HELL紅魔郷SING (跡瀬 音々)
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Highway to Heaven

まずは冒頭。
オリキャラの紹介もなしに進みます。
たぶんわけわかめ。


「……て………きて…………」

 

遠く、遠く。

 

「起き……さい…………」

 

遠くから、掠れて声が聞こえる。

どこか聞き覚えのある、頭の芯によく響く声。

 

「いい加減起きなさい!」

 

声が間近で響いた瞬間、どん、という衝撃が身体を、意識を揺らし、私を覚醒へと引き戻す。

 

「……何だ」

 

「ようやく起きたんですか? まったく、呆れた人。いや……人じゃあない、か」

 

「……私は、要件を尋ねている」

 

「仕事です」

 

「仕事? 何を言っている? それに、お前は一体……」

 

せっかく、心地の良いまどろみに漂っていたというのに。

いきなり声に揺り起こされたと思えば、自分の膝に見慣れない女が乗っかっている。

 

この小娘は何者なのだろうか?

いや、そもそも。

私は誰なのだろうか?

ここはどこなのだろうか?

それさえすぐに思い出せないほど、私は長いまどろみに堕ちていたらしい。

どうにも寝起きが悪い。

考えがまとまらない。

私は情報を整理する他の手立てを見つけられず、仕方無く、視界の真ん中にいる女に言葉を投げ掛けた。

 

「あれ? まさか私の事、知らないなんて言いませんよね?」

 

「どうだろうな。しかし、そんな事より……」

 

そうだ。私はこの小娘の名前を知っている。

覚醒が深くなったからだろうか。

次第に、朝霧が晴れるように、頭にかかった靄が薄らぎ、様々な情報が輪郭を取り戻し始めた。

 

「私はどれくらいの時間、眠っていた?」

 

「そうですねぇ、一週間……くらいだったかもしれませんし、三年ほどだったかもしれません。或いは、もっと……」

 

「真面目に答えろ、麗亜」

 

「ふふ。ようやく呼んでくれましたね、名前」

 

「茶化していないで、質問に答えろ」

 

そう、この和装の女の名は『麗亜』だった。なんでも、『博麗の巫女』とかいう格式高い巫女である、なんて話を、いつだったか聞かされた覚えがある。

巫女とは、西洋で言うシスターや神父の類いであり、そして、この場所はその巫女が治める神社ーー西洋で言う、教会のようなもの、という話もその時にされたのだったか。

まったく、私のような『鬼』が教会に居座っているとは、我ながら笑えない。

しかし、何だろうか。

状況を克明に思い出すほど、言い知れぬ喪失感が、私の中で大きく膨れ上がっていく。

 

「答えろ答えろって……それじゃあ、まずは私の話を聞いてください」

 

「いいだろう、手短にな。もっとも、急く必要はないが」

 

私の思考を遮り、麗亜がまくし立てる。

全く、落ち着きのない女だ。

何をそんなに焦っているのだろうか。

 

「そうですね。吸血鬼である貴方にとっては、時間は余りあるものかもしれません。ですが、事態の逼迫している『私達』にとっては、そう時間に余裕はありません。なので、貴方の言う通り手短に」

 

「ああ」

 

「結論から言いましょう。今、この幻想郷は再び、過去に見舞われたとある怪異の只中にあります」

 

幻想郷。

誰からも忘れ去られ、必要とされなくなったものがやがて流れ着くという、この世界の呼び名。

そうか。

喪失感の正体はこれか。

私はなぜ、『ここにいる』のか。

闘争から闘争へ。

全て死に絶え、真っ平らになるまで。

歩き、歩き、歩き続け、行き着いた果て。

それが、この場所なのだとしたら。

私はなぜ、『ここにいる』のか。

わからない。

私はなぜ、『ここにいる』のか。

ここに辿り着いた経緯が、記憶が、欠落している。

何か、大切な事を忘れている気がする。

私は本当に、『ここにいていい』のか。

 

「あのー、聞いてます?」

 

「ああ……すまない。続けてくれ」

 

「では、要点だけ。湖のただ中にある洋館、『紅魔館』周辺で紅い霧が発生しているとのことです。貴方にはその原因の特定と、可能であれば排除をお願いします」

 

「紅い霧、だと……?」

 

「はい。もう、遠い昔の話になりますが、同様の怪異が発生したこともあるそうです」

 

「その時はどうしたんだ?」

 

「はい、その時は先代『博麗の巫女』が怪異の解決にあたり、無事その目的を達成したと聞いています」

 

「ならば今回も、その先代『博麗の巫女』とやらに行ってもらえばいい」

 

「何を言っているんですか!? 先代は、貴方がこの幻想郷に現れた時に……」

 

面倒事を押し付けられると思った私が、適当にあしらおうと中身のない返事を繰り返しているうち、急に目の前の巫女は声を荒げ、口を噤んだ。

 

「急に怒鳴るな、喧しい。そうか、そうだったな。先代とやらは……」

 

「先代の話は、もうやめましょう。それで、です。こんなこと、聞くまでもないとは思いますが……もちろん、やってくれますね?」

 

「お前も『博麗の巫女』なのだろう? それならば、自分でやったらどうだ?」

 

「そうできるなら、そうしています。あいにく私には、先代のように怪異を解決する『力』はない……でも」

 

そこまで言うと麗亜は、強い覚悟の篭った眼差しを私に向けた。

 

「私には、貴方がいる。闇の眷族……『不死王』(ノスフェラトゥ)たる、貴方が」

 

「ほう……」

 

私はその瞳を見つめ返すと、意図せずにやりと笑っていた。

どこか、私の知っている誰かによく似た、強い光の宿る眼。

本当に、本当にいい眼だ。

 

「やって……くれますね? 従僕」

 

「フン……断る、と言いたいところだが、どうやらそうもいかんらしいな。いいだろう、博麗の巫女。命令(オーダー)をよこせ、我があるじ(マイマスター)

 

「はい……命令(オーダー)たった一つ(オンリーワン)見敵必殺(サーチアンドデストロイ)……見敵必殺(サーチアンドデストロイ)、です」

 

「了解した……して、麗亜。もう一度聞こう。私はどれくらいの期間、眠っていた?」

 

「さぁ? 一週間……くらいだったかもしれませんし、三年ほどだったかもしれません。或いは、もっと長かったかも……」

 

「そうかい」



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Nowhere Girl

キャラ説明とか一切ないスタンス。
やはりわけわかめかも。


(これは一体、どういうことだ?)

 

博麗神社を出立して間もなく辿り着いた、湖のほとりに広がるごく普通の森。

そこでは妖精が舞い、飛び交い、気ままに暮らしていると麗亜は言っていた。

そして、その中には好戦的な妖精もいて、きっとアーカードに戦いを挑んでくるだろう、とも。

しかしーー

 

(静か過ぎる……)

 

紅い霧に包まれた、静寂の森。

森の中には、人どころか生物さえも暮らしている気配が全くない。

これでは、麗亜の言っていた事と全く辻褄が合わない。

かといって、この静けさからは、アーカードの侵入を悟ってどこかに潜んでいるとも考えにくい。

森は、そう思わせるまでに、異常なしじまに覆われていた。

そう、そこには『生』がなかった。

 

『いいですか? くれぐれも、極力戦闘は避けてくださいね。貴方自身、歩く怪異みたいなものなんですから。これ以上、厄介ごとはゴメンです』

 

不意に、神社を出る間際に掛けられた麗亜の一言が頭をよぎる。

 

「好都合か……」

 

アーカードは森の異様な雰囲気に疑問を抱きながらも、そう独りごち、その場を後にする。

 

そして、呆気なく辿り着いた、湖のただ中にある洋館。

 

(入り口は、あそこか)

 

その佇まいからして、ただならぬ雰囲気を醸し出す洋館。

どうやらここが、麗亜の言っていた『紅魔館』に間違いないらしい。

アーカードは警戒を怠らず、一歩一歩その入り口へと踏み締めるように、歩を進める。

それと同時に、館に近付くほどに霧が濃くなるのを、彼は感じていた。

やはり、この洋館が紅い霧の発生源なのだろう。

 

「さて、やはりここは正面からお邪魔するとしよう」

 

そう零した彼の眼前にそびえる、物々しい門。

 

「フン……」

 

アーカードがそれを蹴飛ばすと、簡単につがいがねじ切れ、その重さが嘘であるかのように、門の扉だったものは無惨に宙を舞った。

 

「……はっ!? し、侵入者!?」

 

「ん? 人間……か?」

 

開け放たれた門をくぐろうとしたアーカードの右側から、突然響いた声。

彼は素早く、その方に向き直る。

そこには、蹴破られた門の傍ら、地面に横たわる人の姿があった。

 

「……よっ、とぉ! あれれ、見ない顔ですね。どちら様で?」

 

人。

女。

否。

 

(この雰囲気は、人の形をした何か、か。こいつは、きっと……)

 

アーカードは、目の前に立つ女の佇まいから、彼女の正体を直感した。

 

「礼儀のなっていない奴だ。人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗るものだろう?」

 

が、麗亜の言葉が再び脳裏を過ぎったのか、彼は何をするでもなく、ただ目の前の女にそう問い掛けるだけであった。

 

「むっ! その言い方こそ、礼儀がなってないんじゃないですか?」

 

アーカードのその言葉に、女は軽く飛び起きると、一瞬で彼との距離を詰め、怪訝そうな表情で返した。

 

(この身のこなし、やはりただの『人』ではなさそうだ。それならば……)

 

「…………」

 

「…………」

 

二人の間を、沈黙が走る。

 

「フフ……クハハハハ! 中々面白いお嬢ちゃんだ。気に入った。いいだろう。ここは一つ、自己紹介といこう。私はアーカード。殺し屋だ」

 

「殺し屋? それは穏やかじゃありませんね。それで、殺し屋さんがこの館に、一体何のご用事で?」

 

アーカードの高笑いと自己紹介を聞いた瞬間、女の表情と雰囲気が変わった。

増大する、鋭い、刺すような敵意。

否。

 

(これは殺意、か。そうこなくては)

 

「この紅い霧をどうにかしろと言われてな。霧の出処を追っているうち、ここへ辿り着いた」

 

「そうですか……悪い事は言いません。お引き取り願いましょう。自己紹介が遅れました。私、この『紅魔館』の門番を務めさせて頂いている、『紅 美鈴』(ほん めいりん)と申します」

 

「やはりそうか。怪しい館には、門番が付きものだからな」

 

「貴方が言うように、この紅い霧はここ『紅魔館』から発生しているものですが……これには込み入った事情があるんです。とても、とても大切な理由が」

 

「だから何もせずに帰れ、と? 馬鹿馬鹿しい。餓鬼の使いじゃあるまいし、はいそうですか、とは聞き入れられんな」

 

「それなら……どうするつもりですか?」

 

「わかっているだろう? いや、わかっているはずだ。なぜなら、貴様もまた、私と同じ……」

 

『化物』なのだから。

アーカードはその言葉の結びをあえて紡がず、にやりと笑う。

 

「力尽く、というわけですか? 仕方ありませんね。でも、その前に一つだけ教えて下さい。貴方はさっき、紅い霧をどうにかしろと『言われた』、と言いましたよね? まさかとは思いますが、博麗の巫女の差し金ですか?」

 

「何だ、あの女の知り合いか。知っていて情報をよこさないとは、あいつも相当タチが悪いな」

 

アーカードにしてみれば、まったくその通りであった。

彼は今回の件について、ただでさえ乗り気ではないのに、他にやれる者がいないから、と、最小限の装備と命令で放り出されたも同然なのだ。

にも関わらず、容易に与える事が可能で、しかも物的損失のない情報でさえも不十分ときた。

いかに彼が優秀な従僕であるとしても、悪態の一つもつきたくなるだろう。

 

何より、こんな敵が待ち構えていると知っていれば、彼ももう少し乗り気になっていただろうに。

 

(まったく、本当にタチが悪い)

 

「そうですか。まったく、呆れ果てますね。『先代』はかつて、直接自分が赴いて来たというのに。当代の巫女はよほど……」

 

「もういい。これ以上、話をする気はない。貴様は門番で、私は侵入者だ。どれだけ語り合ったとて、その事実は変わらん。単刀直入に問おう。貴様は私の敵だと、そう考えて相違ないな?」

 

「もちろん、望むところですよ! もっとも、このまま帰ってくれるのが一番助かりますけどね」

 

美鈴はそう呟くと、すっと流れるように構える。

見た目からわかる戦闘態勢。

両手を広げて腰を下げた、中国拳法様の構え。

 

(なるほど、この女は格闘が得意なようだ)

 

闘争。久方ぶりの闘争。

アーカードの気持ちが昂ぶる。

それはそれは、抑えきれないほどに。

 

「こちらからも、最後の質問をしよう。この紅い霧を……いつまで撒き散らし続けるつもりだ?」

 

浮かぶ笑みを噛み殺し、アーカードは問い掛ける。

目の前の敵に、闘争への片道切符を突き付けるように。

 

「無論、誰かが止めるまで……! さぁ、格闘でも弾幕ごっこでも、ご所望の方法で相手になりましょう!」

 

「格闘? ()()()()()? くだらんな。私が求めるのはたった一つ……闘争。()()()()、だ」

 

「……っ!」

 

(何だ、こんなものか)

 

アーカードの一言を聞き、戦闘を躊躇うような美鈴の反応に、彼は少し落胆した。

 

(あれだけの殺意を放てるのだから、てっきり()()()ものだとばかり思っていたが……この女、殺し合いと聞いた途端に怯んだな)

 

加えて、彼女の顔色からは、明らかに緊張と焦りが見て取れる。

 

(まぁ、無理もない、か)

 

その理由を、アーカードは知っていた。

 

(この幻想郷においては、生死を懸けない『弾幕ごっこ』とやらで白黒をつけるのが常識らしいからな)

 

しかしーー

 

彼が渇望するのは、そんななまっちょろいものでは決してない。

 

『麗亜、聞こえるか? 敵と遭遇した』

 

怯む美鈴を尻目に、アーカードは余裕の表情で携帯用の通信機を取り出し、麗亜との交信を試みる。

 

『そうですか。それなのに通信とは、余裕ですね。でも、言ったはずですよ? 戦闘は極力避けるようにお願いします、と』

 

通信機から返ってきたのは、冷たい口調で紡がれる、概ね彼の予想した通りの言葉だった。

 

『向こうがやる気なんだ。仕方あるまい。さて、どうする麗亜』

 

『どうする、とはどういうことです?』

 

『とぼけるな。今や私は()だ。走狗だ。狗は自らは吼えぬ。命令(オーダー)をよこせ。相手はどうやら先代博麗の巫女やお前に所縁の者のようだが、私は殺せる。微塵の躊躇も無く、一片の後悔もなく鏖殺できる。この私は()()だからだ。では、お前はどうだ……麗亜』

 

『私を試しているつもりですか、アーカード……!』

 

『銃は私が構えよう。照準も私が定めよう。(アモ)を弾倉に入れ遊底(スライド)を引き安全装置も私が外そう。だが……殺すのはお前の殺意だ。さぁどうする。命令(オーダー)を! 当代博麗の巫女、博麗麗亜!』

 

『確かに、私は命令を下しました。極力戦闘は避けるように、と。しかし、その前にも命令を下しているはず。そう、見敵必殺……見敵必殺です! 敵となりうる障害は全て、叩いて潰して、砕いて轢いて……それで結構。話はおしまいです』

 

『了解。そうだ。それが最後の()()()()()()、だ。なんとも素晴らしい! 股ぐらがいきり立つ! 麗亜! では吉報を、座して待て』

 

「……そろそろよろしいですか? 殺し合いだの何だの仰る物騒な方は、やはり叩きのめしてお帰りいただくことにします」

 

「フン、待たせたな。美鈴……だったか? 貴様、今自分が口にした言葉の意味をわかっているのか?」

 

「ええ。私は仮にもこの『紅魔館』の門番……たとえ殺す気で来られたとしても、どこの馬の骨とも知れない不審者相手に遅れはとりません」

 

「いいだろう……さぁ行くぞ。歌い踊れ門番。調教してやる。豚のような悲鳴をあげろ」



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Native sage

今更ながら、基礎ルールの改行文頭スペースを入れ忘れていたことに気付く。
まぁもともと掲示板向けだったし、細かいツッコミは野暮ってもんだよ。
ね?


「やる気まんまん、といったところですね……では、参ります!」

 

美鈴は吐き捨てるように呟くと、右拳を構え、一息に飛び込む。

瞬時に縮まる両者の距離。

 

(ほう、速いな。だが……)

 

この距離は、弾幕ごっこが主流であるこの幻想郷においてはあまり見られない、肉薄の距離。

すなわち、格闘能力に優れた美鈴の最も得意とする距離であった。

しかしーー

 

「シッイイイィィイィィ!」

 

それは同時に、アーカードにとっても対象が自分の『領域』内に捉えられたことを意味していた。

 

「……ッ! はぁっ!」

 

美鈴の突撃に合わせて放たれた手刀。

彼女は咄嗟に身を捩って、間一髪のところでそれを躱し、カウンターとばかりに回し蹴りを放つ。

 

「ぐぅっ……」

 

腹部を捉えた爪先から、ミシミシと鈍い音と感触が伝わる。

 

(……今ので、肋骨を3本はいただいたでしょう。口の割に、全然大したことないですね、この不審者。だからといって油断は禁物。先手必勝です!)

 

「一気に決めさせてもらいます! 気符『地龍天龍脚』!」

 

通常、人の脚の筋力は腕のそれの約3倍程度とされている。

当然、妖怪とはいえ人型をしている美鈴もその例に漏れない。

ただ、妖怪である彼女の場合、その基準となる筋力自体が、人のそれとは比べものにならないほど強靭である。

その脚から放たれる、顎を貫くような鋭い蹴り上げ。

もちろん、彼女が本気で放てば、相手が頑丈な妖怪の類でもない限り、頭から上が吹き飛ぶ程の威力を誇る。

だが、彼女の意図はあくまでも人払い。

侵入者を迎撃はするが、過剰な防衛力は行使しない心算だった。

 

「お、おぉぉぉああおお!?」

 

その心算が生み出した結果は、鋭い蹴り上げが見事アーカードの顎を捉え、彼の身体を後方に吹き飛ばすほどの衝撃を与えた、というものだった。

 

「…………」

 

(やった……!?)

 

先程の攻撃は仕留めるつもりで放ったものだったが、ダメ押しとして美鈴は次なる一手のため、構えを解かずアーカードを睨み据える。

対するアーカードは、吹き飛ばされたままピクリとも動こうとしない。

 

不気味な静寂が、二人を包んだ。

 

「……フ、クフフ……クハハハハ!!」

 

二人が動きを見せず、もはや勝敗は決したかと思われた次の瞬間、仰向けのままピクピクと身体を震わせ高笑いを始めるアーカード。

 

「……!」

 

「ハハハハハ! 面白い! 実に面白いぞ門番! やはりそうか! 貴様、本当に人間ではないのだな。それに……」

 

彼は重力を無視したかのように踵から起き上がると、拍手を送ったつもりなのか数度、軽く手を叩いた。

 

「この私を相手に手加減をするとは、勇敢なヤツだ。だが……愚か者だ」

 

「あれを喰らって立ち上がるとは。しかも、この肌が泡立つような『気』。貴方、まさか……」

 

美鈴は、目の前の男から発せられる『気』を感じたことがあった。

否、正確には、目の前の男から発せられる『気』に非常によく似た『気』を。

 

「吸血鬼……!」

 

「ほう。気付いたか。それに気付くということはつまり……私によく似た者を知っている、ということだ」

 

アーカードの言葉は的を射ていた。

美鈴が以前感じた事があるモノによく似た『気』。

それは紛れもない、美鈴の主人である一人の吸血鬼が本気を出した時のものだったのだ。

 

「大方、この館の主人が吸血鬼だとか、そういうことだろう」

 

「……ッ!」

 

図星を指され、内心狼狽した美鈴であったが、表情は崩さず、気持ちをすぐに立て直して会話の主導権を握りにいく。

 

「いかにも、その通りです。ですが、それがどうしたというんです?」

 

「そうか、やはりそうか! それはいい。それはいいぞ! ハハ、ハハハハハハハハ!」

 

「まさか、主人に会いたい、と?」

 

「もちろん。もちろんだとも! わざわざ出向いた甲斐があった。もはや待ってはいられん。さっさと道をあけろ、門番」

 

「お気の毒ながら、その望みが叶うことはありません。なぜなら……」

 

瞬間、美鈴から発せられる『気』が変わった。

今まで彼女が発していたのは、闘うための気。闘う意思の気。いわば『闘気』だった。

だが、今の彼女から発せられているのは殺すための気。すなわち『殺気』であった。

 

「私はこの『紅魔館』の門番であり、貴方はここで、私に打ち倒されるからです」

 

そう、彼女は悟ったのだ。

目の前の男を放っておけば、確実に主人に害を成す存在となる事を。

だからこそ彼女は、闘いなどという甘い考えを捨てた。

殺す。

そう、殺さなければならない。

目の前の男は殺しにきたのだ。

殺しにきた者は、殺されなければならない。

それが闘争の本質なのだ。たとえそれが、この『幻想郷』のルールに背くことであっても。

 

「打ち倒す? この私を? やってみろ門番。そして見せてみろ。一体、貴様は何なのか。人か、狗か、化物か……」

 

「前言撤回です。打ち倒すのではなく、()()()()。口にした方が、覚悟が揺るがなくていい」

 

「フン、ようやくいい目をするようになったな。だが、もう遅い。始まったばかりで悪いが、貴様とのばか踊りもここらで終いにしよう」

 

「望むところ……」

 

「貴様を分類(カテゴリー)A以上の化物(フリークス)と認識する。拘束制御術式第3号第2号第1号開放。状況A「クロムウェル」発動による承認認識。目前敵の完全沈黙の間、能力使用限定解除開始……」

 

「……!」

 

アーカードが呟くに順い、美鈴は感じ取った。

これ以上、目の前の男に何かをさせてはいけない、と。

だからこそ。

 

「見せてやる。吸血鬼の闘争というものを……!」

 

「先手必勝! 華符『破山砲』!」

 

自分の得意とする距離ではないが、それでも、現在の状況において、自分の出し得る最大火力で、有無を言わせず消し去る。

彼女は、そう選択した。

美鈴の正拳突きと共に放たれる『気』の光芒。

アーカードの視界を埋め尽くすほど巨大なそれは、彼を周囲の地面ごと抉り去った。

 

(やっ……てないッ!?)

 

美鈴の攻撃で舞い上がった砂煙で、彼女自身の視界は奪われていた。

だが、『気』を追うことのできる彼女にとって、それは些末な問題に過ぎなかった。

そう、問題は、まだ『気』を追うことができているということ。

そして。

その『気』が己の背後から感じられるということだった。

 

「くッ! 華符『彩光蓮華……」

 

しかし、この肉薄の距離は美鈴の得意とする距離。

強気に攻めの姿勢を保ったまま、彼女は次なる技ーー『気』を纏った鋭い掌底ーーを放ちながら、振り返る。

 

「フハアアアアァァァァアア!」

 

「がっ……ぐ、ううぅぅぅうッ!?」

 

衝突する美鈴の掌底と、アーカードの手拳。

ぶつかり合ったそれらは、さながら鍔迫り合いのごとく一進一退の様相を呈していた。

そう、威力と強度が拮抗した両者の攻撃は、一見互角であるように見えた。

が、現実は違った。

美鈴の全力を注いだ掌底を受ける最中、アーカードの蹴りが彼女の膝を捉え、その内部にダメージを与えていたのだ。

さしものアーカードであっても、全神経を集中させ『気』を纏いに纏った、幻想郷屈指の肉体強度を誇る美鈴の掌底を真正面から破壊し尽くす事はできなかった。

しかし、掌底に『気』が集中している分、他の部位の防御力が下がっていることを、アーカードは見逃さなかったのだ。

とはいえ、アーカードも片手間に放った蹴り程度では美鈴に決定的なダメージを与えるには至らず、せいぜい一瞬体勢を崩すのが限界だった。

 

もっとも、彼にとっては、その一瞬で全てが事足りたのだが。

 

「悲鳴を、あげろ……豚のようなァ!」

 

「うぅっ! ぐっ、ぎいぃ……ッはああああぁぁあああ! 三華『崩山彩極砲』!」

 

美鈴の一瞬の間隙を突いてアーカードから放たれた、全霊の手刀。

対して、それに合わせるように零距離で放たれた、美鈴の正真正銘の最大火力。

正真正銘、というのは、先程放った最大火力は、あくまで『自身や館に被害が及ばない範囲』での話であり、捨て身で放たれたこの攻撃は、理論上、彼女の出し得る最強の火力であった。

 

「ハアアァAAAAAAAAAA!」

 

「……ッ!」

 

にわかに光に包まれる両者の影。

辺りに響く、金属が擦り合わせられるような不協和音。

その半瞬間後、光は不規則に、放射状に広がり始めた。

 

「……ッ、ぐ……ううぅッ!」

 

「チェックメイトだな、門番」

 

辺りに広がる光がその勢いを弱め始めた頃、ようやく二人の姿が影となって現れる。

そして、光が完全に消え失せた時、二つの影はおおよそ『人』のものとは呼べない容貌と成り果てていた。

 

アーカードは、左半身をほぼ全て失っていた。

顔、腕、胴体、脚。

それら半身全てが、抉られたように欠損している。

普通なら、即死。

あまつさえ生きていたとしても、今のアーカードのように立っている事は身体のバランスからいって難しいような、激しく惨たらしい欠損。

それでも彼が倒れ伏さずにいられたのは、彼の手刀が。

否、彼の右腕が、美鈴の左脇腹を貫いていたからに他ならない。

 

「ガフっ……く、そぉっ……!」

 

「さぁ、門番。洗いざらい喋ってもらおう。貴様の……命に」

 

突きを放ったままの姿勢で口の端から血を流し、力なく震える美鈴。

瞬間、対するアーカードの左半身を黒い霧が覆うと、黒い霧はそのまま実体を成して、彼の左半身を形作った。

 

「化け、ものめ……あぅっ!?」

 

もはや抗う気力もなく、ただアーカードを睨み付けることしかできない美鈴。

その表情を一瞥したアーカードは笑みを浮かべると、乱暴に唇を奪う際のそれと同じように、彼女の顎をぐいと押し上げた。

 

「う……あ、あ……」

 

「ハアアアアアア……」

 

アーカードは無遠慮に、露わになった美鈴の首筋に牙を突き立てようとした。

が、まさにその時。

 

(そこまでよ!)

 

静かに。だが、はっきりと。

高貴で、しかしどこか弱々しく淫靡な。

色で例えるなら紫色の声が辺りに、否、アーカードの脳内に直接語り掛ける。

 

(何だ、コレは……)

 

その半瞬間後、アーカードの姿は淡い光に包まれ、どこへともなく掻き消えた。



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silence

全ての忘れ去られたものが集まる、幻想郷。博麗の巫女が活躍したのは、今は昔の話となった。
が、しかし。永遠の平和を手に入れたと思われた幻想郷に、過去に起こった怪異が再び魔の手を伸ばした。
その怪異とは、湖のただ中にある『紅魔館』から、紅い霧が発生するという怪異だった。

異変解決のため、当代博麗の巫女である『博麗 麗亜』(はくれい れいあ)は従僕である吸血鬼アーカードへと、異変解決の命を下す。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)と。


的な話。

のはず。


 

光。

光だった。

アーカードの目の前に広がったのは、眩いまでに輝く光。

そして、その光が収束した後に残った、ほの明るい光。

蝋燭のような、揺らめく光だった。

 

「ここは……どこだ?」

 

そう独り言つと、アーカードは視線だけを動かし、辺りを観察する。

もちろん、同時に他の五感もフル活用し、詳細に状況を分析し始める。

 

(…………)

 

壁や天井に囲まれている。となれば、ここは室内。

方法はわからないが、どうやら彼は自分の意思とは関係なく、この室内へとやってきた、否、飛ばされたようだった。

 

(転移魔法、というやつか)

 

室内は薄暗く、少し気温が低い。

地下だろうか?

しかし、それにしては湿度が低いように感じられる。

 

(ここは……)

 

アーカードの立つ一本道を取り囲むように、所狭しと配置された本棚。

不気味に灯る蝋燭の火。

 

「ようこそ、私の城へ……」

 

「……!」

 

不意の呼び掛けに、アーカードは声のした方を振り返る。

振り返ったその先、アーカードの双眸は一本道の突き当たりにある物々しい机に、本を片手にため息をつく一人の少女の姿を捉えた。

 

「お初にお目に掛かるわね。私は『七曜の魔女』ことパチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」

 

「フン、そうかい」

 

アーカードは少女の自己紹介を一笑に伏すと、彼女には一切の興味がないといった様子で部屋の出口を探し始めた。

 

「あら、冷たいのね。自己紹介くらい返してほしいものだわ」

 

「生憎だが、私は忙しい。それに機嫌も悪いんだ。食事の最中で、不躾な輩が邪魔をしたようだからな。お前のような病人に用は無い。すぐに立ち去るか、道を案内しろ」

 

「病人、ね。流石は吸血鬼。よくわかるのね」

 

自分のことなどそっちのけで部屋を見回すアーカードに対し、少女は意趣返しとばかりに、本から目を離さずおざなりな対応で返す。

 

「……ほう。いつから気付いていた?」

 

「いつからも何も、最初にアナタを見た時から、よ。いいえ、正確には地上にいるアナタの気配を感じた時から、かしら」

 

「……私は今、一つの結論に達した。()()()()()()()()、お前は賢そうだ。私が何を考えているのか、わかるだろう? 私の推論と事実に相違はないか?」

 

「さぁ、どうかしらね。でも、私も今のアナタの言葉で()()()()()()わ」

 

二人は共に不機嫌な声色で言葉を交わすと、アーカードは射抜くような瞳で、パチュリーは無機質な人形のような瞳を本から離し、互いを睨み据えた。

 

「そうかい。それなら、早く始めよう。弱者を虐げるのは忍びない……が、覚悟してもらうぞ、病人」

 

「病人病人と、ひどいわね。そう邪険にすることはないじゃない。ちゃんと自己紹介もしたのだから、病人呼ばわりはよしてくれるかしら?」

 

「お前の名前が何であろうと、どうでもいい話だ。私にとって肝要なのは、お前を消す事が、ここから出る事に繋がるだろうということだけだ」

 

「そうかしら? 覚えておいて損はないと思うわよ? アナタを葬る者の名前だもの」

 

「フン、面白い冗談だ」

 

「そうやって笑っていられるのも今のうちよ。私の美しい弾幕で屠られたこと、せいぜいあの世で自慢するのね」

 

「どこからでも来い、病人……!」

 

殺気と共に銃を抜き放ったアーカードの鋭い視線がパチュリーに突き刺さったが早いか、彼の頭上から多数の火の矢が降り注ぐ。

アーカードはそれを予想していたかのように素早く後ろに飛び退き、回避する。

もちろん彼は、それと同時にパチュリーに照準を定め、引き金を数回引いていた。

が、パチュリーの喉元や腹部といった数カ所の急所を捉えるはずの弾丸は、鈍い音を立てて彼女の眼前で不自然に叩き潰され、地に落ちるばかりだった。

 

(魔力障壁……しかもかなり強力だな。それに……)

 

「火符『アグニシャイン』……まずは小手調べから、ね」

 

比喩でも何でもなく、文字通り燃え盛る火の矢。それらがアーカード目掛けて四方八方から次々と襲い掛かる。

 

(この弾幕の重厚さは厄介だな。時間も惜しい。ここは肉薄の距離で一気に……)

 

圧倒的な速度で発射され続けるパチュリーの攻撃を前にしては、さしものアーカードも魔力障壁の対処に充分な思慮をする暇はなく、やがてその攻撃を躱し続けるのにも限界が訪れた。

 

体勢の整いきらないアーカードの身体を火の矢が一本、また一本と貫き、燃やしていく。

もちろん、アーカードも黙って為すがままになってはおらず、攻撃を受けながらも少しずつ前進し、苦し紛れに反撃しているといった様相を醸し出すため、無駄とわかっていながら銃を放ち、防がれ、それでいて機を待っていた。

 

「悪いけれど、大切な人を傷付けられて黙っていられるほど大人じゃないのよ、私」

 

「なかなかどうして、できるじゃないか病人! そうだ、もっと来い……もっとだ!」

 

「言われなくても……」

 

可憐。そして苛烈。空間を埋め尽くすほど分厚い弾幕による、圧倒的な暴力。

このような様子から、パチュリーを固定砲台タイプと形容する者も多いが、魔力障壁による鉄壁の防御力も相まった彼女の場合、固定砲台などという小規模なものではなく、もはや要塞さながらであると表現するのが相応しいだろう。

 

「今日は頗る調子がいいの。ほら、もっと華麗に踊って頂戴。土符『レイジィトリリトン』……!」

 

パチュリーが呟くと、アーカードを襲う火の矢の嵐はそのままに、土の槍が彼女の足元から彼に向かって、その体を貫かんと隆起する。

 

「シィッアアアアアアア!」

 

瞬間、アーカードは邪悪な雄叫びとともに、パチュリーに飛び掛かっていた。

彼女が、一つの魔法を発動しながら新たな魔法を発動する際に出来た、隙とも呼べない間隙。

それこそが、アーカードが待ち続けた一瞬。

すなわち、一撃必殺の機だった。

 

「オオォAAAAA!」

 

火の矢を全身に受けながら、自身の胴体を貫こうとする土の槍を左腕で振り払い、右の手刀に力を込める。

しかし、パチュリーはそれを予期していたかのように妖しい微笑を浮かべると、掌で宙をぐっと掴んだ。

その刹那、アーカードをぐるりと取り囲む土の槍から、更に土の槍が生じ、彼の上半身を完膚なきまでに切り裂いた。

 

が、そんな事はおかまいなしとばかりに、アーカードの上体が霧状になると、土の槍の包囲はあっさりとすり抜けられ、彼はすぐさま実体化した上体を伴い前進を再開する。

そして、彼の攻撃が、まさにパチュリーを射程圏内に捉えた瞬間。

一瞬でアーカードはその動きを止め、ギリリと歯軋りを響かせた。

 

「本当にやるじゃあないか、病人……!」

 

あと一呼吸もあればパチュリーを仕留められる位置で、突如として足を止めたアーカード。

その理由は、彼の足元にあった。

パチュリーとアーカードとの間に広がる、そう大きくない距離。

 

そこに横たわる、水の氾濫。

 

「水符『ベリーインレイク』……『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』、でしょう?」

 

二人の間を埋め、尚且つパチュリーの四方を取り囲む、流水。

その水がどこから来て、どこへ行くのかはアーカードには見当もつかないが、ただ、その水は嵩を変えずに延々と、パチュリーから彼の方に向かって流れ続けていた。

そしてその事実だけが、彼らにとって重要な意味を持っていた。

 

「これでアナタは、私に一方的に嬲られ続けるだけ」

 

「チィ……」

 

一歩。たった一歩の踏み込みが、互いに生死をわけた高度な攻防。

そして、その後に始まる、圧倒的な蹂躙。

未だ止む事のない弾幕の雨に、アーカードは反撃はおろか、近付く事さえもできずにその身を貫かれ、焼かれ続ける。

 

(とはいえ、この男……並の吸血鬼じゃないわね。ヘタをすればレミィと同等か、もしかしたらそれ以上かも……)

 

弾幕と魔力障壁、そして流水により万全の防御体制を築き上げたことで余裕ができたのか、パチュリーは目の前の敵に対して思考を巡らせ始める。

 

一方、アーカードはパチュリーの弾幕になすがままになりながらも、博麗神社で待機している麗亜に連絡を試みていた。

 

『麗亜……麗亜。こちらアーカード。応答しろ……やはりダメか』

 

しかし、いくら通信機に呼び掛けてみても、返ってくるのはノイズ混じりの電子音だけ。

どうやら、この部屋には物理的な交信を妨げる結界のようなものが張られているようだ。

 

(仕方ない。面倒ではあるが……)

 

アーカードが考えている間もパチュリーの攻撃は弱まることなく続いていたが、彼の体の負傷した箇所は瞬時に霧状になり、次々と元通りに再生していく。

 

(この再生力……ラチがあかないわね。何か決定打が欲しいところだけれど、一体どうするべきか……まぁいいわ。ラチがあかないのなら、()()()()()()だけよ!)

 

「火符『アグニレイディアンス』!」

 

パチュリーが叫んだ瞬間、弾幕の火力が上がった。

否、弾幕の質が変わったのだ。彼女が新たに発動させた魔法は、先程までと同じ火の魔法であったが、その弾幕の形状は全くの別物となっていた。

火の矢から、火の壁へ。

点から、面の攻撃への転換。

 

それには当然、弾幕を回避することが困難になる効果があった(とはいえ、アーカードはもはや半ば回避することを諦めてはいたが)し、何より、物理的な意味で、彼女の放つ炎は純粋にその火力を増していた。

 

(本人に厄介な病人だ……麗亜、麗亜! 聞こえるか?)

 

アーカードは目を閉じ、念じる。強く、強く。

吸血鬼には、念話の能力がある。

ただし、それは一方通行のもので、相手に同じ能力が備わっていないと、通話としての意味を成さない。

 

だが、アーカードが今念話を試みている相手、すなわち麗亜は、戦闘においてはまるでド素人。たとえ仕込まれたとしても、戦いなんて一生無理と本人が豪語するほど戦闘の才能がないようではあるが、こと霊力の質においては、先代と比べても遜色のないものを持っているらしい。

おそらく、念話程度ならば、外部からのリードがあれば自然と可能となるだろう。

そんな考えから、アーカードは念話を試み、そして。

 

(何ですか、次から次へと。命令は下したはずです)

 

それは何なく成功した。

 

(よく言う。お前が色々と隠すから、面倒な事になった)

 

(平気で人の心に乗り込んで来て、一体何の事です?)

 

嫌味たらしく頭に響く、麗亜の声。

念話の状態は、良好であった。

 

(お前、この館に吸血鬼がいることを知っていただろう?)

 

(ええ、知っていました。その館の主人が、吸血鬼です。もうお会いになられましたか?)

 

(いや、まだだ。しかし、そんなことはどうでもいい。何故私に、そのことを伝えなかった?)

 

(聞かれなかったので)

 

(そういう事は聞かれなくても言っておけ。一手間増えただろう)

 

(どういうことです?)

 

(私の部屋にある対吸血鬼用の装備……お前が河童とやらに用意させたあの銃と、私の棺をここに送れ。ただし、無傷で届けるんだ。手段は問わん。全く、聞いていれば無理矢理にでも自分で持ってきたものを……)

 

(……もし、嫌だと言ったら?)

 

(何が言いたい?)

 

(もし最初から、私が貴方に()()を使わせないために、あえてその館のことを教えなかったとしたらどうするんですか、と聞いているんです)

 

(そうなのか?)

 

(さぁ、どうでしょう? ただ、()()を使って欲しくないことは事実です)

 

(……とにかく、だ。お前の思惑がどうあれ、()()がなければ私は目標を達成できん。目の前の敵が対吸血鬼の戦い方を心得ているものでな)

 

(また、戦闘中に通信しているんですか。余裕ですね)

 

(いや……余裕がないから、こうして念話での通信になっている)

 

(まぁ、珍しく苦戦しているようですし、貴方に恩を売っておくのも吝かではありません。銃と棺の件、ただちに対応しましょう)

 

(よろしく頼む)

 

アーカードは必要な物を送る約束を取り付けるとぶっきらぼうに念話を切り上げ、再び目の前の敵に集中する。

 

(確かに、攻撃は熾烈。威力も範囲も申し分ない。だが、何故だ? 吸血鬼との戦い方がわかっているはずなのに、何故致命傷を与え得る攻撃をしてこない? これだけの魔法を行使できるのだ。紫外線や銀での攻撃を行えないと考える方が不自然だろう。では何故、こんな……)

 

もっとも、アーカードにとっては、太陽光も流水も、大敵とはなり得ない。

ただし、その他の攻撃や通常兵器よりは幾分か効果を発揮するだろう。

 

となれば、館の主人がどれほどの吸血鬼であろうとも、その例外には漏れないだろう。

つまりは、館の主人が騒ぎを聞き付けて馳せ参じた場合を想定して、目の前の敵は誤爆を恐れた生半可な攻撃を続けているのだ、と。

 

アーカードはそう予測した。

そして、それは同時に。

彼に、吸血鬼との交戦が間近に迫っている事を期待させた。

 

だからこその笑み。

湧く渇望。疼く欲望。

 

アーカードの考えは、予測というには事実に近過ぎた。

 

(まぁ、ともあれ……)

 

アーカードは震える心を抑え、目の前の敵を睨み据える。

まずは、眼前の敵を屠る。

あわよくば、吸血鬼戦をより有利に戦えるような状況を作りながら。

 

そんな風に彼が思索を巡らしていると、そこへ。

 

不意に、音も無く空間に開いた、否、拓いた『スキマ』。

 

『それ』が一体何処へ繋がっているのか。

そもそも、その先に『此処ではない何処か』があるのか。

それは、その『スキマ』を創り出した本人にしかわからないことであったが。

とにかく、この場面で肝要なのは、その性質がどうであれ『スキマ』がアーカードの目の前に出現し、そして。

 

その『スキマ』から、人の背丈ほどの大きさの、包帯で簀巻きにされた何かが放り出された、ということだった。

 

「これは……八雲紫ッ!? どうして……」

 

その光景に、思わず口をついて出たパチュリーの一言。

もちろん、『スキマ』に投げ掛けられたその言葉に反応はなく、拓いた時と同様、『スキマ』はまるで最初からそこに何もなかったかかのように、音もなく閉じた。

 

(……っ! これは、間違いなく紫の……!)

 

先程アーカードが気付いたように、この地下室はパチュリーが指定した特定のもの以外の物理的、非物理的な干渉を妨害する結界に囲まれている。(とりわけ物理的な干渉に対しては、彼女の他者との接触を避ける性格上、非物理のものよりも高い防御力を発揮していた。)

即席ゆえにそこまで強力なものではないが、行使者の魔力の高さから、この結界内に外部から一方的に干渉出来るほどの能力を持つ者は、彼女の知る限り妖怪、人間の別なく、そう多くはない。

それに何より、今の能力は。

 

幻想郷最古参、そして最強の妖怪のうちの一人に名を連ね、更に賢者とまで称えられる大妖怪『八雲 紫』(やくも ゆかり)。

常に飄々とした態度を崩さず、寛大。

しかし、それでいて不遜。

掴み所のない、とはまさに彼女のことを表すのだろう。

 

パチュリーの脳裏に浮かんだ名前は、一瞬である推測を生んだ。

 

(紫が絡んでいるということは、この吸血鬼も博麗の……?)

 

結界をすり抜けられた事に関しては、境界を操る程度の能力を持ち、スキマ妖怪の異名を取る紫にとっては、朝飯前の事だと納得出来る。

そして、紫が攻撃しなかったということは、目の前の吸血鬼は彼女にとって、幻想郷にとって、()()()()()()、という事だ。

それに、『スキマ』から現れた謎の物体。

状況だけ見れば、紫が吸血鬼にその物体を()()()とも考えられる。

いや、事実()()なのだろう。

そもそも、これほどの力を持ち、かつ博識なパチュリーでさえ知らない『異物』である吸血鬼を紫が排除しないこと、それはすなわち、彼女が十中八九、目の前の吸血鬼に加担しているという事実を導き出す。

 

何故、あの大妖怪がそんな事を。

考えられる理由はおそらくこうだ。

 

目の前の敵が、博麗の巫女の差し金で動いていているという事。尚且つ、この『紅魔館』の主人が現在起こしている怪異が解決の対象となっている事。

そして。

目の前の吸血鬼の目的が、怪異の解決であろう事。

 

以上については、まず間違いないだろう。

 

そうであれば、吸血鬼や紫の行動、全ての事柄に合点がいく。

何故、博麗の巫女が直接ここに来なかったのか、という点を除いては。

 

ともあれ。

 

今の彼女には、そんな事をあれこれと考えるより他に、優先すべき事があった。

 

そう、アーカードが例の物体に手を掛け、包帯を引き剥がしていたのだ。

 

「……くッ! させない! 火&土符『ラーヴァクロムレク』!」

 

物体が何であれ、何かをする前に消し尽くしてしまえばいい。

そんな考えから、パチュリーは新たな魔法を行使する。

彼女が術式を組み終えた瞬間、彼女の左右に二つのプリズムが浮かび、その輝きとともに、二種類の属性の魔法が同時に放たれる。

発動したのは、二つの属性を兼ね備えた高度な魔法。

 

パチュリーの四方を延々と流れ続けていた水がにわかに泡立ち、その水面を突き破って噴き出したそれは、全てを溶かし、押し流す溶岩の破砕流と、空気を焼く火砕流だった。

それらが圧倒的な速度で、アーカードをその周囲の空間ごと破壊しようと迫る。

 

これなら、たとえアーカード本人には大したダメージを与えられなくとも、物体は消し去る事ができる。

そう判断した上での攻撃。

 

「拘束制御術式第3号第2号第1号、開放……!」

 

もちろん、アーカードにそれを躱す術などなく、彼の影は呟きとともに爆煙に呑み込まれた。

 

(パチュリー様……パチュリー様、聞こえますか!?)

 

(……こあ、遅かったわね。美鈴は?)

 

アーカードの状態を視認しようと目を凝らすパチュリーに届いた念話。

それは、パチュリーが地上の美鈴を救出しに遣わせた小悪魔からのものだった。

 

(はい、負傷してはいますが、すぐに治療すれば命に別状はないと思われます)

 

(そう、それはよかったわ……時間稼ぎはここまでね。一旦退いて、レミィ達に状況を伝えてから仕切り直しよ)

 

(はい、わかりました。私は美鈴さんを連れて直接、レミリアお嬢様のお部屋へ向かいます)

 

(そうして頂戴。私の方もすぐに切り上げるわ。今は手が離せないから、これくらいに。それでは、現地で)

 

(はい……どうかご無事で、パチュリー様)

 

(ええ。また、後で……ッ!?)

 

パチュリーが小悪魔との念話を終えようとしたまさにその時。

地下室に響いた無骨な爆音。

否、それは銃声だった。

 

それは、刹那の出来事だった。

パチュリーを護る魔力障壁が鈍い音を立てて砕け散り、彼女の右肩が抉り取られたのは。

 

「……ぐっ、うううぅぅ!?」

 

パチュリーの眼前、依然巻き上げられている黒煙に浮かび上がった人影。

 

「全長42cm重量17kg、装弾数5発……専用弾15mm炸裂徹鋼弾。弾殻、純銀製マケドニウム加工弾殻。装薬、マーベルス化学薬筒NNA9。弾頭、法儀式済み水銀弾頭……対化物戦闘用15mm拳銃『ディンゴ』。完璧(パーフェクト)だ、麗亜」

 

それは紛れもなく、アーカードだった。

彼は、ギチギチというこの世のものでは比喩しようのない独特な音を出しながら。

その『影』に使い魔の姿をちらつかせて。

まるで、地獄の底から現れるようにぬらりと。

黒煙を掻き分け、パチュリーに相対する。

 

彼が手にしていたのは、およそ銃とは呼べないような漆黒の金属の塊。

『ディンゴ』と名付けられたそれは、パチュリーに向かって続けて二発、三発と化物じみたボディから特製の弾丸を吐き出した。

 

のだが。

その弾丸が、再び彼女を傷付けることは叶わなかった。

 

弾丸の目標達成を阻んだのは、一点集中、多重式の魔力障壁。

通常の魔力障壁よりもカバーできる範囲は大きく狭まるが、防御力は段違いに高くなる。

事実、先程魔力障壁を容易く貫いた『ディンゴ』の弾丸でさえ、この多重式の魔力障壁を破ることはできなかった。

 

「そうだ……そうでなくては、面白くない!」

 

しかし、そんな事はアーカードにとって瑣末な出来事にしか過ぎない。

彼の本命は、あくまで近接戦闘。

そして、パチュリーを囲む流水がなくなった今、彼女に接近することはそう難しくなくなっていた。

 

「さぁ、もっと、もっとだ! もっとお前の力を見せてみろ病人! いや、パチュリー・ノーレッジ! 魔法を行使しろ。魔力障壁を再構築しろ。今一度、弾幕を展開してみせろ! 早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)早く(ハリー)!」

 

アーカードは、大口径の銃と表現するには余りにも巨大過ぎる、まるで小型の大砲のような銃を乱射しながら、パチュリーとの距離を縮める。

 

(くッ……多重式にしたせいで、魔力障壁の防御が追いつかなくなってきているの?)

 

乱射とは言っても、様相がそのようであるだけであり、実際、その狙いは正確無比であった。

しかし、それ故に、パチュリーは狙われる場所をある程度絞って予測でき、範囲の狭まった魔力障壁でも対応することができていた。 ただ、多重式の魔力障壁を何度も素早く再構築するのは簡単な事ではなく、次第に速度で押され始めている事が、パチュリーを焦らせる。

 

(やはり、間違いないわ。この速度差では、相手の一連の攻撃から次の一連の攻撃までの隙(インターバル)を加味してもいずれ押し負けるわね。それなら……!)

 

覚悟を決めたパチュリーは大きく深呼吸をし、キッと目を細めた。

瞬間、彼女の魔力が地下室を埋め尽くすほどに高まる。

 

「全て撃ち落とすまでよ! 金符『メタルファティーグ』!」

 

攻撃は最大の防御。

まさにその言葉を体現するが如く、白銀の嵐が『ディンゴ』から放たれる弾丸を撃ち落とし、アーカードを襲う。

 

(これは……銀か!?)

 

パチュリー渾身の攻撃を受けたアーカードが、自身の異変に気付いたのは瞬時の出来事だった。

パチュリーの攻撃によって抉り取られた箇所の再生が、目に見えて遅い。

これは、吸血鬼である彼が、銀や祝福を受けた武器による攻撃、または日光により受けたダメージに見られる現象である。

 

とはいえ、パチュリーの魔法は実際に銀を創り出しているわけではなく、銀と極めて近い特性を持った魔力の弾丸を生成し放つというものであった。

 

「地獄の谷底へ、落ちなさい! 落ちろ! 落ちろ! 堕ちろ! 堕ちろ堕ちろ堕ちろ堕ちろ!」

 

もっとも、それが本物の銀であれ、魔力の弾丸であれ、アーカードにとっては、少なからずダメージを受けている事に変わりはない。

加えて、吹き荒れる白銀の嵐は、未だ無尽蔵に感じられるパチュリーの魔力からして、当分止む気配はない。

 

(これは、決着を急いだ方が良さそうだな……)

 

アーカードが勝負を焦り始めた一方で、パチュリーも彼と同じく、焦っていた。

 

(多少なりともダメージは与えられているようだけれど、やはりダメね。このまま続けてもジリ貧、いずれは近付かれておしまい。それに、この傷……どうやら自動回復の魔法程度では、気休めにもならないようね。()()()()()、か……)

 

『ディンゴ』のファーストアタックにより大きく抉れた、パチュリーの右肩。

本格的な戦闘になる前に予め準備しておいた自動回復の魔法により、その傷は一見致命傷にはなり得なかったように見える。

しかし、実情は大きく異なっていた。

確かに、筋組織や骨などは、応急的とはいえ再生し、辛うじて右腕を動かせるほどにまで回復はしていた。

それでも、受けた傷があまりにも大きかったせいで完治には至らず、多量の出血は続いていたのだ。

もはや、傷からは痛みは感じず、熱さと痺れを感じるのみ。

更に、ただでさえ貧血気味の彼女を追い詰める、失血。

朦朧とする意識。

間近に横たわる、死の気配。

 

ーー

ーーーー

ーー

 

「……ねぇ、パチェ。貴女は、自分が死ぬ姿を想像したことがある?」

 

「何を藪から棒に。私は魔法使いよ? 下手をすれば、吸血鬼のアナタよりも死に無縁だわ」

 

「じゃあ、質問の仕方を変えるわ。貴女、()について考えたことはない?」

 

「そうね……昔はそんな事も、考えたかもしれないわ。でも、今は。そして、この先も。考えることなんてないでしょうね」

 

「それは何故かしら?」

 

「だって、私にはアナタがいるもの」

 

「……!」

 

「アナタとなら、悠久の時を生きるのも悪くないわ。アナタの支配するこの館の地下室で、本を読み、魔法を研究し、時にはこんな風に語らいあって。そうして、気ままに暮らすのよ」

 

「パチェ……」

 

「アナタが何を考えて、そんなセンチな質問をぶつけてきたのかは知らないけれど。もし、死にたくなったのなら……この生活に飽きてしまったのなら、言って頂戴。私が……殺してあげるから」

 

「それ、本気かしら? 私は、夜の王たる吸血鬼。たとえ死にたくなったとしても、戦いの末の尊厳ある死を望むわよ?」

 

「それで構わないわ。死力を尽くして戦って、アナタを殺して……そして、私も一緒に死んであげる」

 

「……はぁ。まったく、貴女って本当に変わってるわね。まぁ、そんな物好きでなければここにいない、か」

 

「アナタも人のことは言えないわよ、レミィ。こんな私と付き合っているんだもの」

 

「ふふ、それもそうね。アナタがそのままでいてくれるなら私も、死にたいなんて考えもしないでしょうね。でも、もし本当にその時が来たら……私も全力を以って貴女を殺しにかかるわ。それが親友である貴女への、最後の礼儀になるでしょうから」

 

「その時が来ない事を祈るばかりよ。そして、その時が来るまでは、互いに健全でいましょう。どうか、私を殺す者が……親愛なる私の友人、愛すべき吸血鬼でありますように」

 

「よく、恥ずかしげもなくそんなセリフを面と向かって吐けるものだわ。聞いてるこっちが恥ずかしいわよ」

 

「ふふふ……これからもよろしくね、レミィ」

 

「こちらこそ、パチェ」

 

ーー

ーーーー

ーー

 

不意にパチュリーの頭を過る、いつかの記憶。

間近に感じる、死の気配。

そして湧き立つ、死への恐怖。

 

(レミィ……まさか、アナタ以外の吸血鬼を相手に、死を意識する時が来るなんて……笑えない皮肉だわ)

 

傷口から伝わる鈍い熱さに加え、元々虚弱体質である彼女の体に少しずつ、しかし確実に蓄積されていく疲労。

彼女の肉体が限界に近付いていることは、再び流水の結界を築こうとしないことからも容易に窺えた。

何度も意識を失いそうになるが、その度に親友の顔を思い浮かべ、踏み留まる。

肩で息をしながらも弾幕を張り続けるその姿は、まるで蝋燭が最後の輝きを放つかの如く、強く、凛としていて、そして儚かった。

 

そんなパチュリーとは対照的に、アーカードはまるで衰えを感じさせず、弾幕を全身に受けながらも、じわりじわりと彼女ににじり寄る。

その泥臭く、血生臭い侵攻は、より一層、パチュリーの恐怖を煽っていく。

しかし、パチュリーはただ震えるだけではなく、寧ろ毅然とした態度で、目の前の恐怖に臨んでいた。

 

(レミィ達に影響のありそうな広範囲の魔法は、あまり使いたくなかったけれど……背に腹は代えられない、か)

 

吸血鬼の恐ろしさとは何たるか。

何が、吸血鬼を恐ろしいものたらしめているのか。

人を虜にする誘惑の力、使い魔を使役する数の暴力、不死性。

様々なファクターが挙げられるが、その中でもっとも大きな要因は『吸血鬼は想像を絶する怪力を持つ』という点であるという。

 

そう、吸血鬼はとても力持ちなのだ。

それは、吸血鬼との近接戦闘は、すなわち死を意味するとまで言われるほどに。

アーカードは、そんな圧倒的な暴力を振り翳して、パチュリーとの距離を縮めていく。

しかし、対するパチュリーも吸血鬼の性質をよく理解していたし、その上で策を練り、次なる攻撃を準備していた。

 

(病弱で塞ぎ込みがち、友達なんて一人もいなかった私に、手を差し伸べてくれたアナタ。レミィ……私、私ね。アナタのためならこの命、惜しくはないわ。あの時の言葉、嘘じゃないのよ。だから……)

 

「レミィ! この命に代えても、アナタを護ってみせる!」

 

パチュリーもまた、決意を鈍らせないように言葉にする。

アーカードと対峙した時、美鈴がそうしたように。

 

「いいぞ! それでいい! 次の一手で、終いにしよう……パチュリー・ノーレッジ!」

 

「望むところよ!」

 

二人の間の距離は、僅か数メートル。

もう少しで、アーカードの致命の一撃がその射程にパチュリーを捉える距離である。

そして。

 

「シイィッアァAAAAAAAA!」

 

先程の言葉通り、これを最後の一撃にしようとばかりに、アーカードは禍々しい雄叫びと共に大きく踏み込み、手刀を放つ。

 

まるで、スナック菓子を砕くかのようなバキバキという軽い音を立て、何重にも張られた魔力障壁が大した抵抗もなく破られていく。

 

絶望的な状況を前に、パチュリーはそっと目を閉じる。

それは、恐怖からではなく。

死を覚悟して、走馬灯を浮かべるためでもなく。

ただ、生きるために。

魔力障壁が突き破られるその音から、刹那の内に迫る手刀の接近を察することができるほどにまで、五感を研ぎ澄まして。

一歩引いた場所から、自分自身の置かれた状況を思いながら。

 

「塵に還りなさい……日符『ロイヤルフレア』!」

 

そして、目を開いた彼女が最高のタイミングで発動させる、対吸血鬼としては最強と言っても過言ではない渾身の魔法。

 

瞬間、暖かな、それでいて暴力的な光が二人を包んだ。



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Break the world down

他の人と比べて、1話あたりの本文の分量が多いというくらいしか特徴のない駄文。
寛大な方は、これからもお付き合いください。

明らかなミス等あればご指摘願います。


所在は変わって、博麗神社の境内。

そこに揺らめく、二つの影。

 

「……これで満足かしら、麗亜?」

 

「はい、ご協力ありがとうございました……紫さん」

 

麗亜は、自分が紫と呼んだ者に対して深々と頭を下げる。

それを受けた相手は、少し不満そうに微笑みを浮かべた。

 

「この私を使い走りにするなんて、幻想郷広しといえども貴女くらいよ?」

 

「本当に、申し訳ありません。他に手段がなくて……」

 

「それは()()()()()の言葉かしら?」

 

「それはもちろん()()に対して、です」

 

「そう……自覚、あったのね。それならいいわ。アレは本来、この大地に不要の存在……いいえ、居てはならない存在なのだから」

 

「そうでしょうね。それでも、私はこの博麗神社を、何と引き換えにしても護らなければいけないんです。そのために、招かれざる客を遣っても。そして、それがたとえ、母の遺志に背く事になっても」

 

柔和な物腰とは対照的な、鋭い口調で紡がれる麗亜の言葉。

 

「そんなに怖い目をしなくてもいいわよ、別に。貴女の立場は、わかっているつもりだから。それにしても、私にまで敵意を向けるのは、少し病的ではなくて?」

 

紫は、麗亜の眼差しを正面に受け、真っ直ぐに彼女の双眸を見据え返す。

 

「……っ、申し訳ありません。私、少し過敏になってしまっていますね。これじゃあ、博麗の巫女失格です」

 

「貴女は色々と、気にし過ぎなのよ。あの娘そっくりの顔で、そんな悲しい表情をしないで。確かに貴女は博麗の巫女だけれど、だからといってあれこれと気を遣うこともないわ。貴女にはもっと、あの娘みたいに自由に生きて欲しい。今回の件についても、私だって、怒っているわけじゃありませんもの」

 

深刻な表情で俯く麗亜に、紫は優しく笑い掛ける。

そして、麗亜の頭を軽く撫でると、彼女の体をそっと抱き寄せ、耳元で囁き始めた。

 

「紫さん……」

 

「妖怪や化物、宇宙人に天人、そして人間……生き物が争い合うのは自然の理。そればかりは、生命の本質だから嘆いても仕方ないのよ。だからそれは、許されるべきことだわ。でも、それが許されるのは『同じ世界の者同士』であればの話なのよ。例えば、あの小さいさとり妖怪のような地底の妖怪が、貴女のような地上の人間を襲うなんてことがあれば、それは些かルール違反とも言えるし、あの馬鹿天人が起こしたような騒動も、許されざることだわ」

 

麗亜の体は、震えていた。

紫は、その体を震えがわからなくなるほど強く、ただ抱き締める。

 

「私、どうしたらいいか……このままではきっと、彼は紅魔館の皆を殺し尽くしてしまいます」

 

「そうかもしれないわね。でも、残酷なことを言うようだけれど、そうさせたのは貴女なのよ。()()は、毒にも薬にもなり得る存在であり、そして、薬として使うには、リスクが高すぎた。それだけの話よ」

 

「……私には、母のような異変解決力もなければ、包容力もなかった、と。はっきりとそう言ってください。そうすれば、他でもない貴女にそう言ってもらえれば、諦めもつきます」

 

「そんなに気負ったり、心配したりする必要はないわ。もし万一、アレがこの大地に仇為すような行動に出ることがあれば……きっちりと、私が終わらせてあげるから」

 

そう言って、紫は麗亜の頭をぽん、と叩き、どこからともなく拓いたスキマへと消える。

 

「私、私は……」

 

そして、夕暮れの空の下、一人境内に残された麗亜。

沈む太陽にも似たその心に、去来した複雑な感情。

彼女の表情からは誰も、それを窺い知ることはできなかっただろう。

 

 

「この世界を維持するためとはいえ……何て馬鹿げたマッチポンプかしら」

 

そう紫が零したのは、幻想郷でも外の世界でもない場所。

時間も空間も質量も、全てが狂っている。

どこにでも繋がる、どこでもない空間。

そんな場所だった。

 

そこで、紫は思慮する。

巫女の力は、才能と信仰に依存する。

加えて、両者は極めて密接な関係にある。

例えば、いかに才能溢れる巫女であっても、信仰を全て失ってしまえば、ほとんど全ての巫女としての力は消えてしまうのだ。

また、人の心は、皆が思うより遥かに冷めやすい。悠久の時が経てば、具体的な拠り所のない信仰はいずれ風化し、消え失せる。

それはすなわち、この幻想郷において、博麗の巫女は異変を解決し続けなければ、遠からずその力を失ってしまうことを意味する。

そして、それは同時に、博麗大結界の崩壊を意味し、更にそれは、幻想郷の終わりと同義である。

 

「そう、いざとなればきっと、私が終わらせてあげるから……全てを」

 

だから、幻想郷には異変が必要なのだ。

逆説的に考えれば、幻想郷では異変が起きるように運命が巡っているとも言える。

 

「果たして、運命を司る吸血鬼の選択は……といったところかしらね」

 

幻想郷が存在する限り、博麗の巫女は戦い続けなければならない。

それは、その身が朽ち果てるまで。

否、たとえその身が朽ち果て、魂さえ掻き消されようとも。

 

「……さて、と。それじゃあ私は『詰め』に回るとしましょうかしら」

 

そう独りごちた紫は再びスキマを拓き、目を閉じて、その先に広がる花畑へと踏み出した。

 

もう、この先ずっと、博麗の巫女が戦わなくて済みますように、と。

そんな願いを、抱きながら。

きっと、これが最後の異変になりますように、と。

そんな、祈りを捧げながら。

 

そして。

これを最後の異変にする、と。

そう、決意を固めながら。

 

……。

…………。

………………。

 

同刻、レミリアの部屋。

 

「大変です、レミリア様!」

 

「……どうしたの、小悪魔。ノックもしないで」

 

扉を思い切り開け放った小悪魔の視界に飛び込んできたのは、文字通り、青白く生気の無い顔。

それは『純然たる生者』ではないこの部屋の主にとっては当たり前の事であった。

しかし、それに加えてこの部屋の、ひいては紅魔館の主たる吸血鬼の頬はこけ、その瞳は虚ろだった。

容貌から一瞬で見て取れる、明らかな衰弱。

長きに渡る生により、血液による延命を克服した(厳密には、他の吸血鬼よりも極めて長期間、食事ーーすなわち、血液の補給を必要とせず、また、普通の人間と変わらない食糧によって活動できる)彼女にとって、それは本来あり得ない姿だった。

 

「て、敵襲です!」

 

「そう。それは大変ね。咲夜を、呼ばなきゃ……」

 

「レミリア様、しっかりしてください! 咲夜さんは、もう……」

 

「もう、何? もういないとでも言いたいの!? 違う。違う違う違う違う違う! だって、咲夜はここにいるもの。ここに……!」

 

誰もいないベッドの傍ら、豪勢な羽毛布団に顔を埋め、取り乱すレミリア。

 

「レミリア様……っ!」

 

「だから私は、ここから離れるわけにはいかないのよ! 十六夜の月の下、紅い霧がこの幻想郷を満たすまで……」

 

宙を裂く、レミリアの悲痛な叫び。

その姿に心を傷めながらも、小悪魔は言葉を紡ぐ。

 

「……現在、地下室にてパチュリー様が戦っておられます。それに、私の背をよく見て下さい」

 

そう言われ、レミリアは小悪魔の背後を注視する。

そしてすぐに、小悪魔が背負っている人影に顔色を変えた。

 

「……め、美鈴、なの?」

 

「はい。侵入者と交戦の末、負傷されたようです。普通の妖怪なら死んでいるような傷ですが……流石は美鈴さん、かろうじて急所を躱していました。しかし、パチュリー様は……」

 

小悪魔が苦しげな表情でそう言った時、レミリアは不意に立ち上がった。

そして彼女は、先程までの耗弱が嘘だったかのように、みるみる本来の精悍さを取り戻していく。

 

「……小悪魔、貴女はここに残り、美鈴の治療を。曲がりなりにも貴女は悪魔。治癒魔法の一つくらい使えるでしょう?」

 

再び口を開いたレミリアは、小悪魔に問う。

その口元に、牙を輝かせて。

 

「はい、それは勿論。しかしレミリア様、今すぐ、お独りで行かれるのですか?」

 

小悪魔は、先刻までのレミリアの様子を見ていたが故に、未だ不安を払拭しきれず、レミリアを見詰める。

その視線の先には、かつて博麗の巫女と戦った時のように、気高く凛とした吸血鬼が立っていた。

 

「ええ。美鈴をそこまで痛めつけるような相手だもの。並みの遣い手では足手纏いだわ。それに、館の危機に……何より親友の危機に、駆け付けない私ではないわ。貴女や美鈴、そして咲夜には悪いけれど、すぐに戻るから安心なさい。して、敵の戦力は?」

 

「……敵は、一名です」

 

「たったの一人? まさか、あの忌々しい博麗の巫女が、地獄から這い出て来たわけじゃあないでしょう?」

 

「……相手があの霊夢さんなら、まだ幾分か事態はマシでした。敵は、十中八九……吸血鬼です」

 

「吸血鬼……!」

 

その言葉を聞いた瞬間、レミリアは血相を変えて部屋を飛び出した。

 

「どうか……どうか、ご武運を!」

 

小悪魔からの声援を背に受け、レミリアは長い長い廊下を疾走する。

一秒でも早く、友の元へ。

ただ速く、飛ぶ。

早く、疾く。

館の広さにもどかしさを感じながら、闇雲に駆け抜ける。

 

(パチェ……無事でいなさいよ)

 

まさかあのパチュリーが負けるはずはない、とは思いながらも、頭の片隅に負傷した美鈴の姿がちらつき、不安が膨張する。

その不安を振り払うように、レミリアは一段と速度を上げた。

 

 

そして再び、場面は紅魔館の地下室へと戻る。

 

「おおおオオオオォぉぉ!」

 

「終わりよ、名も知らぬ吸血鬼!」

 

全てをその光で優しく包み、そして残酷に焼き尽くす日輪。

パチュリーの背に浮かぶ人工の太陽が、アーカードの身を焼き、吹き荒れる銀の弾幕が身を削る。

さしものアーカードであっても、この怒涛の猛攻の前では再生が間に合わず、その身体の大部分を失っていく。

 

「オアアアァァァァAAAA!」

 

それでもなお、突き出した手刀。

 

「……うっ! ゲフ、ゲホっ……」

 

パチュリーが防ぎきれないと悟った時には、既にその手刀が彼女の胸を貫いていた。

 

「ま、だ……まだよ……!」

 

それでもパチュリーは、眼前の敵に零距離で攻撃を放ち続ける。

口の端から血を垂らし、湧き上がる痛みに唇を噛み締めて。

 

(レミィは私が護る……レミィは私が護るレミィは私が護るレミィは私が護る!)

 

頭の中で何度も繰り返し、最後の力を振り絞る。

 

「ようやくだ……私はお前を()()()()()

 

しかし、パチュリーの奮迅虚しく、彼女の弾幕は次第にその勢いを失い、それに伴って、アーカードの身体の再生が追い付き始める。

 

(どうやら、ここまでのようね……)

 

アーカードと対峙した瞬間から、パチュリーの生に影を落としていた死の予感。

そして、彼女が遂に味わう死の感触。

しかし、それでも彼女は冷静に、かつ達観して。

ただ、我が身に迫る死を見詰めていた。

 

(レミィ、あの約束……守れそうにないわ……でも、ただでは死なない。アナタは、私が護るのよ!)

 

パチュリーは、自分はこのまま死ぬのだと、まるでそれが当然であるかのように理解していた。

しかし。

パチュリーは朦朧とする意識の中考える。

犬死にする気はない。どうせ死ぬなら、せめて一矢報いてから、と。

 

「さぁ、待ちに待った食事の時間だ……」

 

「……ぐっ、うぅ…………!」

 

圧倒的な絶望を前に、パチュリーは鬼気迫る表情で、かっと目を見開く。

 

瞬間、パチュリーが地下室に張り巡らせていた結界が唐突に崩壊した。

 

その理由は、結界を張った本人が絶命したからでもなければ、結界を維持できないまでに弱り切ったからでもなかった。

 

結界は、破壊されたのだ。

そして、パチュリーがそのことに気付くが早いか、勢いよく扉が開け放たれ、七色の翼を携えた小さな影が、地下室に飛び込んでくる。

 

「やほー! パチュリー、結界なんか張っちゃってぇ、今日はかくれんぼかなー!? って、アレ……?」

 

扉を開け放った少女が目にした光景は、パチュリーが見知らぬ男に、今まさに首筋に牙を突き立てられようとしている瞬間だった。

刹那、パチュリーと少女の視線が交錯する。

そして。

 

「ぐ……ッ、うあぁっ!!」

 

アーカードの牙が、遂にパチュリーの首筋を捉えた。

刃のように鋭利な牙が、ずぶずぶとパチュリーの柔肌に埋まっていく。

 

「……んッ、ぐぅ……く、はあぁんッ!?」

 

首筋から脳に伝わる、甘い痛み。

まるで直接魂を吸われているような、他の何とも表現し難い快楽にも似た痛みが、パチュリーの身体を支配する。

 

「う、ん……あ、あ…………」

 

アーカードの腕に胸を貫かれ、宙に持ち上げられたパチュリーの四肢は、だらんと力なく垂れ下がり、その意識は次第に空白に埋め尽くされていく。

それは、彼女が瀕死であると同時に、吸血のえもしれぬ痛みに呑まれていた証拠であった。

しかし、不幸中の幸いか、先刻負傷した肩の、そして貫かれた胸の痛みが、パチュリーの意識をかろうじて現界に繋ぎ止めていた。

 

「……ふ、フラン…………」

 

パチュリーは、最後の力を振り絞り、自分の方を向いてただ立ち尽くしている少女に語り掛ける。

 

「アナタ、は……戦っては、ダメ……逃げ、なさい……ゲフッ!」

 

「パチュリー……?」

 

(フラン、血の渇望に魅せられてはダメよ。昔のアナタに、戻ってはダメ……)

 

しかし、もはやパチュリーに続く言葉を紡ぐ力はなく、心の中で、少女に言い聞かせるように繰り返すばかりであった。

 

「…………」

 

そんなパチュリーの願いを、想いを悟ったのか、少女はただそのまま黙り込んで、死に行くパチュリーの姿を見詰め、その傍らで佇んでいた。

 

(それでいいわ、フラン……折角、アナタは皆と笑い合うことができるようになったんだもの……昔みたいになったら、きっとレミィが哀しむわ……)

 

息も絶え絶え、今にも事切れそうなパチュリーは、立ち尽くす少女に微笑み掛けると、彼女から目を離し、途切れ途切れになる意識の中、最後の賭けに出た。

 

(……レミィ、後は任せたわよ。この一手が上手くいこうといくまいと、どうせ私はここで死に、結局この件に顛末をつけるのは、アナタになるのでしょうから……ああ、レミィ。約束、守れなくてごめんなさい)

 

最期の瞬間を迎える中、パチュリーはその視線の先、少女の背に、レミリアの影を見た気がした。

 

その影に、彼女は微笑んだ。

微笑むことが、できた。

 

「こ、れで……最後、よ。火水木金土符『賢者の…………」

 

声にならない声を紡ぎ、酸素を求める生け簀の魚のように、上を向いてぱくぱくと口を動かすパチュリー。

 

「…………」

 

どこか恥ずかしげに、パチュリーに微笑み返すレミリアの幻影。

その光景を最後に、彼女の意識はブラックアウトした。

 

「HAHAHAHAHAHAAAAA!」

 

『食事』を終えたアーカードは、既に息絶え、虚ろな目をしたパチュリーの首筋から牙を引き抜くと、雄叫び、否、勝鬨を上げる。

その響きはまるで、地獄の底から敵の最期を告げんと鳴り続ける鐘の音のようだった。

もし『死』に音があるとしたら、きっとこんな音なのだろうと誰もが思うような、そんな音だった。

 

そんな悪夢のような凱歌を響かせながら。

口の端から、大量の血液を滴らせながら。

 

アーカードは、パチュリーを貫いていた腕を無造作に引き抜くと、少女の方に向き直る。

パチュリーの亡骸は前のめりに崩れ落ち、地面にぶつかり鈍い音を立てて、それきり、ただただ黙し続けた。

 

「パチュ、リー? 何、コレ……? わかんない、わかんないよ!」

 

パチュリーの散り様を、まるで絶景に見惚れるように黙り込み見詰めていた少女。

彼女はパチュリーが地面にぶつかる音でふと我に返り、状況を理解しようと必死に頭を働かせる。

 

「わからない? それなら教えてやろう。次はお前がこうなるのだ、吸け……」

 

「あは、アハハハハハハハハハハ!」

 

そして、思考の末導き出した結論に、少女は高笑いを漏らした。

その次の瞬間、何の前触れも抵抗もなく、アーカードの頭が吹き飛んだ。

 

「アナタ、パチュリーを壊したんでしょ? ならアナタも、壊れちゃえ」

 

確かに、アーカードの負傷に前触れは無かった。

それはこの場合、少女の攻撃に、ほとんど予備動作がなかったと言い換えられる。

順序立てて出来事を整理するなら、少女は己の高笑いの残響を切り裂き、アーカードとの距離を刹那の間に詰め、あまつさえ移動の勢いを乗せた、目にも留まらぬ速さの回し蹴りを放ち、アーカードの頭を蹴り抜いた、という説明になるだろう。

 

「あは、あッハハハハハはははハハハハハ!」

 

僅かな逡巡から、瞬時に攻撃に移った少女の行動の速さは、思考の速度に直結していた。

目の前に広がる様々な状況を整理する中で彼女が下したのは、たった一つのシンプルな結論であった。

それは、何もかも理解できないということを、理解するということ。

そして、考えることを放棄した彼女が行き着いたのは、実に単純なロジックだった。

 

「壊れろ……壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ! アハッ! ハハハハハ!」

 

それは、報復。

否、純然たる敵対。

物言わぬ亡骸となった友のためではなく、ただ、敵と認識した目の前の敵を屠るため、自身の渇きを癒すため、破壊欲を満たすため。

そのためだけに、今の少女は存在していた。

 

「まだだよ……まだまだまだ! ほら、ほらほらほらほらほらほらァ!」

 

乱打。乱打に次ぐ乱打。

乱打乱打乱打乱打乱打乱打乱打乱打乱打。

アーカードの身体が再生する間も無く千切れ飛び、血飛沫をあげるだけの細切れの肉塊に姿を変えても、お構いなしに闇雲に拳を打ち付ける。

 

やがて、肉を砕く生々しい打撃音に地面を叩く堅い音が混じり始め、辺りには肉塊が散乱し、鉄の臭いが立ち込めた。

 

「まだ……やれるんでしょ? もっと私を愉しませてよ! もっと! もっともっともっとおォ!」

 

余りの酷さに、目を覆いたくなるような惨状。

そのただ中で、返り血を浴びてもなお、鈍い輝きを放ち続ける七色の翼を持つ少女が、悲鳴にも似た雄叫びをあげた。

 

それを皮切りに、ほんの数秒前までは『吸血鬼アーカード』として存在していた肉片や血液が、シュウシュウと蒸気の噴き出すような音を立て霧状になり、間も無く宙に人の形を成し始める。

 

「アハッ! アッハハハハハ! 面白〜い! こんなに丈夫な玩具、初めてだよ!」

 

その霧が収束して実体を得る前に、少女はそれに向かって飛び掛かっていた。

大きく振りかぶった、小さな拳。

そして放たれた、風圧だけで霧の全てを吹き飛ばしそうなほど強力な一撃。

しかし、それはそのような結果を生むことはなく、かといって、空を裂いただけ、ということもなかった。

 

「フ、ハハ……フハハハハハハ!」

 

フランドールの拳は()()()()()()()

先刻までとは比べ物にならない程の肉体強度で、アーカードは少女の攻撃を掌で防ぎきっていたのだ。

そして、同時に。

彼は彼女に対し真っ正面から、右手刀を袈裟斬りに放っていた。

 

「っとぉ! はあっ!」

 

しかし、少女はその一撃を身を逸らし難なく躱すと、カウンターに右足で飛び蹴りを繰り出す。

その蹴りは見事にアーカードの顔面を捉えたが、それは決定打とはなり得ず、彼は怪しい笑みを浮かべたまま、顔に残る足越しに少女を見据えた。

 

二人の視線が交錯し、不意に広がる半拍の静寂。

そして。

 

「オオオオアアアァァアAAAAAAAA!」

 

「ハアアアアアァッ!」

 

互いに踏み込んだ二人の怒号が重なる。

二人が演じる、文字通り己の肉体を弾丸とするかのような肉弾戦。

互いに身を削ぎ合う狂宴の中、まるで幼い小動物がじゃれつくかのように、二人は愉しげな表情を浮かべていた。

 

堂々と繰り広げられる、嵐のような打撃の応酬。

その最中、肉体強度は両者ほぼ五分、スピードでは少女が勝り、再生力ではアーカードが勝っていた。

互いに壊し、治り、壊れ、治る。

 

永遠に繰り返されるようにも思えたその攻防は、不意に何かを察知した少女が飛び退き、アーカードから距離を取ったことで、ようやく一旦の終結を見せた。

 

「攻撃力、防御力、速度、再生力……どれをとっても申し分ない。なるほど、流石は一城の主といったところか」

 

「何が言いたいかわかんないけど、褒められてるのはなんとなくわかるよ。ま、アナタも大概だけどね……」

 

少女はアーカードの言葉に対しぼそりと呟くと、呆れたように溜息をつき、肩を竦める。

しかし、彼女はすぐにぎらついた眼つきを取り戻し、次なる行動に移った。

 

「アナタ、接近戦は得意みたいだけど……なら、これはどうかなー? 禁弾『スターボウブレイク』!」

 

そう叫んだ少女の身体が、一瞬、たったの一瞬だけ、宙に浮き上がった。

そして、次の瞬間。

七色の弾幕が雨霰のごとく、アーカードを襲った。

 

「……!」

 

地面とは水平に、自由落下するように加速度的にその速さを増して前進する、数え切れないほどの弾丸。

それらを一身に受け、身を削られながらも、アーカードは『ディンゴ』を構え、放ち、応戦する。

そして、その内の一発が少女の右腕を捉え、そのままもぎ取った。

 

「……ッ! チィッ!」

 

アーカードの思わぬ反撃に激昂した少女は、残った左手で宙をぐっと掴むように拳を握り締める。

すると、次の瞬間『ディンゴ』が爆裂四散し、その破片がアーカードに襲い掛かった。

 

「……ッ!? そうか、それがお前の能力か、館の主よ!」

 

ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。

 

それは、少女をーーすなわち、吸血鬼フランドール・スカーレットを最狂たらしめている要素の一つであり、幻想郷に数ある能力の中でも、特に危険なものの一つと言える。

本人の談によると、彼女には物体の『目』が見えるという。その『目』を掌で捕らえて握り潰せば、瞬時に対象の物体の破壊という結果をもたらすとのことだ。

そして、どんな物体でも()()()()()()()、『目』は存在し、それは須く、彼女が文字通りこの世に存在し得るありとあらゆるものを破壊できることを意味する。

 

この能力と、眷属の中でもトップクラスの吸血鬼としてのスペック、そして、純粋で無邪気過ぎる破壊衝動を危険視した彼女の姉は、500年近くも彼女を館の地下室に幽閉していたという話も、筆舌に尽くしがたい危険性を備えた彼女を処遇する上では、ある意味正しい判断だった、と。

そう断言できるほど、フランドールの秘めた破壊力は圧倒的であった。

しかし。

 

(やっぱりおかしいよ、コイツ……)

 

そんな彼女は今、ある違和感を覚えていた。

どうしても払拭出来ずに残る一抹の不安、募る疑問。

 

確かに、彼女は物体の『目』をその手の内に捕らえ、『目』の破壊と同時に物体そのものを破壊することができる。

それは、この世のモノであればどんなモノも逆らえない破壊の契約。逃れられない、破滅の理。

 

彼女が能力を用いて行う破壊は、物体の全てを粉々に打ち砕き、吹き飛ばす荒々しいものだけではない。

例えば、『人』を破壊する場合、その『服』だけに対象を絞り破壊するような芸当も可能であるし、もっと言えば、服の繊維一本一本にまで『目』を見出し、個別に破壊することもできる。

それでも、彼女が自然に能力を発動した場合は、大半の場合、彼女が意図した()()全ての破壊という結果を導くだろう。

それは何故か。

それは、彼女の能力の範囲が、彼女自身の認識に大きく依存しているからだ。

服を着た人を見て、それが『服』だと判断する者はまずいないだろう。おそらく、正常な判断能力を持つ者なら、『服』を着た『人』だと無意識のうちに認識しているはずだ。

彼女もその例に漏れず、彼女の無意識は『服』等を含めた『人』という存在を構成する要素全てを、一つの存在として受け入れている。

すなわち、その状態で能力を発動させれば、その破壊の対象は当然『服』等の要素全てを含めた『人』となる。

もちろん、前述の通り意識的に限定すれば、より詳細な破壊も可能である。

何にせよ、ここで重要となるのは、彼女は文字通りありとあらゆるものを破壊できるということである。

 

そう、そうであるはずなのだ。

しかし、目の前の敵は違った。

 

(こんなこと、初めて……)

 

先程『ディンゴ』を爆砕出来たことから、彼女の認識、そして能力が正常に機能していることは間違いない。

にもかかわらず、彼女は目の前の敵に『目』を見出すことが出来ずにいた。

否、正確には『目』を見出すことはできていても、それの破壊が目の前の存在の破壊に繋がるとは到底思えなかった。

 

認識の問題。

そう、先述の通り、彼女の能力は彼女の認識に依存する。そして、その認識の上で、彼女はこの世に存在するありとあらゆるものを破壊できる。

たとえそれが、実体を伴わないものであっても。

では、この世に『存在しないもの』はどうか。

何をもって『存在している』と定義するか甚だ疑問ではあるが、全てを棚に上げ、ざっくばらんに言ってしまえば、彼女の能力では『存在しないもの』、例えば思想や宗教、言語や現象などの『概念』は破壊できない。

つまりは人の集団、例えば『軍隊』相手に能力を行使することはできない。

それは、彼女が村や部隊が、要素を括る概念であると認識しているからだ。

もっとも、何度もしつこく説明するが、それを構成する人や兵器を個々に破壊することは可能ではある。

 

ともあれ、現状。

フランドールが直面しているのは、それこそ『軍隊』を相手取っているような、しかし、それとは似て非なる状況。

目の前の男に見える、ぼんやりとした『目』。

その先にちらつく、彼の足元に数え切れない軍勢が傅いているような感覚。

そして、大きなその背に、『死』そのものを負っているような錯覚。

少なくとも、目の前の敵から伝わってくる確かな情報は、彼が吸血鬼であるということだけであった。

 

(まぁ、いっか。吸血鬼が相手なら、能力無しでも……)

 

能力での破壊を諦めたフランドールは、至極単純な結論に辿り着く。

それは、対吸血鬼戦において、もっとも簡素で遠回り、それでいて効果的な戦法。

 

「禁弾『過去を刻む時計』!」

 

「!」

 

フランドールは銀の弾丸で引き千切られた右腕を再構築すると、その調子を確かめるように拳をぐっと握り込んだ。

そして、その掌を開くと、瞬間的に右手から一筋の光線を放つ。

その光線は横薙ぎにアーカードの胴を切り裂き、そのまま彼女を中心として規則的に乱回転を始めた。

 

「さーて……それじゃあ死ぬまで、殺してあげる」

 

その戦法とは、彼女の言葉の通りであった。

 

死ぬまで殺す。

一般に、吸血鬼は不死の存在とされる。

しかし、その不死は必ずしも完全なものではない。

寧ろ、条件付きの弱々しい不死だ。

例えば、通常、首を落としたり、杭で心臓を貫けばその再生を許さず殺しきることが出来る。

また、その方法が通用しない、吸血鬼という枠を大きく外れた規格外の不死性を持つ吸血鬼であっても、受けたダメージが再生の許容範囲(これは、その吸血鬼が生きた年月や吸ってきた人間の数に比例し大きくなる傾向がある)を超えれば、当然の如く再生が不可能になり、やがて死に至る。

そう、いかに優れた吸血鬼であっても、死からは逃れられない。

それは、逆説的に言えば、()()()()()()()()()()ということを意味している。

 

「フハハハハハハ、これは堪える……だが!」

 

その身をバラバラに斬り刻まれたアーカードは、肉片と化し地面に転がりながら、どこからともなく声を響かせる。

その声を合図に、散らばった肉片はどろどろと溶け始め、血液のような紅い液体となり地面を覆った。

 

「かくれんぼは……」

 

吹き荒れる光線の嵐の中、フランドールが呟いた次の瞬間、右手を大きく振りかぶったアーカードの影が、背後から彼女を覆い隠す。

 

「もう飽きたってば!」

 

フランドールは振り向き様、回し蹴りを放ち、その影をぶっきらぼうに切り裂く。

その間も、止まない光線の回転は、床に広がる紅い液体を切り裂き続けていた。

言うなれば、今、床を覆い尽くしている液体とも影ともつかない()()の全てが、アーカードという存在そのものであり、フランドールの攻撃は、着実にアーカードの生命力を削り取っていた。

 

一方、アーカードは広がる『影』を用いて、幾度も変則的な攻撃を繰り返してはいたが、その全てはフランドールに決して届くことなく迎撃されていた。

 

そう、フランドールはアーカードを圧倒していた。

 

先刻の白兵戦では、両者の戦闘力は伯仲していた。

しかし中距離〜遠距離戦における戦闘力は、弾幕での攻撃を主とするフランドールと『ディンゴ』を失ったアーカードではどちらが上か。

答えは、論ずるまでもなく明らかであった。

 

「アッハハハ! このまま殺しちゃってもつまんないし、アナタの距離で、戦ってあげる……禁忌『レーヴァテイン』!」

 

フランドールの高笑いと共に、彼女の右手に収束した妖力が形作った、紅く燃え盛る焔の剣。

世界中の痛みを吸い尽くしたような、暗く穢れた紅。

その怪しく揺らめく紅は、まるで研ぎ澄まされた刃のように、吸血鬼の少女の横顔を映した。

 

退屈しのぎの、フランドールの気まぐれ。

それに応えるよう、アーカードはぬるりと『影』からその姿を現し、目の前の敵を挑発するように睨み据えた。

 

「……さぁ、いくよ!」

 

それを見たフランドールは、焔の剣をぐっと握ると、そのまま思い切り振り翳し、アーカードに急接近する。

 

「来い……身の程をわからせてやる、お嬢さん(フロイライン)

 

アーカードは、自分に向かってくる吸血鬼の少女に聞かせるでもなく、ぼそりと呟いた。

口元に、不気味な笑みを貼り付け、八重歯を輝かせて。

その微笑みは、これから始まる熾烈な攻防を予期させた。

 



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Truths,lronies,The Secret Lyrics

本当の地獄はここからだ……な感じの展開。

誰もが予想できるありきたりな展開に、凡庸な文才。
それでいて、必死に読者を求めるその様たるやーー

誠に度し難く、暗愚魯鈍であるッ!

いざ、南無三ーー!

※本編にひじりんは登場しません。

そんなことよりぱっちぇさんウッ!


「アッハハハ! やっぱり、こうでなきゃ! 楽しい! 楽しいよ! ねぇねぇ! キャッハハハハハ!」

 

「お愉しみのところ悪いが……」

 

眼前の敵に一息で肉薄し、紅の刃をぶっきらぼうに振り回すフランドール。

彼女は剣術の心得など無用と言わんばかりに、ただ力任せに斬撃を繰り出し続ける。

その猛攻を、反撃の機を窺いながら寸の処で躱していくアーカード。

そう、彼は攻撃を()()()()()

 

かの『不死王』(ノスフェラトゥ)ことアーカードが、防戦一方になっている異様。

 

規格外の不死性を持つ彼には、相手の攻撃がどんなものであってもまずはその身に受け、それにより、相手の技の全容を把握したり、相手の攻撃後の隙にカウンターを狙うような戦い方を得意とする傾向にあった。

その彼が、有無を言わさず回避一辺倒になっている。

それは、彼の本能が、フランドールの紅の剣を至極危険なものだと直感していたからだ。

否、厳密には、彼は、この剣に似た雰囲気を持つ()()()()()()()

 

どこでか?

いつか?

それは、彼自身にもわからないことであったが、ただ一つ。

あの業火に触れれば()()()()()()()()、と。

一太刀でも受ければ全身が、『吸血鬼アーカード』という存在そのものが、自身の世界が()()()()()()と、それだけは記憶の彼方で()()()()()

故に、器用に、繊細に、普段の豪胆な振る舞いや吸血鬼の血みどろの闘争とは対照的な戦運びで、華麗な体捌きで、攻撃を躱していく。

そして。

 

「少々()()()()()()()ぞ、お嬢さん(フロイライン)

 

アーカードは業火の剣を携えたフランドールの右腕を左手で捉えると、そのまま彼女の小さい体を引っ張り上げざまに、空いた右の手刀を、その胸に目掛けて放つ。

そして、呆気なくその手刀が、彼女の小さな身体を貫いた。

 

「グッ……かは……ッ!」

 

刹那の出来事に、フランドールの口元が歪む。

 

(……!? まったく、これは一体()()()()()()()?)

 

しかし、それは、苦しみを示すものではなく、()()だった。

 

「禁忌『フォーオブアカインド』……」

 

その胸を手刀に射抜かれたまま、フランドールはぼそりと呟くと、がっしりと両手でアーカードの腕を掴み、固定する。

 

「ふふっ、残念でした……壊れちゃえ」

 

瞬間、その背後から、()()()フランドールが()()にアーカードに襲いかかった。

 

「……ッ!」

 

吸血鬼はその眼で人を惑わし、また、幻覚や幻術を容易く看破する。

それは、彼らが物事の()()()()()()()を持っているからだ。

それはもちろん、アーカードも例外ではない。

しかし、その眼を、感覚をもってしても。

目の前の現象を、()()()()()()フランドールを。

幻術やその類いであると認識できなかった。

そう、アーカードの感覚は、目の前のフランドール三人が三人とも()()()()()と、そう彼に告げていた。

 

「オオアァアァァァッ!」

 

アーカードは一瞬で状況を判断すると、その謎を解き明かす事を一旦放棄し、一先ず直面している事態の収拾にかかった。

 

最初に、自分に組み付いている一人の対処。

これには、左手も右手と同様に胴に突き刺し、右の手刀を思い切り振り上げることで、彼女を頭の方向に切り裂くという方法をとった。

半ば両断されたフランドールは、無邪気で意味深な笑みを浮かべ、霧消する。

 

「「キャッハハははハハハハはははハハは!」」

 

続いて、揺らめく紅焔の剣を振り上げ、左右から迫る二人のフランドールへの対応。

 

(イチ)……」

 

敵が発した高笑いの残響の中、ぼそりと零し、両手を大きく広げたアーカード。

彼が手にしていた無骨な鉄の塊が、二人のフランドールの瞳に映り込む。

次の瞬間には、彼が温存していたスペアの『ディンゴ』が、向かって右側のフランドールを撃ち抜いていた。

撃ち抜かれた方のフランドールは、脳天に空いた風穴から空気が抜けるように、音も無く空に溶けた。

 

(ニィ)……」

 

「化かし合いは……」

 

そして、アーカードはいよいよ最後の一人となった『左側から襲い来るフランドール』の方に向き直り、両者は真正面に向かい合う。

半瞬間後、銃を構えた影に、剣を大きく振りかぶった影が重なった。

 

「さ……ッ!?」

 

二人の影が交錯したまさにその時、突如としてアーカードの胸を貫いた、予期せぬ背後からの一撃。

 

紅の剣が、彼の背中側から胸を突き通していた。

それに半拍遅れて、重なった二人の影からぬらりとその姿を現す()()()のフランドール。

加えて、追い討ちとばかりに正面から剣を振り下ろす『左側のフランドール』。

彼女の完全なる不意打ちと挟撃により、勝敗は決したかに見えた。

 

が。

 

「私の勝、ぢッ……!?」

 

勝利を確信した『背中側のフランドール』は、首と四肢の端々に衝撃を感じると、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。

 

「ぐぎぎっ……! な、何コレ? 体が……」

 

彼女は、全く予期せぬ展開に戸惑いながらも、己の置かれた状況を把握するため、自身に近い場所から順番に状態を確認する。

 

まるで指揮系統を失ったかのように、力の入らない四肢。

その端々、衝撃を感じた箇所を締め付けている、得体の知れない光の輪。

それにより、十字架に磔にされたような格好になっている自分。

視界の端に見える、敵と相討ちとなり消えていく自分の分身。

そして、その横にある()()を目にした時、彼女は事態の大半を悟った。

 

彼女が目視したのは、先程まで剣を突き立てていた男の背後、そのやや左側遠方に位置する、男の足元から伸びた影から生えた、銀色の銃を握った()()()()()()()()

ギチギチと奇怪な音を立て、不恰好に、無機質に震える()

 

フランドールは事ここに至って、自身の立ち回りが上手(うわて)であると、まんまと錯覚させられていた事に気付く。

 

「全てが本物であり、偽物でもある……まやかしを体現する吸血鬼(われわれ)らしくなかなかに面白かったが……これで決着、だ」

 

「くっ……」

 

身動きの取れなくなったフランドールを前に、勝利を己がものとしたと見るや、アーカードは余裕の笑みを浮かべながら、どこからともなく彼女の眼前に現れる。

その後方では、『左側のフランドール』と相討ちとなった()が、耳障りな音を断末魔のように発しながら、紅焔に焼かれていた。

それは、アーカードが二重、三重にも策を張り巡らせていた事を、フランドールに嫌というほど認識させ、後悔を強いる。

 

「……ッ! このッ! はがれろっ!」

 

しかし、彼女はまだ諦めてはいなかった。

迫る敵を前にして、勝負はまだこれからとばかりに、壁に固定された体を必死に動かそうとする。

だが、彼女の体はまるで、自分のものではなくなってしまったかのように、全く言う事をきかない。

それは、銀色の銃から放たれた弾丸が、本当の意味で()()()だったからだ。

通称:『夢想封印弾』。

元々()()()()の武器であった銃という存在は、アーカードとともにこの幻想郷に流れ着いた。

そしてそれは、好奇心旺盛な河童達により構造を解析され、今では、彼らは自分達で銃を()()()()()こともできるようになっていた。

 

そう、アーカードが用いている『ディンゴ』が、まさにそのうちの一つであるように。

もっとも、魔法などの非物理の力が広く普及しているこの幻想郷においては、銃はあまり実用的な武器とはなり得ず、よほどの好事家でもなければ、遣い手もほとんどいない有様ではあったが。

 

ともあれ。

 

河童の技術力により454カスール弾と、麗亜の能力である『その場に留まる(留める)程度の能力』を融合させたこの『夢想封印弾』は、早い話が、先代『博麗の巫女』が得意とした弾幕攻撃『夢想封印』を、弾丸として放つ、といった様相のものであった。

 

その複雑怪奇なメカニズムはさておき、ふんだんに麗亜の霊力を蓄えた河童製特注品の弾丸は、命中さえすれば有無を言わせず魔を封じ、穢れを浄化する、まさに妖怪の天敵と形容するに相応しい性能を有していた。

並の妖怪なら、即封印。強力な妖怪でも、時間制限こそあれ、動きや能力を封じるには充分すぎるほどといった高性能。

 

それを五発も受けたフランドールが、普段通りの力を振るうなど、無理なのは道理。

彼女にとってこの拘束を自力で振り解くのは、ほぼ不可能な話であった。

 

「さぁ、お前を()()()()()()()()()()()()、めでたく異変解決としよう」

 

「やっ……ヤダっ! 来ないでッ! 吸うのはいいけど、吸われるのはヤダぁ!」

 

もはや、勝敗は決した。

それでも、諦め悪く抵抗を続けるフランドール。

力を封じられ正気を取り戻したのか、彼女は無垢な少女のように、酷く怯えた様子で喚き散らす。

 

「刹那の快楽を、愉悦を、共に……」

 

にじり寄る敵。

迫る敗北、即ち『死』。

 

「……!」

 

フランドールは、増大する恐怖に表情を歪ませて。

自分の目の前で大きく開かれた、アーカードの口から目を背けることもできずに。

ただ、自分を待ち受ける結末に堪え切れず、思わず目をぎゅっと瞑った。

 

瞬間、響く轟音。

遠ざかる()()()()()

 

「……!?」

 

にわかにその気配を消した、訪れるはずの終焉。

恐る恐る開かれたフランドールの瞳が映した光景は、彼女が予想だにしていないものだった。

 

地下室から館の天井までを突き破り、ぽっかりと空いた大穴と、その先の空に浮かぶ紅い月。

そして、一対の翼を携えた、小さくも大きな背中。

 

「おっ、お姉様……ッ!?」

 

「待たせたわね、フラン。それと……」

 

『お姉様』と呼ばれた、フランドールの目の前に佇む少女は、彼女の方を振り返ると優しく微笑み、そして。

部屋の隅に転がる一つの亡骸に、その視線を向けた。

 

「……ッ!」

 

ぐったりと、力無く血だまりに伏せるその姿は、見た目から、絶命していることがはっきりとわかる。

 

その骸は、少女が救援に、助けにくるはず()()()、彼女の大切な親友の成れの果てであった。

 

堪え切れない悲しみと怒りに、少女は微笑みを掻き消し、強く歯軋りを響かせる。

 

間に合わなかった。

自分がもっとしっかりしていれば。

()()のために、特別な使用人(大切なひと)のためにと、そればかりに心を囚われていなければ。

自分にとっての大切なひとが一人ではないことを、早く思い出していれば。

 

それらの後悔を全て、怒りに変えて。

 

彼女は真っ直ぐに、目の前で蠢く巨大な影を睨み付けた。

 

「一撃で仕留めるつもりだったけど……私のグングニル(あれ)を受け流し、尚且つ()()()()()()なんて、ただ者じゃなさそうね」

 

蠢動する不定形の影に鋭い眼光を向ける少女は、吐き捨てるように呟く。

 

「なるほど、本命は()()()か」

 

その少女の呟きに呼応する形で、まるで地の底から這い上がるように、ぬらりと()から姿を現すアーカード。

 

少女の初撃によりその大部分を欠損したであろう彼の体は既に、五体満足の状態に回復していた。

 

「お姉様……アイツ、普通じゃないよ。気をつけて!」

 

「見ればわかるわよ、フラン。それにしてアナタ、随分と厄介な攻撃を受けたものね。博麗の封印式じゃない、それ」

 

フランドールの忠言を背に受け、少女は目の前の敵を見据えたまま、背中越しに彼女に言葉を返す。

 

「はくれい? それって、あの……」

 

「そう、間違いなく、()()『博麗の巫女』のものよ。もっとも、私達の知る()()とは、少し違うみたいだけど。まぁ何にせよ、私達()()()では、力尽くでそれを外せないわよ、きっと」

 

「でも……」

 

姉の言葉を受け、フランドールは何かを言いたげな、しかし、それを言葉にできないような、そんな複雑な表情を浮かべ、心苦しそうに言葉尻を濁した。

 

「大丈夫よ。それは時間が過ぎれば勝手に外れるし、それまでは、アナタは私が護るもの。それに……」

 

不安げなフランドールに優しく語り掛けるが早いか、少女は一瞬で部屋の片隅へと移動し、そこに横たわる骸を抱きかかえる。

 

今までの()()の中、少女が己の手の中で数多感じてきた冷たい()()()()が、そこにはあった。

 

少女はその感触をしばし噛み締めると、また一瞬でフランドールの目の前に戻り、彼女の隣の壁に亡骸をゆっくりともたれ掛けさせた。

 

「パチェも、ね」

 

それら一連の動作の中でも、少女は目の前で蠢く巨大な影と、()()の一部が模る人の形から決して視線を逸らさず、殺気を突き刺し続ける。

 

(パチェ、間に合わなくてごめんなさい。せめて、貴女の亡骸だけでも……)

 

「ふ、ハハ! ハハハハハ! いいぞ、実にいい! 面白い! さぁ、お前はどう私を愉しませてくれる、お嬢さん(フロイライン)!」

 

少女のただならぬ殺気と様相に昂りを抑えきれなくなったアーカードは、彼女の感傷を遮り、声高に叫ぶ。

 

その興奮した様子のアーカードとは対照的に、冷めきった表情の少女は、儚い涙を浮かべる代わりに、敵の姿を深淵の瞳に映していた。

 

()()()()()? 私が、アナタを? それは違うわ。()()()()()()()()()()()のよ」

 

少女がぼそりと零すとともに、彼女の殺気がひときわ強くなる。

 

その反応に、アーカードはにやりと笑い、彼女に白銀の銃口を向けた。

 

「私と対峙した時点で、アナタの運命は既に敗北へと向かっている……」

 

「何が言いたい?」

 

銃口を向けられてなお、余裕を見せる少女の要領を得ない言葉に苛立ち、アーカードは怪訝そうな顔で問い掛ける。

 

「例えば……ほら、アナタの()()、もう使い物にならないわよ?」

 

「……ッ!?」

 

アーカードは、少女の言葉に誘われるように引き金を引くが、白銀の銃は鈍い音を立て、その撃鉄を止めた。

 

それが弾詰まり(ジャム)だと、彼が認識するのとほぼ同時に、少女は満足げに口の端を吊り上げた。

 

「ほら、ね……紅符『スカーレットシュート』」

 

そして、今度はこちらの番、とでも言いたげに高く右手を掲げると、それを振り降ろすと同時にアーカードを指差し、宣言する。

 

「ぐ……オオ……!?」

 

瞬間、多数放たれた大きな妖力の弾丸が、中小様々な妖力の弾丸を伴い、連続でアーカードに襲い掛かる。

それらは容赦なく、彼の体を削り取っていった。

 

『運命を操る程度の能力』。

少女が持つ、字面だけでは理解困難なこの能力は、噛み砕いて言えば()()()()()()()()()()()()()と表現できる。

または、()()()()()()()と言っても差し支えないだろう。

要するに、彼女は()()望むだけで、通常なら()()確実に起こり得ない事でも、それが()()である限り、引き起こすことができるのだ。

 

かといって、いきなり望む()()だけを引き寄せられるわけではなく、多くの場合、大目標の達成には婉曲的な過程を必要とする。

また、その能力は、引き寄せる事象が現実に起こり得る可能性が低ければ低いほど、実現に力を消費してしまうという欠点も孕んでいた。

 

しかし、それを差し引いても、万象一切をほぼ自在にコントロールできるこの能力が強力無比であることは、疑いようがない。

 

そして今、その能力は『彼女の勝利』という大目標の達成のために、友の仇(アーカード)を少しずつ、しかし確実に破滅へと導き始めていた。

 

「名も知らぬ吸血鬼よ……永遠に明けない弾幕の夜を、悪夢の度に思い出せ。夜に怯え、名に怯え、世界を染める紅に怯えるがいい。私こそが、この『紅魔館』の主、レミリア・スカーレット! この幻想郷の夜を統べる、『吸血姫』(ノーライフクイーン)である!」

 

レミリアは勝利への一歩を踏み出し、高らかに名乗りを上げる。

 

「レミリア……スカーレット!」

 

それを受け、絞り出すように敵の名を呟いたアーカードの体は、早くも欠損からの再生を終えていた。

 

「いい、夜ね……」

 

不意に、今まで睨み続けていた敵から目を逸らし、レミリアは天井の穴から空を仰ぎ見る。

それにつられて、アーカードもまた、同じく空を見上げた。

 

にわかに辺りに満ちる静謐。

 

「こんなに月も紅いから」

 

「こんなに月も紅いというのに」

 

細めた目に紅の月を映した二人は、互いに静謐を保つように、ただただ静かに零す。

 

そして。

 

「永い夜になりそうね」

 

「短い夜になりそうだ」

 

両者は同時に、穏やか、それでいて強い口調で、誰に聞かせるでもなく、言葉を空に投げ掛けた。

 

「さぁ、せいぜい私を()()()()()みなさい……名無しの三下吸血鬼さん」

 

「クハハ! では参るとしようか……『吸血姫』(ノーライフクイーン)!」

 

簡単に会話を交わすと、二人はその体から殺気と妖気を滲ませ始める。

 

そして次の瞬間、二人の吸血鬼の姿がその場から消え、相克の幕が切って落とされた。




旦那VSフランちゃん、一応決着です。

次回、まさかのカリスマブレイク……?


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THE EVENING STAR

もし、時の狭間に揺蕩うこの物語に、続きがあるのならば。
静謐の果てに、救いがあるのならば。
あの時の祈りが、僅かでも届くのなら。
私は何度だって、手を伸ばすだろう。






いつになくシリアスな前書きで困惑させる作戦であった。


次回、カリスマブレイク(?)と言ったな。あれは嘘だ。

的な感じで、箸休めの幕間劇。

要は、伏線回収と新たな伏線を張るための退屈なお話。

かといって、読み飛ばされると困っちゃうんだよなぁ。


……。

…………。

……………………。

 

それは、レミリアがアーカードと対峙する、数刻前のこと。

 

「……通りすがりの花屋さん、ご機嫌のほどはいかがでしょう?」

 

拓いた『スキマ』の先、視界一面に広がる花畑。

そこへ踏み出した紫は、咲き誇る向日葵達の真ん中で佇む一人の女の背中を捉えて、その肩をぽん、と叩いた。

 

「……ッ!? はぁ……誰かと思えばアンタとはね、紫。急な来客がアンタじゃなけりゃ、()()機嫌も悪くならなかったでしょうね」

 

紫を振り返った女は、露骨に不機嫌そうな表情を見せると、開口一番憎まれ口を叩く。

 

「あらあら、そう邪険にすることないじゃない。仲良くしましょう? 昔みたいに」

 

「嫌よ。アンタが関わってくると、毎度毎度ロクな事にならないの。ねぇ、()()()()()の皮肉屋さん?」

 

「さて、通りすがりは本当に私の方か、それとも実は貴女の方か……」

 

「あのねぇ、紫。意味深な言葉で煙に巻こうとしても無駄よ。お互い、長い付き合いじゃない。簡潔に、要件を、述べてくれる?」

 

紫の言葉に苛立つ様子を隠さず、表情を崩したまま、一方的に鋭い言葉を突き付ける女。

 

彼女はその態度でも、紫との対話を早く終わらせたいという感情を伝えているようだった。

 

「さっすが幽香! 話が早くて助かるわぁ。それじゃあ、手短に」

 

「ま、大方予想はついているけれど。どうせまた『博麗』絡みでしょう?」

 

幽香と呼ばれた女は、ここでやっと少しだけ、そう、ほんの少しだけ、表情を弛ますと、紫の出鼻を挫く一言を紡ぎ出す。

 

「あら、ご名答。貴女、いつからさとり妖怪になったのかしら?」

 

「茶化さないで。それくらい察せないようなバカじゃないわ。だって、ここ数十年(さいきん)えらく肩入れしてるじゃない」

 

「そうかしら? 昔と変わらないと思うけれど」

 

「はぁ。自覚がないのは重症ね……一つ忠告しておくけど、たとえアンタがそう思っていなくても、アンタはもう()()()()なのよ? 年老いて、()()()()()()を思い出しでもしたのかしら?」

 

幽香は呆れ半分といった様子で溜め息をつき、嘘か真か、きょとんとした表情を浮かべる紫に静かに問い掛ける。

 

「含みのある言い方ね。言いたいことがあるなら、はっきりどうぞ? 私と貴女の仲じゃない」

 

その問い掛けに、これまでとは打って変わって紫の眼が真剣さを宿し、彼女の声色が変わる。

 

「それじゃあ、遠慮なく。アンタが感傷に浸るのは勝手だけど、いくら想っても、過ぎ去った日々はもう取り戻せない。()()()()()()には、もう戻れないのよ? ねぇ、元・に……」

 

幽香が何か()()()()()()を口にしかけた時、紫の扇子が彼女の唇にあてがわれ、続く言葉を遮った。

 

「それは言わない約束じゃなかったかしら?」

 

そう言って首を傾げる紫の表情は、紛う事なく()()()()()()だったが、彼女は同時に、()()()()()を放っていた。

 

「……ああ、悪かったわね。すっかり忘れていたわ。老け込んだのはお互い様ってことで、そんなに怒らないでよね」

 

しばしの沈黙の後、扇子が口元を離れ、口を開く事が許された幽香は、白々しく弁解する。

 

「あら、怒ってなんかいませんことよ? でも、()()感じたなら、貴女も少しは反省して頂戴な」

 

「ええ、肝に銘じておくわ。でも、忠告ついでにもう一つ。アンタは『境界を操る程度の能力』(無限の往復券)を持っているつもりでも、人々は、何よりアンタの愛する幻想郷(このせかい)は、()()を許さないわ。()()覚悟はできているのかしら?」

 

漂う殺気をいつもの飄々とした雰囲気に変えた紫に、今度は幽香が真剣な面持ちで、再び質問を投げ掛けた。

 

「何を今更。この片道切符に、後悔はないわ」

 

真っ直ぐに自分を見詰める鋭い瞳を、紫は見詰め返し、小さく、しかし力強く呟いた。

 

「そう、ならいいけれど。さて、お喋りにも飽きたし、そろそろ本題に入ってもらいましょうかしらね」

 

その呟きを拾い、幽香はこれ以上は結構、とでも言いたげに、話を切り替える。

 

「そうね。それじゃあ、単刀直入に言うわ。当代『博麗の巫女』に、協力してあげてくれない?」

 

「……ッ! ふ、ははっ……アッハハハ! 『博麗の巫女』に、私が? 素っ頓狂にも程があるわ! そんなコト言うなんて、本当に耄碌したんじゃないの?」

 

幽香は、紫が彼女の元を訪れた目的を聞き、一瞬、目を白黒させて押し黙ったが、すぐに沈黙を破り、狂気に満ちた笑い声を上げた。

 

「私は本気よ。他にアテがないワケじゃないけれど……この『()』には貴女が適任なのよ」

 

「今や()()()()()()()()()()()()私に? しかも、()()()()()()()()()()と徒党を組め、と? バカにしないで頂戴」

 

その眦にうっすらと涙を浮かべながら、幽香ははっきりとした口調で拒絶の言葉を口にする。

 

その身体から、思わず全身が怖気立つような、邪悪な気配を滲み出させて。

 

「だから、協力するのなら、貴女を大妖怪に()()()()()()、と……私の能力(ちから)で、()()()から解き放ってあげる、と。そう言うつもりだったわ。でも、見たところ……もう()()()()()()のに、あえて()()していないわよね、貴女」

 

幽香の放つその気配に、紫は身動ぎ一つせず、彼女の首元で光る『何か』を見遣る。

 

「さぁ、どうかしらね」

 

「素直じゃないわね。まぁ、今の立ち位置の居心地がいいようで、何よりだわ」

 

「アンタ、嫌味を言いに来ただけなの? それとも、本当に私を協力させるつもり?」

 

繰り返される実りのないやり取りに、幽香の発する気配は一層禍々しさを増し、二人の間に深い溝が横たわる。

 

「幽香おねーちゃーん!」

 

その刹那、唐突に響いた黄色い声の後、遠くから手を振り、二人の方へ走って近付いて来る一つの影。

 

「へっへへー、また遊びにきちゃった!」

 

接近する影は、次第に少女の輪郭を帯び、それがはっきりと少女だとわかる頃には、幽香の足に飛び付いていた。

 

「……これこれ、無闇に走り回っちゃあいかん。花畑が傷んだら困るじゃろう」

 

それに遅れて、少女の保護者と推測される一人の老人が、叱責の言葉と共に二人の前に姿を現した。

 

「次郎丸さん……」

 

「おや、幽香どの。お客さんかね?」

 

幽香が次郎丸と呼ぶ老人は、見慣れぬ女の姿を視界の端に捉え、少し驚いた表情を見せた。

 

それほどまでに、幽香の元に来客があるのは稀な事のようだった。

 

「あらあら、初めまして。素敵なご老体。私、幽香の古い友人ですわ。よろしければ紫、と。そう呼んでくださいまし」

 

「ち、ちょっと紫! 何を勝手に……!」

 

「ははぁ、紫どのですか。小生は次郎丸と申します。以後、お見知り置きを」

 

予期せぬ闖入者に狼狽え、咄嗟に負の気配を納めた幽香を尻目に、柔和な口調と声色で言葉を交わす紫と次郎丸。

 

「ええ、どうぞよろしく。それにしても、幽香は随分とこの村に馴染んでいるみたいねぇ」

 

「紫っ! いい加減に……ッ!」

 

自分を意に介さず会話を進める紫の態度に、幽香は怒りを露わにするが、次郎丸と少女がいる手前、強く声を発せないようで、その語気はそう荒くない。

 

「そりゃあもう。孫もこうして入り浸りでしてなぁ。幽香どのには、いつもお世話になりっぱなしですじゃ。どれ、立ち話も何ですし、村の(はた)の茶屋で、団子でもいかがですかな? もちろん、紫どのも、よろしければご一緒に」

 

「それは素敵な申し出ね。でも、残念ですけど……少し込み入った話があるの。それに、()()()()()()()()()()()()()のよ。今回は、外してくださるかしら?」

 

幽香が強気に出られないのをいいことに、紫は勝手気ままに話を進める。

 

彼女はことを荒立てぬよう柔らかな物腰で、かつ自分の意のままに展開を操りながら、闖入客を追い返そうと。

そして、()()を見せた幽香に協力を取り付けようと、状況そのものを言葉巧みに誘導していく。

 

「これはこれは、失礼しましたなぁ。となれば、これ以上の長居は無粋というもの。ほら、向日葵。また今度じゃ」

 

「えー!? ヤダヤダぁ! まだおねーちゃんと一緒にいるー!」

 

次郎丸は、その豊富な人生経験から、二人の間にあるただならぬ関係と逼迫した状況を少なからず察したようで、聞き分け悪く駄々をこねる少女の腕を引き、踵を返そうとする。

 

「こちらこそ、ごめんなさいね。それじゃあ、()()の機会に。ああ、それと。これからも幽香のこと、お願い申し上げますわ」

 

その次郎丸の聡明さに、紫は詫びの言葉を送ると共に、状況を締め括るのに御誂え向きの一言を付け加えた。

 

「もちろん、そのつもりですじゃ。ではでは、小生らはこれにて……向日葵、別れの挨拶をしなさい」

 

「むー、しょーがない! またね、幽香おねーちゃん! それと、紫色のおねーさん!」

 

「はーい、さよならぁ。またねぇ。ほら、幽香も」

 

「ごめんなさい、向日葵ちゃん、次郎丸さん。この埋め合わせはまた今度するから……では、また」

 

次郎丸の強引に切り上げる一言で、少女の些細な抵抗は終わりを告げ、紫の企み通り、闖入者の二人は軽い会釈を添えてその場を去っていった。

 

「……好き放題にやってくれたわね、紫。高くつくわよ」

 

「ふふ、可愛いわね。獲って食べちゃいたいくらい」

 

立ち去る二人の背中を見送った後、自分に明確な敵意を向ける幽香の心情を知ってか知らずか、紫は不意にぼそりと零す。

 

「ちょっと……冗談に聞こえないわよ? それ」

 

「私だって妖怪ですもの。()()()()()になることも、あるかもしれないじゃない?」

 

「アンタ……私を脅す気?」

 

「そんな、滅相も無い。天下の大妖怪が、()()()人間のために、その重い腰を上げるとは思ってないわよ」

 

思わぬ弱点を晒した幽香に対し、主導権を握った紫は、威嚇や恫喝とも取れる言葉を並べ立てる。

 

「……ッ! いいわ。ちょうど、この穏やかな日々にも退屈していたところだったし。暇潰しに、付き合ってあげる」

 

幽香は、紫の協力依頼を拒否しきれずに、それでも、決して屈したわけではないと主張するように、虚勢を張った一言を絞り出す。

 

「そうこなくっちゃ!そうと決まれば善は急げ、よ。時間はまだありそうだけど……色々と準備をしなきゃ、ね。ついてきて、幽香」

 

紫は、幽香の負け惜しみの言葉と承諾を得ると満足気に頷き、空間を扇子ですっとなぞる。

 

そして、彼女はそこに拓いた『スキマ』に片足を踏み入れた。

 

が、その時。

そのまま『スキマ』に入り込もうとする紫を引き止めるように、幽香がその片腕を掴んだ。

 

「この際、勝手に話を進めるのはいいけど……その前にアンタが何を企んでるのか、聞かせてもらうわよ」

 

のらりくらりと立ち回る紫に、大妖怪たるに相応しい冷徹な眼差しを向ける幽香。

 

たとえ、今はもう厳密には()()ではないとしても、彼女の双眸は、昔と変わらぬ深い()を宿していた。

 

「もちろん。でも、それは追い追い、ね」

 

そう言って幽香を見詰め返した紫の眼力も、まさしく大妖怪の()()であった。

 

瞬間、二人の視線がぶつかる。

 

まるで、全てが静止してしまったかのような静寂の中、時間だけが二人の間を流れていく。

 

「……ねぇ、どうかしら? 育み、壊すだけの存在から、護られ、育むだけの存在になった感想は?」

 

その静寂を切り裂いたのは、唐突な紫の質問だった。

 

それは、場を繋ぎ止めるだけの、取るに足らない、答えのわかりきっているような問い掛けではあったが。

 

「お察しの通り、正直言って、悪くはないわ。かといって、私は()()()を……そしてアンタを、許したわけじゃないけど」

 

それでも、状況を推し進めるのには充分だったらしく、幽香は嫌味たっぷりにそう返すと、自分の首元を指先でとんとん、と叩いた。

 

紫は、彼女が指示したそこに、太陰大極図が刻まれた首輪のようなモノが巻き付いてるのを捉えると、申し訳なさそうに目を細める。

 

「まったく、穏やかじゃないわねぇ」

 

「……まぁ、いいわ。じゃあ最後に、これだけは今、ここで答えなさい。アンタは誰……いいえ、一体()なの?」

 

「何を、藪から棒に。質問の意図がわからないわ」

 

いつになく素直に引き下がった幽香が脈絡なく突き付けた疑問に、紫は惚けた様子で淡々と返す。

 

しかし、その面持ちからは、普段の余裕が消え、それどころか、焦っているような色さえ窺えた。

 

「時々、酷く曖昧になるのよ。アンタに関わる記憶とかが、ね。そう、例えるなら()()した記憶じゃなくて、断片的な、場面場面の記憶しかないような、そんな感覚。まるでアンタが、幻想郷(このせかい)に……」

 

「それは単に、貴女が耄碌しただけじゃない? でも、もしそうでないなら……過去と未来、夢と幻、理想と現実、嘘と真。それらにも境界はある、と。そうとだけ言っておくわ」

 

幽香が、長年己が胸の内に抱いていた疑問を吐き出しきらぬうちに、紫はぶっきらぼうに会話を切り上げると、彼女の腕を掴んだままの幽香の手を振り払い、そして。

 

そのまま素っ気なく幽香に背を向け『スキマ』の中へと姿を消した。

 

「……なるほど、ね」

 

その後を追い、幽香もまた『スキマ』の中へと踏み出す。

 

「紫、アンタはまるで、幻想郷(このせかい)に儚く咲き誇る一輪の花のよう……」

 

そして『スキマ』は幽香の全身を受け入れると、ゆっくりと閉じ、その場から跡形も無く消え去った。

 

「どんなに凛としていても……花は咲いたら、散るしかないのにね」

 

幽香が静かに零した独り言の残響は、誰もいなくなった花畑に溶けていった。



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To the Limit

ここまでのサブタイトルの法則から、今回のお話で起こる何かを察したアナタは素晴らしい洞察力をお持ちのようです。

話は変わりますが、物語において大事な場面や読者が気になるであろう場面をスキップしてしまう手法について、皆様はどう思われますか?

ほら、たまにありますよね?

「次の戦いは苛烈になりそうだぜ」「頑張ろうね!」みたいな会話から、地の文で場面が切り替わり、突然始まる「強敵だったな……」みたいな会話の後、地の文でコトのあらましが適当に語られたりとか、戦闘シーンの冒頭で「行くぞ!」「来い!」みたいな会話を交わして、違う場面へ移行。
その後、場面が戻ってくると決着がついている、或いはその寸前になっているっていう、戦闘シーンをカットする展開とか。

私はああいうの、どうも好ましく思いません。だって気になるじゃないですか。詳しく知りたいじゃないですか。ねぇ?

いや、突然何を言い出すのかって言われると、何でもないですけど、としか答えられませんが。

ともあれ、物語も起承転結で言うところの承の終わりに差し掛かりました。
これからも、どうぞよしなに。


……。

…………。

……………………。

 

 

「……う、ぐ……ッ!」

 

地に伏したレミリアは、渾身の力を込めて、自分の上体を無理矢理引き起こす。

 

擦過傷と痣に塗れた全身。

血に薄汚れた頬。

夥しい出血を伴う、胴を裂いた大きな傷。

不恰好にひん曲がり、もはや垂れ下がるばかりの右腕。

無惨に断たれた片翼。

千切れ飛んだ左脚。

 

アーカードに対峙した気高い吸血鬼の姿は既に、彼の眼前には微塵も残っていなかった。

 

「……フン」

 

痛々しい傷をおして戦うレミリアとは対照的に、アーカードはその服に埃の一つすら付けずに佇み、鼻を鳴らした。

 

「……ッ喰らい、なさいッ! 紅魔『スカーレットデ……きゃんっ!?」

 

もはや立ち上がることもままならない体に鞭打ち、レミリアは弾幕を放とうと左手を突き出す。

が、その瞬間、アーカードの右手に握られた二丁目(スペア)の『ディンゴ』が火を噴き、彼女の右脚を吹き飛ばした。

レミリアは、全身を貫くあまりの衝撃と痛みに、再び地に伏し、ただただ歯噛みする。

 

「お姉様っ!」

 

自身の姉が蹂躙されるばかりの様子に堪え兼ねたのか、さすがのフランドールも声を上げ、レミリアの身を案じる。

だが、その声が耳に届かないほど、彼女の姉は衰弱と焦燥に支配されていた。

 

「……もういい」

 

「ぐッ……うぅ! まだ、よ……!」

 

「いや、終わりだ。『吸血姫』(ノーライフクイーン)が聞いて呆れる。これでは、()()の方が、幾分かマシだったな。もはや、興も醒めた」

 

アーカードは、背にしたフランドールを一瞥すると、少し寂しげに、足元で無様に転がる少女へと視線を落とす。

 

「館の主であれば或いは、と思ったが……私を殺すには至らなかったか……残念だ。まぁ、いい。化物を打倒するのは、化物ではないのだから」

 

(まだ、終われない……まだ、友の仇を討ててない。まだ、妹を護れてない……!)

 

前述のように、レミリアの能力が強力無比なものであることは、疑いようもない。

しかし、発動の都度得られる結果は、状況に即した刹那的なものであるため、重ねて能力を行使する必要がある。

しかも、その性質上、消費する力に見合った結果がその場ですぐには得られないことも少なくない。

よって、実力の拮抗した者ーーすなわち、吸血鬼としてのスペックだけでは押し切れないような者が相手では、持久戦のような形になることが多いのだ。

 

そもそも、吸血鬼としてのスペックだけで片がつくような相手では能力を使うまでもなく早期の決着となるので、このような表現そのものが不適切なのかもしれないが。

 

ともあれ、今重要なのは、彼女はその能力を用いた持久戦の際に発生する多大な負荷を、吸血鬼ならではの有り余るスタミナで補っていたということである。

 

だが、()()彼女では勝手が違った。

 

能力を行使し続けながらの持久戦云々以前に、()()が、その()()()()()こそが、彼女のこの有様を呼び寄せた大元の原因であった。

 

「長らく吸血(しょくじ)をしていない吸血鬼()()()。既に傷の再生や修復もままならない。そんな中途半端な存在が、私の相手になるはずもない……」

 

アーカードが指摘した、まさにその一点。

 

悠然と立つ者と、無様に這い蹲る者。

両者の命運を分かったのは、『吸血鬼としての純度』の差であった。

 

長きにわたる、まともな『吸血(しょくじ)』を欠いた生活。

そして、ここ数年は部屋に閉じこもりきりであり、久方振りに『吸血鬼』としての力を振るい始めたのは、つい先程のことであるということ。

 

そう、今のレミリアは『夜の支配者』として君臨できるだけの力を持っていない状態だと言っても過言ではなかった。

 

「お姉様ッ! もういいよ……私のことは気にせず、一旦逃げ……」

 

ここで、今一度、フランドールがレミリアの惨憺たる様相を見兼ねて声を張り上げる。

 

「黙ってなさい! いいのよ、そのまま護られていれば。姉が妹を護るのは、当然でしょう?」

 

すると、今度はその声に反応したレミリアは、言葉の途中でフランドールを制し、懸命にその身を捩らせることで、戦闘続行の意志を表明した。

 

(そう……そうよ!私は ()()()、フランを護れなかった……あんな思いは、もう二度としたくないのよ! だから、だから私はッ! まだ諦めるワケには……!)

 

戦う意思を示しながら、彼女は思考する。

 

幼き日の追憶を頭に過ぎらせ、奥歯を噛み締めながら。

 

ただただ、過去の悔恨を抱き締めるように。

 

そして、胸に湧く諦観を、踏み躙るように。

 

とはいえ、レミリアの現状は、フランドールを護っているというよりは、アーカードの注意を自分に引き付けているだけといった有様であり、継戦などとても不可能な状態である。

 

もっとも、経緯や理由、今後の展望はどうあれ、現在の状況()()()()はレミリアの本懐に沿っていた。

それだけで、今の彼女には充分に過ぎた。

 

「空元気で強がるだけか? ()()()()()のだろう? ならば……」

 

「勿論よ……死になさいッ!」

 

わざと隙を晒し、目の前の敵を次なる攻撃に駆り立てるアーカードに対し、満身創痍のレミリアが選択したのは、四肢の中で唯一まともに機能する左腕のバネで大きく飛び込む強襲。

 

左腕での跳躍から放たれた、レミリア乾坤一擲の左手刀。

それは見事にアーカードを正面から捉え、袈裟懸けに鋭く抉った。

 

が、()()()()だった。

 

「グッ……クハ、クハハハハハハハ! 効かんぞ!」

 

攻撃を終え、慣性と重力に任せてそのまま地面に転がるはずだったレミリアに、その暇も無く浴びせかけられる、顔面への横薙ぎの手刀と、腹部への殴打のコンビネーション。

 

「う……ッ、あ、がああああァアァァ!?」

 

その連携技はレミリアから光を奪い、小さな体を吹き飛ばして壁に叩きつけた。

 

「グッ……くっ、がは……ッ!」

 

腹部と背部への強い衝撃による呼吸困難からの復帰もほどほどに、レミリアはすかさず壁に凭れかかり、体勢を整える。

 

「そうだな……ひとつ、()()の前でお前を吸い殺してみよう。そうすれば、もう少し()()()()やもしれん」

 

暗闇の中、近付く血の臭い、声と足音。

光を失った今、レミリアは臭いと音を頼りに敵の動向を察し、距離を測っていた。

 

また、フランドールが姉の言い付けを忠実に守り、沈黙に伏していたこともあって、レミリアには、手に取るようにわかるとはいかないまでも、周囲の状況を大方把握することができていた。

 

(まだ……まだ、私は生きている。それなら、抗ってやるわ! 死の瞬間まで……!)

 

レミリアは敵のここまでの言動から、次なる行動を予想し、ひたすらに勝利への可能性を模索する。

 

館の戦力は既に尽きかけ、応援は望めるはずもない。

もちろん、紅い霧に閉ざされているこの館において、外部からの救援など、夢のまた夢。

否、相手がおそらく博麗の手の者である時点で、端から外部からの助けなどないのだろう。

館に唯一残された戦力と言っても過言ではないフランドールも、しばらくは拘束から解き放たれそうもない。

 

(さっきの言葉の通りなら、アイツは必ず私に近付いて来る……それが、最後のチャンス、ね)

 

思索の果て、彼女が下した答えは、至極単純なものであった。

 

ただ、刺し違える。

最悪、たとえ仕留められなくとも、与えられるだけ損害を与える。

きっとすぐに再生されるだろうが、可能な限り相手の肢体を破壊し、妹のために時間を稼ぐ。

 

そう覚悟を決め、息を止める。

 

刻一刻と迫る、最期の攻防。

レミリアは、残された感覚の全てを研ぎ澄まし、辺りの様子を探る。

かつてなく集中している彼女は、耳だけでなく、肌でも空気の流れを()()()()()し、眼前に迫る敵の姿を確かに()()()()

そして。

 

「お別れだ、無様な『吸血姫』(ノーライフクイーン)!」

 

足音と臭いが間近で止まり、続いて響く絶叫と風切り音。

アーカードが、致命の手刀を放った音。

 

「おあああぁああぁぁぁぁぁあぁッ!!」

 

その絶望の音を打ち破るように、レミリアは裂帛の叫びをこだまさせ、無防備に飛び出す。

 

敵の最後の一撃(フィニッシュブロー)は、きっと手刀であるとあたりをつけ、それに自ら飛び込む事で深く体を貫かせ、肉迫する事。

そして、ありったけの力を振り絞り、残された左腕で乱打を浴びせる事。

それが、彼女の算段の全てだった。

 

ーーだが。

 

《パチン!》

 

刹那、にわかに凛と鳴った涼しげな炸裂音が、全てを包んだ。

 

「……!?」

 

突如として、アーカードの瞳に飛び込んで来た白銀。

それがナイフだと認識する前に、彼はまるで大量の針を突き刺された針刺しのように、四方八方から()()()に全身を貫かれていた。

 

「……! グッ……ブ……!」

 

もはや銀色の塊にしか見えなくなるほど大量のナイフを突き立てられた彼は、重力に抗う力を失い、前のめりに崩れ落ちる。

 

()()()()()……しかも、これは……!)

 

傷口から伝わる焼け付くような痛みが物語る、ナイフが法儀式済みのものであるという事実。

そう、アーカードを襲ったのは、紛れも無く対化物(きゅうけつき)戦用に特化した武器だった。

 

(何だ? 何が起きた……!?)

 

脈絡の無い攻防の転換。

自身に何が起きたのか、全く理解できない。

どうやって攻撃されたのか。

否、そもそも攻撃を受けたのか。

受けたのなら、何、或いは誰によって受けたのか。

何より何故、()()を察知できなかったのか。

 

一瞬では、それらの問い全てに答えを見付けられず、アーカードは一先ず損傷を修復するため、身体を端からじわりじわりと床に広がる()に溶かし、その場から姿を消した。

 

そして半瞬間後、完全な姿で影からぬらりと這い出た彼の双眸は、二つの影を捉えた。

 

()()が答え、か……?)

 

先程まで、手を伸ばせば容易に触れられるほどの距離に居た吸血鬼の少女が、その傍らに一つの影を増やし、尚且つ、壁際まで離れている。

 

確かに、目の前の敵にトドメを刺す瞬間は、他への注意力が希薄になっていたかもしれない。

しかし、だからといって他への洞察を怠ったわけではない。

何しろ、()()は敵の本拠地なのだ。

勝利が確定する、否、確定したその瞬間まで、何が起こるかわかったものではない。

よって、目の前の敵を貫き、その生命を完全に絶つ、又は()()()()()までは、決して気を抜くことなどない。

 

では、何故?

何故、新たな敵らしき人物が自分に悟られること無く闖入していて、しかも、倒れているのが自分なのか。

あの一瞬でどうやって()()()()状況を変えられるのか。

 

ここで、アーカードは思索する。

 

十中八九、この摩訶不思議な事象は闖入者の攻撃であろう。

では、その攻撃の正体は?

 

先ず想定するのは、幻覚や幻術の類いか否か、である。

そもそも、吸血鬼は幻覚や幻術を容易く看破する()と意志の力を持っている。

様態は極めて限定的だが、それと引き換えに規格外の強度を得た単純かつ強力な幻術ならば通用する可能性もあるが、()()()()複雑な時点で、そうは考えにくい。

また、仮に闖入者が、吸血鬼の備える対幻術の許容値を軽く超える卓越した幻術の遣い手で、既に自身がその術中に()()()()()()のだとしても、()()()()()手の込んだ、非効率的な幻を見せることはないだろう。

そう、もし()()()()()遣い手であれば、もっと()()()()()()があるはずだ。

よって、ほぼ確実に、幻術の類いではないと断じられる。

 

ならば、超スピード……否、それではナイフでの攻撃に説明がつかない。

何故なら、ナイフは四方八方から()()()飛翔して来ていたからだ。

 

では、転移魔法の類いか。

確かに、大量のナイフを、()()()()()()()()()()()転移させ、尚且つ自身は他人一人を抱え()()()と考えれば説明はつく。

しかし、斯様に複雑な術式の構築は、人の身には不可能である。

 

そう、あの闖入者は()()だ。

この芳しい血の香り。

館を訪れてから、長らく感じる事のなかった純粋な人間の()()()

 

待て……()()()()()()()

 

何がおかしいのか?

 

わからない。

 

何か()()のようなものが、心の奥底に渦巻いている。

 

化物(きゅうけつき)に特化した武器。

濃い靄に包まれた能力の全容。

 

闖入者に対しての考察は数知れず行える。

だが、結局のところいくら思慮を巡らせてみたとて、それはただの想定に過ぎず、その果てで真実に辿り着くことは困難を極める。

 

そして、唐突に影を落とした、言い知れぬ違和感。

 

「まぁ、いい……」

 

そう、()()()()()()ことだ。

 

目の前の闖入者の()()()に。

 

 

ただーー何かが、狂い始めている。

 

長年連れ添った吸血鬼としての本能が、そう告げているのだ。

 

 

……時間にして数十秒。

 

アーカードは、敵の能力と不意に浮上した違和感の正体を掴めぬまま、ぶっきらぼうに思惟を切り上げると、その瞳に四つの影を映した。

 

既に物言わぬ亡骸と化した、七曜の魔女。

未だ、壁に磔になっている吸血鬼の少女。

もはや虫の息である、館の主。

 

そしてーー

 

アーカードの視線がそこへ行くのを待っていたかのように、眼光鋭く彼を見据え、身構えている女。

 

「あ……ああ……! この()()()……咲夜、咲夜なの!?」

 

「はい。そうですよ、お嬢様」

 

穴に向かって吹き上げる風に、白く長い髪を靡かせる、メイド服を纏った初老の女性。

 

彼女は、自身の抱き抱える少女が状況の一端を把握し、震える声で問い掛けると、それに聖母が如き微笑みを返し、赤子を寝かしつけるような優しい声色でゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

もちろん、彼女はその間も、冷酷なまでの鈍色を帯びた眼で、陽炎のように揺らめく()の姿を睨み据えていた。

 

「咲……夜。咲夜、咲夜咲夜ぁ……!」

 

咲夜と呼ばれた女の腕の中、ただ力なく繰り返すレミリア。

彼女の両目は物理的に破壊され、既に涙を流せなくなっていたが、その声は嗚咽交じりに震え、泣いているようだった。

 

「そうお呼びになられずとも、(わたくし)めは、ここに」

 

「取り込み中失礼するが……」

 

「取り込み中だとわかっているなら、水を差さないでくださいます?」

 

咲夜は、アーカードが二人の間に割って入ろうとしたことに不快感を露わにすると、そのまま姿勢を崩さずに《パチン》、と指を鳴らす。

 

「……ッ!? ガハッ……!」

 

すると、次の瞬間には、アーカードは先刻と同じように、再び数多のナイフを体から生やし、そのまま床に倒れ伏した。

 

「咲夜、ねぇ、咲夜! 私、私ね……?」

 

「お嬢様。私も久方ぶりの会話を楽しみたいのですが、その前に()()()()()ませんと……」

 

1日の終わりに、今日の出来事を母親に伝える子供のように、何度も何度も確かめるように、レミリアは自分を抱く女に話し掛ける。

 

咲夜は、少し困った表情を浮かべながら、倒れ伏すアーカードを尻目に、返答する。

 

「なに、それほどお待たせはいたしませんよ。たかが三下吸血鬼(コウモリ)一匹ごとき……朝飯前です」

 

そして、そう言葉を続けると、レミリアをフランドールとパチュリーの傍ら、部屋の壁に寄りかからせて、すっくと立ち上がった。

 

「さぁ、来なさい化物。(わたくし)めが、お相手仕りましょう」

 

そしていよいよ、いつの間にかその身体の修復を終えていたアーカードと正面から向き合うと、スカート下のホルダーから取り出したナイフを構え、その切っ先と殺気を彼に向けた。

 

「く……フフ。フハハ、フハハハハハハ! いいぞ、実に()()! 人間! ぜひ、()()()()()名をお聞かせ願おうか!」

 

(わたくし)()()()しがないメイドにて……ただ、(あるじ)に仇成す者を葬る使用人と、そう覚えて頂ければ結構ですわ。もっとも……」

 

興奮した様子で声高に名を尋ねるアーカードとは対照的に、咲夜はつっけんどんな言葉でそれを拒絶し、冷めた無機質な口調で淡々と続ける。

 

「それさえ覚える間も無く、残滅されるでしょうけど。ほら、アナタの時間も、私のもの……」

 

そして、空いた左手を高く掲げると、またしても高らかにその指を鳴らした。

 

ーー瞬間、世界が静止する。

 

アーカードがその正体をてんで掴めていない、咲夜の能力。

 

それは、端的に言うなら『時間を操る程度の能力』である。

 

時間を操る能力とはすなわち、時間の流れを止めて自分だけ移動したり、自分以外の時間の流れを遅くして、対象と相対的に高速で動いたりするという、感覚的に理解し易い事象はもとより、時間を圧縮して、対象とする物質の短期間の過去や未来の『実体を伴う像』を発現させるという、複雑な事象を発生させることさえ可能とする能力である。

 

ーーのだが。

 

確かに、全盛の彼女であれば、それら全てを容易く行えただろう。

 

しかし、もはや春秋に富むとは言い難い、老齢に差し掛かった()()彼女には、『時間を止める』ことくらいしかできなくなっていた。

 

もっとも、厳密に言えば、それさえも()()()()()()()のだが。

 

今、彼女が行使している能力を論理的に説明するには、大きな話題の転換を伴うが、まず『時間』というものが持つ性質について、多方面からその何たるかを論じなければならない。

 

言うまでもなく『時間』とは、世界の変化に我々の感覚を当てはめた概念である。

掻い摘んで言えば、人々は彼らが手放しで信仰する『神』と同じように、たとえ目に見えなくとも『時間』は()()()()()、そして、それは絶えず過去から未来へ不可逆の流れを紡ぎ出していると盲信している。

 

だが、実際には必ずしも()()()()()()()()()()()()

 

例えば、量子力学においては、波動関数の収束、発散により実在と非実在が発生するのであって、そこに『時間』という概念はあれど、それは決して不可逆の流れや連続性を持つものではないと論じる学者もいる。

 

すなわち『時間』に過去から未来へと流れるという性質などなく、()()()()()()()のは人の意識の観測である、という考え方だ。

 

斯様に『時間』というものは、宗教的、科学的、非科学的、社会的……その他、あらゆる見地から様々な議論を産んでいる。

 

そう、実際のところ『時間』というものの性質は、およそ人智の及ばない領域なのである。

 

話の脱線を避けるため、『時間』というものに対する話はこれくらいにとどめることにしよう。

 

長々と講釈を垂れ、至った結論がこれでは、ここまでの説明がただただ冗長なものであったという判断を導くであろうが、ここで理解して頂きたいのは、世界の理の一つである『時間』というものは、それだけ不可解かつ人の手の及ばぬものであり、あらゆる理論を飛び越えてそれを操るということは、今の咲夜には不可能である、という一点である。

 

そう、彼女が今行使しているのは、世界の時間を操るなどという大仰な能力ではない。

今の彼女にとって『時間を操る能力』とは、世界の枠の外側で自由に動き回るーーすなわち、世界の『時間』という強制力から解き放たれ行動できる能力である、と解釈して差し支えない。

 

そしてそれは、任意の対象を同じく『時間』という枷から解き放ち、自在に動かせるという側面も持ち合わせていた。

 

ただし、それはあくまで世界の『時間』から逸脱してしまっているというだけで、対象の物体や、彼女自身の身体の状態を大幅に変化させたりすることーー例えば、若返り、全盛の力を取り戻すことなどは不可能である。

(とはいえ、全ての理論を飛躍して『時間を操る』ことができていた全盛の能力をもってしても、『現在』を基点として、対象に短期間の過去や未来を導くといった芸当が精一杯であり、能力による若返りなど夢のまた夢であったが。もっともそれは、それほどまでに、世界の『時間』という強制力が強大であるという証左でもある。)

 

つまり、言い換えれば、咲夜自身が独自の『時間の流れ』を帯び、それを対象の物質にも押し付けることのできる能力、とも表現できる。

 

世界の環境を変えるのではなく、自分自身や周囲の環境を変える。

 

かつての、世界そのものを変質させるほどの大きな力を持ち合わせていない今の彼女にとって、非常に理に適った能力の行使であると言えた。

 

それは確かに、全盛の力と比べれば見劣りするが、それでも、ありふれた敵を相手にするには充分に過ぎるものであろう。

 

だが、その無敵にも見える能力にも、欠点はいくつかある。

 

否、欠点だらけであると言っても過言ではないかもしれない。

 

擬似的に『時間を止める』ことはできても、()()それは、所詮()()()()の能力に過ぎないのだから。

 

特に致命的な欠点は、能力の行使中は『世界の時の支配』から解き放たれていない物体には、直接その状態を変化させるような干渉ができないという点だろう。

 

彼女がこの擬似的な時間停止の中、敵に近付き、余裕たっぷりにその急所を貫けば話は早いと思う者も多いだろうが、それをせず、ナイフの投擲による遠距離攻撃に徹しているのは、この点による。

 

世界の理から外れてしまっている彼女や、その能力の対象物は、世界の理の内側にあるものに干渉できない。

 

つまり、噛み砕いて言えば、『止まっているモノ』は動かしたり、傷付けたりすることができないのだ。

 

裏を返せば、敵対している者を能力の対象とすれば、その破壊は可能となるが、それでは相手も『咲夜と同じ時間』の中を動いてしまい、アドバンテージがほとんどなくなってしまう。

 

よって、()()()()()で止まるように能力を調整して武器を投擲することが、最も容易かつ確実な攻撃方法となっていた。

 

もちろんこの戦法には、不用意に敵に近付かない、彼女の生来の慎重さも多大な影響を与えてはいるが。

 

 

ーーともあれ、今、彼女は自分と自分が許可したモノ以外の全てが静止した世界を駆けている。

 

(人に忌み嫌われたこの能力(ちから)、本気で振るえば……!)

 

第一に、主人を傷付けられた憤怒。

第二に、そんな状況を作ってしまった自分への落胆。

第三に、主人へ寄り添い続けられなかった悔恨と痛み。

第四に、自分が再び主人のために働いている喜び。

そして最後に、もうそれらの想いが長くは続かないことを知っている悲しみ。

 

あらゆる感情を抑え、咲夜はただただ機械的に、正確無比にナイフを配置していく。

 

そう、その理由やプロセスがどうあれ、相手からしてみれば、突然回避不能な位置にナイフの弾幕が現れるのだから、たまったものではない。

 

先に述べた欠点を差し引いても、咲夜の能力が強力であることは疑いようがなかった。

 

(見たところ名のある吸血鬼のようだけれど、吸血鬼であれば『殺せる』ということ……死ぬまで、殺してやるわ)

 

刹那、静止した世界が動き出すと、白銀が舞った。




長くなりましたが、一応区切りです。

いつにも増して冗長な解説ばかりでしたが、飽きないでね!

にわかな知識で書いてるので、論理が破綻してたら指摘してください。

そして、物語はクライマックスへーー

主人公、出番がどんどん減るシング……


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lunatic paradise

ほんとはもっと推敲したかったんですが、あんまり時間空き過ぎちゃうとマズいかなぁとか思って粗削りながら更新してみたり。

もはや焼け石に水ですか、そうですか。

※本当はもっとキリのいいところで終わりたいところなんですが、この話だけ長くなりすぎちゃうので、まぁそこそこのところで妥協しました。

あまりにも追記に次ぐ追記では、更新頻度が遅過ぎると勘違い(ではない)されてしまいかねませんからねぇ。


……。

…………。

……………………。

 

 

「……麗亜」

 

「……っ! びっ、びっくりさせないでくださいよ……貴女はただでさえ、神出鬼没なんですから」

 

麗亜は、突然の背後からの呼び掛けに狼狽えながら、声の主に悪態をついて振り返る。

 

「始まるわ、選択の時よ」

 

そんな麗亜とは対照的に、紫は落ち着き払った様子で、どこか悲しげな表情を覗かせた。

 

麗亜が自分の下した判断に悩み、自責の念に駆られつつやきもきしているうちにも時間は変わらず流れ、既に太陽は大地に別れを告げて、二人の頭上には紅い月がぽっかりと浮かぶ満点の星空が広がっていた。

 

「へ? いきなりすぎて、何を言っているのかさっぱり……」

 

柄にもなく間の抜けた声を出すと、麗亜は紫の顔を見遣った。

月影に照らされてはいるが、灯りのない神社の境内では、その表情を細やかに窺うことはできない。

しかし、彼女の面持ちが、いつになく真剣な色を帯びていることだけは見て取れた。

 

「行くわよ。ほら、こうしてスペシャルゲストも来てくれたことだし、ね?」

 

「スペシャル、ゲスト……?」

 

紫の一言を合図に、未だ状況に置いてけぼりにされている麗亜の前に、紫の背後からぬらりと一つの影が現れる。

 

麗亜は、その影の正体を目視すると、目を丸くして硬直した。

 

「一応、初めましてね。いえ、あえて久方振りね、と……そう言ったほうがいいかしら、『博麗の巫女』さん?」

 

「貴女は、風見……幽香」

 

搾り出すよう、ゆっくりと影の名を呟いた麗亜は、戦慄していた。

それもそのはず、幻想郷きっての大妖怪、それも数多存在する妖怪の中でも()()()()危険だとされる()()風見幽香が。

『博麗の巫女』である麗亜でさえ、その性質や外見を書物等でしか見た事がないほど、今の今まで、その消息を完全に断ち切っていた歩く()()が、突然目の前に現れたのだから無理もない。

 

「幽香さん、でいいわよ?」

 

「す、すみません……幽香さん」

 

麗亜は引き攣った口元を隠そうともせず、言われるがままに相手の名を呼ぶと、その姿から目を逸らし、困惑した様子で曖昧な微笑みを浮かべた。

 

「あら、あの銭ゲバに似ず、殊勝なのね。可愛いわ」

 

いつもの慇懃無礼さも鳴りを潜め、ただ大人しく相手の出方を窺う麗亜に、幽香は不敵に笑い掛けると、好意的な表情を取り繕い、静かに目を細めた。

 

「…………」

 

胸中に湧き上がる複雑な感情を押し殺して、麗亜はもう一度、幽香の方へ目を向けた。

瞬間、自身を真っ直ぐに見据える幽香の視線とはしなくも出くわし、やはり一瞬たじろいだが、今度は、そのまま相手の瞳を見つめ返す。

 

「そんな目で睨むことないんじゃないかしら? 殺したいのは()()()()よ、きっと」

 

「……ッ!」

 

麗亜の鋭い視線を受けた幽香は冗談めかした一言を紡いだが、そこにはどこか、彼女の胸の内に宿る真意が滲み出したかのような()()があった。

 

「こらこら、幽香。あまり麗亜を苛めないで頂戴な」

 

目の前の女が放つ、好意とは名状し難い雰囲気に気圧される麗亜を見兼ねてか、紫が二人の間に割って入って幽香を諌める。

 

そこでようやく、麗亜は肩から力を抜き、ほっと一息つくと、自身が無意識下の根源的な恐怖心に支配されていたことを自覚した。

 

そして。

 

「それで、紫さん。()()()()()()か、しっかりと説明して頂けませんか?」

 

紫の介入に安堵したのも束の間、彼女の意図を汲み取りきれない麗亜は、()()状況への回答を求めて、質問を投げ掛ける。

 

「だから、行くと言っているのよ。『紅魔館』へ、ね」

 

「その理由を聞いているんです。正直……」

 

「そうね……ええ、きっと()()でしょう。でも、貴女の求める答えの全てを、言葉だけで明らかにするのは難しいわ」

 

唐突過ぎて何が何だかわからない、と結ばれるであろう麗亜の言葉を遮り、紫はゆったりと優しい口調で呟くと、意味深に口元を緩ませた。

 

「それなら……」

 

その曖昧な表情に対して、否、紫に対して、出会ってから初めての怖気を覚えた麗亜だったが、それでも諦め悪く食い下がろうとする。

 

「ちょっと……麗亜、だったかしら? アンタ、しのごの言わずにまずは行動してみたら? 確かに、この胡散臭い女の言うことを手放しで信じるのは、気がひけるかもしれないけれど」

 

そんな麗亜の様子に痺れを切らしたのか、幽香が割り込むように、厳しい一言を漏らした。

 

腰に手を当て、気だるそうに、いかにも高圧的な様相で紡がれるそれは、並の相手であればそれだけで制圧してしまえるような()()を感じさせる。

 

「…………」

 

「それでも、他でもない()()()が、『博麗の巫女』のために出張ってきているのよ? たとえそれが、幻想郷きっての賢者様の頼みであっても、ね」

 

幽香は自分の科白の着地点を窺うように黙り込む麗亜に続けて投げ掛けると、皮肉たっぷりの視線を紫に送った。

 

「お言葉ですが、幽香さん。そこです。その、貴女がここにいる理由が、何よりわからない」

 

それを受けて、麗亜はいつものように無遠慮に、しかし、いつになく丁寧な声色で、最初に幽香の姿を見た時から頭の中に渦巻いていた疑問を口にする。

 

()()()に突っ込むのだもの……用心棒は強いに越したことはないんじゃない? それとも、私達二人では不足かしら?」

 

その疑問には、幽香に代わって紫が答えた。

 

幽香は口を挟むな、とでも言いたげな表情を一瞬だけ覗かせたが、そのまま口を噤むと、腕を組んで麗亜から顔を背けた。

 

「大方、察しがつきました。それなら、尚更……」

 

予期せぬ紫からの返答ではあったが、麗亜はその言葉の端々から、()()()()()()を読み解くことができた。

 

きっと、『紅魔館』はアーカード(あの男)によって、この世の地獄と化しているのだろう。

そして、そこでは今まさに、のっぴきならない異変(なにか)が起ころうとしていて、その解決には他ならぬ『博麗の巫女』が必要なのだろう。

しかし、その『博麗の巫女』が巫女としての力はあっても戦う術を持たぬが故に、目の前の二人がさながら護衛のように、共に赴くというのだろう。

 

その結論に至った麗亜は、未だ蟠りを抱えたまま、不意に幽香に視線を向けた。

 

「あら、もしかして私の心配をしてくれているのかしら? 本当、殊勝なのね。でも……」

 

麗亜の視線に気付くと、幽香は顔を背けたまま目の端で彼女の姿を捉え、口を開く。

 

「そんな心遣いは()()()()()よ。甘っちょろくて反吐が出るわ。それに、ある種の()()相手に無用な気遣いをするなんて、生意気ね。とりあえず、千年くらいは早いんじゃないかしら?」

 

幽香は口数多く、しかし冷ややかに吐き捨てると、麗亜を視線の正面に据え直した。

 

「それは……」

 

彼女の指摘したところは、まさに麗亜の図星であった。

しかし、麗亜がそんな感情を抱いたのも無理はない。

 

何故なら、()()()()()先代『博麗の巫女』()()()()()において、その相手となった大妖怪風見幽香は敗北を喫し、その妖力の大半を封じられて再起不能となった、と聞き伝えられていたからだ。

 

その戦いの後、幽香の至った顛末には、彼女に恨みを抱いていた妖怪や人間の慰み者になって打ち棄てられたとか、挙句晒し者にされて殺されたとか、実は生きていて隠遁生活を送っているとか、種々の風説が飛び交っていた。

 

が、ともあれ風見幽香は先代『博麗の巫女』ーー博麗霊夢との戦いに敗れ、力のほとんどを失った。

 

それだけは、疑いようのない事実として扱われていた。

 

実際、それは()()なのだろう。

 

事実、麗亜は幽香の姿を目の前にしても、確かに雰囲気や言動の端々に凶悪さを感じはすれど、その身体からは妖力をほとんど、否、全く感じていない。

 

それらのことも手伝って、麗亜の困惑はより深まっていく。

 

ーーしかし。

 

「まぁ、本人もこう言っているワケだし、その辺りに関してはどうでもいいでしょう? さぁ、時間がないわ。行くわよ、麗亜。それともまさか……嫌、かしら?」

 

未だ逡巡の色を見せる麗亜に、紫が言葉の結びを疑問形にして促すと、その表情が、たちまち困惑から覚悟へと変わった。

 

「……行きます。行きますよ。私にとって貴女の言葉は、母の言葉も同じですから。それに……」

 

「それに?」

 

「わかったんです。自分の過ちは、自分で清算しなきゃって」

 

「そう、それはよかったわ。重畳重畳。それじゃあ、行きましょう」

 

麗亜の一言を引き出すと、紫は満足そうに頷き『スキマ』を拓く。

 

(何より紫さん、貴女が望むなら、私は()()するまでです。たとえそれが、どんな結末を招くとしても)

 

麗亜は今一度、自身の根本にある行動理念を反芻すると、深く息をついて『スキマ』へと踏み出した。

 

半拍空けて、紫がその背中に続く。

 

「はぁ。とんだ茶番ね。まったく、仲がよろしいようで……って、きゃっ!?」

 

腕組みをしたままで呆れ顔の幽香は、二人が消えた『スキマ』から伸びた紫の腕にこれでもかと勢いよく引き込まれ、柄にもなく黄色い声をあげながら、『スキマ』の中へと消えた。

 

 

……。

…………。

……………………。

 

多少のせめぎ合いはあったものの、麗亜が『紅魔館』へと赴くよう心を固める少し前。

 

彼女が紫の言葉に揺れているのと時を同じくして、当の『紅魔館』では、とある光景が延々と繰り返されていた。

 

(予想はしていたけれど……まさかここまでとは)

 

それは、一つの影が白銀に埋め尽くされ、そのまま地面に溶け込むと、再び影が人の形を成して浮かび上がる、という一連の流れ。

 

即ち、咲夜が指を弾く音を合図に始まる攻撃がアーカードを捉え、引き裂き、蹂躙し、その後アーカードが身体を再生し、彼女の攻撃の謎に挑む、という単調な反復であった。

 

もう数十回は繰り返された()()は、この先も永遠に続くかのように見えたが、しかして両者には少なからず変化があった。

 

(くっ……存外()()()()かもしれない、わね)

 

度重なる能力の行使とナイフの投擲・回収は、全盛を過ぎた咲夜には想像以上の負担となり、その気力と体力を容赦なく削り取っていく。

 

咲夜は、明らかに消耗していた。

その動きも、次第に精彩さを欠いてきているように見える。

 

(やはり、何かしているのは間違いないが……()()()わからんな)

 

対するアーカードは、未だ余裕の表情を浮かべながら、不敵に佇み咲夜の猛攻を甘んじて受け入れていた。

 

その中で、咲夜の状態の僅かな変化を窺いつつ、腰を据えて状況に臨む。

 

だが、彼は内心、敵に決定打を与えられないことに焦れ始めていた。

 

苦し紛れに銃での反撃を試みてはいるが、間断も前置きもなく舞う白銀に、全ての行動は出掛かりを潰され、文字通り手も足も出ない状況。

 

もちろん『影』を用いての不意打ちも同時に試行していたが、対『吸血鬼』(ばけもの)に特化した咲夜の戦術はそれさえも織り込み済みなのか、その射程や位置に彼女を捉えたと思った時には、既にその姿はそこになく、徒労に終わるばかり。

 

おまけに、意趣返しとばかりにナイフでの反撃が返ってくる始末である。

 

いかに『不死王』(ノスフェラトゥ)たるアーカードといえど、そんな状況から抜け出せず、また、抜け出す手段も思い付かないのなら、辟易するのも無理はないだろう。

 

(だが……)

 

ここで、アーカードは考える。

確かに、敵の攻撃を受け続けるしかなく、その攻撃の正体さえわからない、という状況だけを見れば自身の不利は疑いようがない。

しかし、攻撃を重ねる度、敵は目に見えて消耗している。

そして、()()を延々と繰り返してくる以上、敵にそれ以外の攻撃はないのだろう、と。

それならば、いっそこのまま()()()()()()()()()()、いつかは()()()のではないか、と。

つまり、()()()()()()という圧倒的なアドバンテージを振り翳せば、確実に自身の勝利に終わるだろう、と。

 

その結論に至った時、彼はその()()()を望まぬ自分がいることに気付いた。

 

(そう、か……)

 

アーカードは、一方的な防戦に焦れていたのではなかった。

このまま、目の前の()()と、直接ぶつかり合わずに決着がつくーー自分を()()()()()()()()()者と、純粋な意味での()()を行わずして、小競り合いのうちに勝利する、否、()()()()()ことに焦れていたのだ。

 

(さて、どうしたものか……)

 

しかし、そんな自身の真意に気付いたとて、彼に何か出来ることがあるわけでもなく、そのことが、彼の焦燥を加速させるばかりであった。

 

 

そんなアーカードの想いなど露知らず、咲夜の猛攻は絶えず続いていた。

 

(ダメージは与えられている……どちらが先に音を上げるか、根くらべといきましょう)

 

咲夜の一方的な攻勢は、彼女の消耗の激化と同義だった。

 

しかし、それでも手を緩めることなく、果て無き繰り返しの先に訪れるであろう勝利を見据えて、彼女は()()()()()()を駆ける。

 

 

ーーその時。

 

(……ッ! この感じ、まさか!)

 

時間を操るということは、空間を操るということにも繋がる。

事実、この『紅魔館』は咲夜の能力によってその内部を拡張されており、彼女からしてみれば、その内部の空間のゆらぎを察知するなど、造作もないことであった。

 

そんな彼女の危機察知能力が告げている。

 

館の内部に()()『侵入者』が来る、と。

そして、そんな芸当が出来るのはーー

 

瞬間、アーカードの後方、唐突に拓いた『スキマ』に、そして、そこから現れた三つの影に、彼女の視線が注がれる。

 

「八雲……紫ッ! それに……」

 

予期せぬ展開への動揺により、咲夜の思考は驚愕に融け込みかけたが、彼女は何とか平静を保つと、先程までと同じように時を静止させ、アーカードへの攻撃を仕込んだ後、ゆっくりと三つの影を見渡す。

 

もはや、他の言葉で形容することが困難なほど、遍くこの幻想郷(せかい)に名を轟かせる、幻想郷の賢者こと八雲紫。

直接目にするのは初めてだが、数々の文献から得た情報から、一目でそれとわかる幻想郷きっての大妖怪、風見幽香。

そして、見慣れた紅白の巫女装束に身を包んだ、どことなく、とある古い友人の面影を持つ少女。

 

三人の姿を確認した時、咲夜は()()()()()大方の事情を悟った。

 

他でもない、『博麗の巫女』が、()()()()()()このおぞましい化物を()()()、この『紅魔館』で()()()の異変の解決をーーおそらくは『紅魔館』の()()をしようとしているのだ、と。

 

そして、おそらく糸を引いているのはーー

 

そこまで考えたところで、能力の連続行使時間が過ぎ、咲夜は世界の()に囚われた。

 

刹那、先程までと同じように、アーカードは全身にナイフを受け崩れ落ちたが、今度はその身体を影へと溶かし姿を晦ましたまま、どこからともなく声を響かせる。

 

「ほう……わざわざこの場に来たのか。精の出ることだな、麗亜。それとも……」

 

()()()()と命じるだけに飽き足らず、直接敵が蹂躙される()()をその目で見たくなったのか、と。

 

そう続くはずであった言葉を遮って。

 

「ふふ、苦戦しているようね、『伯爵』さん?」

 

紫は皮肉たっぷりに、()となったアーカードを見下ろしながら投げ掛ける。

 

「フン、御託はいい……麗亜! ()()を使う。命令(オーダー)をよこせ」

 

「もし。割り込むようで悪いのだけれど……私も話にまぜてくれないかしら? ねぇ、紫」

 

アーカードが麗亜へ発した言葉の後、咲夜が間髪入れずに介入する。

 

彼女は、いつでも能力を発動できる状態を保ちながら、何か()()状況への合点のいく答え、或いはそれに繋がる情報を得るため、()()との対話を試みたのだった。

 

「咲夜、さん……」

 

自分の知る容貌と比べ、随分と老け込んだ様子の咲夜を目にし、麗亜は思わず嘆息混じりにその名を呟く。

 

そして。

 

壁に磔にされ身を捩る少女。

血に塗れ、壁に凭れかかる少女と、その傍らで蠢く四肢のほとんどを断たれた少女。

 

咲夜の後方、目に飛び込んできた凄惨な状況に、図らずも顔をしかめた。

 

「麗、亜……? もしかして、『博麗の巫女』がそこにいるの? 咲夜ッ!?」

 

おそらく、自分達が()()なった元凶である『博麗の巫女』の登場を察し、思わず興奮したレミリアが上擦った声をあげる。

 

「お嬢様、失礼ですが少しお静かになさってくださいませ。話は()()()()()

 

「……ッ!」

 

だが、彼女は自身の使()()()から思わぬ叱責を受け、()()意味を悟ると、口を噤んだ。

 

「また少し、大人びたわね……麗亜」

 

「……っ!」

 

麗亜と咲夜、二人の間には面識があった。

もっとも、それは二人が同時に人里に買い出しに来ている時などに偶然出会い、簡単な挨拶を交わす程度の仲ではあったが。

 

それでも、妖怪やその類に囲まれて暮らす麗亜にとって、自身と似た境遇で生活する咲夜は数少ない彼女の理解者であり、人里には滅多に現れないために、ほとんど顔を合わせた事のない他の『紅魔館』の面々と比較すれば、圧倒的に友好的な交流があったと言えるだろう。

 

ただ、咲夜がとある理由から床に伏しがちになった頃から、次第に二人の付き合いは希薄になってしまっていた。

 

「何よ、これ。私、必要だったかしら?」

 

と、ここで、不意に悪態を吐く女が一人。

 

「お初にお目にかかります、風見幽香さん。貴女もしばし、口を閉じていてください。私は今、()()と話をしているんです」

 

咲夜は取り繕った微笑を浮かべ、尊大な態度で佇む女の名を口にすると、その姿へと鋭い視線を向けた。

 

「あら、人間風情が吠えるじゃないの。その口に土でも詰め込んで、プランターにしてやりたい気分だわ」

 

幽香は、その視線に籠められた殺気に呼応するように、自身の放つ殺気を強めながら言葉を返す。

 

「できるものなら、どうぞ。少しでも変な動きをすれば、串刺しの()()()にでもして差し上げますので」

 

そんな敵意剥き出しの幽香の挑発に、咲夜も負けじと、敵対心たっぷりに煽り返した。

 

「大人しくしてれば、言ってくれるわね……」

 

譲らない両者の間には、際限無く険悪な空気が流れ始め、そのやりとりを思わず無言で見守る誰もが、いよいよ両者の衝突は避けられないと感じるが早いか、すうっと紫が二人の間に立ち、無言のまま幽香、咲夜と視線を送った。

 

「……チッ」

 

「…………」

 

両者はその無言の圧力に従い、互いに殺気を弱めつつ、一歩ずつ後ろに下がり、沈黙した。

 

「……大方、貴女の筋書き通りなんでしょう?」

 

その僅かに続いた沈黙を破り放たれた、紫への咲夜の問い掛け。

 

それは、至極単純な一言であったが、様々な推察が入り混じったものであった。

 

咲夜は、この幻想郷で起こる重大な異変の裏側には、必ず黒幕がいる、と。

そして、今回は紫がその黒幕であると、この時点でほぼ断じていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()のか。

 

ーー即ち、()が、如何様にしてこの『吸血鬼』を『紅魔館』へと向かうように仕向けたのか。

 

それによって得をするのは()であるか。

 

また、その()()の目的は?

 

その()()を紫であると仮定し、論理的に思考すれば、自ずと解答の輪郭は見えてくる。

 

自身の直感を信じるなら、目の前の『吸血鬼』は十数年前に起きた()()()()の元凶そのもの、或いはその一端であった()()である。

 

先代『博麗の巫女』がその命と引き換えに解決したとされる、幻想郷存続さえ揺るがした未曾有の大異変。

 

その()()()()()()()()()()()()()、あまつさえ『博麗の巫女』の手先として、この『紅魔館』の殲滅を遂行せんとしているのか。

 

おそらく、この『紅魔館』に『博麗の巫女』が戦力を派遣した理由は、自分の主人が何か『異変』を起こしたからなのであろう。

 

だが、それは対外的なもっともらしい理由付けにしかならない。

 

咲夜の求める答えは、もっと本質的な部分にあった。

 

何故、この『紅魔館』で異変が起きるに至ったのか。

もっと突き詰めれば、()()()()()()に主人をけしかけ、異変を()()()()()のか。

 

何故、虫も殺せないような『博麗の巫女』を甘言巧みに操り、きっと、彼女が今日の今日まで歴史の舞台裏に隠し続けていたであろうこの『吸血鬼』(ジェノサイダー)()()へ送り込ませたのか。

 

そして、あらゆる要因が積み重なった結果行き着いた、『吸血鬼』と、それに相対する『吸血鬼』狩りの専門家(エキスパート)、そこに現れる『博麗の巫女』一行という出来すぎた構図。

 

もし()()()()()()()

 

紫が全ての黒幕であり、十数年前の異変の()()()()()()()清算を画策しているのならば。

 

自身とこの『吸血鬼』を()()()()()()()()()()()()なのだとしたら。

 

そう考えれば、()()()()()ことにも、ほとんど合点がいく。

 

咲夜が辿り着いた結論は、あまりに悍ましい()()()の執念と老獪さの片鱗を覗かせていた。

 

「さぁて、どうかしらね。万事、台本通りに事を運ぶ、というのは存外難しいものよ?」

 

その質問への曖昧な返答に、咲夜は顔をしかめると、大きく溜息をつき、やれやれといった様子で首を小さく振った。

 

彼女には、()()の心の底までを見透かすことは出来なかったが、その後ろ向きな肯定ともとれる返答により、自身の推測がかなり()()に近いことを確信した。

 

「まぁ、いいわ。それで、()()()()()()()のかしら? まさか、ただこの場に現れただけ……ってワケじゃあないでしょう?」

 

「それは、勿論……」

 

「黙って聞いていれば、ああだこうだと鬱陶しいぞ、()()。麗亜、貴様も新たに命令(オーダー)を下す気がないのなら、黙って見ているがいい。さぁ! 続きだ、使用人。ナイフを構えろ。そして、小賢しい能力を発動するがいい。今一度、私に立ち向かえ!」

 

自身が蚊帳の外に置かれている状況に痺れを切らし、アーカードは二人の会話を断ち切りながら、()からその姿を現し、咲夜に申し向ける。

 

だが。

 

「そこまでです、アーカード。帰りましょう……博麗神社(わがや)へ」

 

そんな士気軒昂な従僕へ、主人が突然告げた命令は、彼の意に真っ向から反するものだった。

 

「帰る……? 帰る、か? どこへ()()!? 私の居場所は端から()()だ! ()()()()こそが、私の帰る場所であり、()るべき場所なのだ! そう、地獄は()()()()()!」

 

「命令です、従僕。もはや戯れもこれまで。後は全て、私が背負います」

 

語気荒く、怒りを露わにするアーカードとは対照的に、麗亜は冷ややかな口調で、重ねて戦闘の中止と神社への帰還が()()である事を、殊更強調するように伝えた。

 

そのために、まさに自分がわざわざこの場に赴いたのだと知らしめるように。

 

「……ッ! 麗亜!」

 

それを受けたアーカードは、搾り出すように主人の名を呟くと、()()()()()()()()()()()()と玩具を取り上げられた子供のような、大層恨めしげな表情を浮かべ、ギリリと奥歯を鳴らした。

 

「咲夜さん……心中、お察しします。こうなってしまったのは、()()私の責任です。この償いは、必ず……」

 

そして、アーカードを制した麗亜が、ひとまず事態を収拾させる為の言葉を咲夜に掛けようとしたまさにその時。

 

「……ふ、フフッ! アッハハハ!」

 

突如として、狂気に満ちた笑い声が室内に響き渡った。

 

「……!?」

 

たった今、何が起こったのか理解できなかった麗亜は、目を白黒させて言葉を失う。

 

その顔からは、酷く狼狽した様子が見て取れた。

 

麗亜が取り乱すのも無理はない。

何故なら、その笑い声の主が、他でもない()()であったからだ。

 

が、しかし。

そこは流石『博麗の巫女』といったところか、麗亜は瞬時に冷静さを取り戻し、咲夜は突然発狂してしまった、と。

遂に、状況に追随することを放棄して()()()()()()()()()()()のだと。

 

そう、判断を下そうとした。

 

まさにその時。

 

「……ごめんなさい、麗亜。あまりにもくだらない冗談だったから、つい、はしたなく笑ってしまったわ」

 

「冗、談……?」

 

「ええ。だって、誰がどう見たって「はい、そうですか」と、このまま貴女達を帰すわけにはいかないでしょう? パチュリー様は()()()()散華なされ、お嬢様もご覧の有様。この場にいないということはきっと、美鈴も無事ではないでしょう……奪われたモノは、それに見合う()()で贖ってもらわないと、ね」

 

「つまり……?」

 

咲夜の唇の動きに視線を引き寄せられながら、麗亜は、彼女の言葉の持つ掴みきれない意味とその艶めいた声色に、言い知れぬ恐怖を覚えていた。

 

確かに、咲夜は筋の通った事を言っているようだが、()()が違う。

 

それはおそらく、彼女の求めている()()に思い至れない恐怖から来る違和感。

 

そして。

 

「その化物の命、ここに置いていきなさい」

 

「なっ……」

 

想像を超えた咲夜の返答に、麗亜は思わず息を飲む。

 

そちらこそ、タチの悪い冗談かと咲夜を見返しても、そこにあるのは()()()()()()()の冷笑を貼り付けた顔。

 

そして、彼女が指差す先に佇んでいるのは、紛れもなく『吸血鬼』アーカードである。

 

「もちろん、その化物には抵抗して貰って構わないわ。そうしないと、フェアじゃないもの」

 

麗亜の動揺になど構わず、咲夜は続けざまに要求を述べる。

 

「咲夜さん……!」

 

「どうしたの? 麗亜。まさか、釣り合わないとでも?」

 

理解に苦しむ咲夜の提案に、麗亜は思わず悲痛な呼び声を上げたが、それは咲夜の心を微塵も揺らすことはなく、その表情を変えることすらも叶わなかった。

 

「……ッ」

 

確かに、咲夜にとっては、他の館の住人のみならず、自分の主人まで傷付けられ、中には()()()()()()()()()状態になってしまった者もいるとなれば、その怒りや憎しみを収めて一時休戦、というのは許せない事なのかもしれない。

 

しかし、麗亜は合理的な思考を旨とする彼女なら、それさえ越えて、休戦の申し出を受け入れてくれると踏んでいた。

 

そう、避けられる命のやり取りに自ら飛び込んでいくなど、()()()()()()()()()

 

それなのに、敢えて()()しようとするなど、聡明な咲夜にはあり得ないことだ。

 

「……いいえ、貴女が望むなら、そうしましょう。でも……」

 

やはり、咲夜は喪失と怨嗟の果てに、狂ってしまったのか。

廻る狂気の中、戦士として死に場所を求めているのか。

はたまた、私怨に囚われて、大局が見えないほどに我を失ってしまっているのか。

 

或いはーー

 

「麗亜」

 

麗亜は、彼女の戸惑いと思考を断ち切るように響いた声に、はっと我に返る。

 

声のした方向、自身の傍らには、恭しく片膝をつき(こうべ)を垂れた従僕の姿があった。

 

ついさっきまでの、今にも泣き出しそうな、『不死王』(ノスフェラトゥ)に似つかわしくない彼の表情は消え去り、その顔は歓喜に歪んでいる。

 

「今や私は()だ。走狗(そうく)だ。狗は自らは吼えぬ。命令(オーダー)だ。命令(オーダー)をよこせ! 相手が()()()人間であっても、私は殺せる。微塵の躊躇も無く、一片の後悔もなく鏖殺できる。この私は()()だからだ。さぁ、どうする!? 命令(オーダー)を!」

 

麗亜の命令があれば。

()()()()があれば。

()()を使うことができれば。

敵の反則じみた()()の正体がわからずとも、()()()()()が愉しめる。

 

勝利の見えた退屈な詰将棋(ゲーム)ではなく、命の()()()()に興じられる。

 

アーカードは、喜びに満ち満ちた声色で、麗亜を致命的な決断へと駆り立てる。

 

「…………」

 

アーカードの言葉を反芻し、麗亜は黙り込んだまま、咲夜を見詰めた。

 

「……いいのよ、麗亜。きっと、全てはそこの胡散臭い()()()の思惑通り。とどのつまり、()()が。()()()()が目的だったのよ。そこの()()を打倒するための算段……そして、そのための生贄なのよ。()()十数年も、『紅魔館』も。きっと私が、征く事も」

 

そう、経緯や理由がどうあれ、咲夜は目の前の『吸血鬼』を討たねばならない。

しかも、その『吸血鬼』が規格外の化物であるなら、尚更である。

彼女は、それが『吸血鬼』を打倒できる『人間』の()()であるという矜持を持っているから。

 

『吸血鬼』が目の前にいるなら、()()と戦って、打ち勝つ。

 

たとえそれが、誰かの掌の上の出来事であっても。

 

咲夜は、全てを受け入れた上で放ったその言葉で、彼女が先程並べ立てた()()()()が建前であることを、そして、自身が盲目的に信じている者に利用されているかもしれないことを、麗亜に悟らせた。

 

麗亜は、ずっと昔から、心のどこかで渦巻いていた違和感が、急激に絶望という形を成していくのを感じ、思わず口に手をあてがった。

 

麗亜と咲夜、二人の視線が紫に向けられる。

 

「…………」

 

二人には、開いた扇子で覆い隠された賢者の口元が、うっすらと笑みを湛えているように思えた。

 

『深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いているのだ』と、ある哲学者の言葉を体現するようなその()()に、麗亜はただ怖気を感じ、咲夜は鋭い敵意と視線を向けた。

 

「ときに、麗亜。妹様の拘束を解くことは可能かしら?」

 

ここで、弔い合戦という体裁を繕った、もはや私闘とも呼ぶべき戦いに臨む咲夜が唐突に口にした、主人()の身を案じる言葉。

 

「……すみません。結論から言うと、不可能です。きっと、時間が経ち、自然に消えるまでは。私が未熟なばかりに……」

 

「その点は心配いらないわよ。()()()()に、私達がいるんだもの。貴女は思う存分、戦えばいいわ」

 

麗亜の返答に割り込み、紫が口を開く。

 

「……なるほど。()()()()()()だったのね。その言葉、信じていいのよね?」

 

「もちろん。だって……」

 

紫が「そこまで()()していながら、くだらない使命感のようなものに駆られて、わざわざ戦ってくれるんですもの」と言葉を続けようとしたその時。

 

「咲夜ッ!」

 

これから繰り広げられるであろう闘争の気配を、完全に受け身で会話を聞く中で察したレミリアが、堪え兼ねて使用人の名を叫ぶ。

 

「そこにいるのよね、『博麗の巫女』! それに、八雲紫! 咲夜に何かあったら、許さないわよ!」

 

「……大丈夫ですよ。私なら、大丈夫。()()()()()()()さえあれば、()()()()()を見つけられます。お嬢様はただ、()()たる私に一言命じて頂ければ結構。()()()()()()()、と」

 

強く紡がれるレミリアの言葉に、咲夜は自分の主人を振り返り、にっこりと、優しい微笑みを浮かべた。

 

「咲夜……アナタって、本当に勝手で不遜な使用人ね。()()()()()早々、我が儘放題なんて。()()で折檻が必要かしら」

 

「ええ。(わたくし)は不肖の使用人ゆえ、()()で再調教のほど、宜しくお願いいたします」

 

「……バカね。いいわ、行きなさい。ただし、しっかり()()()()()くるのよ?」

 

「無論、お嬢様を傷付けた者を、この館から生きては帰しません……たとえそれが、如何なる()()であっても」

 

光を失っているレミリアに咲夜の微笑みは届かなかったが、それでも二人は同じ()を分かち合えた。

 

分かち合うことが、できた。

 

「……待たせたわね、麗亜」

 

咲夜とレミリア以外の全員が、無言で二人の会話に聞き入っていたのは、それが今生の別れを感じさせる悲愴的なものだったゆえか。

はたまた、鬼気迫る咲夜の不意に見せた儚さがそうさせたのか。

 

ともかく、二人の会話が終わり、咲夜が麗亜に会話の矛先を向けたことで、ようやく()は見えざる力の支配から解き放たれ、全員がふっと思い出したかのように()()()()()()()

 

「本当に、いいんですか? 今ならまだ……」

 

()()? 残っているのは()()()だけじゃない。さぁ、終幕よ……かかって来なさい、化物」

 

麗亜の最後の忠告を軽く撥ね退け、咲夜は目の前の敵を睨み据える。

 

「ふ……クハハハハハハ! 素晴らしい。素晴らしいぞ()()(あるじ)よ! 我が主よ!我が主人、当代『博麗の巫女』博麗麗亜よ! 命令を!」

 

「……言いなさい、麗亜」

 

「言うのよ、麗亜」

 

紫と咲夜の二人に促され、麗亜は使わない、否、使わせないと心に決めていた()()()()()を解き放つべく、己の前に跪く従僕を見下ろした。

 

そして。

 

「我が下僕、吸血鬼アーカードよ! 命令します! サーチ・アンド・デストロイ!サーチ・アンド・デストロイ! 総滅です。全ての障害は、ただ進み押し潰し粉砕しなさい! たとえそれが、何であっても。たとえそれが、誰であっても……!」

 

了解(ヤー)、認識した。我が主(マイマスター)

 

「拘束制御術式零号開放……謳え!」

 

遂に下された、アーカードの真の力を、『吸血鬼』としての()()を枷から解き放ち、最大の攻撃力を振るうことを許可する命令。

傍目には、麗亜が血迷ったように映ったかもしれないが、それは、願わくば咲夜がこの()()を打倒せんことを祈ったがゆえのものだった。

 

「私は、ヘルメスの鳥。私は、自らの羽を喰らい……」

 

自分の望んだ展開に笑みを零しながら、アーカードはゆらり、ゆらりと身体を揺らす。

 

それに呼応して、彼の背後、遠方の影から徐々にせり上がるように、一つの()()がその姿を現し始めた。

 

それは、パチュリーの魔法によって焼き払われたかに見えたアーカード()()()()()

 

咄嗟に影に潜ませることで難を逃れさせていた正真正銘の、彼自身の棺であった。

 

誰が触れるでもなく、横にずれるように開いた棺の蓋。

そこに刻まれた紋章が、術式が、不気味に明滅しながら溶け出し、そして、棺の内側から『影』が膨張し、空間を覆っていく。

 

「……ッ! これは、()()()の……!」

 

 

……。

…………。

……………………。

 

 

 

「……ッ! この妖気! 諏訪子様、神奈子様!」

 

「すわわっ!? これって……神奈子!」

 

「ああ……穏やかじゃないねぇ、まったく」

 

 

守矢神社の面々が。

 

 

「……! この風、『紅魔館』の方からですか。はたて、念写は?」

 

「もうやってるわよ……ッ!? 射命丸、これって……」

 

「あやや。これはこれは、酷い有様ですねぇ。さて、どうしたものか……」

 

 

妖怪の山の面々が。

 

 

(……! ()()()()()が来たみたいね。あの二人が心配だけれど……少なくとも、私達の城は私が護ってみせるわ。ねぇ、魔理沙……)

 

 

魔法の森の少女が。

 

 

「……幽々子様」

 

「そんなに恐い顔をしないの、妖夢。でも、これはちょっとマズい……のかしらねぇ?」

 

 

白玉楼の面々が。

 

 

「しっ、ししし師匠! これは!」

 

「落ち着きなさいウドンゲ。てゐ、姫様に戦闘準備と伝えて頂戴!」

 

「あいあい、さー! んー、マム?」

 

 

永遠亭の面々が。

 

 

「……チッ! ()()これかよ……いいぜ、やってやる!」

 

 

迷いの竹林の少女が。

 

 

「萃香、久しぶりに祭りの気配だ! どんと、派手にいこうかねぇ!」

 

「ん〜、私達が打って出るには()()少し早そうだけど……とりあえず、華扇と合流しとこっか?」

 

 

旧都で酒盛り中の鬼達が。

 

 

「この気……神子、さん……殿?」

 

「こんな時まで……神子でいいですよ、神子で。それはさておき、これは間違い無く十数年前(あのとき)の……」

 

「太子様、風水的にも良からぬ雰囲気が……」

 

「雲山が怯えています。こんなことって……」

 

「念のため、とんずらこく用意は済ませておくかね」

 

()()が来たら、この幻想郷に逃げ場なんてないでしょうに」

 

「たっ、戦うしかないんですか!?」

 

「わたしも、戦う……!」

 

「やっ、やってやんよ!?」

 

 

神霊廟の、命蓮寺の面々が。

 

 

「……衣玖! ()()きたわ! 今回は、乗り遅れないようにしなきゃね!」

 

「お、お待ち下さい、総領娘様! はぁ……まったく、誰に感化されたのやら」

 

 

天界の面々が。

 

 

「……小町!」

 

「はいはい、わかってますよっとぉ。ったく、せっかくの休暇だってのに……忙しくなりそうだねぇ、こりゃ」

 

 

楽園の最高裁判長と部下の死神が。

 

 

「う、ううぅっ!」

 

「さ、さとり様!? 急にどうしたんです!?」

 

「お燐、この感じ……」

 

「これって、()()()の?」

 

「来る。ああ、河が来る! ()()()が!」

 

 

地霊殿の面々が。

 

 

皆、唯一人の男に恐怖し、唯一人の男だけに己が敵意の矛先を向ける。

 

幻想郷の大地(ここ)にいるほとんど全てが感じたのだ。

 

『恐ろしいことになる』と。

 

あの十数年前に起きた惨劇が、再び舞い戻ろうとしている、と。

 

 

………………。

…………。

……。

 

 

 

「飼い、慣らされる」

 

アーカードは闇の中、一際輝く牙をのぞかせて、にやりと笑った。

天井の穴から射し込む月明かりが、それを笑顔ではないもののように見せた。

 

ーー次の瞬間。

 

河が氾濫するかの如く、際限無く広がる『影』から溢れ出た、無数のヒトガタ。

 

それは、まさに十数年前の悪夢の再来であった。

 

「やはり、貴様は十数年前(あのとき)の……!」

 

「何なの、アレ……?」

 

遂に、『吸血鬼』としての()()を解放したアーカード。

 

ある影は、銃剣を携え。

ある影は、手斧を構え。

ある影は、ただただ嘆きの叫びをあげる。

 

延々と連なる亡者の列を従えたその()()はまさに、死者の国の領主(ロード)そのものであった。

 

この世のものとは思えぬその異形に、咲夜はギリリと奥歯を噛み締め、フランドールは顔を引き攣らせる。

 

「……化物ッ!」

 

目で()()異形を捉える事は出来ずとも、その身に残された他の感覚器官が受容する情報によりもたらされる、身震いと悪寒に喘ぐレミリア。

 

「「…………」」

 

先程と同じように、開いた扇で口元を隠して沈黙する紫と、その傍らで俯く幽香。

 

「これが、本来の『吸血鬼』アーカード……? 私は、こんなモノを……」

 

そして、おおよそ()()()『死の河』を目の当たりにしたと言っても差し支えのない麗亜は、深い絶望のような、後悔のような、例えようのない感覚に呑まれていた。

 

「……怯んだか?」

 

「誰が……! 来い、化物。始末してやる」

 

蠢く数多の影の先、挑発的に響く声に、気合い充分、士気軒昂といった様子でナイフを構えて応える咲夜。

 

「そうだ! それでいい! ()()な使用人の()()など外せ! その()()を曝け出せ! その刃を()()心臓に突き立ててみせろ!」

 

「……ッ! アーカード!」

 

アーカードの叫びで、不意に我に返った麗亜は、聞き及んでいた零号解放による広範囲無差別尽滅攻撃ーー即ち、十数年前の()()が繰り返される事を危惧し、彼の名を叫ぶ。

 

「心配するな、麗亜。()()()とは違う。だが、()()()だ。完全に制御はしかねる。しばしの間、我が主を頼むぞ……賢者」

 

零号開放に伴い、口元に髭を湛え、鎧を纏った荘厳な姿と化したアーカードは、麗亜が今まで見た事もないような穏やかな表情を浮かべると、彼女の頭にぽん、と掌を置いた。

 

従僕の見慣れぬ姿と思わぬ言動を受け、麗亜は目を丸くしていたが、すぐに気を取り直すと、室内、特に壁や穴の空いた天井を見回した。

 

確かに、目視し得る限りでは、『影』が部屋の外まで広がっている様子は窺えない。

 

念のため、霊力による探知を試行してみようにも、常人ではその場にいるだけで吐き気をもよおすほどの、濃厚な殺意と魔力の渦の只中にある()()状態では、感覚の何もかもが掻き乱されて、正確な探知などできそうにもない。

 

そう、今はただこの闘争の行き着く先を、歯噛みしながら見守るしかない。

 

麗亜はこの瞬間において、ただただ無力であった。

 

そんな無力感からくる麗亜の不安を察したように、アーカードの呼び掛けを受けた紫が、優しく彼女の肩を抱く。

 

「紫、さん……」

 

()()()()ね、麗亜」

 

「……さぁ、我が愛しの宿敵(にんげん)よ! 踏破してみせろ!」

 

アーカードの咆哮を皮切りに、数え切れない黒い影達が、さながら城塞の壁となり、無慈悲に押し寄せる濁流となり、咲夜に、そして、彼女が背にするレミリア達に襲い掛かる。

 

最強の攻撃をもって、攻勢に転じた『不死王』(ノスフェラトゥ)

 

数の暴力ーー即ち、何の捻りもない大軍での突撃という、単純故に強力な攻撃。

彼の抱え込んだ生命力の根源がそのまま武器となった()()は、いかなる小細工とて捩伏せるような圧倒的な制圧力と、抗いようのない絶望を、対峙した者に感じさせる。

 

「……ッ!」

 

視界一面の『影』が迫る中、能力を発動し、静止した()に抱かれ、咲夜は考える。

 

自身の能力では、基本的に広範囲に及ぶ面での攻撃や、空間を埋め尽くす類の攻撃は回避不可能。

能力を応用しての、転移魔法紛いの移動でも、極端に厚みのある攻撃はやり過ごせない。

 

ならばーー

 

(一点突破しか、ない……!)

 

咲夜は瞬時にそう判断し、ありったけのナイフを眼前に集中配置すると、能力の解除と同時に、そこへ向かって駆け出した。

 

()が動き出すと、弾けるように『影』に穴が空き、人一人がようやく通れる程度のその間隙を、体をすぼめて潜り抜ける。

 

瞬間、彼女は紫の言葉を信じてはいたものの、思わず、背に置き去りにしたレミリア達の安否を気に掛け小さく振り返った。

 

そこには、視界がそれだけで埋まるほど巨大な『スキマ』が拓いているだけで、また、『影』に空いた穴は、咲夜が抜けるそばから塞がって、彼女は主人の姿を視認する事ができなかった。

 

しかし、『スキマ』が見えたということは、やはり()()()()()()らしい。

 

彼女には、()()が確認できただけで充分だった。

 

「……上等っ!」

 

『影』での初撃を抜けた先、更に待ち受けていた『影』の壁を前に、彼女は引き攣った笑みを浮かべる。

 

()()から()()へーー自身の行動理念を、護ることから、狩ることへと変えて。

 

 

一方、咲夜とアーカード、両者の戦闘再開と時を同じくして、紫は幽香と麗亜を連れて、レミリア達の前に移動していた。

 

レミリア達に押し寄せる『影』の前に立ち塞がり、数多の巨大な『スキマ』を拓いて、そこから弾幕を放つと同時に『影』からの飛び道具を捉え、別の『スキマ』からそのまま『影』へと撃ち返す紫。

 

そして、一人で数人分の攻防を熟す紫とは対照的に、ただ無防備に佇む幽香。

 

「ヴおぉおあアアァァァ!」

 

そんな彼女の前に躍り出た、巨鎚を振り上げる『影』。

その華奢な体を砕くに充分な質量が、彼女に向かって振り下ろされる。

 

「…………」

 

直撃。

 

幽香は巨槌の一撃を躱そうともせず、ただそこに()()()()()だった。

 

故に当然、強烈な打撃をその身に受けることと相成ったわけであるが。

 

その結果残ったのは、通常ではあり得ない光景だった。

 

幽香はそのまま、()()()()()のだ。

 

上方から振り下ろされたそれは間違いなく、直撃すれば最悪、全身の骨が砕けるような一撃であった。

よほど運が良くても、頭部の欠損は避けられなかっただろう。

 

しかし幽香は、その巨槌を頭で()()()()()、先程と顔色一つ変えずに佇み続けていた。

 

「……なるほど、ね。いいわ、紫。少しだけ、付き合ってあげる」

 

彼女はぼそりと呟くと、襟元のリボンを緩め、ブラウスの第一ボタンを外した。

 

瞬間、殺気と()()がその全身から滲み出し始める。

 

それに伴い、彼女の首元の太陰大極図が、明滅を繰り返しながら、鈍い輝きを放ち出す。

時間の経過と共に、『陰』を表す()()の黒い部分が、次第に『陽』を表す白い部分を侵食し、その黒の占める割合が大きくなるほど、彼女の妖力は加速度的に膨れ上がっていく。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

そして、太陰大極図全体のおおよそ7割程度が黒く染まったところで侵食は止まり、幽香はゆっくりと、眼前に蠢く『影』達を睨み付けた。

 

その間に要した時間はほんの僅かなものであったが、彼女のあまりに禍々しく圧倒的な妖力に、周囲の者全員が、時間と空間が目一杯引き伸ばされたかのような感覚に囚われていた。

 

それは、人が致命的な危機の間際、一瞬が何分にも感じられる走馬灯の類いのような錯覚であったのだろう。

 

ともあれ、その一連の出来事が終わりを迎えたその瞬間、彼女の目の前、否、周囲に群がる『影』達は全て、跡形も無く消し飛んでいた。

 

「まずは肩慣らしから、ね……」

 

「やっぱり、連れてきて正解でしたわねぇ」

 

一瞬、目を見合わせ、すぐ正面に向き直る幽香と紫。

 

二人の目の前には、また新たな『影』が押し寄せていた。

 

 

また、その時、斯様に応戦を続ける二人に護られる形で、麗亜はそのすぐ後ろに()()していた。

 

もちろん、彼女はただ己の無力に打ちひしがれ、漫然と時を過ごしているのではない。

 

それは、即ち、零号開放を承認し、一見用済みの自分にもきっと、再び出番が回ってくると、自分が()()()()()()()は、必ず別にあるのだと予期ーー否、確信していたが故の()()に他ならなかった。

 

そうして、()()()()()()を待ちながら、彼女は今回の件について、何故このような終局に至ったのかーーつまり、何故このような状況に()()()()()()()のかについて、思いを馳せていた。

 

まず、 前提として変わらないのは、今回の件を解決するにあたって、アーカードを遣わしたのは自分自身であること。

 

しかし、何故自分はあの時、これまで()()彼を遣って他愛の無い異変()()()を解決した時と同じように、()()()()()()()()()()のか。

 

彼を動かすのに、それ以外の言葉を、命令を知らなかったから?

 

違う。

 

では、思考を停止して、()()()()ことに慣れきってしまっていたから?

 

それも、きっと違う。

 

それなら、かつて『紅魔館』で起きたものと同様の異変、という熱に浮かされたから?

 

これも、違う。多分、()()じゃない。

 

他にも理由は多数浮かべど、そして、そのどれもが原因と成り得れど、決定的とは言い難かった。

 

とどのつまり、どうも()()は、自分の内的な部分の葛藤だとか、()()()()の話ではないようなのだ。

 

そう、傍目にはただの責任転嫁に映るだろうが、何か外的な力が、()()()()()、或いは、()()()()()()()()()()のだと考えると、幾分か合点のいく答えに辿り着けそうなのである。

 

その証左に、今はこれほど冷静に事態を客観視出来ているのに、『紅魔館』(ここ)に来るまでは、情緒不安定と言っても過言ではないほど、自身の言動に整合性が取れておらず、適正な判断力も欠いていた。

 

では、()()()()()に?

 

麗亜の思考がそこへ至ると、彼女は不意に、胸が締め付けられるような息苦しさと、いてもたってもいられないほどの強烈な焦燥に襲われた。

 

唐突に目の前にちらつき始めた答えに、感情の整理がつかない。

 

彼女はその時、涼しい表情で『影』を捌き続ける紫の横顔を、無意識に見つめていた。

 

その視線に気付いたのか、彼女は目の端で麗亜を捉え、表情を崩さぬまま、首を傾げておどけて見せた。

 

「紫さん……後でしっかり、説明してくださいね?」

 

「……! いいわ。この舞台に幕が下りたら、そうしましょう」

 

麗亜の口を衝いて出た、『紅魔館』(ここ)に来る直前のものとは似て非なる問い掛け。

 

そして、紫の口から得られた、望んだ返答。

 

それでも、麗亜は焦れるばかりだった。

 



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Prière

と、いうことで(どういうことだか)旦那VS398さんクライマックスです。

この話を書くためだけにやってきた感があるので、この話を書き終えたらきっと感無量なのでしょうね。

ちょっとネタバレ的な前書きになりますが、紅魔組に付き纏う『例の問題』について、私なりに出した答えが描かれる予定です。

しかし、398さんには半年以上戦ってもらってるような、もらってないような……うん、まぁ、多分気のせい。

しっかし、追記形式で更新していくと、どうしてもかなり期間が空いてしまっているように見える(あくまで見えるだけ、と言い張る)ナァ……

※この話は長いので、完成次第キリのいいところまでで随時更新していました。
が、長きにわたる戦いの末、無事終了できたので、前編後編に分けた完成版を置いておきます。前書きとかに興味ない人はそちらをお読みください。


「……ハァッ、ハァッ!」

 

 

咲夜は、疲労が蓄積し重みを増す身体に鞭打ち、霞む眼を必死で凝らして『敵』を探す。

 

しかし、未だ彼女の瞳が映すのは、ただ生を貪らんとする『死の河』のみであった。

 

『影』の壁を突破し、多少なりとも目標の『敵』に近付けたと思った次の瞬間には、またしても新たな『影』の壁による追い討ちが迫り来る。

 

能力のインターバルを埋めるため、僅かに後退しながら()()を捌き、再び能力発動の準備が整い次第、行使すると同時に前進する。

 

その僅かな前進とは不釣り合いに、大きく奪われていく気力と体力。

 

かといって、一度(ひとたび)抵抗を止めてしまえば、待ち受けるのは『死の河』による凌辱と蹂躙ーー即ち『死』である。

 

たとえ、状況が醒めぬ悪夢の如く、前進しては後退を強いられることの繰り返しだとしても。

 

その果てに辿り着く先が、惨憺たる結末でも。

 

今はただ、必死に前へ、前へ。

 

「前へ……前へ!」

 

彼女の思いの丈は心に収まらず、いつしか声となって現れていた。

意図せず口走る、自分に言い聞かせるかのような、力強い独語。

 

「……!」

 

そして、数え切れないほど『影』の壁を抜けた時、突然に訪れた転機。

 

(ようやく、捕まえた……!)

 

『影』の壁を抜けた先、不意に視界に飛び込んで来た()()()()()()()()

 

それは、咲夜の確固たる意志が引き寄せ、そして掴み取った好機だった。

 

「踊り狂いなさい……その命尽きるまで! メイド秘技『操りドール』!」

 

その人影に向かって、無数のナイフを投擲すると同時に、多大な負荷を承知で、強引にインターバルを縮めて行使された()()()()時間停止。

本来ならば発動さえ危うかった能力は、その持続時間をほとんど失った状態ではあったが、辛うじて咲夜の要求する及第点ーー先に投げた無数のナイフを()()()ためのナイフを投げるだけの間隙を作り出す、という意図を満たしていた。

 

だが、それだけでは飽き足らないとばかりに、緻密に配置されたナイフが()()()()に囚われて動き始めるのを待たず、咲夜は駆け出していた。

 

瞬間、檻から解き放たれた獣のように、一斉にアーカード目掛けて襲い掛かる殺意の刃。

しかし、彼の四方八方から不規則に互いを反射させながら迫るそれらは、その目的を達することなく、全て空中で砕け落ちた。

 

「純銀製マケドニウム加工弾殻。マーベルス化学薬筒NNA9。全長42cm、重量17kg。15mm炸裂徹鋼弾……『ディンゴ』。完璧(パーフェクト)だ、麗亜」

 

髭面で騎士様の姿から、それ以前の容貌に戻り、不敵に笑うアーカード。

そんな彼の頭上から、宙を舞う咲夜の追撃が振り下ろされる。

 

「ぜやあああぁぁぁぁッ!」

 

咆哮ひとつ、渾身の力を込めて放たれたナイフでの一撃。

しかし、その攻撃は、間一髪差し出された『ディンゴ』の銃身の背を削り火花を散らすに留まった。

 

咲夜は、これ以上の追撃は不可能だと察すると、すかさず()()()()()、すなわち吸血鬼の肉弾戦の範囲(レンジ)から脱するように、小さく飛び退く。

 

能力の発動には、指を鳴らすという予備動作が必要であると思い込ませるための偽装(しこみ)

加えて、リスクを度外視したインターバルの排除。

それらの積み重ねの果てに放ち、造作もなく打ち破られた自信の弾幕。

そして、それを予期した上で、駄目押しの意味で仕掛けるも、虚しく弾かれた決死の一撃。

 

しかし、そんな絶望的な状況においてもなお、未だ輝きを失わずに『敵』を捉える双眸。

 

「見事だ、我が宿敵」

 

アーカードは、その咲夜の気概に、生き様に、矜持に、()()()()()()()()に、賞賛を惜しまなかった。



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Prière(2)

モチベーション維持のため、ちょっと更新の仕方を変えてみました。

今回から、1つの話をキリのいいところまで書けた段階で新話として更新し、全部出揃った時点で大元の話に統合しようと画策しております。

これで更新頻度が上が(っているように見え)るぞ!

やったね!

※というのは過去の話になりました。詳しくは前話の前書きを参照のこと。


「まだまだァ! 幻符『殺人ドール』!」

 

身に迫る絶望を拭い去るような叫びと共に、咲夜は再び『敵』目掛けて駆け出す。

彼女がただ無策に、闇雲に、躍起になって飛び出したかに見えた次の瞬間、その背に現れる無数のナイフ。

白銀の壁が咲夜を巧みに避け、彼女を追い越してアーカードに迫る。

アーカードがそれらを正確無比に撃ち落としていく最中、咲夜はその合間に自分に向けて放たれる弾丸を躱しながら、受け流しながら、弾きながら、その距離をたちまち縮めていく。

 

そして。

 

「おおおぉぁぁぁぁッ!」

 

アーカードの姿をいよいよ目前に捉えると、手にした大振りのナイフで目一杯薙ぎ払う。

 

アーカードは、その乾坤一擲の攻撃をまたしても難なく防ぎ切り、打ち破り、真っ直ぐに咲夜を見据えた。

対する咲夜もまた、先程までと変わらず一撃離脱の戦法を取ってはいたが、その瞳は更なる追撃の機を窺うように、アーカードを捉え続けている。

 

両者の視線が、一直線にぶつかる。

 

「何という女だ。人の身で、よくぞここまで練り上げた……敵よ! 殺してみせろ! この心臓にその刃を突き立ててみせろ! この私の()()()()()を終わらせてみせろ! 愛しき怨敵(おんてき)よ!」

 

その表情に余裕と驚嘆の微笑を浮かべたアーカードは、度重なる負荷に堪え兼ね、未だ肩で息をする咲夜に、容赦なく銃口を向ける。

 

「……語るに、及ばず!」

 

言葉や態度では強がっていたが、その実、咲夜の身体と精神はその限界を()()()超えていた。

しかし、それでも彼女は、ナイフを構えることを、敵に立ち向かうことを、止めなかった。

 

それは、館の仲間のため。

そして、敬愛する主人のため。

何より、自分自身のため。

彼女の生き様が如く研ぎ澄まされた切っ先鋭い刃は、まるで、彼女の矜持が乗り移ったように儚く強く、輝いた。

 

「「…………」」

 

両者は視線を逸らさず、互いを牽制するように、緩やかに体勢を変えていく。

と、そこで、咲夜の身体が不意に硬直する。

まるで、それを()()()()()ように、アーカードは、動きを止めた彼女にゆっくりと照準を定め、じわりと引き金を絞る。

 

(……! しまったッ!)

 

そして、今まさに弾丸が放たれる寸前、咲夜ははっと我に返り、そこで初めて、目を合わせた時に敵の術中に嵌っていたことに思い至った。

 

俗に言う『魅了(チャーム)』。

視線を交わしただけで人々の心を惑わす、いわゆる洗脳や精神干渉と呼ばれるものの一種。

本来であれば、対吸血鬼戦を知り尽くした咲夜に、吸血鬼の目を見詰めるような失策はあり得ない。

また、仮に()()()()()()()に陥ったとしても、彼女が万全の体調であれば、意志の力や対魔力により、容易に()()を無効化出来ただろう。

しかし、疲弊しきった肉体と憔悴した精神が、不用意に目を合わせるという油断を生み、そして、術に抵抗する力も奪っていた。

 

咲夜が、回避行動を取るため足のバネを溜めるが早いか、彼女の瞳に映る銃口の黒と火薬の炸裂光。

 

反射の域で動き出し、辛うじて紡ぎ出した一瞬にも満たない時間では、弾丸の直撃を避けるように身体を捩る程度が精一杯で、結局、()()は彼女の右肩を掠めて後方へと消えていった。

それに合わせて、咲夜の身体も、後方へと引き寄せられるように吹き飛んでしまう。

 

彼女は、そんな窮地を好機に変えるべく、その体勢を空中で整える。

そして、右手のナイフを地面に突き立てる事で制動し、それを軸に旋回、更にその勢いを利用してアーカードに飛び掛かろうとした。

 

しかし。

 

(……!)

 

次の瞬間、彼女を襲った身体(からだ)思考(あたま)の不協和音。

右手が動かない。

否、右腕の()()()()()

 

(……それ、ならッ!)

 

咲夜は、即座に軸とする腕を左に切り替え、ナイフを地面に突き立てる。

それから半拍も置かずに、強烈な遠心力が彼女の体を軋ませ、脳を揺らした。

その、まるで暴れ馬に片手で掴まっているかのような劣悪な状態の中で、彼女は狙い澄ました一瞬を見出し、旋回の勢いに乗ったまま、地面を蹴って飛び出す。

 

にわかに詰まる両者の距離。

 

一閃、瞬く白刃。

 

(手応え……あった!)

 

しかし、咲夜が捉えたのは有象無象の『影』であり、討つべきアーカードの姿は、遥か遠くにあった。

開いた二人の間隔を、見る間に『影』の亡者達が埋めていく。

もう、空間にその残像が焼き付けられるほどに、幾度も繰り返された光景。

 

「どうする? どうするんだ? 化物は()()()()()()! 使用人。倒すんだろ? 勝機はいくらだ? 千に一つか? 万に一つか? 億か、兆か……それとも京か!?」

 

咲夜の視界を占領し、蠢き連なる亡者の『壁』の向こう、アーカードの挑発的な声が響く。

 

「たとえそれが那由多の彼方でも……私には充分に過ぎる!」



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Prière(3)

とりあえず、少しでも更新を、というスタイルの体現。


感覚が戻ると共に、痛みと熱を帯び始める右腕。

肩の大部分を抉り取られ、もはやぶら下がっていると形容するに相応しい状態の()()は、咲夜に手数の減少、痛みによる集中力の低下、そして、出血による体力の消耗という非情な現実を突きつけていた。

 

「うらあああぁぁぁあぁぁッ!」

 

それでも、咲夜は自分を奮い立たせるかのような雄叫びを上げ、『影』に走り寄る。

ただ、ひたすらにナイフを投げ、斬り、振るう。

だが、投げつけるほどに、斬り倒すほどに、振るうほどに。

『影』の亡者はその数を増やし、少しずつ、しかし確実に、彼女を追い詰めていく。

 

「どうした使用人。調子はどうだ? 満身創痍だな。どうするんだ? お前は(いぬ)か? それとも人間か?」

 

「満身創痍……それが()()()()()()()()、吸血鬼。それに、まだ片腕が駄目になっただけじゃない。能書き垂れてないでかかって来なさい。早く(ハリー)早く(ハリー)!」

 

瞬間、アーカードの表情が驚きに、そして微笑みに変わる。

 

「……素敵だ。やはり人間は素晴らしい」

 

彼が幾年月を重ねて喰らい、使役する亡者達。

それらは、いつしか深追いが過ぎた咲夜を取り囲んでいた。

 

(……ッ! いよいよ、進退窮まったわね……いいえ、きっと最初から()()だったのよ。でも……)

 

だが、たとえ周囲を隙間無く取り囲まれようと、未だ輝きを失わない瞳を伴った咲夜は、今一度目の前の『影』に向かい踏み出そうとした。

 

ーーその時。

 

不意に後方から彼女の頬を掠めた()()()

それは、()()()()()魔力の塊だった。

 

「そんな……パチュリー、様……」

 

振り返った先、浮かび上がる見知ったシルエット。

『影』は炙り出しのようにじんわりと輪郭を得て、その姿を()()()()館の仲間へと変えた。

 

それは、咲夜がその可能性を感じながらも、無意識の果てに放逐していたほどに恐れていた事態。

即ち、顔見知りの誰かが『影』として使役されているという、最悪の成り行きであった。

 

(一体、どうすれば……)

 

咲夜は現実から目を逸らすように、反射的に視界からその『影』を外すと、現状を打開する手段を思慮し始めた。

 

しかし、ただでさえ不利な状況に置かれていた彼女がいくら頭を捻ってみても、戦況を覆すような策が浮かぶはずはなかった。

 

咲夜の脳裏を過る『敗北』の二文字。

考えることを放棄して飛び掛かろうにも、既に心は絶望に打ちひしがれ、両脚は頼りなく震えるばかり。

 

(これじゃあ、もう……ッ!?)

 

途方も無い諦観が咲夜を圧倒した刹那、地下室の天井に二つ目の大穴を空けて、彼女の目前に降り注いだ巨大な光芒。

そして、亡者達が薙ぎ払われたそこへ降り立つ、多数の人影。

 

「あっ、貴女達……ッ!」



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Prière(4)

エタっていない事の証左。

地の文に心理描写入れることで、感情の主体の移り変わりをわかりにくくして行間を読んでもらうスタイル。

矯正したいけどできない。現実は非情である。


「遅く、なりました。咲夜さん……ぐぅッ!」

 

「無理しちゃ駄目です、美鈴様! まだ傷が塞がってないのに……」

 

「美鈴! それに、こあ……と、妖精メイド達も!?」

 

予期せぬ闖入者の正体に、咲夜は思わず声を上げると、しばし目を白黒させた。

彼女の目の前に、彼女を護るように並び立つ美鈴、小悪魔、そして妖精メイドの面々。

 

「貴女達、一体何を考えてっ……!?」

 

咲夜は、自身の処理力を超えたその光景と突然の援護による混乱から即座に醒めると、叱りつけるような声色の一言を辺りに響かせた。

 

「すみません、咲夜さん。こあの指揮の元、皆を避難させようとしたんですが……この有様です」

 

「無謀よ! こあ、今すぐ美鈴と妖精メイド達を連れて……!」

 

ばつが悪そうに反応を返す美鈴、そして彼女の体を支える小悪魔に、咲夜は今一度、毅然とした口調で撤退を強いようとする。

 

「駄目です」

 

しかし、その言葉を遮り、小悪魔はぼそりと呟くと、咲夜に潤んだ眼差しを向けた。

 

「え?」

 

「駄目なんです。私達は、ここで()()()()それこそ()()()()()()()()()()()()()()()しまう。だから……!」

 

その言葉を受け、目を丸く見開いた咲夜に、無言で立ち並ぶ妖精メイド達も、小悪魔の背中から決意の視線を送った。

 

「……呆れた。誰も彼も、()()()()ばかり考えて。地獄が満杯になって、代わりに『紅魔館』はガラガラになって……」

 

「大丈夫です、メイド長。私達に『死』はありません。また、同じ姿で生まれ変わるだけです」

 

それは、どの妖精メイドが発した言葉かまでは咲夜にはわからなかったが、彼女の耳に確かに届き、その胸中に広がった。

 

確かに、咲夜が知る限り、この幻想郷(せかい)の妖精に『死』の概念は存在しない。

先程の言葉の通り、何かの要因で消えることになっても、地獄などへは行かず、()()()は特殊な輪廻の理に導かれて、消える前と()()()()()として生まれ変わる。

しかし、()()はあくまで()()()の話であって、()()がいつになるのかは、誰にもわからないのだ。

それは、数時間後かもしれないし、数年後、或いは限りなく永遠に近いほど先のことになるかもしれない。

つまり、妖精メイド達の消失が意味するところは、結局ほとんど咲夜が言わんとした通り、()()がおそらく今生の別れとなるということであった。

 

「……はぁ。もういいわ。言葉の()()よ」

 

お世辞にも賢いとは言えない妖精メイドらしく、咲夜が言葉の裏に隠した、再考を促すという意図を汲みきれず、言葉をそのまま捉えたが故に飛び出した一言を反芻しながら、咲夜は深く溜息をついて俯いた。

 

「まったく、()()()()()()、本当に言うことをきかない部下ばかりね……」

 

彼女は俯いたまま呟くと、()()()()でもなさそうに、口元に微笑みを浮かべ、顔を上げる。

 

「いいわ、()()()()()()驀地(まっしぐら)に突撃するわよ。美鈴はこあと火力支援。貴女達は、給仕の時のようについて来なさい!」

 

そして、再びその双眸に、群がる『影』の亡者達を映した。

 

(もう一度、近付ければ……!)

 

咲夜は意を決して、懐にした()()をぎゅっと握り締める。

 

おそらく、自身に残された時間がそう長くはないであろうことを、彼女はこの戦いの()()()知っていた。

それでも、許された僅かな生を、敬愛する主人と共に歩むためだけに使うつもりだった。

 

だが、今の彼女は違う。

 

自分の命と引き換えにしてでも、ここで目の前の敵を屠る。

 

今一度、『()』に己が刃を突き立てるために足りなかったのは、()()だったのかもしれない。

 

そんな想いを、妖精メイド達の決死の勇に抱きながら、咲夜は弾かれるように飛び出した。

妖精メイド達も、その背に続き特攻を開始する。

 

まるでそれを待っていたかのように、『影』の亡者達も進軍を再開し、両陣営の熾烈な激突の火蓋が切って落とされた。

 

「……! やはり、そう簡単には援護さえ許して貰えませんか」

 

「パチュリー様、ご容赦を」

 

『影』の包囲を掻き分け進むメイド隊を見送り、彼女達の後方から弾幕での支援を試みる美鈴と小悪魔の前に立ちはだかった、『七曜の魔女』。

 

ーー否、()()()()()()()()()()は、不敵な笑みを浮かべ、その掌を頭上に翳した。



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Prière(5)

思いの外この話が長くなってますが、読者さん達から見てダレてなければいいなぁ。

と、皆様の顔色を窺いつつの更新。

あ、あと、評価つけてくれた人達ありがとうございます。励みになってます。
この更新がその証拠ってことで、ひとつ。


……。

…………。

 

「「「うぉああああぁぁぁああぁぁ!」」」

 

メイド隊の面々が進んでいく。

弾幕を放ちながら、亡者に斬り裂かれながら、貫かれながら。

それでもなお、ただひたすらに進んでいく。

 

「では、()()()()()!」

 

「私も()()()()! お達者で!」

 

「ええ……()()()()()()()()

 

メイド隊の面々が散っていく。

ある者は断末魔が如く弾幕を撒き散らしながら、ある者はその身体を貫かれたまま、体内で増幅した魔力を暴走、爆発させて。

 

ただ、道を拓くために散っていく。

 

そう、道を拓くために。

咲夜の刃が、アーカードを斬り裂くために。

 

「…………」

 

一方、アーカードは戦いに王手をかける寸前まで状況を掌握しているにも関わらず、未だ闘争の昂りを阻害する違和感に苛まれていた。

傍目には、高みの見物に興じているように映るその姿とは裏腹に、彼の心中に渦巻く漠然とした違和感。

 

不安にも似た()()は、『影』の亡者の『壁』の隙間から、不意に魔女(パチュリー)の『影』を目にした瞬間から加速度的に肥大化し、輪郭を帯び始めた。

 

そして、ほどなくして思い至った、()()正体。

 

()()()()()は、血を媒介とした()()()()であるはずなのに。

吸った者の存在()()()()を、無論、その記憶に至るまで()()得られるはずなのに。

何故か、自分は吸血鬼の少女達と戦う最中、そして、目の前の敵(メイド)の能力を探る時にも、あの魔女(パチュリー)の記憶を辿らなかった。

否、()()()()()()()()

今まで()()()()()()()()()()()()()()の記憶も同様に、まるでその術を知らなかったかのように、なぞる事はなかった。

 

それは、カレンダーに書き込んだ予定を一瞥するように、或いは、万華鏡を手に取り覗き込むように、容易く行えるはずなのに。

 

何故か()()しなかった。

それとも、もしかしたら()()()()()()のだろうか。

今まであまりにも当然に行ってきたが故に、見落としていた異変。

 

もっとも、その真相は、全ての()()()を解き放った今となっては、確かめようもない事であった。

 

あまつさえ、ここで、彼は自身の記憶が、()()()()を境に、ほとんど欠落していると言っても過言ではないほど、不鮮明であることを改めて自覚した。

()()()()以前の記憶は、深い深い靄の彼方にその影をちらつかせるばかりで、まるでその全容を捉えることができない。

 

積み重ねられた状況証拠によって輪郭を得た違和感は遂に、()()()疑念へと変貌した。

 

その疑念とは、彼が『紅魔館(ここ)』に来る直前、神社で目覚めた時に覚えた感覚と同質のものであった。

それは即ち、自身が()()()()()()()への不審。

 

不意に膨れ上がる、言い知れぬ焦燥感。

覗き込んではいけない深淵に目を遣るような不安。

 

アーカードは、その身に宿す『影』と等量の、膨大で不定形な鬼胎を抱いていた。

 

「今はただ、闘争を……」

 

覆い被さる蟠りを振り払うように、そして、自分に言い聞かせるように、彼は静かに呟く。

 

そう、雑多で歪な水平思考など、()()()()()()()()()()

 

「……待たせたわね、化物」

 

と、そこで、アーカードの耳に心地よく響く声。

彼は熟考を切り上げ、声の主を見据えた。

 

傷だらけで()()()()の、しかし、それでも凛と立つ一人の女。

 

そう、咲夜は迫る絶望を掻き分け、同胞の屍を踏み進み、今一度アーカードと対峙するに至ったのだ。

 

「あの包囲網を突き破り、私の眼前に立ったか……流石だ、人間。今一度問おう。お前の名を」

 

「私は、咲夜……『紅魔館』のメイド長、十六夜咲夜よ!」

 

戦闘開始時はつっけんどんに切り捨てた問い掛けに、咲夜は高らかに名乗りを上げる。

それは、彼女がアーカードを命に代えてでも斃すべき敵と認めたことの現れであった。

 

「咲夜! いいぞ、いい名だ! いい目だ! 来い、人間(ヒューマン)!」

 

咲夜の名を聞くと、アーカードは拍手するように手を叩き、不敵な笑みを浮かべた。

 

「……終わりにしましょう。お嬢様が()()()()()()()いらっしゃる」

 

対する咲夜は懐から、大ぶりな懐中時計を取り出し、アーカードに向けて掲げる。

その勢いで時計に繋がる鎖が擦れ、金属音が涼やかに鳴った。

 

「ほう。それが、お前の切り札か」

 

「そうよ」

 

その懐中時計の天板の反対側、小物入れのようなスペースから取り出された、小瓶に詰まった液体。

 

「それは……まさか! お前()、化物になる気か!? 俺を、お前を、俺達の闘争を……彼岸の彼方へ追いやるつもりか? 俺のような化物は、()()()()()()()()()()()()()()弱い化け物は、人間に倒されなければならないんだ。やめろ人間! 化け物にはなるな……私のような!」

 

()()を見た瞬間、アーカードは血相を変えて喚き立てた。

 

いつかの光景が、ぼんやりと彼の脳裏を過る。

それは、かつて彼が今と同じように戦った一人の神父との、闘争の顛末。

 

やはり、はっきりとは思い出せないけれど。

()()に想いを馳せると、胸に穴が空くような、寂寞とした感情が襲い掛かる。

 

それはきっと、呆気ない幕切れ、望まない決着だったのだろう。

 

「これほど戦ったのに、まだ分からないかしら? 私は、ただの刃でいい。忠誠という名のナイフでいい。私は生まれながら、嵐なら良かった。恫喝ならば良かった。一つの信管ならば良かった。心無く涙も無い、ただの恐ろしい暴風なら良かった……かつては()()思っていたわ。でも、今は違う。私は、()()()()、アナタを斃し、お嬢様を護り抜いてみせる。これを飲み干すことで、それができるようになるのなら、()()するわ。さよなら、本当に大切な()()と出会えなかった()

 

アーカードの言葉を受けた咲夜は、険しい表情で歯噛みする彼に、哀れみにも似た視線を送る。

 

そして。

 

(ああ、(しゅ)よ。私は貴方の大敵である悪魔に、この魂を捧げ忠誠を誓った身。だけど、もし許されるのなら……あと一度だけ、力を貸してください。目の前の悪魔を、祓うために。AMEN(エイメン)

 

液体の蓋を器用に片手で外すと、一息に飲み干した。

 

「……!」

 

瞬間、彼女の脳裏を走馬燈のように駆け巡る、数々の記憶。

 

 

……。

…………。

 

「来い、化物ども。始末してやる」

 

来る日も来る日も、吸血鬼を狩り続けた毎日。

 

「化物はお前だろう。さっさと出て行け!」

 

その果てに、人々に迫害された日々。

 

「無様ね、人間。でも、とても……美しいわ」

 

人生の転機となった、一人の吸血鬼との出会い。

 

「望むなら、私の()()()にしてあげてもいいわ。もちろん、眷属としてではなく、よ」

 

「後悔するぞ……私は必ず、貴様を討つ」

 

気まぐれに結んだ、仮初の主従。

 

(確かに、神は居た。でも、残酷だった。祈っても、届かないなら。見守られるだけなら。私は、差し伸べられた手を取るわ。それがたとえ、悪魔の手でも)

 

幻想郷(ここ)に来た時の、諦観と誓い。

 

「それなら、アナタが私を()()()()()()()

 

いつか交わした約束。

 

「咲夜、アナタ最近おかしいわよ? すぐにぼうっとしたりして……」

 

音もなく忍び寄る不調。

 

「ま、時を弄んだ罰ってトコじゃない?」

 

「治療法は?」

 

「端的に言うと、ないわね」

 

永遠亭で突き付けられた現実。

 

「ねぇ、咲夜。貴女がどうしてもと言うなら、貴女を蓬莱人にすることだって……」

 

「それは、お断りします。それでは」

 

「ちょっと待って。これ、持って行きなさいな」

 

そこで受け入れた運命と、半ば押し付けられた秘薬。

 

そしてーー

 

……。

…………。

 

 

「何故……何故だ! 何故、お前()……!」

 

アーカードは歯軋りを響かせ、懐中時計を握り締めたまま蹲る咲夜に銃口を向けた。

 

ーー刹那、目にも留まらぬ一閃が、アーカードの首を刎ね飛ばす。

同じくして、引き金を引かれた彼の『ディンゴ』が火を噴き、咲夜の頭部を撃ち抜いた。

 

大きく仰け反った二人の体が、そのまま後方に傾き倒れるかに見えたその時、二人は自らの足で体勢を立て直していた。

アーカードの首元からは影が噴き上がり、吹き飛んだ筈の頭を形作る。

 

また、大部分を欠損した咲夜の頭部も、まるで時間を巻き戻すように元通りになっていく。

更に、負傷していた彼女の右腕も、頭部と同じように修復されていく。

しかも、それだけではない。

傷の修復を終えた彼女は、その容貌までもが、時間を巻き戻されたかのように()()()()いた。

 

同刻。

 

「貴女とこうして肩を並べて、背中を合わせて戦うなんて、何十……いいえ、何百年ぶりかしらね?」

 

「そうねぇ、月で大暴れした時以来かしら。昔過ぎて覚えていないわ」

 

「やっぱり、老け込んだんじゃない?」

 

「あらあら、手厳しいわね」

 

麗亜の傍ら、軽口を叩きながら群がる『影』を薙ぎ払い続ける幽香と紫。

 

「この気配は……咲夜!?」

 

その後ろで、レミリアは自分の使用人の変化を察知していた。

 

「ようやく、()()()になったみたいね」

 

()()、さっきの小娘の? それにしては……」

 

「私でも、わかります……これって」

 

「咲夜だ! 咲夜だよ!」

 

僅かに遅れて、他の者達も()()に気付き始める。

全てを掻き乱す魔力の渦の只中でも、確かにそれが感じられる異様に、紫を除いた一同は困惑と驚嘆の色を隠さなかった。

 

「紫……一体どういうことよ!? 何か知っているんでしょう!? 答えなさい!」

 

自身では文字通り手も足も出ない状況に焦れるばかりのレミリアは、その不満をぶつけるが如く、紫にがなり立てる。

 

「まさに彼女は、現在(いま)()()を賭けたのよ。掲げた矜持と共に生きてきた自身の過去、主人と歩むべき自身の未来……そして、それでもこの賭場に届かなかった分も借り出して、ね」

 

「だから、それはどういう……!」

 

「たとえそれが、この短い夜が明けて鶏が鳴けば身を滅ぼす、法外な利息を伴ったとしても、彼女は()()()との勝負に()()を賭けた……そう、言葉の通り()()を、賭けたのよ」

 

「まさか……」

 

紫の回答から、レミリアが思い至った恐ろしい結末。

それは、彼女にとって想像さえしたくない残酷な幕切れだった。

 

「さぁ、運命がカードを混ぜたわ。決着の時(コール)よ。賭場は一度、勝負は一度きり。相手は鬼札(ジョーカー)。それじゃあ、アナタは() かしら? ねぇ、十六夜咲夜……!」



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Prière(6)

いよいよクライマックスです。キリが悪いところで切れてますが、ヒキということでひとつ。


……。

…………。

 

「ぐッ……おおおぉぉおおぉぉおおぉ!?」

 

圧倒的。

 

「言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()、と」

 

それは、まさに圧倒的と形容するに相応しい状況だった。

 

咲夜が飲み干した液体の正体は、()()『蓬莱の薬』と()()()()()秘薬。

それは、服用した者の『人生』を、即ち『過去』、そして『未来』を、『現在』という()()短時間に圧縮する薬。

そう、噛み砕いて言えば、服用した者が()()()()()()()、『現在』という一瞬に、その者が()()()()()を収斂する薬。

 

ーー本来であれば、いつか来るべき()()()()()に、()()()()()()ための薬であった。

 

ともあれ。

 

「グ……おあぁあああAAAAAA!」

 

全盛の姿を取り戻した咲夜の攻撃は、もはや白銀の瞬きさえ伴わず、無慈悲かつ正確にアーカードにダメージを蓄積させていく。

それは、咲夜が世界の()から完全に解き放たれたのか、はたまた、文字通り相手の()()を思うままに()()()ほどの強大な力を行使できるようになったのか。

もっとも、そのどちらであっても、また、()()()()()()()()()、アーカードはただ為す術なく、苛烈な猛攻に身を晒すことしかできなかった。

 

「不死身の化物(フリークス)など存在しない……! くたばるまで、殺してやるわ。傷魂『ソウルスカルプチュア』……!」

 

まるで、深い霧が晴れるかのように、アーカードを取り巻く『影』は不可視の斬撃に散り、その身体には見る間に数多の刃が突き立てられていく。

先程まで咲夜が用いていたナイフよりも一回り大きなそれらは、同時に絶えず彼女の周囲に振り撒かれ、一切の『影』の接近を許さず消し去っていた。

 

「クッ……!」

 

反撃はおろか、まともな防御さえできない状況に、アーカードは堪らず『影』とその身を入れ替え、距離を取る。

 

が、次の瞬間には敵の姿が目の前にあり、そして攻撃を受けている。

それは、咲夜が一瞬でその距離を詰める移動をしたのか、()()()()()移動したのか、或いはアーカードが彼女の目の前に()()()()()()のか。

()()は、それについて語ることさえ小賢しいことであると思わせる見事な一転攻勢であった。

 

咲夜は、持てる全てを総動員して、ただアーカードを狩るためだけに刃を振るっていく。

 

薙ぎ斬り、斬り落とし、斬り払い、斬り捨て、突き立て、突き通し、突き貫く。

 

「……終わりよ!」

 

そして、遂に、咲夜の刃がアーカードの心臓を捉えた。

 

ーーかに見えた次の瞬間。

 

彼女の眼前、アーカードは影と消え、それと同時に、咲夜の左頬を強烈な衝撃が襲った。

 

「……ぐッ!?」

 

咲夜は何とかその場に踏み留まり、顔の傷を修復させながら、衝撃が向かってきた方向を睨み付ける。

 

「シッイイイィィィィ!」

 

そこでは、その風貌を幼い少女のものへと変化させたアーカードが、拳を震わせ笑っていた。

瞬間、両者の視線が交わるが早いか、アーカードの額に突き立てられた刃が、咲夜の攻撃の再開を告げた。

 

「最後の最後で、随分と分の悪い賭けに出たな、()()!」

 

アーカードは、それもお構いなしといった様子で、追撃の刃をその身に受けながら、『ディンゴ』の銃口を真っ直ぐ咲夜へと向ける。

と、同時に、『影』の亡者が突撃指令を下された軍隊のように、一斉に咲夜に襲い掛かった。

しかし、『影』の亡者達は獲物を捕らえることなく掻き消え、『ディンゴ』を構えたアーカードの腕は落ち、噴き出した鮮血が足元の『影』へと溶けていく。



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Prière(7)

いつの間にか書き始めてから一年以上過ぎていたということに気付く今日この頃。

途中で焦燥感に駆られて推敲ちょっとサボってしまったのでミスや矛盾等あったら教えて頂きたいと思います。

という珍しく読者に丸投げスタイル。


※後半が続きとの整合性を損なっていたため推敲しました。


「クッ……ははははは! どうした! 来い! もっと! もっとだ!」

 

「舐めきったマネを……!」

 

アーカードは、何やら意味ありげにその姿形を変えたものの、逆転した形勢は揺るがなかった。

 

絶え間なく続く、咲夜の一方的な蹂躙。

しかし、その中でもどこか余裕を含んだ、小馬鹿にするような笑みを浮かべるアーカードに、咲夜は苛立ちと不安を募らせる。

 

そして、徐々に彼女を蝕み始めた身体の軋みと焦燥感。

 

(身体が、もたない……? もうなの!? せめて、あともう少しだけ……!)

 

「舐めてなどいない。舐めているのは()()だ。私は、お前の余興に付き合っているだけだ。こんなもの、まるで子供の遊びだ。ガキの喧嘩だ。だから()()になってやっただけさ。しかし、老いた姿のお前は、その(ザマ)の何兆倍も何京倍も美しかったというのに……なんて醜い(ザマ)だ」

 

「……黙れッ!」

 

アーカードの言葉を遮るように、湧き上がる消極的な感情を振り払うように、咲夜の猛攻は続く。

それでも、アーカードは一層激しさを増すその攻撃に少なからずダメージを受けながらも、それに構わず舌戦を繰り広げる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に頼った時点で、()()としてのお前は()()()()……本当に、醜悪な(ザマ)だな。お前がいかに人間を自称しようと、お前はもはや()()()人の形をした()()と成り果てたのだ! 私と同じく、な……」

 

「……勘違いも甚だしいわね。やっぱり、アナタは()()()()()よ、吸血鬼。たとえ、()()()がどうあろうと、()()()……言ったでしょう? ()()()()()()、アナタを斃す、と。この身を()()()()()()()にやつそうとも、それで()()()のなら、本望よ」

 

互いに死線を超えるに紙一重の、物理的な攻防の最中、間断無く交わされる言葉により、真っ向から衝突を繰り返す両者の信念。

 

そして、その()()()()()()という事実によって、咲夜が()()()した勝利への陰り。

 

即ち、制限時間(タイムリミット)が迫りつつあるという実情。

 

「勘違いしているのは()()()だ? 化物を打倒するのは、いつだって()()だ。()()()()()()()()()()()のだ!」

 

「戯言を……ッ!」

 

()()に城主ひとりになったとしても、(アーカード)は彼ひとりでも恐ろしい吸血鬼であった。

たとえ全ての()()()を解き放ったといえども、地面に広がる『影』は紛れも無く彼()()()()であり、少女の姿をした()を斬り刻むだけではきっと、致命の一撃に成り得ないであろうことは、ここに至るまでの状況が証明している。

とはいえ、最後の切り札(ジョーカー)を切った咲夜に、何か他の策があるはずもなく、彼女はただひたすらに少女の虚像とその身代わりになる『影』の亡者達を滅し、アーカードの生命力を削り続ける。

 

(まだ……まだよ! まだ()()()を斃していない! まだ、なのに……ッ!)

 

だが、次第に、露呈し始める瑕疵。

振るう度、精彩さを欠くナイフの連撃。

加えて、能力の行使も杜撰となりつつあるのか、未だ予備動作の段階で抑えてはいるものの、度々反撃を許し始めている現状。

攻めるほど、反撃を捌くほど、悲鳴をあげる体。

咲夜に()()()()時間は、もう()()長くはないようだった。

 

いつしか、咲夜の一方的な攻撃は鳴りを潜め、二人の闘争は一進一退、泥仕合の様相を呈し始めていた。

 

「これ以上の問答は無用ね……悪夢も、そろそろ終わりにしましょう!」

 

だが、状況は咲夜に戦闘の長期化を許さない。

そこで、彼女は考える。

このまま攻撃を継続することが不可能なら。

今までの方法では、一瞬にして致命傷を与えられないのなら。

変幻自在の『影』により、その急所(しんぞう)を捉えられないのなら。

 

一体如何なる手段を用いれば、目の前の敵を屠れるのか。

 

苦悩の末、彼女が導き出した答えは皮肉にも、相対する敵が今まさに仕掛けている攻撃に酷似した攻撃を行うことーー即ち、持てる全てを攻撃に振っての、無差別広域攻撃であった。

飛び上がった自身を中心に、上下左右前後全てを隙間なく覆い尽くす、いわば()()()()()()を築き上げ、その全てを同時に叩き込む。

それは、味方を巻き込んでしまうリスクがあまりに大きいため、この土壇場まで無意識の内に想い描くことさえ避けていた、乾坤一擲の、最後の一手。

もっとも、彼女に仲間を傷付ける気など毛頭なく、最後の攻撃の()()()が終わり次第、主人達を出来る限り避難させる、或いは自身の身を盾としてでも護り抜く算段を整えてはいた。

 

(こんな時に、アナタをアテにするのは癪だけど……さっきの言葉、信じてるわよ、紫)

 

しかし、肝心の()()()能力行使がどれだけ()()のか、()()が、自分のこととはいえある程度しか把握できず、彼女は()()()()()と睨んだ一人の女を脳裏に描き、自嘲気味に微笑みを浮かべた。

 

(最低でも、美鈴とこあの無事は確保できるように……さぁ、行くわよ()()死の舞踏(ラストダンス)と洒落込みましょう)

 

咲夜はアーカードとの肉薄の距離から小さく飛び退くと、追撃を振り払いながら、最後の時間操作の持続時間をより長いものとするべく、集中を高め始める。

 

「フン。あいにく、その悪夢とやらを()()()()()()()気はない。()()お前では私を倒せない、と言っているんだ。それに、腹が減った」

 

その時、最後の攻撃に打って出ようとする咲夜の前に、アーカードは右手を突き出し、その甲を見せ付けるように翳す。

そこに浮かぶ、不気味に脈動する術式。

 

「お前は他愛も無く死ぬ」

 

そのアーカードの言葉を皮切りに、術式が妖艶な輝きを放ち、徐々にその禍々しさが増していく。

 

(もう少し……あと少しだけ、集中……集中!)

 

「もはや、全盛の姿を保つので精一杯なんだろう? さぁ、食事としよ……う?」

 

瞬間、前触れなく()()()()()()()

地下室に存在する全ての『影』の亡者が、一斉にアーカードに向き直り、その輪郭を崩しながら、()()()の濁流となって、彼の空腹を満たすために押し寄せた。

()()()()()()()

しかし、その『影』の波から、突如として溢れ出た、『影』より深い黒を纏った『()』。

そして、()()の向かう先、一城の()は、揺らめく『闇』が形成する陽炎じみた()()へと変貌していく。

 

そして。

 

「お、おおッ……!?」

 

()に溢れていた敵意が、殺意が、城主(ロード)の存在感が、否、アーカードの()()が闇に包まれ、()()した。

 

「なッ……! これ、は……ぐぅっ!?」

 

突然の出来事に集中を乱し、また、状況の整理が追いつかず、その不可解な現象に気を取られていた咲夜の胸を、不意に背後から貫く『闇』の()

 

その衝撃で懐から飛び出した懐中時計が、持ち主の体とともに抉られた事を主張するかのように、上端の一部を失った状態で地面に落ち、無機質な金属音を響かせた。



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Prière(8)

いよいよ最終局面ではありますが、師走の折は忙しく創作に割く時間が少なくなりがちなもの。

とはいえ、あまり期間が空き過ぎるのもいかがなものか。

と、いうことで、僅かばかりのクリスマスプレゼント更新をば。

ブラックサンタ的な。


……。

…………。

 

「……っ! いけない! みんな、もう少しこっちに!」

 

咲夜が杭に貫かれ、アーカードが()()()()()()()()()原型を失いつつある混沌とした状況の中、ただならぬ()()の発生を察知した紫は、周囲にいる全員に集合を促す。

 

「幽香、貴女もよ!」

 

「えっ? ちょっ……!」

 

その直後、彼女は一人突出して闘う幽香の襟首を『スキマ』を介して掴み、そのまま拡げた()()へと引き込んで、自身の傍らに引き寄せる。

 

瞬間、床一面に広がる闇から突き出した杭、杭、杭。

 

その只中、不意に撒き散らされた()に囲まれる形で、闇から隔絶された半球形状の空間が存在していた。

 

それは、紫が咄嗟に創り出した、強力な拒絶の『境界』による安全地帯(セーフティエリア)

 

「これは……!」

 

そこから外界を見渡す麗亜は、闇から突き出した、視界を覆い尽くさんばかりの()()()の正体に気付き、戦慄した。

 

戦場を埋め尽くす無数の杭は、まさに在りし日の串刺し公(カズィクル・ベイ)の心象風景()()()()であり、紛れも無く、この世の地獄と形容するに相応しい有様であった。

 

「……少し外すわ。幽香、お願いね」

 

「はいはい。ま、別に何もできそうにないけれどね」

 

根源的な畏怖の対象となるべき惨憺たる光景を前に、『賢者』は皆の生命線である安全地帯を形成している『境界』を維持したまま新たな『スキマ』を拓く。

そして、僅かな焦りを見せるように、彼女らしからぬ素早い身のこなしでその中へと消えた。

 

…………。

……………………。

 

「……行くの?」

 

妖怪の山にひっそりと居を構える、守矢神社。

背後から声を掛けられた一人の少女は、しばし無言のまま高台に立ち、下界を見下ろしていた。

 

「……いいえ、その必要はないでしょう。ほんの一瞬でしたが、御二方も()()()でしょう? 『()()』の気配を」

 

「うん。十数年前(あのとき)と同じ感覚と一緒に、一瞬だけ」

 

「もし()()()()()()()()()()我々の出る幕ではないはずです。我々は『宗教戦争』、『最恐の妖怪討伐』、『黒影異変』と、ことごとく他の勢力に先んじられ、信仰(ちから)を失い過ぎました」

 

少女は高台からふわりと飛び降りると、自身の背に立つ声の主の方へ向き直る。

 

「早苗……」

 

「なに、待ちますよ。幻想郷(ここ)にいる限り、機は必ず巡ってくる。次の()()は、上手くやります」

 

どこか哀しげな表情で、しかし嬉々とした声色でそう呟くと、少女ーー東風谷早苗は、不敵な笑みを浮かべた。

 

「次は……」

 

それに応えるように、声の主は早苗と顔を見合わせる。

 

「ええ。()()のやり方で」

 

そして、それを受けた早苗は、声の主の横に佇む()()()()に目配せした。

 

「最高のタイミングで、()()()()()()()()()()()()()()、かい?」

 

早苗と目を合わせた()()()()も、彼女につられるように口元を歪め、返答の分かりきった質問を投げ掛ける。

 

「はい。それに、死んだ妖怪だけが、いい妖怪ですから。そうでしょう? 霊夢さん……」

 

まるで、そこにある()()の影を仰ぐように、早苗は空を見上げる。

現世(そとのせかい)を捨て、神と人とを繋ぐモノーー風祝(かぜほうり)となった一人の少女。

彼女がかつて持っていた純真無垢な心は、とうの昔に壊れてしまったのかもしれない。

人の身で、人の心で、神の力を振るうなど。

人のまま、神であることなど。

初めから不可能な事だったのかもしれない。

 

ただ、今の彼女は現人神として()()()()()()

 

それだけは、確かだった。

 

 

そして、同刻。

守矢神社の遥か上空を駆ける、一つの影。

 

(……ようやく、この時が来ましたか)

 

目にも留まらぬ速度で夜空を駆け抜けるその影の正体は、射命丸文であった。

彼女は、幻想郷最速と謳われるその速度を遺憾無く発揮し、走力全開(フルスロットル)で『紅魔館』のある方角へと飛翔する。

 

(……待ち侘びましたよ。永かった。本当に、気が遠くなるほど。でも、これでまた『()()』に会える)

 

眼下に広がる紅い霧の先に、きっと『()()』が居る。

そう考えるだけで、気持ちが昂ぶる。

身体が熱くなり、鼓動が波打つ。

 

いつか止まってしまった歯車を、再び動き出させるために。

止まってしまった時計の針を、その手で回し始めるために。

 

空を駆ける鴉天狗は風を纏い、一陣の疾風となり、彼の地へと急いだ。

 



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Prière(9)

新年最初の更新が月の下旬という時点で今年もお察しな感じですが、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

時節のイベントにちなんだ短編とか書きたいんですが、リソースの分配を間違えかねないので迷っております。

いい加減398編終われというツッコミは無粋ですよ、ええ。


……。

…………。

 

 

「……ぐぅッ」

 

(まだ、何とか身体は動くわね……)

 

どれほどの時間が経過しただろうか。

咲夜は微睡みにも似た意識の揺蕩いから、緩やかに覚醒する。

 

もはや焦点の合わない視界は得体の知れない『黒』で埋め尽くされ、『敵』の姿は捉えられない。

 

(あと……少しだけ)

 

咲夜は、僅かに残された、しかし加速度的に失われていく自身の『(いのち)』を感じながら、その体の状態を目視で確認する。

 

全身は『闇』の杭で串刺しになり、もはや致命傷といった言葉では不足であるほど重篤な損傷を負っていた。

全身から、急激に失われていく『熱』と全能感。

それでも、彼女は不思議と恐怖を感じなかった。

 

(一太刀でも、多く……)

 

そう、彼女の胸は、圧倒的な恐怖や絶望を塗り潰すほどの忠誠と使命感で満たされていたのだ。

 

主人を護るため、『敵』を斬り裂き、屠る。

己を奮い立たせる感情に突き動かされ、彼女は右腕に力を込める。

 

瞬間、彼女の体が全身を貫いている杭の拘束から抜け出し、引き換えにその右腕が前触れなく虚空に砕け散った。

 

(……! 時間切れ、か……)

 

咲夜は、灰のように崩れ去った右腕から自身の結末を悟りながら、風穴だらけの身体を今にも折れそうな両脚で支える。

 

そして、残された左手にナイフを構えると、覚束ない足取りで歩を進め始めた。

 

ーーその時。

 

不意に、床一面に広がり、また、杭を成していた『闇』が胎動し、瞬く間にそのカタチを変え始めた。

 

『闇』が蠢く。

床がうねり、波打つ。

『闇』が蠢く。

杭が、螺旋を描いて解けていく。

『闇』が蠢く。

耳をつんざく悲鳴のような音が響く。

 

そして、解けた『闇』は巨大な手の形を成し、その場にいる者全てを深淵へと引き込むように燻り狂い出した。

 

(……ッ! こんな、)

 

ただでさえほとんど失われてしまった勝ちの目に、追い討ちを掛けるような絶望的な状況。

絶対の忠誠に裏打ちされた意志をもってしても抗いきれず、いよいよ咲夜が諦めの言葉を脳裏に浮かべるか、といったまさにその時。

 

「……咲夜ッ!」

 

彼女の頭上から響いた、誰かの声。

聞き覚えのある、しかし、聞いたことのない力強さで紡がれた声。

 

咲夜は無意識にナイフを手放し、その声の方へと残された左腕を伸ばしていた。

 

瞬間、咲夜の体がぐいっと引っ張り上げられ、宙に浮く。

 

それとほぼ同時に、咲夜が居た場所に『闇』の手が大挙して押し寄せ、そこに残されたナイフと懐中時計を呑み込んだ。

 

……。

…………。

 

「……紫」

 

「あまり喋らない方がいいわ、咲夜」

 

間一髪、『闇』の手の襲撃から逃れた咲夜は、紫の形成した安全地帯の中にいた。

 

「……必死な貴女の顔、見たかったわ」

 

制止する紫に強がるように、咲夜は軽口じみた嫌味を零す。

確かに、咲夜は辛うじて『生』を繋いだ。

しかし、それは弱々しく、今にも消え入りそうな不安定なものと成り果てていた。

その証拠に、彼女はもう、五感のほとんどを喪失し、全盛を保っていたその姿は、次第に()()()()()()()()()

 

ただ、それは老いた姿にではなく。

皮肉にも、彼女が最期に()()()()()姿()ーー在りし日の、毎日が輝いていたあの日々の、そう、うら若き少女だった頃の姿に。

 

「これ以上、微かに残された時間を私のために使われては、助けた意味がなくなるわ。死に瀕した()()が会話すべきは、私のような部外者ではないでしょう? ねぇ、レミリア」

 

「……やっぱり、咲夜だったのね」

 

レミリアは、その匂いから紫が連れて来たモノが咲夜ーー否、正確には()()()()()()()なのだということを、理解していた。

随分と変容してしまっていたが、その根本は変わらないのか、どこか嗅ぎ慣れた匂い。

そして弱々しく響く、厳しさの中に優しさの宿る声。

感覚に訴えかけてくる全てが、咲夜の()()()()()が近くにいるのだと彼女に主張してくる。

 

それでも、レミリアは()()を心のどこかで否定していた。

 

何故なら、それを認めてしまうことは、本当の意味で、咲夜という()()が間も無く()()()()()()()()()ことを認めることと、同義であったから。

 

それゆえ、彼女は斯様に取り乱さずに振る舞えたのだろう。

 

「あらあら、予想外の反応ね。感動の再会なのではなくて?」

 

「黙りなさい。そのそっ首、今にも掻っ切ってやりたい気分なのよ、私は。でも……」

 

紫の茶化すような言動を無造作にいなし、レミリアは残された腕で咲夜の傍らへと這い寄る。

 

その音に反応したのか、咲夜は残された僅かな力で、首だけをレミリアの方へと向けた。

 

「咲夜」

 

「そこに……おられるのですか? お嬢……様。申し訳、ございません……」

 

主人の呼び掛けに、もはや視力さえ失った従者は力無く応える。

 

「馬鹿ね。アナタって、本当に馬鹿。救いようのない、大馬鹿者よ。全てを投げ打って戦って、その挙句、この有り様なんて、ね」

 

「本当、笑い話にも、なりませんよね……」

 

「まぁ、いいわ。完璧な()()のアナタなんて、つまらないもの。最期くらいはせめて()()()()、逝けばいい」

 

「ふ、ふ……ありがとう、ございます……」

 

「でも、その前に一つだけ、聞かせて頂戴。アナタ、後悔はしていない? 私の()()として()()ことに、()()として永遠を受け入れなかったことに」

 

「していない、と言えば……嘘になります……だってまだ……()()を…………斃して、いない」

 

「……! やっぱり、アナタってとびきりの馬鹿で世話焼きね。ねぇ、咲夜…………咲夜ぁ……私、()()()()()になるの?」

 

刻一刻と迫る別れの時。

その(きわ)でも、あくまで主人を気遣い続ける咲夜に、レミリアは堪らず取り繕っていた()()()()()物腰を崩し、その声色や表情はいつしか、()()()へと戻っていた。

 

それは、孤独に押し潰されそうな一人の少女に。

咲夜と出会った、()()()の彼女に。

 

「いいえ、()()……ひとりでは、ありませんよ……幻想郷(このせかい)の皆が…………何より、妹様が、おられます……」

 

「でも……ッ!」

 

「…………」

 

二人のやり取りを見守る皆は、あの幽香までもが、どこか寂しげな表情を浮かべ、安全地帯の外に広がる地獄さえ意に介さず、ただただ沈黙していた。

特に麗亜は、口元を手で押さえ、とめどなく昇ってくる感情を飲み込み続けているようだった。

 

「きゃっ……な、何!?」

 

その時だった。

 



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Prière(10)

遂に、念願の398さん編終了。

次の話からラストバトル突入予定です。

ちなみに、おそらく伏線回収しきらないのでご了承を。

あえて言っておくスタイル。


「や……っ!? お姉さ……ッ」

 

不意に、安全地帯の端に居たフランドールを襲う『闇』の魔手。

誰も予想だにしなかった、かけがえのない()を引き裂く無慈悲な介入。

 

混沌から湧き出た絶望は、有無を言わせずそのままフランドールとその傍らのパチュリーの亡骸を呑み込み、地面に広がる『闇』へと溶け込む。

 

「そんな……ッ! 博麗の封印ごとっ!?」

 

「紫ッ!」

 

「わかっているわよ!」

 

幽香が叫ぶが早いか、紫は『闇』に侵食された『境界』の内側に、規模を縮小して再構築した『境界』による安全地帯を咄嗟に展開し、殺到する『闇』の手から無防備な三人を防御する。

 

だが。

 

「パチェ……フラン……! そんな!」

 

辛うじて事無きを得たレミリアには、過酷な現実が間髪入れずに突き付けられることとなった。

彼女は、数刻前の過ちで大切な友を失い、今まさに無力さで大切な妹を失い、ほんの数分先には愚かさから大切な従者も失おうとしている。

 

過去、現在、未来。

喪失に次ぐ喪失により、遂に彼女の感情は限界を振り切ってしまった。

 

「紫ぃッ!」

 

彼女は、状況を顧みることさえ忘れ、行き場のない憤りと怨嗟を吐き出すように、無感情に佇む『賢者』へと殺気をぶつける。

 

「やめなさい、みっともないわね。()()()()、不可抗力よ。さすがの賢者様にも、限界があるってだけの話でしょう?」

 

「外野が何をッ!」

 

そして、その殺気を身を呈して遮り、彼女から紫を庇うような言動をとった幽香にも、続け様に牙を剥いた。

 

「本当は()()()()()()()()くせに。それでもアンタは、自分の弱さを棚に上げて、全てを紫になすりつけて、喚くだけなのね」

 

「この……ッ!」

 

そんなレミリアの反応など意に介さず、歯に衣着せぬ物言いで、冷淡な言葉を浴びせ掛ける幽香に、彼女は堪らず左手を突き出す。

 

そう、幽香の指摘した通り、レミリアは全てを直感し、また、同時に()()していた。

 

紫が力の大半を、『闇』が館の外に出ないようにするために、人知れず築いた規格外の『境界』の維持に割いていることも。

どこまでが計算の上なのかは推し測れないが、彼女が、必死で状況を悪化させないように努めていることも。

そして、自分は結局、己の無力さによって全てを失おうとしていることも。

その端緒も、自らの短絡的な判断と愚鈍さが招いてしまっていたことも。

あまつさえ、館の皆、ひいては幻想郷全土をも、致命的な危機に晒してしまっていることも。

 

無論、()()がここに至った原因が、レミリア一人にあるとは言い切れない。

しかしながら、彼女のいくつかの行動が、意図せずその一翼を担っていた事は疑いようがない。

 

それでも彼女は、その上で、すなわち、自身の非を認めた上でも()()、自身と咲夜以外の誰かに、やり場のない怒りを向けざるを得なかった。

それは、降り掛かる理不尽に抵抗する術を、他に持たざるが故か。

 

「いいのよ、幽香」

 

するとそこで、精一杯の威嚇を見せたレミリアに対し、今にも飛び掛かりそうな幽香を手で制しながら、紫が一歩、前に出る。

 

そして、そのまま彼女はレミリアにずいっと詰め寄り、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 

「どうぞ、恨んでくれて結構よ、レミリア。何なら、()()()()()()、今すぐ私を殺してみる?」

 

ゆっくりと開かれた彼女の口から、焦らすように紡がれた蠱惑的な声。

 

その物言いには、まるで、全ての事象は自身の掌の外に一度たりとも出てはいない、というような自信に満ち溢れた色があった。

 

「それじゃあ、お望み通り……!」

 

目で捉えられずとも、確かに感じる不遜な表情。

 

それが裏打ちする、言葉の裏側で同時に示された、とある()()()

 

それらを理解しながらも、レミリアは衝動的に、今度は紫へとその左手を向けた。

 

「駄目……です、お嬢様……」

 

と、不意に、制止するようにその左腕を握る、咲夜の手。

 

「咲、夜……」

 

「やめ、ましょう……お嬢、様。ゆ、かり……さっきの、口振り……何か、方法がある、のよね……?」

 

咲夜は、今にも搔き消えそうなか細い声で、絞り出すように紫に尋ねる。

 

「ええ。()()()()()を丸く収める方法が、二つあるわ」

 

紫は、その途切れ途切れに紡がれる咲夜の問い掛けに応じ、唖然とするレミリアを差し置いて話を進め始めた。

 

「咲夜ッ! 私、私は……!」

 

そんな二人のやりとりは、レミリアからしてみれば、逼迫した別れに水を差す無粋なものに感じられたことだろう。

 

かといって、それを阻む術を持ち合わせてはいない彼女は、ただ感情のままに声を張り上げ、己の存在を主張するより他なかった。

 

「お、嬢様……聞き分けて、ください……今は、ゆか、りに……頼るほか……」

 

「……っ! わかってる……わかってるわよ、そんなのッ! でも、」

 

そう、重ねて記すが、レミリアは全てを理解していたのだ。

 

ただ、やはり、彼女には()()()()()()()

己の行き場のない感情の矛先を向ける相手が。

心の奥底から、無限に湧き出る感傷の正体と、それを治める方法が。

 

「それじゃあ、できるだけ簡潔に言うわね。一つは、このまま、この『吸血鬼』()()()()()を『境界』の彼方、幻想郷(このよのどこでもないばしょ)でさえない空間へと放り込んで、隔絶してしまう方法。これは、私があとほんの少し頑張れば可能だけれど……ただ、相手は私の『境界』を侵食するほどのモノだから、()()のリスクがあるし、何よりハッピーエンドにはならないわ。『紅魔館』とその住人達と引き換えに、未曾有の『異変』は大事に至る直前に解決。大方、こう記されておしまいね。もちろん、天狗の新聞や歴史に残る書物とかにではなく、私の日記程度のものに、だけれど」

 

「この……ッ! よくもぬけぬけと!」

 

ただただ感情に振り回されるばかりのレミリアの耳に心地悪く障る、饒舌に語られる紫の策。

 

レミリアがそれに反応し感情を昂らせる度に、その激情を抑え込むように強く握られる、咲夜の手。

 

「咲夜……」

 

「……はぁ。素直じゃないわね、まったく。時間が惜しいんでしょう? 早く()()の説明をしたら?」

 

と、遅々として進まない状況に痺れを切らしたのか、つっけんどんな物言いと共に、幽香がレミリアを挟んで紫の向かいに立つ。

 

彼女は言葉の結びに「こんな時まで、性格悪いのね」と付け足し、殊更にそれが旧来からの悪い癖であると言い添えるように、小首を捻った。

 

その言動に反応し、一瞬、幽香と顔を見合わせた紫だったが、彼女はすぐに視線を落とすと、表情一つ変えず、再び淡々と思案した算段の説明を始めた。

 

「もう一つは、この『闇』の中からアーカード()()を見つけ出し、封印する方法。ただ、それには手間もかかるし、藍達を呼び出したとしても、おそらく人手不足だわ。でも……」

 

紫は、まるで()()()()()()であるかのように流暢に語り続けていたが、不意にそこで言葉を意味深に区切ると、レミリアから視線を移し、その双眸に咲夜の姿を映した。

 

「……やっぱり、()()くる、のね……いい、わ。紫……もう一度、口ぐる、まに……のせられて、あげる……」

 

対して、何かを悟ったように、咲夜は小さく口を開くと、掴んでいたレミリアの腕を離し、今度はその手を強く握り直した。

 

「咲夜……?」

 

「お嬢、様……わた、しの……最後の、願いを……どうか、聞い、て……ください」

 

次第に小さく、か細く掠れていく声。

徐々に広がる、言葉と言葉の間隔。

段々と薄まる、『生』の()()()

咲夜から発せられる全てが、彼女に残された時間の短さを皆に感じさせる。

 

そんな、命が尽き果てる(きわ)に至っても、咲夜は我儘に己の心の内を述べたりはせず、ただただ、主人に最期の願いを告げようとする。

 

「……勿論よ。私にできることなら、何でもするわ」

 

きっと、否、間違いなく、これが咲夜最後の願いになるだろう。

その重さ故、無責任に叶えるとは答えられなかったが、せめて聞き届けて、できることなら全てを引き換えにしてでも叶えよう、と。

そう覚悟を決めたレミリアの耳に飛び込んで来たのは、予想だにしない一言だった。

 

「では、お、嬢様……私を、()()()くだ、さい……」

 

その声色や調子とは裏腹に、淀みなく紡がれた、最期の懇願。

 

「……! 咲、夜ぁ……」

 

それを耳にした時、レミリアは涙声と共に、無意識に咲夜の手を握り返していた。

今にも崩れ落ちそうなその手を、壊れるほど、強く、強く。

 

「泣か、ないで……下さい、お、嬢様……貴女、様は……強い、お方では……ありませんか」

 

「でも、それじゃあ……」

 

レミリアを酷く困惑させる、咲夜最期の願い。

なぜならそれは、咲夜自身が忌み嫌った終焉と()()()()()()を意味していたからであった。

 

「確、かに……人、として死ねない……のは、ごめんこうむり……たい、ですが……『敵』を討てぬ、まま果てるのは…………貴女様を、護れない、まま……斃れ、るのは……それ以上に、嫌……なんです」

 

「…………」

 

レミリアは、これ以上何も言葉を発することはなかった。

その代わりに、彼女はただ、滅びゆく大切な人を慈しむよう、そして、何かに祈りを捧げるよう、その手を握り続けていた。

 

「だから、私を食べてください……! 私を食べて、一緒にやっつけましょう、お嬢様……!」

 

その、自身の想いに応えるような優しい感触に浸りながら、咲夜はかっと目を見開いて呟くと、まるで糸の切れた人形のように、全身から強張りを失い、沈黙に伏した。

 

「…………」

 

その様を見届けたレミリアは、そっと咲夜の手を解き、彼女の肩を抱く。

 

「う……う、ああ、うわあああぁあぁぁぁ!」

 

そして、力の限り声を張り上げ紡ぐ、嘆きの咆哮。

 

出会った()()()から、覚悟はしていた。

そう、人間も妖怪も、この世の誰しもが、何事にも()()()がある事を知っている。

でも、それが()()であるとは、誰も想像さえしない。

こんなにも、別れ(おわり)はありふれているのに。

だからこそ、生は尊いのに。

 

いざ()()()にならねば、人々はそれを思い出せない。

 

「「「…………」」」

 

悲壮感に満ちる場の空気と、押し黙る一同。

誰もが目の前の光景にいたたまれず、視界の端に捉えはするが、直視することは避けていた。

ただ、しゃがみ込んでいた紫だけは、いつの間にか立ち上がり、渦中の二人を無感情に見下ろしていた。

それは、結末を知っている劇を観るように覚めきった、退屈そうにも見える顔で。

 

「あああぁあぁぁぁああああぁぁ!」

 

晩鐘のごとく響く咆哮。

 

周囲の目を気にも留めずに叫び続けるレミリアの頬を伝う血が、一粒、二粒と咲夜の頬に零れ落ちる。

 

それはまるで、溢れ出した涙のように。

 

(泣かないで、と言っていますのに……主人が従者の為に涙を流すなど、あってはいけないことなのに。ああ、自分だって、疲労困憊、満身創痍なのに。本当、本当に、素晴らしいお方。このお方を護れるのなら、何がどうなったっていい…………)

 

もはや言葉さえも失った咲夜の意識は、微睡みに堕ちるように、現世に繫ぎ止める鎖を手放すように、混濁した無の底へと向かい、その深淵へと導かれていく。

 

「あああぁぁあ……ッ!」

 

急速に()を欠落させていく咲夜の身体を、レミリアはしっかりと抱き締める。

そして、咆哮の勢いのまま、首を後ろに反り返し、口を大きく開くと、その首筋に深々と噛み付いた。

 

「…………!」

 

その身体に残された()()を、血液に留まらず、魂までをも吸い上げるような鮮烈な吸血。

 

血を啜り、喉が脈動するごとに、紅い影が型取り、瞬く間に再構築されていく欠損していた四肢。

 

「……!」

 

喉の動きが止まると、レミリアはそっと口元を離し、顔を上げた。

 

再生した彼女の両腕にそっと横たえられた咲夜の身体が、かさかさと音を立て、塵と崩れていく。

 

その傍らに在るは、()()()()()で『吸血姫(ノーライフクイーン)』となった一人の少女だった。

 

「……咲夜」

 

そして、再び見開かれた二つの真紅(クリムゾン)

 

否、ただ儚いほどの涙を見せるような褪めた紅(スカーレット)

 

吸血姫(ノーライフクイーン)』は、迫り来る『闇』をそこに映し、紅に黒を添えた。



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Prière(前編)

時間が取れたのでまとめてみました。

そして、今更ながら多機能フォームに文頭に空白を入れる機能があることを知るという。

なので、早速使ってみました。読みやすくなってればいいナァ……

少年は、新たな運命と出会う(支離滅裂)。


「……ハァッ、ハァッ!」

 

 

 咲夜は、疲労が蓄積し重みを増す身体に鞭打ち、霞む眼を必死で凝らして『敵』を探す。

 

 しかし、未だ彼女の瞳が映すのは、ただ生を貪らんとする『死の河』のみであった。

 

『影』の壁を突破し、多少なりとも目標の『敵』に近付けたと思った次の瞬間には、またしても新たな『影』の壁による追い討ちが迫り来る。

 

 能力のインターバルを埋めるため、僅かに後退しながら()()を捌き、再び能力発動の準備が整い次第、行使すると同時に前進する。

 

 その僅かな前進とは不釣り合いに、大きく奪われていく気力と体力。

 

 かといって、一度(ひとたび)抵抗を止めてしまえば、待ち受けるのは『死の河』による凌辱と蹂躙ーー即ち『死』である。

 

 たとえ、状況が醒めぬ悪夢の如く、前進しては後退を強いられることの繰り返しだとしても。

 

 その果てに辿り着く先が、惨憺たる結末でも。

 

 今はただ、必死に前へ、前へ。

 

「前へ……前へ!」

 

 彼女の思いの丈は心に収まらず、いつしか声となって現れていた。

 意図せず口走る、自分に言い聞かせるかのような、力強い独語。

 

「……!」

 

 そして、数え切れないほど『影』の壁を抜けた時、突然に訪れた転機。

 

(ようやく、捕まえた……!)

 

『影』の壁を抜けた先、不意に視界に飛び込んで来た()()()()()()()()

 

 それは、咲夜の確固たる意志が引き寄せ、そして掴み取った好機だった。

 

「踊り狂いなさい……その命尽きるまで! メイド秘技『操りドール』!」

 

 その人影に向かって、無数のナイフを投擲すると同時に、多大な負荷を承知で、強引にインターバルを縮めて行使された()()()()時間停止。

 本来ならば発動さえ危うかった能力は、その持続時間をほとんど失った状態ではあったが、辛うじて咲夜の要求する及第点ーー先に投げた無数のナイフを()()()ためのナイフを投げるだけの間隙を作り出す、という意図を満たしていた。

 

 だが、それだけでは飽き足らないとばかりに、緻密に配置されたナイフが()()()()に囚われて動き始めるのを待たず、咲夜は駆け出していた。

 

 瞬間、檻から解き放たれた獣のように、一斉にアーカード目掛けて襲い掛かる殺意の刃。

 しかし、彼の四方八方から不規則に互いを反射させながら迫るそれらは、その目的を達することなく、全て空中で砕け落ちた。

 

「純銀製マケドニウム加工弾殻。マーベルス化学薬筒NNA9。全長42cm、重量17kg。15mm炸裂徹鋼弾……『ディンゴ』。完璧(パーフェクト)だ、麗亜」

 

 髭面で騎士様の姿から、それ以前の容貌に戻り、不敵に笑うアーカード。

 そんな彼の頭上から、宙を舞う咲夜の追撃が振り下ろされる。

 

「ぜやあああぁぁぁぁッ!」

 

 咆哮ひとつ、渾身の力を込めて放たれたナイフでの一撃。

 しかし、その攻撃は、間一髪差し出された『ディンゴ』の銃身の背を削り火花を散らすに留まった。

 

 咲夜は、これ以上の追撃は不可能だと察すると、すかさず()()()()()、すなわち吸血鬼の肉弾戦の範囲(レンジ)から脱するように、小さく飛び退く。

 

 能力の発動には、指を鳴らすという予備動作が必要であると思い込ませるための偽装(しこみ)

 加えて、リスクを度外視したインターバルの排除。

 それらの積み重ねの果てに放ち、造作もなく打ち破られた自信の弾幕。

 そして、それを予期した上で、駄目押しの意味で仕掛けるも、虚しく弾かれた決死の一撃。

 

 しかし、そんな絶望的な状況においてもなお、未だ輝きを失わずに『敵』を捉える双眸。

 

「見事だ、我が宿敵」

 

 アーカードは、その咲夜の気概に、生き様に、矜持に、()()()()()()()()に、賞賛を惜しまなかった。

「まだまだァ! 幻符『殺人ドール』!」

 

 身に迫る絶望を拭い去るような叫びと共に、咲夜は再び『敵』目掛けて駆け出す。

 彼女がただ無策に、闇雲に、躍起になって飛び出したかに見えた次の瞬間、その背に現れる無数のナイフ。

 白銀の壁が咲夜を巧みに避け、彼女を追い越してアーカードに迫る。

 アーカードがそれらを正確無比に撃ち落としていく最中、咲夜はその合間に自分に向けて放たれる弾丸を躱しながら、受け流しながら、弾きながら、その距離をたちまち縮めていく。

 

 そして。

 

「おおおぉぁぁぁぁッ!」

 

 アーカードの姿をいよいよ目前に捉えると、手にした大振りのナイフで目一杯薙ぎ払う。

 

 アーカードは、その乾坤一擲の攻撃をまたしても難なく防ぎ切り、打ち破り、真っ直ぐに咲夜を見据えた。

 対する咲夜もまた、先程までと変わらず一撃離脱の戦法を取ってはいたが、その瞳は更なる追撃の機を窺うように、アーカードを捉え続けている。

 

 両者の視線が、一直線にぶつかる。

 

「何という女だ。人の身で、よくぞここまで練り上げた……敵よ! 殺してみせろ! この心臓にその刃を突き立ててみせろ! この私の()()()()()を終わらせてみせろ! 愛しき怨敵(おんてき)よ!」

 

 その表情に余裕と驚嘆の微笑を浮かべたアーカードは、度重なる負荷に堪え兼ね、未だ肩で息をする咲夜に、容赦なく銃口を向ける。

 

「……語るに、及ばず!」

 

 言葉や態度では強がっていたが、その実、咲夜の身体と精神はその限界を()()()超えていた。

 しかし、それでも彼女は、ナイフを構えることを、敵に立ち向かうことを、止めなかった。

 

 それは、館の仲間のため。

 そして、敬愛する主人のため。

 何より、自分自身のため。

 彼女の生き様が如く研ぎ澄まされた切っ先鋭い刃は、まるで、彼女の矜持が乗り移ったように儚く強く、輝いた。

 

「「…………」」

 

 両者は視線を逸らさず、互いを牽制するように、緩やかに体勢を変えていく。

 と、そこで、咲夜の身体が不意に硬直する。

 まるで、それを()()()()()ように、アーカードは、動きを止めた彼女にゆっくりと照準を定め、じわりと引き金を絞る。

 

(……! しまったッ!)

 

 そして、今まさに弾丸が放たれる寸前、咲夜ははっと我に返り、そこで初めて、目を合わせた時に敵の術中に嵌っていたことに思い至った。

 

 俗に言う『魅了(チャーム)』。

 視線を交わしただけで人々の心を惑わす、いわゆる洗脳や精神干渉と呼ばれるものの一種。

 本来であれば、対吸血鬼戦を知り尽くした咲夜に、吸血鬼の目を見詰めるような失策はあり得ない。

 また、仮に()()()()()()()に陥ったとしても、彼女が万全の体調であれば、意志の力や対魔力により、容易に()()を無効化出来ただろう。

 しかし、疲弊しきった肉体と憔悴した精神が、不用意に目を合わせるという油断を生み、そして、術に抵抗する力も奪っていた。

 

 咲夜が、回避行動を取るため足のバネを溜めるが早いか、彼女の瞳に映る銃口の黒と火薬の炸裂光。

 

 反射の域で動き出し、辛うじて紡ぎ出した一瞬にも満たない時間では、弾丸の直撃を避けるように身体を捩る程度が精一杯で、結局、()()は彼女の右肩を掠めて後方へと消えていった。

 それに合わせて、咲夜の身体も、後方へと引き寄せられるように吹き飛んでしまう。

 

 彼女は、そんな窮地を好機に変えるべく、その体勢を空中で整える。

 そして、右手のナイフを地面に突き立てる事で制動し、それを軸に旋回、更にその勢いを利用してアーカードに飛び掛かろうとした。

 

 しかし。

 

(……!)

 

 次の瞬間、彼女を襲った身体(からだ)思考(あたま)の不協和音。

 右手が動かない。

 否、右腕の()()()()()

 

(……それ、ならッ!)

 

 咲夜は、即座に軸とする腕を左に切り替え、ナイフを地面に突き立てる。

 それから半拍も置かずに、強烈な遠心力が彼女の体を軋ませ、脳を揺らした。

 その、まるで暴れ馬に片手で掴まっているかのような劣悪な状態の中で、彼女は狙い澄ました一瞬を見出し、旋回の勢いに乗ったまま、地面を蹴って飛び出す。

 

 にわかに詰まる両者の距離。

 

 一閃、瞬く白刃。

 

(手応え……あった!)

 

 しかし、咲夜が捉えたのは有象無象の『影』であり、討つべきアーカードの姿は、遥か遠くにあった。

 開いた二人の間隔を、見る間に『影』の亡者達が埋めていく。

 もう、空間にその残像が焼き付けられるほどに、幾度も繰り返された光景。

 

「どうする? どうするんだ? 化物は()()()()()()! 使用人。倒すんだろ? 勝機はいくらだ? 千に一つか? 万に一つか? 億か、兆か……それとも京か!?」

 

 咲夜の視界を占領し、蠢き連なる亡者の『壁』の向こう、アーカードの挑発的な声が響く。

 

「たとえそれが那由多の彼方でも……私には充分に過ぎる!」

 

 感覚が戻ると共に、痛みと熱を帯び始める右腕。

 肩の大部分を抉り取られ、もはやぶら下がっていると形容するに相応しい状態の()()は、咲夜に手数の減少、痛みによる集中力の低下、そして、出血による体力の消耗という非情な現実を突きつけていた。

 

「うらあああぁぁぁあぁぁッ!」

 

 それでも、咲夜は自分を奮い立たせるかのような雄叫びを上げ、『影』に走り寄る。

 ただ、ひたすらにナイフを投げ、斬り、振るう。

 だが、投げつけるほどに、斬り倒すほどに、振るうほどに。

『影』の亡者はその数を増やし、少しずつ、しかし確実に、彼女を追い詰めていく。

 

「どうした使用人。調子はどうだ? 満身創痍だな。どうするんだ? お前は(いぬ)か? それとも人間か?」

 

「満身創痍……それが()()()()()()()()、吸血鬼。それに、まだ片腕が駄目になっただけじゃない。能書き垂れてないでかかって来なさい。早く(ハリー)早く(ハリー)!」

 

 瞬間、アーカードの表情が驚きに、そして微笑みに変わる。

 

「……素敵だ。やはり人間は素晴らしい」

 

 彼が幾年月を重ねて喰らい、使役する亡者達。

 それらは、いつしか深追いが過ぎた咲夜を取り囲んでいた。

 

(……ッ! いよいよ、進退窮まったわね……いいえ、きっと最初から()()だったのよ。でも……)

 

 だが、たとえ周囲を隙間無く取り囲まれようと、未だ輝きを失わない瞳を伴った咲夜は、今一度目の前の『影』に向かい踏み出そうとした。

 

 ーーその時。

 

 不意に後方から彼女の頬を掠めた()()()

 それは、()()()()()魔力の塊だった。

 

「そんな……パチュリー、様……」

 

 振り返った先、浮かび上がる見知ったシルエット。

『影』は炙り出しのようにじんわりと輪郭を得て、その姿を()()()()館の仲間へと変えた。

 

 それは、咲夜がその可能性を感じながらも、無意識の果てに放逐していたほどに恐れていた事態。

 即ち、顔見知りの誰かが『影』として使役されているという、最悪の成り行きであった。

 

(一体、どうすれば……)

 

 咲夜は現実から目を逸らすように、反射的に視界からその『影』を外すと、現状を打開する手段を思慮し始めた。

 

 しかし、ただでさえ不利な状況に置かれていた彼女がいくら頭を捻ってみても、戦況を覆すような策が浮かぶはずはなかった。

 

 咲夜の脳裏を過る『敗北』の二文字。

 考えることを放棄して飛び掛かろうにも、既に心は絶望に打ちひしがれ、両脚は頼りなく震えるばかり。

 

(これじゃあ、もう……ッ!?)

 

 途方も無い諦観が咲夜を圧倒した刹那、地下室の天井に二つ目の大穴を空けて、彼女の目前に降り注いだ巨大な光芒。

 そして、亡者達が薙ぎ払われたそこへ降り立つ、多数の人影。

 

「あっ、貴女達……ッ!」

 

「遅く、なりました。咲夜さん……ぐぅッ!」

 

「無理しちゃ駄目です、美鈴様! まだ傷が塞がってないのに……」

 

「美鈴! それに、こあ……と、妖精メイド達も!?」

 

 予期せぬ闖入者の正体に、咲夜は思わず声を上げると、しばし目を白黒させた。

 彼女の目の前に、彼女を護るように並び立つ美鈴、小悪魔、そして妖精メイドの面々。

 

「貴女達、一体何を考えてっ……!?」

 

 咲夜は、自身の処理力を超えたその光景と突然の援護による混乱から即座に醒めると、叱りつけるような声色の一言を辺りに響かせた。

 

「すみません、咲夜さん。こあの指揮の元、皆を避難させようとしたんですが……この有様です」

 

「無謀よ! こあ、今すぐ美鈴と妖精メイド達を連れて……!」

 

 ばつが悪そうに反応を返す美鈴、そして彼女の体を支える小悪魔に、咲夜は今一度、毅然とした口調で撤退を強いようとする。

 

「駄目です」

 

 しかし、その言葉を遮り、小悪魔はぼそりと呟くと、咲夜に潤んだ眼差しを向けた。

 

「え?」

 

「駄目なんです。私達は、ここで()()()()それこそ()()()()()()()()()()()()()()()しまう。だから……!」

 

 その言葉を受け、目を丸く見開いた咲夜に、無言で立ち並ぶ妖精メイド達も、小悪魔の背中から決意の視線を送った。

 

「……呆れた。誰も彼も、()()()()ばかり考えて。地獄が満杯になって、代わりに『紅魔館』はガラガラになって……」

 

「大丈夫です、メイド長。私達に『死』はありません。また、同じ姿で生まれ変わるだけです」

 

 それは、どの妖精メイドが発した言葉かまでは咲夜にはわからなかったが、彼女の耳に確かに届き、その胸中に広がった。

 

 確かに、咲夜が知る限り、この幻想郷(せかい)の妖精に『死』の概念は存在しない。

 先程の言葉の通り、何かの要因で消えることになっても、地獄などへは行かず、()()()は特殊な輪廻の理に導かれて、消える前と()()()()()として生まれ変わる。

 しかし、()()はあくまで()()()の話であって、()()がいつになるのかは、誰にもわからないのだ。

 それは、数時間後かもしれないし、数年後、或いは限りなく永遠に近いほど先のことになるかもしれない。

 つまり、妖精メイド達の消失が意味するところは、結局ほとんど咲夜が言わんとした通り、()()がおそらく今生の別れとなるということであった。

 

「……はぁ。もういいわ。言葉の()()よ」

 

 お世辞にも賢いとは言えない妖精メイドらしく、咲夜が言葉の裏に隠した、再考を促すという意図を汲みきれず、言葉をそのまま捉えたが故に飛び出した一言を反芻しながら、咲夜は深く溜息をついて俯いた。

 

「まったく、()()()()()()、本当に言うことをきかない部下ばかりね……」

 

 彼女は俯いたまま呟くと、()()()()でもなさそうに、口元に微笑みを浮かべ、顔を上げる。

 

「いいわ、()()()()()()驀地(まっしぐら)に突撃するわよ。美鈴はこあと火力支援。貴女達は、給仕の時のようについて来なさい!」

 

 そして、再びその双眸に、群がる『影』の亡者達を映した。

 

(もう一度、近付ければ……!)

 

 咲夜は意を決して、懐にした()()をぎゅっと握り締める。

 

 おそらく、自身に残された時間がそう長くはないであろうことを、彼女はこの戦いの()()()知っていた。

 それでも、許された僅かな生を、敬愛する主人と共に歩むためだけに使うつもりだった。

 

 だが、今の彼女は違う。

 

 自分の命と引き換えにしてでも、ここで目の前の敵を屠る。

 

 今一度、『()』に己が刃を突き立てるために足りなかったのは、()()だったのかもしれない。

 

 そんな想いを、妖精メイド達の決死の勇に抱きながら、咲夜は弾かれるように飛び出した。

 妖精メイド達も、その背に続き特攻を開始する。

 

 まるでそれを待っていたかのように、『影』の亡者達も進軍を再開し、両陣営の熾烈な激突の火蓋が切って落とされた。

 

「……! やはり、そう簡単には援護さえ許して貰えませんか」

 

「パチュリー様、ご容赦を」

 

『影』の包囲を掻き分け進むメイド隊を見送り、彼女達の後方から弾幕での支援を試みる美鈴と小悪魔の前に立ちはだかった、『七曜の魔女』。

 

 ーー否、()()()()()()()()()()は、不敵な笑みを浮かべ、その掌を頭上に翳した。

 

 

 ……。

 …………。

 

「「「うぉああああぁぁぁああぁぁ!」」」

 

 メイド隊の面々が進んでいく。

 弾幕を放ちながら、亡者に斬り裂かれながら、貫かれながら。

 それでもなお、ただひたすらに進んでいく。

 

「では、()()()()()!」

 

「私も()()()()! お達者で!」

 

「ええ……()()()()()()()()

 

 メイド隊の面々が散っていく。

 ある者は断末魔が如く弾幕を撒き散らしながら、ある者はその身体を貫かれたまま、体内で増幅した魔力を暴走、爆発させて。

 

 ただ、道を拓くために散っていく。

 

 そう、道を拓くために。

 咲夜の刃が、アーカードを斬り裂くために。

 

「…………」

 

 一方、アーカードは戦いに王手をかける寸前まで状況を掌握しているにも関わらず、未だ闘争の昂りを阻害する違和感に苛まれていた。

 傍目には、高みの見物に興じているように映るその姿とは裏腹に、彼の心中に渦巻く漠然とした違和感。

 

 不安にも似た()()は、『影』の亡者の『壁』の隙間から、不意に魔女(パチュリー)の『影』を目にした瞬間から加速度的に肥大化し、輪郭を帯び始めた。

 

 そして、ほどなくして思い至った、()()正体。

 

 ()()()()()は、血を媒介とした()()()()であるはずなのに。

 吸った者の存在()()()()を、無論、その記憶に至るまで()()得られるはずなのに。

 何故か、自分は吸血鬼の少女達と戦う最中、そして、目の前の敵(メイド)の能力を探る時にも、あの魔女(パチュリー)の記憶を辿らなかった。

 否、()()()()()()()()

 今まで()()()()()()()()()()()()()()の記憶も同様に、まるでその術を知らなかったかのように、なぞる事はなかった。

 

 それは、カレンダーに書き込んだ予定を一瞥するように、或いは、万華鏡を手に取り覗き込むように、容易く行えるはずなのに。

 

 何故か()()しなかった。

 それとも、もしかしたら()()()()()()のだろうか。

 今まであまりにも当然に行ってきたが故に、見落としていた異変。

 

 もっとも、その真相は、全ての()()()を解き放った今となっては、確かめようもない事であった。

 

 あまつさえ、ここで、彼は自身の記憶が、()()()()を境に、ほとんど欠落していると言っても過言ではないほど、不鮮明であることを改めて自覚した。

 ()()()()以前の記憶は、深い深い靄の彼方にその影をちらつかせるばかりで、まるでその全容を捉えることができない。

 

 積み重ねられた状況証拠によって輪郭を得た違和感は遂に、()()()疑念へと変貌した。

 

 その疑念とは、彼が『紅魔館(ここ)』に来る直前、神社で目覚めた時に覚えた感覚と同質のものであった。

 それは即ち、自身が()()()()()()()への不審。

 

 不意に膨れ上がる、言い知れぬ焦燥感。

 覗き込んではいけない深淵に目を遣るような不安。

 

 アーカードは、その身に宿す『影』と等量の、膨大で不定形な鬼胎を抱いていた。

 

「今はただ、闘争を……」

 

 覆い被さる蟠りを振り払うように、そして、自分に言い聞かせるように、彼は静かに呟く。

 

 そう、雑多で歪な水平思考など、()()()()()()()()()()

 

「……待たせたわね、化物」

 

 と、そこで、アーカードの耳に心地よく響く声。

 彼は熟考を切り上げ、声の主を見据えた。

 

 傷だらけで()()()()の、しかし、それでも凛と立つ一人の女。

 

 そう、咲夜は迫る絶望を掻き分け、同胞の屍を踏み進み、今一度アーカードと対峙するに至ったのだ。

 

「あの包囲網を突き破り、私の眼前に立ったか……流石だ、人間。今一度問おう。お前の名を」

 

「私は、咲夜……『紅魔館』のメイド長、十六夜咲夜よ!」

 

 戦闘開始時はつっけんどんに切り捨てた問い掛けに、咲夜は高らかに名乗りを上げる。

 それは、彼女がアーカードを命に代えてでも斃すべき敵と認めたことの現れであった。

 

「咲夜! いいぞ、いい名だ! いい目だ! 来い、人間(ヒューマン)!」

 

 咲夜の名を聞くと、アーカードは拍手するように手を叩き、不敵な笑みを浮かべた。

 

「……終わりにしましょう。お嬢様が()()()()()()()いらっしゃる」

 

 対する咲夜は懐から、大ぶりな懐中時計を取り出し、アーカードに向けて掲げる。

 その勢いで時計に繋がる鎖が擦れ、金属音が涼やかに鳴った。

 

「ほう。それが、お前の切り札か」

 

「そうよ」

 

 その懐中時計の天板の反対側、小物入れのようなスペースから取り出された、小瓶に詰まった液体。

 

「それは……まさか! お前()、化物になる気か!? 俺を、お前を、俺達の闘争を……彼岸の彼方へ追いやるつもりか? 俺のような化物は、()()()()()()()()()()()()()()弱い化け物は、人間に倒されなければならないんだ。やめろ人間! 化け物にはなるな……私のような!」

 

 ()()を見た瞬間、アーカードは血相を変えて喚き立てた。

 

 いつかの光景が、ぼんやりと彼の脳裏を過る。

 それは、かつて彼が今と同じように戦った一人の神父との、闘争の顛末。

 

 やはり、はっきりとは思い出せないけれど。

 ()()に想いを馳せると、胸に穴が空くような、寂寞とした感情が襲い掛かる。

 

 それはきっと、呆気ない幕切れ、望まない決着だったのだろう。

 

「これほど戦ったのに、まだ分からないかしら? 私は、ただの刃でいい。忠誠という名のナイフでいい。私は生まれながら、嵐なら良かった。恫喝ならば良かった。一つの信管ならば良かった。心無く涙も無い、ただの恐ろしい暴風なら良かった……かつては()()思っていたわ。でも、今は違う。私は、()()()()、アナタを斃し、お嬢様を護り抜いてみせる。これを飲み干すことで、それができるようになるのなら、()()するわ。さよなら、本当に大切な()()と出会えなかった()

 

 アーカードの言葉を受けた咲夜は、険しい表情で歯噛みする彼に、哀れみにも似た視線を送る。

 

 そして。

 

(ああ、(しゅ)よ。私は貴方の大敵である悪魔に、この魂を捧げ忠誠を誓った身。だけど、もし許されるのなら……あと一度だけ、力を貸してください。目の前の悪魔を、祓うために。AMEN(エイメン)

 

 液体の蓋を器用に片手で外すと、一息に飲み干した。

 

「……!」

 

 瞬間、彼女の脳裏を走馬燈のように駆け巡る、数々の記憶。

 

 

 ……。

 …………。

 

「来い、化物ども。始末してやる」

 

 来る日も来る日も、吸血鬼を狩り続けた毎日。

 

「化物はお前だろう。さっさと出て行け!」

 

 その果てに、人々に迫害された日々。

 

「無様ね、人間。でも、とても……美しいわ」

 

 人生の転機となった、一人の吸血鬼との出会い。

 

「望むなら、私の()()()にしてあげてもいいわ。もちろん、眷属としてではなく、よ」

 

「後悔するぞ……私は必ず、貴様を討つ」

 

 気まぐれに結んだ、仮初の主従。

 

(確かに、神は居た。でも、残酷だった。祈っても、届かないなら。見守られるだけなら。私は、差し伸べられた手を取るわ。それがたとえ、悪魔の手でも)

 

 幻想郷(ここ)に来た時の、諦観と誓い。

 

「それなら、アナタが私を()()()()()()()

 

 いつか交わした約束。

 

「咲夜、アナタ最近おかしいわよ? すぐにぼうっとしたりして……」

 

 音もなく忍び寄る不調。

 

「ま、時を弄んだ罰ってトコじゃない?」

 

「治療法は?」

 

「端的に言うと、ないわね」

 

 永遠亭で突き付けられた現実。

 

「ねぇ、咲夜。貴女がどうしてもと言うなら、貴女を蓬莱人にすることだって……」

 

「それは、お断りします。それでは」

 

「ちょっと待って。これ、持って行きなさいな」

 

 そこで受け入れた運命と、半ば押し付けられた秘薬。

 

 そしてーー

 

 ……。

 …………。

 

 

「何故……何故だ! 何故、お前()……!」

 

 アーカードは歯軋りを響かせ、懐中時計を握り締めたまま蹲る咲夜に銃口を向けた。

 

 ーー刹那、目にも留まらぬ一閃が、アーカードの首を刎ね飛ばす。

 同じくして、引き金を引かれた彼の『ディンゴ』が火を噴き、咲夜の頭部を撃ち抜いた。

 

 大きく仰け反った二人の体が、そのまま後方に傾き倒れるかに見えたその時、二人は自らの足で体勢を立て直していた。

 アーカードの首元からは影が噴き上がり、吹き飛んだ筈の頭を形作る。

 

 また、大部分を欠損した咲夜の頭部も、まるで時間を巻き戻すように元通りになっていく。

 更に、負傷していた彼女の右腕も、頭部と同じように修復されていく。

 しかも、それだけではない。

 傷の修復を終えた彼女は、その容貌までもが、時間を巻き戻されたかのように()()()()いた。

 

 同刻。

 

「貴女とこうして肩を並べて、背中を合わせて戦うなんて、何十……いいえ、何百年ぶりかしらね?」

 

「そうねぇ、月で大暴れした時以来かしら。昔過ぎて覚えていないわ」

 

「やっぱり、老け込んだんじゃない?」

 

「あらあら、手厳しいわね」

 

 麗亜の傍ら、軽口を叩きながら群がる『影』を薙ぎ払い続ける幽香と紫。

 

「この気配は……咲夜!?」

 

 その後ろで、レミリアは自分の使用人の変化を察知していた。

 

「ようやく、()()()になったみたいね」

 

()()、さっきの小娘の? それにしては……」

 

「私でも、わかります……これって」

 

「咲夜だ! 咲夜だよ!」

 

 僅かに遅れて、他の者達も()()に気付き始める。

 全てを掻き乱す魔力の渦の只中でも、確かにそれが感じられる異様に、紫を除いた一同は困惑と驚嘆の色を隠さなかった。

 

「紫……一体どういうことよ!? 何か知っているんでしょう!? 答えなさい!」

 

 自身では文字通り手も足も出ない状況に焦れるばかりのレミリアは、その不満をぶつけるが如く、紫にがなり立てる。

 

「まさに彼女は、現在(いま)()()を賭けたのよ。掲げた矜持と共に生きてきた自身の過去、主人と歩むべき自身の未来……そして、それでもこの賭場に届かなかった分も借り出して、ね」

 

「だから、それはどういう……!」

 

「たとえそれが、この短い夜が明けて鶏が鳴けば身を滅ぼす、法外な利息を伴ったとしても、彼女は()()()との勝負に()()を賭けた……そう、言葉の通り()()を、賭けたのよ」

 

「まさか……」

 

 紫の回答から、レミリアが思い至った恐ろしい結末。

 それは、彼女にとって想像さえしたくない残酷な幕切れだった。

 

「さぁ、運命がカードを混ぜたわ。決着の時(コール)よ。賭場は一度、勝負は一度きり。相手は鬼札(ジョーカー)。それじゃあ、アナタは() かしら? ねぇ、十六夜咲夜……!」




後編もよろしおす。


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Prière(後編)

と、いうワケで後編。

物語は「もう少しだけ続くんじゃ」なのでどうぞご贔屓に。

ここからは高速展開重点の超次元執筆なのでわけわかめになることうけあい。

だが私は謝らない(真顔)。


 ……。

 …………。

 

「ぐッ……おおおぉぉおおぉぉおおぉ!?」

 

 圧倒的。

 

「言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()、と」

 

 それは、まさに圧倒的と形容するに相応しい状況だった。

 

 咲夜が飲み干した液体の正体は、()()『蓬莱の薬』と()()()()()秘薬。

 それは、服用した者の『人生』を、即ち『過去』、そして『未来』を、『現在』という()()短時間に圧縮する薬。

 そう、噛み砕いて言えば、服用した者が()()()()()()()、『現在』という一瞬に、その者が()()()()()を収斂する薬。

 

 ーー本来であれば、いつか来るべき()()()()()に、()()()()()()ための薬であった。

 

 ともあれ。

 

「グ……おあぁあああAAAAAA!」

 

 全盛の姿を取り戻した咲夜の攻撃は、もはや白銀の瞬きさえ伴わず、無慈悲かつ正確にアーカードにダメージを蓄積させていく。

 それは、咲夜が世界の()から完全に解き放たれたのか、はたまた、文字通り相手の()()を思うままに()()()ほどの強大な力を行使できるようになったのか。

 もっとも、そのどちらであっても、また、()()()()()()()()()、アーカードはただ為す術なく、苛烈な猛攻に身を晒すことしかできなかった。

 

「不死身の化物(フリークス)など存在しない……! くたばるまで、殺してやるわ。傷魂『ソウルスカルプチュア』……!」

 

 まるで、深い霧が晴れるかのように、アーカードを取り巻く『影』は不可視の斬撃に散り、その身体には見る間に数多の刃が突き立てられていく。

 先程まで咲夜が用いていたナイフよりも一回り大きなそれらは、同時に絶えず彼女の周囲に振り撒かれ、一切の『影』の接近を許さず消し去っていた。

 

「クッ……!」

 

 反撃はおろか、まともな防御さえできない状況に、アーカードは堪らず『影』とその身を入れ替え、距離を取る。

 

 が、次の瞬間には敵の姿が目の前にあり、そして攻撃を受けている。

 それは、咲夜が一瞬でその距離を詰める移動をしたのか、()()()()()移動したのか、或いはアーカードが彼女の目の前に()()()()()()のか。

 ()()は、それについて語ることさえ小賢しいことであると思わせる見事な一転攻勢であった。

 

 咲夜は、持てる全てを総動員して、ただアーカードを狩るためだけに刃を振るっていく。

 

 薙ぎ斬り、斬り落とし、斬り払い、斬り捨て、突き立て、突き通し、突き貫く。

 

「……終わりよ!」

 

 そして、遂に、咲夜の刃がアーカードの心臓を捉えた。

 

 ーーかに見えた次の瞬間。

 

 彼女の眼前、アーカードは影と消え、それと同時に、咲夜の左頬を強烈な衝撃が襲った。

 

「……ぐッ!?」

 

 咲夜は何とかその場に踏み留まり、顔の傷を修復させながら、衝撃が向かってきた方向を睨み付ける。

 

「シッイイイィィィィ!」

 

 そこでは、その風貌を幼い少女のものへと変化させたアーカードが、拳を震わせ笑っていた。

 瞬間、両者の視線が交わるが早いか、アーカードの額に突き立てられた刃が、咲夜の攻撃の再開を告げた。

 

「最後の最後で、随分と分の悪い賭けに出たな、()()!」

 

 アーカードは、それもお構いなしといった様子で、追撃の刃をその身に受けながら、『ディンゴ』の銃口を真っ直ぐ咲夜へと向ける。

 と、同時に、『影』の亡者が突撃指令を下された軍隊のように、一斉に咲夜に襲い掛かった。

 しかし、『影』の亡者達は獲物を捕らえることなく掻き消え、『ディンゴ』を構えたアーカードの腕は落ち、噴き出した鮮血が足元の『影』へと溶けていく。

 

「クッ……ははははは! どうした! 来い! もっと! もっとだ!」

 

「舐めきったマネを……!」

 

 アーカードは、何やら意味ありげにその姿形を変えたものの、逆転した形勢は揺るがなかった。

 

 絶え間なく続く、咲夜の一方的な蹂躙。

 しかし、その中でもどこか余裕を含んだ、小馬鹿にするような笑みを浮かべるアーカードに、咲夜は苛立ちと不安を募らせる。

 

 そして、徐々に彼女を蝕み始めた身体の軋みと焦燥感。

 

(身体が、もたない……? もうなの!? せめて、あともう少しだけ……!)

 

「舐めてなどいない。舐めているのは()()だ。私は、お前の余興に付き合っているだけだ。こんなもの、まるで子供の遊びだ。ガキの喧嘩だ。だから()()になってやっただけさ。しかし、老いた姿のお前は、その(ザマ)の何兆倍も何京倍も美しかったというのに……なんて醜い(ザマ)だ」

 

「……黙れッ!」

 

 アーカードの言葉を遮るように、湧き上がる消極的な感情を振り払うように、咲夜の猛攻は続く。

 それでも、アーカードは一層激しさを増すその攻撃に少なからずダメージを受けながらも、それに構わず舌戦を繰り広げる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に頼った時点で、()()としてのお前は()()()()……本当に、醜悪な(ザマ)だな。お前がいかに人間を自称しようと、お前はもはや()()()人の形をした()()と成り果てたのだ! 私と同じく、な……」

 

「……勘違いも甚だしいわね。やっぱり、アナタは()()()()()よ、吸血鬼。たとえ、()()()がどうあろうと、()()()……言ったでしょう? ()()()()()()、アナタを斃す、と。この身を()()()()()()()にやつそうとも、それで()()()のなら、本望よ」

 

 互いに死線を超えるに紙一重の、物理的な攻防の最中、間断無く交わされる言葉により、真っ向から衝突を繰り返す両者の信念。

 

 そして、その()()()()()()という事実によって、咲夜が()()()した勝利への陰り。

 

 即ち、制限時間(タイムリミット)が迫りつつあるという実情。

 

「勘違いしているのは()()()だ? 化物を打倒するのは、いつだって()()だ。()()()()()()()()()()()のだ!」

 

「戯言を……ッ!」

 

 ()()に城主ひとりになったとしても、(アーカード)は彼ひとりでも恐ろしい吸血鬼であった。

 たとえ全ての()()()を解き放ったといえども、地面に広がる『影』は紛れも無く彼()()()()であり、少女の姿をした()を斬り刻むだけではきっと、致命の一撃に成り得ないであろうことは、ここに至るまでの状況が証明している。

 とはいえ、最後の切り札(ジョーカー)を切った咲夜に、何か他の策があるはずもなく、彼女はただひたすらに少女の虚像とその身代わりになる『影』の亡者達を滅し、アーカードの生命力を削り続ける。

 

(まだ……まだよ! まだ()()()を斃していない! まだ、なのに……ッ!)

 

 だが、次第に、露呈し始める瑕疵。

 振るう度、精彩さを欠くナイフの連撃。

 加えて、能力の行使も杜撰となりつつあるのか、未だ予備動作の段階で抑えてはいるものの、度々反撃を許し始めている現状。

 攻めるほど、反撃を捌くほど、悲鳴をあげる体。

 咲夜に()()()()時間は、もう()()長くはないようだった。

 

 いつしか、咲夜の一方的な攻撃は鳴りを潜め、二人の闘争は一進一退、泥仕合の様相を呈し始めていた。

 

「これ以上の問答は無用ね……悪夢も、そろそろ終わりにしましょう!」

 

 だが、状況は咲夜に戦闘の長期化を許さない。

 そこで、彼女は考える。

 このまま攻撃を継続することが不可能なら。

 今までの方法では、一瞬にして致命傷を与えられないのなら。

 変幻自在の『影』により、その急所(しんぞう)を捉えられないのなら。

 

 一体如何なる手段を用いれば、目の前の敵を屠れるのか。

 

 苦悩の末、彼女が導き出した答えは皮肉にも、相対する敵が今まさに仕掛けている攻撃に酷似した攻撃を行うことーー即ち、持てる全てを攻撃に振っての、無差別広域攻撃であった。

 飛び上がった自身を中心に、上下左右前後全てを隙間なく覆い尽くす、いわば()()()()()()を築き上げ、その全てを同時に叩き込む。

 それは、味方を巻き込んでしまうリスクがあまりに大きいため、この土壇場まで無意識の内に想い描くことさえ避けていた、乾坤一擲の、最後の一手。

 もっとも、彼女に仲間を傷付ける気など毛頭なく、最後の攻撃の()()()が終わり次第、主人達を出来る限り避難させる、或いは自身の身を盾としてでも護り抜く算段を整えてはいた。

 

(こんな時に、アナタをアテにするのは癪だけど……さっきの言葉、信じてるわよ、紫)

 

 しかし、肝心の()()()能力行使がどれだけ()()のか、()()が、自分のこととはいえある程度しか把握できず、彼女は()()()()()と睨んだ一人の女を脳裏に描き、自嘲気味に微笑みを浮かべた。

 

(最低でも、美鈴とこあの無事は確保できるように……さぁ、行くわよ()()死の舞踏(ラストダンス)と洒落込みましょう)

 

 咲夜はアーカードとの肉薄の距離から小さく飛び退くと、追撃を振り払いながら、最後の時間操作の持続時間をより長いものとするべく、集中を高め始める。

 

「フン。あいにく、その悪夢とやらを()()()()()()()気はない。()()お前では私を倒せない、と言っているんだ。それに、腹が減った」

 

 その時、最後の攻撃に打って出ようとする咲夜の前に、アーカードは右手を突き出し、その甲を見せ付けるように翳す。

 そこに浮かぶ、不気味に脈動する術式。

 

「お前は他愛も無く死ぬ」

 

 そのアーカードの言葉を皮切りに、術式が妖艶な輝きを放ち、徐々にその禍々しさが増していく。

 

(もう少し……あと少しだけ、集中……集中!)

 

「もはや、全盛の姿を保つので精一杯なんだろう? さぁ、食事としよ……う?」

 

 瞬間、前触れなく()()()()()()()

 地下室に存在する全ての『影』の亡者が、一斉にアーカードに向き直り、その輪郭を崩しながら、()()()の濁流となって、彼の空腹を満たすために押し寄せた。

 ()()()()()()()

 しかし、その『影』の波から、突如として溢れ出た、『影』より深い黒を纏った『()』。

 そして、()()の向かう先、一城の()は、揺らめく『闇』が形成する陽炎じみた()()へと変貌していく。

 

 そして。

 

「お、おおッ……!?」

 

 ()に溢れていた敵意が、殺意が、城主(ロード)の存在感が、否、アーカードの()()が闇に包まれ、()()した。

 

「なッ……! これ、は……ぐぅっ!?」

 

 突然の出来事に集中を乱し、また、状況の整理が追いつかず、その不可解な現象に気を取られていた咲夜の胸を、不意に背後から貫く『闇』の()

 

 その衝撃で懐から飛び出した懐中時計が、持ち主の体とともに抉られた事を主張するかのように、上端の一部を失った状態で地面に落ち、無機質な金属音を響かせた。

 

 

 

 ……。

 …………。

 

「……っ! いけない! みんな、もう少しこっちに!」

 

 咲夜が杭に貫かれ、アーカードが()()()()()()()()()原型を失いつつある混沌とした状況の中、ただならぬ()()の発生を察知した紫は、周囲にいる全員に集合を促す。

 

「幽香、貴女もよ!」

 

「えっ? ちょっ……!」

 

 その直後、彼女は一人突出して闘う幽香の襟首を『スキマ』を介して掴み、そのまま拡げた()()へと引き込んで、自身の傍らに引き寄せる。

 

 瞬間、床一面に広がる闇から突き出した杭、杭、杭。

 

 その只中、不意に撒き散らされた()に囲まれる形で、闇から隔絶された半球形状の空間が存在していた。

 

 それは、紫が咄嗟に創り出した、強力な拒絶の『境界』による安全地帯(セーフティエリア)

 

「これは……!」

 

 そこから外界を見渡す麗亜は、闇から突き出した、視界を覆い尽くさんばかりの()()()の正体に気付き、戦慄した。

 

 戦場を埋め尽くす無数の杭は、まさに在りし日の串刺し公(カズィクル・ベイ)の心象風景()()()()であり、紛れも無く、この世の地獄と形容するに相応しい有様であった。

 

「……少し外すわ。幽香、お願いね」

 

「はいはい。ま、別に何もできそうにないけれどね」

 

 根源的な畏怖の対象となるべき惨憺たる光景を前に、『賢者』は皆の生命線である安全地帯を形成している『境界』を維持したまま新たな『スキマ』を拓く。

 そして、僅かな焦りを見せるように、彼女らしからぬ素早い身のこなしでその中へと消えた。

 

 …………。

 ……………………。

 

「……行くの?」

 

 妖怪の山にひっそりと居を構える、守矢神社。

 背後から声を掛けられた一人の少女は、しばし無言のまま高台に立ち、下界を見下ろしていた。

 

「……いいえ、その必要はないでしょう。ほんの一瞬でしたが、御二方も()()()でしょう? 『()()』の気配を」

 

「うん。十数年前(あのとき)と同じ感覚と一緒に、一瞬だけ」

 

「もし()()()()()()()()()()我々の出る幕ではないはずです。我々は『宗教戦争』、『最恐の妖怪討伐』、『黒影異変』と、ことごとく他の勢力に先んじられ、信仰(ちから)を失い過ぎました」

 

 少女は高台からふわりと飛び降りると、自身の背に立つ声の主の方へ向き直る。

 

「早苗……」

 

「なに、待ちますよ。幻想郷(ここ)にいる限り、機は必ず巡ってくる。次の()()は、上手くやります」

 

 どこか哀しげな表情で、しかし嬉々とした声色でそう呟くと、少女ーー東風谷早苗は、不敵な笑みを浮かべた。

 

「次は……」

 

 それに応えるように、声の主は早苗と顔を見合わせる。

 

「ええ。()()のやり方で」

 

 そして、それを受けた早苗は、声の主の横に佇む()()()()に目配せした。

 

「最高のタイミングで、()()()()()()()()()()()()()()、かい?」

 

 早苗と目を合わせた()()()()も、彼女につられるように口元を歪め、返答の分かりきった質問を投げ掛ける。

 

「はい。それに、死んだ妖怪だけが、いい妖怪ですから。そうでしょう? 霊夢さん……」

 

 まるで、そこにある()()の影を仰ぐように、早苗は空を見上げる。

 現世(そとのせかい)を捨て、神と人とを繋ぐモノーー風祝(かぜほうり)となった一人の少女。

 彼女がかつて持っていた純真無垢な心は、とうの昔に壊れてしまったのかもしれない。

 人の身で、人の心で、神の力を振るうなど。

 人のまま、神であることなど。

 初めから不可能な事だったのかもしれない。

 

 ただ、今の彼女は現人神として()()()()()()

 

 それだけは、確かだった。

 

 

 そして、同刻。

 守矢神社の遥か上空を駆ける、一つの影。

 

(……ようやく、この時が来ましたか)

 

 目にも留まらぬ速度で夜空を駆け抜けるその影の正体は、射命丸文であった。

 彼女は、幻想郷最速と謳われるその速度を遺憾無く発揮し、走力全開(フルスロットル)で『紅魔館』のある方角へと飛翔する。

 

(……待ち侘びましたよ。永かった。本当に、気が遠くなるほど。でも、これでまた『()()』に会える)

 

 眼下に広がる紅い霧の先に、きっと『()()』が居る。

 そう考えるだけで、気持ちが昂ぶる。

 身体が熱くなり、鼓動が波打つ。

 

 いつか止まってしまった歯車を、再び動き出させるために。

 止まってしまった時計の針を、その手で回し始めるために。

 

 空を駆ける鴉天狗は風を纏い、一陣の疾風となり、彼の地へと急いだ。

 

 

 ……。

 …………。

 

 

「……ぐぅッ」

 

(まだ、何とか身体は動くわね……)

 

 どれほどの時間が経過しただろうか。

 咲夜は微睡みにも似た意識の揺蕩いから、緩やかに覚醒する。

 

 もはや焦点の合わない視界は得体の知れない『黒』で埋め尽くされ、『敵』の姿は捉えられない。

 

(あと……少しだけ)

 

 咲夜は、僅かに残された、しかし加速度的に失われていく自身の『(いのち)』を感じながら、その体の状態を目視で確認する。

 

 全身は『闇』の杭で串刺しになり、もはや致命傷といった言葉では不足であるほど重篤な損傷を負っていた。

 全身から、急激に失われていく『熱』と全能感。

 それでも、彼女は不思議と恐怖を感じなかった。

 

(一太刀でも、多く……)

 

 そう、彼女の胸は、圧倒的な恐怖や絶望を塗り潰すほどの忠誠と使命感で満たされていたのだ。

 

 主人を護るため、『敵』を斬り裂き、屠る。

 己を奮い立たせる感情に突き動かされ、彼女は右腕に力を込める。

 

 瞬間、彼女の体が全身を貫いている杭の拘束から抜け出し、引き換えにその右腕が前触れなく虚空に砕け散った。

 

(……! 時間切れ、か……)

 

 咲夜は、灰のように崩れ去った右腕から自身の結末を悟りながら、風穴だらけの身体を今にも折れそうな両脚で支える。

 

 そして、残された左手にナイフを構えると、覚束ない足取りで歩を進め始めた。

 

 ーーその時。

 

 不意に、床一面に広がり、また、杭を成していた『闇』が胎動し、瞬く間にそのカタチを変え始めた。

 

『闇』が蠢く。

 床がうねり、波打つ。

『闇』が蠢く。

 杭が、螺旋を描いて解けていく。

『闇』が蠢く。

 耳をつんざく悲鳴のような音が響く。

 

 そして、解けた『闇』は巨大な手の形を成し、その場にいる者全てを深淵へと引き込むように燻り狂い出した。

 

(……ッ! こんな、)

 

 ただでさえほとんど失われてしまった勝ちの目に、追い討ちを掛けるような絶望的な状況。

 絶対の忠誠に裏打ちされた意志をもってしても抗いきれず、いよいよ咲夜が諦めの言葉を脳裏に浮かべるか、といったまさにその時。

 

「……咲夜ッ!」

 

 彼女の頭上から響いた、誰かの声。

 聞き覚えのある、しかし、聞いたことのない力強さで紡がれた声。

 

 咲夜は無意識にナイフを手放し、その声の方へと残された左腕を伸ばしていた。

 

 瞬間、咲夜の体がぐいっと引っ張り上げられ、宙に浮く。

 

 それとほぼ同時に、咲夜が居た場所に『闇』の手が大挙して押し寄せ、そこに残されたナイフと懐中時計を呑み込んだ。

 

 

 ……。

 …………。

 

「……紫」

 

「あまり喋らない方がいいわ、咲夜」

 

 間一髪、『闇』の手の襲撃から逃れた咲夜は、紫の形成した安全地帯の中にいた。

 

「……必死な貴女の顔、見たかったわ」

 

 制止する紫に強がるように、咲夜は軽口じみた嫌味を零す。

 確かに、咲夜は辛うじて『生』を繋いだ。

 しかし、それは弱々しく、今にも消え入りそうな不安定なものと成り果てていた。

 その証拠に、彼女はもう、五感のほとんどを喪失し、全盛を保っていたその姿は、次第に()()()()()()()()()

 

 ただ、それは老いた姿にではなく。

 皮肉にも、彼女が最期に()()()()()姿()ーー在りし日の、毎日が輝いていたあの日々の、そう、うら若き少女だった頃の姿に。

 

「これ以上、微かに残された時間を私のために使われては、助けた意味がなくなるわ。死に瀕した()()が会話すべきは、私のような部外者ではないでしょう? ねぇ、レミリア」

 

「……やっぱり、咲夜だったのね」

 

 レミリアは、その匂いから紫が連れて来たモノが咲夜ーー否、正確には()()()()()()()なのだということを、理解していた。

 随分と変容してしまっていたが、その根本は変わらないのか、どこか嗅ぎ慣れた匂い。

 そして弱々しく響く、厳しさの中に優しさの宿る声。

 感覚に訴えかけてくる全てが、咲夜の()()()()()が近くにいるのだと彼女に主張してくる。

 

 それでも、レミリアは()()を心のどこかで否定していた。

 

 何故なら、それを認めてしまうことは、本当の意味で、咲夜という()()が間も無く()()()()()()()()()ことを認めることと、同義であったから。

 

 それゆえ、彼女は斯様に取り乱さずに振る舞えたのだろう。

 

「あらあら、予想外の反応ね。感動の再会なのではなくて?」

 

「黙りなさい。そのそっ首、今にも掻っ切ってやりたい気分なのよ、私は。でも……」

 

 紫の茶化すような言動を無造作にいなし、レミリアは残された腕で咲夜の傍らへと這い寄る。

 

 その音に反応したのか、咲夜は残された僅かな力で、首だけをレミリアの方へと向けた。

 

「咲夜」

 

「そこに……おられるのですか? お嬢……様。申し訳、ございません……」

 

 主人の呼び掛けに、もはや視力さえ失った従者は力無く応える。

 

「馬鹿ね。アナタって、本当に馬鹿。救いようのない、大馬鹿者よ。全てを投げ打って戦って、その挙句、この有り様なんて、ね」

 

「本当、笑い話にも、なりませんよね……」

 

「まぁ、いいわ。完璧な()()のアナタなんて、つまらないもの。最期くらいはせめて()()()()、逝けばいい」

 

「ふ、ふ……ありがとう、ございます……」

 

「でも、その前に一つだけ、聞かせて頂戴。アナタ、後悔はしていない? 私の()()として()()ことに、()()として永遠を受け入れなかったことに」

 

「していない、と言えば……嘘になります……だってまだ……()()を…………斃して、いない」

 

「……! やっぱり、アナタってとびきりの馬鹿で世話焼きね。ねぇ、咲夜…………咲夜ぁ……私、()()()()()になるの?」

 

 刻一刻と迫る別れの時。

 その(きわ)でも、あくまで主人を気遣い続ける咲夜に、レミリアは堪らず取り繕っていた()()()()()物腰を崩し、その声色や表情はいつしか、()()()へと戻っていた。

 

 それは、孤独に押し潰されそうな一人の少女に。

 咲夜と出会った、()()()の彼女に。

 

「いいえ、()()……ひとりでは、ありませんよ……幻想郷(このせかい)の皆が…………何より、妹様が、おられます……」

 

「でも……ッ!」

 

「…………」

 

 二人のやり取りを見守る皆は、あの幽香までもが、どこか寂しげな表情を浮かべ、安全地帯の外に広がる地獄さえ意に介さず、ただただ沈黙していた。

 特に麗亜は、口元を手で押さえ、とめどなく昇ってくる感情を飲み込み続けているようだった。

 

「きゃっ……な、何!?」

 

 その時だった。

 

「や……っ!? お姉さ……ッ」

 

 不意に、安全地帯の端に居たフランドールを襲う『闇』の魔手。

 誰も予想だにしなかった、かけがえのない()を引き裂く無慈悲な介入。

 

 混沌から湧き出た絶望は、有無を言わせずそのままフランドールとその傍らのパチュリーの亡骸を呑み込み、地面に広がる『闇』へと溶け込む。

 

「そんな……ッ! 博麗の封印ごとっ!?」

 

「紫ッ!」

 

「わかっているわよ!」

 

 幽香が叫ぶが早いか、紫は『闇』に侵食された『境界』の内側に、規模を縮小して再構築した『境界』による安全地帯を咄嗟に展開し、殺到する『闇』の手から無防備な三人を防御する。

 

 だが。

 

「パチェ……フラン……! そんな!」

 

 辛うじて事無きを得たレミリアには、過酷な現実が間髪入れずに突き付けられることとなった。

 彼女は、数刻前の過ちで大切な友を失い、今まさに無力さで大切な妹を失い、ほんの数分先には愚かさから大切な従者も失おうとしている。

 

 過去、現在、未来。

 喪失に次ぐ喪失により、遂に彼女の感情は限界を振り切ってしまった。

 

「紫ぃッ!」

 

 彼女は、状況を顧みることさえ忘れ、行き場のない憤りと怨嗟を吐き出すように、無感情に佇む『賢者』へと殺気をぶつける。

 

「やめなさい、みっともないわね。()()()()、不可抗力よ。さすがの賢者様にも、限界があるってだけの話でしょう?」

 

「外野が何をッ!」

 

 そして、その殺気を身を呈して遮り、彼女から紫を庇うような言動をとった幽香にも、続け様に牙を剥いた。

 

「本当は()()()()()()()()くせに。それでもアンタは、自分の弱さを棚に上げて、全てを紫になすりつけて、喚くだけなのね」

 

「この……ッ!」

 

 そんなレミリアの反応など意に介さず、歯に衣着せぬ物言いで、冷淡な言葉を浴びせ掛ける幽香に、彼女は堪らず左手を突き出す。

 

 そう、幽香の指摘した通り、レミリアは全てを直感し、また、同時に()()していた。

 

 紫が力の大半を、『闇』が館の外に出ないようにするために、人知れず築いた規格外の『境界』の維持に割いていることも。

 どこまでが計算の上なのかは推し測れないが、彼女が、必死で状況を悪化させないように努めていることも。

 そして、自分は結局、己の無力さによって全てを失おうとしていることも。

 その端緒も、自らの短絡的な判断と愚鈍さが招いてしまっていたことも。

 あまつさえ、館の皆、ひいては幻想郷全土をも、致命的な危機に晒してしまっていることも。

 

 無論、()()がここに至った原因が、レミリア一人にあるとは言い切れない。

 しかしながら、彼女のいくつかの行動が、意図せずその一翼を担っていた事は疑いようがない。

 

 それでも彼女は、その上で、すなわち、自身の非を認めた上でも()()、自身と咲夜以外の誰かに、やり場のない怒りを向けざるを得なかった。

 それは、降り掛かる理不尽に抵抗する術を、他に持たざるが故か。

 

「いいのよ、幽香」

 

 するとそこで、精一杯の威嚇を見せたレミリアに対し、今にも飛び掛かりそうな幽香を手で制しながら、紫が一歩、前に出る。

 

 そして、そのまま彼女はレミリアにずいっと詰め寄り、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 

「どうぞ、恨んでくれて結構よ、レミリア。何なら、()()()()()()、今すぐ私を殺してみる?」

 

 ゆっくりと開かれた彼女の口から、焦らすように紡がれた蠱惑的な声。

 

 その物言いには、まるで、全ての事象は自身の掌の外に一度たりとも出てはいない、というような自信に満ち溢れた色があった。

 

「それじゃあ、お望み通り……!」

 

 目で捉えられずとも、確かに感じる不遜な表情。

 

 それが裏打ちする、言葉の裏側で同時に示された、とある()()()

 

 それらを理解しながらも、レミリアは衝動的に、今度は紫へとその左手を向けた。

 

「駄目……です、お嬢様……」

 

 と、不意に、制止するようにその左腕を握る、咲夜の手。

 

「咲、夜……」

 

「やめ、ましょう……お嬢、様。ゆ、かり……さっきの、口振り……何か、方法がある、のよね……?」

 

 咲夜は、今にも搔き消えそうなか細い声で、絞り出すように紫に尋ねる。

 

「ええ。()()()()()を丸く収める方法が、二つあるわ」

 

 紫は、その途切れ途切れに紡がれる咲夜の問い掛けに応じ、唖然とするレミリアを差し置いて話を進め始めた。

 

「咲夜ッ! 私、私は……!」

 

 そんな二人のやりとりは、レミリアからしてみれば、逼迫した別れに水を差す無粋なものに感じられたことだろう。

 

 かといって、それを阻む術を持ち合わせてはいない彼女は、ただ感情のままに声を張り上げ、己の存在を主張するより他なかった。

 

「お、嬢様……聞き分けて、ください……今は、ゆか、りに……頼るほか……」

 

「……っ! わかってる……わかってるわよ、そんなのッ! でも、」

 

 そう、重ねて記すが、レミリアは全てを理解していたのだ。

 

 ただ、やはり、彼女には()()()()()()()

 己の行き場のない感情の矛先を向ける相手が。

 心の奥底から、無限に湧き出る感傷の正体と、それを治める方法が。

 

「それじゃあ、できるだけ簡潔に言うわね。一つは、このまま、この『吸血鬼』()()()()()を『境界』の彼方、幻想郷(このよのどこでもないばしょ)でさえない空間へと放り込んで、隔絶してしまう方法。これは、私があとほんの少し頑張れば可能だけれど……ただ、相手は私の『境界』を侵食するほどのモノだから、()()のリスクがあるし、何よりハッピーエンドにはならないわ。『紅魔館』とその住人達と引き換えに、未曾有の『異変』は大事に至る直前に解決。大方、こう記されておしまいね。もちろん、天狗の新聞や歴史に残る書物とかにではなく、私の日記程度のものに、だけれど」

 

「この……ッ! よくもぬけぬけと!」

 

 ただただ感情に振り回されるばかりのレミリアの耳に心地悪く障る、饒舌に語られる紫の策。

 

 レミリアがそれに反応し感情を昂らせる度に、その激情を抑え込むように強く握られる、咲夜の手。

 

「咲夜……」

 

「……はぁ。素直じゃないわね、まったく。時間が惜しいんでしょう? 早く()()の説明をしたら?」

 

 と、遅々として進まない状況に痺れを切らしたのか、つっけんどんな物言いと共に、幽香がレミリアを挟んで紫の向かいに立つ。

 

 彼女は言葉の結びに「こんな時まで、性格悪いのね」と付け足し、殊更にそれが旧来からの悪い癖であると言い添えるように、小首を捻った。

 

 その言動に反応し、一瞬、幽香と顔を見合わせた紫だったが、彼女はすぐに視線を落とすと、表情一つ変えず、再び淡々と思案した算段の説明を始めた。

 

「もう一つは、この『闇』の中からアーカード()()を見つけ出し、封印する方法。ただ、それには手間もかかるし、藍達を呼び出したとしても、おそらく人手不足だわ。でも……」

 

 紫は、まるで()()()()()()であるかのように流暢に語り続けていたが、不意にそこで言葉を意味深に区切ると、レミリアから視線を移し、その双眸に咲夜の姿を映した。

 

「……やっぱり、()()くる、のね……いい、わ。紫……もう一度、口ぐる、まに……のせられて、あげる……」

 

 対して、何かを悟ったように、咲夜は小さく口を開くと、掴んでいたレミリアの腕を離し、今度はその手を強く握り直した。

 

「咲夜……?」

 

「お嬢、様……わた、しの……最後の、願いを……どうか、聞い、て……ください」

 

 次第に小さく、か細く掠れていく声。

 徐々に広がる、言葉と言葉の間隔。

 段々と薄まる、『生』の()()()

 咲夜から発せられる全てが、彼女に残された時間の短さを皆に感じさせる。

 

 そんな、命が尽き果てる(きわ)に至っても、咲夜は我儘に己の心の内を述べたりはせず、ただただ、主人に最期の願いを告げようとする。

 

「……勿論よ。私にできることなら、何でもするわ」

 

 きっと、否、間違いなく、これが咲夜最後の願いになるだろう。

 その重さ故、無責任に叶えるとは答えられなかったが、せめて聞き届けて、できることなら全てを引き換えにしてでも叶えよう、と。

 そう覚悟を決めたレミリアの耳に飛び込んで来たのは、予想だにしない一言だった。

 

「では、お、嬢様……私を、()()()くだ、さい……」

 

 その声色や調子とは裏腹に、淀みなく紡がれた、最期の懇願。

 

「……! 咲、夜ぁ……」

 

 それを耳にした時、レミリアは涙声と共に、無意識に咲夜の手を握り返していた。

 今にも崩れ落ちそうなその手を、壊れるほど、強く、強く。

 

「泣か、ないで……下さい、お、嬢様……貴女、様は……強い、お方では……ありませんか」

 

「でも、それじゃあ……」

 

 レミリアを酷く困惑させる、咲夜最期の願い。

 なぜならそれは、咲夜自身が忌み嫌った終焉と()()()()()()を意味していたからであった。

 

「確、かに……人、として死ねない……のは、ごめんこうむり……たい、ですが……『敵』を討てぬ、まま果てるのは…………貴女様を、護れない、まま……斃れ、るのは……それ以上に、嫌……なんです」

 

「…………」

 

 レミリアは、これ以上何も言葉を発することはなかった。

 その代わりに、彼女はただ、滅びゆく大切な人を慈しむよう、そして、何かに祈りを捧げるよう、その手を握り続けていた。

 

「だから、私を食べてください……! 私を食べて、一緒にやっつけましょう、お嬢様……!」

 

 その、自身の想いに応えるような優しい感触に浸りながら、咲夜はかっと目を見開いて呟くと、まるで糸の切れた人形のように、全身から強張りを失い、沈黙に伏した。

 

「…………」

 

 その様を見届けたレミリアは、そっと咲夜の手を解き、彼女の肩を抱く。

 

「う……う、ああ、うわあああぁあぁぁぁ!」

 

 そして、力の限り声を張り上げ紡ぐ、嘆きの咆哮。

 

 出会った()()()から、覚悟はしていた。

 そう、人間も妖怪も、この世の誰しもが、何事にも()()()がある事を知っている。

 でも、それが()()であるとは、誰も想像さえしない。

 こんなにも、別れ(おわり)はありふれているのに。

 だからこそ、生は尊いのに。

 

 いざ()()()にならねば、人々はそれを思い出せない。

 

「「「…………」」」

 

 悲壮感に満ちる場の空気と、押し黙る一同。

 誰もが目の前の光景にいたたまれず、視界の端に捉えはするが、直視することは避けていた。

 ただ、しゃがみ込んでいた紫だけは、いつの間にか立ち上がり、渦中の二人を無感情に見下ろしていた。

 それは、結末を知っている劇を観るように覚めきった、退屈そうにも見える顔で。

 

「あああぁあぁぁぁああああぁぁ!」

 

 晩鐘のごとく響く咆哮。

 

 周囲の目を気にも留めずに叫び続けるレミリアの頬を伝う血が、一粒、二粒と咲夜の頬に零れ落ちる。

 

 それはまるで、溢れ出した涙のように。

 

(泣かないで、と言っていますのに……主人が従者の為に涙を流すなど、あってはいけないことなのに。ああ、自分だって、疲労困憊、満身創痍なのに。本当、本当に、素晴らしいお方。このお方を護れるのなら、何がどうなったっていい…………)

 

 もはや言葉さえも失った咲夜の意識は、微睡みに堕ちるように、現世に繫ぎ止める鎖を手放すように、混濁した無の底へと向かい、その深淵へと導かれていく。

 

「あああぁぁあ……ッ!」

 

 急速に()を欠落させていく咲夜の身体を、レミリアはしっかりと抱き締める。

 そして、咆哮の勢いのまま、首を後ろに反り返し、口を大きく開くと、その首筋に深々と噛み付いた。

 

「…………!」

 

 その身体に残された()()を、血液に留まらず、魂までをも吸い上げるような鮮烈な吸血。

 

 血を啜り、喉が脈動するごとに、紅い影が型取り、瞬く間に再構築されていく欠損していた四肢。

 

「……!」

 

 喉の動きが止まると、レミリアはそっと口元を離し、顔を上げた。

 

 再生した彼女の両腕にそっと横たえられた咲夜の身体が、かさかさと音を立て、塵と崩れていく。

 

 その傍らに在るは、()()()()()で『吸血姫(ノーライフクイーン)』となった一人の少女だった。

 

「……咲夜」

 

 そして、再び見開かれた二つの真紅(クリムゾン)

 

 否、ただ儚いほどの涙を見せるような褪めた紅(スカーレット)

 

吸血姫(ノーライフクイーン)』は、迫り来る『闇』をそこに映し、紅に黒を添えた。




編集を終えて、改めてこの話の長さを痛感しております。

398さん絡みだけで他の話の六倍ほど分量があるなんて、言えない……

推しメンがもこたんとひじりんだということを忘れさせる分量である。

ちなみに、文頭に空白を入れてみたはいいものの、掲示板用の空白(行間?)が多くて逆に読みづらいかも。

まぁ、縦書きにしなければそこまで気にならないとは思いますが……

※エイプリルフールネタは一切ナシという硬派。


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Nosferatu

またしても長々しくなってきたので、一旦投稿しておきます。

後々追記形式で更新しますが、とりあえず生存報告も兼ねて。

Twitterの垢も作ったことだしね!

※6月17日、追記形式で更新しました。この話(物語そのものじゃないよ!)はこれにて終了。次話をお楽しみに。


「…………ふ、フフッ」

 

 くすくす。鈴を転がすような笑いだと、紫は自分で聞いて思えた。

 最後にこんな笑い方をしたのは、いつのことだったか。

 

 今、ここに夜の女王は誕生し、やがて、()()()()()()()だろう。

 

 その方法や過程は予定と違えど、結果は求めたモノと寸分の狂いもない。

 

 そう、全ては思いの儘。

 

 紫は静かに、しかし確かに、歓喜の絶頂にあった。

 

 だが。

 

「……余韻に水を差してごめんなさいね、レミリア。ちょっと一息、つかせて頂戴」

 

 複数、かつ強大な『境界』の維持は流石に堪えたのか、彼女は少し息を乱した様子で、力無く呟きを零す。

 

 すると、それを皮切りに、一同を取り巻く『境界』が足元の円状の部分だけを残して消失し、瞬間、獲物に飢えた獣の如く『闇』が殺到する。

 

(あら、ちょっと時間不足……だったかしら?)

 

 その時、未だ黙って佇んだままのレミリアを見て、紫は一抹の不安を覚える。

 

 灰と消えた伴侶の亡骸のあった場所に視線を落とし、その面影を慈しんで。

 そっと眼を閉じ、届かない祈りを捧げ、死を悼むように沈黙に服す。

 そんなレミリアから発せられ始めた、圧倒的な妖力に潜む()()()

 

 ()()()のが存外に遅い。

 

(マズい、わね……まぁ、でも)

 

 このままでは、全員揃って『闇』の餌食となる。

 

 そんな最悪かつ明白な未来を頭の片隅で思案しつつも、紫の口角は上がっていた。

 

「……!」

 

 一同が全滅を覚悟しながらも、少しでも抵抗の意思を見せるよう臨戦態勢に移った瞬間。

 

 ()()はまるで天恵の如く、皆の頭上から降り注いだ。

 

「……これは!?」

 

 不意に『闇』を貫く、上空からの弾幕。

 

 それは、間断なく降り注ぐ()()()

 

 そして、その出所たる規則正しく横一閃に並んだ無数のプリズムと、それらを両翼の如く従える光球が、一同の眼に映り込む。

 

「……パチェ!」

 

 見上げた光球の中に三つの影を認めたレミリアは、もう会えるはずのなかった無二の親友の名を呟いた。

 

「……待たせたわね。真打登場、といったところかしら?」

 

 その呟きに応えるように光球から声が響くと、それは一際強い輝きを放ち、プリズムはばら撒く弾幕をより一層濃厚なものとした。

 

(……よかった。これで()()()()()()を運べそうだわ)

 

 上方から降り注ぐ銀弾によって『闇』だけが正確無比に撃ち抜かれていく最中、呼吸を整えた紫は、舞うように扇子を伴って旋回する。

 彼女がその大仰な身振りを終えると、新たに『境界』が築かれ、三度(みたび)安全地帯(セーフティエリア)』が創り出された。

 

「一度降りるわ。二人の受け入れ、よろしく頼むわね」

 

 紫達の周囲をひとしきり薙ぎ払うと、パチュリーは光球と共に、ゆっくりと『安全地帯(セーフティエリア)』の傍らへと降り立つ。

 

 それを視認した紫は拍子を合わせ、光球の中の三人ーーパチュリー、美鈴、小悪魔をその中へと招き入れた。

 

「パチェ……美鈴、こあ……」

 

 その姿を間近に捉えた時、レミリアは思わず、三人の名を呟いていた。

 

「ふふ。二人は無事よ。ただ、少し休ませているだけ。放っておけば、じきに目覚めるわ」

 

 その呟きに、パチュリーが自身の健在を主張するように応える。

 

 彼女の言葉の通り、その輪郭を淡い光に縁取られた美鈴と小悪魔は、すやすやと寝息をたて、深い眠りに堕ちているようだった。

 

「よかった……! 本当に、私……」

 

「でも、再会を喜び合うのはもう少し後よ、レミィ。ねぇ、そうでしょう? 紫」

 

 親友との再会の昂揚を抑え付けながら、パチュリーは眉をひそめて、紫に睥睨するような鋭い視線を向けた。

 

「よかった。間に合ったわね、パチュリー」

 

()()()()()? それは一体、どういう意味かしら? まるで……」

 

 パチュリーが不快感を露わにし、敵意を隠すこともせず「この展開を見越していたかのような口振りね」と続けるはずだった言葉を遮り、紫が口を開く。

 

「アナタの()()()()()、受け取ってもらって構わないわ。でも、お察しの通り、積もる話は後」

 

 その紫の言動で一触即発の空気が漂い、片時の沈黙が走る。

 

「……そう、ね。まずは()()をどうにかしないと。まったく、酷い有様ったらないわ」

 

 パチュリーは納得のいかない様子で、それでも、自分に言い聞かせるように呟くと、紫から視線を逸らし、眼前に広がる『闇』を見遣った。

 

 一同の目の前に横たわる、未曾有の危機的状況。

 いかに現状が逼迫したものであるのかは、パチュリーが親友との会話を打ち切り、紫への追及を不本意ながらも切り上げてまで状況に臨んだことからも、容易に窺える。

 

「…………」

 

 目前で這いずり回る『闇』の悍ましさに、その場にいる誰しもが言葉を失ってしまう。

 流動する『闇』が生み出す不協和音だけが響く中、紫と麗亜は、十数年前(あのとき)の惨劇を克明に思い浮かべていた。

 記憶の根底に刻み付けられた恐怖に抵抗しようとするも、その勢いに気圧され、ただ押し黙ることしかできない。

 

 一同が相対しているのは、そんな、まさに有無を言わせぬ暴力であった。

 見れば見るほど、本当に()()をどうにかできるのか、という疑念が皆の脳裏を埋め尽くしていく。

 

「ちょっと、二人とも。いい加減、蚊帳の外にも飽き飽きしてきたわ。そろそろ始めましょう? 紫。四の五の言わずに、策の説明をなさい」

 

 と、その時。

 親友に自分との語らいを後回しにされご機嫌斜めなレミリアが、話を途切れさせた二人の間に無遠慮に割り込んだ。

 その動機はどうあれ、彼女の一言は一同を状況に引き戻し、不安に滞っていた場を進捗させる。

 

「ええ、そうね。アナタ達ならわかると思うけれど、()()はもうどこからが()でどこまでが()ではないのかが曖昧な、数多の命を抱える一つの()()となってしまった」

 

()……ね。やっぱり、()()はあの吸血鬼の成れの果てなのね。それに……いいえ、何でもないわ。続けて頂戴」

 

 紫から、改めて『闇』の正体を聞かされたパチュリーは、自身の推測を確信へと変えるための質問を彼女に投げ掛けようとする。

 が、時間が押している事を考慮したのか、歯切れ悪く言葉を区切ると、紫に説明を続けるよう促した。

 

「いいかしら? それで、この『闇』の中から()を見つけ出して、私の『境界』で存在を固定化。そして、そのまま封印するわ」

 

「単純ね。そんなことだけで大丈夫なの?」

 

「ええ。()()()を封印できれば、おそらく事態は収束するはずよ。状況は重く見て()()()と同じか、それよりも幾分か軽度だから……()()()()()方法で解決できるはずよ。もちろん、()を引っ張り出す時に、アナタの大事な妹も一緒に()()()()()あげるから……安心して頂戴ね、レミリア」

 

 他人の命、それも目の前にいる者にとってのかけがえのない者の命、ひいては幻想郷(せかいじゅう)の人々の命が懸かっているというのに、まるで茶屋でいつもの、と注文をするかのように平然と、根拠の曖昧な策を語る紫。

 その言葉の隙間には、自身の余裕を見せつけるが如く、先程パチュリーが尋ねようとした案件への答えが抜け目なく織り込まれていた。

 パチュリーが口元に手を添え、沈黙で理解を示したのを察すると、紫は会話の対象を重苦しい表情を浮かべるレミリアへと移す。

 

「フランのところ以外は、さっきも聞いたわ。それで、もっと具体的な方法は?」

 

 それは、大切な妹を()()のついでに扱われ、その存在を蔑ろにされたようで。

 レミリアは苛立ちを覚えながらも、怒りの言葉を噛み潰し、未だ漠然とした段取りと外縁しか見えない策の子細を紫に問い返す。

 

「アナタ達は、小難しい事を考える必要はないわ。ただ、()()()()()()()を削って貰えれば結構よ。細かい部分や()()は、()()()でやるから、ね?」

 

 そんなレミリアの様子に気を留めることもなく、紫は淡々と、思案した算段と要求を彼女に突き付けると、麗亜と顔を見合わせた。

 突然の目配せに一瞬、麗亜は目を丸くしたが、すぐに紫の意図を察すると、その眼差しをいつになく険しいものへと変え、紫の瞳を見返した。

 

「ふぅん、なるほど。ここまで来て、要はゴリ押しってワケね。いいわ、サクッと片付けて……その後はアンタよ、紫」

 

 レミリアは、再生した両手の具合を確かめるように二、三回掌を開閉すると、早く暴れ回りたくて堪らない、とばかりに拳を合わせ、牙を剥いた。

 

「ふふ、元気があって何よりだわ。それで、パチュリー。アナタはどのくらい()()()()かしら?」

 

「本当に、よくもまぁぬけぬけと……ま、いいわ。愚痴やら何やらは、後回しにしてあげる。そうね……『賢者の石』を基盤に、ざっと千人分以上の魔力を掠め取ってやったから……()()()()くらいは、何とかなるかしら」

 

 パチュリーは、紫の妖しい色を孕んだ瞳を真っ直ぐに見据えると静かに、しかし力強く魔力を滾らせる。

 

『賢者の石』。

 それは、魔法使いパチュリー・ノーレッジが辿り着いた一つの()()

 赤青緑黄紫、五色の魔力の結晶(プリズム)を自身の周囲に旋回させ、様々な属性の魔法を絶え間なく放つ『七曜の魔女』の真骨頂。

 ただし、それはあくまで()()()()()()()()場合の話である。

 もっとも、本来の用途は()()()()()()のだが、魔女の底知れぬ研鑽と探究心は、その結晶を禁忌の存在にまで昇華せしめた。

『七曜の魔女』が生成する『賢者の石』が持つに至ったのは、錬金術等で語られる()()としての側面。

 即ちーー不老不死の達成、正確には、()()()()()()()()()()を可能としたのである。

 とはいえ、()()自体は、レミリア達吸血鬼や輝夜をはじめとする蓬莱人達などが無造作に行なっていることとほぼ同様であり、幻想郷(このせかい)においては、さして珍しいことでもない。

 では、何故パチュリーの『賢者の石』が禁忌的な力を持つと断ぜられるのか。

 その理由は、完全に肉体を喪失した状態であっても、結晶に()とでも呼ぶべきものを乗り移らせ、幻想郷(このせかい)の輪廻から外れることができる点、そして、()()()()()をも、自身の糧とすることができる点にあった。

 ただ、それらについて深く言及するには、もう一人の魔女が編み出した()()()()についての説明が必要になるので、ここでは省いておく。

 とどのつまり、『七曜の魔女』は自身に限ってではあるが、異質なメカニズムとプロセスでの再生を可能とした、と。

 その程度の認識で問題はなく。

 

 また、紫達がそれらを気に留めることもなかった。

 今は、パチュリーがどれほどの戦力になるのか。

 それ()()が重要なのだから。

 

「それは重畳。せいぜい、派手に暴れて頂戴な」

 

「もとより、そのつもりよ」

 

 パチュリーは冷たく言い放つと、これ以上醜いモノを見るに堪えないといった様子で、紫の瞳から視線を逸らした。

 

「それで、いつ始めるのよ? 時間がないんでしょう?」

 

 と、時間が惜しいという割にいつまで経っても動きを見せない紫に痺れを切らしたのか、レミリアが急き立てる。

 

「そう慌てないで。私達も最後の仕込みをするから……」

 

「……呆れた。はいはい、わかったわよ。準備が出来たら、合図しなさい」

 

 紫ののらりくらりとした対応に、レミリアはうんざりした様子で彼女から顔を背けた。

 

「ええ、そうさせてもらうわ。それじゃあ、しばしご歓談どうぞ」

 

 レミリアとパチュリーにそっぽを向かれた紫はそう言い残すと、麗亜と幽香を振り返り、先の二人から少し距離を取った。

 それが、彼女らしからぬ気遣いや配慮の表れであったのか、はたまたただの気紛れであったのかは、本人以外に知る由もなかった。

 ただ、麗亜はその紫の背中に、忍び寄る死の影を見たようで、死に臨む覚悟を見たようで、どこかうら寒さを覚えた。

 

 

「……はぁ。ああやってまた自分のペースでコトを運ぼうとするのよね、紫は。少しは巻き込まれる側の気持ちを考えてほしいものだわ」

 

「まったくね……して、パチェ。よく、無事で」

 

「アナタもね、レミィ」

 

 紫への愚痴を零しながら、二人は先延ばしにした語らいを少しだけ前借りする。

 

「当然よ。だって、()()()()じゃない」

 

「……! そうね……そうだわ。ありがとう、レミィ」

 

 パチュリーは、親友が自身との約束を胸に抱き続けてくれていたことに、面映ゆさと喜びを感じ、頬を赤らめ俯いた。

 

「……フランは、()()()にいるのよね?」

 

 少しの沈黙の後、顔を上げたパチュリーは、一転して深刻な話題に触れる。

 

「そうよ。だから、助けなきゃ。私の、たった一人の妹だもの」

 

 一点の曇りも感じさせない決意の篭った声。

 それとは裏腹に穏やかな横顔を見詰めるパチュリーは、安堵から微笑みを浮かべた。

 

「……ねぇ、レミィ。咲夜、逝ったのね」

 

 しかし、次の瞬間には少し険しい表情に戻ると、ここまで忌避していた話題に立ち入る。

 それは、事実の確認と共に、親友がこれから死地に臨むに足る精神状態であるかを判断するためでもあった。

 

「ええ。でも、咲夜は()()()()()わ」

 

 再び力強い声色で紡がれた一言。

 レミリアはそこに宿る存在を噛み締めるように、ぎゅっと胸を押さえた。

 

「……! そういうこと、ね。道理で……」

 

 全ては杞憂だったと悟り、パチュリーは口元を緩める。

 

「こんな異変、早く終わらせてまた()()()で……」

 

 それを見て、レミリアが呟いた。

 

「ええ、()()()で」

 

 二人は目を見合わせると、眼前の『闇』を、そして、その先にある未来を見据えた。

 

 

 …………。

 ……………………。

 …………。

 

 

「さぁ、二人とも。最後の大立ち回りよ。まずは幽香。とりあえず、預かっていた()()、返すわ。そこの『スキマ』に手を入れて頂戴」

 

「何かしら……ああ、()()ね」

 

『スキマ』にぶっきらぼうに手を突っ込むと、棒状の物を握る。

 

 幽香が懐かしい感触と手馴染みを感じながら『スキマ』から引き抜いたのは、一見何の変哲も無い日傘であった。

 

「それじゃあ、一切合切消し飛ばしましょうかしら」

 

「ダメよ。少なくとも()()()が来るまでは、ね。当面、それは防衛用。私はしばらく別の仕事につきっきりになるから……私達のこと、任せるわ」

 

「またそんな小間使い? 不完全燃焼にも程があるわよ、これじゃあ」

 

 感じたままに不満を漏らし、ブラウスの両袖を捲り上げる。

 日傘を手にした幽香はよほど暴力的な衝動に駆られているらしく、全身から発せられる殺気と妖力は、先程までとは比べものにならないほど攻撃的な色を帯びていた。

 

「だから、()()()が来たら合図するわ。もうしばらく、辛抱して頂戴」

 

「それなら、まぁ……よしとしましょう、かっ!」

 

 そう言いながら、それでも我慢できないとばかりにその場で日傘を振り回す。

 驚くほどしなやかなそれは、華奢な外見からは想像もできない轟音を立て、空を切った。

 

「……して、麗亜。にとりから貰った()()、持ってるわよね?」

 

 幽香との会話を一頻り終えると、麗亜の方へと向き直りながら、言葉の矛先を彼女へと向ける。

 

「は、はい。一応……」

 

 紫が言う()()とは、麗亜が後生大事に懐に忍ばせている護身用の武器ーー河童、河城にとりから『ディンゴ』と一緒に手渡された簡素な造りの単発式拳銃と、それに装填された一発の『夢想封印弾』であった。

 好奇心旺盛で器用。学問の追究に余念がなく、こと科学技術においては他の種族の追随を許さない河童達。

 その中でも、とりわけ優秀な発明家(エンジニア)であり、人間を盟友と呼んで憚らないにとりが手ずから製作し、麗亜に()()()()贈った()()()は、護身用とはいえ充分な精度と威力を持っているに違いなかった。

 

「そう、よかった。アナタには、()()で私が固定化した()を撃ってほしいのよ」

 

 そう言いながら、紫は麗亜から逸らした視線で『闇』を示した。

 

「……っ! 私、が?」

 

「そんなに気負わなくても大丈夫よ。『異変』が起き、そこに『博麗の巫女』がいる。誂え向きの状況ではなくて?」

 

 突然の要求とそのあまりの重圧に身構え、体を強張らせるばかりの麗亜に、紫は優しく諭すように語り掛ける。

 

「…………」

 

「麗亜。()()は他でもない、アナタと私でするのよ。『博麗の巫女』と『幻想郷の賢者』の二人で、ね。だから、この『異変』は解決したも同然……そうでしょう?」

 

 黙り込む麗亜を真っ直ぐに見詰め、同意を迫る。

 その言葉には、穏和な声色や口調とは対照的に、否定的な返答を制するような凄みがあった。

 

「でも、あれは単発式ですし、何より『夢想封印弾』も装填してある一発しか……」

 

 傍観者から介入者へと返り咲くことを覚悟していたとはいえ、まさか斯様に重要な形で()()を任されるとは想像さえしていなかった麗亜は、沈黙の後に逡巡を見せる。

 もっともそれは、覚悟や勇気の不足からではなく、生来の遠慮がちな性格が、大役を振られることへの抵抗を生んでいるが故の躊躇いだったのだが。

 

「ちょっと、紫。こんな調子なら、私かアンタがやった方がいいんじゃないかしら? 使い慣れない道具だけど、この娘にやらせるよりマシなんじゃない?」

 

 その麗亜の反応を見て、煮え切らず頼りにならないと判断した幽香が、痺れを切らして会話に割り込む。

 

「無理よ。私は今から手が離せないし、アナタにも全力で護って貰わないと。それに、この役回りはやっぱりこの()じゃなきゃ」

 

「異変を解決するのは、あくまで『博麗の巫女』、ということかしら?」

 

 それでも、断固として主張を曲げない紫に、畳み掛けるように問い掛ける。

 

「それもあるけれど……ただ、麗亜が適任なのよ。色々と考えると、ね」

 

「根拠が見えないわ。この娘の反応からして、ほとんど実戦経験はないんでしょう? 私には、荷が勝ちすぎるようにしか見えないけれど。もし、世界に愛されているから、みたいな戯言を宣うなら、私は……」

 

 好きにやらせてもらう、と。

 そう締めの言葉を言いかけて、幽香はあることに気付く。

 それは、麗亜から発せられる霊気のゆらめきが、気に留めることもないほど微弱だった先程までとは打って変わって大きくなっていることだった。

 寄せては返す波のように強弱を繰り返し、そして次第に底上げされていく霊気の高まり。

 それが最高潮まで達した時の、もはや別人と見紛うほどの霊力の強大さに、幽香は先代『博麗の巫女』の片鱗を感じ、目元をひくつかせた。

 

(成る程。紫、アンタは文字通り()()の事態を想定しているワケね。確かに、この娘なら……)

 

「私は、何かしら?」

 

 と、言葉に詰まった幽香に意地悪く尋ねる紫。

 

「いいえ、何でもないわ。その娘がやれるっていうなら、やらせればいいんじゃない?」

 

「ですって。どう? 麗亜」

 

「やり、ます……やらせてください」

 

「ええ。それじゃあ、一緒に頑張りましょうねぇ」

 

 望んだ返答に、満足気な笑みを浮かべて頷く。

 

「はぁ……紫。アンタって本当に、典型的な妖怪よね。いくら取り繕っても、その本質は利己的で残酷。いつか報いを受けるわよ?」

 

「ふふ、幽香。私もアナタも、妖怪よ。()()()が来たら、無様に報いとやらを受けようじゃありませんか」

 

 会話の終わりに浴びせ掛けられた皮肉に皮肉で返し、紫は悠然と『闇』を振り返る。

 

「はん。ロクな死に方しないわよ、アンタ」

 

 紫には届かなかった最後の一言。

 ぽつりと零れたそれは、自身への戒めのようでもあった。

 

「さて、そろそろ始めましょうか」

 

「ええ、そうしましょう」

 

「この()()()も、いい加減終わらせないとね」

 

 紫が誰にでもなく呟くと、会話を終えたレミリアとパチュリーが応える。

 

(これだけ揃えば、充分よね?)

 

 準備万端、意気軒昂。

 近付く幕切れを前に、紫は自分自身に問い掛ける。

 

(もう一度アナタに会うなんて、高望みだったかしら? ねぇ、霊夢……)

 

 そして、心の何処かで期待していた友人との再会に想いを至らせ、静かに眼を閉じた。

 

「さぁて、仕切り直しよ。反撃開始と洒落込みましょう」

 

 寂寞とした感情を振り切るように、今一度眼を見開き、手にした扇子を翻す。

 

 と、同時に一同を取り巻く『境界』が足元の円状の部分だけを残して消失し、そこへ襲い掛かる『闇』を薙ぎ払う弾幕が、戦いの口火を切った。

 

「私が先行するわ! 背中は任せたわよ、パチェ!」

 

「任せて頂戴。蚊の一匹も、アナタに近付けさせはしないわ」

 

 返事を待たずに飛び出したレミリアの背中を追い掛け、パチュリーもまた『安全地帯(セーフティエリア)』を後にする。

 

 二人の斬り込みを合図に、本格的な攻防が始まった。

 

 この『異変』最後にして、最大の攻防が。



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Grip & Break down!!

クライマックスですね、ええ。

気付けばもうすぐ2年。今年中に終わる気がしない……


 …………。

 …………………。

 

 ーー暗い。

 目を見開く。

 

 ーー暗い。

 目を細める。

 

 やっぱりーー暗い。

 ここは暗い暗い、闇の底。

 

(どうして、私はここにいるんだっけ?)

 

 いくら思い出そうとしても、記憶には靄がかかり、その断片さえも判然としない。

 

 ここには、何もない。

 

 何も、何も。

 

 もしかしたら、私自身も()()()()のかもしれない。

 

 不意に過ぎった不安を拭い去るように、両手で自分の顔を触り、()()()()()ことを確かめる。

 

(とにかく、進まなきゃ)

 

 肥大する不安を誤魔化すため、あてもなく闇の中を彷徨い始める。

 

 やっぱり、ここには何もない。

 

 何も、何も。

 

 どれだけ歩いても果てはなく、障害物の一つもない。

 足元には、ただただ高低差のない地面が続いているばかりだ。

 

(……! 何か……ううん、誰か、いる……?)

 

 それは、しばらく歩みを進めると、唐突に訪れた変化。

 ぼんやりと、闇の中に一つの輪郭が浮かび上がっている。

 

「……うぅ」

 

 何かにもたれかかるように座る()()は、私の気配に気付いたのか、小さな呻き声を上げた。

 

 その声に誘われるように歩み寄ると、酷く疲れた様子の男が一人、項垂れているのが目に入って来る。

 

「……おじさん、だぁれ?」

 

「……さぁな。とうの昔に、忘れてしまったよ。お嬢ちゃんこそ誰で、()()()()()()()()()んだい?」

 

「んー、あれ? 私、(なん)なんだっけなぁ……思い出せないや」

 

 そう、思い出せない。

 

 何も、何も。

 

「私も同じさ。わからない。何も、何も」

 

「そう、なんだ……じゃあ、おじさんはどうして泣いてるの?」

 

「私は、泣いている? 何故?」

 

「わかんないよ。でも、独りぼっちだからじゃないかな? おじさんも、私と同じだ」

 

 互いに、己の不確かさを再認識するばかりの問答。

 しかし、不安を際立たせるだけの()()に縋るほかない現状。

 今は、少しでも他者との繋がりが欲しい。

 自分が()()()()()と認識するために。

 

「そうか。だからお嬢ちゃんも、泣いてるのかい?」

 

「え……?」

 

 予想外の返答に、頬を掌で擦り、そこに残る感触から理解する。

 

 頬に伝う、一筋の水跡。

 

 それは、もう忘れたはずの涙。

 暗澹たる日々に置き去りにした、絶望と安らぎの象徴。

 遠い昔に枯れ果てたはずの、感情の残滓。

 

 

『……ラン…………』

 

 声がする。

 

 遠くから、近くから。

 

 誰かを、捜すような声が。

 

 誰かの名を呼ぶ声が。

 

 ()()()()を、呼ぶ声が。

 

「……フラン」

 

 それが、自分を呼ぶ声だとはっきり認識した瞬間、目の前の(こうけい)全てが揺らぎ、搔き消えた。

 闇の底の底、意識の深淵に引き込まれるように、時間の感覚が喪失し、視界が膨張と収縮、明滅を繰り返す。

 やがてその先に広がった、辺り一面色鮮やかな光景。

 

「そうだ、私……」

 

 私は、()()を知っている。

 髪を撫でる、微風。

 足元に広がる、花畑。

 紅い月が臨む、小高い丘。

 

 そう、()()()()()訪れた、終わりと始まりの場所。

 

「……会いたかったわ、フラン」

 

 不意に、傍らから響いた声。

 そして、振り向いた先に佇む、一人の女性。

 

「あ。お……お母、様?」

 

 私は直感した。

 彼女は顔も覚えていないはずの、母だと。

 

「ようやく、また会えたわね。嬉しいわ、とても」

 

 ああ、全部、思い出した。

 

 私が、ここにいる理由。

 母が、ここにいる理由。

 

「……思い、出した」

 

 全部、全部思い出した。

 

「私、思い出したよ。お母様……ううん、ママ。ママの声、ママの温もり……ママの味。全部、全部思い出した」

 

「…………」

 

 とめどなく溢れる涙を拭う私に、ただ黙って微笑みを返し、手を差し出すばかりの母。

 

()()()()()()()、ずっと……私の()()に、いてくれたんだね」

 

 ずっとここにいて、ずっと、見守ってくれていた。

 

「これからも一緒よ。ずっと」

 

 慈愛に満ちた言葉と共に差し出されたその手を取ると、母は輪郭を崩し、小さな光の球となって私の掌に融けた。

 

「……ありがとう、ママ」

 

 目を閉じ、独り言つ。

 この胸に再び宿った、希望を抱いて。

 

 

 ………………。

 …………。

 

 

「お嬢、ちゃん……?」

 

 自分以外、何もかもが存在しないと思っていた深い闇の中。

 救済の祈りに応え、空から天使が舞い降りるが如く、眼前に一人の少女が現れた。

 だが、何の前触れもなく現れた彼女は、何の前触れもなく()()()()しまった。

 

 永劫に続く孤独の苦しみに苛まれ、失われたはずの涙を、彼女のおかげで思い出せたのに。

 

 彼女は、ただぼうっと中空を眺め、呼び掛けに応える気配さえ見せない。

 

『どうした、狂った王様』

 

 声が響く。

 

 体の内側に、その振動が伝わるほど近くから。

 

『それで、それで……降りて来たかね? 神は、楽園は』

 

 ただただ、響く。

 

『どうした? 答えろよ王様、狂った王様。皆死んだ、皆死んだぞ。お前の為に、お前の信じるモノの為に、お前の楽園の為に、お前の神様の為に、お前の戦いの為に、皆死んでしまった』

 

 深い、深い闇の底から湧き上がる、呪詛の声が。

 

『お前はもう王じゃない。神の従僕ですらない。いや、()()()()()()()()。敵を殺し、味方を殺し、守るべき民も、治めるべき国も、男も、女も、老人も、子供も、自分までも』

 

 誰かを罵り、蔑む声が。

 

「度し難い、全くもって度し難い化け物だよ、『伯爵』」

 

 それが、自分に向けられた声だとはっきり認識した瞬間、目の前の(こうけい)全てが揺らぎ、搔き消えた。

 闇の底の底、意識の深淵に引き込まれるように、時間の感覚が喪失し、視界が膨張と収縮、明滅を繰り返す。

 

 その眩暈にも似た感覚から立ち直ると、自身がいつの間にか横たわっているのに気付く。

 

 身体が、動かない。

 

 動けない私は、既視感のある日暮れの荒野で、()()に見下ろされていた。

 

「終わりだ、()()

 

 ()()が槌と杭を構え、呟く。

 

「俺は、()()負けるのか……」

 

 走馬燈のように駆け巡る記憶から、不意に零れ落ちた一言。

 

「ああ。もはやお前には何もない。城も領地も領民も、思い人の心も、お前自信の心も。お前は今や、闘争から闘争へ、何から何まで消えてなくなり、真っ平らになるまで歩き、歩き、歩き続ける幽鬼と成り果てた」

 

「そうか、あの男(あいつ)は俺だったのか。あの女(あいつ)も、俺だったのか。俺も、この通りの有様だった。俺も、この通りの(ザマ)だったんだ!」

 

 瞬間、槌が振り下ろされ、杭が胸を貫く。

 

「う……お、おおおおぉぉ!」

 

 その焼け付くような痛みと、それを搔き消すほどの失望に、脇目も振らず慟哭する。

 

 不意に、涙に滲んだ視界の端、映り込んだ沈みかけの太陽。

 

 私が死んだ光景は、いつも、この、これだ。

 ああ、そうだ。そうだ。そうだった。あの時も、こんな日の光だった。

 そして幾度(いくたび)も思う。

 日の光とは、こんなにも美しいものだったのか、と。

 

 絶え間無く押し寄せる感情の波に呑まれ、次第に意識が遠のいていく。

 

 ああ、私は()()()のか。

 だが、これでいい。

 ()()()()のなら、これで。

 

「……カード」

 

 また、声がする。

 呼び声がする。

 

 誰だ、誰だ、誰だ。

 私を呼ぶのは。

 

「……ード。アーカード……」

 

 ()()()()が、人を殺す。

 

「……まったく、だらしない。何でそんな顔してんのよ」

 

 それでもなお、()()()()を踏破するのなら。

 

「……鬼が泣くなんて、馬鹿げてるわ。泣きたくないから、鬼になったんでしょ? ねぇ、()()()()()!」

 

 なぁんだ、お前か。

 

「……フン。まったく、お前の声はやかましくてかなわん。まるで、割れ響く歌のようだ。なぁ、()()

 

 一喝の残響が広がるにつれ、霧が晴れるように私を苛む声と風景は消え去り、意識が覚醒へと引き戻される。

 

「はん、()()()顔になったじゃない。私、ちょっと一仕事してくるから、あとは任せたわよ」

 

「任せた? フン、命令(オーダー)だ。命令(オーダー)をよこせ。見知らぬ世界の我が仮初めの主人(あるじ)……『博麗の巫女』、博麗霊夢よ」

 

 視界一面に広がる鮮やかな景色ーーいつか目にした、月明かりの花畑。

 それを一頻り眺め回すと、目の前の女にその名を確認するように呼び掛ける。

 

 その時、自然と口にした言葉を自身で聞いて初めて、私は()()()()に気付いた。

 神社で命令を受けてから、今の今までずっと心の片隅で渦巻いていた蟠りと違和感、そして喪失感。

 それら全てが、解消されている。

 そう、私は()()を思い出したのだ。

 それは、()()がここに至った経緯も、自分が()()()()()理由も。

 

 全て、全て。

 

「決まってるじゃない。アンタがいつも言われてたアレよ。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)、だったっけ? ただ、アンタが()()()()()あの()の面倒だけは、しっかり見なさいよ」

 

 私の目の前にびしっと指を突き出し、霊夢は聞き慣れた一言に説教臭い言葉を添える。

 

「了解した……」

 

 私の返答に、彼女は満足そうに微笑み頷くと、背を向け空を仰ぐ。

 半瞬間後、その姿は光の球となり、どこかへ飛び去っていった。

 

「……そろそろ、()()()()()

 

 口をついて出る、独白。

 まるで枷から解き放たれたように、身体が、心が軽い。

 ()()を実感すると同時に、今の今まで力を存分に振るえていなかった事に思い至る。

 

 これで、()()()()()()()

 

 ならばーー

 

 もはや、為すべきことは()()()だ。

 

 ………………。

 …………。

 

 

「……おじさん」

 

「……お嬢ちゃん」

 

 気がつくと、二人は目を見合わせていた。

 

 二人の眼前に広がっていた鮮やかな世界はいつしか色調を反転し、それを蝕むように色一つない闇が広がり始める。

 

 その闇の中、蠢く数多の『()』ーー亡者の群れ。

 

「私は()()()()()()()()()()。私を待つ、()()の元へ」

 

「また、私と同じだね。私も、こんなところにいつまでも居られない。()()()()()()が、たくさんできたから」

 

 二人の間に、多くの言葉は必要なかった。

 それは、二人が()()()になっている間に記憶を共有したからか、はたまたお互いが命の奪い合いに興じた際のやりとりを脳裏に蘇らせ、妙な親近感を覚えていたからなのか。

 その理由は定かではないが、一つだけ確かな事があった。

 

「ああ、そうだろう。()()()、そうだ。さぁ、お嬢ちゃん。一緒に()()()()を踏破しようか」

 

「……うん!」

 

 それは、二人が直近の()()を同じくしていること。

 

 一人は白銀の銃を構え、一人は真紅の剣を握り締める。

 

 瞬間、二つの閃きが闇の中を駆け出した。



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Search for the butterfly

決してエタっておりません。

実は前話の直後くらいに書き上げていたのですが、現実世界の方で色々とありまして、このように間の空いた更新となってしまいました。

このままでは作品そのものを幻想入りさせざるを得ない状態になりそうなので、もう推敲より更新優先でとりあえずあげておきます。

一応最終話(※エピローグあります)です。

よろしくおねがいします。


「はああぁぁぁあぁぁァァッ!」

「やあぁあああぁぁっ!」

 

 飛び交う弾幕。

 舞い踊る光。

 響く怒号。

 

 唐突に現れた終焉への(きざはし)

 主人(あるじ)を呑み込み、なおも膨れ上がり続ける『()』。

 おぞましい悲鳴のような金切音をあげるアーカード──否、今となってはアーカード()()()巨大な()()()の群体。

 その暴威は未だ衰えの兆しさえも見せることはなく。

 ()()は、まるで制御を失った獣の群れのように、統率なく暴れ回り。

 なりふり構わず己に欠けた何かを求めるように、周囲一切を貪らんとのたうち、蠢き続けている。

 

「獄符『千本の針の山』!」

 

「土金符『エメラルドメガロポリス』!」

 

 絶え間ない反撃に曝されながら、それでもなお雄叫びと共にありったけの攻撃を叩き込み続けるレミリアとパチュリー。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 その後方で、両膝を『境界』の端に据え、深く息を吐き精神統一を図る紫と、彼女の傍らで銃を握る、神妙な面持ちの麗亜。

 そして、二人を含めた無防備な面子に群がる『()』を、その振るう日傘で薙ぎ払う幽香。

 

「……よし、と。それじゃあ、お待ちかね……最後の駆け引きと洒落込みましょう!」

 

 と、何を血迷ったか、おもむろに紫は膝元の『境界』から上体を乗り出すと右手を翳し、そのまま思い切り『()』の表面へと振り下ろした。

 

()』に勢いよく叩きつけられた右手は掌、手先、手首、肘、とゆっくり泥沼に沈み込むようにその中に呑まれていく。

 

「な……っ、紫さ……」

 

「大丈夫よ。大丈夫、だから……」

 

 狼狽した様子で近寄ろうとする麗亜を左手で制し、伴う苦痛のためか、表情を歪めながらも右手を突き入れていく。

 

 そして、『()』の表面が上腕にまで達したところでその動きを止め、乱れた息を整え始める。

 

「まったく、無茶するわね」

 

「昔から言うじゃない? 無理はダメでも無茶はいい……ってね!」

 

 まるで自分に言い聞かせるように、幽香へと返す軽口。

 

「紫ッ! ()()なの!? このままじゃ……」

 

 そして、それを地獄耳で拾ったかのようなタイミングで、レミリアが怒鳴りつけるように問い掛ける。

 その声には、焦りの色が滲み始めていた。

 

「まだよ……もう少し、もう少し!」

 

 何万という()()()の中から、僅かな感覚だけを頼りに特定の()()だけを見つけ出す。

 それは、広大な暗闇に落とした針を手探りで探すような、途方も無い作業である。

 しかも、館の外に張り巡らせた大規模な『境界』を維持しながらそれを熟すとなれば、その負荷が凄まじいものになることは想像に難くない。

 その証左に、紫の表情からはいつもの余裕が消え、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。

 

(これは……!()()()の数が、減って……?)

 

 と、探索を始めて数秒後、紫は走査の対象が急速にその数を減らし始めていることに気付く。

 

(そう……()()()()()のね、アナタ()も。これなら……いけるわ!)

 

 ふと舞い込んだ僥倖に後押しされ、紫の作業は滞りなく進む。

 

 そして、遂に。

 

「……! ()()()()()()! 幽香、今よ!」

 

 紫は、指先が探り当てた()()をしっかりと掌に握り込むように捉える。

 

 すると、同時に彼女の正面やや遠方に『()』がぼんやりと()の輪郭を描き出した。

 

 否、きっと、それは今の今までずっと()()にあって、紫はそれを実体化させる『境界』(きっかけ)を与えたにすぎないのだろう。

 

「待ち侘びたわ……果てなさい!」

 

 紫の声に合わせ、幽香は大仰に日傘を振り回し、地面と平行に突き出して構える。

 瞬間、その先端に膨大な妖力が集中するが早いか、光の束が彼女の眼前全てを薙ぎ払った。

 溢れ出した、万象を掻き消す(つい)の光。

 閃光の射線に残されたのは抉れた地面にぽつんと佇む、揺らめく輪郭を纏った棺だけで、その一撃は棺の後方に位置する強力な『境界』さえも穿っていた。

 

「麗亜!」

 

 紫は目一杯の声で、少女の名を叫んだ。

 この戦いに終止符を打つべき、一人の少女の名を。

 

「……!」

 

 麗亜は、頭の中で反響する紫の声に突き動かされるように、無意識に棺に向かって銃を構える。

 

 銃はおろか、他のあらゆる武器らしい武器を構えたことも、ましてや手にしたこともない。

 

 だが、やるしかない。

 

 ()()()()()が、来たのだ。

 

 覚悟は充分。迷いも振り切った。

 

 それでも、のしかかる不安と重責に、自然と手が震える。

 

(私が、やるしか……!)

 

 以前、アーカードから気紛れに教わった付け焼き刃の操法で、棺に狙いを定める。

 グリップを両手で軽く握り、撃鉄を起こす。

 続けて、照門と照星の先に標的を重ね、引き金に指を掛ける。

 

「……!」

 

 あとは、指先で引き金を絞り込むだけでいい。

 なのに。

 たったそれだけの動作が、思うように出来ない。

 まるで、不安が覚悟を上回ってしまっていることを伝えるように、その指先は彼女自身の意思とは無関係に震えるばかりだった。

 

「麗亜……!」

 

 その時、紫の再度の呼び掛けで、彼女はあることに気付く。

 棺の周囲に、取り払われた『()』が今一度収束しようとしている。

 

 時間がない。

 そして次の好機も、きっと。

 

「……ッ!」

 

 ()()を認識した瞬間、より一層強張った指先が感覚を失っていく。

 思わず漏れそうになる不安の叫びを必死で噛み殺しながら、傍らに座る息も切れ切れの紫に、縋るように視線を落とす。

 

「…………」

 

 その内心を察したように返される、紫の真っ直ぐな眼差しと微笑み。

 

 それは、彼女が時折見せる裏寒い打算的なものではなく、いつか先代(れいむ)が彼女に向けられたであろう、()()()への期待と慈愛に満ちたものだった。

 

(そうか。私は……!)

 

 不意に、その瞳の中に映る自分自身と、目が合ったような気がした。

 瞬間、遍く全てを()()に感じられていることを自覚する。

 今、まさに体を縛る不安や恐怖。

 そして、己自身の存在そのものさえも。

 

(……ありがとうございます、紫さん。これで、終わらせます……!)

 

 紫の無言の後押しに、いつしか身体の強張りは解け、震えは止まっていた。

 自由を取り戻した指先は、気付けば引き金を絞っていた。

 

 満を持して放たれた、決着の一弾。

 撃ち出された()()()()弾丸(きりふだ)は、残像を美しい光の帯と残しながら、真っ直ぐに標的へと突き進む。

 

(あれは……!)

 

 その行方を、冷静に見据える双眸があった。

 

 棺の出現した一帯を悉く消し去った、幽香の一撃。

 その発生を爆発的な妖力の高まりから察知し、間一髪、パチュリーを伴い射線から逃れていたレミリア。

 彼女は光芒の通過した後、ただ一つ残された棺に視線を向けていた。

 

(駄目……あれじゃあ、当たらない……!)

 

 吸血鬼の並外れた動体視力で捉えた飛翔体。

 それが、麗亜が棺に向けて放った弾丸だと認識すると同時に、彼女は悟った。

 

 このままいけば、弾は間違いなく()()()

 

 直進する弾丸が描き出す軌跡と射線は、忌々しいほどはっきりと網膜に刻み付けられていくのに。

 その軌道を変えようにも、この距離では間に合わない。

 そう、いかに自身の身体能力が優れていようと、弾丸の行く末を目で追うこと()()できない。

 ()()の顛末を見守ることしか、できない。

 

(……っ!?)

 

 と、その時、麗亜達から見て棺の後方に、小さな空間の()()()を一箇所知覚した。

 同時にもう一箇所、棺の直近前方に同じような()()()が生まれつつある事にも気付く。

 

(あれは紫の『スキマ』……でも!)

 

 このままいけば、おそらく逸れた弾丸は後方の『スキマ』を通り、前方の『スキマ』から確実に棺を捉える軌道で撃ち出されるだろう。

 

 しかし、未だ発生したとは言い難い『スキマ』に『()』はいち早く反応し、『スキマ』と棺との間に()()()()()()()()()()()

 

 

 前方の『スキマ』をもう少し棺寄りに拓けば必中となっていたであろうが、消耗した紫にとっては()()が『スキマ』を立て続けに拓ける限界の距離だったのだろう。

 

(間に合わない……ッ!)

 

 これから起こり得る惨劇の全てを予見した上で、ただ()()()と同じように己の無力さを嘆き、神に許しを乞い、祈るしかできないのか。

 

「あああああぁぁぁぁッ!」

 

 ──否。

 きっと、届かなくても。

 ()()()手を差し伸べ続けてみせると。

 その為に、『吸血鬼』になった(神に背いた)のだと。

 

 『吸血姫』(ノーライフクイーン)として。

 その前に、一人の姉として。

 レミリアは後先を考えるよりも早く飛び出していた。

 

 

 ──だが、現実は非情だ。

 いかに彼女が足掻こうと、その目の前で刻一刻と、事態は取り返しのつかない方向へと絶え間なく進んでいく。

 

(ここまで、なの……?)

 

『……らしくありませんね、お嬢様』

 

 レミリアが策の失敗を確信し諦観の念を抱きかけた瞬間、頭の中に声が響く。

 とても聞き慣れた、でも、もう二度と聞くことはないと思っていた声が。

 

 と、同時に視界にあるもの、否、自身を取り巻く全てのモノ──()()でさえもが、その色と動作を急速に失っていく。

 

「……咲夜!」

 

『しばしお目にかからない間に、随分とまぁしおらしくなられて。私の知るお嬢様は、傍若無人にあらゆる()()()()を踏破なさるお方……のはずですが』

 

「言ってくれるわね……」

 

 思考が、想いが、繋がる。

 自身が考えると同時に、相手の考えていることがわかる。

 意思疎通に言葉を用いない、不思議な感覚。

 

『さぁ、終わらせましょう。一緒に!』

 

「ええ、そうね。二人でなら、きっと……!」

 

『行きましょう!』「行くわよ!」

 

 ()()()()()()()になった二人は、二人()()の世界を駆ける。

 

 雄々しく翼を広げ飛び立ち、()が二人に()()()()目一杯まで棺に近付き、右手を振りかぶる。

 

 すると、その指先に実体化した咲夜の()が重なり、妖力がナイフの形を描き出した。

 

「これは()()からの手向けです。さようなら、吸血鬼」

 

 そして、今まさにせり上がろうとする『()』に狙いをつけられたそれは、咲夜の一言と共に渾身の力を込めて投げ放たれ、命中の直前でぴたりとその動きを止めた。

 

「「そして時は動き出す……」」

 

 直後、押し寄せた奔流に堰が決壊したかの如く、一瞬にして複数の攻防が繰り広げられる。

 

 ──ともあれ、そこに残った結果は単純明快。

 

 麗亜の放った弾丸──『夢想封印弾』が、全ての障害を掻い潜り、見事『()』に直撃していた。

 

 刹那、眩いばかりの光が棺を包み込む。

 

 ……だが。

 

「やった……!」

 

「いいえ、まだよ」

 

 安堵し深く息を吐こうとした麗亜は、紫の一声で即座に緊張に引き戻され、銃を構え直す。

 

 棺を包む光は明滅を繰り返しているが、『()』が退く気配は一向にない。

 たしかに、『()』は僅かにその脈動を弱めたものの、未だ荒れ狂う嵐の如く、周囲の一切を吞み込もうとしていた。

 

「どうして!? 当たったのに……」

 

「どう……なってんのよ……?」

 

 唖然とする麗亜の傍らで呟いたのは、日傘を杖代わりに体を支え、息も絶え絶えに焦点の定まらない目で佇む幽香だった。

 口の端から血を流す彼女の首元では、先程までとは正反対に太極図の『()』がその大部分を占め、光を放っている。

 

 妖力の()()と呼吸の乱れが、首元の太極図の()が徐々に浮き出してくるのに従い、大きくなってきているようだ。

 おそらく、()()が近いのだろう。

 

「どうやら、一発では()()()()()()みたいね。このままでは、じきに『()』がこの幻想郷(せかい)中に溢れ出すでしょう。それより貴女、大丈夫? ボロボロじゃない」

 

「何、余裕ぶってるのよ……今は、私なんてどうでも、いい……でしょ? ゲホッ! ぐ……紫、なんとか……しなさいよ……」

 

 紫の返答に対し辛うじて言葉を繋ぐと、両膝をついて肩で息をする。

 そして、そのまま苦しそうに首元を両手で押さえると黙り込み、荒い吐息を吐き出すばかりとなってしまった。

 

 指の隙間からのぞく太極図はそのほとんどが陽を示す()に染まり、黒い部分は小指の先ほどの面積が残されるばかりとなっている。

 

「もう一度貴女に賭けるしかないわ、麗亜」

 

「何を、そんな冷静に……ッ!」

 

 幽香の容態への関心もほどほどに、紫は涼やかな顔で淡々と宣う。

 その一言に、麗亜は我に返ったように先程までの超越した感覚を失い、焦りの色を滲ませた。

 それでも、構えた銃を下ろさずにいたのは、彼女がこの短時間で精神的に大きく成長したことの証左であり、続く紫の言葉に説得力を持たせるのに充分であった。

 

「大丈夫。だって貴女なら、きっとこの危機を乗り越えられるはずだから。そうでしょう? ……霊夢」

 

 不敵な笑みを浮かべ紫が問い掛けた先、麗亜の背後に一人の少女の姿があった。

 紅白の巫女装束に身を包み、頭に大きなリボンをあしらった、一人の少女。

 体躯は麗亜よりも少し小柄に見えるが、その存在感は突然音も無く()()に現れた事を感じさせないほど()()()を帯びていた。

 

「……はん。揃いも揃ってだらしないんだから。これじゃ、おちおち死んでられないわね」

 

「ふふ、逢いたかったわ……ずっと」

 

「この声……! えっ!?」

 

 振り返ろうとする麗亜の頭を両手で脇から押さえ棺の方へ留めると、かつて『幻想郷に博麗の巫女あり』と謳われた少女は続ける。

 

「時間がないわ。駄弁ってるヒマはないの」

 

 その輪郭を淡い光で縁取られたように()()()()()、それでいて、どこか()()()()()彼女は、麗亜の頭に添えた両手の平をそのまま肩、腕と滑らせ、両手の甲と重ねる。

 

「さぁ、やるわよ……麗亜!」

 

「……はい!」

 

()()()()()()よ。とりあえず、もう一度構え直しなさい」

 

 麗亜には、交わしたい言葉が数え切れないほどあったが、今はただ言われるがまま、銃を握った両手を突き出す。

 そして、少し縮こまっていた両肘を伸ばし、今一度しっかりと棺に正対した。

 

「でも、弾が……」

 

 予期せぬ心強い増援に、不安が安心へと上書きされつつあったが、改めて状況に向き合うと憂心が言葉となって零れる。

 

 いかに気勢が変わろうとも、状況は霊夢が現れた事を除いて何一つ変わっていないのだから無理もない。

 

「必要ないわ。返すべき()()を返すついでに、手助けしてあげるから。こと異変解決において、私達『博麗の巫女』に不可能なんてないのよ」

 

 麗亜の一言が既に万策尽きてしまったことを伝えるが、霊夢は全く意に介さず、続けるように促す。

 

「わかり……ました」

 

 自信に満ちたその後押しに、麗亜はこの上ない安心感を覚え、そして同時に少しだけ、面映ゆい気持ちになった。

 

「さぁ、よく狙って。()()()()()()でいいのよ」

 

「そんなこと言われても……」

 

「ほら、自分に還って来た力を……『()()』を感じて」

 

「『()()』を、感じる……?」

 

 漠然とした助言に疑問を抱きながら、それを搔き消すほどの心地良さを帯びた囁きに耳を傾け、集中を深めていく。

 

 そして、自身の手の甲に重ねられた掌の温かさを改めて感じた時、言葉では説明できない()()感覚の一端を掴んだ気がした。

 

「そう、その調子。あとは、イメージをするだけ。私が『()』として使っていたものを、『()』として使う……それだけよ」

 

「イメージ……」

 

 その感覚に寄り添おうと、深く、深く没頭するよう努めるが、思考の上澄みを掻い潜る中で、失敗の像やとりとめのない事柄が脳裏を駆け巡り、息が詰まりそうになる。

 

「意識し過ぎよ。世界から手を離せば、私が()()()()ように、きっとアンタも()()()から」

 

 その言葉を耳にした瞬間、先程と同じ感覚に沈み込む自分を自覚する。

 そして、先程よりも()()、自身を取り巻く全てがどこまでも()()()()()に感じられた。

 

(ああ、何だ。こんなに、簡単なことだったんだ……)

 

 初めから分かっていたのに。

 全ては、こんなにも単純で。

 身を任せ、ただ流れるようにそこに在れば良い、と。

 

「さぁ、キメちゃいなさい! 行くわよ!」

 

「「……『夢想封印』!」」

 

 意識せずとも、自然と体が動く。

 麗亜の指先はゆっくりと、噛み締めるように引き金を絞った。

 

 

 ──それは、まさに在りし日の『博麗の巫女』の再現だった。

 

「…………」

 

 その場にいた誰もが、ただただ美しい軌跡を描き出し飛翔する光の塊にその心を奪われ、目を逸らすことも、息をする事も忘れ、魅入っている。

 

 やがて棺に達すると、眩いばかりの光は膨張し、辺り一帯を優しく包み込んだ。

 

 撒き散らされていた『破滅』の気配とともに、次第にそれは収束していく。

 

 輝きが収まると同時に一切の闇は消え、そして。

 棺のあった場所には、たった一つの()が残されていた。

 

 皆の方に背を向け、肩を落とし、前のめりに座り込む一人の男の、()()()()()、従えた『()』を失った()()()()()()領主の姿が。

 

「……これで、本当に終わりよ!」

 

 と、ことの行く末をただただ見守る一同の中から、不意に勢いよく飛び出した影が一つ。

 

 妖力で象った二又の槍を構え、裂帛の気合いとともに一直線に男の背に向かって行くその影は、レミリアであった。

 

 彼女自身、何故このような行動をとったのかおおよそ理解はできていなかったが。

 

 それはきっと、全ての()()()()()をつけさせるためか、二度とこのような悪夢が起こらないようにするためか。はたまた、自分自身の不甲斐なさや、()()()()()()()()()()()()()()()に対するやりきれない思いからか、或いはそれら全てのためか。

 

 いずれにせよ、それは他者には推し量れない葛藤の末、無意識にとった行動に違いなかった。

 

 しかし──

 

「おやめください、お嬢様!」

 

 その槍先が、男を貫くことはなかった。

 両者の間に『()』として実体化した咲夜が割って入ったのだ。

 

「咲夜! どうして……」

 

()()()()などと……もはや、()()()()()であり、()()()()()であるのです。もう、わかっておられるのでは?」

 

「……!」

 

 男の吐息に混じって微かに聞こえる、幼い寝息。

 

 男の正面に回り込むと、そこには彼に抱きかかえられるように膝の間に座る、フランドールの姿があった。

 

「……おかえり、フラン」

 

 心からの言葉と、溢れる感情。

 

 紅い悪魔は、今一度その両目の紅を掠れさせ、ぎこちなく微笑んだ。

 



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