ワタシと仮面を被った少女 (ぽん骨)
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Prologue 1

初めまして、ぽん骨です。Twitterはしていません。同名の方が居たら人違いです。

初投稿でいまだ手が震えていますが、何卒よろしくおねがいします。




『コンコンコン』

 

 軽く木製のドアがノックされた音でワタシの瞼が開いた。

 視界に霞みがかかってる中、ワタシは枕の隣にあるただの時計に成り果てた目覚まし時計を見た。

 短針が七を、長針は十二を指している。今は朝の七時だ。

 休日であれ平日であれ、この時間に必ずノックするように家のエセ執事に頼んでいる。

 目覚まし時計があるなら使えよ、とエセ執事に言われるんだけど、目覚まし時計は駄目。あれは煩すぎる。煩すぎて鼓膜が破れる。あれでは目覚まし時計じゃなくて鼓膜破り時計だ。迷惑以外の何物でもない。...ブーメランで自分の心に突き刺さったが気にしない。

 

「入って良いよ」

 

 自分の目覚まし事情を深く考える前にノックの返事をする。

 じゃないと入れないからね。

 

『失礼します』

 

 聞き慣れた声が聞こえ、ドアが静かに開かれた。そこから出てきたのは執事服を着ている長身の男性。

 

「おはようございます、春人様」

 

「おはよう、統一」

 

 エセ執事こと、藤堂統一。エセが付く訳は統一の本業が執事ではなく春坂家の専属運転手だからだ。では何故執事の真似事をしているのか、この前彼に聞いたら暇潰しと言っていた。その暇潰しが五年間も続いているのだから驚きだ。

 

「ご朝食の準備が整いましたので、食堂の方にお越し下さい」

 

 今日の朝食は何かなー? と考える前に聞きたいことが一つ。

 

「わかった。ところで、今日は何で口調が固いんだい?」

 

 ワタシは、統一と五年間一緒に居るが敬語や丁寧語を使っているところなど、一回も見たことがない。てっきり使えないものだと思っていた。

 ワタシに敬語を使わないことは何一つ問題がない。むしろ気楽で良い。だが、彼の雇い主である父さんに使わないのは少し問題がある。敬語でもなく丁寧語でもなく...タメ口。まさかのタメ口である。これは彼の人間性が疑われるから今すぐに止めて欲しいのだが......父さんの家での生活を見たら別に良いと思うようになる。不思議だ。

 父さんは時々、家の廊下で寝るし、休日は朝から晩まで寝てるし、『俺を養ってくれ』と真剣な顔でワタシに言ってくるし...完全に変人だ。ちなみに、父さんが専属運転手を雇っている理由は『タクシーを止めるのがめんどくさい』だそうだ。いずれ、息をするのもめんどくさい等と言わないか心配だ。

 そんな変人が優秀な医者なのだから世の中何が起こるかわからない。

 

「今日は春人様にとって特別な行事がある日なので、平時の口調は些か問題があるかと」

 

 統一が言う特別な行事は、今日行われる総武高校の入学式を指しているのだろう。

 

「たかが入学式、特別でも何でもないよ」

 

「たかが入学式、されど入学式。何事もスタートが肝心ですよ、春人様」

 

 されど入学式、侮ることなかれ。

 ワタシは今からゲームの中ボスでも倒しに行くのだろうか?

 

「肝に命じておくよ。統一の口調がいつもと違う訳がわかったことだし、布団をたともうか」

 

 もぞもぞと布団から出て背伸びをする。バキバキバキと背骨が折れたかと疑われても可笑しくない音が背中から聞こえた。寝起きに背伸びをする。これが意外と気持ち良いのである......たまにつるけど。

 背伸びを終え布団に手をつけた時、エセ執事はこんなことを言った。

 

「布団なら私がたとみますので、春人様はお先に食堂の方へ」

 

「嫌だよ。仕事を奪うようで悪いけど...スタートが肝心なんだよね? ならこれくらい自分でしないと」

 

 今、統一の顔を見ることが出来ないけど、きっと苦虫を潰したような顔になっているだろうね。統一の表情は年がら年中鉄面皮をつけているから、その鉄面皮が砕けた顔は写真に納める価値がある...のだが残念なことに、この部屋には布団と時計と制服以外何もないので、写真を撮りたくてもどうしようもできない。

 そんな、撮りたくても撮れないジレンマに襲われながら布団を黙々とたとんだ。

 

「さ、食堂に行こうか」

 

「はい」

 

 ワタシは今日の朝食に思いを寄せながら、木製のドアに手を伸ばした。

 

 

 

 自室から徒歩十六秒で到着する食堂。その場所にある長方形の形をしたテーブルに、ワタシの朝食は並んでいた。

 卵焼きとご飯。卵焼きはワタシの好物だ。一日三食、卵焼きだけで生きていける...いや、やっぱり無理。

 ワタシは、好物をのんびり味わって食べる人なのだが、時間がそれを許してくれない。

 ワタシは、入学生の総代を、務めることになっている。総代は、壇上に上がって入学出来たことを嬉しく思います的な文を言わなくてはならない。そのための打ち合わせを既に三回している。これのおかげで、春休みが三日消えた。

 今日は確認程度の打ち合わせを、入学式が開始される一時間前の七時半にするらしい。

 普通、確認程度の打ち合わせで一時間も使わないよね。絶対に準備とか手伝わされるよね。めんどくさいよね。自分で言っておいてよねよね煩いと思った。

 

「ご馳走様でした」

 

 内心で軽口を言ってるものの、時間的にそんな余裕は微塵もない。

 

「お粗末様です」

 

「......食器の後片付けを頼まれてくれるかい?」

 

 自分でしたいけど...間に合わない。それほど時間がないのだ。間に合わないのなら人に頼めば良い。が、依存するまで頼る積もりはない。むしろ、人に頼み事をすることじたい初めてだ。

 

「御意に」

 

「助かるよ」

 

 ワタシは、嫌みにもなるし感謝の言葉にもなる、微妙な言葉を残して着替えるために自室に向かった。

 

 

 

 自室に戻ったワタシはすぐさま制服に着替えた。この制服は今日初めて着る訳ではない。総武校で打ち合わせをした時に着ていた服がこれなのだから。総武校に登校する学生の服装は二通りある。一つ目は、制服。二つ目はジャージ。

 ジャージで登校している人は、部活の朝練などがあるのだろう。お疲れ様です。

 ワタシは高校で部活動をする気はない。

 理由は至極単純。目立って部活どころでは無いのだ。中学の頃、興味本意で陸上部に入部したのだが、常に視線を感じて集中できなかった。いや、自意識過剰とかではなく。何故目立つのか、何度も考えたが答えはいまだに、見つかっていない。

 着替えを済ませたら自室ですることはない。

 あとは、洗面所で歯を磨き顔を洗い、荷物を持って家を出るだけ。

 この言い方だと、家出をするみたいだ。あり得ないけど。

 

 

 

 洗面所で色々済ませたワタシは、荷物を手に取り、玄関で紐を結んでいると後ろでワタシを気遣うような声が聞こえた。

 

「高校では、お友達ができると良いですね」

 

「そうだね」

 

 何とも思ってないのだが、ワタシに友達は一人も居ない。

 俗に言うぼっちだ。別に、コミュ障でもないし人見知りでもない。

 八方美人とまでは行かないが、人当たりは良い方だ。良いだけだが。

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

「...行ってらっしゃいませ」

 

 玄関のドアに手をかけたワタシは気付かなかった。統一の鉄面皮が曇っていることに




アドバイスや、感想を送っていただいたら幸いです。

では、また次話で会いましょう。


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Prologue 2

こんばんは、ぽん骨です。

閲覧者様は皆無にひとしいだろうけど、二話です。


 日陰になっている場所を歩くと少し肌寒く、逆に日向を歩くとポカポカと。そんな春独特の気温に、昼寝をしたら気持ちいいだろうなー、と月並みなことを思いながら歩道を急いで走っていたら見覚えのある門が見えてきた。

 本来なら登校してきた生徒たちで溢れかえっているはずの正門の前には、強面の男性が一人立っていた。

 

「お。今日は遅かったのお、春坂」

 

 強面の男性が腕時計を見てそう言った。

......どうやら間に合わなかったようだ。無念。

 

「五分の遅刻だぞ」

 

「...五分くらい勘弁してよ、厚木先生」

 

 ぽそりと、ワタシは呟くように言った。

 厚木先生が受け持つ教科は体育らしい。

 話してみると、生徒思いの良い先生ってことがわかったが、自分から話しかけようとは思えない。何故かって? 顔と口調が怖いんだ、察してくれ。

 これはどうでも良いのだが、打ち合わせを行った場所は、会議室というところだ。会議室...読んで字の如く、会議や話し合いをする部屋だ。そこにはワタシ以外の生徒が居るはずもなく、先生方が入学式についていつになく真剣に話し合っているなかワタシもそれに加わっていた。なんと言うかワタシの異物感がすごかった。

 

「ねね、今、何時?」

 

 厚木先生は五分遅れと言ったが、実際は六分遅れかもしれないし、七分遅れかもしれない。遅れるだなんて思ってもいなかったから結構焦ってるワタシだ。

 

「お? 時間か? 今は、七時二十五分だ」

 

......あれれー? と、某麻酔針をおじさんに打ち込む小学生のような疑問文を心の中で言ったワタシは悪くない。よゐこの皆はコ○ンくんの真似しちゃ駄目だよ。

 

「...遅刻なんてしてないよ」

 

「遅刻はしちょるぞ。お前、いちぃき十分前に来てたじゃろ? じゃけぇ、十分前行動でも心掛けとるのかと思ってな」

 

 めんどくさがりのワタシがそんなの心掛ける訳がない。心掛けたとしても三日坊主にすらならない。

 

「偶然だよ、偶然」

 

 偶然ってほんと怖い。ま、遅刻するより圧倒的に良いだろうけど。次いでだから、きになってたことを聞いてみよう。

 

「それより何で僕が総代に選ばれたの? 僕より成績がいい人なんていくらでも居るだろうに」

 

「お前より上の成績なんておらんかったぞ。優秀なやつは一人おったが優等生じゃなかったんでな。優秀で優等生なお前が選ばれるのは道理じゃろ」

 

 なるほど。そうやって社畜が量産されるんですね。わかります。

 不思議なことに、ワタシは優等生らしい。どこが優等生なのだろうか。駄目なところしか見当たらない。字は汚いし、ノートは見にくいし、友達居ないし。友達が居ないのは立派なステータスだと思う。そんなワタシには優等生ではなく『優等生もどき』が相応しい。

 

「そういやぁ、春坂には確認程度の打ち合わせって伝えてたな」

 

「うん。そう聞いてるよ」

 

 厚木先生は渋い顔を作った。

......なんだろう。嫌な予感しかしないんだけど...『入学式の準備手伝えや』とか言わないでよ? ネタじゃないからね? 絶対だよ? 絶対だかんね? 

 

「準備が少し遅れとってなー。じゃけぇ、確認が終わったら手伝えや」

 

 厚木先生はワタシの考えなどいざ知らず、無情にもそう言い放った。

......どうやら、ワタシはフラグを折れなかったようです。...学園もののライトノベルにありそうだね。売れなさそうだけど。

 

 

 

 手伝いと言っても椅子を四十脚ほど出しただけだった。それがまためんどくさいの何のって話なんだが。

 手伝いが終わったらどうすればいいのだろうか? 教室に行っていいのだろうか? どの組か知らないが。

 そんな答えの出ない問答を一人で続けていたら厚木先生が話しかけてきた。

 

「春坂。一通り片付いたわ。ありがとな」

 

「どういたしまして。準備が終わったなら教室に行っていいのかな?」

 

 さっき、体育館の時計を見たんだが長針が九の部分を過ぎていた。まっすぐ教室に行くなら時間的に速すぎるが、少し寄り道をするので別にきにする必要はないだろう。

 

「おう、行っていいぞ。お前は確か、J組だな」

 

 どうやらご丁寧にワタシが何組か教えてくれたようだ。そのおかげで寄り道ができなくなった。あんまりだ。ワタシは、空いた時間をどうやって過ごせば良いのだろうか? ワタシの特技の一つのぼぉっとすr...いや、まだ寄り道ができる。ワタシは生徒に必要不可欠なもので知らないものがある。それは、出席番g

 

「出席番号は二十八。お前には期待しとるけぇ、頑張れよ」

 

......ワタシに恨みでもあるの? それか覚妖怪なの? 東○に出てきたりするの? 第三の目でもあるの? あと、期待するって言われましてもワタシの何に期待してるの? 部活? 勉強? 雑用? あ、雑用ですか。納豆。間違えた、納得。

 

「期待に応えられるように(雑用)を努力するよ」

 

 とち狂ったワタシの返答に満足したのか厚木先生は『じゃぁの』と言い立ち去った。

 この場に居ても邪魔になるだけなので、J組とやらに撤退することにした。

 

 

 

 昇降口付近に貼り出されてあるクラス発表の紙の前には、人だかりが存在しており、耳を塞ぎたくなるような喧騒を出していた。そのなかには『わぁ、一緒のクラスだね』やら『お、おい。嘘だよな。知り合いが一人も居ねぇ。これじゃぁぼっち街道まっしぐらじゃねぇか』とか『雪ノ下ちゃんと一緒の男子うらやましー』などが聞こえてくる。

 雪ノ下という名字は聞いたことがある。雪ノ下建築の社長さんであり、県議会議員を勤めている人の名字が雪ノ下だとか。大方その、娘さんか息子さんだろう。どちらにしても関わりたくない人だ。

 あと、そこのぼっち街道まっしぐらって嘆いている男子。君とは馬が合いそうだ。

......横道ならぬ耳がずれてしまったようだ。さっさと、J組に行って特技の練習をしなければ。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

魔王様はきっと次回に遭遇することでしょう。

では、また次話で会いましょう。


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Prologue 3

こんばんは、ぽん骨です。

今回は、タグに入れた独自解釈の要素があります。苦手な方は読むことをおすすめ出来ません。






 中学より広い廊下を歩いていると『1年J組』と書かれている室名札を発見した。

 引き戸は半開きのまま放置されている。開けるなら全開にしてほしい。どんくさいやつが当たる可能性が出てくる。

 どんくさいワタシは引き戸にぶち当たりたくないので、窪んでいる部分に手を引っ掛けた。

 誰も居ないだろうと思っていた教室には、艶のある黒髪を肩まで伸ばしている一人の少女が窓を見ていた。ワタシのいる場所からだと表情を伺うことができない。

 少女はワタシに気づいたのか、人懐っこい笑みを浮かべて近づいてきた。

 その笑みは、少女の端正な顔立ちと合わさって非常に綺麗な笑みなのだが、中身が無いようなきがした。社交辞令の笑み。相手に良いイメージを与えるだけの笑み。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

「あれー? まだ、時間じゃないけど...あ、君が噂の優等生ちゃん?」

 

 朗らかな声だと思った一瞬、まばたきをするような一瞬。頭から爪先にかけて井戸水に浸かったような感覚に襲われた。和むはずの声で寒気を覚えるとかワタシの頭はイカれたようだ。家に帰ったら病院に行こう。

 あと、噂? なにそれ聞いたことない。

 

「僕が優等生かどうかは置いといて、噂って何のことだい?」

 

「んー? 『容姿端麗で文武両道の科拳圧巻。男装癖のある美女が今年総武校入学する』ってやつだよ。それがどうかしたの?」

 

 どうやら、噂の人はワタシではないようだ。何故なら、ワタシは女性ではなく男だ。その人との共通点は受験で満点を取ったくらいしかない。

 

「どうしたもなにも、僕は男だよ。だから、噂の人は僕じゃな「あ、そうそう。噂されてる人の特徴は、緑色の目と腰まで届く淡い緑色の髪だってさー。珍しいよねー?」

 

 それは言外に『言い訳は見苦しいから、さっさと認めろ』という意味を含んでいるように思えた。何でワタシは浮気がバレたダメ亭主見たいになってるの?

 

「確かに珍しいね。けど、僕は文武両道でもないし、容姿端麗でもない。ましてや、女性でもないよ。当て填まるのは特徴と科拳圧巻だけだ」

 

 中身ない笑みはそのままで少女の目が鋭く細められた。なんとまぁ器用なものである。

 

「二つ当て填まったら疑うには充分よ。それに...」

 

 少女は切りの悪いところで言葉を止め、ワタシの耳に指を添えた。引っ張るのかな? それとも千切るのかな? やだ、千切るとか怖いんだけど。

 

「初対面の人に嘘を付くのは見過ごせませんなー」

 

 案の定耳を引っ張られたのだが痛みはなかった。いや、正確に言うなら痛みは存在したが、それがきにならない程の違和感があった。

 ワタシは先ほどの少女の声に『朗らかな声』という印象を受けた。だが、今しがた聞いた声に受けた印象は全く違うものだった。

『失望の色を隠せない、まとわりつくようなどす黒い感情が混じっている声』

 何となくだがこれは違和感の正体ではないようなきがする。

 前者の声と後者の声。どちらが本音でどちらが偽りか? はたまた全て本音で全てが偽りなのか? ワタシには関係ないので深くは考えないでおこう。それと、目の前の人はとてつもない勘違いをしているようだ。

 

「君には悪いけど僕は男だよ」

 

「しつこいなぁ...男子なら上着くらい脱げるよね?」

 

「脱げるよ」

 

 即答である。むしろ既に脱ぎ始めているまである。

 ワタシを女性だと誤認識した人に一番効果がある行動は上着を脱ぐことである。

 

......中学生の頃体育教師に『女子と男子別れろー』との指示を受け、男子の集団に混じったのだが『おいこら、春坂。お前は女子だろ』などと訳のわからないことを言われ、自分は男子だ、と主張したのだが体育教師は聞く耳を持っていなかった。なので、あまりきは進まなかったが上着を脱ぐことにした。そうしたら体育教師は目を丸くして『あ、あぁ、すまん。俺の間違いだった』と言い自身の間違いを認めてくれた。...それはそれは寒い冬の出来事だった。

 

 ワタシが脱ぎ始めるとは少女は思ってもいなかったのか

 

「え? 本当に男子なの? え? その見た目で?」

 

 と、困惑している様子が一目でわかる疑問文を口にしていた。

 

「ね? 男子でしょ?」

 

 ワタシは上着を脱ぎ終えたところで声をかけた。これで、誤解は解けるだろう。

 

「う、うん。嘘じゃなかったね。...ごめんね、何の意味もなく疑っちゃって」

 

「慣れてるから大丈夫だよ」

 

 はっきり言うなら慣れてるではなく、対処法を知っているだが。

 誤解が解けたなら上着を脱いでいる必要はない。さっさと着てしまおう。

 

「慣れてるねぇ...あ、名前言ってなかったね。お姉ちゃんうっかり」

 

 少女は体を傾け自分の頭を小突いた。その所作は男子はおろか女子まで魅了するほど可愛らしかった。あざとい、こやつ、あざといぞ。あとお姉ちゃんってなに? 妹でも居るの?

 

「わたしは雪ノ下陽乃です。気軽に陽乃ちゃんって呼んでね♪」

 

......うん? 雪ノ下? 雪ノ下建築の? まさか同じクラスとは...関わりたくない。関わりたくないけど、名乗られたら名乗り返さないと。さすがに名前だけでは目を付けられないはずだ。

 

「僕の名前は春坂春人。よろしく、雪ノ下さん」

 

 初対面の人の名前を呼ぶなどワタシには到底できないし、しようとも思わない。ましてや、ちゃん付けなどもってのほかだ。

 名字呼びが不満だったのか雪ノ下さんはリスのように頬を膨らませていた。

 

「よろしくね。春坂くんの家って旅館みたいなとこ?」

 

「旅館ってほどでかくはないけど、たぶんそこであってるよ」

 

 さらっと答えてしまったが何で雪ノ下さんが知ってるの? そんな疑問が顔に出ていたのか、雪ノ下さんは豆知識を含んで答えてくれた。

 

「あの家、結構有名だよ。幽霊屋敷みたいだもん」

 

 有名ってどのくらい有名? リア充たちのネタ話になるくらい? なら有名になるのも仕方がないか。だけど、所詮はネタ話。あの家に幽霊など居ない。霊感ないから適当だけど。

 

「何かわたしに言うことがあるんじゃない?」

 

 おっと、ワタシとしたことが。礼を言い忘れていたらしい。

 

「教えてくれてありがとう」

 

「どういたしまして。わたしの顔を見て思ったこととかない?」

 

「顔? そうだね...端正な顔立ちだと思った」

 

 言ってしまえば五つ程あるが、別に言わなくてもいいだろう。

 

「んー。じゃぁ、違和感とか無かった?」

 

 雪ノ下さんの声が後者の声と重なり、空気が少しひんやりとした。...なるほど。違和感の輪部がぼんやりと見えてきた。雪ノ下さんは前者の声と後者の声を巧みに使い何かを隠している。隠し続けた結果、出来上がってしまったのが中身のない笑み。それは分厚い仮面のようで...ストップ。ストップだワタシ。思考の海に飛び込む前に返事をしなければ。違和感がある、と言えば雪ノ下さんに目を付けられるだろう。それだけは避けたいし、ワタシが踏み込むところではない。なので、ワタシはノーと言おう。

 

「違和感? 何のことだい?」

 

 言い終えてからワタシは間違いを犯したのだと理解した。この言い方だと惚けているようにしか聞こえない。ワタシは嘘を吐けない性格なのら(嘘)

 

「惚けないで」

 

 惚けてないです、本当です、とは言えない。事実惚けているのだから言える訳がない。それと口元は歪んでいるのに目が完全に怒ってらっしゃる。

 さて、凡ミスが起こしたこの悲劇をどうやって回収しようか? 仕方がない。目を付けられるのを覚悟で本音を言うしかない。

 

「......違和感は確かにあった。けど、僕の問題じゃない、君の問題だ。それに友人でもない僕が首を突っ込む必要はない」

 

 他人には極力関わらないがワタシのモットーだ。そのモットーのおかげで友人と呼べる人は存在しないけど。

 

「問題なんて聞いてないよ。わたしが知りたいのは、春坂くんがどこまできづいているのかだよ。ま、わたしのことを問題って言う時点で、だいたい見当が付いたけどね」

 

 見当が付いたならワタシに聞く必要ある? もしかすると、こやつはワタシの口が滑るのを見て愉悦していると? どこの麻婆神父ですか?

 しかし、どうやってこの問いに答えようか。輪郭まで見えている。これは少し違うような感じがする。なら...

 

「何かを隠している」

 

 雪ノ下さんの表情が驚愕に歪んだ。皮肉にも、見当を付けられた先の答えを言ってしまったようだ。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、理解に苦しむ。

 

「いつ、きづいたの?」

 

 発せられた声は、少し震えていた。歓喜か、驚愕か。それとも、風邪か。なぜ震えていたかなどワタシに知る術はない。

 

「『んー。じゃぁ違和感とか無かった?』からだね」

 

「もしかして、もしかしなくても、声に出てた?」

 

 もう、呆れるほどガッツリと出てました。

 ワタシは意を示すため首を縦に振る。そんな些細な動作が笑いのツボに入ったのか、雪ノ下さんは腹を抱えながら『あっははははははっ!』大爆笑をしている。笑いの沸点低すぎない? と訝しげな視線で見ていたら『んんっ』小さな咳払いを一つ。

 

「春坂くんはすごいね。わたしはいつも通りに話したつもりだけど、そこまで見抜かれるなんて思いもしなかったよ」

 

 よかったー。初対面の人に『何かを隠している』なんて言うのは変態の所行だからね。悪い印象を与えていなくてほっとしたよ。目は付けられただろうけど。

 

「春坂くんはさぁ...わたしともっとお話したい?」

 

「したくない」

 

 またしても即答。だが、ワタシの返事など知ったことではないと言わんばかりに、雪ノ下さんは言葉を紡ぎ続ける。

 

「わたしは春坂くんをもっと知りたいし、もっと話したい。だから...」

 

 雪ノ下さんはワタシの頬を撫で、瞳を覗く。その瞳は、光など一切なく漆のような黒だった。

 在り来たりな恋愛小説の主人公だったらここで恋心の一つや二つは抱くのだろう。雪ノ下さんが抱えている問題を解決しようと、文字通り身を粉にして努力をするのだろう。それは、主人公や仲間内に限った話だ。

 モブキャラは違う。喜びも、哀しみも描かれない。そして自身の理解者も現れない。ゆえに、ワタシはモブになりたい。あんな喪失感を二度味わうことになるのなら物語(人生)の主人公になどワタシはなりたくない。

 

「毎朝起こしに行ってあげるね♪」

 

「来ないで」

 

 手を払い、拒絶しても雪ノ下さんに些事なのだろう。こちらからしたらいい迷惑だが。

 

「うんうん。喜んでるようで陽乃ちゃんは嬉しいよ~」

 

 雪ノ下さんが大袈裟に頷いたせいでシャンプーの良い香りが漂う。

 それよりも話が噛み合ってない...

 抗議の声をあげようとしたとき、教室の引き戸が軋む音をたてた。

 

「陽乃ー! もう教室に居たんだ! あの人混みの中捜してたんだよー?」

 

 無駄に高い声を出して入ってきたのは男女混合の四人グループ。各々がぺらぺらと楽しそうに喋っている。

 

「......ごめんね~? 少しうるさかったから先に来ちゃった~」

 

 聞く限りどこにでも落ちている会話だ。雪ノ下さんと四人グループは友達の関係なんだろう。だが、ワタシの耳は誤魔化せない。雪ノ下は謝る前に小さく舌打ちをしていた。

 

「あー、邪魔が入っちゃった~。また明日ね、春人くん」

 

「会いたくないけど、また今度」

 

 息を吐くようにワタシのことを名前で呼び、雪ノ下さんはパタパタと擬音が付きそうな走り方で去っていった。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

アドバイスや、感想を送っていただいたら幸いです。

では、また次話で会いましょう。


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Prologue 4

おはようございます、ぽん骨です。
先日、初めてご感想を頂きました。ありがとうございます。嬉しかったです。
長々と続いたプロローグですが、今回で終了です。


 体育館では、並べ終えた椅子に総武校のワタシを除いた全生徒が、姿勢を正して座っている。その中でも一際目立っている女子がいる。言わずもがな雪ノ下陽乃だ。ただ、座っているだけなのに気品が漂い、近寄り難いが柔和な笑みで見事に打ち消されている。

 何で笑顔なの? 疑問と共に再度視線を向けたら目が会った。驚きのあまり飛び上がりそうになったが人目があるのにそんな失態はできるはずもない。ワタシの考えを知っているのか知らないのかわからないが、雪ノ下さんは手をひらひらと振った。ワタシにどうしろと? 無視ですね、無視します。

 無視をしたのがきに入らなかったのか、雪ノ下さんは頬を膨らませていた。まるで、リスのようだ。この感想を抱いたのは二回目だけど、雪ノ下さんはリスになりたいのかな? 本人に言ったら叩かれそう。

『入学生総代から挨拶があります。』

 マイクを通じて耳に届いた現生徒会長の声。それを合図にワタシは短い階段を上がり壇上に立つ。

 ワタシの容姿が例の噂に該当するせいか、生徒たちは少しざわざわし始めた。『あいつ、噂の奴じゃね』だの『わー美人』やら『綺麗な髪の毛ー。ハーフかな?』色とりどりの小話が聞こえる。その一つに、『あれ、雪ノ下さんから手を振られて無視した奴だよな』聞き捨てならないものが混じっていた。言っていることは正しいけど今言うことじゃないよね。

 雪ノ下陽乃を嫌っている人はこの場に殆ど居ないだろう。むしろ、好いている人の方が圧倒的に多い。そんな人を無視したと言われれば更にざわざわする訳でありまして...

『え! 雪ノ下さんを無視したのか、あいつ』人を殺せそうな視線で睨み付けてくる人も居れば、『雪ノ下ちゃんを無視した...だと?』虚ろな視線を投げてくる人も居た。別に珍しくない光景だ。何度も体験している。対処法もある。無かったら恥を掻くだけだろう。

 

「本日は、私たち新入生のために盛大な入学式を催して頂き、まことにありがとうございます」

 

 小話の勢いはどこに行ったのやら。今や体育館内は静まり返っている。この場で話して良いのは壇上に立っているワタシだけ。それを知らしめるために口を切ったのだ。

 

「春のあたたかい光が私たちの体を包んでいるなか、歴史ある総武高等学校に無事入学できたことを、心から嬉しく思います。私たちは、この学校で過ごせる三年間に、この学校で学べる三年間に、胸を大きく膨らませております」

 

「最後になりますが、校長先生並びに諸先生方、そして先輩方にはあたたかいご指導と、お導きのほど、よろしくお願い申し上げます。以上を持ちまして、私の宣誓の言葉とさせていただきます。本日は、まことにありがとうございました」

 

 堅苦しい文を言い終えて一歩下がり、お辞儀をする。パチパチと軽くもなく、重くもない拍手の音がワタシを労ってくれている様なきがした。

 壁際まで撤退したらワタシの仕事は終わり。目を瞑っていても問題ない。さっさと家に帰って布団に潜りたい...

 

 

「お疲れさん。結構よかったぞ」

 

 ワタシの意識を覚ましたのは主語の抜けている声だった。あれから壁にもたれ掛かって、立ちながらうたた寝をしていたらしい。周りを見渡せば教師方がせっせと片付けをしている。入学式は終わったらしい。クラスのSHLも終わったと認識して構わないだろう。

 

「...ありがとう。片付けは手伝った方がいいのかい?」

 

「せわーないけん、きにすんな。お前はさっさと家に帰れ。んで寝ろ」

 

 ワタシは寝ろと言われるほど、眠そうな顔をしているのかな? なら、お言葉に甘えて帰るとしよう。

 

 

 正門に出て、これからの社蓄生活に窮屈な思いを感じ、なんとなく背伸びをしていたら『おつかれー』と朗らかな声と共に背部を、アルミ缶の冷たさに強襲された。

 

「いやー、こんなとこで会うなんて奇遇ですな~」

 

.........。

 

「ガン無視されるなんて陽乃ちゃんは悲しいな~」

 

 悲しんでいる様子が微塵も無い声音で『よよよよ』と泣き真似をする自称陽乃ちゃん。

 誰ですか? 雪ノ下陽乃なんて人名ワタシ知らないのです。セールスなら違うとこに行ってほしいのです。

 

「無視だなんてひどいな~。手を振ったのに返してくれないなんてひどいな~。陽乃ちゃんのガラスの心は粉々だなー」

 

 いい加減無視するのやめたらどうなの? 話し相手さん。前半の方はまだよかったけど後半、声笑ってなかったよ? 棒読みでしたよ? 完全に怒ってらっしゃるよ?

 

「現実逃避は見苦しいよ、春人くん?」

 

「僕に話しかけていたんだね。全くわからなかったよ」

 

 自分でも驚くほど棒読みだった。

 振り返って見ると、にっこり笑顔の雪ノ下さんがいた。あぁ、こやつは静かに怒るタイプの人だとワタシは理解した。

 

「まーた、しらばっくれて...。わたしの心は大変傷付きました。よって償いを命じます」

 

 にっこり笑顔で手を腰に当て、大袈裟に胸を張るめんどくさい人。お金を払えと言われたら走って逃げよう。全力で。

 

「償いは、わたしを駅まで送ること、いいね?」

 

 上目遣いでねだるように強要する雪ノ下さん。

 いつもなら良いよと言えるのだが、如何せん家に帰りたい気持ちが勝っているので断ろう。償い? マッ缶で充分。

 

「よくない。償いならマッ缶でするから断るね」

 

「ま、答えなんていらないけど」

 

 聞かない、じゃなくていらないときたか。じゃあ、後は行動に移すのみ。ワタシが住んでいる家は駅とは正反対の位置にある。だから...

 

「腕引っ張るのやめてくれない?」

 

「......離してもいいけど逃げたらダメだよ」

 

 君の問題に対してかな? それともこの場のこと? どちらにせよ。

 

「他人に願うにしてはそれは少し身勝手だと僕は思うね」

 

 腕の力が弱まり、仮面が崩れた。目は口ほどに物を言うとは正にこの事だ。雪ノ下さんの瞳がワタシに訴えている。『そこまできづいておいて、知らない振りをするのか?』と痛いほどに訴えかけている。君のことなんてワタシには関係ない。なら、知らない振りをしても別に良いだろう?

 

「......。そうだね、春人くんの言う通りだよ」

 

 声を掻き消すように、道路を車が走りうまく聞き取れなかったが、次の言葉は嫌になるほどはっきりと聞こえた。

 

「言う通りだけど、わたしは春人くんに逃げないで欲しいから、こんなことを提案しちゃうね」

 

「春人くんが逃げたら、J組のみんなにあることないこと吹き込んじゃう」

 

「わかった。めんどくさいけど送ってあげるよ」

 

 雪ノ下さんが提案したことは、ワタシの学校生活(社蓄生活)をぶち壊すと宣言したようなもの。周りのことなどきにもしないが、背後からいつナイフで刺されるかわからない恐怖に怯えるのは辛い。

 

「理解が速くて助かるな~」

 

 先ほどとは違い、いたずらが成功した子供のような笑みを溢す雪ノ下さん。無邪気な笑みもできるんだね。いたずらの規模がえげつないけど。

 

「明日、何時に起こしに行ってほしい?」

 

 わ、忘れてなかったんだー。話題がそれに移らなかったからてっきり忘れていたのかと...何で覚えてたの?

 

「来ないでほしいけど、来るなら七時で。五、六時辺りはさすがに無理」

 

 別に来るとわかっているのなら五、六時でもワタシは平気だが、統一が怒る可能性がある。統一が怒るとワタシの胃が悲惨なことになる。

 これは、数年前のことだ。父さんと統一がお酒を飲んでいる時、些細なことで喧嘩が起きてしまった。理由は忘れてしまったが、どうでもいいことだったのを覚えている。その喧嘩で統一が怒ってしまった。結果、起こったのが兵糧攻めだ。ワタシに。三日間ご飯抜き。八つ当たりもここまで来ると笑えてくる。

 

「じゃぁ、六時に行くね」

 

 語尾に『♪』が付きそうなほど、テンション高めでふざけたことを言う雪ノ下さん(悪魔)

 

「駄目。絶対に駄目。来るなら七時以降に『来て』」

 

 にひひと擬音が見える笑顔をワタシに向ける悪魔。君は次に『言質は取ったからね』という。言質くらいあげるよ。意味ないだろうし。それにしても笑顔の種類って意外と多いんだね。

 

「言質は取ったから、『迷惑だー』なんて言わないでよ?」

 

 言うな、と言われたら逆に言いたくなるのが人の性でありまして...

 

「迷わッ...」

 

 空気を読んで、迷惑だ! と言おうとしたらワタシの足の小指部分に、雪ノ下さんの踵が添えられた。

 

「あり? 急に黙ってどうしたの? 『迷わッ...』の続きは言わなくて大丈夫?」

 

 あ、悪魔め...こやつは絶対に確信犯だ。

 

「だ、大丈夫だよ」

 

 ワタシはひきつった顔で答えるしかなかった。ワタシの顔を見て何を思い、何を満足したのか理解できないが、雪ノ下さんは満足げに微笑んでいる。

 

「ここまで送ってくれてありがとね」

 

 きづいたら駅に着いていた。学校から駅までの距離って短いんだね。もっと長いと思ってたよ。

 

「どういたしまして」

 

「これからの三年間が楽しみで待ちきれないな~」

 

 唐突に雪ノ下さんの口から溢れた呟きは、本当に楽しみだと言った感じだ。

 

「な、何が楽しみなのかな?」

 

 だからこそ、疑問を挟まずにはいられなかった。『ワタシを弄れるからー』はやめてほしい。

 

「春人くんで遊べるから楽しみなんだよ」

 

 ワタシの予想の斜め四十五度に飛んだ解答どうもありがとう。もうやだこの人。お家に引き籠りたい...。

 

「たぶん、わたしは春人くんを壊すと思う」

 

......もうやめて! ワタシのライフはゼロよ! もうとっくにワタシは壊れてるの!

 

「その時に謝るのはきに入らないから、今のうちに謝っておくね。ごめんね」

 

 今、謝られても対応に困るんだけど? っていう当たり前な感想が、唇までにゅるっと出てきそうになったが、なんとか呑み込んだ。

 雪ノ下さんは、ワタシの返事を待たずに人波へと消えていった。やけに楽しそうな雰囲気を出して、スキップというおまけ付きで。

 さらば、ワタシの平穏(一人で居る時間)。歓迎こそ出来ないが、形式美として言っておこう、ようこそ、悪夢のような日常(雪ノ下さんが組み込まれた日常)




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
私の語彙能力の無さが見に染みる思いです。
アドバイスや、感想を送っていただいたら幸いです。
では、また次話で会いましょう。


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日常を蝕む魔王

こんばんは、ぽん骨です。
今回は大量に伏線を投入してみました。
駄文ですが、お付き合い頂ければ幸いです。


「約束通り起こしに来たよー!」

 

 いつもならノックで起きる時間に、ワタシの耳元で響いた朗らかな声。

 

「......うるさいなぁ」

 

 寝起きに頭に響くほどの音量で起こされ、眉間に皺を寄せ雪ノ下さんを睨み、如何にもワタシ不機嫌です、そんな感じの表情をしているが雪ノ下さんの興味はワタシではなく部屋にあるようで、部屋の隅々を見渡すように見ている。

 

「春人くんの寝顔も面白かったけど、この部屋の方がもっと面白いね!」

 

 ちょっと? 人の寝顔が面白いってどういうこと? まさか涎が?

 口元に手を伸ばし確認するが、何ら変わり無い、普段の肌がそこにあるだけだった。

 そんなワタシを見て口角を少し上げる雪ノ下さん。

 

「大丈夫。涎は出てないよ」

 

 雪ノ下さんの目がワタシを見透かそうとするように細められた。細めすぎて糸目にならないといいね。

 

「人の部屋と本棚はその人の心を表すんだってさ」

 

 ワタシに語りかけるように、そして自分に言い聞かせるように、雪ノ下さんは言う。

 

「この部屋は狂気的なものを感じるほど何も無いね。さっきの考え方で行くと、春人くんの心は何も映してないのかな? そもそも、君に心なんてあるの?」

 

 む、難しいことを聞くなー...寝起きに考えるにしては重すぎる。機械じゃないんだから心くらいあると思うけど、今一感情と心の違いがわからない。

 

「心くらい、あるよ...たぶん」

 

 言っている途中あくびが出てしまい、中途半端に答えてしまった。

 あくびを見て、雪ノ下さんはワタシが寝惚けているのを察したのか、手で口元を隠し、くすっと笑いこの場を誤魔化した。

 

「眠いなら三十分くらい添い寝してあげるよ?」

 

「遠慮するね」

 

 二度寝。なんと耽美な響きなのだろうか。そちらに傾くことが出来たらどれだけ幸せになれるのだろうか。ま、幸せなのは寝る前と、寝ている時だけで起きたら地獄なのだが。

 

「え~、ノリ悪いな~」

 

 ノリで地獄を見ろとか何気に鬼畜ですね、雪ノ下さん。

 

「雪ノ下さんは朝ご飯食べたの?」

 

 食堂には、ワタシのご飯が並べられていることだろう。が、一応客人である雪ノ下さんが食べていないのなら、自分だけ食べるのは失礼だ。

 

「雪ノ下さんじゃなくて陽乃だよ。は、る、の。はい復唱」

 

「雪ノ下さんは朝ご飯食べたの?」

 

「強情ですな。ご飯は食べてきたよ。あ、食べてなかったら春人くんが手料理をご馳走してくれたとか?」

 

 ワタシの料理はレンジでチンと書いて料理と読む。卵焼きなら作れるけど。

 

「お茶漬けなら出すよ?」

 

「早く帰れって言いたいのかな」

 

「なんなら、お茶でも用意しようか? 具体的には二杯くらい」

 

「.........」

 

 無言の笑みを浮かべて、雪ノ下さんはワタシの腹に足を置いた。心なしか、雪ノ下さんの端正な顔のこめかみに一本の青筋が走っている幻を見た。本当に幻?

 

「いだだだだだっ」

 

 雪ノ下さんは腹に置いている足に力を入れ、グリグリと黒光りする六本足の先輩を踏み潰すかのように足を動かした。やめてっ! 両断されちゃう!

 

「『好きだよ陽乃』って呟いたらやめてあげるよ?」

 

「無理無理、絶対無理」

 

 思考する前に口が勝手に動いてしまった。や、やばい。青筋が二本に。

 

「えいっ」

 

 掛け声は可愛らしいが、行っていることは残虐だ。ワタシの腹に置く足が一本追加された。つまるところ、雪ノ下さんはワタシの腹に乗っているのだ。

 

「いだだだだだだだだだだっ」

 

 ワタシの悲鳴を聞いて雪ノ下さんは満足そうな表情をしている。先日、雪ノ下さんから壊します宣言を受けたワタシだが、事の重さをやっと理解できた。雪ノ下さんはワタシを精神的に壊すのではなく、物理的に壊そうとしているらしい。

 

「やっぱり春人くんには難しかったか~。じゃぁ、名前で呼んでくれたらやめるね♪」

 

「むr」

 

 あ、危ない。また口が勝手に動くところだった。今度拒否したら、雪ノ下さんはワタシの腹の上で跳び跳ねるだろう。もうこいつ、嗜虐心溢れる魔王だろ。(白目)

 

「は、はるのんさん。どいてくれるかな?」

 

「はるのんじゃないよ、陽乃だよ」

 

 陽乃じゃないよ、魔王だよ。頭の中でそんな風に変換できてしまった。く、くそぉぅ、名前で呼ぶしかモブキャラ志望のワタシは救済できないのか。

 

「陽乃」

 

 我ながら完璧に言えた。気持ちが入ってないのも完璧。

 

「もうちょっと気持ちを込めて」

 

「いい加減どいてくれないかな? お腹空いたんだけど」

 

 完璧。気持ちを込めて言った。ワタシの今の気持ちは、遅刻間際で渋滞にはまった入社したてのサラリーマンだ。

 

「ちぇ~、つまんないの。春人くん弄りに填まりすぎて忘れてたけど、統一から『食事の用意が出来た』って伝言預かってるよ」

 

「聞きたいことが一つあるんだけど...聞いていいかい?」

 

「体重以外なら答えてあげる」

 

 聞きたいのは雪ノ下さんのことじゃないんだ。

 

「統一の名前を知る必要あったの?」

 

「もちろん。だってこれから毎日遊びに来るんだよ? なら、ある程度は仲良くならないとね」

 

 これから毎日腹を踏まれるんだね。今日から上体起こしを始めようと誓ったワタシである。

 

「えいっ」

 

 再び、可愛らしい掛け声で腹の上から飛び降りる雪ノ下さん。たぶん、ワタシの腹筋は今ので死んだと思う。

 

「早く起きないとご飯冷めちゃうよ?」

 

 笑顔でワタシに手を伸ばす雪ノ下さん。手を貸すという意味だろうか? 今までの行動からすると、手を借りる、腰を上げたら手が離される、尻餅を突く、それを見て魔王は笑う、黄金パターンの完成。へ、長年人を観察し続けたワタシの推理力を舐めるでない。

 裏と言える程の裏ではない裏をワタシなりに解釈し、手を借りずに布団から出た。雪ノ下さんは差し出した腕を見て固まっている。あ、あれ? ワタシ何か変なことしました?

 

「もしかすると、途中で離すと思ったの?」

 

「思った」

 

 ワタシの返答が触れてはいけない線に触れたのか、雪ノ下さんは悲しげな表情をつくった。胸に込みげてくるモノはなにもない。

 

「...わたしにも良心はあるからね」

 

 良心ある人が寝起きの人の腹に乗るとかどこの世紀末ですか?

 

「ほら、早く行こ?」

 

 立ち上がったワタシの手を取り、駆け足でドアに向かう雪ノ下さん。......布団たとんでないんだけど。

 

 

 

 されるがままに引っ張られて、連れてこられた食堂。長方形のテーブルに置かれている卵焼きと白米。いつもの光景だ。

 

「......そんなに見られると食べにくいんだけど」

 

 悲しげな表情はどこえやら。笑顔で頬杖をつき、ワタシの顔を凝視してくる雪ノ下さんを除けば、だが。

 

「春人くんの幸せそうな顔を見てるとつい、頬が緩むんだ~」

 

 それはもう、幸せですとも。だって、好物の卵焼きを食べてるんだからね。

 

「ねぇ、わたしと卵焼きどっちが好き?」

 

「もちろん、卵焼き」

 

 比べるまでもない。卵焼きだ。絶対に卵焼きだ。好物を越えて生活の一部と言っても過言ではない。

 

「......そっか」

 

 わかりきったことのように呟かれた言葉は寂しさが含まれていたが、諦観はない。逆に、何かを成し遂げようとするやる気があった。

 それ以降の会話はなく、卵焼きを幸せそうに食べるワタシと、それを笑顔で見る雪ノ下さんという奇妙な空間が出来上がった。ワタシは今、生物の授業で観察される生き物の気持ちを知った。

 

 

 

 食器を片付け自室に戻り、布団に潜ることなく布団をたとみ、さぁ制服に着替えよう、と思い行動しようとしたらワタシに声が掛かった。

 

「春人くんってどこで勉強してるの?」

 

「ここじゃない部屋」

 

 真面目に答える必要などなぁい。

 

「じゃぁ、学校に持っていく鞄はどこに置いてるの?」

 

「ここじゃない部屋」

 

 真面目に答える必要などなぁい。

 

「...じゃぁ、筆記用具はどこに置いてるの?」

 

 真面目に答える必要など...

 

「わかった、答えるから手に取った目覚まし時計を離して」

 

 こめかみに青筋を走らせた雪ノ下さんは、硬質な目覚まし時計(凶器)をワタシの足の小指の上で止めている。

 

「やっぱり離さなくて良いや。うん。書斎だよ、書斎」

 

 本棚には攻略済みの問題集と参考書と薄いアルバムしかないが。

 

「へー」

 

 興味ありげに聞いたくせに返答はどうでもよさそう。まるで次に本命のチョコを渡そうとしてる女子のようだ。間違っても目覚まし時計(凶器)を投げないでほしい。

 

「陽乃ちゃんは誤魔化そうとした理由が聞きたいでーす」

 

 ワタシの足下で綺麗な正座をして、何も持っていない手を可愛らしく挙手する雪ノ下さん。

 誤魔化すのに理由なんて必要ないと思います。

 

「何となくだよ」

 

 言いきった瞬間。ワタシの小指が天に召された。

 

「お望み通り離したよー」

 

............はっ、危ない。もう少しで小指の巻き添えを食らって、ワタシまで天に召されるとこだった。しばらく下を向かないでおこう。そうだ。きっとそれが良い。

 

「早く着替えないと遅刻しちゃうぞ? 優等生くん」

 

 もしも遅刻したのなら、遅刻した理由は、魔王に遭遇してフルボッコにされてたと書こう。

 

「着替えるから、廊下に出るか目を瞑ってくれるかな?」

 

「え~、あの時の大胆さはどこに行ったの?」

 

 何? 見たいの? 別にワタシは構わないけど...女の子としてどうなのか小一時間話したいね。

 

「にしても春人くんって見た目によらず筋肉質だよね」

 

 筋肉質? 筋肉質って腹筋八パックの人のことじゃないの?

 

「筋肉質って初めて言われたんだけど...どうやって返せば良いの?」

 

「ありがとう、で良いんじゃない? それか『愛してるよ、陽乃』でも良いよ。むしろ推奨」

 

 にんまり笑顔の横で人差し指を立てる雪ノ下さん。

 ご飯を食べる前に聞いた戯言よりレベルアップしてる...。前半、採用。後半、無視。

 

「ありがとう」

 

 そして着替え完了。ふ、ワタシの特技の一つに早着替えという役立たずなものがあるのだよ。

 

「雪ノ下さん。僕は今から洗面所に行って歯を磨くけど、君はどこで待ちたい?」

 

「書斎」

 

 一秒の遅れもなく返ってきた返事。雪ノ下さんが書斎を選ぶことは何となくわかっていた。雪ノ下さんはワタシの本棚に興味を持っていることが会話で読み取れたからね。本棚と部屋は人の心が表れるらしい。つまり、雪ノ下さんはワタシの心を知り尽くしたいと見た。だが、ワタシの本棚にはつまらないものしかない。雪ノ下さんはそれを見てきっと、『つまらない人』というレッテルをワタシに張るだろう。張ってくれて結構。つまらない人と誰が一緒に居たい? 誰も居たくないはずだ。ワタシという人間の底が知れたら、向こうから離れてくれるだろう。

 

「案内するから着いてきて」

 

「......」

 

 雪ノ下さんは考え事をしているのか、腕をくみ俯いている。美人さんがやると凄く絵になっている。風景が殺風景だが。

 ワタシは、向こうから離れてくれるという希望が甘かったと知ることはなく、ドアノブに手を掛けた。

 

 

 

『ぎぃい』と古めかしいドアが軋む音と共に、ワタシと雪ノ下さんは書斎に入った。ここもまた、殺風景。部屋の広さは六畳ほどで、木目が綺麗な机の上に鞄が一つ。今日配布される教科書が机の上を占領することだろう。それと背凭れのない椅子があり、壁に沿うように二つの本棚が置いてある。一つの本棚にはワタシがさっき言った物が入っており、もう一つの本棚には何も入ってない。

 

「...へぇ。面白い部屋だね」

 

 視線はワタシに向いていない。雪ノ下さんが見ているのはただ一つ。本棚だ。

 

「本を漁るのは良いけどちゃんと直してね」

 

「了かーい。のんびりしとくから、春人くんも急がないでいいよ」

 

 急ぎますとも。君は一応、客人なんだから。

 

「本当に歯磨きしたの?」

 

 あれから、たったの三十秒。ワタシは書斎に戻っていた。そんなワタシを訝しげに見てくる問題集を片手に持った雪ノ下さん。

 

「したよ」

 

 もちろん、したとも。歯磨きと呼べないほど適当だけど。

 雪ノ下さんは何を呆れたのか、短いため息を一つした。

 

「春人くんってわたしと同い年だよね」

 

「十五なら同い年だね」

 

「その十五歳の春人少年は、何で高三の問題集を解こうとしてるのかな?」

 

 少年ジ○ンプと同じくらいの分厚さの問題集をワタシの前に『これが目に入らぬか~!』ばかりに見せてくる雪ノ下さん。解こうとしている、ではなく五年ほど前に解き終えたが正しいのだが、別に言わなくてもいいだろう。めんどくさいし。

 

「暇潰し」

 

 雪ノ下さんは肩を竦め、問題集のページをパラパラと見ている。パラパラと流して冊子が終わりに近づくほど、雪ノ下さんの口は笑っているのに、目が徐々に細められていく。疲れないのかな?

 

「春人くんって賢いんだね」

 

 ワタシが賢い? 笑えない冗談だね。

 

「僕に賢いなんて言葉は似合わないよ。似合うとしたら、小賢しい」

 

 雪ノ下さんの笑みがさらに深くなった。予想していた答えとまるで一緒と言わんばかりの笑顔。どうやらワタシは、誘導尋問に引っ掛かったらしい。

 

「わたしと春人くんは似てるね」

 

 似てないです。ワタシは分厚い仮面を被ってないです。

 

「どこが似てるのかな?」

 

 これもまた、誘導尋問なんだろう。

 

「春人くんの言葉を借りると、わたしは何かを隠している。君は何かから逃げている。ほら、何か似てると思わない?」

 

 逃げてるとしたら、それは君からだよ。

 

「表面上は似てないけど、本質は一緒って言いたいのかな?」

 

 雪ノ下さんはこくりと頷いた。

 このまま腹の探りあいを続けているとよくない。具体的には、ワタシの口が墓穴を掘るかもしれない。これから雪ノ下さんと話すときは口にガムテープでも張ろっかな。

 なんてことを考えていたら、雪ノ下さんは本を片付けに本棚に向かった。今日は助かったらしい。だが、三年間。下手をしたらもっと長い時間。頭の痛くなるような尋問が行われると思うと、うっかり頭の血管が切れそうになる。

 

「今日はこのくらいにしてあげる。だって時間はいっぱいあるからね♪」

 

 いくら長い時間と言っても終わりはくる。絶対に。その時まで耐えるとしよう。雪ノ下さんが離れてくれることを祈りながら。

 

 

 

 鞄を持ち、家を出て出口に鍵を掛けたら、ワタシの左手に柔らかい衝撃が走った。何事? と思い左手を見たら、雪ノ下さんがワタシの手を抱き枕にしていた。

 言葉に出さなくても拒絶をする方法なぞいくらでもある。これがその一つ。嫌そうな顔にため息を付けて、肩を竦めたら殴りたくなるほどイラッとくる奴の出来上がり。

 

「春人くんが隠してることを知っても、わたしは拒絶されない限り離れないよ」

 

 渾身の出来栄えのイラつく表情を無視し、ワタシの心を的確にくりぬいてくる雪ノ下さん。何で離れてくれないんですかね...それとワタシ、遠回しに拒絶しているんですけど、矛盾しているんですけど。

 

「拒絶したら本当に離れてくれるの?」

 

「うん」

 

「じゃぁ、離れて」

 

「却下」

 

「飽きたら?」

 

 返答はなく、雪ノ下さんは手でゴミを投げ捨てる動作をした。

 知ってたよ。君は良くも悪くも我が強いからね。遭遇してそんな経過していないワタシがわかるほど、我が強い。それを通すことが可能だから厄介ここに極まりだね。

 左手に新たな荷物を持ち、歩き馴れた道に足を進めた。

 ワタシは自分が決めたことしかしないし、自分の道しか進まない。その道に二人目が入る場所は決して存在しない。ワタシは一人になるためだったら、自分の心を欺き、女子の恋心を粉砕するだろう。それでもいつか、遠くない未来で、決定的な間違いをするだろう、してしまうのだろう。

 その時、ワタシはどうするのだろうか。

   答えは未だに見つかってない。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
アドバイスや感想など、お待ちしております。気楽に投げてくださいね、堅苦しく返しますので。
では、また次話で会いましょう。


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総武校の闇の一部を垣間見た

こんばんは、ぽん骨です。
今回も伏線投入回です。
駄文ですが、お付き合い頂ければ幸いです。


 ワタシが居る部屋に魔王が進軍を行った日から数日が経った今、ワタシは倒れそうである。身体的な意味ではなく、精神的な意味だ。

 ワタシの特技が腐るほどあるように、苦手なことも腐るほどある。その苦手なことに掃除という項目がある。苦手なだけで、時間を掛ければ出来ないことはない。

 

「...どうしてこうなったのかな」

 

 今は使われていない特別棟の一室に存在している、"少し"なんて言葉で通らない大量の埃とゴミの集団を目前に、ワタシは嘆いた。

 

......時間は五分前に遡る。この日最後の終業のチャイムが鳴り、猫背のけだるげな雰囲気を出している担任が退室する前にワタシは声を掛けた。

 

『ねね、使ってない教室とかってあるかい?』

 

 ワタシは未来永劫ぼっちを貫くつもりだ。それには家族以外の他者を寄せ付けない空間が必須。今まで自室がそれだったが、嗜虐心溢れる魔王様が意図的にぶち壊したので替えがいる。要点を纏めてしまえば、魔王様が知らない隠しステージが必要なのだ。

 

『一室だけあるが、何に使うか聞いても良いか?』

 

 不審な視線をワタシに向ける担任。

 

『(睡眠)学習だよ』

 

『感心感心。勉強くらい家で出来るだろうが、そこんとこはどうよ?』

 

 半笑いで痛いところを突く担任。勉強くらい家で出来るんだけど、恐ろしいことに魔王が強襲してくるんだよ。

 どう説明をしたら良いかわからず、顔を渋らせていると、担任は妥協案を出した。

 

『お前もお前で事情があるんだろ? わかってるさ。一応貸し出すが物とか壊すなよ。だが、ただで貸すのはきに食わん。条件を一つだす。貸し出す部屋は"少し"汚い。本来はおじさんが掃除する所だが、お前が掃除してくれ。それが呑めないなら貸せんな』

 

 "少し"汚いだけなら、掃除が苦手なワタシでも出来るはずだ。あと、この担任はワタシと同様にめんどくがり屋なのだろう。

 

『その条件、呑ませてもらうね』

 

 猫背の担任はにやけ顔を作り、ポケットから鍵を出し、ワタシに投げた。

 

『場所は特別棟。鍵の返却は完全下校の時間まで。そいじゃ掃除行ってこい』

 

 ワタシの背中を強引に押し、特別棟に繋がる廊下に出た。特別棟の何階なのかな?

 

 

......思い出してみたら完全に自業自得だった。これからは、あのテンプレ的な詐欺師の風貌をした担任の言うことをワタシは信じない。とか言って結局信じるような失態を晒さないと、胸に刻んだワタシである。

 現実逃避をしても何も起こらない。起こるとしたら、担任に私怨を募らせるだけだ。

 ワタシは近くにある掃除用具が入っているロッカーを開け、ほうきと塵取りを手に取り、ゴミの排除を開始した。

 掃除を開始して約一時間。年末に行われる大掃除並みの仕事量を一人でこなし、あともう一息、という所で引き戸が埃を盛大に撒き散らしながら開かれた。そんなとこにも埃があったのか...駆逐してやるッ!

 

「こんなとこに居たんだー。捜したんだよ? 春人くん」

 

...駆逐されてやるッ!

 この『捜したんだよ?』が、『逃げちゃダメだよ?』に聞こえるワタシはもう末期だ。大人しく家に引き籠ろう。

 

「春人くんはこんな埃っぽい場所で何してるのかな?」

 

「掃除」

 

「お、さっすが優等生くん。ボランティアかね?」

 

 ワタシの頬を人差し指で突き刺す雪ノ下さん。効果音を付けるなら、『ペシッ』じゃなくて『グサッ』が正しい。

 

「そうだよ」

 

「見え見えの嘘だね」

 

 薄っぺらい笑みを浮かべてワタシの嘘を見抜く雪ノ下さん。

 バレたか。他の人なら騙せる自信あったんだけどなー。あれ? 担任よりワタシの方が詐欺師っぽい?

 

「わかった理由を聞いて良いかい?」

 

 今後の参考のためにも一応聞いておきたい。

 

「だって、春人くんが自分にメリットのない行動するわけないじゃん」

 

 まともな理由を期待したワタシがバカでした。この前は、悪い印象を与えていなくて安心したけど、良い印象も与えてなかったらしい。考えるとこれって悪い印象じゃないの?

 

「僕でも善意での行動はするよ」

 

......たぶん。行動はするけど善意があるかとか、悪意があるとか、あんまり考えないんだよね。

 

「ふーん。春人くんがここを掃除する理由を当ててあげる」

 

 綺麗な唇からは想像も付かない、鳥肌がたつほど低い声でワタシの心を掴む雪ノ下さん。実際に掴まれているのは頬だが、握り潰されないか心配で堪らない。

 これは事実確認のようなもの。決して、以心伝心だね、うふふ、のようなラブコメ展開ではない。

 

「外れてるだろうけど言ってみて」

 

 雪ノ下さんは絶対に当てる。

 今の言葉は、意味のない小枝の備えに過ぎない。

 

「一人になれる場所が消えたから新しくつくるため」

 

 低い声に一つの楽しみが含まれた。

 絶句。驚きのあまり声が出ない、という状況に初めて陥った。本当に一声も出せない。当てられるだろうと腹を括ったが、はっきりしないことを言われるのだと勝手に思っていた。今までの有象無象がそうだったから。

 雪ノ下陽乃は違う。明確に、鮮明に、ワタシのことなどお見通しだと、その上でワタシを壊すと宣言していたのだ。

 

「春人くんの反応を見る限りだと当たりでしょ?」

 

 絶対の確信を持って雪ノ下さんはワタシに問うた。

 

「............ハズレだよ、ハ、ズ、レ」

 

 こんな場面で真逆のことを言って何が悪い? そんな風に開き直らないと、雪ノ下さんの話相手はつとまらない。なにこの滅茶苦茶。

 

「春人くんってウソつき?」

 

「人並みに嘘を吐くよ」

 

「その基準になった人達は一日に三回嘘を吐くの?」

 

「吐くときは吐くと思うよ。年中嘘を吐いてる人も居るし」

 

 皮肉を込めてそう言った。

 ワタシはこれ以上話すつもりはないので、掃除を再開した。

 時計が秒針を刻む音が、綺麗になった教室を彩る唯一の音。雪ノ下さんは意外にも話かけて来なかった。

 

「...良い音だね」

 

 何かに浸るように瞑目していた雪ノ下さんは、辛うじて聞こえる声量で呟いた。

 

「時計の音なんていつでも聞けるだろうに」

 

「そうだね、時計の音はいつでも聞けるけど」

 

 教室の床が軽やかに軋み、ワタシの背後で止まった。後ろの正面だーあれ? やべ、ワタシだ。

 

「春人くんが壊れていく音なんて滅多に聞けないよ」

 

 雪ノ下さんはワタシの背骨をなぞるように、触れる。

 そ、そりゃぁね? 良い音かもしれないけどね? す、少しというか、か、かなり悪趣味じゃないかな?

 

「それはどんな音なんだい?」

 

 ワタシはワタシが壊れる音なんて聞いたこともない。聞きたくもないが、気になってしまうのがワタシだ。

 

「春人くんがむせび泣く音」

 

 自分から聞いておいてあれだが、最悪の音だった。

 

「比喩表現だよ、比喩表現」

 

「違う表現の仕方があったと思うんだけど...」

 

「急に春人くんの嫌そうな顔を見たくなってね」

 

 う、うわぁ...さすが魔王様。考えることがぶっ飛んでらっしゃる。

 

「そうだ」

 

 何か思い付いたように、ぽんっと手を打つ雪ノ下さんの傍にいつの間にか、自販機で買ってきたと思われる飲み物があった。

 

「その顔をもっと見たいから時々この場所に来てあげるね!」

 

 少し、現実から目を背けるとしよう。ワタシは確か『隠しステージ』なるものを例えで作ると言ったが、これがフラグとなっていたらしい。隠しステージはいつか攻略されるもの。たとえ、攻略は行われずとも、いつかは発見されるもの。結論を言う。このままだと、魔王様にボコられてしまう。ピンチだ。某ゲームで、天才軍師にやられた時並みにピンチだ。

 

「来ないでいいよ」

 

 言っても無駄だろうけど。

 

「ほい」

 

 雪ノ下さんは、スポーツ飲料水のペットボトルをワタシに投げた。これを受け取ったら『○○モンゲットだぜ』とお約束のセリフを言うのだろうか。言わないよね。

 

「掃除お疲れさま!」

 

 雪ノ下さんは万人どころか、見るもの全てに愛されそうな笑顔を向ける。そんなにワタシを毒殺したいらしい。

 

「これ奢り?」

 

 奢りと受け取って良いのだろうか。後々、『あの時奢ったから奢り返してくれ』と、ならないのだろうか? ワタシは経験したことないけど見てるだけで疲れてくる。

 

「陽乃ちゃんからの奢りでーす」

 

「毒入りでしょ?」

 

 確認したら脛をいい笑顔で蹴られた。

 まろを蹴るなんて酷いでおじゃる!

 

「毒なんて入れてないからね」

 

 飲むのを渋りまくるワタシ。

 

「信用出来ないなら先に飲んであげるね!」

 

 のどが乾いていたのか、ペットボトルを器用に奪い取る雪ノ下さん。

 その綺麗な唇をつけて、雪ノ下さんは勢いよく半分ほど飲んだ。

 

「ほら、大丈夫でしょ」

 

 キャップを閉じ、ワタシに投げてきた。この流れで行くと飲む以外の選択肢はない。あまりのど乾いてないんだけど...飲むしかないか。

 ワタシは一歩下がり、滝飲みで飲む。雪ノ下さんは笑顔で二歩歩み寄り、ペットボトルを押そうとする。ワタシはペットボトルを無言で離す。

 

「何で話したのー?」

 

「のどがあまり乾いてないから」

 

「なら仕方ないね」

 

 意外と潔かった。もっと、良家生まれの人は駄々をこねると思っていたが、偏見だったようだ。

 

「鍵返しに行くから早く帰ってくれるかい」

 

「おっけー、正門で待ってるから早く来てよー?」

 

 あ、あっれー? 話が見事に噛み合ってない...

 雪ノ下さんはとてとてと走り、引き戸の向こう側に消えた。

 三、三分くらいのんびりしても構わないよね? と椅子に手を伸ばした時、ガラガラーと引き戸が軋みをあげ、ひょこりと顔を出した雪ノ下さん。

 

「三分くらいなら...とか考えないでね、春人くん?」

 

「い、いやだなー、ぼ、僕がそ、そ、そんなこと考えるはずがないよ」

 

 思いがけない一言に、声が裏返り、雪ノ下さんの逆方向に目を逸らしてしまった。

 不審なワタシを見た雪ノ下さんは、こう、うまくは表現できないが、顔は笑っているのに恐怖心が顔を出す、そんな笑みを浮かべていた。

 

「その顔は考えてたのかね?」

 

「考えてないこともないです」

 

 恐怖のあまり変な言葉遣いになってしまった。恐いです。すごく恐いです。

 怯えていると、片方の手首を掴まれた。反射的に振りほどこうとするが、雪ノ下さんの端正な顔が目の前に来たので仰け反ることになった。

 

「ほら、鍵返すんでしょ?」

 

 仰け反った状態のワタシを引っ張り、引き戸に向かう魔王様。だけど、こんな状態のワタシを急に引っ張ったらどうなるか、目に見えてるわけですよ。というか、目の前から迫ってるわけですよ。

 

 ごんっ! 痛々しい音と同時にワタシの額に衝撃が走り、雪ノ下さんは振り返った。

 

「因果応報ってやつだね!」

 

 その顔はやはり、ほくそ笑んでいた。

 ワタシは再確認する。この学校には妖怪が一人と魔王様が一人、居る。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
アドバイスや感想など、首を長くしてお待ちしております。
では、また次話で会いましょう。


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勘違いと本質の片鱗

こんばんは、ぽん骨です。
ラブコメ(笑)を書こうと思ったら、シリアス(笑)が出来上がってしまいました。


 静かな教室でワタシは今、読書をしている。本のページを捲る音と時計の音が耳に入り、背中から伝わる感触から一人ではないと理解を強制させられる。

 背後にいる人物は誰か? ワタシのパーソナルスペースに立ち入るのは一人しかいない。雪ノ下陽乃だ。

 その雪ノ下さんは何故かワタシの隣に椅子を置き、ワタシにもたれかかっている。これだけだと背後に来るのは椅子の背凭れだが、ワタシは雪ノ下さんに背を向けて座っている。

 

「......もうすぐテスト...めんどくさい」

 

 ぼっちはあらゆる事象に心の中で呟く。稀に、呟きが口から溢れてしまう時がある。そして、周囲から漂白剤もビックリな白い目で見られる。ぼっちの宿命とも言えるものだ。

 呟きが雪ノ下さんに聞こえてしまったのか、パタンと本を閉じる音が聞こえた。

 

「まだ、三週間あるけどね」

 

 声には余裕と自信で満ちていた。もしかすると、優秀だけど優等生ではないと言われていたのは雪ノ下さんのことだったのだろうか。

 

「三週間は有るようで無いものだよ」

 

 カレンダーを覗いたら一ヶ月飛んでいたことはよくある。

 

「わからない教科があったら教えるよ?」

 

 わからないという訳ではない。

 周りが少し煩くなるだけだ。ワタシに期待をする先生も少なからず居る。

 

「気持ちは嬉しいけど大丈夫だよ」

 

「あり? もしや春人くん。自信がお有りで?」

 

「安定の点数を取る自信はあるよ」

 

「その点数は?」

 

「満点」

 

「おぉー、凄い自信だね」

 

 背後から愉快そうな声がした。

 

「そんな春人くんにゲームを挑みまーす」

 

 ゲーム...最近巷で噂の、負けたら社会の闇にメンタルと体を食われるブラックな圧迫面...ゲームだろうか?

 

「どんなゲーム?」

 

「テストのゲームって言ったらあれしかないよ!」

 

 あれってなに? 校長のヅラを誰が剥ぎ取るかってやつ?

 こやつ何言ってるの? そんな表情で振り向きながら雪ノ下さんを見たら、驚きを絵に書いたような表情をしていた。

 

「知らないの? ほら、友達とやらない?」

 

「知らない。だって、友達居ないし」

 

「あ...ごめんね、少し配慮が足りなかった...かも」

 

 さっきの態度から一変、しおらしくなる雪ノ下さん。友達が居ないワタシからしたら、友達の必要性を知りたい。

 

「で、そのゲームってなに?」

 

「どっちが上の点数を取れるかってゲーム」

 

 それ知ってるよ! 負けたらその人との仲が消え失せるやつでしょ! だって聞いたことあるもん。というか隣の席の人がそれだった。

 

「そのゲームをして、僕が負けたら何か罰ゲームがあるのかい?」

 

「春人くんがわたしの所有物になる、これでどう?」

 

 内容が酷い...とにかく誰かが雪ノ下さんに罰ゲームの範囲を教えた方がいい。例えば、駄菓子買ってこいとか、飲み物買ってこいとか、ジャン○買ってきてとかさ。...共通点が罰を与えるしかない。罰ゲームだから仕方ないか。

 

「雪ノ下さんが負けたら?」

 

「んー」

 

 雪ノ下さんは顎に手を添え、首を可愛らしくひねっている。雪ノ下さんがその姿勢を取ると、あざといと思う前に、様になっているという感想が勝る。

 

「春人くんと顔を合わせないとかどう?」

 

「デメリットよりメリットの方が圧倒的に良いから賛成するね」

 

 我ながら安い人だと思う。お高くとまるよりは幾分ましだろうけど。

 

「う、うわぁ...そんな露骨に嫌われちゃうとショック受けちゃうなー」

 

「嫌われる行動しかしてないんだから仕方ないよ」

 

 寝起きに腹を踏むとか、額を引き戸にぶつけるとか、暴力しか受けてない。あと、雪ノ下さんが人目を憚らず腕に引っ付くから常々視線のレーザービームを浴びているワタシなのだ。

 

「あっははははは! 春人くんってツンデレなんだね! かーいいなー!」

 

 脳内お花畑の雪ノ下さんはワタシの背中をバシバシと爆笑しながら叩く。

 男の子に可愛いとか嬉しくもなんともない。

 べ、別にカッコいいって言ってほしくないんだからねっ。雪ノ下さんのことなんて考えてないんだからねっ。...ホントに考えてないからね。

 

「ねぇ、これから毎週勉強会とか開いちゃう? 春人くんのお家で開催しちゃう? むしろ、開催してくれると嬉しいなー!」

 

 いやだなー、開きたくないなー、だけどすることは勉強なんだよなー。

 

「勉強するだけならどこでしても変わらないと思うけど」

 

 勉強は本来一人でするものだし、学校以外で人が集まると駄弁ってしまうだろう。よってこの勉強会などに意味はない。一人でするからこそ意味があるのだ。

 

「変わるよ。主に春人くん弄りの効率的な意味で」

 

「ほら、あれだよ、連絡の一つも無しに雪ノ下さんを家に上げると、統一が驚くから駄目。かといって違う場所でするのも駄目。雪ノ下さんの悪趣味に付き合う道理もないから勉強会を開くのも駄目」

 

 駄目なものは駄目。

 

「ケチだなぁ...じゃぁ連絡を通せば良いんだね?」

 

 鞄から携帯を取りだし不敵に笑う雪ノ下さん。

 え? ちょっと待って。統一の電話番号を知ってるの?

 

「もしもし、藤堂? 今から遊びに行くからよろしくねー」

 

『唐突だな、別に来ても構わんが...その場に居る春人はなんて言ってるんだ?』

 

 携帯越しに聞こえる無愛想な声。通話の相手は本当に統一らしい。どこで電話番号入手したんですかね。

 

「連絡を入れたら良いって言ってるけど」

 

『なら歓迎してやる』

 

 駄目。歓迎しないで。魔王なんて歓迎しないで。

 ワタシの心の悲鳴など知りもしない、いや、この笑顔は理解してやっている、魔王が浮かべる恐怖の笑みだ。

 

「ありがとー、じゃぁ切るね」

 

 ぷつんと電話が切れたのか、ワタシの生命線が切れたのかわからない音がした。

 

「連絡...通したよ?」

 

 どこで選択肢を間違えたのかな? と自問自答してる間に家に着いた。これがボスの力か...

 行われたのは意外にもしっかりとした勉強会だった。尋問など微塵もなく、交互に問題を出しそれを解く。恐ろしいほどに普通の勉強会。

 そんな勉強会を続けること三週間。テスト返却が行われた日。やはり、テストの話題で盛り上がっていた。

 

「学年一位は雪ノ下さんだってー! 流石だね!」

 

 ワタシの後ろで話をしているグループの一人がそう言った。

 今回のテストでの同点一位は二人居る。一人は雪ノ下さん。二人目はワタシこと春坂。残念ながら勝負は引き分けのようだ。

 

「このくらい余裕だよ。一位はわたし以外にもう一人居るけどね」

 

「えっと...『噂の』春坂さんだっけ」

 

 やだ、何か厨二病っぽい。

 名字の前に噂を付けて通じるということは、それだけ広まっている証拠だ。ワタシ一人の力だけで誤解を解くのは不可能に近いだろう。人の根幹に刻まれたイメージは泥のように汚い。別に女子に間違われようときにしないが生活に支障をきたすなら話は別だ。使える者全部使って何とかする。

 

「その噂デタラメって知ってる?」

 

 お、まさか誤解を解いてくれるのかな?

 

「知らなかった...何で雪ノ下さんは知ってるの?」

 

 この調子で進むと更なる誤解が生まれそうな予感...その時は介入しようか。

 

「見たから知ってるんだよ」

 

 さも当たり前のように雪ノ下さんは答えた。

 学年一位さん、主語が抜けてますよ。

 

「え? 雪ノ下さんが春坂さんに抱き付くのってまさか...」

 

 ワタシ、介入行動を開始する。

 

「雪ノ下さんが僕の腕に引っ付く理由は知らないけど、君が考えた複雑な事情はないから安心して。これが見たってのは僕の上裸のことだよ」

 

「な、何で上裸見せたのか聞いてもいい?」

 

 後ろから話し掛けたせいか名も知らない女子は驚いた様子だ。もっとも、雪ノ下さんは不服そうな顔をしていたから気づいていたと思うが。

 

「雪ノ下さんが僕を女子と勘違いしたから」

 

「そ、そうなんだー。勘違いされても可笑しくない見た目だからね、じゃぁ雪ノ下さんまた明日」

 

 名も知らない女子は雪ノ下さんに手を振り、足早に引き戸に向かった。これで心の二次被害は抑えた。ちなみに、一次自害は魔王との予期せぬエンカウントだ。

 

「ばいばーい。...もうちょっとで外堀が埋まる予定だったんだけどなー、綺麗に邪魔されちゃったよ。もーっとさぁ春人くん...空気読んで?」

 

 現在進行形でその予定が進んでいると考えると、落ち着いて昼寝もできない。

 

「僕は必要な時以外空気を読まない人なんだよ。それよりゲームのことだけど、引き分けだとどうなるのかな?」

 

「なになにー? そんなにわたしの所有物になりたいのかなー? いつでも歓迎するよー」

 

「次回に持ち越しってことでいいのかい?」

 

「そこは空気を読んで『陽乃ちゃんの所有物に......なりたいです』だと思うんだけど?」

 

「ゴミみたいな空気を読むくらいなら、辞書でも読んでる方がよっぽど有意義だね」

 

 実に読みごたえのある辞書だ。あれで一日は潰せる。

 

「ゴ、ゴミ...はっきり言われると悲しくなるね」

 

 雪ノ下さんは縮こまって机に伏せ、のを延々と書いている。放っておいたら完全下校の時間まで書いているだろう。あげくに何かをすすり上げる音まで聞こえてくる。立ち位置的にまるで泣かしたような雰囲気が立ち込み初め、J組の数少ない、そして何故か廊下に居る男子達が、某巨人が人間を食う漫画の主人公がマフラーをぐるぐる巻いた人が時々するあの目より恐ろしい目でワタシを睨んでくる。はっきり言って、逃走したい。

 

「雪ノ下さん」

 

「ぐすっ...なぁに?」

 

 演技とわかっているが、心配するほどに巧い。いや、実際には泣き真似と頭で理解しているのだが、『泣いていたら?』と胸の奥に罪悪感が芽吹きかけている。

 

「前言を訂正するよ」

 

「...じゃぁ、所有物に、なってくれるの?」

 

 その一言に廊下にいた男子達が爆発した。

『俺も雪ノ下さんに言われてぇ!! 悶える一言が欲しい!』とか『雪ノ下さーーん!』と言ってスローで後ろに倒れていたりと、初めてみる光景があった。

 

「所有物にはならないよ。訂正するのは『ゴミみたいな』って言ったのを『関わりたくないような』だね」

 

 廊下にいた男子達が全員、空気を読めと思った瞬間だろう。

 男子の視線は相変わらずだが、雪ノ下さんは顔を上げた。涙のあとはない。あるのは、不変のものがやはり不変だった、と安心している微笑。

 

「春人くんは変わらないね」

 

 ワタシはそんな簡単に変われない。変わるとしても数年は掛かるだろう。

 もっとも、変える機会などモブ志望のワタシにとって不要だ。

 

「ついてきて」

 

 雪ノ下さんは手を引っ張って教室を後にし、昇降口を下り、正門に出て帰路に着いた。幸いにも顔面強打イベントはなかったが、男子達が煩かった。

 

「わたしが春人くんを壊したい理由、なんとなく察せた?」

 

 からかうような、されど真剣な声音。

 

「まったく」

 

 首を横に振る。

 雪ノ下さんはワタシを見てため息を一つして、どんよりとした、気分が晴れることのない曇り空を見上げた。

 

「...出来るだけ早く、見つけて欲しいな」

 

 憂いを含んだ表情で、寂しさと、触れたら溶けてしまう雪のような儚さを含んだ声で、雪ノ下さんの言葉は投げられた。

 

 

 それにはいつもの耳に響く朗らかさなどない。

 

 

 ただ、何者にも流されず、無我夢中で隠し続けた自分を見つけて欲しいと、道化を暴いて欲しいと願う心があった。

 

 

 ワタシは今の言葉を聞き、中学に上がった時に読んだ、一つの小説を思い出した。

 空腹感から食事を取ったことのない、猿の笑みを浮かべる幼年期。おそろしく美貌を持ち、道化を見破られても道化を演じるしかなかった青年期。

 きっと彼に必要だったのは、心に寄り添ってくれる人だったのだ。

 もしも、なんてどうしようもない考えだが、きっと誰もが考えたであろうもしも。

 もしも、彼にそんな人が居たのならば、結末は大きく変わったはずだ。

 

「おーい春人くん?」

 

 思考に没頭していたせいか、雪ノ下さんは目の前で手を振っていた。

 

「...なんだい?」

 

「人の話聞いてた?」

 

 

 半目で睨まれ、遠くから電車の音がする。

 

 

「あー、善処するよ」

 

「よろしい。じゃぁーー」

 

 

 ガタンガタンと音がする。

 

 

 久しぶりに『もしも』なんて考えをしたせいか、それとも、馴れ合いではなく、雪ノ下さんの本心を少し聞かされたからか。ワタシは口を滑らせていた。

 

「ーー確か、君は僕を知りたいって言っていたね」

 

 

 ガタンガタンと音が近づいてくる。

 

 

「え、言ったけど...それがどうーー」

 

「ーー次いでだから、ワタシを」

 

 

 ガタンガタンと電車の音がワタシの声を連れ、通りすぎた。




ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
アドバイスや感想など、お待ちしております。
では、また次話で会いましょう。


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休日に外出するのも、まぁ悪くない

 六月の中頃。そろそろ忍耐の夏が来ると思うと憂鬱になる六月。

 

「デートのお誘いだよ! 春人くん!」

 

 そして、ノックの音より雪ノ下さんの声で起きるのが日常になってきた六月の今日この頃。

 

「ねぇ......なに考えてるのか、聞いてもいいかい?」

 

 日曜日。学校もなく、ぐだぐだ昼まで寝れる至高の日。ワタシはこの日、必ずと言っていいほど二度寝をする。統一のノックで起床し、朝ご飯を食べ、布団にもぐる。最高だ。最高なんだが...。

 

「単純にデートに誘ったんだよ、泣いて喜んでね」

 

 もちろん、それは雪ノ下さんがいなければの話だ。

 雪ノ下さんの服装は、白を基調としたレースで縁取られている柔らかめの服装。露出は多いが、不思議と上品さがあった。

 うん、美人さんはどんな服を着ても似合うんだね。違和感がまったくない。

 そして、あぁ、嘆かわしいことにワタシは着替えなければいけないらしい。いっそのこと寝巻きで行こうかな。

 

「雪ノ下さぁん」

 

 ワタシの喉からあくびのような間延びした声が出た。

 

「くすっ...なぁに?」

 

 皮肉るように間延びした声で返事をした魔王。

 

「僕の服を取ってきてくれるかい?」

 

「......うん?」

 

 しばらく間をおいて、

 

「春人くん......頭打ったの?」

 

 寝転んでいるワタシを心配そうに覗いてくる雪ノ下さん。頭ではなく、おでこなら最近強打したけど。下手人は言わずもがなだけど。

 

「冗談だよ」

 

 ワタシは布団から出て背伸びをする。

 

「だよねー。春人くんの今日の予定空いてたかな?」

 

 空いてないと言えない事後承諾ですね。わかります。予定としてはバリバリ忙しかったはずなんだけど...睡眠ですけどね。

 

「特にないから大丈夫だよ」

 

 余計なことを言ったら脛を蹴られそうだからね。おとなしく黙っていようとワタシは思う。

 

「よかった! 忙しいって言われたらどうしようかと考えちゃったよ」

 

 そう言い、寝起きのワタシが目をつぶりたくなるほど眩しい笑顔をつくった雪ノ下さん。新手の目潰しらしい。

 

「雪ノ下さんは朝ご飯食べたかい?」

 

「朝ご飯? 昼ご飯の間違いじゃない?」

 

 寝惚けてるの? 頭上にそんなセリフがありそうな顔で首を傾げる雪ノ下さん。

 うっそだー、と思い目覚まし時計を見たら、短針が十二を過ぎていた。どうやら寝坊したらしい。別にいいよね、休日だし。休日だし......休日だs...。

 

「布団にくるまってないで構ってよー」

 

 再度布団にもぐったワタシをゆさゆさと揺する雪ノ下さんだが、それは眠りに誘う行動なのだ。一定の感覚で揺すられると効果倍増。ラリホーとラリホーマくらいの差がある。起こすならザキくらいしないとワタシは起きない。あ、成功したら棺桶に入るから尚更起きないね。

 

「構ってくれないならわたしにも考えがあるからね」

 

 夢の世界に片足突っ込んでるせいか、雪ノ下さんの声がどこか遠くに聞こえる。

 

「春人くんが寝るならわたしも寝るから。それでもいいなら寝ていいよ?」

 

「おはよう。今日もいい天気だね」

 

 耳に届いた冗談でワタシは即座に飛び起き、布団をたとんだ。もちろん天気など見ていないから適当だ。雪ノ下さんは目を細めているが、目が痒いのだろう。取り合えず挨拶ってだいじだよね。

 

「うん、おはよう」

 

「どこに遊びに行くのかは後で聞くとして、昼ご飯は食べたかい?」

 

「食べてないけど......春人くんが作ってくれるの?」

 

「統一がいないから僕が作るしかないけど」

 

「やー、お腹すいたなー、春人くんの手料理食べたいなー」

 

 一般の感性を持つ男子だったら効いちゃう女の子の必殺技、上目遣い。雪ノ下さんがすると大体の人は効くだろう。何せ、雪ノ下さんは学校に宗教染みたファンクラブが作られる程の愛される美貌の持ち主らしいからね。ワタシには色々と理解できない。

 

「品数が三品しかないけど、それでもいいのかい?」

 

 ご飯(冷ご飯をレンジに投下)、味噌汁(インスタント)、卵焼き。この献立を手作りと言っていいものか悩むところだが、まぁ手作りなのだろう。

 

「いいよー。...念のために聞くけど、インスタントは入ってないよね?」

 

「入ってるけど」

 

「冷ご飯は許せるけどインスタントはダメですな」

 

「なんで? 便利だよ、インスタント」

 

「......はぁ」

 

 もう手遅れだ...を代弁するかのように発せられたため息。

 

「手伝うから早く行こうよ」

 

 手伝うって言っても味噌汁だけなんですけどね。

 テーブルに並んだ、いつもの朝食に味噌汁が追加された昼ご飯。おかずが卵焼きしかないのはきにしない。だってめんどくさいし。味噌切れたし。買い足さないと駄目だし。

 いただきますと呪文のように唱え、手を重ね、箸で卵焼きをつつく。

 

「は、春人くん?」

 

 口に物が入っているときに話すのは行儀が悪いので、なに? と目で応える。

 

「この卵焼き凄く美味しいんだけど」

 

 口に入っている卵焼きは飲み込める大きさじゃなかったが、飲み込みワタシは口を開く。

 

「ならよかった」

 

「どうしてお味噌汁作れないの?」

 

「作れないものは作れないよ」

 

 味噌汁など料理本を見ればできるはず。美味しいかどうかは知らないが。

 

「別にいっか。ららぽに行くけど電車とか大丈夫? 酔ったりしない?」

 

「酔う」

 

「じゃぁ大丈夫だね」

 

 適当についたデタラメが綺麗に流された。どうやら雪ノ下さんはワタシの扱い方を知っているらしい。にしてもどうやってデタラメを見抜いているのだろうか、ポーカーフェイスには自信があるのだが、雪ノ下さんを前にするとその自信が砕けそうだ。

 

「ららぽに行ってなにをするんだい?」

 

 買い物とか映画鑑賞あたりだろうとワタシは予想する。

 

「春人くんを連れま...買い物だよ!」

 

『買い物だよ!』以外聞かなかったことにしよう。ワタシの心の平穏のために。

 

「つまり荷物持ちをしろってことかな?」

 

「そゆこと」

 

 雪ノ下さんの食器を見たら空になっていた。まさかの早食いですか。

 雪ノ下さんはご飯だけでは足りないのか、じーっとワタシを見ている。

 

「なにか言わないの?」

 

 なら、ワタシの身の安全を守るために一つ聞いておこう。

 

「僕を食べるなんて言わないでよ?」

 

 雪ノ下さんは笑顔から一転、一瞬だけ背筋が凍る無表情を作り、それが幻覚のように思える程綺麗な笑みを浮かべる。残念なことに幻覚ではないとワタシに知らせるものが一つ。雪ノ下さんの目が今までよりなお笑ってない。

 美人さんの笑顔は和むものがあるけど、無表情は果てしなく恐ろしい。たぶん、今の無表情は頭からなかなか離れないと思う。夢とかに出てきそう。

 なんてことを考えていたら、ぐみぃとワタシの足の甲が踏まれた。

 

「面白いこと言うね、春人くん?」

 

 さらに、ぐみぐぃと踏み続ける雪ノ下さん。この効果音だとワタシの足は美味しく食べられそうだ。

 

「わたしはそんな返事を待ってたわけじゃないんだけどなー」

 

 顔に笑顔という名の皺を寄せ、ワタシの足の甲を強く踏む雪ノ下さん。ワタシの足の甲がグミなら呆気なく千切れているだろう。

 

「荷物持ちくらいするけど」

 

 ワタシはポケットから中身が小銭しか入ってない財布を出す。

 

「運賃しかないから、奢れとか言わないでね」

 

 期待されていた返事をしたのか、雪ノ下さんはワタシの甲から足を離した。

 離してくれたのはいいのだが、雪ノ下さんはなにが楽しいのか子供のように足をぱたぱたさせていて、爪先がワタシの脛に当たり地味に痛い。

 

「春人くんの財布に期待してないからね。頭と腕があればオーケーだよ」

 

「もしかして服でも買うの?」

 

「そ」

 

 簡潔に述べられた一文字の返答にワタシのハートが砕けた。

 完全にあれでしょ、雪ノ下さんが選んだ服を見て意見するやつでしょ、やだー、めんどくさいやつじゃないですかー。

 

「...行きたくないなー」

 

 ぽつりと口から溢れたそんな言葉。ワタシの口って固かったはずなんだけどなぁ。

 

「ん? ごめん聞き逃しちゃった、もう一回言ってくれるかな?」

 

 耳に手を添え、どこかの難聴系主人公のように聞き直す雪ノ下さん。

 

「行きたく...行きたいなー、楽しみだなー」

 

 卑怯者め...卵焼きを人質に取るだなんて...。

 

「ほんとにそう思ったならもうちょっと気持ちがこもると思うんだけどー?」

 

 卵焼きを掴んだ箸を自分の口に運ぼうとする雪ノ下さんのその目には、当然嗜虐の色が灯っている。

 

「行きたいなっ、楽しみだなっ」

 

 語尾に弾みをつけて、気持ちが入っているアピール。これで通らなかったら、頭のなかに卵焼きの楽園でも思い浮かべるしかない。

 

「はい、あーん」

 

 スルーいただきました。

 ワタシは二度と語尾を弾ませないと卵焼きに誓った。

 それにしても、箸で掴んだ卵焼きをワタシの前に出してくるのは何故だろうか。あと、『はいあーん』ってなに? 廃案なら知ってるけど。

 

「口開けて?」

 

 言われるがままに口を開けたら卵焼きが突っ込まれた。うん、普通に美味しい卵焼きだ。

 

「こうしてみるとなんだか餌付けしてる気分だねぇ」

 

 感慨深そうに言う雪ノ下さんだが、うん、餌付けされるのは構わない。決して、雪ノ下さんにはなつかないが。

 返す言葉が見つからず、卵焼きを食べていると、雪ノ下さんはこんなことを言った。

 

「そのお箸、わたしが使ってたやつだから」

 

 味わって食べた卵焼きを喉に通して、ワタシは口を開く。

 

「それがどうしたんだい?」

 

 中学生ではあるまいし。

 

「え? 普通わたしみたいな美少女と間接キスしたら喜ぶか焦るかくらいすると思ってたんだけど...むぅ、春人くんを落とす道のりは遠いなー」

 

 とうとう自分で美少女って言ったよこやつ。

 どちらかと言えば雪ノ下さんは美少女ではなく、美人があうと思うのだが、まぁ言わなくていいだろう。

 それと落とすってなに? 機動戦士の専門用語? 

 

「ごちそうさまでした。味噌汁美味しかったよ」

 

「でしょ? なんなら頭撫で撫でを許可するよ」

 

「撫でないよ、お皿洗うから台所に置いといてね」

 

「はーい」

 

 雪ノ下さんは少ないお皿を重ねて持ち、それを台所に置き、入り口兼出口から出ていった。いや、どこに行くの?

 

「雪ノ下さん?」

 

「ん? どうかしたのかな春人くん。あ、一緒に居て欲しいとかかな?」

 

 首だけ振り返り、笑えない冗談を言う雪ノ下さん。相変わらずその端正な顔には笑みが張られている。

 

「居て欲しいとは微塵も思わないけど、どこに行くのかなって思ってね」

 

「春人くんは素直じゃないなー、可愛いから許しちゃうけど。わたしが行く場所なんて、春人くんの書斎とも言えなくもない部屋に決まってるじゃん」

 

 確かに置いている本の数は少ない。ただ、読書や書き物をするための場所を書斎と呼ぶなら、あの部屋は書斎に分類されるだろう。

 この旅館染みた家には、書斎が二つある。一つはワタシが使う、綺麗な書斎。一つは父さんが使う、ごちゃごちゃしている書斎。どれくらいごちゃごちゃしているのかと言うと、文字通り足の踏み場がないほどごちゃごちゃしている。ワタシは本屋で買ってきた小説などは後者に纏めて収納しているが、読むときは引っ張り出してワタシが使う前者で読書をする。なにかとめんどくさいが、ごちゃごちゃするよりましである。

 

「じゃ、準備が済んだら呼んでね」

 

 雪ノ下さんは、手を振りながら板張りの床を歩いていった。

 さぁ、たいして汚れていない食器たちよ、根こそぎ落としてやるから覚悟するのだー。

 と。

 別に深夜でもないのに、謎の深夜テンションで意気込み、皿を洗い終え、服を着替えて、役目を果たした問題集を何故か眺めている雪ノ下さんに声を掛けたら『なにその服?』と聞かれたのは数秒前の出来事だ。

 ワタシの服装はいたって普通。なにか指摘されるような物でもない。

 どこにでも売っているジーンズに、柄のないぶかぶかの真っ白な長袖。別にワタシは極度の甘党でもないし、ワイミーズハウスの創設者と一緒にいるわけでもない。

 

「デートだよ、デート。もっとお洒落しなくてもいいの?」

 

 荷物持ちで引きずり回されることをデートと呼ぶなら、ワタシじゃない違う人と行けばいいと思うのだが...取り合えずそれは置いておこう。それに、ワタシはお洒落と無縁である。

 世の中にはシンプルイズベストという言葉があるらしい。なら、ワタシはそれに乗っ取って生きよう。まず、布団に戻って一人で昼寝をする。そうしたら、きっとこの悪夢も覚めるに違いない。ところで、これのどこがシンプル?

 

「しないよ」

 

 ワタシは一生お洒落と無縁でいたい。ついでに雪ノ下さんとも無縁でいたいです...。

 

「そういうの嫌がりそうだもんね。わたしって春人くんの制服姿とパジャマ姿以外みたことなかったんだよね」

 

 そう言い、雪ノ下さんはワタシを中心として回る。耳の鼓膜に異常が起こったのか、綺麗な音色の鼻唄が聞こえた。不覚にもずっと聞いていたいとさえ思って、そっと目を閉じた。

 

「うん、やっぱり春人くんって美人さんだね!」

 

 見ることに飽きたのか、雪ノ下さんは鼻唄を止めて男子に使われることのない言葉と共に、ワタシに突っ込んできた。避けることも防ぐことも目を閉じていたから間に合わず、尻餅を突かなかった幸いで、ぐへぇと息を吐いても不可抗力なのだ。

 

「...前々から思ってたんだけど」

 

 ワタシは言葉を区切った。ワタシにくっつきながら肩を震わしている雪ノ下さんが目に入ってからであり、言おうと思ったことがたぶん通じないと悟ったからである。

 ワタシは、予想するまでもないが予想する。こやつは今、笑いを堪えて肩を震わしているのだと。そして次に爆笑するのだと。ならここで取る、最善な行動は心の耳を塞ぐことだ。うん、つまりは現実逃避。

 

「...あはは、ぷ、ぐへぇだってさ......やだ面白い...」

 

 だから返事になっていない返事にきを割く必要なんてどこにもない。ないのだが、いかんせん至近距離過ぎて意識したくなくても意識してしまう。なんてこった...これだと次に来る煩い爆笑が耳に届いてしまうではないか。

 

「あはははははは! ぐへぇってなに! カエルなの! あははは! 春人くんがカエル!」

 

 予想以上に煩い。にしてもカエルはないと思う。...うん、今のは寛容なワタシでも傷付いた。意味のわからないことに直結した雪ノ下さんの頭にチョップを落としたいと思うくらいに傷付いた。

 

「...春人くん...わたしがバカになったらどうしてくれるの?」

 

 だからワタシは、チョップを落とした部分をさすりながら、さも恨めしそうにジト目を寄越されてもなんとも思わない。自業自得である。...でもカエルは本当に傷付いたな。ワタシなんかがカエルだとカエルに失礼だ。

 

「雪ノ下さんがバカになったら、無視するか現状維持だと思うよ」

 

「無視って構ってすらもらえないんだ...ううう、陽乃ちゃんは悲しいのです」

 

「雪ノ下さんが悲しもうが笑おうが勝手だけど、早く離してくれるかい?」

 

 さっきから肩を押しても引いてもびくともしない雪ノ下さんに、ワタシが無言で切れる札は残されてない。最終手段の交渉しかないのである。

 

「時間もあれだからね。仕方ないから離れてあげる」

 

 雪ノ下さんは残念そうに肩を落として離れてくれたが、その表情はなにか良からぬことを企んでいるそれだ。

 

「にしても春人くんは誰の許可を取ってわたしの肩に触ったのかな?」

 

「にしても雪ノ下さんは誰の許可を取って僕に抱き付くのかな?」

 

「ほら、女の子の特権ってやつ」

 

 雪ノ下さんは愛らしくにんまりして言った。

 女の子の特権、なんとなくわかるが言葉にするのは難しい。

 女の子が男子に抱き付いても、男子は茶化すか喜ぶかだが、その逆もありとはならないのである。

 しかも、男子の純情は不思議なもので、女の子に優しくされると『あり? こやつはワタシのことが好きなのかな?』と勘違いしてしまうものなのである。抱き付くほどの過剰な触れあいは仕方のないようなきもするが。

 その男子の純情に今現在のワタシを当て嵌めると、告白して振られるという在り来たりなパターンが出来上がってしまうが、ワタシの心は少し特殊なので、誰かを好きになるという当たり前のように出来て、理解するのが難しい恋とやらをするのが不可能な人間なのである。

 適当に考えたが要点を纏めると、単にワタシが捻れているだけなのだ。

 

「なら、その女の子の特権ってやつの被害者が僕になるね」

 

「もう、被害者なんて人聞きが悪いよ」

 

 雪ノ下さんはそう言って、その細い指でワタシの手を取り、ドアに駆けて行く。ふと脳裏に過ったいつかの光景。このまま突っ立っているとおでこを強打することになる。強打が嫌なら、ワタシもゆっくり歩けばいいのだ。

 

 

 ガタンガタンと電車に揺られること五分。人の視線を雨のように浴びてワタシ達はららぽの案内板の前にいる。

 雪ノ下さんが美人過ぎるせいか、すれ違う人達の視線を集めていた。側で見ている分は面白いのだが、本人はどう思っているのだろうか。別に聞くほどのものでもないので口には出さない。

 案内板の前で『春人くんを連れ回すにはどこがいっかな』なんて完全に主旨が変わっている言葉を呟く雪ノ下さんに、ワタシは不満の声を掛けた。

 

「腕、離してくれないかな?」

 

 雪ノ下さんがくっついている腕は、幸いにも利き腕ではない左手なのでいくらかましではあるのだが、片手一本しか動かせないのはなにかもどかしい。

 

「春人くんが迷子にならないって約束してくれたら離すよ?」

 

「わかったよ。迷子にはならない」

 

 そう言うと雪ノ下さんは素直に腕を離してくれた。やけに素直だ...もっと『やっぱ離してあげない』と渋るものだと思っていたが...絶対に裏がある。うん、きっとそうだ。

 

「じゃあ春人くん、まずは本屋さんに行こう。れっつらごー!」

 

 雪ノ下さんの顔には、何度見せられたかわからない花も恥じらうような眩しい笑顔がある。嘘で塗り固められたひねくれ者のワタシでも、たまには心から楽しんでいいのだと思える、不思議で素敵な笑顔。

 いつもならそれに思うことはないのだが、なんというか、日光を浴びたすぎたせいで胸が痛い。

 人を笑顔にさせる笑みを浮かべる人の心はきっと含みなく、純粋に楽しんでいるのだろうね。だから、ワタシの頬が少し緩んでも可笑しくないし、左手に添えられた暖かな体温を握り返しても可笑しくないと思う。

 けれども、ワタシは胸の内側に温度がないことを知っていた。




ここまでお読み頂きありがとうございます。
読み返してみると、この主人公コインみたいですね。裏か表になるかはわかないけど。


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