望まず望まれた光 (つきしろ)
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1話

 

 何だアレは。

 

 一人の男が大通りで叫び声を上げ、世界樹を指した。世界樹はその大きな姿から僅かに発光していた。町中の人たちが皆、世界樹を見やった時。

 

 世界樹は白い光に覆われた。光はやがて世界樹の周りをめぐる幾本もの光の柱となった。光の柱は世界樹の上でひとつとなり収束すると大きな光の玉となった。

 

 人々は世界樹を見て不安に声を上げ、期待に心躍らせた。

 

 古き伝承の再来だ。誰かが歓喜に湧いた声で叫ぶ。ディセンダーがやってくる。この世界は救われるんだ。狂ったように同じことを叫ぶ男の視線の先で光の玉は弾け、流星となり世界へと堕ちていった。

 

 ディセンダーが降臨された。さあ探せ。この世界の救世主を探せ。

 

 

 この日、ルミナシアにいくつかの光が堕ちた。

 

 世界樹から放たれたひとつの光は地上に墜ちると同時に大空へと舞い上がり、ひとつの光は洞窟から地中深くへと潜り込み、ひとつの光はとある国の王室の壁に突き刺さり、またひとつの光が今地上へ降り立った。

 

 蒼き霊峰、ルバーブ連山。

 

 その頂(いただき)に光包まれた人が、落ちる。

 

「人、だ!? 空から人が降りて……」

 

 桃色の髪を持つ少女、カノンノ・グラスバレー。大剣を背負った彼女の目の前に、彼は落ちる。

 

 黒く丈の長い布地に身を包み、臙脂色の長い髪をなびかせて、ゆっくりと地面に背中を付ける。

 

 眠っている。カノンノはそう思いゆっくりと近付いた。けれど彼女はすぐに考えを改めた。彼は眠っているわけではない。黒い布地に包まれた体、その腹部からじわりと染み出す液体が彼の状況を語る。

 

 慌てて駆け寄り、マントとも思える黒い布地の前を開ける。白い襟付きのシャツに広がる赤い模様を見てカノンノは眉根を寄せる。腹部を中心に流れ出る彼の体液が止まらない。

 

 彼は眠ってなどいない。意識を失っているだけだ。痛みで、なのか。失血なのかは判断が出来ない。けれども顔色が良くない。

 

 ファーストエイド。

 

 回復魔法の光が彼を包むも赤い模様の広がりが止まらない。このままではいけない。この人は命を失ってしまう。

 

 そういえば近くに魔物の近づかない安全な場所があった。助けを呼ぶにしてもせめて魔物たちが近寄らない場所に彼を運ばなければ。おそらく、時間は無い。

 

 気休め程度の回復魔法を重ねがけして男の人の肩を抱える。重い。引きずるように体を起こすも、この重さを引きずりながら移動は出来ない。せめて誰か男の人の手助けが要る。

 

「やあカノンノ、迎えに来たよ。大丈夫かい?」

 

「カノンノさん、待ち合わせの時間に居らっしゃらないので皆さんが心配していますよ?」

 

 クレス、ミント。

 

 カノンノは切羽詰まった声で迎えに来た自分の仲間たちに腕の中の男を見せる。心なしか息は浅く、肌に血の気は見られない。

 

 いきさつが分からなくても状況を飲み込んだ彼女、長髪の美しい髪を持つ白服の女性、ミントは鉢巻をした男性クレスと目を合わせ、互いに頷きあった。

 

「ミントが応急処置を終えたら僕が記憶陣のある場所まで運ぼう。カノンノは船に戻って誰かを呼んできてくれる?」

 

 話している間にもミントは地面に膝を付けて回復魔法を男へとかけ続けている。失われた血までは元に戻せないが更なる失血は抑えられるはずだ。

 

 クレスに男の体を預け、カノンノはルバーブ連山を駆け下りた。誰だか知らない、空から落ちてきた男でしか無い。けれど目の前で消えかけている命をみすみす捨てさせることなんてしたくはない。

 

 それに。

 

 カノンノは頭を振った。余計なことを考える前に助けを呼びに行こう。ウィル、ヴェイグ、クラトス。誰でもいい。男の人を呼んで、運んでもらって。

 

 救護室のアニーにも伝えておかなければ。

 

 船に戻ったカノンノの言葉に廊下で話していたウィルとクラトスはすぐに船を離れて男の救護に向かい、救護室のアニーは急患に備えて出来うる準備を始めた。

 

 クラトスは回復魔法を使える。ミントだって近くに居る。自分に出来ることはないとわかっていても居ても立ってもいられないカノンノはクラトスたちに続いて空から落ちてきた男に付き添った。

 

 クラトスたちに抱えられた彼の体には当たり前ながら何の力も入らず、投げ出された片手が脱力して揺れる。

 

 移動中もミントの応急処置は続くが、変化は見られない。

 

 きっとだいじょうぶだよ。クレスの言葉がどこか遠くに聞こえてしまう。

 

 彼は誰、何故空から落ちてきたのか、あの傷は何なのか、何故あんな傷を負っているのか。聞きたいことは山ほどある。けれど、今願うのはただひとつだけ。

 

「どうか、助かって……」

 

 両手を重ね、カノンノは救護室のベッド横に座っていた。彼の体は、熱を持っていた。

 

 一通りの処置を終えたアニーが少し物憂げに眉を寄せて男に付きそうカノンノの隣りに座る。

 

 男は腹部を中心に包帯が全身に巻かれていた。

 

 腹部に何か大きなものが刺されたような傷、全身に切り傷、失血と衰弱、傷口の炎症から発熱。状況は悪い。薬が効いて持ち直せば助かる。けれど、もし薬の効きが遅く彼の力が先に尽きてしまえば。

 

「今夜を乗り切ってくれれば大丈夫です」

 

 それ以上は何も言わず、アニーはカノンノ用の毛布を渡して救護室を出て行った。彼女にも、もう出来ることはない。彼の生きる意志と力に賭けるしかない。

 

 眠る彼の瞳が見てみたい。話してみたい。

 

 好奇心というより使命感がカノンノを動かしていた。

 

 いまはただ、助かって欲しい。

 

 カノンノは彼の手に自分の手を重ねた。

 

(2015/09/30 23:41:01)



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2話

 

 カノンノが目覚めた時、男はまだ眠っていた。まだ息をしていることに安心するとお腹が減る。アニーに男のことを伝えて食堂に向かった。早朝の食堂では食事を担当するクレアと、自分の世話をしてくれている空飛ぶぬいぐるみのような大事な者がようやくご飯を食べにやってきたのかと安堵の表情を浮かべて早い朝ごはんを用意する。

 

 手を合わせて、いただきます。

 

 近くを飛んでいるロックスに昨日あったことを説明すると彼は危ない人だったらどうするのか、とカノンノを叱る。カノンノは眉根を寄せ、頬をふくらませる。

 

 彼は気を失っていたし、そんな人じゃないよ。反論をして驚く。何故そんなことを確信している? 話したこともない相手に。

 

「彼は――」

 

 大丈夫だよ。

 

 カノンノの言葉を遮って、誰かが食堂へと駆け込んできた。

 

 アニーだった。

 

 まさか。と、カノンノの脳裏に眠ったままの男がよぎる。まさかあのまま。

 

「カノンノさん、あの男の人の目が覚めて……治療しようとしたんですけれど」

 

 口の中に残っていた食べ物を飲み込んでアニーに向き直る。いつも真面目に、穏やかに微笑む彼女が眉根を寄せて困った顔をしている。助けを求めるような顔だ。彼女がそんな顔をするのは、珍しい。

 

 それほどに緊急事態なのだ。

 

 彼がどうしたの。敢えて冷静に聞くとアニーも平静を取り戻し、一度大きく息を吐き出す。そうして落ち着いた彼女が語ったのはつい先程の出来事で今も続いているであろう惨状。

 

 つい先程、眠っていた男が目を覚ました。容体も落ち着いていて、本人も困惑はしていたが状況を理解しているのかアニーが治療道具をもって近付いても警戒こそしても、拒絶はしなかった。だから安心して背を向けて作業をしようとした。誰かが医務室に入ってきても背を向けたまま作業をしていた。

 

 だから何故そうなったのかは分からない。

 

 どちらからやり始めたのかも分からない。

 

 けれど、彼らは本気で互いを傷つけようとしていた。

 

 落ちてきた男と、彼女たちの仲間であるはずのクラトスが本気で、組み合っていた。ふざけているようには見えなかった。

 

 どちらも、本気で。

 

 カノンノはアニーの言葉を最後まで聞かず走りだした。

 

 彼の目が覚めたのにどうして。

 

 医務室の扉の前に立つと扉が自動で開き、扉の前に立つクラトスの背中が大きく見える。クラトスが右手に掲げた雷の槍も、包帯だらけの男が苦しそうに片手で腹部を押さえているのも、とても良く見える。

 

 思うよりも早く体が動く。

 

 気づけばカノンノは二人の間に割って入り、臙脂色の髪を持つ男に背を向けて両手を広げた。

 

 まるで、男をかばうかのように。

 

「カノンノ!?」

 

 クラトスの手から既に放たれた雷の槍を止める術など持っていない。

 

 ただカノンノが感じたのは後から力強く引かれたことと、暖かさが自分を包んだことだけ。

 

 雷の落ちる轟音が耳を揺らす。目の前は何故か暗く。そして暖かい。

 

「――、―――」

 

 不思議な言葉に顔をあげると紫色の光と目が合った。

 

 彼はカノンノの無事を見ると安堵したように目を細め、わずかに笑ってみせた。

 

 肩を片手で強く抱かれ、自分に抱きつかせるようにしている男の片手はクラトスへと向けられている。その手の先には光る方陣。

 

 護ってくれた。

 

 雷の槍が来る前にカノンノの体を自分の方へと引き寄せて防御魔法を展開、身を守ってくれたのだろう。

 

「ありがとう、えっと」

 

 体を離すと男は手を離し、カノンノから一歩距離を取った。長い髪が揺れる。

 

 深い紫色を宿した瞳はカノンノを見下ろしている。綺麗だな。なんて。

 

 男の顔ばかり見ていたカノンノは気付かなかった。彼の腹部から再び赤い液体が流れだしていること。彼の足元がおぼつかないこと。

 

 背後のクラトスがいつも以上に神妙な顔をしていること。

 

「クラトスさん、もう出て行ってもらえますか?」

 

 カノンノの後を追ってきたアニーが事態が落ち着いているところを見てクラトスの前に歩み出て睨みつける。

 

 カノンノがアニーが振り返った隙に男は壁に背中を預け、溜息をつく。アニーが駆け寄ると彼は困ったように眉を寄せる。包帯を変えたいので座ってください。

 

 近くの椅子を指すと彼は大人しく座る。

 

「アニーさん、その、この人言葉は……」

 

「話せない、みたいです。こちらの言うこともサッパリ分からないらしくて。こうして動作でなんとなく、しか分からないんです」

 

 腹部の包帯を外していくと顕になる傷口。傷口から包帯が剥がれる時、痛みがあるのか彼は眉を寄せた。

 

 アニーの手付きを眺めてはいるが抵抗や拒絶の意思は見えない。何故クラトスと組み合っていたのか。真実を知っているであろうクラトスは既にアニーの言葉で外に追い出され、重傷の男は言葉が通じない。

 

 汚れた包帯を取り替えたアニーは手を洗いに行き、立ったままのカノンノと座ったままの男が向き合う形で残される。

 

 男は一息つくと目の前のカノンノに目をやる。彼も言葉が通じないことは承知しているのか一言も話さない。

 

 どうにも居た堪らないカノンノは咄嗟にありがとうございます、と頭を下げた。

 

 頭を上げると男は首を傾げていた。何をされているのか、お礼なのか謝罪なのか挨拶なのか、決めかねているのだろう。

 

 カノンノは扉を指さした後、クラトスの真似をして片手を掲げて、振り下ろした。助けてくれてありがとうございます。そういう意味であることが伝わるように。

 

 男はカノンノの意図することに気付くと小さく首を振った。

 

 言葉が無くては、これ以上対話は出来ない。

 

 男は不意に片手を開いて掌を天井へ向け、もう片方の手を箸をつかむような形にすると掌の上で動かした。不規則で、流れるような動きはカノンノにとって親しみやすい動作。

 

「紙と、書く物? 分かった、待ってて!」

 

 男に頼み事をされるのが嬉しく、また面白い。自分のスケッチブックを持ってきたら彼は何を書くのだろう。

 

 スケッチブックとペンをいくつか抱えたカノンノが医務室に戻ると宙に浮いたロックスがベッドに座る男へ何かを差し出しているところだった。器に入った湯気の出るそれはきっとお粥か何かだろう。

 

 ロックスが振り返った背後でカノンノを見つけた男が笑う。安堵するような笑みに彼も不安なんだ、とカノンノも笑い返して手の中のスケッチブックとペンを彼の前に広げた。

 

 男はペンを動かすと角張った細い記号をいくつかスケッチブックに書き込む。暗号、図形。短く二つに区切られた記号を書き終えて、男はペン先で自分の胸を指す。その動作をカノンノが確認したことを見て、ペン先は再び記号へ落ちる。

 

 意味が分からない。

 

「もしかしたら、この方の名前、でしょうか」

 

 ロックスの言葉にカノンノはなるほど、と納得する。けれどスケッチブックの上の記号に見覚えは無い。

 

 カノンノは余っているペンを手に取り男の書いた記号の下に自分の名前を書き付ける。彼にとっては記号だろうか。

 

「これ、私の名前。カノンノ・グラスバレーだよ」

 

 名前の文字をなぞりながら言うと彼は一度頷き、自分の記号をなぞる。

 

「りゅ--き」

 

 聞き取りにくい、が、彼は続けて同じ言葉を発する。

 

「リュウ、キ?」

 

 ようやく聞き取れた部分を口にすると彼は大きく頷く。

 

「リュウキ。あのね、私はカノンノ。カ ノ ン ノ」

 

 聞き取りやすく、伝わるよう。

 

 三度ほど同じ言葉を繰り返した。

 

「カノンノ?」

 

 男、リュウキの言葉にカノンノは大きく頷いた。そう、それが私の名前。

 

「カノンノ、」

 

 確かめるように彼女の名前を呼んだリュウキは新たにスケッチブックの白紙のページを開くとペンで何かを書き始めた。

 

 簡単に、だが、精巧な地図。

 

 広い海に浮かぶ大陸、島々、大きな山に川、池。目の前につくられていく世界。

 

 この世界、ルミナシアでは見る事の出来ない世界。

 

 リュウキはその中でも小さな島にバツ印を打つと矢印を繋げる。矢印の元となる場所に書かれたのは先ほど別のページに書いていリュウキの名前。

 

「ここに、居たの?」

 

「……ボクは、この世界の地図を持ってきますね」

 

 お粥を手に持ったままロックスが医務室を出るとリュウキが首を傾げた。知ってる? カノンノは首を振る。こんな地図すら、見たことない。

 

「カノンノさん、ごめんなさい。まだこの人そんなに体力無いから今日はもう休ませたいんです」

 

 アニーの声にカノンノは慌てて謝り医務室の扉へと駆けた。お邪魔しました。最後に振り返って見ると男はひらひらと、カノンノに向けて手を振っていた。

 

 やっぱり悪い人には思えないよ。

 

 ルミナシアの地図を片手に戻ってきたロックスへ向けてそう呟くと彼も同調するようにそうですね、と言った。

 

 

 あんな風に笑える人が、悪い人なはずない。

 

(2015/10/04 00:02:02)



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3話

 

 ルバーブ連山に落ちてきた男は腹に何かが貫通した傷があり、全治一ヶ月と言われていた。だがリュウキは三日ほどで歩けるほどに回復し、七日で勝手に医務室から脱走するほどに回復していた。

 

 相変わらず言葉は全く通じないが、自分用のノートとペン、そして身軽さと雰囲気の柔らかさで何とかこの場所、このギルド、アドリビトムにも馴染みつつある。

 

 ルミナシアの地図を見て首を振り、見舞いに来たギルドのメンバーが戻るときには片手を振って見送る。ただそれだけ、だが、彼女にとってこの七日間は通常よりも濃密な七日間となった。カノンノは依頼を終えると時に土産を片手に彼の元を訪れた。

 

 リュウキはそれを笑って迎え、スケッチブックに描いた絵を使って出来る限り意思の疎通を図った。

 

 具体的な話はできなかったが、リュウキはカノンノの仕事について知り、心配する表情を見せていた。

 

 ギルド、アドリビトムの仕事。失せ物探しに始まり、魔物の掃討までを請け負う何でも屋。船を拠点とするアドリビトムはいろんな場所のいろんな立場の人間から依頼を受ける。

 

 中でもカノンノは剣の腕もあり、魔物掃討を任されることが多い。

 

 魔物へ向かう自分の絵を見て、リュウキがどこか不満気な顔をしている。いつもそうだ。彼は自分が危険なことをするのをとにかく嫌がる。戦うべきじゃない。そう言われている気がする。

 

 けれどカノンノにとってはこの場所が家であり、自分の目的を達成するにも都合のいい場所なのだ。

 

 ある程度元気になり、動きまわる彼に仕事に行ってくると告げて背を向けると初めて手を取られた。振り返ると彼は空いている片手でペンを走らせた。

 

 魔物に向かうカノンノの絵の後ろに簡単な人の絵。

 

「一緒に、来たいの?」

 

 刀を持つその人は今のリュウキと同じ服装、髪型をしている。

 

 リュウキはカノンノの手を離す。暇をしているのか、助けになりたいのか。カノンノはとりあえずリュウキを連れてギルドリーダー、アンジュへ報告へ向かった。

 

 リュウキの描いた絵を見て、アンジュは難しい顔をする。意味は分かっているのだが、ギルドリーダーとしてそれを認めるのは難しい。

 

 いくら敵対の意思がないと言っても彼は不審人物に違いないのだ。空から降ってきて戦う力を持ち、誰かに傷つけられた痕を持っている。

 

 傷ならもう大丈夫みたいで、と必死に話すカノンノに対し疑いを向ける自分が嫌になるほどだ、だが、この船を守るのは自分の仕事だ。

 

「……分かったわ、ただし、ナナリーさんとハロルドさんを連れていくこと。あと、そんな装備ではダメよ」

 

 リュウキが身に着けているのは動きやすい布地の服。

 

 とてもではないが戦闘には不向きだ。

 

 じゃあショップに行こう。カノンノに片手を引かれながらリュウキは振り返り、アンジュに向かって小さく頭を下げた。

 

 まるでこちらの考えを分かっているような行動をする。

 

 時々、そう、時々だがまるで彼はこちらの考えを分かっているかのような行動をする。空気を読むのが上手い、というのだろうか。

 

 ショップに入っていった後ろ姿を見て思わず溜息をつく。あの人を疑うのもいい加減にしたい。

 

 けれど、警告された以上、気にしておかなければならない。

 

 

「ここがショップだよ、えっとね」

 

 スケッチブックにお金と店を書き込み、お金を店側へと矢印で渡し、武器や防具を店側から矢印で取り出すような絵を描けばリュウキが頷く。

 

 武器は何を使うのだろうか。

 

 問おうと思った時、リュウキはスケッチブックに絵を描いた。刀と呼ばれる細身の武器とカノンノが使うような剣。

 

 どっちでも良いのだろうか。

 

 試しに一振りの刀を試着として借りてみるとリュウキは頷いた。コレでいいということだろうか。

 

 防具はリュウキが適当なものを選び、そのまま着ていった。防御力よりも素早さを重視しているように思う。

 

 少し丈の長いジャケットに腰に挿した剣。レザー製の篭手。少し堅いブーツ。

 

 似合ってるキュ。店員の言葉に笑い返すリュウキ。

 

 そうあるべき物のように腰に挿さる刀。彼は振り返るとカノンノを促した。

 

 ホールではすでにナナリーとハロルドが準備を終わらせて彼らを待っていた。

 

「アンタが空から降りてきたっていうリュウキさんかい? あたしはナナリー。ナナリー、よろしく」

 

 言葉が通じないことは新しいメンバーにも伝わっているようで、ナナリーは自分の名前を反復した後、ハロルドを指して彼女の名前も反復する。

 

 リュウキも動揺に名を名乗れば興味深げに目を輝かせたのはハロルドだった。

 

「本当に通じてないのねえ。言葉も聞いたことのない発音、面白い、面白いわ!」

 

 何が起爆剤となったのか分からないがハロルドは何事か叫びながらリュウキについて語っている。

 

 聞いたことのない言葉、もしもコレを翻訳できたら。など。

 

 ナナリーが声をかけるまでそれは続いていて、四人はようやく足を勧めた。

 

 

 女の子ばっかりだ。リュウキはカノンノの後ろを歩きながらそんなことを考えていた。前を歩くカノンノは時折こちらを気にして振り返り、背後のナナリーは定期的に視線を寄越す。

 

 ハロルドは相変わらず楽しげに歌を歌いながら歩いている。

 

「――、――――」

 

 互いに分からない言葉。かろうじて分かるのはカノンノから絵で教えられたことだ。今、自分たちは指定された魔物(もっとも、今居る世界でこの言い方をするのかはリュウキにわからないが、リュウキにとってのバケモノ、魔物)を討伐に来ている。

 

 腰に挿した安物の刀を使うまでもなく、カノンノたちは魔物を掃討していく。

 

 だがまあ、働かなくては。

 

 魔物の気配が近くなり、リュウキは初めて腰の刀を抜いた。

 

 

 疾い。

 

 戦うリュウキの印象だ。それだけしか無いのかと言われればそれだけしか感じられないと言う他は無い。彼は武器を抜いたかと思うと静かに地面を蹴ってカノンノの隣から前へ出る。魔物の横を通ったかと思えば魔物が倒れる。

 

 魔物の攻撃は必要最低限の動きで避け、時に自分の体を魔物の爪がかすめていっても一切冷静さを崩さず、刀を差し入れる。距離の空いた魔物へは低位の魔法をぶつけて目眩ましとして、すぐにまた刀を差し入れる。

 

 目の前に三体居たはずの魔物はいつの間にか全て消えていた。

 

 最後に刀の状態を確認した彼は小さくため息をついて刀を収めた。

 

 カノンノたちの方を振り向いて首を傾げる彼は何もなかったかのように見える。ナナリーもカノンノ同様に唖然とし、ハロルドだけがすごいじゃない、と彼を褒めた。

 

 彼はもともと何をしていた人なのだろう。

 

 

 依頼完了の報告をしているとリュウキの迎えにアニーがやってくる。まだ完全に傷が塞がっているわけではないのだから無茶は禁止です。彼の手を引っ張り、医務室へと連れて行かれる彼はやはり、カノンノたちに向けて笑顔で手を振った。

 

「どうだったかしら?」

 

「想像以上だね。戦うことに慣れてる感じだったよ」

 

 ナナリーとアンジュの会話にカノンノは医務室へと向けていた視線を元に戻す。

 

「リュウキのこと?」

 

「ええ、そうよ。もしも戦闘が不慣れでついていったならこれから考えないといけないでしょう?」

 

「リュウキもここで働くの!?」

 

 嬉しさに目を輝かせるカノンノを見て背後のナナリーは少しだけ眉を寄せた。

 

 カノンノが部屋に戻った後、ホールでアンジュとナナリーは同時に溜息をついた。

 

「あたしもカノンノと同意見だよ。たしかにあれだけの力を持ってて敵だったら怖いけどね、常にあたしたちを気にかけてカノンノの方に敵がいかないように仕向けてまで居たあの人、疑いたくないよ」

 

 あたしも部屋に戻るよ。

 

 ナナリーも、続いてハロルドも。

 

 彼に全く嫌悪感を抱いていない。アニーもそうだ。医務室での彼も、手伝おうとすらするとても優しい男性。

 

 疑うだけ体力の無駄だ。

 

 彼のすることは完全にそう言っているようで逆に怪しく思えてしまうほど。再び溜息を付いたアンジュは休息を取ろうとカウンターから離れた。

 

 

 その日の夜中、医務室に用があり足を踏み入れたアニーは暗がりの中、リュウキの眠る寝床を見てしまった。

 

 彼の眠るベッドのすぐ隣、灯りを置いた小さな机の上に刀が置かれていた。彼が帰ってすぐ、アニーが回収し、医務室の奥にしまったはずの刀だ。

 

 置かれているのは彼にとってすぐ手の届く場所。

 

 

 翌朝、刀は彼の手元に無く、アニーがしまったはずの場所に『戻って』いた。

 

(2015/10/04 20:25:07)



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4話

 

 オルタータ火山の魔物討伐を終えた彼らはアドリビトムに戻ってきていた。暑かったね。カノンノの言葉にリュウキは頷いた。流石にアレだけ暑い場所から帰ってきて言葉は理解不要だった。互いに汗をかいていれば暑いということはよく分かる。

 

「おっ、そこのお嬢さん! アドリビトムってギルドは、ここで良かったのかな?」

 

 不意に聞こえた声にリュウキは振り返り、思わず片足を下げた。

 

 アドリビトムにやってきているのは一人の中年と、一人の女性。ボサボサの髪をひとつにまとめる男は楽しげにカノンノへ声をかけ、青の長髪を持つ女性はリュウキを見つめ目を見開いている。信じられないものを見た。そんな顔をしている。

 

 リュウキもまた、女性を見つめたまま固まっている。

 

 カノンノと男が何を話しているのかも頭に入ってこない。青髪の女性の頭を占めるのは彼から送られてくるモノ。やがてそれも遮断されたように何も感じられなくなる。

 

 女性は少しだけ首を傾げて笑った。

 

「ごめんなさい、覗くつもりは無かったの」

 

 誰も何も言っていないのに。

 

 カノンノの疑問をよそに、彼女の言葉に応えたのはリュウキだった。緩く首を振り、彼女の"言葉"に応えるように。

 

 驚いたのはカノンノだ。言葉を知らないはずの彼が、何故、今やってきたばかりの女性の言葉に答えられるのか。

 

 リュウキは人の良い笑みを浮かべたまま片手をジュディスへ差し出した。ジュディスもまた笑って片手を差し出す。

 

 リュウキが何もしゃべらないまま握手を交わすと何を思ったのか女性と共にやってきた中年がずるいずるいとわめき始める。

 

 ずるいと思っているのは、彼だけではないのに。

 

「カノンノ、この人達もこれから一緒に働くから部屋の準備を手伝ってくれる?」

 

 リュウキがひらりと片手を振って自分に宛てられた部屋に帰るのを見送りながら、アンジュがそう言えばカノンノはようやくリュウキから視線を外していつものように快く引き受けた。

 

 自分とアンジュの背後で新しい仲間となった中年の男と青い髪の女性が何かを話している。ユーリもよくやるわ、や、さっきのはなんだったの、など。ほとんどの話題が男から送られるものだがカノンノは思わず聞き耳を立てる。

 

 何故リュウキが女性の言葉に答えられたのか。気になるが、女性は男の言葉を曖昧に流して聞くのみでまともに取り合わない。

 

 まるでこちらの意図が知られているようだ、とも思う。

 

「カノンノさん、ちょっとだけ付き合ってもらえないかしら。二人になれる場所はあるかしら?」

 

 不意に、女性がカノンノへ笑みを向けてそういった。

 

 部屋の準備も終わり、男性も自分に宛てられた部屋へと移動した後。カノンノもいつもの様に操舵室へと向かおうとしている時だった。

 

 二人になれる場所。思いついたのはいつも足を運ぶ操舵室だが、あの場所は展望室に向かうリュウキがよく顔を見せる。

 

 この時間なら。

 

 甲板なら二人になれると思うよ。

 

 カノンノの言葉にジュディスは頬笑み、じゃあ行きましょうとカノンノの前を歩き始めた。

 

 呼び方や話し方は砕けても良いよ、じゃあそうさせてもらおうかしら、私もジュディスと呼んでもらって構わないわ。

 

 ジュディスはどこか大人びた雰囲気で話しながらカノンノへ笑いかける。

 

 甲板へ出れば風が彼女の触手を揺らす。

 

 髪の毛のように頭から生える青いそれはクリティア族特有のモノ。詳しくは知られていないが、一部では得体のしれないものだ、と畏れられているらしい。どうでもいい、とカノンノは思う。

 

「ねえカノンノ、貴女はあの人が好き?」

 

 風に触手を揺らさせながらジュディスはどこか大人な笑みでカノンノへ笑いかけた。

 

 

 リュウキはいつものように展望室で外を眺めていた。思うのは先程ギルドに参加したいとやってきた、あの女性。

 

 近付いた瞬間に覚えのある嫌な感覚が身を覆った。思わず自己防衛のために全てを遮断したが、思えばアレは随分と無礼なことをしたのではないだろうか。

 

 彼女たちの種族がどうであるか分からないが、もし見られ、見ることが通常なのであれば後で謝りに行こうか。彼女なら謝罪や感謝の意くらい察してくれるだろう。逆に送り込むことも出来るなら、怒っていなければアチラのことも教えてもらえるだろう。

 

 言葉はないとしても、彼女は視てくれる。

 

 だが、伝えられるのは抽象的なイメージだけだろう。

 

 結局はカノンノたちと変わらない。

 

 だがどうだろうか。

 

 リュウキはカウンターに肘をつき、頬を乗せると溜息をつく。

 

 完全に油断していた。あの一瞬で"どこまで"視られてしまっただろうか。何を見て、誰に何を話すのだろうか。困った。

 

 言葉が完全に通じない。全く言葉の知識のない状況がここまで不安だとは思っていなかった。

 

――ねえ、まってるよ。

 

 知った声が霞がかった音で聞こえる。

 

 リュウキはただの幻聴だと軽く頭を振り、音を追い払った。

 

 アンジュからとある調査任務の手伝いをして欲しいと頼まれたのは、その直後だった。

 

 白い竜型の魔物がもたらした被害の状況と、その生息地の調査。カノンノから絵で伝えられたその依頼内容に、彼は眉を寄せる事しか出来なかった。

 

 幻聴ではないのか?

 

 アレは、ここに居るのか?

 

(2015/10/18 20:37:22)

 

 

 



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5話

 

 カルバンゾ国の都から遠く離れた星晶の恩恵も少ない村からの依頼だった。依頼内容は調査、及び討伐。長期に渡る依頼となるかもしれないとアンジュは踏んでいる、らしい。

 

 もう何日前だったか、世界樹が光った日があった。リュウキがルバーブに落ちてきた、あの日。この村の近くで大きな竜型の魔物が確認された。

 

 それは最初、何の被害も及ばさずただ時折村の上空を飛んで行くだけだった。被害どころか、狙ったように害をなす魔物を倒していくため村人たちは感謝の念を抱いているほどだった。

 

 だが、数日前からその魔物が変貌した。

 

 村人たちも変貌したと言っていいのかわからない。だが、それは変わった。変わってしまった。頻繁に地上へ居りては近くに居る生き物を無差別に攻撃する。

 

 幸いなことに死者は出ていないが、このままではいずれ死者が出てしまうことが予想される。

 

 そうなる前に調査と、討伐を。

 

 討伐、と言いながらも村長は顔をしかめていた。

 

 随分、助けられた。

 

 状況を話していた村人の一人が顔を伏せながら話す。

 

 村の作物を、家畜たちを襲う魔物を片っ端から倒してくれて、ただの気まぐれだったのだとしても村人たちはとても助かっていたんだ。逆にこちらから食べ物を渡したりしたいと思える程に。

 

 星晶の恵みが少ないここでは魔物たちの素材も商売の道具となる。まるでそれも分かっているかのように、白い竜は金になる魔物たちには手を出さず、害のある魔物だけを。

 

 魔物が人助けをすることがあるのかなあ。

 

 カノンノの呟きにリュウキは首を傾げた。現在ジュディスからなんとなくの情報を聞いている最中のリュウキはまだ状況を飲み込めていない。

 

 クリティアの持つ力、ナギーグ。

 

 彼はクリティアではないがその力の末端を持っているらしく、ジュディスと簡単なイメージのやり取りが出来る。それはカノンノとの意思疎通とほとんど変わらないが、イメージをその場で交換できるためより具体的に思っていることが伝えられる。

 

 だから今回は、このメンバーなのだろう。

 

 彼と意思疎通を図るためのジュディスに、森に歩き慣れ調査任務に秀でたカノンノ。大型の魔物討伐に秀で、常に冷静で居られるリュウキ。

 

 調査として与えられた期限はまず三日、その後、状況報告した後に討伐任務を組むという計画らしい。

 

 最後に白い竜が目撃された森の中に入ると違和感があった。

 

「何も、居ないね」

 

 魔物はもちろん、動物たちに、虫たちも。何も居ない。

 

 木々が葉を重ねる音だけが響く。

 

 物から情報を読み取る事のできるジュディスが気に手を触れて情報を集め、その間リュウキとカノンノは休息を取っていた。

 

 森を歩き続けると思いの外体力を使うものだ。

 

 だがカノンノの座る彼は慣れていると言うように息を切らしていない。息をつく様子などは本当に自分たちと変わらない。

 

「白い竜が暴れ始めて、生き物は全て逃げ出したみたいね」

 

 ふたりの座る場所に近づき、ジュディスは困ったように眉を寄せた。

 

「村で話を聞いていた通り、白い竜はまるで思考するみたいに凶暴な魔物だけを襲っていた。けれどある時を境に無差別な攻撃を仕掛けるようになった。それこそ、見境もなく、ね」

 

 リュウキに片手を差し出すと彼は迷いなくその手を掴んだ。こうするのが一番手っ取り早いのだそう。

 

 その行為の意味を知ってからは特に思うことはなくなった。

 

 状況を伝えられ、彼は渋い顔をする。離そうとするジュディスの手を引き寄せ、彼は伝える。

 

 その白い竜を、知っているかもしれない。同じ場所から来た、竜かもしれない。

 

 アレがもしも同じ場所から来た竜なら拠点としそうな場所がわかる。地図がほしい。

 

 一気に伝えられたイメージにジュディスは顔をしかめていたが、それを理解すると手持ちの地図を手渡した。

 

 彼はなんて? 首を傾げるカノンノに視たままのことを伝えると彼女は驚き目を見開いた。

 

 彼と同じ境遇の生き物が、居たんだ。

 

 地図を睨む彼は村から自分たちの位置を指でなぞり、空を見上げる。かと思えば地図に視線を戻す。そして一点を指差した。

 

 高台となっている場所、ここに、アレは居る。

 

 

 正直、アイツが居るとは思っていない。けれど、もしも白い竜がアイツだったら。

 

 場所など教えたくない。アイツを殺したくないのはもちろん、このメンバーじゃアイツに敵わない。けれど、俺一人でどうにかなるものだと思っていない。

 

 だから、リュウキは地図を指した。

 

 彼女が棲家としそうな高台を。彼女が好きな場所を。

 

 だが、同時にジュディスには伝えた。このメンバーでは竜に敵わないこと。調査ならば遠目に見るだけのほうが良いこと。

 

 その時、大きな影が彼らの頭上を通り過ぎた。

 

 一瞬。息を詰めた。

 

 大きな翼、長い尾、強靭な角、硬質な鱗、白い身体。

 

 ああ、アイツだ。嘘だろ。飛んでいった方向にはリュウキの指差した拠点らしき場所。

 

 これなら調査も要らないのでは。ジュディスの言葉にカノンノが頷き、リュウキに帰ることを促す。

 

 だが声をかけても彼は気づかず、ただ竜の飛んでいった方向を見つめていた。

 

 彼女は、あの白い竜は。

 

 二十年、一緒に暮らしてきた相棒だった。

 

(2015/10/18 23:10:23)



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6話

 

 白い竜の調査は難航していた。調査を進めることにより竜が拠点としている場所はリュウキが指し示した場所だった。だが、いざ討伐を行おうとした時、また妙なことが起きた。白い竜はまるで思考を、自我を取り戻したようにおとなしくなり、今までと同じように人々を助けた。

 

 そして、拠点を変えた。

 

 村を中心に更に距離を取った険しい山の中。およそ人の入り込めない場所に棲家を構えた。

 

 害がないならしばらく放って置いてくれ。

 

 村人たちの言葉にアドリビトムは答え、白い竜については調査をするにとどまっている。

 

 竜が凶暴性をなくすのと同時に、大きな問題が発生する。

 

 真昼のバンエルティア号に響き渡る少女の悲鳴にリュウキは重い腰を上げて研究室へと足を運んでいた。研究室の中央に備え付けられた机の上に強化ガラスに覆われたケージがある。その中に、悲鳴の原因が捕らえられている。

 

 硬質な水晶に覆われたような身体には目も口も、あるべき器官が無い。原型のみを残して"変異"してしまった。

 

 ハロルドたちがああだこうだと議論を戦わせている間、リュウキは虫、だったそれを眺めていた。

 

 ケージの近くを人が通る度に人から離れるようにガラスへと身体を押し付けるそれはギチギチと音を立てる。

 

――たすけ……の?

 

 かすれた、"彼女"ともまた違う声が聞こえた。

 

 不意にガラスへと伸ばした手が淡く光る。柔らかな光に誘われた虫だった水晶の塊がリュウキの手ヘと近寄る。光はすぐに収まり、虫だった水晶の塊はリュウキの手から離れてガラスの隅へと寄ってしまう。

 

 心なしか色を取り戻したように見えるのはきっと気のせいだ。

 

 

 リュウキは言葉が通じないおかげで寡黙な人なのだと思われるが、本人からするとそろそろ普通に話せないことに苛立ち始めているほどには話好きだ。話をするにも相手が居ないのがこれほどつらいとは思わなかった。

 

 特に食堂では時間が合う他の仲間達が楽しげに話していることが多く、彼はわざと時間をずらして食事を取ることが多かった。

 

 気を使って話しかけられるのも、正直うんざりだ。何よりも迷惑をかけているのが自分だというのが耐えられない。自分の半分ほどしか生きていないような子どもたちに気を使われるのは、なけなしの自尊心が泣く。

 

 時間をずらせば食堂に入るのは担当のクレアとロックスが居るのみ。彼らは分かってくれているのか過度に話しかけてくることもない。心地良いとは言わない。けれど気を使われるよりはマシだというだけだ。

 

 今日は、そうもいかない。

 

 時間をずらして日が傾き始めた時間に昼食を取ろうと食堂へと向かうとそこには桃色の髪の毛。カノンノが笑って彼を迎えた。

 

 

 彼と話すのが好きだ。話をするとは言っても彼は言葉を知らないからスケッチブックに絵を描くことによる筆談でしか無いが、それでもカノンノは彼と話すのが好きだった。

 

 自分の絵を見てくれるというのも有り、また、彼はどことなく父親のようだから。

 

 父親を知らないカノンノは自分の考える父親像をリュウキへ見ていた。優しくて、心配をしてくれて、少し寡黙で、強くて、少し厳しい。きっと父親が居たらこんな。

 

 憧れにも似た視線に、ロックスは思わず顔をしかめてしまい、その表情はリュウキに伝わる。

 

 くす、と小さく笑ってしまえば自分の表情に気づいたロックスがあわてて取り繕う。

 

 彼は関わってみればよく笑う人だと分かる。言葉が通じないのが煩わしくて、好んで彼と話そうという人は少ないけれど話してみたら良いのに、と思う。確かに話すのは面倒だけれど、彼はとても真剣に話を聞いてくれるし答えようとしてくれる。

 

 彼は食事を終えるとすぐに自分の部屋へと戻ってしまう。

 

「あの方は不思議な人ですね」

 

 カノンノの隣に並んだ彼、ロックスがポツリと呟いた。

 

「うん、でも、とっても優しいの。相変わらず仕事をする時はいつも心配してくれるのはちょっと困るけど……」

 

 それすらも嬉しい。

 

 話せたらいいな、いつか、近々。色々なことを聞いてみたい。

 

 ロックスはその言葉に同意を返した。話してみたいのはだれも同じだ。いつもと変わらず、ギルドのカウンターでギルドメンバーたちの報告を受けているアンジュも思うことは同じ。

 

 多少目的は違えど、彼から話を聞きたい。

 

 こことは別の場所からやってきたという戦う力を持つ彼。仲間から警戒するようにと言われた彼。船員たちに懐かれ、仕事先での依頼人たちにも信頼される彼。

 

 言葉を持たずしてもこれだけのことをしてみせる、彼は一体もともと何をしていた人なのか。唯一それを知り得るクリティア族の彼女には「そういうことに使う力じゃないの」と一蹴された。敢えてそういうことを言っているのであればやはり気になることには違いない。

 

 溜息をつこうとしているところに、一人のお年寄りが歩いてくる。今船は停泊中のため、クエスト依頼者だろうか。いつものように笑みを向けるとつかれた顔の老人は頼みごとをしたいと話を切り出す。

 

 髭を生やした老人はアンジュへと依頼を残すと疲れきって丸くなった背中を向けて、去っていった。

 

 依頼は不思議なもので、魔者が村に発生したため捕獲した。討伐する必要はないが砂漠のオアシスへ捨ててきて欲しい、と。

 

 この任務に参加するのはクレスとイリス、そしてリュウキとジュディス。リュウキが参加する任務にはジュディスがペアとして参加するのが常となり、レイヴンは渋い顔をする上にカノンノはついてこようとする。

 

 その出処だけではなくて、居るだけでもクセモノだ。アンジュは四人をクエストカウンターから見送った。

 

 

 熱いところは嫌いだ。服は汗で肌について動きが制限される上に、目に入れば視界も遮られる。

 

 砂に潜る牙の鋭いミミズのようなモンスターを相手にしながらリュウキは汗を拭った。動きは大体理解したが、砂に潜られる分攻撃の機会が少なくなって体力が消耗される。

 

 まだ砂漠の入り口だというのに体力を消耗していてはキリがない。逃げられれば奇襲される可能性もある。

 

 小さく舌打ちをして距離を取る。普段は遮断しているそれを開けてジュディスを見やる。彼女は俺の意図することに気づき、小さく頷いて敵に向かって特攻を仕掛ける。

 

 時間がかかるからこそ、本当は『信頼出来る』仲間がそばに居て欲しいが、仕方ない。

 

 見知らぬ世界に信頼できる仲間は居ない。

 

「天幻より裁きの光を、我らが世界に蔓延る悪しき者を浄化せん」

 

 片手を空へ差し伸ばし、集約した白い光が剣を形どる。

 

――ちからを、かしましょう

 

 女の声がリュウキの頭の中に響き、空に浮かべた光に何かが絡みつく。桜色の光が剣の刃を広げ、手を振り下ろしたリュウキの動きに合わせ、砂の中に突き立つ。

 

 砂の中からモンスターの断末魔が響き、暴れて出てきたミミズのような体が砂の上に倒れる。

 

 イリアが何かを言っている。賞賛か、疑念か、リュウキにその言葉は理解できないが少なくともクレスがお礼を言っているのは表情で理解できる。

 

 軽く笑い返して、リュウキは空気に溶けた桜色の光を目で追った。

 

 本来は白い光の剣を敵へ突き立たせる魔法だ。あんな鮮やかな色をした付加効果は無い。

 

 何かに干渉された。干渉を受け無いよう、作ってもらった魔法だというのに?

 

『大丈夫?』

 

 心配するような言葉に思わず勢い良く振り向いた。ジュディスが伺うようにリュウキを見ていた。

 

 一度頷き、動き始めていたクレスたちについてモンスターを入れたケージの後ろを護るようについていく。

 

 やたら、はっきりした意思だった。

 

 ジュディスのような力を持っていたとしても今まで抽象的なイメージだけが伝わってきた。

 

 まるで、学んだようだ。学んだ覚えなど無いのに。

 

 現れるモンスターたちを避けつつ、オアシスに足を運んだ所でケージの鍵を開けようとする。だが、降ってきたモンスターたちがケージを壊そうとするため、またも臨戦態勢に入る。

 

「うわあ、なんだ!何が起きてるんだ!」

 

 戦闘中のリュウキたち四人が聞いたのは、人の声。

 

 ケージの中から響く人の声だった。

 

「――!?」

 

 クレスたちの困惑で生まれた隙にモンスターたちが突進する。唯一冷静だったリュウキの刀がクレスの窮地を救い、刃が半ばからポッキリと折れてしまう。

 

 戦闘に戻ったクレスたちの後ろで、彼はケージを守っていた。

 

 この中に人が居ることには何となく気付いていた。

 

 不思議な依頼内容、時折中から聞こえるうめき声、モンスターにしては妙な気配。気配という意味ではジュディスも気付いていたのかもしれない。

 

 襲い来るモンスターを魔法で退けるとクレスが剣を突き刺してトドメを刺す。

 

 神妙な雰囲気。クレスが片手にケージの鍵を持つ。

 

 そう、確かに人の気配ではあったけれども。

 

 開いた扉の先から這い出てきたのは灰色の水晶に身を侵食された、二人の男の人。いつだったか医務室で買われていた虫だった何かと同じだ。

 

 クレスが何かを話しかけていて、イリアが足を引いている。

 

 人がモンスターになることは、珍しいのか。

 

 リュウキはいつでも動けるよう半ばから折れた刀を握る。たとえ元人であったとしても、人を襲えばそれはモンスターだ。

 

『――』

 

 不意に、医務室で無視を見た時にも聞こえた女の声が聞こえた。何を言っているかは分からないが、誘われたように足を踏み出す。

 

 誰かが、名前を呼ぶ。

 

 俺の、名前をたどたどしく。

 

 差し出した片手に、モンスターになった男の人は怯えるように這って逃げようとする。殺すのも人のためになるが、違う。

 

 リュウキは眉をひそめた。

 

 差し出した片手から放たれた光が男の人を包む。

 

 暖かなその光に包まれた男の人達は水晶のような何かが剥がれ、元の人であった姿に戻っていた。

 

 光を放った自分の手を見つめ、リュウキはただ一人黙っていた。

 

 これは俺の力じゃない。

 

(2016/07/10 13:05:18)



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7話

 

 砂漠での任務を終えてからリュウキの様子がおかしい。

 

 カノンノは展望室に閉じこもることの多くなったリュウキを心配していた。モンスター化した男の人達を救ったことで男の人達はとても喜び、リュウキにお礼を言っていたが彼はどこか上の空だった。

 

 アンジュはリュウキに対する疑念を強め、ハロルドは今まで以上に興味を持った。疑念を持っているひとが多いからか、リュウキは人の多いホールや食堂にあまり来ることが無くなった。

 

 だから心配だった。食事も取っていないのではないかと。

 

 ロックスに包んでもらったおやつを持って展望室に入ると彼は最近よくそうしているように外を眺めて座っていた。足音に気付いて振り返った彼はカノンノの姿を認めると困ったように笑った。

 

「あの、これ、ロックスから。食べれる?」

 

 隣りに座って箱を開けると彼は箱の中にあるマフィンを口へと運んだ。

 

「ん、と……」

 

 言葉に詰まるカノンノの横で、小さな笑い声。

 

 頭の上に暖かな何かが乗る。見ればリュウキに頭を撫でられている。子供扱い、と思いもするが、今まで感じたことのない暖かさに身を任せた。

 

 大丈夫、と言われている気がした。気にしなくてもいいと。

 

 何も話さないまま、隣に居た。ただそれだけでも、安心することが出来たから。

 

 

 バンエルティア号の甲板に、彼女たちは居た。

 

「まだ、彼のことについて教えてはくれないのね」

 

 アンジュが見やるのは空を見上げる剣士。リュウキが目覚めた時近くに居り、彼を害そうとしていた男。クラトス。

 

 彼はアンジュにリュウキを信用しないよう、そして船から出さないよう警告した張本人だ。だが、警告はしても彼がどういった人間なのかまでは言われていない。

 

 アンジュからみても彼は悪人のようには思えない。

 

 分からないことは多く、今回、モンスター化した男の人を直した力についても不明だ。だが、誰かを傷つけたわけではない。

 

 彼が警告する理由が分からない。

 

「あれは……世界のために創りだされようとした失敗作に近い不安定な存在だ。力も存在も、中途半端に在るのみ。一度還せばあるいは、とも思ったが」

 

「待って、待って! その言い方じゃあまるで彼は――」

 

「不確定要素は世界を壊す可能性すら持つ。還すことがならない今、アレを監視するのが私の使命だ」

 

 クラトスはアンジュに背を向け、船の中へと戻った。

 

 今の言い方では、まるで彼はおとぎ話の……。だが、だとしたら咬み合わない話がいくつも出てくる。

 

 分からないことが多すぎる。彼が話すことが出来れば幾つかの疑問は解決されるはずなのに。

 

 

 カノンノが酷く取り乱していた。後ろにジュディスを従え、クエストカウンターへと走りこんでくる。心なしかジュディスの表情も慌てているように見える。

 

「アンジュさん、リュウキが、リュウキが」

 

――出て行っちゃった。

 

 それは予想しなかった言葉。

 

 赤い髪の彼は手がかりを残した状態で船を後にした。

 

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 くるる。低く鳴いたモンスターのたてがみを撫でてやると飛び去った。アレはモンスターの中でも理性を持ち、指揮系統を理解する。おそらく別種なのだろう、他の小さな魔物たちとは。

 

 そしてアレが俺を連れてきたのは想像通り、カノンノたちと調査にやってきた村の近く。高い山の中腹に在るなだらかな空き地。

 

 広いその中心に体を丸めて眠る白い姿が在る。

 

 ただ、何故だろうか。一緒に暮らしていた時よりも少し鱗が黒ずんで見える。

 

 名を呼べば、白い姿は長い首をもたげて目を覚ます。

 

 もとより彼女たちの種族は睡眠を必要としない。それが眠らなければならない状況。嫌でも察しがつく。

 

『やっと、会えた』

 

「……嬉しくないなあ。お前が俺を呼んだの、殺させるためだろ。この世界は、合わないか?」

 

『うん、人は良いよ。特に麓の村の人はみんな優しい。ただね、この世界の空気は合わない。ボクらにとっては毒でしか無い』

 

 擦り寄ってきた額を撫でてリュウキは目を伏せる。

 

「俺を待っていたのか」

 

『……帰れないなら、どうせ死んじゃうなら』

 

 いつか約束したみたいに、貴方に殺されたい。

 

 本当は前見かけた時に殺して欲しかった。

 

 白の竜は頭を撫でられながら語り続ける。ただ、前は貴方の周りに人が居たから。巻き込んでしまったらきっと弱い人は死んでしまう。貴方がそれを望むとは思えなかったから。

 

「俺が蝕まれない理由に心当たりはあるか?」

 

『ううん。ただ、半分くらいこの世界が混ざってる、気がする』

 

「何かが、そうしたんだな。多分、俺達を引き込んだあの得体のしれない光が」

 

『……、ごめんね。ごめん、ボクは助けられない。貴方を一人にしてしまう』

 

 白い竜は頭を上げて、足を下げる。

 

 リュウキから逃げるように、距離を置くように。

 

「良いよ。今までありがとう。独りは、慣れてる」

 

 ゴメンネ。

 

 白い竜は空に向かい、大きく咆哮する。

 

 同時に空を横切る大きな影。バンエルティア号。

 

 一瞬、白い姿が影に隠れ、次に現れた竜は体が灰色に鈍り、黒く大きな翼を携えていた。

 

 もう既に限界だったのだろう。リュウキは刃の半ばから折れた刀を構える。魔法の力で刀身部分を作ってしまえばそれは立派な武器となる。

 

 願わくば、カノンノたちがここに到着する前に。

 

 理性を失った竜が放った火球を合図に、リュウキは地面を蹴った。

 

 

 気が早るのは先程空に吹き上がる火の柱を見たからだ。

 

 白い竜が居るという山にやってきたカノンノたちは先程船の上から白い竜とリュウキを見つけた。だが、船がその場所を通り過ぎた瞬間、その場所から火柱が吹き上がった。

 

 何が起きたかも分からず、事情も知らない。けれど、彼は白い竜にやられることを恐れていない。それを知っている。彼が船を出て行く時に残した彼の指輪。そこに在ったのはジュディスに読み取らせるために残した思念。

 

 白い竜を思っていること、戦う可能性があること。自分が死ぬ可能性があること。そしてそれを恐れているわけではないこと。そうったならばそれでも良いかと思っていること。

 

 納得出来ない。

 

 ジュディスを後方に、走り、リュウキたちを見かけた場所へと向かう。

 

「リュウキ!」

 

 名を呼ぶと彼は振り返り、驚いたように一瞬動きを止めた。一瞬のすきを知性の高い彼女が見逃すはずはなかった。

 

 振り切られたしなやかな灰色の尻尾。

 

 途中で引っ掛けられたリュウキの体はいとも容易く空を飛ぶ。

 

 大きな木に背中をぶつけた彼の体は地面に転がり、意識を失ったのか動かない。駆け寄りたいのは山々だが、そうさせない存在が目の前に居る。

 

 白いはずだった灰色の竜は牙をむき出しにして強靭な前足を振り上げる。慌てて飛び退けば竜の爪が地面へ食い込む。

 

「カノンノ!」

 

「大丈夫、大丈夫だから!」

 

 ジュディスが慌てて駆け寄ろうとするのを止めて警戒を促した。

 

 灰色の竜はよく見れば翼が片方千切れかかっており、後ろ足も一本引きずっているような状況。

 

 ずっと一緒に居た大事な竜。

 

 ジュディスは彼の指輪から思念を読み取り、そう言っていた。長い長い間、ずっと一緒に居た家族だから。

 

 だからこそ? だからこそ、そんな悲しいことをしなければならないの?

 

 カノンノは自分の武器を握りしめる。

 

 リュウキに代われるなら、私が。

 

 武器を持ったカノンノを認め竜は比較的傷の少ない前足と片方の翼を地面に押し付け、再度咆哮する。

 

 竜の声に彼の意識が戻ったことには気づかず、カノンノは駆け出した。

 

 

 頭を打ったのか未だに意識が定まらない。

 

 ただ、自分ではない誰かが複数人で彼女と戦っているのが分かる。ぶつかった木に背中を預けて座り直す。

 

 それなりに強い人達と戦っているらしく、彼女は俺が目を覚ましたことに気付いていない。彼女の自慢だった真っ白な体は濁った灰色に染まっている。

 

 潰した翼からは止めどなく赤い液体が流れ出ている。

 

 捨て置けばそのうち死ぬだろう。

 

 彼女たちでも、勝てるかもしれない。竜とはいえ、理性を失い傷を負っている状態だ。

 

 けれど、それでよかったか?

 

 違う。

 

 リュウキはゆっくりと地面に手をついて起き上がった。

 

 ようやく頭がハッキリした。

 

 魔法の力で作った刀を構える。最期まで面倒を見ると決めた唯一のモノだから。駆け出した勢いのまま、カノンノに気を取られる竜の懐へと潜り込み刀を振り上げた。

 

 ずぶりと沈んだ刀の先で、命が消える。

 

 さよならだ。

 

(2016/07/10 23:47:00)



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8話

 

 自分が殺した竜が倒れた目の前で、彼は立ち尽くしていた。

 

 竜に突き刺さっていた刀は竜の姿が光となって消えることで地面に落ちた。だが、彼はそれを拾うこともせず、竜が姿を変えた光を見詰めていた。

 

 かと思えば片腕を光へと伸ばす。

 

 光は誘われるようにリュウキの手元に集まり、彼の体の中へと取り込まれていった。直後、彼の体は倒れた。

 

 今度こそ駆け寄り、名前を呼んだ。リュウキ。

 

 目を開けないが、呼吸はしている。血も見えない。

 

 ジュディスに手伝ってもらって彼を担いで船に向かうと、レイヴンが慌てて出てきてリュウキを受け取って医務室へと運んでいった。

 

 疲労でしょう。命に別状はありませんよ。

 

 アニーの言葉にカノンノは安堵の溜息をついた。

 

 彼らしいというのか。リュウキは翌日、誰も起きていない早朝の時間に医務室を抜けだした。

 

 目指したのは展望室。空だけは、変わらない。あの場所も、ここも。どちらも彼女が好きだった空だ。彼女の力を取り込んだ右腕を見やり、目を細めた。

 

――ボクに出来るのは、これだけ。

 

 結局最期まで、助けられた。

 

 カタリ、と物音がして振り返った。

 

 桃色の髪の少女がスケッチブックを抱えたまま、驚いていた。

 

 カノンノ。声をかけると彼女は笑った。

 

「良かった……、生きてて、本当に」

 

 泣きそうな顔をしていた。

 

 俺なんかのために? 見ず知らずの世界から来た俺のために?

 

 物の力を読み取る彼女に手がかりは残していっただろう。自分が白い竜を思っていることも、この世界を割と軽視していることも。伝わっているはずだろう?

 

「つらいなら力になるから、お願い」

 

 居なくならないで。

 

 ついに、泣いてしまった彼女。

 

 立ち上がって片手を伸ばした。触った髪は柔らかく、心地が良い。

 

「ありがとう、カノンノ」

 

「ぇ?」

 

 か細い、掠れた声。カノンノは泣きそうになるのを必死に堪えながら、リュウキを見上げた。

 

 彼はまっすぐに紫色の瞳をカノンノへと向け、笑う。

 

「ありがとう。君が俺の味方で居てくれたから、俺はここに居られたんだろう」

 

「リュウキ?」

 

「……疑う気も削がれたよ。君みたいなお人好し、早々居ない。ありがとう、彼女を、竜と戦ってくれて。君のことだ。俺を想ってくれたんだろう?」

 

 流暢に話す彼が、目の前に居る。

 

 涙も消えた。驚きに彼を見上げたまま。

 

「彼女が最期にくれたんだ。この世界における最低限の知識を。やっと話せたね」

 

 思わず両手を広げ目の前の姿に抱きついた。

 

 やっと、やっと話ができた。

 

「リュウキ! いっぱい、いっぱい聞きたいことがあるの」

 

「……そうだね。彼女たちもだろう、アンジュに、挨拶しないとね」

 

 喜ぶ彼女とは反対に、リュウキは困ったように目を細めた。

 

 アンジュはリュウキを疑っている。それはカノンノも知っている。話せるようになったならばギルドのリーダーアンジュに挨拶に行くのが筋だろう。お世話になっています、と。

 

 そうなれば自分の素性も合わせて説明しなければならない。

 

 自分を殺そうとした人間も居るこの船で、更に自分の状況を悪化させるような事をしなければいけない。

 

 カノンノは嬉しそうに笑っている。

 

 それでも、話せることは嬉しい。リュウキはきっと悪い人ではないから。話せばアンジュもわかってくれる。そう思っているから。

 

「アンジュはそろそろ起きてくるだろう。……一緒にカウンターまで行ってくれるかい?」

 

 カノンノが差し出されたその手を取らない理由は無い。

 

 

 流暢に話しながらクエストカウンターにやってきた二人を見て、アンジュは大層驚いていた。またもリュウキが居なくなったとアニーが走り去っていったばかりだということもあったが、それよりも。

 

 リュウキがこちらの言葉を話していたから。

 

 隠していたのか、という疑念はすぐに消えた。だとしたら今、目の前で話していることの理由がない。

 

 話せるようになった。何かがあって。このタイミングで。

 

「改めまして、藤野リュウキと申します。こちらではリュウキ・藤野と言った方が正しいかな」

 

 人の良い笑みを浮かべる彼は普段と何ら変わらない。

 

 ただ、話しかけているだけだ。

 

 慌てて自己紹介を返すと困ったように、もう知っていますよ、と返された。そうだ、名前は既に知っているはずだった。彼が名乗ったのは自分にその状況を伝えるためで。

 

 話をするためだ。

 

 気を引き締めて話せるようになってよかったわ、そう返した。すると彼は意図を察したのか、カノンノへ話があるから、と告げる。

 

 カノンノは不満げにしながらもロックスたちに伝えてくると走り去っていった。カノンノが戻ってくるまでにあまり長い時間はない。

 

 目を戻せば彼は困ったように笑っている。

 

「アンジュさん、実のところを言うとね。聞き出したいことがあるのは俺も同じなんだ」

 

 医務室で自分を殺そうとした妙に無愛想な男のことも、子供を魔物と戦わせる集団のこと。この世界のこと、今までにあったこと、船員のこと、色々。

 

「だけど、聞かないよ。少なくとも貴女は俺よりも今の状況を知っているのだろう。俺も『善人』ではない。聞き出す術なら幾つもある。だけどそれをするには、あの子たちに世話になりすぎた。……ふ、何も知らない無邪気ほど怖い物はないと思い知ったよ」

 

 笑っているのは表情だけだと心から痛感する。背中に這い登る冷たさをなんと表現したら良いのだろうか。恐怖。だろうか。

 

 恐怖とはそんなものだっただろうか?

 

「しばらく、互いに不干渉といきましょう。……隠れて話を聞いている貴方もね。悪いが、貴方の今の実力が『あの程度』なら、俺は人質を取らずとも貴方がたに勝てると思いますよ」

 

 彼はまるで。

 

「リュウキ!」

 

 冷えきった空気を壊す明るい声。駆け込んできた少女に、リュウキは笑ってみせた。人の良い笑顔。先ほどの言葉などウソのようにすら思える。

 

「ああおかえり、カノンノ。そんなに走らなくてもいいだろ」

 

「ロックスがね、お話したいって!」

 

「ああ、行くよ。どのみち挨拶回りはしたかったんだ」

 

 何もなかっただろう?

 

 一瞬、アンジュの元に寄せられた視線にはそんな意味があった気がする。

 

 食堂に入ったリュウキを見つけたのは朝食の準備をするロックスだった。手に持った食材を抱えるようにして、こんにちは、と言う。

 

 さっきの話を聞いていたのか?

 

 リュウキはわざとらしい程に優しげな顔をして見せると背を向けられる。これは驚きだ。リュウキは笑みを浮かべたままロックスと同じように朝食の準備をするクレアへと歩み寄る。

 

「手伝おうか、下準備くらいなら出来るよ」

 

「あらリュウキさん。助かります」

 

 さして驚きもせず、いつもと変わらない様子でクレアはリュウキへ手伝いのための食材を渡す。負けじとカノンノも手伝うと行って隣へと駆け込んでくる。

 

 本当に、ただ無邪気な。

 

 無害な無邪気な子供は遊んでいるべきだという考えが第一に在る。その考えを守るために俺たちは命をかけることを良しとした。

 

 子どもたちを護るために剣を取ったと言っても良い。

 

 この世界ではそれがない。子供すら自分を、誰かを護るために戦う。子供はただ、自分の夢のために一心に、そして無邪気に生きるべきだ。そう思っている。

 

 野菜を言われたとおりに切り分けてクレアへ渡せばクレアが鍋の中に入れて火をかける。隣ではカノンノがリュウキの真似をして野菜を切っている。

 

 まるで。

 

「カノンノ、……答えたくないなら良いが、親は居ないのか」

 

「あ、うん。小さい頃にね、亡くなったんだって。顔も覚えてないくらいなんだ、覚えてるのはロックスと一緒にアンジュの教会でお世話になってたの」

 

 ふうん、と敢えて興味なさげに答えるとカノンノの向こう側でロックスが表情を歪ませている。知っているのだろう。きっと何もかも。

 

 こんな世界だ。親を亡くした子供も居るのだろう。

 

 それを、少なくするために。せめて親を亡くした子どもたちは幸せになれるようにするのが。

 

 不揃いな野菜を見て、クレアは笑った。

 

(2016/09/28 22:57:01)



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9話

 

 その邂逅は誰もが思うよりも早く訪れた。

 

 ルミナシアの言葉を理解したリュウキはそれでも展望室を自身の拠点として動いていた。依頼があれば今まで以上に幅広く請け負うことが出来、無ければ展望室で外を眺めてほとんどの時間を過ごす。

 

 船の中に居る誰もが、リュウキは今どこにいると聞くと展望室か任務、と答えられるほどだ。だからこそ『彼』が展望室にたどり着くのはリュウキが思うよりもずっとずっと早かった。

 

 許された帯刀。リュウキは外を眺めながら静かにその柄を握った。

 

 展望室に入ってきた足音を知っている。

 

「思ったよりも、早く来ましたね。クラトス、さん?」

 

 振り向くこともせず、リュウキはただ言葉のみで彼を警戒する。

 

「……自分が何者であるかと、考えたことはあるか?」

 

 クラトスの問いにリュウキは答えない。

 

 正確には彼と問答をするつもりが無い。穏便に過ごしたいとは思うが、何も知らない自分を殺そうとしたことをおいそれと忘れてやることは出来ない。代わりに、言葉を返した。

 

「自分が何者か、アンタは俺に教える気があるのか?」

 

 何故自分を殺そうとしたのか、何故自分を監視するのか。

 

 何も答えないクラトスを鼻で笑い、龍騎は刀を持ったまま立ち上がり振り向いた。変わらず無表情なクラトスに笑いかけるとすれ違うように隣へ並ぶ。

 

「たとえアンタが俺の、この世界の俺の創造主だったとしても俺を殺そうとした奴に何かを話すつもりはない」

 

 どちらともなく引いた金属がぶつかりあって火花が散る。重厚なクラトスの剣が振り切られ、鞘で受けたリュウキの刀が震える。

 

「船の中で止めてくれませんかね。前も言いましたけど、不意打ちをされない限り貴方に負ける気はなくて」

 

 こともなげに笑ったリュウキは刀を収めてホールへと向かった。今日はどんな仕事を入れられていたかな。日常と変わりない言葉を言われる。だが、相手が自分を認識している以上再度攻撃をしたとしても結果は先程と変わらないだろう。

 

 ただそれでも何もしない訳にはいかない。

 

 クラトスは収めた剣の柄を握る。

 

 世界のために、不確定要素は監視をしておかなければならない。出来ることならば、還したいところだがリュウキの言うとおり『今の』自分では彼に敵わない。

 

 ため息が出る。

 

 

 アンジュに聞いたところ、今は渡せる仕事が無いと言われたリュウキは暇潰しも兼ねて食堂に居た。ルミナシアの言葉を理解していない頃はこの場所で食事をするのもためらわれて適当に過ごしていたが、話すことができるようになると色々とここでの食事が気に入った。

 

 場所ではなく、単純に食事が。自らコンシェルジュと名乗るだけあって、というべきかロックスは毎日の食事について人を見ながら考えている。毎日毎食をこの食堂で取る人は居なくとも、船に居る時間はこの場所で食事を取れば間違いがないだろう。

 

 妙な態度を取るロックスも気に入っている。なぜかと言われればリュウキにとって彼、ロックスは善人でしかないからだ。カノンノの保護者、とも言えるだろう彼は害があるように見えない。

 

 あったとしてもそれは。

 

「リュウキ?」

 

 声をかけられて意識を戻す。カノンノが心配そうに自分を覗き込んでいる。

 

 大丈夫だよ、そう返してやれば安心したように笑う。相棒だった竜を殺してからカノンノはやたらとリュウキを気にする。鬱陶しいということは無いが、申し訳ない気持ちが大きい。

 

 子供は何も考えず遊び学んでいればいい。仕事熱心なカノンノにそんなことを言えば怒られてしまうだろうか。いつか口から滑り出そうな言葉だ。

 

 今日もご飯が美味しいよ、誤魔化すように笑いかけるとロックスも安堵したように笑った。

 

ーー龍騎さんはどうしたいですか?

 

 夜、ロックスは食堂にいた彼を見付けてそう尋ねたことがある。答えなど期待はしていなかった。だが、言葉は返ってきた。

 

ーー帰ることが叶わないのであれば、この場所に、彼女たちに恩を返すよ。

 

 電気もつけない暗がりで、彼は確かに『笑った』

 

 だからもう、ロックスはリュウキを疑わない。

 

 

 歌を口ずさむことが多い。その歌は人よりも動物や感覚の鋭い種族を惹き寄せるのか、彼の周りにはただの人間ではない生き物たちが多く居る。

 

 クィッキーに始まり、ガジュマのユージーンにキュッポたち、そして何故かコレットやカノンノ、そしてメルディ。

 

 カノンノはリュウキを気に入っているから居るのは何というか、見慣れた光景だ。だが、人に動物にと、彼を囲んで歌をせがむ姿は言い表しがたい。

 

 キールは小さくため息をついた。

 

「もう一曲!」

 

 せがまれてリュウキは困ったように笑う。

 

 キールは正直彼を信用していない。

 

 空から落ち、違う言葉を知り、戦う力を持ち、竜を従えていた過去を持つという。どこを取ったら安心できるというのか。

 

 目の前の能天気な人たちに教えて欲しいほどだ。

 

 ――♪――

 

 響く朗々とした声。決して高くはない。特異な声でもない。

 

 ただ聞いたことのないイントネーションの言葉が、堂々と声を出す彼の声が、すんなりと耳に入ってくる。

 

 文句を言いながらもリュウキの歌をまともに聞いたことのなかったキールは部屋へ戻ろうとした足を止めた。特別なことはない。歌で言えば歌をなりわいとしている人たちのほうがずっと良い歌を歌う。ずっといい声で、ずっと上手く。

 

 だけれど、何だろうか。胸に落ちる。すんなりと感じられる。歌詞を理解できなくとも感情が落ちてくるような。

 

 振り向くとリュウキと目が合う。彼は優しげに目を細めて笑った。

 

 優しい……?

 

 自分の考えにキールは小さく頭を振り、慌てて背を向けて歩きさった。優しいわけじゃない。

 

 周りが絆されていくなら疑う役目は自分にある。

 

「っとー、あれ、キールくんだっけ? なあにしてたの?」

 

 途中、最近入ったレイヴンという男と擦れ違ったが適当に返事を返した。

 

 レイヴンはキールの背を見送り、展望室を見上げた。耳をすませばほんの少し聞こえてくる歌。ふうん、と興味なさげに笑いながら彼もまた展望室へ向かった。

 

 展望室では歌が終わり、クィッキー以外の人はリュウキへ向けて片手を振り、それぞれの仕事へと向かった。

 

 残された赤い髪の後ろ姿へと近付くと彼は驚いたように振り返る。視界にレイヴンを収めると困ったような、困惑するような、言い表すにふさわしい言葉を見つけづらい、けれど確実に喜んでは居ない表情を浮かべた。

 

「よ、はじめましてぶり。リュウキさん?」

 

 もっとも、初めて会った時は話せなかったが久しぶりにあったことには変わりない。外に向けて座っているリュウキの隣に腰を下ろす。

 

「……っふふ、不思議なものだな。ここにも貴方のような人が居るとは思わなかった」

 

 口を開いたのはリュウキだった。

 

 なにが? とわざとらしく首を傾げるレイヴンへ一瞥することもなく、リュウキは膝の上のクィッキーを撫でながら空を見ていた。

 

「普通に歩けない人。足音を殺しすぎて普通に歩けない、そんな人がこんなのどかな場所にいるとは信じられない」

 

「……へえ、隠す気もないの」

 

「知ってる人間に隠すつもりなんて無い。それに、そもそもそういう目的で来たんだろ」

 

 レイヴンさん、と初めて笑いかけるとレイヴンは無表情で返した。それは普段ケラケラと軽薄に笑う男ではなかった。

 

「徹底はしないのか、今からでも隠し通そうとすればいいのに」

 

 その異様な雰囲気にか、クィッキーは眠りから覚め、自分の主人へ向けて走っていった。

 

 あーあ、怖い顔するから、なんて。状況を分かっているはずのリュウキが笑えば笑うほど雰囲気は張り詰める。

 

「そっちは、もともと何してたの?」

 

 口調だけはそのままなんだ、と感心しながら龍騎の視線は再度空へと移る。彼女の背に乗って空を渡る仕事を正確に言い表す言葉はない。

 

 ただそう、人は自分のことを――。

 

「騎士、と、そう呼ぶ人は居たなあ。たしかに給金も騎士の上から出ていたから間違いではないんだろうねえ」

 

 守っているつもりなんて無かった。けれどそれは結果的に守っていることになって、何も知らない人たちは尊敬の目を向けていた。

 

 戦うことはもちろん仕事だが、主な相手は街に入り込もうとする魔物たち。そういう意味では討伐依頼は慣れたモノかな。

 

 レイヴンは『主な相手?』とわざとらしく首を傾げる。

 

「予想通りですよ。俺の剣は人間に向けられることも少なくない。俺の敵ならね。俺にとって今この場所には恩はあれど敵意など無いです。……まあもちろん、とある一人は例外ですねえ。殺そうとされても理由なく許してやれるほど優しくはない」

 

 無表情なレイヴンとはまるで対照で有るかのように人の良い笑みを浮かべ、リュウキは言葉を続ける。

 

 命を助けてもらった上に衣食住の提供までされていてはいつ恩を返しきれるかわかったものではないが、それでも子供に恩を受けたままで敵対をするつもりも、勝手に出ていくつもりもないよ。

 

 嘘をついているとはとても思えない。そう思わせているのか、真実なのか。

 

 情報が少なく、今のままでは判断できない。

 

 疑わしい、男でしか無い。

 

「貴方やキールくんのように疑ってくれるのは正直ありがたい。気を抜くことなく仕事ができる」

 

 ねえレイヴンさん?

 

 甘えるような口調に嫌でも意識がリュウキへ向く。

 

「いざとなったら、お願いしますね?」

 

 それだけを言ってリュウキは一度大きな音を立てて手を叩く。

 

「はい、怖い話はおしまい。お互いにサボりだと思われる前に仕事に戻りましょーか」

 

 同時に、背後から誰かが展望室に上がってくる。振り向けばカノンノが二人へ笑いかける。珍しい二人組だけど何を話してたの?

 

 そう問われればリュウキが何の事はない、ただの他愛ない話だよ、と返す。

 

 カノンノが来ていることに気づいていたのだろうか、これだけの距離があり、カノンノもあまり音を立てていなかったと言うのに。

 

――いざとなったら、お願いしますね

 

 何がいざとなったら、何がお願い。カノンノと笑い合いながら依頼をこなしに行った彼は『自分よりよっぽど』善人らしい。

 

 話を聞くならば彼本人ではない方が良いかもしれない。

 

(2016/12/18 19:59:00)



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10話

 

――願いを叶える存在が、ルバーブ連山に居るらしい。

 

 そんな噂があった。『願いを叶える存在』 以前、何度かアドリビトムの依頼に出てきた存在だ。赤い煙のようなそれは一度は虫に取り込まれ虫の姿が変異し、何人かの人の病を治し、人を魔物化させる。直接見たことはなかったが、魔物化した人を元に戻したことで間接的にその存在は知っていた。

 

 言葉を知り、聞いたことのひとつだった。『この世界では人は簡単に魔物化するのか?』聞いた先のアニーはとんでもない、と首を振っていた。人であることが変質するなんてそれこそドクメントを触るようなこと、出来るはずも、ありえるはずもない。

 

 と、そこからは専門的な話になるらしく続きは簡単にしか聞いていないが。

 

 リュウキはその願いを叶える存在を確認し、状況によっては確保するというアドリビトムから発信された依頼に手を挙げて参加した。

 

 メンバーはリュウキ、ティトレイ、メルディ、そしてジュディス。ジュディスはリュウキが行くと言った時どうように「じゃあ私も」とよく分からない立候補をした。

 

 言葉を話せるようになってからは依頼にともに行くことはなかったが。いい機会だろうか。

 

 リュウキはルバーブ連山の麓で改めて挨拶を済ませる。

 

 ティトレイには『初めまして』 メルディへは『改めてよろしく』と。ティトレイはリュウキの手を強く握り、大きく振った。

 

 ああ、苦手なタイプだな。表向き笑みを返す。

 

「あら、私にはないのかしら?」

 

 敢えて振れずに居たジュディスが後から有るきながら声を駆けてきて思わず溜息をついてしまった。

 

「必要ないだろ? ジュディスほどの人だったら連携なんて簡単に取れるはずだ」

 

「そうね」

 

 肯定をしておきながら視線はリュウキから離れない。それで?と促しているように見える。

 

「……悪かった悪かった。改めてよろしくな、ジュディス」

 

「よろしくね、リュウキ。カッコイイ人に無視されるのはつまらないものよ」

 

「はっは、それはどうも。気をつけるよ。……そういうのはそういう気になった男に対して言ってやってほしいもんだけどなあ」

 

 決してジュディスの方を向かず話していると前方でティトレイとメルディが一般の人間と思われる人を必死に諭しているのが聞こえてくる。話を聞いている限り『願いを叶える存在』とやらに会いに来たらしい。

 

 なんとも俗っぽい。

 

 ギルドの人間なら護衛を引き受けて欲しい、願いがかなったらどれだけでも報酬を払うから、となんとも非現実的な話をしている。チャラついたカップルだ。悪いとは言わないが。

 

「お兄さんがた、その『存在』ならさっき街に下りたらしいですよ? 俺たちは山頂に現れたっていう巨大な魔物の討伐に来たのです。申し訳ないが俺たち程度の実力では貴方がたを守りきれないかもしれないので街まで戻っていただけませんか?」

 

 あたふたとしていたメルディの方に手を置いてやりながらそう言うと俗っぽいカップルの二人はブツブツと文句を言いながらも山を降りていった。

 

 正直、アドリビトムの名を落とすような真似をしたくはないが、このまま民間人を入らせるわけにはいけない。

 

 落ちてきた時はともかく、何度かここに足を踏み入れたことがあるため、ここに魔物が多くいるのはよく知っている。あんな軽装な人間に払い切れる魔物ではない。

 

 一般人の姿が見えなくなってからティトレイたちに向き直ると助かったとお礼を言われる。

 

「得意なやつが得意なことをしただけだよ。さあ行こう、アレの他に一般人が居ないとも限らない。慎重に、そして迅速にね」

 

 軽く背を押せばメルディは少し早めに歩き始める。なんとも素直で、優しい子たちだ。

 

「余計なことを考えていると魔物に襲われるわよ?」

 

「! ……悪い、煩わしかったか」

 

 目の前の小さな鳥型の魔物を切り伏せ、突き伏せながら雑談を交わす。

 

「いいえ。それに、考え事をしている程度のことしか分からないわ」

 

 魔術を使おうとする魔物を発動の早い魔術で牽制をすればジュディスが槍を突き刺しトドメを刺す。いいコンビだよなあ、はいな、ティトレイとメルディがそんな話をしているのにも気付かず、二人は喋りながらお互いの戦いをフォローし合い、難なく山を登っていく。

 

 中腹に差し掛かったころ、記憶陣のある場所で不意にリュウキが後ろを確認した。一度納得したように頷くとジュディスを見やり言葉もかわさず意思を確認する。

 

「ティトレイ、休憩しよう」

 

「へ? 俺まだまだいけるぜ?」

 

「山道っていうのは想像以上に体力を使うんだ、それに……大型の魔物の足跡も見た、正直不確定要素でしか無いが体力が少ない時に鉢合わせたくない」

 

 そうしてチラリと見やったのは最初よりほんの少しだけ歩みの遅くなったメルディ。その後ろには必ずジュディスが居るが、クィッキーもメルディの肩に乗っていることが多くなっている。

 

 視線で言いたいことに気づいたティトレイが大きく頷いた。

 

 もっとも、彼女のことだけではなく、大型魔物の足跡があったのも間違いではない。

 

 休んでいるティトレイとメルディを視界に収めつつ、少し先へ進んだ先の小さな峰に登る。視界が開け、山頂も見える。峰の上からでは赤い煙の姿は見えない。花になっていたりすると見えないだろうか。

 

 不意に、耳鳴りのようなものを感じて片手を頭に置く。それは長続きすることは無く、リュウキは気のせいということにした。

 

 大型の魔物のような気配はない。少なくとも近くには。ただし空を飛べる魔物だとすると急激に近寄られることも有る。警戒に越したことはないだろう。

 

「ご苦労様」

 

「……どうも。ジュディス、このあたりに強い魔物って居るのか?」

 

「居ないことはないわ、でも今の時期は大人しくしているはずね」

 

「ふうん、足跡は蹄だった。考えられる形は多いが、近付いてくる時には音がするはずだ。……あんな子供を危険な目に遭わせたくない。ご協力願えるかな?」

 

「ええ。もちろん、報酬は用意してもらえるんでしょう?」

 

 思いがけない言葉にリュウキは一瞬動きを止め、そろそろ出発するというティトレイの言葉で我に返った。報酬って、そう言葉をかける前にジュディスはその身軽さで峰から飛び降り、ティトレイに合流した。

 

 とんでもないやつだな。どこに行っても女性には敵う気がしない。

 

 大きくため息をつき、リュウキもジュディスの後を追ってティトレイたちに合流した。

 

 

「大して努力もせずに、夢を叶えようってヤロウを見るとムカムカするんだよ」

 

 不意に山道を歩いている時にティトレイがそう言った。

 

 どうにも、ティトレイはいわゆる『熱い男』らしい。苦手なはずだ。

 

 剣の具合を確かめながら、聞いてない素振りをしながら聞いていた。自分では何もしないくせに他人から与えられる何かを求めてばかり。だからこそあんなことが――。

 

 口を出そうとしたのか、開いた口を閉じた。

 

 彼が全ての人間に対してそう言っているのではないのは分かっている、だからこそ自分が口を出すようなことは何もない。

 

「リュウキ、リュウキはどう思うか?」

 

 どこか不慣れなような言葉でメルディはそう尋ねた。リュウキが別の世界で騎士をしていたことは知れている事実、だからこそ彼女はそう聞いたのだろう。

 

 嘘を付き、平和に事を済ませばいい。だが、どうしてだろうか。

 

 いつものように平和な嘘が出てこない。

 

 無言で有り続ける彼を心配したのは誰よりもジュディスだった。

 

 彼が嘘をつける人間だというのは知っている。だからこそ。

 

 キ――ン、とリュウキの頭の中で何かが鳴る。同時に彼らのいる場所に影が落ちる。音もなく翼をはためかせた大きな魔物が彼らの頭上を飛び、急速に速度を落とした。

 

 降りてくる。マズイ、あれは。

 

 降りてくるのは馬のような、だが強靭な四肢とドラゴンのような頭、そして音もなく羽ばたく大きな翼を持った鱗に覆われた魔物だった。それはティトレイたちの前に足を付けると牙の生えそろった口を大きく開けて咆哮を浴びせかける。

 

 大きな魔物を前にメルディの肩に乗っていたクィッキーは体を縮めて震えている。戦えはしないだろう。

 

 逃げるが得策。ジュディスに伝えようと思ったところ、またもリュウキの頭を痛みが襲う。同時に、聞いたことがない声が響く。

 

 『助けて』と。

 

 この声の聞こえ方は、彼女と同じだった。この世界に毒された、彼女。

 

 一度頭を振って目の前に集中する。

 

「ジュディス! 脇を抜けて山頂に逃げるぞ!」

 

 山頂へ向かう道は崖に囲まれるようになっており体の大きな魔物は来られないだろう。魔物に戦いを挑もうとするティトレイの首根っこを掴む。

 

「ティトレイ、少し待て! 隙を作ったらメルディと先に走りこめ!」

 

「リュウキは――」

 

「後からすぐに行く、頼むぞティトレイ」

 

 お前にしか出来ないだろ、と言えばティトレイはメルディを見やって頷いた。常に敵の懐に飛び込むからこそ周りは見えているはずだ。

 

 ジュディスは早々に槍を振っている。魔物はジュディスを見ている。

 

 敢えてメルディたちから離れて魔物に向けて威力の弱い魔法を放つ。魔物はドラゴンの顔をリュウキへと向けた。魔物の背中側でティトレイたちが移動を始める。

 

 刀を抜いて威嚇するように振ってみせる。

 

『タ、スケテ――』

 

 聞こえた声と共に頭痛が襲う。思わず顔をしかめるが、強く地を蹴ってドラゴンの顔へ刀を突きつける。

 

 片目を潰されるとドラゴンのようなそれは酷く動揺し、動きが大きく隙だらけになる。滅茶苦茶な攻撃は避けづらいが、それでも理性的であった時に比べればマシになる。

 

「ジュディス!!」

 

 目の前に襲い来る前足を渾身の力で弾けば魔物の体はよろめき、声をかけたジュディスが追撃することで魔物は地面に倒れ込む。

 

 ようやく出来た大きすぎる隙に走り、ティトレイたちの後を追った。

 

 追いついた先でリュウキたちを待っていたティトレイの背中を押し、更に先へと進む。出来ることならあの魔物から見えない場所へ。

 

 そうして進み続けた先には山頂が在った。

 

 山頂では赤いナニカがまるで人のような形を取り、待ち構えていた。

 

――君は何を望む?

 

 かけられた言葉に、リュウキは足を止めた。

 

(2016/12/23 23:26:46)

 

 



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11話

 

 ゾッとした。リュウキは思わず足を止める。

 

 これが願いを叶える存在? ティトレイとメルディの声が遠くに聞こえる。麓に居たカップルが求めていたようなそんな優しい存在ではない。もっと巨大で、もっと曖昧で、あの時に『視た』モノによく似ている。だけれど違う。

 

 まるで滑るような足取りで赤い人影のようなそれはリュウキに近づき、指のない腕のようなモノを伸ばす。大丈夫かとティトレイが言う。大丈夫ではない。だが、体がうまく動かない。

 

「いたぞ!! ティセンダー様だ!!」

 

 叫ばれた誰のものでもない声にようやく我に返り、声の方を見やる。見たことのない装束に身を包んだ男たちが人形の赤い煙を見て歓喜にわく。

 

 ディセンダー。

 

 世界が危機に瀕した時、世界樹より遣わされる救世主。らしい。

 

 記憶もなく、恐れも知らない英雄。

 

 おとぎ話に出てくるソレを信じている集団が居る。厄介な厄介な『暁の従者』

 

「願いを叶え、全ての者を導き給うお方。ディセンダー様! やはり、降臨されていたか!」

 

 こういう、救いを求めるだけの人間は嫌いなんだったか。

 

 ティトレイは装束を着た男たちが赤い人影を連れて行こうとするのを心配している。赤い影はリュウキを正面に見たまま動こうとしない。

 

 リュウキもまた、赤い人影から目を離さない。

 

 意思のわかりやすい人たちよりもよっぽど不確定要素。今赤い人影が何をしても対応できるように。ティトレイと暁の従者たちが言い争っている中、赤い人影は再びゆっくりと片手を持ち上げた。

 

 その動作を不可解に思いながら、リュウキは赤い影が指した方向を見た。

 

 音のない羽ばたきが聞こえた。

 

 弾かれたように地を蹴った。暁の従者を殴るように突き飛ばし、ティトレイも同様に強く胸のあたりを押してその場から引かせる。

 

 落ちた牙が空を噛み、ガチ、と音がなる。

 

 山頂に来るまでにリュウキたちを襲った、竜のような何かが地に足をつける。

 

 咄嗟に見たのは赤い影だった。

 

 ソレが指さなければ暁の従者か、ティトレイが巻き込まれていただろう。

 

 赤い人影はワラっていた。気がする。

 

 そこからの行動は彼にとっても想定外だった。

 

 竜のような何かが羽ばたき、舞い上がった羽が意思を持つように空中で制止した。そして、鋭くその場に居た全員に向かって飛んだ。

 

 リュウキが突き飛ばした暁の従者の一人は岩陰に隠れ、ジュディスはメルディを守り、ティトレイは自分の身を守った。

 

 リュウキは剣を振っていては間に合わないその場所へ、自分の手を滑り込ませた。

 

 赤い人影へ向かう、強さを持った羽へ向かって。

 

 どっ、と鈍い音が幾つか響いた。

 

 身を隠すことの叶わなかった暁の従者に羽が突き刺さる。

 

 ここに来るときといい、今といい、やたら『刺される』ことが多いな。利き腕と、脇腹に刺さった灰色の羽を見やり、笑う。誰かが彼の名を叫んだ。

 

 痛みで倒れ込むリュウキに気を取られ、本人たち以外は気が付かなかった。赤い影が、倒れ込む彼にほんの少しだけ、触れていたこと。

 

 体が倒れきる前に羽の刺さっていない手を地面につく。

 

 力を込めれば羽の刺さった場所が焼け付くように痛む。

 

 彼の目の前で、無事だった暁の従者が赤い人影の手を引いて行った。

 

「リュウキ! っ、少し我慢しろよ!」

 

 ティトレイに肩を抱えられ思わず声が出るがティトレイに運ばれるまま、岩陰に座り込む。あのモンスターを撃退するから動くなという言葉を聞きながら、ティトレイが居なくなった瞬間、利き腕に刺さった羽を引き抜く。

 

 刺さっていては満足に動かせない。幸いなことに毒を持っている種類では無さそうだから問題はない。

 

 続けて脇腹に刺さっている羽を引き抜いて捨てる。

 

 近くで争っているような音が聞こえる。

 

 戦いに関しては任せてしまっても問題ないだろう。問題になるのはそう、二つ。どちらを優先するか。

 

 ゆっくりと体を起こし傷口を適当に治療する。

 

 今からならまだ間に合うだろう。

 

 

 またリュウキが居なくなった。

 

 何度目か、数えたくもない報告にアンジュは思わずため息をついた。今度はどこに行ったのか、こんなにも問題は山積みになっているというのに。

 

 願いを叶えるという存在がディセンダーという肩書を持って暁の従者に渡ってしまった。そこから何があったのかは定かではないが暁の従者はまるで人を超えたような異様な力を持って大国さえも食いつぶそうとしている。

 

 大国ライマは暁の従者と国民達によって城を攻められた。アドリビトムでは今、ライマの王族を匿っているような状態だ。

 

 暁の従者が何を思い何をしているのか、そして、どこにいるのか、何もわからない。

 

 リュウキがルバーブ連山から姿を消してもう幾日も経っていた。アドリビトムは暁の従者を探すことを中心に依頼をこなしていた。

 

 そんな時、停泊していた港から黒いローブを身にまとった男性らしい人影がアドリビトムにやってきた。

 

 黒い髪に黒い瞳。見たこともない人だった。顔も体もローブで隠しているような怪しい人を前に、アンジュとカノンノはカウンターで身を引き締めた。

 

 女がリーダーだからと馬鹿にする人も今までに居た。この船欲しさに乱暴ごとを起こした人も居なかったわけではないからだ。

 

 男はそんな二人を見て小さく笑い、ローブを背中へと倒した。

 

「ぇ」

 

 カノンノの小さな声が聞こえ、男は笑みを深くする。

 

「よお、情報を持ってきたよ。……あれ、アンジュ、えーと、まさかと思うが気づいてるよな?」

 

 髪に手を置き、引けば赤く長い髪が出てくる。そして、目元に手をやれば黒い瞳ではなく、紫色の瞳が見える。

 

「ま、そんなのはどうでもいいさ。暁の従者はアルマナック遺跡にいる。今はライマの方に人を割いているから潜入するなら今が良いだろう。……具体的に何をしているのかまでは分からなかった。だが、いい予感はしないな。人ならざる力を持っているのは確かだったがあれは魔物に近いものだ。行くなら、それなりに戦える人にしてくれ」

 

 ふ、と。

 

 カノンノはリュウキを見上げた。

 

 動いた気がしたのだ。不必要に、揺れるように。

 

「勝手に姿を消したのは謝る。こういうのは、まだ一人のほうが慣れててね。また勝手をするが、休ませて欲しい」

 

 アンジュの制止も虚しく、彼は自分にあてがわれた部屋へ向かって歩き始める。

 

「大丈夫かな」

 

 カノンノの声に、アンジュはまたため息をつく。

 

 情報はとりあえず皆に回すとして、あれをどうしようか。休憩に行ったということは自分で向かうつもりはないのだろう。

 

 アルマナック遺跡。魔物も巣食っている場所だ。

 

 カノンノにも手伝ってもらおうかと、口を開いたが既に目の前にカノンノは居なかった。

 

 

 リュウキは小さな空き部屋を一人で使っている。

 

 カノンノは扉を叩いたが、返事はない。

 

 恐る恐る扉を開くと、鍵がかかっていなくて扉は簡単に開く。

 

「リュウキ?」

 

 声をかけると息を呑んだような音が聞こえてきた。音の方向を見るとタンクトップ姿のリュウキが居た。

 

 その姿に思わずカノンノが息を呑むと足早に彼が近づいてきて扉を閉めて鍵をかける。近い位置にリュウキの身体がある。思わず手を伸ばすが、その手は大きな彼の手に捉えられる。

 

「カノンノ、」

 

 背中は壁に当たっている。目の前にはリュウキがいる。片手は捉えられている。

 

「これは、内緒な」

 

 カノンノを捉えていない片手から目が離せない。

 

 彼の片手は、二の腕から肩にかけてまるで結晶化しているようだった。

 

 赤い煙に囚われた、人間のように。

 

(2017/01/09 22:40:06)



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12話

 

 背の高い男ライマ国の兵士ジェイドとアドリビトムのリーダーアンジュ、この二人と並んで歩くのは異常に心地が悪い。少し前までであればこういった『疑う』人間のほうが気楽だったと言うのに、よほど彼女たちと時間を過ごすことに慣れてしまったらしい。

 

 内心で笑みを浮かべながらリュウキは目の前の石像を斬って捨てる。いやあ頼もしい、とわざとらしい男の声に思わず溜息をついて返す。

 

「俺は、休憩をとっていると言ったのですが」

 

 嫌味のようにアンジュへ言い放つも彼女は笑って返した。休憩時間は存分に上げたのだから問題ないはずでしょう、と。確かに一日休暇をもらった上での任務でしか無い。

 

 だが、行く気がない事を伝えるつもりで休ませてほしいと言ったのに、これはどういうことだろうか。完全に自分の意志を無視されている。それだけの信頼を失うようなことをしたのだろう。

 

 これまでの単独行動を思えば、確かにそうだ。それに出生の知れない人間なのだから。

 

 自分だったら檻の中に置くだろう。その点、彼女たちは優しい。

 

「俺もディセンダー様に願いを叶えてもらいたいものだ」

 

 不意に、前方から声が聞こえてくる。それは暁の従者たちの声。ディセンダーを崇める言葉。

 

 息を潜めるアンジュとジェイド。少し離れたところからリュウキは暁の従者たちの言葉を聞く。感情と自覚の抜け落ちたディセンダーらしい、おそらくあの紅い煙のことだろう。

 

 言葉を聞くに、実体を持ったのか持とうとしているのか。意思を持とうとしていたのか――、持っていたのか。

 

 どちらにしろひとりでに行動できるようになってきているらしい。

 

「見ろよ、この力、ラザリス様がくれたんだ!」

 

 大岩に手を翳すだけで大岩は浮き上がる。

 

 この力で世界を平和を目指すのだとか。虚言。

 

 この集団全員があの力を得たとして、あの力を持って大国全てをまとめたとしても。

 

「平和ね」

 

 思わず口に出てしまう。暁の従者たちには聞こえていないだろうが、同行者には聞こえてしまったはずだ。

 

 いい加減に進みましょうか、というアンジュの言葉に隠れていた物陰から姿を出して暁の従者たちの前に歩み出る。途端暁の従者たちの顔色が変わる。

 

 以外にも、喜色が見える。

 

 仲間になりに来たのか、と慣れたような言葉にリュウキは顔を歪める。他に誰かが来て、仲間になっている。多くの人が?

 

 より多くの人があの存在に触れているのか。

 

 それは、恐怖でしか無い。

 

 体が変質するからではない。人間でなくなるからではない。

 

 目の前で激怒し武器を振り上げた暁の従者たちのように歪んだ思想を持つからではない。

 

 みねうちに切り替えた刀を強く当てれば暁の従者たちは膝をつく。

 

「やれやれ。世を変えるにも、ディセンダー頼りですか。それでは、何も変わりませんよ」

 

「黙れ!!!」

 

 これまでになく激怒した暁の従者たちを包む赤い煙。咄嗟に足を踏み出そうとしたがリュウキが手を伸ばすよりも早く赤い煙が暁の従者を包み込む。

 

 石に、結晶に包まれたような姿になった彼らは這いずるように遺跡の奥へと逃げ込む。

 

 追いましょう、と言った彼女っちから少し離れ、自分の右腕を見た。

 

 これは――侵食する。

 

 あの山であの煙に触れられてから、触れられた箇所から少しずつあの人達のような結晶は広がっている。

 

 いずれ、ああなることは目に見えている事実。自分に――自分の能力を使えない限りは一緒だ。自分に自分の能力が使えないことはよく分かっている。

 

 何度も試した。

 

「ラザリス様…ディセンダー様…、助けて下さい…こんな、こんな姿…」

 

 這いずる彼らを迎えたのは――人に近い何か、だった。まるで何か、硬質なものと人間とで組み合わされたような。片目はまるでヒトデに覆われているようだった。

 

 少女のようにも少年のようにも見えるその生き物はコツコツと靴と同化したような足で床へ叩き、近寄ってくる。

 

「助けて…だって? 望んだから、欲しがったから、力をあげたのに……」

 

 酷く優しげに、だがどこか冷たい言葉はアンジュたちを含む暁の従者たちに手を向けた。

 

 悪寒が全身をめぐり、無意識に防御のため片手を前へ向けた。

 

 そして強い衝撃波が彼らを襲う。防御の間もなくアンジュとジェイドが吹き飛ばされ、リュウキは魔術で作り出した壁を押し切られ、両手を防御に回す。右手を、使いたくはなかった。

 

 何が怒るかわからなかったから。だが、予想に反して何も起きず防御の陣は役目を果たす。

 

「やあ、『龍騎』」

 

「っ。……あのときの感覚、お前も、俺を覗き視たのか」

 

 知ったような口ぶり、そして、名前の呼び方。まるで、元の世界のような。

 

 山で彼女、赤い煙だった存在、ラザリスに触れられた時に感じた感覚はジュディスに自分の中を覗き見られた時と同じだった。

 

 ふふ、とラザリスは楽しげに笑う。一歩一歩リュウキに近づき顔を上げる。

 

「ラザリス、といったか。何がしたいんだ。生き物の願いを叶えることだけがお前の『やりたいこと』じゃないだろう」

 

「ああそうだよ。ボクのやりたいことは汚い人間たちの願いを叶え続けることじゃない。ボクは『ボクとして』存在する、ボクの願いはただそれだけさ。――帰りたいと、望むだけの君と同じようにね」

 

 

 ラザリスも居なくなった遺跡で、リュウキは壁に背を預けて座っていた。

 

 結晶化した暁の従者は自分の力で元に戻した。ラザリスの力で気を失っていた彼らは今、人間に戻りただ眠っている。アンジュとジェイドにも回復術をかけた。じきに目覚めるだろう。

 

 問題はそちらではない。

 

 右手を見据え、小さくため息をつく。

 

 問題はこちらに有る。数人の人間の結晶化など問題ではないと言うほどに。潮時なのかもしれない。

 

 何かのために何かを犠牲にする考えのない、この集団の中にはいられないのかもしれない。何かを知る男はいる。だが、それ以上に。

 

 

 リュウキはそこに居た。

 

 遺跡の壁に背を預け、刀を抱えて。眠っているかのように目を閉じていたがジェイドが起き上がると目を開けて笑いかけた。

 

「魔物たちが来る前に起きてくれてよかった。アンジュを起こしたらこの人たちを連れて出ましょう。……ラザリスも、もう居ない」

 

 どこか寂しげにリュウキはそう言うといつの間にかそうしていたのか、腕を縛った暁の従者を起こす。

 

 何があったのか、問うべきだということは分かっていたが問えなかった。

 

 彼の誰も寄せ付けない雰囲気が問うことを拒んでいた。

 



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13話

 

 歌を口ずさむ。元の世界では悲壮に打ち沈む女が歌う歌。観客はこの世界に住む何か。ここは任務でやってきた見晴らしのいい草原。討伐対象の大型魔物は既に居ない。打ち倒した。元々、一人でこなせる程度の任務だった。

 

 草原で仰向けに寝転がりながら彼は歌った。彼女が好きな歌を。

 

 悲壮とはかけ離れた彼女は自分にないものを求めているのか、こういう歌が好きだった。違う。何処かに抱えているからこそ、こういう歌が好きだった。

 

 強くて強くて、綺麗で、男勝りで――弱い。

 

『遥』

 

 口に出せばまるで締縄に打たれたかのように胸が痛くなる。置いてきた、大事な家族。

 

 誰よりも大事な。

 

「よ、何たそがれてるの」

 

 不意に影がリュウキの目の前に落ちる。上から彼を覗き込んでいるのは紫の羽織を来た男、レイヴン。リュウキは彼が苦手だった。戦える人間であることもさることながら、彼は自分に似ている節が在る。

 

 隠していることがあるということも、実力を持っているということも、そして。おそらく人を殺したことがあるということも。互いに気付いていて、敢えて触れずに居る。

 

 油断しているような格好をしているもお互いに気を許しはしない。

 

「ちょうどよかった、レイヴンさんに用があったんだ」

 

 草地から体を起こして、先程街で買ったものをレイヴンへ投げ渡す。

 

 ガラン、と音を立てて落ちたそれは幅広の剣。ああ、さっき買ってた。剣を拾い上げたレイヴンに向かって風が吹く。風に臆することなく、ただ驚きながら拾い上げた剣を防御のために振り上げた。

 

 一度だけ合わせた剣はすぐに離れる。

 

 明らかな敵意とともに剣を振ったリュウキは笑みを浮かべて距離を取った。

 

 何のつもり。問いかけると龍騎は笑みを深くする。

 

「意味は無いかな。ただ、ただそう。幼い頃から戦ってばかり居ると戦わないと相手のことが分からなくてね」

 

 だからやろう。本気で。

 

 一歩を踏み出そうとするリュウキにあわてて剣などそんなに強くないとレイヴンが訴えるが、彼は首を振る。剣を扱えない人間が今の一撃を無意識に防御できるなんてことはない。扱ったことがあり、剣で死地に向かったことがある人間だから防御できたのだろう。

 

 ねえ?

 

 リュウキの恐ろしいまでに優しげな顔にレイヴンはほとんど無意識なままに剣を抜いた。

 

 ほら、と剣を合わせながらリュウキが笑う。

 

 何故バレていたのか、とか、そんな考えより先に殺らなければ、という思考が広がる。

 

 この感覚がリュウキは好きだった。

 

 冷えた血が落ちていくような感覚、集中力が増し頭を締め付けられるような感覚。魔物相手には作り得ない緊張感。この世界では味わえないかと思っていた剣通しの戦い。

 

 体を回転させて勢いを付けた刀を当てる。レイヴンは刀を流すように避けながら途中で剣を持つ手を換えた。リュウキは剣を持つ手に合わせて攻め立てる場所が変わってくる。

 

 慣れてる。慣れすぎている。

 

 いなすのが精一杯なレイヴンは僅かな隙に距離を取り、リュウキへ待て、と話しかける。

 

「レイヴンさん、強いなあ。気を抜くと持って行かれそうだ」

 

 どの口で言ってるんだか。レイヴンはため息をつく。

 

「戦う体力がもったいないんだけど、やめない?」

 

「やめない。アナタも俺の力を気にしていたでしょう? ならちょうどいい。でしょ」

 

「……十分だけど」

 

「あはは、まさか。俺も両手を使える人と戦うのは久しぶりでね。楽しいよ」

 

 襲い来る剣気を耐えるも次の瞬間目の前にあるのは白刃。

 

 思えば、どうして重みのある剣を使っていたことに気付いていたのか。レイヴンは目の前の白刃が頬を掠め切り裂いていくのを感じながら足を一歩後ろに下げる。目の前の男は楽しげに剣を振る。

 

 優雅とも思える片足を軸に回転するような戦い方。一撃一撃に重みはないが早く鋭い。一撃一撃が致命傷を狙っていることがありありと分かる。

 

――楽しいよ

 

 彼は自分のことを騎士だと言った。護るために居るのだと。だが、彼の剣はまるで誰かを護るものではない。この剣は、奪うためのものだ。

 

「――アナタは、何故剣を捨てたんだ? 今の戦い方は後方より、それだけの力があって近接を捨てるほどの何かがあったのか」

 

 戦いながらこちらを分析するように視てくる。

 

「一度迷えば、迷っている時間だけ機会を無くす」

 

 弾かれたままによろければすぐに追撃の刃が襲う。

 

 あまりの力にレイヴンはついに尻もちをついてしまう。

 

「強さは全てを護る盾になる、何を斬り捨てても」

 

 目の前につきつけられた剣の切っ先。

 

 こんなに容易く転がされるのは想像以上だった。せめて同等程度の実力だと勘違いしていた。レイヴンは目の前で今にも自分を殺さんとするリュウキを見上げる。

 

 だが、彼はふと表情を崩すと手に持っていた剣を地面に突き刺し表情を緩めた。剣を握っていた手を差し出す。

 

「さて、レイヴン。君の実力は知れた。ありがとう」

 

「……情けない」

 

「っはは、普通であればアナタは誰にも負けないでしょ。問題ない」

 

「――敵対でもするつもり?」

 

 手を取って立ち上がると思わず口を突いて言葉が出てしまう。彼は嫌な顔ひとつせず、だが、質問に応えることもなくそろそろ帰ろうかと背中を向ける。

 

 その言葉が肯定の意味を含んでいることには気付いている。

 

 だが、彼は。彼が敵対した時止めろというのか。そんなお願いをされているのか。

 

「考えすぎは体にわるいですよレイヴンさん」

 

 バンエルティア号に戻ってはじめてリュウキがレイヴンにかけた言葉がそれだった。いつもと何も変わらない、近くに居るカノンノが何も怪しむことのないリュウキ。

 

 ただ『優しい』リュウキであるとは、もう思えない。

 

(2017/05/21 23:07:05)



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14話

 

 ああほら、動かないで。リュウキの声に真っ暗な視界の中で体を固める。おそらくリュウキが髪を触っている。

 

 つい先程、いつもより少しだけ上機嫌なリュウキがカノンノの居る食堂にやってきた。そしてカノンノを見つけると喜び隣に並ぶ。そして目を閉じて欲しいと言ってきて今に至る。リュウキは小さな声でロックスと何かを話しながらカノンノの髪に触れている。ふと、髪を下に軽く引っ張られるような違和感。

 

「ん、こんなもんか。良いよカノンノ、目を開けて。ロックス鏡」

 

 ゆっくり目を開けると満足げなリュウキ。そして、鏡を持ったロックス。ロックスはゆっくりと鏡面をカノンノへ向ける。

 

 鏡に映る自分は、カチューシャを取り髪を顔の横で一つにまとめている。とても可愛い、紅い花の髪飾りでまとめられている。

 

 驚き、リュウキを見上げるも彼はずっと満足そうに笑っている。

 

「前に依頼で行った街の露天で売ってたんだ。よく似合ってるよ」

 

 言いながら露天ではないけどな、と内心でリュウキは思う。本当はそれなりの店で買っている。だが、露天で売っていてもおかしくないデザインで、知らない人が見ると分からないが知っている人が見ればその人の品を知ることが出来る程度のブランド。

 

 カノンノがこういったものに興味がありながら疎いことは知っていた。だから、贈ってみた。

 

 案の定彼女は酷くうろたえている。きっと似合わない、とか考えているのだろう。

 

「戦闘する時は腕でも足でも付けられるし取っても良いよ」

 

「え、え。これ、え、わたしに?」

 

「あはは、もちろん。君は淡い色が多いけど一つアクセントとしてこういう色があってもいいと思ったんだ」

 

 案の定、よく似合う。

 

 ロックスと一緒に笑い合うが、カノンノは気恥ずかしさから視線を逸らす。

 

 これで普通の女の子に目覚めてくれれば、と思う。リュウキは片手を何度も髪飾りにやりながら気恥ずかしそうに笑うカノンノを眩しいものを見るかのように目を細めてみやった。

 

 子供は無邪気に遊んでいて欲しい。

 

 そう思いを新たにした瞬間、移動中の船が大きく揺れた。

 

 バランスを崩したカノンノを支える。何かがぶつかっている? それも、何度も。ぶつかってきている、というのが正しいだろうか。不規則だが何かにぶつかられているらしい。この船にぶつかってこれだけの衝撃を与えられる。大きく固い空飛ぶモノ。

 

 だがなぜ今。思うより早く、落ち着いた足取りでホールを抜け、甲板へ向かった。ホールに居るはずの人たちも甲板へ出ていた。

 

 青空を閉める多くの、黒い身体。

 

 ああ、ナルホド。と思う前に黒い身体の一つが船へと体当たりを行い、船が大きく揺れる。倒れそうになっているアンジュの身体を支えてやると、なにが意外だったのかアンジュが慌てて離れる。

 

 離れた先で尻もちをついていては意味が無いだろうに。

 

『彼(か)の方の仇!』

 

 不意に耳に入ってきたのはそんな言葉。他のメンバーたちには聞こえていないらしい。

 

 魔物がハッキリと言葉を理解していることも驚きだが、自分だけに声が聞こえていることも驚きだ。思い当たるフシは、ある。

 

 自分だけに聞こえるということは『彼女』と同じということ。

 

『お前たちも<向こう>から出来たのか?』

 

 外へと語りかけてやると目に見えて外を飛び回る竜たちの動きが鈍くなる。

 

『誰だ、何故言葉を』

 

 それはお互い様だろうに。

 

 竜のうちの一体、比較的身体の大きな竜が船に近寄ってくる。攻撃しようとするアンジュたちを抑えれば竜は甲板に足をつける。

 

『貴様が、彼の方の言っていたリュウキか』

 

 何故竜族はこんなにも高慢な言葉遣いのやつが多いのか。

 

『竜の中では若い方だと思うがな、彼女は。そうして慕ってくれるのは俺としても嬉しいところだ』

 

 周りから『人間ごときが』という罵りの言葉が聞こえてくる。そうあることを望んだのは彼女だ。言葉を返せば竜たちはまた船にぶつかろうとする。

 

 意外なことにそれを一喝して止めたのは船に足を付けている竜だった。

 

『人の身で挑発するのは止めてもらおう』

 

『ああ、失礼。癖みたいなもんさ』

 

 口元を隠して笑うとようやく落ち着いた船の上でアンジュが何かを叫んでいる。おおよそ何を話しているのか、というところだろうか。だが、彼らと話している以上他に話しかけると高慢な彼らは気に食わないとまたこの船に体当たりを仕掛けるかもしれない。

 

 目の前に足をつけた竜はジッとこちらを観察している。

 

 俺の後ろには武器を構える船員も居る。警戒しているのだろう。

 

『船を落とせば勝ちだろう? そう怯えるなよ』

 

 俺の挑発とも取れる言葉に船を囲む竜たちが唸りを上げる。

 

 だが目の前の竜は冷静にこちらを見るだけ。年齢が一番高いのだろうか。

 

『――彼の方をどうして殺した』

 

 そして聞こえた静かな言葉。

 

 リュウキはそれまでまとっていたどこか軽い感じの雰囲気を消した。誰が好き好んで。彼女を殺すというのか。

 

『苦しんでいたから。と言えば満足か? 元の場所での約束なんだ。どちらかが駄目になったら殺してやろうと』

 

『助けることは出来なかったのか』

 

『お前たち同様、彼女はとても賢い。自分が助かるかどうかなんてわかってるさ』

 

 助けられるなら助けた。俺たちのミスで巻き込まれ、この世界に来た彼女を。二十年という長い間共に戦った彼女を。

 

 自分の力不足と思うことはないが、だがそれでも道があるならばすがりたかった。

 

 ただ見知らぬこの世界に、道など用意されては居なかった。

 

 目の前の黒い体。彼女は毒され、自慢の白い体が黒くなった。目の前の竜たちもなのか。

 

『我らは元よりこの世界に棲む』

 

 リュウキの思考を読んだかのように黒い体が応えた。ああなら、大丈夫なのか。

 

『……彼の方がやってくるとき、世界は一瞬光に包まれた』

 

 そして黒の竜は何かを語り始めた。リュウキの後ろの緊張が高まりつつある中、語られる始まりの話へ彼は真剣に耳を傾ける。

 

 

 知性を持った竜がやってきた時、というのは正確ではない。あの時、世界にはいくつもの光が落ちた。そのひとつがリュウキの相棒である白い竜。そして光は多くの魔物たちにも降り注いだ。

 

 光を浴びた魔物たちは知識を持った。そして、急な知性に魔物たちは驚き慌てふためいた。

 

 知性を持った魔物たちへ手を差し伸べたのが、白い竜。

 

 既に世界に毒されていたであろう彼女は、だが、魔物たちに手を差し伸べて知性の使い道を教えた。人間を避け、陰ながら人間を助け、あらゆるものと共存する生き方。

 

 らしい、考え方だ。

 

 

 リュウキは笑った。優しく人思いの彼女らしい。

 

『彼女を殺した人間に復讐がしたいなら俺だ。ここには女子供も居るんだ。無茶な真似は止めてもらおうか』

 

『……。我らは行く。いずれそなたが一人の際に相見えよう』

 

 物騒な言葉を残し、竜は翼を動かした。

 

 空を覆っていた竜たちは皆、どこかへと飛び去っていく。

 

 振り返ると向けられる疑いの瞳。慣れたものとは言え、そろそろ限界なのかもしれない。お互いに。

 

 駆け寄ってきたカノンノが大丈夫? と声をかけてくれる。赤いヘアアクセサリーを付けた姿で。

 

 リュウキは無意識に肩を撫でた。硬質なもので覆われた、自分の肩。

 

 どちらにせよ、離れなければならない理由はあった。侵食する水晶化。人の凶暴化。他の人間に危害を及ぼす存在になるとしても、俺は一般人ではない。この体と力がどう影響を及ぼすかわからない。

 

 次の任務は指定された魔物の討伐。依頼主に報告を行えば達成となる。

 

 幸いにも同行者は居ない。

 

 

 出ていくには、最適のタイミングだ。

 



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15話

 

 リュウキが居なくなった。そういう報告は何度目か。ただ、今回は本気なのだろう。アンジュはまた帰ってくるよね、と不安そうに視線を寄せてくるカノンノを見て心の声を押し殺す。またきっと勝手に様子を見ているだけよ。また帰ってくる。言葉をかけてやると安心したように自分の髪の毛に手をやる。彼に貰ったという髪飾り。

 

 帰ってくる気が有るのかは分からない。ただ、今回は本気なのだと思う。家出と言うほど可愛らしくはない。

 

 敵対するとは思っていない。どちらにも利益がないものを彼がするとは思えない。だが、安心もできない。

 

 アンジュの頭を過るのは『ラザリス』と名乗った存在と直接的に接触した日の任務。あの時、ラザリスの攻撃を受けた自分とジェイドは気を失った。だが、リュウキは目覚めていた。否、気絶すらしていなかったのかもしれない。

 

 あの時からジェイドの中でも彼に対する疑念は大きくなった。

 

 変質した人を助ける力があったとしても信用には事足りない。子どもたちのように純粋には信じられない。

 

 

 カノンノもなんとなく気付いていた。彼が簡単には戻ってこないこと。ずっと様子がおかしかったこと。

 

 髪飾りを外して眺めていた。綺麗な紅の装飾。

 

 本当にお父さんのようだと思った。贈り物をして互いに嬉しそうに笑って。

 

「まだ、近くに居るのかな」

 

 任務ついでに探しても良いだろうか。

 

 自分に見付けられるだろうか。

 

 

 色々な人の色々な意識を向けられる当の本人、リュウキは未だバンエルティア号の停泊する街に居た。灯台下暗しというもので、出ていったことには気付いても近くの街を探しはしないものだ。

 

 だが、思った以上に長く停泊している。

 

 港近くに宿を取ったリュウキは部屋の窓からバンエルティア号を眺める。女子供の多いあの船から降りるのも心が痛い。だが、それ以上に自分が自我を失う恐ろしさがある。

 

 自分が意識外で手を下すなんて恐ろしいことをしたくはない。

 

 腰に携えた剣に手を置く。いつまでも折れた剣を使えないからとこの町で買ったものだ。服も変えた。変装用の道具は――今は良いだろう。怪しいがフードをかぶればある程度姿を隠せる。

 

 ようやく動き始めたバンエルティア号が空に消えていく。

 

 便利な乗り物だ。アレだけの規模の機会が空を飛ぶのだから。俺が居た場所からは考えられない。空を飛ぶ移動手段なんて魔物に乗るしか無かった。

 

 さて。これからはどうしようか。

 

 リュウキは椅子に座り込んだ。当面は傭兵としてこの世界を回ろう。その内に竜たちからの接触も有るだろう。

 

 何より。

 

 思い出す、暁の従者の姿。

 

 ああいや、迷う必要はないのかもしれない。目指すのはひとつなのだから、そこへたどり着けば良い。

 

 まずは暁の従者との接点が必要だ。

 

 この世界にも幸いなことに『傭兵』という職業が有ることは知っている。名を売るまではどこかの組織の力を借りて、その後は自分のためと、目的のために。

 

 別世界から来たことは言わなければバレないはずだ。ジュディスのような人がいるのであれば頭の中も読み取られないように処置が必要だ。何よりもまずは働ける場所だ。

 

 バンエルティア号が全く見えなくなってからリュウキは部屋を出た。

 

 珍しく、油断をしていた。部屋を出たところに居た人影に一瞬驚くと、向こうから『今のタイミングで押さえればよかったかしら』とおどけた口調で言われる。

 

 レイヴン。

 

 最も会いたくないと行っても過言ではない人物が眼の前に居る。

 

「よく、分かりましたね。誰かと?」

 

「そんな怖いことさせられるわけないでしょうが。ま、監視みたいなもんかね。あ、そうそう。ある程度ならバレないように出来るから」

 

 そう言うとレイヴンは髪をまとめているゴムを解いた。

 

 落ちた髪を多少綺麗に整え、顔を上げたレイヴンはーーレイヴンではなかった。この考え方があっているのか、リュウキにも分からないがそうそう変えることができないはずの個々の雰囲気が違う。格好は何一つ変わっていないのに。

 

「……そんな凝視するほど、変か?」

 

 そして、口調も。

 

「驚きました。どちらも、レイヴンさんで?」

 

「ああいや、こちらで居るときは『シュヴァーン』でお願いしたい」

 

「は、っふふ。失礼な話、ようやく敬語が違和感なく使えます」

 

「……だからこちらは嫌なんだ。レイヴンが如何に嫌がられているかよく分かる」

 

 格好も変えたいから部屋に入れてくれ。

 

 レイヴン改めシュヴァーンの要望にリュウキは扉を空ける。

 

「そういえば、どこに行く気なんだ」

 

 背を向けて着替えながら向けられた言葉にリュウキはしばらく傭兵をしていますよ、と答える。楽ではないが、というごもっともの言葉を返されて笑う。

 

 この世界の傭兵についてはたしかに知らないことが多く不安だった。先程までは。だが、知っていそうな人間が監視とはいえこちらについた人がいる。とすれば不安は大分減った。そうだろう?

 

 笑いかければカッチリとした橙の服に身を包んだシュヴァーンが困ったように笑う。ともに行動するのだから手伝おう。無理ない程度にな。

 

 垣間見えるレイヴンのような言葉に笑う。

 

 ああ面白い。

 

 じゃあ、行きましょうか。道案内はおまかせしますね。

 

 リュウキの他力本願な言葉にシュヴァーンは笑ったまま前へと歩き出した。

 

 まず目指すは傭兵としての仕事を始めるための登録商会へ。斡旋された仕事をいくつか、そして運が良ければ指名されるようになるはずだ。

 

 想定以上の自体になってしまうのは、二人の想定にはなかっただけ。

 



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16話

 

 魔物討伐を主にしながらも幅広く依頼を受ける傭兵コンビが居る。という噂があらゆる街で広がるのに時間はかからなかった。世界の情報を集めようと始めた傭兵業だが、気づけば有名だと言われるほどになってしまった。

 

 このまま生業にしてしまえば良いじゃないか、そう言ってくる隣の相棒を小突く。だんだんこちらにも慣れてきた。

 

「そろそろ良いんじゃないか?」

 

 シュヴァーンの言葉にリュウキが首をかしげる。

 

「どうだろうな。逆にここまでになると疑われそうだ」

 

「それは、たしかに」

 

「だが行ってみるしかないか。……ラザリスに目通りとか言われないことを祈ろう」

 

 本来の目的は暁の従者に潜入することだ。万が一、バレてしまうようなことがないように髪の色はウィッグを使うことで黒髪にしている。本来の髪は長すぎるため早々に短くした。

 

 綺麗だからもったいない、などという浮いたことを言ったシュヴァーンは早々にスネを蹴り上げられて呻いていた。レイヴンであればただのおふざけで済むだろうが今の雰囲気でその言葉は勘違いする連中も居るからやめろ、と。

 

 結局やめなかったおかげで婦人方の間には好ましくない噂が流れているらしい。

 

 

 考えるとため息が出る。女性を敵に回すのは恐ろしいのはよく知っているだろう? 知っているからこそ、楽しいじゃないか。ふざけた性格をしている。お互いに。

 

「では行くか?」

 

「ああ。だけど本当に良いのか? シュヴァーンはただの監視だろ? そこまで俺に付き合わなくても」

 

「ふ、今更な話だな。それに、監視であればこういうときこそついていくものだ」

 

 ぼやきながら、軽口を交わしながら彼らが向かうのは一般には触れることのない樹界の奥深く。ここには遺跡がある。怪しいと言われる組織はこういった場所を本当によく好む。

 

 リュウキの愚痴にシュヴァーンは一歩後ろを歩きながら笑った。

 

 遺跡の入口には大層にも見張りが居た。彼らから見れば素人な、だが、どこか得体の知れない見張り。遠くから観察しながらリュウキはなんとなく考えていた。あれもまた、ラザリスに力をもらった人なのかもしれないと。

 

 そう思う理由はない。だが、あの時と同じ感覚がしている。砂漠のオアシスで魔物化した人を元に戻したとき、アルマナック遺跡で同様に魔物化した人を戻したとき。

 

 大丈夫かと、シュヴァーンの問いかけにうなずき返す。魔物化しているとは言え素人は遠くの気配まで気がまわらないらしい。こちらに気づいている様子はない。

 

「心配したのはそこじゃないんだが」

 

「知ってるよ。さて、まだ仲間を募集してくれてると良いんだけど」

 

 

 結論、仲間入りを断られた二人は常の如く依頼をこなしていた。今更人は必要ない。怪しい。というのが理由らしい。傭兵として生きていけることが確実な二人が入信するのはおかしい、と思うほどの頭はあるらしい。リュウキの言葉にシュヴァーンは笑った。バカにしすぎた。と。

 

 サクサク。雪山の道を歩く。

 

 吐く息は白く、足先はすでに雪に埋まっているかのように痛い。そろそろ休憩時か。

 

 二人は魔物討伐の依頼を受けてこの雪山、霊峰アブソールへ足を踏み入れていた。目的はフェンリル。ギガントモンスターと言われる大型、かつ凶暴なモンスターだ。狼型で雪山でも平気で動く。毛は硬く並の剣は通さない。魔法に耐性もあるモンスターは一般人の手に余る。

 

 こういった、歩きで来づらい場所の依頼は嫌いだった。バンエルティア号が、居る気がして。

 

 不意に、二人は足を止める。

 

 大きすぎる狼の足跡に、人の足跡。戦ったように乱れた雪。使用された魔法の痕跡。どちらのものかも分からない血痕。

 

「小さいな」

 

 シュヴァーンが見ていたのは人の足跡。決して一人ではないそれは、大人のものより少し小さい。

 

 小柄な男なのだと、信じたい。

 

「休憩は後回しでも良いかな、シュヴァーン」

 

 返事は無かったが歩き始めたリュウキを、シュヴァーンは後ろから追った。

 

 焦らず、だが急いで。喧騒の声は近い。

 

 次第に聞こえてくる戦っている少年たちの名前にリュウキは顔をしかめたが、助けない理由にはならなかった。

 

 開けた景色に、リュウキは雪を蹴った。

 

 割って入るのは赤い目の少年と大きな魔物の間。襲い来る牙へ片手を向ければ現れる光の方陣。大きな狼の魔物は見えない壁にぶつかり距離を取る。

 

 距離を取った先に待ち構えていたシュヴァーンが剣を振れば赤い剣閃が狼の後脚に刻まれる。

 

 驚く少年たちをよそに彼らと、そして少年側にいた男と女性は動きを止めない。女性が片手を振り上げれば何処からともなく氷柱の吹雪が狼へ降り注ぎ、独特な双剣を手に持つ男は独特な剣術と魔法で狼を牽制する。

 

 そして狼が後脚の痛みに怯んだ瞬間、狼は痛みに開けた口へ剣を捻じ込まれ絶命する。

 

 強いな。リュウキは男と女性に目をやった。特に女性は––。そこまで考えてやめた。女性は真っ直ぐにリュウキを見ている。

 

「あ、あの。ありがとう」

 

 助けた少年。エミルの声にも応えられない。外見は変えていても声は同じだから。特にもう一人の少年、カイウスは耳が良い。

 

 黙ってもいられず、いつかのように何も言わずに笑いかけた。言葉がなかった、あの時のようだ。シュヴァーンが剣を収めた音を合図にリュウキは彼らに背を向けた。

 

 呼び止めたのは女性。

 

「待って。アナタは」

 

 リュウキにとって最も聞きたくない言葉で。

 

「ディセンダーね?」

 

 リュウキは足を止めた。

 

 そして振り返ると女性の傍らに付き添う双剣使いの男は知らず、自らの武器へと手を置いた。

 



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17話

 

「……ヒトではないと、お見受けする」

 

 その言葉に、カイウスは反応する。正確には聞いたことのある声に。

 

「ええそうね、私は氷の大精霊セルシウス。はじめまして、と言うべきかしら」

 

「はじめまして。そして、先ほどの言葉は撤回願いたい。俺には記憶がある。恐怖も無いような恐ろしい存在では無いのでね」

 

 淡白な言葉。知る姿からかけ離れているからかエミルは首を傾げ、カイウスは食い入るようにリュウキとシュヴァーンを見ている。沈黙を守れないのはいつだって、レイヴンだった。

 

 お久しぶりね、と言ってヒラリと片手を振った彼はエミルたちに近寄る。リュウキがバンエルティア号に戻るにしろ戻らないにしろ、レイヴンは彼らに伝えることがある。エミルへ一枚の紙を渡し、リーダーによろしくね、と笑った彼はまたリュウキの背後へと戻る。

 

 未だ沈黙を守り、何も話さないリュウキは小さくため息をつく。

 

「俺は確かに違う世界の人であり、この世界では異質だろう。だからといって役目を終えたら消えてなくなる存在扱いは御免被りたい」

 

「いいえ。撤回はしないわ。アナタはディセンダー。弱った世界樹がようやく呼び出した異世界の救世主」

 

 リュウキ。シュヴァーンに名前を呼ばれてリュウキは片手に込めていた力を抜く。

 

 斬り捨てそうだった。

 

 勝手なことを言う人ならざる何かを。

 

 少年たちの前で人型の物を切り捨てられない。そう、自分に言い聞かせて向き直る。セルシウスに付き従う男は既にいつでも武器を抜けるように構えている。

 

 事を構えてもいい。少年たちが居なければ。

 

 監視の男と本気で斬り合える。それはむしろ素敵な出来事。

 

 だがそれよりも優先すべき『言葉』がある。多少なり守る力があるならば『女子供を傷付けるな』という絶対の言葉。

 

 誰よりも大事な。

 

 だが。

 

 自分からその大事を奪ったのは?

 

 

 リュウキの纏う雰囲気の変化に気付いたのはセルシウス、彼女に付き従う男、そしてシュヴァーン。

 

 リュウキと女性の間にシュヴァーンは歩いて入り、リュウキに向かう。リュウキ。名を呼ぶが彼の『いつもの』雰囲気に戻らない。

 

 自分が最も大事なものを奪ったものの眷族らしいモノを、ただ享受するなんてことはしたことがない。リュウキにはそんなことができない。

 

 右手が、剣へ伸びる。

 

「リュウキ……?」

 

 だが、か細い声が彼を呼び止めた。

 

 右手の力は消え、リュウキはその気配に気付かなかったことに驚いた。決して気配を消しきっていたわけではない。足音も聞こえる。

 

「カノンノ」

 

 ただ、それ以上に慣れてしまったというのか。

 

 振り返った先で、泣きそうに嬉しそうに笑う彼女の存在に。

 

 パタパタと走り寄る姿に右手の力は抜けてしまう。殺しては、傷つけてはならない恩人。駆け寄り差し出された手に、自分の手を返す。無事で良かった。カノンノの言葉に笑いかえす。

 

 変えたはずの姿に騙されることは微塵もなく、剣を抜くなんて思いもしない。

 

 紅い髪飾りをしたこの子は。

 

 全く似ていないのに、彼女を思い起こさせる。

 

「戻って、くる……?」

 

 不安そうな彼女に否定は返せず、背後からの痛いくらいの警戒心を受けながら彼は一つ頷いた。

 

 バンエルティア号に戻り、彼を迎えたのは酷く不機嫌そうなリーダーと酷く心配そうな顔をしたロックスだった。

 

「いったいなにを「リュウキさん!出て行くなら一言くらいください!」……無断な行動をされると「もう、食事をつくる人数も間違えてしまって」」

 

 わざとなのか天然なのか。リーダーの言葉はことごとくロックスに遮られる。

 

 ふ、と笑うとロックスは落ち着いて話すためにと理由付けし、ウィッグを外し髪の短くなっただけのリュウキを食堂へと引っ張った。カノンノはそのすぐあとに付き、ホールにはリーダーとレイヴンだけが残る。

 

 

「助かったよ。助けられるほど何をした覚えはないがな」

 

 前を飛ぶロックスにだけ聞こえるような声で言うと前からは大きくため息が返ってくる。

 

「何はともあれ、おかえりなさい」

 

 ただいま、と返すことはなくリュウキはただ食事の用意された机にカノンノと座った。

 

「ねえリュウキ、今度はどこへ行っていたの?」

 

「情報収集だよ。ラザリスのね。と言っても……、結果はそんなに得られなかったかな」

 

 ラザリスの居所は不定期に変わり、捉えることはほぼ出来ない。独自の魔物らしきものを生み出そうとしている噂はあるがそれが人を触媒にした物なのか、全く別の物なのかは分からない。暁の従者はラザリスに良いように使われているようだ。もちろん、彼らはラザリスをディセンダーとして崇めているからこそ反抗などない。

 

 だからこそ、傭兵を続けていたが。

 

 カノンノを見やれば心配そうな顔をしている。思わずリュウキは笑う。自分がディセンダーと呼ばれたこともわかっていながら、彼女はリュウキを心配している。他の何者でもない、彼自身を。

 

 そんな優しすぎる恩人だから、裏切る事ができないのだろう。姿を消し、逃げることはできたとしても。そういう意味では何よりも恐ろしい存在なのかもしれない。

 

「カノンノ、絵は順調?」

 

 彼女は不思議な絵を描く。まるで、この世ではないような風景画であったり、見知らぬ人の人物画。その絵が実際の風景かどうかを信じるわけではなく、だが、そんな絵を見るのは好きだった。

 

 カノンノもまた、誰も興味すら示さない絵を見てもらえるのが嬉しく、今もまたスケッチブックを持ってくると言って駆けていった。

 

 残されたのはロックスとリュウキ。

 

「変わってないんだな、本当に」

 

「ええ……、あ、でも。人がまた増えたんですよ。ライマの王族と教育係だそうで」

 

「変わらず、変な船だなあ。王族なんて抱え込んだら――危険だろうに」

 

 不意に後ろを見やった視界の先で食堂の扉が開く。リュウキにとって見たことがない男が立っていた。鍛え上げているのだろう、体格が良い。だが、王族とは思えない。ということは教育係の方なのか。

 

 立ち上がり、はじめまして、と声をかければ向こうの男もはじめまして、と笑う。

 

「ヴァン・グランツと申します。暁の従者が落ち着くまで厄介になっています」

 

「はじめましてヴァンさん、俺はリュウキ。そうかしこまらずとも。本来そうあるべきは俺の方だ。俺も厄介になっている身でね」

 

 それどころか厄介者か。

 

「ああ、先程聞いた。腕が立つようで」

 

 リュウキは一人で納得する。

 

 この人は出来る人だ。手放しに信用は寄せず、だが敵対もしない。

 

 自分にとっては気楽に接することが出来る人。レイヴンのように。

 

「ちょうどよかった。魔物討伐の依頼を受けていてな」

 

 船に戻ったばかりなのは聞いているから明日、力を貸してくれないか。

 

 ヴァンの言葉にリュウキは笑みを返した。もちろん、力になれることであれば喜んで。上っ面の言葉にヴァンもまた笑みを返す。

 

 カノンノがスケッチブックを持って戻ってきたとき、すでにヴァンの姿はなかった。

 



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