咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者 (暁刀魚)
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――Prologue――
『昼の月は天蓋をかざす』プロローグ


 春に、桜が咲いた。

 これからは、それが風を彩り、桃白帯びた新風は、きっとあらたな生活を祝福してくれるのだろう。だれもが希望を抱く季節、誰もが前を見る季節。

 

 ――少女が一人、自分の前をかけて行った。

 

 不思議な少女だ。どことなく西洋人形を思わせるブロンドの髪に何かコスプレの耳に見えるリボン、どこかで見たことが在るような――しかし子ども用の洋服にしか見えないから気のせいだろう――服を着て、少女――渡瀬々(わたりせせ)の目の前を通りすぎてゆく。

 

 元気なことだ、と嘆息気味に、瀬々は鬱蒼とした表情を隠そうともしなかった。彼女の目には、晴れ渡る晴天が、地獄のような曇天にしか思えないのだ。

 

「……なんだかなぁ、どいつもこいつも楽しそうにしやがって」

 

 思わず漏れた悪態は、誰に届くこともなく消えてゆく。無理もない、彼女の周囲には爽やかでありふれた、家族の団欒が響きわたっているのだから。

 ――ここに、龍門渕を目指す道程に、家族を伴わないのは、見た限りでは瀬々ただ一人だった――それを言えば今眼の前をかけてゆこうとしている少女は一人だったが、彼女の顔を見る限り、どこかに姉がいて、おそらく母親か父親がいるのだろう。そう考えると、いよいよ悪態も激しくなる。

 

「いいよな、どいつもこいつも迷いの無さそうな顔でさぁ」

 

 ――道なんて、誰にもわからないだろうに。

 そんな自分特有な言葉は飲み込んだ。言ってもせんのないことだし、誰かに聞かれて、追求されても困る。言い訳に、変な論説をかますつもりは毛頭ない。

 

 言っても意味のないことならば、言わないに越したことはない。

 それは瀬々の十五年という短い人生の中でも、重々承知してきたことだ。否が応なく、理解させられてきたことだった。今更、それに心をとらわれるようなことはない。

 

 それでも、

 

 ――その一時は、まるで止まったような瞬間だった。

 瀬々自身の認識が引き伸ばしているのか、はたまたそれ以外の何かがそこにはあったのか。そんなもの、瀬々にはわからないし、語るつもりもない。なぜそうなったのか、そんなこと、瀬々が興味を持つ理由もなかった。

 ただ、それは瀬々にとって、その瞬間はどうしようもなく煩わしかったことだ。

 

 それと同時にそのことは、

 

 

 ――彼女の人生で、絶対に忘れられない瞬間になった。

 

 

(――あれ?)

 

 再三再四、もういちど悪態をつこうかと口を開こうかとした瞬間、ふと、気がつく。

 目を惹かれるように、瀬々は目を見張る。何かに惹かれる自分、それ自体にも、驚愕を覚えて仕方がなかった。

 

 そこには、少女がいた。――はずだった。

 

 しかし、今、自分が見ているのは何だ? 理解はできない、しようがなかった。それもどうにもできないことだ。――なにせ、まるで。

 

 まるでそれは、

 

 

 人ではない、もっと上の何かに思えたのだから。

 

 

(これが、……いや)

 

 自分の中で訴える感覚が、まさしくそれが真実であることを告げる。だが、それは一瞬のこと、彼女はその感覚を認識しない。

 故に、不思議とは思わなかった。

 

 それでも、瀬々は答えを否定する。

 

(それよりも――)

 

 一瞬だった。すぐに感覚は平常へと戻った。自身の中に芽生えた異物に、気がつくこともなく。瀬々は自身の平坦とした思考を回す。

 足取りも、重くはあるが立ち止まってはいない。あくまで平生に、平生に。

 だが、その思考は在る一色に染まっていた。

 

 それは目の前を走り抜けた、一人の少女のことだった。

 

(あの子、今――)

 

 ぐるぐると回る思考。それは答えが明白であるがゆえに、そして単なる一つ――発展のさせようがないものであったために起こったものだった。

 思考は、回る。

 

 

(あたしのこと、一瞬だけ、見なかったか?)

 

 

 道行く足に、硬直の重みを乗せながら。

 

 

 ♪

 

 

 ――龍門渕高校、長野県最大の金持ち校、中高一貫の私立校で、日本トップクラスの漫画高校。――と瀬々は認識している。

 ごきげんようという挨拶が平気で通用し、お坊ちゃま、お嬢様がワンサカあふれている。中にはお付きの人間をここに通わせているものまでいる、と瀬々は聞いている。

 

(……ここ、本当に入学式の会場か?)

 

 そんなことを考えながら、瀬々は退屈そうに席に居座って周囲を横目に眺めていた。――もとより龍門渕は制服に関してかなり自由だ。改造OK色もオーダー可能、中には本当にオーダーメイドで刺繍やら何やらも入れられていたりする。成金趣味ここに極まれり、嘆息が耐えない。

 ちなみに、瀬々は基本カラー――白と黒の二色が基本だ――たる黒のベーシックなもの、全くの無改造で、黒というのはとにかく目立つ、そう、今壇上にて新入生代表――本人は中等部からの繰り上がりだが――を行なっている文字通り新入生の代表も、また。

 

(龍門渕のが逆に目立ってるな)

 

 そう考えながら、向けた先にはアホ毛の目立つ金髪がいた。――龍門渕透華、なんとこの龍門渕高校を束ねる理事長の娘、お金持ちのエースオブエースといったところか。

 

 ――瀬々もまた同一の、龍門渕の中では特徴のない制服であるが、それは瀬々の若干伸ばし放題にしたものの、癖のない髪を肩の当たり一つに結び、凹凸の薄い中学二年、三年を抜け出せない幼児体型――標準的なものだ、第二次性徴はちゃんと伺える――が制服と合わさって、目立たない美を完成させていた。野に咲く華、といったところか。黒いが。

 

(はぁあ、早く終わんねぇかな、終わればまだ見終わってないアニメも見れんのに)

 

 ようやく荷物の搬入も終わり、今日から新生活、まずは日常に慣れていこうということで、いつもどおり積んでいるタイトルの消化から始めようと、瀬々は考えているのだが。

 

(にしても――)

 

 すぐに透華から興味を逸し、瀬々は改めて一人の少女を見やる。――先ほどからずっとそうしていたから、おそらく向こうも気がついているだろう。

 というか、気づかないほうがおかしい。

 視線を向けているのは、瀬々だけではないのだから。

 

(なんだあれ、小学生かよ)

 

 ――名は知らない。しかしその見た目だけで、彼女は十分意識を引いた。

 見た目からして小学生ほどでしかないような体躯に、整いすぎたこの世のものではないかのような顔立ち、見れば見るほど引きこまれそうな彼女が浮かべるのは、子供のような無垢さだ。

 不思議な少女。

 

 だが、いよいよ持って、瀬々を引き寄せるのは、彼女が向けた意識の先にあった。

 

(……なんかさ、あたしの方見てるんだけど、可愛いけどさ、なんか……いやだな、あれ)

 

 純真すぎるからだろうか、それとも、瀬々自身何かを感じているからだろうか。――おそらくそれらはすべて正解なのだろう、瀬々は思考に違和感を覚えない。

 だからこそ、彼女は悩みをぐるぐると回し続けるのだった。

 

 

 ♪

 

 

「――それでは、皆さんに自己紹介をしてもらいましょう」

 

 龍門渕高校は中高一貫校である。故に繰り上がりで中学から上がってきた人間も多く、顔見知りのグループは多い、しかし、高校からの編入生が一定以上いるのは確かだ。

 例えば瀬々がそうであるし、そして――

 

 

「――天江衣だ。尺を枉げて尋を直くす。至らないことはあるだろうが、その分いろいろなことをしていけたらと思う。これから、よろしくだ!」

 

 

 それは、彼女もおそらくそうなのだろう。

 とにかく特徴的な容姿だ。目を引くし、何より瀬々は居心地の悪さを感じてしょうがない。――なにせ渡瀬々はその苗字からして最後列、席順でもあ行の彼女とは正反対に位置しているのだ。

 そんな彼女が、まっすぐ真逆にいる瀬々を意識しているのだから、それは教室中に伝わってしまうのだ。

 

 明らかに何かを言いたげな目線を向けて、瀬々を見ている衣に意識を奪われながら、自己紹介は順調に進む、瀬々のクラスはその大半が編入生のようだ。

 龍門渕の編入生はスポーツ、もしくはある競技の特待生や就職進学のために進学校を選ぶ者が大半だ、瀬々は後者で、進学のための試験では、実はトップであったりする。

 

 そして――

 

「渡瀬々です。あーっと、頑張って勉学に励もうと思います、よろしくお願いします」

 

 趣味などはあまり人前では堂々と言えないために、ほとんど無味無臭の内容になった。進学のためにここに来ている、というのはなんとなく知れているだろうし、勉強が趣味であると思ってもらえれば行幸か。

 

(目立つようなことはしたくないしな)

 

 すでに、天江衣という少女のせいで半ば崩れかけている方針であるが、瀬々の目標はこの高校生活を、のらりくらりとやり切ることだ。

 

(さぁて、そろそろ帰りますかね)

 

 自己紹介も、大体の行事も終わった。あとは教師が帰りを告げそれでおしまい。瀬々は早々に帰り支度を始めるのだ。――が、

 

 

「少しいいか?」

 

 

 すでにあらゆる行事も終わり、自由に解散が可能となった時刻、瀬々に話しかけるものがいた。

 

(あーはいはい、やっぱり来ますよね、そうですよね)

 

 めんどくさそうに考えながら瀬々はわかりきっていた答えに嘆息する。こんなの感じ取るまでもない、考えればすぐに、衣が行動を起こすことくらい予想がついた。

 

「……なんですか?」

 

 敬語は、この場合相手を敬って使うのではない、相手を遠ざけるのに使うのだ。瀬々には自分のことばに生えた刺を、なんとか覆い隠す程度の繕いしか、できなかった。

 

「まずははじめまして、改めて自己紹介をさせてくれ。天江衣……今年からここに通うクラスメイトだ」

 

「はじめまして、渡瀬々です。ご用件は?」

 

 急かして、努めて語気を窄める。なんともならない感情は、面倒だ面倒だと信号を告げていた。

 

「うん、じ、実はだな。その、初めて見た時から気になってはいたんだ。他の有象無象とは何かが違うし、えっと、つまり、その……」

 

(――え? なにこれ)

 

 瀬々の思考は無理からぬものだろう。彼女は想像力豊かな方だ。思考が内向的な分、色々な考えが浮かんでは消えていく。――だからこそ、彼女の思考は、ある情景と現在の自分を一致させた。

 ……その情景とは、画面の向こう側、いわゆるパソコンのモニター内での一場面だ。

 

 そう、

 

(えっと、え? これって、その……)

 

 

「――衣と、付き合ってくれ!」

 

 

 愛の告白、ではないだろうか。

 

 

 ♪

 

 

 ――混乱を極めた思考に、冷水を浴びせたのは、名も知れない――天江衣のインパクトで、クラスメイトの名前は綺麗サッパリきえさってしまった――クラスメイトだった。

 衣はかわいい。小動物的な、いわゆる少女が好む容姿をしている。好みがどストライクなものがいれば、衣に接触を図りたいものは多くいただろう。

 そんな彼女たちが、衣の爆弾発言を契機に集まってきたのだ。

 

 やんややんや、女子三人よれば姦しい。やれそれは愛の告白だ。やれ子供かわいい。やれ子供じゃない、衣だ――最後は、衣自身の言葉だが。

 一気に賑やかになったクラスは、ある種一つの団結を見せようとしていた。

 

「あ、あの、瀬々ちゃん!」

 

 クラスメイトの一人、キリッとした顔立ちは印象そのままに、グループ内のまとめ役という立場になりやすいのだろう少女が、そんな喧騒を眺めていた瀬々の前にたち――

 

「一緒に、守っていこうね!」

 

 そんな風に、固い握手を求めてきたのだ。

 面倒だ、冗談じゃない――というのは思考の隅にさておいて、クラスの中で浮かない程度の立ち位置を確保できたらしいことに安堵しながら、瀬々はとびきりの愛想笑い――普通に可愛い――を浮かべて、それを握り返すのだった。

 

 ――喧騒がやんで、各家庭の事情により、多くのものが帰宅するらしい。残るものも、おそらくは部活に所属することを最初から約束させられているのだろう、あっという間に自身の目的のため、その場から消え失せてしまった。

 残ったのは瀬々と、天江衣の、二人だけ。

 

 ――乱れてしまった髪を涙目になりながらもいじくり回していた衣に、瀬々が声をかけたのはそんな時だった。

 

「あのさ、あんたって」

 

「あんたじゃない、衣って呼んで」

 

「……衣ってさ、だれか保護者、いないの?」

 

「いるぞ? ただ私は遠くから来ていてな、衣が住まう予定の住人とは、ここでは合流しない予定なのだ」

 

「そっか、……あたしも、外で待ち合わせすることになってる」

 

 何気ない会話。角が立たないように、という意志の元ではあるが、瀬々は衣に思いの外自然な笑みを浮かべる。嫌いではないのだ。ただ面倒なだけで、人付き合いは、ほどほどで在る方がちょうどいい。

 

(――親、たぶん両方だろうな。いないってことかな。となると、交通事故か)

 

 こんなふうに、感覚が答えを求める必要もない。

 嫌になる、自然な風体で他人の秘密を瞬く間に暴いてしまう自分自身が。――それを止められない自分の思考が。

 

「だからその、そこまで付き合ってくれないか? ちょっと言葉が足りなかったかもしれないけど、衣は瀬々といっしょにいたいんだ」

 

「……はぁ」

 

 ――流されているようで嫌になる。

 それでも、こぼした嘆息は、単なる呼吸の一つに変えた。断れない。少なくとも、本心から瀬々を求めているのだから、その心は、傷つけたくない。

 

「いいよ、一緒に行こう」

 

 了承する。少しだけ緊張しているようだった衣の顔が弛緩する。――ぱっと、晴れ渡るような青空の顔。眩しいような、羨ましいような。

 

「――うん!」

 

 肯定、衣の声音。

 

(あ――)

 

 その時、瀬々はようやく、青色に塗られた空のキャンパスを、自分自身の目で、天江衣という昼であろうと輝き続ける、月のように絶対的な少女を介して、視界に捉えるのだった。

 

 

 ♪

 

 

 波風を立てに友人付き合い、瀬々の処世術は、ある一定の距離感にある。断りはしない、しかし踏み込ませない。学校の中でだけ位置を保てばいい、わざわざ学校の外にまで、友情は持ち出さない。

 その場限り、そう表するが正解だろう。

 

 しかし、

 

「……あたし、部活はあんまりなぁ」

 

 そうつぶやく瀬々は、結局断れないだろうな、と思いながらも歩を進めていた。

 衣のオシの強さは、まるで子どものようにグイグイと人を引っ張っていく力がある。傍目から見ればそれは魅力だろう、付き合い続ければ、好き嫌いがわかれるだろうが。

 ――とはいえ、それが理由の全てではない。瀬々は押しには弱いが、一線を踏み込ませないことは得意だ。何年もそうして生きてきたのだから、当然といえる。

 

 しかし、断れない。

 

「そうか? 衣には瀬々がすごく楽しそうに見えるぞ」

 

「……ほんと、なんでだろーね。あたし自身、一度も触れたことないはずなのに」

 

 そうなのだ。

 何かが、惹き寄せられてしょうがない。

 面倒くさがり、斜に構えた少女であるはずの瀬々を持ってして、何かがあるのだ。

 

「さして奇々怪々たるものでもないと思うぞ。そういうのは、過程はどうあれ正しいものだ」

 

「……?」

 

 不思議と、疑問が湧いた。別に衣の言葉が意味するところを理解できなかったわけではない。そんなもの、すぐに感覚の処理が終わる。答えを聞かずとも、瀬々は答えを知っている。

 だから、感覚に疑問が追いつかなかったのは、それではない。

 衣の言葉だ。彼女の物言いは、瀬々に意識を迷わせた。

 

(情報が少ない。というよりも……多分あたしは答えを知ってる。ただそれを理解できないだけだ)

 

 例えば二重スリット実験という、人間の観測という事象によってその結果を変える摩訶不思議な現象があるが、それに対して、瀬々は答えを持ち出せない。答えを理解できないのだ。

 

「さて――ついたぞ。奉迎しよう。ここが衣達がこれから所属することになる――」

 

 龍門渕高校、そのどこか豪奢な館めいた校内の一角、その隅に設置された、この高校で特に有名な場所。――編入生の幾らかが、ここに入部することとなる場所。

 

 

「――龍門渕高校、麻雀部だ」

 

 

 ただでさえ荘厳と言える扉は、今の瀬々には、どうにも巨大でありすぎた。

 ――その場所に、何かが在るということを理解して、瀬々は思わず、息を呑むのだ。



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『昼の月は天蓋をかざす』プロローグ2

 天江衣。

 龍門渕透華の従姉妹である。数年前に両親をなくし、それ以来、ある家族に引き取られ、子供時代を過ごした。――それは龍門渕本家、つまるところ龍門渕透華の生家――――

 

 

 ではない。

 

 

 衣の母親は龍門渕透華の母親の妹にあたる。そのため本来であればその親類、龍門渕の本家へ引き取られることとなるはずだったのだが、衣を引き取ることを望んだ夫婦がいた。

 父方の祖父母にあたる老夫婦である。衣の最も親しい親族であり、衣のことを特にきにかけていた夫婦だった。

 

 ――おそらく、衣の異常性に気がついていたのだろう。

 

 衣には生まれつき人にはない力があった。それは彼女の父親からならった麻雀という舞台で発揮され、彼女を魔物たらしめた。

 彼女の麻雀は人を殺す麻雀だ。まるで悪魔が、贄を嬲って喰らうかのように。

 

 それに気がついた衣の祖父母は、彼女を引き取り、そして育てた。これにより、衣の人生は大きく変化することとなる。

 

 本来歩むはずだった道を外れ、そして――そんな彼女の存在が起点となり、この物語は始まる。

 

 

 ♪

 

 

 入り口、なんとも豪勢な龍門渕らしい入り口の前で、腕組みをする衣と、それを眺める渡瀬々。それからふと、瀬々は気がついたように口火を切る。

 

「そういえばさ、龍門渕って割と強豪だったよな、いいのかな、あたしが入ってもさ」

 

 ごもっとも、といったところか。

 瀬々は初心者である。ルールさえ覚えればいくらでもなんとかなる自信はあるが、ただの初心者が、入りやすい空気をさせてくれるとは思えない。

 

 衣はふと首を傾げて、それを熟考する。瀬々が初心者であることは知っている。だが何の問題もないだろうと衣は考えていた。全くの初心者であれ、彼女が普通である(・・・・・・・・)とは全く考えていない(・・・・・・・・・・)。だからそれを素直に言葉に出したものか、と一瞬考えながら――

 

 

「問題はありませんわ」

 

 

 そんな声に、ふと気がついた。

 

 衣が振り返りながらその姿を確認する。見知った相手だ。声だけでは確信は持てなかったが、忘れるはずもないし、今日、すぐに忘れてしまうとも思っていない。

 すぐさま声の主を確認した衣は、不敵な笑みを、晴れた子どものようなものへと変える。

 

 そこに在るのは龍門渕白の制服、金髪の流れる髪をあわせても、とにかく派手だ。目立つ。それ故に、惹きつけられる。

 

「――透華!」

 

 元気な衣の声、瀬々もその姿を目に納め、軽く会釈をする。透華は手近だったためだろう、衣を抱き寄せると軽くハグをした。

 

「よく来てくださいましたわ、まさか瀬々まで連れてくるとは思いませんでしたわよ?」

 

「……どうも」

 

 ――思わず飛び出た名前、衣はそれまで子供扱いをするような態度の透華に文句を言おうとしていたのだが、すぐさま意識を切り替えてそれに飛びつく。

 

「瀬々と透華は知り合いだったのか!?」

 

「えぇ、私の父と彼女の親が懇意にしておりまして、仕事でも私的にも、一応血のつながりもありますのよ?」

 

 本当に遠い親戚であるが、瀬々と透華――ひいては衣も――親族である、ということになる。つまるところ、衣の下宿先も、瀬々の下宿先も同一であるのだ。

 とは言え、それは未だ本人のあずかり知らぬ所ではあるが。

 

「それで、新入部員ですわね? 特待生向けの説明会は今からですけど、聞いていきます?」

 

 私が説明するんですの――と、朗らかに笑う透華は、瀬々に軽く握手を求めてくる。それを持って返答とするのだろう。瀬々としても、心惹かれるものがある以上、そこで断る理由はない。

 

「よろしく、龍門渕の」

 

「透華――と呼んでくださいまし、せっかくそちらの意向をかって、瀬々と呼ぼうと思っていたのに、少し残念ですわ」

 

 ――眩しいな、と想った。衣とは違う、どこか太陽めいた、母親のような人。いい母になるだろう、とは、衣を抱きとめた時から思っていたことだ。

 否、出会った頃から、彼女の優しさには、瀬々は惹かれる物があったのだ。

 

 ――しょうがない、とは思考の隅に浮かんだもの、それでも瀬々には、その考えを打ち消す意志があった。

 

「そっか」

 

 浮かんだのは、自然とした笑み。

 ――衣に対しても、向けたもの。

 

 

「――――よろしく、透華」

 

 

 思わず、その顔を誰かが見とれる程には、それは綺麗な情景だったのだろう。

 

 

 ♪

 

 

 説明会は簡素なものだった。

 ――簡単なルールの説明、特に今年の競技ルールが説明され、また、部内のシステムなども説明された。

 

 いわく、ルールは一発裏ドラあり、赤はなし。

 

「一発と裏があるのだな」

 

「今時、さほど珍しくはありませんわ」

 

 ――とは説明会終了後、卓を囲んだ時点での衣と透華の会話、瀬々は全く理解できなかったが。そして部内のシステムは、なかなか面白いな、と瀬々は聞いていて思った。

 説明会は透華がマイクを持ちプレゼンを行った。パソコンの操作は、たった今卓に付いている、透華のお付きらしい人。

 

 部内のシステムはまず、一軍と二軍がわかれている。ただこれは通常の一軍、二軍ではなく、目的別のものらしい、透華は競技コースとフリーコースという表現を使っていた。

 要は門出を広く儲けようというのだ。一軍では全国出場、そしてあわよくば優勝を目指し、二軍ではそれを目指さない者達が和気あいあいと麻雀をコミュニケーションツールとして使用する。

 

 雀士といってもその目的は様々、単なる趣味であるものもいれば、真剣に全国最強を目指すものもいる。とくに龍門渕は手広いから、趣味で麻雀を始めようという人も複数集まってくる。

 そんなもののために、強豪龍門渕という看板を外したアットホームな場所を作ろうというのだ。

 

 龍門渕は強豪であるものの、部員の数は五十届くかどうか、競技者としての雀士は、その七割程度だ。そんな少女たちが、広々と充実した施設で、麻雀の練習に励むこととなる。

 

「これとは別枠に、レギュラー枠というものがあったりしますの、伝統的な呼び方だと四天王とそのリーダー、エースを別格として、残りの四人、という構成ですわね」

 

 これもまた卓を囲んでいる最中の言葉。四天王、とはいかにもそれっぽいいいかただ。

 

「で、こちらが依田水穂先輩、現在の四天王を束ねるリーダーですわ」

 

「どもどもー。まぁ4月終わるとその座も透華ちゃんに明け渡すことになるんだけどねぇ」

 

 ――おそらく地毛だろう茶髪の、ハツラツとしたショートカットの少女が、からからと笑って挨拶をしていた。

 

「でも、四天王の座は譲るつもりないよー」

 

「今の龍門渕に、あなた以外に四天王を任せられる人間はおりませんわ」

 

「こりゃ手厳しい」

 

 言葉数は多いものの、透華も水穂も対局中の視線は真剣そのもの、今日の瀬々は単なる見学の賑やかしだが、羨ましいとはおもわないでもない。

 そこまで、夢中になりたいとも思わないのだが。

 

「――ポン」

 

 透華の付き人――国広一というらしい――が手牌を晒す。先ほどから何度も見ている、同じ牌を二つ所持している時、捨てられた牌から牌をひとつ喰いとって、自分のものにできる。

 これと同様に、

 

「チー」

 

 ――これは水穂の鳴き。

 なるほど、と瀬々は遠目に見ている。複雑そうだ。もしかしたら、と考えて、答を出す前に打ち消す。正確に言えば、答えを認識する前に打ち消す。

 

「ポン、ですわ!」

 

「もらうよ、チー」

 

「……カン、しておこうかな」

 

 透華、水穂、そして一、めまぐるしく牌が動く。

 ただ不思議だったのは、この対局中、衣が一度も鳴かなかったことだ、一切他家の手に手を付ける様子なく、黙々と手を進めている。

 他家がたまに仕掛ける、『立直』というのも仕掛ける様子はない。

 それでも、ここまで――南場を終えて、トップに立っているのは衣だった。

 

 ――一位衣:33000

 ――二位水穂:28700

 ――三位透華:21400

 ――四位一:16900

 

 席順:東家透華。南家衣。西家水穂。北家一。

 

 序盤から速攻を仕掛ける三者に対して、衣はとにかく沈黙を続けた。小さな点の動きが一気に爆発したのは東四局、それまでトップを走っていた一が、衣の迷彩がかった混一色ダマハネに振込、ラス転落。

 勝負は南場へと移る。

 

 

 ――南一局、親透華、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 手牌を鑑みながら、一は先程の対局を若干ながら振り返っていた。

 

(読めなかったなぁ、透華の親戚だったっけ。天江衣、あんな捨て牌、振り込まないほうが無理だよ)

 

 ――衣/打{西}

 

 八巡目、絶好の一向聴が入っていた一は、たとえ聴牌がわかっていようと、そのまま押しを選択しただろう。しかも衣の捨て牌は、その全てがヤオチュー牌。タンヤオか、平和だろうか、という捨て牌。

 

 透華/打{八}

 

(硬い打ち手かと思ったら、あんな迷彩、シニアリーグのプロを見てるみたいだ)

 

 水穂/{①}

 

 五十代から七十代のプロが集まるある一つのリーグを思い返しながら、一は第一打を選択する。

 

 ――一手牌――

 {一四九②④⑥3378西北白}

 

(――さて、あまり嬉しくない配牌だなぁ、ここからなら、クイタンか役牌のみの安手を考えてみるか)

 

 さほどの期待はない。先ほどの失点は痛いが十分挽回は聞く、まずはひとつ上をめくること、相手はここまであまりいいところのない透華だ、ここで勢いを取り戻せればまくることは可能だろう。

 

(そのための平常心、そして……第一打!)

 

 一/打{一}

 

 ――対局は平凡そのもの、この局は誰も鳴くことはなく、十一巡目――常人の平均的な聴牌巡目――へと状況は移り変わっていく。

 

(――張った。ここまでは順調、けど……)

 

 ――一手牌――

 {二四②③④233789西西(横3)}

 

(三色はつかなかったな、それにあまりいい形じゃない。しかも――)

 

 ――衣捨て牌――

 {西1⑨3南六}

 {東發8九八}

 

(2索は壁だけど、無筋で生牌、それに怖いのは衣じゃない)

 

 ちらりと、一は衣の捨て牌へと向けた目線を全く別の場所、上家に座る透華の元へと向けた。視点移動に際してほんの少し写った透華顔は、満面の笑みが張り付いていた。

 間違いなく、他家を引かせている。あの笑みはブラフだ、ただし、あくまでそれは攻めてくるなという意思表示であり、自分がつかむのだ、という宣戦布告でもある。

 

 ――透華捨て牌――

 {八西④⑤二九}

 {5白⑦四三}

 

(はっきり言って異常だよ。メンチンをわざわざ透かして、……透華らしいや、さっきまで目立たなかったのを、一気にここで取り戻してきてる)

 

 そんな透華のブレともいうべき部分を、一は嬉しそうに眺めながら、選択する。

 

(だったらボクも勝負に出よう、できるだけ、真っ直ぐな方法で!)

 

 ――一/打{西}

 

 だが、それよりも早く。

 

 

「――ツモ、700、1300。……残念。やすかったよ」

 

 

 衣の和了、勢い任せにたたきつけた牌が、両者の対決を、一刀両断してみせた。

 

 ――衣手牌――

 {五六④⑤⑥45699白白白} {七}(ツモ)

 

(――あの{八萬九萬}は、手を組み替えていたから、か。普通だったら、辺張は{八萬}から手をかけるもんね、まぁこんなもの、か)

 

 ――ハネマンにも成り得た手は、しかし潰えた。このままいけば、そう考えないでもない。だが、それも詮なきこと、楽天家たるは水穂の領分だが、一もまた、たった一つの敗北を、いつまでも引きずっているようなタイプではない。

 あくまで敗北ならば――の話ではあるのだが。

 

・天江衣  『35700』(+2700)

 ↑

・依田水穂 『28000』(-700)

・国広一  『16200』(-700)

・龍門渕透華『20100』(-1300)

 

 だからこそ気が付かなかった。

 気がつくはずもなかった、この手を上がったのが衣であること、自身の手が、天江衣によって潰されていたこと――その、意味を。

 

 

 ――南二局、親衣、ドラ表示牌「{5}」――

 

 

(まぁ、倍満は惜しかったですわね)

 

 親は潰えた、逆転手は潰された、しかし透華は自身の不敵な笑みを崩さない。潰されたのがどんなゴミ手であろうと、どんな形であろうと、それは他者の勝利なのだ、自分の敗北ではない。

 

(勝利と敗北は、決して表裏一体とは成り得ない。試合に勝って勝負に負けたとはよく言ったものですわ。麻雀においてもそれは同じ事)

 

 三巡目。

 

(やってみせましょうじゃありませんの、この一試合が、すべての勝負を決めるとは思わないことです!)

 

 たったそれだけの瞬間だった。

 誰にも手を出すような、機会もなければきっかけもない。――それは、そういうものだった。

 

「――リィーチ!」

 

 電光石火極まりない、高速立直、単なる偶然か、はたまた何かの思し召しか。

 

(オカルト、というのは領分の外ではありますが、世の中には調子の波というものが在るのはまた事実。だとすれば、それを利用するのも、悪くはありませんものね!)

 

 それも単なる立直ではない、あまりにも綺麗なメンタンピンの形、ここからだれがどう勝負にでようと、これを和了れないはずはない。少なくとも、今の自分はそこまで調子が悪いわけでもないし――そもそも、そこまで調子が悪いなら、そもそも聴牌なんてできない。

 

(勢いは、たとえ一度つまずいてもそう簡単には消えないものでしてよ)

 

 さて、それならば他家はどうだろう。

 

(水穂先輩は――攻めるわけありませんわ、この点差、次の親番、トップが親かぶりするなら、結果的には点数が縮まりますもの。一も、ラス親は大事にしたいはず。その前にケチなんて付けられませんわ)

 

 おそらくは大方が攻めを選ぶことはないだろう。その上でここから上がるとなれば、おそらくはチートイツのような形になり、立直をかけずに二翻がせいぜい。それならば、さし的にする必要は皆無、ということになる。

 ――問題は。

 

(衣、ですわね。親番ですし――明らかに回しながらも追ってきてますわ)

 

 衣はあまりベタオリというものはしないようだ。東場での親番も、他家の速攻に回し打ちをしながらも追いかけてきた。ここまで、彼女がベタオリをした、といえる局は一度もない。

 

(さながら昭和の名プレイヤー、といったところかしら。けれども、現代の速度に玄人の重い腰は通用しませんでしてよ!)

 

 衣も、着実に手は進めつつあった。

 しかし――それを完成に至らせるのは、無理に無理を重ねたものだ。

 

(せめて――あと数巡は、ほしいものでしたわね!)

 

 すくい取った牌を、盲牌して確かめる。目をつむってもわかる、待ち望んだ牌だ。ずっと、焦がれ続けてきた牌だ。

 

 

「ツモ! メンタンピンツモ、裏一つで2000、4000いただきましたわ!」

 

 

 再び点数が動く、衣の困惑と驚愕が相成った表層と、透華の笑みが交錯する。――だが、それも一瞬のこと、目と目があった瞬間、何かを理解したかのように衣はハッとして、そして笑みを深める。

 突き刺さり合う視線、衣と、透華、同一の、ただ強者のみを求める思考が、その極みを見せる――

 

・龍門渕透華『28100』(+8000)

 ↑

・天江衣  『31700』(-4000)

・依田水穂 『26000』(-2000)

・国広一  『14200』(-2000)

 

 

 ――南三局、親水穂、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

(あっちゃー、上がられちゃったかぁ、出来ればこのまま流局が一番美味しかったんだけどな)

 

 後悔先に立たず、水穂の視界に、そんな後方への意識が浮かび上がってくる。とはいえそれは、一瞬のまま消える刹那のようなもので、新たに意識を回せば、もうあとには残らないようなものだった。

 

(んま、次に行きましょ次に。それに今は私の親番だしぃ?)

 

 麻雀とは、ひとつのツモに一喜一憂し、時には迷い、時には悲壮を感じながらも、一つ一つの決定がすべてを決めてゆくゲームだ。

 だからこそ、水穂はそのすべての刹那に意識を向けて、

 

(この配牌なら、きっと倍満だって狙えるよぉ!)

 

 ――それら全てに一抹の思いを引かれながら、すぐさま次に切り替えてゆくのだ。――彼女を人は楽天家だというし、思いつめないことが、彼女の麻雀における強さであった。

 

 一打。――二打。

 

 思考が可能性と消えていった正解に溶けてゆく。それらすべてを抱え込むのは単なる無茶だ、だからこそ、水穂は容易にそれを投げ捨てる。

 

 三打。

 

(――む?)

 

 四打。

 

(……お、おう)

 

 五、六、七、八、九。

 

(……ふんふむ、こんなもんか)

 

 ――水穂手牌――

 {一一二三四四四五六七八⑥⑦(横九)}

 

 水穂/打{一}

 

 少しの思考で、水穂は結論をまとめると、打牌する。――迷いはない、少なくとも親満でも十分、だとか立直をかければ三枚切れであるためにツモれないだろう――などという理由などすべて後付であるし、それら理由を間違っているとは思わない。

 だから水穂は、その次も――違わない。

 

 水穂/ツモ切り{四}

 

 これもまた、一萬であればメンチンであるだとか、このままであればツモれるかもしれない――などという、そんな思考はあとの隅。

 どれだけ考えようと、答えは変わらないだろうし――

 

「――ロン、5200」

 

 それは、たとえ振り込もうと同じ事。

 

(うあっちゃー)

 

 ――衣手牌――

 {三五②②②⑤⑤⑤22345} {四}(和了り牌)

 

(引っかかっちゃったかぁ……ま、そんなもんだよねぇ)

 

 ――衣捨て牌(「{1}」手出し)――

 {「東」|「北」「8」一「⑥」「7」}

 {⑨「七」4}

 

(……ちょっと違和感あるな。まぁ、あとで考えればいいか。本人ならわかるだろうし――その時、いつか聞ければそれでいい)

 

 切り替え、ようは切り替えだ。

 このことも、これからのことも――水穂は迷わないために、すぐに意識を次へと向ける。

 

 今はまだ、決して諦めていい時では、ない。

 

 

 ――オーラス、ドラ表示牌「{7}」――

 

 

「――リーチ!」

 

 最後の一局、ここで動いたのは龍門渕透華であった。彼女の狙いは単純、このリーチで、自身の逆転条件をみたすこと。

 そして、

 

「追っかけるよー」

 

 ――出和了りを狙える人間を、一人でも増やすこと。

 現状、トップの衣がここで他家に踏み込む理由はない。故に衣からの出和了りはありえない、となればここで透華が狙うべきは、他家からの出和了りでも十分逆転可能な手を作ること。

 そして他家からの出和了りで逆転できるということは、ツモでも逆転が可能だということ。

 

 ――いま、その条件は満たされた。

 自分自身がリーチで隙を晒すことで、水穂はそれを追いかけてくる。読みも完全に当たっている。だからこそ、透華は自身の勝利を確信した。ここで、この手牌――完成は六順目のこと、ここまで来れば、あとはただ、和了るだけ。

 

 故に、うった。

 

 故に、誘った。

 

 結果は、見るだけでわかる。

 

 推測が確信へと変わる。勝利への自負が、透華のえみを鋭く変える。引け、引いて、和了って、それで全て店じまい――

 

 だが、

 

 

 ――待ったをかける、者がいる。

 

 

「――ポン」

 

 

 衣、天江衣だ。トップをゆく衣が、ここで一つ、手を動かした。それは、衣が初めて見せる――鳴きでもあった。衣が水穂の曲げた牌を、喰いとったのだ。

 瞬間、流星がひらめく。捨て牌から浮かび上がった光のカケラは、やがていくつかの牌を伴って衣の手元、牌を叩きつけた卓の端へと寄せられていく。

 

 目が眩んだのだろう、思わず感じた違和感に、透華は意識を向けながら考える。

 

(――鳴い、た? まさか、ずらし、というやつですの?)

 

 亜空間殺法という言葉がある。

 ポンやチーでのツモ番ずらしによって、他家の和了や流れを滞らせる戦法だ。もしこれが、そのための鳴きであるとすれば――

 

(やりすぎた? いえ、衣はそんな“単純に済ませてくれる相手じゃない”ですわね)

 

 まだ、他家はそれを理解してはいないだろう。――かつて戦った衣と、今の衣はまるで別人だ。それでも――

 

(衣が強いことに、代わりはない、というわけですのね)

 

 ツモに、力が宿らない、勝負をかけたリーチをしかけ、それだというのに一切勝利への感触が、イメージが浮かばない。

 

 ――それこそが、衣のやってのけたことなのだとしたら。

 

(……ふ、ふふ。おもしろい、面白いですわよ。今はただ、負けるだけかもしれない。それでも――次は、それでもダメなら、その次こそは――勝つ。絶対に、勝って帰って、魅せつけて差し上げますわ)

 

 打牌。

 

 打牌。

 

 音だけが、虚しく響き渡るオーラス。

 それは、そして。

 

 

「――ノーテン」

 

「テンパイですわ」

 

「ノーテンだ」

 

「テンパイ、だよー」

 

 ――透華待ち:{④}、{發}。

 

 ――水穂待ち:{3}、{6}。

 

 親である一がノーテン、親がノーテンであるために、半荘は続行されず、この一局で――半荘一つが終了したことになる。

 

 

 最終結果。

 一位天江衣  :37400

 二位龍門渕透華:28600

 三位依田水穂 :21300

 四位国広一  :12700

 

 

 ♪

 

 

 渡瀬々はこの半荘の観客を貫き通し、そして考えていた。――麻雀のルールはまだ理解しきれてはいない。が、調べればすぐに分かるだろう。

 ――これについてはその後、衣が解決策を施してくれた。

 

 問題は、あの半荘の内容。

 ――いや、内容に関してはその後打った数回戦にも言えることだ。結局衣は、トップを四回とった、五回戦のうち四回だ。

 それ以外の順位が毎回変動していたために、よく分かる。異常だ。間違いなく。

 

 それに何より、彼女はまだ底を出し切っていない。日常に自身のすべてを持ち込みたくはないのか、彼女の打牌は遊びに満ちている。

 

 けれども、それは瀬々には向けられないだろう。瀬々の力は、間違いなく麻雀でも通用する。――だとすれば、彼女はそんな瀬々に、自身の全力をぶつけたくてしかたがないだろう。

 そのために、彼女は瀬々をここに誘ったのだから。

 

『――瀬々、明日までにこれを読んできてくれないか? さほど朦朦たるものでもない、読むだけなら一日でも十分なはずだ』

 

 そう言って、衣が手渡してくれたのは少し年季の入った麻雀のハウツー本だった。手垢のついたものであろうそれは、きっと衣が愛読していたものだ。

 ルールを教えるために、まずはこれをだれかに読んでもらったのか、明らかに複数の筆跡で書き込みがしてあった。

 

 手にとった瞬間から、やけに馴染む本の感触。

 

 一日だ、それだけあれば十分だろう。――となれば瀬々は、すぐにでも衣と対決することとなる。あの、衣と。

 

 

 あの手を、創りあげてみせた、天江衣と――――

 

 

 ♪

 

 

 ――(オーラス)衣手牌――

 {33336666發發} {1横11}




というわけで新作になります。原作一年前スタートということで、ルールなども原作とは若干異なります。
とはいえ、大明槓責任払いなし、赤ドラなしくらいしか違いがありませんが。
オリジナルキャラ多数となります。お付き合いいただける方は次回をお待ちいただければ、と。

今作はW主人公、瀬々の能力、及び衣の能力解答編などは次回の闘牌にて。


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――四月――
『導照らす月』衣VS瀬々①


 学校が始まっても、すぐに授業が始まるわけではない、少なくとも新入生である以上、一日二日は猶予があるし、今は学校へなれる、校舎や友人と親しむ、そんな期間だ。

 それもあってか、渡瀬々を始めとして、クラスの者達は、未だ学校の風景を日常としないまま、どこか浮き足立った団練に足を向けていた。

 

 そんな一日の日程を終え、瀬々と衣、麻雀部へと向かう二人の足が、対照的でありながらも、共通のものが在るのは果たして、

 

「――だっるいなぁ、まったく」

 

「えー、楽しいじゃないか、今日から初めて麻雀を始めるんだぞ? 楽しいんだぞ?」

 

 ふりふりと頭部の耳型リボンを揺らしながら、振り返りながら文句を言って、それからまた立ち直る。不思議なものだが、天江衣には、どこか超然とした人ならざる部分と、どこまでも人らしい、子どもらしいとも取れる純粋さを併せ持っているのだ。

 

「衣は麻雀をしている時が好きなんだ。一番好きなのは勝った時で、負けた時はちょっと楽しくないけど、でもムキになってもっと頑張りたい、って思うようになる」

 

 麻雀とは、人の心をさらけ出す遊戯なのだからして、負ければ悔しいし、勝てば嬉しい、かつて――少なくとも、今はそんな話、聞くことは少なくなった――麻雀が賭博の対象であったことからも、それは知れる。

 

「んー、っと。まぁわかってるよ、楽しい麻雀、打ちたいからね」

 

 気のない返事ではあるが、誠意の無さは感じられない。瀬々のそんな語気に、満足気に衣は頷くと足の勢いを早める。

 

「それじゃあいこう、すぐ行こう。巧達は拙速に如かずだ。きっともっと楽しくなるぞー!」

 

 やがてそれは速度の乗ったものへといたり、テンポの良い駆け足へと変わる。それがもたらす瀬々の表情は嘆息に似たものであったが――

 それでもどこか、安堵を浮かべたものだった。

 

(――眩しいやつとか、めんどくさい奴とか、苦手なんだけどな。……衣は、多分そういうんじゃなくて、きっと――――)

 

 そうした思考は己の隅に差し置いて、瀬々は前を行く衣に引き離されながらも、それを胡乱げな目つきと声音で咎める。

 

「子どもじゃないんだから、廊下ははしるんじゃあない」

 

「こ、子どもじゃない! 衣だぁ!」

 

 即座に帰ってくる憤慨。ころころと変わりつづける衣の仕草を、瀬々は嘆息とともに、ただ眺めているのだった。

 

 

 ♪

 

 

 麻雀部入り口、大きく開け広げられた扉は、人が居座っていても全く邪魔にはならない。少なくとも、人の行き来を、人の会話が遮ることはないのだ。

 だから、麻雀部に入った直後――麻雀卓を目にした時点で、瀬々は在ることを思い出し、気兼ねなく足を止めた。

 

「あぁ、そうだ――衣、これ、返してなかった」

 

 取り出したのは、肩がけのバッグから一冊の本を取り出す。古ぼけたものだからか、そこに感じた感覚などを考慮して、ただごちゃごちゃとした雑多なカバンには収めず、堅苦しいケースからそれを取り出した。

 

「おぉ、なんだかこうしてみると、衣の掌中の珠が什宝に見えてくるな」

 

 もとより衣はいろいろなモノが雑多に入った手提げから取り出されたものが保管されているのを見ると、思わず感じ入るものが在るようだ、若干の興奮を交えてそれを受け取る。

 

「……おや? 衣に瀬々ではありませんの、どうしたのです? こんなトコロで」

 

 そんな折、現れたのは二人のチームメイトだった。

 立ち尽くす瀬々達を不思議そうに見つめる龍門渕透華と、その後ろにつく国広一である。どこか一が済ましているために、先程まで面倒があったのだろうと、なんとなく瀬々は嘆息する。

 透華は嫌いではないが、あって面倒と思うタイプの人種だ。

 

「はぁ……」

 

 気のない返事をして、手にした衣の本を軽く揺らしてみせる。本に意識を向けていた衣の顔が、釣られるように上下した。

 

「あれ? それって……」

 

 一が何かに気がついたようにその本に反応を示す――よりも早く、透華の顔がみるみる驚愕へ染まってゆく。

 

「こ、これって――『麻雀のハジマリ』じゃありませんですの! あの、大沼プロの!?」

 

「……え?」

 

 こんどこそ、そんな透華の反応に瀬々は首を傾げた。なんとなく答えはわかる。しかしそれが、麻雀というものをよく知らない瀬々には、ピンと来ないものだったのだ。

 

「え? ほんと? ほんとに『麻雀のハジマリ』?」

 

「えぇ、えぇ間違いありませんわ、……ちょっといいですの?」

 

 問いかけるのは、瀬々ではない。瀬々が関わるなというオーラを噴出させているし、衣が問いかけを待ちわびているのが、近くにいてひしひし伝わってくるのだ。

 

「いいぞ! ただ衣の珠玉だから、大事にしてくれ」

 

 確か、昨日瀬々に手渡した時も、あとからそんな風に言われた。だが、反応は瀬々の気のないものと比べて、劇的としか言いようが無い。

 

「えぇ! えぇ! もちろんですわ! だって、だって一、ねぇ!」

 

「うん! そうだよ透華! これは、これは、ねぇ!」

 

 ずずいと前に出る透華のあまりの気迫に、衣と瀬々は揃って思わず後ずさる。――後ろに控えていたはずの、一まで揃って二人分、もはや威圧としか言い様がないそれに、瀬々も衣も、性分に似合わず困惑するしかない。

 

「て、ちょっとまって透華! これって、これってまさか……」

 

「えぇ、間違いありませんわ、――これ、初版でしてよ!」

 

 更に驚愕し、もはは慄きとすら言える感情の爆流に、瀬々はおいおい、と呆れ気味な嘆息を漏らす。それは主に目前の両名に対してであったが――

 これはこの二人の反応が正しいのなら、かなりのプレミア物――瀬々は五十万前後だと断定した――であるのだ。

 

(あたし、なんてものを扱ってたんだ?)

 

 これが衣の思い出に関わるものだとすれば、思いの外自分は衣にとって、大変な立ち位置にいるのかもしれない。――彼女と自分をつなげるものはなんだろう、その答えは麻雀で問いかけるのが早いだろうが、それでも瀬々は問いかけるて初めて知れるはずのものを、憂いを込めて思案するのだ。

 

(――同類、か。……あたしはそんな、衣みたいに上等な人間じゃぁ、ないんだけどな)

 

 思考は、己の何処かにこびりつきながら――痕をひたすら残しながらも、そっとどこか遠くへと霧散していく。感情に答えはない。人間の感情を、瀬々は完璧には察知できない。

 だからこそ、瀬々は自分の中に浮かんだ、何かに気づくことが――できないでいたのだ。

 

 

 ♪

 

 

 麻雀部に足を進めて、すぐに瀬々達は卓につく、顔見知りが四人、メンツは足りているし、4月はレギュラー決めの学内リーグ戦があるものの、現在は仮入部期間、対局に制限はない。

 故に瀬々たちは広すぎるほどに広い設備の一角を陣取って、早速麻雀を始めるのだ。

 

「――瀬々はこれが初めてですの?」

 

「んー、まぁ実際に麻雀牌にふれるのは、そうだよ」

 

 麻雀自体は、昨日のうちにネットを使って軽く練習している。だが、現実の麻雀牌を触れるのはこれが初めてということになる。

 ――それでも、瀬々の手つきに一切のよどみはなかった。

 

「牌の動かし方や点数計算、いろいろ面倒だけど大丈夫?」

 

「ん、大丈夫」

 

 覇気のない声で一の問いかけに答えながら、実際に牌を動かして試してみせる。――場決め、配牌は終えた。あとは対局を始めるだけ。

 そこにいたって、一と透華は問題はないと判断するにたる行動を、しっかり見せつけられた。

 

 これなら問題はないだろう、そうお墨付きを出して、闘牌を始める。

 ――席順は東家、透華。南家、瀬々。西家、衣、そしてラス親を務めるのは――瀬々が初めて目にした対局と同一、北家が一、という順になった。

 

 ちらりと行き交う視線の端に、回転を終えた賽がある。――半荘の始まりを、瀬々は感じていた。

 

 

 ――東一局、親透華、ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 振るわれる隻腕、透華の流れるような打牌は、迷いというものを産まないことが多い。それは透華の打牌が、彼女にとって疑いようのないものであるためだ。

 長い麻雀打ちとしての練磨とデジタルスタイルの完成度が故といえる。

 

 ――透華手牌――

 {一三四五⑥⑧⑨23667西} {8}(ツモ)

 

(健全な精神は健全な手牌から、メンタンピン、いただきですわ!)

 

 透華/打{西}

 

 ――そして、それに合わせての瀬々の打牌。一瞬逡巡するように視線を牌へと奔らせ、そしてそれを手にする。これが瀬々の、最初のツモとなるのだ。

 

(さて、わたくし、あまりこういった初心者が牌を握る瞬間、とはあまり縁がありませんでしたの。不思議な感覚ですわね――これが母性、というものなのかしらね)

 

 冗談めかして、ふと笑う。

 瀬々の手つきにはよどみがない、初心者とは思えないほどしっかりとしたものではあるが、どこか初々しいものであることは、気のせいではないだろう。

 

(さて、魅せてもらいますわよ、渡瀬々、あなたの選ぶ――最初の一打を)

 

 対局中に、透華が浮かべるのは笑みであることが多い。彼女のそれは敵意のあらわれであり、ポーカーフェイスの一環でも在る。

 しかし、今は違う。

 

 初めて牌を握る人間が、初めて選ぶ第一打。――ルールに関して、透華は問題はないだろうということを知っている。だからこそ、瀬々がどのような闘牌を見せるのか、それが楽しみで仕方がない。

 

 たったいま、透華が浮かべているのはまさしく、慈愛と、呼ぶべきものこそが、ふさわしいのだろう。

 

 

 そして、瀬々は今、手牌を前に思考を終える。

 

(――よし。始めるか)

 

 瀬々にとって、何かを始めるというのは億劫でしかたがない。――それでも、この麻雀卓の前に座ることは、牌を握ってそれを振るうことは些かの違和感もない。

 だからこそ、だろう。――漏れだす呼吸が、いつもより興奮に濡れていたのは。

 

(これが、あたしの)

 

 ――瀬々手牌――

 {二三八九①④⑤⑥⑧5東白} {七}(ツモ)

 

(渡瀬々の――第一打)

 

 

 ――瀬々/打{①}

 

 

 始まった。

 ――闘牌が、――――物語が。

 

 

 ♪

 

 

 静かな卓の進行だった。通りゆく者は、その中身を軽く見やって、ふむと頷き、自身の居場所へと戻っていく。――そこは、世界のどこにでもある場所で、世界で唯一つ、彼女たちだけが、許された場所だった。

 

 ゆったりとした打牌、思考を伴ったものだろう、そこには確かな余裕がある。

 

(――さぁ、)

 

 国広一が、

 

(……ここまで、来ましたわよ)

 

 龍門渕透華が――

 

 自負に満ちた顔を、浮かべた。

 

 ここまで、両者の手牌は、安いながらも好配牌という、絶好の初手を、一向聴まで早々に進めたのだ。――五巡目、未だ河は、一段目の切り返しをも迎えていない。

 

 それが、果たして――

 

 

「――リーチ」

 

 

 最初に動いたのは――果たして彼女たちではなかった。

 

 動いたのは、渡瀬々、鋭く、斬りこむような流線型のカーブを伴って、リーチ宣言牌を曲げて示す。振り下ろされたリーチ棒が、跳ねてそれからすっと収まる。

 

(――来ましたわね)

 

 先制リーチは、瀬々のものだ。おかしなことではない、透華のそれを上回るほどの手であるのなら、

 

 衣/打{6}

 

(さて、こちらもテンパイ、ですけれど)

 

 ――透華手牌――

 {三四五⑥⑧⑨2346678} {⑦}(ツモ)

 

(ここはこれ、ですわね)

 

 透華/打{6}

 

 現状、{⑨}を切る理由はない、無筋のヤオチュー牌、切らない理由はないが、衣の{6}切りが、全くの無意味であるなどとは思えなかった。

 

 そして――

 

 

「ツモ! メンピン一発ツモは、1300、2600」

 

 

 ――ツモは、{⑨}、瀬々の手は、単なるクズ手を、一発とツモできっちり中庸といえる手に仕上げた。

 ふむ、と透華の感心がそれを呼び、一はそれを驚きもなく受け入れる。――速くある、それは初心者の打てる麻雀ではない。それでも、それ以上はない。

 

 点棒の行き来を行いながら、それぞれは次の卓へと移る。

 

 それを眺めるものはただ一人、その場に在りながらその存在を誇示することを忘れたもの。闇に溶け、かすみに紛れた白の月、そう、語るまでもない。

 

 

 ――月は、ただそれを見ている。

 

 

 天江衣はその対局を、感情を共わない――否、感情を湖のそこへ沈めた深淵から、そっとその半荘を臨んでいるのだ。――そう、今はただ。

 

・渡瀬々  『30200』(+5200)

 ↑

・天江衣  『23700』(-1300)

・国広一  『23700』(-1300)

・龍門渕透華『22400』(-2600)

 

 

 ――東二局、親衣、ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 

(――どうやら、うまく言ったみたいだ)

 

 続く二局の手牌に、そっと視線を映しながら、瀬々は自身の中で生まれる感覚を捉える。

 

(まぁ、よくあることだ。どれだけ答えがはっきりしていようと、その最適解っていうのは幾つもある、それを選定するのがあたしの仕事、なんだけどね)

 

 それは瀬々のもつ、他者とは違う特別な感覚によるものだ。

 生まれながらにして瀬々が抱える(・・・)力。それこそが、彼女がこの麻雀に持ち込む、彼女の実力である。

 

 ――麻雀はけっして単純なものではない、ルールを覚えるにしても一日では絶対に不可能だし、よしんばできたとしても、さすがに点数計算まで開始からできるものはそういないだろう。

 それを可能にするのが瀬々の力。

 

 

(――これがあたしの、“答えを知るチカラ”)

 

 

 瀬々には、物事に対する答えを見つけるというチカラがある。超心理学的な人の理解が及ばない、どこかずれたチカラであるそれは、この麻雀という舞台でも作用する。

 むしろ、麻雀にこそこのチカラはあるのだと、

 

(そう思ってしまうくらい、あたしのチカラに、麻雀はしっくり来るんだ)

 

 それこそが瀬々の感じた感覚の正体。

 実際に牌を握って、打牌して、和了してわかる。――麻雀は、ひとつの答えだけでまかなえる競技ではない。幾重にもその配牌には可能性があり、結果を残すことは、あまりにも難しい。

 

(単純計算で、上がれるのは五回に一回あれば十分。でも、あたしのチカラなら、もっと、もっと和了れる)

 

 吹き上がるチカラの感覚。

 ――目前にある手牌は、一見すれば単なる三向聴の手、時間をかければ仕上がるだろうし、それが高くなるか、安くなるかは出来上がらなかければわからない。

 それを瀬々は、最も正しいと思える、感覚の行き先で決定づける。

 

 

「――ポン!」

 

 

 まずは、一つ。

 この手は、ただ進めていたのではゴミ手にしかならない。

 瀬々はまず衣から鳴けていたはずの風牌をスルーすると、その直後に飛び出た透華の打牌を喰いとる。オタ風のポンであるが、その目的は容易に知れる。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {二八⑨}

 

 そして、打牌は{⑥}。――バレバレにも程がある染め手、この場合バカホンと呼ぶのが正しいだろう。それを瀬々は――強引に強固な手へと仕上げていく。

 

(ここは――スルー。この次のツモから、更にその次は鳴いて一向聴、テンパイはそのままでいいな)

 

 ためらいなく展開した感覚から、瀬々は次を、さらにその次を見通す。

 

(……こんな盛大にこのチカラを、意図的に使ったのはいつ以来だろうな)

 

 そんな思考を嘆息気味に漏らして、それでもどこか納得したような表情で自身の、すでに知れたツモを手にする。

 

 ――瀬々手牌――

 {13899白白} {白}(ツモ) {横312} {北北横北}

 

 瀬々/打{8}

 

(まぁいいさ、利用できるものは利用する、それが私の生き方で、そうすることが私の過去だったんだ――これもつまり、そういうものに、近いだろうな)

 

 正確には違うだろう。

 望んでチカラを振るうことと、結果としてチカラに頼らざること、それは大きな過程の隔たりがある。それでも瀬々は、そのことを同一視し、嘆息を隠さない。

 そして――

 

 瀬々/ツモ{1}

 

(ここ、だな)

 

 見せてやろうじゃないか、そう息巻いて瀬々は牌を持つチカラに勢いを加える。

 自身の中に“生まれない”ためらいに、そっと後ろ髪を引かれながら、瀬々はその牌を、放つ。

 

 ――瀬々/打{()}

 

 見るものがいれば、その選択は首を傾げるか、瀬々の正気を疑うか。

 だが、瀬々はそれを不思議とは思わない。

 

 それが答えだからだ。

 

 直後――生牌である{白}が切られたことにより、それに打牌を合わせるものがいた。

 

 一/打{白}

 

 それは当然といえば当然の帰結だ。生牌として切ることのできなかった牌が、現在最も危険視するべきである瀬々の元から飛び出たのだ。

 切らないほうがどうかしている(・・・・・・・・・・・・・・)

 だからこそ、瀬々はそこに答えを見つけた。

 

 

「――ポン」 {白横白白}

 

 

「――え?」

 

 思わず一から声が漏れたのは、まったくもって致し方ないことだろう。

 絶対に、とは言わない。結果としてそれがあり得る状況は在るだろう。しかし、これはそうではない、――わざわざ自身が手にした有効牌を“鳴き返すために”切るものがどこにいる。

 

 ――瀬々/打{3}

 

 息を呑む。

 これが、瀬々の麻雀であることは、一は否が応なく理解させられた。

 普通じゃない。

 

 ――そう思わせるだけの、力はあった。

 

 

「――ツモ、4000オール」

 

 

 思い描いた答え。

 そして、その結果、瀬々の持つそれは、まさしくそれによるものだった。

 

・渡瀬々  『42200』(+12000)

 ↑

・天江衣  『19700』(-4000)

・国広一  『19700』(-4000)

・龍門渕透華『18400』(-4000)

 

 

 

 ――東二局は終わり、続くは親の連荘一本場。

 動きゆく卓上、しかし衣は未だ動きを見せない。――そこにあるのは、果たして単なる沈黙であっただろうか。

 

 答えを知るのは、たった今、彼女が伏せた手牌のみ――――

 

 

 ――衣手牌――

 {四六八①⑧⑨2227899}




瀬々のチカラに一番近いのは、多分エイスリンですね。
受動的か能動的かの違いはありますが、理想の配牌を作るという意味では一番近いかと。

まぁ、ようするにそういうことです。次回、ころたんは如何に。


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『道標を照らす禍ガ月』衣VS瀬々②

 ――東二局一本場、親瀬々、ドラ表示牌「{4}」――

 

 不可思議な闘牌、そしてそこから生み出される否定のしようがない結果。瀬々の前局和了――否、二連続和了が、彼女の力によるものであることは容易に理解を示さねばならない部分であった。

 

 配牌を終えながら、一は拠出した異能の存在に、目を細めながら思考を回す。相手は強大だ、対応するには、ちょっとやそっとの小細工では通用しないだろう。

 

(それにしても、こうしてはっきり“違う”って相手と闘うのは初めてだな。衣や先輩なんかは少し特殊だけど、彼女みたいにあからさまじゃない)

 

 天江衣に関しては、未だ底の知れない部分があるとはいえ、闘牌の土台を人間的な思考においた二名の得意者を思い浮かべながら、一は第一打を選ぶ。

 ……奇をてらうつもりはない、第一打は、あくまで誰にでもできる平素なもの。

 

(彼女――瀬々に対して、ボクは一体どんなことができる? 考えても見てほしい、ボクには衣や水穂先輩のようなチカラはない)

 

 打牌、打牌、打牌。ツモが自分の元へ帰ってくる。

 よどみない手つきでそれを確かめると――不要牌、オタ風の対子にもならない牌を即刻その場で切り捨てる。――邪魔だ、邪魔な選択肢は、この対局に必要ない。

 

(だったら、ボクはボクのままでいく。デジタルにとって、アナログへの対応はブレそのものだ。――別にアナログを軽視して、無様に罠にはまろうってわけじゃない、その特性を理解して、自分の打ち方に、ひとつのケチもつかないようにする)

 

 これが龍門渕透華であれば、死角から敵を狙う奇策も、やってのければド派手な奇襲攻撃、つまるところ彼女らしさなのだろうけれど、一は全くそうではない。

 一の打ち方は、そういったブレ方に大して、真っ向から反抗する打ち方だ。

 

(ボクがこの場にいる意味を、ボクがなぜこうして麻雀を打っているか、その意味を。もう一度だけ、確かめてみようじゃないか!)

 

 続くツモ、手牌を入れ替える。そこに瀬々という存在の考慮はない。だが、瀬々というチカラを、全く無視した打ち方でもない。

 ――ストレート王道極まりない、トリックスターのごとき様相である彼女の、彼女が選んだ、今の闘牌。それをここで、ただ振るう。

 

 

 ――各者の反応は様々だ。遠目に眺めていたものは、初心者としての打ち方に、新鮮な驚きと、若干の失望を覚えながら、それを軽く見て通り過ぎていく。卓を囲むモノは、自分自身が強者であるがために感じる異質の気配を、余すことなく受け止め、対する。

 龍門渕透華、彼女は若干の驚愕を覚えながらも、それを大仰に反応して見せながらも、心胆には全くのブレ一つない。彼女は強い、その精神は、まるで気高き黄金の獅子を思わせる、王者のものだ。

 

 国広一、彼女は至って平常のポーカーフェイスを保ちながら、打牌にも陰りは見受けられない。一にしろ、透華にしろ、その感情はブレない。

 彼女たちの強さは、そんな鋼鉄を思わせる精神に在る。たとえどれだけそこにある存在が、人ならざるものに近くあろうと、そこにただ人のみで至らんとする。それが彼女たち、そして、

 

 

 ――それを見守るのが、青を帯びた白昼の月光。

 

 

 天江衣は、一人、ただ一人その場所にいた。――対局の場に在りながらも、あらゆるものから届かない、絶対的な境地の中に。

 とはいえそれは、単に彼女が侵しがたいものである、というだけで、それ以上ではない。ここはあくまで、彼女が自身を月たらんとせしめんがための場所。

 

(ふ、くふふ。道標の月に、思いがけない空谷の跫音が響いたよ、是非もない、まったくもって……目をつけたかいがあった)

 

 初めて彼女を目にした時から、惹かれていたものがあった。見初めていたというのが正しいだろうか。――それこそ、恋焦がれる少女のように、彼女のチカラを衣は心の底から求めていたのだ。

 

(見知ったものとの角逐(かくちく)とは違う、大海へ出てみれば、こんな者と出会えるとは、雪は豊年の瑞だ)

 

 ――衣が育ったのは、外とは隔絶された山の奥、数人の子どもたちと背を並べ、幾人かの老巧が彼女を暖かく受け入れてくれた。その中では、彼女はひとつの答えにたどり着いてしまったのだ。

 世界にはあまりにも遠い上限があれば、目を見張るほどの下限もある。しかしそれは、閉ざされたコミュニティの 中では実感できないものだ。

 かつて、彼女を導いた者達が、世界の外へ飛び出したように、今、衣はあまりにも広い空のもとにいる。

 

(一、透華、そして瀬々。私の世界を作る者達、見せてくれ、衣に世界を――見せてくれ)

 

 そして、

 

 

(さぁ、それでは行くぞ。思兼(オモイカネ)の子よ、全知足りうる神の子よ、私にその一端を、見せてくれないか?)

 

 

 ただ、ひとつの異端を添えて。衣は、対局のさなかに舞い降りる。

 

 

(――なるほど、ね。衣のチカラが変質した。まぁ元は同じなんだけどさ)

 

 他者の配牌に干渉する支配力、衣はそれを“侵しようのない”形に変化させているのだ。自身の力が、絶対の無敵ではない以上、それを極限まで隙という形で“変質させない”ことに特化したチカラ。

 

(まぁ、よくやるもんだ。どっちがいいかはともかくとして、ね)

 

 瀬々のチカラには、そんな人の意志が介在する余地はないのだから、それに対する瀬々の対応は、一つしかない。

 

 ――瀬々手牌――

 {一三五九九⑥⑧2289北北} {1}(ツモ)

 

(ここから、一気に純チャンに仕上げていく。これで――三和了!)

 

 瀬々/打{北}

 

 打牌――そして、そこに忽然と浮かび上がる――壁。

 

(……え?)

 

 それは形すらそこに思わせることはなかった。

 気がつけばあった。まゆを細める必要はない。瀬々の周りに浮かび上がったチカラの感覚が現出する。瀬々の意識が、卓上から無限の荒野へと移行したかのように――そこに。

 

 硬質な鋼の鉄板。そこに記された行き先を示す複雑怪奇な答えの群れ、それこそが瀬々のチカラ、他者が見ればそれは狂気に満ちた特質だろう。

 異端、そう呼ぶのが真といえるだろうか。

 

 そこに、他方から放たれた複数の剣閃が激突する。風をカラッ切る勢いのままに、ただ振りぬかれた無手の剣。投擲によって穿たれたそれの直撃を受けた鉄板は、一瞬にしてひしゃげ、はじけ飛ぶ。

 無防備にさらされた瀬々の周囲を、瞬く間に先ほどと同一の平板が浮かび上がる。しかしそれは先程までのものと同一ではない。

 

 

「――ポン」

 

 

 刃の主が、深淵のそこから、どろりと崩れた声音とともに、そっと荒野の闇中に姿を表した。袂から煙を伴って、その姿を順繰りに晒すそれは、幼き少女の、手。

 

 天江、衣だ。

 

(……な、に?)

 

 思わず歪む視界、理解の範疇を超えた、人の意志による一撃が、彼女の観念そのもに打撃を加えているのだ。少なくとも、瀬々に人の意志を答えとするチカラはない。

 

「一度仕留めてしまえば――どうだ? 瀬々、自身の体を木偶に変えられた気分は」

 

 なるほど、瀬々は理解する。ここまで、考えたこともなかったことだ。瀬々のチカラは必ず答えを見つけ出すし、それは揺らぐということはなかった。

 

「……嫌になるな、自分が」

 

 思わぬところで、今生の生おいて延々と絶対を顕示し続けてきたはずのチカラに、人並みの未完成がみられるという状況に、歯噛みと忌々しさを感じながら、瀬々は歯ぎしりめいた怒りの表情を向ける。

 衣はそんな瀬々に楽しそうに笑いかけると、――引き戻された卓上の世界で、おのが打牌を繰り広げる。

 

「そういうな、衣は楽しいぞ、――人が絶対性を失うというのには、新たな絶対を作るという次を示す答えになるのだからな」

 

「――あたしに、自分の答えを示さないでくれ」

 

 少しだけ、敵意としてのものではなく、本物の怒気を混ぜ、瀬々はそれに応対する。守るしかなかった領分、頼るしかなかったチカラ、瀬々の縄張りは、誰かに侵されていいものではない。

 衣はそれをわかっていながら挑発している。

 ――同時に、何かを求めるようにしながら。

 

 瀬々のそれからの打牌はひどいものだ。牌効率も、押し引きの判断もない。

 彼女の弱点、それは彼女が描く答えに対する過程が、一定ではないということか。――つまり、麻雀という具体例を持ち出せば、彼女の感じている答えは、彼女が限定した中での答えでしかない。鳴かれないという前提で、自分だけで手を進めるためのもの。

 

 昨日のうちには、一局二局、CPUをサンドバックとしてのテスト以上はしていないのだから、判明しようがなかった弱点だ。

 

 ――要するに、他家に鳴かれることでツモが変わると、瀬々の答えは、全く別のものに切り替わるのだ。答え自体が見えなくなることはない、全く別のものに、摩り替わる。

 そしてそれに対する軌道の修正など、現状たんなる初心者でしかない瀬々には不可能にもほどが有り――そして、瀬々のそれが、まさしく現在の弱点であるのだ。

 

 ――そして、

 

 

「――ロン、8300」

 

 

 衣の、和了。

 ――瀬々の打牌から、自身の目指す染め手の当たり牌を掬い上げ、端的な満貫手へと仕上げてみせた。

 

・天江衣  『28000』(+8300)

 ↑

・渡瀬々  『33900』(-8300)

 

 

 ――東三局、親衣、ドラ表示牌「2」――

 

 

「チー」 {横756}

 

 この局、最初に動いたのは国広一、七順目の鳴きで、絶好の一向聴へと手を進める。

 

 ――一手牌――

 {五六七八⑤⑥⑦⑦33(・・)4} {横756}

 

(これで一向聴か、まぁ早いほうがいいんだろうけど……テンパイまで行けるかな、牌姿がちょっと歪だったから、ここまで順調でも不安だ)

 

 ドラ対子の手を、完成にまで持って行っても和了れない、調子のいい時ならばともかく、平時であればそんなこと、日常茶飯時にしかなり得ない。

 それを考慮しながらも、一はこの手を、良質な完成形へと活かすため、打牌を続ける。

 

 そんな折だった。

 

「――リィーチ、ですわ!」

 

 一の下家、龍門渕透華からの虚を突くリーチ宣言。宣言牌である{六}を勢い良く河に叩きつけながら、カシャンと景気のいい快音が卓に響く。

 それからそっと、添えるようにリー棒がセットされ、対局は続行される。

 

 一/ツモ{三}

 

(普通だったら切ってる牌、でもわざわざ……ここで切る必要はない、かな)

 

 ――ここで一は、打牌をツモ切りの{三萬}ではなく、形式テンパイのような形になる{4}の打牌とする。それは透華の現物でもある。そこで、一は打牌とした。

 

 これは大して理由あってのものではない、しいて言うならば、一発を避けるためにリーチ直後の打牌を現物とする、そんな経験による平常の打牌。

 あくまでも、それはそんな打牌だったのだ。

 

 だからこそ、

 

 

 ――瀬々/打{三}

 

 

 瀬々の打牌は、際立つことになる。

 

「ロン、メンタンは2600ですわ」

 

 本来であれば透華がツモるはずだった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)なんという事のない当たり牌(・・・・・・・・・・・・)。瀬々の元に転がり込んだそれが、全く無警戒の彼女から、まるで滑りだすように引き出されたのだ。

 

(守りが薄いのは、やっぱり初心者だから、かな)

 

 瀬々の闘牌は異常に浸かっていた。しかしこの瞬間点棒のやり取りを行う彼女は、どこかかつての自分、ありふれた初心者であったころの一に似ている。

 しかし一にはそれが、どうにもおかしなものに見える。

 

(異常な部分を見ちゃうと、あれが単なるブレにしかみえないな。たとえ防御は薄くても、警戒を怠っていいあいてじゃない……か)

 

・龍門渕透華『21000』(+2600)

 ↑

・渡瀬々  『31300』(-2600)

 

(それに、まだ瀬々はトップを維持したままだ。それだったらきっと、ボクは警戒を向けておくのが正解なんだろうな)

 

 卓上の点棒は、すでに派手な移動を終えている。今は均衡を保っているものの、いつそれが崩せるかなど誰かにわかるものではない。

 せめて、一にはその移動を、自身の手で行えるような努力しか、この卓の中ではできない。

 

 一の視線の先には、瀬々のどうとも取れない、中庸的な表情が移る。――あまり、感情の起伏があるタイプではない、見ていてわかるが、彼女は自分の感情を面倒だという一つの感情で塗りつぶしている。

 だからこそ、そこに変化はない。

 

 ――彼女の中に、浮かぶ感情は何だ? 彼女が避ける、彼女の感情とは、一体何だ?

 

(さぁ、やってみなよ。……見極めてみせるから、瀬々、君自身をね)

 

 それを確かめるため、おのが勝利を引き寄せるため、一の親番が、始まる。

 

 

 ――東四局、親一、ドラ表示牌「{一}」――

 

 

 ――その場に、形と呼べるものはあっただろうか。

 言葉も無く、やがて周囲を通りかかる者達の足音も、どこかへ掻き消え、彼女たちはただその場に取り残されてしまっていた。

 

 この局、牌譜の過程を省き、結果のみを晒してしまえば、あまりにも平素な、つまらない結果だけが現れるだろう。――この局、大きく全体を動かしたのは親の一だ。

 多少無理を承知しながらも、一はこの局、染め手を目指した。

 鳴きを絡め、親ッパネの一向聴まで事を運ぶことはできたものの、そこで手詰まり。もとより和了を諦め筒子を絞りに絞っていた透華もテンパイなどできるはずもなく、瀬々は鳴きの入った時点で手が瓦解、衣は和了る気などあるのか、それすらもはっきりさせずに手牌を倒した。

 

「――ノーテン」

 

「ノーテン」

 

「ノーテン」

 

「ノーテン」

 

 全員ノーテンのこの状況で、点数など動くはずもなく、続く南場へと対局自体がスライドした。

 

 静かな場だ。

 

 ――静かだ、どこまでも、ただ何もなく、静かだ。

 

 

 ――南一局流れ一本場、親透華、ドラ表示牌「{8}」――

 

 

(ここまで……)

 

 打牌の刹那に見える思考。

 

 

(わかってきたことがありますわね)

 

 透華と一、両名の思考は若干の差異はあれど、同一の方向を向いていた。渡瀬々、彼女が持つ特異な力にそれは拠っていた。

 

(――瀬々のチカラは、面前でのみ発動するわけではない。これは確か。そこに、たとえば自分以外の鳴きが入らない、というような条件が在るのかもしれない)

 

 瀬々の和了、そのインパクトは彼女たちに瀬々のイメージを植え付けるに至った。――牌が見えている。少なくとも一も透華もそう認識しているし、手牌を最上へと進めるさなか、それを意識した打牌を、彼女たちはしていた。

 

 

(ボクの場合、ここですべきことは、前半で失った点棒を取り返すこと。そのために、一人を木偶にしておきたくはない)

 

 瀬々のチカラは脆い、一度鳴けばすべてが崩れるし、崩れてしまえば後に残るのは筋も壁も、安全牌の理解もないズブの素人。

 今この瞬間、彼女をたんなる置物に変えるのは得策ではない。

 

(瀬々の下家は衣だ。昨日衣はほとんど鳴かなかったけど、それでも素人が上家に座っている絶好の状況で、手を進めない鳴きのスルーはするだろうか。多分しない。――衣が上がった時も、衣はしっかり鳴いていたし)

 

 衣の打ち方は、よくわからない。今後対局を進めていけば、その癖を知る機会もあるだろうし、団体戦の折には、きっちりその闘牌をご教授してもらうこととなるだろう。

 故に一は思考の内で、衣は全く鳴かないわけではない、という考えを形成した。無論間違いではないだろうが、この場合、衣はたとえ素人の上家が出した絶好の牌だろうと、意味もなく鳴くことはない。

 

 東一局の一本場、衣が鳴いてみせたのはあくまで瀬々の弱点を他家に示して見せるためだ。ここまで、一、透華の鳴き麻雀は、十分に瀬々の弱点を露呈させるに足りた。

 だとすれば、ここで衣が副露を晒す意味は? 全くないといっていい。

 

 だからこそ、衣は瀬々に意識の向いた両名の隙間を縫う。

 

 

「――ツモ、600、1100」

 

 

「え?」

 

「ふぅん?」

 

・天江衣  『30300』(+2300)

 ↑

・国広一  『19100』(-600)

・渡瀬々  『30700』(-600)

・龍門渕透華『19900』(-1100)

 

 瀬々の速度は、ある種絶対といってもいい、手牌さえ整っていれば即座にテンパイにまで移行する。しかし――

 

「気分はどうだ?」

 

 トラッシュトーク、とも言えるかもしれない。衣から、瀬々へと向けたある問いかけ。自身の闘牌に集中していた一と透華には、横合いから衝撃によって殴りつけられたかのようだった。

 

(……気配? って言うべきなのかな。強い雀士に対する危機感、ってことかも)

 

 気がつけば、一も透華も、瀬々と衣の展開する異空間に、自身の片足を添えていたのだ。瀬々のことばかりかまけていたばかりに、衣の横合いからの和了に、気がつくということすらなかった。

 もとより、衣は一切リーチを打たないし、それにより衣のテンパイ気配は、極上なまでに薄いのだが。

 

「ここまで、瀬々の元にあった常時の流れは、あっという間に霧散してしまったはずだ。知っているか瀬々、麻雀とは絵を合わせるだけがゲームじゃない。ただ答えを知るだけが麻雀じゃないんだよ」

 

 挑発と取れるだろうか、静まりきった場に、衣の声が朗々と響く。

 

「怒りを覚えているのだろう? 自分のチカラが、思うように行かないことに。それは正当なことだ。しかし、瀬々はそれに対して、“怒りに対する怒り”を覚えている、違うか?」

 

 ――そこで、ようやく初めて、瀬々の表情が動く。

 ここまで、瀬々の打牌は沈黙を保った平静の中で放たれていた。それは決して彼女がただ感情を浮かべなかったからではない。殺していたのだ(・・・・・・・)、感情を、己が浮かべることを忌諱する感情を。

 それが、化けの皮が、ようやく剥がれる。

 

 自身の領域が侵される恐怖。それに、苛立ちと尚早が募る。

 少しずつ、衣の言葉に瀬々の表情が変化しつつ在る。

 

「……瀬々、衣は、瀬々に勝ちを諦めてほしくない。だからこそ、見せてくれないか? 衣に、瀬々が麻雀を楽しんでいると、教えてくれないか?」

 

 我慢の先を、少しずつ越えようとしている。怒りか、はたまたやるせなさか、瀬々が、“感情をあらわにしようとしている”。

 

 そして、

 

 

「……はぁ、だるいなぁ」

 

 

 それは、やがて諦めへと変質し。

 

「あたしは結局、自分の生き方を理解できないみたい。だから、衣の言う麻雀の楽しさも、まだ解らない」

 

 言葉の意味は……果たして。

 それを瀬々が語ること、そして瀬々にとって、チカラというものが如何なるものか。それを、一は、透華は、そして衣は、たとえ一端出会っても、それを理解した。

 

「見せてよ、あたしにその、麻雀ってやつをもっと見せてよ。あたしには、“解らない”んだからさぁ」

 

 

(――あぁ、そっか)

 

 

 一は、そんな二人の会話を、ようやく理解し始めた。

 彼女たちは、分かり合おうとしているのだ。わからないから、瀬々にも衣にも、相手の心はまったくもってわからないから、そして、瀬々にはそれが“よくわかっている”から。

 

(変な会話だ。ボク達と同じ“人間”がする会話とは思えない。瀬々には、それだけ人らしくない、チカラがある。その本質は、きっと答え、ってことなんだろうな)

 

 感情たっぷりに強調された理解というそれに、一は透華とともに、顔を見合わせてふっと笑う。

 

(――瀬々は麻雀を楽しもうとしている(・・・・・・・・・・・・・・・)。それだったら、ボク達はそれに答えなくっちゃね)

 

 求めるような視線に頷き合うと、そっと、卓は動きだす。

 ――麻雀が、静かな河の流れが終わりを告げる。

 

 それはきっと、瀬々の求める流動ともいうべきそれで、

 

 

(……あたしはさ、あんたらとは違う。だから、あたしの麻雀はあんたらのそれじゃない。けどそれを、あんたらは――衣は麻雀を楽しんでいるんじゃないっていう。それは、すごくムカつく)

 

 瀬々にとって、麻雀は初めて触れる、無限に近い“答え”の存在しうる“過程”だ。

 だとすれば、それに対して、瀬々が心惹かれるのは当然だ。そして瀬々の心は、自身のチカラに否が応のない複雑な感情を持っている。

 それを抑えることは、とても苦しい。

 

(見せてよ、衣の麻雀、知ってるんだから……そんなものじゃないんでしょ? だったら全部、あたしに見せて、あたしをもっと、麻雀に引き込ませてみなよ!)

 

 

 ――そうして、浮き上がってくる配牌は、ひとつの結果をもたらした。

 速攻による一の攻めが、瀬々の得物(だはい)を切り裂いた。瀬々の親番が終了する。ここでの点数移動は、三十符三翻。

 そして、続くは、衣の親番だ。

 

 

 衣の、独壇場だ。




次は衣のターン、今回は前半部分の異次元ゾーンが長い原因だと思います。
日常回もやりたいですけど、そのためには少しメンツが足りない、残念な状況です。


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『遙かなる宵闇に浮かぶ月』衣VS瀬々③

 ――南三局、親衣、ドラ表示牌「{南}」――

 

(……まぁ、言うまでもありませんわね、衣のあれは、私達への挑発でもありますわ)

 

 衣は言った。

 瀬々と衣の闘いは、瀬々に麻雀を楽しむことを教えるためのものだ、と。――そのために、衣がする方法は、たった一つの明確なものでしかない。

 自身の闘牌を見せるというのだ。衣が、瀬々に、魅せつける。その瞬間を、瀬々は絶対と感じてもらう。

 

 そのために、衣の闘牌を理解させる必要がある。――当然、衣の闘牌を理解している透華や一にとっては、それは単純な宣戦布告にほかならない。

 それが、衣の闘牌スタイルに関わっているのだから。

 

(わかっていますわね? 一、ここでこの一局、和了るのはこの私ですわ。瀬々に麻雀というものが何たるものか、しっかり理解させるんですの)

 

 ――当然、それに対して透華は真っ向からの闘気を吐き出して見せる。続き、自身の付き人たる一へと意識を向ける。目的は――

 

 

(わかってるよ、ボクが和了ればいいんだね? じゃあ、ちょっと本気で行ってみようか)

 

 ――一に対して、挑発めいた茶々を行うためだ。この場で一が透華の意図を理解したとして、馬鹿正直にそれを叶えるほど一は素直な性格をしていない。

 それに一がここにいる目的は、一が全力で麻雀を打つため――本来は魔物たる衣との直接対決に必要なメンツであったために、そうであるのだが――なのだから、わざわざこの場で、透華のオーダーを理解しない理由はない。

 

 

(――どうやら、透華も一もやる気になったようだ。善き哉、麻雀とは一人で打つものではない、――四者で囲み、そして自分自身がその中の勝者になるために打つのだ)

 

 そのために、この局においての本気を、衣は引き出す必要があった。麻雀とはタイミングのゲームである、どれほどの強者であろうと和了れない時はあるし、その一瞬を、麻雀のすべてであると思ってほしくはない。

 ――だからこそ、衣はその真逆、誰もが和了ろうと、直線的に和了を目指す状況こそが、衣にとってもっとも楽しい麻雀の瞬間だ。

 

(人は麻雀をする時、まず自分が勝とうと思うだろう。衣が誰かと戯れる時、その誰かはきっと衣に敗北する。衣が負けたくないからだ)

 

 ――衣にとって、麻雀とは勝つものだ、自分の麻雀で、勝って、勝って、勝ち切ることだ。

 

(……ならば、衣は誰かをきっと、全力で倒す。そのために……衣は、衣は自分の麻雀を、貫いているのだ…………!)

 

 ならば、こそ。

 

 ――衣手牌――

 {一三六九⑧⑨11268西西(・・)} {3}(ツモ)

 

 その一打は――ひらめきを生む。

 

 衣/打{1}

 

 

 一/打{西()}

 

(……わかってるさ、衣のチカラは、全力で誰かを倒すためのものなんだって)

 

 透華/打{2}

 

 ――天江衣、闇夜に紛れた(くら)き月。それこそ、人の感情をかき消すほどの、絶対的なものなのだ。瀬々の感覚はそれを如実に告げている。

 衣には本来、この半荘を支配するほどの絶対的なチカラがある。やろうと思えば他家をテンパイさせないことも、自分の和了を自在に変化させることすらできるのだ。

 衣の思うがままに、半荘は手のひらで転がすことが、できてしまう。

 

(それをきっと、衣は麻雀だと思ってないんだろうな)

 

 思っていないからこそ、衣の麻雀は、ここまで異様に変質を遂げた。それと同時に、衣の臨む勝利へ最も正しいと思う方向へ。

 

(衣はそんな絶対的な麻雀を“攻略”された。衣自身が、只の人間としか思っていなかった相手に)

 

 その人物――否、人物達はそれほどまでに人間の極みへ至った者達だったのだろう。衣が持つチカラのほんの少しのゆらぎ、例えばその支配力が、王牌にまで及ばないという事実だとか――

 

 ――誰もその半荘に、鳴くものはない。

 卓は至って変化の乏しい状況で、しかし激しい凌ぎ合いの末進行していく。

 

 最初に動いたのは一、前局の和了をなした勢いのまま、六巡目に勝負を仕掛ける。

 

「――リーチ」

 

 静かな宣言だった。気取ることはない、ただ、おのが闘志を隠すため、自分自身へ活を入れるために、心のなかでだけ、その意志を燃やすのだろう。

 

(……衣は、極限まで自分自身の弱点というものをすり減らした。それを討たれないために、自分の中で抱くものを、慢心から闘志へと変えるために)

 

 調べてみればすぐに解った。衣の打ち方は昭和の麻雀が円熟し始めたころの玄人の打ち筋だ。両親をなくした衣が、老人――おそらくは祖父母夫婦あたりだろう――に引き取られ、そのものたちと麻雀を打つようになった。そこで衣は“敗れた”のだ。

 だから、それに憧れた。他家に晒す打ち筋に、極限まで自分を殺し、他家の意識が向かない場所から自分の力で出和了りをもぎ取る、そんな打ち筋に。

 

(衣はそこに、自分の保つ力による、オカルトの支配を持ち込んだ。……衣は作っているんだ、自分の力で意図したオカルトの流れを)

 

 そうすることで、衣のチカラは衣の手を離れる。流れを知る衣であればある程度はその流れを操れるだろうが、それ以上ではなくなる。衣の力ではなく“麻雀のチカラ”になる。そうすることで、衣は自分が突かれるはずの闘牌スタイルによる弱点を、極限まで減らした。

 ――討ち取られる側から、討ち取る側へと、スタイルを変えることで。

 

 ――すぐさま、衣は安牌を切り手牌を回す。直線を向かう一の横で、ゆっくりと険しい遠回りをするのだ。透華は動じない、自然な動作で安牌を切る、不要な牌だったのだろう、手を進めたようにも見えた。

 

 そんな中で、瀬々の手は進まない。

 

(知ってる、流れってやつだ。今、この対局であたしは和了れない。いや、和了ることはできる。あたしの答えに和了れないなんていう選択肢はない。でも、遅すぎる)

 

 これもまた衣の計略。瀬々の弱点を他者へ晒し、瀬々の和了による流れを、他家にすべて奪わせていく、点棒を得るためではなく、あくまで瀬々の流れを断つために。

 ――麻雀を教える、そういった。だがそれ以上に、衣はこの半荘で、自分がトップをとるために対局を進め続けてきたのだ。

 

 だからこそ、

 

(……すごい。ほんとに)

 

 それから一巡後、一発を伸ばした一の打牌の直後、透華も動く。ここまで、流れは瀬々への直撃を打った最新の相手である一と透華にある。

 だからこそ、

 

「――リーチ!」

 

 衣はそれを、暗夜の中を駆け抜け、追う。

 

 ――透華の打牌は{4}、衣も対応してそれを切り、現物で巡を変える。打牌は、{三萬}。

 続く打牌、ここで一は動かない。その手は、彼女の和了牌ではない。――少なくとも一も、そう簡単に和了れるものでないことくらい、わかっている。

 

 瀬々は、ツモ切りだ。彼女のツモは、決して彼女を前に進めるものではない。

 

 彼女の心が、ひとつ跳ねる。

 その上で、それがそっと、変質していく。

 

 衣の打牌、無理は無い、透華のリーチ後に切りだされた牌であり、一のツモ切り、いわば当然、合わせ打ちということになる。――打ったのは、{二萬}。

 

 ――そこに、透華と一の笑みが加わった。

 

 軽快に続く打牌のリズム。――瀬々のそれが、ゆっくりと荒く尖ったものへと変質していく。その顔が、少しずつ、少しずつ沈んでいく。

 勝負に対し、全く臆することなく踏み込んでいく一と透華、両名は対向するもののリーチを単なる好機としてしか見ていないことくらい、瀬々にもわかる。

 更にはそれが、衣を縛り付けることにもなるのだから、なおいい。

 

(……ふざけんじゃない。なんだよそれ、楽しそうにしやがって。おかしいじゃないか、あたしって割りとつまんない人間だから、そんな輪の中に入っていくのは、別に苦でもないんだぞ。…………それは、あたしの処世術だったんだ)

 

 牌を握る手に力がこもる。止めるにも止められない。瀬々はもう、感情が噴出すのを止められない。

 

 ――衣のツモだ。

 {三萬}、{二萬}からの現物両面落とし、これで衣の手は更に遅くなっているはずだ。――不要になったドラを切った、それにより、打点まで下がっている。

 一も透華も、そのツモに、何ら感慨を抱こうはずもなかった。

 

 自身の勝利を、その瞬間まで疑わなかった。

 ――彼女たちの目は、衣を見つめている、ノーガードに成り下がった勝利宣言者の隙を、今か今かと待ちわびている。それはまさしく、獲物を狩る獣の眼光だ。

 

 

 そしてその視線が向く先に、瀬々の姿はない。

 

 

(――バカにすんな、バカにすんなよ! あたしの生き方を、答えを誰かが、バカにすんじゃない!)

 

 その言葉は、誰に届くものではない、自分の中に、ただ消えていく言葉だ。自分だけが、理解している言葉だ。

 

 牌を叩く音がする。何かに、軽快なステップで叩きつける音。それの意味を瀬々は理解している。していないはずがない。

 それでも瀬々は、顔をうつむかせていた。そのまま、上げることはなかった。

 

「――ツモ」

 

 天江衣の声だ。

 一瞬の隙を待ちわびていた、両名の狩人を軽々と踏み越えて、剣を振るう、絶対の強者、違うことなく、そのツモを晒す。

 ――パラパラと、手牌が開く音がした。

 

 ――衣手牌――

 {一七八九⑦⑧⑨123789} {一}(ツモ)

 

「純チャン、三色ツモは――6000オール」

 

・天江衣  『48300』(+18000)

 ↑

・国広一  『17000』(-6000)

・龍門渕透華『13600』(-6000)

・渡瀬々  『20800』(-6000)

 

 驚愕に近い目線を、そこに在る、他者を認めた実直な目線が、卓上を行き交う、――それを浮かべ切れていないのは、ただ一人、渡瀬々、ただ一人。

 

 激しく響く鈍い音――卓を少女の右手が叩いた。――六千点、その分の点棒が和了を終えた衣の目前へと吐き出されている。

 

「……ふふ」

 

 すました笑みに、いよいよそれを成したもの、瀬々の顔が怒りに染まる。激しく敵意だけを浮かべた目つきで、衣の顔を睨みつけるのだ。

 

「――よく、わかったよ。よぉくわかった」

 

 ずいっと、顔を少しだけ寄せる。

 

「そいつは授業料だ、もってけバカヤロー。だから――――ふざけんなよ」

 

 それから、彼女はただ言葉を上げる。

 

「何が麻雀を教えてやる、だ。ふざけんじゃない、バカにすんなよ! 何が麻雀だ、何が勝利だ、こんなものが、こんな糞つまらないものが、麻雀なんかであってたまるか!」

 

 ――彼女の怒りは、つまるところひとつの宣言だ。

 そこにあるのは怒りであり、その原点は結局――

 

「――なら、抗ってみるか? 麻雀を、楽しんでみるか?」

 

「ジョーうとうだ! あんたらがあたしのことをバカにした分、きっちり全部――ツケとしてあたしに払わせてやる――!」

 

 戦いたい、この瞬間に交わりたい。

 そんな、純粋な勝ちを求めることの――憧れであったのだ。

 

 ――瀬々の顔に、ようやく闘いの意志と呼ぶべきものが宿る。――半荘は南三局、連チャンにより、それはひとつの本数を数える。

 衣は向かい合う瀬々との視線を尻目に、手を動かす。そこにあるのは、握られた供託。

 

「――倍プッシュだ、もう一度見せてやろう。……こんどはお前のような小娘だろうが――まとめて全部、くろうてやる――――ッ!」

 

 賽の目が、回転を始める。

 衣の手からこぼれ落ちた火蓋が、そっと火種となって――麻雀卓に広がろうとしていた。

 

 

「――さぁ、一本場だ!」

 

 

 ――南三局一本場、親衣、ドラ表示牌「{①}」――

 

 

「私、実は三麻とか割りと好きなんですの、暇つぶしに少し触れるくらいなら嗜みみたいなものですわ」

 

「ボクとしては打牌が大雑把になりがちだから、あんまり好きじゃなんだけどね」

 

 好きなように言葉をたぐりながら、一打、二打。――瀬々の宣戦布告があったとはいえ、彼女たちのやることは変わらない。

 

(……好き勝手言ってくれんじゃん、点棒殆ど無いくせしてさぁ!)

 

 言葉には出さずとも、ここで鋭く打牌を切り出すのが瀬々だ、見えている状況から、最善といえる手の構築を選択し、打牌する。

 しかし、

 

「チー」 {横657}

 

 衣がすぐさまそれに反応する、――衣の鳴きだ、速度も和了るだろうが、瀬々の手を狭めるための泣きであることなど疑いようもない。

 

 光を伴った剣閃が、瀬々の牙城、無数に浮かぶ選択肢を的確に撃ちぬいていく。

 

(……ずらされた、でも答えの方は変わらないな。――変更だ! 選択肢の一から派生の三、あたしを舐めたままで終わらせるかよ!)

 

 ――激しい衝突の衝撃と、剣のその眩さ故に、軽く手で顔を覆い、そしてそれを払う。――浮かび上がるパネルに、新たな道程が表される。

 迫る剣筋、それを、瀬々は紙一重のまま避け――奔る。

 

 ――瀬々手牌――

 {一三五六八②②(・・)⑦⑦38西白} {九}(ツモ)

 

(ずれたって、ツモれる牌は似たようなもの、手牌というスタートから絞った答えが、そうそうずれることはない!)

 

 それは、これまでの沈黙でもわかっていたことだ。

 だというの、にそれが成せなかったのは、単に対応の前に撃ちぬかれ、対応しようと手が届かず、出和了り以外の方法で和了れなかったがためのことだった。

 

 だからこそ、この手を背かずつくり上げる。

 ――打牌、{西}、迷うことなく、次へ進む。

 

(――鳴かれるってことは、こっちの手は遅くなるし、相手の手は早くなる、だから普通ならそれは弱点ってことになる。当然だ、その間に相手に和了られるんだから……けど)

 

 一巡、二巡となって衣の手が再び動く。

 

 瀬々/打{⑤}

 

「チー」 {横⑤⑥⑦}

 

 不要故に切りだされたそれを鳴く。静かなスライドが、その手の奥にあるはずの、衣の姿をブレさせる。湖畔のゆらめき――水の渋く音が、牌のたたきつけられる音と同一に聞こえてくる。

 

(それでも、鳴くことがあたしの弱点だけになってるわけじゃない。――いわゆる手作りには、人の感情ってものが働くんだ、だからあたしには相手の手牌を読むチカラはない)

 

 たとえば、瀬々のチカラは答えをしるチカラ、打牌から手牌の姿形を予測することは不可能ではない。切り出しが、そのまま手牌の情報になっている。

 しかしそこに、人は感情を込める。見通しを聴かせるとでも言えばいいだろうか、高い手を作りつつ、防御を考えた手牌にするのであれば、防御に選ぶ牌は、きっと人の感情によって選ばれる。三枚切れの字牌が、どちらも自風となっているものの安牌である場合、切るのは個人の感性だ。

 

 だからこそ、瀬々の感覚にブレが生じる。人の心は複雑怪奇、瀬々は自分の理解できない答えを理解しようとしてもできないわけだから、瀬々は手牌を読み取れない、というわけだ。

 

 それが、副露という形で晒された牌には、まったくそれが適用されなくなる。――公開された手牌は、結局のところ単なる情報でしかないのだ。感情など絡まない、だから瀬々の感覚からノイズが消える。

 

(あたしを止めようと無茶をするたびに、ノイズが消えて、あたしの視界はクリアになっていく。これは他人もそうなんだろうけどその二副露で、衣――あんたの手はスケスケだ!)

 

 ――{五}―{六}―{七}の二副露、この時点で誰もが喰い三色を警戒する、そして瀬々は、更にその上を行く。

 鳴きにより衣の手は狭まった、これにより余剰牌として残された――遊んでいる牌は消え、衣の手からノイズも消し去ることができる。

 河から読み取ることのできる情報、ノイズの消えた衣の手牌、そこから見えてくる衣の待ち。

 ――{二萬}、{七萬}のシャンポン待ち。

 

(手牌が見えないからこそ、一副露程度じゃ私も振り込む、そこはまだ改善点、でも二副露でその手は透ける。十分だ、来て見なよ、あたしが点棒、もぎ取ってやるからさぁ!)

 

 見えている。だからこそ瀬々はその手を作り上げる。自身の全霊を持って、前をゆく、彼女たちに少しでも追いつくために。

 

 手を伸ばす、つかむのは可能性、希望と言う名の第一歩、引き寄せる手が風を生む。そっと、誰かを撫でるような、そんな行動の残滓。

 

 それが、

 

 ――瀬々/ツモ{二}

 

 その手にチカラを引き寄せるたび、強くなる。少女たちに――前をゆく者達に近づいてゆくたび、そっと、そっとその勢いを増してゆく。

 

 そよ風――疾風――――爆風ッ! ――――竜巻ッッ!

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三四五六八九②②(・・)⑦⑦⑧} {七}(ツモ)

 

(――できた)

 

 そっと浮かべる笑みは、きっと誰に伝わるものではないだろう、伏せた視線、瀬々の流した長い髪は、彼女の顔を、遠くぼやけたものへと変える。

 それに、

 

 ――手を掛ける。無論、宣言のため、それは――瀬々の勝利宣言がため。

 

(……リーチ、っとね)

 

 そこで瀬々は一枚の牌、{⑦}へと手をかける。

 

 それが、

 

(なぁんて、そんなわけないだろ。この手は、つまり――そういうものじゃない)

 

 

「――リーチ!」

 

 

 ――瀬々/打{⑧}

 

 ――ここで、瀬々が{⑦}を打てば、彼女の手はメンピン一通のドラドラで、ツモらずとも跳満が確定する。しかしそれでは、現在トップをゆく衣には届かない。

 それに、

 

(衣はさっき親番で跳満を和了った。あたしはその前に親番で満貫を和了ってるから、なんか衣に“上を行かれた”気がしてくる。しかも、ここで跳満を和了ったら、それは衣の親ッパネに届かないし、衣の二番煎じにしかならない)

 

 振り上げたリーチ棒、まるでそれを、その場に突き立てるかの如き勢いで、瀬々の手が振り下ろされる。

 衣にこのリーチ棒だけでは届かない。遠い、遠く、遠く、遠く手に届かない。

 

 だから、だからこそ。

 

(――それで、終わらせるわけには行かないだろうが!)

 

 その時、衣の手が止まる。

 一瞬だけ思考を加え、そして手牌をじっと眺める。――ふっと、そんな思案気な顔を、緩めて笑い。

 

 手牌を伏せた。

 

 打牌はツモ切り、衣の手には一切手の加わらない、単なるノイズにほかならない。

 

 ならばこそ、衣が瀬々の前で、立ち止まる。その一瞬に、衣は動かない。

 そして、

 

 

「――ツモッッ! 一発ツモ、リーチ一通ドラは――――」

 

 

 ――裏ドラ表示牌「{①}」

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三四五六七八九②②⑦⑦} {②}(ツモ)

 

「6100――――12100ッッッ!」

 

・渡瀬々  『46400』(+24300)

 ↑

・天江衣  『39500』(-12100)

・国広一  『8600』(-6000)

・龍門渕透華『5500』(-6000)

 

瀬々のチカラは、この一瞬を作り出す。だからこそのリーチ、だからこその勝利宣言。瀬々の手が、衣の元へたどり着いた。その場に、瀬々は在ったのだ。

 

 

 ――オーラス、ドラ表示牌「{南}」――

 

 

 長かった対局が終わろうとしている。

 瀬々の闘牌、それが再び衣を捉えた、この状況、優勢であるのは間違いなく瀬々だ。――彼女が、衣をこの一瞬、上回っているのだ。

 

 ならば、衣を象る月はどこにある?

 

 衣とは、すなわち月をもたらす絶対の天衣無縫だ。いつであろうと、どこであろうと、関係はない。ただ、形ある。完全なる個、繋ぎ止めるものも、つなぎ合わせるものもない、絶対の“壱”。

 

 ならば、その衣は、どこに在る?

 

 無論――考えるまでもない。

 

(おいおい、おいおいおいおい。――ふざけてやがるな、あいつ。あたしは隣に並んだんだぞ? だったら、だったらその――)

 

 ただ、そこに在る、

 

 

(――馬鹿でかい気配、ちったぁ引っ込めやがれってんだ!)

 

 

 浮かび上がる幻想の月、ただそこに在ることをあらわにしながら、たそして絶対を象る象徴のそれ。

 衣の月が、おぼろに霞む空に、ゆったりと浮かび上がっているのだ。

 

 それは例えるなら、幻影により生まれ出るもやにより、海の底を思わせる水面に揺れる月。その姿をあらわにしながら、その場にはない、月。

 

(まぁ、そうだよな。あたしは衣に追いついた。確かに間違いなく、追いついたんだ。――でも、それだけじゃあ行かない。追いついたなら、追い越さないと(・・・・・・・)いかんよなぁ!)

 

 ――瀬々手牌――

 {一三四八⑥⑦⑧577東西發}

 

(いやしかし、微妙なもんだ。これをこのまま追い越すためには、出来ればテンパイに持って行きたいもんだが……遠いな)

 

 瀬々/ツモ{9}・打{一}

 

 最初の打牌、ここから手を作っていくには、まず一段目では間に合わない。だとすれば、どうなる?

 

(……嫌な想像なんて、するもんじゃない。まずはひとつ、手を進めてやるさ)

 

 力を込める、そこに自身の根本、打牌の右手が在るのを感じながら。

 

 

 そして、対局は六巡目。

 

(ようやくここまで、って感じでは在る。が、まぁ不気味だな)

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五④⑥⑦⑧5779東西} {②}(ツモ)

 

(衣の手牌が、ノイズにまみれすぎてやがる。どんな手を作ってるんだ? どうやればそんな“何も見えない”状況が作れんだよ)

 

 瀬々の感覚を持ってして、他家の手は覗き見ることはできない。副露によって手を晒した場合という例外を除けば、瀬々は他家の手に答えを持たない。

 それでも、ノイズまみれの情報の中から、他家の手がどれほど進んでいるか、程度ならわかる。根本がわからない以上、今の瀬々に振込を回避する方法はないのだが。

 

 そして、今の衣には、そんなノイズによる手の察知ができないほど、手が乱れている。

 

(――意味がわかんねぇ、答えも出ねぇし、あたしの中に情報が足りなさすぎる。だったら、今はなんとかここから和了を目指す他はねぇ)

 

 瀬々/打{東}

 

 それが、

 

 衣の袂から、閃きを生む。

 瀬々が手から牌を放った瞬間――そこに爆発的な光が灯るのだ。

 

「ポン」 {横東東東}

 

(――ん?)

 

 衣の鳴き、それが流れる流星のように、閃いた衣の手のひらに誘導され、卓の角にたたきつけられる。爆発気味に、多量の光が卓上へ漏れる。

 ――目をくらませながら、瀬々は思考を回す。

 

(……意味が無いように見える鳴き。――てことは鳴きじゃなく、手牌に何か意味がある。――けど、今はわからない、問題は、今きにスべきはそこじゃない)

 

 再び瀬々へと回るツモ、しかし、それは瀬々の望んでいた牌ではない。当たり前だ、瀬々のツモ番がずれたことにより、理想としていたツモが、そこにはない。

 

 瀬々/ツモ{2}

 

(ムダヅモ、けどここから和了るなら、この牌は絶対に欠かせない。だったらそれを、残すのが正解だ)

 

 瀬々/打{9}

 

 卓上が、ゆっくりと不可思議に動き出す。

 一巡――二巡、そこに変化は生まれない、がしかし。

 

 一/打{西}

 

 八巡目、一がそこで初めてのドラを切る。瀬々が手にしていながらしかし、今まで何がしかの感覚か、切らなかった牌。

 それを、一が切る。

 

 再び――閃光。

 

「――ポン!」 {西西横西}

 

 ひたすら流れるような、川を奔る水流のように、一瞬にして光が瀬々の目線の先をゆく。――衣の姿が揺らめいた。

 しまったという一の顔、しかしそれももう遅い。――彼女自身、止まるつもりはないだろう。すぐさま視線を挑戦的なものへと戻す。

 

(……ラス親だから、しゃーないとはいえ、ちょっと不用意じゃないかな。なんて打牌の巧拙をあたしは品評できないわけだけど……嫌な予感がするな、ここまで衣は、字牌しか鳴いていない。――そうでなくとも、ドラ3確定の状況から、この鳴きで作れる手牌は、ろくなもんじゃない)

 

 嫌な予感に少しずつ手に嫌な汗を浮かべながら、瀬々は自分のツモへと手を掛ける。確かめるように向けた視線が、そのまま歪み、苦痛に変わる。

 

(――ぐ、嫌なときに戻ってくるなよ)

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五②④⑥⑦⑧2777} {8}(ツモ)

 

 ここから{8}を残せば和了やすい形での一向聴に手変わりができる。しかしそれは、通常の場合だ。

 

(もともとフリテンだし、この手でこの{8}はツモれないんだよ、これを残して、手を進めても、いつか切らないと手詰まりを起こす。いらないよ、全くね)

 

 ツモ切りだ、{8}を切って、叩きつけるように河へと晒す。

 それを、

 

「ポン」 {横888}

 

(――なぁっ! 衣の、やつ!)

 

 再び、爆発。

 三度目の閃光が衣の手から放たれる。

 

(そう、か――狙ってやがったな? あたしがツモるはずだった{8}、そこに自分がすでに自摸っていた{8}を“合わせた”あたしに気取られないよう、手牌をノイズで満たしながら――)

 

 三副露、それをしてもなお衣の手牌は姿がしれない。――それでも、衣の手は考えればわかる。衣の手は対々和のために必要な対子と、それ以外の不要な遊び牌によって構成されている。

 二枚もノイズがあれば瀬々の手は狭まる。

 

 ――瀬々が手を晒した場合に読み取ってくることを想定した上での、打ち回し。それを衣は、すべてわかりきった上でやってのけたのだ。

 

(こいつ、化け物とか、魔物とか、そんなちゃちなもんじゃねぇ。あたしだって普通の生き方を、人間らしい生き方をしてきたつもりはない。けど、こいつは、さらにその――上だ!)

 

 瀬々の打牌、そこからは三連続の{7}だ。それだけが、衣が鳴くことのできない牌――それ以外は、全て一枚切れ以上には至らない、その状況で。

 

 ゲームが進む。

 

(――完全に、手が止まった。これ以上は、多分何を切っても鳴かれてずらされる(・・・・・・・・・・・・・・・)、くそ、だったらせめて、今のあたしが打てる一番らしい打牌をしてやる!)

 

 瀬々、手を選ぶ、――衣の姿は、すでに明白なまでに形を帯びていた。――おびき寄せられたのだ、彼女の世界に、彼女がその手を大仰に振るうことのできる空間へ、引き寄せられたのだ。

 それが、

 

 瀬々/打{⑧}

 

 それは瀬々が配牌時から手にしていた衣の現物、衣が晒した一枚の牌。それを、衣が、

 

 

「――ポン(・・)」 {横⑧⑧⑧}

 

 

 喰い直す(・・・・)

 

 

 衣の創りだした空間。――それが、ついにその場へ露となる。

 

(……嘘、だろ? あたしは、全力で衣に挑んだんだぞ? なんでだよ、なんで衣はもう、こんな場所にいるんだよあたしの前に、いたんじゃないのかよ)

 

 

「――瀬々」

 

 

 その空間で、衣が瀬々に問いかける。

 

 ――あとはもう、ただのツモ切りが続くだけ。だれも、瀬々ですら、自身の手を和了へ持っていくことはできない。衣のチカラが――流れと変じたそれ自体が、衣の元へ収束しているのだから。

 

 

 ――月にもう、一片の陰りすらない。瀬々はそれを、その両目と、感覚全てで見て取った。

 

 

「どうだ? 麻雀は、楽しかったか?」

 

「……さぁね、まだ何も終わってないんだ、そんなの聞くべきときじゃない」

 

「はは、よっぽど楽しかったと見える。――往生際が悪いぞ、ことに集中している証拠だ」

 

「――っ!」

 

 思わず、息を呑む。カラカラと衣が笑ったから。その言葉に、すべてを見透かされたような気がしたから。――瀬々の頭上に浮かぶ月、天江衣という昼すらも照らし尽くす絶対者、彼女を見上げ、彼女に見つめられるその瞬間に、どうしようもなく、渡瀬々という人間が、引き寄せられたから。

 

「ならば一つだけ教えてやろう。麻雀を楽しむのなら、まずは負けを知ることだ。どれだけ全力を尽くしても勝てない、そんな答え(・・)を知ることだ」

 

 ……わかっている。

 言葉にせずとも、そんなことわかっている。

 

 瀬々は完膚なきまでに叩き潰された。――どれだけ持ってしても、衣は瀬々の上を行く。と成り立つのではない、瀬々が奔るその上を、凹凸に満ちた荒野の上空を、悠々と一人、翔けて征くのだ。

 そんな存在を、瀬々は初めて知ることになった。

 

 ――自身の敗北を、瀬々はこの瞬間、知ることになる。

 

(――クソッ! クソッッ! チッキショウ! 何か、なんかないのか? この状況を、一発逆転にして、衣に赤っ恥をかかせられるような――そんな状況が!)

 

 心のなかで、反芻する。

 答えをわかっていながら、理解していながら、それでも思い浮かべる必要の在った、勝利への執念、それを浮かべる。

 

 瀬々を照らす月光の、その先に手を伸ばすために。

 

「――さぁ、これでこの対局は終了だ。衣のツモ、最後のそれで全てが終わる。――だからこそ、見せてやろう」

 

 ――このオーラス、衣が瀬々を出し抜くためには、瀬々の手を少しでも止める必要があった。それはつまり鳴きによるテンパイ和了の阻止、である。

 しかし、ただ手を進めるのでは瀬々にテンパイを察知され、待ちまで完全に知られてしまう。瀬々に向いた半荘の流れは、瀬々に当たり牌を“使わせる”だろう。そうなってしまえば、衣は瀬々に対して和了での逆転が不可能となる。

 つまり衣が瀬々の手を差し止めた上で、テンパイにまで持っていく中で、一度も有効牌を使わせない形は、現在のこの形――つまり、対々和ドラ3単騎待ち以外に、方法はなかったのだ。

 

 それは、衣が最後にこの場を支配するその瞬間にのみ、表すチカラ。

 

 ――対局の最後、その終着にツモる牌は、俗に海底と呼ばれる。

 

 

「――――対局の間際、海底牌にその和了を委ねることで、ある役がつく」

 

 

 手にするは、最後の希望。勝利という結果。

 衣は、その笑みを深く、深く攻撃的なものへと変える。

 

「その意味は――――海面に移る月を、すくい取る!」

 

 

 ――一瞬が、牌を叩きつける、刹那へと変わる。

 どれほどまでに、それは他者へ移る意識があっただろう。瀬々の手が、一の手が、透華の手が、ただ空に映る月を、引きださんとする手が、

 

 光宿す月の円環が、忽然と衣の頭上に現れる――ッ!

 

 

「――――ツモ、――――――――海底撈月」

 

 

 ――衣手牌――

 {①} {①}(ツモ) {横⑧⑧⑧} {横888} {西西横西(・・・)} {横東東東}

 

「対々和ドラ3は……3000、6000!」

 

 

 それこそが、始まり。

 うつむく瀬々の顔。これが終わったのだと、――長く、そして楽しさの余韻をのこす半荘が、終わってしまったのだと、

 

・天江衣  『51500』(+12000)

 ↑

・国広一  『2600』(-6000)

・龍門渕透華『2500』(-3000)

・渡瀬々  『43400』(-3000)

 

 

 ――始まりを告げる物語、その終わり、その最初の一つを、感じ取りながら。

 

 渡瀬々は、入れ替わった順位を――衣が手にしてたその月を――浮かび上がった月を――見上げるのだった。

 

 

 ――最終結果――

 一位天江衣  :51500

 二位渡瀬々  :43400

 三位国広一  :2600

 四位龍門渕透華:2500




衣VS瀬々決着! 最後の跳満和了に海底をつけたのは、衣が一番支配のない状態で干渉しやすかったから。
というわけで次回からいろいろなこと書いていけたらなと思います。


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『尭風舜雨の好天少女』

人の波が龍門渕の校舎を行き交う、手にカバンを持ち、放課の余韻を楽しむもの、学内に残り友人との談笑に励むもの。

 そして、目的地へ向かい、足を急がせるもの。

 

 天江衣と渡瀬々、この両名はそんな、目的の場所へと足を急がせるものの一人であった。

 とはいえそれは決して急速なものではなく、あくまで人の輪のつながりに在るもの、談笑によって差し止められた、そんな速度だった。

 

「――でな? 思うのだ。衣は唐揚げにレモンをかけるものの気持ちはわからんが、それに声高な文句を朗々とするものも理解できなんだ」

 

「いやそりゃおめー、勝手に好きでもないもの押し付けられたら腹立つだろう普通」

 

 神妙な面持ちで腕組みをしながら思案げに先をゆく衣に、その後ろを気だるげな足取りで追う瀬々。移動の際は必ずこういった形となる。日常の形と言えた。

 

「それにな? レモンをかける奴は善意でかけるんだ、そういうのって、人によっちゃ断りにくいもんだよ。かく言うあたしもそうだしな」

 

 ――その分形のないところで不満が募るのだが、そんなものは本人と関係のないところで吐き出せばいい、だからこそ対象を明らかにせず、レモンをかけようとするものに文句を言い合うのだ。

 

「それはまた、難儀な……瀬々も大変だな」

 

「いや、あたしの場合まずレモンをかける前に自分の分は確保するから問題ない。あたしの場合、どれだけ食べるのが一番美味しいまま食事が終わるかわかるからな、それにある程度大食漢に振舞っておけば即座に持って行っても違和感はないからな。実際に大食漢じゃないならおすすめはしないが」

 

「……それはまた、台無しだな。瀬々よ」

 

 しれっと自身の力を無駄遣いしていることを宣言する瀬々に、呆れたように衣は嘆息して見せながら、納得といった様子でうなずき直す。

 そういったところがあるのだ、これまでの付き合いで、それはなんとなく知れていた。

 

「それにしても意外だな。あたしが思うに、衣って唐揚げにレモンを嬉々としてかけそうなのに」

 

 無邪気に笑みながら、断りにくいオーラを醸しだす衣を、瀬々は容易に想像ができた。それに衣も気づいたのだろう、むっとした様子で振り返る。

 

「それは衣が子供っぽいと言いたいのか? ……衣の場合、そもそも唐揚げにレモンをかけるという概念をここ最近初めて知ったのだ」

 

「へー、そういえばあたしも中学で人付き合いを初めて、初めてそういう奴がいるってしったな」

 

「だろう? 衣も初歩が同一なのだ」

 

 益対もない世間話、クラス内での好物についての話題から派生したのであるが、ようやくそれもそこで途絶えたようだ。別に瀬々はいくらでも会話を引き伸ばせるが、わざわざそれをする必要性はみられない。

 

 見えてきたのだ、衣と瀬々の目的地が。

 ――龍門渕高校麻雀部、その一軍部室がある場所である。

 

 

 ♪

 

 

 すでに時は入学式を終えて一週間と少し、平常の授業がスタートしているし、部活なども正式に稼働を始めている。つまるところ、活動を始めた龍門渕麻雀部にて、レギュラーを決める順位戦が行われているのだ。

 

 麻雀部の室内は、元々一教室としての使用を想定されている。入り口から最も遠く、黒板側に当たる場所にパソコン画面の転写があらわにされている。

 内容は対抗戦の順位表だ。独自に組まれたプログラムで、各卓の牌譜を記録し、結果を計算――順位の算出を行なっている。

トップは衣、現状の龍門渕最強は間違いなく彼女であり、衣はブレなくトップを取りつづける、二位は瀬々だ、彼女のチカラには安定感が在るため、調子の波によって上下しやすいデジタル勢との長期的スパンの差が、こうして明確となっているのだ。

現状、この順位戦も開始直後、敗北によるブレが大きく、数をこなさなければ良い成績、正確な記録というものは出てこない。

 

 そういったこともあってか、対局室にある二十前後の卓は、開いている方を探すのが難しい、半数以上の卓に対局者たちが集っている。

 しかし中でも一際目立つのは、ある一つの麻雀卓だろう、数人ではあるが、対局を観戦しているものがいる。

 衣と瀬々は、すぐさま透華と一が部活に遅れるという連絡を思い出し、そこに座る者に当たりをつける。

 

 それからその場にスイスイと麻雀卓を避けながら向かう――どうやら対局中のようだ、軽快な打牌音が、観客のいる卓からも響いてくる。それに合わせて、どうやらお目当ての対局者が衣達に気がついたようだ。

 ちょうど自分の打牌が終わったのと合わせるように、体を回転する座椅子ごとくるりと回す。

 

 首元で切りそろえられたショートカットに、髪を両わけにするシャープな髪留め、どこか優しげな目つきに、空色の制服が、その笑みによって青空のように彼女を魅せている。

 

 ――依田水穂、現在の龍門渕麻雀部を統括するものの一人が、その卓に付いているのだ。

 

 水穂は龍門渕でも一、二を争うデジタルの第一人者だ、透華達を要さない去年までの龍門渕でエースを努め、現在もその闘牌は健在だ。

 ただし彼女の闘牌が、単なるデジタルオンリーであるかというと、そうではないのだが。

 

「やぁや、よくきたね」

 

 軽く視線を向けた両者に、声をかける。その間にも対局は進むから、すぐに居直ると自身のツモへと移る。そこからは目を合わせずとも、軽く会話が続いた。

 

「調子はどうですか?」

 

「ん? んー、と」

 

 瀬々の問いかけに、少しだけ詰まったように考え事をしながら水穂は打牌をする。――瀬々も衣も、まだ水穂達の卓へとたどり着いていない、後ろから近づいているとはいえ、水穂が影になって点数を確認できないのだ。

 

 そのために、そんな水穂の様子を怪訝に思った衣が、すぐさま水穂の元へと足を運ぶ。――その表情が、さらに怪訝になるのを瀬々は見て取った。

 

「…………」

 

 遅れてたどり着いた瀬々もその点数に、思わず表情を無表情なものへと変える。――おそらく、瀬々の顔には人間味すら掻き消えていただろう。

 

 そこには、こんな点数差が表示されていた。

 

 一位対面:38500

 三位下家:31600

 二位上家:29200

 四位水穂:700

 

 見ればすでに場は南場、――絶不調の末、飛び寸前の大負けである。

 しかも手牌を見ても、そこには十三不塔という特殊な役の成立しかねない絶望的な手牌が在った。対子すらないというその状況は、果たして如何なるものか。

 

(――初めて見た、どんなに打っても、どんなに鳴かれても絶対に和了れない手牌)

 

 普通、ここまで手が悪くなることも、ツモが悪くなることはないだろう。しかし今の水穂の手牌はその最悪を地でいくものだった。

 瀬々の感覚が、解なしという絶望的な答えを晒す。

 

「――大丈夫なのか?」

 

 そんな折の、衣の問いかけ。それは純然と、最下位である水穂のことを気遣うものだった。ここまで負け続け、辛酸を嘗めているだろう水穂に、そっと無事を問いかけるものだった。

 ――思わず息を呑むような、何も悪いことがなくとも、ふと負い目を浮かべてしまう、そんな衣の瞳を、水穂は思わず覗き込んでいた。

 

 それ故に、沈黙。咎めるものはいない、誰もがそれを見ているのだから、対局者ですら見入ってしまうほどの衣の表情に、無論瀬々も、息を飲んでいた。

 

「――あ、」

 

 思わず水穂が吐息を漏らした。

 引き込まれるような、というのはよく分かる。――瀬々が衣と出会って以来、あの、“人とは思えないような印象”をいだいて以来、瀬々は衣に引きこまれっぱなしだ。

 だから、よく分かる。

 

(……反則だよなー、あれ。かわいいんだけどさ)

 

 そうして、しばらくしていただろう。

 ハッとしたように、水穂は立ち直る。言葉に迷いはない、衣の幻想的な姿に惹きこまれた、それ以上のことを彼女は迷わなかったのだ。

 

「まっかせなさーい。私を誰だと思ってるの? 龍門渕の三年生、依田水穂さんさー!」

 

 答える。それは彼女自身が最も知っているからだ。この状況――飛んでいないのなら、依田水穂は、死んでいない。

 

 しかし、

 

 

「ツモ、ピンヅモは400、700です」

 

 

 ガシャン――音が響いた、水穂が卓上に倒れこむ音だった。

 

「……ご愁傷さまです」

 

 上家の、おそらくは二年生であろう生徒が両手を合わせて合唱をする。これで彼女は二位終了が確定的、水穂の点棒はすべてなくなった。

 

「あんなに、気張ってたのに……」

 

 瀬々が嘆息気味につぶやく、おそらくは反射的に漏れたものであり、隣で対局を眺めていた、衣にしか届かなかった言葉だ。

 

「ハハハ、さすがにあの手で和了るのは無理だ。衣でもな」

 

「いやさ確かに、そうですけど」

 

 思わず敬語になり改まる瀬々。なにがどうであれ、あの手は絶対に和了ることはできなかった。それは事実だ。

 

「むしろ――きっちり自分が飛ばない点数に収めた水穂を褒めるべきだな」

 

 そういって、衣は瀬々に促す。というのは、先ほどの闘牌、あれにはちゃんと意味があったからだ。

 

 ――対面手牌――

 {二三四③④23456799} {⑤}(ツモ)

 

 すでに水穂によって壊されているが、対面の手牌はこのようなものだった。そして同時に、衣がドラ表示牌である『{①}』を補強する、つまり、

 

「高め三色で、満貫、ぶっ飛んでるな」

 

「まぁ、元々はそうなる路線だったからな、この手は」

 

 ――対局にあるのは、水穂の手牌だと衣は言う。

 

 ――水穂手牌――

 {一三五六九②②⑦⑧9}  {西横西西}

 

「……対面からの鳴きであがり牌を喰いとってるのか」

 

「しかもこれのせいで対面はリーチを仕掛けられなかった、水穂の特性を理解しているからな、この西鳴きと――捨て牌から、警戒せざるをえなんだ」

 

 ――水穂捨て牌――

 {68八二北2}

 {713}

 

「ここから、一体どんな手が推測できる?」

 

「あたし的には、混一色とみるし、一般的な答えも混一色だ、感覚的にわかるさ」

 

 この闘牌は、遠目に見ているものにしか伝わらない。周囲のざわつきが対局者たちには、実力を持つ水穂の、珍しい飛び寸前の状況によるざわつきだとしか、思えないのだ。

 

 この一局、水穂は自身が飛ばないために、勢いにのる対面の打点を、極限まで収めることを考えた――というよりも、流れを食いつぶし、対面のバカヅキをやり過ごすため、自身の点棒を犠牲にしてまで無茶をしたのだ。

 この局でやったことはごく簡単、上家の高めであるドラの{②}を喰い取り、さらには捨て牌から染め手の迷彩をかけた。

 故に水穂のポテンシャルを知る対面は、放銃を恐れダマで手を作り上げた、直撃をとれればそれで対局は終了していたが、染め手のために切れる牌が限られているとはいえ、はなから和了る気など毛頭ない水穂が、そうそう振り込むことなど在るはずもない。

 

 結局、安目ピンヅモのみで彼女は和了、水穂を飛ばすことはかなわなかった。

 

「さて、よく見ておけ瀬々。ここからが依田水穂の真骨頂だ。――お前もうすうす感づいているかもしれないが、龍門渕の奇幻なる打ち手は、なにも衣と瀬々だけではない。――あやつも、またその一人だ」

 

 細められ、向けられる視線、その先では、再び水穂の対局が始まろうとしている。残る対局は南三局と南四局、すでに水穂の親番は終えた――彼女と対面の点差はきっちり四万点、それは傍目からみれば絶望的な点差だ。

 その状況を、衣は一言で“面白い”という。

 

 水穂の対局が、始まる。衣の瞳は、宵闇に光揺らめく満月のように、蠱惑にただただ、世界を捉えていた。

 

 

 そして――

 

 

 水穂の配牌は、最悪と言って良かった。

 

 ――水穂手牌――

 {一三五八八九②⑥1278西北}

 

「――水穂のチカラは、ある特徴を持っている」

 

 しかし、そこからの猛追は、まさしく獅子奮迅と呼べるに等しい。第一ツモから、リャンカンの打ち二萬を埋め、発進。

 

 さらに、ツモ{9}、ツモ{九萬}、と、少しずつ手を完成させていく。手は遠い、しかし――そこに至る過程に、一切の無駄はない。

 

「そも、人ならざるチカラは、何も瀬々、お前のように世界すらも手中に収めるチカラはない。むしろあやつのように、ごくごく平坦な“人間”の中にこそ、特徴が生まれる」

 

 一気に水穂の手が進んでいく。

 水穂は その中で、何一つムダヅモをしない。

 

「水穂の場合は、あくまで人間の延長としてのチカラを有している。――時折、人はその意志の力で、衣の持つ支配を打ち破って来る時がある。執念が自身の手牌(ほこ)を鋭く尖らせ、それが魔物とすら呼ばれるものの、牙を食い破ることもある。その延長が、水穂のチカラだ」

 

 水穂は天性の楽天家だ、どれだけツモが悪かろうと、どれだけ状況が悪化の一途を辿ろうと、一切それを悲観することはない。――否、どれだけ悲観しようと、すぐさま次の目標地点へ、一目散にかけ出してゆく。

 

「あ奴は自身の精神状態がダイレクトにツモへ影響する。故にいつであろうと水穂はその意志を前に向ける。前に向けることを、欲しているのだ」

 

 ――目前で、水穂の手がテンパイに至る。六巡目、あの手牌からこの速度であれば、十分なほど、しかし、役はない。リーチもかけられなければ、これはただのゴミ手にしかならない。

 それでも、水穂の顔は曇らない。

 

 だからこそ、そのツモが、彼女に答える。

 

 ――水穂手牌――

 {一二三九九②④12378()} {③}(ツモ)

 

「――ツモった、あの手をこの巡目で」

 

 驚愕とともに開かれる瀬々の目。瀬々であれば、確かにそのような和了も可能だ、しかし今、対局しているのは瀬々ではない。

 ――瀬々では、ないのだ。

 

 

「……否」

 

 

 驚きに満ちた瀬々の言葉を、衣はさらに否定する。ハッと顔を衣に向ければ、いかにも楽しそうな顔で、水穂を見ている。

 強者であることが、水穂がその場で、“その闘牌”をしているのが、羨ましくてしかたがないのだろう。

 そして、いう。

 衣が――

 

 

「ツモのみ和了ではない。倍満手聴牌だ(・・・・・・)

 

 

 水穂/打④

 

 水穂の手が、簡素なゴミ手から、特上の高打点である倍満手への聴牌に変化する。

 

「――ッッッ!」

 

 こんどこそ瀬々の目が目一杯大きく開かれる。――そう、そのとおりだ。水穂の手は、ここで和了を拒否すれば、あっという間に純チャン三色の手に化ける。それを衣は、最初から見越していた。それに思わず、瀬々は身震いをした。

 ――瀬々には不可能なことだ。瀬々のチカラはあのツモのみで停止する。故に、その先を見越すには、自身の手で、そこまでたどり着かなければならない、外から見ているだけでは、不可能だ。

 

 そして――

 

 

「――ツモ! 4000、8000!」

 

 

 開かれる手牌、驚愕する対局者。

 周囲の観客が思わず黄色い声を上げる程度には、その瞬間の水穂は、見とれるほど凛々しい。

 

「……点棒が残っていれば、三倍満だったね」

 

「そこまでわかるか。まぁ、衣もそんな気はしていたけどなっ!」

 

 言葉を交わす瀬々と衣、それを尻目に、対局はオーラスを迎えようとしていた。

 対面と水穂、両者の点差は、きっちり二万四千点、両者の逆転条件は、水穂が直撃で対面に跳満を与えるか、ツモで倍満の手を作ればいい。

 ――それでは両者は同点である……が、通常こういった場合には席の早い順に順位が決まる。この場合はラス親の対面が二位、一位は水穂、という具合だ。

 

 そして、オーラス、対局の結果は――

 

「――張ったね、逆転手」

 

「……あぁ、だがリーチをかけねば満貫だ、かければ跳満だが……」

 

 ――衣たちの会話の最中、水穂はためらいなく、千点棒を振り上げる。

 

「――リーチ!」

 

 そうしてからの、宣言。勢い良くたたきつけられたそれは、誰に止められることもなく、規定の位置へと収まった。

 

「これで六飜、――ツモじゃあ、ギリギリ届かない」

 

 対面がそれを切ることはない。ここで和了を許さなければ、ほぼ逃げ切りは決定であるわけだし、リーチがかかった時点でベタオリは確定だ。

 しかも、このリーチ直後、下家が水穂の当たり牌を切った。当然それを水穂はスルーする。――衣の笑みが、一段と深まった。

 

「……そもそも、水穂は出和了りなど見込んではいないさ、この条件、ツモに一発か裏が付けば逆転だ。だとすれば、無論水穂はそれを狙う」

 

 ――そして、一発は。

 

「――ならず」

 

 本人がそれを否定し、捨てる。これで水穂の条件は、ツモに裏を載せる以外の方法をはなくなった、それを受けてなお、――水穂は楽天的に笑う。

 最後の瞬間、そこに待つ逆転を信じて。

 

 そして、リーチ後二巡目。

 

 

「ツモッ!」

 

 

 勢い良く、牌が卓へとたたきつけられた。

 ――少女の朗らかな声は、そしてその結末を告げる。裏ドラを手にかけて、その一瞬を――数えるのだ。

 

「裏は――――無し。3000、6000です」

 

 張り詰めていた空気が、その一瞬で弛緩した。

 ――届かなかった、このツモでは、水穂は対面に。それがこの対局の、結果であった。

 

 

 ♪

 

 

「――水穂には目をみはるものが在る」

 

 ――点棒がすべて失われた状態から、二連続の高打点で点棒を引き戻し、結果的には二位での半荘終了、十分すぎる結果だ。衣は満足気に言葉を紡ぐ。

 

「たしかにそれは完璧ではないかもしれない。しかし水穂は紛れもなくこの龍門渕で、透華がただ一人認めた相手なのだ」

 

 デジタルの手腕をとっても、経験の量故に、間違いなく透華達と同等以上の位置にある。高校生雀士を知っているというのも大きなアドバンテージだろう。

 だからこそ、水穂は龍門渕の支柱だ。

 

 ――衣達の向かう目線は、部内のどこからでも見れる場所にでかでかと表示された順位表。その入れ替わりの瞬間にある。

 三位に座るは先ほどの対面、それがたった今終了した別の半荘による敗北により、順位を落とした。それにより、四位に居座っていたものが、一つ順位を繰り上げる。

 

 

 ――龍門渕第三位、依田水穂。

 

 

 その名が一切の曇もなく、堂々たる装いで、そこに表示されているのだった――




オカルト+デジタルというのは、どこぞのあの人を思い出す特徴でもあります。
そんなわけで今回は衣VS瀬々で影も形もなかったオリジナルレギュラー、依田水穂の回でした。
次回あたりは、そろそろ日常回といえる回になるんじゃないでしょうかっ。


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『龍門日和①&②』

 コン、コン。

 ノックの音がドアの外から響いてくる。しぃーんと静まった室内、瀬々が振り返るより速く、その声は聞こえてきた。

 

「もしもーし、衣、今大丈夫?」

 

「だいじょうぶだぞー」

 

 深々と椅子に座りながら、気の抜けた瀬々の声が室内中に響く、すこしトーンは低いものの、衣の部屋の向こう側、声の主である少女にも届いたことだろう。

 

 遠慮の無い勢いでその少女が衣の部屋へと流入してくる。――瀬々の平均ギリギリの身長よりも少し低い身長に、特徴的な星形シール、メイド服姿は国広一だ。

 入ってきてすぐの一に、すぐさま瀬々は人差し指を口に当て静かに、とサインを送る。

 

「あれ? 瀬々だけなの?」

 

 それに合わせて声を小さくしながら問いかける。近寄りながら周囲に姿の見えない衣をキョロキョロと探す。すると瀬々がそっと開いた手で大きな椅子――一の視点からではその奥を覗けない――を指し示す。

 そっと回りこむと、そこに衣の姿があった。

 小さめの毛布をかけ、すやすやと眠りに付いている。

 

「一緒に遊んでたんだけどさ、いつの間にか眠くなってたみたいで」

 

 ――見れば、瀬々の手元にはゲーム機のコントローラーが置かれているし、そもそもその場所は、広い衣の自室において、テレビが置かれている一角だ。

 なるほどと一が頷いて、やれやれと嘆息してみせる。

 

 その理由は瀬々でなくとも一の様子を見ればすぐにしれた。手に持っている棒状に近い掃除機、館の手入れをしているのだから間違いない。

 

「まいったな、これじゃあ掃除、できないや」

 

 どうやら、聞けば残された一の担当はここだけらしい。となれば衣が起きるのを待つか、別のことをすることになるのだが――

 一は何も四六時中メイドの仕事をしているわけでもない、むしろ土日においてすら、それ以外の時間が長いほどだ。

 これが終われば今日のこの時間にすべき仕事は全て片付いてしまうらしい。

 

「ま、龍門渕は本館はバカみたいに広いが離れはせいぜい広い公民館レベルだからなぁ」

 

「ボクとハギヨシさん、それに歩の三人が入れば、十分回せるんだよね」

 

 加えて、瀬々もたいていの場合は手伝いをしているし、瀬々の自室は瀬々が清掃を担当している、彼女の部屋は学校の教室クラスの大きさを誇る衣の部屋と同じデザインと広さであるため、およそ一割は瀬々の担当だ。

 

「ってぇなると、そうだな、衣をあたしの部屋まで連れて行こうか。それだったらこの部屋も掃除できるだろ」

 

 そういって、一息に瀬々が立ち上がる。それから一つのびをすると、衣の前に移動する。

 

「衣を連れて行くの、頼んじゃっていいかな。いや、ボクがやってもいいんだけどさ」

 

「構わん構わん、あたしはただで居候してる身だしな」

 

 ――言いながら、衣へと手を伸ばそうとして、ふと瀬々は何かに気がついたように手を止める。隣に並んだ一も、同一に体を止めたようだ。

 

「……ほんと、よく寝てるなぁ」

 

 無邪気な、天使のようとでもひょうすべき衣の表情は、その本来の年を思わせないほどにあどけない。衣に惹かれている瀬々が、まじまじと見惚れてしまうほどに。

 

「こうしていれば、ほどよく子どもっぽいんだけどね」

 

 いつもの闘牌とのギャップからくる言葉だろう、一がそんなふうに言う。

 

「いや、いつも子どもっぽいとは思うが、そもそもあたしら、割りとまだ子どもだろ」

 

 そんな風に嘆息する瀬々に、苦笑気味に一が笑うと、ふと思い出したように、顔をはたとしたものへ帰る。

 

「そういえば、寝てる時のギャップといえば、もう一人すごい人がいたよね」

 

「――ふぇっ!?」

 

 青天の霹靂とはまさにこの事、まさかそのような形で自身のことに話題を持っていかれると思っていなかった保護者ヅラの瀬々は、甲高い声をあげながら思わず一から後ずさる。

 

「いやぁ瀬々ってば、普段はぶっきらぼうで割りと壁がある感じなのに、顔は割りと小顔で童顔なんだよね、可愛い系、ってやつ?」

 

 猛追、といって差支えはないだろう。一の言葉がまるでマシンガンから吐き出される銃弾のように紡がれていく。タジタジとした瀬々の様子を、ニヤニヤと意地の悪い笑みでさらに一が追い詰める。

 

「あ、あぅあぅあぅ――」

 

 いよいよ持って瀬々の顔に朱が混じっていく。爆発寸前の導火線が、顔中を赤々としたものへかのように、もはや普段の体裁を保てず、そのあどけない顔を子供らしく晒した渡瀬々が、そこにいた。

 

 ――見ようによればそれは、同年代の子どもがじゃれあう、微笑ましい光景に移るだろう。

 

「それがさ、こうやって眠ってる衣と一緒にいるのを思い浮かべると、まるで姉妹みたいな――」

 

「な、な、なんで、なんで……」

 

 おおあわあわ(・・・・)てといった様子で、なんとか瀬々は言葉を発する、主語も、述語もない、単なる問いかけ。

 

「いやいや、毎日同じだけ寝ないと起きれないのに、夜更かしなんてするから、ボクが起こしに行かなくちゃいけないんだよ? あぁそっか、そういうところもチャームポイントなのかな」

 

 それが、ついに契機となったのだろう、

 

「あ、う、こ、この――」

 

 瀬々の顔が伏せられ、その様子が一から臨めなくなる。そして、ガバっと涙を目一杯こらえた顔で、そんな瀬々の様子を訝しがる一に向けて――

 

 

「――――いっつも、裸じゃないよ眠れないくせに――――ッッ!」

 

 

 ――攻守逆転、まさにそれはその瞬間だった。

 未だに若干の赤を残すものの、瀬々が驚愕からある種の周知へと変じた一に、目一杯の勝気な笑みを見せる。

 

「な、なんで知って、いやそもそも……」

 

「ハッハッハ、しかもそれが別にそうしないと眠れないからじゃなくて、そうすると気持ちいいからなんだよね! この変態! 痴女!」

 

 その言葉に、一の導火線もまた、着火する。

 

「――ボ、ボクは変態なんかじゃない! 痴女でもないし、そもそも……あ、あぁもう!」

 

 ついに激突しあう赤だこの少女たち、子どものような喧嘩を始めた二人に対し、しかしあるモノが、そっと待ったをかける。

 

 

「――ふみゅう」

 

 

 衣が、そんなふうに吐息を漏らしたのだ。

 

 すわ眠り姫を起こしてしまったかと、両者の体がビビクンッ! と跳ねる。

 しかし、みれば衣はそれ以降起きだすような様子は見せず――――

 

 

 結局瀬々と一の会話はそれ以降消沈、瀬々は一の掃除を、流れに流されたまま、手伝うことになったそうな――

 

 

 ♪

 

 

 霞掻き消えた晴れの日に、跳ね踊るステップが灰色の大地を駆け抜けてゆく、無色の風が、道行くものの頬をなですれ違う、そうして少女の先を、抜けてゆく。

 揺れる人影、淡い赤のリボン、天江衣が、楽しそうな歩の歩みで、その肩を揺らしていた。

 

 彼女の後ろ、その後について行く者が入る、渡瀬々、そして龍門渕透華だ。

 

「だからさ、この場合あたしたちが考慮すべきなのはそういうんじゃなくて、もっと大局的なことだと思うんだよ」

 

「そうはいいますが、それでは目先のことを無視することになりかねませんわ、初期に破綻してしまっては、その案はそもそも全体を見通すとはいいますが、まず一番大事なところが抜けていましてよ?」

 

 差し伸べるように手を伸ばした瀬々が、それを振るって嘆息する。問題点がわかっていないわけではないのだ。そもそも、透華のいう重要基礎をなんとかする答えがないのだ。

 

「だってよぉ……」

 

「ですから……」

 

 あーでもないこーでもない、どうとも言えないにづまった会議は、やがて前をゆく衣によって引き止められることとなる。

 

「むぅ、なんだか言ってることが難しすぎてよくわからんぞ……」

 

「あいにく、私にもよくわからなくなってきたところですの」

 

「あたしもだ」

 

 かくして、もはや人の手を――魔物の手からすらも離れたまったくもって実りのない会話は、ウヤムヤのうちに雲散霧消してしまうのだった。

 

「後ろから聞こえてくる声だけで衣の耳がおかしくなってしまう、もう少し何とかならないのか?」

 

「まぁ、衣には少し早かったかもしれませんわね」

 

 ――本人にすら、会話の意味を把握できなくなっていたという事を棚に上げ、透華は文句を垂れる衣に対して可笑しそうな笑みを浮かべる。

 無論、そんなことを言えば黙っていないのが天江衣だ。すぐさま振り返り、足を止めると両手を振り上げ透華達を威嚇する。

 

「衣を子ども扱いするなー!」

 

「子どもっていうか、衣の場合娘って感じなんだよな、守ってあげたくなる感じ、いや、可愛いんだけどさ」

 

「同感ですわね、こうして見ていると、どことなく家族連れに思えますもの」

 

 要するに、娘というものは、息子というものは、親からしてみれば何時までたっても可愛いものだ、もしそれが、どこか親離れした様子でも見せれば、すこしは見方も変わってくるのだろうが。

 ――衣の場合、それを考慮する必要はないと言えた。

 

「まったく、一も水穂もそうだ、水穂はともかく、衣はお前たちの中で一番年上なんだぞ? 一や透華はともかく、瀬々に姉のように振舞われるのは納得がいかん」

 

「あたし限定かよ! ってかそもそもあたしの場合、衣と家族って行ってもなんか違うんだよな、何が違うかって言われればなんとも言えないけど、多分なんか家族じゃない」

 

 感情の行く先は、瀬々の答えには映らない、衣が瀬々に接するその感情を、瀬々も透華も理解できないように、逆もまた、然りであるように。

 だからこそ、それをなんとなく、あくまで“なんとなく”理解した透華が、クスリと笑みをこぼして、瀬々に直接言葉を向ける。

 

「それでしたら、お嫁さんにもらったらどうです? 衣はなかなかどうして、器量の良い娘でしてよ?」

 

 母親らしい慈愛の満ちた、と言うよりも、どこか“全てを見通しているのではないか”と言わんばかりの母の眼が、瀬々達へと向けられる。

 そんな眼差しに誘われて、瀬々の顔が勢い良く輝いたものへと変わっていく。

 

「ほんとか!? それは、なかなかのなかなかだな。いやマジで」

 

「こ、衣のことを本人の断りもなくあそぶな! というか、瀬々、その言い方は正直よくわからんぞ!」

 

 ドン――衣の足踏みが、いよいよ持って激しさを増す。もとより、彼女のチカラはそれなりに、透華と瀬々を震わせているのだが――

 瀬々も、そして透華も、その中に異形に近いチカラを宿すとはいえ、本業ともいうべき魔物筆頭、衣のチカラは些か大人気ないと言わざるをえない。

 

「まぁ、とはいえそうそう簡単に衣を差し上げるわけにも行きませんから――」

 

「さ、差し上げるッッ!?」

 

 それでもまったく気圧されない透華の腕組みさなかの一言に、ついに衣は戦慄を覚える。無理もない、透華の言動は、その対象が衣であり、瀬々であるという事を鑑みれば、随分と物騒きわまりないのだ。

 不敬でも在る。

 

 そして、目一杯の沈黙の後、搾り出される透華の言葉、輝きを帯びた瀬々の後方に、ついには後光を思わせる光輪が生まれ出る。

 

「――衣に勝てたら、考えて差し上げますわ?」

 

「……考えさせてくれ」

 

 真剣に腕組みを始める瀬々、どこか真剣みを帯びた彼女の表情に、衣は思わず後ずさりを始めるのだった――

 

 

 ――と、冗談のような会話を終えた少女たちは、再びその歩を進める。目指すは一の待つ離れである。龍門渕本宅の大きさにより、屋外を行き来するにも、往々にして時間がかかる。

 

 そんな最中で持ち出される話題は、先ほどと少し似通っているようで――違う。

 

「それでもあれだな、まだあたし達、一緒に暮らし始めてから一ヶ月もたってないんだよな」

 

「それどころか、今日が初めての週末ですわ? 信じられないでしょう?」

 

「だなー。気がつけば……否、時節は既に日毎に次を迎えているのだろう」

 

 瀬々の嘆息に、透華と衣が、楽しそうに同意する。

 

「だが、家族というものはなろうと思ってなれるものではない、否であろうと是であろうと、ならざるをえない(・・・・・・・・)のが家族なのだ」

 

 両手を高らかにふるいながら、衣がそんなふうに漏らす。――瀬々たちは思案げに、何かを思い出しているかのように自然体であった腕を組み、拘束した。

 

「……良くも、」

 

「――悪くも、ですわね」

 

 先をゆく衣の後を追う、彼女の後ろ姿は、晴れ間の木漏れ日を伴って、どこかこの世よは別の世界を思わせる。ただ思考にふける、透華や瀬々と同一ではない。

 

「家族なんてもの、いいと思ったことは、無かったんだけどなぁ」

 

「――でしょうね。……私も、かしら」

 

 透華は瀬々を知っている。しかしその逆はそうではない、へぇ、と意外そうに瀬々は透華を眺めると、それから首を否定気味にふって、自身の思考を切り替える。

 

「まぁ……悪いもんじゃないよな、いいものであるかどうかは、ともかくとしてさ」

 

「――衣は、それを知っているのですね、羨ましいですわ……本当に」

 

 そうやって向ける視線は、果たして誰に対してのものだっただろう。それは隣立つ瀬々もまた同様、なれば――衣は?

 透華も、瀬々も、そして衣も、帰る場所に歩を向ける。――その場所への思いを、顕にしながら。




前作に足りなかったもの! 萌え要素!
という感じの回。ようやっと息抜きらしい回になった気がします。


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『春風来たりて』

 春、授業も始まり、最初の一週間を終えてのこと、瀬々たちはその週末に少し遠出をしていた。ちょっとした透華の所要に付き合う形で、衣と瀬々が外出することとなったのだが、その際のこと。

 偶然にも瀬々達の行く先に見知った顔が通りかかったのだ。

 

 彼女の名は依田水穂、龍門渕を率いる者の一人にして、透華が唯一認める麻雀部の雀士。

 そんな彼女が、衣の様相を見ていったのだ。

 

「何この子……趣味が超古い!」

 

 その事自体を衣は自覚はしていなかった。そも認識すらしていなかったため首を傾げるほかなかったのだが――とかく、実のところ衣の持つ衣類は全て、衣が曽祖父に引き取られた先の子どもたちが着ていた、いわゆるお下がりというやつなのだ。

 無論、衣の身長はそんな子ども等の小学生頃の身長をずっと維持しているわけで、その服が買われたのはもう既に十年近い前、ということになる。

 

「というわけで、買い物に行こう透華! アタシがこのこをおにんぎょ――じゃなくて、立派なレディにしてみせるからさ!」

 

「え、えぇ、それはかまいませんが、何時行く気です? さすがに今からというのは……」

 

「明日にしよう! 部活はノルマこなせばいいからさ、――確か貯金あったよね。だったら一回二回半荘こなして、直ぐにジャッコに突入だ!」

 

 気圧される少女たちの面前で、あっという間に明日の予定が決められていく。

 もはや理解の追いつかなかった状況に、すぐさま反応したのは瀬々だ。少なくともこの三人の中では、特にこういった日常的なことに対する対応スキルは最も高い。

 

「あ、いやさ、確か透華、明日も用事が無かったっけ? そうなると透華は無理じゃないかな」

 

「え、あ、そうですわね。その時は一もついて来てもらうことになっていますから、行くとしたら衣と瀬々だけで、ということになりますわ」

 

「おぉ了解。お二方もそれでいいかい?」

 

 確かめるように視線を向ける二人に、瀬々は少しばかりの愛想笑いを乗せながら、その視線を衣に向ける。

 

「衣がいいって言うならいいんじゃないかな。あたしからは特になんもないですよ」

 

 そうなると、この話は衣の一存ですべてが決まることとなる。水穂の言葉に気圧されていた衣も、どうやら平常に運転を稼働し始めたようだ。

 となれば、

 

「ころたん、れでーになってみるきはないかい?」

 

「れっでーか! それは悪くないな、あところたんじゃない、衣だ!」

 

 そうやって軽く笑みを交わし合うと、水穂は楽しそうに言うのだ。

 

「じゃあ決定! 衣が楽しんでくれるよう、私もデートコース考えとくよ!」

 

 パチン、と、少しだけスカしながらも指を鳴らして、それから勢いのまま衣とハイタッチをする。それが瀬々、透華へと対象が映り――

 

「あぁそうそう、先輩、今はジャッコではなくてイオノですわよ?」

 

「……どうしてそこでオチを用意するかな…………」

 

 

 ♪

 

 

「それにしてもさー」

 

 その日は、生憎というほどの天気ではないものの、やや曇り空が目立っていた。流れるような風はどことなく春の肌寒さを感じさせ、比較的薄着である衣には、些か辛い。

 ――あれから平日へと日にちは移り、衣達は普段着へと着替えて人通りの多い街並みへ繰り出していた。――当然時刻は夕刻に近づいているため、夕飯などは三人で纏めて済ませてしまう予定だ。

 帰りにはハギヨシの車が期待できるため、あまり時間的な制約はない。

 

「――瀬々って割りとオシャレだよね、意外に」

 

「おしゃれは付き合いですよ、先輩。自分を飾るんじゃなくて、飾っている周囲に溶け込むための擬態みたいなもんです」

 

「……苦労してんだね」

 

 瀬々の様相を上から下まで眺めて、それから嘆息気味に言葉を吐き出す。

 どちらかと言うと余り目立たないような、青地のショートパンツにあった色彩の地味なシャツを、ダッフルコートを羽織って、若干子供らしくはあるものの、愛らしいという評価に収まるようなコーディネートだ。

 前日、偶然出会った際も、これとは違った流行のファッションを瀬々は身に着けていたはずだ。

 

 それを趣味ではなく人付き合いと言い切るのは、彼女らしいといえばらしいが。

 

「瀬々のやつ、相変わらず衣や水穂達以外には壁があるし、今日も普通にそういう私服だからな」

 

「まぁ、性分なもので」

 

 そうやって自嘲的に笑う瀬々を、衣が寂しそうに見やる。それを察したのだろう、すぐさま水穂がその空気を書き換えた。

 

「ま、でも私の場合、あんまり着飾らなくてもいい雰囲気があるんだよね、なんでだろーねー」

 

 肩までないほどの髪の長さに、どちらかと言えば勝気でスポーティな顔立ちだ。ラフな格好の方が映えるのだから、それを好んできるのは彼女らしいスタイルと言える。

 単純にそれほどお金を掛けたくないというのも在るだろうが。

 

「それじゃぁいってみヨーカ、どう?」

 

 そういう意味では、潤沢な資金を持つ衣と買い物ができるというのは、端から見ているだけであっても、ショッピングを楽しむには十分なのだ。

 ある意味、渡りに船のようなものである。

 

「いくいくー!」

 

 衣が元気に両手を上げると、軽く歩を踏む水穂の後ろを、カルガモの親子が行進を始めたかのように、ひょこひょこと付いて行くのだった。

 

 

 ♪

 

 

「そういえばだな、これは透華にも言ってなかったんだが、今度秋一郎がこっちに来るらしいのだ。じいじのところに寄ったついでにな」

 

「……誰? ってかどういうこと?」

 

 ――移動中の何気ない会話、それが発端だった。衣がそんな風に、瀬々に言葉を投げかけたのだ。当然、唐突に出てきた人物の名前に、瀬々は大いに戸惑うこととなる。

 

「衣の師匠で、じいじの友達だ!」

 

 それで察しろというのだろう、かなりアバウトな説明だが、瀬々であれば十分理解の及ぶ範疇だ。――隣で聞く水穂は、盛大にはてなマークを浮かべているのだが。

 

 ――じいじ、衣を引き取って育てた彼女の祖父、それは間違いないだろう。そして問題はその前、衣の師匠という一言。もし衣が、瀬々の思う通り、もっと化け物じみた闘牌をするものだったとして、それを矯正、もしくは変質させる切っ掛けになった人間がいたはずだ。

 もしその人間が、衣の心に大きな楔として、尊敬の念として残っているのだとすれば、そんな呼び方をするのは至って当然のことである。

 

 と、これはあくまで瀬々が感覚によって受け取った答えを理解するための理由付けであるのだが、恐らくは当たらずも遠からず、そっくりそのままであるとは、瀬々も思ってはいないが――

 

「……ん? ――秋一郎?」

 

 そんな中、情報の中から瀬々はさらなる感覚を呼び起こさせるワードを引き上げた。――衣を打倒しうる雀士。――じいじといわれるほどの高齢である祖父と友人である人間。――“実歴としては”麻雀初心者の瀬々であろうと知っているプロ雀士の一人――

 

「ねぇ衣、その秋一郎って、苗字が大沼、だったりしない?」

 

 恐る恐る、といった体で問いかける瀬々。そんなはずはないという思考を、感覚によって打ち消される混乱の極み、――それに衣は、さらなる火種を投下する。

 

 

「――? そうだが?」

 

 

 至極当然のように、それこそ疑問であることこそが疑問だとでも言うかのように、衣はそれを肯定した。――愕然とするのは瀬々だ。更に、そこから驚愕へと思考を持っていくのが、水穂だ。

 

「え? え? ……えっ!?」

 

 一度、二度、確かめるように三度、認識した事実を驚愕によって発散する。理解できないといった様子の少女が、やがてそれを驚きだとか、狂喜乱舞だとかに満ちた、モノへと替える。

 

「大沼プロ、っていえば、多分日本で特に有名なプロだよ? あたしでもしってる」

 

「ほう! そうなのか! 奇矯なりとはおもってはいたが、そのような肩書きを持っていたのだな」

 

 両者の会話に、置いていかれた水穂はその場で急停止、あんぐりと口を空けたまま、どう反応していいのかわからないような対応をしている。

 

「それじゃあなんだ、アタシ達も会っていいのかな? 色々聞いてみたいんだけど」

 

「秋一郎は瀬々みたいなのが大好きだからな、少し手ほどきを受けるくらい、嬉々と引き受けてくれるだろうさ」

 

「――エッッ!?」

 

 それに激しく反応したのは、大沼秋一郎を名前程度にしか知らない瀬々ではなく、むしろ麻雀に深く関わり、その名を心に留めている、そんな水穂の方だった。

 

「じゃ、じゃあ私とかもいいかな! 部活で、とか!」

 

 興奮気味に言葉を連ねて、思わぬ大声に、衣は目を塞ぎ体を遠のける。爆風に圧されているようだ、と表現すれば良いだろう。

 

「……あ、あぁいや、部活で、は無理かな。透華が許してくれないだろうし。…………だったら、アタシもおじゃまさせてもらっていい? 龍門渕のお宅に来るんだよね」

 

「正確には離れにしかこないだろうが、いいのではないか? 友人を招くというのは衣としても憧れるものがあるし、一挙両得というわけだ」

 

 自身を持って応える衣の言葉、それならばと水穂はすぐさまケータイを取り出す。歩みは再開しながらも、どこか意識は上の空、といった所だ。

 瀬々の怪訝な様子にも、気がつく雰囲気はない。

 まぁ、ムリもないことではあるが。

 

「――ってわけだからさ、どうかな? え? あぁうん、衣からの了承は取れてるから、衣から連絡を取ってもらえればいいと思うよ、向こう側の返事次第だけどさ」

 

 なにやら激しい会話が成されているようだ、どこか興奮気味な水穂の口先からは、いつも以上の早口で会話が紡がれていく。

 

「そうそう、そういうこと。あはは、羨ましいよね、透華のお宅はさ。……あぁいやいや、恨み節は三割くらいだから、気にしないどいて」

 

 どうやら話題自体は簡素に済んだようで、雰囲気は世間話のそれだ、先程まで見せていた瀬々達に対する自然体と全く変わらないように思える。

 そんな水穂の楽しそうな様子を眺めながら、瀬々達は衣の話題で盛り上がっていた。

 

「――なるほどねぇ、小中合同の分校なんて、今時聞かないけど。それでも全学年の人間が一緒のクラスで過ごすのか、なんか楽しそうだな」

 

「あぁ、光陰矢のごとしといってな、気がつけば衣はもう、こんな場所にいる」

 

 ――全校生徒、最大時で七年、衣の上に三人、衣の下に二人、どちらも四年の年差があったそうだ。そこで衣は――麻雀をしながら、遊びまわりながら、過ごしていたのだとか。

 

(――あたしには、そんな思い出になるような友達なんて、いなかったんだよな。ほんと、うらやまし)

 

 衣の口から語られるかつての友の事、上級の三名は、三人がかりであれば衣が手も足も出なかった、状況が状況であるが――そんな相手も居るのだな、と心に留める。

 今は全員インカレに進んでいるそうだ。会ってみたいというのは、瀬々にしては些か意外な感覚だった。

 

(ほんと、衣にあって、随分たった気がするな。家族なんて言葉も、友なんて言葉も、もう使い古してしまったような気がする)

 

 

 ――ふと、気がつけば瀬々は一人、建物の陰に佇んでいることに気がついた。

 

 

 衣は隣にいる。水穂は、前にいる。しかし彼女たちは、陰の灯らない場所にいる。――そんな気がした。

 

(……でも、その中に、あたしがいる価値って、あるんだろうか)

 

 随分と自分らしい態度を取れるようになった気がする。中学の時は、自分は他人に合わせてばかりの人間だったはずなのだ。それが、気がつけばこうして、誰かに引っ張られ、自分の意思でそれを甘受している。

 

(衣が楽しそうに笑ってる。一がいて、透華もいる。水穂先輩だって――先輩は、そうやって悩むあたしを、つまらないと思うんだろうか)

 

 思い浮かべるのは依田水穂、瀬々が関わる唯一の先輩だ。――彼女はあの明るさで周囲を引っ張り、その責任感で周囲を導いている。その裏に、何があるのかを感じ取らせずに。

 ……知っている。瀬々は瀬々の周りに居る者達が、何がしかの過去を引きずっていることくらい。その中身にまでは触れることはないが、それでも瀬々は、感じることがある。

 

 ――彼女たちは、自分と同じだ。けれども、

 

(――どこまでも、あたしとは違うことばかり)

 

 少女たちは前向きで、ひたむきだ。それなのに、渡瀬々という人間は、どこまでも弱く、もろく、そして受動にまみれている。

 それはきっと、――枷なのだと、自分に言い訳をしながら。

 

(先輩、きっと貴方は、“明るくなければならない”理由があった。――麻雀のスタイルだとか、オカルト的な特徴だとか、そんなものは一切関係なく、貴方は、きっと明るく振る舞うことを、自分に必要とした)

 

 渡瀬々が、周囲に溶け込もうとしたように。そしてそれを、この数年間、中学の時の瀬々と同じように、日常の隅から、その外まで、ずっと続けてきたのだろう。

 だとすれば、

 

(――だとすれば、先輩なら解るのかな。あたしがここに、居てもいいのかどうか)

 

 多分、水穂は瀬々以上に強い、水穂のチカラは、明るくあろうとする水穂の意思から生まれたものだ。だとすれば、水穂は――――

 

(……その時、なんて答えを、あたしは受け入れたいとおもうのだろうか。なんて思いを――抱けばいいのだろうか)

 

 ――そんなものは、分からない。

 解るはずもない。

 

 ただ、それでも。

 

 ――目前に居る依田水穂は、隣にいる天江衣は、瀬々とは違う場所にいる。――渡瀬々という存在が生んだ、彼女の中にある鎖は未だ――瀬々を一人、捉えたまま――――




前振りの回、大沼プロの闘牌やいかに。


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『神にその手を抱かせるモノ』

 ――大沼秋一郎、日本最強クラスのプロの一人。彼に並ばんとするのなら、まずかの女流最強、小鍛治健夜が関門であるとされるほどの実力者。

 著書多数、後任の育成には熱心で、彼の思想をまんべんなく彩った、彼の本は多くある。――その中でも、麻雀の初めて、というハウツー本は今ではプレミアが付くほどなのだが――彼は同時に、シニアリーグでプレイする現役雀士でもある。

 自分自身が最前線に立ち、麻雀に生きて麻雀に死ぬ、そんな姿を見せることが、麻雀を好きになってもらうということだ――そう語る彼は、現場に立ち、指導という形で人を導くある女性雀士と、対照的に比較されることがある。

 

 そんな彼が、素人――彼の目線から見れば、であるが――相手に麻雀を打つ、ある種、誰もが憧れる光景であり――誰もがそう有りたいと思う情景であるのだが……

 

「あー、ハジメマシテ、といっておこうか。俺が大沼だ、衣が随分世話になっているそうだな」

 

 それがもし、本当に目の前で起こりうる現実だとすれば? ――なかなか戦慄を覚える光景だ。この場で平然としているのが、衣と瀬々――既知の人間と、麻雀を余り知らない素人――しかいないのがその証左だ。

 

「……今日は衣の頼みだ。後人の練磨も役目と思い、引受させてもらった。――と、堅苦しい挨拶はこのくらいにしておいたほうがいいか」

 

 彼の表情は堅い、というよりも余り変化を見せないのだろう。対局中、ひたすら他家が意地になろうと、それをただ黙って受け流す、テレビの向こう側ではお約束の光景だ。

 当然、それは人を気圧すには十分なものだが――

 

「そういえば、かねてよりの疑問に思ったのですけど、なぜ麻雀の入門書は一度しか書かれていないのです? 大沼プロの本は数多くありますが……入門書となるのは、かの一冊のみ、それはなぜでしょう」

 

 それでも、自身の意をはっきりと押すのが透華だ、目立ちたがりの部分があるが、即ちそれは我が強い、状況に対して流されないというプラスポイントである。

 特に透華は、目立とうとすることそのものこそが、透華を透華たら占めているといっていい。

 

「そもそも、入門のために必要なものは誰が書いても変わらん、一度書いてみたが、余り売れなかったしな。……自分でも説明が下手なのは自覚しているんだ、余り触れてくれるな」

 

 すらりと飛び出す言葉の力強さは、彼が今もまだ壮健であることが然りと知れた。

 

「それに、ああいうものは最前線に立つ者が書くべきだ。もっとも身近に感じられる目標だからな。それを書いた当時はそれが俺だった、それだけだ」

 

 ――なるほど、透華は頷いてそれから礼を言う。面白い話だと思う、透華に取って、大沼秋一郎は尊敬の相手でこそあれ、越えようと思う相手ではないだろう。

 立場が遠すぎるのだ、越えることすら考えられないような相手、そんな相手は、象徴として君臨しているだけで、それ以上にはなれない。誰かが絶対の目標とするような人間には、きっとなれない。

 

 それでも、彼は衣という存在を魔の淵から救い上げ、今日、こうして透華達と麻雀を打とうとしている。

 

「それじゃあ打とうか? まずは……誰からだ?」

 

 纏めてかかってこい、とでも言うかのように、秋一郎は室内に置かれた麻雀卓へと手を付ける。

 

「衣は後から打つ! 折角だからお楽しみは後で、というやつだ!」

 

「……」

 

 無感情に視線だけを向けると、秋一郎の雰囲気に少しばかり硬直していた三名、透華、水穂、一に対して、顎でくいっと、何がしか合図をする。

 言わずとも、確かめずとも解る。

 “こい”、と言われているのだ。

 

「――まずは一半荘、見させてもらおうか。牌譜を眺めるよりも、こうして手に牌を握るのが、俺の性分なのでな」

 

 意識するものでもあるのだろうか、秋一郎は至って直線的な目つきでもって、挑発するように三者を迎え入れる。――場決めが終わった。

 東家に座るは国広一、南家が透華、西家が秋一郎、ラス親は水穂という形になった。

 

 

 ――東一局、親一、ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 絶対的な崇拝とも言える尊敬者を相手にして、少女たちは全力の前傾で臨んだ。敵である他者を制して、いの一番に和了を決める。――先制するのは自分自身であると意気込んで。

 

 起親、国広一はその典型だ。三向聴の手を、三巡も待たずに一向聴へ、そして一段目の切り返し――七巡目にあたっての、テンパイ、ダマでも十分なタンピンドラドラ――満貫手。

 相手が大沼秋一郎であることを考慮して、その手を晒すことはしない、――もしリーチで自身を顕にすれば、すぐさま彼に食い殺される。勝算など、会ってな気が如し。

 

 だとすれば、そこでリーチを駆けるものはいない。三者三様のテンパイであった。しかし供託に、リーチ棒が登ることはその一局、なかった。

 

 

「秋一郎は、凡俗な雀士の視点に立てば、それほど大きな壁に映るかな?」

 

「……少なくとも、透華や一、水穂先輩を対して、凡俗、という言葉は普通使わないと思うけどな」

 

 秋一郎の後方から、手牌と捨て牌を眺めながら対局の行く末を衣たちは見守る。衣は秋一郎の手牌の変化に目を輝かせて感心している。

 見慣れたものを、懐かしんでいるようにも見えた。

 

 ――秋一郎捨て牌――

 {一九②⑧③北}

 {西4}

 

 若干速さはかいま見えるものの、端から見れば平素なものではある。ただし、六巡目、七巡目の字牌が手出しであるということを見抜けなければ――の話だが。

 ――一達が続々とテンパイした時、彼の手はテンパイを迎えていなかった。そこへ持ってきた有効牌がある。それを秋一郎は化け物じみた速度での小手返し――ツモ牌を手牌の端に寄せた牌と入れ替える技だ――を行い、他家に気取られることなく、自摸切りと称して安牌を払った。

 当然、他家がそれに気がつくはずはない。衣がそれをなした瞬間笑みを深くし、それから瀬々がツモの入れ替わりに気づいたがための驚き、それに気づいているのなら、ともかく。

 

「――あれも玄人の技というものだ。秋一郎の武器は経験と知恵……どちらも、ただ平々と麻雀を打ち続けてきたのでは辿れない境地だな」

 

 本来小手返しとは手出しを隠すための動作だ。それでも、衣ですら、実際に相対してみれば、気がつくかどうかは五分五分だろう。ましてや、秋一郎の視点からすればひよっこでしかない少女たちが、気付くはずもない。

 

「――しかも、その手牌もまた、異様なり」

 

 もはや隣だつ瀬々に対して、秋一郎の強さを煽りに煽っているかのような態度、単なる身内自慢のようなものであれ、多少なりともその意味を理解できる瀬々は、戦慄に身を震わせる。

 

 ――秋一郎手牌――

 {二三四六六六⑤⑦11888}

 

「……この手を、リーチかけないんだな」

 

「三暗刻への振り替わりもある。今が東発の平場であることを考えれば、余り怪態なことではない」

 

 ドラが二つある、打点としても十分なのだから、出和了りと裏ドラを狙うのは十分おかしなことではない。そしてそこで満足せず、直ぐに変化の見込める三暗刻を見据えることは、更に不思議足りうることはない。

 だが、それも通常の場合。

 

「まぁ、それなら両面を二つも蹴りだす必要はないのだが(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。だがこの手牌は、これだからこそ意味を持つ」

 

 両面待ちは麻雀において最強の待ちだ。有効牌八枚、どれだけ手が他家に透けていようと、それだけ待ちが広ければ、流局までに一枚はつかめる事も多い。

 だからこそ、その両面を二つも切り捨てて、嵌張にこだわるのは、端からみれば不思議でならないことだろう。だが、秋一郎の狙う手は、この待ちで無ければならないのだ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その意味を、衣は既に知っている。そして、答えの感覚を司る少女、瀬々もまた、その事実に一つ慄く。

 

(――確かに、たしかにそうだ。その手は、そう和了ればある意味が付く。だけど、普通はそんなこと考えない、例えばあたしだったら、例えば衣だったら、そんな前提がつかなければ、そんな手を普通、狙ったりはしない――!)

 

 わかっているのだ。秋一郎には、この待ちが正解であるということが。

 ――先程の小手返しを例にとってもそうだ。秋一郎の武器は経験。即ち彼に特別なチカラはないだろう、しかし、それを補って余りある――――衣すらも打倒しうる武器を、彼は持っている。

 

 その武器が、――万にも及ぶ経験が、彼のこの手を選ばせる。

 

(例えばそれはデジャヴと呼ばれるような、かつての経験に帰納する、既視感のようなもの! いつの日かに、そういう経験をした、その集積が、このツモを呼ぶんだ。――答え合わせだ、その答えを、この人は経験で知っている……!)

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――ツモ、ドラ2、四十符三翻(・・・・・)

 

「1300、2600」

 

・大沼秋一郎『30200』(+5200)

 ↑

・依田水穂 『23700』(-1300)

・国広一  『22400』(-2600)

・龍門渕透華『23700』(-1300)

 

 大沼秋一郎の手は、基本二十符、ツモで二符に暗刻で八符。これでもし、待ちが両面であれば、その手は三十符二翻止まり、嵌張待ちでの二符を付け加えることで、文字通りこの手は跳ね上がる(・・・・・)

 それを見越しての、嵌張待ち。

 

 それこそが、秋一郎の為した結論。

 

「――どうだ、瀬々。これが衣よりも強い男だ。……面白いと思わないか? だが、これはな、序の口なんだよ、――秋一郎の真価は、ここから発揮されることになる」

 

 そうやって衣はちらりと視線を送る。瀬々はその奥を見た。衣が語る言葉の深淵、そして、衣の持つ絶対的な核心。それはきっと、衣の強さでも有り、彼自身――衣を超えうる強さの現れでもあるのだ。

 

 ゾクリと、何かが瀬々の背を伝い、這い上がる。

 

 返す笑みは、きっと本来の形を保てていなかったに――違いない。

 

 

 ――東二局、親透華、ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 打牌の流れが続き、それぞれの手が少しずつ完成に向かう、その中で、秋一郎の打牌。

 

 秋一郎/打{2}

 

 次巡、水穂の打牌、生牌の白、これに一が動く。

 

「――ポン!」 {白白横白}

 

 ニヤリと、口元にほくそ笑んだ笑みを浮かべて、それからすぐさま打牌を選択する。

 

(よし、これでテンパイだ。水穂先輩から嫌な感じがするけど、この手なら十分勝負ができる)

 

 ――一手牌――

 {122234578東東} {白白横白}

 

 一/打{1}

 

 ――絶好の満貫手テンパイ、これをものに出来れば、と思考するのも無理は無い、ここまで多少無理をしている以上、染め手であることはバレているだろうが、6―9索は未だ一枚も見えていない、ここで引ければ、問題はない。

 だからこそ、一は次巡ツモを、あることを見逃したまま自摸切りする。

 

 ――鳴きというのは、鳴いた相手のツモを引き継いでツモ番を維持する。だとすれば、その時一の最初のツモは、誰のものであるか。

 語るまでもない、“前巡テンパイしたであろう水穂のツモ番”だ。

 

 それをそのまま自摸切りしたのであれば――

 

 

「――ロン」

 

 

 面前でのテンパイにより、流れを得ていた少女の、餌食となる他にない。

 

「……今の、どこまで?」

 

 思わず瀬々は問いかける。今の場面、大沼秋一郎は、“どこまでこの状況を見透かしていたのか”。衣は応える、恐らくは、揺るぎない確信を持って。

 

「全て……といって差し支えないだろうな。あの二索切りで一の手は止まる必要を喪った。その上で、前局の闘牌から、秋一郎は水穂の特性までも、掴んでいるのだ」

 

 水穂の特性、つまり調子の好悪がそのままダイレクトにツモに及ぶ、そのオカルトじみた特性を、たったの一局で秋一郎は看破してみせた。

 

「解るもんなの?」

 

「解るさ、衣とて、それくらいのことはできる。まぁ、衣の場合は衣のチカラに依るものが大きいが、な」

 

 圧倒的な衣の支配力、それに依らずともそれと同等以上のことを可能とする人間、熟達の雀士は、その手を伸ばし、その瞬間まで時を止め、足を止めていた賽の目を、ゆっくりと回転させてゆく――

 

 

 ――東三局、親秋一郎、ドラ表示牌「{8}」――

 

 

 八巡目、この局を先制したのは前局親番の透華、失点は少ない、だからこそ前に出ようと、そのてから繰り出される牌を、曲げる。

 

「リーチ! ですわ」

 

 威勢のよい掛け声が、室内中を飛び回り、一と水穂がそれぞれの反応を見せる。――不敵に笑うのは一だ、無論、それが張ったりでないことは捨て牌の中張牌から知れる。

 

 ――一捨て牌――

 {西白8北二9}

 {④五}

 

 恐らくは既に聴牌しているのかとでも想像を巡らせるような、ドラの自摸切りと手出しの牌、三巡目からの中張牌は好手の象徴だ。

 この一局に、端から自身以外の和了を、考えてすらいないかのようだ。

 

 対照的に、しまったという風なのは依田水穂、しかし彼女の場合、すぐさま自身の調子を引き戻し、ツモを最適化サせかねない。そう考えれば、この状況、彼女に決して足かせであるとは思えなかった。何より――

 

「ポン!」 {横999}

 

 そのポンで、少女の手が大きく動いたのは、誰の目から見ても明らかだ。打牌は、秋一郎。そしてその意味するところも、直ぐにしれた。

 

(――この局、透華が和了るのは難しいだろうな)

 

 ひと鳴き、それだけで卓の流れは随分と変わる。秋一郎から水穂が鳴いたことで、透華のツモは秋一郎へと移る、そうなれば自摸れたはずの和了り牌は絶対に出ないことは明白で、秋一郎が振り込むことなど考えられない。他家からの出和了り以外は難しいだろう。

 

(……とはいえ、このほぼ二件リーチの状況、ボクとしてはオリにくい事この上ないな)

 

 ――三十符二翻の手、完成度はいいものの、これをそのまま和了へ持っていけるかといえば、少し怪しい。テンパイから未だ一巡、そう和了れるものとも思えなかった。

 

 だが、それに憂慮が必要であるほど――その一局は複雑ではなかった。自摸切り安牌からの次巡、水穂が当たり牌を切り出したのだ。

 

「ロン、3900」

 

 一の宣言に、うわっちゃぁ、と水穂が奇声を上げる。これでドラ3とリーチの二択は崩した。恐らくそれが正解なのだろう。

 

 だからこそ、

 

(――どこまで、狙ってのことなのかな?)

 

 疑問に思う。状況は静かだ、点棒もほぼ平ら、だからこそ、一はこの状況を違和感として捉える。

 

(……風が静かだ。こんな闘牌、久しぶりかもな。卓上に、牌の音がほとんど響かない、発声のハリが、いつもより弱い。――この場に居るのは、ボク達だけのはずなのに、周りが静かだから、もっとそれは、響いてもいいはずなのに)

 

 もし平生の――麻雀部として打つ対局ならば、これほど静かではないだろう。周囲には雑音がまみれ、自身もまたその雑音に一石を投じている。

 だが、この状況はそうではない。

 

 まるで何か、重積の詰まった玉石を、その背に科されているかのように。一のもつ、信頼としての鎖ではなく、誰かを押しとどめる、そんな――隔絶的な、足枷が。

 

 世界に、張り付けられているかのように――――

 

 

 ――東四局、親水穂、ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 それぞれの手牌が、変幻自在に変化してゆく。その道筋は数多にわかれ、正解と呼べるものは複数存在する。それが麻雀の難しさだと、瀬々は思う。

 

 だからこそ、この局、誰もが和了しうる、瀬々の視点からはそう思えた。それを加味した上で、東四局、前半折り返しの今局は進行していく。

 その、刹那での瞬きに、それは起こった。

 

 水穂/打{⑧}

 

「チー――――」

 

 一の発声だ。{⑦⑨}筒の固まった手牌に手をかけ、勢い良く言葉を音に載せた。その瞬間だった。それよりも早く、そこに動いたものがいた。

 

 

「――ポン」 {⑧⑧横⑧}

 

 

 動いたのは、大沼秋一郎。

 それは紛れもなく、一の手を食いつぶす、そんなひと鳴きだった。――本来一はその鳴きでテンパイへと手を持っていくはずだった。

 しかし、その鳴きは、一の手を差し止めた。

 

 衣が楽しげに、その様子を眺めながら手を打った。

 

「秋一郎が鳴いたぞ、珍しいこともあるものだ」

 

「……でも、すごく効果的だよね」

 

 少なくともこの状況のいて、この鳴きは単なる楔以上の意味を持つ。――大沼秋一郎から繰り出された一打。それの保つ意味を、彼は最大限に利用している。

 

「――あんな鳴きを魅せられては、意識を寄せないという方が無理というものだ」

 

 衣が同調し頷く。

 ――ようは簡単なことだ。この対局、もっとも意識されているのは間違いなく秋一郎である。そしてそれはこの極限状態で――秋一郎がトップに居座るという状況のなかで――爆発しかけの爆弾とでも言えるものだ。もしそれに、火を灯せばどうなるか。

 秋一郎の鳴きという、火種をぶち込めば、如何様に変化を見せるか。

 

「……見ろ、一の意識が一層散漫になっているぞ? あれでは、意識のしようもないな」

 

 ――言葉の通り、手を止めざるを得なくなった一はすぐさま次に映らざるを得なくなる、そうなったときもっとも不要な牌は何か、無論、単独の対子煮でもならない限り、用をなさなくなった⑨筒である。

 しかしそこに、ピンポイントで罠を仕掛けるものがいれば、どうなるか。

 

 ――語るまでもない。一の打牌、迷わずの⑨筒。それを、待ちわびていたもの――龍門渕透華が反応を示す。

 

 

「――ロン! 6400!」

 

 

 単純なことだった、前巡に純カラとなった八筒のノーチャンス、⑨筒単騎での七対子。もしだれかが⑨筒を所持していれば、まず間違いなく出和了りの望める手。

 

 それを、透華が和了った。

 

 まるで計ったかのように、透華が――和了った。

 

 

 ♪

 

 

 対局は流れ行く。

 

 そのさなか、衣は瀬々に問いかけていた。

 

「瀬々は――化け物じみた闘牌というのを見たことがあるか? もしくは、体験したことがあるか?」

 

「……いちどだけ、小鍛治プロの闘牌を偶然ネットで見たことがあるよ」

 

 それならば解るだろう、そんな視線に瀬々は頷く。あまりにも人間離れした闘牌、それを瀬々は知っている。そんな瀬々の反応に衣は頷きながら、楽しげに付け加える。

 

「衣もそうだ。――むしろ、衣もそういった、“人ならざるモノの闘牌”が、可能であるかどうかと問われれば――可能である、と応えることができるな」

 

 そんな言葉に、瀬々はそうだろうなと、なんとなく衣から感じられる気配に納得しつつ、すこしだけ、自身と衣との隔絶を感じていた。

 ――瀬々は異様ではある、しかしそれが万人に全てをさらけ出してまで見せつけられるものではない。

 単なるチカラの一つであることを、瀬々は自覚している。

 

 そして、そんなチカラ、そんなバケモノの存在を越えるものが、そこにいることを、知った。

 

「――――秋一郎のそれは、果たしてそんなものではない」

 

 ――オーラス、対局が終わろうとしている。

 

「端的に表するならば“常軌を逸した闘牌”、人ならざる者が持つ共通の“バケモノ”という符号すらも、人間の極みとも評すべき、熟達のそれすらも超越した到達点、それが秋一郎の闘牌だ」

 

 ――二位、秋一郎を追いかける透華がリーチを仕掛けてトップを狙う。静かな対局を締めくくる、堅実ながらも爆発力を持つ満貫手。

 それを、狙う。

 

 しかし、

 

「――たとえるならば、神にその手を抱かせるモノ、神という一つの到達点に、その身を寄せるだけの、力を持つもの」

 

 秋一郎が動いた。一声の発声、三度目のそれは、二度目の鳴きでもあった。“チー”、静寂の卓に、ひとつの風が駆け抜ける。

 

「衣達のそれとは違う、衣達の持つそれはさながら神の加護、神に許されたがためにそこにいる。だが、秋一郎は違う」

 

 それを後押しとして、動きを見せたものがいた。

 現在再開である彼女が、劇的に手を進め、リーチ者の透華に追いすがる。流れが向かないのはラス親水穂、三位の着順を確保しながらも、手牌をその身に燻らせていた。

 

「秋一郎は紛れもない人間だ。そして、ア奴は人間であるがままに、その究極の場所にいる。人の身でありながら、神の下にある、衣達の上を越えてゆくのだ」

 

 ――瀬々は、思考する。

 

(初めての麻雀で、あたしは衣をその頭上に見た。きっとそれは、超えたいという思いと、勝てないという傍観がまじったもの。今がそうであるとは思わないけど、それでも、その上に――あの人はいる)

 

 ――見つめるのは古ぼけた一人の雀士の背、どこまでも遠く、小さく見えるその背を眺めて、どこか、瀬々はそれに“楽しげな様子”を感じ取る。

 

「……なぁ瀬々、面白いとは思わないか? 秋一郎のような、到達点ともいうべき麻雀があることを。――衣はそれに魅せられた。初めて奴と麻雀を打ったその時から、じいじやばあばや、秋一郎に、麻雀を楽しむということを教えてもらったその時から、誰かと卓を囲むことが、どうしようもなく愛おしくなった」

 

 衣の言葉を、瀬々は1つずつ飲み込んでゆく。

 

 衣が居るのは、瀬々の向かう先とは、少し違うかもしれない。それでも、彼女は明確に瀬々の前を行く人間だ。ただの一人の少女である瀬々には、眩しすぎる存在だ。

 

(――可愛いんだけどさ、それが、あたしと衣の違いなんだと思うと、すこしだけ、寂しい)

 

 そうやって、衣の言葉に聞き入りながら、そっと瀬々は、そんな風に吐息を漏らして、

 

 

「――ロン、5200」

 

 

 ――対局の終わりを、見守った。

 

 

 ――最終結果――

 一位大沼秋一郎:30200

 二位国広一  :27100

 三位依田水穂 :24300

 四位龍門渕透華:18400

 

 ――ここまで、秋一郎の和了はたったの一回、それも、東発に放った5200の低くはなくも高いとも言えない手、それによって手にした点棒を、彼は最後まで奪われることはなかった。

 それも、奪い返したことにより、結果として点棒を保ったのではない。文字通り、彼の点棒は不動だった。

 

 

 つまり、対局のべ七回――いちどの連荘もなかった――その間に、彼はいちども点棒の移動をおこなっていない。

 

 

 ツモ和了がなかった。加えて、満貫以上の和了は、テンパイこそすれ、和了されることは絶対になかった(・・・・・・・・・・・・・・・)

 その言葉の、意味するところは、少女たちの表情を見れば、すぐに知れる。

 

 完敗。

 ――この半荘、だれも彼の手元に手を延ばすものはいなかった。だれも彼に手を届かせることが出来なかった。完全に、手玉に取られ、完璧に、敗れ去った。

 

 大沼秋一郎。

 神すらもその手中とせしめるほどの男。その一端は、あらゆるモノの風をかき消して、ただ牙城として、かれの存在を晒すのみ。

 

 それこそが、この半荘のすべての結果。そして待つは次なる半荘、秋一郎をこの者達の中でもっともよくしるもの、天江衣が、卓へ付く。

 次なる半荘が、始まる。




化け物じみた闘牌というのは、まぁ色々あるものですが、今回の闘牌は、それから一線を画すものであると思います。
まぁ要するに、バケモノとはべつのとんでもない雀士、ってことですね。

感想の門戸を大きくしてみました。純粋なものから考察的なものまで、色々欲しいところですので、歓待しています。


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『狂戦士の切っ先』

 半荘をひとつ終えた。傍目から見ているよりもその卓は緊張にまみれていたのだろう、秋一郎を覗く三者が、半死半生といった様子で倒れこむ。

 普段であれば爛漫としている水穂が、手で体を仰いでほてりを沈めているのが印象的だ。

 

 そんな少女たちに、秋一郎が言葉を投げかける。

 

「よく闘いぬいた……まずはそう褒めておこう。俺を前にするとな、雀士はどうも萎縮するらしい、人間じゃない奴らの気配なんざ、俺は持ってはいないんだがな」

 

 事も無げに言われるものの、しかしそれは、事実と照らしあわせてみればそんなこと、一言たりとていうことはできなくなる。少女たちはそれがわかっているのだ、そしてそれを紡ぐ、秋一郎の言葉の意味も。

 ――秋一郎の言う魔物のごとき所業。対局の行く末を自由に采配し、如何にしても届かないのではないかという鉄壁の剛体性。それを顕にして他者を歯牙にかけないかのような打ち筋。

 それこそ、魔物らしい闘牌といえば、まさしくそれだろう。

 

 そんな闘牌を、大沼秋一郎は人のみでありながらしてみせた。彼の言葉はそこにある。彼がなしたのは特別な存在に依る非凡の麻雀ではない。人が人である以上、必ず辿り着く場所にある、そんな闘牌をしてみせたのだ。

 

「その上で、少しばかり語らせてもらおうか。ではまず、そこの給仕姿のキミから」

 

「え? あ、えっと、はい!」

 

 ただ対局するだけではない、秋一郎の持つ観察眼からくる、アドバイスをしようというのだ。一瞬ポカンとしたものの、すぐさま一は目を輝かせてそれに応じる。

 ――秋一郎曰く、

 

「キミは雀士としては水準以上の物があるだろう。今後ともそれを伸ばしていくといい、その上で考えるべきこととして――キミの麻雀は真っ直ぐ過ぎる」

 

「真っ直ぐ過ぎる……ですか」

 

「愚直、と言い表してもいいのかもしれないな。端的に言えば、麻雀から読み取れる意思が、非常にスマートにこちらへ伝わってくる。……少なくとも、俺のような相手にとってみれば、それはカモというほかにないな」

 

「カモ……」

 

 さすがに、辛辣という他にないだろう。しかしそれでも、秋一郎の言葉ははっきりしている。――彼の言葉の、最も眼を見張るべき点は、その正確性といえる。

 

「無論それを悪いとは言わない、そのような麻雀を打つ以上、俺達のような相手は気性からして苦手なはずだ。ならば、それに対処する方法を身につければいい」

 

 彼の言葉が、全てそのままそっくりアドバイスを受けるものの心中を強引に揺るがす力を持つ。それは彼が麻雀牌を手にとって以来、ずっと感じ取り続けてきた経験的感覚の結論とも言えるものだった。

 

「俺が考えうる対処法は二つ。……なんだか分かるか?」

 

「――搦手を覚えろ、ってことですか? もう一つは……ごめんなさい、わかりません」

 

「一つでもわかれば十分だ。まぁ、俺としてはそちらではなくもう一つ――信念を持つことをおすすめするがな」

 

「……信念?」

 

 小首を傾げて言葉を反芻する。ピンときてはいないだろう。無理もない、少なくともそんなことを意識して、過ごす人生ではなかったはずだ。

 

「簡単だ、信念とは曲げ難い、ひとつの柱のことを言う。ならば、その曲げ難い柱を、ストレートに見せつけられれば、俺達のような人間は、“厄介だ”と思うはずだ」

 

 そうしてから、更に秋一郎は続ける。他者はそれを聞き入っていた。一だけでなく、その場に在るすべての者達が。

 

「打ち筋や、打牌の方法を逐一考える必要はない、もしも自分の中で、心底信じられる物があるのなら、自然と打ち方はそれに準ずるはずだ。故に――考えろ、麻雀に対する自分の心を。なぜ麻雀を打ちたいのか。どんな風に自分以外の三者を打ち崩していきたいのか。そんなことを、明確に答えを出せるようにするのだ」

 

 ――もし、それが自分にとって納得の行くものであるのなら。

 

「――――もしもそれが、自分の中で、腑に落ちる(・・・・・)ものであるのなら、それことがキミの信念だ。それを強固なまでに心胆によって補強し、守り通せ。俺から言えることは以上だ」

 

「…………はい!」

 

 勢い良くハジメが頷いて、それからゆっくりと思考の中へと自身を惹きこませていく。それを満足そうに秋一郎は見送って、そうして他の二名、この場合は依田水穂に目を向けた。

 

「……キミもまた、雀士として及第点を与えることができるだろう」

 

「ありがとうございますっ! そう行ってもらえると、すっごい光栄なんです!」

 

「どういたしまして。……では、キミは自分の麻雀を如何にすべきか、考えたことは在るか?」

 

「え? あ、えっと……あります。団体戦、とか」

 

 そう答えを受け取って、秋一郎は考えを巡らせる。――一瞬その視界の端に、衣の視点移動が映ったが、その先にある、渡瀬々という少女に意識を向けることはなかった。

 おおよその検討はつく、その言葉が、少女にとって何を意味するか。なぜ衣が視線を瀬々に向けたのか。

 

「ならば、改めてそれを見つめなおすことだ。きっとキミはどこかで無茶をしている。そしてそれをわかっているのだ。だからこそ理解してほしい。キミのそれは称賛されるものではある。しかしそれを快く思わないもの――いや、そのものの考えゆえに認められない者が居る。それだけは理解してほしい」

 

「――それは、できません」

 

「……それを決めるのは誰だ?」

 

「私です」

 

 二の句を継がせぬ即答に、秋一郎は黙りこくった。意図を理解できずにいる周囲、それの中にあって唯一人、瀬々だけは顔を暗く伏せて苦々しそうにした。

 彼女のは力がある。周囲はそれを、未だしっかりと理解しているわけではないが、全容をつかめていないわけではない。――特に衣は、その内容はともかく、意味自体は理解できているようだった。

 

「ならば、何も言うまい。……俺はキミの思考も理解できる。悪く思っているわけではないのだ。ただ、それと相反する思考もまた、理解できてしまうのだ。……いや、それはキミもわかっているか」

 

「……はい」

 

「――雀士として、キミに伝えられることはない。キミのチカラを鑑みれば、キミは守りに特化すべきだが、その点に関しては経験以上にキミに教えられるものはない。その点もまた、重々承知してほしい」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「それでは――」

 

 そこで、秋一郎の目が瞬時に変化した。――衣ですら違和感として拭い去ってしまう程度の小さな変化を、理解したものは唯一人。それを直接向けられた、龍門渕透華のみだった。

 

「最後に、キミもまた十全のチカラを持っている。だからこそ――――キミがどちらを選ぼうと(・・・・・・・・)それはキミ自身に相違ない(・・・・・・・・・・・・)。否定されることはない」

 

 透華に向けて、秋一郎はただ一言だけ残した。言葉に入ったチカラが、一層彼の姿をブレさせる。少女たちは困惑気味の思考を抱え、それぞれに楔を打ち付けられた。

 一雀士として、究極の位階に立つ彼の言葉が、彼女たちに与えた影響はけっして小さくはない。むしろ、本来であれば交わることすらありえない邂逅に、その言葉は無限にも近い糧とすら思えた。だからこそ、少女たちは考える。自身がさらなる前進を遂げるために、最上といえる選択肢は何か。

 

 無限にも思える視界の先、そこにあるものを、己が信じる形に変えて、手にするために。

 

 

 そして、

 

 

「――では、次に移ろうか。衣、俺と打ってくれ(・・・・・・・)

 

 

 再び、秋一郎がその時を動かした。

 単純な依頼の言葉、衣に対してそれを使う。その意味を理解できないものはいない。だからこそ息を呑む。秋一郎が、そして衣が、莫大な何かの固まりを噴出サせていることに。

 

 両者は、そのどちらもが全てを喰らう狂戦士(えいゆう)そのものだ。目前に移るバケモノ(えいゆう)を討たんがために、全てを賭して矛を向ける。

 

 その切っ先が、眼光として鋭く両者を貫こうとしている。次なる対局が――始まろうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 衣と秋一郎が卓に入る。

 その時、同卓するのは果たして誰か。まず一人は前半荘を観戦するだけであった渡瀬々。これは当然だ、ならばもう一人、最後に選ばれる対局者は、既に秋一郎と対局した中の誰かということになる。

 これもまた、すんなりと決まった。

 口火を切ったのは一、透華か水穂を押し、自分は一歩下がろうとしたのだが、それを透華達は認めなかった。

 

「――対局で二着をとったのは一だよ、それくらいのご褒美は許されるんじゃないかな」

 

「それに今日は水穂先輩もいらっしゃいますし、私達は場を提供しているとはいえ、あくまで大沼プロは衣に会いにこられたのです。部外者という立場は対等ですわ。ですからそういったことを気にする必要は全くありませんの」

 

 と、両者が言葉を連ねたことにより、一が対局者として選ばれる事となった。若干の気恥ずかしさを伴って、しかしその眼には力が宿る。

 

 かくして、今日二回目の半荘は、東家秋一郎、南家瀬々、西家一、北家衣、この席順で対局が始まることとなる。

 

 

 ――東一局、親秋一郎、ドラ表示牌「{8}」――

 

 

 揺れ動く手、四者の右手がそれぞれの思惑に乗って、卓上に布石を描き出す。

 

(――さて、できるなら手っ取り早く和了っておきたい。……今、あたしのチカラは知られていないし、他家を利用してくるというのなら、情報を与えない捨て牌にすることがこのプロ雀士の突破法につながるはずだ)

 

 ――瀬々手牌――

 {一三五九②②⑥⑦⑧68西北}

 

 ふわりと、意識の周囲に浮かぶ瀬々の感覚盤が、回転を始める。幾重にも連なった防護壁とも呼ぶべき礫の群れ。やがてひとつの鉄板がゆらりと、あるがままにその目前へとやってくる。それに勢い良く瀬々は平手を打つと――頭部に思考を促すよう叩きつけた右手を、即座に動かす。

 

(……四巡だ。この手であれば、四巡もアレば和了れる、加えて親番、三翻もあれば十分だ)

 

 ――第一ツモ、ここで直ぐに流れが作られる。最初の一打、だれもがそれを意識するし、誰もが自身の勝利を目論む、その上で、最も先を征くのが瀬々だ。

 

 瀬々/ツモ{9}・打{九}

 

 これで、一発を除けばリーチツモドラで三翻、瀬々がチカラを振るえば、その先に見えるものすら看過される。前進される。勝利される。

 それこそが瀬々。――渡瀬々。

 

 くるりと廻る牌の姿が、地上に、空に、あらゆるものにさらけ出される。一つの煌めき、彼女の心身。無限に満ちた選択肢、その直線に並べられた行き先案内図は、瀬々の和了を答えと記す。

 

(あぁ、これだ。この感覚だ。あたしは、これを麻雀と呼ぶ。あたしはこれを、新世界と呼ぶ――!)

 

 続くツモ、瀬々の手は、迷いなく。だからこそ――そこに狙いをつける物があることを、今はマダ、しらない。

 

 

(……瀬々と衣が入った。瀬々は何時だって警戒しなくちゃいけない相手で、更に衣はこの対局には因縁めいたものを持ってる。たぶん、今のボクよりずっと強い。――考えなくちゃ、ボクが如何に、彼女らに対抗していけばいいのかを)

 

 然り。衣がそうであるように、この卓には先程とは明らかに違う、特異な雀士が紛れている。その筆頭たるが渡瀬々、この少女はむき出しの異能保持者であり、それを最も端的に、この場において振るってくるものだ。

 

(警戒すべきは、間違いなく瀬々だ。無論、他の二人の方が多分、瀬々よりも強いんだろうけど、衣達は警戒のしようがない雀士だ。だったら、まずは一番つき崩しやすい方を、相手どっていくしかないよね)

 

 幻惑の雀士、大沼秋一郎に天江衣、この両名を警戒すべきなのはまず間違いない事実。しかし捨て牌に罠を張り、自身の打牌を一とは明らかに違う目線から見通す相手に、打てる手など数少ない。

 対策の打てない相手。むしろその対策が、相手にとってみれば絶好の餌にしかならない相手。それこそが、この二人の最大の強みなのだ。

 

 なればこそ、一はそれを考慮しない。一の打ち方は一の打ち方だ。それを崩してしまっては、そもそも自分の麻雀自体が打てなくなってしまう。

 だから、

 

 秋一郎/打{中}

 

(なんだか動かされているみたいだけれど――)

 

 ――一手牌――

 {一二三九12⑧⑨99白中中}

 

 自身の手牌右端へ手をかけて少し、一の思考が逡巡する。この鳴きで、果たして何が変わるか。問い詰めれば、すぐに答えは見えてくる。だからこそ、ここは動かないという選択肢はない。

 瀬々を警戒する一、というこの図において、ここで鳴かないというのは、一の方針に反する。だからこそ、一はそれを倒さざるをえない。たとえそれが、秋一郎の役字牌生牌切りという、異常事態であったとしても。

 

(――ボクの打ち方は、これが正解の、はずだ!)

 

「――ポン」 {中横中中}

 

 一/打{白}

 

 流れのままに、過ぎゆく秋一郎の牌を、一が勢い良く救い上げる。しぶきが舞うように、跳ね上がった牌は、そのまま勢い良く一の元へと流れる。

 その瞬間、空気が揺らいだのを、果たして一は感じ取れただろうか。

 

 

(……ここまで、か)

 

 自摸った牌を、さほど確かめもせずに自摸切りする。これが当たらないことくらい解る。まさか蚊帳の外にいる自分が、ここに来て悪い流れを引き寄せるとも思えないし、そんなつもりもない。だから、切る。当然それは先程一が切ったばかりの、安牌であるのだが。

 

 衣/打{白}

 

 直後だった。

 勢い良く、秋一郎の手が牌を掴む。叩く音は、嫌に重苦しく響いた。

 

「ツモ、2600オール」

 

・大沼秋一郎『32800』(+7800)

 ↑

・渡瀬々  『22400』(-2600)

・国広一  『22400』(-2600)

・天江衣  『22400』(-2600)

 

(まずいな。衣に流れがない以上、それを引き寄せなければ衣に正気はない。だが、今は秋一郎の元へゲームの流れが完全に向いている。ならばいっその事、衣が勝負に出るのではなく、他家に秋一郎の気配を殺させてみるか……!)

 

 流れる思考。そしてそれは衣だけでなく、悔しげに目元を歪める瀬々と一もまた、高速で考えを巡らせる。――それぞれの思惑が重なる中、秋一郎の手が、そっと積み棒を卓上に晒した。

 

 ――連荘だ、一本場、大沼秋一郎二度目の親番が始まる。

 

 

 ――東一局一本場、親秋一郎、ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 この局、進行は明らかに静かなものだった。瀬々への牽制を兼ね、一が早々に自風牌を衣から食い取り、特急券を確保する。――それが最初の動き。

 続々と河に捨て牌が埋め込まれていく中、進行は、ゆっくりとその姿を変質とさせていった。

 

 巡目半ば、衣の顔が歪んだのは、周囲に浮かぶ他者の気配、それが少しずつ膨れ上がろうとする、そんないっときの事だった。

 

(――やられた)

 

 端的に、衣はそう漏らす。

 秋一郎が親番でなければ、どれほど楽な対局だっただろう。彼に振り込もうがそれは局を先に進めるだけ、子と子の関係であれば、衣にとって秋一郎への振込は差し込みと同義、やむを得ない結果と言えた。

 それでも、その言い訳はこの瞬間では無用の長物とかす。

 

(……うすのろめぇっ!)

 

 自分自身への罵倒を、そう終えながら、衣はすぐさま状況を確認した。

 ――序盤の和了でこの局、瀬々は一度テンポを崩しているはずだ。渡瀬々はこの対局中、沈黙したきり動いてはいない。前局のように、和了を目指せるような流れであるのならともかく。

 

 それでもなお四面楚歌。衣を取り巻くのは二対の剣閃。振るい切り裂く鮮烈なる刃は、禍ガ月の如く湖畔に揺らめく、天江衣を穿って貫く。――貫かんと、その射程を陰に定める。

 虎視眈々、狙うは一瞬の不覚。それを成す雀士は二者。――国広一。――――大沼秋一郎。

 

(手牌の安牌を切らされた時点で、ここまでの流れは予期してしかるべきだったな)

 

 感じるのだ、気配を。

 

 ――一手牌――

 {裏裏裏裏裏裏裏} {横二三四} {横④②③}

 

(一の捨て牌に{2}―{3}―{4}周りはない。つまり待ちは{1}―{3}―{4}―{5}のいずれかだ)

 

 視点が勢い良く空を切る。

 衣の視界には、まるで押し寄せるかのような波が広がっていた。川底から巻き上がった水しぶきが、当たりを浸し、衣を冒す。一の劔が、衣のたもとにあるのだ。衣の手は彼女の手から、いかほどにも逃れようがない。

 

 ――衣手牌――

 {11134444699東東(・・)} {6}(ツモ)

 

 ここまで順調に進んだ手、しかしそれが、ここに来て衣を阻むものに変わった。

 

(……カン? いや、衣に今流れはない。むしろそんなことをすれば、他家のドラを増やし打点をあげてしまう。――衣はこのカンで{3}を引いてくる自信がある。ここは、何としてでも一に差しこむしかない)

 

 自摸り四暗刻の一向聴、この手牌は後方から眺めればそのように移るだろう。無理もない、ドラ役字牌二つがかかえの索子染めに、そんな化物のような手すら加わるのだから、

 しかし、衣の目はそれを否定する。衣が感じ取る気配は、紛れもなく他家からのテンパイ気配。衣の持つオカルトとしての感覚と、衣の持つデジタル、あるいはアナログの極みと称される観察眼が、それを正確に彼女へ伝える。

 この場において、衣は狩られることを待つ獲物にして、他ならない。

 

 ――一だけではないのだ。衣を穿つ刃は二対、別方向からの妖しい煌めきに、ツゥ――と、衣の頬から冷や汗が垂れる。

 

 ――大沼秋一郎。彼が、まっさきに衣を警戒し、刃を突きつけている。

 逆風下において、衣はギリッと、敵意満面に歯噛みをした。――澄まし顔で、秋一郎の視線がそれを返す。――躱してみろ、と。

 

衆寡(しゅうか)敵せず。……もとより麻雀において、多勢に無勢は承知のうえだ。が、そこに秋一郎が加わるとなれば、百万の軍勢、百鬼夜行のたぐいであれ、無惨な蛮族になりはてるということか――っ!)

 

 ――秋一郎捨て牌――

 {一⑧四九7②}

 

 ――状況は簡単だ。一と秋一郎、両者からのテンパイ気配を衣は感じ取った。特に一のそれは濃厚で、二副露による速攻から、ほぼ一息のまま和了へと、この場を手中に収めようとする衣、秋一郎に肉薄した。

 そこに、秋一郎からの気配だ。だからこそ、この状況を衣は端的にまずいと、考えた。

 

 ちらりと向かったのは瀬々の捨て牌、しかしそこに、有益といえる情報はない。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {⑨八二1一7}

 

(前巡の{7}は手出し。これみよがしに衣の{6}―{9}を誘っている。そうでなくともこの牌は切れない。だとすれば、衣が切る牌は、自ずと限られてくる)

 

 まず、ダブ東のドラドラである東の対子は落とすことは出来ない。更には{四索}、{三索}も一へ振り込む危険性が在る。無論それであれば僥倖ではあるが、まずそれを避けられる選択肢を模索するべきなのだ。

 

(となると、衣が選ぶべきは、この{1}。これであれば喰いタンでなければ和了れないだろう一には当たらないだろうし、秋一郎にとっても苦しい一打のはずだ。だから衣は、この牌を選ぶ。無論、この卓にはとにかく字牌が出てきていない。一がこの手で和了する可能性はあるが――それならば、打点が高くなることもない!)

 

 覚悟の{1}、選んだ牌は衣の手の中を転がって、ゆっくりと卓上へと吸い込まれてゆく。光は伴わない、心は介さない。ただ純粋なまでに直情的な一打。

 その瞬間、衣の手のひらに電撃が奔る。空間が歪み、その姿を変質させたことを、その瞬間、衣はしっかりと感じ取ったのだ。

 

(……な、これは、まず――――ッッ!)

 

 そして、

 

 それに、

 

 

「――ロン」

 

 

 反応し、呼応し、対応するものがいた。

 

 ――大沼秋一郎。

 東発の親が、また、和了った。

 

「――9600は、9900」

 

 ――秋一郎手牌――

 {①①①⑥⑦⑧23東東(・・)白白白} {1}(和了り牌)

 

・大沼秋一郎『42700』(+9900)

 ↑

・天江衣  『12500』(-9900)

 

 理解した。

 否が応なく理解した。させられた、衣はそれを、認めざるを得なくなった。その瞬間を、確かめざるを得なくなった。

 狙われていた。無論それはわかっている。そしてそれが、秋一郎の手によって成されたことも、わかっている。

 だからこそ、それが如何に正確な狙いであるか、衣は感じ取らざるを得なかった。

 

(――――やられた(・・・・)。衣はそもそも、こう考えていたのだ。この手牌、最も安牌に近いといえるのは{3}だ。{四索}が壁になっている上、そもそも{四索}が四枚衣の手に在るのでは一はこの{3}であればそもそも和了ることは不可能。だが、そんな牌、切れるはずがない(・・・・・・・・)!)

 

 折り重なった数牌、しかしその中に、1つだけ浮き上がった異様な牌があったとすれば、たった一巡だけそれが通りうる、そんな牌があったとすれば。

 ――衣はそれを不自然と思う。掴まされたと、そう考える。この場合、衣が手にしていた{3}、それがかく言う衣の“不可思議な牌”だ。

 だからこそ、絶対に切れなかった。切れなかったからこそ、秋一郎はこの手牌を読んでいた。

 

 それから衣は、ちらりと瀬々の捨て牌を眺めながら、考える。

 

(既に{1}は衣がすべて抱えている。つまり、衣の手牌からしか{1}は出で来ない。{4}もそれはまた、同じ。衣だけを狙った捨て牌。……この一瞬であれば、確実に上をいかれた、か? ――――否、刹那のみが麻雀ではない。上回ってやるさ、衣が、何としてでも、秋一郎を!)

 

 

 決意新たに、東一局一本場、一が動く。

 瀬々からの鳴きが瀬々を揺さぶり、衣が、秋一郎が、手を加えるよりも早く決着をつけるに至った。――一の和了によるものだ。

 

「――1900」

 

 静寂を体現するかのような消え去り気味の点数申告、流れる対局――東一局は終わり、続く東二局を迎えようとしていた。

 

・国広一  『24300』(+1900)

 ↑

・渡瀬々  『20500』(-1900)




秋一郎二戦目その1、三回くらいになりそうです。


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『ミラージュ・オブ・ムーン』

 ――東二局、親瀬々、ドラ表示牌「{6}」――

 

 それぞれの配牌が終わり、第一打は極々平凡なものに終始した。二巡、三巡と手なりのままヤオチュー牌を排する展開が続く。周囲に視線を向け、威嚇気味の警戒を展開するのは、天江衣。

 激しい気性のごとき瞳を、烈火のごとく炎熱させて、その気迫を周囲にぶつけていく。

 

 ――衣手牌――

 {三四七八⑨⑨46()東北北北}

 

 北の暗刻から、平和手は困難であるすぐに知れる。ここから手を作るなら、この三向聴を素直に進めて、リーチドラ一ツモでなんとか四十符四翻が確保できるだろう、という手。

 

 三色を見るのならともかく、おもしろみのない手だと表することができるだろう。

 

 そう、何の変哲もない手。

 

(だれもこれを不自然とは思わない。――前々局、よくもやってくれたな秋一郎。これはその、お返しだ)

 

 ――衣/ツモ{3}・打{北}

 

 北の暗刻落とし、衣の視点からは、その打牌はそう映る。しかし、他者は決してそうではない。そこに衣の策がある。――狙うのは、秋一郎。しかしそれは、決して自身のチカラを、秋一郎に向けるためのものではない。

 これは、秋一郎の持つ支配性を、打ち崩すための手だ。

 

 

「――リーチ」

 

 

 六巡目、早い段階でその掛け声はかかった。凛とした少女の発声。勢いままのそれは、国広一、衣の上家に座るもののそれだった。

 

 ――一捨て牌――

 {白2八1九横④}

 

 もとより、一の捨て牌からは、そのストレートなまでの速度が如実に現れていた。二巡目の時点で衣はそれを察している。無論、秋一郎も。

 

 すぐには鳴かない、衣の打牌に、反応した。

 

 衣/打7(ドラ)

 

 手出しの{7}、それはつまり、衣が攻めを諦めてはいないという意思表示、更には、衣がその一打で大きく前進したことを示すもの。――たとえリーチの発声がなくとも、そこで秋一郎が動くのは必然だ。

 

「チー」 {横789}

 

 一発消し、この状況で、すぐさま一が自摸ることを理解しているのだろう。それを経験により知っているからこその、その鳴き。そして、その一打。

 ――疑いはない、その一打を秋一郎は迷わない。

 

迷えないだろう(・・・・・・)? 秋一郎。お前はその選択の意味を既に理解しているかもしれない。しかし、ここは躱さなくてはならないのだ。衣の攻めと、一の攻め、それを無視してまで、この状況をスルーするわけには、行かないはずだ)

 

 それは、わかっていても出さざるをえない牌、衣の手牌が攻めの気配を帯びている以上、一がリーチをかけて和了りを目指している以上。たとえそれが“衣の手中に収まる事象であれ”動かざるをえない。

 それ以上の危機が、そこにはあるのだから。

 

 故に、出す。秋一郎は、否が応なくその牌を切る。

 

 秋一郎/打{北}

 

 ――秋一郎が持つ唯一の安牌(・・・・・・・・・・・)、衣への振込を警戒し、この場で出すことを強いられた牌。

 

 その瞬間、衣の笑みが、化け物じみた半月へと変わったことを、誰もがその眼に、焼き付けた。――吹き上がる気配、それを、チカラであるということは、直ぐに認識として明らかとなった。

 

 

「ポン!」  {横北北北}

 

 

 それを衣が、勢い任せに鳴いていく。

 状況が再び引き戻される。これで、ツモ巡が元の状態に回帰するのだ。――当然、一発は消えたものの、一のツモは、一の手元へと返り咲く。

 

「ツモ」

 

 奮われる牌、跳ね上がる卓上。

 

「1000、2000」

 

 一が今日、二度目の和了りを見せる。

 

 

・国広一  『28300』(+4000)

 ↑

・天江衣  『11500』(-1000)

・大沼秋一郎『41700』(-1000)

・渡瀬々  『18500』(-2000)

 

 

 ――東三局、親一、ドラ表示牌「{六}」――

 

 

「リーチ」

 

 瀬々がここに来て動いた。五巡目にしての最速リーチ。これにより、一気に卓が動き出す。

 対するように、衣はそんな瀬々を、周囲を睨みつけるように視点を移動させる。――笑みを、半月のごとく張り詰めたままに。

 

(……染め手であるのは捨て牌からも明らかだ。――字牌がないことを鑑みて混一色、それでも、リーチがかかって瀬々ならば、倍満ほどに仕上げてくるか?)

 

 瀬々のそれは五巡目にして最速のリーチ。そして、自摸切りによってのリーチ宣言だ。これは瀬々のチカラの本質を鑑みれば極々アタリマエのことで、瀬々のチカラは、結果はどうあれ、ひとつの答えとして正しく在らねばならないのだから。

 

(さて、今宵の局面は明々白々。やもすれば、衣自身すら、その場に足をついて姿をさらけ出すほどに)

 

 ――衣手牌――

 {三四八②②⑤⑥⑦34567}

 

 見栄えの好いタンヤオ系である衣の手。

 序盤から中張牌の飛び出る異様な瀬々の手牌。

 そして、ツモ切りリーチ。

 

 他家はどうだ? どう動く? 一は恐らく、動けるのならば動くだろう。秋一郎は? まさかこの手を理解できないわけもあるまい。動かなければ、痛い目を見るのは秋一郎もまた同一。ならば、どう動く?

 

 そう、明白だ。答えはあまりにも、――昼の月が、空に煌々と輝いてしまうほどに。

 

 

(衣が和了ればいい。衣の全力で、衣の求める手を作ればいい)

 

 

 ――その上の、一打。

 

 ――一捨て牌――

 {9①北7白}

 

(……ここか)

 

 衣/打{3}

 

 狙いは、この局面で動かざるをえないだろう一の鳴き、そのために、衣が二の足を踏まない、もっとも前進へと向いた一打。

 

 それを。

 

「ポン!」 {横333}

 

 思考通りに、一が鳴いて打ち返す。――巻き戻るツモ、秋一郎が握るはずだった山の一角を、衣がその手で勢い良くつかむ。

 

 衣/ツモ{②}

 

 有効牌、これを、秋一郎は掴んでいるはずだったのだ。

 

(……出ているわけがない、否、秋一郎に手玉に取られているところだったな。どうだ? こいつは効くか?)

 

 衣によって作られた世界。そこで前局、秋一郎は眉一つ動かさず点棒を一に明け渡した。ならば、今度は? 衣がそう考えるのも無理は無い。そして秋一郎は、あいも変わらずの姿勢を保ったままだ。

 ふむ、と一息、思考まみれの吐息を吐き出す。

 秋一郎は動かない。当然だ、動けばそれは好きになる。――衣には出来ないことだ。衣にとって麻雀は楽しくて仕方がないものだ。負ければ悔しいし、欺かれればそれが表情に湧いて出る。

 

 だが、彼は違う。秋一郎は勝負に対してどこまでも真摯なのだ。だから、常に全力であろうとする。常に竹を降そうとする。それが、秋一郎の打ち方。

 

(羨ましい限りだ。……だからこそ、届かない世界に、衣は手を伸ばさせてもらう!)

 

 秋一郎の打牌、現物打ちの廻しかベタオリ。この場合は、きっとどんな牌を打っても、ベタオリでしかないのだろう。衣が秋一郎を、引き止めたのだ。

 

(ここで上がれば、次局親番に大きなプラスとなる。それは間違いない! ならば答えろ! 牌よ、(うぬ)は果たして、誰を選ぶのだ?)

 

 瀬々/打{八}

 

 ――瀬々の染め手は萬子染め、しかしその{八}は和了り牌ではない。それは秋一郎が掴んだ。彼の打牌は瀬々に振り込むためのものではない。

 この瞬間、瀬々の和了は、永遠と世界に封じられることとなった。

 

 続く一の打牌、危険牌{五}。それでも、通る。

 

「チー」 {横五三四}

 

 瞬間、瀬々の顔が悔し気なものに変わる。鳴いて晒した手の内に、瀬々の急所が紛れていたか。――否、そうではない。それも在るだろうが、もっとも瀬々がここで理解せざるを得なかったのは、そこではない。

 察したのだ。

 衣の鳴きで、テンパイが入り、ノイズを祓った瀬々は、衣の手牌を覗き見る。

 

 結果、察した。

 

(……どうだ? その手はもう和了れまい。――瀬々にはもう見えているのだろう? 答えをしる瀬々ならば、この先の答えを)

 

 衣/自摸切り{八}

 

 衣のテンパイ強行、たかだか一翻の喰いタン手。そして、故にそれを、倍化させる。――衣の直線上、対面に彼女は座っている。

 

 渡瀬々、リーチ宣言者の自摸切りを、衣が貫き、牌を倒す。

 

「ロン」

 

 ――衣手牌――

 {②②②⑤⑥⑦4567} {7}(和了り牌) {横五三四}

 

「三十符一翻は、1000」

 

・天江衣  『13500』(+2000)

 ↑

・渡瀬々  『16500』(-2000)

 

 朗々と語る衣の表情が、ゆっくりと一文字の新月へと変容していく。――ここからは衣の親番だ、衣が相手するのは渡瀬々だけではない。鬼神、大沼秋一郎、そして新星たる一人、国広一。

 誰であろうと、それを無視することは出来ない。

 

 ならば、彼女がここで浮かべるのは笑みではない。

 

 ただ、強く在るための牙ではない。

 

「さて――」

 

 威嚇するのではなく、喰らいつく。怯えを持って相手をさせるのではなく、意識など端から持たせない。――在るのは結論、ただ死によってのみ完結する、事象の認識だ。

 

「……親番、と行こうか」

 

 

 ――東四局、親衣、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 ――天江衣。稀代の雀士にして、牌に愛されたとすら評される魔物。その本質は、きっと空に浮かぶ、夜を切り裂く月影ではなく、寂しさを恐れる一羽のうさぎだったのだろう。

 衣は他人とは違うチカラを持っている。思うがままに麻雀を操り、他者を壊してしまうほどの暴虐なチカラ。

 

 それはきっと、誰にも好かれることはないのだろう。――認めてくれるものはいた。父も、母も、たとえば、透華も。衣を認めてくれたし、愛してくれても板だろう。

 

 だが、それでも彼らは、衣のチカラを、愛してはくれなかった。彼らが、彼女らが衣と麻雀を打つ時、彼らはとても辛そうに麻雀を打っていた。

 おそらくはそれも、こんどこそ衣を打ち破って見せようという気概に依るものだったのだろうが、それでも決して、楽しそうとはいえなかった。

 

 衣と彼らの関係は、超然者と、挑戦者。絶対的な頂点と、平々的な凡点。そこには、麻雀の持つ本来の意味、競いあいに依る“前進”という意味はなかったに違いない。

 

(……衣は自分の麻雀を、決して疎ましく思ってはいない。かつてはそれだけが衣の拠り所だったのだから、衣が、唯一他人に誇れるところだったのだから――)

 

 ――衣手牌――

 {九②白七二南南發⑧1四白一九}

 

(酷い配牌だな。普段の衣だったら、きっとこれを奇想なる河にて牌を釣り上げるのだろうが……今は、そんな事入っていられないな――!)

 

 衣の手が、すぐさま第一打を入れ替える。まずは無駄を払う、その一つ目は、{1}。

 狙う手ははっきりしている。打牌から振り戻した手が、高速で牌を卓の端へと引き寄せる。モザイクばかりとすら思える霞がかった手牌が、勢い良く正しい牌姿へと移り変わってゆく。

 

 出来上がった手は、衣の直線的な志向をそっくりそのまま表している。

 

 ――衣手牌――

 {一二四七九九②⑧南南白白發}

 

 この手に対して、衣は迷うことなく{1}を選んだ。この手であれば、チャンタという可能性が浮かび上がるのだろうが、衣はそれを端からないものとして扱う。

 

(楽しいか? 楽しいな、なぁそうだろう秋一郎! 衣はお前に勝ちたい、心の底からそう思う!)

 

 そんな中、衣は両親を喪った。まるで衣という存在が、世界から拒否されているかのように。衣は必死に、自分なりに生きて、自分なりにあがき続けてきただけのはずだった。それなのに、衣は世界から隔絶された。

 それは地球という箱庭から追い出され、天上にて全てを見守ることしか出来ない月のような。月に唯一人住まう、寂しさを恐れるうさぎであるかのような。

 

 

 ――それでも衣は、在るひとつの出逢いを果たした。

 

 

 衣が出会った幾人かの友。年こそ大きく離れていたものの、衣が祖父母に引き取られ、通うこととなった学校で、衣は数人の少女と交友を結んだ。

 少女たちは麻雀を知らなかったが、そんな少女たちに麻雀を教えたのは、秋一郎が偶然持っていた彼の麻雀入門書だったのだ。

 

 彼女たちは強かった。衣が勝てない人間は、また少し増えた。衣の持つ輪の広がりは、かつてとは比べ物にならないほど大きくなった。

 太く、強く、侵し難くなった。

 

 衣はそうして“完成した”のだ。それが今の衣、外へ向けたのは、そんな世界を、本当の世界と見比べたくなったから。

 

(……どうだろうな、秋一郎。衣はこうして麻雀を打っている。それは楽しい、とても。――面白い人間が、世の中にはたくさんいるぞ)

 

 ――対局は、最中にあっても進行する。衣の手からすべての筒子、索子を排した。今あるのは、直前に自摸った{中}、これを手牌に組み込むと、すぐさま別の牌、配牌時点から抱え続けた{發}へと意識を傾ける。

 ――だが、それは切らない。一瞬だけ一を見やると、すぐさま視点を元の位置へ戻し、別の字牌、北を切り出す。これに反応するものは誰もいない。

 

 そうしてから、一の打牌を見送って、のち。{發}を切り出す。

 

(外の世界で、初めてであった霊妙の打ち手、瀬々。やはり衣の心に最もあるのは、瀬々なのだろうな)

 

 渡瀬々、衣の初めての人。衣が初めて外の世界で出会った、フカシギを背負う雀士。――否、最初の邂逅時は、単なる少女であったか。

 

(瀬々はこれからもっとつよくなるぞ。今はマダ、どこか足りない部分を抱えているとはいえ、それさえ乗り越えてしまえば、直ぐにでも化ける。――見ていろ、瀬々はきっと、衣達には考えつかないようなことをしてくれるだろうさ)

 

 そうして、衣の手が止まる。

 

(秋一郎に動きはない。となるとそろそろ警戒が必要だな。大方一辺りにでも餌をくれて、手を汚さずに済ませるつもりなのだろうが、甘いな、秋一郎。そのくらいで参ってしまうほど、衣は秋一郎よりも下の位階にはいないぞ!)

 

 ――衣手牌――

 {一二三七九九九南南白白白中} {八}(ツモ)

 

 秋一郎は、無言。自然体のまま、ただ無表情に牌を見ている。否、その視線は周囲を衛生の如く遊泳させている。

 それはきっと、衣では見ることの出来ないだろう視点だ。

 ――見る必要のない、視点だ。

 

 ――衣/打{中}

 

 衣がこの牌を抱え続けた訳は明白。序盤、瀬々の手から即なきの気配を感じたためだ。瀬々が序盤、手を進めるためだろうが、二巡目に一が切った{一筒}を、瀬々が鳴いている。無論、そうではない可能性はあるが、チャンタ系手牌の気配が見える以上、役牌を抱えている可能性は高い。

 そして衣は、それを確信レベルにまで引き上げ、考えている。

 

 この状況で、鳴きは二巡目の{①}のみ。焦れているのだろう、鳴きたいのだろう。上家秋一郎という時点でそれは絶望的だが、それでも、この打牌、衣は切った。そして、これを鳴けば流れが変わる。

 秋一郎がこの卓に手を加えるには、自身が鳴くか、他家に牌を鳴かせなければならない。そのための近道は、自身が自摸ることだ。――故に、この鳴きは、秋一郎のツモ番を飛ばすための鳴き。

 後は瀬々が、それを鳴くかどうか。

 

(――瀬々は、いまだ未完の大器。これはすなわち、瀬々はチカラを持て余しているということ。……なんだかそれは、少しだけ寂しい気もするが、な)

 

 

「ポン!」 {中横中中}

 

 

 鳴くしかない。たとえそれが衣の罠であろうが。手を進めるために、否、瀬々の構想のために、ススメざるを得ない。

 それを悪いとは言うまい。どうしようもないのもまた事実。

 

 だが、それは瀬々の本領ではない。ならばきっと、瀬々はもっと前に進んでもいいはずだ。――渡瀬々は無愛想な少女だ。それは多分生まれながらの性格なのだ。

 面倒だ、と思いながら、それでも衣達について来てくれる。

 

 そんな瀬々が、自分を好きになってくれたらと、衣は思う。衣と瀬々は、どこか似ている。それでも、あまりにもどこかが違う。だからこそ衣は瀬々を愛おしく思う。自分とは違う世界を見ている、この広い空のもとにはいない存在。

 

「――ツモ」

 

 それがきっと、渡瀬々という少女だから。

 

「――――6000オール」

 

 衣は思う。そっと目を閉じ、奏でるように、言葉を声音で揺らしつつ。そっと彼女に、請い願うように。

 

・天江衣  『31500』(+18000)

 ↑

・大沼秋一郎『35700』(-6000)

・渡瀬々  『10500』(-6000)

・国広一  『22300』(-6000)

 

(……秋一郎。瀬々はどうだ、秋一郎の目には、渡瀬々はどう思う? 衣は瀬々を救えないよ。衣と瀬々は違うから。きっといつか瀬々が、自分を好きになってくれると信じて、刺激になることしか出来ないんだ)

 

 ならば、

 

(秋一郎は、どうだ? 衣が、こんな幻影でしかない衣が、手を伸ばしても届かない、瀬々の本当の姿に、一体どんな言葉を投げかける? それは、瀬々にとって、喜ばしいものなのかな?)

 

 叩いた牌の風圧か、衣のリボンが、ふわりと揺れる。楽しそうに髪をかきあげる衣は、決して今の自分を嫌ってはいない。

 秋一郎が、衣のじいじと、衣のばあばが、救ってくれたから。

 ――友達が、できたから。世界を知って、友達を作れるように、なったから。

 

 天江衣は空に浮かぶ月兎。

 人を知り、孤独を殺したかつての魔物。今もそれは衣の中に眠っている。そう、ただ眠り続けているのだ。

 幸せそうに。

 ふかく、ふかく――




元は前話にひっつけたかった部分、いつの間にか誇大化してました。
途中ブレーカー落ちてデータとんだけど、なんとか宣言通りで一安心です。


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『精一杯の愚者』

 渡瀬々、彼女には自分とは何かと問われて、即答する答えがある。

 無論、何の繋がりも、柵もない状態での問に対して、ではあるが。――その上で、瀬々は間違いなく、自分に対してこのような評価を下すだろう。

 

 

 つまらない人間、と。

 

 

 生まれてこの方、人と深い付き合いなどしたことはないし、人を好きになったこともない。ムリもないことでは在る。瀬々のチカラは、人を遠ざけざるを得ないものがあった。

 それが渡瀬々を縛り付ける鎖。

 ――それが、渡瀬々という少女を、躊躇わせる楔。

 

 人との付き合いはほどほどに、誰かに疎まれるようなことも、誰かに自分へ踏み込ませるようなこともない。それによって、自分が持つ最低限のものを守ってきた。

 すべてを失ってもなお、答えを知ることが出来てしまう彼女だからこそ、失ってしまったが故の答えは、身にしみてわかっているのだ。

 

 少女は一度、すべてを壊して生まれ変わった。いや、少女の中の自分は未だ生きている。――それは、きっと眠っているだけだ。

 起き上がることを拒み、駄々をこねて布団に頭を突っ込んでいるだけだ。

 

(……情けないな)

 

 今、瀬々の前には何人もの人がいる。――龍門渕透華、国広一に依田水穂、大沼秋一郎や、龍門渕の屋敷を維持するキーパーたちも、瀬々に関わってくる。

 とりわけ、一人の少女は、瀬々の手をしきりに引くものが居る。

 天江衣、彼女はきっと、崩れ落ちた橋の向こうで、瀬々がその橋を飛び越えるのを、今か今かと待ちわびている。

 瀬々はそれに、応えることができないで居る。

 

(……今のあたしは、きっと恵まれてる。信じられないくらい、いろんな人があたしに関わってきてくれる。解ってるさ、答えが考えるまでもなく解るってことは、あたしが取るべき最善の行動も、あたしにはよく解ってるんだから)

 

 瀬々には生まれつきの力がある。それは瀬々を苦しめ、瀬々を人とは違う、別世界に追いやった最大の原因であり、瀬々が守らなくてはいけない最後の自分だ。

 矛盾していると、自分でも思う。しかし瀬々は、このチカラがなければならなかったのだ。

 

 瀬々を作る、という意味でも。瀬々が生きて行くためのもの、という意味でも。

 

(それって、とっても嬉しいことだ。感情だけでなく、感覚すべてがそう行っている。でも、だめなんだよ、あたしは、ダメなんだ)

 

 そっと、卓に載せた右手を握りこむ。――打牌の直後だ、ツモは遠い。周囲の目も、自分の目も、瀬々はどこへ向けているのかわからない。

 

(あたしはそんな、誰かにかまってもらえるほどの人間じゃないから。チカラだけがあって、それのお陰で、生きながらえてきた人間なんだから)

 

 駄目だ、駄目だ、と瀬々は思う。それはきっと、自分自身のことを認められないからそう思うのだ。だれでもない瀬々が、自分を、渡瀬々を。

 

(そんな人間が、不幸自慢をして悦に浸るような人間が、幸せになって、いいものなのか?)

 

 ――瀬々は今、雀卓の前に居る。瀬々を囲むものが居て、そこの輪の中に瀬々が居る。瀬々の手を引く繋がりは、麻雀の繋がりだ。

 麻雀だから瀬々は誰かと繋がっていられるのだ。

 

 それでも、牌を握る手は霞む。

 

 瀬々が今まで、麻雀を手にして来なかったことはまた事実。この、麻雀が当たり前になった世界で、同一の施設に、二つの麻雀教室が日割りで併設されるような事態も珍しくなった時代に、牌に触れて来なかった人間が、こんなずるのようなことをしてもいいのだろうか。

 

 否、そんなはずはない。現に瀬々は、そんなずるではかなわない相手を知ってしまった。一も、衣も、そして秋一郎も、この場でひたすら、勝利に向けて麻雀を打っている。

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五七七九九(・・)④⑤⑥78} {六}(ツモ)

 

 ここで、瀬々の手牌がテンパイに至る。八巡目、ツモ和了を狙うなら、三巡後が最も近い。――それではだめだと、瀬々は歯噛みする。

 

(……追いつけない。あたしのこの手じゃ、だれに追いつくことも出来ない…………っ!)

 

 届かない。それが証明だ。

 わかっている。感じ取るまでもなく(・・・・・・・・・)。瀬々の手は他家には届かない。十一巡? 笑わせてくれる。この場に流れのようなものがあるのなら、間違いなくそれは瀬々に向いてはいない、他の誰かに向いている。

 

 流れや何かを馬鹿馬鹿しいとは思わない。その流れを制し、他人の流れを操るものも居るかもしれない。それでも、瀬々はそれを食い破ってしまうのだ。

 瀬々の保つ力は、そんな支配などお構いなしに答えを示す絶対的なもの。

 

 だというのに、届かない。

 瀬々がどれだけ全力を目指そうとも、それはどこにも届かない。それは誰にも追いつけない。瀬々が急ぎ、足を進める先にも、もう対局者達の姿はない。

 同じ事、何もかも、あらゆるものが。

 

(……そんなあたしが、麻雀をする意味って、なに?あたしにとって、本当の麻雀は、どんなものだ? わかんないな、解るわけ無い)

 

 その折に、秋一郎の手が動く。すぐに瀬々は察知した。その意味は、揚々に知れる。

 

「ツモ、2100、4000」

 

 前局、衣がオヤッパネ和了で秋一郎に肉薄した。しかしそれも一瞬のこと、続く一本場、すぐさま秋一郎は巻き替えす。瀬々の手の届かない場所で、そうして攻防は終えた。

 

 

 ――南一局、親秋一郎、ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 この局、その第一打はだれもが平素といってもよい物だった。秋一郎の{一}からのスタートに、衣のオタ風{東}、一の{⑨}、だれもがそのスタートを同一とさせた。

 動きを見せたのは三巡目、衣の打牌に変化が見て取れた。

 

 衣/打{八}

 

 中張牌切り出し、それがよほど必要のない牌でないかぎり、こういった切り出しは手の進行を意味する。この場合、衣のそれは順風満帆たる手牌からこぼれ落ちたものだ。

 

 ――衣手牌――

 {二三四六七八②④⑥2379}

 

 この巡目にして二面子、十全にも程がある手牌だ。――加えて、衣には未だ削り切れない流れがある。跳満和了は、秋一郎の満貫程度で消え去る機運をもたらしてはくれない。

 無論、それを認めないものも、また居る。

 

 動くのは、一だ。

 この打牌、衣の{八}に勢いの好い反応を見せる。

 

「――ポン!」 {八八横八}

 

 次巡ツモ、有効牌、{7}、雀頭の完成をふむ、と吐息一つで納得すると、衣はちらりと一へ目を向ける。

 

(……張っているか?)

 

 その打牌から、一の手牌の特性はしれない。

 

 ――一捨て牌――

 {⑨①西二}

 

 特徴のない打牌だ、しかしここまで、役牌を一枚たりとて晒していないのが気にかかる。もしここに速度を伴うというのなら、一の手は間違いなく役牌バックだ。

 やもすればダブルバックで和了を待ち構えているかもしれない。

 

(……ドラの気配が見えないのが気がかりだ。警戒程度で、差し支えないだろうか)

 

 {9}を勢い良く切り出して、それからその視点を今度は次ツモ、秋一郎へと向ける。――彼の目はこちらに向いていない。

 もとより、衣の変化は十分知り尽くしただろう。この半荘、彼は大局の掌握に成功したと見える。

 

 とはいえ、それを衣が気にするというわけでもないのだが。

 

 彼の手に動きはない、ヤオチュー牌の自摸切りだ。さすがに衣でも、それが不要牌であることはよく分かる。

 ちらりと打牌直後に揺らめく視線。衣はその先を追うことなく、自身の手牌へと意識を向ける。

 

 同時、視点を戻した秋一郎が、同じように手牌へと意識を映していた――

 

 

 意識の先、手牌の様子がよく分かる。少しでも衣を引き剥がさなくてはいけない現状、しかし一度満貫で振り払った以上、無茶はできない展開。

 手牌はそれを表している。

 

 ――秋一郎手牌――

 {一一三七③⑤⑦⑧135白白}

 

 和了ろうと思えば不可能はない、しかしそのためには副露がほぼ必須事項、しかも一の待ちは{發}バックで聴牌しているようだ。

 ドラは現状散っているが、一枚は間違いなく一のもとにある。

 それを踏まえた上で、秋一郎は思考を展開する。

 

 麻雀は誰かが和了るか、誰も和了れずに局が流れることが終局点だ。世界の数多ある雀士が卓につこうと、それは一切替わらない。

 ならば、必然的に和了に最も近い、手を加えなければまず間違いなく和了するというものがその卓の中には必ず一人いて、そしてその一人は今現在、間違いなく衣であるのだ。

 

 ――リーチの危険性が薄い以上、打点が高くなることはさほど無い。それでももし、衣が高い手を和了ってくるのならば、それは間違いなく秋一郎の窮地だ。

 

 潰す必要がある。

 

 視線を向けることなく、自身の意思を観察眼という“隠れ蓑”にしまいこんだ。続くツモ、打牌は空を切り、他者の届かぬ場所で、から回る。

 

 

 動きが明白に顕在化したのはそれから数巡した後の事だった。

 

(――テンパイか、最良であるが、その分気がかりだな)

 

 ――衣手牌――

 {二三四六七八②④④2377} {③}(ツモ)

 

(一の自摸切り強行、手が進んでいないならともかく、その打牌はほぼすべてが中張牌と来ている。まるで、誘い込んで居るようだな。まぁ、最善手は得てしてそういうものだが)

 

 衣/打{④}

 

「――チー」 {横④③⑤}

 

 動いた、秋一郎がここに来て、牌を直接晒した。――ある種当然だ。一は現状既にテンパイが濃厚である。

 

(……これで、再び流れが立ち返るか。――それはつまり、今後の展開を予期させるものに違いないな)

 

 秋一郎の打牌、一の自摸切り、それが流れて、衣の手に、牌がそっと宿る。

 

(……なるほどな。――今が大局の中盤であることを感謝せざるを得ないな)

 

 

「ツモ、ピンツモドラ一は700、1300」

 

 

 ――衣手牌――

 {二三四六七八②③④2377横1}

 

・天江衣  『30200』(+2700)

 ↑

・大沼秋一郎『42600』(-1300)

・渡瀬々  『7700』(-700)

・国広一  『19500』(-700)

 

 半荘は佳境を迎える。

 衣のツモは和了、最低限の条件は満たしているといえる。しかしそれでも掴んだのは安目、秋一郎の存在が、衣の目前から霞んで消えようとしている。

 一息に飛び出す衣の跳躍。――――猛追が、始まろうとしている。

 

 

 南二局、南三局、一気に状況は揺れ動いた。だれも寄せ付けない和了が続く。――衣が三連続となる和了を叩きだしたのだ。

 一度目はツモ和了。

 

「――1300、2600」

 

 静かな点数申告が、若干の焦りを一に生じさせる。続くは一の親番であるのだ。一の手順は、より一層速度へと(かし)いだ。

 南三局の和了は、件の一が放銃、

 

「3900」

 

 これにより、衣はさらに点棒をケースの中へと収める。荒くなった一の打牌を、掬い取るように三副露、それでもなお追いついた一の押しに、衣は容赦の無い宣告を行ったのだった。

 

 

 ――半荘が、終わろうとしている。

 

 

 秋一郎が、衣が、一が、それぞれの目指すことの許された到達地点に手を伸ばそうとしている。――長かったように思える対局。

 

 しかしそこに、まったく関われていない、者がいた。

 

 渡瀬々、南一局からここまで、彼女はまったくの蚊帳の外に置かれ、和了すら、テンパイすら出来ず、放銃もなく卓についているのだった。

 

 一位大沼秋一郎:41300

 二位天江衣  :37400

 三位国広一  :16200

 四位渡瀬々  :5100

 

 

 ――オーラス、親衣、ドラ表示牌「{七}」――

 

 

 配牌を終える直前、この時、鳴き発声と点数申告以外で初めて誰かの声が卓上に響いた。向けた先は渡瀬々、動いたのは――大沼秋一郎。見かねたように、彼が彼の言葉で、瀬々に向けて語りかけたのだ。

 

「……キミは、どうやら俺たちとは違うチカラを持っているようだな」

 

 直ぐに、ハッとしたように瀬々は秋一郎を見る。若干の怯えと、それを覆い隠す警戒。衣にはそんな瀬々の姿が、ギリギリの極限であると、なんとなく感じた。

 瀬々の素の表情はどことなく遠慮のない。自分の人生を台無しにしたはずのチカラを、生きていくために必要な防波堤とした彼女には、普通の人間にはないふてぶてしさがある。だからだろうか、そんな瀬々の、普段なら見せないだろう敵意に対する感情を、衣はふと、愛おしく思った。

 

(おっと……)

 

 そんな姿に、思わず笑みがこぼれていたようだ。さっと手で口元を覆う。――袂の陰に半月が浮かんだ。周囲はどうやら気づいていないようだ。瀬々と秋一郎。両者の会話に注視している。

 無論、衣も――対局開始間際の、そんな会話に、意識を向けないはずもない。

 

(さて、見かねたか秋一郎。……どうだろうな? 秋一郎には、一体瀬々がどう映る?)

 

 衣と瀬々では遠すぎる。衣には瀬々のように守らなくてはいけない最後の境界線もないし、瀬々のように、強さを自分のものとするずうずうしさもない。

 それは秋一郎も同一であるかもしれないが、それでも、秋一郎には経験がある。

 ならば、彼にはかけられる言葉があるだろうか。

 

「あぁ、いや気にすることはない。俺はキミのそれを悪く思ってはいないさ、なにせ麻雀をやっていればそのくらいよくあること(・・・・・・)なのだからな」

 

 あ――と、思わず声が口元から漏れた。衣の左手に抑えられた三日月型の笑みが、ふとまんまるの満月に変わる。

 気が付かなかった。気づき用がなかった。

 ポカンとしているのは衣だけではない、瀬々と、それから一が、秋一郎の言葉に唖然と口を半開きにしていた。

 

「よくある、こと?」

 

「そうだ、別にキミのような摩訶不思議な雀士はどこにでもいる。キミのチカラなど珍しくもなんともない(・・・・・・・・・・)

 

 麻雀をしていれば、様々な雀風を持つ打ち手と出会うことができるだろう。その中には、あまりにも常識から外れた雀風を持つものもいる。それも、ゴマンと。

 

 思えばそうだ。衣が麻雀を教えることになった友人たちも、そんな不思議な雀士の一人だった。

 瀬々が呆けるのも無理は無い、雀士はあくまで雀士だ。チカラとは雀士の扱う雀風でしかない。とはいえそれはあくまで麻雀の世界でのこと。そうではないただの人が、そんなチカラを使うというのは、不可思議でしかないことだ。

 

 だが、今はそうではない。

 

(……世界には、数多の同輩がいるのだろうな。衣のように、誰かを壊してしまうほどのチカラを持て余すもの、小さなチカラを、本人の意思と純粋な技術で化け物じみたものへと昇華させるようなもの)

 

 ――瀬々は雀士、麻雀牌を握り、そこに意思を込めるもの。

 

「キミは雀士としてのスタートラインを違えたのだ。人とは違うスタートを切った。それだけだ。雀風は人によって変化する。その一つの例、それがキミだった、というわけだ」

 

(世界は大きく、どこまでも、どこまでも際限なく広がっていくだろうな。それは喜ばしいことであり、楽しみでしかたのないことだ。それでも――なぁ瀬々)

 

「故に、なにも気負うことはない、キミのスタートを、キミの舞台を、否定するものなどいないにきまっている」

 

(瀬々、衣が初めてであった。衣が手を伸ばした世界に、初めてその姿を見せてくれた人。衣の大切な、はじめてのともだち(・・・・)

 

 衣の世界にある、同輩の友ではなく、衣が世界に飛び出して、衣の手で掴んだ友。渡瀬々。彼女は今、きっと悩んでいる。

 ――否、今だけではない、衣と出会ったその時も、きっと、衣が麻雀へと瀬々を誘った時も。

 

(だから、だからきっと)

 

 瀬々は、少しずつ変わろうとしているのだろう。――衣もまた、そうであったように。衣の今のスタイルは、長い時間をかけてゆっくりと身につけていったものだ。

 

 だから衣は思う。瀬々の姿を眩しく感じながら、そんな瀬々の変化に、想いをはせる。口元に隠した笑みを、そっと、慈愛に満ちたものへ変えながら。

 

 

(――衣のはじめて(・・・・)は、永遠だ)

 

 

「さぁ――半荘に戻ろう。衣、くれぐれも、手を抜いて俺をがっかりさせるなよ?」

 

「衣が入った途端、他者との絶対性が崩れた秋一郎が、吠えるじゃないか」

 

 そうして、舞い戻る。対局は、まだ終わっていない。

 瀬々の目は、麻雀牌へ向かっている。――瀬々はこのオーラス、どんな選択を答えとするだろう。

 

(なんであれ、勝者は衣だ、それだけは衣自身が絶対にする――!)

 

 ――衣/打{1}

 

 素直な打牌だ、即座に選択肢、理牌を高速で終えていく。

 ――直後の秋一郎も、オタ風{東}を切り出し理牌へと移る、続く瀬々、これもまた打牌は{白}、違和感はない。

 

 一/打{二}

 

 衣/打{北}

 

 秋一郎/打{9}

 

 瀬々/打{發}

 

 

 ――ふと、一はそっと手を止める。

 

(こうなると……こうかな?)

 

 ――一手牌――

 {()九②②④⑤⑧⑧⑨3南南中} {()}(ツモ)

 

 一/打{九}

 

 振るった手の右方から、衣の手が伸びる。それによるツモは、どうやらお眼鏡にかなったようだ。すぐさま次を切り出し、秋一郎のツモ番へと移る。

 

 

 幾らかの時間がたっただろう。それを正しく表現することは適わないが、秋一郎はふと、疑問を視線に込める。

 見定めるように、捨て牌へと意識を向けた。

 

 その先にあるのは現状秋一郎を追いかける状態にある衣ではない。現状衣の手は秋一郎の手よりも一歩遅れている。鳴きで仕掛けない限り、和了を制するのは秋一郎だ。

 それにその場合は、秋一郎もまた鳴いていけばいい。

 ――気になるのは、衣ではない。

 

 渡瀬々、彼女の捨て牌は、どうも違和感に思えた。

 

 ――瀬々捨て牌(「{1}」手出し)――

 {「白」「發」白「1」「9」北}

 {八「①」東東「東」}

 

 ドラの自摸切りからして、すでに手は完成していると見える。となれば東を切った時点でテンパイしているとも思えるが、それならば、なぜ最後の東を手出しした?

 これまでの闘牌から、瀬々は誰かが鳴きを入れない限り無駄ヅモをしないことはわかっている。恐らくは正確にツモの中身が見えているのだろうことも、衣と瀬々の攻防で理解している。だからこそ、これはオカシイと秋一郎は考えるのだ。

 

 だが、捨て牌事態への違和感は皆無であることもまた事実。

 なればこそ、ここで秋一郎は打牌を選択する。現状この手に振り込む意味は無い。ならば、まずは正着としての一打。

 

 それは、直ぐに間違いであるとしれた。

 

 ――打牌の直後に訪れる、選択のミスを知らせる警鐘。もう長らく使われて来なかったそれが、秋一郎に驚愕を伝える。

 

(――これか)

 

 身近な思考のブレが、瀬々へと視線を映させる。その姿は、その表情の意味は、秋一郎にも直ぐしれた。

 

 

「――ロン」

 

 

 和了宣言。

 

 秋一郎が振り込んだ(・・・・・・・・・)のだ。その宣言は、秋一郎のみならず、あらゆるものを驚愕させるにたるものだった。

 開かれるのは瀬々の手牌(・・・・・)。彼女がここにきて、この半荘初めて手牌を周囲へ晒す。

 

 ――瀬々手牌――

 {四四六六六②③④35678} {4}(和了り牌)

 

 

「――1300」

 

 

 ――無軌道にタンヤオを目指す手牌。それが、この対局を終わらせる最後の和了。

 ラス確の和了り。まるで初心者のような自分本位の和了は、その半荘を、秋一郎の勝利という形で終わらせるのだった。

 

 一位大沼秋一郎:40000

 二位天江衣  :37400

 三位国広一  :16200

 四位渡瀬々  :6400

 

 

 ♪

 

 

「――やられたな」

 

 思わず漏らした言葉は、秋一郎の理解による一言だった。

 それを背景に、対局を終えた衣が卓を思わず叩き出しながら、腹を抱えて笑い出す。我慢ならないと言わんばかりに、その声は大げさなまでに盛大だった。

 

「え? ちょ? ど、どういうことですの? 衣、説明がほしいですわ」

 

「簡単だよ、ここ数十年、一度も破られて来なかった秋一郎の放銃率年間ゼロパーセントが、この半荘で初めて崩れたのだ」

 

 ――大沼秋一郎はとにかく堅い打ち手だ。ツモ和了すらさせずに、他家から他家の出和了りへと点数の移動を調整させる巧みさを持っている。

 そんな彼は、ここ数年、放銃ということをしたことはなかった。少なくとも、公式戦で放銃と言うことは今まで無かったはずだ。

 

「で、でも、だったらなおさら瀬々のラス確にああやって振り込むとは思えませんわ! 瀬々は一体どんなトリックを使ったんですの?」

 

 透華の質問は最もだ。――放銃をしない人間が、ふと何を思ったか、瀬々の“不可思議な”打牌に振り込んだ。

 

「ハハ、考慮できるわけがないだろう。普通の人間に、瀬々が麻雀歴二週間の“初心者”であることなど、な」

 

「――あ、」

 

「まぁ、簡単な話だ。瀬々は牌効率など知らないし、役はわかっても、それを目指すための最善手など解るはずもないのだ」

 

 ――このオーラス。瀬々のしたことはごくごく単純だ。それはたったひとつの条件付け。“瀬々のチカラ”を使わない、というものだ。

 結果、瀬々の打ち筋はオカルトチックなモノから、でたらめな初心者の打牌に変わった。初心者の打牌に“理由”はない。雀風もなければ、経験によってどうこうできる領域もない。

 無論、秋一郎であれば、一度でもそれを見破れば振り込むことはないだろう。しかし、渡瀬々への秋一郎が持つ、在る認識が秋一郎の判断を鈍らせた。

 

「……で、でも、それにしたっておかしいですわ。大沼プロは完全に瀬々の事を把握しているかのように振舞っていましたのに」

 

「それだったら単純に、認識違いというものだ。不可思議なチカラに対する負い目を持つものというのはそれなりにいるからな。秋一郎の経験が、瀬々をそういった存在に分類したのだよ」

 

 ようはそれだ。秋一郎の経験が、瀬々の事情をチカラへの負い目だと結論づけた。秋一郎自身、初心者への入門書などに手を付けず、初心者の認識を甘くしていたのも、その大きな原因といえる。

 

 それをなしたのは、秋一郎の言葉だ。――スタートを違えた、彼はそういった。ならば瀬々は一体どんな対応を考えるだろう。

 それは衣にも実際に答えを知るまでは想像もつかないものであったが、合点が行った。

 ――他者のスタートを知ろうとするだろう。したたかで、人と合わせることを得意とする瀬々ならば、そんな自分の得意分野に、答えを見出そうとするのかもしれないと、衣はそう考えるに至った。

 それが事のあらましだ。オーラス、決着を決定づけた最後の一局の、すべての真相だ。

 

「いやしかし、残念だったな。こんな形で決着とは、はは、まぁこれじゃあ勝敗など無意味だな」

 

 衣はそうやって言葉を結ぶ。――若干納得入っていないだろうが、それ以上は透華も追究することが出来なかったのだろう。腕組みをしながら一歩後ろに体を引いた。

 そうして、衣の言葉に聞き捨てならないというような反応をしたものが行動を起こす。――秋一郎だ。

 

「それはオカシイな。どんな形であれ半荘の結果はこうして高らかに示されている。お前の負けだ、衣」

 

「おや? あのような失態を見せながら、高らかに凱旋を語るか? 笑止! そも、衣は瀬々の変化に気がついていたぞ? 秋一郎のような人間の位階に衣はいないのだ」

 

「笑わせてくれるな? こちらの台詞だ。ならばそれすらもねじ伏せてみせるのが闘いというものだ。それに終わった段階でそれを高らかに叫ぶのは、滑稽だぞ」

 

「ふん、衣と秋一郎は嗅覚が違うのだ。衣の心象には瀬々のチカラが確かに描かれているのだ。その感覚が、衣に瀬々の変化を告げてくれたよ」

 

 ――そうやって、泥沼のような言い合いは続いていく。どちらも最後まで引く気がないのは明白であり、それはもはや、周囲から見れば子どもの言い争いとすら見えるようなものだった

 半荘を終えた残りの対局者は、それぞれ苦笑気味にそれを眺めている。牌が散らばった卓上を乗り越えて、そんな二人の様子を見ながら一は瀬々へと体を近づけていた。

 

「なかなか面白い人だね」

 

「……そうだな、なんか初めてみる人種だ」

 

「それはちょっと失礼だよ」

 

「あ、そういやそうだな」

 

 そいやって会話を交わし合って、そんな二人に、そっと後ろから近寄る影がある。依田水穂だ。勢い良く、ガバっと瀬々と一を抱き寄せる。

 

「わ、わわ!」

 

 思わず声を上げて瀬々はそれにあたふたし、一も同様に目を白黒させる。――落ち着くのを待っているのだろうか、水穂は笑みのまま言葉を漏らしては来ない。

 

 やがて二人がすこし恨めしげに目線を向けると、

 

「おっつかれさまー!」

 

 そんな風に水穂は二人をねぎらうのだ。言葉は続く、

 

「それで、瀬々、どうだった?」

 

 ――闘牌の感触を問いかけているのだろう。澄ました目が、優しげに答えを待つ雰囲気を醸し出す。

 瀬々はふと、今も言い合いを続ける衣達と、そして透華、一、水穂へ一度ずつ意識を向ける。

 そして、

 

 

「――――楽しかったです。うん、すごく」

 

 

 ぽつりと漏れた声に、ふと衣が言い争いの口を閉じ、マジマジと卓の岸から瀬々を眺めた。それから、今度は笑みを隠すことなく――

 

「そうだろう? 瀬々、麻雀は楽しいぞ。なぁ」

 

 うん、と。瀬々はそんな言葉に、躊躇うことなく頷いた。自然と漏れた、陰に刺す木漏れ日のような笑み。柔らかく、そして子供らしく在るような、始まりを思わせる素の表情。それがきっと、その日一日の、証明であったのだろう。

 

 

 ――――そうして、その日は終りを迎える。それぞれの感触を、それぞれの感傷を残して、衣の生んだ邂逅は、そっと大団円のように幕を閉じるのだった。




こんな結果になりました、というわけで。
麻雀にはよくあることだからしかたないんです。


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『背負いすぎた背中』

「ツモ! 2000、4000だ!」

 

 今日もまた、龍門渕に雀士が集う。宅に着くのは渡瀬々と天江衣、丁度その終局においてのタイミングだった。両者の関係は明確な勝者と敗者、はっきりと明暗の別れた形となった。

 共に卓に就く者たちも、それぞれの成績を見れば、衣の一人浮きであることがはっきりと分かる。

 

「あー、ぜんっぜん追いつけなかった」

 

「着想は悪くなかったのだがな、いかんせん調整不足だ。それでは些か放恣にならざるをえんよ」

 

 いえば付き合うというのに、衣はそんな風に嘆息気味な忠言を漏らし、それもそうかと瀬々は頷く。現状、この対局はレギュラー選出に関わる部活内リーグ戦の一幕だ。無論この結果は成績に反映される。

 現在瀬々の順位は三位、ここ最近の不調が不動の地位から瀬々を引きずり下ろしてしまった。

 これでは行けないとはわかっているものの、現状瀬々の目的は果たされていない。むしろこのような負けられない状況のほうが集中が増すというものだ。

 

「……焦りがあるかもな、ぶっちゃけ、うまくやれる気がしない」

 

「着想は悪くないといってるじゃないか。衣が一から面倒みてくれるぞー!」

 

 年上ぶるように腕を振り上げる、どこから見ても小学生にしか見えない衣に、苦笑とほころびを掛けあわせたような笑みを漏らしながら、瀬々はふと考える。

 手詰まりになっているのはその通り、現状瀬々の“それ”は完成に至っていない。となればここは誰かの手を借りるのもやぶさかではないのだが……

 

(この場に一と透華がいないのがなぁ、いっそ今日は部活はこれくらいで切り上げて、ウチの方でハギヨシさんたちと……と、あら?)

 

 激しく回転する思考回路、しかし周囲の変化を目ざとく感じ取る瀬々の習性が、辺りの空気が淀み、停滞していることに気がつく。

 凍っているようだと、感覚がその答えを告げた。

 

「……どうしたのだ?」

 

 衣は瀬々を覗きこみ問いかける。自分の世界に入った瀬々が、ふと何がしか違和感を感じていることに、少しばかりの危惧を抱いたのだろう。

 大丈夫たと瀬々は手で制しながら、席についたままの麻雀卓の前からすっと離れる。

 

「いや、なんか人が集まってるみたいだな」

 

 先程まで卓の間を行き来していた人の流れが途絶えている。周囲にはまだ対局を行うものたちが席についているからわかりにくいが、どうやら何かあったらしい。

 すぐに視線を走らせれば、その先は部室の一角へと至った。

 

「――水穂先輩? なにしてるんだろ」

 

「行ってみるか?」

 

 隣だっての問いかけ、小首を傾げる動作は愛らしいが、今はそれに見惚れている時ではない、訴えかける感覚を受け止めるように右手を頭に添え、理解を及ばせる。

 

「なんか、喧嘩腰って雰囲気だな、少し一方的だけど」

 

「それは大変だな!」

 

 場の不和は見逃せないタイプだろう、年上ぶっているような時の衣もそうだが、彼女は思いの外責任感が強いらしい。

 根っからのリーダー気質、透華の従姉ともなればさもありなん、といったところか。

 

「――だったら、貴方はもう麻雀をやめたほうがいいよ」

 

「それは……っ!」

 

 近づいてみれば、二人の耳元にそんな会話が聞こえてきた。卓の岸と岸、向かい合うように二人の少女が言葉を交している。

 一人は依田水穂、もう一人は――たしか三年生の部員だ、少し前までは部内対抗戦でも上位につけていたはずだ。

 

「……何があったのだ?」

 

「あぁ、それはえっと」

 

 人だかりの一角、丁度同学年の少女がいたために、衣が無遠慮に声をかける。その少女は何とも言いがたい表情で言いよどむ。

 殺伐とした光景だ。言葉にしがたいものがあるのだろう。

 

「たしか、あの人かなり成績が落ち込んでたな。それの関係か?」

 

「鋭いね、大当たりだよ」

 

 同級生は面倒そうに嘆息をしながらチラリと目線を水穂たちに向ける。――言い争いは、どうやら話題をループさせているようだった。

 

「今の貴方は成長がなさすぎる。それは貴女自身が、まず第一に解ってるはずだよ? ねぇ、私が行っているのはおかしな事かな。私が言わなくちゃ、認識できないことじゃないよね」

 

「……解ってるわよ、解ってる」

 

「だったら! 選んで、このままここで成長性のない麻雀を続けるのか、趣味として、二軍で麻雀を続けるのか。……やめる気は、ないんでしょう?」

 

 水穂が、落ちぶれてしまった一軍の人間を、叱咤し問とだしている。現状のそれは、そんな光景だ。

 周囲はだんまりを決め込んでいる。三年生に、二年生は言葉をかける素振りを見せずどこか鎮痛そうにしながら、一年生の事情をよく飲み込めない者達は、あたふたと周囲に意識を配っているようだった。

 

「……い、いいんですか? 止めなくて」

 

 丁度衣が声をかけた一年生の少女が、先輩である一人の少女に問いかける。小声で、どこか後ろ暗いような様子で。

 

「駄目だよ。ああなった水穂はもう止められないし、二人の事情を考えれば、止められない」

 

 二人の、とその先輩は言った。一年生の少女は渋々といった様子で引き下がる。事態を完全に飲み込めたわけではない、それでもその事情というものが、責め立てられるものだけでなく、水穂にも在るというのなら、少女は言葉を加えられない。

 無理もない事だった。

 

「……どういうことなの?」

 

 その言葉は、少女が元いた場所に今も立つ、瀬々に向けられたものであった。単なる問いかけ、答えが必要なのではない、同意がほしいのだ。

 瀬々はそれをわかった上で、更に会話をつなげる。

 

「さてね。そもそも、だ。あの脳天気な水穂先輩が、こうも怒るなんて、普通じゃ考えられないんだよな」

 

「うん、だよね。それに……責め立てられてる先輩も、なんか、変だし」

 

 言葉に寄せられて、見ればその先輩も、どうやら言葉に耳を塞ぐように、落ち込んでいる様子はない。それはむしろ、周囲の水穂に対する態度と同一の、心苦しさを隠し切れないような体裁だった。

 首を傾げる同級生に、瀬々は何気ない様子で答えを明かす。

 

「いやさ、あの人も三年生だし、たしか水穂先輩とも付き合い長いだろ。多分周りの人みたいに、事情を知ってるんじゃないか?」

 

 二年の先輩が理解していることを、同額であるという条件を持つ渦中の人間が理解していないわけがない。それを納得、と言った様子で吐息を漏らすと、ほう、ともれたそれは人垣の中へと溶けこんでいった。

 

(……さて)

 

 会話の必要性が薄れたためか、そこで両者の話題は途切れた。瀬々は少しだけ思案げにしながら今後の展望を考える。

 渦中の三年生ではないが、瀬々も水穂の事情は理解している。それも、恐らくはその中身まではしらないだろう周囲の者達とは違い、瀬々の感覚が、水穂のそれを理解してしまっているのだ。

 

(――どうしたものかね)

 

 考えるものの、別にそれを衆目の元に曝そうというつもりはない。瀬々の中で、先日の一件から自分のチカラにたいして認識が変わりつつあるのは事実。しかしそれでも、他人の過去を暴き、晒し者にするつもりは全くない。

 瀬々の生き方はこれまでと何らかわりはないし、瀬々のスタンスも、基本的には八方美人を貫くスタンスだ。態々、そんなつまみ者になりかねない事をする必要はない。

 

 ――だからこそ考えているのだ。この場において、瀬々の最適解とは何か。いくつか在る感覚の答えから、最善ではなくとも、納得の行くものを選ぶ、それが今、瀬々のスベキコト。

 チカラをみだりに晒してはならない、しかし誰かの助けとなるのなら、惜しんでもならない。それはきっと、間違った考えではないはずだ。

 

(となると、今はダメだな。もっとわかりやすく、もっと端的な場所を作らないと。そのためにはやっぱり――)

 

 ちらりと、瀬々は視線を揺らす。見遣った先は部内の一角にでかでかと掲示された部内ランキングの現在状況。

 丁度半荘が終わったのか、順位の変動が見られるそれの、しかし不動を貫く上位へと意識を向ける。

 

(……先輩に、負ける訳にはいかないか)

 

 一位:天江衣

 二位:依田水穂

 三位:渡瀬々

 四位:龍門渕透華

 五位:国広一

 

 五名とも、すでにレギュラーはほぼ確定的な成績だ。となれば後はそこに絡んでくるのはレギュラーのポジショニングだ。たとえば、成績トップ――天江衣は大将を希望している。これは本人のモチベーションの問題だが、恐らくその要望は通るだろう。衣は昼よりも夜のほうが強い、そう透華が認識しているためだ。

 衣的に言わせれば、昔の衣ならばともかく、今の衣は昼間だろうが夜間だろうが、全く同一のパフォーマンスを発揮すると言って憚らないが――とかく。

 

(あたしが目指すべきポジションは、先鋒。最も気張って、勝利のみを追求しなくちゃいけない場所。そのために、絶対に二位の位置を確保する必要がある)

 

 数日前、透華から直接話されたことだ。曰く、透華は瀬々を先鋒に据えたいと考えている――と。

 

『恐らく、私達五人を最適のオーダーに据える場合、先鋒は貴方こそがふさわしいですわ。でも、それにはもう少し成績が足りませんの』

 

 透華は実質的に龍門渕の麻雀を仕切る監督のような存在だ。龍門渕にも顧問がいないではないが、本人に自分よりも透華の方が優秀であるという自覚があるためあまり主張をしてくることはない。

 学校としても、派手に伝統を壊さない限り、むしろ透華の仕切りは、黙認ではなく容認されているといっていい有様だ。

 そんな透華が、瀬々に言うのだ。

 

『責めて部内二位、衣に次ぐ実力を持っていただきませんと、水穂先輩を先鋒に置かざるを得なくなる。……できれば、それだけは阻止しなければ行けませんの、先鋒、もしくは大将にあの人を置くことは、あの人のチカラを大きく削ぐことになりかねない』

 

 加えて、水穂もまた先鋒を希望している。最年長のレギュラーとして、一年生たちに自分の戦いを見せ無くてはならない、そんな“責務”を彼女が感じているというのだ。

 

『解ってるさ。あたし自身、そのことはよく解ってる。やっと認めてくれたんだ。やっと手に入れられたんだ。だからあたしは、この場所を失いたくはない』

 

 ――だからこそ、瀬々はその時即答をした。依田水穂に、何かを背負わせてはいけない、何かを背負って、背負って背負い抜いて生きてきた彼女の方に、もう何かを載せる隙間も、それを支えるチカラもない。

 それは水穂にもわかっているだろう。頑なに、ああして秋一郎の言葉を拒絶した、水穂がそれを理解していないわけでもない。

 

 

『そのために、絶対に先輩はあたしが止める。あたしが、龍門渕のエースになって、先輩を支える存在になる――!』

 

 

 小さな、そして胸の奥底にしまわれた、静かな決意。瀬々の言葉は、そうして記憶の隅へと溶けていく。すると瀬々は、今まで気づき用のなかった在ることに、ふと気がついた。

 

(……あれ? 衣はどこいった?)

 

 先程まで瀬々とともにいたはずの少女の、姿が見えない。恐らくは同級生と会話を交している間に、何処かへ消え失せてしまったのだろう。

 ならば――何処へ?

 その答えは、すぐさましれた。衣の声が、――よく響く我の強い声音で、部室内を駆け巡ったのだ。

 

 

「どういうことだ水穂!」

 

 

 その言葉の発信源は、明らかに、事件の震源地にほかならない。――思わず、瀬々の表情が驚愕と苦々しさを掛けあわせたような何とも言えない奇妙なものへと変質していく。

 無理もない、想定を外れた衣の行動への認識が、正しく行えなかったのだ。

 

「――何かな、衣ちゃん」

 

 感情の伴わない水穂の言葉を聞いた途端、瀬々の体は跳ね飛んだ。さほど運動神経は良くないものの、それでもその一瞬において、瀬々の動きはまるでスポーツマンであるかのようだった。

 続く衣の言葉。

 

「これではあまりに――――ふぐむぅ!」

 

 それが紡がれるよりも早く、瀬々が衣の口を塞いだ。何事かと目を大きく見開いて、瀬々の存在に気づいた衣が、恨みがましく目線をやる。

 

「ちょっとストップだ衣。落ち着いてさ、少しあたしの話を聞いてくれないか? 先輩たちのことは、あたしたちが飛び出さなくてもダイジョブだからさ」

 

 そうやって瀬々がなだめるように言うと、しかし衣は納得がいかないのか、両手を振り上げてもがく。もごもごと何がしかを言葉に従っていたようだったが、やがて止まった。

 

「……あっちの方行こう、できれば二人で、話がしたい」

 

 そんな風に言葉を投げかけられ、気がついたのだ。瀬々には答えをしる感覚がある。ならば瀬々がこうして衣の行動を静止しているのなら、その答えがどうあれ、それは正しいことなのだ、少なくとも今の瀬々は、感覚をそのまま直接身にまとっているような気配を感じる。

 きっと、間違いはないだろう。そう考えると、衣も退かないわけには行かなくなった。嘆息気味に体の力を抜くと、若干水穂を睨みつけるようにしながらその場を離れていく。言葉はない。疾風のごとく、衣はその場を駆け抜けていった。

 

「…………それじゃあ」

 

 会話をするつもりはない。瀬々もまた軽くお辞儀をすると、水穂の反応を待たず、その場から立ち去っていく。

 

 ――二人が水穂達へと振り返ることは、決してなかった。

 

 

 ♪

 

 

「どういうことだ瀬々! なぜ衣を止める!」

 

「どういうことだもない、アレはあの二人の問題だ。会話事態はともかく、会話の内容はとっくの昔に二人共了承済みなんだよ」

 

 ――人気のない放課後の校舎。すでに衣も瀬々も、帰路につく支度は整っていた。ああいって飛び出してきた以上、もう今日はあの場所には戻りづらいし、衣も戻るつもりはないだろう。瀬々とて、衣の考えを認識できないまま、爆弾の導火線に火をつける気は毛頭ない。

 だからこそ、急ぎ足の両者の会話は怒声に似ていた。何かを張りあうような言葉の連鎖は、人のいない場所においても十分目立つ。

 

 瀬々もそれは理解しているのだが、それを咎める感情よりも、足を急ぐ衣へと意識が向いていっている。

 

「それこそ訳がわからない。衣はあんなふうに自分の麻雀を否定されて、黙っているのが理解できん!」

 

「それもそうだけど、それは衣の考えだろ。あの人達にはあの人達なりの考えがある。世界は同じ場所に人を置かないんだ。……それは衣が、一番良く解ってることだよな?」

 

「……ッッ!」

 

 瀬々の的確な言葉に、衣は思わず足を止める。そうだ、理解していないわけではない。衣もちっぽけな田舎から飛び出して、世界の広さを知って、そしてあの秋一郎との対局で、世界の違いを認識したばかりではないか。

 ――そうなれば、間違っているのは衣なのではないか? 一瞬考える。だがそれは直ぐに否定された。

 

「衣は麻雀をとても大切に思っている、それはよくわかるし、何も間違ってない。むしろあたしからすれば、その考えは眩しすぎる。羨ましくて仕方ないくらいなんだ」

 

 世界は何も間違っていない。ただひとつの正しさが、別の正しさと同居してくれるわけではないのだ。

 衣は、それをここに来て認識する。少しだけ伏せた顔は、後悔に近い。それでも――譲れない境界線を持つ、そんな子供らしくいじらしい姿にも、瀬々には思えた。

 

 黙りこくった衣に合わせて足を止め、瀬々は続ける。

 

「だからこそ、だ。あの人は麻雀を嫌いにならないうちに(・・・・・・・・・・)やめておくべきなんだ」

 

 あの人、責め立てられていた先輩のことだ。それは衣にも直ぐしれた。だからこそ分からない。嫌いにならないうちに? そんな言葉、今まで聞いたこともなかった。

 そんな衣の様子を敏感に感じ取り、瀬々は続けて言葉を紡ぐ。

 

「あの人が成績において不調なのは知ってると思う。そうでなきゃ、あんなことにならないのも、多分衣は、わかってくれてるよな?」

 

 問いかけに、おずおずとした様子で頷く。言葉の先が読み取れない。――瀬々の見ている景色は衣と大きく違う、そこから飛び出す言葉は、衣には全く見当のつかないものだ。

 

「加えて、龍門渕には世界有数のお金持ち、なんてタイプの学生も多くいる。あの先輩は、本人は至ってフランクなんだけど、そういう家庭だ。んで、だな。こういう家庭は、透華みたいに本人が飛び抜けて優秀だったり、反対するものが発言力がない場合を除いては、あまりこういう競技にいい顔されないんだよ」

 

 別に麻雀事態を反対されるわけではない。龍門渕は強豪で、そこで麻雀を打って結果を残せば、将来のプラスになるのだ。しかしそれ以上は余りいい顔はされない。

 瀬々は競技、といった。これは別に麻雀に限った話ではない。スポーツや、同じ卓上の世界で言えば、囲碁、将棋、強豪の高校に所属し、高校の中で結果を残すのは、その後の人生に多いなプラスとなる。

 

 しかし、それ以上、つまり大学、就職してから、そういった場で麻雀を続けるのは、もしくは麻雀一本でプロを目指すような生き方は、余り好まれたものではない。

 

「透華なんかのレベルになれば何も言われないんだけどな。やっぱり普通の人がそういうプロを目指すっていうのは、周囲がそれを止めちゃうんだ。期待されてない限り、な」

 

「そういうものか?」

 

「……麻雀に限った話じゃないけどさ、麻雀だけで生きていけるほど強い奴なんて、世界に百とか二百とか入ればいいほうなんだよ」

 

 ――ギャンブルとして麻雀の舞台に立つのならばともかく。そんな瀬々の言葉に、衣は余りいい顔はしなかった。それもそうだろう、衣にとって雀士とは、あの大沼秋一郎などの存在を言うのだから。

 たとえ彼が博徒であろうと、その本質、勝負にかけるのは金ではない、プライドだ。――そんな存在が、衣の思う雀士なのだろうから。

 

 話を戻そう、瀬々はそんな風に言葉を選んで切り出していく。

 

「あの先輩の両親もそうだ、多分親的にはいいところの家に嫁がせて、幸せになって貰いたいんだろうな。そのために、麻雀プロなんていう不安定な職種は目指してほしくないんだろうさ」

 

 それもまた、ひとつの愛だろうと瀬々はいう。羨ましそうに、衣を見ずにどこか遠くへ視線を向けながら。

 

「……、」

 

 無言の衣に構わず、瀬々は続ける。

 

「でも、両親は子どもの意見も尊重したい。落とし所としては大学を出て実業団に入り、働きながら麻雀を打っていくのが理想なんだろうけど、今はマダ本人が結論を出していないみたいだ」

 

「ムリヤリ麻雀から引き剥がそうとしているのではないのか?」

 

「親にだって、普通だったら(・・・・・・)愛情ってもんがある。まぁこれはあたしの願望みたいなもんだけど――」

 

 衣と、それからその場にはいない誰かへと視点を合わせながら瀬々は言う。衣は思わず息をつまらせ、そんな瀬々の表情を見る。

 ――とても寂しそうで、とても苦しそうな顔をしていた。

 

 なのに瀬々は、明るく、人のいい笑顔で笑っている。本心を押し隠して、もはやそれが何であるのかもわからないようなごちゃまぜの感情を、耐え切れずに表層へ吐き出しながら、それでもなんとか二の句を継げる。

 

「――そうそう子どもをないがしろになんかしたくない。子どもの方も、それは理解しているから悩んでる。水穂先輩がやったのは、それを出来る限り早期に解決させるための、発破みたいなもんだな」

 

「なんでそんな事をする? 衣はよくわからないけど、そういうのは時間が解決するんじゃないか? あぁいや、時間が選択を共用するのではないのか?」

 

「そうなれば、あの先輩は誰に悩みに悩んだ結論の、それでも残った鬱憤をぶつけると思う? それにもしもプロを目指す道を選んで、挫折するなんてことになってしまえば? 先輩の将来はどうなるんだ」

 

 衣とて、そこまで事情を並べられれば、否が応でも理解せざるを得なくなる。そしてその言葉は瀬々の言葉だ。彼女が正しいというのなら、きっとそこに異論を挟む余地はない。正しさは並列することは出来ても、直列することはできない。衣の言葉は、きっと瀬々を介しても、水穂を介しても届かないだろう。

 そう、理解せざるを得なかった。

 

 あの少女には、地方の強豪でレギュラーを張る程度の、そんな実力しかない。少し周囲を見渡せば、それ以上の存在は、もっともっと多く在る。

 だからこそ水穂が歯止めをかけなくてはならないのだ。恨みをすべて、水穂にぶつけることで、家族としての不和を取り除くために。

 

「――だが、それでは水穂が余りにも哀愍だ。荒誕だ、なぜそうまでして水穂が被る必要がある!」

 

「それが先輩の特性だからだ。自分が嫌われてでも、誰かを不幸にしてはいけない。誰かと誰かの繋がりを断たせてはならない。そう思ってしまってるから、そう動かざるをえないんだよな。どれだけ自覚が会っても、さ」

 

 ――それも、当初の頃はまだ良かっただろう。水穂の思惑通りに周囲は水穂を嫌ってくれた。麻雀を、あらゆるものを引き剥がす現況を疎んでくれた。

 でも、それも直ぐに意味を失くした。世界は思ったよりも優しかったから、水穂の意図が周囲に明るみに出てしまったのだ。本人のあずかり知らぬ所で。

 

 そうなってしまえば、水穂の言葉は力を失う。それでも問題を対処できたのは、一見刺のある水穂の言葉が、熱せられてしまった思考に冷水をかける力は、残っていたからだ。

 

 それでも、そんな水穂の考えを皆が知ってしまった以上、誰もが考える、もうやめてくれと、水穂に無茶をしないでくれと。

 

「だから、あたしも止めた。―――先輩は多分もう、先輩一人じゃあ、先輩だけじゃなくとも、止まれない位置にいる。全部自分で背負いこんで、それでもなお突き進もうとしてしまう。……それを、あたしは見過ごしたくはない」

 

 止めたと、そういった。そうしてからの言葉はがらっと瀬々の声音が大きく変わった。まるで怒気をはらんでいるかのような、重苦しく、そして懸命を込めた声。

 

「水穂先輩を倒す。それが先輩を止める、ただひとつの方法になる」

 

 そうやって響きわたった声は、衣と瀬々、二人の元に、消えてゆくのだった。

 そして、

 

 

「――あれ? こんなトコロにいたんだ」

 

 

 そんな二人に声がかかったのは、それから一分の時もたたない頃だった。国広一が――一度帰宅しているためだろう、給仕姿になっている――二人に声をかけたのだ。

 

 帰宅を誘う言葉を投げかけられ、二人は改めて帰路につく。

 校門にでたところで、一度だけ衣は余り感情を感じさせない、しかしどこか思案気な顔で振り返った。――何をしているのかと問いかける一の声。すぐさま衣は居直ると、勢い良く入り口にて待つ一達の元へとかけ出すのだった。




オリキャラ先輩掘り下げ回。こーいう世界観が優しいところが咲のいいところだと思います。
加えてVS水穂前振り回その1。ちなみに本気水穂と覚醒瀬々のお披露目でもあります。

ふとこんな麻雀まったく出てこない話書いていいのかとかおもったけど、この更新速度なら大丈夫だよなと思い直す今日このごろ。


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『暗幕の別世界』

「今日、ちょっと話をしたいことがあるんだ。夜、時間あるかな?」

 

 そんな風に一が瀬々に問いかけたのは、下校途中の、ほんの些細な時間と時間の隙間であった。そうやって言葉をかけられて、瀬々は――なにか思うところがあるのか――龍門渕の校舎を眺める衣の姿を気にかけながら、問題はないと了承する。

 若干衣の姿に袖を惹かれたものの、瀬々はそのまま迎えの車へと乗り込んだ。衣が一を伴って黒塗りの高級車に乗り込んできたのは、それからさほど時間も断たない頃だった。

 

 流れ行く長閑な景色、言ってしまえば寂れたとも言えてしまえそうな、どうということのない住宅街を過ぎ、車は目的地である龍門渕邸宅へと向かう。

 もとより龍門渕高校は透華達一族の経営する高校だ、本家はその近くに建設されているため、さほど遠くはない。むしろ高校を含む住宅地の一角を抜けた先――すでに邸宅の敷地内なのだが――を通るのに、どうしようもなく時間がかかるのだ。

 瀬々達の住む別宅が、少し遠くにあることが原因である。

 

 その間、瀬々はずっと水穂のことを考えていた。――これから相手をしなくてはならない対局者のことを。

 

(……一応、不調というか、乱調が落ち着けば成績はこっちのほうがいいはずだ。少しずつでも二位の先輩には追いついていける。けど、時間が足りない)

 

 部内ランキング戦は四月いっぱい行われる。現在は四月も半ば、下旬に差し掛かろうかというところ。水穂と瀬々の実力差からいって、後半月もあれば瀬々が水穂のランキングを追い抜くだろうが――それには恐らく時間が足りない。

 

(このままじゃああたしのランキングは三位のままだ。無論それでも問題はないといえばない。けど、あたしが目指しているのは先鋒なのであって、レギュラーじゃない。レギュラーを目指している人たちには申し訳ないけど、あたしの目標はそんな低いところにはない)

 

 もしも水穂を追い抜けなければ、彼女が先鋒として龍門渕のレギュラーに座ることとなるだろう。しかしそれでは水穂の悪い癖が出る。

 ――彼女はかつて、麻雀において大切な何かを失っている。それに対する思いは、彼女に力を与えたが、同時に彼女に弱さを与えた。

 その証明が、今回の行動にもつながっている。

 

(人は変わっていくものだって、ここ数週間でよくわかった。……だったら先輩、あんたも変わらなくちゃダメだ。――だから)

 

 ――ただ日にちを過ぎたのでは、瀬々は水穂に追いつけない。しかしそれでも、二位の位置へつくチャンスが、残されていないわけじゃない。

 龍門渕の部員数は決して少なくはないが、多すぎることはない。必ずどこかで順位が近いもの同士がぶつかる場面が出るはずだ。そこで、下位と上位が交代するほどの点数差、つまり下位がその半荘でトップをとれるのならば――瀬々が水穂を、追いぬくことも可能だということ。

 

 そのために、決意する。

 

 

(……先輩、あんたは必ず、あたしが越える。一人の雀士として、麻雀であんたに勝ってやる)

 

 

 キッと睨んだ貫き眼は、窓ガラスに映った半透明の自分を、瀬々に認識させるのだった。

 

 

 ♪

 

 

 木質の堅い扉が、二度ほど軽快に振動を響かせる。その正体は直ぐにしれた。時刻はすでに10時を周り、外は夜闇に満天の星空を掲げていた。

 周囲に人の音どころか虫の音すら響かず、山奥の夜に、煌々と輝くのは月明かりとその従者のみ。どうやら、今は虫すら静寂に殺されてしまったらしい。

 

 そんな中では、そのノックは大きく音を絞り出すに至った。無理もない、何とも評しがたい沈黙は、その直前まで世界すらも支配していたのだから。

 一人パソコンを操作していた瀬々は、さっとそれを休止状態へ移行させる。もとより来客は想定済みであるため、シャットダウンであろうと問題はなかったが、そこはそれ、瀬々の習性がものを言った。

 

「……一か?」

 

 わかりきっていることであるが念のため。瀬々の部屋に来客はあまりない、透華や一達も、事前の連絡なしで訪れることは稀だ。

 唯一の例外は衣だが、その衣は、この時間帯になれば大抵寝ている。起きることを心配する必要はない。

 

「うん、今、いいかな」

 

「問題ないさ、いつでも来てもらっていい準備してる」

 

 静かな一の問いかけに、瀬々は何気ない様子で答える。さすがに声のトーンはえらく小さいが、それでもその音は周囲にはっきり広がった。

 一はそれを待ってから入室すると、瀬々の部屋を一度見渡す。室内は瀬々の周囲――パソコンなどが置かれたデスク――のみに光をともし、広い室内では、一の立つ入り口まではカバーをしていなかった。

 瀬々と一の間には十数歩ほどの間がある。一の姿は、彼女が灯すランタンのような照明を除いては明らかにされるものは全くない。

 

「ごめんね、こんな時間になっちゃって」

 

「いやいや、別にいつもこのくらいはまだ起きてるし、問題はないよ。さすがにそろそろ眠いけど」

 

「あはは、ボクもだよ。……まったく、こんな時間まで働かされる身にもなってほしいな」

 

 冗談めかして言葉を交わし合い、それから一は、入口手前に備え付けられた照明のスイッチに手をかける。一度だけちらりと瀬々を見るも、反応はない。問題はないのだろう、パチッ――パチッ――パチッ、何度かそんな音がして、照明の光が、瀬々の室内に広がっていった。

 小さなランプの明かりでは確かめづらいものだったが、一はどうやらパジャマ姿でここまで来たらしい。広がった明かりを確認し、手元の明かりを少しずつ小さくさせて、一が苦笑する。

 

「もうこの時間になると別館が消灯するからな、大変だったろ、ここに来るまで」

 

「消灯したのはボクなんだけどね。まぁなんというか、正直夜の館はホラーだよ」

 

 余りそういうたぐいのジャンルは苦手ではないだろうが、それでも少し思わせるようなところはあったらしい、一の顔色に、若干の陰りが見えたのを瀬々は見逃さなかった。

 

「その点瀬々はいいよね、迷路とかでも迷わなそうだしさ。こういう暗い所でも割とばっちり見えてるんじゃない?」

 

「……っと、そうだな。それで一体全体、何をしにここまで来たんだ? 態々二人きりで話すようなことかい?」

 

 自然な会話の流れであったが、瀬々はそれに違和感を覚えた。訳を語るには些か弱いが、それでもなんとなく感じ取った所作から、本題への移行を訴える。

 もとより一にとっても、その会話は前振りのようなものだったため、すぐさま同意すると、軽く視線を這わせる。

 

「あ、座るか?」

 

「んーっと、ベットの方がいいかな、そこに座ると瀬々の席がなくなっちゃうし」

 

 ――もとより座り心地の良いカーペットの敷かれた室内は直接床に座ることを考えているため、椅子の類は殆ど無い、よって一は二人が共に座れるベットを指定した。異論はないため、同意する。

 それから瀬々は隣に一が座るのを確認すると、どこか改まった様子で咳払いをした。

 

「んん! じゃあもう一度、一体全体如何様だ?」

 

「あーっと、まぁそこまで重大な話でもないんだけど、一応まぁ、報告に」

 

 一の様子は、どこか気まずそうなものだった。しかしそれは切り出しにくさからくるものではなく、どちらかと言えば事を大きく意識させてしまったような、そんなところから来るものらしい。

 すこし頬を書くと、続く言葉をつなげる。

 

「瀬々の、オカルトに関して。なんか、わかっちゃったみたいだからさ」

 

「…………、」

 

 その意図は直ぐにしれた。そして一の考えが正しいということも、ここまでの流れから瀬々はあっという間に答えを弾きだした。

 無言の瀬々にせかされるように感じたのか、一が慌てたように続ける。

 

「瀬々のチカラは、言うなら“答えをしる”って感じかな。どんなことに対しても、正しいことが解る、っていうか」

 

 まさしく正解。正鵠を得た答えに、しかしそこから感じる遠慮を感じて、無表情を保っていた瀬々の表層が、苦笑に崩れる。

 どうやら一はあまり瀬々を刺激しないような言葉を選ぼうとしているらしい。

 

「ま、正確には人の感情とか、そういう複雑過ぎるものはわからないかな。あたしってば頭も悪いから、恐ろしく難しい計算とか、答えは理解できてもそこに至る家庭はさっぱりだしね」

 

 そんな瀬々の言葉に、刺がないのを感じたのだろう。一は安堵したように嘆息すると、こちらもまた笑みをこぼしながら、なんという事のない風に言う。

 

「そっか、全部が全部解ってるんじゃないんだ。よかった……のかな」

 

「良いに決まってるだろ、心を読むとか何の拷問だよ。あたしもそっちも、何の得もないだろ。……ま、それでもあたしは普通じゃなかったんだけどさ」

 

「それそれ、ちょっと怖かったんだ。瀬々の事をなんとなく知っちゃったのはいいんだけどさ、それを言わないでいるのがなんか卑怯みたいで。でも言ったら言ったで、拒絶されるんじゃないか……って」

 

「参考までに、なんでわかったんだ?」

 

「最初から……かな? 自摸切りリーチで一発っていうのや、ツモが解ってるみたいな打ち方をするから、先が見えてるんじゃないかっていうのはなんとなくわかったんだけど、それじゃあ鳴いてずれた後に調子を崩すのはちょっとおかしいと思った。……で、瀬々が見えてるのは一本線だけなんじゃないか、って」

 

 ――後は、答え合わせ。そう一はいった。その相手はどうやら透華のようだ。透華は瀬々の事情、過去を知っているし、そのチカラも説明を受けている。そもそも暮らしだしたのは高校に入学してからとはいえ、瀬々の中学時代、瀬々の後見人は間違いなく透華だったのだ。

 さすがに署名は、執事であるハギヨシが行なっていたが。

 

「まぁ確かに、未来予知みたいなのとはちょっと違うっていうところまでは、誰だってたどり着けるかもな。それ以上を自力でっていうのは、ちょっと酷か」

 

「そうなんだよ、透華ってばヒントは出してくれるけど明確に答えてはくれなかったから、ちゃんと答えを知るのにすごく時間がかかった」

 

(……あいつ、自分は教えてないって免罪符作りやがったな?)

 

 意地の悪い透華の意図に、思わず瀬々は唾棄しながら、一に顔を向けずに嘆息する。不思議そうな顔をしているが、なんとなく一もその意図は察しているようだ。

 

「……ま、でもちょっとタイミング悪けりゃ絶好もんだったな。ほんと、数日前までのあたしは、そういうのに触れられるのは、ホント駄目だったんだ」

 

「ってことはやっぱり、大沼プロとのアレで心境の変化があったり?」

 

「有りも有り、大有りさ。いやほんとに、衝撃的だったね、まさかあたしの普通じゃないチカラを“よくあること”とはね」

 

「まぁでも実際、ボクも瀬々位だったら普通だと思うよ。……瀬々が雀士じゃなかったら、どう接していいかわからなかったけどね」

 

 それもそうだろう。今まで、ほんの十五年程度とはいえ、瀬々のチカラを、純粋に認めてくれたのは生まれてこの方透華しかいないのだ。無論、それよりも一歩進んで、喜んでさえいたのは、天江衣唯一人。

 どれだけ一が図太い精神を持っていようと、瀬々を雀士という認識なく、異能者として付き合えていたかは、話は別。

 

「それでも、あたしと一緒にいてくれるんだ。雀士だからっていう事も含めて、ありがとうっていいたいよ」

 

「そうだね……ボクとしても、瀬々とこうして隔たりなく付き合えるのは、すごく嬉しい」

 

 たとえ変な意地の張り合いをするような間柄でも、それはすぐに元に戻るし、どれだけ言い争いになろうとも、気がつけば平常通りに言葉を交わせる。そんな交わりを持てたことを、嬉しく思う。

 ――だからこそ問うのだ。一は瀬々に、一つ問うのだ。

 

「……少し、聞きたいんだ。瀬々はどうして悩んだの? 透華は教えてくれなかったけど、多分今の瀬々と昔の瀬々じゃあ、大分違うと思うんだ。今、瀬々は幸せだよね?」

 

「そうだな、幸せ。多分、信じられないくらい」

 

「だったらなおさら……変だと思うんだよ、なんで悩むの? 幸せならそれでいいじゃん」

 

 今が幸せならば、なぜそれを躊躇う必要があるというのだろう。一はそう考える。一自身が幸せを望んでいるからだ。

 かつて経た失敗を取り返し、今の自分が幸せになる。それは一の、今を生きる目標といってもいい。

 

「……不安になるんだ。あたしがこんなに、幸せでいいのかなって」

 

 瀬々のそんな問いかけに、近しい答えはすでに出ていた。秋一郎が言ったこと。スタートを違えた。それはきっと、同じように戸惑う瀬々への、答えになるのではないか。

 しかしそれだけでは、瀬々の問いかけに対する直接の答えにはならない。瀬々は変わろうとしている。それはあのオーラスでも、今日この時まででも明らかだ。

 一がそれを知らないわけではない。瀬々に変化があったことくらいは、すぐに気づく。

 

「それは――」

 

 ならば――一は考えた。否、言葉を選んだ。一は知っている。瀬々は過去に対して悩んでいるのだ。ならば同様に、後暗く過去を考えることのある自分なら、きっとどこか答えが似通っているのではないか。

 それを、瀬々の感覚、瀬々の抱く答えと溶け合わせれば。解けない答えはない――かもしれないのだから。

 

「――多分、今が幸福ならいいんじゃないかな?」

 

 そうやって飛び出た言葉は、瀬々をほうけさせるには十分だった。

 

「ほら、例えば麻雀でも、ツモの調子がいい時と悪い時、みたいな調子の波っていうのがあるんだよ……っていってもわからないかな」

 

 瀬々は特殊なチカラを持つ雀士だ。調子の波はあまり関係ないし、それによって負けることは少ない。それでも麻雀には、和了れて和了れて、勝てて勝ててしょうがない時と、どれだけ手作りを洗練させても、和了れず、テンパイできず、振込もないのに点を削られ続け、やがては焼き鳥のまま飛んでしまう、なんてこともある。

 そんな調子の波に現れるように、幸福と不幸には、一定の習性がある、そんな風に一は言う。

 

「きっと、不幸や幸福っていうのにもそういう波があって、不幸な時があれば、幸福な時がある。それはきっと、人生にも言えるんじゃないかな」

 

 ――『幸福量保存の法則』という言葉がある。これについてはいくつかの解釈があるが、概ね幸福のプラスと不幸のマイナスは、必ずどこかで帳尻があって、均一のゼロになるという考え方だ。

 たとえどれだけ平凡でつまらない生き方をしていようと、大きな沈みも、大きな頂点もない、そんな不幸であっても幸福である生き方がアレば、それは帳尻があっている。

 たとえどれだけ不幸な人生を歩もうと、そのゴールが幸せに囲まれたものであれば、大きな底に、莫大な天頂、採算は見合うこととなる。

 それがプラスマイナスゼロの考え方。一のいうこともまた、それだ。

 

「でも、それじゃあまた不幸になった時辛くなるだけじゃないか。だったらいっそ、不幸のままで、幸福を知らないほうがましだ」

 

 だが、そんな考え方は人それぞれの価値観によって簡単に塗り替わる。平凡な人生をつまらない、不幸な人生だと考えるものも居るだろう。驚天動地の生き方を、幸福だと思うものは少ないだろう。

 それは疑いようのないことだ。瀬々の言葉もまた同一、不幸を知るときの辛さを味わいたくないのなら、いっそいつまでも不幸でいたほうが、その人間にとってはしあわせ(・・・・)であるかもしれない。

 

 それでも一は否定する。そんな瀬々の言葉を、真っ向から、自身の想いで否定する。

 

「だからこそ、だよ。不幸を知りたくないから人間は幸福を望む――」

 

 一拍、瀬々はその言葉に、まるで吸い込まれるかのように次を待つ、自分を感じた。

 

 

「――幸福を願って、自分なりの幸福を見つけるのが、人間の生き方なんだから」

 

 

 福音、とはこのような言葉を言うのだろうか。

 幸せになることを願う。――幸せであることを目指そうとする。きっと瀬々は、幸せなのだ。不幸を知りたくないと願い、不幸であるがままに幸福を盲目する。そんな自分も。幸福を知り、不幸を徹底的に嫌い遠ざける自分も。幸せなのだ。

 

 そんなことを一は言う。彼女らしい言葉で、彼女らしく開け拡げに。――その原点は、きっと彼女の生き方そのものだ。

 かつての間違いを、今の正しさで帳尻を合わせようとするような、そんな生き方を、彼女はそんな幸福と不幸、その目指すべきところとして表したのだ。

 

 そしてそれは、瀬々の思うが故で、あるならば。

 

「……随分哲学的な答えだな」

 

「どうかな?」

 

 一は何気ない様子で問う。瀬々は答えを知っている。ならば、こういう一の言葉にも、何がしかの答えを出してくれるのではないか。

 ――きっと、かつての瀬々ならば、言われるがままに肯定していたことだろう。それが瀬々の生き方であり、幸福だった。

 

 それでも、今は少しだけ違う。

 

「――さぁな」

 

 わからないと、首をふる。どれだけ考えても、瀬々はその答えを理解することは出来なかった。もとより不可能なのだ。人の真理だとか、世界の核心だとか、そんなもの、一人の少女が知るには少しばかり荷が重い。

 

「わかんないよ、そんなの。でも――――」

 

 だから瀬々は否定もしないし、肯定もしない。それは瀬々の感覚ではなく、感情が示す答えだ。思うがまま、赴くまま、瀬々はさらに言葉を続ける。

 

 

「――悪くないんじゃあ、ないか?」

 

 

 そうやって話す言葉はいかにも自然体だ。

 思わず一がそれに吹き出して、憑き物が落ちたようだと笑う。――そんな訳はない、一の言葉がガラリと瀬々を替えるわけではない。それは一とてよくわかっているし、だからこそ瀬々を茶化しているのだ。

 少しずつ変わりつつある。瀬々の世界は、新たなるものへと変貌しつつある。――その先にある答えは、瀬々にすらわからない。暗幕の別世界。どこまでも広く、果てしない黒夜が、瀬々の視界には広がっているのだ。




元は次の話と一緒だった今回。
分割せずにやったら1.4k文字ですってばよ。
それでもかなり圧縮かけてるんですが、元は四話だったのを二話にして、更にそこから三話に増えました。
多分もし元の通りにやってたら六話位かけてたとおもいます。


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『雲隠れに刻む月』

 黒に染められた天蓋にばら撒かれた砂粒のような星々は、無限のように広がり、衣にその姿を晒してくる。

 衣に宇へぶちまけられた光のつぶを、繋げ合わせる知識はない。衣はただそれを実感なく眺めるだけだ。別館テラスに備えられたテーブルに突っ伏しながら、うつらうつらと星を見つめている。

 

 星の姿に変化はない。時刻はすでに数刻も時を刻んだはずだ。それでも衣には、そんな世界の変化を感じ取れずにいた。

 この場所にいるのも、宇のスクロールが、衣を時の流れに誘うことを期待してのものだったのだが。

 

 ――衣の住まう時間は些か牛歩気味のようだ、宇の変化を目ざとく察知することは出来ず、衣は退屈そうにあくびを漏らした。

 眠気も十分に、衣を支配しているように見える。

 

(……月は、どうだ?)

 

 何の目的も持たず揺らしていた視線をそっと意思を持って移動させる。変化はそこにあるだろうか。見ただけで解るものではないにしろ、月は衣そのものといってもいい、ならばその存在は?

 

(文はやりたしか書く手は持たぬ……か。(いや)、そこまで懸想しているわけではなかろうが)

 

 ――光がかざされぬわけではない、月は今もそこにある。しかし新月であるならばともかく、満月であるならばともかく。今宵の月は言葉にしがたい三日月だ。

 手を伸ばせば届いてしまいそうな、――手に取れてしまいそうなそんな月の光に、衣はそっと手をかざす。

 

 だがそれも、すぐに飽きたのか引っ込めると、また脱力気味に地を見るように突っ伏した。衣の手が介さなくとも、月は雲隠れ気味にその姿を雲流と雲流の間に置いている。

 

(月が陰り、衣の中から幻影のように消えていっているようだ)

 

 衣の中に巣食う怪物、狂気的という形容を持って表されるそれは、チカラを失い地に伏している。麻雀という舞台において、自分の打ち方を身につけた衣と“それ”はすでに寄り添ってはいない。だからこそ、衣はそんなふてくされたような怪物に、思わず苦笑する。

 

(衣の中の感情は、結局のところ人の子に収まる範疇だった、ということなのだろうな)

 

 思案げに暗闇を眺めて吐息を吐き捨てる。

 悩ましの少女、思いあるがゆえに、人らしく、人として悩む者。それはきっと、衣にとってどうしようもなく、人らしい部分だった。

 とはいえそれを、どうこうする気はまったく覚えないのだが。

 

(……ふむ?)

 

 白プラスチックのテーブルに押し付けられたもち肌を浮かせて、ふと衣はあることに気がつく。それは人の気配だ。それも、少しばかり他人とは違う“チカラ”をまとって気配。

 されども、衣の思い描く異様ではない。微弱な、人の魂によって地に伏せられ眠らされた、衣のそれともまた違う何か。

 

(――龍、か)

 

 すぐに思い至った。どうやらテラスの入り口、階段によって室内とつながったそこから、衣の元へ向かってくるものが居るらしい。

 その者の名を認識したからこそ、衣は振り返る。同時にポツリと、それが漏れた。

 

 

「――――透華」

 

 

 龍神、その名を関する一族の者。衣にとって、透華の異常はそういった認識で片付けられる。

 

「マダ起きていたんですの? もう外は真っ暗でしてよ? 消灯もしましたし、あまりこんな場所に一人で居るのは感心しませんわ」

 

 暗がりの階段から、足音を響かせて月明かりに透華がその身を晒す。衣は少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべるも、すぐにそれも消え去っていく。

 浮かべてわかった。今の自分に、何時ものような強さのある笑みは浮かべられない。

 気弱さを押し隠すかのような臆病な笑顔。見ていた透華が呆けているのが、そんな笑みの証左だ。

 

「随分笑みに張りがありませんわね。衣らしくないですの」

 

「……眠いんだ。それになれないことをして、睡魔が衣を殺そうとしてくるのだ」

 

 ぼやぼやとした衣の声は、現状の衣を違いなく透華に伝えてくれているようだった。クスクスと透華はおかしそうに笑うと、それを見咎めるのか、衣がなんとも言えない微妙な表情をする。

 本人としては不満を最大限に表しているんどあろうが、ジトッとした衣の目つきは、子どものそれにしか透華には映らない。

 

「何か、悩み事をしていますのね?」

 

「衣はこの間迄、久しく悩むということをして来なかったのだ。……迷いなら、あったのだがな」

 

 ――それはきっと麻雀のことだろう。迷いと衣はいう。いいことだと、透華は笑った。悩んで悩んで悩みぬいて、最善と思う答えを選ぶ、それが麻雀の醍醐味なのだから。

 

「先輩のことですの?」

 

 水穂が“また”例のアレを起こしたことは透華はすでに聞いている。そしてそのことに衣が一言割ってはいろうとし、瀬々に止められたことも。

 ――瀬々は言っていた。自分が止める、と。彼女の行動は、自身の感覚からくる正しさだけではなく、そんな思いも秘めていたのだろうと、透華は推量する。

 

「……そうだ」

 

 沈黙、答えづらい言葉を躊躇う子どものように、気まずげに衣は声を漏らす。世界の違いを認識している。それが故に理解しなくてはいけないことを知った。――けれども衣はそれを受け入れられないで居る。そんなところだろうか。

 少しだけ衣が気を重くしているのは、透華の言葉が怖いからだろうか。

 

 ならば、そんな不安は即刻取り払わないと。

 

「衣は、何も間違っていませんのよ?」

 

「……? それは、どういうことだ?」

 

「簡単なことですの、間違っているのは水穂先輩。衣はむしろ、正しいことをしようとしたのですわ」

 

 そうだろうか、と衣は首を傾げる。瀬々は衣の行動を止めた。それはきっと、瀬々の正しさからくるものであろうに。

 ――そうやって熟慮する衣の思考を見透かしたかのように、透華は続けざまに言葉を放つ。

 

「瀬々が止めたのはタイミングの問題。言葉によってもたらされるチカラは、そのタイミングによって大きく変質致しますの。今回のことも、結局はそれに尽きるのですわ」

 

「……時機――か」

 

 えぇ、と頷き透華は優しげに吐息を漏らす。柔らかな真綿を思わせるような物腰に、少しだけ衣の顔がほころぶ。

 

「衣はな、瀬々も水穂も大好きだ。面白い打ち方をするし、いろいろな世界を教えてくれる」

 

 一、二と、ぐっと握った手のひらのその先に伸びる指を開きながら、衣はそれを月夜にかざす。床に顔を伏せながら、腕を組んで、楽しそうに体を震わせるのだ。

 

「無論透華や一達もそうだ。だがな、あの二人は透華のように強くはないし、一のように真っ直ぐで、そして柔らかくない」

 

 どこか生き方が不器用なのだと、そう思う。瀬々は自身の生き方に疑問を思ってしょうがないし、水穂はどこかでずれている。

 

「そうかしら。私も一も、至らないところはあると思いますわ。それこそ、衣が羨ましいくらいに」

 

「衣だって羨ましいさ。それにな、瀬々はすこしずつだけれども変わろうとしている。きっとそれは正しいことなんだろう。それに瀬々が変わることは衣も嬉しい、新しい瀬々を見ることができるからな」

 

 瀬々は不思議な少女だと衣は思う。――衣は瀬々の生き方を知らないが、それでもどこか矛盾するそのしたたかさは、瀬々だからこそ持っているものに違いあるまい。

 

 ふわぁ、と、衣が大きなあくびを漏らす。もう眠気は限界まで来ているだろう。それでも席を立たないのは、透華との会話に飽きが来ないためか、否、それだけではない。

 

「もう寝ませんの? 随分無理をしているようですけれど」

 

「眠いよ。衣はもう寝たい。でも、ここで寝たら明日の朝スッキリ起きられないだろう? 瀬々のことも、水穂のことも、透華のことも一のことも、頭から離れなくてしょうがないんだ」

 

「そうですの……それでしたら、少し昔話をいたしましょうか?」

 

 それならば、透華は思案し、話題を取り替えることを選択する。今にも衣が睡魔に崩れ落ちるのは見て取れた。それならば、子守唄のように、そんな話を聞かせてみるのも悪くはない。

 

「――それは一人の寂しい女の子の話、短いけれど、がんばって、がんばって、がんばって生きてきた、そんな昔語りのお伽話ですわ」

 

「…………いいのか? 衣にそんな話をして」

 

「むしろ衣だからこそ、知る権利があるのだと思いますわ。だから――よろしくおねがいしますね? あの子のこと」

 

 ちらりと、流し目は龍門渕家別館の館内、すでに消灯により暗がりに静まり返った一角へと向けられていた。

 考えるまでもない、瀬々のことだ。衣はそうやって言葉を受け取ると、目を細めてポツリ、こぼした。

 

「……あぁ」

 

 小さな肯定。

 

「――では、どこから話しましょうかしら。そうですわね、それはもう十年ほども前のこと――――」

 

 朗々と響き渡る透華の声。透き通る透明な鐘楼の音は、ゆっくりと、宇へ、曇り空の月へと広がっていく――――

 

 

 ♪

 

 

 少女が“それ”に気がついたのは、初めて記憶を持ったその時だった。少女の記憶は、自分自身の“チカラ”と直接、始まりを同一にしていたのだ。

 

 最初の時は、少女が生まれてから数年の時がたった頃、言葉を話し始めて、自分なりにものをふかく考えることができるようになって、それから少女は、気付かずにそのチカラを使った。他でもない、両親に対してだった。

 

 少女はそのことを“言ってはいけない事”だったと回想しているが、それ以上は語ろうとはしなかった。彼女自身記憶があやふやで、強烈に刻み込まれた両親の顔だけが、こびりついているのだろう。

 透華はその後、両親の仲が不和になっていないことから、両親共通の秘密であると推測しているが。

 

 それからの少女の生活は悲惨というにたるものを持っていた。外面上は穏やかな家族、両親の仲が“共犯”という繋がりによって更に強固にならざるを得なかったためか、対面としての仲の良さは周囲に羨ましく思われるほどだった。

 しかし、その実態はまったくもってその反対、親の愛情を受けられなくなった彼女は、両親からの虐待に、少しずつ追い詰められていったことは疑いようがない。

 

 家族としての体裁を気にする両親により、保育、小学と少女は人並み通りの成長を行うことになる。しかしそこでも、少女にとっての不幸が待っていた。

 少女のチカラが、少女の中にあった小さな正義感とともに発露したのだろうか、思わぬ形で、教師の不正を暴くことになってしまったのだ。

 

 それからの学校での扱いは酷いものだ。一人だけ教師からのけものにされるのは当たり前、給食など、偶然周囲からの寄付でありつければいい方、時には担任自ら、事故のように振舞いかき集められたそれを地にぶち撒けることすらあった。

 唯一の救いは、その少女が学友たちの事を語らなかったこと。これは透華の希望であるが、当時から両親の外面の良さを真似し、周囲からの受けは良かった少女は、学校事態から嫌われることは会っても、児童から嫌われることはなかったのだと推測できるためだ。

 

 無論、それが正しいかどうかはさておき、少女の世界は少しずつ狂い始めていた。両親の経営する会社の経営悪化などが原因となり、両親の少女に対する虐待は過激化の一途をたどっていた。

 ついには遠く、車で数時間もの道のりを要する場所に、少女を置き去りにしてしまったのだ。

 

 

 ♪

 

 

「置き、去り……?」

 

「そうですわ。その女の子は一人、どこともしれない土地に捨てられてしまいましたの。よほどその父母も極限状態だったのでしょうね。聞いた所によれば、もうあの二人はこの世にいない可能性が高いですわ」

 

 ――世間的には失踪として扱われているそうだが、すでに失踪から数年もたち、捜索も端から行われていない。瀬々を捨てた少し後に、会社が潰れ、本人たちも何処かへと消え失せてしまった。

 

「瀬々、あぁいや、その女の子を捨てたのは、……少女を守るためだったのではないか?」

 

「いえ、それはないと思いますわ。正確に言えば、あの子が捨てられた当時、その両親はすでにあの子を嫌ってはいなかったそうです。むしろ恐れていた、のだとか」

 

 その訳は直ぐに合点が行く、両親の暴かれてはいけない秘密は、例えば少女が通う小学校で暴かれたような、不祥事と呼ばれるものだったのだろう。

 それを世間に暴かれるのを恐れた両親は、暴力によって少女を鎖に停めていたのだ。

 

「悪化する経営のために、生活を萎縮させなくてはならなかった状況下で、少しでも食い扶持を減らそうとしたのでしょうね。まぁ、それで今までどおりの贅沢をしていては、締める財布がないのですけれど」

 

「きっと、その親眷にとっては、己が稚児のことなどどうでも良かったのだろうな。自身にかかわらないのであれば、どうでもよい、と。……その稚児には力があった。齢十のほどでも生きていけるだけの、チカラが」

 

 そうですわね、と透華は頷く。恐らくは、それが両親に残されていた最後の良識だったのだろう。――良心ではない。あくまで一般的な、してはならないだろうという認識だ。その上で、彼らはこう考えた。

 “むやみに人は死ぬべきではない”と。とはいえそれも、今となっては単なる憶測にすぎない。

 

 外道の持つにはふさわしくない、社会の心がそうさせたのか。外道と名乗るにふさわしい、悪鬼の心がそうさせたのか。それは、瀬々にすらわからないのだから。

 

「それから、あの子は家に戻ろうとしたそうです」

 

 それから、それから。続く言葉を透華はなんとか搾り出そうとした。此処から先、これ移行のことは、その少女の生い立ちを明かすなら、絶対に語らなくてはならないことだ。

 

 しかし、言葉が出ない。

 

 

『――――無いんだ』

 

 

(…………ッッ!?)

 

 ふと、脳裏に浮かんだ光景。

 それは間違いない、過去の出来事、そのフラッシュバックだ。――もはやトラウマのように透華の中へ刻み込まれた、刹那の記憶。

 その正体は、自身の過去を語る瀬々の姿。

 

 

 ――嗤っている。

 

 

 瀬々はその時、笑みを浮かべていた。それは頬の筋肉が、そっくりそのまま消え失せてしまったかのような、チカラのないものだ。

 見れば吸い込まれてしまいそうな、そんな危うい化け物じみた笑み。きっと人はそれを、不気味と評して、遠ざけるのだろう。

 

 

 ――哭いている。

 

 

 瀬々はその時、涙を流してていた。止めどなく溢れる濁流は、唇を伝い、首元へと流れていく。枯れるという事を知らない源泉は、笑みというミスマッチを伴って、不気味をどこまでも増長させた。

 

 光を伴わない瞳。きっと、その時の瀬々はどこまでも人らしくなく、

 

 

どこにもないんだ(・・・・・・・・)答え(・・)が。あたしの居場所っていう問い(・・・・・・・・・・・・・)に対する(・・・・)。――――答え(・・)が』

 

 

 ――人形のようだと、透華は語った。

 

 

 ♪

 

 

 沈黙は、何時まで続いただろう。衣はその昔話を、未だ呑み込みきれていないように、顔を伏せ、暗がりに沈ませる。

 同席する透華に、その顔を見せたくは無いようだった。

 

「なぁ、透華。……なぜ瀬々は今、笑っていられるんだ? 衣の知る瀬々は、素直に笑うぞ? 面倒だと嘆息しながら、衣と一緒に行動してくれるぞ?」

 

 渡瀬々。どことなく胡乱げな雰囲気を持ちながらも、人当たりはよく、その素の表情も面倒くさがりという一面を持ちつつ、世話焼きのような一面も持つ。

 外面がいいというのは、これまでの付き合いからよく知っている。そしてその心の中も、決して善良でないとはいえない。

 

 だからこそ、衣は不思議ではならない。

 

「あの時……あの子が過去を語ってくれた後、言っていましたわ。その時自分は答えを喪った。しかしチカラまでもをなくしてしまったわけじゃない。今の自分は“答え”によって再構成されている、と」

 

 帰る家を喪った後、少女は自身が生きていくための後見人が必要であるという結論に至った。その後見人が龍門渕透華だったのだ。

 少女は語った、自分の過去を話すのは、ひとつの交渉カードである、と。不幸な自分が、これからさらに不幸になるのを、龍門渕透華という善良なる人間は、見逃すのか――と。

 

 応えるほかなかった。その時の彼女は、透華には言い表し用のないほど、小さく震えていたのだから。

 

「――――これは、私の単なる想像ですけど、けっして的はずれな考えではないと思いますわ」

 

 渡瀬々、少女にはそういった不幸に対して耐えうる莫大かつ強靭な精神力があった。――何もおかしな話ではない。透華はこう考えているのだ。

 

「“チカラ”があるあから瀬々なのではない。瀬々だからチカラを持ち得た(・・・・・・・・・・・・・)のですわ」

 

 生まれつき、瀬々にはそういった精神性があり、それ故に瀬々はチカラを行使することが出来た。それはつまり、瀬々だからこそチカラを使えたのであり、瀬々がそれを扱えるだけの精神力を持っていたからこそ、チカラは瀬々に宿ったのだ――と。

 

「普通、あらゆるものの答えなんてしれたら、人生はつまらないと思いません? そうでなくともそんな答えが右から左から、あらゆる方向から入り込んでくるなんて、普通だったら発狂(・・・・・・・・)しますわ」

 

「……そうか、衣は少し不思議だったのだ。不幸に生きた瀬々が、なぜ幸福を享受することを躊躇うのか……と。そうか、そうだったんだな、瀬々にはそのくらいしか悩みがない(・・・・・・・・・・・・)のだな」

 

 なるほど、面白いと感じるはずだ。

 衣が広い世界に飛び出して、初めて共に居たいと思った相手。それはそんな、どこか神秘的な強さを持つ、少女だったのだ。

 

「さて……透華、衣はもう眠るよ。早起きがしたくなった」

 

「無理だと思いますわよ? 衣のお寝坊さんは昔も今も変わっていませんから」

 

「む! そんなことはないぞ! 衣だって少しくらい成長したんだ、ただ寝ている方が気持ちいいからそうしてるだけで……」

 

「惰性を覚えたことを成長とは言いませんわ、堕落と言いますの」

 

 ――会話はそうして少しずつ終幕へと向かう。

 きっと、瀬々のことも、衣のこともそうなのだろう。少しずつ変わっていくのだ。瀬々が変わりゆく強さを持っているように、衣が一つの出逢いによって、そのあり方を大きく変じさせたように。

 

「――おやすみなさい、衣」

 

「あぁ、また明日。きっとあしたは、いい日になるぞ」

 

 そうして少女たちは、明日に続く世界へと思いを馳せて、眠りの底へと墜ちていく。

 

 ――月に陰りは見られない。雲の合間に隠れた侘しさも、きっと今は、そんな少女たちの祝福に変わるのだろうと、宇を想うものは、その願いを馳せるのだ。




瀬々過去回。そりゃなんでも答えがわかるんじゃ、ばかみたいな精神力無いとだめだよねって話。
まぁそれでも透華に見せたのも嘘ではないので堪えてはいる様子。

次回は瀬々対水穂、そして水穂本気モードお披露目です。


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『ハイテンション・フルスロットル』瀬々VS水穂①

 瀬々と水穂、両者の対局は例の事件以降、設けられる機会はなかった。無論、瀬々と水穂の両名は対局を望んでいたし、それ自体があることは確定的だった。

 ――瀬々は水穂の負担を軽減すべく、水穂は自身が先鋒として、何ら文句のない形で選出されるために。

 

 それは両者の生活、その節々から感じられるようなものであり、周囲は敏感にそれを感じ取った。――競技の延長線上を超えた意地と意地のぶつかり合い。瀬々と水穂の大局は、そんな位置にまで引き上げられるにたった。

 

 そうして訪れた四月下旬、もうすぐ三連休が始まり、連休によって世間が浮き足立ちはじめた頃のこと。

 

 ついに、水穂と瀬々が同卓する卓が立てられた。

 東家に瀬々、北家に水穂、南家と西家を務めるのはそれぞれ、瀬々達とは余り接点のない二年生。どちらも龍門渕内での成績は中位、下手ではない最低限の打ち手として、その場に座ることとなる。

 

 対局は、そんな二年生達の静かな和了からはじまった。

 東一局は西家の少女が。

 

「ツモ! 2000、4000!」

 

 東二局は南家スタートの親が。

 

「ツモ! 2600オール!」

 

 それぞれの全速力でもって瀬々と水穂を引き剥がしにかかる。現状彼女たちには水穂や瀬々に食らいつけるほどの実力はない。ならば何を持って闘うか。

 速度と、それを伴う流れしか無い。開始早々はその少女たちによる和了。どちらも小気味のいい手が、リーチとドラと、ツモによってちょうどいい形に跳ね上がったのだ。

 

 しかし、少女たちの猛攻もそこまで、彼女たちの対局はほぼ、この場所で終わりを告げた。さもありなん、一人の少女がそこで腰を上げたのだから。

 ――依田水穂が、その瞬間、全力のチカラを吐き出したのだから。

 

 

 ♪

 

 

 ――対局室。水穂達の周囲は人だかりが出来上がっていた。この対局、実質的な龍門渕四天王ナンバーワンを決める闘いであるがために、その注目度は否が応にも上がっていたのだ。

 一年生ながら安定した強さを見せる渡瀬々、三年生として貫禄の闘牌で実力を見せつける依田水穂。

 

 そのどちらがレギュラーの中でも傑出した力を持つか、その詳細が今、詳らかにされようとしているのだ。――そしてそれを気にかけているのは何も一般の部員たちだけではない。

 透華達その他レギュラー陣もその対局を注視している。

 透華、一、そして衣の三名は人だかりの中には見をおかず、少しはなれた場所から対局を見守っている。

 ――しかし、それでは全てを見通せるわけではない。透華他の者達はあるツールを利用しているのだ。パソコンに卓上の状況を再現する映像を写す、というものである。

 

 これにより、ほぼリアルタイムで卓を見ずとも観戦が可能だ。直接眺めたり、モニター越しに熱気を感じるような、味気と呼べるべきものはそこにはないが。

 

「さて……ここまでは特におかしなところはありませんわね」

 

「瀬々も、すごく普通に打牌してるね」

 

「ここ最近はそういった事もしているからな、多少はどうに入ってきただろう」

 

 一の言葉に追随した衣の“そういったこと”とはつまり端的に言えばデジタル打ちの事だ。その内容は、あくまでその場限りの最善を選べる程度のものではあるが、オカルトに比重を置く瀬々ならば、それでも十分すぎるほどに十分だ。

 ――むしろそのデジタル習得によるアドバンテージは、自身の技術上昇ではなく他者への観察力向上にこそ意義がある。

 

「…………おや、来たようだな」

 

 そんな時だった。開け拡げられた麻雀部の出入り口から、一筋の風が室内を凪いで駆け抜けた。瞬く間に周囲を飲み込むかのような力を持つ、重い風。

 

「……っ!」

 

「――な、なんですの?」

 

 衣がいち早くそれに気づき、少しばかり楽しそうに笑みを浮かべると、続き、瀬々と透華が反応した。その様子から、透華はすぐにその正体を知った。

 

「……先輩、ですの?」

 

 ――透華には人ではないチカラを感じ取る感覚があり、それが作動しているというのなら、その発信源がここには存在するはずだ。

 そしてそれは、この場にいる特別な雀士のウチ、全く反応を見せなかった水穂以外にはいない。

 

 水穂が、吹き出すような気配を顕にした。

 

 それに気がついたのは、瀬々を始めとしたオカルト領域の雀士のみ。それだというのに、龍門渕の麻雀部は突然その音を殺し、静まり返ってしまった。

 

 否、その中で会って鳴り響くものがある。

 

 賽の目が所定の位置で回転を続ける。カラカラと、おのが役目を全うせんがために回り続けるそれは、やがてその足を止める。

 浮かび上がるは、牌の山。

 二乗につまれたそれが東二局一本場の開始を、対局者達に告げるのだ。

 

>点棒状況

・東家スタート:18400

・南家スタート:30800

・西家スタート:30400

・北家スタート:20400

 

 

 ――東二局一本場、ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 南家少女からのスタートは、平素と言ってもよい物だった。当然だ、その場にツモへの支配へ手をつけるオカルト雀士はいない。故にその始まりは、あくまでも当然といって好い。

 

(……配牌は、まぁ悪くないが、水穂先輩の“本気”を相手にするには少し重い)

 

 ――瀬々手牌――

 {②③③⑥111(・・・)37北北白發}

 

 ここに加えて、第一打を瀬々は打、{南}とした。北を重ねてからの一打目だ。牌姿を眺めれば、ドラさんの手は非常に魅力的に思える。

 しかしこの配牌は些か手が遅いと言える。

 

(どうもあたしのツモは萬子絶一門のツモみたいだ。ほとんど萬子を自摸れないし、萬子を待ちとした和了に、ツモ和了は現状無い)

 

 だれかが萬子をガメていることくらいは解る。それにより、他家は一層軽快を増さなくてはならないこともまた事実。何時寝首を嗅ぎ分けられるかかわからない相手など愛艇にしていてこれほど危険なものはない。

 瀬々はひとつ嘆息気味に言葉を漏らすと。

 

(――まずは、対面の三巡目萬子ツモ、これで一つ、様子を見る。対策だなんだも、それ以降考えるしか無い)

 

 瀬々/ツモ{⑧}・打{白}。

 

 続き、水穂の打牌。自摸った牌を左端、――通常では考えられない場所に追い込める。それからの打牌も、左手側から卓の左端へ、斬りこむような打牌を加える。

 

 水穂/打{⑨}

 

(手出し筒子切り、打牌事態は平凡だけど、萬子じゃないのはやっぱり気になる)

 

 瀬々/ツモ{5}・打{7}

 

(この牌は鳴いても使わない、まぁそれにこのツモの様子からすると、必要なのは対面だ)

 

 {7888}の変速多面張で手を作るだろうか、打牌を見なければなんとも言えないが、瀬々はすぐさま次へと意識を移す。

 

 水穂/打{南}

 

(――ノーコメント)

 

 続く三巡目、瀬々のツモ。

 ここまでで、他家の捨て牌は南家が{9}{⑧①}の切り出し、西家が{⑨北}の切り出し。どれも手出し、字牌の整理だ。

 

 西家スタートの少女がが掴んだのは、掴んだのは{三}、その自摸切りにより、水穂の顔がすぐさま下の真剣なものへと変わる。この間数秒の流れもない、しかしある種せき止められたとも言えるその一瞬の停滞は、次なる爆発をより大きな物へと変貌させる。

 

「チー!」 {横三一二}

 

 劇的な加速を見せる卓上、一気に水穂が打牌を行うと、続くツモの手が伸びる。

 

 水穂/打{8}

 

 そして西家スタートの少女が手出し萬子。動きはなく、親の打牌は{⑤}。

 

(染めてたのは下家か――。となると先輩の手は、さっきの鳴きと合わせてだいたい読める)

 

 瀬々/ツモ{發}・打{③}

 

 水穂/打{東}

 

(――役牌払い! さっきの索子中張牌打ちといい、早いのか? 早いのか!?)

 

 自身の思考に焦りが生まれる。水穂の速攻。瀬々の思いもよらぬところから動いた鳴き、こういった鳴きがあることは知っている。そしてそれが、鳴きに対して精通している熟達者でなければ出来ない泣きであることも、知っている。

 

(先輩の本領、デジタルとしての境地か……!)

 

 水穂にはオカルト的な特徴がある。しかしそれ以上に、水穂は多くのデジタル雀士を同輩の友とするスタイルが根本にはある。かつて数人の仲間と共に、デジタルを学んでいた時機が水穂にはあった。

 その下地が、現在のデジタルとしての強さにつながっている。

 

 それでも、

 

(……負けられない! これが先輩の強さの一つだって言うならさ、あたしはあたしの、強さで先輩を越えてやる!)

 

 瀬々の上家、親の打牌、手出しの{二索}、ならばその意味は――

 

「ポン!」 {2横22}

 

 瀬々が答えを出すよりも早く、水穂が動いた。三つの牌、対子の{二索}、一枚の{發}。左端から切り払う打牌、しかしそれに、待ったをかける者がいる。

 

「それ、――ポン!」 {發發横發}

 

 瀬々が動いた。

 

(このツモ巡、二つ晒してはっきりしたテンパイ、ここで鳴かなくちゃ、自摸られる!)

 

 瀬々/打{5}

 

 一瞬、水穂は呆けたようにした。それからその意図をはっきりと理解すると、それを流し目に変える。挑発だ、見え透いているにも程がある。

 

(……じょうっとう、かかってきなってことなら、あたしだって相手になってやる!)

 

 水穂/自摸切り{2}

 

 すでに瀬々の視点からは、水穂の手ははっきりと見えている。デッドラインは二巡、それまでに最低でもテンパイできなければ、この手はそのまま敗北する。

 だが、

 

(――いいツモだ)

 

 瀬々/ツモ{⑦}

 

 当然、打牌は{3}これで両面テンパイ。

 

(この一巡、当たり牌がどっかから出れば……!)

 

 水穂/自摸切り{北}

 

 打牌/{⑤}、打牌/{二}。そして、瀬々は勢い良く牌を自摸ると、ほとんど確認もせずにそれを卓へ叩いた。打牌は{9}。

 

 そして水穂のツモ、これもまた自摸切り。

 

(……頼むぞ)

 

 警戒はしているだろうか、しかし西家は止まるつもりはないようだ。自摸った牌を一瞥しただけでツモ切りする。打牌、{七}。

 ――否、これがなくとも次巡、瀬々は当たり牌を掴んでいたのだが。

 

(ダメか――ッ!)

 

 そうして瀬々は、卓へと手牌をそっと伏せる。すでに勝負は見えた。後は水穂の宣言を待つのみだ。

 

「――ロン! 1000の一本付けは1300」

 

 ――水穂手牌――

 {四五六八九66} {七}(和了り牌) {横三一二} {2横22}

 

 ぐっと呻く声。速やかに点棒の移動が行われ、サイコロは再び回り出す。――次なる山が、姿を表した。

 

・依田水穂 『20400』→『21700』(+1300)

 

 

 ――東三局、ドラ表示牌「{七}」――

 

 

「……水穂先輩炸裂、といったところかしら」

 

「びっくりだね。正直ボクは、あの三巡目の牌姿から……というかあの配牌から鳴いて仕掛けるのは無理だよ」

 

 透華と一、デジタルを信条とする両者が、感嘆の息を空に漏らした。そもそもこの局、水穂の手牌は最悪といってよいものだった。

 

 ――水穂手牌(配牌時)――

 {一四六九⑨22668南東發}

 

 萬子の一通よりも、むしろの索子の対子に目を向けるような状況で、水穂は速攻のみを第一に考えた。故に第一打は{⑨}。側のないヤオチュー牌、感性による一打は、引いてきた{二}を加味してのものだった。

 その後もオタ風を払い、役字牌と鳴き一通の両天秤、三巡目に瀬々が{三}を切り出した時点では、まだ役牌対子との選択は残ったままだったのだ。

 それでも、鳴いた。後付を上等として、その手を鳴きで仕上げに向かったのだ。

 

「水穂先輩の様に、スムーズなツモのできる人では無ければ出来ない。……いえ、例えできたとしても、普通なら怖くてそんな鳴きできませんわ」

 

「――いや、どうやら水穂のやつ、今の局はさほどそういったチカラを使っていなかったようだ。正確に言えば下ごしらえ。そのための最善の手を打ったというわけだな」

 

 決して水穂のツモの調子がいいというわけではない、最終形は辺張でのテンパイ出会ったし、両面塔子はひとつとして出来上がらなかった。それでもなお、水穂が高速で和了できたのは、単純に彼女の実力といって好い。

 ――そんな衣の言葉に、透華も、そして一もまた、体を震わせて慄く。漏れてくるのは、恐怖と歓喜に打ち震えたものだった。

 

「…………これほど、先輩が共に戦う仲間でよかった、そう思わざるをえない日はありませんわね」

 

「なに、透華は後二年早ければ、水穂の上を行っているさ、一とて、同格だ」

 

「それはちょっと……信じられないかな。ボクには、あの人がとてつもなく遠くに見える」

 

 冷や汗のような、なんとも言葉に表し用のない発汗を抑えきれずに、一はポツリとそう漏らして返した。

 返答は簡単だ。衣は何気ない様子で笑うだけ。

 

「気がつけば、そこにいる。成長とはそういうものだよ。本当に、気がつけばよくもまぁこんなトコロまで来たものだ。衣も、透華も、一もな」

 

 それが会話の締めくくりとなった。衣が視線を動かすと、衣の声に聞き入っていた一も透華も、それに釣られてモニターへと顔を向ける。

 配牌はすでに終え、現在が水穂のツモのようだ。

 

 ――水穂手牌――

 {六③③④23457北西白白} {八}(ツモ)

 

 水穂/打{北}

 

 前局の配牌が嘘のような好配牌、役牌対子を鳴いていけるなら、十分な高速和了が見込めるだろう。

 

「――始まりましたわね、先輩の真骨頂」

 

 ――依田水穂には自身の精神状態がダイレクトにツモへ影響するという特徴がある。一度地獄モードに突入すればそう簡単にはそこから抜け出せないし、逆に調子のいい時は好配牌、バカヅキが継続して訪れる。

 それらを加味した上で、水穂の取るもっとも最上級の選択が、この高速和了。

 

 ようは簡単だ。自身が和了すれば水穂の精神状態は上向きの方向修正されるし、他者に和了られるのならば、それは全く真逆に触れる。

 ならば自身が連続で和了を続けることで、自分のテンションを好調で維持すること、それが水穂の取る選択だ。

 

「今はマダ未完の大器、しかしこれはすぐに化けるぞ。それも、人の予想を超えた先に――その答えがある」

 

 水穂/ツモ{③}・打{西}

 

「人の予想を……」

 

「――越えた、先?」

 

 透華と一、両者の声がシンクロし、衣に合わせて目線を送る。そうしている間にも、大局は動き、水穂のツモ、そして打牌。

 それは透華と一を困惑させるには十分といえるものだった。

 

「――えっ?」

 

 水穂/ツモ{七}・打{()}

 

「なんで? 確かに手は早いけど、この状況だったら{④}を落とせば十分じゃないか!」

 

 たった三巡、それだけで水穂は役牌対子を見限った。確かに数牌が溢れれば、手牌から役牌の対子を落とす選択肢もあるだろう。しかし役牌というものはそのままそっくり、鳴いても鳴かなくても、一翻の手になるのだ。

 もしも役牌を見逃すというのなら、通常は平和とタンヤオ、この二つが複合するような状況でなければならない。さもなくば、態々手を遅くする必要はない。

 

 それでも、水穂は対子を落とした。透華達の、予想を越えて、打牌を行う。

 

「――なぜ? と言いたいか? 簡単だよ、役牌が対子になれば、残る役牌は二枚。――果たしてそれは、一体誰がつかむのだ?」

 

 水穂のツモは最高潮には至っていない。もしフルスロットルのツモを水穂が体現していれば、自摸るのは間違いなく水穂、しかし今は、誰がツモっても不思議ではない(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「それに、だ。透華も一も、もし手牌がヤオチュー牌まみれのゴミ手だったのなら、まずはどこから手をかける? オタ風か? 役牌か? 一九牌か?」

 

「……無論、オタ風から――あっ!」

 

 そうして、納得がいった。そもそも水穂はここで役牌が鳴けるとは思っていないのだ。ここ三巡で、三者の捨て牌を水穂は見た。

 瀬々が{一東②}、現親の少女が{北西西}、現北家の少女が{西南1}。誰もが最初に役牌へ手をかけることはない。例外は瀬々であるが――

 

「瀬々は止めるぞ? それくらいの判断、アヤツに出来ないわけがない」

 

 そうやって衣は否定する。故にこの状況、水穂は誰からも{白}は出ない、そして自身は自摸れないと判断したのだ。

 

「加えて、{白}を二枚所持しているよりも、数牌に取り替えたほうが純粋に待ちが広いね。……役牌対子に、少し盲目になりすぎていたかな。それに、先輩の手がとにかく速さ重視だっていうことに惑わされてたよ」

 

 そうやって、反省気味に一が漏らす。そもそも、一とてここで打牌を実際に選択するのなら、恐らくは役牌対子に手をかけるだろう。

 見誤っていた。この水穂の闘牌という状況に、目を曇らせていたのだ。

 

 続く、水穂ツモ、{5}。すぐさま更に{白}を手牌から落とす。その“次”は更に早かった。水穂に続きツモを選んだ水穂視点での下家が、先ほど抱えたばかりの対子に呼応した牌を切り出す。当然、打{5}。

 

「ポン!」 {55横5}

 

 水穂/打{7}

 

 これで、聴牌。{白}の対子を落としたことにより残された、{③}、{④}使いの変速多面張。そうして一巡、二巡と自摸切りが続く。

 その状況を聴牌と読み取ったのは、恐らくその中では瀬々ただ一人。観客者達に目を移しても、実際に対局し、聴牌を感じ取れるものは恐らくほとんどいない。

 

 そんな、

 

 

「――ロン、タンヤオドラ一は2000」

 

 

 寝首をかくような、一撃だった。

 

・依田水穂 『21700』→『23700』(+2000)

 

 

 ――東四局、親水穂、ドラ表示牌「{西}」――

 

 

「――ツモ! 500オール。そしてぇ……一本場!」

 

 ・依田水穂 『23700』→『25200』(+1500)

 

 続く水穂親番、和了までに至った速度は、もはや考えたくもない、たった三巡、その間に手を揃えた水穂は、そのままツモで場を作る。

 リーチもかけず、しかしためらいもなく和了る。

 

(……まずい、先輩の気配がどんどん大きくなってる)

 

 瀬々の思考が、オーバーヒート気味に苦しげなものを漏らす。吐息を伴って吐き出されたそれを、瀬々は右手で無理やり口ごと押さえつけた。

 

(こっちの手が追いつかないんじゃ、何かしようにも手を出せないし……あたしのチカラが長期戦向きなのがちょっとばかり仇になったか――?)

 

 思考を半分目をそらし気味に考えて、いや――と再び立ち返る。現状自身のチカラを嘆いても仕方がない。

 ならば、機を待つ他に道はない。

 

(これ以上水穂先輩に暴れさせるわけには行かねぇ。そうなりゃもう、この半荘は水穂先輩のもんだ。あたしと先輩の対決だとか、レギュラーポジション争いだとか、そんな事情、全部関係なくなっちまう!)

 

 今がダメなら、その次を、その次がダメならば、またその次を、

 

(別にすぐさま先輩を止めろ、だなんて言わない。だが、すこしでもいいからあたしに答えやがれ! 先輩の顔色ばっかり、伺ってないでさぁ!)

 

 ――睨みつけるように卓上へと瀬々が視線を奔らせる。その延長線上、瀬々の上家に座る依田水穂は、積み棒をおいた手をそのまま、サイコロのスイッチへと向ける。

 賽は踊りだす。その結果を、自身にはない誰かにゆだねて――――

 

 

 ――しかし、次局一本場、瀬々の手はあいにくの五向聴、鳴きも、ツモも奮わない状況での打牌。

 水穂のツモはさらなる加速を見せる。あっという間に副露を晒すと、自身の捨て牌に二枚以上の牌を置かず和了。――もはや人の手の付けられる場所に、彼女はいない。

 つづく二本場、ここからが正念場。水穂のテンションは、すでに最高速の一段階手前――爆発寸前にまで、迫っているのだ。

 

 ・依田水穂 『25200』→『28400』(+3200)

 

 

 ――東四局二本場、親水穂、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

(仕込みは上場。テンションマァックス!)

 

 ニヤリと歪む口元を抑えながら、水穂は自身の配牌へ目を落とす。すでに理牌は終えた、第一打も正確なものを行った。その上での手牌。

 

 ――水穂手牌――

 {一二三四四四七八③④⑤79}

 

 {四萬}ツモ、からの打牌{四萬}、当然、配牌からしてその手はイーシャンテン、ということになる。ダブリーならずというその手に、水穂は隠し切れない戦意をにじませる。

 直後、水穂の下家が役牌を打牌。

 

「――ポン!」 {白横白白}

 

 鳴いたのは、瀬々。一気に先ほど水穂が鳴くことの出来なかった{白}を鳴き、手を進める。なんとなく――あくまでなんとなく、であるのだが。水穂はそこにある感覚を感じた。

 

(これが、瀬々と私の違い、ってやつなのかな)

 

 瀬々/打{發}

 

 水穂対面/自摸切り{8}

 

(私はそれを切り開けなかった。あんたはそれを切り裂いた。別にそれがどうこうって気はないよ、あんたは鳴ける。私は鳴けない。だけどね、瀬々)

 

 ――水穂/ツモ{九}

 

(強いのは――私だ!)

 

 振り上げられる右手、スナップを効かせて勢い良く打牌へと唸るそれは、左隅へ打牌を向ける。――水穂、この半荘最初のリーチ。

 卓の端まで精一杯向けられた打牌の{四}。それが、激しい勢いを伴って川へとたたきつけられる。

 刹那、轟音が響いた。卓に、現実を伴わぬ激震が奔る。

 

 ――閃光、と呼ぶにそれはふさわしいだろう。目にも留まらぬ速さで持って、水穂の牌は曲げられた。

 

「リーチ」

 

 ――水穂捨て牌―ー

 {④横四}

 

(嵌張――ジョォ……ットウ!)

 

 苦しげに打牌を悩む三者、唯一、瀬々だけは鋭く牌を切り出した。打、{4}。

 

(悪いね、そんなんじゃ私には追いつけない!)

 

 

「――――ツモ! リーチ一発ツモは、2200ゥ! オォールゥッッ!!」

 

 

 引き上げた牌を、左端へと(・・・・)叩きつける。

 

 ――水穂手牌――

 {横8}(ツモ) {一二三四四七八九③④⑤79}

 

 ふわりと、風が水穂の髪を持ち上げる。キラリと閃いた瞳は、その獰猛な表層をともなって、敵に畏怖を思わせるのだ――

 

 ・依田水穂 『28400』→『35000』(+6600)

 

(私は――誰かのせいで、誰かが別の誰かに気を使うようなことはもうイヤなんだ! それだったら、もう私が、その誰かになるしか無い!)

 

 積み棒を重ねる。

 止まる訳にはいかない、この連荘を、自分の歩みを、止めてしまう、訳にはいかない。絶対に、もう、止まることの出来ない場所まで、水穂は来ている。

 

 

(だから、瀬々、あんたには絶対負けない。負けて――たまるか!)

 

 

 ――東四局三本場、親水穂、ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 追いつけなかった。前局、瀬々は聴牌していながらも、水穂の和了に追いつけなかった。すでに機は満ちている。水穂の速度はすでに最高スピードにまで達した。配牌一向聴での速攻。ならば次は? 考えたくもない。

 

(……くそ、こんなんじゃ駄目だ。もっと、もっと早い手じゃないと……!)

 

 ――瀬々手牌――

 {一三六七①⑨⑨589白白中}

 

 瀬々/ツモ{②}・打{中}

 

(さっきの二本場で水穂先輩は完全に“あったまった”。配牌一向聴から、嵌張に待ちを抑えたはずなのに、一発でツモってきた。ふっざけんじゃない、あたしは先輩に、負けるつもりはねーぞ!)

 

 だが、それでもなお、届かない。

 

「ポン――!」 {横999}

 

(……さけられるかこんなもん!)

 

 ――水穂のチカラにおいて、彼女の調子が最大限まで向上すれば、どうなるか。その答えはいたってシンプルだ。

 まず、水穂のチカラは速度を支配する。配牌五向聴が待ちの広い三向聴、そこからさらに二向聴や一向聴、そして聴牌速度まで上昇する。

 配牌時から一向聴へと至ってしまえばもう、止まるものはいない、水穂の高速和了は、だれにも止められることは出来ない。

 

 

 そして、水穂にはその“次”がある。

 

 

 それは何か? 簡単だ。それは火力である。

 

 瀬々/ツモ{四}・打{①}

 

 つまり、水穂の手には速度と同時に火力が備わる。それは例えば染め手に寄る配牌聴牌であったり、三色をすんなりと聴牌するものであったりする。

 

 /打{北}

 

 そしてそれは、親番という状況下で発揮され、

 

 /打{西}

 

 時にはそれは、

 

「――ロン」

 

 ――水穂手牌――

 {一二三888東東東(・・・)西} {西}(和了り牌) {横999}

 

 ・依田水穂 『35000』→『47900』(+12900)

 

 

 ――(ドラ)すらも、伴ってしまうものなのだ。

 

 依田水穂。

 龍門渕が誇るレギュラー陣、唯一の三年生にして、“人間の域”においては最強を冠するモノ。その実力は、果たしてここに、詳らかにされているのだ――――




デジタルとしても、オカルトとしても一級品。それが水穂の麻雀です。
なんで龍門渕に居るんだ、って話もありますが、そこら辺は追々。

さて、四月編ラスボス戦です、今まで以上に盛り上げて行きたいところ。


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『コネクト』瀬々VS水穂②

 ――もうイヤだ。

 

 

 ――もうイヤなんだ、あんなこと。

 

 

 ――私が、私のせいで、皆を傷つけるのは絶対に。

 

 

 ――――イヤ、なんだ。

 

 

 ――東四局四本場、親瀬々、ドラ表示牌「1」――

 

 

 山から牌を抱えて拾い上げる。四者がそれを何度か続けて行い、自身の手牌とする。――十三枚、自身の手札、可能性として扱うことのできる牌の数。それプラスツモの一枚、以下にしてその牌を利用していくか、それが麻雀というゲームだ。

 

(……ふむぅ)

 

 配牌を終える。第一ツモ、ここでの感触が自身のその次へ向かう。ならば、どうする? ここで一体、瀬々は何を狙える。――見つめるのは、手牌。

 

 ――瀬々手牌――

 {四四八八④⑥⑥⑧2477西} {7}(ツモ)

 

(やってみる、価値はある――――か)

 

 渡瀬々、答えを知るモノ。

 ならばその行き先は、己がのみぞしるということだ。――瀬々は、その行き先すらも、すべてを見通すことができる。

 

 瀬々の感覚がにわかに加速を始める。イメージの中において言えば、瀬々の周囲を回遊する鉄板が、凄まじい勢いで回転を始めるのだ。

 めまぐるしく世界が切り替わっていく、まさしく全てを喰らい尽くすかのように、全てを叩き潰してしまうかのように、それが瀬々の周囲で回転の壁を作る。

 

(――行くぞ、あたしの新必殺技! この状況で、あたしが更に手を進めるための方法――――!)

 

 瀬々/打{西}

 

 ことは、それから2つ目の打牌、対面からの、打、{四}、それは果たして狙ったものだったか、はたまた偶然から飛び出したものか。

 

(――知ってる、あんたの手は字牌が固まってるんだ。それも更にはツモで字牌が加算され――恐らく捨て牌は、数牌だらけになる……!)

 

 それは答えに寄る答え、瀬々は“他家のツモ”を見通しているのだ。しかしそれは本来であればブラックボックス、瀬々のチカラで見通せるのは自身のツモにおける最適解。なにせ他家の“問い”事態を瀬々は見通せないのだ。そこから派生する答えは、決して見ぬくことは出来ない。

 ならば、なぜ瀬々はそう断言できるか。

 

 原理は簡単だ。その他家のツモさえ見抜けるのなら、答えから更にその問いの中身を瀬々は知れる。数式において、Xの答えを求めるようなものだ。

 

「ポン――!」 {四横四四}

 

 しかし、それではすべての説明がつかない。

 

 瀬々/打{④}

 ――続けて、下家の打牌、{一}、これを水穂が鳴く。

 

「ポン!」 {一横一一}

 

 

 だが、

 

 

(――ずらしてきたか! 先輩!)

 

 瀬々は、それを見逃さず――牌をつかむ。

 

(行くぞ……)

 

 回転を続けていた鉄板が勢い良くはじけ飛ぶ。瀬々の周囲には、ただひとつの答えのみが現れた。それは、瀬々が先ほどまで感じ取っていた答えだ。

 だが、それを破棄する(・・・・)

 

 

(――コネクト(・・・・)ォッ!)

 

 

 不意に、衝撃が駆け抜けた。ただひとつ浮かんでいた鉄の固まりに、全く別の固まりが激突したのだ。――瞬間、それは接続される。

 

 ――瀬々のチカラは、複数の答えを所持することがある。それを初めて知ったのは――もとより二つの解の存在を教えられるモノという当たり前を除くことにたいして注釈はつくが――この麻雀が初めてだ。

 それに対し、瀬々はある解決法を求めた。それは単一の答えを知るというだけではなく、さらなる答えをつなげる(・・・・・・・・・・・)という方法だ。

 

 その方法は至って簡単。例えば、瀬々が鳴きを考えた上での問いを作れば、それに対応した答えが現れる。それはつまり、他家のツモを知ることができる(・・・・・・・・・・・・・・)のと同義だ。故に、そこから逆算を入れれば他家のツモも全容が知れるし、その先だって解る。

 

 それが、そのチカラの全てを総称し、瀬々は“コネクト”と名前をつけた。そしてその完成が、今日、この場、この時、この瞬間、あらゆるものにお披露目となるのだ。

 

(先輩、あんたがどれだけ前を行こうが、あたしはそれに追いついてみせる)

 

「……ポン!」 {⑥⑥横⑥}

 

 ――水穂の顔が少しずつ訝しげなものへと変わる。敵意というべき瀬々の感情を、肌に感じ取っているのだろうか、どこかから浮き出すざわっとした感情を確かめるように、体をひとつ震わせた。

 武者震い、と呼ぶのが正しかろう。

 

(あたしは先輩、あんたよりも強い。それをここで証明する。出なけりゃ先輩は止まらないだろ? 止まれないだろ? だったら、誰かが止めなくちゃならねぇ、それがあたしで――何が悪い!)

 

 次に動くのは、水穂だ。

 更に瀬々を揺さぶりにかかる。自身に浮かんだ感覚を信じて、この場に瀬々が、自身の敵であることを感じ取って、水穂は手を動かした。水穂の上家が打つ打牌を、一気に、自身を晒して絡めとる。

 

「チー!」 {横二三四}

 

 だが、それでは今の瀬々には、届かない――!

 

 水穂/打{3}

 

(……解ってる、またドラが沢山あったんだろ? だったらその形は、例えば{222334}ってな形になる。あんたの待ちはそれなんだ。だから、{3}があぶれた。それで聴牌だったがために、{3}をそこから切り出した――!)

 

 ――加えて、水穂の手は瀬々の感覚には“喰い三色”の手に映るのだ。故にその手牌では{4}を切っては和了れない。{3}が最善の選択であり、水穂の和了りはそれしか無かった。

 瀬々がそれをさせたのだ。水穂の手を二度も鳴いて飛ばして、水穂は鳴く意外に手を進められなかった。二度の打牌、それはどちらも、鳴きによって進められている。

 

 ――故の、放銃。

 

「――ロン!」

 

 水穂の驚愕と、瀬々の喜悦。両者の凝視が交錯し、絡み合う。――抜けだしたのは、瀬々だった。自身の牌をみやり、ここぞとばかりに点数を申告する。

 

(追いついたぞ、先輩! 今、この瞬間、あたしは先輩へ、手をかけている――!)

 

「タンヤオ、ドラ一、2000の四本場は、3200――!」

 

 ・渡瀬々  『15700』→『18900』(+3200)

 ・依田水穂 『47900』→『44700』(-3200)

 

 東場、最終の和了は瀬々の出和了り。この半荘唯一の焼き鳥であった瀬々が、水穂の連続和了を六連続で止めるに至った。

 そして、これが半荘、その折り返しでもある。

 

(……追いつくぞ、追い越すぞ、あたしの全力で、先輩を追い越して、そのまま勝って終わらせてやる)

 

「――――南入だ」

 

 滑るような動作で切り替える。南一局、――渡瀬々の、親番だ。

 

 

 ――南一局、親瀬々、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 手を止める。

 そうして依田水穂は、この日初めて牌を睨んだ。一度瀬々によりせき止められた足が、その牌を恨みがましく見ているのだ。

 

(やっぱりさー、瀬々、あんたって強いよ。なんか自分のツモとか、こっちのツモ、全部解ってるみたいじゃんね。反則かよー)

 

 この場、水穂と対等に渡り合えるのは、間違いなく瀬々だけだ。絶対に負けられないという事情の上で、たとえそれが同じ部活の仲間だろうと、そう思って気をはらなくてはならない。

 

(でもね。それでもやっぱり麻雀は絶対じゃないんだ。私がこれまで、絶対に勝てないと思った相手は四人だけ。衣ちゃんを含めてね。――つまり、あんたは“そっち側”にはいないんだ)

 

 思い出すのは前年度、県予選団体戦の決勝と、個人戦二次予選。全く歯がたたなかった。それはもう、ボコボコのボロボロにされて――全国と、自分の違いを味わった。

 

(この半荘だってそうだ。あんたは私を止めるのに六回も局数を要した。その内二回は、自分自身テンパイして、私を追っかけた上で、先に和了られた。うん、凄い、私ってば十分すごい)

 

 中堅校のエース、それこそ化け物じみた実力を持たない、技巧派の、同年代で言えば奈良県の強豪、晩成のエースレベルなんかよりは、ずっと強いと水穂は想う。

 だが、それは水穂とて同じ事。負けるつもりはないし、遅れをとるつもりもない。

 

 水穂と瀬々の差は、小さなものだ。長いスパンで見れば、あらゆる対局者とのゲームを鑑みれば、強いのは瀬々だ。

 自分には安定感がない。一度ドツボにはまれば、そうそう勝てないことは理解している。だがそれでも、爆発力は負けてはいない。――インターハイという舞台、自分をいじめるにも十分過ぎる。

 

(負けられないよ……この対局、私の全てを賭けて、あんたに勝つ。そのためにも、まずはひとつ調子を戻す形で――和了らないと!)

 

 ――水穂手牌――

 {一三九九①②⑥3889西西}

 

(ひっどいなぁ、この配牌。対子三つに、両面なしかぁ、まぁでも、これはこう考えることもできる)

 

 ――水穂手牌――

 {一三九九①②⑥3889西西} {8}(ツモ)

 

(――対子手(・・・)。否が応にも、私に対子が集まる手。そう考えれば、ほらさぁ!)

 

 水穂/打{9}

 

(どんどん私に、ツモの機運が向いてくる――!)

 

 水穂/ツモ{一}・打{三}

 

 山が少しずつその姿を減らしていく、その間には、当然水穂のツモも含まれる。多少の無駄ヅモを含みながらも、少しずつ、手を進めていく。

 

(……それにしても、重たい場だ。あたしの全力、それに対して他の人達も答えようとしてくれてるんだな)

 

 ――水穂は、連続和了を止められれば手が止まる。その挽回のためには、高い手を挙る必要がある。

 無論、連続和了の回数、及び打点によっては他家に取り返しのつかない点棒を与えているのだから、そこへの追い打ちという意味もあるが――

 

(――対面は染め手一直線、ドラの牌を染めたか、ここで逆転が出来ればいいんだけどねぇ)

 

 ――水穂視点・対面捨て牌――

 {②⑨一八南⑥}

 {1}

 

 ――水穂視点・上家捨て牌――

 {一九北東92}

 {白}

 

(……下家は、役牌ばっかり抱えてそうだ。重たい手に、何か役を付けるなら、それくらいしか無いってことかな)

 

 ――水穂手牌――

 {一一八九九334888西西} {發}(ツモ)

 

({西}は私が抱えてる上、瀬々が一枚切っている。この子の手牌に{西}がないのなら、多分……)

 

 水穂/自摸切り{發}

 

 ――これは下家の対子だ。そう考えての、打牌。無論、それを鳴かないことまでを含めて、水穂は読み取っていた。

 

 上家/打{中}

 

(そうだよね、なかないよね。鳴いたら打点が下がるものね)

 

 少しばかり、焦りを覚えているようだ。手が、震えているように感じる。わかっている、原因はこの対局で、唯一の例外を与えられた存在にある。

 

(――親番(・・)。私の手が止まって、誰もが高い手を作りたい状況で、唯一安い手であろうと問答無用で和了れる相手。――やっぱり、あんたが私の障害か――!)

 

 ――渡瀬々、彼女だけは、この混戦をいち早く飛び出せる。しかもこういった、自身の手牌とのにらみ合いを前提とした持久戦において、もっとも強いのは、間違いなく彼女だ。

 

(……来た、でも、間に合うか? いや、間に合わせてみせる――!)

 

 水穂/ツモ{一}・打{八}

 

 この時、水穂は自摸り四暗刻一向聴、加えてどの牌を引こうとも、三暗刻はほぼ確定的という手牌。ドラが重なれば、更にその上を見れる。

 調子を取り戻すには、十分すぎるほどの手牌。

 

 しかし、

 

 

 それよりも、早く和了る者がいる。

 

 

「――ロン」

 

 水穂の上家、瀬々の対面から、彼女は和了を“掬い取る”。渡瀬々が、この日二度目の和了を決めた。――親の満貫は、子の跳満としての打点を持つ。

 

「…………12000!」

 

 ・渡瀬々  『18900』→『30900』(+12000)

 

 瀬々のチカラは、長期戦を得意とする雀士にとっては完全なる天敵とかす。ツモをわかった上で、自由に手を作れるのなら、それ以上の速度で対応する他にない。

 しかし、この状況、水穂のチカラ、それが水穂に速攻を許してくれない。

 

 ――水穂には未だ、連荘時の流れが若干ながら残っている。それ故に、手は自然と高く、他者を追い詰めるものとなる。

 

 だが、瀬々がそれを許さないのだ。

 

 ――一本場、瀬々の親番は、次なる局を、開始する。

 

 

 ――南一局一本場、親瀬々、ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 一瞬の硬直、何事かを考えて瀬々が手を止めたのだ。その様子を、水穂はテンパイ気配だと判断した。むしろ、瀬々の手はすでにテンパイしていないしていないことが不思議なくらいだったのだ。

 

 やがて決心を決めたのか、手牌の中から一つの牌を選んだ瀬々は、牌と、それをつかむ自信の手を、空条の渦を伴って前進させる。回転する牌の後を追うように、一気に牌が尾を引いて卓上に繰り出されるのだ。

 ――激音。それから、瀬々の目が、水穂たちを睨みつけて、見開かれる。

 

 

「――リーチ!」

 

 

 来た、――誰もがそう思ったことだろう。無理もない、前局から瀬々の手はとにかく前進目覚ましい。それをここまで引き継いでの流れなのだから、当然だ。

 恐らくは、一発ツモ、流せるのならばともかく、そうは行かないのが現状だ。

 

 ――打牌、打牌、続けてのそれが水穂の手を動かさせない。ただ、流れだけが止まらず続く。

 

(――このツモで、聴牌か)

 

 思わず手が止まる。瀬々のリーチは、この場合一発ツモである可能性が高い。これまでのデータ、実戦での感覚から、それはあまりにも明白だ。

 

(……マズイな、聴牌にとっても取らなくても、安牌がない)

 

 正確に言えば、瀬々の打牌に対して切っていける現物がないのだ。そのために、ここで水穂は選択肢なくてはない。

 

 ――水穂手牌――

 {二三三四四四②③④3477} {2}(ツモ)

 

(聴牌に取るならやっぱり萬子を切るしか無いか。絶対に自摸られるにしても、できることなら最低限のことはしたいし……多分、一発さえ避ければ安牌が増えてくるはず。そこからオリるかどうか考えればいい、だったら、結論は出た)

 

 ちらりと、瀬々を見る。すました顔で、右端の牌をいじくっている。今にも倒れんほどに揺れたかと思えば、直ぐに反対側にそれが引っ込んで――当然、それが見えるなんてことはない。

 何かを待ちわびているのだ――そう、感じ取ることが出来た。

 

(――勝負に出る。切る牌は、{二}―{三}―{四}のどれか、一枚)

 

 ――瀬々捨て牌(「」手出し)――

 {「一」「北」「六」「8」9「⑦」}

 {「⑤」白「横八」}

 

(そもそも、私の抱えてる索子筒子はどれも無筋、{②}なんかは通りそうだけど、それはドラの生牌。万が一シャンポン待ちに激突なんてしたら、跳満クラスはほぼ確定、どっちにしろ打てるのは萬子しかない)

 

 加えて、と思考する。かすかな視点移動、向かう先は自身の上家、そこには別途の情報が浮かんでいる。

 

 ――上家捨て牌――

 {東9白①四發}

 {6⑤⑦}

 

(あいにく上家も対面も、普通に現物切ってきたからあたしのサポートにはなってないんだけど……でも、上家には有益な情報がある。私の視点からは、――{四}が四枚見えている)

 

 ――ノーチャンス、麻雀用語の一つであり、主に安全牌の判断として使われる。その中でも特に信憑性の高い判断基準だ。

 つまり、水穂の視点からであれば、水穂がこれから切り出そうとしている牌の内、{二}―{三}の二種類はかなり安全な部類に入る。

 

(……というよりも、あたしの視点からじゃそこ以外切れる牌、無いんだけどねぇ)

 

 他家の捨て牌を見ても、とにかく下の数牌はどれも安い、水穂自身が順子にしているというのもあるだろうが、十分軽快に値する情報だと、水穂は考える。

 

(となれば、切るのは{三}か{二}、{四}は切れれば三巡しのげるし、瀬々は序盤に{六}を切ってる、けど瀬々の場合そういった通常のセオリーはあんまり関係ない。必要がなければ、{五六六}みたいな形を、序盤から{六六}とか{五六}にすることだって考えられる)

 

 当然の帰結だ。瀬々には無駄ヅモがない(・・・・・・・)。ならば、序盤の{六}切りは、何の情報にもならない。

 

(私が選ぶべきは――これ。この打牌であれば、二巡凌げる)

 

 ――手にかける、{三}。どうやったってこの牌ならば当たらない。この状況で怖いのは{一二}という待ちでの辺張か、{一三}という待ちでの嵌張だが、それならば最初に{一}を切った以上、それよりも、もっといい待ちがあったはずだ。

 

(それに、どっちにしろ私は何か牌を切らなくちゃいけないわけで――それだったら、瀬々が何を思って待ちを選んだかじゃなく、私が何を選ぶべきか、で決めなくちゃいけないんだよね)

 

 結局はそれ、結論を選ぶのは瀬々ではない、自分だ。

 ならば、

 

(――この牌は通る(・・・・・・)。当たり前だ、通らなくちゃ――意味が無い)

 

 振り上げて、持ち上げて、それでもって聴牌にとる。これが正解、今まで選んできた、依田水穂の、選択の“正解”。

 

 

 ――水穂/打{三}。

 

 

 その一瞬を必然と呼ぶのなら、きっとそれは、怒るべくして起こったことだった。

 

(――あ、れ?)

 

 

 ――《この牌は通る。通るに決まってる》

 

 

 水穂の感覚が、ぶれた。自分と自分、別の何かと、本物の何か。それはきっと、言葉ではない。

 

 ――言語ではない。

 

 例えば、振り込んだ瞬間に、これはマズイと、他家が手牌を開ける前に思うようなものではない。

 

 例えば、他家のツモに対して、なんとなく感覚的に悟ってしまうようなものではない。

 

 

「――ロン」

 

 

 『――ロン』

 

 

(――あ、あぁ、ああぁぁあぁああぁぁぁあッッ)

 

 

 二重の感覚。

 依田水穂がたった今感じているそれと、全く同一の、異なるそれ。

 

 ―ーデジャヴと、俗に呼ばれているもの。

 

 

「――リーチ一発、混一色中」

 

 

 『――国士無双』

 

 

(やめ、て。やめてやめてヤメテェェェエエエエエエエッッッッ!!!)

 

 

「……18300」

 

 

 『……48300』

 

 

 ギリッ。

 

 

 何かを噛む、音がした。

 

 ――瀬々手牌――

 {一一一二六七七八八九中中中} {三}(和了り牌)

 

 ・渡瀬々  『30900』→『49200』(+18300)

 ・依田水穂 『44700』→『26400』(-18300)

 

(――まって)

 

 ――あぁ、そうだ。

 

 

 『――あれは、水穂のせいじゃないよ』

 

 

 ――思い返せば、あの時(・・・)もそうだった

 

(――いやだ)

 

 

 『――水穂は、何も悪くない。あれは、事故だったんだから』

 

 

 しまったと思った時には、もう何もかもが手遅れで、気がつけば、水穂はすべての大切なものを失っていて。

 それはきっと、水穂のせいで。

 

 ――だれも、水穂を責めてくれなくて。

 

 

 『――――ありがとね(・・・・・)

 

 

 ――ただ、泣きそうな顔で、精一杯笑うのだ。

 

(――私を、――――依田水穂を、置いて行かないで)

 

 あの瞬間を、想い出に変えて、しまうのだ。

 

 

(…………私の、せいだ)

 

 

 置いていかれてしまったあの時から、きっと水穂の時間は止まったままだ。前に進もうとして、楽天的にあろうとして、しかし水穂はちっとも変わっていない。

 止まってしまったその時の感覚を、今も水穂は覚えている。それはその証明。依田水穂が何一つ、変わることの出来なかったことの、証。

 

 

(私のせいだ。私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ――――ッッ!)

 

 

 ――いや。

 

 

 一つだけ、ある。あの時とは違うもの。

 

 今にあって――昔に、無いもの。

 

 

 ――南一局二本場、親瀬々、ドラ表示牌「{八}」――

 

 

(……先輩)

 

 前局、瀬々の出和了り以降、水穂の様子がおかしい。何かをブツブツと呟きながら、切る牌はそのほとんどが中張牌だ。

 まるで意味のないものを切り捨てていくかのような――本来であれば会って当然のものを切り捨てていくかのような打ち筋。

 

 きっと、それは水穂の闘牌スタイルに即したものだ。そしてそれ故に、異質に写ってしかたがないものだ。

 

(思い返してみれば……先輩、あんたは麻雀を“どう”打ってきたんだ? 先輩にとって、麻雀ってなんだ?)

 

 打牌、同時に伏せた顔を上げる。どこか憔悴しきったような、何かに怯える目。だがそれはすぐさま、獰猛な獣のそれに変わる。

 何かに飢えているのだ。何かを欲しているのだ。

 

 ――瀬々にはそれが、水穂の求めるものが、“楽しさ”というものに写ってならない。

 

 強引に手を伸ばすかのような麻雀だ。

 何かをひたすら、バラバラに成った何かを組み合わせるかのような麻雀だ。

 

 

(……妄執、か)

 

 

 瀬々はそうやって、言葉を選んで吐息を漏らす。重苦しい、胸のうちに溜まった何かを吐き出すようなそれだ。

 

(――ここまで、だな)

 

 六巡目、手牌をそっと倒す。もうこの手牌に意味は無い。見えている限り、聴牌は遠く、和了は自摸でなくとも限りなく先の話だ。

 連続での高打点は、それでも瀬々の流れを作らない。

 

「リーチ」

 

 ポツリと盛れるように水穂はこぼす。打牌{二}。きっとその手牌の中身は――

 

 左肩へと伸ばされた水穂の手が、一瞬のタメを作る。次巡自摸、一発での状況だ。そうやって何かを確かめるようにしながら。

 勢い良く左側から跳ね飛んだ。

 

 弧を描く曲線を作る手のうねり。豪風伴うそれは、あらゆるものを、凝り固まった空間を切り裂き、進む。

 

 あるのは、牌。麻雀を絶対とする状況だけが、その場に不動で残される。

 

(――来る)

 

 握りこむように牌を掴んだ水穂の手を瀬々はキッと睨みながら見送る。振り上げられたそれは、卓の端で、牌をふと、取り落とす。

 

 中身は見えない、瀬々の視点では、覗き見ることは出来ない。

 

 

 ――スナップを効かせて、水穂が手首を回すと、勢い良くその手を振り下ろす。

 

 

 ダンッ! と、勢い良く卓を跳ねる音が響いた。浮き上がる牌は、その姿を三者へと晒す――!

 

「――ツモ」

 

 ――水穂手牌――

 {一一九九①南南西西白白發發} {①}

 

 

「――4200、8200」

 

 

 ――何かを、噛む音がする。

 

 ギリッ。

 

 

(――先輩、今のあんた、ちょっとこわいよ)

 

 水穂の顔が、それこそケモノを思わせるものへと変わる。風貌そのものが、バケモノの類に変じてしまったかのように。

 

 ・依田水穂 『26400』→『43000』(+16600)

 ・渡瀬々  『49200』→『41000』(-8200)

 

 追い抜いたはずの点棒は、あっという間に取り戻された。

 ――依田水穂は、形はどうあれ和了を決めた。これで流れが大きく動く。まるでめまぐるしくその立ち位置を入れ替えるシーソーゲームだと、その場に居るものは、ある一人を除いて感じ取るのだった。

 

 そして、対局は南二局へと移行する――




恐ろしくチートな瀬々ですが、基本的に配牌に対する干渉力はないので先に和了れば潰せます。
というのを体現する水穂の打ち方、水穂戦は後二回で決着です。


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『ターニング・ポイント』瀬々VS水穂③

 雀士、依田水穂。

 他人とは少し違う変わったチカラと、卓越した副露センス、デジタルとしての確かな打ち筋を併せ持つ実力派女子高生雀士。

 

 ――人は、ある一点にルーツと呼べるべきものを持つ。出生、出会い、別れや成長。あらゆるものが人のルーツ、原点となり、その人物を作り上げていくのだ。

 ならば、水穂という少女の、雀士としてのルーツは一体どこにあるのだろうか。

 

 それは今から十年近くも前の話。水穂の両親はどこにでもいるそれなりに仲のいい夫婦だった。そしてそのどちらも、麻雀のファンであった。

 人並みに麻雀をたしなみ、そんな両親の娘であった水穂も、小学生に上がった頃から麻雀を始めるようになった。

 

 とはいえ水穂は一人っ子である。彼女が麻雀を習ったのは両親ではなく、とある麻雀教室だった。

 

 

 当時、世間は麻雀小学生ブームとでも呼ぶべき流行が到来しており、とにかく麻雀教室というものが濫発していた。時には同じ施設に別々の麻雀教室が開かれても(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)おかしくないほどに(・・・・・・・・・)

 

 水穂の通う麻雀教室もその一つだった。別々の団体によって設立された麻雀教室が、とある中学の一室を借りて開かれていたのだ。

 

 そこで水穂は麻雀を知った。牌を握ることの楽しさを、どんな打牌をすればいいのか、ひたすら悩む麻雀の難しさを、時には負けて、ムキになって勝ちを取ろうとする賢明さを。

 

 麻雀教室は、水穂にとってのすべてだった。毎日、教室に通う時のことを考え、在る時はこうしてみよう、だとか。あるときはこれならどうだろう、と当日での風景を思い描いた。

 楽しそうに、両親へ語ったりもした。――何よりも、その教室で出会った友達と、麻雀が打てることが何よりも至福の時間だった。

 

 

 光り輝いた日々があったのだ。何よりも幸福な時間が、あったのだ。

 

 

 ――――だが、それも長くは続かなかった。

 

 

 ある時から水穂達の教室は施設を貸し出していた中学から水穂達へ、ある苦言が呈されるようになった。

 というのも、水穂達が貸し出された施設に対して幾つもの嫌がらせじみたいたずらをした、ということになってしまったためだ。

 

 無論、水穂達にとっては寝耳に水もいいところ、そんなことをしている事実はなかった。――問題は彼女たちではない、もう一つの教室にあったのだ。

 

 その教室に通う子どもたちが典型的な問題児であり、また子どもながらにずる賢さをもった子どもたちであった。

 彼女らは自身の犯したイタズラの罪の“半分”を水穂たちにかぶせたのだ。それにより、水穂たちには在らぬ疑いがかけられることとなった。

 

 その後、中学からある方針が打ち出された。近くある大会に両教室のメンバーが団体で出場し、よりよい成績を残した教室のみを存続させる、というものだ。

 

 ――どちらにも問題があるのなら、優秀な方を残せばいい。今起こっている問題も、半分までなら十分に許容できるし、優秀な教室が結果を残せば、その教室は更に成長する、それを狙うだけの資質がアレば、目を瞑ることも納得がいく。

 そう、考えたのだ。

 

 結果、水穂達の教室も、問題児たちの教室も等しく大会を勝ち抜き、二つのチームは決勝で激突することとなった。

 先鋒、次鋒、中堅、副将。そこまでの四戦は水穂達教室の有利でことは進んだ。――問題が起こったのは、大将戦。水穂が務める最終局面での事だった。

 

 序盤、対局は何事も無く進んだ。水穂と問題児、その実力差は明らかだった。しかし、中盤。

 

 

《この牌は通る。通るに決まってる》

 

 

『ロン。――国士無双。……48300』

 

 

 三巡目での事だった。国士無双十三面、イカサマではないかとすら思えるほどのそれを、回避すら出来ずに水穂は激突した。

 完全な事故、和了った側すらバツの悪そうにそっぽを向いてしまうような、そんな和了り。罪はない、水穂のそれは本当に誰にも責のないものだった。

 

 

『――あれは、水穂のせいじゃないよ』

 

 

 仲間たちもそういった。

 

 

『――水穂は、何も悪くない。あれは、事故だったんだから』

 

 

 誰も水穂を責めることはなかった。責められるわけがなかった。その瞬間、一番泣きそうだったのは、一番つらそうだったのは、他でもない、水穂自身だったのだから。

 

 ――だが、それが水穂をより一層追い詰めた。

 

 無論、ただ責め立てるだけでも、それはそれで水穂のトラウマを深くさせるだけだっただろうが、それでも、何か。何か一言、水穂に対して“慰める”以外のことができていれば、きっと水穂は、ここまで歪むことはなかった。

 

 ――無論、すべてのいたずらを水穂達に押し付けられていると勘違いしていた問題児達の教室が、受け皿のなくなったことによりすべての悪事が露呈したとしても。それによりその教室もまた、消滅したとしても。それはきっと、意味のないことだ。

 

 

『――――ありがとね(・・・・・)

 

 

 そうやって、泣きそうな顔で別れを告げるだけでなければ、水穂はきっと、自分だけを責めることは、無かったはずなのに。

 

 

 ――それから、

 

 

 それからも水穂は麻雀を続けた。一時期は牌を握れなかったために麻雀から離れていたが、それでも、“もう二度とあんな思いはしたくない”ということを実感するために。

 何よりも、“自分はもうあんなことはしない”というように、ムキになって。

 

 それはきっと、ムキになるほど負けがこんだ雀士が、一層泥沼にはまって、不調の渦に呑まれていく時のように。

 自分が負けたから。そんな“あの大会”直後の教室消滅に寄るトラウマを抱えたまま。

 

 

 ――それからだ。水穂の思いが、雀牌に直接たたきつけられるようになったのは。

 

 

 ならば水穂の背負った思いは、水穂の一つの始まりであった。――しかし、水穂の麻雀は、麻雀を楽しい(・・・)と思う瞬間は、止まったままだ。

 

 

 ――水穂は今も麻雀を打っている。

 

 

 だが、その始まりは、今もマダ停滞したままでいる。

 

 

 消え失せてしまった想い出とともに、“あの”麻雀教室に、置いてけぼりに、なってしまったままなのだ――――

 

 

 ――南二局、ドラ表示牌「中」――

 

 

(……息を吹き返した先輩は、まぁ無敵なんだろな)

 

 迷彩、そして直撃、一気に親ッパネを放銃したことに寄る失点は、そのままそっくり水穂の支配にダメージを与える――はずだった。

 しかし結果は水穂の倍満和了、開け放したはずの点差は、たった一つのツモ和了で、あっという間に水の泡とかして消えてしまった。

 

(やっぱり強い、先輩は龍門渕の誇る三年生――なん、だけどさ)

 

 ――瀬々手牌――

 {一三五六七八②②345北白} {九}(ツモ)

 

(今の先輩は、なんか怖いな)

 

 瀬々/打{白}

 

 打牌を終えながら、ちらりと指先、そしてツモ山へと視線を這わせる。すぐにそれは見えてきた。――黒ずんでいる。そう捉える瀬々の感覚は、果たして間違っているのだろうか。

 ――そこは陽だまりの春先には相応しくない、陰翳(・・)とした世界。水穂という少女が、過去に残してきた世界。

 

(やっぱり先輩は、過去に起きてしまったことに引きずられている――いや)

 

 瀬々の思考に、すぐさま感覚が否定の意思を伝える。それを受け取り、納得の上、瀬々は言葉をすげ替えた。

 

 

(――置き去りにされている(・・・・・・・・・・)

 

 

 麻雀部に入部してからひと月近く、その間に見知った水穂の性格、あの大沼秋一郎とのやりとり。そして水穂のチカラの出処、それらを重ねあわせれば、瀬々は水穂の過去を、詳細に、とは言わないまでも、理解できる。

 

 /打{西}

 

 /打{9}

 

 水穂/打{7}

 

(今の先輩は、とにかく感情というものに過敏になってるんだ。一つの感情、ひとつの思いが、かつての楽しかった記憶と重なって、先輩を責め続けてる)

 

 ツモの支配が、なぜそこまで水穂の調子に左右されるようになったか。その詳細は語るまでもない。水穂にはかつて“幸せだった”という感情があった。それが今の“幸せでない”自分がどうにも悔しくてたまらなくなる。

 

(先輩? どうだ? 今の世界は、先輩にとってどう感じ取れる? 暗くて、寂しいか? 寒くて、辛いか? あたしはわかんない、そんなの絶対に、わかんない)

 

 ――瀬々はそんな辛い世界を、苦しいと思ったことは会っても、引きずりたいと思ったことはない。そんなもの、あくまで瀬々にとっては“過去でしかない”のだ。

 だから

 

(頼むよ、先輩。もう少しだけ、もう少しだけあたしに、先輩の麻雀を――――)

 

 瀬々/自摸切り{9}

 

 

「――ロン」

 

 

(……え?)

 

 発声、水穂のものだと、すぐに認識できた。直ぐに、水穂が瀬々をぶちぬいたのだと、理解できた。

 パラパラと、水穂の手牌が開かれる。

 

 ――水穂手牌――

 {一二三七八九⑦⑧⑨78白白(・・)} {9}(和了り牌)

 

「……12000」

 

(山――越し? いやそもそも)

 

 ――水穂捨て牌(「」手出し)――

 {「一」「7」}

 

(全部、牌を入れ替えただけ(・・・・・・・・・)じゃないか……まさか、見逃したのか? あたしを打つためだけに、ダブリーを――――!)

 

 ダブル立直による二翻、自摸でなくとも倍満に出来たはずだ。なのにそれを、水穂はしなかった。それどころか、前巡の和了り牌すら見逃している(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

(――ハ)

 

 乾いたように、壊れたように。

 

(――――ハハ)

 

 瀬々から少しずつ、笑みが漏れだした。――同時に、点棒を収めるケースを瀬々は開いた。

 

 

(――ハハハハハッ! ――――ッアハハハハハハハハハハッッ!!)

 

 

 ぐっと握り込んだ点棒を、勢い良く水穂へ突き出す。――空白に似た黒の感触が、未だそこには漂っている。ただ、そうやって崩れ落ちるように顔を伏せる瀬々を、どこか哀れんだように見ている。

 

 ――キミもこわれてしまったのか(・・・・・・・・・・・・・)、と。

 

 

(――違う)

 

 

 否定する。顔を伏せたまま、瀬々はそんな水穂の感情を感じ取って、否定する。水穂の中の感覚が、あらゆる答えが一斉に、“No”のサインを瀬々へ掲げる。

 

 

(あたしは絶対に、もう壊れたりなんかしない!)

 

 

 ガバっと、顔を上げた。――暴力的な、笑みと敵意を引き連れて。

 

 

 渡瀬々は、依田水穂を見ている。ただ、負けないという意思だけを顕にしながら。

 

 

 ――南三局、ドラ表示牌「{南}」――

 

 

「――――ダブルリーチィ!」

 

 この局も、水穂がすぐさま先手を取った。

 ――自摸切りダブルリーチ(・・・・・・・・・・)。もはやそれは、役満の出来損ないにしかならない。

 

(……狙ってるつもりですか? 先輩)

 

 瀬々はすぐさま打牌を切り出す。水穂の宣言牌は「{西}」、それと同一の、水穂の現物。

 

 結局その局、だれも水穂に振り込むことはなかった。

 ――当然だ。次巡水穂のツモ巡、すべての勝負は決していたのだから。

 

 

「ツモ! 3000、6000!」

 

 

 ――水穂手牌――

 {横南}(ツモ) {南南一一二二二677889}

 

 

 瞬間。黒が漏れ出た。

 

 

 水穂の内から生まれでた、あらゆる鎖が、楔が、卓を、世界を、覆うかのように、爆発的な噴出を見せる。

 瀬々の下家、対面――対局者たちがヒッと悲鳴を漏らし、顔をのけぞらしてそれを避ける。――瀬々は、右頬をかすめるそれを、右目だけ閉じて動じずやり過ごす。

 

 ちらりとそちらへやった視線を戻して――改めて水穂を見れば。

 

 

 ――ナニカが、ワラって、いた。

 

 

 ――ナニカが、ナイて、いた。

 

 

(……先輩、やる、つもりですか!?)

 

 瀬々は少しだけその圧迫感に辛そうな吐息を漏らしながら、考える。――水穂のチカラの最終段階。感情をすべての外へと追い出した、“麻雀”ですらないナニカ。

 水穂は、自身の最高潮に向かうたびに、自分の中のナニカをすり減らしているのだ。

 当然だ、水穂のチカラの根源が、かつての想い出への妄執であるのなら、水穂がその過去へと、和了のたびに近づいているということになる。そしてそれが、極限まで過去に近づいたのならば、水穂は一体、どう考える? どんな感情を覚えるというのだ?

 

 そんなの、ただ辛いという思いに決まっている。もはやかつての過去なんて、思い出せない位遠い話になっているはずなのに、そんなものを思い出したって、一体何が楽しいというのだろう。

 

 そんな物、もはや意味も意思もない。あるのはただ、麻雀へと取り付いた、水穂の妄執だけ。――そんな到達点、水穂のチカラの到達点は、麻雀において、たった一つの和了りしかない。

 

 

(――天和(・・)

 

 

 もはや麻雀を打つ楽しみも、何もない。

 人生にたった一度の幸運として、そんな和了りを、天からもらえるというのなら、それは正しく天の和了り、幸福としてかみしめてしかるべきもの。

 だが、それを人の力で成すというのなら。それはもはや、麻雀ですらありはしない。

 

 駆け引き、ツモの調子。一つのツモに一喜一憂し、一つの技術に心胆を震わせる、そんな麻雀はどこにもない。

 

 あるのは、ただ機械的に点数を申告し、半荘を終える。――それだけの作業。

 

(衣がチカラだけで打っているのが、まだ生易しいくらい。――今の衣は、そんな単純な打ち方は、しないんだけどさ)

 

 衣の持つ支配、それを生かした機械のような麻雀。勝利だけを確かめるような打ち方――それすらも超越している。

 

 ――今、黒のナニカが回した賽が、止まろうとしている。

 賽は投げられた。その先には、もはや一つの結果しか残らない。浮かび和了る牌の山。

 

(――頼む!)

 

 瀬々はただ願う。麻雀牌を掴む手に力を込めながら、一つの結果を、請い、願う。

 

(麻雀は、そんなツマラナイものであっていいはずがない。だから、答えてくれ。麻雀はもっと、楽しくてしかたのないものだろう?)

 

 見つめる先の、その先に、少女の瞳が一対、浮かんでいる。依田水穂は、何を思い、牌を握るのだろう。

 解らない、解るはずがない。それは瀬々が“生まれた”時から、わからなくてもいいと、切り捨てたものなのだから。

 だからこそ、今瀬々は、どうしようもない楽しさに、打ち震えているのだから。

 

 

(――だから、もっとあたしに、そんな楽しい麻雀を……打たせてくれヨォッッ!!)

 

 

 そして、水穂は最後の牌を握る。十四番目、和了を決める一打となる牌。

 それがそうして、水穂のもとに、現れる。

 

 

 掴んだ牌の先、瀬々が願い、水穂が見つめる、その先や――如何に。



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『ファイナル・アンサー』瀬々VS水穂④

 ざわめく室内、前局までの水穂の和了は、部内全体をざわつかせるには十分なほどだった。――慌ただしく言葉が行き交い、対局を行なっていた卓も、もはやその体を成さなくなっている。

 

「――静まりなさい! 対局者は全員対局へ、観戦者も、あまり対局をしているものの気を散らしては行けませんわよ!」

 

 そんな透華の怒号が響きわたってようやく、周囲も一定の音量へと言葉のトーンを落としたようだった。

 静寂、とは言えないまでも、整然とした部内へと状況は帰還する。

 

「……とんでもないことになったね、二連続地和未遂、しかも片方はリーチをかけずに瀬々を狙い撃ち、か」

 

「逆転、厳しくなって来ましたわね」

 

 現在水穂と瀬々の点差は41000点。どちらも収支でいえばプラスに近い側に立つというのに、その差は歴然としている。

 これでは三倍満のツモ和了でも届かない、役満ツモか、三倍満直撃でなければ、水穂の点棒には決して届かない。

 

「――これでは、水穂先輩を瀬々が超えるどころか、先輩の先鋒がポジションとして決定的になってしまいますの」

 

 ――水穂に、こんな麻雀を打ってほしくはない。きっと誰もが、彼女の化け物じみた姿を感じ取って、そう思っているはずだ。

 

 そうやって不安げに視線をかわして、ふとあることに気がつく。

 

「……衣? どうしたの?」

 

 そんな中で唯一人、あの喧騒の中でも、小さな会話の中でも沈黙を貫くものがいた。――天江衣は何事か、険しい表情をしながらモニターへ食い入っている。もうすぐ最後の一局、オーラスが始まる。

 トップ目の水穂が親である以上、これが正真正銘最後の一局、これを逃せばもう、瀬々は水穂に追いつけない。

 

 その運命を決する一局に、衣はある感情をぶつけていた。

 

 ――ふざけるな、と。

 

 水穂の最終到達点、それをこの龍門渕高校麻雀部の中で、読み取ったものは二人いた。対局者である渡瀬々、そしてこの少女、天江衣である。

 彼女もまた気がついていた。もしも水穂が、チカラの極端に到達してしまったのなら、その時の起こってしまう事態、その概要を。

 瀬々という答えを知るものを除き、唯一、衣は水穂のオカルトの深淵に、たどり着こうとしているのだ。

 

(――止めろ、止めてくれ。もし、もし水穂がそれを和了ってしまえば、もうア奴は麻雀を打てなくなる――!)

 

 かつての感傷をすべて引き剥がしてしまった水穂は、もはや麻雀牌を握れなくなってしまう。自分の中にあったトラウマを完全燃焼し、また、改めて何の解決もなく滲み出させてしまうのだから。

 燃え尽きて、牌を持つ意義を失い。傷ついて、牌を持つ意思を消し飛ばす。水穂に、もう麻雀と呼ぶべき存在は、一片も残らない。

 

 それだけは、それだけは絶対に、してはならないことなのだ。

 

(――止める? いや、それは出来ない。瀬々があの卓にツイている。瀬々が続行を望んでいるのなら、衣はもう止めることなんて出来るはずがない!)

 

 ギリっと歯噛みしなら、自分の中に生まれたジレンマを、吐き出そうとして、吐き出せずに唾として衣は飲み込む。

 

(あんな、楽しそうな瀬々を、衣が止められるはずがない――!)

 

 ならば、どうする?

 ――天和は、誰かのチカラによって止められるものではない。それはもはや、それこそ天に、神に祈る他に道はない。

 

 衣は思い切り顔を天頂に突き上げ、睨みつける。

 

(――神よ! 見ているか、この半荘を!)

 

 祈る、そして引き寄せる。

 衣のチカラは、神に愛されているが故のモノ。衣はかつて、それを自身の意思で衣のモノへと取り替えた。だが、今この瞬間だけは、それに頼る。

 自身のうちにあり、そしてなお誰かのものである魔物の感覚に、衣はただ訴えかけるのだ。

 

(真にオマエが麻雀を愛しているというのなら、止めてみせろ! 牌を握ることをやめようとしてる雀士を、オマエの手で、止めて麻雀というものを、教えてやれ――!)

 

 だから――

 

 

(だから……頼む! 水穂を、救ってやってくれ!)

 

 

 そうやって、祈る先にあるのは、一つではない。神と、麻雀牌と、そしてもう一人、衣が知った初めての別世界、浮沈のごとく聳え立つ、一人の少女にして、雀士。

 

 

「――瀬々(・・)ッッ!」

 

 

 言葉に漏らしてすら、そうして叫ぶ。

 消え去るようなそれは、誰かに伝わることもなく、一人の少女と、卓にツク、一人の少女の元へと、消えてゆくのだった。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

 ――そして、その時は否が応にも訪れる。

 少女が望み、少女が託した、最後の一つ。それを握ってようやく――水穂は世界へと、帰還した。

 

(……あ、れ?)

 

 ――手牌を見る。

 

 ――組み替える。

 

 正常な意思のもと(・・・・・・・・)、その手牌を、まるで珍しいものを確かめるように、何度も何度も見返していく。

 

(……なんで、これ)

 

 ――ごくりと、唾を飲む。

 ありえない、こんなこと、ありえるはずがない。――こんな、こんな手が、許されていいはずがない。

 

 ――天運とは、まさしくこのことを呼ぶべきなのだろうか。

 

 

(――ない)

 

 

 ――何が? 答えは、すぐに現れる。

 

 

(――――和了って、ない)

 

 

 ――想いにとらわれた(・・・・・・・・)正常な魂が。それをありえないと否定する。

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②⑦⑨⑨368西北發} {③}(ツモ)

 

(嘘、嘘、嘘嘘嘘――! なんで、なんで私が和了れないの? ダメじゃない、これじゃあちっともダメじゃない)

 

 先程まで、二度も地和を逃したものの配牌ではない。依田水穂というモノが、この状況で手にしていい配牌ではない。

 

 そうやって、迷って、怯んで、戸惑って、

 ――やがて、ある者から、声をかけられる。

 

 

「どうしたんですか、先輩。切らないんですか(・・・・・・・・)?」

 

 

 渡瀬々。まるで図ったかのように声をかけて、思わず彼女が何かをしたのかと意識を向ける。――だが、そんなはずはない、瀬々にはそんなチカラはないし、何かイカサマのようなものができるはずもない。

 ならば、なぜ?

 なぜ依田水穂は、和了れなかった?

 

「……まさか天和とか、そんなわけないですよね」

 

 瀬々は続ける。

 ――意識をずらすような不可思議な言葉、そう認識して、水穂はそれを追い払おうとした。だが、出来なかった。

 なぜ? 簡単だ、耳を傾けたくて、仕方のない自分が何処かにいたから。

 

 ――瀬々は答えを知っている。だから、そうやって言葉をかけた、そう思えてならない、自分が何処かにいてしまうから。

 

「そうですよね、だって麻雀はこれから(・・・・)なんですものね」

 

「――ッッ!?」

 

 瀬々の言葉は、まるで雷雲を切り裂くかのようなものだった。水穂の中に、今まで感じていた重苦しい感情以外の、何かがそっと、広まっていく。

 

 パキン。

 

 何かにヒビが入る音がした。

 

 ――たまらず水穂は問いかける。そうしなければ、瀬々の言葉は引き出せない。

 

「……何を、行っているのかな。あんたと私の点差はもう四万点を越えてる。ここからどうやって逆転する気? それとも、二位で満足して、その点棒を守るつもりなの?」

 

 違う、そんな訳はない。

 わかっている、わかっているのだ。それでも水穂は問いかける。問いかけずにはいられない。

 

「――あたりまえじゃないですか。先輩とあたしの点棒なんて、三倍満でも直撃させれば一発でひっくり返りますよ。まだ、ゲームは終わってないんですから」

 

 パキン。

 

 また、何かが少しだけ、崩れる。

 

「……へぇ、面白いこと言ってくれるじゃない。無理に決まってるのに、こんな点差、ひっくり返すことなんて、できるはずない!」

 

「そう思えるから楽しい。――麻雀ってのはそんなもんですよ」

 

 即答だった。

 楽しいと、瀬々は重ねて、そういった。

 

「どれだけ最善を目指しても、どれだけ言葉を知っていても、決して勝てるだけのゲームじゃない。一つの結果に一喜一憂して、ツモを悩んで打牌を選んで、そうやって、勝利を望むのが、楽しいんじゃないですか」

 

 

 ――崩れ去る、黒。

 

 

 ――水穂の中に巣食っていた何かが、溢れ出ていた暴圧が、ようやく、崩れ去ろうとしている。

 瀬々の言葉が、水穂の手牌が、端的に、水穂の心を切り裂いている。

 

 

「先輩、先輩にとって、麻雀ってなんですか? なんで先輩は、麻雀を打ってるんですか?」

 

 

 ――あぁ、そうか。

 

(……忘れてた。麻雀をするってこと。気付けなかった。麻雀を楽しむってこと)

 

 ――でも、持っていたはずじゃないか。

 ――麻雀牌を握った時、誰かと卓を囲んだ時。

 ――あの時、かつてもっていたあの瞬間、自分が感じていたもっともたる感覚が、あったはずじゃないか。

 

(解ってる。解ってるんだそんなこと、――ムキになりすぎてたんだな、私)

 

 楽しもうとして、悔しもうとして、――そんなチカラに振り回されて、一番大切なことを忘れていた。

 

(――決まってる。私の答えは、決まってる)

 

 真正面から、瀬々は水穂を見ていた。待っていた。水穂の答えを、わかりきった、あまりにも簡単な答えを。

 

 

「勝ちたいんだ。勝って麻雀を、楽しかった(・・・・・)と、そう思いたいんだ!」

 

 

 はっきりと、言葉にした思いは、すんなりと自分の中に収まった。

 ――瀬々は少しだけ顔を伏せる。長い髪の隠された口元には、それでもきっちり笑みが浮かんでいた。

 

 目を閉じて、水穂は少しだけ、過去のことを回想する。

 昔、水穂は敗北し、過去の想い出を捨てざるを得なかった。そんな過去があったから、ムキになって麻雀をして、必死に何かを求めてた。

 

 その間も、それより昔も。何一つ、変わってなんか居なかったのだ。

 

(――私は、勝ちたかったんだ。あの時も、あの瞬間も、いつも、昔も、――――これからも)

 

 ならば、目の前にある、勝負はなんだ?

 決着の着いた消化試合か? 否、これより雌雄を決する、依田水穂が求めた答えを手にするための、最後を飾る大舞台ではないか。

 それならもう、感傷はいあない。昔を欲して、今を怖がって、そんな自分は――もう、いらない。

 

 そう思えば、目を開けた先の視界は――いつもとはっきり、違って見えた。まるで世界が、一変したかのように。

 

 そんな世界で水穂は言う。己が言葉で、然と言う。

 

「ごめんね、待たせちゃって。――それじゃあ皆、麻雀を、打とうか」

 

 

 ――空は、快晴。

 

 

 青空に満ちた、どこまで澄んだ空が、広がっている。

 

 

 ♪

 

 

(――配牌はクソみたいだけど、ツモは調子いい)

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑨⑨368西發} {4}(ツモ)

 

 水穂/打{西}

 

(多分、私のチカラは、別に失われたわけじゃない。ただ単純に、私の心が、最後の一歩で、踏みとどまったんだ)

 

  ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑨⑨3468發} {⑧}(ツモ)

 

 水穂/打{發}

 

(――いや、私じゃない何かが、私を止めるために、こんな手をつくったんだろうな)

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑧⑨⑨3468} {1}(ツモ)

 

 水穂/打{1}

 

(……あ、六筒が三枚切れた。それに九筒もちょっと怖いし、単騎の方が待ちは広いな)

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑧⑨⑨3468} {四}(ツモ)

 

 ちらりと、視線を瀬々の河へと送る。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {②8六⑥}

 

 さすがにまだ聴牌というわけではないだろう。しかし警戒に越したことはない、態々たった二枚しか場に出る可能性のない牌よりも、単騎の方がよっぽど待ちも広くなる。

 

 水穂/打{⑨}

 

 ――そして、

 

 水穂/自摸切り{9}

 

 水穂/自摸切り{二}

 

 ――自摸切り、自摸切り、自摸切り。

 

 誰も牌を鳴くものはいない。

 ただ、打牌の音だけが聞こえて、それから、瀬々がそこで、牌を曲げた。

 

「リーチ」

 

(――オリろ、ってことかな)

 

 ――瀬々捨て牌――

 {②8六7⑥1}

 {23三⑨横東}

 

(まぁでも、オリないよ。自摸られるかもしれない、他家は絶対に出さない、そうなったらツモできっと、私は負ける)

 

 ――水穂手牌――

 {三四五七②③④⑦⑧⑨346} {6}(ツモ)

 

(絶好の聴牌、ただの単騎待ちみたいな手に、私の両面が負けてたまるか)

 

 リーチは、必要ないだろう。

 これで仕留める。たかだか役満をテンパイしたくらいで、勝った気になっては困る。瀬々を蹴落とし勝利する。それは間違いなく、水穂以外にいないのだから。

 

(――通らば……!)

 

 水穂/打{七}

 

 

 その時、水穂はある感触をうけとった。

 

(――あ、これ、まず)

 

 そう思ったのだ。

 しかし、もう遅い。

 

 

「――ロン」

 

 

 その時には、瀬々はもう、牌を右手で倒しているのだ。

 

(――あぁ)

 

 思い出す。かつて、そして今、自分が負けた時の感情を。

 届かなかった時の感傷を。

 

「リーチ、一発」

 

 昔はそうだった。その感情を、水穂は次につなげていたのだ。それを思い出している今だからこそ、思う。

 

「混一色、チートイ」

 

 本当に、心の底から、丹念に練り上げた、言葉でもって。

 

「ドラ2、――裏2」

 

 

(――――悔しいなぁ)

 

 

「……………………24000です」

 

 

 勝敗の分かれ目を、感じ取るのだ。

 

 ――瀬々手牌――

 {一一七九九南南西西發發(ドラドラ)中中(ウラウラ)} {七}(和了り牌)

 

 ・渡瀬々  『26000』→『50000』(+24000)

 ・依田水穂 『67000』→『43000』(-24000)

 

 ――ありがとう、ございました。

 

 ――ありがとうございました。

 

 ――そうやって、言葉を交わして、少女は願う。

 

 

 次こそは、自身の勝利を。

 

 

 ――そう思うことへの、楽しさを、噛み締めながら。

 

 

 ♪

 

 

 ――かくして、四月、龍門渕高校麻雀部内リーグ戦は終了、レギュラーが正式に発表された。

 

<大将:天江衣>

 龍門渕最強の雀士は、自身のモチベーションなどを考慮、大将に座った。

 どんな点数で大将に回ろうが、必ずトップを取って帰る、そのための布陣。

 

<副将:龍門渕透華>

 部内ランキング四位、卓越したデジタルのセンスからこの選出となった。

 また、理想のゲーム運びとして、先鋒、中堅での稼ぎをそのまま大将へ回すことも期待されている。

 

<中堅:依田水穂>

 自身の調子が大きく闘牌に作用される彼女は、実力なども加味され、中堅へ座ることとなった。

 先鋒で稼いだ点を更に稼ぐか、失った点を取り戻すか、どちらにせよ大将がまだ残されているという強みが、彼女を支えることとなる。

 

<次鋒:国広一>

 部内ランキング五位であり、ストレートな闘牌スタイルを持つ彼女は、守備に優れる。そのための配置。

 また、彼女には若干のブレがあり、それが悪く働くこともあるため、リカバリーの効く位置への配置となった。

 

<先鋒:渡瀬々>

 部内ランキングこそ二位であるものの、エースポジションを任せられたのは紛れもない彼女である。

 エースとしての派手な稼ぎと、他校への牽制が望まれる。

 

 

 ――かくして、龍門渕高校は夏の高校生麻雀大会へと挑む。

 

 四月の風は止み、龍門渕に、新たな風が入り込もうとしていた――




というわけで四月編終了。5月・6月は駆け足で、7月はオールカットで進行します。
インハイ全国開始まで五話か六話予定ですが、県予選決勝の文量によってはもうちょっと伸びます。


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――五月・六月――
『アオザイの少女』


 四月を終え、連休まっただ中の午前半ば。朝食を終え、瀬々は一人外出していた。目的は予てより欲しがっていたゲームの購入なのだが、本来瀬々は一人で外に出るつもりはなかったのだ。

 しかし一も透華も、この日は二人纏めて用事があるというし、衣は昨日の夜更かしがたたって昼食頃まで起きてこないだろう。

 態々趣味のためにメイド服や何かを侍らせるわけにも行かない。

 

 よって現在は不本意ながらも一人ぼっちで、あまり着飾らないようなラフな格好での外出となったのだ。

 

(……あー、やっぱそろそろ暑くなってくるんかなー)

 

 雲ひとつない空に、これでもかと自身を魅せつける太陽に、瀬々はゲンナリとした様子で考える。――長野の夏は他所のそれよりよっぽど涼しい、しかし日差しは肌を突き刺して、体感する暑さはさほど変わらないように思えるのだ。

 自宅でガンガンにクーラーを使おうにも、そもそも夏真っ盛りの間、恐らく瀬々はホテルの人である。――長野の暑さがよっぽどなら、東京の暑さはいかほどであるか、考えたくもないことだ。

 

(……まぁ、その前に予選に勝たなくちゃならないんだけど)

 

 詳しく他校との練習試合などで自身等のレベルを測ったわけでもないが、瀬々はまさか県予選で龍門渕が負けることはないだろう、と楽観している。

 なにせ瀬々達の大将は衣で、中堅には水穂まで居るのだから。

 

(中堅…………水穂先輩、か)

 

 ――あの対局から、すでに一週間は経とうとしていた。結局アレは両者を突き放す原動力にはならなかったが、若干ながらも二位と三位を逆転させるチカラはあったようだ。

 最終日、掲示されたランキングは、間違いなく瀬々が二位であることを物語っていた。

 

(先輩、すこし嬉しそうだったな)

 

 大切なことを思い出したから、本人はそう言っていたが、多分あの対局に、満足とちょっとした悔しさを滲ませているのだろうな、と思った。

 ――自分の負けた相手が、確かな成績を示す。それはなんというか、感慨深いものがある。なかなか言葉にするのは難しいうえに恥ずかしいのだけれども。

 

 だからこそ、水穂は中堅に、何の文句もなく座ってくれたのだろうけど。

 

(――勝たなくちゃな、県予選)

 

 まずはそこ、そのためには一応エースなどというポジションを頂いた以上、最大限の活躍はしなくてはならないだろう。――真のエースを大将に据えたニセエースポジションとはいえ。

 

(……っと、ついたついた)

 

 田舎の町とはいえ、生活に必要な雑貨を扱う店はそれなりに充実している。特に田舎の味方こと某大型デパートは、この辺りにも一つ出店している。

 現在瀬々がいるのはそんな場所だ。人の行き交いは、瀬々にとってはなれたモノである。ひとりでこのような場所に来ることは珍しいのだが。

 

(さーて、ちゃんと売ってますようにーっと)

 

 正直なところ、瀬々はただ近いからここまで来たのだ。さすがに雑多なデパートは、どちらかと言えば衣料品の類が特に多い。

 そういった区画はほんの一部で、更には子供向けのおもちゃと同時に隣接されたごくごく限られた場所でしかない。

 ――あまり期待できないだろうとは思いつつも、このまま近くにある家電量販店まで足を運ぶのは、なんとなく負けた気がするのが癪なのだ。

 

 そうやって入り口に足を運ぼうとして――ふと、瀬々はおかしなものを見たかのように、目をこする。幻覚ではないか、そんな考えが頭によぎった。

 しかし、

 

(……なんだ、アレ)

 

 どうやら気のせいではないらしい。あまりに周囲とはかけ離れた異質がそこにはある。――なんと言ったらいいのだろう。瀬々はまずその存在を、コスプレだと理解した。

 

(外人――だよな?)

 

 ――透き通るような長いシルバーブロンドは間違いなく日本人のそれではない。顔立ちも、どことなく欧米を思わせたものだ――オーストラリア人だろうと感覚が答えを打ち出した――加えて、かなりプロポーションもいい、モデルではないかというような体型は、その様相以上に周囲を彼女へ惹きつけている。

 だが、そんなものは普段から天江衣という天女のごとき少女を見てきた渡瀬々には通用しない、単なる美人だと、本人はあくまでその少女――女性と読んでもいいかもしれない――を評した。

 

 問題は、そこではない。

 瀬々がコスプレだとその服装を理解したように、彼女は余り普通では見られないような服装をしていた。

 

(あ、これ知ってる。昔なんかラノベの挿絵で見たことあるぞ。イラストレーターのサイト見て知ったけど、名前は確か……アオザイ、だったっけ)

 

 ――詳しく語れば長くなるため割愛するが、アオザイとはベトナムの民族衣装であり、中国の旗袍(ちーぱお)を起源とする非常に美しい衣装である。

 当然、絶世と呼ぶべき容姿を持つその少女が纏ったアオザイは、彼女の豊満な某を一層引き立てるのだが――

 

(いやいや、国際色豊かすぎるだろ、なんでオーストラリアの人間がそれ着てるんだよ)

 

 何より似合いすぎているのが大変問題だ。そんな少女が休日のデパート入り口を陣取って仁王立ちしているとなれば、周囲の人の群れは、もはや人だかりとでも言うべきほどに停滞している。

 笑うしか無いのは、なぜかデパートに入ろうとしているものと出ようとしているものがそれぞれ別に列を作り、何事も無く出入り口は動作しているということだが――

 

(というか、なんだ。ちょっとマテ)

 

 ――そこで瀬々はあることに気がつく。

 待て待て待て、と何度も心のなかで呼びかけても、それは一向に待つ気配などない。わかっている、わかっているのだ。

 それでも現実逃避気味に、瀬々は思わず心のなかで叫ぶ。

 

(なんであいつ、あたしの所に向かってきてるんだよ――!)

 

 入り口前に陣取った少女は、どん、とまず一歩目を踏み出すと、そのまま凄まじい勢いで瀬々の元へと接近してくる。

 思わず周囲を見渡しても、瀬々以外の人間はいない。――瀬々の横を、黒塗りの車が通りすぎてゆく、ここは狭い通路なのだ、余り人が利用することはないだろう。

 

(逃げるか? いや、間違い無く追ってくる。そうなるとあたしの鈍足じゃ逃げられない。っていうか早すぎだろ、あぁもう、もうちょっと感覚をまとめる時間をくれぇ!)

 

 ――いや、理解している。感覚は答えを出しているのだ。逃げられない、腹をくくれとそれらは言うのだから、瀬々は納得出来ないと首を横に振る他ない。

 しかし、時は刻一刻と女性の接近を告げる。

 

(――あ、これ無理だ)

 

 そうやって瀬々が諦めの境地に達し、菩薩か何かの顔を全面に吐き出そうとしていたその時、ついに瀬々の元までたどり着いた少女が、息も切らせず口火を切った。

 

 

「――貴方、雀士ですよね?」

 

 

 ――は? 瀬々の思考に、クエスチョンマークが浮かんだ。

 

「おっと、ご紹介が遅れました。私、アン=ヘイリーといいます。自称(・・)世界最強の高校3年生です」

 

「え、いやあのえっと」

 

 ――思わずうろたえる。思考が冷静さを失って、目前のアンと名乗った少女が直視できなくなっていく。なんだ、なんだこれは。なんだこの少女は。

 

「あー、うー」

 

「貴方雀士ですよね。わかりますよ、私にはわかります。貴方からするんですよ、雀士の匂いがね!」

 

 ――もはや、瀬々は思考の理解を放棄した。感覚の認識を諦めた。そうして漏れでたのは、怒涛のようなツッコミの嵐であった。

 

「いきなりあたしが雀士とか、一体何なんだよ! つうか匂いってそんなんしてたまるか! あとそもそもご紹介っていうのは誰かから預かってするものであって、自分で自分を紹介したりはしなーい! 自己紹介とは言うけど、その物言いはオカシイ、あと自称ってなんだ、最強ってなんだ、なんで高校3年生なんだ、あーもう!」

 

 そうやって、完全に感情が爆発したのだろう。

 支離滅裂な言葉の最後は、そんな一言で締めくくられることとなる――

 

 

「世界って、なんだーっ!」

 

 

 ――冷静になったのは、アンの話を聞いて、彼女のススメでデパートのフードコートにはいって、慣れた手つきでアンが注文を終えて、一息ついた頃の事だった。

 

 

 ♪

 

 

「……で、つまり。あんたは雀士で、今は暇つぶしにノーレートの雀荘を探していると、それで丁度地元に詳しそうな雀士であるあたしに、白羽の矢を立てたわけだ」

 

「そうです! そうです! いやぁ理解が早くて助かります。突然のことなのに、こうして対応していただけるのは初めてですよ」

 

「……あんた、わかってやってるだろ」

 

 残念ながら瀬々は地元の人間ではない、ここ一ヶ月くらいでこの辺りに越してきたのだ。透華に問えばともかく、瀬々一人では道案内など出来ない。

 答えを知れば、まぁ解らないでもないのだが。

 

 ――自称世界最強の高校3年生、という紹介通り、どうやら彼女は今17の、瀬々とは二つ年の違う少女らしい。

 しかし、どうにも初めての邂逅からして、瀬々は敬語というものを使う気になれないでいた。アンの言葉遣いも、どちらかと言うとあくまで自然で、これが彼女の素であるらしい。――恐らくは、最初に習った日本語が敬語で、それをそのまま使っているのだろう。

 

 明らかに日本慣れしている彼女は、何気ない手つきで箸を使うと、届けられたうどんを音を立ててすすっていく。

 移動にだいぶ時間をかけたためか、朝早くに出かけたというのにもう時刻は正午に近い。香る食感が、アンだけでなく、瀬々の喉までも侵食していく。

 

「――いやぁ、日本の文化はいいものですね、知り合いにラーメン狂いがいますが、私も好きなんですよ、こういう麺類」

 

「明らかに、外国からの観光客って感じじゃないもんな。……日本には割と長く滞在してるんだろ?」

 

「もう二年になります。ここにはまぁ、国内旅行ってところですよ。安い切符を使って、のんびり連休を楽しむのが趣味なんです」

 

 雀士――何処かの高校の特待生か何かだろうか。たしか外国から強い雀士を呼び寄せてる傭兵高校がどこかにあった気がするが、案外そこに所属しているのかもしれない。

 

「こうやってね、いろんな人に声をかけるんですよ、ほとんどが曖昧に会話をして逃げられてしまいますが、たまにこうやって付き合ってくれる人がいて、その人がすごい雀士だったりするんです」

 

「へぇ、凄い雀士、ねぇ」

 

「この前なんか凄いですよ、なんとこの長野で、大沼プロに出会ったんです。日本のプロはあの人と小鍛治プロは名前と顔を一致できるのですが、まさか本人と出会うとは」

 

 ――この前、というと恐らく衣に会いに来ていた頃だろう。どうやらその時の出会いを縁にして、再び彼女はこの長野の地を踏んだらしい。

 それで、その大沼秋一郎の知り合いと出会うというのだから、運命というのは数奇なものを好むらしい。

 

「貴方はどうです? 高校生でしょう、腕に自身はありますか?」

 

「まぁ、そこそこ」

 

「この辺りで強いというと、たしか龍門渕でしたね。去年までは風越一強ですが、今年はちょっと違うんじゃないですか?」

 

 ――無理もないですよね、あんな人達がいたのですから。とアンはしみじみ言う。対局の経験があるのだろう、風越は確か去年まで決勝常連校だったはずだ。風越躍進の立役者三人、彼女たちと卓を囲んだことが、アンにはあるというのだろうか。

 

 そうしてふと、うどんを半分も胃の中に収めると、感慨深気な様子でアンは嘆息する。感傷、とは少し違うだろう。楽しんでいる。そう形容することが、できるはずだ。

 

「旅の空は晴天ハレハレ、気楽で愉快で、そしてなにより極上です。そうして旅をするたびにね、私は思うんですよ。――世界って、広いなぁって」

 

 ――世界。ふと瀬々は、混乱の極みの中で漏れだした言葉を思い出す。まさか自分自身でも意識など向けていなかった言葉が、ふとそんな風に漏れだしたのは、目の前に居るアンという少女が絶対的な理由なのだろう――と、どこか遠い意識で考えた。

 

「世界……ねぇ」

 

「知っていますか? 世界というのは一つではないのですよ、とある人間一人が感じるコミュニティ、それが世界なんです。父母、祖父祖母、兄弟姉妹に、親戚、親友恋人、色々な呼び方で、人は繋がりを持っている。――そんな繋がりの“中”が世界なんです」

 

「それ以外は“別世界”ってわけか」

 

 感覚の赴くまま、瀬々は言葉を繋げる。ほう、と感心したようにアンは目を見開くと、それからはにかんだ笑みを浮かべた。

 

「いい表現を使いますね。その通りです。私が考えるのは、自分の世界とは別する世界。――異なってはいないのです、誰かの世界を、異世界と呼んで隔絶してしまうのは些か惜しい」

 

 ハツラツとした声でアンは語る。それはさながら演説を行う英雄のようでもあり、誰もが惹きつけるカリスマを持つ、絶対性のリーダーのようでもあった。

 なんというのだろう、そこにはアンの生気があった。生きているという心地がした。

 

 まるで風凪ぐ快晴の草原に、前進を預けて夢うつつとなるかのような、そんな快さを持つものだ。自身が注文したパスタを食す手を止めて、瀬々はそんなアンの言葉に耳を傾ける。

 

「私は世界が好きです! こうして旅をすることが、いろんな世界を知ることが大好きです。日本が、アメリカが、イギリスが、フランスが――ありとあらゆる国々が、大好きなんですよ」

 

 手先、器用に正しい持ち方の取られた箸の先端を、まるで指揮棒のように揺らしながら、アンはそうやって笑いかける。

 

「――世界を求めるその先に、私は麻雀というゲームを見つけました。――知っていますか? 今、麻雀は世界中に拡がって、楽しまれているんです。ありとあらゆる、別する世界の境界線を越えて」

 

 そうやって、世界中へと視線を向けるように、大げさに両手を広げたアンは、やがて瀬々の元へと帰還する。ダン、と両手で叩いた机が跳ねて、震えた丼から雫が勢い良く飛び上がる。

 ――そうしてアンの頬へと近づいたそれは、彼女の姿を、水滴のきらめきによって輝かせた。思わず惚けるように、瀬々はそれに食い入ってしまう。

 

「そんな世界の頂点が一つ、それが私です。――自称(・・)、世界最強。誰にも負けないという自負があるのですよ」

 

「――インターハイ、か。悪いけど、あたしはまだ麻雀を知ったばかりで、そんなの実感も持てないよ」

 

「それでも、貴方は知っているはずです。麻雀において、最も大切なモノを」

 

 核心めいた言葉、瀬々はアンの姿を、あらゆるものを惹きつけ魅了する、カリスマの持ち主だと判じた。その根源は、そうやって確信めいた堂々たる笑みで瀬々に顔を近づけるような、一挙手一投足にあり、それがアンのカリスマを確立させているのだろう。

 

 一つ一つの挙子動作が、どこまでも前向きで、人の意識に入り込んでくる。そんな少女――どことなく、瀬々とはその生き様が、まったく正反対のように思えた。

 だからこそ、瀬々はより大きく、アンの言葉に笑みを浮かべる。

 

「あぁ、知ってる。麻雀は楽しいものだ。そして――そうやって麻雀を使って、世界を広げようとする人間を、あたしはあんた以外に知っている」

 

 瀬々はある時、一人の少女に強烈なまでに引きつけられた。その可憐な容姿だけでなく、言葉遣い、仕草、そしてその信念に、惹きつけられたのだ。

 ――それが、瀬々にとっても麻雀の原点、あの時、初めてリアルでの対局を目にした時、その闘牌に、そのゲームの終幕に、瀬々はどうしようもなく“自分にはない何か”を感じた。――この少女、アン=ヘイリーという少女は、それと似たものを持っている。

 

 それは瀬々にとって、輝いてしょうがない、美しくてしょうがない、あまりにも可憐なものに、映るのだ。

 

「――素晴らしいィ! 全くもって、そんな人が私以外にもいたのですね! それは何時の日か、麻雀で手合わせ願いたいものだ」

 

「凄いぜ、多分あんたよりも強いから、覚悟しとけよ」

 

 ほう。と、アンは感心したように言う。――久しぶり、一年ぶりだろうか。アンという少女と相対し、更にその上を提示するものは。

 たいていの人間は、アンに勝負を“挑む側”だというのに、この少女は、南の臆面もなく、アンが“挑む側”だとする存在が居ると、大いに語る。

 

「面白い、面白いじゃないですか。きっと貴方とはまた出会うことになる。それもこんな誰の注目も浴びない世界の一部ではない、誰もが目を向ける大舞台で」

 

「――だろうな、その時あたしも、負けるつもりはない」

 

「結構結構、そうやって語ってくれるものが、もっと多くいてくれれば、私としても非常に喜ばしいことなのですがね」

 

 あくまでそんな風に自信たっぷりに語って、アンは自身のうどんを完食させる。そうすると、ごちそうさまでしたと――その国の風習に合わせているようだ――一つ手を合わせ、それからうどんを収めたお盆を持って立ち上がる。

 

「有意義な時間でした。感謝します」

 

「――あ、そういえば。このパスタのお代がマダだったな」

 

 思い出した、そういえばこのパスタはアンの財布から支払われているのだ。ならばと瀬々は自身の財布を取り出そうとして――そっとアンに差し止められる。

 

「そのパスタは私のおごりです。有意義な時間は、貴方から提供していただいたものです。迷惑をかけたという意味も込めて、どうか私に支払わせてください」

 

 ――しかし、と口を開こうとして、瀬々は直ぐに取りやめる。そうやって聞いてくれるような態度ではない。ならば素直に礼を言ったほうが、この外人にとって気分のいい結果となることだろう。

 

「ありがとう、美味しくいただくよ」

 

「そうですか、それは重畳。――では、私はこのへんで」

 

 そうやってアンは軽く後ろへ一歩下がると、行儀の良いお辞儀をした。瀬々が右手を振ってそれに答えると、軽く笑顔を見せて、それから振り返り、歩を進め始める。

 ――不思議な少女だったと、回想しながら、瀬々はそんな彼女の後ろ姿を見送るのだった――――

 

 

 ♪

 

 

 ――それは、瀬々がすべての用事を終え、自宅に帰宅して後のことになる。

 薄暗い部屋の中、アン=ヘイリーの名を検索すれば、すぐにその結果が表示される。

 

『アン=ヘイリー。

 世界有数の高校生雀士にして、“自称”世界最強の高校3年生の異名を持つ。

 その実力は確かで、現在公式戦での敗北はただの一度きり。

 また、半荘の収支をマイナスで終えたこともない。

 現在は臨海女子に所属し、前年度は大将、今年のスプリングでは先鋒を務める。

 去年度のインターハイ決勝での白糸台大将宮永照との最終決戦は伝説となっている――』

 

 そんな情報を眺めて、瀬々はポツリと一言を漏らす――

 

 

「本当に、自称(・・)世界最強なんだな」

 

 

 なんとも言えない、苦笑するような表情で漏らしたそれは、月の見つめる夜闇に溶けて、どこか遠い場所へと消えていった。




アオザイが大好きです! ピッタリと体のラインが浮いて出て、セックシーな感じがたまりません!
その上少し透けて肌が見えるとなおさらエロティックです! まじビューティホー!
ちなみにオススメはシロにアオザイ。巨乳+美人+白髮(はくはつ)、似合わないわきゃないですね。


というわけでオリキャラ回。この天衣無縫の渡り者のテーマを、第一に体現してるキャラです。
どうでもいいですが瀬々がアオザイを知った経緯は実話です。
・この作品はフィクションです的な変更。


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『灼熱と冷気の少女たち』

 アン=ヘイリーとの邂逅を終えて、自宅に帰還してみれば、瀬々を出迎えたのは、何やら台車に麻雀の自動卓を乗せて移動する、国広一の姿だった。

 ――別館の広い廊下を、せっせと一は台車を押しながら移動している。

 

「あ、おかえり」

 

 何気なく声をかけられたが、普段とは違う一の様子に、瀬々は思わずうろたえて、言葉を返すことが出来なかった。

 

「あぁ、これ?」

 

 足を止めて、気がついたように一が台車を、というよりも台車に載せられた麻雀卓を指さして瀬々に確かめる。瀬々の首肯を受け取ると、一は笑み満面に解説を始めた。

 

「今日はちょっとこれを閑談室の方で使うんだ」

 

 そうやって話す麻雀卓の出処は、衣の部屋だったはずだ。普段から人の集まりやすい衣の自室は、衣自身の意向もあってか、麻雀卓が常備されている。

 そしてこの龍門渕本家別館には、自動卓はこれ一つしかない。いつもなら衣の部屋に自分から足を向ければいいのだが、今日はどうもそうは行かないらしい。

 

「……何か祝い事でもあるのか?」

 

 閑談室は広い部屋だ。現在この別館を利用する衣や瀬々、頻繁にこちらに顔を見せる透華と一らすべての者が一同に介しても、全く問題のない場所だ。

 無論、それは瀬々や衣の自室もそうなのだが、あそこはそれぞれの私物が多くある。あまり人を集めるのには向かない。

 

「正解、実はちょっと歓迎会みたいなことを開こうと思ってるんだ。今日のお出かけは、その買い物なんかも含んでいます」

 

 ふざけたように敬語を操って、一はそんな風に笑う。

 瀬々はふと腕組みをして、それからポン、と手を叩いて思考の結論を吐き出した。

 

「そういえばあたし達がここに来た時は何もなかったけど、これに合わせるつもりだったのか」

 

「ご名答。ちなみにボクの時もなかったから、多分その分も含めてじゃないかな」

 

 確か、一は衣が来るということがわかって初めて、透華に招聘されたのだったか。そもそも衣が龍門渕に来るというのは割りと入試近くの話であり、本来は瀬々のみが龍門渕へやってくるはずだったのだ。

 恐らくは今日そういった催しをするということは、そんな一のような者がこの龍門渕家別館に増えるということ、そんな彼女――彼、ということはないだろう――達もまた、衣のために招聘するはずだった者、ということになる。

 

 ――衣がかつてのように、友達が作れないのではないかという危惧故の行動だろうが、結果として衣は成長し、現在はクラスのマスコットとして大人気である。

 本来ならば呼び寄せる必要のない者達、しかし透華のことだ、自分が気に入ったからだとか何とか言って、結局龍門渕家に迎えるということは、十分予想できることだった。

 

「んー、どれくらい増えるんだ? 二人くらいか」

 

「そこまでわかっちゃうんだね、まぁ正解だよ、詳しくは、本人たちにご登場願うことになるけど……先に会ってみる? 今は自室で荷解きをしてるはずだけど」

 

「――いや、やめとく。衣と一緒にそいつらに出会いたい。衣は会いに行かないだろうし、そもそも話してないだろう?」

 

「さっき起きたばかりでね、まだベットの上でボーッとしてるよ」

 

「なんだと? ちょっと見に行ってくる」

 

 ――きらりん、と、瀬々の目が思わず光った。一はそんな瀬々の様子に、はは、と乾いた笑みを浮かべながら、それじゃあ、と軽く手を上げて見送る。

 もはや、瀬々に周囲のことなど見えてはいなかった。

 

 

 ♪

 

 

「――というわけで、龍門渕別館開放記念パーティと称しまして、この別館を利用することとなった衣や瀬々、そして今日からこちらに越してくる事となる両名の歓迎会を行いますわ!」

 

 自身のグラスになみなみと汲まれたジュースを掲げながら、透華は自身満面に宣言をした。無論、それは透華の素であるのだが。

 

「堅いことはなし、と言いたいところですが、折角なので乾杯の前に皆さんには自己紹介をお願いしようかと思います。あぁ、私と一は皆さん見知っておりますから、割愛しますわ」

 

 長方形の、短い縦幅でも二人分の着席スペースが有る広大な長机に、彼女たちは向かい合うように座っていた。

 透華から見て右側は瀬々と衣、そしてその反対側には、瀬々達とは全く面識のない少女たちが座る。

 

 どちらも瀬々や衣と比べるとかなりの長身で、丁度透華がその中間に位置するような背丈である。一人は銀髪、一人は黒髪、どちらも瀬々の感覚は日本人であると告げていた。

 ――シルバーブロンドが、今日出会った外人を思わせるために、そんな感覚が働いたのだろう。

 

「じゃ、まずは俺から、俺ァ井上純、透華に誘われて龍門渕に今度編入することになった。ま、本当なら入学式に一緒に並んでるはずだったんだけどな」

 

 長身、というよりももはや男性顔負けの長駆を持つ、純と名乗った彼女は、軽く笑みを浮かべておどけてみせる。

 続くのはもう一人、恵体美人と呼ぶべきプロポーションの少女だ。

 

「……沢村智紀、色々ごたついてこの時期にここへ来ることになった。…………よろしく」

 

 物静かな少女だ。余り会話は好まないのだろうか、伏し目がちに軽く会釈をする。――そうしてから続いては衣だ、両手を上げて楽しげに名乗りを上げる。

 

「天江衣だー! 雀士だぞ!」

 

「いや、ここに居る連中は全員そういう繋がりで透華に呼ばれたと思うんだが。――あぁ、あたしは渡瀬々、趣味はインドアだ、よろしく」

 

 人の好く笑みを浮かべて、瀬々は自己紹介のトリを務めた。なんといっても社交性では透華に次ぐ力を持っている。浮かべる笑顔は、とにかく様になっていた。

 そんな訳で、四者がそれぞれに名を名乗ると、透華が一つ頷いて手に持っていたグラスを掲げる。

 

「皆さんには、麻雀という目的と、繋がりでもって私が直々に集めさせて頂きました。一部例外はございますが、今この瞬間は、そんな雀士としての繋がりを、皆さんに期待するとして――」

 

 一拍、呼吸をタメてそれぞれがグラスを持つのを待つ。

 

 

「――乾杯!」

 

 

 勢い良く突出された六対のドリンクは、楽しげにその水面を揺らし、それぞれの招来を歓迎するかのようだった。

 

 

 ♪

 

 

「へぇー、智樹は麻雀初心者なんだ」

 

 歓談の時間、すでに夕餉として用意された食材はほぼ消費され、残りは翌日の朝食へと回されることが決定していた。

 それぞれは二つほどのグループに別れ、ジュースのみを片手に会話の輪を広げていた。

 

「うん……今は点数計算を、覚えてるところ」

 

「あー、あれはなかなか大変だよな、知ってるか? 一翻の四十符と二翻の二十符は同じ点数なんだぜ?」

 

 それぞれ半分ずつの組みにわかれて、こちらでは一、智樹、そして瀬々が麻雀初心者の苦労を語り合っているようだ。

 

「そこらへんは……知ってる。子の点数も……大体覚えた。でも、親の点数が……かなり怪しい」

 

 ――寡黙だ、というのは智樹の第一印象だ。それは今も変わらず、少し口下手なところがあると、瀬々は改めて認識していた。そんな相手から会話を取り出すのも、話し手としての役目、このグループは瀬々が中心となり、智樹が聞き手、一が茶々入れになっているようだ。

 

「そういうのはやりながら覚えるのがいいんじゃないか? 実際牌の動かし方とか、リアルじゃないと解らないこともあるわけだしさ」

 

「……なんか、そういうの全部すっ飛ばした人が何か言ってる」

 

 一の苦笑に、思わず瀬々は睨みをきかせて返す。そうして沈黙すると、どちらからともなく冗談めいたやり取りに笑いが漏れた。

 そうしてふと真顔になると、人差し指を立てて何かを伺い立てる用に智樹へ大して提案をする。

 

「――あー、ま、どっちにしろ、だな。態々この一が雀卓をここまで持ってきてあるんだ。折角だしやってかないか? 麻雀」

 

「……そうですわ!」

 

 そんな瀬々のやり取りに触発されたのだろうか、透華がいきなり立ち上がり、声を張り上げた。――夜間にはかなり迷惑な声量である。

 

「夜は長いとはいえ、衣が睡魔にやられてしまう前に、まずは麻雀をやりませんと、こうして歓迎会を開いた意味が半減ですわ!」

 

「……まぁ、そりゃそうだな、全員集まってて、雀卓まで丁寧に用意されてて、卓を囲まないってのは、嘘だわな」

 

 同意するように、純があくび混じりに口を開いた。ソファに座っていた衣が、バッと笑みを込めて立ち上がる。

 

「――決闘だぁ!」

 

「いや、そういうんじゃないと思うが」

 

 すぐさま瀬々がそれに反応し、同時に立ち上がって衣の元へと向かう。ピタッと後ろに寄り添うと、衣に寄りかかりながらそれぞれの顔を確かめる。

 

「これだけ人数がいるんだ、東風戦で数を打とうと思うんだが、どうだろうか」

 

「賛成。初心者もいるし、あんまり長丁場は精神的にね」

 

 真っ先に一が肯定し、立ち上がるとジュースをおいて動き始める。卓に早歩きで駆け寄ると、電源のスイッチを入れた。

 

「じゃあ、まず卓に入る人!」

 

 ――手を上げたのは、丁度今日からここに入った二人、そして瀬々と衣の四名だった。

 

 

 ♪

 

 

 ――対局は数多く組まれた。東風戦だ、速攻を制したものがそのまま卓を制すのが世の常であるのだが、その日はどうやら違うようだった。

 

「――ポン!」

 

 井上純、彼女はとにかく鳴きを多用していた。俗に亜空間殺法とも呼ばれるオカルト的なずらしが、純の持ち味なのだ。

 他家の気配を巧みに察知し、それを自身の鳴きで散らしていく。そうすることで流れを他家に向けず、和了の手を緩ませる力があるのだ。

 

 結果、デジタルにスタイルの比重を置く透華、一、そして初心者智樹はものの見事に彼女の戦法に引っかかった。

 特に正攻法な打ち方を得意とする一は、勢い良く純の餌食となったようだ。

 

 とは言えそれでも、その日の卓を支配する絶対的な強者は、純ではなかったのだが。

 

 

 ――状況はオーラス、トップに純、そして二位に瀬々がついていた。

 

 

「リーチ!」

 

 勢いの好い打牌、瀬々が牌を横に曲げると、ふむ、と純は考え気味に腕を組む。――自身のツモを眺めながら少し。

 

(……ラス親のリーチを、このまま黙って見過ごしてたらマズイな。理想としては俺が安手を和了ることだが……間に合うか?)

 

 ともかく、瀬々の第一打は鳴くことの出来ないものだった。加えてそもそも、自分が鳴いたのでは瀬々のツモを抱えることになる。それだけは、避けるべき状況だ。

 

 そして、上家、智樹の打牌に、すぐさま純は飛びついた。

 

「ポン!」

 

(――透華なら、振らないだろ)

 

 現在瀬々と純の点差は一万点ほどだ、親満一つを他家からの出和了りでもまくられる以上、振込の恐れのない相手に、瀬々のツモを押し付ける必要がある。

 

(さぁ、そのまま自摸切りマシーンにでも変わっちまいな!)

 

 そう考え、自身の手を早く仕上げることに意識を向けた純だったが、直後。

 

「ツモ! 6000オール!」

 

(――な! ずらしても和了るのか、こいつ)

 

 瀬々の待ちは{三五五五}の変則二面待ち、一つずれても和了れる待ちだ。――否、そんなことよりも。

 

(こいつ、もっと前から張ってやがったのか! いや、つぅか牌の入れ替えだけで手出しのリーチは幻想かよ! ってことは、ずらすことまでわかって――いや)

 

 ――その時だった、透華がふぅん、と嘆息気味に手牌を崩す。その時牌の幾つかが顕になった。その中には、純の鳴きでずれた瀬々のツモも含まれている。

 {三}、確かに透華が手牌に収めた瀬々のツモは、それだった。

 

(――ずらすことまで想定済みでリーチを打ちやがったのか!)

 

「ふっふん、あたしが一位だな」

 

「……なぁ、どこまで見えてんだ? オマエ」

 

 点棒を受け取り、上機嫌に鼻を鳴らす瀬々に、純は思わず問いかけた。瀬々は少し呆けたようにすると、にやりと笑って、

 

「――いやぁ、少し前のあたしならともかく、今のあたしに、鳴いてずらしたくらいじゃ手の妨げにはならないんだよ」

 

 詳しくは麻雀部にはいったら教えてやる、と楽しそうに言うと、瀬々は麻雀卓から離れる――対局者の入れ替えだ。次は衣と一、そして純と透華が入ることになる。

 瀬々は智樹を誘い、衣の後ろに立つ――面白いものが見れると、そんな風に人懐っこい顔をしながら。

 

 

 ――そして、その東風戦オーラス、再びトップは純が立っていた。どうやら今日は彼女がツイている流れらしい。

 初めて相手にする、オカルトらしいオカルトに、一や透華が翻弄されているというのもあるだろうが。

 

「……ふむ」

 

 衣/打{()}

 

(――少し考えて手出しでドラか、ドラ対子の周りが埋まって順子になったんだろうな、で、あぶれたドラを切って聴牌、か)

 

「チー」 {横五四六}

 

(まぁいい、これで多少は気配も紛れたし、俺の手も進んだ。あとは当たり牌がどの辺りか――だな)

 

 この対局中、衣の気配はずっと希薄なままだ。まるで霞がかかったように衣の気配が見えてこない。――それもそのはず、純の見立てではそもそも衣は、これまで一度も聴牌していないのだ。トップとの点差が一万五千程度とはいえ、これはなかなかきついものがある。

 更にそれを補強するかのように、このオーラスに来てようやく、衣の聴牌気配が明白になった。多少気配を画すのが巧いのだろう、まだしっかりとしたものではないが、純はその程度の気配なら看破する。何の問題もない。

 

 ――が、どうやら衣のそれは聴牌ですら無かったらしい。

 

 衣、手出しでの打牌。

 

(――なんだ、マダ張ってなかったのかよ)

 

 そう思考しつつ、ツモ山に手をかけて――盲牌と同時に顔をしかめる。

 

(……ッチ、微妙なツモだな)

 

 両面での一向聴が嵌張に変わった。そもそもこれがもしも当たり牌なら嵌張のために切らなくてはならない牌も切れなくなる。しかし、解決法がないでもない。

 

(――ここは回して凌ぐべきだな。あんま他家との点棒差がないから出来れば和了っておきたいんだが、まぁ和了れなくてもトップはトップ、場をかき乱してくしか無いな)

 

 そのためには、まず安牌、ということになるが――

 

 ――衣捨て牌――

 {一三西⑨北六}

 {(五)⑧}

 

 ――純手牌――

 {二二四③④⑤⑥⑦67} {4}(ツモ) {横五四六}

 

(……ねぇな、安牌。{⑥}は筋だが、これ、当たる筋だろ)

 

 {③}―{⑥}待ちの両面か、{⑥⑥⑧}を崩しての双ポンか、どちらでも構わないのだが、どちらにしろこの牌を何の臆面もなく切っていい状況ではない。あくまで回し打ちを意識するのなら、なおさら。

 

(となると、通る牌は、これだな)

 

 ――純/打{二}

 

 それは至極当然の打牌だ。序盤着られた一萬三萬の嵌張払いから、一二三四の形はすでに完成しているか、全く必要のない牌であるということになる。

 しかも、五萬が切られているために両面もない、一向聴の状況でドラを切ったということは、手が進んだという事情以外には考えられない。よって、二萬は最大の安牌。

 時点は筋の四萬、ということになる。

 

 更にこれは三萬をツモって嵌張を埋めることや、{467}の形に{5}を埋めてノベタンに取れるよう配慮された形だった。

 

 あまたの選択肢の中から、誰もが選びとる正解を打牌した純、さてならば、次はどう手を回していくべきか――そんな思考を及ばせて、しかし。

 

 ――それが実際に敵うことは永遠になかった。

 

 

「ロン」

 

 

「……は?」

 

 宣言、衣が純を討ち取ったのだ。しかしそもそも、それは純だけでなく、透華、一、すべての対局者に共通する言葉だった。

 ――衣の後ろで腹を抱えて爆笑している瀬々、そしてその横で口元を抑えて体をふるわせている智樹を除いては。

 

「――8000」

 

 ――衣手牌――

 {二二四四⑧⑧⑧222北北北}

 

 ――自摸り四暗刻。だれも予想し得なかった役満聴牌は、純を唖然とさせるには十分だった。

 

(――嘘だろ? 俺がこんなバカみたいな手の気配を、単なるテンパイ気配と読み違えたのか? まさかこいつ――流れ事態に、細工しやがったのか!?)

 

 困惑する思考。半荘を終えた今になって、純は肌に感じ取っていた。――目の前に居る存在、そいつは人間じゃない。そんな生やさしい存在ではない、と。

 純が通常感じ取る気配とはもはや別物といってもいい、莫大な代物が、衣から噴出しているのだ。

 

 天江衣の持つ力、卓の支配。現在その領域はすべて、流れの支配へと置かれている。それは当然、衣の思うがままに流れの気配を操れるということで、純のようなオカルトタイプにとっては、その操作は、もはや天敵と言ってよかった。

 

「衣がトップだー!」

 

 そうやって無邪気に笑う推定小学生の背丈を持つ少女。しかし彼女こそ、龍門渕最強の大将にして、世界を席巻しうるほどの力を持つ、魔物“だった”存在なのだ。

 

「――ハ、ハハ。なんだ、世の中こんな奴らがごろごろしてるのか?」

 

 強い相手だ。

 ――面白い相手だ。

 

「なぁ、衣、瀬々、もう一回打とうぜ、あー畜生! 今日の麻雀はほんと楽しいな全く!」

 

「……ちょっと、私達を忘れないでもらえます?」

 

 そうやって、透華が純と衣の間に加わった。ボクもボクも――と一が続き、そして瀬々も智樹を伴ってその中に突撃する。

 

 夜更けて、しかし空は月に照らされて、龍門渕の別館は、さながら不夜城の体をなそうとしていた――




龍門渕ファミリー勢揃いです。
この人達が居ることで龍門渕というコミュニティは完成するわけでして、この人達なくして龍門渕は龍門渕足りえません。
次回は多分短いです。千里山伝説の一話分並の短さ。
まぁ何か確変が起きて文量+が在るかもしれませんけど。


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『龍門日和③&④』

(真)


 無音だ。人の気配はすれど、それが世界に左右されることはない、ただ時折その生活の音が、部屋に響いて、南の返しもなく消えていく。

 室内には二人の人間がいて、どちらも長身の美人である。

 

 特徴的なのは、彼女たちの対照的な容姿にあった。

 一人はショートカットの、ボーイッシュな雰囲気を持ち、一人は流れるような黒髪の和風美人。決して両立するようなタイプではない。

 

 ショートカットの少女を井上純。

 黒髪ロングの少女を沢村智紀、と言う。両者はひとつの部屋に、思い思いの体勢でくつろいでいた。

 ここが純の自室であることも合わさってか、純はタブレットをいじりながらベットにうつ伏せで臥せり、智樹はその近くに寄り添うような形で木の椅子に腰掛けている。

 室内は華美な様子であったが、智樹が腰掛けるのはシンプルな塗装の新しい椅子である。

 

 両者ともに無言、時折てにもつパソコン、もしくはタブレットに奔る指先の動きが音を奏でた。

 

 現在二人が何をしているか、というのは、純と智樹が龍門渕高校へとやってきた経緯とも重なる。両者はそれぞれ純が麻雀に、智樹がパソコンの操作に精通している。加えて透華によってその人間性を見初められ、誘われるようにこの龍門渕へ編入、別館に下宿することとなったのだ。

 二人共麻雀の腕を買われた、という理由もある。とはいえ、彼女たちは実動的に麻雀に対して関わるのではなく、むしろ裏方の作業に関わることとなっていた。

 

 そもそも編入生はある一定の期間公式戦に出ることが出来ず、また龍門渕のレギュラーはすでに決定している。

 彼女たちが担当するのはデータ集め、他校の牌譜や、実戦の動画を集めることに主眼を置かれているのだった。

 

「……ん」

 

 智樹が軽くパソコンを手渡す。

 

「お、あんがと」

 

 純がそれを待ってましたというように受け取る。代わりに少しタブレット端末を操作すると、それを智樹に手渡した。

 

「見てみろよ、面白いぜこれ」

 

 内容は去年のインターハイの様子だ。智樹は現在麻雀を勉強中の初心者であるため、こうして時折様々な動画を鑑賞も兼ねて純は智樹に見せている。

 どうやら麻雀を楽しむ素質があるようで、智樹はそのたびに――全くそんな素振りをしているようには見えないし、純も何とか解る程度なのだが――楽しそうにしている。

 何でも他人の打ち筋を研究するのは非常に興味深い、らしい。

 

 麻雀には様々な楽しみ方がある。そうやって麻雀を楽しむのもひとつの形なのだろうと、純はしきりに納得するのだ。

 

「……ねぇ」

 

「ん? どうした?」

 

 純が勢いよく体をぐるりと回転し、座る智樹の手元を覗きこむ。見やるのは牌譜だ。なにやら不可思議なところがあったらしい。

 

「この人の」

 

 ――と、智樹が見せるのは晩成の現エース、車井みどりの牌譜である。たしか晩成のレギュラーは全てデジタルの雀士で、かなりの実力を誇る選手だったはずだが……何が気になったのだろう、と純は牌譜の中身を確かめる。

 原因はすぐに解った。たしかにこれはなかなか理解し難い打牌だ。

 

「あー、これはだな、他家の捨て牌から手を読んだ結果だよ」

 

 ――例えばこの打牌があるから、対面の手牌はこう読める、だとか、そういった事を、この車井みどりという選手は読んでいるのだ。その上で山に残る牌の数を計算し、一見不可思議に見えても、事実その計算通りに“最善手”を構築する。

 そこら辺はすでに種が割れている。

 

「この車井ってのはとにかく記憶力がやばいんだ。後インタビューの記事なんかを見ればわかるが、すっげぇ頭がいい、晩成自体奈良屈指の進学校なんだが、その中でも成績トップクラスなんだそうだ」

 

「記憶力がいいのと、これは……?」

 

 少し言葉は足らずとも、純はすぐさまそれを理解する。両者の関係は短くとも、その繋がりは少しずつ、深くなってきているのだ。

 

「関係ならあるさ。計算能力も早くて、記憶力も高い、些細な事は絶対に見逃さないだろう?」

 

 ――オマエみたいに。そんな言葉を言外に滲ませて、それを智樹は納得する。確かに関係のないことに思えるが、自分自身に当てはめればすぐに分かる。純はそれをよく理解しているのだ。

 

「つまり、全部計算して見抜ける、ってこと?」

 

「本人は直感派だとかなんだか言ってるが、瀬々曰くアレは答えを先に出してからその後理由付けをしてるんだとさ。計算を思うかべるよりも早く答えを出せるんだと」

 

 データ集めが純と智樹の仕事だ。しかしそれによって集められた“不可思議なデータ”は瀬々と衣が見聞することになっている。

 瀬々はオカルトの正体を見抜くことができるし、衣はオカルトの専門家だ。デジタルに関しては、どちらも純と同レベル――知識として知っている――程度だが。

 

「純の、正反対みたい」

 

「……だな、俺は直感でしか動かねぇし、そもそもデジタル的な打ち方は、出来ない訳じゃねぇが性に合わない」

 

 どうしても非効率に感じてならないのだと、純は笑う。純の強みは、オカルトだけでなくデジタルにも精通しているということだ。

 当然透華や水穂のような、デジタルの極みに居る存在には届かないものの、それでも透華と同卓しても四割は透華より上の成績を取れる自負がある。

 水穂はオカルトまで絡んでくるので、それはそれで別の話になってしまうのだが。

 

「こーいうのはオマエ向きだよ、こんなアホの頂点みたいなことはできなくても、オマエの記憶力なんかは本物だ」

 

 ――これは休日の話になるが、智樹と純は他の龍門渕メンバーを伴ってよく近くのゲームセンターに遊びに行く。

 それぞれに得意分野があるのだが、智樹と純はその中でもトップクラスの実力を誇っている。そして智樹が理詰めでのプレイを好み、純は完全な直感によるプレイだ。

 

 これはシューティングゲームなどのゲームで顕著となる。智樹はパターンなどを完全に把握するのに対し、純は場当たり的な気合避けタイプ。これでどちらも成績はいいのだから手に負えない。

 ちなみに余談だが、瀬々にクイズゲーをやらせてはいけない、一方的な蹂躙の始まりである。――瀬々を連れてゲームセンターに初めて行った日、一の止めるのも聞かずに挑んだ智樹と純が、ボロ雑巾の様に捨てられて帰ってきた。

 

「……そもそも、これと似たようなことは、いつもしていた気がする」

 

 我が身を顧みてみれば、というやつだろうか、智樹は純の言葉にそんな風に返した。――まじかよ、と呆れ気味に返す純、とはいえ彼女の麻雀は、デジタルからしてみれば不可解もいいところ、人のことは言えない。

 

「――面白い」

 

 そんな折、智樹から飛び出た言葉は純粋な、あまりにも純粋で、莫大な意思を込めたような――そんな言葉だった。

 

「……そうか、ま、そうだよな」

 

 タブレットをそっと智樹に手渡すと、純は軽く体を奮って仰向けにベッドへ体を預ける。天井を楽しそうに見上げてから、ふぅと一息、同時に目を閉じる。

 その瞬間を、不思議な時間だと思いながら、楽しげに笑みを浮かべて、智樹の言葉に思いを馳せる。

 

 ――智樹が今まで生きてきた時間のほとんどは、ゲームによって費やされてきた。それらは例えばシューティングやアクション、そしてRTSのような様々なゲームであり、智樹はそのうち幾つものゲームを極めて、極めて、極め尽くしてきた。

 当然、その頂点とはいえないまでも、頂点へと至る一角として、その名を残す程度には。

 

 麻雀はその一つであり、そのどれとも違う特別な一つでもある。麻雀には正解がない。瀬々のもつチカラを持ってしても、その結果は多岐に渡り存在し、正しいと言い切れるものは何一つない。

 しかも、それだというのに答えは――これもまた、瀬々のチカラが証明するように――幾重にも存在する。誰かが選びとった解答そのものは、ある種の目線では正しいのだ。

 

「麻雀には、いろんな雀士がいる。そりゃあ他のゲームを取ってみても、いろんなタイプのプレイヤーが居るだろうさ。でも、麻雀ほど一人ひとりの打ち方が個性的になることはなかなかない」

 

 パターン化という言葉が存在する。それはシューティングゲームにおいて、敵の仕掛ける攻撃を、如何に切り抜けるかということをあらかじめある一定の形にしておくことだ。

 当然それらは幾重にもパターンが存在するが、ある一定の無駄を切り詰めていけば、たどり着くのは正解という一択に限りなく近い答えだ。

 

 例えばそれを麻雀という舞台に当てはめてみれば解る。あらゆる可能性を考慮し、牌効率という面で必ず正しい打ち方のできる雀士がいたとしても、必ず勝てるわけではない。そしてそんな雀士が負けたとしても、それは“失敗”ではない。

 それは単純な敗北ではなく、駆け引きと、それ以上の“運”が絡んだ“敗北”なのだ。

 

 格闘ゲームのような、対戦型育成ゲームのような、レースゲームのような、技術に技術を重ねる方法でなくとも、最弱が最強を一蹴しうるゲーム、それが麻雀。

 ならばその極みは、どこにある?

 

 瀬々は答えを知っている。しかし、それが必ず勝利にたどり着くわけではない。

 

 衣はあらゆる強者を屠る魔物であり、魔物を捨ててでも、勝利を除く絶対者だ。――しかし、それでも彼女が必ず勝てるわけではない。必ず勝ち続けられる保証などない。

 

 ――自称世界最強の高校3年生、そんな肩書きを持つものが居るらしい。だが、彼女はどこかの誰かと戦って、敗北している。

 

 それならば、どうすればいい?

 どうすればその頂点へ自分は至れる? ――そんなもの、わからなくてもいい。わからなくても、麻雀には勝てる。

 

 麻雀とはそういうものだ。

 

 智樹はそう考えているし、それはほとんど事実に反しないだろう。だからこそ、智樹はもう一度だけ、つぶやくのだ。

 あらゆる思いをその言葉にのせて。

 

 

「――面白い」

 

 

 そう、一言だけ、漏らすのだ。

 

 

 ♪

 

 

 世界に音はない。

 時折響くキーボードの打鍵音も、マウスのクリック音も、少女の耳には入ってこない。彼女の意識は完全に電子の海、精神の海底へと埋没されていた。

 ――龍門渕透華、それが彼女の名前である。

 

 透華の瞳に、電脳上の膨大な情報が照らされていく。マウスのホイールにリンクしていくインターネットの一ページに、ひたすら透華は思考を傾けていた。

 パソコンを操作し、透華のしていることは単純だ。ネット上から拾い上げた膨大な牌譜の検証である。

 

 麻雀が世界で大流行し、その一つの舞台として、ネット麻雀が挙げられる。数千万単位の人間がネットを通じて麻雀をプレイし、腕を磨いている。

 透華もまたその一人であり、ある一つのネット麻雀において、知る人ぞ知る強者の一人なのである。

 そんな彼女の練磨の一貫として、あらゆるデジタル的牌譜の見当というものがある。

 なぜこのプレイヤーはこんな打牌をしたのか、それを自身の考えと照らし合わせることで自分のスキルとするのだ。

 

 また、彼女が見ている牌譜はそれだけではない。世界中、あらゆる場所で行われる現実における麻雀大会、その牌譜も検討することが在る。

 例えば“自称”世界最強の高校3年生、アン=ヘイリーは国際大会にも多く出場し、そのほとんどで優勝している。

 

 他にも日本を代表する高校生雀士、宮永照などもよく牌譜を目にする。彼女の場合は日本での大会における牌譜が多いが、時折国際大会にも出場している。

 残念ながら、アンとの直接対決がかなったのは、去年のインターハイを除いて無いのだが。

 

 更には日本のプロ、世界のトップクラス雀士。高校生雀士として気になる相手。などなど、幾万にも及ぶ牌譜を、自身の目線から解きほぐし、咀嚼する。

 ここ最近は特にネット麻雀における牌譜が主だ。インターハイで直接相手にする雀士の牌譜を検分するのは純と智樹の仕事である。そんな仕事を含めて彼女たちを龍門渕へ誘う条件としたのだから、仕事を奪ってはいけない。

 

 透華は他人目線からみても“何でもできる”、いわゆる天才だ。しかしだからこそ、他人の役割を奪うことは絶対にしない。

 自身が何でもできるとわかっているからこそ、より巧くできる人間を見つけ出し、役割を任せ評価する、それが透華の性分なのだ。

 

 最前線を征くのではなく、最上段として君臨する。龍門渕透華とはそんな存在だ。――無論、それは孤独であるとも、後ろを任せるものはいないとも、言えるのだが。

 

 透華はふと、気がついたように画面に集中し、傾げていた体を持ち上げる。スラっとした体躯は、しかし猫背気味の体制に、少しばかり悲鳴をあげていた。

 ぐっと体を伸ばして――ふと、周囲を見る。

 

 ここは別館、透華の個室だ。

 普段彼女は本館に戻ることはない。父親に自由に使うことを許されているのが別館全てであるという関係上、透華の仲間、一達を筆頭とする者達へ近づくには別館に居座ったほうがいい。

 

 なんだかそれは、少しばかり冷たいような、気もするのだけれど。

 

(……まぁ、仕方ありませんわね)

 

 まだそれでも、衣のように、二度と出会えないということはない。瀬々のように、決定的に関係が冷えきっているわけではない。

 だからこそ今の自分に文句を言うのは贅沢というものだ。

 

(それにしても、なんだか変な感じですわ、一人というものが、孤独というものが、自分にも存在していたのですね)

 

 今、この部屋には一がいない。ハギヨシも歩もいない。ハギヨシ達はハウスキーパーも務めているし、一に買い出しを頼んだのは他ならない自分だ。

 智樹と純は――いつものように二人きりで牌譜を検分していることだろう。麻雀が打ちたくなれば、透華の元まで来るかもしれないが、一が出かけていることを知って入れば、瀬々たちの元に行くだろう。

 ここでは、一人面子が足りないのだ。

 

 そうやって考えて、意識が横道にそれていたことに気がつく。集中力が途切れていたらしい。見ればもう二時間は牌譜とのにらめっこを続けていたようだ。

 さすがにそろそろ目が疲れてきただろうか、それに感覚も、どうにも落ち着かなくなっている。

 

「はぁ――」

 

 ため息、欠伸ともいう。

 時計から目を離し、椅子に思い切り良く体を預ける。何度か目を瞬かせていると、ふと扉の方から音が響く。

 誰かがノックしているのだと、すぐに解った。

 

「誰ですの?」

 

「あたしだよ、瀬々だ」

 

 何気ない様子で言葉が帰ってくる。珍しい来客だ。休日は基本、ずっと衣と共にいる人間が、今日に限っては透華に用があるらしい。

 何か大事でもあっただろうか。

 

「どうぞ、何かあったんですの?」

 

 いや、それは無いだろう。瀬々の声音は平坦だ。別に何か感情のゆらぎがあるようには思えない。小さな感情の揺れにも聡い透華が、そんな変化を見過ごすはずもない。

 ならば大したようでもないだろうが、ならば透華である理由は一体? 考えを巡らせながら答えを待つ。

 

「いやあね、衣が昼寝しちゃったから、暇なのだよ」

 

 扉をゆっくりと開け広げながら入ってきた瀬々は、そんな風に応える。なるほど、衣と共にいられないのなら、確かに瀬々は暇になる。

 

「でしたら、私ではなく智樹や純のところに行けばいいのでは? ここではあまりおもてなしもできませんし、ただ話すだけでも暇でしょう?」

 

 透華の部屋は他の部屋と比べれば大分質素だ。もとより透華が他の別館住人よりも趣味の幅がパソコン一つに集約するためである。

 余り本を読むタイプではないし、ゲームもほとんどしない、時折手を出すのは大概パソコンのゲームで、態々コンシューマ機に手を出すことはほとんどしない。

 

 だから、透華のところに来るよりは、一人で時間をつぶすか、智樹や純の部屋に行って牌譜の検分を手伝いでもすればいいのだ。

 

 しかし瀬々は、そんな透華の言葉を否定する。

 

「いやいや、これがなかなか、一人でいるってのもつまらないし、それに智樹や純のところは何か入りにくいんだ。ちょっと中を覗いて見ればわかるけど、あの雰囲気は壊し難い」

 

 ――長年連れ添った熟年夫婦、ピッタリと息のあったコンビネーションは、見ていてそんな単語を思わせる。

 透華はふむ、と腕組みをして納得する。二人の新たな一面を見た。確かに正反対に見えて同じベクトルの嗜好を持つ彼女たちは、相性のいい夫婦にも見える。

 

「それで私と会話を、なかなか変わったご趣味をお持ちですのね」

 

「――四年間、ずっと一人で暮らしてきて解ったことが在る」

 

 四年間、瀬々が両親を喪ってから、この龍門渕に来るまでの時間。四年前は透華も瀬々も、まだ中学に上る前の事だった。

 その時透華は、瀬々を龍門渕に呼び寄せることが出来なかった。父が許さなかったのだ。

 

 何もおかしなことではない、彼は普通の人間である。加えて超常的な何かに聡く、瀬々の事も耳にはさんでいた。

 ならば、従姉妹のような、ごくごく限りない親等であるならともかく、単なる親戚の一人でしか無い子を、なぜ引き取る理由があろう。無論周囲の親族達は瀬々を引き取ろうともしたが、それも許さなかった。

 瀬々は必ず放逐される。彼女のチカラとはそういうものだった。ならば最後にお鉢が回るのは――間違いなく本家、龍門渕だ。

 

 透華もまた、親戚の誰かに預けることは良いこととは思えなかったし、ならばと使用人を瀬々の一時的な保護者とした。

 彼女は一人で生きていくチカラを持っていたし、事実高校に上がるまでの間、瀬々は一人で生き続けてきた。

 

 たった一人で、自分自身の生活費すら、彼女が捻出したという。

 

「一人って言うのは、随分と寂しいもんだ」

 

 ――一人。透華はその言葉に、鎮痛そうに眉をひそめた。扉から壁を伝って、それから壁に瀬々は体を預ける。丁度、透華と対角線上になるような場所で。

 

「だけど、一人でいると、一人の時間を続けていると、時間の流れは否が応に早くなる。当然だ、世界から隔絶して――時間の流れからも、逃避しているのだから」

 

 透華が瀬々をこの龍門渕別館に呼び寄せたのは、透華がこの別館を父親から買い取った(・・・・・)ためだ。土地も、館も、使用人も、全て父親から透華が、交渉と金によってもぎ取ったのが、この別館である。

 

 それを手に入れるまで、透華の居場所はきっと、どこにもなかった。

 瀬々と同じように、箱入りお嬢様、世間知らずで、味方といえる人間もいなくて。

 

「一人でいる時、透華はそれをどう感じてる? 寂しいか? 侘しいか? ……違うだろ。――多分あたしと、おんなじ風に思ってるはずだ」

 

 瀬々は、言葉を口先から転がす。軽快なステップの様に思えるそれは、会話事態を楽しんでいるかのようだ。

 こうして透華と会話をすることが、楽しくて仕方がない。

 

 

「なんにもないな――って」

 

 

 誰かとともに在ることが、嬉しくて仕方がない、と。

 ――透華も、瀬々も、面倒な人間だ。彼女たちには一人で生きていくチカラがある。何をしたって上手くいく。だがそれは、同時に孤独を感じることでもある。

 誰かと交わっているつもりでも、本質的には繋がりを得ていない。決定的に、親しみというものが足りていない。そんな世界で、彼女たちは生きてきた。

 

 別する世界は在るというのに、その世界の端を、境界線を感じ取ることも出来ず、ただただ沈黙するばかり。

 世界の広さを、絶望的なまでに、実感させられるばかり。

 

「一人で話して悪かったかな。……いやでも、楽しかった。あたしがそう感じてるんだから、透華もそう思ってるはずなんだけど」

 

「――あぁ、そうですわね。本当に、本当にまったくもって…………虚しいだけですわ」

 

 今は、違う。

 透華も瀬々も、それがわかっているから語る。

 

「似たもの同士……全然そんな気はしませんけど、私達、それなりに似ているんですのね」

 

「っぽいな」

 

 ――横に連れ添う人間が居て。そんな少女たちが、輪になって。今の瀬々と透華がいる。

 

 静かなノックが、戸を叩く。

 ――入ってきたのは、大荷物を抱えた一と、寝ぼけ眼をこする衣だ。

 

 それぞれが、それぞれの思いを抱えて重なって、世界が少し、出来上がる。自分の世界に、全く違う色がつく。

 透華も、瀬々も、それを嬉しく思い、喜ばしく迎えるのだった――




これ挿入で投稿した方がいいな、ということになったので、新しく投稿しなおします。
活動報告書くのもだるいですしね。


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『龍神進撃①』

 全国高等学校麻雀選手権大会(インターハイ)、県予選団体戦“二日目”。

 一回戦、二回戦と系十回の半荘を終えた各ブロックの代表が一堂に介する時が来た。そう、県予選も今日が決勝、最後の対決となる。

 ここからは一つの組み合わせに対して半荘が倍の二回ずつに増え、前半戦、後半戦の概念が登場する。これはインターハイの醍醐味とも呼べる区分けであり、これが登場する県予選決勝からはまさに、インターハイの舞台と呼ぶにふさわしい戦いが繰り広げられることになる。

 

 インターハイには二つの壁があるとされ、その一つは全国最強クラスのシード校が登場する第二回戦であり、もう一つがここ、一つのポジションが全二回戦を闘う事となるこの、県予選決勝なのである。

 そしてここに、その壁を乗り越え、全国へその名を知らしめんがために決勝へと駒を進めた四校が、集結した。

 

 優勝候補は長野最強を誇る風越女子、そして県有数の強豪である龍門渕の二校だ。他二校、城三商業、及び地域観光の二校は、それぞれ決勝に駒を進めるだけの力を持つものの、全国区クラスの有力な選手がおらず、優勝には若干手を伸ばし難いという位置にある。

 

 ならば、風越と龍門渕、どちらが勝鬨を上げるのか、意見は複数にわかれるものの、ある程度結論の見えた議論があった。

 

“――今年の優勝はやはり風越でしょう”

 

“いやしかし、今年は龍門渕の依田も三年だ、優位といえば、龍門渕の方なのでは?”

 

“いやいや、風越にだって福路が居る。それに今の龍門渕は、ねぇ”

 

 今年の県予選、龍門渕は一年生レギュラー四名というとんでもないオーダーを打ち出した。果たしてそれは強者の余裕か、依田水穂という全国区の人材を捨ててでも経験をつませたい者がそこまでいるのか。

 どちらにしろ、今年の龍門渕は正気ではない。それがあらゆる議論を展開する者達の共通解だった。

 とはいえそれは、風越にも言える部分がある。

 

 今年の風越のオーダーは先鋒から中堅までを三年生までで固め、副将に福路美穂子、そして大将には唯一の一年生、池田華菜を置くという挑戦的なオーダーだ。

 なにせ池田は去年の全中で名を残し、鳴り物入りで風越に進学したホープ。それを大将に据えるということは、それだけ池田に対して期待がかかっているということだ。

 

 加えて大将が先鋒に次激戦区であることから、経験をつませるという意味もあるのだろうが。

 

“それを言ったら、三傑無き風越がどこまで闘えるのか、というのも問題です”

 

“副将に福路が居る以上、風越は安泰でしょう。副将で彼女と闘える者がいないのですから”

 

“ですが龍門渕の副将は全中で活躍した龍門渕透華ですよ? 勝てる、とは言わないまでも、失点を抑えるくらいなら十分なのでは?

 

 前年からのレギュラー、福路美穂子対長野から全国に進み活躍した龍門渕透華、県予選屈指の好カードと言えた。

 ――もとより、秋季大会での風越と龍門渕の激突、先鋒で思うように稼げなかった依田水穂が、後半からでてきた美穂子に敗北した。その情景と重ねあうような今年のオーダーならば焦点は、福路美穂子が如何に稼ぐか。

 

 少なくとも、長野の麻雀に携わる者達のほとんどはそう見ていたし、そう見なかったものは、ほんのごくごく少数に過ぎなかった。

 それこそ、種を知る龍門渕メンバー、そしてその関係者程度しか、その展開を先読みすることは不可能だったのだ。

 

 ――龍神神撃、翌日の新聞にでかでかとそんな名のニュースが報じられるほどの“伝説”となった対局。

 俗に三年前の再来とされるその決勝戦は、静かな東一局からはじまった。

 

 

 ♪

 

 

『――瀬々、お前はできるだけ自重して打て』

 

『自重して? どういうことだ』

 

 回想する。

 配牌を終え、理牌を済ませることもなく、まずは第一打を選んでいく状況。別に難しいことはない、手牌の把握など手を見ずとも可能なのが瀬々であり、そのチカラなのである。

 

 そんな最中に、瀬々はこの決勝戦、データ班である井上純、沢村智紀の描いた作戦を思い返していた。

 

『今のお前は、たしか誰かが鳴いてツモをずらしても、食いついていけたよな?』

 

『それがどうかしたか?』

 

『それを決勝戦ではやらないほうがいい。全国まで温存する。それは他の打ち方も、だ』

 

 龍門渕には余裕がある。純はそんな風に語った。――全国の壁は大きい、しかし県予選の壁は、さほど大きなものではない。

 ならば壁が低いウチは、それに自分を合わせるのが得策だ。そう、純は言うのだ。

 

 何でも、全国のばかみたいに頭のいい連中は、瀬々のチカラを見破ってくる可能性がある、のだとか。

 

 それに対して情報量を意図的に絞り、全く別の答えを作り出す。なるほど理にかなっている。そもそも瀬々のチカラは、ただ観察しただけではわからないものが在る。

 答え合わせをしなければ、だれも正しく、瀬々のチカラを把握できはしないのだ。

 

 現状それを成せたのは、天江衣と、大沼秋一郎の二人だけだろう。

 

 ――瀬々手牌――

 {一二四八八③④⑦⑨46北北白}

 

 少しだけ手牌に意識を向けて、第一打を選びとる。――ドラは一萬、ならばここは、憂いを断つのが正解のはずだ。

 

 瀬々/打{一}

 

『最低限は稼いでこい。ただし相手がさほど強くなくとも、ある程度だ。三万点、それ以上の加点は県予選程度でも十分目立つ』

 

 そう提言した上で、純はシニカルに笑いながら、こうもいった。

 

『負ける可能性は考えるな。その点についても、考えてある。――一石二鳥の策だ』

 

(――それにしても、純も面白いことを考えるもんだ。たしかに“それなら負けるはずもない”な。あたしがどれだけ稼ごうと、点を失おうと全く関係なく、あたし達が負けるはずはない)

 

 ならば、瀬々はこの半荘で如何に立ちまわるか。

 決まっている。龍門渕が舐められない程度には、勝って帰ってやろうじゃないか。

 

(最低限、純はそういった。それは単純に“稼ぐな”っていみじゃない。その程度は“稼げて当然”って意味だ。だったら、そのオーダーどおりにやってやろうじゃないのさ!)

 

 瀬々/ツモ{3}・打{白}

 

 振るう腕は迷わない。

 あくまで勝利、最低限の勝利でもって、龍門渕をしらしめる。――かましてやろう、そう思うのだ。

 

 

 ――後半戦――

 ――オーラス・ドラ表示牌「{六}」――

 

 

 ふざけるな、と、そう思った。

 風越女子三年にしてエース。そりゃあ実質的には、という話ではあるけれど、――かの三傑とも称される彼女たちには到底及ばないけれども。

 

(確かに、あの人達は強かった。私ですら、到底及ばないくらい。それでも、私がここで負けていいはずがない! ただの一年生に、ぽっと出の龍門渕に――!)

 

 

「――ロン、16000」

 

 

 あっという間だった、十巡目、打牌の速度から、実際よりも早く体感的な聴牌に至った風越女子の先鋒は、ラス親であることも鑑みて、迷わずリーチに打って出た。

 

 そもそもここまでリードを重ね、点棒を守ってきたのだ、それを更に重ねるのは、強豪のエースポジション選手として当然のことだ。

 他家の捨て牌もさほどおかしくはない。タンピンドラ三の手、今リーチをかけず何時かける――そんな状況で。

 

 

「――リー棒は戻してください。なんならそのまま受け取ってもいいですが」

 

 

 龍門渕の先鋒は、そういったのだ

 

(は、はあァァああああああ!?)

 

 ――瀬々手牌――

 {1112244456888} {7}(和了り牌)

 

 ――瀬々捨て牌――

 {1西96⑦東}

 {北⑨5}

 

 おかしな手ではない。これを面前でつくり上げる爆運には感嘆せざるを得ないが、前半戦で沈黙仕切っていた龍門渕が、ここまでの半荘で、風越に追いつこうとしている。

 そんな状況だった。

 

 ――先鋒戦終了時点棒状況――

 一位風越女子:124000

 二位地域観光:101400

 三位龍門渕 :98200

 四位城三商業:76400

 

 前半戦では東発で満貫を和了したものの、その後は満貫ツモ親被り、その他もろもろのツモ和了で少しずつ、すこしずつ点棒を削られていた上、最初の一発以外は完全な沈黙状態だ。三位につけた防御力の高さから、守って水穂に繋ぐのが仕事――そう思っていたはずなのに。

 

 後半戦から、それが少しずつ化けていった。

 稼いだのはここまで二万点程度。さほど稼ぎすぎたわけではない。それでも、後半戦の高い手を尽く彼女の速攻で潰されたのはまた事実。

 

(――前半の東発に、ドラを切って他家のドラを安くしたあたりから、トリッキーなタイプだと思ってたけど、そうじゃない。なんだよ、なんなんだよこいつ! 私の和了りに――ケチつけるんじゃねぇ!)

 

 何にせよ先鋒戦、最初の二回の半荘は、龍門渕、渡瀬々の勝利での終了となった。

 

 ――前半戦終了時点棒状況――

 一位龍門渕 :124900

 二位風越女子:94700

 三位地域観光:91000

 四位城三商業:89400

 

 

 

 ――次鋒戦――

 ――東一局、ドラ表示牌「{6}」――

 

 

(あんまり手の内を晒さないっていうのが、ボク達の方針だけどさ)

 

 ――配牌を終えながらの思考、次鋒戦の舞台にたった一は、手牌と、そして周囲に座る上級生たちを一瞥した。

 

(ボクの場合、そんな余裕ないんだよね)

 

 次鋒戦の対局者は、一を除き全員が二年生か三年生、一年生の一は、高校での麻雀をあまりしらない。実力はあれど、それを十全に発揮できるかどうかは、あまりにも不透明な状況だった。

 

 ――一手牌――

 {一一八九④⑦⑧1399發北東}

 

(手牌も悪い、――この手でタンヤオはさすがに無理だな)

 

 一/打{④}

 

(……このまま役牌対子、三色、チャンタを見ながら状況に合わせて打っていく。……多分この場はそれが正解のはず!)

 

 対局室は静かなものだ。全員が自身の手牌に集中し、発声も殆ど無い。無論時折リーチやツモ、鳴きによって音が盛れるものの、それ以上はない。

 あくまで神聖な戦いの場として、それはすこしずつ進行していった。

 

 曲は進行し、時折一は手を止める。

 

(――親の手からドラ側がこぼれた。ドラは{8}で、その辺りはみんな誰も出してない。ってことは、誰かが抱えてるってことだよね)

 

 そうして考えて、選ぶ。

 

(親が例えば{7888}の形から{7}を落としていたとしたら、ドラ3は確定、そうでなくとも、もう十二巡目で手は一向聴。テンパイ気配ははっきりしないけど、ここは安牌を抱えていこう)

 

 ――ほぼベタオリの選択をして、そして打牌。

 結論から言って、一が振り込むことはなかった。流局もしない、親の和了で連荘が決定した。――しかし、一の読みが何から何まで当たっていたわけではない。

 

「――ロン、5800」

 

 振り込んだのは対面で、親の自摸切りから手出しでドラ側を切っての振込、ただしここでドラが出てくることはなかった。

 

(ドラを抱えてたのは対面ってことか……!)

 

 ほとんど推測に近いが、それは当たっていた。その場で判断できることではなかったが、それでも一は、これに対応しながら正解を引き当てることは出来なかった。

 

 ――対局は続く。

 

 この次鋒戦、高い和了りが頻発した。満貫跳満跳満満貫と、目の覚めるような高打点の連打、一はそこから置き去りにされていた。

 この半荘で一が和了った満貫以上の手は一度だけ、それも後半戦オーラスに何とか和了った程度のものだった。

 

 しかし、それが敗北であったかといえば、そうではない。

 

 ――次鋒戦終了時点棒状況――

 一位龍門渕 :133400(+8500)

 二位風越女子:93200(-1500)

 三位城三商業:87300(-2100)

 四位地域観光:86100(-4900)

 

 計半荘二回、収支トップは一であった。

 結局のところ、次鋒戦で乱舞した高打点は、全て出和了りによるものであった。それも龍門渕を除いた三校が、出る杭は打たれるとばかりに、ひたすら抜きん出たものを直撃し続けたのである。

 結果、地道にコツコツツモ和了で点を守った一が最後の満貫和了でそのまま収支トップに跳ね上がり、最終的には何の不満もない結果で、中堅、依田水穂へとバトンを回すこととなったのだ。

 

 

 ――中堅戦――

 ――東一局、ドラ表示牌「4」――

 

 

(――ふむ、まぁやってみますか)

 

 ――水穂手牌――

 {一三五九②③⑥⑧399東東白}

 

 水穂/打一

 

 県予選決勝――と言えば、今まで自分は先鋒でエースとして活躍していたし、中堅戦ともなれば先鋒戦で馬鹿みたいに稼いだ風越が、独走態勢に入るような状況だった。

 とにかく誰も追いつけないような状況で、更にブーストが掛かる、そんな相手に、絶望しながら挑んでいただろう中堅ポジションの仲間たちに、ただただ水穂は敬服するばかりだ。

 

 ――とはいえ、現在の点棒状況は先鋒、次鋒で稼いだ龍門渕の圧倒的な一人浮き。本来であれば周囲の予想は、トップ風越に、龍門渕が追いすがるような状況が想定されているはずだったのだ。

 それがこの中堅戦でひっくり返り、副将戦でまたひっくり返る――そんな想定だったはずなのだ。

 

 だというのに、この結果はどうだろう。龍門渕の圧倒的な一人浮き、それ以外に言い様のない結果ではないか。

 誰がこんな結果を予想しただろう。――無論それは、龍門渕の関係者たちに他ならない。

 

(純は私にテンションへ薪をくべるなって言った。今まで私はそんな打ち方を、公式でやって来なかったからだろうけど、問題はない)

 

 ――依田水穂の本領は、速攻で手を作ることでテンションを上げ、最終的には地獄のような高打点速攻で他家を圧倒すること。

 しかしそれは、公式戦では一度もお披露目の成されたことのない秘技中の秘技だったのだ。

 というのも、水穂がこれまで戦ってきたのは、水穂が全力でテンションを上げていく必要があるほど強くはない敵か、もしくはそんなことする暇も許してくれない、絶望的なまでの強敵か、そのどちらかだったのだ。

 故に、そのお披露目はもう少し先になる。

 

 ならば今は、水穂はどんな麻雀を打つか。

 決まっている。依田水穂がなぜ龍門渕最強として評価され、マスコミなどにも認められているか、その端的な答えとなる理由だ。

 

(――今この瞬間は、超速攻派デジタル雀士、依田水穂の闘牌スタイルだけで十分だ!)

 

 デジタルの極致、その一つとも行っていい水穂の鳴き。例えばこの東発での配牌からも、水穂は速攻を感じ取る。

 ――喰い三色、他家から見ればバカバカしくなる手牌を、一気に誰にも追いつけない速度の手に帰る。

 

 

「――ツモ! 三色場風東ドラ1! 1000、2000!」

 

 

 ――結局、この中堅戦は水穂の完全な独擅場だった。速度で勝ることの出来ない他家は、更に失点を取り戻すための打点を要求され、追いつけたのは風越のみ。

 そもそも、速度で負けるなら速度で追いつくしか水穂に勝利する方法はないのだ。

 どうしても手が悪く、ツモが悪く、水穂が如何に鳴きの巧い雀士であろうとも、どうやったって和了れないような状況を狙い、高い手を作る城三商業と地域観光。

 

 しかしその二校よりも、高い手を諦め、速度で水穂に張り合った風越の方が、より多く稼げたというのは、あまりにも皮肉の効いた結果だった。

 

 この中堅戦、水穂が大暴れして全体の収支トップに、後半追い上げた風越が後半戦の収支トップにそれぞれ名を刻むこととなった。

 大量失点により後の無くなった二校は、ここから続く強豪選手のメドレーに、もはや勝利を諦めざるをえないほどに、絶望を覚えるのだった。

 

 ――中堅戦終了時点棒状況――

 一位龍門渕 :159100

 二位風越女子:102900

 三位城三商業:72600

 四位地域観光:65400




(ころたんや咲さんみたいな魔物クラスを除いて)歴代最強。
本作の来年における風越はだいたいこんな感じ。あと地域観光をへんに略しちゃあかんよ?


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『龍神進撃②』

更新したのに一話話数が減るオカルト!


 中堅戦も終わり、今は副将戦のために、各選手が移動を終えようかというところ。龍門渕の控え室では、瀬々、衣、そして純と智樹がソファにもたれかかり、リラックスしていた。

 ちなみに一は透華とともに外へ出ている。中堅戦も終わり小腹が空いたということで、これから対局に向かう透華を除いた五人がジャンケンをしたところ、一がまっさきに負けてしまったのだ。

 本人としては次鋒戦が終わってからさほど時間は立っていない、もう少し休んで痛かっただろうが、透華と二人きりの空間というのも満更では無さそうだということで、心象的には透華に進んでついていく形になったようだ。

 

「――で、次が問題なんだよな」

 

 ぽつりとこぼすように、純が言った。

 問題、というのは県予選決勝副将戦のことだ。風越の副将、そこで福路美穂子が出てくる。

 

「なぜだ? 透華と風越の点差は明白、例え負けようとも、衣が取り返してくるというのに」

 

「まぁそうなんだけどさ、それだけじゃない。風越の副将はな、風越で一番強い(・・・・・・・)んだよ」

 

 それ自体に驚きはない。去年の個人戦辺のデータを持ち出せば一目瞭然、福路美穂子は昨年の個人戦では四位、現在のメンバーの中では最も好成績を残している。

 そもそも、福路美穂子は去年の風越、唯一の一年生レギュラーだったのだ。残るメンバーは全て当時の三年である。

 

「実力的にはエースなんだが……なぜか副将なんだよな。――瀬々、なんでか解るか?」

 

「えぇ? 気になるのか? いや、言ってもいいけど、かなりアレな話なんだけどなぁ」

 

 ――気になる、と肯定的な催促を純と智樹が同時にした。もとより副将戦はすでに始まろうとしている。今からどうこう言ったって遅いのだから、これは単なる話の種なのだ。

 

「あー、まぁいいか。えっと、簡単に言うと、福路美穂子が副将に選ばれたのは、チームないの人間関係のせいだな。あれだよ、なんでもできるやつって、結構嫌われるだろ? 本人に異常なくらいカリスマがない限り」

 

 ――例えば、龍門渕透華などがそうだ。彼女の場合はその“異常なくらいのカリスマ”を有しているため嫌われるようなことはないが、妬みの対象には十分なりうる。

 そしてその典型が、美穂子なのだという。

 

「特に風越は去年まで三傑って呼ばれるくらいとんでもなく強い連中がいた。誰もが、こいつらには勝てないなってくらい強くて、誰もが、この人はすごいな、って心酔してしまうような人たらしがいたから、なおさらな」

 

 県の強豪、風越を全国決勝クラスのバケモノ校にのし上げた原動力、それが三傑と呼ばれる少女たちの実態だ。

 そんな選手を遙か天上にすら思える選手を前に、一握りの天才程度では荷が重い。比べられ、低く見られる。そんな存在が、“低く見る”側のプライドを刺激するのであれば、どうか。

 

「結果として、福路を先鋒に置いた場合の士気を考えて、風越はこんなオーダーを組んだ。先鋒を三年最強の、“三年としてのエース”として置いて、大将に一年の有望株を置く。福路はそのサポートだ、つまり」

 

「――できうる限り副将で点を稼いで、大将の池田華菜に余裕をもたせられるようにする……か、なるほどな」

 

 受け継ぐように、純が言葉をつなげた。――どちらも粗暴と言ってしまえるような言葉遣いだ。親和性は高い。

 聞いていて、惹きこまれるようなそれは、何の違和感もうまず、純へと引き継がれる。

 

「言ってしまえば、今年のレギュラーは捨石なんだな。来年、福路が大成するまでの。……そういう意味では、来年こそがかつての風越黄金期に比肩しうる、歴代最強の布陣ってとこか」

 

 ――三傑は、言ってしまえばイレギュラー、突然湧いた“長野の麻雀”とは全く無関係なもの。強くはあれど、風越の歴史を完全にぶち壊してしまう劇薬でもあった。

 ならば、それが除かれた風越は、真に最強ではないか。

 今はマダ時が満ちていない。福路美穂子という本物の天才が、完成していない。

 

「本当に、ここからが大問題だ。来年の風越はもっともっと強くなる。それこそ、今年なんて完全に捨て去られてしまうくらい」

 

「――何、問題はない。どれだけの相手だろうと、衣がそれよりも強くなればいい」

 

 割って入る様に、衣が口火を切った。

 ド直球極まりない言葉。それは極論ではあったが、あらゆる意味で到達としての極致、この上ない結論でもあった。

 

「瀬々がそれよりも、純が、智樹がそれよりも強くなればいい。今年、衣達には水穂という雀士が居るように、来年の風越が、今の龍門渕だと思えばいい」

 

 それこそ、当たり前だ。――衣が口にしたのは、衣だからこそ、その場にその言葉を持ち出す権利を持っていたからだ。

 流れるような会話の中で、最強を語るに最もふさわしい、権利を衣が有していたからだ。

 

 

「衣は勝つぞ、透華だってそうだ。――龍門渕は、決して風越には負けない。なぁ、そうだろう――?」

 

 

 向かう先は、モニターの画面。対局が始まろうとしている。まるで図ったかのような衣の言葉は、会話の流れから、周囲をモニターに、強烈に惹きつける“何か”を持っているのだった。

 

 

 ♪

 

 

 ――副将戦、龍門渕と風越、両校のオーダーが最も噛み合った極上の舞台。龍門渕透華と福路美穂子、両者の対決が始まる。

 無論、そこに最も闘志を燃やすのは他でもない、龍門渕透華だ。彼女は福路美穂子に挑む側、つまり特に美穂子へ意識を向けやすい立ち位置に居るのだ。

 

 負けるつもりはない、だが、その意思だけで勝てるとは全く思ってすらいない。ならば龍門渕の副将はいかにするか。

 決まっている。全力で叩き潰す、他にない。

 

 

 ――東一局、ドラ表示牌「{九}」――

 

 

(やってやりますわよ、私がトップで衣につないで、衣が他校を飛ばして終了、龍門渕は目立ちまくり、私はあの福路美穂子に勝って今年の県予選MVPですわ!)

 

 ――瀬々や衣は強い、しかし彼女たちは一般からは、正確に言えばデジタルに傾倒した報道関係者には余り注目されないタイプの打ち手だ。

 初心者のバカヅキにしか映らないような打ち方は、たとえそれが勝者だとしても、絶好のこき下ろし対象にすぎない。

 純粋なデジタルとしての実力者は、他に水穂がいるが、彼女の場合勝利は約束されたもの、稼げて当然の人間が、どれだけ稼ごうと、余り話題になることはない。

 

 端から見てマスメディアのそれは単なる嘲笑の対象でしかないのだが、それでもそうやって雑誌を読む中には、それを真に受けるモノのいないでもない。

 だからこそ、そんな盲目なる信徒に、自身の力を刻みこむのが、透華の役目だ。

 

(さぁ、行きますわよ! 私の、決勝、東発、最初の一打――!)

 

 ――透華手牌――

 {五六八②②356899北發中}

 

 透華/打{北}

 

 まずは、最善手、透華の打牌が、勢い良く飛び出した。

 

 

 前半戦、福路美穂子は不気味なほど沈黙していた。高い手を狙わざるをえない下位二校を妨害するでもなく、正確な打牌で着実に点を稼ぐ透華に待ったをかけるでもない。

 時折ツモ和了で打点を稼ぐものの、それもあくまで速度が他家を上回った時だけ、あくまで普通の麻雀だ。

 

(……なんだか、嫌な視線を感じますの)

 

 異様だったのは、沈黙する美穂子の態度だ。何やらこちらを伺うように、時折視線を向けてくる。ただそれを意識した途端、そんな視線は霧散して、本人に問いかけるように目を向けても、柔らかな微笑みで躱されるだけ。

 そもそもその視線が美穂子のものであるかどうかすらはっきりとしないまま、前半戦は透華の大勝で幕を閉じた――眼を見張るべきはここから。

 

 ――後半戦、美穂子は一気に噴いた。

 これまでの沈黙が嘘のような連続和了、加えて前半戦、透華に追いつくことのできなかった他校の選手もそれに続き、少しずつ投下は点棒を失おうとしていた。

 

 しかし、彼女が腐ったかといえばそうではない。

 

(――さぁ、張りましたわよ!)

 

 ――透華手牌――

 {一二三⑧⑧678西西} {横213}

 

 自風牌、{西}をバックとした聴牌、この時場は三巡目、ただの一鳴きにしか思えない手。それを投下はたったの千点とはいえ、この状況は、この千点が非常に大きな意味を持つ。

 

(もう、好き勝手はさせませんわ!)

 

 五本場、福路美穂子が連荘で積んだ積み棒の数だそれだ。風越と龍門渕、両者のあいだにあったはずの点差は、すでに一万点ほどにまで詰め寄られていた。

 透華が失ったのではない。美穂子が稼いだのだ。

 

 そしてこの手、透華は当然引くことはない。ここで和了れば半荘が終わる。トップのまま衣にバトンが回る。前半戦開始当初のような、大勝利による副将戦締めくくりはならないものの、最低限の仕事はなされたことになる。

 

 ――しかし。{西}が誰かに着られることはなく、対局は十五巡目へと至る。

 

(……なんで誰も出しませんのっ!)

 

 決してでない牌ではない。他家にとってこの牌は本当に何の使い道もない不要牌、しかも透華が不穏だとはいえ、高くはない。期待値によっては、危険だとわかっていても切っていい牌だ。

 ――ならば。

 でないということは、誰かがそれを止めているのではないか?

 

 気がついた時には、遅かった。

 ――ハッとする、透華の対面、ラス親として座る福路美穂子の顔を見れば――ゾクリと、透華は体を震わせる。

 

 福路美穂子は特徴的な容姿を持つ少女だ。その美貌もそうだが何よりも彼女は、普段片目を閉じている。しかしそれも、時折――麻雀という舞台において、開かれることが時たまある。

 

 今が、その時だ。

 

(――なんて、なんて目をしているんですの!?)

 

 なぜ目を頑なに閉じ続けるのか、その理由はそれで知れた。彼女の瞳は左右で色が違う。ルビーとサファイア、灼熱と冷徹の両極端。それが彼女の瞳だ。

 しかし、透華が驚愕するのはそこではない。瞳から感じられる気配だ。

 

 ――それはあまりにも静かで、しかし苛烈だった。

 

 炎のような激しさと、氷のような冷たさを内包した瞳。彼女はそれを、絶対的な牙と変えて、透華に直接ぶつけている。

 

 そして、彼女は、その手を牌と共に、卓の端へ叩きつける。

 

「――ツモ、チートイツツモは、1600オール、五本付けで、2100オールね」

 

 ――美穂子手牌――

 {一一六六七七⑦⑦⑨⑨3西西}  {3}(ツモ)

 

 ――副将戦点棒状況(現時点)――

 一位龍門渕 :141000

 二位風越女子:139100

 三位城三商業:67000

 四位地域観光:46300

 

 追い詰められている。

 ――透華は今、冷徹の獣を前にして、ただ狩られるのをまつ、獲物でしかない。

 

 

 だから、

 

 

(――ふ、ふ、ふ)

 

 

 透華は、

 

 

(――――ふっざけんな、ですわぁぁぁあ!)

 

 

 怒りとともに、えむ。

 

 

(やってやりますわ。そっちがその気なら、私にも考えがありましてよ!)

 

 

 オーラス六本場、詰め寄られた龍門渕は、果たして如何に――

 

 

 ――オーラス、ドラ表示牌「{7}」――

 

 

(……ここまで、ね)

 

 闘志をより一層燃やす透華に対して、対局者、福路美穂子はしかし、冷静にそんな結論を出した。

 それは自身の手、そして透華の聴牌気配を見やってのものだ。

 

 今の美穂子の手はかなり悪い。

 五巡目にして、ひとつも面子のできない手牌は、前局も同じといえばそうだった。しかし結局前局はチートイツへと無理やりてを持って行き、なんとか和了へこぎつけた。

 しかし今回はそうも行かない。

 明らかに投下の手が速く、そして前回のように待ちを握りつぶすことで和了れるようなことがないのだ。

 

(……たぶん、跳満手、三色の出来損ない、といったところかしら)

 

 シャンポン待ちの手だとして、抱える必要のある牌は前回の倍、四枚だ。そしてそのどれもを、美穂子が引き寄せるようなことはできない。

 ならば、

 

(――もう少しだけ付き合ってもらいましょう、横に立つ方々に、ね?)

 

 美穂子は考える。

 自分自身が和了れないのなら、誰かに和了ってもらえばいい。それも、透華が放銃する、という結末で。

 

 すでに美穂子と透華の点差は一万点を割っている。ならば透華が誰かに、5200程度の手を直撃させたとしても、風越と龍門渕の点差はひっくり返る。

 

(――さぁ、まずは私が道を開きます。お願いですから、ついてきてくださいね?)

 

 ――そのために必要なのは、上家の手。下家では届かない。彼女の手は自身と同じゴミのような配牌、国士を目指しているようだが、おそらく間に合わないだろう。

 

(タンピン三色、これを確実に、仕上げてもらう!)

 

 ――すでに、上家、城三商業の手はすでに割れている。六―七―八ラインの三色に、おそらく完成は{78}の両面待ちになるだろう。つまり、高めで三翻が付く手ということになる。

 

 美穂子の手が動く。満貫手とはいえ、余り速度はない、透華の跳満に対抗するには、些か遠い回し打ちが必要になるだろう。

 しかしそれでは遅い、いくらなんでも透華がその回し打ちの間に自摸らないとは思えない。ならば道を、美穂子が作る。

 

(――まずは、ここ)

 

 美穂子の強さはその超大な集中力からなされる手牌読み――だけではない。自身が得た情報を信じる精神力、真っ向からだけでなく、あらゆる方向から敵を打倒しようと巡らせた無数の策。それらが美穂子の強さを最大限に引き出しているのだ。

 

 その美穂子が、動く。美穂子の視点からは完全に安牌であると“推定”される牌を、――しかし通常では極上の危険牌であるはずのそれを、何のためらいもなく切り捨てる。

 

 透華はそれを理解しているのだろう。難しそうな顔で美穂子を見る。しかし美穂子はそれに全く動じる様子もなく、涼し気なほほ笑みを返すばかりだ。

 ポーカーフェイスのような、他人の気を逸らすような、そんな表情も、また美穂子の勝負強さを担うチカラになっていた。

 

 だからこそ、着実に美穂子から見ての上家は手を進める。透華の手に少しずつ追い抜いて、テンパイして、後は追い抜ければそれが勝利なのだと――そこまでもう、手が伸びる状況にあった。

 

 

 ――だが、透華はそれを、ただ見ていることを善しとはしなかった。

 

 

 何もかも順調だったはずのオーラス六本場、しかし、その静寂とした風を、無闇に切り裂くものがいた。

 

 ――透華の打牌、手出しの――牌。

 

(――嵌張への振り替わり? 打点をあげて、でもそれだけよ。聴牌が不透明にならざるをえない以上、もう張っている上家は、気にせず打牌を押してくる……!)

 

 何も問題はない、はずだった。

 透華が打牌を、勢いよく横に“曲げる”までは。

 

 

「――リーチ! ですわ!」

 

 

 そこで、美穂子は初めて驚愕する。

 ありえない――ありえないことだと否定する。

 

(……なんで!? 龍門渕さんは徹底的なデジタル雀士、この嵌張待ち、リーチなんてかければ和了れないことくらい解るはず……自摸れるかどうかすら、不透明な待ちなのに――!)

 

 美穂子の視点、そこから見える透華の待ちは{②}、しかしそれは同時に、美穂子からは三枚見えている牌でも在る。

 捨て牌に一枚――手牌に二枚。

 

 そうでなくとも、透華はわかっているはずなのだ。美穂子の打ち筋から、自分の待ちが読まれていることなど。

 ――ならば、なぜリーチをかける? 和了れもしない手を、更に苦しめて……それでは全くもって非効率過ぎる。

 

(……そう、思い出したわ! デジタルのブレ、たしか龍門渕さんは時折、余りデジタル的ではない打ち方をすることがあった。別にそれが何か特徴的な結果を生むわけではないから、単なる技術の未熟だと思っていたのだけど――違ったのね)

 

 思い出すのは、二年前の牌譜。当時龍門渕中等部と団体で激突することとなった美穂子は、そのエースであった透華の牌譜をチェックしたことが在るのだ。

 その時見つけた、綻びのようなもの。県予選で見た牌譜は、そういったものが何もなかったのだから、単純に技術を身につけたと思っていた――しかし、そうではなかった。

 

(どうすることも、出来ない! ダマじゃなく、リーチをかければ状況が変わる。一発は上家の人もどうしたって避けたい。だからここは、回らざるを得ない(・・・・・・・・)! そうなれば、ツモが現物出ない限り、聴牌が崩れる――!)

 

 思い出しても、もう遅い。

 前提があったのだ。もし透華が聴牌しているとしたら、脇の自分ではなく本命の風越を狙う。そんな前提があったからこそ、上家であっても風越の打牌を安牌として扱えた。だがリーチがかかれば、その前提はリセットされる。

 見逃せばフリテンなのだから、和了らない選択を取るとは思えない。だからこそ、ここで上家は――一巡回る。

 そも、福路美穂子は最初から、上家の安目に差し込んでこの半荘を終わらせるべきだったのだ。透華はここぞというところで、必ず普通では測れない手を作ってくる。

 素直じゃないのだ。そんな相手に、平常の策では通用するはずもない。

 

 だからこそ、美穂子は透華の爆発を恐れるべきだった。――しかし、透華はこれまで、そんな我の強い麻雀を打つ必要はなかったのだ。そんな情報、誰の眼に知られるはずもない。

 

(龍門渕がそれだけ強かった――ということかしら。……いえ、それは風越も同じ事。まだ終わってない、もしここで、上家が安牌を引けば――)

 

 伸びる手から、引き上げられる山の牌。上家は、いかにして牌を選ぶだろうか。ここでもし、透華の安牌を引くようであれば――ゲームセットだ。

 美穂子の差し込みで、この半荘は終わる。

 

 

 ――しかし、上家はツモを手牌へ引き入れると、安牌となる現物を、手牌から繰り出すのだった。

 

 

(――聴牌、ならず)

 

 ならば次は? 当然透華のツモだ。

 それをやり過ごせば、また透華に追いつける瞬間が出てくるかもしれない。そして、その時は――透華への直撃でもって、半荘を終わらせる。

 

 そう、決めた。

 

 ――しかし物事が、想いのままに進むことなどほぼありえない。

 

 そんな美穂子の想定も、一瞬にして崩れ去るのだ。

 

 

「――ツモ! 6600、12600ッッ!!」

 

 

 第一ツモ、一発のかかったそれ――透華は文字通り引き上げた。たった一枚、完全な地獄単騎はしかし、完全に他家をその一瞬だけは上回ったかのような爆発で、透華は高らかと声を張り上げるのだった――。

 

 

 ♪

 

 

「ッハッハハ! やりやがった、透華の奴、マジでかっこいいな!」

 

 龍門渕控え室。井上純が、両手を叩いて腹がよじれてしまうのではないかというほどの大きな笑いを漏らしていた。

 現在、この控え室は非常に愉快なことになっている。純だけではない、一や智樹、瀬々も衣も水穂も、楽しげに透華の麻雀を見守っている。

 

 完全に不意をつくようなリーチ宣言は、一瞬龍門渕に沈黙を呼んだ。

 しかし結果として、他家を完全に圧倒することとなった透華への仲間たちの反応は、そんな愉快そうな感情と、拍手喝采であった。

 

「いやいや、とんでもないね、これは透華の天運かな、ここまで見事に状況が味方するなんて、普通ないよ」

 

 水穂が腹を抱えて、辛そうにしながら言葉を漏らす。もはや腹が攣ったとか、そういった次元を通り越して、完全に痛みを覚えているようである。

 過呼吸気味に何度も吐息を漏らしながら、その状況へ感嘆する。

 

「ハハハ! 痛快明快、これでこそ麻雀だ!」

 

「何が起こるか最後まで解らない、諦めなかった奴が麻雀の勝者なんだよ!」

 

 イエイ! と瀬々、衣の両名は手を合わせ、音を鳴らした。完全にお祭りムードの室内、そして――

 

 

『副将戦、終了――!』

 

 

 ――アナウンスが、そんなムードを少しずつ、諫めるように抑えていくのだ。

 劇的な幕切れであった副将戦、収支トップは福路美穂子だ。しかし龍門渕透華も、思わぬ大物手で更に点を稼いでいる。

 風越、龍門渕、優勝争いは完全にこの二校へと絞られた。

 大将を務めるのは――どちらも一年。

 

「……さて」

 

 龍門渕は、最強にして絶対の最終ランナー。

 小柄ながらも、人の倍はあろうかというほどの絶大な気配を携える強者。

 

 

「――それでは、勝ってくる」

 

 

 ――天江衣。

 

 

 対する風越の一年にして大将は、インターミドルにて十指に入るほどの明白な結果を残した稀代のルーキー。池田華菜。

 

 両者の実力者は、他者から見ればあまりにも明白だ。

 勝負はいかにして転がるか解ったものではない、それは副将戦が証明した。

 

 ならば、最終の決着は?

 だれがその決着を保証する?

 

 ――最後の審判は、対局者達、各々に全て任せられている。ここにその勝敗が明らかにされようとしている。――その決定者は、他でもない、天江衣と池田華菜。二人の対決如何によるものなのだ。




最新話を投稿すれば治るそうなので。次回は普通に二日後更新しますが、龍門日和です。前々回のものに追加して投稿する形になります。
それ以降は未定、書き溜めの数が増えれば平常通り2日ごとに更新します。


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『龍神進撃③』

 風越と龍門渕の闘いもいよいよ大詰め。

 ここまでは龍門渕の大差でバトンが回ってきたとはいえ、一時期は一万点を切るところまで詰め寄った風越、十分に逆転のチャンスは有る。

 

 それ故に、この大将戦、見方によっては、大勢も決したと行っていいような雰囲気があった。福路美穂子の猛追から、大将である池田華菜へのバトン回し。

 報道関係者のほぼ全て――否、完全に全てと言い切ってもいい――はこの時点で、風越の勝利を疑わなかった。

 

 池田華菜と天江衣。両者の実力差は自明の理。圧倒的強者は、単なる強者には程遠い実力を持っているのだ。

 しかし見方によっては、それは完全にひっくり返る。天江衣の実力を知らないものにはこの勝負、華菜の大将という結果しか映らないのだ。

 

 県予選においてここまで、衣は破竹の勢いで勝利を重ねてきた。龍門渕の策略においての肝、手札の温存という方策に対する一応の保険としてだ。

 

 衣のチカラは対策ができるような類の代物ではない。あくまで衣のチカラは舞台装置、特に現在の衣は自身の魔物を解き放ち、制御せずに放っている。

 今の衣が打つ麻雀は攻略される麻雀ではない、攻略する麻雀なのだ。故に、いくら晒しても構わない、それが衣のチカラなのである。

 

 だからこそ衣は何の遠慮もなく他校に対して圧倒的なチカラの差というものを見せつけた。衣という存在が圧倒的であることで、他のレギュラーに対する観察の眼を向けさせないために。

 

 ――だというのに、マスメディアはそれを全く歯牙にもかけなかった。そも彼らは風越に勝ってもらわなくては困るのだ。

 勝つとわかっているからこそ風越は最強なのだと喧伝し疑わない。その大前提が覆ることだけは避けたい。だからこそ、衣の勝利は――黙殺された。

 衣の打ち筋はどちらかと言えばかつての玄人達が好んだ打ち方そのものであり、いわば古風な打ち方なのだ。現在のデジタルからすれば非効率極まりないものである。

 それが彼らの衣に対する評価を下げる原因の一つでもある。

 

 とはいえ対局者たちはそんな周囲の雰囲気を真に受けることはない。――対局室にはいった途端、感じざるを得なくなったのだ。

 すでに衣はそこにいた。椅子に手をかけ、楽しそうに今か今かと対局の時を待っている。ただそれだけだというのに。

 

 少女たちは、恐怖を覚えずにはいられない。

 

 上段の衣。

 下段の対局者達。

 

 一組と三組の激突する視線は、その中央を歩いていた池田華菜が視線を逸らしたことにより瓦解――何処かへと散って、決勝卓の何処かへと、消えていった。

 

 

 ♪

 

 

 衣と華菜、両者の完全な一騎打ちと思われた決勝大将戦。――しかし、最初の和了はこの二人によるものではなかった。

 

「――ツモ! 1300、2600」

 

 華菜は少しばかり悔しげに、衣はそれをとても意外そうに眺めながら、それぞれ申告通りに点棒を渡した。

 

(――慮外千万。衣や風越の点棒と比べれば、こやつらの命は儚いもののはずだ)

 

 和了るとは思わなかった――などとは言わない。麻雀は四人で行うものだ。如何に点棒の差が在るとはいえ、彼女たちがただ見ているだけとは思えなかった。

 しかし、衣が意外に思うのはそこではない。

 

(……常態に過ぎる。あまりにも自然。こやつらの顔に一片の曇もない。楽しんでいる、ということか?)

 

 トップ、龍門渕との点差はあまりにも明白。勝ち目はほとんどないような状況で、下位二校はどちらも、この状況を楽しんでいるように思えるのだ。

 それも無理に気丈に振舞おうとしているのではない。心の底から、こうしてこの卓に座ることへの喜びを感じている。そんなふうに見える。

 

 なぜだろう、考えながらサイコロを回し、ぐるぐると思考が駆け巡る。ようやくそれが収まった頃に、ふと――衣はある答えに至った。

 

(そうか! もともとこの両名にとって、この闘いは勝てる見込みのない闘いなのだ)

 

 城三商業は県予選決勝の常連校で、長野県の中でも五指に入るような高校だ。しかしその実、全国に駒を進めたことは一度もない。時には風越が、時には龍門渕が、時には長野の風物詩、ふって湧いたバケモノのような高校に蹂躙され、消えていく。

 強豪校でありながら、決定的な壁を乗り越えられない高校、それが城三商業。――地域観光は新参の高校であるが、特殊な麻雀部の運営方法などから、雀士としての練度は高い。それでも結果として、城三商業に一歩及ばない程度の実力に収まっている。

 

 ――つまり、決勝に駒を進めることのできるほど強い高校ではあるが、決勝では他校の点棒引き下ろし装置と化し、負けが決定的である。

 

 だからこそ、彼女たちの闘いは、優勝という舞台にはないのだ。

 少しでも楽しんで、少しでも勝てるかもしれないという勝負を演じること。自分の後輩に、自分の前を往く先輩に、餞となるような、そんな闘牌をしなくてはならないのだ。

 

(なればこそ、死して命を落とすわけでもなし、楽しまなければ麻雀は、麻雀で失くなる……はは、悠々閑々だな)

 

 楽しげに、衣は顔を綻ばせる。

 周囲の闘気は最高潮、その最も目指さなくてはならない場所に、自分がいる。――ならば、どうする? どうやって、自分は麻雀を打つ?

 ――決まっている。

 

 ――衣手牌――

 {一二三四⑦⑧⑧34777南白}

 

(いいだろう、尋常に相手仕る。衣はお前たちに、雀士の頂点を見せてやる――!)

 

 ――衣/打{7}

 

 打牌、打牌、打牌。

 相手の視点を欺くような、狡猾な迷彩が、敵を撃つ。はたまた黙聴により突然の和了、他家を横合いから奇襲する。

 

 大将戦、とにかく衣は巧かった。

 他家からの聴牌を確実に読み取り、その流れを散らし、和了れないようであれば相手の和了り牌を完全に食いとる。

 逆に自身の手が完成に近い時は、面前で――時には撹乱のための鳴きを駆使して、和了へと全速力で向かう。

 

 そしてその和了りはあくまで出和了りを重視したもの。迷彩――先切り――筋引っ掛け――悪待ち――あらゆる方法が変幻自在に衣の手から繰り出される。

 

 前半戦終了までに、衣が和了った数、実に十回、他家は一度和了れれば十分、それも風越だけで、他は完全に焼き鳥だ。

 どれも小さな和了であったが、気がつけば――衣の点棒は二十万点へといたろうかというほどの点棒だった。

 

 ――大将戦前半終了時点棒状況――

 一位龍門渕 :198200

 二位風越女子:107200

 三位地域観光:51700

 四位城三商業:42900

 

 

 ♪

 

 

 池田華菜は焦燥にまみれていた。無理もない、半ば事故のような三倍満親被りがあったとはいえ、副将戦、尊敬する先輩である福路美穂子が獅子奮迅の活躍で点差を四万点ほどに縮めたのだ。

 四万点というのは、一見すれば絶望的な点差も、華菜にとっては単なる壁でしかない。池田華菜という少女は豪運快速を信条とする速度を伴った火力型の雀士である。

 相手を考慮しなければ半荘二回もあれば二万点どころか三万点を二回、つまり六万点も稼いでみせるだろう。

 

 

 ――相手を(・・・)考慮しなければ。

 

 

(……ふざけんな! 福路先輩が全力で稼いでくれた点棒が、福路先輩までに原点で繋いだ点棒リレーが、なんでこんな簡単に消えて組んだよ!)

 

 ――華菜は、十万点近い点差を付けられたこの状況においても、決して諦めたわけではない。東二局の親番、半荘に二度だけ許された逆転のチャンスを、全速力で和了に向けてひた走っているのだ。

 

 だというのに、動かない。否、届かない。

 

(天江衣、龍門渕の大将はバケモノだ。前半戦であたしが和了れたのも、単純に手が良かっただけじゃあない気がする)

 

 龍門渕高校、もとより県有数の強豪で、全国出場の経験がないでもなかったはずではあるが、ここ数年はあまり奮った強さを持ってはいなかった。

 藤田プロの時代から、風越一強、そして三傑時代。どこにおいても、龍門渕は風越にとって単なる通過点に横たわる悪路でしかなかったはずだ。

 

 しかし、今年の龍門渕は明らかに何かが違う。一年生四人という異常なオーダーだけではない。その中で、インターミドルで優秀な成績を残した龍門渕透華が副将というポジションに座ることだけではない。

 ――“何か”が、去年までの龍門渕と、今の龍門渕は大きく違った。

 

(……その何かが、今あたしの目の前に居る魔物。その何かが――あたしがこいつに喰らいつくために必要なもの!)

 

 運がいい、だとか、押し引きの判断が巧い、だとか、そういった小手先の条件ではない“何か”、長い間麻雀を打っていれば、時たま感じることのある“特別”な感覚。

 それはきっと、牌の偏りと呼ばれるような一瞬の波なのだろうけれど、今この瞬間、衣に接近するために、必要な物はそれなのだと、華菜は感じ取っていた。

 

 そんな折、華菜の手牌に大きな変化が訪れる。

 

(――聴牌!)

 

 ――華菜手牌――

 {二三四六七八④④⑥⑦344} {5}(ツモ)

 

 メンタンピン、ツモを考えれば四翻、更にはリーチに一発か裏で跳満だ。

 手牌の端、{4}に手をかけて、華菜は少しだけ考える。

 

(とにかく打点が欲しい状況。でもこれをリーチかけて和了れるかな。前順に{⑥}を切ってるから出和了りはほとんど望めないだろうし……あぁ、もう!)

 

 その時、華菜は自身の中に奔る感覚を、正確に捉えることができたのだろうか。この一瞬、間違いなく華菜は何かを掴もうとしていた。

 別段特別なものではない、単なる感覚の脊髄反射、その結集体。押し引きの判断、ダマかリーチかの判断。その中で、結局のところ、この手にリーチをよういないのは些か惜しい。

 

 それだけのことに、少しだけ“何か”が華菜を後押しするのだ。

 

 

「――リーチ!」

 

 

 華菜/打{4}

 

 華菜を後押しした“何か”それは衣という存在に対する華菜自身の警鐘。――ここまでで、華菜は気がついているのだ。衣という存在の、その本質を。

 ただそれを、自分の中で活かしきれない。得体のしれない相手に対する“理解”が決定的に足りていないのだ。

 

 それでも、躊躇わず左手に握り込まれたリーチ棒。手に力がこもるのを、華菜は感じた。

 

「ポン」 {4横44}

 

 それに割って入るように、衣が真正面から鳴きを入れる。手を進めたのだろうか、打牌は{2}、つまり嵌張と対子の複合から、対子の鳴きで手を進めたらしい。

 

(……知ったことか! あたしがここで――和了り牌を自摸れれば……!)

 

 上家の打牌、{2}。明らかな衣の打牌との合わせ打ち。そも、{2}はワンチャンスの牌であるため、比較的通りやすい部類に入るのだが。

 

 ――それを眺めてから、華菜は自身のツモへ手を掛ける。高く、険しい山。しかしそこは、かつて衣が立っていた場所。そう、いまこの瞬間のツモ巡は、衣によってずらされた、“元”衣のツモ巡だ。

 

 そして、勢い良く拾い上げたそれを、高々と振り上げながら親指でなぞる。――ニヤリと、口元が綻びに変わる。

 それは圧倒的強者、衣との対決の最中で、置き去りにされていたもの。

 

 たたきつけられるツモ。

 ――手牌が、勢い良く開かれた。

 

「――ツモ!」

 

 ――華菜手牌――

 {二三四六七八④④⑥⑦345} {⑧}(ツモ)

 

「裏は……二つ! 6000オール!」

 

 裏ドラの表示牌は、{③}、リーチ後即座のツモで、親ッパネ和了。

 少しだけ、前に進んだ――華菜はそう感じた。受け取った点棒の重みは、確かにある。間違いなくそれは、華菜の勝利だ。

 

 

 ――勝利の、はず、だった。

 

 

(――あれ?)

 

 気がついたのは、その直後。

 感覚が、少しずつ明確になりつつ在るのだろうか、華菜は、先程まででは感じ取ることすら出来なかったような感覚を、体中に覚えていた。

 

(あたし、前に進んだ――はず、だよね。だったらおかしい。――なんで? なんであたしの前に居るはずの、天江衣の位置が変わらない? どうして、変わらず遠くに感じられるんだよ……ッ!)

 

 何が、足りなかったのか。

 それすら定かにならないまま、牌を卓の中へと押し込めた華菜は、気がつくことはなかった。気がつこうはずもなかった。

 

 華菜の和了の直後、衣の視線が自身の自摸るはずだった牌――つまり、自身の鳴きによってずれた華菜本来のツモに注がれていることに、気がつくことは――なかった。

 

 

 ――そして。

 

 

「ロン、2600は2900」

 

 衣の、和了。

 

(……っざけんなぁ――!)

 

 振り込んだのは、華菜ではない。しかしこの時すでに六巡目、速度を伴う火力を信条とする華菜の手は、すでに親満の手として完成していた。

 リーチをかける直前に、一巡だけ様子を見て、そこで他校の選手が衣に振り込んだのだ。

 

 ――衣捨て牌――

 {①白2西八④}

 

 ――衣手牌――

 {六六六③④⑤⑤⑥()2366} {4}

 

(――“また”先切り! この巡目だとそんなの関係なく事故だけど! 片和了りならリーチかけとけよ!)

 

 とはいえそもそも、この状況で振り込まないほうが無理というもの。

 風越を除く二校の大将は、もはやほぼ勝ち目は無いに等しい。そんなことはわかっているとはいえ、他者に対して、自分に対して、諦めを表明する訳にはいかない。

 あくまで勝利を目指すものとして、彼女たちはとにかく高い手を作らざるをえない。

 

 少なくとも、それを通ると思うなら、どれだけ相手の思惑に乗らされようと“切らざるをえない”牌が出てくる。

 恐らくはこの牌もまた、そういうものだったのだろう。

 

(……厳しいな。でも、あたしだって風越の大将なんだ! 少なくとも、長野でトップの高一になれるよう、努力は重ねてきたはずなんだ――!)

 

 言い聞かせるように、華菜は何度も呼吸を整える。

 

(――メゲない! やってやるしッ!)

 

 

 ――そして、

 

 

 ♪

 

 

「そーいや、今大会の最高打点っていくらだったっけ?」

 

 県予選決勝に臨んでいる高校とは思えないほど、今の龍門渕は弛緩している。もとより彼女たちの作戦は大将まで運べば必ず勝つ、というものだった。

 念のため、衣に相当するクラスの雀士が大将に座ることも考えてはいたが、前半戦も終わり、それがありえないことを確認すると、いよいよ少女たちの意識は全国に向いていた。

 

 そも、それだけが彼女たちを弛緩させているわけではない。現在は衣の親番、しかも状況は南場だ。つまり何が言えるか――池田華菜が東二局の親。そして衣はその対面――大将戦後半も、これが最後の一局なのだ。

 

 しかも他家との点差はすでに十五万点近いものと化している。なんとか原点を守った風越もすでに憔悴しきり、勝ち目の無くなった最後の一局を打っている。

 

 完全に勝利が確定した状況で、それを想定していた高校が、一息胸をなでおろしている状況が、今なのだ。

 

 そんな折の会話。瀬々の問いかけに、応えたのは智樹だった。手にしていたパソコンをいじり、データを即座に用意する。

 

「……第二回戦で、親の三倍満」

 

 ポツリと漏らした言葉に、瀬々の記憶と感覚が対応する。たしかそれは昨日の第二回戦、大将戦で衣が上がっていた打点と符合する。

 

「ふぅん、つまり今一番高い役を和了ったのは、衣なのか」

 

「……それと」

 

 続けるように、納得した瀬々を遮るように智樹は言う。それは瀬々に取って、さんざん大きな衝撃を持って迎えられることとなる。

 

「――子の、役満」

 

 これも二回戦、そう付け加えて、智樹は再び無言に戻る。同時に絶句したのは瀬々だ。他も一が同様に驚愕している。

 そうでないのは透華と水穂――おそらくは、先に牌譜を見ていたのだろう。どちらもメンバーのまとめ役だ、何らおかしな事もない。

 

 衣よりも、打点はともかく、結果だけなら上に立つ存在が居る。瀬々の感覚がフル稼働し、その答えを求める。何かが引っかかるのだ。おそらく直ぐにそれは瀬々へと伝えられるだろう。

 

 ――いや、それを待たずして、瀬々は画面の向こうに答えを見た。

 同時に、井上純が思わず唖然とした様子でモニターに体をかしげる。

 

「……な、なんだこいつの配牌。とんでもねーなおい」

 

 向けた先には、風越女子の制服が映る。風越女子一年、大将池田華菜。高火力を信条とする豪快な雀士。

 その手牌が、明らかに異様だった。

 

 ――華菜手牌――

 {1東東⑧南白西白中中南24} {南}

 

 理牌せずとも、このインパクト。間違い用がない、字一色、もしくは小四喜や大三元までの複合も見えるバケモノ手。

 

「――こいつか!」

 

「そう」

 

 感覚の赴くまま、子の役満を和了った者に対する結論を得た瀬々に、智樹が肯定する。驚かないのは水穂と透華だ。水穂の方は、若干顔が苦笑に歪んでいる風だが。

 

「別に何もおかしくはありませんわ、三年間同じ全中でプレイしていた私からすれば、むしろ同じ大会中に池田が役満を一回しか和了っていないのは少し違和感ありますの」

 

「三年前に一度あたってさあ、役満の親被り受けたときは私の全中は終わったと思ったね。部員の少ない中学で、団体戦は一回戦か二回戦で負けるのがいつもの事だったから、なおさら」

 

 なんとか三位に滑り込んだけどさー、と苦笑気味に笑う水穂。さすがに三年前のことともなればいい思い出だ。ただ当時の水穂が平常の精神状態で麻雀を打てていたかといえば、そんなことはなかっただろう。

 

「……役満だね、無理やり鳴いて、十一巡くらいのところで字牌ツモ。届かないから和了るかどうかまでは微妙だけど」

 

「今の池田は他の二校の大将と同じ心境だろうな、負けが確実な以上、何がしか結果はのこさねぇと」

 

 和了るだろうと、純はあくび混じりに言う。そうして、打牌。打牌と続き、手牌が衣のものへと移る。

 

「……ん?」

 

 その時、瀬々が何かに気がついたように声を上げる。隣に座る水穂がちらりと視線を向けると、何やら瀬々は腕組みをして考え事を始めたようだった。

 

 ――衣手牌――

 {一一三五九九⑤⑥⑨⑨⑨11} {①}(ツモ)

 

「あれぇ? いや、うぅん?」

 

「どーしたの?」

 

 ふと気がついたように水穂が問いかける。

 瀬々はといえば、それにハッとしたようにして水穂の方に視線を向ける。記憶の糸が途切れているのだろう――そも、そんなこと気にしたこともなかった。

 

「そういえば、この大会って二倍(ダブル)役満ってどうなってましたっけ?」

 

「あれ? どうだっけ。とーか、覚えてる?」

 

「……んー、確かこの前衣と見たときは、たしか四倍役満までありだったはずですわ」

 

 つまり、四暗刻単騎などのような、ルールによっては二倍になる役満はなし、複合は四暗刻四槓子四喜和字一色などを最大とした四倍役満までということのようだ。

 

「ってことは衣のやつ、……わかってて聞いたな?」

 

 聞けば、衣が二倍役満以上について聞いたのは昨日のことだったようだ。それも第二回戦終了後、それぞれ自身の対局者の牌譜を渡された直後の事だったらしい。

 ――つまり、

 

「……おい、衣のやつ、どういう理牌してやがる!」

 

 衣は、何が何でもトップを取っていくつもりのようだ。

 

 ――衣手牌――

 {一一九九①⑨⑨⑨11三五⑤⑥} {1}(ツモ)

 

「……ちょっと瀬々、これってつまりそういうことですの!?」

 

「そーいうことなんだなこれが。一応普通に理牌したけど、衣にとっちゃあれは一枚しかない字牌とおなじなんだろうな」

 

 直後、下家の打牌、{一}――当然のようにスルー。

 そもっそもこの手は大仰に考えても清老頭が見える化け物手、そのために、まずこの{一}を鳴いていく必用があるのだが――それを衣は当たり前のようにスルーした。

 

「対局者達に南無三、だな。もう一度牌を握れればいいが」

 

「――大丈夫じゃないかな」

 

 純の言葉に、水穂が何でもない様子で言う。

 なぜ、と問いたげな視線を向ければ、水穂は自信たっぷりに応えた。

 

「あの二人は二年生と三年生。だったら知ってるはずだからね、特に城三商業の三年生は、実際に対局したこともあるんじゃないかな」

 

 ――あぁ、とそれに最も速く至ったのは透華と瀬々だった。透華は自身の記憶から、瀬々は感覚の中の答えから、いち早く結論を引き上げたのだ。

 

「――三傑」

 

 その名を、長野で知らないものは居ないだろう。全国でも、世界でも、彼女たちの名は知れ渡っている。

 三年前風越に突如現れた魔物と呼ばれるクラスのチカラを持つ三人の雀士。風越を全国クラスに押し上げ、初のシード権獲得という快挙を成し遂げた原動力。

 その中でも大将を務めていた大豊(たいほう)実紀(みのり)は、半荘に一度は役満を上がるという超高火力選手。

 

 そんな存在を直に知っている彼女たちならば壊れることはないだろう。

 そんな風に、瀬々は見ていた。

 

 問題は風越の一年。

 

「――来年、またあの卓につけるかね」

 

 池田華菜の実力は確かだ。そして衣が大将のポジションから動くことはないだろう。ならば来年も、衣と華菜は激突することになる。

 その時、果たして彼女はまた衣と闘うことができるだろうか。

 

(――いや)

 

 そうして、そんな考えを切り捨てる。言うだけ野暮な心配だ。それに、明日は我が身とも言う。瀬々は先鋒ポジション、全国のエースを相手に立ち回らなければならない。

 その代表は、きっと瀬々の前に立ちふさがってくる。

 

(あたしだって、あいつと何時かぶつからなくちゃいけない時が来る。その時あたしが、勝てるかどうかなんて、わかんないんだから)

 

 そうして、目を閉じる。

 

 聞こえてくるのは、モニター越しの和了宣言。聞き慣れた声、衣のものだ。

 

 ――県予選決勝が幕を閉じる。圧倒的ではあるが、さして劇的でもないような幕切れで。

 

 

 ――県予選決勝最終結果――

 一位龍門渕 :350200

 二位風越女子:75900

 三位城三商業:-11200

 四位地域観光:-14900

 

 

 ――これはあくまでスタート地点でしかない。

 始まろうとしている、暑い夏が。誰よりも身を焦がす、圧倒的な、炎をまとった孟夏の火蓋が。

 

 全国高等学校麻雀選手権大会。

 

 日本最強の高校を決める――――闘いが。

 

 

 ――始まろうとしている。




第二回戦先鋒戦一話目が完成しません。いつもの倍はあるので、千里山伝説の最長とか軽く越えてぶっちぎってきます。
これが毎話になるので、インターハイ始まったら更新は三日に一度くらいになるんじゃないでしょうか。

実は今回の話、衣上げに見せかけた華菜上げだったりします。


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『テンサイ』

『先鋒戦、決着――ッ!』

 

 インターハイ県予選は全五十二地区に分かれて行われる。そこに出場するのは数多の高校であるわけだが、当然地区全体の強さはまばらになり、激戦区と呼ばれる地区から、一つの高校がほぼ四十年連続で出場するような、完全一強の地区まである。

 現在先鋒戦を終えたこの地区も、どちらかと言えば激戦区というべき地区に入り、全体のレベルは高い。

 

 ――しかし、それでもその地区はある一つの高校だけがここ最近、連続で全国への切符を掴んでいた。

 

 その名は臨海女子。別名外国人傭兵部隊とも称される、レギュラー全員を外国人で固めた異質の高校である。

 そもそも日本という国は麻雀強豪国である。かつては世界ランク二位というレベルにまで上り詰めた選手もいるし、毎年国際大会では日本のトッププロが世界の雀士と優勝争いを繰り広げている。

 

 最強の優勝候補ではないが、国際麻雀を語る上では欠かせない国でもある。そんな国で、外国人の雀士を集めて優勝を狙ったとしても、確実に勝てるわけではない。

 少なくともここ最近は優勝を逃しているし、去年は万全の体制であったはずだというのに、日本の高校生雀士に遅れを取っているのだ。

 

 ――それでも。

 

『圧倒的! あまりにも圧倒的――! 先鋒戦、二度の半荘の末、立ち上がったのは経った一校、半荘が終わってなお、三校の選手は倒れ伏したまま――!』

 

 それが決して、彼女たちが“弱い”ということとイコールにはなっているわけではない。

 

 長野の県予選を、龍門渕が通過点だとみなしたように、臨海女子にとってこの県予選決勝、さして厳しい勝負ではない。

 だからこそ、彼女は吠えた。

 

 

『威風堂々と、その場を後にするのは、“自称”世界最強の高校3年生、アン=ヘイリーッッ! プラス二十万点の一人浮きッ!!』

 

 

 ――先鋒戦終了時点数状況――

 一位臨海女子:300100

 二位    :33600

 三位    :33200

 四位    :33100

 

 圧倒的収支で持って、強豪三校のエースを、少女は圧倒。その場に立つモノの姿を直視できなくなっていた。自身のチカラに絶対の自身を持っていたはずの、事実全国二回戦の壁を越えていけるほどの強豪を支える雀士が、もはや目の前から立ち去る後ろ姿を、途方もなく遠くに思える何かとしか、思うことも認識することもかなわなくなっていた。

 

 神に愛された麒麟児。それがアン=ヘイリー、その表情は穏やかで、揺るがない。彼女にとってこの結果は当然の帰結でしか無い。

 ――彼女はぶらりと散歩にでも出るような心境で、世界を闊歩し、勝利するのだ。

 

 

 ♪

 

 

 臨海女子控え室。

 アン=ヘイリーはその入口まで戻ってきていた。そのまま特に動きを見せる様子はない。別に中へ入るのをためらっているわけではない、単純になんとなくその場でぼーっとしているだけである。

 

 うつらうつらと、どうやら寝不足であるらしい。それならば部屋に入って仮眠を取ればいいのだろうが、彼女は旅の些細な合間に睡眠をとることも多い。端的にいえば、たったまま眠れる。

 故に、おそらくこのまま彼女は、誰かに咎められることがなければずっとオブジェクトのようになったままだろう。

 

 無論、人の行き来が在る出入り口の前でそんなことをすれば誰かの邪魔になることは必定であり、結局アンがたったまま寝呆けていたのはほんの数分のことだった。

 

 ガチャリ――とドアが開いて、その音にふとアンは意識を睡眠の底から急浮上させる。寝ぼけ眼をゆっくりと開けて、ぼやけた視界から開いたドアの先、入り口に立つ少女へと視線を下ろす。

 

「――何してンの?」

 

 若干イントネーションに違和感を覚えるものの、十分流暢といって過言ではない日本語で呼びかけられて、ようやくアンは正しく意識を覚醒させた。

 はっとしながら、少しだけ漏れかけていたよだれを急いで拭うと、先ほどの対局中からは考えられないほどキリっとした澄まし顔で応えた。

 

「おはようございます!」

 

「いやさ、邪魔しないでよ」

 

 はっきりと映し出された視界には、男性に混じっても何ら染色のない身長を持つ、アンからすれば豆粒のような少女が写った。

 中学に上がったばかりに思えるほどの背丈の少女。プラチナブロンドの欧米人である。クリアな繊維と見紛う程の髪を首元で赤目のリボンを使い一つに束ね、肩に引っ掛けている。

 特徴的なのは服装だ。女子高生が女学生と呼ばれていた頃のような女袴は、おそらくは臨海の制服を意識したのだろう色合いとなっている。

 

「おっと、それはすいませんね――シャロン」

 

 ――シャロン=ランドルフ。臨海女子三年にしてレギュラー、今年からのレギュラーで次鋒を務めている。

 そんな彼女が通れないのだろうと横にずれると、しかし一向にシャロンは退室する様子はない。――と、そこで思い至った。

 

「ふむ、そういうことでしたか。失礼します」

 

 シャロンは入り口の向こう側にアンが居ることに気が付き、態々控え室に入ってこないアンの様子を確かめたのだ。

 ふん、と鼻を鳴らすとシャロンが横にどく。一つ頭を下げて、ドアを閉めながらアンは部屋の中に入った。

 

 室内は静かなものだ。丁度今は副将戦。飲み物を買って帰ってきたアンへ意識を向けるものはいない、画面の向こう側では副将――メガン=ダヴァンが闘っているのだから。

 

「それじゃあシャロン、これが貴方のです」

 

「あンがと」

 

 隣立つシャロンにまず抱えていたジュースの一角を渡すと、アンはそのまま机に向かい、どさっといくつかの飲み物を置くと椅子に座る。

 その中から自身のペットボトルを手にすると、勢い良くキャップをひねってフタを開ける。冷房の効いた部屋に、冷やされた麦茶はよく効いた。口当たりの良い感触が喉を通って消えていく。

 

 ――と、その横から伸びる手が見えた。多少細いが、小さな身躯に依るものではない。人並みのものだ。それはゆっくりと幾つか並んだ缶とペットボトルの群れから五百ミリリットルの大きめな缶を取ると、手元に手繰り寄せていく。

 

 プシュ、とよく響く音が噴出した。炭酸飲料である。それを勢い良く飲み下すのが、手元を追ったアンの視線に映る。

 そんなアンの様子が、少しずつ呆れに満ちたものへと変わっていった。

 

「……ハンナ、何をしているのですか?」

 

 ハンナと呼ばれた少女、本名ハンナ=ストラウドはその声に、スティック型の菓子を口に含んだまま振り向いた。

 

「なにっふぇ、おかふぃふぁふぇてるふぁけふぁなふぃふぇすか」

 

「食べながらしゃべるんじゃありません」

 

 黒髪の、異国出身らしい顔立ちは整っており、かなりの美少女であるのだが、特徴的といえるような際立った容姿はしていない。

 さらっと流れるストレートも、やわらかな目つきも、派手なものではなくどちらかといえば日本美人のような清楚さが特徴的だ。

 

 修道服――いわゆるシスターが着るそれを、彼女はこの場においてまとっているのだ。ウィンプルは身につけず、髪も外気にさらされている。黒地にシンプルな十字架がキラリと光る。

 

 問題は、そこではない。そんな清純の象徴たる修道女が、備え付けられたソファを占領して横になり、くっちゃねしていることが問題なのだ。

 口に含んでいた菓子をポリポリと口の中へ押しこめながら、それを飲み込むとハンナは間延びする声で言った。

 

「いいじゃありませんか、私、頑張って半荘二回も打ってきたんですよ? 褒めてくださいよう」

 

「今はマダ試合中です。それに一人で長椅子を占領するのはいかがなものかと思いますね」

 

 嘆息気味にアンが胡乱げな目線をハンナに向けると、彼女はそんなものを気にした様子もなく、炭酸を一気に飲み込むと、何やら絶えるように顔にチカラを入れていた。

 もう一度、今度ははっきりアンはため息を零した。

 

 それにしても――と飲み物を机に置いて椅子に体重を預けながらモニターの方へアンが意識を移す。

 

「メガンもよくやっているようで何よりですね。いやぁどこかの誰かさんが他校を飛ばしてしまいそうでしたが、これならちゃんと大将まで繋ぐことができそうで何よりです」

 

「あの人はとにかく打ち方が巧いからね、大雑把なハンナ見たいにはならないでしょ」

 

 二人がかりの言葉攻め、矛先を向けられたアンナが思わず呻く。――続いたのは臨海女子レギュラー最後の一人、大将を務めるタニア=トムキンである。

 彼女だけは臨海の制服を着ている。シャロン程ではないが小柄な背丈に、その背丈に反してそれなりのプロポーション、特徴的なのは赤毛の跳ねた髪だ。耳元で跳ね、何やらケモノ耳のようになっている。

 狐のそれが一番近いだろうか。

 

「こいつってば、必要ないのにリーチかけて、裏のれば飛ばしてるような状況にまで追い込む必要はなかったでしょ。メガンが副将にいるのに、まったく」

 

「そ、それは……彼らが強いから行けないんです! わたしに真っ向から歯向かってくるんですよ? こっちもそれを正面から打ち破りたくなるのはしょうがないじゃないですか!」

 

 シャロンまでハンナバッシングに加わって、そんな三者の言葉にハンナが吠える。思い切りよく起き上がると、一列にならんだアン達三人に向けてピッと指をさす。

 対するようにタニアが机に並べられた未開封の紅茶を手に取ると、ハンナの前を横切りながらツッコミを入れる。

 

「敬虔なシスターがなんで闘争本能むき出しにしてるのかな」

 

「むぐっ!」

 

 同時に、シャロンもその後ろに続くと、起き上がったハンナの隣へと座る。ついでとばかりにハンナに向かって言葉を投げかけた。

 

「そもそも、あんまり人のこと指差すのは感心しないンだよな。なんかハンナにそンなことされると、呪われる気がする」

 

 ――ガント、という呪術がある。指をさすことで人を呪う魔術(オカルト)の一種だが、この場合、それだけハンナが胡散臭いということだ。

 確かに、ハンナはシスターとしては、あまりにずぼらで胡散臭い。

 

「むぐぐぅ……」

 

 いよいよ黙りこくったハンナ、そんなハンナに興味を失ったように、――そも、もとよりアンはそちらの方に意識を向けていたのだが、闘牌を続けるダヴァンの姿を見ながら、アンがぽつりと漏らす。

 

「それにしても、メガンがいないと本当にこの控え室はコスプレパーティの会場みたいですね」

 

「んなぁ! 何を言ってるんですか!」

 

 それに真っ先に反応したのはハンナだ。

 

「わたし達は正式な礼装としてこれらの装束を身にまとっているのですよ? それを言ったら貴方のアオザイが一番けったいじゃないですか!」

 

 とはいったものの、街中を歩けば彼女たちの姿は美少女コスプレ集団にしか映らないだろう。アオザイ、修道服、女袴、この中にあっては、臨海女子指定の制服ですら、何かのコスプレの様に見えてくる。

 そんなコスプレ軍団の一人、シャロンが諫めるように言う。

 

「まぁまぁ、それを言ったら鹿児島の方だと、巫女服で大会に出てる奴らもいるンだぞ? あたし等になンのおかしいところがあらーね」

 

「え? ホントに?」

 

 それにタニアがすぐさま反応する。それを一瞥したシャロンは、スマートフォンを取り出すと何やらそれを操作する。

 しばらくして、何かを終えたシャロンは画面をタニアに見せる。

 

「……ほら」

 

 画面の向こうでは、どうやらちょうど副将戦と大将戦の合間であるらしい。東東京の状況は副将戦のまっただ中であるが、アンが猛烈な勢いで連荘したため異様に先鋒戦が長引いてしまったのが時間の剥離の大きな理由だ。

 

「――ほう、これはこれは」

 

 興味を持ったのは、巫女服に感心を寄せたタニアだけではなかった。いつの間にかタニアの後ろから、アンまでスマートフォンをのぞき込んでいる。

 というかチラリ、チラリとハンナも視線を泳がせていた。彼女の場合、巫女、というものが気になるのかもしれない。

 

「トップは永水女子、先鋒で稼いでた九州赤山を中堅でまくってるね」

 

 ――シャロンが言う。件の巫女服高校、ちょうど大将もまた、巫女服を身にまとっている。画面越しに名を呼ばれた。

 永水女子一年――――神代小蒔。

 

「ふむ、これは永水の勝利で決まりですね。この子、――――ホンモノですよ」

 

 そんな風に言葉を吐き出すアンの雰囲気が、一瞬にして変質した。思わずアンの前に居るタニアが――ゾクリと、体を震わせる。

 とはいえタニアがその言葉に反応したのは、アンの“威風”を感じ取ったから、だけではないのだが。

 

「……それ、ほんと?」

 

「えぇ、ほんとです。――あの人にも負けはしないでしょうね」

 

 タニアの問いかけに肯定するアン。――即座に、タニアの髪の毛が勢い良く逆立っていく。彼女の特徴的な“耳”も、ピンと張ってチカラを篭った。

 

「そっか、そっか、そっかぁ」

 

 腕を足の上で組んだまま、思わずタニアは内股になる。その目が、少しずつ驚愕に見開かれたものから、トロンとしたものへと変わっていく。

 ポカンとあいた口も少しずつ笑へ変わり、三日月のように広がっていく。やがてそれも一つの頂点を越えたのか、途端に締りのない栗のようなものになる。

 

 気がつけば、タニアは何かをこらえるように眼に涙を変え、頬を染め、口元から少しばかりのよだれをたらしていた。

 

「――あ、んっ」

 

 その体が、軽く、二度、三度、震える。

 何かを、こらえるように、何度か、少しだけ。

 

 ――ビビクン、と。

 

「んっ…………ふぅ」

 

 そんなタニアの様子を尻目に、アンはシャロンからスマートフォンを借り受ける。目的は永水女子ではない。

 

「……と、でましたでました。こちらは途中の進行が非常に早かったようですね、もう大将戦も後半です」

 

 映しだされたのは――長野県県予選決勝。その試合内容だ。

 画面越しに、最後の対局を終えようとしている大将達の姿が映る。その中のひとりを、おや――とアンは注視した。

 

「……どうしたんですか?」

 

 隣から、何気ない様子でハンナが問いかけてくる。それから少しはっとしたようになって――アンと顔を見合わせる。

 

「なんだか、どこかで見たことが在るんですよね、この子」

 

 既視感、デジャヴというものだろう、アンはそうやって画面の中で圧倒的な闘牌を見せる少女――天江衣を指さす。

 そこでは彼女の手が振り上げられて、そして牌が卓へたたきつけられようとしている。

 

「どこか……って、これ、まるっきり貴方みたいじゃないですか、アン」

 

「――あ」

 

 ハンナの何気ない言葉に、アンは更に目を瞬かせる。気がついた。――長野の、去年まで全国で活躍していた高校。春季大会の決勝には姿を見せなかったが、今でもそこの大将についてはよく覚えている。

 

「……実紀――大豊、実紀ッ!」

 

 三傑。たしかそう呼ばれていたはずだ。

 今はインターカレッジで活躍する雀士の一人。彼女の姿に――否、彼女たちの姿に、どこか衣は面影を残しているのだ。

 

「ハハッ! 瀬々が私に対してこの少女の名前を出すのも納得ですね、あの人たちに似ているというのなら……私に似ているというのも納得がいく!」

 

 ――瀬々? ハンナが問いかけた。

 何気ない様子で、気にもとめない様子で、――しかしそれは、直ぐにひっくり返されることとなる。アンの一言で、ハンナは瀬々に対する興味を、強烈に持たざるを得なくなったのだから。

 

 

「――龍門渕の、先鋒。私が今年、最も同卓を望む相手です」

 

 

 それと同時に、スマートフォンの画面の向こうでも、一つの大きな変化があった。衣が自摸った卓を手元で晒す。

 和了の瞬間だ。

 

『……ツモ! 32000オール!』

 

 二倍(ダブル)役満。インターハイ初となるその和了は、会場をおそらく熱気に包んだことだろう。

 ――アンは、そこから余韻を感じた。

 

 ある種の余裕すらも感じられる衣の立ち振舞。悠々とした態度はどこかアンのそれと似通っている。

 

 面白い、ただ単純にそう感じた。

 

 ――もうすぐ、東東京の最強が決まる。

 十五連覇をかけた臨海女子の闘いが終わる。そうすれば、東東京の頂点として、アンは三傑の去った長野の天頂と、激突することとなる――――

 

 

 ♪

 

 

 ――その頃、別の県予選が一つ、終了しようとしていた。

 

「ツモ、14000オール」

 

 和了宣言。――途端に、対局終了を知らせるブザーが鳴り響き、暗くスポットライトのみの明かりで照らされていた室内が一気に光を伴う。

 

 同時に、卓につく三名の選手が、全く同時に倒れ伏した。

 

 

『決まったァ――! 県予選決勝、ここに決着ゥ――! 最後に決めたのは、二十一連続和了(・・・・・・・)からの三倍満――ッ!』

 

 

 実況の声が、高らかに会場中に響き渡る。

 ――それに伴う歓声は、しかし響くことはなかった。当然だ。あまりにも圧倒的且つ圧巻の闘牌に、息を呑んでいるのだから。

 

 

『西東京最強の座を掴み、全国へと駒を進めたのは――白糸台高校! 前年度覇者にしてインターハイチャンピオン、宮永照擁する最強の高校が、連覇に向けて第一歩を踏み出しました――!』

 

 

 一つ礼をして、唯一人立ち上がった少女、宮永照はその場を立ち去った。――後には何も、残すことなく。

 

 

 ♪

 

 

 対局室の外、照の帰りを待つ者達がいた。対局は未だ前半戦だというのに、照の勝利を疑うことなく、白糸台高校のメンバーが待ち構えていたのだ。

 

「……お疲れ様」

 

「ありがとうございます」

 

 照は少しばかりトーンの低い声でねぎらいにたいして礼を言う。それをからっと笑うと、照を待っていた四人の中心に立つ一人が、前に出る。

 

「もっと誇ってもいいのよ? 貴方がいるから、白糸台は最強なんだから」

 

「いえ、どんな相手であろうと、チームであろうと、私は自分のパフォーマンスを最大に発揮しているだけです」

 

「あはは、緊張してるわね。普段のお菓子大好きなキミに早く戻って欲しいわ?」

 

 そうやって、長い黒髪の、楚々とした中に妖艶な色気のようなものを含ませる少女――白糸台の部長にして先鋒を務める遊馬(あすま)美砂樹(みさき)は照の肩を叩く。

 

「あ、えっと……」

 

 少しだけ、照は鋭い視線をぼんやりとしたものへ変える。

 美砂樹は続けた。

 

「さて、今日はゆっくり休みましょう? そしてそれからゆっくりと時を待ちましょう?」

 

 そんな美砂樹の言い回しに、きょとんと照が首をかしげる。

 美砂樹はいよいよ持って何か含みの在るような笑みを深め照に近づくと――そっと耳元でささやいた。

 

 

「魅せつけてあげるのよ。貴方が――白糸台が最強であることを、ね?」

 

 

 そんな言葉は、県予選の会場へ、そして世界へ、溶けて消えて――広がっていくのだった。




臨海のキャラ紹介でした。同時に白糸台の顔見せもあります。特に描写はないですが、菫さんも一緒に待ってたメンバーの中に居ると思ってもらって構いません。
次回からついにインターハイ! そして本作最大のサプライズ的登場もあります。


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――インターハイ・第二回戦――
『始まり告げる、少女たちの別世界』


 夏が始まろうとしている。

 

 熱風が、人と人とが交わり融け合う灼熱が、一寸先すら、身を焦がす炎にまとわりつかれ、何もかもが視界から消え去る一瞬が。

 

 闘いを伴って、始まろうとしている。

 

 

「さぁ――出発ですわよ!」

 

 

 長野県、県予選を勝ち抜き、龍門渕高校は全国への切符を掴んだ。その反響は大きいかといえば、さほどではない。

 ここ数年、あまり成績が奮わなかったとはいえ、龍門渕は県屈指の強豪校だ。そのために県予選事態を勝ち抜いたことは妥当、さほど驚きも要さず受け入れられた。

 むしろ重要なのはそこから。大将戦のオーラス、天江衣の見せたバケモノ染みた和了は、世間の反響を呼び、否が応にも彼女の注目を集めた。

 

「おー!」

 

 とはいえ本人はそんな物なんのその、まったくきにした様子なく、いつもどおりに振舞っていた。

 そもそも注目というものを衣は余り好いてはいない。今でこそある程度慣れてきているとはいえ、衣はマスコミというものが嫌いだ。加えて自分が目立たずとも、話題の中心となる存在は多くいると考えている。

 

 何も自分が、世間の全てを背負ってたつ必要はないのだ。

 かつての三傑は、余りあるカリスマから、多大な人望を集めるに至ったが、衣は指してそれを臨んでいるわけではない。

 

 衣が望むのは、衣と対等に世界が繋がり合うこと、頂点に立つことではない。

 

「よし! じゃあ車にのりこめー!」

 

 ――水穂の掛け声に、透華、衣が続く。

 

「はー、車での移動は面倒だねぇ」

 

「そうはいっても、長野から東京に行くとなれば、車か大きな町に行くしか無いから、しょうがないよ」

 

「最低限の……投資」

 

 続き、純、一、智樹の三人が連れ立って車に乗り込む。車は龍門渕の所有する高級車だ、五人六人どころか、十人ほど乗り込む事のできる豪華なものだ。

 全員が車に乗り込もうかという所、一人だけ、その輪から外れたものがいた。

 高級車に背を向けて、外に広がる山々に、何か感傷じみた思いを馳せる、ものがいた。

 

「……む? どうしたのだ? 瀬々」

 

 渡瀬々、彼女はそよ風なびく高地から眺める山々に、なんとはなしに自分を重ねる。――生まれてからずっと、見てきた山だ。

 長野では、たとえどこから世界を見渡しても、大きな山々を臨むことができる。だから、初めて山を眺められない世界を知った時、瀬々は衝撃を受けたものだ。

 

 そこに在るものがない。

 それは即ち、自分を象るものが何一つ、そこにはないということなのだから。

 

「――あぁ、いや」

 

 勢い良く体を翻し、まとわりつく髪をかきあげる。

 

「少しばかり……行ってきます、って思っててな」

 

 ――だからきっと、瀬々はこの場所を自分の居場所だと思っている。少しだけ、そこから見を羽ばたかせ、自分の世界ではない場所に、足を踏み入れる。

 帰ってきた時にこの場所が、自分を迎え入れてくれることを――祈りながら。

 

 

 ♪

 

 

 全国、五十二校の暑い夏、頂点を目指し、激闘する少女たちの戦いが始まった。シード四校を除く四十八校が一回戦を闘い、たった一校だけが勝ち抜いてゆく。

 龍門渕はこの一回戦からの登場だ。数年ぶりの全国出場は、指して世間の注目を集める肩書きではない。三傑無き長野事態も、注目度としては下火に近い。

 ――春季大会で、風越が二回戦で――大将福路の猛追があったとはいえ――姿を消したことも、大きく影響している。

 

 とはいえこの一回戦、龍門渕は大いに注目をあつめることとなる。龍門渕が激突したのは沖縄、埼玉、富山の四校、どこも全国常連の高校との対決だった。

 その三校を相手に、新参もしくは古豪と見られていた龍門渕は早々に一回戦のトップ争いから脱落する――はずだった。

 

 しかし、蓋を開けてみれば結果は長野県予選の焼きまわし、変化が見られた点は副将戦の収支トップが龍門渕であったこと、大将戦で衣が飛ばしたのが、三校同時であったことか。

 

 ――とかく、龍門渕は鮮烈なデビューを飾った。マスメディアはともかくとして、龍門渕の対戦校は、龍門渕を警戒に値する強豪として受け入れるのであった。

 

 

 ♪

 

 

 全国に点在する数多ある高校、その中でもインターハイに駒を進める高校はごく限られた高校である。五十二という数は、両手で数えるには余りあるが、数字として見るにはあまりにも少ない。

 ならば、更にその最上位となる高校は? ――片手で数えられるほどの、数としてすらあやふやなもの。

 

 シード校。全五十二の高校の中からたった四校だけ選ばれる、最強の称号。

 ――白糸台高校。

 ――千里山女子高校。

 ――臨海女子高校。

 

 そして、四つのシード最後の一つ、全国に名を連ねる最強が一校は、伝統あるシードの一角に名を連ねる高校。

 名を――姫松高校と言った。

 

 

「――なるほどねぇ」

 

「興味深い牌譜だと思います。特に龍門渕透華は去年まで全中でよく聞いた名前ですし、依田水穂っていうのも、久々に聞きます」

 

 会話をするのは、二人。その場に居るのは、五人の少女たち。

 ホテルの一室を借りての集まり、少女たちは制服姿で、それは姫松高校を表すものだ。姫松は関西の高校であり、言葉の節々から感じられる独特のイントネーションが、それを物語っている。

 

「長野は強い奴が他の田舎に比べて生まれやすいっていうのはあるんやろうけど、こうして見ると不思議やなぁ、風越の次に、間髪入れずこういうのが出てくるっていうんは」

 

「特に中堅からは他の全国クラスと何ら遜色のないメンバーが揃っとりますから、洋榎も含めて気をつけてもらわんと」

 

 ――愛宕洋榎、彼女は自身の言葉の返答として返されたそれに、生返事で応える。対するように、返答した少女、龍門渕透華等の名を上げた少女が続ける。

 

「先鋒と次鋒はさほど気にせんでえぇと思います。今のところ次鋒はさほど強か無いですし、先鋒は私が気をつければいいことなので」

 

 姫松女子先鋒、――末原恭子、二年生にして、エース区間である先鋒を任されている。とはいえ姫松の先鋒は、言ってしまえば捨て駒に近いのだが。

 

「まー、そこはなんとかしますー。ウチもそういうのは得意なんでー」

 

 応えるのは次鋒、天海りんごだ。特徴的なのはその髪型、爆発気味の髪を束ね、周囲に広がるポニーテールが完成している。

 

「問題は大将やね、中堅副将は対応が難しいから、本人の実力と運次第やけど」

 

 中堅も、副将も、デジタルの打ち手であるというのなら、そこに必要なのは技術と当日の運。たった半荘二回で雌雄を決する団体戦は特に、当日の流れというものが重要になる。

 そう語るのは赤路蘭子、恭子の言葉に真っ先に頷いた、会話の中心とも言える人物。――姫松の主将であり、大将を務めている。

 

「いや、中堅は……うーん」

 

「どうしたんですか? 先輩」

 

 その言葉に、腕組みをして洋榎が何やら考え始めた。それに問いかけるのが姫松唯一の一年、副将、上重漫だ。洋榎が何やら考えている間に、話題は大将へと移る。

 

「で、その大将。なんか変な生き物みたいですけど、ありゃもしかしてチャンピオンの同類ですか?」

 

「うーん、ちょっと違うっぽい、むしろ私や、晩成の大将と近いんとちゃうかな?」

 

 ――晩成、名前が出たのは先ほど話題を打ち切ってから初めてになる。第二回戦、姫松が対決することとなる一校だ。全員が卓越した技術を持つ強豪の一角、第二回戦レベルであれば十分強敵と言える。

 

「はー、あの小走とですか、まぁ確かに出和了り主体ですけど……」

 

「そやね、それにあの子、絶対にリーチをかけないみたいや。そ~いう子は割りといるっぽいけど、あの子の場合そこに打点が絡んでくるからねぇ」

 

 恭子のつぶやきに同意して、さらに蘭子は付け加える。リーチをかけないということは、テンパイ気配を読み取りにくいということだ。徹底した出和了りスタイル。

 

「まぁリーチをかけないならリーチをかけないなりに、手を高める方法はいくらでもある。洋榎なんかは割と得意やろ」

 

「いや、ウチかて必要ならリーチかけますって、むしろリーチかけたほうが和了りやすいし」

 

 ふむ、と蘭子がその言葉を飲み干して――

 

「まぁ、今まで見たいには行きませんよ、第二回戦っていうんは文字通りひと味ちがう。今までのような闘牌では、絶対勝っては行けない舞台ですからね」

 

 恭子が結論とばかりに語気を強める。

 ――そうして、少しばかり楽しげに笑うと。

 

「――――見せつけてやりましょ、ここからが、本当の全国の舞台なんやって」

 

 軽く目を合わせて頷き合って、少女たちはさらに会話を深めてゆく。

 ――夜もふけ、夏の灼熱も和らいだ頃、むしろ彼女たちの熱気は、大きくなっているようだった。

 

 

 ♪

 

 

『さぁ――! ついにやって参りました! インターハイ第二回戦も二日目! Bブロックの試合当日です!』

 

 激闘が在った。

 第一回戦、第二回戦第一試合、どちらもあまたある強豪がぶつかり合い、死闘を演じた。勝利したのはシードの二校、白糸台に千里山、そしてそれに追随する、九州最強である新道寺、関西の強豪劔谷なども名を挙げている。

 

 そしてその闘いとは真反対に位置する場所、Bブロックの第二回戦、対戦カードは二つ。

 

 第三シード、臨海女子の登場する試合と、そしてここ、第四シード、姫松の登場する試合。その先鋒戦が、今この時を持って開始を告げるのだ。

 

 ――半荘十回、対局者総勢二十名。彼女たちが所属する高校の威信と、彼女たちが打ち破ってきた者達の思いを背負った、最強に手を延さんとする四チーム。

 その先陣を切る者達が、一堂に介そうとしていた。

 

 

「――さてと、一番乗り……かな?」

 

 ――渡瀬々:一年――

 勢い良く会場に駆け込んだかと思えば、キョロキョロと周囲を見渡している。まるで都会を初めて訪れたお上りさんのような印象は、他者から見れば少しばかり滑稽だ。

 だから、それを楽しそうに笑うものがいた。

 

「フフ、……残念ながら違いますよ」

 

 ――末原恭子:二年――

 独特の訛りをともなったイントネーションが、瀬々の耳を貫いた。すぐさま声のほうを見ると、――それは対局席の奥、すでに腰掛けて瀬々を待ち受けていた。

 

「残念ながら私が一番乗りです。まぁ、そんなん競ってもしゃーないんですけど」

 

「世の中、先手必勝、って言葉がありますよ。先ずれば勝つ、素直に喜んだらどうですか?」

 

 階段を踏みしめるように登りながら、恭子のつぶやきに瀬々が噛み付く。真っ向から視線をぶつければ、そこには好敵な戦意が、ありありと見て取れた。

 

「――それなら、三番手の私は、少し出遅れているというのだろうか」

 

 その後ろ、さらに聞こえてきた声に、瀬々は階段の最上段に足をかけながら振り返る。恭子も同時にそちらへと視線を向けた。

 

「そういうことなら……お手柔らかに頼む」

 

 ――車井みどり:三年――

 奈良の強豪、晩成のエース。当然その実力は、この三名の中では、最も高いと目されている。

 

「来ましたね。一番厄介なの」

 

「ひどい言いようだな、私はいつだってチャレンジャーだ。それに一番厄介なのは、シード校の姫松じゃないか」

 

「私以外の四人が、この第二回戦では一番強いのは認めますけど、私は単なる捨て駒ですよ」

 

「先鋒を任せられる捨て駒なんてのは、あんまり考慮したくないものだな。最も先鋒戦を“捨てる”のに適してるということじゃないか」

 

 ――瀬々の隣に並んで、みどりは姫松の先鋒、末原恭子を意識する。それからふと、たった今気づいたかのようにちらりと視線をやる。

 肩の少し下あたりまで伸ばした髪、右耳の側で一房、髪留めが髪をまとめている。智樹ほどはあろうかというプロポーションの少女。小柄な瀬々を、見下ろすようにしている。

 

「おや……珍しい制服だな。こうして直に見るのは初めてになる。――今日は宜しくお願いしよう」

 

「あは。そちらこそ、記憶に残るような闘牌を見せてくれることを願いますよ」

 

 渡瀬々、一年にして先鋒を務めるからには、それ相応の自負を持ってこの場にいることは想像に難くない。ならばみどりはそれに対してどう対応する?

 当然、挑戦を受けて立つものとして立ち振る舞う。瀬々に対して、それ相応の圧迫感を与えるために。

 

 事実、彼女の笑みは、その場にいる誰よりも凛としたものだ。恭子も、瀬々も、場数では彼女にはかなわない。年長者としてみどりもそれだけは負ける訳にはいかないだろう。

 

 ――だからこそ、彼女と瀬々は、全く同時に視線を入り口へやった。気配とでも呼ぶべきものを、感じ取ったのだろう。

 

 

「――ややぁ、遅れてしまったか」

 

 

 感じ取った、一瞬にして理解した。

 そこに在るのは、三者とは全く違う何かである、と。瀬々に、恭子に、みどりに、それぞれの世界とは、違う世界に立つもの。

 

 それを感じ取ったのは、瀬々と、みどり。

 

「……ハハ、なるほど、やえがこいつをダークホースだと言った意味がよく分かる」

 

「へぇ、そちらにも、見る目のある人がいるんですね」

 

 並び立つように、瀬々とみどりが視線を合わせる。

 同時に、そこにいる敵を、見据える。

 

「だったらこういったほうがいいかな」

 

 レースをあしらった高級感のあるスカーフを頭に巻き、セミロング黒髪は若干ウェーブがかっている。目つきに少しの違和感を覚え、体中からあふれる何かを瀬々もみどりも感じ取る。

 恭子が置き去りにされたそこで、少しばかり、嫌な汗を二人は感じていた。

 

 何かを“映し出す”かのような目。同時に、彼女は笑んで言う。

 

 

「――真打、登場っ」

 

 

 ――鵜浦心音:三年――

 

 四者、ここに雁首をそろえる。

 舞台も役者も、すべてが同一に整った。

 

 

 そこで、第二回戦、最初の闘牌が始まる。

 

 

 ♪

 

 

 四校、それぞれの名が実況の声によって読み上げられる。

 

『――南大阪代表、姫松高校』

 

 第四シード、昨年まではあまり目立つ成績ではなかったものの、その実力は本物、春季大会においてシードを握っていた風越を破り決勝進出、全国第四位の猛者として、シードの末席に滑り込んだ。

 

『――奈良代表、晩成高校』

 

 偏差値70の超進学校、奈良を背負う伝統といえばまさしくこの高校、その実力は、二回戦ではぬるいと言わしめるほど。

 彼女たちは一回戦で消えていくお山の大将ではない、本物の実力を持った強豪なのだ。

 

『――長野代表、龍門渕高校』

 

 三傑去った長野の大地、しかしそこから、新たに芽吹く者達がいた。数年の沈黙を得て、全国の舞台に舞い戻った古豪、しかし今、彼女たちを突き上げるのは伝統ではなく、本物の実力である。

 魔物、天江衣要する魔窟からの挑戦者は、果たして全国に、いかなる結果を残していくか。

 

 

 ――そして、

 

 

 全国に駒を進める高校は限られている。その中で、初出場を決めたのはごく少数。しかも、第二回戦の壁を打ち破るものはほとんど居ない。

 

 しかしそれでも、そこに唯一食らいついたものがいる。

 第二回戦進出校、唯一の初出場校。ダークホース筆頭にして、最後のホープ。

 

 

 ――それは新星。

 

 

『――岩手代表、――――宮守女子』

 

 

 四校揃い踏み。

 ――対局は、ここからはじまる。




長かった、ここまで本当に長かった。
渡り者開始前の活動報告で前ふりをして、出そう出そうと幾年幾月。ようやくここまでこぎつけました。

次回以降は基本一話分書き上がってから更新します。二話ストックがあればいいことにするので、次の話は普通に二日後になると思います。

コソコソ。なぜか次鋒の名前を取り違えてたので修正しました。名前的にはこっちの方が合うんですけど。苗字が奈良のものなので。


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『最強の先陣』先鋒戦①

 席順

 東家:鵜浦(宮守女子)

 南家:渡(龍門渕高校)

 西家:末原(姫松高校)

 北家:車井(晩成高校)

 

 順位

 一位宮守 :100000

 二位龍門渕:100000

 三位姫松 :100000

 四位晩成 :100000

 

 ――東一局、親心音――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 序盤の立ち上がりは、だれもが静かなものだ。若干先制が見られるのは龍門渕、三巡目にはもう、中張牌を切り出していた。

 

(もともと、渡はそういったところが在るっぽいなぁ)

 

 末原恭子は、無難な打牌を選択しながらも、考えを巡らせていた。警戒すべきは三者全員。心音とみどりは三年生、心音の方は初出場とはいえ、三年で先鋒となれば、おそらくはエースを務めているだろう。

 さてもさても、と――六巡目、思考の片隅を奔った牌、瀬々の打牌に食いついた。

 

 瀬々/打{3}

 

「チー」 {横324}

 

 勢い良く牌を倒して、はっきりとした宣言、短いものであったが、同卓者の視線は、すべて恭子へと向いた。構わず同時に晒した牌を河へと流す。

 

 ――恭子手牌――

 {二二五六③④⑤468白} {横324}

 

 恭子/打{白}

 

(なんか、ええ感じですやん)

 

 みどり/打{五}

 

 心音/打{⑧}

 

 瀬々/打{3}

 

(……全員打牌が脂っこいわ――やけど)

 

 それぞれの打牌を、一度じっくりと観察する。瀬々だけがツモ切り、しかし鳴かせても引くつもりがないということはよく分かる。

 同時に、自摸った牌をぐぐっと握りこむ。そうすれば、恭子は手の中にある感触を、しっかりと感じ取ることが出来た。

 

 恭子/ツモ{7}

 

(……ウチのほうが、速い)

 

 打牌、当然聴牌となる{4}切り。心音、みどりの顔にちらりと変化の色が見られた。――何かを悟ったのか、しかしそれに、末原は気付くことはない。

 

 みどりは自身の牌を自摸ると手出しの{北}、心音もまた、合わせ打つかのように{北}を切った。瀬々は{⑥}のツモ切り。

 

 そして――勢い良く恭子が牌を掴むと、伸びた手の先から、ひとつの感触を得る。

 

「――ツモ! 500、1000」

 

 ――恭子手牌――

 {二二五六③④⑤678横四}(ツモ) {横324}

 

・姫松 『102000』(+2000)

 ↑

・宮守 『99000』(-1000)

・龍門渕『99500』(-500)

・晩成 『99500』(-500)

 

 

 三者はそれぞれの手牌を伏せる。

 それを誰かに気取られることのないよう、心のうちにだけ留めて。

 

(……まぁ、やっぱり追いつけないだろうね)

 

 ――みどり手牌――

 {三四五⑥⑥⑧⑨128北白白}

 

 

(聴牌はやいなー)

 

 ――心音手牌――

 {①②②④⑤⑧⑧6699東西}

 

 

(……、)

 

 ――瀬々手牌――

 {一一一一二三五六八九九發發}

 

 

 ――東二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 対局は中盤、静かな鳴きもリーチもない場において、ようやく恭子は、自身の視点からの変化を感じ取る。

 

(――おろ、聴牌してもうた)

 

 ――恭子手牌――

 {五六七七②③④⑤⑥357(横④)}

 

(おっしいなぁ、平和が付けば十分戦えたんやけど、リーチは……)

 

 ちらりと、視線を瀬々の捨て牌に向ける。

 

 ――瀬々捨て牌―― 

 {四⑥西發三北}

 {7④五}

 

 聴牌しているかどうかは微妙なところだが、それでもこの捨て牌は異様の一言、染め手か、はたまた純チャンか、早い段階で字牌を切っているためか、メンチンでもさほどおかしくは感じられない。

 純チャンと考えれば、ドラの周辺を切っていないことも気がかりだ。{①①②②③③}というような待ちをされれば、それだけで跳満が確定する。もしも三色まで絡めば倍満、それ以上は――考えるまでもないだろう。

 

(できへんわ、あんなん相手しとうない、まぁせやかてこの手牌なら聴牌には取れる)

 

 恭子/打{7}

 

 当然、ここは現物を切る。当たり前だ、わざわざ聴牌に取れるのに、安牌二枚の{④}から切っていくバカは居ない。少なくとも一巡、安牌の具合によってはもう数巡は闘うつもりで手を選んだ。

 

(嵌張で、モロ引っ掛けやけど、その分どこかが出してくれるかもしれへんし、いい牌引いたわ)

 

 そして心音の打牌、ツモを牌の上に重ねると、静かに目を細めて何かを考え始める。一瞬手牌の右端近くに手をかけたかと思うと、さらに少し横へとずらす。

 ――迷っているのだ。

 

(なんや、何を考えとるのかしらんけど、出来ればはよう切って欲しいわ、理牌的に、そこらへんは当たりそうやし)

 

 やがて答えが出たのか、心音は打牌をゆっくりと河へ放った。右手人差し指でその概要はすぐに走れない――しかし、顕になったそれに、恭子がすぐさま反応を見せた。

 

「――ロン!」

 

 ――恭子手牌――

 {四五六七七②③④④⑤⑥35} {横4}(和了牌)

 

「2600です」

 

「――はい」

 

・姫松 『104600』(+2600)

 ↑

・宮守 『96400』(-2600)

 

 心底静かな様子で、心音はそれに応えた。動揺も、後悔もない。ただただ沈黙を保ち、点棒だけを恭子に渡す。

 若干の違和感、恭子はすこしだけ、心音の存在を“恐ろしいもの”と捉えるのだった。

 

 

 ――東三局、親恭子――

 ――ドラ表示牌{北}――

 

 

「――ポン」 {横中中中}

 

 開始早々三巡目、瀬々が動いた。心音の吐き出した役牌を、晒して鳴いて面子とした。当然瀬々は速攻で手を作ってくることだろう。

 

(……いややな、さっきまで馬鹿みたいに高い手和了っといて、ここに来て速攻かいな、あんま速度あげんといてほしいわ)

 

 ――恭子手牌――

 {四五六⑥⑧234446白白(横⑤)} 

 

(お、悪くない感じ。三色も見えるけど、せやったら{白}落とした方が早いんとちゃうか? よくある光景やけど、まぁここは……こう)

 

 ――恭子/打{⑧}

 

 みどり/打{西}

 

 手出しの{西}、指して恭子はそれを着にした様子もなく、流す。心音は自摸切り、瀬々は手出しだが、ヤオチュー牌だ。

 どうしたものかと考えながら、自摸切りする。

 無理もない、ヤオチュー牌は、{一索}でも無い限り、自摸っても不要だ。

 

 もはや意識を止めることなくそれを切る。そこで――みどりが動いた。

 

 自摸った牌をゆっくり盲牌して確かめると、そっと自身の側に置く。そして、同時に言葉を放った。

 

「――ツモ」

 

 自身に満ちたそれに、恭子は一つの同様を覚える。

 

「三暗刻ツモ、1600、3200」

 

・晩成 『105900』(+6400)

 ↑

・姫松 『101400』(-3200)

・龍門渕『97900』(-1600)

・宮守 『94800』(-1600)

 

(――なっ!)

 

 わかってはいた、わかってはいたのだ。目の前に居るのは奈良の強豪、晩成を引っ張るエース。ならばその実力は、軽く恭子を凌駕していることくらい。

 それがわかっていたからこそ、恭子はその開け広げられた手牌に、驚愕を覚えざるをえないのだ。

 

 ――みどり手牌――

 {一一一五六七222北北北白横白}

 

(前巡にオタ風の{西}と{白}を入れ替えてる――! つか、{西}も生牌で、{白}も生牌なら、なんで{白}を選んだんや――!)

 

 貴重な親が流れた。否、それだけではない。目の前の存在が、自分の立つ場所の、遥か彼方にある存在なのだと理解する。

 強敵、純粋にエースとして強く、この場に存在する強者。その場所に、恭子は手を延ばすことすら出来ないのではないかと、感じ取るのだった。

 

 

 ――東四局、親みどり――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

(……しかしまた、クレイジーな打ち方をしたもんだ)

 

 瀬々はみどりの選んだ答えを驚愕を持って受け入れながら、同時に今にも浮かび上がりそうな笑みを必死に隠しているのだった。

 この笑みは、余り他人に見せるようなものではない。――瀬々は今、単なる挑戦者なのだ、その瀬々が、まさか肉食の狩人のような笑みを、浮かべていいはずがない。

 

(オタ風の生牌、だれかが抱えてると読んだわけだ。実際あたしが雀頭にするつもりで抱えてたわけだけど……そうなるとその西は基本流局間際でオリを選択しない限り出てこない。晩成の人が警戒していたのは、あたしと姫松って訳だ)

 

 必要なのは速さだ、ということだろう。あの状況、自摸るまでのみどりの捨て牌は{3六西}、無駄ヅモ一切無く、あの手を完成まで持って行っている。

 その運気もさることながら、そこで選んだ打牌もまた異様。

 

(字牌にも、出るタイミングって言うものが在る。オタ風なんかは比較的直ぐ出るけど、役牌は少し遅くに出る。さっきは宮守の人が{中}を早々に切ってたけど、それだけ手が進んだって意味だろうしね)

 

 三巡、というのは場があたたまるには十分な状況だ。役牌を仕掛けていく者がいるなら、瀬々のように早々に仕掛けていくだろうし、役牌を不要と考えるなら、心音の様に役牌を手出しで切っていくだろう。

 この一瞬の入れ替わりを、みどりは狙ったのだ。

 

(その上、あの巡目で聴牌は普通読めない。リーチをかけてもいいんだろうけど、それをするともし誰かが当たり牌を出さない限り、むしろそれは自爆になる)

 

 単騎待ちというのは非常に自摸りにくい待ちだ。たった三枚の牌を、誰かではなく自分が掴まなくてはならない。無論だれかが出すことも在るだろうが、出さない可能性も十分にある。

 

(それを一瞬で考えて、誰かに訝しまれないよう実行する。普通だったらまず無理だね)

 

 その判断は、車井みどりだからこそ出来たのだ。これほど、彼女らしい闘牌が他にあろうか――

 そしてそれは、考えてもしかたがないことではある。

 しかし、同時にそう、思わなくてならないことでもある。――そう考えることが、瀬々はどうしようもなく楽しいのだ。

 

(……強い、強いなほんと。みんなバンバン聴牌して、あたしよりも早く和了るし、全然こっちが追いつけない。多分晩成の人なんかは、ちょっと“こっち側”に足突っ込んでるだろうな)

 

「――リーチ」

 

 ――晩成の宣言、親のリーチだ、下家の心音は早々に店仕舞いの気配を見せる。瀬々も、すぐさま現物を切り出す。そこで動きを見せるものがいた。

 

「ポンッ!」 {横999}

 

(――姫松の、鳴いた!?)

 

 不可解な鳴き、態々安牌二つを切り捨てて、手を進める意味など殆ど無い、少なくとも六巡目の晩成リーチ、何もせずしても、その内晩成はツモって和了るだろうに――

 

(……いや、多分この感じだと、姫松は安牌ごっそり抱えてそうだな。その上で一発消しをする余裕も在る。七対子の一向聴あたりか)

 

 感覚を伴った答えだ、その読みは当たっている。不可解だが、理解できないことではない。それこそ姫松はこの鳴きを、ジンクスによって選んだのだろう。

 一発消しに、魅力を大き感じたというところか。

 

 しかし、

 

(あまいな、残念だけどそれ、意味ないよ)

 

 やれやれと瀬々は心のなかでだけ嘆息する。

 すでにオリ前提で考えているとはいえ、もはや完全に、自分の手は意味を成さなくなった。役目を終えたそれは、もはや卓に帰っていくだけだ。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 晩成の宣言、リーチに、ツモに、タンヤオ。

 点数申告は――2000オール。

 

・晩成 『111900』(+6000)

 ↑

・姫松 『99400』(-2000)

・龍門渕『95900』(-2000)

・宮守 『92800』(-2000)

 

 

 ――東四局、一本場――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

(……あかん、あっという間にまくられてもうた。別に何や無理があるわけやないねんけど、他所様に勢い取られたくないな)

 

 嘆息気味に、理牌する。見えてくるのは、あまり言いとはいえない手。無論それが和了れないかといえばそうではないが、恭子は内心難しそうな顔をする。

 他家がそれを観察しているわけではないだろうが、顔にだしていいことではない。

 

(微妙や、ずっこい微妙)

 

 ――末原手牌――

 {一三七七②④11(・・)東北白發中}

 

(基本、ドラの対子っちゅうんはあんまり良い感じやない。鳴いて手が作れるんならともかく、これ、国士の方が狙えるんとちゃうか?)

 

 ドラの対子というものは、余り生かせないことの多い代物だ。順子を作り一枚になるか、雀頭となってドラドラを作るか。

 どちらにせよ、ドラ二つではパンチにかける。ドラ三つでも、鳴いてしまえばそこまでだ。

 だが――

 

 恭子/ツモ{三}

 

 ――おろ、と心中でこぼして、恭子はその牌を手の中に加える。

 

(まぁでも、これ、使えるかもしれへんな)

 

 ――これ以上、みどりに連荘をさせる訳にはいかない。そもそも、自分が連荘することすら恭子にとってはあまり好ましくないことだ。

 だから、出来る限りここを、自分が振り込んでもいいと考えた上で“手段”として使用するなら、悪くないものに思えてくる。

 

(役牌オールスターやし、多分その内、どっか重なる)

 

 恭子/打{一}

 

 そのために、まず何が必要か――

 

 ――心音/打{1}

 

(――これや!)

 

 

「……ポン!」 {1横11}

 

 

「――ッ!」

 

 牌を食い取られ、恭子の勢いに圧されてか、心音は思わず息を呑んでのけぞる。前かがみになった恭子は、晒した牌ともに、心音の払ったドラを卓の右端に、叩きつける。

 

 トレインのようなそれは、勢い良く卓上を滑ると、激突、激しく音を立てて終着した。

 

(……ドラの刻子、晒してしまえばこっちのモンや、ドラが三枚やから、役牌と合わせて満貫、対々和絡めれば、跳満だって見えてくる――!)

 

 恭子/打{②}

 

 クソ鳴きもいいところの早仕掛け、鳴かれた心音も、ツモを飛ばされた瀬々も、その様子を観察するみどりも、苦しげに顔を歪める。

 

 続く――ツモ。

 

 恭子/ツモ{白}

 

(よし――! よしよし! よし――ッ!)

 

 恭子の中で勝利は確信に変わる。これさえアレば、どこから鳴いても、和了ることが可能だ。

 

 恭子/打{④}

 

(もっと、もっとや――! もっと貪欲に、他家を一気に引きずり下ろす――!)

 

 恭子の眼に炎が灯る。エンジンのフルターボを告げるそれは、否が応にも彼女の意識を高揚させていく。

 口元に、不敵な笑みが――浮かび始めた。

 

 みどり/打{白}

 

(それもォ――!)

 

「ポン!」 {白白横白}

 

 恭子/打{東}

 

 二副露、役が確定し、これでどんな和了だろうが、満貫手がお目見えすることとなった。それだけではない、恭子の手は、それだけですべてが完結するわけではない。

 

 まだ――

 

 恭子/ツモ{發}

 

 まだ――――

 

 

 ――――まだ、高くなる。

 

 

 

(誰も手が出せんなら、このまま流局まで行けばええ。何にせよ3000点は手に入る。そうでなくとも、ウチがこれ以上失点することはない!)

 

 ――恭子手牌――

 {三三七七發發中(横南)} {1横11} {白白横白}

 

 ゆっくりと手牌から一枚を引き上げ、放つ。打牌{中}。続くみどり、合わせ打ちであろう、手牌から{中}を払った。そして心音、ツモから迷わず、打牌を選ぶ。

 

 心音/打{⑦}

 

(――!? 生牌!? なんや、全然迷ってへん。こちとら満貫なんやぞ、なんやこいつ、初心者かいなッ!)

 

 そして瀬々は、ツモ切りで{⑦}。これはオリか、攻めか、どちらとも判断が付き難い、そもまだ巡目がさほど立っていないのだ。

 ましてや、彼女はツモ番を一度飛ばされている。それが如何に手を遅くするか、恭子は十分に知っていた。

 

(まぁ何にせよ龍門渕はこの半荘、全然こっちに追いついて来てないみたいや。高い手は張っとるようやけど、速度でこっちに負けとる)

 

 たしか県予選での和了率は、かなり高かったはずだ。それでも、周囲のレベルが上がれば彼女はそれに追いつけなくなる。

 ――同じだ。この半荘、自分は和了ることができる。だが他家は――それに追いつけないでいる。

 

(さすがに晩成はエースやっとるだけはある。全然勝てるきせーへん。けど、他の二校は、やっぱこっちに追いつけへんのや――!)

 

 ――恭子/ツモ{發}・打{南}

 

 しかし、恭子はその考えを、すぐに思い上がりであると正さなくてはならなくなる。この半荘――実のところ置いてけぼりにされているのは、恭子なのである、と。

 

 とはいえそれが明らかとなるのは少しだけ先の話。

 ――今は、彼女の考えを真っ向から叩き崩すように、誰かが笑みを――浮かべるだけだ。

 

 

「――ロン」

 

 

 それは、何かを見透かしているかのようだった。恭子はこの日、初めて対局者の“瞳”を覗き見た。遠くから、視線を感じ取るのではない、顔色をうかがうのではない。

 ただ単純に、人の意志の、有りかをそこに感じ取ったのだ。

 

 人が人に向ける、拒絶とよく似た、しかし人の中に、ストンと腑に落ちる感覚。好敵手としてのそれなのだと、すぐに理解することが出来た。

 

 その上で、その少女の瞳は――鵜浦心音の瞳は、どこか人を見透かすような目をしていた。得体のしれない化け物のように近く、しかし絶対を感じる神性を伴ったそれは、恭子の頬に、冷たい何かを――すべらせるのだった。

 

 ――心音手牌――

 {②③③④④⑤⑧⑧⑧南南西西} {南}(和了り牌)

 

「――8300」

 

・宮守 『101100』(+8300)

 ↑

・姫松 『91100』(-X00)

 

 

(――そ、染め手……!?)

 

 ――心音捨て牌――

 {(1)①白四86}

 {⑦}

 

(確かに、{①}が中張牌なら染め手に見えなくもないけど、これは――)

 

 しまったと、後悔してももう遅い。第一打ドラ、つまり染め手決め打ちだ。{①}も、必要ないということがわかりきっていたから打ったのだ。

 呆然とした目が、少しばかりの怒りに滲んで、きつく睨みつけるようなものへと変わる。

 

 カラカラと、響き渡るサイコロ――心音の手により、それは回されていた。

 

 

 ――南一局、親心音――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

(……さっきの東四局、明らかに宮守は危なっかしい打牌をしていた。確かに染め手は魅力的だが、それならリーチを書けない理由は何だ? あの手なら、リーチにツモで高め跳満だろうに)

 

 リーチをかければ跳満も十分見えただろうという手、普通、あれを引く理由はない。無論{②}か{⑤}を待つならともかく、あの巡目で、染め手だというなら十分だろう。

 事実、ダマでなくとも安目なら、誰だって切る可能性はあった。――みどり自身、端に一牌だけ浮いていた西を、もし安牌がなくなれば、躊躇うことなく切っていただろう。

 

 だからこそ、不可解。あの手をなりふり構わず上がりに行くなら、少なくともみどりはオリない。前局でのみどりの立場なら、なおさらだ。

 

(――つまり、宮守はあの手をダマで待っていたのではなく、いつでもオリれるように待っていたってことになるな)

 

 リーチをかける理由があるのではなく、リーチをかけない理由があるのだとすれば、自ずと答えはそこに帰着する。

 通常であれば、それは可能性の一つであろうが、この時みどりは、その可能性を確かな答えだと見て取った。

 そこに物的な証拠があったためだ。

 

(やえの言っていたおかしな点。牌譜で見た時もそうだけど、実際に相手をして、納得せざるを得ないな。宮守の大将は――間違いなく向こう側の人間だ)

 

 ――小走やえ。奈良の強豪、晩成の二年生にして大将を務める実質のナンバー2。オカルトに精通していながら、本人は卓越した技術による打ち方を得意とする。

 そんな彼女が太鼓判を押したのだ。宮守女子の先鋒は、まごうことなきオカルト雀士である、――と。

 

(……鵜浦心音。三年生だけれども、宮守は今年が初出場だからそれ自体は参考にならない。ただデジタル的な打ち方を、個人的に評価するなら――十分一流の域に達している。水準以上――少なくとも、龍門渕の先鋒よりはずっとマシだ)

 

 龍門渕の先鋒は、一年だということを差し引いても、そのデジタル打ちはお世辞にも上手いとはいえないものだ。

 県予選の牌譜を見る限り、生まれながらのバカヅキ体質。高打点型が羨むような爆運体質なのだろうと――そう結論づけるような雀士。

 

 それと比べれば、宮守の先鋒は雀士としては一流だ。

 

(けれども、それが弱小校どころか、ほとんど新設であろう麻雀部で、先鋒のポジションを得るチカラになるとは思えない)

 

 今年の龍門渕、三年前の風越にも言えることだが。ダークホースと呼ばれるような、本来の期待以上の結果を残す高校には、少なからず特別な雀士が居る。

 三傑や天江衣がそうだ。

 

 そしてそんな彼女たちは、部内の中心としてエース、もしくは大会の命運を握る大将にオーダーされることが多い。

 

 鵜浦心音がそうだと考えるのなら――腑に落ちる。

 

(それを確かめるために……この配牌は正直絶好といっていい)

 

 ――みどり手牌――

 {二二八九①①⑥⑨338西發(横發)} 

 

 一見それはゴミのような配牌に見える。事実それは和了るには少しきついものが在るだろう。みどりもまさかこれを和了れるとは思っていない。

 だがこの手は、七対子の二向聴である。それの意味する所はつまり――どんな牌でも、好きに切り出すことができるということだ。

 

(いかにもやえが好きそうな配牌だ。これを使えば――やえの言う心音のオカルトに対するテストができる)

 

 やえが言うには、鵜浦心音は、時折おかしな判断基準で、オリと押しの判断をすることが在るらしい。それは例えば、先程のような、何時テンパイしていてもおかしくない状況であっても、平気で危険牌を切ったりするような時や、逆に全くなにも聴牌気配のしていない状況で、突然ベタオリのような打牌をすることだ。

 

 その判断基準を、この配牌を使えば図ることができる。

 

 序盤の打牌――{西→⑨→八→⑥}。

 ヤオチュー牌から、一気に中張牌を切り裂いていく。違和感のある切り方、しかしそれは他家に取っては、速度という答えに映る。

 

 ――みどり手牌――

 {二二五九①①③④338發發(横九)}

 

(――この段階で手出し{九}は避けたかった所だ。ありがたいツモだな)

 

 みどり/打{③}

 

 もとより、みどりは平和や{發}を鳴いての速攻など全く考えてはいない。あくまでこの手は七対子の一向聴、それ以外は全くみるつもりはない。

 だからこそ、躊躇わずに両面塔子を切り崩す。

 

 みどり/ツモ{一}・打{④}

 

 ――そして、

 

(……できたな)

 

 みどり/ツモ{6}

 

 ――手牌が、ではない。

 ここまで、順調にみどりは、“河”を作った。手牌ではなく、あくまで捨て牌を、意図して他人に聴牌の様に見せるため、聴牌へと早々へ向かう手牌の幻想を作り上げたのだ。

 そしてその締めが、手出しのドラ。これを切れば、誰もが順調な手牌の聴牌を感じ取ることだろう。

 

(宮守の視野が、狭いということはないだろう。ならば現物か――強打かッ!)

 

 みどり/打{8}

 

 そうして、意識せずとも、視線は心音の河へと向かう。それはさしておかしなものではない。――故に、みどりはそこに集中を孕む。

 行方は――手出し。

 

 心音/打{6}

 

(――深い所! 確定だッ!)

 

 ドラの手出しから考えられる待ちは両面待ちだ。リャンカンの形であればドラは切らないし、切るとすれば{788}のような形から、両面で待ちを作る場合のみ。{7889}という面子構成も考えられるが――それだけを頼りに、ドラ側裏筋の超危険牌を、いきなり切っていくことはありえない。

 だから、確定。心音には――他家の手牌を知るチカラ、恐らくは“シャンテン数”を感じ取るチカラがある。

 それがやえと、そしてみどりの結論だった。

 

 ――だが、それだけでは、終わらない。心音は、みどりの想定をたやすく超える。

 

 

「リーチ!」

 

 

 河の少し手元側で切った牌を、それだけで心音は終わらせない。さらに一つ、動きを加えた。牌を横に“曲げた”のだ。

 

 供託が、勢い良く心音の手から飛び出る。

 

(ツモは――追いついた。だが、間に合うか!?)

 

 これに対し、瀬々は筋を頼って牌を切り、恭子は現物で早々にオリの体勢、そしてみどりは{五}を引いた。

 当然、{6}を切って聴牌とする。

 

 そして――

 

「――ツモ! リーチ一発ツモ、タンヤオドラ一、裏はなし! 4000オール!」

 

(……親満ッ!)

 

・宮守 『113100』(+12000)

 ↑

・姫松 『87100』(-4000)

・龍門渕『91900』(-4000)

・晩成 『107900』(-4000)

 

 リーチをかけて当然だ。それ一つで、点棒が6000からその倍、12000に跳ね上がるのだから。しかもこれに一発がついた。裏が乗れば親ッパネ、他家にとって、見過ごせない選択となる。

 

(まぁ、いい。これくらいは必要経費だ。問題は聴牌に対する反応が見れなかったこと。――でも、ほとんど確定だ。これ以上は試してなんかいられないな)

 

 ――宮守、姫松。

 この二つを躱し、自分は大きく点を稼ぐ必要がある。中堅には姫松のエースが出てくるのだ。そのために、みどりはしなくてはならないことが在る。

 

 心音が回すサイコロを注視しながら、みどりはより一層、意識を卓上へと集中させるのだった。

 

 

 ――南一局一本場、親心音――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

 一本場に入って、状況は再び混迷する。この局、誰かが鳴きを入れたわけではない。しかし、それでも明らかに、この場は間違いなく異常だった。

 

(……この手、配牌からして一向聴か!)

 

 最初にそれを気がついたのは、他でもない、シャンテン数を知るチカラを持つ、鵜浦心音だった。彼女のチカラは、自分自身に通常では知れない情報を伝えてくる。

 これもまた、その一つ。

 

 見えたのは直線上、姫松の手。明らかに異常と思えるそれは、やがて捨て牌からも明らかとなる。

 

 ――恭子捨て牌――

 {②六七東北白}

 

 

 ここまで来れば、車井みどりもその状況に察しが付く。末原恭子の持つ手が、以下なものか知れるということだ。

 

(字牌を三枚排除してる。普通こんなに字牌は切らない――完全一色ってことじゃないか……!)

 

 清一色、それも面前で作るのであれば、倍満クラスはダマでもありうる。はっきり言って、正面から相手をして良い手ではない。

 

(親の宮守が相手をしてくれるならいいが……いや、宮守がベタオリした時点で私もオリよう。確かに一局面として倍満は避けがたいが――長い半荘十回のなかでなら、それもまた単なる一局だ――!)

 

 ――みどり手牌――

 {一二三五六七九②②③④北北(横②)}

 

(宮守が押しているなら、この牌は当然、切っていく――!)

 

 みどり/打{④}

 

 つづく宮守、鵜浦心音、ここも打牌は萬子の手出し。どれも恭子を刺激せず。自身の和了りを狙う形だ。

 

 ――だからこそ、そこで二人は目を見開く。末原恭子の上家、渡瀬々が、あまりにも余りな、暴挙に飛び出す。

 

 瀬々/打{4}

 

 手出しのドラ。――強気な攻めは、しかし同時に無謀でも在る。恭子の捨て牌は、それをまさしく示しているというのに。

 まるで何も見ていないかのように、瀬々はそれを切り出した。

 気負うことなく、躊躇うことなく。

 

 それが、どのような結果を生むかも――

 

 

「――カンッ!」 {横4444}

 

 

 ――恭子が動いた。大明槓だ。しかもそれだけでは、その手は済まされない。

 

 新ドラ表示牌「{7}」

 

(……ッッッ! バ、カ――じゃないのか!? どうやったらそんな打牌ができる! 最悪だ、しかも――)

 

 悪いことに、恭子の打牌は手出し。索子の{2}、聴牌と言って差支えはない。

 

 みどり/打{②}

 

 歯噛みしながら、現物を落とす。このままでは攻められない。攻めようにも、恭子がそれを許してくれない。

 

(――ツモ索子、最悪すぎる)

 

 当然、心音も打牌は現物。間違いなく聴牌を感じ取ったのだろう。心音がオリたのなら聴牌は確実、攻めることなどできようはずもない。

 ――だが。

 

 瀬々/打{1}

 

 再びみどりは、戦慄する――

 

 

 ――動揺を隠せず、心音は卓の下で手を震わせていた。訳がわからない。目の前の少女は、一体何をしようとしている?

 

(どうやら聴牌しちまってるみたいだ。まぁでも、そんなこたぁ関係ないね)

 

 そもそもこの状況、恭子の手牌は災害のようなものだ。諦めて受け入れる――と言うまでではないものの、それでも同しようもないものであることは確かだ。

 

 それを加味した上で――あっさりと龍門渕の先鋒は、その前提をぶち壊していく。覚えるのは苛立ちに似た焦燥だ。

 何を思ってこの少女は姫松の爆運に手を付けるのか、全く意味がわからない。

 不透明な感覚に、思わず心音が感情を荒立てるのも、無理からぬことであった。

 

 続く恭子の打牌は自摸切り、ヤオチュー牌の{一}、みどりも心音も現物を切って――瀬々は躊躇わず{8}をツモ切りする。

 もはや、驚愕ではなく、覚えるのは呆れだ。

 

 再び恭子が自摸切り、今度は{⑨}、安心もつかの間――心音は思わず顔面を蒼白させる。

 

(――索子ッッ!)

 

 一瞬の認識で、それを恐怖とおぼえた――しかし実際に自摸ったのは{2}、これならば何も問題はない。

 

 当然、自摸切りだ。

 

 ――そして、

 

 

 この日、心音は最大の恐怖を覚えた。それはそう、体中に浮かんでいた不透明な何か。瀬々という存在によって掻き立てられていた感覚の、警鐘。

 

 

「――ッッッッッッ!?」

 

 まるで自分が持っていた焦燥や何かが、一斉に恐怖を伝える冷たさに変じていくように。――鋭い刃を、首元にそっと、押し付けられているかのように。

 心音は人生において初めて――声の出ない絶叫というものを――知った。

 

 

「――ロン」

 

 

 索子の、打牌。

 恭子の、索子染め。

 

 だが、{2}は恭子の現物、彼女が和了れるはずもない。

 

 ならば、誰が? どうやって。

 

 答えは簡単。

 

 

 ――渡瀬々が、心音の眼を――いぬいている。

 

 

「――純チャン一盃口、8300」

 

 

 それだけ、ではない。

 心音の恐怖は、それ以上の、別の場所からもやってきていた。

 

 ――瀬々手牌――

 {一一一⑨⑨⑨1123399} {2}(和了り牌)

 

・龍門渕『100200』(+8300)

 ↑

・宮守 『104800』(-8300)

 

(――自摸り四暗刻!? バカな、何をどう考えりゃそんな手牌が出来上がるッ! オカシイ、オカシイじゃないのさ!)

 

 異常。さも、異常。如何に凡夫に満ちた若輩の打ち手であれ、そこに役満という餌が転がれば、当然それに飛びつくものだ。

 たとえそれに一切の和了(こたえ)がなかったとしても、それが麻雀における最上を表す手であるのなら、だれがその誘惑を打ち切れよう。

 

 ――そんな人間、居るはずがない。そんな異常、在るはずがない。あってよいはずがない――――心音の感覚が、一斉に、盛大に、莫大に、悲痛な叫びにもにた、金切り声を上げるのだ。

 

 

 その時、初めて気がついた。

 

 

 渡瀬々は通常にはない特徴を持った雀士だ。

 だが、それならば何故、そういったオカルトに近しい雀士が持つはずの気配を、彼女は希薄にしていたのだ?

 

 もしもそれが、異常なのだとすれば――

 

 否、たとえそうだったとしても、その時はその時だ。今はわからずとも、いつか答えを拾い上げる時が来る。

 たった今この瞬間、渡瀬々という少女が、他人には理解しようのない打ち筋(かいとうほう)で、末原恭子の倍満を潰したように――

 

 

 そして、瀬々は一人、感情の裏でほくそ笑む。表情は貼りつけた無表情のまま、ただ自身の中で達成だけをかみしめて、飲み込んだ。

 

 この一局、瀬々のしたことは、表してみれば単純だ。

 まず、恭子の手牌に{4}の刻子が在ることを“コネクト”により察知した瀬々は、ドラの{4}をためらいなく切り出した。この時点ですでに手牌は自摸り四暗刻であるが、これは絶対に和了ることは出来ない手だ。

 なぜならこの時、{3}すでには一枚切られ、{9}を恭子が対子にしていた。和了り目が皆無だったのである。

 

 そして恭子はこの{4}に食いつく。恭子はこの倍満手、リーチをかけたのでは和了れないと判断していた。もとより索子染めは出和了りなど期待できないものではあるが、万が一、瀬々から和了れる目が存在している。その時、リーチという明確な形ではなく、鳴きという不確定な形を選ぶことが最善である、そう考えたための鳴きだ。

 

 瀬々はそれを解った上で、更にもう一つ策を加えた。ずらしによるツモの不調である。本来のツモはその人間の流れによって作られるものであるが、この場合、瀬々のツモは正直な所悪い、それを使うことで、結果的に恭子の手を遅らせたのだ。

 

 そうして{4}を大明槓された次のツモ、{2}を手牌に引き入れ自摸り四暗刻を崩し、テンパイする。

 結果がこの和了り。瀬々は感情がたかぶるのを自覚せずにはいられなかった。

 

(――あぁ、楽しいなぁ! ほんと、みんなあたしの思惑通りに、そしてそれ以上にいろんなことを考えて麻雀を打ってる。ほんとうに、そんな相手と闘うのは楽しい!)

 

 色々な雀士がいる。

 それぞれのプレイスタイルがあり、それは一切否定しようのないものだ。瀬々はそこにどうしようもない“別世界”を感じるのだ。

 人と人の世界の違い、それが雀風という形で、現れているのである。

 

(さぁ、勝たせてもらうぞ。まだだ、まだこの程度じゃ――全然たりない!)

 

 そうして、瀬々はサイコロを回す。

 自身の思いも、誰かの思いも越えた答えを見つけるために。

 彼女の世界を載せた二つの賽が、新たな数字を――刻みこむ。

 

 

 ――南二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 ――十一巡、この局の終幕に必要とした時間だ。

 南一局の倍満聴牌を逃した直後だというのに、すぐさま切り替えたのか早めの手牌をするどく作り上げていく恭子。

 逆に、前局の振込と、そこから生まれた感覚に、どこか消極的な打ち方を見せる心音。自摸り四暗刻聴牌拒否という異常事態にあっても、南二局は思いの外静かに進行した。

 

 そう、あまりにも静かだったのだ。

 

 

「――ロン! 18000」

 

 

 和了したのは、親番、渡瀬々だ。まるで何事もなかったかのように、それそのものがあるがままだったかのように。

 自然と、流れるように手を晒した。

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三四五六七八九東東東中} {中}(和了り牌)

 

・龍門渕『118200』(+18000)

 ↑

・晩成 『89900』(-18000)

 

 あまりのことだった。振り込んだ晩成、車井みどり自身が、その状況をもっともありえないと思っていたのだから。

 

(――混一色(そめて)……ッ!? バカなッ!? そんな手、普通に考えてありえない!)

 

 

 

 ――瀬々捨て牌――

 {發白②9二一}

 {九九③發3}

 

 この捨て牌、{9}と{3}を除けば全て手出しだ。それも、一度手に加えた牌を放るのではない、全て配牌から手にしていたものを切り出したのである。

 つまり瀬々の配牌は最初、こういう形になっていた。

 

  ――瀬々手牌(配牌時)――

  {一二九九②③發發白裏裏裏裏}

 

 残り四枚が萬子、もしくは東であることは手牌の姿から直ぐに知れる。しかしそれでも、すでに揃っていたすべての形を、こうも切り出して手を作れるものだろうか。

 

 ――無論、そんな訳はない。

 

(出来ないんだ……! わかってなくちゃ。こんなこと、できるはずもない。やろうと思えるはずもない――!)

 

 侮っていた。

 無論、インターハイの二回戦にまでやってくる強豪の先鋒だ。しかしそれは龍門渕という高校の形態を考えれば、先鋒であるということは、エースであるとは同一にならないはずだったのだ。

 

 それでも、今目の前に居る存在は、明らかに車井みどり(強豪校のエース)の上を言った。瀬々の表情には、何の揺らぎすら無かったのだ。

 

(今、私の目の前に、それを為した奴が居る。そいつは、無表情で、なんの気負いもなく、まるで平場の――単なる団欒とした卓の中であるかのように……私達をすくい取っていくのだ!)

 

 この半荘、思えば染め手が頻発しすぎていたようにも思える。

 それはきっと、麻雀の中でならよくある牌の偏りなのだろう。それでも、その中で瀬々はその染め手を、単なるゴミの山でしかなかった捨て牌に隠した。

 

 心音のそれには可能性があった。

 恭子のそれには明確性があった。

 

 

 ――だが、瀬々のそれには何もなかった。

 

 

(渡瀬々、こいつだったんだ。河の隙間、流れの合間に隠れて身を潜め、息を殺して機を待って、その瞬間にすべてを奪う。本当に気をつけなくては行けなかったのは、こいつだったんだ……!)

 

 車井みどり、計算と可能性を信じる打ち手。

 彼女のはじき出した答えに、瀬々が聴牌し、それが混一色であるなどということは、一切考えられないものだった。

 

 瀬々の手が、卓の上を行く。

 その表情に陰りはない、否――感情と呼べるものはない。彼女の中には、余りある表情が押し込められているのだろう。

 だからこそ思う。

 

 

 ホンモノだ。――ホンモノの何かが、そこにいるのだ……と。

 

 

 渡瀬々――無限に満ちた、可能性の中にその身を委ねるもの。少しだけ癖のある髪がはらりと、目元を覆う。その隙間から――何が見えているのか、対局者達には判じられるはずもないのだ――――




少し遅れましたが、先鋒戦をお届けです。キンクリはありますが、前回ほど適当じゃなかったりします。
今回は純くんの作戦が完全にはまりきった状況です。


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『神の声を聞いた者』先鋒戦②

 ――オーラス一本場――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

 振り上げられる右手、何のためらいもなく掲げられたそれが、断頭台に備え付けられた刃の様に、決定的な終了を告げる。

 たたきつけられるのは死、ではない。敗北という明白な答えだ。

 

 卓上に響いた音は、いつもよりも鈍く、重く響いていた。まるでそれが、彼女の威圧によって成されているかのように。

 

 彼女――渡瀬々が、なんの気負いもなく声を上げる。同時にそれは、この半荘戦の終了を告げる意味もある。

 

「――ツモ!」

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五六六④④④⑥⑦⑧57} {6}(ツモ)

 

 ドラ表示牌:{一} 裏ドラ表示牌:{五}

 

「2100、4100!」

 

・龍門渕『123100』(+8300)

 ↑

・姫松 『88000』(-2100)

・宮守 『98700』(-2100)

・晩成 『90200』(-4100)

 

 

『前半戦、終了――!』

 

 

 アナウンサーの豪放な声音が、勢い良く周囲に飛び散った。対局室は照明が落とされ、室内を照らしているのは一部のスポットライトのみである。

 夜天のようにも思える部屋が、一気にして反転、光の世界に回帰する。

 

 半荘に加わっていた四者のウチ、もっとも早く立ち上がったのは、当然のごとく瀬々であった。無言のまますくっと席を離れると、軽く会釈をしてその場を離れる。

 視線の中心が、対局者ではなく卓上の牌にあったのが、印象的と言える。

 

 ――渡瀬々:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――123100――

 

 続くのは宮守女子、鵜浦心音である。彼女の表情はなんとも言えない難しいもので、どちらかと言えば思考の海に沈んでいると評するのが適切だ。

 立ち上がり、軽く「それじゃ」と一言だけを残して対局室から消えた。後半戦が残っているのだから、改まる必要もないのだが。

 

 ――鵜浦心音:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――98700――

 

「――一人で悩むべきではない、な」

 

 そう一言、誰にも聞こえないような音量で漏らすと、車井みどりもその場をはなれた。どこか思考に疲れが見えるのか、目元を何度も瞬かせていた。

 

 ――車井みどり:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――90200――

 

 そうして一人、対局室に残されたものがいた。末原恭子、現状彼女の順位は再開、さして目を覆うほどの失点ではないとはいえ、彼女はもう一度、同じ相手と半荘を打たなくてはならないのだ。

 

(……あぁ――しんど)

 

 思考が止まったわけではない、しかし彼女は疲労を隠せずにいた。同様に失点した、みどりは全くそれを、表情に出してはいないというのに。

 

(考えな…………多分あの先鋒、龍門渕のは別に特別なタイプやないとはおもう。けど、何かあるんは間違いない。どうやったっけな、牌譜)

 

 ――末原恭子:二年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――88000――

 

 そういえば、と思い出す。たしかこういった引っ掛けの牌譜は、どこかで見た覚えがある。――そりゃあ、姫松のレギュラーである以上、そんな牌譜は既視感があるし、たしか天江衣も、そういった玄人然とした打ち方が得意だったはずだ。

 瀬々のそれとは、どこか趣の違うものがあるが、間違いなく今回だけのものではないだろう。

 

(そういえば――東発と、その次、凄い手ができてたはずやんな。せやったらもしかして、それが素なんか? そもそも、そうやなかったら自摸り四暗刻なんて聴牌できへんはずやし)

 

 ならば、瀬々自身のオカルトは、異様なほどの爆運体質ということになる。迷彩の類は、それを利用した“他人よりも高いアドバンテージ”によるものだとすれば、納得が行かないでもない。

 

(……あれ? でも、なんかそれやと違和感あるな。なんかデジャヴみたいなんもあるし、何か、引っかかるんやけどなぁ)

 

 しかし、それ以上の答えは出ない。――すでに、前半戦と後半戦、その中継における時間も残り少なくなってしまった。今から控え室に戻っても時間が足りない。

 恭子はそう判断すると、一人自身の椅子に沈み込むのだった――

 

 

 ♪

 

 

 ――データ上の瀬々は、対局中のような無表情ではなかった。どちらかと言えば憮然とした、少しやぼったいような表情に近かった。

 感情の揺らぎはさほど大きくはないだろう。どちらかといえば感情を表すことそのものを、面倒臭がっているようだ。それはたとえば、宮守の大将に近かった。

 

 薄く、タブレットとほとんど変わらないように思えるノートを抱えて、晩成の大将――小走やえは前半戦を一人浮きのトップで終えた龍門渕の先鋒、渡瀬々のプロフィールをスクロールさせながら眺めていた。

 

 ――渡瀬々

 ――年齢:15 誕生日:9月10日

 

 いくつかに目を通した所で――控え室のドアが開くのに彼女は気がついた。

 

「……お疲れ様です、部長」

 

 少しばかり機械的にも思える、例えるならば軍人のような声の調子で、やえは言った。控え室に戻ってきた部長、車井みどりは困ったように苦笑する。

 

「いや、そちらもデータ検分ご苦労様――だ。悪いが時間がないので、手短に聞こう。……どうみる?」

 

「――牌の偏り、には見えませんでした。ですがかなりそういった手を“好む”タイプのようです」

 

「なるほどね。ということは姫松のあいつと同じタイプか」

 

 そういえば、と思い出す。姫松のあいつ――エース、愛宕洋榎も時折、何かを見透かした闘牌をすることが在る。

 あれはおそらく本人の観察眼からくるものなのだろうが――

 

「そこがオカルト……ってことになるか?」

 

「他人の性質を見抜く? ――少し違うような気もしますが」

 

 髪を軽くふるって払いながら、やえはたったまま腕組みをする。そもそも瀬々という雀士が、如何な打ち方をするのか、その資料がたりていないのだ。

 全中に顔を見せたことはなく、公式戦での牌譜は、団体戦と個人戦での、合計37半荘だけなのだ。そのほとんどで優秀な成績を残していたとはいえ、それは単なる調子の波であるとも取れる。

 

「準決であたる可能性のある彼女もそうだが、初出場の選手というのは対応が難しいな。どうにも嫌な感じだ」

 

「オカルトか、はたまたアナログか、わかっているのは、デジタルとしてはまだ龍門渕の先鋒は二流である、ということだけ。本当に、嫌になりますね」

 

 辟易する――だけではない。

 みどりはそれ以上に、こうも考えているのだ。

 

 ――嫌な予感がする、と。

 

 

 ♪

 

 

 そうして、ここは会場の一角、人と人が行き交う通路であるが、対局室に近く、観客たちはここに立ち入ることができない。

 そんな中で――制服姿で佇む少女がいた。

 

 宮守女子の制服、本人の趣向か、それは冬服に分類されるものだった。

 鵜浦心音、宮守の先鋒は一人、控え室へ足を向けていた。――状況の確認という意味もあるが、これはどちらかと言えば気分転換、という意味合いが強い。

 

 意識を入れ替えるのだ。今までの自分から、次の自分へ。

 

 歩みにチカラを込め、大きく息を吐きだした――直後、心音は自身と同一の――夏服を纏った少女に声をかけられた。

 

「……先輩」

 

 そうやって、そこには心音の後輩がいた。

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 

「おや、来てくれたのか。いやね、こっちが出向こうと思ってたのに」

 

「あ、その、飲み物を持って行けって……シロが」

 

「白望が? それで早海じゃなくて塞をよこすってことは……なるほどね、じゃあ軽く聞かせてくれるかな」

 

「そうですね。まずかるくすれ違った感じでみると……ちょっと気配が弱いみたいです」

 

 ――臼沢塞、彼女には特徴的なチカラがある。それは他者よりもオカルトを感じ取るチカラが強い、ということだ。それは特に個人の存在に対して当てられ、人を探し当てるようなチカラだ。

 

 彼女の親友――シロ、小瀬川白望はそれがよくわかっていた。オカルトのように思える龍門渕、渡瀬々のチカラを感じ取るために、塞をここまで行くように言ったのだ。

 

「それはつまり、オカルト自体がよわっちぃものだってこと?」

 

「いえ、逆です――すごく強い、はずなのに気配は弱々しい。例えるなら……何か神話の英雄がもつ、武器を見ているような――」

 

「……なるほど、つまりそれは“一部”ってわけだ」

 

 強大なチカラを持つモノが居る。そのモノが持つ武器がある。その武器は特別で、強大なものであるが、あくまでそのモノの一部である。

 

「――だったら、本体はどこに在るんでしょう」

 

「さてね、別の誰かがもってるか、はたまたあの子が自覚すらせず、眠ったままになっているのか」

 

 そうやって、心音は体を翻す。どこか視線を遠くに移し、そこに塞が問いかける。

 

「行くんですか? あの龍門渕のは、大丈夫なんでしょうか」

 

「あぁ――それは多分大丈夫、私だってあれの中身がわからないわけじゃーない、むしろなんか、似てる気がするんだ」

 

 それは――塞が問いかけようとしたその時には、すでに心音の表情は凛としたものになっていた。一点だけを見据え、その一点を、こじ開けようとするかのように。

 塞もそれを見て理解する。――似ているのはチカラそのものだ。瀬々という個人を、心音は知らない。それでも、そのチカラが似通っているから、理解が及ぶ。

 

「あの子のチカラは、何かを見通す力だ。それは私と似てる。私に近い何かを持ってる」

 

 ならば、その心は? 解らない、そんなもの、心音に解るはずもない。それでもなんだか瀬々の顔が、眩しく見えたから、羨ましく思えたから。

 心音は越えようと思うのだ。

 

 そのために、

 

「ここからは、アレ(・・)を解禁する。もうなんの容赦も、隠し球もなく、私の全力で――勝ってくる」

 

 言葉に、塞はすぐさま頷いた。もとより、第二回戦後以降は、様子を見て自身のチカラを開放する、それは決めていた事だ。

 宮守の持つ、唯一にして最大の隠し球。ここまで、それは隠し通しても十分戦えていた。それだけ心音の雀力は一流として通用するものだった。

 

 それが、届かなくなる。心音のデジタルだけでは届かなくなる。

 

 だから、そこにもう一つを加える。心音のオカルト――その、真髄を。

 

 

 ♪

 

 

 ――後半戦、長い長い半荘十回の、その入口にして華形である、エース区間の決着地点。そこに、四者の雀士が会い集う。

 

 席順

 東家:車井みどり(晩成高校)

 南家:渡瀬々(龍門渕高校)

 西家:鵜浦心音(宮守女子)

 北家:末原恭子(姫松高校)

 

 順位

 一位龍門渕:123100

 二位宮守 :98700

 三位晩成 :90200

 四位姫松 :88000

 

 

 ――東一局、親みどり――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 親番、みどりの攻め。この局、みどりは苛烈に攻めた。瀬々のことも、心音のことも脅威ではある。しかしみどりの役目は、そんな彼女たちを相手に、少しでも多く稼いでくることなのだ。

 

 ――緑手牌――

 {一三三四七九②③④3589(横2)}

 

 この時、四巡目、手牌の中に潜む字牌三枚を、すべて排除した状況だった。

 確かに無軌道に攻めれば危険では在る。しかし相手の打ち方は、いうなればこちらの守りをこじ開けるような打ち方なのだ。開始から延々と、攻め続けるのであれば話は違う。

 

 ようは期待値の問題だ。満貫に振り込む可能性があろうとも、親ッパネを和了れる可能性があるのなら、みどりはその可能性を最大限望む。

 

 みどり/打{一}

 

(要するに、私が攻め続ける限り、渡の迷彩に対する、危険度は同一だ――!)

 

 相手がそういう特徴を持つ相手なのだとすれば、それに対応する打ち方をすればいい。守って振り込むくらいなら、攻めて振り込むほうが、よっぽどいい。

 

 みどり/ツモ{九}・打{七}

 

 心音のシャンテン数察知に関しても同一、あれは単に危険察知のためのチカラでしかない。ならば速度で上回ればいい、受態を特徴とする能力ならば、攻めには対応という形で回るしか無い。

 

 要するに、速度との勝負。

 それが瀬々の打ち筋を牌の偏りではない、つまり――攻めのチカラではない、と判断した晩成の結論、そして対処法なのだ。

 

 そしてその結果は――

 

 

「リーチ!」

 

 

 宮守の先制という結果を、許すこととなる。

 

 ――心音捨て牌――

 {白西②9三北}

 {發⑦横2}

 

(とりあえず解るのは……字牌は通るということくらいか。いや、そんなもの私の手牌にもないが)

 

 第一打からの役牌、おそらく字牌はほとんど手牌になかったのだろう、使うとしても、雀頭としてオタ風が対子になっているかもしれない程度。

 

(中張牌が多く切られているのなら……ドラを直接切らない限り高くはならないだろう)

 

 そうして、姫松のツモを流し――自身のツモ。

 

(……おや?)

 

 ――みどり手牌――

 {三三四九九②③④23489(横7)}

 

(まさかドンピシャとはね、ならまぁリーチと行こうか? ――いや、そんな物、打ちとってくれと言わんばかりだな。宮守のツモでリー棒が無駄になるのも怖い、親満(4000オール)でも十分だろう)

 

 みどり/打{三}

 

 瀬々の打牌は特に特筆することもない、何か仕込みをしているのかもしれないが、この時打ったのは現物だ。

 

 ――おそらくは、オカルト。しかしそれも、この状況では余り意味が無い。

 

 

「ツモ!」

 

 

 ――心音手牌――

 {一二三①①①⑥⑦23466} {⑧}(ツモ)

 

 ドラ表示牌:{7} 裏ドラ表示牌:{四}

 

「1000、2000!」

 

・宮守 『102700』(+4000)

 ↑

・姫松 『87000』(-1000)

・龍門渕『122100』(-1000)

・晩成 『88200』(-2000)

 

(……特筆するべき所はないね)

 

 和了られてしまったものはしょうがない。一発ツモなどよくあること、だとすればこのくらい、大して気にする必要もない事象ではあった。

 親被り――二千点を即座に吐き出すと、それを着に求めた様子はなく、みどりは対局へと帰還した。

 

 ――それを、そんな彼女たちを、少しばかり“引けた”目線で眺めるものがいた。蚊帳の外、とでも呼ぶべき者。

 少女の名は――鵜浦心音。

 

 寂しがり屋の、臆病者。東発の、最初の和了を決めた彼女は、自分をそんな風に思っているのだ。

 

 

 ♪

 

 

 鵜浦心音はどこにでも居る普通の少女だった。当然だ、生まれも、育ちも、彼女に特別なところは何もない。

 天江衣のような、特別な血筋もなければ、依田水穂のような何かを背負って生き続けたような過去もない。

 

 それでも、彼女には一つだけ、大切な思い出があった。

 

 それはとても小さな頃の記憶。ちっぽけで、それでも彼女が、その一つこそが“自分の世界”なのだと、胸を張って高らかに言える。

 そんな、誇らしげな記憶。

 

 

 心音が小学校に通うほど幼かった頃。心音の周囲ではいじめが横行していた。

 何も不思議な話ではない、世間ではよく聞く話で、これもそんな特に言うほどのことはない、単純な軋轢からくるいじめの一つだったのだから。

 

 その時、心音はいじめの側に加わることはなかった。心音とは少しはなれたグループの中で起こったことだから、それに加わる意味も、仲裁する意味も無かった。

 心音はよくある、いじめを見逃す側、傍観者の立ち位置にいた。それに罪悪感を感じることこそアレ、心音は臆病な性分であったから、そのいじめの中に、割って入る勇気など、あるはずもなかった。

 

 それが、本当に長い間続いた。

 一年ほど、二年ほどだっただろうか、それくらい続いて、そして変化が訪れた。それはそのいじめグループ内だけのものではなかった。

 転校生がやってきたのだ。彼女は両親の都合で母方の実家に越してきた少女だった。

 

 

 ――名を、五日市(いつかいち)早海(はやみ)と言った。

 

 

 彼女はとにかく豪放な性格で、どちらかといえば男子の中に混じって野を駆けまわることを趣向としていた。そんな彼女は転校早々に、学校内で起こっていたいじめを解決した。それも本当に、あまりにも強引な手段で。

 学校中――どころか、地域中全てを巻き込んで、いじめの存在を大々的に触れ回ったのだ。両親、近所、そして果てには赤の他人にも、とにかくいじめの存在を大きく騒ぎ立てた。世論という、力ある何かの助太刀を得るために。

 

 やがていじめは世間に明るみとなり、学校も、教育委員会も、見てみぬふりが困難になった。いじめを行なっていた子どもたちは転校を余儀なくされ、いじめを受けていた少女は、なんだかんだ早海と――そして心音とも親交を持つに至った。

 

 この時の一件、実のところ心音も中心人物として関わっていたのだ。いじめの存在を早海が知った直後、彼女は近くにいた少女――心音に声をかけた。

 

 

 ――力を貸してくれ、と。

 

 

 彼女のやり方は、一人では解決しないものを、強引にあらゆる人間を巻き込んで解決するという荒業。そのためにはどうしても、協力者が必要だった。

 それに選ばれたのが心音である。

 

 それからだ、心音と早海の付き合いが始まったのは。――結局、助けた少女とは中学の進学先を別としたために離れ離れになってしまったが。聞けば彼女は生徒会長を務め、学校を盛り立てているらしい。

 

 それが鵜浦心音という少女の世界がはじまった瞬間。

 五日市早海という少女と出会い、そしてひとつのあり方を得た。

 

 早海はとにかく自由な人間だ。世界に、そして誰かという存在に縛られることはない。そんな彼女に――少しでも心音が近づけたのだから、

 

 心音はこう、思うのだ。

 

 

(――これほど、これほどうれしいことはない)

 

 

 ただただ純粋な思いで。

 

 自分という存在に、声をかけてくれた早海に、心音はずっと、感謝し続けているのだ。

 

 

 ――東二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

(……くっそ、姫松に鳴かれたせいで牌がずれてしまった。畜生、後一巡で和了れてたのに)

 

 東二局、すでに終盤に差し掛かっていた。

 瀬々はこの局、和了りに向かってストレートに手を進めていた。――というよりも、進めざるを得なかった。

 とにかく手が重かったのだ。時間をかければ形になるが、速度では絶対にかなわない手。それをなんとか十三巡で聴牌したまでは良かったのだが――

 

「リーチ」

 

 晩成のリーチ、これが瀬々の手を邪魔した。

 今回、瀬々はコネクトで他家の手を大体把握している。そしてこのリーチも、ある程度は織り込み済みなのだが、それを避けるため、手を回さざるを得なくなる状況があったのだ。

 

 しかも悪いことに、聴牌直後、姫松が動いた、おそらくは聴牌だろうが、この鳴きでツモ番がずれたことにより、瀬々の和了り目はきえてしまった。

 

(しかも、前局からだけど――ついに宮守が切り札を切ってきた)

 

 宮守女子、鵜浦心音のオカルト、それはシャンテン数を知る――だけではない。それはあくまで本来のチカラの派生でしかないのだ。

 故に、彼女本来のチカラはいまだ使われてはいない。

 

 この時、この瞬間、初めてそれが解禁となるのだ。

 

 とはいえ瀬々は、そのチカラも、正体も――ほぼすべて理解しているのだが。

 

 思考が――回顧へと陥る。思い出すのは数日前、宮守の勝ちあがりが決定した直後の話――

 

 

「――手牌察知? なんだそりゃ」

 

 室内は豪奢な細工の凝らした高級ホテルだ。龍門渕は超の付く金持ち学校。特にその理事長の娘である透華とその仲間たちが、一ヶ月近くの間日本最高クラスのホテルに止まることは造作も無いことだ。

 とはいえここは、あくまで一等クラスのホテルだ。

 龍門渕レギュラー陣はむしろ特待生などによって入学した一般人の方が多い。庶民派の多い彼女たちは、そんな高級リゾートホテル、気後れするに決まっている。

 豪奢とはいっても、ホンモノに近しい程度だ。

 

 そんな室内で、瀬々、衣、そして純と智樹の四名が揃い踏みになっていた。

 

「そーだぞ! なんでも瀬々が言うには、割りと瀬々のパチモノらしい」

 

 純の問いかけに、衣が元気よく両手を振って答えた。その所作は完全に小学生のそれにしか見えないが、とかく。

 

「……でも、瀬々は他人のは…………」

 

「まぁ、そうだな。あたし自身、そこら辺は知るつもりもない。あくまでコネクトからの間接的察知だけだ」

 

 智樹の言葉を肯定し、それを含めて改めて衣が口を開く。あくまで楽しそうに。――相手は先鋒、瀬々がこの話の主役であるのだが。

 

「牌の声を聞く――といったところか。神の声を聞いたものが神になったという話を、衣も聞いたことがある。おそらくは、その類だな」

 

「それってつまり、どういうことだよ」

 

 抽象的すぎてわかんねー、と純は若干放り投げ気味に吐き捨てる。無論衣の言葉を正確に理解しようと思えば瀬々辺りならできないわけではないが――それをするよりも早く、衣はふむ、と両腕を組んで言葉を開いた。

 

「まぁ、簡単に言えばだ。牌が自己主張を始めるのだよ。それによって牌の在り処、自分のツモる牌や他人の手牌など――な」

 

「……それは、チート、というやつでは…………」

 

 智樹がふと、抗議の声を上げるように言う。衣の言葉通りであるのなら、それは瀬々のチカラ寄りもさらに上の部分、ノーリスクでの全知ということになる。

 ――だが、そうではないと、今度は瀬々が口火を切った。

 

「いや、どうも完全じゃあないみたいだ。あくまで宮守の先鋒さんは人間だからかね。なんて言うかな、リミッターみたいなものがかかってて、本当なら全部わかるかも知れないが、現状そうではないみたいだな」

 

 ――詳しく言うと、そうやって瀬々は一拍呼吸を入れて繋げる。

 

「相手の手牌で解るのはシャンテン数、自分のツモはせいぜい大体の雰囲気と、ツモ和了できる牌だけみたいだ」

 

 ようするに、リーチ一発がほぼ確定、無駄ヅモも全くのごとくしない。それだけでも強力だが、シャンテン数を知れる――というのは、たとえコネクトでも、他人の手牌を全容が知れる時と、そうでない時がある瀬々からすれば羨ましい限りだ。

 

 シャンテン数が知れれば、聴牌と同時に速度で逃げにかかることもできる。それを容易にするチカラを心音は持っている。

 

 厄介な相手だ、少なくとも――明確に他者に対して手を打てるわけではないというのが――もっとも瀬々にとっては厄介と言えた。

 

 

(――で、結局ハイテイの直前に、これだ)

 

「…………リーチ」

 

 瀬々の思考を尻目に、心音が海底(ハイテイ)直前に、自摸切りでリーチを仕掛けたのである。まるで図ったかのように。現在の心音には、恭子の鳴きで――ハイテイが回った。

 

 そうして、なんとか瀬々は鳴いて牌をずらせればよかったのだろうが、それもできず、自身のツモをつかむ。

 

(わかってはいたけど、和了れなかったか。んでそうなると、あたしは誰かに差し込まなくちゃいけないんだけど……姫松には無理だな、当たり牌掴んでないし)

 

 よってここで瀬々が攻めこむべきはみどりか心音。しかし心音は不可能だろう、一発とはいえ、ハイテイとツモがついて倍満になる手、態々出和了りで満足するとは思えない。

 

 ――いや、差し込んだ所で、訝しんで和了ってくれるはずがない。こっちはトップ、何を考えているのかと怪しまれること請け合いだ。

 ならば、みどりは――?

 

(和了るだろうな、自摸切りリーチは不可解だ。それを潰せるなら、それも自分の和了っていう絶好の形なら、和了もやむなしと考えるはず。でもなー、この人の手、跳満なんだよなぁ)

 

 大問題だ、面倒くさそうに瀬々はそう口の中だけでつぶやく。無論それは感情として表層から飛び出る必要はなく、瀬々の目は、どこか剣呑に、あくまで無常に、ただその卓を観察している。

 

 ただ、彼女のそれは、精神力を最大限に利用したポーカーフェイスだ。揺れない心、それを体現するための、感情の抑制。

 だからそれ以外は、間違いなく瀬々らしい感情が噴き出しているのだ。

 

(どっちが御しやすいかっていえば、どっちも同じくらい面倒くさい。真っ向からぶつかってくるタイプじゃないから余計に)

 

 その感情が、状況へ冷徹に判断を下す。

 

(そもそもこの対局は、真っ向からのぶつかり合いじゃない、一列に並んでの競いあいだ。あたしは他の連中よりも一度は前に出たけれど、それでもスパートをかけた奴が、あたしの前をすり抜けていくこともある)

 

 楽しいな、と思った。隣にたって、強い人間を自分なりの目線で見る。それは水穂との壮絶なぶつかり合いとは違う、全く別の闘いが、そこに在る。

 

(――うん、面白い。ほんとに、こんな“世界”も“答え”もあるんだな。あぁほんと、麻雀ってやめられない)

 

 この日、瀬々の表情が初めて歪む。

 そこに浮かぶのは、狂喜。あくまで敵として、真っ向からの敵意と打ち合う喜びを交えた、そんな表情。

 

(いいぜ、和了ってみろよ――)

 

 

「――ツモ! 海底摸月(はいていもーゆえ)…………っ」

 

 

(あたしが直ぐに――抜き返してやるからさぁ!)

 

・宮守 『119700』(+17000)

 ↑

・姫松 『83000』(-4000)

・龍門渕『114100』(-8000)

・晩成 『83200』(-5000)

 

 隣立つ、下家――鵜浦心音はどうだろう。

 彼女は笑っていた。和了を決めた喜びと、達成を融け合わせ、一つの形に変えたのだ。

 

 

 対局が、続く――瀬々の顔が、そうして無貌のそれへと変わる。続くそれに、思いを馳せたものに、なる。




姫松の次鋒が名前間違えてたので修正しました。
先鋒戦二回目は宮守の人の話。なかなかIPS力の高い御人です。


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『誰かの手元で誇る華』先鋒戦③

 ――東三局、親心音――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

「――ツモ! 2600オール」

 

 ――心音手牌――

 {五五五⑥⑦⑧123南南南東横東}

 

・宮守 『127500』(+7800)

 ↑

・姫松 『80400』(-2600)

・龍門渕『111500』(-2600)

・晩成 『80600』(-2600)

 

 四巡目、心音が和了に要した巡目だ。――和了のツモを合わせれば、五巡ということになる。もとより、速さには十分な手牌であったが、そこへ待ちに対する照準を合わせれば、すぐさま一発でこの手の出来上がりだ。

 速攻を決めた心音に、四者はそれぞれの反応を見せる。

 

 ――この中で、最も鎮痛そうに頭を抱えるのが末原恭子だ。彼女はまずなによりも場数が足りない。先鋒として、相手にした異常はさほど多くはない。

 むしろ、彼女が相手にしたのは千里山の江口セーラなどに見られる、熟達者であった。せいぜいが、春季大会の折に激突した臨海のエース程度だろうか。しかしそれも――

 

(なんやねん、なんやねんホンマ! なんで一人や思っとったバケモンが二人に増えるねん)

 

 ――恭子手牌――

 {一三五九九⑦⑧3389白發}

 

 異常な状況、それをまさしく異常と断言することは簡単だ。二度の一発ツモが、どちらも特殊な状況、待ちに応じてのツモだ。

 ハイテイツモはもちろんのこと、この{東}単騎待ちも、捨て牌をみれば直ぐに異様であると知れる。

 

 ――心音捨て牌――

 {西3⑧横四}

 

 三面張を捨てての単騎待ちというのは、通常であれば正気の沙汰ではない。目に見えて解る異常から、この心音が行ったリーチは、間違いなく“わかってやった”と思わざるをえないのだ。

 だからこそ、恭子はそれに恐怖を覚える。――今、自分が相手をしているのは“普通”じゃない。そんなの、麻雀をやっていればいつかはであう相手ではあるのだけれども。

 

(……アカン、こんなん、こんなんアカン、なんでや……なんでこんな…………っ)

 

 それでも、今の末原恭子にとって、先鋒というポジションは人外魔境の至る所にあった。自分自身が座っている事自体が、何かの間違いではないかと思ってしまうほどに。

 

 だが、状況は無情にも流れ行く。

 まるで恭子一人を、置き去りにしているかのように――

 

 

(……ふむ、ここは引いたのが{1}か、はたまた{2}であったことを幸運に思うべきか)

 

 侮っていた――わけではないだろう。しかし可能性として、認識すべきであったのはまた事実。手牌を読むというのなら、それは手牌以外にも対象を持たなくてはならなかったのだ。

 

(姫松のアレあたりならその辺りも完璧なんだろうが……私は計算に則った可能性しか算出できないからな。発想力の問題といったところか)

 

 ここにはいない人物の事を思い浮かべながら、みどりは何気なしに手牌へと視線を落とす。

 

 ――みどり手牌――

 {二三三四八九⑦⑦678發發}

 

(一応、私は晩成のエースだ。周囲からはそれなりに認められているからこそのエース、そして部長という立ち位置なのだろうが……それでも後一歩、どうしても届かない存在というものを見ると、少しばかり参ってしまうよ)

 

 車井みどり。今年の三年生を代表する県内のスター選手にして、氷山の一角。だけれども、そんな彼女だからこそ、壁というものを知っている。

 一年という、学生という立場ならば如何様にもしがたい差を持っていながら、自分の上を行く全国最強クラスのエース。千里山、姫松の大阪組は、きっと自分ではかなわないだろう。

 

 彼女たちや、それすらも凌駕する、宮永照、アン=ヘイリーといったバケモノ。

 そういった人間は――否、魔物は、自分の立っている先に、立っていない者達だ。決して、どこまでみどりが進んでも、そこに彼女たちはいない。

 

(……それを思わなくとも、目の前の少女たちは私よりも前の場所にいる。……あぁ本当に、嫌になってしまうな)

 

 牌を押し込めて、そこから一つ進んでサイコロを回すのはみどりではない。その合間に、少しばかり椅子に沈み込み、みどりは大きく息を吐きだした。

 片手で額を抑え、何かを耐えるように頭を抱える。

 

 みどりと瀬々に心音は、向い合ってこそ居る。しかし、けっして隣たってはいない。少女と少女、異質と凡夫の間には、明白な程の“溝”がある。

 

 

 ――それでも、

 

 

(とはいえ……それで終わってしまっては、私はここに座る資格など無い)

 

 ――それでも、車井みどりは、自分の道を邁進する。目の前の視界を奪われても、正しい道を見失っても、みどりは先へ、進むしか無いのだ。

 

(私はもう――後戻りなど、とうの昔にできなくなっているのだから…………!)

 

 体を勢い良く起こして、みどりは手を目前へ伸ばす。てにするのは牌の山、自分自身が、彼女達に喰らいつくための牙――!

 

 

 ――東三局一本場、親心音――

 ――ドラ表示牌「{⑨}」

 

 

(……まぁ、解ってはいたことだけど、普通にやっちゃ躱されるよな)

 

 前局、瀬々の手牌は心音がリーチを駆けるよりも早く仕上がっていた。もとより七対子の二向聴から手牌はスタートしたのだ。そこに、ツモが巧く絡めば、数巡での聴牌もさほど難しくはない。

 とはいえ、それが和了れるかどうかは別問題なのだが。

 

(あそこで{東}で待ってなけりゃあたしのツモ番で自摸って和了ってたのにな)

 

 悔やんでもしかたのないことである。そも現状、状況はすでに東三局ではあっても、一本場、手牌は次のモノへ入れ替わっているのである。

 

(――さて、この手牌なら――――)

 

 ――瀬々手牌――

 {③③④⑧⑧24699北北中(横3)}

 

 ――五巡目、ヤオチュー牌を切り捨てての、この形。当然瀬々が選ぶのは、最後の不要なヤオチュー牌だ。

 

 瀬々/打{中}

 

(常識的に考えて、あんまり{6}は使えそうにないけど、ずれたらここも使うだろうしねぇ)

 

 同時に、状況を整理する。

 瀬々は現状心音に対する有効打は持ち合わせていない。リーチ一発までも戦術に組み込み始めた心音は、相対してみればその厄介さが解る。

 

(どうも、手牌とは関係ない牌でも一発になる牌は解るみたいなんだよね。前局の浮いた{東}とか、まさしくその類。――んで、あたしもやろうと思えばそれもできるけど――宮守の場合、鳴いても支障なくツモが狙えるんだよね)

 

 ――瀬々手牌――

 {③③④⑧⑧234699北北(横9)}

 

 瀬々/打{④}

 

 ――そも、宮守の心音には直接他家の手牌を読み取るチカラがある。鳴かれそうな牌も理解した上で――その辺りは無自覚ではあろうが――自分のツモを読み取れるのだ。

 瀬々の場合、そこを考慮しても、そう簡単に和了れるわけではないのだが――ここばかりは、完全にあちらが上位であるといえよう。

 

(んで、そうなると問題は、さっきみたいにこっちの聴牌に反応して、直ぐにリーチ一発で待てるってことだ。特に前局はドラまで捨ててリーチを打ってきた)

 

 ――瀬々手牌――

 {③③⑧⑧2346999北北(横9)}

 

 瀬々/打{北}

 

 一発が確定したリーチをするということは、他家に一発消しを強いるということだ。それはつまり、リーチをした者以外の誰かに当たり牌をつかませるということでもある。

 これがもし、オタ風の生牌ともなれば、その他家は当たり牌を切れなくなる。鳴いたものが完全に、手詰まりの状況に陥るのだ。

 

(他家一人を木偶の坊に変えるリーチ、それをさせないためには、一向聴の段階で手を止めなくちゃならない。テンパイしたら逃げられるからね)

 

 瀬々/ツモ{⑧}・打{北}

 

 ――とはいえ、一向聴であっても悠長にしてはいられない。あくまで心音の本領は、全く無駄ヅモがないということなのだ。

 同一のアドバンテージを持つ瀬々が心音を越えるには、純粋に手牌の良さで勝負をかけなくてはならない。

 

 瀬々/ツモ{③}・打{6}

 

 そう、

 

 

「リーチ!」

 

 

 心音に、追いつかれる訳にはいかないのだ。

 

(……やっぱり、こっちの一向聴を見とってリーチを仕掛けてきたな)

 

 リーチ一発、それを絡めた戦法はいくつかあげられる。

 待ち牌を一発の牌に据えての単騎、もしくは愚形待ち。

 あえてリーチをかけないことにより、敵の油断を付くような奇襲戦法。

 そして特筆するべきは――他家の手の様子を知れることを利用した、先制リーチだ。これを利用すれば、たとえ一発消しが行われたとしても、直ぐに巻き返すことができるだろう。

 

(ずらせないから実際にはわかんないけど、こういう先制型の一発リーチは、多分かなりの多面張だ。最低でも合計枚数十枚を越えるようなものには違いない)

 

 ――心音捨て牌――

 {西北⑨①東8}

 {②3北⑤横6}

 

 この捨て牌、とにかく萬子が高い。恐らくは萬子偏重型の待ち、一通辺りがついてくるだろうか、やもすればチンイツもありうるのやも知れない。

 

(――しかしまぁ、完全な理解が及ばないっていうのは、やっぱり不便だよな、こういうのは、全知でこそ、だろうにな)

 

 ふと、そんな風に“理解できるだけの精神を持つからこそ”思う嘆息を口元から吐き出す。ツモは――{③}。

 

(先制すれば、確かにあんたは誰にも追いつけないかもしれない。特にこの状況、確実に先じていることが、わかってるんだからな)

 

 ――だが、瀬々はそのアドバンテージを、真っ向から否定する。

 

(……あんまりあたしを舐めるなよ。あんたは、今この瞬間だけ、あたしの前にいることを――許しているだけだ……ッ!!)

 

 

「――カン!」 {9裏裏9}

 

 

 ――新ドラ表示牌「{①}」

 

 一向聴の手牌から、たった一巡で和了する方法が、1つだけある。それがこれ、暗槓による追加ドロー、新たな牌を引き寄せる手法である。

 

 ――嶺上牌{②}

 

 これはつまり、心音の持つシャンテン数を知るというチカラを、実質的な機能停止に陥らせるということだ。

 たとえシャンテン数を知れても、カンで手が進むという状況までは――読み取ることができるわけではない。そこを利用した動き。

 

 これで、瀬々の手の様相は変わる。三暗刻一向聴の手牌が――三暗刻ドラドラの聴牌へと変わる。

 

 だが当然、この手はこれほどでは止まらない。――瀬々は、ここで手を止めるようなタイプではない。

 

 

「更に――カン!」 {③裏裏③}

 

 

 これで――聴牌に加え、更に追加で嶺上牌を握ることができる。――――連槓だ。そうして振り上げるのが――瀬々の手。

 

 心音のリー棒を、完全に通り抜けて、瀬々は嶺上牌へと手を伸ばす。その瞬間、瀬々の指先を見つめる、心音の視線に瀬々は気がついた。

 

 ――驚愕。

 

 唖然としたその表情が、瀬々に克明なまでに感情の揺らぎを伝えている。自分自身が持っていたはずのアドバンテージが、一瞬にしてかき消えていくのだ。

 これほど、彼女にとって恐れ得ることも無かっただろう。

 

 それこそ今瀬々は、完全に心音の上を――超えているのだから。

 

 

 ――嶺上牌を手にする右手の隙間から。瀬々の両目がかいま見える。そこにあるのは――純粋な闘志に彩られた、心音やみどり、恭子達と同様のもの、ではない。

 

 あるのは、純粋なまでの無。

 まるで圧倒的な勝者として、後ろに倒れる心音達に、流し目をしているかのような――そんな瞳だった。

 

 そうして瀬々は、嶺上牌を親指で抑えながら、高々と心音達に見せつける。

 

 勝敗の行方を――

 

 

「――ツモ! 三暗刻、ツモドラドラ」

 

 

 ――自身の、絶対性を。

 

 

「――――嶺上開花! 3100、6100ッッ!」

 

 

・龍門渕『124800』(+13300)

 ↑

・姫松 『77300』(-3100)

・宮守 『120400』(-7100)

・晩成 『77500』(-3100)

 

 

 ――東四局、親恭子――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

(あかん……アカンわ、全然勝てへん。別にウチが上がれてない訳やない。振り込んだわけでもない。せやけど、なんか、――全然届く気しーひん)

 

 前半戦、心音と瀬々が暴れ始めてから、決して恭子は和了れなかったわけではない。同時に、この後半戦、和了れてこそいないものの、振り込んでもいない。そんな物、麻雀にはよくあることだ。

 

(団体戦は一回の結果が全て、負けてもうたら、それが世間様の評価ってやつや。――そんなん、全然おもんない。勝つも負けるも、全部運で決まる麻雀とか、全然おもろいはずがない)

 

 ――それでも、そんなもの、敗者の言い訳に混じった幻想だ。現実は、強いものが強いものと激突し、凌ぎを削り合って勝敗を決する。

 人はその境地に、自分の努力でたどり着くことができるのだ。

 

 ――恭子とともにインターハイを闘う、愛宕洋榎がそうであるように。

 北大阪最強の高校、千里山女子のエース、江口セーラがそうであるように。

 

 強くある人間は、その強さに似合った結果を残す。明確な実力差を魅せつけるのだ。

 

(解っとる、解っとるんや。勝敗を決めるのは時の運、せやけどそれを引き寄せるのは、いつでも前を向いてる奴(・・・・・・・)や。後ろ向きの凡人になんか、誰も勝ちを譲ってはくれない)

 

 ――恭子には実力がある。それは自身の努力によって、姫松という強豪の“捨て駒”に至るほどだ。

 時には洋榎にも、蘭子にも勝利するだけの実力はあるし、それもまた麻雀の醍醐味だ。

 

 だからこそ、恭子は誰にも“負けたくない”ただいっときも、誰かに負けて入られない。

 

 ――恭子手牌――

 {一三三六②③⑨3379西中(横五)}

 

(ドラの対子は、あんまり和了るには適さない。配牌もそこまでいい形じゃあない五向聴。和了るには、いつも以上の何かが必要)

 

 恭子/打{西}

 

(和了れないんが分かりきっとるんやったら、和了れた時の見返りを、もっとも高い選択をする。和了れんでもいい、和了れなかった時に、悔しいと思える手を作る――!)

 

 恭子には、何かを背負うものが足りない。

 なにせ彼女はそれを“捨てる”ためにこの場所にいる。強豪姫松の先鋒は、エースではない。だからこそ、恭子はエースの待つ後陣に、点棒を渡す義務がある。

 

 恭子/ツモ{7}・打{⑨}

 

 和了ることもそう、ただ和了るのではない、自分がツモって、意義を感じられるものでなくてはならない。

 相手がどれだけ強くとも、ただ引くだけではいけない。それは状況に流されている――団体戦は、二回の半荘を打てば、それでおしまいなのだ。

 

 続きがあるかは、自分以外の誰かが決めること。――その場その場で、全力投球のできない雀士は、順々に蹴落とされて、消えていく。

 

 恭子/ツモ{三}・打{中}

 

(それだけは――それだけは嫌や。負けたまま、振り落とされて消えていく。――それだけは、それだけは絶対に、絶対に……ッッ!)

 

 ――恭子/ツモ{③}

 

(……あれ? これって――――)

 

 ――恭子手牌――

 {一三三三五六②③33779(横③)}

 

(行ける――か?)

 

 恭子/打{一}

 

 少しだが、形が見えた。

 

 そこに、典型が奔る。――瀬々の打{3}。一瞬ためらいを見せるものの、恭子はすぐさまそれに食いついた。

 

「――ポン!」 {3横33}

 

 瀬々が何がしかを考えているのなら、この打牌はそれに対する布石なのかもしれない。それでも――ここで手を引けるほど、恭子に余裕は一切ない。

 

(何が狙いなんか知らんけど、こっちはそれにありがたく乗らせてもらうで。せやから……最初から足元掬わせるつもりで――かかってきてるんやろうなぁ!)

 

 恭子/打{9}

 

 

 だがそこに――待ったをかける、者がいた。

 

 

「リーチ!」

 

 

 ――晩成高校、車井みどり。

 恭子が切り裂いた――すり抜けたはずのツモの隙間から、自分の手を、ひとつ進める。聴牌、恭子の顔に焦燥が奔る。

 

 だが、同時。あることにも恭子は気がついた。

 

 ――リーチに対する、瀬々と心音の反応だ。両者はそれぞれ、想定の隅から突如として現れたらしい、みどりの姿に驚愕する。

 瀬々は感情を覆い隠す鉄仮面のまま、ちらりと視線だけを向け、心音は心底面倒そうに瀬々とみどりを見比べている。

 

(どっちも、想定外やったってことか。……多分やけど、宮守のが何か手を作ってて、龍門渕がそれを阻止しようとした。そのためにウチのドラ対子を危険を承知で利用したんやけど……)

 

 ――裏目に出た。みどりの最終手出しは当然といえば当然であるが、リーチ宣言牌。それは恭子が、ずらさなければ手にしなかったはずのものだ。

 

(宮守の捨て牌は……少し筒子が高い。多分やけど、染め手。もしくは一通なんかの手役。リーチをかけて一発なら、倍満は覚悟せんと如何かも知れへん。……けど、それがずれて――晩成に行った)

 

 蚊帳の外であったようだと、憤慨してみせるべきだろうか。――恭子は思いの外冷静な思考で、そんなことを考える。

 

(やっぱ、三人とも強いわ。龍門渕は間違いなくこの場の最強やろうし、宮守もそれに喰らいついとる。晩成やって――ただマイナスで終わるわけや在らへんやろ)

 

 三者が、末原恭子という存在よりも――圧倒的に強いというのなら、背が立つというものだ。

 

(主将も昔行っとった。先鋒ゆうのは、勝つために闘いに行くんやない、強くなるために、行くんやって)

 

 ――昔、一年前も、今の姫松部長、赤路蘭子は先鋒を務めていた。一年生ながらもレギュラーであった末原は、結局の所副将という、姫松の安全圏からその後姿を眺めているしか無かったのだけれど。

 

(ボロ負けして帰ってきて、悪びれもせずに後は頼んだと、主将は言った。自分は次の姫松を――背負って立つから。そうして先輩は――主将は今、対象として姫松の行く末を担ってる)

 

 恭子の顔に、少しばかりの笑みが灯る。――ちらりと、瀬々と視線が行き交った気がした。彼女はどこまでこの卓を掌握しているのだろう。それは恭子にはちっともわからない。解るはずがない。

 だからこそ、恭子はこの卓の行く末を見守る。晩成のツモ、一発のそれを、注視する。

 

 ――そして。

 

 

「――ツモ! 2000、4000!」

 

 

 ――みどり手牌――

 {五六七七八九①①①②南南南横②}

 

・晩成 『85500』(+8000)

 ↑

・姫松 『118400』(-2000)

・龍門渕『122800』(-2000)

・宮守 『73300』(-4000)

 

 みどりは、和了った。迷いもなく、一発で、自分の勝利を引き当てた。それはおそらく、一瞬とはいえ瀬々の上を言ったのだ。瀬々の想定を越え、自分の和了を引き当てた。

 ――いや、みどりの和了自体は織り込み済みだったのかもしれない。それでも、この卓の勝者は、間違いなく車井みどり。

 

 恭子は思う。

 その場所に、自分の勝者として立ちたい。無惨に敗れた敗者ではなく。ただ一人の、その場所に立ち尽くすことを許されたものとして――そこに。

 

 

 ♪

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{中}」――

 

 

 ここまで、半荘が二回、それぞれの命運は、はっきりと記されようとしていた。当然、一歩抜きん出るもの見れば、大きく後退するものも居る。

 

 この場合、抜きん出たものは、渡瀬々であり、交代したものは、末原恭子だった。

 

(さて……ラス親や。いつもなら無理にでも和了りを狙いたいんやけど、一度和了って、次の二本場でそれ以上の点棒を持っていかれたら台無しや)

 

 ――恭子手牌――

 {一二二三七九⑥⑥2258北(横三)}

 

 手牌は、決して好いとはいえないものだが、しかし何もないゴミクズというわけでもない。十分な可能性を身にまとった、勝利に近しい結果を持つ手。

 

(――当然、このラス親が最後の親番や。連荘はせーへん。この配牌なら、ツモで9600(くんろく)上がれるんやったら十分や!)

 

 恭子/打{北}

 

 恭子の打牌が――唸る。親番、第一打――ここから第二回戦、半荘十回メドレーの一つ。先鋒戦後半最後の一局が、始まる。

 

 

(――ここまでは、順調ってところか。最後の一局、ここで足元を掬われることだけはないようにしないとな)

 

 瀬々は一人、自身の世界にこもりながら考える。

 速度を考えるなら、この巡目で聴牌できるような人間はいない。

 

(幸いこの局で宮守のが和了る可能性は殆ど無い。それより早く、晩成か姫松が和了る)

 

 ――瀬々手牌――

 {二四六八⑦⑨33477西西(横八)}

 

(あたしの手牌もひっどいな。ここから無駄ヅモなし、他人の鳴きなしで聴牌まで十三巡か。晩成の手は{中}が二枚あるっぽいから、そこに鳴かれる可能性が高いのも問題だ)

 

 和了れるかどうか――どころか、聴牌できるかどうかすら危ういような状況で、ならばここで狙うべきは何か。他家から他家への出和了りだ。

 自身への振込だけならば、瀬々は簡単に回避できるが、それはともかくとしても、ツモ和了も出来る限り勘弁願いたい状況だ。

 

(まぁその前に……多分姫松がテンパイする。おめでとう、初めての和了はすぐそこだ……?)

 

 瀬々/打{⑨}

 

 そこからは、瀬々も特に意識を向けることはなく、打牌の音だけを無心に、無情に受け入れていく。瀬々の手に進展はない。

 これ以上はおそらく進むこともかなわないだろうという状況。動いたのは――

 

「リーチ!」

 

 姫松だった。

 

(来たか……この状況、姫松の手は多分こんな感じ)

 

 ――恭子手牌(瀬々予想)――

 {二二三三七七⑥⑥22558}

 

(別に{8}はあたしも持ってるわけじゃないからどうでもいい、むしろここですべきは……如何に宮守が振り込むかどうか)

 

 晩成は、もはや攻めることはないだろう。宮守も、ここで攻めを選択するとは思えない。――しかし、もしもここで安牌が存在しないとすれば?

 当然、安全そうな牌を切るしかなくなる。

 だったらそれを、瀬々が作ることも可能だろう。

 

 ――瀬々手牌――

 {二四六八八334777西西(横7)}

 

(――行くぞ!)

 

 手牌の右寄り、そこに手をかけて、瀬々は一つ息を吸い込む。ぐっとチカラを込めると――一気に手牌を前へ倒した。

 

「……カン」 {7裏裏7}

 

 恭子は至って平静に、心音もみどりも、それを驚愕によって受け止めることは無いようだった。すでに慣れられた――のかもしれないが、心音に関しては、この{7}カンは福音にもなりうるためだろう。

 

 瀬々も、それを解った上で牌を倒した。

 自分自身もまた、そのツモで手を進める。

 

 瀬々/嶺上牌{三}・打{六}

 

 ――これで、{7}の右、{89}は、ノーチャンスになる。

 

(……さぁ、お膳立ては全部ととのった。出せよ! つかむんだろう、宮守の! あんたの{8}を、ここで打て――!)

 

 恭子の捨て牌は、多少不可解であれど平常のモノ。{9}は序盤に打たれ、{7}は全て枯れ果てた。ここで、誰が恭子の手牌を七対子だと思うだろう。

 

 ――思わないから、瀬々はこの状況を、狙って作ったのだ。

 

 瀬々の打牌、少しの風を伴って、しかしそれに手牌が倒されることはなかった。牌はずらされることも、そこで和了りによって局が終わることもなく、心音のツモへと移る。

 

 ツモ、盲牌だけして、心音は安堵と共にその牌を切り出す。

 

 ――ためらいはない。

 ――違和感も、ない。

 

 そうして放たれる――心音の打牌は。

 

 ――心音/打{8}

 

(――――そいつだ!)

 

 そこで、ようやく、瀬々の顔が笑みへと変わる。対局中、ほとんど剥がれることのなかった瀬々の仮面が、対局の終わりとともに、剥がされる。

 

 ――そこから浮かんだのは、勝利の確信と、絶対の自信。

 

 

「……ロン!」

 

 

 気がついた時には、もう遅い。瀬々の狙いに、今になって恭子と心音は気がついたのだろう。それだけはもう間違いない。

 それでも、両者の表情は両極端にあった。

 

「リーチ、チートイ、タンヤオ……裏――――二!」

 

 柔らかく、瀬々に対して笑みと共に視線をやる恭子と、愕然として瀬々と恭子を見比べる心音。――ここに、勝敗は決した。

 

 ――恭子手牌――

 {二二三三七七⑥⑥22558} {8}(和了り牌)

 

 ――ドラ表示牌:{中}{北} 裏ドラ表示牌{一九}

 

「……18000ッッ!!」

 

 どこか苦々しげなものを噛み締めながらも、恭子はそれを何とか笑みに変え、倒した牌ごと、右手を前方に突き放す。

 つつ――と、頬を流れた冷たい何かは、彼女の感情を、正反対から表すものだった。

 

 ――末原恭子:二年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――82300――

 

 同様に、心音は何か苦しげなものを抱えるようにして、それを真正面から受け取った。意気消沈気味に、はい、と一言。彼女の声は、それだけだった。

 

 ――鵜浦心音:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――94700――

 

 そんな生気を体中にまとった二者とは対照的だったのが、瀬々の安堵を交えた表情だ。こわばらせていた顔には、一体どれほどの緊張があっただろうか。それを感じさせるものはどこにもない。

 ただ。やりきった――そんな表情で点棒のやり取りを見守った。

 

 ――渡瀬々:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――122700――

 

 どこか不満気に、しかしそれをほとんど感じさせず。みどりは両目を閉じた。何かを思いに乗せてそのまま、ふぅ、と大きく一つ――息を漏らした。

 

 ――車井みどり:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――100300――

 

 そうしてみどりが、パタンと、手牌を伏せる。その音が、契機となった。

 室内に、けたたましいアナウンスが――響き渡る。

 

 

『先鋒戦、終了――!』

 

 

 それは四校の、明暗をくっきりとさせるものだった。




最後まで麻雀は何が起こるかわからない。まぁ瀬々は普通に勝って勝ちました。
団体戦的にはこれが初陣ですからね、華々しく飾ることと相成ります。


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『未だ見えぬ未来』次鋒戦①

 対局を終えて、それぞれは自分だけの表情と、足取りで控え室へと戻っていった。この半荘二回、決して手を抜けるような闘いではなかった。

 大きく勝利した龍門渕の渡瀬々ですら、一つ気を抜けば、そのままずるずると最下位に転落して何ら不思議なことはなかったのだ。

 

 事実、オーラスまでプラス収支を保っていた宮守の鵜浦心音は、最後の一局、末原恭子からのまさかの直撃を受け――三位に転落した。

 結局のところ、明暗を分けたのは一瞬の判断と、天運。勝利をつかむ機運の差とでもいったところか。

 

 ――無論、四者全てにそれはあった。捨て駒として先鋒を任された恭子にすら、負けたくないという意地があった。それでも彼女たちが敗北したのは、まるでボタンの掛け違えでも起きたかのように、タイミングを(たが)えてしまったが故のことだろう。

 負けたものがいた。

 勝ったものがいた。

 

 その結果は、大将戦にまで持ち越される。団体戦は五名のチームメンバーによる半荘メドレー、十回戦の結果が最終の勝敗を分ける。

 

 今はその一つが終わった。それぞれは自身の思いだけを胸に乗せ、仲間が待つ控え室へと去っていく。吉報と悲報。自分自身の答えを携え、持ち帰る。

 

 

 ♪

 

 

 ――次鋒戦は主に先鋒戦からの結果を引き継いで、チームのナンバーファイブやナンバーフォーが、中堅にて待つメンバーへ、タスキを繋ぐための闘いだ。

 基本的に後方を任された三人の存在から、十分に逆転の望める状況。先鋒での勝利により点棒を稼いだものであれば、更に余裕を持って対局へ臨むことができる。

 比較的、そういった状況で“経験を積む”ことを前提としたメンバーが大きく集まる場所だった。

 

 無論、例外もある。例えば姫松であれば、次鋒に座るのは大概がチームのナンバースリーである。意外に思われるかもしれないが、姫松ではエース、大将に続いて、次鋒が三番目に強い。

 

 これは姫松というチーム事情を大きく反映した、特殊なオーダーであるのだが――とかく。

 

 次鋒戦会場、最初にそこへ現れたのは晩成高校の選手だ。

 

 ――北門美紀:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――100300――

 

 手慣れた様子で卓上に載せられた四枚の牌のウチ、一つをめくる。すると{東}の牌が底に現れ、勢い良く美紀は仮東の席へ座った。

 小柄な体と、ハネ気味のショートはどこか野性味のある小動物のようだ。ハムスターなどが近いかもしれない。

 

 続いて現れたのは宮守女子の次鋒。こちらは少し緊張した様子で会場内に入ると、ゆっくり全体を見渡しながら歩を進める。

 

「――おやぁ、宮守の人は確か初出場だったねぇ。あっはは、ハジメテってことか。いいね、緊張せずにもっとこっちに来なよ」

 

「え? あ、え、えっと。……まぁはい」

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――94700――

 

 こちらはゆっくり階段を登って、そわそわした様子で卓上の牌へと触れる。ピクピクと震える指先を抑え、まくった先から現れるのは――{南}。美紀からみて右側、下家の席へと座る。

 

 そうして最後に、のっそりとした様子で一人。更にガチガチに凝り固まった手足の動きで前にロボットのような進み方をする少女が一人、同時に別方向から現れた。

 一人は姫松、一人は龍門渕の次鋒を務める少女である。

 

 ――天海りんご:三年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――82300――

 

 ――国広一:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――122700――

 

 三番手に牌をめくるのは天海りんごだ。ぼーっとしたまま、なんとも言えない様相で{西}を顕にさせる。そうして最後に一が{北}をめくると、四者の席順は決定した。

 

「よろしくおねがいしまぁーす」

 

 すでに深々と椅子へ腰掛けていた美紀が片手を振りながら大きめに広げられた袖を揺らす。西家の席にたったりんごが、追随するように頭を下げた。

 

「よろしゅう」

 

「よろしくお願いします」

 

 大きく息を吐き出しながら、席についた塞がその後に言葉を発する。最後に残った唯一人、一が締めを担当する。

 勢い良く体を前傾にし会釈をすると、上ずった声で言った。

 

「よろしく、お願いしますッ!」

 

 

 席順

 東家:北門(晩成高校)

 南家:臼沢(宮守女子)

 西家:天海(姫松高校)

 北家:国広(龍門渕高校)

 

 一位龍門渕:122700

 二位晩成 :100300

 三位宮守 :94700

 四位姫松 :82300

 

 ――東一局、親美紀――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 すぅー。

 はぁー。

 

 猛然と、息を吸っては吐いて出し。嫌に響いて聞こえる心音をゆっくりと正常に近い状態へ変化させていく。

 無論それをした所で、いつもどおりのパフォーマンスに自分自身が完全に至るわけではないのだが、それでも深呼吸一つに、重苦しい何かを載せれば、少しは体が楽になった気分になるのだ。

 

(……あんまり長くやってもしょうがない、か)

 

 一は嘆息気味に現在の状況を省みると、そのまま手牌に意識を落とす。すでに高速で手牌の理牌は住んでいる。手先の器用な一らしい早業といえた。

 

(なんというか、座ってみて解る――この、感覚)

 

 テレビの向こうで、何度か麻雀を打つ少女たちを見たことがあった。スポットライトが照り付く大舞台で、遺憾なく自身の実力を発揮する者達。

 当然中には敗北して、悔し涙とともに消えていくものもいたが。そこに居る少女たちは誰ひとり違いなく、輝いて思えたものだ。

 

(――昔、ボクが手を伸ばそうとして、届かなかった場所)

 

 考えながら、自分自身の第一ツモへと手を伸ばす。ゆっくりと卓上を征くその右手から、ジャラ――と、金属的な異音が響いた。

 否が応にも向く意識。しかし顧みず、すぐさま手のひらに合わさった、自分のツモへと意識を向ける。

 

 ――一手牌――

 {一三四九九②⑧46北中中發(横②)}

 

(手牌が重いのは、まぁしょうがないよね――)

 

 ――ちらりと、宮守の少女、臼沢塞へと視線をやって、気づかれない内にすぐ手牌へと舞い戻る。

 

(じゃあ、まずはいつもどおりに……)

 

 一/打{一}

 

「チー」 {横一二三}

 

 手牌から浮いた一枚、それをすかさず一の下家、北門美紀が喰いとった。両面の萬子から仕掛けていく、そこには一切のためらいも見られなかった。

 

(手が遅いなら、自分から鳴いて手を進めればいい。単純だけど、この巡目で両面を仕掛けられるタイプは、早々いないよね)

 

 デジタルの境地とでも呼ぶべき、鳴きの麻雀。ある種得意とすら言えるその打ち筋は、しかしあらゆる速攻の中でも、頂点に属する速度を誇るのだ。

 それはつまり、攻めるが故の打ち筋。ひたすら鳴いて鳴いて鳴きまくって、とにかく手を早くする、それを目的とした打ち筋。

 

(こっちの手が重いのに、副露ばかり重ねられるから……なんだか置いていかれた気分になる…………)

 

 一/自摸切り{西}

 

 それでも、一は速度で、追いすがる他にないのだ。続く美紀、手出しの{中}、ここに勢い良く喰らいつく。

 

「ポン!」 {中中横中}

 

 同時に打牌、発声した{中}の他に、{發}もまた晒し、勢い良く右端に滑らせた{中}とは正反対に、河へと叩く。

 

 美紀/自摸切り{9}

 

 塞/打{⑧}

 

 りんご/自摸切り{一}

 

「ポン」 {一横一一}

 

(――飛ばされた!?)

 

 よもや、というほどではないにしろ、ツモ番を飛ばされた焦りが一の心中に襲いかかる。自身の鳴きを合わせれば、これで二巡はもう、牌を自摸っていないことになる。

 速度のある美紀を相手に、余り悠長なことはしていられない。だというのに――この状態だ。

 

(自分で鳴けば、晩成の人にツモ番を回すことになる。逆に鳴かれればこっちのツモが飛ばされる。――最悪じゃないか!)

 

 嫌な予感が体中を駆け巡る。

 

 美紀/打{⑤}

 

 塞/自摸切り{⑦}

 

 りんご/打{7}

 

 それぞれは美紀の鳴きなど気に求めていないかのように、何事も無く打牌を続ける。この状況、危機感を煽られているのは一だけのようだ。

 無理もない、一のそれは麻雀における不調の典型とでも言うべき状況を、恐れているだけなのだから。

 

 ――一手牌――

 {三四九九②②⑧46北(横3)} {中中横中}

 

(手が進んだけど、安牌がない。じゃぁ、ここで)

 

 一/打{⑧}

 

 聴牌という可能性は十分に考えられる状況だった。故にここで一は安全策を取る。打牌が長引けば、きっと安牌は増えるだろう。しかし、この状況、この一打は一自身が選ばなくてはならないのだ。

 だからこそ――

 

「ロン、1500」

 

 ――その一言は、大きく一に突き刺さる。

 

 ――美紀手牌――

 {①②③⑧123横⑧} {一横一一} {横一二三}

 

「はい……」

 

・晩成 『101800』(+1500)

 ↑

・龍門渕『121200』(-1500)

 

 

 恐らくは、ドラのオタ風、{北}あたりを自摸るか、何がしか良さげな牌があれば、取り替えるつもりの形テンだったのだろう。

 そこに筋を読んだ一の打牌が突き刺さった。未だ巡目は二段目に切り返されもしていない――ほんの刹那の事だった。

 

(安くて良かった、とか。そんな待ちなのかって、普段なら考えるところだけど。マズイ、これ……多分今のボク――最悪の調子だ!)

 

 よりにもよって直撃された。この状況、巡目であればそれはだれにでも言える。しかしそれを引いたのは一であった。

 ツモ和了でも、流局でも、数巡の自摸切りでもなく、一発で――すぐさま一が当たり牌を切ってしまった。

 

 その意味が。その現実が――重苦しく、一の心中にのしかかる。

 

 

 ――東一局一本場、親美紀――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 

「――ポン」 {七横七七}

 

(……ちょっ)

 

 ――一巡目の事だ。姫松の天海りんごが放った牌に、すぐさま美紀が食いついた。当然、一は牌を自摸れずに他家の二巡目へとツモを映す。

 

(ただでさえ重いのに、これじゃ全然手が進まない……)

 

 ――一手牌――

 {一二四五五七九⑦89白中}

 

 萬子が出れば、どこからでも仕掛けていって構わにような牌姿、特に{三六八}は完全な急所だ。早和了りを狙うにしても、この形なら十分喰い一通が選択肢となる。

 場合によっては、染め手にすら移行できそうな手だ。

 

 美紀/打{②}

 

 塞/自摸切り{八}

 

 思わず顔が引きつるのを、一は隠せないでいた。この自摸切り、鳴かれなければ一が掴んでいたはずなのだ。

 完全に調子が崩されている。

 それを理解していながら、一の手の内から、そこに切り込む手立てはない。

 

 りんご/打{五}

 

(攻めて、それがツモだったら良かったのに――)

 

 一/自摸切り{④}

 

 美紀/打{3}

 

(一打目は役牌、二打目からは中張牌、対子鳴きといい、早そうな感じでイヤだな)

 

 塞/打{發}

 

 りんご/打{2}

 

「ポン」 {2横22}

 

(――またか……っ)

 

 辟易してしまうような流れだ。何もかもが一に向いてきていない。こんな状態で、自分は麻雀を打っているといえるのだろうか。

 

(こんなんじゃ、ボクがここに、座ってる意味もない)

 

 ただ座っているだけ、ツモもなければ、打牌もない。振込だって、あれは一でなくとも振り込んでいたはずだ。だからこそ、一は自分という存在の意義を、見失いかけているのだろう。

 

 自摸切り、不要な{①}を、切って捨てる。

 安牌にすることも考えなかった。喰いタン狙いであろう美紀には当たらない牌であるが、染め手を狙う以上、この牌は必要ない。

 

 自摸切り、自摸切り、何度か続いた。

 その間、手出しが特に多かったのは美紀で――七巡目。

 

「ツモ! 1100オール」

 

・晩成 『105100』(+3300)

 ↑

・姫松 『81200』(-1100)

・龍門渕『120100』(-1100)

・宮守 『93600』(-1100)

 

 配牌は、さほど良くはなかっただろう。今の場は唯一人を除いてとにかく重い、その一人すら、思うがままに聴牌に至っているわけではない。

 この状況で――速攻の手を仕上げた。

 

 晩成高校の次鋒、北門美紀はとにかく速攻に特化した雀士だ。その精度はおそらく水穂と同等、晩成は奈良一強の強豪だ。全国への出場経験も多い。そんな晩成でレギュラーを張っているのだから、少なくとも経験としては……おそらく水穂以上。

 

(相手にする上で、一番やっかいなタイプだ。鳴き麻雀は、こっちが追いつこうとしてる間に、対局が終わってる……)

 

 近しい所に、同タイプの雀士がいるからこそ解る。

 間違いなく次鋒戦最強の強敵は――晩成だ。

 

 

 ――東一局二本場、親美紀――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

「リーチ」

 

 静かな発声だった。塞のツモだけを考えれば、九巡目。早くはないが、しかし順当な聴牌ではある。気をつけなくてはならないのは、間違いなくこのリーチだ。

 一は嘆息気味に手牌を眺める。

 

 ――一手牌――

 {二三四六⑤⑦⑧223479}

 

(いいところまでは、来てたんだけどな)

 

 余り勝負できる手ではないだろう。両面待ちに取れて、平和がついてもリーチをかけられなければ二翻ほどの手にしかならない。

 

 りんご/打{發}

 

 姫松の天海りんごは無難な打ち回し。{發}は二枚切れの役牌だ。危険ではないとは言い切れないが、塞の捨て牌を見ればさほど危なくは見えない。

 

 ――塞捨て牌――

 {北9(中)⑧7一}

 {④二横三}

 

 自摸切りは{一}オンリー、極めて良好な手牌だったと見える。両面塔子落としからのリーチは、おそらく切り捨てなかった両面が巧く噛み合ったがためであると考えられる。

 

 一/ツモ{五}・打{7}

 

(一応、できるところまでは回してくしかないな。安牌はそれなりにあるし、多分姫松も降りると思うし――)

 

 美紀/打{北}

 

(――やっぱり晩成はオリてきた。凄いな……二副露まで鳴いてれば、どんな形でもボクだったら攻めちゃうよ)

 

 続く打牌、再び美紀は手出しからの{北}、その後に塞の{2}切りが続く。

 

 これが晩成、北門美紀の打ち方だ。

 すでに美紀はここまで{横213}及び{中中横中}と二つの副露を晒している。役牌対子から、一向聴はほぼ確実だろう。

 それでも、美紀はためらいもなくオリを選択した。

 

(ヤオチュー含みをためらいなく鳴いて、速攻を得意とする雀士は、それなりにいる。聴牌に対して、即ベタオリを選択するような、とにかく守りに特化した雀士は、それなりにいる)

 

 打牌、塞の安牌を自摸切りだしながら、意識を晩成の少女へと向ける。

 

(――でも、その両方を同時にこなす雀士は……ほとんどいない。この人は、北門さんは、そのほとんどの――例外に立つ雀士!)

 

 一の視線に、勢い良く打牌を切り出す少女が見えた。よどみなく、彼女は自身の打ち方を貫く、奮われた右手は、そのまま卓の端、定位置と呼べる場所に――よどみなく収束した。

 

 晩成という高校は、自身の高校の中で特化した形態を持つ高校だ。県内に対抗馬がいないがために、高校内での上位層と下位層に大きな開きがあるのだ。

 そしてその上位層に立つ者達は、全てがデジタルとしてある種の極致に達したものでもある。

 

 速度、という面でいえば、否、“速度の伴った守備”という点で言えば、間違いなく北門美紀は全国最強クラスの雀士と言える。

 

(実力がないから配置されてるんじゃない。大火力を持つ選手が大暴れした時、稼げないから次鋒に配置されてるんだ。少なくとも、ボクからみて、晩成高校には、隙と言える部分は――全くといっていいほど、ない)

 

 そうして――一は自身の自摸へと立ち返る。

 

(……聴牌、一応攻められる手だ。だけど多分、これはこのまま、和了れずに終着するんだろうな)

 

 ――一手牌――

 {二三四五六⑤⑦⑧22234(横四)}

 

 一/打{⑧}

 

 {⑧}は塞の安牌だ。ここまで、完全に姫松と晩成のベタオリが明らかとなっている。回し打ちで追いついた一は、ダマでその手を張った。

 ベタオリを考えたのではない。たしかにそれも、同しようもない引きであれば考えるが、それよりも、リーチ棒を無駄にしたくはなかった、というのが正解だろう。

 

 調子の悪い時は、追いついて直後、場が動くことが時たまある。これもまたその一つであると、一が考えたのだ。

 その考えは、ピタリと的中していた。塞が手元で牌を晒して、手牌を勢い良く前方へ倒したのだ。

 

「……ツモ、1300、2600の二本場は、1500、2800」

 

 ――塞手牌――

 {|七七③④⑦⑧⑨345678} {②}(ツモ)

 

・宮守 『99400』(+5800)

 ↑

・姫松 『79700』(-1500)

・龍門渕『118600』(-1500)

・晩成 『101300』(-2800)

 

 やれやれ、と嘆息気味に渡す分の点棒を取り出す。今のところ、一は何もできていない。……瀬々の稼いできた点棒が、再び少し、か細くなった。

 

 

 ――東二局、親塞――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 その局は、驚くほど変化のないまま進行した。十八巡、なにかの変化があるでもなく、それぞれのテンパイノーテンだけを晒したまま、流局した。

 

 原因は単純だ。とにかく四者の手が重かった、それに尽きる。

 

「テンパイ……」

 

 ――塞手牌――

 {一三四五六九九②③④345}

 

「ノーテン」

 

 ――りんご手牌――

 {四六八②②③⑦⑦⑧⑧⑨北北}

 

「…………ノーテン」

 

 ――一手牌――

 {一三七八⑨⑨⑨78發發中中}

 

「ノーテンだよー」

 

 ――美紀手牌――

 {三四五六七⑤⑦234東東東}

 

 四者の手牌は、それぞれだ。とはいえここで、開かれたのは一つだけ。臼沢塞、彼女だけがこの重たい場を抜けだして、テンパイにまでこぎつけている。

 速度のある美紀ですら、突破口が見えず四苦八苦した状況で――塞だけが、何の苦もなく手を前進させているのだ。

 

(全然手が進まなかった。ボクの調子は最悪ってくらい悪いけど、それでも他家だって手が重くないわけじゃない)

 

 何も今回の不調、一だけに原因があるわけではないのだ。というのも、宮守女子、臼沢塞には特殊なオカルトがある。

 それは他家の流れを“塞ぐ”タイプの手の支配であるという。

 

(塞の神なんていう神様が世の中にはいて、この人はその同種だって瀬々はいってた。そんなホンモノの“オカルト”のことは、ボクはさして詳しくは知らないけど――肌に感じて、支配っていう言葉はしっくり来る)

 

 ピリピリと、指先を焦がすかのような感覚が、自身の中にじんわりと広がっているのを感じ取る。今、一は塞の支配を受けているのだ。

 

(別に和了れないわけじゃない。一点集中すれば、オカルトを封殺することも可能らしいけど、今の彼女は単純な垂れ流し状態、速度があれば、十分追いすがることも可能だ)

 

 ――ちらりと、先ほどの対局を回想する。東一局の平場と一本場、どちらも和了したのは親の美紀だ。鳴きによって手を進める速度の打ち手。彼女は、塞の支配を破ったのではなく、支配の中にあっても和了を決めたのだ。

 鳴きによって流れがぶれたというのもあるだろう。東発の和了において、美紀の手牌にあった{②}は、おそらく一が自摸っていたハズのものだ。

 

(宮守に、晩成――そして全国最強クラスである姫松のレギュラー。誰も彼も、間違いなくボクより格上の相手だ)

 

 ――一は、ほんの半年ほどしか、麻雀を打ってはいない。実力はあっても、ブランクがある。龍門渕の五番手、言ってしまえば隙のようなものだ。

 それを踏まえた上で考える。

 

(ボクには……一体どんな闘いができるんだろうか――)

 

 ――と。

 

(とーかは、ボクのまっすぐな打ち筋を好きだといってくれた。どうしようもない過ちを冒してしまったボクに、もう一度だけチャンスをくれた)

 

 ――国広一には、想いがあって、過去がある。それは誰にも言えないような一の楔で、一生付き合って行かなければならない疵痕だ。

 きっと、誰も一を許してはくれないだろう。

 

(ボクが今できること、それは透華に――もう一度だけ、ボクにチャンスをくれた透華に報いること。そのために、ボクは自分の麻雀を打つしか無い!)

 

 もう嫌だ。

 喪うことは。自分のせいで、誰かが自分の元から離れていくことは、もう嫌だ。絶対に――――

 

 

 ――四月のランキング戦で、瀬々と水穂が直接ぶつかって、その時瀬々は水穂に勝利した。抱えていた悩みも、過去も全部振り切って、今の瀬々は――多分あの場所にいる。

 普通じゃない人生だっただろう。瀬々という存在を形作る、“答えを得る異能”にあまりにもふさわしい人生を送ってきただろう。

 

 それでも、瀬々は立っている。自分の足で、自分の生き方で、衣の隣に――立っている。それは普通じゃできないことだ。衣は――おそらく今の衣は、それでも“マシ”な部類なのだろう――常人では計り知れないほどの何かを持っている。そんな少女を、全肯定して隣に立つ、それが瀬々にはできるのだ。

 

 ――ランキング戦が終わってから、水穂の打ち方はどこか変化した。別に彼女のデジタルも、オカルトも、劣化したわけではない。だが、どこか打ち筋に、刺のような物がなくなった。

 

 国広一の仲間たちは、昔の自分を越えてここに居る。

 だけれども、一には一切それがない。

 

(大沼プロは、自分の“信念”を見つけることが、ボクに必要なことだといった。それはきっと、ボクの麻雀を見つけるということだ。だったら、だったらボクの――)

 

 瀬々や衣には、彼女たち自身とすら言える根幹が存在し、透華や水穂には、確かな技術がある。――それなら、自分は?

 

 

(――――国広一の麻雀は、どこにある……?)

 

 

 ――東二局二本場、またしても対局は硬直、流局に終わる。

 結局この局も一はテンパイを逃す。長い、あまりにも長い対局だ。少しずつ、熱気に包まれていた会場もその熱を奪われ、どこかに霧散させていった。

 息を呑み、誰もが口をつぐんだまま対局を見守る。一度口を開いてしまえば、後はもう――単なる呼吸の音しか残らないような、そんな静寂すら奪われた次鋒戦。

 

 誰もが明けぬ夜を想いと変えて、対局は続く。けしてそれは片隅にはない。この闘いは――世界すらも支配する、そんな対局であったのだ。




北門さんみたいな、超速攻型の雀士は割と好きです。
憧みたいな巧く立ちまわってプラスで帰ってくるタイプは尊敬します。


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『気高き雀牌のもののふ』次鋒戦②

 

 

 ――姫松控え室――

 

 

 画面の向こう、四校の対局は今も続いている。特筆すべき所は四者の打点と、内回しの硬さというところだろうか。

 早仕掛けベタオリを駆使する晩成だけではない、塞も一も、全国に駒を進めるにふさわしい、手堅い打ち筋を見せている。

 一に対して機運が全く向いていない事を除けば、この局は非常に見どころのあるデジタル戦といえるだろう。

 

 ――そして、

 

『ツモ! 2000、4000!』

 

・姫松 『83500』(+8000)

 ↑

・宮守 『103600』(-4000)

・龍門渕『111000』(-2000)

・晩成 『101900』(-2000)

 

 次鋒戦初となる満貫和了が、半荘の後半半ばに、ようやく飛び出した。和了したのはここまで一切合切沈黙を貫いていた姫松の次鋒――天海りんごだった。

 

「相変わらず、意識に残る和了りをするもんやねぇ、りんごの奴」

 

 紙パックに直接突き刺したストローからストレートティーを勢い良く掬いあげながら、対局を見守っていた蘭子が何気なしにつぶやく。

 

 ここまで一切高打点の和了がなかった状況に、突如として割ってはいった和了だ。それも他家の意識外から唐突に湧いてでたヤミテン和了である。

 とはいえそれは、その手牌の流れを知るものからすれば、少しばかり惜しい和了りでもあった。

 

「リーチかけてれば一発ツモで跳ねてましたね……」

 

 副将――上重漫が残念そうにつぶやく。りんごのツモはテンパイ直後の一発ツモ、リーチをかけていれば間違い無く跳ねていたのだ。

 

「とはいえ漫ちゃん。さすがに愚形テンパイを十四巡で曲げるわけにも如何やろ」

 

 恭子が何気なしにつぶやく。

 

「ウチなら行ってるなー。龍門渕と晩成が確実にオリてくるんやし、ちょうど筋引っ掛けになっとるから親番の宮守辺りが出しそうやん?」

 

 なんでもない様子で蘭子が言う。恭子は難しそうな顔をするが、これは単純なスタイルの違いというものだ。

 たとえ和了れなくとも、五百点はほぼ確実に稼げる手。恭子は統計的な観点からリーチはかけないが、これが蘭子であれば話は違う。次局でリーチ棒を供託ごと取り返すと決めつけられれば、そのリーチ棒は勝利への特急チケットに変わるのだ。

 

「むしろ、この場合先輩がまゆ一つ動かさないっちゅうんがポイントやと思いますけど」

 

 点棒を受け取りながら、りんごは無表情のまま晒した手牌を眺めている。それは先鋒戦での龍門渕、渡瀬々に近い。

 だが、それを指摘する洋榎の視点からは、両者の違いが判然としていた。

 

「……やっぱ大違いやなぁ」

 

「え? どうしたんです? 一体」

 

「あぁいや、独り言や」

 

 漫の問いかけを受け流すように答えながら、洋榎は一人腕を組みながら考える。姫松の次鋒はとにかく特殊なポジションだ。

 中堅にエースを置くという性質上、先鋒には主に他校のエースをけん制する相手、もしくは先鋒戦を早く流せる雀士が座ることになる。

 例えば今年副将を務める上重漫が前者に辺り、後者は今年の末原恭子がそれだ。

 

 これはつまり、そのどちらにおいても、エース相手に“後手に回る”ことが前提となるのだ。失点しての先鋒戦終了が、姫松の大前提なのである。

 今回のように、マイナスを二万点以下に収められる状況というのはむしろ稀で、準決勝、決勝に駒を進めるに連れ、それは顕著となる。

 

 そうして失点した状況で、バトンをもらうことが前提となっているのが次鋒のポジションだ。無論それは中堅であるエースにも言えることであるが、敢えて先鋒という区画から外れたエースは、間違いなく活躍して点棒を残す。

 洋榎はその代表格である。

 

 ならば次鋒はどうか、周囲からの期待は薄いであろうが、中堅に繋ぐことにおいて、さらなる失点は絶対に許されない。

 そのために、微差であってもプラスで変える、そんな確固たる実力が必要なのだ。

 

 だが、それ以上に、洋榎は必要だと考えるものがある。

 

(姫松の次鋒に必要なんは、やっぱ“図太さ”やろうなぁ)

 

 どんな状況であろうと、しぶとく闘いに喰らいつくしぶとさと、それを支える神経の太さ。それがなければ、姫松の次鋒は務まらない。

 

(一応、ウチは強い。姫松のエースなんやから、それは当然やなあかん。そして主将も、大将にふさわしいだけの実力がある)

 

 恭子と漫はそれぞれ特別な立ち位置にある。

 姫松という高校が、他校から見ればかなり異質な部分を多く持ち合わせているのだ。その上で、洋榎はこう考える。

 

 ――天海りんご、彼女こそが姫松を支える原動力であり、根底の強さなのだ――と。他校のものさしでは測れない、姫松ならではの強さを持つ少女。

 

 ――それこそが、彼女であるのだと、洋榎はそう、思うのだ。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{9}}――

 

 

 ――宮守控え室――

 

 

「いっけー! 塞ぇー!」

 

 モニター越しに映る仲間へ、宮守副将――鹿倉胡桃の声が響く。届いてはいないだろう。しかし、宮守の代表として次鋒戦の卓につく塞が、それを理解していないとは思えない。

 無意味ではない、そう思うからこそ、彼女たちは想いを込めて声を張り上げる。

 

 順位

 一位龍門渕:111000

 二位晩成 :103900

 三位宮守 :101600

 四位姫松 :83500

 

 ここまでの状況、龍門渕は苦しみながらもトップを守り、晩成と宮守が追い上げる展開だ。姫松は最下位ながらも、微差の収支プラスを確保し、オーラスを迎えている。

 

「晩成の人、すごいねー、さすがに全国区ってやつかぁー」

 

「まぁそれもあるけど、この状況は割りと晩成有利な状況なんだよねぃ」

 

 五日市早海、宮守の中堅を務める三年生が、ジュースを勢い良く吸い上げながらつぶやく心音の言葉に反応した。

 散切り頭に、快活とした勝気な顔立ちは、少女の性格を端的に表している。

 

「ま、普通に考えて塞があの晩成の次鋒と何回も戦っても、二割か三割で塞が勝つだろうしねぇ。逆もまた然りってやつさぁ」

 

「そーなの? や、麻雀ってのはそういうもんだけどさ」

 

 そーいうもんなの、と早海は笑う。ちなみに残りの六割ほどは、塞か晩成の北門以外の誰かがトップを取るだろうという確率だ。

 塞は火力に特化したタイプではないから、トップ率はさほど高くはならないだろう。

 

「席順がまず、晩成にとってかなり好条件だ。上家に調子が最悪な奴が座ってるんだからさぁ」

 

 塞のチカラが正常に働いているということもあるが、この次鋒戦、とにかく場が重い。速攻で攻める美紀と、チカラの外にある塞。どちらも獅子奮迅のように活躍しているものの、点棒の移動としては些か地味だ。

 

「手が悪くて、龍門渕の子、鳴いて手を進めるしか無いみたいだねぃ。しかーも、そのせいで下家の晩成にツモが多く行くって事になっちまう」

 

 どれだけ鳴かずに手を進めても、間違いなく他家が速度で上を行く。そも、和了どころか、テンパイ出来る局がいくらあっただろう。

 それほどまでに一の手は酷い。

 

 ――しかもそれを嫌って、鳴きで手を進めれば、一の鳴いた次のツモは晩成のツモだ。いくらでも速度をあげられるということになるし、一の倍近い速度で手を仕上げることができるということだ。

 

 絶対に追いつけない、絶対に近づけない、そんな状況で、それでも一は手を進める。

 

『チー』 {横八七九}

 

 絶好の鳴き、嵌張がこの形で埋まったのは僥倖だろう。これでチャンタ手一向聴となる。――が直後、一の打牌、{南}に美紀が喰らいつく。

 

「……個人的には、嫌な予感がするからあのままベタオリしてくれたほうが良かったんだけどな」

 

 心音が面倒そうにつぶやく。彼女のチカラは別に他家の手牌まで自分の手牌と同じように察知できるわけではない。要するに単純な勘だ。

 

「……はいった」

 

 宮守最後の一人、小瀬川白望が野暮ったい声音でつぶやく。ちなみに現在彼女は鹿倉胡桃を抱えて対局を見守っている。

 

 ――一手牌――

 {一二三⑧⑨112北北(横3)} {横八七九}

 

2900(にっく)はちょっと安くない?」

 

「まぁ……普通だったら自摸切りだけど」

 

 胡桃の問いかけに、白望はぼーっと焦点の合っていない目を揺らめかせながら嘆息する。少し待てば5800は望めて、最高で11600まで手を高められる。

 巡目は未だ七巡、さしてあせるほどではないだろうが……

 

 一/打{1}

 

「あっ」

 

「……切るよね」

 

 欠伸混じりに繋げるように白望が言う。とにかく一は速度がほしいのだ。一度でも和了れれば、自分の不調をなかったことにできるかもしれない。

 ――または、連荘によって、自身の遅れを取り戻せるかもしれない。

 

 そんな考えが、あっただろうか。

 そこから切りだされた牌は、しかしある一つの、無情な宣告を一へ告げる。

 

『――ポン』 {横111}

 

 これで、美紀は三副露。しかもその全てが、一からの物によっている。そんな様子に、早海はうんざりとした様子で嘆息した。

 

「あーあ、最悪」

 

「まぁそれでも、多分私も切るけどねっ!」

 

 胡桃が白望に、そうやって声をかける。白望は少し嘆息すると、すでに結果は見えたとばかりにテレビのモニターから視線を外すのだった。

 

 

『――ロン』

 

 

 ――和了は、美紀だ。

 一から飛び出した牌を打ちとっての和了、これで前半戦が終了した。

 

 

 ♪

 

 

 ――後半戦オーラス一本場――

 ――ドラ表示牌「②」――

 

 

(テンパイ、かぁ)

 

 ――塞手牌――

 {二三四六七②②③23466(横②)}

 

(正直、かなり微妙なツモだけど、別にこれをテンパイする理由が無いわけじゃない)

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――106400――

 

(ここまで、割りと……というかかなり無難に打ってきた。前半オーラスの満貫クラスで浮いた晩成が相変わらずだけど、この後のメドレーを考えれば、むしろここは晩成に稼いでもらったほうが楽だよね)

 

 中堅、そして大将。晩成高校という、通常の雀士達のレベルではそも視界に収めることすら不可能に思える雀士が、出てくる。

 少なくとも中堅の姫松と龍門渕は全国クラス、龍門渕の大将にいたっては魔物クラスのバケモノだ。

 

(そうなっちゃうと、勝敗を左右するのは完全に、大将のシロになっちゃう。そうなった時にできる限り点は稼いでおきたい)

 

 ここでテンパイにとらずとも、塞の手牌は思いの外盤石だ。他家が重い手を仕上げざるをえない状況で、塞だけはその束縛を端から無視することができるのだ。

 

(ただ、シロを楽させるっていうんだったら。むしろここは手堅く稼いだほうがいいのかもしれない。私の後ろにはまだ胡桃と先輩が居るわけだし、胡桃達が早々他の人達に負けるとは思えない)

 

 ――特に、早海は龍門渕の依田水穂のような、純粋な速攻タイプの雀士にはとことん強い。早々負けることはないだろう。

 

(幸い龍門渕が一人沈みで三位まで墜ちてくれた。この半荘、もう終いにするには十分だ)

 

 考えはまとまった。結論は、この半荘――塞の手により、幕を下ろす。そのために、ここで自分がとるべき、最善の手を――取る。

 

(だったら……テンパイにとる。それにここでリーチをかければラス親であっても晩成はオリる……つまり)

 

 

「――リーチ」

 

 

(このリーチで、次鋒戦が――――終わる)

 

 塞/打{③}

 

 ここまで、晩成は一つも牌を鳴いていない。別にこれまで何度か見られた情景だ。序盤にリーチが入れば当然ベタオリなのだから、絶対に美紀は牌を鳴かないし、麻雀には、そもそも全く鳴きを入れるタイミングがない局もざらにある。

 何も不思議なことではない。

 

 これで半荘二回は終わり、続く中堅――折り返しへとバトンを回すこととなるのだ。

 

 

(おやまぁ、ここでリーチをかけてくるですか。いやいや、別にそれでもいいんだけど)

 

 塞のおいたリーチ棒を眺めつつ、自分のツモを待ちながら美紀は考える。ドラ切りでテンパイというのはたしかにそうだろうが、リーチまでかけるとは、正直な所予想外だった。

 

(まぁ、リーチがかかってなくちゃ私は押すけども。リーチかければオリざるをえないけども。……いや、でーもね、別にこの手、押してもいいんだよ?)

 

 ――美紀手牌――

 {一二④⑤⑤⑧⑨東東東北北中}

 

(ラス親で、中堅戦の事を考えるとできるだけ稼ぎたい状況、むしろ押さない方がどうかしてるしねぇ)

 

 ――塞捨て牌――

 {九一發南二3}

 {四8⑥七9横③}

 

(しかもこのリーチ、ドラまで切ったってことは、少なくともドラは一つしかない。タンヤオなんかがついても、四翻にまでなることはほとんどありえない)

 

 せいぜいが、5200の直撃を受けるかもしれない程度。そんな手を相手にして、むしろドラを含む可能性も高い混一色を、ベタオリで潰すバカがどこに居るだろうか。

 

(普通、そんなの絶対ありえない。どんなデジタルの神だって、この手は押していくでしょうよ)

 

 そう、この手はあくまで突っ張って当然、和了れれば御の字、放銃であっても何ら問題に差し障りのない、あまりにも魅力的な手なのだ。

 

 この手に対してベタオリを選択するものは早々いない。それを明らかにしたうえで――それでも、と美紀は思う。

 

(それでも――だ。私はオリる。どんな手であろうと、ここで攻めることはありえない。それが私の、麻雀だからだ)

 

 ――――最強の麻雀とはなにか、美紀はその問いに、デジタルである、と答えるだろう。しかしそも、デジタルというものにもいくつかの種類――打ち筋がある。

 例えばそれは美紀のような速攻に特化したものであったり、逆に手役を重視した打点を重視したものであったりする。

 

 その上で、デジタルとオカルトを分ける区分。それを美紀が定義するならば、“スタイル”の存在だ。要するに、本人なりの思考から来る“統計”のようなもの、パターンのようなものがあるか否か、というものだ。

 

 自分の中に明確な答えがあって、それを元にプレイをするなら、それは即ちデジタルと化す。

 

(例えば部長は計算の麻雀。例えばやえはいぶし銀の麻雀。言ってしまえば、先鋒のあいつらも、デジタルといってしまえるね)

 

 あらゆる自分のスタイル。信念、それを曲げないことが、麻雀というモノの原点となる。

 

(――だから私は牌を曲げない。変わりに、鳴いて鳴いて、誰にも和了らせずに私が勝つ、それが私なりの、やり方だ)

 

 ――美紀/ツモ{五}・打{二}

 

 唸る一閃、美紀の右手が閃いた。自摸った牌を確かめることすらセず、右端に寄せられていた牌を掴むとすぐさま河へ吐き出す。

 ――風切る牌の軌跡が、緩やかなカーブを描いた。

 

 

(……六巡目以降は戦えなかったらベタオリ、六巡目以降は戦えなかったらベタオリ…………)

 

 ――もごもごと、思考の中身を復唱するように、一は言葉どころか、音にすらならない声を漏らした。ここまで、後半戦まで含めても、一は焼き鳥だ。

 もはや和了ることは、前半戦の振込から諦めた。――速度でかなわないのなら、もはや何でもかなわない。

 

 一の打ち方はオーソドックスなデジタルだ。鳴きに特化しているわけでもなく、手役を重視するわけでもない。

 良く言えば柔和、悪く言えば優柔不断な打ち方は、どれだけ最善に近い打ち方をしても、ツキの無い時は絶対に勝てないという弱点がある。

 

 通常であればその正攻法な打ち筋は、そうそうマイナスになることはないのだが、今回ばかりは、それを踏まえても、不運としか言いようが無いほどマイナスに寄ってしまった。

 

(ボクの打ち方に足りないもの。少しだけど、つかめた気がする。でもそれは、もっとふさわしい舞台で、ふさわしい戦い方によって引き込むべきものだ。――ここは、瀬々の貯金を使い果たしてでも、それ以上の疵を作らずに――みんなにバトンを回す……!)

 

 ――一手牌――

 {四五五六⑦⑧1338999(横八)}

 

 一/打{3}

 

 

 そうして、一巡。塞の打牌{1}の後――

 

(――む、張ってしもたか)

 

 ――りんご手牌――

 {五八九九③③1南南西西中中(横1)}

 

(別に攻める必要はないが……オリるには少し疑問の残る待ちやなぁ。――本来なら、申し越し余裕を持って、のんびり手を作りたかったのやけどー……悠々自適の老後とは行かへんよーや)

 

 ここまで、りんごは微差ながら収支プラスで、最低限の仕事を完了したといえるだろう。リーチがかかっているとはいえ、一発ではない以上さほど高くもならないだろうし――ここでツモって跳満の七対子を、攻めない理由は殆ど無い。

 

 ならば。

 

 ――りんご/打{五}

 

「リー――」

 

「……ロン、2600は2900です」

 

 宣言よりも、早く。

 手牌は曝された。

 

(おやぁ――)

 

 意外に思いながらも、打点が低いことはすでに織り込み済み……これでも、十分りんごは、収支プラスを――守っている。

 

 

『――後半戦、終了…………ッ!』

 

 

 ♪

 

 

 ――天海りんご:三年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――84400――

 

 閉幕直後、りんごがゆったりとした動作で立ち上がった。一つ大きく礼をすると、そのままくるりと体を反転させ、会場を去ってゆく。

 

「おっつかれさぁーん」

 

 ――北門美紀:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――114300――

 

 続いて、美紀が大きく体を伸ばしてから起き上がる。こちらは無表情に近いままだったりんごと比べて、非常に明朗としたまま会場を小走りで去っていった。

 

 その後に続くのは宮守だ。大きく息を吐きだしてから、少しだけ疲れたように「よっ」と言葉を漏らしつつ立ち上がる。

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――109300――

 

 結果として収支トップで半荘を終えたとはいえ、初出場の二年生ということもあってか、場慣れできないまま半荘を終えてしまったのだろう。

 気づかれを隠せないようにしながらも、それでも平然を保ったまま退室した。

 

「……はぁ」

 

 最後に、不甲斐ないとばかりに嘆息しながら一が席から立ち上がる。自身の席には未だ点棒の表示が成されたままだ。

 ――これは自分自身の責任で失った点棒の証だ。

 

(……次は(・・)、負けない)

 

 ――国広一:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――92000――

 

 心に、自分自身の思うがままを刻みつけ、国広一は――再起を誓う。




格上相手でなくとも、不調になればデジタルの人は負けないほうがオカシイです。
あとそれと、自分は生まれてこの方嘘をついたことはありません!!!!


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『水神はやり』中堅戦①

別に牌のお姉さんとは関係ありません。


「おっす、お疲れ様ー」

 

 対局室から、控え室へ戻る間の廊下、人気はなくしんと静まり返った一本道に、かつ、かつ――と、軽やかな靴音が響いた。

 同時に口元から漏れ出るのは、あっけからんとした快活な声音だ。

 

 ――依田水穂:三年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 

 彼女はとぼとぼと控え室への道を歩いていた一に驚くほど優しげな声音で声をかけたのだ。一はそんな水穂にドギマギ言葉を絞り出す。

 

「あ、あの……ごめんなさいです」

 

「いやいやいや、一はこれが初めての全国で、調子の悪い状況だったししゃーないよ。むしろ瀬々みたいに馬鹿勝ちできる方が珍しいんだって」

 

 同じ一年生でも、瀬々と一ではそもそも立っている場所が違う。瀬々は生まれた時から背負ってきた立場というものがあり、一のような、小手先のものでは決して無いのだ。

 

「それに――モニター越しに見てたけどさ。悪くなかったよ、最後の」

 

「……え?」

 

「――次は負けない(・・・・・・)、そんな目をしてた。そーいうのは、いいと思うよ私の場合」

 

 仲間たちを信頼し、同時に自分自身の省みて、次を見据えて勝利を願う。――単純なことではない。自分の負を、誰かのせいにするのではなく、あくまで自分のモノとして受け入れて、次を目指す。それはなかなかできないことだ。

 

 それでも、一はそう想い、瞳に闘志を宿した。――それはきっと、一が誰よりも、次の機会というものを、心の底から請い願っているからだろう。

 

「だからさ、――勝ってくる。一の分まで私が、……キミの信じた仲間の一人が、キミの負けを……取り返してくる」

 

 それを水穂は、心の底から理解する。水穂という少女の原点が、かつて喪ってしまった“機会”にあるのだから。

 再び手に入れた自分の居場所に対する存在証明が――勝利という言葉にあるのだから。

 

「私だけじゃない、副将はキミのご主人様だ。そして――――大将には、衣だって居るんだよ?」

 

 だから、勝利は揺るがない。

 

 ――一は安心して、帰ってきた後の、祝杯の事を思っていればいい。そうやって水穂は、朗らかに笑ってみせた。

 

「――、」

 

 一の中に、何か熱いものが込みあげて、溜まっていく。胸の奥どころか、体中すらを焼き焦がすほどに広がるそれは――安堵と呼ぶべきものだった。

 

 

 ♪

 

 

 ――対局室入り口、二人の少女が相対する。

 

「……お久しぶりです」

 

 タレ目気味な目元が特徴的なのは、姫松高校の中堅。――つまり、エースだ。

 

 ――愛宕洋榎:二年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 

「お久しぶり。――去年のコクマ以来かな?」

 

「団体戦となると、こうして直接座るんは初めてになりますわ」

 

 水穂の言葉に、どことかふてぶてしさを押し隠しながら洋榎が言う。水穂もまた、堂々たる仁王立ちの風体で、それに応える。

 直接、交錯した視線から、暑苦しいほどの闘志が――激突し合った。

 

「……じゃ、ウチはこっちなんで」

 

 くるりと、洋榎が体を回す。向けるのは当然、対局室――熱戦の舞台だ。それに合わせて水穂も体を動かして、後に続く。

 

「奇遇だね……私もだよ」

 

 そうやって――それから会話は続かなかった。

 必要は、なかった。

 

 

 ――そんな両者の前に、対局者たる二名の雀士が立ちはだかる。

 

 

 卓の席に、すでに場決めを終えたのだろう、二人の少女が座り込んでいる。

 

 ――佐々岡良美:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 

 一人は黒髪を肩の辺りで切ってオカッパにした、どちらかと言えば地味というよりは不気味という言葉が近い少女。

 もう一人は、水穂に少し近さを感じる快い笑みの似合う少女――

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 

 四者は視線を激突させると、すぐさま自身の内へと還す。――対局は、どこか重苦しい、違和感のようなものを抱えたまま――はじまった。

 

 

 ♪

 

 

 席順

 東家:愛宕(姫松高校)

 南家:依田(龍門渕高校)

 西家:五日市(宮守女子)

 北家:佐々岡(晩成)

 

 順位

 一位晩成 :114300

 二位宮守 :109300

 三位龍門渕:92000

 四位姫松 :84400

 

 

 ――東一局、親洋榎――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

 それぞれの手に渡った十三の牌が、各々の思考にそって組み替えられる。ただそれよりも早く、洋榎の第一打はバラバラの手牌の中から、繰り出された。

 

 ――洋榎手牌――

 {三三①一9⑦北九四發6中21}

 

 洋榎/打{北}

 

 すかさず水穂が手を伸ばす。こちらは簡略的ながらすでに理牌は終え、見やすく手牌が整頓されている。筒子を左端に、萬子を右端に寄せた形。その意図は、単純だ。

 

 ――水穂手牌――

 {①③⑤⑥⑧⑨345發西一八(横西)}

 

 水穂/打{一}

 

 打牌の後、引っ込んだ水穂の手を追いかけるように、五日市早海も勢い良く牌を掴んだ。何度か指の腹でその牌の在り処を確かめ、直ぐに手牌へと組み込む。

 

 ――早海手牌――

 {三三四八九②⑦479東南白白(ツモ)}

 

 早海/打{南}

 

 最後に良美は、少しだけ難しそうな顔をして、自摸った牌と、理牌のすんだ手牌を眺める。それから一息、嘆息に近いものを吐き出すと、牌を一つ、振り上げる。

 

 ――良美――

 {五五六⑦⑧⑧2349北中(横北)}

 

 良美/打{9}

 

 

 ――洋榎手牌――

 {一三三四①⑦1269發中(横①)}

 

 整理した手牌を見やりながら、洋榎は何事か考える。一度右端の役牌へと手をかざし――それから筒子、{⑦}へと軽く手をかける。

 最後にそれも取りやめると、すかさず手を{9}へスライドし、つかむ。

 

 洋榎/打{9}

 

 数瞬の思考こそあったものの、洋榎の打牌に淀みはない。本線はそもこの{9}であり、残る二つの打牌は、単純に可能性を自身の中で、シミュレートしたにすぎない。

 

 水穂/打{八}

 

 河に少しずつ溢れ出る撒き餌。各者の打牌はそれぞれのテキ(・・)を釣り上げる餌のようなものだ。洋榎の視点にはそう移り、何より洋榎が、捨て牌をそう扱っているのだ。

 さながら浮世の釣り人風情とでも言ったところか、粋な下町風の立ち振舞で、洋榎は視点をそれぞれの牌へと向ける。

 

 早海/打{②}

 

 スライドするように、少し手前で叩いた牌を、早海の右手人差し指が押しこむ。音もなく、河に次いで牌が現れた。

 

 良美/打{中}

 

 それから右端に加わる水穂のツモへと視点を一度向けてから、再び自身のツモへと返る。盲牌で指を勢い良く握りこみながら、手牌へとツモを移動させる。

 

 洋榎/ツモ{②}・打{⑦}

 

「チー」 {横⑦⑧⑨}

 

 すぐさま、水穂がそこで動く。洋榎の視点は、すぐさま対面、早海の元へと向かう。気づかれないほど一瞬だけ向けた視線の先には、ほとんど――それこそじっくり観察しなければわからないほどうっすらと――笑みが浮かんでいた。

 それから、鳴いた水穂へと目を向けると、その視線が水穂のそれと衝突した。少しだけ水穂が驚いたようにしたタイミングで、洋榎は手牌へと自分の眼を戻す。

 

(かかった餌は大きいでー。まぁそれでも鳴いてくるタイプやと思ったけど、まさか……)

 

 わからずに鳴いた――訳ではないだろう。洋榎はそう考えながらも、自分の中の思考、各者の観察へと意識を埋没させていくのだった――

 

 

 ♪

 

 

 あくまで冷静に状況を観察する洋榎とは対照的に、どこか高揚した気分を抱えたまま、水穂は思い切り良く笑みを浮かべていた。

 水穂の視点からは、飄々とした洋榎の表情が映るのであるが、水穂自身、それを真っ向からそのとおりだとは思えなかった。

 

(――やっぱあれ、狩人の目だよ。昼行灯のフリをした暗殺者、姫松最強の仕事人……!)

 

 とはいえ、あの{⑦}が、まさか速度よってはじかれたものだとは思わない。洋榎もまた、五日市早海のチカラに、気がついていないはずがないのだから。

 一巡して、ツモが回る。洋榎の打牌は、連続で中張牌。速度というよりも、チャンタ系に意識を向けているように思える。ならばと水穂は考えて、すぐさま自身のツモへと移る。

 

 伸ばした右手が――山に触れる直前、いいえもしない痺れ、違和感が突如として水穂を襲った。まるで何か大きなものに、自分自身をせき止められているかのような。

 

 一瞬の硬直だ。すぐさまそれは水穂の体から離れる――否、離した。水穂が、錘を、自身のチカラで。それは大して特別なものではない、純粋な気合によるものだ。――それが水穂の持つ、力チカラなのだ。

 

(知ったことか……っ!)

 

 勢いよく右手を振りかぶり、山の上の牌をつかむ。なでるように牌だけを掬い取ったそれは、すぐさま水穂の手元に現れる。

 

 水穂/ツモ{6}

 

(……なるほど、ね)

 

 思い描いたものではなかった。最善なツモとはいえない。一瞬的なものとはいえ、この場を支配する何かを振り切ってまでツモったのだ。思わぬ脱力を水穂は隠せない。

 ただこれを抱えるよりも、オタ風の{西}を重ねていたほうが、水穂の手は守りを得られる。当然ここはただのツモ切り、ためらうことはしない。

 

 続くツモ、そのまま吐き出す。先ほどのアレ――意識をしてツモをつかんで、しかし何の変化もなかったことで、水穂のチカラにケチがついてしまった。

 さほど分の悪い賭けではなかったが、このままただツモを追っていても一向聴から手を進められるとは思えなかった。そう考えて、思い出す。

 

 

(やはりキミも私の敵になるんだね――)

 

 ――先日のこと、第二回戦に備えたミーティングでの席のこと。

 

 

(水神――はやりっ!)

 

 

 ♪

 

 

「――はやり神?」

 

 高級感あふれるホテル備え付けのソファに限界まで体を沈めながら、後方からの言葉、衣のそれに水穂は耳を傾けた。

 

「あぁ、遠野の――岩手のほうに伝わる水神の一種でな、おそらく宮守の中堅は……それだ」

 

 どこかで聞いたことのあるようなプロ雀士が神にでもなったのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 

「なぁに、それ。もしかして岩手の中堅さんは神様で、神様が麻雀を打っているっていうの?」

 

「いいや、あくまでそういったものに近い、ということだな。根っからのリーダー気質、水神としては十分の素質があったのだろう」

 

 神は永水のアレだよ、といいながら、衣は水穂の隣まで持ってきて、ある雑誌のページを見せる。それは高校生雀士特集と銘打って、地元岩手の雀士を特集したローカルな雑誌のようだ。

 少し前、宮守が第二回戦の対戦相手が決まった後、透華が使用人であるハギヨシに言って集めさせたもののひとつであるようだ。

 

 中身は凡庸的なインタビュー記事で、どうやらインタビューの対象となっている宮守中堅、五日市早海の私生活に踏み込んだものであるらしい。

 他人に頼まれたことであれば、余裕があればためらわず手伝う、人を纏める立場につくことが多く、友人も多い。衣がリーダー気質だと早海を評するが、そのとおりのようだ。

 

「――時にみずほ、水神というものは、水を司る神という意味だ。麻雀において、水というのは何を連想する?」

 

「ん? んー、河、かな?」

 

 衣の問いに水穂は少しだけ考えて答える。水、という以上、それが関わるものは麻雀においてひとつ、河と呼ばれる捨て牌置き場を置いてほかにない。

 ご名答、その答えに対して衣は手をたたいて笑いながら肯定した。朗らかな様子に、水穂もつられて笑みを見せる。

 

「さて、その上で言おう。第二回戦中堅戦、水穂、お前の相手はお前と最悪といっていいほどの相性を持つ相手だ。第二回戦、最大の敵は間違いなく……宮守になる」

 

「――へぇ、どういうことかな?」

 

 そんな衣の言葉に、水穂はすぐさま笑みを鋭い刃のような眼差しに変える。

 第二回戦、最大の相手は間違いなく姫松だ。特に中堅戦は姫松のエース区間である。そんな全国最強の――さらに最強クラスを相手取って、それよりも厄介だと評する宮守の中堅、水穂は当然意識を向ける。

 

「宮守は新参の高校だよ? 別に侮るわけじゃないけど、あの愛宕洋榎より厄介だなんていわれるのは、違和感が大きいよ」

 

「別に強いというわけではないさ。中堅戦、間違いなく最強は水穂と、その最強の最強らしい相手だろう。――だがな水穂、お前と宮守の中堅は、相性というものが悪すぎる」

 

 そうやって、衣は水穂の前に回った。室内は、衣と水穂の二人だけ、残るメンバーは、それぞれ自分自身の対戦相手が残す公式戦の牌譜に目を通している。

 ただ一人、水穂だけがこの場に残され、衣から説明を受けている。――ただ牌譜だけを見てもわからない、異常な打ち手に対する説明を。

 

「端的に言おう。五日市早海、あやつの前では――あらゆる鳴きが無意味になる」

 

「……なるほど、ね。それで水神はやりが出てくるわけだ」

 

「そうそのとおり、水神の力はあくまで単純。アレはとにかく河の乱れを嫌う。鳴いて河の中の牌を掬い取れば、それを為したものにそれ相応の罰を与える」

 

 罰、それはつまり手の支配だと衣が言う。鳴いて手を進めても、鳴けば鳴くだけ――有効牌がツモれなくなる。

 結果、鳴きを主体の戦法とする水穂との相性は、最悪といってい部類になる。

 

「それはさながら、激流に命を取り込まれるかのごとく。――ひとつ鳴けば身動きを取れなくなり、ふたつ鳴けば――」

 

 一拍溜めて、衣は放つ。その顔をたっぷり闇にしみこませ、深淵から言葉をひねり出すがごとく。地獄の閻魔が、沙汰を誰かに告げるかのように――さえずるのだ。

 

 

「――命はないと、思ったほうがいい」

 

 

 ♪

 

 

『ふたつ鳴けば――――命はないと、思ったほうがいい』

 

 

 衣はそう言った。事実、ひとつの鳴きで、完全に水穂のツモは沈黙した。

 再三再四のツモ切り、これで六巡、水穂の手は完全にストップしたことになる。これは早海のチカラだけでなく、水穂自身の意気消沈具合も加わってのことだろう。

 

(衣はああやって言った。事実私は言いように支配を甘んじている)

 

 早海の打牌、良美の打牌。

 

 そして、洋榎の打牌。

 

 ――洋榎/打{②}

 

(……でも)

 

 自身のツモの不発から、水穂はひとつ調子を落とした。それにより、結果として水穂は手を止めざるを得なくなった。だが、それもここで終わる。これを鳴けば聴牌だ。たとえ早海のチカラがあったとしても、生粋のデジタルをも内包する、水穂がここで鳴かないわけには行かない。

 

 

「――チー!」 {横②①③}

 

 生物すべてが甘んじるほかにない、激流のさなか、水穂の右手が閃いた。一局面の刹那、河から浮き出た水穂の牌が、飛沫を伴って卓上の右端へ跳ねる。

 これで、水穂の手がひとつ進んだ。同時にひとつの――ゴールが見えた。

 

 水穂/打{西}

 

(命をとられる、衣はそんな表現をした。それはたとえば、他家の当り牌に射抜かれる、だとか――そんな意味合いを含んでいる。つまりこの鳴きで、誰かの当り牌をつかむ可能性が大きく増えた)

 

 本命は、おそらく洋榎だろう。純チャンに近い手作りをし、水穂の性質を理解している彼女が、{⑦⑧⑨}を鳴いた水穂の手牌を見通していないとは思えない。

 

(チャンスがあるとすれば一巡、次のツモまでに和了できたとすれば、それで問題は解決する)

 

 あくまで支配の対象は、牌を鳴いて晒したものだけ。それ以外の、他家の手配は縛らないし、相手の打牌までには干渉できない。聴牌さえできれば、鳴いても出和了りは可能だということになる。

 ――そして、それができなくとも、水穂には、聴牌したという事実がある。先ほどの失敗で失った調子を、取り戻したということだ。

 

 打牌。

 打牌。

 打牌。

 

 一巡して、当り牌は決してでない。全員がとにかく手堅いようだ。全国第二回戦の舞台、数巡の猶予があるならともかく、立った一巡では、当り牌が転がりでる確立は異様に低い。

 だからこそ、水穂は自身のツモに、万感の思いを重ねる。

 

(――支配がなんだ、神がなんだ、私は神なんか信じない。運命なんてのは、人を蝕む最悪ののろいだ。人を縛る鎖でしかない!)

 

 勢いよく右手を振り上げる。肩辺りまで持ち上げたそれを。一度後ろに引き絞り、弾丸のように突き出した。覆いかぶさるように下降するそれが、突如、自身のツモる牌の前で硬直する。

 

「……ッグゥ――ッ!」

 

 顔を思い切りしかめて、体中に奔る違和感を感じ取る。

 

(ふ、ざ、け、ん――)

 

 それでも、水穂は右手を思い切り前へ突き出した。まるでその手は振り子のように、斜め下へのスライドから、一気に牌を掴み取る。

 

 それだけで、十分だった。

 

 

「ナァ――ッッ!!」

 

 

 必要以上の爆音が、卓上はおろか、観客席、控え室――会場中に絶え間なく響いて消えていく。

 水穂のツモが、彼女の手元であらわになったのだ。

 

「――ツモォォ!! 500、1000!」

 

・龍門渕『94000』(+2000)

 ↑

・姫松 『83400』(-1000)

・宮守 『108800』(-500)

・晩成 『113800』(-500)

 

 小さな和了だ。

 必要のない維持を張ったと、後になってみれば後悔が尽きなくなるような、そんな和了。

 

 それでも水穂は和了した。たった一つだけ、ちっぽけなほど――遠くになってしまった意地が、水穂にはあったがために。

 

 

 ――宮守控え室――

 

 

「うっわ、龍門の人、やっぱりこっちがわだったんだ」

 

 隠せずにいた驚愕を少しばかりもらしながら、先ほど和了した水穂のツモを、臼沢塞は思い返す。

 違和感のあるツモだった。無意味に自身へ言い聞かせるかのような動作で、普通ならつかめるはずのない牌をつかんだ。そも、その“普通”自体が異常なのだが。

 

「面倒なことするなぁ」

 

 それに反応するように、小瀬川白望が嘆息する。やれやれといった様子で、事実彼女は多少の呆れを感情にまぎれさせていた。

 

「はじめてみた、鳴いた上で早海の支配を抜け出す人」

 

 あわせるように、鵜浦心音が言葉を漏らす。

 

「まぁ、私やシロだったらできないわけじゃないだろうけど、普通、そうしないほうがずっと楽に麻雀を打てるんだから、鳴いてわざわざ真っ向から早海とぶつかることはない」

 

 無駄ヅモのない心音や、どこか麻雀そのものを見通し悟っているかのような振る舞いをする、シロは早海に真っ向から鳴いてぶつかりあうことも可能だろう。

 それでも、彼女たちがわざわざそれをすることはない。しないほうがいっそ楽に戦えるのだ。

 真っ向からぶつかり合うには、早海という相手はいささか強大すぎる、ならばいっそ、正面からではなく回り道をして、早海にはほどほどに暴れてもらうのが彼女たちの正道だ。

 

 

 それはつまりどういうことか、簡単だ。宮守の先鋒であり、エースポジションを任された心音ですら、二年生ながら、心音や早海に匹敵するだけのチカラを持つ白望ですら――早海には、正面衝突ではかなわない。

 

 

 無論白望の場合、回り道こそが彼女の戦法である、という特性上の相性もあるのだが。

 

「とはいえ、ここからが先輩の真髄だとおもいますけど」

 

「かなり無理やりだったからねぇ、みんな気になってるんじゃないかな?」

 

 塞の言葉、胡桃の茶々入れめいたつぶやき、結局のところ四者の意識はひとつに向いている。

 この半チャンで、そうそう早海が負けることはない。特にこの状況は、まさしくオカルトの化身、早海にふさわしい、場所なのだ。

 

「がんばれ、早海!」

 

 そうやって、肩に力を入れて対局に見入る、心音の眼に疑いはない。まっすぐなほど正直な瞳で、モニターの向こう、大舞台で戦う早海の後姿を追った。

 

 ――白望だけは、そんな心音の方をちらりと見て、どこかダルそうに、重苦しい息を吐き出した。




あまり長くならないように、いつもどおりの長さくらいに鳴ったら様子を見て話をきる、なんて方法にしました。
これでも多分更新速度はそんなに和了らないと思います。完全に調子の問題なので、勢いが出てくるまでしばしお待ちをー。


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『紡がれた絆の在り処』中堅戦②

 ――東二局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{⑧}――

 

 

 配牌直後、晩成高校の佐々岡良美は、先ほどの対局を思い返していた。

 速攻を得意とする雀士が、その速度に任せてツモ和了をした。言葉に起こせばそんな単純な内容であった。

 無論それに追いつくことのできなかった良美が語る資格はないのだろうが、それでもどこか、平素な内容であるということは否めない。

 

 ただし、そこに対局者のオカルトが絡んでくるのであれば、話は違う。

 

(なんだ? たしかやえの話では、鳴くと手が進まなかったはず。話が違うじゃないか)

 

 二鳴きもすれば、そのたびに放銃を繰り返すような有様に成り果ててしまう。やえは宮守の対戦相手の牌譜を、そう評していたはずだった。それは果たしてどうだ? 水穂の手は、間違いようもなくツモ和了して見せたではないか。

 

(不可思議。やえの話が間違っているとは思わない、だが、何がしか理由があるとみたほうがいいな)

 

 ――良美手牌――

 {①③③⑧⑨⑨⑨38白白中中(横⑥)}

 

(非常に優秀な手、マーベラスだ。となれば、ここからはやえの真似事と行こうか)

 

 良美/打{8}

 

 この手、おそらくは鳴かなくとも形にはなるだろう、三元牌を二つも含んだ染め手偏重の配牌、理牌せずともその威圧感が伝わってくるそれは、整然とすれば、さらにとんでもない様相を見せる。

 通常であれば、鳴いてそれをさらに顕在化させたいところだ、手役を好み、高火力を特徴とする良美からしてみれば、この手はなんとしてでも和了りたい手に違いない。

 しかし、ここには五日市早海という鳴きを征する者がいる。少なくとも、オカルトをオカルトと正しく認識するタイプであれば、ここで手を鳴いて進めることはないだろう。

 

(とはいえ、別にあがるのであれば、この手である必要はない、高火力というのは、一撃でしとめるからこそ高火力足りえるのだ。少なくとも私は、そのようにして晩成のレギュラーをつかんだのだ)

 

 近しいところに、北門美紀という、速度に特化した雀士がいるからこそわかる。麻雀に必要なのは速度ではない。速度は打点を犠牲にする。

 真に麻雀がもっとも必要としているのは、どれだけ速度で和了しようとも追いつけない、そんな打点の極みなのだ。――少なくとも、良美はそうして強くなってきた。

 

(その上で、打点を追うべきものが理解するべきことがある。それは、タイミングだ)

 

 どれだけ高い手を作ろうと、速度でまけては和了できない、高火力とは、実際に和了ってこその高火力なのだ。

 だからこそ、タイミング。他家の速度が鈍って見せた、その一瞬をつかなくてはならない。

 

 良美/ツモ{南}・打{3}

 

(刹那の駆け引きが勝利を呼び込む、それが麻雀、もしここで私が高い手を仕上げても、それに眼を奪われては行けない。タイミングを逸しれば、誰かに振り込んでしまうことも十分ありうる)

 

 この局においてもそうだ。

 良美は自身のツモ、{二}をつかみながら親の水穂が放った捨て牌を見やる。

 

 ――水穂捨て牌――

 {發發三}

 

 ここまで、すべて手出しだ。速度に関しては語るまでもないだろう。役牌対子を切り捨てられるほど、待ちの広いタンヤオ手、もしくはすでに{東}あたりを暗刻にしているかもしれない。

 どちらにしろ、親であることをかんがみて、最低打点は5800程度といったところか。

 

(依田水穂という雀士は、速度に特化したうちの美紀のような雀士として知られているが、よほど配牌の悪いときを除けば、むしろ面前で進めることのほうが多い。というよりも、有効牌を鳴かずともツモっていることが多い)

 

 ろくでもない強者、この卓でいえばほかに、姫松の中堅がそうだ、全国最強クラスの高校の、さらにエースを勤めるタイプというのは、何がしかツモ事態が他人よりよいことが多い。

 ――ただし、それは良美他、少しばかり格の違う選手が、あまりに相手に和了を許してしまうがために、感じてしまう感覚の問題だ。

 とはいえ水穂の場合、実際に他家よりも調子のいいときには、有効牌を多くツモれるのだが、とかく。

 

(そんな相手が速度で圧してくれば、この手は間違いなく和了れない。ならばこの手における最善の選択は、他人に和了せないというところにある)

 

 さすがの愛宕洋榎といえど、まさかこの手に直接喧嘩を売ってくることはないだろう。それは他の二人もまた同様、そしてそれを補強するために、良美は行動を起こさなくてはならない。

 

(そう――手役とは、ただ打点が高ければいいというものではない!)

 

 それから、数巡、良美の手は一向聴まで進む。ただ、そのための待ちが、あまりにも薄い、そんな状況だった。

 

 ――良美手牌――

 {①③③③⑧⑨⑨⑨南中中白白(横白)}

 

 良美/打{南}

 

 ここまで、すでに中は一枚切れ、まさかそうそう筒子が上家から振ってくることはないだろう。となれば当然、この手は鳴かなければ聴牌にまで手が届かないということになる。

 無論、{①②}および{⑦⑧}はまだ十分に生きているのだが、それを追うよりも鳴いて聴牌にとるのが普通だ。

 

 ただし、早海がいなければ、という条件が付くが。それを良美ははなから毛ほども考慮してはいない。

 ――そして。

 

 早海/打{中}

 

「――ポンっ!」 {横中中中}

 

 早海の打牌、最後の{中}を、良美は鳴いた。ためらいなく、臆す事なく。

 ただし打牌と同時に、一度だけ早海へと視線を向ける。

 

 良美/打{⑧}

 

(……動揺なしかっ!)

 

 良美から見た早海の視線は、一切のブレもなく、自身の手牌に向いている。こちらを気にかけていないのではない、気にかけた上で歯牙にかけていないのだ。

 

 視線の先に映る、早海の右手が揺らめいて、虚空に小さな閃きの渦を作る。自摸った牌が、手牌の中へと転がり込んで、すれ違いざま、手牌から一つ牌が零れて落ちる。

 

 だれもが、そうだ。この一巡、自摸った牌をそのまま切るものはいなかった。

 

(私のツモは――)

 

 右手が、まるで泥まみれになったかのように感じられる億劫とともに、揺らめく。乾燥し、凝り固まった得も言い知れない感覚を伴った何かが、良美の体をどことも知れない塊の向こうへと、つなぎとめるのだ。

 

 良美/自摸切り{9}

 

(……不要牌っ!)

 

 それから、数巡がそのまま流れた。ここまで、鳴きはない、ずれることもなければリーチも無い、発声一つ、打牌一つにも音が宿らずにいた。

 自摸切りは、良美だけ。すでにテンパイを迎えた佐々岡良美だけが、そのテンパイを他家にしらしめるかのように自摸った牌を一つ回転させて卓へと落とす。

 

 二度、三度とそれが続いて、この、熟達者ばかりの卓で、感情の現出が特に顕著であった水穂をして、面倒そうなそれを隠さずに表すような状況であった。

 それぞれのツモは、良くも悪くも、良美を意識せざるを得ないものだった。

 有効牌を引こうが、危険牌を引こうが、そこにかならず良美がいる。意識せずには闘い得ない場所に、良美が立っている。

 

 ただそれだけで、他家は手を止めていた。

 

(私が麻雀で攻める時、対局者の対応は様々だ。たとえば美紀はこの世の最悪でも見るかのように私に対して嫌そうな顔をしてくるし、部長は少し面倒そうに苦笑する。逆にやえなんかは、顔色一つ変えずに麻雀を打つ)

 

 精神における構造の違いだと、良美は思う。同時に、麻雀に対する向き合い方の違いだとも。北門美紀は速攻により、他家に和了らせない事を最大の防御とした打ち方、逆にやえは、相手のあらゆる隙を付き、勝利を目指すような打ち方。

 美紀にとって高火力による一発は、自身のそれまでの稼ぎを全て無に返してしまうほどのものであり、逆にやえは、そんな状況かでの激しい攻防を得意とする。

 

 それを最も顕著にさせるの判別するのが、リーチや鳴き、捨て牌によってこちらの攻めを相手に認識させることだ。

 

(攻撃は最大の観察、防御は最大の逃避、という奴だ。相手が守勢に入れば、その様子をじっくりと、観察することだってできる)

 

 どのように守るか、どのように攻めるか、――それを読み取ることは自分自身が攻勢に打って出るそのタイミング、一瞬の隙間を縫うための必須条件だ。

 その上で、良美は攻めに特化する。自身の麻雀を、貫くために。

 

(私は美紀のように使い分けができるわけではない。ただ攻めて、攻めて――必要とあらば叩き潰す、それだけだ)

 

 ――良美/ツモ{白}

 

(――おや、槓材というのは、極端な見方をすれば確かに不要牌だろうが、まさか自摸れるとは)

 

 変化が訪れたのだ。他家が完全にオリの姿勢を見せ、自摸れずに居る自分へと、いらだちを覚えるような状況だ。

 そこに、まるで時間の凍結を、叩き壊すかのように――浮き上がった牌。

 槓材、四枚目の――{白}。

 

(さて、試してみるだけのことはしてもいいだろう。やえの言葉とおりなら……これだけは――このカンだけは、このふざけたオカルトを、出し抜けるはずだ――っ!)

 

 

「――カン!」 {白裏裏白}

 

 

「…………ッッ!」

 

 良美の前傾、カンと同時に、新ドラ表示牌をめくる。――現れたのは、{⑧}、これで良美の手に、新たにドラが三つ、追加される。

 息を呑んだ者がいた。――五日市早海、突然の暗槓に、明らかに先ほどまでとは違う反応を見せていた。

 

 早海のチカラは、鳴きを征するものである。

 しかしそこに、全く別の鳴きが加わればどうだろう。そうつまり、河を介さない鳴きである。

 

 たとえばそれは――今眼の前で行われているような、暗槓にして、他ならない。

 そして同時に、カンによって自摸るのは、単なる山の牌ではない。その先、人の到達するにはあまりにも深い場所――森林限界に咲く、華を摘む限定状況。

 

 王牌から、鳴いたものとは全く関係のないツモを、引き寄せるのだ。故に、この嶺上牌だけは、早海の支配から、免れる。

 

(あらゆるツモ、あらゆる流れの中にあってなお、孤高を貫き続ける嶺の華。ただそれだけが――私の蜜と、なるやも知れぬのだ――ッッ!)

 

 指を、掴んだまま、盲牌することもなく手元へと嶺上牌を引き寄せる。答えはおのが眼に映す。

 

 ――良美は掴んだ牌をみた。その顔から、ふっと何かが漏れてでた。同時に浮かんだ心良さげな笑みは、彼女の心境を、ダイレクトに表していた。

 

 良美/ツモ{發}

 

 残り一枚という針の穴とすら思える小さな小さなの小三元切符を、このツモで引き寄せた。もう{發}は山の中に一枚しか残っていない。

 良美はそれを、オモシロイと思った。

 この手牌、和了れずとも、和了ろうとも、この一瞬――間違いなく他家は、大いに肝を冷やしていることだろう。

 ならば、それで十分だ。

 

 佐々岡良美の結末が、どのような形であろうと、今この一瞬、間違いなく三者をうがった。

 

 それだけで――十分だ。

 

 

 良美/打{①}

 

 

 ――――そして、

 

 

「――テンパイ」

 

 

 唯一人だけが、手牌を晒して。

 この東二局、波乱に満ちた一局が――終わった。

 

 

 ――東三局流れ一本場、親早海――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

「――チー」 {横435}

 

 五日市早海の鳴きは、絶好と言って好い物だった。ここまで彼女の手は二向聴まで進み、この鳴きで完全一向聴へと至ったのである。

 通常であればテンパイまで埋まらないことの多い嵌張を、鳴きで補ったというわけだ。

 

(しからば、これで私の和了りは天を見るより明らかだ。快晴快晴、空は青く晴れ渡っている……ッ!)

 

 変幻自在とはまさしくこのことか、鳴きによってこの場は誰もが足を止めざるを得ない。しかしそこを、まるで岩石の隙間をすり抜けるかのごとく、形を変えた早海の攻めが通りゆく。

 

 依田水穂は名のしれた長野のプレイヤー、三傑の存在により、高校では日の目を見ることがあまりなかったものの、それでも彼女は、デジタルの最先端として知られている。

 そんな少女が、果たしてオカルトの十人であったと知れば、彼女を評価する者達はどう思うだろう。

 

 当然、いくつかの反応にわかれるだろうが、五日市早海はその中でも、とりわけ寛容な立場にあった。

 自分自身がオカルトそのものであるがために、早海はそういった事を平気で受け入れ、許容する。

 

 驚きはした、しかしそれも憤りには変わらなかった。オカルトだろうが、デジタルだろうが、オールマイティに精通することは決して悪いことではない、晩成の大将のように、オカルトへの対応に特化したデジタル雀士も、決して少なくはないのだ。

 

 そして早海には、水穂の姿がかくも映った。オモシロイ相手と、興味の対象として水穂を映した。

 

 それはそう、水穂自身を、強敵と認めながらして、自身の優位を決して疑おうとすらしないのだ。

 

(――あんたがどれだけ早かろうがヨォ、どれだけ私のチカラをねじ伏せてもサァ。足りないんだよネェ、やっぱり。決定的な――一打ってやつが!)

 

 思考とともに、早海は体を沈めて、体勢を整える。それは陸上の、スタート直前におけるセットアップに似ていた。

 深く屈みこんで、一瞬を待つ。闘争心が強いのだろう、そこに早海は、三日月染みた笑みを浮かべた。

 

 スポットライトが星々の代用とかした対局室の暗闇に、五日市早海が持つ、異様の姿が浮かび上がった。

 

 

「ポォン!」 {八横八八}

 

 

 依田水穂はとにかく早い。

 しかしその速さを活かすためには、どうやら一向聴にまで持って行かなければならないようだ。そこから聴牌し、自摸って、ようやく和了。

 早海の支配が、そうさせていた。

 

 故に、速度へ特化した早海の打ち筋は、水穂のそれを凌駕する。早海には、面前で手を進める必要がないのだ。

 他人の鳴きは抑制し、しかし自分にはとことん甘い、それが五日市早海のチカラの利点である。

 

 だからこそ、彼女はそれを最大にまで駆使をして、自分の和了に、こぎつけるのだ。

 

「――ツモ! タンヤオ三色ドラ一は2100オールッ!!」

 

 ――早海手牌――

 {三四③④⑤⑥⑥} {五}(ツモ) {八横八八} {横435}

 

・宮守 『114100』(+6100)

 ↑

・姫松 『80300』(-2100)

・龍門渕『90900』(-2100)

・晩成 『114700』(-2100)

 

 ――卓上に牌を、目一杯叩きつけた反動で、浮き上がった手を収めながら思う。遠い所まで来たものだ、と。

 麻雀を初めて、こんな大きな舞台まで来て、早海は自分自身のチカラで闘っている。

 

 不思議なものだ。

 

 ここには心音がいない。白望も、塞も、胡桃もいない。昔の自分にしてみれば、思いもしないことだった。

 

 たった一人で、麻雀をすることなど――思いもよらない、事だったのだ。

 

 

 ♪

 

 

「よっこいせーい」

 

 間の抜けた声とともに、それとは正反対のどさり、という恐ろしいほど重苦しさを感じる音が響き渡った。

 ふぅ、と一息嘆息しながら早海が腰を上げると、後ろでそれを見ていた数名の友人が、おぉと感嘆の息を漏らしていた。

 

「すごいねー、あたし達全員で運んだのと同じのを一人で運んじゃった」

 

「さっすがはやみん、ねぇねぇ、やっぱ運動系の部活にはいった方がいいんじゃないの?」

 

 そんな風に、友人たちが早海をまくし立てる。苦笑しながらそんな様子の友人たちに、苦笑気味な謙遜を伴った言葉を還す。

 

「いやーね、いつも言ってるけど基礎ができてなきゃ運動なんてもんはできないよ、少なくとも私はできない」

 

「えー」

 

 高校二年生の、秋にもなってそれはさすがに無いだろうと、早海は嘆息気味に言う。周囲もそんな早海の反応は最初から分かりきっていたのだろう、ぶーぶーと軽くブーイングを入れながらも、おかしげに笑みを漏らしていた。

 

「さって、私はこのへんでいいかね? お先に失礼させてもらうよ」

 

「はいですだ。助っ人さんはもう大丈夫だから、後は本業のあたくし達にまっかせなさい」

 

「はいな。それじゃあお疲れ様でしたー」

 

 どことなくイントネーションを間延びさせながら、早海は軽く友人たちに手を振ってその場を離れる。あくまで早海は善意の協力者であり、部外者だ、必要がなくなればすみやかに撤収することが肝心である。

 と、いうこともあるが、そも早海はこの手伝いをした廊下の突き当りに用事があるのである。その用事のついでに、今回の助っ人を引く受けたといって過言はない。

 

 そして、その廊下のつきあがりにある一室、――図書館へと早海は勢い良く足を踏み入れた。

 

 中ではカウンターに数人の少女たちが溜まり、談笑を楽しんでいる。時折他に人が来れば、すぐさま彼女たちは散って、通例通りの貸し借りが行われる。

 早海の目的はそこにたむろしている人物の一人だ。

 本を借りるついでとばかりに井戸端を開いている少女たち、その本を借りる側、に彼女はいた。

 

 鵜浦心音、早海最大の親友にして、幼馴染のような関係にある少女。

 

 早海は入口を抜けて直ぐ、心音を見つけて、立ち止まる。無言のまま、その顔から表情を読み取るものはいない。だれも早海に――気づいていない。

 二度三度、ぐっと握りこんだ手を開閉して、それから何事もなかったかのように前に出る。

 

「おーぅい」

 

 腕を振り上げて、心音に自分自身を呼びかけた。

 

 少し遠く、心音のいるグループから、多少会話が漏れてくる。

 

「あ、早海だ」

 

「ほんとだー」

 

「ん。そういうわけだから、失礼するね」

 

 ――最後の一言、心音の言葉を皮切りに、どうやらグループは解散の流れに移ったようだ。最初に心音が抜け、その後も、遠目に見て離散気味であることが直ぐ解る。

 そうして早海が右手を下ろす頃には、パタパタと心音が、早海の元へと駆け寄っていった。

 

「おまたせー」

 

「よくおいでなすった。そいじゃ今日もかえって寝ますかね?」

 

「あはは、歯~磨いて寝るんだぁよぉ~」

 

 カラカラと笑いながら、駆け寄ったそのままの勢いで、心音は早海の横を通り抜けていく、ふと早海は浮かべていた笑みをかき消し、振り返りながら走る心音の袖を追う。

 伸ばした手は、心音をつかむこともなく、心音はすでに図書館の入り口を明けようとしていた。

 

 意を決する様に大きく早海が息を吸うと――

 

「……なぁ、心音」

 

 親愛なる友人の名を、確かめるように読んだ。

 スライド式のドアに手をかけていた心音が、それを離して振り返る。そのまま二歩、三歩と早海の元へ近づくと、その顔を深々と、覗きこんだ。

 

「なぁに?」

 

 優しげな声、早海の顔にふっと笑みが浮かんで、それから早海は口早にまくし立てる。

 

「来年はさ、私たちも最上級生になるわけだ。そーすっとさ、もう学生生活は一年しか無いわけよ」

 

「そう? 早海も私も大学に進むんだし、そーいうんは気にしなくてもいいんじゃないかな?」

 

「いやさね、そんな先のことは、先になってみないとわからないんだよ。夢ってのは、何が切っ掛けで変わるかもわからないんだから」

 

「そーかな? いやね、それを否定するわけじゃないけど、別に私も早海も、そう簡単に離れ離れになるわけじゃないでしょ」

 

 心音がそんな風に、おかしそうに笑う。早海はそれに釣られて笑い、それから再び口を開いた。

 

「ま、でも思い出作りってのも悪か無いとおもうんだぁよ。ってーのも、この最後の一年にさ、何かを始めたいって私は思うわけだ」

 

「それじゃあどうするの? 部活でも始める? 早海ならともかく、私は運動なんてできないよ?」

 

「ちがーよ。運動部じゃない。文化部さ」

 

 心音の嘆息めいた言葉に、チッチッチと指を振りながら早海は否定する。少しばかり楽しげな雰囲気の友人に、心音はほうけながらも耳を傾ける。

 

「文化祭で思い出作りか、悪くないね、それで何やるの?」

 

「――それもちがーう」

 

 思わぬ否定、文化祭に何かをするというのなら、確かにそれは思い出になるだろう。宮守女子の文化祭は例年通りであれば9月、三年の後半辺りになるはずだ。

 ちょうど、そこから受験のために切り替えていくことも、可能だろうと心音は思っていたのだが。

 

「…………え?」

 

 否定の言葉に、思わず心音は耳を疑った。漏れでた言葉は、たった一つだけだった。

 早海はそんな心音の表情に満足したのだろう、キラキラとした輝かしいくらいの顔で、思い切り良く、一言刻んだ。

 

 

「――麻雀部、だよ」

 

 

 もう一度、今度はいよいよ沸点を越えた驚愕が――叫び声に変わろうとしていた。

 

「おっと」

 

「むぐぐぅっ!」

 

 早海が口を抑えて、ついでに指をさし、この場所を改めて心音に魅せつける。さすがに図書館で大声を出せば迷惑だし、異様に目立つ、何事かと折角わかれた友人たちが大挙して押し寄せるかもしれない。

 それはなんだか台無しだ。

 

「え? え? あえ? いやいやいや。なんで麻雀なのさ」

 

「心音、おめーネットで麻雀やってるって言ったよな」

 

「え? あ、うん、たまに」

 

「だったら問題ねぇ、私もルールは覚えたし、ここには廃部寸前だけど麻雀部だってあるんだぜ? 私達で出てサァ、全国を席巻してやらないか?」

 

「麻雀は、そんな簡単なもんじゃないよう」

 

 嘆息気味につぶやいて、心音は楽しげな早海を見る。――本当に楽しそうだ。ここまで楽しそうな早海は、一体何時以来だろう。

 

 まぁ、いいか。――そんなつぶやきが、口元から漏れて、消えた。

 

「ん? どした?」

 

「――やるよ」

 

「お?」

 

 少しだけ、期待を含んだ驚きの声。もう一度、心音は声を、大きくする。

 

「やってやるさ、麻雀部!」

 

「――――よっし、じゃあ決まり! 詳しいことは明日からだ。実際の牌を握って、それから色々考えるんだ!」

 

 騒ぎにならない程のギリギリの声を張り上げて、早海は勢い良く図書館の入り口へ駆け寄る。その横に心音が並んで、二人の視線が交錯しあうと――音を立てて、扉は開いた。

 

 

 ♪

 

 

 ――東三局二本場、親早海――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

「――ツモッ!」

 

 

 ――早海手牌――

 {二三四七八九⑧⑧678東東横東}

 

 ――ドラ表示牌:{西} 裏ドラ表示牌:{②}

 

「一発ついてぇ、4200オール!」

 

・宮守 『126700』(+12600)

 ↑

・姫松 『76100』(-4200)

・龍門渕『86700』(-4200)

・晩成 『110500』(-4200)

 

 麻雀を初めて、ようやく早海は、ここにいる。

 心音と共に居ることを望んで、早海は一人で牌を握った。その集大成が、今この瞬間の自分にあるのだ。

 

(負けられない。負けられないから――闘うしか、無いんだよねぇッ!)

 

 

「さぁ――三本場だ!」

 

 

 ――東三局三本場、親早海――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 

「チー」 {横⑧⑦⑨}

 

 ――水穂手牌――

 {一一二七八①⑥⑦789} {横⑧⑦⑨}

 

(さっき親が流れちゃったせいで勢いが弱い。なんとかして和了らなくちゃいけないから、ここはやっぱり鳴いていくしか無いよね)

 

 水穂/打{二}

 

 鳴きのため、両面は残す。同時に{三}をツモっても活かしにくい{一一二}は{二}を切って頭にする。これなら再び{⑨}を引けば、純チャン三色ドラ一の満貫に移行できる。

 

 そうでなくとも、ここで二翻以上を和了れれば、水穂の勢いは猛烈に加速することは待ちがない。

 

(さて、宮守の支配はキッツイけど、私は私の打ち方で往くよ……!)

 

 迷いはない、それを生むほど、水穂の場数は――――少なくない。

 

 

 ――良美手牌――

 {二三四②③⑥34899中中(横④)}

 

(もとより三色の両面塔子は全て揃っていたが、これで更に一つ進んだ、か)

 

 ドラ二つに、この牌姿、優秀といって過言ではない。鳴きを使って進めていくようなものではないが、だからこそこの手牌は大事にしたい。

 

(鳴いては手が作れない、ここの面子が相当に硬いことも、先の闘いで十分見て取れた。となれば――ここで引く必要は、全くない)

 

 良美/打{8}

 

 ――{⑥}ではなく、{8}を切る。これは{⑦⑧⑨}を鳴いた水穂に、遅くなってから{8}を通したくないという防御的な理由もあるが、第一の理由は{7}を無駄ヅモとするためだ。

 

(最善のツモは当然{9}か{中}、しかし{⑤}か{⑦}のツモも十分にありだ、それならば{中}がなくとも平和で一翻がつく、少し綱渡りになるが、{7}を引くよりはマシだ)

 

 あくまで、良美の基準は高火力、打点を伴わない和了には興味が無いし、和了れないのなら、いっそ更に上を目指すことも十分に考える。

 

 それが良美の打ち方であり、麻雀を始めてずっと、崩して来なかったスタイルだ。

 

(さぁ、かかってこい龍門渕、そして宮守! 私が真っ向から、その上を行ってみせてやる!)

 

 

 そして、宮守女子、五日市早海。

 この状況を、あくまで楽しげに――俯瞰していた。

 

(龍門渕も、晩成も、私を意識した上で、自分の打ち方しちゃってまぁ)

 

 ――早海手牌――

 {一二三四五六七八⑧⑧⑨23(横九)}

 

(でもまァ、最後に勝ちに行くんは、私なんだよね!)

 

 リーチは、しない、平和一通、ダマの5800でも十分であるし、水穂がもう一つ鳴けば、リーチをかけて一発を狙うこともできる。

 それを踏まえて、ここは黙聴。じっくりと、山に眠る{1}と{4}を待つ。

 

(きなよ、これで全部、沈めてやるから!)

 

 ――早海/打{⑨}

 

 打牌の音が、うなって響いた。

 

 

 ――この局、三者は思い思いの牌を描いて、和了を目指した。

 

 それぞれがそれぞれを大きく意識し、それでも止まることを選択するものはなく、和了へと一直線に向かっていった。

 

 だからこそ、それは。

 

 

 ――それは狩人の眼には、絶好の好機に映るのだ。

 

 

「――――ロン」

 

 振込は、晩成。

 

「なっ――」

 

 なぜ、と言い放とうとしていたのは、振込の事実ではない。今の今まで、“それ”に意識を向けていなかったがためだ。

 

 なぜ、忘れていた?

 本来であれば、彼女はこの卓で――最も警戒しなくてはならないはずの人間であるのに。

 

「蚊帳の外ちゅうんはなんや、しょーじきしんどいし、ツマランわ」

 

 ――この中で唯一、全国クラスと呼ばれる高校がある。

 龍門渕は、新鋭――名前こそ昔から知られているが、全国第二回戦にて奮戦しているのは、これが初めて。

 晩成は、古参――故に第二回戦レベルでは顔も知れているが、さらにその上であるかと言われれば、言葉に詰まる。

 宮守は、その逆――完全新参、初出場である宮守が、全国に名を馳せているはずもない。故に、違う。

 

 

 ――それは、第二回戦から登場する、シード校と呼ばれる高校だ。

 

 

「でも、おかげでこっちのテンパイ、全然気付いて無いんやから、ウケる」

 

 姫松高校中堅、最強の、そのまた最強。

 

「三本付けて、7300や」

 

・姫松 『83400』(+7700)

 ↑

・晩成 『103200』(-7700)

 

 エース――愛宕洋榎。

 

 

「そろそろウチも、混ぜてもらうで――ッ!」

 

 

 勢いに任せた言葉の締めが、高らかな宣言を――伴った。




またまた早海回。今回は敵としてではなく主役としての立ち位置になります。


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『人は揺らぎ惑い行く』中堅戦③

『前半戦、終了――ッ!』

 

 響き渡る実況者の咆哮。会場の熱気をもってしても、同等としかできないほどの勢いを伴ったそれが、代弁者のように轟音をさえずる。

 ここまで、第二回戦において行われるハンチャン十回のうち五回が終了した。中堅戦はそも、団体メドレーの前半と後半をつなぐ中継点である。その区切り目が、ちょうどたった今というわけだ。

 

『トップは躍進! 初出場にして初の全国出場、宮守女子! 激しい削りあいとなった前半戦を、東場の大幅プラス収支で乗り切っています』

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――114600――

 

 立ち上がり、大きく両手を振り上げ伸ばすと、そのまま猛烈な嘆息を漏らす。体全体を心地よく覆う疲労を、単純な気合で振り払っているのだ。

 そうして後、勢いよく空気を吸い込むと、それをとめて体にチカラを循環させる。

 

『続く二位は、何とか首の皮一枚つないだか! 晩成高校! 東二局の役満聴牌など、諸所で存在感を発揮しましたが、和了れたのは南場終盤の跳満のみ、苦しい結果になりました』

 

 ――佐々岡良美:三年――

 ――晩成高校(長野)――

 ――105500――

 

 このハンチャン唯一のマイナス収支となった、良美は座ったまま大きく方を落とす。現状状況はほぼ拮抗しているが、彼女の持ち味である一極集中をもってしても稼ぎ負けたというのは、大きな精神的ダメージとなるだろう。

 それでも、すぐに顔を上げると、目に見えて気合の入った顔を、見せ付けていた。

 

『そして三位、龍門渕高校、依田水穂、この卓屈指の実力差は、しかし微差での収支トップに落ち着きました』

 

 ――依田水穂:三年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――93800――

 

 水穂の表情は、穏やかではあるがどこか奇妙さをともなったものだ。

 こんなものかという納得と、これではいけないという奮起が、まったく同じように同居しているのだろう、感情の複雑さが、彼女の表情からにじみ出ていた。

 

『最下位はかわらず姫松高校、エースの愛宕洋榎も微差の収支プラスに留まっています。彼女と依田水穂、優秀な両プレイヤーの収支が、この程度であることが、この卓のレベルの高さをよくあらわしているといえるでしょう』

 

 ――愛宕洋榎:三年――

 ――姫松高校――

 ――86100――

 

 それぞれが、ハンチャンの結果を如実にあらわした表情をした。早海は苦しみながらも実感を、水穂は不満と納得を、そして良美は嘆息を。

 しかし、彼女だけは違う、洋榎だけは、なんともいえない飄々とした目つきと顔つきを崩さず、口笛を吹いてその場を流していた。

 

『後半戦はこの後すぐ、チャンネルを変えずにお待ちくださいッッ!』

 

 日は昇り、そしてやがて沈み行く。

 今この瞬間は、その一時の頂点だ。上りきった太陽が、ゆっくりと斜陽に傾いでいく。

 

 闇が広まり、刻一刻と、月が待つ夜が、近づこうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:依田

 南家:五日市

 西家:愛宕

 北家:佐々岡

 

 順位

 一位宮守 :114600

 二位晩成 :105500

 三位龍門渕:93800

 四位姫松 :86100

 

 

 ――東一局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

 開始早々であるこの局で、七巡、ここまで進んでも鳴いて手を進めるものはいなかった。

 水穂のチカラはハンチャンをまたぎはしないが、水穂の調子は不満はあれど好調を保っている、初動から鳴いていかなければならないというまでもない。

 同じく鳴きを主体とする早海であったが、この局は上家が思うように牌を切らず、鳴きのひとつも入れられずに進んだ。

 当然、ほかの二名はオカルトに偏重してはいない。鳴いていくことはないだろう。

 

(それを踏まえたうえで、この局で先制できる意味は大きい。まずは前半戦の失点を、取り返さなくては)

 

 そんな中で、佐々岡良美は、自分のツモに実感を感じ、満足げにうなずいた。

 

 ――良美手牌――

 {二二四五六⑥⑦⑧33489(横7)}

 

 辺張が埋まっての聴牌、ここまではかなり順調で、これでリーチをかければ満貫クラスは確定する。

 

(当然ここはリーチだな、後は完全な裏ドラ任せになるが、ひとつでも乗れば私のマイナスは帳消しだ!)

 

 勢いよく牌をつかんで、振り上げる。縦にまっすぐな打牌をするのではない、横に牌を曲げた、挑戦への宣言だ。

 

 ――良美/打{3}

 

「リー――」

 

「――まったっ!」

 

 同時に、収納ケースから取り出した点棒を掲げ、振り下ろそうとした――直前、それに言葉でさえぎるものがいた。

 聞き間違えるようなことはない、それは姫松の中堅、愛宕洋榎によるものだった。

 

「その宣言棒、場に出す必要は――無いんやで」

 

 ぱらぱらと、彼女の手が開かれる。右から左に、階段となって。

 

「ロン、や。あんま猛突できるんおもたら、大間違いやで」

 

 ――洋榎手牌――

 {一二三七八九①①12發發發} {3}

 

「8000――どや、ちーとばかし、足が痛いとちゃうか?」

 

・姫松 『94100』(+8000)

 ↑

・晩成 『97500』(-8000)

 

 この日、おそらく初めて、洋榎の笑みに力がこもった。覇気、とでも呼べるものだろうか、強者が持つ、強者故の絶対的風格、それを彼女がようやく、戦いの場に持ちだしたのだ。

 

(――むぅ、浮き牌読みか)

 

 ――洋榎捨て牌(「」手出し)――

 {「9」「西」「中」「④」「⑧」6}

 {「⑦」五}

 

 この捨て牌、中盤からの攻め気ある捨て牌に対し、前半三巡は異様に慎重だ。たんなるヤオチュー牌落としであれば、最初に{9}を落とすことはない。

 ある程度軌跡は見えていたのだろうから、{④}を第一打としても何ら問題はなかったはずだ。それが、ヤオチュー牌から切るという迷彩じみた捨て牌によって、チャンタ系の気配がそっくり、掻き消えてしまったのだ。

 

(そも、{6}の自摸切りで薄められて入るが、{⑧⑦}の打牌は両面落とし、警戒を怠ったか?)

 

 ――相手は姫松の中堅、全国最強クラスの猛者なのだ。それを相手に、ただの平和で、浮かれすぎていたという面も大いにあるだろう。

 

(……実際に相手をして解る。私がただ見落としているわけではない、愛宕洋榎、奴が意図的に、こちらの意識を撹乱させているのだ……っ!)

 

 どれだけ警戒しても、警戒しきれない敵、それが愛宕洋榎だ。彼女は根っからの玄人系雀士、変幻自在の打ち方は、特殊なオカルトによる強さとは違い、対策の打てない怖さ、というものが――存在してしまうのだ。

 

(インターミドル、インターハイと、トッププレイヤーとして名を馳せる愛宕の姿を、直に見てきたつもりだ。実際に卓を囲むのは初めてとはいえ、こちらを完全に読み取る打ち筋、もしも麻雀に触れて間もない、ルーキーが相対してみれば……どうだ? 完全なカモだぞ――ッ!?)

 

 自身の点棒を喪ってなお、良美が警戒するのは、これ以上の失点ではない。――姫松高校、ここまで沈黙を続けていた強豪が、ここに来て、一気に噴出してくることだ。

 自分自身がその踏み台となることは十分に考えられる。相手は格上だ。あの依田水穂ならともかく、まさか自分がそれを越えられるなどとは到底思えない。

 ――ならば、同時にだれかが踏み台になれば? 姫松は、すぐさまそれを食い物にするだろう。

 

(愛宕の天敵は、いわゆる“中級者”、自分の打ち筋が固まらないながらも、雀士として、一定の打ち方を手に入れたレベルの人間……ッ!)

 

 それが、今この第二回戦の卓に居るとすれば、どうか。――間違いなく、彼女は敗北と共に餌食となるだろう。

 愛宕洋榎というモノは、そういったいきものなのだ――

 

 

 ――東二局、親早海――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

 配牌というものは、それぞれの思いが詰まるものだ。当然、内に心を向けるのだから、口数は少なくなる。

 ただし、例外というものもあるのだが。

 

「~~♪」

 

 口笛で、何がしかを口ずさみながら、洋榎は配牌を終えていく。少しずつ手牌が横に伸び、十三の結晶をつないでいく。

 出来上がったのは、いびつながらも、正確な形を得た、配牌。

 

(やえ辺りが好きそうな配牌やな~)

 

 ――洋榎手牌――

 {一六九九②②⑧南南北白白發(横9)}

 

 何一つ、順子につながることのない配牌。しかも索子の絶一門であるから、限られた配牌で、ここまで手牌が悪くなることは異常といえる。

 無論これもあくまで可能性の一つではあるが……洋榎がこの手牌をワルイモノ、だと思うことはない。

 

(十三不塔っちゅう事を含めても、これは“一つの形”しか狙えん手牌やな、七対子も悪か無いんやけど)

 

 順子に必要な塔子が全て、手牌のなかから消え去ることにより成立する、そんなローカル役満がこの世には存在している。当然それはローカル故に、インターハイの舞台では成立しないものではあるが、たった今、洋榎が引き寄せてみせたのは、そんな配牌だ。

 

 それでも、決してこの手を最悪とは洋榎は評さない。あくまでこの手には可能性がある。それを洋榎は知っているのだから、当然彼女は、その可能性を追う。

 

 通常であれば、和了るには、根気よく七対子のための対子を待つような、配牌。洋榎も差支えがなければそのように手を進めるだろうし、出和了りを狙うのに、七対子というのは最強の手だ。

 ――それを切り捨ててでも、洋榎はこの手を、攻めに要する。

 

 洋榎/打{北}

 

 良美/打{南}

 

「ポン――ッ!」 {南南横南}

 

 勢いよく手牌を晒し、洋榎がこの半荘はじめての副露を使用する。自風牌鳴き、特急券の確保である。――が。

 この場において、それは全くの意味を成さない代物だ。

 

 対局者、三者の顔に驚愕の色が奔る。すぐさま水穂はそれを引っ込めたものの、残る両名は困惑気味の表情を浮かべながら、良美はどこか決意を込めて、早海は大いに見せる警戒を込めて、洋榎を見やった。

 しかし、そこにあるのは、勝負師としての洋榎の顔ではない、昼行灯のような、やる気を見せない風来坊の面持ちを保って、状況を俯瞰気味に眺めている。

 

 洋榎/打{發}

 

 良美/打{東}

 

 恐る恐るといったような様子で、良美の牌が前に滑った。遊覧する双眸、洋榎の瞳は、在らぬ方向へと向いて、真正面から向き合うことのないそれが、良美の不安を掻き立てる。

 

 水穂/打{八}

 

(――む)

 

 一巡回って、最初のツモ、洋榎は何やら自分の中を駆け抜ける感覚に、思わず顔をしかめて手を止める。自摸った牌は――無駄ヅモだ、即座に指を離して、それを落として晒す。

 

 感覚が――一瞬消えて正常に戻った。

 

(なるほど、オカルトの中でも、実感を伴ってくるタイプかいな)

 

 ツモは、当然のように無駄ヅモ、そもそもあの手牌、流れがあるにしろ無いにしろ、形にはなるものの他家に先に和了られてしまう形だ。

 速攻によって手を進めることに加えて、もう一つ――奇策が必要になってくる。

 

(索子が高いやろうし、出来れば早めに切っとくんが得策、やな)

 

 ――洋榎/ツモ{⑤}・打{9}

 

 良美/打{北}

 

 水穂/打{⑥}

 

(わっかりやす、鳴いて進めるつもりやろか。……いんにゃ、こっちの索子安さを解っとるんやな? まぁあっちにはオカルトの専門家も居るみたいやし。……なんで宮守の一発が解ったんやろなぁ、不思議や)

 

 先鋒戦、洋榎ですら想定こそしたものの、可能性の低さ故に切り捨てたオカルトを、完全に看破してみせたあの一年、間違いなく龍門渕の魔物は三人居る。表立ったもの以外にも、二人居るのだ。

 

(ま、そこら辺はウチとは関係ない連中がなんとかすることやけど。特に漫ちゃんはそうなってもうたらアレかましてもらう以外に仕事ないわけやし)

 

 さて、と考えながら、牌をツモ切る。これで三巡、そろそろだろうか、と意識を向けて同時に、親番の少女が打牌する。

 

 早海/打{白}

 

「ポン」 {横白白白}

 

「……むぅ?」

 

 少しだけ、訝しんでいるように、こちらを見る瞳があった。早海は何やら考えているようだが、別に洋榎はヒントを与えてやるつもりはない。

 何せ、与えずとも少しすれば――その詳細くらいは見えてくるのだから。

 

 

 ――水穂手牌――

 {四五3344789西西西中(横②)}

 

(うわっちゃ、ものっそ嫌な予感ー、いやいいんだけどねぇ。どうせ全部鳴かないと和了れないだろうし)

 

 ツモを少しばかり恨めしく思いながらも、一度は手牌の上へとおいた牌を、少し考えてから切る。{②}は七巡目の現在に至るまで、一切卓上に出ていない生牌だ。加えて言えば、良美と早海が、その上――{③}を三枚切って晒している。

 

(ワンチャンス、嵌張とか両面にしている可能性はほとんど薄い。つまりそれは、対子にしている可能性は高いって意味なんだけど……)

 

 ちらりと、洋榎を見る。打牌から即座に、次のツモに移る前に彼女は、行動を起こした。見ている先は間違いなく手牌である。――しかし、一瞬。水穂は洋榎と、己が視線を交錯させたような、違和感を覚えた。

 本当に短い刹那だったとはいえ、その瞬間、水穂と洋榎は目を合わせたのだ。まるで何かの合図のように。同時に水穂は、寒気を覚えた。

 

(普段、麻雀を打っている相手に、警戒されたことはあっても、狙われることはない。そうだね、やっぱり洋榎、キミは私をも、穿とうというんだね)

 

「……ポン!」 {②横②②}

 

 今はその時ではないだろう。洋榎がこの一局で、何をしようとしているのか、水穂は解る。――五日市早海に対する攻撃だ。精神を揺さぶるような一撃。

 瀬々からは機会があれば絶対に挑戦するように、そう言われていたが、そのチャンスというものが、ここまで一切おとずれなかった状況。

 愛宕洋榎が――仕掛けていった。

 

(五日市早海がいる状況で、鳴いて手を進めることはできない。それは鳴いた後に、ツモが悪くなるからだ。他家の打牌を止めることまでは不可能なんだよね、宮守の人の場合)

 

 良美/打{一}

 

 だからこそ、洋榎はその隙を突く、暗槓によるツモは支配できないという以外にも、他家から鳴くのであれば、手を進めること事態はできる、というのが早海のウィークポイントだ。

 

 水穂/自摸切り{⑦}

 

(案外、鳴いていけばツモ和了が封じられても和了れるものだ。ドラ対子を鳴いたりしない限り、鳴いて3900(ザンク)を超えることは早々無いしね)

 

 早海/打{東}

 

 さらに言えば、三つ以上牌を鳴いた時の、早海の支配も特徴的だ。三つ以上の副露には、二つ以上の副露との差が無いのである。

 いくら鳴いても、あくまで他家の有効牌を引きやすくなるだけ、それ以上は、何もない。

 

(それを加味した上で、鳴いて手を作ることは可能といえる。そう――裸単騎だ)

 

 

「ポン!」 {九九横九}

 

 

 誰が切ってもおかしくはない牌、どれだけ責めていることがわかっていても、単なる満貫であれば、同等クラスであれば勝負したくなる。特にここは団体戦、ただ守るよりもよっぽど、攻めたほうが、活躍が期待できる。

 結果の攻め、結果の副露。

 

 これで間違いなく――というよりも、誰の目を見ても明らかなように、洋榎はテンパイしてみせた。

 

 そして、それだけでは終わらない。

 

 出和了りのために鳴いてテンパイしたのではない。――あくまで愛宕洋榎と言えど、必要であればツモ和了での和了もしてみせる。

 これは、単なる対局におけるモノの、もっと外側、人の心理を貫くテンパイだ。

 

 俯瞰するように、悠然と視線を向ける水穂の先に、驚愕と、焦燥と、若干の怒りを交えた早海の瞳があった。鳴きを抑制する支配、それを端から存在しないものとしているかのように、圧迫を物ともせず洋榎が対々和を張った。

 無理矢理の鳴きは、しかし活路を開いた、散々なまでの捨て牌が、しかし同時に、洋榎を導く活路となる。

 

 ――洋榎捨て牌――

 {北發9發16}

 {一六⑧中}

 

(不調の人間に、程よい支配は劇薬だ。何を引いても不要牌、何を引いても当たり牌、配牌全て五向聴、そんな地獄状態にまで陥ることもおかしくはない)

 

 あらゆるツモが有効牌とならない状況――つまり、捨て牌十三不塔と化したそれを見やりながら、続けて水穂は思考する。

 

(でも、最初からそんなに絶不調だったりすると、支配が強ければ強いほど、逆にツモに偏りが現れる様になる)

 

 支配とはいっても、その形態のほとんどはいわゆる裏目のツモを強要するものだ。それがあることにより、本来であれば進めていたかもしれないシャンテン数が、停滞し、支配が正しく成立する。

 

(結果として、裏目裏目の十三不塔は、自摸る牌の種類を、大きく制限するものだ。それこそが、オカルトによって現れる、擬似的な牌の偏りなんだよねっ!)

 

 この場合の、有効牌、早海のチカラにとっては不要とかし、しかしある種有効な活用が望めるツモ――そう。

 

 

「――カンッッ!」 {②横②(横②)②}

 

 

 洋榎の加槓、決死のリンシャンツモが、炸裂する。

 ――カンによって自摸られる牌は、早海の支配から、ただひとつだけ逃れることが許された牌。

 

 そこに洋榎が――手を掛ける。

 

「……まってましたやで、この瞬間を――さぁおいでませ、リンシャン――――」

 

 早海が、良美が、観客者たちが、一斉に洋榎のツモへと意識を向ける。真っ向から打ち破ることが不可能かと思えた絶対的なチカラを、一瞬にして、単純にして打ち破る。

 

 その瞬間は、――はたして。

 

 

「――ツモッッ」

 

 

 たたきつけられた牌、晒されるそれは、{三}。対局者達の表情が――この一瞬をすでに想像していた水穂を除いて――恐慌に包まれる。

 あわや、そう思われた瞬間。

 

「……………………ならずや」

 

 脱力気味に、若干手元で晒した牌を、洋榎はそそくさと捨て牌へと投げ入れる。

 そうしてもれた早海と良美の安堵――しかしこれで全てが終わったわけではない。

 

 だからこそ、すでに凛々しく洋榎を見据えていた水穂だけでなく、二者もた平常通りの感覚に戻る。

 

 ――残されたのは、新ドラ表示牌「{北}」

 再び、対局が行われるかという状況、四者の思考は加速する――

 

 何が当たるか、もはや洋榎の手牌は爆弾のようなものだ。何を切っても、それが絶対安牌といえない限り、洋榎に対する放銃の可能性が存在する。

 満貫確定の手に、全くの動揺を見せずに手出しで牌を切るのは、この中では唯一人、洋榎クラスとも同等に撃ちあってきた、水穂ただ一人であった。

 

 水穂からしてみれば、洋榎が索子で待っている可能性が無いと考えている。そも彼女はこの局、索子の絶一門に陥っているのだ。もちろん引けばそれに待ちを張り替える可能性はあるが、現状洋榎は裸単騎完成時点から、一度も牌を入れ替えてはいない。

 

 そもそも、それよりもよっぽど、待つのにお誂え向きな待ちがあるのだ。多少素直な街だが――水穂は洋榎の待ちを、ほぼそれと断言していた。

 

(愛宕の人って、基本的にあんまり勝負強くない、一発でツモることは稀――人並みだし、手牌が特別いいってことはない。……でも、こういう時たいてい、この人はまるで――――謀ったような待ちをする)

 

 決着は、思いの外早く訪れた。

 

 放銃だ。――ツモ和了では、洋榎が和了れるはずもない。

 

 

 ――早海/打{東}

 

 

 地獄単騎、新ドラとはいえ、まさか最初から自摸っているということはないだろう、そう考えた故に打った。

 否、打たざるを得なかった。

 それだけが、早海が打てると、唯一思った牌なのだから。

 

 ――しかし、

 

「…………ごくろーさん、や」

 

 洋榎は、真っ向からそれを――否定する。

 

 

「――ロンッ! 12000…………!」

 

 

・姫松 『106100』(+12000)

 ↑

・宮守 『102600』(-12000)

 

 倒される牌。ひゅっと、早海の口元から、何かが漏れる音がした。――少なくとも、この一局、洋榎が放った爆弾は、その爆弾を生み出した対局の主に、直撃した。

 洋榎の狙いはここにある。自分自身という雀士への恐怖、場を支配する人間の萎縮、状況の、混迷。

 

(フィールドが、平らであればあるほど、愛宕洋榎はそれを利用する。そうだよね、姫松のエース…………ホンモノの、最強クラスッ!)

 

 蓑を晒してホンモノを隠す、人の群れに潜む何かとなって、雀士を穿つ。

 ――愛宕洋榎とは、そんな雀士だ。

 

 それを実力とした――――ホンモノの雀士だ。




パソコンが新しくなりました。
おかげか心機一転、筆の進みがよくなったようです。要するに適時気持ちの切り替えが自分には必要なようですね。


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『空色の心』中堅戦④

 ――東三局、親洋榎――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

(あー、もう、なんか…………あーっ!)

 

 ――早海手牌――

 {二四六八②③④⑦⑦⑦⑧中中(横二)}

 

(なんか、なんか違っがーんだよなぁ、なんだろ。体、重いわ)

 

 跳満への振込とはいえ、今の放銃は単なるよくある放銃の一つだったはずだ。それがなぜ、今自分はこうも嘆息が増えているのだろう。

 解らない。わからないことだらけだ。どうしても、体中から抜け出た気配を、たぐり寄せることができないで居る。

 

(どーしちゃったのさ、どーしちゃったのさ私の体。そんなやわな鍛え方、してねーはずなんだけどな)

 

 自分の中には、自分でもよくわからないようなチカラがあって、きっと才能のようなものがあったのだと早海は思っている。

 それが好いことか、悪いことかはともかくとして、今の自分にあるのは、やっぱりそれなのだと、早海は思っても居るのだ。

 

(心音ぇ、シロ、塞、胡桃……なんかさ、おかしいね、ほんと――)

 

 ――早海/打{八}

 

(きっついなぁ――これ、もう)

 

 

 打牌を続けながら、水穂は宮守の中堅、五日市早海の顔を伺う。消沈しきった薄暗さの伴う顔に、言いえもしない既視感を覚えながら、自身のツモを顧みる。

 

(完全な絶一門、どっちかに偏ってるわけじゃないから、割りとなんだか微妙な感じ。とはいえまぁ、これを進めるのが私の仕事だ)

 

 ――水穂手牌――

 {一一三七八九④⑤⑨⑨⑨北北(横四)}

 

 水穂/打{一}

 

 この手牌の魅力は、なんといっても三枚の{⑨}だ。これにより、水穂の手牌はおどろくほどの柔軟性を持つようになる。

 例えば――

 

 洋榎/自摸切り{⑨}

 

 こうやって、親がこの{⑨}を切ればそれだけで、水穂の手牌には三枚の安牌が宿る。たった三巡、されど三巡、その間、如何様にも手を進めることが、できるのだ。

 

(要するに、テンパイした上で私の調子を害さないうちに他家へ和了らせればいい。今は親番じゃないから自摸られてもいいんだけど、ここはもうちょっと、宮守の人に削られてもらおう)

 

 洋榎/打{一}

 

 切り出すのは一九牌、洋榎の打牌はどこか違和感を持つ打牌だ。続く打牌は{3}、言ってしまえば、執拗に字牌を切ることを嫌っている。

 ――その意味は? それは、公式戦で間近に洋榎を見てきた水穂には解る。おそらくは良美も、手牌の絶一門から状況を察していることだろう。

 

(――愛宕洋榎。南大阪最強にして、全国ですらその名を大いに轟かせるインターハイのトッププレイヤーが一人)

 

 全中であれば、自分モノその中に加わっていたのだが、と水穂はどこか嘆息気味に回想する。それは単純に、突然長野に現れた魔物が全て悪いのだが――とかく。

 

(彼女の打ち筋はかなり特徴的だ。浮き牌読み、筋引っ掛け、迷彩――即ち、あらゆる出和了りに即した打ち筋)

 

 トッププレイヤーである彼女たちにも、それぞれのスタイルがある。例えば千里山女子のエース、江口セーラは徹底した火力重視、水穂や、九州最強を誇る新道寺女子のエースなんかは、ある程度速度に特化した打ち筋をしている。

 その中で、愛宕洋榎が得意とするのは徹底した出和了りスタイル。とにかく他家から直撃を取る、何が何でも他家に放銃させる、そんな心境によって至ったであろう雀風だ。

 

 平時から相手をしていて、最も厄介なのは、洋榎のそれが、わかっていても振り込んでしまうような類のものであるからだ。

 人の心というのはいつまでも気を張っていられるわけではない。そして洋榎は心が弛緩した本当に一瞬の隙を突いて、直撃をもぎ取る。

 

 だからこそ彼女は脅威なのであり、人の心に、とにかく残る物を持っているのだ。

 ――とはいえ、長く彼女を見ていれば、ある程度避けれる仕掛けもある。例えば今回のこれがそうだ。

 

 手牌は完全な絶一門状態。だれかが索子をガメているであろうことは確実だ。

 そして河には、異様なほど索子が少ない。――出しているのは、良美と洋榎だ。

 

 ――良美捨て牌――

 {1西⑥8三白}

 {白八(二)}

 

 ――洋榎捨て牌――

 {⑨一3二九發}

 {④七9}

 

 良美のそれは、索子こそ出しているものの、どちらかと言えば筒子に寄った捨て牌に思える、序盤から手出しで中張牌を切る、というのは違和感があるが、一通あたりが濃厚だろうか。

 ――問題は、洋榎の捨て牌だ。一件彼女の捨て牌もまた、そういった索子の高さを思わせるものだが、ここまでほとんど見えていない索子が、彼女の捨て牌に限ってかなりの数お目見えしている。

 無論良美の捨て牌にも同数はあるが、ここで水穂は、ほぼ間違いなく染めているのは洋榎であると判断した。

 

 ――迷彩をかけている、と読んだのである。

 

(さぁて……ここまで来れば、愛宕洋榎をほぼ初見で相手している宮守は、警戒せずに突っ込んでくることになるね)

 

 嘆息気味に、見る。未だ早海の表情にはどこか陰りが見える。――そこから感じられる既視感は、きっと過去の自分に似ているからだろうと、水穂は感じた。

 

(なんか過去のこと、今のこと、何かのことで悩んでるみたいだけど、それを解決するのは私じゃない。ごめんね……キミの仲間はキミを嫌ってはいないはずだから、だからもう少し、誰かを頼った方がいい)

 

 ――状況は、晩成良美の打牌直後、未だ状況は水穂のツモというところから動いてはいない。――否、水穂は牌をつかむつもりはない、あくまで自分の手を眺め、最善の選択を取ろうとしている。

 

「――チー!」 {横二一三}

 

 打牌の直後には、意識の中ではすでに手牌の中へ組み込まれていたそれを、改めて引き寄せる。鳴いた――早海の支配はあるものの、絶不調ではない今の水穂は、十分にツモを狙える。

 

 その上で、洋榎のテンパイにも対応するつもりなのだ。

 

 ――水穂手牌――

 {四五七八九④⑨⑨⑨北北} {横二一三}

 

 水穂/打{④}

 

 膠着していた水穂の一向聴が、ようやくここで動く。長らく待ち望んだテンパイであるが、打点は単なる二翻だ。

 それでも十分とは言えるのだが。

 

 そうして続く宮守のツモ、水穂はそれを、運命のツモだと、位置づけていた――

 

 

 ――早海手牌――

 {二三四②③④⑦⑦⑦⑧2中中(横⑧)}

 

(ようやく形になった、ってぇところか。三色はつかなかったが、それでもこれならまぁ十分かねぇ)

 

 ――早海/打{2}

 

 ここまで、早海は一切、疑問を抱くことはなかった。

 抱く必要が、感じられなかったのだ。

 

(おそらく龍門渕はテンパイしてるだろぉが、それでもせいぜい二千点、リー棒込めて三千点――つーならさぁ、別に私が警戒する必要は、ないよねぇ!)

 

 もとより、この手で迷う必要は殆ど無かっただろう。親からのリーチはない、鳴いても安くなるだろう水穂を相手にするならば、別に手を緩める必要は――どこにもない。

 

「リー……」

 

 

「――――ロン」

 

 

 しかしそれは、全く予想を越えた場所からの発生によって、遮られた。

 

(あ、――あぁっ!)

 

 思わず、しまったと顔をしかめる。親がテンパイしていた。それだけでは済まされない。この打牌は、その和了りが正しいものならば、とても嫌らしい待ちになる。

 

 ――洋榎手牌――

 {34456777888北北} {2}(和了り牌)

 

・姫松 『113800』(+7700)

 ↑

・宮守 『94900』(-7700)

 

(――先切りっ! いやそもそも、これ最初から、染め手だけを考えて、――一盃口すら捨ててるんだ――ッ!)

 

 {3}を序盤で切らずに残していれば、一盃口の可能性が洋榎には残されていた。――しかし、{一二}という辺張の塔子落としを薄めるために、{3}をあわせて切ったこと、序盤煮切ったことで、多少なりとも他家から注意を向けさせない手を作ること、それを洋榎は、一切合切この手牌で、やってみせてしまったのだ。

 

 ――戦慄する。

 

 これが、ホンモノ。

 ホンモノの最強が、完全に自分を狙っているのだ。

 

(うそ、だろ? なんで、なんでさ。――なんでこんなに、強いのさ――――ッ!)

 

 疑問は、確かに正当なものだ。しかし、どこか無粋でもある。洋榎を始め、水穂やセーラといったホンモノの強者は、間違い用もなく――強さが認められたのだからこそ、強者なのだ。

 

 そこに理由と言えるものがあるだろうか。

 

 ――否、そも必要すらないものだ。だから、洋榎のそれは強大に映る。強いから、ではまく――強いとわかっているから。

 

 対局者達は、それに慄かなくては――ならないのだ。

 

 

 ――東三局一本場、親洋榎――

 ――ドラ表示牌「{⑧}」――

 

 

「――リーチ」

 

 間髪入れず、といった所か、早海が苦々しげに顔を歪ませて、良美がぐ、と顔を沈ませる。もはや浮かべられる感情は苦渋以外許されてはいないのだ。

 洋榎の牌が曲げられて、たったそれだけで、必要以上の圧力が少女たちに襲いかかる。

 

 ムリもないことだ。親番のリーチ、ここまで順調に三度の和了を重ね、現状の洋榎は間違いなくこの場の征圧者となっている。

 むき出しとなった刃に、膨大なまでの重圧、二つの矛が伴って、襲いかかる。勝者に強者のアドバンテージが加わっているのだ。

 

(……六巡目かっ。まだ一段も切り替えしてないんだぞ!?)

 

 もはや、洋榎の前には県予選、インハイ一回戦を勝ち抜いてきた、猛者としての痕はどこにもない。須らく塵と化す、木材の群れが、そこには横たわっている。

 

(こっちツモが悪い、その状況でこのリーチ。事故でも狙ってるんじゃねーのか?)

 

 萎縮している。

 それは自分自身に、問いかけずともわかっていることだ。相手は強敵、それも間違いなく自分より更に一段――二段は格上に立っているような。

 

 無理もない――洋榎の目を見れば解る。そこに立っているのはホンモノの強者だ、自身の力を振るうことに何のためらいも、気負いもなく立ち振舞っている。

 同時に、そこには笑みが伴っていた。ただ強くある――そのための自負を伴ったような、鋭い笑みに……殺意を混ぜ込んだかのような人を射抜く眼光。そこには、悪鬼修羅の類が佇んでいた。

 

 宣言と同時にたたきつけられた牌が、横に滑って河の牌を叩いて――嫌に大きく、その音が響き渡った。

 

(なんでだ? なんでなんだ。さっきまで私はこいつと真っ向からやりあってただろーがよ。少なくとも、半荘一回は私が勝ったんだぞ!?)

 

 それが、今はどうだろう。たった一つの洋榎の所作にすら怯え、自分自身を見失っているのではないか?

 なぜかはわからない、今――自分の中から何かが抜けきっているのは解る。それはきっとオカルトではないし、精神の根幹というわけでもない。

 

 ――ただそれが、早海の心を、少しばかりえぐっていくようなものだったのだ。ただただ単純に、早海の急所を、少しだけ一突きされたのである。

 

 まぁそれで、

 

 手足一つ動かなくなっていれば――世話もないのだが。

 

(あ――く、ぅぅ。なんでだよ。なんで、何だヨォ…………ッッッ!)

 

 もはやそこには、自分という存在が居るのかどうかすら曖昧で、五日市早海は、得も知れない違和感に、ただただひれ伏すしか無いのだ。

 

 なぜならそこは、もはや洋榎が、ただただ猛威を振るう場所でしか無いのだから。

 

 早海は、なんとか手牌にのこった現物を切った、良美を眺めて目を伏せる。――もうだめだ。そうやって、噛み締めた歯には、必要以上の力がこもった。

 

 

 ――打牌の直後、その瞬間だった。

 

 

 ――まるで世界が広がるかのような衝撃が……奔った。

 

 

「っ!?」

 

「――これは」

 

 最初にそれに気がついたのは早海と洋榎だ。早海はいいえも知れない感覚から、そして洋榎は積み重ねてきた経験から。

 それから良美も、少し遅れてそれにきがついた。彼女もまたインターハイで活躍してきた強者、そのくらいだったら感じ取れる。

 

 無論それだけで済むようなものではない。これまで全くといっていいほど忘れられていたオカルトに近い何かだ。

 重圧、とは違うだろう。まさしく暴風を伴うかのような威圧の塊が、どこからか噴出しようとしているのだ。

 

 その先にあるのは、依田水穂、速度を伴う疾風の少女。

 

(――愛宕さん、悪いけど、貴方の待ちは私には通じないんだよね)

 

 洋榎の威圧によって生まれた状況を、水穂は唯一人冷静に感じ取っていた。洋榎の狙いが何であるのかも、ほぼ確実に、読み取っていた。

 

(それだけ勢いまかせにリーチをしたら、他家は怖がってベタ降りする。でもその待ちは筋引っ掛けの、ワンチャンス)

 

 ――洋榎捨て牌――

 {發東五七②横七}

 

 ここに加えて、先程の打牌、良美の{七}切りで{八九}はワンチャンスの待ちとなるのだ。

 

(大体、純チャン系の{八}か{九}待ち、引っ掛けだろうから、{八}が濃厚、それはつまり、他家にオリさせて、安牌が無くなったところを狙う打ち方だ)

 

 けれども――水穂はそれに対して考える。

 

(だけど、甘かったね、今の私は、さっきのテンパイである程度調子を取り戻してる。どれだけこっちのオカルトを見透かしてるかわからないけど――遅いよ、それじゃあ全然、私には、届かないッ!)

 

 思考が停止し、一気に牌へと手を伸ばす。

 もうすでに時は十分な機を持った。後はそれに、ただ一度の終止符を打てばいい。

 

 

 だから、続く、行動が、露となる。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 精一杯弧を描いた水穂の右手は、上空の軌道を保ったまま、勢い良く加工する。風の跡には、薄く煌めく、白色の軌跡が移った。

 左側(・・)、水穂がそこに、牌を叩きつける。

 

 ――水穂手牌――

 {横五三四③④⑤34567888}

 

「2100、4100ッ!」

 

・龍門渕『103100』(+9300)

 ↑

・姫松 『108700』(-5100)

・宮守 『92800』(-2100)

・晩成 『95400』(-2100)

 

 勢い良く響いた宣言は、その場所に――どうしようもなく響いているのだった。

 

 

 ――東四局、親良美――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

「リーチッ!」

 

 続けざま、とでも評することができるだろうか。まさしく、水穂のツモは完全に調子をあげていた。

 この時、河の流れは三巡目、三者、全くといっていいほど手が出来上がってはいなかった。

 

(――早いッ!)

 

 早海はなんとも言えない苦々しげな状況に、すぐさま現物を切り出す。実力の伴った内回しをする彼女は、かなり堅い打ち手だ。

 とはいえ、それでもこの状況、気圧されて、いつペースを取り戻せるかもわからない。

 とにかくここで、何としてでも和了らなければ――そう考える少女は、しかし一歩を、前に進める事ができずに居る。

 

 自分の中に生まれた違和感。――否、それは生まれたのではない。浮かんだ(・・・・)、かつてから抱えていた不和を、ようやく自分自身が自覚したに過ぎない。

 

 だからこそ困惑する。戸惑ってはいないはずだった。迷ってはいないはずだった。それなのに浮かぶ感情が、どうしても早海の心を、締め付ける。

 

(速攻の手牌が、さらに速攻向きになったか? とにかく、こっちも何とか追いつかないと……)

 

 速攻派、依田水穂、相手にしていてただひたすらに早いというのはもっとも厄介なファクターだ。早海には、洋榎のようにどれだけ他家が早かろうと、それより早く和了ってしまおうというような気概はない。

 ――強さは、まだない。

 

 

(まー、やっぱ速度上げてくるやろな)

 

 一人、洋榎はどこか俯瞰気味な視点で対局を眺めていた。

 ゆらりと、どこか幽鬼的な不気味さを伴った視線は、彼女の真意を、ただ“勝ちたい”という想い以上に強めていく。そしてそれは、この卓の強者、依田水穂の捨て牌へと向けられた。

 

 ――水穂捨て牌――

 {北⑦横8}

 

(昔から、一度和了り初めてもうたら手が付けられんかった。一年ぶりに直接この眼で見て解るんわ、それが単なる実力以上のものだったっちゅうことや)

 

 水穂の強さは、オカルトによる引きの強さだ。千里山のセーラのようにポンポンと高い打点を叩きだし、しかもそれが早いと来ている。たしか昨年、もっとも国麻(コクマ)でダブルリーチをかけたのは、水穂だったはずだ。

 

 だが、その水穂の強さが、相対した時の厄介さにまるまる転化するかといえば――そんなことはない。

 

(こいつの一番面倒なんわ、あくまで真髄は手が付けられなくなってから発揮されるっちゅうこと。――そこにたどり着くまでの技術が、異様なまでに卓越してるっちゅうこと)

 

 ただ“速い”だけであれば、いくらでも洋榎には手のうちようがある。流れにさえ気をつければ、ずらしてしまえば他家はつかめない、同じようにボードの操作は洋榎の得意分野だ。

 

(上手い奴に、可もなく不可もないオカルトを載せりゃあ、そら強いやろ。まぁそれでも、ウチは負けへんけどな)

 

 ――洋榎手牌――

 {二三三七八⑤⑥⑦444北北(横⑧)}

 

 洋榎/打{北}

 

 迷わず選んで、考える。

 

(ここから何か掻き分けてくんやったら、まぁ普通に行くんが正解やな)

 

 {北}は安牌、二巡ながして、そこにツモが伴わなければ正解だ。もちろん、そんなことはありえないとも、洋榎は思っているのだが。

 

 ――ちらりと視線を向けて、改めて他の二名を観察する。

 どちらもその視点は水穂の捨て牌にあり、水穂にはない。この状況、もっとも警戒すべきは水穂自身の存在、そのものであろうに。

 オカルトであることがわかっていようといなくとも、彼女たちはそこに意識を、向けられずにいるのだ。

 

 だからこそ、ここでためらい、彼女たちはつまずいている。

 

 ――良美/打{⑧}

 

「ロンッ!」

 

 ――水穂手牌――

 {三三三六七八⑥⑦23488} {⑧}(和了り牌)

 

「ぐっ――」

 

 呻き、そしてそれは敗北に伴う。

 

「――5200」

 

・龍門渕『108300』(+5200)

 ↑

・晩成 『90200』(-5200)

 

 勝利宣言と、敗北宣言、両名想いがぶつかって、そしてはじけて消えてゆく。どこにも痕は残らない。ただ続く、半荘という道が、そこにあるだけ。

 

 

 ♪

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 そうして、やがて。

 対局はオーラスだ。七巡目、長い半荘メドレーに、終止符が打たれようとしている。

 

 ――洋榎手牌――

 {三四四五六八②②345中中(横中)}

 

(きたでーきたでー来てるでぇっ! これならリーチ必要ないやん、いやま、かけて誘ってもええんやけど……まぁ無難にいこか)

 

 ――洋榎/打{四}

 

 最後を決めるのに、これほど嫌な待ちは無いだろう。テンパイ気配はない、しかし見えていないドラから、嫌な予感はひしひしと伝わってくる。

 中盤まで、洋榎は頑なに役牌を停めていたのだ。

 

 それが――他家の眼にはどう映るだろう。

 

(浮いてるんやろ? 龍門渕。ここまで一度も振り込んで来なかったんや、最後にあんたのそれを打ちとって、全部終わりにしたろうや)

 

 洋榎が狙うは、ここまで一度として洋榎に放銃することのなかった相手、龍門渕――依田水穂。

 

 最後の最後に、洋榎は自身が認める、もっとも厄介な相手を射程に収めたのだ。

 

 張り詰める緊張の糸、弓の弦が振り絞られるかのように、その一瞬は長く、長く広がっていく。

 言葉がないのは当たり前だ、しかしそこから、音すらも掻き消えてしまったかのように、――奏者の消えたコンサートホールのように、そこは静まり返っていた。

 

 当然だ、そこにある弾き手は、客を楽しませるためではなく、湧かせるためにいるのだから。

 

(他家に和了られたからか、龍門渕の奴は配牌が少しばかり微妙な状態だった。そしてこれは、ストレートなツモの良さによる、歪みを生む)

 

 水穂のツモは、いまださほど調子を落としてはいないだろう。手牌が悪ければ悪いほど、有効牌を引くごとに水穂は調子を取り戻していく。

 そんな真っ直ぐさが、今この瞬間は仇となる。

 

(結果が、手牌に牌が浮いたまま良型にテンパイが進むこと――理牌の感じからみて……手牌はこんなかんじに鳴っとるやろ)

 

 ――水穂手牌――

 {一二三四七③④⑤⑤⑤⑦⑧⑨}

 

(これやったら、どこを引こうとも{七}が浮く、あんたは空中へ磔にされたってわけや)

 

 ――さぁ、と意識の上で目を細める。それが感情として表層に顕されることはまったくないが、それでも。

 洋榎は一瞬に意識を研ぎ澄ませ、それを鋭利な刃物に変えていく。

 

 ただ一点を穿つのだ。

 

 己が決めつけた、勝敗の結果だけを矛にして。

 

(…………こい!)

 

 ――真正面から向かい遭う両名は、さながら夜桜に映える決闘者といったかのような、風情であった。

 

 そうしてそれは、ただ伯仲の拮抗のまま――雌雄を決することとなる。

 

 

(――できた)

 

 ――水穂手牌――

 {一二三四七③④⑤⑤⑤⑦⑧⑨(横②)}

 

(当然、これは{七}を切っていくべきなんだけど……直前の姫松{四}切りが嫌な感じだな。黙聴でこっちを誘ってるって感じがする)

 

 ならば、と水穂が手にしたのは現物の{四}、これであれば間違い無く洋榎に振り込むことはなく、テンパイに取れる。{一}はヤオチューで危ないし、{七}は手牌から完全に浮いているように思えてならない。

 

 ――手に{四}を収め、しかしそこで水穂は手を止める。

 

(……いや)

 

 ――この時水穂は、ただこの打牌を終えようとしていた。形テンでのダマ、そのまま{七}が飛び出せば万々歳。

 だが、それだけで果たして、このては済ませていいものか?

 

(違うね――そんなはず、無いじゃない)

 

 ただ終わらせる。それでいいはずがない。

 

 わかっているのだ。こうしてここまで来て、水穂が手にしたのは、たんなる弱さではないことくらい。

 

(多分、私は昔と比べれば、見違えるほど強くなった。それこそ、過去を取り戻して、麻雀を楽しいと思えるようになった今でも、楽しくなかった時のように、打っている位!)

 

 楽しいからこそ、勝ちたいとおもう。負けたくないから、と思って闘うよりも、勝ったほうが楽しいからと――麻雀を打つ。

 それが、どれだけ水穂には難しいことであったか、今でもそれは――心の楔となって水穂の中に残っている。

 

 だが、

 

(さぁ……)

 

 だからこそ、そこに新たな自分を付けて加える。

 

 

「――リーチ!」

 

 

(勝ちに行こうじゃないか…………全力で、サァッッ!!)

 

 水穂/打{四}

 

 たたきつけられた牌、水穂のリー棒を叩きつけた水穂の右手が、自身の髪を伴って大きく広がる。

 ただ意思だけを込めた瞳が、彼女の後につながった。

 

 

 ――そんな水穂の様子を見て、洋榎は少しだけ意外そうにしてから、こんどこそ表情に笑みを浮かべて、それと相対する。

 

(おもろいやん。――なんや、一年前よりも、ちょっと素直になっとるやん)

 

 今までの水穂は、きっと技術が彼女を縛り付けていたのだろう。手に入れた研磨の結果が、足枷となり、正解以外を選べなかった。

 だがこの一瞬は、それ以上の意味をきっと持っている。

 

 水穂のリーチ。

 

 勝敗はほぼ見えた。

 

 それでも洋榎は――負けたくないと、純粋に思う。

 

(このリーチで場が動いた。どちらにせよ、まだ{七}が出れば和了れる公算は……残ってる!)

 

 ――洋榎/自摸切り{中}

 

 ツモは、不発。暗槓を仕掛けることもできたが、今のドラは間違いなく水穂の味方だ。単なるチカラのない一雀士に、それが微笑むとは思えない。

 

 ――だから、出和了りに頼った。

 この一巡、早海――彼女は現物を落とした――もしくは良美の打牌で、安牌が出れば――――

 

 ――良美/打{發}

 

 すでに一枚キレ、更にドラ表示牌として顕になっている{發}を落とした。現物ではないが、それは正解だ。

 確実に水穂と洋榎のテンパイをすり抜ける事ができる。

 

 そうして、最後――水穂のツモだ。

 

 洋榎はそっと手牌を倒した。もうこの対局は見えている。勝敗も、決着も、その後に残る余韻も――そして

 ――桜並木の夜の元、洋榎と水穂は、一合として打ち合うことはなく、単純に、意地と意地だけをぶつけあって――一つの対局に幕を下ろした。

 

 勢いを伴った水穂の右手が奮われる。

 

 

「…………ツモッッ!」

 

 

 ――一発ツモ、リーチをかけて、これで三翻。

 

「――1000ッ! 2000ッッ!!」

 

 爆発のような激しく響き渡る咆哮を伴って、水穂が、牌を左側へと叩きつけた。――裏はない、乗ることもなく、半荘は――――終わった。

 

 長い、長い――空色をふんだんに散りばめた、意思と意思のせめぎあいが、やがて過去へとかわって、溶けて沈んだ。

 

 

 ♪

 

 

『中堅戦、決着――ッ! 激しい戦いの末、収支トップは姫松高校、愛宕洋榎! 獅子奮迅の活躍を見せつけました!』

 

 ――愛宕洋榎:三年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――98300――

 

 立ち上がり、その風体は威風堂々、あくまで勝者らしい足取りだ。しかし、どこか顔には不満が残る。稼ぎきれなかったこと。同格の相手を打ち倒すのではなく上回ることしかできなかったこと――課題の残る対局だった。

 

『宮守女子、五日市早海はなんとかとどまった、というところでしょうか。晩成高校の佐々岡良美も含め、厳しい表情を浮かべています』

 

 早海も、そして良美も、この対局の敗者だ。一切合切、なんの言い訳も通用しないほど、完膚なきまでに――彼女たちは負けた。

 だからこそ、次に対する再起が、許されてはいるのだが。

 

 ――佐々岡良美:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――92100――

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――104700――

 

 ――そして、

 

『二回戦次鋒戦での、大きな失点を取り返し、再びトップにたったのは――龍門渕高校ッ! 収支差では一つ及びませんでしたが、それでもトップの座を奪還、強さを見せつけています!』

 

 依田水穂は、どこか満足していないという様相で、しかし納得はしているという様子で――対局室を、後にした。

 

 ――依田水穂:三年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――104900――




中堅戦は勢いのまま流れて終了。
ちなみにキンクリ部分だと割りと他の二校も稼いでますが、それでもプラス収支には及びませんしキンクリ部分なのです、キンクリ部分なのです。


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『龍門渕透華、氷空に散る』副将戦①

 龍門渕透華は燃え尽きた

 一切合切なんの跡形も残すことなく、見るも無惨な灰燼に帰した。

 

 わなわなと肩を力なく震わせて、あんぐりと空いた口元からは、なんとも言えない気配のような何かが漏れた。

 おそらく、魂のようなもの――とおもわれる。

 

「あ、え、えっと……ダブリー一発、ドラ4、裏4は――――」

 

 ――漫手牌――

 {七七七七八九②③④789北横北}

 

 ――ドラ表示牌:{六} 裏ドラ表示牌:{六}

 

 

「36000です」

 

 

 もはや何の言葉も無く、東一局、あらゆる終局がそこにはある――ように思えた。

 

 

 ♪

 

 

 インターハイ第二回戦もついに副将戦、長かった一日が、ようやく終わろうとしていた。龍門渕透華、及び龍門渕高校がこの副将戦で対局する三名が対局室にあつまり、いざ対局が始まろうかというところだった。

 

 席順。

 東家:上重

 南家:龍門渕

 西家:小林

 北家:鹿倉

 

 一位龍門渕:104900

 二位宮守 :104700

 三位姫松 :98300

 四位晩成 :92100

 

 しかしその東一局から――この第二回戦、もっとも波乱に満ちた半荘が、幕を開けるのだった。

 

 

・姫松 『134300』(+36000)

 ↑

・龍門渕『68900』(-36000)

 

 ――龍門渕控え室――

 

「おいおい、かわせないっつーのは解るがよ、こりゃいくらなんでも酷いだろ」

 

 完全な交通事故に巻き込まれる形でのスタートとなった龍門渕高校控え室、若干の意彩いやな沈黙を切り裂いたのは、理不尽に対する不満であった。

 ――わかっていたことだ。姫松高校の上重漫は時折、異様な点棒を稼いで勝つことがある。おそらくこれはその一つということだろう。

 

「わかっててもかわせないからねー、いやいや困った」

 

 大して、こちらは逆境など慣れたもの――しかもある程度逆境における耐性が出来た水穂が、あっけカランとした様子で言い放つ。

 同時に衣も、楽しげに手を叩いて笑った。

 

「いや、誠に愉快、痛快。ここまでの催しを見せて貰えるとは、正直思わなかったよ」

 

「とはいっても、これ……かなりピンチだよ? 透華だってきついんじゃないかな」

 

 一の苦言、しかし衣はそれに対してまったく気兼ねした様子もなく応える。――そも彼女は、負けるつもりなど一切合切ないのだ。

 何せ自分が大将に座っている。ならば、たとえそれまでがどんな結果であろうと、勝つのが彼女の仕事である。

 

「どれだけ稼ごうが、衣が全て取り返してやるさ。相手は面倒だが、勝つのは衣だ――それに」

 

 一拍タメて、

 

「それに?」

 

 瀬々がそれに問いかける。――わからないのか? 視線で問いかける衣に、瀬々は一つ横へと首を振った。

 ほう、と衣が一つ息を吐きだし、

 

「意外だな、瀬々。お前なら答えの一つ、解るのではないか?」

 

「衣が透華にたいして何か言おうとしてるのはわかるけど、そこまでだよ」

 

 まーったく解らない、とお手上げのポーズを取る。それには周囲が首を傾げていた。瀬々はオカルトの専門家――というよりも、あらゆる答えの専門家である。衣の澑め(・・)が謎である以上、瀬々は答えを得るはずなのだが。

 

 それから瀬々は一つ大きなため息を吐き出し、眠そうに何度か目を瞬かせた。衣の言葉も、話半分と言った様子だ。

 

「ま、どちらにしろ瀬々にわからないならボクたちには永遠に解らないからさ、出来れば答えを教えてくれないかな」

 

「……なにゆえ」

 

 一の言葉に追随し、パソコンに目を向けていた智樹も衣へと目を向ける。

 

「なぁに、簡単さ……龍門渕は少しばかり特殊な家系なのだ」

 

「衣や瀬々なんかが生まれてくるくらいだしね」

 

 異常な存在――というには少し常世に慣れきっている面はあるが、衣も瀬々も、日常にすら麻雀の“魔”を持ち込むような存在だ。

 その根源は龍門渕の血筋にある、と衣はいう。

 

「とはいってもよ、透華はお手本のようなデジタルだぞ? 変な感じなんざ全然しねーだろ」

 

「――いや、普段は感じられないから、気が付かなかっただけじゃないかな?」

 

 純の言葉を、一がふと否定する。衣の言葉を待つことなく、透華に居場所が近いからこそ、一は透華の事をよく知っているのだ。

 それでも気が付かないというのなら、それは単純に気が付かない理由があるのだと、一はすぐさま考えた。

 

 そして、衣はそれを首肯しながら、言葉を紡ぐ。

 

「その通り、透華の“それ”は普段深淵のまどろみの中にある。そして故に、彼奴は己に見過ごせないほどの、大河の氾濫にのみ、鎌首をもたげ、眼を開くのだ」

 

「――場が荒れに荒れてれば、それだけ目を覚ましやすくなる、って感じかな」

 

 水穂の言葉は、すぐさま衣の肯定によって補強された。――この瞬間、モニターの向こうに座る、対局者達の姿は、夜闇の嵐に揉まれる船に思われた。

 ――ただ今は眠りにつく龍が、果たしてそれを厭と煩わうか。

 

 その瞬間は、もう少し遠い。

 

 

 ――東一局一本場、親漫――

 ――ドラ表示牌「{中}」――

 

 

 目を覆いたくなるほどの直撃だったはずだ。爆発時の上重漫にとっては、さほど珍しくない状況ではあるが、この全国第二回戦、地方で一度だけしか爆発をしていない以上、実質初お披露目となるこの第二回戦、おおきく場が荒れるであろうことはほぼ確定的となっていた。

 

 ただ、漫にとってもっとも予想外だったのは、この状況における三倍満直撃を受けた対局者、龍門渕透華の反応である。第一打、漫の手からこぼれ落ちた牌を、彼女はすかさず拾い上げた。

 

「――ポン!」 {横白白白}

 

 第一打のドラ打牌にしてもそうだが、ここで勢い良くドラを鳴きにかかって来た。それはつまり、透華がいまだ死んでいないことを示している。

 それは配牌によっても、透華の“眼”によっても明らかであることだ。

 

 刃を振りぬくように、前傾で牌を右端へ叩きつけた透華の眼が、その長い金髪に覆われながらも横の漫の眼へと映された。

 そこにあったのは、真っ向から漫へ噛み付く闘争心である。歓喜に打ち震えるようにしながら、獰猛にその口元から八重歯を白く、光らせるのだ。

 

(……姫松で、こんな眼をするのは、洋榎先輩と、主将くらいやった。強い人っちゅうんは、こんなに曲がらへんもんやろか)

 

 漫には、まだ手を伸ばすことすらできないような境地であった。どれだけ爆発的に勝利しようとも、それはあくまで一時の勝利であり、単なる幸運でしかない。

 ――その幸運が、極端に発揮されるのが漫の雀風だ。それが間違っているかどうかはともかく、勝つことに実感というものが希薄であるのは、間違い用もなく真実である。

 

「――ポン、ですわ!」 {7横77}

 

(飛ばされたッ!)

 

 勢いの良い副露、そしてそれによって、本来ツモるはずだった漫のツモ番が飛ばされた。一つ手が進まなかったことにより、漫は少しだけ自身が取り残されたかのように感じる。

 

 ――しかし、それでも今の漫は、この場を制圧するだけの力がある。

 

(……とにかく、ウチがここで麻雀しとるんは、あくまでこれがあるからこそなんや、稼げる以上――誰かが死ぬまで稼いで見せるで!)

 

 ――漫手牌――

 {③③④④⑤⑥⑧⑧⑧⑨北北北(横②)}

 

 漫/打{⑥}

 

 直後、透華の打牌、ここは手出し。まるでわきまえたかのように、透華のツモが好調な滑りを見せているようだ。――ならば、この手はそれとの決戦になる。

 

 漫/ツモ――{九}・自摸切り

 

 動じない、ただ手が進まなかった――和了れなかった程度では、動じない。

 逆に、漫が思わず苦々しげに顔を歪めたのは、更にその後、透華のツモの段にいたってから。――透華の右手が大きく振り上げられる。いっぱい、目一杯のタメを持たせて、それは勢い良く――卓を牌の打つ音で震わせた。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 龍門渕透華は、奈落の底から声を響かせる。

 すでに黄昏は地に満ちて、その時散った透華は、戦線の空から姿を消した。――しかし今、三度また、透華はここに姿を現す。

 

 ――まだ、龍門渕透華は死んでいない。

 

「四十付四翻――2100! 4100!」

 

 

・龍門渕『77200』(+8300)

 ↑

・姫松 『130200』(-4100)

・宮守 『102600』(-2100)

・晩成 『90000』(-2100)

 

 上重漫を、くぐり抜けてなお、そこにいる。

 

 

 ――東二局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 鹿倉胡桃は、嘆息気味に手牌を倒した。この東二局、すでに大勢は決しているのである。

 

「――カン」 {2裏裏2}

 

 ドラカン。これだけならば、まだ戦い用は在ったかもしれない。当然回し打ちを必要とはするが、胡桃の手は安牌が多く在った、攻められないわけではなかった。

 それでもなお、胡桃は手を止めたのである。ハナから手を出すつもりはないと、諦めてしまったのだ。無理もない。

 

 ――新ドラ表示牌「{1}」

 

 まったく同種の牌が、そうしてその場に二つ並んだ。

 

(なんか、調子のりすぎ!)

 

 ちろりと姫松の副将のデコを眺めながら、そんな風に胡桃は考える。どちらにせよこの状況は行けない。誰かが和了ってくれればいいのだが、この卓ではそうも行かないだろう。

 

 ――姫松のカンドラがモロ乗りした途端、三者はまったく同一の反応をした。

 ノータイムでの現物手出し、つまりベタオリである。

 

 胡桃の動きと同様に、透華も晩成副将――小林百江も、躊躇うことなく手を崩した。

 

(龍門渕の人は、たしかインターミドルでも名前残してたっけ。晩成の人はとにかく守りに特化したタイプだって聞いたな。まぁ、知らないけど)

 

 面倒そうに周囲の状況を伺って確認し、それから改めて、大きく息を吐きだした。

 ツモを確かめた漫の顔が、ぱっと晴れやかな物へと変わる。――それを観察するだけで、その直後の光景までもが頭のなかに浮かんできた。

 

「――ツモ! 4000、8000です」

 

 

・姫松 『146200』(+16000)

 ↑

・宮守 『98600』(-4000)

・龍門渕『69200』(-8000)

・晩成 『86000』(-4000)

 

 それの後を追うように、漫が和了、点数を申告した。すでにドラで最低の打点が明らかにされているがために、その打点までもが、胡桃の想像をあと追った。

 

(龍門渕のも大変だよねー、せっかく稼いだ満貫を、すぐさま倍にして返されたんだから。……まぁ、そういうことだったら、ね)

 

 ゆっくりと、目を閉じて感覚を切り替える。ここからは、鹿倉胡桃が本領を発揮する番だそのためには、必要な勘定はすべてかき消して行かなければならない。

 

(私が、潰してあげちゃうよ――)

 

 いつものように、感情を読ませないような笑を浮かべて、自信たっぷりに、胡桃は大きく眼を、見開いた。

 

 

 ――東三局、親百江――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

(よーし、まだまだ行けるでぇー)

 

 ――漫手牌――

 {一二三七七九⑦⑧⑨1178(横八)}

 

 八巡目、最高の引きによる絶好のテンパイ。調子の波に乗っているときは、このくらいであればだれでもあることだが、それが極端なのが漫だ。

 よって、そこからさらに、そして貪欲に、漫は次なる一手を打つ。

 

(こーいう調子のええときは、絶対にベタオリしない、一度振り込んでもその後更に取り返せるんやから。主将や末原先輩に言われたとおり、ここは絶対に押していく!)

 

 リーチは、かけない。今がまだ八巡目であること、それは他家がリーチでなければ押してくる可能性を示唆している。当然全国トップクラスの防御力を持つ三者がそう簡単に、振り込んでくれるとは思わないが、それでも。東一局のような万が一が、訪れるかもしれないのだ。

 

 それが上重漫の、姫松レギュラーとしての役割であり、最低限の存在意義なのだ。

 

(ウチはただの凡人や、末原先輩や、天海先輩みたいに、曲がらない精神を持っているわけじゃない。主将や愛宕先輩みたいに、超人じみた観察眼を持っとるわけでもない。それでも、誰かよりちょっとだけ、団体戦で活躍できるチカラがあるから、ウチは今、ここにいるんや!)

 

 ――打牌、まようことはない。そもそもこれは、たとえ誰であろうと迷わない打牌を、更に自分の意志で掲げるだけだ。デジタルであろうと、オカルトであろうと、この手牌にベタオリはない。

 

 そして、

 

 漫/打{七}

 

「――ロン」

 

 そこに、誰かが待って、待ち受けているのだ。

 

・宮守 『105000』(+6400)

 ↑

・姫松 『139800』(-6400)

 

 ――和了ったのは、鹿倉胡桃、リーチを選択肢の中から排除した、少女であった。

 

 ――胡桃手牌――

 {二二四四七⑧⑧114455} {七}(和了り牌)

 

(……全然読めへんかった。――ちゅうか、それ、ただヤオチュー牌切ってるんやないんかいな!)

 

 ――胡桃手牌――

 {一九發白中3}

 {北北9}

 

 ほとんどの打牌が手出しからのもの、役牌三つに、対子が一つ、かなり手に苦しんでいるように思えた。そもそもだ、最終手出しは{9}ではなく{北}――裏目を引いたのならばともかく、胡桃は間違いなく狙ってチートイツの気配を隠したのだ。

 

(狙い撃ちっちゅうことかいな! こっちの捨て牌がごっつチャンタっぽい感じやから、そこから必要にならないであろう、{七}とか{3}とかを狙い撃とうとしたんかいな!)

 

 別に筒子や萬子のそれに限定したわけではない、純チャンである以上、完成形に至るまでその辺りの牌は手牌に残ることが多く、待ちとしては優秀である。

 胡桃はそのうち、{3}ではなく{七}を選んだ。これは単純に、ドラの{1}を雀頭とする過程で、すでに漫が{3}を手牌から切っていたためだ。

 

 そして、そのあとの{七}、これはたとえ別の、{⑦}や{7}を引いても待ちを変えることはなかっただろう。胡桃が{七}を選んだのは単純に、{七}が生牌になっているから――つまり、漫が特に抱えていそうな{七}が最も狙いやすいから狙ったにすぎない。

 

 これが――これが違いかと、漫は考える。

 

(なんや、なんやこれ。そんな複雑に麻雀を考えてうたなアカンのか? おかしいやん、それをやってのけるのも、それにウチが実際引っかかるのも――!)

 

 勝負強さ、というものだろうか、同卓して、どのような状況でも趣向を凝らして和了する、そんな者たちを見ていると、自分にはそれが足らないのではないかと思ってしまう。

 それは間違ってはいないのだろう。だからこそ、一瞬でも誰かを出し抜けるような状況を漫は嬉しく思うのだ。

 

 そして、もう一度勝ちたいとも、思うのだ。

 

 

 ――東四局、親胡桃――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 ――漫/自摸切り{白}

 

(っぐ、暗刻ってもうた。こっち切らんかったらもっと手良くなってたやん……)

 

 この局、漫は一向聴の段階で、打点を選ばず手広さを選んだ。たかだか一翻が必要になるほど、漫の手は安くないのだ。だからこそ、このムダヅモはひどく痛い。

 しかし、くよくよしていられないのもまた事実。

 

 次いで、ツモ。ここで漫の喉が、ゴクリとなった。

 

(よし、ドンピシャ! 紆余曲折あったけど、これで何とか、けりを付けたる!)

 

 ――漫手牌――

 {三三四七七⑧⑧⑧888東東(横七)}

 

 麻雀において最も高い役、役満がひとつ、四暗刻、いまの漫ならば、十分それは狙えるシロモノだ。これを和了れば――そんな逸る気持ちと、震える指先を何とか抑えて、打牌する。

 

 漫/打{四}

 

 ふぅ、ふぅ、と何度か深い呼吸を繰り返し、大舞台での緊張と、とんでもないレベルの化け物手からくる圧迫感を、なんとか胸の内で消化する。

 それぞれのツモが周り――自身のツモが訪れようとしていた。

 

 

 ――それから、二度、三度、漫は嘆息混じりにツモ切りする。バレても構わない、この手はそういう手だ。そしてその上で、自分自身の昂ぶりを抑えるためには、どうしてもそれが必要だった。

 

 そんな漫の様子を眺めながら、クスリと笑むものがいた。

 ――鹿倉胡桃だ。元来彼女はどこか小動物を思わせる丸っこい笑を浮かべているため、その変化に気がつくものは果たしていない。

 

(なんか、全然つもれなくてやきもきしてるみたいだね)

 

 明らかな高火力を匂わせる漫、それを見とって、そんなふうに胡桃は笑うのだ。

 

(ま、シャレにならないから――これでその手には消えてもらうの、ね?)

 

 胡桃の手には、自身のツモが収まっている。小さな右手が、牌を大きく高らかに、掲げてみせる。そうしてそれが、軽快な音を立てて、場に現れた。

 

「ツモ――! 4000オール!」

 

 ――胡桃手牌――

 {三三五⑥⑥⑨⑨22東東發發} {五}(ツモ)

 

・宮守 『117000』(+12000)

 ↑

・姫松 『135800』(-4000)

・龍門渕『65200』(-4000)

・晩成 『82000』(-4000)

 

 激震、おそらく漫は、そんな風といった表情をしていた。胡桃の予想どおりであれば、{三}、もしくは{五}、これは漫の和了り牌であるからだ。

 もちろん胡桃には中堅戦での洋榎のように、卓越した観察眼があるわけではない。それでも胡桃は、ごくごく単純に“あたりをつけた”のである。

 

 その原理はいたってシンプル。胡桃はこの局を極端な対子場だと読んだ。自身に対子が集まり、他家にも同じように、といった風情を想像したのである。

 それは自身の手牌と、漫が{白}を対子落としし、更にその後裏目させていることでも想像がついた。

 そしてその{白}対子落としでテンパイが近いことを知った胡桃は、その後の最終手出し、{四}の周囲である{三}と{五}を掴んだ後、当たり牌だと決めて打ったのだ。

 

 それは結果として当たっていた。事実漫の手は自摸り四暗刻テンパイ。胡桃は七対子で和了っている。胡桃の読みは当たっていたのだ。――あたり牌を読むという技術に関しては、守りに特化した打ち筋を持つ胡桃には一日の長がある。その到達点が、これ、だ。

 

(もしかしたら{東}も、かな? 誰かが重ねてるとは思ってたけど。残念だったね、この{東}は、最初から抱えるつもりで手放さなかったんだから)

 

 そうして、4000オール、二連続での七対子ツモ。ふふん、と胡桃は少しばかり得意げに吐息を漏らした。

 

(さて、それじゃあ一本場、行ってみようかな――)

 

 三倍満、倍満と、未だ状況は上重漫を味方している。しかし、失点をできうる限り少なくすることはできるはずだ。更には全局のように、漫の浮き牌を狙い撃つ事もできるかもしれない。

 それが現実的である限り、胡桃は自分のできる範囲で、その現実を、黙して狙う。

 

 

 ――東四局一本場、親胡桃――

 ――ドラ表示牌「{4}」――

 

 

(――ん? なんか、変な感じかな?)

 

 自身のツモを手牌の上に乗せ、改めて捨て牌を見て考える。――この局、特徴的なのはおそらく、晩成とそれに対する龍門渕だ。――相変わらず姫松は、他家を正面からぶち殺しにかかってきているのだが。

 

 ――百江捨て牌――

 {一北北⑧三1}

 {4}

 

(たぶん張ってるね。まぁそれ以上となると難しいけど……)

 

 ドラ側を切って、そこが待ちなら話は早い、危険牌は裏筋、筋は切れるとかんがえればすぐに話しは決着がつく。しかし気になるのはそれに対する透華の捨て牌。

 

 ――透華捨て牌――

 {南北1發中9}

 {2}

 

(ここでこの打牌、{1}はまだわからないでもないけど、その捨て牌から攻めてきてるの? んーってことは、多分この待ちは……)

 

 ドラ周りはおそらく危険ではない、ということだろう。その上で出来るだけ攻めを残した安牌として、それを切ったのだろうと考える。

 ――おそらく、透華の手牌では、{4}が三枚、更には別の牌が揃っているのだろう。ドラの対子などが、考えうる限りでは最悪だろうか。

 

(それに気づけるかどうか、かな?)

 

 どちらにせよ、こちらはまだ二向聴、勝負するには少し遅い。役牌に気をつければそうそう振り込むこともなかろうが――それでもこの状況、振り込まずとも、自摸られずとも済む可能性が十分にある。

 ならば、わざわざ攻める必要もないだろう。

 

(どちらにせよ、解っていても攻めてくるタイプがいる。だったら私は、その人が晩成にかかるのを待つだけだね)

 

 回し打ち、というのも得意ではあるが、ここから切り替えるなら七対子の他にない。間に合うことはまず、ないだろう。ならば――

 

(さぁ、出しなよ姫松。もう一歩、足を止めて振り返ってみな――!)

 

 姫松の上重漫はとにかく爆発的な勝ち方をする。それがいかなる意味があるのか、どうやら白望にも解っていないようだが、それでも、その勝ちに食らいつくのが自分の仕事だ。

 そのための、一手。

 

 

「――ロン、5500」

 

 

 ――百江手牌――

 {一二三②③④⑥⑦⑧55東東横東}

 

・晩成 『130300』(+5500)

 ↑

・姫松 『87500』(-5500)

 

 透華はそれに追いつけなかった。胡桃は端から諦めた。その和了りはきっと、百江の勝利であり、同時に胡桃が軽く、笑むようなものだった――




かれこれウン年ほど創作活動してきましたが、おそらくその中でもトップに君臨しうるほどのインパクトあるタイトルで持って副将戦スタートです。
ぶっちゃけ第二回戦で一番重要な対局であり、一番盛り上がりのありそうな対局でもあります。


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『全世界治水』副将②

 ――南一局一本場、親漫――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 状況は未だ漫の一方的な展開が続いている。通常であればすでに東一局で半荘の決着が付いているような状況で、それでも少女たちはなんとか漫に追いすがろうとしていた。

 

(四万点差かぁ……ちょっとまずいかも、ね)

 

 ここから逆転しようにも、胡桃が和了るよりもはやく、漫はそれよりも高い打点で和了っていくのだ。止まらない――止められない。いかにしようにも、それがなんの意味もなさなくなってしまうのだ。

 

(連荘で手が付けられなくなるようなバカヅキっていうのは、個人的に一番相手したくないタイプかな。自分が安全圏にいるならともかく、ね)

 

 宮守でも、バカヅキを相手にするのは苦労した。二位で終わって良い麻雀というのは、なかなか限定されているもので、大概はラスを回避しつつ、トップを目指すような麻雀が平時の胡桃たちの麻雀だ。

 

(特に塞や早海先輩は、自分がバカヅキ状態になったら、他家に追いつかせないタイプのチカラを持ってるから、ほんとに、ね)

 

 そんな風に、苦手意識を感じる相手の、特に厄介な例と胡桃は対峙しているのだ。嘆息の一つも、億劫という感情も浮かばなければ人間ではない。

 ――だが、同時に、こうも思う。

 

(面倒だけど、ここは勝つために戦う場所だしね。それならまぁ)

 

 手牌、そしてその先にある漫の姿。どこか所在無さげでこそあれ、自信は十分に蓄えているようである。自分のツキが、強さであるという自負。ただ勝つのではない、勝って勝って、勝ち尽くすのがチカラなのだ――と。

 それを対して、自分はどうだ? そんな彼女に、一体何の感情を浮かべる? ――決まりきったことだ。

 

(――負けたくない、よね?)

 

 ――胡桃手牌――

 {二三三四八九⑦⑦678北北(横⑧)}

 

 手を進めるにあたって、警戒すべきは漫だけではない。これが先鋒戦であれば、その後に続く四人のレギュラーでの挽回が期待できるがために、期待をするために、共闘という形で漫を抑えることもあるかもしれない。

 しかし今は副将戦、万が一に起爆してしまった上重漫という爆弾は、自分自身の手で処理しなければならなくなる。

 

 問題は、そこだ。――このあとに控えているのは大将ただ一人、そしてその大将が、全幅の信頼をおける人物であるか。無論胡桃は当然だと、頷いて答えるのだが。

 

 もしそれができない場合、副将として座るものはどうだろう。焦りを覚えてしかたがないはずだ。その上で、考える。――この場において戦う人物が、果たしてそれをせずに、座して待つだけの器があるか、どうか。

 

 となれば自然と、四者の戦いは明暗を分けることとなる。精神を強く持つか、魂を気高く持つか、はたまた、散って無残に、消え去っていくか。

 

 胡桃/打{九}

 

(ま、関係ないといえば関係ないか。少なくともここにいるのは全員守りに長けた雀士、それこそ東発のアレみたいな事故でもない限り、自分の麻雀が揺らぐことはない)

 

 胡桃/ツモ{⑥}・打{⑦}

 

 だからこそ、それはつまり、その振込をした龍門渕の副将は、自分自身を揺らがせるほどの衝撃を受けているはずなのだ。

 

(そういう意味では、私が挑むべき相手は二人……このままそっくり、沈んでもらうよ!)

 

 ――胡桃/ツモ{六}

 

(……テンパイ!)

 

 嵌張とはいえ、三色が確定した良いテンパイだ。ドラが付く以上、リーチをかけずとも三翻は約束されるが、ここにリーチとツモ、裏で跳満にまで打点が引き上がる。

 もはや手変わりが期待できる手ではないだろう。だからこそ、だれだってこの手は真っ向からのリーチに打って出る、はずなのだ。それこそ心が折れていない限り――否、心の消耗による焦りがあれば、むしろリーチこそが正しい姿なのだが。

 

(さぁ……行くよ!)

 

 卓上の牌がうごめく。

 リーチ――牌を曲げるという行為は、整然とならんだ河の列を捻じ曲げる(・・・・・)ただひとつの行為、それほどまでに、他家にとっても、自分自身にとっても、特別なはずの行為。

 

 それを、

 

 胡桃は――打牌に伴わず、切り捨てる。

 

 ――胡桃/打{三}

 

 ダマテン。迷うことなく。胡桃はそれを選択した。――胡桃なりの闘牌スタイル。それこそが同時に、強さにもなる。

 

(別に誰がどう列を乱そうが知らないけどさ、私は違う)

 

 クスリと、笑む。それは彼女の平常に近い笑みだ。あくまでそれが彼女の雀風であることの証左。だれにも曲げられない、信念であることの、裏付け。

 

(私はただ――黙して征くのみ、だよ)

 

 まっすぐと睨みつけた先、卓上の同卓者たち。それぞれがそれぞれの意思を浮かべて、それぞれが思うがままに牌を切り出す。――捨て牌の乱れをとってもそうだ。あくまで彼女たちには、彼女たち一人ひとりの個性がある。

 胡桃は意図してそれを薄く隠して――卓に座っている。誰かが同時に、そうであるように。

 

 しかし、それとは真逆のスタイルを持つものも、いる。

 

 ――動きがあったのは、それから二巡後。だれもが予想し得なかった場所からの、一撃。

 

「――リーチ!」

 

 それはまさしく、龍門渕透華のものだった。

 しかし、彼女はあくまで現状、たんなる苦境にあるだけにすぎない。彼女の存在が、異様に映るのはそこではないのだ。

 

「――ッ」

 

 胡桃の耳に、誰かが息を呑む音が聞こえた。――上重漫だ。その表情を見れば、すぐに分かる。その上で胡桃も、どこか驚愕に染められた発汗を、抑えられずにいた。

 

(――嘘、まだ死んでないの?)

 

 ――龍門渕透華は笑っている(・・・・・)。それは単純な歓喜ではない。あくまで敵対者の命を狩るものとして、その狩猟に喜びを浮かべるもの。

 つまり、満面の敵意を、自信の裏付けによって表したもの――!

 

(点差はもう、十万点もある! 二位の私とくらべても、五万点――それをちっとも、苦に思っていないっていうの!?)

 

 一体なんだというのだ、心中の奥底で、それを繰り返すように思考する。

 胡桃とてそうだ。圧倒的な点差に、止められない連荘――それでもまったく胡桃は引くつもりもない。だからこそ、それと同等の場所に、透華がいることへの驚愕を、止められずにいる。

 

 胡桃の立ち位置は、行ってしまえば安全圏、トップの姫松には及ばずとも、他家とは点差を開いた状況。それを胡桃は、これまでのチームメイト三人がつないだ積み重ね、そして自分自身の強さであると自負している。――しかし、透華には今、それが全くないはずなのだ。

 

 それまでの龍門渕の奮闘、トップという立場は突如として現れた三倍満の暴風によって吹き飛ばされた。今の透華に、果たしてなんの支えがあるだろう。あるはずがないのだ。

 

(それなのに、笑ってる! あくまで勝つつもりで! あくまで戦うつもりで――!)

 

 打牌――漫は押し、百江はオリて、胡桃は安牌を自摸って切った。――そして最後、透華のツモが、卓上にひらめく。――それを意地だと、胡桃は思った。

 

(……ッ!)

 

 それこそ漫のように、こんどこそ言葉が胡桃の口から漏れそうになった。――それでもそれをしなかったのは、胡桃の中に、驚愕以上の感情が生まれて差し止めたからだ。

 

 

「――ツモ! ですわ!」

 

 

 ――透華手牌――

 {二二二六七八⑧⑨567西西横⑦}

 

 ――ドラ表示牌:{⑥} 裏ドラ表示牌:{南}

 

「――3100、6100! これまでの借りも合わせて、ここできっちり返してもらいますわよ――!」

 

・龍門渕『69500』(+12300)

 ↑

・姫松 『148200』(-6100)

・宮守 『105900』(-3100)

・晩成 『79500』(-3100)

 

(――――強い!)

 

 威風堂々、自分自身の言葉をはっきり示す透華に、胡桃は純粋な思いを抱いた。それは強さ、――単なる雀士としての雀力、というだけではない。

 それは確かにある。おそらくこの中で、もっとも尖らず、麻雀が巧いのは間違いなく龍門渕透華だ。――しかし、それだけが彼女の強さではない。

 

 そこに伴う、自負。あくまで強者として振る舞う態度と、カリスマ。それが透華の、強さとなるのだ。

 

(まだ、折れないんだ。――前言撤回、やっぱりこの人は私の敵じゃない。……ただ倒すだけじゃ物足りない! 完全に超えるべき、壁だ――!)

 

 それは透華の意思だけではない。その場にある者達を、闘争へと駆り立てる絶対的な挑発、避け得ないほどの衝撃を伴って行われる、宣戦布告だ――

 

 

 ――南二局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

 透華の背中は、いつもより小さく思えた。先ほどの跳満でも、完全に他家との点差が縮まったわけではない。少なくとも晩成は射程圏内へと捉えたが、それでも晩成は三位、勝ち抜けのためには最低でも、二位宮守を射程に収めなければならないのだ。

 

 ――ぶるりと、背中が震えた。

 まるで何かをこらえるように、そっと。小さく、一度だけ震わせた。――その正体に気づいてすぐ、それを抑えた。いともたやすく、抑えてみせた。

 

 周囲から見れば、今の自分はどう見えるだろう。乏しいだろうか、奥ゆかしいだろうか、それとも――

 

 だが、きっとどれも違うだろう。彼女たちは透華を知らない。だからこそ、今の透華はきっと、見知らぬ誰かには、弱く震えて見えるだろう。

 事実透華は震えている。

 

 体中から湧き上がる感覚に、そっと震えて、それを必死に隠そうとしている。――それは少しだけ赤らめたような頬からもすぐに解った。

 

 だが、違う。

 

 透華が浮かべているのは、誰もが思い描くような不和ではない。

 そう、

 

(――私、大、ピン、チ! ですわっ!)

 

 ――――歓喜。強敵との対局に打ち震える、絶頂。龍門渕透華という少女は、とことん行き果てたほどの上昇志向を持つ少女、物事は自分自身が目立ってなんぼ、我をはれば、それだけ敵の枚挙にいとまがなくなる。

 それくらい、とにかく直線的な少女であった。

 

(だれもが龍門渕の勝ちを絶望的だとみる。実際冷静な私は、衣ですら一位抜けは難しいと考えている。――ですが、今の私に、そんなことはまったくまったく無関係! ノープロブレム! 心配無用、ですわ!)

 

 その思考はつまり、衣であれば二位抜けは当然、とも考えているのだが、だからこそ――好き勝手に透華は振る舞うことができるのだ。

 

(さぁ、私から目を背けたことを後悔させるくらい、思いっっきり、目立ってやりますわよ!)

 

 ――透華手牌――

 {二三四②③④⑤⑥33488} {(ili)}

 

 意気込んだ直後、ここに来てのテンパイである。完全イーシャンテンの状況から、両面での待ちは確定的であったが、とかくそのツモの中で、特に最悪といえる引きだ。

 

(むむむ、理想的なタンピンに三色がついたはずですのに、まぁでもテンパイはテンパイ、ここから私の覇道がスタートするのですわ)

 

 ――透華手牌――

 {二三四①②③④⑤⑥3lil()488}

 

(ここで考えるべきは牌を曲げるかどうか、――通常であればここはヤミで手変わりを待つべきですわ。{⑦}を引けばで出和了りでも高め跳満が確定、鉄板リーチですし、現状私は親、ただリーチをかければ出和了りが期待できなくなる。ツモで打点が望めるくらいの待ちを選ぶべきですわ!)

 

 リーチに対し、見返りのある手、タンヤオに、三色とドラ、それがついて初めて勝負にもって行けるレベルの手だ。現状は連荘のためなら、テンパイでも十分なわけだし、ダマテンであれば出和了りも期待できる。さすがに手牌読みの鋭い宮守ならともかく、ただ防御に特化しているだけの、晩成辺りなら安牌の有無によっては十分狙える。

 そもそも透華のデジタルはネット麻雀を基礎に積み上げられたもの、ネット麻雀は相手を問わず半荘を行い、相手の癖よりも自分の打ち方というものを重視する打ち方をする。

 だからこそ、ダマテンは誰かが出すかもしれない、リーチはだれも出さないだろう、という考えで、麻雀を打つべきなのだ。――しかし、

 

(それでも、それでも今の私ならば、ここはこれ一択――)

 

 

「――リーチですわぁっ!!」

 

 

 胡桃が少し驚いたようにして、百江が面倒そうにして、漫が覚悟を決めているようで――三者がそれぞれ全く違う反応を見せる。それに対抗するのは透華の笑み、先ほどと同じ――前局の跳満と同一の――攻める視線で周囲を威嚇する。

 

(晩成が出さずとも、姫松は絶対に追いかけてくる――だったら、それを狙ってこちらから打って出るのも一興。そもそも状況に――消極的な選択は必要ない!)

 

 漫だけが脂っこい打牌を吐き出して、他はベタオリ、――想定通りの状況だ。そして漫の打牌も、おそらくそれなりに安全マージンを確保してのものだろう、無筋のものではない。

 

(それに――)

 

 そうして、自身のツモ、いちどぐっとうでを握りこみ、そうしてから引き絞って放つ。――解き放たれたそれは、勢い良く卓上を滑空し、牌を掴んだ。

 振り上げる。

 振り下ろす。ただそれだけの一工程に、透華はまんべんなくチカラを込めた。

 

 勝利の確信も、また、込めた。

 

 

「――ツモ!」

 

 

(こういうことだって、十分あり得ることでしてよ?)

 

 ――ぐっ、と。今度は三者一様に、苦々し気な表情を吐き出した。一発ツモ、これほど心臓に悪く、衝撃的なツモもない。

 そしてその上で、透華はすぐさまドラ表示牌を掴んで自身の手元へとたぐり寄せる。そして――

 

「メンピン一発ツモ、――裏裏!」

 

 ――裏ドラ表示牌「{7}」

 

 

「――6000オール!」

 

 

 透華の声は、そうして広く、なおかつ強く、響き渡った――

 

・龍門渕『87500』(+18000)

 ↑

・姫松 『142200』(-6000)

・宮守 『99900』(-6000)

・晩成 『70400』(-6000)

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

 

「はっはー、相変わらず、透華のやつマジでかっこいいな」

 

「まさしくねー、県予選決勝以来かな?」

 

 ――楽しげに持ち込んだケバブをかきこみながらつぶやく純に、水穂はカラカラと笑いながら同意する。全員が今の状況を、絶対的な窮地をものともしていない。

 ただ一人、瀬々だけは顔をうつむかせたまま微動だにしていないが。

 

 それに気がつく様子はなく、一が軽くジュースをストローで吸い上げながらつぶやく。冷房によって夏の暑さから開放された室内に、極限まで冷やされた糖分は、事の他ご褒美のように思えた、

 

「やっぱり透華はすごいね、こんな状況になれば、ボクだったら心折れてるよ」

 

「……実際、一度折れた」

 

 智樹の言葉、それは先程の参上を見なおした上での追撃であった。事実後半戦終盤は、もはや完全に、一は和了を諦めていた。まぁそも、絶不調の状態から勝利しようというのは、衣か瀬々出なければ不可能なことであろうし、瀬々でも難しいだろうが、とかく。

 

「いやいや、インハイ第二回戦と言えば日本中の強豪がついに顔を合わせる最初の場、ひとつの壁だよ? そこの場で不調の状況、六万点レベルの失点は覚悟しなきゃね」

 

 覚えがあるのだろうか、水穂が嘆息気味につぶやく。現状対局室に身をおくのは透華であるが、彼女が問題なく戦えている以上、話題は別の問題に移っていくのはさしておかしくはないことではある。

 が、さすがにこのままフォロー合戦になってもしょうがないだろうと、水穂はすぐさま話題を転換させる。

 

「それにしても透華ってば、随分“ブレ”たねぇ」

 

「そういえば、そうだな。透華のやつ、また随分と派手に宣戦布告をかますものだ」

 

 ここまで無言でモニターに食らいついていた衣が、ふと気がついたようにそこで会話の輪に加わってくる。

 

「ってもよー、あの状況だったら俺ならすぐにでもリーチかけるぜ? そこまでおかしいか?」

 

 ――少なくとも、そのリーチで他家を威嚇するというには十分意味がある。そのほうが流れを引き込みやすいからな――純はそういった。同時に透華は、素でそれをしている――とも。

 

 とはいえそれはおいておくにしても、通常の目線で考えれば、透華のリーチはかけるかけないで正解はないだろう。ダマでも和了れるとはいえたかだか千五百点、打点をその程度で終わらせる意味は薄い。

 

「まぁ、純くんの例は特別だけど、リーチすることがさほどデジタル的におかしいとは思わないな。智樹はどう?」

 

「私は……? ……多分、かけない」

 

 おそらく瀬々はかけるだろう、少なくともテンパイの時点でリーチ一発はわかっているのだ。その後手変わりを待つよりも、まずは親ッパネを和了るとみていいだろう。

 逆に衣は、今透華が戦っている宮守の副将のように、徹底的にダマを好む、リーチはかけないに決まっている。

 

 それぞれの打ち方の事情こそあれ、リーチの是非は真っ二つに割れた。どちらが正解というわけではない、ということだ。ならば、なぜ透華のリーチは“ブレ”であるのか。

 そこに話題の焦点が当たる。――答えたのは水穂だ。衣も理解しているが、彼女がオカルトの“根本”以外を語るのは、いささか違和感が拭い切れない。

 

「んー、透華的には、あそこはリーチじゃないんだよね。だってさ、ソッチのほうが安全だから」

 

 ――オリるにしろ、攻めるにしろ、リーチをかければその後{④}か{⑦}を引いたところで三色の形になることはない。更に{⑦}はドラ、自摸切りすれば振り込む可能性とて、ある。

 それを無視した上で、最善であるのは間違いなく、いつでも柔和に手を変化させられるダマテンのほうが確実だ。

 

 それだというのに、透華はリーチを仕掛けた。この理由も、水穂が端的に語った。

 

「――でも、透華はリーチをかけた。これってさぁ、完全に―――ノリだけでリーチかけてるよね」

 

「あー」

 

 一が納得したというようになんとも言えない声音を漏らす。それは透華に拾われて以来、あらゆる見地から透華を眺めてきたことによる、人生最大級の“納得”だった。

 もしも瀬々が、顔をうつむかせて黙りこくり、会話の輪に入っていれば、同じように反応していたことだろう。

 

「けどよぉ、それが透華のいいところでもあるんだぜ」

 

「……そういえば、そう」

 

 そこに加わるのは純と、智樹。どちらも龍門渕のデータ班――端的に言えば、もっともデータの中でチームメイトたちと関わってきたものの言葉である。

 

「ほうほう、それはそれは、透華の癇癪はある意味透華の美点ではあるが、それは麻雀にも作用するのか? 奇怪なり!」

 

 楽しそうにうさみみ型のようなリボン揺らして、楽しそうに衣が問いかける。

 

「っつーよりも、その透華の癇癪――病気がそっくりそのまま、麻雀でも披露されてるんだよ」

 

 龍門渕透華は、令嬢らしく、理知的で、そしてなおかつ人を引き寄せるカリスマがある。しかし同時に、気象こそさほど荒いものではないものの、とにかく目立ちたがりであるという困った特徴がある。

 それによる雀風のブレに大きく現れる。今回のように水穂が語った――ただ勢いだけでかけたリーチ、それが透華のスタイルを大きく特徴付けているのだ。

 

「んで、過去のデータ……透華は水穂先輩の次に牌譜が多いからな、資料には事欠かないんだけどよ、それを見る限り、透華ってこういうブレが大会とかの衆目の場になると途端に出てくるるんだよ。――しかも、透華のやつはかなり本番に強い。成績がひとつ上のランクにあがるとみていいな」

 

 ――自分が目立つためならば、雀力すら強化させる女、それが龍門渕透華である。

 さすがに今回窮地に陥っているように、周囲がそれに合わせるという事はないし、うっかりが招いた不運により、散っていくこともあるのだが。

 

「あー、昔大会で透華と初めて同卓した時に、恐ろしく強いけど荒い打ち手だな、って思ってたんだよね。で、高校に入って初めて透華と対局した時に驚いた、すごく冷静で堅い打ち手なんだもの、一体空白の期間になにがあったの――? みたいな。まぁその後大会でまた似たような打ち方しててそういうもんなんだなって納得したけどさ」

 

「……ちなみに、どっちのほうが強かった?」

 

 衣の問い、純粋な興味というようすで、瞳を覗きこむようにしながら目を輝かせている。別にそれ自体が難しい問いではないのだが、まっすぐで純真無垢な視線というのは、俗世を生きる人間にはどこか居心地が悪いものだ。

 水穂もそれは同じようで、頬をぽりぽりと掻きながら視線を泳がせ――

 

「んー、どっちもって言えばそうなんだけど、個人的に参考になるのはいつもの打ち方で、負けてる時に期待しちゃうのが今やってるような打ち方、かな?」

 

「水穂の眼から見ても透華は強いか! 透華は衣たちの中で特に厄介な類の雀士だからな、さもありなん」

 

 衣の言葉に、ふと違和感を覚えながら水穂はそれに意識を向ける。透華は衣や瀬々のような、特別な雀士では決してないはずだ。とはいえ衣も瀬々も、時折であればトップ以外の位置に立つこともあるし、その大部分が水穂と、そして何より透華であることは間違いようもない事実ではあるが。

 

 話の内容が、右へそれ、左へそれ、ぐらぐらと何とも言えないブレを見せながらも進行していく。

 それこそいくら横へずれても、ひたすら真っすぐに前を征く、透華のような話の進みは、今の対局が会話の中にあらずとも、透華の背を、後押ししているかのように思えた。

 

 

 そんな折、その会話に一切加わることのなかった瀬々が――ようやくふと、顔を上げた。

 

 

 その顔は不安に揺れているか――といえばそうではない。眼を何処かとろんとさせて潤ませて、心ここにあらずといった様子で頬を赤らませている。普段の勝気な様子からは全く読み取れないほど艶美で、なんとも言えない色気をただ夜はせてはいるが、そうでもない。

 口元からは、少しばかりのよだれが出ていた。つまるところ、寝ぼけ眼というやつである。

 

 そんな彼女がふと、モニターの向こうに気がついたように意識を向けたのである。

 

「あー」

 

 おぼつかない声で、一つ声音を伴った吐息を漏らし、そして――

 

 

「…………やくまん?」

 

 

 いつもより数段に甘ったるい声で、そんなふうに言葉を漏らした。

 

 会話の続く室内は――それでしんと、静まり返った。

 

「……何?」

 

 思わず眉をひそめて衣が言葉を口ずさむものの、瀬々はそれに返さない。もとよりぼーっとした意識は覚醒に向かうことなく、完全にソファーに体をうずめて、こくりと首をかしげてしまった。

 半目を何とか開かせているものの、寝息を立てるのも時間の問題だろう。

 

「――おいおいおいおいおいおい、ちょっとまてちょっとまて、そいつはちょっとまてよおい!」

 

 その時だった。モニターに意識を向けた純が、瀬々の言葉の意味に、行き着いたのである。そこでは――上重漫が打牌を行なっていた。

 

 ――漫手牌――

 {二三三八八八77799北北(横三)}

 

「え? また?」

 

「二回目……」

 

 一がきょとんとした様子でつぶやき、それに智樹が追従する。ありえないという様子は、すぐさま控え室内に広がった。――それもそのはず、先程まで漫の手牌は典型的な七対子一向聴だったのである。それが三巡、まったくのムダヅモなしでここに至った。

 まさしく気がつけば、そんな速度でのテンパイである。

 

「……まずいな」

 

 衣のつぶやき、その意味は即座に知れ渡る。つまるところ、この時点で漫の待ちは四枚――

 

「全山、いつ引いてもおかしくないね」

 

 一枚も他家にわたってはいない。他家は漫の当たり牌を、つかむ様子はない。その上今は、まだ六巡目だ。

 

 

 当然、漫はそれをつかむ機会は、いくらでもあり――――

 

 

「…………ツ、ツモォォ!」

 

 

 目一杯チカラを込めた、漫の叫びが――響き渡った。

 

 

 ♪

 

 

『前半戦、終了――ッ!』

 

 実況者の声が、異様に激しく響き渡った。それもそうだろう、この副将戦は第二回戦屈指の荒れ場、対局の中身は、見るも無残としか言い用のないものである。

 

 

 ――上重漫:一年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――164200――

 

 

 トップは当然姫松高校、今年の副将戦最大獲得素点を大きく更新しての半荘折り返しである。

 

 ――鹿倉胡桃:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――95900――

 

 その後に続くのが宮守女子、二位でのスタートをギリギリの位置まで守りながら、収支はほぼギリギリでのマイナス、収支でも、総合順位でも二位の位置につけている。

 

 ――小林百江:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――70400――

 

 この半荘、特にいいところのなかった小林百江、及び晩成高校は三位、しかし最悪の状況でも奮闘した龍門渕と比べ、こちらはなんとか二度の和了で焼き鳥を回避しただけ、いくら守りに特化しているとはいえ、いささか不甲斐ない結果といえる。

 

 ――龍門渕透華:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――69500――

 

 それとは対照的に、この半荘中、獅子奮迅と言える活躍をして、それでもなお収支ラスの結果に終わったのが龍門渕透華だ。三度の和了で稼いだ実に四万点近い点棒は、しかし完全な事故による放銃と二度の親被り、その他ツモアガリでマイナス収支、傍目からみても同情以外のことができないほどの、不運であった。

 ――しかし、当の彼女は至って冷静だ。

 

 

 ――否、冷静すぎるほどだ。

 

 

「――、」

 

 対局終了後、一つ小さな礼をしたまま、彼女はまったく感情を浮かべない顔のまま、完全に黙りこくってしまった。まるで凍てつく氷の女王がごとく、といったところだ。

 

 モニター越しに見ても、異様であることがすぐさま伝わってくるほどに――

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

 

「来たか――!」

 

 衣の表情が、いつもよりもいささか凶暴な貌を見せる。さながら魔物を宿すかのようなそれは、ある種歓喜にウチ震えているかのように思えた。

 先ほどの透華とはまた違うが、これもまた笑みによる威嚇といった風情に近い。

 

 

 ――そして、その時だった。

 

 

 先程まで目を開けて履いたものの、完全に意識を飛ばしていた瀬々が、この時一瞬だけその意識を覚醒した。こくりと首を落とした先――隣に座る衣の顔が、かすれた視界のなかで、異様なほど鮮明に写った。

 

(――あ、)

 

 嘆息、思考の芸術品に見惚れるかのようなそれは、目前の少女に対する刹那の瀬々の感情を、端的に表したものだった。

 

 かつて、瀬々の横を通り過ぎていった衣、その時見せた――人ではないかのような出で立ち。今は手の届く位置に、隣に座る少女は、あの時のように、どこか神秘的な風情を持っている。

 それこそ意思というものが気迫になった、眠り姫たる瀬々の感情を、完全に支配してしまうほどに。

 

(きれい、だな)

 

 ことばにできないほど、脆弱な意識をまどろみにゆだねながら、瀬々は自分の中に生まれた感情を感じ取る。――どこか懐かしさを覚えるような、どうしようもない愛しさを、理解しきれないまま――瀬々は意識をヤミの中へと沈めていった。




割りと精神的な要素が重要な咲世界だと違和感のない話だと思います。

PS.ちょっと試験的な試みもしてます。


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『凍りついた眠り姫』副将戦③

 席順

 東家:上重

 南家:鹿倉

 西家:小林

 北家:龍門渕

 

 順位

 一位姫松 :164200

 二位宮守 :95900

 三位晩成 :70400

 四位龍門渕:69500

 

 それは、他者の目から見て明らかなほどに、異様だった。否、そこに立つのが如何な凡夫であれ、体全てが、その感覚を告げていることだろう。

 姫松の上重漫、宮守の鹿倉胡桃といった、特殊な才能に準じるチカラを持つ雀士だけでなく、単なる一雀士に過ぎない晩成の小林百江でさえそれは明らかな“異質”、オカルトのような類であると判じるに十分だった。

 

 それぞれの控え室、もしくは意識を切り替えるための休憩から戻ってきた少女たちを出迎えたのは、異様なほど冷えきった室内だった。――冷房が聞いているにしろ、それはもはや水の底、初冬の寒さを思わせるようなものだった。

 ただいるにはいいが、外との温度差が、三者の体に突き刺さる。

 

 それに慣れてきた頃には――同時に魔物が、それぞれを無情の顔で出迎えた。

 

「――はじめましょうか」

 

 恐ろしいほど氷張った声で、凍てつくように言葉を吐き出す少女が一人、それは先程までの、灼熱を超える蒼の焔を瞳に宿していたはずの、龍門渕透華ではなかった。

 彼女の体は、凍りついた冷気を伴うような、白い霧を吐き出して――まるで冷凍に固められた氷の彫像を思わせる居住まいで、自身の席についた。

 

 休憩時間の間に何が起こったのか、百江は首を傾げながらもその後に続き、漫は先程から感じていた寒気の正体を知る。前半戦を終えて今より、漫は何かの違和感を感じ取っていたのだ。

 同様に、思わず息を呑むのは、鹿倉胡桃。彼女自身はオカルトに属さないような、“特殊な打ち筋”によるオカルトの体現者であるが、それでも日常的に異質なそれに触れてきたことは事実、この中の誰よりも、感覚は敏い。その上で、厄介なものが目覚めたものだと――そう考えるのだ。

 

「……よろしくお願いします」

 

 それでも吐き出した、胡桃の言葉を皮切りに――準備を終えた彼女たちは、副将戦二度目の半荘を始める。

 

 

 ――東一局、親漫――

 ――ドラ表示牌「{6}」――

 

 

 静まり返った龍門渕高校控え室。その注目の先は透華――ではない、透華の覚醒と同時に眠りについた、瀬々の方へと注がれていた。

 というのも、透華の中から何か――治水と称されるものが目を覚ました時、すでに衣がその説明を終えていたのだ。

 

 曰く、あれは透華が生まれでた時から体の中で飼っていた“魔物”、普段はその強大なチカラ故に眠りに付いているが、時折強大なチカラ――この場合は、衣や瀬々のようなチカラから、同卓している漫のようなチカラまで。あらゆるものだ――に惹かれ、現出してくる事がある。

 当然宿主である透華を傷つける意思はなく、少しすれば透華は目を覚ますらしい――のだが、瀬々の場合は事情が違った。

 

 透華のように、奥底から生まれ出る某かを、衣が把握していなかったのである。結果、龍門渕控え室は大いに慌てふためき、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 

「ね、ねぇ瀬々? なんか体が冷たいよ?」

 

「いや冷たいっつーか、これ、完全に凍ってるじゃねーか! こっちまで手がダメに成っちまうぞ」

 

 ソファーに寝かされた瀬々は、ゆっくりと寝息を立てながら眠りこけている。しかし同時に、その体は動かなくなったかのように冷たい。生気というものが、感じられない。

 

「……これは、いや、まさか――」

 

 衣が腕組みをしながら意識を廻す中、冷静に活動したのは水穂、そして智樹だ。智樹は自身のパソコンを操作し、体を簡単に温める方法などを探し、状況に対処しようとする。水穂は慌てる一と純、両名を宥めるように声をかけた。

 

「落ち着いてふたりとも! 瀬々のこれは多分オカルト的なものだよ。そうでなくともまずは智樹に対処してもらった方がいいし、衣が何かわかってるみたいだし」

 

 本人も多少は冷静さを欠いているのだろう、その声音は安定せず、そして強い。荒い口調に、それでも一と純は一度気を持ち直すきっかけとなったのだろう、慌てた様子を引っ込めて、黙りこくった。

 そうやって、ある程度状況が一定の鎮静を見た頃だろうか、考えをまとめたらしい衣が口火を切る。

 

「なぁ――瀬々と透華、この二人の出生がいつか……わかるか?」

 

 純粋な問いかけ、裏付けを求めるようなそれは、本人の中で生まれ出た答えを、改めて正確にするためのものだろう。――すぐに一が返答する。

 

「透華は九月十日生まれ、すごくわかりやすいからね、前に調べた時にそれだけは覚えたよ」

 

 どうやら某かのプロフィールをまとめ読みする機会があったのだろう。おおかた大きな大会の牌譜を閲覧する際のプロフィールかなにかだろうが、透華の誕生日としてこれほどわかりやすいものはない、無理もないといえた。

 

「あー、確か瀬々も同じだ、九月十日……前に一度聞いたはないしだと、時間的には透華のほうがあとらしい」

 

 瀬々は自分が朝頃に生まれたらしいと語り、透華は夜頃だと答えた。それに関しては、単に記憶に付随して思い出したものを答えただけだが――それもまた衣には十分な材料となる。

 

「ふむ、どうやら当たりのようだな」

 

 それからひとつ頷いて、そうして続けてまず放つべき言葉を繰り出す。

 

「瀬々に関しても問題はない、透華のそれと関連して、少し因果があったというだけだ」

 

「――それってつまり、瀬々のチカラが、透華のそれと関係あるってこと?」

 

「……そういう、ことになる」

 

 そうして衣は語りだす。――それは、今よりも昔、神が人とともに在ったことから紡がれる、龍門渕の歴史であった。

 

 

 ――対局室――

 

 

「――ツモ! 6000オールです」

 

 

・姫松 『182500』(+18000)

 ↑

・宮守 『89800』(-6000)

・龍門渕『63400』(-6000)

・晩成 『64300』(-X00)

 

 東一局の和了は、上重漫。たった五巡、電光石火の和了であった。

 それはつまり前半戦での爆発は今だ健在であることを、高らかに証明するようなものであった。上重漫の猛攻は続くのだ、この半荘においても、彼女がこの卓の支配者である――はずなのだ。

 

 しかし、そんな漫の顔はどこか浮かばない。理解しているからだ。この後半戦、突如としてこの場に、どうしようもない魔物が現れたということを。

 

(これでだいたい後半戦の流れがわかったかな? ……できれば飛ばないようにしないと行かないな。それに二位は守らなくちゃ行けないし――)

 

 点棒を差し出しながら、胡桃は暗がりに浮かび上がった三方の対局者たちの様子を鑑みる。漫に意識を向けつつも、時折透華を気にしている百江、逆に漫は透華だけを完全に眼中としていた。

 胡桃はといえば、思い切り体を椅子に沈めながら、さほど目立たないようにしながら三名全員の様子を確かめている。

 

 卓の切れ端、牌と並行するような視点は、顔を下向きにしようともわかるほどに、相手の顔色が完全に臨める。

 

 その上で、最も異様なのはやはり透華だ。――突如としてその雰囲気をガラリと変えた少女、凍えるほどの冷気を伴って、我が物顔でこの卓に座っている。

 

 彼女の雰囲気そのものが問題なのだ。ただ強いというのなら恐ればいい。ただ不気味だというのなら畏れればいい。だがそこにあるのは見まごうことなき“魔物”の証左。心を糧にしなければ、挑むことのできない相手だ。

 自分自身が持ちうる心、つまり曲がらない精神こそがこの対局には必要なのである。

 

 ならば自分は――鹿倉胡桃はどうだろう。絶対的な精神性とまではいわない。そもそも自分自身の精神が、果たして自分の中にどれほど強さがあるのかもわからない。

 

(――まぁ、それでもいいよね)

 

 別に胡桃は、自分が弱いとか、強いとか考えたことはない。個人戦ではそれなりの成績を残し、宮守は団体で全国に進んだ。一定水準の強さは得ているのである。その上で、超えない壁を感じたことは、胡桃にはない。

 

(私はただ……いつもどおりに、いつも以上に、闘って、闘って、闘って――勝っていくだけなんだからさ)

 

 たとえそれが勝利でなくとも、結果であればそれでいい。

 そうやって、黙して打つのが、胡桃の闘牌だ。

 

 

 ――東一局一本場、親漫――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

 いよいよ持って、世界を支配する冷気が無限に拡散していく。否、それは人々を凍えさせるようなものではない。対局室の冷房は正常に作動しているし、その表示する温度も、至って常識的なものだ。

 その“冷たさ”を感じているのは間違いなく、その氷の主、透華と同卓する雀士だけだ。

 

 もはやそれは恐怖というには些か重く、そして同時に、弾圧的だ。

 誰よりもなお全能たるチカラ、神のごとき所業を伴った、暴君のそれに、押しつぶされそうになる。

 

 もはやそこに在るのは“人”ではない。

 人はこうも“表情”を失わない。人はこうも“感情”を律しない。人はこうも、何もかもを凍りつかせるような眼はしない。

 

 ただひたすらに、苛斂であった。

 

 そうしてそれは、激烈に、鮮烈に、猛烈に、人の座る卓上へと降臨する。

 そも“それ”は、人の位置にはいないのだ。“オリ”なければ対等にならない。人はそも、本当のそれを、理解することすらかなわない。

 たとえ人間が、全知のチカラを持ったとしても、それら“何か”の本質を、心の奥から理解することは、かなわないだろう。――それができるほどの精神を、人間が生成することができないのだ。

 

 だからこそ、それは神と崇められ、畏れられ、人の世から隔絶される。神というのは如何様に、人の世にはただ在るだけで、それに近いものを掃討していく、災害が――神と扱われる所以はそこだ。

 

 この神は、すなわち治水を伴うもの。河の流れに手を加えるような、そんなチカラを有している。そして同時に、神は全治をも、おさめているのだ。

 そう、その支配は全治にして全知。すべてを治め、すべてを知るチカラ。

 

 ――龍神、そしてそれを宿した眠り姫。

 

 それがここに座る、神じみた何かの正体である。

 

 そうしてこの場は――そんな神が眼を覚ました、瞬間である。

 

 冷えきった周囲の空気、照明を落とされ、いくつかのライトにのみ照らされた屋内を、まるで白の薄氷が、覆って色すら書き換えるように――

 

 

 爆発的な気配は、勢い任せに広がった。

 

 

 反応を見せるのは、鹿倉胡桃と、上重漫。

 莫大な気配は、常に笑みに近い丸っこい表情を浮かべる胡桃のそれを完全に崩した。理解していてもこらえきれないほどに、それは膨大で、避けきれぬ、受け止めきれぬものだった。

 

「っぐ…………ッッ!」

 

 同様に、漫は大きく呻いて見せた。胡桃がこぼさなかった言葉の音色を、彼女はこらえきれずにいたのだ。ムリもないことでは在る。あくまで漫は、少しだけ特殊な“特徴”を持つ、一介の雀士に過ぎないのだから。

 

「…………チー」 {横435}

 

 それは、ただそこに鎮座するのではない、動き出せば、上重のそれが、単なる児戯にしか思えなくなるほどに、爆発的な加速を持つのだ。

 

(――ここからが本番、やで)

 

 ――漫手牌――

 {二二七七八⑦⑦⑧⑧3466(横八)}

 

(七対子テンパイ、さっきみたいに四暗刻まで行かへんかったんは残念やけど、一日に三回も役満テンパイしたら心臓が死んでまう、ここは無難にいくんやで)

 

 ――透華手牌――

 {二⑧9西七北}

 {中7}

 

(ちょっと捨て牌が変やけど、中に安くて外に高い、チャンタとかそんな感じに思えるけど、泣いたのは{345}。手のいい状況から鳴いて三色テンパイ、やろか)

 

 {北}と{中}を落とす前、{七}切りは気になるが、現状それに最も警戒を向けるべき{八}が手牌に収まった。故にこの手牌――全く引く理由が、存在しないのだ。

 

(どちらにせよ{4}はわざわざ鳴いた牌、筋でそれなら……当たる可能性は殆ど無い。それにもし、例えば{3445}みたいな形から雀頭にするために鳴いたのなら、この牌はもう、山に一枚も残っていないことになる!)

 

 攻める理由はごまんとある。引く理由は驚くほどない。今の自分がとにかく昇り調子である以上、透華の様子が今にも人の形を崩しそうなほど不可解である以上、この手は、とにかく攻めなければ――終われない。

 

(行くで!)

 

 漫/打{4}

 

「リィー――――」

 

 

「ロン」

 

 

 気がつけば、振りぬかれていた。

 透華の右手が、牌を倒していた。

 

 

・龍門渕『75700』(+12300)

 ↑

・姫松 『170200』(-12300)

 

(――な、に?)

 

 自分に起こった衝撃を、己に奔った痛烈を、漫は呆けて、そして理解する。その間数瞬、まるで唐突な衝撃によって宙を待ったかのような漫の眼界に、龍門渕透華の瞳が映った。

 倒した手牌、それを起こした右手――それに呼応するかのように、大きくうねる金の髪。

 

 それは――異様なほど冷たく。そしてまた、言葉も出ないほどの、劇物だった。

 

 ――透華手牌――

 {4666白白白發發發横4} {横435}

 

(……は? なんや、その待ち。いや、いやいやいやいやいや、ありえへん、絶対これはありえへんって。これつまり、面前と小三元と、その他もろもろ、全部捨てて、鳴いたんかいな!)

 

 三面張で、この捨て牌ならば、そのうち誰かが出すかもしれない。安めでも、跳満はほぼ確定的なのだ。リーチまでかけて、倍満を確実にするのが常道である――はずだというのに。

 その上で、小三元を残さないことは選択肢だ。しかし、すでに完成していた{345}を捨て、{4}単騎での待ちなど、普通の人間が打つ待ちではない。それこそ本物の魔物が行うような、不可思議な御業の一つでしかないのだ。

 

(――これが、龍門渕透華? いやいや、さっきまでとは全然ちゃいますけど、それでも……これが、これがホンマモンの、バケモノかいなッッッ!)

 

 間違い用もなく、龍門渕透華はそこにいて、跳満和了の点数申告をして、直撃させた漫へと向けて、何がしかの目線を向けて、佇んでいるのだ。

 

 麻雀を打ってきて、強いと思う相手はいた。どうしようもないほど強い相手はいた。それでも、漫は自分が負けるつもりなど毛頭ないから、こうして勝って、時には同しようもないほど強い相手を、地につけてきたのだ。

 それでも、――この少女は、無理だ。本物のバケモノは、得体のしれない透華という何かは、目の前にいて、そして同しようもない現実を、漫に突きつけてくるのである――

 

 

 ――東二局、親胡桃――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

(……おやぁ、テンパイかぁ)

 

 ――百江手牌――

 {一二三四五六八九233西西(横3)}

 

 先ほどの和了、異常な和了りであることは当然として、それでも随分と静かに進行した。迷彩と撹乱、それがうまくハマった以上、透華のチカラが、表立って猛威を振るうことはないのだ。

 そうである以上、むしろ百江は、透華の異常をその場にいながら、実感持って接することができずにいるのだ。

 

 その上で、九巡目でのテンパイである。速度は十分、手牌から見ても、単なる三翻では些かもったいないような手だ。ツモれば実に四分の一近い確率で裏が乗りハネマンとなる。それを考慮するのなら、この手はリーチ以外の選択肢はない。手変わりもないのだから当然だ。

 更に打点を望むのなら{七}を掴んでフリテンでリーチをかけるかというところだが、それはさすがに百江の信条に反する。わざわざそれをする必要性もとにかく薄い。

 

(いやまぁ、周りが龍門渕さんを気にしてるのはわかるけどぉ、でもなんか、そこまで気にする程でもない気がするんだよねぇ。なんでだろぉ)

 

 ――透華捨て牌――

 {北1發3七①}

 {白9}

 

(やーまぁ、リーチかけるための牌が安牌輩っていうのもあるんだろぉけど、この捨て牌に、何ら恐ろしい部分があるようには思えないのよねぇ)

 

 むしろこの状況でこの捨て牌、親番の胡桃がリーチをかけない以上何とも言えないが、かなりリーチをかけやすい環境だ。だからこそ、百江はむしろ透華による後押しを受けているような気分になる。

 

(むしろぉ、こっちが気になってるのはぁ、そんな龍門渕さんに対して百面相してる姫松さんと宮守さんなんだよねぇ)

 

 滑稽だと、面白がっているのではない。むしろその輪の中に自分が加わっていないという事実がどうしようもなくしこりになっているのだ。

 百江の強みは防御力、影が薄くてなんぼのものではあるが、それでも、蚊帳の外というのは、些か寂しい。

 

(だいぶ失点も重なってるしぃ、やっぱりここはぁ――攻めていくしかないよねえッ!)

 

 

「――リーチ!」

 

 

 百江/打{2}

 

 龍門渕透華、今の彼女は確かに異常なのかもしれない。それでも、百江はそれを気にするつもりはないし、もし自分がそれを理解できないほどの格下なのならば――引っ掛かりはあるがまぁ――納得しなくもない。

 その上で、このリーチが、手のひらの上なのだとすればそれでもいい。ようは最後に勝利すること。そのためにすべき自分の仕事は何よりも――副将戦前半で積み上げられた異様な点棒、絶望的な点差を、少しでも埋めること。

 

 透華/打{3}

 

 胡桃/打{二}

 

 透華はさして語るものはなく、胡桃は、現物。{一二三}を作るときに切り捨てた牌。

 

 漫/自摸切り{東}

 

 こちらは現物をツモで引き寄せたようだ。テンパイしているのなら攻めているのだろうし、やもすれば現物といえる現物がないのかもしれない。たとえば透華の手牌が、漫の視点では恐ろしく映っている――かもしれない。

 

 ならば、こそ。

 

 ――漫/打{七}

 

「……ロン!」

 

・晩成 『72300』(+8000)

 ↑

・姫松 『162200』(-8000)

 

 百江は声を大にして叫ぶ。その叫びが、自分のものであることを信じて。

 続く東三局、この親番でもまた百江が和了する。リーチ後の一発こそ透華の暗槓に潰されたものの、それがなければ六翻の和了り、ハネマンであった五翻での満貫和了。

 そして一本場では、鹿倉胡桃が和了を見せた。明らかな染め手に見せかけた通常の手牌に、上重漫が振り込んだのだ。ここまで、異様なほど透華は沈黙している。――否、沈黙以外の何がしかは為されていたのだ。それはただヤミに沈んで、淡い蒼の氷が支配する、情景に溶けこみ消えていただけ。

 ――気がついているのは、そも胡桃を除いて他にいない。

 

 そんな彼女が和了して次局。ついに龍門渕透華が、前進を始める。

 

 

 ――東四局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 ここまで、大きく流れはうねり始めた。気がついているだろうか、上重漫は。――おそらくは、違和感は抱いているだろう、がしかし、彼女はごくごく一般的な打ち手だ。特殊なチカラとそれに伴う感覚があれど、そこを理解する程の経験が薄いであろうと、胡桃は考えている。

 

(これまで、この半荘の進行はかなり特徴的だ。親番のストップこそ龍門渕の人がやったけど、それ以外は他家が漫への直撃させている。――そのどれもが、龍門渕の人を警戒した結果のことだ)

 

 ――漫の手が止まっている。ということではあるだろうが、それこそ透華の支配によるもの、胡桃にも、百江にも、とうの漫にも手を加えることのできないような領分だ。

 どうしようもならないのなら、ならないなりに手を打てばいい。東三局、透華は百江の和了を、一発消しで満貫にとどめただけで、無理に止めようとはしなかった。

 

(やっぱり目の前のこの人は今、間違いなくバケモノだけどさ、それでもどうも、不安定な感がある。それだけ上重が異次元だってことなんだろうけど)

 

 どうにも上重漫の爆発力は特殊なチカラの中でも上位に位置するようなものであるようだ。だからこそ、同等クラスの異次元であるような透華は、どうにもそれに対応しきれていないようだ。

 そうでなくとも、それ以外の違和感がどこかにあるように思えるが、しかしどうにも、胡桃はそこに辿りつけずにいた。

 

 ともかく答えが確定的である以上の意味は無い。そう、あくまで状況は、上重のチカラが弱まったことにより、透華の主導であるとはいえ、ある程度和了に余裕ができたということだ。

 

 特に東二局での和了りは、透華を警戒しすぎたがゆえの漫の振り込み、透華を隠れ蓑とした横合いからの攻撃が可能となっているのだ。

 

(だとしたら、それこそコッチにとってはチャンスなんだけど……それを龍門渕が許してくれるとは思えない――よね)

 

 とはいえ、その状況がこの親番ではガラリと変わる。ラス親とはいえ、透華に残された親番は二度、それを鑑みれば、素直に和了までこぎつけられるとは思えない。

 

(だったらもう、犬に噛まれないようにするしかない、かな?)

 

 そんなつもりはないことを、もっともらしく心中で語る。

 

(利用できるものは出来る限り利用する。この状況で最も削るべき相手が私じゃない以上、まずは見させてもらうよ、そっちのやり方を、ね?)

 

 ここで透華が動き出すというのなら、それは自分にとって不足となることはないだろう。上重の点棒は健在、故に透華の狙いは当然漫に向くということになる。

 だからこそ、真っ向から向かい来る、透華の様子を横から臨む――

 

 

 広がりきった薄氷の上、少女はそこに立っていた。

 

 

 水を治める。それは果たしてどのように映るだろう。――静かで、無道で、そしてなおかつ、その存在を“知らしめている”ものであろう。

 

 だからこそ、それは例えば水を制した(・・・)ものになるはずだ。

 

(とりあえず……手が重いのはしょうがないかな。まるで何かにまとわりつかれているみたいに)

 

 ――胡桃手牌――

 {三三四八九⑤⑥⑨⑨5西西發(横發)}

 

 四巡目からの手牌、可もなく不可もなく。目にするべきはメンツの無さ。手は完成に近いとはいえ、それが実際に芽を出すまでにどこまでかかるかわかったものではない。

 典型的な“押し負ける”手牌。無論追いつくこともないではないだろうが、麻雀は和了るよりも和了られることのほうが多いゲームだ。当然和了れない場面のほうが多くなる。

 

 ――透華捨て牌――

 {9⑧四東}

 

 通常で考えれば、ここで胡桃が切るべきは{5}。速度が欲しいなら、それ一択だし、手牌の広がりはむしろ、{八九}を落としていくような選択肢も十分考えられる。

 

 しかし、胡桃はここで{四}を切る。安牌であるからだ。龍門渕透華は、未だその底が見えない。ならばここは、その底に迫るようなことはしない。攻めを残すにしても、あくまで防御に特化した攻め。――小林百江も、このような打ち筋を見せるだろうか。

 ――とかく。

 

(足を前に進められないわけじゃない。何かに塞がれているわけでも、縛られているわけでもない。早海先輩も水の人だけど、あの人は決して水“そのもの”じゃない)

 

 目の前に立つ少女、龍門渕透華とは今、なんであるか。水を支配するものである。ただ、それだけだろうか。はたして彼女は、単体として支配者のなかで完結したものであろうか。

 

 否、そうではない。

 

 臼沢塞のように、何かを塞ぎ、遠ざけるようなチカラではない。

 五日市早海のように、何かを閉ざし、縛り付けるようなチカラでは、ない。

 

 龍門渕透華は、そう――

 

 

(――龍門渕透華は、水、そのものだ)

 

 

「――ロン」

 

 直後、どこまでも透き通るきらめきを伴ったかのような、そっと短く、しかし響くような声が辺りに散らばった。まるで水が吹き上がるかのような飛沫であるように、佇んでいる。

 

 ――透華手牌――

 {三四五③④⑤⑧⑧22234横5}

 

 漫が振り込んだ先。

 それが、透華の和了に繋がったのだ。糸と糸を紡ぐように、水流が、また別の運河に合流するように。――取り込まれて、行くように。

 

「……18000」

 

(――今度は、速さかッ!)

 

・龍門渕『89700』(+18000)

 ↑

・姫松 『132200』(-18000)

 

 まさしく水のごとく、変幻自在に姿を変えて、――まさしく玄人のような渋い打ち筋から、他者の誘導、そして高火力の強襲。あらゆるものを利用して、他者の動きを支配する。

 

 ――波のゆらめきを、極端に嫌って、押さえつけようとしているのだ。

 

 

 龍門渕透華、水神は自身が望む身勝手な支配のために、最大の障害を、打ち破らんとする。

 

 

 続く、一本場。

 

 ――透華手牌――

 {1234455667789横7}

 

「――24300」

 

・龍門渕『114000』(+24300)

 ↑

・姫松 『107900』(-24300)

 

 

 自身が思う最高のために――龍門渕透華が、その手を、振るう。




冷やし透華本作ヴァージョン。
瀬々となにやら関係があるみたいです。


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『黙して水面、果たして和了』副将戦④

 ――東四局二本場、親透華――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

(一緒に座っていて、わかったことが在る)

 

 ただモニター越しに映像を見ていてはわからないようなこと。ただ牌譜だけを見てもわからないようなこと。それは実際に共に座って“実感”できるようなことだ。

 無論、形の上では解っていたことを、――第三者の視点から理解することはできても、それを実感によって“納得”にまでもっていくことができるということもある。

 

 それらを統合し、対局者に対する“対応策”を作り出す。胡桃の打ち方はそれが出来る程度には柔和であった。だからこそ、目の前の存在は胡桃にとって踏破されるべき壁であり、乗り越えられるべき敵であった。

 

 龍門渕透華、彼女の猛攻と、それを受けた漫の対応。そこから見つけ出した少しばかりのほころび。打破することはできずとも、一瞬であれば上回れるような、足元の隙。

 

(――姫松の爆発が圧倒的すぎて、それの“支配”に対して全力を傾けすぎていること)

 

 通常であれば見上げることすら困難な実力差すら“反転させる”ほどの爆発力を持つ漫の最高潮。それこそ漫が本来であれば、食らいつくことすらできないはずのバケモノ、龍門渕透華の中の何かに対し、あくまで一対一の形にもつれ込むこととなる瞬間。

 無論その一対一の結果は惨憺たるものではあるがそれでも、水を支配する神であろう透華が、漫の支配にばかりかまけ、胡桃や百江に何もできていないことからも窺い知れる。

 

 それを利用できるような状況ならばともかく、間違いなく透華は、自身の出和了りだけを前提に手を進めている。そのために、ここまでの親番、透華は速度で漫をねじ伏せる他になくなっているのだ。

 

(さっきの和了りで、よーやく姫松がここまで降りてきた。だからもう、神様の好きなようにはさせないよ――!)

 

 ――胡桃手牌――

 {一二三九九⑧⑧667西發中(横7)}

 

 手牌にまとわりつく何かが在ることくらいはわかる。それによって、本来であれば好調なはずの、胡桃の手牌が淀んでいることも、またわかる。

 胡桃は支配というものがいかなるものか、よく知っている。――ウン年来の付き合いとなる幼馴染がそうであるように、去年の終わり、麻雀部の輪に加わった先輩の一人がそうであるように、胡桃の身近には、それに特化したチカラの雀士が多くいた。

 

(支配を受けた時の心得その一! 思い浮かべる最善のツモは、絶対引っ張っては来れない!)

 

 ――胡桃/打{中}

 

 鳴いていくことを考えるなら、まず第一に切るべきは{西}であることは間違いはない。字牌を捌いていくうえで、まず必要なくなるのはオタ風の牌だ。

 それをわざわざ残して、胡桃はまず第一打を{中}とした。わざわざ他に切る牌はあるだろうに、役牌を最初に落としたのだ。初心者のブレならばともかく、胡桃は手堅い打ち筋に定評のある類の雀士である。

 

 続くツモは{北}、これを手牌に加えて、{發}を切る。鳴くものはいない。どころか追従するように、百江が手牌から{發}を落とした。タイミングだと見て取ったのだろう。

 とにかく守りを第一に考えながら、それでも決して和了を放棄しない打ち筋。これは胡桃にも共通する項だ。前半戦に見せた“切るつもりがないのだから、重なるまで持つ”という選択は、おそらく百江も取っていくことだろう。

 

(心得その二! 重なった字牌は最期まで抱える。暗刻になることもあるし、手牌が悪い時はチートイツ前提だから、無駄にはならない)

 

 胡桃/ツモ{西}・打{北}

 

 わざわざ役牌と入れ替えた直後に、{北}は切りだされてしまった。一つでも有効な牌を引けばそのまま切り出される牌であるということは、事情がいかに特殊であろうと変わらない。後に切ることを“前提として”、胡桃は{北}を手牌にのこしたのだ。

 

 必ずどちらかの字牌が対子になるという確信があったからこその、打牌順。他家にはこの打牌がどう映るだろう。モニターの向こうでは、一体どのように語られているだろう。

 

 気にすることはない、あくまで胡桃は透華の隙をつこうとしているのだ。そのために必要なのは、舞台の上で踊る資質ではない、舞台を根底のところから、一切合切ぶち壊してしまう才能だ。

 

 百江/打{⑨}

 

 透華/打{東}

 

(――ついでに言うなら)

 

 ――胡桃手牌――

 {一二三九九⑧⑧6677西西(横⑧)}

 

(これも、いらないっ!)

 

 胡桃/打{二}

 

(こないだ藤白プロが言ってたけど、筋対子だっけ? 片方自摸れればもう片方も自摸れるかもしれない、そう考えるとこれが待ちとして最善になるよね。テンパイまで行けるといいなぁ)

 

 胡桃/ツモ{六}・打{一}

 

 透華に食ってかかりながら、自分自身の和了は目指す。それがあくまで必要なものであり、それ以上は臨むべくもない。水神が漫への支配で手一杯であるという隙は当然があるが、そこまでその隙を、付ききれるとは思えない。

 

(さて――と)

 

 胡桃/ツモ{⑨}

 

(とはいったものの、この{⑨}は抑えておく、真ん中残すと、あとが怖いから、ね)

 

 胡桃/打{六}

 

 打牌の選択にはいくつかの理由が用意されるが、その中でも特に、この{⑨}は何かが胡桃をかすめたがために、こうして手牌に残されることとなったのだ。

 その何か、今はまだわからずとも、自然とわかる時が来る。

 

 それは胡桃の中にある、オカルトに敏感な“感覚”によって生まれるものに、他ならない。

 

 数巡後、漫の打牌。

 

 漫/打{⑨}

 

 そして百江の自摸切りを挟んで、透華、手出しで{⑧}を打つ。瞬間、漫の顔が苦々しげに歪み、稲妻のような衝撃が、胡桃の脳裏を駆け巡る。

 衝撃に、意識がハッと、そちらへ向いた。

 

 ――透華捨て牌――

 {2九4東發3}

 {五白⑧}

 

(……ちょっとわかりにくいけど、これチンイツかぁ)

 

 序盤に必要のないヤオチューを払って、更にその後役牌を払う。{東}から字牌をさばいていることもポイントだ。{發}は安牌として残しておく算段が在ったのだろう。ちなみに{白}は自摸切りだ。――それはあくまで通常の人間の思考ではあるが、とかく。

 そうしてそこから見えてくる卓上の状況。端的に表せば、それはまず透華のチンイツテンパイが、漫を狙ったものであるということ。

 

(チンイツテンパイから直接出和了りを狙いに行く――この状況を鑑みれば、龍門渕の人は、きっと私を利用して攻めに来る)

 

 おそらく漫の手牌には安牌がないだろう。{⑨}を落とした直後にこのテンパイ気配、嫌な顔をしているのだからよく分かる。

 

 その上で、考えるべきは透華が、漫からいったい何を引き出したいのか――だ。

 

 胡桃ツモ/{四}

 

(ここを掴ませてくるのかぁ、ってことはつまりだよ? これを切ることで、姫松が切りやすくなる牌があるんだね。例えばここの筋――{一}とか、{七}とかかな?)

 

 どちらにしろこの{四}はほぼ間違いなく通る。わざわざ通すために透華が掴ませたのだから。だからこそ、胡桃はこれを切らずに手を進める。

 

(この状況、龍門渕さんが“絶対に切ってほしくない牌”っていうものが在るはずだ。それは例えば現物の{⑧}そして例えば――――安牌が確定している(・・・・・・・・・){()}とかね(・・・)

 

 漫の打牌は{⑨}、場には二枚の{⑨}が見えていて、残る二枚のうち、一枚は胡桃が持っている。ならば最後の一枚は――? 透華ではない、漫が持っているのだ。

 

(これは私の推測だけど、姫松の人は{⑨}の対子を落とそうとして、その最中に{⑧}を落とされたんだ。つまり、落とそうと思っていた{⑨}が、危険な染め手の裏筋になって、切れなくなってしまったとしたら――!)

 

 ――胡桃手牌――

 {三九九⑧⑧⑧⑨6677西西(横四)}

 

(この{⑨}は、間違いなく通る牌になる――!)

 

 もしも最後の{⑨}を透華が待っているのだとしたら、胡桃は跳満以上の直撃を受け、大きく点棒を失うことになる。ハイリスクな賭けだ。しかし同時に、そこから生まれるリターンもある。

 上重漫は、すでに多くの失点をした。自分自身の得点のなかから、その失点は補えるとしても、もうかなりの疲労が溜まっていることは想像に難くない。

 ――ならば、

 

(もうここが引き時だ、水神様――! もひとつここで、眠ってくれないかな!)

 

 振り上げた右手に、透華の視線が重なる。表情はない、神に、人が浮かべる表情が、理解できるはずがない。――当然、その逆もまた然り、胡桃は透華がこの打牌を、どう見ているのかはわからない。

 それでも、それだからこそ、迷うことなく、躊躇うことなく、打牌した。

 

 ――胡桃/打{⑨}

 

 勢い良くたたきつけられたそれは、空気を引き裂き、そのヒビ、白煙の渦をまとって降り落ちる。鈍い音が響いた。卓は揺れ、牌が乱れて――飛沫が跳んで。

 胡桃の視線の先には、透華が在る。

 

(……和了る?)

 

 その視線の問いかけに、透華は――手を――動かさなかった(・・・・・・・)

 

 同時に漫がほっとしたような息をついて、ツモ、すぐさま{⑨}を切り出す。胡桃の打牌直後、百江が驚いたようにしながら、それでも冷静に安牌を切って、オリの姿勢だ。

 

 そうして透華の打牌、自摸切りの――牌。

 

 ――胡桃/ツモ{四}

 

(裏目の結果が、これか――!)

 

 最善とも言えるツモ。支配に抗ったからこそのツモ。当然透華の現物、{⑧}を切ってテンパイにとる。

 

(相手は、水神、水を統べる神。けれど――世界のすべてを覗けるわけじゃ決してない)

 

 そこにいるのは、いま胡桃が真っ向からぶつかっているのは、間違いなく本物の魔物だ。オカルトの一端をその身に宿した程度では、決して辿りつけない現象の結果。

 圧倒的だからこそ、きっと“それ”にはわからない事があるはずだ。

 

(安堵して、けれども緊張を解かず打牌を選ぶ姫松の感情)

 

 上重漫の世界を――

 

(緊張を常にまとって、油断なく、手牌を進める晩成の感情)

 

 小林百江の世界を――

 

(そして何より――)

 

 ――鹿倉胡桃の世界を、神が理解できようはずがない。

 

(人の世界を理解できない、しようとしない存在が、ここに座る資格は――ないんだよ!)

 

 たとえそこにある魔物が全治の支配を体現しても、全知の知恵を体現しても、人の心は理解できない。人の心によって生み出された。胡桃の待ちは、理解できない。

 

 ――だから、切る。躊躇うことなく、それを切る。

 

 

 ――透華/打{三}

 

 

「――ロン!」

 

 その一声で、世界は動き出す。

 神の瞳が――透華の中に宿った何かが、一瞬揺れた。驚愕だろうか、怒りだろうか――それともはたまた、人の身で、神に牙を向けようとする、胡桃に対する好色の笑みか。

 そんな透華の変化とともに、胡桃の和了を、漫と百江が、盛大な驚愕で持って受け入れて――

 

「……6400は――7000!」

 

・宮守 『100800』(+7000)

 ↑

・龍門渕『107000』(-7000)

 

 

 第二回戦副将戦、卓の上は大いに揺れた。波間も、爆炎も、すべてがそこから吹き上がり――消えていった。長かった嵐もようやく過ぎ去り、その卓には、静かな平常が――訪れようとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 水面だ。あまりにも静かで人の気配を感じない、黒く、深く、そして寂しい海の底。

 渡瀬々はゆっくりとその中にある自分を感じ取る。ここはどこだろう、そんな疑問には、自分の中だという答えを受け取った。感覚は告げる、ここは渡瀬々の心の奥底、海は彼女の心象風景だ。

 

 なぜ? 自分の心に、水面が映るのは理解できる。水面は鏡、自分という光を還す影。しかしそこに、なぜ海という要素が加わるのだろう。海は揺れ、そしてその姿をいかようにも変える。

 果たして人の心とはそうも簡単に揺れ動いていくものだろうか。――否、そんなはずはない。自分の中の答えをまとめる。その上で、悩むというファクターがある以上、ただ答を出すだけではいられない。

 

 だからこそ、それが海である訳がわからない。答えもない、人の心を、瀬々は知るすべはない。かつて瀬々が答えを失った時、瀬々は答えを支えとして再び起き上がった。しかし瀬々の精神は膨大で、自分の心にすら、すがる必要はなかった。答えに対する忌避感の排除、それこそが瀬々のもたらした、自分への変化だったのである。

 

 海、心の中に張り付いた風景は、まさしくそれを表している。海の底、自分はそこに果たしてどうしているのだろう。閉じ込められているのだろうか、それとも閉じこもっているのだろうか、ただ住処としているだけだろうか。

 多くの考えが浮かんで、しかしどれも答えの感覚を震わせない。答えはすでに出ているのだから、考える必要は、本当はないのだから。

 

 なぜ? なぜ? そう考えているうちに、ふと自分の中である考えがよぎった。――自分ではないだれかが、自分の心の底に巣食っているのではないか?

 それは、思いの外すんなり自分の内へ腑に落ちた。

 それも決して悪い風ではなく、暖かく、そして委ねるような心中だった。

 

(――悪くない、かな)

 

 不思議とそれは、決して不愉快ではない感覚だった。意外なものだ、生まれてこの方、ほんとうの意味で心を交わらせた友人もなく、八方美人で過ごしてきて、そんな自分が、それを甘受して受け入れるというのは。

 

(ま、そこまであたしの心も、擦り切れてはいなかったってことかな)

 

 夜の海、何も見えない黒の底。しかし、そこから浮かぶ水面はどうにも、ゆらめき光を伴って、自分自身を祝福するかのようにただ在った。

 人の心が、影の部分がぶれて崩れて、それはきっと誰かの思いを受け止めているのだろう。

 心の波は決して穏やかではない。神がどれだけしばろうと、それだけは絶対に変わらない。

 

(流れて、落ちて、流されて、それでもあたしは、こうしてそこに――たどり着いて、いるのだろう)

 

 夢をみる時間はもうおしまいだ。自然とそう考えて、まるで空からゆっくりと下降するように、沈んで、消えて、溶けていく。

 

 

 ――一瞬だけ、意識が完全に心から溶けた。記憶の空白が、生まれてそして、どこかへ消えた。

 

 

 光の眩しさを瀬々は感じる。

 ここは、どこだろう。オレンジ色の光が、青い空を照らして染めている。――きっと夕方だろうと思って、その光の先には、誰かがいることに気がついた。

 

(――だ、れ?)

 

 疑問。

 感覚が答えた、すぐに瀬々も理解した。

 

 

「……ころも」

 

 海の底から帰還して、海の底に寄り添って、そこには天江衣が、佇んでいた。

 ――見慣れない室内だ。きっと自分にとって特別な場所なのだろう、違和感がまず浮かんで、それから答えの理解を受け入れた。

 

(いつの間に、眠ってたんだろう)

 

 記憶を手繰り寄せながら、部屋を見渡す。中はさほど広くない、けれども、人が一人クラスには十分だろうし、ソファーが三つ、それぞれモニターの前に設置されている。

 

 まず目のつく先、自分はどうやら寝かされていて、その隣に衣が座っているのだろう。

 衣の姿は堂々としていて、それこそすべてを受け入れる海のような度量を持ち合わせているように思えた。これはいつの日か、アン=ヘイリーに見たカリスマと、同様のものだろうかと瀬々は思う。

 

「――おぉ、瀬々!」

 

 そうやって、周囲を確かめているうちに、衣も瀬々に気がついたのだろう、笑みを大きく輝かせて、起き上がろうとする瀬々の肩を持つ。目をこすりながら瀬々は起き上がって、それぞれ――透華を除く龍門渕メンバーの顔を確かめる。

 

(今は――そうか、副将戦か)

 

 時刻は夕方、太陽と、月が支配をすり替える時。ちょうど副将戦が終わろうかという時間帯で、透華がいないのもそのためだ。

 

「良き目覚めかな? 瀬々、深い眠りだっただろう」

 

「……ん、いや、どうだろうな、なんか変な夢を見てたんだけど、正直頭のなかが未だにぱっとしないんだよ」

 

「如何な夢であろうと、いい。瀬々は今、何がしかの感傷を得たはずだ。それを忘れないように、それを胸に秘めておくように、ゆめゆめ忘れぬようにな?」

 

 衣の言葉は、どうにも瀬々を惑わせるばかりだ。それもこれも、瀬々の理解の及ぶ場所に、衣は目線を置いていないためだろう。神だとか、オカルトだとか、瀬々にはそんなことさっぱりだ。

 

「というかさ、私が寝る前に、確か透華が三倍満に振り込んでた気がするんだけど、どうなったんだ?」

 

「ん、見よ……残念ながらもう面白みはないが、これはこれで麻雀らしい戦いだぞ?」

 

 面白み、一体何のことだと瀬々は嘆息しながら、自身の目前にあるモニターへ、ようやく意識を移す。そこでは透華が映っていた。――彼女は、自信たっぷりの笑みを浮かべて、そこにいた。

 

 

 ――南三局一本場、親百江――

 ――ドラ表示牌「九」――

 

 

 気がつけば、半荘が終わろうとしていた。どうにも状況が追いつけないが、それでもどうやら、対局事態は続行されていたらしい。――一体誰が自分の代わりに麻雀を打っていた?

 周囲の目のほとんどがどこか怯えを抱いている。何かが在ったのは間違いない。自分の代わりに麻雀を打った何か、それが大暴れしたのだろうことも、想像に難くない。

 

 事実だろう、点棒の推移を見れば、それはしれた。

 

 ――順位。

 一位姫松 :105200

 二位宮守 :104700

 三位晩成 :99000

 四位龍門渕:91100

 

 あれだけあったはずの姫松の点棒が、すっかり綺麗サッパリ消え去って、龍門渕透華の失点も、小林百江の失点も何処かへ消え失せてしまっている。

 

 それを見て、透華は思わず何とも言えない、苦と楽を併せた複雑な表情を浮かべた。無理もない、この状況は喜ぶべきことで、しかし目立ちたがりの透華が、自分の活躍の機会を、他でもない自分自身に奪われたのだ。心中察してなおあまりある。

 

(こ、こぉんな結果、断じて認められませんの……私が! 私が、よもや私に見せ場を奪われるなど……! あれ? 私は一体何を言っているのでしょう)

 

 憤慨と、それから困惑と、目を覚ました直後の状況に対する、透華の混乱が直に周囲へ伝わっていた。何かが終わった、というのは気配からしてわかることでは在るのだが。

 

 

(普通の麻雀が、戻ってきたわぁ。……でも、どっちにしろぉ、めんどくさい相手では在るしぃ、姫松さんのあれも終わっちゃったから、あんまり嬉しくないよぉ)

 

 守りに徹しながらも、機会さえあればここぞとばかりに高打点を叩く、そんな打ち筋で、なんとかここまで点棒を持ち直したものの、それでも状況が切片していることには変わりない。

 とりあえずの目標は、できうる限り、この小さな点棒差で大将のやえにバトンを繋ぐことなのだが……

 

(まずは字牌から、――多分、ここで切らないと切るタイミングがないわぁ)

 

 ――百江手牌――

 {一三三八八九②④3478發(横③)}

 

 美味しいツモではある。それを踏まえても、先へ進みたい手ではある。百江は守りの雀士であるが、副将という立場は、攻めに転じなければならない状況を大いに必要とする場所でも在る。

 

 百江/打{發}

 

「――ポン!」 {横發發發}

 

 覚悟を決めての、第一打、その直後だった。先程まで、手牌を眺めて困惑を強めていたはずの透華が、一瞬にして目つきを鋭く尖らせて、声高らかに副露を宣言した。

 一瞬のこと、途端に気配を取り戻した透華が、牌をもぎ取り、自身の手の中へと納めていく。

 

(……特急券――――ッ!)

 

 

(――やっぱり戻ってくるかぁ、ま、そうだよね)

 

 胡桃はそんな透華と百江のやり取りを観察しながら、わかりきったことだと納得して頷く。無論そこには半荘二回分の経験が、それ以上に公式戦にて残された牌譜の記憶が裏付けとして現れている。

 目の前に座っている少女の中で、百江と透華は特に公式戦の牌譜が多い。研究材料は、多く在る。

 

 小林百江はとにかく守りに特化したタイプで、手堅いデジタルが特徴的だ。けれども、それ以上に彼女を彼女たらしめている言葉を昔、百江はインタビューの際に答えたことが在る。

 

 ――最初に役牌を切っておいたほうが、後で安牌にできる、と。

 

 単純に、ただ守るために打牌を選ぶのではない。最初に攻めるべき道筋を決めつけて、そこからこぼれ出た牌は、後に守りの要として利用する。

 そうすれば、どうだろう。攻めてよし、守ってよしのハイブリットが、打牌の癖から見えてくる。

 

 逆に、龍門渕透華はとにかくスタンダードなデジタル特化だ。速度を信条とするネット麻雀などで主流な牌効率再優先主義。そこに独自の理論からくる他家への嗅覚と、普通では考えられないほど、派手な和了りが好きだということ。

 彼女のデータを見て最も驚くべきことは、そういった派手な和了りを狙うためのセオリー外な打ち筋が、結果として彼女の成績を上げているのだ。ある意味始末におえないものがある。

 

 どちらも、デジタルとしてある種完成された粋にいながら、デジタルだけでは測れない“魅力”のようなものを持ち合わせているのだ。

 

(その点私は、ばかみたいな爆発力もないし、とにかく地味なんだよね)

 

 胡桃は嘆息しながらそんな風に考える。しかしどうだろう、嘆息を浮かべる胡桃の顔は、しかし小動物のような丸っこい笑みが張り付いている。生来のものとはいえ、それはあまりにも、彼女の風采を見栄え良く整えてならない。

 ――自負であると、そう見えるのだ。

 

(だからまぁ……今は自由に和了るといいよ? でも全部が全部、好きにさせてあげるわけじゃ、ないんだからね?)

 

 

「――ロン! 役牌ドラドラの3900は4200、点棒マシマシで払っていただきますわよ!」

 

 

 

・龍門渕『95200』(+3900)

 ↑

・晩成 『94700』(-3900)

 

 ――和了宣言。如何な守りの天才といえど、速度で安牌を見失ってはどうしようもない。電光石火、四巡目の出来事であった。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 続く親番、波に乗った透華は、たった三巡にしてリーチをかけて勝負に出た。

 

 ――透華手牌――

 {三四五八八八①②③66北北}

 

 単なるリーチのみのゴミクズ手、しかしそれも、たった一巡で、大きく姿を変えることが、できないはずは決してない。

 

 

「――ツモ! 裏がのりましてぇ…………4000オールですわ!」

 

 

「ひゃえ!?」

 

・龍門渕『107200』(+12000)

 ↑

・姫松 『101500』(-4000)

・宮守 『104100』(-4000)

・晩成 『90700』(-4000)

 

 これに、漫が思わず声を漏らした。

 

(う、一発……? 心臓に悪いわ、っつーか、全然追いつける気がしーひん、なんやろ、ウチってこんな弱かったやろか)

 

 ――単純に自摸れないのであれば、それを気にして注意力を散漫にさせない限り、それは本人の落ち度ではない。とはいえそう考えられないのが麻雀の良いところであり、悪いところだ。

 これこそ、本当に嘆息として、漫から抜け落ちていくものだ――

 

 

 そして、一本場。

 

 

(さぁ、さぁさぁさぁ! 一気に弾んできましたわよ!)

 

 ――透華手牌――

 {二三四②②④2345688(横③)}

 

(カン、ペキ! だいぶ調子もあったまって参りましたし、ここは一気に勝負に出させていただきますわ!)

 

 自分が目立てるというのなら、その打牌がデジタルで、あろうとそうでなかろうと、透華は自身の打ち方を信じる。前を向いて、先を見て、心を束ねて、一歩を進める。

 

 自分ではない誰かが、自分を上からくらおうとも、どれだけ深いヤミの底へと引きずり込まれようと。黒に呑まれるその瞬間すら、龍門渕透華は変わらない。

 人の心が、単なる河の流れのように、変質し続けるものではないように。心がそう単純に、その根底を帰ることがないように、

 

 龍門渕透華は、迷わない。

 

 ――透華/打{②}

 

「リーィチ! ですわ!」

 

 ――それこそが、この対極の全てであった。

 

 

 猛進し、すべてを蹴散らす無類の獣に――

 

 

 ――待ったをかける、大世界の小さな小さな一人の童。

 

 

「――うるさいそこ!」

 

 

 響き渡る声。

 

「リーチをかけるにも、もう少し静かにしてくれないかな」

 

 それに透華は、怪訝な顔をして眉をひそめる。――嫌悪しているのではない、警戒でもって、状況を静観しているのだ。ここまで黙して語らないことを信条としていた少女の、そんな小さな自己主張。それが果たして、単なる忠言にとどまるだろうか――

 否。それだけでは、ない。

 

「それに、そのリー棒もいらないよ」

 

 同時、手牌を倒して。

 

 

「――ロン」

 

 

 宣言を伴う。

 

「タンヤオチートイは、3200の、3500」

 

 そうして胡桃は、漫と、百江が見守る中で――

 

 ――上重漫:一年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――101200――

 

 ――小林百江:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――90800――

 

 

「これで副将戦終了――だよね?」

 

 

 足を止めた龍門渕透華へ――

 

 ――龍門渕透華:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――103800――

 

 

 ――言い放った。

 

 

 ――鹿倉胡桃:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――104200――




副将戦終了です。くぅ疲。
ところでこの話、もう四十話になるわけですが、このたびどうやらお気に入りが300件を超えたみたいです。
それ自体はありがたいことなのですが、前作のそれと比較してみるとえらい成長ぶりです。
なぜなんでしょうね? 完結させた補正があるのか、それとも純粋なクオリティの向上なのか。
後者だとうれしいので後者だということにしておきます。


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『黒に染まる月を知る』大将戦①

 長かった半荘十回のメドレー、四者総勢十六名、少女の思いと、そこから紡がれる、打牌の右手。

 先鋒戦を開始する頃には、アレだけ高かった陽の光も、やがて天辺から、斜陽へと堕ちていく、残されたのは、空の熱気と、人の覇気。

 

 日がな人々を、そして大地を照らし続けてきた太陽の熱は未だ衰えることはなく、大地にこもった熱として放射されている。それは現代特有の、世界の病がごときものではあったが、月が空を満たそうと、夜が世界を覆おうと、冷めやらない観客の熱狂を評するにはもっとも的確であるように思えてならない。

 

「……もう夜かぁ」

 

 そんなインターハイ会場を、悠然と歩くものが一人、彼女は人気を避けるように、ガラス張りの廊下をたったひとりで闊歩していた。

 だがそれも、延々と続いていくものではない、後一歩でしきりによって外界が遮られようかというところ、少女はふと、足を止めた。軽く体を翻し、ガラスの外、月の浮かぶ空を見上げる。

 

 特徴的な白髪に、スラリとした体躯、彼女はこのインターハイ出場選手の一人であり、その制服は――宮守女子の夏服だ。彼女の顔には、どこか億劫を交えた鬱屈さが見られる。

 宮守随一の面倒くさがり、それが彼女の性分である。

 

「――――だるいなぁ」

 

 ――小瀬川白望:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――104100――

 

 都会の夜は明かりを失うことはなく、そこから星々を垣間見ることはない。とはいえ、それが宇宙の雄、月光にまでまたがるかといえば、そんなことはないだろう。

 幽玄の空には、変わらず月が浮かんでいて、それは白望のすべてを見透かすように、深く、そしてどこまでも輝いて見えるのだ。

 

 手を伸ばしてみようか、なんとはなしにそう考えて、ふと白望はうでを伸ばしかけ、生来の面倒くさがりと、ひとつの思い直しからそれを引っ込めた。

 必要がないのだ。

 

「まぁ、また伸ばせばいいか」

 

 ――あとでもいい、もう少しすれば、そこに月はある。今ここで月に意味のない挑戦をする必要はない。もうすぐそこに、月の化身が、金色の少女が現れるのだから。

 考えて、あらためてダルそうに嘆息をもらしながら、白望はゆっくり歩を、前へと進める――

 

 

 ♪

 

 

「おっつかれさーん」

 

 赤路蘭子の明朗な声が響いた。姫松控え室から対局室へと続く長い廊下のおおよそ中間辺りで、副将である上重漫が少しばかり微妙な表情で帰還したのだ。

 肩辺りまで伸びた茶色がかったセミロングを揺らしながらハニカム蘭子と、若干気後れしたような二本おさげの上重漫。

 

「あ、お疲れ様でーす」

 

「どうしたん? きっちり終始トップで、帰ってきたやん、おめでとさーん」

 

「え、いえでも、アレだけ在った点棒、結局最後まで残せませんでしたし」

 

 前半戦で稼いだ六万もの点棒は、しかし結局、終わってみれば数千点のプラスにしかならなかった。とはいえ本当に微差のようなものとはいえ、完全な一人浮きで終えているのだから、十分といえる。

 

「そんなんゆうて、もしも漫が爆発してへんかったら、あのバケモノさんの一人舞台やったかもしれへんで? 宮守の人みたいなこともできへんかったやろし」

 

「そりゃあ……」

 

 蘭子の言葉に、少しばかり考えて、すぐにそのイメージが浮かんだのだろう。そして同時に、自分自身の立ち位置がいかに危うかったかもしれた。

 

「とりあえず、後のことは私に任せてさ、漫は控え室でゆっくりしてなさいな、……あぁそれと」

 

 肩を軽くポンと叩いて、少し蘭子は漫とすれ違う。それから少し顔を振り向かせ、漫ともう一度目を合わせる。話を切り替えよう、ということらしい。

 

「赤坂代行、帰ってきたみたいやから、せっかくやし挨拶したってやぁー」

 

「え、あ、はい」

 

 漫がそうやって軽く頷いて、蘭子が振った手にお辞儀をして、それから勢い良く走りだしていった。それから蘭子は改めて前に体を向けると――あっけからんとした朗らかな笑みから、強烈な、獰猛な笑みえと表情を変質させる。

 

「――さて、頑張った後輩のねぎらいはこんなもんやろなぁ」

 

 瞳はまるで焔のように燃え、踏み出すのは爆発的な風圧を伴う。

 

「そいじゃまぁ、バケモノ退治と、いきましょかぁ……」

 

 ――赤路蘭子:三年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――101500――

 

 響き渡る言葉は、だれにでもなく――自分の奥底へと、消えていくのだった。

 

 

 ♪

 

 

「ごめんねぇー」

 

 控え室の中、そうそうに帰還した小林百江が、両手を重ねて大将を務める小走やえに謝罪する。やえはいえ、と手を振ってから微笑むと、あくまで自然な声音でもって、それに答える。

 

「いえいえ、とても良く闘えていたと思います。小林先輩の闘牌スタイルを考えれば、あれが最善だったことは間違いないかと」

 

「そっかぁ、それはよかったよぉ」

 

「えぇまぁ、ですからここは、私が最後を決めてみせましょう。奈良の王者、晩成高校は、第二回戦を壁とするようなチームではない」

 

 ゆっくりとやえは立ち上がり、そしていう。

 

 

「――お見せしましょう、奈良の王者、その大将の打ち筋を――――ッ!」

 

 

 ――小走やえ:二年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――90700――

 

 ――そうして、舞台は大詰め、半荘メドレーのトリを務める大将が、対局室へと入室する。それぞれは自身の思いを心のなかへ秘め、睨み合って闘いの合図――そして最後の対局者を待つ。

 

 

 ――最後の対局者。この卓を支配するであろう、最強の魔物を、待つのだ。

 

 

「凝集ご苦労、はるばる遠路をよく来たものだ」

 

 

 対局室は、それまでの対局者、全十六名と、それからこの先闘う四者の思いを蓄えて、信じられないような熱気を保っていた。それはあの副将戦を終えた後でも変わらない。

 あくまでただ思いだけを載せ、ただ感情だけをかぶせ、そこにある。

 

 

 ――そんな対局室を、一瞬にして変貌させるものがいた。

 

 

 人の思いだとか、感情だとかは関係ない、それらが消し去られたのではない。それらを受けてなお、変質するほどにチカラが圧倒的すぎるのだ。

 だからこそ、そのチカラは他者を驚愕させるにとどまらない。――恐怖させるだけでも、まだ足りない。

 

「しかし……物見遊山はここまでだ」

 

 ――その少女は、ただそこに在るだけで、人に異常を植えつけた。

 

「此処から先は暗夜にこそ許された百鬼夜行――心してかかれよ、魑魅魍魎どもよ!」

 

 

 ――天江衣は、そんな気配を伴って、そこにただ、現れた。

 

 

 ――天江衣:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――103700――

 

「ひゅう、とんでもないなー」

 

 そうやって反応したのは、この場唯一の三年生、赤路蘭子だ。言葉の中身はそんな魔物、天江衣に対する反応。――しかしどうだろう、そこに果たして、言葉そのもののような、恐怖の以上の感覚は在っただろうか、――それは、否。断じて、否。

 

 少女たちはこの状況を、あくまで楽しんでいる。

 当たり前だ、衣のそれは異常であって、恐怖ではない。天江衣は彼女たちに牙を向けない、刃を向けるのだ。――人の感情を、魔物を御してなお悠然と在る、少女の剣を、振りかざしているのだ。

 

 それは挑戦状、真っ向から、人と人とがぶつかり合うことを、宣誓するもの――

 

 

「さぁ……死力を尽くして、遊ぼうではないか――――ッ!」

 

 

 そうやって、語る衣の言葉には、いなという返事はなかった。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:天江

 南家:小瀬川

 西家:小走

 北家:赤路

 

 順位

 一位宮守 :104100

 二位龍門渕:103700

 三位姫松 :100100

 四位晩成 :90700

 

 

 ――東一局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{九}」――

 

 

 粘りつくような場だと、誰かが思った。

 四名の雀士が放つ何がしかの感覚が、それぞれを捉えるために蠢き合って、それが空気を粘つかせていく。からみ合っていくようだよ、誰もが感じているところだった。

 

 とはいえ、それはそうそう動かせるようなものではない。

 傍若無人に振舞って、あらゆるものを切り裂いて、破壊し尽くしていければどれだけ良かっただろう。――不可能だ、そんなこと。この状況は、剣術の達人同士が睨み合う、そんな仕合によく似ている。

 

 動けば死ぬ、というような極端な状況ではないにしろ、一歩でも無様を晒せば、すぐさま他家全てに食い物にされてしまうような状況、ひとつの判断がそのままそっくり、ミスへつながるのだから一大事だ。

 

 ――蘭子手牌――

 {二三三七八九①②⑧⑧678(横東)}

 

(ドラの生牌、となるとここは……)

 

 ――衣手牌――

 {西9二發中白}

 

 衣の打牌は全て手出し、それならば、ここから見えてくる情報はおおい、そうそう簡単に{東}を切ることはできないという判断も、また。

 他家の打牌、それぞれ白望から{三}を、そしてやえからは{四}の手出しを見て思考する。

 

(可能性は多すぎるほどにある。せやから、ここで考慮すべき最も有効な道筋は、きっとこう)

 

 蘭子/打{三}

 

 それから、次巡、状況は思わぬ形で変質していく。

 

 白望/打{四}

 

 その打牌は、逡巡を持って放たれた。違和感を覚える蘭子の思考、可能性が、彼女に不和を告げるのだ。

 

(止められた? 理牌的には、多分手牌に加えたらへんは私の待ちになるねんな、多分{③}を掴んだんやと思うけど、第一打{①}から考えて、{②③④}は浮いてていらん牌やろなぁ)

 

 {④}を単騎で待っているのならともかく、ここでこの牌は不要牌、どうやら白望も、自分と同じように足を止めざるを得ないと判断したようだ。

 

 続く打牌は、{五}、塔子を落としてでも重ねるとなると、{③}の対子辺りが妥当か。

 ――ここまで、手を止めたのは白望と蘭子、しかし彼女たちのツモを置き去りにして、前に進むものはかならずいる。それは例えば、

 

 やえ/打{西}

 

 ――彼女のような、人間で。

 

(……それはちょっと、不用意やないかな?)

 

 それに対する反応は様々だ、蘭子はここで攻めれば出てくる可能性を考慮して、逆に白望はそれを考慮してなお、仕方ないというような顔をしていて。

 これはあくまで、方針の違いだ。攻めに及ぶなら、ここでこの牌は切らなくてはならないし、やえや白望はそれを仕方ないと判ずるのだろう。

 だから蘭子も、考えたことを、表情にまでは持ち込まない。

 

「――ポン」 {西横西西}

 

 たとえそれに、動いていくものがいようとも、仕方ないとは思わないし、憤慨をあらわにすることもない。むしろ――そこからの変化、そこに意識を向けていく。

 

「…………、」

 

 衣/打{③}

 

(なるほど、宮守の人は、これを鳴いて行くのかな?)

 

 宮守は――考えて、そして手を伸ばし、更に考える。手のひらを牌の上において、深々と座った席に体をうずめて考える。――そして一言、

 

「ちょいタンマ」

 

 それから、数秒。

 黙して、沈黙だけが世界を支配して、

 

 白望は観念したように、手牌から、山の自摸へと手を動かした。鳴くことはなく、新たに牌を掴みに行く。

 それから、打牌、合わせ打つように{③}を放った。

 

 更にやえの安牌自摸切りを挟んで――

 

 蘭子/ツモ{西}

 

(あぁ、こりゃなかないのが正解やね)

 

 蘭子/打{二}

 

 安牌を、ハナって直後、気配が一方向から押し寄せる。――解っていたことでは在る。衣の鳴きが、狙いによって正確に襲い掛かってくることくらい。

 

(流れは感じても、私には手を出せない領域なんやね、やけど、この子はためらい鳴いてそれを引き寄せる。流れを支配するんは、やっぱオカルトの領域なんやで)

 

 ――おそらくは、白望もそこに近いだろう。だが、蘭子は違う、蘭子はオカルトに、真っ向からぶつかっていくタイプであり、それはたとえば、やえも同じ事だろう。

 やえは攻め、蘭子はオリた。その結果がこれだというのなら――果たして衣は、どこまでそれを見通している?

 

「ツモ! 4000オールだ……ッ」

 

 ――衣手牌――

 {一二三九九78東東東横9} {西横西西}

 

・龍門渕『115700』(+12000)

 ↑

・姫松 『97500』(-4000)

・宮守 『100100』(-4000)

・晩成 『86700』(-4000)

 

(どちらにせよ、私はそれに挑むしかないんや。せやから――あんたのそれ、全力で、ぶっ潰させてもらうで)

 

 赤路蘭子には牙がある。

 それは間違い用はなく、そしてそれはきっと――頭脳と、呼ばれるようなものだった。

 

 

 ――東一局一本場、親衣――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

「リーチ」

 

 蘭子/打{九}

 

(やっぱり来るかぁ)

 

 前局の和了から一転、状況は一切動きのないまま三段目――十三巡目でのことだった。衣の薄気味悪い沈黙はさておくとして、やえも、そして白望も動くに動けない状況にあった。

 

(攻めていくには、少し枷が多いんだよなぁ)

 

 それぞれの牽制による回り回っての打牌、一つ手を遅らせれば、リカバリーには三巡を要するだろう。その間には他家の状況が変わり、止めざるを得なかった牌を切ることも可能となるのだが、その直後には、やはり新たに牌を掴まされる。

 それは先程の状況もそうではあるが、それでも、“危険を考慮してでもうちに行く先手”というものがあった。

 剣術の仕合、それも剣の天頂を見た最上クラスの達人たちの仕合に立ち会えば、この状況を再現することができるだろう。

 

 焦れたものが、死ぬ。それこそ前局のように、やえの攻めを衣が打ち取る、そんな状況とて考えられる。――ただしあれは、衣が策を仕掛け、それにわかっていながらもやえが乗った、という、いわば衣が先手を打った状況でも在るのだが――そんな粘りつくような空気、底から生まれる緊迫の一瞬は、しかし無限にも思える剣術の牽制とは違う。

 ――前に出るものがいる。

 

 その中で、最もそれを得意とするのが――

 

「ツモ! 1700、3300やでぇ!」

 

 一発、ではない、リーチからツモまで、更に数巡を要した。よもや流局というような状況で、しかし結局それを制したのは蘭子であった。

 

 ――蘭子手牌――

 {三三四四六六⑧⑧22667横7}

 

 ――ドラ表示牌:{一} 裏ドラ表示牌:{北}

 

・姫松 『104200』(+6700)

 ↑

・宮守 『98400』(-1700)

・龍門渕『112400』(-3300)

・晩成 『85000』(-1700)

 

(赤路蘭子さん……一年の頃から姫松の先鋒を張っていて、今年は後継者である末原っていう人に先鋒を渡した、姫松屈指のバケモノ退治の専門家)

 

 去年は、愛宕洋榎が大将を務めていたため、洋榎が妖怪退治を担う場面も多く在った。しかし今年は姫松のエースポジション、オカルト雀士の少ない中堅に腰を据えているため、この第二回戦で行われた早海との対決を除けば、本格的な対オカルト戦は、特に蘭子のフィールドだ。

 そして、その蘭子は、南大阪最強のオカルト対応型雀士――否、全方位対応型雀士。

 

(麻雀には、幾億にものぼる可能性がある、だっけ)

 

 捨て牌の形は、無軌道な七対子に見える。しかし白望は思考を回しながら、それが蘭子の特徴的な打ち筋をよくよく表していることを知っている。

 

(この打牌をすれば振り込むかもしれない、っていう誰もが考えることから、誰も考えないような小さな可能性にまですべて意識を向ける、そのために、その手牌はいびつな七対子の形になりやすい……それでも和了れるっていうんだから、去年までいた藤白っていう人みたいな、対子に愛される傾向も在るみたいだ)

 

 対子を愛し、対子に応える。なんていう、別名対子プリンセス(自称)などという少女が去年のインターハイにはいた。他にも、胡桃が対子を集める手を得意としている。無職に見える打ち筋は、結局のところ七対子の罠が待っている、そんな打ち方は胡桃の領分だ。

 

(……ふぅん、まぁどっちにせよ、ダルいなぁ)

 

 これまでのように、楽な闘いにはならないだろう。この第二回戦も、トップでバトンは回ってきたものの、結局それも龍門渕に取り返されてしまっている。このままトップを狙うなら、勝ちに行く麻雀が必要だろう。

 

(来年、もしもう一度出れるなら、次は好き勝手に打てる先鋒がいいなぁ)

 

 柔和な打ち筋のできる白望は、防衛にも猛追にも向いている。そんな言い分を言い返せずに、大将という位置を任されては見たものの、宮守の進退を担うというのはどうにも億劫で面倒だ。

 だが、それでも、

 

(今は大将を頑張るしかない、かぁ)

 

 それしかできることがないのなら、それをするしかないではないか。

 白望は深々と座り込んでいた椅子から少しだけ体を持ち上げる。――それは本人の、違いようのない宣戦布告であった。眺めて、迷って、選んで、打って、そうして誰かを蹴落とすために、嘆息混じりに、白望が起き上がる。

 

 

(じゃあさっそく、潰させてもらおうかな?)

 

 

 半荘二回、最初の親番、小瀬川白望の奮闘が始まる。

 

 

 ――東二局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 状況の硬直は、この局に入っても終わらない。しかし、それでもただ睨み合っているだけでは誰かが先行する。拮抗した鍔迫り合いの裏で、万にも及ぶ策謀を張り巡らせているかのような――そんな策謀の上を、綱渡りのように渡っていくかのような、そんな四者の凌ぎ合い。

 その中で、先行したのは晩成の小走やえだ。

 

(それぞれの手がさほど違和感なく進んでいるようだ。ただ、龍門渕が若干遅く、他家の手が調子のいい場合は、姫松は手が遅くなるな)

 

 ――他家の手牌を読み取って、やえは冷静に考える。その読み取りは、決して捨て牌からの情報だけではない。他家に対する情報は、それ以外にも多く在る。

 理牌の癖や並び、視点移動と思考時間。それらを大きく噛み合わせ、やえは自身の情報とする。

 

(ここで勝負に出てくるであろう人間は、――私と、そして宮守だ)

 

 ――やえ手牌――

 {三四五六七八八②④⑥223(横③)}

 

 やえ/打{⑥}

 

 やえの打牌に、しかし動き出すものはいない。衣も、そして白望も動かない。蘭子はもとより、そういった妨害を行うタイプのスタイルではない。とはいえ、この中でも最も“堅い”のは、間違いなく彼女か一つ別のランクにある衣なのだろうが。

 

(もしもそこに、宮守まで関わってくるのなら、まぁ当然ながら私がこの中でも最も堅くない、打ち手になるだろうな)

 

 攻めていく上で、やえはとにかく前進を選ぶ、まわりまわって、結局後退を選ぶくらいなら、最初からせめてはいかないのだ。相手がどのような手を打ってくるか、どのような選択を選ぶか、解っていてなお、引くつもりはない。

 

 ――そんなやえの視線の先、この場でやえに次ぐ手の速さを持っているであろう、白望が一度、手を止めた。

 

(やはり、この程度なら見破って判断を迷うか――?)

 

 小瀬川白望、迷うことで手を高める雀士、しかし彼女の打ち筋は、ただ“迷う”というファクターを利用したオカルトではない。彼女自身が高い洞察力を秘め、自身のオカルトを補強する。

 そしてその上で――

 

 白望/打{③}

 

 ――切り込んでくる。

 

(……深い、ところか――ッ!)

 

 正確な打ち筋と、大胆な打牌の選択。それができるのは、彼女が見ている中に、“明確な情報”があるからにして、他ならない。

 

「――リーチ」

 

 それだけでは終わらない白望の行動。やえはどこか苦々しげに唇を歪めて、それから楽しげな笑みへと無理やり持っていく。無論、そうであるから、感情に間違いはないのだが。

 まずい、という感情も、やえにはあるのだ。

 

(……麻雀は、あやふやなゲームだ。――だからこそ、こういった“確信”は、まったくもって面倒極まりないなぁッッ!)

 

「――――ツモ。 2600オール」

 

 ――白望手牌――

 {二三四五六①①345678} {一}(ツモ)

 

・宮守 『106200』(+7800)

 ↑

・姫松 『101600』(-2600)

・龍門渕『109800』(-2600)

・晩成 『82400』(-2600)

 

(まぁ……いい)

 

 これで、和了が決まった。それは間違い用のない事実。だからこそ、受け止める。そうして理解し、答えを得る。答えがあれば、あとは単純だ。

 

(そんなオカルトも、絶対的な強者の事実も、全部見抜いて、噛み付いて――踏み抜いてやろうじゃないか……ッ!)

 

 小瀬川白望の闘牌が、迷って、悩んで、掴み取るように。

 ――小走やえは、手を伸ばし、自分のチカラで、たぐり寄せる麻雀を打つ。

 

 そのために、最も必要なことは、自分の信念だ。

 確固としていて、揺るぎなく――迷いない。

 

 そんな麻雀を、やえは打つ。

 

 

 ――東二局一本場、親白望――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

(数奇にして怪奇! 暗中模索は、かくももどかしく、おどろおどろしいものであるか――ッ!)

 

 対局の中、衣はどうしようもない歓喜を、落ち着きのない子供のごとく、思考の中で振り回していた。

 楽しくてしょうがない、興味が湧いて仕方がない。目に映るすべてのものが新鮮で、視界に飛び込むあらゆるものが、衣の心を震わせる。

 

 ――世界は今、衣のすべてを揺るがしている。

 

(かつて、小さな集合の中で、麻雀を打っていた時は、それはそれで楽しいものだった。実紀や叶恵、秋一郎やじいじたちの麻雀。それらは衣の心を震わせて、衣を一つ大人にしてくれた)

 

 だからこそ、今の天江衣はここにいて、これからの天江衣を作り出している。

 

(――だが、それでも衣は、もっと大きな世界を見たい! 衣の世界を、もっと広げて、もっと大きくしていきたい!)

 

 龍門渕の門を叩いて、渡瀬々と知り合って。

 龍門渕透華がいて、国広一がいて、依田水穂がいて、井上純がいて、沢村智樹がいて――

 

 今の自分が、インターハイの舞台に立っている。

 

(それに、ここにいる雀士は、誰もが衣の真意を覗き込もうとしてくる。――海面に映る月を、まがい物だと決めつけず、自分の中で、実感を持って引き上げたものに、“してしまう”!)

 

 それこそ秋一郎のように、深い洞察力を持つものがいて、それには及ばずとも高い技術力を持つ。そんな衣が相手をしていてもっとも“面倒”であり、“楽しい”相手。

 

(攻略してみろ、烏合の者ども! いくらお前らが束になろうと、衣は翼を落とさない――!)

 

 ――衣手牌――

 {二三三四四五六七23478(横三)}

 

 衣/打{四}

 

 十一巡目、テンパイ。ごくごく平均的な速度ではあるが、状況は四者四様の凌ぎ合い、このテンパイも、どちらかと言えば速度を保ってのものだ。

 そして、それに追いすがろうとする者もいる。

 

「――リーチやで」

 

 蘭子/打{5}

 

(ほう、随分と堅い打ち手では在ると思っていたのだが、リーチをかけてくるか。……待ちは{7778}の辺りか? 面白い、ここは純粋なめくりあいと行こうじゃないか)

 

 蘭子には、無数の可能性の中から、そのリーチを最善とする理由があったのだろう。それこそ白望がオリを選択し、やえが{7}切りで動きを見せる状況で、それでも攻めることを選んだのだ。

 

(賽は投げられた。リーチは凡俗の手。無論それが必要であればそうだろうが――自分自身を殺してまで、牌を曲げたいとは衣は思わんな)

 

 結局のところ、衣がリーチをかけないのは、ごくごく単純に、リーチをかければかけたものを食い物にする雀士たちと卓を囲み続けてきたがゆえの事ではあるが、だからこそ、他者のリーチは、どうにも衣には愚直に見えてならない。

 

(そういえば、衣以下のちんちくりんがひたすら黙秘を貫いていたが、どうだろうな……まぁ。世の中には面白い雀士がごまんといる。今は目の前の相手を頂いてやろうじゃないか)

 

 ――衣/ツモ{4}

 

 ここで、自摸切り、悩むことはない。ここまでの流れで、攻めに打って出たものを、流れは好むことはなかったものの、嫌うこともなかったではないか。

 当然、それも打牌から 動きはなく、他家すべてがスルーして、次のツモへと流れる。

 

 やえ/打{五}

 

(――? こちらも張ったか?)

 

 テンパイ気配と、捨て牌からの匂い、どちらもやえのテンパイを色濃くあらわにしている。間違いない、これで手を完成させたのだろう。――衣の視線が、勢い良くやえへと向かう。

 強襲気味に手を打ってきたやえの打牌、多少の“匂い”を鑑みてみても、それは明らかに、挑発のように移ってならない。

 

 ――こいつは、小走やえは、間違いなくそんな打ち手だ。

 自分の分析を疑わず、しかしデータだけを頼りにするでもない。オカルトの専門家は、データを頼るか、感覚を頼るか、そのどちらかに特化しがちだ。しかしやえはそのどちらもを完璧にこなす。そのうえで本人の麻雀は、高い洞察力から繰り出される精度の高い読みと、それを自負とした超攻撃特化の打ち筋。迷わない、そして何より、ためらわない。

 小走やえの最もたるところは、きっとそこだ。

 

 そんなやえの顔が、衣と視線を交わした途端――半月のように、嗤って歪んだ。

 

 硬直、衣の顔が驚愕に磔となる。一瞬の沈黙をもって、みるみるうちにそれが敵意の物へと変わった。――電光石火、まるでそこに進行する打牌がごとく、衣は顔を百面相させる。

 ――山から牌を引き寄せる。勢い任せに、盲牌だけをして、やけくそ気味に河へ放った。――ツモ、ならず。

 

 右手を精一杯引き寄せて、やえが途端にそれを爆発させた。ぐんぐんと迫る山。地平線を統べる手が、接敵と直後に跳ね上がる。爆発的な音が、伴った。

 

 

「――ツモ! 2100! 4100!」

 

 

 ――やえ手牌――

 {三四五八八八⑨⑨66999横⑨}

 

・晩成 『91700』(+9300)

 ↑

・姫松 『98500』(-3100)

・龍門渕『107700』(-2100)

・宮守 『102100』(-4100)

 

(――くるじゃないか! 晩成の――小走、やえッ!)

 

 叩いたツモは、跳ねて、踊って、思う存分衣を震わせた。

 その思いは、目の前に座るただ一人では収まらない。衣は思い切りよく視線を奔らせる。

 

(他の奴らもそうだ。あぁまったく、こういう奴らとの麻雀は、どうにも楽しすぎて困る!)

 

 やえと、白望と、そして蘭子と。

 ――二つの東場を終え、状況は勢い良く、回転を始める。

 長い戦いは、さらに熾烈をましていこうとしていた。

 

 

 ――東三局、親やえ――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

「ん、なんだろな、微妙によくわかんねぇ感じになってる」

 

 東三局の開始直後、瀬々はモニターにくい入りながらそんな言葉を端的に発した。よくわからない、それは瀬々が発するには些か違和感の生まれる言葉だ。

 

「……どういうことですの? 全員の手牌が良さげな、割とよくある状況に思えますけど」

 

 この局最大の特徴は、全員が二向聴程度の手を配牌時点から手にしているということだ。見れば見るほど羨ましいような手牌だが、四者すべてがそうであるとなれば、状況は確実に混迷することだろう。

 ――しかし、それでも瀬々ならば、最善解を導き出すことができるのだ。手牌を見ただけで、ある程度は誰が和了するかはメドが立つだろう。

 

 通常の場合であるならば。

 

「んー、そのせいもあってか、全員が全員、鳴いてポンポンと手を進めるような感じなんだよな。普通だったら止まらない、っていう牌を鳴くことで全員手が進んでくわけだ」

 

「つまり、このメンツではそれがない、ってことだね」

 

 水穂の確認に、特に逡巡することもなく瀬々は頷く。

 

「おかげさまで、どうにも誰がどう和了るかっていうのがわかりにくい。それくら複雑に、手が絡み合ってるぞ」

 

 ズズズ、と音を控えめに立てながら、瀬々は思い出したように残されたジュースをストローから飲み干す。そうしていると、モニターの向こうでは小さいながらも、動きが前へと向きだした。

 

 ふと、それに気がついたようにして、紙コップ型の容器を机に放り出すと、瀬々は嘆息気味に、いう。

 

「まぁ、でもさ」

 

 全員がモニターへと意識を向ける中、同意を受けるつもりがあるのかないのか、退屈そうに、瀬々は言葉を、吐き出した。

 

 

「こういう状況で勝つのは、特に一番強いやつ、なんだよねぇ」

 

 

 ――宮守控え室――

 

 

「あのダマテンちんちくりん、なんかスゴイじゃん」

 

「……それを胡桃がいう?」

 

 モニターの向こうでは、四者が同時に闘っていて、そこに支配者と呼べるほどの絶対的な存在はない、拮抗した状況、それぞれが意思を鋭く尖らせながら、刃と刃を交じり合わせている。

 モニター越しのシロを眺めながら、心音が嘆息気味に言う。

 

「全員が手を止めるような状況じゃあない、ってところに、他家の手を止めたいという思考も入る――か」

 

「四ツ巴といえば聞こえはいいけど、これったたんに全員が全ツッパしてるだけだよね」

 

 ひとりごとのように、胡桃が語り、塞が嘆息気味に首肯した。

 ――手を止める気がないのであれば、前に進むために、どれだけ他人の牌を絞ったとしても、結局最後はそれを切り捨てていく。――もしくは、それを手牌に組み込んででも、前に進む“チカラ”を得られるかどうか。

 それは、単なる技巧ではない。

 それは、単なる怪奇ではない。

 

 そのどちらもがなければ、叶わないことだ。

 

「シロならここを抜け出せるとはおもうけど、――こうして見るとヤッパリ異常は更に上があるってことかねェ」

 

 ――そこには、さらに上が在る。

 

 

 天江衣が、そこにいる。

 

 

「――晩成の人には、深い洞察力と、攻めっけがある」

 

 塞が鎮痛そうに、いう。

 

「姫松の大将は、慎重で狡猾な雀士だよね」

 

 胡桃が確かめるように、いう。

 

「そしてウチのシロは……何か“変なもの”に迷うチカラがある」

 

 最後に心音が、言葉を締める。

 

 そして見あげれば――そこにその上が、ある。

 

 

 ――天江衣が、和了を決める。

 

 

『――ツモ、2000、4000!』

 

 

・龍門渕『116700』(+9000)

 ↑

・姫松 『96500』(-2000)

・宮守 『100100』(-2000)

・晩成 『86500』(-5000)

 

 それぞれの思いが形に変わり、そしてそれを上回り、衣が闊歩する。

 暗黒の夜に、月はゆっくりと染まっている。――形を変えて、姿をくらませて。それでもなお、失われることなく、知られている。




お待たせしました。いろいろ書いてはいましたが、とちゅうであの人とのこととか書いてたらこんなことになりました。
出来れば一ヶ月前辺りの更新頻度は取り戻したいところですが、連休中はどうなることやら。


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『思い重ね刃月下の死闘』大将戦②

 ――東四局、親蘭子――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「ノーテンやわぁ」

 

 ――蘭子手牌――

 {六七八②②⑥⑥東東西西中中}

 

 

「テンパイだ」

 

 ――衣手牌――

 {八八八②③④3333678}

 

「……ノーテン」

 

 ――白望手牌――

 {三四五九九③④245東西中}

 

「ノーテン」

 

 ――やえ手牌――

 {六六六七七七②⑥24東西中}

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

『――流局ッ! 東四局は静かな進行、静かな終局! これで前半戦の東場は終了! トップは龍門渕で折り返し――――ッッ!』

 

「全員手牌キモいな」

 

「いや、それはさすがに身も蓋もないと思うよ」

 

 流局直後、純がなんとも言いがたい様子で呟いた。ポロッと漏れでたようなそれに、一が苦笑気味にそれに反応する。純は悪びれもせず、言葉をつないだ。

 

「しょーじき、何をどう見たらこうまで牌を止められるのかわからないね、掴みたくないんだったら自分で流れを作ればいいだろうがよ」

 

「そうはいっても、それをするにはどうしても鳴かなくちゃいけなくなる。もし追いつかれた時、狙い撃ちされるのは自分だよ?」

 

 自分が和了りに行くのなら、そのための“流れ”をつかめばいいと純はいう。無論それは正解だろう、自分が流れをつかめば、それだけ他家の流れが淀むことになる。

 しかしもしも、それを踏み越えて先に進むものがでれば、どうか。

 

 ――場を無自覚に乱していく鳴きの雀士にして、そういった調子の善し悪しに人一倍大きな影響を受ける水穂が苦言を呈する。事実、彼女でなくとも、一度“ずらされようが”調子をなかなか失わない雀士は多くいる。

 

「まぁ、そう簡単にそれすらつかめばいい、とは行かないだろうな。なにせ相手は鳴いて手を進めることすら許してくれない。……まぁその筆頭が衣なんだけどさ」

 

 衣の下家、白望の手配は最終的な形こそとっちらかったものでは在ったものの、それはテンパイにこぎつければ切り出していた牌を、テンパイではないために抑えざるを得なかった結果だ。

 だからこそ、周囲が手をこまねいた状況で、和了り目なしとはいえ、手を進めた衣の異質が、大きく周囲にうつるのだ。

 

「前局もそうだけど、手を進められれば強いのはやっぱり衣だね。やっぱり衣は流れを自分のものにできるみたいだ」

 

「元々は、もっと具体的に配牌事態にすら手を加えられるようなとんでもだったんだけどな、あの大沼プロとかにカモにされた結果、トラウマになってそういう打ち方はしなくなったみたいだ」

 

 ――何をしても、振り込む。そんな状況、麻雀をしていて最も考えたくないような地獄だ。――結果生み出したのが、自分がその“振り込ませる側”に回ることだというのだから、やはり衣は衣、といったところなのだろうが。

 

「――けどよぉ、いつまでも衣ばっかりいい目を見られるもんかねぇ」

 

 純のいうことは最もだ。相手は衣の手牌どころか、衣の視点すらも利用する雀士だ。そんな狡猾な玄人達が、よもやただ一方的にやられるだけの展開を許すだろうか。

 

「そんなわけないじゃん。二局っていうのは、あの人達からしれみれば十分な時間だ」

 

「……つまり?」

 

 ――水穂の言葉に、催促するように智樹が合いの手を入れる。

 そして、水穂の目が勢い良く鋭いものへと変わる。カメラのシャッターが切り替わるような、そんなシャープな動きで、意識をまっすぐに、差し向ける。

 

「――そろそろ、仕掛けてくるよ。攻めっけを持って、乱打戦になるんじゃないかな」

 

 小瀬川白望が、

 

 赤路蘭子が、

 

 小走やえが、

 

 ――おのが麻雀を、貫き通しに、挑みかかってくる。――否、衣に対してだけではない、自身の勝利のため、あらゆるものが、あらゆるものを蹴落とそうと、前に出る。

 

 

 ――南一局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 静かな暗闇に満ちた世界。広がり続ける夜闇の中に、ただ数名の少女たちの姿と、卓上の牌だけがうつる。そこで振るわれる牌の打牌音は、けっしてリズミカルになることはない。

 それぞれの思考が、打牌の速度を著しく遅くしているのだ。規定上、打牌の思考時間に制限はないものの、さすがに数分にも及べば注意が入るだろうが、――それはない、その程度の速度には至らないし、感覚の中の世界が、あくまで超過して感じられるだけだ。

 

 六巡、たっぷり時間を使っての、捨て牌切り返しの段階。――小走やえがふと、手を止めて思考へと入る。

 

(――ここまで、この局の速度で先行しているのは間違いなく私だ。手牌がそうだと答えてくれる)

 

 ――やえ手牌――

 {三三四⑤⑧⑨1145678(横⑦)}

 

(完全一向聴、ここに追いついてくるとすれば――)

 

 ――白望捨て牌――

 {19南⑧北6}

 

 ――衣手牌――

 {西北9一東八}

 

(――さすがにこの辺りでは、ないだろうな。――宮守の小瀬川はおそらく二向聴、手を進めるより前にこちらの危険牌を引き寄せそうな状況だ。なまじ対応できるだけに、対応せざるをえない状況だな。……天江は論外だ。まだ三向聴にも行ってないんじゃないか?)

 

 ちらりと見遣ったうえで衣の様子を語るなら、あくまで平然としている、といった様子だ。麻雀において五向聴スタートの和了れる気がしない手という状況は多く在る、平然としていることもなんらおかしくはない。

 とはいえそれが、衣のような全能感すら持ち合わせたバケモノ雀士が、ではなければだが。

 

(さすがにこの中でも別格なのは認めよう。しかしさすがに先ほどの流局がたたったみたいだな。流れを今から引き寄せるのは至難の業だぞ?)

 

 ――流れを支配することができず、周囲にそれを放出してしまったようなこの状況、その恩恵を受けている自分が言うのもなんだが、拍子抜けというほかにない。

 視点を自分の手牌へと落としながら、やえは思考を一転へと集中させていく。

 

(とはいえ、そのうち流れを持っていかれる以上、出来る限りこの場は自分で稼ぎに行きたいが……少なくともこの親番が、天江の親被りで流れるだけでもだいぶ違うな。そのためにも最大の障害は――)

 

 ぐん、と顔を上げ、睨みつけるように目を向ける先は――姫松高校、赤路蘭子。楽しげに赤みがかったセミロングを片手でいじりながら、手牌を眺めて沈黙している。

 

 ――蘭子手牌――

 {4八發⑦五③}

 

(――こいつ、だな)

 

 その捨て牌は異様の一言、發を三巡目に切ったことから、国士無双だけはないだろうが、それでもチャンタ系の手牌か、もしくは索子系の手牌か。どちらにせよ、やえのような素直な平和系でないことだけは間違いない。

 

(開幕からして、さほど手は進んでは居なかったのだろうが、それでも一気に速度を上げてきたようだ。すでに二向聴はかたいか――一向聴とは、考えたくもないが)

 

 それでも、状況を見越して動くのは最善である。即座に叩きだされた計算が、やえの進退を決める大きな指標となるのだ。

 

(私がテンパイするために使える有効牌は全十九枚。対して赤路蘭子に対して私が“切っていけない”牌は二十七枚。ただしそのうち六枚は私が握り、四枚は場に切られている。さらに言えば、赤路が有効に使えるであろううち、四種類は私が手を組み替えずとも、握りつぶすことが可能だ――!)

 

 不要な牌を掴まされることで、速度を著しく阻害される可能性はある。しかしそれよりも、自分が有効に牌を使える可能性のほうが高い。

 

(不要牌をつかむ可能性は考えずに行く。テンパイすればリーチを打つし、もしも不要牌を引いたのならば、その時はその時だ。――今は攻めの選択をとる!)

 

 やえの長い思考は終わった。とはいえ、さしてそこに実質的な時間の消費は殆ど無い。スーパーコンピューターのごとく動きまわる思考のさなかに、そんな不要なプロセスは必要ない。

 それでも時間という感覚が異様なほど長く感じられるのは、想いの元に、時間が連なり重なって、広がり続けているからに他ならない。

 結果、あくまで勝利への執念が積み重なったその卓の上には、想いをのせた月光が、照りか輝いて見えるのだ。

 

 

 ――そして、十一巡目。

 

 

(く、ゥゥうううううッッッ!)

 

 やえの顔が、あからさまに苦渋へ歪んだ。しかしそれが周囲に漏れることはない、あくまで歪んだのは思考の中での自身のイメージ、やえ自身はあくまでも沈黙を貫くのみ。そしてその沈黙に、自身の執念、勝ちへの欲求を重ねるのみだ。

 ――だからこそ、その裏では猛烈なジレンマが彼女を襲っていた。選択をしたのは自分だ。そしてその選択は、あくまで前に進むための理由付けでしかない。だからこそ、前に進んだ結果が、転落であれば、やえは大きく自身の精神にダメージを受けるしかないのだ。

 

 ――やえ手牌――

 {三三四⑦⑧⑨1145678(横一)}

 

(切れない、これだけは――これだけは切れない……!)

 

 やえ/打{三}

 

 攻めへのイメージと、これまでの前進が在ったがゆえに、その選択は間違いなく不本意なものだった。誰の目にもそれは明らかで、果たしてこの場において、だれかがそれを見ぬいていただろうか。

 それを知るものは、そこにはいない。

 

 ――{三}はこれの前巡、蘭子が落としたものである。よって現物、手を進めるために切れる牌は、これしかない。

 続いて蘭子は打牌、{2}。ここに来て、ようやくと言ったヤオチュー周りの打牌。

 

 ――そして、

 

 やえ/ツモ{三}

 

 再びやえの顔が、悔し気なものへと変わる。――ここで、{三}は安牌であり、{一}もほぼ安牌ではあるが、やえは打牌を{三}とする。意思は曲げない。曲げられないから、一度曲げてしまえば、貫く他に選択肢はないのだ。

 

 そして、蘭子打牌は{1}。――一気に、周囲へと緊張が高まってゆく。

 

 続く、ツモ。

 

(――来るか)

 

 蘭子が牌を掴んだ途端、ニィっと、その顔が喜悦へと歪む。――表情に感情を持ち出すのは下の下の下策。だとすれば、その表情の意味するところは――もはや、そんなことを考える必要すらない、ということだ。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 ――蘭子手牌――

 {一一七七七①①①33789横3}

 

「1300、2600の一本場は、1400、2700!」

 

・姫松 『101000』(+5500)

 ↑

・宮守 『97700』(-1400)

・龍門渕『117000』(-2700)

・晩成 『84300』(-1400)

 

「……ッ!」

 

 やえの口元から、思わずいきを呑む音が響いた。周囲にそれは伝わっただろうか、否、その答えよりも、もっと異質なものがそこには在る。

 

(――三暗刻!? {一}は通っていたのか? ――いや、なぜその手牌から、ためらいなく{12}を切っていける……! こっちの手を読んだ上で、守りまで計算に入れていたか……!)

 

 点棒の受け渡し、速やかに行われるそれの後、卓は更に先へと進行していく。

 

 

 ――南二局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

 開始直後、小瀬川白望の手牌は以下のとおりであった。

 

 ――白望手牌――

 {一三七八①⑥⑧⑨48西發中}

 

 ほとんど完成の見えないゴミ手、前局の手の遅さを鑑みてもそうだが、どうにも手が重い状況が続いている。白望はそれを衣の支配が流れの鈍感として広がっているのだろうと考えているが――とかく。

 

 八巡の間に、白望の手牌は大きく姿を変えた。ほとんどムダヅモもなく、手を進めたのだが――そこからが止まってしまった。

 

 ――白望手牌――

 {三五六七八九⑥⑥⑥⑦⑧44}

 

 ドラ対子はできることならば和了っていきたい。しかしドラの存在が焦燥を呼ぶのもまた事実。白望がそれに同様を覚える類の雀士とはいえ、むしろだからこそ、和了れる気配というものが失せてしまっているのだ。

 

(……このメンツとの勝負は正直異常なんだよなぁ。鳴いたほうが手が遅くなる(・・・・・・・・・・・・)って、いったいどういうことなのさ)

 

 どういうことも何も、まったくもってその通り、白望の言葉通りであるし、その意味するところは白望もよく理解している。つまるところ、鳴いていくような手牌は、まず鳴いていく事ができないのだ。この手も、ドラ対子であればまず間違いなく鳴いていくし、それ以外のところは、{⑥}が出れば鳴くだろう。

 しかし、それゆえに、他家がその牌を出さないのだから手を付けられない状態が起きてしまう。

 

 鳴いたほうが手が遅くなる、というよりも、鳴くための手がハナから作ることができないのだ。ここまでは順調でも、一度止まってしまった白望の流れ、引き戻すには数巡が必要で、それではツモまでの時間が短すぎる。

 

(どちらにしろ、普通じゃないのは確か、かぁ。正直、こんなダルい麻雀始めてだ)

 

 だからこそ、他家の動向はそれだけ白望に影響をあたえるのだが、とかく。――状況が動いたのはそれから更に三巡後。やえが勢い良く点棒ケースを開くと、そこから取り出したリーチ棒を、自身の置き場所に、投げ入れる。

 

「――リーチ!」

 

 それが納まるよりも早く、宣言の咆哮が響き渡った。

 

 やえ/打{4}

 

(……ん)

 

 ――思考、否、それは逡巡だ。伸ばそうとした手を、一度引っ込めようとして、それから再び手牌を倒す。待ったほうがいいだろうか、そう考えたのを、計算を振り捨てて、止めた。

 行くしかない。この状況で、それ以外の選択肢を許してくれる人間は居ない。

 

「…………ポン」 {44横4}

 

(テンパイ――かぁ、でも)

 

 ――白望の手牌から浮いた{九}、それはやえの安牌である。他家はこれを拾い上げることはないと、白望は確信しているし、切らない理由は一切ない。だからこそ、面倒だ――そう思う。

 

 ――白望手牌――

 {三五六七八九⑥⑥⑥⑦⑧} {44横4}

 

 白望/打{九}

 

(やっぱりワンテンポおくれた。それに確か宮守の人の手もかなりおどろおどろしかったはずなんだよなぁ。――勢いが違うって、ところか)

 

 ――お互い、ゴミ手でのスタートであることは理解している。だからこそ、先制を許したというその事実は、この状況に大きく意味を持ってくるのだ。

 

 やえ/打{西}

 

 白望/打{一}

 

 ――やえの自摸切りも含めて、再び場が一巡して、つづくやえのツモだった。白望の顔が苦々しいもの――面倒だという感情が表層を支配するそれは、その変質を見ぬくことは不可能に近いが――へ、そして衣の顔が関心へと変わる。同時に蘭子もその状況は理解していた。

 

 

「ツモ! 2000、4000!」

 

 

 ――やえ手牌――

 {一二三②③12367899} {①}(ツモ)

 

 ――ドラ表示牌:{3} 裏ドラ表示牌:{⑧}

 

・晩成 『92300』(+8000)

 ↑

・姫松 『99000』(-2000)

・龍門渕『115000』(-2000)

・宮守 『93700』(-4000)

 

 やがて、状況は更に、次の局へと移っていく。

 

 

 ――南三局、親やえ――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

 長く続いた半荘の、終わりも終わりの南三局、オーラスへむけて、現在唯一の一人浮きで実質の独走状態に入った衣。それに対し残る三校はほぼ完全に横並び、どこが突出することも可能な状況。

 そんなこの局、特筆すべきは――その横並びにあった三校のウチ、二校の闘牌であった。

 

 一人は宮守女子――二年生の小瀬川白望。

 

 ――白望手牌――

 {①②②⑥⑧⑧⑨1379西西(横④)}

 

 

 そして、姫松高校――三年生の、赤路蘭子。

 

 ――蘭子手牌――

 {一一三四五七八①③⑤4北北(横3)}

 

 この両名であった。

 奇しくも対面という、身体を向かい合わせた二者は、自身の手牌を眺めて、直後、一瞬だけ視線を交錯させる。それはけっして意識の中にあった邂逅ではない。互いを過剰に警戒し続けているわけではない。

 

 ――だからこそ、その一瞬はこの二人が向かい合う、もっともわかりやすい構図となった。――そんなほんの一瞬の、出来事だった。

 

 ここでそれぞれの見せた動きは対照的とも言えるものだった。第一打、深く思考する白望と、思考をすでに終えていたのか、迷うことなく手牌を切り裂く蘭子。

 ――そしてその手牌の推移も、また対照的な物へとなった。

 

 白望/打{1}

 

 蘭子/打{①}

 

 この第一打、さほどおかしなものはない、あくまで平常に、手牌を切り出したに過ぎない。その上で、白望は第二巡、蘭子は第三巡で大きな展開を見せる。

 

 まず動いたのは白望、二巡目でのツモは連続での{④}、混一色の形を残したツモであったが、それが結果的に功を奏した。――自分自身が、“迷った”結果だ。

 

 小瀬川白望にはチカラがある。迷うことで手を挙げる。迷うというファクターを、自分の中でのオカルトに変える。実際のところ、面倒くさがりが美少女に変じたのが白望であるのだから、変な“悩み事”と彼女は無縁であるべきだ。

 しかしそれでも彼女が悩むのは、あくまでそれが、本人の直感を引き出すための手段に過ぎない。――それだけ、白望の直感と洞察力、そして判断力は高い精度でまとまっているのだ。

 

 続く三巡目に、蘭子は白望の“染め手の可能性”を見て取った。無論それは、本当にごくごく小さな可能性である。しかし他家の見えてこない可能性よりは、少なからず現実性のある可能性だった。――事実それがそのとおりだとして、その可能性を考慮するのは、本来数巡先になるであろうが、蘭子の選択は異様なほど慎重だ。

 そうして選んだのは筒子ツモからの索子打牌、{34}とならぶ両面の塔子を、なんのためらいもなく切り裂いたのだ。

 

 ――赤路蘭子には特筆すべきチカラも、特徴的な打ち筋もない。可能性を考慮する、というのもどこか消極的で、とにかく計算を多用し前へ前へと進めてくる晩成の車井みどりとは、似ているようで、どこか対極にある雀士だ。

 しかしそれが、蘭子の蘭子たらしめるところである。この選択は、同時に在る布石でも在る。ここで両面塔子を落とすことで、他家にはこの手牌がどう見えるだろう。

 

 染め手迷彩だ。それ以外にほかはない。

 

 だからこそ、第一打の{①}も、後に嫌になるほどこびりついていく。筋引っ掛けのような形ではあるが、染め手の筋、誰が警戒できようか。――この卓に座る、本人である蘭子を除く全員が、そうだといえばそうなのだが。

 それでも、この手が抽象的に語るなら、“鼻につく”手牌であることは間違いはない。

 

 迷うがゆえに、埋もれた直感を、感覚の奥底から引きずり出す雀士、小瀬川白望。

 可能性を考慮するがゆえにとられる、異常なほどの慎重策が、結果として他家の目を欺く手牌を作り上げる雀士、赤路蘭子。

 

 ともにそのチカラは、精度の高い洞察力によって成り立つものだった。それがあるからこそ、白望は迷い、手を高めるし、蘭子は考慮し、手を控えめにする。

 

 それが両者の闘いだ。

 

 

 ――その決着は思いのほか早く、あっけなく、そしてそれでも華美を伴って、訪れた。

 

 

「――ツモ」

 

 これまで、起こり続けた和了の宣言と何一つ変わらない、そう、それまでとほぼ同一の勝利宣言。

 

「……3000、6000」

 

 ここで和了をしてみせたのは――小瀬川白望の手牌であった。

 

 ――白望手牌――

 {①①②②④④⑥⑥⑧⑧⑨西西} {⑨}(ツモ)

 

・宮守 『105700』(+12000)

 ↑

・姫松 『96000』(-3000)

・龍門渕『112000』(-3000)

・晩成 『86300』(-6000)

 

 純粋に、この結果はある種当然と言える。白望の手は一直線に和了へ向かった。しかし蘭子の手は、一度ではない回り道をしている。

 白望が蘭子の手に対応し、自分の足を止めない限り、その勝敗は明らかだった。蘭子の打ち筋はむしろ、混戦にこそ、効力を発揮するのである。

 

 そして対局は、オーラスへとうつる。

 この、異質で、しかしそれを感じさせない対局は、ようやくここに来て、終わりを告げようとしていた。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

 前局、この半荘が明確な異常であるということはすでに明らかにしていることだ。

 ではなぜ、この対局が、異質であるか。

 

 異様なほどの深度において、読み合いが行われているからか。

 ――否。

 

 天江衣という魔物が、この卓に参加しているからか。

 ――これも、否。

 

 答えはあくまで単純だ。この半荘、誰一人として、誰かから出和了りをしていない(・・・・・・・・・・・・・・)

 そう、すべての局で、全員の点棒が動いているのである。――麻雀はツモ和了りこそが本領のゲームだ。出和了りよりも、そちらが主となることは何一つおかしなことではない。

 

 ――しかし、それが完全な極端に至れば、どうか。

 これはかつて龍門渕透華の別宅にて行われた、かの大沼秋一郎プロとの対局にも言えることではあるが、完全にどちらか極端でゲームが進行することなど、まず構造からしてありえないのだ。

 

 どれだけデジタルが優れていたとしても、振り込みはありうる。三位、四位の可能性は十分にある。

 

 だからこそ、この状況はあからさまなまでに“異質”であるのだ。

 

 そんな異質な対局の、最後(オーラス)を締めくくるのもまた、そんな和了りの一つであった。

 

 動いたのは十六巡、すでに状況も切迫してきた所での事だった。――この局、全員が掴んだ配牌は、鳴きを前提として高感触のもの、しかしそれは、他家の、いわゆる“絞り”によって、全員が一向聴で手を止めることを余儀なくされていた。

 

 だれも手を進められない状況で、下手に動けばすぐさま他家がそれを食い物にする。――そんな状況を打開していたのは、この南場において、完全な沈黙を保っていた、地に伏した獣であった。

 そう、それは魔物と呼ばれるような、得意な“バケモノ”である。

 

 打牌は、生牌の{南}、それの意味するところは、もしそれが不要なのであれば、一向聴に進む段階で、すでに切られているはずだということ、――そこから同時に、すでに暗刻で誰かが手にしていると予測がされるものだった。

 

 そして暗刻にされているということはつまり、その{南}を鳴いていけるという意味であるが、それで手を進められる保証は誰にもない。テンパイに至らないこの状況で、それは決しておかしな打牌ではなかった。

 ――その暗刻を持つ存在が、天江衣でさえなければ。

 

 

「…………カン!」

 

 

 たったその一言で、その一瞬で、周囲の雰囲気は完全に姿を変えた。――まるで、卓を囲む少女たちを捉える様相が、姿を変えたかのように。

 

 そしてそれは同時に、“海に呑まれた”かのようであった。

 

 嶺上牌、手牌に加えて、そしてそれは同時に、衣が抑えていた牌を、誰かが鳴き返す、ということでもあった。

 

 

 ――と、するならば、どうなるか。初期において許されていた、あるツモが、再び衣の元へと舞い戻ったのだ。

 

 

 通常、麻雀において南家は、ある牌をつかむ立場に在る。――そう、海底牌だ。無論大明槓でハイテイはずれてこそいるものの、それが結果として、衣のツモへと繋がった。

 嶺に咲く華、嶺上牌を天辺とするなら、この海の底に眠る月は、さながら地点。ただ一人、たった一人のプレイヤーにのみ触れることが許された牌。

 

 この場合、大明槓によるテンパイを確信し、そして同時に、自身が鳴いた牌によって、水面に揺らめく月を、掬い上げることを理解していた、衣だけがそのツモを許されるのだ。

 

 まさしく、それは異次元、他者とはひとつ違う高みに在るからこその選択。

 

 天の華を手中に収め、そして水面にうつる幻影の月さえも、衣の手は――なんの苦もなく、引き上げるのだ――!

 

 

「――――ツモ! 海底撈月……ッ!!」

 

 

 ダブ南、ドラ一、海底ツモ。

 大明槓での符ハネを揃えて、きっちり満貫での和了。

 

 結局のところ対局は、全国第二回戦どころか、準決勝でも十分に通用するはずの猛者たちを相手にしてなお、衣の一人浮きという結果。

 

 

 ――月を手にする幻想の如き少女が、頂点を、その目に捉えて手におさめているのだ。

 

・龍門渕『120000』(+8000)

 ↑

・姫松 『92000』(-4000)

・宮守 『103700』(-2000)

・晩成 『84300』(-2000)




大将戦最終戦がすごい勢いで書きあがりました。
昨日あんな事行ってたけど実際はフラグだったりとか、GW中はガツガツいきたいとか、そんなこと思ってたりします。

そして衣ちゃん久々のハイテイ、今後も多分要所要所で使っていきますが、基本ハイテイ付ける意味あんまないのはいつものことです。


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『月閃驀進』大将戦③

 あまたの死闘を繰り広げてきたインターハイ第二回戦。その締めくくりを飾る最後の半荘。それすらも、いよいよこの時にはもう、大詰めといってよいほどにまで仕上げられてきていた。

 後半戦も、東場はすでに終わりを迎えていた。それこそ前半戦のような、重苦しく、それぞれが自身の前進を狙う対局、結局のところ、その中身はさして前半戦と変化はなかったのだ。

 

 状況に変化が訪れるのは、南場、本当にまったくもって、それが最後だと、だれかが声高に叫びを上げるような、それほど極まった状況で――最後の猛進、天江衣の闘牌が始まろうとしていた。

 

 席順。

 東家:小瀬川

 南家:小走

 西家:赤路

 北家:天江

 

 南一局、小瀬川白望の回したサイコロを眺めながら、衣はこれまでの対局を振り返る。

 

(やはり……単なる幻想の類は、衣はすかんな。まっすぐ猪突猛進するだけなら、それこそ文字通り、猪にもできる。その点、そこに実力が絡む水穂や、自分なりの搦め手をつかもうとする瀬々は、とても好ましいのだが――それよりも)

 

 ――小走やえに、赤路蘭子、なんのオカルトもない、あくまで一介の常人。非凡なるセンスをもっているとしても、底には決して、非才といえるチカラは備わらない。

 小瀬川白望にしても、同じ事。オカルトを感じ取り、また自身をオカルトの近くに置こうとも、その本質はあくまで自身の打ち筋に則ったものでしかない。

 

(――もっと、ともに卓を囲んで、面白い(・・・)相手がここにいる!)

 

 それは、決して“楽しい”闘いではない。それこそ、仲間とワイワイ卓を囲んで、切磋琢磨しあうことほど、“楽しい”対局は他にない。しかし、それとは別に、闘うことで“面白い”と諸手を上げて認める相手は、別にいる。

 

(衣は普通ではない雀士だ。そのチカラが、誰かを傷つけてしまうこともある。……そんな麻雀、衣はもう打ちたくない)

 

 天江衣は強い。

 どんな麻雀をうとうとも、望めば必ず勝利を呼び込み、他者をその手で退けてきた。それは衣が生まれた時からそうであったこと。

 

 

 ――かつて衣が引き取られた先で、そうではなくなったこと。

 

 

(衣は敗北を知った。それはきっと、弱さだ。負けることに怯える弱さを知った。だが、それと衣の強さはもう、符合しない。衣は衣の打ち筋を、手に入れたのだ!)

 

 衣は弱さを、恐れた。そして同時に、あこがれを抱いた。自分の中にある弱さを変質させることで、自分の弱さを突いて、魔物たる自分に勝利せしめた者達に追いつけるなら、喜んで我が身を投じよう。

 そう、心に決めて――戦ってきたのだ。

 

(お前達は、衣が憧れてきたあの雀士達に似ている。それがどうしようもなく、面白い! なれば、こそ)

 

 一度、ゆっくりと――目を閉じて。意識を膨大な自分自身の中へと溶かしてゆく。

 だれがその瞬間の、衣の変質を見て取れただろう。――きっと、衣の中の何かが、目を覚ます瞬間まで――否、目を覚ました獣を、衣が全霊を持って、御しえた瞬間まで、気がつくものはだれも居なかったはずだ。

 

 ――爆発的なチカラの広まりを伴って、衣の両目が見開かれる。

 

 

(今、この場で衣を、この世を支配する夜天より、簒奪せしめよ――――ッッ!)

 

 

 ――その日、

 

 

 圧倒的な魔物の暴威が二度(・・)広まった。

 

 

 一度は、無秩序な暴君。だれもかれもを一切意識の隅にもおかない、暴虐の天帝。そして――

 

 

 もう一度は、何もかもをその手で消してなお余りあるほどの、徹底的な破壊。――それを、たったひとつの心でもって支配して見せる、天に瞬く造物主であった――――

 

 

 ――順位

 一位龍門渕:122800

 二位姫松 :100600

 三位宮守 :92500

 四位晩成 :84600

 

 

 ――南一局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

 ズキズキと、頭に響く痛みを白望は感じ取っていた。違和感だと、心のなかの何かが告げる。無論それは間違いなく自分自身なのだが、今のこの状況では、それすらあやふやなように感じられた。

 

(空気が淀んでる。完全に、私の心すらも掴まれている)

 

 おそらくは、南一局開始時に発せられた天江衣の化け物じみた存在感。それこそがこの卓を支配しているものだろう。ツモの感触が、明らかにいつものものとはなにか違った。

 ――今、自分は流れの中にいる。それは決して、平時に用意されたものではない。

 

(流れを支配する――それこそ流れ事態を、自分のものにしてしまう、か)

 

 天江衣の典型的異能、それが手牌への支配。本来はおそらく、手の進みをどこかしらで制限するものなのだろうが、それを衣は、手牌ではない何か――オカルトに見を染めたものが感じ取る流れのようなものへ対象を向けていた。

 その上で、この支配。意味するところは、流れを完全に掴んだ、ということである。

 

(普通、そんなことは相手の打ち筋どころか、その癖、判断、あらゆる材料を“理解”しなくちゃいけない。それは多分、シニアリーグで活躍するようなプロ――本物の玄人だけが持ちえる技能だ)

 

 相手の持つ諸動作。それは何も、雀卓の上だけの話ではない。相手の一挙手一投足、それこそ視点の移動から、会話の中での、口の動かし方、身動き一つすら、把握し、理解し、解きほぐすチカラ。

 衣の麻雀も、それの応用だ。とは言え衣には彼らのような化け物じみた観察力はない。あくまで雀士として、他家を支配する力だ。

 

(それによって、天江さんは私達を観察――ううん、観察というにはあれはあまりに圧倒的だったけど――とにかくその流れの中で、天江さんは、そんな玄人と同等に、打てるだけの情報を、流れの中から拾い上げた――か)

 

 ――それこそが、おそらく今の天江衣の本質。徹底した出和了りは、情報によって成り立つ高度な技術の麻雀なのだ。これは白望の知らぬところではあるが、衣が大沼秋一郎を始めとした玄人達との闘いの中で、それが可能なほどの技術もまた、磨いてきたのである。

 

 加えて、それを試せるほどの仲間もまた、彼女の側にはいたのだ。

 

 天江衣のチカラは、端的に言えばいくつかの流れによって構成される。まずはじめに必要とされるのが流れを支配すること、他家の鳴きによる流れの動き、それに呼応した他家の機運、それらを感じ取り、同時に最適な流れの操作方法を判別するためだ。

 そして同時に、対局の中で、直に他家を観察し、必要な情報を見抜く。これもまた、技術として衣が体得したものである。その間にも衣は暴れまわるが、本領を発揮するのはあくまで、すべての流れを手にした時だ。

 

 

 ――そして今が、その本領にあたる。

 

 

(天江さんは、決して他家の手を縛らない。だからツモの感触は大きく変わるけど――)

 

 ――白望手牌――

 {三四五③④⑤⑥⑧45557(横⑦)}

 

(決して、テンパイできない訳じゃ、ない)

 

 ――ここに来て、このテンパイ。絶好のものであることは今更語る必要はないだろう。ここに至るまでの巡目は、十二巡、些か重苦しい手では在ったが、順調に仕上げ、完成を見た。

 だが、そこからが問題だ。

 

(この{4}と、{7}、多分どっちを切っても天江さんに振り込むからなぁ……)

 

 この手牌、{7}は完全に不要な浮き牌。そしてテンパイのためにはこの{7}か、もしくは{4}を切らなくてはならないのだ。そしてそれは、まるで謀ったかのように筋にあたる牌なのだ。

 

 しかし、果たしてそれが衣に当たるかどうかといえば、捨て牌からすればそうとは見えない。

 

 ――衣捨て牌(「」手出し、()鳴かれ)――

 {「西」「發」「3」九「①」北}

 {「⑧」(8)④18}

 

 {5}はすでに白望の手牌に三枚見えている。その上{8}は衣の手の中からこぼれ出て、ポンで鳴かれている。結果衣自身の自摸切りにより純カラとなっているのだ。加えて{4}は捨て牌に一枚、{7}は捨て牌に二枚見えている。ここから、{4}と{7}を危険牌と見ぬくのは、ほぼ不可能に近い。

 ――それでも、白望の直感はそれが危険だと告げていた。――なぜか。

 

(……まぁ、理由なんてないんだけどさ)

 

 あくまでもそれは、白望が持つ直感が、単なる人間以上のものを宿しているからに他ならない。――だからこそ、白望は迷った。迷った上で、答えを出すのだ。

 

(多分、これはだれが見ても正解じゃない。それでも――私は正解を選ばない。誰かが選んだ正解は……やっぱダルい)

 

 ――白望/打{⑧}

 

 ベタオリ。それが小瀬川白望の選択だった。もしもこの状況で、それを選択できるものは果たして、どれほど世界にいるだろう。――この状況がオカルトであると認識できるからこそ、白望はオリた。

 あくまで、迷った末の結論として。

 

 そしてそれは、大いに衣を喜ばせることとなる。

 

「――なんと」

 

 この対局中、無駄口を叩くものは居なかった。前半戦開始の前口上に、衣が宣戦布告をした程度、だれも言葉を交わさず、牌を交わしていた。

 それくらい、この状況は極限だったのだ。

 

 ――だが、それを壊すものが、ここにいた。

 

「……いや、これは些かわかりやすいか。そうだな、大変失礼なことをした。――この程度、避けてくれと言わんばかりの捨て牌だったな」

 

 衣の言葉によって、おそらくようやくやえと蘭子は理解したのだろう。

 天江衣の、異常の本質を。

 

 ――出和了り重視、それはあくまでスタイルの結論に過ぎない。その本質は、あくまで玄人の打ち筋を再現するかのように振るわれる、圧倒的な支配力なのである。

 

「では、面白いものを見せてやろう。――これは、ある意味一つの礼だ」

 

 ――白望が打牌すれば、すぐさまその次は衣が牌をつかむことになる。スラリと伸びる右手は、異様に長く、まるで人ではないかのように衣の前から飛び出して、牌をつかむ。

 

 それをころもは手牌の左側(・・)に牌を置く。それに対し、やえと蘭子が息を呑む。――彼女たちはインターハイを代表する強豪プレイヤー、その牌の置き方を、知っているのだ。

 そう、天江衣のチームメイトであり、団体戦において龍門渕の中堅を務める全国トップクラスプレイヤー、依田水穂の和了り牌を左側に置く独特は和了宣言のスタイルである。

 

(……いや)

 

 そんな、全国に名を馳せる程の強豪が反応した事実に、しかし白望は否定を加える。――違う、これは決して、そんなわかりやすい形のものではない。

 

 ――見えているのだ、白望には。天江衣が、このツモで何を意図しようとしているのかを。

 

 

「…………カン!」 {二裏裏二}

 

 

 左側においた牌が、その隣に並ぶ三つの牌、刻子となった{二}と同時に晒される。

 

 そうして、衣が自摸るのは、そう――嶺上牌だ。

 

(……天江さんは、決して鵜浦先輩とかみたいに、何かが見えているわけじゃない。――いや、見えているのかもしれないけれど、それは多分、嶺上牌にまで影響をあたえるものじゃないはずだ。だとするなら、このカンに対するこの人の根拠は――――ッッ!)

 

 きっと、――それを彼女に問いかければ、本当に端的な一言で答えてくれることだろう。

 

 

 ――それが強さだ、と。

 

 

 ――衣手牌――

 {三四五②②⑥⑦⑧56横7} {二裏裏二}

 

・龍門渕『130800』(+8000)

 ↑

・姫松 『98600』(-2000)

・宮守 『88500』(-4000)

・晩成 『82600』(-2000)

 

 ――南二局、親やえ――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

(……これが、本物のバケモノ、か)

 

 小走やえは生まれて初めて、実際に相対することになる、いわゆる魔物と呼ばれるような人種に対する自分の感情を、振り返るように手牌の上に載せられた牌を揺らした。

 

 ――やえ手牌――

 {6677899(横2)} {22横2} {横534}

 

(強いと思う奴はいた。勝てないと思うような相手もいた)

 

 ――湧き上がるのは、どこか回顧じみた感情の群れだ。まるでこの場に立つことに、自分自身が感慨を浮かべているかのように。

 晩成高校にとって、第二回戦は悲願の舞台だ。奈良最強にして、かつて一度しか代表の座を明け渡したことのないこの高校にとって、その闘いの舞台はインターハイである。

 しかし、奈良最強という称号が、インターハイで通用するか、といえば否である。

 

 全国出場回数四十ほど。一回戦を突破できなかったことは殆ど無い。せいぜい偶然シード漏れした新道寺辺りに、運悪く当たってしまったときだけだ。だが、二回戦から先に進んだことは――片手で数えるほどしかない。

 決勝へ駒を進めたことは――皆無、つまり、優勝回数も、また零。

 

 結局のところ、晩成とはその程度の高校なのだ。確かに強い。しかし、それが全国に通用するかと思えば、そうではない。これは兵庫代表の劔谷にも言えることだが、第二回戦が日本全国における一つの壁だとするのなら――晩成はその一つ上、準決勝という壁が存在する。

 

 そんな晩成の大将――晩成はとにかく伝統を重視する高校だ。つまり大将は、部内ナンバーツーの実力を有しているという意味でも在る――二年生のやえは、来年のエースを務めることがほぼ確定している。

 だからだろうか、こうしてこの場所で、自分では挑むことすらおこがましいような相手がいることが、まるで別世界のように思えてならない。

 

(……不思議なものだな。私は今まで、そんな相手との闘牌を、辛いものと思っていたのに、それ以上の存在相手に――勝ちたいと――そう思っているのだから)

 

 揺らしていた牌、ツモ牌である{2}へと再び手をかける。

 

 このツモには、きっと大きな意味がある。――前局の親被りが響いているのか、宮守は沈黙、二位が盤石に近い姫松も消極的だ。天江衣の手牌も、理牌の形的に索子はなく、字牌を二つ抱えた、鳴きの手であることは想像できる。

 ――全員が、この索子染めで、オリてくるのであれば、それがこの局の最上なのだ。

 

(さぁ……これで{1}は壁になる。安牌が増えるぞ――オリろ、対局者!)

 

 振り上げて、振り下ろす。勢い任せに、宣言を放つ。

 

「――カン!」 {22横2(横2)}

 

 万感の思いを載せて、親ッパネにまで跳ね上がる可能性のある加槓。それが、やえの手を離れ――そして。

 

 

 ――やえは、自分が何かに、穿たれていることに、気がついた。

 

 

「は……!?」

 

「――聞こえなかったか」

 

 高らかに響き渡る声。直接的に聞こえるソプラノボイスは、まさしく高みから、やえを見下ろすような声だった。

 その声の正体と、自分自身に生まれた衝撃の正体。それらを同時いっぺんに、やえは心底から理解し――あまりのことに、思わず愕然となる。

 

 天江衣だ。

 

「カンと同時に宣言したはずだが――そのカン、成立せず、と」

 

 ――衣手牌――

 {一二三②②③④⑤北北北13}

 

(――嵌張待ち!? 馬鹿な、そこの牌は字牌だったはず。……こちらの理牌よみを、欺いただと……!?)

 

「あぁ、あまりのことに理解が及ばないか? ならばいいだろう。もう一度宣言してやる」

 

 天江衣からしてみれば、やえの洞察力は文字通り子供のそれだ。なぜなら衣は、やえとは五十近く年の離れた相手と――それだけ熟練した技術を持つ相手と――何度も卓を囲んできたのだ。やえに読み取られないレベルの理牌動作など、取るに足らない小手先の技術なのである。

 

 

「――槍槓だ。ドラ二つは――5200!」

 

 

・龍門渕『136000』(+5200)

 ↑

・晩成 『77400』(-5200)

 

(侮っていた――いや、違う。侮らされていた!? これが、これが本当の…………本物なのか!?)

 

 その時、小走やえにはもう、目の前の存在が一体なんなのか、わからなくなっていた。それもそうだろう。目の前の魔物は、本当にとんでもないレベルの実力者で、同時に、自分では及びもしない巧みさを、持ち合わせているのだから。

 

 絶対に、適わない存在。

 それは人の心を喰らうのではない。――人の心に、植え付ける、存在なのだ。

 

 

 ――南三局、親蘭子――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

(なんとかここまで、か。おっかしいなぁ、全然勝てる気しーひんのは、なんでやろ)

 

 姫松高校は、常勝を期待される全国最強クラスの高校だ。それこそ晩成のように、ある程度インターハイで敗北されることが想定されているような、一角の強豪校とはわけが違う。

 姫松に、敗北は許されていないのだ。

 

 ただ勝つことだけを求められ、そのとおりに勝ってきた高校。それが姫松であり、だからこそ、姫松は最強なのである。

 

(まぁ、負けるわけには行かへんから、二位を目指すしかないんやけど、くやしいなぁ。姫松の主将で、大将の私が、なんもできへんっちゅうのは)

 

 ――蘭子だから、ではない。

 誰であろうと、そこに立つ少女を、天江衣を打倒することは叶わないだろう。

 

(それに……善野さんのこととかで色々複雑だった末原ちゃんに出てきてもらうために無茶をして、他にもいろいろな人に諦めてもらって、今のこのチームを作った。それがここで負けちゃったら……そんなのやっぱ、あかんよね)

 

 末原恭子に、愛宕洋榎に、上重漫に、天海りんごに、誰もかれも、実力だけで選ばれたわけではない。無論洋榎は押しも押されぬ姫松のエースだし、りんごも、そして何より蘭子自身も、実力があったから選ばれたのは確かなことだ。

 

 だからこそ、涙をのんだ三年生に、これからを目指す下級生に、こんなトコロで終わる姫松を見せたくはない。

 

 そう思って――最初の一打を選んだ。自分の信条だけが載せられた、そんなたった一つの、ちっぽけな一打が。――きっとそれは、自分にとっての一打ではなかっただろう。

 確かに、影で涙をのんだ者達を思うのは当然のことだ。それを胸に乗せ、勝利を誓うことだっておかしくはない。

 

 だが――それと同時に、栄光の中に立つレギュラーは、その時最高のものでなければならないのだ。そう、彼女たちは影を省みることなく、光に向かって、立ち続けなくてはならないのである。

 

 ――だからこそ、甘い。その一打は、蘭子の甘さだ。

 

 ――――赤路蘭子は、あらゆる可能性を考慮する防御力の雀士。放銃の場面はほとんどなく、とにかく慎重な雀士として知られている。

 しかし、そんな蘭子が慎重になれない、自身の本領を発揮できない場面が在る。

 それが親番、配牌直後の、第一打。

 この時だけは他家の理牌が終わらず、可能性が卓の上に現れない。無論視点移動などの情報はあるが、親の第一打はスムーズな打牌が求められる。他家の視線ばかりを気にして入られない。

 

 

 ――だからこそ、それはある種必然でもあり、偶然でも在った。

 

 

「――ロン!」

 

 

 天江衣の、和了宣言がそこで、響いたのである。

 未だ理牌の済んでいない手牌を即座に組み替えて――晒される。

 

「人和……は当然採用されていないが、人和は満貫とするルールもあったな。――8000だ」

 

 ――衣手牌――

 {九九⑥⑦⑧12345689} {7}(和了り牌)

 

・龍門渕『144000』(+8000)

 ↑

・姫松 『90600』(-8000)

 

「あ、う、嘘」

 

「――勝負に、嘘はない。己の気持ちにウソを付くものもまた、勝利はないぞ?」

 

 がくがくと、体が何かに怯えて震えた。

 それはきっと、目の前の魔物、衣に対してではない。――衣はむしろ、教えているのだ。その選択が、逃げのようなものであることを、赤路蘭子の選択が、逃げによって構成されていることを。

 

 

「――さぁ、オーラスだ。衣とともに立つ条件は皆同一……最後の一局、刹那の頂点を、見せてみろ!」

 

 

 宣言とともに、衣は卓上中央の、自身が振るう賽へと一人、手を伸ばす。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 現在、宮守女子は三位、その点差、実にほぼ2000点。リーチにツモで逆転が確定する。二位の姫松は、是が非でもこの局を二位の位置で終わらせなくてはならないのだ。

 そして苦しい位置の晩成――逆転には、跳満のツモが必要。

 天江衣の勝利はほぼ確定的だ。そしてここまで完全に場を支配していた衣の気配も、どこかおとなしいものになっている。当然だ、衣の言葉が確かなら、衣はこのオーラス、最後の対局を見届けると言っている。

 さすがに何巡もかけていれば先に衣の手が完成するだろうが、この局、勝敗は三者個人に委ねられたと見て、いいのかもしれない。

 

 そんな三名、その配牌は――

 

 

 ――白望手牌――

 {二四六②②⑦⑧⑨136北發(横7)}

 

 全くもって無難な配牌だ。ここから手を作っていくことは可能だろうが、鳴いていけるような手ではないだろう。無論、リーチにツモが必要な状況で、ドラの一切無いこの手を、鳴いていくことはそもそもありえないことなのだが。

 

(…………、)

 

 その顔は、いたってダルそうで難しそうな顔、しかしその心象は至って平穏な様子で、まずは第一打を、白望は選ぶ。――当然の打牌だ。これを第一打に選ばないものは、ほぼいないといっていいだろう。

 

 白望/打{北}

 

 静かな、あまりに静かなスタートで、白望最後の闘牌が始まった。

 

 

 ――蘭子手牌――

 {一二六九③③⑨346777(横三)}

 

 かなり上々といっていい配牌だろう。おそらくいちばんのネックになるであろう嵌張が最初のツモで埋まり、残る手牌も、受けが広く字牌がない。いつ完成しても、この手はそのままリーチに至る手だろう。

 

(まだ……まだ、終わったわけや、ないんや)

 

 あの時感じた強烈な寒気、それはきっと、衣に対する恐怖ではない。自分の中にある、感情からうまれた一端だ。だからこそ、それは表情に吐露することはなく、自身で抑えて、手を作る。

 

 蘭子/打{九}

 

 不穏はある。しかしそれ以上に幸先の良いスタートで、蘭子は第一打を、切り出した。

 

 

 ――そして、小走やえは。

 

(……やれやれ)

 

 少しだけ嘆息をして、それからこめかみを抑えながら、もう一度、今度は盛大に、息を吐きだした。

 

 ――やえ手牌――

 {一五九①⑥17東東西北發中(横9)}

 

(ここに来て、この配牌か。まったくまったく、やってくれるじゃないか。これじゃあ九種九牌で流すこともできない。……十三不塔は、採用されてないし)

 

 そもそも、塔子がないわけではない以上、十三不塔もこれでは成立しない。最悪といっていい手牌。何をするにしても、ここから作れる手役はひとつしか無いだろう。

 

(まぁ、条件的に厳しいだろう部分はすでに掴んでいるし……わざわざ跳満の手を作るために右往左往する必要もなくなった。――だったら、やってみようか。十三と一つの牌からなる、麻雀における最高役、役満の一つ)

 

 ――やえ/打{7}

 

 

(――――国士無双)

 

 

 ――そうして、三者はそれぞれのスタートを切った。ごくごく平凡な四向聴を引いた衣を加え、最後の対局が始まる。

 

 衣/打{西}

 

 白望/打{發}

 

 やえ/打{五}

 

 蘭子/打{⑨}

 

 ――時には難しい顔をして。

 

 衣/打{六}

 

 ――来るツモに、一喜一憂して。

 

 白望/打{一}

 

 ――手牌から伸びる可能性を夢に見ながら。

 

 やえ/打{⑥}

 

 ――ただ、一心に勝利を目指すのだ。

 

 蘭子/打{⑦}

 

 

 ――そして、それぞれの手牌が、少しずつ完成形へと向かっていく。

 

 

 衣/打{三}

 

 白望/打{六}

 

 蘭子/打{六}

 

 やえ/打{東}

 

 衣は楽しげに対局を見守っている。その場にいながら、楽しげに、最後の勝負を最善のツモでつかもうとしている。

 

 白望はダルそうにしながらも、それでもどこか視線に闘志を宿して――対局者達を睨みつけていた。

 

 やえは高鳴る鼓動を抑えながら、自身のツモを信じ、そして牌を握る手に力を込める。

 

 

 ――そして、蘭子は。

 

 

(…………張った、それも、最善の形で)

 

 ――蘭子手牌――

 {一二三③③③3446777(横5)}

 

(役なしやけど、五面張。これで決着を付ける。この手なら、誰かが途中で必ず出すはずや)

 

 それしか、打てる手がないのだから、蘭子は自身の牌に手をかける。鼓動が、高鳴っているのが感じられた。どうしようもなく音を立てて金切り声を上げるそれを抑えながら――蘭子は高らかに、牌を勢い良く、横に曲げて……解き放つ。

 

 蘭子/打{4}

 

「……リーチ!」

 

(さぁ、小走はこれに対し、危険牌でも切らなくちゃいかん。宮守の人は、さらに小走自身も気にかけなアカンのや。この手牌これで最後に、したるで!)

 

 思い重ねて、最後に曲げた牌の行方は、その後――彼女の想いとともに、露となる。

 

 

 そして、直後。

 

 ――白望手牌――

 {二三四②②②⑦⑧⑨1367(横1)}

 

(……テンパイ、かぁ)

 

 嘆息混じりに、深々と腰掛けた椅子に体をうずめる。平和はつかないとはいえ、逆転条件のテンパイである。これにリーチをかければ、それでもう、あとは自身のツモを信じるのみだ。

 

(……、)

 

 リーチをかけない理由は、ない。

 それをわかってなお、白望は手を止める。悩んで、迷って、答えを選ぶ。

 

(この勝負――きっと、)

 

 そうして同時に、わかったことが在る。それがあるから、白望はそのツモで、手を止めたのだ。

 ――わざわざ迷って、ここで手を高める必要性は全くない、そもそも高くなることはないだろう。だからこそ、白望はその感覚を、不穏ととった。

 何か――衣以外の何かが、この卓を今支配している。

 

 衣は、あくまで勝利に忠実な一雀士だ。しかし、その衣はすでに支配を解き放っている。けれども、衣が目覚めた時に感じた、あの嫌な感触は消えていない。

 それが意味するところは――つまり。

 

 白望は、そこまで考えて――選択する。正しいと思う選択、勝利へつながる、最適解を。

 

 

 ――白望/自摸切り{1}

 

 

 この時――姫松の勝利を確信していた実況が、観客が、あらゆる人間が――思わず声を出して、呆然とした。この対局を直に見ていたもので、果たしてその先の結末すらも見通している者がどれだけいるだろう。

 

 

 ――そしてその一人が、龍門渕に、いた。

 

 

「……衣の中にいる魔物ってさ、意地が悪いよな」

 

「え? きゅ、急にどうしたの?」

 

 状況は、宮守のテンパイ拒否というあまりにもあまりな展開で、唐突に発せられた瀬々の言葉は、隣に座る一を、大きく動揺させるに十分だった。

 

「いやさ、衣ってさ、自分の中に魔物を飼ってると思うんだ。そんで、その魔物は、すっげー意地悪なんだよ」

 

「……あぁ、なるほど」

 

 すぐにそれは理解できた。かつて――練磨の一貫として、魔物の制御を放棄した衣と闘ったことが在る。テンパイへ至ることができず手牌がイーシャンテンで止まり、衣自身は出和了りの速攻だろうが、ハイテイだろうが、思うがままに和了ってしまう闘牌。

 意地が悪いと、いう他になかった。

 

「んで、今あの卓を支配しているのは――衣じゃない、その魔物だ」

 

「ってことは……宮守の人が{3}を抱えてたのも……?」

 

「そーいうこと。そんで――」

 

 ――直後、観客たちが再び頭を抱える状況が、起きた。

 

 蘭子/ツモ{4}

 

「これも――衣の中の魔物が、せせら笑っているんだろうさ」

 

 ――そう、このツモの意味するところは簡単だ。もしも蘭子が、{3}切りリーチをかけていれば、すべての決着がついていたのである。しかし、運命の女神はそれを嫌った。

 あまりにも意地の悪い方法で、意地の悪い手牌でそれを阻んだ。

 

 同時に――

 

 やえ/ツモ{白}

 

 小走やえが、一向聴のまま止まっていた国士無双を――テンパイへ進めた。

 

「これ、自摸れるかな?」

 

「どーだろうな、ぶっちゃけ直撃受けてもこっちは勝てるから、衣は気にしないんだろうけど」

 

 そもそも、これまでの和了で流れは衣を中心に回っているのだから、まさか当たり牌をつかむようなことはないだろうが――同時に、ここまでで衣の手牌はリャンシャンテン、テンパイには遠いだろうと、誰もが思っていた。無論、それは事実であった。

 

「さぁ、正念場だぞ?」

 

 白望/ツモ{3}

 

「……これ、あの人の視点からは、どう見えてるんだろうね」

 

「――国士テンパイ、それ以上はわからないだろうな」

 

 白望は{3}をツモった。しかし、それは同時に、テンパイ気配を見せるやえに、安牌ではないヤオチュー牌を切らなくてはならないのだ。――実のところ、それは間違いなく通るのだが、果たして。

 

「だがまぁ…………あの宮守の人は――この卓唯一の、こっち側だ」

 

 ポツリと、瀬々はそんなふうに、漏らした。どこか確信を持っているかのような、声音だった。

 

 

『――リーチ』

 

 

 選択は――リーチ宣言だった。

 姫松の当たり牌、{3}の浮きを躱し、国士濃厚の相手に、{1}を切っての、テンパイ、そしてリーチ宣言。

 

 

 状況は、大勢を決しつつ在った。

 

 

 そして、更に場面が大きく動く。

 ――リーチをかけていた、蘭子がツモで――{⑨}を掴んだ。

 

 安牌ではなヤオチュー牌、絶対に切らなくては行けないリーチ後の牌。蘭子の顔がさぁっと青ざめる。必死に押しとどめていた恐怖が、ついに溢れて、崩落したのだ。

 

 敗退、そしてそこから浮かび上がるあらゆる可能性が、蘭子を支配し、責め立てる。――蘭子にとって、大将という場所は、最も自分が戦える場所――そのはずだった。

 

 しかし、この一瞬だけは、かつてそう考えていた自分を……他人ごとのように、恨んだ。

 

 そうして、放つ打牌。そこには蘭子の膨大といえるほどの意思の塊が張り付いていた。願って、請いて、待ち焦がれて――そして、放たれた打牌。

 

 

 ――それは、無限にも続くかのような感情の中に在る莫大な時間。

 

 

 対するは、あくまで単純な、意地による前進を見せる小走やえ。

 そんなやえがようやく掴んだ勝利への一欠片。テンパイにいたった手牌を持つやえの待ちに相当する“かもしれない”牌。

 

 それは、やえの両手を――――

 

 

 ――やえ手牌――

 {一九①⑨19東西西北白發中}

 

(――やれやれ、だ)

 

 

 ――動かすことはない。

 

 

 長かった勝敗の行方を決めるのは、蘭子でも、そして、やえでもなかった。

 

 

 ――小瀬川白望が、手を伸ばす。自身のツモへ――この局、だれも揺るがすことのなかった、不可侵の場所へ。

 そして、

 

 

「――――――――ツモ」

 

 

 最後を決めるその声は、どこか誇らしげに、響き渡った。

 

 

 ♪

 

 

『第二回戦、決着――――! 長かった一日、永遠に思えた半荘十回戦、決着をつけたのは宮守女子――!』

 

 ――赤路蘭子は、感じざるを得なかった自分の弱さを悔いて、涙を溢れさせた顔を伏せた。

 

『そして、トップで準決勝に進むのは、大将戦、圧倒的収支で他校を退けた龍門渕高校!』

 

 ――小走やえは、思わず溢れてくる何かをこらえるために、照明の切り替わった天井を見上げた。

 

『更に、それには一歩及ばずとも、素晴らしい闘牌を見せた――宮守女子だ!』

 

 ――天江衣は、そして小瀬川白望は、ともにどこか溜まりきった感情を吐き出す様子で、立ち上がると、こみ上げる実感を抱えて、対局室を退出する。

 

 ――こうして、波乱に満ちた第二回戦は終わりを告げて、勝者と敗者、その明暗がくっきりと、浮かび上がるのだった――

 

 ――最終順位―ー

 一位龍門渕:142000

 二位宮守 :93500

 三位姫松 :88600

 四位晩成 :76400




大将戦、決着――!
実のところ、かなり無難な結末ではあります。果たしてここに至るまで、どのような感想を抱いたでしょうか、皆さんのご意見などはいつでもお待ちしてます。
次回から、だいたい二話くらいかけて準備回をしてから、準決勝開始となります。
開始には少し時間がかかるので、しばしのほど、お待ちいただければ幸いです。


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『後ろ向きの夜と訪れる朝』

 夜更けて、人が見上げる空も、黒く底の見えない物へとなった。このインターハイ会場を含めたこの場所で、空を見上げるものはいない、見上げる必要のない程度には、世界は明るみを帯びているのだ。

 しかし、それでもどこか顔を上向けて、何かをこらえるようにするものがいる。

 

 晩成高校次鋒、北門美紀だ。この第二回戦、晩成唯一のポイントゲッターとして、一万点を超える収支を叩きだした。しかし結果は振るわず、中堅戦、そして大将戦と、晩成高校は格上の相手に、大敗を喫する事となった。

 これが実力差か、そこにいる者達は、思わずそう考えずに入られない。

 

「……終わっちゃったなぁ、団体戦」

 

「…………そーだな」

 

 応えるのは、エースにして先鋒、晩成を引っ張る一本の柱である少女、車井みどりだ。彼女は、自分自身のの持つ矜持としてか、顔を前からそむけるようなことはない。しかしそれでも、明らかに何かをこらえているのは確かだ。

 ――目には、涙が溜まっていた。

 

「がんばろーな、個人戦……」

 

「そーだな…………」

 

 ボールを撃ちあうように、言葉を投げ交わすものの、その声音には一切のチカラというものがない。涙をこらえるのに精一杯で、それ以外に意識を向けることができなかったのだ。

 それは皆、言葉を出さないものも同じだ。――佐々岡良美は、自分の実力不足による失点が、大きく己に響いていた。そもそも高校としての実力差がありすぎた以上、もはやそんな失点などさほど意味を成さないのだが、それでも良美は、公開せざるを得ない。――自分があの役満を上がっていたら。そんなこと、無に一つの可能性であるというのに。

 ――そして副将、小林百江もまた、あふれる涙を、必死に腕を抑えてこらえていた。無理もない、彼女は出来る限りのことをした。この二回戦、魔物相手に最小限の被害で帰ってこれたのは、彼女と――結果として第二回戦進出を決めた小瀬川白望程度だろう。

 とはいえ車井みどりや鹿倉胡桃といったメンツは、十分その魔物と渡り合っていたのだが。

 

 そんな折、晩成高校の控え室のドアが開いた。――誰もがその来訪を知っている。

 

「…………すいません、でした――ッ!」

 

 悲痛な声で、叫びを上げる、晩成高校大将、小走やえ。――きっと彼女は、自分があの時、という思いが多くあったことだろう。それが大将というものだ。すべての勝敗を決める立場に立つということだ。

 だからこそ――そのやえの言葉に、責め句を告げる者は誰もいない。――そこに、後ろめたさがあるからだろう。それ以上に、頑張ってきたものを、攻めることができるほど、彼女たちはひとでなしではなかった。

 

 ――それでも、経験上みどりは知っている。負けてしまったものは、慰めと同時に叱咤もまた欲しがっているのだ。かつての自分がそうであったように、今のやえが、そうであるように。

 

(ただ慰められただけじゃ、いたたまれないよなぁ。けども、かといってそれをするのは、憚られる)

 

 思考が回る。思い出してしまうのだ。去年、敗北した自分に叱咤をしてくれた当時の先輩――エースの顔を。その時は、晩成をまとめるコーチが若く、そういった配慮をしてくれなかった。今年は、そのコーチが所要で席を外しているのだが。

 それがわかるからこそ、身にしみて――辛い。誰かをしかることが、これほどまでに自分を追い詰めるものだとは、思わなかった。

 

(でも、やらないわけにも行かない。それをしなくちゃ、私達はずっとこのことを引きずる。――よし、覚悟は決めた! やるしか無い、やるしか無いんだよな)

 

 負けたものの将として、去りゆく者の責務というものがある。それを今、果たす時が来たのだ。

 

 

「……やえ、お疲れ様」

 

 

 ――それでも、叱咤、罵倒の言葉でやえを迎える事はできなかった。ためらわれたのと、みどり自身、やえにかける言葉は、なんでもいいと思ったからだ。

 晩成の大将、小走やえは聡明で、頭の回転が早い少女だ。だからきっとわかってくれる。言葉の意味を、理解してくれると、ある種みどりは信頼していた。

 

「負けちゃったな。それでも、最後の国士無双は見事だった。アレは、私でもその選択をする。――事実、テンパイまで持って行って、もしかしたら勝てたのかもしれなかった。やえ、お前の仕事はそれで十分だ」

 

 そんなみどりの言葉に、やえは一切口を挟む様子はなかった。ただ黙して聞いていた。――もうすでに、ある程度は言葉の意味を理解してくれているのだろう。

 だから、申し訳なくなる。こんな言葉でしか、やえを励ますことができなくて。

 

「確かに、――えっと、晩成高校のインターハイは終わった。けど、私達の夏が終わったわけじゃない。団体戦を勝ち抜いた。龍門渕や宮守、私達に勝ったんだ、最後まで勝ち抜いてもらわなくちゃ困る。それに個人戦だってさ、まだ残ってる」

 

 言葉を選ぶ、選ばなくてはならない。この時、みどりはかけてはいけない言葉があると思っている。それは例えば「仕方がなかった」というような慰めの言葉。

 それはきっと、叱責を求める人間には届かない。届かせては行けない言葉だ。

 

「それに、もう少しすれば国麻だってある。国麻は個人戦だから、もうこうやって晩成でチームを組むことはないけど、それでも、まだ私達は麻雀を打てる。だからやえ……前を見ろ」

 

 小走やえは、これからエースとして晩成を率いる立場になる。二年生にして部内ナンバーツー、大将を任せられるだけの実力者が、エースとならないはずはない。

 だからそのために、必要な言葉をかける。

 

「前を見て、晩成を引っ張って行けるくらい、全部を見ろ、全部を見て、それからそれを一切合切想いのままにできるくらい、強くなれ、それは、今のお前に必要なことなんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ――その時だった。

 自分が言葉の連なりの中で発した一言に、思わずみどりはハッとなる。去年のインターハイ、みどりは確かに、同じ言葉で慰められた。それを、思い出してしまったのだ。

 

 ――今の自分と、昔の自分が重なって。

 

(……あれ? 記憶の中の私って、――一年前の私って、こんなに背、小さかったのか?)

 

 そう思った時には、もう遅かった。

 

「……先輩、」

 

 やえが、思わず声をかける。しかしそれ以上は続けなかった。みどりも理解しているからだ。理解してもなお、それを止められないからだ。

 

 ――車井みどりは、そう、大粒の涙を、こらえきれずに流していた。

 

(……う、そ。いや、いやいやいや、ちょっと待って、待ってくれよ! なんで、なんで私が涙を流さなくちゃいけないのさ、ここは、エースで、先輩であるかっこいい私が、やえに大切な言葉を残さなくちゃいけないのに、まだ、まだ泣いちゃいけないのに……)

 

 耐えようと思った。

 しかし、無理だった。

 

 昔の自分と、今の自分。それから、今のやえと、これからのやえ。――そして、仲間とのこと。三年間という晩成高校での生活は、決してみどりを強くはしなかった。ただ、何かを教えてくれたのだ。

 

 成長することと、強くなることは決してイコールではない。

 強くなることが、プラスかといえばそうとも限らない。

 

 

 ――車井みどりは、泣いた。それがきっと、彼女の優しさであり、高校という場所で、教えられたものだったのだ。

 

 

「――やえ」

 

「……はい」

 

「強く、なってね? うぅん、それ以上に…………晩成高校を、よろしく、ね?」

 

「――――はい!」

 

 

 ――そうして、車井みどりの、そして晩成高校のインターハイは終わった。

 涙を流す日の夜は、その涙を隠してくれているようで、誰にも見えない影の中は、少しだけ、心地よさを感じるようなものだった。

 

 

 ♪

 

 

 ――そして、赤路蘭子もまた、どうしようもなくあふれる涙をこらえきれずに、そしてそれ以上に、無理やり作った張りのある声で、チームメイトたちに言葉を投げかけていた。

 

「――本当に、申し訳ないです。姫松高校は、こんな場所で、まけたらあきませんのに、それなのに最後、逆転されてもうて、何も、何もできへんのが、申し訳ないです」

 

 常勝姫松、陥落す。きっと、そんなことをこれからしばらくは、言われ続けることだろう。けれどもそれはしかたのないことだ。負けてはいけない勝負を負けてしまったのだから。

 それくらいの罰は、あってしかるべきなのだと、蘭子は心の何処かで考えていた。

 

 ――けれども、それ以上に申し訳なくてしょうがないことが在る。

 

 自分が率いることになったチームが負けてしまったこと。最善だと思っていたレギュラーが、それでも結局、新参校にも勝てなかったということ。

 

 栄光のレギュラーの影で、涙をのんだ三年生は星の数といる。今年はレギュラーのウチ三人が下級生というオーダーで、それが特に顕著だった。部内最強の愛宕洋榎はともかく、他の二名はかなり挑戦的なオーダーであると蘭子は思っている。とはいえ、それがやっかみになることはないだろう。洋榎と漫は言うまでもなく、恭子とて強さを見せた。

 だから問題は、涙をのんでもらうこととなった最上級生、自分と同じ三年生だった。

 

 ――中には、友人と呼べる人物も、親友と呼べる人物もいた。それでも、蘭子は赤坂代行とともに、あらゆる可能性の元、勝利のためのチームを組んだ、だからこそ――申し訳ない。

 

 本来ならば、自分の中では切り捨てないはずの可能性、それを切り捨てざるを得なかったことを、どうしようもなく後悔する、ほかにない。

 

 だからこそ、そんな蘭子を咎める者はいない。いるはずがない――はずだった。

 

 

「なぁなぁ、赤路ちゃん」

 

 

 一人だけ、赤坂郁乃監督代行だけは、それを遮って、声をかけた。――まるで場違いな、間延びする声調で、どこか引っかかるような言葉遣いとともに、声をかける。

 その言葉は、蘭子だけではない、この場にいる全員を、いきり立てるには十分だった。

 

 

「――それ、本心で泣いとるん?」

 

 

 座り込んでいた洋榎が、思わず立ち上がるほど。蘭子と向き合っていた恭子が、怒りの眼差しを即座に向けるほど、郁乃の言葉は無神経に映った。

 

「な、ちょっと待てや代行!」

 

「そうですよ! 何が本心ですか、主将は――!」

 

 それでも、本人はそんなことどこ吹く風といった様子で、再び蘭子に声をかける。

 

「確かにみんなのことを思うのは当然やねん。ウチも一緒にオーダー考えたし、隣で見てるからわかるんよ? 赤路ちゃん、とってもいろんなことを考えてまうのは、分かるんよ」

 

「――だったら!」

 

 いよいよ持って、恭子の声が荒らげられる。だが同時に、思わず立ち上がった洋榎は、難しそうな顔で席についた。この場の様子を見守っていたりんごが、そんな洋榎に肩に手をかける。

 やれやれ――と、そんなふうに。

 

「…………、」

 

 蘭子は、黙ったまま答えない。その顔は涙に濡れて、しかしつらそうではない。どこか呆然と、郁乃の言葉に聞き入っているような様子だった。

 

「――でも、おかしいねん」

 

 急に、郁乃は優しげな口調を真剣な物へと変えた。たじろいだのは、恭子だ。監督の意図が読めない、そんな困惑を表情全体に表しているように思える。

 

「赤路ちゃんは大将で、主将なんよ。チームを引っ張って、その中心だったはずやねん。せやから――」

 

 一拍、あいた。

 それはどうにも間延びした。重苦しいものに思えて、ならなかった。

 

 

「――悔しくない、はずないねん」

 

 

 ――あ、と漏れたのは、恭子と、それから話に聞き入っていた上重漫だ。

 それもそう、そのはずだ。

 赤路蘭子はそもそも一個人として、大将戦を敗退してきているのである。そのことを、一切無視して語る蘭子には、どこかおかしさを感じてならない。

 

 あの時、人和なんかに当たらなければ――あの時、{3}を切ってリーチしていれば、そんな可能性を、蘭子が考慮しないはずはない。

 

「だからきっと、そうやってないとるんは、本心やないと思うんやけど。どうかな」

 

 郁乃は、締めくくるように、いう。

 それから再び、優しげな、しかしどこかそれに自嘲を加えたようにして、いう。

 

「ウチな、監督代行って、短い間で、経験も殆ど無いんやけど、それでも赤路ちゃんのことはわかろうと思ってきたんや、せやから、ちょっとおかしいと思う。赤路ちゃんは今、悔しくない、はずないねんよ」

 

 そんな言葉に、りんごが続く。彼女はこの場にいる唯一の三年生であり、蘭子の同級生――かけがえのない学友でもあるのだ。そんなりんごが、ポリポリとほほを掻きながら、恥ずかしそうに言う。

 

「なんかなぁ、悔しかったら泣いたほうがええと思うで。特に蘭子は、そーいうの貯めこんどるやろし。責任だったら私もとる。やからお願い、全部、吐き出して?」

 

「う、」

 

 それでもう、限界だった。

 蘭子の顔が、みるみるうちに崩落し、どこか子供のような柔らかさを思わせるようなものへと変わる。それが本当の、赤路蘭子の、顔だった。

 

 

「うあああああぁぁぁ、あぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁあぁあ!」

 

 

 控え室中――会場中に響き渡るような慟哭が、蘭子の口から飛び出した。

 三年間、――否、誰かを率いるという蘭子の性質上、生まれてずっと、溜め続けてきた何かが、その時を持って、一斉に崩落したのだ。

 

 蘭子は、どこか一人で大人になった気でいた。そして、どこか子供という部分を、忘れていたのだ。

 

 だからそんな部分は、心のどこか、ずっとずっと奥底に、溜まってよどみ続けていたのだ。

 

 

「ああああああああああああぁぁぁあああああああぁぁあああぁああああああああああああ!!」

 

 

 それが崩壊してしまえばもう、蘭子の涙を留めるものはいない。

 いるはずが、なかった。

 

 

 ――こうして、敗退した二校のインターハイは終わりを告げた。長くて、苦しくて、それでもどこか楽しくて、前を向こうとして、できなくて、もどかしくも、輝かしい記憶となるような、そんな闘いは――終わりを、告げた。

 

 

 ♪

 

 

「……ツ、ツモッ! 500、1000!」

 

『決まったー! 第二回戦をトップで勝ち抜いたのは、臨海女子――!』

 

 大将戦が、そこで終わった。

 臨海女子大将、タニア=トムキンは、大きくいきをひとつ吐き出して、立ち上がった。

 

『そして第二位で進出を決めたのは――――永水女子! 新鋭の高校が、ここに来て準決勝出場を決めた!』

 

 勝利したのは、タニア。しかしその顔にはどこか、焦燥に近いものが浮かんでいた。彼女の特性は、とにかく強者に対して挑みかかっていくような挑戦性。それを持ってしてもなお、その対局は、疲れを覚えるものだったのだ。

 

『その勝敗はまさに紙一重――! 化け物じみた闘牌を見せた永水を相手に、臨海は大きく差を詰められました!』

 

 ――神代小蒔:一年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 

 彼女の瞳は、どこか遠くを見つめるようで、――この場において最も実力を発揮した、タニアにすら興味が無いかのようだった。

 

『むしろ、臨海女子のタニア選手は、よくぞ逃げ切ったとほめられるべきでしょう。それほどまでに永水女子の神代小蒔は強かった――否』

 

 タニアの瞳が、語る。

 ――次は負けない、と。

 

 

『――永水女子は、強かった…………ッッ!』

 

 

 神代はそれに応えることなく、会場を後にした。タニアもそのあとに続いて、両名は、来るべき決戦の舞台へと、意識を向けるのであった。

 

 

 ♪

 

 

 そして、すべての終わった夜、龍門渕高校が宿泊するホテルにて。

 渡瀬々、龍門渕透華――そして天江衣が、向かい合ってた。

 

「――さぁ、衣」

 

 代表するように、瀬々が最初の口火を切った。

 

 

「――話してもらえないか、あたしと透華、二人の抱える“何か”の秘密を」




準決勝開始の準備が整ったので、記念に一話上げておこうと思います。
そして第二回戦のあとしまつ。晩成と姫松の話でした。どちらも強豪校ですから、同じような終局になりますね。


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『影さして、龍は我が身を垣間見る』

 長く、そして暑い一日が終わった。

 夜の帳はいかにも夏といった風情であったが、しかし東京の熱気は、さらにその夜の一幕に、何かを加えていた。

 とはいえそれは、すでにホテルの室内に引きこもってしまった瀬々たち龍門渕の面々には大きく意味があるものではなく、ガンガンに効いたクーラーが、熱戦を切り抜けた少女たちのほてりを覚ましていた。

 

 すでにささやかな祝勝会は終わっていて、明日以降の対策に関しても、資料を渡された後は、また明日ということで解散ということになった。

 結果、瀬々と衣、そして透華の三名は、解散の後すぐ、衣と瀬々の部屋へと集合していた。

 

「じゃ、あらためておつかれさまー」

 

 ――カラン、とガラスのジョッキの中で氷が跳ねる。現在瀬々が手にしているのはレモンティーだ。その色合いから、発泡酒、もしくはビールをイメージしているらしい。もしくはたんなる好みの問題か。

 残る両名は執事であるハギヨシによって淹れられた紅茶をそれぞれの好みに合わせて楽しんでいる。

 衣は風味を楽しみながらもすぐに口をつけ、逆に透華はそのまま香りにうつつを抜かしているようだ。

 

「いえいえ、まだ喜ぶには早いですわ。第二回戦は龍門渕の歴史においてはある種の関門ではありましたが、それでも私達からしてみれば単なる通過点、姫松がここで消えた以上、気にするべきは明日以降の対戦相手ですわ」

 

「……そういえば、次は瀬々と因縁のある相手がぶつかるのか」

 

 透華の言葉に、ふと思い出したと紅茶をテーブルに置いて衣が顔をあげる。ゆらりと揺らめく紅い水面に顔を移せば、隣だって座る、瀬々の顔が見えた気がした。

 

「わかっていたことでは、あるんだけどね」

 

 当然といえば、当然か。

 Bブロックの第二回戦が今日終わり、準決勝に駒を進める八校が出揃った。その中には前年度インハイ王者、白糸台やシード校、千里山女子の姿もある。

 

 そして、今日。

 瀬々たち龍門渕とは別ブロックにおいて行われた試合、Bブロックもう一つの二回戦における結果が、堂々と発表された。それは龍門渕、そして同時に勝ち抜いた宮守とともに名を並べ、決勝へ進むことが許された二つの席を争うことになる。

 

 それを思い出して、瀬々はどこか複雑すぎる感情を浮かべつつ吐き出す。それは少しばかりの喜びと、膨大な敵意と、そしてにじみ出てくる面倒臭そうなものが集約されていた。

 隣から眺める衣もまた、そこに溢れ出る感情の群れに、思わず顔をしかめる程に。

 

 そうやって、何度も何度も複雑すぎる表情を整えて、瀬々はようやく、言葉に変えた。

 

 

「東東京代表にして、第三シード――臨海女子」

 

 

 同時に、永水女子という名前もまた、並んだ。わかっている。どちらも魔物クラスのバケモノを要する怪物校だ。一位抜けの臨海女子に、二位の永水女子は最後の最後まで追いすがったという。

 ――いや、その表現は正しくない。

 

「それだけではないですわね、なんでもあの二回戦大将戦――臨海女子の戦いぶりは、いうなれば逃げ切った(・・・・・)ようなものだったとか」

 

 それまで圧倒的だった臨海と永水の点差が、大将戦だけでかなり詰められたらしい。しかも厄介なことに、臨海女子はかなり奮闘しているのだ。点棒を失ったのではないプラス収支で帰ってきている(・・・・・・・・・・・・・)のである。それは対戦相手を鑑みれば異常なことで、何より対戦相手が異常であることを示している。

 

「何、それは衣が気にすべきことであるし、そして臨海女子のこともまた、瀬々が気を留めるべきことだ」

 

 ――ここまでは、そも祝勝会における明日への展望を話し合う場でも、さんざん語られたことだ。臨海女子のエースは強い、そして永水女子のエースもまた、化け物であり、魔物だ。

 だがそれは、個々が対策を打つ他にないもので、個々が叩き抜くしかないものだ。

 

 だからこそ、その話はここで終わり、そして三者が集まった、本題へと話は移っていくのである。

 

 そう、これは単にただ意味もなく集まって、数刻前の焼きまわしをするための場ではない。本題は自分自身たちのこと、第二回戦にて起きた、不可思議な自体にたいしてだ。

 

「――それで、衣。説明してくださるのですよね? 一体なぜ、瀬々がこたびの件に答えを持ち出せていないのか、そしてそもそも、私達に一体何があったのか」

 

「もちろんだとも。衣が言葉の限りを尽くし、瀬々と透華のつながりを、解きほぐしてやろうではないか」

 

 ――瀬々と、透華の、つながり。

 

 それは端的に言ってしまえば、血のつながりということになる。

 別段深いつながりではない、瀬々と透華の関係は再従姉妹という関係になる。さらに衣はその反対にあり、瀬々とはもうひとつ親等を別とする。

 親族としての関係は、ほとんど希薄といっていい。

 

 それでもなお、瀬々と透華がつながるのか、そのつながりが何であるのか、しかしそれを語る前に、まずは透華が、なぜあのような状態に陥ったのか、その説明を衣は始める。

 場の空気を取り替えるためか、一口紅茶を口に含むと、カップをてにしたまま、言葉を選んで、放ち始める。

 

「まず、透華の中にあるものを、一言で表すのなら、龍神、という単語になるな」

 

「龍……神、ですの?」

 

 思わぬところから、単語は漏れてでた。瀬々もまた、そこらへんの、いわゆる超心理学的オカルトには疎い、ほう、と吐息を漏らして、言葉を待つ、

 

「そもそも、龍門渕とは今でこそ学び舎の経営で家督を繋いではいるが、かつてはそこら――龍門渕一体の地域を治める立場にあったのだ。――それも、かの天孫が、この葦原の中つ国に降り立つよりも前から在った――国津神というたぐいの神だったのだ」

 

「……そういえば、そんなことを昔聞いたことがありますわね、私達の家系は元来水を治める神の家系で、水というつながりから、龍神として扱われるようになったと」

 

「そう、それが龍門渕――我ら一族の始祖だ。正確に言えば、龍を宿した子、だがな」

 

 ――龍門渕、(ふち)、つまり水の深いところを司る龍の一門、これが龍門渕の由来だ。やがてそれが名をつなぎ、今日に至るまで、それを残している。

 

「そしてその直系、龍の血を色濃く残すのが透華、お前だ」

 

「――私、ですの?」

 

 そう言われて、透華ははたしてどれほど心を揺さぶられたことだろう。生まれてこの方、多少特殊な出自とはいえ、ごくごく普通の人間であったはずの自分が、人間とはまったく別の何かを宿し、その何かの血を引いている。それを大きな納得を持って語られたのだ。衝撃を受けないはずはない。

 

「しかし透華よ、お前は昔から、ある程度の自覚は在ったのではないか? 自分自身が、ただ特殊な財閥の家系であるという以上に、感じいる何かが」

 

「そう、かしら。――そう、ですわね。私は普通の存在じゃない。そうでなければ、私があのようなことになるとは思えませんもの」

 

 副将戦で目覚めた、“氷の透華”。治水という、大河の氾濫を異様なほど嫌うあの打ち筋は、単なる通常の打ち方では、捉えることができないだろう。

 そのうえで、納得する。

 自分の中にあった異常が、思ったよりも、自分の中で、腑に落ちてしまうことに。

 

「まぁ、納得してしまえばこんなものですわね。目の前には同じようなオカルトがいる。そしてそれは、私と同じように、龍の血によって、なされている」

 

 オカルトを、否定するような類の打ち手では、透華はない。あくまでオカルトを受け入れて、それに対して行動を起こすのが龍門渕透華だ。

 そんな彼女からしてみれば、自分の中に、自分がもつデジタルではない、という打ち方があっても、あくまで単に、受け入れるだけではあるのだが。

 

「とはいえ、それが私の制御から離れるようでは行けませんわね、それにあの打ち方事態はあまり好きではありませんの、自分で思うがままに振る舞えなければ意味がありませんわ」

 

 第二回戦が終わって、牌譜をみせられて、透華はまず最初に、その打ち方を否定した。オカルトではなく、そのオカルトによってもたらされた闘牌そのものだ。

 

「それはそうだな、まぁそれに関してはまた話の終わりに……単純に強くなりたければこれほどわかりやすいものはないからな」

 

 ――オカルトというものは、そんなことを言外ににじませて、衣は嘆息気味に吐き出した。

 

「次はあたしかな? あたしがなんであの副将戦で眠っちゃったのか。衣はわかるんだ? ――あたしが知らないはずのことを、なんで衣が知っているんだよ?」

 

「瀬々は知っているさ。知っていないはずがない」

 

 ピタッと寄り添うようであった両名がそれを離して、軽く横目に目を合うようにする。瀬々はそうして剣呑に、衣はそうして楽しげに、それぞれの思うがままを瞳に写した。

 

「いやいや、そりゃないだろ。あたしに判らないことはない。理解できないことはあっても、答えを知らないはずがない」

 

「ならば、自覚というものがないのであろう。端的に言ってしまえば、瀬々。これは自分自身のことだ。自覚がないのも無理は無い」

 

「――自分、自身? あたしに一体何がある? あたしには、答えを知るチカラしかないぞ? それ以上は、決してない」

 

 答えを一度失って、答えだけで前に進んで、答えを守ってここにいる。今の瀬々はそうでなかろうが、かつて壊れた渡瀬々は、そして再構築された瀬々も、この“チカラ”だけが導であった。

 衣は違うと首を振る。あくまで真っ直ぐ瞳を見つめて、あくまで深く――覗きこむ。

 

「その根源が、神につながるものであったとしたら? 瀬々の答えが、神によって為される全知――全治の一端であるのだとしたら?」

 

 そうして放った言葉に、瀬々は間髪入れず言葉を注ぎ込む。体を前にのめらせて、咎めた単語を、拾い上げて突きつける。――答えがそこに、補足を加える。

 

 瀬々が、

 

 ただ単純に、

 

 言葉を放った。

 

「――それって、つまりあたしのチカラが、誰かの外付けである(・・・・・・・・・)ってことかよ」

 

 ――途端。

 透華の顔が、みるみるうちに驚愕に変わった。

 

 彼女の手に収まった、紅茶のカップが大きく震え、水面がその姿を隠す。――取り落とさなかったのは、ひとえに透華のプライドによるものか。

 

 一度口を開きかけ、そこに言葉が伴わないことに気がつく。それだけ驚愕が先行していた。理解によって、そうせざるを得なくなっていたから。

 ――ここまでの会話。瀬々が出した答え。そして、自分の正体。それらの欠片が、否が応にもひとつに繋がる。

 

 衣は瀬々と透華をつなげるといった。その根源が、龍門渕という、透華の背負う()によって成り立っていた。ならば、瀬々が外付けであるといった意味は――考える、までもない。

 そんな、透華の感情を見て取ったのだろう、それが落ち着くまでの間待っていた、衣がついに口火を切る。

 

 まるで終焉を告げるかのような、

 

 まるで終わりの笛を吹くかのような。

 

 そんあ黄昏めいた、言葉を、吹く。

 

 

「今より十五年ほどまえの、9月10日。――渡瀬々、そして龍門渕透華は、まったく同じ日に生まれた(・・・・・・・・・・・・)。それこそが、両者をつなぐ縁となったのだ」

 

 

 しんと、静まり返った室内。昼のうちに溜められた、夜の熱気から隔絶された世界。ひんやりと冷えた感触は、瀬々と透華の感情を――急激に冷やしているかのような、感覚を覚えた。

 

「透華が生まれる時に、透華は龍神を宿した。けど、それは一人の人間には少しばかり重荷になると、透華に宿る神は思った。結果、透華のチカラの受け皿になれるほどの資質――多分あたしには自覚はないが――それがあったから、透華の外付け、全治の中における全知の部分を、あたしに“明け渡した”ってことか」

 

 ――衣や透華は理解していることではあるが、瀬々には人とは思えないほどの精神性がある。それが本格的に花開いたのは水穂との対決、それによって麻雀における勝利によって瀬々のチカラが完全に開花したその時であるが、とかく。

 

「そのせいで透華のチカラは、瀬々の外付けを用いても大きく減衰することになったがな」

 

 案外、瀬々による外付けがなくとも、透華はそのチカラを受け入れていたのかもしれない。自覚のないまま、単なる自分の中の自分の一つとして、理解し、納得し、飼い慣らしていたのかもしれない。

 

「――だが、おかげで面白いことになったぞ、透華」

 

 衣の言葉が、瀬々と透華をひんやりと冷えた室内から、夏の夜の一時に変じていくのを感じた。

 それくらい衣がさえずる一言一言は、底抜けに明るく、他者を惹きつけるものが在ったのだ。

 

 ――かつて、“英雄”アン=ヘイリーに、瀬々が衣を似ていると評したように、不思議と今の衣には、どこか人を引き寄せる力があった。

 透華あたりは、そんな衣の姿を、かつて耳に聞いた“三傑”の残した伝説と重ねて見つめているのだが。

 

「透華のチカラは本来であれば、衣の中に眠る羅刹のそれを超えている。人の手に余る神のごとき存在であったのだ。――しかしそれが、果たして流転極まりないことに、そんな未来は何処へ消えた。だからこそ、できることもある」

 

 それはさながら、支配者の演説のようであった。事実衣はこの部屋の支配者であり、代表者だった。聴者、透華と瀬々は衣に惹きつけられたものの一人だ。

 とくに瀬々は、衣の存在が在ったからこそ――そこに何かを惹きつけられたからこそ、そう思うものがある。

 故に、彼女たちは次第に衣に心中を侵されて行く。浸して使って、染まってゆく。

 

 そんなところに、衣の言葉が、突き刺さる。

 

 

「――なぁ透華、そして瀬々。お前たち。――――一つ世界を、超えてみる気はないか?」

 

 

 続ける。

 誰にも言葉を遮らせることなく。そこは衣の独擅場。ただひたすらに、衣が二人に、まくして立てる。

 

「自分の枷を振り払ってみる気はないか? 自分の何かを脱ぎ捨ててみる気はないか? 自分のすべてを一新してみるきはないか? ――今の自分に、不満はないか?」

 

 そうして、衣の言葉は終わった。

 有無を言わせることもなく、ただ一瞬のうちに、瀬々も透華も自分の中に沈み込んでいった。

 

「――私は、」

 

 最初に、それから復帰したのは龍門渕透華。

 衣以上の“何か”を宿す、龍の神の真の寵児。

 

「麻雀を始めて以来、自分の強さは自分のものとして来ましたわ。ですから、今更神にすがろうなどという気はございませんの」

 

 神のチカラは、必要としない、それが透華の答え。――しかし、ただそれでも、ということはない。透華は続ける。

 

「……ですが、あのようなチカラ、認めるわけには行きませんの。ですから、もしもあれを手中に収めることで消し去る事ができるなら、それもまたやぶさかではありませんわ」

 

 単なる強さとして――それこそ支配に身を任せるのではなく、支配をあくまで手段の一つとする。自分以上のチカラを持つものに対し、自分をそこまで引き上げるのではなく、相手を“自分と同位にまで引き下ろす”。

 それが透華の、結論だった。

 

「なるほど、相手が自分より強い雀士なら、自分をそこに上げるでななく、相手を自分のもとまで“引きずり下ろす”ってか、そりゃあいいな」

 

「あぁ、あくまで自分主体に――透華らしい、いい選択だ」

 

 ――そんな瀬々と衣の評に、透華は割って入る。それで――と、口を開いたのだ。

 

「一体、どのようにすればそれは私の元で跪きますの?」

 

「なに、簡単だ。何度も呼び起こし、その際の感覚を覚えればいい。あとはその感覚を意図的に引き出し――意図的に止める。それだけで透華の望む支配が得られるだろう。そしてそれは――瀬々、お前も同じだ」

 

「……そうかい」

 

 ――衣の言葉は、同時に問いかけでも在った。

 瀬々は、どうする? と。

 

「明日、衣が全力で魔物を暴れさせれば二度か三度は起きるだろう。その時に感覚を覚えればいい。さすがにそれだけでは足りないだろうが、明後日(みょうごにち)には実戦で使えるようにしてみせるさ」

 

「…………」

 

 沈黙で、瀬々は答えた。

 ――考えるようにして、改めて、口を開くのだ。

 

「あたしには……オカルトしかない。透華や衣のように、強い自分はあたしの中にはない。だったらさ、出来る方法はひとつしかない」

 

 瀬々は体を前傾にして、どこか訴えるように言う。そこに伴う感情を探すかのように、いう。自分でも答えはまだ出きっていないのだろう。しかし、それでも口から漏れる言葉は変わらない。

 答えがどんなものであろうと、そこに付随するものは変わらないからだ。あくまで瀬々は、最も必要だと思う、答えをはじき出す。

 

 

「そのオカルトでもって、強くなる。あたしのオカルトを、最強なんだって、胸をはれるくらい強くなれば、いいんだろ?」

 

 

 麻雀を、うたされるのではない。

 あくまで自分で、オカルトを選ぶ、それが瀬々の答えだ。

 衣もまたそれで満足したのだろう、一つ大きく頷いて――結局それでこのお茶会は終わりを告げた。瀬々と透華、その身に宿る龍の、眼は果たして――どこに在るのだろう。




執筆速度が今月の半ばまで安定するはずなので、さっそくいつもの2日更新に戻してみます。


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――インターハイ・準決勝――
『大正義』先鋒戦①


 インターハイ準決勝、全国にあまたある高校のうち、たった八校だけがそこに座ることを許された席。更にはその中の上位二校がそれぞれ決勝に進み、最強を決める四校が出揃うこととなる。

 

 とはいえ、その形態事態はインターハイ第二回戦までと何ら変わらない。では、何が第二回戦との大きな違いとなるか。――それは、第二回戦とは違い、弱者となる高校がいないということだ。

 第二回戦までならば、県代表クラスの凡庸な高校であれ、進出の芽は残されている。しかし準決勝に進むには、そんな凡庸高校にとって、倒さなくてはならない相手があまりにも多すぎる。

 故に、準決勝の舞台に和了ることを許される、その多くの高校は、全国に名を馳せる強豪校であったり、それに対抗しうるだけの強者を要するダークホースであったりするのだ。

 

 Bブロック準決勝、シード姫松と、シード臨海が座るBブロックの第二回戦は、ある種対極的な試合内容であった。シード姫松の座る試合は、準決勝に進出すると思われていた強豪、姫松と晩成がまさかの敗退、ダークホース二校が激戦の末準決勝進出を決めた。

 シード臨海の座る試合は、臨海女子、及びそれに追従する永水女子の半ば一方的な試合展開。最後まで残る二校はその差を縮めることすらできず、敗退した。

 

 出揃ったカードは、強豪一校に、ダークホース三校、特に宮守女子は今年がインターハイどころか、県予選すらも初出場という様相のなかで、周囲の注目は自然と、ただひとつの強豪校、臨海女子へと向いていた。

 

 第二回戦の闘牌内容は、まさしく紙一重の一言。永水女子に後一歩まで詰め寄られた臨海女子は、果たしてこの準決勝、いかにして戦い抜くのか、対局は――臨海女子を中心に回る、だれもがそう、捉えていた。

 

 無論、それは何も間違いではない。少なくとも先鋒戦においては、まったくもってその通りと言わざるをえないのだ。

 

 

 ――Bブロック準決勝当日。

 対局を行う参加校が、会場の控え室へと向かっていた。控え室に向かうのはレギュラーの五名、残るチームメイトはそれぞれ別の場所で待機することが慣わしである。

 ――無論、宮守女子のような、部員総勢=レギュラーというような、参加人数ギリギリの高校はまた話が変わってくるが。

 

『――それでは、Bブロック準決勝、解説は……』

 

『瑞原はやりでーす☆ よろしくおねがいしまーす☆』

 

『よろしくお願いします。それでは、続きまして今日、準決勝で闘う四校を改めてご紹介いたしましょう』

 

 ――会場中に響き渡るアナウンサーの声。続き、非常に甘ったるいような、アイドルらしい声。瑞原はやり、通称『牌のおねえさん』であり、現役のプロ雀士でもある。

 

『まずは長野の強豪! 山奥からこのインターハイの会場へついに進撃! 狙うはただひとつの栄冠か!? ――龍門渕高校だ!』

 

 フラッシュのたかれた通路、その中央を進軍するのは龍門渕高校のまとめ役といってもいい少女、龍門渕透華である。どこまでも挑戦的な笑みを浮かべ、その右後ろには次鋒であり、透華の付き人でもある国広一が続く。

 更にその後ろは龍門渕のダブルエースコンビ、渡瀬々と天江衣だ。そして続くのは龍門渕レギュラー唯一の最上級生、依田水穂。ここにデータ班である井上純と沢村智紀の二名を加えた計七名が龍門渕の控え室入りメンバーだ。

 

『続いて、こちらは鹿児島の新鋭! 摩訶不思議のオカルト集団は、果たして不可思議に勝利をつかむのでしょうか! ――永水女子!』

 

 龍門渕高校はその制服の多様さから異様を誇る高校だ。しかしそれよりも、更に異様と思える高校がある。――その高校は、制服自体はいたって平凡な白とピンクのセーラーだ。

 前方を征く二名、一人は黒の山高帽をかぶり、大雑把に切りそろえられた黒髪を揺らす少女、永水女子の部長を務める三年生だ。足元まで伸びるロングスカートと、ノースリーブのアンバランスが特徴的である。

 もう一人は若干茶色味がかったロングを三つ編みにして前に垂らす、少し無口そうな少女。こちらは前をゆく少女と同程度の、一般的な少女らしい背丈に、若干アンバランスなスタイルとミニスカートが特徴だろう。

 

 そして、その後ろを歩く三人組、この少女たちが個性的だ。――制服ではない、のである。いわゆる巫女装束、それも旧来から使用されるものであり、決してコスプレに用いられるような雰囲気はない。

 それぞれ名を石戸霞。薄墨初美。そして神代小蒔といった。

 

『そして、今年度唯一である、初出場での準決勝出場校! 遥か遠く、イーハトーブの奥地から、このインターハイに舞い降りる! ――宮守女子!』

 

 宮守女子はまず、二人の少女、上級生である五日市早海と鵜浦心音が並び、その後ろに気だるげな少女――小瀬川白望が続く。が、どうやら彼女はその後ろ、同級生である臼沢塞と鹿倉胡桃に背中を押されているがためにこのような並びになっているらしい。

 小柄な背丈の鹿倉胡桃が、なんとか足に力を入れて踏ん張っているのが印象的だった。

 

『そして――』

 

 その通路には、それまで並んでいた記者たちの数倍はあるかというレベルのマスメディア関係者が並んでいた。無理もない、そこを通るのはこれまで紹介された高校とは、実績による格がそもそも違うのである。

 

『最強を称する絶対強者、アン=ヘイリー率いる臨海女子が、優勝のための覇道を歩く――!』

 

 中央に、アオザイの少女、アン=ヘイリー。そしてその脇に通常の制服姿のタニア=トムキンとシスター服のハンナ=ストラウド。更に後ろ、扇型のように広がったウチの、二人の少女。制服姿で歩くのはメガン=ダヴァン。そして最後に、和洋折衷の大正女学生。シャロン=ランドルフだ。

 

『以上四校のうち、決勝に進めるのは半分の二校、二つの高校がここで涙をのみ散ってゆく事となる――!』

 

『やはり臨海女子は有力候補です。この準決勝でも遺憾なくその実力を発揮してくれるとおもいます☆ それに初出場の宮守女子も、たった五人の部員でここまで上がってくるだけのポテンシャルは秘めているでしょう』

 

 話の締めくくり直後、解説である瑞原はやりが口を開く。それから一拍、何かを求めるようにテンポがあいた。残る二校の解説を実況に任せようというのだ。話の掛け合いの一種である。

 

『解説ありがとうございます。そして残る二校、龍門渕高校と永水女子はともに新鋭ながらも県では有数の強豪。今年はついに悲願の準決勝進出を果たしました! そしてこの二校の目玉はなんといっても大将の選手でしょう。ともに二回戦、派手な活躍で他校を圧倒しています!』

 

 ――かくして、準決勝を闘う四校は出揃った。それぞれ、切り札となるカードを抱えるか、もしくは勝利の想いを胸に秘めるか――運命の先鋒戦が、スタートしようとしている……

 

 

 ♪

 

 

 対局室は、半袖でも肌寒く感じない程度の、適度な空調が効いている。この常温である、というのがポイントだ。寒くても、熱くても、それはそれで対局者達の集中力を削ぐのである。

 

 最初に会場入りをしたのは、シード姫松の第二回戦を闘った両名、鵜浦心音と渡瀬々だった。

 

「きょうは負けないよー?」

 

 ――鵜浦心音:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 

 先に対局室へ到達していた心音が、壇上の上から、軽く振り返ってにやりと笑う。軽く顔を傾かせる心音に対して、それを見上げる瀬々は軽く顔を上げて軽く笑みながら応対する。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ――渡瀬々:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 

「わー、他人行儀」

 

「性分ですし、これからボコボコにする相手に気安くするのは気まずいじゃないですか」

 

 両者ともに、第二回戦での闘牌によるライバル意識のようなものがあるのだろう。軽口を叩き合いながら準決勝卓が鎮座する階段上へと足を進める。

 ――その時だった。

 

 

「……それは、私にも該当するのであるか?」

 

 

 ――永水女子の制服に、山高帽。先鋒を務める少女がそこに立っていた。

 

 ――土御門清梅(きよめ):三年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 

 これで対戦校のうち、三校が出揃った。

 そして――

 

 

「――なに、気にする必要はないでしょう」

 

 

 その少女は――驚くほど自然にそこにいた。

 いつから? 果たしてそんなことを問いかける意味があるのだろうか。それとも答えれば、一からもういちど、“それ”を教えてくれるだろうか。

 

(……だれも求めちゃいないだろーな)

 

 その場においておそらくもっとも平然としていただろう瀬々ですらそう考えた。それくらい、そこに在る少女は圧倒的であり、驚異的だった。

 

 そう、

 

 ――アン=ヘイリーはすでに、対局者の座る席に、付いているのである。

 

 一拍、それこそ絶望をたっぷり駆り立てるような間を空けたアンが、それから改めて言葉を大きく広げる。

 

「――私が、これから全員、平等にのしてあげるのですから」

 

 ――アン=ヘイリー:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 

(やっぱこいつ、人の心をまるっきり完璧に掴んでやがる。いわゆる“ツカミ”は完璧ってところか)

 

 ちらりと、対局者達をみればそれは分かる。

 どちらも表情にはそれを明らかにしてはいないが、明らかに怯えている――萎縮しているといったほうがいいのかもしれない。

 かく言う瀬々は、すでにそんなことは浮かべてはいない。

 

「……あ、」

 

 すっかり歩みを止めて階段の途中で立ち止まっている心音の横を通り過ぎる。――ポツリと漏れた言葉があった。それを置き去りにして、瀬々だけが、アンの待つ卓の前へと歩み出る。

 

「待っていましたよ、瀬々」

 

「こちらこそ。そっちが健勝そうでなによりだよ」

 

「おかしなことを言ってはいけません、なんとかと高いところ好きは風邪を引かないと言いますからね、私は高いところが大好きなんですよ」

 

「ばーか」

 

 卓上には、よっつの牌が置かれている。それぞれ方角を表す、{東南西北}の計四枚。すでに最初の一枚、{北}がそこには開かれていて――アンもそれに対応した場所へ座っている。

 瀬々がそこへ手を伸ばした。

 

 現れるのは、{南}。アン=ヘイリーと向い合って座る席だ。

 

「運命を感じます、嫌いじゃないですよ?」

 

「行ってなよ……さて、それじゃあ――」

 

 椅子を勢い良くスライドさせながら、瀬々は軽く笑んで振り返る。――そこにいるのは、呆然と瀬々、そしてアンの会話を見守る二名の雀士。

 フリーズしている両者へむけて、軽い声音で声をかけるのだ。

 

「――始めましょうか?」

 

 階段手前で足を止めていた両名へ、どこか挑発めいた流し目は、少女たちを奮起させるには十分だったのだろう。ようやく意識をはっきりとさせた心音と清梅は、再び意識を好戦的に切り替えて、そうして自身の勝利のため、卓上に転がった牌へと、手を伸ばした――

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:鵜浦

 南家:渡

 西家:土御門

 北家:ヘイリー

 

 

 ――東一局、親心音――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 開始直後、手牌に変化を覚えたのは、まず瀬々の手牌からだった。

 

(六巡目、手牌としてはかなり上々だろうな)

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五五六③③③4467(横8)}

 

(このあと六巡もすればドラと平和がついて再テンパイできるけど……更にその前に、次巡ツモで一発だ。――当然ここは、速攻で行く)

 

 当然、と語る瀬々はしかし、どこか勢いに任せた姿勢がかいま見えた。ただ当然なのではない、必要性があるから当然なのだ。

 ――一瞬、意識をアンへと向ける。視線は向けない、アンはそういったことには敏感だろう。こちらが意識しているということを、欠片でも情報として与えてやるつもりはない。

 

(ある程度、全員の能力は把握してる。宮守の人はこれ以上の隠しダマは無いし、永水の人は今回使おうとしてる隠しダマが、この局で作用する恐れはない。――となれば、全容がしれないのは、アンのチカラだけだ)

 

 ――いや、とそこまで考えてアンのチカラ、という部分を瀬々は打ち消す。アンの雀風はチカラと呼ぶのはおこがましい(・・・・・・・・・・・・・・)

 

(とにかく、それを含めて、アンの思考の中――感情の有無を判別に必要とする状況を、実際の現象から導きだす。つまりこれは――一種の実験だ)

 

「リーチ!」

 

 瀬々/打{六}

 

 他人の思考までを、瀬々は読み取れるわけではない。故に、アンの思考の中にあることまで把握することはできない。しかしそれが行動として示されれば、瀬々は答えとして受け取る事ができるのだ。

 

 ――故に、ここで瀬々はリーチを打つ。

 読みとる内容はズバリ、瀬々のチカラをどこまで把握しているか。――傍目から見れば、瀬々のチカラはそう簡単には読み取れない。

 だからこそ、超越の雀士であるアン=ヘイリーが、どこまで瀬々のチカラを判別するか。

 

 そのために、今まで瀬々が切ってこなかった札を、――リーチ一発によるツモの選択肢(カード)を、切る。

 それに対して、いかにアンが手を打つか。

 

 一発に対する――それぞれの反応は明らかだ。臆せず攻めるものもいれば、萎縮して受け身に回るものがいる。この場合、前者が永水で、後者が宮守だ。

 ならば、臨海は? アン=ヘイリーは?

 

 ――その正解は、端的に言えばそう、“答えが読めない”とでも言うような、モノ。

 

 

「――チー!」 {横657}

 

 

 攻めこむ手札が、はたして功を奏するか。そんなことなど最初から期待していないかのような、無表情。動きの見えない感情に、瀬々が内心舌を巻く。

 

(……まいったな。永水の牌を鳴いたっていうのが、それが限界なのか、それともわざとなのか、判別がつかない。やっぱりこいつは、そーいう(・・・・)打ち手なんだな)

 

 ただこの状況で鳴いてきたのならば、解る。表情に出てくるほど感情が揺らめいているのなら、解る。しかしアンはそれをさせない。自分の鳴きが、強烈な攻めを伴うものなのか。はたまた一発を避けるための受け身によるものなのか。

 その境目の、判別がつかない。否、つけさせない所作でこちらに隙を与えないのだ。

 

 続く永水のツモ、手出しで現物を切る。――オリたわけではないだろう。少なくとも、今の永水にはそれほど悪い風が流れてはいないはずだ。

 

(まぁ、裏筋である{五}を抑えても、十分自摸れると、そう判断したんだろうな、手は悪くないはずだし、それよりも……)

 

 次は、臨海女子、アンのツモだ。――アンの手元から、卓の上へゆらりと右手が浮かび上がる。他者にはそれが、ふとそこに現れたように、認識されるのだ。

 

 伸びる右手が、まるでアンの姿から独立したかのように前へ伸びる。

 

 ただ在る、右手。

 しかし同時に、ただそれだけのツモ動作が、嫌に大きく思えるのを、他家は感じているだろう。そう見えるように、アンが手を動かしているのだ。

 

 ただただ強大。

 ただただ絶大。

 

 それがアン、アン=ヘイリー。

 

 そして、打牌。放たれたのは、{東}生牌の役牌。

 

(…………安牌に見えるから、打ったんだろうな。けども、周りからはそう見えないよな)

 

 あまりにも大胆な打牌。前局の鳴きから、この打牌はあまりにも、攻めに特化しているように思える。そう見えるように、手を動かしている。

 

(もしも、ここから本人が和了るつもりなら、{東}は多分、槓材になっているんだろうが、どちらにせよこれで、他家に対する揺さぶりとなることは確かだ。たとえば――)

 

 清梅/打{二}

 

 それは四巡目に瀬々が切った牌。安牌である。

 

(これで間違いなく、永水はベタオリだ。無論、最初からオリ気味だった宮守も。――アンは、それを間違いなく自分の手で引き出したわけだ)

 

 ――ならば、どうだ? アンは一体、どこまで瀬々のことを理解している? 次巡、さらにもう一巡、少しずつ切り開かれていく山を眺めながら、瀬々は考える。

 

(結局のところ、アンがそれを読み取らせてくれないのは事実だ。でも、もしもそれを知らずに、ただ攻めるため、守らせるために鳴いたのなら、それを隠そうとする理由はないんじゃないか?)

 

 これくらいは考えが及ぶ。――おそらくは、その程度ならばアンも最低限の情報であると諦めているのだろう。ならば、結論はすぐに生まれる。

 

(アンは少なからずあたしのチカラを理解してる。完全ではないにしろ、一発ツモが確定していることくらいは、おそらく)

 

 だとすれば、これはどうか――瀬々は自身のツモに手をかけ、そして考える。ここまでアンは一度鳴いただけ、可能性の糸を手繰れば、おそらくすでにアンはテンパイしているはずだ。

 テンパイを崩さずとも、こちらのツモより手が早いとみたか、それとも鳴いて動くことができなかったか。

 

(こいつの特性を鑑みれば多分前者だろうが、ともかく……)

 

 掴んだ牌は、一息に振り上げて、盲牌。――そのまま卓上へと叩きつける。

 

「ツモ! 1000、2000!」

 

(こいつはもう、防ぐことはできゃしない!)

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五五③③③44678横4}

 

 ――ドラ表示牌:{2} 裏ドラ表示牌:{北}

 

・龍門渕『104000』(+4000)

 ↑

・臨海 『99000』(-1000)

・宮守 『98000』(-2000)

・永水 『99000』(-1000)

 

(ってか、あぶねーよな。裏ドラ{東}じゃんか。まぁ、あたしのリーチで鳴かれたから、それ自体は関係ねーんだけどな)

 

 とはいえ、ドラ一平和を狙って手を進めていれば、おそらくアンはこれに対し暗槓からのリーチを仕掛けていただろう。最悪、役満クラスを覚悟する必要もある。

 

(とにかく、問題はここからだ。まずはひとつ、和了れた。けどそれ以上はどうだ? アンが許してくれるかどうか――あたしがアンを越えられるかどうか。全部はここから、ここからなんだ)

 

 点棒を受け取って、一息。されどそれ以上はない。

 あくまでここは準決勝という魔窟。魔の住まうところに、瀬々はすでに立っているのだ――

 

 

 ――東二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

(……やはり、一発でツモっていましたね? 渡瀬々)

 

 ほとんど直感による確信から、アンは内心でほくそ笑む。無論それは表情には出さない、あくまで必要ではないから――ではあるが。

 

(牌譜を見た時から、あなたの打牌選択にはデジタル的な実力が伴っていないように思えた。となればあなたのチカラはオカルトに依るもの、ということになる)

 

 ――アン手牌――

 {二三四④⑧⑨34588西北(横八)}

 

 アン/打{北}

 

 配牌直後の第一ツモ、ここからアンは少しだけ考えて、打牌を選ぶ。それ自体は何らおかしさもない、至って平凡なもの。だがそれを、仰々しく放つことで、アンは手牌の下準備へと様相を変質させる。

 勢い良く周囲に響き渡る打牌音。音の響き方一つで、そこから伝わる他者への印象は、大きく変わってくるのだ。

 

(そこで私が考えたのは、瀬々がいったいどのように打牌を選択するか――ということ)

 

 思考はあくまで、渡瀬々という少女に対する情報の整理。しかしアンの動きはそんな思考の外に外れている。一つ一つの動作が染み込んだ技術によって成り立っているのだ。

 

 アン/ツモ{六}・打{西}

 

 意識することなく行動が可能であるほどに、アンはその動作に熟達している、というわけである。

 

 ――たとえば。アンの思考がそんな風に浮かび上がる。

 

(たとえば、この手牌)

 

 ――アン手牌――

 {二三四六八④⑧⑨34588(横七)}

 

(私の場合は、ここでドラを残す選択をします。しかし通常であれば、この手牌は愚形テンパイ。リーチをかける選択をするでしょう。ただし、瀬々はその選択が確定しない。むしろ、ドラを残すことが多い)

 

 アン/打{⑧}

 

(その上で、瀬々はその牌に対する有効牌をほぼ必ず引いてくる(・・・・・・・・・・・・・)。例外は――)

 

 心音/打{8}

 

「……ポンッ!」 {88横8}

 

 ――例外はほぼすべて、他家が牌を鳴いた時だ。

 

 瀬々の顔は、動かない。アンと同様に、あくまで鉄仮面のまま、闘牌を進めている。

 

(――けれども、動揺しているでしょう? しているはずですよ、牌をなくこと、それに対する手札があったとして、それでも副露が、ウィークポイントであることは変わらないはずです!)

 

 

「――ツモ!」

 

 

 振り下ろされる右手は、圧倒的な暴圧を伴う。それがアンのスタイルであるからだ。――同時に、それがアンの、猛烈な意思でも、あるからだ。

 

「……1000、2000!」

 

・臨海 『103000』(+4000)

 ↑

・龍門渕『102000』(-2000)

・宮守 『97000』(-1000)

・永水 『98000』(-1000)

 

(さぁ、先鋒戦はここからです! 瀬々にしろ、永水にしろ宮守にしろ、私が直接、叩き潰してあげますよ!)

 

 叩きつけた右手を少しだけ牌から離しながら、今にもそれに得物を伴い振るうかのように、アンは挑発的な笑みを、浮かべるのだった――




準決勝開始、最初の見せ場の対アン戦です。
今回は導入も含んでいるので闘牌は短いですが。
あとアナウンサーには名前ありません。特に決定する予定もありません。


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『幸運の西の風』先鋒戦②

 ――東三局、親清梅――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 配牌と第一打、さらには理牌、ここまでを終えて麻雀は一息だ。無論そこからさらに次の手牌、次の状況を思い浮かべながら他家の観察にうつるのであるが、前局の余韻はここで、完全に消え去ったといって良いだろう。

 

 無論、それはこの前の局が、さほど高くもない喰いタンドラドラであったからだが。とはいえそれも、あのアン=ヘイリーが和了ったとなればまた話は別だ。

 

(やっぱり、臨海さんはつよいな。それに多分、意識しているのは渡さんか。ちょっと妬いちゃうなぁ。ま、張り合うつもりはないけど)

 

 自分なりの立ち位置、というものがあると心音は考える。ようは人付き合いと同じだ。時節とともに薄れたり、濃くなったりする立場は多く在る。アンの意識における自分も、またそれは同一だろう。意識が薄いのであれば、薄いうちに大きく稼ぐ。

 

(ずっと一緒にいたいと思う人は一人でもいい! ――思い出にとして、ずっと心の中に残り続ける人は、いるけどね!)

 

 なんともまぁ、とっちらけな意識だろう。そう思わざるを得ない状況ではある。それでも、自分自身が楽観的であればあるほど、挑むという意思は大きくなるのだ。

 

(臨海さんの一番やっかいなところは何よりも、テンパイ速度、さっきの喰いタンドラドラ、一度テンパイしたのをわざわざ崩してから手を作ってた。ふざけてるね全く)

 

 つまり、わざわざ手を崩す余裕があったということで、同時にその段階で、すでにテンパイするだけの速度を持っているということでもあるのだ。

 超高速テンパイと、それを一度崩してなお十二分な和了速度、それがアン=ヘイリーの強みなのだ。

 

(とはいえ、それも絶対じゃない。東一局は全然速度が伴わなかったし、テンパイしても和了する感じがしなかった。打点だって低かったし。――この局だって、臨海さんの手は、まだ一向聴だ)

 

 思考と同時に、ぐぐっと握りこんだツモに、確かな実感が伴う。――心音の盲牌精度は高くはない、それでも、この牌は確信を持って、有効であると判ずることができた。

 

 ――心音手牌――

 {二四六②③④⑦⑨24889(横3)}

 

 これで、二向聴。心音の感覚が告げる“牌の声”による、アンのシャンテン数へ近づいた。ほくそ笑みように、ひっそりと心音は頬を緩ませる。

 

(まずひとつ、追いついた――あとはこれを、完成まで持ってく!)

 

 心音/打{9}

 

 ――が、

 

 瀬々/打{8}

 

 その、直後の事だった。

 

 清梅/打{中}

 

 清梅の打牌直後、いまだ慣れないアンの所作、それに伴って――更に一つ上の動作が、降って湧いて――襲いかかる。

 

 

「……リーチ!」

 

 

 ――なっ、と。漏れ出そうになった声を、心音はどうにか、息を呑むような音で収めた。

 

 アン/打{9}

 

(……ッググ、ヤッパリ来たか)

 

 アンがねじ曲げた打牌、そこからある程度の察しはついた。それでも、心音の苦渋はとまらず、苦々しげな表情が、感情全体を支配していく――

 

 

(やっぱ仕掛けてくるか……ね)

 

 そんな心音の様子を、傍目から見守るものがいた。無表情の中に、観察の意思を込める、渡瀬々の双眸だ。それが、悟られぬようにしながら心音を鋭く見やっていた。

 

 宮守/打{六}

 

(あー、畜生、たしかにそこも現物だけど、あたしがほしい牌はそこじゃないんだよな)

 

 ――瀬々手牌――

 {三三四12356789北北}

 

(一発消しは、無理か。ってなると自摸られるな。――がまぁ、問題はそこじゃない。やっぱアンのやつ、宮守のの弱点に気づいてやがるな?)

 

 ――宮守女子、鵜浦心音のチカラは万能ではない。瀬々のそれと似通った、最適解を知るという類のチカラは、その副産物として他家のシャンテン数を知ることができる。

 しかしこれには落とし穴がある。端的に言えば、“和了り目のないテンパイはテンパイと認識しないのである。

 

 たとえば{79}の嵌張待ちが、{8}が純カラであるために和了ができない状況にある場合、心音のチカラはそれを嵌張待ちのテンパイではなく浮き牌二つの一向聴と見て取るのだ。

 ゆえの、奇襲。それこそ、第二回戦で見せた瀬々の暗槓による強引な手の進みなどに、心音は意識を対応させられないのだ。

 

 ――この場合は、端的なテンパイであるがそれでも、本来であればテンパイであったという事実が、心音の意識に浸透するのである。

 

(ま、あたしのやったのにしちゃあちゃちだが、二番煎じは好かない、か)

 

 瀬々の意識が、諦めに近く寄り、手牌を倒しクローズにする。直後に、アンの宣言が響いた。――その手牌を見ることで、より一層、心音の顔が青ざめる。

 

 

「――ツモ! 2000、4000!」

 

 

 ――アン手牌――

 {二二二六七八①①①3388横8}

 

 ――ドラ表示牌:{三} 裏ドラ表示牌:{發}

 

・臨海 『111000』(+8000)

 ↑

・龍門渕『100000』(-2000)

・宮守 『95000』(-2000)

・永水 『94000』(-4000)

 

(ドラは乗らない――か。いやさ、今は東三局だったな。丁度開局時西家の席が――親になる番だ)

 

 それもこの半荘、仮親がそっくりそのまま親になった。この対局室は仮親の席がそのまま東の方角になる。つまり今の西家が座っているのは方角としてみても西である、というわけだ。

 

(衣いわく、土御門――だったか。かつて日本の陰陽師全体を取り仕切っていた家系。安倍晴明っていやぁ、あたしでも知ってるな)

 

 超心理学、いわゆるオカルト。麻雀にも当然のように使用される用語ではあるが、その本質上、本場といえるのはやはり魔術や悪魔といった、常識外の分野だ。

 残念なことに、麻雀におけるオカルトならばともかく、本物のオカルトに瀬々は疎い。それというのもそもそも、自分自身がそのオカルトそのものであるという事実。さらにそのオカルトが、恐ろしいほど即物的に使用できてしまうという現状が、オカルトにおける本質、神秘の世界への意識に壁を作ってしまうのだ。

 

 その点衣は、自分自身の異質を幼少期から強く自覚し、考古学者であり、そういったことへの造詣も深い両親から、半ば英才教育のように様々な知識を与えられていたため、そういったことは衣の専門であるのだ。

 

(でもまぁ……こちとら一般女子と付き合いをしなくちゃいけない身なんだよ、風水っていったらあたしも解る。――案外単純な話だよな)

 

 風水、それにおける西は、つまり金運。――土御門清梅は陰陽師である。それもこの麻雀の舞台においてチカラを発揮するような、そんなチカラを持っているのだ。

 得意分野は、風水。いまこの半荘における、幸運の西の風を、清梅は支配するのである――

 

 

 ――東四局、親アン――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(ここからが、ほんとに気をつけなくちゃいけないところだぁね)

 

 手牌を鑑みながら、気合を入れなおすように心音は意識を切り替える。前局、テンパイを一向聴んと読み取った自身の目。それによる衝撃は、生半可なものではない。

 ある程度、手を止めざるをえない程度には。

 

 それでも、次局はアン=ヘイリーの親番だ。ここでもし、アン=ヘイリーの連荘を許してしまえば、宮守は窮地に立たされてしまう。

 それだけは、絶対に避け無くてはならない。

 

(……アン=ヘイリーの手牌は三向聴、手牌さえ良ければ十分上回れる!)

 

 ――心音手牌――

 {三五七②②②⑧⑨13北發發(横5)}

 

(両面無し、ドラ一つだけど活かしにくい。それでも私なら、これくらい簡単にテンパイに持ってけるんだよォ!)

 

 鵜浦心音のチカラ、牌の声を聞くというそれは、主にムダヅモがないということは、それだけで大きなアドバンテージとなるのだ。

 ――故に、

 

 心音/打{北}

 

 ――そのツモは、心音の感覚には、異様なほど異質に思える。

 

 心音/自摸切り{一}

 

 心音/自摸切り{9}

 

(……ん、手が重い、鳴ければ空気が変わるんだろうけど――)

 

 自身の感覚が、それを受け取った心音本人が、ようやくそこで、凝り固まった場の空気を理解する。――重苦しいのだ、今この状況が、異様なほどに、重い。

 

(臨海さんの闘牌スタイルはいうなら豪運快速型、他人よりも早く和了るということに主眼を置かれたような打ち筋。他家の手を縛るような配牌はこれまで見られなかった……となると、これをやってるのは……永水さんか)

 

 ――永水女子先鋒にして主将、三年生の土御門清梅は、明らかにオカルトへ傾倒したような打ち筋だ。しかし、そのオカルトはどこかブレのような物がある。

 結局それは準決勝開始直前になってもなお、全容を知る事ができなかったのだが――

 

(ここに来て、また新しいオカルトか。一体どれくらいの手札を抱えてるんだろーな)

 

 だが、それもあってか、この局はなんとでもなるだろう。さすがのアン=ヘイリーといえど、初見のチカラにまで、完璧な対応をできるはずも、ないのだろうから――

 

 

(……っと、{發}が重なったかぁ)

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五九九⑤⑦⑧345發(横發)}

 

(土御門清梅――さすがにこれ(・・)をなんとかするチカラはない、か。とはいえこの{發}、絶対に鳴けない牌だ。その上で、王牌に{發}は無いから、誰かが対子で抱えてるってことになる。ここからテンパイに持って行くなら、{九}を切って頭を{發}にするのが最善になるな)

 

 ――とはいえ、それには少しばかり速度が足りないことだろうが。

 問題はそこではない、土御門清梅の手牌はおそらくそろそろ一向聴、テンパイにとるのであれば、瀬々はたった二枚しか無い{九}を、それも鳴いてずらされなければ掴むことのできない牌を待ちとして、他家に勝負を挑まなくてはならない。

 

 その上――

 

(アンが不気味だ。永水の奴は他家の運気を吸収して手を縛り、自分の手の打点を上げている。――それはアンですら裏ドラがのせられるか不透明になる強烈なもの……それはわかってるはずなんだが――某か、アンが動いてくる気がしてならない)

 

 ――他家はこのアンの親番、アンという少女を最大限に警戒しなければならない。だというのに、それこそがアンの狙いだと言わんばかりに、今のアンはとにかく静かだ。

 

(あたしから見える情報と、宮守の鵜浦さんの様子を見る限り、アンの奴はまだ手牌を一向聴にもしすめていないはずだ。だとしたらこの感覚は――やっぱこいつの術中ってことかよ)

 

 ちらりと、アンの方を垣間見る。それこそ東二局でのまるで的の中央を射たかのような的確な鳴きを見せられた時以上に、今の瀬々は狼狽して言う。

 他家の精神的な疲労すらも、アンニしてみれば一種の攻撃手段だ、ということ。それだけアンは的確に、人の心理をつくことに長けているのだ。

 

「リーチ!」

 

 だからこそこの局、アン=ヘイリーは動かない、それこそまるでそれが当たり前の姿であるかのように。たとえ永水、土御門清梅からのリーチ宣言があっても、同じ事。

 

 

 ――動けないはずの手牌すら、アンは武器に変えてくる。

 

 

「ツモ――! 4000、8000である!」

 

 

 ――清梅手牌――

 {45678999東東南南南横東}

 

 ――ドラ表示牌:{⑦} 裏ドラ表示牌:{8}

 

・永水 『110000』(+16000)

 ↑

・臨海 『103000』(-8000)

・宮守 『91000』(-4000)

・龍門渕『96000』(-4000)

 

 

 清梅が切り開いたはずの活路。しかしその終着点は、――アン=ヘイリーによって、束ねられているのだと、そう思わせるほどの、チカラが今、そこにある――――

 

 

 ――南一局、親心音――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

「――ポン」 {發發横發}

 

(む、ツモが戻ってきても、素直に喜べねーよう)

 

 アン/打{五}

 

 アンの鳴き、それにより心音の払った{發}が浚われた。勢いよくスライドした牌が、カンッと異性のいい音を響かせて跳ねる。余裕ぶったアンの態度が、そこには現れているような気がした。

 不意に、心音の視界がぶれた。

 

(……疲れてるのかなぁ)

 

 ぼやき、それからツモへと手を伸ばす。ダルいということはない、手にもまだ、チカラが宿っている。それだというのに、この感覚は一体南なんというのか。

 

 ――心音手牌――

 {二二四四五⑧⑧⑨34北北(横⑧)}

 

(重なった。臨海さんの鳴きで随分流れが変わったけど、こっちの手牌に対して臨海はテンパイ、一手の遅さが否めない)

 

 考えながら、自然と伸びた{⑨}への手を触れる直前で、心音は差し止めて考える。何度か頭を振って、意識を別の方向へ切り替える。

 

(まずいまずい、この対子場の状況で、ヤオチュー牌が生牌っていうのは正直おかしい。{⑧}が三枚あるから通りそうだけど、対々和が十分あり得る以上、この打牌は不用意だよ)

 

 今の自分が気にするべきことは、テンパイであることを事実として認識し、気をつけ無くてはならないということだ。

 

(幸い今なら現物がある。この牌を切っていくのは、勝負手を張っていざ勝負、そんな状況で構わない――!)

 

 心音/打{五}

 

 ――その直後の事だった。どうやらテンパイにこぎつけたらしい永水が、心音の止めた{⑨}を手出しで切り、放銃。

 

「――8000」

 

 苦しそうに、うめき声を上げるのだった。

 

・臨海 『111000』(+8000)

 ↑

・永水 『102000』(-8000)

 

 そして、南二局、心音に四巡目にしてタンヤオ手のテンパイが入る。当然リーチをかけ勝負に出た心音、アンの動きは龍門渕の打牌を鳴くこと、それによる一発消しにとどまった。

 

(――なんだか知らないけど、動かないのならそれでもいい。一発は消えても、和了は和了だ)

 

 意気込んだ心音の思考の元、和了り牌を掴むまでに、五巡。その間、龍門渕は完全にベタオリ、残る二校の動きはしれないまま、この南二局を終えることになる。

 

 そしてつづく南三局。

 ――この日最初の衝撃が、インターハイ会場すべてを包んだ。

 

 

 ――南三局、親清梅――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 実況席、実況を行うアナウンサーと、それに対する解説者、瑞原はやりが座る場所。

 小さな個室に、しかし二人というメンバーはさほど余裕のある状況だ。

 

「きまったー! 南二局は宮守女子の初和了、これで焼き鳥脱出です!」

 

「かなり高速のテンパイですが、この手を作れるのは、やはり鵜浦選手のような手作りセンスがあってこそだと思います☆」

 

「そうですね、これは龍門渕の渡選手もそうですが、鵜浦選手はとにかくムダヅモが少ない、まるで牌が見えているかのように!」

 

「牌が見えるという事はありませんが、やはりこの辺りは鵜浦選手の巧いところでしょう」

 

 まるでオカルトを前提で語るかのようにシャウトするアナウンサーを、はやりが宥める。とはいえ、そのはやり自身が高いテンパイ速度を武器とする、まるで牌が見えているかのような雀士なのだが、とかく。

 

「そしてこの局も臨海女子、ヘイリー選手は沈黙です。東一局でもそうですが、リーチ直後に鳴いたあと、一切手を進めることもない――!」

 

「他家からみてもそうですが、鳴いてからツモった牌はすべて、リーチ者の現物です。このまるで謀ったかのような感はアン選手の強みですね☆」

 

「アン選手といえば、その謀ったかのような感、ですね。一つ一つのツモや動作が、まるで本人の手のひらの上であるかのように動く、という」

 

「麻雀は非常に複雑なゲームです。ですので一人の雀士が卓上すべてをコントロールするのは難しいですが、それでもまるで“動かされている”という感覚そのものが、アン選手の武器になってしまいます」

 

 コロコロと、卓上を柔軟に転がる何かのように、軽快なリズムで語られるアナウンサーの言葉を、逐一上乗せするようにはやりが語る。

 そのどちらにもよどみはない。アナウンサーはそれこそが本職であるが、やはりはやりも、こういったことには慣れている、ということだろう。

 

 そしてその語る内容は、アン=ヘイリーの闘牌に集中する。

 他家に対して、まるですべてを見透かしたかのような態度をとることで、勘違いを起こさせるのがアンの雀風だ。アンの振る舞いすべてがある種の張ったりである、それは一種の共通認識として対局者へと広がってはいる。しかしそれでも、アンは未だに強いのだ。

 

「解っていてもなお、どうにもならない存在。アン選手はただそういった態度をするのではない、そこに持ち前の豪運でもって、そういった態度を、成立させるだけの機運を持っています」

 

 そう、それこそがアンの本当の強さ。アンが自身を最強の高校3年生だと、称するだけの、最大の土台。

 

「――その一つが、このような形で、姿を表すことができる。もはやそれは、圧倒的な理不尽に近いものですけどね☆」

 

 物々しい様相で、不意にはやりが声音を低くする。それこそいかにそれが周囲の不安を掻き立てるか、完全に把握した上で、まるで獲物を狩るかのように、はやりが嗤うのだ。

 実況解説の情報は、声しか響かないがゆえに、やりたい放題であるといえる。

 

「なんか、牌のおねえさんがしていい顔じゃない気がするんですけど……」

 

 アナウンサーの苦笑混じりのツッコミは、小さく、マイクの向こう側へと漏れて、消えていくのだった……

 

 

 ――対局室――

 

 

 配牌を終え、心音は心機一転、意識をもう一度前傾にする。無論ここまでの対局、そのほとんどがかなりポジティブな心音の思考が全開になっているとはいえ、それでも何度か、心音は自身の精神を揺さぶられていることを自覚している。

 アンの術中にハマっていることくらいは、理解しているのだ。

 

(それでも、負けられないことは負けられないし、ここは団体戦の舞台なんだから、負けたくなんか無いわけでねぇ!)

 

 純カラの嵌張を察知できなかった感覚の失敗。ムダヅモがないという大きなアドバンテージを持ってなお追いつけない速度、いちいち心音の心胆に直接物理で殴りかかってくるかのような圧迫感。

 ――それでも心音はこの対局、前を向かざるをえないのだ。

 

(……さーて、それじゃあまぁ、行ってみましょうか)

 

 ――心音手牌――

 {三四四五②②⑤⑦⑧1369}

 

 ――だが、そんな心音の心境をあざ笑うかのように、さらなる揺さぶりを、アンはかけてくる。――それこそ何もかもを叩き潰さんがために。

 ――おのが覇道を、世界の全てに刻み付けるかのように。

 

「……ナッッ――!」

 

 いよいよもって、心音の口から驚愕が漏れた。

 

 アン=ヘイリーの第一打。単なる牌の打牌はしかし、一瞬にして攻撃的な最も攻めの姿勢に変わる。牌を横に、“曲げる”のだ。

 

 

「――ダブル立直(リーチ)!」

 

 

(そん、な――)

 

 ここに来て、このテンパイ、馬鹿げているかのような配牌が、今目の前で起こっているのだ。

 

(こっちの配牌は、かなり良い感じの配牌で、普通に進めれば和了までは行かなくても、テンパイくらいは余裕なはずの配牌で……)

 

 心音/ツモ{5}

 

(ふざけんな……! 安牌、なしかよぉ)

 

 勢い良く猛った感情が、それから急速にしぼんでいく。自分を守れるようなものがなく、踏み込むにもそこにいるのは圧倒的な絶望感を抱かせるに十分な相手。

 勝てるわけがないと、膝をつきたくなるような相手。

 

 ――負けたくはないのだ。

 ――諦めたくもないのだ。

 

 ――――それでも、ダメなのだ。

 

 そこには間違いなく、心音には手も出せないような存在がいて、それが心音を踏み潰しにかかってくる。それが心音には解るのだ。――どうしようもなく、解るのだ。

 

 伏せた顔。ウェーブがかった、本来であればスカーフに隠された前髪が一房、心音の顔を覆う。影に隠れた顔からは、どうしようもないと途方に暮れる、傍観のそれが、伺えた。

 

 それから、ポカンと開いた口。塞がらなくなったそれを、無理やり歯ぎしりのような食いしばりに変わって――

 

(……やって、やる。やってやる! このくらいで、諦めてたまるか!)

 

 心音/打{9}

 

(こんなん当たったら、事故だってーの!)

 

 ――そして、

 

 アンは、

 

 手牌を、倒さない――

 

 ふぅと一息、切り替わった心音の視点。ようやく見えたアンへと挑むための一本道。――その先に見えるものはなくとも、進まなくてはならない道程。

 

 ――それが、

 

 

 心音の目の前で、無残に禍難、大厄に、叩き壊す、者がいる。

 

 

「――ツモ」

 

 

 アン/ツモ{9}

 

(……な、)

 

 勢い良くたたきつけられた牌。それに心音の目線が、いよいよ持って驚愕に見開かれる。――ありえないこと、あってはならない光景が、そこには転がっていた。

 

 ――アン手牌――

 {一二三六七八45678中中} {9}(ツモ)

 

「ダブリー、一発ツモに、裏は――」

 

 ――裏ドラ表示牌:{發}

 

「二つ! 3000、6000!」

 

・臨海 『122000』(+12000)

 ↑

・龍門渕『91000』(-3000)

・宮守 『92000』(-3000)

・永水 『95000』(-6000)

 

 和了れていたはずの手。それを無視してでも自身のツモに持っていった和了。失っていたはずの心音の点棒。アンが手に入れたそれ以上の収穫。

 

 それを同時に認識した時。

 

(――あ、)

 

 ――心音の中で、何かがぐにゃりと、へし曲がる音がした。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(オーラス。二度目の、臨海さんの親番)

 

 ――なんとかしなくてはならないはずだった。心音はアンと直接卓を囲む雀士の一人で、宮守を背負わなくてはならない立場にあって、――それでも、どうにもできない現実が、そこにはあった。

 

(でも……臨海さん、もうテンパイだやぁ、これはどうしようもない、かな?)

 

 ――どうにかし無くてはならない状況で、どうにもならないことが心音にはわかってしまうのだ。自分の手が異様なほど進みが遅いということも。

 それによって、心音自身が、意思を薄弱にさせているということも。

 

(こんなの――現物以外切れないよ、でも)

 

 ――心音手牌――

 {三四四八九④④⑦⑨79西西(横七)

 

 ――アン捨て牌―― 

 {1發8二東南}

 

(安牌、全ッ然ないなぁ)

 

 ガシガシと、頭を掻き毟りたくなるような衝動を、ギリギリでおさめる。体中の落ち着かない感覚が、自身の平常を否定していた。

 ――それでも、この卓に座った以上、心音は逃げ出すこともできないのだ。

 

(理想としては{7}だけど、結局は無筋とそんなに変わらない。むしろ{9}のほうが通りやすいくらい。二枚切れで序盤に裏筋が切られてる。――{7}は私の視点から、四枚見えてる)

 

 そうであるならば、だ。

 

(もしも{9}を待ちにするなら、地獄単騎以外ありえない。だからこの牌は、通る――はず!)

 

 心音/打{9}

 

 ――が、しかし。

 心音の打牌音は直後、よく似たような、しかし別物の何かによって遮られた。それは、誰かが手牌を開いて、立てる音。

 

 

「――ロン」

 

 

 ――アン手牌――

 {一二三七八九⑨⑨⑨1239横9}

 

「……7700!」

 

・臨海 『129700』(+7700)

 ↑

・宮守 『84300』(-7700)

 

(……なんなのさ、もう!)

 

 顔を伏せて、点棒ケースを開けて、手にした点棒は、自分自身の心だろうか。――それすらもわからないような状況で、心音は重苦しいにも程がある嘆息を、吐き出すのだった。

 

 

「さぁ――一本場ですよ!」

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

(さすがではある――が、同時に不可思議でもある)

 

 土御門清梅は自身の中に浮かぶ違和感を、丁寧に一つ一つ解きほぐしてもなお、どこか心の奥底にのこるしこりのようなものに、違和感と、いいえもしない不和を抱いていた。

 その対象はやはり、英雄、アン=ヘイリーにあろう。

 

(南三局のダブル立直。明らかに普通ではない。それこそ私のような、異質を身に宿した者のようにも思える。しかし第二回戦のときからここまで、観察し続けてきた限りでも、そのような兆候は皆無といってよいものだ)

 

 今、この半荘には陰陽師としてのチカラ――それこそ、土御門という家格にふさわしい、実戦級の実力――を持つ清梅のそれが、発揮されている。

 西向き、西家のその意味は金運。他家の運気を奪い取り、自身の勝機に変える力。それが正常に作動していれば、裏ドラなどのせようも無いし、そもそもダブルリーチが可能なほどの配牌が、最初から現れるはずもないのだ。

 

 それこそ――

 

(それこそ、あの龍門渕の血族のように、永水(ウチ)の巫女衆のように、神をその身に宿すほどの権能がなければ、私のチカラは破られないはずだ)

 

 しかし、アン=ヘイリーはのせてきた。ただの人間の位階にいながら、ただの雀士としての存在でありながら、何のチカラもない、ただ運がいいだけの雀士でありながら、思いのままと言わんばかりに、裏ドラをのせてきた。

 

(神にその手を抱かせる者――話としては聞いたことがある。だがしかし、それというのは、これほどまでに圧倒的なものなのか? 人の枠を越えながらも、あくまで人間として最大限のチカラを振るう、そんな存在だと、こいつは言うのか?)

 

 丁度、雀士としての土御門清梅が知る、そんな存在が、一人いる。その人物は化け物じみた観察眼と、卓越どころか、超越仕切った技術によって、他家を全力で翻弄する相手だ。

 

(……だが、それだけでは無いようにも思える)

 

 アンにはそんな怪物染みたチカラがあって、それにより、アンは実力を発揮しているのだとしても、それでもおかしいと思うものが在る。

 

(二回戦の時は、単なる不調だと流したが、この準決勝では明らかにおかしい。これまで西家の風は一度も切らずに温存してきた手札だ。それだというのに、なぜ私はそれを、すべて見透かされているような気になるのだ?)

 

 ――むしろ、そのチカラ自体が、意味のないものだと言わんばかりに、今の清梅の手は思い。東場のアンの親を流したときは、こんな感覚はなかった。

 しかしそれよりも前に、こんな感覚を覚えないでもなかった。

 

(そもそも、だ。西家に座った私が、西家で和了れないのは明らかにおかしい。……なんだ? 何があるというのであるか? それが、一体――何を私に枷とするのだ?)

 

 それすらも、分からない。

 何もかもが、分からない。

 

 すべてがまるで霞がかったようになり、ただアンの姿だけが明らかとなる。

 

 

「ロン――9900」

 

 

 彼女だけがこのあやふやな状況を、まるで当たり前のことであるかのように――その両足で、自由に世界を、闊歩してみせるのだ。

 

・臨海 『139600』(+9900)

 ↑

・永水 『85100』(-9900)




タイトル的には清梅の回だけど、実際はアンの回。
というわけで先鋒戦は大体アンの独壇場です。


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『英雄最強論』間章

 アン=ヘイリー。“自称”世界最強の高校三年生、去年までは最強の高校生を自称していた。

 両親は生まれこそオーストラリアの人間であるが、アンの生まれは欧州の国家である。どちらも雀士として名をはせ、同郷の人間であるということが縁となったのだろう。

 そんな両親の元で育ったアンは、それが必然的であると言えるほどに、ごくごく自然に麻雀の世界へと足を踏み入れた。

 

 最初は、他人よりも少しだけ運のいい程度、それをアンが自覚したのは、年齢が一桁に届こうか、というほどだった。

 

 麻雀において、まず先立って必要なもの、それは間違いなく運である。アンにはそれが確かにあった。しかしそれだけで勝ち抜けるほど、麻雀というものは簡単なものではなかった。

 少なくとも、世界トップクラスの実力を持つ両親には、アンはただ運に任せているだけでは、終ぞ完勝したということはなかったし、思えなかった。

 

 そんなアンも、少しずつ成長し、知恵を使って麻雀を打つようになる。

 今のアン=ヘイリー、最強を自称する少女の原点は、そこにあったといえる。

 

 アンのスタイルはあくまで自分の豪運に則ったものだ。アンそのものには特別な力はない、牌の偏りも、ツモの支配もない。本当にアンは、ただ少しだけ運のいい少女、であったのだ。

 そんな彼女の打ち筋に、彩りを加えるのは彼女の雰囲気であるといえる。

 麻雀において、なぜ特別な力ではなく、運に頼った少女が強さを持つか、その根源は、アンがもつ雰囲気、立ち振る舞いだ。

 

 とにかくアンは頭のいい少女であり、自分の振る舞いが、いかに他者へ影響を与えるか、理解していた。

 結果、アンは麻雀にその“理解”を持ち込むようになる。他者を恐怖させるよう、行動の所作に意識をこめたのだ。

 アン=へイリーにもし特別な才能があるとすれば、他人に自分自身を畏怖させるカリスマであるといえる。ただ純粋に、気運という特徴ある少女が、その気運を“強く見せる幻想”を、麻雀の卓上に、作り上げて見せたのだ。

 

 ゆえに、アンはそのカリスマへ、実力――たとえば観察である、だとか、たとえば迷彩である、だとか、技巧によって為される事象だ――を加え、強さというものを確立した。

 そこから放たれる、なんでもできてしまうのかもしれないというほどの全能感、それをアンは自ら他者に植えつけてしまうのだ。

 神に愛された英雄、アン=ヘイリーとはつまり、そのようにして作られたのである。

 

 

 そうして、アン=ヘイリーはやがて、世界でも多少は名の知れるプレイヤーになった。それはただ強さを身に着けたから、麻雀そのものに関わる特別ではなく、あくまで人としての特別を晒しているわけでもない。

 彼女の父親が、アンの名を知れ渡らせるのに、大きく影響していた。

 

 アンの父親は、いうなれば渡り鳥の旅ガラスとでも呼ぶべき人種で、とにかく旅を好んでいた。旅先でその名を請われ、麻雀の大会に参加、優勝することもあった。

 その影響を多きくアンは受けたのだ。麻雀を習って、少しして、アンもその父親の旅に付き添うようになった。最初は弟子のような同乗者として、その後には、ある種相棒のような関係として。

 父が麻雀大会に参加すれば、アンもそれにあわせていくつかの麻雀大会に参加、優勝、ないしは好成績で名を残した。

 

 そうしているうちに、アンは父親の娘、という肩書きではなく、アン=ヘイリーという一雀士として知られるようになった。やがて成長し、高校相当のスクールに入学するころには、一人で世界を回るようなことも増えてきた。

 

 アンの過去には、幾重にも折り重なった、数多の出会いが広がっていた。彼女が一人で、父とともに、時には旅先で知り合った仲間とともに、世界を巡り、自分の世界と他者の世界のつながりを拡げ続けた。

 

 それは例えば、自身の不幸を嘆き、他人を信じず遠ざけて、結果何もかもを失いかけていた少女であった。

 そんな少女に、アンは不幸とは無縁の奇跡を教え、少女に宿る悪運を語った。それはきっと、アンが繋いできた経験ゆえであり、少女との出会いがあってこそだった。

 

 ほかにも、アンの父のファンだという少女に出会い、その少女は、アンの父を打破したいと語った。無論それは本人にも絵空事だとわかるほどのことではあったが、それでも少女は前を向いて、胸を張って勝ちたいと語っていた。

 少女は同時に、娘であるアンにも同時に興味を持った。激しい戦闘狂の気は、アンのカリスマとぴったりはまってしまったのだ。

 

 そして、世界に麻雀をもっともっと広めたいという少女がいた。彼女は自分の世界のすべてであった、麻雀を、今よりもずっと誰かに知ってもらいたいと考えていた。そのために、世界を巡り、麻雀を指南したいと常々考えているようだ。

 そんな彼女の考えは、アンにも大きな影響を与え、のちにアンが語ることとなる、麻雀という世界の境界線を越えた存在への興奮は、彼女から与えられたものだった。

 

 数多の人との出会い、そして交流。――別れがあって、そしてまら別の出会いもあった。二度とあうこともないだろうと、そう思う人間だっている。

 いっそ会いたくないとすら思うほどのものもいる。

 

 それでも、アンはそんな人たちと関わって、世界観を交わらせたことは想像に難くない。――アンには人とは違うカリスマがあって、それはどこか普通とは違う人々を、引き寄せ惹きよせ、惹きつけ“合って”いるのだ。

 

 

 そうして今の、アン=ヘイリーがここにいる。

 

 長い長い旅の末、彼女を慕う戦闘狂の友人や、悪運の強い友人の誘いもあって、アンはとある国の、とある高校へ通うことを決める。

 とはいえそれは、あくまで特別待遇の、麻雀傭兵としてであって、余談ではあるが、アンは実のところ、高校どころか大学を出てもおかしくないほどの学力を有していたりもする。

 

 その高校の名は――臨海女子、東の隅の、島国の、日本に名だたる名門校である。

 

 アンがその高校を、日本の高校を選んだことにはもう一つの理由がある。日本には、元世界第二位のランカーであった小鍛冶健夜がいる。

 世界ランク第二位、つまるところ、アンの母よりも強い女流プロ(・・・・・・・・・・・・・)がいるためだ。その中でも、それだけの地位を築きながら一線を退いた、その経緯に興味を持った。

 

 自由奔放、わが道を行く典型であるところのアンは、しかし自身の両親を、決して軽視することはなかった。父も母も、人並み以上に尊敬し、愛していたのである。

 ゆえに、自分の感情に、母の思考を感情移入させることは、決して不思議なことではない。

 

 同時に、アンがかつて温めた旧交が、こうして一本の線のようにつながったのだ。アンとしても、その状況に一切の不満はない。

 

 入学するまでに、十五年、それから過ごすこととなる三年、合わせて十八年の歳月は、アンの世界を、ダレの手にも収まらないような大きさにまで拡げるに至った。それはアンのどこか人を引き付けるカリスマと、誰にも束縛されない飄々とした性格が、それを成すに至ったのだろう。

 

 世界を闊歩するその足で、世界を仰ぐその両手で、アンは自分自身の世界を広げてゆく。つながりを増やし続けてゆく。敬愛する両親と、親愛なる親友と、遊愛なる悪友と、アンが渡り歩いた世界の中で、交わし続けた別世界と――

 

 

 ――その最もたる舞台が、この全国高等学校麻雀選手権大会、インターハイだ。

 

 

 アンは臨海女子に入学してすぐ、一年生の段階でインターハイのそれも大将という高校すべての勝敗を決する場所を任され、全国の舞台へあがった。

 それだけ期待が大きかったということであり、アンはその期待に見事、答えてみせた。初出場のインターハイ、一年ながら他者を圧倒する活躍をしたアン、及び臨海女子は夏のインターハイを優勝。更にはつづく二年生時、春の全国大会、いわゆるスプリングにて連覇を達成、臨海女子の全盛をここに築いた――かに見えた。

 

 インターハイを席巻する超特大級の魔物、小鍛治健夜の再来とも言われる雀士、――――宮永照が、インターハイの舞台上に、現れるまでは。

 

 宮永照は強かった。かつて一度として――公式戦の舞台で、ではあるが――敗北を喫したことのないアン=ヘイリーや、三傑の一人、大豊実紀が、そして個人戦で対決した、現在日本トップクラスのプロとして活躍するあの戒能良子や藤白七実が、ろくな抵抗程度しかできずに――敗北したのだから。

 

 あの役満モンスター、大豊実紀やアンですら、プラスの収支で半荘二回を終えるのがやっと。――千点以上の点棒を、稼いで帰ってくるのは不可能だった。

 

 圧倒的とすら言える事実。敗北という結果。だれもアンを攻めはしなかったものの、その瞳にはある種の絶望があった。――とある戦闘狂を除けば――ハンナですら、アンが勝てなければ誰も勝てないと、そう諦めてしまったのだから。

 

 ――それでは、当の本人、アンは果たして自身の敗北をどう受け止めたか。――単純である。

 

 

 ――歓喜だ。未だ相まみえることのなかった強敵と対峙したことの、言いようもない歓喜の感情。それこそが照に植え付けられたアンの否定しようがなく、そして揺るぐことのない感情だった。

 ただ強いだけでは勝てない相手がいることを知った。――自分以上に、理由なくただ強いと思える相手を知った。そしてそれを知れたことがたまらなく嬉しいと思えた。

 

 勝ちたいと、そうも思うようになった。――そんな感情をアンが同年代に抱いたのは、それが生まれてはじめての事だった。

 

 そうしてこの三年目の夏。アンは最後のインターハイに挑む。結局秋からは先鋒を任される事になったアンは、どうやらその宮永照とは、もう公式戦での再戦機会はないようだが。

 

 それでも、アンが彼女と闘い手に入れたチカラは間違いなく、今はアンの中に眠っている。それは絶対であると、胸を張って掲げられるだけのチカラを、アンは手にしているのだ。

 

 ――そして。

 

 

 ♪

 

 

「――瀬々!」

 

 先鋒戦、前半戦と後半戦の最中。短い短い休憩時間、偶然というには少しばかり可能性の幅は大きかろうが、とかく偶然の結果、アンは会場内の廊下で、今最も意識を置く相手、渡瀬々と邂逅していた。

 

「お久しぶりですね! いえこうして私情の会話をするのは、という意味ですが。先程は対局ありがとうございました、後半戦も……ってあれ? どこへ行くのですか?」

 

 口早に、それこそ速射砲の如く連打される言葉の数々は、しかしどこか無愛想な瀬々の足を止めるには至らなかった。何やら急ぎ足の様子で、こちらに気を止める様子はない。

 

「私に意識を向ける余裕もない、といった感じですね。まだ後半戦には早いですし――もしやお花を……」

 

「……怒るぞ」

 

 そんなアンの言葉は、ドスの利いた人の殺せそうな声で、遮られた。思わず感じた殺気に、する必要もないのにアンは一度口を閉じる。それから瀬々の言葉に感じられた真剣さから、一人で納得したように何度か頷いた。

 

「ふむ、私はそちらには用事はないですし――」

 

 腕組みをしながら考え事をする体で、アンは瀬々の様子を観察する。――不思議な少女ではある。先鋒戦開始時に見た人当たりのよさそうな雰囲気。そしてたった今見せた、人を遠ざけるような雰囲気。まるで矛盾した様相だ。

 とはいえ、その人当たりの良さも、他者に自分の世界へ踏み込ませないための壁だとすれば、さほど相反するようには思えない。

 

 無理もないだろう。瀬々の麻雀は、立ち振舞という一種の技術を扱うアンとはまた別に特殊だ。そのチカラの詳細は、いわば最適解を知る、というもの。それもあの宮守の先鋒以上に正確な――あらゆるツモを察知できるほどのチカラであるかもしれない。

 それがもしも麻雀という舞台だけで作用されるのではない、例えば“答えを知る”とかいうような、本物の異能によって為されて言うのだとしたら、瀬々が作る壁は無理もないだろう、と思う。

 

 それに加えて、きっとこの少女が抱える異能は全知(それ)だけではない。むしろその全知を持つに至るチカラ、それこそが渡瀬々が抱える本物の異能であろうと、アンは考えている。

 何故ならば、そうでなければ説明のつかない配牌を、時折瀬々が引き寄せているのだ。

 無論それも有効牌を完全に察知できるという異能によって支えられているような面もあろうが、そうであるならば第二回戦の時、ほぼ同系統のチカラを持つ宮守の鵜浦心音が、オーラスまでの純粋な稼ぎあいで、瀬々に競り負けるはずがない。

 

 根本的などこかで、ただ神に近づいただけの少女と、瀬々は何かを違えている。その何かが果たして如何なるものであるか、単なる情報だけでそこまでたどり着いたアンには、未だ情報不足な部分ではあるが。だからこそアンは楽しいと思う。――瀬々は一体、どんな麻雀をアンに見せるのか、その一点が。

 

 ――そして同時に、惜しいとも思う。

 

(……瀬々は、未だに壁を作ったままなのでしょうね)

 

 アンにとって、不幸というのは親友の隣人だ。第三者ではない程度の立ち位置で、しかし手を伸ばせない場所から見てきたものだ。

 だからこそ、瀬々が不幸な生き方をしてきたことくらいは解る。そしてその不幸が、瀬々にとって必要なものを、教えていないのだということも。

 

「――瀬々」

 

 思ってしまえば、止められなかった。

 気がつけば、アンは瀬々に言葉を投げかけていた。

 

「……なんだ」

 

 そっけない様子で、足に力を込めながら瀬々は応える。顔は向けずに、――少し後ろから追いかけるアンでは、その黒髪の奥にある瞳は伺えない。

 

「瀬々にとって――世界とはどのようなものですか?」

 

「――、」

 

 沈黙。そしてアンはそれが答えかと、そう一瞬考えた。――だが違う、瀬々はたっぷり思案するようにして、それからポツリと、少しだけ漏らした。

 

 

「――知らねーよ、そんなこと」

 

 

 瀬々の漏らした言葉の異常性。それをすぐさまアンは理解した。――しかし同時にかけられる言葉は何もなく、アンはその場に足を止めた。

 先をゆく瀬々はそれに振り返ることはなく、そこで両者はわかれた。

 

 ――次に会うときは、すでに好戦的な表情の仮面を、お互いその顔に、貼り付けていた――――




最後は時系列が前後しますが、アンの過去回。
いろいろ語れる部分はありますが、ここであえて言っておきたいのは、アンのばかみたいな分析能力。
実のところ、オカルト的な察知なしで、瀬々の能力の真相にたどり着いたのは、今のところアンと大沼プロだけだったりします。


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『神殺しの覇道』先鋒戦③

『前半戦、終了――! トップにたったのは貫禄の臨海女子! 他者を完璧に圧倒しての一人浮きー!』

 

 ――アン=ヘイリー:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――136400――

 

 響き渡るアナウンサーの声。威風堂々、まさしくその言葉を体現するかのように、アンは何の気負いもない表情で立ち上がる。――半荘一回戦、最初の対局の結果がそこにあった。

 

『この状況! この佇まいを見ればひと目でその結果を見て取ることができるでしょう! 先鋒戦、最初のトップはやはりアン=ヘイリーかッッ!?』

 

 対照的に、沈みきった表情をするのは、宮守女子と永水女子のそれぞれ先鋒。鵜浦心音と土御門清梅だ。顔を伏せたまま、自分の世界へと篭りきっている。

 それだけ、アン=ヘイリーという少女が強大であった、ということだ。

 

 ――土御門清梅:三年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――83900――

 

 ――鵜浦心音:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――83100――

 

 ――だが、この圧倒的としか言うことのない対局で、ただ一人その蚊帳の外に立つ少女がいた。ただ一人、黙然としたままアンの後を追うように、しかし背を向けて全く別の出入り口から会場をあとにしようとする少女。

 

『ギリギリ二位で半荘を終えたのは龍門渕高校、渡選手はこの先鋒戦唯一の一年生ですが、ここまで一度の振り込みもなく、アン=ヘイリーを除きただ一人、二度の和了を決めています。彼女を始めとした三校は、果たしてアン選手に追い縋ることはできるのでしょうか』

 

 

 ――渡瀬々。

 

 

 心の何処か奥底に、鋭く尖った芯を宿して、戦場を征く獣の瞳で前を見る。キッと睨みつけるような鋭い視線は、果たして闘いの先に何を映すか――

 

 

『Bブロック準決勝、先鋒戦後半は、まもなくです――――ッ!』

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:ヘイリー

 南家:鵜浦

 西家:土御門

 北家:渡

 

 

 ――東三局、親清梅――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(場に西風が吹いている。私の気は、十分に満ちているはずである)

 

 陰陽師、風水、そして麻雀。土御門清梅の麻雀は、本来そんなオカルトに満ち満ちたものだった。一麻雀部の部長としても、そしてなにより一雀士としても、それは未来永劫、変わらないはずだった。

 

 ――だが、違った。

 

(それだというのに、なぜ私はこうもそれを掴めずにいる? まるで幸運を、誰かに吸い寄せられているかのように)

 

 ちらりと向かう視線の先。アンは今も何かを待ちわびるように闘牌をしている。一体彼女の、どこに不可思議なチカラがあるというのだろう。

 答えは単純だ。――アンにそんなおかしなものはない。

 

(わかっている。私の麻雀がそも、この女にまったく太刀打ちできていないことくらい)

 

 アンが持つのは、圧倒的な才覚、それも自身の強靭な意思と無限に満ちた研磨によって作られてきた、単なる出生だけに理由を置かない本物のチカラだ。

 ――清梅のチカラは、単なる一流のそれ。自身の小さな世界を守るだけの力はあっても、更に世界をつなげて、あらゆるものを守りぬくだけのチカラなど、無い。

 

 ――清梅/打{西}

 

 だから、

 

 

「ポン!」 {西横西西}

 

 

 たとえアンが目の前で、清梅の心をうがとうと、清梅はそれを、見ていることしかできないのだ。

 

(……ぐっ、しくじったか)

 

 これでおそらくアンは和了の準備を整えただろう。第一巡、誰もが手を出すことを躊躇う最初の牌からして、アンはなんの躊躇もなく手を出した。

 

 ――清梅手牌――

 {二三八九⑥⑦⑦345東東發}

 

(しかしこちらも、この程度で怯むような手牌ではない。風は私の味方でなくとも、吹くのをやめたわけではない!)

 

 だからこそ、ここで前進を止める訳にはいかない。目の前にはアンがいて、それを止めるためにも、ここで清梅は足を止めることを自分に許せはしないのだ。

 それはあくまでごくごく当然のこと。強敵がいて、それは自身と相容れないような、真っ向からぶつかり合うような相手であって、そうとわかれば清梅はもう、止まるという選択肢を完全に失う。

 

 ――だというのに、世界は思ったよりも、清梅に対して薄情だ。

 

 心音/打{七}

 

 チャンスだった。もとよりこの手は{東}のバックでもいいからとにかくテンパイを優先する手。ドラ3か、それとも役牌2つか、どちらであろうと、打点の高い手を作ることは可能だ。

 だからこの手を止めない理由は何もない。それは誰の目で見るよりも明白だった。

 

「チー」

 

 宣言と、そして牌を倒す。その一瞬、しかしそれよりも早く、動くものがいた。

 

 

「ポン……!」 {七七横七}

 

 

 清梅の言葉を、真上から押しつぶすように、アンはその言葉をささやいた。――ポンはチーよりも優先される。それだけの最も単純でわかりやすい理由で、清梅の手がひとつ、潰された。

 

(……狙ったのか!?)

 

 そんなはずはない、アンの強みは単なる豪運と、虚勢の覇道。そこに本物のチカラはなく、清梅や永水の巫女衆のように。本当のオカルトを宿しているわけでもない。

 

 だからこそ、おかしく見える。

 本物のように振舞って本物のように成し遂げる少女が、まさしくその、英雄そのものなのではないか――と。

 

(否定、せねばならない。おかしなものだといわねばならない。しかし、できん。それはできん。私が、この土御門清梅自身が、それを、何もおかしいと、思えなくなってしまっているから!!)

 

 あぁまったく、理不尽だ。理不尽で、理不尽で、不条理極まりない雀士だ。アン=ヘイリーという少女は、土御門清梅という、ちっぽけな器では、到底穿かれそうにもない。

 

(手の届かない相手だとはおもった。しかし、追いつけない相手ではないとも思った。だから、ここまで手を伸ばしてきた。それに間違いは、無いはずだった……だのに、ここにいるアン=ヘイリーは、まるで私の、前にいるとすら思えない……!)

 

 アンが手を伸ばす。先は山、牌の重なる場所。四者はそれぞれ、全員がそこから牌を引き寄せる。はずだ、しかしそれとは全く矛盾するかのように、アンは清梅とは全く違うツモをする。

 清梅には、運を引き寄せるチカラが在るはずで、それはいまも、この場で間違いなく、作用しているはずなのに。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 ――アン手牌――

 {二三四66⑦⑧横⑨} {七七横七} {西横西西}

 

「500、1000!」

 

・臨海 『138900』(+2000)

 ↑

・龍門渕『97200』(-500)

・宮守 『81800』(-1000)

・永水 『82100』(-500)

 

 アンの声が、清梅の耳を執拗に叩いた。それは意味を成さないとすら感じられる言葉の群れ。清梅のすべてを、かっさらってなお余りあるような声。

 清梅は自身の敗北をかみしめて、アンはその手に点棒を得る。

 

 そして、続く東四局、ここでもアンの異常性ははっきりと明確になる。

 

 

 ――東四局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{中}」――

 

 

 ――二巡目のことだった。

 手牌に引き寄せたツモを、十三の牌の中に組み入れる。アンはそれをじっくりと見聞したのち、少し黙って、それから直後に牌を切り出した。

 それから、心音が何かに怯えたように、牌を選ぶ。それは結局のところ、アン自身を恐れていると、周囲にうつるものだった。

 

 それこそ、この卓に置いてもっとも状況を理解しているはずの瀬々ですら、それは正確に読み取れるものではなかったのだ。

 

 だから、――続き、清梅がツモった牌をそのまま切り出した時、“――あ”と声を漏らしたのは、アンのシャンテン数を知ることのできる、心音ただ一人であった。

 

 

「――ロン」

 

 

 こんどこそ、清梅の奥底は、まるで何かに搾り取られるかのように悲鳴を上げた。

 

「……3900」

 

・臨海 『142800』(+3900)

 ↑

・永水 『78200』(-3900)

 

 ただそれが口元から、声音となって漏れることはなかった。ただ表情だけを悔しげに揺らして、その奥にあるものをただひたすらにのみこんだのは、果たして清梅の精神力か、それとも彼女が持ち続けてきた、自身のチカラへの小さな矜持であったか。

 

 ――それを知るものは、ここにはただ一人、土御門清梅一人しかいない。

 

 だが、誰もがわかっていることが在る。

 ―ーアン=ヘイリーは止まらない。いやそれ以上に、今もなお彼女は加速している。もしもこの先に、彼女の姿があるのだとすれば? もう、それは誰にも手の出せない場所に彼女が入るということになる。

 

 この局は、とくにそれが顕著だ。ダレの手も進まなかった状況。そこでアンがたった二局で手を作った。ダマで三翻、それを仕掛けるまでの間、他家はひとつのシャンテン数すら、進めることはできなかったのだ。

 

 ――そして、南入。

 前を征くアン=ヘイリー、留まりを見せない先鋒戦最大の支配者の親番が始まろうとしている。

 

 

 ――南一局、親アン――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

(……なんだろう、胸が痛い。心がきしみを上げてるんだろうな)

 

 ストレス、だろうか。心音は反芻しながら自分の中にある感情を確かめる。それはあの時――麻雀を始めようという早海を見ていた、あの時に似ている。

 楽しそうだったな、と回顧する。それまでの早海は、どこか何かに焦っているようで、それに光明の見えた瞬間の早海は、とても楽しそうで――つらそうだった。

 そう感じたのはきっと、光を見るまでと見る前からの、落差にあったのだろうと心音は思う。

 

 そして抱いた感情の正体も――

 

(悲しい、とはちょっと違う。たぶん辛いんだろうけど、それ以上に――見てられない。ただその違いが、弱さから目を背ける対象が、違うことだ)

 

 その時は早海で、今は自分だ。――今の自分は弱い。それを間近で実感させるような相手がそこにいる。それがあるから故に、どこか傍観の感情が、どうしても心音には浮かばないでいられなかった。

 

(やっぱ、勝てないなーほんと。ここまで来た自分が場違いに思えるくらい。――第二回戦の時は、そんなことなかったのにな……?)

 

 むしろ、それを引き受けたのは早海なのかもしれないと、心音は思う。早海が第二回戦で闘ったのは、全国最強クラスの高校のエース、愛宕洋榎と、その一歩後ろを行くような相手。

 対する心音は、それに対応するような相手は一人であった。――もう一人のバケモノが、心音よりも明らかに格上であることも、心音の諦めを誘う原因だろう。

 

(五巡、ここまで自摸って、有効といえる牌は殆ど無い)

 

 ――心音手牌――

 {二四八九③③⑥689北北發(横4)}

 

(せいぜいツモって来れたのはオタ風の{北}を対子にしたことだけ。それ以外はまったく手が進んでいない。進む気配すら見えない)

 

 ――いや、この手牌は見覚えがある。似たような手牌は、かつて何度も相手にしてきたはずだ。あまりにも流れが無い手。五向聴の状態、まずは両面塔子を用意することから手を作らなくてはならない手。

 無論、それが和了れたことがあまりにも無い経験であるがために、この手を重く感じるのだがそれ以上に、この状況で、これが和了れないだろうという確信は、もっと別の場所にある。

 

 

 ――アン=ヘイリーがいる。

 

 

 ただ、それだけの理由だ。

 

(私のチカラすら、まるで私を諦めたかのように機能しない――解ってる。それはつまり、何を尽くしても、私より早く、臨海さんが和了するってことだ……!)

 

 心音/打{⑨}

 

 諦めが心音を支配する。それはきっと心音の感情だろう。諦めてもいいのだという手招きだろう。――しかしそれは心音の炎に冷水をかけることはない。

 麻雀を、打たなければならないから。心音の後ろにいる、四人の雀士に、後を託さなくてはならないから。

 ――まだ心音は、終われない。終われない場所に、いる。

 

(困ったもんだよね、あぁまったく困ったもんだよ、諦めたくてしょうがない。諦める他に選択肢がない。でも……私の手はまだ止まらないんだ。それは震えと、闘いにむかう意地のせいなんだよね……!)

 

 

 たった二局、ほんの刹那の出来事だった。それぞれを合計しても、全五巡。それまでに要した時間は、果たして数分もかかっただろうか。

 それほどまでに鮮やかな手段で、アンは和了を二回も――否、東二局の和了を合わせれば、三回か――決めていた。ここまで、状況はほぼアン=ヘイリーの一人舞台。彼女がこの後半戦で吐き出した点棒は、千点棒にすら満たないのである。

 

(風は……ある。しかし、これはなんだ? 私に向かうすべての気配が、なにかよからぬもので封をされているかのような――)

 

 ――清梅手牌――

 {一三五七九④⑥⑧⑧⑨南發中(横3)}

 

(ぐ……手牌の進展を来にして、{4}を払ったところにこれか。しかし、そういうことならばやりようはある。流れがないというのは、必然的に裏目が多くなるということになる。それを意識して打てば、テンパイまでは行ける)

 

 ――チートイツ。それはこの状況を打開しうるものだろうと、清梅は踏んだ。なにせチートイツはゴミクズのようなまとまりのない手を、最低限の組み合わせで持って特例として役にしたのだ。他の手役とはわけが違う、ただ一つ開け存在の許されたオンリーワンだ。

 

(しかしそこまで、か。最後の一つ、完成に近づいたテンパイの選択を、私が正解できるとは到底思えない。それくらいこの手は、異様が溢れだしている。それくらいこの手は、最悪に満ちている)

 

 もう、これ以上の闘牌になんの意味もないのではないか。そう思わざるをえない様な錯覚。自分の中に、自分自身であるという確信が、全て根こそぎ、奪われていくかのような感覚。

 とどまることはない、せき止められることはない、それは、今も、清梅の体を支配している。

 

 清梅/打{發}

 

 打牌をする。

 そこまでだ、それ以上は続かない。

 ――アン=ヘイリーがそこにいるから、アン=ヘイリーが笑っているから、もう清梅は動けなくなる。動きたくも、なくなってしまう。

 

 それでも打牌ができるのは、そう。

 

 一つの見栄のようなものなのかも、しれなかった。

 

 

 ――そして、最後に。渡瀬々が牌を掴んだ。

 手を伸ばして、手のひらに牌を載せ、それを振り下ろすように手牌の上に載せる。音が響いて、それから状況を、確かめるようにした。

 

 ――瀬々手牌――

 {三三七九③③⑧⑧中②36中(横六)}

 

 それでもなお、瀬々の手は進まない。シャンテン数も、全く前に進んでいない。面子の一つもできていない。だが、どうだろうか、その眼には、一体何が映っているだろうか。

 

 ――答えは、自分自身。そしてアン=ヘイリー。この場において、それ以外は全く必要ないかとでも言うように、意識を伴わない集中で、周囲に観察の眼を向けている。

 

 心音には意識を向けない。手が進まないことも、鳴いていけないだろうことも解る。だから意識しない。清梅も動揺、ここまで彼女たちがどう手を進めてきたかは分からないが、それが全くの無意味であっただろうことは、解る。瀬々がそうである以上、ある種の意味でそれ以下の、彼女たちには手が届かない。

 

 ――瀬々手牌――

 {|三三七九③③⑧⑧中②36中六}

 

(アンの場合、理牌読みもある程度してきそうだね)

 

 簡単な思考、それ以上はなく、瀬々にはそれ以上の思考は必要ない。

 ただごくごく単純に、牌を選んで――叩く。

 

 瀬々/打{⑨}

 

 甲高い音。これでアンの直後の打牌から、すべての雀士が打牌を終えたことになる。一巡、である。

 直後に、――アンの手が動く。

 

 

 ――一挙手一投足に、だれもが怯えるような動作で返した。例外は、やはり瀬々ただ一人だった。

 

 

「ツモ」

 

 宣言、それからジャラ、と手牌を晒し――

 

 ――アン手牌――

 {四五六④⑤⑥⑥⑥45678} {6}(ツモ)

 

「4000オールです」

 

・臨海 『154800』(+12000)

 ↑

・龍門渕『93200』(-4000)

・宮守 『77800』(-4000)

・永水 『74200』(-4000)

 

 静かな声で、言い放った。

 

 

 ――南一局一本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

(――やっぱり)

 

 瀬々のこころは、得体のしれない何かいいようなまでに揺さぶられていた。それは決して本人の意思だけでなく、自分以外のなにかも間違いなく宿っている。

 しかし、それを端から無視して自分の中に渦巻く感情を、まとめてなぎ払うように瀬々は高速で思考を回す。

 

 思い返すのは、これまでのこと。

 

 ――アン=ヘイリーのこと。

 

(――――やっぱりアンは、強い)

 

 今この場に流れている何がしかの空気、他家もそれを感じ取るだけの嗅覚はあるだろう。今この場は、とにかく何かが重いのだ。

 そしてその正体は、在る感情に対する萎縮である。

 

 そう、これは場の空気自体がよどみ、一方方向に流れているのではない。あくまで雀士達の精神が後ろ向きにあるがゆえに、それぞれがその気配に引きずられているだけなのだ。

 結果が、牌の重さ、ある種の支配として他家に襲いかかっているのである。

 

 その中でただ一人、当たり前のように牌を自摸るものがいる。アン=ヘイリー、彼女だけがこの場で唯一、直線のまま手を前に進める存在。

 

(そりゃあそうだ、この状況はアンが自分のチカラで、自分が望んで作ってるんだから、想いのままに、自分だけが前に進むことも、当たり前のように、できる)

 

 ちらりと覗き見たアンの表情には、異様なほどの気配を伴っていた。研ぎ澄まされた彼女の闘志と、集中に集中を重ねがけした意識の束が、この準決勝の卓を覆っていた。

 訴える違和感。――昨日一日をかけて行われた衣との特訓、透華を交えて行われたそれは、瀬々にある変化を与えていた。今まで全く実感の浮かばなかったオカルトに対して、ある程度の感覚を訴えられるまでに成長したのだ。

 無論、もとより強者を感じ取るだけの気質を瀬々は得ていたが、それをこの状況での察知にまで応用出来るまでに至ったのである。

 

(アンのチカラが異常なまでに周囲を侵食してる。こいつのチカラは本来、他家をここまで萎縮させるチカラはなかったんだけどな)

 

 ――まったく、と嘆息気味に吐き出して、瀬々はそれから自身のツモへと手を伸ばす。これ以上の和了を、そうそう見過ごす訳にはいかない。

 

 ――瀬々手牌―― 

 {一二三①1278西西北白發(横②)}

 

(正直、ここまで調子に乗ったこいつは、ほとんど誰も手が付けられね~だろうな。それこそ、あたしの“これ”ですら、今はまだ難しいと言わざるをえないくらい)

 

 瀬々の手牌は、言うことのない四向聴、ここから完成に向かうには、それなりの無茶が必要だろう手牌。しかし同時に、ある程度の手役を望めるだけの手牌。

 無論、そのためには越え無くてはならない壁が多いのではあるが。

 

(それでも、あたしはこれに逃げず手を打つ。今のあたしがアンを超える。それができるのは、今のあたしだけだ――!)

 

 瀬々/{白}

 

 意識を向ければ、この場所にはオカルトに満ち満ちている。純粋に、デジタルだけで、人の域だけで動いている雀士は全くいない。

 瀬々も、心音も、清梅も――アンも、だれもがオカルトを抱えて、そこにいる。

 

 アン/打{發}

 

 本人の気性を表すかのように広がった髪を。さらにかきあげながら牌を払うアン。髪をかき分ける左手が、そのまま横に振るわれて、風を薙ぐ音が重厚なまでに響き渡った。

 

 心音/打{西}

 

 左手で口元を覆い、何事か心音は思考を回している。その様子は未だ留まりを見せず、闘気をまとっているように思えた。――苦しいだろう、強敵、アン=ヘイリーと同卓し、嫌というほど実力差を魅せつけられてなお、彼女は歩みを留めていないのだ。

 

 清梅/打{東}

 

 山高帽を抑えながら、清梅は難しそうな顔をしている。彼女もまた、ここで諦めようということはないだろう。今も彼女は考えているはずだ。自身の勝利のために、最も必要な方策を。ただ、それもアンの和了を上回ることはないのだが。

 

 ――誰もが、諦めかねないような状況に思える。しかし実際にこの場へ絶望を持ち込むものは誰もいない。

 

 ――瀬々/ツモ{4}

 

(……謀ったかのような中張牌、あたしのツモの中で、これだけが異様に浮いているんだよ。――重い手牌、あたしの手はヤオチュー牌に固まるはずなんだ。だのに、これだけはこれみよがしにツモが異様だ)

 

 一瞬、瀬々の向けた視線と、アンの見上げた目線が激突する。両者、一切の意思を瞳に載せず、あくまで観察のためのモノ、それが一度ぶつかり合って、そのまま何事もなかったかのように消えていった。

 

 再び顧みた手牌、瀬々は勢い良くその端を掴むと、大きく手を開いてうちはなった。

 

 瀬々/打{發}

 

 

 ――離れていった視線の先。

 アンは自身の手牌を鑑みながら、続く思考を回していく。

 

 ――アン手牌――

 {三三⑨123678南南中中}

 

(――かわします、か、それでしたら……)

 

 アン/自摸切り{4}

 

(いかがでしょう。けしておかしな打牌ではないとおもえますが……ね?)

 

 牌から話した手を、くるりと回して卓の下、膝の上へとおさめる。それから二度三度、確かめるようにして拳を握る。――それは、アンに取って必要な動作ではない。だが、同時に誰にとっても必要なものではない。

 確かめるようなそれは、何かをやり遂げた、達成感のようにも思えた――

 

 

 八巡がたった。異様なほど、一局が長く思えた。無理もない、今現在牌は一段目を切り返し、二段目の序盤だ。――ここでテンパイであっても早いくらいなのに、これまでの対局は更にその半分も、和了に時間はかからなかった。故に、この局は長い。だれもがそう感じた。

 

 事実それは、そのとおりと言えただろう。

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三①②112478西西(横③)}

 

 瀬々/打{4}

 

 手を止める。これで幾度目だろうか。一つ一つが長いわけではない。だがこの局、誰もが一度は手を止めるのだ。そして瀬々はほぼすべての巡目、何かを確かめるかのように打っているし、ここまで長引いた局はこれが初めてだ、他家もどうにか手を作ろうと必死だ。

 

(ここまで、進んだ。それそのもの自体が異様に見える、か。たしかにそうだろうな。あたし自身、この感触はぞっとする。……けど、ここで引くわけには行かないんだ)

 

 アンの手は、間違いなく完成に向けて進んでいる。それくらいは解る。だからその上で、考えなくては行けない事は多くある。

 

 ――アン捨て牌――

 {發4⑨⑤76}

 {⑨⑤}

 

(デジタル的にいえば、萬子の染っぽい感じ、それくらいはあたしでも解る。でもこの手で最も見るべきは{⑨⑤}と連続した並び、最初の{⑨}を切った時点でこいつら全部必要としてなかったんだろうけど、それでも対子が二つ、本来ならアンの手で重なっていたことになる)

 

 裏目、ではない。{⑨}を切るのならばともかく、普通の手で{⑤}をツモ切っていくのは異常だ。また逆に、チャンタ系の手牌で、三打目{⑨}という打牌もまた、異常。

 それら、普通ではありえないような理由をくぐり抜け、それでもなお{⑨}と{⑤}、二つの牌を見逃した理由は1つだけ、

 

 ――どちらも手牌に必要ないくらい、手が完成していたのである。

 

(ってことは、それは{4}も同じだよな、{7}が切れてる。多分萬子の染め、か。いやともかく――問題は、この二つの対子に存在する意味だ)

 

 考えながら、同時にこれまでの自身のツモを思い出す。{2}と{二}の二枚を対子として重ね、更には{西}まで刻子にしている。必要性が薄いためにそのまま切り離したが、瀬々はチートイツという手段も使えたのである。

 

 そして、もう一つ。

 ――前局の瀬々は、なんという事のない進捗の遅い四向聴であった、しかし同時に、あれはチートイツの二向聴でもあったのだ。

 

(――ここまで、対局の流れが異常なほどアンに流れているせいで、順子を基本とする麻雀が全部ぶち壊されてる)

 

 本来であれば麻雀に存在する手牌の偏り。上方のものもあれば、下方のものもあるそれが、この対局では完全なマイナス状態で固定されている。

 ――そんな雀士が、二人もいるのだ。

 

 横に伸びない手牌は、そのままそっくり、対子に依る手牌に移行する。

 

(結果として生まれたのが、この極端な対子場だ。本来であれば、もっとスマートに支配は生まれるんだろうけど、別の支配とぶつかり合ってるせいで、ここまで極端になってるんだな?)

 

 アン/打{8}

 

(おかげで、ここまで追いつけたぞ。アンの流れだか、永水の陰陽師だかしらないが、ここはあたしが制させてもらう――!)

 

 心音/打{1}

 

 清梅/打{2}

 

 ――そして、

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三①②③11278西西(横3)}

 

 この日始めて、瀬々の手牌が、電撃のような何かを帯びた。同時に、重苦しい風が、遠吠えのように戦慄き始めた。

 

(――行くぞ)

 

 振り上げた手は、青白く光り続ける稲妻を引きずり上げて――爆発的な勢いで加速する。

 

「リーチ!」

 

 

 が、

 

 

「チー!」 {横123}

 

 

 それを待ちわびていたかのように、アンがそれを、喰い取った。

 

(……なに?)

 

 スライドする牌、その後を追うようにリーチ棒を晒した瀬々が、思わずといった様子でアンを見る。――その目にうつるのは、驚愕。頑なに無表情を続けていたはずの瀬々の仮面が――ついにこの瞬間、溶けて剥がれて落ちていったのだ。

 

(――――う、そ、だろ? ここまで――ここまで考えてたってのか? このバケモノ……!)

 

 直後、瀬々のツモ。わかっている、瀬々が引くのは{1}だ。それでは瀬々は和了れない。だというのに、だからこそ、瀬々はそれを掴んだ瞬間、これまで感じたこともないような感触を、全身で受け取った。

 

 ――瀬々/ツモ{1}

 

(あ、これ、やば――――)

 

 瀬々/打{1}

 

 

「ロン、――――18300」

 

 

 ――アン手牌――

 {三三三1南南南中中中} {横123}

 

・臨海 『174100』(+19300)

 ↑

・龍門渕『73900』(-19300)

 

 感覚、それは瀬々が、この対局で実その身を持って知った、本物のオカルトと、呼ぶべきなにかの集合体だった。

 

 

 ――そして、

 

 

 次の瞬間、この対局は、まるで意味を成さないものへと、変質する。




実はさらにもう一局ありましたが次回と統合になりました。
よって次回は割と短いです。どう考えてもここで切ったほうが面白いと囁く俺のシャドウが悪いんや。


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『偽神暗奇』先鋒戦④

 ――南一局二本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

 渡瀬々は、自分の中にあるオカルトが、本物の神によって与えられた、ある種の権能であることを知った。別段、それ自体はさして衝撃ではない。瀬々にとって衝撃的であったのは、何よりもその神が一部であるとはいえ、自分自身に宿っているということだった。

 

 ――神、それは瀬々がもっとも信じてこなかったであろうもの。

 

 かつて、一度帰る場所すら失って、自分の存在すら粉々にして、それでもなおもう一度、自分自身を全てとしてたちあがった瀬々には、神という言葉は、まるで別世界の存在だった。

 

 神を恨んだことがある。

 神を呪ったこともある。

 

 ――感謝したことは、一度だって無いはずだ。

 

 だからこそわからなくなる。

 なぜ、瀬々に神は宿った? ただの後付? 単なる予備電源? だとしたら、なぜ瀬々が神を呪ったその時に、神は瀬々に愛想をつかさなかったのだ?

 

 わからないことばかりが、瀬々の感覚には届かないところへ生まれていく。神が与えたはずの権能も、神そのものに対する答えにはならないということだろう。

 

 

 牌に愛された子、そんな呼称がこの世界にはある。それはきっと、神に愛された子、そう呼び替えることもできるはずだ。

 

 

 天江衣、龍門渕透華、そして渡瀬々。

 彼女たちが愛されたわけとは、一体何だ? それに対して自分たちが浮かべる感情とは、一体何だ?

 

(――あたしは、今、変な感情を抱いている。そしてそれは、あたしにチカラを与えた神に対するものだ。おかしいな――こんな感情を、最近一度、あたしは別の誰かに浮かべたことが、あるきがするぞ?)

 

 その答えは、瀬々のこころに由来するものだ。人の心が理解できない――無論、それは本当に深層としての意味合いではあるが――瀬々が、自分自身を理解できようはずもない。

 もやもやと、感情に巣食う不可思議なそれを、瀬々は首をひねって考える。

 

 ――やってしまったと、思う感情に、負けたくないと、思う感情。いまこの対局に向かっている自分自身とは、全く別のものが、そこにはあった。

 

 右手を動かしながら、牌を見て、嘆息。意識を切り替えるようにして――直後。

 

 

 ――瀬々の表情が、この日始めてといっていいくらい、明確に揺れた。

 

 

「……?」

 

 目敏くそれに気がついたアンではあったが、その揺れの正体にまでは至らなかったのだろう、手牌から流れるような動作で牌を動かして、打牌する。

 

 それから三回、牌が叩かれる音がした。

 

 ――発声が起こることは、一度としてなかった。

 

 ――瀬々手牌――

 {一22三八九二6北87七北}

 

 理牌の済んでいない、その状況からでも、その異質は伝わってくることだろう。瀬々は動揺し、剥がれ落ちた無表情の仮面を隠すように顔を伏せ、それから二度、三度大きく深呼吸をしながら、自分自身の牌を掴む。

 

(――あぁ、)

 

 勢い良く、それはしかし、どこかふらつくようでもありながら揺らめいて振り上げられて――更に力なく、失速するように、卓の上へと置かれた。

 伏せるように、青い背面を表にし――瀬々は両手を勢い良く動かし始める。

 

(――そうかよ、)

 

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三七八九22678北北}

 

 

()()()()()()()()

 

 

 出来上がったテンパイ、そして、瀬々だけがしれる、力によって解るツモのありか。

 

(“今はそれで満足しろ”ってか、まぁなんだ、――なんだな)

 

 ――瀬々/ツモ{2}

 

 

「――――――――ツモ!」

 

 

 その言葉は、アンの顔すらも、歪ませるには十分だった。

 ――第一ツモ、たった一巡のツモでだけ、許された和了がある。翻数測定不可能、しかしその答えとして確かに存在する役。

 

 

「――()()。8200、16200」

 

 

 瞬間、地を割らんばかりの歓声が、インターハイの会場に響き渡った。

 ――そして、

 

 

 ♪

 

 

『先鋒戦、終了――――!』

 

 

 その半荘二回は、波乱と呼ばれるには十分だった。

 

 

 ――先鋒戦最終結果――

 一位臨海 :153900

 二位龍門渕:101500

 三位永水 :75100

 四位宮守 :69500

 

 

 ♪

 

 

『先鋒戦の結果は、臨海女子、アン=ヘイリーの一方的な展開で終了――! しかし、終盤はそれぞれ何とか焼き鳥を回避、点差は大きく広げられましたが、まだまだ十分挽回できる地点に着地しました!』

 

『特に際立ったのは龍門渕高校の渡選手ですね☆ 結局ヘイリー選手に討ち取られたものの、南一局の一本場でテンパイまで漕ぎ告げた所が特に☆』

 

 ――インターハイ会場。

 夏の照射と、観客の熱気、会場中の空調を束ねてもなお足りないほどの熱量。その中心となる対局室の入り口にて、アンと瀬々は対局を終えたもの同士、友人同士である一個人として、また逆に、明日を望む雀士として、相対した。

 

「南一局の地和、お見事でした――とは、さすがに言いがたい雰囲気と、内容でしたね」

 

「……まったくだな」

 

 心底つまらそうにして見せながら、アンは言う。瀬々もそれはまったくだ、という様子で同意した。理解して言う。――この対局、瀬々がアンに対して上回った要素は何一つなかった。

 さすがに、同時に闘った清梅や心音とはひとつ段階が違うが、それでも瀬々がアンに“届いていない”のはまた事実。追いつける立ち位置が、そのままきっちり、追いつくことのできる場所であるとは限らないのだ。

 

 アンは決して歩みを止めない。同じ速度で歩いていては、何時まで経っても瀬々はアンに届かない、そういうことだ。

 

 それでも、瀬々はこの対局を微差ながらプラスで終えている。一歩遅れているとはいえ、勝者として準決勝先鋒戦に名を刻んだのである。

 その原動力となったのは――何か。

 

「前半戦の東場を除けば、私の親を流したのはどれも瀬々でした。――が、それは瀬々の実力によって為されたのではない。瀬々、私とあなたの実力差は、あの一本場ではっきりと示されている」

 

 辛辣な言葉、しかし瀬々はさしてそれを気に留めた様子もなく答える。――挑発だと、判断したのだ。瀬々の中にある何かのチカラ、それを見極めるための。

 

「ずばり、と言うな――悪いが答える気はないぞ? どれだけ探りを入れようと、あれはあたしのチカラじゃなかった、それ以上はいうこともないし、言うつもりもない」

 

「――いえ、別に気にする必要はありませんよ、さすがに完全初見では対応ができませんでしたが、あの地和、大体その性質は読めました」

 

 間髪入れずに、瀬々の言葉へアンが答えた。

 まるで当たり前のように、アンは言うのだ。たったアレだけの情報量で、瀬々のオカルトを、性質すら見ぬいた――と。さすがにそれは聞き捨てがならない、といった様子で瀬々は声をどこか剣呑にしながら言葉を紡ぐ。

 

「あたしが地和を和了ったのはたった一局だぞ? それを持ってあんたは、あたしの全部をわかった、というのか? そもそもだ、アン、あんたは前半戦の東発からして、まるであたしのオカルトを全部わかっているかのようじゃなかったか? 一応言っておくが、私のオカルトはそうそう判断の付くようなものじゃ――」

 

 だが、それを差し止めるように、アンは人差し指をピンとたて、瀬々の目元で左右に揺らす。まるで瀬々を嘲笑ってみせるかのような気障な所作。いよいよ一層、瀬々の顔が険しく歪んだ。

 

「それ以上はダメですよ、瀬々。あなたは私のすべてを見透かせなかった。しかし私は見透かせた。――それでいいじゃあないですか」

 

 ――返答は、なかった。

 人差し指を下げて、どことなく不敵に笑うアン――眉をひそめたままの瀬々、たっぷり数分も、沈黙を続けていただろか――否、それは両者の感覚による判断だ。それだけ、意識の集中が、瀬々にはあった。そして同時に――アンにも。

 

「……ふふ、ここまでにしましょうか」

 

「――そうだな」

 

 挑戦的な笑みを引っ込めて、優しげな笑みに切り替えるアン、瀬々もやれやれと言った様子で嘆息とともに首を振るった。

 

「まぁ、そうですね」

 

 話はここまでだ、とアンが体を翻し、それから付け加えるように顔を振り向かせる。

 

「……?」

 

 軽く小首を傾げながら、瀬々は言葉を待つ。――観察するように、そんな目つきは、結局今も変わっていない。それはきっと瀬々の強さ、したたかさだと、傍目から見てアンは感じた。

 そして――

 

 

「しいていうなら、私がアン=ヘイリーである、ということは――大きな理由になるでしょうね」

 

 

 言うだけ言って、アンはその場から消えていった。――言った言葉の意味は、自負、アン自身の、強者としての自己理解によるものだ。

 だとすれば、まるでそれは――

 

「……勝利宣言か、ってーの」

 

 吐き出すように、瀬々は唐突に体中のチカラを脱力させた。これまで溜まっていた負荷が、ようやく表層に現れた――現すことのできる状況に至ったのだ。

 

「なんだかなぁー」

 

 対局室に、もう人はいない。瀬々とアンが出てきたのは、そそくさと清梅、及び心音が出て行った後のことだったのだ。――対局後の牽制が、今まで続いていたということである。

 

「卓の外……一人でいてもいい部分でまで、気を使う――こんなのあたしの柄じゃ、ねーっての」

 

 随分と、熱心になったものだと瀬々は嘆息する。

 それもそうだ。さきほどまで、対局が終わってもなお、瀬々はアンと会話の中から相手の情報を探り合おうと口を回していたのである。言葉の上では一応お互い情報を封はしたものの、その中から読み取れるものは、瀬々の感覚が読み取った。性質を把握しているという言葉の意味も、まぁ大体理解はできた。――しかしこれは相手もまた同じこと、馬鹿げた洞察力だと嘆息しながら、瀬々は痛み分けを実感する。

 

(でもまー、終わったぁ……厳しいと思ってた準決勝は乗り切った。あとは衣に全部任せとけばいいやー)

 

 ――未だ、渡瀬々は未完の大器である。それはあの時、自分自身のチカラを、“使う”と決めたその時から、変わっていない。

 

(……そう、あの時から、な)

 

 大きく息を吐きだして、――それは嘆息に近かったが、同時に安堵も交わらせているように、思えた。

 

 

 ♪

 

 

 波乱の先鋒戦、しかし終わってみれば第二回戦の収支トップ二名がプラス収支で対局を終え、さらには予てから認識されていた結果の推察通り、状況は完全にアン=ヘイリーの勝利という結果に収束した。

 渡瀬々の地和という完全なイレギュラーをもってなお、できたのはたった千点ちょっとのプラスのみ。アンとの点差は五万点――団体戦という舞台ではなく、各個人の成績としては、あまりに絶大的なもののように、思えてならない。

 

 ――そして迎えるのは、次鋒戦、

 焦点は、いかに臨海女子が点棒を守るか、という点だ。それこそ稼いだ点棒は()()とある。しかしそれは、役満の親被り一つで消え去ってしまう点差であるし何より――この準決勝、大将戦には二人の魔物がいる。

 

 無論大将戦自体にも焦点はあるが、それ以前、次鋒戦から中堅戦にかけてのこともまた、重要ではある。それを踏まえての次鋒戦、臨海女子が送り出すのは、自他共に認める世界最強クラスの防御力を誇る雀士――

 

 ――シャロン=ランドルフ:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――153900――

 

 対するは二回戦にて臨海女子とは相まみえることのなかった一年生、二年生の下級生組――

 

 ――国広一:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――101500――

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――69500――

 

 その表情は、緊張と覚悟に満ちた、真剣そのものなものとして共通している。第二回戦での両者の成績は対照的とすら言えた。しかしこの状況において、両者は等しく、挑む側の人間なのだ。

 最後――彼女はオカルトに身を寄せたものが跋扈する永水女子において、唯一常人としての割合が殆どを占める雀士、そして第二回戦の次鋒戦では、シャロンと互角に渡り合った相手でもある。

 

 ――(そなえ)(みこと):三年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――75100――

 

 かくして、準決勝次鋒戦、すべての準備は整った。残すは対局の開始を待つのみ。――これはこの準決勝卓に座る四校の、すべてを賭けた対局であり――死闘である。

 

 席順。

 東家:国広

 南家:備

 西家:ランドルフ

 北家:臼沢

 

 この日三回目の麻雀。三度目の、意地と意地がぶつかり合う戦場が、そこから始まる。




前回のカットした分と、詰め込んだ次回の冒頭部分です。
さすがにこれをアン無双のあとにやるのはどうかと思ったので……


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『灼熱の信条』次鋒戦①

 ――東一局、親塞――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

 第二回戦、姫松シードの第四ブロックでは、この次鋒戦はとにかく重たい場であった。その中を縦横無尽に駆け巡ったのは、速度の雀士、晩成の北門美紀と、その重たい場を作る原因となった、オカルトの持ち主、その二名であった。

 ――そしてそのオカルト雀士は、この準決勝でも健在である。

 

 当然のように、空気は重く、冷たいものになった。手牌は軒並み四向聴から五向聴、テンパイに程遠いような両面塔子一つない手牌。――役牌すら、重なる気配は見えなかった。

 

 しかし、それはオカルトを放つ張本人には通用しない――そう、この対局、先制したのは臼沢塞、塞ぐオカルトの持ち主であった。

 

(……よし、配牌は微妙な四向聴だったけど、ツモは悪くない、この手なら、十分勝負に持っていける!)

 

 ――塞手牌――

 {三四五④⑤⑤⑤345788(横③)}

 

 手牌の上においた有効牌を勢い良く滑り込ませ、そのまま勢い良く切り出す牌を選択する。手牌の右端、{7}の牌を勢い良く掴んだ。

 

「リーチ!」

 

 かん高く響き渡る声、対局のうねりが、いまここにスタートしたと見て、何も問題はないだろう――

 

 

 ――実況室――

 

 

「先制リーチだー! 次鋒戦最初のリーチが、宮守女子の臼沢選手から飛び出したー!」

 

「三色が付きますし、今はまだ八巡目、とうぜんリーチを選択しますね☆」

 

「しかし高め平和の付く三色確定の{8}切りリーチではなく、{7}切りリーチですか」

 

 ちらりと、実況者が確かめるようにはやりの顔を見る。いつもどおりののほほんとした“ような”顔。そしてそこから飛び出るのは、彼女特有の鋭い洞察力からくる発言だ。

 

「たしかに平和は魅力的ですが、そのために必要な{6}が一枚切れ、{9}が三枚切れで受け入れがシャボ待ちと変わりません。更に{7}は三枚切れていますから、{8}を釣りだしやすい、と考えたのでしょう☆」

 

 ――それに、とはやりはシャロンの捨て牌をちらりと見やりながら、実況者へ指摘する。

 

 ――シャロン捨て牌――

 {北9①③發7}

 {9五⑦}

 

「それに、序盤にランドルフ選手が{①③}を落としています。{①}は手出し、に対しての{③}ノータイム自摸切りから、{②}は使われていない不要牌だと判断したのでしょう。加えて{二}と{⑦}、これはどちらも手出しですから、急速に手が進んだとも受け取れるわけですから、押してくる可能性はある、と判断したのでしょう」

 

「ですけど、ランドルフ選手は全国トップの低い放銃率を誇っています。極希にリーチをかけて、それで放銃スつことはありますが、ダマでの放銃はありえないのでは?」

 

「そうですね――と☆」

 

 軽く頷いて、そこで件のシャロンが牌をツモった。その意味に素早く気づいたはやりが会話を中断、ほぼ同時にアナウンサーもまた、その喉を震わせて絶叫する。

 

「おおっとぉ! ここでランドルフ選手当たり牌の{②}を掴んだァ! これは振り込んでしまうのか!?」

 

 モニターの向こうで、シャロンが右端に牌を置く、それから手をよどみなく動かして、手牌の中から牌を取り出す。

 

 ――シャロン手牌――

              {6}

 {五五六六八九⑦⑧⑨11} {6} {②}(ツモ)

 

「ろ、{6}だー! {345(サシゴ)}が場に全く出ていない状況で、何のためらいもなく危険牌を打っていったー! {7}が三枚場に出ていますが、これは……」

 

「通常であれば、ありえない選択です。――が、これは各個人個人の視点の問題ですね☆ さきほど(はやり)は臼沢選手の打牌をリーチからの釣り上げと言いましたが、有効牌の枚数から言ってもあれは{7}切りリーチだと思います。これも同じように、個々の性格による打牌といえるかと思います☆」

 

「なるほど、確かに臼沢選手の選択は傍目から見ての妥当性と、臼沢選手自身の妥当性が一致していましたが、そうでない場合も十分に考えられますね」

 

「麻雀は十人十色のゲームです。時にはそういった雀士の存在も、ゲームを盛り上げてくれますね☆」

 

 ――直後、とはいってもそれは三巡後のことではあるが、塞のリーチ後、始めて状況が動いた。状況を動かせる人間が、塞か、未だ手を押しているシャロンの他にないのだ。

 一はシャロンの{6}強打の時点で降り気味、尊は全く動く様子を見せず沈黙しきっている。打牌はここまですべて安牌の手出しであるが、それがベタオリといえるかどうかは少し微妙だ。どうやら安牌として字牌を抱えていたようで、ここまで全く手牌を垣間見せる様子はない。

 

 そして、シャロンのツモ、これで大きく状況が動いた。

 

 ――シャロン手牌――

 {四四五五九九②⑦⑧⑨⑨11(横⑦)}

 

 稲光が、シャロンの手牌を駆け巡る。待ってましたと言わんばかりのテンパイ、どことなく、無愛想にみえるシャロンの顔が、笑みに歪んだような気がした。

 

「――リーチ!」

 

 シャロン/打{⑧}

 

 シャロンはその打牌を、迷わない。全く何の気負いもなく、リーチを掛けて、牌を切り出す。そしてそのリーチ宣言牌は当たることはありえないのだ。

 

 

(……来た、一向聴で喧嘩するには、ちょっとボクじゃチカラ不足かな?)

 

 ――一手牌――

 {一三五②③④23488發發}

 

 一/ツモ{⑤}・打{發}

 

 

(やはり、このままではまずい……かしらね?)

 

 ――尊手牌――

 {六七七九②③③⑨⑨1234}

 

 尊/自摸切り{八}

 

 

 それぞれの手は、これに対して動くことは決してなかった。故に、ここでの勝負は完全に、塞とシャロンのまくりあいとなる。塞は――自摸れなかった。シャロンの一発ツモに次ぐツモは現物、それをそのまま何の気なしに切り捨てて、そのまま終了。

 

 ――衝撃はその直後、シャロンの第二ツモにある。勢い良く右手を振り上げたシャロン、そこからまさに、“何かとしか言いようのない何か”がシャロンの奥底から爆発的に噴出する。

 音が、響いた。

 

 それは決して、牌を卓にたたきつけるだけの音――だけではない。

 

 

「――ツモ! 1600、3200!」

 

 

「……っ!」

 

 ――リーチツモ、チートイツ。二十五符四翻の手を、塞は驚愕を持って受け入れた。同時に、納得もまた、思う。シャロンのそれは、当たり牌を見透かしているかのようなものだったのだ。それはこの対局が始まる前、牌譜を検討していた時に指摘されたことである。

 

 故に、納得。塞は単純に引き負けたのだ。和了り牌を掴んで、それが当たりだとわかっても、リーチしてきたのなら話は別だ。途端にそれは運まかせのダービーに変わる。

 だからこそ負けたくない、とも思える。

 

 シャロンが強く意思を持つ限り、塞もまた――否、塞だけではない、この卓を囲むすべてのモノが、そう思うのだ。

 

 

 ――東二局、親尊――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 この局、まず最初にテンパイしたのは臼沢塞、さきほどの局は流れを逸したとはいえ、この状況において最も有利であることは変わらない。すんなりとテンパイの入った手牌を、ダマで選んで待ち構える。

 手役は先程のシャロンを思わせるチートイツ。いくらでも待ちを作ることが可能な、無限の手役である。

 

 だが、それにひるまず、前に進むものがいた。

 国広一――この準決勝、彼女最初のテンパイである。

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

 

『龍門渕、国広選手にテンパイが入ったー! 綺麗に嵌張を埋めましたが、これはリーチでしょうか』

 

『いえ、それはないと思います。この手牌は三色への振り替わりもありますし、出和了り可能な形式テンパイだと思います☆』

 

「一! やっておしまい!」

 

 実況と解説の言葉をバックグランドに、龍門渕の控え室は一斉に、一へと意識を注視させていた。まず透華が画面の前にかぶりつき、ほかもどことなく前傾になりながら対局を見守っている。

 

「十三巡目かぁー」

 

 水穂の嘆息、ここまで来るのにかなりの時間がかかったことは事実、透華もどこかうんざりしたようにそれに肯定の意を述べる。

 

「そうですわね、おかげでリーチも儘なりませんの」

 

 当然、さらに巡目は早かろうと、透華はリーチをかけないだろうが、他家の牽制や、自身のインパクトを考慮して、どうしてもリーチを仕掛けたくなってしまうこともある。

 

「まーしかし、二回戦のを引きずってはいねーみてーだな」

 

 どことなく他人ごとのように、井上純が嘆息気味に言う。思い出されるのは第二回戦、後半戦の終盤に見られた一の表情、あれは到底見ていられるものではなかった。まさしくアレは、心のなかに在った支えがぽっきりと折れてしまっているのだ。

 

「そんなことで消沈してる自分が馬鹿らしくなったって言ってたぞ? ムリもないね、さすがにあれは一にとっては地獄だっただろうから」

 

「…………あぁ」

 

 瀬々の言葉に、今度は恐ろしく遠い目をしながら純が同意する。というのも、原因は衣と瀬々、そして透華の特訓にある。――オカルトを使いこなすことを宣言した瀬々と透華、それに対して衣は、オカルトを理解することが必要だといった。

 麻雀の中で、直にオカルトの感覚を理解しよう、そういうことになったのだ。

 

 しかし、衣が想定しているのは四人麻雀、三人では面子が足りない、そこで主にそこへ巻き込まれたのがとうの一であったのだ。

 

「インハイへの荒療治として打ってもらったけど、まぁそりゃ問題無くなるよな、アレより酷い麻雀が世界にいくつあるか……」

 

 瀬々のげんなりするような物言い。それと同時に向かった視線の先には、楽しげに対局を見守る衣がいる。――視線に気がついたのだろう、しかし話は聞いていたかどうか、なんともとぼけた表情で衣は小首をかしげていた。

 ちなみに、絶対にないとは言わない。主にとある女流雀士などを見ればそれはよく分かるだろう。

 

 ――と、そこで状況が更に変じた。

 動かしたのは臨海女子、シャロン=ランドルフのツモ。彼女が一の当たり牌を放たなければならないテンパイを入れたのだ。

 

『おーっと、ここでランドルフ選手もテンパイ、しかし浮き牌は国広選手の当たり牌だ。これはベタオリでしょうか……?』

 

 一の捨て牌を見れば、テンパイしていると仮定すれば当たり牌の察知はさほど難しくはない、加えて一の打牌は思考の末の強打。テンパイだと判断するものもいるだろう。

 

『いえ、ランドルフ選手はベタオリをしませんから、回し打ちですが……あと五巡では追いつけそうにないですね☆』

 

『おーっと、瑞原プロの言葉通り、ランドルフ選手はどうやら回し打ちのようだ。難しいところを切っていったぞー!』

 

「これは……流局かな?」

 

「でしょうねぇ」

 

 透華と、水穂、どちらも雀士としての経験が豊かであるからこその一言。同時に瀬々と衣も視線をかわして頷き合う、この局は、テンパイ流局。誰もの認識がそうだ。

 ――結局、その認識は覆されることなく、東二局は塞と一の二人テンパイで終了となった。

 

 

 ――東三局流れ一本場、親シャロン――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

 ――シャロン=ランドルフはベタオリをしない。それは彼女の決して少ないとはいえない牌譜の中から、その特徴は大いに言えた。

 たとえそれが親の役満を相手にした時であろうと、オーラスで二位とたった千点差という極限状態であろうと、絶対に手を崩すということはしない。そう、いつであろうとシャロンは回し打ちにこだわり続けているのだ。

 

 今年の臨海女子レギュラーは恐ろしいほど血の気の多い雀士が多いといわれるが――事実それはその通りなのだが――その筆頭がシャロンである、というのは有名な話だ。

 無論、アンのようにそもそも相手の当たり牌を引く前に自分で和了るようなバケモノもいるが、それは本当にごくごく例外的存在である。

 

 とかく、シャロンはベタオリをしない。しかし同時に、放銃率も異様なほど低い、普通であれば放銃しても仕方ないとすら言えるような状況ですら、とにかくシャロンは放銃をしない。

 時折その血の気の多さからリーチをかけて他家との殴り合いを演じる時以外は、まったく。

 

 その強さの秘訣は、たとえば衣や大沼秋一郎のような化け物じみた観察力ではない。そのような、人の至る場所の、強さではないのだ。

 

 

(――さて、これ――――龍門渕の当たり牌なンか?)

 

 ――シャロン手牌――

 {一三三七八八九九④④79發(横3)}

 

({發}は永水に振込むし……めンどくさいまちがおーいなぁ)

 

 シャロン/打{7}

 

 当たり牌を、まるでわかったかのように見透かすシャロン、そのシャロンの思考の通り、それぞれ一の待ちは{3}―{6}の両面待ち、永水、備尊の待ちは{發}と{東}のダブルバックだ。

 

(宮守のアレがあるのに、よくもまぁそうポンポンとテンパイするもンだ。そもそも宮守自身が手を作れてないってーのに)

 

 まぁ、宮守の支配は本人にこう配牌をつかませるわけじゃないしな――と、シャロン特有のぶっきらぼうな物言いで、吐き捨てるように自身の捨て牌を見る。――異様としか見えない捨て牌、チートイツか、はたまた純チャン系か、周囲はそんなところだろうと見る捨て牌。

 それは事実、しかしチートイツともなれば、捨て牌から待ちを予想するなど不可能もいいところ、もしシャロンのテンパイを察すれば、ベタオリしかないだろう。

 

(が、しかしだ――あたしにはその心配がないンだよ。チートイツだってすぐさま見破っちまうし、その待ちも――ベタオリする必要なく、“解る”)

 

 それこそ、東東京の県予選決勝、ドアの向こうにいる、何一つ行動を起こさず存在を知らせなかった、アンの存在すらわかってしまうほど――

 

 

 シャロンは、何かを感知する感覚に、優れているのだ。

 

 

 シャロン/ツモ{發}

 

(――いいじゃンか)

 

 ニィ、と表情が楽しげなものへと変わる。シャロンは、強者には二種類の闘牌スタイルがあると考えている。その一つが、まるで仏像のように表情を隠し、相手を伺うようなスタイル。

 

 そしてもうひとつは――

 

 シャロン/ツモ{3}

 

 あくまで貪欲に――好戦的に――すべてを押しのけていくような、好戦的な気配を噴出させるもの。

 

(あたしは、後者。あたしの麻雀に“後退”はない。あたしの打ち筋は、それだけ絶対ってことなんだよ!)

 

 

「――――ツモ! 一本付けましてからに――――1700オールゥ!」

 

 

 快活な、声。

 シャロン=ランドルフの麻雀が、そこにある。




今回は点数移動無し。忙しい理由を考えればすぐに色々理由が浮かんでくる程度には忙しく、また理由を考えてしまう程度にはモチベーションが落ちているのでした。


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『彼女のおしごと、私のひめごと』次鋒戦②

 初めてあったその人は、彼女にとってなんでもない、クラスメイトの一人であった。永水女子は少し不思議な高校で、その人もそれに違わず、不思議な雰囲気を持つ人だった。

 

 麻雀部に入り、始めて会話をかわして、友人、と呼べるような仲になれたとおもう。それから一年、時折その人を巻き込んで、友人たちと出かけることもしたし、夜通しチャットで語り合ったりもした。

 

 楽しい思い出は多くあり、それら一つ一つが、その人と彼女の、大切なつながりであったのだ。それでもきっと、その人にとって自分は、日常の中にある一人の友人であっただろうし、彼女自身、いつかは別れていくような、親友たちの一人と、その人のことを見ていたのだ。

 

 それが大きく変質したのは、ある忘れられない夜のこと。

 

 

 少しだけ肌寒い、夏の終わりの、ある、夜のこと――――

 

 

 ――東三局二本場、親シャロン――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 ここまで、いよいよ沈黙を極めていた尊の手牌が、この東三局二本場で、大きく変質しようとしていた。手牌の中を渦巻いているであろう気配の群れを考えて、一層尊は思考を回す。

 

(全体的に重い場の雰囲気が、複数人のテンパイで崩れだしているのかしら、手の進みがだいぶ早いわ)

 

 ――尊手牌―ー

 {四四六八②③④⑥⑦3488(横七)}

 

(三色も見えないわけではない手牌、ここで切るなら{88}を残すことを想定しての{34}か{四四}落とし……けど)

 

 ちらりと、シャロンの手牌から感じ取られる“ような気がする”気配を意識し、{四}に合わせた手を止める。それから視線は、シャロンの捨て牌へと移った。

 

 ――シャロン捨て牌(「」手出し)――

 {「西」「發」9「二」①東}

 {「⑧」「五」1}

 

(この卓で唯一和了しているシャロン=ランドルフがかなり脅威ね、{東}の自摸切り直後、急速に手を進めている。こういう手の進み方は、一向聴が最低でも濃厚、ってとこかしらね)

 

 場面の情報だけ見れば、シャロンの手はかなり速度のあるタンピン手に思える。当たり牌を掴ませればまた違ってくるだろうが、ここから攻めていくならおそらく、シャロンは尊とブッキングすることになる。

 

(攻めてくるのに、食いついてくれればそれで結構。そうでなければ、私がここでその流れをもらっていくだけよ)

 

 尊/打{()}

 

 これは――果たしてだれも、動かない。鳴いて牌がずれるなら結構、しかしなかないというのなら、それはそれで、尊の手役の、糧となる。

 

 ――対向するシャロンは、勢い良く牌を掴むと、盲牌だけして自摸切り――無筋ドラ側、{7}の強打であった。当然、それは誰にも当たらない。

 当たるとすれば――それこそ自分自身で掴むのみなのだから。

 

 直後、宮守は自摸切り安牌、迷う必要はない。回るにしろオリるにしろ、気づいていないにしろ、この牌は完全に不要であろうと思われた。

 

 よって、続く一、こちらは悩みどころだ、安牌が無いのか、難しそうに顔をしかめて、それから牌を選んで切る。――切ったのは、

 

 一/打{③}

 

 前巡に、尊の切った{③}、山越しである可能性もあったが、おそらく一の手には、それくらいしか信用のおける牌は何一つなかったのだ。

 

 しかし、

 

(――お待ちどう様、ね)

 

 

「――チー!」 {横③②④}

 

 

 待ちわびていた瞬間を、尊が見逃すはずはない。すぐさま牌を晒すと、勢い良くスライド、牌が卓の端に、軽快な音を伴ってたたきつけられた――!

 

 

(おンや、トリッキーな攻め手が一人。まぁ当然、そんな切り方するってーなら攻めてくるよねー。オカルトオカルト)

 

 流された、シャロンのツモはムダヅモだ。それも先ほどのような、状況が状況であればキモを冷やしてしまうようなツモではない、全く見当違いな、当たりでもハズレでもないトンチンカンなモノ。

 まるでその場にいながら、いないものとして阻害されているかのようだ。

 

(解る、解るンだよね、流れがかなり変わってる。不可思議な鳴きは、流れの想定を超えたか。――どこまでわかってやってるンだろーな)

 

 シャロンの感知は、決して当たり牌という即物的なものだけではない。全体的に受け身がちな偏りがあるものの、シャロンの読み取れるものは様々だ。

 気配や当たり牌、裏ドラなどが彼女の領分だ。――しかしその最もたる部分は、今この時のような、流れの察知によるものに、他ならない。

 

(あたしの持っていた流れ、全部どこかにとンじまったみたいだ。それをあの永水女が掴ンだのかどうかはともかく、警戒する必要は、あるな)

 

 そして、宮守のツモ、これはシャロンのツモが流れたものだ。それを見た塞は、一度だけ嫌な顔をしてから、安牌であるヤオチューを切った。ベタオリ、だろう。

 

 更には続く尊のツモ、手牌の左端に引き寄せ、打牌――両面塔子落としの打牌{4}。そして、

 

(――当たり牌、これは{⑤⑧}待ちか?)

 

 軽く当たりをつけて、安牌落とし。シャロンにとっては、手牌すべてが当たり牌にならない限り、あらゆる牌が安牌である、どれだけ危ない牌であろうが、躊躇なく、それを切る。

 

 ――結局、これでシャロンはテンパイ崩し、和了したのは――

 

「ツモ、二本あるから、1200、2200ね」

 

 ――尊手牌――

 {四四四六七八⑥⑦88横⑤} {横③②④}

 

・永水 『74900』(+4600)

 ↑

・臨海 『162700』(-2200)

・宮守 『66700』(-1100)

・龍門渕『96900』(-1100)

 

 備尊、異常のようにうつる、少女が和了った。

 

 

 ――東四局、親塞――

 ――ドラ表示牌{④}――

 

 

 空気の乱れ、場のあれ具合からつながる、状況のよどみ。そうしてそれらが生み出す、誰かの焦り。シャロンはそれを、どこか俯瞰した様子で見守っていた。

 

「……ポン!」 {東横東東}

 

 宮守が、鳴いた。これによりシャロンの手はツモ番のスキップにより更に遅れ、前に無理にでも進もうとする他家から少しずつ引き離されていく。

 ――放銃がないのなら、それに合わせて手を打つことができる。それでも、その当たり牌ツモが、シャロンの手を遅らせるという弱点にもなる。

 

 無論、放銃してしまえばそれ以上の失点は避けられないのだから、それもまた悪くはないだろうが……

 

「チー」 {⑧⑦⑨}

 

 こんど鳴いたのは龍門渕だ。おそらくは喰い一通あたりが狙いだろうか。やもすれば混一色もありうる牌の偏りが捨て牌からみられる。

 

 ――状況が淀んでいるから、場が荒れる。これで龍門渕も宮守も二鳴きだ。手牌を短くして、果たして速度は本当に伴っているといえるのだろうか。有効牌が自摸れなければ、和了もテンパイもできないのは、なこうがなくまいが変わらない。

 

 それだけずれて荒れる場は、シャロンの感覚を鈍らせる。――もしくは、異物を感覚に押し込める、といったほうがよいだろうか。それはまるで、粘りついた膜のように、シャロンの体を覆ってしまうのだ。

 

(これは別に、あたしに限らず門前派には誰にも言えることなンだけどさ。やっぱこーいうのは、めんどくさい)

 

 それがあるからこそ、シャロンは難しそうに顔をしかめて、牌を掴む。――それが当たり牌だ。すぐさま手牌に治め、別の牌を切り出す。

 

(それをなしてるのが、まぁこの永水なンだろーけどさ、でもなンでかな、やっぱおかしい)

 

 直後、龍門渕の打牌――手を進めようとして、尊の手牌に引っかかったのだ。

 

「――ロン、2600」

 

・永水 『77500』(+2600)

 ↑

・龍門渕『94300』(-2600)

 

 尊を見る。

 自身に満ちた顔、肩より前に垂らした茶色気味の髪を撫でながら、何かを抱えるように点棒を前にして微笑む。――きっとその動作一つ一つが、彼女の生き様を表しているのだろう。

 アレは何かを支えにして生きる人間の目だ。それも、そんな支えを、人に見出しているものの眼だ。

 

(ウチのハンナに少し似てンな。ハンナの場合、もう少し我が強いンだけど。――ともかく、だ。こいつの可笑しさは、そういう方向性の違いみたいなもンじゃ、ない)

 

 宮守、臼沢塞を見る。どこか不可思議な気配、オカルトに依るものだ――加えて、目を向ければすぐに、こちらに気がついたように視線を返した。

 目と目で語り合うつもりはない、すぐに視線を外すと、今度は尊の方を見る。

 

 臼沢塞のチカラは明らかだ。おそらくはシャロンでなくとも、オカルトに敏感な人間ならば、すぐに感じ取ることができるだろう。

 しかし、尊は違う。

 

(――こいつには、そんなオカルト的気配が()()()()。こいつは流れを操るんじゃないのか? もしこいつがそういった流れを感じ取れないというのなら、一体どこから、こいつは流れを掴んでくるンだ……?)

 

 懐疑的なシャロンの視線、それに尊は気づいているのかいないのか、すました顔で浮かび上がる牌を眺める。南入だ。前半戦も中盤、備尊の不可思議な闘牌が、ついにこの卓で、顕になろうとしている。

 

 

 ――南一局、親一――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「ポン!」 {44横4}

 

 

 尊の手が、勢い良く牌を叩いて卓上を跳ねまわる。スライドによって叩きつけられた牌と反発するように、尊の右手は強引に牌を河へと叩きつけた。

 鳴かれたシャロンは少しだけ面倒そうに顔をしかめてから、続く自身のツモを引き寄せる。

 

(第二回戦の時も思っていたのだけど、やっぱりこの人は流れを読み取っているのかしら。そうだとすればまこと羨ましいったら無いわね)

 

 当たり牌を察知するだけなら、問題は何一つ無いだろう。こちらもそれに対応してツモ和了を狙っていけばいい。しかし流れを察知できるとなれば話は別だ。

 臼沢塞の存在もあって、この混沌とした状況は非常に尊にとって好ましい場だ。

 

 しかしそれが、シャロンの察知によって変じてしまうのは、尊にとっては絶対に避けたい状況なのだ。尊は決して、オカルトを自在に操れるわけではない。流れを感じ取れるわけでもないのだ。

 

 ならば尊は、何を持ってオカルトとするか。

 答えは簡単――情報である。

 

(二連続和了でこっちは波に乗っている。ここでさらにもう一度和了して、一気に流れを決定づけてあげる!)

 

 ――塞/打{三}

 

(生牌の{三}、流れはここかしら? どちらにしろ、この乱れている()()の流れを、私のもとで固定化し、強固なものに仕上げてみせる!)

 

 ――尊手牌――

 {三三三⑤⑥⑥⑧888} {44横4}

 

 

「――カン!」 {三三横三三}

 

 

 ――尊/ツモ{④}

 

(――掴んだ! けど、これじゃあまだ、ダメ、完全じゃない。私にはまだ、捉えていない流れがひとつある)

 

 勢い任せに掴んだ嶺上牌、絶好とは言わずとも、完璧とすら言える亜両面は、しかし尊の思う手牌には至らない。これではダメだ。これでは尊の手が、単なるゴミ手のような何かに変わってしまう。

 だから、尊はその牌を一瞥し、そのまま勢い良く前へ向かって切り出した。

 

 尊/自摸切り{④}

 

 ――テンパイ拒否、それが尊の選択だった。

 

 ――新ドラ表示牌:{⑤}

 

 これに反応するのが龍門渕、国広一。――尊が意識を向ける、最後の相手。尊の狙いは流れの統括。これまでよどみ続けていたはずの流れを、他家からすべて引き寄せて、尊のものへと変質させるのだ。

 だからこそ、他家の牌をなく。鳴いて空気をかき回せ、一気にそれをストップさせる。

 

 尊のもとに――顕現させる。

 

 それに必要な、最後の牌、{④}を嫌ってまでもなお、龍門渕からこぼれ出た牌。

 

 一/打{⑦}

 

(ここね、これを鳴かない手は普通、無い。わざわざ手を嫌ってまで待ったのだから、これをなかない理由はない。その上で、私がなく牌は――これ)

 

 

「――チー!」 {横⑦⑤⑥}

 

 

 異様に、それはうつるだろう。無論フリテンになるのだからこれ自体はおかしなことではない。しかしそれでも、さきほどのテンパイ拒否からして、異様は異様にしか映らない。

 

 尊/打{8}

 

(普通なら、フリテンでもいいから両面を選びそうなもの、いいえむしろ、さっきの自摸切りがなければ、私は両面をフリテンなしで自摸っているのだわ、それを考えても、これはつまり、異常になる待ち)

 

 ――だが、そんな異常を求める流れがあるのだとすれば? それだけ今の状況が混迷しているのだとすれば?

 

 むしろ、お手本のような教科書スタイルでは、この状況は引き寄せられない。

 

(それに――{④}打牌の警戒で、龍門渕は手を止めた、龍門渕はヤオチュー牌をとことん嫌うタンピン手、一度役牌が重なっても、嫌そうな顔一つしてないわ。{⑦}をこの子が切ってくれたわけだし――三枚目の新ドラはここ、ね)

 

 とはいえ、手牌としても微妙なところだろうと、尊は見ている。オリ気味だが、{⑦}は切ることのできる手牌、テンパイの可能性も十分あるが、さほど高くないように思える。

 三副露に萎縮気味、ということだろう。

 

(一番面倒そうなのは臨海女子ね、私の大明槓前の両面塔子落とし、一向聴はほぼ間違いない。その後は自摸切りだから、テンパイはありえないとも言えるけど……この人に{⑦}はまったくの不要牌、つかめば足を止めるだけのチカラになる)

 

 尊の思考の根源となるのは、シャロンの捨て牌。シャロンの捨てた両面塔子は待ちとしては七枚も在る。それに対して{⑥}が一枚、{⑨}が二枚切れている。待ちは合計五枚だ。他にも{⑦}を利用した待ちには{⑤⑧}待ちもあるが、{⑤}がすでに切られているから、これはない。考えられるのは{⑦⑨}の嵌張待ちだが、シャロンはそういった両面を落として嵌張で待つような変態的な打ち筋はしないだろう。

 

(最後に……宮守、彼女の待ちはそもそも染め手よ、{三}切りが危なく見えるけど、先に自摸ってしまえば問題はないわ)

 

 三者の状況は、尊にしれた。――あらゆる情報、そこから見えてくる状況を、尊は流れとして変換させる。尊にとって流れとは、状況と、そこからくる場面の転換だ。

 それはたとえば、清梅や後続の巫女衆たちのオカルトとは違う、純然たる技術なのである。

 

 尊がたどり着いた境地、それこそがオカルト、流れを操る不可思議スタイル。

 

 ――そう、

 

(……さぁ、これですべての準備は整った、すべてをかき回し、すべてを掴んで、不可思議な待ちを選んだ、これを和了ってしまえば、流れは私の手の中に、あってしかるべきものになるのよ!)

 

 

 ――単なる一人の少女でしかなかった尊の、とてもとても大切な、かけがえのないたった一つの、尊のひめごと。

 

 

「――ツモ! 1300、2600!」

 

 

 ――尊手牌――

 {⑥⑧88横⑦} {横⑦⑤⑥} {三三横三三} {44横4}

 

・永水 『82700』(+5200)

 ↑

・臨海 『161400』(-1300)

・宮守 『64200』(-1300)

・龍門渕『91700』(-2600)

 

 備尊が右手を伸ばす。サイコロを回し、自信のフィールドを築くために、尊の思いが、すべてのチカラが備わった、彼女だけの親番が始まろうとしている――

 

 

 ♪

 

 

 備尊のパーソナリティは、平凡であることだった。どこにでもいる少女、両親がいて、親友がいて、未来を憂いて過去を悔やんで、なんでもないように日常を送る、ごくごく普通の少女だった。

 彼女には小学生の頃から続けてきた趣味があった。――麻雀である。友人が始めた習い事に、自分も自分もと参加したのが始まりだった。

 

 それから、中学、高校と麻雀を続けて、それなりに県でも有数のプレイヤーになった。全中県予選での成績は一桁、鹿児島で十本の指に入るだけの実力が、尊にはあった。

 けれども、それだけだったのだ。

 

 どれだけ優秀だろうと、全国トップクラスのプレイヤーには届かない、県の強豪で、レギュラーをとるだけの成績もない。そういう自覚が彼女にはあったし、きっとだれも否定はしなかっただろう。

 そんな尊が永水を選んだのは、ごくごく単純に、実家から最も近い、麻雀強豪校だったからだ。

 

 永水女子は元来からそれなりに県で名の通った高校で、全国への出場経験もある、しかしナンバー2、ナンバー3の評価が拭えない、そんな高校だった。

 尊の実力であれば、そこでレギュラーをとることも、決して夢ではない。それを含めても、高校における青春の一幕として、部活に熱を入れるのも、おかしなことでは決して無い。

 

 一年目は二軍と一軍を行ったり来たりするような成績で、控えメンバーに入ったのは、二年目のこと。――そしてこの二年目の夏、尊に大きな転機が訪れることとなる。

 

 “二年目の夏”、インターハイが終わってすぐのことだ。尊は一人、夜闇の帰路を急いでいた。

 

 

 その日は麻雀部の引き継ぎなどで、部活が長引いてしまったのだ。エースは去年から引き続き、同一の人物が務めているが、部長まではそうもいかない。丁度そのエースに部長の座が明け渡されて、彼女の麻雀部がスタートしようか、としている頃だった。

 

 尊も友人の一人として彼女に協力し、下級生などの指導に熱を入れ、時間も忘れるほどに一日を充実させていた。そんなある夜のことであった。

 

 帰宅が遅くなり、家族も心配しているだろう。そのために多少の近道をしながら、人気のない道を急いでいた。霧島の人気のない田舎道、車すら寄り付かないような場所で、何か一つでも事件が起これば、近所中で大問題となるような場所、何かが起きるなど、考えようのない場所だ。

 

 

 そんな場所を通ろうとしていた時、尊は何かに襲われた。

 

 

 “そこ”には形容のしがたい何かがいた。尊の目の前、数歩先の場所にいるのだ。夜闇には、ほとんど人影も映らない。目の前すら、月明かりではどうにも危うい。尊の目には数寸先の世界すら闇にまみれているはずなのだ。

 ――だが、分かった。そこに何かがいるのが、感覚でわかった。

 

 眼の前にいる、形の無い何がしかが、尊の喉元を狙おうと、機を伺っているのが、なんとなくわかった。――それは尊が、自分自身の感覚から訴えられる、情報によって読み取ったことだった。

 

 ――死。

 

 圧倒的な、死の気配。

 ただ在るというだけで、尊そのものを喰らい尽くしてしまいそうな、暴力的な存在感。

 恐怖を覚えるには、十分だった。

 

 ――それを忘れるほど、狂乱するには十分だった。

 

 まず、家族を思った。父と母、少し年の離れた妹二人、それから友人、走馬灯といえるだろう尊の回想は、しかしそれっきりで終わってしまった。――その程度しか、尊には思い出がなかったのではない、その程度しか、何かは尊に猶予を与えてはくれなかったのだ。

 

 ――そうしたからこそ、最後に思い浮かべたのは、きっとその日一番、印象に残っていたことだっただろう。日常を生きる少女は、日常の刹那を、最後に思い浮かべた。

 

 新たに部長へ就任し、活き活きと、後輩たちをしごいていた友人の顔。

 

 

 ――土御門清梅の、後ろ姿だった。

 

 

 直後、

 

 

「みことォォォオオオオオオ!」

 

 

 最後に思い浮かべたはずの少女――清梅の声が、尊の耳を貫いた。

 

 

 ♪

 

 

 平安時代から続く陰陽師の大家、土御門家――というのが、清梅の冠する苗字の、けったいな肩書きらしい。完全なる非日常の存在が、日常と隣合わせとなる、尊の頭が混乱するのは、ムリもないことだった。

 

「――つまり、あなたはその陰陽師っていうので、私はあなたに助けられたわけね?」

 

「そうであるなぁ、よもや尊にこのような形で私の顔が割れるとは、いやはやけったいけったい」

 

「……ありがとう、助けてくれて」

 

「いや何、当然のことをしたまでである。私の職務はこの霧島を守ることであるがゆえ、な」

 

 そうやって豪快に笑う、土御門清梅はいつもどおりの土御門清梅だ。どことなく宮司のような服装も、改造制服がどことなく似ているからか、なんとなく既視感のあるものだ。

 

「……なんだか納得がいかないわ、こっちが盛大に混乱してるっていうのに、そっちはいつもどおりのあなたで。私はあなたの麻雀部における活動を手伝って、あなたの問題に巻き込まれたのよ、少しくらい文句をいう権利はあるのでなくて?」

 

「はっはっは、そうかもしれんなぁ」

 

 怪訝そうな尊の言葉は、そんな清梅の飄々とした言葉で、簡単に流されてしまった。むぅ、と頬をふくらませても、清梅は一向に、いつもどおりの様子を崩さない。

 ――と、そんな時だった、清梅の顔が、豪勢な勢い任せのものになる。

 

 

「まぁそれなら、私と同じように、こちらがわに手を出してみるのはどうだ?」

 

 

「……は? オカルトに?」

 

「そうだぞ? いや別に、私の切ったはったを手伝えというわけではない。むしろそんなことをさせれば連中に私が殺される」

 

「……まぁ、なんとなくわかったわ」

 

 清梅は陰陽師である――らしい。そこら辺は未だに理解が及んでいない。が、しかし、だ。オカルトの存在は、尊に取ってはすんなり受け入れられるものではあった。

 目の前で見たこともないようなバケモノが――今にして思えば、化け“モノ”であったのかどうかすら曖昧だが――現れて、それを清梅が救ってくれたのだ。だからすんなり、信じることは可能なことだった。

 

 だからこそ、解る。清梅が何を言おうとしているのか、清梅が何を期待して、自分に言葉を投げかけているのか。結局のところ清梅自身も、一人でこの暗黒に満ちた世界を歩き渡るには、心細いものがあったということなのだろう。

 

 嘆息。それから、尊は自分の感情に、喜びの色が浮かび上がるのを、どこかで感じた。

 

「――そうね。いいわ、乗ってあげる」

 

 そう、清梅は陰陽師であり、同時に――永水女子を率いる雀士でもあるのだ。

 

 そして尊もまた、そんな清梅とともに、牌を握るチームメイトだ。そうして、尊は今の自分が、清梅と隣り合って立っているのだと気がついた。

 ――隣にいる清梅が、どうしようもなく愛おしく、思えた。

 

 

「清梅、あなたは私に、知られてはならないことを知られた。――だから私とあなたは運命共同体よ、――違うかしら?」

 

 

 ど娘にそんな脅し文句めいた口説きがあるのだと、清梅は一度、照れくさそうに笑った。それからポリポリと髪を何度か掻いて、それから――

 

 

「……あぁ、よろしく頼むよ、――尊」

 

 

 照れくさそうな笑みを、優しげな、慈愛のような、そんな笑みへと、それが変質した。――きっとそれは、自分も同じなのだろうと、尊は思いを馳せるのだった。

 

 

 ――かくして、この時を境に、備尊の闘牌は大きく姿を変えた。永水女子は、土御門清梅を始めとし、優秀な四人の雀士、そして魔物、神代小蒔をくわえ、九州赤山高校を下し、全国の舞台を踏む。

 

 備尊は、自身の唯一無二の親友という、最高の彩りを人生に加え、麻雀を打つ。

 

 

 ♪

 

 

「――ツモ!」

 

 

 隣に立つ、彼女が自分の世界を作ると、尊は考えている。

 

 世界が誰かとのつながりで出来上がるのなら、――尊のつながりは、そこに在るのが明らかだからだ。

 

「――4000オール!」

 

 ――尊手牌――

 {二三四六六六④⑤⑥6788横8}

 

 ――ドラ表示牌:{①} 裏ドラ表示牌:{5}

 

・永水 『94700』(+12000)

 ↑

・臨海 『157400』(-4000)

・宮守 『60200』(-4000)

・龍門渕『87700』(-4000)

 

 そして、つかみとった流れは、尊を支える土台となり、尊をつなぐ――糧となる。




まだ関係ありませんが次鋒戦がわりと長くなりました。全部一ちゃんが悪い。
タイトルの元ネタは某ラノベ、ぶっちゃけ一つ目全部読んでないのに続編読んじゃったよ! 面白かったです。


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『己にこびりついたもの』次鋒戦③

 前半戦が終わり、状況は果たして、大きな変化は訪れなかった。この前半戦でもっとも大きく暴れた尊も、自身の順位を上げることまでは成功していない。

 それというのはやはり、先鋒戦でアン=ヘイリーの稼いだ点棒が、それだけ大きな意味を持っている、ということだろう。

 

 ただ一人の点棒だけでは何一つ意味を成さないほどの存在。それほどまでに、アン=ヘイリーは強大で、後続にまで意識をこびりつかせるほどの、異質であった。

 

 だからこそ、誰もが臨海に勝ちたい、と思う。トップをとるのではない、臨海よりもひとつ上に居たいと思うのだ。――結局のところ、このインターハイは二位以上が決勝に進める舞台である。トップを取るのは、決勝だけでも構わない。

 

 故にこの次鋒戦、勝とうと思うものは、それ相応の意識を前に見据えるものだ。それこそ一のように、自分の実力不足を痛感し、できうる限り波風を立てず、自身の半荘二回を終えようというものもいるのだが。

 ――とはいえ、一自身もこの前半戦、決して焼き鳥では終わっていない。

 

 ――国広一:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――95500――

 

 それはまた宮守の臼沢塞も動揺、この次鋒戦、ほとんどいいところはなかったものの、点棒は目を背けたくなるほどではない。十万点近いトップとの点差は、それでもまだ残された半荘七回を思えば、全く絶望だと思えるようではなかった。

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――64400――

 

 この局、最大の躍進を遂げたのは永水女子の備尊、完全に他家を封殺し、その点棒は二位の龍門渕にほぼ一万点差にまで迫っていた。

 危うい均衡、いつ爆発するかもしれない状況は、それでも臨海の支配下に在る。尊が崩そうとしているのは、まずそれだ。――尊には、それを成さなければならない責任があったし、実力もまた、在った。

 

 ――備尊:三年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――85700――

 

 そして、最後の一人。臨海女子が最強の守り手。とにかく血の気の多い臨海女子レギュラーメンバー切っての猪突猛進娘。それは大将にしてバトルマニアの、タニアと並び称される少女だ。

 名をシャロン=ランドルフという。――和洋折衷、プラチナブロンドの西洋的顔立ちを、日本の女学生的装いに収めた、リボンの似合う少女であった。

 

 ――シャロン=ランドルフ――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――154400――

 

 これから始まるのは、次鋒戦後半、臨海と、その他と、拮抗し得ない均衡のなかで衝突しあう、四者四様の麻雀模様である。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:臼沢

 南家:国広

 西家:ランドルフ

 北家:備

 

 

 ――東四局、親尊――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

「リーチ」

 

 八巡目、仕掛けたのは、ここまで無難に半荘を進めながらも、今一歩及ばない感のある、龍門渕の国広一だった。勢い勇んでといった様子で、自身の次鋒戦初リーチをかける。

 じゃらりと右手の鎖が、その一の手に載せられた錘の重量を、ずっしりと伝える。

 それくらい、一の意識は前を向かざるを得なくなっていた。

 

 刹那、

 

 

「ポン」

 

 

 鳴いた。誰か――備尊である。まるで今その瞬間を待ちわびていたかのように、即座に、一瞬に、率直に、その牌を勢いだけで手中に収めた。

 

 尊/打{二}

 

(ドラ側強打……しかも無筋だ!)

 

 一の思考に、焦りという文字が浮かんだ。振り払う、しかしそれでもこびりつく、それはそうやって、一の奥底にそれはそれは前からずっと、張り付いていたのである。

 

 そして――

 

(……ぐっ)

 

 掴んで、めくって、現れたのは――{三}。丁度先ほど、尊が強打した、{四}の裏筋。思わず手を止めた一の意思は、何も間違ってはいないのだろう。

 恐る恐る、と言った様子で切られた牌は、しかし。

 

 

「ロン――5800」

 

 

 ――尊手牌――

 {三四五六⑥⑦⑧234横三} {横③③③}

 

・永水 『94300』(+6800)

 ↑

・龍門渕『80700』(-6800)

 

(――ッッッ!)

 

 息を呑む。なんだ、その待ちは、――と。一の中のあらゆる感情が、一斉に不可思議の感情を掲げる。まるでデモ行進日のようなそれは――しかし、

 

「……はい」

 

 ――一の、静かな点棒を差し出す声でかき消された。その様子に、遅ればせながら尊が気がついたのだろう、不思議そうに目を細めている。

 

(……いや、そうだよ、これは確かに不可思議ではある。異様なほど、異様と言って何も差支えは、多分どこにもないんだろう。……けど、それでもやっぱり――ちょっと違うんだよね)

 

 一はもう、尊の不可思議な手牌は歯牙にも賭けないように、自身の手牌を崩して中央に空いたスペースへと放り込んだ。同時に、意識に昨日の麻雀がフラッシュバックされる。

 

 衣のあの化け物じみた麻雀。衣自身、つまらないと言い放ったあのいくつかの半荘は、一の中にこびりつき始めていた。――否、衣の存在だけではない。一向聴地獄の中で平然とテンパイまで手を持っていく瀬々や、あの手この手で食らいついてく透華もまた、一の中で楔となっていた。

 

(――本物は、こんなものじゃない。それがわかるから、永水の人の、オカルトはまったく、怖くなんかない……!)

 

 尊の回したサイコロが、止まる。

 ――浮かび上がる山へ、果たして一は、一切の気負いもなく、手を前へと伸ばしていくのであった。

 

 

 ――東四局一本場、親尊――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 数巡、八巡ほどで、それまでノータイムで手を作っていたシャロンが、ここに来て手を止めた。一瞬だけ何かを考えると、牌を手牌の右端に寄せて別の牌を手出しする。

 

 シャロン/打{七}

 

 何事か――なんとなく一にはそれが知れていた。

 

(……当たり牌が解るなら、他家の手の進行状況なんて、一切考える必要なく正着打だけを、臨海の人は打つことができる。だから打牌がとにかく早い。それが時折止まる状況――つまり、誰かの当たり牌を掴んだってことだね。そしてこの打牌の意味は――)

 

 瀬々いわく、シャロンが感じ取っているのは当たり牌だけではない。他家の手の気配、高さと低さ、速さと重さ、それ以上に、手を進める状況の流れなんかも、シャロンは考慮していると言った。

 ならば、状況が動いて直後の打牌は、きっと何か意味がある。

 

(そして――テンパイはきっと永水の人。これは単純な勘だけど、捨て牌はかなり早そうだ。流れを掴んでいるのなら、テンパイでも何もおかしくはないはず!)

 

 では、シャロンが打牌をした意味は――果たしてそれだけか? 否、絶対に違う。

 

 ――一手牌――

 {二四六七七③④⑤⑧⑨12}

 

 一瞬だけ手牌に目を落として、それから尊の姿を見る。今にも牌に手を伸ばそうと、何かを待ちわびるように意識が向いている。このまま鳴かなければ、アレは必ず尊が手にする。

 ――それだけは、させてはならないような気がした。

 

(ボクの手にある唯一の対子、それをわざわざ切ってきた意味。――ここはそれを、確かめさせてもらう!)

 

 

「――ポン!」 {七七横七}

 

 

 ビクリと、すでに振り上げられていた尊の手が止まる。――止まった。その一瞬を隙と見て、すかさず一は右手を振るう。――ガァッ! と、いつになく周囲に響く強い音で、一の明刻が卓を滑った。

 

 同時に、打牌。――一に尊の当たり牌はわからない。だから切るのは、彼女の現物と――そしてシャロンの現物と、なる牌だ。

 

 一/打{⑨}

 

 続き、尊がつかむ筈だった牌をシャロンがツカミ、手牌に引き入れて、手出し。打牌{二}、混じりっけなしの危険牌、ドラ側強打。――それは先程の尊とよく似ていて、しかし決定的に違う信念から来る打牌であった。

 

 和了は、ない。在るわけがない。シャロンのスタイルはどこまでも辺りをかわし続けるというところにある。どこまでもブレず、ただ遠回りだけをして、和了に直進しつづける。

 ――そしてそれができるほどの、不思議に満ちた、力があるのだ。

 

 結局、その局の行き着くところは、この攻防に参加することのできなかった、宮守の放銃。――精一杯なやんでの、安め放銃。

 

 ――尊手牌――

 {二三②③④23456788横一}

 

・永水 『96100』(+1800)

 ↑

・宮守 『64900』(-1800)

 

 首の皮一枚繋がった、というところだろうか。点数の申告に、ほっと息をつく宮守。――しかし、今だ尊の連荘は続行中。――対決は、二本場へと移ろうとしていた。

 

 

 ――東四局二本場、親尊――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 おかしい、明らかにおかしい。

 それに気がついたのは、前半戦を終わってみてから、半荘を振り返ってからのこと。次鋒の前半戦は、完全に尊とシャロンがそれぞれ別個で目立っているだけだった。

 序盤こそ空気の沈殿から、宮守の臼沢がチカラを多少は振るっているようにも見えたが、他者の足を止めるには、それこそ同じ宮守の、五日市ほどのチカラが必要になるだろう。

 

 とはいえ、問題はそこではない。気にするべきことは、龍門渕の次鋒だ。――第二回戦では、龍門渕内で最も失点した人物でもある。――副将前半戦のあれは、まぁまた別の問題として。

 無論、実力がなかったわけではないだろう。しかしそれでも、永水の中では、準決勝まで上がってくるような高校の中でも珍しい、弱点となりうるような存在、それが龍門渕、国広一だと認識されていた。

 

 だが、どうだろう。ここまでの半荘、国広一は一方的に備尊に敗北したか? 否、そんなことはない。先の一局、シャロンの行った催促じみた打牌に、答えたのは一である。シャロンが読み取ったのは、尊ツモの気配であろうが――一は一体何を見た?

 

 彼女には、何かを見るようなチカラはないはずだ。

 

 それこそ尊のように、純粋な感覚と、高い判断力から“あたりを付ける”ようなやり方をしない限り、常人に流れを汲むことは不可能である。

 

 だからこそ、一は一体何を読み取った? もしも尊と同様に、“何か”を持ってシャロンの打牌に判断をつけているのだとしたら――その判断を、正しいと思える根拠はなんだ?

 

 分からない。

 

 分かるわけがない。

 

 第二回戦までの国広一は、清梅の秘密を知る前の、尊自身と同じように、ただただ普通の少女だったのだから。たった数日を空けるだけで、劇的に、何が一を変えたのか、など、全く分かるはずもない。

 

(――それでも、逃げることはできない、のよね。残念ながら、私はこの永水女子で次鋒を務めるたった五人のレギュラーの一人、なんだかから)

 

 真正面から、相対するべき相手は多くいる。

 それを前にして、尊は一歩も後ろへは退くことができないのだ。後ろには仲間がいる。清梅がいる。彼女たちに、ふがいない姿は見せられない。だから尊は、負ける訳にはいかない。

 

(さぁ、やってやるわよ、国広一、シャロン=ランドルフ、あなた達の麻雀が、果たして私の上を行くのか、確かめさせてもらうわよ!)

 

 

 ――そして、対するように、一は理牌の済んだ手牌を見て、思う。

 これなら行けるか……? と。

 

 ――一手牌――

 {六②③1236689南發發}

 

(混一色……一通も見える好配牌。{發}を鳴いて喰い一通込みの満貫でも十分。当然これは、染めていかざるを得ない手。でもそんなことをすれば、また永水の人が流れを全部持っていっちゃう。全局も、アレを鳴いたって和了は止められなかったんだ。――だから)

 

 一/ツモ{②}

 

(――ここは、いつものボクとは違う手段をとる!)

 

 一/打{六}

 

 打牌の音に傾く思考。思い出すのは少し前の、尊の牌譜を検討している時の事だった。そこには丁度瀬々がいて、一は瀬々に、ある質問をしたのだ――

 

 

 ♪

 

 

「――一体、備尊がどうやって流れを読んでいるか? だって?」

 

「うん、ちょっと気になって。純くんや衣に聞いても、実のある答えが帰って来なかったんだ」

 

 お互い椅子に腰を下ろして、向い合ってシワっている。手元には飲み物が中ほどまで入ったペットボトル――この部屋、衣と瀬々が宿泊している部屋を訪れる直前に買ったものだ――が置かれている。

 周囲は長閑で、月は空の天辺で輝いている。静まり返った室内は、テレビの音一つすらない。瀬々も、そして一も、そんな夜の闇へと、自身を委ねている様子だった。

 

 一口含んだペットボトルを机に放り出すと、中身を全て飲み込んでから、瀬々がどうとも言えないぼんやりとした声音で答える。――思考が、正しく答えという形で出来上がっていないのだろう。

 

「あー、なんていうか、あたしもオカルトに関してはよく理解が及んでない。分かるのもせいぜい、そのオカルトがどんな効果を作用させるのか、ってことくらいだ。だからまぁ、あいつらのオカルト、流れの根源なんざあたしにもわからん」

 

 ――そもそも。、衣も純も、そういったオカルトに関しては完全な感覚だよりで認識を持っている。どちらも決して説明下手なわけではないが、そもそも自分でも論理的に理解していないことを、しっかりとしたロジカルで伝えることなど不可能に近い。

 その日の夕食をカレーにするかシチューにするか。そこに持ち出される直感の理由を、誰かに伝えることはまったくもって不可能でしかないはずだ。

 

「だよね、でも瀬々なら、どういう原理で永水の人や純くん達が流れに手を加えてるのかが分かるんじゃなかって思って」

 

「――あぁ。それだけどな。永水のアレはオカルトじゃない、純粋な技術と超感覚めいた直感だ」

 

「……え?」

 

 ――思ってもない答えが、瀬々の口から飛び出した。まったく予想もしていなかった言葉に、一瞬だけだが、一の思考が停止する。復旧には、きっちり十秒の時間を要した。

 

「どういう、こと?」

 

「簡単に言うとだな、永水の備には、純や衣みたいなオカルトセンサーはない、ごくごく普通の人間だ。けども、オカルトをかなり抵抗なく受け入れてるんだ」

 

 ――通常であれば、オカルトは信じるに値しない愚者の論理だ。一般的な考えでは、そう。しかし実際にオカルトを理解していれば、百パーセントそれを受け入れられるかといえば、そんなことは全くない。

 どれだけオカルトを事実と思おうと、それは別世界の理論だ。自分の中にある常識にはない論理、それがオカルトの本質なのである。

 

 瀬々や透華が自身のチカラを御することに、苦戦している理由はそれだ。少なくとも瀬々は準決勝には間に合わなかった、その大半がこのオカルトに対する異質感から着ている。

 どれだけ理解しようとも、壁のようなものを感じてしまうのが、オカルト。

 ――しかし尊にはそれがないのだと、瀬々は言う。

 

「だからだな。本来ではありえない、捨て牌という常識的な情報の中から、オカルトという、非常識な流れを全部汲み取ってるんだ。一般人からしてみれば、そのあり方自体そもそも異質(オカルト)だよ」

 

「なるほど、ね。――ってちょっとまって、捨て牌? ほんとにそれだけで流れを感じ取ってるの? それは確かにすごい――けど、ちょっと、気になることが在るんだけど」

 

 瀬々の言葉の締めくくりに、何事か、一がはたと気づいて声を上げる。軽く瀬々が小首を傾げて、言葉を待つ。少しだけ考えて――思考を整理していたのだろう――一が要約言葉を紡ぐ。

 

「それってさ、つまり捨て牌に迷彩を施せば――永水の人は、()()()()()()()なるんだよね?」

 

 あぁ、と瀬々は思い出したように、言葉を漏らして、そして続けざま――本当になんの気負いもなく、ただただひたすらに何気ない様子で、答えた。

 

 

「――そうなんじゃないか?」

 

 

 ――――と。

 

 

 ♪

 

 

(――瀬々は、)

 

 一/自摸切り{⑨}

 

(瀬々は、迷彩や何やらのことを、本当に何気ない様子で言った。それは瀬々にとって、そういう小細工が当然のことだから、そんなふうに言ったんだ)

 

 一/ツモ{7}・打{②}

 

(当然だよね? 瀬々には答えを知るオカルトがあって、自由に手を作ることができる。そういう普通じゃない方策も、瀬々にとっては平常なんだ)

 

 一/自摸切り{⑤}

 

(でも、ボクはまったく、そうじゃない。今も打とうとしている策は本場の――衣とかからすれば本当にちゃちなもので、しかも、混一色にしたほうがいいって、決めてもまだ思ってる)

 

 続くツモは、{東}、それを手牌の右端において――一瞬の逡巡。何かが一の瞳に、心の底から浮かび上がってきた。――迷いだ。進むべきか、進まざるべきか、それを考えてそして、そっと、{南}を切る。

 

 それは、一枚切れの字牌。いつかはくっつくかもしれない牌。そして最後には、暗刻になるかもしれない牌なのだ。――それを、切る。切って、その上で前に進むことを、一は選んだ。

 

 ――それから、だれもその場で鳴くことも、リーチをかけることもなく、ただ打牌の音だけが響いた。そうしてそれが、一の下で、ようやく止まった。

 八巡目の、事である。

 

(――できた)

 

 ――一手牌――

 {②③123566789發發(横7)}

 

(でも、まぁ安めなんだな。{發}も重ならないし、手牌としてはすごく微妙だ。――けど決してボクの手としては、悪くない出来栄えだ)

 

 一の中には、まだ何かが足りていない。一はそれを自覚している。かの大沼プロとの半荘、そして昨日の衣との半荘、一の麻雀観を変えるのにこれほど大きなきっかけは無い。そんな体験を、一はしたのだ。

 それらが一に訴えかけてくる。必要な物が在る、手にするべきチカラがある、と。

 

(ボクに必要なもの、それはまだわからない。――けど、それを探しだすために、ボクは前へと進むべきなんだ――!)

 

 

「――リーチ!」

 

 

 一/打{6}

 

 ――卓上の空気を、一のリーチ宣言は大きく揺らがし、震わせていた。見せた反応は、それぞれ一つずつ。尊が思わず驚愕したようにして、塞は難しそうな顔をしていた。

 

 ただ一人、シャロンだけは違った。彼女だけは――少しだけ楽しそうな笑みを浮かべて、そんな様子を見守っているのだ。

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

 

「これはまた、随分奇矯な待ちをするようになったものだ!」

 

 衣が楽しそうに声を張り上げる。さほど狭くはないもの、あくまで個室であるといった風情の室内には、その声は非常に響いて聞こえた。

 とはいえそれに反応するものは居ない。衣の言葉は、至極当然のものだったからだ。

 

 ――染め手見せかけの両面待ち、しかも片方は{②}二枚切れの、一枚でも{②}を持っていればワンチャンスになる手。実に衣好みの待ちなのだ。

 とはいえ、

 

「けどよ、なんとなく国広くんっぽい手じゃない感じだぜ?」

 

 純がなんとはなしに言うように、国広一はこういった小細工はほとんどしない、超正統派のデジタル雀士なのである。さすがに二年の差がある水穂には、及ぶところは少ないだろうが、門前での手作りのセンスは、透華ですら舌を巻くほどの技術がある。

 万年素人の瀬々あたりからしてみれば、それはかなり羨ましいような技術だろう。

 

 それが、こうして引っ掛け染みた曲芸的闘牌をするというのは、確かに一見すれば違和感がある。そしてそれは、一の人となりを、知れば知るほど深くなるのだ。

 ただし――

 

 

「――そうでも、ありませんわよ?」

 

 

 それも更に一定を超えれば、ごくごく当然の結論に、行き着く。

 純の言葉を、透華が何気なしに否定する。一気に純を惹きつける絶妙なタイミング、純自身、相応の興味が惹かれたのだろう。ほう――と、少しだけ視線を揺らし、透華の元へと向けた。

 

「あの娘の配牌は濃厚な索子臭が漂うものでしたから、染め手に向かうのはデジタル的に間違ったことではありませんわ、当然{②②③}から{②}を切るのはおかしくないですわ」

 

 透華や水穂の場合は、{4}か{6}を掴んだ時点、もしくは{發}が飛び出した時点で喰い一通を含めた速攻に移行する打{南}を取るが、一の場合はそうはならない。彼女はどちらかと言えば門前派の人間であるから、ここは門前で染めていくための{②}を切るのが正解となる。

 

「最終的に{①④}待ちでリーチをかけたのも、{①}と{④}が場に一枚も出ていない以上、同時に手に役がない以上、何らおかしい選択ではないですわね。――言うなれば、この奇策は、結果としてそうなったから奇策として成立したのであって、あくまで選択は一らしい正統派なものですの」

 

「それに、わざわざ策を弄するというのなら、そのための手段を一つしか用意しないのは全くの愚策だ。本物の玄人――秋一郎のような人間は、どんな策でもテンパイに取れるような、選択肢というものをいくつも抱えているものだ」

 

 透華の締めに、衣が補足するようにいう。

 それから、沈黙。――モニターの向こうで、状況が動き出すまでのいっとき、静寂が控え室を席巻した。

 

「でも、――この一手はそんな奇策として、成立したんだよね。しかも……」

 

 そんな沈黙を突き破るように、水穂がなんとはなしにいう。

 ――直後。

 

 

『チー!』 {横③②④}

 

 

「――そんな奇策に、どっぷり“嵌る”相手もいる」

 

 水穂が、続ける。

 

「高い手の気配に、この鳴き。まるで図ったかのように……」

 

 智樹が答えて――

 

 

「――手牌の中の、{①}が浮く!」

 

 

 ――瀬々が、締めた。

 

 尊/打{①}

 

 一の先進全霊がこもったそれは、

 

 ――果たして、

 

 

『ロン』

 

 

 ――備尊の、急所を抉った。

 

・龍門渕『83900』(+3200)

 ↑

・永水 『92900』(-3200)




一ちゃんのターン! 透華や瀬々といっしょにころたんにボコられたおかげで覚醒しましたの図。
いや、別に覚醒もしてませんし、まだ答えも出してませんし、雀力自体は二回戦と変わってないんですけど。


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『シャロンと一』次鋒戦④

 ――南一局、親塞――

 ――ドラ表示牌{南}――

 

 

 ただ純粋にすごい、シャロンは一の和了りを見てそう考えた。ごくごく自然な、一切の気負いもない思いであった。

 

 一のやったことは、狙ってやれるものではないだろう。しかし同時に、やろうと思わなくては、決して完成しない手であろう。

 本線の染め手混一色は完成しなかった。高めの一通も来なかった。ここまで流れがないのであれば、普通アレは自摸れないだろう。せいぜい振り込まず、リーチ棒だけを持っていかれるだけ。

 しかし、この場では、そうなるはずだった“流れ”をかき消すものが、一人いる。

 

(すっごいなーこいつ。あたしにゃそンな曲芸、狙ってできるもンじゃない。いや――意識した上で、可能性の一つとして手の中に内包する事はできない。宮守なンかもそうだし、普通はそうだ)

 

 どれだけ手を安くしてでも、この一手を打つ、それは狙えば狙おうと思うたび、意識が高打点の誘惑に引き寄せられ、意識を減退させられていく。例えできたとしても、ためらうし――そうなれば、機を逃すことだってままにある。

 

 それでも、そんな状況を一は意識して、なおかつ和了りへ持って行ってみせたのだ。どれだけ状況が、その一手に有利に働くことがわかっていようと、普通は打てる、手段ではない。

 

(――だからこそ、備尊はそンな可能性、考慮して来なかった。だから手立てを打てなかったわけだけど――そもそも、これは単純な事故なわけだから、気にする必要もないンだけど)

 

 見れば、尊はどこか納得していないような表情をしながらも、それでも特に意識を見だしたようなこともなく、自身の打牌を選んでいる。尊が腑に落ちていないのは、一切のオカルトも持ち合わせていないはずの一が奇策を打ったという事実だけで、その中身自体は気にしてもいないようだ。

 

(ま、あのお姫様にボコられたンだろうけど、それは別にどーでもいいや。備は強い――けど、それはあたしとは全く、関係のない強さだ。こいつは結局、あたしの超えるべき敵でしかない)

 

 シャロンにとって、尊ほど手を伸ばす必要もない雀士は、この場にはいないだろう。越えなければならない相手、しかし手を伸ばすような相手ではない。それはシャロンの中に生きる、感情と呼べる感情と、信念と呼べる信念すべてが、高らかに宣言している。

 尊は不確かな世界を、己の足だけで踏破しようというたぐいの人間だ。冒険家、とでも呼べばそれが正解にあたるかもしれない。逆にシャロンは、限られた明白な世界の中で己を練磨するたぐいの人間だ。格闘家、とでも呼べばそれが正しい答えだろう。

 

(けど、こいつはあたしに割りと似てる。まっすぐっていうか、打ち筋は一つのブレもない、お手本のような正統派。……あたしはまったく正統派なンかじゃないンだけどさ)

 

 似ている、と思うのは、ごくごく単純に、一があまりにも、真っ直ぐ前を向いて見えるからだ。それをするのは、果たして何かの過去があるのか、それともシャロンのように、何か特別な立ち位置が、彼女にはあるのだろうか。

 

(……二回戦では、その真っ直ぐさが、また別の真っ直ぐと衝突しているように思えた。そしてこの準決勝では、そんな反発しあうはずのあたしのチカラを、全く気にしていないように、思える)

 

 手牌の向こう側に、彼女はいる。自分の手牌とにらめっこをして、それから勢い任せに、打牌を選ぶ。それから自分が牌を掴んで、シャロンはゆっくり、それを見下ろす。

 

 ――シャロン手牌――

 {二二五五七七⑧⑧14556(横4)}

 

(――羨ましいな、本当に、今もまだ飛翔を続けようとする、こいつがあたしは羨ましい。どうしようもないほど――羨ましいンだ)

 

 自分の後ろにいると、思っている類の人間は、どんどん前に進むことができて、シャロンはそれが羨ましい。決してシャロンも負けてはいないとおもう。むしろ、勝っていると思うからこそそう思う。

 

(そして同時に、勝ちたいと思う。あたしはこいつに勝ちたい、勝ってあたしを、知らしめたい!)

 

 シャロン/打{1}

 

(さぁ――かかってこいよ、あたしが全部、叩き潰してやるからさ!)

 

 直後、――シャロンはテンパイした手を和了した。出和了り、3200の手であった。――国広一が、振り込んだのだ。

 

・臨海 『161500』(+3200)

 ↑

・龍門渕『80700』(-3200)

 

 

 ――南二局、親一――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

「チー!」 {横768}

 

 シャロンの声が高らかに響く、無理もない、それに力がはいるのは。シャロンの鳴きで、彼女の手はガラリとその姿を変えた。

 

(テンパイだ!)

 

 ――シャロン手牌――

 {二三四五五⑥⑦⑧244} {横768}

 

 ――シャロン/打{4}

 

 それはまさしく電光石火。それはたった三巡での手牌であった。――しかし、他家から見れば、それはたかだか一副露、攻め手を止めるに、値するようなものではない。

 直後から、決してそんな鳴きを臆することのない打牌が続いた。さすがに宮守の臼沢塞は消沈気味であったが、のこる両名、国広一と備尊は、まるでシャロンの存在など意に介してすらいない様子で、自身の手牌を強引に前へと進めた――そうなれば、

 

 シャロン/ツモ{②}

 

(……っち、先に相手の当たり牌を掴まされたか――!)

 

 単なる嵌張待ちでしか無い、シャロンでは些か分が悪い。だからこそ、それが諦めに、変わるわけではない。当たり牌を掴んだ、引かざるをえない、回らざるをえない。――それがなんだ? そんなもの、シャロンには一切の壁とすらならない――!

 

(けどよ、こちとら最後まで全力で、全開で、何もかもさらけ出してでも、殴り合いを止めるつもりは、無いンだよォッッ!!)

 

 シャロン/打{五}

 

 勢い良く、視線を向ける。――その先にいるのは、備尊だ。彼女の流れは未だ死んではいない。故にそのテンパイは相応のもので、相応の広さとなる待ちのはずだ。

 ――だからこそ、ここで掴んだ当たり牌、それはきっと大きな意味になる。

 

 シャロン/ツモ{3}

 

(張替え――)

 

 シャロン/打{二}

 

(完、ッ了――!)

 

 だが、シャロンのもとに押し寄せる、牌の勢いは底で止まらない。もう一人、シャロンに肉薄する者がいる。――国広一だ。彼女もまた、テンパイ。無筋の強打で、尊とシャロン、二名の三年生へ宣戦布告を堂々と掲げる。

 

 それにハマったのは――まず、シャロンだった。

 

(ぐぅ)

 

 ――シャロン/ツモ{五}・打{三}

 

 引き寄せたのは、すでに自身が一度切り捨てた不要牌、それが再び手牌に回帰した、一の当たり牌という、非常に厄介な枷を伴って。

 しかし、それでもシャロンは一切顔を陰らせはしない。意思を曲げる、ことはない。

 

(――いいや、マダだね! まだ、あたしの手牌は、死ンでない!)

 

 ――シャロン/ツモ{②}

 

(もう一度、張り直した。ここまでかかったのに、十二巡、一枚切れのシャンポン待ちで、でる確率なんて無に等しい。けど、ここであたしが、それを考慮するはずがねーンだよ!)

 

 シャロン/打{四}

 

 これで、尊も一も、そしてシャロンも、完全にテンパイといえるだけの状況が作られた。もう、あとに退くものはいない。若干の有利不利はあれども、それが決定的な差になることはない。

 

 そんな状況。

 

 ――一歩前に、誰取りも早く踏み込んだのは、

 

 

「――ロン!」

 

 

 シャロン=ランドルフをおいて、他にない。

 

 

 ――南三局、親シャロン――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 国広一には信念が足りない、かつて神の域に足を踏み入れんとする最上級雀士、大沼秋一郎によって語られた、一が今、最も不足しているもの。

 それがあるからこそ、あの第二回戦、一は大きく失点したのだろう。――それくらい、一が相対した雀士、北門美紀は真っ直ぐだった。

 

(――大きな敗北があって、それからボクはここにいる。結局のところ、それがあるから、ボクはまだ、前に踏み出せずにいる。多分きっと、昔のこと以上に、今の自分がボクを引っ張っている)

 

 ――透華は、強い。文句のつけようがないほど。水穂もまた、彼女には全国の最強クラスとやりあうだけの実力がある。

 瀬々や衣にいたっては、常人には持ち得ないチカラをもっている。――どれも、一には決して無いものだ。

 

(正直、自分が場違いなんじゃないか、と思うことはある。あと少し、純くんたちが来るのが早ければ、ボクはレギュラーじゃ無くなっていたんじゃないか、そう思うことだって、ある)

 

 それは一が、自分に足りないのものを自覚しているから。一が決して“弱い”わけではないのだ。ただごくごく単純に、当たり前のように――“足りていない”のだ。

 何かを欠乏させているから、一は弱い。技術は誰よりもあるつもりだ。――打ち筋だって、何一つ間違ってはいないはずだ。それでも、一はまだ、適わない。

 

(それがわかればいいんだろうけど。――それがわかってしまえる人なら、すごく良かったんだろうけど……悩みの答えなんて、きっと瀬々にだってわからないよね)

 

 ――解ってしまえるなら、そう思った。しかしそれは、答えを知る瀬々にですら不可能なこと。彼女は人間のこころを覗くことはできない。だから、人間の答えをしれない。――だから瀬々自身、自分の中で何かに迷っているのだろうけど。

 そして、わからないからこそ、一は誰かに答えを、聞くことだってできないのだ。

 

(……でも、いい。それが悩みなのなら、ボクはその悩みを抱えて生きる。多分それが、“人間”ってことなんだ)

 

 

 ――そのためにも、

 

 

(だから……まずは、この半荘を終わらせる)

 

 ――一手牌――

 {一三五八九⑦⑨⑨199北白(横2)}

 

(バラバラな手牌だ。でも、だからこそ狙える手は、多くある。可能性は、無限に近い。その中で、ボクはこの手牌から――正解を作り出す)

 

 意識するのは、同じこの次鋒戦の卓に座る、少女。シャロン=ランドルフ。異国情緒と日本風情を二つで足して割り、さながら芸術品のドールを思わせるような美貌を持つ、少女。

 彼女には、何かを知る感覚がある。――それはきっと、瀬々のような、答え合わせのチカラに近い。だが、瀬々のそれ以上に、彼女のチカラは自分自身に迷いを与えない。

 

 ――他家のテンパイを知っても、同様の必要がないように、当たり牌まで解ってしまう。それさえわかれば、シャロンはもう、放銃の邪念から解き放たれる。

 だからこそ、シャロンの打牌には迷いがない。――それはきっと、シャロンの中で、揺らぎのない信念となるのだ。

 

(さぁ……始めよう、ボクの、ボクらしい――正統派(まっすぐ)な闘牌で――!)

 

 一/打{北}

 

 羨ましいくらい、直線的なシャロンの信条。それを思うからこそ、一は自分の闘牌を、どこまでも鋭く、正しくあろうとするものに変えていこうとする!

 

 五巡、それぞれのツモが流れて、手牌が組変わってゆく。一の手牌も、ここで大きく――姿を変えようとしていた。

 

 ――一手牌――

 {一二三五八九⑦⑨⑨1299(横3)}

 

(辺張が埋まった。これで一通の芽も、三色の芽も消えたかな。――{六}が二枚に、{⑧}と{⑥}が一枚ずつ切られてる。{⑥}を切った宮守の人が{⑧}を使ってそうだ)

 

 逆に、{六}を切った永水は染めて気配、{七}が使われている可能性は非常に薄い。そうなれば、この手の理想系も、自ずとその場に顕になってくる。

 

(――この手牌の完成形は、{七}ツモでの{⑦}切りシャンポン待ちリーチ。満貫クラスの手、必ずここで完成させる――!)

 

 一/打{五}

 

 それから、臨海のシャロンが牌を掴んで自摸切りをする。難しそうな顔をして、それから打牌を選んでいる。親番ということもあって、簡単な手で済ませたくはないのだろう。

 

 続いて、永水の尊が牌を選ぶ、彼女の視線はせわしなく捨て牌の中を動き回っている。シャロンがそうであるように、彼女もまた状況を難しい顔で見ていた。

 

 最後に宮守の塞、こちらはテンパイが近いのか、手に一切のよどみもない。――彼女の打牌が終わって、ようやく一へとツモが戻った。

 

 だが、そこではまだ一はツモらないもう一巡、それぞれに打牌が回った。

 

 一向聴から、二巡、一はテンパイに要した。勢いのないにしては上出来なほどの速さである。それはだれもが、感じる所であった。

 

「リーチ!」

 

 そこから、選択は迷わない、一の手にそれ以上の打点上昇はありえず、また同時に、これ以上の手変わりも望めない。完全に最善のツモ。――一自身が描いた、{七}ツモからの――シャンポンリーチ。完全に、状況は一に味方しているかのように、思えた。

 

 ――同卓する三者の顔が一斉に驚愕へ変わる。無理もない、ここにきて目立たない一年でしかなかったはずの一が、急にすべての流れを引き寄せ始めたのだから。

 

 しかし、その驚愕は、驚愕だけでその場で終わる。誰にも一は止められない。

 

 

 ――今この瞬間の、一はただ、一人の勝者だ。

 

 

「――ツモ!」

 

・龍門渕『88700』(+8000)

 ↑

・臨海 『159500』(-4000)

・宮守 『88900』(-2000)

・永水 『88900』(-2000)

 

 一発は、つかず。

 満貫――裏はなしの五翻。この後半戦始めての、高打点和了であった。

 

「2000、4000!」

 

 高らかな、一の声が響き渡った。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 

(――張った、最高の形で)

 

 ――シャロン手牌――

 {二三四②④⑤⑥234556(横③)}

 

(この時点で張ってるのは龍門渕の国広一だけ――その当たり牌である{②}を手牌に加えた状態で、テンパイできた!)

 

 ちらりと、見やった一の手牌、すぐさまその手牌の様子が――シャロンの元へ伝わってくる。

 

 ――一捨て牌――

 {二三9157}

 {東五白⑤}

 

 濃厚な一極手牌臭、打点までは気配に依る考慮しかシャロンには不可能であるが――混一色のみの、出和了りであれば5200であろうことは、待ちから分かる。

 ――一の待ちは、リャンカンから{⑤}を切っての嵌張待ちなのである。

 

(そう考えれば、おそらく国広に使われてるであろうあたしの待ちは三枚。六枚残りの三面張でなら――三枚待ちの嵌張に、十分勝負は打てるはず――!)

 

 このテンパイ時、シャロンはまずこう考えた。嵌張待ちに対して三面張で勝負ができると判断するなら、ここで仕掛けるのはダマではなくリーチではないか――と。

 ここでリーチをかける利点はいくつかある。――その最大の一つが、

 

「――リーチ!」

 

 ――シャロンのリーチに対する。

 

「――リーチ!」

 

 一の、追っかけ自摸切りリーチであった。

 普通、ここまで混一色の気配を出せば、インハイ準決勝にまで駒を進める高校のレギュラーが、それに放銃するとは思えない。だから一はリーチをかけなかったし、かけずともツモ和了であるなら、満貫クラスの打点が保証されているのだ。

 それに、これはシャロンの預かり知らぬことではあるが、一の手には雀頭として役牌が二枚対子になっている。{①}か{③}、どちらかを自摸れれば、それを活かすことも可能となる。

 そうすれば、リーチとツモに、高めで跳満の手が完成するのだ。

 

 よって、テンパイ直後は一もダマテンを選んだ。しかし、ここにシャロンのリーチがかかれば話は変わる。

 

 放銃の可能性が、生まれるのだ。それも――本来であれば絶対に放銃などありえないような人間から、リーチ宣言という形で――放銃の可能性が現出した。

 

(――そう、これを見越しての、あたしのリーチ。そしてその勝負は、直後のあたしのツモで決まるンだ。そういう気配がする)

 

 一リーチ、直後のツモ。シャロンの右手が大きく上空を揺らめいて踊る。狙いを定める大鷲のように、獲物めがけて――右手を突き出す。

 牌の山の、またその一つ、シャロンが掴むべき牌にそれが直撃した、瞬間。シャロンの右手が爆発的な豪風を伴って、振り上げられた。

 

(こいつがあたしのツモなら、この勝負、あたしの勝ちだ。高めだろうと、安めだろうと、その時点であたしはツモを宣言して半荘を終える。――けど、もしもこれが国広のツモなんだとしたら――――その時は、)

 

 引き寄せて、手元まで持っていく。

 ツモは、感触が、手に馴染む。まさかこれが絵なしの{白}というわけもないだろう。――だから、シャロンは、ゆっくりとその牌から、指を離す。

 

 

 ――シャロン/ツモ{②}

 

 

 一瞬、沈黙。

 それからふぅ――と、大きく息を吐きだした。

 

(――その時はこの勝負、あンたに一度あずけてやンよ! 国広一――!)

 

 シャロン/打{②}

 

 

「――ロン! 8000!」

 

 

 こうして、

 

・龍門渕『97700』(+9000)

 ↑

・臨海 『150500』(-9000)

 

 長かった勝負が、二名の雀士の手で――――決した。

 

 

 ♪

 

 

 次鋒戦が終了し、一礼とともに臼沢塞が対局室から姿を消した。総合的にはマイナスであるが、失点はほとんどといっていいほどない。対局相手を鑑みても、非常に無難に、対局を終えたといっても過言ではないだろう。

 

 ――臼沢塞:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――64600――

 

 そして直後、シャロンと一が同時に立ち上がる。

 

「龍門渕の国広――いや、一! この勝負、決勝に預ける。つぎはぜってー負けてやンねーぞ!」

 

 ――シャロン=ランドルフ:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――150800――

 

「こっちこそ、次は必ず稼がせてもらいます」

 

 ――国広一:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――98000――

 

 互いにたっぷり睨み合って、それから踵を返し背を向け合う。彼女たちが向かう出口は、全く同一の場所にある。しかし背を向けあってそれから――どちらも視線を交わすことは、なかった。

 

 ――最後に、一人の少女が残される。

 備尊は深々と腰掛けた椅子に、一度体全体を沈め、それから勢い任せに立ち上がる。

 

「はーあ、終わったわぁ」

 

 長い半荘だった。最後は蚊帳の外に置かれたような気分にもなった。しかし、そこに在る結果だけを見れば、この勝負に、言えることは間違いなくある。

 

「私の勝ち……ねぇ」

 

 大きく伸びをしながら、ゆっくりと尊は対局室の中央に設置された卓へ登るための階段を下る。

 

「清梅に自慢してやんなくちゃねぇー」

 

 ――備尊:三年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――86600――

 

 かくして、それぞれの次鋒戦は終了した。奮わなかったもの、届かなかったもの、勝利したもの、次を望むもの。それぞれの思いを載せ、団体戦は次なるステージ、中堅戦へと移ろうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 昼の休憩を挟んで、中堅戦は午後からの開始となる。それを間近に控え、宮守女子の先鋒と大将、鵜浦心音と小瀬川白望はふたりきりで人気のない自動販売機の前に来ていた。

 どうやらここは穴場であるらしく、近くには準決勝の様子を映すモニターと、いくつかの椅子があるというのに、二人以外の人はいない。完全な穴場、と言って良いだろう。

 

「それで――」

 

 口火を切りながら、心音はたった今買った缶ジュースを空ける。――プシュ、という音が周囲に響いた。

 

「――用事は、何かな?」

 

 対する白望は、受け取ったジュースの封を切りながら、少しだけ飲んで、手近な椅子へと腰掛ける。丁度心音と白望は、真正面から向かい合うようになった。

 

「えっと」

 

 ――モニターでは、実況の声がけたたましく響く。四者が卓に付き、まもなく中堅戦が始まろうとしているのだ。半荘十回のウチ五回目、ここが勝負の転換点。

 

 依田水穂。

 ハンナ=ストラウド。

 薄墨初美。

 そして――五日市早海。

 

 四者の顔が、一度ずつ、映し出された。

 

「言わなくちゃいけない、と、思いまして」

 

 どことなく、たどたどしい様子で白望が言う。単純に敬語が面倒なのだろう。心音とて気にはしないだろうが、真面目な話だ――いつものように、とは行かない。

 

「ん?」

 

 それはわかっているのだろう。

 しかし心音はあくまで平常といった様子で首を傾げ、次の言葉を待つ。

 

 白望は、

 

 ――一拍の空白を伴って、言った。

 

 

「――早海先輩の、こと」

 

 

 同時に、

 

 

『――――中堅戦前半、スタートですッッッ!!!』

 

 

 ――声が、響いた。

 




普通に一話分の文量になりましたので分割という形で完成。
一話一話をもう少しコンスタントに投下できればいいんですけどねー。


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『東門の青龍、北門の玄武』中堅戦①

 席順。

 東家:五日市

 南家:薄墨

 西家:ストラウド

 北家:依田

 

 

 ――東一局、親早海――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 中堅戦、開始早々のこの局は。ごくごく一部を除けば、非常に静かなスタートとなった。一段目を折り返し、九巡を過ぎてなお、立直の発生一つ、付くことはなかったのである。

 

 そしてその状況に、薄墨初美は待ったをかける。

 

(さぁて――)

 

 特徴的な長い袖を腕を上げてまくり上げるようにしながら、気合を入れ直して初美は周囲の状況を確かめる。

 まず第一に眼に入るのは――自分自身が手にした、その手牌であった。

 

(――――テンパイ、ですよー)

 

 ――初美手牌――

 {二四五六③④⑤⑤34577(横⑤)}

 

(最善と言えるかどうかはともかく、全くもって無理の無い待ちになりました。出来れば三色が欲しいですけど、さすがに無茶ですよねー)

 

 目を向けるのは、臨海女子の中堅を務める、ハンナ=ストラウドのあまりにも異様といえる――この局唯一の不可思議に――であった。

 

 ――ハンナ捨て牌――

 {三三三⑨①九}

 {發北7}

 

(最初の{三}は手出しですが、それ以降は全部自摸切り、つまり完全に裏目を引いたわけですねー。まぁそれもさることながら、そこからこの捨て牌は、なかなかできるものではありませんよ―?)

 

 ともかく、{三}は三枚も河に流れているのだ。そしてハンナの捨て牌には存在しない者の、残る一枚もすでに、誰の目からも明らかなよう、捨て牌へ晒され、捨てられている。

 ――捨てたのは、現在の親、宮守女子が中堅、五日市早海であった。二巡前に、{二}と合わせての手出し両面落とし。テンパイは近いだろうと初美には思えた。

 

(とはいえ一向聴がなんぼのもんですよ。こっちの手はタンヤオのみ手とはいえ三面張、{④}を引けな平和一盃口がつくのでリーチはかけませんが、それでもこの手で親と殴り合いをしないのは、私のスタイルに反します)

 

 北家でなければ、初美はどれほどの手を作ろうと、それは単なるツキの良し悪しだ。無論最低限の技術はあると自負しているものの、霧島神境に関わる六女仙のひとりとして、初美に求められていることは単なる麻雀の技術ではない。

 

(まぁ今は、この手を素直に完成させますよー、闇の中から黙ってリーチ……っと)

 

 初美/打{二}

 

 

「――ロン」

 

 

「……ふぇ?」

 

 唐突に、響き渡った宣言に、初美は最初に疑問を覚えた。何が在ったのかと、理解が少し、状況から遅れた。同時に開かれたのは――ハンナの手牌。

 

 ――ハンナ手牌――

 {二七七八八③③⑧⑧2244} {二}(和了り牌)

 

「3200――!」

 

・臨海 『153700』(+3200)

 ↑

・永水 『85700』(-3200)

 

(な……ッ! なんでこの人がその手でリーチをかけないんですか……ッ!)

 

 ありえないことだ。少なくとも第二回戦までのハンナであれば、この手にリーチと裏ドラ二つで跳満を作る、それくらいのことは当たり前のようにしてくる、はずだったのだ。

 

(チートイは単なる二翻の手ですから、それだけじゃあ手としては弱い、タンヤオが複合しても、たかだか3200の手にしかならない。この人には、リーチと裏ドラがあるのになんで……)

 

 手牌は、おそらく純チャン崩れのチートイツ。ハンナの場合、ヤオチュー牌よりも、その横の中張牌――持つにも微妙な二から三、そして七から八の数牌のほうが、よく引いてくる牌なのだ。

 とはいえ、最初から打{三}としている時点で、ある程度この状況は、ハンナが狙ってやったであろうことは分かるのだが。

 

(いや、とにかく安い点数で局が進むなら歓迎ですよー。私の本領は北家が訪れてから。それになんとなくツキの無い宮守の親番が流れても嬉しくはありませんが――)

 

 ――そして、ニヤリと初美は、その小柄な体躯からは考えられないほど、挑戦的で、大人びた蠱惑の笑みを貼り付ける。

 妖艶な、“人ならざる化生”とすら思えるそれが、初美の中には宿っているかのようだった。

 

 

(私は、親番だってきらいじゃないんですよー?)

 

 

 ――東二局、親初美――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 とは、言ったものの、初美にとって親番は、なんらチカラを用いることのできないアウェーの場、どれだけ次が北家とはいえ、どれだけ親が有用とはいえ、手放しで喜べるものでは決してない。

 

(まぁ……テンパイしてしまえば話は別ですけど)

 

 ――初美手牌――

 {三四四五④⑤⑤⑤⑥⑦⑧88(横二)}

 

(問題が在るとすれば……やはり臨海のリーチでしょうね)

 

 一見すれば、ハンナのリーチはさほど怖くはないように思える。

 

 ――ハンナ捨て牌――

 {東發二6①西}

 {③横一}

 

(“ハンナ=ストライドがドラを掴むことはない”。ということと、“この人は役牌をほとんど利用しない極端な門前派”であることを考えれば、この手牌はさほど高くはない)

 

 序盤から役牌が切り出され、直後に中張牌だ。すでに手ができているからこのような落とし方になるのだろうが、ハンナの場合、それだけ“中張牌がひつようない”、という事にもなる。

 

({④}を切ったところで、三色一通が複合している様子はないですから、おそらくこれは単なるリーチのみ。それも嵌張待ちの、かなり待ちの狭い手!)

 

 それでも、初美はその打牌をためらった。というのも、前局、ハンナから感じた違和感が、どうにも初美には引っかかって思えるからだ。

 

(とはいえ、この人の手はたかだか5200なわけですから、出和了りはさほど辛くはない――というよりも、自摸られた場合に一万二千点持っていかれてしまいますからね。それだったら)

 

 ――初美は意を決したように{④}を勢い良く掴む。派手に音がして、それから卓に、一度跳ねて、収まった。

 

(攻めなければ、意味が無いですよ――!)

 

 初美/打{④}

 

「通らば、リー……ッ!」

 

 瞬間、初美の感覚に、嫌というほど響き渡る警鐘が打ち鳴らされた。――こいつだ。この牌だ。それをその一瞬で、感じ取ったのである。

 

 

「――通りませんねぇ。ロン、ですよ」

 

 

 ――ハンナ手牌――

 {二三四③⑤⑤⑥⑦34577}

 

・臨海 『158900』(+5200)

 ↑

・永水 『80500』(-5200)

 

 思わず、初美はその手牌に安堵する。もとよりそうだとは予想していたが、その手はリーチのみのゴミ手だ。――しかし、初美が安堵したのはそこではない。

 

「――裏、二。5200です」

 

 ――裏ドラ表示牌:{6}

 

(やっぱり刻子にはなってませんでいしたねー。まぁ対子場でもなければこの人の手牌に刻子なんて出来ませんが……放銃はやっぱり怖いのですよー)

 

 ハンナも、そして初美も、これが初めての対決ではない。故に相手の特性というものはよくわかっているのだ。そしてわかっているからこそ、初美はそれを大きく意識する。

 ――が、ここからは、違う。

 

 初実の親番が終われば、次の初美は――北家だ。

 

 

 そう、悪石の巫女と呼ばれる少女の、本領がここにきて、始めて発揮されようとしているのだ――

 

 

 ――東三局、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 風が、東北からの風が卓上を駆け抜けた。

 

 今、ひとつの扉が開こうとしている。

 

 ――それは、門だ。

 

 あらゆる魔が、災厄が、その方向からやってくる。それを開くか、はたまた封するか。――そのために必要な、一つの門。

 

 その存在は――薄墨初美の後方に現出を開始する。

 

 それをちらっと見やって、龍門渕の中堅、依田水穂があくまで冷静に思考する。

 

(……雰囲気が、ここに来て一気に永水へ流れたな。――瀬々の言ってたとおり、北家の薄墨は、魔物と同型のバケモノだ!)

 

 流れは、先程までの放銃を考慮すれば、むしろ永水に流れのようなものは来ないはず、次鋒戦のあの少女であれば、きっとそれを取り戻すべく、今頃躍起になっていることだろう。

 

(まぁでも、こちとらそんなヤツら相手に二年も麻雀打ち続けてきたんだ。バケモノの類人くらい、叩き潰せなくて何が龍門渕のレギュラーか!)

 

 その一瞬、今まで風を失った海原のように静けさを保っていた水穂の表情が、険しく、そして熱く燃えたぎったものへと変わる。

 水穂の中に浮かぶコロコロと変わる山の天気の如きそれが、今まさに、火を点火してエンジンをかけたところであるのだ。

 

 ――水穂手牌――

 {三四五八②⑧⑧1237北發(横發)}

 

(とはいえ、こっちも幸い、鳴いてくれと言わんばかりの好配牌。宮守の人がいることを考えても、そうテンパイは遠くないだろうねぇ)

 

 思考しながら、水穂は一度、手牌の右端、一枚浮いたオタ風へと手を伸ばそうとする。しかしそれもすぐに首を横に振って意識を切り替え――取りやめ。

 

(さすがにまだ{北}は打てないかな。まずは{東}が鳴かれてから出ないともったいない。テンパイした時に打てば、永水は二副露になるし、私はそれを追っかけられる。そこがポイント、かな)

 

 水穂/打{八}

 

 ――が、直後。

 

 初美/打{北}

 

 警戒していた本人から、その{北}が河へとこぼれ出る。――通常であれば何事か、違和感とともに相対することとなるだろう。

 無論、水穂にはそれがどういうわけなのか、解ってはいることなのだが。

 

(すでに三枚持ってたのか。となると完全にこっちが持ってるのはバレバレかな。――それに、永水の薄墨は今年からレギュラーになって、データが露骨に少ない。もしここでそんな打牌をすれば)

 

 

「――ポン! ですよー」 {横東東東}

 

 

(こぼす奴はかならずいる!)

 

 これで、一つ。もんが開いたことになる。今この場所にはない、どこか異質な東の風が、水穂の頬を撫でては消える。

 気持ち悪いと顔をしかめはするものの、それだけだ。水穂は勢い任せにツモを掴むと、グイグイ手を前進させてゆく。

 

 水穂/ツモ{⑦}・打{②}

 

 ――そして。

 

 ハンナ/打{發}

 

「それポン!」 {横發發發}

 

 ――水穂手牌――

 {三四五⑦⑧⑧⑧123北} {横發發發}

 

(テンパーイ!)

 

 ――水穂/打{北}

 

「それ、ポンですよー!」 {北横北北}

 

 これで、{東}と{北}、二つの門が開かれたことになる。薄墨初美の独壇場が始まる――はずなのだ。しかし現実はそうそう甘くない。

 

 続くツモは自摸切り、更にその次は手出し、と初美のツモは決して安定することはなかった。その間にも、水穂は牌を自摸れずにいたが――決着は、思わぬところからやってくることとなった。

 

「ロン! 2000」

 

・龍門渕『99700』(+2000)

 ↑

・宮守 『60900』(-2000)

 

「……はい」

 

 ――宮守、五日市早海の放銃。それにより、水穂の和了が確定――これが決着となった。初美はどこか残念そうな顔を隠さず――対局は、東四局へとうつる。

 

 

 ――東四局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

 この局、再び仕掛けたのはハンナ=ストラウド。水穂が手にした流れを、活かす前に先手を打たれてのことだった。

 結果、水穂と早海はベタオリ、そして初美はといえば。

 

 ――初美手牌――

 {三四四九九九⑤⑥⑦⑧發發發(横四)}

 

(できてしまったのですよー)

 

 現物を処理した後に、出来上がったその手牌を眺めて――嘆息する。自分の周囲を流れる風が、卓の向こう側からくる向かい風であることを、初美は目敏く感じ取っていたのだ。

 そこはオカルトにどっぷり浸かった巫女として、最低限必要な技術と言える。

 

(できてしまったのはいいですけど、というかここから降りるのが考えられない手牌ですけど……でもやっぱり臨海が怖いのですよ。明らかに何かを狙ってる感じですし、打ち回しも二回戦の時と随分違って違和感があります)

 

 ――ハンナは思いの外、知名度の高いトッププレイヤーの一人である。

 無論、臨海女子に招かれレギュラーとして戦ってきた実績を考えれば、それはある種当然のことではあるが、それはつまり、ハンナのデータが通常よりも多く存在することを意味する。

 

(ハンナ=ストラウドはその特異なツモの偏りから、柔軟な打ち方が苦手な打ち手のはず。ですが――ここまで打ち方を変えられると、それも気のせいだったのではないかと思ってきますよ)

 

 第二回戦で、戦ってきたからこそ分かる。今のハンナは、さほど第二回戦の時ほど強くはない。しかし、明らかに何かを狙っていることがまるわかりなスタイルの変化――それも多くの牌譜の中に一切ない全く新しい変化だ――は初美にとって、ハンナに対する苦手意識を、大きくふくらませることにつながっていた。

 

(かなり高い手ですけど、残念ながらここはベタオリします。……攻めて龍門渕をツモで削ってくれればいいのですが)

 

 考え、考え、考えぬいて、そして初美の選択は、打{發}。すでにそれは一枚切れているため、国士でなければ安牌となる牌。案の定誰にも和了を宣言されることはなく、局は進み――

 初美がツモを願ったこの局――しかし、結果は流局。

 

「ノーテンですよー」

 

 そうやって手牌を伏せて、水穂と早海も同様だ。この局は、ハンナの一人テンパイで終わった。

 

 ――ハンナ手牌――

 {三三七八九⑥⑦⑧⑧⑧123}

 

(――三面張! 自摸る気はもとよりなかったというわけですか――そして待ちはすべて私の浮き牌。完全に狙っていましたね――!?)

 

 ちらりと、思わずと言った様子でハンナへと目を向ける。――相対したのは、獲物を狙う狩人の眼。それが初美を――見ているのだ。見定めているのだ。まるでその獲物が、初美であることを宣言しているかのように。

 

(ふ、ふふ。でも、それならそれで面白いってことですよー。そっちがその気なら、ここは私が和了らせてもらうまで――一気に北家まで状況を進ませてみせるですよー)

 

 思考。

 

 

 ――そして、

 

 

 ――南一局――

 

 

「ロン、リーのみ、裏はなしなので、1300に一本、1600ですよー」

 

 ――初美手牌――

 {七九①②③⑦⑧⑨⑨⑨234} {八}(和了り牌)

 

・永水 『82100』(+2600)

 ↑

・宮守 『58300』(-1600)

 

「……はい」

 

(三巡目リーチの安牌なし、しかも筋引っ掛け。読むのは私じゃなくたってむりだっつーの!)

 

 対局は――

 

 

 ――南二局――

 

 

「ロン、タンヤオ三色ドラ一は3900!」

 

 ――水穂手牌――

 {三四五⑦456} {⑦}(和了り牌) {横③④⑤} {横534}

 

・龍門渕『82100』(+5900)

 ↑

・臨海 『156000』(-4900)

・宮守 『57300』(-1000)

 

(――ぐ、やはりめくり合いに弱いのは今後の課題ですね)

 

 何の滞りもなく進行し――

 

 

 ――状況は、南三局を迎えようとしていた。

 

 

 ――南三局、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{4}」――

 

 

(――まぁ、なんだ。ここまでなぁ~んもいいとこねぇじゃねーかよう。それに、なんかおかしいよな。――自分が、自分じゃない気がする。二回戦の時からずっと、だ)

 

 二回戦の中堅戦が終わって、早海は大きく失点したまま半荘二回を終えた。前半戦で稼いだ点棒も、敗北という形で、失った。

 ――決して戦えなかったわけではない。今のように、焼き鳥で終わってしまった、わけでもない。

 

 早海の全力を出しきって。

 そして負けて。

 

 ――それが終わって、振り返ってみれば、そこには何もかもが、存在しなくて。五日市早海にが、手にしたものは何一つなくて。

 寂しいと思うことも、悲しいと思うこともできず。今、もう一度早海はこの場所にいる。

 何もできないまま。何もすることはできず。ただただごくごく単純に、置物として、ここにいる。

 

(別に、何かをしたくないわけじゃない。私は宮守の、仲間たちとともに戦いたい。そのために、ここで止まってる、訳にはいかない!)

 

 ――早海手牌――

 {一三八③④⑨45555西北(横四)}

 

(手牌は絶好のドラ4手。四向聴だけど両面塔子も多くて、柔軟性の有りそうな手。これを和了らないと、もうずっとこれから、私に流れは来ないかもしれない! だから、この手は和了らないと、和了らないと、私に私の意味なんて――ッッ!)

 

 ――早海/打{西}

 

({北}を鳴かれた場合、最悪永水に役満を和了られるかもしれないことくらい私には分かる。けど、私にだって、何のチカラもないわけじゃ、ねーんだよ!)

 

 早海/ツモ{一}・打――{北}

 

「ポン、ですよー」 {横北北北}

 

(大丈夫だ、問題ねぇ! 私のチカラを考慮すれば、ここから和了ることはかなり難しい。東場の時みたいにさぁ! さっさと流されちまいなよ!)

 

 背けて、逸らして、逃げ出して。

 五日市早海の原点は、一体どこに行ってしまったのだろう。鵜浦心音とのこと、あの子とのこと、宮守の、仲間たちとのこと。

 どれをとっても、今の早海を説明する答えには成り得ない。なり得ないのだ。

 

 どれだけ大丈夫だと言い聞かせても、自分の中の違和感はじわりじわりとこころを侵して広がってゆく。それはどうしようもなく止め難く、逃げ出し辛いものだった。

 

(――いや、いやいやいや、何を迷ってるんだ。状況は私の味方をしてるんだぞ? 前局に龍門渕が和了った。二つ鳴かなきゃ永水は役満を作れない。だから――だからさっきよりも、全体的に見れば永水は御しやすいはず! はず、なんだ……)

 

 早海は、自分の思考、その意味に一切気がついていない。これだけの好配牌をもらって、ただ永水だけを警戒し、それでは何の意味もないのだ。

 勝ちたいと思わなければ、勝つことに最上の意味を見出さなければ、この勝負に自身の存在を見出すことは、できない。

 

 ――だから、そんな逃げの思考、その最大の前提が崩れたとしたら? その思考を盤石とする、自身のチカラが封じられたとしたら。

 

 

 ――そんな思考が、無意識のうちに第二回戦にも在ったとしたら?

 

 

 言うまでもない。

 

「――――カン」 {裏東東裏}

 

 早海の中にある、あらゆる感情の防波堤は――――決壊する。

 

「なっ……!」

 

 ――思わず漏れた声。それをすぐさま押し込めて、早海は後悔に思考を走らす。

 

(暗槓でもいいのか――!? クソ、それじゃあ私の支配は通じないじゃないか! それじゃあ、私はこいつに、負けるほかないじゃないか――!)

 

 たった一つの副露では、高度な支配は止め難い。それは水穂の時点で実証済みだ。ましてや水穂のそれはあくまで人間の域の延長線上。対して初美のそれは神の域にまで達したチカラによるものだ。強度など、今更語るべくもない。

 ――そして、暗槓は、唯一河を見出さない副露。早海のチカラの及ばない、決定的な唯一無二の弱点なのだ。

 

 だから、止まらない。

 薄墨初美は、止めようがない。

 

 この状況、止めに行くのは現在トップを行くハンナくらいのものだろう。そしてそのハンナが現在の親番。トップの点棒を大きく削れるのなら、水穂は必ず無茶はしない。

 そして早海も、自分の牙城が崩されて、それでも爪を振るうことは、彼女にできよう、はずもなかった。

 

 ――ほどなくして。

 

 

「ツモ!」

 

 

 この準決勝、二度目の役満が、この中堅戦の卓から飛び出した。

 

・永水 『114100』(+32000)

 ↑

・臨海 『142600』(-16000)

・宮守 『49300』(-8000)

・龍門渕『96600』(-8000)

 

 

 ♪

 

 

「それで、先輩は……どこまで知ってますか?」

 

 ――役満和了に沸く会場。しかしこの一角においては、その熱狂は果たして彼女たち、二名の少女には届いていないように思えた。

 

「いやー、あはは、まぁ……全部、って言っちゃって、いいかもねぇ」

 

「だったら……なんで言わないんですか?」

 

 小瀬川白望は、どことなくいつにもない様子で、問いかける。柄にもない真剣な表情。無論どこか気だるげではあるものの、その瞳にマヨイはない。

 

 ――迷ったからこそ、それ以上のマヨイは、白望には一切必要ないのだろう。彼女は多分、そういう人だ。

 

「……気恥ずかしいから、かな。早海にとっては一大事でも、私にとってはアタリマエのこと。それに、言おうとしたら、きっと私も歯止めが効かなくなるし」

 

「ノーコメントで」

 

「アハハ、まぁそういうわけだからさ。――前半戦が終わるまでには、覚悟を決めるよ。気恥ずかしさはあるけど、やっぱり今の早海は、見てらんない」

 

 ――自分で、気がついてくれればそれが一番良かったのだろうけど、結局そうは行かなかったのだ。早海が気づいてくれない以上。それを教えられるのは、きっと同じ事を知っている、心音以外は力不足だ。

 

「じゃあ、参考までに。――いつ、気がついた?」

 

「……見てればわかります」

 

 ――説明は、面倒だと視線をそらす白望。ただ見ただけで、早海の心の奥底にある悩みを全て引き出されては、親友である心音の立場がなくなってしまう。

 白望という少女は、やはり不思議なところのある少女だ。

 

「まぁ、――促してくれてありがとね? 多分、シロが気がついてくれなかったら。私達はこのままずっと前に進んで、気づかない所で――破綻してたと思う」

 

「思いは胸に秘めてるだけじゃ、たとえ両思いでも繋がり合うことはできない……」

 

「って塞が言ってた?」

 

 白望の言葉に付け足した語尾を、白望が無言で首肯する。心音はそれを楽しげに笑うと、勢い良く立ち上がって――

 

「……よし! じゃあ行ってくる」

 

 眩しい笑顔で言う。

 

「――私はこれから、――鵜浦心音は、これから人生最大の、一大告白を、してこようと思いまっす!」

 

 小瀬川白望は、そんな心音の楽しげな様子を、どこかダルそうな、しかし満足気な顔で――見送るのだった。




阿知賀編最終回! 生放送をこれを更新してから見るのでワクテカが止まりませんよ。
本作は次回が準決勝の一つの山場になるかな? おもにIPS的な意味で。


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『つながりあって』中堅戦②

 小学校の頃は転校を繰り返し、ようやくできたと思った友人も、すぐに別れなくてはならなかった。それはそれは寂しいことで、そんな寂しさを、自分は多くの人にも味あわせてきたのだと、どこか自責するような意識もあった。

 無論、それが自意識過剰だとして、自分がそんな辛さを、味わい続けてきたことは事実だった。

 

 ようやく親の仕事が落ち着いて、一つの場所に定住できるようになって、まずはもう離れ離れにならなくていい、無二の親友を作ろうと思った。

 無論それは簡単ではなかったが――機会は思いの外、すぐに来た。

 当時から、いじめや嫌がらせの類を執拗に嫌うタイプであったこともあいまって、目の前で行われているいじめは、絶対に見過ごせないことだった。

 

 けれども一人ではそれを解決することはできない。それを解決するために、助けを求めることに決めた。――その時であったのが、それから十年近くを共に過ごすこととなる親友、鵜浦心音だった。

 

 ――“今”の五日市早海はそこから始まる。小学校の中学年ほどから、高校3年生に至るまで、歩み続けた早海の人生が、そこから始まる。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

 最初の頃は、ただ心音と一緒に入られるだけでよかった。時間は余るほどあったが、それでもそれを潰す方法に、枚挙の暇は必要なかった。

 ただ、共にいることこそが、早海にとっての楽しみだった。

 

 しかし、中学高校と、進むに連れて早海は両者の時間に質を求めるようになっていた。少しずつ、ふたりきりで過ごす時間が減っていたのだ。

 というのも、早海はリーダーシップのある、人の中心に立ちやすい気質を持っている。自然と彼女の周りには友人も多かった。そして心音もまた、おとなしい気質でこそ在ったものの、早海の影響か人当たりはよく、友人も多い。――そんなつながりの中に、両者の関係が埋没し始めたのだ。

 

 ――麻雀を始めようと、心音に早海が提案した時もそうだった。あの時も、心音は自分が所属する委員会の仕事に関わっていたし、早海は別の場所で力仕事を手伝っていた。

 それが必要な時間だったわけではない、かつては二人でいることもできた、そんな時間が消費されているのだ。――無論小学校の頃にはもう一人親友がいたが、彼女は心音と早海、二人の親友だ。心音とのつながりが薄くなるわけではない。

 

 結果として、早海は少しずつ焦りのようなものを思い続けていたのだろう。誰とでも繋がれるからこそ、最も大切なつながりを、うっかり忘れてしまうかもしれないと、思ってしまったから。

 

 そうして早海は心音に、二人だけのつながりを求めようとした。――それが、麻雀であった。

 とはいえそれにもまた別のつながりが伴うだろうが、早海は心音と自分に共通する居場所が欲しかったのだ。

 

 

 ――五日市早海は、鵜浦心音との“つながり”を、ずっと求め続けていたのだ。

 

 

 第二回戦で、自分の中のチカラが破られることを、始めて経験した。それだけではない。そレに対する同様が原因で、早海は失点を許すことになってしまった。

 前半戦に、稼いだはずの点棒が、ほぼ一万点のマイナスでかき消されてしまった。

 

 それは早海の中から、自分自身というものを、ごっそり削り取るには十分だった。

 

 結果が、今の自分だ。――混迷し、迷走、敗北する。そんな今が、五日市早海の有様だ。

 

(……嫌だ)

 

 思う。

 

(――そんなの、嫌だ)

 

 しかし、それは思いの中でだけ、浮かんで消えるあやふやな何かだ。不確かで言葉にもならない異様なそれだ。

 

(心音が何処かに行ってしまうのは嫌だ。ようやく手に入れた場所を失うのは嫌だ)

 

 こころが、きしみを上げる。

 古ぼけて――腐ってしまった木造家屋が、その役目を終えて朽ちていくように。ねじりきってしまった歪みが、対に耐えかねて崩れていくように。

 ――早海のこころが、異様なほどに悲鳴を上げた。

 

(――――負けるのは嫌だ失うのは嫌だわからないのは嫌だどうにもできないのは嫌だ自分に納得出来ないのは嫌だ私が壊れてしまうのは嫌だそれをどうしようもできないのは嫌だただ見ていることしかできないのは嫌だ変われないのは嫌だ受け入れるしかないのは嫌だ黙ったままでいるのは嫌だ結局なにもできないのは嫌だ諦めるのは嫌だ流されるのは嫌だ終わってしまうのは嫌だ失うのは嫌だそれをどうにもできないのは嫌だどうにもできないと解ってしまうのが嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……)

 

 

「――ロン」

 

 

 ――振り込んで、失って、すべてが終わって。

 

 早海は、もう顔を伏せるしか、できることはなかった。

 

 

(――――――――もう、やだ)

 

 

 詰まった言葉を、――早海は吐き出すことができなかった。

 

 

『前半戦、終了――――!』

 

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――46700――

 

 ♪

 

 

 前半戦が終わって、対局者が続々と対局室から退出する。中には出て行かないものも時折はいるが、今回の対局者は一度外に出て、意識を切り替えるようだ。

 

 ――最初に出てきたのは臨海女子のハンナ=ストラウド。若干悔し気な表情が目に映るが、おそらくは初美の役満を防げなかったが故だろう。対局は横目に見ていたが、あの闘牌を見る限りどうやらハンナは完全に初美を狙い撃とうとしているらしい。

 

 ――ハンナ=ストラウド:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――142600――

 

 続いて現れたのは永水女子の薄墨初美。こちらは最後の役満和了があったからだろう、その顔は非常に晴れやかだ。とはいえハンナに狙われているというのは、彼女にはプレッシャーとなっていらしい、顔には未だ緊張が張り付いていた。

 

 ――薄墨初美:二年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――114100――

 

 三番手は龍門渕高校の依田水穂。役満を自摸られても、マイナスをほぼ千点で過ごせたのは流石と言えるが、それだけだ。何も出来なかったことに不満があるのだろう、なんとも言えない複雑な表情で、対局室から離れていった。

 

 そして――その対局室から出て行く面々を、見守るものがいた。――鵜浦心音、宮守女子の三年で先鋒である。

 彼女は人を待っていた。しかしその人は未だに対局室から出てこない。それを理解して、意を決して心音は対局室に足を踏み入れた。

 

 

 ――中では、五日市早海が準決勝の卓に触れながらたそがれていた。

 

 

「おつかれさまー、大変だったね」

 

 反応して、振り返る。早海に寄っていく心音を確かめながら、早海は準決勝卓と、対局室を隔てる階段を、降りる。向い合って要約、両者の間は対等になった。

 

「……うん、おつかれ」

 

 ――それから、絞りだすように、喉奥から零れ落ちるような言葉を早海が漏らした所で、周囲には重い沈黙が漏れた。それを楽しげな笑みで心音が振り払いながら、もたれかかっていた壁から背を離し、うつむく早海と向かい合う。

 そうしてハツラツと――あくまで自然体に声を漏らそうとしたその時。

 

「――――ごめん、点棒、半分までへらしちゃって」

 

「あー、うん、半荘五回分のまけだからねぇ」

 

「…………、」

 

 一応、次鋒戦後半では微差ながら点棒をとりもどしているものの、中堅戦開始以前から、すでに宮守女子の点棒は三万点以上失われていた。

 そしてその大半の原因は心音に在る。とはいえ、心音が対決していたのは世界最強クラスの高校生雀士と、それにギリギリ食らいつけるバケモノだ。誰も攻めはしないし、心音自身、よくもまぁ戦い抜けたものだと自分に感心しきり、といったた様子だ。

 

 ――つまるところ、だ。心音の失った三万点と、早海の失った一万五千点では、その重みが数段違う。それも、早海のほうが比重の高い位置にある。

 それを感じているからこそ、早海は顔をうつむかせている。――どこか飄々としていて、チームメイトの白望とはまた違う強さを持っていた早海が、しかし自身を悔いて顔を陰らせているのだ。

 

「……じゃあさ、徹底的に慰められるのと、手ひどく責め立てるのと、どっちがいい?」

 

 爽やかに、笑みを浮かべていた心音が、しかし一瞬にして、その顔つきを厳しいものに、声を一つ下のトーンに合わせる。――刹那、早海は下向かせていた目線を、さらに端へ向け、自身の服を両手でぎゅっと握り締める。

 

 それから、たっぷり、数十秒、時間の感覚を失うまで沈黙し、本当に小さな声で、ぼそっと言葉を吐き出す。

 

「まだ、責め立てられるほうが、……ましだ」

 

「そりゃ、そうだろうね」

 

 ――慰められるほうが、よっぽど今の早海には惨めに感じられることだろう。心音もそれはよくわかっているし、そうはしないだろう。

 だからこそ、早海の言葉を待つことなく、二の句を告げさせず、心音は次の言葉を吐き出した。

 

 

「――だから、私も嫌だよ」

 

 

 ……え? と、早海がようやく、顔を上げて問いかけた。真剣な心音の眼と、早海の呆然とした眼が交錯する、心音は数秒を、沈黙に捧げた。

 

「私も、早海が苦しむのは嫌、だって親友だもの、わざわざ、そんな事する必要ないじゃないのさ」

 

「……い、いやそれ…………心音さ、――何しに来たの?」

 

 ポツリと漏れた――というよりも、ふと浮かび上がった五日市早海、その素の言葉。本当に心の奥底から漏れでた、何も被すことのない本音。

 

「そりゃあ、悩み多き親友にアドバイスと、あと、えっと」

 

 急に、心音は言葉尻をつまらせて、何やらもじもじと顔を赤らめた。

 早海はどうしたものかと視線を左右に揺らして、言葉を探す、目の前の親友が何を思っているのか、今の早海には正確な判断が下せなかった。そうこうしているうちに、ようやく心音が気を取り直して口を開く。

 

「――じゃあ、言わせてもらうけど」

 

 そうやって一つだけ間をおいて、呼吸を切り替えて心音が口を開く。――それは、早海の困惑気味であった思考回路を、完全にプツン、と強制終了させるものだった。

 

 

「――――私、もう、負けてもいいと思ってるんだよね」

 

 

「…………は?」

 

 こんどこそ、それは先ほどのような反射的に漏れた言葉ではなく、徹頭徹尾何から何まで、呆然に支配された早海の心胆から湧き上がった言葉であった。

 

「だってさ、考えても見なよ。私達宮守女子は今年が初出場の新鋭校。だれも優勝するなんて思ってない。そもそも準決勝に来ることすらだれも考えてなかったんじゃないかな?」

 

 ――準決勝に残された現行唯一の初出場校、それが宮守女子の肩書きだ。それにはつまり、ダークホースというルビを降ることはできても、優勝候補と声高に主張することは不可能な場所にある。

 

「負けたってだれも攻めないだろうし、むしろ岩手に帰れば私達、英雄扱い間違いなしさ!」

 

「――いや、いやいやいや」

 

 マシンガンのように吐き出された心音の言葉に、なんとか現在に復帰した早海が待ったをかける。心音は一切明る気な顔つきを変えることなく問いかける。

 

「おかしーだろそれ! どこに終わる前から諦める奴がいるのさ! 少なくともシロは最後まで諦めなかったし、そもそも心音だって、あれだけ精一杯闘ってたじゃないか!」

 

「……でも、龍門渕の渡さんには勝てなかったよ? 半荘四回やって、結局一度も上に立てなかった。それに臨海のあの人にはコテンパンにやられちゃったし」

 

 心音は、おどけるようにして笑ってみせた。それが自分のありったけであるかのように。――早海は、表情を厳しくさせて声を荒立てる。――しかしそれは、心音を責め立てるものではない。まるで、心音をかばうかのような、自分のあらん限りを尽くして、心音に背を向けて立つかのような、ものだった。

 

「――――それでも! 心音は最後まで頑張って闘った。世界最強を名乗る(・・・)相手に、あそこまで健闘できたのは、心音だからだ! 心音のどこに限界があるっていうのさ! そんなもん、最初からあるわけないだろーが!」

 

「あるよ、実力差がある。一年、二年――それくらいの時間が在るならともかく、一日二日じゃ、どうやったって埋まるはずのない、壁っていうやつが」

 

 一日二日、そんな心音の言い回しに、いきり立っていた早海の心は、急速に冷やされていった。心音のその言葉は、ある種負けを認めない自負ではあったが、それと同時にどうしようもない壁への自覚でもあった。

 

「それならさ、もう、これでもいいやって、私は思うようになった。それって何か、おかしいことなのかな」

 

「…………、」

 

 

「――けどさ」

 

 

 閉口した早海、しかし心音は言葉を失わなかった。全力で、前傾で、思うがままに、まだまだ吐きたらないと、言葉を大いに振り回して――

 

「それを早海にも、私は思ってほしくない。残り最後の一回になるかもしれない早海の半荘が、諦めで終わってほしくなんか――ない」

 

 途端に生まれた心音の言葉の緩急に、早海は思わず引きずり込まるような印象を抱いた。自分の中で、心音の言葉を、一瞬にしてもっと聞いていたいと思うような、心が生まれたような気がした。

 

「私の知ってる早海は、敵を周りに寄せ付けないくらい破天荒で、誰かを不思議なほど魅了して、おもいっきり何から何まで、人を惹きつけてやまない人だった」

 

 だから――言葉のほんの隅っこに、どこか哀愁に満ちた、声音が混じっていた。

 

 

「――そんな早海が、落ち込んでいる姿は見たくないよ」

 

 

 端的な言葉で、心音は自分の思いを締めくくる。数年間、友として、隣にたって思い続けてきた、万感の感情をすべて詰め込んだ、そんな言葉だった。

 

 そうして心音は、恥ずかしそうに笑みながら頬を書くと、再び早海に口を開かせることなく、自分の言葉をつなげる。

 

「……なんか、勝手に一人で話して、それで終わりっていうのも、なんだよね。だから――」

 

 一瞬だった。

 

 早海が何かを思うよりも早く。

 

 

 ――心音は早海に、抱きついていた。

 

 

「――早海に、忘れられない思い出を作ってもらおうと思います」

 

 精一杯、感情を――おそらくは、恥ずかしさ――押し殺すようにして、上ずった声でいう。それは、落ち込む早海に向けて語った、幾つもの言葉よりもずっと、心音の心情をあらわにしているようだった。

 

 早海は、「あ――」、と、まるでその瞬間に、すべての感情を弾けさせてしまったかのように、吐息を漏らした。

 

 だれでもない、鵜浦心音が、体を交わらせ、引き寄せ合って、耳元でささやいてる。

 

 

「――私、鵜浦心音は、」

 

 

 それがどうしようもなく愛おしく思えて、どうしようもなくもどかしく思えて、

 

 

「五日市早海のことが――――好きです」

 

 

 高鳴る心音を、抑えることができなかった。

 

「それは、私が、早海の側にいたいから。ずっと一緒に、いたいから!」

 

 心音は、詠う。

 

「未来永劫、あらゆる災いが私達に降り注ごうと、それでも一緒に、いたいと思える人だから……だから、私は早海のことが好き」

 

 早海の言葉など、最初から待つつもりもなく、ただ自分の言葉を、早海に刻み付けるために。

 

「もしも早海が許してくれるなら、私は早海の隣にいたい」

 

 背中合わせになっていた、自分と早海の、心をもう一度すり合わせるために。

 

「誰にも間に入って来れないくらい、私は早海の近くにいたい! ずっとずっとず――っと!」

 

 たっぷり、抱き続けてきた感情と、思い続けてきた心象を載せて、語った心音。早海は、少しだけ頬を赤らめて、脱力しきった体に火を灯す。

 ――ぴくりと、一度体を震わせて、そっと心音の体をかき抱く。ぎゅうっと、二人の距離が、一切の隙間なく詰められた。

 

 それから、安らいだように眼をとして――

 

 

「本当に、私()いいのか?」

 

 

 そう、問いかけた。

 

「うん。早海だから、いいんだよ?」

 

「――そっか、ありがとな」

 

 そうしてひとつ、頷いて、それから早海はぐいっと、両者の体を引き剥がす。ただ右手だけをつなぎあわせて、距離を保ちながら、向かい合う。

 

「それじゃあそろそろ後半戦だ。――世界一大好きな親友から、こんな思い出もらっちまったんだ、私も、忘れられない思い出を、あの場所に作ってくる」

 

「――いってらっしゃい」

 

 そうやって言葉をかわして、二人の体が弧を描いて円を作り始める。真横に体を交差させて、つなぎあった手の先を伝って、それぞれの顔を覗き見る。

 

 ふたりとも、これ以上ないくらい優しげな笑みで、そよ風に体を委ねるように小首をかしげ、ゆっくりと手を離していく。そうして、最後に早海がその表情を、闘気に満ちたものへと切り替える。

 

「あぁ――」

 

 踏み出す一歩は、誰よりも強く、そして一つではない。

 

 

「――――行ってくるよ!」

 

 

 五日市早海の闘いが、ようやく幕を、開けようとしていた。




多分本作屈指のIPS回。うちはハーメルンの咲二次の中でもIPS力は最強のつもりや(泉ちゃん風)
第二回戦から持ち越した早海のしがらみもこれで解消。次回から中堅戦後半です!


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『思いは背中に宿るから』中堅戦③

 席順。

 東家:薄墨

 南家:依田

 西家:五日市

 北家:ストラウド

 

 

 東発、最初の和了は代田水穂。安牌のなくなったハンナの切った牌を、偶然拾い上げての和了であった。もとより、二鳴きのタンヤオドラドラだ、自摸ろうが出和了りしようが、打点には一切の変化はない。

 

 最初に一局は非常に静かな立ち上がり。とはいえこの和了りで龍門渕の点棒が原点へと回帰。宮守にはきつい展開となった。

 

 ――そして、状況は東二局、初美北家の一局が――始まろうとしている。

 

 

 ――東二局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

 風が吹き。

 

「ポン」 {東東横東}

 

 ――二つ、声がさえずった。

 

「ポンですよー」 {北横北北}

 

 たった、三巡の出来事だった。

 

(――出来れば、抱えてて欲しかったんだけど……まぁしょうがないか。無理するしかないよねぇ)

 

 ――薄墨初美は、{東}と{北}、二つの鬼門を晒すことで裏鬼門、{南}と{西}を手牌に引き寄せるチカラを持っている。つまり、小四喜、ないしは大四喜を自由自在に和了ることも可能なのである。

 通常であれば、それは全国でも稀有な高火力プレイヤーと言っても過言ではない。特に今年は去年までいた役満モンスターの存在から、役満の和了には敏感で――なおかつ意識されやすい。初美のそれも、当然周囲から意識されるにたるものだった。

 

 しかし、この状況はそれを“縛る”チカラが存在している。

 

(前半戦の東場を見ればなんとなくわかるけど、二鳴きした永水が、有効牌を自摸れるのは二巡に一度程度。多少ズレがあるっぽいから、もう少しデータが欲しいけど、瀬々が断言するには、薄墨が準備を整えるのは――十二巡後!)

 

 十分な時間だ。自分自身、鳴きが制限されているとはいえ、それだけの時間があれば、テンパイに持っていくことに不足はない。

 

(だからこそ、させられないね! こんなところで役満親被りなんて食らってたまるか)

 

 奮起する。意識を前に踏み出して、選ぶ打牌は、直線的な自摸。薄墨初美が役満を狙うというのなら――これから数巡、初美に振り込むことはありえない。

 

 それから、二度、三度――ツモを進める。ツモの調子は水穂のテンションを反映して、よい。故に鳴かずとも手は進む。この状況で泣いてくるものがいるとすれば、薄墨初美か――

 

「――――ポン」 {⑧横⑧⑧}

 

 鳴きの制限が一切ない、五日市早海の両名だ。

 ――早海のチカラは河の乱れを極端に嫌う。故に、一鳴きもすれば、他家は手が全く動かなくなり、二鳴きもすれば、テンパイしたものの当たり牌をも、引き寄せる。

 初美のチカラには、さほど影響はないものの、それでも十二巡という猶予にもなった。

 

 その間に、最も和了に近づけるのは、間違いなく早海なのだ。

 

(……ん?)

 

 八巡目、そこにきて水穂は違和感を覚えた。無理もない、現状意識は薄墨へ向けざるを得ない。そこにうまれた違和感を、正確に理解するには、大きな集中が必要だった。

 

(――これって)

 

 向けた先は早海の捨て牌。

 

 ――早海捨て牌――

 {發1「北」三8白}

 {2白}

 

(……なるほど、白の手出し二枚、かぁ)

 

 水穂/ツモ{②}

 

(じゃあこいつは、使い切ることにしようかな)

 

 最悪、間に合わない可能性を考慮して、水穂は打牌を選択する。――シャンテン数を落とす打牌、しかしそれでも、違和感はない状況。

 ――ハンナは果たして、気がついただろうか。初美は果たして、どうだろう。とはいえ初美からしてみれば、たとえそれが“そう”であろうと、退くという選択肢は、ありえないだろう。

 

(前半戦、宮守は完全に沈黙していた。それも次鋒戦のように、可もなく不可もなくやり過ごしたわけではない。完全な削られ損の最悪状態。支配だけは効き続けてたけど、それすらも、南場の薄墨に破られている)

 

 五日市早海の顔を見る。――前半戦の終了時、彼女の最後に振り込んだ時、ちらりと見た顔が、水穂には非常に意識の中へと残っている。

 似ていたからだ。その顔が、かつて何かを失いかけた、水穂の顔と重なるからだ。

 

(瀬々の跳満に振り込んだ時も――私ってば、あんな顔してたのかな)

 

 水穂の手が止まる。全速力で駆け抜けていた足を止め、ふと周囲に意識を向けた。――そんなとき、早海の顔がどうしても意識の隅に引っかかった。

 ゆえにこその、選択。

 早海の眼は、水穂の視点からはうかがい知ることはできなかった。手牌へ向けて顔を落として、何がしか、考えてはいるのだろうが、それ以上はわからない。

 

 そこにいるのかどうかすら、わからないようなあやふやさ。今の早海の感情を、水穂が窺い知れるはずもない。

 

(――あぁ、そっか。私ってばこういうの、見てて“嬉しい”って思っちゃうんだな)

 

 依田水穂の生き方が、どこまでも強くあろうとしたものだったから、明るくあろうとしたものだったから、ただただ純粋に、楽しいと思える状況を、嬉しく思う。

 それが水穂の在り方であり――たとえどれだけ歪んでいても、根底にあった強さであるのだ。

 

 かつて、瀬々に言葉を投げかけられる前、歪みきっていてもなお、それが在ったからこそ、水穂はきっと、歪みを強さに変えたのだ。

 だから――水穂は早海の瞳の先に、答えを見る。

 

 ――水穂/ツモ{⑤}

 

(……そうだね、じゃあこの手はここまでになっちゃうかなぁ)

 

 ベタオリ、それが水穂の結論だった。

 もとより初美は、未だ牌を引き寄せている。それがどれだけ絶対的なことであろうと、水穂はその選択を迷わない。

 

 あくまで、早海の瞳を見たからこその、ベタオリだった。

 

 ――――直後。

 

 

「――――ロン」

 

 

 ここまで、沈黙しきっていた少女が。

 

 瞳を髪の奥から光らせて、産声を上げる。――そこには、たった今、“生まれ変わった”少女がいた。――――五日市早海。

 彼女の手牌が――開かれる。

 

 ――早海手牌――

 {③④④⑤⑤⑥⑥⑦⑦⑦} {②}(和了り牌) {⑧横⑧⑧}

 

「――16000ッッ!」

 

 爆発が、一方方向から襲いかかった。それまで流れていたはずの、亡者すら食いつくさんかというほどの百鬼夜行は地に沈み、静寂が、状況を支配する。

 まるで水がすべてを飲み込んで、あらゆる地面をまっ平らに変えていくように、早海の手牌が薄墨初美を掴んだ。

 

 ――対局は、ようやく蠢きだした異常の中で、進んでゆく。

 

 東三局、そうそうに和了を決めたのは龍門渕の依田水穂。数巡での速攻和了。――しかし、それは二軒リーチの隙間を縫った、綱渡りでの和了でもあった。

 

「――タンヤオドラドラ、3900!」

 

 ――水穂手牌――

 {三四五⑥⑦⑧22} {横④③⑤} {55横5}

 

 

 続く東四局は、勢い任せにがむしゃらに、前へと進む五日市早海が、ハンナ=ストラウドのテンパイと激突した。

 ハンナのリーチ時点にすでに三副露を晒していた早海は、それもあってか逃げきれず、結局はハンナのメンピン裏裏直撃によって撃墜されている。

 

 しかし、それが早海の足を止めたかといえば、そんなことは全くない。即座にもう一度三副露を探すと、和了。ツモで三翻は東三局の水穂と同一である、4000点の和了りとなった。

 

 めまぐるしく対局は動く。

 東場は、速度と火力と、激突によって終幕を見た。ここまでの収支は、倍満の直撃もあってか薄墨初美が大きく失点。しかし北家がもう一度残っている以上、彼女には三万点以上のプラスが見込める。

 残る三名はほぼ横並びの5000程度プラス。その中でも飛び抜けたのは、若干ではあるが五日市早海だ。前半戦の負債をすべて返済するには至らないものの、それでも原点の半分はすでに取り戻している。

 

 四者の状況は、どこをとっても横並びとは言いがたい。しかし四者の実力は凌ぎ合い、削り合い、叩き合い――同一であると認識するには十分だった。

 

 ――ただし、

 

 それはハンナ=ストラウドが本来とは違う打ち方をしてる状態で――という限定的な条件が、ついてまわっているのだが。

 

 かくして、対局は南場へとうつる。

 

 南一局、最初の対決。

 

 ――ここで大きく前進したのは、連続和了を狙う五日市早海――そしてここまでいまいち大きな活躍のない、依田水穂の両名であった。

 

 

 ――南一局、親初美――

 ――ドラ表示牌「{4}」――

 

 

(――依田水穂、私でも知ってるコクマスタープレイヤーの一人。と言ってもインハイでは二年間の間、三傑によって全国出場の芽を潰され続けてきた不遇の雀士)

 

 国民麻雀大会、通称コクマ。その存在を端的に言えば、中学、高校、そして大学社会人、あらゆる立場の“アマチュア”がしのぎを削る、この国の国民にとって最も近い、麻雀を競う祭典である。

 三傑に埋もれながらも、水穂の評価が通常の高校のエースよりも高いのは、何よりこのコクマにおいて、水穂が大きく活躍してきた実績があるからだ。

 

(始めてインターハイに姿を見せて、そのまま準決勝に駒を進める。か。しかも本人は中堅っていう非エースポジションに居座って)

 

 不思議な話だ。まるで彼女を優勝させるために、神が龍門渕に、驚異的な雀士を遣わせたかのように、水穂は快進撃を続けている。

 ――第二回戦では日本トップクラスの高校、姫松高校のエースとほぼ同等に叩き合い、その姫松は二回戦で姿をけしている。

 

(全くもって、強者の極み。ただですら遠い存在が今この場にあって、なお私から遠く思える)

 

 第二回戦を間近に見ているから。――第二回戦で敗北しているから、早海は水穂を真正面から見る。羨ましいと、そして同時に ――乗り越えたいと。

 

(心音は言った、負けてもいいと。――心音は言った。私に負けてほしくはない、と。ならば、私はその言葉を責務にしてやんよ、心音の言葉で、私自身を縛り付けてやる)

 

 ――今はもう、前を向いているからこそ、枷は早海を留めない。早海を支えるサポーターへと変質するのだ。

 

(超えるぞ、まずは第二回戦で、私に土をつけた奴!)

 

 依田水穂、速度を武器とするトップランクプレイヤー、通常の手牌の中から、どこからともなく役をひっつけるセンス。喰いタンにはじまり、喰い一通に喰い三色。時には混一色すらも、速度の武器に変えてゆく。

 それは同時に、本人の調子を引き上げていくチカラとなる。

 

(シロいわく、感情の振れ幅が、麻雀にすら影響を与えるくらい、麻雀に感情を振り回された結果、だったっけ――正直なんでこういう異能が備わるかなんてさっぱりな私からすれば――はっきり理由がわかるのは羨ましいんだけどねぇ!)

 

 ――早海手牌――

 {二二三四四⑧⑨111288(横二)}

 

 六巡目の手牌、十分な高打点の望めるそれではあるが、早海はそれを最大まで高めるつもりはない。せいぜいが、暗槓でドラが乗ればいいと思う程度。

 この状況で、水穂が攻めてきていることがわかるから――早海は手をはやめようとしているのだ。

 

 ――水穂捨て牌――

 {①發5九二發}

 

(一応通りそうではある。というかまだ張ってはいないはず。けどどうだろう。これは鳴かれっちまうのかねぇ)

 

 早海/打{2}

 

「――ポン!」 {22横2}

 

(本当に鳴いてきた。やっぱ状況は対子場か。いやさそもそも根本的に、私のチカラを知っていながら、ためらいなく鳴いていけるのが意味不明だっつーの!)

 

 それができるからこその、異質ではある。だからこそ、早海はそれを理解した上で手を作らなくてはならない。状況は、ただがむしゃらに、前に進むだけではゴールは見えない。

 

 故の思考。故の作戦。契機は、続く永水の打牌によって、行われた。

 

 ――初美/打{8}

 

(自身の調子にツモが影響されるなら――こうすれば、あんたはげんなりするんじゃねーか?)

 

 ニヤリと、一瞬だけ水穂へ向いて笑みを浮かべる。果たして水穂が気がついただろうか。それともそんなことお構いなしに、彼女は手牌を晒そうとしているのだろうか。

 

「――チ」

 

 

「――ポン!」 {88横8}

 

 

 水穂の声をうわ塗るように、早海が牌を鳴いて晒した。水穂の顔が、嘆息気味な苦渋へと歪む。理解はしていた。そのうえで、一抹の望みを託して手を晒そうとしたのだ。

 

(ポンでツモを飛ばせば、それだけ手の進みは遅くなる。誰だってげんなりするはずだ。そうなれば調子も下がるだろう――そう思って手を打ったが、思わぬ誤算があったもんだ。――おかげで、依田の手牌は、ここで終いだ!)

 

 状況は、早海の予想を大きく超えて、なお良い形に収束した。続くツモ――{⑧}対々和ツモり三暗刻テンパイである。

 対して水穂は、どこかオリ気味に打牌を選ぶ。連続で対子の並んだ状況は、早海の目から見て全く、脅威といえるような形ではなかった。

 

 結局のところ、早海はこの局に勝利した。

 

「――ツモ! 2000、4000」

 

 最善は、最善を呼ぶ。自分の後方に、追い風を感じるのを早海は理解していた。

 

 

 ――南二局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 それでも、準決勝の卓上に鬼門の風は絶えず哭く。亡者たちの生を求める慟哭が、準決勝の対局室は愚か、インターハイの会場中を駆け巡る。

 

 薄墨初美は今だ健在。その薄墨が北家、四度目の対決だ。

 

 ――一度目は、龍門渕が速攻で防いだ。二度目はなすすべもなく和了られた。そして三度目は、早海の清一色に勝負を挑んだ初美が放銃――ここまで、和了られた役満は一度だけ。

 

(さっきは、おもいっきりやってくれましてからにですよー)

 

 思考する。

 悔しくはある。自分の独壇場であるべき北家を、倍満闇染めで止められた。その事実は、初美の心底に大きく楔となって残っている。――それでも、ここで初美が手を引くことは、まず間違いなくありえないと言えた。

 

 ――初美手牌――

 {二三三⑨146東東東東北北(横②)}

 

(この手牌なら、十分にまとめて叩き潰すことは可能です。さぁ{東}を今すぐ出しなさい! その時が、あなた達の最後なのですからねー)

 

 待ちわびた時が来た。これまで辛酸を嘗め尽くすしかなかった自分が、この北家であれば卓上の支配者に変わる。全体を支配する早海の異常も、それを上回る水穂の気質も、何もかも、今この瞬間だけは、薄墨初美へ視線を釘付けとするのだ。

 そうして、待って待って待ち続け、食らいつく瞬間が、来た。

 

 

「ポン――!」 {北横北北}

 

 

 薄墨初美の、右手が動く。勢い良く卓の端へスナップを聞かせて牌をスライド、特急の{東}が跳ねて晒して収まった。同時に、打牌。勢い任せに、{1}を切る。

 

 直後、更に初美は{北}を晒す。これですべての条件が整った。鬼門の二つが開かれて、裏鬼門が手牌へと集まる。{南}と{西}、役満、四喜和を構成する必要牌が、グイグイ初美の元へと収まってゆく。

 

 水穂を見る。

 つらそうだ。無理もない、彼女はこの親番で、最悪ツモ和了をされるかもしれない。そうなれば、親被りで多くの点棒をうしなってしまう。そうでなくとも、前局で手を大きく止められ、ツモ番まで飛ばされた。その勢いは、今更見るまでもないだろう。

 

 ハンナを見る。

 その表情は飄々としているが、しかし彼女に脅威はない。余程のことがない限り、ハンナはリーチを仕掛けてくるのだ。もしもそうでないとすれば、待ちはチートイツかチャンタ、出和了り可能な手をハンナはそれしか作れない。

 故に、リーチのかからないハンナは決して脅威ではない。

 だから――

 

 不気味だ。

 

 一人の少女が、不気味にうつる。

 

 牌を掴む、引いてきたのは二枚目の{南}。問題はない、ここまで一切のムダヅモはないのだ。だから問題はない、はずだ。しかし実際はどうだろう。初美はどこか自分の中から違和感を拭えないでいる。

 

 その不気味の正体も、なぜ不気味であるかも、なんとなく解ってはいるというのに。初美はそれを、どうしても振り払うことができなかった。

 

(この卓上は今、私の支配にあるはずです。ですから全体を支配するあなたのチカラであろうと、私には干渉し得ない――はずじゃあないんですか!? ――五日市早海ッッ!)

 

 水穂も、ハンナも、今は自分に届かず、在る。

 しかし早海だけが違うのだ。

 

 ――五日市早海だけが、未だこの対局を支配し、初美に対抗してきている。

 

 不可思議だ。

 不可解だ。

 奇妙で、玄妙で、精妙だ。

 

 やがて、霧の奥底をかき分けるように、初美の不明瞭で不確かな視界に、ひとつの結論が現れる。突如として出現し、忽然とその姿を初美にしらしめる。

 日に焼けた小麦色の顔がめいいっぱいの驚愕に歪んだ。

 

(――()()()

 

 

「――――――――リィィイイイイイイイイチ!」

 

 

 響き渡るは、早海の轟砲。

 まるでこの瞬間に、すべての意識をつぎ込んだかのようなシャウト。水穂が――ハンナが、明らかな驚愕でそれを受け入れた。

 

(やはり、私にテンパイで追いつきますか――!)

 

 他二名よりひとつ飛びで意識を前に取りなおした、初美が一人思考する。状況は、確実に早海の支配を受け入れつつ在る。ならばここに、割って入るのが初美の役目だ。

 

(追いついて、追い抜こうとして……ですが、私の手牌も負けてはいないんですよねー)

 

 ――初美手牌――

 {二三三南南南西(横西)} {北裏裏北} {東横東東}

 

({西}が二枚ですからすでに役満はテンパイですけど。――私のチカラは、{南}と{西}が三枚ずつ集めるまで効力を持ちます。ですからここは――)

 

 ――初美/打{二}

 

(――これが、私の正解なのですよー!)

 

 迷わない。初美から見えている{三}は二枚だ、しかし{一}と{四}はそれぞれ二枚ずつ、たとえどんなテンパイをしていたとしても、もっといい待ちを、早海はテンパイしているはずだ――!

 

 故に――通った。

 初美のテンパイで――大四喜は完成する。

 

 早海の第一打は――自摸切り。和了ではない。もちろん、周囲がまさか初美や早海の当たり牌を出すことはない。その程度には、どちらも状況を理解しているプレイヤーだ。

 そして、迎える初美のツモ。{西}を引き、役満を和了る決定打。これが決まれば、この中堅戦の流れは決定的となることは間違にないだろう。

 

 ――だから、初美は笑みを持ってその牌を掴む。盲牌をすることはなく。手元まで引き寄せて、確かめるのだ。

 

 そして、続く初美のツモは――――

 

 

(――ッ!? {西}じゃない!?)

 

 

 

 ――初美/ツモ{⑧}

 

 

 ――――初美の理解を越えてゆくものあった。

 

 引き寄せるはずだった{西}。

 たらりと、初美の頬を雫が落ちる。体中から浮かんだ“不可思議”という氷張った感覚が、何かを初美に訴えるのだ。

 {西}は消えた。――では、その{西}は一体どこへと消えた? ――代わりとして引いてきた。この牌の意味は、一体何を表しているというのだ――――?

 

 謎が、初美の中で駆けまわる。

 

 ――中堅戦後半、南二局。

 対局は、佳境を迎えようとしていた。




こういう切り方をするのって、もしかしたら咲の二次書いてて始めてかもしれない。
と思ったけど一応水穂先輩の天和があるか。
副将戦を一話に収めたいとか、馬鹿みたいなこと考えてたら時間かかりました。いつもの二倍くらいの文量になりました。当然分割して二話になります。

今日は眠気と闘いながら副将戦書き上げてたので、点数計算はなしです。超眠いです。


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『荒野の足音』中堅戦④

 ――南二局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「9」――

 ――カンドラ表示牌「{②}」――

 

 

 状況は、異常なほど混迷していた。和了されるはずだった役満、消えた{西}。どれをとっても、初美の思考はフリーズを解凍する方法を要さなかった。

 在るはずだったものがない、それは人の意識を大きく揺さぶる。どれほどの衝撃であるかは、今更語るべくもないだろう。そも初美はそのツモを何ら障害とは思わない。――役満自体はすでにテンパイしているのだ。まさかここから、それを退くという選択肢はない。

 

(――ですが、ここでの選択は、勝敗を大きく左右する、そんな気がしますよー)

 

 一度手を止めてでも、手牌を入れ替えるべきか否か――宛が外れた以上、{三}を対子にしておく利点は薄い。{二三三}も形から切り出したため良形への変化はそうそう望めない。となれば、ここはあえて{三}を落とす選択は十分にありだ。

 {三}が通れば二巡は安牌を確保できることになる。それを考えても、{三}切りの利点は多い。もう一度{三}をつもり直さない限り、再び{二}を引き直すことも十分考えられる。

 

(それを踏まえての、このツモ。捨て牌的に、一応{⑧}は壁ではあります。同時に{三}も。テンパイはとっておきたいですし、和了を狙うなら、ここからかなり端の{⑧}が両面に変化する可能性は、完全にゼツボー的なんですよね)

 

 選んだ瞬間に、通ったのならそれは正解になる。しかし今、早海は牌を開けていない。となればここで勝利を選ぶのは、自分の打牌以外にありえないのだ。

 で、あるのなら。

 

(だったら、迷いますけど、私はこれを選びます。後ろを向いていては、つかめる牌も掴めはしませんからね――!)

 

 初美は、自身の手牌の上に乗った牌。{⑧}を手にとって、振り上げる。

 

 ――初美/打{⑧}

 

 勢い任せの風まかせ、白い煙のような気流を伴って、初美の打牌が、大きく音をひびかせる。――同時に、早海の方を見て、その視線を直線上で交差させる。

 

「――通り、ますか?」

 

 少しばかりの沈黙に、すかさず耐え切れ得ないといった様子で初見が問う。早海はそれに軽く笑みを浮かべて――

 

 

「――いや」

 

 

 ――早海手牌――

 {三三⑧⑧123456789}

 

「――――通らないよ」

 

 あっ……と、小さな声がどこかから漏れた。それが自分の声だと気がつくのに、初美は数秒を要した。

 

「……ロン。リーチ一通ドラ1、裏は――」

 

 ――――ドラ表示牌:{9} 裏ドラ表示牌:{2}

 ――カンドラ表示牌:{②} 裏ドラ表示牌:{6}

 

「二つで、12000だ」

 

(ふ、二つとも、ですかー!?)

 

 

 パラパラと、何かが崩れ落ちる音。

 それは、初美の後方に開かれた――二つの門が、その姿をかき消して、崩れ落ちてゆく音だった――

 

 

 ――南三局親早海――

 ――ドラ表示牌「{⑧}」――

 

 

「決まったー! 跳満直撃ー!」

 

 実況者の声が、会場中に響き渡った。呼応する観客の声は大きい。ムリもないことだ、宮守女子は今年初出場にしてインターハイ準決勝の舞台を踏んだ新星だ。特に贔屓の高校がないのであれば、自然と観客たちはそんなフレッシュな高校に感情を移入させていく。

 そしてこの中堅戦後半は特にそれが顕著である。というのも、前半戦で大きく失点した宮守女子が、この後半戦で巻き返し、逆転劇を演じているのだから、誰もが興奮を覚えるのは無理もないことである。

 

「完全に掴まされてしまいましたね、{三}をかわしたのはいいとおもいますが、こうなってしまってはどうしようもないですね☆」

 

「役満を張ってる以上、そうそうオリる選択肢はありませんからね」

 

「そうですね、それが正解だと思います」

 

 ――と、前局までの話はそこまでだ。状況に変化が訪れた、目敏くそれに気がついた両名は、そこで軽く言葉をかわす。

 視線の先には、若干打牌に迷っているのだろう、手を止めたハンナの手牌があった。

 

 ――ハンナ手牌――

 {一三六⑤⑥234699西北(横③)}

 

「不思議な手筋ですね。第一打に{南}、第二打に{白}を打っていますが、オタ風は手の中に残しています」

 

「{西}と{北}に関してはそれぞれ打牌の前に他家が一枚ずつ切っています。鳴かれませんでしたし、まだ山に残っている、と見ているのではないでしょうか☆」

 

 この時、はやりも、そしてアナウンサーも、ハンナの打牌を迷いと思うことはなかった。なにせ実際迷う必要のない手だ。ハンナの手を止めた理由は、状況の察知、そう読み取っていたことだろう。――そしてそれはある種事実ではあった。

 そして同時に、事実ではない側面もあった。

 

 ハンナ/打{⑥}

 

 一瞬、会場中が静まり返ったことだろう。――否、これを不可思議だと思うものは、ハンナの闘牌をロクに知らない人間だけであろうが。

 実況解説の両者もそれは同様だ。さして驚いた風もなく、会話をかわす。

 

「これは、なかなかおもしろい打牌ですね」

 

「ストラウド選手はこういう打牌選択が多いですねー」

 

 それから、更に打牌は進み――九巡目、ハンナの手が異様に変わる。

 

 ――ハンナ手牌――

 {一二三③⑤23499西西北(横⑦)}

 

「裏目を引いてしまいましたね」

 

「捨て牌をかんがえなければリャンカンの一向聴なので問題はないと思います☆」

 

 ハンナ/打{北}

 

 ――つまるところ、ハンナの打牌はこれが普通なのだ。見慣れていれば異常と思うことはない。そしてそれが強さであると、だれもがわかっているのである。

 

 ――ハンナ/ツモ{西}

 

「おーっと、ここでストラウド選手にテンパイが入ったー! これはリーチでしょうか」

 

「ドラ無しリーチですが、裏を期待してリーチをすると思います☆ ストラウド選手はテンパイ時の立直率が全国でトップクラスですからね」

 

『――リーチ』

 

「いったー! {⑦}切りリーチで嵌張待ちだー!」

 

「結果的に{⑥}切りがいやらしい形になってますね☆ これは振り込んでもしょうがないかと思います」

 

 それから、ハンナを除く三者の反応は様々だった。――すでに手を張っていた初美は安牌を自摸って安堵混じりにそれを自摸切り。水穂はそうそうにオリの構えだ。早海といえば、打牌からの安牌落とし。しかし実際には偶然浮いていた現物を処理しただけであるため、ベタオリという判断はまだ、下せない。

 

 結論が出たのは――それから更に二巡がたってから。

 放銃だった。初美から、ハンナへの。

 

『ロン――――』

 

 宣言、同時にハンナがせわしなく裏をめくる。――現れたのは、{南}。単なるゴミ手に、まるで暗器がごとく仕込まれた、何かが初美へ牙をむくのだ。

 

『8000です』

 

 場を支配する少女の宣言に、再び会場中が――大いに湧いた。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 この局においても、動いたのはハンナとそして早海。半荘の支配者と、前局和了者。状況を掴みかけている、両名がこのオーラスでは激突した。

 

「ポン」 {發横發發}

 

 ――ストレートなスライド、牌が卓を駆け巡り、ジャラジャラと小気味のいい音をたてる。牌を鳴いた早海、捨て牌から速度を匂わせるハンナ、それぞれの視線が交錯し、手牌の元へと帰ってゆく。

 

(――最後の敵、私が最後に倒すべきなのはあんただ、ハンナ=ストラウド。準決勝のオーラスとして、私は私の勝利を全てに向けて、この配牌で刻み付ける――!)

 

 ――早海手牌――

 {二四六七③④11688} {發横發發}

 

(ここから切るべきは、まぁあまり悩まなくてもいいけど――)

 

 ――ハンナ捨て牌――

 {白南七①}

 

(――ここ、だーね)

 

 早海/打{七}

 

 叩いた音は、緊迫した状況を大きく揺らす。無色に染まった沈黙の空気。駆け抜けるのは、果たして早海か――

 

 

(私がぶっ潰すのは永水だけのはずだったんですけど――おとなしくしていればいいものを、よくもまぁここまで一気に持ち直したものです。敬意を持って当たりましょう)

 

 ――ハンナ手牌――

 {三五八八③④⑤135789(横4)}

 

(オーラスの最下位とはいえ、よっぽど後続を信頼していると見えます。加えて、ここで自分が和了ることもまた確信している――)

 

 早海の手は、打点は安くともとにかく早い、そんな手だ。おそらくは{發}にドラ一で2000といったところか。珍しく三色のついたハンナの手牌は跳満クラスの打点が見込める。たとえどれだけ早かろうとも、ここでそれを見逃す訳にはいかない。

 

(――――いいでしょう、これは決勝前の景気付け、ここで消え行く者に、最後の餞をさし上げるのも、悪くはないと思えますよ)

 

 

「――リーチ!」

 

 

「ポン!」 {11横1}

 

 

 ――ハンナの宣言と同時、すかさずそこで早海が鳴いた。おそらくはテンパイであろう、ポンテンである。牌を食い取られはしたものの、そこから和了りが引き出されることはない、すかさずハンナは卓にリー棒を叩きつけ、自身の存在を過剰に誇示する。

 水穂が涼しい顔でそれをスルーし、初美が軽く、ビクリと体を震わせた。

 

 続く――ハンナのツモ、一発は消えている。しかしリーチ後最初に引く牌だ。期待を込めて勢い良くそれを掴む。

 

「――一発、ならずですね」

 

 ハンナ/打{一}

 

 無論、それが一発でないことはハナから承知。その上で、勢い良く打牌を曲げるのだ。――リーチ宣言牌を鳴かれたことによる“曲げ直し”。

 改めて、ハンナは早海に宣戦布告を宣言したのだ。深く深く、笑みを浮かべて、楽しげにウィンブルを揺らして睨みつけるように視線を向ける。

 

 ――続く、早海も自摸切り。こちらはあくまで無表情、真剣そのものといった顔でそれに返す。しかし早海のそれは今にも笑い出してしまいかねないほど凶暴なもの、敵を狙うハンターの顔だった。

 

 一度。

 

 二度。

 

 ――それぞれの自摸切りが、続く。

 一度目はそれぞれの安牌。

 

 二度目は、まったくの無筋。

 

 決着がついたのは、それから更に、一巡後のことだった。

 

 

「――ロン」

 

 

 声を上げたのは――――五日市早海。

 

「役牌ドラ一は、2000――!」

 

 

 この卓の支配者は、己の声で、中堅戦終了を、対局つへと告げた。

 

 

 ♪

 

 

『――中堅戦決着ッ!』

 

 

 実況を務めるアナウンサーの張りのあるソプラノボイスが会場中を駆け巡る。一瞬の空白、そしてのち、歓声が対局室すべてを覆った。

 

「…………、」

 

 宮守女子の控え室は、ある種そんな熱狂と、無縁でありながら同居する、奇妙な空間が出来上がっていた。

 ――塞と胡桃、親友同士が楽しげにハイタッチを交わし、小瀬川白望もダルそうではあるが、少しだけ安堵の顔を浮かべている。

 

 狂乱する会場ほどではないが、この中堅戦で大きく点を稼いだ早海に、宮守女子は大いに湧いた――ただ、一人を除いては。

 

「……、」

 

 ――鵜浦心音は沈黙する。どこか呆けたような表情で、どこか遠くを見るような目で。

 

「――――先輩?」

 

 白望がそれに目敏く気が付き、その様子をうかがう。思わず立ち上がり、何がしかに視線を向ける心音。――注視する先には、モニター越しの五日市早海が映っていた。

 

 その白望の問いかけに気がついてか、気が付かずか、心音は呆けたような顔を、どこかふっと、吐息を漏らすような笑みに変えた。

 

「……先輩」

 

 それは、鵜浦心音という優しさを持った少女が、十八年という、短くも大いに実りある人生の中で積み上げてきた、あらゆる“こころ”を体現した、表情であった。

 

「早海に出会って、憧れて、一緒に歩いて、競いあうように大きくなった。――私と早海の背って、同じくらいなんだよね」

 

「――知ってます」

 

 ぽつり、ぽつりと漏らす心音の言葉。白望は、それを否定することも、拒否することもなく、大きなソファに、先程まで心音が隣に座っていた場所に背を預け、答える。

 

「麻雀で全国に行こうって言われた時、正直なにそれって思った。だって私達には遠すぎるんだもの。テレビの向こう側の世界。普通の女の子が、手を伸ばせる場所じゃ、正直ない。……けど」

 

「……早海先輩、そのテレビの向こう側に映ってますね」

 

 受け取るように、受け継ぐように白望は答えた。クスリと楽しげに心音は微笑んでから、チラリと白望へ視線を向ける。――白望は、五日市早海を見ていた。テレビの向こう側、遠いと思った世界に、今――早海は立っている。

 

「私も、あそこでプレイしたんだよね。結果は散々だったけど、楽しかった。本当に!」

 

 ともにそこへうつることはないけれど、同じ場所、同じ卓で早海と心音はプレイしている。不思議なものだ。今、実際にモニターの向こうに早海がいても、まあ自分はこの状況に実感を持って接することができないのだから。

 

「――なんか、思えば随分遠くまで来ちゃったなぁ。世界がすごく、広がって見える。長い長い旅があったなら、それだけ人は大きくなれるのかな?」

 

「……旅で色々知ったからだと思いますけど」

 

「そうだね――多分、そんな感じだ」

 

 満足気に、心音は頷く。それからぽすんともう一度ソファに収まって、白望と肩を並べて――沈黙する。ここにムードメーカーたる早海はいない。今はマダ、帰ってきていない。

 

「……敵は――」

 

 そんな最中、白望はどこかダルそうにしながらも、躊躇うことなく、口を開く。

 

 

「――――敵は、トリます」

 

 

 そうやって漏らした声。心音は少し驚いたようにして白望を見てから、改めて微笑みを浮かべると、向き直る。

 

「オーライ、全部任せたよ、宮守の大将さん」

 

 

 ――もうすぐ、副将戦が始まる。宮守からの出陣は、鹿倉胡桃。すでに対局までの空き時間は残り少なくなっている。

 

 対決の時は、近い。

 

 

 ♪

 

 

「おっつかれさまー」

 

 ――対局室と控え室を行き来するための廊下、そこで龍門渕高校の中堅と副将、依田水穂と龍門渕透華が邂逅していた。

 口火を切ったのは依田水穂、どことなく能天気なのは、彼女の平常がそれであるためだ。――透華には、今の水穂はどこか不服そうである。

 

「お疲れ様です」

 

 透華はどこか気品の在る笑みでそう答えると、それから水穂の言葉を待つ。言いたいことは、山ほどあるように思えたからだ。

 

「いやー、ごめんね、全然稼げなくて。準決勝は臨海のストラウドさんが暴れないってことはわかってたのに、前半戦では役満和了られちゃうし、後半戦では宮守の人にあそこまで点を稼がれちゃうし」

 

「どちらも、永水は結局マイナス収支、龍門渕の二位は揺らいでませんもの。特に問題はありませんわ」

 

「でもなんとなくわかったけど、決勝戦も気が抜けないね。決勝の中堅はあの蔵垣さんを相手にしないと行けないし……」

 

 ――それもまた、織り込み済みだ。問題ないと透華は笑う。水穂もそれはそうだと笑みを浮かべて――それから改めて意識を切り替え、問いかける。

 

「……後半戦の南二局。瀬々の言ってた通りのことが起こったんじゃない? あの時永水の人がすごく驚いてたけど――あの時すでに、薄墨さんは役満を張ってたよね?」

 

「えぇ、予想通りでしたわ。あの局、臨海のハンナ=ストラウドがダマテンをとっていましたの。それも、純カラで和了り目のない{()}()()()()で」

 

「確定かー、ストラウドさん、前々から凄い選手だとは思ってたけど、そんなことまでできちゃうんだよね」

 

 軽い声音で言う水穂、しかしそこにはどこかつかれた様子が見え隠れしていた。――気疲れである。二度に渡る強敵との対局による精神的疲労はもとより、これから先を見据えた上での。憂いであるようも、混じっているように思えた。

 

「――あの卓の勝者が、五日市さんだったことは、誰の目からも疑いようはない。――けど、それが同時に、あの卓を本当に五日市さんが支配していたかといえば、―ー私達龍門渕の見解は、そうじゃない」

 

「……というよりも、瀬々がそう思っているから、私達もそう思わざるをえないのですけど」

 

 正しい答えにたどり着く、それが渡瀬々のチカラだ。故に瀬々がイエスというのなら、すべての物事はイエスなのである。――答えをねじ曲げることは、さすがの瀬々も不可能であるが。

 むしろそれは衣の領分だ。瀬々とは直接関係のない部分にあるといえる。

 

「あの卓を、ほんとうの意味で支配していたのは、臨海女子のストラウドさんだ。――でなけりゃ、あんなに永水が凹むことはなかった。――永水は、狙い撃ちされていたんだよね」

 

「前半戦は直接狙ってきていましたけど、後半戦は間接的な削りでしたわね。さすがに南二局までで十分削ったと見るやいなや、自分の攻めに切り替えてましたけど」

 

 ――それに対して、水穂は打つ手が一切なかった。あのオーラス、ハンナが連荘をすることなく早海に討ち取られたことは、完全に奇跡に近いことであったのだ。

 

 水穂はハンナの威嚇めいたリーチを完全にスルーしている。せざるを得なかったのだ。戦えるだけの土俵に、水穂は立っていなかったのだから。

 

「……そろそろですわね。――お先に失礼いたします。出来る限り、点棒は守って大将につなげて見せますわ」

 

「――永水の岩戸さんには気をつけて、マダアレは、未完成かもしれないんだから」

 

「解ってますわ、精一杯、自分の全力を出しきってくるつもりです」

 

 

 そうして、水穂と透華は、軽く視線をかわして、その場を離れた。透華はあまりわざとらしくはしゃぎだす質ではなない。それは水穂と透華の、精一杯の激励であり、交錯であった。

 

 

 ♪

 

 

 隠して、Bブロック準決勝、副将戦が開幕する。

 

 対決するのは四名。

 臨海女子、メガン=ダヴァン。

 永水女子、石戸霞。

 宮守女子、鹿倉胡桃。

 そして龍門渕高校――龍門渕透華。

 

 席順。

 東家:岩戸

 南家:ダヴァン

 西家:龍門渕

 北家:鹿倉

 

 順位。

 一位臨海 :151200

 二位龍門渕:103300

 三位宮守 :77400

 四位永水 :68100

 

 

 ――対局が、始まる。




点数移動表は、計算に使ってるエクセル先生のやり方が間違ってて点数が実際とは違ってるみたいなので省略します。
全国編終わるまで省略するかもしれないのでご了承をば。


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『小刻み雀士』副将戦①

 ――東一局、親霞――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

「リーチ、ですわ」

 

 高らかな宣言、状況の火ぶたを切ったのは龍門渕高校、龍門渕透華であった。勢い混ざりに牌を横に曲げ、リーチ棒を即座に振るう。

 動くものはいない、その局の状況が大きく決した瞬間だった。

 

 ――実況室――

 

「いったー! 龍門渕選手、先制リーチ、副将戦のスタートをここで高らかに宣言。六巡目リーチが他家に向けて襲い掛かる――!」

 

 ――透華手牌――

 {二二三四五⑥⑦⑧123東東}

 

「リーチとツモの高めで跳満ですから、これで正解だと思います☆ 高めのドラも役牌で、他家がつかめば出ない面子ですからね」

 

「鹿倉選手と石戸選手は非常に低い放銃率が特徴の選手です。ダヴァン選手も――」

 

 ――そこで、ダヴァンのツモ。まるで引き寄せられてしまうように、彼女が{東}をツモってしまったのだ。当たり牌、完全な掴ませである。

 

「おーっと、ダヴァン選手は辛いところだ。二副露からこれは……押しでしょうか」

 

「いえ、さすがにダヴァン選手は降りるとおもいます。そういう所が“巧い”選手ですから」

 

 それに一瞬目を細めるダヴァンであったが、それ以上は表情を崩さない。どこか自身を保った表情で、勢い良く牌を切り出す。

 

「現物落としだー、ここから攻めるとしてもかなりきついでしょうから、テンパイは難しそうですね」

 

「そうですねー、現物を落とすには両面を崩さなくてはなりません。崩した後のもう片方が危険牌ですから、おそらくこのままオリるしかないと思います☆」

 

 メガン=ダヴァンの“巧さ”というのはそこに在る。ここまで二副露、六巡目にしてはかなりグイグイと攻める形で泣いていたダヴァンが、ここで迷いなくベタオリを選択した。

 この見切りの良さが、まず一つの強み。

 

 そこからは見事なものだ。一切手牌を晒していない胡桃と霞も、安牌がなくなろうと迷うことなく打牌する選択眼は言うに及ばず、すでに六つの牌を晒し、選択できる打牌も少なくなったであろうダヴァンも、正確な読みから確実に巡目を刻み――そしてそのまま、流局を迎える。

 

 ――対局室――

 

「――テンパイですわ」

 

「ノーテン」

 

「ノーテン」

 

「ノーテン」

 

 結局、透華の和了り牌であった{二}と{東}は、{東}が一枚ずつダヴァンと胡桃に、{二}が二枚とも、霞の元へ流れる形となった。

 

(出和了りが望めないからリーチをかけましたのに、自摸れないのでは意味がありませんわ。一枚くらいなら自摸れてもよいのではありませんこと?)

 

 状況は、おそらく最悪と呼べるものになった。この面子であれば出和了りは難しい、しかし同時に放銃することもほぼありえない。そう判断したからこそのリーチ。通常であれば、自摸れてもいいようなものであるが――流局した。

 

(麻雀ではよくあること、と言いたいところですけれど、これだけ速い巡目でリーチをかけて和了れないことよりも、誰かに追いつかれて逆に和了られる確率のほうが高いですわ)

 

 簡単な計算と経験による思考、正しいものであるかはともかく、体感的にはそのほうが“当たり前”なのだ。故にリーチ、しかし外れた。

 

(これは……なかなか嫌な予感ですわね。こういう時に一番警戒しなくてはならないのは臨海のダヴァンですわ……手堅く、手堅くいきますわよ)

 

 現状、龍門渕は他家とそれなりに点差をつけた二位。そして永水が大きく凹んでいる状況。好ましいことだ。故にできうる限りの失点を減らすことを考える。

 不本意ではある。――しかし同時に、面白くもある。

 

(臨海のダヴァン、永水の石戸――宮守の鹿倉は言わずもがな、誰も彼も手堅いまもりの雀士ばかり。守り合いというのも、面白くはあるものですわ)

 

 ふふん、とどこかすまし顔で透華は笑みを浮かべる。

 その顔が難しい物へと変わったのは――次局、八巡目のことであった。

 

 

 ――東二局流れ一本場、親ダヴァン――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

(――むむむ、これはなかなか難しいですわ)

 

 ――透華手牌――

 {四四六八①①③④78東東東(横⑤)}

 

({五}が二枚見えていますから、どちらも有効牌は六枚。リーチはかかっていませんし、引く理由はありませんが……こうなると少し迷いますわね――警戒するべきはやはり――)

 

 ――ダヴァン捨て牌――

 {發⑧白六9七}

 {①2}

 

(普通に考えれば、どこが当たるかなんてわかりません……ですが、この人の場合それを利用しようとしているのかもという思考は働く)

 

 ――ダヴァンの捨て牌、そしてダヴァンの表情。デジタルの情報と、リアルの情報。考慮すべきは、本来デジタルであるというのが正しい判断。しかしそれ以上に、透華はダヴァンの顔に、意識を向けざるをえないのだ。

 ダヴァンには、先鋒のアン=ヘイリー程ではないにしろ、独特の存在感を持つ選手だ。――威圧感、とでも呼ぶべきだろうか、他家に否が応にも自分自身を意識させる我の強さがある。

 

(この辺りは臨海女子すべての雀士に言えますわね。誰も彼も我の強い個性の持ち主。――おそらく、濃い人材という意味では、永水や宮守、そして私達も負けてはいないのでしょうけど)

 

 ――臨海女子は、特に“前にでる”我の強さが特徴だ。メガンイコールダヴァンの強さは、特にその中でも“誘い出して狩る”そんな強さを持つ雀士。

 ここまで幾度か出会ってきた、愛宕洋榎や小走やえ、そして何より、天江衣のような雀士。

 

(振り込んでもいいからとりあえず選ぶなら……ここ、ですわね)

 

 透華/打{四}

 

「――ロン、ですヨ」

 

(……むぅ)

 

 打牌と同時に、差し掛かった声。正解はこの手牌の中にはなかったのではないか――流れなどというものを信じるわけではないが、どうにも今の自分には覇気がない。

 

 ――ダヴァン手牌――

 {二三⑥⑦⑧22345678} {四}(和了り牌)

 

「2900は3200ですよ」

 

 何かが咬み合わないような感覚。――おそらくは、気配を感じ取るようにある種“改造”された、とも言える透華の感覚器官が、それを訴えているがためだろう。

 

(第二回戦の一ほどではないですわね――となれば、どうせ和了れないのです。私は裏方に徹しさせていただきますわ。――今日の私はオカルト仕様、目立つのはオカルトを知る相手だけで構わないのですわ)

 

 続く、一本場、ここからは――メガン=ダヴァンの戦場だ。

 

 

 ――東二局二本場、親ダヴァン――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

「さー、続く一本場、動いたのはまたも臨海女子、メガン=ダヴァン!」

 

 実況の声が、会場中に響き渡る。そしてナマの声は実況室に、瑞原はやりの元へのみ、広がって消える。はやりはと言えば、その特徴的な声を震わせながらに言う。

 

「ダヴァン選手の巧いところは、デジタルだけでは説明出来ませんね」

 

 ――ダヴァン手牌――

 {二二三四677} {五} {横⑤④⑥} {22横2}

 

「ここまで順調なツモでテンパイ! 鳴きの加速が心地良い、快速順風タンヤオドラドラ! ドラを自摸っても対応可能だ!」

 

「それに加えて――」

 

 ダヴァン/打{7}

 

「自摸切りだ――! 否、違う! 自摸切りではない、これは自摸切りに見せかけた打牌!」

 

「小手返し。有名なところだとシニアリーグの大沼秋一郎プロが得意な技術ですねー☆、あの人はそもそも牌のすり替えレベルですが、これもなかなかえぐい。見慣れてないとまず気がつけませんよ」

 

 事実、石戸霞と鹿倉胡桃は、それを不可思議だとは思わない。これがど真ん中の強打であるならともかく――単なる{7}の自摸切りは、気をつけようはずもない。

 

 しかし、例外もこの卓にはいる。

 

「――このタイミングで龍門渕選手はベタオリですか」

 

「先程の放銃と、東発の流局が効いているのだと思います。ここで追いかけても和了れない、と考えてるのでしょう☆」

 

「ですが、今の小手返しは気がつけますか? 私も一瞬見逃しましたけど」

 

「そうですね……龍門渕選手は慣れているのではないでしょうか、ああいった細工に☆」

 

 ――何もこういった小手先の技術を使うのは、何もダヴァンだけではない。この準決勝にも、もう一人いる。それこそが龍門渕の大将、天江衣だ。

 衣もまた、こういった技巧によって麻雀を打つスタイル。小手返しだって、幾度も見てきて、何ら違和感はない。

 

 なるほど――アナウンサーが簡単にそう頷いた時だった。

 

『――ツモ!』

 

 ダヴァンのテンパイから、二巡後。テンパイを悟らせずの――ツモ。

 胡桃と霞の表情が、それぞれ呆けたようなものへ変わる。どちらもリアクションの激しいタイプではない。軽く受け止めたようにそれを見やると、点棒を渡して、そこまでだ。

 

 再びサイコロが回り、三本場が始まろうとしていた。

 

 

 ――東三局三本場、親ダヴァン――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 ――さて、とダヴァンは思考を回しつつ周囲に意識を向ける。向けざるを得ない。自身のテンパイによって慎重にならざるをえない状況が回ってきたのだ。

 ダヴァンの手は高め一通の平和手、リーチをかけるにしろかけないにしろ、十分な打点であることは誰の目から見ても明らかだ。

 

 問題は、そこから勝負に出れるかどうか。――ダヴァンの手は雀頭を埋めての両面テンパイ、そのために切り出さなくてはならない牌は手牌から完全に浮いている。

 それが果たして他家に通るのか、という部分が大きな問題である。

 

 場は異常に索子の高い状況。理由は龍門渕の濃厚な緑色の混一色集。無論役満ではなかろうが。そして、他にもだれか一人、索子を多く持っている者がいるはずだ。――それにより、残る二名は完全に索子絶一門の状況なのである。

 

 とはいえテンパイに切る必要があるのは{③}、状況に押し出されている索子混一色とはさほど関係のない手である。そも、このツモはその龍門渕透華の安牌であるのだ。

 ――問題は、そこではない。

 

(問題は――果たして残りの索子は、どこへ行ったのカ)

 

 たった一人のツモが偏った所で、他家の手が完全な絶一門となることは珍しいことだ。染めている者がいなければ、自分以外に大きく偏っているのだとわかるが、この場合はそうではないだろう。少なくとも、透華以外の二名が、索子に牌を寄せているという様子はない。ちょっとした索子のダブリ、程度が関の山。

 

 そこに該当するのが誰であるか、それはひとつの問題であるのだ。

 

(状況的に、鹿倉胡桃はテンパイの可能性がありマス。――そして、{③}は決して安牌ではナイ)

 

 もしも読みを間違えば、それだけ点棒を持っていかれる事となる。

 

(索子はそれぞれ石戸も鹿倉も一枚ズツ――どちらがそうであるかは、判断がつかナイ)

 

 最悪この{③}を抱えたまま回し打ちをする必要がある。だからこそ自摸るには――ここでこの選択を間違えるわけには行かないのだ。

 

(判断の要素にできるものはひとつダケ。ならば、ワタシはそのひとつを選ぶまでデス)

 

 その一つ、胡桃が{6}を切り、霞が{5}を切った。――遠いからこそ必要であったという思考。それは――ダヴァンの意思となり、瞳に宿る。

 

「――通らバ、リーチでス!」

 

 ちょくご、胡桃の顔がクスリと微笑むような笑みに変わる。――もとより、胡桃の表情は、笑みのそれではあるのだが、ダヴァンはその変化を見逃さなかった。

 見逃しよう、はずもなかった。

 

「残念、通らないな」

 

 ――ガシャン、と音が響きわたって、

 

「ロン、5200は――5800」

 

 ――胡桃手牌――

 {二三四②④⑤⑥⑦⑧⑧234} {③}(和了り牌)

 

(……なるほド、多少は持っていた――それが正解でしたか)

 

 萬子は、ダヴァンが抱えている。筒子は、胡桃。そして索子が透華なのだろう。多少なりともダヴァンに流れた{③}が、胡桃の網に引っかかった。

 

(それにしても、まさか本当にテンパイしているとは――テンパイ気配の薄い選手だとは思っていましたがなるほど――考えている、のですね)

 

 これもまた、その一つ。

 鹿倉胡桃の打牌選択には、ある一つの共通点が在る。ダヴァンの行う技術以上に、デジタル的で――無音の世界に属するそれが。

 

 

 ――東三局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「鹿倉選手は特殊な打牌選択をしますね☆」

 

「そうですか? リーチをかけないこと以外は至って普通に見えますけど」

 

 はやりの言葉に、即座にアナウンサーが問いかける。それに合わせるように、はやりがちらりとアナウンサーの顔を見ながら、答えた。

 

「たとえばここ――次の打牌でよくわかると思いますが☆」

 

 ――胡桃手牌――

 {六六七②②⑥⑧236789(横⑦)}

 

「いい形の三色ですね。リーチを掛けたくなります」

 

「鹿倉選手はかけないんですけどね☆ それに関しては完全に個人のプレイングによる相違ですが――ここで、どの牌を切りますか?」

 

「え? ……{9}ですか?」

 

「そうですね☆ ですけど、ここはどうせ最後に{六}を外すので、{六}も無しではないと思います」

 

 胡桃/打{六}

 

「本当に{六}を切りましたね」

 

「おそらくはテンパイ気配を隠すためだと思います。最終手出しが{六}である場合と、{9}である場合ではだいぶ他家からの見られ方が違いますから☆」

 

 ――なるほど、とアナウンサーが頷く。

 鹿倉胡桃の特異な点はここにある。彼女はごくごく自然な様子でテンパイ気配をもみ消す打牌をする。それくらい、彼女の“ダマテン”は静かで、臭わない。

 それが鹿倉の打牌選択。

 

 沈黙による、必勝法なのだ。

 

 続くツモ、{4}、テンパイ時打牌は{9}とした。これに、気がつくものは果たしているか。三者の反応は、ほぼ同一と言ってよいものだった。

 

「……全員、多少迷ってますけど押してますね」

 

「多少、警戒している。ということなのでしょう☆ この卓に座っている人たちは全員手堅い打ち手です。多少違和感を覚える打牌だったのでしょう。そこから攻めるかは、それぞれの雀風によるとおもいます」

 

「これは……はっきり別れましたね。龍門渕選手は押し、石戸選手はベタオリでダヴァン選手は回し打ちのようです」

 

「デジタル的には龍門渕選手は押し、石戸選手は引きですからね☆ 石戸選手はそれだけではなく、まもりに気を使う打ち方だからだとおもいますが。ダヴァン選手はこういった回し打ちのだはい選択は巧いので、もしかしたら追いつけるかもしれません」

 

 状況は、霞を除いた三名での三つ巴。そして、それを先じているのは鹿倉胡桃だ。

 

「――鹿倉選手は、とにかくリーチをしないことが特徴です☆ これは個人の技術による“テンパイ隠し”を大きく作用させるための手段といえます」

 

「リーチをかけない事により、いつテンパイしているのかを悟らせない、リーチをかけていないのに常に圧迫感が存在する、それが鹿倉選手の持ち味というわけですね」

 

 会話を端に捨ておいて、胡桃が勢い良く牌を掴む。ゆっくりと右手を手元に寄せて、幾度か盲牌。確かに笑んで、勢いを付けずに牌を晒して――

 

 

『ツモ! 2000、4000』

 

 

 胡桃の宣言は、突如として広がって、あっという間に突き刺さる――

 

 

 ――東四局一本場、親胡桃――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

 配牌直後、自身の手を理牌してちょくご、霞は一人思考する。同時にツモへ手を伸ばし、手牌の上部に収めると、剣呑な目つきでそれを眺めた。

 

(ふんふむ、別にただ引きこもって点棒を抱えているつもりはないから、ここは攻めていきたいわね)

 

 ――霞手牌――

 {三五六六②③④⑦⑧14西中(横5)}

 

 霞/打{西}

 

 それから二巡、手牌に揃っていた不要なヤオチューを払う。多少は洗練された手を眺めながら、つづく周囲の動きに目を向ける。

 

(ここから……攻めが前傾なのは宮守さんかしら? ――いえ、この人をそう判断するのはちょっと保留、ね。打ち方を絞る必要は、おそらく無い)

 

 霞/打{1}

 

 そこから、更に手を進める。ダヴァンは迷わず、するどく打牌。透華は静かなものだ、しかし迷いはない。胡桃の打牌。一瞬考えて、打牌。それぞれが、多少の癖を持ちながら、それぞれ自身の思考に則って手を進めている。

 

 大きな変化は――それから数巡後。

 

(一向聴、けど宮守の人が張っていそうね)

 

 少しだけ難しそうな顔をして、胡桃を見た。――反応はない。こちらもそれを求めてはいない。難しい相手だ。判断がつかない、それをどうにも実感する。

 

(さっきは臨海の人が押して失敗していた。一向聴から危険牌を切るのは危険……ね)

 

 ――二向聴に手を戻す。進めるために必要な牌を抱え、前進。潜り抜けるように、通り抜けるように。勢い任せに、流れるように。

 

 やがて手が完成するのが――十三巡だ。

 

(すこし遅い手。両面であることはいいことだけど――押せるところまで、押せるかしらね)

 

 テンパイ、そこから更に、二度霞は押した。どちらも安牌、押さない理由はなかった。透華はもとより胡桃の気配を察したのかオリ、ダヴァンは難しそうにしているが、霞のテンパイを見とってオリ、だ。

 ここは完全に、霞と胡桃の一騎打ちとなった。

 

 ――直後。

 

(……あら、あら。こうなるの、ね)

 

 

「――ツモ、1100、2100ね」

 

 

 和了れるとは、思っていなかった。先に危険牌を引きベタオリ、そんな状況を想定していたのだが――思いもよらず、状況は霞に勝利を運んだ。

 

 

 ――南一局、親霞――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「石戸選手も、鹿倉選手も非常に手堅い打ち手ですね。龍門渕選手もそうですが、彼女は理想的なデジタル雀士、まもりはあくまで実力の内です☆」

 

「ダヴァン選手もそうですね、守るのはあくまで技術の範囲。攻めを得意とするのは龍門渕選手と同一です」

 

 はやりの言葉に、アナウンサーが補足する。

 現在、状況の中心はその守り手、霞と胡桃によって構成されていた。ダヴァンと透華が守らざるをえない程度に、それぞれの手が重いのだ。

 

「ダヴァン選手も龍門渕選手も速攻で喰い仕掛けからスタートしたい状況ですが、うまく他の二人が絞っていますね。その上で、その絞っている二人の手ばかりが進んでいきます」

 

 アナウンサーが、軽く状況を説明する。現状、副将戦はだいぶ場が重いのだ。胡桃が一人浮いているとはいえ、その胡桃が攻めに対して消極的ともなれば――状況が混迷するのは当然と言えた。

 

「鹿倉選手と石戸選手はその闘牌スタイルがそれなりに似通っています。ダマテンを武器とする鹿倉選手は多少攻めを志向していますが、それでも石戸選手と同様に、守りに特化していることは語るまでもないと思います☆」

 

「ですが、そんな鹿倉選手と石戸選手には在る一点において、大きな違いが存在しています。それは――」

 

 状況が動いたのは――十二巡目のこと。動かしたのは、永水女子、石戸霞。ツモった牌を一瞬考えるようにして、それからひとつの選択をする。

 

 ――それが、鹿倉胡桃との決定的な相違。

 

 

『リーチ』

 

 

 牌を曲げるという、スタンスの違い。

 

「――石戸選手はリーチをかける。それもかなりいやらしいタイミングで」

 

 まるで図ったかのようなそれに、思わずアナウンサーは声を低くして雰囲気を醸し出す。

 霞のはなったリーチ、しかし霞はその直前から役牌のみでテンパイしていた。――良形を待っていたか? いな、そんなことはない。もとより霞の手は両面待ち。このリーチによって出された牌は、同じ牌を入れ替えただけなのだ。――故に、異様。

 それが霞の打つ、リーチの選択であった。

 

「通常、リーチにはリスクが伴いますが、石戸選手はそれを限りなく少ない状態でリーチを打ちます☆ むしろ、石戸選手のリーチは和了るためのリーチではない。他家をおろすためのリーチなのです」

 

 十二巡目、ごくごく平均的な速度に見えるテンパイ。しかし同時に、他家はそれに追いついていないことは状況から――現在霞一人が牌を曲げている――明らか。霞の視点からは胡桃のテンパイは読み取れないが、無茶はしないだろうことはすぐに分かる。

 故に、霞はリーチを打った。この状況で打てば、誰もが攻めを諦める。――他家の手が、堅いからこその一手。

 

 ――結局、南一局は流局により終了――霞の一人テンパイで状況を終えた。




分割場所がここしかなかったので、次回はそれなりに短いです。
それなりに、ですが。


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『暗中模索の決戦』副将戦②

 ――後半戦――

 

 席順。

 東家:龍門渕

 南家:鹿倉

 西家:ダヴァン

 北家:石戸

 

 順位(後半戦東一局開始時)

 一位臨海 :144400

 二位龍門渕:102500

 三位宮守 :92000

 四位永水 :61500

 

 

 副将戦は、後半。その対局を一言で表すのであれば、“一騎打ち”という言葉が的確であろう。それを為したのは現在トップを行くメガン=ダヴァンと、鹿倉胡桃。それぞれ、打牌の読み合いから発展した勝負――それは後半東発から始まっていた。

 

「――ツモ! 500、1000!」

 

 速攻。六巡目の和了。――またたく間の出来事であった。閃光のごときそれは、ダヴァンの右手に宿る。誰も手の出しようのない一撃であった。

 

 ごく、一人の少女を除いては。

 

 ――ダヴァン手牌――

 {二三四八八八③④23455横⑤}

 

 ――ドラは{五}。タンヤオドラ一のツモである。

 

(――さすがにこれは、安めで和了らざるをえないでスね)

 

 思考、ダヴァンの感覚が告げる答え。――胡桃の手牌にその答えはある。

 

 

(ふふ、そうだよね、和了るしか無いよね。どうせ結果は――変わらないんだもの)

 

 ――胡桃手牌――

 {一二八九②②⑧②④68發發}

 

 高度な読み合いによる、手牌の察知、ダヴァンは理牌読みも多少なりとも得手としている。その上で、これみよがしに{②}であろうと推定される牌を寄せられてしまっては――和了る他になくなってしまう。

 たとえそれが、あからさまな虚実であるかもしれなくともだ。

 

(ともかくこれで、最悪跳満クラスになってた手は潰した――次は私が攻めて出る番だね)

 

 ――東二局――

 

 胡桃の親番、当然胡桃は、速度に任せた攻めを打つ。そこに、最低限の手牌が伴うのだ。

 

 ――胡桃手牌――

 {二二三六九③④⑧468西北中(横5)}

 

 胡桃/打{西}

 

 音が響いて、それがこの局最初の一打となる。

 

 ――胡桃手牌――

 {二二三六九③④⑧4568北中(横1)}

 

 胡桃/打{北}

 

 ――胡桃手牌――

 {二二三六九③④⑧14568中(横九)}

 

 胡桃/打{中}

 

(――、)

 

 ――胡桃手牌――

 {二二三六九九③④⑧14568(横七)}

 

(ここ、かな)

 

 胡桃/打{8}

 

 ここで生まれるかすかな変化――この直後霞には{五}のツモが入る。それを一瞬だけ見ると、即座に辺張となっていた{89}の内、{9}を掴んで打牌。手の内に抱えこむ。

 

 そして胡桃は続くツモで{一}を抱え{⑧}を打牌、二度の自摸切りの後{1}を手出し――{②⑤}待ちのテンパイとした。予見していた通りの状況。完全にドンピシャのまま、手を和了直前まで持っていったのである。そこからは――あっという間だ。この胡桃のテンパイに対し、前に出たものが一人いた。

 

 ダヴァンである。――打牌は{②}、ドンピシャの当たり牌。ドラは{發}――ダヴァンの視点からは三枚見えている、が故の攻めだった。

 結果、直撃。ダヴァンの打牌に、胡桃の稲光がぴしゃっと光って収まった。

 

「――1500」

 

 打点は単なる平和のみ、しかし状況が、胡桃に勝利をもたらしたことは――事実。そして――一本場。

 

 

「――ツモ、800、1400」

 

 ――ダヴァン手牌――

 {三四五六七②③④⑤⑤456横五}

 

 卓上を、舞うように揺らめくその右手。ダヴァンの手は弧を描いた。振り下ろされた手、顕になった牌。しかしそこに、ダヴァンの挑戦的な目つきは伴わない。

 

(今度はドラの{八}を抑えられているようデスネ! いよいよ持って、私の手を尽く潰してくれマス! ――マズイですネ。このままでは、いくら私が和了ろうと、ジリジリ負けていってしまいますヨ――!)

 

 手が届かない。一歩ずつ、ほんの一歩ずつ前にゆかれる。今ダヴァンがあるのはその状況だ。

 

 ――東三局――

 

「ロン、2000」

 

(――今度は引っ掛けまで使ってきますか!?)

 

 鹿倉胡桃の手は変幻自在、闇の中から現れて、再びその中へと消えていく。いつ現れるのか、いつ襲いかかるのかも不明瞭、何もかもがあからさまなまでに異様といえる、それはきっと、胡桃がそうであろうと牌を握っているからだ。

 

(小さな体に、一体どれだけパワーを貯めているのでしょうね。沈黙は、それを隠し、そして吐き出さないためのものデスカ!)

 

 ――いつだったか、臨海女子に所属する日本人のメガネな友人から聞いたことが在る。カクラサマ――日本に存在する古い伝承のなかで、そんな風に呼ばれる神様がいる。

 子どもたちにいいように扱われるが、それをしかるべからず。叱ったものにこそ、祟が訪れる、のだとか。イマイチピントコなかったが、なんとなく分かる。

 

(突っかかっていった私が祟られている、流れを逸しているというわけですカ? 第二回戦、突っかかっていあ龍門渕は見事に撃墜――いえ、そんなはずはナイ。そもそもあの二回戦、鹿倉胡桃はマイナス収支デス)

 

 ――つまるところ、胡桃の闘牌に最もたるところがあるとすれば――そんなものはない、そう答える他にない。鹿倉胡桃はあの天江衣や神代小蒔、アン=ヘイリーのようなバケモノでもなければ、渡瀬々、タニア=トムキンのように、それに真っ向から張り合える超人雀士でもないのだ。

 

(ならば――ならバつまり、負けていると? 私がこの少女に、真っ向から敗北していると――?)

 

 ――否、断じて否。メガン=ダヴァンはまだ敗北していない。鹿倉胡桃に、負けてなどいない。だからこそ認める訳にはいかない。認めて、本当の本当に“負けてしまう”訳にはいかない。

 

(何より――)

 

 ――東四局、親霞――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

「――ツモ!」

 

 ――ダヴァン手牌――

 {二三四八八八⑦⑧⑨1156横7}

 

 ――ドラ表示牌:{東} 裏ドラ表示牌:{1}

 

「――リーチ一発ツモは、1000! 2000!」

 

 

(――何より、納得がいかなイ! この程度のことで、私がネをあげるナド――!)

 

 

 ――これで、半荘戦の半分はおしまい。

 そしてここからが――南入だ。

 

 

 ――南一局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

「ここまで、うまく鹿倉選手は半荘を乗り越えていますね☆」

 

「そうでしょうか、現状後半戦は鹿倉選手とダヴァン選手の激しい削り合いのように思えますが」

 

 改めて確かめるように――そんな様子で瑞原はやりが言う。疑問を呈するのはアナウンサーの仕事だ。――現状を見れば、この半荘戦の様相は簡単に見えてくる。しかしそれを、はやりは胡桃の綱渡りだと評しているのだ。

 

「それは単純に、鹿倉選手が致命的にならないようギリギリのところでダヴァン選手の手を狭めているためだと思います」

 

「と、いいますと?」

 

「わかりやすい例を挙げると、まず東一局、次に東二局一本場、どちらも鹿倉選手がダヴァン選手の打点を下げています、がそれもかなり紙一重であったことは否めません」

 

 ――間に{⑧}をかませてごまかしていたが、東発のあの時、まだ一枚山の中に{②}があった。あそこでダヴァンが妥協せずにフリテンでも、とリーチをかけていれば――そんな想像は、IFの世界では生まれてくるのも止め用はない。

 

 同様に東一局一本場で抑えたドラも二枚。いつそれを掴まれてもおかしくはなかったのだ。一つ歯車の噛み合い方が違っていれば――そんな対局、そして場面がごまんとあった。

 それを踏まえての、この状況。――胡桃がどれだけ神経を研ぎませ、ここまで手を進めてきたか推し量ることは決して難しいことではなかった。

 

「この半荘戦、簡単に状況を説明してみるのなら、ダヴァン選手の猛攻を、鹿倉選手がすべて巧いようにかわした――そう現すことは可能だと思います☆」

 

 ――胡桃は強い、しかし胡桃には打点がない。完全ダマテン戦法は、状況を作るのに有効ではあるが、決して最強であるかといえばそんなことは全くない。

 リーチをかけた時よりも打点は下がるし。出和了りに必要な役を作るのも一苦労だ。

 

「つまり――ダヴァン選手は鹿倉選手に()()されていた、というわけですね☆」

 

 そんないくつかの欠点を乗り越えて、故に生じる胡桃の強さ、それが――

 

 

『ロン! 6400!』

 

 

 胡桃という存在を形作っているのだろう、そんなふうに思えた。

 

 

 ♪

 

 

 親指と中指で掴んだ牌を、一瞥だけくれて胡桃が打牌する。ちらりと向けた視線。ダヴァンは動かない、自身のツモヘテを伸ばしそれから一瞥もせずにそれを卓上へ叩きつける。彼女の手元から、風が凪がれて周囲へ散った。

 

 そこから、どこか不満気な透華のツモが続き――

 

 

「ツモね。三翻だから1000、2000かしら」

 

 

 こと、と静かな音が、その対局の終了を告げた。

 ――“南三局”和了は南二局に引き続き、永水女子の石戸霞が決めた。

 

(さて、親番。あまり使いたくはなかったけど、他の人達がちょっと勢いありすぎね。――姫様に、無茶はさせられないわ)

 

 代わりに六女仙の代理として霞の“それ”を祓うこととなる――本来であれば門外漢であるはずの――清梅には申し訳ないが、状況は霞に日和を許してはくれない。

 

(さぁ、行きましょう。この副将戦、ここに一つの“究極”を見せることとしましょうか)

 

 ――神を宿す、それが神代小蒔の持つチカラ。霧島神境の姫である小蒔のチカラ、それは9つの“神”から成り立つが、それとは違う、もっと“オカしな”何かが、9つの神ではない何かが、時折小蒔には振ってオリテクル。

 

 その存在が――たった今霞が呼び起こそうとするものの正体だ。

 

 

 光が、準決勝の卓を起点として、会場中に爆発的な勢いで広がってゆく。稲妻の如く枝分かれしたそれは、同時に台風のような、暴力的な“勢い”が――

 

 

 ――オーラス――

 

 

 人ではない、この世にあらざる感覚を逆なでする感覚。ハッとするように胡桃とダヴァンが目を見開いた。瞬く間に広がり、襲いかかるそれ、完全に虚を突かれた少女には、一歳の為す術とて、存在を許されてはイないのだ。

 

 

 ――霞手牌――

 {一三三三七八九西西北發中中(横中)}

 

 

 誰の目から見ても明らかだ。それが、人どころか、異質なるオカルトの枠すら超えた、正真正銘、純血と純粋を体現する、神のモノであるということは。

 

(さぁ、天下無双と、語ろうかしら――?)

 

 鹿倉胡桃と、メガン=ダヴァンの一騎打ち、それは突如として現れた人外の存在によって粉々に砕け散り――掻き消えた。

 まるでそこには“最初からそうであった”かのように、たった一人の独壇場だけが――存在しているのだ。

 

 石戸霞がそれを作った。

 石戸霞がそれを望んだ。

 

 

 ――故に、それはあった。

 

 

 しかし、

 

 

「――――通らば」

 

 

 それは、

 

 

 本当に、

 

 

 本当の、意味で――真実ではないことを、すぐに霞は悟らされることとなった。

 

 

「――――――――リーチ」

 

 

 宣言、それも一巡目のそれは――ダブル立直と呼ばれる特殊役が生まれる。驚愕、霞の感情がマズイ、マズイと警戒心を最大にさせる。

 だが、そのリーチは――龍門渕透華のリーチは――それだけで終わることは、なかった。

 

 ――透華/打{三}

 

(――――ッ!!!?)

 

 状況が、一変した。わけもわからない異質に支配されたはずの卓上は、しかし透華のダブル立直宣言により、一瞬にいて誰の目から見ても静かな、しかし波乱に満ちた卓へと変貌した。――石戸霞の意思を超えて。

 

(――まさか、この手牌は“たまたま一色に固まっただけだった”? いえ、それは明らかにおかしい。私は間違いなく“アレ”を私自身に降臨させたはずよ、となれば――)

 

 突如として、この卓にそんな神以外の何かがふり降りたというのだ。それも霞の宿そうとしていたそれよりも数倍“とんでもないもの”であるはずのそれが。

 

(――――龍門渕、透華。龍神を祖とする土着の主……ッ! まさかこの準決勝でも、神を“宿した”というの? ……いえ、だとしたら姫様のように意識を奪われないのはおかしい)

 

 ――霞/ツモ{③}・打{發}

 

(だとしたら、――()()()。この人も、私の“それ”と同様に、その“龍神”を手懐けた、とでも――?)

 

 ――霞/ツモ{⑥}・打{一}

 

 

「――ロン」

 

 

 ――透華手牌――

 {一一③④⑤⑤⑥⑦456西西横一}

 

「裏はなし、2600ですわ」

 

 語らう、透華の瞳に意思はあり、信念もあり、信条もあり。そこには一切、人とは呼べない何かの介在は、存在する様子すら無いのであった――

 

 

「――副将戦、終了ですわね?」

 

 

 ♪

 

 

『副将戦決着――! トップは変わらず臨海女子。ここにきてのマイナスは果たして大将戦にいかなる結果をもたらすか――!』

 

 副将戦も終わり、残すは大将戦のみ、ということになった。泣いても笑っても半荘戦は後二回。その二回で、最後の決着がここに決まるのである。

 

 臨海女子のアンカーはタニア=トムキン。名門臨海で、大将――実質のナンバー2ポジションを背負う雀士。

 

 ――タニア=トムキン:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――141100――

 

『二位と三位はほぼ同点、鹿倉選手はこの副将戦唯一のプラス、二万点もの稼ぎはまさしく驚異的の一言――!』

 

 そして、その宮守副将、鹿倉胡桃からバトンを受け取るのは、同じ二年生の少女にして、胡桃の親友であるところの、もう一人。

 

 ――小瀬川白望:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――98000

 

『追い上げに失敗しているのは永水女子、若干何かに戸惑っているようだ――!』

 

 ――神代小蒔:一年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――61600――

 

 

 そして、

 

 

「――では、行ってくる」

 

「……やっちまいな、衣」

 

 大将戦を務める最後の一人が、龍門渕にはいる。それは絶対的な強さと、それを裏付けるための数々の知識、そしてなにより経験があるのだ。

 そう、龍門渕が大将。

 

 

 ――天江衣:一年――

 ――龍門渕(長野)――

 ――99300――

 

 

 ――天江衣の、登場である。




短い(確信)
というわけで副将戦でした。次は大将戦。本作においてはおそらく始めての、魔物対魔物の勝負になります。


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『魔物たちの夜』大将戦①

 天江衣は一人、準決勝対局室に佇んでいた。

 

 ――上を見れば、そこには照明がいくつか散らばって、下を見れば、衣の足元は近くに映った。何度かそれを確かめるようにしてから頷くと――卓に転がされている4つの牌の内、一つを取る。

 現れたのは、{西}――日の陰るところに生まれる方角。

 

 すでに時刻は夜も老けた頃だ。外を見れば、黒に染まった天蓋が見える。――これが長野の空であったのならば、ばら撒かれた星々も、見ることはできたのだろうが。

 

(思えば――)

 

 不思議と、室内は開け放たれた出入り口以外はきちんと封をされるような作りであるのに、穏やかな風が流れていた。それは、顔を伏せ、目元を隠した衣のプラチナブロンドを、透き通る絹糸のようなそれを、撫でてどこかへ消えてゆく。

 ぽかんと開いた口が、何度か言葉を発そうとして、その意味の無さからか、結局音を持たずに閉じてゆく。

 

(思えば、随分遠くまで来てしまったものだ)

 

 周囲を改めて見る。照明で、視界に困ることはない。

 

(父と母、衣を愛してくれたものを二人も喪くしてしまった夜。――衣の空はあまりにも黒くよどみ、歪んでいた。ただぽっかりと、空白のように満月だけが浮かんで、それがその時の衣だったはずだ)

 

 衣の目に映るのは、“証明によって映しだされた準決勝対局室”ではない。それを映す“照明そのもの”だ。明るい、あまりにもそれは明るい。空に浮かぶはずの、孤独な星々を消し去ってしまうほどに。

 

(やがて、そこにじいじとばあばがやってきて、実紀に薫に木葉に、静希に柚月に、透華に一に水穂、純と智樹と――そして、瀬々)

 

 かつてともに卓を囲んだもの、今ともに闘っているもの。

 衣の心に、それは大きな支えとなって存在している。――衣はひとりぼっちの女の子だ。誰かを失ってしまえば、途端に衣は孤独になってしまうし、誰かが支えてくれなければ、ぽっきりどこかが折れてしまうかもしれないのだ。

 

(いろんな人達と関わりあって、世界を広く大きく繋げていって、ようやく衣は人を知れた。人として、誰かと共にいることを知った)

 

 

 ――気がつけば、対局者たちが衣の周囲に揃っていた。

 

 

 第二回戦でもともに卓を囲んだ小瀬川白望。

 そして今日初対決のタニア=トムキン、更には――

 

(なぁ、神よ――いや神でなくとも良い、一を知らぬ愚か者どもよ。世界とは、人が人と繋がり合うことで、それぞれの別する世界を繋げるがゆえに世界となるのだ。ならば――)

 

 神代小蒔、永水女子の大将にして、この卓に座るもう一人の魔物。衣と根源を、同一にする存在。――だが、目の前にいる少女は、そんな“不確かな具現”とは全く別種、――人間らしい、どこかおっとりとしたお嬢様のような一人の少女であった。

 

 だが、分かる。衣には分かる。この少女は、神に愛されている。それもたったひとつの神ではない。あらゆる神に、九面の神に愛されているのだ。

 

 だからこそ、衣は心中で問いかける。神に、神代小蒔を愛するがゆえに、自身の意思を小蒔に委ね、操る所業を行う神に。

 

 

(――ならば人は、一人ぼっちの神とは、違うぞ?)

 

 

 それぞれの牌がめくられて、席順が決められる。――開局時、衣は西家、奇しくも席ぎめの時と同一、日の沈む、衣の属するところに座った。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:神代

 南家:小瀬川

 西家:天江

 北家:トムキン

 

 

 ――東一局、親小蒔――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

(さて……)

 

 小瀬川白望は深々と椅子に腰掛けながら、どこか嘆息混じりに考える。ちらりと共に卓を囲む三人を見やりながら、それから更に手牌までも、見る。

 

(始まった……始まってしまった…………)

 

 面倒である、というのは偽ざる本音である。しかしここまで来て、後一勝で優勝が見えて、諦める者が一体どこにいるというのか。

 それに――

 

(神代さん、なんか今日は変だ……テレビ越しに見てたのと、ぜんぜん雰囲気違う。何か種でも在るのかな?)

 

 フンス、と気合を込めて第一打を選ぶ少女は、その特異な巫女服姿を除けば、どこまでも普通のおっとり少女に思える。と、言うよりも、彼女の打牌には覇気がない。魔物と呼ばれるほどの相手ではなくとも、ある程度の実力があれば、打牌に威勢が伴うのはある種当然とすら言えるというのに。

 

(考えてもしょうがない、か。とはいえ、まさかこのまま勝手に失点して飛んでくれるわけじゃないだろうし、そのうち何かあるってわけだ)

 

 しかしそれは“そのうち”で、“今”ではない。彼女自身の気配ははっきりしている。少なくともこの一局中に目覚める可能性は薄いだろう。

 

(となれば――警戒するのは、こっちかぁ)

 

 視線を移す。

 あくまで自然体といった様子で、天江衣が理牌を進めている。――かなりの高速で理牌を進めているが、時折フェイントで牌が実際に動いていない部分もあるため、理牌読みはかなり難しい。

 二回戦ではそうでもなかったが、今回はタニア=トムキンがいるのだから、そのためか。

 

 タニア=トムキン。臨海女子の大将であり、ナンバー2。アン=ヘイリーがいなければ、間違いなくエースを張っていたほどの実力。少なくとも現在インハイで活躍している強豪校の二年生エースたちよりは、ずっと強い。もしかしたら、龍門渕の依田水穂よりも強いかもしれない。――彼女は、第二回戦でその二年生エースと互角の勝負を演じていたが。

 とかく。

 

(バケモノ三人が跋扈する大将戦。渡り歩くのは、ちょっとダルい)

 

 面倒な相手、厄介な相手、相手にもしたくない相手。よりどりみどりだ。普通の白望なら、このまま投げ出して思考放棄しかねない。

 しかし、今の白望は普通じゃない。仲間達に託されたせいで。――先輩に、後をすべて任されたせいで、数多ある他人任せな理由から、彼女は自分に負けられない立場を作った。

 だからここで、負けるわけには絶対行かない。

 

 ――すくなくとも、諦めるのはもっての外だ。

 

(頑張ってみよう。だるくならない程度に――今は、そんなにだるくないから)

 

 ――小瀬川白望は、自分自身の思いを託して、最初の一打を、ここに叩く。

 

 ――――そしてそれから、何事か在るわけでもなく、鳴き一つない静かな状況で、十巡目。

 

(……テンパイ)

 

 軽く自身の座る椅子を揺らして、動かした右手が正面になるように体を動かす。斜めに(かし)いだ態勢から、状況を俯瞰するように、見る。

 

 ――白望手牌――

 {二三四八八③⑤⑦⑧⑨223(横④)}

 

(けど、一つ牌が浮いた。そんでもってこれが――)

 

 ――衣捨て牌――

 {發二615⑨}

 {六4八北}

 

(多分、天江さんの和了り牌。一見通りそうに見える罠、待ち構えるのがこの人流だと思う)

 

 故に、選ぶのだ。まずはここで――自分自身が正しいと思う選択を。負けたくないと思うから、それ故の、まず選択を。

 

 ――白望/打{八}

 

 どこまでが衣の策略で、どこまでがその想定外か――判断するすべは無い。無いからこそ、ここで白望は前進をやめられない。

 

 続く白望のツモは{1}。テンパイに取っていれば、一発で和了っていた牌だった。

 

 しかし、構わない。むしろ白望はそれ以外の思考をする。この牌は――天江衣の安牌である、と。

 

({3}を安牌と演出するために、{1}を切ったから、これが現物であることが最初から解ってる。それが仇になった。――この牌なら、どこを引き直しても有効牌になる。何も問題は――無い)

 

 ――形式テンパイだ。故にここで白望は続けて{八}を打つ。何のためらいもなく、打った。

 そして続けざま――再びその手が入れ替わる。

 

 ――衣/打{2}

 

 ――白望/ツモ{4}

 

(張替え完了……といっても、テンパイからテンパイの張替えだけど)

 

 白望/打{1}

 

 その打牌に、衣が少し驚いたようにする。しかしそれはすぐさま笑みに切り替わると――白望の方をちらりと見た。それでもなお、かわしてくるか――そんな風に、それは見えた。

 

 しかし、

 

 ――白望/ツモ{九}

 

 それは単なる、白望の幻想であったようだ。とはいえ、これは当たり牌ではない。白望の感覚が正しければ衣は{3}の単騎待ち、{九}も同時に待つような、シャンポン待ちではないはずなのだ。

 故に、きろうとした。

 一度手牌の上においた牌を、底から話そうとして――――

 

(生牌だけど、まぁ当たるような牌じゃ――――)

 

 

 ――――――――止めた。

 

 

(――ッッッッ!! こ、れは、そうか、生牌! {九}は天江さんには当たらない、けど{九}は――天江さんの槓材になりうる牌だ)

 

 

 出和了りは、もうすでに考えられない状況だ。わざわざ待ちを変えない限り、衣はずっと{3}で待つ他にない。しかしこの状況ではそれも違う。出和了りという形での和了りを狙うなら、わざわざ和了り牌を狙わなくても、良い。

 となればありうるのは――大明槓一択だ。大明槓からの嶺上開花、責任払いは確かコクマから採用されるルールだったはずだが、インハイにはない。しかしそれでも、他家の牌を利用したという事実は残る。意識の上を行く、衣の闘牌はそれで完成だ。

 

(だったら、これは切らない。切ってなんか、やるもんか……)

 

 白望/打{4}

 

 伸びた手牌が、また縮む、近づいた気がした手が――また遠ざかって消えてゆく。和了の芽は、白望の前に浮かんだり消えたりと、忙しい。

 

 白望/ツモ{3}・打{2}

 

 それでも白望は足を止めない。止めてなんかいられない。ただただひたすら真っすぐに、己が信じるこころを秘めて。

 

 白望/ツモ{七}

 

 ただ、前に。

 

(もう、残りの巡目は少ない、これでまた{3}を引いたその時は、こっちが負けたっていうことだ。でも、もしも最後の{3}が、あの王牌の中にあるというのなら、それこそ、天江さんにだって手を伸ばせないはずなんだ)

 

 だとしたら、これはもう、敗北の理由をすべて、消してしまったことになる。

 

「――――通らば」

 

 振り上げて、振り下ろす。打牌と、それから勝利宣言のリーチ棒。

 

 

「―――――――――リーチ!」

 

 

 本来であれば、ありえない待ち。

 本来であれば、ありえない打牌。すでに自分が切っている牌で――三枚切れの{八}で、フリテンリーチをかけるなど、一体誰が想像できよう。

 

 結局、この半荘の終幕は、白望が掴んだツモで、――反転して晒された、その一つの牌で、終わりを告げた。

 

「――ツモ! リーチ一発ツモに、裏は二つ! 2000、4000……!」

 

 ――白望手牌――

 {二三四七九③④⑤⑦⑧⑨33} {八}(ツモ)

 

 これで宮守女子が二位に浮上した。――そして同時に、原点復帰。先鋒戦東発で削られてから、ここに来て初めての――原点であった。

 

・宮守 『106000』(+8000)

 ↑

・臨海 『139100』(-2000)

・龍門渕『97300』(-2000)

・永水 『57600』(-4000)

 

 

 それを確かめながら、衣は驚いたようにそれを見る。――{八}を対子落としした時、衣はこの勝負に自身の勝利を見た。

 

 しかし、結果はどうだろう。衣の手は潰え、今ここで勝利を晒しているのは小瀬川白望である。――初対面の相手であるならともかく、衣にとって白望は二度目の対局相手、少なくとも、彼女の癖やスタイルはそれなりに把握している。

 故に、たとえここで躱されようとも、和了れるような手を作っていたはずなのだ。

 

(よもや、二度もこちらの策を交わすどころか、和了まで持っていくとは、――いや、直撃を躱すだけならば問題はない、次の衣のツモで、衣は不確定ながら和了をするつもりでいた。それの上を行かれたことのほうが、問題か……)

 

 ――衣手牌――

 {一一一九九九⑥⑦⑧3東東東}

 

 衣の作戦はこうだ。まず、最初に{3}を釣り出す捨て牌を作る。これが躱された場合は{九}を大明槓するよう待ち構える。そこで嶺上開花を和了れるならばよし、和了れなくとも、衣の本命は白望から{3}を喰いとることだ、そうして和了る、たとえ嶺上開花が成立せずとも、だ。

 別に衣は王牌が見えるわけでもなければ、それを嶺上開花を自由自在に操れるわけではない。何かを知るチカラでも無い限り、王牌は基本手を伸ばすことのできない不可侵領域だ。

 

 少しばかり考えを巡らせて、それから得心の行く答えを見つける。

 

(……なるほど、この麻雀にかける思いのあるがため、か。人の意志が、思いもよらぬ形で衣の前に現れているのだな)

 

 それはたとえば依田水穂のように、直接的なツモの良し悪しでなくとも、衣や井上純のように流れによってそれを操ろうとしなくとも、確かに自身の“勢い”を、変えるだけの意思があるというわけだ。

 

 準決勝まで登りつめ、より一層大会にかける思いが強くなる。アタリマエのことだ、そうでなければおかしなことだ。衣の場合――それ以上にすべての対局が、全力投球であるのだが。

 

(いいだろう、衣と相対するものが、衣に全力で――全力以上で挑んでくるというのなら、衣はそれに、衣の全てで相手取るだけだ!)

 

 意気込んで、意識を秘めて次へ向かう。東二局の――開幕だ。

 

 

 ――東二局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(――く、ふふ)

 

 理牌をしながら、第一打を見定める。己が猛進するべき場所を見つけ出す。それがタニア=トムキンの、狙いすました直進スタイル。

 

 ――タニア手牌――

 {二三七七⑥⑨1358東白發(横③)}

 

(楽しい、楽しい、楽しいなぁ――本当に、楽しくて楽しくて楽しくて、楽しくて全く、仕方ない!)

 

 笑みが、浮かんできてしょうがない。

 体が震えて仕方がない。快感だ。悦楽だ。いいえもしれない、タニア=トムキンとしての悦びだ。

 ――理牌を終え、どこか放心した様子で背もたれにもたれかかる。それから何度か、ビクンと体が震えた。頬に、誰の目から見ても明らかなほど朱色を差して、それから勢い良く体を振り上げ起こした。

 

 タニアは自分だけのもつ、誰にもない特別な判断基準から、勝利のための手を選ぶ。それは無数に浮かんだ未来への糸、そのたった一本だけを選んで直進する、猪突猛進型のストレートな打ち筋だ。

 

 ――この手牌にも、多くの可能性があるだろう。役牌を大事にしてもいいし、タンヤオもさほど難しくないような手牌。丁寧に育てれば、三色チャンタ辺りも、ありうるかもしれない選択肢。

 その中から、タニアは最初の三巡で、自分が和了るべき理想形を、頭のなかで完成させる。

 

(――ツモの感触から察するに、早そうな感じだ。それを加味してここで打つべきは――――こことみた!)

 

 タニア/打{1}

 

 ダン――、と一打。

 

 タニア/ツモ{五}・打{東}

 

 警戒に音を立てて、第二打。

 

 タニア/ツモ{發}・打{中}

 

 最後に、勢い付けた鈍い音を伴って、第三打。――それはさながら、助走をつける、陸上選手の如く――――そして、爆発的な加速でもって、勢い任せの打牌が始まる。

 

 ――実況室――

 

「トムキン選手の高速打牌が始まったー!」

 

「トムキン選手はとにかく打牌のスピードが速いことで有名です。他家を焦るようなスピードはいただけませんが、不思議と他家はそのスピードに圧倒させません☆ それだけタニア選手が警戒され、些細な情報すら見落としたくない、ということだからです」

 

 はやりの解説。スピードに圧倒されることはない。それはまさしくその通り。若干小蒔は慌てているようだが、それでも実際には二度目の対局、打牌に焦りがにじみ出ることは今のところない。

 白望や衣など、本当に全くのんきなものだ。タニアのペースに振り回されることなく、自分の判断で選択を選ぶ。

 

「トムキン選手はまず、最初の三巡を多少長考しながら打牌します。これは陸上選手の助走のようだと、表現されたことがありますが、トムキン選手はこの三巡で他家の様子を窺い見ます☆」

 

 これはオカルト的なところで言えば流れの有無。だれがどう、手を進めていくのかという事を見る。アナログ的に言えば、理牌読みにより、手牌の全容を探る。――この卓には衣がいるため、彼女ばかりは理牌もそううまくはイカないが。

 そして、最後にデジタルてきな速さをみる。――速さが基準に満たしていなかっただら、テンパイもスルーだ。あくまで勝つために必要な選択を、彼女は取る。

 

「そして最後の三巡目で自分が目指す手を決定、それは例えばタンヤオであったり、混一色ツモの大物手であったり――そして同時に、ベタオリであったりします」

 

「絶対に最初に決めた手以外は和了らないんですよね?」

 

 はやりはかつてタニアの局を解説した時、すべての局においてタニアが目指していた手役を当ててみせた事がある。この解説は、そのことを後のインタビューでタニア自身が肯定したために、解説されている事実だ。――もとより、タニアの一点突破スタイルは、非常に有名であったのだが。

 

「――この手は、おそらく役牌三色の2000ですね」

 

「え? 三色も付くんですか?」

 

「それを見て手を作っていることは間違いないかと」

 

 ――直後、衣が少し考えてから{發}を打つ。タニアは即座に反応した。一瞬の刹那、宣言までに、一秒は必要なかっただろう。

 

『ポンッ!』 {横發發發}

 

「仕掛けていったー! まずは瑞原プロの宣言通り、役牌一つを確保だー!」

 

 モニターの先では、衣が目を細めてそれに反応する。この行動自体は予測済み、――衣が反応したのは、あまりにそれが衣の予想通りに進んだためだ。

 

「他家は追いかける形になりますね。この中で一番早いのは天江選手ですが、果たして追いつけるでしょうか☆」

 

 はやりの解説、そこから更に巡目は進み――タニアの手牌は以下のような形に完成を見た。

 

 ――タニア手牌――

 {二三五七七③④(横四)} {横435} {横發發發}

 

 タニア/打{二}

 

 はやりの読み通りの役牌三色テンパイ。二翻は2000の手。若干安さはあるものの、あそこからここまで、手を変形させてのテンパイに、かかった巡目はたったの七巡。最良すぎるほど最良といえた。

 

 そして――

 

 タニア/ツモ{②}

 

「ツモったー! 安目とはいえこれで臨海女子、大将戦最初の和了――――ッ!?」

 

 実況の声が、しかし途中でストップする。ありえないものを、目の前で見たから。――否、タニア=トムキンのスタイルと、はやりの言葉を信頼する実況は、それを振り返って思えば疑問とは思わないだろう。

 しかし、状況に付随するあらゆるオプションを取り除いて、単なるツモの一場面と考えた時、それはありえない選択に――変質してしまう。

 

 タニア/自摸切り{②}

 

「これは、和了拒否、フリテンのまま高めを待つつもりか――!」

 

 狼狽気味に発声するアナウンサー、間髪入れずにはやりがこの状況に必要な情報を提示する。

 

「山に{⑤}はのこり二枚です。{②}はこれが生牌でした☆」

 

 かなり厳しいものが在る。しかしそれでも、タニアは全く気負う様子もない。むしろそれに動揺しているのは、{②}と{⑤}が当たりであろうと見ていた白望と衣、

 どちらもタニアの闘牌を、面倒そうに見やっていた。

 

 一つずつ、打牌は進む。衣は、自摸切り――不要牌で、相手はフリテン和了れるはずもない。白望はと言えば、少し考えて衣の現物を切った。小蒔は安牌がなかったのだろう、少しホッとした様子で、{②}を選んで手牌から、切った。

 

 それで、一巡が過ぎた。同卓するもの、モニター越しにタニアへと意識を向けて――タニアはなんでもない様子で牌を掴む。

 本当に何の気負いもなく、ただただ勢い任せの速度で牌を引き寄せ――

 

 タニアのツモが、勢い紛れに卓上を揺らめく。裏向きになっていた牌を空中で回転させるように滑ると、表向きに反転する。

 直後。

 

『――ツモ! 500、1000!』

 

・臨海 『141100』(+2000)

 ↑

・龍門渕『96800』(-1000)

・宮守 『105000』(-500)

・永水 『57100』(-500)

 

 こんどこそ――タニアの思い描いたツモ通り、タニアは和了を決めるのだった。

 

 

 ――東三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

「……なんだ、こりゃ」

 

 ――龍門渕の控え室、モニター越しに衣の対局を眺めていた瀬々が、なんとはなしにつぶやく。訝しげな様子で眉をひそめると、それから画面にうつる衣に視線を近づけ、難しそうなかおをした。

 それに反応したのが一である。不思議そうに瀬々の横からその顔を眺め、そして聞く。

 

「どうしたの? 急に変な顔して」

 

「うっさい変な顔じゃない。というかこれ、なんかおかしいぞ? 衣のやつ――なんでこんな闘牌をしてるんだ?」

 

 衣の考えがわからん――そう嘆息しながら、それから続けて、その状況を問いかけた一に対して解説する。

 

「いやさ単純にな? 衣が普通の衣っぽくない打ち方をしてるんだ。えーっとなんだったかな――そう、ベタオリだ。衣がベタオリしてるんだよ」

 

「……ん? ベタオリ? あ、あぁそういえば、今の衣はそんな打ち方してるね」

 

 一が少し考えて頷く。――今の衣の打牌は、一からしてみれば何らおかしな点のない打ち筋だった。デジタル的にみて、三面張を相手にするのは不正解なのである。

 

 ――この東三局で、最初にテンパイしたのはタニア=トムキン。たった四巡で、平和多面張を完成させた。それは三色の一向聴を蹴ってのものだったが、それでも迷うことはなかった。タニア=トムキンは、たったひとつの歩みでもブレない。たった一つの、迷いすら――無い。

 

 それに対して衣は、当初は回り道をしながらの前進によるものであったが――しかし一向聴の状態で、それを拒否、そこから急にベタオリを始めたのである。

 丁度それはタニアの自摸切り連打が、いよいよ怪しさを増してきた段階であったが――

 

 しかしそれは、渡瀬々、衣の隣に立つ少女にとっては、いいえもしれない異質に映る。

 

「――おかしいんだよ、衣はベタオリをしない。いつだって回り道をして、同時に相手の手を潰して和了りに向かう。そこに諦めはないし、どこまでも衣は貪欲に、貪欲に、勝ちをもぎ取ろうとする」

 

「……え?」

 

 瀬々の言葉は、一にとって大いに信頼のおける言葉である。そんな彼女が、衣の闘牌を語った――異質を認識するには十分すぎる理由であった。

 

 状況を認識、それによって言葉が詰まる。一はようやく、この対局に存在する、衣以外のバケモノを、知った。

 

 

 ――この夜。インターハイの会場は、想像を絶するほどの何かが“轟来”した。

 

 

 神秘。

 

 幻想。

 

 不可思議。

 

 摩訶不思議。

 

 光か、はたまた底知れぬ闇か。光であるなら、どれほどまでの眩さか――世界を覆うと、見て間違いないか。それは、あらゆるものの感情を駆け巡り、そして駆け抜け――舞い降りる。

 体中に不和が沈殿するようであった。

 

 冷凍の世界に繋ぎ止められたかのような、絶海の孤島に置き去りにされたかのような、人間の持つありとあらゆる感情が、金輪際根こそぎにされかねないほどの、意思という意思が、呼吸という概念を忘れ去るかのような、圧迫感。

 

 それは、このインターハイに舞い降りた“それ”を、否が応にも認識してしまうからこそ、感じてしまうものなのだ。

 

 ――龍門渕の控え室で、瀬々と透華が同時に震えた。驚愕からくる感覚、瀬々はビクリと体を震わせて、それから何度も目を瞬かせた。透華は逆に、どこか楽しげな笑みを浮かべた。

 

 ――同じように、笑うものは、臨海女子の控え室にも一人。超えたいと思う。思うから、アン=ヘイリーはどこか案ずるように、モニター向こうの、タニアを見た。

 

 

 ――そして、どこともしれぬ会場の一角。どこか鋭い目つきの少女とともに席につく、先程までどことなくうつらうつらしていた一人の少女が目を見開く。

 

 

 東四局は、タニアと神代小蒔のみのテンパイ流局。

 タニアの手は{6777}という待ちの変速多面張。対して神代の手牌は――――

 

 ――小蒔手牌――

 {二二九九①①⑧556688}

 

 

 ――東四局一本場、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{6}」――

 

 

「……和了り牌をガメるだぁ?」

 

 純が三脚ある椅子の一つを占領しながら、面倒そうな目で瀬々を見る。しかし、そこの胡散臭そうだとかいうような、胡乱げなものは一切ない。あくまで真剣に、瀬々の言葉に聞き入っていた。

 

「あぁそうさ、他家がテンパイした時、必要な和了り牌を――あのバケモノは持って行くんだよ。根こそぎ――な」

 

「なにそれ……反則?」

 

 口を挟むように、水穂がつぶやいた。瀬々がそれにやれやれといった様子で首をすくめてみせて、ついでに、と言わんばかりに口を開く。

 

「んで、それだけだったら普通、和了れないだろうって思うけど――“どういうわけか”神代小蒔の集める和了り牌は、対子か刻子になりうるものである場合が多い」

 

 一枚しかない和了り牌や、結果として一枚しかなくなる牌――地獄単騎や、{一一一二三九九}のような特殊な多面張の、この場合は{一}に当たる部分。

 これらは一切掴まないのだ。自分も――他家も。

 

 王牌を切り裂けば分かることだが、神代がガメなかった他家の和了り牌は、その王牌の中に眠っているのだと、瀬々は言う。

 

「……それって、他家はどうやったって和了れないってこと?」

 

「いや、さすがに完璧ってわけでもない。一巡二巡でテンパッて、神代ががめる前に掴むことだったら――まぁ不可能じゃないだろうな。もしくはあたしみたいにツモの在り処がわかってて、ずらしてそれをつかめるのなら、あるいは」

 

 完璧ではない。

 瀬々は端的にそういった。しかしそこから続く説明の語は、まったくもって簡単とは言いがたい極端に難しいもの。――だからこそ、そこにいる存在は、会場中を轟かすバケモノなのだ。そうはっきりと、龍門渕の控え室にいる者達は、改めて認識するのだ。

 

 

「――ちょっと待ってくださいまし」

 

 

 そこに、割って入る者がいる。

 はっとしたように顔を上げ、少しその顔色を青ざめた透華が、口早に言葉を吐き出していくのだ。

 

「神代小蒔の集める和了り牌は、対子や刻子になるもの、でしたわよね……?」

 

「…………あぁ」

 

 瀬々は、その透華の問いかけ、そこにある真意に気がついていた。気がついているからこそ、言葉にするのが重苦しかった。

 最初から、わかっているのだ。だからこそ、躊躇うのだ。

 

 そこに透華は切り込んでくる。――切り込まざるをえないから、切り込んで、問いかけざるを得ないから、問いかける。

 

「つまり、それって――――」

 

 

『――――ツモ』

 

 

 遮るように、声がした。

 人のものとは思えないほど、言葉の域が違う声。たったひとつの発声であったというのにそれだけで、何かを震わせるチカラを持つ――声。

 

「……あぁ、そうだ」

 

 全員が、一斉にモニターをみて、驚愕を浮かべた。

 純が、智樹が、一が、透華が、水穂が――瀬々が。

 モニターの向こうで、対局者達も難しそうに顔を歪めている。

 

「神代小蒔には、対子や刻子が自然と集まる。本人にとって、非常に都合のいい形で。――その手牌が行き着く先は……まぁ、一つしか、ないんだよなぁ」

 

 対子を多く集めてできる手がある。

 それは、ただツモっただけではちっぽけであるが、リーチをかけて、裏が乗れば跳満だ。しかし、――刻子を多く集めて作る手は、そんな一般の手役とは、一線を画するだけの、打点が在る。

 

 

 ――役満、四暗刻。

 

 

 ――小蒔手牌――

 {二二二三⑤⑤⑤444777横三}

 

 

 それが、今ここに目を覚ました“神代”――小蒔の和了した、その役である。

 

・永水 『90200』(+32000)

 ↑

・臨海 『129400』(-16000)

・宮守 『94300』(-8000)

・龍門渕『86100』(-8000)




分割の影響もあいまって、今回は非常に速いです。
魔物大暴れの大将戦、ご賞味あれー。

そういえば点数計算のミスが解決したので今回から点数移動を復帰します。


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『無色月光』大将戦②

 ――南一局、親小蒔――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

 風が流れた。しかしそれは、この場に在る者たちを、等しく祝福するものではない。世界の違う別の風、真向から受けて、気分のいい存在は――ここには一人しかいなかった。

 そしてその風は、神代小蒔を後押しするように、ふく。まるで彼女の後方が別世界に変わり、そこから風が押し寄せるように――ただ、彼女の座るその席が、その場に無いものとして、変質している。

 

「――ツモ 3200オール」

 

 ――小蒔手牌――

 {四四④④⑧⑧⑨⑨118北北横8}

 

 ――ドラ表示牌:{白} ――裏ドラ表示牌:{發}

 

・永水 『99800』(+9600)

 ↑

・臨海 『126200』(-3200)

・宮守 『91100』(-3200)

・龍門渕『82900』(-3200)

 

(――和了られた! それも、良い感じにこっちの邪魔をしてくれちゃって!)

 

 ――タニア手牌――

 {三五③⑤⑦⑧⑧2345發發}

 

 神代の変質、それはタニア=トムキンにとって喜ばしいものだ。楽しいと思えて、しかたのないことだ。――しかし、いけない。彼女の存在は、いけない。彼女は自分の麻雀を打っていない、しかもそれを為しているのが、タニアとは全く別位相の存在であることが、全くの問題であるのだ。

 

 タニア=トムキンは強者との闘いを望む雀士である。そして同時に、自分の世界が広がっていくことを、喜ぶタイプの人間でもある。

 

(やっぱりアンみたいに、この状況を鬱屈だと思わずに打つことは難しい。そーなんだよねそーなんだよね、私はきっと、誰かの世界を自分のものに感じていたいんだ!)

 

 強さを実感していたい。

 それに違和感を感じたくない。――アンや、今ともに卓を囲んでいる天江衣は、そういう意味では理想といえる。そんな天江衣に真っ向から挑んで、点棒をもぎ取っていく小瀬川白望も――!

 しかし、神代小蒔は違う。

 

(ただ勝っても仕方ない、私には、こいつを直接潰す強さもない。だから――できることなら自分の麻雀を、私に教えて欲しいものなんだけどね……!)

 

 アンの言う本物――最初にそれを聞いたときは、あの宮永照や三傑、そして何より“あの人”のことを思い浮かべたというのに、蓋を開けてみればこれだ。

 臨海女子を束ねるアンの、洞察力は日本で並び立つものがいないとは解ってはいる。しかしそれでも、その本質までを覗き見ることは、一見だけでは不可能と言えた。

 

(でもま……ただ闘うだけなら、これほど倒しがいの在る相手はいないか。私――敵はあんまり作りたくないんだけどねー)

 

 準決勝と、第二回戦。神代のチカラはそれぞれ違うものであった。それでも神代は強かったし、そして気配で言えば準決勝はそれ以上だ。

 ――それでも、逃げ切る自身はあるものの、ここには天江衣だっている。

 

 決して油断はできない状況だ。

 タニア=トムキンは、湧き上がる無数の感情に胸を抑えて、最大限の闘志でもって状況に答える――

 

 

 ――南一局一本場、親小蒔――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

 

「……まずいな」

 

「だね、あの神代って人、なんか怖いな……」

 

 瀬々の嘆息に、一が面倒そうに肯定する。うんざりといった目線は神代へ向いていて、それはきっと昨日の衣との特打ちからくる“魔物”に対するトラウマのようなものだろうと、瀬々は判断した。

 その程度には――昨日の衣は、魔的に夜へ染まっていたのだ。

 

「それ以上に、だ。あいつ対子そのものも集めてるみたいだ」

 

「――牌が重なりやすいってこと?」

 

「あぁ、どうもあれで神代の最強じゃないみたいで、刻子になることはないが、通常の状態でも牌が対子手になりやすいみたいだ。――どんな打ち方をしてもな」

 

 魔物と呼ばれる少女は麻雀を“打たない”、“打つ”のではなく“打たされる”のが魔物の麻雀。神代のそれは、きっとその典型なのだろう。

 息を呑むような、意識にこびりつく沈黙が続いた。

 

「しかも、だ。あいつ他家の有効牌まで食ってやがるぞ? これは対子の偏りによるものだから二枚までしか手牌にはいかないが、それでも全山生牌の嵌張まちが、あっという間に二枚枯れに早変わりだ」

 

「それ……どうやって勝てっていうのさ」

 

 一の重苦しいため息。もはや言葉も無いといった様子で、周囲は沈黙を更に重く苦しいものに変えていた。そんな中で、最初に口を開いたのは、瀬々を除きこの中で最もオカルトに造形の深い井上純だった。笑みを浮かべ――それは少しばかり虚勢じみてはいるものの――自信たっぷりといった様子で、語る。

 

「けどよぉ、別に対処法がないわけじゃないだろ?」

 

「……あぁ、そうだよ」

 

 瀬々は一言肯定し、それから向こう側の対局を眺める。丁度ツモ番はタニアであった。彼女の手牌が、特徴的な動きを見せる。

 

 ――タニア手牌――

 {二三四五七八①②⑦56東東(横7)}

 

 タニア/打{②}

 

「……え? 二筒? なんで?」

 

 辺張で待つ{③}は現在場に一枚も出ていない生牌である。その全てが山の中に眠っていることは、タニアのチカラであれば推察することは容易のはず――

 

「そこだよ、確かに{③}は全山だ、そうでなくともここなら普通一向聴を取る。――が、それじゃあダメなんだよ、そんなことすりゃあ、あの神代がその{③}を二枚、持っていくんだからな」

 

「――あ」

 

 腑に落ちた、という様子で一が言葉を漏らす。

 当然のことでは在る。二枚しか無い有効牌よりも、八枚以上存在する牌を、といったところだ。もしそれでテンパイしようものならば、あっという間にすべての牌を抑えられてしまう。最悪でも嵌張待ちもしくは辺張待ちは、テンパイ時に完成させ無くてはならない。

 

「ひたすら待ちの多くなるような手を作る。牌効率以上に、効率を気にした打ち方が必要、ってわけだよ」

 

 瀬々の言葉がひとつの会話を締めくくる。モニターの無効では、状況が更に動こうとしていた。

 

 

 神代小蒔が和了り牌をガメる。すでにそれを三者は肌に感じ取っていた。もとより異常なほど洞察力の高い相手だ。神代小蒔のオカルト、神のチカラはすでに彼女たちにとって、顕となっている情報なのだ。

 

 故に、考える。

 

(私達にもできる、神代小蒔の対応法!)

 

 ――タニア手牌――

 {二三四五七八⑦567東東東(横六)}

 

(とりあえず三面張。これで後は他の連中が手を作ってくれるのを待つ!)

 

 思考渦巻くタニアの口元、浮かぶのは必勝の、思いを込めた笑みかそれとも、獲物を狙う狩人の笑みか。何であろうと、彼女の狙いは変わらない。タニアは迷いを浮かべないのだから、後は手を一心不乱に進めるだけだ。

 

 

 タニアのテンパイ、そこから更に四巡たって。

 

(……んー)

 

 小瀬川白望はどこまでも面倒そうな顔でいる。それが本人の心のありようであるからだ。めんどうだ、めんどうで、あまりに面倒で仕方ない。

 

 それでも、

 

(――できた、かなぁ?)

 

 やるべきことははっきりしていた。やらなくてはいけないから、手を進めた。――思考には若干の迷いが在る。迷い続けて、そして選ぶのが白望の打ち筋、そこにおかしな点は何一つ無い。

 

 ――白望手牌――

 {345③④⑤⑥345677(横7)}

 

 揺らめく瞳、幻影か、はたまた迷いの行く末か。選択肢は無限のように思えてならず、しかしその実答えは明白、一つしか無いのだから当然だ。

 タニア=トムキンが、この状況を望んでいたように。小瀬川白望も、ここを目指して右往左往しているのだから、選ぶ道は、迷いのようで、迷いではない。

 

 白望/打{⑥}

 

「リーチ」

 

(これでまず、手牌は完成。あとは誰に当たり牌をこぼしてくれるかな……)

 

 思考。

 神代小蒔は包囲されている。逃げ場は一切存在せず、故に後は状況を待つだけ、和了るのであれば、これほどわかりやすい手は他にない。

 そして、

 

「――ポン」 {横⑥⑥⑥}

 

(……む)

 

 動いたのは、天江衣だ。まるで謀ったかのように牌を鳴いた。事実そのとおりだろう、この鳴きは、何かを見越した鳴きには違いあるまい。

 となればその意味は――

 

(ずらされた……かな。これで多分、ここからどうやったって和了るには、出和了りするしかなくなったわけだ)

 

 まるで時間すらも切り裂くような鳴きだった。止めどなく流れてゆく大河の中に、一筋の閃きが過ぎゆくような――そんな瞬き。

 

 夜の闇を、天江衣の流星が――駆け抜けていった。

 

 後は、人が神を下す番だ。

 

 

 ――神代小蒔は和了り牌を集める。ならば、手牌すべてを和了り牌にしてしまえばいい。誰だって思いつく、あまりに単純な対処法である。

 しかし、それはをたった一人で成すことは通常であれば難しい。国士無双十三面、純正九蓮宝燈などなど、“通常ではない”手が必要となる。

 とはいえそれは一人で和了り牌をあぶれさせようとした場合。

 

 ――二人がかりとなれば、話は変わる。

 

 ここまで、テンパイしたのはタニア=トムキンの三面張と、小瀬川白望の五面張。たった一枚しか無い上に、そもそもタニアが握っている牌を除いて、系七種の牌が神代の下に集まることとなる。――それは当然、時間差で。

 

 神代の手牌は、一瞬にしてレッドゾーンの危険牌に染まる。すべてが全て、他家の手牌を開く鍵になる。図らずも、神代はテンパイのために必要な牌を引いてきた所で、それに気がついた。

 

 ――小蒔手牌――

 {二二二五五五八233666(横3)}

 

 そも、神代の手牌はノベタンであったタニアの手に反応し、現在の形が作られた。タニアテンパイ時に手には三枚ずつの{二五}――もとより、回避の術は存在しなかった。

 

 故に、切るしか無い。一瞬だけ神代は考えて、それからムダを悟って打牌を選ぶ。――選んだのは、火力の低い白望に対する打牌であった。

 

「――ロン、メンタン裏一……5500」

 

・宮守 『96600』(+5500)

 ↑

・永水 『94300』(-5500)

 

 それでも白望は躊躇わず、少しだけ満足気に嘆息を漏らすのだった。

 

 

 ――南一局一本場、親白望――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

(和了った! 和了った! 和了られた! やばい、楽しい! 正直単なる運ゲーみたいなもんだけど、それでもやっぱテンパイは楽しい。これでもっと、神代小蒔が楽しんでくれればいいのにな!)

 

 無理からぬ話では在る。神代は神、人ならざるものを身に降ろしている。そしてそれが、人間のこころを真に介することはありえないのだ。

 

 だから、タニアは白望に意識を向けた。

 

(おめでとう宮守、和了れたことは、素直に称賛してあげる! でもね、でもまだそれじゃあ終わらない。ワタシもまだまだ、終われない!)

 

 白望の出和了りは、タニアと白望の協力プレイによるものである。しかしそれでも、点棒を得たのはすべて白望だ。で、あるのならば、あの対局は経過はどうあれ勝者は白望であるということになる。ならば素直にそれを称賛することは、タニアの意識からしてみれば何ら違和感のないことであった。

 ――と、いうよりも、もとよりトップを行くタニアに、――しかも満貫クラスの打点に、切羽詰まったとはいっても神代が振り込むはずもないのだ。故にこれは必然の勝利。白望が必然的に、得ることを約束されていた結果論なのである。

 

 だからこそ、とタニアは思う。

 白望は勝利を掴んだ。ならば自分は? ――このまま、黙って半荘を終えるなんてことは、少なくとも考えることすらできない。

 故に、タニアは、どう行動するべきか。

 

(――だから、今度は私の番だ。次は私が全力で、全開で、自分の勝利を、取りに行く――――!)

 

 一巡、二巡、そして三打で飛び出して、全速力でテンパイに向かう。たとえ二枚しか手牌にあがり牌がやってこないことがわかっていようと、それでもタニアは止まらなかった。彼女のスタイル、そして彼女の感覚が、それを止めることを許さなかったのだ。

 

 ――そして。

 

(……できた、タンヤオ、ノミ手。すでに一枚切られている嵌張待ち、神代の手に二枚在るであろう牌――最後の一つ…………自摸って、やったぞ!)

 

 ――タニア手牌――

 {三五④⑤⑧⑧⑧226778(横四)}

 

 タニア/打{7}

 

 勢い任せに、打牌は空を突き破り、卓に音を震わせる。それが己の役目であるのなら、ただひたすらに、タニアの指先で、踊るのだ。

 視線。意思。タニアの感情神代の無情。人はただ立ち上がることを願い、神はただひれ伏すものを愛していた。

 

 相いれぬもの、背中合わせの別世界。タニアはそこに、自分の意志で風穴を入れる――!

 

(――――和了り牌をガメるっていうんなら、例えばさぁ)

 

 神代小蒔に対抗しうる、タニアが有する2つ目の手札。考えられるなかでももっとも確実性の高い方法。そう思うからこそ――タニアは、そこに活路を見出す。

 

(ツモ番を、ズラしちまえば、じゃあどうなる? ずらしても掴むか? けど、ずらさなかった場合のツモは、変わらないだろ!)

 

 神代のツモ番を喰えば、和了れるやもしれない。しかし神代も、ただ鳴ける牌を切ることはないだろう。故に――たったひとつの、隙を突く――!

 

 神代/打{⑧}

 

「――カンッ!」

 

 ――――新ドラ表示牌:{⑦}

 

 大明槓なら、可能のはずだ。

 そう考えたから、そう打った。タニアはそのまま、嶺上牌をツモ切りする。――それが動くことはない。そのまま、次巡までツモが流れた。

 

 

「――ツモ!」

 

 

・臨海 『134200』(+8000)

 ↑

・龍門渕『80900』(-2000)

・宮守 『92600』(-4000)

・永水 『92300』(-2000)

 

 喰いタンに、ツモは4つで満貫だ。

 白望に続き――タニアが和了った。魔物を差し置き、少女が和了った。行けるのではないか――? だれもがそう考えることは、無理からぬことだった。

 

 

 ――南三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 タニア=トムキンは、二回戦の時と、今の神代は同一だと、思った。

 強力な相手だ。どうしようもない絶望感を与える圧迫もある。それでも、決して御しきれない相手ではない。逃げ切れない相手ではない。――行ける。あの二回戦の時のように。

 

 小瀬川白望は、やってやれないことはないと、感触していた。

 確かに神代小蒔は強い。しかし絶対的な卓の支配者では決して無い。それこそ二回戦の終盤で自分自身が経験した、魔物を超えるそれ以上のバケモノによる、蹂躙劇はありえない。

 

 タニアも、白望も、魔物と呼ばれる存在に対して、勝ちは望めないながらも、決して負け続けることはない強さを持っていた。

 だからこそここでは負けない、そうも思ったし、負けたくないと勝負を挑めるだけの気力があった。――しかし、違うのだ。

 

「――小蒔ちゃんは、決してそれだけじゃ終わらないのよね」

 

 永水女子の控え室。尊が少しばかり楽しげに言う。ただ沈んで終わるのが、今の神代ではない。それを彼女は知っていた。

 

「ここからが、本番であるということだな」

 

 土御門清梅が、それに追従するように言う。両者は肩を寄せ合い体を預け、楽しげに自信たっぷりの笑みを浮かべる。――チームの強さ、その自負がたっぷり在った。

 

「頑張ってほしいわね」

 

「無茶をさせてしまって申し訳ないですけどねー」

 

 石戸霞も、薄墨初美も、当然といった様子で対局を見ている。神代小蒔が負けるはずはない。少なくとも単なる強者でしか無い者達には。

 それは、彼女たちの意識が物語る確信であった。

 

 ――神は、たかだか人間程度など、塵にも思ってはいないのだ。――いや、神代に宿る神は人と共にある精霊の頂点。人を認めた上で、それでもなお絶対的な実力差を見せつけるのだ。

 

 そう。

 

 

 ――このように。

 

 

 それは、たった三巡での出来事だった。

 まさしく電光石火としか言い用のない、

 

「ツモ」

 

 神代の宣言。

 そしてそれは、勝利へ向けて足を一歩踏み出した――タニアと白望に、多少の絶望を与えるには十分過ぎるものであった。

 

 

「――8000、16000」

 

 

 ――役満和了。

 

(――また!?)

 

(和了られた――!?)

 

・永水 『124300』(+32000)

 ↑

・臨海 『126200』(-8000)

・宮守 『84600』(-8000)

・龍門渕『64900』(-16000)

 

 白望とタニア、両者の思考がシンクロする、全く同じ声音でもって、全く同じ感情でもって、タニアが――そして白望が――悲鳴混じりの声を上げる。

 

 

(――しかも、別の役満で……ッ!)

 

 

 ――小蒔手牌――

 {東東南南西西北北白白發發中横中}

 

 

 ――そんな、二者の表情とは裏腹に、一人静かに点棒を取り出す少女がいた。――天江衣だ。彼女はこの局の親番――つまりもっとも点棒を削られた位置にいながら、いかにも平静と言った様子でそれをみていた。

 今の衣は夜の月、闇に一人ぼっちで浮かび続ける、さびしんぼうの白いまんまるだ。

 

 そして一人ぼっちであるということは、孤独の壁で、自分自身を守るということである。意識の中に浮かぶ一人だけという感情を呼び起こし、衣は卓の上でも引きこもるのである。

 

 さすがに他家の親被りを防ぐことはできずとも、まもりにおいては完璧で堅固な城となる。故に衣は、そこから卓を眺めていたのだ。

 

(……大七星、か。もしも採用されていれば勝負はここで決していただろうが……どうやらこれであらかたの“神”を窺い見ることができたようだ)

 

 南場をかけて、神である神代と、人であるタニアと白望の対決が続いた。細々と神代から点棒を削ろうとしていた二名をあざ笑うように、役満和了で更に稼いだ。それを衣はただ見続けていたのだ。防ぐことも、割って入る事もせず。

 もとより、ある程度の小細工は受け持つが、それ以上はしない。しかしそんな準備期間も、ようやくこれで終了だ。

 

(――然り。これで神代の神たる頂点が見えた。底はしれずとも、行いうる限界を見た。ならばここからは、衣がその限界を超えてゆく――!)

 

 しかし同時に、考えられる手立てはどうしても限られる。衣がどれだけ流れをつかもうと、一の操る術を、神が御しきれないはずもない。

 全力で潰すのならば――だ。最低でも、神も人も、魔も聖を、一切合切ないまぜにして、神を引きずり下ろす他にない。そんなこと、わざわざこの大将戦の場で行う必要もないのだ。

 

(これが終われば、この神以上のバケモノが衣を待っている。そのバケモノに、衣を晒すのは得策ではないしな。――故にだ。衣の取るべき選択は、一つ。最大限の奇襲でもって、即座に相手の点棒を刈り取る!)

 

 前半戦の今頃から、攻め入ってはだめだ。神代小蒔に対応されて、衣はさらに手札を晒す必要が出てくる。ならば最小限の手札で、労力をかけずに潰すのが、この場面における正解なのだ。

 

(よって、今はマダ沈黙だ。しかし焼き鳥のまま、振り込みもないというのに圧倒的最下位を甘んじる趣味は衣にはない。一度だけ、一度だけならば通用する奇襲がある。それを使わせてもらう!)

 

 サイコロの音が、卓に響いていた。カラカラと回るそれは少女たちに焦燥と呼べる感覚を与える。事態は混迷、大荒れの台風のようだと評しても、それが大げさになり過ぎないほどの対局。

 

 そこに、たった一つ真っ白な月が、ぼんやり浮かび始めた。

 ――直後、

 

 

 猛烈な、爆発。風であろう、というのは――それがすべて終わってから気がついた。

 

 

 準決勝大将戦、台風のごとき雷雲が轟くようであった。少女たちは異質を感じ、異物を判じた。神代小蒔は、それほどまでに圧倒的であった。

 彼女が持ち込んだ、暗雲立ち込める闇に染まった雲の中。白望とタニアは囚われて、意識をそこに押し込められようとしていたのだ。

 

 しかし、気がつけばそれは――たったひとつの輝きで持って、――世界一つを等しく覆って染め尽くしてしまうかのような、白の、“月光”でもって、かき消されていた。

 

 光が、天辺から海底を駆け抜けて、貫いて、あらゆるものを喰らい尽くして、それでもなお飽きたらず、ただただただただひたすらに、破壊し飲み込みそして――

 

 

 たった一つ、あらゆるものが消え去った空に、天江衣の月が、浮かんだ。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

「……カン!」 {白裏裏白}

 

 ――それは、第一巡での衣の行動であった。当たり前とでも言わんばかりに、牌を晒して、嶺上牌をさらう。

 

「――続けて、カン!」 {中裏裏中}

 

 更に、牌を晒して、もう一度。衣はただ笑みだけを浮かべて、それから牌を手牌から切る。それは――衣が第一打で掴んだ、最初のツモ。

 嶺上牌を掴むという動作がなければ、それはつまり――自摸切り、という意味を要した。

 

 

「――リーチ!」

 

 

 叩きだされた牌は、超越的な暴圧を含んでいた。その意味を、白望とタニアは理解した。――今この場には、二つの魔物がいる。魔物同士が卓を囲んで顔を向け合い、火花を散らしているのだ。

 

 胸を締め付ける圧迫感。――故に、白望達は覚悟した。

 この一局、間違いなく恐ろしい何かが宿っている、と。

 

 ――龍門渕控え室――

 

「……衣が、本領を発揮した?」

 

「昨日の夜の衣が、また出たの……?」

 

 瀬々と一、今モニターの向こうで戦っている、バケモノたる衣と、真っ向から対局を重ねた少女たちが、まっさきに衣の変化に反応した。

 

「どうやら……そのようですわね、昨日のアレ以上にやばいのが、ビンビンここまで伝わって来ましてよ」

 

 透華は自慢のアホ毛をピン、と立てながら神妙な面持ちでつぶやく。とはいえ、それは衣を心配してのものではない。仲間として、衣の見せる新たな一面に、喜びを覚えているのだ。

 

「……にしても楽しそうだな衣のやつ。昨日の対局中もそれなりに楽しそうだったけど、あれは私達がめげずに何度も挑んでくるのが楽しいって感じだったからな、対局自体は別にそうでもなかったみたいなんだけど……」

 

「それだけ、あの魔物との対局が楽しくて仕方ない、というだけの話ですわ。……たしか衣は、これがああいう手合いとの初対決出会ったはず……楽しくてしょうがないのも、無理は無いですわね」

 

 ――透華は、どこか羨ましそうにつぶやく。衣にとっての魔物、神代小蒔は、それこそ透華にとってのデジタル神、のどっちとの対局と同等の意味があるのだと、理解しているのだ。

 己が目指す極地の体現者。デジタルにオカルトの両極端であり、その種類こそ大きく違いがあるものの、そんな雀士との対決が、楽しくて仕方のないというのは、衣にとっても透華にとっても、無理からぬものであるのだ。

 

「――強者との対決を楽しむ、か。アンの奴相手にひーこら言ってたあたしにはちょっとわかんないな。……けど、やっぱ似てると、あんたと衣」

 

 透華の方へと視線を向けて、瀬々はどこかゆるく溶けたような笑みで語りかける。透華はといえば、少しだけ目を瞬かせて、それからすぐに優しい笑みを浮かべると、答えた。

 

「従姉妹、ですもの。当たり前ですわ」

 

「……そっか」

 

 ――交わされる言葉、そして状況は、神代小蒔のツモへと映る。

 

「……これは、どうなるかね」

 

「おそらく衣が罠を張っているとすれば、この方でしょうね」

 

 ――一瞬、掴んだ牌を引っ込めて、それから更に牌を選ぶ。そんな思考が、二度、三度続いただろうか。やがて神代が選んだ牌は――

 

 

『――ロン』

 

 

 ――衣手牌――

 {四五六77⑥⑥横⑥} {白裏裏白} {中裏裏中}

 

 ――ドラ表示牌:{2} 裏ドラ表示牌:{7}

 ――新ドラ表示牌:{⑥} 裏ドラ表示牌:{發}

 ――新ドラ表示牌:{六} 裏ドラ表示牌:{①}

 

『――――16000!』

 

 

 大将戦、前半の終わりを告げる、引き金となった。

 

・龍門渕『80900』(+16000)

 ↑

・永水 『108300』(-16000)




連日更新も多分ここまで。日をおうごとに更新が遅くなっていくのが見ればわかりますからね。
さて、大将戦は後始末まで含めて後三話、もしくは四話ともみれる感じになりました。乞うご期待ー。


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『人並みに濡れた月』大将戦③

 モニターの向こうには、ここまで戦ってきた四校の点棒状況が表示されている。それは大将戦開始前からは考えられないほどの激動であった。

 

 トップを行くのは臨海女子、しかしその点棒は、思った以上に心もとない。ムリもないことだ。一度の役満親被りに、大将のタニアが思ったように稼げなかったのだから。

 

 ――タニア=トムキン:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――126200――

 

 続いて追いかけるのは永水女子。二度の役満を和了したものの、彼女は現状、永水の負債をすべて取り返す程度の活躍しかすることはできなかった。

 そんな彼女は、対局中の人とは思えない様相のまま、その場を立ち去る。

 

 ――神代小蒔:一年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――108300――

 

 そして、その永水女子を追いかける立ち位置にいるのが宮守女子だ。小瀬川白望は難しい顔をしている。無理もない、現在の宮守女子はどん詰まりの状況、苦しい立場に置かれているのだから。

 

 ――小瀬川白望:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――84600――

 

 そして、天江衣はそんな対局室を後にする者達とは違い、その場に残り、椅子にもたれかかっていた。空を見上げる衣の画――美しく映える少女の瞳は、どこか遠くを見つめようとするものだった。

 

 ――天江衣:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――80900――

 

 そしてそんなモニターを、ぼんやりとした目線で眺める少女が、一人いた。周囲には人の目はない。そこは丁度、中堅戦の最中に宮守女子の小瀬川白望と鵜浦心音が言葉を交わしたような、そんな穴場と呼べる場所だった。

 とはいえ、そんな少女の隣には、自身と同じ白いロングスカートのような制服を羽織った少女もいる。彼女が気分転換に、とぼんやりとした少女を連れだした張本人である。

 

「――あの人」

 

「……ん?」

 

 ぽつりと、漏らした言葉を、もう一人の凛とした少女が聞き返す。少女はどこか思考の読めない顔をしながらも、真剣そうな目つきでもって、――両手いっぱいに抱えたお菓子を頬張りながら――答えた。

 

「……龍門渕の、天江さん。あの人やっぱり――」

 

「天江衣がどうかしたのか? 確かにあれは異常だろうが」

 

「ううん、なんでもない」

 

「……? 変な奴だな」

 

 親友と呼べるだけの距離感から、冗談交じりに嘆息。それを来にした様子もなくお菓子を抱えた少女はぼんやりと思考する。

 

(――あの人、やっぱりあっちがわの人なんだ。強い、んだろうな)

 

 それは言葉になることはなく、甘いお菓子にとろけた頬を抑えながら、少女はモニターに食い入るように意識を向け続けるのであった。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:小瀬川

 南家:トムキン

 西家:天江

 北家:神代

 

 

 ――後半戦――

 ――東一局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

 後半戦、開始早々に動いたのは、四巡目に速度を上げて動き始めたタニア=トムキンであった。

 

「チー」 {横435}

 

 タニア/打{⑤}

 

(やっぱり動いてくるか龍門渕。――天江衣が動いてくれなければ、最悪二位で決勝にいけただろうに。これはちょっと無茶をする必要があるかな?)

 

 悔しい話ではあるが、タニアの実力では、神代一人に勝利することもできず、二人がかりで暴れまわる魔物両名を相手にすることは不可能に近い。

 それでも、タニアはここで負けるわけにはイカないのだ。そのために、タニアの取りうる行動は1つだけ。

 

「ポン」 {横八八八}

 

(局を刻むことで、天江衣にプレッシャーをかける! そしてそれを私自身の手ですれば、点棒も稼げて一石二鳥だ!)

 

 ようは、神代と衣の潰し合いに状況を持っていけばよいのだ。どちらかがトップで、どちらかが三位になるような点棒状況に持っていければ、それがタニアにとっての最善といえる。

 ゆえに、つかもうとした。

 和了り牌を、自身に必要な、勝利の牌を。

 

(――ッ!)

 

 一瞬、盲牌の直後にタニアはハッとする。それからニィっとその口元を歪ませると、即座に牌を手元で晒した。

 

「ツモ! タンヤオ三色ドラ1……1000、2000!」

 

 ――タニア手牌――

 {三四③④⑤⑧⑧横五} {横八八八} {横435}

 

・臨海 『130200』(+4000)

 ↑

・龍門渕『79900』(-2000)

・宮守 『82600』(-1000)

・永水 『107300』(-1000)

 

 風が、タニアの頬を撫でる。

 それはまるで、タニアの勝利を祝福するようであり、タニアの強さを証明するものであるかのようだった。

 

 

 ――東二局、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 タニアは、とにかく自分が和了って局を刻むことを考えた。それはある意味正解といえる。残り曲数が少なくなれば、それだけ魔物たちは焦りだす。それによって、魔物同士が完全に潰し合いの様相になれば、あるいは臨海は、トップで準決勝を抜けることも可能かもしれない。

 もしも自分があがれなくとも、宮守はこの速度合戦に参加してくるだろう。彼女には、少しでも点棒を稼ぐ以外の道はないのだから。

 

 同時に、タニアの速度は非常に素晴らしいものがある。打牌速度においてもそうであるが、テンパイ速度も同時にタニアは速い。それはアンの豪運に追いつくことはできずとも、競り合うことは可能なほどだ。

 だからこそ、タニアはある種高をくくっていたのだ。自分が速度で、負けるはずもない、と。

 

 しかし、違った。タニアの速度は、人間における最高潮に近いものであった。――それこそアンのような、バケモノと渡り合える、速度はなかった。

 存在、しえなかったのだ。

 

「――カン」 {1裏裏1}

 

 とにかく前に、そんなタニアの思いをあざ笑うかのように、一巡目だというのに、神代が牌を晒した。その状況に、前半戦オーラスの衣の顔が――重なる。

 タニアは思わずはっとした。体中から、熱といえる熱が引いていくのを感じる。体中が、凍りつくような感覚を、感じる。

 

(そん……な…………ッ!)

 

 タニアには、誤算があった。それは第二回戦での対局経験からくる、認識の違いであった。――二回戦、神代はこのチカラと似たような力を使ったが、それはタニアの速度に追いつくようなものではなかった。

 

 しかし、今の神代は――それどころか、衣ですら――タニアの速度を上回ろうとしている。

 そう、気がつけば、タニアは、魔物たちに置き去りにされようとしていた。

 

 

 ――タニアの速度は、人の頂点。そしてそれは、魔物の常識に辿りつけない、壁でもあるのだ。

 

 

 暗槓から、次巡。

 

「――ツモ、70符3翻は、2000、4000」

 

 静かな声で、神代が和了った。

 

・永水 『115300』(+8000)

 ↑

・臨海 『126200』(-4000)

・宮守 『80600』(-2000)

・龍門渕『77900』(-2000)

 

 

 ――東三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{七}」――

 

 

「……ポン」 {五五横五}

 

 この局、最初に鳴いたのは小瀬川白望。

 思わず条件反射的に牌を鳴き、一気にテンパイへと手を進めた。

 

 ――白望手牌――

 {六七八③④⑤⑥⑦22} {横五五五}

 

(テンパイ、だけど打点が足りない……加槓、できるかな?)

 

 ここから打点を上げていくには、ポンで引き寄せた牌にもう一つ牌を載せ、加槓でドラをめくりに行くしか無い。ただツモっただけでは、これは二翻(2000)の手でしかないのだ。

 

 故に、白望はそれを望んだ。誰かの暗槓もなくはないだろうが、期待するだけムダだろう。――と、直後。

 

(ありゃ……)

 

 白望/ツモ{⑤}

 

(微妙な段階で掴んできたなぁ、もうちょっと打点がほしい、けどまぁ)

 

「ツモ。500、1000」

 

・宮守 『82600』(+2000)

 ↑

・臨海 『125700』(-500)

・龍門渕『76900』(-1000)

・永水 『114800』(-500)

 

 

 打点が無いとはいえ、それは和了りを放棄するというわけではない。わざわざ鳴いて、手を進めたのだから、ここで和了らない意味は皆無といえる。白望が欲していたのは、速度の中にある打点であるのだ。

 

(多分、ここで和了らなかったら、そのうち槓材がきてたんだろうな。そしてドラが乗った後――神代さんが和了る。魔物の意思が絡むのなら、ここで和了らないって言うことは、そういうことだ)

 

 ここでなぜ、白望がツモ和了できたのか。それは間違いなく、神代がそうさせたからだ。和了でぬか喜びさせるか、それとも諦めずに挑む相手の意思を摘むか。おそらくはそのどちらかを想定していた。

 白望はその中で、神代の思惑通り和了した。それ以上のことは、できなかった。

 

(和了れたのが奇跡って、わけじゃ、多分無い。私が鳴いたのは神代さん。そして、神代さんのチカラは――)

 

 で、あるとするならば、神代小蒔は止まらない。

 速度で持って和了した、白望やタニアの上を行く。――あらゆる面で、魅せつけるのだ。

 

 

 ――東四局、親小蒔――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 四千点で、タニアが刻んだ。

 神代小蒔は倍を和了った。満貫だ。

 

 打点でどうにか勝とうにも、神代は悠然と努力の上を越えていく。そして同時に、タニアは五巡ほどで和了した、しかし神代は、たった二巡で和了した。

 

 そして、小瀬川白望は二千を刻んだ。

 で、あるのならば――神代小蒔は、一体いくつ刻む? 答えは単純、

 

 

「――ツモ、8000オール」

 

 

 ―――――十二倍(24000)だ。

 

 ――小蒔手牌――

 {一一二二三三四四五七七九九横五}

 

・永水 『138800』(+24000)

 ↑

・臨海 『117700』(-8000)

・宮守 『74600』(-8000)

・龍門渕『68900』(-8000)

 

 

「……、」

 

 白望が、そしてタニアが難しそうに顔を歪める。

 ――負けるつもりはない、最後まで諦めるつもりはない。それは大将として仲間達にバトンを任された少女たちが、思い描く最後の意地だ。

 

 しかし、

 

 ――何度、思った?

 

 

 ――負けるかもしれないと、なんど諦めそうになった?

 

 

 一度、いや違う。

 二度、そんなはずはない。

 三度、四度、五度、六度――? どれも、これも、全て違う。なにもかもまるっきり!

 

 

 ()()()()()()()()。それが答えだ。

 

 

 思い浮かべた敗北を、その度意思で打ち消して、ただただ前に進もうとして、それでも全く進めない。からからと、回り続けるサイコロのように、空回りし続けるかのように、それは少女たちを襲う、枷。

 

 速度で、打点で、あらゆるもので、普通の人間を越えていく。タニアには才能があり、白望には不可思議な感覚があり、人以上のチカラを持ってなお、それは神代に対する、挑戦権にすらならないのだ。

 

 それだけ、神代小蒔は絶対だった。

 

 

 それだけ、神代小蒔は――――強かった。

 

 

 しかし、

 

 

 ――東四局一本場、親小蒔――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

 

「ツモ」

 

 

 そうではない、ものもいた。

 

 人では届かぬ境地にいるのなら、そこにたどり着く方法は二つ。――人の極端を目指し、あらゆる人間の頂点に至るか――

 

 ――その対局を、見つめるものが一人。

 

 ――臨海女子、アン=ヘイリー。

 

 あらゆるものを排するほどの、絶対的魔性を己の内に、宿すかの二択だ。

 

 ――そして、この卓に直接座るもの。

 

 ――龍門渕高校、天江衣。

 

 

 ――衣手牌――

 {三四五345③④⑤⑥⑦⑦⑦横⑧}

 

「――2100、4100!」

 

・龍門渕『77200』(+8000)

 ↑

・臨海 『115600』(-2000)

・宮守 『66500』(-2000)

・永水 『134700』(-4000)

 

 魔物として生を受け、人に拒まれ人に疎まれ、育ってゆくはずだった一人の少女は、しかし出会いによって人間を知った。敗北を知って、そして強さを知った。

 麻雀の舞台において、新たな世界を拓きたいとおもった。

 

 それが、今の天江衣。魔物にして、人。相反する、しかしどこかしっくりとくる二つの存在を内包するもの――!

 

 

 ――その天江衣が、ここに来てようやく、顔を上げた。目に闘志を灯して、和了した。

 

 

 前半戦、そして後半戦と、沈黙を続けてきた少女がここに来て、始めて動きを、見せるのだ――

 

 そして、後半戦は、南入である。

 

 

 ――南一局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

「衣のやつ、ついに本領発揮だな?」

 

「二回戦でもそんな感じだったね、余裕が有るのかな?」

 

 瀬々が楽しげに笑みを浮かべて、一が少しだけおかしそうに苦笑する。肩を並べて座る両名は、そんなふうに合わせて笑った。

 

「んー、ちょっと違う、かな? 衣にとって、第二回戦の相手も、今回の相手も、油断せずに行けば勝てるが、絶対に油断できない相手って位置づけなんだと思う」

 

「絶対に油断できない……だから万全を期して挑む、ってこと?」

 

 軽く覗きこむように体を落として、一が瀬々に視線を合わせる。ちらりとそちらを向きながら瀬々は一つ頷いて答える。

 

「そうそう、そのためにこの()は必要不可欠だったんだな。――多分、もう一つ上の段階になると、衣も最初から全力なんだろうけどさ」

 

 天江衣が負けたくないと思うから、そうしたのだろうと瀬々は言う。

 当たり前だ、負けるつもりで相手に挑む人間など、そうそういないのだから。どれだけ強い相手で、負けることが確定的であろうと、負けたくないという思いは、きっとある。

 

 そのために、勝てるのなら勝つための方法を取る。それが衣の、スタイルと言える。

 

「あたし達にしてみりゃ、後は安心して衣が勝つのを待てばいい。――衣はあたし達の、大将なんだからさ」

 

「そうだね……じゃあ後は、衣のぶっとんだ思考を楽しもうか」

 

 ――対局の状況は、現在六巡目。衣の手牌も、神代小蒔の手牌も、そうそうに完成が見え始めていた。

 

 ――衣手牌――

 {三三五八⑥⑦⑧246發發發(横3)}

 

 衣/打{6}

 

 衣の手牌は、これで役牌ドラ1の一向聴。待ちも広く、いくらでも手を進められそうな代物。門前で手を育てられれば、役牌が程よく“効いて”くることだろう。

 

「そーだな、じゃあまずは、あたしらでもできそうな神代対策を考えようか」

 

「二つくらいは……すぐに考えられるかな?」

 

 ――まずひとつは、タニア=トムキンの見せたツモ番の喰い取り。これで例えば、テンパイから別のテンパイに取り替えることが出来れば、そのまま和了り牌が小蒔から流れてくるのだ。

 ただし、小蒔のチカラは人外のそれ。そんな方法が有効なのは、せいぜい一巡が限度だろう。

 

「けども、それは前半戦で臨海にやられてる。一度別の神といれかわった、とかならともかく、神は絶賛継続して降臨してるわけだから、対策を打たないはずもない」

 

「マンガとかでよくあるけど、同じ技は二度通じない、ってやつだよね」

 

「そうそう、んで、そういう時の対処法はやっぱり、別の新しい技をぶつけるってことになるんだけど、麻雀だとそれはなかなか難しい。だから衣は、この方法に一つのアレンジを加える事で、別の技にしてしまおうって考えたんだよ」

 

 神代のチカラであれば、衣のテンパイに必要な対子、{三}を引き寄せて握りつぶすことができる。神代はそれを読み取って、これ以外の牌では和了のしようがないと、確信しているのだ。

 ずらされて自摸られるなら、ずらされないように牌を抱えればいい。すくなくとも、それは神代でなかろうと、可能だ。神代の場合、そこに魔物としての察知能力が加わり、ほぼ盤石といっていい状態を作れる。

 

 そして、衣はその隙を突くのだ。

 

 そう、和了れるはずのない状況から、テンパイできるはずのない状況から、無理やりテンパイを引き出すのだ。

 

 ――大明槓という、奇策によって。

 

『――カン!』 {發發發横發}

 

 衣/ツモ{六}

 

「う、わ――ほんとにテンパイまで持って行っちゃった。あそこで大明槓とか、たしかにこの点差なら考えるけど……和了りに行くために大明槓とか、ボクには無理だよ」

 

「でも、やるだろ? ――――できるだろ?」

 

 したり顔、といった風体で一に視線を向ける瀬々。自身に満ちた笑み。彼女の姿は、衣の隣にあるように一には思えた。

 それから――

 

「衣はさ、強いよ、間違いなく。でもそれは、衣が魔物だから、とか、月の衣がバケモノだから、とかそういうところから来る強さじゃないんだ。人間以上のことを、人間としてやるから――」

 

 

『――ツモ』

 

 

「衣の今の強さが、あるんだよ」

 

・龍門渕『89200』(+12000)

 ↑

・臨海 『112600』(-3000)

・宮守 『66500』(-6000)

・永水 『131700』(-3000)

 

 カンでテンパイ、韓ドラが乗って、ハネマンだ。たった二翻、ないしは良くて四翻の手が、一気に高打点のツモに、生まれ変わったのである。

 そしてそれを、確信とともにするのが衣だ。人とは違う感覚を利用して、人と同じ思考で持って、それをなして――そこに在るのだ。

 

 

 ――南二局、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{4}」――

 

 

「――じゃあ問題。私達にもできる神代対策、その二は?」

 

「和了り牌をあぶれさせる、だよね?」

 

「……正解、そして多分、このツモからするに、今回はその応用になるだろうね」

 

 衣の手牌が、画面の向こう側で着々と進行していく。――しかし、それは神代もまた同様だ。神代小蒔は人ならざるチカラを存分にフル活用し、己のテンパイを極限まで早くする。

 あとは、自摸ればそれで勝てるように。

 

「神代の手は速い。それはその分、手の中に必要な牌だけが増えていく。――安牌は、基本的には増えないんだよな」

 

 しかし神代小蒔は対子を集める。安牌があれば二巡は最低でも稼ぐことが可能だ。その間に安牌が増えるのであれば問題ないが――

 安牌というものは、切れるときには切れるのだ。

 

 ――小蒔手牌――

 {七七七九九②②②⑥77南南(横7)}

 

「この状況で、衣は張ってる。それは神代にだって分かる。で、あるならば……だ、神代は一体どこを切ると思う?」

 

 この捨て牌で、だ。

 瀬々はそういいながら衣の捨て牌を指摘する。一はそれを軽く見通してから、腕を組む。

 

 ――衣捨て牌――

 {1發白9④六}

 

「どれも切りにくいけど、強いていうなら{南}か{九}かな? でも、衣の当たり牌が{九}、だから切るのは{南}だと思う」

 

 衣の待ちが{7}であるとすれば、シャンポン待ちはありえない。となれば{南}を役牌で持っている可能性は極めて低い。

 よって、ここはワンチャンスの筋で、絶対的な安牌である{九}を魔物の直感で躱し、{南}を打つ。そう一は読んだ。

 

「――だが、もし{南}が衣の手牌の中で雀頭になっていたら? ――小蒔の手牌に{南}が集まったのは、そういう意味だとしたら? 刻子一つあればそのままテンパイ振り替わりで和了られるぞ」

 

「……まさか」

 

「魔物だって、それは普通に考えるんだよ。なにせたった今衣にやられた奇策だからな。特に魔物はそういう駆け引きに疎いから、すぐに警戒しちまうんだよ」

 

 ――その点、{九}が雀頭だったとして、鳴かれる可能性は極端に低い。鳴かれても、{南}と{發}、{白}以外の衣が使用出来る役牌は二枚切れ、そうそう和了されることはない。

 

「おそらくは油断――だろうな。神代は最初から{九}を対子で抱えてたんだ。自身のチカラで、引き寄せたものだと思ったんだろうさ。本当は、衣の手牌に在った{九}に、反応していただけなのにな」

 

 小蒔/打{九}

 

「魔物でも……油断はするんだ」

 

 息を呑むような一の声。ムリもないことだ。――神代小蒔はここに来て、始めて他家に放銃するのだから。

 

「魔物だからこそ、だ。魔物は他人とはひとつ違う位階にいる。だから負けることは殆ど無いし、それを当たり前のように思ってる。――思わぬ所で、人に足をすくわれるまで――!」

 

 

『――ロン! 5200!』

 

 

 ――衣手牌――

 {四五六九九④⑤⑥44456横九}

 

・龍門渕『94400』(+5200)

 ↑

・永水 『126500』(-5200)

 

 そうしてすくわれたのが、今の衣だ。救われたのが――天江、衣だ。

 

「さぁ、ここまでがあたし達にでもできる人間の闘牌。――やろうと思う人間はすくないだろうけども、それでも手牌によっては可能な方法だ」

 

 で、あるならば――衣は未だ、人間の延長線上を、自分の感性で打っているにすぎない。故に、衣は人と魔物、その双方の延長線上では、まだ麻雀を打っていない。

 

「――ここからだ。ここからが、衣にできる、衣だけの闘牌だ。――――衣だけが、あたしらに見せてくれる闘牌なんだ」

 

 天江衣が、サイコロを回す。

 ――南三局、準決勝も終盤、衣の最後の親番が――始まる。

 

 

 ――南三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

(月が夜の闇に満ち始めている。宇を照らし、人の視界に、己を浸し始めているのだ)

 

 ――衣手牌――

 {一三三四四七八⑥⑨23西西(横六)}

 

 衣/打⑨

 

 人が生き、人が棲むこの場所に、月は等しく己を晒す。たとえ己の巣箱に潜ろうと、己を何処かに隠そうと、意識を向けた空の上には、いつまでだって月がある。

 そして今――夜に染まったこの世界は、それがもっとも明らかである瞬間なのだ。

 

(月に閉じこもるのをやめた衣は、しかし今でも、そんな月が好きなのだ。一人ぼっちで、しかし誰の上にでもある。明るい太陽のような光もなく、ただ寂しく暗闇に怯えるしか無い――そんな月が、衣には、どうしようもなく愛おしく映る)

 

 ――衣手牌――

 {一三三四四七八⑥23西西(横三)}

 

 衣/打{⑥}

 

 なぜだろう、そう疑問に思ったことすら無い。

 いつからだろう、そう考える必要すら、無い。

 

 月が衣の側に浮かんでいるから。衣の上で、佇んでいるから。衣はその月に、何度だって手を伸ばすのだ。

 

(そらにはまばゆいほどの星々がある。しかしそれらはどれも、月のように近くはあらず、月の近くにありはしない)

 

 ――衣手牌――

 {一三三三四四六七八23西西(横四)}

 

 衣/打{2}

 

 かつて衣は一人ぼっちだった。誰にも認められず、誰にも好かれなかった。父も母も失って、最後の支えすら失ったような時も、在った。

 

 そんな時、衣にとって星々は、遠くにしか無い団欒としか、思えなかった。

 しかし今は違う。今の衣にとって、数えきれないほどの光の群れは、手を伸ばしたくて仕方ない、渡り歩きたくて仕方ない、そんな別世界であるのだ。

 

(衣は、衣は手を伸ばすべき隣人を手に入れた。宇に浮かぶ月ではない。衣はこの蒼き星の中において、渡り歩くべき翼を手に入れたのだ――!)

 

  ――衣手牌――

 {一三三三四四四六七八3西西(横西)}

 

 衣/打{3}

 

 一瞬だけ、神代小蒔、衣が目下打倒スべき相手としてみる、魔物の姿を視界に入れる。――無表情、さして意思を持たずに彼女は麻雀を打つ。

 麻雀が楽しいのか、楽しくないのか、それすら人に悟らせず。

 

(故に――見せてやろう。人と人をつなぐ別世界。そこに存在しない|汝(うぬ)に――異世界に身を置く汝に、人と魔物、寄り添うものの闘牌を――!)

 

 ――衣/ツモ{九}・打{一}

 

 衣の手は、これで完成形(テンパイ)

 故に神代小蒔の手には、和了り牌が集まる。衣はそこに狙いを定めるのだ。――テンパイも早く、十分先につかめる目もある多面張であったが、それでも衣は、その和了り牌を掴むことはなかった。

 

 そして、

 

 ――衣/ツモ{八}

 

 本来であれば必要のない牌。街を薄くし、神代によってすべての和了り牌を“掴まれる”であろう牌。衣が通常、こんな待ちを選択するはずもない。

 ――が、しかし。

 天江衣は、一切何のためらいもなく、ツモを手牌に組み入れた。

 

 衣/打{四}

 

 そう、これこそが衣の真髄。ありえない打牌を、当然の結果として変える。今この瞬間に、自分の存在を示すのだ。

 

 

 ――ならば、その意味は? 当然、神代のツモに意味がある。

 

 

 ここまで、衣は神代に当たり牌を掴まれていた。現在の神代の手牌は――

 

 ――小蒔手牌――

 {五五五六六六11244發發}

 

 以上の通り。しかしここに、更に当たり牌であろう{七}が流れば、どうか。それが刻子になれば、どうか――神代小蒔は、更に手配を進める。

 そうした時に、以下の形になるのが確実だ。

 

 ――小蒔手牌――

 {五五五六六六七七七44發發}

 

 四暗刻テンパイ。自摸って役満、出和了りでも、リーチをかければ高め跳満。当然リーチはかけないが。それでも、ここから数巡もすれば自摸和了りが可能であろうことは、神代の感覚が、一斉にそれを告げていた。

 

 ――しかし。

 

 

 小蒔/ツモ{九}

 

 

 神代のツモは、かすりもせずに生牌を引く。その意味は、誰かの当たり牌を掴まされた。――答えは明白、衣のものである。

 天江衣は神代がこの牌を掴まされる直前に、テンパイから“三度目の”手出しで牌を入れ替えている。とすれば――だ。この牌が指し示す意味も、自然と判断のつくものになる。

 

 故に。

 

 ――神代は、ここまでの状況全てを鑑みて、もっとも安全であろう、牌を打った。それはきっと、ここまで衣によって追い詰められた、神代の逃げに依るものが、多分に含まれていたことだろう。

 

 小蒔/打{六}

 

 

 それが、天江衣の放った最大の罠であることにも気が付かず。

 

 

「――ロン」

 

 

 ――衣手牌――

 {三三三四四四六七八九西西西}

 

 その瞬間だった。

 ――神代小蒔の瞳が揺らめく。驚愕であることは、誰に目からも明らかだった。

 

「……24000!」

 

・龍門渕『128400』(+24000)

 ↑

・永水 『102500』(-24000)

 

 吹きすさぶは、風。天江衣の顕にした打牌に。

 ――衣の神を前方に揺らして、それは準決勝の対局室を、勢い任せに、何度も叩いた。




新キャラ……一体何者なんだ……


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『異界の話が終わる場所』大将戦④

『親倍直撃ィ――! ここに来てトップを行く永水女子が三位転落。この準決勝で二位のポジションを維持し続けててきた龍門渕高校が、一気にトップへ躍り出た――!』

 

 響き渡るアナウンサーの声。龍門渕の控え室は、衣がトップに踊りでたことに湧いていた。――衣のことは信頼している。しかしそれでも、これまでの展開は心臓に悪いものが在ったのだ。

 

 だからこそ、ここに来て一気に衣が神代小蒔を圧倒したことは、龍門渕高校にとって僥倖以外の何物でもない。一気にそれぞれの感情が爆発していた。

 

 瀬々と透華は、それを比較的冷静に見ているようだったが、それでも、喜びは隠せないでいるようだった。

 

『凄まじい待ちの交換劇、どうやら神代選手も惑わされてしまったみたいです☆ あそこまで牌が見えていれば、普通{六}は通りますからね』

 

『これは天江選手の意地とも言えるでしょう! 狙ってやってもできることではない! それをなしえたのは天江選手の執念か――!』

 

 

 そしてそれは、龍門渕の控え室だけにとどまらなかった。宮守女子の控え室では、それぞれの驚愕が控え室を支配し、苦渋に満ちながらも、純粋に驚嘆と呼べる感情を浮かべていた。

 そして臨海女子では、

 

「みましたか、すごいですねあの人!」

 

「えぇ、えぇ見ましたとも、天江さん、もしかしたら三傑よりすごいんじゃないですか!? いえ、どっちもどっちですけども!」

 

 アン=ヘイリーと、ハンナ=ランドルフが、手を取り合ってはしゃぎまわっていた。無理もない、彼女たちは――今日はチーム事情を気にして闘っているため控えめだが――戦闘狂の変態、タニア=トムキンほどではないが、強者の存在を喜ばしいと思う程度のバトルマニアだ。

 そんな彼女たちが狂喜乱舞するレベルで、天江衣の闘牌は素晴らしかった。意識の奥底から牌を引き出すような、深淵のごとき打ち筋。時折相対することもあった、玄人の打ち筋――!

 

「こんなすごい人がたくさんいるのが麻雀です! やっぱり麻雀、楽しいですよね!?」

 

「そうですねぇそうですねぇ! こんなに色々な人がいるのなら、麻雀が楽しいのもしかたないです!」

 

 アンの言葉を、ハンナが全力の笑みでもって応える。それを周囲で眺めるダヴァンもシャロンも、やれやれといった嘆息でもって、それを眺めるのだった。

 

 

 ――そして、観客席でも、控え室でも、対局室でもないところ。人気のないモニターの存在する一角。二人の少女が、少しばかり感嘆したようにしていた。

 

「……神代さん、天江さん。ふたりともすごい」

 

「まったくだな……正直、相手にするのも面倒なレベルだぞ」

 

「ねぇ、どっちが勝つと思う?」

 

「天江衣だろ、いつものお前みたいに完全に神代を手玉に取ってるぞ」

 

 長髪の少女がそんなふうに答えると、もう一人の少女は一度お菓子を口に含んで、それを飲み込んでからそれに対して言葉を返す。

 

「どうかな、神代さんはまだ全部のチカラを使い尽くしてるわけじゃないみたい」

 

「……どういうことだ?」

 

「うぅん。なんでもない、鏡で見ないと正確なことは言えないから」

 

「ふぅん……」

 

 少しばかり、不満気である、といった様子だったが、しかしどうせこのまま何事も無く終わるのならばそれでいい、起こるのであれば、それもまた、といった風に考えたのだろう。――少女は、モニターに視線を揺らし、そして――――

 

 

 観客席は、湧いていた。

 無理もない、天江衣のアクロバティックな闘牌が、神代小蒔の急所にぐさりと突き刺さったのだ。

 

 人とは思えないほどの実力を見せながら、等身大の闘牌を見せる天江衣、人ならざる場所に棲み、人とは隔絶した麻雀を打つ神代小蒔。――どちらが人の心を震わせるか、語る必要はなかろう。

 神代小蒔は異世界に居る。人とは決定的に“異なる”場所に居る。

 しかし、天江衣のいる場所は、決定的に“観客自身”とは“別する”世界であっても、“異なる”世界に存在しない。手を伸ばせば届く場所、そこに衣は立っているのだ。

 

 ――だから人は衣に魅了される。

 アン=ヘイリーがそうであるように。宮永照がそうであるように。天江衣もまた、魔物も人も超越した場所に、立つからこそ人を惹きつけるのだ。

 

 渡瀬々のように。

 龍門渕の仲間たちのように。

 

 ――そして、

 

 

 ――あらゆるものが、衣の勝利に湧いていた。あらゆるものが、衣の勝利を疑わなかった。

 

 

 ――――故に。

 

 

 直後、彼らの意識は、今日最後の驚愕に、支配されることとなる。

 

 

 ――南三局一本場、親衣――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「――――ツモ」

 

 

 それは、衣の打牌直後、神代の発した宣言だった。

 

 ――小蒔手牌――

 {二二九九⑤⑤⑧⑧11西西6横6}

 

 チートイツツモは――800、1600。低くはないが、決して高いなどとはいえない中庸の手。――しかし、神代小蒔はそれに一つの役を加える。

 

 

「――――()()

 

 

 それは、衣の勝利を信じ――

 

 ――確信し、

 

 

 ――――見守っていたものを、どん底に突き落とすかのような、宣言だった。

 

 

「8000、16000」

 

・永水 『134800』(+32000)

 ↑

・臨海 『104500』(-8000)

・宮守 『58400』(-8000)

・龍門渕『102300』(-16000)

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

 会場中が、シン……と静まり返っていた。勝利を確信した状況から、盤面を完全にひっくり返されるような状況は、しかしオーラスという空気によって変質する。

 結局、現在の状況は、トップと三位が入れ替わり、そしてその三位も、二位との点差は殆ど無いというところに尽きる。

 

 たとえ衣が三位に落ちようと、少しばかりの打点さえあれば、二位で決勝に行くことも可能なのだ。故にこのオーラスは衣対神代の構図から、完全に宮守を除く三校の、決勝進出を賭けた争いへと変質していた。

 

 それを理解した上で、しかし――と衣は考える。

 

()()()、和了ってくるか神代――! これで衣は三位転落。一度和了する必要はあるが、結局はかなりの好条件でオーラスを迎えることとなった)

 

 ラス親は神代小蒔である。トップである彼女が和了しようと、和了しまいと、この半荘は間違いなく、この局で終わる。故に、だ。衣にはある思考が浮かんでいた。

 

(――だからこそ、衣はここで絶対に、退くわけにはいかない。当たり前だ、ここで衣が諦めてしまえば、衣は神代に完敗した、ということになる! たとえ二位で決勝に進んだとしてもだ!)

 

 ここで衣が諦めてしまえば、神代と衣の対決は、衣は善戦したものの、神代の和了で決定的な敗北をした、そういうことに、なってしまう。

 それでは全く意味が無い。衣に必要とされているのは勝利、トップで龍門渕に帰ってくることだ。無論、無茶をするなと誰もが言うだろうが――ここでトップを目指すことが、無茶であるはずがない。

 ――意味が無いのだ。優勝の芽を持ち得ないまま決勝に進んでも、優勝ができないのであれば、最初から決勝に進む意味は無い。

 

(そういう意味では、この準決勝。だれもが優勝のために決勝へ進む資格がある。宮守も――)

 

 

 ――白望手牌――

 {二三四七2266689發發(横8)}

 

(難しい、手牌。――けど、これなら決して、勝ちにつながらない和了りになることはない。迷うしか無い、迷って迷って進むしか無い。――けど、諦めるという選択をするには、宮守女子は安くはない……かな)

 

 白望/打{七}

 

 

 目を向けた先では、白望が躊躇うことなく第一打を放った。彼女の視線には、覇気こそ宿らないものの、歪むことのない絶対の信念が垣間見ることができる。それが白望の強さであるのだ。――迷いはするが、曲がらない。故に正しい選択を、得る。小瀬川白望の気質であった。

 

(――そして、臨海も)

 

 

 ――タニア手牌――

 {12③③④④⑤⑦⑧88北發(横⑥)}

 

(こんなトコロで、負けたまま終れるはずがない。負けるっていうのはつまらないんだ。目の前でこんなすごい闘牌魅せられちゃったら、麻雀がしたくてしたくて仕方なくなる! 私は、必ずこの手を三倍満に仕上げてやるよ!)

 

 タニア/打{北}

 

 

 衣の視線の先で、タニアが第一打を選択する。そこにタニアの迷いはない。ただただ強いモノとぶつかりあいたい。あらゆるものを溶け合わせ、すべてを掛けて仕合たい。――故の、少女。タニア=トムキンである。

 

(なればこそ、だ。――勝つぞ、衣が神代小蒔に、勝ってこの半荘を、終えるぞ――!)

 

 そして、最後に――天江衣本人が、自身に宿る魔物と人の意思でもって、最初のツモへ、手を伸ばす。

 

(衣は、衣のチカラと意思と選択で、神の上を、越えてゆく――!)

 

 オーラス。誰もが勝利を目指すこの準決勝卓で、天江衣の闘牌が、始まった。

 

 ――龍門渕控え室――

 

「……大丈夫かな、衣」

 

「信じるしかありませんわね……二位をまくる条件がそれなりに好条件とはいえ、三位は三位、自分以外の誰かが和了れば負けてしまう順位。正直、難しいと言わざるを得ませんわ」

 

 一と透華が、それぞれ視線をかわして会話する。天江衣は今もまだ闘っている。少しずつ手を進め、完成へと向かっている。それを信じるからこそ、両者は同時に、不安を口にしているのだ。

 

 信頼は、言葉でなくとも表せられる。しかし不安は、言葉でなければ伝えられない。ただ黙っているだけでは、ダメなのだ。

 別の場所、水穂が口火を切って、会話を交える。

 

「ここからは完全に、衣が勝負を決めに行くか、他の誰かがそれを阻止するか、状況はそんな闘いだよね。――全員、真向からそれを否定してはいるけどさ」

 

「宮守女子はダブル役満。臨海女子は三倍満、か。――だれも二位に興味なんて無いみてーだな」

 

「全力で……前傾」

 

 智樹がそう評すると、そこに水穂が割って入った。

 

「そうじゃなきゃ意味が無いんだよ。なにせこの次は決勝。何が何でも優勝を目指したくもなるでしょう? その時に、負けたまま決勝に行くんじゃあ、自分たちの実力に不安が残るからね」

 

 宮守女子の場合は、それ以前に役満でも二位になれないという状況もあるが――出和了りはハナから望んでいないだろう。で、あるならば、間違いなくあの手はツモ和了でダブル役満になるような手を作るはずだ。

 

「……瀬々? どうしたの?」

 

 ――そこでふと、一が気がついたように瀬々へ問いかける。ぼーっと、何事かを考えているようだった瀬々は、しかしそれではっとしたように、顔を上げる。

 倍満直撃で飛び上がり、そのまま地和で座るタイミングを逸した一と、座ったままの瀬々では、見上げる視界と見下げる視界が成立するほどに、目線がずれて、いるようだった。

 

「ん? なんでもないさ。なーんでも、な」

 

「……瀬々はこの勝負、どう見るの? 衣は勝てると思う?」

 

「いや、それは別に心配してねーけど。でもなんか変な感じなんだよな。よくわかんないけどさ」

 

「……? 変なの」

 

 ――同意する。思考の中で瀬々は頷いた。

 自分の中の感覚を、瀬々はうまくつかめていないのだ。答えを理解できない、複雑な解を理解できない時のそれ。この場合は、きっと衣のオカルトがそうなのだろう。

 

(――掴めねぇよ。なんでか知らんが、それは分かる。……なんでだ? 一体あたしは、何が解ってるっつーんだ?)

 

 それに、と衣のことを思い、思考をつなげる。

 

(それに、衣は多分神を、かつての自分を敵として見てる。昔はそれに、すがるしかなかったはずの女の子が、今は“それ”を敵として相対することができるようになっている。それだけ衣は、つよくなったんだろうな)

 

 それだけ衣は――多くの世界を渡り歩いて来たのだろう。

 天衣無縫に、別け隔てなく、多くの世界を見てきたのだろう。

 

(――なんとなく、それをあたしは寂しいと思ってる。それって間違ってることなんだろうか。思っちゃいけないことなんだろうか。……わっかんねーや)

 

 一人自分の思考に沈む瀬々。そこには己自身と、天江衣の姿だけが映っていて――

 

 

 ――そんな瀬々を脇において、状況は大きな変質を見せていた。

 

「――衣の手」

 

「なんだよ、なんなんだよったくよぉ! すげぇってもんじゃねーぞ!」

 

 智樹が思わずぽつりとこぼして、純があくまで楽しげに、言葉を放つ。その場に居る瀬々を除いた誰も彼もが、衣の手牌に湧いていた。

 

 ――衣手牌――

 {一八九⑨19東南西北白發中(横①)}

 

「誰だって……神代小蒔のチカラがどういうものかって言うことを聞けば、こういうことは思いつくけどね……」

 

「実際に行動するのは、普通むりですわ?」

 

 水穂の嘆息に、どこか感嘆とした様子で透華が追従する。とはいえどちらも、衣のこの手を、あくまで好意的に受け止めていた。

 

「瀬々、すごいよ瀬々! 衣ってば、役満テンパイ仕返したんだ!」

 

「――お、あ、うん。知ってる。っていうかそもそも問題が在るだろ。たしかにその手なら神代小蒔から直撃をとれるが、その神代小蒔がな……」

 

 言いながら、神代の手牌を指摘する。一に体を揺さぶられながら、瀬々はどこか面倒そうな視線で、神代の手牌を見た。

 

「――あ、あぁ……!」

 

 ――小蒔手牌――

 {二三四五9①東東南西北白中(横南)}

 

「これ、このまま行くとチートイツになるね。テンパイするよ普通に」

 

 ――瀬々がなんとはなしにいう。彼女の感覚は、間違い用もなくそれを告げていた。その正確さは、これまで瀬々と接してきた者達すべてがよく知っている。

 

「もしこれで和了なんてされたら……」

 

「問答無用で、私達敗退しちゃうよ!」

 

 じわじわと龍門渕の控え室に一つの色が広がっていく。それは敗退色。負けを恐れる感情の色――!

 息を呑む音がした。果たしてそれは誰のものか、だれの意識がそうさせたものか、判断はつかず、しかし周囲の総意として広がっていく。

 

「――まだだよ、まだ負けると決まったわけじゃない。もしもどっかで、今掴んでる以外のヤオチュー牌をつかめば、その時点でゲームセットさ」

 

 それを払しょくするように、今度は瀬々が皆を鼓舞する。ヤオチュー牌は十三種類。そのうち七種類をがめるとして、あと一種類プラスされれば、それで手牌は完成しなくなる。

 

「ここから国士になることはない。だったら、あとは神代が掴んでくれるのを待つだけさ。衣だって、そう思ってるはずだぜ?」

 

 ――モニターの向こう。衣の顔は歪まない。

 あくまで自然体。あくまで勝利へ向けた前傾姿勢で、小蒔の打牌を待っている。それを見た仲間たちは、衣を信じることにしたようだった。

 

 そして――

 

 ――小蒔/ツモ{西}

 

 神代のツモは進んで、

 

 ――小蒔/ツモ{北}

 

 山は、深く険しくなってゆく。

 

 ――小蒔/ツモ{白}

 

 しかし、

 

 ――小蒔/ツモ{中}

 

 

 神代の手が、止まることはなかった。

 

 

 ――小蒔手牌――

 {二①9東東南南西西白白中中(横9)}

 

 小蒔/打{二}

 

 リーチはかけず、続く自身のツモを待つ。ここまで、神代が手を止める要素は一切無く、衣のテンパイから直後、なんら迷いのないツモで、神代小蒔はテンパイまで進んだ。

 

 もうこうなってしまえば、後は最後の{①}を掴むか、掴まないかの勝負でしか無い。

 

 ――のるか、そるか。

 

 

 勝負は、次巡のツモに託されていた。

 

 

「――、」

 

 だれもが、沈黙したままその一瞬を見守っている。もはや、解説すらも、実況すらもこのインターハイ会場には響かない。

 だれもがわかっているのだ。次のツモで決着がつく。それは倫理的な思考ではなく、ごくごく直感的な感覚で持って。

 

 故に、言葉はなかった。

 

 挟める隙間も、理由もなかった。

 

 ――沈黙が。

 広まって。――広まって。――――広まって。

 

 言葉が消えて、世界が消えて。

 

 あらゆるものが掻き消えて。

 

 

 ――ふと、気がついたように、一が顔を動かした。

 

 

「――そういえば、瀬々」

 

「……ん?」

 

「瀬々にはこの決着、すでに答えとして見えてるの?」

 

 あぁ、と一度反応して、それから瀬々はモニターに目を向ける。衣の自摸切りが映っていた。それの意味することは、次巡に神代が、牌を掴むということだった。

 

 神代が手を振り上げる。ゆっくりと、意識を込めて、確かめるように。周囲の空気が、会場中の雰囲気が、それに引き寄せられるのが見て取れた。

 

 ――瀬々は、沈黙していた。

 

 牌を、掴む。たったそれだけの動作。しかしそれにかかった時間は、まさしく悠久のようであった。実際のそれは、ほんの数秒にも満たないというのに。

 

 ――瀬々は、沈黙していた。

 

 ゆっくりと手元に引き寄せて、ゆっくりと牌の表を自身に向ける。己の親指で隠された場所。――それを空けるように、指をずらしていく。

 

 

 そして、瀬々がそこで口を開いた。

 

 

「――見えてるさ」

 

 モニターの向こうに、神代がいて、衣がいて、小瀬川白望に、タニア=トムキンもいて。対局の結果を見守っている。

 

「けれども、わからないんだよ。なんでそれがそうなるのか」

 

 控え室で、龍門渕のメンバーが、永水の、宮守の、臨海女子のメンバーが。対局の行く末を、沈黙によって待ち続けている。

 観客席で、テレビの向こうで、とある会場の一角で、――あらゆる人が、その決着を――――

 

「――なんで神代が、自分の和了り牌を――――」

 

 

 言葉の直後。――刹那、世界の空気が、徹底的に、完膚なきまでに、徹頭徹尾死滅して、消え失せた。

 

 

 そこには、対局の決着が、準決勝を決定づける最後の牌が、――明らかとなっていた。




一体何もry


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『激戦を終えて』大将戦⑤

「けれども、わからないんだよ。なんでそれがそうなるのか」

 

 瀬々の声が、しん、と静まり返った室内に響く。透華が、水穂が、純が、智樹が、一が――その言葉に神経すべてを集中させているかのようだった。

 

「――なんで神代が、自分の和了り牌を――――」

 

 瀬々は、言葉をたっぷりタメたわけではない。

 しかしそれでも、瀬々の言葉には空白があった。時間が歪み、感覚が曲がった。故に瀬々が続けて放った言葉には、一の意識を、喰らうだけのチカラがあった。

 

 

「――――掴めないのか、って」

 

 

 ――小蒔/ツモ{白}

 

 

「――――、」

 

 誰もが、放心したように言葉を逸した。何を伝えるべきか、迷いに迷った。――長かった闘いが終わる。その終幕に、自身が持ち込むべき言葉を、持ち合わせていなかった。

 

 ――衣が親倍を直撃させた時。

 

 ――神代が役満を聴牌した時。

 

 ――衣が国士を完成させた時。

 

 ――神代が手を進めていた時。

 

 

 どれもこれもが、時を止めたかのようだった。だれもかれもが、時が止まったかのように感じた。

 

 

 人外と、人外をその身に宿した少女の決闘は、それほどまでに、人の心を惹きつけるものがあったのだろう。手に汗握って緊迫し、手を叩いて歓声を上げ、何度も何度も、一喜一憂を繰り返す。

 そんな、楽しくて、楽しくて仕方がない、そんな闘牌が――終わった。

 

 ――小蒔/打{白}

 

 神代小蒔の一打でもって。

 

 ――天江衣の、発声でもって。

 

 

「…………ロン」

 

 

 ――衣手牌――

 {一九①⑨19東南西北白發中横白}

 

「国士無双十三面――32000!」

 

 

 インターハイ準決勝が、終了した。

 

 

 ♪

 

 

『大将戦、決着――!』

 

 モニターの向こうで、天江衣が立ち上がる。威風堂々、順風満帆といった様子で、軽く一礼をしてから立ち去って行く。晴れやかな顔は、少女の心意をよく表していた。

 

 ――天江衣:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――134300――

 

 続いて、同時にこの準決勝を勝ち抜いた、臨海女子のタニア=トムキンがその場を後にする。――非常に悔し気な顔。彼女は言ってしまえば“生き残った”だけなのだ。

 勝ちを狙えるだけの配牌を擁しながら、勝利につなげる事ができなかった。決勝に、大きな課題を残すこととなったのだ。

 

 ――タニア=トムキン:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――104500――

 

「……とんでもない闘牌だったな。まったく、お前も中々不幸だな」

 

「そうかな? べつに誰であろうと、私達は全力で勝ちに行くつもりだけど」

 

「…………そうだったな」

 

 ――ところで、と言った様子で、一人の少女がもう一人の少女に問いかける。

 

「ところで、最後のアレ。どういうわけであそこまで順調だった神代が掴めなかったんだ? あそこでいきなり{白}を掴んできたんだ?」

 

「アレは……多分神代さんの優先度が、当たり牌を刻子にするほうが高かった、っていうのと、神代さんが“地獄単騎を掴まない”っていうのが、重なったからじゃないかな」

 

 ――地獄単騎を、掴まない。それは神代小蒔が持つチカラの、おまけのようなものだった。これは端的に言えば、山の中に在る牌が一枚だけの場合、神代は掴んで来ない、というものだ。――つかめる牌は、王牌の中に収まっている、ということでもある。

 

 神代小蒔は、{①}をつかもうとしても掴めなかったのだ。そしてそれはある種、衣が十三面を掴んだ時から決定していたことでも在る。

 

「確かに、今のオーラス、天江の手に一枚{①}があって、神代自身が一枚掴んでいたが……だったらうち二枚の――一枚は王牌だとして、じゃあもう一枚はどこに言ったんだ? 誰かの手牌にはなかったぞ?」

 

「……さぁ」

 

「さぁって、お前…………」

 

 小首を傾げて表情のない顔でそっけない事を言った少女は、呆れる少女をよそにおいて、お菓子を口にほうばりながら立ち上がる。

 

「……準決勝終わったし、帰ろ?」

 

「…………そうだな」

 

 嘆息一つ、もう一人の少女も立ち上がり、その後に続く。もとより人気のない場所であったが、その少女達が消えた先には――もはや人の姿は、どこにも影一つ残らないのであった。

 

 

 ♪

 

 

 永水女子控え室。

 ――巫女少女たちの姿はない。役目を終えた神代を、二人が共に迎えに行っているのだ。それは神代小蒔への気遣いであり、――上級生である土御門清梅と、備尊を思ってのことなのだろう。

 

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――102800――

 

「終わっちゃったわね、インハイ」

 

「そうであるな……」

 

 たった二人だけの控え室。今はもうインハイを映すモニターは消してしまっているし、控え室は人の通る場所ではない。音一つすら掻き消えた世界で、清梅と尊は、肩を並べて三人がけのソファに腰掛けていた。

 

「お疲れ様、部活業と学生業、ついでに本業もやって、全部が全部大変だったわね」

 

「だが、不思議と満足しているよ。おかしいな、私は負けて、悔しいはずであるのにな」

 

 ぽつりぽつりと、談笑する両名の声音は、信じられないほどに穏やかだった。実感が無い、というのがよく当てはまるのかもしれない。

 ぐっと、体を伸ばして調子を確かめるようにする。はぁ、と漏れでたため息には、しかし熱を持っていなかった。どこか急遽なそれに、尊はもやもやとした表情を浮かべた。

 

「感情のオーバーフローね。自分でも自分が何を思っているのか、よくわかんないわ。それでいて、終わってしまったという時間がある。これは満足、と呼ぶべきものなのかしら?」

 

「尊にも私にも、個人戦があるわけだしなぁ……むしろ私は、レギュラーになれず裏方に回ってもらった、仲間たちに申し訳ないよ。巫女衆のチカラを借りてまで、今年は優勝を目指したというのにな」

 

 過去を回想するように、腕を組んでそれから嘆息気味に言葉を漏らす。どことなく遠い目をしながら、自身のすべてをぶつけてなお、敗北してまず真っ先に思い浮かべたのは、自分のことではなく仲間たちの事だった。

 不思議なことだ。実感が無い、というのもまったくもってその通り。清梅も尊も、今、自分たちがどうしてこうも平然としているのか、理解が及んでいないようだった。

 

 それからふと、思い至ったように尊がポン、と手をたたく。

 

「そういえば――清梅って昔、自分には人を背負って立つ才能はないってぼやいてたこと、なかったかしら? せいぜい自分はお山の大将だーって」

 

 土御門清梅は優秀な才女である。文武両道、麻雀から陰陽道まで、幅広く才覚を発揮する人間であるが、しかしそれでも、ひとつの分野において天才的な才能を発揮する――アン=ヘイリーのような――タイプではない。

 器用貧乏の秀才。それが清梅自身が自負する己の才能であった。

 

 それを思い出したと、ついでに指摘する尊。清梅にとっても、その言葉に偽りはない。これまで感じてきた、そして自分が甘んじてきた自評であるのだ。

 

「なんとなくだけど、そんな清梅にとって、インターハイで優勝を狙うっていうのは、ちょっと無茶だったんじゃないかしら」

 

「無自覚に、無理をしていたと? そんなつもりはないのであるが……」

 

 ポリポリと、頬を掻く。無茶をしてきた自覚など、無い。インターハイでの優勝は、神代小蒔という魔物が居たからこそ考えたことであり、彼女に大将を丸投げすることで、始めて成立する可能性であったのだ。

 先鋒として、清梅は奮闘したものの、勝敗の全ては、後続の巫女衆に任せるような布陣で永水女子はインハイに臨んでいた。

 

「もともと九州の界隈で、ちょっと名前が通ってるだけの清梅が、いきなり全国でその名を知らしめようなんて、無茶もいいところなのよ」

 

「……むぅ、そう言われてしまうと何も言えないのであるな」

 

 当たり前だ。そう尊は楽しそうに笑う。備尊は、土御門清梅のことを、深いところまで知り尽くしているつもりだ。だからこそ、清梅が気づかないような視点で、清梅の本質を語ることができる。

 そうして、尊は清梅の存在を、愛おしく、好ましく想っていくのだ。

 

「――私はね、そんな清梅の隣に入れてよかったと思ってる。あの夜に、貴方の秘密を知ったその時から、――貴方を深く知れた、その時から」

 

 なんとはなしに、尊は視線を窓へと揺らす。暗闇はどこまでも広がって、きっと明かりがどこにもなければ、かつて清梅の秘密を知ったその時と、同じように暗黒が世界を染めるのだろう。

 土御門清梅が、その中で悠然と、尊を救ってくれるのだろう。

 

「正直、今でもオカルトがどうとか、陰陽師がどうとか、よくわからないわ。でも、私はそれを“信じてよかった”そう思ってる。それはきっと、何よりも幸せなことなんだわ」

 

 視線を、一気に隣の清梅に引き戻し、それからくすりと、笑みを浮かべる。尊にとって、今の自分は清梅の隣に座るために、練磨し前に進み続けてきたのだ。

 この瞬間、目の前に映る清梅の姿は、どこか寂しげなものである。――そんな姿は見たくない、だから振り払いたい。意志を込めての笑みであった。

 

 清梅は、そんな尊の顔を、ちらりと伺うように垣間見た。それが、清梅を見ていた尊の笑みと重なって、思わず尊は顔を赤面させる。

 恥ずかしいところを見せてしまったような。こころを打たれてしまったかのような、ムズムズとする感覚、それをなんと呼べばいいのか、清梅には皆目検討もつかなかった。

 

「無理をしたから、その無理を自覚していないから、なんとなく心の整理がついていない。わからなくもないわ、私もレギュラーに選ばれた時、喜んでいいのかどうか解らなかったもの」

 

「そうである、な。とすれば、だ。――私はもしや、悲しいのかもしれないな。――悔しいのかもしれないな」

 

「だったらきっと、そのうち分かるわ。私が望まずとも、清梅が望んでいなくとも、ね?」

 

 ゆっくりと目を閉じて、尊は己の側から伝わってくる、清梅の吐息を感じ取る。なんだかむず痒いような気がして、清梅は恥ずかしそうに頬を掻いた。

 それから尊が、

 

「明日はきっと、雨がふるわ。私と貴方、二人分の雨が……ね」

 

 そんな風に、そっと漏らした。

 

 それから二人に言葉はなかった。どこか夢心地といった様子で、清梅も尊も、ソファに体をあずけるのだった――

 

 

 ♪

 

 

 ふたりきりの控え室。それは、何も永水女子だけが、そうであるというわけでもなかった。四位で敗退した宮守女子もまた、上級生の両名が、控え室に居残っていた。

 

 ――宮守女子(岩手)――

 ――58500――

 

「――終わっちまったな、インターハイ」

 

「……そうだね」

 

 両者ともに、大将戦オーラス終局間際には、立ち上がったまま両手を握りしめ画面に食らいついていた。誰よりも、この状況にのめり込んでいたと言えるかもしれない。

 ――結果、宮守は敗北。インターハイ準決勝で、最後の初出場校、ダークホースは姿を消すこととなった。

 

「楽しかったなぁ。最初は思い出作りと思って始めたけどサァ、白望達みたいな楽しい仲間もできたし、心音、アンタとも絆を再確認できた気がすんだ」

 

「……うん」

 

「なんとなく、私と心音の距離が、遠ざかってんじゃァないかって、思っちまったんだよな。今からしてみりゃ、私が勝手にそー考えて、微妙な距離を遠いもんだと勘違いしてたんだろうけどサァ」

 

「……うん」

 

 顔を天井へ向けながら、饒舌に口を動かす早海に、心音は生返事と言った様子で顔を俯けて話す。

 

「そんでもって丁度、心音が麻雀を始めたーって聞いて、マァ私もルールくらいは分かるからって誘ってさ……こんなところまでコれたのは、正直想定してなかったかな」

 

「……みんな、強かったもんね」

 

「すげーよな、白望、胡桃、塞。三人とも、普通にはない才能を持ってる。特に白望は、この準決勝大将戦でも、かなり頑張ってもらっちまったな」

 

「……今のオーダーを決めたのは部長の塞だけどね」

 

 心音も早海も、麻雀部を創設したのではなく、すでに存在していた麻雀部に参加したのだ。そのため部長は先に麻雀部を創設し、その部長となっていた塞であり、それは三年生が参加しても変わることはなかった。

 

「負けてもいい、てないうけどさ。ヤッパリただコテンパンにされたんじゃ、満足できるものもできねーよのよ。その点、ここまでこれたのは、本当に良かった」

 

「……そうかな」

 

「そぉだろ、全国に出場する芽もなかったような初心者が、いきなりこんな場所で名を残したんだぞ? 優秀なメンバーが奇跡的に揃った、っていうのはあるかもしれないが、そンでもだ」

 

「……そうだね」

 

 少しだけ、チラリと視線を心音にやって。早海はそれから何度か目を瞬かせると、更に続けて言葉を紡ぐ。

 

「もう、思い残すことなんざない、ってな感じだ。そんくらい、満足してる。楽しんでこれたよ心音、私はな」

 

「――私は」

 

 そこで、ずっとチカラのなかった心音の声音に、始めて意識と呼ぶべき者が点った。早海はそれを待っていたとばかりに、薄く笑みを浮かべて、それから続く言葉を待つ。

 

「負けてもいいって、本気で思ってた。無茶はしてほしくないって、思ってた」

 

 心音は――鵜浦心音は。

 

「早海が無茶してるのは、いつも隣で見ててわかってた。でも、なんにも言えなかったんだよね」

 

 体を、生まれたての子鹿のように震わせて。

 

「正直、言って否定されるのが怖かった。もっと無茶し始めないかって、そういうのが怖かった。――シロに背中を押してもらえなくちゃ、多分何も、言えなかっただろうなぁ」

 

 顔を、髪で覆ってしまうほどにうつむかせて。

 

「それでさ、自分が思ってることを語って、それで満足して――後はもう、負けても笑ってかえるだけ、明日には、いつもの私になってる。そう思ってたはずなんだ」

 

 ――そして、

 

 

「――そう、思ってたはずなんだ」

 

 

 一筋の、涙が頬を伝っていった。

 

 

「……心音」

 

 一度決壊した堤防は、もはやその用を為さない。流れでた涙が、やがて止めどなく、鵜浦心音の瞳から流れていった。

 ――早海は、ぽつりと言葉を漏らして、それから何事か、言葉を躊躇うようにした。

 

「おかしいなぁ、涙がとまんないよ早海。悔しくなんか、ぜーんぜん、なかったはずなんだけどなぁ」

 

「……ごめん。無茶させちって。本当だったら、無茶をするのは私のはずなんだけどな」

 

 ――五日市早海が無茶をして、それを鵜浦心音が諌める。アクティブを担当するのが早海、パッシブを担当するのが心音、それぞれが、自身に在った役割を担う、それが本来の両名であったはずなのだ。

 

 しかしそれが、早海の焦燥によって、少しずつ崩れ始めた。関係が歪み始めたことにより、心音は自分の中に行動性を、早海は受動性を、望まずとも多少は宿していたのだ。

 

 そうしてそれらがこのインハイで、正しく元通りに解消された。故に、早海はそれまで抱えていた感情と、ようやく抱き始めた、自分にとっての正しい感情から、今まで耐えていた感情が、溢れだして止まらなくなったのだ。

 

「――心音」

 

「…………早海ぃ」

 

 互いの名前を呼び合った。

 確かめるように、たった一度だけ、自分の感情すべてを込めて、心音と早海は――名前を呼んだ。うわずった心音の声が、今にも声を上げて泣き出しそうな、そんな悲痛な音をひびかせる。

 バッと、勢い任せに、心音が早見の元へ、抱きついた。

 

「……泣いても、いーんだぞ?」

 

「――ッ」

 

 一言、心の鍵を開け放つように、放った早海のそれでもって、心音がついに慟哭する。耐えるように泣いていた少女の顔が、子どものように、悲しげに歪んだ。

 

「――――負けたくなかった! 勝ちたかった! もっと早海と一緒に打ちたかった!」

 

 すがるようにして、崩れ落ちるようにして、心音は声を張り上げる。胸に残ったすべての感情を吹き飛ばしていくかのように。

 

「悔しいよぅ! 悲しいよぅ! あぁ、ああ、ァァァあああああああああああぁぁぁぁぁぁ――――」

 

 精一杯、心音は泣いた。

 ――少しずつ歪み始めた心音と早海の関係に、メゲそうになって、泣きそうになって、こころをボロボロにしながらも、気丈に振舞い続けた少女の姿があった。

 二人が共につながり合って、正しく、隣に在れる存在となるよう、祈り続けた少女の姿が――あった。

 

 夏が終わって。少女たちの闘いは、思い出へと変わる。

 早海は、むせび泣く心音を抱きしめて、ぽつり、ぽつりと言葉を漏らす。

 

「――たくさん泣いて、ゆっくりと休もう、心音。私は泣かない。心音が私の分まで泣いてくれるから。私はアンタを支え続けるよ、何があろうと。――だって」

 

 言葉は、きっと心音に届くだろう。

 長かった悪夢が終わって、それでも隣には大切な人がいて。これからもずっと、隣あって、進んでゆくのだから。

 

 

「私たちは――比翼恋理のようなものなんだから」

 

 

 隣立ち、翼を広げる渡り鳥。それを己であると例えるように、早海は心音に語りかける。――そっと心音を胸から剥がし、向かい合うように、肩に手を添える。

 二人の瞳が、ほとんど同じ位置で重なった。

 

 頬を赤らめ、目をうるませて、心音はゆっくりと目を閉じる。早海はそれをおかしそうに笑って、そしてゆっくりと――――

 

 

 ♪

 

 

 敗退し、涙をのんで姿を消すものが居る。

 ――その逆に、勝利によって、前を向いて一歩を踏み出すものが居る。龍門渕高校は、準決勝を激しい闘いの末、トップで勝ち上がることとなった。

 

 先頭を行く、透華が後ろに控える者達に問いかける。言葉をかける。

 

「さて、今日は帰ってこのまますぐに寝ますわよ。正直、短期間でできる対策なんてたかが知れてますの。――純、智樹。対策はばっちり、抜かりなくって?」

 

 ちらりとやった視線の先には、純と智樹が並んでいた。反対側には一と水穂。そしてその後ろを、瀬々と衣が、並んで歩いた。

 

「あぁ、問題ないぜ、決勝に出てくる奴は、対策なんて打ちようがないか、対策を打つほど、特徴的な打ち方をしない」

 

「……やっても無意味」

 

「そ、それを大丈夫というのかな?」

 

 口をそろえる純と智樹に、一が軽く呆れ気味にツッコミを入れた。楽しげに水穂が笑い、透華もやれやれといった様子でため息をつく。

 

「どっちにしろ、対策を打てるような連中は明日も衣と地獄の特訓だからねー。透華だって、完璧ってわけでもないでしょ?」

 

「……まぁ、そうですわね。残念ながら」

 

「残念か? 衣は楽しいぞ!」

 

「いやー、まぁ残念じゃないのか? 衣だって別にあの状態で麻雀を打つのが楽しいってわけでもないだろうに」

 

 瀬々のツッコミに、納得したように衣が頷く。

 ――周囲に人影はない。すでに観客は会場からはけているし、せいぜい残っているのは準決勝を闘った四校の選手と、一部マスコミ程度のものだろう。

 入口手前の階段を降る。この先に執事であるハギヨシが待っているはずだ。

 

 龍門渕のメンバーは、ごくごくリラックスした様子で、階段を下った。そうしてそれは、全員が階段を離れた直後に起こった。

 

 

 ――爆発的な気配。最初に気がついたのは、透華、そして衣であった。

 

 

「――ッ!」

 

 声を殺して、勢い任せに振り返る。衣はすぐさまその正体を見つけた。顔を上げて、階段の先にいる、一人の少女を見つけた。

 

「――まったく、さっさと帰ろうとしたのに、どうしてそうすぐ迷子になれるんだ。結局マスコミの人に保護してもらってなかったらお前、一体いつホテルに戻れてたんだ?」

 

「迷ってない。それに、保護もされてない。あれはインタビューを受けていただけ」

 

「……同じだろ」

 

 ――その少女は、黒髪の長髪を持つ、一人の少女を伴って、そこに現れた。ゆっくりと入口に向かい、どうやらこのまま帰ろうとしているらしい。

 

 しかし、階段に一歩、足を伸ばそうとした瞬間に、思わず少女たちは足を止めていた。

 

「あ――」

 

「ん? どうし――」

 

 時が、止まった。

 

 空間に、無色の間隔が、広がってゆく。

 

 この場に居る誰もが、少女の名前を知っていた。インターハイを、特に今年のインターハイを語る上で、欠かせない人物のうち、一人。

 

 去年のインターハイで、彗星のごとく現れて、東東京の、せいぜい一強豪校程度でしかなかった白糸台高校を、優勝に導いた立役者。

 

 

 ――名を、宮永照。

 

 

 隣にもう一人の白糸台二年生レギュラー、弘世菫を連れて、――それは、運命という名に修飾された偶然か、はたまた誰かの決めた必然か。

 このインターハイ準決勝を終えた夜。龍門渕高校の前に――

 

 ――天江衣の前に、現れた。




以上で準決勝、全対局が終了しました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。


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『暮方交差線上の邂逅』

 天江衣も、宮永照も、お互いをじっと見つめたまま、その場に立ち尽くして、呆然としているようだった。体の中に生まれた感覚が、少女達を引き止めているのだ。

 

 最初に、その場で再起動したのは、龍門渕透華と弘世菫の両名だった。

 

「――な、お前……龍門渕か?」

 

「……弘世さん、ですの?」

 

 確かめるように、お互いに名前を呼び合う。――間違いない、自分の知っている少女だ。それを認識してやっと、それぞれがその場に居る理由を思い出す。

 ――弘世菫は白糸台の制服を着ている。宮永照もだ。

 

「……知り合い?」

 

 水穂が、小首を傾げて問いかける。菫も透華も、水穂は知っている。とはいえ菫は、大会に参加している選手の一人としか知らないのだ。

 ――菫には特徴的な打ち筋があるとはいえ、直接対決しない選手の名を、覚えるのは決して容易ではない。

 

「二年前の全中で、同卓したことがありますの。とても印象に残る打ち方をしていたものですから、覚えていたのですけど……ご本人でしたとは」

 

「私は……モニター越しにその姿を見た時、驚いたよ。龍門渕、という名は知っていたが、まさか龍門渕家のご子息だったとはね」

 

 懐かしそうに笑みを浮かべて、それから菫は言葉を続ける。

 

「実際に一目見て、やはりそうだと思ったが、健勝そうでなによりだ。まずは準決勝、トップ通過おめでとう」

 

「ありがとうございますわ、そちらも準決勝はトップで抜けられたようで……」

 

 ――透華は、衣との特訓に明け暮れていたため、準決勝の映像を実際に見ていたわけではない、それ以前のデータも、あくまで牌譜上のものだけだった。

 特徴的な打ち筋は似通っているとは言いがたかったため、名は同じでも、確信に至ることはできなかった。

 

「あぁ、これは、龍門渕さんがまとめ役か? すごいな、一年でその責任感。私には到底真似できそうにない」

 

「――そうかな、菫はすごく真面目だと思うけど」

 

 ふと、割って入るように照がぽつりと言葉を漏らした。心底アタリマエのことのように、何のためらいもなく、言葉を放った。

 はっと驚いたように菫は照をみて、それからなんとはなしに頬を掻きながらそれに答える。

 

「……あんまり素面でそんなことを言わないでくれ、照れる」

 

 ――照だけに、そんなことを口走りそうになった水穂は、それを耐えた自分を心のなかだけで褒め称えた。

 そんな水穂達周囲を差し置いて、透華と菫の会話が続く。

 

「こちらには、準決勝の観戦に?」

 

「あぁ、そうだな。私が照を誘ってきたんだ。気分転換になるぞ、って」

 

「……別にそんな心配しなくてもいいのに」

 

「自己主張が薄いから色々と不安になるんだよ、お前は」

 

 嘆息気味にそうぼやくと、それから菫は心機一転、と言った様子で更に話題を転換させる。

 

「それにしても、明後日にはもう決勝戦か」

 

「早いものですわね、なんだか夢のようにも思えますわ。――お互い副将として卓を囲むというのは、一体何の因果なのでしょうね」

 

「まったくだな――次は負けないぞ?」

 

 菫の言葉に、こちらこそ、透華は軽く微笑んで頷いた。

 

 ――そこで、旧友同士の会話も一段落。多少会話に間が開いて、それを見てか照が菫を伴って階段を下る。ゆっくりと、衣と視線が交差した。

 階段をすべて降りきって、衣と台場を同じにして、それから改めて向き合った。

 

 ここにきて、だろう。周囲がようやく現在の状況に気がついた。少数ながら残っていたマスコミ関係者たちが、龍門渕と宮永照の、邂逅を見て取ったのである。

 

「――おい、あれ、決勝をトップで進出した高校の大将同士じゃないか!」

 

「すごい画だな。対局室でもないのにこんな光景、そうそう見れるもんでもないぞ」

 

 にわかに周囲が沸き立っていた。カメラが何台か向けられシャッターが切られる。照は慣れた様子で人のよい営業スマイルを浮かべたが、逆に衣はそういったマスコミの目を集めることが苦手だ少し体を強張らせていた。

 ――とはいえ、すぐさま会話を打ち切ってその場を離れなかったのは、ごくごく単純に、隣立つ瀬々がそれを支えるように間髪入れず寄り添ったためだろう。

 

 瀬々がそれだけ思ったのだ。この邂逅は惜しい、と。この場で断ってしまうには、あまりに惜しい出会いである、と。

 それこそ自身とアン=ヘイリーのように、自身の世界に、多少以上の彩りを与える存在。衣にとってのそれが照であると、瀬々はなんとはなしに思ったのだ。

 

 ――アンは、少し違うだろう。彼女は人の心を揺るがす絶対的なカリスマを有するが、それは衣とよく似たたぐいのものだ。気の合う友人もしくは親友となるのなら想像が行くが、それぞれの人生観に影響をあたえるものはないだろう。

 

「……はじめまして、天江さん」

 

 照は、マスコミに対して浮かべていた処世術染みた笑みを引っ込め、素のままの様子で言葉をかける。そうであることが自然だと思ったから、そうであるように振舞っているのだ。

 

「――こちらこそ、こうも早く直接逢着することになるとはな」

 

「一応、菫は天江さんを見に来たっていってたけど、実際に会うとは思ってなかった」

 

「光栄の限りだ。が、それだけ申し訳ない気もするな。衣達も同様に、直接会場で準決勝の対局を見ておくべきだったか」

 

「ううん、私も自分の意思で行動することってあまりないから、お互い様」

 

 ――別に、照の意思が薄弱なわけではない。ごくごく単純に、遠出すれば二回に一回は菫を頼ることになるため、そのたびに小言を言われたくなかったために、外出を控えるようになったためだ。

 

「準決勝、おめでとう。それからお疲れ様。他の人達も……特に先鋒の、渡さん」

 

 準決勝にて、最も強者であるとされる者、それがアン=ヘイリーだ。無論それは衣や小蒔といった、新鋭の評価が多少低いというところに理由があるが――少なくとも彼女たちと並べて遜色が無いほどには、アンという少女は強敵であった。

 ――人の心に残る少女であった。

 

「――どーも、まぁあたし自身課題が多くて頭は痛いけどね、完勝できた衣とは違うよ」

 

 自嘲気味に瀬々は言う。それは、どこまでも偽ざる本音であり、しかし同時に自身の中に宿った意気込みであった。――焦燥、でもあっただろう。

 

 瀬々は衣と神代の対決を完勝、とは形容したものの、収支的には衣が敗北してはいるのだが、さすがに役満二回の親被りを考慮しないというのは問題があろう。しかも片方は地和、片方は三巡目での和了。止めようのない役満である。衣自身、それ以上に稼いで勝てばいいと、切り捨てていたようだった。

 

「……まぁ、そうだな。そちらはまぁ、何の仔細もないようでなによりだな」

 

 衣は、少しばかりことなげに、嘆息混じりに返答する。――その様子に、ふと瀬々が視線を向けると、それに気がついたのだろうか、衣はすぐに軽く笑みを浮かべて照を見た。

 

「皆さん強くて、少し大変だったけど、何とか勝つことができてよかった」

 

「なんだか小学生みたいな感想だな」

 

 とはいえ、それ以上に言い様がないのは事実だろう。わざわざ対局者の解説をするのも無粋というものだし、対局者達の奮戦があったのもまた事実。

 照はそれを本音として、端的に述べただけだ。無論、語彙が少ないだけとも言える。

 

「明日は……どうするの?」

 

「特訓だな、瀬々はまだまだこれから延びる。少しでも衣はその手伝いをしたいのだ」

 

 ――たった一日とはいえ、それに大きく精神性が影響されたものもいた。国広一は、もう第二回戦の時のような対局はしないだろう。

 

「そういえば、準決勝の次鋒戦はすごかった。いい対局を見せてくれてありがとう」

 

「え? ぼ、ボクですか?」

 

 そんな一に、照は素直な礼をいう。もともと期待していなかったのだ。あのような対局をした人間を、照が好むはずもない。

 そしてそんな照の思考を、完全にひっくり返すほど、今日の一は奮戦していた。マイナス収支ではあったものの、後半戦ではきっちりプラスで終えている。一万点を越えずに終えたその事実だけで、十分と言える成果だろう。

 

 それから、照と衣と、それから菫に龍門渕メンバーは、しばしの歓談を楽しんだ。大会が終わってからのこと、個人戦のこと――個人戦では衣、瀬々、そして水穂が大会を勝ち抜いていた――といったもの。

 それぞれ他校の、全く事情の違う者同士ではあったが、それこそアンと瀬々のように、それ相応の交流であったことは、間違い用のないことだ。

 

 ひとしきり会話を終えて、さてどうしたものか、と言ったところで、龍門渕のスーパー執事、ハギヨシがその場に突如として現れた。

 なんでも戻りの遅い龍門渕メンバーを心配してここまで来たのだとか。

 

 もはや気がつけば、以上の言葉はない。いつの間にか、時刻はだいぶ夜も更けてきているようだった。それを知ってか、興奮気味だった衣の緊張も、ここに来て途切れ、大きなあくびを漏らす。

 夜が弱いのだろうな、と言葉にせずともなんとはなしに思った照と菫。なんとなくそれは全員察したが、間違ってはいないのだから、誰も否定するものはいなかった。

 

「――天江さん。貴方の闘牌は素晴らしかった。それと今すぐにでも闘ってみたいと思う自分がいる」

 

 そうして最後に、締めくくるように照が言葉を紡いでいく。謳うように、奮うように語られるそれは、まさしく強者のものであった。

 

「だからこそ、貴方に対して言葉を送りたい。健闘を祈る、と。その上で私達に――私に勝利を、と」

 

 ――それに対して、ある種の違和感を覚えたのは瀬々だけであった。いや、菫も多少は感づいていたのだろうが、彼女はそれを表情に出さなかった。少なくとも、それはおそらく、瀬々と菫の持つ経験の差であろうことは、想像に難くない。

 宮永照は、誰かに向けて語るかのように、言うのだ。

 

「…………衣も、だ。衣もそれは同一に思う。こうしてこの場所この瞬間で、邂逅がかなった奇跡を嬉しく思うよ」

 

「――私は、全力で次の決勝に望むつもり。そのために、お互い健闘を尽くすこととしよう」

 

「あぁ、そしてその勝負の結末が、己の勝利であることを望む」

 

「……私もだ」

 

 言葉を交わし、己が瞳に炎をともす。それが最大限の意思表示であるとわかるから。――衣と照は、自然と二人で握手をして、それからその場を――離れることとなった。

 

 

 ♪

 

 

 宮永照との邂逅。

 思わぬ偶然ではあったものの、有益であったと文句なしに言えるものだったはずだ。衣にとって、照は始めて出会うたぐいの少女であるはずだ。それを、衣が面白いと、楽しいと思わないはずはない。

 

 瀬々は最初の内、そう考えていたのだ。

 

 ハギヨシの運転する社内において、うつらうつらとする衣の隣に陣取って、瀬々はどこかぼんやり思案していた。思い出すのは、先ほどの邂逅のこと。

 言葉の上では、照と衣はお互いの健闘を祈り、明後日の決勝へ向けて邂逅を終えていた。しかしそれを瀬々は、実際その通りには思うことができなかったのだ。

 

(――衣は、宮永照に対して何がしかの感情を抱いたはずだ。それはくやしいけど、あたしが衣に与えるような類のものじゃない、はず。とすれば――だ。きっと衣は、あたしの思うような感情は、抱かなかったってことだ)

 

 衣は決して自分で自分を抑えつけるような類ではない。そうではないような、生き方をしてきた。今更それを、この場で変えるほどもないだろう。

 マスコミが周囲にいたあの状況で、衣がそれを言い出さなかったのは、言い出す必要がなかったからだ。衣の隣に瀬々がたち、衣を支えたからこそだ。

 

 よって、衣は自分の言葉を嘘にはしない。だとすれば、瀬々が感じた衣の違和感は、誰かに語るものではないということ。胸のうちに秘めて、そのままにしておくためのもの。

 

(もしくは、あの場では語れなかっただけかもしれないな。いつか言葉にしてくれるなら、それはそれで問題はないけど、今はなんというか、暇だからな……もうちょっとだけ考えてみるか)

 

 あくびをひとつ。緊張が溶けて眠いのは、何も衣だけではない。少し見れば、周囲の者達もだいたい、どこか眠そうにしている。会話はない、誰かの眠りを妨げてしまうかと思えば、退屈を享受することのほうが第一であるように思えた。

 

(まさか恋の始まり――? いやいや、それはさすがになんか毒されすぎだ。ありえんありえん。まぁでも、衣が感じたのは、今まで思ったこともない感情だろう)

 

 おかしなことではない。あの時の衣が、いつもと違うように見えたのは間違いない。感じ取ったのは自身の感覚、気のせいという事もないだろう。

 その意識が、照に向いていたということも、また。

 

(じゃあ、なんだ? 怒り? 衣の怒りは、――あの時、先輩に浮かべたものがきっとそう。だから違う。そもそもなんで衣が誰かに怒らなくちゃ行けないんだ。衣にとって照は始めて出会うタイプの強者だぞ?)

 

 瀬々のように、オカルトだよりの半端者でもなく、アンのように――大沼秋一郎などとおなじような――技術の天頂に至るものである達人でもなく。

 最もフカシギで、最も超大である相手。

 

 宮永照は、絶対的な強者であり、得体のしれないオカルト雀士でもある。

 

(無論、別にそれは“あたしの知るところにおいて”ではあるが、それでも、だ。宮永照は、他に比べようの無い雀士、特別な雀士なんだ。そんな相手に対して、衣は一体どう考える?)

 

 ――恐怖? 怯え? それはない。衣にとって、未知とは恐怖ではないはずだ。渡瀬々という異物を、嬉々として受け入れた衣が、まさか宮永照に怯える理由は全くない。

 

(でも、あの時の衣は、どこか無理をしているように見えた。それは負の感情から来るんじゃないか? だとすれば衣は――――)

 

 なんとなくだが、見えた気がした。

 ――感覚に、手が震えたような気がした。はっとしたようにして目を見開いて、それからそれを集中するように、細めた。

 

 東京の夜が、溶けてゆくように駆けてまどろみ去ってゆく。瀬々の向ける視線の先は、そんな暗闇に満ちた世界であった。

 衣は、この世界を知っている。瀬々は、この世界を知っていた。

 今の瀬々は、どこにいるのだろう。衣はきっと、明るい世界に居るはずだ。

 

 

 ――だとすれば、衣の感じる感情は、未知への不可思議、不可思議への畏れ、畏怖ではないか?

 

 

(あぁ、なんだ)

 

 ――瀬々はようやく、考えを巡らせる自分自身の意思をはっきりさせた。

 不安なのだ。自分の立ち位置が。衣の浮かべる感情と、自分の今いる居場所の双方が。

 

(私は今、自分がどこにいるかもわからないんだ。――わかってないんだ、なにも、かも)

 

 自分の中に宿るオカルトが、分からない。壁を作って、遠ざけて――アン=ヘイリーの言葉を拒絶したのは、自分自身だ。

 

(そして、衣の感情に、私は()()()を覚えている。最悪なことに、同情という形で持って)

 

 

「――なぁ、瀬々」

 

 

 そんな時だった。

 衣が、言った。甘ったるいような声で、泡沫と現実と、それらの境界を曖昧にした、とろけてしまいそうな声でもって、言った。

 

「衣は……よく、わからない、んだ」

 

 ――ぽつりぽつりと漏らすそれは、果たして今の瀬々に語りかけているのか。それとも、夢のなかで語りかけるものが、こちらに漏れ出しているのか。

 瀬々には、()()()()()()。自分の感覚に、自分の意思で、蓋をした。

 

「――あやつは、宮永照は、衣が初めて出会う手合いだった」

 

 そうして、続けざまに、衣は言った。

 

 

「始めてだ……衣が、勝てるのかと、思ってしまう手合いはね」

 

 

 それが、宮永照であるかというように。

 天江衣は、宮永照の、強さを語った。




決勝戦に向けての因縁づくりと、今まで割りとスルーされてた瀬々にようやく出番が。
先鋒戦までにあと大体これ抜いて三話ほどお待ちいただく形になると思います。


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『懸想する二人』

『インターハイの偶然。超常者たちの邂逅』

 

 などと銘打った新聞が、だいたい今日の朝方に発行された。なんとはなしに手をとって、思わず購入してそれから、アンは一日中それを眺めていた。無論、臨海チーム内でのミーティング中はそうでもなかったが、それでも部屋にこもって、羨ましそうにそれを眺めては、ハンナに胡散臭そうな目線を向けられていた。

 そうこうしているうちに、いよいよハンナがしびれを切らしたのだろう、胡乱げな目つきで鬱陶しそうにしながら、アンに声をかけてきた。

 

「一体何をそんなに後悔することが在るんです? 常在着の身着のまま放蕩娘の貴方が」

 

 ぼすんと、高3女子の平均少し上の身長に見合った、あくまで平均的な体躯を、白い肌を透かすネグリジェと共にベッドに押し付けながら、ハンナは面倒そうな声で問いかけた。

 

「いやー、羨ましいんですよ、これ」

 

 ベッドに腰掛けながら、物憂げにしていた通常通りのアオザイ姿なアンが、新聞を手渡しハンナに見せる。そのままの態勢でハンナがそれを受け取ると、なんとはなしに目を落とす。

 

「えー、なになに? インハイ会場で天江衣と宮永照……現在の日本で最も強い高校生と、それに比肩しうる高校生の邂逅ですか。宮永さん、会場に来てたんですね」

 

「そのようですねー、で、それで関係者に捕まって、帰ろうとしたら偶然ばったり、だとか」

 

 なるほど、それは……とハンナは納得する。そんな強者が集まる状況に、アンが興味を示さないはずはない。タニアのようにいつかどこかの場所で闘えればそれでいい、なんてタイプでは決してないわけだ。

 アンは人を知りたがる。知りたがるから惹きつける。なんだかハンナ的には少しもやもやする話だが、そういう意味ではアンという少女はプレイガールというやつだ。人誑し、とも言える。

 

(――ほんと、綺麗な顔しますよね。こんなトコロも、誰かを惹きつけて仕方ないんでしょうけど、ちょっとむかっときます)

 

 老若男女問わず、アンのファンだという人間は多い、かく言うハンナも、そんなアンに惹かれている、ファンの一人とも言えるのだ。

 

(んー? そういえば、インハイ会場でわざわざ天江さんが一人になる理由ってないですね。んん? そうなると)

 

 思考。それがぽつりとハンナから漏れて出る。決して意図したわけではない。無意識から飛びでたような言葉であった。

 

「……あそこには龍門渕のレギュラーメンバー全員が居た、ということになりますか」

 

「…………お、そういえば」

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。アンははっとしたようにして、それから勢い良くベッドに倒れ込んでいた。

 見れば、悔しそうな顔は一層激しくなっている。

 

「はー、ということは瀬々まであそこに居たんですか……なんだか、急に瀬々に会いたくなって来ましたね、大会が終わったら遊ぶ約束、とりつけておかないと」

 

 ――大会中は、どうせ麻雀も打てないのだから、とアンは声をかけることもなかったのだ。どうやら渡瀬々は、アンにとってよほど興味をそそられる類の人間であったらしい。

 

「……何がそんなにアンをあの少女へ駆り立てるのです? そんなに新しい人がいいのですか?」

 

 少しばかり目を細めて、剣呑につぶやくハンナの言葉は、しかし意図したものかそうでないのか、アンの何の気負いもない言葉ですぐさま切り返される。

 

「いえまぁ、私自身、彼女に思うところがあるのですよ」

 

 唇をとがらせるハンナに見向きもせずに、倒れこんだままアンは続ける。

 

「私は今まで、いろいろな人を見て来ました。強い人、弱い人、強さの中に弱さを秘める人、弱くとも意思の強さで立ち上がろうとする人」

 

 ハンナは、曇らせていた表情を、何の偏りのない物へと変えて、黙る。口を挟まずに、次を待つことにした。

 

「中でもそうですね、自分から殻にこもったくせに、その殻から出たがっている奴は今のところ――おそらくこれからも、オンリーワンでしょうね。後は実態のない、幽霊のような意識の中に確固たる未来を描く、あの人とかね」

 

 言葉を、こぼしたかった。けれどもそれはできなかった。きっと、ハンナ自身がする必要のないことだと、理解しているからだろう。

 

「……そう、ですね。本当に、あの人は変な人です」

 

 代わりに漏れでたのは、アンと同様の印象を持つ、とある一人の女性のこと。近いけれども遠くにいる、そんなフカシギで、曖昧な世界を生きる人。

 

「そうですよ。瀬々は、そういったオンリーワンな人なのです。とはいえまぁ、そのオンリーワンが完成されすぎていて、私が手を出せる部分なんて殆ど無いんですけどね」

 

 ――なんとなく、安心した。

 ハンナは興味無さげにしながらも、大きく嘆息するように息を吐きだした。

 

「瀬々は、なんといいますか、弱い人です。けれども、同時に強い人でも在るんです」

 

「弱くて……強い?」

 

「――どんな人間にも、弱みというものはあります。私にだって、恐れるものくらいありますからね? 瀬々の場合、それが異様なほど強い……おそらくはハンナ、貴方以上ですよ」

 

「わ、私以上? ですが、あの人は貴方と同等に立てるほど、強烈な笑みを浮かべていましたよ? 普通、私以上の弱さを持っているというのなら、そんなことできるはずがありません!」

 

「サイコロ体、とでもいえばいいのですかね。物事には幾つもの見方というものがありますが、瀬々はその反射板のようなものです。――瀬々の立ち振舞には、“サイコロのような多面性がある”のですよ」

 

 良い人、悪い人、善い行動悪い行動、それらを判断するのは本人ではなく周囲の人の眼だ。つまり、見ようによってはそれは善にもなりうるし悪にもなりうる。それはサイコロ状の面によって成り立つのである。

 渡瀬々には、そんなサイコロと同様に、幾つもの顔がある。

 

 お人好しで周囲に合わせようと仮面を被る自分。

 面倒だ、鬱陶しいと他人を遠ざけようとする自分。

 天江衣の隣で、麻雀を思い切り楽しむ自分。

 それ以外にも、物憂げにする自分。強固な精神で幾度でも立ち上がる自分、心折れてしまった自分。数えきれないほどの瀬々がある。

 

「でも、そんなの人間であればだれだって持っているじゃないですか。アン、貴方の場合は自分の二面性が薄いから、そうやって考えてしまうのではないのですか?」

 

「――いいえ、違うのですよ。瀬々は違う。瀬々にとってそういった、普通であれば仮面でしかない自分が、違え用のない本当の自分であるのです」

 

 たとえば、人に媚びへつらうあまり、それが本当の自分になってしまったものが居るとしよう。しかしその人間は、本来であればもっと別の、ともすればもっと臆病な、誰とも仲良くすることのできない自分を持っているのかもしれない。

 

 ――そんな二面性は、ある種おかしくはない。嘘を本当に変える。実際の世界でも、創作の世界でもよくある光景だ。物語で例えれば、スパイとして主人公チームに潜入した者が主人公チームにほだされ、本来所属していた組織を脱する、といったところか。

 

「けれども、瀬々はそんなものではない。そんな単純な二面性では、測れないほどに“自分”を持っている。そしてそのどれもが、瀬々にとっての本物なのですよ」

 

「瀬々……渡瀬々、ねぇ」

 

 ハンナ=ストラウドは、渡瀬々をモニターの向こうでしか、見たことがない。たとえ在るとしても、それは遠目に、視界に入った一人物というだけだ。

 話に聞く少女は、気が効いて、世話焼きで。そして何より、モニターの向こうで楽しそうにアンと麻雀を打っていた。

 

「私は、麻雀が好きな人なら、どれだけ裏があっても、いつだって麻雀は楽しく打っていると思います。その瀬々という少女は、どうでしたか? 楽しそうに麻雀を打っていましたか?」

 

「楽しんでいるようでしたよ。それもまた、瀬々にとっての自分自身であるのでしょう。本当に楽しそうに――そして少しだけ悔しそうに、打っていました」

 

 ――悔しそうに、そう語ったアンの言葉に、ハンナはすぐ合点が行った。あの地和だ。あれを和了したとき、どうにも瀬々は不本意であるようだった。

 理由は簡単に想像がつく、あれは瀬々自身が望んで手繰り寄せたものではなく、得体のしれない何かに与えられたものであるためだ。

 

「――私にとって、麻雀とはとても楽しく、そしていつまでも打っていたいモノです。楽しい時間を、誰かと共有するために打つものです」

 

 ふと、漏れだすようにアンは語りだす。それはアン=ヘイリーの、歩んできた道であり、ハンナの良く知る、アンの後ろ姿であった。

 

「父と母と、見知らぬ人と仲間たちと、ライバルと強敵と、マダ牌に触れたばかりの者達と、麻雀を打つのが私の人生です。人々はともに卓を囲む中で、あまたの世界を見せてくれますから」

 

 ならば、渡瀬々とは一体何か――ハンナが言葉で問いかけるまでもないことだった。アンに取って遠い、果てしなく遠い別世界。手を伸ばしても届かない、しかし眼界の先に然りと存在している確かな世界。

 だからこそ、アンはそんな瀬々に惹かれるのだろう。手の届かない存在だから、伸ばそうとして、届かない場所に立っているから。

 ようやくわかった。アンにとってのハンナと瀬々は別の立ち位置に在る。ハンナは隣に、瀬々は遠くに。それならば、ハンナが瀬々のことをきにしていてもしょうがない。意味が無いことであるのだ。

 だというなら――

 

「ハンナ、私は明日、勝つつもりで決勝に望みます。瀬々に、龍門渕に、白糸台に。タニアだってそれは変わらないでしょう。だから――」

 

 準決勝、ふがいない形で自分たちが決勝に進んだことは紛れもない事実だ。副将戦までは、他者を寄せ付けないレベルでの闘いが可能であったが、大将戦は、そんなものをすべて吹き飛ばすような、戦いがあった。

 結局タニアも、三倍満を一向聴までは進めたものの、それ以上を進めることが叶わなかった。

 

 それがあるからこそ、アンは更にもう一つ分前を向き、言葉を選ぶ。

 

 

「――勝ちますよ、明日。何が何でも、あらゆる全てを賭けてでも」

 

 

 沈黙。少しだけ考えるようにして、ハンナはそれに応じた。

 

「……当たり前、ですよ」

 

 アンにとって、瀬々は敵だ。相対して、そして存在を確かめ合う存在だ。――ライバル、と呼び替えるのが正解だろう。

 だからこそ、アンは瀬々を、瀬々はアンを親しく接する。お互いの世界を、相手にしらしめるために。

 

 ならばハンナは、それに一つの華を添えよう。明日の団体戦、臨海の勝利で飾るために、自身に可能な最大限の方策を、打ってみようではないか。

 

「明日は――なりふりかまわず、全力で行きます。昨日の夜に永水だけをマークした打ち方はしません。本当の本気でもって、勝利を掴んで見せますよ」

 

 臨海女子は、本来であればとれたはずの最良のオーダーを、実力以外の理由からとれず、現在のオーダーは、無難ではあるものの、臨海が持つポテンシャルを完璧に利用することのできない不完全なオーダーになってしまっている。

 故に臨海はバケモノが大将に座る高校通しを一騎打ちの形でぶつけさせ、その隙間を縫い勝利する、そんな方策しか取れなくなっている。

 

 決勝に自分と龍門渕――龍門渕を選んだのは、大将が自分の意思で麻雀を打つため、宮永照との一騎打ちが永水の神代よりも期待できるためだ――を上げるため、永水を極端に抑える打ち方をした。その最もたるところが中堅のハンナであり、彼女は自分の持つ実力の殆どを、薄墨初美を抑えるために利用していたのだ。

 

 中堅戦では、それを目的とした枷が外れる。本来のハンナそのものの打ち筋で他家に挑める。きっとそのほうが、ハンナは対局でよく闘ってくるだろう。

 準決勝、臨海女子はふがいない戦いをしてきたのだ。それを悔しく重いからこそ、ハンナは勝利を望む。誰よりも強く、アンが勝利する姿を望む。

 

(――アン、貴方はあそこに、宮永照と天江衣の隣に混ざりたいと言った。それは私も反対しません。けれど、必要ないのですよ、必要ないのです)

 

 決意を新たに。

 

(貴方は必ず、私が勝利させて見せます。頂点の決戦なんて、なくていい。貴方が立つトップさえあれば、私は――それ以上の望みはないのです)

 

 

 ――ハンナ=ストラウドは、意識を明日の決勝へと、向けるのであった。




臨海女子の秘蔵っ子ことハンナさんは、まだIPS回想を残しています……!
次回は龍門渕御一行のお話。そして千里山白糸台のメンバー顔見せが終われば、先鋒戦スタートです!


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『閉幕前夜』

 長かったお祭りも、ひとつの区切りを迎えようとしている。団体戦が終われば、その次は個人戦。少女たちの祭典は、最初の山場を終えようとしているのだ。

 

 ――明日は決勝戦。そう思えば、対局に臨む龍門渕メンバーの意識は、そちらに向かっていくのが必定と言えた。

 そしてそれは、サポートメンバーである、井上純、沢村智紀の両名にも言えた。

 

 とはいえ、それが彼女たちを興奮させ続けるかと言えばそうではない。あくまで両名は卓の外で五人のレギュラーを支えるのが役目。それをわかっているからこそ、純と智紀はその興奮を、己の作業に対するモチベーションへと変えていた。

 

「そこの資料、ちょっととってくれねーか? あと蔵垣と江口のデータを俺のパソコンに送っといてくれ」

 

「……ん」

 

 人が八人ほど――レギュラーメンバープラス純、智紀で囲めるほどの――大きな机いっぱいに大量のファイルを広げ、純と智紀は一心不乱に作業を続けていた。

 純は受け渡されたファイルと、自身の端末に表示されたデータをひたすら見比べる。

 

「ついでに、七野紗耶香のデータ解析も終わったから、送っておく」

 

「お、ありがてぇな。じゃあ江口と蔵垣の整理は俺がやるから、弘瀬、遊馬のデータ整理、頼めるか?」

 

 室内には、両名の声と、パソコンの駆動音だけが響きわたっていた。余計な音は何もない、少女たちを邪魔するものは、その部屋に存在してはいないのだ。

 

「一緒に鴨下宮猫のデータも……できてたらヨロシク」

 

「おう、そっちは今完成するところ、……だ、っと!」

 

 言いながら、純は勢い任せにエンターキーを押す。それですべての編集が完了、保存を終えればいつでも智紀に受け渡せるものになる。

 それぞれのパソコンにデータが行き渡ると、ふぅ、と一息。純が嘆息混じりにつぶやく。

 

「やっぱ七野ってな、“そういう”雀士か。これだけ見ると、なんでアレだけ和了れるのか全くわかんねーな」

 

「瀬々いわく……完全な技術」

 

 ――この場にはいないが、データ班には欠かせない人材が一人、居る。渡瀬々はオカルトの正体を察知することのできる、誰にもない非常に有益な能力を持っている。それをよういれば、データだけでは判断のつかないオカルトの規則性も、顕にすることができる。

 現在本人は、オカルトを全開にした衣にころころされているところだろうが。

 

「技術つったって、ここまでできるんだったら普通に鳴きで速度を上げてけっつーのな。……いや、それを想定した打ち方もあるってわけか。あとでデータみてみるか、そういう和了をした場面が何度かあるかもしれねぇ」

 

「そうだと思ったから……そっちも検証しておいた」

 

「マジか! すげーな!」

 

 思わず喜びを交えた驚愕から、即座にパソコンの操作に移る純、智紀はちらりとそれを眺めながら、パソコンの作業が滞ることはなかった。

 複数の情報を正確に読み取る必要が、かつて求められていたためだろう。

 

「はーふーん、へー、ほー。なるほどなー」

 

「……面白い?」

 

 確信を持って確かめるように、智紀は言葉を投げかけてきた。興味深げにマウスを弄っていた純の手が、泊まる。

 

「あぁ、出来れば実際の流れを見て確かめてーが、そこら辺は実戦を見ておくしかねーな。それに相手するのは透華だ。これが流れならまぁ、――殺せるはずだ」

 

 龍門渕を率いる二大頭。そのうち一人であるところの透華は、オカルトを殺す技術を身につけた。それは完全な技術合戦ではまるで意味を成さないが、理不尽なオカルト集団を、自身と同一の、競い合いに引きずり下ろすことのできる特攻だ。

 

「最悪なのは……流れに沿っての闘牌じゃないとき?」

 

 ――そして、それは透華の技術で届かないような相手は、もしくは透華に流れのないような状況では、うまく機能しないということでも在る。

 事実、準決勝の副将戦、透華は大きな失点こそなかったものの、ほとんど存在感もなく、対局を終えている。

 

「あぁ、そこなんだよなぁ、副将ともなれば、どっちかってーとそういうオカルト系の手合いが先鋒、大将の激戦区の次に多いはずなんだが」

 

「ここまで見事に……当たらなかった」

 

 透華の技術は一級品だ。全国――どころか世界ジュニアでだって戦えるだけのチカラを持つ、日本屈指のデジタル雀士であることは間違いない。

 だが、それに対し、透華が苦戦するような相手は、デジタルとしての技術ではなく、アナログとしての技術を極めた手合いだ。

 

「――そういう点で、透華がもっとも副将で警戒するべきなのは白糸台の弘世菫だな。もともと直撃狙いを得意とするトリックスタイルの雀士だったが、白糸台に入って――おそらくは宮永のせいだな――化けやがった」

 

 精度の高い読みは、百発百中の千里眼に成り代わり。聴牌速度まで向上したというのだから異常の一言に尽きる。

 

「それなら……問題はないと思う」

 

「まぁ、それもそうか――」

 

 一言、智紀のそれに頷いて純は、意識をパソコンへ向け、自身の作業へと戻っていく。とはいえ、言葉は続けざまに放たれて――

 

 

「――弘世菫がオカルトを操る限り、うちの透華は無敵だからな」

 

 

 ――二人っきりの室内に、拡がっていった。

 

 

 ♪

 

 

 蒸気が部屋中を覆い尽くすように、広がっては少女たちの体を覆い尽くす。すでに湯船に沈められたそれは、どことなく水気を伴って、艶やかさを持っているかのようだった。

 周囲に人はいない。時間が時間であるということもあり、先ほど出て行った一人がいなくなったことで、現在、ホテルの大浴場は、龍門渕高校のレギュラーメンバー、国広一、龍門渕透華、そして依田水穂の三人による貸切状態となっていた。

 

「いやー、お二人ともおつかれさまー、特に一のほうは!」

 

 今日一日中、魔物状態の衣と対局し続けていた一に透華、両名を楽しげにねぎらう水穂。うんざりといった様子で、それに透華はだんまりを決め込み、一は苦笑い気味に返答した。

 

「あ、はは。いや、そう思うなら変わってくれると……」

 

「絶対にヤダ!」

 

 即答だった。瞬殺だった。それも、間髪入れずなどという話ですらなく、もはや完全に、遮って答えを吐き出していた。

 

「……実際、あの衣と打ち続けても、面白くないだろうことは確かですわ。衣自身が、あんな打ち方しかできないのなら、私もそれがイコール衣だと思うでしょうけど」

 

 透華が、嘆息気味に言葉を吐き出す。声にはどこか疲れが見え、現在この大浴場で最も温泉を満喫しているのは透華だ。

 

「そうだよねー、衣がああいう打ち方しかできないってことは、衣は孤独だったって意味だしね。……拒否できるわけないよ。でも、私の場合、どうなんだろうな」

 

 水穂は、少しばかりの自嘲を込めて嘆息した。一と透華の視線が、一斉に水穂へと向く。どういうことかと、問いかけるような視線だった。

 ――龍門渕透華は、言うまでもなくそういった打ち筋など気にしない豪胆な性格、国広一は透華に無理やりこの龍門渕へ連れて来られたような経緯があり、拒否はできないだろうし、彼女自身強い心を持っているから、恐怖はしても拒否はしないだろうという想像は付く。

 

 しかし、水穂はどうだろう。依田水穂は、一体どう思ってバケモノの衣に接するだろう。

 

「衣は、一人で戦況を全部ひっくり返すレベルの雀士だし、それが“あの”衣でも同じことだっていうのは、瀬々と闘っているのを見るだけでわかるし」

 

 ――衣には、超高速高打点のスタイルと、一向聴地獄による手牌支配がある。この内、どちらにも瀬々は対応できていなかった。終盤になるに連れ、多少はそれに対抗しうる手牌を引き寄せていたようだが、それでも支配を敗れるかどうかは半々だった。

 無論、衣が何の油断もなく、どちらも同時に使用し、瀬々を圧倒していたこともあるだろうが、どうやらこれは、瀬々の中にある一つの壁が、彼女を遮っていることによるらしい。

 

 全国最強クラスの先鋒に、ある程度であれば対抗しうる瀬々を、簡単に一捻りしてしまう衣の強さは、見ればみるほど、魔物じみたそれに感じた。

 ――その気配も、準決勝で激突した神代小蒔によく似ていた。

 

「やっぱり昔の私って、すっごくわがままだったんだよね、自分に気に入らない子がいれば、すぐにその子を追い出しちゃうし、周りに仕方なかった、なんて思わせてさ、馬鹿みたい」

 

「私は……ああやって、諦めを諭すのも間違いではないとは思いますわ。私は、ですけど」

 

 それでも、衣はそんな水穂を認めなかった。衣が認めなかったから、瀬々が一肌脱ぐような状況になったのだろう。

 一は何も言わなかった。少しだけ何かを思案するような顔で、会話には一切入ってくることはなかった。

 

「――うん、やっぱりね、こうやってみんなとこのインハイに来て、わかったことが在るよ」

 

 水穂は、湯船の縁に押し付けていた体を反転させて、天井を仰ぎ見るように体を伸ばす。あやふやな蒸気の霧は、見据えた先の天井をかき消し、しかし水穂に、安寧を与えているようだった。

 無理もないだろう。体は暖かな安らぎに抱かれ、浮かび上がる思考は、どこか幸せに満ちたものなのだから。

 

「私、すっごく肩のチカラが抜けたみたい。それこそ、憑き物が落ちたっていうか、肩の荷が下りたっていうか。――こんなに気楽に麻雀打ったの、あの時以来だ」

 

 “あの時”、水穂が己に課した罪を、重荷を透華はなんとはなしに知っている。瀬々のように感覚から答えを得たのではなく、水穂の残した、かつての牌譜の一端から。

 ただただがむしゃらひたすらに、己のすべてを掛けて麻雀を打ち、そしてそれは肩を並べて麻雀を打つ、友に捧げるものである。それが水穂にとっての、麻雀の原点であったのなら、

 

 ――たった一人、孤独に頂点を目指す彼女は、一体どれだけ寂しさを背負っていたのだろう。

 

 そしてそれは叶わないと、化け物じみた雀士たちに宣告された彼女は、一体どれだけの絶望を己に与えたのだろう。

 

 想像したくは、ない。

 想像できなくは、ない。

 

 それこそ、透華にとっての“あの時”、あの時見せられた瀬々の顔。悲しみによって、こころどころか、自分自身すら消失させた顏。

 胸を締め付けられて、苦しかったのは、今でも透華の感情にこびりついている。

 

「あぁそっか」

 

 ――語る、水穂の心の内には、一体その何倍の苦しみが、襲いかかっていたのだろう。

 

 水穂の顔は晴れやかだ。

 しかし、どこか寂しそうでも在る。――もっと、もっともっともっともっと、幸せに過ごしたかった。自分の中にあった枷を。外して世界を、歩きたかった。

 いまだからこそ、そう思う気持ちは強くなる。

 

 最後にぽつりと漏らした言葉。

 

 

「――もうインターハイは、終わっちゃうのか」

 

 

 水穂のそれは、透華には決して届かない、言葉であった。

 

 

 ♪

 

 

「なーあ、瀬々」

 

「ん? どうしたよ」

 

 ――夜もだいぶ更けてきて、明日に控えた決勝戦が、刻々と近づきつつあった。

 瀬々は椅子に腰掛け自身の持つ二台のパソコンを両手で器用に何やら弄り、すでに衣は眠気が襲いかかっているのだろう。布団にこもって、うつらうつらとしている状況。

 静かなものだ。パソコンの駆動音も殆ど無いし、衣の寝息もまだ聞こえてこない。

 どちらもどちら、意識を向けることのない状況。空白を、己の居場所とする状況。

 

 そんな時に、衣は眠気を引きずった甘ったるい声で瀬々に言葉を投げかける。瀬々は、何の気なしに、それに応えた。

 

「瀬々は、幸せを感じたことはあるか?」

 

「あるぞ? 少なくとも今は、幸せすぎて怖いくらいだ」

 

 かつて、一に語ったことでもある。幸せが、怖い。再び訪れる不幸が、怖い。

 

「そんなものだろう。幸せは、なれる。喜びは薄れていくものだ。かつての不幸によって得た幸せの実感は、やがて陳腐な日常の中で少しずつその姿を失い、消えてゆく。結果として残るのは、退屈な日常の中の、小さな浮き沈みだけだ」

 

「それは一も言ってたよ。幸福と不幸はイコールになる、って。そうか――じゃあ今は、別に幸せでもなんでもないんだな」

 

 ――誰もが目指す大舞台。それを前にして緊張する感覚は、果たして幸福か、否か。頂上決戦に向けて、逸る気持ちを抑える努力は、果たして幸福か、否か。

 そのどちらでもない、というのがある種の結論となるだろう。

 

 そも、今の衣と瀬々の立場は特殊なものだ。故に、通常の日常におけるそれとは異なる。――つまり、どれだけ特殊に感じても、幸福と不幸の二極論において分類が不可能であるのなら、それは陳腐と言えるのだ。

 幸福を感じる必要はない。

 不幸に身を投じる必要もない。

 

 それが今の瀬々であり、衣であった。

 

「衣はな、今が幸福であると悩まずとも言える。しかしその幸福の中に、かつての不幸の中にあった救いである、衣の親はいないのだ。それはある意味、ひとつの不幸ではあるよ」

 

 ――不意に、寂しさを感じる時がたまにある。

 瀬々が生きてきた中で、失ってきたものは数多い。しかし、それは、失って後悔の無いものがほとんどだ。しかし、それでも中には、失いたくないものだって、あった。

 

「なぁ瀬々よ。今日の麻雀、瀬々は何かをつかめたか?」

 

 ――唐突に、衣はそんなふうに話題を切り替えてきた。いきなりのことではあったが、瀬々はそれによどみなく答える。ある種彼女の特技と言えた。

 意識を、意図して切り替えているのである。

 

「多分、つかめた。けどさ、つかんでもなんにもならないんだよ。いったいあたしが何を得たのか、あたしにはさっぱり解らなかった」

 

 オカルトは、確かに瀬々へと宿っていた。それはなんら間違っていない。間違っていないからこそ、瀬々はそれを正しく認識することができなかった。

 言うなれば――与えられた兵器の、使用法を悟ることができなかった、ということか。

 

 衣は、そんな瀬々の顔を見た。

 少しだけ寂しそうに、胸元を両手でぎゅっと握り締めている。目を閉じて、感情のなかに渦巻く不明を、必死に飲み下そうとしているのだ。

 ――わからないから、考えるしか無い。答えられないから、求めるしか無い。

 

 瀬々とは、――渡瀬々とは、

 

 ――――それほどまでに、寂しい少女だった。

 

 意識が急激に昂ぶったのを感じた衣は、抑えきれず、思わず瀬々に問いかける。確かめるように、伺うように。そっと、瀬々に言葉を投げた。

 

 

「――なぁ、瀬々。……瀬々は愛を、知っているか?」

 

 

 はっとしたように、する。

 愛を、知っているか。――それは、何も異性に向けたものである必要はない。だれか、親しいものに向けたものでいい。

 

 しかし、それを瀬々は知らないのだ。与えられなかったから。本当なら知っていておかしくないはずのそれを、彼女は誰にも教えられずにそだったから。

 ――そして、そんなものを知る必要もなく、瀬々は答えを知るチカラを、持っていたから。

 

 

「……知らない、そんなの」

 

 

 未知なる思い。

 湧き上がる想い。

 

 ――それを抑えて瀬々は、なおもただ、そんなふうにつぶやくほか、なかった。




ぶっちゃけ水穂先輩だけあまったけど、龍門渕主従のところにインしておきました。
次回は今回名前出てきた千里山、白糸台の面子紹介と、先鋒戦開始まで。実況はお馴染みいつものあの二人です。


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――インターハイ・決勝戦――
『開闢の時』


 空が晴れ渡るその一日は、人の意識を上向かせる、よき日であることは間違いない。暑さに意識の回らない者たちも、そこに一つの意識を伴わせれば変わるだろう。

 ――インターハイ決勝戦。最強の高校を決める最後の決戦、当日である。

 

 幾つもの高校が、この場所を目指し闘ってきた。自身が歩む青春の頂点として、目標を持って歩み続けてきた。

 強豪だろうが、弱小だろうが何一つ関係なく、たったひとつの明白な目的に向かって、少女たちは行動を続けてきた。

 

 けれども、敗れてしまったものはいる。少数ではない。数多に満ちた、あらゆる少女たちがそうである。決勝に進み、卓に着くことが許されるのはたったの二十人。

 日本中のすべてを背負う、二十人である。

 

 最強の女子高生雀士を決める、たったひとつの大一番。一年にたった一度きりのお祭りにして決戦は、今日、この日を持って行われようとしている。

 

 少女たちの涙と想いの終着点に駒を進めたのは、強豪と新鋭の名を冠する高校たち。

 

 一つは、長野の地から、突如としてこのインターハイ決勝に姿を表した古豪にして新鋭。――龍門渕高校

 かつては全国に進んだとして、一回戦で姿を消すのが関の山であった高校が今年、化けた。怪物天江衣を筆頭に、インターミドルで名を馳せた龍門渕透華、そんな透華に比肩しうるデジタル的技術力を持つ国広一、国麻で活躍する依田水穂に、あのアン=ヘイリーに食らいつく実力を有する渡瀬々。非常に豪華な面々である。

 

 一つは、白糸台高校、去年のインターハイ覇者にして、現全国高校ランキング第一位、文字通り現在の最強たる高校であるが、その歴史は思いの外浅い。

 もとより、白糸台は全国においても、二回戦に駒を進める程度の実力はあった。しかし準決勝にまでそれを進めることは殆ど無い、言ってしまえば、奈良の晩成や兵庫の劔谷に近い実力を持つ高校であった。去年の実績を持ってもなお、白糸台は“新鋭”と言えた。

 それに変化をもたらしたのは、インハイチャンプ、宮永照。日本で最も強い、高校生雀士である。

 

 ――そして、それら新鋭の快進撃を阻まんとするのは、日本有数の伝統校。東と西、両雄と呼んで違いない強豪である。

 

 一つは関西の名門、千里山高校。北大坂最強の高校にして、強豪ひしめく関西において、姫松高校とともにツートップを走る関西の頂点。

 長い歴史からくるその豊富な人材は、時に多くのプロを排出してきた。特にここ最近は十年近い間、県代表の座を守り、多くの場合シード校としてこのインターハイにも参加している。今年は――同じ伝統校である姫松、新道寺にも言えることだが――二年生エースを起用した若々しいオーダー。今後に期待を持つとともに、今年の活躍を熱望される高校である。

 

 そして、最後の一つは、日本において最も異色な強さを誇る強豪、臨海女子。全オーダーが外人縛りであるこの高校は、好き嫌いこそわかれるものの、日本トップクラスの高校であることは誰の否定も入らない。

 特に今年は“自称”世界最強の三年生、アン=ヘイリーを先鋒に据えた布陣で挑む。そしてその親友、タニア=トムキンとハンナ=ストラウド、世界でもその名を轟かせる雀士たちが、最高学年としてチームを引っ張るのである。

 

 隠して出揃った決勝進出校。先鋒戦の開始が、その最初の顔合わせとなる。

 

 

 ♪

 

 

「セーラ、相手は割りとやばい相手やけど、気張ってくんやで?」

 

 長い黒髪、日本人らしい“正統派”と呼ぶべき美少女然とした容姿。名を――清水谷竜華。彼女の声援を背に、一人の少女が立ち上がる。

 

 江口セーラ、全国にその名を知らぬ高校生雀士はいない。インターミドル、インターハイ、国民麻雀大会。数ある日本の大会において、まったくもって歳相応でない非凡な成績を残す強者の一角。

 

「頼んますよ、セーラちゃん?」

 

「お願いしますー。最初が肝心だからね?」

 

 その後に続くのは、少し野暮ったいショートヘアーを、つまめる程度に一房結った茶色味がかった髪が特徴の少女。

 快活さをにじませるつり目と、八重歯をのぞかせる笑みは、どこかすばしっこい動物を思わせる。スレンダーかつ小柄な体型は、いよいよ彼女を健康そうに見せていた。

 

 ――七野紗耶香:三年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 

 もう一人は言葉遣いこそ訛りはないものの、聞けば分かる程度にイントネーションに訛りがありありと覗ける少女。

 黒髪のオカッパと、清浄な白泡を思わせる肌色が、おとなしめな印象を与える。身長はセーラとほぼ同等程度、平均ほどだろうか。

 

 ――穂積緋菜:三年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 

「はい、行ってきます!」

 

 元気よくそれにセーラがはにかんで答え、最初の一歩を、力強く踏み出す。――そこで、更に後を押すように、千里山レギュラーメンバー、最後の一人が立ち上がり声をかける。

 

 ――蔵垣るう子:三年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 

 ふんわりと、内側にウェーブがかった黒のセミロング。ロングスカートに両手を前に組んだ姿は、おしとやかさを十分に魅せているが、同じタイプの緋奈と比べると、若干緋奈のほうがクールさを持っているだろうか。どちらかと言うと竜華に近い、お嬢様タイプと言えた。

 

「……セーラさん、おまかせ、しますね?」

 

 多少の訛りは、京都の方に近いだろうか。常態が敬語なのだろう、それがより一層、楚々としたるう子の雰囲気を際立たせていた。

 

「まっかせてください! ちゃんとオレが、エースとしての仕事をしてきますから」

 

 もとより気の良い性格であるセーラ、軽く振り返り浮かべる笑みは、どことなく自身に満ちた、晴れやかなものであった。

 

 

 ♪

 

 

 決勝に向かう新鋭校がひとつ、前年度覇者は今年も健在である。そんな白糸台高校の一番手――三年生の少女が立ち上がる。

 

 ――遊馬美砂樹:三年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 

 白糸台高校の代表たる部長を務め、このレギュラーチームにおいても指揮をとる。その笑みはどこか大人びた艷を含んだもので、同時に自身に満ちた、カリスマを感じさせるものだ。

 

「――先輩」

 

 ――宮永照:二年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 

 そこに、少し特徴的な癖のある髪を持つ少女、宮永照が、少しばかり小さな音量で有るものの、声をかけた。

 

「……お願いします」

 

「あぁ、こちらこそ――」

 

 ちらりと、残る三人の少女に目を向ける。

 

「よろしくですのぉ」

 

 ――鴨下宮猫:三年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 

 三人がけのソファ、その右端を陣取り、ひざ掛けに体重を預けたまま、半目気味の少女がぼんやりと手を挙げる。特徴的二股にわかれた“耳のある”ニット帽が、動作によって軽く揺れる。

 

「よろしくねっ! 美砂樹さん!」

 

 ――彦根志保:三年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 

 茶色の髪を束ねてポニーテールにした、少女が元気よく敬礼のように右手をピシっと頭のあたりでポーズを決める。

 

「お願いします、先輩」

 

 ――弘世菫:二年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 

 最後の一人、弘世菫の言葉を持って、それに答えるように美砂樹がその場に立ち止まる。

 

「――後は任せたわ」

 

 たっぷりと抑揚をつけて、余裕たっぷりに思える、たったその一言でそれに答えて、美砂樹はインターハイ決勝の舞台へ向かう。

 

 

 ♪

 

 

『さぁー、ついに始まりました、日本最強を決める、全国一万人が目指してやまない最終決戦の地、インターハイ、決、勝、戦っ!』

 

 インハイにおける対局室は、四十八校の中からたった一校の生き残りを決める一回戦会場。少しばかりのグレードアップが施された、二回戦以降から使用される会場。

 そして決勝戦のために特別に敷設された決勝会場の三つに分けられる。

 中でも決勝会場は、その広さからして、一回戦会場のほぼ倍以上は確実に存在する上、決勝卓は中央に設けられた人間の体一つ分の高さはあるであろう舞台に設置されている。まさしく“頂点”というにふさわしい、といったところか。

 

『誰もがこの日を待ち望んだことでしょう! インハイをこよなく愛する麻雀ファンも、涙をのんで敗退した青春を生きる高校生も、そして――この舞台に実際に足を運ぶこととなる二十人の猛者たちも、――待たせたな、今この瞬間が一年にたった一度だけ許された、世紀の瞬間だ

――ッ!』

 

 頂上決戦の舞台に、最初に訪れたのは、小柄な体躯と、クセのある長髪を肩の辺りで結んだ、すこし無愛想な少女。

 ――龍門渕高校の一年生、渡瀬々である。

 一年生のレギュラー、というのはさほど珍しいものではない。龍門渕のようにメンバーの内四名が一年生という、極端なオーダーはほとんど無いが、それでも確かな実力を持ってレギュラーを任せられる人物は多くいるのだ。――わかりやすい所で言えば、準決勝で敗退した永水女子の神代小蒔がわかりやすいだろうか。

 しかし、一年生の先鋒、というくくりでみれば、“まったくいない”というのが正しい。準決勝に進んだ高校の中で、一年生を先鋒に据えていた高校は一つもない。

 ここ数年で見ても、一年生から先鋒を努め、準決勝まで駒を進めたのは新道寺の白水哩程度のものだ。

 

 故に、決勝にまで()試|()()()()()()で駒を進めた一年生先鋒であるところの瀬々は、“最強の一年生先鋒”と言って差支えのない実績を有している。

 ――で、あるならば、それが同時に、最強の先鋒であるかどうか、というのを決めるのは――この決勝戦の舞台が、相応しいに違いない。

 

『――実況は、私、福与恒子でお送りします! そして解説は、ご存知我らが日本最強!』

 

『え、えっと……小鍛治健夜です』

 

『日本最強を否定しないところがいつもの小鍛治プロですね!』

 

 そんな瀬々の前に立ちはだかるのは、高校3年生最強を自称する海外からの刺客。臨海女子のカリスマ、アン=ヘイリーだ。

 

『さぁ、まずはその前哨戦、決勝の今後を占う大事な一戦、先鋒戦だ! 決勝会場には続々と先鋒の選手が会場入りしているー!』

 

 いつだって崩さない不敵な笑み。それこそが、彼女の歩んできた歴史の証拠であり、彼女を形作る上で、最も浮かびやすい、象徴である。

 思うがままに一歩を踏み込み、自由気ままに立ち振る舞う。それが、アン=ヘイリーの、強者としての矜持であるのだ。

 

『中でも注目は一年生で唯一、この決勝戦に駒を進めた先鋒レギュラー、渡瀬々と、今年から先鋒として縦横無尽の活躍を見せる最強を“自称”する三年生、アン=ヘイリー!』

 

「――久し振りですね、瀬々。私のことを懸想して、一日中悶々としていませんでしたか?」

 

「……悪いね、あたしは衣との逢瀬に忙しいんだ。浮気している暇は無いんだよ」

 

 無愛想に応えた瀬々。その様子に、アンは少しばかり残念そうにする。どうやら相変わらず瀬々には、冗談は言えても、それを笑って嘯けるほどの余裕は持ち合わせていないようだ。

 

「瀬々、貴方は答えを見つけるのが得意だそうですが。自分に足りないものの答えというものを、解っていますか?」

 

「さてね、アンタは答えを知ってるんだろうが、あたしは知らない。知ろうとしても解らなかったから、これからちょっと聞きに行くことにする」

 

「――聞きに行く、ですか。いいですね、知ろうとすることを諦めるのでなければ、私はそれを肯定しますよ」

 

 両者ともに、インターハイの入り口に並びたっての、誰に聞かれるでもないような会話だった。アンが瀬々を意識しているのは有名な話だが、アンと瀬々の間に、一定の交流があることを知るものは、直接両者に関係のある者しか知らないことだ。

 

 そうして、

 

「あー、やっぱ制服ってなんかスースーするぅ」

 

 襟元をパタパタとさせながら、江口セーラがその後を追うように入場する。瀬々とアンの間にあった会話の雰囲気も、その頃には完全に霧散していた。

 

「インターハイ決勝……なんだかゾクゾクしちゃうわね」

 

 どちらかというといたずらっぽい、子どものような笑みを浮かべた美砂樹がそれの次に登場する。――これで四人だ。

 

 この中で最も早く決勝卓の舞台へのびる階段を駆け上ったアンが、四つ並べられた牌の内、一つをめくってから振り返る。

 

「さて――」

 

 瀬々がそれに続き、セーラが次に駆け足で階段を登りきり、牌をめくる。最後に少し間をおいて、美砂樹が自信の牌を掴んだ。

 

 

「――――この決勝戦、最高の舞台にしましょうか」

 

 

 アンの一声。

 

 ――アン=ヘイリー:北家―ー

 

 それぞれの席に手をかけて。

 

 ――渡瀬々:南家――

 

 対戦者を鋭い視線で睨み据える。

 

 ――江口セーラ:東家――

 

 それから、

 

 ――遊馬美砂樹:西家――

 

 アンは顔いっぱいに笑みを広げ。

 セーラは楽しげに好戦的な目つきを周囲につきつけ。

 美砂樹はなんとも言えない胡散臭い表情でそれに答える。

 

 ――そして瀬々が一人、黙するように眼を閉じて。

 

 

 ――四者は、先鋒戦開始の合図を待った。




というわけで先鋒戦、アンの無双を誰が止めるのかー、ということで次回を待っててください。


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『勝利を知る者』先鋒戦①

 ――東一局、親セーラ――

 ――ドラ表示牌「{6}」――

 

 どんな麻雀であろうと、立ち上がりというものは、おおよそ静かに始まるものだ。それぞれが意識を今に向け、しかし今後のことを見据える上では、もっとも余裕のある状態。

 故に、それぞれが手牌を吟味し、この対局中、もっともスタンダードといえるであろう打牌を選択する。

 

(――さて)

 

 ――セーラ手牌(理牌済み)――

 {三四②⑥⑧⑧⑨456西發中(横一)}

 

(最初のツモ自体はいらへんけど、この手牌はタンピンやし、タンヤオが消えて一翻下がる役牌はいらない。それにここから、多分二つも対子は重ならへん。オタ風は、安牌にも平和の対子にもなるしキープ、やな)

 

 セーラ/打{中}

 

 江口セーラの闘牌スタイルは極端な打点重視の火力型。当然たった一翻にしかならない役牌は最初から切り捨てて、タンピンにドラを乗せるような手を彼女は考える。

 その為の一打。ただ火力に頼るのではない。火力のある手を作るために必要かつ、守りにも入れるスマートな手を作るのが彼女のやり口だ。

 

 

(……正直、色々と不安はあるが、まずはひとつ、和了っていかないと)

 

 ――瀬々手牌――

 {一八九④⑦⑧⑨1119南北(横8)}

 

(ひどくはないけど、和了るには微妙くさい手牌。三色にいけって言ってるけど、自分のツモだけじゃどうやったって{七}が掴めないな。{④}が後で重なるし、三色ドラ1を鳴いて目指す形が最善か)

 

 瀬々/打{北}

 

 打牌自体は差して違和感はない。少なくともこの一打。他家から見て瀬々の意思は読み取れないだろう。万能と言っていいほどのチカラを持つ瀬々ではあるが、周囲からそれを感じ取る事ができない、というのが最もたる彼女の強みである。

 そうして選んだ一打とともに、瀬々は自分自身だけが垣間見ることのできる、答えに一歩を踏み出した。

 

 

(ふふ、これはこれは……)

 

 ――美砂樹手牌――

 {一五九④⑧⑨27東西北發白} {横3}(ツモ)

 

(もともと和了るのが私の仕事ではない、とはいえ、そもそも麻雀をする気すら減退する素敵な手牌ね。……一枚足りないのが小憎たらしいわ? まぁ、そういうことならそういうことで、いくらでもやりようは在るわね)

 

 和了るのはほぼ絶望的、九種九牌にも一枚足りない出来損ないの手牌に、やれやれといった様子で呆れ気味の苦笑を浮かべる。とはいえ、それが美砂樹の手を止める事はありえない。

 白糸台の絶対的エースは、言うまでもなく宮永照である。ならばただの三年生で、部長でしかない遊馬美砂樹が先鋒を務めるか、その理由は、彼女のスタイルが、先鋒に適しているためである。――意識を一つ、嘆息でもって切り替えて、遊馬美砂樹は前傾へと打牌を向ける。

 

 美砂樹/打{發}

 

 

(――、)

 

 ――アン手牌――

 {四六八④⑤⑨2446東中中(横七)}

 

 アン/打{東}

 

 ――今のアンに、足を止めうる牌は必要ない。ただ前に進むだけ。まずは鳴いて、一つを和了ろう。

 思考はすでに、意識するでもなくまとまっていた。打牌は、それに基づいてのもの。それを持って、アン=ヘイリーの、最初の選択に帰るのだ。

 

 セーラ/打{中}

 

「……ポンッ!」 {中中横中}

 

 アン/打{⑨}

 

 即座に右手を動かして、打牌の直後に晒した{中}をスライドする。勢い任せに叩きつけられた牌。それらは跳ね上がり。セーラの眼ががそちらへ向いた。

 そうなれば、そこへ納まるアンの右手に釣られ、自然と両者の視線が衝突する。ニヤリと挑発的な笑みを浮かべるアンとは対照的に、セーラはどこかふてくされたように、そこから視線をそらしていった。

 

 セーラ/自摸切り{東}

 

 瀬々/打{南}

 

 美砂樹/打{東}

 

 アン/ツモ{5}・打{四}

 

 何事も無く、状況は一巡。更にそれが動いたのは、続くセーラの打牌によるものだ。

 一瞬、牌を見て逡巡。しかし考えがまとまれば、自摸った牌を嫌そうに河へと放った。静かな打牌音が、響く。

 

 セーラ/自摸切り{7}

 

「チー」 {横789}

 

 そこに動いたのが、瀬々だ。狙いすましたかのように、セーラから{7}を鳴く。こちらはほとんど無音で、鳴いた牌を右端に寄せた。

 

 可笑しそうに笑うアン。瀬々はそれを無表情のまま睨むと、鳴きと同時にすでに晒していた牌を打牌する。

 

 瀬々/打{一}

 

 端から牌が三つも消えて、だいぶ手牌は縮んで見える。しかしそれはアンも同じ事。両者はまさしく、同じ場所に立っていた。

 ――その、一瞬だけは。

 

「チー」 {横①②③}

 

 アン/打{2}

 

 跳ね上がる打牌。――しまった、という様子で顔を伏せながら浮かべる美砂樹の笑みは、どこか苦渋の顔に似ていた。

 

 セーラ/自摸切り{九}

 

 こうなってしまえば後はもう、すでに聴牌を終えた、一人の雀士が和了するのを待つだけだ。

 

 瀬々/打{④}

 

 前に進もうとするものも、いないことはない。しかし届かないのだ。なぜならば、この卓における絶対的な強者は、すでに決まっているからだ。

 

 美砂樹/自摸切り{④}

 

 ――それは、彼女をおいて他にいない。そう、アン=ヘイリー以外には。

 

 

「――ツモ。500、1000」

 

 

 ――アン手牌――

 {六七八4456横7} {横①②③} {中中横中}

 

・臨海 『102000』(+2000)

 ↑

・龍門渕『99500』(-500)

・白糸台『99500』(-500)

・千里山『99000』(-1000)

 

 そのアンが和了る。

 強者、アン=ヘイリーが、まずひとつ、刻んだ。

 

 

 ――東二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 瀬々/打{一}

 

 ――これで、一巡。第一打から、続く瀬々の第二打まで。四者の一巡が回ったことになる。それを踏まえた上で、遊馬美砂樹は自身のツモを掴むのだ。

 

(アン=ヘイリーに対抗するためには、単純な速度だけじゃ適わない。さっきの局、龍門渕の渡さんもテンパイしていたみたいだけど、結局は追いつけなかったものね)

 

 ――美砂樹手牌――

 {四八九②③⑧1199西北中} {横2}

 

(となれば、私のするべきことは実に明白。アン=ヘイリーの上家に座ったという事実を、最大限に利用していく他はない)

 

 誰かの牌を対面が鳴けば、一巡ツモを飛ばされる者が出てくる。当然それは牌を鳴いたものに遅れを取るということで、美砂樹はそれを利用しようというのだ。

 

(今回考えるべきは江口セーラの捨て牌と手牌。――準決勝からやりあってきて、なんとなくこの人の癖は掴んでいるから、他の人よりも読みやすいわね)

 

 ――とはいえ、セーラは火力重視型であるため、そうそう鳴くと言うことはしない。彼女がなくとすれば、鳴くに見合った火力と速度を、体現しうる時だけだ。

 それを判じた上で、セーラの打牌は{⑨}。そこから見えてくることは、ある。

 

(江口セーラは理牌を終えた手牌の私から見て右寄りの部分から{⑨}を切った。彼女の癖から鑑みてつまり、萬子と筒子はさほど集まらず、索子と字牌が固まっているということ)

 

 ――{19}と、自摸った{2}。美砂樹は一瞬それらに目をかけて、すぐに外す。

 思考は一瞬。すぐに意を決したように、彼女は自身の右端から牌を選んだ。

 

(――――字牌、ね)

 

 美砂樹/打{中}

 

 その判断は、決してあらゆる情報の中から見て取ることのできる確かなものではない。“直感”だ。美砂樹はそれが人一倍優れている。この判断もまた、その直感からくる、賭けであることは間違いない。

 

 そしてその賭けに、

 

「――ポン!」 {中横中中}

 

 美砂樹は、勝った。

 

 ツモに手を伸ばそうと右手を上げて、思わぬ形でそれを差し止められたアンは、少し驚いたようにして見せながら、美砂樹を見る。大して美砂樹は少しばかり大人びた、挑発的な笑みで持ってそれに答え、両者はそれっきり、視界から相手を外した。

 

(本来であれば、龍門渕か臨海女子、どっちかから直撃をとって貰いたいのだけど、まぁ今は別にそうでなくとも構わない。この局に限っては、私は危険域内ではベタオリさえしていればいい)

 

 ――それから、セーラはもう一つだけ牌を鳴き、シャンテン数を強引に進める。

 しかし、速度を伴った火力も彼女の魅力、即座に手を仕上げてしまえば、あとはもう、和了に向かって猛進するだけだ。

 

(ツモ和了でも龍門渕が親被り、渡瀬々に被害が及ぶ――!)

 

 これは、アンが瀬々を意識していることの弊害と言えた。なにせ最強が意識する最強の一年生である。その異質さから、セーラからも、美砂樹からも、瀬々は一定以上の警戒を持たれているのである。加えて龍門渕の大将が、天江衣であるのだから、それ以上に問題は大きい。

 故に、その瀬々を削ることができるのであれば、躊躇うことなく、セーラは和了る。

 

「――ツモ、2000、3900!」

 

・千里山『106900』(+7900)

 ↑

・龍門渕『95600』(-3900)

・白糸台『97500』(-2000)

・臨海 『100000』(-2000)

 

 ――セーラ手牌――

 {六六⑦⑧⑨東東橫六} {2横22} {中横中中}

 

 セーラからしてみれば、本当は{中}を加槓し、跳満に手を仕上げられればよかったのだろうが、そうそうこの状況でことがうまく行くはずもない。

 そしてそれを、許す美砂樹でもまた、ない。――美砂樹は、セーラの副露直後に掴んだ、四枚目の{中}を含む手牌を伏せ、準備を終えると、続く自身の親番のため、サイコロを回すべく、右手を伸ばした。

 

 

 ――東三局、親美砂樹――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

 この東三局も、千里山の江口セーラを中心に状況が動いた。

 

 ――セーラ手牌――

 {裏裏裏裏裏裏裏} {②横②②} {⑨横⑨⑨}

 

 ――セーラ捨て牌――

 {89二發中4}

 

 さすがのアンも、この局においては、四巡で手を進められるほどの速さを有してはいないようである。手牌と捨て牌から見て取れる、あからさまなまでの筒子臭。しかも、どうやら清一色まで見えているらしいのだから、他家も警戒を及ぼさずにはいられない。

 

 しかし、それは通常の卓における状況であるならば、の話だ。

 ――そう、この卓はどこまでも、異質と異常が跋扈するばかりの場所である。放銃よりも先に和了が先行する臨海女子に龍門渕の両名。そして白糸台の遊馬美砂樹も、異質といえる特徴をもつ少女である。

 

「――リーチ」

 

 直感。他人には何の説明もつかないような、摩訶不思議な美砂樹だけの世界観。故に、そこから飛び出す突拍子もない選択は、通常の場合だれをも看過することはできないのである。

 

 美砂樹/打{⑥}

 

 なぜそれが安全であるのか、美砂樹には到底説明は付けられないだろう。筒子の染めであることは、見ぬいたからこそ現在セーラが有する手牌があるのだろうし、美砂樹でなくとも確信をもてる。しかし、その上で聴牌とすら思える状況で、筒子を押してリーチをかけたか。

 到底、理解することは美砂樹自身にすら適わないのだ。

 

 よって、

 

 他家にそれが見透かせるはずもない。

 

 

(また、厄介な相手と対峙してるわ。……全員な)

 

 ――セーラ手牌――

 {③④⑦⑦⑧⑧⑧(横二)} {②横②②} {⑨橫⑨⑨}

 

(まぁとりあえず一発は避けれたし……)

 

 ――美砂樹捨て牌――

 {9東三7橫⑥發}

 

({②}と{⑨}はこっちを動かすためのもんやけど、同時に不要な浮き牌を余らせていたと見ることもできる。……そもそも、普通そうでなければ筒子は出さん。まぁとりあえず、この牌で当たるこた無いやろ)

 

 セーラ/自摸切り{二}

 

「……ロン」

 

(――む?)

 

 ――美砂樹手牌――

 {三四六七八34556799} {二}(和了り牌)

 

 ――ドラ表示牌:{南} 裏ドラ表示牌:{2}

 

(先切りってやつかいな。……考慮するだけムダな類やけど、オレこーいうんは好きくないわ)

 

 同様はない、しかしそれでも、想定外から放銃したことは確か。ある種セーラのウィークポイントではある。セーラが持つのは人並み以上のデジタル技量。それに独特の火力先行型のスタイルを合わせることで、彼女は千里山のエースたり得ているのだ。

 

「5800ね?」

 

「あいよ……」

 

・白糸台『103300』(+5800)

 ↑

・千里山『101100』(-5800)

 

 今度は、千里山から美砂樹が和了った。まるで、和了のために差し出した点棒を、利子を含めて取り返して行くかのように。

 鮮やかな和了で、

 

「――一本場」

 

 遊馬美砂樹は、積み棒を晒した。

 

 

 ――東三局一本場、親美砂樹――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 

(自身が信ずる柱の元に、火力を追い求め奔走する、パワーオブパワー雀士)

 

 ちらりと見やった先にいる、逆立つ髪に負けん気の強い顔立ち。江口セーラは、いかにも真っ直ぐな性分を顕にしたまま、牌を掴んで、切り出している。

 

(人を欺き自身の中に、己としれぬ自身を宿す、摩訶不思議の雀士)

 

 視界を揺らした場所にいる、艶やかな黒髪に挑発的な笑み、遊馬美砂樹は、そのどこか現世のものとは思えぬ雰囲気で、手牌をみやり、それから周囲を観察している。

 

(なるほど面白い催しです。あなた達が畏怖によって自分自身を曲げぬからこそ、それは間違い用もなく明らかになっているのでしょう。で、あるならば、私はそれに全力の意思でもって相手をしなくてはなりませんね!)

 

 ――刮目スべし、アンは勢い任せに牌を掴んだ。それは遥か宇宙の彼方から、振り下ろされる一条の矢。それはまさしく驕り高ぶる人の身に、裁きの鉄槌を下す神の“化身”。

 

 そう、アンはけして神ではない、神を宿すバケモノではない。彼女はあくまで、神のまね事をする化け物じみた英雄(にんげん)だ。それ以上であり、それ以下はなく、たったひとつの頂点として、彼女はこの場に君臨しようとするのである。

 

(ここは、そう。私の舞台なのですよ。――もしも壇上に役者としてアガろうというのなら、それ相応の覚悟をしてくることだ。食いつくされるぞ? 私の意思に、私のチカラにッ!)

 

 打牌、そしてその後、上家から飛び出す牌に食らいつく。殺気すら織り交ぜた、暴力的な表情を何のためらいもなくアンは浮かべる。

 

「チーッッッッ!」 {橫①②③}

 

 刹那の隙。例えばそれは、どうやったって切らざるをえない、鎖の着いた枷を切り外したその瞬間。アン=ヘイリーはその枷を、鎖を掴んで振り回す、必殺の武器に変質させる――!

 

 

「――ツモ! 1000、2000の一本付けェ!」

 

 

 弧を描くように振るわれる右手。そこから爆発的な疾風を伴って迫る怒涛は、やがてアンの手元に終息する。勝利を得た彼女の、確信を側に伴って――

 

 ――アン手牌――

 {④⑤⑥⑦⑧⑨2399橫1} {橫①②③}

 

・臨海 『104300』(+4300)

 ↑

・龍門渕『94500』(-1100)

・白糸台『101200』(-2100)

・千里山『100000』(-1100)

 

 三者、三様。未だ他の対局者とは違い瀬々に反応はない。彼女が勝利に乗り出したのも、あの東一局きり、あの局瀬々は勝利しきれなかった。敗北したのではない、届かなかったのだ。であるならば、まだ彼女は牙を失っていないだろうが、それでもこの沈黙は些か興ざめだ。

 残る両名は、分り易いほどに反応が顕著だ。驚きと悔恨の情。敗北の認識によるそれらが混ざり、沈殿していく。彼女たちは間違い無く強者だ。しかし、単なる人でしか無い相手に、弱さがないなどありえない。故に、アンはそこを容赦なく突く。

 

(さぁ、止まりませんよ。止めようなんて思わないことですよ! 此処から先は速度を上げていくことになります。それも単なる人知の速度ではない。人を超えた、悪魔すらも滅ぼす速度です――!)

 

 

 ――続く、東四局。ついに迎えたアン=ヘイリーの親番。

 

 

「――ツモ! 2000オール!」

 

・臨海 『110300』(+6000)

 ↑

・龍門渕『92500』(-2000)

・白糸台『99200』(-2000)

・千里山『98000』(-2000)

 

 まさしく、電光石火。

 

(……二巡で和了るんかいな――!)

 

 江口セーラが、少しばかり面倒そうに顔をしかめる。――解ってはいたことだ。セーラとアンの対決はこれが始めてではない。

 春季大会。間近でたっぷりアンの強さは見せつけられてきた。だからこそ、戦慄する。分かるのだセーラには。

 

(臨海のアン=ヘイリーは、一度連続で和了り始めると、龍門渕の依田みたいに、手を付けられなくなる! いや、依田以上や! それも、調子の沸点が異様に低い! 相手にしてて、これほど馬鹿野郎と思った相手はおらへんで……ッ!)

 

 和了スピードを加速度的に上げてゆくアン。ブレーキの壊れた暴走特急の如く、否、ブレーキが“取り付けられることのなかった”超特急の如く、際限なく彼女は和了を続ける。

 

(次……いや、最低でもその次には止めへんと、この半荘、致命的なシロモノになりかねへん――ッ!)

 

 即座に和了へと向かうアンの速度は、しかしそうそう止められるものではない。それこそそれに対抗しうる支配を有するか、それ以上の豪運で上回る他にない。

 

 しかしそれも難しいだろう。アンは豪運で麻雀を打つ以上に、それを的確に利用することで、他家を萎縮させることを得意としている。対応できないのではない、対応する気概を奪うのである。特にここ最近――去年のインターハイ決勝で、宮永照に敗れてからは――それが顕著になっている。

 

 

 ――それをよく知るのは、龍門渕の渡瀬々だ。

 彼女は現在沈黙を貫き、どこか自閉したかのように行動を起こしていないものの、思考自体は現状に向いているものもある。

 

(――水穂先輩の、気質の支配とでも呼ぶべき、調子がダイレクトに影響するツモ。アンの気質はそれに似ている。要するに、アンが行う一動作で、他人の意識を支配する。麻雀のオカルト的な支配を、人間が、諸動作によって他家を縛ることで可能にしているってわけだ)

 

 先日の準決勝でもそれは行われていた。

 宮守女子と永水女子の先鋒は、アンの意識にやられ、手牌の精細すら欠いていた。この状況も同じ事。そして千里山の江口セーラは、前回の対局経験と、今回の対局から、それを感じ取っているのだ。

 

 そして続く、一本場。

 

 

 ――東四局一本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{九}」――ー

 

 

 振り上げられるアンの手。しかしそれは、打牌によって伴うものでは決して無い。配牌が出揃い、それぞれが第一打を選ぼうと、理牌を進めるその刹那。

 ――アンのそれは、打牌ではない。

 

 

「――リーチ」

 

 

 勝利宣言である。

 

 アン/打{⑤}

 

「……っ!」

 

 ツモを掴みながら、セーラがいよいよ、苦渋を顔ににじませた。相手は強大。解っていたことだ。このようなこと、半荘を何度も繰り返せば、一度や二度、起こりうるのだ。

 ――その上で、アンはそれがとことん多い。ただたんに、それだけなのである。

 

 解ってはいた。それでも、理解し難い理不尽が、そこにはあった。

 攻めなくては、そんな思考とは裏腹に、切り出したのはたった一枚、手牌に宿っていた現物。それを恐る恐ると言った様子で切り出して、嘆息する。

 セーラがしたのは、アンの狙う射線から飛び退いて、横手にそれたというそれだけのこと。単純な回避である。――しかし、たったそれだけであるはずの行為ですら、セーラの体中から熱を奪った。気力を、削いだ。

 

 江口セーラは生粋の勝負師である。自身の勝利を常に考え、負けを己の恥とする、そんな雀士である。そういった彼女が、逃げという選択肢を選んでなお、安堵と同時に恐怖を覚える。

 アン=ヘイリーにはそれだけの威圧があった。闘気とも、殺気とも呼び替える事ができるかもしれない。

 

 絶対的であり、

 必然的である、この状況。冷静に対応しうるのは、たった一人しかこの場にはいない。

 

 ――瀬々/打{8}

 

 彼女はためらいもなく、中張牌を切り出した。その目的は、他者に副露をさせるためである。差し込んで、一発をずらそうという魂胆だ。

 しかし、動かない。だれもそれを鳴くことはできない。

 

 ――鳴けるのであれば、鳴いている。

 たとえどれだけ相手が強敵であろうと、対局者たちは逃げやしない。打倒するため、全力で持ってそれに食らいつこうとしてくるだろう。

 それがなかったということはつまり、それを鳴ける者がいなかったということにほかならないのだ。

 

 よって、続く、打牌。

 

 美砂樹/打{9}

 

 一枚通った、使われていない可能性のある並びの牌。そこを狙って、打った牌。

 

 が、しかし。

 

 

「通らず、ですよ。――――ロン、11600の一本です」

 

 

 間髪入れずに、宣言が響いた。

 直後、凄まじい勢いでアンは理牌を初め、ものの数秒とせず、手牌が開いた。

 

 ――アン手牌―― 

 {三四五六七八1123478橫9}

 

・臨海 『122200』(+11900)

 ↑

・白糸台『87300』(-11900)

 

(……自摸っていた牌は、{7}だったのね。となると、江口セーラはもしかしたら{⑤}ではなく、{8}を切っていたかもしれない。そうなれば、多分渡瀬々は、その{8}を使って、鳴いていた……か)

 

 後悔のように、意識を回す。過ぎたことはどうしようもないことだ。美砂樹でなくとも、“アレ”を避けるのは容易ではない。余裕綽々で回避して、その上こちらに対して差し込みまがいの打牌をしてくる余裕のあるような、瀬々クラスはそうそういない。

 少なくともこの局に座る。セーラも美砂樹もどちらであっても、あくまで人間の範疇を超えているわけではないのだから。

 

 

 ――しかし、そんな人間の上限に、当然の体で居座るバケモノが、一人いる。

 

 

 ――アン=ヘイリーは、笑みを浮かべる。

 勝者の気風をその身に宿し、あくまで余裕綽々に、

 

 

「二本場――ッ!」

 

 

 続く処刑の、時間を告げる――――




それぞれの能力解説なんかも含めて、先鋒戦一話目です。
まー、ぼちぼちやってきます。闘牌のミスなんかもゆっくり探していく予定。


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『親の姿子知らず』先鋒戦②

 ――東四局二本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 絶対的強者、この卓を支配するアン=ヘイリーといえど、いつまでも流れが続くわけではない。ダブル立直で和了したとはいえ、それに一発で美砂樹が放銃したとはいえ、そのままアンが和了をし続けるわけではない。

 彼女はあの宮永照のように、圧倒的に戦場に君臨し続けることで勝利する、一種の殺戮兵器のような類ではない。彼女はあくまで、一騎当千の狂戦士。一つの場にあり続けることは不可能といえる。

 

(――とはいえ、戦場自体がアン=ヘイリーに制圧されかねないのも、また事実や)

 

 それはある種、奇跡と言えた。

 現在、二本場に入り回った巡目は三巡目。ようやく手牌に多少の色が見え始めた状況。それを、たった今この瞬間、迎えたことが奇跡であるのだ。

 勢いに乗ったアンは留め難い。しかしそれでも、こうしてブレを示す時がある。

 

(幸か、不幸か……こっちの手は確実に勝負手。なるほどこうして前に意識を(かぶ)けて見てみれば、さしもの英雄も怖くは感じないっちゅうわけや)

 

 ――江口セーラ――

 {二三四五五③④⑤⑤1346(横②)}

 

 アンのチカラは、他人が浮かべる意識に依存する。どれだけ畏怖を与えようとも、それで折れないだけのメンタルを持って対すれば、自ずと支配を打ち破ることができるだろう。

 それは必然だ。

 アンがその根源を人の身に置くがゆえ。

 セーラたち強者が、その隣にあるがゆえ。

 

 ――アン=ヘイリーは、凶弾に倒れる。むしろ、急所に銃弾を受けてなお、圧倒的な暴力でもって襲いかかるのがアンである。

 どれだけ打ち崩そうと、それが絶対になることは、ない。

 

(オレらは結局んところ一発あいつにぶち込んでいきゃええんや。先鋒戦を好きにさせるつもりはないで――!)

 

 そして同時に、見つめる先は遊馬美砂樹の捨て牌だ。状況に必要な判断は異様なほど必要だ。勝利のために、セーラは細い蜘蛛の糸を伝って渡りきらなくてはならない。

 単純なことではない。――この卓に座る対局者は、四人だ。

 

 ――美砂樹捨て牌――

 {發東2}

 

(多分やけど、普通に進むだけじゃ妨害がはいる。誰だって他人に上がれたくは無いもんな。逃げはせん、逃げはせんのや)

 

 ――セーラ/打{五}

 

 だれも、切る必要のない牌。選択した理由は、二枚あったから。――ポンで、アンの手を進める可能性が減るであろうと、そう考えたためだ。

 それが{⑤}ではなく、{五}である理由も、至極簡単。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {⑤①西}

 

 渡瀬々の、異様な捨て牌。染め手とも取れるが、迷いのない{西}の打牌から、セーラはそれを別の手役であると考えた。

 故に、ここで{⑤}を切ることを避けた。――安牌であるため、そして{⑤}の周囲を、使われていると考えたため。

 

 続くツモ、打{6}。

 引いてきたのは{六}だ。――これで一向聴。アンは動かない。――{6}はたった今、アンが切った牌である。

 

 瀬々は自摸切り。そして同時に美砂樹も自摸切り。――動いたのは次巡のアン、手出しだけ。

 

(正直――相手はバケモノと、化け物じみた相手と、妖怪の三人。一番真っ直ぐ進んでバカを見るのは、きっとオレや。イヤァ……)

 

 ――セーラ/ツモ{2}

 

(オレは誰や? 千里山のエースやで? エースに負けは“ありえない”。仮定はオレに必要ない。だれが勝とうが負けようが同じ事、オレは負けずに、勝って帰る――!)

 

 

「リーチ!」

 

 

 セーラ/打{1}

 

「――っ! ポン!」 {1横11}

 

 焦れている。美砂樹の持つ独特な色香が消えて、霧散している。鳴けると思っていたのだろう。直感がそれを告げたのか、はたまた何か判断に足る素材がセーラにはあったのか。

 そんなことは関係ない。鳴くつもりだ、そう判断をつけ、それを避けた。避ければ後は、機を見て和了を狙うだけだった。

 

 決して自分を曲げてはいない。あくまで打点を求め、和了を目指したその結果。セーラは美砂樹を回避せしめた。追い縋るように鳴いたそれは、もはや意味を成さない残骸でしかない。

 勝利した、この局、まずは一人を出しぬいた。

 

 加速度的に、連鎖的に状況は動いた。これによって牌がずれる。起きた弊害は、主に二つ。

 

 

 ――瀬々手牌――

 {三三④④⑤⑤⑧⑧22北發發}

 

(……おや、あたしの自摸れるはずの和了り牌が――)

 

 和了のはずの牌が、どこかへずれた。

 

 

 アン/ツモ{北}

 

(掴まされた――! しかも、一番振り込みたくない相手の牌!)

 

 ――アン手牌――

 {四五六七八九①②③④④67(横北)}

 

 瀬々が掴むはずだった牌が、和了を狙っていたアンの元へと流れてきた。――ここで、瀬々に6400を振り込むことはセーラに自摸られるよりも避けたいこと。

 で、あるならば同しようもない。――アンは、一度自分を殺してでも、勝利を求める、他になかった。

 

 アン/打{①}

 

 

 ――こうして、セーラは一度のリーチで三人殺した。すべての流れを潰して引き寄せ、己のものへと変質させた。後はもう、自身のツモで勝てばいい。

 

 まるでそれは、セーラの進行方向上に先程まで確かに存在していたはずの山脈が、一息にすべて霞がかって無かったことになってしまったかのような。

 決定的な、勝利の感覚。

 

 走る。

 

 疾走る。

 

 ――走り出す!

 

 手を伸ばし、光を掴んだその先で、セーラは勝利の雄叫びを上げた。

 ツカミ、そして振り上げる。そこには確かに牌がある。そこには違いなく確信がある。頂点へ、伸ばされた一本の指。己を示すそれ。

 振り下ろされて、叩きつけられ見せるのは、勝利宣言、和了り牌。

 

 

「――ツモ! 3200、6200!」

 

 

・千里山『110600』(+12600)

 ↑

・龍門渕『89300』(-3200)

・白糸台『84100』(-3200)

・臨海 『116000』(-6200)

 

 ――裏は、無し。

 とはいえ、それが必要であるとは思わない。これで、和了。セーラの勝利だ。東四局、アンの親番が終了。前半戦の南場が、ここから始まる。

 

 

 続く南一局、さしものアンといえども、自身をくぐり抜けられ和了られたのでは、そうそう流れを取り戻すことはできないのだろう。

 ここではまず美砂樹が和了った。

 先ほどの和了で奪われた流れを取り戻すように、満貫手を仕上げた。

 

(――相変わらず、面妖やな)

 

 セーラは横目にそれを見ながらどこ吹く風に。

 

 

(ブラボー、ですね)

 

 楽しげにしながら点棒を取り出し、何気ない動作でそれを渡す。

 

 別に、この対局でどれだけ他家が稼ごうが知ったことではない。その程度にはこの四人は我が強かった。――少なくとも、アンの独壇場に対して、萎縮するしか無かった永水の清梅や、宮守の心音とは違う。美砂樹は胡散臭さを抑えようともしない演技派であり、セーラは強豪千里山のエース。心の出来が常人とは全く違う。

 

 アン=ヘイリーが如何程のものか。

 勝利できないにしろ、食らいつくことくらいは容易なはずだ。――意識して、勝利すらも視野に入れ、彼女たちは闘牌を打っている。

 

 

 ――ならば、瀬々は?

 

 

 渡瀬々はどこにいる? 一体何の麻雀を打っている?

 答えは簡単だ。瀬々は決してそこにいない。まるで心の中を伽藍堂(がらんどう)にでもしたかのように、心を揺れ動かそうとしない。

 

(それにしても、不気味なものです。……渡瀬々、次は貴方の親番ですよ? まさかこのまま、出来損ないのあの人みたいな麻雀を続けるつもりですか?)

 

 アンは、瀬々が不抜けることを危惧した。無理もない、今年のインターハイで、初めて“面白い”と思った相手が瀬々なのだ。そんな彼女が、この場にいる意味を喪失してしまえば、一体何を思って自分は麻雀を打てばいい?

 

(孤独は、ごめんですよ。――最強の英雄は常に、背後を狙われなくてはならないのですッッ!)

 

 敵意を込めて睨みつけるアンの視線をよそに捨て置き、卓上では、サイコロの回る音だけが響いた。

 

 

 ――南二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 

「リーチ」

 

 響いた宣言。八巡目にして、初めて響いた声だった。

 

 瀬々/打{3}

 

 ここまで、この卓に置いて“誰も動いていない”というのは異常に当たる。脅威の聴牌速度を誇るアン。瀬々もまた、ムダヅモのない高速聴牌が特徴だ。

 故に、八巡目にして動いた瀬々は、しかし一切注目をあびることはなかった。

 

「ポン」 {3横33}

 

 アンの鳴き、一発消しの側面が強いが、同時に手を進めるための鳴きでもある。躊躇うことなく切った牌は、瀬々を恐れることすらせぬ強打だ。

 セーラも直後に一瞬思考して――

 

 ――セーラ手牌――

 {三五六八②③④⑦⑧⑨lil()56} {(ili)}

 

 セーラ/打{3}

 

 安牌と前進の両立を図る。そして直後――

 

「……ツモ、メンピンツモはっと、1300オール」

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五六七④⑤⑥⑨⑨567横二}

 

・龍門渕『91200』(+3900)

 ↑

・臨海 『112700』(-1300)

・白糸台『90800』(-1300)

・千里山『105300』(-1300)

 

 

 静かな声で瀬々が言う。そこでふと、アンが疑問に思うように眉間に皺を寄せる。周囲から察することができない程度の、小さなものだったが。

 

(――ずらしても、和了った? いえ、別におかしなことではないでしょうが――まるで何かが瀬々を誘導しているかのように、……瀬々には、覇気が感じられませんね)

 

 頬に張り付いた痒みのような違和感。そのままそれを掻いてしまえばもう、すぐに消えて収まってしまうようなそれ。果たして、そのまま消してしまって良いものか。

 言い訳がない、違和感を違和感のままにしておくのは、どんな状況でも負けを引き寄せる悪手である。

 

(とはいえ、情報が少ないですね。ここはどちらにしろ和了を目指しつつ状況を重ねていくしか無い。――それにしても)

 

 正面には、瀬々がいる。どこか癖のある彼女の長髪は、ある程度意図したものなのであろうが、今の瀬々にそれは、どこか幽鬼を伴う恐怖に思えて、ならない。

 

 今はそこにいないもの。

 ――どうやら瀬々は、本格的に人間の立ち位置を失ってしまったようだ。

 

(私としては、そんな瀬々好きではないのですけど、ね。それにしても本当に、瀬々は一体、何を見ているのです?)

 

 視線と視線は交差しない。――それでも覗けるその場所に、光と呼べるものは、望めなかった。

 

 

 ――南二局一本場、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 親番、瀬々の第一打は{1}。理牌のされていない手牌から、一切迷うこなく牌を切り出した。それはどうにも“迷うことすらできない”とも思える。

 

 続く打牌は、{3}。

 

(いきなり嵌張落とし、ですか)

 

 違和感を覚えるアン。しかしそれはどうやらアンだけが感じ取ったようではない。セーラも美砂樹も、怪訝そうに瀬々を見ている。

 

(瀬々が何かと闘っている。何かを宿しているのは事実です。彼女の様子は、一昨日の永水大将が見せたモノに近い)

 

 美砂樹/打{發}

 

 アン/打{二}

 

(つまり、“あの時の”瀬々ともそれは似ているというわけです。やはり瀬々には、人以外の存在が宿っていましたか)

 

 異質を覚え続けるからこそ、見えて来なかった情報が見えてくる。今の瀬々がまさにそれ。――彼女は無我を晒しすぎた。これではあまりに、隙だらけに見えすぎる。

 

 セーラ/打{⑥}

 

 瀬々/打{二}

 

(ですが、それならば発しられてしかるべき魔的な匂いが一切しない――それでは、魔物である意味もない)

 

 美砂樹/打{白}

 

 アン/打{8}

 

(それでは些か面白く無い。――困りましたね。覇気のない魔物など、卓に付く意味すら無い。一体どうしているというのですか? 魔物の中に眠る、渡瀬々そのものは……!)

 

 セーラ/自摸切り{西}

 

 瀬々/打{三}

 

 ――そして、

 

 それから数巡。何事も無く動いていた巡目がここで、アンの驚愕により途絶する。

 

(――{二}ではない!?)

 

 掴むはずだった和了り牌。確信を持って聴牌に近づけたはずの手が、ここに来て和了れないという事実。――掴めなかったのだ。他のだれでもない、アン=ヘイリーが。

 

 ――アン手牌――

 {三四②③④⑥⑥⑥⑦⑧234(横2)}

 

(なーるほど。聴牌を遮るような{2}ツモ。まぁ正直捨て牌を鑑みるに瀬々にこれが振り込むようなことは無さそうに思える)

 

 何気なしに、アンは手牌の上部においた牌を掴む。打牌のために無造作に選択しようとしたのだ。しかし直後にそれを差し止める。わかっている、わかっているのだ。

 

 即座に牌を手牌に組み入れると、選んだのは{⑥}、通りそうな{2}ではない、確実に通る現物の{⑥}だ。{2}でも振り込む可能性は、万が一にもありえないだろう。しかし確信ではない。確実に振らないのが{⑥}だ、だからそれを切る。

 

(こんな時、最も信じられないのが、かも知れないというツモ。――{2}はまだ私の視点から二枚生きている。瀬々の捨て牌を鑑みれば――{2}がありえなくはないことくらい、すぐに分かる)

 

 アン/打{⑥}

 

 直後、セーラの打牌をはさみ、そして瀬々のツモ。そう、ツモである。

 

「――ツモ、1700オール」

 

・龍門渕『96300』(+5100)

 ↑

・臨海 『111000』(-1700)

・白糸台『89100』(-1700)

・千里山『105300』(-1700)

 

 チートイツのツモ。嵌張を落とし、両面すら四巡目には切り払う。そんな手牌、染めるかチートイツかの二択でしかない。この場合は、チートイツがそれだった、というだけのこと。

 だからこそ、平素であるとアンは思う。他人を引っ掛けるようなツモにしても、手にしても、瀬々のそれは些か派手さにかける。自摸ったからまだいいものの、リーチの無いチートイツなど単なるゴミ手と変わらない。少なくともこの団体戦で、和了るべき手ではないだろう。一発が確定的であるのならば、なおさらだ。

 

(――こちらに一発を防がせないだけの手牌操作。しかしそこから放たれる手の内が薄っぺらいこと。やはり今の瀬々は違和感です。人ではない。しかし魔物ですら無い。ならばいったい、貴方は何だというのです――?)

 

 

 ――南二局二本場、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 渡瀬々の連続和了。アン=ヘイリーを除き、二連続で和了したのは彼女だけ。ならば、そのアンすらも凌駕するべく、三連続での和了に臨むかといえば、全くそんなことはない。

 二本場の瀬々は、沈黙していた。ポンも、リーチも、チーもカンもなにもなく、ただ沈黙のまま、他家とともに深い山を切り崩す。

 

 ――結果。

 

「――ロン、5200の二本、ね」

 

(……む)

 

・白糸台『95900』(+5800)

 ↑

・千里山『97800』(-5800)

 

 和了したのは、遊馬美砂樹。

 放銃したのは、江口セーラ。

 

 一瞬生まれた隙を、狙い撃つかのような一撃だった。無論、まさしくその通りの展開だった。多少想定にあったとはいえ、ここでの放銃は、セーラの顔をしかめさせるには十分だ。

 

(暗槓でドラが増えた直後に、臨海のリーチ。白糸台がうまく臨海を乗せたってことなんやろうけど――)

 

 リーチがかかれば、そっちに視線が向くし、相手はこの卓最大の難物、アン=ヘイリーだ。どうしたってセーラはそちらを対応しなくてはならなかったし、美砂樹までもをカバーする牌が、そうそう手牌にあるはずもない。

 ある種の予定調和、ではないにしろ、然るべき結果を、然るべき形で生んだ放銃、といったところか。

 

(――待ちが、わざわざ悪くなるようにしとる。直感、か。相手にしててこれほどやっかいなモンは他にあらへんな……そんで)

 

 チラリ、セーラは視線を瀬々へと送る。その瞳に浮かべる感情は、気負い。恐怖を浮かべ怯えるではない。ただ純粋に感情をマイナスにする程度のモノ。

 とはいえそれは、セーラの強さからくるものであろうことは容易に想像がつく。

 

(一番不気味なのが、こーいう手合いや)

 

 強いのか。

 弱いのか。

 セーラ自身を冒しうるのか。ただその場に佇むだけなのか。それすらわからないほど、存在を曖昧にした希薄な何か。

 実態のない霧は、視界を悪くすると共に光を遮断するのだ。今の瀬々はそれと同じ。

 

(臨海に、白糸台。この卓は言ってまえば、二人がかりでオレが抑えられた、ちゅーことや。せやったら、それにかかわらなかった龍門渕は一体何や――わかっとる。あの捨て牌からわかっとる。あれが今オレらがいる場所とはあまりにもかけ離れた、()質であるっちゅうことくらい)

 

 セーラの選んだ牌は、アンの現物であった。しかしアンの現物はいくらか手牌の中に握っていた。その中でセーラの判断基準は美砂樹によらない。アンと、そして何より瀬々の安牌として放った牌である。

 美砂樹を意識した場合、全くの現物はなくとも、限りなく安牌に近い牌は、アンの現物の中にも一枚あった。

 

 そして美砂樹は、そんな限りなく安全な牌に待ちを定めるほど器用ではない。それは準決勝の対局でもわかっている。放銃は、避けようと思えば避けられたのだ。しかし、セーラはある種の妥協を持ってでも、瀬々という得体のしれない存在から身を守った。

 美砂樹への放銃は失点でもある、しかしセーラからしてみれば、もっとも帰着したかった部分に、無難な形でたどり着いた、ということでもある。

 

 ――なにせそれほどまでに瀬々は常軌を逸していたのだ。

 アン=ヘイリーのリーチまで、八巡。それから美砂樹に放銃するのが、十巡目。それまでの間、渡瀬々のはなった打牌は、すべて“自摸切りだった”。十一巡モノ間、瀬々は一度足りとも手牌を塗り替えることはなかったのである。

 

 結局、セーラの放銃という結果でもって、南二局は終わりを告げて、瀬々の手牌は闇へと消える。はたしてそれが、本当に聴牌による自摸切りであったのか。それとも全く別の意味があったのか、それがセーラに、美砂樹に、そしてアンに明かされることはなく、状況は、最後の二局。――終盤を迎えようとしていた。

 

 

 ――南三局は、アンの和了。

 自身が白糸台に明け渡した千点分のリーチ棒、それを取り戻すかのようにリーチ宣言を引き出してからの、三十符二翻放銃。セーラが何か行動を起こすよりも早く、南三局は何処かへと消滅した。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 この局でも、アンは決して止まらない。自身の選択に、妥協はしない。

 ――たとえ瀬々が、この頂上決戦での対決を望んだ相手が、とんだ腑抜けに堕ちたとしても、アンの仕事は変わらない。ただ勝つ。

 勝って仲間の元へと帰る。それが最強であり、臨海のエースでもあるアン=ヘイリーの、たったひとつのつとめであった。

 

「チー!」 {横213}

 

 副露から、続く副露。即座に他家から牌を食い取り、聴牌に持って行くまでにかかった巡目は、たったの三巡。豪腕豪傑、アン=ヘイリーの面目躍如である。

 

「――ツモ! 4000オール」

 

・臨海 『125000』(+12000)

 ↑

・龍門渕『92300』(-4000)

・白糸台『86800』(-4000)

・千里山『91700』(-4000)

 

 アン=ヘイリーは止まらない。止まり用がない。まだ半荘は終わっていないのだから。ここから彼女は、長い、永遠とも思える前哨戦を続けるつもりでいた。

 

 勝利のために。

 

 ――己のために。

 

 

 そして、それを阻むものは、居た。

 

 

 アンが和了をする傍らで、一人沈黙を貫く雀士、渡瀬々が、そこにいた。

 そんな彼女は、一瞬周囲を、見回し、さいごにアンへと視界を移しそして、

 

「――ころも」

 

 ただ、そう一言だけ――しかし、誰にも聞こえないような、マイクにすら拾われないような声で――告げて目を閉じた。

 何かを思うように、ゆっくりと湖の中へと沈んでいくように、瞑目した。




次回で前半戦終了です。
ここから更に四話位あるんで、暫定的に先鋒戦は最長になるかと思います。


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『渡瀬々』先鋒戦③

 ――アンタなんか、生まれてこなけりゃ良かったのにさ。

 

(……そうかな、別にあたしのせいじゃないと思うんだけど)

 

 ――お前がいたから、オレの女がダメになったんだ。

 

(女って、だれ?)

 

 ――な、アンタ、なんでこんなとこに!

 

(幽霊かよ、あたしは)

 

 別に、ただ普通に生まれてきて、ちょっとおかしなチカラを持っていただけだというのに。家族は、自分をバケモノとして、見てるのだろう。

 よく解らなくなった。

 

 自分という存在が、果たして何を望まれて生まれてきたのか。――ある日、自分の部屋に放置されたゴミの中から、昔のアルバムを見つけた。燃えるゴミやら燃えないごみやら、ところ狭しと押し込められたゴミ箱部屋を掃除していたら、紐でまとめられたアルバムを見つけたのだ。

 

(あたしの両親は、あたしの部屋にゴミを放置しておけば、勝手に業者が回収してくれると思っていたみたいだ。事実、放置しておくと汚くなるし、人が住める場所じゃなくなるので、定期的にあたしがゴミ出しをさせられていたけど)

 

 そんな中にあったアルバムは、大体二年ほどの期間にまとめられた――おそらくは、自分が言葉を喋り出すまでの――アルバムがあった。それは埃をかぶってはいたものの、今までほとんど手をつけて来られなかったのだろう、ほとんど新品同然のまま、当時の写真を今に残していた。

 

 写真の中では、小さな赤ん坊と自分の両親に分類される誰かによく似た夫婦が、三人揃って笑っていた。時折赤ん坊は泣きはらしていたが、そんな姿も彼らには愛おしかったのだろう、大切な一枚として、保管されていた。

 

 これは、自分じゃない。両親も顔がよく似ているだけの別人だ。そう感覚を元に結論づけた。よく解らなかった、何が正解なのか、感覚の示した答えも、また。

 

 それからふと思い立って、その日は両親と同じ卓について夕飯を食べた。何か変化はあるかと思ったが、いつものような仏頂面で、顔の筋肉一つ動かさないでいるようだった。

 

(まぁ、今にして思えばあれは、間違いなくあたしに恐怖していたんだろうけど)

 

 誰かが片付けてくれるかと思って、茶碗やらなにやらはそのままにしておいた。次の日になってもそのままだったので、これがなくなるとご飯が食べられないから、結局自分で洗うことにした。

 

 観察してみてわかったのは、かつてのあの人達と、今のあの人達は別人だということだ。人間としては同一人物なのに、表情が違う、心が違う。まるで自分自身のようだと思った。

 

(多分、自分がそうしたんだろうな。あたしが持つ別の一面は、他人にまで伝染する。かつての自分と今の自分、精神を大きく持てない人たちは、かつての自分を今の自分に塗り替えられて行くのだろう)

 

 人はそれを変化と呼び、好ましいことを成長、と呼ぶようだ。

 

 

 昔、学校の教師に左利きを右利きに修正されたことがある。その時教師はそれを成長と呼んだ。なんとなくピンとこなかったが、自分は方法さえ理解していれば、肉体の性能限界までならば、あらゆる行動を再現できる。今のところ、自分は両利きとよばれる存在のようだった。

 

 ――な、何を言っているんだね?

 

(知られたくないことを暴露され、怯える目。すぐにそれは、焦燥に変わり、憤怒に変わった)

 

 ――お前さえいなければ、お前さえいなければ!

 

(そうやって何度も水をかけられ、あたしは冬の中で凍えて風邪をひくハメになってしまった)

 

 成長を喜んでくれた教師の笑顔は、しかしきっと自分が変えてしまった。彼には、左利きを矯正した後も、右手と同じように左手を使う器用さは、無かったようだ。

 

 生徒たちは、自分に良くしてくれた。とはいえそれも、教師に怯えながらのことではあるが。どうでも良くはないけれど、限りなく救いにはならない救いの手。

 

(昔の友だちと、その時のあたしの間には、間違いなく壁があった。同情はされても、それ以上はない。そんな、言ってしまえば――シアターの壁、とでも呼ぶべきような何かが)

 

 モニターの向こうにいる彼らは、悲劇のヒロインである自分を嫌うことはなかった。同情し。義憤に燃えた。しかしそれらが、少年少女としての限界であったということは、考えるまでもないことだろう。

 

(んで、それが救いになったかといえば、どうなんだろうな。彼らがあたしに味方することで、あたしだけでなく彼らまで不幸になれば、それにあたしは罪悪感を感じる。じゃあそれは、助けという呼び方で呼べるのか? いや、呼べないだろうな)

 

 そういえば、と思い出す。

 少しずつ追い込まれてゆく過程で、自分に関わってきた者達は、教師を恐れて遠ざかるのではなく、むしろ自分に寄り添うようにしてきた。

 

 それは決して、自分を救うためではなかったのではないか? ――なぜ、寄り添ってきたかは分かる。一人にして、自分が自殺してしまうことを防ぐためだ。それをさせたのは、誰か。すぐに答えに行き着いた。教師だろう、と断定する。

 

(自分たちの行動で子どもが自殺した、なんてことを防ぐために教師はあえて周りの連中に危害を加えることはしなかった。周りに人間がいれば、教師から手を出すことはなかった。そうすることで、自分たちがあたしを守れている、と思わせたかったからだ)

 

 別に言葉にしたわけではない。そうなるよう、児童たちの行動を誘導したのだ。思うがままに操ったのだ。自分に、転校という形で学校から去っていくように仕向けるため。

 

 だが、誤算はあった。

 

(教師たちは、あたしの家庭を非常に円満なものだと勘違いしていた。実際は仮面家族という言葉が相応しい、冷えきりぶりだったてのに。あたしの家族の外面の良さが、あいつらの思惑から、一つだけずれていた)

 

 自分が両親に学校でのことを相談し、後は金か何かをちらつかせればいいと、そう考えればいいと考えていたのだろう。もしかしたら何か脅迫めいた事をするつもりだったかもしれない。

 しかし、そうなるはずがないのだ。両親は自分のことなどどうでも良かった。恐怖し、遠ざけようとすらしていた。当たり前だ、自分が少しでも行動を起こせば、自分の人生が破滅することくらい解っていたのだから。

 

 それでも、自分は行動を起こさなかった。学校でも、両親の前でも。おそらくその理由は――

 

(――当時友人だと思っていた子ども達に、迷惑がかかるのを避けていたんだろうな)

 

 結論づけてしまえば、滑稽なこと。家族に、恩師に、友人に、あらゆる存在に、――渡瀬々という一個人の奥にある何かは、壊され続けていたというわけだ。

 

 なんたる皮肉。

 なんたる喜劇。

 

 存在そのものを否定するかのような事実であった。自分を構成するありとあらゆる環境が、何の意味もないと、断言されたようなものだ。

 人が生きていく意義、価値を真っ向から、否定されたのと同じ事。

 

 滑稽だと、ただ笑うことすらできず。

 残酷だと、ただ涙することすらできず。

 哭いて、嗤って、それ以外の感情を失くす他に、道はない。

 

 だからあの時、龍門渕透華に語った瀬々の顔は、そんな表情をしていたのだろう。とても悲しく、あまりにも惨めな顔を、していたのだろう。

 

 ――だとしたら、なぜ貴方はそれを、まるで人事のように語れるのかしら。とっても不思議ね?

 

(……え? 誰?)

 

 瀬々の思考の中にだけある世界。

 そこに、入り込むかのような、甲高い声。どこか懐かしいような気がして、どこか近しいような気がして、瀬々はそれに躊躇うことなく、意識を向けた。

 

 

 ♪

 

 

「――なんだか、変ですわ」

 

 龍門渕高校の控え室には、大きめなテーブルとソファ、その目の前にモニターが設置されており、大体五人ほどが座ることができる。加えてそこに、ソファーよりも頭ひとつ分ほど座る位置の高いテーブル用椅子を利用して、追加で二人が腰掛けていた。

 

 少し遠巻きな形にはなるが、並んで座るのは龍門渕透華と、天江衣だ。衣から誘って、ここに座ることになった。

 

「それはそうだな、瀬々が異常に浸っているのだから」

 

 ぽつりと漏らした透華の言葉、ほとんどひとりごとのような声量であったが、衣は耳聡く聞き取って待ってましたとばかりに返答する。

 すこし透華が驚いたようにしながら、それに続けて問いかける。

 

「衣は何か、知っているんですの?」

 

「瀬々の異常とは、半ば二日も戯れ続けていたからな、あいつの想念もおおよそ分かるよ」

 

 ――アイツといった。それは瀬々ではなく、おそらく瀬々が抱える異常であると、透華は推測する。それをよそに、衣が二の句を継げた。

 

「瀬々のアレは、一種の回想みたいなものだ。郷愁、というには瀬々の生き様は根本がないがな」

 

「……? はぁ…………」

 

 よくわからない、と答える他にない。衣自身、会話の序文でいきなり答えを察しろなどとは言わないだろう。楽しげに自身のリボンを揺らしながら、先程まで向けていた視線を、一度透華から外して彼女に問いかける。

 

「――ならば、瀬々にとって、“わからないこと”とはなんだ?」

 

 愚問である。少しの瀬々を知るモノからそんな答えが帰ってくることだろう。しかし、透華はすぐにその意味に気がつく。瀬々のチカラには制約があった。それを即座に思い出す。

 

「えっと、確か複雑な人の感情に、人知の理解を超える現象、ですわね?」

 

 心は覗けないし、自分に理解できない現状は答えとして知ることはできない。答えそのものを理解できないのだから。たしか、そんなものだった。

 衣は満足そうに頷いて、再び透華に目を向ける。

 

「そう、その通り。瀬々は、わからないことはわからない、しかし解ることは“なんでも”解る」

 

「まさしく神の所業といったところですわね」

 

 だからこそ、瀬々はそれを背負って、生きてきたわけであるのだが。

 

「瀬々はな、そんな神を背負ってきたのだ。自覚を持って、それを受け入れ続けてきたのだ。ならばどうだ? 瀬々は神を恨むこともできたのではないか?」

 

 きっと瀬々は、そんなチカラさえなければ、両親の愛を受け、環境に恵まれ育っていたはずなのだ。それを無かったものにされ、瀬々がそれを憎い、と思うか。

 思って当然だ。人生を狂わされたのだから。――透華は即座に答える。間髪入れず、瞬くスキマも存在しない。わかりきっていることだからだ。

 

「それは――ありえませんわね。だって瀬々は、あんなにも堂々と、今を生きているんですもの」

 

「……そうだ、それは衣も(うべな)うよ。瀬々は、強いんだ。誰よりもまっすぐに前を見て、少しだけ悩みながらも生きていく。出不精だけど、麻雀には逃げずに取り組んでくれるしな」

 

 確かめるように、頷く。

 今、瀬々は自身の過去など感じさせることなく生きている。浮かべる笑みは愛想のいいうわべっ面のものだがそれでも、その仮面の下にあるのは、今を面倒だと思う、彼女特有の感覚だけ。

 何も、恨んでいるわけではないのだ。――ただし、と衣はそこに付け加える。

 

「瀬々には、全知を持ってしてもしれないことがある。それは間違いないな? ――だとすれば、その中に自分自身が当てはまるとしたら、どうだ?」

 

「――自分自身が?」

 

「あぁそうだ。案外そんなものだろう? 衣とて、周りには子どもだなんだと言われるが、自覚はない。――そして自分ですらわからない自分だってある。仮面――“ペルソナ”だな」

 

「誰もが知る自分、自分しか知らない自分、誰かしか知らない自分、そして――」

 

「――――誰も知らない自分、だ」

 

 おそらくは、龍門渕で受けた授業を思い出したのだろう。透華は衣からそんな、大層な横文字が飛び出てくるとは思わなかった。

 

「今の瀬々は、そんな四つの自分を自覚しようとしているのだ。己の中で、――何かに手を引かれるようにしながら」

 

 瀬々の中には、いくつかの仮面が同時に存在している。悲しいと思う自分、嬉しいと思う自分、それらが、全く同じ瞬間に存在しているのだ。

 ――本来、仮面とは取り替えるものである。感情は、同時に浮かぶことはない。悲しみを、喜んで受け入れることはできない。喜んだ時にはもう、悲しみの仮面は取り外しているのだから。

 

 だが、瀬々は違う。

 瀬々は理解ができる。その意味はつまり、感情を顕にする自分を、全く別の自分が“観察”しているのだ。ただしそれは感覚で、つまり答えを知るという理解を利用しない知識の源泉によるもので。

 

「仮面――四つの瀬々を、衣はしっていますの?」

 

「なんとなくは。四つ目の瀬々は、さすがに分からないが」

 

 ――誰もが知る瀬々は、人当たりはいいが根は無愛想の気取り屋。瀬々しか知らない瀬々は、おそらくマニア趣味の瀬々だろう。そして誰かしか知らない瀬々は、彼女が思いの外麻雀に熱中しきっているということ。

 四つ目は、誰にもわからない。瀬々にさえ、衣にさえ。

 ある、一つの存在を除いては。

 

「私は、なんとなくわかりますわ」

 

「……本当か? 誰にも理解できない瀬々を、透華は理解できるというのか?」

 

「厳密には、無理でしょうね。なにせ誰にも理解できないということは、理解したつもりでも実際には違うという意味ですもの。だから私が何を言おうとそれは正解ではない。限りなく正解に近くはあるかもしれませんけど」

 

「なるほど、な。――聞かせてくれないか? 衣には、誰にもわからない瀬々が解らないんだ」

 

 簡単なことだ――と透華は言う。

 まるで、甘えん坊の子どもをあやすように、優しい声音で、語りかけるように紡ぐのだ。己が知る、渡瀬々のブラックボックスを。

 

「――瀬々は、本当は感じたい感情があるはずですの。あの子は感情が欠けているわけではなくとも、感情を知らない子ですから」

 

 透華には、大切な人を喪う、という感情がわからないように。衣には枯渇した才能に苦しむ、という感覚がわからないように。瀬々もまた、“知らない”感情があるはずだ。

 そしてその感情を、理解しようと思えば理解できるのが瀬々である。

 

「複雑である、というのはある種思考の放棄ですわ。だって、どれだけ複雑なパズルでも解けないなんて事はありえない。――途中でピースを投げ出して放置しない限りは、ですけど」

 

 瀬々の知らない感情。

 瀬々が知るべき感情。

 

 透華は間違いなく知っていて、衣だってわかっているだろう。おそらく、普通の生き方をしてくれば、理解できない人間は、いないはずの代物。

 渡瀬々が、壁として透華のように異質を受け入れることのできなかった理由。

 

 ――その名は、

 

 

 ♪

 

 

 ――つまり、貴方は自分の中に複数の貴方がいるの、ここまではいいかしら?

 

(ふぅん、随分めんどくさい人間だな、あたしって)

 

 ――反応が薄いわね……でも、感情はしっかり理解できたわ。驚いてるでしょう。そして同時に納得してるでしょう。あぁ、だから感情が薄いのね、だって相反してるんですもの。普通、どっちかしか浮かべないものよ?

 

(いやでもさ、驚くでしょ普通、納得もするでしょ普通)

 

 ――その両方を浮かべるのがおかしいと言っているの。すでに推測を立てて、それを驚愕を持って受け入れるのは、驚愕があくまで感情の導入でしかないのよ。だというのに、あなたはその驚愕と、そこから続く納得を、同時に覚えるんだもの。

 

(でも、しょうがないじゃん? 驚くし、納得だってするんだからさ)

 

 ――ホント、不思議だわ。見てて全ッ然飽きが来ないもの。

 

(へー。ところでさ、アンタ誰?)

 

 ――それを聞くのも割りと遅いと思うわ。驚いて納得して、それからようやく本題(そこ)にはいるのね。ほんと、おかしな子。

 

(あー、というか別に言わなくていいよ、自分で考えるから)

 

 ――へぇ? 珍しいこと言うじゃない。いつも自分の感覚に頼りっぱなしの貴方がさぁ。

 

(いや、なるほどね。アンタはあたしを知ってるわけだ、それなりに――それなり以上に?)

 

 ――別にそうとも限らないわよ? トンデモなく勘のいい女の子かもしれないわ。貴方のチカラを理解できてしまうくらい。

 

(……そんな実例があたしのすぐ側にいるのは認めるがな、ありえないだろう。あたしはアンタの声を聞いたことがない。あたしのチカラに興味をもつ人間で、それだけ勘が良ければインハイに出て、なおかつあたしがモニターで試合を観てないとおかしい。だって、これから対戦するかもしれない相手なんだから)

 

 ――個人戦の選手、という線は?

 

(それもないだろ、なにせ個人戦で有名になる選手を、雀士をしてきて一度も耳にしたことがないなんてありえないしな。そもそも、外部の人間だっていう線も薄いだろ、こんな場所で、あたしとアンタは気がつけば会話してるんだぞ?)

 

 ――そう、そのとおりね。となれば答えは?

 

(……あたしにチカラを宿した張本人、()()()()()だろう? でなけりゃあんなタイミングでこんなこと、するはずないわな)

 

 ――当たりよ、大当たり。いつも私に頼ってるくせに、洞察力もあるんじゃない。

 

(理解力、と言って貰いたいね。少なくとも、アンタを理解するのがあたしの仕事だ。状況の理解力は人並み以上だと自負しているよ)

 

 ――そういえば貴方、私がいなくてもかなり優秀だったわね、本当に、そういったところも面白いのよねぇ。あぐらをかかないってところかしら。

 

(……………………)

 

 ――ま、そこらへんは貴方の美徳よね。自分を抑えるのではない。驕らないから楚々として見える。って……? どうかしたかしら?

 

(……………………)

 

 ――え? いや、あの、なんで黙ってるのかしら。それになんだか物言いたげな目でこっちみてくるし、何なのよもう。

 

(……………………)

 

 ――あ、その、えっと……ね? 解るでしょ? 沈黙しないでよ、こっちは不安になっちゃうのよ? だってだって、貴方と話するの初めてだから、その……あ。

 

(……………………)

 

 ――…………そう、よね。当たり前よね。私は貴方にチカラを与えた。それはある種偶然によるものと、必然によるものが交じり合っていたけど、言い訳にはならないわよね。

 

(……………………)

 

 ――えっと、その、あの、う、……あ、あたし、違う。私のこと、嫌いになった?

 

(全然)

 

 ――即答!? わざわざこっちに喋らせておいて、その答えを即答? し、しかも事実だしぃ、なんなのよ、もう。

 

(んーとさ、どうしても気になったんだよ、アンタはさ、あたしをすっごく気にしてるみたいだった。だったらどれくらいあたしのことを気にしてるんだろう、ってさ)

 

 ――まぁ、そうね。貴方を傷つけたのは私だものね。でも、そうなると貴方は私を恨んでいないということになる。それは少しおかしいわ? だって貴方は、私を気にしていないという感覚と同時に、怨嗟の感覚を覚えて不思議ではないはずだもの。

 

(そうだけどな。でも、違うんだよ、前提が間違ってる。あたしは普通じゃない。アンタがいようがいまいが、あたしを不幸にしようがしまいが関係ない。だってアンタのいう複数のあたしに、アンタは何も関係ないじゃない)

 

 ――あ、そっか。なるほど、ね。確かに普通だったら恨んでもおかしくはない。けれども、貴方は私という存在に関係なくおかしいから、……いいえ、“強い”とこの場合は言い換えたほうがいいわね。貴方はとても強かったから、私なんて気にする必要もなかった。

 

(むしろ、感謝してるくらいだ。理由はどうあれ、アンタがいたからあたしはあの人生を生き残ってこれた。だからアンタには、ありがとう、ってそう言いたいんだ)

 

 ――どういたしまして、ね。…………ねぇ、本当は解ってるんじゃないの? なんで私が、貴方とこうして話をしようとしているのか。

 

(あたしに自分のチカラを貸し出すため、だろう? どうしてもあたしが壁を越えられなかったから、それを後押しするために、アンタの方からあたしのところへ来てくれた、ってところか)

 

 ――ご名答。よく分かるわね。そしてそれを踏まえた上で一応聞いておくわ。このチカラ、本当に貴方は扱えると思う?

 

(さぁね。でも扱ってやるさ、でないとあいつには――勝てそうにない)

 

 ――あいつ、ね。それが誰だかは、聞かないでおいてあげるわ。でもそうねぇ、このチカラは本来人間には出すぎたもの、それを得たとして、貴方は果たして今の貴方でいられるかしら。

 

(どういう意味だ?)

 

 ――そのままの意味よ、チカラを得た人間が、一体どうなるかは想像できるでしょう? 傲慢と油断、そして孤独を抱えて、一人でいるしかなくなるのよ。

 

(そうかな、あたしの知る強者は、必ず隣に誰かがいた。たとえいなくとも、誰かを引き寄せる魅力があった。それにあたしがなれないとは、どうして言える?)

 

 ――それでも、貴方に与えるのは神のチカラ、神の祝福(のろい)よ。その効力は貴方だって知ってるでしょう?

 

(だからどうした、あたしは今幸福だ。そしてそれはこれからも続く、幸福が摩耗して、退屈に変質するまでだ。そしてそうなった時、あたしはその退屈を不幸に変える。かつての幸福を何処かに捨てて)

 

 ――、

 

(なぁ……つまんない質問をするなよ。知ってる答えを質問するな、解ってるだろ? アンタなら)

 

 ――……

 

(わかんないなら言ってやる。あたしはあたしだ。どれだけ変化しようとも、それもまたあたしなんだよ。今のあたしは変わらない。昔のあたしだってそうだ。言っただろ、同時にあたしが、存在してるって)

 

 ――――暗い。

 暗い、夜の底だった。人が生きていくことはできない場所。根の堅州国といったか、死者が住まう黄泉の国。その境目にある一つの坂の上位と下位で、一人の神と、一人の少女が会話をしていた。

 少女は不遜な態度と表情で、神に自身の意思を宣言する。神は黙った、黙ったまま、答えなかった。

 

 本当に、生まれた時から強い少女だったと、神はそれを知っていた。複数の人格。同一に存在する感情の発露。それらを束ねるだけの精神的強度。どれをとっても、神はどうやら敵わないようだった。

 

「ここから帰れば、多分あたしはアンタのチカラを借り受けているんだろう。今まであった壁が取り払われ、少しずつしか漏れて来なかったアンタのチカラが、本格的に卓を、あたしの手牌を支配するんだろうな」

 

 はっきりと、言葉にして、少女は言った。意味するところは簡単だ、――お別れである。

 

「その時に、あたしはアンタに感謝するよ。あたしにチカラをくれたこと。あたしを助けてくれたこと。――あたしをここまで、導いてくれたこと」

 

 背を向けるのだ。もとより、この坂は振り向くことを許されぬ場所。ここから元の世界に還るには、もうあの神の姿を見ることは適わない。

 もう、そこに存在しているかも解らなかった。

 

「ありがとう、嬉しかったよ。――そうだ最後に、これだけは教えてくれないか?」

 

 一歩ずつ、足を前に踏み出して、遠ざかってゆく。やがては言葉が聞こえる距離ではなくなるだろう。それでも少女は問いかける。

 

「あたしには壁があった。その壁は、なんだ? 多分、アンタに対して思っている、感情か何かだと思うんだけどさ」

 

 何気ない言葉。

 答えは――

 

 

「――親愛。家族への、情」

 

 

 ――あった。

 

「……そっか、何もかも、ありがとうな――“母さん”」

 

 軽く、手を振ってその答えに返した。おそらくは、向こうも振替しているだろう。そう思って、瀬々は一気に足の速度を早めた。

 

「さて、じゃあ……行きますか!」

 

 この先に、未だ彼女のするべきことが、待っているからだ――

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 ゆっくりと、見開いた世界は、昔のものとは違って見えた。

 フカシギが当たり前で、完全が見え隠れする不完全な世界。感情の欠陥や、何もかもすら超越したそれは、瀬々にはまったくの異世界に思えた。

 

 ――しかし。

 

(自分が、変わってしまうかもしれない、か。たしかにこれは、異様で魔的だ。でもな)

 

 瀬々は、ゆっくりと伏せた顔を前へと向ける。上へと上げる。

 

「あたしは――」

 

 たとえ、世界が全く異なるものになろうとも、瀬々にはかつてあった自分の世界が変わらず残る。

 

「あたしは――変わらない」

 

 それらを繋げ合わせれば、やがて異なる世界に隣接する世界がきっとある。それを頼りの、あらゆる世界を別世界とすれば。

 自分を、“渡る”存在に変えてしまえば。

 

「いつだって――」

 

 もう、いつもどおりの瀬々がいた。

 

「いつまでだって――」

 

 理牌すらされていない手牌が目の前にある。しかし、解った。瀬々はその手牌の、意味がわかった。いつもどおりの、今までどおりの感覚で――!

 

 

「――――変わってなんか、やるもんか!」

 

 

 勢い任せの打牌、振り上げられる彼女の左手。

 

 

「――リーチ!」

 

 

 ダブル立直。第一打でのみ許される、リーチを超えた二重のリーチ。

 

「っ!」

 

 セーラが、そして美砂樹が驚愕する。今、目の前にいる存在は誰だ? 先程まで、幽鬼のように揺らめいていた何かではなかったか? ――と。

 

 そして、

 

 瀬々の真正面、アンの顔が、三日月のごとく笑みへと変わった。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 ようやく、瀬々がこの決勝の舞台にやってきた。

 アン=ヘイリーの待つ、この場所に。自身の足で、壇上に上がった。

 

 

「やっと」

 

 

 ぞくりと、アンは体を震わせる。

 先程まで瀬々にはなかったものが、今は彼女に宿っている。ようやく、この卓最大の強敵として、友人を見れる。そのことに、歓喜と悦楽を、アンは浮かべた。

 

 

「やっと、追いついたぞ! アン=ヘイリーッッッ!」

 

 

 ――先鋒戦前半は、これで終了。

 最後の和了は、瀬々の宣戦布告によって、終結した。




瀬々は強い子です。まっすぐではないですけど。
というわけで次回から決勝戦最初の山場、アン対瀬々の決戦に入ります。


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『登龍門』先鋒戦④

 席順。

 東家:ヘイリー

 南家:江口

 西家:渡

 北家:遊馬

 

 順位。

 一位臨海 :120900

 二位龍門渕:100600

 三位千里山:91700

 四位白糸台:86800

 

 先鋒戦における半荘一つを終えて、改めて点棒を見渡すと、アンはある一つのことに気がついた。

 この前半で、勝利したのは間違いなくアンだ。しかし、それ以外にもドラマはあった。遊馬美砂樹はアン=ヘイリーの隙を突いた。

 そして江口セーラは、あのオーラス一本場まで、渡瀬々よりも多く点棒を所持していたのだ。単なる一つの過程とはいえ、終局直前、目覚めるまでの瀬々よりも、セーラはひとつ上を行っていたことになる。

 

 おそらく、あの時の瀬々は準決勝の瀬々よりも強い。意識ははっきりと感じられなかったものの、準決勝と同じく、見えている打ち方はしていたし、あの時以上に“牌を引き寄せる”習性が強くなっていた。

 よっぽど追い詰められれば地和だってありえただろう。さすがに二度は、させはしないが。

 

(――地和に、ダブル立直。まぁある程度の推察はできますが、そこはもう実戦で確かめていくべきですね)

 

 東発は、自分だ。アンは意識を戦闘のためのものに変更する。アンの戦場はまさしく一騎当千の劇場だ。現実離れした人間の域を超える闘いである。

 

 ――そこに、瀬々が宣戦布告を仕掛けた。ようやく瞳に光の戻った彼女に、アンは今からの対決を楽しみと思うのだ。

 

 

 ――東一局、親アン――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「さ~始まりました! 臨海女子、アン=ヘイリーの第一打は速度の役牌、彼女の手牌に字牌はないぞー!?」

 

 アナウンサー、福与恒子の甲高い声。耳に響きこそするものの、きついとは思わないような心地良いそれが、試合の開始を宣言したのだ。

 

「相変わらずヘイリー選手は手牌がいい。彼女の強さはいくつかありますが、その中でも周囲からみて最もわかりやすいのがこれでしょう」

 

「なんとなくズルいですよね!」

 

 実況、小鍛治健夜の言葉に割ってはいるように恒子がそんな風に笑う。

 

「そんなこと入ってないよ!? それに、ツモがいいのは他の選手も大体同じです。特に渡選手は、これまでの対局からもその片鱗を見せています」

 

 ――わかりやすいところで言えば、準決勝の地和や、第二回戦の四暗刻聴牌だ。時折、謀ったかのようなツモをするのは瀬々の特徴として存在している。

 

「その渡選手は――おおっと、かなり綺麗な配牌をしているようだ!」

 

 ――瀬々手牌――

 {西發發9⑥六9二9三⑧⑦五}

 

 かなりの好配牌であることは、理牌をせずともなんとはなしに伝わってくる。なにせ軽く見渡した限りでも、役牌の対子に、{9}の暗刻である。

 ――そこで、ポツリとそれを見た健夜が言葉を漏らした。

 

「――リーチ、か」

 

 それは、マイクにすら拾わせるつもりはなかったような、小さなつぶやきだった。思わず、という部分もあるだろう。事実、それが会場の観客に伝わることはなかった。

 ただし、

 

「……? どうかしました?」

 

 恒子はそれを耳聡く聞き取り、見逃さなかった。

 

「え、いや、なんでもないですよ?」

 

 無難にごまかした、と言うよりも“なかったコトにした”とでも呼ぶべきその対応に、恒子は首を傾げながらも実況に戻る。

 ――丁度、瀬々のツモが顕になったところだった。

 

 瀬々/ツモ{四}

 

「……これは!?」

 

「配牌から聴牌ですね、しかも、前半戦と合わせて二連続です」

 

 少し驚いたように確かめる恒子に、すぐさま反応してみせる健夜。言いたいことは解る。その程度に今の瀬々は、異常なのだ。

 

『リーチ』

 

「仕掛けていったー! ダブルリーチだぁ!」

 

「この三面張での待ちですし、すぐに自摸れると思います」

 

 ただし、と口にしようとして取りやめる。これ以上は万人に向けて語るべきではない、そう判断したのだ。対局者のチカラに法則性があるのなら、それを解説するのは、あまりフェアな解説ではない。

 

「さー、全員が微妙そうな顔をしています。何食わぬ顔で現物を打つのはヘイリー選手、彼女だけが現物を掴んでいるぞー!」

 

「これは、些か以外ですね」

 

 他者の対応、それに対して健夜はぽつりと漏らす。指摘したのは、アン=ヘイリー。しかし何もおかしな話ではない。現物があれば、リーチに対して一発を避ける意味で、それを打つのはおかしくない。

 きょとんとした顔で、恒子が健夜に問いかける。

 

「え? でも現物ですよ? 安全ですよ?」

 

「それでも、ヘイリー選手なら他家の鳴けそうな牌を切ると思います。ダブル立直に対して受けの選択を取るのは、少し彼女らしくないと思います。まるで――」

 

「……まるで、何かを見定めているような?」

 

 意を受け取って恒子が語る。真剣みを帯びた彼女の声音は、普段とのギャップを伴ってか、鋭く会場に浸透していた。

 

 ――おそらくは、渡瀬々のことを観察しているのだろう。この決勝戦で彼女に訪れた変化、それを実戦で読み取ろうとしているのだ。

 

 故に、それは躱さない。東発、最初の和了は、躱せない。

 

『――ツモ! 2000、4000!』

 

・龍門渕『108500』(+8000)

 ↑

・臨海 『117000』(-4000)

・白糸台『84800』(-2000)

・千里山『89700』(-2000)

 

「決まったァ――! 一発ツモォ! 前半戦オーラスもそうでしたが、後半戦最初の和了も一発ツモ! しかもどちらもダブル立直で、渡瀬々が、和了ったァ――!」

 

 果たして、アン=ヘイリーは、この和了に何を見ただろう。健夜はそれを少し考えて、打ち消した。すぐに、恒子の言葉に準じるような発言を、己の中から選び出す――

 

 ――対局室――

 

 

(――また一発、か)

 

 点棒を、受け取りながら考える。瀬々は自身のツモを思い出した。配牌時点から解っていたことではあるが、このツモは“あいつ”のツモだ。配牌以前に、チカラが働いている。

 

(昨日まで、というか前半戦のオーラスまで働いていた、チカラがまだ残ってやがるな? ――そいつはブレだ。この手牌に、そういうたぐいは必要ない)

 

 一発で、自摸る必要はないのだ。それでは満貫にしかならない。しかも一発のなくなったダブル立直のみのツモでは、三翻にしかならないのである。

 

 瀬々にとって、この支配は手段でしか無い。そこから手役を伸ばしていくための、手段。聴牌から打点を上昇させるのは中々困難が伴うが、それはそれ、瀬々のチカラがツモを補う。彼女の全知があるからこそ、この手牌は打点を伴うのである。

 

(――ま、いいさやってやる。アン、アンタに勝つためには、これじゃあダメだ。そろそろネタも割れてるだろう? ここからが本領だよ、止めれるものなら、止めてみなってところさ)

 

 

 ――東二局、親セーラ――

 ――ドラ表示牌「{⑧}」――

 

 

(……おかしなツモ、二連続ダブリー一発の確率って、どんなやねん。そんなもん、計算するまでもなく可能性外や)

 

 ――計算上、ある一定の確率を割った低確率は、それを無いものとして扱うというのが、ある種の統計学的扱いである。それを超えたシロモノは、偶然の女神が微笑んだか、異質が顔をのぞかせたかのどちらかだ。

 

(一発ツモは、昨日ふなQがいってたとおりやな。確かこれまでの牌譜において、一発は四割やったな。それだけでもおかしいけど――これもふなQの言う変な手牌か)

 

 偶然、と片付けられる程度には、瀬々は時折おかしなツモを見せていた。それこそアン=ヘイリーのような豪運が、時折何処かから顔をのぞかせるのである。

 オカルトを相手にする時、考えるのは偶然ではない、法則である。特にこういった“不可思議な可能性”は胡散臭い確率の法則として、気に留めておくべきなのだ。

 

(もしも、毎回ダブリーで一発になるんやったら、速度じゃ誰にも敵わなくなる。妨害は、オレのスタイルやないんやけどな)

 

 ――そこまで考えて、第一打を終えたセーラ、しかしすぐにその思考が間違っているということを悟る。正確には意味のないことだったということを、知った。

 瀬々は通常通りに打牌した。リーチをかけることなく手牌から手出しで牌を切ったのだ。

 

(なんや、必ずリーチかけるわけでもないんかいな)

 

 リーチすることが前提でないというのなら、そこからはもうわからなくなる。アン=ヘイリーレベルの気運を手に入れたのか、はたまたもっと別の何かが彼女の味方をしているのか。

 

(どちらにせよ、何か変なオカルトがあいつの味方をし始めたとして、オレに何ができるか……まぁ、普通何もできへんわな)

 

 ――セーラ手牌――

 {四五七八②②⑧⑨1269發(橫⑦)}

 

 セーラは特別ではない。単純に強く、そしてただ前に進み続けてきただけだ。誰よりも強くあろうとし、そのための努力をしてきた。それは他人に否定されるものではないし、自分の根幹として根付き揺らぐことのないものである。

 

 セーラ/打{發}

 

(――それやったら、ここは素直に和了りに行く。どんな相手にもまずはひとつや……!)

 

 たとえ、相手がどれほど強くてもセーラはごくごく当たり前に勝ちに行く。強者と強者を阻むのは壁ではない。才能に嫉妬はない、分野が違うというのならそれはそれ。同一線上の強者なら、ただがむしゃらに走りぬき、追い抜いてしまえばそれでいい――!

 

 セーラの手が卓上に河を描く。

 思い描くのは前に進むツモ、掴み取るのは判断の牌。

 

(さて、と)

 

 ――セーラ手牌――

 {四五七八②②⑦⑧⑨1269(橫7)}

 

 ここで手を止める。選択は三色を見るか見ないかの選択。見るとしたら打{1}か、打{2}。見ないとしたら打{9}だ。

 そこで一度ずつ他家の捨て牌に目をやる。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {三發西四發}

 

 手出しは{三}と{四}の二枚ずつ、おそらく彼女は関係ない。山を考えるとしても、手牌を考えるとしても、考慮しなくてもいい類。テンパイしているとしたら、平和のみにドラ一が付くのが関の山。

 

 ――美砂樹捨て牌――

 {⑦4西西一}

 

 ――アン捨て牌――

 {1⑨5北③}

 

 気にするべきは、この二人。まずアンの手牌はすこぶるいいだろう。すでにテンパイしているか、もしくは一鳴きで聴牌できる一向聴か。どちらにせよ、ここで見るべきは打牌の{5}。

 そしてそれは美砂樹にも言える。不可思議な捨て牌だが、染め手ではないようだ。となるとこの打牌の意味するところはひとつ、チートイツである。最初に切った{⑦}と{④}、孤立牌として切るのは、少しおかしい。{西}打牌の時点でテンパイしていると考えることも出来る程度に、あのチートイツは早い。

 

(となれば――オレの信条も鑑みて打牌はこうや)

 

 ――セーラ/打{6}

 

 {5}打牌から、セーラはアンの手牌に{456}あたりの面子が存在していると読んだ。同時に、美砂樹の手配にも{5}が二枚ある可能性を考えた、結果の打{6}。これは、12が埋まった場合の純チャンまでも、考慮に入れての打牌である。

 

 そして直後、セーラは{六}と{8}を引き入れ聴牌、三面張の高め三色とした。すでに三翻を確保し、親番であるためリーチはかけず。それでも高めツモで跳満の十分な高火力。

 それを――

 

(……おろ)

 

 掴んで、嘆息。晒した牌は、{三}。

 

「ツモ、2600オール」

 

・千里山『97500』(+7800)

 ↑

・龍門渕『105900』(-X00)

・白糸台『82200』(-X00)

・臨海 『114400』(-X00)

 

 安目ツモで、まずひとつ和了った。

 

 

 ――東二局一本場、親セーラ――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 

(渡さんの独壇場になるかと思えばそんなこともなく、江口さんの和了でさらに一局、か)

 

 明らかに、何かの変化が起きたのは勘に頼らなくとも解る。直接的な感覚が、ざわりと揺らめくのを美砂樹は感じ取っていたのだ。

 しかし、それ以上がわからない。瀬々に起こった変化は確かだ。かといってその変化が何であるかまでは、美砂樹は知らない。知ろうとしても、すぐには解る答えではないだろう。彼女は分析家ではあるものの、勘が働く部分の比重がとても大きい。特殊なタイプと言えた。

 

(まぁ、和了れるのなら和了れるでもいいわね。正直かなり難しい手牌だけど――)

 

 ――美砂樹手牌――

 {一四九⑧⑧239南北白發中(橫五)}

 

(私の勘でやれるだけ、やっていたいものね)

 

 美砂樹/打{北}

 

 ちらりと瀬々を見る。理牌を終えて掴んだ牌をそのまま自摸切り、聴牌が早いのかはたまた本当に不要な牌だったのか、切ったのは役牌の{東}。それだけでは確かな判断を下せそうにはない。

 そういえば――美砂樹の直感が震え出す。この感覚は知っている、いわゆるデジャヴというたぐいのものだ。

 

(前局の渡さんは沈黙していた。でも、それ以上におかしな打牌がいくつかあった。――{三}と{四}、これって自摸切りで明細されているけどつまり、両面塔子落とし……つまり、それって……)

 

 思考がグルグルと回りだし、直感の届かない場所まで行ってしまいそうになる。ぐにゃぐにゃに捻じ曲げられた思考。まっすぐにならなかった思考は、直線的な感覚にはめっぽう弱い。

 ――いや、と首を左右に振って思考を入れ替える。

 

(……ダメね、情報が足りなさすぎる。私の思考回路じゃ断定出来るだけの確信を得られない! ……これでもし、毎局ダブル立直がかかっていれば、いっそ誰にだってわかるというのに)

 

 それに、と切り替えた思考から笑みが生まれる。無理もない、それほどまでに、彼女のツモは順調に進んだ。

 

(……できた)

 

 ――美砂樹手牌――

 {四五六⑦⑧⑧⑧233北北北(橫4)}

 

(三暗刻にならなかったのは残念だけど、どっちにしろ安目ツモならさほど意味はなくなるわ。ここまでできたことこそが、まさしく僥倖というものなんだから!)

 

「リーチ」

 

 美砂樹/打{3}

 

(考えたって、分からない。直感だって、働かない。だったら後に残された手段はもう、ただただがむしゃらに和了って行くしかないのよね!)

 

「――ツモ! 2100、4100!」

 

・白糸台『90500』(+8300)

 ↑

・龍門渕『103800』(-2100)

・臨海 『112300』(-2100)

・千里山『93400』(-4100)

 

 振り上げた手から解き放たれる、美砂樹のツモが、勝利を語っていた。そしてここまでが、彼女たちの闘牌。人間がその意地をかけてぶつかり合う特上の舞台。

 

 

 そしてここからは、渡瀬々と、アン=ヘイリーの舞台。限界点すら越えて存在する頂上決戦の火蓋が、ここから切って落とされるのだ。

 

 

 ――東三局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{4}」――

 

 

(――、)

 

 思考は必要ない、理牌前の手牌から第一打を選び、それから更に手の伸び方を意識するのだ。特に瀬々はそれについて絶対的なアドバンテージを持っている。一巡目に、悩むことはありえない。

 

 ――瀬々手牌――

 {③一一西8一⑤8⑦西⑨8②} {⑧}(ツモ)

 

 瀬々/打{⑤}

 

 迷いようがないのだ。彼女は手牌を見えているわけで、しかもその選択は、一つしかとりようのないものなのだから。

 

 瀬々/ツモ{③}・打{一}

 

 美砂樹/打{九}

 

 アン/打{西}

 

 セーラ/打{①}

 

 何かの心音のように、ほぼ一定のテンポで響き続ける打牌の音。それぞれが、迷いなくツモを進めているのは間違いない事実だ。揺れ続ける振り子の如く、ただただ意識が手牌に向いている。

 

 瀬々/ツモ{②}

 

 そこに、多少の変化を加えるのはそれぞれの視線だ。瀬々はちらりと下家の美砂樹へ意識を向けて、それから手牌の真ん中にある、牌へとそっと手を伸ばす。

 

 瀬々/打{⑦}

 

 他家は同様に、それを行う。瀬々が意識したのは下家の美砂樹、しかしそれぞれが下家を意識するかといえばそんなことはない。美砂樹はあからさまに瀬々を観察していたし、アンは三者を同一に見ていた。セーラに至っては、見たのはアンの打牌である。観察のために眼を動かしていることはない。

 

 そうして――それぞれの打牌が、動き出す。

 

 

 美砂樹もセーラも、少しずつ手ができ始めてきたところだろう。瀬々はどうか、何やら難しそうな手牌であるが、すでにリーチを仕掛けている。それぞれが一発を避け――アンの場合はムダヅモが安牌出会ったというだけだが――更に一巡。ここまでで、七巡だ。

 

(――捨て牌と、手牌を見てみなければわかりませんが、おそらくあの手牌が顕になれば。皆驚くでしょうね。なにせ瀬々は、一巡目の配牌からして“テンパイしている”のですから)

 

 さすがに、何の情報もなく“見抜け”というのは無理がある。瀬々のそれは、一度直接“あの和了”に触れていたアンにしか、この中で見ぬくことはできないのである。

 故に、考える。

 

(さすがに、三度目ともなれば周囲も気づいてくれるでしょう。慎重な人も、確認するのは簡単です。自分がベタオリして、手牌が開くのを待てばいいのですから。故に、情報アドバンテージを活かせるのはここしかない。しかし、)

 

 ――無茶だろう。この状況で瀬々を出し抜き和了するなど。リーチをかけて、それをアンがずらしたまではいい。和了り牌を抱えられ、それでも瀬々は和了に向かうだろう。もう一度ずらせば……こんどはアンが和了しづらくなることは間違いない。

 このまま、自摸られる。それがアンの見立てである。

 

(――新たな瀬々のチカラはごくごく単純。“配牌から聴牌している”という異能。それに、多少の制約を加えた、といったところでしょうか)

 

 まず、テンパイした場合、絶対にドラは乗らず、ついてもタンヤオか平和の一翻のみ。つまりダブル立直をして一発で自摸っても、裏が乗らないため満貫にしかならないのだ。

 しかも大概は役なし聴牌であるため、リーチをかける他に無く、そうした場合瀬々が持つ最大の利点であるツモの察知が使用できなくなる。特に強者との対局においてただリーチを我武者羅にするだけでは、食い物にされるのが関の山だ。

 

(よって瀬々はツモのために手牌を配牌からいじらなくてはならない。当然瀬々はそのために非常に有用なチカラを持っている。言ってしまえば今の貴方は、私に速度で追いついた、といったところですか。――対等、ですね)

 

 今にも釣り上がってしまいそうな口を抑え、なんとか笑いを心のなかだけに押し込める。そうしなければ、今のアンはいつまでも、どこまでも楽しさを顕に声を張り上げてしまってしかたがないのだ。

 

(あぁ、本当に、私の想像の中において、その想像が暴走をはじめてならない。瀬々とこうして戦えるのは、本当に楽しい。頂上の決闘。超常の存在。これほど私の心を震わせるものはない――!)

 

 まだ見ぬ理。別世界。アンが求めてやまない未知の先。

 腕が、震える。興奮だ。どうしようもなく、感情が溢れ出るのが止まらない。瀬々のツモ、瀬々の手。瀬々の顔、瀬々の瞳。感情が、彼女一人に縛り付けられるのを、アンは受け入れる。

 勢い任せに振り上げた手。

 

 頂点、瀬々が手を伸ばす先。アンと、今から競いあう場所。

 

 

「――ツモ! 3200オール!」

 

 

 敵として、これほどまでにない上玉がそこにいる。

 魅力を感じてやまない対局者、渡瀬々が、どこか笑みをもって立っている――

 

・龍門渕『113400』(+9600)

 ↑

・臨海 『109100』(-3200)

・白糸台『90200』(-3200)

・千里山『87300』(-3200)




先鋒戦開始です。能力説明と、まずはアン以外が1つずつ和了りました。
こっから一騎打ちって感じでしょうか。次回をお待ちください。


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『臨界決戦』先鋒戦⑤

 ――東三局一本場、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{南}」――

 

 

(ようやく、ようやくここまで来たんだな、アン。アンタと同じ場所で見る景色、高くて怖いぞ? よくこれで平気だな)

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三四五六七九九⑦⑧⑧⑨(橫⑥)}

 

(こっちは確実に聴牌する、とはいえ打点がそれに伴わない。アンの場合、打点がそこに伴ってくるんだ。どんな手牌であれ、あいつは確実に二翻以上には仕上げてくる)

 

 それも、瀬々が要する乱れ気味の手牌変化に対し、相手は確実に、河が二段目に移る前にテンパイしてくる。速いから強い、のではない。アン=ヘイリーは。“速く”て“強い”のだ。

 

(じゃあリーチ? 違うね、それはセンスのないやつがすることだ。この手牌、リーチをかけなくても、いくらでも手牌は大きく膨らんでいく……!)

 

 瀬々/打{⑨}

 

 瞬間――動いた。アンの表情が、これでもかというほど瀬々の打牌に食いついた。

 大きく大きく、卓上すべての空気を吸い付くして消し飛ばしてしまうかのようにアン=ヘイリーは口を開いた。そこから咆哮が飛び出すまでには、一つ、間があった。

 

「――――――――ポンッッッ!」 {⑨橫⑨⑨}

 

(――やかましいな、まったくさぁ!)

 

 思考の中に浮かぶ瀬々は楽しげだ。対局する瀬々、一喜一憂する瀬々、選択する瀬々、悩む瀬々。渡瀬々の持ちうるあらゆる感情が、感覚の告げる鉄のボードに浮かび上がって、一斉に声を張り上げる。

 

 ――“楽しい”と。

 

 ――もっと、もっと“興奮を”、と。

 

 叫ぶ。

 ――叫ぶ。――――叫ぶ。――――――――叫ぶ。

 

 瀬々/ツモ{⑦}

 

(あぁ全くホント、なるほど、ね。リーチをかけて、その上で鳴かれていれば一発か! そうでなくともアンに当たり牌を掴ませていたのか。――いやぁ、惜しいことをした)

 

 全く、そうは考えていないような後悔を浮かべて、それからすぐさまそれを切る。自摸切りだ。乱されたツモの如何によっても、これは差して必要ない。もう一度、ずらされたって不要だろう。

 

 二度。

 渡瀬々は、たった二巡のツモの間に、二度も聴牌を拒否して打牌した。

 アンはどうか、聴牌はしていない。それは確かだ。しかし着々と速度を増して前に前進している。停滞する瀬々と、その上をゆこうとするアン。今、優っているのはどちらか。

 

 ――瀬々だ。和了には遠くとも、今の彼女は聴牌にもっとも近くある。誰よりも、聴牌をすぐさま取ることができるのだ。

 

 アン/打{三}

 

 瀬々/打{4}

 

 それぞれの打牌、アンは手出しで、瀬々は自摸切り。

 

(さて、遅れを取るのは、一体どっちになるのかね)

 

 瀬々のツモを鑑みるのなら、先に先制するのは自分自身だ。しかしもし、それに一歩及ぶような鳴きを、アンが見せるというのであれば――

 

「チーッッ!」 {橫⑧⑦⑨}

 

 ――その優位も、あっという間に、消えてなくなる。

 

(横から鳴かれた! ――まずいな、その牌は“見えなかった”。まぁこれに関しちゃ気にしたほうが負けだっていうのはよく解ってるんだが)

 

 ともかくこれで、またずれた。

 

(方向修正は……問題ない。むしろこっちのほうが速いくらいだ。――アンが打牌、それから白糸台が当たり牌を出さなければ、あたしとアンは同一だ)

 

 美砂樹/自摸切り{發}

 

(――二枚切れッ! 通るかっ?)

 

 逸る気持ちを抑える右手、この牌を掴むことは解っていた。その上で、それが通るかまでは、瀬々にはどうやったって解らなかったのだ。

 沈黙。重苦しいとそれを感じるのは、間違いない、瀬々がその場で最も空気に“呑まれている”のだ。

 

 麻雀をしてきて、これほど感情が奔るのは、きっと衣との対決以来だ。そう思うから、自信が牌をつかめた安堵に、瀬々は心の底から沈殿する渇望をどこまでも素直に、発露させていくのだ。

 

(――来た。最高のツモ――!)

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三四五六七lil()九⑥⑦⑧⑧} {(ili)}

 

 

「……リーチ!」

 

 

 瀬々/打{横九}

 

 ピット伸ばされた右手指先のリーチ棒。ふっと手先を離れたそれは、カランと一つ音を立て、踊るように跳ねて指定の位置に収まっていく。

 

(さて、解ってる。あたしのツモはすぐにはこない。一発を待ったってよかった。けど、ここで勝負しないわけには行かないんだよね。しょうがないじゃんか、そうでもしないと右手が動かないもんでねぇ――!)

 

 高揚する意識。では、対するアンはどうか。――意識を向けて、声を大にして宣言する必要はない、もうすでに理解している。アンもそうだ。アン=ヘイリーもこの状況を最大限に楽しんでいる――!

 

 踊る右手が、勢い任せに宙を舞い、弧を描いては卓上へと消える。無数の軌跡、流星を思わせる無色のそれが、アンを祝福するように、アンの手牌の向こう側、河の少し手前で爆ぜた。

 

 アン/打{七}

 

(無筋の――牌! 勝負はするし、これが当たるはずもないと、確信しているってのか!? どれだけ判断できてるんだよ)

 

 あえて捨て牌の手前に飛び出したそれが、卓を滑って河へとつながる。揺れる波間は、美砂樹のツモを挟んで瀬々へと伝わる。――ツモ番は、ほとんど思考の時間を挟むことなく、渡瀬々へ繋がった。

 

 掴んで――沈黙。

 

(……危険牌、か)

 

 瀬々/ツモ{四}

 

 ここまで、瀬々が見てきた{四}はたったの二枚、筋の{一萬}もまた、河にはひとつたりとて踊りでていることはない。ヤオチュー牌の一つ、{一}がどこにも見当たらないのだ。だとすれば、考えられることは一つ明け。

 

(“理牌の様子”を鑑みてもそうだ。――アンの待ちは、おそらく{一}と{四}の両面待ち、ないしは、底に何か別のツモが重なった待ち――例えば)

 

 思考が、理解によって塗り替えられていく。不確かだった感覚の答えを、瀬々が確かな読み取りでもって変化させたのだ。それが、今瀬々によって為されている、ここでつかんだツモの意味。

 

(今は負けろ? ――と? ふざけんな。何を持ってあんたがあたしに負けを決めるんだ。この牌は、切る。リーチをしているからだ。けどもたとえ負けるにしたって、悔しさをそれに加えるつもりは毛頭ない!)

 

 ――瀬々は、ここに来てアンと、真っ向からの勝負を望んでいる。衣に自身のルーツを聞いたその時から、瀬々が意識する最初の強敵は、間違いなくアンであったのだから。

 

(だから、闘って負ける。意思すら表明することも叶わないほどぐちゃぐちゃに負けて、それで対局を終わらせてやる――!)

 

 ――瀬々/打{四}

 

 そして、

 

 

「――ロン、7700の一本」

 

 

 決着は、

 

(――――ッッ!!)

 

 アンの宣言で、現れていた。

 

・臨海 『118100』(+9000)

 ↑

・龍門渕『104400』(-9000)

 

 

 

 ――東四局、親美砂樹――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

(たとえあたしが振り込んだって、流れは別に変わらない。そういうのと、あたしは無縁だ)

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五六八①③⑤22678(橫②)}

 

(ノベタンのおかげで、比較的簡単に平和の付きそうな手。一巡目だから普通ならダブリーするけど、それじゃあこの手は少し足りない)

 

 瀬々/打{①}

 

(ここで考えるべきはタンヤオの複合だな。幸いすぐに{④}は引き直せる。{①}も……)

 

 ちらりと、理牌された三者の手牌を見比べて、鋭く突き刺すように目を細めた。ゆっくりと構えられた剣先がその場に出現したかのようだった。

 

(……たぶん、山の中にいっぱいある。こればっかりは、これからもっと経験をつんで判断しなくちゃいけないけど)

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五六lil()②③⑤22678} {(ili)}

 

 瀬々/打{八}

 

 揺らめく切っ先は、手元で踊って地面を叩く。跳ねた牌は河へと消えて、流れて水面を駆け巡る。それぞれの打牌が、山の向こう側に、瀬々は思えた。

 

 直後。

 

「ポン」 {橫⑧⑧⑧}

 

 状況が動いた。鳴いたのはアンだ、勢い任せに牌を鳴き、叩きつけて打牌する。

 動かした牌は――ドラの{1}、手牌の隅にあるそれをなんら躊躇うこともなく河へ放った。甲高い音は二回、響いた。

 

 ツモがずらされ、潰された――瀬々は、瞬それを意識した。しかしすぐさま次の状況へと意識を切り替え前向きに、思考だけを回し続ける。

 

(意識させるような打{1}、{⑧}の側じゃない辺り、まだ聴牌どころか、一向聴にも進んでなさそうだが……アンのことだ、それ相応の打点を有しているのは間違いない)

 

 “速い”雀士は多くいる。第二回戦で闘った晩成の次鋒もそうだ。龍門渕には水穂という速攻のプロもいる。そして透華もまた、デジタルを突き詰めることにより結果的に速度へ注力していくたぐいの雀士。

 しかし、彼女たちが速度に重荷を負いた時、置き去りにしてきた事実が一つある。例外は、勢いづいた時の、依田水穂のオカルトだけだ。つまり――打点である。

 鳴いたところで、和了れる役はせいぜい三翻。特にこのインターハイルールでは赤ドラがないから、三翻すらも用意するのは難しいだろう。

 

 だが、その打点という制限において、それを全く意に介することのない雀士が、一人いる。

 

(……アン、あんただけは速度の中に打点を仕込める。その豪運が、アンタの技術に“応えて”いるんだ。とすれば、だ。見えてくる――自ずとアンの手牌が、見えてくる)

 

 ノイズにまみれた手牌、それがひとつの鳴きによって顕になっていた。霞がかった視界に移る一条の筋。光の群れはまさしく瀬々へと向けられている。

 ――瀬々はそれを、理解しているのだ。理解できる、チカラを有してここにいるのだ。

 

 雀士として、そのチカラを麻雀へと向けているのだ。

 

(すごいよな。こーいう手合いは単なる幸運だけで自摸ってねーんだ。……あたしに近い人だと、水穂先輩がそうだな。自分自身にこびりついた信条か――はたまた。……まぁなんでもいいけどな)

 

 改めて、アンの捨て牌を見る。一九牌が先に来て、更にそこから字牌が出てくる独特の打牌。そして筒子は一枚も出ていない。――確定だろう、アンは染め手で打点を確保しようとしている。

 

(染め手に対々和か、役牌――ないしは、完全に清一色で作れば満貫確定だ。こいつ好みの、速度ある聴牌になる)

 

 意識の隅、再びツモの機会を得たセーラの打牌、少しの逡巡から、手牌にある一枚の牌を選んで切った。

 

 セーラ/打{1}

 

(……あたしの{④}は、出ないみたいだな。どっちかというと、あたしじゃなくてアンを警戒してだろうけど……その手牌だと、結局アンタはその{④}を手放さなくちゃいけないんじゃないか?)

 

 見た限りでは、セーラに{1}を切ってまで{④}を抱える理由は薄い。それこそ、“和了る気がない”のでもないかぎり、ここでその打牌は完全に無意味と化すはずだ。

 

(だったら、チートイツにだけは警戒して、千里山はこの局スルーだな。白糸台もツモは悪そうだ、――この局、とりまアンだけを意識して打つ――!)

 

 ――瀬々/ツモ{④}

 

 どんぴしゃのツモ、アンが鳴いた時から解っていたことではあるが、ここでこれを引いてこれた意味は大きい。できることなら一発か、出和了りを狙いたい。ドラが期待できないのなら、裏と一発にかけるほかないのだ。

 

(裏ドラは、リーチをかければ{④}が乗る。つまりそこに、一発が付けばこの手は跳満に化けて変わる。あと四巡、すぎればそのまま跳満で和了だ!)

 

 ――ただし、その前に遊馬美砂樹かアン=ヘイリーが和了り牌を掴むことになるが。

 

(当然、出したら和了る。出さなきゃあがれん。その上で――リーチはかけずに黙で待つ! かけるとこいつらは間違いなく出さないからな)

 

 瀬々/打{⑤}

 

 瀬々のツモから、手牌が知れていないどちらかに、必ず{二}と{五}は渡る。当たり前だ、それ以外の場所にある二つの牌を足しても、純カラになることはないのだから。山の中に、彼女たちが掴む牌が何処かにある。

 それを思考した上で、もう一つ。

 

(――鳴くか?)

 

 筒子の、打牌。未だアンの手牌における全容は知れない。この牌が当たりであるかもしれないし、そうではないかもしれないという状況は、残さずそこにあるがまま、沈黙の事実を有している。

 

 真正面から向きあう視線、答えは、アンの瞳には映らなかった。

 

 

 ――そして、

 

(――鳴きませんとも)

 

 問いかけるような視線に、アンは流すような目つきで応えた。

 美砂樹の打牌を挟んで、それから自身のツモ。盲牌だけをして確かめたアンは、手牌の隅、右端にぽつんと残る牌を、倒して晒す。

 無音でほうられたそれは、山の向こうへ、消えてゆく。

 

 アン/打{四}

 

 そこから、誰も声を発することなく無言のまま二巡、流れた。

 

 瀬々はどちらも自摸切り。アンは、一度手出しで{4}をウチ、それから自摸切りで{一}を払った。――この{一}は第一打で切った牌。ムダヅモであった。

 

 ――直後、瀬々の打牌。即座に行われたそれであったが、アンは目を細めて状況を認識する。ムリもないことだ。瀬々は打牌の瞬間、確かに感情をぶれさせた。無理もない、ことだ。

 

 瀬々/自摸切り{⑦}

 

(解っていても、怖いものは怖い。貴方らしい二面性だ。そして、私にそれは必要ないですよ。残念ながら、貴方に私は期待していないのです。――むしろ)

 

 視線は向けない。ただ、手牌は右手を牌へと添えた。構えるような、スタイルだった。

 

(私が期待しているのは、この人の方です)

 

 

 ――美砂樹/自摸切り{五}

 

 

「ロ――――、」

 

 

「ロンです、1300」

 

 

 ――アン手牌――

 {四六⑥⑥⑥22444} {橫⑧⑧⑧}

 

・臨海 『119400』(+1300)

 ↑

・白糸台『86000』(-1300)

 

 宣言しようとした人間は、二人いた。宣言できたものは、一人だけだった。

 青天の霹靂。現れるはずのない亡霊が、今この場に現出したかのような衝撃だった。――瀬々の表情が、意識すら及ばない刺客から、急所を疲れたような物へと変わった。

 

「へ――?」

 

 思いがけなく吐き出した言葉もまた、そんな呆然を大いに含んだものだった。

 

「な……っ」

 

 同時に、美砂樹の言葉も、虚空に混じって、どこともしれぬ場所へと溶けて消え去って行く。ムリもないことだ。彼女には、二つの衝撃が全くの別方向から襲いかかっているのだから。

 

 凍りつく時間。その中で一人だけ、明らかに違う態度を見せるものもいた。――江口セーラだ。彼女だけは関心したと言わんばかりに、

 

「ほー」

 

 と、楽しげな声音を漏らした。状況を観察するような受動的選択をとっていたセーラであるから、その反応も何らおかしな点は存在してはいない。矛盾があるわけでは、ないのだ。

 

 ――それでも、違和感はあった。彼女の思考にはどこか“やはりそうだったか”というような感触も、含まれているかのように思えたのだ。

 

 

 無論、瀬々はそのセーラの表情を理解していた。正確には、たった今思い出したという表現が正しかろう。――そう、記憶の底から浮かび上がったのだ。江口セーラと、アン=ヘイリーには対戦経験がある。それも、一度ではなかったはずだ。

 準決勝と、決勝の二度。

 

 春季大会の場で、対決している。

 

「――インハイにダブロンのルールはありません、この場合は頭ハネです。私の1300だけが精算ですね」

 

 不遜に笑うその顔つきからして、まるで見透かしたかのようなアンの言葉に、瀬々は大きく、あまりに大きくため息を付いた。

 

(……まったく、こいつは本当に厄介極まりない手合いだよ。スタイルが、あまりに複雑で、理解しきれん)

 

 感情と、技術と、幸運と、あらゆるものを詰め込んだアンの雀風。世界すべてを知ろうという彼女らし傲慢で、真っ直ぐな思いの詰まった闘牌スタイルは、見てて心地良いものを浮かべるものだ。

 この場合、それはすぐさま瀬々の中においてもって、“戦闘意欲”へと変換される。――蓄積される。

 

 どうしようもないことだ。

 

 闘うという意思を持つ以上。諦めるという選択を持たない以上――――

 

「では……南入と行きましょう――!」

 

 

 ――それはどうしようもない、ことなのだ。

 

 

 ――南一局、親アン――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

(――運がいい、私の闘牌を見る人の殆どが、私の強さをそう評価します。中にはそんな幸運を、強みであると言ってくれる人もいますが……それでもやっぱり、人は私を豪運の雀士と形容します)

 

 ――アン手牌――

 {ili(西)九西8北⑦⑥北7六⑤八⑥} {(ili)}

 

 アン/打{西}

 

(確かに私自身、それが強さの源であるのは否定しない。しかし、決して本質ではないのですよ)

 

 それに気がついたのはたしか去年の今頃だったか。日にちはズレるが、ほぼ一年ほど前のこと。――それまでアンは頂点を極めた格上中の格上相手に敗北することはあっても、同年代の少女に敗北することはなかった。

 豪運が、自分にはあったからだとその時までは思っていた。

 

 違ったのだ。去年のインターハイ決勝、大将戦で激突した白糸台の当時一年生であった現インハイチャンプ、宮永照。その強さは、言ってしまえば豪運とも思えるような連続和了によるものだった。

 しかし、違うのだ。彼女に在るのは強さだ。連続和了を行うに足る技量に、いわゆる支配と呼ばれるようなツモの気勢が応えているのだ。

 

 それは、アン=ヘイリーという一雀士も同様だった。

 

 幸運とは、強さではない。それを操ることもまた同様だ。――流れを信奉する雀士がいる。その流れを感じ取る雀士がいる。けれどもその流れに手を加えることは可能でも、流れそのものを支配することはできない。運というのはそんな、単純なものではない。

 

 通常、支配とはそういった流れとは全く関係のないところで行われる法則性の決定だ。“流れ”という存在そのものを、書き換えることは絶対にないのである。

 そう、絶対。流れはある。確かにそこに。それは運の偏りとして対局者に配牌をもたらし――時には微笑むように、時にはあざ笑うように確率のブレを見せるのだ。

 

 故に、動かない。

 流れる河は、“断ち切れない”。

 

(……もしも、もしもそんな流れを自身のチカラで支配下に置けるのだとすればそれは――おそらく、宮永照に匹敵するバケモノクラスでなければ、不可能でしょうね)

 

 ――アン手牌――

 {六七八九⑤⑥⑥⑦78lil(西)北北} {(ili)}

 

 アン/打{西}

 

 では、アン=ヘイリーはそれに対して、どうか。

 アンにそんなチカラはない。せいぜいが自身の振る舞い如何で、流れに影響を与える“支配”を作る程度。それは例えば特定条件下で牌を偏らせる、準決勝まで対戦してきた永水の薄墨や何かと同様だ。

 流れ事態を、操作する事ができるわけではない。

 

 ――とはいえ、それが宮永照にアン=ヘイリーが敗北するかといえば、そうではない。アン自身、宮永照への勝率はおよそ四割と踏んでいる。それは長く同卓し対戦するのではなく、団体戦のような限られた半荘内であれば、十分勝てる見込みのある数値だ。

 

(私が積み上げてきた、私の全力――貴方にすべて余すところ無く、お見せして差し上げましょう。……瀬々! これまでも、これからも、私のノンストップは貴方に止められることはない――ッ!)

 

 アン/打{北}

 

 風を切る一閃。上方からのライトを余すところ無く反射させ、打牌の速度すべてでもって躍り出る。その光の筋の到達点は、河であり、アン=ヘイリーの瞳であった。

 

 

(――三色、か? いやわからんが、せいぜいそれがなけりゃ平和ドラ一ってところか)

 

 ――アン捨て牌――

 {西西北北}

 

(幸運なことに、こっちも一通が門前で入った。それに加えて、その牌はドラでもある。当然ここは……押し、だな)

 

 ――瀬々手牌――

 {一一①②③⑤⑥lil()⑦⑧⑨23} {(ili)}

 

 瀬々/打{⑦}

 

 セーラ/打{九}

 

 アン/自摸切り{西}

 

(――聴牌、だろうなぁ。絶好の手牌を絶好の形に持っていく、如何にもこいつらしい“支配の”やり口だ。……字牌を払ったってことはタンヤオまで付くな。振り込めば、親ッパネは確実か――?)

 

 美砂樹/打{五}

 

(おそらく、そこら辺が待ちだと思うが、安目では和了らないってことか? ……まぁいいか)

 

 瀬々/ツモ{九}

 

(こいつで、当たる事はありえない。アンがもし、聴牌しているのなら、鳴くのも鳴かせるのも、難しいはずだ――! すくなくとも和了に向かうなら、あたしのリーチはスルーしなくちゃならない。だから行くぞ? ここが、正念場だ!)

 

「通らば、リーチ!」

 

 瀬々/打{九}

 

 

 ――瞬間。

 

 

 瀬々の感情が、あらゆる瀬々という仮面すべてが、危険信号とでも呼ぶべき感情の群れを徹底的に瀬々へと襲った。

 

「――――ッッッ!」

 

 かん高く跳ね上がる声音に、瀬々はようやく理解する。これはマズイ、と。感覚すべてがそれを告げているのだと。

 

 

「――通りませんね、ロンですよ」

 

 

「なぁ……っ!」

 

 ――アン手牌――

 {六七八九④⑤⑥⑥⑦⑧678} {九}(和了り牌)

 

・臨海 『127100』(+7700)

 ↑

・龍門渕『96700』(-7700)

 

(山越し――ッ! しかも、平和でもタンヤオでもなく、ノベタンによるあたし一人の狙い撃ち――! いや、やろうと思えば単騎待ちで誰かを狙うことは簡単か。……でも、今この時点であたしだけを狙っていたことは明白! してやられた、アン=ヘイリーに!)

 

「マヌケな瀬々ですね。貴方は一体誰と闘っているのです? コンピューターではないのですよ?」

 

 囁くように、言う。

 勝ち誇るように、言う。

 

 

「――貴方が闘っているのはアン=ヘイリー、世界最強の高校3年生と心得なさい」

 

 

 アンが、そこで、笑っている――――




アンが大暴れの回。基本的な実力は覚醒してようやく=なんです。


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『勝利の切っ先』先鋒戦⑥

(親の四十符三翻は――少し痛いな)

 

 当たり前といえば、当たり前のこと。不意を突かれての放銃が二度。脇が甘いとしか言い様がない。とはいえアンが自分を狙っているのはここまででよく分かる。

 であるならば、できうる限りの最善を、この場で模索し、構築する他にない。

 

(解ってはいたことだ。何も考えず普通に打てば、こういうところからアンとあたしは差がついていく。あたしの武器はなんだ? ツモだ。ツモと言う名の情報だ! それを利用しただけでは勝てないから、支配も加えてアンに挑んだ。このままいいようにさせてたまるかってんだっ!)

 

 届かないから、チカラを手にしてもう一度手を伸ばした。それが間違っているということは絶対にない。少なくとも瀬々は、準決勝の時よりも、一つか二つ格を上げてここにいるのだから。

 

(ただ消えていくのはゴメンだ。こいつにいいようにされるのもゴメンだ――! だったらあたしは、こいつに勝ってみんなの元に帰るしかないんだよッッ!)

 

 それができるだけのチカラは手に入れた。今必要なのは、それを活かしきる確実な手段だ。アンにいいようにされるなら、それ以上にこっちから、手を打てるだけ、打つしか無い。

 

 直線上に、アンがいる。近くて遠い山の向こう。そこに手を伸ばすべく、渡瀬々の闘牌が始まる――

 

 

 ――南一局一本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

(配牌は……よし、戦えるな)

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五④⑥⑥⑦⑧⑧12白白(横⑤)}

 

 少しだけ、染め手に近い配牌。無論待ちが辺張でなければ、{白}の重なりなどを考えず染めることもせず勝負へ行っている場面だ。

 しかしここは{白}を暗刻にして聴牌できる場面、染めを見ずとも、辺張を払うのは決しておかしな選択ではない。

 

(まずは……第一打で{1}を払う。多分実力者の江口、勘のいい遊馬、どちらを騙すこともできないだろうが、ここでこいつを抱える意味は、ない)

 

 瀬々/打{1}

 

 動きはない、アンがこれを鳴いてくることはない。そもそも向こうは瀬々のチカラを理解しているはずだ。となればむやみに鳴いて手の内を晒すことはありえないといっていい。

 例外は直後にアンが更に鳴きを重ねる場合だ。特に瀬々が鳴けない場所からの鳴きは、アンにとって有効な撹乱となる。

 

 それが功を奏すか、はたまた悪手となるかはその時の状況次第だが。

 

(さて――)

 

 続くツモ、伸ばした右手から先の感触、盲牌によって感じ取れる牌の種類は、すでに理解している。

 

 瀬々/ツモ{⑦}

 

(そこ、かぁ)

 

 それでも改めて思考するのは、そこに確認というプロセスが挟まるためだ。ただ理解するだけではない、考えをまとめるために、確信という間が必要だった。

 

(当然有効牌、ここから狙うのは――)

 

 ちらり、と三者の捨て牌を見る。瀬々を覗く全員がここまで字牌を切っている。アンだけが役牌二枚、それ以外はどちらもオタ風だ。

 

(染め手。それも{白}を落とすことを主眼においた清一色手――!)

 

 瀬々/打{2}

 

 決めて撃つには、もう十分な時間だろう。明らかに勢いをましたその打牌の直後、美砂樹が二枚目のオタ風を切り出し――アンのツモへと順番が周る。

 

 

(――瀬々は、染め手をご所望のようですね)

 

 ――アン手牌――

 {二四六八lil()⑥⑥2467788} {(ili)}

 

 アン/打{④}

 

(となれば当然、絞りでも入れてそれを防いで行きたいところですが――あまり無茶はするものではありませんね)

 

 そこから打牌が続く。それぞれ何がしかの考えがあるようで、瀬々もひとつ考え、筒子の辺りにツモを加えると手牌の右端から、牌を切っていった。

 

 瀬々/打{三}

 

(見るにそこは{三四五}の順子といったところですか。面子を崩した、染めていく算段が見えたといったところですか)

 

 否、瀬々は最初から見えている。答えを知る彼女はツモを見るまでもなく道筋を知り、最善手を選ぶことが可能である。だからこそ、ここで染めては、迷うはずもないだろう。

 

 そして、

 

(――おや)

 

 更に状況は、加速度的に混迷へと進む。

 アンのツモは――{白}。瀬々が対子にしているであろう、役牌。

 

(であれば、ここはこういったところで待ってみましょうか。この牌は、抱えたままにしておきましょう。代わりに――)

 

 アン/打{6}

 

 放った牌は、手牌を切り裂く一枚の{6}。ただ切るにしても、それは些か複雑が過ぎた。他家の目からは、違和感のようなものしか映らないことだろう。

 ――それでいい。瀬々を悩ませるための一打なのだから、そうでなくては困るのだ。

 

 瀬々は、掴んだ牌を見て顔をしかめる。何かを言いたげな目線をアンに向けて、それから少し意識を思考へ移したようだ。

 

 そして、

 

 瀬々/自摸切り{7}

 

(――切ってきた! あえてそれをさせないような打牌だったのですがね。しかしそれでも切ってくるのならいいでしょう。お相手仕りますよ、瀬々!)

 

 

「――ポン!」 {7横77}

 

 

 場が動いた。アンの鳴きで、瀬々のツモがアンへと流れたのだ。直後に掴んだアンのツモは{白}。狙いすましたかのように、瀬々のツモを喰いとったのだ。

 

(さぁ、ここからどう和了って見せますか? 貴方の愛しいツモは私へ流れた、貴方の選択した打牌によって――!)

 

 そこからは、完全にアンと瀬々の攻防が続いた。セーラも美砂樹も、決定打となるような有効牌をいくども掴めなければ進まない、嵌張辺張だらけの手だった。故に、攻めきれなかった。

 あとに残るのは瀬々達二人。どちらも、ゆっくりとその手は進行していく。

 

 アンは数巡の間、着々と{8}を暗刻にして手を進め、瀬々は{四}を切って、手牌を染め手へ向けていく。

 牌を切った直後、瀬々は手牌の上に乗せたツモをそのままアンからみて手牌の中央右寄りに加えた。どちらかと言えば、筒子の方に近い。そんなツモが、一度あった。

 

(――こちらは一向聴。それに対し、あちらは一体いまどれほどの手ができているのでしょうね。……そうそう、簡単な手は作れないでしょう。となれば間違い無く、私のほうがこの手は速い)

 

 一向聴へ手を進めた直後、アンは勝利を確信して打牌した。浮かべる笑みはかき消さず、己の武器として利用する。

 

 直後、だった。

 

 

「リーチ」

 

 

 完全に、想定もしていないところから、リーチがかかった。

 

 ――瀬々/打{④}

 

「……は」

 

 どういうことだ。表情にはしなかった。それでも一瞬アンは揺れた。浮かべた笑みをより一層引き立てる敵意を込めた眼光が、一瞬揺れるのがきっと瀬々には見えたことだろう。隙だ、逃すはずもない。

 

 しかし、それ以上にはならなかった。漏れだしそうになった驚愕をアンは即座に抑えて別の感情へと変質させる。

 

「――は、はは。アハハハハッ! 面白いですね、そのリーチ。一体どんなからくりなんでしょう」

 

 笑みだ。同時に顔を伏せ自身の長い髪で隠すようにして、それから己の瞳だけでもって、瀬々ににらみを聞かせようとする。

 

 もう、理解していた。瀬々のリーチのからくり位、アンはもとより理解していた。

 

(私は、相手の情報を感じ取るのに、様々な情報を利用する。当然です、なぜなら私に、手牌を覗き見るオカルトなどナイのだから――! それを、逆手に取ったというわけですかッ!)

 

 玄人の、隙を付くリーチ。理牌よみを逆手に取って攻めてきたのだ。

 

(始まりは、打{三}! あそこで掴んだのは筒子ではなく{四}か{五}どちらかの対子。その後の順番を鑑みれば判断は簡単、――{五}だった。ということは、瀬々ははじめからあのタイミングを待っていたというわけですか。私が牌を、鳴けるかどうかすらわからないのに!)

 

 これみよがしに{6}を切ったのが、失敗だったのではない。その直前、{白}を“掴まされたこと”そのものが、瀬々の狙いによる策だったのだ。

 

 そうして、アンがリーチ直後に掴んだ牌。それは瀬々が最初に掴んだ――その後瀬々が掴むはずだった、{7}。

 

(――一発消し、カンはなくはない。けれども、それじゃあ何の意味もない。このツモの意味は、カンで一発を消すことではなく、“嶺上開花で和了ること”だというのに、それでは全く意味が無いッ!)

 

 聴牌していれさえすれば、こうなることはなかったのだ。このカンから嶺上開花で、この局は終了するはずだ。しかし一向聴では、聴牌へと手を伸ばすための方法でしか無い。――意味が無いのだ。

 

(それに、ここでカンをすればドラが増える。瀬々は配牌テンパイ時ドラも、裏ドラも掴むことはできないようですが、槓ドラは違う! めくったドラが瀬々のものになる可能性は大いにあります! 故に、ここでカンはできない)

 

 それを含めて、この形でリーチをかけたのでは、安牌以外はキレないだろう。どれを切っても、放銃する可能性が、確実にある。

 

 故にアンの打牌は自摸切りの{7}。明らかに苦渋をにじませての、静かな打牌だった。

 直後。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 渡瀬々が、手牌を晒した。

 

「リーチ一発ツモ。チートイツは、2000、4000の一本!」

 

(――初めて)

 

 ――瀬々手牌――

 {五五④④⑤⑥⑥⑦⑦⑧⑧白白横⑤}

 

・龍門渕『105000』(+8300)

 ↑

・臨海 『123000』(-4100)

・白糸台『83900』(-2100)

・千里山『88100』(-2100)

 

(初めて、今年のインターハイで純粋に、“負けた”と思った。勝てなかったのではなく、純粋に私が劣った。これがその、最初の対局)

 

 一年ぶりのことだ。去年、あの宮永照に敗北して以来初めてのこと。アン=ヘイリーが敗北を純粋に感じたのは。それを否定することができなかったのは。

 

(それを為したのは、やはり貴方でしたか――渡瀬々! 私が期待する、今年最高の好敵手!)

 

 その瀬々は、今一体何を思っているだろう。勝利に対する実感か――? 否、違う。彼女はただ無表情のままアンを見ている。対局が終わっていないことを、重々承知しているからこそ、次も、そのまた次も、アンを打ち取るべく動くのだ。

 

 

 ――南二局、親セーラ――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

(――あたしの中のオカルトを、必死に手探りでつかもうとしていた時、あたしは何度か衣の闘い方を観察したことがある。その中には、理牌読みとか、視点移動や捨て牌の順序からくる、打点の読みなんかもあった)

 

 ――何度も。一度や二度ではない。その程度で技術を理解できるほど衣のそれは単純ではない。熟達するには、熟達するだけの“理由”とでも言うべきものが、かならずある。それを読み取るには、複数の見が必要だった。

 そうして、得たのが理牌読みの感覚。手牌を“理解する”チカラとでも言えばいいだろう。

 

(さて、本格的に使うのはこれが初めてになるだろうな)

 

 牌を整理し、理牌するアンの方を、観察するように見る。視線には気づいているだろうが、それを気にするアンではない。――ここがアンの一種の弱点でもある。彼女は強者であるために、その土台となる技術すべてを、隠匿し結果だけを見せつけなくてはならないのだ。

 

 一度でも、その感覚を崩してしまえば彼女の支配は途絶える。――去年のインハイでそれを実感したからこそ、より彼女は強固な支配でもって今年のインハイに臨んだ。

 ただ豪運だけを振るっていたあの頃以上に、アン=ヘイリーは強くなっている――らしい。

 

(アン、あたしはアンタの血の滲むような努力なんざ知ったこっちゃない。アンタの強さだってどうでもいい。それでも、強いアンタを知ってるから、あたしはそれに負けたくないと思ってるんだ!)

 

 アン=ヘイリーと、渡瀬々は、全く違うようで少しにている別人。瀬々はアンと自分を似ているとは思わないだろうし、アンもまた、瀬々を面白いと思いっているのが、自分と似ている部分があるからだとは思わないだろう。

 

 彼女たちはどちらも強い。アンの強さはすべての強さ、カリスマという言葉では到底片付けられないような絶対的強者の資質。英雄と呼ぶべきチカラの持ち主。

 ならば瀬々は? 単純だ。彼女の強さは精神の強さ、不屈などという言葉では全く足りない、反逆者とでも呼ぶのが相応しいようなチカラの持ち主。

 

 その本質は、同じ強さという意味でも大きく違う。しかしそのどちらも、相手に真っ向から挑んでいく“気概”とでも呼ぶべきものがある。

 

 勝ちたいと、思い続ける強さがあるのだ。

 

(このツモで三巡、そろそろ他家がアンタを警戒する頃だろう、アン。しかし私は知っているぞ? アンタはまだテンパイしていない、どころか一向聴ですらない! 当たり前だ。負けたと思ったアンタのところに、流れはそうそうこないんだから!)

 

 ――瀬々手牌――

 {一二六六④⑤⑥678999}

 

 思考し、牌を掴む。――引いてきたのは、一枚の牌を対子に変えるツモ。少し思考し、即座に瀬々はそこから、打牌を選んだ。

 

 瀬々/打{⑤}

 

 直後、アンの手がひらめく。

 

 

「――ポン!」 {⑤横⑤⑤}

 

 

 一度断たれた流れは、自身の和了で取り返す。それがアン=ヘイリーのやり方だ。だからこそ彼女はここでたとえ無理やりでも副露を選択する。

 まずはひとつ、心のなかでだけ瀬々はそれを数えた。

 

 そして更に、アンを警戒するセーラから、一つ。――それは、直前に瀬々が切ったものの合わせ打ち。上家からしか鳴けない牌であった。

 

「チー!」 {横768}

 

 更に、そのすぐ後に美砂樹からも、一副露。

 

「ポン!」 {白白横白}

 

 三つの手牌を、これで晒したことになる。それぞれ他家から流れを喰いとるように、アンは高速で牌を右端へとスライドさせる。

 跳ねた牌は、それから飛沫のように、やがて収まり消えていった。

 

 アン/打{南}

 

 勢い以上の、打点を。そう考え多少の色気として残していたのであろう役牌ドラの{南}。それが結局は、聴牌を知らせる物となった。

 

 即座に、美砂樹は現物を打牌する。浮いていた、というのもあるが彼女にはそれが現状の最善策であることは間違いないものだった。

 セーラも同様に、現物。違ったのはただ一人、瀬々だけが{8}を手出し。何事かを意識しているようにそれは思えた。

 

 

(――瀬々は、張っていますか? 狙うとすれば一発ですか。役はなさそうですしね)

 

 ――アン手牌――

 {一一④⑥} {⑨}(ツモ)

 

(ぐ、関係のない牌。……やはりかなり厳しいですか、ここからツモを狙うのは。となれば後は、手変わりを待ちながら気長にツモを待つしか無い。――ごくごく、普通の麻雀ですね)

 

 アン/自摸切り{⑨}

 

 もしもこの場に、通常の麻雀とは違う存在がいるとすればそれはおそらく瀬々だけだ。――それは、たとえアンが好調の時でも変わらない。

 アンの麻雀は精神の麻雀。そこに、オカルトという要素はほんの限り程度にしか絡まない。

 

(……ならば、どうします瀬々。只の人間を相手に、貴方は一体どんな手を打ってきますか?)

 

 たとえツキが自分に回らなくとも、周囲の状況を観察するアンの眼は衰えてなどいない。故に、アンは注意深く周囲を観察する。

 

 間違いなく現状チャンスはすべて瀬々にある。だとすれば、瀬々が手を打ってこないはずはない。今は瀬々の反撃の時。ここを逃したら、間違いなくアンが調子を取り戻す。

 その前に、ここで討つ必要があるのだ。

 

 アンを、――世界最強の高校3年生、アン=ヘイリーを。

 

(――だとすれば、貴方の手とは一体なんです? 何を見せてくれるというのですか?)

 

 そのアンを、打倒しうる手を今ここで瀬々が放つ。、

 

 そう、

 

 

「リーチ」

 

 

 宣戦布告の、自摸切りリーチ。

 

(――一発狙いですか! だとすれば……その一発を狙う相手は)

 

 ――アン/ツモ{④}

 

(私、ということになりますね)

 

 直感が告げる。これは危険だ。

 この状況は完全にアンを狙い撃つための罠だ。そう、告げている。――自摸切りリーチで一発を狙い、勝つそれによるアンからの直撃だ。

 

(見るべきは当然、瀬々の捨て牌ですか)

 

 ――瀬々捨て牌――

 {⑦⑦⑤(7)8横四}

 

(安牌は、当然のように無し。最初の{⑦}はおそらく頭をドラか何かに変えたのでしょう。ただの聴牌では打点が低いのは瀬々の特徴ですからね)

 

 では、まず何をもって考えるべきか――通らなそうな牌ではない、ほぼ間違いなく通るだろうと、思えるような牌。

 

(――{④}と{⑥}はそれぞれ{⑦}と{⑤}に囲まれているため安全そうに見える。故に通るような牌ではあります。が、それこそが玄人の狙いであることなど、ママある。となればそうそう、この二つは切れない)

 

 それを見越した上で、ならば聴牌を崩しても{一}を切るか、といえばそれはそうそう簡単に行くものではない。その打牌は自分の流れを捨て去ることと同義だ。おそらく、手変わりは望めない。

 

(考慮するべきは、そこだけではない。これは“打牌できない理由”です。もう一つ、“打牌できる理由”も考えるべきでしょう。ポイントは――{④}の対子)

 

 打{⑤}から、その理由はおそらく{④}か{⑥}のどちらかを対子にしたためだ。そしてその上で、更に{⑥}を掴んでシャンポン待ち、という可能性は十分にある。

 しかし、それ以外も考えられる。例えば最初に切り替えた対子が{一}であるばあい、{一}と{④⑥}どちらかのシャンポン待ちも考えられる。

 

 唯一ありえないのが、{④}を刻子にする可能性。そしてそれを考慮すれば、最善は{一}か{⑥}、どちらかを打牌する、ということになる。

 であれば、決まった。

 

(どれだけ考えても、それが結局はそれが当たり牌で勝負が決する可能性は十分ある。だとすれば、最善の打牌があるならそれを選ぶしか無い。選ぶしか――無いんですよ)

 

 アン/打{⑥}

 

 そうして――

 

 

 ――それが、

 

 

 瀬々の手牌を、開くことは――――なかった。

 

 故に、アンは確信する。

 

(――勝った)

 

 この勝負、己の勝ちだと。

 疑わなかった、疑う必要などどこにもなかったのだ。

 

 瀬々のツモ、そこから自摸切り。牌を確かめるだけ確かめて、切った。その指先、手の甲に少しばかり顔が隠れる。それを鑑みるまでもなかった。アンは、自身の勝利のため、それを気にしている余裕などなかった。

 

 故に、

 

 切った。その直後の牌を、ツモ切りした。――和了り牌ではなかったから、切るしか無い、牌だった。

 

 そして、

 

 

「――ロン」

 

 

 それが瀬々の、勝利を決定づけるものとなった。

 

 ――瀬々手牌――

 {一二三六六六④⑤⑥6999} {6}(和了り牌)

 

 ドラ表示牌:{東} 裏ドラ表紙牌:{五}

 

・龍門渕『113000』(+8000)

 ↑

・臨海 『115000』(-8000)




ちょっと別なもの書いてるので更新遅いですが。
次回先鋒戦決着です!


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『旅の行方』先鋒戦⑦

『決まったあああああああああ! 龍門渕高校渡瀬々、なんとなんとななああああああんと、臨海女子アン=ヘイリーから満貫八千点の直撃だあああ!』

 

 あまりの驚愕に、会場は完全に音を殺していた。それだけではない、インターハイ決勝を見守るあらゆる観客が、その事実に愕然としているのだ。

 ありえないこと――ではないだろう、しかしそれが今であるという事が信じられない事態であったのは静まり返った会場をみれば明らかだ。ここでアンが放銃するなど――誰も考えてはイなかったのだ。

 

 そんな会場に息を吹き返すべく、実況である福与恒子が声を張り上げ宣言する。

 

『インターハイにおいて、これまで一度として満貫以上は放銃して来なかったヘイリー選手がここで放銃! それも、なんという事もない自摸切りで――!』

 

 瞬間、ようやく状況を認識したであろう会場が、一斉にどよめきはじめた。完成ではない、彼らが感じるのは紛れもない“困惑”である。

 

 そしてそれは、臨海女子控え室でも、また。

 

「……どういうことですか! アンがあのタイミングで放銃など! ありえません!」

 

 特に声を張り上げ憤慨に近い形で官女を顕にするのが、ハンナ=ストラウドだ。普段はおとなしいその眼を、きつく細めて画面に思い切りがなりたてている。

 

「落ち着きなよハンナ。ぜんっぜんよくわかんないけど、あの局に、アンが放銃する要素があったんだ」

 

 それを咎めるのはタニアである。当然と言えた、この中で最もハンナとアンに付き合いがあるのはタニアである。

 

「……それに、これはさすがに小鍛治プロが解説するでしょ、でないと誰も納得しないよ」

 

『あのー、すこやん……じゃなかった小鍛治プロ、これは一体――』

 

 おそらくは恒子自身も困惑しているのだろう、健夜をいじるような状況でないところで素の呼び方を使ってしまう辺り、よほどだ。

 唯一冷静――というよりもこれは“いつもどおり”としか言いようがないが――なのが解説を務める小鍛治健夜だ。特になんという事のない感情のこもらない事務的な声でそれに返答する。

 

『――まず、今回のポイントは渡選手が最初に{⑤}を対子にして、手出しで手牌の{⑤}を切った場面です』

 

 手変わりや打点の向上を鑑みれば、そのまま残して辺張に手をかけてもおかしくはないようなツモだ。無論その前の{7}対子落としもあるが、これは先ほどからの瀬々が何度となく行なっていることだ。今気にする必要は全くない。

 

『これにヘイリー選手は喰らいついた。当然、前局に渡選手が奪った流れを取り戻すためです』

 

 そこは対局中の解説でも言っていたとおりだ。アンは流れを重視する選手。デジタルとしての技量はあるがそれ以上に、アナログのチカラを中心に様々な行動を起こすのである。

 

『よって通常であれば他家から見て{⑤}は三枚枯れたことになります。しかし渡選手はそれを見越した上で四枚目の{⑤}を{④}か{⑥}の対子と偽って手牌に組み入れた。少なくともヘイリー選手はそれに惑わされていたわけです』

 

『どうして惑わされたんでしょう。普通そこで{⑤}が出たら順子ができたか両面塔子ができたかのどっちかだと思いますけど』

 

『ヘイリー選手は対戦相手の理牌をよく見ています。ですからあそこですでに{④⑤⑥}の順子ができていたことは見抜いていました。そこから{⑤}がでて、捨て牌に若干対子の流れが見えればヘイリー選手は渡選手が対子を優先したと見た。そしてその後、問題の自摸切りリーチです』

 

 ここで抑えておくべき点は、瀬々がアンから直撃を狙っていたことだ。これはすでに健夜が解説していたことであり、更に直後の{④}ツモで悩んだ理由も、解説済みだ。

 

『あのツモがヘイリー選手にとっては分岐点だったわけです。あそこさえ交わせばあとは純粋のツモ勝負になる、そう考えたんでしょうね』

 

 故に、そこでの打牌に勝利したと考えたアンは続くツモこそが瀬々の狙いであることに気が付かなかった。瀬々の狙いは、リーチをかけることによる認識の誘導。本命を隠すというところにあったのだ。

 

 結果が、放銃。アンはその弱点を露呈することになった。

 

『ヘイリー選手は非常にトリッキーな玄人系のプレイを得意としますが、スタイルはあくまで正統派の豪運速攻型。そしてそれを他人に見せつけることで威圧することが武器だった。だからこそ、この勝負に乗らざるを得なかった。そしてその後、渡選手が狙っていた本当のことに気がついても、あそこで引くわけには行かなかったのです』

 

「――アンは、真っ直ぐなんだ。そうプレイすることで流れを引き寄せ他人を威圧できる。曲がっちゃあいけないんだよ、一度曲がったら、流れを逸する」

 

 補足するように、静かな声音でタニアが言った。真っ直ぐすぎるアンは、時には他人にとっての魅力となろう。しかし時には、アン自身を敗北へと導く枷ともなりうる。

 それがここまで露呈しなかったのは、ひとえにアンが“強すぎた”からだ。

 

「……でも、それを利用されるなんて、あの宮永照ですらできなかった! ……あの人だって、アンの強さは不可侵だって」

 

「――あの人も、宮永照も強い。けれども彼女たちの強さはアンのような巧さではない。ただ、渡瀬々はアンと似通ったプレイをすることもできた。器用なんだよ、あの一年生は」

 

 アン=ヘイリーと、渡瀬々。

 決勝先鋒戦で共に卓を囲む少女たちは、少しだけ似たような強さを持っていた。――精神の強さ、心の一定さ。それは実際にアンよりも強いということがわかっている宮永照や、彼女のような存在とは、一線を画するものだった。

 

「アンの言う、答えを知るチカラ……ここまでのことが、可能なンだな」

 

 呆れた様子で、シャロンが愚痴をこぼすように言う。そうとしか語りようがないことなのだ、彼女たちにとってアン=ヘイリーが直撃で沈むなど。

 

「……まだです! まだ半荘は終わっていません。それに――アンは決してこれで折れるはずもない!」

 

 声を張り上げたのは、ハンナ=ストラウド。長い黒髪を振り上げ、どこか嘆願するかのような様子で彼女はアンの勝利を信じるのだ。

 

「ま、そうだけどね。アンは強いよ、ほんと信じられないくらい。だからこそねハンナ、あいつは負ける時だってある。あいつみたいな強者がいるっていうことは、“強者は一人じゃないかもしれない”ってことでもあるんだよ」

 

 ――だれだって、無敵でなんていられない。日本の小鍛治健夜も、世界ランク一位にはならなかったし、日本は麻雀強豪国であるが、常勝の国であるわけではない。

 宮永照だって――当然、アン=ヘイリーだって。

 

「信じることしかできないよハンナ。一人の仲間として、アンをここで見守ろうじゃないか」

 

 ハンナにとってアンという存在は非常に重要なコアである。解らなくはない、ハンナにとってこの世界に於ける幸運はすべて、アンによってもたらされたものなのだから。

 それを理解しているタニアの言葉に、ハンナは少しだけ納得がいかない――というよりも、少しだけ悔しそうな様子で――それに頷く。

 

「わかりました……」

 

 落ち着いたハンナから目を離し、タニアは改めてアンの様子を見る。――現状、モニターに映るアンは背中を見せてその表情までは見抜けない。

 不思議で仕方ないのだ、タニアにはその様子が。未知への興味といったところか、こうして直接ダメージを受けるアンは初めて見るのだから、その反応に意識が向くのである。

 

(どんな気分だろうね。真っ向からの鍔迫り合いで、初めて敗北したアンの感情は。自分の上を行く存在ではなく、自分を“追い抜いていく”存在を初めて知ったアンの感情は)

 

 アンにとって、強者とは最初から自分よりも強かった存在のことだ。親世代の強者然り、同年代の宮永照や少し年の離れたあの女性然り。つまり、アンにとって自分より強力な雀士はいても、自分と同等の雀士は、今まで終ぞ現れてこなかったというわけだ。

 それが、この瞬間、渡瀬々の存在によって砕かれようとしている。

 

(龍門渕の人は、最初はアンに“比肩しうる”程度の相手だった。多分私と同等くらい。興味の沸く相手ではあっても、強敵ではなかった) 

 

 ――それが、この決勝戦で大いに化けた。アンはそれを“取り戻した”のだと休憩の際に形容していたが、それ故に瀬々は異常なまでの進化を遂げた。

 配牌すべてを聴牌に持っていく支配力。打点が乗らないため非常に安い聴牌ではあるがそれでも、速度でアンに競り負けることはなくなった、というわけだ。結果、南一局では瀬々がアンを――心理的な足止めはあったとはいえ――凌駕するという結果になった。

 

(――初めて、自分を“追い抜いていく”かも知れない敵。絶好の好敵手が成長した今の姿は、アンには一体どう映るんだろう……まぁ、悪い感じじゃないか、な)

 

 思考するタニアの視線の先。アン=ヘイリーがゆっくりと目を見開く。動き出したのだろう、彼女の中で何かが。

 

 

 その瞳は、如何にも周囲を焼け焦がすほどの熱を帯びた何かを宿しているように、見えた。

 

 

 ――南三局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

 生まれた時から、牌を握って生きてきた。

 麻雀だけを糧に、アン=ヘイリーは育ってきた。

 

 ――無論、学校の勉強も、運動も、人並み以上にはできたが何より、麻雀こそが彼女の世界だった。誰かと繋がり合う世界は、いつも麻雀によるものだった。

 

 強者がいて、アンが強者となる世界があって、それらは、まったく別の世界としていつもアンを魅了させていた。

 誰かの強さも、自分の強さも、アンにとってはあらゆるものが、魅力的な世界そのものであった。何もかもが楽しくて仕方がなかった。

 

 それは今も変わらない。――この世界を誰かに伝えるという、ひとつの方向性を得たとはいえ、今もアンは楽しくて楽しくて仕方のない、麻雀の世界で生きている。

 

 

 ――そんな世界で、初めてであったタイプの人間が、瀬々だった。

 

 

 一目見た時から雀士だと解るような、そんな生き方をする少女。それを強く表せる少女。その時交わした言葉のやり取りは、今もアンは鮮明に覚えている。強い雀士は多くいた。――強い“人間”は、今まであまり見たことがなかったからだ。

 

 その時は、雀士としてはひとつの山の頂きを知っている。そんな程度の強さだった。きっとあの時の彼女は、ハンナよりも弱かったかもしれない。

 しかしそれが、準決勝で闘ったときは違った。顕になり始めた彼女のチカラ――麻雀において、一時の強さを極限まで高める事はできても、急激に成長するということはない。しかし瀬々は、才能を“ねじ伏せて引き寄せる”というあまりにも突拍子のない方法で強さを見せ付けてきた。

 

 かつては自分の後ろにいて、今は自分を追い抜こうとしていく雀士。強さのカーストを、大きく違えることのなかったアンの世界観に、初めて現れた成長株。

 

(――あぁ)

 

 渡瀬々。その名前だけで体中が煮えたぎるような思いにかられる。そう、熱く、熱く、熱く、一層熱を帯びて仕方ない。それほどまでに、アンは瀬々のことを――

 

 

(――――すばらしいですね、本当に瀬々は)

 

 

 ――純粋な感嘆でもって、見据えていた。

 嫉妬でも、羨望でもない、あくまで真っ直ぐで曇りのない感情。それを浮かべることができるほどにアンは強く、そして気高く真っ直ぐある存在だった。

 

(羨ましいということを、今まで私は覚えたことがなかった。嫉妬なんて、遠い誰かの感情としか知らなかった。だから今、瀬々を見て気がついた――私はきっとこれからも羨望というものを覚えることはないのだろうと……ッ!!)

 

 なんと幸福なことだろう。なんと輝かしいことだろう。美しい世界を、ただ美しいと想うがままに生きていける。それが本当に――

 

(本当に、私は幸せものです)

 

 多くの仲間達と、尊敬すべき先達と、超えるべき強敵に――――世界でたった一人の好敵手。

 

(だからこそ、ここで貴方を越えてみせましょう。私が築き上げてきた、あらゆる世界そのもので持って、貴方を相手取って差し上げますよ――!)

 

 これから、自分を追い抜いて行ってしまう相手。超えるべき壁になろうとしている相手。宮永照や、あの人のような存在に手を伸ばそうとしている、渡瀬々という少女に対し、今この瞬間しかない、真横を駆け抜けようとしている一瞬で、自分は瀬々に勝ったのだと、そう証明するために。

 

(人生において、“たった一度しかないかもしれない機会”本当に、なんて、なんて今日は、素敵な一日なのでしょう)

 

 最高の一瞬を、最高の闘いを、自分自身の奥底に刻み込むその一瞬だけを夢に見て、アンは牌を――握るのだ。

 

(であればまずは、証明して見せましょう。アン=ヘイリーと、渡瀬々の両名が、今この瞬間、同一の位置にいるということを――!)

 

 

「――ロン! 5200です!」

 

・臨海 『120200』(+5200)

 ↑

・龍門渕『107800』(-5300)

 

(……二巡で和了!? 読みきれなかった。直撃で勢いを失くしたわけじゃないのかよ!)

 

 想定外からの直撃だった。アンが瀬々から出和了りで点をもぎ取ったのだ。前々局で直撃をアンから取った瀬々は、この局を完全な安全圏と睨んでいた。

 ここから復調するにはだいぶ時間がかかるだろう。水穂と同一のタイプだとすれば、ここでアンは和了れない、すくなくともそう見積もっていたというのに。

 

(――あの手牌、間違いなく配牌からテンパイしてやがる。前にダブリーすらかけずにこっちを狙い撃ちしてくれた人がいたけど、それと同じだ。もったいないだろう、そのダブリー!)

 

 考えて、イヤと一つ意識を取り替える。その考えは間違っていない、通常ならば。この局だけみれば、アンはダブリーツモ和了で打点を刻むべきだったのだ。――裏ドラは確実に乗る。瀬々はそれがわかっているからこそ、そういう結論も可能である。

 しかし、次の局を見れば話は変わる。――オーラスだ。それも先鋒戦が完全に終了する最期の対局。そこに、万全の状態でアンは挑みたかったのだろう。

 

 ただツモ和了しただけでは、運が良かったとすら言える。自身の気概に“瀬々を実力で打ちとった”という事実を打ち込むことで、最善の状態でオーラスを迎えようとしているのだ。

 

(となれば、アンは――私との最終決戦をお望みか)

 

 ――二局和了を重ねることで、結局は大きな打点を稼ぐ。常識的に見ればこれにはそういった意味があることだろう。しかし違う。アンはあくまで、瀬々を完全に叩き潰すためにこの選択をした。

 一騎打ちがご所望なのだ。

 

(なるほどな。……いいぞ、相手になってやる。このインターハイ最後の相手。ラスボスはアンタってわけだ。悪いけど千里山に白糸台。この先鋒戦、どうやら主役はあたしとアンの二人らしい)

 

 サイコロが回る。瀬々も、アンもそれは回さない。ゴングにたって、開始の鐘を待ちわびるかのように静かに決勝卓で佇んでいる。

 

 言葉はない。

 少なくとも今は、必要と思えるものではなかった。

 

(――決着を付けるぞ。“最強の先鋒はだれか”それを今、この一瞬でッッ!!)

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

 初めてであった時の印象は、変な奴。

 ――会話をしてみて、面白いやつだとすぐに気がついた。

 

 もし衣に先に出会っていなければ、彼女こそが瀬々にとって麻雀を標す相手であったかもしれない。雀士、渡瀬々に興味を持ってアンは近づいてきたのだから、そうではないのかもしれない。

 

 衣とは少しにている。だが決定的には違うだろう。

 誰かを惹きつけもすれば、時には人に拒絶されうるような衣のチカラとは違い、アンはいつまでも真っ直ぐで、妬みの対象にはなれど嫌悪の対象にはならないような存在だった。

 

 だからこそ、瀬々にとってアンはオンリーワンの、他にない存在であったことは間違いない。ただ一人の存在として――それは、好敵手、ないしは宿敵とでも呼ぶのが正しいのだろうと、瀬々は思えた。

 

 ――準決勝、決勝と、何度か彼女と軽口混じりに挑発しあって、それは一種の情報戦ではあったものの、ある意味楽しさを感じるような、気楽なものであった。

 

 ――瀬々手牌(理牌済み)――

 {六八①②③⑧⑧45678lil()} {(ili)}

 

 瀬々/打{9}

 

 打牌は即座に手元から放たれる。リーチはかけない。この手を2600程度で終わらせるつもりはないのだ。そしてこの手牌――ツモで和了することは不可能。

 瀬々のツモ筋に、{七}は一枚もないのである。同和了するにしたって、まずは手を高め――そしてツモで和了できるようにする必要もあった。

 

 これが、最後に選んだアンと瀬々の勝負の舞台。――互いを気にするつもりはハナから無い。これは純粋な速度勝負である。どちらが和了るか、ただそれだけを競う勝負だ。多少の妨害はあれ、もはや決着を付けうるのは両者の技術と流れにしか無い。

 

 人差し指と中指で、狐のようにもみえる牌の掴み方をして、少し確かめ、手出しで打牌。

 

 アン/打{⑥}

 

 素早く右手を動かして、美砂樹の打牌を終えた直後。牌をつかんで盲牌もせずに打牌を選択する。左手で合わせて牌を倒して、そこから右手に切り替えて、打牌を終えた。

 

 瀬々/ツモ{④}・打{8}

 

 更にアンが打牌して、これで三巡。手は続々と完成に向かいつつある。美砂樹とセーラはどうだろう。四苦八苦しながらの打牌――追いついてくるようには、思えない。

 

 美砂樹/打{發}

 

「――ポン」 {發發横發}

 

 アンが動いて、牌が流れた。打牌で更に手が進み、そこからさらに状況は加速する。美砂樹が放ったのは――手出しの{七}。条件反射で、瀬々が動いた。

 

 

 ――動こうとした。

 

 

 最初はチーを宣言しようとしたのだ。狙いすましてナイフを投げて、牌を釘付けにしようとしたのだ。しかし、できなかった。河へ放り込まれようとする寸前、牌を掴む者がいた。

 

 ――アン、である。

 

()()」 {七七横七}

 

「――ッ」

 

 そこに、居た。立ちはだかるようにして、アンが右手で牌を掴んでいた。真正面、向かい合うようにしてアンと瀬々が再び相対する。

 片や腰をかがめナイフを振りかぶるような体勢で。片や風格を詰め込んだ仁王立ちで。

 

 奇しくもそれは、見上げる瀬々と、見下ろすアンという、構図を作った。

 

(……二度も、鳴いたな。知っている。私はアンタのツモを知っている)

 

 それでも、瀬々は勝負のために必要な手を理解していた。続いてアンが――自摸る牌ですら。

 

(掴む牌は、必要ない牌だろう? 少なくともそのはずだ。でなけりゃあそこで{⑥}は選ばない。そうだろう? そしてそれは今この一瞬において、切る選択肢のない牌だろう――? 浮いて不必要なシロモノなんだからな!)

 

 アンは、ツモを見てから少し渋い顔をする。二副露で、聴牌かもしくは一向聴。どちらにせよ待ちは、おそらくノベタンか特殊な多面張であると瀬々は睨んでいる。

 そしてそのどちらも、“単騎”で牌を抱える必要がある待ちなのだ。

 

 故に、切るかどうかはすぐに分かる。必要だから、解ってしまう。

 

 アン/打{⑧}

 

 ――単騎で待とうとも、絶対に掴むことのできない牌。流れによって風をされているのではない、物理的に瀬々が三昧を所有しているから、和了することが不可能なのだ。

 

 よって、

 

 

「――――カン!」 {⑧横⑧⑧⑧}

 

 

 即座に、瀬々が大明槓でそれを食らった。その牌は本来であれば瀬々自身が掴んでいたのだから。瀬々にそれが分からないはずもない。

 

 ゆっくりと伸ばされる右手、左右に座るセーラと美砂樹が、その手の指先を追った。牌を掴んだ右手をピンと張り、つきだしたそれは――アンを切り裂いたかのように、誰にも、映った。

 

 

 ――瀬々手牌――

 {六八①②③④4567(横七)} {⑧横⑧⑧⑧}

 

 

 決勝卓に、そのツモを起点とした爆発が巻き起こる。――音という音が消えた。衝撃という衝撃は、もはや人の意識を貫いて、認識すらも許してくれなかった。

 掴んだ本人ですら目を細め、光をやり過ごすようにして、しかし、アン=ヘイリーただ一人は、その様子を一切目をつむらずに見守っていた。

 

 瀬々/打{①}

 

 衝撃を伴うほどの急速的な流れ。掴んだという、感触はあった。

 

(――アン)

 

 そして、アンもまた山へと牌を掴みに行く。聴牌か、はたまた和了か不要のツモか。――それをアンは、盲牌で確かめることはしなかった。

 

 ゆっくり引き寄せ――そして手出しした。これで聴牌。アンは瀬々に追いついたことになる。

 

 しかし、いけない。先手を許してはダメだ。わかっている。けれどももう、止められない。アン=ヘイリーに、瀬々を止める手段はない。

 

(返してもらうぞ、あたしの勝利――!)

 

 もう、振り上げられた瀬々の右手を、引き止められるものは、誰もいない。

 

 

「――ッ」

 

 

 沈黙。確かめるような盲牌と、それから、視認。わかっているはずなのだ。このツモの詳細も、瀬々には理解できているはずなのだ。

 ――それでも、明けられるその一瞬まで、意識が宙を浮いているようだった。

 

 ――理解する。そんな単純な話ではなかった。

 

 そうして、目にして、それからやっと――――

 

 

「――――ツモ」

 

 

 手牌を開いて、勝利を宣言した。

 

 新ドラ表示牌は{⑦}タンヤオに、ドラに、四つ新しい槓ドラが乗った。

 

 手牌を伏せる美砂樹とセーラ。悔しそうなセーラに、少しだけ満足気な美砂樹の両名。勝利を約束しなければならなかったものと、勝利よりも必要なことのあったもの、それが二人の表情を分けた。

 

 そして、アン=ヘイリーは顔を伏せたまま、笑っていた。

 

「3000、6000……!」

 

 静かな瀬々の宣言だけが。先鋒戦終了を告げる、合図となった。

 

 

 ♪

 

 

 ――江口セーラ:二年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 ――85100――

 

 ――遊馬美砂樹:三年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 ――77900――

 

 それぞれが、自身の結果を勝利ととるか、敗北ととるかは個人の感覚による。特に江口セーラは稼いで帰る――すなわちプラス収支で勝利することを義務付けられたエースであるため、この結果は敗北となる。そして逆に遊馬美砂樹は、稼ぐということそれ自体が役割の外にあるがため、この結果でも十分勝利と言えるものだった。

 

 では、先鋒戦で闘った残りの二人はどうか。

 

 決まっている――この両名も、勝者と敗者だ。

 

「――、」

 

 勝者、渡瀬々と――

 

 ――渡瀬々:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――119800――

 

「……、」

 

 敗者、アン=ヘイリーである。

 

 ――アン=ヘイリー:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――117200――

 

 点棒で言えば、前者の二名とくらべてどちらも十分に“稼いだ”。

 しかし、先鋒戦という一つの場で見てしまえば、勝ったのは瀬々、負けたのはアンである。それほどまでに、たったひとつの順位の差は、両者には大きく見えた。

 

「……負けましたね。まったくもって完全に、私は外国人で個人戦には出られません。アン=ヘイリーのインターハイは、貴方への敗北で、すべての幕を下ろしたわけです」

 

「――まぁ、そうだな」

 

 否定はしない。してしまえば、自分が勝ったという事実が嘘になるから。それだけは、否定するわけには行かなかったのだ。アン自身、敗北を否定されるわけには行かなかっただろう。事実なのだから。

 

「自分が最強だと、そう信じてきた時が私にはありました。――それは今でも代わりません。宮永照とアン=ヘイリーは、ほぼ同じ土俵に立つ最強同士だと、自負していますから」

 

「……まぁ、負けないだろうな。あたしもそう思ってるし」

 

「だからもう、私にとってはこのインターハイが最後の公式戦だろう、と思っていたのです。辿り着くところまでついてしまいましたし、もう公式戦に出る機会は中々なくなると思いますから」

 

 ――公式戦に出る機会は中々なくなる。その意味するところは、アンは自国でプロになるつもりはない、ということだろう。少し意外だった。彼女はこれからも自身の最強を追い求めていくだろうと思っていたが、それ以外に何かやることがあるらしい。

 単純に、“意外だ”とだけ感じて瀬々はアンの言葉を聞いていた。

 

「ですが、最後にあなたと戦えて本当に良かった。負けて悔しい、本当に悔しいですよ。――また、こういう場所であなたと闘いたいと思うくらいには」

 

「……そうかい。あたしには、よくわからないな」

 

 言って、踵を返し会場を後にする。椅子に座ったままのアンに、瀬々は振り返ることをしなかった。――こうして、インターハイ決勝先鋒戦。半荘十回戦における二つが、終了した。

 

 ――波乱と、どこか寂しげな一人の少女を残して。




更新の遅れとともに長らく続いてきた先鋒戦が終了しました。
最後の最後はごくごく単純な速度勝負。意地と意地、その他もろもろをぶつけあうこととなりました。
次回からは次鋒戦。それぞれの戦いをお楽しみいただければと思います。


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『焔の瞳』次鋒戦①

『インターハイ決勝、先鋒戦はあまりにも鮮烈な結果で終局――! チャンピオン以外には無敗を誇る最強の英傑、アン=ヘイリーが無名の一年、渡瀬々に敗れ去ったという結果となりました!』

 

 闘いの舞台へ、意思を込めて足を向ける者がいる。沈黙とともに、ひたすら前に進み出ながら瞳を燃やすものがいる。

 不屈とも言える闘志、そして何より敗れ去った仲間の顔を思い留めて、闘いへ向ける矛の一つとする。

 

 踏み出す足が、風を切って大地を揺らす。スラっと流れるような足元から、体にかけて、ゆっくりと前に少女は存在をつきだしてゆく。

 

『とはいえトップ龍門渕に並ぶのは臨海女子、他二校はそれを追う形になった――!』

 

 周囲にはマスコミのフラッシュが大いに焚かれていた。無理もない、彼女はこの次鋒戦における注目選手の一人だ。

 

『続く次鋒戦に登場するのは、臨海女子、シャロン=ランドルフ、春の大会から次鋒を務める優秀な臨界の三年生レギュラーと――』

 

 黒髪は、長く、瞳は少しおっとりしているが、今はそれを引き締めて力強い。制服は――千里山女子のもの。

 

『こちらも、秋の大会からのレギュラー、二年生の――――清水谷竜華!』

 

 その少女が前を見据えて、一歩を踏み出そうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:ランドルフ

 南家:鴨下

 西家:清水谷

 北家:国広

 

 順位。

 一位龍門渕:119800

 二位臨界 :117200

 三位千里山:85100

 四位白糸台:77900

 

 

 ――東一局、親シャロン――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 最初の一局。

 和了したのは清水谷竜華だ。

 

「ツモ、1600と3200」

 

 ――竜華手牌――

 {②③④⑥⑥⑧⑧白白白横⑥} {①横①①①}

 

(リーチ棒が無駄になった……)

 

 ――槓ドラの表示牌が{③}だったことにより、この手は三翻の打点になる。当然自摸れば五十符も付く手、和了れたのは僥倖なのだろう。

 とはいえそれは対戦相手である一にとっての不幸でもあるのだが。

 

 ――一手牌――

 {六七八⑥⑦⑦⑦678東東東}

 

(前々から聞いていたとおり、こっちの手を完全に読みきってくるなぁ。しかもその上で打点まで上げてくる、か)

 

 一のリーチ宣言牌である{①}を大民間するまで、竜華は{⑥⑥⑦⑧⑧}の形で聴牌していた。無論それでは和了り目など無いが、{①④⑥⑧}のどれかを引ければ自摸り三暗刻の手に変化するそれを待っての形聴であったのだろうが、結果として一の出した{①}を大明槓、{④}を引き寄せ聴牌しなおしている。

 

(普通、だれもそんなことはしない。でも、これが有効だと思ったから清水谷さんはカンをした。もしかしたら彼女の中では{⑤}は純カラだったのかもしれないな。そうであればこの手は純粋な自摸勝負になるわけだし。そしてボクは引き負けたわけだ)

 

 捨て牌に{⑤}は二枚。清水谷自身が一度聴牌した時に切った{⑤}と、一のリーチ前に白糸台の鴨下宮猫が打った{⑤}。残りは、山の中か手牌の中か。

 一にはそれを読み取る技能はないが、とかく。

 

(こっちの手を封殺したうえ、息を吸う用に打点を上げた。……これが関西でも五指にはいると言われる平均獲得素点の持ち主。清水谷竜華さんの闘牌、ってわけだ)

 

 相手の手牌を読みきって、その上で打点まで向上させる。厄介極まりない相手ではあるものの、しかし完璧ではない。付け入る隙はある。

 竜華の手は主に符ハネで打点を上げてくる。今回の場合、大明槓での十六符、そして白の八符と自摸の二符に暗刻の四符。系三十符が彼女の和了に用いられた符数だ。

 しかし、これにもしもうひとつ符がついていれば符ハネで、六十符三翻。三十符四飜と同等の点棒を得ていたことになる。

 

 彼女自身が二年生であるということもあって、未だ技術は完成の域には至っていない。だからこそそこを狙っていかなくてはならないのだ。

 そして――

 

 

 ――東二局、親宮猫――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

 この局、一は行動を起こそうとした。しかし手牌は思ったようには行かず配牌四向聴。渋い顔をしながら打牌をした。

 

 動いたのは白糸台。千里山が放った役牌ドラを鳴き、四飜を確保。更には染めての気配すら見せる。

 とはいえそこは間違いなく千里山の狙い通りだろう。これで思うように一は動くことができなくなった。しかも、

 

「リーチ」

 

 その直後に竜華が攻めた。牌を曲げ、親満など気にしてもいないと言わんばかりのリーチで、他家をけん制する。

 

 ――一手牌――

 {二二四六七九④⑥⑧128(横⑦)}

 

(嵌張が埋まったけどさすがに二向聴は攻められないな)

 

 これで一が降りる。現物である{二}の対子を払うところから始まり、きっちりと色気を出さないベタオリである。優等生らしい一の打牌だ。

 

 そして、竜華のリーチはそこに狙いがある。手の遅い一はこれでベタオリをするという確信があったゆえの打牌だ。

 加えて他家に対しても、一つずつ手札を用意しているのだ。

 

 まず臨界のシャロンには、五面張という膨大な待ちの数で手を打っている。

 

 ――竜華手牌――

 {二三四五六七④⑤⑥⑦⑧⑧⑧}

 

 これだけの待ちであれば、他家はそれをつかみやすくなる。何もシャロンだけに有効なのではない。こういった手を作るセンスも、また竜華の武器であるのだ。

 この場合、特にシャロンに対してそれが有効なのである。

 

 そして白糸台、鴨下宮猫は親の染め手だ。染め手はよほど手の中に一つの牌が固まっていない限りかなり無茶な手になるものだ。この場合の宮猫もまた同様。

 もとより手が遅いのである。しかも狙い撃ちのし易い手牌。それをドラを鳴かせることで“退けなく”する。これにより手牌が完成するのだ。

 

 結局、だれもが和了に一歩手が届かず、状況は終了する。

 

「――ツモ、裏がひとつ乗ったなぁ。――――2000、4000」

 

・千里山『100500』(+8000)

 ↑

・龍門渕『115200』(-2000)

・白糸台『72300』(-4000)

・臨海 『112000』(-2000)

 

 おとなしい竜華の声音は、その奥に潜む彼女の“牙”を覗かせるかのようだった。

 

 

 ――東三局、親竜華――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

 ――清水谷竜華、この場でもっとも勝利を期待される、千里山女子の次鋒。強豪というネームバリューは、それだけ多くの支持者を呼ぶのだ。

 特にこの場にいる強豪校は片方が外人オンリーの、いわば“ヒール”のような敵役。千里山に期待を寄せるのはある種当然の成り行きといえた。

 

 しかし、対戦相手がそう思うはずもない。決勝卓という舞台において、竜華は一人の対局者に過ぎない。

 

(結局のところ、この人に特殊なツモの偏りはない。東発も東二も、ただ運が良かっただけにすぎない)

 

 彼女の強みは分析の強さにある。そしてそれを発揮するには好配牌が必要だ。もしそれを手に入れられなかった場合、その脅威は半減する。

 放銃が少ないという強みはもちろんあるが、そんなもの、全国クラスのレギュラーならば当然もっていてしかるべきものである。

 

(この場に来て、出和了りはハナから期待していない。最高の牌効率で挑めば、手牌の良さで勝ちに行ける!)

 

 ――一手牌――

 {②②三四五七③④56⑥⑦⑧}

 

 そうして来たのが、この絶好の手牌。多少相手の目をごまかすために理牌を弄った手牌。配牌直後のツモで一向聴まですすんだ。

 一巡挟んで、三巡目。

 

「チー」 {横②③④}

 

 即座に手が動いた。

 

 一/打{七}

 

 これで聴牌だ。竜華は冷徹な視線を見せるのみに留まり手は動かない。しかし、打った牌は現物であった。回して打ったのかどうかは、一には判断が付きそうにない。

 とかく、これで早々にテンパイし、後は牌を待つのみとなった。

 

 そこに食らいつくものがいる。

 

「――ポンですよぉ」 {東横東東}

 

(鳴いてきた――)

 

 再び役牌の副露。鳴いたのは鴨下宮猫。目を光らせて、飛び出た牌に飛びついた。特急券を手にしたことになる。

 

 しかし、それでも一の聴牌速度を上回ることは不可能だ。それほどまでに一の手は速すぎる。――よって。

 

「ツモ」

 

 宣言したのは、当然のように一であった。前傾で勝負を挑んできた宮猫と、そして先程まで状況を支配していた竜華に一度ずつ目をくれて、それから自身が伸ばす手の先、サイコロへと目を落とした――

 

 

 ――東四局、親一――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 鴨下宮猫。インターハイチャンピオン、宮永照を要する白糸台の次鋒。現行最強の高校の三年生レギュラーであるものの、彼女は今年からのレギュラーだ。

 無論、白糸台の特殊なレギュラー選抜方法もあるものの、その実力はせいぜいが県代表のエースレベルだ。全国一回戦で散っていく高校のエースが果たしてこの決勝で通用するか、考えるまでもないだろう。

 

 それでも、彼女にはある特徴的なデータがある。

 それは副露率だ。無論速攻派の、例えば水穂などは副露率は三割を超えるのが当たり前だし、第二回戦で一が激突した晩成のあの少女は四割を越える副露率を誇っていたはずだ。

 

 しかし、さらに特徴的なのはその副露した牌の割合。九割が“役牌”なのである。それが如何に異様であるかは、語るまでもないだろう。

 言うなれば役牌使いのプロ。彼女の配牌に役牌がある可能性は瀬々いわく他者よりも一割程度増しているだけ、異能と呼ぶには明らかに貧弱である。

 

 それでも、解ることがある。

 

(――この人はとにかく速い。それも依田先輩や、晩成の次鋒とはまた違う速度特化の副露使い!)

 

「――ロン」

 

 あっという間の電光石火。語ることすら無い見事なツモ。先ほどの一と何ら変わらない。しかし違うのは、一のそれが幸運をしっかりと形にしたものであり、宮猫のそれが、速度を形にしたものであるということだ。

 

(とはいえこれは、千里山に防がれたって面もあるかな。残念だよ)

 

 白糸台へ、千里山の差し込み、誰もがそう思うであろう、放銃であった。

 

 ――一手牌――

 {一三四四五五六六⑤⑤⑥⑦⑦}

 

 

 ――南一局、親シャロン――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

 瀬々が言うには、鴨下宮猫の最も特徴的であるところは、重なっていない役牌を引き寄せてくる嗅覚だそうだ。支配ではない、あくまで察知し、役牌を残すのである。

 

 宮猫/打{發}

 

 宮猫が放った打牌は、十中八九彼女のツモでは重ならない牌だ。

 

「ポン」 {發横發發}

 

 一が鳴いて、手を進める。特急券を鳴けば二向聴の手牌だ。ドラ一と頭がある以上、ここは鳴きが正着である。

 そして、追い縋るように宮猫も手を進める。

 

 一から見て右端から二番目の{西}を切り、開いた場所に牌をおさめる。宮猫は理牌に細工をしないから、それを読むのに長けない一でもなんとなく解る。あれは役牌を重ねたのだ。それがダブ南なのか、はたまた三元牌なのかはしれないが。

 

 とかく、その直後に手を進めたシャロンから{南}がでたことにより、宮猫が副露、ダブ南が確定した。

 

 そして、

 

(……張った。対面がダブ南確定だけど六巡目だから聴牌が読めないな。引いていくような状況じゃない)

 

 一が両面待ちにかまえて聴牌。打牌し待ちを取る。その後一度自摸って、二度ツモ切った。その時だった。

 

「――ロン、2000ですねぇ」

 

・白糸台『75100』(+2000)

 ↑

・龍門渕『115200』(-2000)

 

 しまったと、言わんばかりに一が表情を歪める。ダブ南をポンした時点でテンパイしていた。和了したのは鴨下宮猫だ。速度を得意とする雀士。

 しかし、それだけで彼女は終わらない。

 

 

 ――南二局、親宮猫――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

「鳴かせてもらいましょぉ。ポン」 {東横東東}

 

 一つ。

 

「それもですぅ、ポン!」 {横南南南}

 

 二つ。

 

 あっという間に副露を重ねた。一とシャロン、それぞれが切らなくてはならなかった字牌を掬い取るように、鳴いて自身の右端で晒す。まるでそこが自分自身の“縄張り”であることを示すかのように。

 いわばそれはマーキングだ。

 字牌を刻むことで、“人に解るよう”存在を示す。

 数牌ではだめだ。あれは人が読める文字ではない。だから字牌を選ぶ。そんな動物的な習性が、鴨下宮猫の根幹にはあった。

 

 速度の雀士、鴨下宮猫はその実オカルトに特化した雀士だ。技術的な面では理牌の工夫などする気もないし、牌効率だって一より悪い。

 

 だが、それを補って、戦いに足るチカラを彼女は持っている。

 ――勝ちたいという思い。そしてそれ以上に強い、己の役割を果たすことに対する使命感。一つのチームとして白糸台は成り立っている。

 その一翼を担う意味を、理解した上で動くのが宮猫の役目。

 

 そしてそれはエース、宮永照と、チームで照を除き唯一全国クラスの実力を持つ菫以外の皆がやらなくてはならないことだ。

 

 手を抜くつもりは、端から無い。

 

 対子を操る役牌マスター。その特性を活かせば、ただ速いだけでない手牌も、作ることは可能である。そう、二つも字牌を副露してさらに、もう一つ手牌に対子があれば、染め手の二翻と頭の完成である。

 

 あまり染めてに拘っては、周囲に対策を取られ動きが鈍ってしまう。しかしそれでも、狙う時に狙うのが宮猫のスタイル。

 

 今回も、またそうだ。

 

 二つ鳴いて手を染めた。三者が警戒しながらそれに対応せざるを得なくなる。一はもとより攻めるつもりもない手牌だ。彼女自身、自分の役割くらいは理解しているのだ。 

 そのための聴牌、そのためのツモ。

 

 宮猫の聴牌に、三者はそれぞれ対応を見せた。シャロンは当たり牌など気にせず前進。しかしリーチはかけず、嫌な予感を感じているようだ。

 一は少し戸惑っていたものの、手を何とか進めリーチまでこぎつけた。先制リーチは彼女からである。

 そして竜華は、自身の手で宮猫に妨害を駆けることは不可能だと判断したのであろう、全速力で聴牌を目指し始めた。躊躇なく宮猫の危険牌を切るが放銃はない。宮猫の手牌が見えているかのようだった。

 

 竜華もリーチをかけ、状況は四者四ツ巴といったところか。

 抜けだしたのは、二度の和了で気運を掴んだ宮猫であった。

 

「ツモ! 3900オール!」

 

・白糸台『88800』(+13700)

 ↑

・龍門渕『110300』(-4900)

・臨海 『107600』(-3900)

・千里山『93300』(-4900)

 

 手首をひねって、牌を回して、晒して宣言、そして和了だ。積み棒が積まれれば、そのまま一本場の開始である――

 

 

 ――南二局一本場――

 ――ドラ表示牌「{⑨}」――

 

 

 強い。誰も彼も。次鋒戦唯一の一年生――とはいっても、龍門渕は水穂以外のすべてが唯一の一年生であるわけだが――ということもあって、他校との差はどうにも感じてならない。

 

 オカルトのシャロンや宮猫は言うに及ばず、強豪校で自身を磨き続けてきたであろう清水谷竜華は、間違いなくこの卓屈指の強敵だ。

 今この場で、手を伸ばして勝てるとも思えないような、雀士達。

 

(とはいえボクも、そこまで密度の低い麻雀を打ってきたつもりはないけどね)

 

 国広一と、それ以外の雀士の違いとはなんだろう。

 その違いとは、果たして強さを隔絶させるものだろうか。わかりはしない、考えても答えなど出るはずもない。

 

 加えて、先鋒戦の時の瀬々のように、劇的な覚醒はタダの凡人である一には望めない。

 

(だからこそ、ここでボクが彼女たちに勝利しうる方法は一つだけ――運で勝利することだ!)

 

 速度では上をいかれ、観察力など語るまでもない。オカルトもなく技術しか無いというのなら、必要なのはその技術を最大限利用して、運で敵を押しつぶすことだけだ。

 

(理不尽な状況じゃない。理不尽な相手もいない。であるなら、あとは攻める時と攻めない時をしっかり見極めて、取捨選択をすればいい。つまり――)

 

 思考の末の、第一打。

 それは、迷いのないものへと変わる。

 

(この局は、攻めるべき局面だ!)

 

 ひらめく手のひらが、踊るように卓上から牌を引き寄せ前へと進む。

 

 ――結局この局の和了は、一のそれに終わった。

 速度を得意とする鴨下宮猫にも、妨害を得意とする清水谷竜華にも、対等に渡り合うだけの技術は、一にだってある。

 

 後は――それを何かに昇華するだけ。

 

 足りないことは一にだって解る。ただ、その足りない何かが、未だきっかけしか掴めずにいる。準決勝次鋒、あの時の和了のように、何か何かを掴めないものだろうか。

 

 その時だった。

 ふと見渡した視線の先で、シャロン=ランドルフが少しだけ笑ったような気がした。――気がしただけだ。それが幻覚ではなかったか、何のために笑ったのか、意味も事実すらも理解できず、一はシャロンの瞳に吸い込まれるような感覚を覚えるのだ。

 

 

 そして、次局。

 先ほどまでの沈黙をまるで無かったかのようにシャロンは精力的に動きまわった。

 

 結局、リーチをかけた白糸台から出和了りで和了をもぎ取り、これで焼き鳥を回避――そして。

 

 

 オーラス。

 その局面はまるで準決勝に対する意趣返しのようでもあった。攻めこむ一に対して、同じくシャロンはリーチで応戦。まくりあいとなりシャロンの勝利。

 

 準決勝後半での放銃でもぎ取られた満貫プラスリーチ棒をそのままそっくり一へとぶつけたのである。

 

 ――力不足、それを感じざるを得なかった。

 

『前半戦、終了――! トップにたったのは臨海女子! 稼ぎ負けこそしたものの、大きく稼いだアン=ヘイリーの点棒を守り切った――!』

 

 立ち上がるシャロン。一度対局室を離れようというのだろう。気に留めるものはいなかった。気に留める余裕のあるものも、またいなかった。

 

『そして二位は龍門渕。先鋒戦での貯金をほぼ使い果たした結果だー! しかし、十分他校に喰らいついているのはさすがにレギュラーといったところか!?』

 

 一もまた、その一人であり、一は同時に、周囲の状況すらも認識できないほど、意識の海に沈んでいるのだった。



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『信念の咆哮』次鋒戦②

 席順。

 東家:ランドルフ

 南家:国広

 西家:清水谷

 北家:鴨下

 

 順位。

 一位臨海 :121000

 二位龍門渕:103300

 三位千里山:92800

 四位白糸台:82900

 

 

 ――東一局、親シャロン――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 白糸台、鴨下宮猫はごくごく普通の少女である。多少普通とは言いがたいマイペースさを持つものの、周囲からはそれを猫っぽいと可愛がられるような、人から好かれる普通の少女。

 

 そんな自分をよくわかっていたし、だからこそここにいる自分は少し不可思議でもある。照に自分のオカルトを教えられたときは、思いの外戸惑ったものだ。

 

(がらじゃない、かなぁー)

 

 全く見に覚えのないチカラ。一体どこにそんな由来があるのかと思えば、どうやら自分は他人と他人を結びつけるような役割があるらしい。

 人に好かれる、何かを持つ少女。

 

(意識したことはないから、さっぱり意外なのですー)

 

 最近は、それも悪く無いかと思うようになった。

 

 ――宮猫手配――

 {一二四九⑦⑧4466東北發(横六)}

 

 ドラの役牌。対子にするのであればこれ以上に有効な牌はないがしかし、宮猫は一巡目。配牌直後の一打にして、それを切り払う選択をした。

 

 宮猫/打{北}

 

({東}は一人ぼっちのさびしんぼう……そして{北}は誰かが重ね合わせにしそうですのぉ、先に切るならこっちなんですよぅ)

 

 数牌の用に、隣接する牌のない、一人ぼっちの役牌を自然に己の中へと引き寄せる。孤独なシンパシーの合う者同士を、引きあわせてコミュニティをつくり上げるのだ。

 

 結局、{北}は直後に一が切り、更にツモ切りでシャロンが切った。

 最後の一枚は更にその後、十巡目ほどで一が渋い顔をしながらツモ切りした。宮猫はそんな一の姿に、少しばかりの共感を覚える。

 

(決勝戦。この大舞台で、どっちかというとこっちがわ、普通の人っぽいただ一人の一年生、でしたねぇ)

 

 公式戦の出場記録は無し。今までは仲間内で楽しんでいたのを、有能なスカウトに引きぬかれたか、はたまた何がしかの理由で公式戦ないしは“麻雀そのもの”から遠ざかっていたのか。

 どちらにせよ、高いデジタルの技術を要してはいるものの、それを経験によって生かし切れないというところには、少しばかり宮猫も覚えがある。

 

 彼女は、この大舞台をどう思っているのか。龍門渕、二人の魔物を要する今大会最大のダークホースとして、決勝に鳴り物入りで現れた新参校。

 それこそ去年の白糸台や数年前の大生院女子のような、思いもよらない高校の、その他メンバーという立ち位置。

 今年の白糸台は強豪の一角であるが、それを成すのは弘世菫と宮永照の二年生コンビだ。自分たちと三年生と、この一年生、国広一はきっとよく似ている。

 

 強い仲間と、それに対する自身の格差。白糸台は個人の強さで団体レギュラーをつかみとるチームが現れるのはよくあること、その一つとして、意識せざるを得ないこと。

 

「チー!」 {横三二四}

 

 すでに副露していた{發}と合わせて、これで二鳴き。そろそろ周囲も警戒にはいるだろう。シャロンは止まらないだろうが、竜華は完全に店じまいの様相だ。しかし捨て牌が異様なので回し打ちの末チートイツということもありうる。

 千里山はチーム全体が攻撃特化であることもあってか、準決勝においては諦めの悪い千里山メンバーによる和了、というのが幾度か見られた。

 

 そして一は――

 ベタオリ、まるで迷うことなく正着を選んだのだろう。手配の気配は悪そうだ。ドラも一つだって無いはずだし、そうなればベタオリが安定である。

 

 しかし、少し意外だった。といってもそれは第二回戦、準決勝における一の闘牌全てに言えることだ。彼女は精神的に参ってしまった場合、極端に防御姿勢を取って閉口することがある。特に第二回戦はむちゃをして放銃してからの後半戦、ずっと配牌が悪かったためのベタオリを繰り返していた。

 放銃こそあるが、それはたとえデジタルの神であっても防ぎきれないモノであるため、デジタルをキッチリ続ける一であっても、何らおかしくはないことだ。

 

(緊張しないのかなぁー、緊張して無茶しあてヤケになるなんて、如何に持って感じだけどー)

 

 とはいえ、今は宮猫自身それを気にする余裕はない。なんとかここまで闘っているが、かなり一杯一杯の闘牌なのだ。それに聴牌。できることならここは自分が確実に和了っておきたい。

 間違いなく勢いはあるのだから。

 

 その勢いを殺さない程度に。全力で、そして慎重に!

 

「――ツモ! 300、500」

 

 小さな和了だ。しかし、ドラを捨ててでも前に進んだための和了である。小さな満足感と、それ以上の飢餓感。まだだ、まだ終わらせない。一度の和了で、手をとめていくつもりはない。

 

 

 続く東ニ局。ドラ表示牌は{④}

 

「ツモ! 500、1000!」

 

 最速で、宮猫の宣言が響き渡った。

 

 ――宮猫手配――

 {一二⑨⑨横三} {横213} {①①横①} {東横東東}

 

 多少無茶な鳴きを含めての、チャンタ役牌一つでの和了。ここで竜華達ができたのは、宮猫の副露を無視してでも前に進むこと。

 副露にツモが咬み合わなければそれでも問題はなかったのだろうが、今回はそうもいかなかった。キッチリ二翻に仕上げての和了。宮猫が流れをものにしているといったところか。

 

 とはいえ他家にとってもこれはギリギリ想定内の打点だ。直撃で2000を持っていかれるのならともかく、ツモで削っていっただけで、しかも二翻。

 問題はこれを延々と続かせることだ。一度調子づいたツモは中々止まることはない。しかも連荘による精神的疲労が、判断力すら鈍らせかねない。

 

 無論、少女たちはこのインターハイで決勝戦まで戦い抜いてきた強心臓の持ち主、いまさらそんなことで調子を崩すはずもない。

 

 中でも顕著なのは国広一だろう。前半戦、あの第二回戦に近いほどの失点をした彼女だが、あの時とは正反対に、強い瞳で麻雀に望んでいる。

 どれだけ失点しようと、それを取り戻してきた後続。自分の失点を、自分で最小限に変えた準決勝の闘牌、そして対局者達は知らぬことだが、地獄のような衣との対局で精神を鍛えられたことが、彼女を強さとはひとつ違う段階での確固たる“何か”を掴ませた。

 

 開始早々から先行する白糸台と、それに追い縋る三者。

 

 

 東三局。

 ここで動いたのは、前半戦少しばかり活躍が地味だったように思える臨海にシャロン=ランドルフだった。

 

 閃光がひらめいたのは三巡目。

 

「チー」

 

 ゆらりと、振るわれた右手が力任せに牌を右端へとスライドさせる。

 もとよりシャロンは速度においてもそれなりに優秀な雀士だ。彼女の強みは振り込まないこと、だがそれ以上に、振り込まずとも攻め込めるような“流れ”を掴むことも巧い雀士だ。

 

(一みたいな真面目っ娘もサ、白糸台のニワカっ娘もサ。やっぱり雀士としては二流なンだよ。一は一皮むけたみたいだけど、それでもこの決勝卓に追いつけていない気がするし、白糸台は……団体戦としてみれば、これほど怖い相手もいないンだけどね)

 

 一つの目的のために団結し、それをこの決勝まで続けてきたチーム。結束力という点ではこれほどまでに恐ろしいチームはないだろう。

 “普通ではない”チームだ。だからこそ“普通ではない”連携が生まれる。

 

(それを崩すのは、まぁタニアの仕事か。こっちは最低限、勝って稼がなくちゃァね)

 

 天江衣と、宮永照。そこに割って入るタニアは非常に苦しい戦いを強いられるだろう。普通の雀士であれば諦めたってなんら咎められることはない。

 

 けれどもシャロンはやるしか無い。

 アンの敗北という、決定的な想定外を背負ってもなお、勝たなくてはならないシャロンの責任は変わらない。

 

(一応、臨海に拾われたことは、感謝してるンだから。誰も自分を責めなくたって、自分を責められる雀士でなくちゃならないンだよ!)

 

「――ツモ、1000、2000」

 

 速度の感触は悪くない。

 あくまで一つの和了だがそれでも、マイナスに沈むよりはずっといい。流れはきっと、これで混迷を始めるだろう。

 

(次の親番で、できることなら白糸台は潰しておきたい。最悪リーチを考えてでも……ね)

 

 そして、東場最後の一局。

 サイコロが、回り始めた。

 

 

 ――東四局、親宮猫――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

「リーチ」

 

 この局、先制を仕掛けたのは一だった。

 

 ――一手牌――

 {發②94横六}

 

 ふむ、と一つ思考して、竜華は手牌からひとつの牌を選ぶ。

 

 ――竜華手牌――

 {五六六七⑧⑨225588東(横⑨)}

 

 竜華/打{六}

 

 チートイツの一向聴だが、竜華はそれを着地点とは見ていなかった。一のリーチは一発ならず、対して竜華は続けざまに{⑨}をツモ、暗刻に変えて、

 

(……通る)

 

 自身が得ることの出来る情報から確信を持って{⑧}を打牌。手牌は開かれることなく、更に状況の動きが現れる。

 

「リーチ!」

 

 どこか確信めいた笑みを浮かべ、リーチ棒を叩きつけるシャロンが、一と、そして勝負に出ようとしていることを見越しているであろう竜華に向ける。

 

 一切反応を示さない両名。それぞれ一はツモ切り、竜華は、

 

 竜華ツモ/{4}

 

 一度手牌の上に置き、それぞれの捨て牌を見比べてから、ツモ切りする。手牌をすすめるにしても、それはいらない。シャロンが一のリーチ後に切った現物であるため、一切の躊躇は存在しない。

 

 そうして直後に白糸台、宮猫が強打の手出し。

 

(……一向聴、やな)

 

 少しだけ速度が遅い。役牌を鳴いていないということもあるだろうが、若干打牌の選択にミスが見られた。役牌の絡まない部分であるため、完全な手落ちであるといえる。

 

(白糸台の人には悪いけど、ここは容赦なく潰させてもらうで)

 

 気勢を削ぐ、というのは竜華の麻雀においても重要なファクターである。たとえそれが、どこかオカルトじみたものであろうと、無視しない竜華では決して無い。

 

 千里山の麻雀そのものが、そういったことを得意としているのだ。オカルトに依存はしない。それでもオカルトを否定することはない。

 これまでの千里山の歴史においても、オカルト雀士は珍しくないのである。

 

(……春の時も思ったけど、やっぱこの人のリーチがいっちゃん怖いわ、リーチをかけるだけの理由があるんやから。……今回も、そうやな)

 

 ツモ切り、シャロンの危険牌を一度竜華は押した。当たることはないという判断によるものだが、それでも肝を冷やすことに代わりはない。

 少しの硬直から後、反応はない。通った、ということだろう。

 

 そうして、続くツモだった。

 

(――できた)

 

 ――竜華手牌――

 {五六七⑨⑨⑨225588東(横2)}

 

(龍門渕は……臨海が{七八九}で白糸台が{四四五六}ってとこやろか。臨海はこの手牌なら気にする必要はない……そして白糸台は……!)

 

 

「――リーチ!」

 

 

 竜華/打{東}

 

 配牌からずっと、抱え続けてきた生牌をついにここで切り払う。警戒スべきは白糸台だ。しかしそれに対して反応は――ない。

 

(鳴けへんやろ。三人リーチに勝負できへんってかんじやな。……普通、こういうオカルトの手合は“オカルトに則った判断基準”がある。それをどれだけ守るかが、ある意味練度の差なんやけど……甘いわな、この人は)

 

 地力の低さは、きっと本人が最も感じていることだろう。しかしそれ以上に竜華自身は、宮猫の意識していない部分まで、事細かに理解している。

 “弱い”ということが、自分の中にあるオカルトに対するこだわりのようなものを逸させている。勝負に出れば結果として敗北しているかもしれない場面。それを、弱さという臆病が、まもりへの意識を強めた。

 

 結果として、彼女は救われたのだ。

 その、弱さに。

 

(とはいえそれを利用するんは、強者の特権やで)

 

 自分の強さに自身を持ったからこその、三者リーチ。特に一はその傾向が強いだろう。前に進むために、どうしてもそのリーチが必要だったのだ。

 その中で、勝利するのは自分だ。

 

 この局は、最後に手を出したものが勝つ。

 

「ツモ、2000、4000!」

 

 後半戦最初の大きな和了。それを持って、宮猫、シャロン、竜華がそれぞれ一度ずつ和了した。

 

 南一局はシャロンが和了。1000オールに連続でリーチをかけた一の点棒がそれについてきた。

 そうして一本場。

 

 ――ようやく、と言うべきだろう。

 これまで、ひたすら煮え湯を飲まされてきた。一度の放銃もないものの、和了も聴牌までこぎつけてしかし、一歩足りずに点棒を持っていかれる場面を二度も味わった。

 

 もう、いいだろう。

 我慢するのもここまでだ。

 

 国広一が、その瞳に光を宿した。

 

 今まで以上に、強い光を。

 

 

「ツモ、――600、1100」

 

 悪くない、と一人卓の下で何度も手のひらを握る。力加減は間違っていないはずだ。

 ――ようやく抜けだした、と表現するべきだろうか。南場に入って、この後半戦における一の和了、その一回目。

 

 後半戦最後の親番を、シャロンによる白糸台からの2000直撃に流されたものの。

 驚異的といえるのはその次の局。

 

 千里山の親番でのことだった。

 

 

 ――南三局、親竜華――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

 竜華/打{發}

 

 直後に、一が同じ{發}を払う。

 次に{9}を切り、更にその後シャロンの打{南}に合わせて役牌{南}を切る。そこで違和感。手牌の少し真ん中よりで切り払われた役牌。

 

(手が遅いんやろか)

 

 見た感じ、一の様子はあくまで平然。体の調子に乱れはない。

 無論、それが見せかけである場合もあるし、竜華の感覚は不安定だ。選択をミスすることも多少はある。

 絶好調でこの決勝戦に挑めなかったのは、竜華最大の後悔であった。

 

(できないことを言ってもあかんけど、やっぱもっと気張らな……それにしても)

 

 不気味な場だ。異様に状況が動かない。前半戦で大きく失点した一の同様が見られないことも、白糸台がこの状況に一切の緊張がないことも、異様といえば異様。

 言ってしまえば無難な戦闘が得意なシャロンや竜華が場を威圧しているための状況と取ることもできるが、そう言い切るには白糸台も龍門渕も、竜華の予想は軽く超えている。

 

(このまま何事も無く終わればええんやけど……)

 

 そう思考して周囲の状況を観察したとき、あることに竜華は気がつく。白糸台、鴨下宮猫の微妙そうな表情だ。あまり顔に出ないタイプだろうが、多少焦りが出ているのが竜華の眼には解る。

 

(これは……役牌をつかめてない? 完全なオカルトって感じでもないんか、それやったらオカルトの理論の則って動かないのも当然、かもしれへんな)

 

 今まで、役牌を集める法則が彼女にはあるのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。しかしこれまではほぼ確実に集めていた役牌を、今回に限って手を出せない理由は――

 

 おそらく、周囲の誰かにある。

 シャロンだろうか、一だろうか、後者の可能性は薄いがそれでも、注視して状況を見る。

 

 竜華の打牌、おそらくは重なっていないだろう{白}。シャロンは手出しで{三}を切り前進の気配。そして一は、ツモ切りで{白}。少しふぅ、と吹き出した吐息からは安堵が感じられた。

 

(……! なるほど、役牌をあわせうちで処分してたんやな。あんま意味があるかは解らへんけど、それが今回上手くいったんか!)

 

 可能性が薄いのはシャロンと一でいえば一の方だ。一は真面目な雀士であるから、小細工のようなものはあまり仕掛けない。だが、それでもこういったオカルトを考慮した判断は確実にする。

 

(思い出した……! この子準決勝でも、流れ使いの永水次鋒に染め手迷彩を直撃させてた。あれはふなQ曰く、その永水次鋒が流れを感覚ではなく計算から導き出してるから、らしいけど、これも同じか。オカルトに対する打牌選択をして、オカルトの調子を乱す! っちゅうわけやな?)

 

 とはいえそれが、基本的に他人から見れば“一見おかしく見えるがデジタル的に間違った打牌選択ではない”というのもおそらくは特徴だろう。

 

(デジタル的に、全く突っ込みどころの無いある意味厄介なタイプで、研究できへんかったのが痛いわ。特に二回戦、準決勝と、特徴の出るオカルト系が一人しかおらへんのやから、大概やな)

 

 何にせよ手は遅そうだ。

 一が意識しているのは間違いなく宮猫。しかし、警戒できるほどの打点と待ちではないはず。竜華の打牌は、萎縮する宮猫と不調の一という、両者の存在によって強さを増していた。

 

 しかし、故に竜華は気がつくことはなかった。一の本当の狙いが、宮猫には無かったということを。

 

「――ロン」

 

 和了。したのは一、竜華にとってそれは意外ではあったが和了自体にそこまでの違和感はない。驚愕を呼んだのは、もっと別の所。

 

(……え?)

 

 一の反応した打牌は、竜華のものだった。

 彼女は宮猫を狙っていたのではない。和了できれば――出和了りができれば、誰でも良かったのだ。

 

「平和、1000」

 

(…………せん、てん)

 

 狙いすました、わけではないだろう。手牌の遅さは演出であっても、竜華を狙い打つような打牌はしていない。

 一のそれは、あまりにも平凡な平和手だった。

 

(なんで、リーチかけへんの? ……その認識自体を利用された? 勝つために、自分の麻雀に色をつけた?)

 

 器用な和了ではなかった。

 ドラもないし、ダマで和了を目指していたことも在って、安手。たかだか一翻にしかならないような手だ。

 それでも、和了った。

 

 攻めて、手を作り、和了した。

 そこまでできれば十分だ。

 

 

 一の顔つきが、そこで一度変わる。何かを決めつけたような、顔に。

 

 

 そうしてオーラス。

 最後の一局が、始まった。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

(麻雀で、何をやっても勝てない時って、在ると思う)

 

 意識する、自身の敗北を。現状がそれだ、大きく失点し、このままでは味方に示しがつかないような、そんな状況。

 

 勝てないのはきっと、誰かの責任以上に、自分の打ち方に問題がある。――もちろん、最初はそうではなかったかもしれない。最初は、単純に負けが続いて、それだけだったかもしれない。

 

(けど、いつしかそれは自分の意識に染み渡り、自分の攻めを萎縮させる)

 

 そうして負けが続くのはアタリマエのことだ。なぜなら、最初から勝つ気なんてさらさらないのだから。勝とうと思って麻雀を打っていない。だのに勝てなくて、自分で自分を傷つける。

 

(そんなの、全然楽しい麻雀じゃない。自分のせいなのにね)

 

 そうやって負け続ければ、麻雀をするのも嫌になる。もしくは、ムキになって更に負けを重ね続ける。攻めるつもりがないのに、意識だけは勝とうと勝とうと無茶をする。

 そうなればそれは酷い麻雀だ。語るに値しない麻雀だ。

 

 違う。

 そうじゃない。麻雀って決してそんなものじゃない。気がつけば簡単だ。嫌になるほど負け続けてきた麻雀が、少しずつ変わる。

 最初は小さな変化かもしれない。

 

 けれども、ちょっとでも前に向ければ、ちょっとでも前に進もうとすれば、麻雀は変わる。最も前向きな麻雀を、打てるようにきっとなる。

 

 勝つか負けるか、その駆け引きに必要なのは引き際じゃない。我の強さ。前を向く己の意思だ。

 ――信念、かつてそんな言葉でそれは呼ばれた。

 

 

 ならば、その信念は、国広一の信念は――決まっている。己の意思の内に存在しているのだ。

 

 

 勝とうとすればいい!

 

 負けたくないと思えばいい!

 

 それがチカラとなる。それが強さとなる。後ろを向くのは弱者の姿だ。前を向き、先をゆく。それは時には幻想かもしれない。しかし強さを得ようというのなら――きっと確かな形であるほうがよっぽど多い!

 

(あの時から、大沼プロに言葉をかけられた時からずっと迷い続けてきたこと。それを形にする。負けることに理由を求めず、ただ勝とうとする思いだけを詰めればいい!)

 

 ――一手牌――

 {一二三八lil()九②③⑦⑧⑨11} {(ili)}

 

 一/打{九}

 

(入った! {九}と{1}が純カラで、リーチをかけるならこれしかない。一枚切れ、自摸れるかどうかは正直微妙――でも)

 

 

「――リーチ!」

 

 

(迷うな! 迷ったら負ける。麻雀はきっと、そういう勝負だ!)

 

 竜華が、

 シャロンが、

 宮猫が、それぞれの反応を見せる。竜華とシャロンは無論前傾、宮猫は六巡目でのリーチに対する、萎縮。親番であることをかみしても、攻めは消極的なものとなるだろう。

 

 誰もが負けるつもりは無いと、そう思っている。

 一はむしろ、その中でも最も遅れてしまっている部類だ。なにせ今、最も点棒を失っているのは一だ。負けているのだから、もう一度負けてもおかしくない。

 

 それを覆すには、証明するしか無い。

 ――たとえ勝負に負けても、少女たちに劣らない部分がひとつはあったと。

 

 シャロンへのそれは、準決勝において証明した。

 竜華へのそれは、不注意を呼び起こす自分のスタイルの変化で。

 宮猫には、オカルトに対する行動という形で。

 

 証明した。

 

 勝ちうる部分があると。

 それを大いに意識しうると。だからこそ、

 

 

「――ツモ!」

 

 

 振り上げて、卓の端に叩きつけたそれが、顕になって周囲に示される。一発でのツモ、裏は乗らずとも、十分だ。

 

「3000、6000!」

 

 次鋒戦、最後に吠えたのは、国広一。

 長い、長い旅路の決着が、それだった。



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『ひとりぼっちの少女たち』中堅戦①

 体をずいっと大げさに伸ばし、白糸台の彦根志保が立ち上がる。

 

「まー、別に飛んだりとかはしないと思うけど、ほどほどに頑張ってきます。応援よろしくねっ!」

 

 次鋒戦までが終わり、昼食のための休憩も済んだ。ここからは、中堅戦からはノンストップで大将戦まで、全ての戦いを駆け抜けることとなる。

 折り返し前の半荘四回、大きく前に出たのは――アン=ヘイリーの敗北という異常こそあったものの――先鋒、次鋒でコンスタントに稼いだ臨海女子だ。

 二位の龍門渕は次鋒の失点こそあるものの、十分臨海に追いつける位置。この程度なら、いつもの状況と左程変わらないだろう。

 

 苦戦を強いられているのは千里山だ。エースが不発、次鋒は収支トップだが南三局の振り込みで三位転落、そのまま跳満を和了られ大きく差をつける結果となった。

 

 中堅戦は決勝の折り返しということもあり、大きな動きがあると予想される。

 特に白糸台以外の三校は、例年であればエースを張れるクラスの選手が中堅を務めるため、混戦が予想された。

 

 その中でたった一人、全国クラスのエースに遅れを取るのが白糸台。もとより想定の上で彼女は中堅にいるのだがそれでも、危険なポジションであることに変わりはない。

 故に、気張らなくてはならないのだ。菫や照も、彼女に心配そうな視線をやっていた。

 

「まー、安心しててもいいよう。トビやしないから、トビや」

 

「……まぁ、そうだとはおもうけどね」

 

 美砂樹が、少しだけ目を伏せながら言う。負担を欠けているのは自分だ、すこしばかりの負い目があった。

 

「ほいじゃあ行ってくるでや、重ねて言うけど、応援よっろしくぅ!」

 

 パタパタとかけ出して、白糸台の中堅として、志保が決勝戦の舞台へ向かう。待ち構えるのは最強の一角。全国クラスどころか、世界クラスすら混じった猛者たちだ。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:依田

 南家:蔵垣

 西家:ストラウド

 北家:彦根

 

 順位

 一位臨海 :122900

 二位龍門渕:111300

 三位千里山:94400

 四位白糸台:71400

 

 

 ――東一局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

(大舞台……コクマでも、インターハイでも縁のなかった場所だ)

 

 依田水穂、彼女がこうして、日本中に知れる大会の、決勝にまで駒を進めるのはこれが初めてだ。元より、もっと優勝を狙える高校に進むか、あの三傑が同じ時代に活躍してなければ、こうした舞台で闘う機会も在ったかもしれない。

 だが、そうではなかった。だから、緊張し、少しだけ臆して牌を握っている。

 

(それに、今まで一人で闘ってきた分、仲間の存在が少し、重いかな)

 

 コクマは個人競技だ。県代表として共に優勝を長野の地に持って帰ることを目標とする存在はいたが、それでもそんな彼女たちとライバルとして同卓することは在ったわけで、無条件で同じ目標を目指す仲間は、そしてその仲間とこんな舞台で闘うのは、これがきっと初めてだ。

 

(おっかしいなぁ、今までインターハイなんてどうでもいいツモリだったのに、こうして見るとなんだか緊張してきたよ)

 

 一人ぼっちなだった自分の闘いに、仲間ができたというそれで、多くの何かが水穂を変えた。小さなことが、寄り集まって水穂を変えた。

 

(ありがとね、瀬々他私の大事な仲間たち!)

 

 その上で、

 気にするべきは今の状況。

 

 蔵垣るう子のリーチであった。

 

(スプリングのエース。インハイじゃ初対決だけど、この人の場合……)

 

 ――るう子捨て牌――

 {發西東6六⑥}

 {横二}

 

(何があたっても、おかしくない!)

 

 ――水穂手牌――

 {一四四③⑤⑤⑦45(横6)} {横五四六}

 

(参ったな、鳴くんじゃなかった。一発は二切ってさけだけど、これすっごい難しぃぞ。この人の場合、先に{六}を切って{二}とかで、{三四五}の待ちは十分ありうる。というか、捨て牌の周りを切りたくないのに、どうしてその周りしか私の手牌に牌がないんだよ!)

 

 切るとしたら、{④}? いや、筋は切れない。切りたくもない。

 るう子の恐ろしいところは“純カラ”は安牌だが、現物以外のあらゆる通りそうな牌は、しかし決して安牌ではない、という点だ。

 

(となればもう、後は野となるか山となるかしかない。地獄単騎。これで振り込んだらふて寝してやる!)

 

 水穂/打{四}

 

 が、しかし。

 

 

「――ロン」

 

 

「んぎゃ!」

 

 ――るう子手牌――

 {四七八九⑦⑧⑨234789}

 

「5200です。お支払いくださいね?」

 

「……はい」

 

 放銃。

 幸先の悪いスタートは、龍門渕の三位転落に伴って、水穂の精神をガンガン傷めつけてくるのだった。

 

 

 ――東ニ局、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 蔵垣るう子。彼女の特徴は、彼女自身が千里山で二年時からレギュラーを務めていた事もあって、誰もがよく知っている。

 

 端的に行ってしまえば、彼女は牌を重ねない。

 対子にならない、暗刻を作れない。

 

 常に孤独で、あらゆるものよりも孤高であり続ける。彼女自身にそんな気性が在ったわけではない。多少浮世離れし、しかもなんでもできる才女ぶりから、嫉妬の対象になることは在ったものの、千里山の上位層は、人のよい性格であったため、彼女を迫害することはなかった。

 

 言うなれば、彼女はそれなりの人生をそれなりに送った、しかしそれなりではない人間だ。彼女のチカラは、龍門渕の渡瀬々の様に強烈ではないし、彼女自身は白糸台の宮永照の様に最強ではない。

 

 あくまで、一強豪校のエースクラス。日本に、数人はいる逸材の一つ。

 

「……ツモ!」

 

 だからこそ、だろうか。彼女のこの決勝戦に向ける思いは大きく複雑で、高潔で幻想的に、牌を握る姿が映えるのだ。

 

 

 ――東ニ局一本場、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

 遊馬美砂樹のように、人をまとめるチカラや雰囲気は、彦根志保にはなかった。

 

 鴨下宮猫のように、誰にでも好かれる、誰かと誰かをつなげるチカラは、彦根志保にはなかった。

 

 弘世菫や宮永照のように麻雀に強いわけでもない。

 宮永照の鏡を持ってしても、オカルト的なチカラがあるわけではなかった。それでも、このチームはなにか意味があるのだろう。

 

 今年のチーム決めが発表された時、もっとも驚かれたのはきっと自分だ。分不相応に思われただろう、何せ自分はチームに選ばれた他の三年生二人のように好かれてはいない。

 二年生コンビのように、強さを持っているわけでもない。

 

(いつもだれかと仲良くなろうとして、空回りして孤立した。仲良くしてくれたのは、それこそ美砂樹と宮猫くらいだったな……そういう意味では、今年のチーム分けは救われてたけど)

 

 それでもやはり、白糸台の中でただ一人の凡人である自分は、きっとこのチームの中でも一人ぼっちなのだろう。

 

 だからといってこの勝負から、逃げるわけには絶対行かない。

 格好わるいし、誰にも示しがつかないではないか。普段から鬱陶しいと思われることは合っても、好かれはせずとも、一人ぼっちでいようとも、嫌われているわけではない。排斥されるほどのことはしていない。

 

 これまでがそうであったように、これからも、否やこれからは少しだけ、誰かに認められる自分であるように。

 

「チー」 {横312}

 

 辺張を鳴いて、これで聴牌。警戒されるだろうが、すでに手牌は爆弾に変わっているのだ。

 

(高めドラ3……きっと、強いひとはこれの高めを引いてこれる。そんな気運をここに持ってこれるんだろうな)

 

 役牌ドラドラ、シャンポン待ちであるから、高めで和了すれば、少しでも仲間の糧となるだろう。数少ない和了チャンス。逃せるほど、志保の麻雀は甘くない。

 

 しかしそれでも――

 

「ツモ! ……1000、2000の一本!」

 

 きっちり高めを引いてこれるほど、彼女は麻雀の流れを引き寄せてはいないのだ。

 それでもこれで、一つ局を前にすすめることができた。中堅戦さえしのげば、後は菫と照の二人が控えている。そこまでつなげれば、それで志保たちの役目は完了だ。

 

(……たとえ誰より弱くても、私の勝利はチームの勝利! 少しでも前に、前に進むんだ。私たちのチームが結成された、その目的を果たすためにも!)

 

 

 ♪

 

 

 龍門渕控室。つめたく冷えたペットボトルの中身を、勢い良く飲み、途中で嘆息気味の大きな吐息を漏らす。

 

「っはぁ、うまいな」

 

「ちょっと……少し静かにしてよ」

 

 そこに一の文句が飛んでくるものの、特に気にする理由もない、瀬々は深々とソファに埋もれると、半目気味にモニターを眺めた。

 

「そうだぞ? あまりこちらの集中を削ぐのはいけないな」

 

 と、更に衣が加わってくる。さすがに対局がこれからな相手にそう言われてしまえば瀬々も諦めざるをえない。

 一言謝って、それからふむ、と話題を変える。

 

「にしても、白糸台も中々思い切ったメンバー選びだよな」

 

「前にも聞いたが、何なんだ? 正気とは思えん選択だな」

 

 衣がなんとはなしに反応する。常軌を逸した、とはまさにこの事。続けざまに、その事実を改めて口にする。

 

「――宮永照以外の全てのオーダーを捨て駒にする、か」

 

 正確に言えば、全員で点棒を照にまわして、照が一人でトップになるまで稼いで勝つ。おそらくは、臨海だって――そしてこの龍門渕でだって取られない戦法。

 同じ大将に魔物を置くオーダーでも、ここまで極まったオーダーは白糸台しかいない。永水は少し近いが、スコアラーが複数人存在するオーダーのため、極端ではない。

 

「白糸台に、決勝レベルの実力を持つのは宮永の他には弘世だけだ。その弘世菫がまた厄介なんだが……」

 

 決勝レベル、ではないといっても、ここまで白糸台は最低限の失点でつないでいる。一つの半荘だけでもみればプラス収支で終わっている時もある。

 中でも際立つのは、この中堅――彦根志保。

 

「これまで、県予選からこの決勝に至るための準決勝、その全てにおいて失点しているのは、こいつしかいない。他の全員はどこかしらでプラス収支になったときはあるのに、彦根だけはプラスにならない、徹底的に、だ」

 

 瀬々が手に持っているペットボトルを揺らす。中身は市販のお茶だ。茶色の中身が、泡を伴って揺れて、そして納まる。

 手持ち無沙汰にそんなことをしながら、いつもどおりの少し低いボイスで続ける。

 

「けれども、こいつが一度の半荘で絶対に“一万点以上失点することはない”。必ず無難な失点でまとめる。まさしく団体戦向けのオカルトってところか」

 

 さすがに、ずっと負け続けるわけではないだろう。おそらくこれは“この状況における最適解”なのだ。瀬々の答えを導き出すチカラではないが、数少ないリソースで、如何に最悪にならないようまとめるか、それが彦根志保の雀風。

 

 ――状況は、彦根志保以外の三人が聴牌したところ。傍目から見ても四面楚歌であるのはそうだが、すでに特急券を副露し、手牌を短くしてしまっている彼女は、きっと生きた心地がしないだろう。対局者は全員ダマテンだが。

 

「水穂先輩はまた事情が違うけどさ……この中堅戦にいる人達って、なんか似てるよな。全員が一人ぼっちで、何かを背負って生きているんだ」

 

 

 ――結局この局は、絶体絶命に陥った志保が、聴牌の中で最も安い水穂への放銃で局を流した。たかだか一翻ならば、放銃してもそれは最低限の差し込みと言えるだろう。

 

 蔵垣るう子は孤高を抱えて。

 彦根志保は無自覚の最適を抱えて。

 

 一人でこの対局に臨んでいる。水穂は今までの一人だった麻雀の世界に、多くの背中を感じていることだろう。

 

 そして、であるならば最後の一人、臨海女子のハンナ=ストラウドは――?

 

 

 その頃、臨海女子控室。

 こちらも少しばかり剣呑そうな――というよりも、どこか不安なのを押し隠したようにしながら――アンが嘆息混じりにつぶやく。

 

「最適ではないにしろ、最悪を引きつけないような何か……おそらく宮永照の照魔鏡でも見抜けないでしょうね。そうならないようにチカラを“作り替えている”わけですから」

 

「なんだかよくわかりませんネ。それは麻雀に有効なのデスカ?」

 

 ダヴァンがなんとも言えない様子で問いかける。不可思議なのだ、あの彦根志保という少女が。普通の少女だが、明らかに普通ではないチカラを持っている。しかし実態のない。まるでそう、幽霊を現実に落とし込んだかのような――

 

「そうでもないんじゃないかな。それこそあの人のように、それ自体が強さの秘訣ってわけでもないみたいだし」

 

 タニアの言葉。あの人、幽霊と称されるその人物と、ただ点棒をギリギリでせき止める彦根志保とでは、おそらく格と呼ぶべきものが違う。

 チカラ自体は、同一のものなのだろうが。

 

「まぁ何にせよ。最悪を引かない、というのは、ある意味ハンナのそれに似ていますね」

 

 ハンナの闘牌をよく知っているからこそ、アンはそうやってつぶやく。

 

「ハンナねぇ、正直私らはそのハンナのチカラ、ってかチカラの根源を知らないンだが、何だろーな。やっぱり少し、重いのかね」

 

「まぁ、ノーコメントです。想い出は浸るためのもの、ひけらかすものではありません」

 

 もともと答えを求めていないかのような口ぶりのシャロンに、アンはのんびりとした声音で返事を返した。

 それから深々とソファに体をうずめ、天井をぼんやりと眺める。

 

 思い出すのは、もう十年前近く前の事になるだろうか。

 ハンナも、アンも、とても背が小さかった。遠い、遠い昔の話だ――――

 

 

 ♪

 

 

 ハンナ=ストライドには旧姓がある。ハンナが生まれてすぐの頃、ハンナには優しい両親がいた。人柄もよく、周囲の誰にも慕われる両親だった。

 

 しかし、そんな両親がある時事故でなくなった。ハンナもその時、同じ事故の現場で――車に乗って、移動していた。

 その詳細は大きく省くが、とにかくその結果、ハンナは奇跡的に生き残り、両親は彼女を守るように命を落とした。

 

 まだ、両親の顔をはっきり覚えるよりも前――今ではもう、二人の顔を思い出すことはできなくなっていた。

 そんな事もあってか、ハンナはある孤児院に引き取られた。親族に引き取るという人間はいたが誰もさして善良ではなく、唯一善良ではあるが子どもを養う余裕も知識もない親戚の知己に優良な孤児院があったため、そこに引き取られる流れとなったのだ。

 

 ハンナはその間、両親を失ったことを理解することはできなかった。

 それはある意味の幸福であったのかは知れないが、少なくとも傍目から見て明らかな悲劇の中で、ハンナは自分を見失ってしまった。

 

 孤児院の子どもたちは誰もが善良で、一人ぼっちになったハンナに救いの手を伸ばそうとはした。しかしハンナは、それを拒否してしまった。――大切な人を喪う恐怖は子どもたちもよく知っている。やがて彼女がいつか自分の方から仲間の輪に入って来れるよう、子どもたちは距離を置くことにした。

 

 しかし、ハンナはそんな子どもたちの気遣いを理解しながらも、受け入れることはできなかった。一人で孤独なまま一年が過ぎ、二年が過ぎ、それでもハンナは捻くれたままだった。

 

 恵まれた環境を得ながらも、どこかボタンを掛け違えてしまったがために、失われてしまったハンナの幸福。

 それが埋められることになるのは、ハンナが孤児院にやってから五年ほどの時間がたってからだった。

 

 

 ――ハンナが引き取られた孤児院の院長は、昔麻雀のプロとして世界に名を残したプレイヤーであり、運営資金はそこから出ていた。

 現在は孤児院出身のプロが稼いだ賞金の一部が寄付され、それによって運営は賄われているが、そのプロを育て上げた院長は健在であり、その院長を目当てに各地から名だたる雀士が時には学びに、時には交流に、孤児院を訪れていた。

 

 その中の一組に、いたのだ。後に世界最強の高校3年生を名乗る名雀士、アン=ヘイリーと、その父親が。

 やってきてそうそうのうちに、アンは麻雀で孤児院の子どもたちを圧倒。またその派手な打ち回しから周囲の人気を独占するようになった。

 アン自身、世界有数のプロが育てた同年代の雀士に満足し、楽しげに麻雀を打っていたがある時。偶然外に出てきたハンナの姿を見、彼女を意識するようになる。

 

 感じ取っていたのだ。ハンナの才能を。

 当時のハンナは麻雀のルールこそ覚えていたものの、独特のツモパターンが基本的なデジタル内と相性が悪く、自身に才能などないと思い込んでいた。

 

 そこにやってきたのがアンである。第一声は単純だ。アンがハンナに

 

『――麻雀を打って見ませんか?』

 

 そう、問いかけたのである。

 しかしハンナは人見知りが激しかったためそれを拒否、逃げるようにアンの前から消えてしまった。それからというものの、ハンナを意識するアンと、それから逃げるハンナ。ハンナを変える好機とみた孤児院の子どもたちの追走劇はハンナが自室に立てこもる形で決着。

 

 引きこもるハンナの説得に当たったアンは、ハンナの不幸を、己の奇跡で塗り替えてみせると言った。――ハンナの事情は、追走劇の間に聞いていた。

 

『明日の朝、二人で少し外に出ましょう。貴方の生きてきた道筋に、一度としてなかったであろう奇跡を、私がこの目で見せて差し上げます。あの大きな空の真ん中に、光の柱を打ち立てるのです!』

 

 声高な、しかし丁寧な言葉でアンは言う。習いたての言葉なのだろう。彼女の国とハンナの国では、使う言葉が違った。

 住んでいる世界も、きっと違った。

 

 いよいよ部屋の前に孤児院の子どもたち全員と、アンが押し寄せる状況に嫌気が差したのだろう。ハンナは不承不承アンの提案を受諾。次の日、二人は外へ――ハンナにとっては、数年ぶりの空の下へと、出かけることになった。

 

 

 ♪

 

 

「――ハンナ、いいですか? 世界には幸福と不幸があって、幸運と悪運があります。別にどれが良い、悪いではなく、日ごろの行いになんら関係もなく、それらは平等に私たちを襲うのです」

 

 無言でうつむくハンナに、アンは何度も何度も繰り返し言葉をかけた。かける言葉は陳腐なものだが、まるで新興宗教の教祖が如き言葉を手繰るアンのそれを、ハンナは無視することはできなかった。

 

 数年の間、自分の世界に閉じこもり、ハンナ自身、外を見る機会を逸していたのだろう。どことなく、“きっかけ”であるアンを拒否しながらも受け入れているようには少し思えた。

 

「さぁ、見ていてください。必ず私が、貴方に奇跡があるということを見せてあげますよ。貴方の持つ、不幸を切り裂くために」

 

 ハンナの手を引き歩いていたアンが、ハンナの手を話振り返る。少しだけ追いかけそうになった手を慌てて引っ込めて、ハンナはアンを真正面から見つめ返した。

 

「3――2――1――――」

 

 指を一つずつ折り曲げて数を数える。まさしくその瞬間を確信しているかのように。

 

 ――ハンナは、アンの言葉に惹かれてはいた。だが、このアンの試みが成功するとは思っていなかった。だからもし、ここで何も起こらなくても、アンを責めることはあるまいと、そう考えていた。

 成功する可能性など、微塵も考えず。

 

 

 しかし、

 

 

「ショー……ダウン!」

 

 

 そんなアンの言葉に引き寄せられるように空は、赤く、果てしなく広がる円柱が支配した。

 

 

 うそ、そんな言葉がハンナの口からぽつりと漏れる。

 アンは当たり前のようにニカリと笑ってハンナの横に並び立つと、浮かび上がった光の柱を眺める。

 

「どうです? ……奇跡なんてのは、起こそうと思っても起こらない、けれども、起こることを確信する位なら、私だってできます」

 

 ぽつりと、一言ハンナは行った。これは太陽柱(サンピラー)である、と。

 

「博識ですね、この辺りなら現象として起こりうるとおもったからこその博打ですよ。確信なんてありませんが」

 

 ありえない。ただでさえ奇跡的な現象が、万が一にも起こるはずのない可能性が、それを起こると確信するなど、確信した上でハンナに言葉をかけるなど――

 

「――改めて言います。ハンナ、私とともに麻雀をしましょう。あなたは気がついていないかもしれないが、あなたには特殊な才能があります。それを活かせば、世界有数のプレイヤーとなることも、可能であると思いますよ」

 

 まくし立てるようなアンの言葉。

 回避しようがない事実。浮かび上がる光の柱と、横にあるアンの顔。2つを見ている内に、ハンナはだんだんと、おかしさが心のなかから浮かび上がってきた。

 

「……ハンナ」

 

 ぽつりと漏らして、アンはそのハンナの肩を抱きしめる。

 笑った。数年間、一度も笑うことのなかった自分が、その時初めて笑顔を浮かべた。同時に浮かべることのできなくなっていた。大粒の涙を浮かべながら。

 

 

 ♪

 

 

 ――南一局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

「リーチ」

 

 来たか。

 周囲の目線が、ハンナに向けてそう語った。そう、時は満ちたのだとハンナは心のなかでだけ反芻する。

 

 これまで、手牌は沈黙せざるをえないようなものだった。

 それでもこの手牌は違う。南場に入り、一気に状況がハンナへと向いてきた。負けたくないと思う気持ちが、噴出するのと同時に。

 

(さぁ――)

 

 カッ、と目を見開いて、対局者とこれから自分が掴む牌を睨みつける。狙いを定めるように、目を細める。

 鋭い目つきでもって勢い任せに振りぬいた右手。

 

 

「ツモ!」

 

 

 ――ハンナ手牌――

 {一一一八九②②234678横七}

 

 ――ドラ表示牌:{三} 裏ドラ表示牌:{九}

 

(全部、叩き潰して差し上げますよ!)

 

「――3000、6000!」

 

 

 ――南ニ局、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

(……ふむ、できました)

 

 ――るう子手牌――

 {一二四五六七八九①③④⑤西(横三)}

 

(待ちは{①}でも構いませんが……ここは一枚切れの字牌ですね。ダマなら出るかもしれません。それに{②}か{⑥}を自摸ってリーチをかけるまでのケイテン、ですからねこれは)

 

 るう子/打{①}

 

 るう子の特殊なツモルールであれば、ここから{②}、もしくは{⑥}を引いてくることは比較的容易だ。現在が未だ四巡目であることを加味すれば、この高速聴牌がどう作用するかは完全に未知数だが。

 

(とにかくここは――これを確実に和了っておきたいです。嫌な予感がしますからね)

 

 思考、そして直後。

 

 

「――カン」 {北横横北}

 

 

 その思考を遮るように、ハンナの宣言が響き渡った。

 

(――{北}の暗槓……ですか!?)

 

 しまったと、思うには少し遅い。直後にハンナが、更に加えて宣言をしたからだ。

 

「リーチ」

 

(攻めてきた、相変わらずぐいぐい攻めてくるタイプの人ですね。……攻撃一辺倒は、私たちの専売特許なのですけど)

 

 るう子/打{西}

 

(……間に合いますか!?)

 

 思考。しかし続くツモでるう子は現物を掴むことしかできず――続くツモ。一発こそ無かったものの、即座にハンナは――

 

「ツモ!」

 

 目当ての牌を引き寄せた。

 そして、

 

「リーチツモ、“裏8”。――4000、8000」

 

 インターハイ決勝。初めてと言える高打点。倍満ツモが、中堅戦に至ってこの卓で否応なしに炸裂した。

 

 

 ――南三局、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

 ハンナは他人よりもツモが悪い。そしてそれは、最悪といえるほどのものではなく、かと言って単なる確立の部類で掃き捨てる事のできるものではない。

 端的に言って、ハンナは極端に二や八の数牌を掴むことが多い。一や九のような、極端な部類でないことがポイントだ。

 

 もしもヤオチュー牌にツモがかたよるのであれば、それはそれで曲芸染みた魔物的闘牌ができただろうが、それは叶わなかった。

 あまりにも中途半端に運が悪すぎた所為で、ハンナは極端に昇華サれることはなかったのである。

 

 ハンナは両面が自摸れない。

 故に平和はつかないし、一翻が付くことはほぼ稀だ。時折チートイツが付くが、それも人並みと同等か、少し低い程度のもの。

 彼女の本質はもう少し別のところにある。

 それが悪運だ。彼女が生きていく中で、“最悪”になりきらなかったが故の、悪運だ。

 

 両親が死んでも、自分自身が死ななかったこと。引き取られた孤児院が、善良で恵まれたところであったこと。そして――アン=ヘイリーと出会ったこと。

 

 全てをひっくるめて、アンはハンナのそれを“悪運”と呼んだ。では、麻雀における悪運とは?

 

 簡単だ、通常では及ばない場所にある幸運。裏ドラである。

 準決勝、鬼門を発揮していた薄墨初美が、小四喜を和了できなかった理由がそこに在る。ハンナは裏ドラを“最も重なっている牌”に乗せることができる。

 通常であれば雀頭、刻子があればそれが裏ドラになるのだ。

 

 これの応用で、あの時ハンナは裏ドラが“初美の掴みたかった牌”になるよう待ちをとっていた。物理的に取れないようなオカルトを、発揮させていたというわけである。

 

 これがハンナのチカラ。

 ハンナの麻雀。

 

「――ツモ!」

 

 アン=ヘイリーとの出会いによって形作られた、ハンナ=ストラウドという一人の少女。彼女が、歩いて、迷って、さまよって、そうして辿り着いた、誇りとも言える麻雀の境地。

 

 

「……3900オール!」

 

 

 不幸と悪運が、最後に行き着いた姿。

 ハンナが、ハンナである証――



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『エースの要件』中堅戦②

 四月の千里山女子麻雀部は、一年で最も活動が盛んな時期だ。というのも、入部したての新入部員は三桁に及ぶため、それら全員がレギュラーを目指しランキング戦に励むのである。

 最終的には、六割残れば数としてはいい方なのだが、とかく。

 

 その四月終わり、ランキング戦が終了した。レギュラーが決まり、合宿に県予選にと忙しく動きまわる時期である。

 そんなレギュラーの発表段階で、ひとつの波乱が千里山で起こった。

 

 この年、レギュラーにおける先鋒ポジション、行ってしまえば華のエースポジションに座るのは三年、蔵垣るう子と目されていた。元来千里山は三年生エースを先鋒とするためであり、実力的にもそれが妥当と思われていた。

 

 しかしそれに待ったをかける部員が現れたのである。二年、江口セーラだ。スプリングでは大将を務め、あの宮永照とも対決している。そしてそれがいい刺激となったのか、四月のランキング戦における成績を猛烈に上げて、蔵垣るう子に匹敵するほどの実力を持つに至った。

 

 結果として、エースは江口セーラ。るう子は先鋒から大将までをつなぐ中堅の立ち位置につくこととなった。

 そんなある日の、ことである。

 

 

「――先輩」

 

 るう子にふとかけられた、耳慣れた後輩の声に反応し、るう子はさっと振り返る。元より気品のある少女だ。ただ振り返るというだけの立ち振舞も、どこか幻想的で、人に見させるチカラがある。

 

 蔵垣るう子が、孤高とされる要因だった。

 

「セーラさん、どうかしましたか?」

 

 江口セーラ。インハイにおいてのエースとして決定した、新生千里山の二年生エース。少しだけ所在無さげに視線を揺らしてから、恐る恐ると言った様子で、るう子に対して問いかけた。

 

「あの、こういうのを先輩に聞くのは、ちょっと違う気もするんですけど、でも部長が先輩に聞け、いうたんで、聞かせてもらっていいですか?」

 

 使い慣れていない、と言うよりは少しの緊張が混じった声音。るう子はなんとなく、それだけでこの先の内容がうすうす知れた。

 

「……先輩にとって、エースってなんですか?」

 

「エースですか。少し、私には縁のない話ですけれど……そうですね」

 

 ――蔵垣るう子がエースをしていた期間は秋季大会からスプリングまで、負けても失うもののない、挑戦だけを考えて臨める大会だ。無論強豪校としての最低ラインはあるが、それさえ守れば後はどこで負けてもいい、そんな大会だ。

 るう子が意識したのは、勝つために必要なエースの仕事、ただそれだけ。責任は部長の緋奈に任せきりだし、一人でいることの多いるう子に、責任というのはピンと来ない。

 

 とはいえ、思うことは語っておくべきだろう。自分のエース出会ったという立場が、彼女の築く栄光の、些細な礎になるというのなら。

 

「絶対に勝って帰ってくるのが仕事ではないでしょうか。エースはその高校の顔ですから、まず勝たなくては」

 

「それは……まぁそうですけど、でもそれって、スプリングで大将をやってみてわかったんですけど、“大将の仕事”なんですよ。その高校の顔とかなんとか関係なく、勝敗の責任は全部大将が負いますから」

 

 なるほど、と頷く。

 今まで、中堅ばかりを務めてきたるう子には少しピンと来ない部分だ。

 

「それに、先鋒っていうのは“一番負けていい”ポジションだと思うんです。後の四人で取り返せば、よっぽどのことがなければ負けませんし」

 

 先鋒が、いつまでも勝ち続けられる訳ではない。そしてその先鋒が、大将のように勝敗そのものに結果をもたらすような、責任を負ってしまうわけでもない。

 

 であれば先鋒とは? エースとは? いよいよ解らなくなってしまう。セーラ以上に、エースを任されるという重責を感じないるう子には、判断のつかないことだった。

 

 それでも、思い描いた言葉の群れを何度も何度も編み上げて、自分の言葉へ、セーラに向けた激励へと変えていく。

 

「でしたらこういうのはどうでしょう。エースとは、その高校で“最も強い”存在である、と」

 

「そのままやないですか」

 

「そうでしょうか。確かにそうかもしれませんが、それ以上に、自分が競り負けたら、後は“自分よりも弱い相手”に全てを託さなければならない存在。どうでしょう」

 

 思い切った言葉の物言いだ。

 確かに成績上、るう子はセーラに劣っている。しかし今年が最後のインハイであるるう子の覚悟と、後一年が残されているセーラでは、強さに対する重みが違う。

 その覚悟が麻雀における一時の優劣をつけるなど、ままあることだ。

 

「ですからどうでしょう。エースはむしろ後ろにいる自分より弱い相手に全てを任せなければ行けないと、傲慢にも思うべきです。そして同時に――」

 

 続けざまに、るう子は言った。セーラは大いに意識を傾けながらそれを聞く。聞き入るように、立ち尽くしていた。

 

「――自分の成績に全ての責任を負う。誰かに対してではなく、己自身に。それがつまり、」

 

 一拍、るう子の言葉は空白へ散った。

 

 

「――エースである、ということではないでしょうか」

 

 

 自分が負ければ、全てが終わってしまう。そのくらいの気持ちが必要である、と。るう子は考える。

 

 蔵垣るう子は他人とはどこか、一線を画するような雰囲気を持つと良く言われる。それがゆえで孤立を招くこともあるが、それを孤独であるとるう子が思ったことはない。

 とはいえそんな、孤高のエースが如き言葉を浮かび上がらせる自分は、少し悪い人間なのかもしれないと、苦笑する。

 

 納得したようなセーラに、満足気に頷きながら応える。

 それが四月終盤、千里山レギュラーのエースと元エースの間で交わされた、短いながらも意識に残る、会話だった。

 

 

 ♪

 

 

 南三局一本場が白糸台のチートイツツモで流され、オーラス。

 ここで勝負に出たのは千里山と臨海女子。どちらもリーチをかけ、片やノベタン、片やシャンポン待ちでの勝負となった。

 

 ツモ切りを繰り返しながら、少しだけ昔のことを回想したるう子は、それを飲み込むように考える。

 

(中堅としてのポジションが定位置になっている私は、エースとしての言葉をセーラに伝えることはできませんでした。あの時セーラに伝えた言葉は、第三者としての蔵垣るう子が、第三者の目線で語った言葉にすぎません)

 

 無責任かもしれないが、結局はそうだ。エースなんていうものを理解したことはないし、スプリングにおいてるう子は、かつべきところは勝ち、負けるような試合は負けるしかなかった。――端的に言えば、第二回戦までを千里山は問題としないし、アン=ヘイリー率いる臨海と激突した準決勝以降では、思うように稼げなかった。

 何かができたと思うには少し、経験が少なすぎたのだ。

 

(それでも、なんとなくは解ります。大将はチームの勝敗を一手に担う、“チームの責任”を背負う存在。そして先鋒は、自身が象徴となることでチームを引っ張る“自分の責任”を背負う存在)

 

 その中間に、この中堅というポジションはある。

 姫松のような特殊な編成にならない限り、中堅は、あらゆる意味で先鋒と大将をつなぐ存在になるのだ。

 

(私はたとえ一人であっても、それを違うと否定する。孤高と連帯が同居した、このポジションで戦うことが、やはりしっくり来るのですよね)

 

 伸ばした右手。

 ツモによる和了は――ならなかった。ハンナの現物だ、当然すぐさま切り出していく。そして直後。

 

 

「ロン!」

 

 

 宣言は、るう子から。

 さえずるように呟いて、牌を倒した。

 

 ――前半戦、終了である。

 

 

 ♪

 

 

「……いやはや、完全にマズイかなこれは」

 

 ――依田水穂:三年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――86300――

 

 気がつけば、だろうか。

 何もできずに半荘戦が終わっていた。あっという間のことであり、意識をする暇もなかった。そのせいか、一度休憩に入って、冷却期間を終えてようやく自分が参ってしまっている事に気がついた。

 

「これじゃあ、配牌も悪いだろうな。後半戦が大変だ」

 

 椅子に座り臥せったまま、天井を仰いで考える。後半戦、どうすれば良いか。

 少しだけ考えて、すぐに答えを出すのは諦めた。だす必要もないことだと、いまさらのように思い出したのだ。

 

「……こういう時こそ、私の“技術”を見せるところか」

 

 なるようになるだろう。一つでも上手くピースがハマれば、どこまでも強くなるのが依田水穂という雀士だ。それは今も昔も、変わらない。

 

 ――と、そこに、やってきた人影がひとつ。

 

「よろしくお願いします!」

 

 ――彦根志保:三年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 ――65300――

 

 どうやらそろそろ対局開始の時間であるようだ。白糸台の彦根志保だけではない、遠くには、千里山、そして臨海の選手の姿も見える。

 

 ――ハンナ=ストラウド:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――144800――

 

「それでは――」

 

 ――蔵垣るう子:三年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 ――103600――

 

「――――始めましょうか」

 

 

 

 

 席順。

 東家:蔵垣

 南家:ストラウド

 西家:彦根

 北家:依田

 

 

 ――東一局、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

 想定したとおりではあるが、水穂は配牌の瞬間に、ため息をこらえるのに苦労せざるを得なかった。

 それほどまでに、その配牌は酷いものだった。

 

 ――水穂手牌――

 {一三七④⑥⑨2579東南西(横西)}

 

(これは……なんか、聴牌を狙うのすら苦労しそう。海底バックとか……? イヤ、ナイナイ)

 

 水穂/打{南}

 

(役牌は、一枚だけじゃ正直掴むのは難しいか……とにかくここは、)

 

「チー」 {横二一三}

 

(少しでも前に進んでおかないと……!)

 

 水穂/打{④}

 

 せめてもの救いは、上家がこの中で最も練度の低い白糸台である、ということか。絞りという概念は、少し白糸台には難しいかもしれない。

 加えて、たとえ防御に徹するとしても、現状ツキが最悪の水穂よりも、イケイケの千里山、臨海の二校を意識することだろう。

 

 水穂/ツモ{③}

 

(ありゃ……いや、これも好機、めげたら終わり何だから、私のツモの性質上!)

 

 水穂/打{5}

 

(この卓に着いたメンバーのうち、二人が門前派で助かった。速度で上回るのは、そんなに難しいことじゃない)

 

「ポン!」 {西横西西}

 

(そのためにも、白糸台には自沈してもらわないと。さぁ、オタ風の副露だ。当然役牌を意識することくらいは、するはずだ)

 

 役牌など、攻めに転じる上で打牌に歯牙などかけないものだ。しかし、守りに入ると決めたのなら、徹底的に絞って、泣かせないのも王道である。

 

(……さて)

 

 ――るう子捨て牌――

 {1八東(西)}

 

(第一打{1}だし、多分手牌には真ん中の索子が入ってるはず。{3}が一枚、ってところか。あまり期待はしてないけど……)

 

 {九}はハンナが一枚打牌。水穂の見立てでは山の中にまだ{七八九}はごっそり残っている。バラけていればそれまでだが、バラけた糸を手繰り寄せ、手牌とすることも可能かもしれない。

 

 直後、水穂は{九}、{1}を連続で引き入れ、更に白糸台の打{2}を副露、イーシャンテンとする。

 

 ――水穂手牌――

 {七九79東} {横213} {西横西西} {横二一三}

 

(捨て牌に、{七八九}は一枚ずつ。対して{789}は一枚もなし。そこから考えれば一見{七}を切るべきにみえるけど、私はここで、こっちを払う)

 

 水穂/打{7}

 

 {東}である必要性は――? 聴牌まで、{東}は抱える必要がある。白糸台に少しでも手牌を萎縮サせるためだ。そして、もしも{東}が重なった場合、二翻も見えてくる。最高の打点と、最大の牽制を同時に行える以上。嵌張二つよりも、この{東}は強い。

 

 そして、

 

 ――水穂/ツモ{八}

 

(――聴牌!)

 

 最後に切るのは、{東}。ここまでていない牌であるということは――

 直後、白糸台が{東}を切った。水穂のツモ切りを挟んでもう一度。対子にしていた{東}を払ったのだろう。

 ――当然、水穂が{東}を払わなければ出ていなかった牌だ。

 

 四枚目は千里山がツモ切った。水穂のツモれる場所に、{東}は一枚もなかったということになる。

 

 そして最後。和了はそれから三巡後だ。

 

「ロン!」

 

 千里山からこぼれた{9}を即座に掬い上げ牌を倒した。元より、チカラの特性上ベタオリがしにくかった上に、{8}が壁となったのだ。

 

 とりあえずこれで一つ和了。

 感触を確かめるように、点棒を受け取ってそれを少し弄んだ。

 

 

 ――東ニ局、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

「決まったぁー! 東発の大事な緒戦を制したのは、絶望的と思われた配牌を掴まされた依田選手――!」

 

 実況室と、それから会場中。対局室を除いたあらゆる場所に、アナウンサー、福与恒子の声が響き渡る。

 

「かなり苦しい形でしたが上手くハマりましたね、イーシャンテンの際に嵌張を外したのは、ハンナ選手の手牌に{8}が三枚あることを見越していたのだと思います」

 

 健夜が冷静な声音で言う。対照的な両者だが、ピースが嵌ったようにこの二人の実況解説は心地よい。さすがは名の知れた名コンビといったところか。

 

「今回はちゃんと特急券の入ったいい形だ! このまま連荘で巻き返しはなるか――!」

 

「依田選手は一度連続で和了すると、そのまま手が付けられないほど勢いを付ける選手です。二連続で和了したとなれば、十分警戒に値すると思います」

 

 その健夜の言葉通りといったところか、先ほどの和了をそのままツキに変換した水穂は猛烈にツモを加速させる。

 最初に{發}を鳴いた時点で、勝敗は決しているかのようだった。

 

 決着は六巡目。

 

『ツモ!』

 

 ――水穂手牌――

 {四五六③④77横②} {横三一二} {發横發發}

 

『500、1000!』

 

「決まったぁ! グイグイと攻めるツモが心地よい! コクマを騒がす長野の雄! 依田水穂ここに完全復活ゥ――!」

 

「雄!?」

 

 ――そうして対局は東三局。後半戦も、折り返しにさしかかろうとしていた。

 

 

 ――東三局、親志保――

 ―ードラ表示牌「{九}」――

 

 

 ここまで連続で和了して、しかしそれでもまだ手牌には陰りが見られる。

 先ほどのドラ一ツモはまだツモが驚異的であったから助かったものの、此処から先は未知数の領域だ。

 

(喰い三色にタンヤオが見える。これを鳴いて行かないと――)

 

 機会は即座に来た。役牌を“重ねられない”るう子は攻めに転じる場合、それを切り出さなくてはならない。本来であれば歯牙に掛ける必要はなかろうが、ギリギリまで粘って、六巡目に飛び出した。

 

「チー!」

 

 直後のツモ。

 ドラの{一}を引き入れる。ここまで誰も切っていない、おそらくは誰かが対子にしているであろうと水穂は見るがそれでも――

 

(悪くない!)

 

 更に二つ、水穂は鳴いた。白糸台もおそらく、この親番攻めに転じるような手を引き寄せたのだろうが、それでも、

 

 ――水穂手牌――

 {一一一八九} {横五六七} {横⑦⑤⑥} {横657}

 

 水穂/打{九}

 

 そこからは、水穂も志保も、二度ずつ無筋をツモ切った。そうして三度目のツモ、水穂の手牌に動きが見えた。

 

 ――水穂/ツモ{一}

 

 このドラ{一}、カンをすれば跳満も見え、ドラが乗るかもしれない、そんなツモ。しかしそれを水穂は切った。

 あくまで他家を、誘い出すために。

 

(この局で跳満を自摸れば、それは確かに大きなアドバンテージとなる。けれども、それじゃあ意味が無い。連続で和了れる私の場合、次の手牌につながる可能性の高くなる、この選択が最善となる!)

 

 今の一局だけは見ない。次の局、そのまた次の局で、自分がいったいどんな立ち位置にあるか、それをしっかりと予測して、麻雀を打つ。

 水穂なりの、必勝法だ。

 

 そして、

 

 

「ロン!」

 

 

 読み違えた千里山が水穂に放銃。

 三連続和了、ようやく軌道に乗り始めたのを、水穂は心底実感していた。

 

 

 ――東四局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{⑧}」――

 

 

 ようやく迎えた優位な状況での親番。こうなってしまえば、もはや水穂を止められる手立てはそうそうない。

 

「リーチ」

 

 ――四巡目。

 高速での聴牌に、他家の顔がそれぞれ歪む。特に厳しいのは、これまで二度も放銃を許し、ベタオリが難しいるう子だ。対子ができない以上、オリに徹するのが難しい、――故の中堅起用なのである。

 

(今年の春に新生した龍門渕。私が引っ張ってきた県の強豪なんていう小さな肩書から逸脱したポテンシャルを持つチーム。未だに実感がわかないっていうのは、少しあるかな)

 

 水穂の思考。

 周囲の変化に自分は追いついているのか、いないのか。もしもこのまま何もできずに終わってしまえば、それこそ意味のない闘いだったと言わざるを得ない。

 変化のない闘いなど。

 

 ――あの時のことを思い出して、なお思う。

 

 悪化して、今の世界に閉じこもることも、改善して、新たな世界に足を踏み入れることも、今後の自分にとって、必要なことなのは間違いないのだ。

 

(どちらにしろ、やるしか無い。勝つか負けるかしか終わりがないというのなら、私は勝って、変えるだけだ!)

 

 先ほどまでの不調。それが精神的なものか、技術的なものかはさておくとして、水穂はようやく取り戻したのだ。

 元エースとして必要な全ての条件を。勝利のための、自分自身を。

 

 

「――――ツモ!」

 

 

 ――水穂手牌――

 {三四五六七⑧⑧234567横五}

 

「メンタンピン一発ツモは――4000オール!」

 

 宣言、そして直後。積み棒を取り出して、揺らめかせながら、所定の位置に置く。瞳が潤むように揺れ、焔とかして、燃え上がる――!

 

「――一本場!」

 

 

 ――東四局、一本場――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

 かつての自分が何を失い、今の自分が何を手に入れたのか、水穂はよくわかっていない。かつて失ったことで手に入れたオカルトは、今も水穂のチカラとなっているし、ようやく取り戻した、麻雀を好きだという気持ちが、昔のそれに劣るとは思わない。

 

 ――振るわれた右手。断頭台の斧が如き、宣告の一撃は、ただ牌を叩きつけるというそれだけの動作に、必殺の意味を十分込める。

 そう、

 

「――リーチ」

 

 ダブル立直である。

 この一本場、先制リーチを水穂が決める。

 

 満を持して。

 龍門渕高校元エース。依田水穂が、その右腕を大いに触るう。()()に叩きつけらた牌が、あらわとなり、そして――

 

 

「ツモ!」

 

 

 水穂の和了宣言となった。

 

 ――水穂手牌――

 {横四一二三五六七八九44777}

 

「――6100オール!」

 

 ここに来て、ようやく。

 龍門渕高校は先鋒戦終了時の点棒を上回る。依田水穂がそれを――怒涛の連続和了によって為したのだ。

 

 かくして中堅戦、東四局は一本場を終え、二本場へと移る――



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『思いの行き着くシュウチャク点』中堅戦③

「リーチ」

 

 

 ――東四局二本場、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

 一巡目、またしても水穂のダブル立直が炸裂する。反応を見せたのは白糸台、蔵垣るう子のはなった役牌を、即座に喰らいつき牌をずらす。

 

 そしてハンナ=ストライドもまた、ズラされ流れてきた牌を抱えながら、水穂をみやって意識を強く集中させる。

 

(一発がずれて、これでいつ牌を自摸るのかが解らなくなりました。おかげでこっちは当たり牌を掴まされたけれど、使い切れないわけじゃないですね)

 

 ハンナ/打{1}

 

 言うまでもなく、これ以上龍門渕の爆走を許す訳にはいかない。これ以上は、現在臨海が築いたトップという立場も、危うくなるだろう。

 

(多少、無茶でもいい。なんとしてでも私の和了で龍門渕を止めてしまいましょう。あまり負いたは許しませんよ……と)

 

 ――ハンナ手牌――

 {一三六lil()八②②⑦⑧⑨689} {(ili)}

 

 ハンナ/打{六}

 

(本当は先に{九}が欲しかったのですけど)

 

 志保/打{①}

 

 水穂/ツモ切り{東}

 

 るう子/打{7}

 

 すでに完成形を見ている水穂を除き、全員が手を進めてくる巡目、流れが静から動へ移ろい始めているのだ。

 しかし続くツモ。

 

 ハンナ/ツモ{2}

 

 不要牌。しかし問題はそこではない。――これは水穂の危険牌だ。

 彦根志保の副露によって引き入れたのは{8}つまり待ちは、{2}―{5}―{8}が濃厚。普通に考えれば{5}―{8}だが、勢いにのる水穂の場合、三面張は十分に有り得る。

 

 しかし、これを有効に活用することは不可能だろう。すでにハンナは一向聴。ここから回り道をするのは、すこし無理がありすぎる。

 

(――当たるか、当たらないか)

 

 判断することは、おそらく不可能。

 単純な賭けの問題になる。水穂の当たり牌は三面張か、両面か。もしも外れれば、親満クラスは覚悟し無くてはならない。

 

(……でも、きっと逃げてはいられない!)

 

 ハンナ/ツモ切り{2}

 

 逃げる訳にはいかないし、立ち尽くすわけにも行かない。進むしか無いのだ。そうでなければ、きっとハンナは――

 

 そうして直後。

 水穂は手牌に手を伸ばし――――それを開けることはなかった。確定である、水穂の待ちは{5}―{8}の両面待ちだ。

 

 更に巡目は進み。

 

「――リーチ!」

 

 ――ハンナ手牌――

 {一三六七八②②⑦⑧⑨68lil()} {(ili)}

 

 ハンナ/{横9}

 

(追いつきましたよ――!)

 

 思わずといったふうに、ハンナはじろりと水穂へ敵意を向けた。瞳に宿った執念のような炎が、水穂の姿を陽炎のように揺らめかせる。

 

 ――水穂は、どこか笑っているように見えた。超然と、しているように見えた。

 

 

「ロン」

 

 

 そして、宣言。

 

(――、)

 

 ハンナはそれから沈黙した。顔を伏せ、髪がゆらめき瞳を覆う。覆われた視界からは、水穂の姿はもう見えない。

 

 

 ハンナは――笑っていた。やり遂げたような、満足気な笑み。

 

 

「――――5200の二本、5800!」

 

 

 宣言は、ハンナ。

 まくりあいの末、水穂に直撃を突き刺したのだ。

 

 

 ――南一局、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 

 叩きつけられた牌が、爆音を拭きあげて顕とされる。

 

「ツモ! 1000、2000!」

 

 ――水穂手牌――

 {二三四⑦⑦56横7} {五横五五} {横345}

 

 一度勢いに乗った水穂は、一度の直撃程度で止められるわけでもない。たとえ手牌が“少し”悪くなろうと、それを有に超える聴牌速度でなければ、止めることはかなわないのだ。

 

 無茶をしなくては、そう考えていたのは決してハンナだけではない。白糸台も、千里山も同様だ。しかしそれは隙となる。全員が前に進もうとした時、浮き上がる牌を最も釣り上げるのは鳴きを得意とする水穂なのだから。

 

(――一体どこから、そんな副露のたねを持ってくるのです! こっちは、ひとつの鳴きすら苦労しているというのに!)

 

 この局。元より配牌の悪いハンナを除き、全員が副露での聴牌が非常に容易な手を用意していた。だというのに、副露できたのは水穂だけ。六巡という合間の間。一度でも手牌を短くできたのは、水穂の他にいなかった。

 

 思わず下唇を噛むほどの勢いで水穂を睨みつけるハンナ。――先ほどまでは、アレほど沈んでいたはずなのに、どうしてここまで精神を前向きに持ってこれるというのか。

 

 依田水穂は一体どこまで、その強さを心底に秘めているというのか。

 

 わからなくなるほど、見つめ返してきた水穂の瞳は、深く――そして澄み切っているようだった。

 

 

 ――南ニ局、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{6}」――

 

 

 単なる速攻による前傾でもっても、水穂を打倒することはかなわなかった。完全に水穂とそれ以外の一騎打ちが同時に三つ存在するような戦場とかした中堅戦。

 一度の失敗で冷静さを取り戻したのか、若干速度よりの方策をとってはいても、打牌自体は慎重なのが、千里山と白糸台。

 

 しかし、臨海女子、ハンナ=ストラウドはそうも行かない。彼女はその特徴的なツモにより、ある一定の選択を取らざるをえないのが彼女だ。

 

 そんな彼女が無茶をするとなれば必然的に、“一定以外”の選択は、相応以上の危険を伴うということだ。

 

「――ポン」 {發横發發}

 

 ――ハンナ手牌――

 {一三六六九④lil()南北北} Σ{發横發發}

 

 ハンナ/打{7}

 

 この対局。――どころか、インターハイでハンナは初めて副露を宣言した。追い詰められている、と言って良いだろう。運に見放された自分が、わざわざ副露で手を前にすすめる方法を取るなど。

 正攻法と、言ってしまうような副露をするなど。

 

 通常では――ありえないことなのだ。

 

 だが、この一瞬、この手牌においてはありうる。ハンナの狙いはむちゃな染め手、バカホンと言うやつだ。当然、通常よりも“運に見放された”ツモになる。

 そこがハンナの狙いである。

 

 たとえ――

 

 

「ポン!」 {7横77}

 

 

 龍門渕にドラを喰い取られたとしても、ハンナのツモは、ある程度戦えるだけのツモであるのだ。

 

 ハンナ/ツモ{二}・打{④}

 

 普段なら、ここまで自然に嵌張が埋まることはあまりない。もっと重厚に、粘って、粘って、粘って、気がつけば完成している、そんな後ろ向きの手牌であるというのに。今は違う。むしろ前に前にと、グイグイツモがハンナに応える。

 本人の無茶を引き換えにしながら。

 

「ポン!」 {④横④④}

 

 捨て牌から、水穂は対々和が濃厚だ。多少特殊な役だが、それでも十分なほどに、彼女のツモは強いはずだ。

 おそらくはもう、この副露で聴牌である。

 

 続くツモ、ハンナはツモ切り。水穂は盲牌だけをして、意識すら向けずツモ切り。直後に{南}をハンナが引き入れ、これで一向聴。そして、

 

「ポン!」 {六六横六}

 

 {六}を鳴いて、聴牌にまでこぎつけた。水穂はそれを歯牙にも欠けずツモ切り。ハンナもまた、水穂の聴牌など気にするつもりもなかった。

 

 和了はハンナの手牌から三巡後。

 もどかしくなるほど響いた打牌の音が消え、代わりに幾分か強さをましたハンナの牌が、卓を踊って跳ね上がる。

 

「ツモ! 2600オール!」

 

 引いたのは、休め。それでも十分だ。――十分すぎるほどに、ツモはつかめた。

 

 

 ――南ニ局一本場、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 臨海女子控室。珍しく――と言って良いだろう。アン=ヘイリーが、心配そうな顔つきでハンナの対局を見守っていた。

 それに目敏く気がついたタニアが、少しだけ意外そうな顔でアンに一言言葉をかける。

 

「珍しいね、アンがそこまで他人に気をかけるなんて」

 

 軽口、ではあるものの、どこか人の気を抜くような声音だ。むっとしたようにするアンも、どこか安心したようにそれへ言葉を返す。

 

「私にだって他人との付き合い方の違いはありますよ。私の知り合いは、そこまで心配の必要がない人が多いだけです」

 

「まぁ、それはそうかもしれないけどさ」

 

 言いながら、モニターの向こうで牌を握るハンナへとタニアは意識を移す。彼女を知る人間であれば、今の彼女が相応に無茶をして、相応に危険であることは解るのだ。

 

「しょうが無いとはいえさ、大丈夫かな、ハンナ」

 

「あの娘は、弱くはないのですけどね……最低ラインに対する最高ラインが、少し他人より低いのですよ」

 

 精神的に、“これ以上は駄目だ”というものに対する耐性は、ハンナの中であろうとも、“これが最高だ”という意識はハンナの中ではまだ薄い。

 幸せ以外のものを喪いながら、悪運によって手に入れた最低ラインの幸福を、実感することができないでいる。

 

「本当に、不器用なんですよ、ハンナは」

 

 無茶はしてほしくないとは思う。今のハンナはチームの勝敗以上に、別の何か――その何かは、きっとシュウチャクとでも呼ぶべき、何かなのだろう――によって牌を握っている。

 大崩れはしないだろうがそれでも、些細なミスが致命的なエラーを呼びかねないのはまた事実。

 

「そうせざるを得なかった、ってのはあるだろうけど、それでもやっぱりあと少しだけ、ハンナには強くなって欲しかったけどな」

 

 そのほうが、ライバルとして越えたくなるだろう。タニアはそんな風に言う。仲間としては、別に文句はないのだろうが。

 

「何にせよ、まだハンナは勝っていますし、ここで大きな一撃をもらおうと、ハンナの優位は変わらない。どちらにしろ彼女は“負けていない”んですよ、彼女の精神が折れていないのと同様に」

 

 漏らすように、つぶやく。

 タニアはよくわからない、とそういった。

 

 やがて決着は水穂の和了によってもたらされ――

 

『ロン、12300!』

 

 振り込んだのは、臨海女子、ハンナ=ストラウドだった。

 

 

 ――南三局、親志保――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 親番、しかも後半戦の南三局というこの場において、白糸台の彦根志保は思わず息を呑む配牌を得た。

 

 ――志保手牌――

 {四②③④⑤⑤⑥⑦⑨19發西(横④)}

 

(こ、これって……親満? 親ッパネ? いや、清一色に行ければ親倍もある。とんでもない手牌だ……!)

 

 上を見れば、見るほど攻めに転じられる牌。鳴くか? いや、両面の多い手牌だ。鳴かなくてもすぐに――

 

 

(――よし)

 

 

 ――聴牌できる。

 七巡。それだけの速度で志保は手牌を仕上げた。

 

 ――志保手牌――

 {②③④④⑤⑥⑤⑥⑦⑦⑨發發(横⑨)}

 

 もはや手牌がよく解らなくなってきてしまったがために、面子ごとにバラすという、初心者のような真似すらして、志保は手牌を作り上げた。

 聴牌である。問答無用に親満になりうる手が作られた。

 

(できた、できたできたできちゃった! 出和了りで、しかもダマでも高め親満。十分すぎるくらい。……けど、ほんとにそれでいいの)

 

 満足を持って受け入れられる手牌。しかし、それでは惜しいとも、思考の何処かで自分が告げる。悩みに悩んで、考えを巡らせる。

 

(一通にも、一盃口にも、すぐに変化しそうな手。それに、清一色にだって迎えるし……むしろ七巡目なら、清一色のほうがいい気さえする)

 

 ちらりと視線を落とす。

 見えるのは、自身の点棒状況。最下位だ、間違いなく、見間違うような隙もなく。

 

(どうするの? 少しでも和了って高い点棒で弘世さん達に回すべき? それとも無茶をせずに手を作っていくべきなのかな……わかんない、わかんないよ!)

 

 視界がぐるぐると回り出す。意識が複雑に回転を始めたのを自覚する。どうしよもなく考えを覆う異様なまでの感覚に、言い様もない不快感すらも浮かんでくる。

 

(選択肢が多くなればなるほど、それを考慮した結果、最善と呼べるものが解らなくなってくる。わかって入るけど、ちょっとばかりそれを決定するのは、難しすぎるよ――)

 

 ゆっくりと、志保の瞳が閉じられてゆく。眠気をごまかすようなそれ。ないしは、寝ぼけに身を委ねるようなまどろみの瞳。

 すぐに瞠目は見開かれた。

 

 

 だが、その時志保の眼に刻み込まれていたのは、困惑でも、思索でもなく――色のない空とでも呼ぶべき景色だった。

 

 

(―――――いや、それはだめだ。この手は、リーチはかけないし手変わりも考えない。ダマで、確実に高め出和了り、ないしはツモ和了を狙う)

 

 決断した。まるでそれが最善であることを、志保ではない何かが直感するかのように。――それは、志保の中にある最低限の最善を見つけ出す、直感的な探知機のようなものだった。

 

 この局。この親満でも十分に出和了りが望める。

 なぜならば、すでに水穂が聴牌しているようだからだ。しかもおそらくは跳満か、最低でも満貫以上。ドラを対子で副露しているのである。

 

 であれば、おそらく水穂は親満までなら勝負にでるはずだ。跳満以上はさすがにリターンが見合わないだろうが、親満ならまだ、めくりあいになる可能性はある。

 

(だからこそ、ここで選択は間違えない。私のできなかった仕事は、白糸台の後続達がこなしてくれる。――何せ、弘世菫と宮永照は、“最強”、白糸台のエースなんだから)

 

 志保/打{⑨}

 

 たっぷりと、というほどではないにしろ、悩みに悩んでの一打であった。当然周囲に聴牌は知れる。構わない。元より水穂以外からの出和了りは考えるつもりもない。

 必要なのは、可能性。水穂から和了れる――水穂を止めうるという、可能性なのだ。

 

(さぁ、後は私が自摸るか、龍門渕が掴むかだけだ)

 

 水穂/打{2}

 

(――出ろ!)

 

 志保/打{東}

 

(――出ろ、出ろ!)

 

 水穂/打{一}

 

(――出ろ、出ろ、出ろ!)

 

 志保/打{9}

 

(――――出ろッッッ!)

 

 水穂/打{發}

 

「――ッ!」

 

 一瞬、言葉が詰まって、しかしどうしようもなく感情が溢れだし、それだ志保の両手を突き動かすのだ。

 

 

「…………ロンッ!」

 

 

 感極まった勝利の宣言は、果たして誰の耳にも、届いていた。

 

 ――続く南三局、一本場。オカルト的な法則のない志保の手牌は、つづくツモにまでは響かない。当然のように失速したものの、堅固な守備で他家の有効牌を全てカット。

 結局和了したのは、そんな中でも的確に牌を拾い上げた水穂。

 “なんとか流した”とでもいうような様子で、三翻を和了った。さすがに二度の直撃は彼女の速度をソグには十分で、今の和了も満足の行くものではなかったのだろう。

 

 そして、オーラス。

 

 

(――負けてしまった。そんな気分ですね)

 

 一人、ごちるようにるう子は思考した。ここまでのマイナスで、前半戦の稼ぎも大きく逸して閉まっている。点棒は最下位でこそないものの、此処から先、厳しい戦いがあることは予想するのも難しくない。

 

(そんな老体に、ムチを打つようなこの配牌。他家のリーチがかかっているとはいえ、多面張ですか)

 

 ――るう子手牌――

 {二三四五六七九②③④234(横八)}

 

「リーチ」

 

 るう子/打{九}

 

(不思議なもの、といったところでしょうか。負けているのに、何も得られていないのに、この配牌は、少しばかり温かい)

 

 その理由は、きっと感慨にあるのだろう。

 三年間の集大成、終わってしまう一つの祭り。後悔するのも忍びない、小さな小さな、想いの行方。

 てっきり自分は血も涙もない冷血な人間であるとばかり思っていたが、振り返ってみればそれ以上に、誰かにかけた言葉も多い。

 

 世界がひとつではない以上。

 何かにつながっている以上、どんな人間であろうとも、少しくらいは、善と悪を両立させているのだろう。

 

「――ツモ」

 

 前半戦も終わる半ばに、なぜセーラとの会話を思い出したか。

 それがなんとなくわかった気がする。自分の中には、一人でありたいという思いと、そうありたくないという思いがあった。

 

 きっと誰だってそうだろう。

 

「メンタンツモの三色は――裏なし」

 

 るう子は絶対にエースではなかったが、エースになりたくないと思ってはいなかった。結果として、こうして半荘二回を終えて、マイナスという収支で対局を終えて――

 

 わかったことがある。

 

「――2000、4000」

 

 少なくとも蔵垣るう子は、自身があげるエースの最低条件を、満たしているということになる。

 

 

『――中堅戦、終了ッッ!!』

 

 

 ♪

 

 

 中堅戦まで、六回の半荘で多少なりとも明暗はわかれたようだった。

 

 最下位は白糸台。

 

 ――白糸台高校(西東京)――

 ――59000――

 

 こちらは副将戦、ついに白糸台のポイントゲッターである弘世菫と宮永照が登場する。巻き返しが始まる、というわけだ。

 

 三位は千里山。

 

 ――千里山女子(北大阪)――

 ――88600――

 

 先鋒戦、中堅戦に登場した千里山のスコアラーが敗北、かなり厳しい位置につけている。それでもまだ、千里山の三番手、穂積緋菜は健在だ。

 そして、

 

 二位、龍門渕高校。

 

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――121500――

 

 次鋒及び中堅戦前半で失速したものの、後半怒涛の追い上げ、収支トップすら奪っていった。一度は臨海女子を上回り、トップに立ったほどである。

 

 そして、

 

 トップは臨海女子。

 

 ――臨海女子(東東京)――

 ――130900――

 

 後半戦はマイナスだったものの、全体を見てもプラスの成績。

 その立役者、ハンナ=ストラウドは一人、どことも知れぬインターハイ会場の廊下に佇んでいた。

 

 意識が上向き、どこか呆然としているのは、その姿から見て取れた。

 

「――ハンナ、ここにいたのですか?」

 

 声をかける者がいる。アン=ヘイリー、ハンナのことを最もよく知ると言って良い親友だ。

 

「……どうしたのです? そんな、途方に暮れて、まさか後半戦の負けを気に病んでいるのですか?」

 

「それは……」

 

 そうだ、とはいえなかった。後半戦で敗北したことは、アンもまたそうであるからだ。頷けばきっと、そのことをやり玉に上げて宥められる。

 ハンナの悩みも、有耶無耶になってしまうだろう。

 

「……心配はいりませんよ」

 

 そう、考えてはいたのだが、しかし。アンはハンナを抱きとめるように、肩から体の後ろへ手を回した。

 あっ、とハンナの悩ましい吐息のような声が漏れる。

 

「私にとって、ハンナはたった一人の存在です。確かに瀬々や、タニアやシャロンは私のライバルであったり、友人であったりします。けれども、」

 

 続ける。

 

「“心配することができる”私の親友は一人しかいません。ハンナ、貴方だけなのですよ。私にとって、ハンナは絶対に替えの効かない、ただ一人の存在なのです」

 

 ――それこそ、父や、母のように、ただ一人しか、自分に存在することの許されない存在。それがハンナなのだと、アンは言う。

 誰よりも、大切な存在。

 口の中でそれを、繰り返すようにハンナは転がした。

 

「だから、心配しないでください。するならたっぷりと、自分ではなく無茶をする親友、アン=ヘイリーのことでお願いします――ね?」

 

 茶目っ気を含ませたウィンクをするアン。

 

 思わず吹き出した吐息は、笑みで、安堵で、感傷で。

 

 ――安心と余裕を取り戻したその時ようやく、ハンナは自分の闘いが、インターハイが終わったことを、自覚するのだった。



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『一点突破の直線雀士』副将戦①

 席順ぎめの偶然か、白糸台と龍門渕の、かつて共に卓を囲んだ者同士が正面に座ることとなった。

 副将戦、もっとも期待されるのは一昨年のインターミドルで行われた激戦以上の闘い。弘世菫と、龍門渕透華の真っ向から全てをぶつけあう決戦だ。

 

 席順。

 東家:ダヴァン

 南家:菫

 西家:紗耶香

 北家:透華

 

 サイコロが回る音をバックに、菫と透華の間――そして何より、そこにダヴァンと紗耶香を加えた四人が顔を合わせての、決戦が今始まろうとしていた。

 

 

 ――東一局、親ダヴァン――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

 三巡目、誰よりも早い段階で親のダヴァンが仕掛けた。牌を曲げ、リーチである。

 当然速度で彼女に誰も適うはずもなく、それぞれは一手遅れた状態から更に、ダヴァンを意識しての前進を強いられることとなった。

 

 直後、動いたのはまず、七野紗耶香。千里山において、去年の秋季大会から初めてレギュラーを手にした選手だ。

 

「ポン!」 {北横北北}

 

 リーチ宣言牌として切り出したダヴァンのオタ風を副露。振るった右腕の先から、牌が踊って滑って駆け抜けた。

 音は連続して二つ。角に辿り着いた副露と打牌。

 

 ――紗耶香手牌――

 {一二③⑥⑦⑨2白白發} {北横北北}

 

 紗耶香/打{二}

 

 直後の透華は安牌である{北}をツモ切りだ。すでに一発は消えているものの、ダヴァンは最初のツモを余裕をコメた笑みと共にめくり、しかしすぐにツモ切る。

 いちいち気障たらしい動作は、他家の心象を揺さぶるためのものだ。

 

「チー」 {横⑧⑦⑨}

 

 更に紗耶香の手が動く。

 リーチをかけたダヴァンなど、気にするふうですら無く。更に打牌の{一}を切る。

 

 

 そのダヴァンは少しばかりヒヤヒヤした様子で見ている。まさか攻めてくるとは思わなかった。基本的にダヴァンに筒子は全て通る。それがわかれば向こうもオリて来るだろう。そう考えてのリーチだった。

 

 攻めてくるのであれば嵌張待ちに引っかかってもらえばいい。“嵌張だから”ダヴァンはリーチをかけたのだ。打点が足りないのもあるが、両面待ちであれば、わざわざリーチでツモを待つ必要もない。

 ダマでもどこかしらで出さざるをえないだろう。

 

 とは言え困った。

 今の流れは紗耶香から当たり牌が出る気配はない。こういった、タダの雀士が独特な癖を持つというのは、ダヴァンのようなタイプからしてみれば、流れに拠る法則を崩されていけない。

 その上で強さを伴っているのだから、彼女も一般的にはオカルトと言われるたぐいではなかろうか。

 

 アンはそうではないというのだが、とかく。

 

 最終的にこの局、勝利したのは七野紗耶香だった。

 

「ツモ! 500、1000」

 

 染め手ノミ、いわゆるバカホンでの和了だ。{白}が対子になっていたのだが、高めを引けずこの結果となった。

 

 

 ――東ニ局、親菫――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 配牌を見やって、ふむ、と嘆息気味に思考する。

 落とされた先には、七野紗耶香にしてみれば違和感のある手牌であった。

 

 ――紗耶香手牌――

 {一二三八九④④⑧⑨3北北發(横四)}

 

(……少し匂いが薄い。これじゃあ和了りにもちょっときっついやろか?)

 

 手牌をふと眺めるようにしながら、打牌選択に対する思考を回転させる。

 

 答えが出るよりも先に、選択した牌が、河に出た。

 

 紗耶香/打{⑨}

 

(まぁそれでもやりようはある……か。それやったら、やってみよか)

 

 紗耶香/ツモ{六}・打{⑧}

 

 打牌から即座に、透華からこぼれた{北}を叩く。

 

「……ポン」 {北北横北}

 

 打牌は“当然”{④}だ。染め手を狙おうというのである。

 直後に出た{八}を副露し、数巡後。

 

(よし、聴牌)

 

 ――紗耶香手牌――

 {一二三四六3發(横五)} {横八七九} {北北横北}

 

 少しの逡巡もなく手牌から牌を切り出した。完全に狙い打った状況に持って行ったのだ。ここまでは、紗耶香が他者に一歩先ずる形になる。

 

(……あららぁ? 誰もオリへんの?)

 

 少しだけ疑問に思ったが、確かに見えてる限りでは単なる安手である。先ほどの染め手と同様だ。少しキツ目の牌をそれぞれが打ってくる。

 

 聴牌と読んだのではない、聴牌と読みをした上で、それぞれの判断上、押しを選んだだけのこと。

 加えて、押しを選ぶだけの度胸があるということだ。

 

(――それやったらしゃあない。調度良く、)

 

 引き伸ばした右手。掴んだ先には、一枚の牌が握られている。

 

 ツモは――{北}

 

 

「――()

 

 

 そう、宣言して卓の右横、晒した{北}の刻子に更に{北}を押し付ける。明槓だ。

 

(――私のドラも、来たことやし)

 

 紗耶香/ツモ切り{6}

 

 ――新ドラ表示牌「{2}」

 

 即座に、他家の瞳がかすかに揺れる。反応は、間違いなく紗耶香に対するものだろう。直後の透華は、紗耶香の現物を切り出してきた。

 ダヴァンも同様。紗耶香はここで一気に他家を引きずり下ろしたのである。

 

(……まぁ、さすがにここまで大々的にやると、技巧派は全然出さなくなるねんな。それはどこも同じやし、私の“ドラ4”は怖ろしかろうて)

 

 最終的にこの局を制したのは紗耶香だ。しかし、その手牌はある種の迷彩が施されていた。当たり前のように、そうであることが必定だと、宣言するように。

 

「――ツモ」

 

 ――紗耶香手牌――

 {一二三四五六3横3} {横八七九} {北北横北(横北)}

 

「2000、4000」

 

 声は朗々と高く、しかし威圧を持った重厚さを伴って拡がっていった。

 

 

 ――東三局、親紗耶香――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

「透華が言うには、あの七野紗耶香ってやつ、どうも打ち方が似てるらしいんだとよ」

 

 龍門渕控室、七野紗耶香の闘牌を眺めながら、井上純がひとりごちる。周囲の眼が彼女に向いた。

 

「どういうこと?」

 

 問いかけたのは国広一。視線を向けたのは彼女と水穂で、衣と瀬々は話半分と言った様子で聞いている。智紀はもとより純と共に、紗耶香の雀風を調べあげているのだ。

 

「あいつが良くネットで麻雀打ってるのは知ってるだろ?」

 

「あーっと、なんて言ったっけ? のどっち、ってすごい雀士がいるところだよね?」

 

 水穂がなんとはなしに問う。彼女はネットで麻雀をすることはあまりないので、よく知らないようだ。対して一は透華に付き合ってアカウントを持っているので、ネット麻雀と言われればピンと来る。

 しかし、七野紗耶香と似ている闘牌スタイルの雀士など、一の記憶には一切ない。

 

 考えこんで記憶をほじくり返す一をよそに、そうそう、と頷いて純が続ける。

 

「四麻であんな打ち方しても普通は勝てねぇぜ? だからさ、違うんだよ。七野紗耶香は“三麻”で有名な雀士に似てるんだ」

 

「……三麻? ――もしかして、“七色”さん!?」

 

 ガッテンが言った様子で、一がその名前を上げる。そのとおりだと、純は肯定した。

 

 ――七色。

 そのネット麻雀における四麻最強の雀士がデジタル神、のどっちだとすれば、七色と呼ばれるその雀士は“三麻最強”の雀士にして、そのネット麻雀で良くも悪くも最も知名度のある雀士だ。

 

「こいつの特徴は、とにかく染めを多用するんだ。狂ったように染めるうえ、それで勝つ。――つってものどっちみたく成績は安定してないから段位はずっと十段でストップだがな」

 

 一色――萬子を抜いたことにより、染め手が作りやすくなったとはいっても、三麻で毎回染めようとして、それが上手く行くはずもない。

 しかし、この七色という雀士はそれを可能とするのだ。“殆どの場合”染め手を上がる。狂ったように、和了り続ける。

 

「それで、その人は特に大会なんかではめざましい活躍をして、必ず優勝争いに絡んでくるんだって。一度同卓した人のほとんどが、もう二度と闘いたくないっていってたよ」

 

 一が引き継ぐように言った。ふぅん、と水穂が漏らし、ちらりと瀬々の視線が揺れる。別に聞いていないわけではない。それは衣も同様だ。

 

「変わりに、普段の打ち方が打ち方なもんで、ファンは多いが嫌いな奴も多い。……が、まぁそのほとんどは“一度も七色と戦ったことの無いやつ”だ。七色はとにかく“闘ってて怖い”手合だからな」

 

 トップをとりにガンガン攻めてくる、そんな雀士はどこにでもいるが、運に味方されたこれら雀士は相手をしたくなくなるほど強い。

 七色の場合、言うまでもなく“強い”のだ。この、運に味方されたガン攻め雀士以上に面倒な相手であることは言うまでもない。

 

「で、その七色さんと千里山の七野紗耶香がどう似てるっていうのさ」

 

「まぁ簡単にいうと、同じなんですよ、染め手を思うがままに上がるっていうところと――」

 

 思い出すのは、前局。七野紗耶香が和了ってみせた手牌。あれは――染め手ではなかった。いつでも染め手に変化できる手であったものの、染めず、喰い一通のドラ4として仕上げた。無論元より、それが紗耶香の狙いだったのだ。

 

 ――そう、

 

「染め手で和了るよりも、普通に上った時のほうが高い打点で和了る、ってところが」

 

 そうなのだ。

 七野紗耶香は染め手を思うがままに和了する。しかし、その打点はほとんどが染め手のみか加えて一翻。三翻程度にしかならない。

 彼女が和了する手牌の“ほとんどが”染め手ではあるものの、ごく一部、ときたまそうではない手牌で和了することがある。

 

 そのほとんどが、満貫以上。つまり、七野紗耶香は染め手を好むが、染めていない時のほうが打点が高いのだ。

 

「――おそらくは、」

 

 そこで初めて、瀬々がなんとはなしに口を開く。

 此処から先はオカルト、ないしは“オカルトめいた謎”がはびこる部分だ。説明慣れどころか、存在にすら馴染みのない普通の雀士には、いささか複雑すぎる話だろう。

 純は流れを操る雀士だが、法則系のオカルトに関しては門外漢だ。

 

「わざと、ではないだろうな。そういう風に“打てばいい”って感覚で打ってるんだ。正確には“三麻の時と同じように打つ”っていう感覚で、千里山の福証は闘ってるんだよ」

 

 “同調する”といえばいいのかな、瀬々は一言漏らすように付け加えた。更に純達へ向けていた視線をモニターに戻し、

 

「マンガなんかでもあるだろ? ルールも知らない素人主人公が、もともと得意としていたことを活かして才能を発揮するってタイプのスポーツ漫画」

 

 受け身を取るのが上手い気弱な少年が、それを活かして柔道で才能を発揮する――といったような、これは当然“特殊な才能を活かす素人”という意味では瀬々も該当するのだが、わざわざ本人は指摘しない。

 ――たとえを聞くまでもなく、だれだって瀬々を連想し、理解していることだろう。と、わかっていても、瀬々は続ける。

 

「こいつもそうだな、“三麻での技術”を感覚的に“四麻での才能”に変化させているんだ。無論ただそうしただけじゃ意味が無い。活かすべき才能そのものが、他人には無い特殊なオカルトめいたものだ、ってのが重要なんだよ」

 

 他には無いタイプだな、そう嘆息気味に瀬々は言った。そこで話はおしまいだ。ちょうど衣が歓声を上げるように――

 

「透華が攻めた――!」

 

 と透華のリーチを嬉しそうに語っている。先制リーチだ。追いかけるのは親番の紗耶香程度だろう。

 そして――――

 

 

 ♪

 

 

 染め手はいい、最高だ。

 いつ、どこであろうと、どんな麻雀であろうと染め手は紗耶香の必須役である。これがなくてはまず麻雀自体が成り立たない。誰がなんと言おうと、紗耶香は染めを狙っていくし、それが強さになるのだから、趣味と実益というのはなんとも良い感覚だ。

 

(さぁ、張った張った、私の染め手がまたできたで! 当然ここは、攻めていく!)

 

 ――紗耶香手牌――

 {三四五五六七八八八lil(西)} {(ili)} {横中中中}

 

 紗耶香/打{西}

 

 どこまでも透き通るような感覚だ。ここまでくれば後は匂いが染め手を追ってくれる。龍門渕の副将が、構わずこちらに攻めてきているものの、それでもすぐに自摸ることは感覚の上では明白の理。

 

(私の染めに何かをぶちまけたのかいな? それを咎めるつもりはないけど。ここで私が引き負けるつもりも無いで!)

 

 感覚の中で何かがなくなったのは理解している。おそらくはそれが龍門渕のチカラによるということも。おそらくは一年の分析マニアが言っていた“支配の支配”。

 

 不可思議を不可思議で抑えつけるそれを、その少女は“神の所業”とすら呼んでいたのだが、なんということはない。

 その神様も、一人の少女そのものを、奪うことはできないようだ。

 

 視線が交錯する。透華のツモ切り、打牌は{一}、現物ではない危険なところだが、そこではない。そこでは紗耶香に当たらない。

 

 ニヤリと笑むと、少しだけ静かな、氷に閉ざされたかのごとき視線で返してきた。――矛盾している。彼女の闘志はまさしく燃え上がるかのようで、浮かべる表情は挑発的なものだというのに、そこだけだ、瞳だけが常軌を逸している。

 これが異能、異質であるということなのだろう。

 

 しかし、気にすることはない。掴んだのは、透華ではないのだから。

 

「―ーツモ! 2000オール!」

 

 宣言。紗耶香のものだ。当然、彼女が自摸ったのは{四}。早速の和了である。

 しかし違和感はある。それは紗耶香が四麻をする上で感じ続けてきた違和感。物足りない部分を感じざるをえないのだ。

 

(……相変わらず、少し足りへん。さっきも安目を引いたし、今度も一番低い符数や。三麻のようには行かへんなぁ)

 

 思うように自摸れない、というのはもどかしいものだ。

 ともかくそれを考慮しても、十分な符数だ。何せ打点に変化はない。

 

 そういうものなのだろう。四麻を初めてすでに何度も、繰り返し何度も何度もそう言い聞かせてきたことだ。

 

「――一本場」

 

 生まれる違和感を振り払うように、紗耶香は積み棒を積んだ。サイコロが、その直後に回り始めた。

 

 

 ――東三局一本場、親紗耶香――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「リーチ」

 

 再び攻めるのは龍門渕透華。再三のリーチは、彼女の意思を表しているようにも見える。強い意志だ。瞳はひどく冷たく、触れたいとは思わないものの、それが意思を曲げているわけではない。

 神めいたなにかを制御しているからこその、冷たさと相反する熱。

 

「ポン!」 {發發横發}

 

 あいも変わらず七野紗耶香は染め手一直線だ。役牌ドラを鳴いてくれば、染め手以外も十分ありうるが、紗耶香はそんな打ち筋を絶対にしない。あくまで染め手と見せて、その上でどちらか二択とするのが彼女だ。

 それを鳴いては、染め手ではないと吹聴してまわっているようなものだ。

 

 ――高い染め手は和了らないわけではない。しかし、警戒される染め手は割にあわないというのが紗耶香の言い分。安いバカホンだと周囲に知られているからこそ、気兼ねなく染め手を狙うことができるのだ。

 

 ともかく聴牌。三翻であるから当然、そこまで高い手ではない。直撃をとれれば話は別だが。

 

 そこに、

 

 

「ポン!」 {7横77}

 

 

 待ったの声が、響き渡る。

 ――メガン=ダヴァン。臨海女子の二年副将。その副露は、一見意味のないものに見える。単なる副露だ。手が進んだか、どうか。

 

 しかし、透華も紗耶香も、そうとは一切思わなかった。ダヴァンの意思は、果たして“自分の存在を忘れるな”と言いたいのか、それとも“自分も混ぜろ”と言いたいのか、そこまではっきりしてはいないが、それでも二人だけの戦場に思えた副将戦に、彼女の存在を高らかに刻んだ。

 

 この局の終幕は直後。

 

 ――紗耶香/ツモ{8}

 

 沈黙。そして一度透華の捨て牌を見る。

 

 ――透華捨て牌――

 {三四7一(發)横東}

 {③4九}

 

(正直、当たるとは思えないんやけど。少し違和感あるねんな。……せやからこれは無視するべき違和感や。他に危険な牌はいくらでもある。それを危惧するよりもずっと、この牌は切って放銃するにふさわしい!)

 

 ツモ切りだった。

 そこをすくい上げるように、透華が和了した。

 

「ロン、リーチ七対子の一本場――3500!」

 

 ――チートイツ。わかりやすい手だ。いつ振り込んでもおかしくはない。特に今回は染めての迷彩。ドラが二つあれば紗耶香だって良く打っていく手。

 

 違ったのは、それが様々な取捨選択の末の、デジタルとしての透華の待ちと。染め手一本でド直球に進んでいく紗耶香の、違いであった。

 

 

 続く東四局。

 ようやくメガン=ダヴァンが動き出す。あいも変わらず染め手を目指す紗耶香に対し、待ったをかけるかのようなきれいな絞り。無論上家ではないためそこまで厳しいマークではなかったものの、全く綺麗に、完璧とすら言えるほど、紗耶香の有効牌をダヴァンは手牌に組み込んだ。

 

 そして八巡目、聴牌、しかしツモ切り。――否、それは聴牌を隠すための小手返し。特にネット麻雀に慣れ親しんでいれば、おそらくは気が付けないだろう精密なもの。

 

 透華は、それ以上に実際の小手返しを見てきたのだが。

 

 ――この局、ダヴァンの打牌はとにかくデジタルが光った。選択のほとんどが正解といえるような正着打。綺麗に紗耶香の有効牌を組み込んだのは、傍から見れば技術だろう。

 

 とうぜんそうだ。しかしその技術とはデジタルに対する技術ではない。――ダヴァンはデジタルを得意としている。通常はあまりひけらかさないだけで、高いアナログ技術の根底に、透華に匹敵するとは言わないまでも、一級品のデジタル技術が潜んでいるのだ。

 

 デジタルと、アナログの複合。流れを読み切り、正解の打牌をデジタルの中から選択する。確率を二つの方面から高めるためだ。

 その極みとも言えるのが、この手。流れの中から紗耶香への警戒を作り出し、牌効率の中から八巡という中々の速度による和了へとこぎつけた。

 

 振り込んだのは、紗耶香であった。

 

「ロン、――8000」

 

 ツモで跳満まで打点の行く手。惜しくはあるがそれは一面だ。透華からみれば、上手くやり過ごせたといったところか。この局の透華は攻めるような手ではなく、更にダヴァンの聴牌を悟って、ベタオリをせざるを得ない状況だった。

 その上で、紗耶香の放銃は非常にありがたい。跳満親被りの危機は、脱したのである。

 

 ――三者三様。

 それぞれが意思を交わして牌をツカミあった。振り込み、和了り、つかんで和了。二転三転するかのような状況が、それぞれの熱狂を高めている。

 

 透華の和了を挟んで、そして――

 

 

 ――それ、は彼女たちの前に舞い降りた。

 

 

 ――南ニ局、親菫――

 ――ドラ表示牌「{④}」――

 

 

 この局は、ようやく手牌に勢いの乗ってきた透華が先んじていた。六巡目。ようやく、とも言えるがとかく、これが聴牌間近――一向聴である。

 

 ――透華手牌――

 {三四五六六八②④⑤⑥⑧34(横⑦)}

 

(うふふ、悪くはありませんわね。高めドラの三面張もある手牌。当然、それにリーチで答えないのは無粋というもの)

 

 ――無いしは、ドラを副露しての速攻もいいかもしれない。ドラを鳴けば警戒するだろう。打牌に迷いがなければダヴァン辺りは迷うはずだ。

 状況が自分に味方している。透華はそう確信していた。

 

 だからこそ、打牌に一切の迷いはなかった。

 あくまでとうぜんの意識でもって、打牌を選び、切り払う。

 

 透華/打{七}

 

 ――――その時だった。

 

 

 透華の体を襲う“何か”、衝撃であるということは、少し遅れて、気が付いた。

 

 

「ロン」

 

 

 低い、ドスの効いた声音だ。

 

「――18000」

 

「な、はっ……!?」

 

 押し戻される空気の群れが、疑問の言葉を漏らして消える。透華がそうであるように、紗耶香も、ダヴァンも、驚愕、一点を見ていた。

 

 ――この副将戦、期待されていたのは技術と技術のぶつかり合いだ。海外からの刺客、メガン=ダヴァンと全国最強クラスのレギュラー、七野紗耶香は言うに及ばず。去年のインターミドルで活躍した龍門渕透華も期待を大いに受けていた。

 

 しかし、人々の中で浮かび上がっていた期待が、それだけであるはずもない。

 

 そう、もう一つある。

 

 ――この対局中、一切の発声も、動きすら見せずその姿を隠し続けた少女。ただ一点のチャンスと流れを待ち続け、そしてこの一瞬を確実にものにして見せた少女。

 

 かつてのインターミドル、龍門渕透華と同卓し、しかしその時は敗北した少女。

 

 ただ一点のみを少女は見ていた。この一瞬を待ち続けていたかのように、“射殺す”かのようなイメージが、透華の脳裏に浮かんで消えた。

 

 しまった、そう思ってももう遅い。

 

 彼女は和了しているのだから。――その姿をこの一瞬に、さらけ出しているのだから。

 引き絞った弓を放つように、ただただ待ち続けてきたこの瞬間で、和了という形を決めて。龍門渕透華に直撃させた。

 

 

 ――名を、弘世菫。

 

 

 白糸台のシャープシューターは、何もかもを貫くような視線でもって、ただ一言。

 

 

「――――まず、一人」

 

 

 それだけ、呟いた。



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『シャープシューター』副将戦②

 ――南三局流れ二本場、親紗耶香――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 一人落とした。今まで沈んでいた点棒も、親ッパネで盛り返した。次は千里山か臨海か――どちらであるにせよ、それぞれを一度ずつ撃ち落とす。この半荘の目標として定めたことだ。

 

(――手牌は、)

 

 ――菫手牌――

 {一五六八①②②④⑥⑧⑨4東(横⑦)}

 

(見た感じは一通の見える良い手と言えるな。ドラが二つあるが……タンヤオがつかない限りは聴牌した時に切り離そう。問題は、これで“誰が”狙えるかだ)

 

 困ったことに、どうやら自分自身のオカルトは使えないらしい。宮永照の照魔鏡によって切り開かれ、血の滲むような努力の末に体得したチカラを、無に帰されるのはいささか癪だ。

 しかし、それでも消えなかったチカラがある。一体誰がオカルトによる支配そのものを支配しているのかはしれないが、どうやらこのチカラが及ぶのは“卓上で牌を操作する支配”だけらしい。つまり、それが例えば牌の内一色を独占するのであれば、その独占は解除する。しかし、一巡先が見えるような、自己の中で感覚的に認識する“支配ではないオカルト”には通用しないようだ。

 

 よって、菫のチカラの一つである“浮き牌を読むチカラ”にまでこれは作用しないということになる。あとはその有効活用だ。

 できることは昔よりも多い。射抜くのに、必要な材料が増えているのだ。

 

(正直なところ、眼を養うだけでは限界があったからな。照には感謝してもしきれない。それでもあいつの足元にも、私は及ばないわけだが――)

 

 掴んだ牌を、そのまま勢い良く振り下ろす。肩の辺りに手を回し、それはいうなれば“矢を番えるような”動作であった。

 

(――――ここにいる連中を、なんとかするくらいなら十分だ)

 

 菫/ツモ{6}

 

(こいつではない……が、もう少し待機だな。少しだけ絞ろう)

 

 ――狙う方は、もう決まっている。紗耶香か――ダヴァンか。菫が狙うのは、この局もっとも手の進みが“凡庸”であるものだ。早くとも、遅くとも行けない。そういう意味では前局透華の、あの急加速染みた手牌の進み具合は、心胆を震わせられるものであったが、

 

 一度射抜いた以上、もう気にする必要はあるまい。

 

(――いや、もう一回射抜いておきたいな。あくまでこれは“借り”を返しただけだ。とはいえそれは、今ではないが)

 

 チームの状況。そして自分自身の思考を考慮した上で、菫はそう判断した。大将には、おそらく宮永照と唯一張り合える天江衣が龍門渕には配されている。しかも龍門渕透華は一昨年の自分が敗北した積年の相手。ここで一度、負かしておきたい相手ではある。

 とはいえそれは、後半戦での話だが。

 まずは七野紗耶香も射抜いておくべきだ。

 

(相手に私を意識させる。それだけでグッと動きやすくなる相手と、そうでない相手。特徴のある打ち手はほぼ、前者だ)

 

 ――照のように、意識させても無意味な相手。意識させないほうが有効な相手も少なからずいる。渡瀬々などがそうだ。彼女は柔軟な雀士であるから、一度捉えられると中々抜け出せないだろう。

 第二回戦で、奮戦したものの結局敗北した鵜浦心音がいい例だ。

 

(とかく――、七野紗耶香はこう狙う)

 

 ――菫手牌――

 {四五六八①②②④⑥⑦⑧⑨46(横3)}

 

 菫/打{八}

 

(こういう手合から直撃を狙う場合、通常浮いて出るのは染めている色以外の色だ。今の七野は索子染め。萬子か筒子で待った方がいいと思える。――が、それはこちらの手牌が早い場合だ。今はさほど速度は変わらないからな、あまり意味は無い)

 

 染め手を狙い打つ上で、必要なのは“浮いて出る他色の牌”ではないのだ。

 

 ――そう、浮いて出る“染めている牌”で待つ必要があるのだ。

 

(私を意識すればするほど、狙ってくるであろうと意識する牌は“自分に必要のない牌”であると思えてくる。そこが行けない。特にインターハイではその狙い方しか私はしていないからな――今回の場合、意表をつくには十分だろう)

 

 本来の菫の打ち筋を知る透華を、まず第一に射抜いた。このシュートを意識してみると、今までの――高校に入って磨いた打ち筋のものに見えてならない。

 意表をつく“直撃”であるだけのはなしだが、それを理解するには、オカルトを知る、照のようなチカラが必要になるだろう。

 

 この場に、そんなチカラを持つものはいない。

 

(もしも、私に狙われていることを理解できたとして、その牌が、どうして自分に必要な牌を狙っていると思う? 思わないだろう。そこが甘い、狩人は油断の中にこそ急所を見るのだ!)

 

 ――直後、聴牌。

 結局一通はつかなかったものの、代わりにタンヤオが着いた。タンピンドラドラの四飜だ。前局が透華のリーチ一人聴牌で終了した――彼女はデジタルの権化だ、流れを気にするほど手牌に意識は向いていない――ためリーチ棒と少しが菫の元へと還元される。

 これで十分に、旨みがあるのだ。

 

 そして――

 

 

「――ロン」

 

 

 射抜いた。打牌を終えた紗耶香の体を、もはや何もこさないとでも言うように、無色の一閃が菫の下から放たれた。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

「リーチ」

 

 意識させるのが良い相手。

 特にそれが顕著なのが、いわゆる技巧派といえるアナログタイプの打ち手。流れを気にして迷彩に当たり牌を隠す、そんなタイプの雀士だ。

 

 一応、菫もその範疇に入る。だからこそよくわかるが、とことん直撃を狙う相手に、そういったアナログのタイプは弱い。意識してしまうからだ。

 自分が狙われていることに、感覚か、経験からか、理解が及ぶ。理解できるからこそ考える。菫の狙いは一体何か――と。

 

(考えて守りの麻雀を打つタイプは、当たらないだろうという慢心の裏をかくのが良い、がしかしだ。問題がある。アナログの雀士はそういった当たらないだろうという慢心が薄い。むしろ、それこそが危険だと経験上理解している。故に切らない)

 

 ベタオリを狙うので無い限り、そういった牌は抱えられる。傍から見ていて、なぜあれを止められるのかと疑問に思うほど、彼らは手堅く打ち回す。

 

 ――だが、だからこそ隙がある。

 

 今回の打ち筋は、かつて――インターミドルの頃に多用していた狙いを絞るのではなく、狙いを付ける打ち方だ。

 端的に言えば、相手の進路上を事前に察知し、超長距離から矢を放つ。単純に言えばそれだけだが、それだけ以上に――読みが必要となる。

 

 かつての菫は、それを得意としていたのだが。

 

(――勘は、鈍っていないか……いや、鈍りようがない。私の勘は勘などという曖昧なものから、もっとカッコとした、論理的オカルトへと昇華したのだから)

 

 分からない、はずもない。

 ――ダヴァンの瞳が揺れている。思考しているのだろう。その道先にはいくつかの選択肢がある。中には菫に一切合切関わりを持たない選択肢もある。

 しかし、おそらくそれは選ばないだろう。

 

 大将の宮永照や天江衣。彼女らと渡り合うために必要な点棒は多く無くてはならない。ダヴァンだってそれはわかっている。だからこそ、削れる内に削るのだ。

 

 そこを狙って撃ち放つ。引き絞られた弓から放たれるのは、和了と言う一撃必殺。リーチは、彼女をおびき寄せるための罠にすぎない。

 

(オカルトとしての私を意識すればするほど、今の私には、その獰猛で狡猾な玄人の牙は柔らかく見えてならないぞ!?)

 

 視線の先、添えられた矢。

 放たれるは閃光、そこに向かうは、狩人の獲物とかした肉食獣。それは果たして――

 

 

「ロン」

 

 

 メガン=ダヴァンを、慈悲なく、甲斐なく、容赦なく。撃ち貫いて、仕留めてみせた。

 

「――7700」

 

 ――――弘世菫のしたことは、ごくごく簡単だ。リーチでメガン=ダヴァンに自分を明確な形で意識させた。それこそが、罠。隠れていた木陰から身を乗り出して、体を獣に差し出すかのような、罠。

 

 意識をさせて、捨て牌を“見せる”。後は簡単だ。その捨て牌から読み取った、相手が切るであろう牌を待ちにすればいい。

 ――では、相手が切るであろう牌はなにか。

 簡単だ。玄人は余程のことがなければ絶対に当たらないだろう、という牌は切らない。それを切って振り込めば、後にもう自分の流れがないからだ。

 

 流れを守るため、それでも雀士達が勝負にでるならそれはつまり、“一番通りそうに見える牌より通りそうに見えない牌”だ。この場合、それはつまり、二番目に通りそうな牌、となる。

 

 ――それを理解したのだろう。ダヴァンは少しだけ苦々しげに顔を歪めてから点棒を差し出した。

 

「前半戦終了、だな」

 

 菫の声は、三者に突き刺さるように響き渡った――

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:龍門渕

 南家:ダヴァン

 西家:七野

 北家:弘世

 

 順位。

 一位臨海 :120300

 二位龍門渕:112400

 三位千里山:83800

 四位白糸台:83500

 

 

 ――東一局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

(……困りましたわね)

 

 配牌しながら、思い出すのは先ほどの会話。前半戦終了後の休憩時間、かなり慌てたように透華の元へやって来た瀬々との会話だ。

 

『すまん! 弘世菫のオカルトを、あたしが理解しきれてなかったみたいだ!』

 

『いえ、あなたのそれも完璧ではないとは思っていますけど、理由は分かりますの?』

 

 不意を突かれたのは透華の手落ち。しかし不意をつく直前に、それを察知できなかったのは、ひとえに情報の不足があったためだ。

 弘世菫のオカルトは、他家の聴牌前に聴牌した場合、他家の浮き牌に合わせて“引き絞る”ようにツモり狙い撃つことのできる支配、というものであった。

 しかし、その際に狙う浮き牌を“知る”チカラがあるということを、龍門渕の面々は知らなかったのだ。

 

 原因は単純、瀬々にある。

 ――彼女はオカルトの根幹を全て解き明かす反則じみたチカラがあるが、今回の場合それが正常に作用しなかった。それに気がついたのは、透華が直撃を受けた後のことだった。

 

『理由は、だな。あたし達のオカルトが神のものであるってことは、透華も知ってるだろ?』

 

 言ってしまえば、借り物だ。人智を超えたチカラを、神と呼ばれる存在から間借りしている。透華と瀬々で、シェアしているのだ。そしてそれを貸し出す神がいる。

 その時透華は、言葉もなく頷いた。必要もなかった。

 

『つまりあたし達にチカラを貸し出す神が、秘密にしてたんだよ』

 

『――は?』

 

『自分の弱点を、さ。“支配が卓上にしか及ばない”ってことを』

 

 卓上に支配の及ばない雀士は、これまで誰一人としていなかった。正確に言えば臨海のシャロンがいるが、彼女はその特性がわかりやすかった。加えてそれを解るのが当然だったからこそ、瀬々のチカラは答えを示した。

 しかし、弘世菫のような、察知が“おまけ”に過ぎない類の雀士には、瀬々のチカラは反応しない。

 ――無論、今回のことで弱点が露見した以上、隠す意味もないのだろう。瀬々のチカラは菫のオカルトに正確な答えを出していたが。

 

(厄介なことには変わりありませんのね……オカルトそのものは、私が抑えている以上作用しない。――つまり、今私の眼の前にいるのはインターミドルの頃の弘世菫)

 

 透華/打{③}

 

(――の正統進化!)

 

「リーチ!」

 

 狙われているのは自分ではない。それは捨て牌からなんとなく読み取れる。オカルトとしての彼女ならばともかく、インターミドル時代の出和了りの牌を“引き出す”スタイルならば、読み取ることは可能だ。

 

 問題は、菫の和了に自分自身が間に合うか。何もできずに先に越されるという可能性もある。弘世菫とはそういう少女だ。

 そしてその菫は明らかに――

 

 

「ロン」

 

 

 ――二年前よりも、速い。

 

「タンヤオドラ一、2600だな」

 

 放銃したのは透華ではない。透華が切ればそこから和了るだろうが、掴まなかったために本来の目的、千里山の七野紗耶香から和了したのだ。今度は当たり前のように染めていない色を狙った。

 

 先を越された、そう思うも、もう遅い。掴めなかったのは事実。掴もうとして失敗したのは自分だ。嘆息と、それから意思を込めて一度瞬きをした。

 

 

 ――東ニ局、親ダヴァン――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

 今度は、自分が狙われている。それはなんとなく理解できた。

 

 ――透華手牌――

 {二三四六六七③④34567(横2)}

 

 ここから聴牌に持って行くには、{七}を切る必要がある――が、そこに菫の捨て牌が邪魔をする。

 

 ――菫捨て牌――

 {東西⑨六1④}

 {中六}

 

 通常、壁になっている{六}の存在から、{七}は切れるものだと考える。しかし、それが菫のねらいだとすれば、この{七}は切れなくなる。

 穿ち過ぎとも思えるが、弘世菫とはそういう雀士なのだ。狙うと決めたら、確実に、徹底的に、こちらを誘い出すように牌を引き出す。

 

({六}はどちらも手出し。意図してそれを切ったのは、多少ごまかしても見え見えでしてよ!)

 

 透華/打{六}

 

 しかし、それが結果として敗北を招く。わかってはいるのだ。しかし振り込むわけには行かない。おそらくだが、振り込んだ方がこの一局マイナスは多くなることだろう。

 

 だからこそ菫のツモは強いのだ。遠回りをすれば、それだけ透華の手が遅くなる。対して菫の手は速い。彼女の強さは、引きの強さでもあるのだ。

 

「ツモ、1000、2000」

 

 ――菫手牌――

 {八九③④⑤⑦⑧⑨22789横七}

 

(こちらが対子を作るのに四苦八苦している内に、辺張をゆうゆうとツモ。昔以上に、勝負強い。――感覚が優れている、とでもいうのかしら)

 

 負けていられない。

 なんとか前に進まなくては、弘世菫に和了させない。それは、自分自身の和了で手を進めていくべきだ。

 

 

 ――意識しての第三局。

 透華は積極的に鳴いた。早々に二つ牌を吊り上げると、即座に聴牌。タンヤオのみを菫に当てる。しかしそれはどうにも違和感のあるものだ。

 差し込まれた、とも取れる。とはいえあくまで推測。問題は、その打点がたかだか千点である、ということだ。

 

 ただ速度を意識しただけでは 打点を疎かにし無くてはならない。それではいくらでも直撃でこちらを穿てる菫に、手を伸ばすことができないのだ。

 

 届かない。届かせるには、打点が必要――それを手にすることができるのは、いわゆる流れに味方されたものだけ。運の良し悪しでしか、今の自分は彼女に届かない。

 

(……もしも、のどっちなら……そうではないかもしれませんね。気にすること無く、速度で弘世さんを上回れるかもしれない。……それなら、それならどうでしょう。七色は? ――七野紗耶香は、どうですの?)

 

 確証はない。

 彼女が七色であるとは思えない。わかっているのは、彼女が七色と同じ雀風で、三麻を得意としているということだけ。それでも彼女の三麻は、おそらく七色だ。

 

 嘆息。

 

 そこまで考えて、他者に向けた考えを、差し戻して終わらせる。イケナイ、そんなことでは。らしくない思考だと、自分で自分を罵倒する。

 

(気にしている暇はありませんわ。今は機を待つべきです。たとえ弘世菫に勝利できなくとも、一瞬でも和了に辿り着けることは解った。それならば、勝てる土俵で、あの人を上から見下ろすまで――!)

 

 菫が連続で和了しようとも、意識を切り替えて前に進もうとする者はいる。むしろ、この卓に、諦めるということをする人間はいない。

 

 七野紗耶香も、メガン=ダヴァンもそうだ。

 

 

(――弘世菫が超強い。今まで黙ってたのは何でだってくらい強い。多分機会をじっと待ち続けて、流れを一気に引き寄せたんやろうけど、それをとっても圧倒的や。――けど)

 

 ツモが、風を伴って下へ流れる。振り上げた手が手牌へと降ろされて、配牌、全十四枚の“スタート地点”があらわとなった。

 ニィ、と口元を釣り上げて笑みの形を、精一杯の挑発を作る。誰のものか、――虚勢でなければ、きっとそれはあらゆる皆に対してのものだ。

 

(――――けど、それでも決して、和了れずに終わるわけやない。準決勝の、宮永照みたいなことは、この人には絶対できへん。せやから!)

 

 瞳を、焔の赤に染め上げる。情熱が、体中の血液にどうかするのを紗耶香は感じた。それくらい体が興奮に火照っているのだ。

 

 見えている地平も、また赤い。染め手の赤。萬子の一色。

 

(こんな時こそ、私の染めが手牌を拓く! いつだって、何時(なんどき)だって、ピンチであっても、私の麻雀は揺らがへん!)

 

「チー!」 {横二一三}

 

 ――この局、ドラは萬子、{九}であった。当然、そこで染めていくということは、ドラの圧迫感を他家に晒すということだ。

 果たしてそれは、染め手の高打点か、はたまた迷彩の打点か。

 

「――そいつもや! チー!」{横四五六}

 

 ここまでくれば染め手と迷彩、そのどちらもがあることは容易に知れる。{九}が暗刻になっていれば、一通ドラ3はほぼ確定、そうでなければ、染め手に振り込んでジエンドだ。

 

 どちらを取るか。警戒か、前進か。

 

 ――結局。

 

「ロン! 2000」

 

 前進を選び、前進を選んだ龍門渕透華に対する和了で、東場が終わった。

 

 

 そして南場。

 ここではメガン=ダヴァンが動き出す。

 

(意識を切り替えてみましょう。別に弘世菫が無敵であるわけでもないのです。加えて手牌を守りに寄せれば、そうそう直撃をもらうこともない)

 

 ダヴァンの決めた意識的な打牌。それはチートイツであった。対子という、牌効率以上に純粋な運が必要となるシロモノを大きく左右するのは読みだ。

 山読みはデジタルにおいても可能だが、アナログ的な感覚の読みも決して無駄ではない。

 世の中には対子をこよなく愛し、対子をあるがままに操る雀士もいる。それは、きっと感覚でなければできないことだ。

 

(――三つ以上の対子があるのであれば、チートイツに決め打ちとします。私を狙っていることが捨て牌から読み取れた場合、適時必要な牌を選択していきます。――オリ打ちのようなものですね)

 

 ここまで守りに偏らなければ、弘世菫は打倒し得ない。

 それほどまでに彼女は強大だ。白糸台が誇る二枚看板――たとえその片方が大きすぎるものであったとして、もう片方が小さいわけでは決して無い。

 これまで相対した中でも、一二を争う強敵に、ダヴァンは驚嘆と闘志を同時に覚えるのであった。

 

 ――打牌が淡々と進み、一度の鳴きもなく十巡目。

 

(聴牌、しましたね)

 

 出来上がったのは、満足の行く待ちとなる牌。山の中にはどちらも三枚ずつ眠っているはずだ。どちらを切っても問題はない――が、ダヴァンは即座に選択をした。

 迷う必要など、端からなかった。

 

「リーチ!」

 

 果たしてそれが正解であったかは、すぐに分かる。

 ――一発の牌をダヴァンは翻す。和了である。

 

「ツモ! 2000、4000!」

 

 菫もさすがにこれは手の出しようもあるまい。――かくして二度、彼女は不覚を取ることになる。無論魔物の域に達しない菫であるのだから、当然といえば当然であるが、それでも、彼女の瞳を揺らすには、それは十分なほどだった。

 

 

 ♪

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{④}」――

 

 

 菫はすこしばかり歯噛みをし、それを隠して龍門渕透華を見る。前局、――今はオーラスの二本場だ――直撃が取れなかったことを含め、南場に入り、どうも思うように和了することができなくなっていた。

 警戒度が上がったというよりも、周囲の調子が上がりはじめているのだ。菫自身流れを失っていないからこそ、前局も満貫クラスを和了できたものの、コレ以上は限界であることが明白だ。

 

(後は照にまかせてもいいがその前に――しておくべきことがひとつある、な)

 

 前半戦が終わってから、今の今まで弘世菫はもっとも直撃をとりたかった相手から直撃をとれないでいる。どころか、逆に自分が放銃を許しているのだ。ある程度想定の上での放銃とはいえ、それではいけない。

 出和了りで敵を刈り取る、弓の狩人としてのプライドに関わる。

 

(――浮き牌は、{五}か。なるほどちょうどいい)

 

 ――透華の手牌は、さらされている牌が{4}、ポンで他家から食いとったものだ。それ以外は静かな手牌。浮き牌が一枚であるというところから一向聴だろうと推測できるが、そのおかげで随分と菫は楽ができそうだ。

 

 ――菫手牌――

 {四六④⑤⑤⑤⑥456678}

 

(こいつなら、確実にそれを仕留めることができる)

 

 ここまで、龍門渕透華は大きな失点を背負っている。大将につなげることを考えるなら、当然ここは攻めなくてはならない。

 

 だからこそ、捨て牌に小細工はいらない。真っ向から喰われにやってくる餌を、まっていればそれでいい。

 そう、考えた。

 

 ――それが、全ての間違いであることに気が付かず。

 次の瞬間だった。菫の思考していたあらゆる前提、それを崩しうる絶対的な答えが、龍門渕透華から示される。

 

 

「――――カン」 {五横横五}

 

 

(……は?)

 

 ――新ドラ表示牌:{2}

 

 一瞬、理解が遅れた。

 それからすぐにその意味を察知する。嵌められたのだ。浮き牌――つまり聴牌に進むために不必要な牌。その内容までは菫とて理解できる。しかしだ、それが果たしていかなる意味を持つかまでは、菫に判断を付けることはかなわないのである。

 

 よって、こうなる。

 ――槓材を、浮いた牌と勘違いする、事態が起こる。

 

 当然、嵌張待ちの菫はこれで手が純カラ、更に透華は手を完成させているということになる。嶺上牌のツモ切りは、その宣言とも言えた。

 ――――前局。龍門渕透華は“当たり牌を最後まで出さなかった”今のカンとその時の粘りはまた違うものであろうが、透華はこの後半戦、菫の打ち筋に対応してみせたのだ。

 

 それは、染め手を強引に進め、自分の麻雀を押し通そうとした七野紗耶香にも。

 受けの麻雀で、後手の攻めしかすることのできなかったメガン=ダヴァンにも。

 

 できなかった芸当だった。

 

 ――だが、それでも菫はまだ歪まない。

 まだ、全てが終わったわけではない。

 

 菫/ツモ{四}

 

 張替えだ。

 勢い良く掴んだ牌。

 

(――どうやら私は、とことん龍門渕透華を“倒しきれない”らしい。だからこそ、ここは絶対的な点差の決着を、みせつけてやる他にないな)

 

「――――通らば、リーチ!」

 

 菫/打{六}

 

 次の瞬間だった。吹き上がる風、まるで周囲をさまよう無数の直線で出来上がった闘いの空気を、全て同一の方向に向けるかのような突風。

 

 白糸台へ――

 

 

「――通りませんわね」

 

 

 ――龍門渕から、一条の、直線だった。

 

「ロン」

 

 ――透華手牌――

 {七八②③④33} {五裏裏五} {4横44}

 

「――5800」

 

 ――――後半戦、終了だ。

 

 

 ♪

 

 

『なんと、なんと、なんということだぁぁぁああああああああああ!』

 

 実況、福与恒子の声が会場どころか、日本中、インターハイを見守るあらゆる人間の下へと響き渡った。無理もない、それだけ日本が、興奮で一体と化しているのだから。

 

 原因は、単純だ。

 

 ――千里山女子(北大阪)――

 ――76200――

 

 ――臨海女子(東東京)――

 ――122000――

 

『副将戦後半が終了し、トップは臨海、四位は千里山。それぞれ苦闘の末そこに位置を追いた。しかし、それ以上に驚異的なのは、龍門渕と白糸台――!』

 

 白糸台控室。

 副将戦の終わりを持って、最後の少女、一人の雀姫が立ち上がる。魔物とすら呼ばれる日本最強の一角。――宮永照だ。

 

『弘世菫の驚異的と言える追い上げの末、これまで最下位を甘んじていた白糸台は最下位を脱出――どころか、』

 

 龍門渕控室。

 そこには、一つの何かがあった。雀士として、鬼と、人の到達点を併せ持つ究極の少女。その全貌はもはや誰も知ることはないだろう。――天江衣だ。

 

 両者が、ほぼ同時刻、まったく同じタイミングで、立ち上がる。

 

 ――福与恒子の実況は続いた。

 

 

『龍門渕と、同点三位だァ――!』

 

 

 ――白糸台高校(西東京)――

 ――100900――

 

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――100900――

 

 ――インターハイでは、基本的に順位はその対局が終わった時点での席順で決まる。このような場合、先ほどまで東家として座っていた龍門渕が、現行の二位ということになる。

 無論、大将戦が始まった時点で白糸台の席順が前になれば、白糸台が二位となるが、ともかく。

 

『両者、大将にはとんでもない怪物が控える高校です。それが、まったく同じ点数、ほぼ原点といえる位置で並び合っている。このまるで運命染みた状況は、きっと天の神すら予想し得なかったことでしょう!』

 

 照が、衣が、控室出入口前で振り返る。

 照はひとつお辞儀をし、衣はニカっと楽しげに笑った。

 

『さぁ、決着の時は来た、野郎ども刮目しろ! 全ての決着が、この先、インターハイ決勝、大将戦にある――――!』

 

 二人が、控室を出る。

 

 

 ――日本最強を決める最後の戦い。そこへ赴く魔物――牌に愛された少女たち。仲間たちの下を飛び出して、決戦の場へと足を進めようとしていた。




南雲機動部隊の凱旋はいつもどおり十六時更新です。


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『最後の風』大将戦①

 空に月が昇る頃、インターハイ決勝の舞台に上がった四校。その大将が戦場へと赴く時が来た。

 すでに、決勝の卓には、千里山と臨海の大将がそれぞれ席に付いている。

 

 準決勝。天江衣相手に何とか食い付き、神代小蒔を何とか振り切り、この決勝に望みをつないだ臨海の大将。

 

 ――タニア=トムキン:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――122000――

 

 片や、ここまで苦しい戦いを続ける千里山の大将。その部長であり、千里山全体を取りまとめる、文字通りの“総大将”。

 

 ――穂積緋菜:三年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 ――76200――

 

 その二人が見下ろす先にもう一人、少女がいる。肩までかかったセミロングに、特徴的な一房の跳ね。

 どこか物静かな雰囲気と、気だるさを思わせる瞳。しかし、そこから除くのはあまりにも直線的な“敵意”の瞳だ。戦場で人を射殺すほどの、眼光が漏れだして、広がっている。

 

 名を、宮永照。

 前年度インハイチャンプにして、白糸台優勝の立役者。つまり、“日本最強の高校生”。どころか、かつて世界最強の高校生を名乗っていた、アン=ヘイリーを打ち破った、化け物クラスの雀士。

 

 ふと、足を止めて振り返る。言葉はない――必要ない。

 

 それは、

 

 ――きっと誰よりも爆発的で、

 

 ――きっと誰よりも、直接的なものだった。

 

 

「――諸人も、いまこの時を待ちわびていたことだろう」

 

 

 宮永照がいて、タニアも、緋菜もそこにいる。であるとすれば、今ここにいないのは、ただ一人しかありえない。

 

 天江、衣だ。

 

「衣もそうだ。そして同時に、郷愁の念にもかられるよ。思えば――遠くまで来たものだ」

 

 ゆっくりと、宮永照に近づいていく。両者の背丈は、頭一つ分では足りないほどに違う。見上げるものと、見下ろすもの。

 しかし、立っている場所は同一だ。ただ、そこに持ち込む背景が違うだけ。

 

 最強と、誰にも知られる一人の雀士と。

 今その最強に、牙を立てると目される雀士。

 

 どちらも、徹底的に強く。可憐で、情熱的だ。

 

「否やは無い。今ここで決着をつけよう。――宮永照」

 

「……こちらこそ、全力であなたを倒す。――天江衣」

 

 どちらも、手を差し出すことはなかった。

 ただ言葉だけを交わして卓上に向かう。本来交わすべきそれは、しかし卓上で、形を伴わず為されるものだ。

 

 もはや言葉は必要ない。

 

 照も、衣も、ただ無言で席ぎめを行い、そうして席に着く。

 

 

 ――決勝戦。スタートだ。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:天江

 南家:トムキン

 西家:穂積

 北家:宮永

 

 順位。

 一位臨海 :122000

 二位龍門渕:100900

 三位白糸台:100900

 四位千里山:76200

 

 

 ――東一局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{4}」――

 

 

 始まった。

 最後の戦いだ。泣いても笑っても、誰がどう見ても否定のない、正真正銘最終決戦。無論、この後には個人戦が控えているが、留学生である自分には関係ない。

 

 連鎖は十分、二万点オーバーの余裕がある。ただし、二位は原点まで点棒を戻しているし、三位も同様だ。そしてその二位と三位はバケモノ。一人ですらこの点差で逃げ切ることは難しいというのに、二人で襲いかかってきたのでは、無茶も無茶としか言えないほどだ。

 

 それでも、

 

 ――タニアの顔は、曇らない。

 

(だってそりゃあそうでしょう。関係ないモノ! そんなこと、勝敗を決めるには少し遠いからね!)

 

 だから手を作る。三巡でスタートを切り、即座に仕上げる。

 

(そもそもアンが大将で私が先鋒でしょう! とか。まずサトハが入ってない時点でオーダーが間違ってるとか、そういう臨海特有の事情も全部関係ない! 勝てる気がしないっていう私の心情も、関係なぁいッ!)

 

 ――タニア手牌――

 {一三五③④⑥⑦⑧24588(横四)}

 

(これはタンピンしかありえないね! ドラ1に、スマートなツモ。跳満か、最低でも満貫くらいには仕上げたい)

 

 速度は、気にする必要はないだろう。天江衣が即座に仕掛けてきていない。この局は宮永照が仕掛けないのだ。その上で、待ちの体勢を取っているということだろう。

 何せ、相手はあの“凡人”緋菜とタニアである。加えて、きちんとした下地の元に麻雀を打つデジタル活用派。絡め手で、掬い取るのが衣の流儀だ。

 

 ――つまり。

 

「ポン」 {横444}

 

 衣/打{5}

 

 このように、ツモ番をずらし、手を“誘う”。

 

 直後。タニアのツモに、違和感。この感触は――聴牌だ。盲牌による情報と、それを察知する感覚が、無意識の内に現状を認識に導くのである。

 

 ――タニア手牌――

 {三四五③④⑥⑦⑧24588(横⑤)}

 

(――、)

 

 一瞬、思考するかのように手を止めた。その瞳は衣を向き、何かを考えるようにしている――ように見える。

 端から見れば、そうとしか見えない。そうとしか言えない。

 

 だが、違う。

 タニアの真髄はそこに在る。彼女は雀士としてはかなり高みにその存在を置いている。少なくとも、今年の二年生エース達や、有象無象の名門レギュラーなど歯牙にもかけない。

 強さがあるのだ。ただ単純に、そうであると一言述べるだけのチカラが。

 

「リーチ」

 

 言葉に、チカラは込めなかった。彼女の中には余りあるほどの情熱と、身体を芯から火照らせるほどの熱情が溢れているにも関わらず、それは表に現さない。必要がないからだ。

 一度前進する事を決めた彼女に、その劣情は、必要ない。

 

 タニア/打{5}

 

 三色を捨てた。これは単純に、あまりにも都合の良すぎるツモを、回避したというだけのこと。当然といえば当然か。相手は天江衣なのだから。

 そう、稀代の幻影。泡沫の如き月影の雀士、それが衣だ。変幻自在の絡め手は彼女の十八番と言って良い。

 それを回避するための、現物でのリーチ。たとえ嵌張であっても、正道を避ける。それが邪道へのまず第一の対処法だ。

 

 しかし、それであればこのリーチは下策だ。

 ここでリーチをかける意味は無い。リーチこそ王道中の王道。麻雀は、リーチか役牌か、そのどちらかが麻雀を体現する役と言って良い。

 であれば、衣に対してそのリーチを打つのは些か思慮不足という他にない。一度かけたリーチは取り下げられず、後は身動きの取れない的とかすだけなのだから。

 

 けれども、違う。

 タニアの狙いはそこではとどまらない。彼女は最初にこの光景を幻視した。ある程度予測を立てていたのだ。衣がタニアに仕掛ける方策のうち、もっとも単純な物がコレだろう。

 だからこそ、真っ向から受けて立つ形でタニアは進路を決めた。そう、リーチは既定路線である。

 

 そしてもう一つ。

 この状況に必要な既定路線がある。

 

 

「――チー」 {横567}

 

 

 “凡人”が策を弄することだ。

 まるで狙い定めたかのような行動の素早さであった。電光石火のごとく本人の右手から放たれたドラの副露は、水しぶきのように跳ね、やがて所定の位置に収まる。

 

 ここで緋菜が何をしたか。――至極簡単なことだ。一発消しである。手牌が悪く、勝負には出れない。しかし相手の勝負を邪魔するための、一発消しくらいは最後っ屁で披露する。

 

 ここまでが、タニアの既定路線。

 全てが上手く嵌る訳ではない。一度戦略を決定し、しかしそれが完全な下策に終わったとしても、タニアは手を止める訳にはいかない。止まってしまったが最後、タニアの持つ雀士としての勢いが、全てかき消されてしまうのだ。

 

 ちらりと衣を見る。苦々しげに、緋菜を見て唇を噛んでいる。それもそうだろう。まさかここまで、緋菜が“ボンクラ”であるとは思いもしなかっただろうから。

 実際タニアも、ここまで上手く戦法が嵌るとは思っていなかったのだ。

 

 緋菜は、モニター越しに対局を見るのと、実際に同卓するのとでは百八十度印象が変わる雀士だ。たとえ衣に百を知る策士が手を貸したとしても、衣自身がその策士の言葉を真に受けられないほど、緋菜の麻雀は、実際と見識とでは、その姿を変える。

 

 無論、実際に目で見て、そして理解してしまった衣に、二度目は通用しないであろうが――問題はない。衣に通用せずともいいのだ。彼女はこれから間違いなく攻略側に回る。強大な敵となることはない。

 

「――ツモ! メンタンツモ裏2。2000、4000!」

 

 何せ、ここまでが衣の戦場で。

 

 

 ――ここからが、宮永照の戦場であるからだ。

 

 

 宣言の直後。ぞくりと身体を奔る、何かを感じた。

 

 

 ――東二局、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

 照魔鏡。

 宮永照の持ついくつかの異能“とされる”チカラの一つだ。瀬々曰く、それは他者からの視点によるものであって、実際は極限まで高めた技術を、オカルトにまで昇華させている、らしいのだが。

 これもまたその一つ。特に“(ケン)”と呼ばれるような他家を見定める作業をオカルト化させたもので、照魔鏡というのは、神話に於けるそれが、照の異能に近しいからと、ある麻雀プロが名付ける名だ。

 

 そしてこの場合、それは東一局を見に回すことで、他家のチカラを見透かすものになる。

 

 たとえば、衣の人を化かす麻雀であったり。

 たとえば、タニアの直線的選択麻雀であったり。

 

 穂積緋菜の――麻雀であったりする。

 

「チー」

 

 副露、鳴いたのは宮永照だ。緋菜の第一打を、即座に鳴いて動かしている。

 

 やばいと、“表情には出さす”考える。その様子はまさしく、凛々しく、そして鋭い大将の姿だ。

 少なくとも、他者には緋菜がそう見える。彼女の姿は、強豪千里山が大将にふさわしく。強者を束ねる部長の姿に相応しい。

 

 だからこそ、その内面を知るものは、凛とした姿に壮絶な違和感を覚える。

 

 それほどまでに、

 彼女の精神は、

 

(――どうなんですか!? どうなんですか!? 宮永さんにチーされて、一体私はどうなっちゃうんですかーッ!?)

 

 ――平々凡々を、行くものだった。

 そう、穂積緋菜は凡人である。但しそれは、龍門渕が第二回戦で対決した、晩成高校のメンバーや、姫松の先鋒などとは少し違う。

 あくまで本人が、自分自身を“凡人である”と自認しているというだけのこと。

 

 そしてそれを否定することのない材料として、彼女には特筆すべきオカルトは存在していなかった。ただ、超強豪校の部長を務める程度の、人一倍強い責任感があるだけだ。

 

 ――余談ではあるがこの決勝戦。宮永照が照魔鏡を利用し驚いたことが二つある。一つはタニア=トムキンが、あの三巡選択スタイル以外のスタイルを持っていないということ。そして穂積緋菜が、本当に何のチカラもない凡人であるということだ。

 

(私がこんなところに居るのは、何だか場違いなようにも思えるなぁ)

 

 緋菜には千里山でレギュラーを張るだけの実力がある。それでもそれは、――少なくとも千里山で頭角を現す時期までは――せいぜいが副将か次鋒。それもスコアラーではなく状況を“やり過ごす”ような場面で登用されるのがせいぜいだと、考えているのだ。

 しかし、緋菜には自分自身でも理解の及ばないほど“天運に恵まれる”特性があった。

 

 このチーの結果。白糸台の牌が流れた龍門渕が、かなり難しい顔をする。当たり牌を引いたか、何がしかを感じ取ったのか。

 

(まぁ、オリだよね、多分)

 

 緋菜がそれを為したのだ。白糸台に副露を促し、結果として龍門渕の手を止める一打を緋菜が打った。これが緋菜の“天運”。それを感じ取るのは純粋な彼女の技量であろうが。

 

(――私だって、自分がそれなりに恵まれていることはわかってる。でも、それを上手くつかめない自分もいる。きっと、それは掴んじゃ行けないものなんだ。もしも“掴んでしまった”らその時は――)

 

「――ロン」

 

 和了したのは、やはり白糸台。

 当然だ。天江衣が手を止めざるを得なかった。加えてそこまで前傾ではない。であればここで、照を止められるものはいない。

 

(……その時は、私という存在が、陳腐に腐って消えてしまうんだろうね)

 

 点棒を差し出すタニアに、自分ではなくて良かったとかんがえる平凡な緋菜。しかしそれで良いと思う。緋菜の持つ天運は、緋菜が思う以上に複雑なものだ。

 異常な、ものだ。

 

 

 ――東三局、親緋菜――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

「……ポン!」 {一横一一}

 

 東三局、親番。

 緋菜が動く。

 

 ――緋菜手牌――

 {二四七②③11289中} {一横一一}

 

 緋菜/打{中}

 

 現状。ここから聴牌を狙いに行くには相応の無茶が必要になるだろう。三色か、チャンタか。そのどちらを狙うことも考慮した上で、鳴いた。

 

 二巡目での副露としては、些か無茶が過ぎる。しかし、誰もコレを咎める者はいないだろう。何せ相手は宮永照。超絶聴牌速度を誇るバケモノである。

 解説の小鍛治健夜が、否定をしなかったという時点でそれは“正解”と言える。

 

 唯一顔をしかめるのはツモを飛ばされたタニア。だがしかし、即座に意識を切り替えたのか、敵意満面に緋菜を睨んだ。

 

(ひええ、怖いってば!)

 

 顔に出さず考えて、照の打牌を見据える。

 切り出したのは手出し。緋菜から見て右端から、打牌{九}。二つに切り裂かれた手牌の短い方は、ちょうど三枚だ。

 

(……まぁ、関係ないか。天江さんがいる時点で、この三枚の牌はアンノウンだ)

 

 理牌読みを息を吸うが如く行う天江衣が居る以上、手牌に細工がないとは思えない。かくいう天江衣は、それを見てすらいないのだが。

 

(全員、何を考えてるかわっかんないな。こっち睨んでくるトムキンさんが一番怖いけど、無言の天江さんと宮永さんも怖い)

 

 直後、照が副露した。衣の打牌にともなって、手が即座に動いて副露が端に運ばれる。叩きつけるようなことはしなかった。律儀、といって良いものだろうか。

 

 緋菜/ツモ{三}

 

(あっは、三色確定! もうチャンタ色はいらないよう!)

 

 緋菜/打{七}

 

「ロン」

 

(……ありゃ?)

 

 宣言は、照だ。

 

 ――照手牌――

 {三三六八④⑤⑥567横七} {22横2}

 

(なるほどね、{六九八}の並び順か。まぁ、そんなものかな?)

 

 思考しながらも、後悔はない。届かなかったかという悔しさは、すでに捨てて、次を考えるのだ。考えざるをえないのだ。

 別に緋菜の切り替えが早いというわけでもなく。そうしなければならなかった。

 

 何せ、

 

 

 次は、宮永照の親番だ。

 

 

 ――東四局、親照――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 風が、卓上を薙いだ。文字通り、対局者達を“薙ぎ払う”のだ。

 

 タニアが――

 

(あぁ……思い出すなぁ)

 

 唇をぷるぷると――興奮だ、風に圧されたわけではない――震わせて。

 

 

 緋菜が――

 

(もう、ほんっとうに怖いんだから)

 

 心底が、極端に熱が奪われていくのを感じながら。

 

 

 ――宮永照を、見た。

 

 

 決して長すぎない前髪が、しかし前屈したことで顔を覆い、瞳を覆う。その瞳が望めないのだ。覗き込めない。見据えられない。

 しかし、それはある種の幸運と言える。

 

 宮永照は、当然のごとく人を“殺しきる”瞳を向けているのだから。

 

 チカラ。

 風圧。

 そして――打牌。全てが誰にも向けられて、全てが破壊に傾いていた。

 

「――――、」

 

 言葉が、響き渡る。

 しかし、タニアにも緋菜にも、感じ取る事はできなかった。意識はそこにあったとしても、自分自身が“殺されている”ことには、ついぞ気付くことはなかったのだ。

 

 理解する。

 天江衣が点棒を宮永照に差し出したところで、ようやく。和了されたのだと。慌てて卓を見る。

 

 ――二巡。牌は二つしか河になかった。

 認識するよりも早く、照は聴牌し、和了した。

 

 点棒を受け取る照の右手から、猛烈な爆音が聞こえる。風が回転を始める音。タニアも緋菜も、自身が“口をぽかんと開けて呆けている”ことに、気が付かなかった。

 衣にしたがって点棒を渡し、中央に開いた空白に牌を押し込めて、それから。

 

 照が積み棒を置いたところで――回帰した。

 ようやく世界を、取り戻した。

 

 

「――一本場」

 

 

 ――東四局一本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 風はすでに掃けていた。照の威圧も止んでいた。だが、同時に否応なしに解ってしまった。まだ風はある。後方で、無限が如く回転を続けている。

 

 そう、ここは台風の目だ。

 何もかもが消え失せて、ただ竜巻の黒雲だけが存在を明らかにする場所。

 

「チー!」 {横八六七}

 

 タニアが鳴いた。

 

「ポン!」 {東横東東}

 

 緋菜も――そして、

 

 

「カン」 {白裏裏白}

 

 

 宮永、照も。

 

 止められない。止まりようがない。

 当然だ。緋菜も、タニアも、今在る世界から牌を引き寄せた。足りないものを補うように、牌を掴んだ。

 

 しかし、違う。

 照は違う。宮永照は、“すでにあるもの”が余剰したために、牌を引き寄せたのだ。それはまさしく、虚空から生み出すかの如く。

 

 タニアにも、緋菜にも、オカルト染みた才能はない。だからこそ、無茶を通していくしか無い。

 

 ――新ドラ表示牌「{①}」

 

 だが、宮永照は違う。余りあるほどのオカルト麻雀。それは、決してオカルトの強力さに拠るものではない。あくまで、オカルトを飼い慣らすがごとく“使いこなす”がゆえの麻雀だ。

 

 奮闘むなしく、という表現が正しいだろう。

 

 天江衣は副露しなかった。故に、宮永照の親番は否応なしに訪れる。避けきれないのだ。だからこそ、宮永照が左手を振り上げた時、すでに状況は決していた。

 

 振り下ろされる右手は卓の端をつかむ。勢い良く構えた右手が、爆風、爆圧を伴った。

 

 ただ、全てを破壊し尽くすために。

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――照手牌――

 {四五六②③④⑧⑧56横7} {白裏裏白}

 

「4000オール」

 

 和了で、その局は終わった。

 しかしそこに伴うのは――追撃。

 

「二本場」

 

 ――宮永照の悪夢は、終わらない。




今日から再開します。前七回。大将戦終了までお付き合い下さい。


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『征く者』大将戦②

 ――東二局二本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

(気を取り直して……とはそうそう行かないか? “凡人”)

 

 意識の隅、もはや追いやられてしまった思考の渦を全力で回転させて、タニアが問いかける。宮永照の圧力は、もはや正常な意識の集中すら困難にさせていた。

 否、それはタニアが実力者であるがゆえに、あまりにも状況を認識しうるが故に、押し寄せる宮永照の情報によって呑み込まれてしまっているのだ。

 

 衣はどうか、一様に知れず。もう一人の魔物は沈黙を続けた。彼女はこの状況において、沈黙を保つ余裕があるというのだ。

 単なるつよがりでもなんでもなく、当然の一事として。

 

 沈黙を、不動のものに変える。

 

 対照的であるのは“凡人”緋菜であるはずだ。眉一つ動かない表情は、如何にも丹精で冷淡といえる。しかしその心情は荒れ狂っているはずだ。彼女はあくまで単なる雀士なのである。タニアのような超一流でもなく、衣のような怪物でもなく。

 

 それを怖れて、タニアは問いかけた。

 心底から心中を、全ての柱をポッキリと、折られてしまったのではないかと。――しかし、それは単なるタニアの思い過ごしであった。

 

 緋菜は動じていない。

 

 彼女は凡人である、しかし凡人というのはひとつの符号であり、本来の意味を持つものではない。ソレそのものが、彼女の得意な象徴とかしている。

 責任感の強さと、それからくる切り替えの早さ、それもまた、緋菜が凡人たる所以である。

 

 そして、状況は少しずつではあるが、タニアや緋菜たちへと好転していた。

 宮永照の聴牌速度が、“常識的に考えれば”低下するのである。次に照が和了するのは跳満。とてもではないが、三巡やそこらで和了できるものではない。

 

 せめて六巡。多少の楽観を込めてとはいえ、その程度なら稼ぐことはできるだろうとタニアも緋菜も、踏んでいた。

 

 

(――だからこそ、ここで和了する。私か臨海のトムキンさんの、どっちかが。最悪一翻くらいなら、差し込みでくれてやってもいい)

 

 これ以上照に和了させ続けるのは危険だ。衣が動かない以上、自分たちが動くしか無い。もう麻雀は後二回、大将戦の半荘しか打てないのだから。

 

 端から見て、タニアはともかく、千里山の優勝はほぼ消えているように思えるだろう。緋菜自身、それは否定しようがないとは思うし、顔には出さないが、絶望感に今にも押し潰されそうだ。

 それでも、

 

 緋菜は部長だ。

 

 強豪千里山の。日本最強とされるチーム力を持つ千里山が、最後に送り出す大将として、強豪としての地位を作り上げた、千里山をまとめる者として。

 

 絶対に、退くわけには行かないのである。

 

(そのためにも、凡人にできる宮永照対策、はじめましょうか!)

 

 まず前提として、宮永照は異次元の存在であるという共通認識が必要だ。つまり、周囲とのある程度の協調である。

 当然といえば当然だが、最終的には自分が勝利することを念頭に置き、出しぬき合いが始まるだろうが、それでも三人がかりで照を封殺すれば、攻略事態は不可能ではない。

 

 去年の決勝大将戦では一事宮永照が完全に沈黙するという状況もあった。その後強調していた側が仲間割れにより壊滅したため照が勝利したものの。

 ――ただし、無力化と瓦解は同卓した者達があまりに“強すぎた”ために起こったことだ。それもそうだろう。三傑の一人、アン=ヘイリー、現トッププロが一同に介していたのだから。

 

 加えて、この卓にはもう一人のバケモノ、天江衣も居る。つまり、ここでそのような無力化は不可能と言って良い。片方を無力化しようとももう片方が暴れるのでは結局その魔物の独壇場になってしまう。

 

 狙うとなれば潰し合いだ。準決勝では天江衣と神代小蒔の潰し合いの結果、ほとんど滑り込みのような形とはいえ、タニアは二位抜けに成功している。

 要は同じこと、衣と照が潰し合いをしている最中に、両者を出し抜いてトップをとり、守りぬく。それだけだ。

 

 困難であるだとか、不可能であるだとかはこの際問わない。元より、バケモノを相手にする高校の大将など大体そんなものだ。勝負になるだけ、強豪というのはマシなのである。

 

「チー」 {横三二四}

 

 タニアが動く。三巡目、彼女が判断するだけの時間は、十分に生まれているはずだ。対して宮永照は沈黙している。知ったことではない。止められなければイコール大打撃。今更放銃など、単なる失点の違いでしか無い。

 

「ポン!」 {東横東東}

 

 幸い、未だ沈黙中の天江衣も、こういった小細工には多少なりとも手を貸してくれる。特に、宮永照の下家であるというアドバンテージは、それなりに活用してくれるようだった。

 

 そして――

 

 ――緋菜手牌――

 {一二二⑤⑤⑥⑨⑨} {横發發發} {横七八九}

 

 ――緋菜捨て牌――

 {西③五(東)} {一}<打>

 

(これは……)

 

 

 ――タニア手牌――

 {三四四五五⑤⑦⑧西西} {横三二四}

 

 ――タニア捨て牌――

 {南東(發)③(七)}

 

(なるほど中々どうして、わかりやっすいなぁ)

 

 ――衣捨て牌――

 {⑥⑨①(三)二}

 

 

 ――照手牌――

 {111234456778白(横9)}

 

 ――照捨て牌――

 {二四發} {白}<打>

 

 

 抑えるために、それなりの方法を取っているとはいえこの重圧。抑えているかすらも曖昧で、抑えていなければ、それこそ自分を保っていることすら不可能に思える。

 それこそ、天江衣のように“活かして殺す”タイプではない、まったくもって全てを飲み込む蹂躙型の宮永照は、恐怖という他にないのである。

 

 特に、魔物は人を“嬲る”傾向にあるが、しかし宮永照にはそれがない。遊びがないということはそれだけ、直接心を折りに来る麻雀になる。

 タニアや緋菜のように、他人とくらべても歴戦以上の実力を持つ雀士か、とにかく折れない曲がらない、精神力だけは格別の雀士でもなければ、二度、麻雀を打とうとは思わないだろう。

 

 それほどの相手を前にして、それでもタニアは前向きだった。

 

 ――一向聴。

 ツモを見て、顔をほころばせて打牌をする。

 

 直後、緋菜はといえばこちらも同様だ。彼女は凡人と呼ばれはするがその本質は得意な雀士そのものだ。心を客観的のようにする。端的に言えば、今の彼女はソレをしている。テレビ越しの凡人を思考し、爪を隠している。

 あくまで単なる護衛の術だ。それでも、十分なほどに効果はある。

 

 打牌。直後タニアが、鳴く。

 

「――ポン!」 {五五横五}

 

 これで、聴牌。

 タニアの手が完成した。しまった――とは、緋菜も考えるがどうしようもない。上家の副露でツモが回る、緋菜にとってはチャンスと言える。しかし、自摸ってくるのは――宮永照が、引くはずだった牌。

 

(……ずらしても和了る、よね)

 

 敵対する絶対者の存在と、その未来を察知しながらも、緋菜は思考し、前を見る。ここで、自分が取れる方法がひとつだけ在る。

 

 緋菜/ツモ{7}

 

 この当たり牌を絶対に手放さないこと。それは絶対条件だ。前提でもある。そしてそこに、心中以上の意味を与える。

 この局を終わらせる打牌をする。

 

(こういう時の私のカンっていうものは、思ったほどばかみたいに――あたるものなんだ)

 

 緋菜/打{⑨}

 

 打ったのは、当たり牌。

 ――そう、タニアのものだ。

 

 

「ロン!」

 

 

 手牌を晒して、ようやく、長い長い東四局が終わった。そう、理解した。タニアも緋菜も何とか一息をついてしかし――

 

 

 納得する。

 

 

 これで、終わりではないのだと。

 

 ――風を感じたのだ。台風の如く、圧迫を覚える一陣の風を。そう、宮永照の元から、流れるように、薙がれるように、風が生まれて、飛び散っている。

 もはや、それは刃のように思えるほどに。

 

 鋭く、

 

 激しく、

 

 

 ――完全だった。

 

 

 ただ一人、それを真っ向から観察するように眺める衣が言う。

 

「――南入」

 

 たった、一言それだけを。

 さえずるように、全てに告げた。

 

 

 ――南一局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 この日、天江衣は幾度しか唇を震わせなかった。その中に、ツモも、ロンのヒトコトもなかった。多少鳴きは行ったものの、それは自分のための副露ではない。事実、その時彼女の手は、和了には程遠いほどの手であった。

 

 だが、誰もが知っている。この状況。決勝戦、宮永照と相対して、ただ黙りこくっている衣ではない、と。

 

 むしろ、変化が見られた。副露をして自分で動いた。天江衣の“見”も大詰め、十分に戦えるまでに迫っているのだ。

 後はコレを十二分、アドバンテージと言えるほどに、高める作業を残すのみ。

 

 その前哨戦。

 

 

 最初の一打。

 

 

 天江衣は、牌を曲げた。

 

 

「リーチ」

 

 

 インターハイにおいて、天江衣がリーチをかけたのは一度のみ。それに至るまで、そしてソレ以後も、リーチという声は一度としてかかっていない。

 天江衣の宣戦布告はそれまでに、貴重で、異様で、象徴的なものだった。

 

 そう、インターハイ準決勝、大将戦前半“オーラス”。その時のリーチも、コレと同様の“ダブルリーチ”であった。

 

 準決勝にて相対するは、神代小蒔。

 今この時においては、宮永照。

 

 どちらもインターハイを震わせる魔物。唖然の存在。天江衣が第一に、慎重を要すると考えた“敵”。

 

 ダブルリーチに牌を曲げ、前傾にし顔を伏せた衣の瞳は、閉じられていた。まるで機を待つかのように。

 しかしリーチ棒が、宣戦布告の一拍が卓に飛び出すその時にはもう――その瞳は、はっきり誰が見ても解るほど、見開かれていた。

 

 

 ――天江衣の瞳が開く。満を持して、いまこの時を持って。

 

 

 ここまで、わかったことはいくつか在る。

 

(――まず、宮永照は他者を蹂躙することで強者としての特性を発揮するタイプだ。これには、衣のような支配力ではなく、神代のような爆発力に近い物がある)

 

 あの時神代小蒔に宿っていた“神”は有効牌を吸い取るという特性によるある程度の支配力こそあるものの、その本質は対子や刻子を作ることによる爆発力だ。

 宮永照のチカラはソレに近い。一見彼女は余りある力で持って山を支配し、有効な牌を引き寄せているかのようにも見えるが、しかしそのスタイルとは裏腹にどこか機械的でない麻雀をする。

 

(直接的に麻雀を支配しようと思えば、それだけ機械的な麻雀になる。神代にしても、昔の衣にしてもそうだが、“チカラ”を持つものは、その“チカラ”が強ければ強いほど、闘牌スタイルは無味乾燥で、法則性に満ちたものとなる)

 

 新たに目覚めた瀬々のチカラなど、その典型だろう。元がひねくれものの瀬々であるから、それを全くその通りに運用せず、より柔軟な伸縮性を手に入れているものの、その法則は一貫して一定で、無意味なほど味気がない。

 強力であれば在るほど、麻雀としての意義を見失う。絶対に勝てるのであれば、麻雀など打つ必要がないのだ。麻雀は“しないこと”が最も賢いスタイルだと、衣がよく知る雀士――特に勝負師と呼ばれる人種は言っていた。

 

(まぁ、それができないから奴らは勝負師なのだろうが。ともかくだ)

 

 宮永照はそういう意味で、非常魔物的ではない。あまりにスタイルが柔軟過ぎるのだ。彼女の武器は速度。そしてその法則性は、少しずつ打点を上げる。

 “それだけ”だ。

 

 打点上昇は制限であり枷であるが、それが弱点であるかといえばまったくもってそんなことはない。

 

(和了に至るまで、宮永照はありとあらゆる方策を取る。それこそ勝負師のように、貪欲に、集中的に)

 

 瀬々は照のオカルトを“分からない”と評した。それは果たして“感じ取れないほど強力なのか”はたまた“感じ取れないほど微弱なのか”のどちらかだろうと、瀬々にも告げず衣は一人考えているが。

 

 つまるところ、宮永照は魔物というカテゴリーに属しながら、魔物としては一線を画する存在である。“変化”によって麻雀を自分から打つようになった衣と同様、何がしかのプロセスを得て今のチカラを手にしたのだろう。

 

()()()()()、宮永は“絶対的”ではあるが、“絶対”ではない)

 

 ――無敵のようなチカラを持つが、無敵ではない。あくまで“最強”の範疇にある。

 

 そこが、狙いどころだ。それがわかるからこそ、衣は宣戦布告の一手としてリーチを打った。この一局限定の方法といえるが、不意をつくには“リーチをしない”という情報と、“これが特例である”という情報が必要になる。

 

 準決勝大将戦で見せたただ一度のリーチ。

 

 この状況が特別であると“誰もが思う”のであれば、衣のリーチは乱発はできないとはいえ、どこまでも強烈なリーチとなる。

 

 衣にとって、今決勝卓に座っているのは宮永照だ。しかし、彼女だけが麻雀を打っている訳ではない。

 むしろ“彼女ら”の存在を確かめるために、衣は“見”を行ったのだと言える。そう、宮永照以外、タニア=トムキンと穂積緋菜。脇を固める両名の存在を確かめてこそ、戦いの場に立てるのだと、衣は考えたのだ。

 

 そうして東場を守勢に入った結果、わかったことはひとつの事実。こうして衣がリーチを仕掛けたというところでタニアと緋菜は動きを見せるということだ。

 

「チー」 {横六五七}

 

 緋菜/打{②}

 

 少なくとも、ここで脅威を覚えるのであれば、一発消しはかけてくる。その後の和了は一切考えず、妨害のために行動を起こす、と。

 

 宮永照に弱点があるとすれば、それは決して打点制限などではない。もっとそれ以上に、実質的で、状況的なもの。

 

 彼女には、一切の支配的行動が取れないのだ。今の副露。支配力を持つたぐいの雀士であれば、まず鳴かせなどしなかった。そもそも、衣にダブルリーチを許したりなどしない。

 宮永照が支配力を発揮する雀士と相対する時、大抵の場合“照の支配を破る”相手雀士の支配力が評価される。しかし違うのだ。

 支配力を照は持たない。故に、支配を物理的に“利用する”ことでしか彼女は支配に対抗し得ない。

 

 それを知るものはほとんどいない。瀬々が理解し衣が実践した。おそらくこの二人しか知らない照の弱点。

 

 闘牌の中で、それが顕になっているのだ。

 無論、周囲はそれを理解することはない。衣達と照。穿ったものと、穿たれたもの。双極に類する少女たちのみが、その状況を認識している。

 

 

 ――龍門渕控室――

 

 

「さぁて、ここからだぞ衣。点差は三万。勝てよ!」

 

 一人声を上げる瀬々。

 透華達は理解が及ばない様子ではあるものの、手に汗を握り対局を見守っている。言葉はなかった。

 たった一言瀬々が発し、そこに介在できるものはいなかった。

 

 単純なことだ。

 

 誰もが言葉を失った中、ただ一人瀬々だけが衣に言葉を送れたのである。――その一瞬。声を発するものはいなかった。観客も、実況も解説も、それどころか別の控室で成り行きを見守る者達全て――アン=ヘイリーでさえ。

 

 隔絶されたところにいた。

 

 天江衣と宮永照は、瀬々だけが言葉をかけられる超常的な場所で相対し、睨み合っている。

 照の瞳が険しくなる。それを理解したものは居る。しかし、その理由を読み取れるものはいなかった。

 

 

『――ツモ、2600オール』

 

 

 ――その時、今この瞬間。宮永照の手が止まった。それは今年のインターハイにおいて始めて、“親番以外で”照の連荘がストップした瞬間だった。

 

 決勝の壇上に、天江衣がついに昇った。

 決定的瞬間は今この時であり、宮永照が足を止めた瞬間である。

 

 

 さながら後ろから声をかけられるように、振り返り、天江衣と並び立った。見上げるものは、衣。見下ろすものは、照。

 

 

 ――ー征く者は、両者。



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『頂点階段』大将戦③

 ――南一局一本場、親衣――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 天江衣が動き出したという事実は宮永照にとっても端的に言って、厄介だと言わざるをえないものだった。相手の雀力は相当なものだ。チャンピオンと呼ばれ、高校最強の称号を冠すると言っても、照は一介の雀士に過ぎない。

 

 少なくとも、自分の絶対性を過信できる、魔物のような強さは有していない。

 

(……とめられた。何もできなかった)

 

 少なくともあそこで副露をされなければ、ある程度衣を“停める”打牌を掴めた。しかしできなかった。衣とて凡百の魔物ではない。少なくとも準決勝で見た、もう一人の魔物、神代小蒔とは凡そ違う。

 相手が神代であれば、ここまで照は焦燥を覚えなかったはずだ。

 何せ魔物は他者を顧みない、神代はその典型だ。しかし、衣はその例から外れる。当たり前のように、他者を利用し照を穿つ。

 

 まさしく強者。勝負師にして、牌に愛されても居る。

 

(おそらく私も、広義的には“牌に愛されている”のだろうが、決して魔物ではないからな)

 

 困った、弱ったと嘆息をする。あくまで心底で。――弱みは見せられない。それが照の被った雀士としての仮面――否、生粋の闘牌スタイルだ。

 

(……とにかく、あまり気を取られすぎても行けない。もう少し稼がないと。いや……“稼ぎ切らないと”)

 

 ――照手牌――

 {四五六八八南南12③4④⑤}

 

 手はすでにできかけている。ほぼ三巡だ。速度としては上々、しかし――

 

(下家から聴牌気配。今度はリーチをかけない……周到なことだ。あいにく、ダマで構える利点はもう、この三巡で消えてしまったけれど)

 

 衣からも聴牌が見える。第一打選択時の気配からして言えるが、どうにも今の天江衣は攻めの匂いが大きく強い。当然ながら、原因は自分なのだろうけれど。

 ――ダマで取る最大の利点は横からの出和了りだ。

 幸い、トビが出るほど大勢が決していないため、横から稼いで照に迫るというのは選択肢として十分だ。

 

 しかし、第一打はともかく、二巡目、三巡目と衣がツモ切りを続けるのは明らかに異様だ。他家にも、聴牌の気配は感じ取られている頃だろう。

 

(ここでのポイントは、下家は卓の支配を完全に行っているわけではないということ。流れに干渉し、一時的に良い配牌を持ってきているに過ぎない。先ほど無理やり流れをねじ曲げたお陰で、今、下家に流れは余り無い)

 

 照が連続で和了することは、そういった流れを正し、無効化させる意味合いもある。流れ雀士と言うのは何時の世にも一人か二人はいるもので、対策としてはコレ以外にも幾つか方法がないではない。

 例えば、高速聴牌。速度が早ければ、流れ雀士特有の副露を仕掛ける手が出来る前に、宮永照が聴牌、和了する。

 

(覗いた感じ、下家は支配力を流れの制御に傾けているみたいだから、その制御を外す副露をする。それだけで下家が無理やり引き寄せた流れは――霧散する)

 

 連続和了に圧迫されていた流れが解き放たれて、その一瞬を衣が突いた。結果として先ほどの和了が在るわけだが、その流れもコレで終わる。

 

 照/ツモ{南}

 

 ――打{南}

 

 暗刻ができた時点で持っていた{南}を、切り崩して切る。コレをスレば、もしも{南}を持っていたとすれば横の二人どちらかが切る。

 緋菜はそれを切るのが当然の雀士であるし、タニアは違和感を覚えても、走りだした打牌を止めることはありえない。

 

 よって、

 

「ポン」 {横南南南}

 

 照は一度切った牌を、喰い直して手にすることになる。普通ならば“ありえない鳴き”。状況に逆らった、流れを切り裂く一陣の剣。

 

 照/打{4}

 

 吹き上がった衣の雰囲気が、一瞬爆発し、少しずつ収まっていくのを感じる。どうやらこれで、彼女の目論見は途切れたようだ。

 

(綱渡りというのは、些か否定できないけれど)

 

「――ツモ」

 

 ――――和了した以上、誰にも文句は言わせない。

 

 

 ――南ニ局、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{5}」――

 

 

 この局、最初に仕掛けたのは間違いなく照だ。掬い取るように、指し示すように――

 

「ポン」 {④④横④}

 

 衣の牌を喰いとる。

 邪魔をした、されたの状態。

 

 ――照手牌――

 {二三四六七八ili()⑥⑥45} {④④横④}

 

 照/打{③}

 

 それは決して、不可思議と言える打牌ではなかった。しかし、横道にそれるような打牌であった。

 三色を捨てることは、高めドラ一で条件をクリアする照の特性上不可思議ではない。だがそれを行ったのが、衣に相対するためであるとなれば、些か無理を通そうとしすぎている。

 

 衣のツモを喰った、通常ではない形で。否応なく状況が動く。衣のツモがブレるのだ。

 ここが照にとっては攻め手に映る。揺らぐ、その揺らぎを衣は正さなくてはならないのだ。流れを支配している以上、その流れに沿ったツモを、衣は自分で作らなくてはならない。

 

 照の打牌。これを副露することも十分照は考慮していた。その上で打牌が{③}なのだ。副露するなら、それは刻子か、{①②③}の辺張でなければならない。そして後者は王道をそれる者の打牌だ。

 

 つまり――それは照と同様の方策であり、衣は照に“出遅れる”ということになる。

 照魔鏡を行使した限りでも、ここまでの対局を加味した限りでも、衣は自身が先制を取れない限り同じ方法で勝負を挑んでくることはない。

 否、在るにしても、勝算がなければ行わない。

 

 そして照を相手に、この状況での小競り合いは勝利の芽がない争い――のはずだ。

 

 よって、衣はここで勝負に出ない。おそらくその手は、平和中心の門前手。副露の照とは対象の手。

 

 衣/打{3}

 

 これみよがしに、衣は照の安目を出した。放銃である。しかし和了らないよってそれが放銃となることはない。衣はコトここに至っても、振り込むということがないのだ。

 とはいえそれはあくまで合理的な選択である。ドラ筋の危険牌など、照が“和了れない”という状況でなければ切れるはずもない。ヤモすれば、この後照はドラを増やして和了条件を増やしかねないのだ。

 

 直後、

 

 

「ポン」 {二二横二}

 

 

 衣が、鳴いた。

 

(――副露?)

 

 意識がそれに取られる。

 門前の手であると照は当たりを付けていた。照は分析型の雀士でもなければアナログの玄人でもない。よってその読みはあくまで感覚的なものに拠るが、それでも中々どうして正確だ。

 少なくとも、単なるオカルトでしかない能力を、牌に愛されるまでに消化させるのは照の実力に拠るものだ。それは――

 

 そこまで思考して振り払う。今、そのことは関係ない。

 

 無比とはいえずとも正確な照の予測、それが外れた。

 つまり衣が照の予測を上回ったということだが――それもそうだろう。照は衣を危険視しすぎているのだ。

 簡単なこと、衣にとって照は勝利が見えない強敵であるのと同様、照にとっても衣は得体のしれない強敵なのだ。

 

 お互いに、お互いを意識し警戒を強め“すぎている”。そこが問題なのだ。とはいえ、それはある種情緒でもある。

 さながら達人同士の読み合いが如く。

 

 打牌はさながら刀の鍔迫り合いだ。刃と刃ががなり合い、夜闇に浸った静寂が、けたたましくその存在を明らかにする。

 

(これは……困ったな)

 

 自分の認識が誤っていたという事実、それに顔をしかめる照。

 ――照を穿った一撃が、偶然に拠るものであることを不安と共に受け取る衣。

 

 

 ――照と、衣。風が両者を一陣凪いで、ただ言葉もなく、ただ――闘志だけを浮き彫りにする。

 

 

 否。

 

 

 それだけではない。

 決してこの頂上決戦を彩る牙は、一つではない。駆け抜けたのは風ではない。――もう一人、この場で動きを見せるものが居る。

 

 

 電光石火、名を――タニア=トムキン

 

 

「チー」 {横四三五}

 

 鳴き返した。

 つまりそれは、衣によってぶれた照準が、照の元へと回帰することを意味する。福音か、はたまた最後通牒か。

 

 どちらか、二つに一つ。

 照にとっては、狙いが再び舞い戻ってきた。最良の状態。しかしそれはあくまで衣との一騎打ちを前提とした場合だ。

 

 ここでタニアが副露して、打牌は{九}。それが大きな意味を持つ。――照の見る情景に、不確定の彩りが加わる。

 

 ――照/ツモ{一}

 

 ――タニア捨て牌――

 {8④5⑦(二)九}

 

 語るまでもなく、染め手の傾向。ただしこの巡目で萬子が飛び出るということは、一般的にはタニアは染めていないと見るのが普通。しかし、タニアの手が完成に近ければこれは――リーチと同じ形態の打牌となる。

 不透明が、死を誘う。

 

 照は考える。タニアが割り込んできた。照の望んだ状況に、自身を割り込ませ、衣の動かした状況に、真っ向から牙をむく。

 それは果たして、タニアの罠か? それとも――

 

(判断の要素は幾つもある。染めている色の牌を下家が出したこと。そもそもそれ以前に対面が萬子を出していること――それは下家も理解しているということ)

 

 これは、今これが衣の手のひらの上にあるということの根拠。

 

(対する根拠も幾つもある。下家の副露はそもそも私が“考慮に値しないと判断した”こと。そして、副露した直後の打牌がすぐそば――つまり元は{二二四}という形出会ったということ)

 

 これは、今これが照にとって追い風であるということの根拠。

 

 どちらを行くも茨の道だ。何せ進めば罠、退けば罠――選択を間違えた瞬間、それはすなわち罠に転じる。そしてそれが“選択するまで”判断できないということだ。

 

(――ならば)

 

 ちらりと、タニアを見る。ここで彼女が攻めに転じる理由はよく分かる。親番であるからだ。他人に和了されたくない。自分で和了し点を稼がねばならない。

 

 ――だからこそ彼女は前進する。その猪突猛進スタイルを一切曲げること無く、まっすぐに、純粋に。

 

 なれば照もそれに答える。

 

(綱渡り、上等……)

 

 照/ツモ切り{一}

 

 ――それは、

 

 天江衣の手牌を開くことはなく――

 

 

 ――タニア=トムキンの手牌を開くことにも、至らなかった。

 

 

 つまり、

 

(これで……)

 

「――――カン」 {④④横④(横④)}

 

 照の勝利が確定する。槍槓は無い。少なくとも衣はこの手にそのような仰々しい一発を打ち込むつもりはないだろう。

 もしも衣が、照の想像以上に照を警戒しているのだとすれば、たかだか二千の手に、そんな博打を打つはずがない。

 あくまで小手先は小手先で、簡単な牽制で照を征することだろう。

 

 だからこそ、つかむ。

 嶺上牌。これで和了ればたとえ安目でも制限クリアだ。一瞬よぎる誰かの顔を振り捨てて、即座に照はそれを叩きつけて晒した。

 

「ツモ。500、1000」

 

 問題はない。安目とはいえ条件を達成し和了した。行ける。衣相手でも、連続和了は継続しうる。

 

 それがわかればこの手はこれで十分だ。

 

 戦える。此処から先決勝戦は混迷を極めるだろう。少なくともこの大将戦に臨むもので、諦めを覚えている者は誰一人としてない。戦略として、人の心を折るということは十分に考えられる――忌諱されるものではあるが――選択肢だが、このメンバーに通用する者はいないだろう。

 

 ゆえにこそ、全力で。

 だからこそ、怯まずに。

 

 宮永照はチャンピオンであり続ける――――

 

 

 ――南三局、親緋菜――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 そして、オーラス直前、南三局。

 ここに来て照がギアを上げた。打点を一息飛びで上昇させたのだ。正確には、五十符三翻。そう、せざるを得なかった。

 

 動いたのは衣ではない。

 タニアでもない。千里山、穂積緋菜である。

 

 つまるところ親番に成功法で彼女が抜きん出た。聴牌効率を重視し、三巡目にして、嵌張ではあるものの喰い断ドラ三を聴牌。

 それを回避する必要があった。

 

 しかし回避するにはあまりに当たり牌は照の手に偏り、そして壁となりすぎた。ここから照が前進するには余程の遠回りをするか――

 偏った牌を、利用仕切る他にない。

 

 元よりその可能性を考慮していた照は、ひとつの選択で持って対応を取ることとした。それは緋菜の存在を端から認識していないかのごとく振る舞うこと。

 照の眼はすでに緋菜の当たり牌を考慮していた。故に、それさえ切らなければ後は、ツモ和了を阻止すればよいのである。

 

 よって、照は緋菜に関わらない形――つまり、衣への仕掛けという形で状況を動かすことにした。

 一打。誘うような有効牌。当然、それに釣られる衣ではない。

 

 ――ちらりと、視線だけが交錯した。お互い牌に目線を落として顔を下向きにさせたまま、そのままだ。

 ニ打。衣が嫌うような不敵な打牌。誘う意思は見られない、しかしあまりにあざといそれは衣の趣向にすらそぐわない。

 

 ――視線を交わすことすらなく、両者は手牌を注視している。

 

 そこから、更に誘うよう、二度手牌が揺れた。一度目はスルー、二回目はいよいよ衣が折れた。照が衣を意識している上に、流れを引き寄せているのだ――衣の手に最善と言える物が訪れるはずもない。

 よってここで副露しなければ、にっちもさっちも、全身ということが不可能だった。

 

 チー、発声がある。

 

 待っていましたとばかりに続くツモ、照が手牌を崩した。

 

「――カン」

 

 みたび、カン。

 しかしそこに、二度目の嶺上開花は絡まない。個人的に、そういった役は照自身が好まないのだ。狙ってできるものでもなし、そんなもの、最初から狙わないに限る。

 

 嶺上開花など、――偶然に依存したものの弱音だ、決してその華は美しくなど、ない。

 

 次のツモは聴牌に向かうツモ。これで緋菜の牙城が崩された上、続けざまに照が勝利を狙う。混迷だ、対局者達はたまったものではない。

 だからこそ、照は歯牙にもかけず緋菜を制した。凡人を、隔絶するように叩きのめした。

 

 そこに照の戦略という意思が絡むのはすなわち、緋菜が単なる凡人ではないことの証明であるのだが。

 

 直後、緋菜は手出しで打牌。純カラの嵌張をシャボに変化させた。

 

(――お見事。やっぱりこの人は平凡ではあるけど“普通”じゃない。でも、これでおしまい)

 

「……ツモ、1600、3200」

 

 

 そこから、

 

 

 オーラス、宮永照は再び和了した。即座に、明白に、決定的に、

 

 誰もその結末を、逃れる者も遮る者もいない状況で和了した。親満四千オール。そして、

 

 ――実況室――

 

『一本場』

 

「和了り止めはせずぅぅぅぅ! チャンピオン、ここで連荘だ! つまりこれは、チャンピオンから対局者への、死刑宣告にほかならない!」

 

 照は連荘を決めた。

 オーラス、ここから逃げ切る事を考えた場合、現在の照と衣は四万五千点差。それでは圧倒的に“少なすぎる”のだ。

 だからこそこの選択を誰もおかしいと思う者はいない。

 

 間違っていると思うものも、極少数だ。

 

 そう、少数。決して皆無ではない。とはいえあまりにも少なく、この会場内において間違いを指摘できたものは、ただ二人しか存在していなかったが。

 

 一人は語るまでもなく小鍛治健夜。文字通り日本最強のプロ雀士。

 

「……そうでしょうか。私にはこの連荘が、些か無茶なものに思えますが」

 

「――え? それは一体どういう意味でしょう、小鍛治プロ」

 

「状況ができすぎています。南三局でのこととこの連荘。もしも完全にそれが天江選手の想定であるとすれば……この一局で前半戦が終わります」

 

 当たり前のようなその発言に、会場中は大いにわいた。今のところ、天江衣は宮永照に追いすがる事はできても、追いぬくことはできないでいる。そういった共通認識が会場にはあるのだ。

 無論、それは健夜とて同様に考えており、しかし状況が動いたと、同時に言うのだ。

 

 宮永照のアドバンテージが崩れた。

 つまり、ここでオーラスが終わるとすれば、

 

「前半戦、最後に階段の頂点に立つのは、おそらく――」

 

 

 ――龍門渕控室――

 

 

「チャンピオンってば、無茶だよそれは」

 

 もう一人、状況を正確に理解している者。すなわち、天江衣の特性を良く理解し、なおかつ照のオカルトにおける根源すら見透かす者――渡瀬々。

 

「無茶? どういうことさ」

 

 小鍛治健夜は語らない。それはひとえにこの状況が衣のオカルトによって為されているためだ。通常、よほど明確な法則性を持つオカルトでもない限り、そういったチカラはデジタルのスタイル以上に解析が難しい。

 つまり、手の内が知られないことそのものがオカルトにとってのアドバンテージなのだ。よって、それをテレビの解説でひけらかすのはナンセンスといえる。

 

 ただしそれは個人の方針によるものであるため、何らためらいもなくオカルトを隅から隅まで解説するタイプもいないではないが。

 

 だからこそ瀬々は語る。

 彼女に、そういった事情は一切ない。

 

「衣のオカルトはさ、アレ、好き勝手に牌を持ってこれるじゃないか」

 

 現在の衣は人を罠にかけるような勝負師系の戦い方を好んで行うが、実際の彼女のチカラは支配。牌の操作はお手の物、他人の手を縛ることだって、絶好調の時ならば可能なはずだ。

 

「アレはまぁ、地獄だったかな」

 

 一も、どこか複雑そうに肯定する。実を言えばそこまで地獄とは考えていないが、客観的に見ればそうなのだろうと、感情の伴わない肯定を彼女はした。

 

「でさ、今の衣はそれを全部、流れの固定化に使ってる。いや、固形化か」

 

「――“固形化”?」

 

 複雑怪奇な言葉の並びだ。それではまるで、麻雀の流れが手に取れるかのようではないか。

 

「氷のブロックみたいなもんでさ、流れってのは水、無いしは河。固形化された流れは氷、もしくは氷河ってところだな」

 

「氷のブロック……?」

 

「切り分けるんだよ。流れは常に流動する。だから流れを操る場合、一つのアクションを起こさなくちゃならないし、そのアクションから影響を受ける流れは連続してなきゃいけない」

 

「――解るぜ? ダムを作るようなもんだろ? それで水の流れが変わればツモの調子だって変わっちまうもんな」

 

 横合いから、待っていましたとばかりに声が掛かる。純だ。生粋のオカルト雀士である彼女は瀬々の説明で、衣が何をしようというのか理解が及んだらしい。

 

「そもそも、物事が連続するのは当然だろ、未来と過去は何がしかのつながりが合って存在している。それを否定する奴はいねーはずだ」

 

 だろ、と問いかけて、否やはない。

 瀬々がそこからさらに引き継いで続ける。

 

「けれど、氷のブロックは連続しない。河を凍らせてその一部を凍らせる。そうして作られた氷を別の場所で溶かせばまた違う、けれども源流を同じとする流れが生まれるんだよな、つまり――」

 

 そもそものキッカケは、健夜の言う南三局のコト。

 照が衣に対して起こしたアクションが、繰り返されるように再現される。正確に繰り返しでないことは、“溶けた氷の流れを作るものは元の河とは別”であると考えれば不自然ではないだろう。

 

 それを見越せたのは、残念ながら瀬々と健夜しかこの会場にいなかったわけであるが。

 

「あくまで照魔鏡はオカルト染みた“超感覚”なんだ。結局は衣の“見”とかわんないわけ。しかもその照魔鏡は“一局”しか対局を消費しない。つまり――衣の見に、圧倒的に精度が劣る」

 

 

 ――これが、その差だ。

 

 

 照はこの時、六翻の条件を満たすために、鳴き清一色ドラ1の手を作ろうとしていた。

 

 ――照手牌――

 {一二二三三四四五五五八九白}

 

 ここから、ドラの{七}を鳴いて聴牌を取ろうとした。

 だが、それを遮るように、立ちはだかる魔の手があった。

 

 衣の手、月を掬い上げんとする白翼の如き手のひらが、言葉を失うほどの巨大な“腕”が。

 

 照の伸ばした竜巻を、封するように遮った。あらゆる角度、円を描くように集中する竜巻の中心点。そこを、腕が薙ぎ払い、消し飛ばす。

 

 照の右手。

 風神を象るかのような威圧的な風が、どこかへ――遠くとも知れない先へ、消えてゆく。

 

 そう、コレこそが、天江衣の真髄。

 山の支配、絶対的な魔物の支配。

 

 

「――――――――カン」 {七横七七七}

 

 

 大明槓だ。

 

 照の手を封鎖した。

 王者の旋風は果たして、巨人の手のひらによって押しつぶされ、失われ、消え、去っていった。

 

 だが、

 

 宮永照とてここで勝利を放棄することはない。

 彼女はすでに自身で勝利を目指すことを強いられたのだ。

 

 だからこそ、即座にツモで{白}を彼女は掴んだ。本来であれば不要だった役牌が、流れの変化で必要なものへと変わる。

 これは、彼女が牌に愛されているからこその手変わりと言える。

 

 そして

 

 もう一枚。

 

 宮永照は、その手に掴んだ。

 

 ――照手牌――

 {一二二三三四四五五五九白白(横白)}

 

「リーチ」

 

 照/打{九}

 

 ためらいはなかった。

 今の彼女に、ためらう理由が存在しなかったのだ。メンホンに三翻、十分ではないか。出和了りであれば裏が必要になるが、今回は出和了りを想定していない。ツモを前提に手を作っていたのだ。

 

 まさかこの宮永照のリーチに対し、危険牌をためらいなく切る者など――

 

 

 衣/ツモ切り{二}

 

 

 一人をのぞいて、居るほかない。

 

 しかし、照はここにきてまだ気が付かなかった。問題はその一人だったのだ。この状況を作り上げ、仕立て上げ、舌なめずりをシて、待ち焦がれていた雀士は誰であったか。

 彼女の照魔鏡は、語らなかったのだ。

 

 山に手を伸ばした瞬間。

 解った。――それが当たり牌である、と。

 

 そう、

 

 天江衣は宮永照にとって同等の相手。

 

 頂点を凌ぎ合う、真っ向からぶつかり合うほどの存在なのだ。

 ただ一度の様子見程度で、それが見抜けるはずはない。これは照にとっての油断、弱点の一つだ。

 彼女が只の人間であるかぎり、一切の弱点が存在しないなどあるはずがない。

 

 衣が、照に三連続で和了を許したのと同じように。

 

 

 今、この時、この瞬間。

 

 

 宮永照は、間違いを犯す。

 

 

 ――照/ツモ{九}

 

 

 何の挽回も、要素もなくそれは――彼女の判断ミス、それに尽きた。見誤ったと、理解した時にはすでに、彼女の手から牌はこぼれていた。

 

 もはや誰の目にもあきらかなほど、

 

 

「ロン」

 

 

 結果は照を嘲笑っていた。

 

 

「――――24300」

 

 ――衣手牌――

 {九②②②⑧⑧⑧111} {七横七七七}

 

 ドラ表示牌:{六} 裏ドラ表示牌:{①}

 

 

 前半戦終了。

 

 一位龍門渕:117300

 二位臨海 :115000

 三位白糸台:113800

 四位千里山:53900



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『小手先の有頂天』大将戦④

 ひとりでぐっと背を伸ばした一人の少女の手に、降り注いだものがある。あわててそれをキャッチすると、投げ入れられた方向を、恨めしげに少女は見つめた。

 

「――照」

 

 宮永照はそれが、普段から愛飲している飲み物であることを認めると、即座に声を賭けたものの意図を理解し、プルタブを捻った。

 それから一度両手でそれを持ち、勢い任せに煽ると、3分の1ほどを飲み干して、それから改めて礼をいう。

 

「ありがとう……菫」

 

「難儀なもんだな、さすがにトップを取れずに控室には帰れないか」

 

 何せ、照がレギュラーを任されて――つまり、公式戦に出場し、トップでなかったことなど、これが初めてのことなのだから。

 

「うぅん、別に。ただ、このまま帰ると皆が色々言ってきそうだなって」

 

「あんまり慰められるのは好みじゃないか。お前も、なかなからしい生き方をするよな」

 

「……らしい?」

 

「カッコつけしいってやつだな。照、お前は普段から孤立気味で、しかもそれを好む質だ。周りからどう見られるか解るか?」

 

 ぼんやりと首をかしげると、菫は嘆息を混ぜてから続けた。

 

「――“格好良い”だよ。まったく、お前の事を憧れてる奴らに、今のお前が何を考えているのか教えてやりたいものだな」

 

 軽く苦笑気味に見れば、今の照はどこかぼんやりとして、物憂げにし、両手で缶ジュースを握りしめて、座りこけている。

 格好良い、と菫は言ったが、本当にこの少女は、絵になることが得意な少女だ。

 

 それも天然で、気を使うこと無く生きている。

 

「……思うところはあるだろうが、相手は強敵だ。絶対に気を抜くんじゃないぞ? 少なくとも照、お前の全開より強い相手ではない」

 

「……うん。でも大丈夫」

 

「――ほう? 珍しいな、お前がそんな風に言うなんて」

 

 思いの外、照という少女は真面目な性格をしている。無論、見た目は真面目な文学少女なのだが、照をよく知る菫にしてみれば、照はどこか抜けている。

 しかし、そんな真面目では在るが抜けている照が、何の天然も発揮せず、実力を発揮する分野が在る、無論、麻雀だ。

 

 そんな照が、この状況で大丈夫というのは、些かおかしい。照が相手をするのは間違いなく自分と同格の相手。まさか推測で、自身が勝てると楽観することはないだろう。照とはそういう少女だ。

 

「これから私は、私よりも強い相手と戦う。そういう思考で勝負に臨む」

 

「――それほど強いのか、天江衣は」

 

 菫の言葉に、照は頭を振った。その意味するところは否定。一度目を閉じて髪を揺さぶるようにして、横向きに首を振った。

 

 それから一拍おいて、

 

 

 ――淡く揺らめく、炎を灯して菫に答える。

 

 

「違うよ」

 

 それは、覇気。

 爆発的に強まる意思の奔流。

 

 そう、照はそこで改めて対局者としての自分をすり寄せたのだ。そうして放たれる一言は、勝利宣言であり一種の自身を鼓舞させるものであった。

 

 

「――そう考えれば勝てる相手だ、って言いたいの」

 

 

 ♪

 

 

 最終戦。

 残る半荘はこれが最後。思い在るものは居るだろう。この大将戦においては緋菜がそれであり、タニアもそこに属すものだった。

 とはいえ緋菜はそれ以上に前向きな意気が強いし、そもそもタニアは、どちらかと言えばこのインターハイを祭りというより戦場と見ている。

 

 戦場は場所を選ばない。インターハイに、大きな意義をタニアは持ち込まない。そうして大将戦の主役は、そもそもこれが最後のインターハイではない。

 

 天江衣も、宮永照も、身も蓋もない見方をすれば、ここで負けても失うものは何一つないのだ。

 

 そうして大将戦は、周囲の熱気とは裏腹に、驚くほど静かに、薄暗く、闇のように――開始した。

 

 

 席順。

 東家:宮永

 南家:穂積

 西家:天江

 北家:トムキン

 

 順位。

 一位龍門渕:117300

 二位臨海 :115000

 三位白糸台:113800

 四位千里山:53900

 

 

 ――東一局、親照――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

「チー」 {横657}

 

 照/打{9}

 

 照の副露。

 厄介な相手だ。衣は素直にそう思う。常識の埒外に存在する者を相手取るのは、これが初めての経験だ。

 埒外。そんなことを言ってしまえば神代小蒔もそうではないのか、といえば、衣はそうではないと答えるだろう。何せ神代は衣にとって常識の範囲内にある存在なのだ。

 

 無理もない。

 衣という少女は生まれてからこれまでずっと、異常に慣れ親しんで成長してきた。両親は考古学者だ。父母から教えてもらった複雑怪奇な言の葉の群れも、かつて偉人たちが残した史跡も。全てが衣にとって異常であり、平常だ。

 言うなれば、異常そのものが、衣にとって住処であり、ホームグランドであった。とはいえそれは知識の上での話。そんな知識が実感に変わるのは、衣という存在の根幹が必要であった。

 

 言うに、バケモノ。

 言うに、魔物。

 

 言うに、異常。

 

 誰が語ったか、もはや忘れてしまうほどそれは衣に刃となって向けられた。いな、中には刃ではないものもあった。それはある意味、刃以上に厄介なものではあっただろうが。

 それは、両親から向けられたものだった。透華から向けられたものだった。一から、水穂から、純から、智紀からも、そして瀬々からすらも、向けられた。

 

 認められた上で、そうであると認識されるのだ。

 

(――まぁ、そんなもの今更、気にするほどのことでもないが)

 

 少なくとも衣は変わった。自分と同様に異質な存在は幾つも知っている。これからも、自分の知らない異常は衣の前に現れるだろう。

 だからそれは余談だ。

 

 そして、その筆頭が照なのだ。宮永照は雀士である。同時に勝負師でもある。衣のように、衣“イジョウ”に、誰かを穿つ槍は鋭い。

 

 照が動く速度は異様の一言。しかし、一つ一つの打点は低い。四翻以上を和了られる前にケアを入れれば、優位に立つことは不可能ではない。

 あくまで、机上の理論だ。

 

 だがそれも衣ならば、不可能ではない。

 

(ようは戦術だ。太極を動かす選択は多くは小さな選択の集合だ。特に、“流れ”というものは、一つの流れが次の流れを産み、やがて究極的には奔流となる)

 

 ――衣手牌――

 {二四七八九⑧⑧2336ili()ili()}

 

「――ポン!」 {9横99}

 

 衣/打{6}

 

 一見それは、意味のないものに思える。狙うにしても、純チャンか、二三四(ニサシ)の三色。どちらも、通常通りに考えれば、気がとくなるような道程だ。非現実という他にない。

 事実。

 

「ツモ、500オール」

 

 照の和了を、衣はここで許した。

 周囲には、衣の鳴きは異様に見えるだろう。理解の及ばない闘牌をしていることだろう。とはいえ、照に対してはどう映るか。

 ――攻めが失敗した、という事実だ。

 

(衣は和了できなかった。止められなかったのだ。――宮永照を。そう見えるだろう? ならばそれでいい。それでいいのだ、今は――な)

 

 

 ――東一局一本場、親照――

 ――ドラ表示牌「九」――

 

 

「ポン」 {東東横東}

 

 照/打{白}

 

 第一打から照が動いた。鳴きによる特急券。こういった速攻の低打点の場合、照の動きは異様とならない。特にオカルトを相手としない場合、彼女はあまりに平素な動きを見せる。

 

(――“王道”それが宮永照の征く道か。否、それはあくまで誰かが定めた視点によるもの――こやつの“道”に名は存在しない)

 

 強いて言うなら、宮永照の道。

 

(道程――か。よく言ったものだな、かつてのシナの文人も)

 

 なればこそ――この手牌。

 攻めずに行かずとは、誰が言えよう。

 

 照/打{二}

 

「――ポン!」 {二横二二}

 

 反転。ツモの流れが翻る。そう、流れ。衣が流れを組み替えるのだ。手牌事態はドウとも言えないもの。そこに、どうと言える流れを作る。

 

(――打牌{二}。手牌のど真ん中から切られたが、理牌読みは不可能で間違いないだろう。それでも解るぞ、今の打牌で{一二三}の順子ができたはずだ。でなければテンパイか)

 

 衣/ツモ{一}・打

 

(正解は後者か? いよいよ役牌二つはないようだ。然るにここは――)

 

 続けざま、衣が副露する。

 

「チー」 {横八六七}

 

 周囲の目からはこれで衣は完全に喰い断を目指すと見えるだろう。それは、

 

 ――衣捨て牌――

 {9①東白}

 

 衣の捨て牌からも見て取れる。しかしこれは、オープンされた情報のみを見て取った場合だ。さすがに宮永照は想定済みだろうが、それでもこれがタンヤオ手であると、誰もが衣を見てしまう。

 だが、違うのだ。

 衣の狙いはそこにない。彼女の手牌に現在、“中張牌は一枚もない”。捨て牌とそれ以外の手牌を見ても、むしろ国士無双でも狙った方が効率的だ。

 

 それくらい、衣の手は無残なものだ。とはいえ、ある種必然とも言える理由がある。流れを変えるには今自身の持つ流れを捨てる必要がある。

 衣は本来、国士無双へ向かうにも厳しい“負”の流れが押し寄せているのだ。

 

 そう、衣自身が流れを支配した。

 

 ――衣は支配している。流れを、己がチカラの全霊を持って、悪鬼羅刹のチカラでもって。それの意味するところは――衣のチカラが全極ではなく、太極を左右するものへと変質した、ということだ。

 

 

 ――一本場、和了は宮永照によるものであった。

 テンパイ事態は和了が可能であるが、打点制限による実質片アガリの両面。よくやるものだと衣は感心する。思いの外彼女の和了は、綱渡りで出来上がっている物が多い。

 

 その綱渡りが命綱なしで成功確率百%を繰り返し続けるのが宮永照だ。それは照にとって弱点ではない。それはつまり、“だからこそ強い”という一種の存在感にほかならない――――

 

 

 ――東一局二本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

 ――天江衣。

 その本質は圧倒的な支配力、それに尽きる。本来の彼女の打ち筋は対局者の手を一向聴で制約する縛りの麻雀と、数巡でのテンパイ、そして圧倒的爆発力を誇るスピード麻雀にあった。

 どちらも山を統べ、我を露わにする麻雀だ。

 

 支配。それはオカルトにおける強さの指標とも言える。この世界における、異能とされる全てのオカルトが“支配”に直結することは、もはや語るまでもないだろう。

 

 だが、そんなオカルトとは一線を画する、旧世代式オカルト――つまるところ、アナログと呼ばれるような人の世界に属するオカルトも存在する。

 

 それが流れ。衣はこの流れを支配しようと試みた。何せ彼女はかつてこの“流れ”によって敗北したのだ。かの大沼秋一郎を始めとする玄人系雀士の存在。そして、かつて共に卓を囲んだ仲間の中には、アナログを大いに好む雀士とて、いた。

 

 そうして出来上がったのが現在の衣式オカルト麻雀。これはいくつかの段階を踏むことにより、生まれうる隙を、それぞれの手法で回避することが戦略の趣旨だ。

 

 まず、相手の戦術を見切って捌く受け身の麻雀。アナログの真骨頂とも言えるそれは、理牌読み、捨て牌読み、その他あらゆる現実的情報における分析を主な手法としている。特別なチカラを持つオカルト系雀士でもない限り、手牌の気配を読み取る衣に、化かされるのがせいぜいだ。

 ――二回戦、オカルトに近い性質をもつ小瀬川白望以外の雀士が、手玉に取られていたのが、この形態。

 

 そして、ある程度の支配でもってオカルトを持つ対局者に有効な手牌を引き込む攻めの麻雀。これは瀬々が無意識に行っていた“豪運的”好配牌と同様で、基本はオカルトに属する。当然対処される側の能力であるがゆえ、対処されない相手に対してのみ、効果を適用させる。

 ――代表的であるのは、準決勝の前半オーラスに見せたリーチ。そして猛烈な支配力を要する神代小蒔相手に、隙を突くべく作り上げた手牌群。

 

 アナログという面から、そしてオカルトという面から、衣は状況に対して手を打つすべを身につけた。これには流れというそれそのものは影響しないが、当然だ、衣は自身の支配のほとんどを流れの消失――アナログに作用される余地を潰すために使用しているのだから。

 しかし、最後の形態。流れを自身の支配で活性化させるこの麻雀だけは違う。

 

 これまでの衣の打ち筋は戦略的で、戦術的な面は薄い。つまり、ひとつの対局に例えばこの東一局二本場のみに効果を表すわけではない。

 これは永水の薄墨初美が代表的であろう。自身が北家の時にのみ効果を作用させる。言うなればそれは“戦力”の麻雀だ。

 

(然るに、一騎当千。衣の麻雀は本来その戦力を全極に渡って作用させ、敵をねじ伏せる麻雀。しかし、それでは隙を突かれた時に敗北は必定。よって現在衣は、死角の殲滅という手段を取る)

 

 ――その例外が、これ。

 

「ポン!」

 

 一つ。

 

「それもポンだ!」

 

 二つ。

 

「チー!」

 

 三つ。

 

「カン!」

 

 そして、四つ。

 

 ここに来て、誰もが衣の異様に気がついたことだろう。衣が何をしようとしてるかにかかわらず、ただそれが“異常”であると、気がついたはずだ。

 

(照魔鏡――といったか。(うつつ)を見透かす虚ろな鏡だ。それで見透かしたのだろう? 衣のチカラを、であるならば知っているはずだ。衣が次局、行う一つのオカルトを!)

 

 ――衣手牌――

 {8} {横7777} {横③②④} {五横五五} {2横22}

 

 最後の大明槓。それをここでする必要はなかっただろう。流れを引き寄せるにしても、もっとやりようはあったはずだ。

 だが、衣の仕様としていることは流れの操作ではない。

 

 ――流れの“支配”なのである。

 

 衣/打{8}

 

 この打牌、ここがキーポイントだ。照の瞳が驚愕に揺れる。――否、照が二連続和了で惹き寄せた、風がその気流を乱そうとしている。

 

 そう、風だ。照から吹く風、向かい風。そして照の追い風だ。

 

 それを削ぐ。削ぎ取り削り取り奪い去る。この対局に風はいらない。天江衣と宮永照の気配だけがあればいい。そのための一打だ。

 

 要旨はこうだ。

 天江衣の打{8}には意味がある。宮永照に対する牽制、――宣戦布告だ。ここで{8}を打つということは、単騎待ちに{8}以上の意味があるということだ。

 そう、この{8}は勝利を引き寄せる牌。敵を狙い打つには最適な牌だ。その上牌事態も端の端、安全策としてこれ以上、出てきやすい牌はない。

 

 ならば目的は? 簡単だ。打ち取る以上に意味のある牌――ドラである。無論、衣がそんなストレートな待ちを取るとは誰も考えないだろう、照以外は。

 

 そう、これは照にのみ作用する罠。情報を“持ってしまったがために”照は考えざるをえないのだ。もしもこれがただの雀士であれば、情報の信憑性からドラ待ちの可能性を否定して打牌を選択することもできるかもしれない。

 

 だが、照はできない。

 

 ――照/ツモ{⑥}

 

 照魔鏡は絶対の指標だ。だからこそ、その指標によってもたらされた情報を無視できない。

 情報は武器だ。しかし同時に毒でもある。知恵のあるものは、情報故に惑わされ、身動きがとれなくなるという可能性は生まれうる。

 

 この場合の照がそうだ。

 

(――切れないだろう、そのツモを。不要なツモだ。ここからそれを使うのであれば、面子を一つ崩さなくてはならない。だからこそ、切れない。絶対に)

 

 衣の待ちは、まず間違いなくブラフだ。

 そうしてそれは事実である。衣のツモはなんということはない、単なる{西}――日没の、西。

 

(どうした? どれほど悩んだところで可能性は消えない。その牌が当たり牌である“可能性はある”しかし、それは所詮可能性だ。切れば楽になる。だが、――切れない、だろう? 切れるはずもない、情報を持つ、(うぬ)だからこそ!)

 

 振り上げる。右手を。

 照が動きを見せた。結論を出し打牌を選択する。しなくてはならない。長時間の思考はあまり好まれるものではないのだ。

 

 風をまとって、無骨な機会の轟音が如き音叉を伴い回転する東風は、そして――

 

 

 照/打{8}

 

 

 その一打で、霧散した。

 

 直後、照は連続で{8}を打牌する。刻子が捨て牌に完成した。無論それは語るまでもない、衣のドラ待ちを警戒しての遠回りだ。

 

 おそらく和了は照であろう、ここから衣が和了に手を持っていくことはほぼ不可能だ。ハイテイまで巡目が回るのならともかく、照が居る卓でそれは望めない。

 だが、

 

(――気は、止めた。これで宮永照の流れは宮永に向かない。遅かったのだよ宮永。衣を止めるつもりなら、そちらも全力で――衣を殺す気で動けば良かった。)

 

 それができなかったのは照の敗北だ。

 一切合切、なんの言い訳も通用しないほど、宮永照はこの戦局で失態を見せた。天江衣に、付け入る隙を与えたのだ。

 

「――ツモ」

 

 声は、弱い。否、それ自体はいつもの彼女通り、澄ましたものだ。しかし、三連続で和了したにも関わらず、その声に風雲が伴わない。

 

「……1800オール」

 

 点棒を受け取ると同時、宮永照は積み棒を積んだ。チャ――と響く音はどこか弱々しく、回転を始めたサイコロは、即座にその動きを停止した。

 

 

 ――東一局三本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

「決まったァ――! 宮永照の連続和了が三度炸裂――! もはやその独走は、誰にも止めることはできないのか――!」

 

 実況室から発信され、会場中、どころか日本のテレビの向こう側、全国中に響き渡る福与恒子のけたたましい声。

 状況は最高潮だ。決勝戦、しかも大将戦後半。残すところ半荘は後一回。その一回も、すでに局を消費しようとしている。

 

 恒子は手のひらに、脂汗のようなぬめりを感じた。それを興奮に置き換えて、続く言葉を紡ごうとする――

 

 しかし、それを妨げるように、解説である小鍛治健夜が口火を切った。

 

「……いえ、宮永選手は無茶をしました。結果として、現在の宮永選手は本調子とはいえない……いいえ」

 

 一拍置いて、首を否定の方向へ振りながら、続けた。

 

「調子を“削ぎ落とされている”」

 

「な――ッ」

 

 直後、恒子の顔が驚愕に歪む。続けようとした唇は動かなかった。しかし、音声だけでもその驚愕は、彼女の言葉を聞くもの全てに、伝わったことだろう。

 当然のことだ。誰もが納得という様子でそれを聞くだろう。何せここまで宮永照は順調に和了を重ねている。

 

 天江衣は確かに宮永照の手を止めた。しかし、和了まで止めることはなかったのだ。それどころか、和了を諦めたかのように{西}を抱え、沈黙している。誰もがそう考えていた。

 それはあくまで、優位者は照であり、衣は苦戦を強いられていると誰もが信じて疑わなかったことを指し示している。

 

 だが、健夜はそれを否定した。

 

「……“それ”って、どういう意味です?」

 

 直後、我に返ったと言う風の恒子が小首を傾げて問いかける。おそらくは天然であろうが恒子はその言動で周囲の意識を引きつけ――効果的に、健夜の二の句を引き出した。若年ながらインターハイ決勝という大舞台を任されるに足る手腕、と言ったところか。

 

「天江選手が、アナログ的……シニア的と言い換えてもいいのでしょうけれど、そういった打ち方をする選手であることは、解説しても問題無いと思います」

 

「そうですね……つまりこれって――これ、って……」

 

 一瞬、恒子の言葉が詰まった。無理もないことだ。

 

 無理も、無いことだ。原因は単純、宮永照の手牌にある。

 

 ――照手牌――

 {一三七②④⑥⑧189東西北} {4}(ツモ)

 

 最悪の手牌。もはや形という概念そのものが消え失せて、手牌としての体をなしていない。通常であれば、国士無双ないしはチートイツを意識して配牌からのベタオリを選択する状況。

 

「アナログ的に言えば、流れによる手牌の悪条件化でしょう。そうなるよう天江選手が仕掛けた、と言えます」

 

「……流れを操ったと?」

 

「実際に流れを操っているいないにかかわらず、そう見えてもしかたがないかと」

 

 非効率、非現実の世界を、現実に当てはめるのはなかなか労の要する作業だ。特に健夜はオカルトを肯定もしなければ否定もしない。少なくとも解説という立場においては、だが。

 

「――前局、宮永選手は一度和了を諦め、打点を下げて改めて和了しています。キーポイントはあのドラツモ抱えでしょうが、それがなければ彼女は、五十符二翻ではなく、三十符三翻を和了っているはずでした」

 

「それは……そうですね」

 

 すでに一度語ったことを、改めてと言った様子で健夜は語る。続けて、現在の状況に一息で踏み込んだ。

 

 

 ――龍門渕控室――

 

 

「――――その結果がコレだ。流れを失った宮永照。ここから和了に持っていくには最低で五巡はかかる。そうなるように、衣が流れを仕向けたんだ」

 

 健夜の言葉を受け継ぐように、龍門渕高校の控室では、渡瀬々があくまで得意気に、語る。

 

「衣のチカラ、その最奥にあるのは流れを“支配”することだ。そしてソレを戦力的、簡単に言えば支配なんて抽象的なものではなく、もっと実態を伴う、法則性を伴うオカルトとして使用するんだ」

 

 法則性を伴うオカルト。瀬々で言えば、この決勝戦後半から取得した、必ず配牌がテンパイになる、あのオカルトに近いだろう。

 本来の衣も、そういった法則性を持つオカルト雀士であった。しかし、法則は必ず隙がある。瀬々のそれが、必ずゴミ手にしかならないという特徴を背負っているように。

 

「けどさ、今まで僕達との……それこそ瀬々との対局にすら使ってこなかったチカラを、このタイミングで初お披露目する意味は、なに?」

 

「……結局のところさ、衣の本質は法則のオカルトなんだよ。どれだけアナログで取り繕っても、最終的には“あの”月を従える一人ぼっちの天江衣に行き着いちまう」

 

 一の問いに、少しだけ瀬々は寂しそうな顔をしながら答える。衣にとって、一人ぼっちの“天江衣”は、あまり好まない存在だろう。しかしそれが、衣の本質であるということは、“親友”である瀬々には、些か響く。

 

「まぁそりゃあ、衣自体も好き好んで使いやしねぇだろうけどよ。それでも“その”衣は“今の”衣にとって、単なる選択肢の一つだろ」

 

 純が何気なしに指摘する。

 彼女は、一のように“天江衣”を実感してはいないし、瀬々ほど衣に近くはない。どこか他人ごとのようではあるが、しかし思考は冷静だ。

 瀬々もそれは否定しない。あくまで理解し、そして返答する。

 

「それだけ“宮永照”は強いってころだろうけどさ、複雑だよな」

 

 続ける。嘆息気味に、モニターを投げやりに眺めながら。

 

「ひたすらに強い相手ってのは“天江衣”にとってはいいんだろうけども、衣にとっては、どうなんだろうな」

 

 瀬々にはそれがわからない。強者と相対する衣の心情が。――フラッシュバックする。しかしそれは衣のことではない。宿敵、アン=ヘイリーのことだ。

 

『ですが、最後にあなたと戦えて本当に良かった。負けて悔しい、本当に悔しいですよ。――また、こういう場所であなたと闘いたいと思うくらいには』

 

 “インターハイ決勝で、瀬々と戦う”。

 なんとなく、意味するところも、意義のありかも解る。解らないではない。

 

 そしてその言葉と、今の衣はどこかで重なる。それがどこかはわからない。解りようがない。――きっと、この瞬間に、瀬々が見ている衣という少女は、瀬々の“主観”による衣の姿なのだ。

 

 

『ツモ!』

 

 

 テレビの向こうで衣が和了の宣言をする。

 ――大将戦前半。終了時に瀬々は、楽しげに衣の和了を見ていた。けれども今は違う。どこに、その違いの生まれる余地があるというのか。

 

 判らない。

 

 

 ――少なくとも、今は、まだ。



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『終幕に向けて』大将戦⑤

 宮永照の連続和了が三回で途絶えた。当然、途絶えさせたのは天江衣であるが、その方法が方法ゆえ、結果として他校、臨海と千里山にも、最後のチャンスが訪れることとなる。

 

 東ニ局。ようやく刻まれたその数字に安堵するもの、危機感を覚えるもの。どちらにせよこの決勝戦もすでに終盤。

 

 穂積緋菜も――

 

 ――タニア=トムキンも。

 

 一様に表情を歪め、それでも前を向いている。これは戦場なのだ。戦場で瞳を前に向けないものは死んでいるのと同然。まさしく屍そのものといえる。

 

 だからこそ手を伸ばすのだ。死んでなどいられるものか。これは最後の戦いだ。四者誰にも等しくチャンスはあって、四者だれもが雌伏しそれを待ちわびている。

 

 飛び立つは二対。天江衣と宮永照。しかし、見送るものはいない。追随するはまた二対――先に飛び出したのは穂積緋菜。

 最後に残された二度の親番。その最初の一回にして、次のチャンスはもはやない。宮永照は流れを取り戻してはいないだろうが、それでも――今この瞬間、この手牌にしか、緋菜が誰かを穿つ機会はない。

 

 凡庸なる鳥。――百の数多からなる鳥の巣に、身を潜めた狩人が、鎌首をもたげて牙をむく――――!

 

 

 ――東ニ局、親緋菜――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 

 去年の今より少し先の時期。部長を任される上で、監督である愛宕雅恵に、一つ緋菜は問いかけをしたことが在る。

 

 何故自分なのか、ということはない。緋菜は自分が人をまとめる才能が有ることを自覚しているし、周囲からも今年の部長は緋菜であることが想定されていた。

 想定通りに任命されて、想定通りに仕事をこなすことになるこれから先の自分に、疑問を浮かべる余地はない。

 

 あるとすれば一つだけ。それは千里山女子が持つ、ある伝統を指してのことだった。

 

 その内容は、“なぜ大将は必ず部長が務めるのか”というものだ。

 姫松にエースは中堅を務めるという伝統があるのと同様、千里山で大将を務めるのは、代々部長だ。その実力は凡そナンバー2であることが多いが、今年のようにエース格が二人以上いる場合は、ナンバー3、つまり緋菜レベルの雀士が受け持つこともある。

 

 麻雀の世界では、先鋒にエース、大将にナンバー2を置くのが定石とされる。先鋒では必ず勝って帰らなくてはならないし、大将は勝敗の全てを左右するためだ。

 だが千里山では、大将の選定基準は大抵の場合部長であることだ。どうしても大将に置かなくてはならない事情のあるオカルト雀士がいる場合を除きはするが、凡その場合そのオカルト雀士が部長となる。

 

 帰ってきた答えは単純だ。

 

『大将の役目と部長の役目は類似しやすい』

 

 コレは特に、千里山のように“絶対に負けてはいけない”場合において特に言える。千里山は常勝の強豪校。その実力は全国トップクラスでなければならない。大将は負けることは許されず、自ずと必要以上の責任が生まれる。

 だからこそ、千里山はそのどちらも背負える人間を部長に据える。――それができるほど、人材が豊富ということだ。

 

 どこか世間ずれしているのも千里山部長の特徴だ。緋菜は自分の立場が、そこらの高校の部長と変わらないと考えている。超強豪の超名門にいながら、それを実感してはいない。“凡人”であるからだ。

 もはやそれは彼女の才能とすら言えるが、とにかく危機感というものを緋菜は覚えない。

 

(そういう意味で、やっぱり部長は竜華しかいないよねぇ)

 

 麻雀の腕にはそれなりの自負があった。だから進学先は千里山を選んだし、千里山でも、埋没しない程度の実力はあった。――まさか、レギュラーになれるなど、思っても見ないことだったが。

 とはいえそれは、詮無きことだ。

 

 思考が何処かへそれた。意図せずに、無理もないことだ。原因は手牌にある。配牌に得たこの手牌、緋菜はそれを勝機だと見るのと同時に、最後の華であることも直感的に理解してしまった。

 

 ――緋菜手牌――

 {三四五六⑤⑦134899東} {⑥}(ツモ)

 

(……こんな場所で、こんな配牌。まるで何かを持っているようではあるけれど、決定的には届いていない。まさしく“こんなものか”、って感じ)

 

 悪いものではない。次もコレと似たような配牌が得られるかもしれない。まだ十分に親番と、逆転のチャンスはあるのだ。役満一つ、倍満二つあればいい。それで足りないのなら、さらにもう一度上がりに行くだけだ。

 

 ――要するに、そこに行き着く。今がコウなのなら、次もそうであることを願う。宮永照に対して、勝利できる方法を願う。

 

(そこで行き止まるのが私の限界……かなぁ。そこまで悪いものでもないとは思うんだけど――)

 

 緋菜/ツモ{7}・打{1}

 

 この直後、更に緋菜は{2}を引き入れて聴牌。勢い良く、点棒を収めるケースを開いた。打牌の直後、ようやくこの後半戦で初めての発声をする。

 

(――妥協はできない、絶対に。私が凡人である以上。私が千里山の大将で、部長である以上!)

 

 

「リーチィ!」

 

 

 その声は、大きく響いた。

 緋菜の言葉は、彼女だけではない、対局者に。マイクを通して多くの観客に、震わせるように、響き渡った。

 

「……ポン」 {六六横六}

 

「――ッ!」

 

 同時に、それを食い破るように宮永照が発声する。すでに何度、彼女の声が対局を震わせたことだろう。憎らしいほど、だ。そしてそれは同時に、笑えないほど圧倒的で、決定的だ。

 

(けれども、今は違う。この局。まだ宮永照は聴牌していないはずだ。前局に何があったかは知らないけれど、とにかく今のチャンピオンは“なにかおかしい”だから、ここで和了るのは、私で間違いない)

 

 焦燥感が生まれるのは避けようがなかった。何せ相手はチャンピオンなのだ。勝利は99%確信できたとして、残りの1%に敗北の可能性があるというのなら、それはつまり最悪で、緋菜の全てを折りかねないのだ。

 

 だから、最初のツモ。思いの外早く回ってきたそのツモを、大事に抱えるようにして、盲牌もすることなく、緋菜は手元に引き寄せた。ゆっくりと目元に持ち上げて、思い描くようにして右手に抱えて。

 引き寄せた牌を、そうして開く。

 

(……あぁ)

 

 本当に、憎らしいほど。

 

 恨めしいほど。

 

 言いたいことは山ほどある。照に対して、衣に対して、タニアに対して、今対局を見守る、千里山の仲間たちに対して。

 

 それら全てを総合し、あえてひとつの形にするなら。きっとこんなふうになるのだろう。心の奥底でだけ緋菜は、言葉を確かに、露わにした。

 

 

「――ツモ」

 

 

(…………ありがとう)

 

 

 ――と。

 

 

「4000オールです」

 

 ――緋菜手牌――

 {三四五⑤⑥⑦2347899}

 

少しだけ、照と衣の両名が驚いたように緋菜を見た。どちらも、表情に感情が浮かばないタイプの雀士だ。その驚愕の本意が、如何に強大かは伺えない。そも、大きいか、小さいか――そんなこと、緋菜には対して関係はないのだ。

 点棒を受け取り、それから山の牌を開いた先に押し込む。ふと、自分が本来つかむはずだった、リーチ直後最初の牌が目に入る。

 

 ――{六}

 

(……やっぱ、人生ってよくできてるなぁ)

 

 敵わない。照と衣、両名に対しそう思いながらも、どこか晴れやかな気持ちで、緋菜は点棒を――一本場の積み棒を引き出した。

 

 

 ――東ニ局一本場、親緋菜――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 続く一本場、未だ宮永照の流れは彼女のもとに戻らない。そこで動いたのはタニアと衣、それぞれ手牌は数巡で聴牌を迎えたようだった。

 

「ポン」 {東横東東}

 

 その時、衣の牌を喰って、照が動く。ごくごく単純に衣から奪われた流れを取り戻すためだ。照は衣のオカルトを照魔鏡で覗き見ている。故に対処法も解る。衣から流れを奪って和了するという状況が、衣打開のために必要なのだ。

 

 とはいえ、それは先ほど緋菜の和了で阻止された。あの状況で、まさか緋菜が一発でツモを引き寄せるとは、想定もしていなかった。

 何もない、だが何かを持っている。その強さは驚嘆に値する。だがそれだけだ。この局を和了し、再び流れを引き寄せる。

 

 ――だが、それに待ったをかける者がいた。

 

「チー」 {横⑦⑤⑥}

 

 衣のツモを、タニアが喰った。照と衣の争いに、混迷と呼べる風を呼ぶ。

 

 ――タニア手牌――

 {二三四③⑥⑥56788} {横⑦⑤⑥}

 

 タニア/打{③}

 

 わかっている事がある。衣と化かし合いをするにしろ、照と殴り合いをするにしろ、後ろ向きでは何も変わらない。しかし、前向きであっても届かない。

 だからこそ、回り道をするようにタニアは手を動かす。

 

 だが、この回り道こそが突破口なのだ。タニアの回り道は周囲にも影響をもたらす。衣にしろ、照にしろ、状況はタニアによって横合いから“ずらされた”その結果は、誰も今走ることができないのだ。

 

 そして――

 

 

「ツモ」

 

 

 タン、と。

 それはあまりに小さく響いて、牌は静かに、卓へとさらされた。手牌を開いたのは――衣。照の思惑を排し、タニアの横槍を“すり抜ける”ようにして和了した。

 

 ――衣手牌――

 {四四88②②二二6655七横七}

 

「1600、3200の一本」

 

 少しずつではある。衣の戦術により、状況は大きく動いた。その中で、少しずつタニアと緋菜の動きが一時的であるにしろないにしろ、動き出し始めた。

 

 そして局は東三局。静かに動き始めた時を追い求め、後半戦初めて――タニア=トムキンが加速を始める――――!

 

 

 ――東三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

 しかし、この局。最初に動きを見せたのはタニアではなく、宮永照であった。――少なくともタニアは加速までに三巡を要する。それは決して欠点ではないが、速さという面においては、別段“速すぎる”わけではない。

 そう。“速すぎる”行動とはつまり、

 

「リーチ」

 

 ――こういうモノを言う。

 

(……ダブルリーチ! 飛ばしてるね!)

 

 照が最初に打牌した牌を曲げた。おそらくは、多少強引にでも流れを引き戻すため。とはいえそれは、衣のオカルトという情報が足りないタニアには、想像も及ばない部分ではあったが。

 

 最初に一翻を和了しないということは、照にとっては珍しい。少しずつ刻んでいくのが彼女のスタイルである以上、二翻であるダブルリーチは、さほど歓迎すべき手ではない。

 

 それでもした。照が動いた――衣にとって照がそうであるように、照にとってもまた、衣は脅威であり、絶大な敵である。

 

(……天江衣だけ、かなぁ?)

 

 しかし、とも思う。強敵が、果たして衣だけかといえばどうだろう。――そんなはずはない。現状の状態は、思い返せば去年のインターハイ決勝大将戦に似ている。前提の条件はどうあれ、照が苦戦し前に出れずにいる。

 大将戦後半の場において――その東場に置いても、というところまで含めて、似ているとタニアは繰り返し思考した。

 

 ――その時は、照を三人が押さえ込んだ。

 

 けれども、今はそれ以上の場が作られている。天江衣という存在が土台にはあれど、衣と、緋菜と、そしてタニアがそれぞれの方法で、それぞれの立場で照を抑えこんでいる。

 同等にないのだ。同様に三者が協力を行っている訳ではない。勝利のための行動の結果、タニア達は照を抑えこんでいる。

 

(やっぱそういうのって、嬉しいよね。――そっか、なんとなくわかった)

 

 嬉しい、という感覚が浮かぶ理由は簡単だ。何せ少なくとも照の苦戦は去年、アン=ヘイリーが他校と同時に行っていた行動の結果だ。

 そして同時に、それが現在のタニア達と同様の姿だというのなら、それほど嬉しいことはない。

 

(……今まで、私は誰かを追いかけ続けてきた。それはアンだったり、アンのお父さんだったり、ハンナのとこの爺さんだったり)

 

 三傑であったり――“あの人”であったりする。

 

(一年前のアン達ではある。一年前のアンは強かった。でも、今はもっとアンは強い。少なくとも、単独で宮永照に勝つつもりだったみたいだ)

 

 そしてあの先鋒戦、渡瀬々が“何か”を突破しなければ、勝っていたのはアンだった。急激な成長を遂げた瀬々はおそらく宮永照とも同等にやりあえる。

 だからこそ、アンはあの、どちらが勝つかも解らない状況で戦えていた事実は今のアンと昔のアンの、確固たる違いを感じる。

 

(……それでも、私はアンに追いついた。追いつけることを理解した――! だったら私は、私が勝てるように前に行く。たとえその時、私がしわくちゃのおばあちゃんになっていたとしても…………!)

 

 思考。

 

 そして、直後。

 

 

「ポン」 {九九横九}

 

 

(――ッ!)

 

 天江衣が牌を喰った。タニアの牌だ。そして衣が鳴いたということは、ほとんど追加ドローに近い形で、タニアにもう一度牌が回ってくる。

 それは――

 

 タニア/ツモ{7}

 

 

 ――宮永照が、掴んでいたはずの牌だ。

 

 

 ニィィ。

 瞳が、顔が、笑みへと歪む。心底、愉しそうにタニアは笑った。

 

(これは……いらない牌。そう考えたからこそ私にコレを流したのだろうか。私ごと、宮永照を自沈させるために!)

 

 侮られたものだ。

 全くもって度し難い。

 

(確かにコレは聴牌には必要のない牌。天江衣、あんたの読みは正しいよォ!)

 

 ぞくり、と、身体の奥から熱が浮かび上がってくるのを感じる。血管という血管に張り巡らされた情熱が、その行き着く先を燃え上がらせる。

 湧き上がるような恍惚感に、ビクン、と身体が一度震えた。

 

「……んっ」

 

 思わず漏れだしそうになった声を必死に堪える。恍惚に呆けた顔は、朱が交わって背徳的で艶美な笑みが、タニアの“女”をのぞかせる。

 

 狡猾で、

 苛烈で、

 情熱的な――勝負師としての、タニア=トムキンが。

 

(――でもぉ、でもでもでもでもでもねぇ! ダメなんだよねぇ間違ってるんだよねぇ! ミステイクだよ龍門渕!)

 

 結果としてそれは天江衣をサポートする結果につながるだろうがそれでも、意味はある。天江をかいくぐり、無茶をする照を刈り取ることができるのはタニアであると――誰にも解るように、魅せつけるために。

 

 ――勝負師タニアが、姿を見せる。

 

(確かにこれは“必要ない”。けれど“使えない”わけじゃあ、ない!)

 

 ――タニア手牌――

 {四五六②②④⑥⑧34777(横7)}

 

 

「――()()」 {7裏裏7}

 

 

 緋菜に対しても、照と衣は驚いたような顔を浮かべた。緋菜が、彼女たちの予想を越えうる雀士であることを証明している。

 そしてこれも同様に。しかし、今度こそ本当の本当に、

 

 

 心底から、照と衣は驚愕を浮かべた。

 

 

「リーチ!」

 

 タニア/打{⑧}

 

 ――新ドラ表示牌「{4}」

 

 状況がタニアを味方した。単なる幸運にも思えるかもしれない。しかし、衣が行動を起こし、照がそれに対応を見せた。その状況があったからこそ、タニアはこの行動をとれたのだ。

 極細の糸の上を綱渡りするかのような、奇跡的な状況構築。文句なしにそれはタニアにとっての最善といえた。

 

 照/ツモ切り{發}

 

 緋菜/打{⑧}

 

 衣/ツモ切り{9}

 

(本当に、……本当に)

 

 タニア/ツモ切り{東}

 

 

 ――照/打{5}

 

 

(長かったなぁ。……いや、“長い”なぁ)

 

 

「……ロン。8000!」

 

 小さな声で発声をして、そこから駆け上がるように、タニアは点数申告の声を高らかに、轟かせるように響かせた。

 

 

 ――東四局、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{七}」――

 

 

(…………やっぱり、こうなるか)

 

 ある程度、想定していたことではある。インターハイもしかも決勝となれば宮永照を殺しきる雀士も現れてくる。ここが大将戦の場であることも考えれば、そうそう絶対的な強者が現れることはない。

 ――例外はそれこそ、“天江衣を大将に置く”という選択肢を取れるほど層の厚い龍門渕位なものだろう。

 

()たところ、千里山にも、臨海にも、今の対局に“偶然”以外で和了できる要素はなかった。――否、偶然が助力しなければ彼女たちのチカラは十二分に発揮されることはなかった)

 

 認める。

 穂積緋菜も、

 タニア=トムキンも、インターハイにおいて十指に入るかといえるほどの強敵だ。少なくとも、照が今年これまで闘ってきた相手のなかで、二番か三番に数えられるほど。

 

(違いはなんだろう……やっぱり“場数”?)

 

 戦場は人を組み替えるもっとも重大なファクターだ。強者が弱者を前進させる推進剤となる。その場数を多く踏み、この決勝戦にまで辿り着く者が、経験を積んでいないはずがない。

 

(なら……問題ない。場数で言えば間違いなく)

 

 ――照手牌――

 {一六七九②④⑧1447發中}

 

 難しい手牌に見える。ドラが不確定である現状、手を出すには些か不安が残るだろう。だが、照からしてみれば、これは絶好に和了に向いた牌。

 そうそう一翻から手が上昇することがないのだから。

 

 タニア/打{③}

 

(私が一番――格上)

 

「――チー」 {横③②④}

 

 打。

 

 

 速度に任せて卓の端に牌がたたきつけられる。

 

「ポン」 {4横44}

 

 打。

 

 続けざまに、牌が動く。

 

 打。

 

 打。

 

 打。

 

「――ロン」

 

 タニアの手が止まった。

 

「……1000」

 

 {五六七⑧⑧77横7} {横③②④} {4横44}

 

 衣の表情が、ここに来てぴくりと歪んだ。小さな歪み、しかし、戦いに意思を向ける上でそれはあまりに歪であった。

 綻び、照はそう名をつけて呼んだ。

 

(……流れが向いていない?)

 

 衣は強者だ。――だが、照もまた絶対的な強者である。自意識ではなく客観的な事実として、宮永照は“最強”なのだ。

 

(……偶然に足元を掬われた?)

 

 そして彼女の強さは、何もかもを見透かしているかのような判断力にある。照魔鏡という才能もそうだが、照は往年の玄人のように、裏道を突く戦い方を好む。

 

(……無茶をして裏をかかれた?)

 

 だが、それが強さだというのなら、それと同様に玄人好みの闘い方をして、その点においては照の上を行く衣が、誰もかなわないバケモノに転じる。第二回戦、衣とやりあったあの雀士達が、誰よりも強いということになる。

 だが、衣の強さがそこだけに集中しないように、照の真骨頂――本来の強さは別にある。

 

 ――それは、言うまでもなく、圧倒的な聴牌速度と――――和了スピード。

 

(――関係ない。それなら私は、技術(スピード)で全てを薙ぎ払うだけ)

 

 

「――南入」

 

 

 ――南一局、親照――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 

「ツモ、800オール」

 

 

(――速いかッ!)

 

 衣の中に、何かが生まれる。

 それは言葉にするにはあまりに小さく、もろく、不確かなもの。だが、間違いなくなんら気のせいでもなく、根付いてしまった一つの感覚。

 

 宮永照が息を吹き返した。

 

 たった四巡。それだけの間に、一切の副露もなく一つ和了した。

 

(だが、次は三翻程度。まだ追いつける。――衣に流れは消えていない!)

 

 はず、だった。

 

 

 ――直後、身体をそのまま崩壊させられるかのような暴力をともなった激烈の群れ、風圧の塊が衣を襲った。

 

 

 対面、照からのもの。白の気流にそまった幾つもの爆風が、一方通行に流れて消える。千か、万か、幾億か。数えることすら困難なほど、照は威圧を複数向けた。

 

(……が、は?)

 

 意識が、遠のいてくのを感じる。

 

 ここにきて、宮永照は何て顔をしている。瞳に、先ほど以上のチカラが宿っている。収まりは見えない。

 

(……衣にもはや退路はなし、か。ギアを上げたな? であれば次は……!)

 

 ちゃ。

 音が聞こえた。続けて照の発声――「一本場」。対局は終わらない、河の流れが濁流の如く変わるように、怒涛がごとく、水嵩を増す。

 

 

 ――南一局一本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

 ――衣手牌――

 {二三九九發發④⑥23②45(横4)}

 

 衣/打{⑥}

 

(……、)

 

 

 ――タニア手牌――

 {八九④⑦⑦5666東北白發(横北)}

 

 タニア/打{東}

 

(んっ……うふふぅ……)

 

 

 ――照手牌――

 {四四六六八八③③99西西6} {9}(ツモ)

 

 照/打{6}

 

(――、)

 

 

 ――緋菜手牌――

 {④⑥⑦12234668中中(横9)}

 

 緋菜/打{④}

 

(~~♪)

 

 

「チ――」

 

 

「ポン」 {④④横④}

 

 ――閃いた。

 衣の伸ばした右手の先にある牌が、掠め取られるように横から吹き付けた風にかき消される。爆発によってたたきつけられた牌は白煙を刻みつけ――

 

 照/打{西}

 

 照の続く打牌がともなった。

 ねじ伏せるかのような鳴き。衣は、改めて手にとった牌を、そのまま放り投げるように捨てた。

 

 衣/ツモ切り{東}

 

 更に一巡、それぞれが牌を切った。全て手出し。――ツモ切りは、更に次巡のタニアであった。

 

 タニア/ツモ切り{四}

 

「――カン」 {横四四四四}

 

 鳴いて、すでに照は聴牌していた手を完成させる。

 

 ――新ドラ表示牌「{三}」

 

 最低でも親満が確定、二翻あれば跳満になる――――誰もが理解した。この局。和了するのは宮永照だ。

 

 衣は“薙ぎ払われた”。

 

 

 衣が自身の戦力、オカルトをして照を押さえ込んだように、今度は衣が照のチカラに圧されている。

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――照手牌――

 {六六③③999横③} {横四四四四} {⑧⑧横⑧}

 

 

 このインターハイ、最強は宮永照だ。チャンピオンとして、君臨するのは彼女である。無言で、単なる一つの認識で、

 

「――6100オール」

 

 

 彼女は、語った。



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『想い色のバトン』大将戦⑥

 ――南一局二本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

「――――ツモ!」

 

 ――衣手牌――

 {|一一二三三七八九①②③11横二}

 

「……3200、6200だ」

 

 衣の和了に、緋菜とタニアがなるほど、と理解したように頷く。ここまで、衣の捨て牌を見ればそれは理解できるだろう。

 

 ――衣捨て牌――

 {4五⑤②3}

 

 ここから読み取れることは、衣が相応に無茶をしてこの手牌を組み上げたということだ。最初から決め打ちしなければ和了まで持っていけるような形ではない。

 色を残せば照に狩られる。照は間違いなくすでに聴牌で、悠々と次のツモでそれを掴んでいただろう。

 

 衣の表情に苦渋が見える。それは画面越し――龍門渕の面々にも伝わっていた。

 

 

 ――龍門渕控室――

 

 

「衣がやりましたわ!」

 

 透華が思い切り良く飛び上がって笑みを浮かべる。無理もない、状況はひたすら混迷しているのだ。そこで、跳満和了は大きい。次に繋がる原動力になる。

 だというのに、瀬々の顔は苦しい。それこそ画面越しの衣のように難しい顔で現在の状況を見据えている。

 

「……けど、苦しいな」

 

「どうして? 今衣はトップだよ? このまま逃げ切れるんじゃあ――」

 

 瀬々の嘆息めいた一言に、一は不思議そうに問いかけた。

 

「いや、そうでもねぇぞ」

 

 肯定するのは井上純。彼女だからこそ、それに気がつけた。他はオカルトには精通していないし、純のオカルトは衣の状況を察するにあまりに有効だ。

 

「――流れが消えてるんだよな。衣が今まで掴んでた流れ、全部手放しちまった。そうなると今の宮永照相手に、ただの速攻で和了するのは厳しいぞ?」

 

 流れ、つまり今の今まで衣が支配していた麻雀の太極を、衣自身が手放してしまったのだ。しかも、それによって抑えていたはずの照はすでに解き放たれて、縦横無尽に和了をしている。――衣がこの後半戦、序盤に握ったイニシアチブの全てを失ってしまったということになる。

 

「それに今の宮永だ。普段の宮永だって、三局もあればこのほぼ満貫ツモ条件、クリアしちまうってのに、今はそれ以上だ。間違いなくあのチャンピオン、親満程度なら速攻であがるぞ」

 

 逆風が吹き荒れている。どれだけ和了ができたところで、終局でトップでなければ優勝はできない。衣にとってはそう、だが照は違う。

 

 もはや衣にアドバンテージと言えるものが無くなったがために、あとに残るのは、勝利まで自分が走り抜けることなのだ。

 

「――客観的に見て、絶体絶命、かな。正直、後は全部衣次第だ」

 

「そんな……!」

 

「あっはは、それは厳しいねえ」

 

 思わず絶句した一に、水穂が同意する。想像もしなかったことだ。衣が負けるなど――たとえ実際に負けたのだとしても、想像が及ばないというのに。

 

「……衣」

 

 ぽつりと、智樹が抑揚のない声でつぶやく。しかし、それ以上に彼女の瞳は雄弁に語っていた。負けないで欲しい――チームメイトとして、信じているのだ。龍門渕の天江衣は最強である、と。

 

「――ふ」

 

 

 ――そこに、風が流れた。夜風か、しかしそれ以上にひんやりと肌を冷やす冷風。透華の風だ。

 

 

「――――ふふ、それでこそインターハイ、それでこその大舞台ですわ! 衣があぁも悩んで、麻雀を打っている。であれば私達は信じるだけ、衣の麻雀を、信じるだけですの!」

 

「……まぁ」

 

「そうだよねぇー」

 

 続けるように純が受け取り、水穂がのんきに笑って肯定した。

 

「信じる……」

 

「智樹、なんだか張り切ってるね」

 

 いよいよ、インターハイ団体戦も大詰め、長かった夢のうつつに終止符を打つ。それは、一万もの高校生雀士達との闘いを制し、駆け抜けてきた最強の高校達の義務だ。

 

 千里山も、

 

 臨海も、

 

 白糸台も、

 

 ――龍門渕も、

 

 自身の優勝を未だ疑わないものはいない。閉幕を飾るのは自分であると、高らかに叫んで譲らない。

 

「まぁ……後は全部衣に託すだけだよな。それしかできないし何より――あたしたちは、誰だってそれをしたがってるんだから」

 

 瀬々が、総括するように視線を向けた。透華が、一が、水穂が、純が、智樹が、同時に頷き笑みを浮かべた。

 

(――さぁ衣、後は全部終わらせるだけだ。全てを賭して勝ってこい。それでも負けるっていうんならその時は……そうだな、個人戦で衣をぶっ飛ばそうか)

 

 誰もの思いを載せて、

 

 

 ――南ニ局が、始まろうとしている。

 

 

 ――南ニ局、親緋菜――

 ――ドラ表示牌「{南}」――

 

 

 三巡目。

 

 ――照手牌――

 {四五六②②④④⑤⑥4555(横③)}

 

 照/打{②}

 

 ――そこで、衣の顔が心なしかこわばる。ただ、それが周囲に伝わることはない。単純に衣に意識が向いていないということ以上に、意識させるほど、明確に表情が揺れたわけではない。

 ただ、精神は揺れた。――照の風を、感じ取ったのだ。

 

 意識の上で、照がテンパイしたことを、理解した。近いうちに和了までたどり突くことは必定――照の平均和了スピードは六巡。それを加味しても、まさかここで当たり牌を引けないとは思えない。

 

 衣の手は二向聴、ここからでは、どうあがいても聴牌どまり、照の速度に――追いつけない。

 

 緋菜/打{發}

 

 衣/打{⑨}

 

 タニア/打{一}

 

 それは――加速に映る、タニア=トムキンの一打。ここまで動きはない――天江衣は手が出せない。

 

 それでも動いた。

 

「――ポン!」 {一一横一}

 

 衣/打{二}

 

 タニア/ツモ{4}・打{七}

 

 そして――右手を振り上げる。照の手が宙に風を描く。前進するのだ、留まることを知らず己を晒す。当たり前のように、闊歩する。

 

「ツモ」

 

 

 一言は、異様なほどに遠く。

 

 

 ――照手牌――

 {四五六②③④④⑤⑥4555横3}

 

 

 一打は、異常なほどに大きく見えた。

 

 

(……?)

 

 ――タニアが、即座に理解し違和を思考に浮かべる。衣は何を考えている? その意図をタニアは図りそこねた。

 

「――2000、4000」

 

 宮永照の点数申告。しかし、おかしい。明らかに、――仕組まれている。本来であればこれは二翻、つまり5001000(ゴットー)の和了で終わっていたはずだ。

 しかし、衣はあえてそれを避けた。わざわざ敵に塩を送るような真似をしてまで、巡目をずらした。ありえないことだ。――必要のないことだ。

 

 必要のないことをする意味は無い。であるならば、それは“必要なこと”なのだ。あくまで天江衣の中では。

 

 底が知れない。タニアは少なくともそう考えた。衣の強大さを理解し、認めた上で――笑みを浮かべた。

 

 続く南三局。

 

 

 ――天江衣、最後の親番だ。

 

 

 ――南三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{④}」――

 

 

 しかし、あくまで衣の狙いは単純だ。タニアに理解が及ばないのも無理は無い。なにせ彼女は衣のオカルト、流れの支配を正確に把握しているわけではないのだから。

 あくまで東場、一時的に照の足を止めた何かがある、という程度。

 

 衣の目的は、そう。再び流れを引き寄せることだ。しかし、それは照という衣以上の速度を誇る相手が居るこの場ではもはや不可能。奇策で、衣は流れを引き寄せる他なくなった。

 

 とはいえ、方法は実に単純だ。前局、衣の狙いは照の和了が“衣の支配下にある”という前提を作ること。打点を引き上げ手作りを難しくするという、前提条件を作ること。

 流れは、表面的な事実に味方をする。小手先の一打に翻弄され、姿を変える。流れというのは当然ながら流動的なものだ。おワンに汲まれた水を箸でかき混ぜるだけで、流れは即座に姿を変える。

 

 凪の小波から――暴風雨の大波へ。

 

 

 衣は状況を支配しようとした。己のオカルトで、持ちうる限りの戦力で。

 

 

 照の次の和了条件は跳満以上。もしもここで照が倍満を衣に“和了らされた”となれば次は三倍満が必要になる。

 そしてその場合、衣の逆転条件は三倍満ツモ。――同条件だ。

 

 同条件を衣が“作った”ともなれば、流れは大きく衣にかたよる。大きな流れさえあれば、状況が衣に偏ることはすでに南一局二本場で想定済み。

 綱渡りにはなるだろう、しかし、勝機はすぐそこにあるのだ。

 

 ――照手牌――

 {七八九九①①②⑦⑧⑨789()}

 

 照/打{②}

 

 二巡。照が聴牌

 高め純チャン三色ツモで跳満確定。――純チャンだ。衣があの二本場で和了ったものと同様。しかし、その形はずいぶんと違う。すでに一枚が使われていることが見えてしまっている嵌張と、この待ちが薄いとはいえ、手広く受けることのできる三面張では。

 

 ――大きく、状況が違う。

 

 だがそれでも、これが衣にとって絶好の機会であることは変わらない。

 

 意識を込めて牌をつかむ――手の中で、牌が滑るのを衣は感じた。汗がツモを鈍らせている。そんな幻覚がふと浮かび――すかさず否定し消し去る。

 

「……カン!」 {南裏裏南}

 

 引き寄せた牌を即座に晒して見せる。

 

 ――新ドラ表示牌「{八}」

 

(……これで)

 

 照はそれを防げなかった。もしもこの{南}が槍槓で防がれていれば衣が逆転する眼は消え失せていた。しかし、それがない。であるのならば衣にもはや恐れるものはない。

 

(……この勝負、衣の勝ちだ!)

 

 衣/打{②}

 

 手牌から安牌を選んで切り、タニアが打牌。照が牌を掴みにかかる。モーターの駆動音が如き耳に響く音を周囲にまき散らしながら、ツモる。

 

(もしもここからフリテンリーチなどしようものなら、その間に衣が和了する……どちらにせよここで、衣に流れが惹き寄せられる――!)

 

 照の風に呼び起こされるように、波が――大きな流れが衣の足元から吹き上がる。それは即座に周囲を満たす“海”となり、世界を浸し、世界を侵した。

 

(さあ和了れ宮永照! 和了って己の敗北を、自分自身の手で刻み込んでしまえ!)

 

 吹き上がる。

 爆発的に、

 

 流動的に、

 

 

 激動的に――それは、宮永照に風をも飲み込み、喰い尽くさんと襲いかかる――――!

 

 

 ――だが、

 

 

 それは、為されなかった。

 

 

 突如として、流れが、海原が無職の斬撃に切り()()()()

 

 

「――は?」

 

 思わず漏れた。

 衣の口から、間抜けにも、気が抜けたように音が漏れた。

 

 照は“続ける”。凛とした顔付きで、睨みつけるように衣へ向けて言葉をかけた。

 

「聞こえなかった?」

 

 ――一拍、置いた。

 その一拍は無間のように衣を傷めつけた。

 

 

「――――私は、自摸った瞬間に()()と発声していたはずだ」

 

 

 天江衣は、墜落を感じた。己が広げた天への翼。白の無垢に染められた両翼が宮永照の風刃に切り裂かれる。白雪のごとくその羽は飛び散り――海へと消え散る。

 

 即座に重力が、衣の体中を這いまわり、引き寄せるように、力を込めた。

 

「ツモではない!?」

 

「当たり前、ここで終わるのはミステイク」

 

 ――新ドラ表示牌「{八}」

 

 照/ツモ切り{①}

 

 

「リーチ」

 

 

 たんたんと、照は続けた。その一つ一つが刃となって衣に襲いかかる。直撃、――落下速度は見る見るうちに加速し、衣は海に意識を投じた。

 

(……馬鹿な――これじゃあ、衣は、何もない、流れの全てを消し飛ばされた――!)

 

 

「……ツモ」

 

 

 衣の瞳が、いよいよ大きく見開かれる。瞳孔が狭まるほど目一杯。際限なく、躊躇なく。

 

(……頼む)

 

「リーチ、一発ツモ」

 

(頼む――頼む、頼む、頼む!)

 

 もしもここで、裏がのれば間違いなく役満。衣に、勝ちは一切なくなる。それは衣の選択ではない。完全に衣の上を言った、宮永照の選択だ。

 

「――ドラ八」

 

(ここで、衣は負けたくない。こんなところで! こんなところでッッッ!)

 

「裏は――」

 

 緋菜が、

 

 タニアが、

 

 ――モニター越しに、瀬々が、そして龍門渕の面々が。

 

 

 ――この戦いの行く末を見守るあらゆる者達が、照の指先、裏ドラ三枚の在処に、終幕を委ねた。

 

 

 裏ドラ表示牌「{五}」

 

 かすめる――照の最後のツモは{六}、つまりこれで――十二翻。

 

 

 あとひとつで、衣の敗北が決定する。

 

 

「――――――――ッッッッ!」

 

 

 二枚目。

 

 ――裏ドラ表示牌「{①}」

 

 

 これでは、無い。

 

 すでに照は{②}を切り捨てている。役満には、至らない。

 

(……衣は、何を間違えていた? 見誤ったのか? 否、それはない。前半戦で衣は此奴に勝利している。――衣と此奴の間に差は無いのだ。あるのは、勝敗を分ける時の運)

 

 跳ね上がった飛沫が水柱と無し、宮永照が見下ろす天蓋へと手を伸ばす。即座に形をなした二の腕は、照へめがけて伸ばされて、握りつぶさんとする――!

 

 が、

 

(……馬鹿な、そんなものに衣が勝負を左右されるなど。衣は麻雀を支配しうるのだぞ? それが完全ではないとはいえ、闘いが完全でないはずはない。ならば……)

 

 照は、それを身動き一つせず振り払った。

 ただ黙然とし、仁王立ち。振るわれるのはそれを支える単なる風の群れだけだ。宮永照は不動のまま、天江衣を見下ろしている。

 

 弾き飛ばされ、広がった水滴。薙ぎ払われたのはそれだけではない。海は割断され、落下する衣はさらにその奥、深海へと実を落とす。

 

(そう、か。衣は何も間違えてはいなかった。 ――ただ、衣の正解に――()()()の正解が上回った、それだけのこと、か)

 

 自嘲するかのように笑みを浮かべる。

 

 

 ――照が、最後の裏ドラに手を伸ばす。

 衣は一度だけ眼を閉じた。意識を沈めて――それから浮上させる。見つめるのは、宮永照の、その瞳。

 

(……だが、ここだけは譲らない。ここで宮永照が役満を和了れば、次はダブル役満。おそらく地和にもう一つ、そしてそれは、どれだけずらしても自摸られるだろうな。対面の衣では自分がないて防ぐことも、不可能)

 

 この最後の裏ドラ。

 もしもこれが乗ってしまえば、それだけで全てが終わる。衣の手のだし用もなく。なればこそ、これは宮永照と天江衣の――運気の勝負。

 どちらも、間違いなく“人類”トップクラスのツモ運を有していることは間違いない。

 

 であるならば、そのトップクラス二つの内どちらが勝つか。

 支配に関して言えば、宮永照の支配は控えめだ。衣の絶対的な支配が上を行く。要所要所に照が支配でブーストを効かせるならばともかく、ここは単なるツモ運の領域である、はずだ。

 しかし、アドバンテージでは照が優勢である。なにせ今からめくるのは照のカンによるカン裏。流れは間違いなく照に向いている。

 

 ――これが最後を決める裏ドラ。状況は同一に思える。しかし、条件は天江衣の圧倒的不利、そもそも衣は、ここで引かれなかった場合、あくまでオーラスでの勝負が可能であるという条件でしかない。

 

 それでも、ここで裏を引かれないことが、衣が勝利する最低条件。

 

 厳しくはある。だが、確定的ではない。

 

 

 ――未だ、勝負は決しない。

 

 

 ――しかし、決しかねないほどの爆弾を有した最後の裏ドラ。照の手が翻る。隠されたドラが――めくられる。

 

 

 結果は――――――――



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『陽の光月満ちて』大将戦⑦

「――裏、一つ」

 

 

 ――裏ドラ表示牌「{西}」

 

 

「……6000、12000」

 

 

 生きた心地がしない。そんな言葉を天江衣は、生まれて初めて実感するに至った。少なくとも強者というものを、明白に感じたことはこれが初めてだ。

 ――だからこそ、安堵する。

 つながった。最後のオーラスに、勝敗を決める大一番に、首の皮一枚繋がった。照は次の和了に役満が必要。衣の逆転条件も、役満ツモ和了。和了る必要のある手はどちらも同条件。そこだけみれば決して悪い状況ではない。

 

 ――だが、見に頼った待ち構えの闘牌は使えない。すでにそれは、照を一度捉えている。二度も同じ過ちをおかす者が、強者であるはずもない。そもそもあれは、照の無茶があったからこそ可能であった芸当だ。

 そして、流れを支配するという芸当も、もはや照に通用しないことは証明された。そもそも、先手をとって行動を起こすということ自体がミステイクだったのだ。いくらでも、敵に対応のチャンスを送ってしまう。

 退路は断たれた。もはや衣に打てる手はひとつしか無い。

 

(……長い、旅が終わる。その終着点が、この“選択肢”であったというのは、何かの皮肉かな。――いや違う。これは衣の意趣返し、かつての己、今の己。その違いを証明することが、衣にとっての成長の証になる)

 

 衣の手に残った最後の希望。その一欠けは、衣が生まれた頃から共に歩んできた異能だ。――かつては、それに任せて麻雀を“打たされていた”。しかし今は違う。

 

(今の衣にとって、これは明確な選択肢――! 天江衣はもう、この地に一人で立てるということの証明――!)

 

 見ていてくれ、衣をよく知る者達よ。

 これが衣だ。

 

 ――天江、衣だ!

 

 

 ♪

 

 

 狭いマンションの一室。――一つの部屋が狭いのではない。一人暮らしには似つかわしくない豪勢なマンションの、そのうち一室が狭いのだ。ここに暮らす住人は全員が大学生。特待生として大学に招かれる立場とはいえ、資金に余裕が有るわけではない。

 

 だが、複数人であれば事情は変わる。要するにルームシェアだ。この部屋を間借りする三人の大学生は、生まれも育ちも共にして、姉妹と同様の関係で成長してきた。

 信頼関係で言えばもはや家族級。ルームシェアという難しい事情でも、ここまで半年、苦もなく問題もなく暮らしている。

 

 そのうち一人の私室にあるテレビが、明かりの落とされた暗がりで点滅していた。その事情は単純。彼女はリビングの大きなテレビを、キャスターを転がして占領しているのだ。狭く暗い一室はさながらシアタールームの如く。その画面では、大迫力の臨場感を伴って、全国高校生麻雀の頂点を極める大会――つまり、インターハイの中継が行われていた。

 

「……あ、ここにあったのね」

 

 ふと、扉の開く音がして、まばゆい光が差し込んでくる。思わず眼をくらました部屋の主が恨みがましい目線を向けた。

 

「入るならはいってよー。いまいいとこだかんね、この臨場感、逃さないでおくべきか」

 

「もうそんな時間? 時間の流れって早いのねー」

 

 ぞろぞろと二人ほど、部屋の主と同年齢の少女が入り込んでくる。部屋の主は肩をすくめて同意した。苦笑と、それから嘆息を同時に含めて。

 

「あぁ……オーラスか」

 

 状況を確認して入ってきた内片方。今まで声を発していなかった少女が感情を感じさせない薄弱な声で言う。

 

「そ、照が勝ってる。衣は大ピンチだね」

 

「……頑張れ」

 

「――それ、誰のこと応援してるのかしら」

 

 明朗な少女に、内気な少女。そしてはつらつとした少女。明朗な少女とはつらつな少女はどちらも勝ち気であることは同様だが、前者が不真面目、後者が真面目だ。

 

「……照。オーストラリア大会の時に……同室だったから」

 

「ちょっとー、私達はいつだって衣の大ファンでしょ?」

 

「負けるとは……思ってない。…………だから、応援は照。負けないで……欲しい、から」

 

 らしいなぁ、とはつらつな少女がカラカラと晴天のように笑った。三人は、明朗な少女が座る場所――ベットの端に、並ぶようにして座る。

 

「さぁて、じゃあ見守りますか、天江衣――彼女の旅の、行く末を」

 

 

 ♪

 

 

「……やはり、そうなるか」

 

『ついに決勝――後半戦オーラス! トップは白糸台宮永照、追いかける龍門渕に臨海女子! 一歩遅れを取る千里山と、そして臨海女子は厳しい状況だ!』

 

 実況、福与恒子の声はテレビ越しで聞くよりも、はっきり轟くように聞こえるだろう。ここはインターハイ決勝の会場。多くの観客が詰めかける観客席。

 一人の少女が、決勝の行く末を見守っていた。――否、彼女は一人ではない。周囲には彼女と同様の制服をまとった少女たちが居る。全員が、同じ高校の生徒というわけだ。

 

 だが、明らかな違いがある。声を漏らした少女を除く、全員が瞳の何処か不安を揺らめかせているということだ。

 だというのに、一人の少女だけは一点を注視し、対局の全てを見逃すまいとしている。

 

 わかっていたことなのだ。少女にとってこの状況は。――少女が在籍するのは臨海女子、留学生を中心にオーダーを組む特異な高校。

 少女は日本人だ。どれだけ優秀だろうが、臨海では日本人はオーダーに選ばれない。

 

「この借りは個人戦……いや、コクマでもいいか」

 

 自嘲するように一つえんで、少女は睨みつけるような視線を、更に鋭いものへと変えた。

 

 

 ♪

 

 

「……竜華、セーラ」

 

 ――ある病室の一室。一人の少女が、ぽつりと漏らすようにこぼした。窓の外、誰もいない夜の街。月しか浮かばない都会の天窓。

 ひとりぼっち、なのだろうか。

 

「……負けたらあかんで、千里山」

 

 どこか自分すらも鼓舞するように、少女は呟いて、それからぽすんとベッドに倒れこむ。テレビの電源は未だ切られず、少女と外界の唯一の接点となっている――

 

 

 ♪

 

 

「おねえちゃん! おねえちゃん!」

 

 一人の少女が姉を呼ぶ。

 

「なぁに?」

 

 もう一人の少女が、指差す先に映る情景を見やる。

 

「何だかすごいことになってるよ! すっごいよ!」

 

「そうねぇ……楽しそうだなぁ。麻雀」

 

「今度、また誰かと一緒に麻雀、したいね」

 

 ――それは、ほんの小さな二人の願い。

 だが、それが叶う日は、決して遠い未来ではない。

 

 ♪

 

 

 ぽち、ぽち、とぼんやりテレビのリモコンを操りながら、少女が二人がけのソファーに倒れこんでいる。

 家族が出払っているために、現在は一人。静かな空間は嫌いではないが、誰か信頼の置ける人が自宅にいないというのは、なんとも言えない不安というものがあるものだ。それを紛らわすという意味でも、テレビを無作為に操作しているが、さしておもしろそうな番組はない。

 

 最後のチャンネルだ。これが退屈であれば、おそらく適当に、夕食でも少女は作って食べて、一日を終えていたことだろう。

 何の意味もなく、意味を求める理由もなく。

 

 

 ――だがこの日、少女の運命は大きく変革する。

 

 

「あ……麻雀」

 

 懐かしい、と最初に考えた。――麻雀は“嫌い”だ。しかしそれ以上に、懐かしいという感覚が大きい。少女にとって麻雀はどことなく忌諱を抱く程度のもの。根本的に麻雀自体を否定している訳でもない。

 押しの弱い少女のことだ。もしも無理やり知り合いに麻雀卓へ引っ張られたら、拒否はするが拒絶はしないだろう。

 

 ――それは、キッカケにすぎない。

 

 それでも、扉は開かれた。テレビの向こうに映る、一人の少女の手によって。

 

「……ッ! おねえちゃん…………?」

 

 少女の名は、宮永咲。後に長野のとある高校に進学し、そこで麻雀の楽しさを思い出すことになる少女。だが、それがこの一瞬。ほんの偶然により未来は変化していく。

 

 咲は、テレビの向こうにいるひとりの少女。――姉、宮永照を見て、なんということはなく、本当になんとはなしに、つぶやいた。

 

 

「……楽しそう、だなぁ」

 

 

 ♪

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{⑨}」――

 

 

 開いた麻雀卓の隙間から、最後の山が姿を見せる。もうこの山が、この場所に、生まれ出ることはもうないのだ。自然と、誰もが大切そうにその牌を手に取る。それぞれが指定された牌を丁寧に手牌とした。

 

 インターハイ決勝大将戦。後半オーラスは、音もなく、声もなく、ただただ静かな形でスタートした。

 

 親であるタニアが、理牌もそこそこに手の中から牌を選んだ。若干打牌は上ずり、手は震えているようにおもえたが、それは結局のところ興奮と武者震い、歓喜による震えであった。

 

 ――タニア手牌(理牌後)――

 {一一九九④⑧1119東南發} {9}(ツモ)

 

 タニア/打{東}

 

 すでに理牌を終えた手牌から、照は大事そうに牌を抱えて打牌をした。――彼女は対局に感情を持ち込むことは少ない。それでもここはインハイ決勝。人の子である以上、宮永照も、万感の想いを込めて打牌するのだ。

 

 ――照手牌――

 {一九①④467東南西北白發} {1}(ツモ)

 

 照/打{④}

 

 めまぐるしい速度で手を動かしながらも、穂積緋菜は前に進むことを諦めない。ここまで来たのだ、どれだけ絶望的な状況だろうが、食らいつくのが流儀というもの――

 ふと、並び替えていた牌が手の中から零れ落ちそうになる。慌てて見せ牌をしないよう抱えて、一息を入れる。緊張しているのだ。この歳で、大舞台にそれなりに慣れた自分が緊張している。何度も繰り返し深呼吸をしてから、終わりを告げる、第一打を打った。

 

 ――緋菜手牌――

 {五②③⑤⑧⑧6西北白白中中} {白}(ツモ)

 

 緋菜/打{6}

 

 

 ――そして、天江衣が。四者一巡、最後の一打を放つ。

 

 

 ――衣手牌――

 {①④⑤⑥⑦⑨東東南南西北發} {發}

 

 衣/打{④}

 

 ――ただ、音だけが響く。

 

 タニア/打{南}

 

 照/打{6}

 

 緋菜/打{西}

 

 衣/打{⑤}

 

 ――発声も、勝利の雄叫びも何一つ無く。

 

 タニア/打{發}

 

 照/打{7}

 

 緋菜/打{北}

 

 衣/{⑥}

 

 ――打牌の音だけが、静寂に伝わってくる。

 

 タニア/打{④}

 

 照/打{4}

 

 緋菜/打{五}

 

 衣/打{⑦}

 

 ――そして、四者の行く末は、ここにきて明白となろうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 ――タニア手牌――

 {一一一九九九1118999(横①)}

 

 タニアの手から、青い火花がちったように思えた。この瞬間、風圧は照ではなくタニアの手に生まれ、そして消えていったかのようだった。

 

 ――タニア/打{⑧}

 

 

「ポン」 {⑧横⑧⑧}

 

 

 閃き、それを緋菜が掬い取る。

 

 ――緋菜手牌――

 {②③③⑤⑤白白白中中中} {⑧横⑧⑧}

 

 緋菜/打{③}

 

 ――ここで、緋菜が選んだ打牌は{③}あくまで打点は二の次、聴牌で流局。ないしはタニアが他校二人を撃ちぬくことの支援。――これが緋菜の取るべき選択。よってここで選ぶのは、より“和了れそうにない牌”。それが{①}―{④}の待ち。

 理由は単純。――{④}はすでにほぼ枯れている。おそらくは、引き入れることはないだろう。そして{①}は――おそらく、宮永照の待ちであるからだ。

 

 

 ――千里山控室――

 

 

「これは……!」

 

「なんて、状況ですの――?」

 

 一と透華が驚愕をシンクロさせる。後ろでは、思わずテンションを上げた水穂が、ゲラゲラと大声を上げて笑っている。

 

「ありえない……」

 

「なんて状況だよ――この、オーラスに来て!」

 

 現在、ほぼ優勝の芽が消えている千里山を除き、全員が役満以上を勝利に必要とするという、明らかに異様な状況だ。

 その上で、その中の一校。臨海女子が条件を満たした。このオーラスにきて、四暗刻清老頭のダブル役満を手牌に揃えた。この、土壇場でだ。

 

 そして、天江衣と、宮永照の手牌もまた、異様。

 

 片方は、語るまでもないだろう。

 

 ――照手牌――

 {一九①⑨19東南西北白發中}

 

 そして衣もまた、逆転手に“近い”手を完成させていた。

 

 

 ――衣手牌――

 {①⑨⑨東東南南西西北北發發}

 

 

 だが、これでは足りない。唯一驚愕を覚えていない瀬々が、むしろ苦渋を浮かべて、苦々しく口を開いた。

 

「けれども、どうやったってこれじゃあ“役満”にはならないんだよな」

 

 ――そう、そのとおりなのだ。

 

 ここまで裏ドラになりうる{⑧}、{⑨}、{東}、{南}、{西}、{北}、{發}が全て手牌と捨て牌の中にある。特に{⑧}は唯一四枚、山に残りうる牌であったのだが、すでに三枚が枯れ、そして――

 

 緋菜/ツモ切り{⑧}

 

 これで、ドラが全て消えたことになる。よって現在衣が作りうるこの手牌の最高打点は――

 

 立直、一翻。

 門前清自摸和、一翻。

 一発、一翻。

 七対子、二翻。

 混一色、三翻。

 混老頭、二翻。

 ――そして、ドラが二翻。以上系十二翻。役満には、あとひとつ翻数が足りない。そう、足りないのだ。どうやったって衣には、宮永照に勝利する手立てがない。

 

「……ここまで、なのかな」

 

 我に返ったように、水穂が笑みを真面目な顔に切り替えて問いかける。

 

「いいえ、次がきっとありますわ! このままだれも和了できず流局すれば、次の局で――!」

 

 衣と、タニアが{①}で待ち、照の手は十三面待ちという圧倒的な待ちの数を誇りながら、その実和了るための牌全てが他家の手牌と捨て牌に置かれた状況。実質{①}での待ち。最後にのこった山の一筒を誰も――正確には、穂積緋菜以外の誰も掴まなければ、この局は流局する。

 

「だが、次の局、宮永照が“地和”を和了らない理由がどこにある? あいつがもしそれを手牌に引き寄せれば、衣は絶対になすすべがない。あたし達の負けが決定するんだよ……!」

 

 透華の言葉に、しかし瀬々は遮って否定した。思わずといった様子で声を荒らげて、即座にまた、鎮痛そうな表情を浮かべる。

 

「どちらにせよ……この局、衣が役満を和了れないっていうのなら、……あたし達は、どうやったって勝てないんだよ」

 

 退路はすでに断たれている。もしもこの局で決着がつかないのならば、圧倒的なまでにあっけなく、端的に言って淡々と、――宮永照が地和を和了って終わる。

 渡瀬々の感覚には、そういった答えの“確信”があった。

 

「――ねぇ、瀬々」

 

 そこに、一が。

 

 

「――――{①}は、どこにあるの?」

 

 

 あまりにも単刀直入に、その一言を問いかけた。

 

 瀬々には解る。山の中身が、全ての牌の在処が。――そのチカラをもって結論として、一は瀬々に問いかけようとした。

 だが、即座に帰ってきた瀬々の答えは、一の予想をはるかに上回るものだった。

 

 

「……わかんないんだよ」

 

 

 瀬々の言葉は、一は愚か、龍門渕全てに、はてなマークを浮かべるには十分だった。例外はといえば、瀬々のオカルトを本質の意味で理解できる透華くらいなものだろう。

 

「瀬々が解らない……なんて事があるの?」

 

「そうですわねぇ、言葉にするのが難しいですけれど……」

 

 透華が考えこむようにする。――状況は終幕へと向かい、闘いは閉幕を待ちわびている。瀬々は、その最後を飾るように、透華の思考を受け取って、続けた。

 

「原因は、衣にあると思うんだ。そうするとすんなりと答えにたどり着ける」

 

「……あぁそうですわねぇ、そうするとわかりやすく言えますわ――」

 

 ――準決勝、大将戦オーラス。

 似たようなことは前にもあった。それは天江衣と神代小蒔の闘いに端を発する。

 

 ――解らない。そう、瀬々にはどうしてもそれが解らなかった。神代小蒔が、何故あそこで和了に必要な牌を引き寄せられなかったか。

 だが、解る。今なら解る。二度も同じ手を使えば、他の誰かならばともかく瀬々と、それと同様の神を有する透華ならば。

 

 

「つまり……衣は、何か自分で選んで、この状況を戦術的に作り上げたんだ」

 

 

 ――対局室――

 

 

 タン、

 

 タン、

 

 タン。

 

 打牌は、止まらず、滞ることなく続けられる。照の勝利はほぼ目前にあった。タニアが逆転手を聴牌していても、衣が逆転にあと一歩のところまで来ていても。

 

 勝負は、すでに決している――はずだった。

 

 だが、未だそれは決定していない。照は牌をつかんでいない。衣も、タニアも、緋菜も。誰も最後の{①}を、掴まない。

 

 無為に、時間だけが流れていく。照の平均和了スピードはよほどのことがなければ六巡を超えない。だというのに、明らかにそれは、照の速度を逸脱した速度であった。

 

 遅い。

 

 終息が、あまりにも遠い。

 

 ――焦燥感であろうか、はたまたもっと別の、筆舌に尽くしがたい感覚の群れであろうか。いくつにも麻しんのように浮かんだそれは、照を、そして対局者達の神経を撫で上げ、そのまま走り去るようにきえていく。

 

 須らくその表情は不和に変わり、牌を握る手はチカラのこもったものへと変わってゆく。

 

 ただ一人――天江衣だけを除いて。

 

 

(――長い)

 

 

 それは、独白。

 

 

 ただ一人、衣だけが零す、ちっぽけで不確かな、想いの矛先。

 

 

(――――長い、旅だった)

 

 

 父と母は、すでに衣の手の届かない場所にいる。そして衣は、自分を救ってくれた祖父母と、友人たちの下からも巣立って、一人、このどことも知れない洋上にいる。

 

(海は、孤独だ。あまりに広く、世界と呼べる場所を、人と人がつながりあうはずの場所を逸している。それはどうにも寂しく、衣には意味が無い場所に思えた。衣が、意味のない存在に思えた)

 

 ――だが、

 

(……だが、違うのだな。たとえそこが静かな世界であれど、それが永遠に続くわけではない。衣が歩みだせば、誰かが衣に気がついてくれるのだ。世界は、衣に存在を教えてくれるのだ)

 

 透華、一、純に智紀に、水穂。そして――瀬々。衣は歩き始めて、そうして仲間と呼べる者に出会えた。

 

(そうでなくとも、衣に海の上を踏みしめて、会いに来てくれた者もいた。感謝するぞ宮永照。衣は――今、この場所でお前と、麻雀を打っているのだ)

 

 タン。

 再び、ツモ切り。だが、今回は違う。少しだけその姿を変えて――タテが、ヨコに変わる些細な変化。だというのにそれは、必要以上の意味が込められていた。

 

(さぁ)

 

 そう。

 

 

「リーチ」

 

 

(……終わりにしよう、この闘牌を!)

 

 

 ツモ切り、リーチ。

 衣の狙いは全てここにある。あの{⑧}は、裏ドラという可能性を、排してしまう牌ではない。衣の勝利を確定させる福音となる牌なのだ。

 

 

 ――麻雀には、幾つもの役があり、中にはそうそうお目にかかれない物もある。

 

 

 タニア=トムキンは、何かを察したように目を見開いて、理解したようにした後、自摸った牌を、確認もせず放り出した。当然、{①}ではない。

 

 

 ――それは、役満であったり。嶺上開花や槍槓といった、特殊な状況を想定した“一翻”であったりする。

 

 

 宮永照は、眼をぎゅっと一文字に閉じ、何かを願うようにしながら、牌に手を伸ばした。――すでに、彼女に風はない。天江衣を撃墜させた、あのチカラはもう、宮永照に宿っていない。

 選択を間違えたのだ。――宮永照は、天江衣を見くびった。最後の最後で詰めを誤り、逆転のチャンスを衣に与えた。あの準決勝オーラスを、直に眼にしておきながら、その答えにたどり着かなかったのだ。

 そうして切った。――和了ではない、ツモ切りである。

 

 

 ――そしてその中に、ある状況下においてのみ、与えられた役がある。

 

 

 穂積緋菜は、一瞬だけ緊張に満ちた表情で盲牌をして、即座にそれを切る。視るまでもない、ただ少女は平々凡々に祈りを乗せて、自身の思いを込めたに過ぎない。

 

 

 ――山の深くに埋められた牌。最後の一つをドローした時にツモが成立すれば役が付く。その名の意味は、海に浮かぶ月を掬い取る――

 

 

 衣が、手を伸ばす。誰もが見据える最後の牌に、――己が定めた勝利の場所に。

 

 

 ――ある三人の少女が、興奮を隠しきれずにモニターに食いつく。

 

 

 ――周囲の熱狂を浴びながら、ただただ冷徹な瞳で、ある少女が行く末を見守る。

 

 

 ――ある一人の少女が、病院のテレビを、ぼんやりと眺めるようにしている。

 

 

 ――麻雀が嫌いなはずの少女は、しかし握りこぶしを作ってテレビに集中していた。

 

 

 ――二人の少女が、楽しげに食事をしながら、最後の瞬間を待っている。

 

 

 ――――そして、

 

 

 誰もいない街頭モニター。夜の闇に染められた世界にひっそりと光を篭もらせるその場所に、女性が一人、佇んでいた。

 悠然と、忽然と――幽雅に、淡く、どこか、亡霊めいた雰囲気を伴って。

 

 

 ――龍門渕も、白糸台も、臨海も、千里山も、等しく、闘いの終着点を見守っている。

 

 

「……ツモ」

 

 

 ――その役の名は、

 

 

「――――海底撈月」

 

 

 ――衣手牌――

 {①⑨⑨東東南南西西北北發發横①}

 

 

「リーチ、一発ツモ、混一色混老頭、七対子ドラ2…………」

 

 それは――終わりを告げる鐘。

 

 世界に、そして衣に、響き続ける祝福の鐘――――

 

 

「――――8000、16000」

 

 

 かくして、インターハイ団体戦は終わりを告げた。

 

 

 長い長い夜の終わりに、浮かんだ月を――後にして。

 

 

 ――最終結果――

 一位龍門渕:149200

 二位白糸台:144500

 三位臨海 :77500

 四位千里山:28800




インターハイ終了!
天衣無縫の渡り者もおおよそ着地点まで来ることが出来ました。

とはいえ、これで本作が終わりかといえばそうではなく、あとひとつ、大きな大会を残しています。
それは本作の総まとめでもあり、お祭り的なエクストラステージとなっています。
ちょっと強引だったり強引じゃなかったりしますが、あんな人やこんな人、そして名前だけ出てきてたあの人達も登場します。

因みに来年度インターハイはありません。


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――エクストラステージ・その1――
『回帰の時』


 衣の手が伸びる。周囲の気配が異様に緊張を帯びたのを、瀬々は感触で理解した。ここ数日の大決戦。幾重にも刻まれた経験値が、それを瀬々に解らせたのだ。

 三倍満で捲られる。それはかなりの点差ではあるものの、衣にとってその点差を覆すことは児戯に等しいだろう。

 

 たとえ三倍満でなくとも、満貫か、跳満か。どちらにせよ次のオーラスを優位に進めるためのツモであることには変わらない。

 

 とはいえ衣にそんな手心はないはずだが――

 

『――ツモ』

 

 ――衣手牌――

 {三四五③④④⑤⑤34588横③}

 

 ――ドラ表示牌「{④}」

 

『……え?』

 

『…………は?』

 

 下家から、瀬々と同じような声が漏れた。衣が一瞬きょとんとしたが、それでも解らなかったのだろう、即座に続けて点数申告をする。

 

『4000、8000!』

 

 直後。

 暗夜に転じていた室内の照明が、途端に明るいものへと変わる。

 

 

『試合、終了――!』

 

 

 そう言われて、一番呆けたのは、きっと衣だったのだろう。

 

『……あー、衣?』

 

『――――何故だ? 何故瀬々との嬉戯が終ってしまったのだ?』

 

『いやいや、衣ってば熱中しすぎだろ。……飛んでるぞ、下家』

 

 わなわなと、瞳に涙を溜めた衣は、さながら小学生程度の子どもにしか見えないが、今それを言ったら、溜まりに溜まった感情が、すべてそちらへ向けられることは必定といえた。触らぬ神に祟り無し、だ。

 

 ――結局、最後まで衣は泣かなかった。しかしその代わり、今も――インターハイ個人戦を終えてすら、夏休みが終わり、新しい学期が始まる今日に至ってすら、どこかふてくされているような風であったのだ。

 具体的に言えば、どことなくツーンとして、人と目を合わせようとしない。

 

 ――――“インターハイ個人戦”長かった団体戦の後に行われた一人と一人の意地の激突の最中。具体的に言えば本戦第一回戦において発生した瀬々対衣の対決は、非常に不完全燃焼なまま、瀬々の勝利という形で幕を閉じた。

 

 結局その後、瀬々は順当に勝ち上がったものの、宮永照との激しい死闘に敗れ個人戦優勝を逃した。とはいえ、一年生ながらに個人戦二位という記録は、同じく三位に付けた荒川憩とともに、輝かしい成績ではあるのだが。

 因みに、同じ長野勢は衣が一回戦敗退のため十七位。そして県予選個人戦で水穂を破り三位で全国に進んだ福路美穂子が十四位という結果になった。

 

 

 かくしてこれが、今年度インターハイ個人戦、渡瀬々を取り巻く結果の顛末である。

 

 

 ♪

 

 

(気まずい……)

 

 言葉にするでもなく、瀬々はそう思った。

 現在、瀬々は龍門渕高校の教室にいた。長野の休暇は短い。夏休みも終わり、八月下旬最初の登校日。瀬々と、同じクラスであるところの衣は現在渦中の人であった。

 

 というのもあるが、やはりここに来るまで、ずっと隣にいた衣が、どこかぼんやりしていたのも気まずさの原因だろう。

 

「瀬々、おめでとー」

 

 級友の一人がにこやかに挨拶をする。懇意にしているというほどではないが、お互いに趣味程度ならば把握している間柄。

 

「ん、ありがと」

 

 何気ない様子で返すが、心中は非常に複雑だ。ここからの展開が、容易に予想できるためだ。

 

「すごかったよ個人戦。あのチャンピオンにあと一歩だったもんねー!」

 

「あー、うん。惜しかった」

 

 どちらかと言えば、二位で終わった個人戦のことよりも、宿敵であるアンに勝利した団体決勝先鋒戦のことに触れて欲しいのだが、さすがにそうも行かないだろう。

 一般人にとって、あの団体戦は照と衣が最も印象に残っているはずなのだから。

 

「衣ちゃんも、団体戦優勝おめでとう! すごかったね!」

 

 ――明らかに、瀬々よりも衣を取り囲んでいる人の数が多い。これは、このクラスにおいて衣がマスコット的立ち位置にいるためだ。

 しかもその衣が、団体戦決勝で見せた闘牌は、多くの者の心に刻まれている。所詮は個人戦二位でしかない瀬々とは、些か格が違うというものだ。

 

 ただし、本人はどうにも不満気である。

 普段であれば本人も楽しんでマスコット扱いを否定するのだが、今日はどうにも上の空。無理もない、未だに個人戦の事を引きずっている以上、団体戦を褒められても、あまり嬉しくは感じられないのだろう。

 

「あー、でもやっぱ衣は個人戦楽しみにしてたからな。それがあの終わり方だとどうにも……」

 

 周囲に、衣には聞こえないよう諌めると言った体で瀬々が囁く。個人戦、瀬々対衣はさながら団体決勝の再来とも呼ぶべき内容であったが、結果は不完全燃焼。それを直接見ていたものは、あぁといった風で納得していた。

 

「……(ほぞ)を噛む」

 

 ふと、衣がそんな言葉を漏らした。

 

「…………瀬々、翻訳」

 

 最初に瀬々に話しかけてきた友人が、いつもどおりの様子で瀬々にそれを投げ渡す。ポリポリと頬をかいて、困ったように瀬々が言う。

 衣が時折使う()()()()()な言葉は、瀬々が意訳することになっていた。

 

「あー、すっごい後悔してるんだって、衣のやつ」

 

 熱中しすぎるあまり、自分と瀬々の点差にしか意識が向かなかったことの後悔。麻雀は四人で行う競技である以上、一騎打ちの形になっていても、邪魔をされる時はされるものだが――例えば、いつぞやの大沼プロと衣の対決に瀬々が割り込んできたような形だ――水を刺したのが自分自身というのであれば、誰かを責めるに責められない。

 

「まぁなんつーかさ、そういう時もある。不幸だったんだってアレは」

 

 周囲を代表するように、瀬々は言った。いい加減、衣と会うたびに誰が悪いでもなく微妙な雰囲気になる状況は何とかしたかった。

 だが、何とか出来るとは思えない自分もどこかにいた。――なぜか、までは判別が付かないが。

 

「そういうわけではないのだ、瀬々よ。これはまだ、瀬々には解らん感覚かもしれないが、悔しいのだ、大舞台での闘いがああやって不完全燃焼に終ってしまうのは」

 

「……まぁ、そうかな」

 

 よくわからない、としか言い様がない。周囲も小首を傾げている物が多い。大舞台に慣れていない、大舞台へのあこがれがない。

 ――それはきっと団体戦決勝、アン=ヘイリーの感傷を瀬々が理解できなかったことと同じなのだろう。

 

「瀬々もそのうち解ると思うぞ? 瀬々、衣にはそういう瀬々の姿は、どこか自信なさ気に見えるぞ」

 

「それはどうなんだ? あたしは結局何を言っても、よくわからない、としか言えないぞ? 衣の言うことにも、自覚なんて無いしな」

 

「わからないからこそ、だ。……まぁ瀬々は衣の大切な友達だ。だからこそ信じて保証する。いつかわかる時がくるよ」

 

 そんなものか、とは思いはするが、それでも“そんなもの”としか瀬々は思えない。

 それからぐいっと大きく伸びをして、衣は大きな嘆息を一つした。そんな仕草一つすら愛らしいのだろう、即座に反応を見せた少女たちが衣に群がっていく。

 

「……ってこら、衣の頭を撫でるな! なんで急に撫でてくるんだー!」

 

 そういう衣の声音には、先程までの雰囲気は無い。どうやら、意識を切り替えたのだろう。――いや、それ以上に、どこか衣の様子が変わったように思えた。

 まるで、何かを察知したかのように。

 

「――それに」

 

「……?」

 

 ふとぽつり、漏れた衣の言葉に、瀬々がちらりと衣を見やる。――直後に、感覚が自身にうったえている何かを感じた。

 これは――透華だ。しかも、麻雀に意識が向いているのか、オカルトらしい気配が周囲を支配している。

 

 

「失礼します。――瀬々、衣。すこしよろしいかしら」

 

 

 一礼し、瀬々達のクラスに透華がやってくる。その手には、何やら書類が握られていた。

 

「――それにな、瀬々。衣には予感がするのだ。これは、決して悪い予感ではなさそうだ」

 

 そんな衣の言葉が、透華が持つ書類とともに、瀬々の心に引っかかるのであった。

 

 

 ♪

 

 

「……国民麻雀大会? あー、そういうのもあったっけな」

 

 ――国民麻雀大会、通称“コクマ”。日本で最も大きい“アマチュア向けの”大会だ。それはインターハイどころの規模ではなく、日本中すべての――正確には中学生以上の――雀士が参加権を有する大会だ。

 

 資料へと目を通す。

 

 参加条件は九月に行われる選考会を勝ち抜いた者、ないしは九月までに大きな大会で目立った成績を残した者。合計十五名を選抜し、県の代表とする。

 大会形式は原則個人戦であり、この原則が崩されたことは今まで一度としてない。

 ルールは喰い断ありの赤なし。一発裏ドラ槓ドラありと基本的には今年のインハイに準ずる。

 

 予選の選考会は東風戦五回、東南戦三回の八回戦で成績上位数名を。

 目立った成績を残したものは基本的にインハイないしは“インカレ”に進んだ者、及び県予選で“面白い”闘牌をした者の中から選ばれる。

 

「今年は、我が龍門渕のレギュラー五名と、風越の福路が選ばれましたわ。インターミドルで優勝した原村和という中学生も選ばれています」

 

 瀬々、衣、そして水穂は当然として、透華と一も、というのは少しばかり意外ではある。まぁ決勝まで安定した闘牌ができる雀士なのだから、当然といえば当然か。

 ――他は、風越のレギュラーから数名、そしてインターカレッジの成績優秀者数名が選ばれることになっている。

 

「コクマか。……やはり衣の予感はあたっていたな」

 

「個人戦だもんな。今度こそ、変なとこで衣と当たらないといいんだけど」

 

 インハイ個人戦。本戦に上がってきた雀士とはいえ、衣や瀬々――日本の高校生雀士というくくりに置いて五指に入るほどの実力者相手では格が違った。

 衣の“ミス”は、衣自身が原因ではあるが、その要因には間違いなく、決勝戦であたるレベルの選手が一回戦であたってしまった番狂わせがあったことは指摘するまでもないことだ。

 

「その心配は薄いのではないかしら」

 

 透華が、上機嫌に言った。ここ最近伏せがちであった衣の顔が、今はちょうど前を向いているのだから、さもありなんと言ったところか。

 

「個人戦は本戦が一回戦、準決勝、決勝とありましたが、コクマは第一次予選、二次予選とあり、本戦に進めるのは全部で十六名ですから、たとえ本戦で激突したとしても、その脇には日本最強の十四人から選ばれた雀士が座るのですわ」

 

 そして、コクマの大会形式は少し特殊だ。

 まず、第一次予選。これはコクマに参加するすべての雀士をランダムに割り振り、その収支によってランキングを作成、上位128人が勝ち上がることとなる。

 

 そして第二次予選。こちらは第一次予選を勝ち抜いた128人を八つのブロックに振り分け、八回戦の東南戦を行う。そしてそのうち上位二名が本戦への切符を手にするというわけだ。

 

 本戦はセミファイナルとファイナルと呼ばれる二つのステージがあり、これらはすこしばかり特殊なルールでもって行われる。

 簡単に言えば、それはインハイ団体戦と同様『十万点持ち越しの複数回戦』というルールだ。セミファイナルステージは三回戦。ファイナルステージは五回戦、といった風に。

 

「いやそれにしても、本戦に出場できないことには大舞台での、とはいえないだろ」

 

「あら、随分弱気ですわね、インハイ個人戦第二位の渡瀬々さん」

 

「おいバカ、その呼び名をやめろ。あたしは納得してないんだぞ。あと一歩だったろ、最後のアレ」

 

 ――即座に、透華の言葉を瀬々は否定した。そんな瀬々へと帰ってくる透華の言葉は、といえば、瀬々の想定外、やわらかな笑みを伴ったものだった。

 

「――ふふ」

 

「いや、何がおかしいんだよ」

 

「ははは」

 

 衣もまた同様だった。楽しげに手を叩いて笑って、それからもう一度、透華と視線を交わしてニヤリとした。

 

「だから……」

 

「まぁ、そりゃあわからないだろうな。だが、いつかは必ず解ることだ。……なぁ瀬々よ」

 

「……なんだ?」

 

 

「――まっているぞ」

 

 

 何故か、衣はそんな物言いをした。どことなく小憎たらしい物言いで。なんとはなくふんぞり返った風で。

 よくわからない、とは思った。ただそれでも――

 

「……あぁ」

 

 ――否定する気には、ならなかった。

 一拍。両者の間に生まれた言葉に出来ない緊張のようなものが晴れると、瀬々は思い出したように問いかけた。

 

「そういえば、コクマって大学生やなんかも出れるんだよな?」

 

「えぇまぁ。ですが実は高校生ですごく強い人はたいていプロに行きますわ。ですので実際、コクマに出てくる大学生はさほど強くはなかったりしますのよ」

 

「だろうね。大学から麻雀を始めるっていうのも珍しいだろうし……」

 

 瀬々が引き継いで続けようとした。しかし、透華はそんな瀬々を遮った。

 

 

「――ですが」

 

 

 そう、前置きをして。

 

「ですが?」

 

「プロには行かず、超人的な雀力を持つコクマの女王と呼ばれる方もいらっしゃいますの。その方、インカレの時期は何でも忙しいから出れない、だそうですので、コクマにしか出場しない人ですの」

 

「そやつなら知っているぞ。……コクマに出るというのなら、そのうち邂逅することになるだおるな」

 

 衣ですら知っていると言った。ただ、瀬々は衣が知っているのは、単に知り合いだからだということをなんとは無しに理解していた。

 でなければ衣が知っているワケがないという思考と、感覚による補強がそれを確定させる。

 

「それにな、もう少しいるぞ?」

 

「……もう少し?」

 

「そうですわ。今年のコクマ、長野からは高校生が七名が選出されましたの。そして大学生枠は五名。まぁ選出枠の内訳は毎年変化致しますからたまたま今年がそうなっただけの話ではありますが。そのうち三人は、大学生ながらに、今大会の“優勝候補”でもありますわ」

 

 朗々と透華は語る。ちらりと瀬々は衣を見遣った。どうにも違和感があるのだ。まるで先ほどの“よっぽどな相手”よりもこちらの方が重要であるかのような。

 

「ふふ、瀬々も聞いたことがあるだろう名で語って見せよう。聞いて驚け、活目せよ!」

 

 インターハイにおいて彼女たちは全国トップレベルの実力を発揮した。当然プロとして活躍が期待されたものの、それを蹴って大学へ進学。

 昨年までの長野を代表するプレイヤーであり、昨年のインターハイ団体ファイナリスト。うち一人は、個人戦における決勝ファイナリストでもある。

 

 その名は――

 

 

「――――三傑。風越を伝説へ導いた、雀士達だ」

 

 

 ――名を、“赤羽薫”。

 ――“小津木葉”。

 そして――“大豊実紀”。

 

「……、」

 

 理解した。確か、衣からその名前を聞いたことがある。

 

 そう、確か彼女たちは風越の三傑である。そしてもう一つの顔があった。――それは、

 

 

「そして、薫、木葉、実紀はな。衣が――“引き取られた先”で出会った、――親友でもあるのだよ」

 

 

 衣が麻雀を楽しめるようになったのは、大沼秋一郎を始めとしたオカルトだけではどうしようもない雀士の存在と――そして、

 

 彼女たち、同年代の“強者”がいたからこそなのだ。

 

(……つまり、その人達は衣にとって、ある種ルーツみたいな人、なんだな)

 

 まぁそれは、本命だ。

 ――まだ良くわからないが、どうも衣は、大舞台での闘いというものを好んでいるようだ。瀬々だけではない、過去の因縁浅からぬ相手が、同じ舞台に敵として現れる。

 興奮も、ある種納得といえば、納得であろう。

 

 

「――ん?」

 

 と、そこで。

 

「メールだ」

 

 ケータイを取り出す。宛先は……

 

 

「……アン? 何でこんな時に?」

 

 

 ――友人の名。宿敵の名。好敵手の名。どう読んでも構いはしないだろうが、ともかく。瀬々にとっては、数日ぶりに見るその名が、ケータイには表示されていた。




エクストラステージその1、五話あります。
決して更新を忘れていたなど……


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『嵐の夜』

 アンからのメールは、以下の様な内容であった。

 

『長野にて、プロ雀士が訪れる雀荘があるそうです。

 私達高校生も入ることのできるフリー雀荘、一度そこに訪れて見ようと思います。

 そこで、同じ長野の民である瀬々を誘ってみようと思い立ちました。

 どうですか? 今週の土曜、その人が来るそうなので一緒に行ってみませんか』

 

 ――正直に言えば、プロ雀士というものには興味はない。今のところ瀬々にはプロになるつもりもないし、なったとして、その雀士がその時現役かどうかもわからないのだ。ただまぁ、アン=ヘイリーが興味を持つプロ雀士ということは、弱いということはないのだろうが。

 けれども、アンがわざわざ瀬々を誘ったというところに瀬々の関心が向いた。それに、せっかくの頼みをむざむざ断るのも悪い。

 

 その日一日を暇で潰すよりもずっと有益な時間になるだろう、――と。その時は思い、アンの提案を了承したのだ。

 

 

 ――が。

 

 

「……お客さん、さすがにあの人は来ないんじゃないですかのう」

 

 癖のある緑髪とメガネが特徴的な店員が、ふとそんな風に言う。解っている。言われずとも解っているのだ。

 

「――この大雨じゃあのう」

 

 急に、というほど急ではないが、誰も予想がしていなかったほどの大雨がその日、長野の某所を襲っていた。局地的というわけでもないが、それでもこの辺り一帯が、最もその日降水量が多かったのだと、その次の日のニュースで瀬々は知ることになる。

 

「まぁそれは解ってますって。ただですねー、どうにもウチの連れ、この雨の中ここに向かってるらしいんですよ」

 

「あー、わざわざ出迎えご苦労様」

 

 東京からくる連れを待たせて欲しい、と既にこの緑髪のメガネ少女――染谷まこには伝えてある。

 降りだしたのは昨日の深夜からではあるが、急に強くなりだしたのは半刻ほど前だ。

 

 雨足が強くなりだしたことも在って、瀬々以外の客は既にこの雀荘を離れていた。現在、ここには瀬々と店員であるまこしかいない。

 そして瀬々も、アンが来るというのでなければ、既に帰っているところだ。

 

「それにしても奇特な友人じゃのう。確かにうちには藤田プロが来る。ですけぇそのためにわざわざ長野まで遠征するのははっきり言って変じゃ」

 

「アン=ヘイリーって言うんですよその友人。知ってるでしょ? 変人なんですよ」

 

「ほー。インハイ第二位は交友範囲も広いんじゃのう」

 

 思いの外、インハイ個人戦準優勝というネームバリューは大きいらしい。今日、雀荘で瀬々と打った者で、瀬々を知らない者はいなかった。

 自分が有名人だというのはなかなか新鮮な感覚ではあるが、否定されるような立場ではない以上、悪い気はしなかった。

 

「それにしても、ホンマに全部テンパイでスタートなんやね」

 

 瀬々はインハイ団体戦でも活躍したが、どちらかと言えば個人戦プレイヤーとしての知名度が高い。天江衣と対等にやりあい、宮永照にもあと一歩まで迫った。当然、その際の闘牌が最も印象に残っているのだ。

 特に、配牌が必ずテンパイからスタートする、というオカルト染みた特徴は、有名だ。

 

「欲しいかって言われて、だれもいらないって言うんですよね。打点がゴミすぎて使いものにならないって」

 

 とはいえ、同時にその配牌が、絶対に一翻以上が付かないことも有名だ。リーチをかけても、ダブルリーチのみ。ツモと一発でようやく満貫になる程度。

 瀬々のように、自分のツモが解りでもしない限り、使いこなすことは難しいのだ。

 

 自然と、瀬々とまこは麻雀の事で話が弾んだ。まだ客がいた頃、一度まこと瀬々は対局したが、面白い相手だと瀬々は思う。

 メガネを外した染谷まこは、うまい具合に立ちまわって、必ず瀬々の前に立ちはだかった。彼女曰く、さほど特殊な捨て牌ではない瀬々の手牌は、まぁ対応は難しくないのだとか。

 

 話は数十分、一時間弱続いた。瀬々も人当たりが良いというのはあるが、まこもなかなかどうして話し上手だ。雀荘という特殊な場所で、接客という形で人とコミュニケーションを続けてきた経験値がある。だてに修羅場はくぐっていない、というわけだ。

 

 そして二人で話し込んでいると、ようやく店の入口が開いた。

 ――アン=ヘイリーの登場である。

 

「やーや、おはようございます皆さん。今日はこの悪天候のなか、よくぞご無事で」

 

「よくぞご無事なのはあんたの方だろ。びしょ濡れじゃないか。さすがに傘一本でここまで来るのは無茶だぞ、アン」

 

「そうはいいますがね、瀬々。私は瀬々に会えると思うと、嬉しくてしかたがないのですよ。瀬々と、私と、藤田プロに後一人で卓を囲めるならこれほど嬉しい事はない」

 

 ――の、だが。

 どうにもうまく世界は回っていないらしい。

 

「あー、もう一人いれば打てるというのに、三人しかいないのでは三麻しか打てないではないですか。私、三麻は苦手ですよ正直に言って」

 

 アンは豪運と技術の雀士。大抵の場合では負けないが、事故がないというわけではない。三麻の場合、その事故率が増加するのだとか。

 

「ウチは三麻は基本やってないけぇ、そもそも打とういうても打てませんですけどね」

 

 まこが言う。

 

「そもそも、あたし達がいなけりゃ店じまいみたいなもんだしさ」

 

「そうは言いますがね、どうしても私は今日、ここに来る必要があったのですよ」

 

 アンはあくまで自信に満ちた声で言う。瀬々とアンの付き合いはそこまでではないが、彼女には押しの強さがあることを瀬々は身にしみている。

 嘆息。わかっていたことではある。雨脚が強まり始め、それでも帰らないというのを聞いた時点で、コレ自体は諦める他にない。

 

「――いちおう聞こう。何でだ?」

 

「今日、ここに来ればいいことがある。そんな予感がしてならないからです」

 

 何だそれは、とまこの表情が訝しげなものに変わった。瀬々も、胡散臭げな顔でアンを睨む。解ってはいる。彼女の天性の勘は本物だ。

 人に言えた義理ではないが、それを麻雀の外にまで持ち出さないで欲しいものだ。

 

「良い予感……ねぇ」

 

 ――と、そう口にして。

 

「……?」

 

 何かに気がついたように、瀬々は視線を店の入口に向けた。雨音だけが響き渡る雀荘の外。アンがその視線を追うように、振り返り、そして――

 

「――だれか、いるのか?」

 

 言葉の直後。

 扉が、開いた。

 

 

 ――風が、圧を伴って周囲を襲った。

 

 

「……ッッッッッ!」

 

 思わず、と言った様子でアンが目を見開く。体中に駆けまわる感覚、瀬々もそれは理解できた。これは、いわゆる魔物に類する存在と相対した時の感覚。

 まこも、どこか違和感を感じたようで、瞳を少し細めている。

 

(……そういえば、似たような感覚をつい先日感じたばかりだな)

 

 その感覚は、どことなく瀬々のしる魔物クラスである、一人の少女に似ていた。彼女は魔物というには人間に近く、しかしアンのような超人的というには、魔物に近い存在。

 

(“宮永照”の、感覚に似ている)

 

 その気配の主。――少女だ。おそらく瀬々より一つ下、中学生だろうか。彼女は少しだけ所在なさげに、扉の向こうから顔を覗かせて。

 

 

「――あの、すみません。雨宿りをさせてもらって貰えませんか?」

 

 

 そんな風に、頼んできた。

 

 

 ♪

 

 

 宮永咲、と少女は名乗った。

 

 

 ――瀬々は自分の感覚が訴える答えを腹の底に沈めながら、その少女との歓談に講じた。なんでも、雨脚が強くなる前に家を出て用事を済ませようとしたのだが失敗。父がこの辺りを通るということで、父に送り迎えを頼む形になった。

 ――のだが、父がやってくるまでに大分時間がかかるということで、目についたこの雀荘に雨宿りをさせてもらえないか頼みに来た、というわけだそうだ。

 

「そりゃあ難儀したのう。あー、確か烏龍茶ならのこってたけぇ、それくらいならおごりってことにしちゃる」

 

「いえあの、いちおうお金はあります。買い物の帰りなので」

 

「ほー。そいならいろいろあるけぇ、ちょっとオマケしちゃるわ」

 

 ――と、そこでまこは瀬々とアンに視線を向けた。

 

「……」

 

 なにやら、モノをねだる視線がアンから感じられる。この少女がいなければ、この雀荘は臨時休業、暇な時間を作れたはずなのだが――

 

「……ま、ええじゃろ。あー、渡さんの方はどうします?」

 

「ん? あ、あたしは言いです。それよりもですね、少し頼みたいことがあるんですけれど」

 

「――頼みたいこと?」

 

 瀬々は一拍おいて、ちらりと少女――咲の方を見る。

 きょとんとした様子で、少女はその視線に疑問を返した。――瀬々の瞳が鋭くなる。もとよりどことなく剣呑としたジト目のような半眼気味であるために、それ自体は違和感となることはないのだが。

 

「あぁちょっと……」

 

 そうして。

 

 

「――麻雀を打ちたいんですけれどね」

 

 

 ふぅん、とアンが鼻を鳴らして興味深げに瀬々を見る。まこも、机にしていた卓を立ち上がり、背を向けていたのを反転、瀬々を見る。

 

「……“宮永”さん。麻雀、打てますよね?」

 

「――え? な、なんでそう思うんですか?」

 

 咲は知らない。この雀荘では三麻が打てない。瀬々と、アンと、そして店員であるまこ“だけ”が知っている情報。

 別にそれ自体が大きな意味を持つというわけでもないが、これから三麻を打つのか、と思っていた咲には寝耳に水だ。

 

「いやだって、少なくともそこにお店があったからって、何の躊躇いもなく入れる場所じゃないと思いますよ、雀荘って」

 

「……まぁ、そりゃそうでしょうけど」

 

 アンがなんとは無しに同意する。

 ――たとえ、ここ、『雀荘roof-top』がいわゆる賭けをしないフリー雀荘であったとしても、中学生にとっては足を運びにくい場所であることは間違いないだろう。

 それこそ、麻雀を打ち慣れているような場合でもない限り。

 

(……ま、単なるこじつけだけどな)

 

 とはいえ、瀬々にとってその理由付け自体は単なるこじつけ。もとより解っている答えに、肉付けを下にすぎない。

 ただそれでも、事実なのだから――咲はわざわざ否定するようでもない。

 

「そう、です。……いちおう、小さいころに麻雀を打ってました。でも、最近は全然打ってません」

 

「でも……宮永さん、あなた強いでしょ?」

 

 ――アンが突っ込んだ。別に瀬々がそれをする必要もないわけだが、アンが勝手に続いてくれるのなら、その援護射撃に頼ろう。適当に放り投げるように瀬々は言った。

 

「どーかな。お金はかかるけど、それ自体はあたしかアン……負けたほうが出すから」

 

「……ん、そういうことならええんじゃないかのう」

 

 まこも同意した。

 ――最近は打っていない。本人には、麻雀を打たない理由があるのだろう。瀬々はそう推察する。打ちたくないといえばそれでもいい。麻雀を打つ、という話はお流れだ。

 だが、そうはならないだろうとも考える。

 

(どうも、この宮永っていうのは、麻雀自体は嫌い……打ちたいとは思わないみたいだ。けれども、もともとは麻雀が好きなんだろう。そして、何をキッカケにしたかは解らないけど、麻雀に対して関心を取り戻しつつある)

 

 だからもしも、周囲が麻雀を打ちたいという雰囲気になれば、それを理由に、自分の心を説得するのではないか。

 そう、踏んだ。

 

 そしてそんな瀬々の読みは――

 

「……はい、じゃあ折角ですし」

 

 案の定、正解であったようだった。

 

 かくして、雨の脅迫染みた沈黙に支配されていた雀荘に、麻雀卓の駆動音が、響き始めた――

 

 

 ♪

 

 

「……あ、ツモです。嶺上開花ツモ、赤一で2000、4000」

 

 こと、と咲が牌を置いて手牌を開く。

 南三局。ここまで沈黙を貫いてきた少女が、偶然とは言える形だが、初めての和了を見せた。

 

 因みにルールはありありで25000点持ちの30000点返しという、非常にオーソドックスなルール。

 余談であるが、基本的に赤あり麻雀をしない瀬々は、赤ありで脅威度の増すアンを、抑えるのに四苦八苦するのであった。

 

 現在の点棒は以下のとおり。

 

 一位アン:49900

 二位咲 :28700

 三位まこ:10800

 四位瀬々:10600

 

 大きくアンが飛び出した形ではあるが。全員ここまで飛ばずに来ている。それというのも、とにかく全員が堅い。咲も、そしてまこも、驚くほど放銃をしない。

 

(それにしても……お急ぎだな)

 

 瀬々は、和了した咲を見遣りながら自信の手牌にも目を落とした。

 

 ――瀬々手牌――

 {六七八⑦⑦⑧1145667}

 

 瀬々の感覚に従えば、この手牌は次巡、{8}を自摸ってテンパイしているはずだった。アンに邪魔でもされない限り、さらにその次でツモ。高打点を和了しているはずだった。

 

 それが、咲の和了で邪魔された。

 

(……あの槓材は配牌時からあった槓材だ。それをテンパイと同時に晒した。さて、どこまでこっちが“見えてる”のかね)

 

 手牌を倒し、そのまま崩れた牌と共に開いた空白へと押し込んでいく。次はオーラスだ。次はアンの親番。速攻で逃げ切られるか、ツモできっちり捲るか。

 どちらにしろ難しいだろうが――

 

(そんなことは、まぁどうでもいいんだけど)

 

 瀬々がこの半荘で意識していることはアンとの対決ではない。おそらくそれはアンも理解しているだろう。しかし、実質的な賭けをしている手前、瀬々に意識を向けないわけにも行かないはずだ。

 

 ちらりと見やる。彼女の風貌はいつもどおり、涼しい笑みを浮かべてはいる。しかしその実、心底肝を冷やしていることだろう。瀬々が何をしようとしているか、彼女には解らないはずなのだから。

 

 サイコロが回った。

 

 瀬々は浮かび上がる山へと手をかけながら、周囲へとどこか異質な力を漏れだし始める。

 

(――やっぱ、“こういう時”くらいしか、力は貸してくんないよね)

 

 瀬々のチカラは、ある特殊な存在によってもたらされたものだ。瀬々が自在に利用してはいるものの、そのチカラの言うなれば“最終決定権”はその存在にあるのだ。

 普段であれば、こういったチカラの使い方はその存在が認めない。

 

 チカラがあまりに強大すぎるのだ。麻雀に対する“チカラ”でありながらそのチカラは、ある意味麻雀にたいする最大の冒涜となるのである。

 それを、その存在が認めるはずもない。

 

 だが、今回は違う。これをつかえば、きっと“大局”は思わぬ変化を見せるだろう。そしてその変化は、瀬々に対するものではない。別の誰かに対するもの。――決して悪いとはいえないだろうモノ。

 だから――

 

 

 ――オーラス。

 

 

「――――()()

 

 

 瀬々は、一切の躊躇いもなく、牌を晒した。

 途端に、先ほどまで周囲を漂う程度であった爆発的な勢いの奔流が世界そのものをかき乱し始める。アンも、そこまで行けば理解セざるを得なかった。

 最初から瀬々は、この対局をぶち壊すつもりだったのだ。

 

「地和。――8000、16000」

 

 正しく、瀬々の行った事を理解できたのは、かつて同じ状況を間近で体験したアン=ヘイリーのみであった。

 それ以外の両名は、突然のことに呆然とするしか無い。

 

「これで……プラマイゼロとは、行かなかったよな」

 

 だが、その一言はアンの理解からすらも外れた。意味の分からぬ言葉。どういうことだ――反応を見せたのは、思いもよらぬ少女であった。

 

「――なん、で?」

 

 咲。この場に偶然居合わせた、麻雀の打てる中学生。瀬々の本命はアンではない。この少女だ。

 

「解るんだよ、あたしには。こと麻雀という点に関してあたしに読み取れないオカルトは無い。そっちの店員さんのタネも、アンが実ははったりかましてるだけだってのも知ってる」

 

「……ひどい言い草ですね」

 

 冗談めかして、アンが茶々を入れた。瀬々は一切それに頓着すること無く、続けた。

 

「――一見異様なオカルトのように見えるけれども、実際には一種の技術をオカルトの域まで高めた特殊性。そしてその特殊性の内に秘められた異様なまでの“状況利用能力”」

 

 知っている。瀬々はその雀士を知っている。

 

「よく似てるよな。さすがに、育った環境が同じだと、麻雀の打ち筋まで似てくんだね。なぁ――――」

 

 そうして呼びかけるのは、ほんの気まぐれのようなもの。瀬々にとって、彼女の素性を明かすことで得られるメリットは無に等しい。

 それでも、“そう”したのはきっと、大いなる興味と、あの雀士へのある種のあてつけ。そして瀬々本人ですら理解の及ばない、複雑な何かの発露であったのだ。

 

 

「インターハイ、個人戦チャンピオンの妹さん?」

 

 

 瀬々だからこそ解る。瀬々にしかわからない。それでも、言葉にしてしまえばもはや否定もしようがない。

 途端に襲いかかる動揺。それが咲とインハイ個人戦チャンプ――宮永照の関係性を明らかにしてしまうからだ。

 

「……いや、確かに宮永さんはあの宮永照と同性じゃが。あの人は東京住まいじゃろ」

 

 まこが非常に冷静にツッコミを入れる。が、アンはそれとは別の反応を見せた。

 

「――あぁなるほど、誰かに似ている打ち筋でしたが、照とでしたか」

 

「……えっと」

 

「別に否定してもいいが、その言い分に対して、あたしはいくらでも解答ができる。この際言うとだな、あたしがあんたに聞きたいのは、悔しくなかったか? ってことだ」

 

 咲の言葉を遮って、瀬々は更に言葉を連ねた。

 

「宮永さんさ、あたしのこと知ってるでしょ。そしてあたしの事を“警戒した”闘牌をしていた」

 

 わかりやすい点で言えば南三局。瀬々の和了直前で見せた嶺上開花。――咲にはカンで有効牌を引き寄せるオカルトがあるが、よほどの状況でなければそのオカルトは見せないはずだ。

 疑問に想われない程度とはいえ、それを使ったということは、咲はそれを使わなければならない相手と闘っているということだ。

 

 ――最初から、そう認識している相手と闘っている、ということだ。

 

「……何で、こんなことをしたんですか?」

 

 問いかける咲はどこか冷静に瀬々を観察していた。よく似ている。その瞳は、あの時戦った――インターハイ個人戦決勝の宮永照に似ている。

 

(きっと、宮永照はあたしのオカルト、その本質すら理解しているはずだ。自分の過去すらも見透かしかねないオカルト。気持ち悪いと思われたってしょうがない。だのに、――チャンピオンは、今、宮永さんがしているのと同じ瞳をしてくれた)

 

 あくまで敵を、倒す。

 立ちはだかるものを越えていく者の瞳。咲のそれは照が持つ瞳と同じであった。きっと咲は、瀬々が宮永咲という少女の過去をおおよそ把握していることを理解しているのだろう。それでも、そう問いかけてくる表情に嫌悪はない。

 

 ただ、敵を見定める表情が、浮かんでいるだけだ。

 

「別に宮永さんの事情に踏み込むつもりはない。ただあたしは、面白そうな相手に、薪をくべているだけ」

 

 咲は今、悔しくてしょうがないはずだ。プラマイゼロをオカルトの域にまで持っていくその思考。ある種それは思い入れとも言える。

 自身のオカルトを揺さぶった相手に、咲はどうしようもない敵意を抱いている。越えたいと、思っている。

 

 どこか剣呑ではある。しかし、その剣呑な雰囲気に挟まれたまこも、アンも、どこか楽しげな顔をしていた。

 

「そのうち、国民麻雀大会っていうのがある。それは出ようと思えば誰でも出れて、宮永さんは――」

 

「咲、でいいです。何だか、貴方は私と一緒に、おねえちゃんを意識している気がします。だからわかりにくいので、咲でいいです」

 

「――咲は、受験生かもしれないけど、貴方のお父さんに出たいって言えば、取り計らってくれるんじゃないか?」

 

 ――その大会には、当然宮永照も出場してくる。

 とはいえ、それが咲の目的となることはきっとないだろう。瀬々もあえて指摘しない。きっと、咲と照。両者が邂逅する時は今ではない。もっとずっと未来の話。誰かに手を引かれるように、瀬々の言葉を借りずとも、咲が麻雀の世界に足を踏み入れる時が来る。

 

 その時でいい。今は、ある意味おまけのような一瞬だ。

 

「それに、コクマでいい成績を残せば、どんな高校だって狙い放題なはずだしな」

 

 最後に、瀬々はそう茶化すように、言った。




エクストラステージなので、基本的に出せる人はどんどん出していく方針です。


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『国民麻雀大会選考会』

「なぁなぁ憧、暇ー」

 

「ちょっとシズ、だったら勉強か何かしなさいよ。いちおう受験生でしょ!?」

 

「えー、でも阿知賀はエスカレーターだぞ? 別にいーじゃーん」

 

「だったら麻雀の練習でもする! はい、何切る。全部牌効率関係の問題だから」

 

「じゃあ憧、麻雀打ってよー」

 

「あたしは一応受験生なの。それに、たとえ阿知賀が楽勝だからって手を抜くつもりもないし」

 

「憧は真面目だなー。まぁそもそも二人で麻雀って言っても微妙だけどね」

 

「……そういえば、麻雀といえばこんなの来てたわよ」

 

「――え? なになに、コクマ? 何それ」

 

「いやいや、一応雀士ならコクマくらい知ってるでしょ。それ、麻雀部に所属してなくても出れるのよ。実戦で経験積めば練習するだけよりも強くなれるし、玄とか宥ねぇに話してみれば?」

 

「へー、面白そう!」

 

「あたしは出ないけどね」

 

「あ、じゃあ今から行ってくる!」

 

「今から!? 今丁度お昼時で忙しいんじゃぁ――! ……ってもう言っちゃったし。……んー、あたしも大分勉強したな。ここらでちょっと息抜きでもしてくるかー」

 

 

 ♪

 

 

 往々にして、コクマの選考会というものは注目度が低い。というのも、有力な雀士がそもそも選考会に出てくるはずもないのだ。悪い言い方をすれば、選考会は敗者復活戦。それも、勝者となりうる実力があるのであれば、敗者となるはずがない復活戦。

 見る意味が薄いと言わざるをえないのである。

 

 案の定、長野の中学生コクマ選考会は、さほど人が集まっているというわけでもなかった。しかし、それでも例年と比べれば、驚くべきほどにその日は観客が集まっていると言ってよかった。

 というのも、今回の選考会、今日が二日目となるのだが、一日目の東風戦。異次元の成績を残す雀士が四人もいたのだ。

 

 そして数奇なことに、その四人が二日目最終戦、選考会最後にして唯一の切符を争うことになる。

 

 ――そんな選考会には、渡瀬々、そして天江衣の姿があった。他のメンバーは来ていない。瀬々と衣が偶然互いに持ちかけた話しであった。

 

「それにしても、衣が中学の選考会に興味を示すとは、どういう風の吹き回しだ?」

 

「何、簡単な話だ。衣の友人がこの選考会に出るそうなのだ。そもそも、瀬々こそ珍しいな、瀬々は普段、出不精であると記憶しているが?」

 

 と、いうのが両名の会話であった。

 かくして選考会に訪れた両名であったが――

 

 ――おい、あれ天江衣じゃないか?

 

 ――隣にいるのは渡瀬々じゃないか。なんでこんなとこに。

 

 明らかに、周囲は瀬々達へと意識を向けていた。無理もない、インハイの猛者が、わざわざ中学のコクマ選考会におとずれているのだ。何がしか目的があるのか、はたまた何かの戯れか。

 

「……にしても」

 

 周囲の注目などどこ吹く風。瀬々はなんという風でもなく衣に問いかける。

 

「すごいな、衣の知り合いっていうのは」

 

「そうだろう。“どちらも”、衣や実紀……三傑等と競い合ってきたわけだからな。まだ中学にあがりたてとは言え、強いぞ?」

 

 衣の言う知り合い。

 中学1年生の双子姉妹であるそうだ。

 

 苗字を桂。姉は静希、妹は柚月というよく似た姉妹だ。今朝方、一度挨拶をしたが、姉はおとなしい性格、妹は活発な性格と、かなり対照的な姉妹である。

 

「――来たぞ」

 

 既に選考会は最終戦。四位につけるは一日目の東風戦で選考会の記録を塗り替えた“片岡優希”。

 

「……高遠原中、だっけ。透華が言ってたけど、今年の全中チャンプと同じ高校なんだっけ」

 

「原村()()()だな」

 

 ――いや、(のどか)だろう、というツッコミは差し控える。あの場でそういう風に聞こえる言い方をした透華が悪いのだ。

 

「そんで、次は衣の知り合いか」

 

 桂柚月。雀風の関係か、姉の静希とは少し離れて三位であった。とはいえ、ほんの十点程度の差である。

 特徴的な左側で結んだ房の大きいサイドテール。短髪で、中1と言うことも在ってか、顔立ちは幼い。

 

「柚月は感性の雀士だ。見ていればわかるが、考えるよりも感じることの得意な雀士だな」

 

 故に、読みにくい。元気そうな表情も、どこか読み取りにくい真意を隠しているように見える。少なくとも、芯は強そうだ。

 

「静希は思考の雀士だな。というよりも、思考こそがあ奴の持ち味。……足元を掬われないといいが」

 

 桂静希。どちらかと言えば古風な打ち筋を好む高火力雀士。現在は総合二位につける。

 こちらは長髪に、房の小さい右側サイドテール。柚月とは双子ということもあってか、似通ってはいるが、どちらかと言えばこちらのほうが大人びた容姿をしている。ただし、あくまで中1にしては、だが。

 

 彼女はどうやら落ち着いた性格をしている。大人びているとも言えるかもしれないが、どちらかと言えば冷静というよりも、引っ込み思案に思える。

 メンタルの強さで言えば妹とそう変わらないのかもしれないが、不安を気にしない分、妹のほうが前向きなのではなかろうか。

 

「どっちもいい感じの雀士だな。……でも、まだ中1なんだよなぁ」

 

「そこだな。あの二人、筋はいいが伸びるのはこれからだ。……おそらく、今年は厳しい」

 

 成長すれば、少なくとも全国トップクラスの強豪校でもエースをはれるほどの逸材であるだろうが、今はまだ、高校生ともやりあえる可能性もある、中学3年生の片岡や、これからこの場に現れるであろう現在選考会でトップをとっている少女には及ぶまい。

 

「……さて、最後があたしの目当て何だが、衣、今日直接あの娘と会ったか?」

 

「――すれ違った。何だアレは、“あんなもの”がこの会場にいるのか」

 

 最後の一人。

 彼女こそ、瀬々がこの選考会に訪れる理由。

 

「まー、そりゃあそうだろ。なんたって――」

 

 現在、総合収支第一位。名を、

 

 

「あの宮永照の妹なんだから、さ」

 

 

 ――宮永咲、と言った。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:片岡優希

 南家:桂柚月

 西家:宮永咲

 北家:桂静希

 

 

 ――東一局――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 配牌直後。二巡目。

 

「リーチだじぇ!」

 

 優希/打{東}

 

 はやい、と誰もが感じたことだろう。咲の瞳が揺れる。一瞬の逡巡。柚月が{西}――前巡、優希が切った牌だ――を切った後、ツモ。

 

 ――咲手牌――

 {三三三六⑧⑨1179東發中(横發)}

 

(……、)

 

 咲/打{六}

 

 脂っこい打牌。周囲からは、安牌が無いための無謀に移るだろうか。――が、反応はない。静希は安牌ツモ切り。そして、

 

 

「ツモ! 8000オールだじぇ!」

 

 

 ――優希手牌――

 {②③③④④⑤⑧⑧南南白白白横南}

 

「……うえー」

 

 思わず、と言った様子で。言葉が漏れだしたのだろう。柚月のそれは多文にゲンナリとした様子を含んでいた。

 

「――まったく、失笑モノだじぇ。このくらい、ずらして避けるのが雀士というものだ!」

 

 明らかなトラッシュトーク。咲は無反応、少しだけびくっと静希が動揺を見せるがそれだけだ。対照的と言うべきか、それに嬉々として反応するのは、桂柚月。

 

「っへ! 言ってくれるじゃんセンパイ! 最後に吠え面書いてもしらないかんね!」

 

「ほほう、やるか? この東風神、ゆーき様の御膳で、よく啖呵を切ったもんだ」

 

「あったりまえじゃん。見ててよね、この対局に、私以外の積み棒は必要ない!」

 

 ――柚月の言葉を尻目に、優希はサイコロを回す。

 

 

 ――東一局一本場、親優希――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

『チー』 {横⑧⑦⑨}

 

 ――柚月手牌――

 {一七①③⑤⑨6678東} {横⑧⑦⑨}

 

 柚月/{⑨}

 

 桂柚月は感性の雀士だ。それはつまり、周囲の状況を感覚でのみ受け取り、思考に直結させないということ。彼女の特性は、それにより精神面が周囲の影響を受けないということであるが、それだけではない。

 通常の人間であればどう考えても渋るこの鳴きを、一切の躊躇いもなくする。

 

「割りとアンみたいな戦い方をするな。……そのうち、この感性を理性が操作することになりそうだ」

 

 無論、そうなれば強くはなるだろうが、そこで一度実力は頭打ちとなりそうだ。スランプ脱せればアンと並び立つ雀士になりうるが、それにはまだ六年の時間を要するか――

 とかく、衣が瀬々のつぶやきに対して答える。

 

「解るか。柚月も静希も、別に何かが見えている訳ではない。衣はアナログも、オカルトも同様に扱ったが、あ奴らはアナログの人間だ。逆に、三傑は大概オカルトだよ」

 

 三傑。どうやらその言い方は、衣の中ではかなり気に入っているらしい。

 それを他所に、状況はさらに変化を見せた。

 

『チー』 {横978}

 

 いいところを鳴く。瀬々は声に出さずそう感じた。これで柚月の手牌は役牌バック、チャンタ、三色のどれかに絞られるように見える。

 すべて在ったとして、ドラを含めて満貫程度になろうかという手。

 

 そして次巡。{②}を引き入れテンパイ。{七}切りが、他者に対して警戒を及ばせる。

 

 対して、他家はそれぞれがそれぞれの思惑にそった動きを見せる。

 

 ――咲手牌――

 {二二二四五⑥⑦33378(横9)}

 

 咲/打{五}

 

 若干賛否は別れるだろうが、咲は異様にカンを好む雀士だ。判断に迷うこの打牌、彼女としては妥当と呼ぶべきか。

 しかし、そもそも現在の彼女は、どこか勝負に対して蚊帳の外であるかのように思える。

 

 ――静希手牌――

 {四五五七②④12244白白(横三)}

 

 静希/打{七}

 

 堅実に、静希は安牌を切った。既に柚月がテンパイしていることは、少なくとも彼女にとっては自明の理。そして彼女は柚月の双子の姉である。柚月の考えることなど、お見通しだ。

 もしもここから攻めこむとしたら、七対子でなければ苦しいだろうか

 

 そして、片岡優希。

 彼女は既にテンパイしていた。リーチをかけるには、辺張という待ちと雀頭となっている役牌が足を止めさせていた。

 ツモは――{⑥}。

 一瞬手を止めるが、それでも切る。

 

「ロォン! 2000だ」

 

 安手――だが、優希の思考の隅をえぐった、いい手牌だ。

 

「……喰い一通。三色でもチャンタでもなく、……安手だな」

 

「んだとぉ!? ――へへ、でもこれで私のターンだ」

 

 勢い良く右手を天へと掲げてみせる。狙い定めるはサイコロ。そう、此処から先は――

 

「――親番、はじめぇ!」

 

 

 そして、そこから怒涛の連続和了が始まる。

 

「――ツモ! 1000オール!」

 

 まずひとつ、役牌ドラ1で和了すると、

 

「――ツモ! 一本場だから600オールだな」

 

 これまた難しい手牌だった。

 

 ――柚月手牌(配牌時)――

 {四五①③⑤5799東南西北}

 

 この手牌から、柚月はノータイムで{横④③⑤}を鳴いた。狙いは当然、喰い三色である。ダブ東が重なれば三翻は見えるし、そうでなくとも三枚のオタ風で防御力は十分だ。

 鳴いた直後に、柚月はここから{①}を切った。

 

「ロォン! 今度は高いぜ、5800の二本場!」

 

 そして、再び優希からの直撃。

 柚月の鳴きは、手牌としては至極合理的ではあるのだが、他人にその中身を悟らせないチカラはピカイチだ。自然とそうなる――アナログ的な内筋が、オカルトへと変じているということだろう。

 

 

「……大暴れ、ってほどではないかもしれないが、小気味いいな」

 

「あの高遠原のが言った通り、打点がないのが悩みの種だ。もっとドラを大事にすれば変わると思うのだがなぁ」

 

 柚月の感性は、とにかく和了にフルスロットルであるらしい、東二局でのドラ1も、あくまで両面の高めを引いたからドラ1がついたのであって、最初からドラを考慮していた訳ではない。

 

「――?」

 

「どうかしたか? 衣?」

 

 そこで、衣がふと何かを感じ取ったようで、眼を細めた。隣で訝しむ瀬々も、何か胸底にかすめる心情を感じ取った。

 

「いや、今――何か、おかしな気配がしたような?」

 

「……そうだな、あたしもしてる。多分これ――」

 

 ――咲のだ。

 言葉にはせずとも、衣には伝わったようであった。

 

 

 ――東ニ局三本場、親柚月――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

「――カン」 {西横西西西}

 

 動いた。

 第一打。優希の牌を喰いとった。

 

(……大明槓、ですか?)

 

 桂静希、逡巡の一瞬。

 オタ風を躊躇いもせず大明槓など、正気の沙汰ではありえない。そんな正気とは思えない事を躊躇いもなくやってくる人間を静希は何人か知っているが、――宮永咲とは、そういった手合と同タイプなのか?

 

(いやいや、それはそれでよいですが、今はこの大明槓の意味です)

 

 血迷ったのでなければこの一打。――宮永咲という少女を体現する一打ではなかろうか。通常であれば誰もが血迷ったと見るであろう一打。

 それでも、決して無意味とは思えない。

 

 ――静希/ツモ切り{北}

 

 それ自体には、意味を感じない一打。柚月ならば何かを感じ取ったかもしれないが、静希は、一切ためらうこと無くそれを切る。

 そして。

 

 

「カン」 {北北北横北}

 

 

 再び、大明槓。

 

(……カン、かな?)

 

 そこを静希は重要と読み取った。それもそうだろう、宮永咲はここに来て動いた。それは絶対に間違いない。だからこそ、大明槓を咲が意味する符号であると、位置づけた。

 

 そこから、タン、タン、と打牌の音だけが響く。

 機械的とも言える一瞬。周囲に動きはなく、鳴きも、リーチも、入らない。

 

 当然ツモなど、ありえない。

 

 現象はそのまま過ぎ行き、河は一段目を切り返し、八巡目。静希は思わずうめき声を上げそうになった。表情は、少しだけ眉を顰めた物へと変わる。

 

 ――静希/ツモ{東}

 

(……やばいの、引いちゃいましたね)

 

 見えていないのだ。この{東}が。何処にもない。捨て牌にも、そしてドラの表示牌にも。――現在、{東}は静希に見えているだけで一枚。同じ風牌の{南}に至っては――どこにも存在していない。

 完全なアンノウンである。

 

(どう考えても誰かが抱えている牌。そして考えたくはないですが、一枚も風牌が見えていない以上、可能性は消えていない――)

 

 {東}、{南}、{西}、{北}。四種の風牌を集めることで成立する役。

 

 ――咲手牌――

 {裏裏裏裏裏裏裏裏} {北北北横北} {西横西西西}

 

(――役満。“四喜和”!)

 

 静希/打{四}

 

 優希/ツモ切り{⑨}

 

 柚月/ツモ切り{3}

 

 優希と柚月。両名はそれぞれ無軌道な打牌であった。テンパイを待っているのか、はたまた既にテンパイしているのか。

 

(柚月は鳴いていない。手牌と捨て牌を見る限り遅い手ではないはず――何かを止められていると見るのが正しいのでしょうか)

 

 対して優希は、おそらくテンパイだ。

 

(東風戦では異様なほど稼いでいたのに、今日の東南戦ではぎりぎり追いすがる程度の四位。そこから察するにこのセンパイは“東場に強い”と見えます。事実、彼女にはいつも東風が吹いている)

 

 柚月は、あくまで論理に乗っ取った世界に在る。しかし、その論理は桂静希独自のもので、それらが今後発展していけば、おそらくは三傑――小津木葉と同じような、しかし決定的に視点の違う雀士となることだろう。

 

 結局のところ、柚月にしても、静希にしても、そして片岡優希にしても、――三者は今後に期待が持てる成長株なのだ。

 育ちきっていない芽。これから彼女たちは大いに成長していくことだろう。

 だが、だからこそ、言えることがある。

 

 ――既に大勢し、そして圧倒的な実力を持つ存在と彼女たちが相対した時、優劣は間違いなくその存在にある。

 

 そう、

 

 たとえば、

 

 

「――カン」 {南裏裏南}

 

 

 この少女。

 宮永咲のような、存在に。

 

 誰もが直感する。

 まずい。絶対にまずい。――ただそれだけは解った。けれども、それ以上ではない。咲のしたこと。咲によってされたこと。

 

 

 ――優希手牌――

 {一一八八②②115566東}

 

 

 ――柚月手牌――

 {五六六⑤⑥⑧56799東東}

 

 

 そも、咲が真面目に四喜和を目指すというのならば、それには相応の時間が要する。だが、本来であればそれよりも先に、和了にこぎつけることのできる雀士は二人いる。

 彼女たちを躱し、なおかつ読みの雀士である静希を欺くには、役満すらも隠れ蓑にする必要があった。

 

 他者を欺き、その雀風を受け流し、時には利用し和了に持ち込む。

 独壇場とすら言える展開。

 

 ――それは、かのインハイチャンプ、宮永照とどこか似ている。

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――宮永咲手牌――

 {三四五⑦横⑦} {南裏裏南} {北北北北横} {西横西西西}

 

「自風南、三槓子――嶺上開花は2000、4000の2300、4300」

 

 これが――咲。

 宮永咲の、闘い方だ。




選考会といえば、皆さんは何を思い浮かべますか?
私は遊戯王を思い浮かべます。


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『国民麻雀大会選考会②』

 順位。

 一位優希:36700

 二位柚月:25900

 三位咲 :24300

 四位静希:13100

 

 

 ――東三局一本場――

 ――ドラ表示牌「{⑤}」――

 

 

(……状況を振り返ってみましょう)

 

 現在、困ったことに桂静希は最下位だ。

 それもこれも、全員が派手な上がり、連荘を繰り返し、一人焼き鳥を強いられているからにほかならない。

 とはいえ、静希の手が遅いのはいつものことだ。今、さして気にする必要はない。

 

 ここからが正念場なのだ。

 少しずつ、自身の打牌から無駄を削ぎ落とす。後手必殺の闘牌スタイルは、天江衣を始めとする世代がひとつ、ふたつ違う雀士ならばともかく、柚月他、同年代の雀士にまで遅れを取るつもりはない。

 

(片岡優希は一日目の成績と二日目の闘牌を見る限り、東場でチカラを発揮するスタイル。柚月に関してはいつもどおりのやり方でやればいい訳です。出し抜かれる可能性もあるけれど、それよりも、自分が勝てる可能性を考えたほうがよっぽどいい。となれば――)

 

 ちらりと、見る。

 

(前日の一次予選では総合二位だった。そして今日は総合一位。つまり、この中で一番強い相手。目下私が倒すべき相手は――宮永咲、この人でしょう!)

 

 ――静希手牌――

 {二三七七①④⑧⑧578東北(横發)}

 

(チャンタか、はたまた無難な手筋で行くか。どちらにせよ遠い手牌。せめてもの救いは両面塔子三つ、ですね。多分、柚月や片岡さんを相手にするなら、素直に進めた方がいいんだろうけど……)

 

 ――今の相手は、宮永咲だ。

 現状の第一打。選ぶべきは――

 

(生牌ではない牌。第一打からカンで攻めてくることは承知の上。絶対に、カンできない牌を切る!)

 

 ――宮永咲の闘牌は、カンを有効活用する打ち筋。

 となれば、カンをさせないことが第一で、そのために生牌を絞ることは正解と言える。しかし、それでは手牌がごちゃごちゃになり、和了など到底望めない。

 しかし、そこで意味を持つことがひとつあるのだ。

 

(槓材っていうのは、手牌に刻子があるから槓材です。でも、槓材っていうのは、どうやったって手牌に四つしか存在し得ない。私が絞る打牌のほとんどは、宮永咲の槓材以前に、未公開情報に眠ってる牌です。ツモれない牌よりも、ツモれる牌の方が多いのですよ!)

 

 限られた槓材を抑えるという意味もある。そして同時に、七対子を狙う上で、最善の打牌選択をするという意味でもある――!

 

 静希/打{東}

 

 咲の第一打、{東}を払う。

 そこから更に、

 

 優希/打{北}

 

 静希/打{北}

 

 併せて、手牌を――

 

 柚月/打{發}

 

 静希/打{發}

 

 切り払っていく。

 

 静希/ツモ{二}・打{①}

 

 この状況において、もっとも特筆スべきことは、七対子決め打ちという情報が、他者に伝わらないだろう、ということだ。

 特に静希の打牌はまったくもって平凡のキワミと言える。

 ここから七対子を読み取るとなれば、それはあまりに嗅覚が優れていると言わざるをえない。

 

 優希/打{四}

 

 柚月/打{1}

 

 咲/{②}

 

(さて……ここからですよね。手牌が対子と生牌だけになってしまいました)

 

 安易に打牌ができなくなった。

 ――当然、それならば打てる手は幾つもある。たとえば、だ。

 

 ――静希/打{三}

 

 意図は単純。

 優希の打{四}を見てのものだ。

 この巡目に出てくる中張牌。その形は例えば{四四五}といった形であることが不自然がない。もしくは{四六七}だろうか。どちらにせよ。ここで切れた{四}周りは、比較的安全だ。

 理想としては、優希の手牌に{三四五}があることなのだが。

 

「ッチ、鳴けないじぇ」

 

 単にふかしているのか、思わず言葉が漏れたのか。

 

(ま、どちらも、でしょうねぇ。既に手牌が完成しているという余裕の現れ。……ですけれど、先に手を進めるのはこちらですよ?)

 

 状況は明白において決しようとしている。

 静希はそれをおよそ把握しようとしているのだ。

 

 タン。

 

 タン。

 

 ――タン。

 

 と。

 それから幾度か、それぞれは打牌。手を進めていく。行き着く所。この局の結末は――

 

「ツモ」

 

 ――鉄面皮。

 未だ動かぬ静希の表情(かお)

 

 だが、抑えこまない程度の覇気で、静希は手牌を晒してみせた。

 

 ――静希手牌――

 {二二七七③④④⑧⑧5588横③}

 

1600(イチロク)3200(ザンニ)の一本付けです」

 

 静かに、だがだからこそ美麗に和了を決めて見せた。

 

 

 ――東四局、親静希――

 ――ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 /打{三}

 

「チー」 {横三一二}

 

 /打{⑧}

 

「チー」 {横⑧⑦⑨}

 

 

(――おおう)

 

 唸る片岡優希。

 

 

(……イケイケだねぇ、静希ねーちゃん?)

 

 からかうように、桂柚月。

 

 

 東場も終盤。

 動いたのは静希であった。二連続で牌を喰い取り他家へと猛烈なアピールを示す。ここまで露骨な動きには、他者も手を止めざるをえない。――桂静希の捨て牌に、ヤオチュー牌は存在しない。

 

 ――静希手牌――

 {⑧⑨⑨23東東} {横⑧⑦⑨} {横三一二}

 

(極めて良好な手牌です。ダブ東で打点を考慮しなくても良いのが実に良い。できることなら{1}を引き、高めハネの形を作りたいところですが――)

 

 優希/打{發}

 

 柚月/打{①}

 

 咲/打{西}

 

(ぐいぐい押して来ますね。ですが、果たしてそれは正しいのですか? こちらの圧力に惑わされ選択を間違えてはいませんかね?)

 

 ――静希が相対しているのは中学生。まだ若く、判断も大人のそれとは少し劣る。静希の相手を慣れている柚月はともかく、他の二名が本来払うべき牌ではない牌を切り捨てている可能性は十分にある。

 どれだけ強くとも、所詮は中学生。搦手には、当然弱い。

 

 はずだ。

 

(危険を払うため、例えば赤で染めている相手に萬子をそうそうに払っていくのはまぁ無いではない。だからこそ、本来抱え手牌に組め込みうる萬子を払ってしまうことは無いではないわけです)

 

 ――これはそれと同じこと。

 ならば、静希に手を惑わされた結果、後退しなければならないという状況は、往々にして考えられる。

 

(そして、これはその総仕上げ)

 

 静希/ツモ{1}

 

(高めツモ跳満。実に良好です!)

 

 静希/打{⑧}

 

 誰がそれを気取っただろう。

 おそらくは全員。気配読みに長ける感性の雀士、優希と柚月は危機感を覚えるはずだ。そして宮永咲も、これを見逃すはずもない。

 

 優希/打{④}

 

 ――結局。

 

 柚月/打{⑧}

 

 優希柚月両名は、その勝負をオリたということができるだろう。残念ながらその打牌は、どこか精彩に欠けるものであった。

 

 しかし、そうではない者もいる。

 

 咲/打{1}

 

 手出し。

 明白な挑戦と言えた。

 

(怖くないのですか!? おやっぱねですよおやっぱね。そうでなくとも、親満直撃は絶対に避けたい事態。それをなんの躊躇もなく、ですか)

 

 思考は巡る。

 あくまで表情は静けさを保ち、しかし考えは猛烈に加速を極めていた。

 

(……何か、見落としをしている?)

 

 そこではたと、静希は気がつく。

 何か、この宮永咲という相手に対し、間違いをおかしている。そんな感覚が脳裏をよぎった。普段ならば一笑に付す与太話。しかし、その時ばかりは、それをどうやっても静希は払うことができなかった。

 ――咲のそれは、どうにも、年の離れた親友。天江衣や自身に取っては姉とも言える、あの“三傑”を相手にする時と同じように思えてならない。

 

 決して、自分と同世代、同レベルの相手をしているとは言えないような。

 ――格上の感覚。

 

(気のせい、ですよね?)

 

 そうとは、思えなかった。

 気のせいという願望を肯定する要素は何一つ無く、ただ反証だけが浮かぶ。そしてそれは――

 

 

「――カン」 {裏55裏}

 

 

 一つの形となって、襲いかかる。

 

(うっそ……!)

 

 静希の驚愕。

 まだ、表情に出ることはなかった。

 

「――――ツモ」

 

 ツモを晒した右から、流れるように牌が倒され晒されて行く。

 

 ――咲手牌――

 {三四五⑦⑦⑧⑧⑨⑨東横東} {裏55裏}

 

「嶺上開花ツモ、ドラドラ一盃口は、2000、4000です」

 

 それは静希へ穏やかではない流れを与えながら。

 

 

 ――状況は、南場へと移っていく。

 

 

 南一局。

 この時点で片岡優希の気配が消え失せた。勢いがなくなったと同時、集中が途切れたと言う風にもできるだろう。

 ともかく、散漫な優希から直撃をもぎ取ることは、さほど難しいこととはいえない。

 

「ロン! 3900」

 

 ここで和了したのは柚月であった。速攻、彼女は未だ揺らがない。南場に入っても、優希のように流れを失わないことが柚月の最大の強みではある。

 ともかく、その一時は、静希と咲の戦いは薄れ、柚月へと流れが向いた。

 

 再び静希等が動き出すのは続く南二局。

 桂柚月の親番からだ。

 

 

 ――南二局、親柚月――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

(……前々局。あのカンは私が鳴いたから起きたカンでしょう。つまり、宮永咲はやりようによっては本来であれば槓材にならないものまで、卓を操り引き寄せてしまう)

 

 複雑だが、ともかく咲には、槓材を察知する能力。そして状況を大いに操作する能力が備わっているということだ。

 

(オカルトで言えば、それそのものはさして大きなチカラではない。前者はともかく、後者に至っては“超人的”とはいえ一種の技能です。オカルトよりも、アナログに近い)

 

 嗅覚とか。

 直感とか。

 ともかく、人が本来発揮することのない感覚的機能を大いに活用したアナログ、感性の麻雀。咲のチカラはそれに近い。正確に言えば、それを十二分に操った上で振るっているというだけだ。

 

 本来、人は感性と一体化した上で、そのチカラを十分に発揮することしかできない。

 つまり優希や柚月のように、思慮よりも直感を優先することで、チカラを振るうのである。

 

 しかし咲の場合はその感覚を機能化、スキル化させることで意図的に、そして戦略的に闘牌を行っている。

 

(少し羨ましいですかね。私には柚月のような感性がない。そして柚月はその逆を、私に感じているはずです)

 

 柚月はきっとこれからも、それを自身のチカラで埋めて少しずつ前へ前へと進んでいくのだろう。もしかしたら、気が付かないうちに、柚月と静希の間には、大きな溝が生まれてくるかもしれない。

 

(それは嫌です。私が柚月のお姉さんである以上。それは確かでなくてはならない。柚月に一歩先を行かれるならばともかく、置いて行かれるなどまっぴらです!)

 

 決意する。

 奮起する。

 

(柚月は感性。進むには段階が必要。けれども、私は思考。思考の解放は決して段階を踏む必要はない。――その意味は、私はいつでも進化できるということです!)

 

 打牌。

 

(ようするに、宮永咲はこちらの手に対応することが巧い。だったら、逆にこっちから相手の手を躱していけばいいのです!)

 

「ポン!」 {九横九九}

 

 鳴いた。

 ――桂柚月だ。

 

(柚月、チカラを貸してもらいますよ。私は打点の伴わない鳴きは好みません。ですが、誰かが無節操に鳴いてくれれば、それはそれでこちらの狙いは通る訳です)

 

 咲の弱点は、自身の槓材を無意識にずらす鳴き。

 それに対して柚月は感性、その鳴きは適任という他にない。

 

(後は私が――槓材を抑えてしまえば良いわけです)

 

 ――静希手牌――

 {五六③④④⑧⑧134556(横三)}

 

 静希/打{④}

 

(普段の私であれば、この{三}は当然残すにしろ、切るのは{1}でしょう。そも、誰だって{1}を切ります。ですが、今は生牌ではない牌を切るのは惜しい。私のテンパイまで、この{1}は引っ張らせていただきます)

 

 その後、静希は順調にツモを引き寄せ――

 

 静希/ツモ{四}・打{六}

 

 イーシャンテン。そして。

 

 ――静希/ツモ{7}

 

(……テンパイ)

 

 静希/打{1}

 

「ポン!」 {1横11}

 

 鳴いたのは、柚月だ。

 咲を見る。どこか不満気な表情が顔に見えている。ココらへんは少女の弱いところか。鉄仮面の静希とは対照的だ。

 

(これが、私の勝利ですよ――!)

 

「……ツモ。3000、6000!」

 

 ――静希手牌――

 {三四五③④⑤⑧⑧34556横7}

 

 

 ――南三局、親咲――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

 静希には、年の離れた姉のような親友がいる。

 当然それは双子である柚月も同様だ。二人は山奥の人がほんとうに少ない村で生まれた。子どもは六つも年の離れた三人しかいなかった。

 

 ――ある日そこに、一人の少女がやってくる。

 その少女はちょうど柚月達とは三つ違い。六つ年上の三人とも同様。間に入る年齢だった。当然といえば当然か、少女は三人の少女達からも、静希達からも、仲良くしようとアプローチをかけられた。

 それまで静希達と、その三人の少女達との間に交流と呼べるものはなかった。年が離れすぎていることもあって、少女達と静希達の関係は面倒を見る少し大人な子どもと、面倒を見られる幼い子どもという関係だった。

 

 けれども、その緩衝材のような形になる少女がやってきたのだ。それを気に、彼女を介して、静希達と三人の少女達は接近した。

 緩衝材となった少女はどこか一人でいるのを好み、どうにも輪の中に入るのを嫌がっていたのだが、誰もが彼女を構うのだ、やがては折れて、柚月達と、少女達――そしてその間の少女、天江衣の交流は始まった。

 

 そんな折、天江衣はあるゲームを柚月達に教えた。それが麻雀であった。最初は単なる戯れのつもりだったのだろう。衣は強かったのだ。

 やがては飽きて、更には衣自身も疎遠になれば、そんな考えがあったかどうか。

 ――しかし、そうはならなかった。柚月も静希も、特殊な雀士だ。圧倒的な衣に、拙いながらも一矢報いることは可能であった。

 加えて、更に上級生である、後に三傑と呼ばれる少女達は、衣とほぼ対等にやりあえた。

 

 そうして、だんだんと少女たちは接近していった。

 今では切っても切れない関係で結ばれている。――既に三傑も、衣も遠くに行ってしまったが、静希はそれで間違いないと考えている。

 

 やがて、自分たちも遠くで活躍する少女達と同じようになれれば、静希も柚月もそう考えた。

 

 結果がこのコクマ選考会だ。

 静希達は結果を残した。最上とは行かないかもしれない。それでも人々の意識に残るだろう結果を。

 

 後は、この場で勝って、衣や三傑、年の離れた姉たちに己のチカラで会いに行くだけだ。

 

 

(――そのために)

 

 

 見据えるは、自身の上家。静希は大いに気配を噴出させて、見る。

 

(まず、私が勝たなきゃ行けないのは、この人です!)

 

 思う。

 どこか、衣と咲の闘牌は似ている。だからだろうか、初めてやりあう相手でも、そこまで厳しいと感じることはない。厳しい相手でないならば――勝たなければいけないのである。

 

 この南場。

 静希は盛大に打牌を進めた。結果、

 

「ツモ! 2000、4000!」

 

 ツモ和了。

 きっちり満貫で、更に他家を突き放す。

 

 現在の点差は、

 一位静希:35800

 二位優希:24100

 三位咲 :22000

 四位柚月:18100

 

 オーラス。

 静希は一人浮きの状態で、逃げ切るために打牌へと移る。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 静かに、手牌へ牌を引き寄せる。

 やがて出来上がる十三と一つのスタートライン。配牌を終えるまもなくそれを、静希は勢い任せに叩きつける。

 

 ――静希手牌(理牌済み)――

 {三四八九九①⑤⑧57西發中} {④}(ツモ)

 

 静希/打{西}

 

 

 ――優希手牌――

 {一二⑧⑨3347西西白白中} {西}(ツモ)

 

(満ツモ十分! 南場だけど、これくらいは気張っていくじぇ!)

 

 優希/打{中}

 

 

 ――柚月手牌――

 {一二二三四七八八④8東東北} {九}(ツモ)

 

(うわ、混一色ノミに走りたい。……でもやっぱこういう場で静希には負けたくないよな。問題は、その静希が今トップだってことなんだけど)

 

 柚月/打{④}

 

 

 ――咲手牌――

 {六六六②④⑥⑥23677中} {7}(ツモ)

 

(…………――――)

 

 咲/打{中}

 

 

 ――何かが、ぼうと、淡い光を伴って熱を帯びる。

 

 

 そこから、無言の打牌が続いた。

 鳴きに走りたい優希の臨む牌がでることはなく、三巡、四巡と下る。川の流れが、ゆっくりと終局へ向けて走って行く。

 

 そして、

 

 

(……さて)

 

 ――静希手牌――

 {二三四八九九④⑤⑥⑧567(横⑦)}

 

(テンパイ……)

 

 ――柚月捨て牌――

 {④8北97②}

 {①東八}

 

 幸いなことに、{八}は既に柚月が打牌している。そして、

 

(柚月は染め手、萬子の一通を作りたがってる。一通一盃口平和に混一色の跳満ってところですか? となると、それは絶対に完成しません。残念ですけれど)

 

 ――宮永咲は既に槓材として{六}を四枚集めているはずだ。

 場は完全に成熟している。宮永咲はテンパイした時点でカンをして――その時点でこのゲームは終了だ。だが、そうはならない。

 

(私が間に合った。だからこのゲームは私の勝ちで終了です!)

 

 静希は、

 

 ――牌を、

 

 何らためらうことすらせずに、

 

 

 ――払った。

 

 

 この時。

 静希の落ち度を上げるとすれば、二つ。

 

 まずひとつに、咲を見誤ったこと。

 これは単純だ。静希は咲を“カンをしたがっている”という認識しかしなかったこと。そしてその副産物として嶺上開花を見ていたこと。

 違うのだ。まず、先には嶺上開花という役があり、そこから槓材を集め、そしてカンで有効牌を引き寄せるチカラを身につけたのだ。

 

 そして、もう一つは可能性を吐き捨てたこと。

 咲は衣とどこか似ている。その点に気がついた時点で、そもそも静希は警戒するべきだったのだ。咲は何かを狙っている。そしてその何かは、静希と同様に手牌と捨て牌以外の部分に作用するものだということを。

 咲の槓材{六}の持つ意味を――

 

 

「ロン」

 

 

 え?

 と、声にならないほどの声が、静希から漏れた。

 

 

「――――8000」

 

 

 ――咲手牌――

 {六六六六七⑥⑥⑥33777}

 

 それから、あ、と柚月、優希が声を上げる。

 ――この手牌。宮永咲は他家の手を“全て”潰して完成させた。{六}が消えることで一通の芽はなくなり、そして更に、ドラである{3}は握り潰された。優希は和了こそ可能だが、このまま和了しても、四翻には届かない。

 

 完全勝利。

 ――もはや誰もぐうの音が出ないほど、咲の実力を思い知ることとなる。

 

(……負けた)

 

 うつむき、自身の手牌を見やる静希、その表情がこの対局の結末を表していた。

 

 対局室の照明が切り替わると同時、宮永咲は立ち上がる。

 

「ありがとうございました」

 

 ――彼女こそ、渡瀬々が見出した新星。

 かの宮永照の妹にして、圧倒的な雀力を持つ打ち手。後に、清澄のリンシャン使いと呼ばれる少女の、公式戦初陣は、かくして幕を閉じた。

 

 

 最終結果

 一位咲 :30000

 二位静希:27800

 三位優希:24100

 四位柚月:18100




何故か南雲機動部隊の方で更新してました。


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『日本最強クラスの大学生と打てる麻雀メイド喫茶』

「おーい、衣、こっちこっち!」

 

 親しげに、天江衣に話しかける者が一人。うろうろと子どものように周囲を見渡していた衣が、目をキラキラと輝かせて彼女に走り飛びついた。

 ふんわりとしたボブの黒髪。元気の良さそうな快活とした笑みに、名は体を表すと言わんばかりの体つき。

 

 ――名を大豊実紀。現在は大学生、かつて風越にて三傑と呼ばれた者の一人である。

 

 服装はメイド服。レースが少なく、ミニスカートのウェイトレス風。実際、彼女が現在行っていることは、メイド喫茶なのだから間違っていない。

 

 ここは長野県某大学。

 現在そこは、大学祭のため一般に開放されているのだ。何をすることだってできる大学だ、その内容は、思う以上に多岐に渡る。

 例えばそれは実紀達が運営する麻雀部のメイド喫茶にも言える。

 

「はじめまして、ですわね。大豊さん」

 

「こちらこそはじめまして、貴方が龍門渕透華さんかな? 話は衣から聞いているよ、ようこそ我が“麻雀メイド喫茶”へ。私のことは実紀、でいいよ。私も透華さんって呼びたいし」

 

「あ、あたしは渡瀬々、よろしく」

 

「よろしくー」

 

 衣を抱えながら、実紀は同伴している透華、そして瀬々に挨拶をした。

 ――実紀達が運営しているのは麻雀メイド喫茶、つまり麻雀が打てるメイドさんのいる喫茶店だ。ただ少し特別なのは、そのメイドさんの中に全国トップクラスの雀士が三人もいる、ということだ。

 

 当然、この麻雀喫茶はメイドさんとも打つ事が可能である。

 

「あ、ごめんね、私忙しいから、詳しいことは中で打ちながら話そうよ。あ、優待券持ってる?」

 

「二枚持っていますわ。私の分と、衣の分」

 

 優待券。

 コレがないと、おそらく満足に三傑と麻雀を打つことも敵わないだろう。全国クラスの相手と打てる機会など貴重もいいところ、現在メイド喫茶は満員御礼である。

 

「あはは、やっぱりそっか。ごめんね、私達でも優待券は系六枚しか融通してもらえなかったんだ」

 

 そのうち、四枚が衣達へ送られてきたのである。

 

「残り二枚は静希と柚月のところだね」

 

「二人も来ているのか!?」

 

 衣が歓び混じりに問いかける。

 

「うん、今ちょうど薫がボコってるところだと思うよ。他の龍門渕御一行様も木葉がボコってるとこ」

 

 さすがに、三傑の身内だからといってこのメイド喫茶で打てる人間は限られる。龍門渕麻雀部ではこれの争奪戦が行われ、見事純と透華と一が手に入れた。

 水穂は一応秋のコクマに出るため引退してはいないが、争奪戦には参加しなかった。

 瀬々は最初から必要ないと辞退している。

 

「じゃあ、瀬々さんはこのボックスからくじ引いてもらえる?」

 

 と、カウンターの横に備えられた黒い箱に収められた棒を実紀は指し示す。

 

「……因みに、実紀さんはどの席に座るんですか?」

 

「今は九番が空いてるよ。透華さんと衣にはそこに入ってもらうね。それ以外の席もいくつかあいてるけど」

 

「そーですか。じゃあ――」

 

 瀬々が少しだけ瞳を細める。そうしてくじを睨みつけ――淀みなく、手を伸ばした。

 

 

「――あたしも九番に座ります。それでいいですよね」

 

 

 御幣のような形で棒に貼り付けられた紙を一瞥もせず、瀬々はそう実紀へ言った。

 ニィッ、と。実紀の頬が三日月のように歪んだ。

 

 

 ♪

 

 

 麻雀喫茶の室内はかなり広い。人が数十人は余裕を持って収容できる場所を使用しているのだ。麻雀卓は十を軽く超える。

 

 そのうち二卓が現在、見学者によって囲まれていた。

 この麻雀喫茶は、ドリンクを買いさえすれば、卓に付かずとも自由に麻雀喫茶の中を飲み物片手に歩きまわることができる。

 

 囲まれている二卓には現在、この喫茶の目玉、三傑である赤羽薫と、小津木葉が座っていた。

 そして、さらに言えばその同卓者には、インハイ団体のファイナリスト国広一の姿もある。かなり豪華と言って良い。

 

 そしてその片方。

 赤羽薫の卓が、開始十分で早くもオーラスを迎えようとしていた。

 因みに、この麻雀喫茶のルールは東風戦である。

 

 ちらりと瀬々はその様子を眺めた。衣がこちらに寄って行っていたので、それに付き添う形だ。静希と柚月が、衣の姿を見て嬉しそうにしている。

 

 点棒状況が見えてきた。

 

 ――順位。

 一位薫 :“28300”

 二位静希:23900

 三位柚月:23900

 四位  :23900

 

 おおよそ簡単に状況は想像がつく。

 つまり、赤羽薫はここまで三回和了し、それら全てが“一翻しかないゴミ手”だということだ。そして、この局も――三巡目。

 

 

「ツモ。ツモのみ、500オール」

 

 

 和了して、対局が終了した。

 

「あ、ありがとうございましたー」

 

「……ありがとうございました」

 

 柚月と静希が、しゅんとしたようにしている。ほとんど何もできなかったのだ。それを衣が慰めている。ふむ、と瀬々はそれを一瞥してから件の赤羽薫を眺めた。

 

 凛とした顔つきに、セミロングのツインテール。背丈は大体透華と同程度か。発育は普通。

 意思の強い顔つきは、如何にも何かの中心人物という風だ。事実、彼女は三傑のリーダーのような存在である。

 

「はじめまして。……貴方は?」

 

「瀬々、といいます。衣の戦友、みたいなモンですかね」

 

 おそらく衣の姉のような存在に、親友というのは少し憚られた。ただそれ以上に、親友よりもしっくりくる表現が胸のうちにあったから、瀬々はそれを使った。

 戦友。なんとなく、それが瀬々と衣の間を表す最適表現に思える。

 

「へぇ、やっぱり貴方が“あの”渡瀬々なのね。私は薫、下の名前でいいわ、よろしく」

 

 軽くそれから握手を交わして、その場を離れる。透華と、それから実紀に呼ばれたのだ。

 

 

 ――それとは別の場所。

 国広一と、井上純。そして――小津木葉が卓を囲んでいた。

 

 順位。

 一位木葉:40300

 二位一 :24000

 三位純 :20300

 四位  :15400

 

 こちらもまた、これがオーラスである。

 薫と同様に、三連続で和了をし、親番であるこのオーラスを迎えている。一ですら満貫ツモで届かない状況、厳しいと言わざるを得なかった。

 

 そして、こちらもまた三巡目。

 ――木葉、打牌はドラ。

 

 対局者全員の頬が歪んだ。

 

「チー!」

 

 純が動く。

 

(――これまで、全局において、この人は自分がドラを切った直後に和了した。そういう流れを作ってやがるんだ。だったら、ここで俺のすべきは、その流れをかき乱して、ついでに一発を躱すこと!)

 

 他家も無難に安牌を払った。完全に萎縮している。

 ――それが、木葉の狙いであるとも気が付かず。

 

 この東風戦における、木葉の戦術は簡単だ。――彼女は流れを操る雀士である。ただ、彼女にとって自身が操っているのは流れではなく、気配。

 気配を萎縮させるのが木葉のやり口だ。

 

 この場合、木葉はドラ切り直後の和了という印象付けを行い、更にこの局においても、三巡目という早い段階でドラを切り、他者に自分を印象づけている。

 しかし、その狙いは純から鳴きを強要させること。

 それにより、本来であれば“この局では薄かったはずの自分の気配”を増大させるのである。

 

 これまで木葉は無茶をしていた。状況を操る代償に、自分の流れを支払っていたのである。よって、この三巡目の段階で、木葉の手牌はゴミクズ同然。六向聴である。

 

 だからこそ、木葉は考えた。井上純は流れを操る。それはここまでの対局で理解している。だからこそ、“流れを作用する鳴き”を、純にさせたのだ。

 純の認識を、鈍らせた上で。

 

 結局その局は、そこから連続で六回、手出しにより手牌を整えた木葉が“もう一度ドラを切り”直後にツモアガリ。

 

「ツモ。1000、2000」

 

 きっちり逃げ切りに、成功した。

 

 

 ♪

 

 

 瀬々達が座る九番テーブル。それまで麻雀喫茶内をあてもなく歩いていた観客たちが、こぞってこの卓に詰めかけた。

 無理もない、対局者は、あの大豊実紀に、インハイ団体ファイナリスト二名、そしてインハイ個人戦第二位である。もはやどこのテレビの向こうか、というほどの対戦カードである。

 

 因みに、麻雀喫茶内に入らずとも、外のモニターで中継されている。こちらもかなりの盛況ぶりだ。なお、このモニターが設置された本来の目的は、未だ果たされていない。

 

 さて、対局は現在東二局だ。

 ――東一局は、瀬々、衣、実紀共に動かなかった。様子見という面が大きいが、そのために、普通にデジタルで手を進めた透華が、安手で和了している。

 

(まぁどちらにせよ、ここからは少し難しいでしょうねぇ。本来なら私もこの争いに関わりたいですが、それはちょっと“惜しい”)

 

 透華は一人、心境でごちる。

 惜しい、というのは単純に成績の関わらないフリーの舞台で、実紀と戦えているというのにそれを無下するのは、惜しいという意味だ。

 

 実紀のオカルトを、透華はあえて自身のオカルトで蓋をしなかった。これが公式戦であれば遠慮はしないが、フリーの卓である。実紀の“ショー”を間近でみたい気持ちが勝った。

 

(私、あまりオカルトは肯定したい人間ではありませんが、さすがにこの人ばかりは認めざるをえませんわ。――それだけ、見栄えがよろしいんですもの)

 

 透華/打{8}

 

 親番である。守りに入ってもしょうがないが、相手はあの大豊実紀、慎重に慎重を期しても非難はない。

 

 ここまで、状況は異常であった。

 ――誰も字牌を切っていないのだ。否、一人いる。透華の打牌直後、大豊実紀が、字牌の{發}を切った。瞬間、瀬々と衣の警戒が一気に強まるのを他人ごとながら透華は理解した。

 

(聴牌、かしら。……ともかく、そろそろ見れそうですわね)

 

 直後、実紀に右手が閃く。

 ――急速に、彼女は牌を引き寄せた。振り上げられた右手から、牌が豪速を伴って振り下ろされる――!

 

 

「ツモ! 8000、16000!」

 

 

 ――実紀手牌――

 {東東南南西西北北白發發中中横白}

 

 字一色。字牌のみで完成する役満。

 周囲から歓声が上がる。

 

 “また、役満を和了ったぞ!”

 

 “これで何度目かしら”

 

 “()()()ですよ、今日に入って”

 

 透華自身、それに興奮を覚えざるをえなかった。

 ――オカルティックな雀士は幾らでもいる。彼女たちは人を魅了し、惹きつける。だが、彼女ほどその魅力が“解りやすい”者は他にいまい。

 

 これぞある種、オカルトの究極形。

 

 ――次局。大豊実紀の親番。

 

 三傑が一人。

 大豊実紀のオカルトだ。

 

「ごめんね、衣、透華さん、瀬々さん。……私自身、これからだ! って思ってたんだけど」

 

 ――そして、手牌が開かれる。

 

 

「ツモ。天和」

 

 

 ――前局親番。透華の飛び終了で、半荘は終了した。

 

「――終っちゃった、東風戦」

 

 ――実紀手牌――

 {1112345678999横1}

 

 

 ♪

 

 

 にわかに、麻雀喫茶の入り口が騒がしさを増した。元より、衣と瀬々と、それから透華に実紀。四者の対局が人を集めていたわけであるが、それ以上の人が、更にこの麻雀メイド喫茶には訪れているように思える。

 何事かと実紀が慌てて周囲のスタッフに問いかける中、――彼女は、周囲の視線を伴って現れた。

 

 

 瀬々は瞬間、それを認識することがかなわなかった。

 

 

 訳は単純――瀬々の感覚が正常に作用しなかったのである。

 

 彼女は、恐らく二十と少し、本来であれば容易に察知しうるはずのその程度の情報もあまりに曖昧で、感じ難い。

 ウェーブがかった挑発を後ろにリボンでまとめている。智紀や水穂――おおよそ一般的な女性の慎重に、特徴の薄い体つき。体が少し細いためか、相対的に割りと大きい物をおもちだろうが、いわゆる隠れ巨乳というやつだ。ゆったりとしたワンピースであるため、判別が難しいが。

 

 ――その女性は、平凡と呼ぶにはあまりに気配が希薄であった。

 存在感がないのではない――幽霊が如く、幽鬼的。

 ただ、異様なほど意識に残る女性であった。今まで、悪魔の様な雀士には、魔物のような人間には、何度も目通りしたことがある。神にだって、直接ではないが相対したことも在る。

 ――彼女は、そのどれとも違う女性であった。

 

 女性に気がついた実紀が、嬉しそうに彼女へ駆け寄る。間違いなく、両者は面識が在り、それなりに親しい付き合いをしているのだろう。

 

「こんにちわ! 来てくれたんですね! よかった今日で、私達の妹分とその家族が今日遊びに来てくれたんですよ!」

 

「……」

 

 楽しげに話す実紀に、女性は軽く微笑んで会釈をした。――ふと、瀬々は隣に衣の気配を感じる。少し所在なさ気であるが、どうやら飛び出す機会を失ったらしい。

 

「……なぁ、衣」

 

「何だ瀬々」

 

「もしかして、あの人がそうなのか?」

 

「……そうだ」

 

 瀬々が名を挙げるのは、かつて衣から話を聞いて――“コクマの女王”。

 

 彼女は、実紀を伴って瀬々と衣の元へやってきた。

 衣に対して、実紀と同じように会釈をする。彼女にとっては、それが最大の信頼の証なのだろう。そして瀬々と、瞳を合わせた。

 覗きこむように――光を伴わない瞳が瀬々と邂逅する。

 

「初めまして、衣の戦友やってます、渡瀬々です。あの、名前――聞いていいですか?」

 

 それをきっちりと反転させるように、瀬々は問いかけた。

 一拍、女性は瀬々を見据えて停止した。答えは、その直後。

 

 衣や実紀に向けたようなほほ笑みで――

 

 

「神姫……と、呼ばれています」

 

 

 神姫=ブロンデルそれが女性の名であった。

 ――神の姫、なんとも大層な話だ。

 

「よろしく」

 

 瀬々が差し出した右手を、ふらりと神姫は握った。視線を交わし、それから離れる。――そこに、対局を終えたらしい薫と木葉がやってきた。それぞれ、実紀と同様に挨拶をする。

 

「じゃあ、この前話したみたいに、お願いしてもいいですか?」

 

「……構いませんよ」

 

 何やら軽く薫が木葉と会話をした後、メイド喫茶の奥へ引っ込んでいった。数分、所在なさげに周囲が沈黙した。

 思わぬ大物の登場に、萎縮しているというのが大きいだろう。

 

 そして数分の後、部屋のそこらにあるスピーカーが勢いの良い声にかき鳴らされた。

 

「皆さん、本日はご来店いただき誠にありがとうございます! 麻雀メイド喫茶、楽しんでいただけているでしょうか。本日は特別ゲストをお呼びしています! 既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、それは今年のインターハイで輝かしい成績を残した龍門渕高校の皆さんです!」

 

 薫のアナウンス。

 同時に周囲の意識が衣、瀬々、透華など、インハイで活躍したメンバーに向けられた。既に彼女たちは注目の的であったが、当然どよめきは起こる。

 だがそれは、続く薫の言葉で場内はしん、と静まり返ることとなる。

 

「更には、あの、神姫=ブロンデルさんにも起こし頂きました!」

 

 ――コクマの女王。無敵とされる神姫の名を冠する雀士。

 神姫=ブロンデル。知名度で言えば、今年初めて台頭してきた、衣達の比ではない。

 

「そこで、エキシビジョンマッチとして、私、赤羽薫と、小津木葉、大豊実紀、そして神姫さんの四人で卓を囲み、東風戦を行いたいと思います!」

 

 瞬間、周囲が沸き立つのが解った。

 この熱気はインハイの観客席に相当するだろう。――瀬々も、衣も、透華達も、それを直で感じるのはこれが初めてのこと。

 思わずの圧巻に、息を呑むのであった。

 

 直後、マイクを手にし、薫が表に現れる。

 実紀、木葉――そして神姫が彼女の元へと集まった。場所は九番テーブル、そこに中継用のビデオカメラが持ち込まれる。

 

(外のモニターはこのための物か。用意周到なこって)

 

 瀬々は楽しげにそう思考する。

 これから見れる物は、きっと自分にとって大きな意味が在る。そうでなくとも、コクマでだってそうは見られない、とっておきの対局であることは自明の理。

 

 瀬々と、衣と、それから透華達龍門渕メンバー、静希に柚月。観客たちがことの様子を見守っている。

 

 

 ――対局はかくして、始まった。

 

 

 ♪

 

 

 結論から言おう。

 勝負は神姫の勝利であった。

 

 

「――Your rudeness. ツモです、4000オール」

 

 

 ――神姫手牌――

 {三四五⑤⑥⑦2345688横7}

 

 ――ドラ表示牌:「{三}」 裏ドラ表示牌:「{東}」

 

 あまりにも、平素な手であった。

 コクマの女王を名乗る以上、その手は異様に染まるか――そんなことはない、これが神姫=ブロンデルの平常だ。

 

 だが、ここまでの内容を鑑みれば、異様はくっきりと浮き彫りになる。

 東風戦、オーラスまで、神姫以外のツモはなかった。出和了りも同様だ。四局、たったの四局を神姫は己のツモで切り抜けたのである。

 

 その間、二度も薫は安手をテンパイし、状況を流そうとしていた。

 けれどもどれも阻まれて、焼き鳥のまま終了している。

 

 また、実紀にも二度の役満チャンスが訪れた。彼女は基本的に、おおよそ四局に一度――半荘中二回か三回、東風戦であれば一回か二回の役満チャンスが訪れる。

 その中で、今回は二度、東風戦であることを考えれば、相当に恵まれていると言える。けれども、そのチャンスどちらにおいても、手はイーシャンテンから進むことはなかった。

 

 そして木葉に至っては、全局において神姫の流れを突き動かすべく、行動を起こした。けれども全て空振り。

 結局、他の二名に関してもそうだが、“いつもどおり”の結果に終った。

 

 三者が、ごちる。

 

(――できうる限り、私達は協力を敷いていたはず。それでも和了は叶わなかった)

 

 

(それは、決して……私達のせいでは……ない、はず――)

 

 

(――だったらいったい、私達は“何をされた”っていうの?)

 

 

 それこそが、神姫=ブロンデルの真骨頂。

 不可思議の闘牌。

 自分自身を不透明とし、他者を知れずすり抜ける。

 

 

 宵闇に移るは亡霊が如き幽雅の化身。それが――神姫=ブロンデル。

 

 

 これが、コクマで瀬々が、衣が、――やもすれば、透華達が、戦う事になるかもしれない相手。

 三傑は脅威である。

 ――そしてそれ以上の相手が、更にいる。

 

 瀬々は、何かを語りかけてくる己が感覚に、ほんの少しの――震えを見せた。




黒幕系雀士、神姫さん初登場です。
これまでいろいろな所でフレーバー的に登場しましたが、ようやくお目見えです。
次回更新は書き溜めが一次予選終了まで書いたら、つまり未定です。しばしお待ちを。


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――エクストラステージ・その2――
『熱戦の開幕』


「福与恒子とー!」

 

「小鍛治健夜の……」

 

 長く息を合わせてきたことに寄る、声をかけずとも伝わる呼吸で、福与恒子と小鍛治健夜は、タイトルコールを行う。

 

「ふくよかすこやかインハイレイディオー!」

 

 インハイレイディオは基本的に、福与恒子と小鍛治健夜、夫婦漫才の如き息の合い方を見せる両者のトーク番組だ。

 内容は主にインハイの情報に特化しており、注目選手インタビューなどを行うことがほとんどだ。

 大会中は逐一その情報を伝えるし、そうでない時も大抵はインハイにまつわる話題が主となっている。

 

 しかし、一年の間、少しの時期だけインハイ以外の事が話題に登ることがある。それがこの秋に行われる日本最大のアマチュア麻雀大会。

 国民麻雀大会。

 

 いわゆる「コクマ」である。

 

「さぁ、ついに始まっちゃいましたね、すこやん!」

 

「……そうだね、コクマ第一次予選、今日からスタートだね」

 

 今日はその「コクマ」開催一日目。

 「コクマ」の出場条件はプロではないこと。そのため出場は他のアマチュア大会に比べ非常に簡単で、インハイやインカレのような、学生生活などを賭ける仰々しさのある大会ではない。

 つまり、お祭り。

 国民全てが熱狂することのできる、麻雀ファンの祭典だ。

 

「というわけで今日は、インハイレイディオならぬコクマレイディオ一日目! 予選の内容をピックアップしていきますよ!」

 

 このふくよかすこやかレイディオも、それに合わせてコクマレイディオとして情報を発信することとなる。

 主な内容は、インハイに関して伝えるラジオらしく、コクマで活躍する有力高校生雀士の紹介だ。

 

「まずはランキングを追って見て行きましょう!」

 

「今年はだいぶランキングも動きましたね……」

 

 健夜のつぶやきを証明するように、恒子はアナウンサーらしい声音で、ランキングをトップから読み上げていく。

 

 ランキング

 一位:大豊実紀(信濃大学)

 二位:天江衣(龍門渕高校)

 三位:宮永照(白糸台高校)

 四位:神姫=ブロンデル(帝都大学)

 五位:渡瀬々(龍門渕高校)

 六位:小津木葉(信濃大学)

 七位:宮永咲(英名中学)

 八位:松実玄(阿知賀女子学院)

 九位:赤羽薫(信濃大学)

 十位:辻垣内智葉(臨海女子)

 

「そうそうたるメンツですね! すこやん!」

 

「…………阿知賀女子」

 

「八位の子だねすこやん、なになに、気になるの?」

 

「うぅん……あまり聞かない高校名だなって」

 

「それを言ったら七位の娘は中学じゃない。コクマ始まって最年少でトップ10入り」

 

 ――ここでも、それは話題になっているようだった。

 というのもコクマにおいて中学生は、そもそも一次予選を突破することすら困難だ。一次予選は二日にわたって行われるが、現在一次予選突破圏内にいる中学生は三人だけ。

 そのうち一人はこの宮永咲であるからともかく。

 

 残り二人――全中チャンプ、原村和と、全中第二位、二条泉は、突破圏内であるが危険域だ。

 

 だからこそ、異常。

 中学3年生にして初めてのコクマ、しかも彼女は選考会から勝ち上がってきている。全中に進んで大きな成績を残していないからこその選考会。

 それが意味するのは、彼女は本当に直近で麻雀を始めたか、もしくはここ最近まで公式戦に縁がなかったということだ。

 

 とはいえ、世間が話題にしているほど、恒子も健夜も彼女のことについては扱わない。単純に彼女は中学生、インハイ視点で語るこのラジオでは、あまり注目を惹かない選手だ。

 

「トップは去年に引き続き、大豊実紀選手ですね。去年までは長野の風越女子でレギュラーをしていました」

 

「とても高い火力を誇る選手です。……身も蓋もない言い方ですけれど、麻雀は役満を和了り続ければ誰も勝てませんからね」

 

 とはいえ、あまり触れる点は無い。

 去年もトップであったという恒子の言通り、彼女がこの形式――得失点を競う形式だ――で無類の強さを発揮するのは当然のこと。

 そもそも、去年もそうだが、名だたる強豪を差置、一次予選で実紀がトップを取ることは、既定路線であるのだ。

 直接対決をしない以上、火力が高い選手はそのままトップに立つ、当然の摂理である。

 

「二位の天江衣選手も同じく火力型の雀士です。どちらかというと玄人風の打ち方をしますけれど、本質は火力速攻型ですね」

 

「インハイ個人戦でも、一次予選ではトップの成績を叩きだしてましたね。それでも優勝できないのは、なんというかくじ引きの魔物といいますか……」

 

 決勝の激闘。宮永照VS渡瀬々に話題を持って行かれがちであるが、個人戦本戦、第一回戦の渡瀬々VS天江衣も、麻雀ファンを魅了した名勝負である。

 その最後が熱中しすぎたことに寄る衣の負け確和了というのも、ある種の浪漫を呼ぶ原因だ、――無論、衣の迂闊さを批判する者も一定数いることにはいるのだが。

 

「特筆すべきは一位、大豊選手から七位まで、そして九位の赤羽薫選手は、この一次予選一日目を“全てトップ”で抜けています。つまり完全な団子状態。そこから順位を分けたのは、個人の火力というべきでしょう」

 

「面白いのは八位、松美玄選手ですね。彼女は非常に火力特化型の選手です。残念ながら赤羽薫選手と同卓してしまった関係か、全てトップとは行きませんでしたが、火力の低い赤羽選手を差し置いて、八位に座る力があると言えます」

 

 赤羽薫は一翻のゴミ手しか和了らない雀士。どうやったって火力は出ない。松実玄は“ドラを支配する雀士”。その火力は、語るまでもないだろう。

 更に恐ろしいことに――このコクマ、赤ドラは採用されていない。

 松実玄は、本大会で二番目に、役満を和了っている選手である。

 

「インハイ個人戦チャンプの宮永照選手、インハイ個人戦第二位の渡選手など、順当な選手もいますけど、すこやん的には誰が注目なの?」

 

「……十位、辻垣内選手かな?」

 

 辻垣内智葉。

 無名の選手だ。しかし、出身校は無名ではない。多くの外国人留学生を擁する東東京最強の高校。そこに所属する“日本人”雀士。

 

「多分、多くの外国人と切磋琢磨して来ていると思います。多分この中では、経験は神姫選手の次にあるんじゃないかな……」

 

「臨海女子が作り上げた和製雀士。彼女は今年のインハイで渡瀬々選手と準決勝で当たっていますね。かなり渡選手に食いついたとか」

 

「もしも渡選手が別ブロックにいれば、決勝卓までは、上がってきてたんじゃないかな」

 

 続けて、健夜は十位以下の主要な選手を挙げていく。

 当然といえば当然か、コクマの多くは高校生が占める。その主な理由は単純で、高校最強クラスの雀士は大抵の場合プロに行く。

 最強クラスとはこの場合、照や衣、瀬々のような魔物クラス、ないしは愛宕洋榎に江口セーラといった、全国優勝常連の名門校エースクラスを指す。

 故に、そこから連なる名前は愛宕洋榎、江口セーラ、白水哩、依田水穂、車井みどりなどだ。彼女と同クラスのプロ級社会人も幾人か名を連ねる。

 ……が、今回は有力選手である赤土晴絵の名前がなかった。健夜はそれを気にしているようだ。

 因みに赤土晴絵が出場していないのは、単純にチーム存続の危機によるゴタゴタと、プレーオフ出場に関わって、社会人リーグに集中するためだ。

 

「……他に有力選手は、インハイ団体戦で活躍した龍門渕透華選手と弘世菫選手かな」

 

「この二人は全中の頃から因縁のある相手でしたね。インハイ団体戦での結果を合わせて、確か今はイーブンだったはずです!」

 

 弘世菫は全中の頃から名のある選手だが、高校に入ってから大いに化けた。恐らくは宮永照の存在あってだろうが、ともかく彼女は白糸台で今年から部長を任せられるほどの人材だ。

 対して龍門渕透華は、龍門渕高校の御曹司であり、しかしその地位に依存しない確かな実力で団体でも安定した成績を残している。

 全体的に大きなプラスが少なく、成績自体はマイナス気味だが、龍門渕の優勝に、彼女の手堅い雀風が一つ噛んでいないはずはない。

 

「上位に連なる雀士は全員特徴的な打ち方をしています。しかし、彼女は徹底したデジタル打ち。それでありながら一次予選通過圏内どころか、二次予選通過すら見えている成績は、驚異的と言えます」

 

 以外なことに、龍門渕透華は現在一次予選どころか、二次予選すらも抽選によっては突破しうる位置にいる。

 彼女の特性を考えれば、本当に相手が良ければ、というレベルだが。

 

「それと……やはり面白いのは松実選手と、現在十二位につける園城寺怜選手ですね」

 

 ――園城寺怜。

 千里山女子所属の新鋭。今年、どころかこの大会で初めて頭角を現した雀士。当然ながら選考会からの叩き上げ。同じ関西の新鋭有力選手、松実玄とは同様に注目を集める存在である。

 

「今日の試合終了後インタビューによれば、彼女、ここ最近まで大病を患い、公式戦に出ることはできなかったのだとか」

 

「それに加えて、彼女の場合はその大病の経験から来る特殊な感覚が備わっているようにも思えます。特殊なツモを持つ選手というのは、思いの外多くいますけど、彼女の場合はそれとは少し違うようですね」

 

「そうなの?」

 

「驚異的な一発率といえば、渡選手を思い出しますね。彼女の場合、一発で和了しない場合もありますが、重要な局面での一発率は驚異的といえます」

 

「へー」

 

「そこを流さないでよ!」

 

 とはいえ、情報の少ない園城寺怜に、健夜の解説無くコメントを入れられるほど、恒子も麻雀に精通しているわけではない。

 

「病弱少女の奮闘! これにも期待したい所ですね!」

 

「……うん、そうだね」

 

 締めくくるように、健夜と恒子はそう語る。

 

「さて、明日はいよいよコクマ一次予選二日目。二日目の対戦カードは、既に一日目の結果を受け決定しています。そこで! コクマ一次予選二日目に、期待したいカードをすこやんちょっと教えてくれない?」

 

「軽いなぁ……」

 

 嘆息気味にそう言って、それから気を取り直したように健夜は語る。

 

「総当り式という形式の関係上に、更に加えて人数の多さもあって、インハイ個人戦や二次予選以降に比べ、一次予選は中々好カードが恵まれることはありません」

 

 実に数百人にも及ぶ雀士が一斉に対決するのだ、そうそう好カードなど生まれない。実力者が傑出し易い分、強い雀士を明確にすることは簡単だが、それでは盛り上がりに欠けることもまた事実。

 コクマにかぎらず、多くのアマチュア大会が、最終的にはトーナメントに近い形式を取る形に落ち着くのは、必然とも言えた。

 

「けれども、決して面白い組み合わせが生まれないかといえばそうでもないですよね! なにせ日本中の、最強クラスのアマチュア雀士がほとんど全員参加してるんだから!」

 

「うん、だから一次予選の有力者と同卓した人を見るっていうのは、コクマらしい楽しみ方だと思う。まだ芽吹かない新芽が、少しでも輝きを見せることは、このコクマでは決して珍しくはないんだから」

 

「詩的ですねぇ……」

 

 強い雀士の蹂躙劇は、それはそれで面白いとも言えるだろう。麻雀は運のゲームで、玄人を素人が圧倒することもある。逆に、圧倒的な実力を、玄人が魅せつけることもある。

 それらは人と人の幸運が交差しあう、麻雀だからこそ起こりうるのだ。

 

「とはいえ、対局数が多いから、スケジュールに目を通してその中から面白い対局を拾うのはちょっとむずかしい、かな。だからあえて、たまたまそれなりに強い人達が集まってるところを挙げると――」

 

 それから、健夜は四つの対局の名を挙げた。

 名を挙げた対局に関わる雀士は、全員が一時予選突破圏内にいる雀士。つまり、二次予選レベルの闘牌が期待できるカード。

 

 偶然にもそれは、三傑と、そしてコクマの女王、神姫=ブロンデルに関わるものだった。

 

 

 ♪

 

 

 対局その1。

 ――三傑、大豊実紀が座る卓。

 

「……いやぁまさか」

 

 一人。

 奈良の強豪、晩成高校の現部長にして新エース。

 ――小走やえ。

 そして、

 

「インハイの団体戦で矛を交えた相手と、こんな所で再戦とはね」

 

 ――宮守女子大将。

 小瀬川白望。

 

「千里山の二枚看板と、三傑の役満雀士と一緒というのは楽しみだけど、……やっぱり再戦っていうのは、一番燃える」

 

 ――そして千里山女子のレギュラー、蔵垣るう子。

 

「……面倒臭い」

 

 一次予選でわざわざあたる必要もない相手、白望はスケジュールを見てそう言って。

 

「気楽にやって、勝てる相手でしょうか――」

 

 蔵垣るう子は、そうそうたるメンバーに少しだけ気を重くする。

 

「ま、やってやりまっしょう!」

 

 ――大豊実紀は、勢い十分。

 

 

 対局その2

 ――三傑、小津木葉の座る卓。

 

「……清梅」

 

 ――一人は、永水女子元部長、土御門清梅。

 その名を呼ぶはもう一人の同卓者、備尊。

 

「清梅、清梅、清梅」

 

「……いや、たまたま一緒の卓にいて興奮しているのはわかるが、もっとこう、あるであろうこのメンツ」

 

「そんなことないわ、私は清梅と打てるだけで言いの。だって最近、清梅がなんだかかまってくれないし」

 

「仕方ないだろう。最近はあっちの事に掛り切りなんだ。さすがに後方要員の尊を投入するわけにも行かないし」

 

「……解ってるわよ」

 

 ――そしてもう一人は、晩成エース車井みどり。

 

「なぁやえ、勝てると思うか? このメンツ」

 

「お答えしかねますね、先輩」

 

 最後に小津木葉は――

 

「……すぅ」

 

 すでに、夜闇のまどろみへと、消えていた。

 

 

 対局その3。

 三傑が一人、赤羽薫とその同卓者。

 

「……えぇ」

 

 北門美紀。晩成高校の次鋒、根っからの速攻派だ。

 とはいえ、相手になるのは自分と同格以上の速攻派――

 

 ――一人は龍門渕の依田水穂、言わずと知れた速攻系。

 もう一人は鵜浦心音。速度は美紀や水穂ほどではないが、手作りは異様に速い。

 

 当然そこに、クズ手をそれこそゴミクズのように何の価値も無いかのごとく平然と和了し続ける雀士。

 赤羽薫。

 

 場違いのような、けれどもやはり、それなりの闘牌は演じられるのだろう。――こんな一次予選でその相手、美紀にとって気が重いと言わざるをえないが。

 

 

 そして。

 

 

「――面白いカードを引いたな、瀬々」

 

 衣が嗤う。くつくつとこらえるその表情は、瀬々の不幸を嘲笑うが如くだ。

 

「ほっといてくれ……」

 

 瀬々は既に布団にこもっていた。

 明日のことを考えると気が重い。

 

「ならしょうがないな。“一の所に行ってこよう”」

 

「いやそれは止めろよ大人げない……」

 

 ――神姫=ブロンデル。

 そして図らずとも彼女と同卓することとなった、渡瀬々。

 日本トップクラスの二人の局に、国広一は同卓することが決まってしまった。因みにもう一人は福路美穂子。もちろん、彼女も日本トップクラスのアマチュア雀士である。

 

「なんだ、楽しみじゃないのか。折角の機会だぞ?」

 

「むしろコワイよ、相手は得体がしれないんだぞ?」

 

「何を言う、それを“解きほぐしてやる”のが瀬々ではないか。理解せよ、瀬々は神の申し子なのだから」

 

「……損な役回りだ。それと、たとえなにかわかっても、ぜってー衣には教えないからな!」

 

「むしろ教えられても困る。それでは自分で謎解きをする楽しみがなくなってしまうからな」

 

 ――夜は更けてゆく。

 既にコクマの戦いはゴングを鳴らした。誰かの手で留まるなどあるはずもなく、瀬々と、衣と、それから多くの雀士達の戦いは、始まっている。

 




ぼちぼち再開します。一次予選終了までやっていければいいです。
ちなみに私、こういう話大好きです。強者の群雄割拠。
なお某ふとももの神様が出てくるのは、元々この話がエクストラ、おまけステージだからです。


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『刹那最中のつばぜり合い①』

 時間は前後する。

 ラジオにて、小鍛治健夜が注目といった対局は、さほど間をおかずに行われる。幸運なことに、それらはすべて一つずつ時間がずれている。

 まず大豊実紀の闘牌から始まり、続いて小津木葉、そして赤羽薫の闘牌だ。更にその次に瀬々対神姫という、一次予選最大のカードが組まれている。

 

 この四連戦に期待を寄せる者は多い。特に瀬々対神姫は、それそのものが好カードということもあるが、一部の有力者は瀬々の動きに注目している。

 

 神姫=ブロンデルという雀士は数年もの間公式戦に顔を出し、それでもオカルトの詳細を全てつかむことのできていない雀士だ。

 手牌の動き自体は非常に普通の雀士でありデジタル的な牌効率は一流。アナログ的な流れなどの動きにも長けるオールラウンダー。

 スタイルを注視して解るのはそこまでだ。

 そして、その本質は同卓した時――幽かながら理解することができるのだが、それは今は置いておこう。

 

 さて、実紀の対局が開始する。時間を前後して、木葉、薫の対局を追いかけることとする。

 

 

 ♪

 

 

 ――木葉対局――

 ――東一局、親木葉――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「……ポン」 {横中中中}

 

 清梅/打{南}

 

(……清梅が動いたわね)

 

 ――対局が始まるまで、異様なほど熱視線を清梅に送っていた尊は、対局が始まった途端、異様なほど冷静な視点で、清梅の動きを確かめていた。

 彼女のチカラはまがい物のオカルト。彼女には流れなどというものは一切読めないが、それを理解するために、意図して冷徹な意識が必須である。

 

 あくまで状況を見下ろし、流れといえる状況を見つけ出す。尊のオカルトはロジカルのオカルトであった。

 

(南場スタート、恐らく安定のオカルトを使用しているはず。清梅曰く、麻雀は儀式的要素が強いから、いちいち別々の陰陽術を使うより、一つの術を半荘ごとに使うのがベター)

 

 安定のオカルト。

 これは単純にムダヅモをひきにくくなる、リーチ後の一発率が驚異的となる、など手牌から無駄を奪うのが特徴だ。

 

 元よりこの状態の清梅はとにかく聴牌スピードが速い。

 加えてこの副露、速度どころか、打点すらも軽くボーダーを超える代物だ。もしもこれが清梅の親番であれば、尊は流れを乱してベタオリを選ぶ。

 親番ではないいじょう、ただの7700(チッチー)なわけで、気をつけさえすればここで清梅が和了した所でさしたる問題ではないが。

 

(……気になるわね、なぜ小津木葉は清梅に牌を鳴かせたのかしら。そんなことをすれば自分の流れを吸わせてしまうことになる。なぜこの人はそんなことをするの?)

 

 問題は、それをさせたのが小津木葉――流れを操るゲームメイカーであるという点だ。

 木葉の特性は非常に単純、自身の臨むように流れを操作し、それに合わせてゲームを作る。時として変幻自在と称されるそのスタイルこそが、彼女の強みそのものである。

 

(読めない。この人の打ち筋は本当に読めない。……神姫=ブロンデルのような得体のしれなさは無いけれど、それでもこれは――厳しいわね)

 

 車井みどりも、そして{中}を鳴いた清梅すらも、苦々しい顔をして木葉を見ている。彼女は、闘牌が終わるその瞬間まで、狙いと呼べる者が見えない。

 特に今回は、その傾向が強いのだろうと見て取った。

 

(私の様に流れをロジカルで操る輩には、こういう霧のような打ち筋は幻惑として有効なわけね)

 

 流れをオカルトとして操るものであれば、むしろオカルトとしての麻雀を全面に出すことで警戒を呼ぶのが良いだろう。

 対して、今回の場合尊のオカルトはまがい物だ。そしてまがい物であるがため、状況を客観的に把握しやすい。

 

 オカルトは基本的に主観の世界だ。主観と客観の視野の違いを、木葉は巧みに利用している。

 

「ポン」 {9横99}

 

 木葉が動いた。鳴いたのは尊から。それぞれはそれを不思議に思いながらも、育ちつつある手牌を意識する。

 和了はそれから二巡のこと。

 

「……ロン」

 

 ――みどり手牌――

 {四五六八八八②②④⑥678横⑤}

 

「……1300だ」

 

 みどりが木葉の打牌を打ちとった。

 

 けれども、和了した本人は非常に苦々しい顔をしている。無理もないだろう。木葉は三傑の中で最も堅い打ち手だ。

 それがこうもあっさり放銃するということは、通常ではありえないことである。

 

 されとて木葉は決して放銃が零の雀士ではない。放銃する時は、あっさりと放銃する。それは例えば――

 

(……差し込みかしら?)

 

 差し込みを行うような状況だ。

 今回の場合は、四翻を聴牌していた清梅の手を流すため。しかし、それはあまり説明としては説得力不足だ。

 

(でも、それじゃあ結局マッチポンプじゃない。本当にマッチポンプというわけではないでしょうけれど、じゃあ一体どういうわけ……? それの説明が付かないわ)

 

 訝しみながらも切り替える。

 次は清梅の親番、連荘だけは絶対に避けたい場面だ。

 

 

 ――東二局、親清梅――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

「チー」 {横234}

 

 両面仕掛け。

 早い話が、尊が清梅の流れを喰い取ろうと仕掛けた鳴きだ。幸い現在の清梅はストレートなツモによるムダヅモ零の強運型。

 それを少しずらしてやれば、すぐには復帰できないだろう。

 

 対する清梅の出した答えは――

 

「ポン!」 {横東東東}

 

 副露、これもまた正統派な副露勝負である。

 単純な話だが清梅は親番だ。故に安く和了しても次がある。一度が安くとも、二度三度安い手がつづけば、無視できない和了になってくる。

 ここらへんはお互い手の内を知り尽くしている以上手慣れたもので、どちらが先を制するかは、完全にその時の機運と――周囲の同卓者によるだろう。

 

 みどりは正統派な打ち筋を続けている。

 状況の観察に努めているのか、はたまた前局の内容に意識を傾け、今を疎かにしているのか。

 

 おそらく、みどりは尊の味方にも敵にもならないだろう。

 現在は様子見という面が大きいし、わざわざ親の連荘を助ける理由がみどりにはない。なればこそ、現在尊とみどりには、消極的な不戦条約が締結されているといっても過言ではない。

 

 無論、みどりが好形聴牌でリーチをかけてきた場合はその限りではないが、その時はその時、むしろ清梅の相手を任せられて好都合だ。

 とはいえ――

 

 ――尊手牌――

 {三五六七七③⑤⑦⑧⑧(横④)} {横234}

 

(こっちの手牌がいい感じなので、おそらく車井みどりより、私のほうが速いから無問題ね)

 

 尊/打{三}

 

 となれば当然問題になるのは――得体のしれない三傑、小津木葉。

 何をしようとしているのか、読めない相手。意思の薄い表情は、さっきからずっとポーカーフェイスを保っているし、手の動きにも一切淀みがない。

 流れが理解できない相手である。

 

(流れに惑わされない相手。たとえばあのアン=ヘイリーや、渡瀬々のように流れもなにもあったものじゃない相手なら……こっちに有利な流れだけを意識すればいい。けれども、この人の場合、それが正しい気がしないわ!)

 

 聴牌まで、あと一歩。

 遅かれ早かれ聴牌するだろう。けれどもそれより、きっと清梅の方が聴牌は速い。副露できれば話は変わるが、そこまで上手く事が運ぶだろうか。

 

(運んだとしたらそれは――)

 

 ――思考は、そこまでだった。

 同時刻、木葉の打牌。――打{⑧}。

 

「――ポン!」 {⑧⑧横⑧}

 

 食らいついた。

 

 尊/打{⑦}

 

 あからさまな捨て牌である、けれどもここでそれは考えようだ。木葉にとっても、この場における清梅の連荘は辛いはずだ。

 ――狙いは全く見えてこない。

 けれども、自分からわざわざ失点するような真似をするのだ、誰か一人が突出する状況は好まないはず。

 

「――ロン」

 

 想像通り、続く打牌は{七}、放銃である。

 

「2000!」

 

 現状、尊がこの状況に風穴を開けることはできない。情報がたりなさすぎるのだ。ゆえにこそ、今は木葉の策に乗ってでも、ゲームを前に進めるしか無い。

 不透明、行き先不明。

 あまりにも、あまりにも、何かに覆われた状況。何か――すなわちそれは、小津木葉の策謀にして他ならない。

 

 

 ♪

 

 

 ――実紀対局――

 ――東三局、親実紀――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

 異質。

 思わず小瀬川白望は頭を抱えそうになった。無理もない、白望の周囲には、異様なまでの莫大な気配が、押し尽くさんとしているのだから。

 それはチカラ。

 爆発的な支配を伴う、もっとも明白的で、最も決定的なチカラの奔流。

 

 麻雀というゲームにおいて、それはある一つの名前で呼ばれる。

 

 

 ――役満。

 

 

 ――実紀捨て牌――

 {三七⑨⑧白}

 

 あからさま、それはただ一色のみを手牌に揃えることで成立する役満の一種。色は緑、新緑なる繁みの他に、存在すらも許さない揺るぎなき森羅の結露。

 役満――緑一色。

 

(やばい……張ってそう)

 

 嫌な気配は既に体中を覆い尽くしていた。

 それこそ、繁み切った森の圧力に、身体が飲み込まれてしまったかのような。木々に埋もれる息苦しさだ。

 

 既に実紀は東一局、役満気配を匂わせている。

 それが正しかったかどうかは、やえと白望の連携によって、流してしまったために伺えないが、その時は今以上の圧力であった。

 

 ――原因は単純、蔵垣るう子によるものだ。

 その時、るう子の捨て牌にはヤオチュー牌がなかった。るう子は牌を対子にできない。ゆえにこそ、国士無双という役満を、最高の形でテンパイすることが可能だ。

 あまりそれをすることはしないが、それでもあの局、異様なほど緊張が高まっていたのは、間違いなくるう子のせいだ。

 

 とはいえ今は、るう子もやえや白望と同じく実紀の役満に頭を悩ませる側、とことん、引きずり回して、迷惑をかけてしまおう。

 ――と、しかしるう子は動じない。

 

 ――るう子/打{9}

 

 殺す気満々で、やえと白望に笑みを向けた。

 

(……この人、完全に自分の道を行くつもりだ……!)

 

 言ってしまえば、るう子はこの中で二番目の実力を持つ相手、やえや白望が単体で相手にしても、恐らく叶わないであろう相手。

 るう子は最初から一人で実紀を封殺するつもりなのだ。

 

(一昨年の、インハイの借りでも返そうとでも?)

 

 当時のるう子が実紀と直接対決したことはないが、実紀はるう子にとってひとつ各が上のプレイヤー、挑んでみようというのが実際か。

 

(まぁ……やるしかないか)

 

 ――白望/ツモ{5}

 

(――これ、嫌な予感がする)

 

 まずいものを引いてしまった。

 無論、これで役満に振り込むことはありえない、けれども相手は役満モンスター、大豊実紀である。その意味を考えれば、この牌は安易に切れない。

 

(しょうがない、私が絞ろう……ダル)

 

 こんなこと、普通ならばあまり考えたくないことだ。けれども、無視できない怪物が卓の上で暴れているのなら、どうしたって誰かが行動を起こす必要がある。

 

(小走さん、ちゃんとこっちの意図を組んでくれるといいんだけど)

 

 その時、白望は明確に不可思議な打牌をした。

 やえに差し出すような牌。それを、やえは躊躇わず喰った。やえの手牌が加速する。安くともいい、ここは何がなんでも親の役満を防ぐしかない。

 

 共通認識が、やえと白望の間で流れた。

 

(……不思議なものだけど。夏のインハイで死闘を演じた相手と、今度は決死の協力体制、かぁ)

 

 けれども、それは決してダルくはない、と白望は思う。

 単純な話――一人で相手にするのはすごくダルい相手がこの卓についてしまっているからだ。

 

 否応なしに打牌は進み、後方に迫る緊張感を、白望はなんとか受け止めた。

 

 それは――周囲の望まぬ形で、結実する。

 

 

「ツモ」

 

 

 声は、実紀だ。

 けれども、覇気はない。

 

 それもそのはず、彼女が晒した牌は{5}――役満ではない。

 

「2000オールです」

 

 ――実紀手牌――

 {2334466688横5} {發發横發}

 

 ふう、と漏れた嘆息は、三者の誰かのものなのか、はたまたこの場には存在しない、対局者達以外の代弁か。

 

 実紀は、自身の役満を放棄した。

 安目と高めでは、数倍もの打点の違いがあるこの手を、安目で和了した。通常では考えられないことだ。

 

 ――けれども、今は実紀の親番で、更に行ってしまえば、実紀は半荘に最低二回は役満のチャンスがある。

 ここでタネを明かそう。

 東一局、実紀は役満など聴牌していない。ただ単に、{東}と{西}を鳴いての速攻を狙っただけ、そこに偶然、{北}と{南}が見えない状況が生まれただけだ。るう子に関しては知ったことではないが、ともかく。

 

 半荘はまだまだ続きが存在している。

 後一回は役満のチャンスがあるわけで、しかも、一回ではない可能性も十分にある。実紀の半荘における役満配牌の期待値は三回と少し。

 十分だ。――そう考えたからこそ、安目でも和了した。

 

 実紀は役満モンスターである。

 けれども、役満のみに意識を傾ける人間ではない。あくまで柔軟かつ大胆な、役満を利用した戦術が彼女の持ち味だ。

 

 ――そして。

 

 続く東三局一本場。

 そこにも実紀の最も特徴的な、そして最もオーソドックスなスタイルが、つめ込まれている。

 

 

 ――東三局、親実紀――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

「――チー」 {横五四六}

 

 ――実紀手牌――

 {一六八九①②9西北白中} {横五四六}

 

 実紀/打{9}

 

 不可思議な副露である。

 だがこの鳴き、実紀としては鉄鳴きのチーである。まず大前提としてこの手牌は役満ではない。若干ヤオチュー牌に寄ってはいるが、ごくごく普通のゴミクズ手だ。

 こんなもの、和了しようとするほうが間違いな手牌。

 それを実紀はどうするか、打点が伴わなくとも、強引に和了へ持っていくのである。

 

 実紀/ツモ{白}

 

 ――ここから狙える手は複数ある。

 まずは当然、役牌ツモ、{白}か{中}か、どちらかでもツモれば役が完成する。次に染め手、若干手牌が字牌と萬子に寄っているため、狙おうと思えば狙える。

 が、今回は{白}を普通にツモたため、平常運転を前提とする。

 

 実紀/打{西}

 

 続けざま、

 

「チー」 {横七八九}

 

 実紀/打{北}

 

 萬子を副露。苦しい形ではあるが、これで二向聴。あとは{白}を叩けばぐっと和了が近くなる。――が、しかし。

 

 ――実紀/ツモ{一}

 

 ここで{一}が対子と成った。

 が、これはさして悪い手ではない。{二}か{三}を積もれば張替えが容易、{一}を自摸ったその時は、それこそ染め手に向かえばいい。

 ここで実紀は、{中}を抱えることを諦め、染め手かバックか、はたまた一通振り替わりか、の三択を意識することとなる。

 

 ――実紀の雀風は、役満を前提としたスタイル。

 役満以外の手はさっくり流し、役満を待つ。また、役満による打点確保が容易であるため、多少のことでは引いたりはしない。

 せいぜい、親がリーチをかけてきた場合くらいか。

 

(今回の場合は、親が私なもんでして、引くには理由が足りなすぎるねー)

 

 幸い、手牌以外の調子は悪くない。

 結局安目で終ったとはいえ、役満和了の勢いは、決して零とは言わないだろう。

 

 実紀/ツモ{③}

 

 パーツは揃った。

 不出来ながらも、手牌は決して悪くない。

 

(あんな配牌から、ここまで育てた。ま、聴牌だけるだけありがたいんだよねぇ――この親番でぇ!)

 

 実紀のチカラは、戦いが長引けば長引くほど、脅威となりうる力だ。役満を引き寄せることに制限はなく、また弱点もない。

 直線的であり派手。

 そして直線的であるがために、無駄がない。それが大豊実紀の、強さなのである。

 

「――ツモ! 600オール!」

 

 きっちりと、バックの{白}を掴んで和了。

 和了まで数巡、鮮やかな手管であった。

 

 これが、大豊実紀。

 

 

 三傑率いる、一雀士。



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『刹那最中のつばぜり合い②』

 ♪

 

 

 ――薫対局――

 ――東四局、親薫――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

「ツモ! 500オール!」

 

 和了、赤羽薫によるものだ。

 ここまでの和了は、薫が二回、心音が一回、そして依田水穂が二回だ。トップは現在僅差ながら薫。

 ――ここまで、三翻以上の手が育っていない。

 

 

(はやいなー)

 

 ――心音手牌――

 {四五六八八③④} {横657} {三三横三}

 

 

(……いつものパターンだこれ)

 

 ――水穂手牌――

 {②③⑤⑤⑦⑧⑧456} {横七七七}

 

 

(……どうすりゃいいの?)

 

 ――美紀手牌――

 {一⑧2489東西發發} {白横白白}

 

 

 それぞれが難しそうに手牌を眺める。薫の和了は五巡、しかしそれまでに恐ろしいほど牌の飛び交う鳴き場であった。

 三者合計で四副露、薫に至ってはクソ鳴きにクソ鳴きを重ねた三副露である。当然、それは手牌の早さにはつながるが、絶対に打点にはつながらない。

 

 ただし、それは通常の場合、だ。

 

 薫であれば話は違う。

 ――赤羽薫に、打点という概念は存在しない。

 

 

 ――東四局一本場、親薫――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 ――この場において唯一、依田水穂は赤羽薫と対局経験がある。

 ゆえにこそ、薫の特性というものを、水穂は誰よりも理解しているのだ。なにせ、水穂が龍門渕でレギュラーを取ってから、彼女は永遠の宿敵であったからだ。

 

 風越女子先鋒。

 一年生エースとして期待された水穂を完膚なきまでに打ち破った相手。そしてそれ以降、ずっと水穂に土をつけつけた相手。

 

(……ライバル、っていうのはちょっと向こうの格が高すぎる、かなぁ)

 

 ――とまれ、何度と無く薫の前に立ちはだかる敵であるという自負が、水穂にはある。そしてそれは、恐らく薫にもあるだろう。

 

(こっちみられると、ちょっと怖い気がするよ?)

 

 この場に置いて薫が最も意識しているのは間違いなく水穂だ。それも当然、心音は実力者であるが速度は水穂ほどではない。

 美紀は水穂とくらべても、その実力は見劣りしてしまう。

 

(じゃあ、危険視されてるならされてるなりに、立ち回らせてもらおうかなぁ)

 

 この中では、水穂だけがよく理解している薫の特性。

 赤羽薫はクズ手しか和了しない。徹底的に、決定的に、ただひたすらに一翻のゴミ手を聴牌し続ける。

 無論、彼女に打点などという概念はない。一翻しか和了れない以上、一度でも満貫クラスを和了されれば、途端に点棒の差が開く。

 

 とてもではないが、強者とはいえないだろう。

 ただ安手を和了するだけならば。

 

 ――だがそこに、神がかり的なまでのスピードが伴えば?

 当然、薫のクズ手は周囲を支配するクズ手となる。たとえ満貫を和了されても、それを取り返すだけの連荘能力があるのなら、それだけで状況は決定される。

 

 そこが薫のオカルトだ。

 彼女の手は決定的なまでに安い。そこに彼女のスタイル、実力が合わさり、人域を圧倒した速度へと昇華される。

 後は語るまでもないだろう。インハイチャンプ宮永照の最大の武器が、和了スピードにあるように、赤羽薫の強みもまた、速度こそが自身の強みであるのだ。

 

「チー」 {横二一三}

 

(……やばい、かな)

 

 二巡目、赤羽薫が牌を喰う。恐らく今度は、先ほどよりも速い。

 

 ――水穂手牌――

 {二四四八九①⑦578東西西}

 

 決定的に、手が遅い。

 このままではどうやったって間に合わないだろう。三色が見えないでもない手、けれども決定的に、三色が遠すぎる手。

 ここにも、赤羽薫の強みがあった。

 

(――オカルトだ。赤羽さんのオカルトが、卓を完全に支配している――!)

 

 原理は簡単。

 オカルトと威圧の二枚刃一閃。

 軽く解説しておこう。赤羽薫のオカルトは自分の手が安くなる変わりに速度を伴うのではない。“誰もが安手しか和了できなくなる”チカラだ。

 簡単にいえば三翻以上の手を望めなくなる。基本一翻、できて二翻だ。

 

 これに加えて、薫にのみ速度によるブーストが見込まれる。

 

 この場で、それを破れる可能性があるのは二人。自分と、心音だ。

 

 心音に関しては、リーチ後に一発の可能性が高く、それを使用すれば薫の支配を破ることができる。そも、瀬々の劣化版とはいえ、牌の察知能力がある心音は、支配に逆らって三翻以上の手を作ることは容易だ。

 薫のオカルトはそこまで強烈ではない。

 これは昨年のインハイにおける一幕。

 

 赤羽薫と宮永照が、個人戦の舞台で激突した。この際照は、難なく三翻以上を和了している。ただし、階段和了の一段目と二段目は必ず踏んでいた。

 これは水穂にも適用できるはずだ。水穂が三度の和了をすれば三度目は、三翻程度の火力になるはず。それが親番であれば、決定的な和了にもつながりうる。

 

 最大の問題は、あの宮永照ですら、満貫に届かず薫に連続和了を止められることが何度もあったということか。

 とにかく薫は速い。宮永照に勝るとも劣らない速度。

 事実、彼女は照をあと一歩のところまで追い詰めたのだ。火力はなくとも、決定力はなくとも、彼女は三傑。

 

 地方の強豪レベルでしかなかった風越を、全国常勝にまで押し上げた実力者。

 それが赤羽薫。

 

 

「――ツモ。600オール」

 

 

 ただ、オカルトで他者の打点を下げているのではない。オカルトを使用した上で、周囲を威圧するほどの速度。周囲は悠長に構えられない以上、打点を犠牲にしてても速度を優先せざるを得ない。

 

(強い……な)

 

 相性が良い水穂にしても、あくまで驚異的な相手。

 ――赤羽薫

 

 

 ♪

 

 

 それぞれの対局は緊張を伴ったまま進んだ。

 大豊実紀。

 小津木葉。

 赤羽薫。

 

 それぞれが大きく動きをみせることなく、だ。

 実紀は役満を和了せず、木葉はここまで焼き鳥を貫いている。薫に関しては、打点が足りない、トップでこそある、がここで水穂に和了を許せば逆転される状況。

 

 実紀対局順位。

 一位るう子:34600

 二位白望 :26900

 三位やえ :23500

 四位実紀 :15000

 

 のらりくらりと対局を続けていた実紀であるが、オーラス直前南三局。るう子の満貫に放銃した。これで二度の役満聴牌により、るう子が大きく前にでる形。

 やえと白望は、それを追いかける形となっていた。

 

 木葉対局順位。

 一位尊  :30000

 二位清梅 :28500

 三位みどり:25300

 四位木葉 :16200

 

 ここまで木葉は何度も放銃を繰り返している。三度、それぞれが一度ずつツモ和了りをしているものの、それだけだ。結果として、木葉は微妙な点数で四位に位置づけている。ここまで、大きな和了が一度も無いのは、さながら赤羽薫の対局のようであった。

 

 薫対局順位

 一位薫 :28700

 二位水穂:27600

 三位心音:23000

 四位美紀:20700

 

 大きく策略の伴わない順当な順位として、ここまでの結果が反映された。若干実力不足を否めない美紀を覗き、それぞれが健闘の結果そこにいる。

 とはいえ苦しいことに、三位以下は、三翻以上の和了が必須。戦いの行末や如何に。

 

 

 ――薫対局――

 ――オーラス――

 

 

(……劇的に、なりそうな手牌が来たかなー?)

 

 ――心音手牌――

 {三四七八八⑦⑧⑨12西西西(横3)}

 

(間違いなく解る。――次のツモが私の和了り牌、ってネェ!)

 

 ここまでニ巡、副露は赤羽薫の一度のみ。

 一度であれば和了まではまだ遠い。当然、和了の可能性は十分にある。それでも、それは自分が“負けてしまった”という事実が残るだけ、

 

 この決着に、何ら問題は起こらない。

 

(さぁ勝負と行こーじゃないか! どんなトンデモが、飛んでくるっていうのかなァ!)

 

 

「リーチ」

 

 

 心音/打{七}

 

 美紀が、水穂が、薫が――その言葉に、それぞれの反応をもって受け入れた。

 ――水穂は諦めを覚えたような。美紀は、端からこの勝負についていけていないというような。

 

 そして、薫は――

 

 

(……やっぱり、破られそうにはなるわよね)

 

 なんとはなしに、感嘆を持ってそう思考する。言うに及ばず、ピンチである。これまで常勝を誇った薫が、この一次予選で初めて敗北するかもしれないピンチだ。

 とはいえ、ここで負けたからといって何かに響くわけでもないが。

 

(今までいくらでもあったピンチ。これからもいくらでも起こりうるピンチ。……乗り越えられないのは、強者じゃない、かしら?)

 

 薫は三傑において、中心に立つ存在だ。まとめ役であり、顔役。実紀は賑やかしという面が大きく、あくまで薫を支えてくれる存在だ。木葉に関しても同様。

 自分の強い三傑にとって、最も周囲に対して責任を持ってあたるのが、薫の仕事だ。

 

 同様に、彼女は自分の強さに、プライドを持っている。責任があるのだ、三傑と呼ばれる人間が、無様な負けをするなどゆるされない。

 

(別にそれでも構わない。性分だもの、今さら変えるつもりはさらさらない。だから、今回も)

 

 ――ゆっくりと、手を伸ばす。

 手牌を見落とし、思考する。

 

 聴牌ではある、が振り替わりの必要な役無し手。これを和了するには、最低でも数巡が必要。速度の雀士である薫をして、三巡程度で和了は不可能。

 本来ならばそれで十分だったのだろう、しかし、今はそうではない。

 

 ――ならば、ここで和了るしかない。

 

 手変わりなど待たず、さりとてこの一瞬で和了する。

 ――方法は、ある。

 

(――今回も、勝利していく。そのための自負は、とうにできてる!)

 

 

「……カン」

 

 

 明槓。

 加槓による嶺上牌。感嘆な話だ、これを掴めば嶺上開花が成立し、“役がなくとも”和了できる。

 考えてみれば当然のこと。

 ――薫の手牌にはブーストがかかっている。一翻でしか和了れないのではない“一翻で和了れる”それが薫のチカラである。

 

 ならば、役のない手牌が、そうそう入ってくるはずはない。多少の工夫は必要であるが、薫はあくまでオカルト雀士なのである。

 

 であれば、どういうことか。

 ――役は既に、完成しているということだ。

 

 

「――ツモ、嶺上開花。700オール」

 

 

 逃げ切るように。

 ――薫の、和了。

 対局の、終了であった。

 

 

 ――木葉対局――

 ――オーラス――

 

 

 木葉の気配は異様に沈んでいた。

 尊でなくとも解る。オカルトを感じる人間であれば、木葉が異様なまでに気配を薄くしていることなどもはや自明の理。

 問題は、その意図だ。

 木葉の戦い方は変幻自在、闘牌の内容どころか、スタイルすらも不定形のものである。一貫していることは、それを不定形たらしめるのが、流れという曖昧なものであるということ。

 

 彼女が流れを操る雀士であることは、誰もが知っていることだ。

 一体彼女がどのようなメカニズムで流れを操作しているか――それを知るものは誰一人としていない。無論、瀬々のような例外を除くが。

 

 その本質は、ゲームメイクという面にある。

 文字通り、対局全体を自分の思うがままに変える雀風。

 

 ――それは、格下であれば何ら問題はないだろう。いくらでもゲームを思うがままに進めることができる。

 しかし、今回の場合――ある一定のレベルを超えた実力者が集まる場合はどうか――思うように行かないこともある。それでも、戦い方は無いではない。

 それが木葉の、答えである。

 

(……すごい)

 

 まず、木葉は感嘆した。

 このオーラス、最初の思考がそれである。対局者達へ対する賛辞であった。無論、それは木葉が状況を支配する余裕があってこその思考である。

 ――が、それでも、まさか全員に自分の想定を越えられるとは思わなかった。

 

(だから……七連続放銃、できなかった……すこし…………手牌が不安)

 

 放銃は流れの放出を生む。

 流れが消え失せ、尽きが去っていった後に、何が残るか。それは極端な偏りである。最も端的に言えば――牌がヤオチュー牌にかたよるのである。

 

 ――木葉手牌――

 {一一三五八九①④79東南南}

 

(本当なら、純チャン……この場合は、染て行くのが……いい、かな。……チャンタ、ホンイツ、ツモで跳満)

 

 木葉の逆転条件は跳ねツモだ。

 比較的それが満たしやすい形。多少遠いが、決して不可能ではない。――なにせ、木葉はここまでゲームを自分の意思で進めてきたのだから。

 

(……強敵。なら、それ相応に……私は気概をもって……あたる、だけ)

 

 木葉の戦い方は不定形であり、けれども融通の効かない流れ麻雀。ならば、強敵に対する対処の方法はひとつだけ――そう。

 

 気合、である。

 

 

 ――オーラス。

 ここまでいいところのない小津木葉が何かを仕掛けるのは自明の理。

 であれば、それは一体何か、それが見えないのも、また小津木葉の強みである。緊迫を禁じ得ない状況で、尊は憎々しげに手牌を見下ろした。

 

(……遅い)

 

 ――尊手牌――

 {三三四①②③④⑥⑥7789}

 

 手牌が遅い。

 けれども、決して安くは済まない手。{⑥}はドラである。しかも、育てていけば良好な手になることは明白。

 ――この状況では、決してありがたくない手牌である。

 

 現在尊はトップ、和了り止めありのこの状況で、最善手は速攻による逃げ切りだ。しかし、現在の手牌はそれを許さない。何処を見たって、鳴いて行ける手牌ではない。

 

({6}が出れば鳴いていける。けれど、それを鳴いてもシャンテン数は変わらない。逆に流れを逃すことになる――!)

 

 よく出来た手牌だと、舌を巻かざるを得ない。もしもこれが、全て木葉の思うがまま出会ったのだとすれば、尊にもはや挽回の余地はないだろう。

 

 ――ちなみに言えば、木葉はこのオーラス、尊が“高いが遅い”手を引くことを想定していた。どころか、木葉を含めた全員が、高い手作りをせざるを得ない手を引き寄せる事を、ゲームメイクの目標としていた。

 故に正確な答えは、高い手は想定外、流れのずれる鳴きは想定外、だ。

 

 とまれ、安手であれ勝負が見えるこの状況で、全員の手は遅さを持った。粘り気の強い打牌が続く重苦しい場。

 変化は決定的に訪れず、ゆえにこそ、焦りの生まれる闘牌が続く。

 

(……呑まれている)

 

 その思考は、決して尊だけのものではない。木葉の除く三名が、木葉を意識し、その陰におびえている。状況を変えるには一歩が足りない。

 そして足りないからこそ、動くわけにはいかないジレンマな訳で。

 

 そうなってしまえば、気がついた時にはもう、周囲は蜘蛛の巣によって覆われている――――!

 

 

 はたと、誰かが気付いた。

 今、一体自分は何巡目にいる? ――答えは明白、十三巡目。

 それはもはや、河が二段の切り返しを覚える頃であった。決して牌を見ていなかったわけではない。

 決して警戒が薄かったわけではない。

 

 それはただ、そこに至るまでの間に、この場に座る対局者達が、何かをすることができなかったというだけの話。

 

 

「――ツモ」

 

 

 発声。

 この時それが、初めて、顕在化し、実体化する。

 小津木葉が――浮かび上がるのだ。

 

 ――木葉手牌――

 {一一一二三七八九東東東南南横一}

 

「3000、6000」



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『刹那最中のつばぜり合い③』

 ――実紀対局――

 ――オーラス――

 

 

(さぁて……ラス目。解ってたことだけど、このクラスの相手だと総合的な収支はともかく、一回戦で勝ち切るのは難しいなぁ)

 

 大豊実紀。

 その強みは役満一つで状況を決定づける火力である。長期戦、特に複数回戦を戦う場においては、彼女の役満は何度も脅威足りうるのである。

 

 それが、短期決戦である半荘一回では、極端なまでに薄められる。実力者がいないのであればともかく、上級者同士の対局で、大豊実紀の勝率は決して高くない。

 

 ――それでも、基本、彼女の参加した大会で、彼女以上の火力を持つものは絶対に存在しないのであるが。

 ともかく。

 

(――ここまで、役満は一回しか来なかった。半荘一回分で、一度だけ。そうなれば当然このオーラスでの役満は保証されているんだけれども……)

 

 ちらり、と手牌を見る。

 そこにある“気配”は、流れに疎い実紀でも理解が及ぶ。

 

 ――実紀手牌――

 {一一七⑧⑧⑧25999東東}

 

(……想像通り、かな?)

 

 実紀の手牌に訪れる役満はランダムだ、統計によれば、それは役満の和了りやすさと同期しているそうだが、それは余談だ。

 ――そして、ここに来てやってきた役満は、四暗刻。

 国士無双と並んで、役満における最もオーソドックスな手。見慣れるほど見慣れた、実紀の得意とする所。

 

 ならば――ここからは、実紀の主戦場が舞台となるのだ。

 

(まぁ、負けるわけには行かないなぁ)

 

 オーラスで、ようやく恵まれた役満チャンス。これを安手で済ますほど、実紀は積極性を見失ってはいない。

 それは周囲にも、容易に伝わることであった。

 

 

(……四暗刻、かぁ。高いのは嫌だなぁ)

 

 思考。

 面倒ではあるが、考えを止めては、自分のアイデンティティを逸してしまう。考えることは面倒だ。面倒なことは嫌いだ。けれども、そんな面倒なことを続けなければ、白望は自分の麻雀を保てない。

 

 本当に、難儀なものだと、小瀬川白望はどうでもよさげに考える。

 

 同時、ぴくりと

 

(……手が、止まった。難しいなぁ、何でこんな面倒で難しいこと、考えなくちゃ行けないんだろう)

 

 ――自分の感覚は、あくまでヒントしか来れない。

 それを纏めて思考に変えて、打牌へ移すのは白望の仕事。

 

(最善手を選んでも……それを上回れる可能性がある、かぁ。次元が違う、っていうのかなぁ)

 

 白望が相手取るのは、かの三傑。

 日本最強の一角なのだ。

 

(プロで戦えるレベル――それもトッププロとして。じゃあプロに行って欲しいんだけど、あと四年はアマなんだよなぁ。……まぁ、それでも諦める気はないけど)

 

 面倒になりそうな思考を打ち切って、打牌を選ぶ。

 ――このオーラス。

 白望達がすべきことは、明白であった。

 

 

 ――打牌が続く。

 それぞれの手牌も、少しずつ完成へと近づく。無論それは実紀も同様では在るのだが、若干その表情は苦しげだ。

 

 この局、三者の取った手は単純だ。

 極端な対子場の形成である。

 

 実紀がこの局持ち込んだ役満、四暗刻。

 役満としてはシンプルであり、オーソドックスであるぶんいささか地味だ。けれども、それゆえにそれ故に、その特性は非常に“万能”かつ“隙がない”。

 

 役満を防ごうと思って、防げる役満ではないのだ。

 

 これが例えば、字牌を使った役満であれば、いくらでも手を打てるだろうが――

 

(……難しいに、決まってるんだよな)

 

 やえがおも苦しげに嘆息する。四暗刻は防ごうと思って防げる手ではない。ならばせめてもの反抗として、実紀にとって不都合な状況を作っているのだ。

 

 なお、そのうち一人、るう子は“物理的に対子を作れない”。故に、彼女の場合は、“他者の捨て牌”を抱えることで、擬似的な対子としている。

 このようなことができるのは単純に、るう子がこの時点ではトップだからだろう。

 

 この状況、るう子を上回るには、白望の場合はツモで構わないが、やえの場合ハネツモ以上に手を仕上げる必要がある。

 やえの逆転が困難である以上、るう子は白望と実紀の手牌を同時に縛る。一応、勝利を目指すための手は、誰もが打っている。

 

(とはいえ、幸いな事に、私の手牌に現在ドラ2が入っている。逆転条件は満たしているな)

 

 ――後は、リーチをかけて自摸るだけでいい。

 どちらにせよ、包囲網は敷かれている。

 

 既に、賽は投げられているのだ。

 

 

(……こまったにゃあーん)

 

 実紀、一人ごちる。

 手牌は既に完成していた。

 

 ――実紀手牌――

 {一一一⑧⑧⑧55999東東}

 

 ――ツモり、四暗刻。麻雀における最上役。役満の一つ。

 

(ぜんっぜん引けない。私の役満は、あくまでテンパイまでに補正がかかるだけ。その後も、決して補正がないわけじゃないけれど……こうやって“止められちゃう”と物理的にダメなわけだ)

 

 現在{東}は一枚切れ、そして{5}は生牌である。そこから察するに――おそらく、{東}は蔵垣るう子に、そして{5}は、小走やえか、小瀬川白望に抱えられている。

 

 こうなってしまえば、実紀は絶対に和了ができなくなる。和了しようとしても、それに見合った手が作れなくなる。

 

(この土壇場で、勝負強さが他の三人に負けたかな。……私が去年のインハイ団体で勝てなかったのって、やっぱ勝負強さが足りないのかねー)

 

 いや、そんなことはないはずだと頭を振って意識を切り替える。

 ――そもそも、それならば自分はあの三年間、大将として三傑の、風越の最後を任されてはいない。

 

 意識を込めて牌をつかむ。

 ――まだ、この半荘は終わっていない。

 

(……だったら)

 

 ツモを、感じ取る。

 盲牌と同時に、その気配を実紀は理解した。

 

(証明してみようじゃないか。……私の勝負強さって、ヤツをさ!)

 

 

 ――実紀の打牌。

 {東東55}。これが連続して続いた。つまり、手牌を切り替え、彼女はまだ諦めていないということ。

 

 白望達も、それに思わず息を呑む。

 気配が変わった。ツモの瞬間、実紀は自身の意識を切り替えたのだ。理解せざるを得ない、実紀は勝利しようとしている。

 己が意思で。

 

(――そして、その意味するところは、今、あの人の手の中にある牌は……)

 

 面倒そうな表情を隠そうともせず、白望は嘆息した。

 引いて、しまった。

 

 ――白望手牌――

 {三三八八②②③⑥⑥5577(横九)}

 

({③}か、{九}か……解る。この内どちらか一つが私の勝利につながっていて、もう一つが大豊実紀の勝利につながっている)

 

 だが、そのどちらかが解らない。

 このまま切れば勝利できるか、はたまた、これを“切らない”ことで勝利できるか、そこから先は、もはや闇。

 

(執念、というべきなのかもな。……私達三人は、あの人の役満を完全に“殺した”はずだった。だのに、今この瞬間、もう一度あの人は役満をこの場所に呼び寄せた)

 

 見る。

 自身の勝利を求める前傾姿勢。――大豊実紀は、笑っていた。自身の勝利を疑わず、さりとて自身の奮起を驕ることなく。

 強者として、

 

 ――絶対的な、優位者として、そこにいる。

 

(……それはまぁ、なんというか)

 

 そして、現在、この場に置いて“勝利”できるのは自分か実紀の二人だけ。この四人の中で、小瀬川白望と、大豊実紀だけが、勝利の選択を手にすることが出来たのだ。

 

 今この瞬間に選ぶ。

 

 勝ちか、

 

 負けにつながる。

 

 ――二本道。

 

 そう、それは――白望にとって、どうしようもなく――

 

 

(めんどう、くさい)

 

 

 薄く浮かべる笑みを、額に当てた手で白望は隠して、

 切った。

 

 白望/打{③}

 

 ここで、点数状況を一度だけ確かめておこう。

 現在トップの蔵垣るう子は34600点。対して、小瀬川白望は26900点。

 逆転条件を満たそうとする場合、小瀬川白望は三翻――つまり、1600オールでは届かない。故に、四翻のチートイツを作る必要があるわけだが、その場合。

 

 {③}を切らなければ、タンヤオをつけて、四翻となるのだ。

 

 ――けれども、白望は{③}を切った。この場合、どうなるか。無論、このままでは届かない。しかし、白望の手は現在門前――つまり。

 

 

「リーチ」

 

 

 これで、四翻。

 逆転条件を満たしたことになる。

 

 なぜ、

 

 ここで、その選択を取るか。

 

 訳は単純。

 リーチをしたかったのだ。

 この勝負、コクマ決勝のような、大一番ではない。ならば、負けて損になる点は何一つ無い。なにせ今はコクマ一次予選。白望は、一回負けたところではどうともならない程度の成績である。

 

 ならば、リーチをしなくてはならない。

 ダマはだめだ。――何も残せない。何も残せない負けは、許容できない。雀士として――勝負師として。

 

 そして当然。

 このリーチ、この卓における“最強”が乗ってこない、はずはない。

 

 

「――ポン!」 {③③横③}

 

 

 実紀の手が閃いた。

 白望の表情が、苦しい物に変わる。

 それでも構わず、手を動かした。

 

(まだ――このツモがっ)

 

 ――白望/ツモ{8}

 

(……ざん、ねん)

 

 ツモ切り、である。

 あと一歩、あとひとつが届かなかった。少しだけ、横にそれてしまった。道を――踏み間違えてしまった。

 

 悔しくてならない。

 闘って、悩んで、そして選んで負けた。これほど、悔しくてならないことはない。そう――

 

 

 だから、たまらないのだ。悔しいと、思ってしまうくらいの負けが、コレほどまでに、たまらない。

 

 

 ――白望は、後悔して負ける。それでもその後悔は、決して誰かのせいにできるものではなく、自分が選んで、そして負けた、それだけのこと。

 

 白望は手牌を伏せる。ただ、やえ達は伏せなかった。そして――

 

 

「――カン」 {③③横③(横③)}

 

 

 決着に、至る。

 

 ここで全てのタネを明かそう。

 数巡ほど前、実紀はある牌を引いた。{一}である。つまり、槓材。そう、実紀は狙いを四暗刻から別の役満。

 

 ――四槓子へと、切り替えたのである。

 あとは、ここまでの経緯通り。

 {③}をポンして、更にツモり、加槓。更にひいてきた{九}で、暗槓。そこからは怒涛の連続カンである。

 

 あっという間に、四連続カンはなされた。

 

 実紀の手牌が、四暗刻テンパイから、四槓子テンパイ裸単騎へ、切り替わった瞬間である。そして――

 

 

「ツモ!」

 

 

 嶺上開花。

 二の太刀は、必要ない。一撃で、殺しきる。

 

 決着であった。

 

 

「――8000、16000」

 

 

 役満モンスター大豊実紀は、きっちり、自身が持つオカルトを要いて、その上で、“勝負”に打ち勝ち、半荘を終えた。

 

 

 ♪

 

 

 かくして、三傑の対局は、それぞれ自身の勝利で幕を閉じた。一次予選二日目、注目の四連戦、内三戦が終了する。

 そのどれもが、強者三傑の勝利という形で幕を閉じた。

 

 激闘必至のコクマ二次予選。

 そこへ向けて、よい前哨戦となっただろう。だが、全てが決着を見たわけではない。

 あとひとつ。

 

 ――最後の目玉が、待っている。

 

 

「よろしくお願いします」

 

 瀬々は、卓に着いた四者へ、まずそう声をかけた。

 対局者は渡瀬々。

 国広一。

 福路美穂子。

 

 そして、神姫=ブロンデル。

 奇しくも神姫に相対する三者は長野勢。瀬々は語るまでもなく、残る両名も、長野屈指のプレイヤーである。

 

「よろしくお願いします」

 

「よろしくおねがいしますね」

 

 一と、美穂子がそれに応える。そして――神姫。

 ちらりと、一、美穂子の方をそれぞれ見た。そして真正面――対面に座る、渡瀬々へと意識を向ける。

 

 だが、それも一瞬。

 三者を同様の時間見て、そして顔を落とす。

 

「……よろしく、お願い致します」

 

 幽かに揺らめく声音。やもすれば聞き逃してしまうかもしれないそれは、けれども瀬々達の元へ届いた。

 

「じゃあ……」

 

 つかみ所のない人だ。

 瀬々ではなくとも、実際に相対すれば思うだろう。ただし、瀬々の場合は“得体のしれない”という神姫の特性を半ば無視している。

 瀬々にしれない得体はない。たとえ今は掴めなくとも、すぐに彼女の正体を掴んでみせる。そのために瀬々は、この半荘で、神姫=ブロンデルを、“攻略”する腹積もりであった。

 

 

「――はじめましょうか」

 

 

 言葉と同時、周囲の照明が落ちる。

 起親、瀬々が、自身の投げる賽へと、手を伸ばすの出会った――




指を蜂にやられてしまいました。
それとはあまり関係ないですが多分次回はいつもの間隔じゃ無理だと思います。


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『ゆらめきの戦線①』

 席順。

 東家:渡瀬々

 南家:国広一

 西家:神姫=ブロンデル

 北家:福路美穂子

 

 

 ――東一局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

 音だけがする。

 対局者達が、牌を弄る音だけが。静かな場所だ。ここが神聖な公式戦の舞台であることをよく知らせている。

 

(……さて)

 

 その対局者が一人。渡瀬々は同卓者をちらりと観察する。それはある種の習性のようなもので、意識はどちらかと言えば、観察と言うよりも、策謀の方へ向いていた。

 

(魔物クラスと公式戦やりあうのは……個人決勝以来になるかな。負けるかもしれないっていう意識で挑むのは……団体準決以来、か)

 

 瀬々はこの対局、極限の集中を瞳に宿しているように見える。なにせ相手はコクマ最強。ここで集中しなければ、いつするのか、というレベル。

 恐らく、一般的な全国クラスの雀士であれば、絶好調以上のコンディションを、この場に持ち込んでいても可笑しくはない。

 

 ただそれは、全国に名を連ねる程度の雀士レベルに限られる。瀬々の場合は少し違う。彼女の場合は、この“次”を見ているのだ。

 

 なにせ順当に瀬々が決勝本戦へ進めば――もう一度、神姫と相対することになる。それは誰にとってもそうであるのだが、瀬々の場合それが“現実味を帯びているのだ”。当然、この一次予選の闘牌はそれに合わせたものとなる。

 

(ここまで、何度も考えてきたことだけど、おさらいしておこうか)

 

 ――瀬々手牌(理牌済み)――

 {三四五八①②③1567西西} {八}(ツモ)

 

 瀬々/打{1}

 

 配牌は、張替えが容易なシャンポン待ち。加えて、ドラ側であることを見逃せない。{七}を引けば高めドラ1の平和手が出来上がる。当然、それを自摸るのが打点的に一番高いので、ダブリーはない。

 

 基本的に、これが一般的な練度の雀士であれば、瀬々の戦い方は非常に理にかなったものになる。ようは一番高い手を作るだけ。その上で、“高い手”を作る上で、通常の雀士との間にある天と地ほどの情報格差。

 それが瀬々の“普通の”強みである。

 

 一次予選からこれまで、その戦い方で負ける相手にはあたってこなかったが――今回は違う。

 

(相手は神姫=ブロンデル。加えて脇を固める二人も一級レベルと来たもんだ。苦しい闘いになるだろうし、だからこそあたしは“次に負けない”闘いをする必要がある)

 

 負けを前提に挑むなど、勝負師としては三流もいいところだろう。衣やアンなら絶対にやりそうにない。宮永照や、三傑達はどうだろう。……彼女たちも、そういうことはしそうにない。

 せいぜい咲ならありうるか……答えは否。咲の場合は勝ちはないが、負けもない。プラマイ0で終えるだろう。

 

 どうやら自分は、雀士としては異端なようだ。

 

(――明らかにするべきことは主に二つ。何故、あたしのオカルトが通用しないのか。……その根源にあるものは何なのか)

 

 加えて、

 

(実感して置く必要がある。間近で、同じ牌を使って――この人、神姫=ブロンデルの本領ってやつを!)

 

 そして、勝負が動いたのは五巡目。

 

 

「――リーチ」

 

 

 声は、神姫。

 一瞬、その認識を疑うほどの希薄なリーチであった。

 

(……これは)

 

 ――思考する。

 

 如何に動くか。戦線布告とするならば、あまりにあまり――恣意的すぎる。次の巡目、瀬々のツモは――{七}である。

 間に美穂子の打牌――現物落としではない、安全と見えなくもないが、無筋である。彼女の視点からは、それが違って見えるのだろうか。

 

 ――否、彼女の放った牌は、瀬々の手の中にある。……一応、こちらの援護というわけだ。もしくは、一の援護か。

 

(さて、だったらあたしは――)

 

 瀬々/ツモ{七}・打{三}

 

 意図は単純。一の鳴けそうな牌。

 

(こうする。けど乗ってくれはしないだろうなぁ……団体戦ならともかく、一はこういう時、協調路線を取るようなタイプじゃない。なにせ透華のメイドなわけだしな)

 

 彼女の間近にいて、彼女の影響を直に一は受けている。――ここで一が一発消しに動くかどうか……考えるまでもない。

 

(福路さんの鳴けそうな牌は、ちょっと解かんないんだよな。この人、意図的に理牌を変にしてるっぽいし)

 

 ――情報こそが強さ。

 瀬々はそれをよく知っている。それもあってか、インハイが終ってから、瀬々は理牌読みなどの練習を始めた。

 ただし、拙い技術では、そうそう理牌をきっちりと読めはしないのだけれど。

 

 一の理牌読みにしたって、癖を良く理解しているから、初めてできる芸当なのだ。

 

 そして、一は手出しの現物落とし。恐らくはベタオリだろう。図太くなったのか、こういう時一はとにかくぶれなくなった。

 

 後は想像するまでもない。

 

「――ツモりました。1300、2600」

 

 ――神姫手牌――

 {一二三④⑤⑥⑥⑦⑧3499横5}

 

(……まっこときれいな手を作りますこと)

 

 嘆息気味に、瀬々は親被りを受容した。

 ……まだ、このくらいならば、痛くはない。

 

 

 ――東ニ局、親一――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 ――神姫=ブロンデルは、異常に浸った雀士である。しかし、その実デジタル雀士からの評価は低くない。

 福路美穂子は、理牌を行いながら、神姫の周知となっている情報を、頭の片隅で転がす。

 

 まず、神姫は柔軟な打ち手である。

 

 というのも、彼女はデジタル雀士である。前局においても、過去の牌譜を見てもそうだが、彼女の根底には確かなデジタルの地力がある。

 過去幾度と無く彼女の闘牌は解説されたが、どのプロも、彼女のデジタルとしての実力を認めている。

 

 恐らくは、全国でも一流――デジタルだけで見ても十分に全国で通用する。その上で、彼女にそれ以外の評価をするものもいる。

 

 アナログに特化した雀士である。

 いわゆる流れ雀士。もしくはオールドな手役雀士などもその類。つまり、彼女はそういった、アナクロな打ち方も、十分に磨いているというわけだ。

 

 非常に器用な雀士だ。どちらかができればそれで一流。どちらかを極めれば、恐らく今目の前にいる、瀬々のような魔物レベルにも対抗できる。

 勝利、までいくのは難しくとも、それはひとつの極致であるのだ。

 

 ――それのどちらをも、神姫は一流以上の水準を有している。

 

 それは果たして、自身の才能がなさせるものか、はたまた血の滲むような努力の結露であるのか――自分自身の経験から照らしあわせて、美穂子はそれを“どちらも”であると考えるわけだが――とかく。

 

 神姫に対し、幸いなことがあるとすれば一つ。彼女は決して火力で勝利するタイプではない。他者を圧倒し続ける、いうなれば「攻撃は最大の防御」というタイプではない。

 勝負を動かし、“最終的な勝利を得る”タイプ。つまり、

 

 ――一局一局でみれば、決して戦えない相手ではない。だからこそ、

 

「――ロン」

 

 発声は、神姫ではない。

 美穂子の打牌直後に手牌が開かれた。放銃ではない。開いた手牌を見ればそれは明らか。開いた者を見れば、それは明らか。

 

「1300です」

 

「……はい」

 

 ――和了は、瀬々。

 渡瀬々。

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五八八⑥⑧234888}

 

 ――瀬々のオカルトはその特性上、非常に“差し込み”がし易い。打点が低く、放銃する側にとっても、安心して振り込むことができるのだ。

 それが美穂子レベルの者ともなれば、差し込みなど造作も無い。無論、それだけでは勝てないだろうし、よしんば勝利したとしても、それは次につながる形ではない。

 

 決して、何度も打てる手ではないだろう。

 それでも、ここで瀬々が和了してみせた。――神姫の妨害は何一つ無い。恐らく瀬々も確信しているだろう。――神姫=ブロンデル。決して、全く歯がたたない相手ではない。

 

(……興味があるわ。日本有数の雀士とされる神姫さん――トッププロすらも凌駕しうる実力の持ち主に、どこまで戦うことができるのか。もちろん、そのためなら、いくらでも支援は惜しまない。なので見せてほしいわ――)

 

 ――チラリと、見やると瀬々は笑みを浮かべていた。

 少し不敵に、少し嬉しげに、感謝を伝えるように。――その瞬間、美穂子と瀬々の視線が、交錯し合った。

 

(――魔物に拠る、バケモノ退治の有り様を)

 

 

 ――東三局、親神姫――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

「――ツモです。9600オール」

 

 和了。

 神姫である。東発に引き続き、打点は決して低くない。決定的な火力――親満、跳満レベルのものではないものの、脅威といえる。

 

 なにより脅威であることは、その手に“一切の異様”も見えないということだ。

 まるで靄がかかったかのように、オカルトと呼べるものがまったくもって見当たらない。瀬々の感覚ですら、答えをかすらせもしないのである。

 

 ――神姫手牌――

 {六六八八③③⑦⑦22377横3}

 

(――牌を対子に偏らせる? そんなわけがない。なら逆に、分かりやすい強運? それも違う。“神姫=ブロンデルの手は異様に速い”けれどもそれは、自分が和了するときだけ)

 

 瀬々が必至に思索を回す。

 神姫は、“自分が和了る局”と、“自分以外の誰かが和了る局”がはっきりしている。はだに感じてわかる。神姫は“自分が和了る局”に関して言えば、照や衣のような、バケモノに匹敵する速度を見せる。

 

(……いや、速度の権化、配牌テンパイのバケモノたるあたしがそれを考えるのはなんだか滑稽か。にしても……照や衣、とは少し違うかな。……アンと同じタイプに感じる)

 

 だとすれば――そう考え、続ける。

 

(――だとすれば、だとすればだ。……まさか、神姫=ブロンデルは、アンと同じタイプなのか――?)

 

 ――牌の偏りは見られない。

 和了に法則性も見られない。

 故に考えられるのは、“神姫には、一切のオカルトが備わっていない”。

 

 アンのように、強運と、技術による、人災じみた境地にあるのか。――否しかし、それでは説明できないこともある。

 

 ――瀬々の理解が、まったく得られないということだ。

 

 

 ――東三局一本場、親神姫――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

「……リーチです」

 

 少しの思考、のちリーチ。

 かけたのは福路美穂子、思考の理由は、その選択の妥当性か。

 

 現在六巡。この巡目で、神姫が和了していないことは珍しい。無論、神姫が和了する局であるならば、だ。

 故に、美穂子はこの局、絶好の手牌を引いて、和了を確信していた。故に、問題はここで、リーチをかけるか否かという点。

 

 高め三色とドラが付く待ちであった。故に、ここではリーチをかけず、ダマで構わないのである。

 ――が、美穂子にはある考えがあった。

 

 見定める。ここで神姫が如何に動くか。

 

(……次に活かすという意味合いでこの対局に、渡さんは挑んでいるでしょうけど、……言ってしまえばそれは私だって変わらない。ここでリーチを掛けるのは、あくまで直に、ブロンデルさんの動きを見るため――!)

 

 果たして、神姫は、動いた。

 それは一の打牌に対して。

 

「チー」 {横七八九}

 

 一鳴きであった。それも、タンヤオとクイタンとリーチとツモを全て切り捨てる鳴き。意味があるのかと問われれば、現時点では不明瞭だ。

 

 だが、それゆえに――美穂子のリーチは、意味を成したのだ。

 

(これで私のツモは渡さんに流れた。時折ツモを見透かすような打牌をする渡さんが私のツモ番を手にしたのなら、きっと――)

 

 ――すっと、見やった瀬々は驚愕に濡れていた。

 想像通り、美穂子のツモは、“高めを一発でつかむツモ”だったはずだ。そしてこのツモも――

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――美穂子手牌――

 {三四七七七八八②③④234横五}

 

「1100、2100です」

 

 この局、どうやったって美穂子が牌をつかむようになっていた。これは美穂子の単なる勘だが、実際に和了して故に、そう思う。

 流れのようなものだ。

 機を制した以上、後は和了へ向かうだけ。

 

 その体現であった。

 

 

 ――東四局、親美穂子――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

「ダブルリーチ」

 

 この局の図式は非常に明白であった。必ず配牌をテンパイへと至らせる者、渡瀬々。彼女のダブルリーチである。意味は、語るまでもないだろう。

 

 四者の反応はさまざまであった。

 美穂子は、あえて強気に一打を選んだ。一は、一瞬気圧されたものの、それでも前に進む打牌をした。対照的なのは、神姫=ブロンデル。

 

 神姫/打{八}

 

 瀬々が第一打とした安牌である。

 安牌の極端に少なく、まだ危険牌の見えないダブリーにたいして、非常に消極的な一打と言えた。デジタルといえばそうかもしれないが、この状況で、ただ引くだけがデジタルではないだろう。

 

 神姫は、デジタル以外の何かをも、同時に見ているということになる。当然それは、アナログと呼ばれる代物だ。

 何かのチカラ――オカルトであるのかもしれないが。未だにそれは、世界の誰もが知らないものである。故に、正確な判断は、神姫本人以外の、誰も下すことは出来ない。

 

 だが、だからこそか――瀬々はこの局、和了へとこぎつけた。

 

「ツモ。2000、4000!」

 

 荒れはなく、果たして戦場は平穏に包まれる。それは果たして、嵐の前の静けさか、はたまた神姫=ブロンデルの体現か。

 これで東場は終了となる。

 いまだ姿を見せぬブロンデルの神の域。瀬々の闘牌は、決して彼女を見透かさない。彼女の理解、彼女の神すら、ブロンデルには干渉しえない。

 

 解らない、故に不穏。

 不穏なれど折り返し。

 ここから待つは、波乱の南場。そして同義に、勝敗の行末という言葉が言外される。

 

 神姫と、瀬々と、美穂子と一。

 四者四様。協調路線の瀬々と美穂子に、一は独自の路線を行く。ならば神姫は? 彼女の真意は?

 

 南場は如何に、勝敗が動く――?




エタらない程度にぼちぼち。
次回更新分は一応できてるので、来週末にでも。


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『ゆらめきの戦線②』

 ――南一局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 現在四巡目。

 二度の鳴きにより打牌の数は錯誤するものの、とかくこれが一の四打。

 

(――さて、いい感じだ)

 

 ――一手牌――

 {一三四四五六八③⑤⑦⑧⑨⑨(横二)}

 

(瀬々の手牌は、打点を上げるには少し手間がかかる特徴がある。だから振り込んでも痛くはない。風越の福路さんは……四巡で手牌が透けるほど、分かりやすい人じゃない。むしろ、わかりにくい方が普通なんだけど)

 

 ――もっとわかりにくいのは、まぁ普通ではないだろう。

 無論それは、神姫=ブロンデルのことだ。

 

 ――神姫捨て牌――

 {③⑧九三}

 

 濃厚な染めての気配。さらに言えば、現在この局で行われた二鳴きは神姫によるものだ。自身が和了する時は速攻で、――攻めの気配が見える神姫のことだ。現在テンパイは確定である。

 

(自摸って和了るのは、まぁ止め用もないとして……こっちは絶一門か、ちょっと困るな……ひいてきたらオリるしか無い。できれば引きたくはないけれど)

 

 ――そうして、手にした牌を打牌する。それ自体は、手牌からしてみれば確実に不要な{四}。受け入れ枚数では{八}だが、ここで一、一通を見た強気の打牌である。

 この対局、一はあくまでトップを見ているのであった。

 

 が、これが裏目にでたのだろうか。

 

 

「――ロン」

 

 

 神姫=ブロンデル。

 和了である。

 

「2000です」

 

 ――神姫手牌――

 {五六②③④⑧⑧横四} {3横33} {77横7}

 

(――迷彩!?)

 

 瞠目する。

 思いもよらないところから、思いもよらない和了が飛んだ。無論、この局が神姫の和了へ動いているだろうことはわかる。

 その上で、自分がそれに振り込むなど、ついぞ考えてもみなかった。

 

(この人がドラがらみのホンイツとなれば、素直に自摸和了するものだとばかり思っていた。……でも、そうじゃないんんだな。神姫=ブロンデルという人は、こういうことも出来る人なんだ)

 

 そしてそれ以上に留意すべきこと。

 ――神姫=ブロンデルは、一にも意識を向けているということだ。一応、神姫がこういった搦手を使ってくることは知っている。けれどもそれは、一のような手合には必要ないだろうと、そう一自身が考えていただけだ。

 

 ……気をつけ無くてはならない。

 一の危機感は、更に大いに、――警戒度を上げる。

 

 

 ――南二局、親一――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

 この局、どうやら神姫は動かないようであった。

 それが確実となったのは、牌の河が二列目に折り返したところ、ここまでくれば、神姫が和了しそうにないことはわかる。

 

(――あの時、実紀さんたちの麻雀喫茶で見た闘牌は、圧巻としか言いようがなかった。三人を相手に、一切相手を寄せ付けず勝利した。でもそれは、言い換えれば、全力を出さざるを得なかったということでもある)

 

 ――一は回想する。

 生で初めて見た、あの対局。

 絶対的とすら思えた三傑を相手に、一切の遊びもなく蹴散らした、闘牌。

 

 神姫は和了らない局と、和了る局がはっきりしている。

 だが、それに法則性はなく、あくまで神姫が、“その方が都合が良いから”そうしているだけのようだ。

 

 これはいくつか在る推測の一つだが、神姫はその場の流れを見ているらしい。

 流れというものは流動的で、一度として同様の流れとなることはありえないのだから、神姫の和了に法則性がないのは、当然なのだとか。

 

 なお、神姫がそういった“余裕のある”闘牌をしていないことは幾つか在る。

 例えば六年前の当時日本最強のアマチュアであった三尋木咏との決戦であったりだとか、去年の宮永照や現在プロで活躍している雀士とのコクマ決勝などが言えるだろう。

 

(まだボクはそのレベルに達していないってことだろうね……いいや、それはいいんだけど)

 

 少し、不思議なことが在る。

 

(……瀬々は、いつもの瀬々以上に慎重がすぎる。端から勝つつもりがないんじゃあそんなものだろうけど、それにしたって――どうにもこの対局、些か攻めっけが足りない気がする)

 

 ――でなければ、よもやこんなことにはならないだろう。

 意外なことに、その局、瀬々は何も動かなかった。

 

 

「――ツモ、1000オールです」

 

 

 終了は、一の和了。

 けれどもそれは、あくまで一が“普通に”手を進めたがための和了である。瀬々の搦手を逆手にとって、巧く和了に持ち込んだわけでもない。

 逆に、瀬々と、それから福路美穂子の策略に載せられる形で和了しらわけでもない。

 

 ただ、そうなるべくしてなった和了。単なるツモの、ツモ和了り。

 

(――慎重すぎる。……でなければ、こんな何も起こらないような局、生まれるはずがないんだから)

 

 これを瀬々は、はっきりと感じ取っているのだろうか。

 ――やもすれば、この半荘で、一番蚊帳の外にいる自分が、その上で同じ卓についている国広一が、この局を客観と主観を均一的に見れているのかもしれない。

 

 ――不可思議で、

 ――不確かな、

 

 ――不可解な、対局。

 

 一が感じる疑問を他所に、彼女は続く言葉を選ぶ。

 

「……一本場」

 

 彼女にとっては想像もしてみなかった、自分自身による連荘の宣言であった。

 

 

 ――南二局一本場、親一――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

 対局も、ほぼ中盤も過ぎた。一やこれ以降の親が、怒涛の連荘を行わない限り、対局が長引くということもないだろう。

 ――ここまで、少しずつデータと呼ぶべき物が見えてきた。

 

 神姫の打ち筋は、デジタルとアナログの合わせ技。

 特に、アナログによる流れの見透かしは、誰でも唸るものがあるだろう。

 

 和了れる局を、確実正確に上がり切る。

 それが彼女の強みである。

 

 おおよそ、その打ち筋も見えた。

 彼女には何の特徴もない。

 言ってしまえば、“打点制限のない照”を見ているような物だ。オカルトへ対する対応力も、その和了スピードそのものも、照を彷彿とさせる打ち筋だ。

 

 その上で、どちらかと言えば、点数を稼ぐ勝利よりも戦略的にトップに立つ勝利を好む。

 

(……けどまぁ、これくらいなら、“牌譜を見れば読み取れる”。……そうでなくとも、ビデオを眺めていれば、なんとなくつかめる。誰だって、“感覚的に”)

 

 何もおかしなことはない。

 癖のない麻雀なんてものは存在しない。――少なくとも、デジタル的に最適打のみを選ぶということですら、癖と言ってしまえば癖なのだ。

 

 そう言った癖は、麻雀に長く触れてきた者ならだれでもわかる。

 少なくとも、大会一つ分のデータがあれば、それで十分だろう。

 

 なればこそ――感覚によって全知を体現する、瀬々が理解できないはずもない。

 

 だというのに、

 

(――読み取れない。あたしの感覚は、そこに何の答えも用意しない。……あたしに答えをくれるのは、あたしが生まれたその時から持つ、ただ個人として誰かと何ら変わらない感覚だけ)

 

 決して、勝負師としての嗅覚が優れるというわけでもない以上。

 瀬々は、最低限のことしか読み取れない。

 

(牌譜を見て、なんとなく神姫=ブロンデルの麻雀は理解できた。だが、その理解は、あたしの理解と一致しなかった。なら、実際に卓を囲んで、そうすれば理解できるんじゃ――そんな考えも、甘かった)

 

 実際に、卓を囲んで。

 わかったことはといえば、牌譜でわかる程度の内容だけ。

 

(……となれば、もはや推測はおおよそ立つ。そもそも、そういった考えは、この人と、直接顔を合わせた人間ならば、絶対に思うことなんだ)

 

 ――神姫=ブロンデル。

 

 彼女に対する瀬々の第一印象は“希薄”であった。

 自身のチカラが正常に動作しないという理由もあったにはあったが、瀬々もまた須らく、神姫の気配を薄弱としか感じられなかった。

 

 彼女を知る、あらゆる人間がそうであるように、だ。

 

 それは決して、影が極端に薄いだとか。

 存在感が、全く感じられないだとか。

 

 そういったものではない。

 存在は感じ取れる。

 空気のごとく認識が向かないわけではない。

 

 そこにいるのが確かにわかる。けれども、それが少しばかりしか感じ取れないのだ。それはまるでそう――

 

 

 ――亡霊か、なにかのように。

 

 

(……魔物とか、人外とか、そういうふうに呼ばれる雀士は幾らでもいる。衣や透華、あたしだってその部類)

 

 ――瀬々の知る限りでは、“それ”に片足を突っ込んだような人間も、何人かいる。例えば今年のインハイ個人戦第三位、荒川憩とか、三傑とか。

 

(だけど――神姫という人は、その中の例外中の例外。特例にして異例。それはまさしく、あたしのライバル――アン=ヘイリーと同じように)

 

 アンは、人間の身でありながら、人智を超えたチカラを手にするに至った。

 それは化け物の如くと見えるが、彼女に化け物の異形は何一つ無い。ただ人間としての、極点のチカラ。

 

 ――もしもアンを特別な呼び方で呼ぶのだとしたら、英雄。人を惹き、人を魅せる、時代が産んだ特異の産物。

 ならば、神姫=ブロンデルを称するならばそれは。

 

 

(――神霊。神が産み、神へと至った人の霊)

 

 

 神。

 ――それは“龍門渕”透華、そして渡瀬々に宿った、あの存在と、“同等”の。

 悪魔とは別の、もう一つの魔物。

 

(……あたしの、同類)

 

 それは、少しずつ視界の焦点が合ってくるかのような。

 

 ――瀬々は、その感覚を、その推論を、確固たる形へ変えることにした。

 

 この局。

 動く。

 

 ――瀬々は、自身の最大限の勝利を見た。

 

「――カン」 {横⑧⑧⑧⑧}

 

 瀬々は恵まれている。

 上家に福路美穂子が座った。彼女の洞察力を持ってすれば、瀬々が鳴きたい牌は、全てお見通し。――そして、瀬々のチカラを持ってすれば。

 

 ――新ドラ表示牌「{⑦}」

 

 打点の確保は、さほど難しい話ではない。

 

(……タンヤオドラ1!)

 

 ――瀬々手牌――

 {三四④④234567} {横⑧⑧⑧⑧}

 

 ここで、五巡目。

 素早いにも程がある、張替えとテンパイである。開幕から、必ずテンパイしていることに加え、瀬々のツモ運は常時低調となることはない。

 衣もまた同様であるが、瀬々のような人外の手合は、ある程度であれば望んだ通りに牌をつかむ。

 

 ――そういうものだからだ。

 

(これで、後は福路さんがあたしの鳴ける牌をくれれば――それで完了だ)

 

 だが、瀬々の狙いはそこにない。

 この局――勝利以上のものを瀬々は望んでいる。

 

 狙いは単純。

 福路美穂子から、二回牌を食う。――であれば、如何に成るか。

 そう、単純。

 

 

 ――神姫=ブロンデルの牌が飛び込んでくる。

 

 

(あの日……初めてこの人の対局を生で見た時、――後ろからツモを除いても、“何も見えなかった”し、“何も感じなかった”。それは、ビデオ越しの対局でもそうだった。“他の人ではそんなことはありえないのに”)

 

 ――瀬々がなにか見落としをしていなければ。

 何も、読み取ることができなかった初めての相手。それが、神姫=ブロンデル。神なる亡霊。希薄なる姫――!

 

(だからこそ、直接見る。この人の牌を自分で自摸って、その後のツモ、それ以前のツモ、全てを見透かす――!)

 

 そして。

 

 ――それは、

 

 ――――その時は、

 

 否応なしに、訪れる。

 

 美穂子/打{二}

 

 計ったかのような打牌。

 狙いすました読みの的中。瀬々は、それを待ちわびていたように、声を――

 

 

「――ポン」

 

 

 だが、

 

 ――最初から、瀬々が和了しないことを見透かしたかのように。

 

 神姫=ブロンデルが、声を制した。

 

(……な、え?)

 

 この一瞬、瀬々は冷静さを欠いた。

 それでも即座に思考を復帰。神姫の鳴きを遮るように、手牌を開けることを考えた。しかし――

 

 ――感覚が、更にそれへ待ったをかけた。

 

(――次の、ツモ)

 

 思考が、それだけに意識を向けた。

 

(……{二})

 

 

 パク、パクと、空気を求めるように、口が開閉した。

 絶句、であった。

 

 

「……ツモ」

 

 ――瀬々手牌――

 {三四④④234567横二} {横⑧⑧⑧⑧}

 

「2000、4000に一本付です。」

 

 漏れでた言葉は、自身が和了したのだということを忘れさせるかのごとく、貧弱で、形容しがたいものだった。

 

 

 ――そして、南三局。

 

「ロンです、2000」

 

 再び瀬々が和了。

 南二局での満貫和了で、神姫=ブロンデルをまくった。逃げ切り体勢に入り、更に美穂子のバックアップを全面に受ける。

 

 この対局における、二度目の美穂子の放銃であった。

 

 勝利を目前。

 未だ油断は出来ねども、ネックであった神姫の親番は、驚くほどすんなり、流れてオーラスへと突入する。後は、オーラス一局を逃げ切るのみ。

 

 ――そこまで来ても、瀬々の顔には、ある種の陰りが見られたのであった。

 神姫へ対する警戒と不安。

 

 それが瀬々に、ある選択を決断させることとなる。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 この局。

 瀬々の手牌。

 

 ――行く末を見守るあらゆる雀士が、その牌姿に目を疑ったことだろう。

 

 

 ――瀬々手牌(理牌済み)――

 {四四八九九②④⑥11南南發}

 

 ここまで瀬々は、大会最速の平均聴牌速度を誇る雀士であった。

 その速度は、もしも記録が成立すれば、“物理的に”それを上回ることが困難となる数字。

 

 平均聴牌速度、“一巡”の化け物記録。

 

 それを、ここで、――あえて、破った。

 

(……完全に賭けに近いけれども、どうにも成功したみたいだ。ツモも悪くない。トイトイが仕掛けやすい、いいツモだ)

 

 満足気に、瀬々はそれを批評した。

 そう、これは鳴き重視の手。無論、美穂子が居ればそれで問題なかろうが、瀬々は“それではダメだ”という事を理解した。

 南二局一本場。

 

 ――瀬々の狙いを、最悪の形で神姫に潰された。

 和了という点では問題ないが、少なくとも、和了以外の狙いは全て、見透かし、読み切られ、封殺された。あの“ポン”は、瀬々にとって大きな精神的ダメージであったことは、間違いない。

 

 だからこそ、瀬々はこのオーラス。

 ほぼ神姫が動くであろう局。――そして、何より、“動かなければならない局”で、賭けに打って出ることとした。

 

 神姫=ブロンデルの、意表を突き、懐をえぐる。

 瀬々は勝負の焦点を、最後の勝負の行く末を、完全にそこに、見定めた。

 

(神姫はきっと、“何もわからない”類の手合なんだ。“何もかもを見透かしている”ような相手じゃない。全てを見透かすということを、あたしはよく、よくよくよく、知っている。だからこそわかる。神姫=ブロンデルは無敵じゃない!)

 

 故に、きっと神姫は動くだろう。動かざるをえない状況で、瀬々の搦手に、絶対に、引っかかる。確信を持って、瀬々はこの手を引き寄せた。

 

 そして、

 

(――来い!)

 

 ――それは、

 

(来い、来い!!)

 

 第一打。神姫の、最初の一打でもって――

 

(来い、来い、来い来い来い来い来い来い来い来い来い――――ッッ!)

 

 ――神姫/打{南}

 

 成立する。

 

(来たァ――)

 

「ポン!」 {南横南南}

 

 これで、ツモ番は流れ、

 

 瀬々は、

 

 神姫の、ツモを――――

 

 

(あ、れ――?)

 

 

 瀬々はその瞬間。

 

 意識を失うという感覚を。

 

 

 ――意識を“喰われる”という感覚を、初めて知った。

 

 

(なんだ、これ。あたし、どうして)

 

 いや、

 

(あたし、なんで……あたし、何処をむいて)

 

 ……そう。

 

(そもそも、ここ、どこ?)

 

 闇。

 ――闇。

 黒よりも昏く、光ある全ての世界の、それと言える光そのものを、黄昏に、そしてその先の闇。暗闇にして、陰影に変えた世界。

 

 

 ただ、自分だけが、そこにある。

 

 

 呑まれたのだ。

 自分という存在が、瀬々という、もはや誰ともわからない有象無象が。

 ――理解、スべきではなかった。

 

 その世界は、もはや人とか、もはや神とかそういった世界ですら無く。

 

(……そう、ここは、――ただ、亡者だけがある世界。あたしの、あたしが知らない死後の世界)

 

 ならば、

 

 これが――

 

(……これが、神姫=ブロンデル、なの?)

 

 ぼんやりと、何もない世界に神姫だけが浮かんだ。今、目の前にいるはずの彼女は、しかし遠く――座っているはずの神姫は、しかしぼんやりと待ちぼうけるように、立ち尽くしている。

 

 それは、彼女がここにいる証。

 ようやく分かった。南二局一本場。

 

(あれは、神姫さんがしたことじゃない。――あたしの中にいる、“神様”がそうしたことだったんだ)

 

 この世界を隠すため。

 この世界を瀬々に知らせないため。

 

 瀬々の中の、神と呼べる存在が隠した。瀬々を、暴威のような闇から守るため。

 

 そして瀬々は、それを無視した上で、ここにいる。自業自得というやつだ。

 

(本当に、過保護な神様だなぁ。――でもさ、あたしは別に、これをやっちまったなんて思わないよ?)

 

 ここには、瀬々と、神姫がいる。

 ――今この一瞬は、瀬々がただ一人、神姫に最も近い場所にいる。

 

(……神姫さん。決着をつけようじゃない。今じゃなくてもイイ、この場所で――この暗黒の中で!)

 

 瞬間。

 ――浮かび上がる。

 卓だ。先ほどまでの卓。コクマ一次予選、ある卓の、オーラスに差し掛かった対局。

 

(まずはあたしが挑ませてもらう。もちろん――)

 

 

「カン」 {南横南(横南)南}

 

 

(あたしは負けるつもりもない)

 

 神姫/打{發}

 

 ――お互いに、そして暗闇の外にいる、福路美穂子と国広一もまた、打牌を続ける。

 盤面は、少しずつ動いて、大きく揺らめく。そうしてこそ、瀬々は神姫へと近づく。――自身の勝利を手にするために。

 

(神姫=ブロンデルには、二つの顔がある。ひとつは流れを巧く操り、最終的な勝利をもぎ取る顔。そしてもう一つは、――他者を圧倒し、勝利しきる顔。化け物のような、顔)

 

 そこには、きっともう一つの何かがあるはずだ。

 神姫を形作る“技術”以外のもう一つの何か。――それは、思いの外単純で、例えば瀬々や、衣のような。

 

(純粋なオカルトで、あるはずだ)

 

 そう。

 であるなら、今、瀬々がいるこの場所は、神姫の本領にして、しかし真骨頂ではない。神姫にとってこれは、自身を覆い隠すヴェールなのだろう。

 

 だから、そのヴェールを瀬々は、――この半荘で暴いた。

 

(もう一つ。未だ見えない何かの片鱗を、あたしはここで、暴いてやるさ。例え負けても、――ただで転ぶつもりはない)

 

 ――瀬々手牌――

 {四四四九九②④⑥11(横1)} {南横南(横南)南}

 

(……さぁ、張ったぞ。続くツモは、あたしの和了り牌。ここで止めるとするならば、ツモか、ロンか、はたまたズラしか。どれにしろ、手牌を明らかにしなくちゃな!)

 

 無論、ビデオで見れば、その手牌は見透かすことができる。

 だがそれは今ではない。

 ――今、瀬々が。

 

 “神姫の闇に呑まれた”瀬々が、牌をすかすには、この瞬間、神姫が和了するしかない。

 

 ならばこの勝負。

 ――瀬々が和了し、実際の勝利を手にするか、神姫が和了し、瀬々に情報を与えるか。このどちらかの結果となる。

 

(あたしは別にどっちだって構わない。さぁ選べ、神姫=ブロンデル。アンタには今、その権利が与えられている――!)

 

 選択――結果は。

 

 

「ロン」

 

 

 ――和了。

 

 ――神姫手牌――

 {八八八②②②④33888}

 

(――タンヤオ三暗刻。これじゃあ届かない、でも――新ドラは、{八}。きっちり六翻っ! 逆転だ!)

 

 そして……

 

(……ふぅん、“そういうこと”ね)

 

 納得。自身の牌を伏せ、ようやく帰還した明白の世界に身を委ねる。――神姫の点数申告。そして美穂子と、一の、どこか簡単に近い表情。

 

(あぁ、やっぱり強いは、コクマの女王は)

 

 

 ――コクマ一次予選。

 いくつかの見るべき対局はあるものの、この段階で、事故と呼べる事故は生まれない。おおよそ順当と順風に、瀬々を始め、“勝ち上がるべき”雀士はおおよそ第二次予選へ駒を進めた。

 

 合計十六の席を操る二次予選。そこには、波乱の気配があった。

 

 そんな未来へ思いを馳せて――渡瀬々は、前を見る。

 

 

(――でも、次は絶対に、負けない)

 

 

 それは、思いもよらず、悔しさを覚える負けであった――



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『あまねくは夜』

 一次予選が終了となり、それによる一次予選突破者が発表。

 同時に、二次予選のブロック分けも、発表された。八ブロックのなかからトップ二名が決勝へと駒を進めることが可能である。

 

 一次予選はインターハイやインターカレッジに出場できる程度の選手であればおおよそ誰でも参加が可能であるため、そのレベルは思いの外極端な差がある。

 トップに立つ者は、全戦全勝を飾るほどの成績を残す。とはいえ、十回にも及ぶ半荘を行う以上、“全戦全敗”という成績は、ありえないのだが。

 

 とかく。

 

 ――二次予選は、全国有数にして選りすぐりの強豪が集結する。そのレベルは日本アマチュア屈指と読んで過言ではない。

 それは強豪校――千里山や姫松などのエースが、「中堅最上位」レベルの雀士とされるほどに。

 中には、並みのプロでは相手にならないほどの者もいる。――今年のインハイ覇者、宮永照などだ。

 

 二次予選の特徴は、二次予選に駒を進めた雀士全てが、“決勝に行く可能性が零ではない”ほどに高レベルであるということだ。

 

 頂天に近く、大きすぎない実力差を持つ雀士達は、天のめぐり合わせによっては、たとえ中堅レベルの雀士であっても、――それ以下の雀士であってすら、決勝への切符は与えられている。

 

 後は、たった二席しかない決勝への列車に、乗ることができるかどうか。

 

 ――それを踏まえた上でみれば、天に恵まれた運を持つ雀士が、一人いた。

 

「ふふ、ふふふふ」

 

 金髪の、お嬢様ぜんとした――それも、勝ち気でどこか高飛車とすら言えるお嬢様像を体現した――少女。

 

「これは、来ましたわ、来てしまいましたわぁーーッ!」

 

 

 ――龍門渕透華である。

 

 

 脇には、同じく二次予選に駒を進めた瀬々と衣、水穂に一がいる。純と智樹は売店にて、何か買い物をと出かけている。

 ここは、龍門渕高校の面々が宿泊するホテルの一室であった。

 なお、純と智樹もコクマには選考会枠にて出場していたが、残念ながら一次予選突破はならなかった。透華や一と比べれば、やはりインハイを決勝まで勝ち抜いた経験の差があるのだろう。

 無論その差は、純達が経験を積めばすぐに埋まる程度の物だが。

 

 それでも、透華と一は二次予選に進出し――

 

 透華は、そこで幸運に遭った。

 

「うわぁ……ズラリと並んでる名前、ほとんどオカルト雀士だよ」

 

 ――龍門渕透華のブロックはFブロック。

 そこは、今大会に置いても、かなりの荒れ場と目されるブロックである。――デジタルに属する雀士が、驚くほど少ないのだ。

 

 オカルト雀士の祭典。当然、デジタル雀士が見れば発狂モノの打牌選択が、そこかしこで轟くことだろう。

 

 そんな中、透華はそのブロックに潜り込んだ。幸運にも、オカルト達の戦場に、紛れ込むことが出来たのだ。

 

「ふふふ、わたくしからしてみれば、オカルトなどという奇っ怪なモノに頼るなど愚の骨頂、てんでおかしいったらないですわ」

 

「いやいや、そのオカルトで相手のオカルトを封じ込めるお前さんが何を言うよ」

 

 嘆息気味に、瀬々。

 けれども透華は揺るがない。――無論、瀬々もそれをわかった上でのツッコミだが。

 

「それでも、麻雀は“わたくし”の麻雀ですわ。それに、不意に意識を乗っ取られ、自分の意思に沿わない麻雀を打たされるより、ずっとマシですわ!」

 

「ふむ、そうだぞ。麻雀は打つものだ。打たされるものではない。つまらないからな!」

 

 衣がうんうんと頷く。

 

 ――説得力が違う。水穂と瀬々は、そんな衣のどこか大人びたとすら思わせる表情に、どこか苦笑気味に、そう思いを馳せる。

 

「それにしても、これならもしかしたら透華は本当に決勝に行っちゃうかもね」

 

「それはなんだか悔しいなー、私のほうは難しそうなのにさっ」

 

 ――水穂が心底悔しそうに言う。

 

「ま、まぁそれはしょうがないですよ。宮永さんに、あと辻垣内さんでしたっけ――あたしがインハイ個人でやりあった中で、“四番目に”厄介だった人」

 

 ――そして、“あの”アン=ヘイリーが言う、臨海のナンバー2。

 

 瀬々はコクマが始まる前、雑談の中であることを語られた。

 それは、端的に言えばこうだ。

 

 “もしも、智葉がレギュラーに選ばれていれば、インハイ優勝は臨海だった。”

 

 訳は単純。智葉をレギュラーに選べれば――加えて、それくらい臨海のレギュラー選出が自由に可能であれば、アン=ヘイリーは大将に座っていた。

 そして、辻垣内智葉は――臨海において、大将を任されていたタニア=トムキンよりも、強いのだ。これは臨海女子麻雀部内のランキングが語っているという。

 

 アンが認め、そして“優勝”すらも豪語した、臨海が誇るナンバー2。恐らくその実力は、水穂以上――人類の、極点とすら言える部分に到達していると見て間違いはないだろう。

 

 そんな相手のいるブロックに、水穂は放り込まれたのだ。

 

「そもそも、だ。瀬々」

 

「……ううん?」

 

 なんだ、と促すように、割って入った衣へ相槌を打つ。

 

「――厳しい位置にいるのは、お前もではないか?」

 

「あー、まぁうん。そうだけどさ」

 

 ――そう。

 

 瀬々もまた、中々難しいブロックにいる。

 “難しい”。そう言えるだけの相手が、そのブロックにいる。

 

 名を宮永咲。

 

 ――宮永照の妹にして、渡瀬々自らが見出した、怪物。

 

「でも、咲をこの場に引きずりだしたのは、あたしなんだよ。――だから」

 

 だから、きっちり責任をもって、相手をする。

 

「真っ向から……倒してみせるさ」

 

 その言葉は――思ってみればすんなりと、喉から飛び出てきたものだった。

 

 

 ♪

 

 

 二次予選、激戦の渦中において、それでも悠々と勝利を重ねる者達はいる。

 それはいわゆる「優勝候補」の呼び名で語られ、アマチュア雀士の中でも一線を画す――やもすれば、トッププロにすら匹敵するほどの実力を持った雀士達である。

 

 まずは語るまでもなく、日本最強の“高校生雀士”の一角、宮永照。及び、天江衣。

 彼女たちは、あくまでも彼女たちらしい、圧巻と堅実な闘牌で、着実に二位との点差を離し続けている。

 

 また、三傑および神姫=ブロンデル等、大学生雀士の最強格も、特筆すべき点はない。こちらもトップ通過はほぼ確実と見られていた。

 

 他、突破が確実視されるのは、インハイ個人戦第二位、渡瀬々であろう。同じブロックの宮永咲――及び、新道寺女子のエース、白水哩等を意識してか、かなりのハイペース高打点を連発、大きく点を稼いでいた。

 結果として、彼女のトップ通過もまた確実視される。更に、白水哩に宮永咲も、それに対抗すべく周囲を圧倒。――実質このブロックは、宮永咲と、白水哩の、二位通過を争う一騎打ちの体をなしていた。

 

 他、一位通過が確実視されるのは阿知賀女子学院、松実玄である。

 圧倒的な火力の持ち主、ドラを掌握するドラ麻雀。ことランキング戦においては、役満の化身、大豊実紀に匹敵するほどの超大火力の持ち主。

 和了る役は軒並みマンガン、カンをすれば更に打点が上がっていく。

 手の付けられなく成ったドラゴンマスターに、叶うものなどいるはずもなく――

 

 もしもこれが、赤ドラを含めての麻雀であれば、まだそれに見合った実力に落ち着いただろうに。

 無論、それはつまり最低打点がおよそ跳満になるという恐怖の火力モンスター誕生であるが、それでも、和了率を考えれば大豊実紀の相互互換に落ち着くだろう。

 

 また、そんな強豪雀士達の裏で、幸運も実力の内と大暴れする雀士も数多くいる。

 その筆頭が松実玄と同ブロック、龍門渕透華である。対オカルトのスペシャリスト、というよりも、対オカルトにおける特効持ち。

 加えて、今日の彼女は乗りに乗っていた。

 ここまで地獄モードと呼ばれるようなツモは一切なく、順次快調、彼女を止めようと思うなら、彼女以上の実力と、彼女と同じ程度の運が必要だ。

 前者は望むに望めないだろう。

 彼女のいるブロックは大半がオカルト勢、本来の実力を彼女の前では発揮できないのだ。

 加えて、他者を大凹みさせて勝利する松実玄を相手取り、トップを取れたことも大きいだろう。その時の透華は、まさしく鬼神、牌に愛されているかというようなツキであった。

 

 かくして順調にトップを取り、点を稼ぎ、三位とは多少点差を離れた二位に透華が付け、トップには更に点差を離した松実玄が付く。

 

 ――他のブロックに関しても、大凡大勢は決しつつあった。

 下馬評通りの活躍でトップを揺るぎないものとしている宮永照、及び天江衣。また三傑及び神姫=ブロンデル。

 

 また、他に名の在る所では、弘世菫が挙げられるだろう。

 彼女も龍門渕透華同じく、幸運に恵まれていた。また、相手の戦略をきっちり読み取り、それに対して対応できていたのもまた事実。

 トップが確定的な所で言えば、辻垣内智葉、そして園城寺怜などだろうか。

 この両名が何より幸運だったのは、宮永照を始めとする優勝候補が同ブロックに存在していなかったことか。

 

 また、インハイ、インカレで名の知れた強豪校のエース格も、二位通過、場合によってはトップ通過を目指し争うこととなる。

 16の椅子は、広いようで、その広さはしかし一部の者にしか望めない。

 

 それは渡瀬々の座るブロックにおいても言えることだ。

 ――宮永咲と白水哩、強者二名による二位争いは、熾烈としか言いようがなかった。

 まず前提として、両者は――白水哩が瀬々と激突したことを例外とすれば――直接対決を除く全ての試合に勝利していた。運も介するこのゲームで、はっきり言ってそれは異常。

 しかし、現実としてそれが結果であるのだから、驚嘆する他にない。

 

 ――そして咲と哩の直接対決は、以外にも白水哩が制した。接戦の末、咲が“プラマイゼロに走らざるを得なかった”結果だ。

 かくして最終戦を前にして、それでも二位は宮永咲である。

 

 ここまで堅実に稼ぎ続けてきたことと、哩が瀬々と激突したさい、大きく凹んだことも原因の一つだろう。

 少なくとも、哩がトップを取って、尚且つ咲がある程度のプラスで半荘を終えても、白水哩はギリギリ届かない。

 なお、瀬々は半荘の半分で飛び終了を出す大暴れにより、点数は異次元の域に達している、全力も全力、――故か、どうあがいても、二位と一位の入れ替わりはありえないだろう。

 

 ――ただ、哩にチャンスがなくなったかといえばそんなことはない。

 

 というのも――――

 

 

 ♪

 

 

 宮永咲は既に対局室に入っていた。

 態々試合開始前に話をするような相手はいないし、何より一番最初に、この場所に入って置きたかったのだ。

 

 ――精神を落ち着けるためである。

 

 二次予選最終戦、ここまで出来る最善を全て尽くして、それでもなおトップには届かない位置。

 これが例えば直接対決ならば、僅差であっても勝利は望めたかもしれない。

 しかし、点数を稼ぐという形態上、火力の低い咲はどうしたって彼女には及ばない。

 

 麻雀をもう一度始めるきっかけとなった一人の少女。

 あのインハイ個人戦で、咲の麻雀のルーツ――――宮永照と死闘を繰り広げていた少女。

 

 ――彼女ですら、照には一歩及ばなかった。

 次は負けないかもしれない、けれども、少なくともあの時、あの一瞬は、宮永照の方が強かったのだ。

 

 ――自分の先に、彼女はいて、そしてその先に、宮永照、咲の姉がいる。

 恐らく、咲が姉という遠くに行ってしまった存在を、唯一つなぎとめておけるのが、彼女という指標なのだ。

 

 遠い存在。

 それでも、手を伸ばせば届くかもしれない存在。

 

 ――それが、今、

 

 

 ――咲の目の前にいる。

 

 

「……おや、もう着てたのか。随分と早いな、席は決めたか?」

 

 ――渡瀬々。

 元より、小柄な方の咲よりも、更に小柄な、一つ年上の高校生。

 野暮ったく纏められた挑発と、皮肉げな目つきが特徴だ。――何となく、気怠げにも映るし、人を寄せ付けないようにも映る。

 

 ただ、今は人好きのする笑みを浮かべているし、彼女は元来社交的だ。少なくとも、外面は良い。

 

「あ、えっと……」

 

 どちらかと言えば自分は内向的で、――彼女も本質はそうなのかもれ知れないが、努力してそれを隠している。

 

 どちらかと言えば、対照的に映るだろう。

 

 虫も殺せないような、真実、まったくもって内気な自分。

 

 人に視線をぶつけるような、虚実、なんといっても前向きな少女。

 

「……その、よろしく、お願いします」

 

「因果なもんだよな」

 

 軽く頭を下げると、それに返答し、なんとはなしに瀬々は言う。

 

「――こうして、最終戦、咲にとっては、負けられない試合であたしとぶつかった」

 

「……、」

 

「まぁ、そうじゃないかもしれないね。順当に抽選をすれば、必ず誰とも一回は当たるんだ。それが最後になるのは、可能性としては別に低いわけでもない」

 

「…………えっと」

 

 瀬々は矢継ぎ早に言葉を募らせる。

 思わず目を回してしまいそうなくらい。――それでも、咲は何とかそれに追いついて、

 

「それでも、同じブロックにあたったことは、因果じゃないかな、と思います」

 

「……だろうね、まぁ――お膳立てがあったんだ」

 

 そこで、瀬々は咲に並んで振り返る。

 ――後方には、これから咲達と卓を囲む女性が二名、姿を見せていた。どちらもインカレで活躍する大学生だ。

 年上ということで気後れしないでもないが――それでも、彼女たちに負けるつもりはない。

 

 ――後からやってきた二名の顔には、明らかに萎縮の気配がある。瀬々と咲、どちらも一次予選で大きく活躍した者の一人だ。

 荷が重いだろう。

 それ自体はしょうがないことだ。

 

「そのお膳立てに則って、始めようじゃないか」

 

 歩を進めた向こう側、卓には四つの牌がある。

 ――席順を決める東西南北。

 瀬々は躊躇いもなくそれをめくって――{南}だ。

 

 決められた位置に座る。咲は、そこにいる少女の、目の前にいる瀬々の戦意を、直に感じ取ってしまった。

 

 身震いだろうか――それとも強者との邂逅を喜んでいるのだろうか。

 一度、体が大きく震えた。それを抑えるようにしていると、後からやってきた二名の雀士がそれぞれ牌をめくる。

 

 {東}と{北}。

 

 とすれば、残る一つは既に明らかだ。

 

 最後の一枚、{西}を咲がめくり――席につく。

 

 

 ――――これは、二次予選の通過者を決める大一番。

 既にトップ通過が確定的であるならともかく、絶対に逃せない一戦になる。

 

 運良くか、はたまた運悪くか。

 咲はこの最終戦で、渡瀬々、このブロックのトップと激突する。

 

 点数においてはどうあっても追いつけない相手。

 

 ――ならば、一瞬の殺陣は、刹那の中で決する鍔迫り合いは――?

 

 かくて、因果によって導かれた、一つの決戦がそこで始まる。




まだ連載中だからセーフ。


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