聞いたベルの心臓の鼓動がにわかに騒がしくなった。ベルも数日前からそういう話があるということを聞いていたが、こうして耳にするたびに心がさざめくように興奮するのを感じた。

 

 【片翼の天使】セフィロスがオラリオに帰ってきた。

 

 憧れ続けた英雄が迷宮都市オラリオという同じ土地に住んでいる。もしかしたらどこかで会えるかもしれないという淡い期待に微笑がこみ上げてくる。

 

 しかしそもそも所属するファミリアが違う。基本的にファミリア同士は主神の意向がない限り不可侵が原則である。

 

 それでも夢想してしまう。

 

 幼い頃より憧れてきた英雄の背中を追いかけることができたら、と。

 

 まあ弟子というのは望みすぎだが、ほんのちょびっとだけでも戦い方のアドバイスをもらえるなら、その教示を誇りに今より躍進できる気がする。今よりほんのちょっと高く跳べる気がするのだ。

 

 だが彼の英雄の薫陶を受けるとなると多方面からやっかみを受けかねない上、後々ややこしい問題を引き起こしかねないという事は、オラリオに来て日が浅いベルでも理解できていた。

 

「……って、そもそも縁も所縁もない駆け出し冒険者の僕に、あのセフィロスが相手にしてくれるわけないしなぁ」

 

 せめて話しかけるだけの切っ掛けが無ければどうしようもならない。無論、ベルにそんな当ては無かった。

 

 ははは、と力なく笑いながら空しい妄想に諦めの終止符を打ち、ベルはいつのまにか、なぜか崩壊寸前となっていた住居である教会へと帰ってきた。

 

「っていうか、ホントに何があったのかなコレ……天井丸ごと吹っ飛ばされるなんて尋常な出来事じゃないよね……」

 

 最初は地震でもあったのかと思ったが、あの日この辺りで地震があったという話はとんと聞かなかった。

 

 未来が先の見えない暗いトンネルを抜けた先にあるという言葉をどこかで聞いた。だとしても、果たして夜寝て朝起きたら住居が半壊どころか天井ぶち抜かれてました、などという展開になるなどと想像できようもない。この場所は何か、武力紛争地域の最前線とでも言うのだろうか。初耳である。

 

 セフィロスの所属しているというロキ・ファミリアのホームである黄昏の館と比べてはぁとため息をつく。この崩壊寸前の荒れ果てた教会を、セフィロスが見たら何と言うだろうか。笑われるんじゃないだろうか。

 

 ――ハッ、僕はなんてことを!?

 

 たとえどうであれここは大切な僕の帰る場所なのだ。悪く言うなんてとんでもない。それに住めば都だ。こうして天井が無くたって、むしろさんさんと日の光を浴びれて、天気や季節の移り変わりを肌で直に感じ取れる。そんな解放感満載の野趣あふれる家だと思えば……いや、もはやそこまでいったら家と呼称して良いのだろうか?

 

 まあ住居スペースは地下にあるから問題無いと言えば無いのだが。元々、廃墟と呼んで差し支えないほどボロボロだったのだ。そこから天井の一つや二つ差し引いたところで、大して変わりは無いだろう。

 

「ベル君おかえり~」

 

 地下へと伸びる隠し階段を抜けたベルをヘスティアが迎えた。陽気で弾んだ様子で近寄ってきてベルが買ってきた海鮮セットを見咎めると「ありがとうベル君! さあ今日は豪勢にぱーっといこうぜ!」と朗らかに笑った。

 

「ただいま帰りました神様!」とベルも笑い返した。

「そういえばバイトの話ってどうなりました?」

「そうそう聞いてくれよベル君! ヘファイストスったらひどいんだよ!」

 

 そのぷりぷりと怒った話し振りから察するに、バイト先は今のじゃが丸くん屋台から変わりはなさそうである。

 

 帰りを待っていてくれている人がいて、自分も帰ってきたいと思える場所がある。色々と苦しい生活ではあるけれど少なくともベルは今幸せだと思えた。同時に、この神様に楽をさせてあげるために強くなりたいといっそう深く思う。

 

 まだベルはダンジョンを2階層までしかもぐった事が無い。ダンジョンの中でも上辺も上辺である。ダンジョンは深くなればなるほどにモンスターもその強さを増すため、戦いも冒険も初心者であるからしょうがないといえばそこまでだが……。

 

 今度から行けそうだと感じたら少し深くまで潜ってみようか、という想いがベルの胸中に芽生えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話【凶狼は迷宮で吼える】 ②



 前の投稿日が4月6日……

 ヨシ、1週間以内に投稿できたネ!

   ・

   ・

   ・ 

   ・

  m( _ _;)m







 

 

 

 

 未曾有の事態。

 

 そんな言葉を使う機会など人生の中で何度訪れるだろうか。

 

 今ロキ・ファミリアを襲っている事態は、まさにそれだった。

 

 迷宮都市オラリオのダンジョン50階層。そこは本来ならモンスターの生まれない安全地帯(セーフティポイント)だ。深い階層になればなるほどダンジョンは広大に、そしてそこに蔓延るモンスターの脅威度も上がっていく。12階層までが上層、13階層から24階層までが中層、25階層から36階層までが下層、そしてそこから先37階層からは深層と区分されており、深層ともなればオラリオでもトップクラスの探索系ファミリアがしかるべき装備を整え総力を以て挑まねばならない。そんな魔窟において、50階層はダンジョンの更なる深淵、まだ誰も見たことすら無い未到達階層を目指すための貴重な休息地帯(レスト・エリア)である。未到達階層の開拓を目的としてダンジョン遠征を行っていたロキ・ファミリアは難所である49階層大荒野(モイトラ)を抜け、50階層でベースキャンプを張っていた。激戦を乗り越えた彼らにようやっと訪れた安息の時間は、突如として破られることとなる。

 

 未知のモンスターによる下層階からの進撃。それも十や二十ではない。数えるのも馬鹿らしい、人の体躯の倍はあろうかという芋虫型のモンスターの大群であった。

 

 気づいた時にはもはや自陣寸前にまでモンスターの接近を許してしまっていた。

 

 油断していたと言われればそうに違いない。

 

 しかしその責任の所在を誰かに押し付けることなどできようはずもない。誰もが気を緩めていたのだから。誰もが心の奥底にダンジョンへの警戒を怠らないでいたが、『安全地帯(ここ)なら気を休めていても大丈夫』だと少なからず気を抜いていた。それは団長であるフィンすらもそうだ。フィンは今現在、困難な冒険者依頼(クエスト)を達成するため主力メンバーを率いて別行動を取っていた。誰もがここなら気を緩めても大丈夫だと考えていた。それは『信用』という本来なら抱くべきではないものをダンジョンに対して持っていたためといえるだろう。しかしここは理外の理によって支配された魔窟であり魔物の腹の中同然、まさに『なにが起こるかわからない』場所なのだ。

 

 主力のほとんどを欠いたロキ・ファミリアのメンバーに現状を打破する手段はなかった。

 

 防戦一方。

 

 強力な魔法による敵勢力の一掃という切り札を持ちながらも、そのカードを切るための隙をつかむことができない。厄介なことにそのモンスターは鋼鉄すらやすやすと溶かす腐蝕液を噴射してくるのだ。ならばと武器を犠牲にして倒そうものなら体内にため込んだ腐蝕液を炸裂させる――その様は周囲一帯を巻き込む爆弾そのものである。その同一個体が数百と押し寄せてきている。矢などで遠距離からの攻撃で仕留めようにも数に限りがあり、魔法を撃つための詠唱の時間はこの切迫した状況で稼ぐことは非常に困難であった。攻め手に欠け、磨り潰されるような――文字通り武器や防具を溶かされながら、それでも彼らは奮戦した。

 

 戦線を維持できたのは副団長たるリヴェリア・リヨス・アールヴの存在と、第一級冒険者たる主力メンバーが帰還さえすれば現状を打破できるという希望があったからだ。しかし限界はすぐそこまで迫っていた。戦場に仲間たちの悲鳴や怒号が上がり、焦燥ばかりが募っていく中、その男は現れた。

 

 セフィロス・クレシェント。

 

 【片翼の天使】の二つ名を持つ、ロキ・ファミリアの――否、迷宮都市オラリオの誇る最強の冒険者である。

 

 

 

 

 

「総員に告げる……いや、少しばかり聞いてほしい」

 

 セフィロスはリヴェリアから部隊の指揮権を譲渡されると、団員達に向けて口を開いた。それは死者こそ出てはいないが、ベースキャンプが壊滅しかかったこの切迫した状況においては場違いなほど落ち着いた語調であった。

 

 このベースキャンプに打ち付けるように押し寄せていたモンスターの群れは、セフィロスが放った渾身の一撃によって薙ぎ払われた。しかしこうしている今も下層に通じる穴から怒涛の勢いでその芋虫のような醜悪な巨体をぶつけ合い、捩りながら次々とあふれ出てきている。もう幾許かもしないうちに数百にもおよぶモンスターの群れは再びこのベースキャンプにまで到達するだろう。

 

 だがセフィロスに慌てる様子は見られない。むしろ今こうして言葉を紡ぐことが最善だと信じて疑わないように、全員の顔を見渡しながらその怜悧玲瓏な面貌に静かな笑みさえ湛えていた。

 

 何を口にするのか。

 

 セフィロス・クレシェントという男は数多の強者が集う迷宮都市においても間違いなく最強格の戦士であり、その名声はオラリオを飛び越え世界中に轟いている。知名度という点で並ぶ者はおらず、積み上げた功績は数知れず、現代の英雄という称号を掲げるにこれ以上相応しい人物はいない。

 

 そして……それはいつしか彼らロキ・ファミリアの誇りとなった。

 

 そんな彼が一体自分たちに何を語りかけようとしているのか。団員たちは期待とも興奮とも言える感情に胸を昂らせながら耳を傾けた。

 

 しかし、その第一声は耳を疑うようなものだった。

 

「私は本来なら、諸君の指揮を執れる立場ではない」

 

 それは部隊を率いる者としてあるまじき弱気ともとれる発言だった。しかしセフィロスの態度に臆病風に吹かれて臆した様子は微塵もなく、むしろ団員たちの不安や失望すらも受け止めるように静かに凪いだ瞳で、口は柔らかに弧を描いていた。

 

「私は長い間ファミリアを空けていた。つい先日帰還したばかりで、諸君らが部隊として動くのに並々ならぬ訓練を積んでいた時間の中に私はいなかった。それどころかこの中には直接言葉を交わしたことのない者すらいる。そんな人間が諸君らの命を預かる立場を拝命するなど全くもって論外だ」

 

 だが、と続ける。

 

「後輩諸君は同じ道を歩む先達の一助として耳を傾けてほしい、先輩の御歴々はこの若輩者に力を貸していただきたい。私は勝利のために前へと突き進む諸君より更に前に一歩踏み出す者となる。道を遮る藪は私が切り払う。毒虫の針が潜むのなら私が引き受けよう。立ちふさがる危険にはまず私が踏み入り警告を発しよう。私に諸君の命を預けてほしいとは言えるはずもない。だが押しつけがましくも私が諸君の命を背負う覚悟を持つことを許してもらいたい」

 

 セフィロスは全員の顔を見回した。

 

「そしてこの難事を乗り切るために諸君らの力を私に預けてくれ」

 

 セフィロスの言葉に、ある団員は総身をぶるりと震わせた。彼はまだ年若く、今回が初めての遠征への参加になる。迷宮都市オラリオに数あるファミリアの中で、ロキ・ファミリアへの入団を強く希望した理由――それは目の前にいるセフィロスに他ならない。彼の軌跡に惹かれた。その強さに憧れた。本に綴られた文字や人づてでしか知りえなかった憧れの英雄が共に戦おうと言ってくれている。こんなのうれしくないはずがないではないか。自分でも形容しがたい熱い感覚が胸の奥からこみ上げてくるのを感じていた。それは他の団員たちも同じだった。騒ぎ立った心は、瞳に闘志となって燃え上がっていた。いつしか皮膚の表面でチリチリと弾けるような強い覇気が場を満たしている。

 

「セフィロスさん」

 

 近くにいた団員の一人が声をかける。熱に浮かされたような目の淵を赤らめていた。

 

「我らにご指示を」

 

 それが全員の総意であることは、セフィロスに集まった熱の籠った視線の〝色〟からも間違いなく、また全員がセフィロスの言葉を聞き逃すまいと耳をそばだてていた。

 

 セフィロスは頼もしそうに笑みを浮かべ、次の瞬間には臨戦態勢ともいうように表情を引き締めていた。団員たちに背中を向け、射貫くような鋭い眼光を、彼らが立つ一枚岩の裾野からこちらに向けて猛然と突き進んでくる芋虫型のモンスターの群れに向けた。先のセフィロスの一撃によって吹き飛ばされたのは先頭を走っていたほんの一部に過ぎず、その衝撃から立ち直ったのか後続のモンスター達は何事も無かったかのように一心不乱にこのベースキャンプを目指していた。

 

 セフィロスが声を上げる。

 

 今度は自分を指揮官と認めてもらうための言葉ではない。セフィロスは今この瞬間、本当の意味でファミリアの仲間として帰還を果たした。彼が言葉にするのはファミリアの仲間を束ね指揮する者として仲間たちを鼓舞する激であった。

 

「今、この場には数多の種族が集っている。思想も各々がその胸に掲げる夢も異なる。その眼に映る景色は同じとて、そこに抱く感傷など誰一人とて全く同じものは持ちえない。我らは一人一人は全く別の個であるがゆえに、それは無理からぬことだ。しかし我らはここにいる。轡を並べ、背中を預け、ともに武器を取っている。たとえそれぞれに流れる血が異なろうとも、たとえ種族が異なろうと、もはや言うまでもなく我らには確固たる絆がある」

 

 オオオオオォォォォッ!!!!! と大地を震わす鬨の声。空気が震え、野営地に刺さった旗が翻る。旗に刻まれているのは道化師(トリックスター)のエンブレム。

 

「我らはロキ・ファミリア。人と神の契約の説話を体現する者達よ。我らは同胞となりて、【個】は集まり【群】となる。〝閉じる者(ロキ)〟たる神の眷属としてこの争乱に幕を引こう。未曾有の事態、前例の無い凶事。結構じゃないか。つまり我らが刻むは新たな記録。このダンジョンという数多の先達が夢と野望を抱いて挑み続けた愚かしくも輝かしき歴史の中で綴られてきた記録の中に、新たな項を書き加える偉業なり。ロキ・ファミリアここにありと、この悪念満ちるダンジョンの脅威に知らしめよ」

 雄叫びがダンジョン50階層に響いた。ロキ・ファミリアの面々は拳を掲げて叫んでいた。 

 

「私達の目的は時間稼ぎだ。物資の不足したこの状況では敵勢力によって本陣を包囲されることだけは避けねばならない。幸いにして敵は餌に向かい列をなす蟻のようにこの本陣を目指し愚直にまっすぐ突き進んできている」

 

 セフィロスの言葉通り、芋虫型のモンスターは知能が低いのか太い列を作り同一方向から一枚岩をよじ登っている。てらてらと濡れ光る灰色の躰をうねらせている様はむき出しの臓腑が脈動しているかのような生理的嫌悪感を抱かせ、それが何百と連なってこちらに向かっている様子は身震いするほどにおぞましい。セフィロスはそれを粛然とした眼差しで見下ろしながら指示を飛ばした。

 

「ならば奴らに他の選択肢を与えるな、気づかせるな。仮に列から外れた一匹が別のルートを辿りこの頂上を目指そうとすれば、それに倣うように後続のモンスターも追従してくる可能性が高い。ルートを外れたモンスターに対し、リヴェリア旗下の魔導士隊以外の者で魔法を使える者は魔法で、武器もなく手すきの者は複数人がかりでその辺りに転がっている大岩を転がして御見舞いしてやれ。倒す必要はない、それだけでも牽制には十分だ。奴らには理性も無く知性も無い、あるのは生態に刻まれた本能の奴隷であるということだけだ。にも拘らず仲間たちと違う行動をとるということは本能の中に生まれた気まぐれ、あるいはバグのようなもの。思いがけない障害が生まれればそれだけで行動を抑制するには事足りる。敵の散開を許すな」

 

『了解!』という声が戦場に弾けた。

 

 ロキ・ファミリアの面々にとってこういった大きな戦場において最も聞き馴染んだ檄といえば当然団長であるフィン・ディムナの指示だ。フィンは小人族(パルゥム)という侮られやすい(・・・・・・)種族であり、本人も小柄な体格で面立ちも少年と見紛うほどだ。しかし【勇者(ブレイバー)】という二つ名に、彼は決して名前負けなどしない。その磨き抜かれた洞察力と戦況を正しく把握する俯瞰の眼を以て、戦場をコントロールする術に長けている。鋭く的確な号令は戦意を猛り立たせる。ファミリアという集団を時に水のように柔らかく動かし、また火のように苛烈に動かす姿はまさに統率者と呼ぶにふさわしい。

 

 ……しかしセフィロスの指揮はフィンのそれとは違っていた 

 

 落ち着いた声色は静かで深い。淀みなく流れ出る指示は、その言葉の内側に不思議な力が宿っていた。例えるなら空の容器にとうとうと水が注がれるように、自分たちなら出来ると自信を与えてくれるような……燃え上るように奮い立つ意気とは裏腹に、戦場だというのに驚くほどにリラックスしている自分がいる。心の真ん中に何事にも揺るがない強固な芯があるのを感じる。別段これはセフィロスに与えられたものではない。元から自分の内にあったものだ。それがセフィロスの一語一語で徐々に色味を増し、固く、柔軟になっていく。だからこそ自信に繋がった。だからこそ自分なら――自分達ならどんな難局でも乗り越えられると戦意が湧いてくる。

 

 フィンとセフィロスの指揮。どちらが優れているかなどは決して比べられない。

 

 しかし、両名とも命を預けるに足る人物であることは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 ――……セフィロス。

 

 リヴェリアはそんな頼もしい背中を見ながら、わずかに気を緩めた。それは先ほどまでの一瞬の気の緩みすら許されない苦境を切り抜けたゆえの溜息のようなほんの一瞬。魔法詠唱に集中するため必要以上にこわばった身体の緊張をほどいてもう一度締めなおすためのほんのわずかな思考の隙間に〝将〟ではなく〝戦士〟でもなく〝私〟としてのリヴェリアの想いが密やかに流れ込んだ。

 

 リヴェリアはセフィロスに指揮を託した。奴なら戦線を維持しながら、味方の被害を最小限に収めるはずだと信じての選択だった。そしてそれは間違いではなかったと確信を持って言える。奴はほんのわずかな言葉で仲間たちの結束を固め、窮地に立たされ挫け掛けていた心を奮い立たせ、万難を打ち破る矛として在り方へと勇躍せしめた。

 

 武器もないような状況で一体どうするのかという不安があった。だが不思議なことに不安を不安と思っていない自分がいた。不謹慎な話かもしれないが……なんだかわくわくしている自分がいた。

 

 リヴェリアのそれは、まるで幼い子供が好きな作家の新刊を手に入れてわくわくしながら表紙を撫でているような顔だった。題材は冒険活劇だろう。一体この本の中にどんな物語が詰まっているのだろうか、一体どんな胸躍るような展開が張り巡らされているのだろうか。そんなまだ見ぬ物語に心をときめかせる幼子のような……憧憬と期待が入り混じり、潤んだ瞳。

 

 ――いかんいかん、私は一体何を考えているのだっリヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

 思わず表情が華やぐのを、団員たちの手前、必死に押し込める。

 

 隣にいた団員の一人がそんなリヴェリアの表情をたまたま見て、顔を真っ赤に染めながら口をぽかんと開けていた。リヴェリアが問うようにじろりと睨むと慌てて杖を握りなおして戦場に目を向ける。「リヴェ……様……かわ……い……」何事かをつぶやいていたが、幸いなことに戦いの残響の中に紛れてリヴェリアの耳には届かなかった。聞こえていたら拳骨の一つくらい頂戴していたかもしれない。

 

 リヴェリアは意識を引き締める。戦場において恥じ入るがごとき惚けた思考だったが、おかげで肩の力もいい具合に抜けた。

 

 意識を研ぎ澄まし、集中する。

 

 ふっと息を大きく吐き出し、目を閉じた。

 

 集中するという行為は心をコントロールするということだ。そもそも普段から自覚できている顕在意識などは、心の大部分を占める潜在意識に比べれば微々たるもの。いくら顕在意識で集中しようと……何かを為そうとした所でそこに潜在意識の協力を取り付けられなければ、発揮できる集中力などはそれこそ氷山の一角に過ぎないものとなろう。どんな分野であろうと一流と呼ばれる人間は総じて潜在意識を操る術に長けている。

 

 それはもちろんリヴェリアもだ。

 

 特に彼女の場合、常に命の危険が付きまとう冒険者という生業の中でも超一流と称えられ、より精神の動きに起因する〝魔法〟という超常の現象を操る魔法使いの中での最高峰。己が心の深淵に沈み入り、その在り方をつまびらかにして自在に行使する尋常ならざる才覚。雨粒の一滴を捉え、地面に弾ける刹那を見極めるがごとき極限の集中力こそ、九魔姫(ナインヘル)リヴェリア・リヨス・アールヴを最強の魔法使いたらしめる根幹を成すものである。

 

 彼女は部隊を指揮する者……統率者としての適性も極めて高いが、その真価が発揮されるのはまさにこの瞬間。打ち砕くべき敵を捉え、信頼できる仲間に背を預け、その援護の下、最大最強の火力をもって敵勢力を一掃することにこそある。

 

「【――終末の前触れよ、白き雪よ】」

 

 淀みなく紡がれる詠唱。急激に回復したばかりの魔力がうまく回っていないため、詠唱を完成させるにはまだ幾何かの時間が必要になる。だがそれも問題はない。その時間はセフィロスが、仲間たちが稼いでくれる、と信じられた。

 

 

 

 

 

 セフィロスは膨大な魔力のうねりを頼もしそうに笑みを浮かべながら一瞥すると、声を張り上げ指示を下す。

 

 そうしている間にもモンスターの集団は一枚岩を上り、槍の穂先で盾を突くかのように怒涛の勢いでこちらの陣地に突っ込んでくる。すでに目前にまで迫っていた。

 

「間もなく接敵だ! 盾を持つものは身動きの取れない魔導士部隊を守るように周囲に展開。自身を守る者がいる、それだけで彼ら彼女らは憂慮無く詠唱に集中できる。万が一、敵の腐蝕液がそちらに飛び散った際の守護も任せた」

 

 セフィロスは正宗を両手で握り直した。立つ場所は――最前線。

 

「これより正面は、私が守る」

 

 構えをとり、押し寄せてくるモンスターの集団を睨み据えた。

 

「ここから先には、一匹も通しはしない」

 

 セフィロスは一度大きく息を吸い込んだ。空気を肺に溜め、一気に吐き出した。

 

「総員、行動開始だ」

 

 そして――激突。

 

 

 

 

 

 ◆      ◆      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 何日も前にダンジョンに先行したフィン達遠征組に追いつくべく禁じ手の最短ルート『床をブチ抜く』を敢行して何とかギリギリのところで助けに入ることができた。ダンジョンは壁を傷つけたところで生き物のように再生する特性があるためできる荒業だ。他の冒険者が穴に落ちないように場所の選定には注意が必要だが。

 

 とにもかくにもやってきました50階層。

 

 早速だが。

 

 ……演説じみたことをぶちかました。

 

 要は俺たちは同じロキ・ファミリアのメンバーだから皆一丸になってがんばろうぜっ、というような事を言った。

 

 ………………言ったのだが……言っている途中でその肝心の主神がセクハラトーク全開フルスロットで女性眷属に突撃かましている姿や、床に転がったたくさんの酒瓶の中で大口開けていびきを掻きながら酔いつぶれている痴態が脳裏をよぎったため、一瞬どもりそうになったのは秘密だ。おまけに、確かあの時のロキは自分の吐瀉物(ゲロ)の上に寝転がって服を汚しながら酸っぱい異臭が満ちる中で幸せそうにグースカ寝ていた。リヴェリアが冷え切った瞳で「でかい生ゴミが転がっているな。廃棄処分してやろうか……」などと呟いていた。あれはかなりブチギレていた。

 

 〝閉じる者〟たる神の眷属などと、言葉に結構な装飾を施しはしたがその実態がホントにアレな感じなことは皆が知っている。あれ、コレを言って逆に皆の戦意が根こそぎフッとんだらどうしよう……とわりと本気で心配した。もう諸々の雰囲気で押し通すしかないと思って勢いで押し通そうと思った。

 

 ……押し通せた。

 

 皆がやる気になってくれたようで何よりだ。やっぱり勢いって大切だよね、よね!(強調)

 

 正直、気が弱っているところに耳に心地の良い言葉を並べ立ててその気にさせるという行為……フィンならもっとうまい言い回しを思いつくんだろうけど、こっちはずっとボッチで冒険してきたためそんなスキルなど持ち合わせてはいない。ようやっとひねり出した言葉は、俺たちがやることは歴史に残る偉業だぜ、などと空手形どころか捕らぬ狸の何とやらだ。指揮者というより扇動者……というかむしろこれ詐欺師の手口じゃ……イヤイヤイヤイヤ、深く考えてはいけない。元々そこに確たる線引きなど存在しないのだから、要は捉え方の問題である。結果オーライ、そういうことにしておこう。

 

 ロキも真面目な時は本当に頼りになるし眷属思いの良い神なんだが……いかんせん、普段の生活態度全般に問題がありすぎる。

 

 しかし改善してほしいと思う反面、それはそれで寂しいような……なんだかんだであの陽気で気さくな調子には幾度となく励まされてきたのだから。

 

 まあ、それはさておき今は目の前の戦場である。

 

 目の前に迫ったモンスターの群れ……つかキモッ!

 

 芋虫とか別に嫌いってほどでもないが目の前のアレは縮尺がおかしい。デカいわ!

 

 それがぎちぎちと耳障りな音を奏でながら何十何百と連なって、こちらに攻め入ってくるのだ。もう見た目だけでトラウマものである。

 

 味方は青息吐息、だが死人は出ていないのが幸いだ。ポーションという超便利薬があるため死にさえしなければ何とかなるのがこの世界の素晴らしいところである。

 

 さて、まあそれはさておき俺個人としてもファミリアの仲間傷つけられて笑っていられるほど人間できていないんでごぜえますよ。

 

 そりゃあ、まあ。

 

 この中にはこの間ファミリアに帰ってきて初めて会ったばかりの者もそこそこ……いやまあ結構な数いるけどさ、寂しいことに。

 

 しかしこれから仲良くなるのだ……うん、がんばろうとは思う。自分の中だけでもこういう決意表明しとかないとファミリアの中で居心地が悪いっていうか、浮いているっていうか。別にぼっち道を極めたいわけじゃない。ヘイ、セフィロス!今日も辛気臭いツラじゃないか、とか言ってくれてもええんやで。和気藹々と小粋なジョークを言い合える関係になりたいものだ。…正直、周りの反応を鑑みるにそこまで望むには手遅れ感がなきにしもあらずなのだが。

 

 深く考えると地面に埋没するほど落ち込みそうなので思考を切り替えとこう……。

 

 目の前に敵にどう対処するかであるが、一番手っ取り早いのが俺自身が敵陣に突っ込んでいって大暴れ、リヴェリアの魔法が完成したら一気に薙ぎ払ってもらうプランなのだがそれはダメだ。あえてやるというなら本当にのっぴきならない状況になった時の最後の手段である。

 

 今、ここにはチームで来ているのだ。スタンドプレーは状況によりけりだが今はよろしくない。特にこの目の前のモンスターにあわや全滅寸前まで団員達が追い込まれたというのが一番の理由だ。

 

 ファミリアのメンバー(自分達)だけで何とかした、という事実がなければこれからの冒険者生活にトラウマか怖気か、しこりみたいなものが残りかねない。自分とて気づいている。まだ自分という存在は今のロキ・ファミリアに本当の意味で受け入れられたわけではない。例えるなら話だけならよく聞いていたがその本人には会ったことの無い親戚の人みたいな扱いというか……何か目には見えない壁というか……どうにも仲間という括りの中から外れてしまっている。共に成長するとか、あるいは教導するとか、そういう過程の経験の有る無しは相互理解において大きいものだ。いやまあ、そもそもの原因はファミリアほっぽらかしてた自分にあるからしょうがないっちゃしょうがないのだが。

 

 まだ自分はスタンドプレーなどしていい立場ではないのだ。

 

 だからこそ全うしなければならない役割というものがある気がする。

 

 すでに出来上がってる集団の輪に加わるために自分に合った役割はなんぞやと、頭を捻って考えてみる。

 

 ……一体いつになったらこの社畜根性は抜けるんだ。

 

 それはそうと敵集団に突撃するのは、今自分が取るべき役割ではないと思う。今、自分に求められているのは集団を纏める者である。リヴェリアからゴーサインが出たということは、少なくともそれに足る下地はあると見なされたということだ。自分だけの考えなら本当に大丈夫かと首をかしげるところだが、他ならぬリヴェリアに出来ると太鼓判を押されたのだ。ならば最悪の事態だけは避けてみせようじゃないか。

 

 フィンほどの指揮はさすがに高望みしすぎだが、幸いにも耐えさえすれば後はリヴェリアが片をつけてくれる。

 

 他の団員を置き去りにするような戦い方をしたところで、俺達の間にある見えない壁が分厚くなるだけだ。

 

 敬われるのはまだいいが、恐れられたり避けられたりしたら自室でひっそり涙を流す確固たる自信が俺にはある。

 

 そういうわけで各々方には敵勢力の牽制を主として動いてもらうことにする。

 

 実際問題、敵に広く散開されるほどに決め手となる魔法で一掃というのは難しくなる。 

 

 そう、重要なのは魔法で一切合切吹き飛ばすということなのだ。

 

 耐えさえすれば面倒くさい特性を持ったモンスターの集団を現在の手持ちのカードで一気に撃破できる決め手となる。それでこそ我らの勝利だと胸を張って勝鬨上げられるってもんである。

 

 ………………。

 

 ………………。

 

 ………………。

 

 …………………決してフラストレーションが相当溜まっているっぽいリヴェリアの怒りがこっちに向かう前に目の前の敵にぶつけてほしいとかそんなんじゃないという事をここに明言させて頂きたい。

 

 

 




 感想返しは少しお待ちをば


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話【凶狼は迷宮で吼える】 ③

 お待たせしました。
 最新話の投稿になります。
 今年の四月にも一話更新しているので、未読の方はご覧いただければと思います


「【――終末の前触れよ、白き雪よ】」

 

 リヴェリアの足元に展開された魔法円(マジックサークル)から仄かに燐光が立ち上る。蛍火にも似たそれは一つ、二つと徐々に増え、やがてリヴェリアを包む光の柱になっていた。

 

 水に波紋が走るように空気が鳴動する。踊り狂う濁流のような力強さで、揺れ動く揺籃のような柔らかさで、異なる魔力の流れが――同時並列的に収斂して、魔法という超常の現象を引き起こすための経路が形作られる。膨大な魔力の脈動全てを眼で捉えられるわけではないが、それは例え魔法に対する素養の無い者であっても、その場に立ちさえすればはっきりと感じ取れるほどのものだった。

 

 それは肌が粟立ち、腹の奥がざわつくような感覚。

 

 人の意識では知覚しえぬ大きな存在が、夜の闇に紛れてゆっくり練り歩いているような、そんな重々しい足音が聞こえてきそうな厳粛な空気であり、怒号が鳴り響く戦場であろうとも今この場を満たすのは夜のさざめきでさえ息を潜めるような儀式としての冷ややかな静謐であった。

 

「【黄昏を前に風を巻け。閉ざされる光、凍てつく大地】

 

 歌うように玲瓏と紡がれた詠唱は、

 

「【吹雪け三度の厳冬――我が名は、アールヴ】」

 

 ここに混じ綯う。

 

「――ふっ」

 

 短く吐き出された呼気と共にセフィロスが刀を一閃させるとモンスターの群れは斬り払われた。それは鋭くあれど重い。斬られたモンスターの身は微塵に砕け、体内の腐蝕液ごとまるで見えない巨大なハンマーで殴られたかのように後方へと吹き飛ばされていく。振りぬいた刀を手の中でくるりと逆手に持ち替え、地面に突き刺した。

 

「全ての隊は警戒態勢を維持したまま後退せよ!」

 

 了解! という声が上がり、訓練を重ねた無駄の無い動きでロキ・ファミリアの部隊は即座に転進した。

 

 敵モンスターの群れとリヴェリアの間に立つ者はもはやセフィロス一人。一枚岩をよじ登ってくるモンスターに睨みをきかせていたセフィロスは、号令と共に戦闘が開始されてから初めて敵に背を向けてリヴェリアに向き直った。未だ背後からは芋虫型のモンスターの群れが、いくら斬り払われようと微塵も臆した様子はなくこちらに向かっている。巨体をひしめき合わせ、気味の悪い粘着質な音を鳴らしている。しかしもはやセフィロスが連中の動きを気に留めることは無い。その必要すらもはや無くなるのだから。

 

 セフィロスが、その名前を呼んだ。

 

「リヴェリア」

 

 セフィロスの誰何の声に答えるように、リヴェリアは詠唱に集中するために閉じられていた瞼を開いた。数多の言葉を重ねるように視線が交じり合う。

 

 セフィロスがふっと笑うと、リヴェリアも小さく笑みを返した。

 

「任せた」

 

 ただ一言。セフィロスの援護も、仲間たちの奮闘も、全てはただその一言を伝えるための過程であった。その全幅の信頼に応えるように、リヴェリアは声を上げた。全てを決する一撃を解き放つ、その最後の言葉を――。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

 

 リヴェリアが杖を掲げた。

 

 顕現するのは三条の純白の細氷。それが稲光にも似た動きで瞬く間にモンスターの群れを蹂躙した。奴らに訪れたのは破壊ではない。静かに、速やかに、冷徹に、生態活動を強制的に停止させる凍結の魔法だ。ロキ・ファミリアの一団が立っていた一枚岩の眼下は、次の瞬間には氷に覆われていた。戦場の喧騒も、熱気も、全ては白と蒼の凍土の中へと消えていったのだった。もはやモンスターの群れの中には、身じろぎ一つするものなど存在しない。完全な静寂がそこに広がっていた。

 

 そして。

 

『うおおおおおおおおおおおお――――――ッ!!!!!』

 

 勝鬨が上がった。

 

 

 

 

 

「災難だったな」

「まあ、ここ(ダンジョン)ではよくある事だ」

 

 セフィロスが声をかけると、石の上に腰かけたリヴェリアは苦笑いと共に手を振った。

 

 戦闘が終息してすぐにファミリアのメンバー達は負傷者の手当てを最優先にしながらもすでに撤退の準備を始めていた。

 

 今現在冒険者依頼(クエスト)のために下層に潜っているメンバーの帰還次第、すぐにでもこの場を離れるためだ。突然の襲撃ですでに物資も残り少なく、これ以上ダンジョン遠征を続ける余力は彼らに残ってはいなかった。あわただしい喧騒が周囲に広がっているが、セフィロスとリヴェリアの二人は手伝いを拒否された。「これ以上お二人の手を煩わせるわけにはいきません。ここは自分たちに任せて休んでいてください」などと真摯な目で言われてしまえば、手を出すのも憚られるというものだった。

 

「セフィロス、お前が私たちを追いかけてきたという事は……ギルドか、あるいはロキに、今回の事態が起きることを想定できるだけの情報が入ってきたということか?」

「当たらずとも遠からず……といったところだ。詳しい話はフィン達が帰ってきてからにするとしよう。もうそこまで来ているようだ」

「分かるのか?」

「気配で、なんとなくだがな」

 

 呆れた奴だな、と一つ溜息をつくとリヴェリアははにかんだように笑いながら、

 

「助かった」

 

 セフィロスも腕組みをしながら小さく笑い、

 

「気にするな」

 

 と、返した。

 

 遠くを行きかうファミリアの女性団員たちがそれを伺い見て黄色い悲鳴を上げていた。リヴェリアが睨むように一瞥すると、頭を下げてから、いたずらが見つかった子供のように小走りに駆けていった。

 

「あー、なんだ……私達が遠征に出ている間、何か変わったことは無かったか?」

 

 リヴェリアは気まずそうにそっぽを向きながらあからさまに話題を変えにかかっていた。

 

「特には無い……」と言いかけてセフィロスはふいに言葉を詰まらせた。

「なにかあったのか? またロキがなにかやらかしたのか?」

 

 怪訝そうに問いかけるリヴェリアに、セフィロスはどう告げたものかと押し黙り、少ししてから口を開いた。

 

「やらかしたのはロキでなく……むしろ俺でな」

「お前が? 一体何をしたというんだ?」

 

 問題行動を自ら起こす奴ではないというのを重々承知しているが、立場的にも性質的にもトラブルのほうから向かってくるような男だ。副団長としても仔細を聞き出さねばならない。リヴェリアが追及すると、セフィロスは口を開いた。

 

「つい先日、ヘファイストスとロキの歓談の中で少しばかり話題に出た事柄でな。それをロキから又聞きした俺が、少しばかり仔細を調べたら懸念が当たっていたというか」

「なんだ? お前にしてはずいぶん歯切れが悪いじゃないか」

「つまり結論だけを述べるとだな――――」

 

 

 

 

 

      ◆      ◆      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 ――それは、つい先日のことだ。

 

 

「喧嘩という行為自体は別に悪いことばかりではない」

 

 セフィロスはコップの水を口に含み、喉の渇きを潤してから口を開いた。

 

「人それぞれに考え方や物事の捉え方が違い、趣味嗜好や気質が異なるのだから最初からパズルのピースのようにぴったり人間性が当てはまる繋がりなどそうそうはない。誰もが手探りで人間関係を深め構築していくが、そこに慣れや勘が働くことはあれどマニュアルや正解などはない。そんな中で喧嘩というのは近道であり一種の劇薬のようなものだ。自分が傷つくことがあれば相手も傷つけることも、あるいはその両方もある。しかし相手や自分の心をつまびらかにするには怒りを揮発材とするのが一番手っ取り早い……が、怒りは自分の心の抑圧を外に向けて解放するということだ」

 そこは窓の無い部屋だった。壁や床、天井に至るまで石で覆われているが、壁に吊るされたこじゃれた魔石灯の赤みがかった仄かな光が柔らかく室内を照らし、天井の梁や壁に繰りぬかれたクローゼットの扉といった部屋の中にちらほらと使われている木材の色調が、石室の寒々とした閉塞感を和らげている。決して広い部屋ではない。小さな机とベッドとソファ。生活に最低限必要な物だけを取りそろえた印象がある。しかし無機質ではない。花瓶には野花が生けられ、小まめな掃除が行き届いている。裕福でこそないが生活の中に細やかな彩りを忘れない、そんな住人の細やかな心配りが見て取れる部屋だった。

 

 セフィロスはソファにゆったりと腰を下ろしていた。

 

 指を組み、考えを巡らせるように視線を伏せたまま口を開く。

 

「抑圧を解放する、というのは人によっては言葉にするほど簡単なことではないが、それとは逆に自分を他人に合わせるという事は然程難しいことではない。相手の主張を全て肯定してしまえばいいからだ。だがそのままでは他者と打ち解けようにも、打ち解けるべき自分は押し込められている。親か、周囲の人間か。いつかどこかで誰かに押し付けられた常識や教養といった耳障りの良い言葉で装飾された〝立派〟な主張で形作られた自己は張りぼてに過ぎず、その中身はがらんどう……他者の調子や心の動きばかり観察していて、相手が自分をどう思っているかばかりを気にするあまり結局のところ相手の心そのものに対する関心など微塵もないのだから、他者から得られる好意もたかが知れている」

 

 セフィロスは目の前の少年に視線を向けた。彼は木のスツールに腰かけている。背筋をまっすぐに伸ばし、肩は強張り、膝を鷲掴みにするように置かれた手は力を入れすぎているのかやや白んでいる。身じろぎ一つしない。彫像のように微動だにしない身体とは対照的に、その表情は実に動きに富んでいた。真一文字に引き結んだ口元は時折くすぐったそうに震わせ、潤んだ眼をカッと見開き忙しなくしばたたかせている。少年は呼吸しにくそうなほどに緊張していた。

 

 セフィロスは小さく笑うと、空気を弛緩させるように眦を緩めた。

 

「改めてになるが……すまないな、急に押しかけてしまって。ベル・クラネルといったか?」

「ひゃ、ひゃい! ベルですっ、ベル・クラネルです! 高名なセフィロス・クレシェント氏に名前を憶えてもらえるなんて光栄です!」

 

 少年――ベルは上ずった声で答えた。

 

「畏まられるような大層な名ではない。一介の冒険者だ。君と同じく、な」

「い、いえ決してそんなことは……」

 

 ベルは何事かを口にせねばと思うが、口が思うように動かず頭も惚けたようにうまく回らなかった。書物や口伝の向こう側で憧れた存在が目の前にいる。夢見心地とでも言えばいいのか。そんな現実味の欠けた状況に、ベルは自意識が霞んで朧げになるような錯覚に陥った。ふわふわと頼りない意識に、セフィロスの言葉が差し込まれる。

 

「普段はダンジョン上層に潜っているのだろう。一人でか?」

「は、はい。このファミリアでは僕が唯一の団員なんです」

「ほお、それでは何もかも手探りで何かと苦労も多いことだろう」

「いえっ、神様はもちろんですがギルドのエイナさん……あ、担当の受付の方なんですが、大変よくしていただいてます。ダンジョンに挑むためのアドバイスも親身になって教えてくれるのですごく助けてもらっています!」

 

 つい先程までガチガチに緊張していたことなど嘘のように、信頼している人物を語るベルは目をきらきらと輝かせながら誇らしげに声を張り上げている。そんな些細な言動にもこの少年の純朴な心根の在り方が表れているようだった。セフィロスは微笑ましそうに「そうか」と首肯した。

 

「それにしてもエイナ……エイナ・チュールか」

「ご存知なんですか?」

「彼女とはウチの副団長のリヴェリアを通して面識があってな。情に厚く聡明な女性だ、アドバイスも適格なものをくれるだろう。良い担当に恵まれたな」

「はい! ……あ、その、少しだけ口煩いなと感じてしまうこともあるんですが」

「有難いことじゃないか。冒険者というやつはどうにも生死の境界線を踏み誤ることが多い。モンスターが蔓延り、地形ですら敵になりうるダンジョンという危険な環境に身を置いていると最初は恐怖感が、それを乗り越えると次に高揚感が身を蝕む。『あと一歩だけ』を咎めてくれる者の存在がいるという事に感謝せねばなるまい」

「そう……ですよね。今度改めてお礼を言わなくちゃ」

 

 照れくさそうに笑いながら頬を掻くベル。

 

 その時だ。ガシャン! とけたたましい音が鳴った。花瓶が地面に落ちて割れたのだ。

 

「……また始まったか」

「……元気ですね御両方とも」

 

 セフィロスとベルが見遣った先には……。

 

「どぅああああああかぁらあああっ! このドチビが! 人がちっとばかり下手に出ればつけ上がりおってからに! おう、いつからそんなに偉くなったんや、その無駄に膨れた胸の脂肪と一緒で態度もずいぶんデカいやないか!!??」

「いつ下手に出たっていうんだっ、ソファに偉そうにふんぞり返って「ま、悪かったな」って、謝る態度じゃないだろ!? これだからド貧乳は! その胸と一緒で器までみみっちいときたもんだ!!」

「ああん!? ヤサがちょっとばかり傷んだくらいでガタガタぬかすお前ほどじゃないわ!」

「ちょっとじゃないだろちょっとじゃ! 地下室だからまだよかったけど上の教会なんて見る影もない、ほぼ倒壊しているんだぞ!」

「盛るなや! 最初からほぼ倒壊してるようなもんだったってファイたんから聞いて調べはついているんやでコッチは!」

「だからってトドメを刺したことを許せってのはいくら何でも都合がよすぎやしないかい!?」

「だからこうしてウチが頭下げてるんやから大人しく許せばいいんや許せば!」

「下げてみろよおぉっ! そう言うならまずは頭を下げてみたらどうだい!?」

「ほーか、じゃあ下げてやろうやないか、目ん玉かっぽじってよう見とれよ! せーの……どうもすんませんでしたぁっ!!」

「ほぎゃぁあああっ!! ……そ、それ……ただの頭突きだろうがぁ――っ!!」

「あいたぁっ! 脛を蹴るんやない脛をっ!!」

 

 そのまま取っ組み合いを再開するヘスティアとロキ。ちなみに小康状態を挟んで現在5ラウンド目に突入した。

 

「どうしましょうか? さすがにそろそろ止めたほうがいいんじゃ……」

 

 主神同士のキャットファイトに最初はおろおろしていたベルだったが、今はもう諦め気味の声色だった。いくら止めようとしても「これは神同士の崇高な会談(物理)なので子供たちは下がってなさい」(要約)と言われてしまえば黙っているしかない。

 

「此度の元凶は私だからな。ファミリアの主神同士でまずは話をつけるからひとまずは自分に任せておけ、口を出すな、などと言われてしまっているためあまり強く出れなくてな」

 

 さて、どうしたものか。ため息をつくセフィロス。ロキとヘスティア、仲が悪いとは聞き及んではいたが思っていた以上だったと呟いた。

 

 

 

 

 

 それはロキが鍛冶の神ヘファイストスと街頭でばったり出会ったことから始まった。

 

 ロキはヘファイストスをお茶に誘い、ヘファイストスは今は暇だからとこれを快諾。そして日々の些事を語り合う中で最近ツイてないことが多いという話題になった折、「ヘスティアも不運だったわね」という一言をぽろっと零してしまったのだ。余計なことを言ってしまったと口を噤んだ時にはもう遅い。それはもうロキは心躍った。ウキウキとした表情であの手この手を駆使して、事件の情報をヘファイストスの言動の端々から拾い上げて仔細をつまびらかにしてしまった。

 

 要約するにヘファイストスがヘスティアにファミリアの本拠(ホーム)として提供した、今は使われていない教会が原因不明の崩落をしたというのだ。

 

 ロキはそれはもう笑った。「ドチビ、運悪すぎぃっ!!」と大いに笑い転げ呼吸困難とひきつけを起こして比喩でも何でもなく天に還りかけた。

 

 そして、その話を朝食の席でセフィロスに向かい語り明かした。ほんの世間話の一環のはずだった。しかしセフィロスは話を聞いた途端「すまない、ちょっと出てくる」と言い残し、席を立ちどこかに出かけたのだった。帰ってきたセフィロスが深刻そうな表情で「大事な話がある」と告げてきた時、ロキはうっすらと確信めいた嫌な事実を掴んでしまった。

 

 ――切っ掛けはセフィロスが長年の特務から迷宮都市オラリオに帰還した当日、フレイヤ・ファミリアのオッタルとの小競り合いが原因であったという。

 

 まだ街も眠りから覚める前の早朝。密やかに起こった迷宮都市の誇る二人の冒険者の、もはや災害にも等しい激突はオラリオの住人にも気づかせないほどの恐ろしく静かな幕切れとなった。お互いにその一線だけは遵守せねばならないという暗黙の了解の下、オラリオの住人はおろか建築物にもほぼ被害は無かったのが大きな要因であろう。ただ一点。二人が最初に激突した場所。迷宮都市の一角、人の手がずいぶん長い年月離れてもはや廃墟同然となった区画にある打ち捨てられた廃教会だけは、一気呵成に振りぬかれた怪物二人の激突の余波をもろに受けて倒壊寸前の有様になってしまっていた。本来ならそんなものは誰にも顧みられないはずであった。まるで古代の遺跡を想わせるように、崩落した石造りの建物がそこかしこに転がっているような区画だ。一つ二つ建物が全壊したところで気にも留められないどころか、そもそも気づかれすらしないであろう。

 

 しかし如何なる偶然か、はたまた埒外の凶運か。

 

 その倒壊寸前となった廃教会こそ、新興ファミリアであるヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)であったというのだから笑い話にもならない……いやむしろロキとしてはもう笑っていられない事態だった。

 

「あ、これよう考えたらヤバい案件やん」という事に気づき頭を抱えた。

 

 最大手のファミリアの一角であるロキ・ファミリアの団員が設立して間もない零細ファミリアの本拠(ホーム)を早朝に襲撃して崩壊させた、などというのは外聞として割と本気でシャレにならない。なにせロキとヘスティアの不仲は割と有名である。形だけ見れば大手のファミリアの団員同士の小競り合いで、弱小ファミリアの一つが被害を被ったというよくある話なのだが、それがロキ個人の私怨から来るものであると言われれば正直なところ否定できる材料がない。ピンポイントで破壊されたのが憎きヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)である。これが偶然であると主張するにはあまりに出来すぎている。埒外の凶運と前述したが、これは本拠(ホーム)を破壊されたヘスティアはもちろん、ロキにも言えることだった。さもありなん。

 

 ロキ・ファミリアは迷宮都市オラリオを代表する最大規模のファミリアの一つ、当然それ相応の振る舞いが求められる。義も無い襲撃など周囲から突き上げられる良い材料である。ギルドが今回の件を嗅ぎ付ければ重く受け止めることは必至……いやむしろ重く受け止めねばそれこそギルドの存在意義に関わる。

 

 おそらくは金銭だろうが、まず間違いなくペナルティを課せられる。 

 

 流石にファミリアが傾くような金額を求められることは無いので、それ自体は大した問題ではない。しかしギルドが一つのファミリアにペナルティを課すとなれば、その理由の仔細まで大々的に公表する必要がある。それによって生ずる様々な問題を考えると波風を立てないに越したことは無い。

 

 いっその事、全てを忘れて知らぬ存ぜぬを押し通そうかとも思った。しかしもし万が一、事が露呈してしまった場合に相当面倒なことになる上、セフィロスの性格上、それを許すことも無いだろう。

 

 となると当然ロキ・ファミリアとしては被害者側であるヘスティア・ファミリアにまずは謝罪、という流れになる。

 

 ヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)を訪れたのはロキとセフィロスだけだ。伺う立場の者があまり大挙するのは望ましくない。まずは話がどう転がるにせよ必要最低限の人員で訪れるとなれば、必然的にこの二人になるのだった。

 

 ――その日、ヘスティアとベルの両名は遅めの朝食を食べていた。

 

 ヘスティアのバイトの休日に合わせて、ベルも日課となっていたダンジョンに潜ることを休みにすると決め、今日は二人でのんびり過ごそうかと談笑していた時のことだ。

 

『おらあっ、ドチビ邪魔するで!』

 

 突然来訪したロキにヘスティアの『帰れ!』の怒号が響いた。そもそも何でこの場所を知っているのかと、言葉を叩きつけた。

 

 何事かとひょこっと扉の向こうを見遣ったベルは、心臓が止まりかけた。

 

『ロキっ。……すまない。突然の訪問、礼を欠いていることは重々承知しているが少し話をさせていただきたい』

『まさか――』

 

 女性の名前がロキ……神ロキだというなら隣の男性は、その容姿に、纏った尋常ならざる雰囲気。

 

 まさか、まさか……と期待と混乱が極まり、つい口をついて出てしまった。

 

『まさか……セフィロス……さん、ですか?』

 

 憧れた英雄。

 

 それはベル自身が思っていたよりも大きな事柄だったようだ。

 

 返された言葉は『いかにも』だったか『ああ』と頷いただけか、それとも『初めまして』かもしれない。目の前の人物が、他ならぬ当人にセフィロス・クレシェントであると肯定を返された途端、ベルはオーバーヒートしてその場にぶっ倒れた。

 

 倒れたベルを見たヘスティアが激怒して、更に場が混沌となったのだがそれは割愛する。

 

 すったもんだのやり取りの後、一応は話し合いの席につけたわけだが……

 

『やれやれ、こんな僻地まで歩いてきたせいで喉カラカラや、まずは茶ぁや』

 

 まずこれが大変よろしく無かった。どう考えても謝りに訪れた側の態度ではない。

 

『ケッ、しけたホームやのぉ、ウサギ小屋かなんかか?』

 

 続けざまで言い放った言葉がこれだ。この時点でヘスティアは盛大に額に青筋を浮かべて固めた拳を腰だめに構えた。ベルがそれを必死で止めていた。

 

 ロキはソファにどっかりと座ったまま、背もたれに腕を乗せ、ゆったりと足を組んだ。まるで下民に対応する王侯貴族のような太々しい態度でフンと鼻を鳴らした。そしてロキはヘスティア・ファミリアの本拠(ホーム)崩壊の真実を、相手が言葉を差し挟む暇もないような怒涛の速さで言い放った。

 

『――んでもってそういうわけでここにいるうちのセフィロスとフレイヤのところのもんがちっとばかりやらかした結果こうなったわけや』

 

 最後に一言。

 

『ま、悪かったな。許せや』

 

 それが試合開始のゴングだった。

 

 ヘスティアが雄叫びを上げながらロキに飛び掛かった。

 

 

 

 

 

「話を戻すが」と前置きを入れてからセフィロスは語り始めた。

 

「喧嘩という行為自体は別に悪いことばかりではない、と先程言ったが悪くも無ければ良くも無いという事でもある」

 

 二人の目の前には絶賛喧嘩中の主神二柱がいる。ヘスティアはロキの二の腕に噛みついて、ロキはヘスティアの頬を引っ張っていた。

 

「お互いを理解しようとするわけでもなく、ただ突っぱねるように否定するわけでもない。お互いの長所短所を知った上でそれはそれとしてお前が気に入らないと、もはや定型文と化した罵詈雑言を叩きつけあう。お互いにこいつには何を言ってもいいと思いつつ本当に最後の一線に踏み込むことはしない。かといって手を緩めるわけでもない。例えるならば片手で握手しながらもう一方の手で殴り合って足で蹴りあって頭突きの応酬を繰り広げているようなものだ。小さいながらも厳格なルールがあるがそれ以外は何してもOKという一見矛盾だらけの関係だ」

「あの、それって本当は仲良い……」

「やめておけ。それが耳に届いたらたとえ体力気力が底をついていてもムキになって反論してくるぞ」

 

 言外に面倒だから黙っていたほうがいい、とセフィロス。ベルも全くもって同意であった。

 

「少しばかりしゃべりすぎたな」

「……ええと、つまり」

「色々お互いが気に入らない理由を装飾しているが、根本的にソリが合わないんだろう。元凶である俺では口を挟みにくいというのもあるが、なんだかんだでストレスを吐き出せているんだから、この際飽きるまでやらせておけばいい」

 

 二人が視線を向けた先にはお互いの首を絞めあって顔を青白くしているロキとヘスティアがいた。

 

「あの……これ本当に放っておいていいんですか?」

「……そろそろ止めるか」 

 

 ヘスティアをベルが、ロキをセフィロスが引き離し落ち着ける作業に十分ほどを費やし、ようやっと腰を据えて話し合いが出来る態勢を整えた。ロキとセフィロスが並んでソファに座り、ヘスティアとベルが並んでベッドに腰かけた。ヘスティアとロキは歯をむき出しにしてまだ睨み合っていた。「まずは」とセフィロスがおもむろに立ち上がると「ちょ、おいっ」と静止するロキの声を振り切って、ヘスティアの前で膝をついた。

 

「へ?」と目を丸くするヘスティアに(こうべ)を垂れ、恭しく口を開いた。

 

「神ヘスティア。御身に伏して深く謝罪を。此度の件は私の不注意が招いた事。神々に対しての許されざる不敬、本来であればこの身命を賭して償わねばなりますまい。しかし私の剣はすでに仕えるべき主神へと捧げている。差し出がましくも愚考するに、御身の名をこの背に掲げるには周囲に齎す影響は決して看過できるものではなく、それは御身にとっても喜ばしくない事態となりましょう。されども我が宿意と縁に相違することでなくば、この身を一助とすることに何の躊躇いもなし」

「え……は? な、なんて……?」

「私に出来る力添えでしたら如何様にも……」

「ちょ、待ちぃや! このドチビにそんな全面降伏みたいな真似をやなぁ……っ!?」

「最初から私が悪いのだから降伏も何も無いだろう」

 

 セフィロスがそっと目で制すると、ロキもセフィロスの意思を汲んでか「ぐぅぅぅっ!」と悔しそうに唸りながらも矛を収めた。

 

「そんなこと言われてもコッチは危うく生き埋めにだねえ……っ」

 

 ヘスティアは肩を怒らせながら立ち上がった。ツインテールが檄したように跳ねた。怒りのままに口を開こうとして……しかし自分に向かってずっと深く頭を下げたままのセフィロスを見て口ごもった。煮えたぎった言葉の塊が喉の奥までせり上がっていたが、行き場を失い、気づけば飲み込んでいた。ベルも「神様……」と縋るような眼で自分を見上げている。

 

「うー、あー……もう!」としばらく唸っていたが、ベッドに座り直し、胡坐を組みながら「分かったよ!」と声を張り上げた。

「分かった、分かりました! ほら、顔を上げて。もう、地上の子供達にそんなふうに真摯に謝られたら許さないわけにはいかなくなるじゃないか」

 

 セフィロスが顔を上げると、ヘスティアはしょうがないなあと言うように笑って見せた。セフィロスは目を伏せるように一礼した。

 

「御身に深き感謝を……噂に違わず慈悲深きお方のようだ」

「じ、慈悲深い……? や、やだなぁ、そんなふうに改まって言われると照れちゃうじゃないか」

「そうです! 神様はとってもお優しい方なんです!」

「べ、ベル君まで……やめてよ、もう!」と頭を抱えて、くすぐったそうに身を捩るヘスティア。

 

 そんなやり取りにいつの間にやら蚊帳の外に置かれていたロキはたまらず声を上げた。

 

「おうぅぅい! うちは!? うちそんな神様らしい扱いしてもらったことないで!?」

「神ロキ」

「お、おう?」

 

 たじろぐロキ。セフィロスは

 

「深く謝罪を。私の不徳によって御身にまでご足労いただかねばならない事態となった。処分は如何様にも」

「気にせんでもええんやで!」

 

 ロキは満面の笑みである。

 

「うわっ、ちょっろ……」

「うっさい、お前に言われたないわドチビ」

 

 

 

 

 

 ボクとしても話しづらいからいつもの口調で、とヘスティアに告げられいくらか砕けた口調になったセフィロスは話を進めた。

 

「正直なところ、ロキ・ファミリアには敵も多く、言ってしまえば関わる事柄に悪意を持った見方をされやすい。理由はどうあれ大々的に金銭的な援助をすると、巡り巡ってそちらのファミリアに何らかの不利益を与えかねないことを懸念している。具体的には周囲からヘスティア・ファミリアはロキ・ファミリアの下部組織だ、というように見なされかねない」

 

 謝罪だけで済ませるには事が事だ。目に見える形での誠意を示して、初めてお互いにこの件はもう言いっこ無しと結論付けられる。

 

「うちはそれでもいいけどな」とけらけら笑うロキに、「冗談じゃない!」と憤慨するヘスティア。

「もちろん、賠償として必要な分の金銭は私が用立てる」

「んー、それくらいうちのポケットマネーで出したる。どうせこんな廃墟に毛が生えたような建物の修繕費なんて最初からたかが知れてるわ」

「キミ、ちょいちょい悪態を挟まないと会話できないのかい?」

 

 また取っ組み合いを始めかねない雰囲気になり始めた二柱に、セフィロスは言葉を差し挟んだ。

 

「そういうわけにもいくまい。私とて責任は感じている」

「真面目やなあ。ええんやで、ヤサ自体は無事なんやから。言ってみれば外壁が剥がれてちーっとばかり見栄えが悪くなった程度のもんやでコレ」

「うん、その通りなんだけどキミが言っていいことじゃないぜ、ソレ。ボクが言うべきセリフだから。っていうか話を聞くに、今回の件はフレイヤのところの子にも原因があるみたいなんだけど。肝心のフレイヤはどうしたのさ?」

「うちらに任せると。自分は話がついてから後で改めてごめんなさいするって伝えてくれ言うとったわ。ナメくさりおって、あのアマ」

 

 けッと舌打ちするロキ。

 

「そういうわけで。金銭的な面だけはどうしても制約が出てくるってわけや。んで……ぶっちゃけ他に何か欲しいもんはあるか? 金の流ればっかりはどうしても足がつくから秘密裏にってわけにもいかんけど、それ以外の武器やら物資やらは多少融通はきかせられるで」

「うわ、気持ちワルッ! なんでそんなに気前がいいのさ?」

「あほぅ。こうしてアンタにいつまでもヘイコラするのは我慢ならんから、負債じみたもんは上乗せして返済しておきたいんやコッチは」

「ふん、じゃあそんなの御断りさ。君に施しを受けるみたいで面白くない」

 

 そりゃ足りないものは山ほどあるけど! と叫びながらも、ヘスティアがそれを要求してくる様子はない。

 

 双方意固地になって、このままでは平行線である。

 

「では、こういうのはどうだろうか」と睨み合う二柱にセフィロスが割って入った。

 

「ベル・クラネル」

 

 セフィロスはベルに視線を向けた。

 

 若干話に置いてけぼりになっていたベルは、突然の誰何の声に「は、はいっ?」と軽くどもりながら肩を跳ねさせた。

 

「このファミリアの団長として、単純に君が今、このファミリアに必要だと思うものを言ってほしい」

「ちょっと君、勝手なことをだね……っ」

「申し訳ない。しかしこうでもしなければ話が進まないと感じた」

 

 三人の視線がベルに注がれる。

 

 ベルとしてはこれはだいぶ困った展開になったというものである。責任重大だ。先程ヘスティアが述べた通り、このファミリアに足りてないものなど山ほどある。武器や防具に関しては担当であるエイナに身の丈に合ったものを使用しないと後々痛い目に遭うと口を酸っぱくして言われている。しかし少しくらい上のグレートの物を望んでもいいのではなかろうか。特に防具は命に直結する。それとも食糧はどうか。いやいやむしろポーションの類のほうがよほど重要ではなかろうか。

 

 このファミリアに必要だと思うもの……。

 

 頼まなくても、頼みすぎても駄目。

 

 色々な思考が入り混じり、ベルは返答に窮して、困り果てた瞳でセフィロスを見返した。そこにはまっすぐに自分を見据える憧れの英雄の瞳がある。

 

 ベルはひゅ、と息を飲んだ。

 

 それはまるで問われているようだった。この状況で何を選ぶのか、ファミリアに必要だと思うもの……それを通して自分の冒険者としての資質を見通そうとしている。そうベルは感じた。考えすぎかもしれない。セフィロスは単純に尋ねているだけかもしれない。しかしベルにとって、その問いかけは自分に対する試練の一つのように思えた。英雄に憧れて迷宮都市を訪れた。いくつものファミリアから門前払いをされ、そんな自分を拾ってくれた神ヘスティア。

 

 なんだ、なんだ、なんだ、なんだ、なんなんだ……っ。

 

 憧憬。恩義。夢。

 

 様々な考えが頭を駆け抜ける。頭が焼き切れそうなほどに知恵を絞り、そしてオーバーフローしたように真っ白になった思考の中で、ふっと一つの答えがいつのまにか口をついて出ていた。

 

「……知識を」

 

 ベルはセフィロスの眼をまっすぐに見返した。

 

「僕に……ダンジョンについての知識を教えてください」

 

 その言葉にロキは「ほぉ」と感心したように細い目を見開いた。ヘスティアも目を丸くしていた。

 

「なぜそれを欲したか……聞いても?」

 

 セフィロスは静かに問いかける。ベルは身じろぎ一つすることなく、ひたとセフィロスの瞳を見据えて答えた。

 

「今、僕に、このファミリアに必要だと感じたものはダンジョンについての知識です、ノウハウです。先達のいるファミリアならそれを教えてもらうことが出来るでしょう。でも僕にはそれができません。でもこのファミリアに団員が増えてくれば、いずれ僕がその役割を担います。そしてそれは僕一人の問題じゃありません。僕の後に続く団員や、ひいては神様のためになります。最大手のファミリアが蓄積してきたダンジョンに挑むためのノウハウは、たとえその断片であっても今ようやくスタートし始めた僕たちにとって単純な金銭以上の価値があると感じました」

 

 ベルはここが正念場だというように、一度大きく息を吸った。

 

「だから……お願いします! 僕に冒険者が知っておくべきことを教えてください」 

 

 

 

 

 

 ――ロキとセフィロスは帰路についていた。

 

 

 

「どつきあいをしたのは狙い通りか?」

 

 セフィロスが隣を歩くロキに向かって問いかけると、ロキは片方の眉を上げていたずらっぽく笑った。

 

「お、やっぱ分かるか?」

「いくらなんでもあの煽り方は明け透けすぎるだろう」

「わっはっはっ、まああのドチビは気づいてへんかったけどな!」

「そればかりは相手が悪かったと言うべきだろう。奸計を用いる事において貴女ほどの者もそうはいないだろうに」

「ま、うちらからしたら落としどころを定める前に、ギルドに駆け込まれて介入されるのが一番面倒な展開になったからな。まあ、あれだけブチギレれば目の前のうちのツラをぶっ飛ばさずにはいられないやろ。冷静な思考なんざフッとぶってもんや。あとはホレ、お前さんが上手いこと纏めるやろ」

「……信頼していただいて何よりだ。元より俺の過失だ」

「拗ねるな拗ねるな! たしかになんも伝えんとやらかしたんは悪い思っとるんよ! ……しっかし、うちとしてはある程度のダンジョンについての知識やらノウハウを供給してお茶を濁すかと思うたんやけど……あれでよかったんか?」

「そこまで大仰なものでもないさ。知識の伝え方が書物か口頭でかの程度の違いだ」

「いやいやそれを周りの連中がどう捉えるかってのが重要でな、反応が怖いで?」

「問題ない。他のファミリアに漏れればヘスティア・ファミリアに好奇の視線が注がれることは俺とて理解はしている。細心の注意を払うさ。もっともベルの担当であるエイナ女史には伝えておく必要があるだろうが。むしろこれは誠意の問題だ。文章だけでは伝えきれない事柄が多々ある。俺に出来る範囲での償いはするさ」

「そか、まあセフィロスがいいならいいんやけどな」

 

 セフィロスにも聞こえないような声で、ロキはぽつりとつぶやいた。

 

「うちが言ってる周りの連中の反応がオモシロ……もとい怖いってのは他ファミリアの有象無象じゃなくて、うちのファミリア内の連中のことなんやけどな」

 

 

 

 

 

      ◆      ◆      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 セフィロスは声を潜めた。

 

 ファミリアの中でも内密で頼む、と前置きをした。

 

「俺に弟子……というほど大層な物じゃないが教え子のようなものができた。他のファミリアの団員で、まだまだ駆け出しの冒険者なのだが」

「はぁっ!?」

 

 リヴェリアにしては珍しく素っ頓狂な叫び声だった。

 

「理由はフィンも交えて話す」

 

 どういうことだ、とリヴェリアが問い詰めようとするが、それよりも先に声を上げる人物がそこにはいた。帰ってきていた。

 

「オイ、そりゃあ何の冗談だ?」

 

 静かでいながら、怒気を孕んだ声だった。

 

「……聞こえていたか。さすがに耳がいいな――」

 

 セフィロスがそちらに視線を向けた。

 

「――ベート」

 

 ベート・ローガ。

 

 凶狼(ヴァナルガンド)の二つ名を持つロキ・ファミリアの一級冒険者がそこに立っていた。

 

 その瞳で燃え滾っているのは失意にも似た激しい怒りだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。