天稟のローズマリー (ビニール紐)
しおりを挟む

1話

外道ばかり書いていたので口直。


筋トレをする時は鍛えている箇所に意識を集中力させるのが良い。

 

そう、彼女は聞いたことがある。

 

「スゥーーふうっ」

 

息を止めると毛細血管を傷つける恐れがある、その為、息を止めたりしない。

 

膝を曲げる時に吸い、伸ばす時に吐く。

 

それが筋トレの時にすべき息遣いである。

 

 

「………ふぅ」

 

指定回数のスクワットが終了した。重りを支える肩と両腕、そして意識している両足が燃える様に熱い、しかし、ここで休んではいけない。

 

彼女は担いでいた大岩を落とすと、すかさずダッシュ。

 

高重量の重りを使った筋トレだけでは動きが遅くなってしまう。ゆっくりとした動きで鍛えられたモノだ、当然、その筋肉はゆっくりとした動きの際、最も力を発揮する。

 

だが、それではダメだ。

 

彼女が欲しいのはそんなゆっくりとしたモノではない。彼女が欲しいのは速くて強い、戦いで役立つ筋力なのだから。

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ああ、疲れた」

 

今日も独り言が口から漏れた。

 

この頃彼女はよく独り言を言ってしまう、悪い癖だがどうにも彼女は止められないのだった。

 

「…………」

 

地に転がってるせいか、背中が微妙に痛い。しかし、動く気が起きない。ちょっと頑張り過ぎたようだ。

 

「ああ、疲れたなぁ」

 

大地に身を任せ、時々吹く、涼しい風を感じながら、のんびりと青い空を見上げる。

 

今日は雲一つない快晴だった。

 

「ふあぁ」

 

彼女は、一つ大きな欠伸すると、全身の力を抜き瞼を閉じた。

 

 

それから数十分後、いつもより多めに休んだ彼女は、ゆっくりと立ち上がり、全身についた汚れを払う。

 

そして、地に刺していた大剣を引き抜き、山を下りて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

輪廻転生という言葉がある。

 

簡単に言えば、魂はあの世とこの世を行き来しており、人間は何度も別の人間となり死と生まれ変わりを繰り返している、という事を指す言葉である。

 

そして、彼女ーーローズマリーは、その輪廻転生を体験した者である。

 

彼女は前世、日本という島国で暮らすごく普通……かはともかく探せばそれなりにいる日本男子だった。

 

学生時代は朝から晩まで部活に打ち込み、社会に出てから勉強不足を痛感し、初めて出来た彼女に初デートの前にフラれてショック死する、そんな、どこにでもありそうな一生を経て彼は転生し彼女となったのだ。

 

 

 

 

 

「…………」

 

下山し街に戻ったローズマリーに多くの視線が寄せられる。

 

「(ふふ、実は私はちょっとした有名人で、街の人気者なのですよ!)」

 

 

 

 

「(まあ、嘘ですけどね)」

 

内心で見栄を張り勝手に落ち込むローズマリー。有名人は有名人でも彼女は人気者ではなく嫌われ者だった。

 

なぜ嫌われているかと言うと、彼女の職業がちょっと特殊でかなりヤバイ物だからである。

 

クレイモアーー彼女はそう呼ばれる戦士の一人だった。

 

クレイモアとはこの世界に古くから存在する「妖魔」を狩る者、日夜人々の生活を守る正義の味方である。

 

 

と、ローズマリーは思いたかった。だが、実際は違う。

 

「クレイモア……まだ、この街に居たのかよ」

 

「怖いわ、早く他の街に行ってくれないかしら」

 

「(ああ、また陰口が聞こえる)」

 

クレイモアは人間離れした知覚能力を持つ。それ故、小さな声の内緒話も割と簡単に聞こえてしまうのだ。

 

「(もう少し音量を落として下さい、バッチリ聞こえてます、もう、泣きそうです。メンタル弱いんで本当止めて下さいお願い致します)」

 

なんでもない表情を装いつつ、内心で泣きそうになりながらローズマリーは陰口が止むように願った。

 

ーー次の瞬間。

 

「止めろよ」

 

「ッ!?」

 

そんな彼女の願いが届いたのか一人の男性が陰口を叩いていた二人を制止する。

 

「(なにあの人の超イケメン的な行動ッ! もう、あの人が主人公で私が可哀想なヒロインのファンタジー小説が出来るんじゃないかってレベルのジャストタイミング助け舟! 私がTS転生者じゃなかったら惚れてたね絶対)」

 

思わずローズマリーは歓喜の表情を浮かべその男の方を向いた。

 

丁度その時。

 

「聞こえたら殺されるぞ」

 

そう、男は言った。

 

「(……ですよねー、助け舟じゃないですよね〜、うん知ってた。多分こうなるって分かってた)」

 

歓喜から一転、失意のドン底に叩き落とされたローズマリー。彼女はちょっぴり涙目になりながら、自分と目が合い、悲鳴を上げて逃げて行った男を見送った。

 

 

 

 

先も述べたが、この世界には「妖魔」というモノが存在する。

 

妖魔は人に化け、人を喰らう人類の捕食者だ。その力は人間を遥かに上回り人と同程度の知能を持っている。

 

そう、妖魔は遥か古より存在する人類最悪の天敵だった。

 

そして、その妖魔に対抗する組織こそ、ローズマリーが就いているクレイモアなのだ。

 

まあ、もっとも、本来ローズマリーが所属する組織に名前はない、クレイモアと呼ばれるのは組織の戦士であるローズマリー達が例外なく抜き身を大剣を背負っているからそう呼ばれているに過ぎない。

 

で、なぜローズマリーが街の住人達から恐れ嫌われているかというと彼女達クレイモアが半人半妖の戦士だからだ。

 

毒を以て毒を制する。人を超えた妖魔に対抗する為に、人体改造によって妖魔の血肉を取り入れ生まれた戦士、それがクレイモアなのである。

 

 

 

「いらっしゃい、ませ」

 

俯いたまま、宿屋に到着したローズマリー。

 

そんな彼女に引き攣った笑顔で挨拶する看板娘。

 

酷い対応だがコレでもマシになった方なのだ。何故ならローズマリーが最初に泊まった時など「ヒィ、た、食べないで下さいッ!」と言って慌てていたほどなのだ。

 

引き攣ったモノとは言え笑顔で出迎え出来たのは大きな進歩である。

 

ローズマリーは少しだけ嬉しい気持ちを抱きながら懐からスティック状の硬貨ーーベラー硬貨を少し多めに取り出し娘さんに手渡した。

 

「今週もお願い致します」

 

「は、はい」

 

その行動に娘さんの顔の引き攣りが強くなる。

 

「(むぅ? 口調が固かったか? それとも笑顔が足りなかったか?)」

 

そんな事をローズマリーが考えていると、店の奥から一人の中年男性が現れた。

この店の店主である。

 

「カーサッ!」

 

そして店主は焦ったように、ローズマリーが看板娘に渡した硬貨を引っ手繰る。

 

そして、それを震える手でローズマリーに突き返した。

 

「も、申し訳ありません、お客様に泊まられると商売上がったりでして……他の宿屋に泊まっていただけやすか?」

 

店主の表情は恐怖の中に「言ってやったぞ!」といった感じの小さな誇らしさを秘めた顔だった。

 

「……(ねえ、そんなに怖いの? 私ってそんなに怖いの? 自分で言うのはアレだけど容姿的にはなかなか良いモノを持ってると思うんだけど? 愛想も別に悪くないよね?)」

 

困ったローズマリーは取り敢えず、無言で、頬を掻きながら、無害ですとアピールしてみた。

 

それを見た店主の顔が盛大に引き攣った。

 

どうやら粘ってもダメらしい。

 

「はぁ」

思わずローズマリーが溜息を吐く。それに店主の肩がビクリと大きく跳ねた。看板娘は顔を真っ青にして震えだした。

 

「(そこまでか? そこまで私は怖いのか?)」

 

ローズマリーは表情を昏くしながらベラー硬貨受け取ると、トボトボと宿を出て街の外へと向かった。

 

 

何故なら、この街、宿屋はこの一件だけだからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は野宿か、野宿嫌いのお前にしては珍しい。くっくっく、もしかして宿屋を追い出されたか?」

 

「……どうでも良い事でしょう」

 

街の外の森で、虚ろな瞳で焚き火を焚いていたローズマリーの下に組織の使いがやって来た。

 

サングラスを掛けたニヤニヤ笑いが特徴の胡散臭い男、確か名前はルヴル、そんな感じの名前だとローズマリーは記憶していた。

 

彼が来たのはおそらく次の任務を伝える為だろう。

 

「それもそうだな、では本題に入るとしよう……此処から南に歩いて5日程行った所にあるカラルという街で依頼があった」

 

「了解しました。妖魔の数は分かりますか?」

 

「さてな、それは行って確かめてくれ、まあ、何体いようとお前の敵ではないだろう」

 

何匹いようと敵ではない、信頼故に言っているのではなく他人ごとだと思っているからだろう。

 

ローズマリーが死んだところで代わりはいくらでもいるのだから。

 

「…………」

 

そんなルヴルにローズマリーは軽く抗議の視線を向ける。すると彼は肩を竦め、苦笑した。

 

「そう、睨むな、嘘は言っていないだろう? それとも一桁ナンバーともあろう者が妖魔如きに遅れをとると?」

 

「……場合によってはとるでしょう、戦いは何が起こるか分かりません」

 

クレイモアの戦士は1〜47のナンバーが振られている。

 

組織はこの大陸を47の地域に分け、クレイモアもそれに合わせ各地域に1人ずつ配備しているのだ。そして、このナンバーは各クレイモアの戦闘能力の優劣を示す。

 

例外はあるが、基本的にナンバーの数が若い程、その実力は高く、受け持つ地域の危険度も高い。

 

このナンバーをアイデンティティーにしている戦士も多いが、別に番号が若くなろうと待遇に差は殆どない。

 

いや、むしろナンバーが若いほどデメリットが発生する。何故なら番号が若くなるほど危険な任務をやらされる可能性が高まるのだから。

 

それ故、ローズマリーはこの番号制があまり好きではなかった。

 

「ほう、数体いると勝つ自信がないのか?」

 

「ええ、そうです。一桁ナンバーと言っても私は印を受けてからまだ半年のヒヨっ子ですから、出来れば一人では戦いたくない」

 

「怖がりな事だ、しかし、この任務はお前一人用だ、増援はない。まあ、とにかく頼んだぞ、出来れば明後日中に片付けろ」

 

「……歩いて5日程行った先の街と聞きましたが?」

 

「走ればいいだろう? 化物のお前なら半日も掛かるまい」

 

それだけ言うとルヴルはそのまま去っていた。

 

「………はぁ、もう寝よう」

 

ルヴルの言葉に気分を害したローズマリー。彼女はリックから毛布を取り出し、それを地面に綺麗に敷いた。

 

これがローズマリーのベッドである。

 

普通に考えると心許ない寝具だ。しかし、クレイモアは極寒の地で裸になって熟睡しても風邪すら引かない超人的な……いや、人外的な体温調整能力を持っている。

 

それ故に、毛布一枚あるだけでクレイモアにとっては全く問題ない、寝るには充分過ぎる環境なのだ。

 

「…………」

 

ローズマリーはそのままゴロンと毛布の上に寝転がり、いつものように空を見上げた。

 

「今日は星が綺麗だな」

 

彼女の小さな呟きは夜の森の中へと消える。

 

そして、ローズマリーは満点の星空の下、眠くなるまでひたすら空を見上げ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

カラル街には半日どころか、数時間で到着した。

 

行く途中、かなりの速度で長距離を走ったが、今の所、ローズマリーは疲れは感じていない。

 

半人半妖のクレイモアは数十Kmの距離を全力疾走する事が可能なほど体力に優れ、例え疲労しても人間の数倍、数十倍の回復速度を誇る。

 

そして、ローズマリーはそのクレイモアの中でもピカイチの身体能力を持っている。だからこそ歩いて5日の距離をたった数時間で走破するという芸当が出来たのだろう。

 

 

ーーしかし。

 

 

「……遅かったか」

 

悲しそうにローズマリーが呟いた。

 

ローズマリーの目に映るのは破壊し尽くされた街並、そして転がる無数の亡骸、どうやら彼女は間に合わなかったらしい。

 

「(生存者も、居ないか?)」

 

気配を探りながら慎重に進むローズマリー。

 

しかし、探せど探せど、見つかるのは死体ばかり、どうやら完全に生存者はいないようだ。

 

「…………はぁ」

 

街の広場でローズマリーは疲れたような溜息を零した。

 

妖魔から街を守る為に、急いで駆けつけたらこの有様。肉体面はまだしも、これでは心が疲れてしまう。

 

「……なんでこうなるかなぁ」

 

ローズマリーはそんな愚痴を言いながら振り返る。

 

そして、そんな彼女の視線の先に一人の黒髪の女性立っていた。

 

「ふふ、お疲れのようね」

 

その女性は全裸だった。

 

彼女は艶めかしい仕草で自分の指を舐めながらローズマリーに話し掛ける。

 

その姿は娼婦を思わせるほど妖艶だ。ローズマリーが前世通りの性別だったら思わず襲い掛かってしまったかもしれない。

 

もっとも、それは女性が人間の内蔵を片手に持っていなければの話だが。

 

 

「ええ、疲れてしまいましたよ、なんでこんなマネをしたんですか?」

 

「こんなマネ? 街の住人を皆殺しにした事? それならこいつらが組織に連絡しちゃったからよ、せっかくゆっくり楽しもうとしたのに、やんなっちゃうわ、だから一気に食べさっさと消えるつもりだったの」

 

そう言って笑う女性。

 

そんな彼女を、見てローズマリーはまた溜息を吐いた。

 

「はぁ、それならなぜ、あなたはまだこの街に居るんですか?」

 

「そんなの、あなたがノコノコ一人で来たからよ」

 

「私が来たから?」

 

「そうよ、あなた、覚醒者狩りで来たんでしょう? 一人で先に来たのは街の住人を助ける為に先行したせい、違う?」

 

ふふん、と鼻を鳴らし得意気に言う女性。

 

そんな彼女に苦笑してローズマリーは首を振った。

 

「いえ、違います」

 

「え、違うの?」

 

不思議そうに首を傾げる女性。

 

こう見ると、普通の人間に見えるものだ。

 

「私の任務は妖魔討伐です。覚醒者(あなた)がいたのは想定外でした」

 

「あら、本当? あなた運がないのねぇ」

 

「全くです、帰って適当な情報を寄越した黒服を殴りたい気分です」

 

「ふふ、その気持ち分かるわぁ、私も戦士時代にいっぱい黒服には嫌な思いをさせられたもの、でもごめんなさい、あなたは黒服を殴れないわ、だって私、あなたを生かして帰すつもりはないもの」

 

その言葉と共に、女性の姿が変わっていく。

 

ボコボコと、肉が膨らむような異音が響き、急速に巨大化、そして異形化していく女性。

 

「…………」

 

こうはなるまい。

 

そんな思いを抱きながら、ローズマリーは背中の大剣を引き抜いた。

 

それと同時に変身を終えた女性。彼女は唯一変わらない顔に楽しい気な笑みを作ると、余裕の態度でローズマリーに話し掛けた。

 

 

「ふふ、待ってくれてありがとう」

 

そう言って女性ーーいや、異形の怪物はローズマリーを見下ろした。

 

巨大な鎌と化した両腕、前足が生え昆虫のようになった4本の足、そして、背中に生えた鉄鞭の如き巨大な触手。

 

そう、それはまるで、人とカマキリが混じり合ったかのような異形化の怪物だった。

 

 

その怪物の名は覚醒者という。

 

覚醒者、それはクレイモアの成れの果て、妖魔の力に負け、妖魔となってしまう、最低の現象にして、その結果生み出される人も妖魔も超えた最悪の化物だ。

 

覚醒者は個体差が、激しく一体一体で強さに大きな差があるが、例外なくは強大な戦闘力を持っている。

 

それこそ妖魔とは比べ物にならいほどに。

 

それ故、覚醒者を討伐する際は、一桁ナンバーの戦士を含めた複数のクレイモアでチームを組んで任務に当たる。

 

つまり、ローズマリーは最低でも並のクレイモア数人分以上の戦力を持つ怪物を一人で相手にしなければならないのだ。

 

「ふふ、どう、私の覚醒体は? 結構この姿は気に入ってるんだけど、あなたからはどう見えるかしら?」

 

両手の鎌を砥ぎ合わせながら覚醒者はローズマリーに感想を聞く。

 

その仕草は子供の頃、捕まえたカマキリそっくりで、こんな状況にも関わらず、ローズマリーの胸に懐古の念が湧き上がってきた。

 

「………そうですね、私はカマキリは好きな昆虫なので、なかなかカッコ良いと思いますよ」

 

昔を懐かしみ、ローズマリーはしみじみとした口調で感想を述べた。

 

それに覚醒者は意外そうな顔をした後、大きく顔をほころばせる。

 

「あら、嬉しい! なかなかこの姿の良さを分かってくれる人がいないのよね」

 

「そうですか、それは良かった」

 

「ええ、本当に良かったわ、お礼はなにが良いかしら? そうねぇ、何か願いがあったら行ってみて」

 

「じゃあ、見逃して下さい」

 

「それはダメ」

 

即答である。

 

ローズマリーはその答えに大きく肩を落とした。

 

「ですよねー……では、あなたの名前を教えていただけますか?」

 

「良いわよ、私は組織の元No.16、名前はマルタよ、そういうあなたは?」

 

「私はローズマリーと申します」

 

「そう、ローズマリーね、覚えたわ……ありがとうローズマリー、あなたのおかげで久しぶりにまともな会話が出来たわ」

 

そう、マルタは楽しそうに、しかし、どこか寂し気に言うと全身から強い妖気を放出した。

 

ついに戦闘に入るつもりらしい。

 

「じゃあねローズマリー、来世ではもっとも良い人生を送れると良いわね」

 

そう言って、マルタは大きく鎌を振り上げる。

 

それに対しローズマリーは動かない。彼女はただ大剣を正眼に構えて落ち着いた表情でマルタを見ている。

 

これにマルタは疑問を覚えたが、諦めたのだろうと判断、一撃で終わらせる為に渾身の力を込めて両鎌をローズマリーに振り下ろす。

 

 

轟音が廃墟の街に響き渡った。

 

 

 

 

「…うそ、でしょ」

 

呆然としたようにマルタが呟いた。

 

彼女の視線は地面の遥か上で停止した自分の鎌に釘付けだ。

 

確かに渾身の力を込めた筈だった。今も力は抜いてない。なのに、何故、何故、鎌が止まっている?

 

マルタは強い危機感を抱きながら鎌の下に視線を走らせた。

 

そこには大剣を頭上に掲げ、二本の鎌を受け止めるローズマリー、彼女は変わらない銀の瞳でマルタを見つめ、優しく微笑んでいた。

 

「な、なんで、お前は生きているッ!?」

 

「私は覚醒者と戦う時に決めていることがあるんです」

 

マルタの問いには答えず、ローズマリーは穏やかな声で話し始めた。

 

「一つは名前を聞いてあげること」

 

マルタは、鎌だけでは勝てないと判断、両鎌で地にローズマリーを押しつけながら背中に生える巨大な触手で彼女を攻撃した。

 

これに対し、ローズマリーは大剣から片手を放す。

 

そして、彼女は片手で両鎌を止めながら自分に迫る巨大な触手を左手一本で叩き落とした。

 

「一つは名前を教えてあげること」

 

「なぁ!?」

 

驚愕に目を見開くマルタ、そんな彼女を尻目にローズマリーは再び大剣を両手で持つと、小さく膝を曲げ、一気に伸ばす。

 

「ふっ!」

 

それだけの動きで、マルタの両鎌が跳ねあげられ、彼女の体勢が大きく崩れた。

 

「あっ」

 

思わず間抜けな声がマルタから漏れる。

 

その時既に、ローズマリーは滑るように大きく一歩、マルタに近づくと、踏み込む動きに連動した無駄のない動きで大剣を脇に構えていた。

 

「ま、待っ」

 

「そして、最後の一つは、絶対、覚醒者を蔑まないことだ」

 

瞬間、解き放たれた斬撃が、目にも映らぬ高速でマルタの身体を両断した。

 

それは一瞬の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何をしているんだ?」

 

ルヴルは地面に座り込み、黙々と木を削るローズマリーに問い掛けた。

 

「お墓を作っています」

 

「墓? そこに転がる覚醒者のか?」

 

「そうです」

 

答えながらローズマリーはせっせと大剣で木を彫っていた。木に彫られているのはマルタの文字。どうやら墓石の代わりらしい。

 

「止めておけ、そんな事をして何になる?」

 

「まあ、なんにもならないでしょうね」

 

バカにしたように言うルヴルにあっさり頷くローズマリー、そんな彼女にルヴルは困惑した。

 

「……では、なぜそんなモノを作る?」

 

「自己満足ですよ」

 

「自己満足?」

 

「ええ、作りたいから作る。ただ、それだけです」

 

ルヴルの疑問にそう答えたローズマリーは予め掘っていた大穴にマルタの遺体を優しく置くとそっとそこに土を被せていく。

 

「…………」

 

そんなローズマリーの行為に思うところがあるのかルヴルは無言で彼女を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

「はい、完成」

 

盛り上がった土の上、墓石代わりの木を置いた簡単な墓地が出来上がる。それを前に、ローズマリーは静かに目を瞑り両手を合わせた。

 

「………お待たせしました」

 

それから数秒後、ローズマリーは満足気に頷くと、ゆっくり振り返りルヴルを見つめる。

 

追悼の余韻が残っているのか、未だ優しい気な目をしているローズマリー。

 

そんな、視線に晒され、なんとなくやり辛くなったルヴルはいつもより若干早口で話を始めた。

 

「次の任務だ。ここより北に3日ほどのスルトの街、そこで受けた依頼だ」

 

「また、覚醒者とかじゃありませんよね?」

 

そう言って胡乱な目を向けるローズマリー、ようやくいつも通りに戻ったか、ルヴルは内心でホッと息をつくと、彼特有の胡散臭い笑みを浮かべる。

 

さっきまでの優しい目は少しばかり、彼には居心地が悪かったのだ。

 

「さてな、だが、大抵の覚醒者ならば、お前の敵ではないだろう?」

 

「いやいや、ハードル上がってません? あと、そう言ってフラグ立てるの止めてくれませんか?」

 

「フラグ? 旗がどうした?」

 

「あ、いえ、なんでもありません」

 

どこか慌てたように誤魔化すローズマリー、それに疑問を覚えるも、どうでもいいことかと、ルヴルは割り切った。

 

「そうか、なら良い。これは明日中に片付けろ」

 

「………人使い荒くありません?」

 

「人を使った覚えはないなぁ」

 

そう言って笑うルヴルにローズマリーはむっとした。

 

「はいはい、分かりました、分かりました。では出発しますので私はこれで」

 

「もう向かうのか?」

 

「ここで野宿はしたくないので」

 

「くっくっく、そうか、そう言うならそういう事にしておこう」

 

「………では、さようなら」

 

そう言って、ローズマリーは走り出した。

 

「………ふん、仕事熱心な戦士だよ、お前はな」

 

ルヴルはそう呟くと別の戦士に任務を伝える為、馬でその場を離れて行った。

 

 

 

この場に残されたのは木で出来た、小さな複数の墓だけだった。

 




ちょっとメインの方が上手くいかないので息抜きに書きました。続くかは未定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

続きました!

……ただ、メインの方が書けてない(汗)


 

研ぎ澄まされた斬撃が妖魔の頭を両断する。

 

「ギャ?」

 

疑問の声を上げ絶命する妖魔。

 

速すぎる剣閃に自分が斬られたと理解出来なかったのだ。

 

力なく、妖魔は地に倒れ伏す。それを見届けローズマリーは大剣を仕舞うと恐る恐る様子を見ていた村長達に声をかけた。

 

「仕事は完了いたしました、代金は後から来る黒服の男に渡して下さい……あ、人相はこんな感じです」

 

そう言ってローズマリーはリュックから一枚の紙を取り出した。それは、この地で金を回収する組織構成員の似顔絵だ。

 

組織の情報をバラすのはあまり良い行動ではない。しかし、最近、クレイモア詐欺が横行しており、街と組織の間でトラブルが増えている。

 

これは『後から黒服を着た者が回収しに来る』とだけしか言わない組織が原因であり、街側の非は薄い。

 

それゆえローズマリーはわざわざ似顔絵を作り、街が詐欺に合わないよう気を使っているのだ。

 

「こ、この者の誰かに支払えばいいのですね」

 

村長は目を白黒させて似顔絵とローズマリーを交互に見る。それに苦笑し頷くとローズマリーは地に転がる妖魔の死体を担ぎ上げた。

 

「あの、何を?」

 

「死体の処理です、もしかして、そちらでなさいますか?」

 

「め、滅相もない! やって下さるなら願ってもないことです」

 

村長はローズマリーの言葉を慌てて否定する。

 

「分かりました。では、私はこれで。くれぐれもお金を渡す相手をお間違えにならないようお願いします」

 

それだけ言うとローズマリーは踵を返し街を後にした。

 

 

 

 

 

 

「お前は妖魔にまで墓を作るのか?」

 

そう、呆れたようにルヴルが言った。

 

ルヴルの視線の先には自作の墓に手を合わせるローズマリー。彼女は目を閉じて静かに黙祷を捧げた後にルヴルに振り返った。

 

「……これは妖魔の墓ではありませんよ」

 

「では、なんだと言うんだ、そこに埋まっているのは妖魔だろう?」

 

「違いますよ、これは妖魔に成り代わられてしまった方のお墓です。妖魔に襲われた方はお墓は作ってもらえますが、妖魔に成り代わられた方は作ってもらえませんので」

 

そう、ローズマリーは悲しげに言う。それを見てルヴルは相変わらず変わった奴だと肩を竦めた。

 

「なるほど、確かにそいつの墓は作ってもらえまい、だが、それにしてもお前は戦士のくせに聖女みたいな奴だな」

 

「聖女、私がですか? はは、私が聖女ならこの世界は聖女だらけになってしまいますよ」

 

「それもそうか」

 

ルヴルは肩を竦め、ローズマリーに背を向ける。

 

「あれ、帰るんですか? てっきり次の任務を告げに来たのかと思ったのですが?」

 

「なに、ここに来たのは金の回収のついでだ。今は特に任務はない」

 

「そうですか、じゃあ、休暇ということでいいですか?」

 

「ああ、構わない。ただし、いつも通り2日に一度は所定の街で組織に連絡を入れろ、それ以外は自由にしていい」

 

それだけ言ってルヴルは去って行った。

 

「…………」

 

一人残されたローズマリーは、もう一度墓に手を合わると、静かにその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

意外なことにクレイモアには休みが多い。

 

彼女達の主な仕事は妖魔(覚醒者)退治である。しかし、妖魔を退治するのは基本依頼を受けて初めて行われ、自発的に退治することは殆どない。

 

そして、妖魔退治でクレイモアを呼ぶと莫大な費用が掛かる上、クレイモア自体が半妖と言うことで嫌悪されておりギリギリまで呼ばれることがない。

 

その為、クレイモアには休みが多いのだ。

 

 

 

 

大地を踏みしめローズマリーが疾走する。

 

走り出して数時間、名馬の数倍の速度を維持しながら彼女はひたすら突き進む。

 

この地は既にローズマリーの管轄外、それでも彼女は走り続ける。

 

そして、ローズマリーはある山の中腹、壊れた柵の前で足を止めた。

 

「はあ、はぁ…はぁ………」

 

ゆっくりと乱れた息を整え、ローズマリーは背負った大剣とリュックを下ろす。

 

なぜそんな場所に荷物を置くのか?

 

それは、ここから先にクレイモアとしての自分を連れて行きたくないからだ。

 

今だけは半妖の戦士ではなく、ただ、一人の人間としてローズマリーはありたかったのだ。

 

「…………」

 

ローズマリーの眼前に見えるのは朽ちた多数の廃屋。

 

そこがローズマリーの生まれ故郷だった。

 

 

 

 

朽ちた柵を越え、荒れた道を歩く。

 

冷え切った空気がローズマリーの頬を撫でた。別に気温が低い訳ではない、ただ精神的に冷たく感じるのだ。

 

「…………」

 

壊れた空家の数々には生活の後が見受けられる。

 

そが無性に悲しくてローズマリーは廃墟から目を逸らした。

 

「…………」

 

かつてローズマリーが妹と遊んだ広場は草がぼうぼうに生え、今ではただ草むらと化している。

 

「…………」

 

無言で元広場を突っ切り、ローズマリーは面影廃村の片隅、木で作られた十字が立ち並ぶ村民達の墓地へ到着。

 

やはりここにも生えていた大量の雑草を墓の周りだけ引き抜くと、墓地の前でローズマリーは跪き静かに手を合わせた。

 

日頃から繰り返された為だろう。その姿は自然でありながら名画のように美しい。

 

そしてローズマリーは一分間、ただ静かに黙祷を捧げると、その瞼を開き、祈りの姿勢のまま、背後に小さく語りかけた。

 

「……なにか、ご用ですか?」

 

「ごめんね、邪魔するつもりはなかったのだけど」

 

ローズマリーの言葉に複数ある三つ編みの一本をバツ悪そうに弄りながら一人の女性ーーいや、クレイモアがそう応えた。

 

「いえ、もう終わりましたので大丈夫です。むしろ、声をかけるのを待ってくれたことを感謝します」

 

そう答え、立ち上がると、ローズマリーは後ろを振り返った。

 

ローズマリーはしばらく前から自分が追跡されていると知っていた。そして、長時間、自分の疾走についてこられる者が早々いないこともローズマリーは理解していた。

 

妖気感知はそれほど得意ではないローズマリーだが、これだけ近ければ分かる、彼女の底知れぬ強大な妖気が。

 

覚醒者ではない、だが、間違いなく自分が今まで出会った者の中で最強だ。以前会った事があるナンバー2の戦士、鮮血のアガサやナンバー3の戦士、霊剣のアデライドも彼女には遠く及ぶまい。

 

ならば答えは一つ。

 

彼女の名前はおそらくーー

 

 

「初めまして、もしかして、あなたが流麗のヒステリアさんですか?」

 

そう、流麗のヒステリアだ。

 

 

『流麗のヒステリア』

 

現ナンバー1の戦士。そして歴代ナンバー1の中でも屈指の実力者。

 

その戦い方は流麗の二つ名が示す通り、華麗で繊細、今まで生まれたどんな戦士より美しい戦い方をすると謳われるクレイモアだ。

 

「あらあら、私の事知ってるの?」

 

「もちろんです、あなたはとても有名ですから」

 

「そう、でもあなたも有名よ、天稟のローズマリー、戦士になってたった半年でナンバー4まで上り詰めた天才、アガサとアデライドが戦々恐々としてたわ、いつ自分のナンバーを奪われるかってね」

 

ヒステリアの言葉にローズマリーは顔を顰めた。

 

「戦々恐々だなんて大袈裟な」

 

「大袈裟かしら、私が見たところ、既にあなたは二人の実力を超えているように見えるのだけど、なんでまだナンバー4なの?」

 

ヒステリアの読みは正しい。

 

身体能力、妖気、技量でローズマリーはアガサとアデライドを超えている。特に妖気と身体能力は遥かに上。

 

彼女が二人に劣るのは戦闘経験のみ、まだまだ発展途上のローズマリーだが、戦闘力は既に並のナンバー1クラスのモノを持っているのだ。

「さあ? しかし、ナンバー4で私は充分です。いえ、過分と言ってもいいでしょう、私はこれ以上ナンバーは上げたくないので」

 

「あら、なんで?」

 

「メリットがないからですよ」

 

「メリット?」

 

なに言ってんだコイツ…そんな顔をするヒステリア。

 

「ヒステリアさん、ナンバー1になってなにか他の戦士とは違う特別な恩恵とかありましたか?」

 

「多く戦士に敬われるわ」

 

「他には?」

 

「そうねぇ、特にないかしら」

 

「では、デメリットは?」

 

「特にないわね」

 

「いや、危険な任務ばかり与えられるとかありませんか?」

 

「まあ、強い相手と戦う事が多くなるわね」

 

「なら、私はナンバーを上げるつもりはありません、組織が許す限りはこのままがいいんです」

 

そんなローズマリーの言葉にヒステリアは少し怒った顔をする。

 

「なんか嫌ね、それ」

 

そう言ってヒステリアは持ってきていたローズマリーの大剣を彼女に放り投げた。

 

「…………」

 

嫌そうな顔で大剣を受け取るローズマリー、好意で持ってきたのだろうが、こんな場所に大剣を持って来て欲しくなかったのだ。

 

 

そんな態度のローズマリーにヒステリアは目を細める。

 

「でもあなた、噂では休日も依頼の出てない妖魔、覚醒者を一人で討伐してるらしいじゃない、これが本当ならあなたが言っている事と矛盾するわ」

 

危険な任務が嫌と言いながら自ら危険に顔を突っ込んでるじゃない。

 

そう言うヒステリアにローズマリーは首を振る。

 

「確かにそうです。しかし、それは私が決めて私がしたこと、組織に強制されたことではありません」

 

「……つまり、自分で決めた事なら良くて組織に決められた事は嫌だと」

 

「はい、そうです」

 

ローズマリーの言葉にヒステリアは苦笑いで肩を竦める。

 

「はぁ、あなた我儘ね、いいわ、ちょっとそこまで付き合いなさい」

 

静かだが、それは有無を言わせぬ言葉だった。

 

 

 

 

 

鋭く重い金属音が森の中に響き渡る。

 

常人ではーーいや、並の戦士では目視すら危うい剣戟を交わしながらヒステリアは思う。

 

やはりナンバー4は彼女には相応しくないと。

 

ローズマリーを誘い模擬戦を始めてみたが、現状、彼女は自分と互角に渡り合っている。

 

もちろん、ヒステリアは全力ではない、模擬戦故、致命傷を与えぬよう体捌、剣速ともにある程度抑えている、そして何より妖力解放していない。

 

だが、それはローズマリーも同じ事、彼女もまた妖力解放せずヒステリアと戦っているのだ。

 

ヒステリアが横薙ぎに近い袈裟斬りを放つ。それに対しローズマリーは大剣を持ち上げて受け止める。

 

そして、ローズマリーは右手一本で大剣を支えると、つば競り合いで止まったヒステリアの右手首を鷲掴みにした。

 

「…く」

 

右手首に走る痛みにヒステリアが小さく呻く。

 

引き剥がせない、凄まじい力だ。

 

「…ふっ」

 

力では敵わぬと悟ったヒステリアは、体勢を沈み込ませながら鋭い下段蹴りを放つ。

 

大剣で押し付けて動きを封じた上での攻撃、以前ローズマリーが戦った覚醒者マルタと同じ戦術、しかし、速度が違う。

 

鋭い蹴りは疾風の如く、マルタの数倍の速度のそれは流石のローズマリーもこの状況では対応出来ない。

 

そして、狙い澄ました下段蹴りがローズマリーの膝裏に直撃した。

 

「つぅ」

 

痛みと衝撃でローズマリーの顔が歪む。

 

この一撃で一気に体勢が崩れたローズマリーは真上からの圧力に倒れそうになる。

 

しかし、ここで倒れては負けだ。

 

ナンバーに拘るつもりはない、だが、簡単に戦いに負けてやるほどローズマリーは潔くない。

 

彼女はこう見えて負けず嫌いなのだ。

 

ローズマリーはヒステリアの右手首を離すと左手を自分の膝に添え、力技で一気に体勢を持ち上げた。

 

「…な」

 

浮かび上がる自らの身体に驚愕するヒステリア。

 

驚くのも無理はない、充分な体勢のヒステリアを半ば倒れかけたローズマリーが弾き飛ばしたのだ。

 

相当な力の差がなければあの状況から盛り返すなんて不可能である。

 

真上に弾かれたヒステリアの足が宙に浮く、この状態は不味い。

 

「はっ!」

 

そのままローズマリーは宙に浮き動きが取れないヒステリアの腹に激烈な肘鉄を叩き込もうとする。

 

どんなに疾い戦士も踏みしめる大地を失えば無力だ。

 

「(入るっ!)」

 

攻撃の成功を確信したローズマリー。

 

しかし、そこはナンバー1の戦士。ヒステリアは尋常じゃない反射神経でローズマリーの肘鉄に反応、肘の側面の片手を押し空中でスピン、肘鉄を躱すと同時に遠心力の加えた神速の回し蹴りを放った。

 

「がっ!?」

 

側頭部に直撃した蹴りに吹き飛ぶローズマリー。

 

痛烈なカウンターである。だが、ローズマリーは打たれ強い。しっかりと意識を保ち、空中で体勢を立て直すと危なげなく両足で地に降り立った。

 

 

「……どうやら、侮っていたようね」

 

ここまでの攻防でローズマリーが自身に近い力を持つと認めたヒステリアは若干緩んでいた心を引き締める。

 

「じゃあ速度を上げるわ、いいわね」

 

「……あんまりよくありませんが、分かりました」

 

ローズマリーが嫌そうに応えた直後、ヒステリアの動きが加速する。

 

鋭いステップを踏み緩急をつけての斬剣乱舞。

 

それは妖力解放なしの本気、フェイントまで織り交ぜた全力、今までと違い咄嗟に自分の大剣を止められない、そんなレベルの剣撃の嵐。

 

 

しかし、それにもローズマリーはギリギリ対応して見せた、しかも妖力解放なしで。

 

途切れる事なく響き続ける金属音、ここにきて剣どころかその姿まで目視困難な領域に至ったヒストリア。

 

彼女はその速度を維持したまま苛烈な連撃でローズマリーを攻め立てる。

 

「…ぐぅ」

 

防戦一方となり苦しくなるローズマリー、彼女はバックステップで大きくヒステリアから距離を取り、一旦体制を立て直した。

 

ローズマリーの全身は対処しきれなかった剣撃で傷だらけ。大きな傷はないがこのままでは敗北確実。

 

そんなローズマリーにヒステリアは笑みを浮かべた。

 

「うん、大したものよ、これだけ強くてナンバー4はないわね、私から組織にあなたのナンバー上昇を打診しておくわ」

 

「それ、勘弁して下さい」

 

「ダメよ、力ある者は上に立つ義務がある、それに今更一個二個ナンバーが上がるったって同じでしょう?」

 

「いや、まあ、確かに、既にナンバー4まできちゃったので今更感はありますけど、でも私は頼りにされるの苦手なんです、ナンバーが上がればそれだけ期待され頼られるでしょう?」

 

「高位ナンバーなら当然の事よ」

 

「それが嫌なんですよ」

 

「やっぱりあなた、我儘ね、そうね、じゃあ、この模擬戦であなたが勝てたら、組織への打診は無しにしてあげる」

 

「…本当ですか?」

 

「ええ、だから私相手に手加減なんてふざけた真似は止めなさい」

 

そう言って鋭い目で睨むヒステリア。

 

「いやいや、このザマで私が手加減してるって言うんですか?」

 

「言うわ、だってあなた全然大剣で反撃しないもの、それ、私を気遣ってるからでしょう?」

 

「…………」

 

むすっとしたように言うヒステリア、そんな彼女の言葉にローズマリーは沈黙した。

 

手加減している。事実だったからだ。

 

実力はヒステリアが上、それは確実である。しかし、全く防戦一方になるほどには二人の力量は離れていない。

 

四回攻撃チャンスがあるとすると、その内三回はヒステリアのモノ、そしてその内一回はローズマリーのモノだった。

 

つまり、ローズマリーはヒステリアに攻撃をするチャンスがあったのだ。しかし、彼女はそのチャンスを捨て防御に回るという行動を先程から繰り返していた。

 

これは大剣でしか攻撃出来ないチャンスだったから、下手をすれば命を奪いかねない攻撃だからだ。

 

これを手加減と言わずしてなんと言う?

 

「気遣ってくれるのは嬉しいわ、私そういうの受けたことないから……でもね、その気遣いってつまり自分の剣が私に当たると思ってるって事でしょう?」

 

そう言って笑うヒステリア、だが、その表情とは裏腹に彼女から放たれるプレッシャーは増している。

 

ローズマリーの手加減は彼女のプライドを傷つけてしまったようだ。

 

だが、それでもローズマリーは肩を竦め、こう言ってのけた。

 

「だって大剣が当たったら死んじゃうかもしれないじゃないですか、模擬戦でそれも仲間の剣で命を落とすなんて嫌でしょう?」

 

「…………」

 

ヒステリアから笑みが消え失せる。

 

爆発的に高まった殺気とプレッシャー、それに内心冷や汗を流しながらローズマリーは大剣を上段に構えた。

 

「……組織にナンバー上昇の打診は止めてあげる。むしろ降格を勧めるわ、実力差を理解できないなんて高位ナンバー失格だからね」

 

「それは助かります」

 

「…………」

 

「…………」

 

ヒステリアがローズマリーに突っ込んだ。

 

 

流麗のヒステリア、その二つ名の『流麗』とは技の名を指す。

 

流麗、それは低速から高速へ、凄まじい速度差による目の錯覚で相手に残像を見せる技。

 

そして、それを相手の眼前で行い、残像への攻撃を誘発させ、本人は流れるように相手の側を最短で抜け背後に回るのだ。

 

これは戦士の優れた動体視力すら上回る速度を出せねば出来ぬ技。

 

だからローズマリーに完全には決まらない、ローズマリーは並みの戦士ではない、彼女の動体視力は並みの戦士を遥かに上回るのだから。

 

だが、もちろんローズマリーに流麗を決める方法はある。

 

簡単だ、妖力開放すればいい。

 

戦士はその身に秘めた妖力を解放する事により高い身体能力を更に上げることが出来る。

 

だが、それをしては負けだ。

 

模擬戦で妖力解放? それも相手が妖力解放をする前に自分がする?

 

あり得ない。

 

ヒステリアの高いプライドが妖力解放を拒む、だからこの勝負、ヒステリアは流麗を使わないつもりなのだ。

 

 

一歩ごとに歩幅と速度を変え、相手の距離感を奪う高等歩法、それを用いてローズマリーの眼前に到達したヒステリア、タイミングを外されたローズマリーの大剣がここでようやく動き出す。

 

「(遅いっ!)」

 

このタイミングなら斬撃の掻い潜り背後に回れる。

 

ヒステリアは勝利を確信した。

 

 

 

ーーしかし。

 

 

「ふっ!」

 

上段から放たれた斬撃が想定の倍速でヒステリアに迫った。

 

それは先程までとは違う、受ける為ではなく攻撃の為に放った斬撃だ。移動しながらではなく地に両足をつけ必殺の意を乗せて放たれたモノだ。

 

それ故、その一撃は速くて重い。

 

ローズマリーの斬撃はヒステリアの動きを完璧に捉えていた。

 

「(さ、避け、切れないッ!?)」

 

あわや直撃、その瞬間、ヒステリアの銀瞳が金に染まる、同時に跳ね上がる速度。ヒステリアは髪の一部を斬られるも見事にローズマリー渾身の斬撃を回避、ローズマリーの真横を抜け背後に回るとローズマリーの首筋に大剣を突きつけた。

 

「私の負けですね」

 

大剣を落とし両手を挙げるローズマリー、敗北宣言しておきながらその声はどこか安心したような声色だった。

 

ローズマリーは今までの攻防で確信していたのだ、自分の敗北を、そしてヒステリアなら自分の渾身を避け切れると。

 

そうでなければローズマリーは絶対にあんな斬撃を放たなかっただろう。

 

「…ええ、私の勝ちね」

 

苦々しく、憮然とした表情で言うヒステリア、それはとても勝者とは思えない顔だった。ヒステリアは大剣をローズマリーの首筋から離す。

 

ローズマリーはホッと息を吐き背後を振り返った。

 

「私の降格の打診、しっかりお願いしますね」

 

そう言って嬉しそうに銀の瞳を細めるローズマリー、それを金の瞳で見つめながらヒステリアは深い深い溜息を吐き出した。

 

 

 

「……私、あなたのこと嫌いだわ」

 

 

これがローズマリーとヒステリアの出会いであり、最初の戦いの結末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

イレーネさんのうっかり発言をフォローしよう。

第一弾。

イレーネ「動きではお前、力ではソフィア、剣の速さでは私の方がそれぞれでテレサを上回っている」


 

「ギシャァア」

 

覚醒者の爪が急激に伸び、ローズマリーに突き刺さる。

 

命中箇所は顔面と右胸それは位置的に完全に致命傷、だが次の瞬間、爪が刺さったローズマリーの姿が掻き消えた。

 

「グギャァ!?」

 

驚愕の叫びを上げる覚醒者。

 

それが最後に発した覚醒者の声だった。

 

 

 

「ふぅ、疲れた」

 

守りながらの戦いは消耗する。

 

ローズマリーは額に浮かんだ汗を拭った。

 

「……やはりヒステリアさんのようには行きませんね」

 

ローズマリーは先ほどの拙い動きを思い出し苦笑を浮かべる。

 

ステップにより緩急をつけ速度差により残像を見せる技、練度の差は歴然なれど、それは紛れもなくヒステリアの『流麗』だった。

 

この間の休日にてローズマリーはヒステリアと予期せぬ邂逅を果たした、その時行われた模擬戦でヒステリアが使った技を練習し自分なりに再現してみたのだ。

 

ただ、ローズマリーにヒステリアほどのセンスはない。

 

ローズマリーとヒステリアに速度差自体はそれほどないのだが、緩急のつけ方が甘く生じる速度差が少ない為、動体視力が優れた者にはあまり通用しないモノとなってしまっていた。

 

もっと修練を積めば別だろうが、現時点でこれが効くのは下位の覚醒者、中位ナンバーの戦士くらいまでだろう。

 

 

「……それにしても」

 

ローズマリーは不審気に眉をひそめると倒れ伏す三体の覚醒者をじっと見つめた。

 

「(変な覚醒者だったな)」

 

ローズマリーは疑問に思った。

 

覚醒者とはクレイモアの成れの果て、妖魔に堕ちた戦士の事である。

 

だが、今日、ローズマリーが戦った覚醒者はなんというか動きがとても素人臭かった。

 

覚醒者になって間も無いとしてもあまりに稚拙、まるで戦いを知らぬ一般人が突然化物になってしまったかのような力任せの戦い方。

 

しかも知性が低いのか言葉を発する事もなく、ただ意味のない叫びを上げるだけで、ローズマリーが名前を聞いても全くの無反応だった。

 

「(戦士時代から才能がなかったから? それとも訓練生時代に、本当に幼い時に覚醒してしまったのかな?)」

 

「ク、クレイモア、さま」

 

ローズマリーが不審な覚醒者について考えを巡らせていると、彼女に身なりの良い初老の男性が話しかけて来た。

 

おそらくこの町の町長だろう。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「よ、妖魔退治代金を払おうと思いまして」

 

そう言って青い顔の町長がぎっしりと貨幣が詰まった皮袋を差し出した。

 

それは、一般家庭が丸々20年、遊んで暮らせる程の大金である。

 

しかし、ローズマリーは差し出された皮袋を首を振って拒否し町長に返した。

 

「いえ、これは依頼されて行った事ではないので代金は要りません」

 

「そ、それでは前回の分としてお納め下さい、実は前回、我々は資金に窮しあなた方に仕事を頼みながら代金を払えなかったのです」

 

「………払えなかった?」

 

「は、はい、1年程前に妖魔の討伐を頼んだのですが、その時も妖魔が三体居まして食糧難で冬を越す為に大量の麦を買った為、二体分しか代金を払う余裕がなかったのです。その旨を代金を請求しに来た男に伝え待ってもらおうとしたのですが……男は代金は要らぬが妖魔が現れても二度と助けぬと言って帰って行ってしまったのです」

 

町長の話を聞きローズマリーは不審に思う。

 

「(そういえば、聞いたことがある。妖魔退治の代金を払えなかった村が数ヶ月後に大量の妖魔に襲われて壊滅したとか……いや、まさか、な)」

 

頭によぎった嫌な想像にローズマリーは顔を引きつらせる。

 

「(いや、あり得ないか、妖魔、覚醒者を操れるなら戦士を作る必要もない、それに組織がそんな事をするメリットがない、もし、金が欲しいなら、この大陸を支配したいなら戦士に人間を攻めさせれば良い、人間相手ならすぐに制圧出来るはずだし)」

 

 

「あ、あのクレイモアさま?」

 

突然無言となったローズマリーに再び町長が話しかける。それにハッとなりローズマリーは今まで考えていた事を頭の隅に追いやった。

 

「……失礼しました、少し考え事をしていました。先ほども言いましたが代金は要りません、しかし、前回代金を払えなかったのはマズイですね、その男が言った通り、組織はその理由を問わず一度でも代金を払わなかった村や町を二度と助けることはありません」

 

「そ、そんな、では以前言った事は本気だったのですか?」

 

「はい、残念ながら」

 

申し訳なさそうに言うローズマリー。

 

その話を聞いた村長は必死の形相で跪いた。

 

「お願いいたします! クレイモアさまから組織の方になんとかなるように言っていただけないでしょうか?」

 

「……私は末端の戦士に過ぎないので組織の方針に口を挟む事が出来ないのです」

 

「そ、そこを、そこをなんとかお願いできないでしょうか?」

 

懇願する町長にローズマリーの顔が歪んだ。

 

人よりも強く見つけ出す手段もない、そんな怪物に襲われるのがどれほど恐ろしいか、同じく故郷を妖魔に滅ぼされたローズマリーには痛いほど分かる。

 

だが、それでも、安易な事は言えない。組織に取って戦士とは末端も末端、替えがきく駒に過ぎない。

 

ローズマリーもそれは同じ、如何に一桁上位の戦士であろうと組織に取ってはちょっと他の戦士より価値があるだけ、決して特別ではないのだ。

 

故に、ローズマリーの意見など組織は聞き入れない。

 

つまり言うだけ無駄なのである。

 

「……申し訳ありませんが、組織の助けは諦めて下さい」

 

心苦しい思いから囁くように小さな声でローズマリーが告げる。

 

「そ、そんな」

 

ローズマリーの拒否に町長が暗い顔で崩れ落ちた。

 

「(あ、まずい)」

 

失意に沈む町長を見て自分が余計な事を言おうとしているのが分かる。

 

止めとけ、止めとけ、そう思い口を閉じようとする。

 

だが、そんな思いとは裏腹に何時の間にかローズマリーは口を開いていた。

 

「……ですが、それは組織がです、あくまで妖気を感知した時だけに限りますが、この町に妖魔が現れれば私が討伐します」

 

「……え、ほ、本当ですか!?」

 

「はい、あくまで私が存命中に限りますが」

 

内心で冷や汗をかきながらも笑顔で言うローズマリー。

 

そんなローズマリーの手を跪いたまま町長が取ると何度も何度も頭を下げる。

 

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

 

「(ああ、また、やってしまった)」

 

繰り返し礼を述べる町長を見つめながら、ローズマリーは心の中で頭を抱えた。

 

 

 

組織の戦士ローズマリー、前世の名残か、彼女は日本人特有の頼み事を断れないタチの人間だった。

 

 

 

 

 

 

「何をしている?」

 

目を閉じ耳を塞いでしゃがみ込むローズマリーにルヴルは不審げな顔で問いかけた。

 

「…………」

 

しかし、よほど集中しているのか、鋭敏な感覚を持つはずのローズマリーはまるでルヴルに気付く事なく目と耳を閉ざし続ける。

 

「おい、ローズマリー」

 

「…………」

 

「ローズマリー!」

 

「…………」

 

「ローズマリーッ!!」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

叫んでみたが反応がない、ならば身体を叩いてみるか? そう思い、ルヴルはローズマリーの肩に触れようとする。

 

だが、その寸前で思い留まり、やはり触るのを止めた。

 

以前、組織の黒服が自身に気付いていない戦士に背後から声をかけた所、驚いた戦士に真っ二つに斬り殺されたという事故を思い出したのだ。

 

さすがにルヴルもそんな間抜けな最後はごめんである。

 

「(さて、どうする?)」

 

ルヴルは数秒、自身の存在をローズマリーに教える方法を考えた。考えた結果、ルヴルは足元に落ちていた石を拾う。

 

十歩ほどローズマリーから離れたルヴル、彼はポンポンと石の重さを確かめると彼女目掛け思いっきり石を投擲した。

 

なかなかのコントロール、常人ならば病院送りになりかねない威力の石が真っ直ぐローズマリーの顔に飛んでいく。

 

事情を知らぬ者が見たら悲鳴をあげる光景が展開され、そして、ルヴルが投げた石がローズマリーに顔面に直撃した。

 

 

 

……と、思われた瞬間、ローズマリーの姿が掻き消える。

 

「…む」

 

「…あ、ルヴルさんでしたか」

 

自分の動体視力では目視不可能な速度で動いたのか?

 

そう、ルヴルが思い至ったと同時に彼の背後からローズマリーが話しかけてきた。

 

そんなローズマリーにルヴルは溜息を吐き振り返る。

 

「あ、じゃない。こちらの呼び掛けを何度も無視して何をしていたんだ」

 

なんでもない風に言うもルヴルは内心で僅かに焦っていた。

 

「(…また、強くなったか)」

 

ルヴルはとある事情から強い戦士の誕生を歓迎していない。

 

特にローズマリーやヒステリアなど複数の覚醒者を単独撃破出来る上位戦士は早めに死んでくれとすら思っている。

 

ルヴルはローズマリー達を見本に強力な戦士が量産される事を恐れているのだ。

 

 

「すいません、ちょっと、妖気感知の訓練をしていまして」

 

ルヴルの内心を露知らず、ローズマリーはすまなそうにルヴルに頭を下げた。

 

「また訓練か…しかし、妖気感知など鍛えた所で戦いに役立つのか?」

 

「多分役には立ちますよ、極めれば妖気を持つ者の動きをある程度、先読み出来るようになると思います。でもまあ、私の場合は戦闘面ではなく本当に探知面、そう、妖気の探知範囲を広げたいんです」

 

「探知範囲?……なんだこの前の任務地で何か言われたか? 」

 

「いえ、任務では特に何も言われませんでした」

 

「では、任務外で行った町で何か言われたか、お前の事だ、どうせ町人の為に何か余計な事を口走ったのだろう?」

 

大当たりだ。

 

図星を指されたローズマリーが冷や汗を垂らす。

 

組織が見捨てる方針の討伐代金を払わなかった町を勝手に助ける約束をしてしまったのだ。

 

バレたらかなりよろしくない。

 

「……まあ、少々約束を」

 

ルヴルから目を逸らしボソッと呟くローズマリー。

 

組織にとって不利益な事をしたとバレバレである。

 

「(早めに危険な任務にでも行かせ消そう考えていたが、コイツは手を下すまでもなく組織に粛清されるんじゃないか?)」

 

人助けの末に死ぬローズマリーを想像しバカな奴だとルヴルは心の内で細く笑む。

 

組織に粛清されるというのは目立った動きを取りたくないルヴルにとってベストな流れだった。

 

しかし、それにしても。

 

「はぁ、見返りもなく他人を助ける意味が分からんよ」

 

心底疑問に思った声でルヴルは言う。

 

そんな言葉にローズマリーは肩を落とした。

 

「私も時々……いえ、毎回自分のバカさ加減に呆れてます」

 

「ならばなぜ直さない?」

 

「それはまあ、それも良いかなって思てるから、でしょうね」

 

「無駄な行動と認識していながらそれを許容するのか?」

 

困惑した顔でルヴルが問う、それに苦笑しローズマリーは自分の考えを話し出した。

 

「はい、そういうバカな行動を取るのが自分らしいと思うんです」

 

「つまり、お前はバカだと?」

 

「酷いこと言いますね……でも、まあ、そうなんでしょう、私はそんなに頭は良くありません。自分が苦しくなる約束なんてするべきじゃない、なのにいつの間にか約束をしている本当にバカ丸出しですよ」

 

そう、自分を落とす発言をしながらも何故かローズマリーの顔はむしろ晴れやかだった。

 

「でも、どうにも直そうと思えないんです」

 

「……自分が苦しくなるのにか?」

 

「はい、でもその苦しいってのはだいたい肉体面の話しなんですよね、精神面は頼み事を断った時の方がずっと苦しくなります。昔、頼み事を断って死ぬほど後悔した事がありまして、あの時こうしてれば、時間が戻ればいいのに、そう、今でも思ってますよ、無理だと分かっているのにね」

 

そう言って自嘲するローズマリー、ルヴルの目を見ていながらも、その視線はどこか遠くを見ているように感じられた。

 

「後悔先に立たずか……だが、頼み事を聞いて後悔した事も多いだろう」

 

「そりゃ山ほどありますよ、聞かなきゃ良かったと死ぬほど後悔した事もありましたねぇ」

 

そう、おどけたように言うローズマリー、もう彼女は遠い目をしていなかった。

 

「……やはり、お前はバカだな」

 

「ふふ、まあ、それが私ってことなんじゃないですか?」

 

呆れたように言うルヴルに、ローズマリーは楽しそうに笑う。

 

その顔はどこか誇らし気だった。

 

「さて、私がバカだって話はもういいでしょう、次の任務を教えて下さい」

 

「……くっくっく、そうだな、無駄話はここまでにしよう、お前と話すといつもの長くなる」

 

「はいはい、それは失礼いたしました。それで今度の討伐は妖魔ですか? 覚醒者ですか?」

 

「いや、今回は討伐ではない」

 

 

 

 

「お前には短期間だがある訓練生の指導をしてもらう事になった」

 

その任務の内容にローズマリーは目を丸くし後、顔を思いっきり青ざめさせた。

 

「え、じょ、冗談ですよね?」

 

「……なんでお前はそんなに嫌そうなんだ、子供が嫌いなのか?」

 

意外そうに言うルヴルにローズマリーは首をブンブンと振って否定する。

 

「いえ、子供は好きです、でも指導出来る自信がありません」

 

ローズマリーにとって人にモノを教えるというのは頼み事を断る以上に苦手な事だった。

 

ローズマリーはなんでも自分でやってしまうタイプだ。基本誰かの頼みを事を聞いて、自分は誰にも頼み事をしない、彼女はそんな人間だった。

 

人に指示を出すのが苦手、厳しい事を言うのも苦手、自分に厳しく他人に甘い、それがローズマリーの性格だった。

 

そんなローズマリーが……

 

「他人に指導など出来ると思いますか?」

 

よほど焦っているのか冷や汗を垂らしルヴルに考え直すように頼むローズマリー、そんな彼女をルヴルは愉快そうに見て、

 

「いいからやれ、これは命令だ」

 

ローズマリーの懇願を無慈悲に拒否するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

訓練生が自分の指導力不足のせいで戦士になれなかったらどうしよう。

 

自分の教えが悪くて妖魔に殺されたらどうしよう、覚醒させてしまったらどうしよう。

 

 

そんな悩みを抱え組織本部にやって来たローズマリーだったがその悩みはすぐに解消された。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

組織本部の訓練場にて、常に浮かべる笑顔を引っ込め、まるで強敵に相対したような雰囲気を醸し出すローズマリー。

 

彼女の視線の先には一人の少女が剣を構えていた。

 

若干癖のある金に近い銀髪を後ろに纏め、余裕に満ちた微笑を浮かべる少女。

 

名をテレサと言う。彼女がローズマリーの受け持つ生徒だ。

 

なんでも、訓練生の中で特出して強い為、現役の戦士が教師役をしなければならない程の実力とローズマリーは聞いている。

 

これを聞いたおかげで少しばかりローズマリーの心は軽くなった。

 

 

 

……しかし。

 

 

 

「(この子、そんなレベルじゃないでしょ)」

 

聞いた話とだいぶ違う。

 

ローズマリーはテレサを見てそう思った。

 

訓練生の中で特出した強さ……そう聞いていたがとんでもない。

 

過小評価も甚だしい話だ。

 

剣を交える前から分かった、訓練生のこの少女が、十代前半でまだ満足に身体の出来上がっていないこの少女が、既に戦士最強に片足を突っ込んでいる事を。

 

 

「じゃあ、反撃しないからちょっと攻めてきて」

 

「うん」

 

ローズマリーの言葉を聞きテレサが動いた。

 

軽やかなステップを踏み、左右にフェイントを入れながらローズマリーに接近、彼女の死角に滑り込むと高速で大剣を薙ぎ払う。

 

見事な動きだ、即戦士になってもやっていけるだろう。

 

「(だけど、この程度じゃないよね)」

 

こんなものではない、テレサから感じる力量はもっともっと高いものだ。それこそ自分に匹敵、凌駕する程のものローズマリーは感じた。

 

ローズマリーはテレサの攻撃をバックステップで軽々と躱す。

 

そのローズマリーの動きを見てテレサの笑みが強くなる。後ろに下がるローズマリーを追いかけてテレサが一歩踏み込んだ。その動きは先程以上に速い。

 

「…ふっ」

 

流れるように大剣が振るわれる。

 

袈裟斬り、逆袈裟、横薙ぎからフェイントを入れての突き、一撃ごとに速さと鋭さが上がっていく斬撃の数々をローズマリーは体捌きだけで躱しきる。

 

だが、テレサの動きは止まらない、避けられる度に疾くなる、避けられる度に強くなる。

 

まるでどこまでやっていいか試すようにテレサの動きが少しずつ加速していく。

 

下位の戦士レベルから中位、中位から上位、上位から一桁ナンバーへ、そして、その実力は遂に一桁上位ナンバーレベルまで到達、それで止まらずより疾く、より鋭くと天井知らずに上がっていった。

 

 

 

「(はは、勘弁して欲しいなぁ)」

 

天稟の才と称されるローズマリーだが、テレサの才はその数段上を行く。ローズマリーがテレサと同年代の訓練生だった頃はせいぜい中位の戦士レベルの力しか持っていなかった。

 

正に時代の寵児、最強となるべく生まれてきたような少女である。

 

ローズマリーはそんな怪物じみたテレサの才に舌を巻き、苦笑した。

 

「……どうかしたの?」

 

テレサは攻撃を中断すると、いきなり苦笑したローズマリーに首を傾げた。

 

「ああ、ごめんごめん、テレサちゃんがすごく強くてねビックリしちゃったの」

 

「そう? でもまだお姉ちゃんに一撃も当たってないよ?」

 

「はは、それはテレサちゃんが手加減してくれてるからじゃないかな?」

 

「ううん、もう本気だよ」

 

そう笑うテレサ、だがその言葉はとても信じられるものではなかった。

 

ローズマリーの予想ではまだまだテレサは本気ではない。

 

身体能力はそろそろ頭打ちだろう。

 

現時点ではまだ力もスピードもローズマリーの方が上、その自信がローズマリーにはある。

 

というよりもパワーとスピード、その総合値であのヒステリアすら上回るローズマリーに大人より頭二つ小さな幼い身体のテレサが近いレベルにあるというのが異常なのだ。

 

しかもここまでで既に異常な実力なのに、テレサはまだ妖力解放すらしていない。妖力解放による身体能力の上昇値は人それぞれだが、テレサが解放すればおそらくここから二倍、三倍と身体能力が跳ね上がる。

 

もちろん、妖力解放はローズマリーもしていない。まあ、ローズマリーの場合は “出来ない” が正しいのだが、例えローズマリーが妖力解放出来たとしても、自分はテレサに勝てない、そんな確信を彼女は抱いていた。

 

「…………」

 

だが、まあ、本人が本気と言うなら良いだろう。

 

無理に追求する必要はない。

 

ローズマリーは軽く息を吐くと大剣をその背にしまった。

 

「あれ? もうおしまい」

 

「うん、今日はおしまい」

 

ローズマリーは壁際に置いておいたリュクを漁り、一つの紙袋を取り出す。

 

「はい」

 

そう言ってローズマリーは紙袋から透き通った小さな青い玉を取り出しテレサに渡した。

 

「これは?」

 

「飴っていうお菓子だね、食べてみて、あ、はじめは噛まないで口の中で転がしてね」

 

「…………」

 

テレサは受け取った飴玉をしばらく眺めると、一度匂いを嗅いでから口の中に放り投げた。

 

一回、二回、口の中で飴を転がすと、テレサ顔が驚きに染まり、そしてすぐに綻んだ。

 

「…甘い」

 

「ふふ、気に入った?」

 

「うん、ありがとうお姉ちゃん」

 

テレサが微笑ではなく満面の笑みを浮かべてローズマリーにお礼を言う。

 

「どういたしまして」

 

テレサの笑みにローズマリーも笑顔で応えた。

 

如何に怪物級の実力を持とうとテレサはまだ子供、遊びたい盛りだし、我儘も言いたい時期だろう。ならば大人として面倒を見ねばなるまい。

 

ローズマリーはテレサの頭を軽く撫でて今度はリュックからトランプを取り出した。

 

 

 

 

急いで鍛える必要などない。

 

ゆっくりと成長を待てば良い。

 

きっとそれだけで彼女は誰よりも強くなる。

 

ローズマリーは近い将来最強の頂に登るだろうテレサを想像し、小さく笑みを浮かべるとスピードのルール説明を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 




イレーネ「動きではお前(妖力100%解放、つまり覚醒状態)力ではソフィア(覚醒状態)剣の速さでは私(高速剣、つまり一部覚醒状態)の方がそれぞれでテレサ(妖力無解放、手加減状態)を上回っている」

ノエル「……そりゃ、上回れなきゃ上位ナンバーとしてダメだろ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

……早くもインフレの予感が。


大剣が噛み合い火花を散らす。

 

風を断ち、高速で交わされる斬撃の数々に衝撃波が巻き起こる。

 

「…ふっ!」

 

鋭い呼気を発し、大剣を振るうローズマリー。

 

唸る大剣は大岩を楽々両断するレベル、そんな剣撃があっという間に数十と放たれる。並みの戦士なら……いや、一人を除き一桁上位ナンバーでさえこれを凌げはしないだろう。

 

 

 

だが、テレサはその連撃を一撃残らず捌ききった。

 

 

 

「(これは、参ったな)」

 

ローズマリーは思わず感嘆の息を漏らした。

 

避けれる斬撃は全て避け、不可能なモノは最適の角度と力加減で受け流す。ローズマリーはそんなテレサの動きに完成された美を見た。

 

それほどテレサの動きは素晴らしかった。

 

だが、その動き以上に驚いた事がある。

 

 

それはテレサの読みの正確さだ。

 

信じがたい事にテレサは先の連撃が放たれる “前に” 最適な対応に入っていた。

 

おそらく、体を流れる妖気を見て、次の動きを判断したのだ。以前、ローズマリーがルヴルに語った妖気探知による先読みだ。

 

 

……しかし。

 

「(本当に出来るものなの? 妖力解放していないこちらの妖気を読んで次の行動を予測するなんて)」

 

ローズマリーがルヴルに語ったのは妖力解放した相手を前提とした理論、対妖魔、対覚醒者用の技である。

 

だが、テレサがしたのは戦士用、ましてや妖力解放していない相手に先読みを決めるなど、心を読めという方が簡単かもしれない。

 

そんなレベルの神技だった。

 

 

「(ふふ、ちょっと嫉妬しちゃうな)」

 

ローズマリーは内心で苦笑した。

 

最強になりたいとは思わない、ナンバーを上げたいとも思わない、だが、天稟と称され、その才を弛まず鍛え続けて来たにも関わらず、まだ訓練生のテレサに本気の攻撃をあっさり凌がれてはさすがにヘコむ。

 

 

「(……でも、だからこそ安心出来る)」

 

ローズマリーは嫉妬と同時に強い安堵を覚える。

 

クレイモアの生涯は短い。

 

不老かつ強靭な肉体を持つ彼女達だが、強大な覚醒者や過酷な任務、そして “限界” という実質的な寿命により、30歳を迎えられる者は殆どいない。

 

いや、それどころか半妖の多くが戦士になる事も出来ず訓練生の内に生涯を閉じる。ローズマリーと同期の訓練生も百人いたにも関わらず戦士になれたのはローズマリーを除いてたったの一人、そして、その一人も戦士となり数週間で任務中に殉職した。

 

それほど半妖が組織で長生きするのは難しいのだ。

 

しかし、そんな環境もテレサにとっては関係ない、今はまだローズマリーと同等 “程度” の力しかないが、近い未来、テレサは並ぶ者なき最強になる。

 

あらゆる敵を無人の野を行くかのこどく蹴散らし、どんな過酷な任務も鼻歌交じりにこなすようになるだろう。

 

だから安心出来るのだ。

 

この子は誰にも負けない、殺されない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真剣な表情でテレサが床を睨む。

 

迷うようにフラフラと床に手を伸ばしてはやっぱり引っ込める。思い切りが良いテレサらしからぬ行動だ。

 

「…………」

 

そして、テレサは記憶を探るように目を瞑ると、カッと見開き、記憶が正しいことを信じて裏返しのトランプをめくった。

 

テレサがめくったのはダイヤの12、先ほどテレサがめくったのはスペードの12、つまり二枚のカードはペアである。

 

 

「おお! すごい、初回から当てた」

 

「確か、ここの擦り傷が着いたのが12だった気がしたから」

 

テレサはローズマリーの拍手にはにかむと僅かに頬を赤くした。

 

 

「何をしているんだ」

 

床に置かれたトランプをひたすらめくる二人にお目付役の前テレサの指導員が呆れたように話しかけた。

 

「あれ? 前に名前を言いませんでしたっけ、これは神経衰弱ってゲームです」

 

そんな男にしれっとローズマリーは答えると視線を再びトランプに戻した。

 

「…いや、なんで訓練もせずに遊んでいるかって意味で聞いたんだが?」

 

「え、訓練ならさっきしてたじゃないですか」

 

「………二時間だけな」

 

 

ローズマリーがテレサの指導員になって三ヶ月、ローズマリーは一日の訓練時間を四時間以内と決めた。

 

その訓練時間はローズマリーが指導員になる前の三分の一である。

 

半妖ゆえどこまで適用されるか分からないが身体が出来上がる前に過度な運動をするのは良くない、そう思ったローズマリーの独断である。

 

で、空いた時間をローズマリーはテレサと遊んでいるのだ。

 

「二時間も模擬戦をしたら充分訓練になったと思うんですが?」

 

「いや、訓練生の修練時間は十二時間なんだが、残り十時間はどこに消えた」

 

「休憩時間と遊びに消えました」

 

「いや、それじゃダメだろ、お前は指導員の自覚があるのか?」

 

「もちろんありますよ、逆に聞きますがあなたは指導員の自覚があったんですか? ただ訓練を押し付けるだけで適切な訓練をしましたか? テレサちゃんが手を抜いていないか、無理をしていないか、ちゃんと強くなっているか、それを判断できてましたか?」

 

「ぬぅ」

 

遊んでいる相手からのまさかの反撃に男は呻く。

 

言ってことは正しい。研究員でもないただの人間が半妖の事を正しく認識出来るはずないのだから。

 

「フッ」

 

だが、ローズマリーの反撃に小さく笑うと男は迷いなく口を開いた。

 

「もちろん、出来ていた」

 

ローズマリーの言葉にしっかりと自信を持って男は答える。男には長年指導員を務めたプライドがあったのだ。

 

 

 

……しかし。

 

「本当ですか? ではなぜ私が指導員になったのです? あなたがちゃんと出来ていれば私なんかが指導員に選ばれることはなかったのでは?」

 

「…………」

 

ローズマリーの追撃に男は押し黙る。

 

それを言われちゃお終いだ、何を言おうが男がテレサの指導員から外されたのは事実なのだから。

 

「い、いや、それはテレサが訓練中に脱走するから」

 

「つまり、指導員でありながら訓練生の脱走を許してしまったと?」

 

「…………」

 

「もう、お分かりですね? 大丈夫です安心して下さい、テレサちゃんはちゃんと強くなってますよ、だからあなたも気にせず一緒にゲームでもしませんか? ちょっと二人だけでするゲームに限界を感じてきたんです」

 

そう言って優しく微笑むとローズマリーは男をトランプに誘う。

 

だが、そんなローズマリーの背後から彼女に気づかれぬようテレサがしっしと手で男にあっち行けと促す。

 

そんなテレサの態度に男は自信喪失した。

 

どうやら、男はそこそこテレサを気に入っていたらしい。

 

 

「………遠慮する」

 

そして、男はローズマリーの誘いを断ると哀愁漂う背を二人に向けトボトボと壁際まで移動し膝を抱えて座り込むのだった。

 

 

 

 

 

 

「お、やってるな」

 

刃を交えるローズマリーとテレサを見てルヴルがそう呟いた。

 

壁際で「さっきまでやってなかったんだぁ」と元指導員が小さくボヤくがルヴルには聞こえなかったようだ。

 

「あ、ルヴルさんお久しぶりです」

 

ルヴルの呟きを聞き、彼の来訪に気付いたローズマリーは一旦模擬戦を、止めるとルヴルの方へ視線を向けた。

 

ローズマリーを取られたと思ったのか、テレサが威嚇するようにルヴルを睨む。

 

そんなテレサを無視してルヴルはローズマリーに問いかけた。

 

「指導の方はどうだ?」

 

「ふふ、上々です」

 

ローズマリーはルヴルの問いに満面の笑みで答える。

 

そんなローズマリーにルヴルは小さく吹き出した。

 

「ぷ、くっくっく、随分な自信じゃないか、自分には指導なんて無理、と言っていたのが嘘のようだな、なんだ、何か画期的な指導方法でも思いついたか?」

 

「いえ、何も、というか私がしているのは模擬戦だけですしね」

 

「は? いや、お前はいつも訳が分からない訓練をしているだろ、そんな感じの訓練をテレサにもやらせているではないのか?」

 

大岩を担いでのスクワットや反復横跳びをするローズマリー思い出しながらルヴルが言う。

 

そんなルヴルの言葉をローズマリーは否定した。

 

「あれはある程度身体が出来上がってからするべき訓練です。成長途中のテレサちゃんには必要ありません」

 

大剣を背にしまい、ルヴルを睨むテレサの頭を撫でながらローズマリーは断言する。

 

「ほう、そういうものなのか?」

 

「そういうものです、まあ、半妖にどこまで適用されるかは分かりませんけど……さて、それで今日ルヴルさんは何をしにここへ?」

 

笑顔から一転、ローズマリーは顔を引き締め、警戒したように言う。

 

「なんだ、用がなければ様子を見に来るのもいけないのか?」

 

「いえ、そんなことはありませんが、絶対なにかありますよね」

 

白々しい態度のルヴルにジト目で返すローズマリー。

 

そんな彼女を見てルヴルはいつも通りの胡散臭い笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

やっぱり任務だった。

 

ローズマリーはテレサに見送られ組織本部を飛び出すと一気に加速、疾風のような速度で走り出した。

 

「…ルヴルさんめ」

 

走りながらローズマリーは毒づく、今回の任務は覚醒者討伐だ。

 

対象は鋭剣のシルヴィ、元ナンバー5の強敵である。

 

そして、討伐メンバーはローズマリー

 

 

…………以上。

 

「(覚醒者の討伐って基本チームでやるんじゃなかったっけ? もしかして、あいつなら適当に任務振っても生き残るだろ、とか思われてる?)」

 

 

自分と一つしかナンバーが離れていない覚醒者を単独で倒せという無茶振り、ルヴルと組織が自分に抱く認識に危機感を持ちながらローズマリーは任務地へと急ぐ。

 

そんな時、ローズマリーは猛烈な勢いで自分に接近する妖気を感知した。

 

「あれ? この妖気」

 

ローズマリーは速度を緩めると、背後を振り返る。

 

そこには長い髪を靡かせ、こちらに向かうヒステリアの姿があった。

 

「あ、ヒステリアさんお久しぶりです」

 

「はぁ、はぁ、久しぶりね、ローズマリー」

 

ローズマリーに追いつく為にかなり本気で走ったのだろう、ローズマリーの挨拶に若干息を切らせてヒステリアが応えた。

 

「どうしたんですか?」

 

「ローズマリーの妖気を感じたからお話しようと思ってね」

 

そう、嬉しそうに言うヒステリア。以前行った模擬戦の後、拗ねたヒステリアを宥めている内に二人はかなり仲良くなったのだ。

 

 

ローズマリーが友人になるまでヒステリアに友達は居なかった。

 

ヒステリアに聞けばムキになって居たと答えるだろうが事実である。

 

歴代ナンバー1の中でも五指に入る力を持ったヒステリアはその高過ぎる能力から尊敬はされても……いや、尊敬されるからこそ友は居なかった。

 

戦士たちはみな、圧倒的な力を持ったヒステリアを畏れ敬い、距離を置いた。

 

友などと恐れ多い、戦士はみなそう思っている。

 

ヒステリアと他の戦士の関係は良くて言えば尊敬する上司と部下といったところだろう。

 

 

そして友達がいなかったのはローズマリーも同様だ。

 

たったの半年でナンバー4まで上り詰めたローズマリー。

 

彼女の実力が分からない戦士は彼女を嫉妬し、彼女の実力が分かった上位陣は恐れ慄いた。おそらく、後一年もすればローズマリーの実力は戦士全員に知れ渡り、ヒステリアと同じく敬われるようになるだろう。

 

 

そんな似ている二人だからこそ、シンパシーを感じ、すぐに仲良くなれたのだ。

 

 

 

「どこへ行くの、また故郷?」

 

「いえ、今日は任務です、でも酷いんですよ、元ナンバー5の覚醒者相手なのにメンバーは私一人だけなんです」

 

「そう、でもナンバー5でしょ、あなたなら油断しなければ大丈夫じゃない? 私もちょっと前に元ナンバー3の単独討伐したけど、無傷で勝てたわよ」

 

「それはヒステリアさんだからだと思うんですが?」

 

「いや、あなた私とそこまで差はないでしょ、少なくとも私がナンバー1になる前のナンバー1とその前の二人より既に強いわ」

 

呆れたように言うヒステリアにローズマリーは首を傾げた。

 

「う〜ん、そうなんですか? 私が知ってるナンバー1はヒステリアさんだけなんでイマイチ実感が湧かないんですよね」

 

「ふふ、私を並のナンバー1と一緒にしないで欲しいわね、時代によってナンバー1の実力はバラバラよ」

 

「そんなものですか?」

 

「そんなものよ、特に、私が戦士になってすぐの頃にナンバー1だった鋭剣のシルヴィなんてアガサよりちょっと強い程度のレベルだったし」

 

「……え?」

 

聞いてはならない単語が出て、ローズマリーが固まった。

 

「ん、どうしたの?」

 

ヒステリアはフリーズしたローズマリーを不審そうに見る。

 

「…………ごめんなさい、もう一度言ってもらえますか?」

 

「え、私を並のナンバー1と一緒にしないで欲しいわね」

 

「そ、そこじゃなくて、その昔のナンバー1の人の名前です」

 

「ああ、そこね、鋭剣のシルヴィよ……それがどうしたの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鋭剣のシルヴィ。

 

彼女は突きを主体とした優秀な戦士だった。

 

華麗なステップを踏み、高速かつ連続で放たれる刺突は異名の通り鋭く、多くの妖魔、覚醒者が彼女の前に散っていった。

 

そんな彼女の最高ナンバーは1、覚醒者討伐の際、利き腕を失い、ナンバーを大きく落としたが、それでも一桁ナンバー残留を許された実力者だ。

 

しかし、彼女はナンバー1から落ちたショックにより覚醒、当時、新たにナンバー1になった荒剣のイキシアを惨殺し姿をくらませた。

 

ちなみに失った利き腕は覚醒により完全に再生されている、それゆえ、覚醒者として力量は全覚醒者の中で間違いなく、10指に入る。

 

つまり今回の討伐対象は元ナンバー5の覚醒者ではなく、実質、ナンバー1の覚醒者という事。

 

それは深淵の者の単独討伐に等しいあり得ない難易度の過酷な任務だった。

 

 

 

深淵の者とは組織が定めた、ある覚醒者の名称である。

 

ある覚醒者、それ即ち元ナンバー1のソレを指す。組織の歴史の中で過去三度、ナンバー1が覚醒した事例がある。

 

その三体は他の覚醒者と隔絶した力を持ち、滅多に表だった行動を取らない事から深淵の者と呼ばれているのだ。

 

彼等、深淵を討伐する為に組織は何度か動いた事がある。

 

だが、その全ては失敗となった。

 

そして、幾度か目の作戦で、当時歴代最強と呼ばれた重剣のクロエ及び一桁ナンバー八人による討伐が失敗した時、組織は深淵討伐を諦めたのだ。

 

 

そんな深淵級覚醒者の単独討伐を命じられたローズマリーは顔面蒼白だった。

 

「え、その話って本当ですか?」

 

間違いを期待してもう一度ヒステリアに問うローズマリー、だがそんな彼女にヒステリアは首を振った。

 

「こんな笑えない冗談は言わないわ」

 

「そうですよねー……本当の本当に本当ですか?」

 

「本当だって言ってるでしょ……それにしても、鋭剣のシルヴィの単独討伐? ……あなた、一体何したの?」

 

引き攣った顔で問うヒステリアにローズマリーは顔の前で手をブンブンと振った。

 

「いやいやいや、何もしてません! 何もしてませんよ!? 普通に任務をこなしてましたよ!」

 

必死に否定するローズマリー。

 

「本当に? 組織の秘密を知ってしまったとか」

 

「記憶にありません」

 

「じゃあ、任務外で妖魔、覚醒者を狩りすぎたんじゃない? 確か、あなたの担当区域が47区の中でも一番収入が低いって私の担当が言ってたわ」

 

「え、そんなに低いんですか?」

 

「そんなによ、ちなみに私の所の十分の一以下よ」

 

「…………それってマズイですかね」

 

「マズイわよ、そうじゃなきゃ、なんでシルヴィの単独討伐なんて命じられてるの? シルヴィは深淵と扱われてもおかしくない覚醒者よ……それを単独でなんて、私でも多分無理」

 

常に自信に溢れるヒステリアらしからぬ言葉にそれほどの覚醒者なのか? とローズマリーはゾッとした。

 

「そ、そんなに強いんですか、戦士時代はアガサさんよりちょっと上レベルだったんですよね?」

 

「……覚醒がどういうものか、分かってるでしょ? 常に妖力解放100パーセントで戦えて、覚醒体は人型時の数倍の身体能力をもたらす、戦闘力は戦士時代の最低二倍、平均五倍、下手したら十倍くらいになるのよ? あなたにアガサの五倍の戦闘力がある?」

 

ローズマリーは以前会ったアガサと今の自分を比べてみる。

 

「さ、三倍くらいなら、ありますかね?」

 

「……そうね、きっと三倍くらいならあるわ」

 

ローズマリーの言葉をヒステリアも肯定する。

 

だが、それはあくまで三倍程度だったらの話だ。

 

「でも残念、組織の評価ではシルヴィは最低でも戦士時代の五倍は強いらしいわ、一応、他の深淵三体よりは弱いという評価よ、他の三体はナンバー1の中でもそれなりに強い方だったらしいし」

 

「…………」

 

希望を打ち砕かれた様な顔で黙るローズマリー、それを痛まし気に見ながら、ヒステリアは小さくローズマリーに問う。

 

「……どうするの?」

 

「……どうするって、戦うしかなくないじゃないですか」

 

酷く落ち込んだ声でローズマリーが答える。

 

組織の命に背き、戦いもせず逃げれば追っ手がかかる、そして、ローズマリーの追っ手となればヒステリア以下、一桁ナンバー半数なんて事にもなりかねない。

 

ならば少し戦ってから、任務達成不可能と判断し逃げるのはどうだろう? 組織は戦ってどうしても討伐不可能な場合は一応撤退も認めている。だが、一度格上と戦い始めてから逃げるのは困難だ。

 

どちらを選ぼうとローズマリーの死は濃厚。

 

ならば見知った仲間と戦うよりはかつての戦士とはいえ面識のないシルヴィと戦う方が幾分かマシだった。

 

「死ぬわよ」

 

真剣な表情でヒステリアは言う。

 

ローズマリー自身も話を聞く限り八割がた殺されると思っていた。

 

だが、それでもローズマリーが選んだのはシルヴィ討伐だった。

 

「……組織のシルヴィさんの戦闘力予測が間違ってる事を願いますよ……まあ、最悪、少しだけ戦って無理だったら撤退します。それなら組織もそこまでキツイ罰を与えてはこないでしょう……こないですよね?」

 

最後、自信なさ気になるローズマリー、そんな彼女を見て仕方ないか、とヒステリアは溜息を吐いた。

 

「本当に戦うのね」

 

「……出来れば戦いたくないですが」

 

「……はぁ、分かったわ」

 

ヒステリアは大きく溜息を吐くと、一つの決意をした。

 

「じゃあ、私も手伝ってあげる」

 

「……え、今なんて?」

 

ローズマリーはその言葉に目を見開いた。

 

「聞こえなかったの? あなただけじゃ手に余るでしょ、だから手伝ってあげるって言ったの」

 

「いや、危険ですよ、やめた方がいい!」

 

自分の命の危機なのに遠慮をするローズマリーにヒステリアはむっとした。

 

「五月蝿いわね、危険なのはいつもの事でしょ……それにね、友達を見捨てるのは気が引けるわ」

 

そう、目をそらしてヒステリアは言った。

 

「…………」

 

そんなヒステリアの仕草に一瞬、呆けるた後、ローズマリーはくすりと笑った。

 

彼女の態度が何処と無くテレサと似ていたのだ。

 

 

 

 

「ヒステリアちゃんて、呼んでもいいですか?」

 

「それは、恥ずかしいから止めて」

 

そう言ってヒステリアは赤面した。

 

 

 




深淵討伐の話や、覚醒による戦闘力の上昇値は完全な独自設定です。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

な、なんか2日で評価が凄いことに……皆様応援、ありがとうございます。


ヒステリアと合流して丸一日、今は休暇中だが、ヒステリアはいつ次の任務が言い渡されるか分からない。

 

その為、彼女の提案で急ぐ事を選択した二人は僅か半日で任務地近くまで来るとそこで小休憩を挟み、明け方再び移動、早朝には万全の体制でシルヴィの潜伏地に辿り着いた。

 

 

 

「………ッ」

 

ローズマリーは目的地の光景に絶句する。

 

綺麗な朝日に照らされて、潮風になびく数十の “ソレ”

 

家と家を繋ぐように張られたロープ、そこに洗濯物を干すかのように吊るされていた “ソレ”

 

 

 

 

“ソレ” は頭部と腹部が抉られた数十の死体だった。

 

「酷い、わね」

 

そのあまりの光景にヒステリアも顔が強張る。

 

それなりの期間、戦士をしているがこんな光景を見るのは初めてだったのだ。

 

一体何の為に?

 

そう、疑問に思うヒステリア。

 

彼女は死体を吊るす意味が分からなかった。

 

「……下ろしてあげましょう」

 

ローズマリーがその背から大剣を引き抜きながらそう、ヒステリアに提案する。

 

「…そうね…」

 

ヒステリアはローズマリーの提案に頷いた。

 

そして、彼女も大剣を抜き構える。

 

 

 

「……でも、先ずはアレを倒しましょうか」

 

そう言ってヒステリアは大剣の切っ先を此度の敵に向けた。

 

「ふふ、戦士が来るなんて久しぶりだ」

 

そこにいた者こそが、今回の標的ーー鋭剣のシルヴィだった。

 

シルヴィは腰まである黒髪を風になびかせ、自信に満ちた目でローズマリーとヒステリアを見つめている。

 

そんな彼女を見返してローズマリーとヒステリアは思う。

 

 

かなり、ヤバイと。

 

一見すれば普通の覚醒者だ、少なくとも表面上に現れている妖気の強さはそれ程ではない。

 

だが、二人には……特に妖気探知の訓練をここ数ヶ月していたローズマリーには良く分かる。内包される妖気の強さが表面に現れてるそれとは一線を画すと。

 

 

「僕を討伐しに来たの?」

 

そう、シルヴィが問う。

 

「はい、そうです、シルヴィさんでよろしいですね? 私はローズマリーと申します、今回、あなたを狩る任務を与えられました」

 

それに答え、ローズマリーが名を名乗った。

 

「おや、礼儀正しいんだね、前の子もその前の子も名乗りもしないで斬りかかって来たんだけど、自信の表れかな?」

 

感心感心と笑うシルヴィ、どうやらかなり理性的な方の覚醒者らしい。

 

「はは、自信はあんまりないですね、覚醒体は見てないですけど、どうやらシルヴィさんは私より格上のようですし」

 

シルヴィの言葉をにこやかに否定し、ローズマリーは本音を語った。

 

ローズマリーの任務だからだろうか? ヒステリアは二人の会話に口を挟まない。

 

「……へぇ、実力差が分かってない訳じゃないんだ、まあ、そりゃそうだよね、僕も君達が並の戦士だとは思えないし」

 

シルヴィは少しだけ警戒したように言う。

 

ローズマリー達がしたようにシルヴィもまたローズマリー達を観察していたのだ。

 

「それは光栄です、光栄ついでに質問よろしいですか?」

 

「いいよ」

 

「ありがとうございます……それではお聞きします」

 

 

 

「なぜ、こんな真似を?」

 

にこやかなな笑みを消し去り、まるで、怒りを抑えるように、ことさら静かな声でローズマリーは聞いた。

 

「こんな真似? ……ああ…」

 

そう言ってシルヴィが動く。

 

そして次の瞬間には最も近くにあった遺体の側にシルヴィが立っていた。

 

「「(…疾い)」」

 

ローズマリーとヒステリアが同じ感想を抱いた。

 

シルヴィはまだ覚醒体ではない、しかし、その動きは二人の想定よりかなり速い。

 

戦士時代は鮮血のアガサより少し上、それがヒステリアの評価だったが、どうやら覚醒した事により人間体の実力も大きく向上してしまったらしい。

 

「…これの事ね」

 

そう言って楽しそうに遺体を指すシルヴィ。

 

そんのシルヴィに険しい顔でローズマリーは頷いた。

 

「そうです、なぜ、そんな真似を?」

 

「なぜって、そりゃ、干物を作ってるからよ」

 

「干物?」

 

「そうよ、干物、保存食、だって内臓だけ食べてポイじゃ、もったいないでしょ? 僕、子供の頃から干物が好きだったんだ」

 

そう言い、シルヴィは干した遺体の腕を捻じ切る。そして彼女は躊躇なくソレを自分の口へと運ぶ。

 

ゆっくりと、味わうような咀嚼音がその場に響いた。

 

それにローズマリーとヒステリアは顔を顰めた。そして、二人は改めて思う。理性的に見えても、やはり覚醒者は妖魔側の存在なのだと。

 

「ふふ、美味し」

 

少し恍惚とした表情でシルヴィが言う、戦士はあらゆる任務をこなす為に多くの技能を保有する。

 

その技能、潜入などで使われる一般人の振り、その中の一つに娼婦の眼差しがあるが、シルヴィの表情は正にその見本のようだった。

 

まったく、なぜ今そんな目をするのか?

 

ローズマリーは嫌な事を思い出し顔を引き攣らせる。

 

「どうあなた達も食べてみる?」

 

「…け、結構です」

 

「吐き気がするわ」

 

二人の答えにシルヴィは肩を竦めた。

 

「そう、残念、それで質問は終わり?」

 

「……はい」

 

「そっちのあなたは?」

 

「元からあなたに聞く事なんてないわ」

 

「ふふ、そう、じゃあ、そろそろ」

 

 

 

 

そう、シルヴィが言いかけた瞬間、ヒステリアが動いた。

 

覚醒体になる前に決める。

 

それがヒステリアの狙いだ。

 

強力な踏み込みから一気にトップスピードになった彼女が疾風の如き速度でシルヴィに迫る。

 

だが、シルヴィはナンバー1経験者、彼女は対覚醒者の戦法を熟知している、それ故にヒステリアの狙いを見切ると後方に強く跳躍した。

 

「…く」

 

間に合わない。

 

速度はヒステリアの方が上、だが、ヒステリアが追いつくより先にシルヴィが覚醒体になる。

 

ならばそこに突っ込むのは下策、ヒステリアは追うのを諦め、一旦止まると油断なく大剣を構えた。

 

 

 

身の丈は人の四倍程だろうか?

 

太くて長い、鋭い爪がついた金属のような八本の足に、突撃槍(ランス)を思わせる硬く鋭い二本の腕に、短剣のような四本の腕、それはまるで騎士と蜘蛛が融合したかのような怪物だった。

 

シルヴィは数倍の大きさになった口に残りの腕を放り込むと素早く咀嚼し飲み込んだ。

 

「……不意打ちなんて酷いなぁ、でも、今の踏み込み素晴らしかったよ、僕が戦士時代なら君の速さに嫉妬してただろうね」

 

シルヴィは若干先程より低くなった声でヒステリアを褒める。

 

「……褒め言葉として受けておくわ」

 

それに苦々しい声でヒステリアが答えた。

 

「皮肉で言ってる訳じゃないよ、本気でそう思ったんだ、君達二人は本当に素晴らしい」

 

そう言って、シルヴィは足の一本を背後に振り上げた。

 

猛烈な勢いで走る蹴撃、それをローズマリーは身を逸らして躱す、だが、さらに続けて別の足の蹴りが来る。複数の足から放たれる高速の蹴り、これは体捌きだけでは避けきれない。

 

ローズマリーはその蹴りの内、一つを選んで大剣で受ける。そして、受けた際の反動を利用し、シルヴィから距離を取った。

 

「妖気を読んだのかな? 君は僕の動きを予測してたね、しかも妖力解放なしでその身体能力の高さ、解放したらどれほどになるのかな?」

 

「解放しても大して変わりありませんよ」

 

「本当ぅ? ふふ、まあ、いいや、どちらにしても楽しい戦いになりそうで良かったよ、前回、前々回は覚醒体になるまでもなく全滅だったからね」

 

シルヴィは感覚を確かめるように六本の腕を素振りすると、内一本、突撃槍のようになった右手を後ろに引いた。

 

「二人とも並の戦士じゃないと思ってたけど、もしかしてナンバー1とナンバー2のタッグ?」

 

「いえ、私はナンバー4です」

 

ローズマリーの言葉にシルヴィは少し驚いた顔をした。

 

「え、本当? 今の戦士って凄い高レベルなんだね、じゃあ、そっちの君はナンバー5かナンバー6?」

 

「……失礼ね、私が今のナンバー1よ」

 

「あれ、そうなの? おかしいな、今の戦士ってナンバー1からナンバー4が団子なの?」

 

「その子がナンバー4なのがおかしいのよ」

 

拗ねたようにヒステリアが言った。

 

「ああ、なるほど、そっちの子がナンバー不相応の実力って訳か……いや、焦ったよ、君達レベルが何人も居るのかと思った」

 

そう、告げた直後、シルヴィの身体が爆発した。

 

いや、爆発したと錯覚してしまうほどの妖気が彼女の全身から迸ったのだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

ビリビリ伝わる死の気配にローズマリーの顔から表情が抜け落ちる。

 

無駄な感情に蓋をして、意識全てを闘争へ。

 

極限の集中、ここからは表情を作る余裕すらない。

 

ヒステリアも同様に表情を引き締めていた。

 

「ふふふ、本気で戦うなんていつぶりかなぁ」

 

そんな二人に対してシルヴィは余裕を崩す事なく楽しげに言った。

 

「じゃあ、さっきは言えなかったからね、改めて言うよ」

 

次の瞬間、シルヴィの姿が擦れた。

 

 

 

「さあ、戦闘開始だ」

 

眼前で言われた宣言にヒステリアが驚愕する。

 

あまりにも疾い。

 

「ッ!?」

 

接近と同時に放たれた高速の刺突、突進の勢いすら乗せた突きはヒステリアすら目視困難な超速で彼女の顔面に迫った。

 

「…くっ」

 

ヒステリアはその刺突を「流麗」を用いて辛うじて回避する。

 

ギリギリのタイミングだったのだろう、鮮血が宙を舞う、見ればヒステリアの頬は大きく裂けていた。

 

だが、そんな負傷を無視してヒステリアが最高速で踏み込みと華麗なステップでシルヴィの側面に回り足の一本に斬撃を走らせた。

 

 

響き渡るは澄んだ金属音。

 

シルヴィはヒステリアの斬撃を足の爪で受け止めたのだ。

 

「見事なステップだね、尊敬しちゃうよ」

 

「…く、貴様」

 

最高速の「流麗」にあっさり対応され、ヒステリアの顔が怒りで歪む。

 

ヒステリアは最速の戦士、彼女に取って最速は誇りだ。それ故、例え相手が覚醒者だとしても速度で上回られるのは最大の屈辱だったのだ。

 

「怒ると、隙が出来るよ?」

 

シルヴィの持つ短剣型の二本の腕が高速で走る。

 

「……チッ」

 

舌打ちし、距離を取ろうとするヒステリア、だが、そのヒステリア以上の速度でシルヴィは接近すると、再び超速の刺突を放った。

 

二度目の刺突、これをヒステリアは紙一重で避けた。

 

一度目の時に速度とタイミングを覚えたのだろう、足を殆ど動かさず左に身を反らす高度な回避方法。

 

尋常じゃない戦闘センスだ。

 

そのまま、ヒステリアはお返しに最速の突きを放とうとする。

 

 

 

……しかし。

 

「残念、フェイクだよ」

 

刺突を避ける為、視線を正面に集中したヒステリア、そんな彼女に出来た死角、そこから長い脚が飛び出してきた。

 

「(やられたッ!)」

 

刺突はフェイクだったのだ。

 

突きに意識を向けさせ、蹴りで仕留める。これがシルヴィの狙いだったのだ。

 

通常時なら躱せる攻撃、速いは速いが刺突に比べれば遅い、だが、既に攻撃の体制に入ったヒステリアにコレは躱せない。

 

紙一重で躱させたのは攻撃体制に移らせて、回避行動をさせない為か!?

 

「舐めるなッ!」

 

そこまで悟り、ヒステリアは……攻撃を続行した。

 

 

攻撃は最大の防御、今から回避に動いても、もはや避けようがない。

 

ならば突き進むのみ。

 

限界ギリギリまで妖力解放、ヒステリアは決死の覚悟でシルヴィに踏み込んだ。

 

突きが先か蹴りが先か、判断が難しい状況。

 

だが、初動が遅かった分、少しだけヒステリアが遅い。

 

このままでは、良くて相打ち。

 

そして、相打ちではヒステリアの敗北だ。

 

「(ヤバいッ!)」

 

迫る蹴撃にヒステリアが焦る。

 

しかし、今更止まれない、そもそもヒステリアの選択は間違っていない。

 

ただ、少しだけヒステリアに速度が足りなかっただけだ。

 

 

 

 

その時、シルヴィの身体が大きく傾いた。

 

その影響で軌道が変わり蹴りが大剣の根元に衝突する。

 

横合いから受けた衝撃にヒステリアの身体が宙を舞い、錐揉み回転して吹き飛んだ。

 

「ガッ!?」

 

それと同時に痛みに呻く声が聞こえる、それは紛れもなくシルヴィの声だった。

 

ヒステリアは空中で器用に体制を立て直すと、民家の壁に足から着地、即座にシルヴィを視界に収める。

 

目に映ったのは吹き飛ぶシルヴィ、よく見ればシルヴィの足は一本折れ、蜘蛛の方の胴体が小さく陥没している。その近くにいるのは大剣を振り切ったローズマリーだ。

 

ローズマリーはシルヴィがヒステリアに集中した瞬間を狙って接近、斬る為ではなく、シルヴィの体制を崩す為に大剣の腹で強烈な打撃を放ったのだ。

 

「く、このッ!」

 

良い一撃をもらい怒りを見せるシルヴィ。彼女は地面に足を突き立て即座に体制を立て直すと、地を蹴り砕きローズマリーに迫る。

 

だが、ローズマリーはシルヴィが踏み込んだ瞬間、足が地を離れ方向転換出来ないタイミングを狙って斜め前に踏み込んでいた。

 

二人の視線が衝突する。

 

そして、高速ですれ違うシルヴィとローズマリー、二人はすれ違いながら同時に攻撃、ローズマリーの横薙ぎがシルヴィの足を一本斬り飛ばし、シルヴィの刺突がローズマリーの肩を抉った。

 

「ぐぅ」

 

「ガッ」

 

痛みに顔を顰めながらローズマリーは止まることなく動き続ける。

 

ローズマリーは振り返ってバックステップ、追撃に放たれたシルヴィの足を躱すとちょうど加勢に入ろうとしたヒステリアの隣まで移動した。

 

「……ありがとう、助かったわ」

 

「いえ、当然のことをしたまでです」

 

視線をシルヴィに固定したままローズマリーとヒステリアが会話する。

 

その間にシルヴィは斬られた脚を拾い、再生の為に切断面にくっつける、邪魔したいところだが攻め込む隙がない。

 

ならばこちらも回復に力を回すべきだろう。

 

「……瞬間再生は出来ないみたいね」

 

「そうですね、それだけは救いです」

 

攻め込まれぬよう意識しながら会話を続ける二人、そんな二人の会話にシルヴィが入ってきた。

 

「驚いた、認め難いけど、君達って戦士時代の僕より上なんだね」

 

「当然でしょ、今更気付いたの?」

 

シルヴィの言葉にヒステリアが鼻を鳴らす。

 

それにシルヴィがムッとした。

 

「あれれ、態度デカイなぁ、君はその子の助けがなきゃ僕に殺されてたと思うんだけどなぁ?」

 

「そんなわけないでしょ、たかがナンバー5の覚醒者に私がやられるわけがない」

 

「失礼な、僕はナンバー1だよ」

 

「覚醒した時は5でしょ」

 

殺意が篭った金眼で互いを睨みながら二人は会話を続ける。

 

「……さっきから思ってたけど、君は素直じゃないね、隣の子ーーローズマリーを見習ったらどうだい?」

 

「覚醒者が気安くローズマリーを名前で呼ばないでくれるかしら」

 

「ローズマリー自身が名乗ったんだから良いじゃないか!」

 

「いいえ、良くないわ!」

 

 

なんか、変な事で口論になり始めた。

 

そんな事を思いつつ、ローズマリーはシルヴィの能力を振り返る。

 

シルヴィの武器は速度だ。

 

ヒステリアを超える速度の突進から繰り出される鋭い刺突は高位戦士の動体視力ですら目視困難な超速。

 

真正面から放たれれば避ける自信はない。上手いこと妖気探知による予測で真正面から撃たれないように動いているローズマリーだが、ローズマリーの妖気探知はテレサ程、万能ではい。

 

速度、威力、角度、タイミングを完璧に判断出来るテレサと違い、ローズマリーのそれは “おそらく” 右手から攻撃が来る、みたいな漠然としたものだ。

 

今の所は上手く当たりを引いているが、その内ハズレを引くだろう。

 

それに攻撃手段は刺突だけではない、刺突に比べれば遅いが、ローズマリーの剣速に迫る高速の蹴撃に、まだ使用してない短剣型の四本腕。

 

まったく、嫌になる強さの覚醒者だ。

 

それ故、ローズマリーは迷う。

 

妖力解放すべきだろうか? と。

 

 

妖力解放したローズマリーの力は半端ではない。

 

おそらく、解放すれば目の前のシルヴィに単独、勝利する事も可能だろう。

 

「(……いや、止めよう)」

 

しかし、ローズマリーは自身の考えを打ち消した。

 

確かに解放すれば勝てる、だが、同時にローズマリーは自分を抑え切る自信がなかったのだ。

 

なにせ、訓練生時代、それで失敗したのだから。

 




シルヴィの容姿が分かり辛かったらごめんなさい。

シルヴィは蜘蛛女、アラクネが近ただし、人間部分は甲冑を着た6本腕の戦士ような姿です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

エヴァの暴走モードは勝利フラグ。


「くっくっく、始まったか」

 

そう、黒服の男ーー組織最高の研究員ダーエが楽し気に呟いた。

 

ダーエは焼け爛れ瞼を失った左目で、眼下で行われる戦いを観察すると何事かを手元の紙に書き込んでいく。

 

そんなダーエに話しかける者がいる。

 

「こ、こんなに近くまで来て大丈夫なの?」

 

鮮血のアガサだ。

 

彼女はナンバー2と思えぬ、不安そうな声と表情でダーエにそう聞いた。

 

情けないが、それも仕方あるまい、アガサの眼下の戦いはそれほど常軌を逸していたのだ。

 

それこそ一桁ナンバーでも瞬殺されかねない程に。

 

「…はぁ」

 

だが、そんなアガサが気に入らなかったのかダーエは戦いから目を逸らさずに溜息を漏らした。

 

「大丈夫にするのがお前の仕事だろう?」

 

「じ、自信がないんだけど」

 

「何もアレが襲って来たら戦えと言っているわけではない、妖気を消す薬は飲んでいるだろう? もし発見されたら私を抱えて逃げろ、囮はコイツ等がやる」

 

え、マジですかッ!?

 

そんな表情で周りにいる組織の下級構成員がダーエを見つめた。

 

「で、でもあんなのに追いかけられたら私じゃ」

 

それでも不安を拭えぬアガサ。

 

「……はぁ、もういい黙れ、お前と喋っていると興が削がれる」

 

そんな不安そうなアガサを一蹴し、ダーエは完全に意識を戦いに集中する。

 

アガサが涙目でまだ何かを言っていた。だが、そんなアガサを無視してダーエは戦いをーーローズマリーを観察する。

 

何せ、ローズマリーにこの依頼を回したのはダーエなのだから。

 

「さあ、見せてくれ…新たな戦士の可能性を」

 

独り言のように、ダーエが聞こえる筈ない距離からローズマリーに語りかける。

 

静かながらもその声は興奮と期待に満ちていた。

 

 

 

「…………」

 

そんなダーエの声を聞きながら、アガサと下級構成員は願った。どうか自分の出番が回ってきませんようにと。

 

 

 

 

 

 

 

動いたのは同時だった。

 

ローズマリーとヒステリアはシルヴィに一気に接近すると、彼女の間合いにギリギリ入らない地点で弾けるように左右に分かれた。

 

そして、二人はシルヴィに苛烈な剣撃を走らせた。

 

「おっと」

 

その左右からの攻撃にシルヴィはあっさり対応する。

 

彼女は下半身の蜘蛛の目でローズマリーを、上半身の人型の目でヒステリアを追い、二人の剣閃を持ち上げた足の爪で受け止めた。

 

「…ちっ」

 

「…くっ」

 

攻撃失敗。だが、二人の動きは止まらない。

 

シルヴィの隙を作ろうと、めまぐるしく立ち位置を変えながら、ローズマリーとヒステリアが苛烈な連撃をシルヴィに仕掛ける。

 

「ふふ、甘い甘い」

 

それでもシルヴィには通じない。彼女は剣撃一つ一つをその六本の腕で丁寧に落して防ぐ、いや、それどころか彼女はこの状況で反撃に転じた。

 

シルヴィは攻撃に対する防御を短剣型の四本腕に任せると、突撃槍で刺突の雨を二人に降らせる。

 

刺突は一撃一撃が高速かつ強力、一つだろうと直撃すれば致命傷は避けられまい。

 

「(ち、面倒な…ここは下がるべき?)」

 

「(避けきれないかも、防御を固める?)」

 

 

そんな考えがヒステリアとローズマリーの頭に浮かび、すぐに消えた。

 

防戦に回ったら押し切られる、ならばこちらも攻めねばなるまい。

 

「…ふっ!」

 

「…はっ!」

 

 

短く鋭い呼気を発し、渾身の力を大剣に込める。

 

そして、さらなる速さを得た大剣が連続突きを迎え撃った。

 

刺突と斬撃が激突し、衝撃波が巻き起こる。

 

槍と剣の接触で火花が辺りに舞い飛んだ。それは互いの命を奪わんとする熾烈な斬り合いの始まりだった。

 

「はあああああッ!!」

 

「セイッ!!」

 

二人が攻める。

 

「…ふふ」

 

シルヴィも攻める。

 

下位の戦士では目視も叶わぬ速度の攻防、そこに達した攻撃の数々が互いを殺さんと牙をむく。

 

剣撃の余波が不可視の鉄槌と化し廃墟を揺らし、刺突の風切り音がガラスを砕く。三人の戦いで滅びた街が壊れていく。

 

それは並の戦士や覚醒者では立ち入る事さえ許されない、そんな異常なレベルの戦いだった。

 

 

「楽しいね、本当に楽しいよ!」

 

熾烈な戦いに興じながらシルヴィが声を上げる。

 

それは余裕の証明だった。

 

この攻防、ほぼ互角に見えるがそれはシルヴィが意図的にそうしているからに過ぎないのだ。

 

そう、シルヴィはまだ全力ではない。

 

深淵級、数いる覚醒者の中でも最強に近いシルヴィの実力は歴代五指に入るナンバー1、流麗のヒステリアと、そのヒステリアに匹敵する天稟のローズマリー、そんな二人の力を合わせてなお上回る。

 

それほどシルヴィは強いのだ。

 

「ふふ、さて、速度を上げるよ準備は良い?」

 

「ち…この程度余裕よ」

 

シルヴィの言葉に強がりを返しながらヒステリアは更に妖力を解放した。

 

それにより、ヒステリアの体格が一回り大きくなる。

 

自分の身体に舌打ちしつつ、ヒステリアは速度を高める。今までギリギリのラインと設定していた解放率40%、それを超えた解放率50%だ。

 

「…むっ」

 

一気に上がった速度と力にシルヴィの顔色が変わる。

 

どうやら予想以上だったらしい。

 

「へぇ、まだ本気じゃなかったんだ、なんですぐに使わなかったの?」

 

「……ここまで出したくなかったのよ」

 

その言葉にヒステリアが苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

戦士は妖力解放50%を超えると筋肉が肥大する。個人差はあるがそれはどの戦士も変わらない。

 

そこまで解放してしまうと体格が良くなり醜くなってしまう、それが堪らなく嫌だった。だからこそ、今の今までヒステリアは力を抑えていたのだ。

 

「出したくなかった? ふふ、手加減は強者の特権だよ? 君は強者だけど、僕に対してそれをするのは傲慢じゃないかな?」

 

「ちっとも傲慢じゃないわ、だって私、あなたよりも強いもの」

 

「はは、凄い自信だね、その自信、何時までも持つか試して上げるよ……まあ、その前に」

 

背後から迫るローズマリーの斬撃、それをシルヴィは軽々と躱し、口の端を吊り上げた。

 

そしてシルヴィは巨大に似合わぬ高速かつ繊細な動きでローズマリーの背後に回ると攻撃を外され身体が泳いだ彼女に狙いを定める。

 

「…くっ」

 

ローズマリーは急ぎ体勢の立て直しを図る。

 

だが遅い。

 

万全の迎撃体勢に入る前に、シルヴィの苛烈な連撃がローズマリーに襲いかかった。

 

「く…つ、う」

 

六本の腕から放たれる突きと斬撃のラッシュ、頭、心臓、そして腹部、それら急所を狙った連撃がローズマリーを削っていく。

 

「いっ、ツゥゥ!」

 

「…く、このッ!」

 

シルヴィのラッシュはヒステリアの妨害により一瞬で終わる。

 

だが、その一瞬が命取りだった。

 

一瞬で放たれ、一瞬で通り過ぎた嵐、その被害はあまりに甚大だった。

 

ローズマリーの身体から絶えず赤い血が流れる。

 

全身に多数の傷を負ったローズマリー、その傷はどれ酷い有様だった。

 

高い身体能力を誇るローズマリーだが、彼女は素の速さでヒステリアに若干劣る。しかも彼女は妖力解放していないのだ、その為、妖力解放しているヒステリアと比べてその速度は二段は遅い。

 

妖気による先読みがあるとは言え、そんなローズマリーが、崩れた体勢でヒステリア以上速度を持つシルヴィのラッシュに晒されればこうなるのは必然だった。

 

「ろ、ローズマリーッ!?」

 

悲痛な叫びをヒステリアが発した。

 

現状ヒステリアは大きな隙を晒して入るが、そんなことは気にならなかった。

 

何せ、たった一人の友達が致命傷に近い怪我を負ってしまったのだから。

 

 

左腕を肘から失い、脇腹を深く抉られ、頬骨が砕け片耳が削がれている。その他にも小さな傷は数え切れない。そんな見るも無残な姿となったローズマリー。

 

戦力半減どころか立っている事さえ難しい重症だった。

 

「正直、君からリタイアなのは意外だったよ」

 

そう、少し拍子抜けしたようにシルヴィが言う。最初の感触からシルヴィはヒステリアよりもむしろローズマリーの方が厄介だと感じていた。

 

それ故に出た感想だった。

 

「君の間違いは妖力解放しなかったことだ。君クラスの力の持ち主なら妖力解放すればもっと戦えたはずだよ」

 

もはや勝負は決した。そう言わんばかりの表情でシルヴィがローズマリーに話しかける。

 

その時、ローズマリーから強い妖気が迸る。

 

見れば彼女の目は鮮やかな金に染まっている。それは妖力を解放した証だった。

 

「……ふ、ふふ…ふ、ふははははは!」

 

そんローズマリーをシルヴィが嘲笑する。当然だ、何故なら既にローズマリーは瀕死の重症を負っている、今更解放したところで何が出来る?

 

「何してるの? 何してるの? え、君ってもしかして馬鹿なの?」

 

 

「…………」

 

それに答えずローズマリーは爛々と眼を輝かせシルヴィに向い踏み込んだ。

 

その動きに嘲笑を浮かべていたシルヴィと悲壮な表情だったヒステリアが揃って驚愕する。

 

「えっ!?」

 

「なっ!?」

 

なぜならローズマリーの動きは重症を負いながらも先ほどよりも速かったからだ。

 

彼女は一直線に向かうと見せかけ、数回ステップを踏む、そして流れるように身を翻し、シルヴィの背後に回るとその動きと連動させて大剣を振った。

 

ローズマリーの剛腕に遠心力すら加えた大剣が猛然とシルヴィに迫る。その一撃に合わせシルヴィは足を振り上げた。

 

正確無比、シルヴィは高速で走る大剣の腹を蹴り上げ、攻撃を回避、そして彼女は攻撃を弾かれ体制を崩すローズマリーに短剣型の腕を向ける。

 

その時、悪寒がローズマリー背を貫いた。

 

咄嗟に身を捻るローズマリー、そんな彼女に向かい短剣型の腕が高速で “伸びた”

 

本来の長さの数倍、そして突撃槍以上の速度で伸びた短剣が身を逸らしたローズマリーの左肩に接触、肩口から残った左腕を斬り飛ばし地面に突き刺さった。

 

そう、目立つ二本の突撃槍ではない、シルヴィ最速の武器は短剣型の四本腕なのだ。

 

「…ぐぅ」

 

痛みに呻くローズマリー。彼女はバックステップでシルヴィから距離を取ると片手で大剣を正眼に構えた。

 

致命傷と思われた脇腹の怪我、歪ながらそれが今の攻防の間に塞がっている。顔の怪我もそうだ、耳が再生し、そこに皮が出来始めている。

 

そして、たった今切り落とされた左肩の肉が蠢き、そこから枝を伸ばすように肉が盛り上がっていく。

 

シルヴィは顔に驚愕を張り付けてその様子をただ見つめた。

 

「…………」

 

そして、見つめる事十数秒、ローズマリーの最初怪我は完璧に治癒し、皮膚こそないが大まかに左腕も再生してしまった。

 

とんでもない再生能力である。

 

そんなローズマリーの再生能力にシルヴィが警戒した。

 

「……防御型?」

 

そう、シルヴィが呟いた。

 

防御型とは戦士のタイプの事である。

 

戦士には大きく分けて二つタイプがある。

 

一つは攻撃型、その名の通り攻撃能力に優れる者が多く、歴代ナンバー1の殆どがこのタイプに分類される。

 

そして、もう一つが防御型、回復能力に優れ、攻撃型には出来ない完全な四肢の再生が出来、攻撃型では致命傷に近い内臓破壊すらモノによって治癒可能なタイプである。

 

ローズマリーはこの防御型に分類される。そう、シルヴィは推測した……いや、しかけたのだ。

 

「うんうん、そんなはずない。金眼になる程度の解放だけで覚醒者の僕を超える再生能力…そんなのは明らかに異常だ、君は一体なんなんだ?」

 

「…………」

 

その問いかけにローズマリーは答えない。

 

いや、答えられないが正確か。彼女は砕けるほど強く歯を噛み締め、何かを必死に抑え込もうとしているようだった。

 

「なんでこの場面でまた、妖気を沈めてるの? 訳がわからないよ……でも、なんか、君はヤバそうだな」

 

シルヴィは得体の知れない危機感をローズマリーから感じた。

 

「危ないものは消さないとね」

 

そう言ってシルヴィは短剣の照準をローズマリーに合わせる、先は一本だったが今度は四本だ。

 

「だから早めに死んッ!?」

 

シルヴィが真横に跳ぶ、つい今しがたまでシルヴィの胴体があった位置を大剣が通過した。

 

ヒステリアの一撃だ。

 

ヒステリアは鋭い舌打ちをした後、ローズマリーを守るように彼女の前で大剣を構えた。

 

「いたた、その子に意識を向け過ぎたか」

 

シルヴィは浅く斬られた背中を見て己の不注意を苦笑する。そして、彼女は自分に傷を負わせたヒステリアに苦言を漏らした。

 

「それにしても君はナンバー1のくせに不意打ちが多くない? 最強が不意打ちばかりなのは下に示しがつかないよ」

 

「ふん、無視するのがいけないのよ、私、無視されるのが一番嫌いなの」

 

シルヴィの苦言に悪びれもせずヒステリアが吐き捨てた。

 

「うわ、なにその発言、自意識過剰……まあ、良いよ、望み通り君をメインで相手してあげる、どうやらその子はまだ動けないようだからね」

 

そう言ってシルヴィはニヤリと笑った。

 

「……ッ!」

 

その言葉を否定しようローズマリーが一本足を踏み出し、その瞬間、彼女は膝をついた。

 

彼女は金から銀に戻った目で、自分の身体を見る。

 

その身には既に怪我はない。

 

だが、全身に力が入らない、これ怪我の影響ではなく、妖力を解放したあとそれを抑え込む、たったそれだけで起こった現象だった。

 

ローズマリーは己の不甲斐なさに弱々しく拳を握った。

 

「ローズマリー」

 

そんなローズマリーにヒステリアが優しく声をかけた。

 

「少し休んでなさい」

 

「ヒ、ステリア、さん」

 

「私はあなたがどういう状態か分からない、でも無理してることだけは分かるわ、だから休みなさい、こいつの相手は私がする」

 

そう言い切りヒステリア真っ直ぐと大剣をシルヴィに向けた。

 

「へぇ、言ってくれるね、メインとは言ったけど正気? 君一人で僕の相手が務まるとでも?」

「そう、です、ヒステリア、さんだけじゃ」

 

愚かだと揶揄して言うシルヴィ、無茶だと止めるローズマリー。

 

「舐めるな」

 

そんな二つの意見をヒステリアは一刀両断した。

 

「もう一度言うわ、こいつの相手は私がする。心配しなくていいわ、たかが元ナンバー5覚醒者、そんな奴に私が負けるはずないもの」

 

そう自信満々に言い切るヒステリア、その言葉にシルヴィが反論する。

 

「もう、だからさっきも言ったでしょ、僕はナンバー1の覚醒者だって」

 

「ふん、利き手を失ったくらいでナンバー5まで落ちる弱っちいナンバー1でしょ? そんなのそこらの覚醒者と変わりないわ」

 

その挑発にシルヴィの顔が引き攣った。

 

「……本当に君は口が悪いね、いいよ、じゃあ、無知な君に教えてあげる、戦士と覚醒者の絶望的な力の差をね」

 

「……ふん、着いて来なさい」

 

そう言ってヒステリアが走り出した。

 

「あれ、その子を無防備にしていいの?」

 

そう、短剣型の腕をローズマリーに向けながらシルヴィが言った。

 

しかし、そんなシルヴィの行動にヒステリアは動揺しない。

 

「あら、ナンバー1は不意打ちしないんでしょ、それともやっぱりナンバー5だからあなたはするのかしら?」

 

「……言ってみただけだよ、ムカつく奴だな」

 

そう会話を交えるとローズマリーを置いて二人は風のように離れて行った。

 

 

 

「どう、しよう」

 

身体の不調とは別の要因でローズマリーの顔が青くなる。

 

このままではヒステリアが危ない。

 

確かにヒステリアは強い。

 

歴代ナンバー1の中でも五指に入ると言われたその力はそんじょそこらの覚醒者では相手にすらならない。

 

だが、アレはダメだ。

 

鋭剣のシルヴィ。元ナンバー1の覚醒者、アレはそこらの覚醒者とは格が違う。戦ってみて分かった、アレにヒステリア単独で勝利するのは困難だと。

 

「くっ」

 

歯を噛み締め、膝に手を置き、ローズマリーは立ち上がる。

 

ふらつく意識に、力の入らぬ身体、コンディションは最悪だ。

 

「くっそ、このポンコツ!」

 

ローズマリーは平手で自分の太腿を叩く、だが、痛みは感じるも力がまるで入らない。

 

こんな状態では足手纏いにもなれない。

 

遠くで強大な妖気同士がぶつかり合う。

 

妖気の強さからヒステリアが更にもう10%ほど妖力を解放したようだ。

 

「……ヒステリアさん」

 

ローズマリーは聞こえてくる剣戟の音に焦る。よく聞いた音だ。あの音は大剣で攻撃を受ける音だ、大剣で攻撃する音ではない。

 

つまり妖力を引き上げながらもヒステリアは既に押されている。

 

「…………」

 

どうすればいい。ローズマリーは必死に考えた。

 

体調は一向に良くなる気がしない、いや、少しずつ良くはなっている、だが遅い、あまりにも遅い、しかも、良くなる順番が頭、耳、口と上から回復してきている。

 

「(口が回るからどうなる? 挑発でもしろと? 耳が良くなった? それがあの戦いに役立つのか? くそっ! 回復するならまず足からにしろ!)」

 

ローズマリーは内心で自分の身体に文句を垂れた。

 

だが文句を言っても仕方がない。今はこの状況を打破しなければ。

 

「どうしよう」

 

同じ言葉を繰り返す。

 

方法がない。

 

「…………」

 

いや、嘘だ、方法ならある。だがローズマリーには決意がないのだ。

 

ローズマリーは知っている。この最低のコンディションを一発で絶好調まで引き上げる方法を。

 

それは本当に簡単な事だ。

 

ただすればいい。

 

 

もう一度、妖力解放すればいい。

 

「…………」

 

ローズマリーはじっと自らの掌を見つめる。

 

その掌は先ほどよりも震えている、恐怖の所為だ。

 

「…耐えられる? 」

 

そう、ローズマリーは自らに問いかけた。

 

おそらく、シルヴィに勝つには最低でも30%は妖力を解放しなければならない。

 

だが、先程の解放は10%だ。それを死ぬ気で抑え込んだから、こんなコンディションになった。先程の三倍、果たしてそれを抑え込めるだろうか?

 

「…………」

 

いや、それどころか、まずシルヴィに向かって行けるのだろうか?

 

ローズマリーの妖力解放は他の戦士とは違う。彼女のソレは特殊なのだ。

 

普通の戦士は妖力解放70%を超えると意識混濁が起こり80%で “戻れなくなる” つまり覚醒してしまう。

 

だが、ローズマリーの場合は違う。

 

彼女の場合、20%で意識混濁が起こる、そして、何%で覚醒するかまだ分かっていない。

 

いや、もしかしたら覚醒すらしないのかも知れない。

 

「…………」

 

遠くで聞こえる剣戟の音に肉を裂く音が混じり出した。

 

限界だ。もう、時間がない。

 

「…………」

 

自分を助ける為に来てくれたヒステリア。

 

そんな彼女を見殺しにするのか?

 

 

そんな事、出来る筈がない。

 

ローズマリーは唇を噛んだ、歯が皮膚を破り、口内に血が溢れるが構わず噛んだ。

 

 

 

そして、彼女は決意を固める。

 

 

「……ああ、もう、本当に頼むよ、お願いだからヒステリアさんだけは襲わないでね」

 

泣きそうな顔で自分に言うローズマリー。

 

彼女は再び妖力を解放した。

 

敵はシルヴィ。

 

敵はシルヴィ。

 

敵はシルヴィ。

 

敵はシルヴィ。

 

念じるように自身に刷り込むようにローズマリーは何度も何度も言い聞かせる。

 

そして、ローズマリーの瞳が金に染まった。

 

彼女はそこから徐々に妖力を上げていく。

 

 

 

……しかし。

 

「……あ」

 

妖力が20%を超えた辺りで不意にローズマリーの意識がブラックアウトした。

 

 

 

 

 

意識が途切れる寸前、口に溢れる血の味が酷く美味しく彼女は感じた。

 

それは久しぶりに感じた懐かしい味だった。

 

 

 




クレイモアの暴走モードは……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

……グロ注意?


 

クレイモアとは妖魔の血肉を取り込んだ、半人半妖の存在である。

 

彼女達は常人より遥かに優れた運動能力と大抵のケガを傷跡も残さず回復できる高い治癒力を持ち、それでいて、非常に少食で一週間程度なら飲まず食わずでも身体機能に影響が無い。

 

体温を調節し極寒の環境にも耐え得るし、年月を経ても老衰せず若々しい肉体を保つ。

 

そんな実に優秀な戦士である。

 

だが、その程度ではダメなのだ。

 

組織が求めるのはその程度の存在ではない。

 

彼等の目的を考えれば、常人より遙かに優れるのではなく “化物” より遙かに優れなければ意味がないのだ。

 

ただ、勿論、戦士で組織の理想を満たすレベルの戦士が居ない訳ではない。

 

中には化物以上の力を持つ戦士も生まれる。だがそれは偶然だったり元から才能があったりと数百人に対して僅か数人の割合、それではダメなのだ。

 

全ての戦士がーーいや、作られる全ての半妖が化物以上でなければならない。

 

そう、せめて、誰もが中位の覚醒者くらいの力を持っていなければいけない。

 

しかし、それを実現するには妖魔の血肉では力不足だった。

 

ならばどうする?

 

 

 

 

簡単だ、妖魔に近くより強い化物の血肉を使えば良い。

 

 

 

 

 

 

 

急激な緩急が残像を生む。

 

残像を囮に滑らかな動きでヒステリアがシルヴィの背後に回り、斬撃を放った。

 

……しかし、

 

「ふふ、どうやらそろそろ限界みたいだね」

 

切り裂いたのはシルヴィの残像だ。

 

シルヴィはヒステリアのお株を奪う、流麗な動きで彼女の裏をかくと、大剣の空振りで隙が出来たヒステリアに痛烈な蹴撃を叩き込んだ。

 

「…ごふ!?」

 

脇腹に直撃した蹴りが肋骨を纏めて砕く、そのままヒステリアは地面と平行に蹴り飛ばされ町と外を区切る強固な壁に背中から突っ込んだ。

 

「かはっ!」

 

背中を強打し肺の空気が勢い良く吐き出される。空気に混じりヒステリアの口からは少量の血が吐き出された。

 

 

……そんなヒステリアに、

 

「それっ!」

 

シルヴィが容赦なく追撃する。

 

ヒステリアが地に落ちる前に高速の突きが彼女に襲いかかった。

 

猛烈な勢いで放たれた刺突、ヒステリアは辛うじて突きと自分との間に大剣を滑り込ませた。

 

轟音が辺りに響く。

 

刺突に押される形で大剣の腹と壁とのサンドイッチとなったヒステリア。

 

それから数瞬後、その尋常じゃない突きの威力に壁が壊れる。

 

大剣が手から離れ、投げ出されたヒステリアがゴロゴロと町の外へと転がっていく。そんな彼女に追いつき、シルヴィは潰さぬ程度にヒステリアを踏みつけた。

 

小さな呻き声がヒステリアから漏れる。彼女は虫の息だった。

 

「……ふぅ、疲れた」

 

そうシルヴィが呟いた。その声にはやりきった感がある。それは久しくしていない強者との一対一の戦いに勝利したが故であろう。

 

戦いは終始シルヴィが押していたが、危ない場面が何回かあった。シルヴィに大きな怪我はないものの小さな傷なら幾つかある、その傷があるのはどこも急所だ。

 

もし、回避が少し遅れていたら。

 

もし、まともに食らっていたら。

 

今、倒れているのはシルヴィだったかも知れない。そう思わせる程、ヒステリアとシルヴィの実力は拮抗していたのだ。

 

 

「…危なかったよ、君にもう少し持久力があれば負けていたのは僕だったかも知れない」

 

「が…こ、の」

 

拘束を解こうとヒステリアが必死にもがく。

 

だが、彼女にはもう、手加減したシルヴィの足を振り払う力も残っていなかった。

 

「充実した時間だった。本当に、こんなに楽しい戦いは覚醒してから味わった事がなかったよ」

 

「……ふ、ん、まっ、たく、うれしくない、わね」

 

シルヴィの賞賛にヒステリアは途切れ途切れの言葉で毒づいた。

 

「はは、そう突っぱねるなよ、本気の本気で褒めてるんだ、君は強かった」

 

「うる、さい」

 

「はぁ、君はこの状況でも変わらないんだね」

 

シルヴィは頑なな態度のヒステリアに溜息を漏らした。

 

「…まあ、自分を曲げないのはナンバー1らしいくて良いと思うよ」

 

シルヴィはどこか羨望しているように言うと突撃槍をヒステリアに向けた。

 

「(これで、終わり?)」

 

自分に向けられた槍を見上げヒステリアは思った。

 

私は特別だから死なない。そう考えていた自分がいる。

 

訓練生時代から飛び抜けて強く、今まで戦い続けてきたが苦戦した事なんて数えるほどしかない。

 

そして、その苦戦も必ず乗り越えられる程度のモノ。

 

それだけヒステリアは強かった。

 

だから、ヒステリアは思っていた。自分は特別であり絶対に死なない存在だと。

 

 

だが、そんなモノは錯覚だった。

 

死が目の前に迫って初めて気づいた。

 

確かに自分は特別だった。でも、絶対に死なないほどは特別ではなかったのだと。

 

「(ああ、こんな事になるなら、あの子について行かなきゃ良かったかな? )」

 

そんな思いが頭に浮かぶ。

 

だが、それは直ぐに否定された。

 

「(……いや、いずれ死ぬならせめて美しく終わりたい、そう、思えば友達を守ろうと格上に挑んで負けるなんて、死に様としては中々美しい最期じゃない)」

 

そんな自分の考えにヒステリアは心の内で小さく笑う。

 

「じゃあね、ヒステリア」

 

「…気安く、呼ぶな」

 

やはり変わらぬヒステリアの態度に苦笑し、シルヴィは構えた槍を大きく引きーーそこでこちらに向かう強大な妖気を感じ取った。

 

「……この妖気はローズマリー?」

 

シルヴィが怪訝そうに言う。

 

イマイチ自信がなさそうなのは妖気の質があまりにも戦士とはかけ離れていたからだ。

 

先ほど少しの間だけ感じたローズマリー妖気、その時も何かおかしな気がしたが、今ならはっきりおかしいと思った理由が分かる。

 

この妖気の質は覚醒者のソレなのだ。

 

「覚醒した? ……いえ、元々覚醒していたの?」

 

シルヴィが足の下のヒステリアに問う。

 

だが、ヒステリアは目を見開き、町から迸る妖気の方を見つめていた。

 

「……なるほど、君にも秘密だった訳だ、妖気を常に抑えていたのは戦士と組織に覚醒者と悟られない為かな」

 

「嘘、そんな、はずないわ」

 

ヒステリアが愕然としたように呟く。

 

その時、町中から轟々とした地響きが響き……次の瞬間、空から一つの影がシルヴィとヒステリアの近くに降り立った。

 

それはローズマリーだ。

 

高所からの着地した為だろう、彼女の足元が陥没する。

 

だが、陥没した地面に対しローズマリーに怪我はなかった。

 

「……ここまで跳んだの? 凄いね」

 

そう言いながらシルヴィはローズマリーを観察する。

 

身長は170前後、肩口まである銀髪に爛々と輝く金の瞳、整った顔立ちは凛々しく、だが、どこか幼さを感じさせる。ボロボロとなった衣服から覗く手足は細く、あの豪腕の持ち主とは思えない。

 

「(何も、変わってない?)」

 

シルヴィは金眼になった以外変化がないローズマリーに首を傾げた。

 

妖気の質は相変わらず覚醒者のソレだ。だが、ローズマリーは覚醒体にもならずただ瞳を金に染めているだけだった。

 

ローズマリーが覚醒者ならこの場面で覚醒体にならないのはおかしい。

 

「(よく見なさい、覚醒なんてしてないじゃない)」

 

不審に思うシルヴィとは逆にヒステリアは安堵していた。

 

ローズマリーの姿は妖力解放した戦士のソレだ。おそらく解放率は30%、顔つきが変わる直前辺りまでの解放なのだろう。

 

だが、30%でも感じる妖力の力強さはヒステリアの50%に匹敵する。

 

先のローズマリーの体調不良から考えると、ローズマリーが妖力解放したがらなかったのはおそらく、強大過ぎる妖力に自分の身体がついて行けないから。

 

そう、ヒステリアは考えた……自分の都合の良いように。

 

「……良かった、もう動けるのね」

 

ヒステリアがローズマリーに話しかけた。

 

だが、

 

「…………」

 

ローズマリーは答えない。

 

それどころか、

 

「(私を、見ていない?)」

 

そう、ローズマリーはヒステリアを見ていないのだ。瀕死となりシルヴィに押さえつけれているヒステリアを見てすらいないのだ。

 

確かにヒステリアに視線を向ければシルヴィに隙を晒さすだろう。だが、一瞥すらしないのはさすがにおかしい。

 

その様子に先の安堵を消し飛ばす凶悪な悪寒をヒステリアは感じた。

 

「君、覚醒したんじゃないの?」

 

「…………」

 

ローズマリーはシルヴィの問いにも答えない。

 

そして、ローズマリーはゆっくりとシルヴィに向かい歩き出す。

 

やはり彼女は瀕死のヒステリアに目もくれない。その視線はただシルヴィに固定されている。

 

そんなローズマリーの姿を見て何故かシルヴィの背筋に冷たいものが走った。

 

「ねぇ、何か言いなよ」

 

「…………」

 

「見えないの? その子、君を守ろうとこんなにボロボロになったんだよ」

 

「…………」

 

「大剣はどうしたの? まさか素手で戦う気?」

 

「…………」

 

そのままローズマリーは歩いてシルヴィの間合いに入った。

 

隙だらけだ。

 

当然、隙だらけなら攻撃する。

 

三本の短剣が閃光と化す、一瞬で伸びたシルヴィの腕がローズマリーの胸と胴体を貫いた。

 

心臓、肺、肝臓、重要な臓器を三つも壊した。

 

これは例え防御型だとしても致命傷だ。

 

「ローズマリー!?」

 

ヒステリアが悲鳴を上げた。

 

「…………」

 

ヒステリアの悲鳴に初めてローズマリーは彼女を見る。

 

だが、彼女はすぐにヒステリアから視線を逸らし自分を貫く三本の腕を凝視した。

 

「……狂っちゃったの?」

 

あっけな気なく致命傷を与えられたローズマリーに首を傾げるシルヴィ。

 

たった今感じた悪寒はなんだったのか?

 

そんな事をシルヴィが、考えた時、ローズマリーが左右の手で二本の腕を握る。

 

「……いっ」

 

同時に鋭い痛みがシルヴィに襲いかかった。

 

痛みの発生場所は腕の中間、ちょうどローズマリーが握っている部分だ。

 

急ぎシルヴィは自らの腕を見る。すると自分の腕は半ばから刃に断たれたように斬れていた。

 

「……ッ!?」

 

「うぐぅ!?」

 

それを見てシルヴィはバックステップ、踏みつけられていたヒステリアがその衝撃で意識を失う。

 

もしかしたら死んだかも知れない。

 

シルヴィは密かにヒステリアを殺すのは槍と決めていたのだが。そんな事を気にしていられなくなった。

 

ここに来て、シルヴィが感じる悪寒が爆発的に高まる。

 

ローズマリーから漂う妖気の強さが増した。

 

いや、正確には増している、それもとんでもない勢いだ。

 

「……冗談だよね」

 

覚醒してから忘れていた死の気配、それが盛大に襲いかかりシルヴィの心臓が早鐘のように鳴り始めた。

 

「…………」

 

ローズマリーの腹部から大量の血が溢れる。

 

一息に腹部から腕を引き抜かれ、ただでさえ大きな傷口が更に大きくなったのだ。

 

だが、そんなローズマリーの腹に開いた大穴が見る見る内に塞がっていく。

 

そして数秒後、傷口は綺麗さっぱり消え去った。血の跡がなければそこに大穴があったと信じられないほど完全に。

 

「…………」

 

ローズマリーは寸断され自分に刺さったままの二本の腕を無造作に引き抜く。

 

やはりその傷もほんの数秒で消える。

 

元防御型の覚醒者に匹敵……いや、凌駕する再生力だ。

 

そして、ローズマリーは引き抜いたシルヴィの腕を口元に運ぶと、

 

 

……躊躇なく嚙りついた。

 

ボロボロと一部を地面に落としながら、頑強な外殻に覆われた腕がローズマリーの口の中に消えていく。

 

それを見て、シルヴィは自分の判断ミスを知った。

 

「……はぁ、意地なんて張らず、あの時、殺しておくべきだったか」

 

覚醒者かは分からない、だが、断じて普通の戦士ではない。

 

自らの腕を食べるローズマリーを冷や汗交じりに見つめながらシルヴィは残った刺突槍と短剣の腕を構えた。

 

戦う気なのだ。

 

未知の相手だ、普通ならここは一旦退くべきだろう。

 

「……逃げるのは性に合わないんだよね」

 

だが、シルヴィは元ナンバー1のプライドがある。そのプライドがシルヴィから逃げるという選択を消し去った。

 

「ーーフッ!」

 

シルヴィが地を蹴り一直線に踏み込んだ。

 

狙いは顔面。

 

風を貫き、刺突槍がローズマリーの顔に迫る。

 

その刺突をローズマリーは左手で掴んだ。金属が引き千切れるような異音が響く。

 

だが、槍はそれでも止まらない。

 

手の内で槍が滑る、そのまま速度を落としながらも槍がローズマリーの顔面へ。

 

そんな槍に対しローズマリーは大きく口を開いた。

 

ガキンという、金属音がローズマリーの顔面から鳴った。

 

そして、シルヴィの刺突が止まる。ローズマリーは槍が自分に到達する直前、槍の穂先に噛みついたのだ。

 

「く、この悪食め!」

 

シルヴィはローズマリーを振り払うために全力で腕に力を入れる。

 

だが、動かない。まるで万力に挟まれたようにシルヴィの腕は停止していた。

 

冷静に観察すればローズマリーの爪と指が刃のように硬化し槍に突き刺さいる。

 

「(部分覚醒!? やはり覚醒しているのか?)」

 

一部だけを覚醒させる能力、稀に戦士でも使える者が出るが基本は覚醒が使うモノだ。

 

「チッ」

 

この固定は力技では解けない。

 

シルヴィは瞬時にそう判断すると即座に足を振り上げる。

 

すくい上げるように走った蹴撃がローズマリーの腕に直撃。嫌な音を響かせて彼女の右手を蹴り砕いた。

 

「ーーシッ!」

 

この一撃で自由となったシルヴィが妖力を腕に集中、渾身の連続突きを放った。

 

四本の腕から走る高速の刺突の嵐。ソレが閃光のようにローズマリーに迫る。

 

「…………」

 

だが、そんな刺突の嵐にローズマリーは突っ込み、

 

 

潜り抜けた。

 

「なっ!?」

 

驚愕の声を漏らすシルヴィ。

 

当たり前だ、今のは明らかに無謀な行為だったのだから。

 

あの連続突きに避ける隙など全くなかった。だから潜り抜けるなんて不可能な筈だった。

 

しかし、ローズマリーは潜り抜けた。

 

その身に降り注ぐ刺突の雨、この連撃に対しローズマリーは頭に当たるモノだけを避け、それ以外は完全に無視した。

 

結果、ほぼ一直線にシルヴィに接近したローズマリーは突きを潜り抜ける代償に多数の刺突をその身に受け、穴ぼこだらけになってしまった。

 

だが、一直線に向かった故に攻撃に晒される時間は極短時間、それは普通の戦士や覚醒者では無謀な行為でも、異常な再生能力を持ったローズマリーには最善の行為だったのだ。

 

「…くっ」

 

自分の攻撃を凌ぎ。眼前にいるローズマリーが残った左腕を大きく引き、それを放つ。

 

高速の槍と化した抜手がシルヴィに迫る。

 

ーー避けねば。

 

そう、シルヴィは思うが動けない。連続突き後の硬直と驚愕による僅かな思考停止が攻撃を避ける時間を奪ったのだ。

 

 

そして、ズブリと肉に埋まる嫌な音が小さく響いた。

 

「が、ぐっあ」

 

鋭利な刃物のように……否、鋭利な刃物そのものと化したローズマリーの右手が槍のように伸び、シルヴィを貫いた。

 

それはシルヴィの短剣とそっくりだった。

 

「ぼく、をまね…て?」

 

「…………」

 

その時、身体の中で何かが蠢く気配がした。

 

「待っ」

 

待って、そうシルヴィが言おうとした瞬間、幾つもの巨大な棘が彼女の身体を突き破り顔を出す。

 

「あ…が、が…か」

 

意味の無い声がシルヴィの口から漏れた。見れば棘の一本が彼女の後頭部から突き出ている。

 

これは覚醒者でも致命傷だ。

 

そのまま、シルヴィの巨体が揺らぎ地に倒れ伏す。

 

それからシルヴィは二度と動かなくなった。元ナンバー1の覚醒者とは思えぬ呆気ない最期であった。

 

「…………」

 

シルヴィが倒れると同時にローズマリーも地に転がる。

 

当たり前だがシルヴィの連続突きに突っ込んだ代償は大きい。最初の勢いが死んでなかったから攻撃に持ち込めただけでローズマリーは立つ事も出来ない身体になっていたのだ。

 

「…………」

 

だが、そんな身体も30秒で完治する。

 

ローズマリーの全身の肉が蠢き、あり得ない再生能力で身体を修復し終えると。ゆっくりとシルヴィの遺体に覆いかぶさった。

 

 

冒涜的な音が辺りに小さく鳴り出した。

 

 

 

 

 

 

「…ぐ」

 

鈍痛でヒステリアは目を覚ました。

 

「……?」

 

ヒステリアは今まで自分が何をしていたのか分からなかった。

 

状況判断が遅いのも仕方ない。

 

戦士になってそれなりに長いが彼女は戦闘中に意識を失ったことが無いからだ。

 

「………ッ!?」

 

暫く呆然とした後、ようやくヒステリアは意識を失う前の状況を思い出した。そして、彼女は全身を襲う鈍痛を無視して立ち上がる。

 

「ぐ…なんで、生きてるの? じゃあローズマリーが勝ったの?」

 

あの状況で意識を失う、それ即ち死と同義である。それでも自分が生きているのはローズマリーが勝ったからだ。

 

そう、判断したヒステリアはローズマリーを探す為、辺りにを素早く見回した。

 

 

ローズマリーは直ぐに見つかった。彼女はほんの20メートルも離れていない場所で倒れこんでいた。

 

「ローズマリー!」

 

ヒステリアが安心したような声を上げる。

 

見た所、ローズマリーに怪我がないからだ。

 

そのまま、彼女は嬉しそうにローズマリーに近づき、

 

「…………」

 

二歩目で足を止めた。

 

何か、重要な事を忘れている。

 

自分がシルヴィに組み敷かれている時、その時、現れたローズマリーはどこかおかしかった。

 

そして、シルヴィはなんと言った?

 

 

そう、確かローズマリーが覚醒しているとか。

 

「…………」

 

ヒステリアはローズマリーをしっかりと見た。

 

彼女に大きな怪我は見当たらないーーだが、彼女の腹はまるで出産前の妊婦のように膨らんでいる。

 

そして、ローズマリーの周りには赤黒い多数の肉片が転がっていた。

 

「…………」

 

再び、ヒステリアは歩き出すーーただし、自分の大剣を拾う為に。

 

やらなければならない事は分かっていた。

 

もう、意識はしっかりとしている。先程はシルヴィの攻撃で朦朧としていた。

 

だから自分に都合の良い答えを出した。

 

だが、冷静になった今だから分かる。ローズマリーから漂う暗く澱んだ底知れぬ強大な妖気に。

 

この妖気の質は紛れもなく覚醒者のモノ、それもあのシルヴィすら圧倒する未だ嘗て感じた事ないレベルの妖気だ。

 

もしかしたら今いる覚醒者の中で最も強いのでは?

 

そう、思ってしまう程、ローズマリーが秘める妖気は絶大だった。

 

「…………」

 

転がっていた大剣を拾い、ヒステリアは一歩一歩ゆっくりとローズマリーに近づく。

 

怪我のせいか? それともこれからやる事の為か? 手に持つ大剣がやけに重かった。

 

「……ローズマリー」

 

ヒステリアがローズマリーの下まで到着した。

 

ローズマリーは眠っている、怖い夢でも見ているのか、苦悶の表情を浮かべていた。その表情を見て、無性に彼女を起こしてあげたくなるも、寸前でそれを押さえる。

 

もし、起こしてしまえば勝ち目などないからだ。

 

「…………」

 

無言で、ヒステリアは大剣を振り上げる。カタカタと揺れる大剣が自分の迷いだと知りながらも彼女はソレを断ち斬る決意を固めた。

 

「(ああ、そういえば一度似たような事があったわね)」

 

ヒステリアは思い出す、数年前、黒の書を送られた相手の事を。

 

接点の薄い相手だったが、その戦士はヒステリアに憧れていた。だから “限界” を向かえた時、覚醒してしまう前にヒステリアに終わらせて欲しかったと言っていた。

 

ローズマリーも同じ状況ならソレを選んだだろうか?

 

「……ごめんなさい、間に合わなくて」

 

そう小さく呟き、ヒステリアは歯を噛み締める。

 

……そして、

 

 

彼女は大剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何事にもプロトタイプというのが存在しますよね。

例えば、クレイモアで言えばアリシアのプロトタイプであるルシエラ。

ローズマリーもそのプロトタイプです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

原作より気弱なアガサ。

原作通り、度胸が凄いダーエ。


澄んだ金属音が鳴り響いた。

 

見ればヒステリアの大剣が同じ大剣に止められている。

 

それにヒステリアが驚いた。

 

「アガサ!? でも妖気なんて全然……妖気を消す薬か」

 

疑問を抱き勝手に自己解決したヒステリア。そんな彼女に睨まれてアガサはすくみ上がった。

 

「……なんのつもり、なんで私の邪魔をするの?」

 

「う…わ、私だって邪魔なんかしたくないわよ! でも、あいつが止めろって言ったのよぉッ!」

 

そう叫びアガサが鍔迫り合いの状態から全力でヒステリアを押す。

 

ヒステリアはそれに逆らわず後ろに飛んだ。

 

「……あいつ? あいつって誰?」

 

ヒステリアは軽やかに着地、大剣を構えたままアガサに質問する。

 

「私だ」

 

その質問に答えたのはアガサではなかった。

 

「……ダーエ、なぜあなたがここに?」

 

組織の最高研究者の登場にヒステリアの眉がピクリと動く。

 

何か、裏がある。何故なら本来研究者である彼がこんな場所まで出張ってくるはずないのだから。

 

「なに、ローズマリーが任務をしっかりこなしているか観察しに来たのだよ」

 

くっくっくと笑い、ダーエはヒステリアの質問に答える。

 

それを聞いて、ヒステリアが殺気立った。

 

「まさか…この任務、あなたが回したの?」

 

「その通りだ」

 

殺気が高まった。

 

高まったのは殺気だけではない、妖力もだ。

 

強大な妖気の発露にアガサの顔が盛大に引き攣る。

 

今、アガサは妖気を感知出来ない。にも関わらず、ヤバイと感じるほどヒステリアの雰囲気は苛烈だった。

 

「(な、なんで私がこんな目に合うのよ!?)」

 

アガサが内心で自分の不幸を叫ぶ。

 

ないと思うが……思いたいが、もしも、ヒステリアがダーエに襲いかかった場合、護衛である自分がヒステリアに立ち向かわねばならない。

 

だが、アガサはこのヒステリア相手に1分保たせる自信もなかった。

 

というか、生き残れる自信がなかった。

 

「なぜ、こんな無茶な任務をローズマリーに与えた」

 

静かだが怒りに満ちた声でヒステリアが問い詰める。

 

そんなヒステリアにダーエは肩を竦めた。

 

「無茶な任務? どこがだ」

 

「どこが、ですって…ふざけないで、まさかナンバー1の経験がある覚醒者の単独討伐が無茶じゃないと言うつもり?」

 

そのヒステリアの質問にダーエはニヤリと口を歪めた。

 

「もちろん、そう言うつもりだ」

 

殺気が爆発した。

 

「ーーッ! 貴様」

 

「あーストップ! ストップ! 待って! 待ちなさいヒステリアッ!」

 

 

アガサが今にもダーエに襲いかかりそうなヒステリアを必死に止める。

 

それによりヒステリアは動きを止めるが代わりに収束した妖気と殺気をダーエに放つ。

 

放たれた殺意がダーエの顔を叩く。だが、それに対しダーエは更に口を歪め、楽し気な笑みを浮かべた。

 

「なぜ怒る? ちゃんとローズマリーは任務を遂行出来たではないか」

 

「遂行出来た!? この子、覚醒しちゃったじゃない!」

 

激しい怒りを纏いヒステリアが叫んだ。

 

この場に渦巻くヒステリアの殺意は最早敵対者に放つレベルのモノになっている。

 

「(……も、もうダメかも?)」

 

アガサは諦めの境地に達すると、ただ強く大剣を握り正眼に構えた。

 

そんなアガサを他所にヒステリアとダーエの会話は続く。

 

「そう見えるのか? こいつは覚醒していないぞ」

 

「……何を言っている? この妖気の質は覚醒者のソレだぞ」

 

お前は戦士じゃないから分からないんだ。

 

そう、ヒステリアが、つけ加える。

 

だが、そう言われてもダーエは小揺るぎもしない。

 

彼は組織の誰よりも戦士について詳しい自信があったのだ、それこそ当の戦士自身よりも。

 

「……ふむ、ならば証拠を見せよう、アガサ、ローズマリーを起こせ」

 

「うぇっ!?」

 

突然の無茶振りにアガサの顔を青くした。

 

アガサに取ってヒステリアと戦う決意よりローズマリーを起こす決意の方が数段持つのが難い。

 

何せ、アガサはダーエと共にシルヴィ捕食のシーンを目の当たりにしている。

 

そのシーンを見て彼女がローズマリーに抱いた感想は覚醒者を超えた化物ーー悪魔だ。眠れる悪魔を起こすなんて真似、彼女には出来ない。

 

むしろ、内心ではヒステリアにローズマリーを殺して欲しいと思っているくらいだ。

 

「……じょ、冗談よね? こんな化物を起こしたらこの場の全員喰い殺されるわよ!」

 

恐怖から肩を震わせ、アガサは無茶を言うダーエに涙目で振り返った。

 

そんなアガサを殺す目でヒステリアが睨んでいる。ローズマリーを侮辱され怒っているのだ。ただ、涙目で焦るなアガサはそれに気づかない。

 

それ果たしてそれは幸か不幸か? この場に置いては幸と言えるかも知れない。既にアガサの心労はピークを迎えているのだから。

 

「問題ない、例えローズマリーが暴走状態でも……いや、むしろ暴走状態の方が安全かも知れん、何せ、その時は妖魔と覚醒者だけを殺すように条件づけしてある」

 

「なっ!?」

 

「えっ!?」

 

そのダーエの言葉に戦士二人は愕然とした。

 

「……なにそれ、どういう事?」

 

ヒステリアが強い不信感を持った声を発した。

 

「くっくっく、こいつは根本からお前達とは違うというだけだ」

 

含みのある言葉にただでさえ苛立っていたヒステリアが更に苛立つ。

 

これ以上刺激するな、そうアガサは冷や汗を流しながら思った。

 

「ちゃんと説明しなさい」

 

「ふふ、そう焦るな、先ずはローズマリーを起こそうじゃないか」

 

「…………」

 

その言葉に少しだけヒステリアの怒りが収まる。

 

ちゃんと説明がされる、そう確信したのだ。

 

なぜ確信したかといえば、話したくて仕方がない、そうダーエの顔に書いてあるからだ。研究者というのは得てして自分の作品を他人に自慢したがる生き物なのだ。

 

「さぁ、アガサ、ローズマリーを起こせ!」

 

そう、ダーエが珍しくテンション高めに命令を下した。

 

しかし、そんなダーエにアガサは全力で首を横に振った。

 

「い、嫌よ、そんな自殺みたいな真似!」

 

「……はぁ、お前、本当にナンバー2か?」

 

興が削がれた。そんな顔でダーエは溜息を吐くと、周りにいる下級構成員の一人に声をかけた。

 

「……しょうがない、おい、そこのお前」

 

「わ、私でしょうか?」

 

「そうだ、お前だ、ローズマリーを起こせ」

 

拒否権はない、そうつけ加えるダーエ。

 

下っ端の辛い所である。

 

「……りょ、了解しました」

 

青い顔の下っ端が意を決し、恐る恐る、ローズマリーに近付く。

 

その時、ローズマリーが寝返りをうった。

 

「……っ!」

 

下っ端は恐怖のあまり息を荒げる。

 

「はあ、はあ……だ、大丈夫だ、俺なら出来る、出来るッ!」

 

だが彼は命令実行の為に自分を鼓舞すると、倒れる彼女にゆっくりと、

 

 

 

……足を伸ばし、ツンツンと蹴った。

 

 

その時、凄まじいキレの「流麗」が炸裂。

 

ヒステリアが一瞬にしてアガサの横を通過する。アガサは反応すら出来ない。そのままヒステリアはローズマリーの下に到達すると、彼女を蹴った下っ端を殴り飛した。

 

「ぐはっ!?」

 

吹っ飛んだ下っ端がゴロゴロと地を転がり、そして止まる。

 

「…………」

 

彼はピクリとも動かなくなった。

 

「おいおい、殺してないだろうな? お前を粛清せねばならなくなるぞ」

 

倒れた男をどうでも良さそうに見た後、ダーエがヒステリアに軽く注意する。

 

「……死なない程度には手加減したわよ」

 

そう吐き捨てるとヒステリアはしゃがみ込んでローズマリーの肩を軽く揺らした。

 

「おやおや、お前が起こすのか? お前に信じさせる為にそいつに起させようとしたのだが」

 

「……覚醒してないんでしょ?」

 

「ああ、していない」

 

「なら、私が起こすわ……それが友達の役目よ」

 

それだけ言うと再びヒステリアはローズマリーの、肩を揺らし、耳元で優しい囁いた。

 

「起きて、ローズマリー」

 

「…………」

 

反応がない。

 

「ローズマリー」

 

「…………」

 

反応がない。

 

「ローズマリー!」

 

「…………」

 

やっぱり反応がない。

 

 

「………起きないんだけど」

 

ヒステリアが恨めしそうにダーエを睨んだ。

 

「…ふむ? 久しく使っていなかった妖力解放で消耗したようだ。相手が深淵に近い力の持ち主だったのもそれに拍車をかけたのだろう」

 

ダーエがスタスタとローズマリーの下へ歩くと、そのまましゃがみ込み、無造作に彼女の瞼を指でこじ開けた。

 

ローズマリーの瞳は未だに鮮やかな金色だった。

 

「……乱暴にするな」

 

「過保護だな、お前はこいつの母親か? ……まあ、安心しろ、ローズマリーは頭さえ無事ならどんな怪我も欠損も治す再生能力がある。多少乱暴に扱っても問題ない」

 

「そう言う問題じゃない!」

 

ヒステリアが声を荒げて抗議した。

 

それにダーエはうんざりした顔をする。

 

「はぁ、昔と性格が変わってないか? …性格が変化するのは良くあることだが、少々急に変わり過ぎだと思うぞ? まあ、これ以上お前の機嫌を損ねるのも良くないか、ローズマリーについて説明しよう」

 

「前置きは良いわ、早く言いなさい」

 

「くっくっく、そうかそうか、しかし、本人の許可なくコレを話すのは心苦しいな」

 

ダーエは心にもない事を口にした。

 

だが、その言葉にヒステリアがピクリと反応する。

 

「…………」

 

「どうした? いきなり黙り込んで」

 

ダーエは怪訝な顔でヒステリアに問う。

 

今の今まで自分に噛みついていたヒステリアが急に静かになったからだ。

 

「………やっぱり、話さなくていいわ」

 

ヒステリアはダーエの問いには答えず、ただ説明は不要だと口にした。

 

「おや、聞きたかったのではないかな?」

 

「必要ないわ、ローズマリーに聞くから」

 

「そうか、だがローズマリーが素直に話すとは思えんが?」

 

「それでもいいわ、話したくない事の一つや二つ、誰にでもあるもの……この子が覚醒してないならそれでいいの、気になるけど、無理に理由を聞く必要はない」

 

「……そうか」

 

ダーエが少し残念そうな声で言う。彼はローズマリーの説明がしたくて堪らなかったのだろう。

 

「ではヒステリア、ローズマリーを私の馬車まで運べ、運び終えたらお前とアガサは西の街、スコダに向かえ、そこで新たな任務がある」

 

「私もって事は覚醒者狩り?」

 

「その通りだ」

 

「……ナンバー1とナンバー2のタッグてこと? 随分物騒な任務のようね」

 

「くっくっく、シルヴィに比べれば大した事ない相手だよ、だが、数が多くてな、アガサは覚醒者を逃さぬ為のオマケだ」

 

ダーエはローズマリーの秘密の代わりに任務の詳細を話し出した。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

静かにローズマリーは目を覚ました。

 

眼に映る天井には見覚えがある。使い古された名台詞が言えなかった。

 

「起きたか」

 

そんな時、ローズマリーの耳を聞き慣れたしわがれ声が叩いた。

 

この声の持ち主は、

 

「ダーエさん?」

 

そう、組織の研究者であるダーエだ。

 

「久しぶりだなローズマリー」

 

「はい、お久しぶりです、半年振りくらいでしょうか?」

 

「ああ、それくらいになるな」

 

和やかに話す二人、何処と無く祖父と孫のようなだ。それは研究の為、組織に来てかずっとダーエの元に居たからだろう。

 

ダーエとローズマリーの付き合いは今年で六年になる。

 

そして、ダーエはローズマリーの恩人でもあった。

 

「それで、状況が分からないんですけど……なんで私は寝台に裸で拘束されてるんですかねぇ」

 

少し恥ずかしそうにローズマリーが言う。

 

隠したいのだが、拘束されて隠せない、普通なら軽く壊せる拘束具もなぜか上手く身体に力が入らず解くことが出来なかった。

 

特殊な麻酔か何かを打たれたのかも知れない。

 

「……ふむ、やはりまだ慣れんのか、似たような事ならこの5年で何度もしたと思うのだが?」

 

「いやいや、これって慣れるものじゃないですから」

 

「そうか? 他の戦士達は慣れたものだぞ?」

 

そう言ってダーエはローズマリーの “綺麗な” 腹部を指でなぞった。

 

「ひゃ!? ちょ、ダーエさん!」

 

羞恥心とくすぐったいさで変な声をローズマリーがあげた。

 

その顔はかなり赤い。

 

「くっくっく、やはりお前は不思議な奴だ。普通は、ある程度人格形成が終わる思春期を迎える前から似た状況に晒され続ければ、自然と羞恥心が薄くなるはず…なのだがなぁ」

 

ダーエは興味深気にローズマリーを観察した。

 

それにローズマリーは冷や汗を流す。

 

「……ま、まぁ、私は人格形成が人より早かったんですよ」

 

「そんなものか?」

 

「そんなものです」

 

「……そうか、少々納得いかないが、まあ、それはおいおい追求するとしよう」

 

「……追求するんですか?」

 

「疑問があれば追求する、それが研究者と言うものだ……だが先ずは状況を教えてやろう。お前はシルヴィ討伐を覚えているか?」

 

「シルヴィ、討伐?」

 

それにローズマリーは首を傾げ、次の瞬間、顔が強張った。

 

「………教えて下さい、ヒステリアさんはどうなりました? 生きて、ますよね?」

 

それは懇願するような、震える声だった。

 

それを見てダーエは大袈裟な奴だと思う。

 

「ああ、生きているぞ」

 

それを聞き、ローズマリーは胸を撫で下ろした。

 

「はぁ、良かった」

 

「ああ、私も嬉しいよ、ヒステリアは私の最高傑作の一つだからな、シルヴィ討伐について行った時は少し焦った」

 

そう、全く焦ってないようにダーエが言う。

 

ここでローズマリーはある事に気がついた。

 

「もしかして、シルヴィさんの討伐を回したのって、ダーエさんですか?」

 

「その通りだ」

 

「………それって私に妖力解放させる為、ですか?」

 

「然り、よく分かったな」

 

「いや、だってダーエさんて会う度に妖力解放しろってうるさいですし」

 

「データが欲しかったのだよ、今後の為にな」

 

ダーエが悪びれもせず言う。それにローズマリーは顔を顰めた。

 

「まだ作る気なんですか……私みたいな化物を」

 

責めるようにダーエに問うローズマリー。

 

彼女の声は自嘲に満ちていた。

 

「そうだ」

 

そんなローズマリーの問いにダーエは肯定する。

 

「血と肉への渇望しかない怪物ではなく、お前のような理性ある成功体を作りたい、これが上手くいけば飛躍的に戦士の質が増す、そしてそれは人々の平和に繋がるのだ」

 

そう、明らかに悪人としか思えない笑みを浮かべ、ダーエが口触りの良い言葉を口にした。

 

それは誰が聞いても建前だと分かる理由だった。

 

「そんなこと言って、実は自分が研究したいだけですよね?」

 

「まあ、否定はせんよ、研究者の性だ許せ」

 

そう言って笑みを浮かべると、ダーエがローズマリーの拘束を解いた。

 

「……私の身体を弄るのは千歩譲って許しますが、成功もしない手術を他の子に施さないでくれますか?」

 

拘束されていた手首の調子を確かめながらローズマリーが強めに言う、それはさて置き、彼女はさりげなく秘部を手足で隠している。

 

やはりまだ恥ずかしいらしい。

 

「もう少しデータが欲しいな、私の言いつけ通り、お前が素直に妖力解放するなら考えるが?」

 

「…………」

 

「…………10%までなら、良いですよ」

 

長い沈黙の後、嫌そうにローズマリーが告げた。

 

だがそれにダーエは首を振る。

 

「それではダメだ、少なくとも20%まで解放しなければ意味がない」

 

「理性のない怪物がお好みで? 喰い殺されてしまいますよ?……う」

 

自分で言って気分が悪くなったのか、ローズマリーは青い顔で口元を押さえた。

 

「問題ない、理性が飛んでいる時、お前が襲うのは覚醒者と妖魔だけだ、そう私が条件づけした」

 

「え……初耳なんですが?」

 

そんな重要な情報、早く言え。

 

ローズマリーがジト目でダーエを睨んだ。

 

「初めて言ったからな」

 

睨むローズマリーを前にダーエは平然と言ってのけた。

 

相変わらず凄まじい度胸である。

 

「いつの間に、そんな事を?」

 

「くっくっく、お前は私の可愛い作品だ。それくらいの安全装置は施している、まあ、もし不要だと言うなら外すことも可能だが?」

 

「いえ、そのままでお願いいたします」

 

ローズマリーは即答する。まあ、当然だ。

 

「そうか、外してみるのも面白そうだったのだがな」

 

「そんな危険な事を面白がらないで下さい」

 

「くっくっく、冗談だ私もまだ死にたくない。それでどうする? 妖力解放するか? しないのか? 私はどちらでも良いぞ」

 

「…………」

 

その問いにローズマリーは少し迷った後、

 

 

「………しません」

 

こう答えた。

 

「まあ、そう答えるだろうな」

 

その答えを予想していたのか、ダーエが当然とばかりに頷く。

 

「そりゃそうです、だって例え私が妖力解放しても約束守りませんよね?」

 

「ふむ、その通りだ。書面にも記されていない、しかも戦士との口約束など守る必要がないからな」

 

「ダーエさん、最低です」

 

「今に始まった事でもあるまい……だが、まあ、しばらくは新しい実験体は作らないつもりだ」

 

毎日毎日、飽きもせず戦士の観察、作成、研究をしているダーエのまさかの発言にローズマリーが目を丸くした。

 

「え?……あ、ありがとうございます、でも、なんでですか? 研究狂いのダーエさんらしくもない。あ、いや、本当にこのまま作らないでもらいたいんですけど」

 

余計な事を言ってしまった。そう思いローズマリーは急いで作らないで欲しい旨を付け足す。

 

そのローズマリーの問いに良くぞ聞いてくれたと言わんばかりにダーエの笑みが深まった。

 

「くく、実はこの二ヶ月、お前から取ったデータ解析が忙しくてな、新たな実験体を作るのはそれが終わってからだ」

 

「はい?……二ヶ月? それにデータってなんですか?」

 

疑問を抱きローズマリーが首を傾げた。

 

「ああ、まだこれも言ってなかった。お前は二ヶ月間眠っていたのだよ、しかも最初の一週間は妖力解放しっ放しでな」

 

「……………」

 

それを聞き、ローズマリーは絶句した。

 

「……………本当ですか?」

 

ようやく再起動してローズマリーがすぐ嘘をつくダーエに真偽を問う。

 

その問いにダーエは嬉しそうに頷いた。

 

「嘘ではない、おかげで大量のデータが手に入った」

 

そう言ってダーエは色々な数値が書かれた紙をヒラヒラと振る。それがローズマリーのデータらしい。

 

「……なんか、その紙に私の胸囲とかが書いてあるんですが、必要事項ですか、それ?」

 

「ん? ああ、再生力の実験でなお前の胸を削り取ってみた、その結果と経過が書かれているのだよ」

 

「人が寝てる間に何てことしてくれてんですかッ!?」

 

なんでもない風にとんでもない事を言うダーエ、そんな彼にローズマリーは猛抗議した。

 

「そういうのは許可を取って下さい!」

 

「なんだ、聞けば許してもらえたのか?」

 

「もちろん拒否します」

 

「だろうな、だから意識がない時にすました」

 

「ダーエさん、あなた最低です」

 

「それはさっきも聞いたよ、それに再生したから問題あるまい、しかも、再生する度にお前の胸は僅かに大きくなるようだぞ? もし、胸の小ささに悩んでいるなら妖力解放して抉れば簡単にバストアップが望めるぞ。良かったな」

 

「な、なんて要らない情報だ」

 

「そうか? 年頃の女は胸の小ささを気にすると聞いたのだが、情報が間違っていたか」

 

「はぁ……まあ、一般的にはそうかも知れません、でも私には不要です」

 

馬鹿らしくなったのかローズマリーは溜息を吐き寝台から降りる。そして、近くに落ちていたボロボロの服を拾った。

 

おそらくローズマリーが一ヶ月前着用していた服だ。

 

「……ダーエさん、新しい服ってありますか?」

 

赤黒い汚れが付着した穴ぼこだらけの服を広げながらローズマリーがダーエに聞いた。

 

まあ、結果は分かっている。多分、予備の服なんて用意していないだろう。

 

「ないな」

 

「ですよねー」

 

ローズマリーの予想通りだった。

 

それに少しだけ落ち込むとローズマリーは布切れを纏い、手術室から出て行こうとする。

 

「おや、もう行くのか?」

 

「もうもなにも二ヶ月もここに居たんでしょう?」

 

「二ヶ月しかだ、一生ここにいても構わんよ」

 

そう言ってダーエが手招きをする。

 

そんなダーエがローズマリーには地獄に誘う悪魔にしか見えなかった。

 

「は、はは、それプロポーズですか?」

 

「いいや、残念ながら私は既婚者だ」

 

 

今日一番の驚愕がローズマリーに襲いかかった。

 

聞き間違いか? ローズマリーが自分の耳を指でほじくった。

 

ほじくりすぎて少し血が出た。

 

「…………き、既婚者? そ、それはさすがに嘘、ですよね?」

 

信じられない事実を知ってしまった。そんな顔でローズマリーが聞き返す。

 

「くっくっく、さてな、信じる信じないはお前に任せるよ」

 

そんなローズマリーに否定も肯定もせずダーエはただ笑った。

 

それが気になりダーエを追求しようとローズマリーが口を開き……やはり止める。

 

今はやるべき事があるのだ。

 

「き、気になりが、まあいいです。それでは私はこれで」

 

「なんだ、本当にもう行くのか?」

 

「はい、ヒステリアさんに会いたいんで」

 

「向こうはお前に会いたいと思わないかも知れんぞ」

 

言葉の刃がローズマリーの胸に突き刺さった。

 

「………う、なんで、そういう事言いますかねぇ、それくらい分かってますよ」

 

少しだけ殺気を込めてローズマリーが言う。

 

だが、ヒステリアの本気の殺意にすら笑顔を崩さなかったダーエに、そんな微弱な殺気など痛くも痒くもない。

 

「悪いな、ついお前を見ていると揶揄いたくなる」

 

「……揶揄っていいネタと悪いネタがありますよ」

 

「くっくっく、悪いと言っているだろう? まあ、ヒステリアについては大丈夫だ、ヒステリアはお前を心配していたよ」

 

「………そうですか」

 

そう呟き、ローズマリーはダーエに一礼すると、手術室を出て行った。

 

彼女の横顔はやけに嬉しそうだった。

 

 

 

「………さて、私もデータ収集に戻るか」

 

ダーエはローズマリーを、見送ると椅子から立ち上がる。

 

そして、彼は手術室の奥、カーテンで区切られたそこに踏み入った。

 

 

 

 

 

「さてはて、せっかく得たこれをどう使うべきかな?」

 

そう呟き、ダーエは奥に安置されていた複数の “首のない” 女性の身体を愛おしげに撫でるのだった。

 

 




ヒステリア「この、エロジジイめッ!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

テレサの弱点を潰していくスタイル。


言わねばならない。

 

そう、ローズマリーは思った。

 

今更という思いはあった。言うならもっと早く、自分が暴走する前に言うべきだったと。

 

しかし、秘密を話すのは勇気が要る。しかもローズマリーの秘密はかなり重い。それこそ話せば縁を切られかねない重大な秘密だ、必要な勇気もひとしおだろう。

 

 

だが、それでも。

 

それでもローズマリーは秘密を話す事を決意したのだ。

 

 

 

……そして、

 

「ああ、空が青いなぁ〜」

 

ローズマリーは空を見上げ、そんな当たり前の感想を口にした。

 

 

 

秘密を話す事を決意したローズマリー。

 

彼女は手術室を後にし、備品庫で新しい制服を拝借すると、そのまま、ヒステリアの担当地まで走り出した。

 

その速度は正に疾風、そんな速度でローズマリーは駆け抜ける。今の戦士で彼女を捕らえられるのはヒステリアだけだろう。

 

その疾走は本当に素晴らしい速度だった。

 

 

 

でもローズマリーは捕まった。

 

それはもうあっさりと捕まった。

 

ローズマリーの妖気を感知したテレサがちょっぴり妖力解放して追いかけて来たのだ。

 

 

ローズマリーの妖気が動いてる。それも自分の方向へ。それを感じ取ったテレサはローズマリーが自分に会いに来たと思ったのだ。

 

久しぶりの再会、妖気を近く(組織本部)に感じていたのに一向に会いに来てくれなかったローズマリー、そんな彼女がついに動き出したのだ。

 

それにテレサは期待に胸を膨らませ、ワクワクしながら何を話そうかとこの二ヶ月の事を振り返る。だが、特に目新しい話題がない。それに焦って何かあるだろうと記憶をほじくり返していると。ふと、気づいた。ローズマリーの妖気が離れて行っていることに。

 

途中までは此方に向かっていた。だが、彼女はあっさりと訓練場を通過、そのまま高速で離れて行くではないか。

 

そう、ローズマリーはテレサに会いに来た訳ではなかったのだ。

 

それにテレサは落胆する。そして同時に腹を立てた。だから彼女はローズマリーを追いかけた。

 

テレサは軽い妖力解放で身体を強化、ローズマリーの倍する速度で疾走すると僅かな時間で彼女に追いき、ローズマリーを捕縛してしまったのだ。

 

 

 

まあ、要するにさっきのローズマリーの呟きはただの現実逃避だということだ。

 

 

「……はぁ」

 

ローズマリーが溜息を吐いた。現在、彼女はテレサに引きずられて訓練施設まで向かっている……いや、正確には連れて行かれていた。

 

「ねぇ、テレサちゃん?」

 

ズルズルと踵で地面を削りながら、両手をガッチリ拘束され引きずられるローズマリーがテレサに話しかけた。

 

「なに、お姉ちゃん?」

 

ローズマリーに話しかけられテレサが嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

可愛い顔だが、漏れ出る妖気が半端ではない。まさか、金眼に “ならない” 程度の妖力解放でシルヴィに匹敵する妖気とは、さすがのローズマリーもこれには冷や汗が止まらなかった。

 

「ええと、自分で歩けるから手を離してくれるかな?」

 

「やだ、離したらお姉ちゃん逃げるでしょ?」

 

テレサが笑顔で言う。

 

だが、内面は違う。漏れ出る妖気が激しく騒ついている。

 

これは妖気の持ち主が怒っている証拠だ。

 

つまりテレサは笑顔で怒っているのだ。

 

「(か、顔と感情が合ってないッ!)」

 

笑顔の裏に鬼を見たローズマリーが顔を引き攣らせる。

 

 

「い、いや、逃げる訳じゃなくて、ちょっと会いたい人が居るんだよ」

 

「………私より?」

 

テレサの目が細まった。

 

同時に彼女の目が金色に染まる。彼女から放たれる妖気が更に増した。もう、完全にシルヴィ以上だ。

 

そんなテレサの妖気に思わずローズマリーの口から笑いが漏れた。

 

「は、ははは、いや、そういう訳じゃないよ、もちろんテレサちゃんに会いたかった。でもちょと、その人に言わなきゃいけない事があってね」

 

「それって今すぐ言わなきゃいけないことなの?」

 

「い、いや、絶対今すぐに言わなきゃいけないって訳じゃないけど」

 

……出来れば、早めに言いたいな。そうローズマリー言おうした時、テレサが割り込んだ。

 

「じゃあ、良いでしょ! それにお姉ちゃんの任務って私の先生だよね、任務をサボっちゃいけないんだよ? それとも他に任務が入ったの?」

 

「…………」

 

正論だった。それを言われては抵抗できない。

 

まあ、抵抗しても結果は同じになりそうではある。

 

なにせ妖力解放したテレサはローズマリーより力が強く、妖気探知による未来予知に等しい先読み能力を持ち、それでいて彼女より動きが速いのだ。

 

こんな相手からどう逃げろと?

 

「……そうだね」

 

ローズマリーは諦めに満ちた声でそう答えると視線をヒステリアの担当地がある方に向ける。

 

そして、彼女は心の中でヒステリアに謝った。

 

「(すいませんヒステリアさん…どうやら、直ぐには会いには行けそうにないです)」

 

所詮この世は弱肉強食、弱者(ローズマリー)の儚い抵抗など強者(テレサ)の前には無意味なのである。

 

そして。ローズマリーはテレサに引きずられて訓練施設へお持ち帰りされてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「(ああ、何故俺はこんな事をしているのだろう?)」

 

そう “元” テレサの指導員が内心で呟いた。

 

彼の目にはこちらの持つトランプを真剣に見るローズマリー、その横では一番にあがったテレサが「右、右だよ!」とこちらに聞こえる “ように” ネタバラしをしている。

 

そんなテレサに地味にイラつきなが元指導員は何食わぬ顔で手元のジョーカーの位置を入れ替えた。

 

 

 

 

 

こんな事になったのは三日前まで遡る。

 

……までもないので割愛する。

 

理由を説明するとすれば『二ヶ月振りに指導員に復帰したローズマリーによりまたテレサが甘やかされている』

……これに尽きる。

 

彼女が消えて二ヶ月、少しづつテレサの訓練時間を増やし、ついに元の訓練時間(一日12時間)に戻した元指導員の努力をローズマリーは全否定、彼女は復帰一日目にしてテレサの訓練時間を一日4時間に戻してしまったのだ。

 

で、現在は休憩時間、元指導員も巻き込んでトランプに興じているという訳だ。

 

 

「またビリだね」

 

笑顔の中に嘲りを滲ませてテレサが元指導員ーークルトに言う。

 

それに聞いたクルトの額に青筋が筋がいくつも浮かんだ。

 

「お前が、ローズマリーに手札を教えるからだろ」

 

それにクルトは声を押さえて返す。

 

正直、彼は怒鳴り散らしたかったのだが、つい最近訓練生に指導員が半殺しにされるという事件があったばかりなので、少しばかり躊躇したのだ。

 

だが、そんなクルトの態度が面白いのか、テレサの笑みが深まった。

 

「ええ〜私は右とか左とかしか言ってないよ? これだけじゃ私が言ってるのがジョーカーか普通のカードなのかは分からないよね?」

 

微笑と言えば聞こえは良いが完全にクルトを揶揄うニヤニヤ笑いを浮かべ、テレサが首を傾げる。

 

「(このガキ、うぜええええッッ!!)」

 

テレサが我が儘になっている、それも急速に。そう、クルトは思った。

 

ローズマリーが指導員になってからだ。これも全部奴が悪い。そう考えクルトがギロリとローズマリーを睨んだ。

 

するとクルトの言いたいことが伝わったのかローズマリーは困ったように、申し訳なさそうに苦笑し頬を掻いた。

 

「(コイツもこいつで)」

 

戦士としては優秀だ。彼女のナンバーは一桁上位である4だし、近くナンバー2になるのが確定している。

 

訓練生を強くするという面でも優秀だ。

 

ローズマリーが来てからテレサは飛躍的に強くなったように見える。戦士ではない自分にも分かるのだ、その成長はかなりのものと推測出来る。

 

だが、ローズマリーは指導員としては落第だ。

 

彼女は甘い、とにかく甘いのだ。

 

まるで愛娘を可愛がる母親……いや、娘を猫可愛がりする父親のようだ。本当にローズマリーは訓練生を甘やかし過ぎる。

 

それに元指導員として腹が立った。

 

戦士とは時に理不尽な命令にも従わなければならない。だが、その意識がローズマリーの指導では培われないからだ。

 

「(もっと訓練時間を伸ばせ、そして少しはテレサを怒れ! と言うかお前は “短期” 指導員だろ、なぜ半年もここに居る!?)」

 

クルトが内心でそんな文句を言っていると、澄んだ高い鐘の音が訓練場に響き渡った。

 

それは現在時刻を知らせる音、そして、遊び始めてこれで3時間が経過した合図だった。

 

「フッ、もう、充分休んだだろう、訓練に戻れ」

 

我が意を得たり、ニヤリとクルトが笑い、二人に訓練再開を促す。

 

遊びは3時間と決めていたのだ。

 

言い方が悪かったのか、クルトの言葉にテレサがムッとする。

 

「もう少しくらいいじゃん、ケチ」

 

「ふん、ケチも何も、決めたのはお前とローズマリーだろう」

 

「うっ」

 

クルトの返しにテレサが口籠る、そんなテレサ様子に苦笑するとローズマリーが口を開いた。

 

「そうですね、自分で決めた事くらい守らないといけないね、それじゃあ、テレサちゃんそろそろ再開しようか?」

 

そう言ってローズマリーが椅子から立ち上がる。テーブルのトランプはいつの間にか片付けられていた。どうやら彼女は決めた通り直ぐに再開するつもりだったようだ。

 

「……うん」

 

その言葉を受け、テレサが微妙に眉を曲げながら頷く。彼女は地に刺した大剣を引き抜きくと恨めしそうな視線をクルトに送った。

 

クルトはシッシと手で払う。

 

それに気分を害したのかテレサは顔を顰めると先を行くローズマリーを追いかける。

 

そのまま二人は連れだって訓練場の中央へと歩いて行った。

 

「…………」

 

そんな二人を見て、不意にクルトは寂しい気分となった。

 

「…………」

 

去り行く二人の背が故郷に残して来た妻と娘に重なったのだ。

 

彼女達は元気にしているだろうか?

 

手紙も届かぬ遠い故郷にいる家族を思い出し憂鬱な思いに支配される。

 

「………はぁ」

 

だが、沈んでいる暇はない。

 

クルトは暗くなった気分を溜息と共に吐き出し、残ったモヤモヤを頭を振って追い出すと、ペンを取り出し、報告書をまとめ始めた。

 

 

 

 

 

 

その場は静寂に支配していた。

 

「…………」

 

「…………」

 

テレサとローズマリーが向かい合う形で大剣を構えている。

 

二人の間には10歩程の距離がある。だが、そんなものクレイモアの中でも図抜け実力者である両者からすれば瞬く間に詰められる距離に過ぎない。

 

「(さて、どうしようか)」

 

大剣を上段に構えながらローズマリーがテレサを伺う。

 

テレサは正眼に剣を構え微動だにしない。カウンター狙い、あるいはこちらと同じように隙を晒した瞬間動くつもりか。

 

ローズマリーはテレサを慎重に観察しながら彼女の動きを予測する。

 

「(妖気の流れに偏りはないし、動きもない、これは先読み出来ないな)」

 

実に自然で美しい妖気の流れだ。ローズマリーにはテレサの次の行動がまるで読めなかった。

 

「(だけど、逆にこっちは読まれてるよね)」

 

ローズマリーは試しにほんの少し大剣を動かそうとする。すると、自分の中の妖気が腕と肩周りに集中したのが分かった。

 

しようとしまいが妖気を持つ者はこれから動かす箇所に妖気が集中してしまう。それはどう足掻いても避けられないモノ、身体の作り上起こる当然の現象だった。

 

つまり、動こうとしたら先読みされる。

 

事実テレサはほんの僅かな妖気の流れを感知し集中力を高めていた。

 

「(この場合は先に動くのは悪手、テレサちゃんが動くのを待つ………のが正解なんだけど)」

 

妖気感知による先読みでテレサは圧倒的にローズマリーより上だ。その点で競っても勝ち目はないし、テレサの訓練にならない。

 

ならば少し意表を突いてみよう。

 

ローズマリーは全身から力を抜き、漏れ出る妖気に蓋をするイメージで開放していない妖気をさらに鎮める。

 

「………?」

 

テレサの表情が、少しだけ動いた。

 

それを見たローズマリーは限界まで妖気を鎮めたままテレサ目掛けて踏み込んだ。身体の動きが鈍い、身体能力は無解放状態の7割程か?

 

だが、それに構わずローズマリーが上段から袈裟斬りを放つ、当然のようにテレサはこれを防ごうと大剣を掲げた。

 

それに対しローズマリーは手首を捻る。すると袈裟斬りの軌道が途中で変わり、掲げた大剣をすり抜け、テレサの脇腹へ。

 

「……っ」

 

危機一髪、テレサはその剣撃をバックステップで躱す。だが、その動きを見てローズマリーは確信した……先読みが機能していないと。

 

ローズマリーは更に踏み込み後方に飛んだテレサ追いつくと、多数のフェイントを織り交ぜた連続斬りを浴びせかかった。

 

「……くっ」

 

テレサが少し顔を歪ませて防戦に回る。

 

「(ふむ、なるほど)」

 

そのテレサの動きを見てローズマリーは思った。

 

意外とまだ隙があると。

 

以前からテレサには完成された剣の冴えを感じていた。しかし、それは妖気感知による先読みあってのモノだったらしい。

 

考えてみれば当たりまえか、テレサはまだ13歳、剣技を極めるにはいくら何でも早すぎる。

 

「(なら、しばらくはこうやって鍛えた方が良いかな? 純粋な剣技を高める事も必要だろうし)」

 

そう考え、ローズマリーは攻勢を強めた。

 

袈裟斬りからの逆袈裟、そこからもう一度袈裟斬りと見せかけての蹴撃。

 

意表を突いた蹴りがテレサの身体を跳ね飛ばす。直撃の寸前、大剣から離した左腕でガードしていたが、明らかにいつもより反応が遅かった。

 

「(やはりフェイントへの対応が不十分)」

 

相手のどんな動きも正確に予想できたテレサだ。フェイントへの対応力を身につけてないのは当然か。

 

吹き飛ぶテレサに追い縋り、ローズマリーが上段から真っ直ぐ大剣を振り下ろす。

 

速度はそれ程ではないが、地に足ついていないテレサにこれは躱せない。

 

そのまま大剣は吸い込まれるようにテレサの肩に向かい直撃の手前でスピードを落とす。寸止めする気のようだ。

 

 

ーーしかし。

 

「………ッ!?」

 

その時、ぞわり、と全身が総毛立った。この感覚はシルヴィの戦で感じたモノ、つまり命の危機が迫っている。

 

見ればテレサの目が金に染まっている。

 

それにローズマリーが気づくと同時に宙にいるテレサが大剣を振るった。

 

腕力だけで放たれた大剣、それが常軌を逸した速度でローズマリーに迫る。

 

ーーヤバイ。

 

 

「(間にあっ!?)」

 

そして、咄嗟に身を捻ったローズマリーの背中に剣撃が激突、彼女を水平に弾き飛ばし岩の壁に叩きつけた。

 

「ごふっ」

 

壁に激突したローズマリーが跳ね返って地に落ちた。彼女の背中には服の上からでも分かるほどくっきりと大剣の形に陥没している。

 

跡から見て確実に背骨が折れているだろう。

 

「ぐあ」

 

命の危機を感じ取った身体がローズマリーの意思に反して妖力解放する。

 

妖力解放により急速に傷が回復していく、同時に猛烈な飢餓感が発生、それに焦りを感ながらローズマリーは全力で妖気を抑えた。

 

「はあ、はあ、はあ…はあ……はぁ……ふぅ」

 

十数秒後、なんとか妖気を鎮めたローズマリーが立ち上がる。既に彼女から飢餓感は消え去り、その身の傷も癒えていた。

 

「(し、死ぬかと思った)」

 

ローズマリーは血で汚れた口元を袖で拭うと、その自分の行動に違和感を覚えた。

 

「…………」

 

ローズマリーが無言で掌を開閉する。軽く足で地を叩く。

 

身体には痺れがあった。

 

だが、以前妖力解放した時ほとではない。

 

以前は一度解放するとしばらく立っていられない程、身体の調子が悪くなったのに。

 

「(慣れ、なのか?)」

 

多少の痺れはあるが、妖力解放後にも関わらず思いの外、調子が良い。

 

そんな自分にローズマリーは首を傾げる。

 

その時、小さな声が遠くから聞こえてきた。

 

「お、お姉ちゃん」

 

優れた聴覚を持つローズマリーだから拾えた。そんなか細い声でテレサがローズマリーの名を呼んでいた。

 

見れば、テレサは泣きそうな顔だった。

 

「いや〜ごめんごめん受け損なっちゃったよ」

 

泣かせではいけない。そう思ったローズマリーは刺激しないように、なんでもない風を装って頭を掻きながらテレサに歩み寄る。

 

「だ、大丈夫?」

 

戻ってきたローズマリーを見上げてテレサが聞いてきた。その顔は珍しく青い。相当心配したようだ。

 

「大丈夫大丈夫、なんともないよ」

 

ローズマリーは心配するテレサを安心させるように言うと、彼女の頭を優しく撫でる。

 

「(……それにしても、恐ろしい一撃だった)」

 

ローズマリーはたった今受けたテレサの剣撃を思い出して内心で身震いした。

 

踏ん張れない空中、それも大勢不十分な状態から放たれた手打ちの斬撃、それがローズマリーを瀕死に追い込んだのだ。

 

咄嗟に身を捻らなければ、テレサの大剣が訓練用の物でなければ真っ二つにされていただろう。

 

いや、それどころか狙いが頭だったら訓練用だろうと即死していたはずだ。

 

「(……分かってはいたけど)」

 

テレサの能力は凄まじい。そして、何より恐ろしい。現時点でも妖力解放して戦えばあのシルヴィ相手でも単独撃破可能…いや、それどころか深淵の者が相手でも普通に勝てるのでは?

 

そう、思ってしまう底知れぬ潜在能力をテレサは持っていた。

 

「ほ、本当に大丈夫?」

 

「はは、大丈夫だよ、心配しでくれてありがとう、じゃあ、キリが良いし休憩しようか?」

 

そう言って、ローズマリーはどこか気落ちしているテレサの背を押しながら休憩所へと足を進めた。

 

 

 

 

 

「………大丈夫なのか?」

 

休憩中のローズマリーにクルトが話しかけて来た。

 

「………大丈夫ですよ」

 

ローズマリーはテレサが眠っている事を確認してから小声で答えた。

 

「信じられんな、絶対死んだと思ったのだが?」

 

「勝手に殺さないで下さい。まあ、確かに攻撃型の戦士だったら危うかったでしょうね」

 

「つまり、防御型なら大丈夫なのか?」

 

それを聞き、ローズマリーは自分が受けた痛みとダメージを思い出し渋い顔を作る。下手に大丈夫と言い切るのも危険な気がしてきた。

 

「……一概には言い切れません、場合によっては防御型でも死ぬでしょう、それくらいは重症でした」

 

「その割にはお前はピンピンしているようだが?」

 

「私は特別なんですよ」

 

自嘲の笑みを浮かべてローズマリーがそう告げる。クルトはそれを不審そうに見つめ、しかし、直ぐに頭を振った。

 

「まあ、どうでもいいことか」

 

「どうでもいいって、酷いですね」

 

「お前が死んでも俺は責任を問われんからな」

 

「うわ、本当に酷い」

 

ローズマリーが冗談交じりに責めるような視線を送る。それにそれを受け、クルトは鼻を鳴らすと、ローズマリーから離れて行った。

 

「………はぁ、私も少し寝るかな」

 

ローズマリーは椅子に身を預けるとゆっくりと目を閉じる。

 

それから数分後、静かな二つの寝息が聞こえてきた。

 

「………ふん」

 

戻って来たクルトがそれに鼻を鳴らし、薄手を毛布をローズマリーとテレサに掛けた。それから彼はいつも通り、ペンを取り出し、サラサラと報告書を書き始めた。

 

 

 

 

 

 




ツンデレ(誰がとは言わない)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

お待たせしました。

難産でした。何度書き直し、なんとかあげられました……でも、もしかしたらまた書き直すかも。


 

 

まるで理由が分からなかった。

 

「(な、なんでこんな事に)」

 

ローズマリーは痛む頭を抱え、刺激しないように頭痛の原因を静かに見つめる。

 

彼女の視線の先には戦意に満ちた二人の剣士ーーヒステリアとテレサが大剣片手に向かい合っていた。

 

二人は鋭い視線を交わしながら、相手を伺っている。

 

よく訓練の時にテレサとローズマリーがする状況だ。しかし、緊張感が段違い。この雰囲気は尋常なものではい、訓練の筈が、これではもはや決闘だ。

 

「……本当、どうしてこうなった」

 

ローズマリーは儘ならぬこの世を嘆き天を仰ぐ。そして、彼女はほんの少し前、ヒステリアとテレサが出会いを回想した。

 

 

 

 

 

 

それはある日の事だった。

 

「あれ、この妖気」

 

休憩時間、テレサ、クルトとババ抜きをしていたローズマリーが不意に声を上げた。

 

「どうしたのお姉ちゃん?」

 

カードを引こうとしていたテレサが止まった。彼女は不思議そうにローズマリーを見ている。その隣ではクルトがテレサに引かれようとしているカードを苦い目で見ていた。どうやら惜しいカードらしい。

 

「あ、いきなり声を上げてごめんね、友達の妖気が本部に近づいてるから驚いてね」

 

「友達の妖気? ……ああ、このちょっと強い妖気の人?」

 

ヒステリアの妖気を探り当てたのだろう。テレサがそんな事を言ってくる。

 

それにローズマリーは苦笑した。

 

「はは、多分、その人だね」

 

ヒステリアの妖気は大半の戦士、覚醒者からしたら、とんでもなく強いのだが、テレサにとっては “ちょっと” なのだろう。

 

「……それにしても、お姉ちゃんにも友達がいたんだね」

 

「て、テレサちゃんが酷い!?」

 

予想外の言葉にローズマリーがショックを受ける。基本、テレサはローズマリー "には” そういう事は言わないのだが。

 

「いや、だって、お姉ちゃんって妖気の質が “アレ” でしょ?」

 

「…………ああ」

 

テレサの言葉にローズマリーは納得した。

 

「……うん、そうだね。テレサちゃんが気にしないから忘れてた」

 

「妖気の質、なんの話だ?」

 

友が居ない理由が妖気の質、そんなおかしな話にクルトが疑問を述べた。

 

妖気を感じれるなら一発でその理由が分かる。だが、半妖ではない彼はそれが出来ない、当然、ローズマリーがどんな質の妖気なのか判断出来ないのだ。

 

「ちょっと言い辛いんですが、私の妖気の質って覚醒者に近いんですよ」

 

「………それは、限界が近い、という事か?」

 

その言葉にクルトは若干緊張する。

 

さもありなん、もし、ローズマリーが覚醒間近ならここに彼が居るのは危険極まりない状況だ。

 

なにせ、成り立ての覚醒者は腹ペコだ。そして好物は人間のハラワタ……まあ、間違いなくクルトは美味しく頂かれてしまうだろう。

 

「いえ、そういう訳ではなく最初からそうなんです、二週間くらい妖気を押さえてれば戦士の妖気に近くなるんですが、一度解放してしまうとまた二週間は覚醒者みたいな質になっちゃうんですよ」

 

クルトと疑問に肩を落とすと、ローズマリーは首を横に振った。

 

「そんな事、あり得るのか?」

 

「普通はありませんが、私は少々特殊でして」

 

どこか自虐的に言うローズマリー。彼女の表情は暗かった。

 

「………そうか」

 

そんなローズマリーの表情を見て、クルトはそれ以上聞く事を止める。それから何を思ったのか彼は自分の手札をテーブルに置いた。

 

「どうしたの、負けそうだからやめるの?」

 

「いちいち突っ掛かるなクソガキ、仕事で少し外すだけだ」

 

「仕事、ですか?」

 

「ああ、報告書を上げねばならん、しばらく外すぞ。お前達はそのまま遊んでいろ、ただし……あまり遠くまでは出かけるなよ」

 

彼は報告書らしき紙をヒラヒラと示すと、そのまま席をを立ち訓練場から出て行った。

 

「………つまり、今のクルトさんの言葉を意訳すると、『休憩を伸ばしていいから友達に会いたかったら会いに行け』って事かな?」

 

「そうなんじゃないかな、あの人いつもここで報告書を書いてるし」

 

そう、クルトがいつも報告書を書いているのは今、ローズマリー達がいるテーブルだ。そして、休憩時間はそろそろ終わる。

 

つまり、クルトが移動する必要など全くなかったのだ。

 

「凄く、ありがたいんだけど……素直じゃないね」

 

「うん、それに会いに行くまでもないんだよね」

 

そう、テレサが言った。実は本部に向かうと思われたヒステリアが訓練場に向かっているのだ。今、彼女は相当な速度で接近している。それをテレサもローズマリーも感知していた。

 

それはさて置き。ローズマリーは顎に手を置き難しい顔で唸った。

 

「………う〜ん、でもなんて話そう」

 

接近するヒステリアを感じながら、ローズマリーは彼女に秘密を打ち明けるつもりだった事を思い出したのだ。

 

正直、時間が空いてしまい決意が鈍っている。

 

今、妖気の質が覚醒者な事もあり、問答無用で斬り掛かられたらどうしよう。いきなり縁切りされたらどうしよう、そんな、悪い想像ばかりがローズマリーの頭に浮かんだ来た。

 

「話す? ……もしかして、この妖気の人が、前言ってた話さなきゃいけない事があるって人なの?」

 

「うん、そうだよ、ヒステリアって名前の人なんだ」

 

「……へぇ、この人が」

 

目を細め、どこか含みがあるように言うテレサ。そんな彼女を見てローズマリーは小さな悪寒を感じた。

 

「どうかしたのテレサちゃん」

 

「うんうん、なんでもないよ」

 

そう言ってテレサは無邪気な顔で笑う。その姿は実に可愛らしい。

 

「(気のせいかな?)」

 

ローズマリーは先程感じた悪寒をとりあえず置いておくと、ヒステリアに何から話そうかと考え始めた。

 

それが間違いだと悟るのはもう少しだけ先の話である。

 

 

 

10分くらい経っただろうか?

 

「ローズマリー」

 

予想した通り、ヒステリアが訓練場へ現れた。久しぶりの再会、嬉しそうではあるが、イマイチ距離感がつめていないのか、ヒステリアは少し躊躇いがちにローズマリーに近づく。

 

だが、ヒステリアはローズマリーの妖気を嫌悪する様子はない。それを感じてローズマリーは一安心した。

 

「お久しぶりですヒステリアさん」

 

ローズマリーが笑顔で言う。すると、若干硬かったヒステリアの表情が和らいだ。

 

「本当よ、目が覚めてから何週間経ったと思ってるの? 起きたなら任務の合間に会いに来てくれても良かったんじゃない? 私はあなたが寝ている間にお見舞いに行ったのよ」

 

拗ねたようにヒステリアが告げる。その言葉にローズマリーは驚いた。

 

「え、そうだったんですか?」

 

「そうよ、なにダーエから聞いてないの?」

 

「す、すいません、ヒステリアさんが心配していたとしか……ああ〜でも、それって見舞いに来たって事を暗に言ってたんですかね」

 

「いや、暗に言う必要ないでしょ、まったく、あの研究狂いめ。一言見舞いに来たって言えば済むんだから言いなさいよね」

 

苦々しい表情で文句を言うヒステリア。そんな彼女にローズマリーは苦笑する。

 

「ダーエさんは研究以外はあんまり興味がないですから」

 

「まあ、そうね、あいつにそんなことを期待するだけ無駄…か、それでローズマリーは今何の任務を受けてるの? ずっと本部に居るようだけど」

 

「あれ、私の任務は聞いてないんですか?」

 

「訓練生を鍛えてるって聞いたけど訓練生を鍛えるなんて、あなたなら片手間で出来るでしょう、他にも何か受けてるんじゃないの?」

 

“訓練生を鍛えるなんて” ……その言葉にローズマリーの後ろでテレサがピクリと反応した。だが、話に夢中な二人ははその様子に気付かない。

 

「いや、人にモノを教えるのって片手間で出来るほど楽じゃありませんよ、私は教え方が下手なんでちゃんと出来てるか不安になっちゃいますよ」

 

「あなたなら大丈夫でしょ」

 

信頼してます。そんな視線と言葉をヒステリアが投げ掛ける。

 

「き、期待が重いです……でも、まあ、私が受け持ってる子は凄く優秀なんで未熟な私でもなんとかなってます、むしろ私が教えられる事も多いですよ」

 

「訓練生に教えられる事なんてあるの?」

 

その言葉にテレサの口が怪しく弧を描く。だが、やはり二人は気付かない。

 

「いっぱいありますよ、例えば…」

 

「お姉ちゃん」

 

ローズマリーが具体的に言おうとしたその時、テレサがローズマリーに声を掛けた。

 

「あ、ごめんテレサちゃん、話に夢中になっちゃって……紹介します。ヒステリアさん、この子が私が受け持ってる訓練生のテレサちゃんです。まあ、受け持つと言っても私は大したことはしてあげられてないんですが」

 

実際、ローズマリーは模擬戦くらいしかしていない。とは言え、模擬戦 “出来る” 時点でテレサに取って十分プラスになるのだが。

 

「こんにちは、テレサと言います」

 

ローズマリーに紹介され、テレサはペコリと頭を下げる。実に可愛らしいのだが、その姿にローズマリーは僅かな違和感を感じた。

 

「(あれ、なんかいつもと違う?)」

 

違和感の正体を掴もうとローズマリーはテレサを観察する。

 

だが、答えが出る前にテレサの挨拶にヒステリアが言葉を返した。

 

「はじめまして、ヒステリアよ。よろしくテレサ……それにしてもあなた、妖気が凄く小さいのね」

 

若干、哀れみの篭った目でヒステリアがテレサを見た。

 

「え?」

 

そんな馬鹿な、そう思いローズマリーがテレサの妖気を探る。すると確かテレサの妖気は小さかった。

 

違和感の正体はこれだった。

 

ヒステリアなどと違い、無解放状態では、その身に宿る絶大な妖気を感じさせないテレサではあるが、この小ささはあり得ない。

 

「(妖気を抑えてる、無解放状態から更に? でも何故?)」

 

理由が思い浮かばない。テレサは殊更自身の力を誇りはしないが、他人から侮られるのは嫌いだ。

 

ならば何故、あえて侮られるような行動を取る? ローズマリーはその理由が分からなかった。

 

「ねえ、お姉ちゃんそろそろ訓練に戻らないとクルトさんに怒られちゃうよ」

 

ローズマリーが疑問に思っていると、テレサがそんな事を言ってきた。

 

「…………」

 

いや、どちらさまですか? ローズマリーは一瞬テレサが本物か疑った。

 

まず、クルトに怒られる。そんな事をテレサは気にしない。第一、さっき休んでて良いと彼に言われたばかりだ。

 

そして、テレサがクルトに “さん” をつけているのを初めて聞いた。いつも『あいつ』とか『元指導員』とか呼び捨てがデフォルトなのに。

 

そんなテレサの言動にローズマリーは悪寒を感じた。

 

「どうしたのお姉ちゃん、調子悪いの?」

 

「ごめん、テレサちゃんが訓練熱心で感心しただけ、だよ……でも、もう少し休んでも良いんじゃないかな?」

 

「あら、ローズマリー。甘やかし過ぎは良くないわ。危険が少ない今の内にしっかり強くなっておかないと戦士になってから苦労するわよ」

 

ヒステリアがローズマリーの甘さを指摘する。

 

正論だ。

 

まあ。それはあくまでテレサが普通の訓練生ならの話だが。

 

「いや、まあ、そうですがテレサちゃんはまだ身体が出来上がってませんので無理に長時間訓練するのは良くないです。それに強さだけなら今すぐ戦士になっても全く問題ないですから焦らなくても良いかな、と」

 

それは本音であり事実である。

 

多少の粗はあれど、既にテレサの実力は一桁上位勢に引けを取らない。それどころか妖力解放すればローズマリーすら上回る。

 

訓練期間には個人差があるが、ヒステリア、ローズマリーという強力な戦士が二人も居る現状、あと1年くらいテレサは訓練生でいる筈だ。

 

そして、1年も訓練すれば最早テレサに敵はない。

 

つまり、焦って訓練する必要は全くないのだ……しかし、

 

「……はぁ、あなた本当に他人に甘いのね、ダメよ、優しさと甘さは別よ? しっかり現実を見なさい。この子の妖気、こんなに小さいのよ? 絶対とは言えないけど基本妖気の強さと実際の強さは比例する。つまり、この子は妖気相応の実力しかないの」

 

ヒステリアはそうは思わなかったようだ。

 

やれやれ、甘いわねぇと彼女は首を振る。それにローズマリーは嘘じゃないと首を振り返す。

 

「違います! ヒステリアさん、テレサちゃん本当に強いですから、嘘でもお世辞でもないですからね!」

 

「はいはい、分かりました、訓練生の中では強い方なのね」

 

「分かってないッ!? 」

 

自身の言動をテレサを気遣っていると思われいる。それにローズマリーは頭を抱えた。

 

「お姉ちゃん、もしかして私と訓練したくないの?」

 

テレサが悲し気な表情でローズマリーを見上げる。

 

多分演技だ。しかし、それでも人が良いローズマリーはたじろいた。

 

「そ、そういうわけじゃないよ」

 

「なるほど…今、あなたはこの子に訓練をつけたくないのね、はぁ、仕方ないわね、じゃあ、私が相手してあげるわよ。そもそも、あなたは模擬戦でも仲間に大剣で攻撃するのを躊躇うものね……そうか、難易度はともかく、あなたにはキツイ任務だったのね」

 

うんうんと頷いて一人納得するヒステリア。

 

「いや、そういうわけじゃないんですが、確かに訓練をつけるのは苦手ですが、そうじゃなくてですねぇ」

 

勘違いしているヒステリアにローズマリーが訂正を入れようとする。

 

だが、ローズマリーが上手い言葉を考えつく前に……

 

「わーい、ナンバー1のヒステリアさんに訓練をつけてもらえるなんて幸せだなぁ」

 

テレサが口を開いた。

 

「テレサちゃんッ!?」

 

「あら、嬉しいわね、あなた私を知ってるの?」

 

「もちろん、有名だもん、聞いた事くらいあるよ。歴代ナンバー1で、最も華麗な技を持っているんでしょ?」

 

「へぇ、そういうのちゃんと教えてるんだ」

 

少し嬉しそうにヒステリアが呟く。

 

それはさて置き、マズイ状況だ。

 

「(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ! いくらヒステリアさんでも侮ってテレサちゃんと戦ったら瞬殺されかねない、どうにかヒステリアさんにテレサちゃんが強いって気付かせないと)」

 

そう、ローズマリーが焦るも、コレといった答えが見つからない。何を言ってもローズマリーの過大評価と取られそうなのだ。

 

「(ああ、やっぱり私が素直に訓練に戻ってれば良かった? いやでも、どちらにしても)」

 

そんな風にアレコレ彼女が悩んでいる間に、テレサとヒステリアは訓練場の中央で大剣を構えて向かい合っていた。

 

もう、時間切だった。

 

「さて、じゃあ、どのくらいやるか知りたいからあなたから攻めて来なさい」

 

左半身を引き、片手で大剣を構えるヒステリア。いつも通りの構えだ。

 

違うのはいつもより重心が低い事、つまり、避けずに受ける気なのだ。

 

「うん、分かった」

 

テレサはそんなヒステリアの構えに笑みを浮かべる。

 

そして、彼女はヒステリアに踏み込んだ。一歩目の緩やかな動きから一転、二歩目は全力で地を蹴り急加速、一瞬にして間合いを潰すと、驚きに目を見開くヒステリアに大剣を振り上げた。

 

甲高い金属音が訓練場に木霊する。そして、大剣が宙を舞った。

 

「「え?」」

 

驚きの声が重なる。

 

一人はローズマリー、そしてもう一人はテレサだ。

 

何故なら舞ったのはテレサの大剣だったからだ。

 

「……まったく、甘く見られたものね」

 

そう言って、ヒステリアが振り上げた足を地に下ろす。

 

ヒステリアは斬撃を受け流すと、伸びきったテレサの腕を蹴り上げ大剣を弾き飛ばしたのだ。

 

「まさか、不意を打てば勝てると思ったの?」

 

驚くテレサを嗤い、ヒステリアが蹴りを放つ。

 

テレサは蹴撃を左手でブロック、威力を殺す為に踏ん張らずに後ろに飛ぶ。そのまま彼女は宙を舞う自身の大剣をキャッチし綺麗に着地した。

 

「……油断してなかったんだ」

 

先程までの無邪気さが消え去り、少しだけ警戒した顔をするテレサ。彼女を見てヒステリアは鼻を鳴らす。

 

「ふん、不意を打とうなんて十年早いのよ、そもそもね、友達の警告を無視するわけないでしょ、私はね、無視するのもされるのも嫌いなの」

 

まあ、あなたが本当に強いかは半信半疑だったのだけど、そう、ヒステリアは続ける。

 

「ふぅん、友達、ね」

 

含みある呟きを漏らし、テレサが妖気を無解放まで戻すと鋭い視線をヒステリアに投げ掛けた。

 

 

 

そして、時は冒頭に戻る。

 

 

 

「さて、どれくらい手加減したら良いかしら?」

 

ヒステリアは笑みを強めると挑発的な口調でテレサに問いかけた。

 

それを見てテレサが目を細める。

 

「手加減? おかしなことを言うんだね、手加減っていうのは強い人が弱い人にしてあげるものだよ?」

 

私はお前より強い。暗にそう告げながらテレサが微笑、どこで覚えたのかさっさと来いとでも言うように左手をヒョイヒョイ動かした。

 

それにヒステリアは青筋を浮かべる。

 

「あら、当たり前でしょ、あなた何言ってる? もしかして自分が私より強いとか思ってる?」

 

「あれ、私の買い被りかな、実力差くらい分かると思ったんだけど?」

 

「こっちのセリフね、まさか、さっきの攻防をもう忘れちゃったのかしら? ローズマリーが受け持つ訓練生がこんなに未熟とは、あの子も苦労してるのね」

 

「さっきのは脅かすつもりで加減したからだよ」

 

「あら、子供らしい可愛い言い訳ね」

 

ふふふ、と寒気のする笑みを交わしながら互いを嘲るテレサとヒステリア。

 

状況は非常に悪かった。

 

「(な、なんでそんか喧嘩腰なんですか?)」

 

ヒステリアが怒ってるのは分かる。こんな不意打ちをされれば態度が悪くなるのは当然だ。

 

だが、テレサが挑発的な理由は分からない。初対面なはずが何故か喧嘩腰のテレサ。普段の彼女ならわざわざ妖気を押さえて不意を打とうなんてしない。

 

本来のテレサは優しい子である。

 

相手によっては挑発的な態度を取るが、基本的に初対面の相手にそんな事はしないし、不可抗力以外で怪我に繋がるような事はまずしない。

 

ローズマリーと初めて模擬戦をした時は、ローズマリーを気遣って徐々に力を上げていくなんて事をしたくらいなのだ。

 

 

「ふ、二人とも落ち着いて」

 

このまま放置しても状況は好転しない、そう思いローズマリーは意を決して二人を止めようと声を上げた。

 

しかし……

 

「あなたは黙ってて」

 

「お姉ちゃんは休んでてね」

 

「…………」

 

こんな時だけ息を合わせて言う二人。その眼つき、態度、そして漏れ出る妖気の波長から、もはや止められないとローズマリーは悟ってしまった。

 

「……大きな怪我だけはしないで下さいね、もちろん妖力解放もなしですよ」

 

そう、言って二人に背を向けるローズマリー。答えの代わりに彼女の後ろから激しい剣戟音が二重三重と聞こえてきた。

 

ローズマリーの動聞きが合図となったのだ。

 

「…………」

 

金属音に混じって聞こえてくる罵声に耳を塞ぎながら、ローズマリーはトボトボと壁際まで歩く。

 

そして彼女は溜息と共にテーブルの下にある救急箱の蓋を開ける。

 

箱の中身は貧弱だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

最低週一くらいで投稿したいな(もう一作から目を逸らしながら)


 

 

二本の剣が風を斬る。

 

疾風と化した大剣が激しく激突、真っ赤な火花が舞い飛んだ。

 

「(まったく、嫌になるわ)」

 

激しく斬撃の応酬を行いながらヒステリアが心の内でそう漏らす。

 

テレサが強いというのは分かっていた。不意打ちの際の動きは一桁ナンバーと比較してもまったく見劣りしない速度と鋭さだったのだから。

 

……しかし。

 

「(まさか、ここまでやるとはね)」

 

ヒステリアはテレサの実力に歯噛みする。

 

戦闘開始当初は余裕を持っていたヒステリアだが、今はただ戦いに集中している。

 

何故ならそうせねばテレサに勝てないからだ。

 

そう、 “無解放時” の二人はほぼ互角の力量だった。

 

「ーーフッ!」

 

呼気を発し、鋭く踏み込むヒステリア。

 

彼女は真っ直ぐ行くと見せかけて、速度を落とさずほぼ直角に曲がる。並の戦士には真似できない、しなやかかつ強靭な脚から繰り出される華麗なステップ、急激な緩急により残像さえ生まれていた。

 

まさに『流麗』の名に相応しい美技である。

 

だが、ソレもテレサには通じない。

 

テレサは残像に惑わされることなく正確にヒステリアの位置を捉えると、振り向きざまヒステリアに大剣を叩きつけた。

 

「ちっ」

 

思わず舌打ちするヒステリア。彼女は攻撃しようとした動きを中断しテレサの斬撃を受け止める。

 

重い金属音が鳴り響き二本の大剣が動きを止める。

 

「…………」

 

「…………」

 

そして数秒、鍔迫り合いの状態で二人は互い睨み合う。

 

「(残像を見せるには緩急が足りなかった?……いや、違う、これは先読み、そう、妖気感知による先読みだ)」

 

ヒステリアはふてぶてしい顔でこちらを観察するテレサを睨み返しながら、彼女が残像に引っかからない理由を悟る。

 

ヒステリアは似たような事を出来る相手を知っていた。それは現ナンバー4の戦士、そうハラハラした表情でこちらを見つめるローズマリーだ。

 

彼女は妖気を読む事に長け、ある程度相手の動きを予測していた。

 

それと同じ事をテレサはしているのだ。

 

ヒステリアは鍔迫り合いの押し合いから一転、力を抜き一歩後退、急に力を抜かれたせいで僅かに踏鞴を踏んだテレサに複数の斬撃を走らせた。

 

しかし、テレサは崩れた体制にも関わらず当たり前のようにその連撃を全て躱す。そして攻守逆転。攻撃を躱され身体が泳いだヒステリアにテレサが一気果敢に攻め込んだ。

 

「やあああッ!」

 

可愛らしい叫びとは裏腹に凶悪な威力を内包した大剣が鋭い軌跡を描き、ヒステリアに迫る。高速高威力のそれをヒステリアは危なげなく避ける。だが、次の瞬間には新たな斬撃が先回りしてヒステリアに襲い掛かって来た。

完全に動きが読まれている。

 

「…くっ…」

 

先回りしてきた斬撃。ヒステリアは呻きながもそれすら回避。体制を立て直す為に高速で後ろに飛ぶ。そんなヒステリアを追い縋りテレサが踏み込んだ。

 

振り切れない!

 

本来、無解放状態の運動速度はテレサよりヒステリアの方が一段……いや、二段速い。だが、その速度差も体制不十分の後退のせいで活かせていないのだ。

 

「このっ!」

 

ヒステリアは後退しながら牽制のため踏み込んできたテレサに斬撃を放つ。

 

それが悪手となった。

 

テレサが小柄な身体を独楽のように旋回させ、甘く入ったヒステリアの大剣を受け流す。そして彼女の体制を更に崩すと、同時に遠心力を加えた凶悪な斬撃を走らせた。

 

「ちっ」

 

その剣撃にヒステリアが舌打ち。彼女は尋常じゃない反射神経でテレサの攻撃に反応すると斬撃と同等の速度で上体を反らし、その一撃を回避する。

 

「甘いよ!」

 

だが、その動きをテレサは読んでいた。彼女はニヤリと笑い、強烈な回し蹴りを放つ。放たれた蹴撃がガラ空きとなったヒステリアの顔面目掛けて飛んできた。

 

ーーヤバイ。

 

そう、思うも体制が悪過ぎる。

 

ヒステリアは大剣から片手を離し蹴りを止めようとした。

 

しかし、それすらテレサは読んでいた。

 

テレサの足が蹴りの途中で軌道を変える。そのまま蹴りはヒステリアの腕をすり抜け彼女の胴体へ。

 

「…がっ…!」

 

そして、肉を撃つ鈍い音と共にテレサの蹴りがヒステリアに直撃する。流石の彼女もこれを対処することは不可能だった。

 

「………ッ!」

 

小柄な体躯に似合わない強烈な蹴りに、後方に弾き飛ばされたヒステリア。会心の手応えに笑みを深めるテレサ。そしてテレサが決着をつける為にヒステリアに接近し、宙にいる彼女に突進の勢いを乗せた高速の突きを繰り出した。

 

この状況では回避は出来ない。

 

「(……ああ、少し前に、似た状況があったわね)」

 

走馬灯のようにゆっくりと流れる視界、そこに映る勝利を確信したテレサの笑みにムカつきながらヒステリアはシルヴィ戦を思い出す。

 

確か、あの時もカウンターで蹴りを貰った。そして、そのまま突きに繋げられ敗北した。

 

確かに似ている状況だ。

 

だが……。

 

「舐めるなッ!」

 

シルヴィの攻撃はもっと強く速かった……少なくとも妖力未解放のテレサよりは。

 

ヒステリアはギリギリの所で突きと自身の間に大剣を滑り込ませ、その腹で突きを受ける。決まったと思ったのだろう、テレサの顔が驚きに染まり動きが鈍る。

 

それを好機とヒステリアは突きの威力を利用し後方に加速、テレサを引き離し着地、即座に体制を立て直すとテレサに向かって踏み込んだ。

 

「……む?」

 

その動きは今までよりも速い。それにまた少し驚くもテレサはヒステリアが放つ斬撃を紙一重で避けて行く。

 

そのテレサの動きをヒステリアは冷静に見つめていた。

 

「(……コイツは私の動きをほぼ全て読んでいる)」

 

事実、今まで何回も目線によるフェイントや残像を使った高等回避を行っているがまるで通じていない。

 

ローズマリーにもこんな真似は出来ない。少なくとも多少はフェイントに引っかかるはずだ。そう言えば、彼女はテレサから学ぶ事も多いと言っていた。それに確か、最初に会った時は妖気による先読みなんて使ってなかった。

 

「(なるほど、ローズマリーの先読みはコイツの模倣ってわけね)」

 

なんにしても、このままではジリビリだ。再び攻勢に転じたテレサの斬撃を持ち前の速度で躱しながらヒステリアは打開策を考える。

 

「(……身体能力は私が上)」

 

テレサの身体能力は大したものだ。おそらく現ナンバー2のアガサを上回る程の能力を持っている。だが、その身体能力もヒステリアには及ばない。

 

剣を交えて分かったが、力はややテレサが上。

 

速度、体捌きに置いてはヒステリアに軍配が上がる。

 

更に純粋な剣の腕についてもヒステリアが上だ。実践経験に裏打ちされたヒステリアの剣技はそう大きな差ではないが確かにテレサを上回っている。

 

だが、それでも押されてしまう。

 

その原因は当然、妖気感知による先読みのせいだ。

 

この状況を打開する手段は二つある。

 

一つは無意味なフェイントなどを一切止め、速度差を最大限に生かしたい戦い方をする方法。

 

だが、これはダメだ。なにせ今それをしているが、少し戦況がマシになっただけでいずれはやられる。

 

 

ならば取りうる手段一つだけだ。

 

「…………」

 

ヒステリアはテレサの攻撃を凌ぎ切ると、一度距離を取り妖気を限界まで沈める。

 

それにテレサが目を細めた。

 

ビンゴか? 取り敢えず試してみよう。そう思うとヒステリアは挑発的に口の端を釣り上げ、再びテレサに踏み込んだ。その動きは先程よりも遅いが、まだ僅かにテレサより速い。

 

攻撃の間合いまでヒステリアが踏み込むと、上段から大剣を振るうと見せかけ足払いを放つ。

 

「……くっ」

 

これをテレサは飛んで避けたが、先程よりも余裕がなかった。

 

明らかに動きが鈍っている。

 

いける! そうヒステリアは確信すると、フェイントを多用する戦い方にシフトした。

 

「はあああッ!」

 

「………ッ!」

 

押して押して押しまくる。先程までの劣勢が嘘のようにヒステリアがテレサを追い詰めて行く。

 

ヒステリアの猛攻にテレサは反撃するとこも出来ずに防戦一方となっている。これには流石のテレサも苦しそうに顔を歪めた。

 

だが、苦しいのヒステリアも同様だった。

 

「(コイツ、妖気を読まない戦いにも慣れてるのッ!?)」

 

これ程の先読み能力があるテレサだ。当然、フェイントに引っ掛かった経験は少ないはず、その為、引っ掛かった後は動揺し、その後の対処が拙いものとなる……そう思っていた。

 

だが、実際、テレサはフェイントに引っ掛かった後もかなり冷静で、それ以前に思った以上にフェイントを見切られる。このテレサの奮闘にヒステリアに焦りが生まれ始めた。

 

何故なら初の試み故か妖気を抑えるのが難しく、このままではテレサを倒す前に限界が来てしまうからだ。

 

「ーーフッ!」

 

「ちぃ!」

 

そう思っている側から自身の妖気が高まり始めている。それに伴いテレサの見切りの精度が上がり動きに鋭さが戻って行く。

 

いつの間にかテレサの顔にふてぶてしい微笑が浮かんでいた。

 

「(……マズイ、このままじゃ……負ける!?)」

 

テレサが戦況を盛り返しまた互角に斬り合いを演じる両者、その現状にヒステリアが更に焦る。

 

ここで押し切れねば確実に負ける。それは死ぬ程嫌だった。

 

この負ける相手がローズマリーだったらまだ良かった。彼女なら負けた自分を許せる。アガサでも良い、本気で嫌だがまだ辛うじて許せない事もなかった。

 

だが、テレサはダメだ、絶対にダメだ。

 

ナンバー1の戦士が、訓練生に負けるなんてあり得ない。もし負けたら自殺ものの屈辱だ。そう、プライドの高いヒステリア思っている。

 

故に負けるわけには行かない。

 

そして、ヒステリアはある意味、シルヴィ戦以上に内心緊張しながら一つの決断をした。

 

「(……負ける、くらいならッ!)」

 

もう、美しい勝利じゃなくていい。

 

嫌そうに、だが、何かを決意した表情でヒステリアが大剣を横に薙ぎ払う。しかし、焦ったのかその一撃は今までよりも大振りで僅かにだが速度も遅い。

 

それを見て……正確には斬撃が放たれる前の初動と妖気の流れを見て、テレサはこの攻撃が甘いものと判断。この攻防で今度こそケリをつける為、ヒステリアの斬撃を紙一重で避けようとする。

 

だが、それが……。

 

「命取りよ」

 

ヒステリアが大剣から手を離した。

 

「えッ!?」

 

テレサが驚愕の声を上げる。ヒステリアが妖気を抑えていたせいで先読みが完全ではなく、柄の握りを緩くするという小さな動きを見切れなかったのだ。

 

「くっ」

 

この投擲をなんとか避けようとするテレサ。

 

だが、ギリギリで避けて、ヒステリアが体制を整える前に決める。そう思っていたのが仇となった。紙一重で当たらない筈の大剣が回転しながらテレサに飛んでくる。

 

いくら何でも避けるのは無理なタイミングだった。

 

そして、ヒステリアの投擲が身を守ろうと無理やり引き戻したテレサの右手に激突、二本の大剣が宙を舞った。

 

「痛っ!」

 

痛みに呻き体制を崩すテレサ。それを無視して無手となったヒステリアがテレサに飛び掛かり足を引っ掛け押し倒す。

 

そのままヒステリアはマウントポジションを奪うと、素早く肩の鎧の内側から短剣を取り出し、それをテレサの首筋に添えた。

 

「………私の勝ちね」

 

「………狡い」

 

矜持を捨てての勝利に顔を顰めるヒステリアとまさかの敗北に顔を歪めるテレサ。

 

こうして、二人の模擬戦は幕を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにを考えてるんですかッ!」

 

珍しく、ローズマリーが大声で怒鳴った。その声に正座で下を向く二人ーーヒステリアとテレサがビクリと反応する。

 

「まず、ヒステリアさん……なんですかあの戦い方は?」

 

「な、なんですかって、どこか変な所でもあったかしら」

 

「どこかじゃなくて全部です! ヒステリアさん、攻撃を寸止めする気が全くなかったですよね?」

 

「そ、そうかしら?」

 

目を泳がせながらヒステリアが答える。

 

それにローズマリーが噛み付いた。

 

「そうかしら?……じゃないですよ! 至近距離から大剣を投擲した時点で明らかでしょ! あなたの大剣は訓練用じゃないんですよ!? 訓練用でも急所に当たったら危ないのに本物だった死んじゃうじゃないですか!」

 

「……急所に当たらなかったから良いじゃない」

 

ボソリと、ヒステリアが小さく呟く。

 

「何か、言いましたか?」

 

「い、いえ、なにも」

 

「よろしい、次、テレサちゃん!」

 

「は、はい」

 

「なんで、不意打ちなんてしたの?」

 

「そ、それは……ナンバー1の実力に興味があったから」

 

スーっとローズマリーから首と目を逸らしてテレサが答える。

 

そんなテレサの顔をローズマリーが、がっしり両手で掴んだ。

 

「話をする時は人の目を見ましょう」

 

「は、はい」

 

テレサは伏し目がちだが逸らしていた視線をローズマリーに戻す。

 

それによろしいとローズマリーが頷いた。

 

「じゃあ、質問に戻るよ、まさかテレサちゃんは不意打ちしなければ実力が分からない…なんてわけないよね?」

 

「そ、そうだけど、不意打ちにも対処出来てこそナンバー1じゃない……でしょうか?」

 

「まぁ、一理あるね、じゃあ、不意打ち後に挑発的な態度を取ったのは? あれは必要なのかな? まず不意打ちした事を謝るべきじゃないかな?」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「謝るのは、私じゃなくてヒステリアさんにね」

 

ローズマリーの言葉を聞き、テレサは視線を隣のヒステリアに向ける。それに応え、ヒステリアもテレサに視線を返した。

 

「…………」

 

「…………」

 

 

気不味い、二人の表情がそう物語っている。

 

不意打ちに始まり、自分の方が強いと挑発的。そして過程はどうあれ敗北してしまったテレサ。

 

ナンバー1の戦士……にも関わらず訓練生相手に本気を出した上で負けそうになり、かなり狡い手で勝利したヒステリア。

 

相手に思うところはあれど、双方共に負い目があった。

 

「……ごめんなさい」

 

面と向かって謝るのが恥ずかしいのか、顔を赤くしながらテレサが言う。

 

「…いえ、こちらこそ、ごめんね、私も大人気なかったわ」

 

テレサの謝罪を受け、ヒステリアも謝り返す。そんな二人を見てローズマリーは満足気に頷いた。

 

「よろしい。はい、偉そうな説教は終わり、二人とも正座を止めていいですよ」

 

「「……はぁ」」

 

どっと疲れた。そんな溜息をつき、テレサとヒステリアは正座を崩した。

 

 

 

 

 

「じゃあ、私はもう行くわね」

 

模擬戦、説教を終えしばらく三人でトランプを楽しんだ後、ヒステリアがそう告げた。

 

「もう行くんですか?」

 

「え〜、もう一戦やろうよ」

 

ローズマリーとテレサが残念そうにが言う。まあ、テレサの場合はスピードを勝ち逃げされるのが気に食わないからだろう。

 

今日の事で分かったが本質的にこの二人は馬が合わない。トランプ中も軽く喧嘩になりかけたくらいだ。

 

「長居してしまったけど、本当はローズマリーの顔を見たらすぐ帰るつもりだったからね」

 

「そうだったんですか?」

 

「ええ、そろそろ新しい任務もあるだろうから、自分の担当地区に戻らないといけないし……それにちょっと鍛えなおさないといけないからね」

 

そう言ってヒステリアがテレサを見る。

 

見られたテレサは不思議そうに首を傾げた。

 

「……なるほど、では暇な時に一緒にやりませんか?」

 

そう、ローズマリーが問うと、ヒステリアはしばし悩んだ後、微妙な表情を浮かべこう答えた。

 

「………嬉しい申し出だけど遠慮するわ、ここで訓練しても自分が成長しているって実感が得られそうにないから」

 

「ああ〜、まあ、確かにそれはそうかも知れませんね、私も時々そう感じますし」

 

「はぁ、 “時々” で済んでるって事はまだまだあなたには伸び代があるんでしょうね……羨ましいわ」

 

拗ねたようにヒステリアが言う。

 

「いや、伸び代がと言いますか、私の場合はそもそも強さへの渇望が薄いからだと思うんですが?」

 

ローズマリーの言葉にヒステリアは首を振る。

 

「それでも私よりあなたの方が伸び代があるわ」

 

「……なんの話をしてるの?」

 

イマイチ話の内容が分からなかったのだろう。おいてきぼりを食らったテレサが聞いてくる。

 

「……あなたが天才だって話よ」

 

そう言ってヒステリアはどこか自嘲するように肩を竦めた。

 

「私が天才? そんな会話じゃなかった気がするんだけど?」

 

意味が分からない。そんな表情でテレサが口を開く、だが、それには答えずヒステリアは席を立った。

 

「そんな話よ……はぁ、新しい時代が来るのかもね」

 

「新しい時代?」

 

「……本当に疲れた。今日はとにかく帰って寝るわ」

 

「あ、ちょっと」

 

テレサが腕を伸ばすが、ヒステリアはそれをヒョイっと躱し出口へ向かう。

 

「はは、お疲れ様です。またお会いしましょう」

 

ローズマリーが遠ざかるヒステリアに苦笑混じりにそう言うと、ヒステリアは振り返らずに手を上げて去って行った。

 

 

「……お姉ちゃん、結局、なんの話をしていたの?」

 

ヒステリアを見送った後、テレサがローズマリーに聞いてくる。それにローズマリーは苦笑を浮かべ。

 

「はは、秀才と天才の話かな?」

 

そう、言った。

 

「うーん……」

 

腕を組んでテレサが唸った。

 

やはりテレサ(天才)ローズマリー(秀才)の言葉の意味が分からなかった。

 

 




天才と秀才の差。まあ、周りからすればこの三人は全員、天才なんですが。






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話

遅くなりました。すいませんオーバーロードのSSが面白くてつい(目を逸らす)


「ギ、ギヒャ」

 

「うーむ、また失敗か」

 

手術台に拘束された実験体を見ながらダーエは唸った。ローズマリーが意識を取り戻してちょうど一年、その間、覚醒者を使って作る新たな戦士の研究を続けていたのだが、ダーエは未だに良い成果が上げられないでいた。

 

「一体なにが足りない? 何故、こいつらは食う事しか考えられぬ怪物となる? いや、それよりも何故ローズマリーは意識を保っていられる?」

 

自問の様な問い掛け、それにダーエと同じ研究員のグリムが答えた。

 

「不明だ。こいつらとローズマリーは同様の処置をしている。やはり、肉体面ではなくもっと別の要因があるのではないか?」

 

「まさか精神力などと言うつもりか?」

 

「理由としは考えられるな」

 

「……出来ればそんなつまらん理由であって欲しくはないな」

 

若干苦々しい口調のダーエ、そんな彼を見てグリムは苦笑を浮かべた。

 

「はは、確かにそんな不鮮明な理由は困る、だがこれだけ隅々まで調べても出でこないのだ、案外正しいかも知れんぞ?」

 

「はぁ、そうでない事を願おう」

 

ダーエは溜息を吐きレバーを下げる。すると手術台に設置されていたギロチンが勢い良く落ち失敗作の首を斬り落とす。

 

そのダーエの行動にグリムが狼狽えた。

 

「お、おいダーエ」

 

「騒ぐな」

 

ダーエは慌てるグリムを手で制し、失敗作の頭を髪を持って持ち上げる。

 

首をはねられたにも関わらず、失敗作は生きていて身体の再生を始めていた。しかし、さすがにダメージが大きいからかその再生速度は通常時より遥かに遅い。

 

そのままダーエは再生途中の生首を持ったまま部屋片隅まで移動、そして生首を床に空いた穴に放り投げた。

 

その穴が繋がるのは地下牢、失敗作専用の保管室である。

 

それを見てグリムはホッと胸を撫で下ろすと同時に危険な行動に出たダーエに食ってかかった。

 

「……ダーエ安全面を考慮しろ、アレの再生速度が予想より早かったら我々は喰われていたぞ」

 

「隅々まで調べたのだろう? ならば問題ないと分かったはずだ」

 

「分かっている。だが、予想外の事態起こり得るものだ、安易な行動は控えてもらいたいな」

 

「くっくっく、お前は肝が小さいな」

 

グリムの発言を軽く流すとダーエは残った失敗作の身体にメスを入れ始める。素早く、そして正確なメス捌き。ダーエは慣れた動きで失敗作の身体から必要なモノを切り取っていく。

 

そんな反省がまるでないマイペースなダーエに怒りを感じるもグリムは溜息を吐き自分を落ち着かせる。ダーエがマイペースなのは今に始まった事ではないのだから。

 

「ところで、こいつらの評価はどうだった?」

 

「高い身体能力に異常な再生能力、戦士と違い全く文句も言わない。最初の捕食対象を絞る条件付けが面倒なのを除けば最高の兵器だそうだ。まあ、その評価は私も同意するね」

 

「なるほど、予想通りの評価か」

 

ダーエはグリムと会話しながらも流れる様に失敗作から必要な臓器を切り取っていく、その技術の高さにグリムは舌を巻いた。性格はアレだが技術面に置いてダーエ以上の研究者はいないだろう。

 

「(はぁ、この性格さえなければな)」

 

グリムは内心で溜息を、漏らすとダーエ同様、失敗作にメスを入れ始めた。

 

そしておそよ一時間。

 

必要なモノを全て取り出すとダーエとグリムは視線を別の手術台に移す。そこには一人の男が眠っていた。

 

「では次の実験に移るか」

 

「そうだな」

 

そう言って二人の研究者は男の身体にメスを入れだした。

 

 

 

 

 

自分はそんなに強くない。覚醒者ーーブランカはそれをよく知っていた。

 

戦士時代のナンバーは25、低くはないが別段高くもない。力はそこそこ、速度もそこそこ、妖気は普通で剣技は未熟、総合的に見て並。そんな普通の戦士だった自分が覚醒したところで本当に強い者には敵わない。

 

それが分かっていたからこそ、覚醒者という強者にカデゴライズされながらブランカは出来るだけひっそりと生きてきたのだ。

 

食事は最低限、他の覚醒者のテリトリーに入らぬように、転々と街を移動し、それでいて組織に目を付けられないように努力していた。

 

 

 

だが、そんな努力も今日で全ては無意味と化した。

 

 

「ガァアアアアア!」

 

叫びを上げてブランカが腕を振る。覚醒により二本から四本に増えた腕が戦士時代には出せなかった速度で “敵” に迫る。

 

だが、敵はーー自分を殺しに来た戦士はまるで焦らない。

 

戦士は冷静な顔で、いや、それどころか憐れみの表情を浮かべ、ブランカの腕を迎撃する。

 

戦士の腕が霞んで消えた。瞬間、鋭い痛みがブランカの腕に走った。

 

「………ッ!」

 

気づけば全ての腕が半ばから切断されていた。あまりの速さに斬撃が全く見えない。

 

「……ヒィ」

 

敵の強大さにブランカは小さく悲鳴を上げると急いで距離を取ろうとする。

 

しかし、次の瞬間、彼女はバランスを崩して地面に倒れ込んだ。

 

何が起こったか理解出来ない。状況が分からないブランカは慌てて立ち上がろうともがく。そこで自分の足いつの間に消えている事に気が付いた。

 

「え?」

 

周囲を見れば直ぐ近くに、自分の下半身がゆらゆらと揺れながら立っている。

 

斬られたのは腕だけではなかったのだ。

 

遅れて腹部から猛烈な痛みが襲い掛かる。そんな激痛に苛まれながら、ブランカは怯えた目で敵を見つめた。

 

戦士はゆっくりと歩きながらブランカに向かう。あまりの恐怖から目を背けるようにブランカは目を伏せた。

 

それは仕方がない事だ。敵はあまりに強大でしかも自身は手足を奪われ逃げる事も戦う事も出来なくなったのだから。

 

ブランカは全てを諦め終わりを待つ。

 

「助かりました」

 

そんなブランカに何を思ったか戦士が声を掛けた。

 

挑発や侮蔑、そんな意図の全くない穏やかな口調だった。

 

その言葉を受け、伏せていた顔を少しだけ上げる。そして彼女は自身に死を告げるだろう戦士へと問い掛けた。

 

「…………」

 

命乞いをするべきか? 攻撃してこない敵を見てそんな考えがブランカの頭に浮かんだ。だが、すぐに意味がないとその考えを斬り捨てる。

 

覚醒者の命乞いを聞く戦士など存在しない。それは元戦士であるブランカ自身がよく知っていた。

 

ならばこの時間にやるべき事は一つだ。

 

「……な、なにが?」

 

会話に応じ、時間を稼ぐ。その間に腕を再生させ油断しているところで不意を撃つ。

 

そんな彼女の意図を知ってか知らずか戦士は攻撃する事もなくブランカに問い掛けた。

 

「なんで、街で暴れなかったんですか?」

 

その質問にブランカはどう答えるか迷う。気に入らない答えなら時間を稼ぐ事も出来ずに斬り殺されかねない。

 

だが、咄嗟にいい答えも浮かばない。それ故、ブランカは素直に事実を話した。

 

「……一刻も早く、逃げたかっただけよ」

 

ブランカは戦士時代から妖気の強さを測ることだけには自信があった。だから狩場である街から即座に逃げたのだ。自分に接近するその戦士が遥か格上の実力者だと分かっていたから。

 

「あなたが化……強いって見る前から分かってた。あなたの妖気を感じた時から自分じゃ勝てないって分かってた。だから急いで逃げ出した、まぁ、結局、逃げ切れなかったんだけどね」

 

そう、自嘲したように、同情を誘うように言うブランカ。そんな彼女に戦士は悲しげな目を向けた。

 

「そうですか、しかし、正直なところもっと街に被害が出ているものかと思いました。あなたは街の人々を不用意に殺さなかったんですね」

 

「一度にいっぱい食べるのが好きじゃないの」

 

「つまり、食事目的以外で殺しはしなかった」

 

「……だったらなに?」

 

「こんな事を言うのもどうかと思いますが。お礼を、ありがとうございます。おかげで犠牲が大きく減りました」

 

「なら、助けてよ」

 

「……それは出来ません」

 

そう、申し訳なさそうに言うと、戦士が上段に大剣を構える。トドメを刺すのは好きではないのか戦闘中にも関わらず戦士は目を瞑っていた。それを見て、ブランカは思った。

 

隙だらけだと。

 

「はぁ、本当についてない、わッ!」

 

バカめ! ブランカは諦めた振りをして会話の間に密かに一本だけ再生させた腕を戦士に放つ。

 

ブランカの腕は真っ直ぐ戦士に突き進み。簡単に避けられた。

 

「あれ?」

 

「さようならブランカさん」

 

戦士が静かにブランカに別れを告げる。それに青ざめブランカは咄嗟に命乞いを口にした。

 

「助け、お願い!」

 

「…………」

 

 

命乞いが成功したかは語るまでもないだろう。

 

あえて結果を言うならばブランカの読みは正しかった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

閉じていた目を開き、合わせた手を下す。

 

今日のやり取りは良くなかったかも知れない。ブランカの遺体に黙祷を捧げた戦士ーーローズマリーは、先の戦闘を振り返ってそう思った。

 

足を斬られた時点でブランカは生を諦めていたように見えた。だが、ローズマリーが話し掛けた事により生への執着が再燃してしまった。

 

「……難しいな」

 

どう殺すのがベストなのだろう? 痛みを感じさせる事もなく瞬殺するべきか、しっかり話を聞いてから殺すのが良いのか、ローズマリーには分からなかった。

 

下手に苦しめるのは良くないと思う。だが、瞬殺するのも何か違うと思う。訳も分からない内に死ぬのは嫌だ。瞬殺されるよりは一秒でも長く生きていたいそう思う者も多いはず、ならばあまり痛みを与えずに長い間戦うべきか? だが、それも嬲っているようで違う気がする。

 

この思考は強者故の傲慢かも知れない。だが、それでもローズマリーは思うのだ、殺すならせめて相手が最も望む形で終わりを与えたいと。

 

「……はぁ」

 

見つからぬ答えに溜息を漏らすとローズマリーはブランカの墓を作る為に、地面に差していた大剣を引き抜いた。

 

「ご苦労だったな」

 

そんな彼女の後ろから嗄れた声が上がる。その声にローズマリーはゆっくりと振り返った。

 

そこには顔の片面に酷い火傷を負った男が立っている。組織研究員ダーエだ。更に彼の背後に複数の下級構成員とアガサが無言で立っている。

 

それにローズマリーは驚かない。研究者であるダーエが組織本部から離れるのは珍しい事だが、任務後にダーエが現れるのは最近は見慣れた光景だ。

 

アガサについては予想外だが、彼女が近付いているのはずっと前から妖気で知っていた。

 

そして、ローズマリーは彼等が来た理由も分かっていた。

 

「また、ですか?」

 

嫌そうにローズマリーがダーエに問い掛ける。

 

「ああ、まただ」

 

ローズマリーの問いに軽く答え、ダーエはローズマリーに近づくと彼女の前に横たわるブランカの遺体を品定めする様に観察した。

 

「手足を奪い、綺麗に真っ二つか……状態は悪くないなコレなら使える」

 

「物を見るような目を向けないでくれませんか?」

 

「コレは既に生命活動を行っていない。つまりは物だよ」

 

「…………」

 

そういう言い方はあまり好きではない。ローズマリーは無言で抗議の視線をダーエに送った。

 

「くっくっく、そう睨むな、悪かったよ」

 

ダーエはそう言うもその声にはまるで重みを感じない。本当はこれっぽっちも悪いと思っていないからだろう。

 

そんなダーエの態度にローズマリーは顔を顰めた。

 

「本当に悪いと思っているならしっかりここで供養して欲しいんですがね……殺した私が言える事ではないのですが」

 

「それは出来ない相談だ。身内から出た不始末、そして曲がりなりにも私が作り出した作品だからな……覚醒者の遺体は出来るだけ回収しておきたい」

 

「以前は回収なんてしていなかったでしょう?」

 

「今は必要になった、ただそれだけの話だ」

 

それを聞きローズマリーの顔色が変わる。

 

「まさか、新たなタイプの戦士が完成したんですか?」

 

「それこそまさかだ。お前を除き覚醒者をベースにした戦士の成功例は未だない、だが、失敗作を使った兵器なら完成に近づいている」

 

「失敗作を使った兵器?」

 

血肉に餓えた獣、ただ喰らう事のみを渇望する悪魔。ローズマリーはかつて見た戦士の失敗作を思い出し強く奥歯を噛み締めた。

 

ローズマリーは組織が半妖を作るのにそれ程否定的ではない。妖魔を倒すには半妖化は必要なのは理解している。

 

それに組織で半妖にされる者の大半は身寄りがない少女だ。この世界は10にも満たぬ少女が一人で生きていけるほど優しくは出来ていない。だから生き残る可能性があるならば例え半妖にされても生きていた方がマシ、そうローズマリーは思っている。

 

だが、食欲しかない化物にされるなら話は別だ。何せ改造された時には人の意識も記憶も消し飛んでいる残っているのは抑えきれない食欲だけ。そんな状態になるくらいなら死ぬか覚醒した方が幾分かマシだ。

 

「……戦士にするならまだしも拾ってきた女の子をあんな化物に作り変えるのは流石に許容出来ないんですが」

 

「そう言うな、私も心苦しいのだよ。わざわざ失敗作を作ってしまうのはな」

 

「なら既存の戦士にして下さい」

 

「残念だがそれは出来ない。失敗作とはいえ弱い個体でも一桁ナンバー並の力を有するのだ。しかも訓練に掛ける時間も短く維持コストも低い、その上食欲しかないから条件付けで指示誘導するのが容易のだ。戦士としては失敗作だが兵器としてこれ以上のモノは少ない……との評価を長から貰っている私としては失敗作には変わりはないのだがね」

 

「……兵器として有用なのは分かりました。しかし、そんな兵器が必要なんですか? 妖魔を倒すには過剰戦力でしょう」

 

「そうだな、だが対覚醒者を考えれば過剰戦力でもあるまい。特に深淵の者や元上位ナンバーの覚醒者達を倒すのに役立つはずだ」

 

その言葉にローズマリーはシルヴィを思い出す。

 

シルヴィはとんでもなく強かった。ローズマリーとヒステリアという実質の戦士最強タッグですら破ってみせた実力は既存の戦士が相対するには厳し過ぎるモノだ。

 

そして、深淵の者はそのシルヴィすら上回る。確かに彼等を倒すには化物の力も必要だろう。

 

「まあ、実際は深淵の者を倒すというのは二の次だ。大きな動きを見せない内は組織も深淵を倒そうとは思っていない」

 

「……では、なぜ?」

 

「分からんか? 覚醒者の撲滅の為だ。現在の戦士ではどうしても覚醒者が生まれてしまう。組織はそろそろ覚醒という弊害をなくしたいのだよ」

 

「…………」

 

ローズマリーの顔が歪む。現状を知っている故に反論が難しい。現在の戦士の覚醒率は非常に高いのだ。一応黒の書という制度で覚醒する前に死ぬ方法もあるが、誰だって死にたくはない。

 

それ故、限界を迎えても誰にも報告せず組織が気付いた時には覚醒していたなんて話を聞くし強敵との戦闘中に妖力解放の限界を誤り覚醒したなんて事もザラにある。

 

その点を考えればあの化物を使うのが良いのかも知れない。

 

もっとも化物にされる者からすればたまったものではないが。

 

「……その兵器は覚醒しないんですか?」

 

「以前から調べているが、今のところ覚醒する個体は見つかっていない。そもそも身体の作りからして既存の戦士と違うからな、ある意味、兵器とお前は最初から覚醒していると言える」

 

ダーエの言葉に今まで黙っていたアガサが、やっぱり化物じゃん、と小さく呟くがローズマリーが目をやるとすぐに青い顔で口を噤んだ。

 

「……では私も覚醒しないんですか?」

 

視線をダーエに戻し問い掛ける。その問いにダーエは珍しく苦笑いで肩を竦めた。

 

「成功作はお前のただ一人、それ故まだ覚醒しないとは言い切れない。現在分かっていることはある程度妖力解放すると意識を失い兵器に近い化物になる事、そして一応その状態から戻って来れる事くらいだ」

 

「じゃあ、なぜ戻って来られるかは……」

 

「当然不明だ」

 

「はぁ、そうですよね」

 

ローズマリーはガックリと肩を落とした。まあ、そのメカニズムが分かっていれば今頃、新たな戦士が量産されている事だろう。

 

「それと、お前が許容出来ないといった少女を兵器にする点だが、その点は問題ない」

 

「それはまたどうしてですか?」

 

「くっくっく、要らない人間は何も身寄りのない少女だけではない、戦士には覚醒し難い女をベースに使っていたが元々覚醒しないのにわざわざ女を選ぶ必要はない、兵器に使われる大半は少女ではなく大人の犯罪者だ。大人の方が体力があり改造術に耐え切れる可能性が高いからな」

 

「本当ですか?」

 

「本当だとも」

 

「…………」

 

その話を聞いて良くないと思いつつもローズマリーは安堵してしまう。そしてその感情がダーエに伝わってしまったのだろう彼は口の端を釣り上げた。

 

「とりあえずは納得したか? 納得したならば次の仕事を与えよう」

 

次の任務と聞きローズマリーの顔に緊張が走った。何故ならダーエが持ってくる任務無茶振りが多く、大抵が高難難易度の死亡率が高いモノばかりだからだ。

 

「妖魔退治ですか?」

 

「まさか、覚醒者の討伐だ」

 

「ですよねー」

 

あり得ないと思ったが念の為に聞いてみた。期待はしてない……本当です。ローズマリー内心で誰に言うでもない言い訳を思い浮かべた。

 

そんな彼女を他所にダーエは任務の内容を話し始めた。

 

「先日、ナンバー4霊剣のアデライドが覚醒した。これの討伐に当たれ」

 

一桁上位の覚醒者、それも面識がある相手の討伐命令にローズマリーの顔が引き攣った。

 

「……場所は?」

 

嫌そうに聞くローズマリー、それとは対照的にダーエは楽しそうだ。ダーエの事だどうせ力ある覚醒者の遺体が手に入るのが嬉しいのだろう。

 

「ここより南、コール平原を越えた先の街だ。メンバーは……」

 

「どうせ私一人とか言うんでしょう?」

 

勿体つけたように溜めを作るダーエ。そんな彼の言葉を先回りして、ふてくされたようにローズマリーが言った。

 

元一桁上位の覚醒者の単独討伐、それはまずあり得ない事だ。だがローズマリーの場合そう言い切れないのが悲しいところ。事実、彼女はシルヴィ戦を除いても二度ほど単独討伐の経験があった。

 

「くっくっく、なんだ単独討伐は嫌か?」

 

「もちろん複数がいいです」

 

「そうか……ならそこのアガサを着けよう」

 

それは軽い言葉だった。

 

「え?」

 

ぼとり、何かが地に落ちる音がする。そちらにローズマリーが目を向けと驚愕したようなアガサと目が合った。

 

アガサが血の気が引いた顔でローズマリーとダーエを交互に見る。

 

「アレで良いか?」

 

「もちろんです」

 

ダーエの問いにローズマリーが力強く頷いた。

 

ローズマリーにとって予期せぬ幸運だったのだろう、彼女の顔は嬉しそうだ。

 

一方、予期せぬ不運に見舞われたアガサは、

 

「……え?」

 

もう一度、呆然とした呟きを漏らすのだった。

 




受難の日々が始まります(誰のとは言わない)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話

……イエローカード(ボソ)


アガサは運がないね。

 

かつて友人にそう言われた事があった。それを聞いた時、組織に拾われた時点で全員不運だよ。と笑ったものだが、実際運がないのかも知れない。

 

そう最近は思うのだ。

 

アガサはゆっくりと後ろを振り返る。すると、怪物と目が合った。

 

怪物はニコリとアガサに笑いかける。その姿は温和そうな普通の戦士に見える。だが、それは見えるだけだ。アガサは知っているソレがとんでものない化物だと。

 

アガサは数巡目を彷徨わせた後、サッと視線を前に戻す。後ろから小さな溜息が聞こえていたが、聞こえない振りでやり過ごす。

 

こんなやり取りがかれこれ30回、そろそろアガサの胃に穴が空きそうだった。

 

「(お、おのれダーエめぇ、適当に任務を振りやがってッ! なんで私がこんな化物と……ああもう、嫌になるわ、てかなんであんたが後ろを歩いてんのよ、あんたが死角にいると落ち着かないんだけど?)」

 

アガサは思い付きのように、覚醒者討伐を言い渡したダーエと自分に前を歩かせるローズマリーを内心で罵った。そんな彼女に背後から声が掛かる。

 

声の主は言うまでもなくローズマリーだ。

 

「あの、アガサさん、聞いても良いですか?」

 

「な、なにを?」

 

丁度内心で罵って為、若干上擦った声が口から出た。これはマズイ、アガサは自分を落ち着ける為に深呼吸、そしてわざとらしく咳をして言い直した。

 

「ーーコホン、な、なにかしら?」

 

全然落ち着いてなかった。

 

ローズマリーは挙動不審なアガサに首を傾げるも、問い詰める必要はないと考え、質問に移った。

 

「今の内に聞いておきたいんですが、アデライドさんてどんな戦い方をしてました?」

 

やや遠慮勝ちに聞いて来るローズマリーに今度はアガサは疑問を覚える。戦士の中でアデライドの戦い方は有名だからだ。

 

「あなた、アデライドに会ったことなかったかしら?」

 

今度はちゃんと言えた。アガサが小さくガッツポーズを取る。

 

それを、何してんだろう? と見つめながら、やはり突っ込まずにローズマリーはアガサに答えた。

 

「いえ、一度覚醒者討伐で組んだ事があるんですが、霊剣の異名が何処から来てるのか分からなくて」

 

「組んだ事があるならアデライドが霊剣を使ったところを見てるんじゃない? その時は聞かなかったの?」

 

「あ、いえ、その時が初めての覚醒者討伐で焦ってしまいまして……とにかく早く終わらせよう必死で見ている余裕がありませんでした」

 

「……もしかして、その討伐って短時間で終わった」

 

「はい…焦っていたんで正確には覚えてませんが」

 

「ああ〜、なるほどね」

 

アガサは思い出した。以前アデライドが引き攣った顔で成り立ての戦士が一人で覚醒者を秒殺したと話していた事を。

 

つまりアデライドの異名である霊剣を出す前に終わってしまったわけだ。

 

なら、知らないのも無理はない。アガサは霊剣について説明を始めた。

 

「霊剣って異名はね、アデライドが妖気同調を利用した知覚困難な斬撃の放つ事から来ているのよ」

 

「知覚困難な、斬撃?」

 

「そう、見えず、妖気も感じない、まるで幽霊に斬られたみたいだから霊剣って名付けられたのよ」

 

アガサの言葉にローズマリーの顔が驚きに染まる。無理もあるまい。どんな強者も攻撃を認識出来ねば避けれないし、防げない。そう、それは文字通りの “必殺技” なのだから。

 

「それって最強じゃないですか」

 

「まあね、繰り出されたらヒステリアでも勝てないと思うわ」

 

「……そんな人がなんでナンバー4に止まっていたんですか?」

 

「出すのにかなり時間が掛かるのよ、だから同格以上が相手の一対一じゃまともに使えなかった。そして霊剣なしの戦闘力は私よりも少し下、しかも、霊剣の準備中は身体能力が落ちる。だからナンバー3だったのよ」

 

ああ、最後はナンバー4だったわね、とアガサは続けた。

 

「なるほど……しかし、妖気同調ですか」

 

嫌な事に気付いてしまった。そんな顔をローズマリーがする。それを見てアガサは強い不安に襲われた。

 

「ど、どうかしたの?」

 

「いえ、その時間が掛かるってのは覚醒したら緩和された、なんて事はありませんよね」

 

「…………」

 

「…………」

 

嫌な予感しかしない。

 

「……私は、妖気操作系はそんなに詳しくないんだけど、妖気が強くなった方がそういうのってやり易いの?」

 

「妖気感知とかはむしろ自分の妖気が小さい方が精度が良いと思います。でも、妖気同調はやり方によりますね、相手の妖気に合わせて自分の妖気を変化させて同調するなら弱い方が有利で、自分の妖気を相手に浸透させて相手に同調させるタイプだと、妖気が強い方が有利です」

 

それを聞いてアガサは顔を引き攣らせた。

 

「………うわ、それ、多分後者ね、一度興味本位で霊剣を使ってもらった事が有るんだけど、確かその時は自分の中に相手の妖気が入ってきたみたいな不快な感じがしたわ」

 

「それは、マズイですね、霊剣は発動までどれくらい掛かりました? あと、一度発動したらどれくらい効果時間が続くんです?」

 

「さすがにそこまでは覚えてないわ、何度か霊剣を見たことあるけど発動までの時間はバラバラだった気がする。持続時間についても発動したら直ぐに相手を仕留めてたし、私に使った時も直ぐに解除してたから分からない……ああ、でも消耗が激しそうだったから、多分、それほど長い時間は使えない筈」

 

「そうですか……もう一度確認しますが、霊剣を使うには妖気同調が必要なんですね?」

 

「そうよ」

 

「なら、一度に複数の対象に使うのは難しいですね……でも、万が一があり得るか」

 

ローズマリーはしばし悩んだ後。一つ頷く。

 

「じゃあ、アガサさん、役割分担しましょうか」

 

そう言ってローズマリーはアデライド討伐の作戦を提案した。

 

 

 

 

 

 

その街はコール平原を越えた先にある。

 

軽い気持で旅行に出れないこの時代、あまり有名ではないが、その街は数少ない旅人や商人の間で美しい街として知られていた。

 

だからこそ、ローズマリーはいつも以上に街に入る時、顔を顰めた。

 

「……毎回理性的な覚醒者ばかりじゃないよね」

 

ローズマリーは疲れた声で “一人” 呟く。前回の任務で倒した覚醒者は無意味に暴れなかった。だが、今回の相手は違うらしい。

 

建物が幾つも壊され美しい街は見る影もなくなっていた。覚醒者がーーアデライドがやったのだろう。

 

おそらく組織に依頼した事が暴れた原因である。良くあるパターンだ。組織に依頼を出されてムカついたから街を滅ぼすというのは。

 

依頼するのも考えものだ。

 

ただの妖魔の場合なら良い。ヤケになって暴れれば擬態が解けて正体が露見する。そうすれば街の者達で協力して倒す事も不可能ではないのだから。

 

だが、覚醒者の場合は無理だ。どんなに弱い覚醒者も人間では勝ち目がない。つまり機嫌を損ねた時点でその街は終わりなのだ。

 

この現状を正すには、もっと密かに相手にバレないような依頼方法が必要だ。個人で勝手に依頼すれば今でもそれが可能だが、クレイモアに払う依頼金があまりに高く個人で出すの難しい。

 

「(もう少し、安値で依頼を受けたいな)」

 

そう、思うもローズマリーに値段を決める権限はない。彼女は溜息を吐き、街の中に入って行った。

 

 

 

………のだが。そんな事を考えている場合ではなかった。

 

状況はローズマリーの予想以上に悪かった。

 

「あ〜……これはマズイなぁ」

 

ローズマリーが、小さく言葉を漏らす。街の様子から街民は全滅していると思っていた。だが、違った。僅かだが生存者がいた。そして彼等は集められていた街の広場に。

 

 

ーーそう、アデライドの直ぐ近くに。

 

「いらっしゃい、ローズマリー」

 

生存者達を盾にしながら、アデライドが言った。

 

最初から自分を知る覚醒者と戦うのは初めてだ。なにより最初から人質を使う覚醒者とは出会った事がない。ローズマリーは気を引き締めてアデライドを観察する。

 

アデライドの顔は覚醒したにも関わらず戦士時代と変わりない。

 

長い銀髪も銀の瞳もお嬢様のような美しい顔立ちも、何一つ変わりなかった。

 

ただし、変わらない顔周辺のみ。それ以外は全く別物に変化していた。

 

その腕は大樹の如く巨大な触腕と化し、足は完全に消え去っている。その代わりとでも言いたいのか赤黒い球体となった胴体から数百本の触手が生えておりその触手がアデライドの身体を支えている。

 

そして、美しい顔が触手に塗れた胴体に直接着いている。

 

なまじ身体が完全に異形故に全く変わらない顔が逆に悍ましい、そんなアデライドの覚醒体だった。

 

 

「……こんにちわ、アデライドさん」

 

少しだけ迷ったのち、ローズマリーはアデライドの名前を呼んだ。本来、覚醒者という存在は秘匿されている。クレイモアが妖魔に堕ちるという情報は人々に不安を齎すだけだし、なにより組織が信用を失う。

 

故にローズマリーの発言は危ないものだ。ただ、まあ、誤魔化す手段は幾つもある。

 

なにせ、元々妖魔は喰らった者の記憶と姿を奪う能力が有ると言われているので、クレイモアを喰らった妖魔という事にすれば多少の不信感を抱かれるだろうが説明は出来るのだ。

 

「さて、じゃあ、挨拶も終わったことだから早速だけど、月並みの要求をするわね……人質を殺されたくなければ動くな」

 

数人の生き残りを触手で締め上げながら、アデライドが要求する。拘束された人々から命乞いと呻き声が聞こえてくる……心情的には呑んでやりたいが、こういう時の対応は決まっている。

 

「お断りします」

 

ローズマリーは顔を顰めながらも、その要求を即座に拒否した。

 

「あら、この人達を見捨てるの?」

 

「ええ、残念ながら」

 

要求を呑んだ所で死体が一つ増えるだけ、それに望みは薄いが上手く行けば何人かは生き残らせられるかもしれない。ならば戦うまでだ。

 

ローズマリーが地を蹴り、疾風と化す。

 

その速度を持って彼女はアデライドへ踏み込んだ。

 

並の覚醒者では目視すら叶わぬ速度ーーだが、アデライドは並ではない。彼女は疾風と化したローズマリーをしっかりと視認し、その行く手を遮るように触手を放つ。

 

多数の触手が鞭のようにしなり、高速の鞭打となってローズマリーの襲い掛かった。

 

「ーーふっ!」

 

その触手の群れをローズマリーは一刀の元に斬り捨て、更に加速。瞬く間もなく大剣の射程まで接近すると、アデライドの顔面目掛け大剣を走らせ……途中で軌道を変える。

 

人質を盾にされたのだ。

 

「やっぱり準備って大切ね」

 

アデライドが実感のこもった声で言った。彼女は大剣の軌道を無理やり変えて大きな隙を晒したローズマリーに再び触手を放つ。ローズマリーはそれを横っ飛びに回避、追撃で放たれた触手を斬り払い、地面に降り立った。

 

「…………」

 

ローズマリーは一旦触手の射程外まで距離を取ると、隙を探すようにアデライドを睨む。

 

「探したって隙なんてないわよ」

 

ローズマリーの狙いを看破したアデライドが無駄だと笑う。

 

確かにそうだった。ローズマリーを笑うくせにアデライドは全く油断していない。彼女はローズマリーを格上と考え最善の行動を取ろうとしている。まったくもってやり辛い相手だ。

 

「……それ、止めません?」

 

ローズマリーが人質を指してそう言った。

 

クレイモアの掟の一つに、いかなる理由があろうとも人間を殺してはならない、というモノがある。この禁を犯せばそのクレイモアはそのナンバーに関係なく粛清されてしまう。

 

だから、先程の斬撃を止めざるを得なかった。もちろん掟以前にローズマリーが甘いからという理由も大いにあったが。

 

「もちろん止めないわ……ああ、それと気付いてると思うけど、組織の人間が今もあなたの事を遠くから見ているわ」

 

当然のようにローズマリーの願いを一刀両断すると、補足するようにアデライドが告げる。本当かどうかは分からない。少なくともローズマリーの知覚範囲に組織の人間は居ない、だが、その言葉は十分牽制になる。

 

戦況は非常に悪かった。

 

「…………」

 

ローズマリーは思う、一度退くべきだと。

 

ローズマリーの身体にアデライドの妖気が侵入してきている。おそらくこれがアガサが言ったて嫌な感覚、そう、アデライドは人質で時間を稼ぎ、霊剣の発動条件を満たそうとしているのだ。

 

「(……マズイな)」

 

覚醒したアデライドが霊剣発動にどれほど時間を要するのかは知らないが、自身を侵食する妖気の強さから、そう長い時間ではないだろう。このまま戦うならば短時間で仕留める必要がある、だが、人質に加えアデライド自身も強いのでそれは難しく思えた。

 

だからこそ、撤退が現状最も良い答えだ。5日も経てば人質は全員死ぬだろう、そして、人質が使えなくなった状況ならばアデライドを倒すのもそこまで難しくはない。

 

アデライドは強大な覚醒者だが、ローズマリーの手に負えないレベルではないのだから。

 

「(…….撤退しよう)」

 

人質の命を諦め、断腸の想いでローズマリーはその選択を取る。

 

だが、その判断は少しばかり遅かった。

 

退く決断をしたローズマリーにアデライドが人質の一人を投げつける。

 

投げられたのはまだ10にも届かなそうな少女だった。

 

「なっ!?」

 

上手く受け止めれば女の子は助かり、避ければ確実に死ぬ、それは絶妙な速さの投擲だった

 

「きゃああああ!」

 

砲弾と化した少女が悲鳴を上げ、ローズマリーの優れた目が恐怖に引き攣る少女の顔を正確に捉える。

 

咄嗟に動いてしまった。

 

 

「くっ」

 

ローズマリーは少女を優しく受け止める。その行動にアデライドが嗤う。

 

「お馬鹿さん」

 

アデライドが大樹のような触腕を振るう。細い触手とは違う本命の一撃だ。

 

避けられない! ローズマリーは女の子を抱えたまま、片手で大剣を掲げる。

 

直後、激震がローズマリーに走り、押し負けた両刃の大剣が彼女の肩にめり込んだ。

 

「あ、ぐぅ」

 

苦悶の呻きが漏れる。触腕の圧力に膝をつきそうになるローズマリー、そんな彼女の視界の隅に二本目の触腕が映る。触腕は横薙ぎにこちらに迫っていた。

 

「こ…のおおおおッ!!」

 

ローズマリーは裂帛の気合いを込めて右手に力を入れる。そして彼女は渾身の力で一瞬だけ頭上の触腕を押しのけると、大剣を手放し少女を抱えて転がるように横薙ぎの二撃目を避けた。

 

そのローズマリーに触手の群れが襲い掛かる。

 

「ちぃ!」

 

ローズマリーは舌打ちし、起き上がりざま触手を蹴りで弾き飛ばしアデライドに背を向け街から離れようとする。

 

「逃がさない」

 

距離を取ろうとするローズマリーにアデライドが追い縋る。見た目に反した素早い動き、少女を気遣った速度では引き離せない。

 

ローズマリーは胸の内の少女に目を向ける。少女は既に気絶していた。

 

捨てる?

 

頭にそんな考えるが過ぎり、直ぐに却下する。助けようと思えばこの子だけでも助けられる状況、しかもここで捨てたら何の為に受け止めたのか分からない。

 

「……ごめん、ちょっとだけ我慢してね」

 

気絶した少女に聞こえるはずない言葉を投げるとローズマリーは速度を上げる。

 

アデライドと距離が徐々に離れ、同時に少女の顔が苦悶に歪む、ローズマリーの速度は普通の少女には辛すぎるのだ。

 

少女の身体をおもえば長時間、この速度を維持は出来ない。

 

街から出たローズマリーは若干空いたアデライドとの距離を利用し減速、柔らかな草原に少女を転がすとこちらに向かうアデライドに向き直り、逆に踏み込んだ。

 

一気に両者の距離がゼロになる。

 

攻撃の間合いに入ったローズマリーをアデライドが触手で牽制、更に隙を突いて本命の触腕を当てようとする。だが、ローズマリーは多数の触手を手で払い、巨大な触腕を屈んで躱す。

 

「………ッ」

 

右手を動かす度に先程負った肩の傷が痛むが、我慢出来ない程ではない。そのままローズマリーはアデライドの攻撃を捌き切り、滑るようにその懐へ。

 

そして、人質で作った盾の隙間を縫うように強烈な拳打を叩き込んだ。

 

「がっ!?」

 

拳の威力にアデライドが宙を舞う。民家程の巨体が飛ぶのは圧巻の一言だ。

 

しかし、アデライドもタダで攻撃を喰らったわけではない。

 

ズリッとローズマリーの足が引き摺られ、体制が崩れた。

 

「なっ?」

 

ローズマリーの口から驚きの声が漏れる。見れば触手の一本が片足に絡んでいた。

 

アデライドはローズマリーの攻撃を避けれないと判断するや否や相手の攻撃に紛れさせて、ローズマリーの妖気感知を掻い潜り、密かにローズマリーの足に触手を絡めたのだ。

 

「くっ」

 

触手に気付いたローズマリーが足に絡んだそれを素手で捻じ切る。これで拘束は解除された。

 

しかし、もう遅い。ローズマリーが触手を外す直前にアデライドが体制を立て直し二本の触腕を大きく振るう。それはまるで蚊を両手で叩き潰す動きに似ていた。

 

ローズマリーは左右から迫る触腕に覚悟を決めると、腰を落とし両手を突き出す。このタイミングでは避け切れない。そして下手に喰らうくらいなら受け止めた方がマシ……そう判断したのだ。

 

 

 

直後、肉を打つ嫌な轟音が鳴り響き、衝突により発生した衝撃波が草原の草を大きく揺らした。

 

 

「……化物め」

 

小さく、だが、戦慄したような声が漏れた。

 

アデライドの声だ。

 

「化物ですか……まぁ、自覚はありますよ」

 

ローズマリーが溜息交じりにそう返す。

 

巨木の如き触腕をローズマリーの細腕が完璧に防いでいた。何時の間にかローズマリーの目が金色に染まっている。妖力解放だ。

 

ローズマリーは先の攻防からこの攻撃を解放なしでは受け止められないと判断し、暴走しないと自信を持って言える限界……その二歩手前まで妖力を解放したのだ。

 

「ちぃ!」

 

アデライドが舌打ちし、触手の先を槍状に変化させる。そして触腕でローズマリーを押さえたまま数十の触手の刺突を彼女に放った。

 

だが、ローズマリーは両手に力を込めて左右の触腕を弾き飛ばすと、大きく後ろに飛んだ。その動きは触手の攻撃速度より遥かに速い。妖力解放によりスピードも大幅に上昇しているのだ。

 

ならばと、アデライドは人質の一人を投擲する。それはやはり絶妙な速度で、受け止めればもしかしたら生き残れるかも知れない、そんなギリギリのラインを狙ったモノだった。

 

「ああ、もう!」

 

また咄嗟にローズマリーは人質を受け止める為に動いてしまう。性分だからだろうが、一桁上位ナンバーとしては状況判断能力に欠けると言わざるを得ない行動だ。

 

「ガァァァァァッ!」

 

隙を晒したローズマリーに、アデライドが叫びを上げて触腕を振るう。

 

人質を受け止めれば攻撃を避けられない。それを分かっていながらローズマリーは受ける事を選択する。

 

ローズマリーは飛んできた人質を回転しながら受けると、勢いを殺し草原に転がす。そして、転がした動きをそのままにローズマリーは遠心力を加えた回し蹴りを触腕目掛けて打ち込んだ。

 

蹴りと触腕が激突する。打ち勝ったのはローズマリーの蹴だった。

 

「ぐうぅ」

 

轟音と共に打ち負けたアデライドが大きく体制を崩す、その好機にローズマリーは一気に踏み込んだ。

 

力強い踏み込みが大地を揺らし、ローズマリーの身体を一瞬でアデライドの元へと到達させる。

 

この間合いから放つのは全力の右ストレートだ。大剣がない今、人質を避けて当てるならばその選択がベスト。

 

当然、武器なしでは殺傷力が大きく落ちるがローズマリーの拳は覚醒者相手にも十分な攻撃力を誇る。何より妖力解放によりスピード、パワー共に大きく上昇している、肩の傷も妖力解放により完治している。

 

そう、これは正真正銘渾身の一撃。

 

「ーーはッ!!」

 

ローズマリーの剛拳が、再びアデライドに撃ち込まれた。

 

「ガハァッ!」

 

その凄まじい威力に硬い覚醒者の外殻が耐え切れず砕け散り、その破片ごとローズマリーの拳が肘の当たりまで胴体に突き刺さる。

 

そして、体内で止まった拳に押され、先の倍の速度で吹き飛ぶアデライド。それにより勢いよく傷口から拳が引き抜かれ真っ赤に濡れた拳が顔を出す。

 

ローズマリーは鮮血滴る手をひと舐めし、口の中に広がる豊潤な旨味に笑みを浮かべるとトドメを刺すべく、足に力を入れ、

 

 

そこで凍りついたように動きを止めた。

 

「あ、あれ?」

 

おかしい、今、自分はナニをした?

 

 

暴走したわけではない、意識はちゃんとあった。それなのに当たり前のようにアデライドの血を口に運び、そして美味い思った。

 

その事に思い当たった瞬間、ローズマリーの身体に変化が起きる。

 

妖気が爆発的に高まったのだ。

 

「なあっ!?」

 

恐怖に駆られローズマリーは全力で妖気を抑え込む。

 

血を撒き散らし転げ回るアデライドが視界に映ったがそれにかまう余裕はない。

 

「う、そ」

 

だが、妖気が収まらない、それどころか不必要に増大し続けている。解放率は既に50%に達し、そのあまりの妖気の強さに突風が巻き起こっていた。

 

「止まれ…止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれッ!」

 

止まらない、妖気の増大が止まらない。意識はしっかりしているし、筋肉が膨れ上がる等の身体の変化もないのに妖気は既に危険域(70%)に差し掛かっていた。

 

そこでアデライド(ごはん)の姿が消えた。今更霊剣が発動したのだ。

 

マズイ…完全にマズイ、いつの間にかアデライドを食料と認識しかけている。その思考を変化に恐怖しながら、同時にローズマリーは思い出した。

 

今回、自身がアガサに言った霊剣回避の方法を。

 

「そ…うだッ!」

 

焦ったようにローズマリーが懐を探る。出てきたのは黒く丸い小さな薬、特殊任務の際に支給される妖気を消す薬だ。

 

ローズマリーは急いで薬を口に入れて噛み砕く、すると妖気の上昇が収まった。

 

今だッ!

 

ローズマリーは未だかつてない程、集中すると、全霊を持って妖気を抑えつけた。

 

 

 

 

 

 

「はあ、はぁ、はぁ……ふはぁ」

 

妖気はなんとか収まった。

 

全身が痺れ、座った体制すら維持出来ない。ローズマリーは地面に力なく倒れ込んだ。

 

妖気が消えた事で妖気同調が切れたのだろう、消えていたアデライドの姿が浮かび上がる。彼女はフラフラとだが、一目散に逃げていた。

 

「…………」

 

当然、追えるはずがない。しかし、相応のダメージは与えた。申し訳ないが、後はアガサに任せよう。

 

ローズマリーは強い恐怖に震えながらただただ妖気を抑え続けた。

 

 




一桁上位の覚醒者を素手で圧倒するのはやり過ぎ? 大丈夫大丈夫、アガサより弱い覚醒者だから(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話

アケマシテオメデトウゴザイマス(遅れて申し訳御座いません)


荒い息が小さく空気を震わせる。

 

「はっ、はあ、はぁ……はぁ」

 

足を止め、アデライドが座り込む。

 

ここはコール平原のど真ん中、高い木々が存在しないここは奇襲はされないが身を隠すにはあまりに不適切な場所だった。

 

しかし、ここで休まねば死にかねない、ローズマリーの拳により重要な臓器がいくつか潰されてしまっている。これは覚醒者にとっても重症だ。特に元攻撃型のアデライドには。

 

アデライドは覚醒体を解き、人型に戻る。覚醒体は戦闘力が大きく上がる代わりに妖気の消耗が激しく怪我の治癒には向かないからだ。

 

「ぐっ……が……」

 

呻きを漏らし、アデライドが自らの腹を撫でた。触る事で妖気の集中を促進させ治癒力を高めているのだ。

 

妖気を集中する事で、抉れた腹部が目に見える早さで癒えていく、この様子なら命に別状はないだろう。

 

「…………」

 

傷を癒しながらアデライドは周囲を見回す。いつもならしない行動、だがローズマリーは最後に妖気を消す薬を使っていた。その為、接近を知るには彼女を視界に捉えなければならないのだ。

 

幸い、今の所、ローズマリーの影はない。

 

「……ふぅ」

 

安堵の溜息を漏らすアデライド。

 

「……はぁ、お腹すいた」

 

そして、安心すると腹が減って来た。

 

先程までグシャグシャだった胃が空腹を訴えるのは、調子が良く感じるが実際ダメージの回復には食事が一番。

 

ここらでエネルギー補給がしたいところだ。

 

「どこで腹を満たそうか」

 

アデライドは立ち上がって歩き出す。捨てて来た人質に後ろ髪を引かれるも、当然あの場には戻らない。当たり前だなんの為に捨てたと思っている。

 

前に前に足を進めながら時折後ろを振り返りローズマリーが追って来ないか確かめる。空腹だからと警戒を解いてはならない。

 

まあ、最後に見た様子から追っては来れないと思う。むしろトドメを刺す事も可能だったかも知れない。

 

だが、そんな気は全く起きなかった。

 

なぜならアデライドは恐れてしまったのだあのローズマリーを。

 

「……ほんと、化物だったわ」

 

アデライドはローズマリーの戦いを振りを思い出す。

 

卓越した剣技に、異常に高いパワーとスピード、その上、妖気は馬鹿げた強さ、全くもって理不尽な敵だった。

 

人質がいなければーーそしてローズマリーの情報を持っていなければ、今頃、彼女の前で屍を晒していただろう。

 

本当にアデライドは運が良かった。

 

彼女は知っていたのだローズマリーは妖力解放が人より苦手で早い段階で制御を失うと、だから使った、妖力操作による他人の妖気の引き上げを。

 

結果は上々、霊剣発動の為に身体に入れていた妖気、それを媒体にローズマリーの妖気を引き上げ暴走させる事に成功した。

 

ただ、成功したは良いが、予想を遥かに上回る強大な妖気を恐れてしまったのがいけなかった。大ダメージを負っていた事もあり、致命の隙を晒すローズマリーを攻撃せず、霊剣を発動し逃げ出してしまった。

 

まあ、アデライドの場合は例えローズマリーを恐れずとも逃げ出していたかも知れない、そもそもアデライドはローズマリーを憎んでいる訳ではない、命を狙われなければ、戦う気など元からない。故に危険を犯してまでトドメを刺す気はなかった。

 

元々、ローズマリーが人質を見捨てる様な性格だったら人質を盾に逃げ出す算段を立てていたのだから。

 

「本当、金輪際会いたくないわね」

 

アデライドは身震いすると、一度立ち止まり手で腹を押す。

 

痛みはない。

 

ようやくローズマリーから与えられた傷が完治したのだ。

 

「…………よし」

 

これなら大丈夫。アデライドは歩くのを止め、強く大地を踏みしめ走す。

 

 

 

……そこで、彼女は一つの人影を見つけた。

 

 

 

 

 

「よし」

 

時を同じくして、物の影からアガサが小さく呟いた。

 

彼女はローズマリーとアデライドの戦いが始まってからずっと薬で妖気を消し、街中に潜んでいたのだ。

 

「……悪いわね」

 

アガサが聞こえる筈もない謝罪を口にする。

 

彼女の視線の先にはローズマリーが倒れていた。時々身動ぎする事から彼女が生きている事は確定している。だが、距離がある為、意識があるかは分からない。

 

ここは近づくべきだろう。

 

「…………」

 

しかし、アガサは動かない。

 

だって怖いから。

 

薬を飲んでいた為、正確には判断出来ないが見た所ローズマリーはまた暴走しそうになった。そんな状態のローズマリーにアガサは近付きたくない。出来れば正気か判別してから接近したいのだ。

 

「(さて、どうする)」

 

内心でアガサは今後について悩む。

 

元々あった作戦ではアガサが不意を打つ予定だった。薬で妖気が消えている為に奇襲が容易で、尚且妖気同調が必要な霊剣対策にもなる。そんな簡単だがそこそこ使える作戦だった。

 

だが、アガサは奇襲をかけなかった。

 

それにはいくつか理由がある。人質が邪魔でタイミングが掴めなかったとか、アデライドが油断してなかったから仕掛けられなかったとかだ。

 

まあ、最も大きな理由はアガサの個人的な作戦『命を大事に』の方が優先だったのでそちらを発動させただけなのだ。

 

なにせ妖気を消す薬は有用だが、代わりに使用すると妖力解放出来なくなり、妖気感知も出来なくなる。並みの覚醒者相手なら問題ないが、相手は戦士時代にほぼ互角の力を持ったアデライド、その覚醒者にそんな状態で奇襲とかリスクが高過ぎる。

 

アガサは出来るだけ危険な行為を事はしたくなかった。

 

だからアガサはローズマリーが一人で勝てなかった場合、人質がいたので倒せなかったと組織に報告するつもりだった。

 

この失敗でナンバーが落ちるかも知れないが別にそれでも良い。正直、ナンバーが落ちるのはありがたかった。この頃、アガサはナンバーに拘るのに疲れてきたのだ。

 

もちろんナンバーに対する思い入れはまだある。だが、命を賭ける程ではなくなった。ならば尊敬はされども難易度が高い任務ばかりの一桁ナンバーより、尊敬はされないが侮られもしない、それでいて覚醒者討伐のリーダーにもされないナンバー15くらいの方が魅力的だ。

 

「………もう少し様子を見よう」

 

そう言ってアガサはまた物陰に隠れた。

 

アデライドを追う気は皆無であり、ローズマリーに駆け寄る気もまた同じ。

 

アガサは戦闘狂でもなければ自殺志願者でもない。故に彼女は一人隠れ続ける。

 

無理しない事、それが長生きの秘訣なのだから。

 

 

 

 

 

 

妖力暴走から数刻、太陽が地平にその身を隠した頃、ようやくローズマリーは動き出した。

 

「…………」

 

ローズマリーは立ち上がり、そしてよろめいた。手足の痺れが酷いのだ。ローズマリーは倒れないよう意識しながら一歩一歩、小さく前進し街の中へと戻った。

 

街に戻ったローズマリーは民家の壁に手を突きながら進む、安全に休める場所を探しているのだ。

 

「…………」

 

歩くローズマリーはやはり無言、溜息の一つも漏らさず、彼女は安全な場所を目指す。

 

その途中で街人の遺体が目に入った。

 

遺体の顔は皆、揃って恐怖で強張っている。

 

後で、埋葬してあげなければ。そう思い、ローズマリーは壁から手を離すと、その遺体一人の側にしゃがみ込み、虚ろに見開かれた目を閉じると。

 

 

その血に塗れた “腹部” に手を伸ばし……。

 

「……あ、お」

 

そこで、背後からの声にハッとなって振り返る。

 

そこに居たのは、先程、アデライドに投擲された少女だった。

 

そういえば、草原に転がしたままだった。妖力暴走のせいで頭から完全に抜け落ちていた。

 

「放っておいてごめん……痛い所はない?」

 

ローズマリーは忘れてしまった事を恥て謝ると少女に怪我の有無を問う。

 

「…………」

 

だが、少女はローズマリーの質問に答えない。それにローズマリーが首を傾げる再度問い掛ける。

 

「どうしたの? 何処か痛い『…お母…さん』」

 

言葉の途中で、少女がローズマリーの背後を見つめ呆然とした風に呟いた。

 

「…………」

 

ガツンと頭を殴られたような気がした。

 

少女はローズマリーを押しのけるように前出ると遺体に縋り付く。少女の決壊した感情が涙となって地を濡らす。

 

その光景の前にローズマリーは言葉を掛ける事が出来なかった。

 

アデライドがどうなったか分からない現状、このまま放置するのは危険だ。しかし、だからと言って、なんと声を掛ければ良いのか分からない。

 

他人からの同情なんて、耐え難い現実の前では意味をなくす。

 

そう、母の死を悲しむ少女に掛けられ言葉なんてない、だから声など掛けられない。

 

どんな言葉も気休めにしかならないし、その気休めの言葉すらローズマリーの頭には浮かばなかったのだから。

 

「…………」

 

胸が酷く苦しい。

 

人の死には慣れているつもりだった。

 

実際、死体なら何度も見たし、その中にはまだ幼い子供もいた。そんな彼等を見てローズマリーは悲しんだが、ここまで胸が締め付けられるような思いはしなかった。

 

だが、母の死を悲しむ少女という構図が、“誰か” に重なったのだ。それが原因でこれほど苦しいのだ。

 

ザッと、いう音が足元から響く、それは後退したローズマリーの足が立てた音だ。

 

そして、その音を聞いた為か、少女が嗚咽を漏らしながら振り返る。

 

「…………」

 

涙で濡れた赤い瞳がローズマリーを射抜く。その視線がまるでお前のせいだと責めていようで。

 

それが怖くてローズマリーは逃げ出した。

 

自分の行動が理解出来なかった。怖がる要素などない、少女にローズマリーを害する事など不可能なのだから。

 

だが、足は勝手に前へと動く。そのままローズマリーは少女の視線から逃れる建物の陰に駆け込んだ。

 

 

そこには何故かアガサが座って休んでおり、彼女は突然現れたたローズマリーに驚愕し顔を引き攣らせた。

 

「げぇ、あ、いや…え、バレた?……ちょ、ごめん、いや、サボった訳じゃなくで、ちょっとアデライドを見失っちゃったというか、人質が居たからというか、そもそも一人じゃ無理ってか……本当にすいません、だから喰わないで下さいマジで!」

 

急にとりみだし謝りだしたアガサにローズマリーが面食らう。

 

それと同時に少女の視線から感じた恐怖が和らいだのが分かった。

 

「…………」

 

「いや、本当ごめん、いや、でも、私が一人で覚醒したアデライドに挑むのってちょっと無謀じゃない? だから、これは仕方ないと言いますか」

 

「…………」

 

「ほら、普通にあのアデライドと戦ったら死にそうだったし……あの、何か言ってくれない? ちょっと怖いんだけど、いきなり噛み付いたりしないよね?」

 

「……はぁ、いえ、すいません、ちょっと混乱していました」

 

ローズマリーはそう言うと、半ば倒れるようにアガサの隣に座り込んだ。

 

「きゃっ! え、なにあなたまだ調子悪いの?」

 

「手足に力が入り辛いです。でもそれだけですよ」

 

「そ、そう? なら良いんだけど……本当に大丈夫?」

 

「はい、大丈夫です。心配をおかけして申し訳ありません……ええと、それで、アデライドさんはどうなりました?」

 

正直、ローズマリーは驚いていて先程アガサが言った内容を半分も聞いていなかったのだ。

 

だが、アガサはそれをわざと自分を追い詰める為に態と聞いていなかったフリをしていると勘違い。

 

冷や汗を流して再び彼女は言い訳を始めた。

 

「い、いや〜、ほら、いくら怪我しててもナンバー4の覚醒者の単独でとか、常識的に無理でしょ、だから戦わなかったのは正しい判断と言いますか…」

 

「あれ? 最後、アデライドさんは隙だらけだったと思いますし、それに結構いいダメージを与えたんですが、本当に勝てませんでしたか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………多分、勝てなかった」

 

スーと、視線を逸らしながらアガサが言った。どうやら勝算はあったようだ。

 

「(なるほど、私と会った時に色々言っていたのは、アデライドさんと戦わなかった言い訳か)」

 

ここでようやく、ローズマリーはアガサが勝てる可能性があったのにアデライドを追わなかったという事を理解する。

 

そして、ジト目でローズマリーがアガサを見つめた。すると、アガサはプルプル震え出した。

 

なんか、虐めているみたいだ。

 

「本当だから、多分勝てなかったから! いや、確かに勝算はあったわよ? でも、四割くらいだから!」

 

「……そうですね、確かにそれはキツかったですよね。薬で妖力解放も妖気感知も出来なかったんですから相手が本当に深手を負ってるか判断が難しかったですもんね」

 

「そ、そうなのよ、実は瀕死の演技かもしれなかったしね!」

 

「…………」

 

うわ、白々しいなぁ、絶対瀕死だって分かってましたよね? とローズマリーは思ったが、口には出さない。

 

実際の所、作戦を考えたのは自分だし、アデライドを逃したのも自分だ。冷静になれば分かる事、いくら大きなダメージを与えたとはいえ、一桁上位の、それも人質を取った覚醒者に単独で挑ませるのは酷だったのだ。

 

そして、それを考えれば先程自分が言った言葉は責任の薄い相手への八つ当たりでしかない。

 

「……すいません、考えてみればその通りでした。そもそも作戦が穴だらけでしたね、しかも途中で私は戦闘不能になってしまうし」

 

「……そうよ、正直、あなたが倒れた時は何事かと思ったわ」

 

「いやぁ、実はアデライドさんの妖気操作を喰らってしまったようで、危うく覚醒する所でした」

 

「…………」

 

アガサがサッとローズマリーから距離を取った。

 

「……流石に露骨過ぎません?」

 

「ごめんなさい。でも怖いからもうちょっと離れてくれるかしら?」

 

「もう十分離れてますよ」

 

「まだ、全然足りないわ」

 

本当にそう思っているらしく、アガサはジリジリとローズマリーを警戒しながら大通りへと後退して行く。

 

そんなアガサにローズマリーは溜息を吐いた。

 

「……はぁ、分かりました。思う存分離れて下さい。ただ一つお願いがあるんですが」

 

「お、お願い?」

 

警戒したようにアガサが聞く。

 

「無茶な事じゃないんで、そんな嫌そうに聞かないで下さい」

 

「そ、そう、なら良いんだけど、それで内容は?」

 

「街を出て直ぐの所に、もしかしたらアデライドさんが人質にしていた人達の生き残りが居るかも知れないので見てきてくれませんか? ちょっと私は今手足が痺れていて動き辛いので」

 

そう言って震える手を見せてくるローズマリー。

 

それを確認し、アガサはローズマリーの頼みを受諾する。

 

「分かったわ……でも、アデライドが戻って来ないわよね?」

 

「多分大丈夫だと思いますよ、人質を使うような人ですから勝算が低いのにわざ強敵がいる場所に戻るとは思えません」

 

「それもそうね、じゃあ、行くわね」

 

一刻も早く離れたいのか、アガサは直ぐに大通りへと出て行った。

 

「……そんな嫌ですか?」

 

気持ちは分かる。いつ爆発するか分からない爆弾が有ればローズマリーだって近付かない。

 

だが、爆弾側からすればそんな態度は結構くるものがあるのだ。

 

「……はぁ」

 

またローズマリーは重い息を吐き出さして、全身の力を抜く。

 

「あ、ローズマリー?」

 

それと同時に何故かアガサが戻って来た。

 

「あれ、どうかしました?」

 

「聞き忘れたんだけど、街の外のよね、街の中は探さなくていいわよね?」

 

「広場に生存者が居なければ後で良いと思います」

 

「そう、じゃあ大通りにいる女の子とドレスを着た女は声掛けなくて良いかしら?」

 

「……女の子というのは女性の遺体の側にいる子ですか?」

 

「そうよ」

 

「……あの子はもう少し放っておいて下さい、多分、母親とお別れの途中なので、ドレスの人は………ドレスの人?」

 

ローズマリーが疑問の声を上げた。

 

「ドレスなんて着ている人が居るんですか?」

 

「居るわよ、女の子に近付いている所ね」

 

「…………人質の中にそんな人居ましたか?」

 

「居なかったわね、もしかしたら隠れていたのかしら?」

 

「ドレス姿で?」

 

嫌な予感がする。

 

ローズマリーは震える身体に鞭を打って立ち上がる、アガサが地味にローズマリーから距離を取るが。そこは気にしない。

 

ローズマリーと建物の陰から大通りを覗く。

 

確かに居た、長い髪をツインテールに纏めたドレス姿の女性が。

 

「………ッ!?」

 

ドレス姿の女性を見た瞬間、寒気と悪寒がローズマリーの背筋を貫いた。

 

直感が告げるアレは人間じゃないと。

 

ローズマリーは建物の影から飛び出すと、道落ちていた大剣を拾い上げ、女性へと駆け出した。

 

「ローズマリーッ!?」

 

状況が分かっていないのだろう。驚愕の叫びをアガサが上げるが、今はそれがありがたい。

 

ーー状況を理解したらアガサは逃げ兼ねないからだ。

 

 

万全には程遠いが、それでも凄まじい速度のローズマリー。

 

「……フッ!」

 

彼女は即座に女性へと詰め寄ると問答無用、上段から両手で持って大剣を振り下した。

 

「ちょっ!?」

 

ローズマリーの暴挙にアガサが目を剥く。

 

だが、次の瞬間、アガサの目は別の理由により更に見開かれる。

 

それはローズマリーの暴挙が止まったせいだった。

 

「あら、いきなり危ないわね」

 

そう言ってドレス姿の女性が微笑む。

 

ーー上段から振り下ろされた大剣を右手一本(・・・・)で支えながら。

 

「くっ!」

 

ローズマリーが全力で力を込める。だが、まるで動かない。如何にコンディションが悪いとはいえこれは完全に力負けしている。

 

仕方なく、ローズマリー左手を大剣から離し、すぐ側に居た少女の襟首を掴み、振り向かず背後のアガサ目掛けて投擲した。

 

ろくに狙いをつけられなかった為に、ややアガサから離れた方向に飛んだ少女。その少女を危ういタイミングでアガサがキャッチする。

 

「その子を連れて逃げて下さいッ!」

 

ローズマリーが叫ぶ。それと同時に再び大剣を両手持ちに、そして効力が切れ掛かった薬による妖気の抑圧を爆発的に高まった妖気で消し飛ばし、妖力解放。

 

コンディションを万全へと戻し、更に妖力解放により身体能力を上昇させると渾身の力で大剣を押す。

 

「む?」

 

女性の顔に小さな驚きが生まれる。右手が下へと動いているせいだ。

 

「へぇ」

 

感心したように呟くと、女性はバックステップでローズマリーから距離を取る。その動きは速い、あのシルヴィを想起するほどに。

 

「…………」

 

ローズマリーは油断なく大剣を構えると、アガサが逃げる足音を聞き僅かに安堵する。迷いない素晴らしい逃げ足だったからだ。

 

「(これなら逃げる時間くらいは稼げそうだ)」

 

ローズマリーは大剣を下ろす。

 

「ん?」

 

自ら隙を作るローズマリーの行動に女性は首を傾げるが、彼女は攻撃は仕掛けない。

 

仕掛ける必要がないと思っているのだろう。

 

「(思った通りだ)」

 

女性から迸る妖気を読んである程度予測はついていた。相手はあまり絡め手は使わない。特に同格以下の相手には。

 

……まあ、裏を返せばローズマリーですら同格と認識されていないのだが。

 

「初めまして、私はローズマリーと申します。先程はいきなり襲い掛かってしまい申し訳ありません」

 

ローズマリーは時間を稼ぐ為、そして自身に課したルールを守る為、腰を折って挨拶をした。

 

「あら、礼儀がなってない子かと思ったのだけど」

 

「すみません、先程は余裕がありませんでした」

 

「あら、じゃあ、今はあるのかしら?」

 

「………ご冗談を」

 

「ふふ、そうね、それくらいは分かるわよね、いいわよ許してあげる……ああ、自己紹介がまだだったわね」

 

そう言って女性はクルリと回ると、片足を斜め後ろに引き、ドレスの裾を軽く持ち上げ、深く腰を折った美しいお辞儀をした。

 

「私はルシエラ、あなたに聞きたい事があるのだけど」

 

そう言って女性ーールシエラは。

 

『深淵の者』南のルシエラはローズマリーを見上げて微笑んだ。

 

 

 




地の文「アデライドは運が良かった」

アデライド「…………」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話

タグに『性格改変』をつけた方が良いかな?

アガサが原作の大物(気どり)の面影がない。


コール平原を一つの影が疾走する。

 

それは女性ーーそう、少女を抱えた戦士アガサだ。

 

「ああ、もうなんだってわたしがこんな目に………てっ、全部ダーエの奴のせいじゃねぇかああぁぁあッ!」

 

アガサはここ最近の不運の元凶に思い当たり、怨恨の叫びを張り上げた。

 

そんなアガサの行動に、彼女の腕に抱えられた少女がビクリと震える。

 

だが、アガサはローズマリーとは違う。彼女は少女の怯えなど一切気にしないし、そもそも気付きもしていない。ただただアガサは草原を走り続ける。

 

今はとにかく逃げねばならないのだ。

 

良いのか悪いのか……いや、この場合間違いなく悪いのだが、撤退を始めて直ぐに薬の効力が切れ、妖気がだだ漏れとなっている。

 

これにより封じられていた妖力解放が可能ととなり、先程よりも速い速度で走れるようになった。

 

それに加え、妖気を感じる能力も戻ったのだ、不意打ちの心配は薄い。

 

ここだけ聞けば良い事尽くめだ。しかし、妖気が戻ったせいでは相手にもこちらの居場所が知られてしまう。

 

これが最悪だった。

 

何故ならバカみたいに大きな妖気を街から感じるから。

 

これが一つなら良い、一つならローズマリーのモノと断言出来る、しかし、残念な事に妖気は二つ、それ即ち片方はローズマリーが相対した覚醒者のモノという事だ。

 

更に悪い事に、先の攻防に、ローズマリーの余裕のない態度から察するに相手の方が格上の可能性が高い。

 

でもって、ローズマリーより格上と来たら高確率で深淵の者。

 

つまり、下手すればローズマリーを撃破してこちらの妖気を辿り追って来る可能性があるのだ。

 

「(いやいやいや、なんで深淵!? 深淵って滅多に表立った行動を取らないから深淵なんでしょう? なのに遭遇するとか運悪過ぎでしょ!?)」

 

内心激しく動揺しながら、アガサはただ真っ直ぐ全力で駆ける。

 

妖気を消す薬はもうない。ならばローズマリーが戦っている間に深淵の知覚外まで逃げなければならない。

 

「………すぐには死なないでよね」

 

アガサは一瞬だけ振り返り、極めて打算的な言葉を呟く。

 

そんな打算的な考えがいけなかったのか前方から小さな妖気が迫って来た。

 

「ギシャャアア」

 

妖気の正体は妖魔だ。妖魔は正面からアガサ突進、高速で爪を伸ばし、攻撃して来る。

 

妖魔の出現に抱えていた少女が妖魔の出現に悲鳴を漏らした。

 

だが、その悲鳴は不要なものだ。

 

「ふん、邪魔よ」

 

鼻を鳴らし、速度を落とすことなく飛び上がったアガサ。彼女はその足裏で妖魔の顔面を蹴り砕くとそのまま勢いを殺さず着地、何事もなかったかのように逃走を継続する。

 

アガサは腐っても一桁上位、妖魔如きが相手になるはずもないのだ。

 

「ったく、なんで、こんな時に妖魔が現れるのよ、行きは影も形もなかったじゃない」

 

そして、アガサは草原を走りながら文句を垂れると、更に速度を上げて街から離れるのだった。

 

 

 

 

「……聞きたいことですか?」

 

自身の瞳を覗き込むルシエラ、そんな彼女の視線を真っ直ぐ受け止めローズマリーが聞き返す。

 

「ええ、あなたはラファエラって名前の戦士を知ってる?」

 

口調は穏やかだ。

 

しかし、嘘を吐けば今すぐ殺す。ルシエラの妖気の波長がそう語っている。

 

ここで嘘を吐くのは悪手だろう。

 

「……ラファエラ」

 

ローズマリーはしばしの間、ラファエラと言う名の戦士が居たか追想した後、嘘偽りのない答えを返した。

 

「…………すみませんが分かりません、確か今の戦士でラファエラという人は居なかったと思います」

 

「……そう、やっぱり知らなかったか」

 

望まぬ答えだろうにルシエラは特に怒る様子もなく、頷くと小さく息を吐いた。

 

「はぁ、これは戦士に聞いても意味ないかな? さっきの子も知らないって言ってたし」

 

「さっきの子?」

 

「ええ、確か……ああ、名前は聞いてなかったわね、さっき平原で会った最近覚醒したって言ってた子に聞いたのよ」

 

「…………」

 

おそらくアデライドの事だ。ローズマリーは軽く周囲の妖気を探る。

 

ローズマリーの知覚範囲にアデライドの妖気はない、それは彼女がローズマリーの知覚範囲外に出たからーーという訳ではないのだろう。

 

「こちらも質問して良いですか?」

 

「なにかしら?」

 

「あなたはなんでラファエラという戦士を探しているんですか?」

 

「なんでそんな事を聞くの?」

 

「ただの興味です」

 

それは嘘ではない、もちろん時間を稼ぎたいという狙いもあったが。

 

「……そう、興味じゃ仕方ないわね」

 

ルシエラは肩を竦める。ローズマリーの意図などお見通しなのだろう。それでも彼女の問いに答えようしているのは、今逃げているアザサに興味がないからか、それとも逃がさない自信があるのか、その判別をローズマリーは出来なかった。

 

「ラファエラはね、私の妹なの」

 

「妹、ですか」

 

「ええ、だから覚醒させて仲間にしようと思ったのよ」

 

「……なるほど、それなら理解出来ます」

事例は少ないが戦士や人を同族と見なさない覚醒者でも、戦士時代に極めて親密だった者を未だに仲間と見なす者が居る。

 

ルシエラもこのパターン。

 

覚醒した後も味方に誘う程、姉妹仲が良かったのだ。おそらく半妖という境遇に置かれ、絆を深めたのだろう。

 

だが、これには疑問もある。

 

「しかし、なぜ、“今” なんです? あなたが覚醒したのは随分前と聞いているのですが」

 

この地に三体存在する『深淵の者』その中で南のルシエラは最も新しい深淵である。だが、新しいといってもそれは十年以上も前の話。

 

もし、覚醒当初から妹を探して居るならとっくに見つけて仲間にするか、諦めるかしている筈だ。

 

なのになぜ、今、妹を探すのか理由が分からなかった。

 

「……別に今まで放って置いたわけじゃないわよ? ただ積極的に探さなかっただけ、あの子は割と強情だから私が頼んでも覚醒してくれるか怪しかったからね」

 

若干バツ悪そう言うルシエラ。放置したという自覚があるのかも知れない。

 

「つまり今なら覚醒してくれると?」

 

「いいえ、妹の性格が変わってない限り、怪しいわね」

 

「………ではなぜ?」

 

「戦力が必要だからよ」

 

「…………」

 

深淵の者とは最強の覚醒者だ、そんな深淵の一体であるルシエラが戦力を求めている、それは深淵同士のパワーバランスが崩れた、或いは崩れようとしている以外は考えられない。

 

そして、高レベルの覚醒者同士の戦いは人々に甚大な被害を齎す。

 

それが深淵と呼ばれる最強の覚醒者ならば尚更に。

 

あまり良くない状況にローズマリーは顔を顰めた。

 

「……深淵同士の争いですか?」

 

「ええ、その通りよ、ここ最近、西のリフルが調子に乗ってこの地を奪おうとしてるのよ」

 

「……深淵の実力はだいたい同じ、ですよね?」

 

「そうイースレイとリフル、そして私はほぼ互角、だから三竦みとなって今まで小競り合いくらいしか起こらなかった……でも、今はリフルが一番強い、何処から調達したのか知らないけど、今、リフルの所には深淵に並びかねない力を持った奴が居るみたいだからね」

 

「深淵に、並びかねない?」

 

「そう、元々私達に近い力の持ち主はこの大陸に何体か居た。リフルはその内の一体でも手懐けたのかしらね?」

 

「…………」

 

つまり、シルヴィのような覚醒者を仲間に引き入れたということか? ローズマリーはシルヴィが二体で組んだ姿を想像し寒気を覚えた。

 

「だから戦力を求めているの、ラファエラなら覚醒すれば間違いなく深淵に近い力を持つからね、なにせ私の妹だから」

 

どこか自慢気に言うルシエラ。相当妹の事が好きらしい。

 

「しかし、断られる可能性もあるのでしょう?」

 

「……まあ、断られたら、ラファエラには悪いけど無理矢理覚醒させるわ」

 

「……なるほど、では先程あなたが会ったという覚醒者も仲間に引き入れたのですか?」

 

「いいえ、殺したわ。それなりに力を持った子だったけど、あれはどうにも誠実さに欠けるわね、仲間に引き入れても裏切りそう」

 

「(まあ、正しい判断ですね)」

 

ローズマリーは人質を取るアデライドの姿を思い出して納得する。肝心な時に裏切る力を持った仲間とか最悪だからだ。

 

「さて、聞きたいことはまだあるかしら?」

 

そう、ルシエラが言った瞬間、彼女の雰囲気が変化し、ゆっくりと強大な妖力が解放されようとしている……時間稼ぎもそろそろ限界のようだ。

 

「ええ、じゃあ最後に一つ……見逃してくれませんよね?」

 

そのローズマリーの言葉にルシエラは魅力的な微笑みを浮かべた。

 

「そうねぇ、身を呈して味方を逃した友達思いのあなたなんて、覚醒させて仲間にしたら頼り甲斐がありそうね」

 

「はは、お褒めに預かり光栄です……例えお世辞でもね」

 

「ふふ、嘘ではないわよ。でも残念、貴女を仲間に出来たら良かったのだけど、貴女の場合下手に覚醒させたら危なそう、だから悪いんだけどここで死んでくれるかしら?」

 

そう言ってルシエラが動き出した。

 

戦闘開始だ。

 

「…………」

 

ゆっくりと、散歩でもするような速度でこちらに接近して来るルシエラに、ローズマリーは大剣を構える。

 

そして、妖気感知でルシエラの狙いを読んでいく。

 

「(妖気の集中箇所右腕、そしては腿……いや、これは腿ではなく…)」

 

だが、ローズマリーが狙いを読み切る前に、絶妙なタイミングでルシエラが加速する。

 

トンッ、と軽いステップ。その一歩でルシエラはローズマリーの剣の間合いへと侵入すると爪を硬化させ抜手を放ってくる。

 

その一撃をローズマリーは大剣で受け止めた。

 

しかし、その攻撃はあまりにも軽い。

 

「(フェイントか!)」

 

ローズマリーはルシエラの腕で出来た死角から猛烈な勢いで迫る攻撃を感知。バックステップでそれを躱した。

 

「あら、やっぱりかなりやるわね」

 

ルシエラが感心したように呟く。

 

そんな、彼女のスカートから二本の触手ーー否、二股の尾が現れていた。これが今の攻撃の正体だ。

 

「(なるほど、それであの位置に妖気が)」

 

人体ではあり得ない位置に妖気が集中してると思ったら、一部を覚醒させていた訳だ。

 

しかし、絶対強者故の奢りか? それとも別の狙いがあるのか? 直ぐに完全な覚醒体になる気はないらしい。

 

「(……ならば勝機はある!)」

 

ローズマリーはそこに希望を見出すと、尾の存在に注意しながらルシエラへと踏み込んだ。

 

大きな一歩で距離を詰め、そこから小さな一歩で攻撃態勢を整えると、即座にローズマリーは斬撃を放つ。

 

走る大剣は閃光の如く。

 

視認すら困難な剣撃がルシエラ目掛けて放たれる。並の……いや、高位の覚醒者だろうと防御も回避も許さない凶悪な一撃、速度威力共におよそ戦士が放ち得る最高レベルの攻撃だ。

 

しかし、相手は最強の覚醒者。

 

「ふふ」

 

当然のように、その攻撃はルシエラの尾によって弾かれた。

 

ルシエラの尾は蛇のように蠢く尾は生物特有のしなやかさと、ローズマリーの大剣と撃ち合う頑強さを備えているのだ。

 

「くっ」

 

横合いから弾かれた事でローズマリーの態勢が泳ぐ。

 

その隙を逃さずルシエラが二本目の尾を振った。

 

彼女の尾は速く、そして強い。まともに受けてならない脅威の攻撃だ。

 

故にローズマリーは回避を選択。

 

身を屈めながら弾かれた方向に回転、攻撃を避けると同時にその伸びきった尾を後ろ回し蹴りで撥ね上げた。

 

「むっ?」

 

尾を中心に、走った衝撃がルシエラの身体を浮かす。これで回避行動は取れない。

 

「ーーハァッ!」

 

ローズマリーは蹴り足を地に叩きつけて加速、渾身の力を込め大剣を薙ぎ払った。

 

唸りを上げりた剛剣と防御に動いた鋼の尾が激突、一瞬の拮抗の後。

 

 

ルシエラの尾が斬り飛ばされた。

 

「なっ!?」

 

まさか、完璧に斬られるとは思っていなかったのだろう、出会ってから初めて、本当の意味で驚愕するルシエラ。

 

ーーその、驚く彼女の姿は。

 

「隙だらけですッ!!」

 

勝機はここ、この一瞬にある!

 

動きを鈍らせたルシエラを見てローズマリーは勝負に出た。

 

流れるように大剣を翻し、頭上へと動かしすとその柄を両手で握り。制御出来る限界まで妖力解放。

 

「ーーッ!!」

 

そして、必殺の意を込めて刃を振り下ろした。

 

それは正真正銘、今のローズマリーに出来る最強の一撃。先の攻撃すら凌駕する神速の剣撃だ。

 

「ちっ」

 

舌打ちし、ルシエラが防御に移る。激烈な攻撃だが対処は可能、深淵と恐れられる最強の覚醒者はこの神速にすら反応する。

 

ルシエラは剣撃に負けない速度で残った尾と両手を頭上で交差、防御の体勢を整える。

 

次の瞬間、ルシエラの身体を激震が打ち抜いた。

 

拮抗を許さず尾が両断され、交差した両手の中心に白刃が減り込む。時を同じくしてルシエラの足元が轟音と共に陥没、小規模なクレーターが発生した。

 

凄まじい威力だ。

 

しかし、クレーターが出来るというのは身体が地に押された事を意味する。

 

ーーそれはつまり。

 

「ふふ」

 

大剣は腕の半ばで止まっていた。

 

止まった理由はその腕だ。

 

ルシエラの両腕は、人間大のそれから巨大な怪物のモノに変化している。

 

先に腕だけ覚醒体にしたのだ。

 

ニャリ、と邪悪な…勝利を確信した笑みルシエラが浮かべる。

 

しかし、それを前にしてもローズマリーは狼狽えない、動きを止めない。

 

ここまでは想定通り(・・・・)なのだから。

 

深淵と呼ばれる者があっさり倒せる筈がない。ローズマリーは格上を……そう相手を妖力解放したテレサ並と想定し作戦を立てていた。

 

テレサなら例え自分の渾身でも対応する、ならばそこで終わっては負けだ。

 

ローズマリーは右手を柄から離し、滑るように半歩踏み込む、その動きと連動させ懐からナイフを抜刀した。

 

なにもクレイモアの武器は大剣だけではない。大剣が使えない任務では別の武器を使いもする。

 

そして、このナイフもそんな任務を想定されて持たされている武器の一つだ。

 

「ーーフッ!」

 

鋭い呼気を発し、ローズマリーはナイフを最速て突き放つ。

 

狙いは首。

 

小さなナイフは大剣に比べ頑強さも斬れ味も劣る、だが、壊す事を前提にローズマリーの全力を込めれば覚醒体となっていない深淵の身体を斬り裂くくらいわけはない。

 

「なっ!?」

 

喫驚したルシエラの瞳とローズマリーの鋭い瞳が交差。

 

そして、次の瞬間、ナイフがルシエラの身体に突き立った。

 

 

 




やったか!?(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話

死亡フラグが立ちました(誰にとは言わない)



「…ガ、こ、の」

 

血飛沫を撒き散らし、ローズマリーの手がナイフごとルシエラの首へ突き刺さる。

 

飛び散った返り血がローズマリーを濡らすが彼女は気にしない、気にしてはならない、この一瞬は千金より価値があるのだから。

 

「……フッ!」

 

そして、ローズマリーはトドメを刺す為、首を斬り落とそうと埋めたナイフを全力で薙ぎ払う。

 

すると、さらなる鮮血と共にローズマリーの手首から先が消失した。

 

「ーーえ?」

 

首からすっぽ抜け、再生を始めた己の手を見て、ローズマリーが放心する。それから直ぐにハッとなり動くが、もう遅い。

 

次の瞬間、ルシエラから放たれた強烈な蹴りがローズマリーに直撃した。

 

「……ガハッ」

 

バキボキと嫌な音を響かせて蹴鞠のように弾き飛ばされたローズマリーは、しかし、意識を失う事なく足から着地すると。

 

「コッ、ガホ…ゴフ」

 

血液混じりの咳を二、三度し、再生を果たした右手を加え、左手に保持していた大剣を両手持ちに戻した。

 

「(なにが起こったッ!?)」

 

ナイフを薙いだ瞬間、ルシエラの手足はなんの動きも取っていなかった。つまり行動を阻害する要素などなかったはず、なのに手首から先を失った。

 

「(……落ち着け)」

 

努めて冷静になるよう自分に言い聞かせると、ローズマリーは大剣を正眼に構えて、ルシエラを観察する。彼女は既に覚醒体となっていた。

 

悍ましほど強大な妖気に圧倒的強者の威風。

 

その第一印象は豹だ。

 

ローズマリーの四倍近い体躯に、先程より更に太く長くなった二股の尻尾。そのフォルムは人間の女性のようでありながらやはり全体で見ると猫科の猛獣のようなイメージを抱かせる。

 

そんなルシエラの覚醒体だった。

 

「(……ダメージは…)」

 

素早く全身に力を入れ身体の破損具合を確認する。

 

身体に問題はなかった。

 

失った右手は綺麗に再生し、蹴り砕かれた肋骨、破損した内臓、共に完璧に治っていた。いつも通り……いや、いつも以上の回復速度、むしろ早過ぎる再生に寒気を覚えるほどだ。

 

「(良し、大丈夫……ルシエラさんは?)」

 

次にローズマリーはルシエラを遠目に観察しながら覚醒体になる前に与えた傷を探す。

 

「(……斬り落とした尻尾も深く斬り込みを入れた両腕も、再生している、でも、ナイフを刺した首だけは、傷が残って………え?)」

 

ローズマリーはルシエラの首を見て驚いた。

 

ルシエラの首には穴がある。それが最初は傷口に見えた。だが違った、穴は開閉を繰り返していている、更によく見れば牙のようなものも生えている。

 

それは、まるで、口のようだ。

 

「ギニャギニャ」

 

ルシエラの首からーー新たに出来た第二の口から濁った猫のような声が聞こえる。

 

その口を見て悟った、自分の手は食い千切られた(・・・・・・・)のだと。

 

「(たまたま、第二の口がある位置に攻撃してしまった?………いや、そんなわけないか)」

 

おそらく、ごく一部を除き身体の何処にでも口を作り出せるのだろう、生成速度にもよるが面倒な能力だ。

 

そうやって観察しているとルシエラが動いた。

 

両手を地に着き身体を撓ませ力を溜め、獅子が獲物に狙いを定めるような動きをした直後、一直線に飛び込んで来た。

 

「(疾ッ!)」

 

爆発的な踏み込みだ。ルシエラに蹴り飛ばされて出来た両者の距離は50歩程、それをたった一歩で埋め、小細工抜きで抜手を放ってくる。

 

鋭い爪がついた大木のような腕、そこから繰り出された攻撃は突進の勢いも相まって、まともに喰らえば上半身が吹き飛ぶ。

 

当然黙って見ている訳にはいかない。ローズマリーはその攻撃に合わせ大剣を振り上げた。正確に爪の裏を捉えた斬撃が腕の軌道を逸らす。

 

「ぐぅ…ッ!」

 

だが、逸らしただけにも関わらず、ローズマリーに凄まじい重圧が掛かった。

 

あまりの重さにたたらを踏みそうになる身体、それを全身に力を込めて耐え、ローズマリーはそのまま、巨碗に大剣を滑らせながらルシエラの懐へ飛び込み。

 

「ハッ!」

 

地を蹴り攻撃で低い位置へと来たルシエラの頭に大剣を走らせた。

 

次の瞬間、放たれた斬閃がルシエラと接触、肉を裂く音が。

 

 

ーー響かなかった。

 

響いたのは金属音。

 

斬撃は側頭部に出来た新たに口、そこに生える肉食獣のような牙にガッチリ挟まれ止まってしまったのだ。

「くっ!?」

 

会心の……とまではいかないが、妖力解放した本気の斬撃、それが口周りを少し傷付ける程度に終わってしまった。

 

それはつまり。

 

「(攻撃力が、足りないッ!?)」

 

これには流石に焦らざるを得ない。ローズマリーは今まで攻撃力不足なんて事態に陥った事がない、そもそも攻撃力だけでなく彼女は実戦で能力不足に陥った事が殆どないのだ。

 

ローズマリーは半妖となった当初から筋力、速度、体力、その他全ての能力が極めて高い水準だった、尚且つ鍛えれば鍛えるだけ強くなる、伸び代に恵まれた身体も持っていた。

 

その上で彼女は鍛錬を怠らない性格だ。これで能力不足に陥る方がおかしい。

 

実際、ローズマリーの実力は歴代ナンバー1の殆どを超えている。総合的な身体スペックならば過去から現在に至る全て戦士の中で最高だろう。

 

スペックで彼女を超えるのは史上最強の戦士となるのが半ば確定している訓練生のテレサ以外まずあり得ない。それほどの能力なのだ。

 

しかし、それでも。

 

それでも、深淵には少しばかり届かないのだ。

 

「ふふ、残念、ちょっと威力が足りないわね」

 

ルシエラがローズマリーへと手を伸ばす。その仕草は緩やかで、まるで顔についた埃を取ろうとするかのような優しい動きだ。

 

しかし、これに捕まったが最後、きっと安物の人形のようにバラバラにされてしまう。

 

ローズマリーは慌てて大剣を口から外そうとする。

 

だが、力を入れても殆ど大剣が動かない、このままでは大剣を外す前に捕まる。

 

故に、ローズマリーは大剣を諦め、後方へと飛び退いた。

 

「あら、良いの? 剣を捨てて」

 

「…………」

 

良い訳がない。だが、それしか選択がなかった。

 

それを分かっていながら聞いてくるのは少々性格が悪い。

 

「お困りの様子ね、返して欲しい?」

 

ルシエラは口から手に持ち替えた大剣を弄びながら聞いてくる。それにローズマリーが頷いた。

 

「……もちろんです」

 

「ふふ、そう、なら……」

 

ルシエラは右手を大きく引くと。

 

「返してあげるわ」

 

大剣を投擲した。

 

銀の彗星と化した大剣がローズマリーに迫る。こんなもの受け取れるわけがない。

 

「くっ」

 

衝撃波を纏い飛来する大剣、それを上昇した身体能力と妖気感知による先読みで辛うじて躱す。

 

しかし、ローズマリーが躱した先にルシエラが先回り。

 

「いらっしゃい」

 

歓迎の言葉と共に巨腕を振るって来た。

 

それは今まで戦ったどんな覚醒者よりも速く強い凶悪極まりない一撃。

 

これは当たれば死ぬ。防御も不可能。

 

「ああああああっ!!」

 

ローズマリーは無理を強いて身体を捻ると、転がるようにこれを回避。無様だが命には変えられなかった。

 

「チィッ」

 

渾身の攻撃だったからか? 回避されたルシエラが舌打する。苛立った彼女は追撃の為に長い尻尾を振るった。

 

二股の尾が蛇のようにうねりながら、高速でローズマリーに迫る。

 

体制不十分のローズマリーは一本目の尾に左手を叩きつけ軌道を逸らし、その反動を利用し二本目もなんとか回避、だが、あまりの威力に逸らすのに使った腕がへし折れ、白い骨が空気に触れる。

 

直後、激痛が走った。

「ぎぐぅ」

 

腕の痛みに思わず呻き、だが、そんなものを漏らしている場合ではないと意識する。何故なら回避した尾が弧を描き、再び襲い掛かって来ているのだから。

 

「くぅぅ」

 

ローズマリーは身を逸らし、辛くもその一撃を躱す。しかし、避けた直後には次の攻撃が放たれていた。

 

「(攻撃と攻撃の間が無さ過ぎる!)」

 

今度は左ストレート、大人の頭より大きな拳が信じたくない速度でローズマリーに接近、やはりこれも当たれば死ぬ。

 

その一撃を前にローズマリーは高速でバックステップ、そんな彼女に拳が近付く。拳の方が速いのだ。

 

けれどそれは想定済み、ローズマリーは相対的に遅くなった拳に足裏を乗せる。そして拳を足場に、その勢いを利用し後方へ加速。一気に街の外まで飛ぶと脇目を振らずに駆け出した。

 

逃げる気なのだ。

 

「逃がさないわ」

 

しかし、そう上手く逃げられないのがこの相手だ。

 

ルシエラの動きは疾風の如きローズマリーよりなお速い。稼いだ距離もほんの十数秒で詰められてしまった。

 

「ああ、もう!」

 

ローズマリーは後方から放たれる攻撃を妖気感知で躱しながら走るが、逃げ切れる気が全くしない。

 

そもそも状況が悪い。

 

せめてこの地が木の乱立する森林地帯ならなんとかなった。しかし、こんな見晴らしが良い平原で、しかも武器を失った状態で逃げ切れる訳がない。

 

「(遮蔽物の多い森林地帯まで最も近い場所で十数Km……うぁ、1、2回死にそう)」

 

ローズマリーが森までの逃走時間を計算して嘆く、すると。

 

「あら、余裕ね、考え事? 」

 

後方から連続攻撃が放たれた。

 

二股の尾が左右から襲い掛かる、それも微妙にタイミングを外し極めて避け辛くするオマケ付きで。

 

これは妖気感知だけでは躱せない。ローズマリーは攻撃を目視する為、身を削られながら振り返りバック走に切り替える。

 

当然、逃げる速度が落ちた。

 

向き合う事でルシエラと目が合う。ルシエラは獲物を前にした肉食獣のような笑みを浮かべると、一歩、強く踏み込んで拳を突き出した。

 

ローズマリーはこれに先程と同じように乗ろうとする。

 

「ギニャギニャ」

 

しかし、拳に出来た巨大な口を見て行動をキャンセル。後方に倒れるように拳の下に潜り込むと、口がない手首をブリッジしながら蹴り上げた。

 

左腕が跳ね上がり僅かに体制を崩すルシエラ、その隙にローズマリーはバク転で起き上がり逃走を再開。

 

「ちっ」

 

舌打ちしルシエラが右手を振るう。それもギリギリの所で回避、ルシエラが捕らえたのは飛び散ったローズマリーの冷や汗だけだった。

 

「……上手く避けるわね」

 

「当たったら……一発、ですから」

 

なにが一発なのかは言うまでもないだろう。頭に攻撃を許せばローズマリーとて死ぬ。そして、ルシエラの攻撃力では直撃すれば万に一つも生き残れない。

 

「大丈夫よ、一発くらいなら!」

 

そう言いながらルシエラが拳によるラッシュを放つ。

 

左、右、左、右、左、もう一度左……と見せ掛けて拳の後ろに隠した尾っぽ。

 

瞬く間に放たれたフェイント入りのコンビネーション。

 

吹き出る膨大な妖気のせいで細かい妖気の流れが見え辛い、しかも、あまりに攻撃と攻撃の間がなくそのせいで先読みが間に合わない。

 

仕方なく、ローズマリーは連撃を勘と身体能力を駆使して躱す。尋常ならざる回避能力だ。

 

しかし、流石に全てを完璧に躱す事は出来ず、最後の一発は治った左腕をまた犠牲に回避。

 

これにより左腕は皮と僅かな肉だけで繋がっている状態になってしまう。

 

とても邪魔だ。

 

「(なんで私の腕はこんなに脆い!)」

 

一発でお釈迦になった左腕に内心毒づく。

 

ローズマリーは痛みに顔を顰めながら、左腕をもぎ取ると右手に保持、捥げた左腕は即座に再生された。

 

「……その再生能力は厄介ね」

 

面倒くさそうに告げながら、ルシエラが尻尾を地面に叩き付けた。

 

土の散弾がローズマリーを襲う。

 

小石が混じった高速の散弾は致命打にならずともダメージを与える威力はある、そして数が多く妖気も発しないのでローズマリーでもこれは回避出来ない。

 

飛来した土塊が顔以外ノーガードのローズマリーに打ち付けられた。

 

「くっ」

 

ローズマリーが衝撃で小さく呻くもこの攻撃で受けたダメージは小さい、すぐに治る。

 

だが、真の狙いダメージではなく、行動阻害と目眩ましだ。

 

同時に巻き起こった土煙、それを裂いてルシエラの抜手がローズマリーに迫る。

 

危機一髪、その攻撃を倒れそうになるくらい身体を傾け回避、続けて唸りを上げ襲い掛かって来た尻尾には右手に持った左腕を叩き付け、更にタイミングを外して放たれた左拳には再生した左手を打つけて弾く。

 

バラバラとなった腕が肉片を辺りに撒き散らした。

 

「(痛い……けどこれで良い)」

 

傷は数秒で治る。だから腕がいくら砕かれようと構わない。逃亡に必要な足、そして致命傷となる頭を除けばダメージなんて気にしない。

 

ローズマリーは巧みな動きと腕を犠牲にルシエラの苛烈な攻撃を躱し続けた。

 

 

「……ちょこまかと良く動く、まるでウサギね」

 

戦士にここまで攻撃を避けられたのは初めてなのだろう、感心と呆れが混じった声でルシエラが言った。

 

「…………」

 

だが、ローズマリーはそれに答えない、今は言葉を返す余裕がない。

 

ルシエラの全身から吹き出る大量の妖気に四苦八苦しながら次の動きを読もうとしているからだ。

 

「……ふふ」

 

そんなローズマリーの様子を見てルシエラは苦笑し、すぐに攻撃を再開した。

 

ローズマリーがウサギならば差し詰めルシエラは獅子か? どうやら彼女は手心を加える事もなくローズマリー(ウサギ)相手に全力を出すらしい。

 

ルシエラの尻尾がまた地面を打った。

 

ローズマリーを再び散弾が襲う、彼女は顔面だけを腕で庇い、残りをその身で受け耐える。同時に舞う土煙、それを切り裂き、尻尾が振るわれた。これをローズマリーは紙一重で回避。

 

ここまでは今まで通りだ。

 

しかし、ローズマリーが避けた瞬間、尻尾に出来た口、彼女の顔の近い位置にあるそれが口内から石を飛ばして来た。

 

「ーーッ!?」

 

至近距離からの予想外の攻撃に反応出来ず、ローズマリーは石を右目に受けてしまった。

 

小石が右目に突き刺さる。

 

「ガッ」

 

耐え難い痛みと不快感に反射的に目を閉じるローズマリー。

 

彼女の動きが目に見えて鈍った。

 

ーーーーそこに。

 

「終わりよ!」

 

ルシエラ渾身の右ストレートが放たれた。

 

「しまっ!?」

 

回避に動くがもう遅い。

 

直後、肉を撃つ轟音が平原に響き渡った。

 

反射的に受けようと動いた両手、それを肩口から粉砕し、ルシエラの拳がローズマリーの胴体を捕らえたのだ。

 

突風に吹き飛ばされた羽のように、天高く空を舞うローズマリー、両手を失い、胸から下が消し飛んだ姿は正に死に体。

 

普通の戦士なら完全に致命傷だ。

 

しかし、ローズマリーに取ってはこれも怪我の一つに過ぎない。彼女は宙を舞いながら高速で身体を再生させていく。

 

「凄いわね、これでも死なないなんて……」

 

ルシエラがローズマリーの再生能力に賞賛の声を漏らし、同時に上空の彼女目掛けて跳躍した。

 

恐るべき瞬発力、ルシエラは一瞬で上空のローズマリーに追いついた。

 

「でも、終わりよ、一片残らず喰らってあげる」

 

そう言って大人を丸呑みに出来る程の大口を開けた。

 

再生途中で手足がない芋虫のローズマリーにこれはどうする事も出来ない。

 

「………ッ!?」

 

走馬灯のようにゆっくりと流れる視界、そこに映る鋭い牙が並んだルシエラの口内。

 

このままでは喰い殺される。

 

その危機感がローズマリーに更なる妖力解放を選択させた。

 

無理な妖力解放、今まで制御出来ないと諦めていた領域にローズマリーは自ら足を踏み入れた。

 

瞬間、意識が混濁し、飛びそうになる意識、それをローズマリーは気合で保つ。

 

刹那の間に自身の内で起こった激しい攻防。それにローズマリーは打ち勝った。

 

この報酬は大きい。

 

妖力の高まり呼応し再生能力が跳ね上がる……それこそ今までがスローに思えるほどに。

 

ルシエラの眼前で、あと十秒掛かると思われた下半身が二秒で再生を終える。

 

「なっ!?」

 

今まで以上の、あまりに早過ぎる再生速度にルシエラが驚きの声を漏らす。

 

「うあああああああッ!!」

 

そんなルシエラにローズマリーは悲鳴に近い叫びを上げてたった今、再生した右足を振り上げた。

 

「ガッ!?」

 

恐ろしく重い衝撃音、遅れて鮮血が飛び散った。

 

高まった妖力、それにより大幅に上昇した筋力から繰り出された強烈な蹴撃がルシエラ顎を砕き、その巨体を蹴り飛ばしたのだ。

 

「ぐッ…と」

 

ローズマリーは蹴りの反動を利用し、半ば墜落するように地に降りると、ルシエラが空中に居る隙に逃亡を再開する。

 

「ぐぅ……チィ、逃さないと、言ったはずよ!」

 

ローズマリーに数秒遅れてルシエラが着地、目にも留まらぬ速さでローズマリーを追い掛ける。

 

ーーしかし。

 

「(バカな、追いつけないだとッ!?)」

 

二人の距離は一向に縮まらなかった。

 

今、ローズマリーはルシエラと殆ど変わらない速度で走っている。

 

未だかって自らの意思で出した事のない解放率、それがローズマリーの運動速度をルシエラ近くまで押し上げたのだ。

 

「く、くそ!」

 

ルシエラが呻く、彼女は地に足を打ちつけるよう疾駆する。それでも双方の距離は変わらない。

 

そして、ローズマリーは一足先に平原を抜けると、森の中へ突入。

 

同時にローズマリーの妖気が消失した。

 

 

 

 

 

 

「……くそ、隠れたか」

 

苛立ち紛れにルシエラが大木を根元から蹴り砕く。

 

蹴り飛ばされた大木が軽々と宙を舞い、数十メートル吹き飛び地面に落ちる。

 

「…………」

 

その大木が着弾したすぐ近くの木陰、そこでローズマリーは荒くなった息と激しい心音を無理やり潜め座り込んでいた。

 

今、彼女は妖気を発していない。妖気を消す薬の効力だ。これでルシエラに妖気を感知される恐れはない、だが、ローズマリーもまたルシエラの妖気は読めない。

 

それが薬の副作用だ。

 

「(早く、どっかに行って下さい)」

 

出来る限り気配を消しながらローズマリーはただルシエラが去るのを祈る。

 

しかし、中々ルシエラはこの場を後にしない、どうやら勘かなにかでローズマリーがまだ近くに居ると気付いているらしい。

 

「(はぁ、もう、勘弁して)」

 

薬は妖力解放も封じる。つまり、身体能力……そして再生能力が一気に落ちる。それ故、先ほどのように身体の一部を犠牲に攻撃を回避するのが難しくなったのだ。

 

「(薬を飲んだのは早計だったか……いや、あれ以上は意識が持たなかったし、妖気を消すならあのタイミングがベストだったはず)」

 

ローズマリーはルシエラの様子を身を低くして観察しながら、ふと視線を感じて彼女から目を離した。

 

「(……え?)」

 

視線の送り主はすぐに見つかった。

 

その正体は少女だった。

 

年の頃は十代半ば、非常に可愛らしい顔立ちに艶やかな黒髪が印象的な小柄の少女だった。

 

少女はローズマリーから二十歩も離れていない位置に居る、咄嗟にローズマリーは危ないから隠れて、と伝えそうになり……すぐにおかしな事に気付いた。

 

「(あれ? ……私がこの距離まで気付かなかった?)」

 

いくらルシエラに意識を集中していたと言えど、それはおかしいのではないだろうか?

 

そもそも町から遠い森の中にただの少女が一人で居るのが不自然だ。

 

……嫌な予感がする。

 

なにかヤバイと直感したローズマリーがいつでも動けるように、音を立てずに立ち上がる。そんな彼女に少女は微笑むと、その艶やかな長い黒髪を鋼の帯に変化させ………。

 

「ーーッ!!」

 

瞬間、ローズマリーの周辺の木が纏めて切り倒された。

 

同時に、今のローズマリーには感知出来ないが、極めて強大な妖気が現れる、それに気付きルシエラが驚きの声を上げた。

 

「なっ、リフル!?」

 

ルシエラが少女の名を呼ぶ。

 

その名前には聞き覚えがあった。ルシエラと同じ深淵、初代ナンバー1の女戦士、西のリフルだ。

 

「(深淵……二人目?)」

 

なんとまあ嫌な遭遇率だ。

 

リフルの攻撃を避けたローズマリーが顔を引き攣らせる。現在彼女は深淵二体に挟まれている。非常に不味い状況だ。

 

「………」

 

黒い帯の集合体ーーローズマリーはそんな印象的のリフルから抱いた。

 

上半身は人型だが、下半身は巨大な籠のような網の目状。触手の長さを含めれば体長はルシエラの十倍以上、リフルの覚醒体はローズマリーが知る中でも最大の大きさだった。

 

「こんにちはルシエラ」

 

リフルはその長大な帯状の触手でルシエラとローズマリーを籠のように囲いながら不敵な笑顔で挨拶する。

 

「ふふ、この距離まで気付かないなんて、よっぽどその子に集中してたのね」

 

「……何の用かしら?」

 

ルシエラは一度、ローズマリーを睨んだ後に、その視線をリフルに戻し目的を聞く。

 

「あら、頭の良いあなたならとっくに分かってるでしょう?」

 

そんなルシエラにリフルはやはり笑みを浮かべ。

 

「この地をもらいに来たのよ」

 

と、告げた。

 

 

ーー勝利を確信したように。

 




お願い、死なないでルシエラ! あなたが今ここで倒れたらラファエラとの融合はどうなっちゃうの? 妖力はまだ残ってる。ここで耐えればリフルに一泡吹かせるんだから!

次回「ルシエラ死す」デュエルスタンバイ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話

前話の後書きでルシエラが死ぬと書いたな……あれは嘘だ。


《注意》

時系列捏造。

時系列改変。

一部キャラ強化。


張り詰めた緊張感がその場を支配した。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

二言三言言葉を交わし、その後、無言となったリフルとルシエラ、そんな深淵二体に挟まれたローズマリーはゆっくりと、静かに膝を曲げた。

 

彼女の選択は決まっている。

 

というより選択肢はそれしかない……その選択とは。

 

 

 

ーー逃亡だ。

 

ダンッ、と地が弾ける。力を溜め込んだローズマリーが踏み切った結果だ。

 

ローズマリーは一歩目から最高速に達すると、風のように駆け出した。

 

その時、ローズマリーとルシエラを囲っていたリフルの触手が動く。

 

あるものは斬撃、あるものは刺突、そしてあるものは殴打、触手はその帯のような形状を生かし、不規則かつ予測困難な動きでローズマリーを襲う。

 

「…………ッ!」

 

今、妖気読みは使えない。

 

ローズマリーは目を見開き、極限まで集中、自身に迫る多数の触手、その軌道を見切り最も手薄な位置を見つけ出すと、そこに火の輪を潜るように突っ込んだ。

 

右足で踏み切り、限りなく地面と平行に、そう、まるで矢が飛ぶような体制となるローズマリー。彼女は飛びながら身体を回転、自身に当たる少数の触手をその手で叩き強引に包囲網に穴を開ける。

 

そして、小さな切り傷を受けつつも、ローズマリーは触手の檻を貫き飛び込み前転、小さく素早い回転から即座に両足で踏切、再び最高速へと達すると逃亡を強行した。

 

そして、ローズマリーは。

 

背後に現れたルシエラに囚われた。

 

「なっ!?」

 

「集中するのは良いけど私を忘れてるわよ」

 

決して忘れていた訳ではない、妖気が感じられない為、動きを読めなかったのだ。

 

キュッ、とルシエラの右手がローズマリーの腰を掴む。

 

……握り潰される! そうローズマリーは思った。

 

しかし、ルシエラはそれほど強く握らない、むしろローズマリーを労わるように優しく掴んで来る。

 

「(え、なぜ優しく?)」

 

その事にローズマリーは疑問を抱く、この体制とルシエラの筋力ならローズマリーの胴体を握り潰す事も余裕なのに。

 

その疑問はすぐに解消された。

 

「じゃ、頑張ってね」

 

ルシエラがそうローズマリーに囁くと、彼女を持った右手を後ろに大きく引く。

 

「ちょ、まっ」

 

その行動でローズマリーはルシエラの狙いを悟る。だが、悟ったところで対処出来るかは別問題。

 

次の瞬間、ローズマリーという弾丸がリフル目掛けて放たれた。

 

同時にルシエラが踵を返し走り出す。どうやらこの場でリフルとぶつかる気はないようだ。

 

「や、ばっ!」

 

風圧で声が上手く発せない。

 

それもその筈、今のローズマリーは音速を超えているのだから。

 

超高速で飛来するローズマリー、彼女は回る視界の中で何本かの触手が自身に迫るのを確認、慌てて手足でそれを弾き、リフルの顔まで到達する。

 

そして、どうせならとローズマリーはリフルの頭に回転かかと落としを叩き込み、その動きと連動し頭を踏みつけ更に加速、この場から一目散に逃げ出した。

 

「…………」

 

ビキビキ、という音が背後から聞こえる。

 

これは戦士や覚醒者、彼らが妖力解放時、膨れ上がる肉体が皮膚を突き破らんとした際に起こる特有の音、それが出る時は。

 

「………殺す」

 

大抵、相手が怒っている時。

 

リフルは若干陥没した頭をビキビキ言わせながらローズマリーを追い掛け始めた。

 

 

 

 

「(なぜ私!?)」

 

森をジグザグに走り、降り注ぐ触手の群れを躱しながらローズマリーが内心で呻いた。

 

確かに自分はリフルの頭を足蹴りにした。怒って当然だろう。しかし、会話の内容からリフルがここに来たのルシエラを倒し南の地手に入れる為。

 

それ故、リフルはこっそりとルシエラに近付いた。

 

なのにここで自分を狙うのはおかしい、普通ならどう考えても第一目標であるルシエラを襲うべき場面の筈だ。

 

「あ、あの〜リフルさん?」

 

木の葉に隠れ、木々を盾に触手を躱しながらローズマリーがリフルに声を掛ける。

 

「なにかしら?」

 

そのローズマリーの声に反応し、リフルが刺突の雨を降らせながら問い返す、当然の行動だ。

 

追ってる敵の位置が分かれば攻撃する。

 

ローズマリーだってそうする。

 

故にローズマリーは声を掛けた瞬間、予め横に大きく飛んでいた。おかげで無傷で大量の槍を避けられた。

 

「質問なんですが、なぜルシエラさんを追わないんですか?」

 

「……あなたの方がムカつくからよ」

 

「いや、そんな子供みたいな」

 

そう会話を交わしながらリフルが長大な触手を一閃、数十本の木々が纏めて斬り飛ばされる。だが、それでもローズマリーは無傷。

 

最初の接触以外未だローズマリーは傷を負っていない。

 

「(……あれ、案外いける?)」

 

リフルの攻撃を前に、ローズマリーが思った。

 

巨体にも関わらずリフルの動きは速い、覚醒者の中でもトップクラスだろう。

 

しかし、単純な速度ならルシエラやシルヴィの方が上だ。

 

それは攻撃速度も同じ、広範囲攻撃を得意とする反面、若干運動速度は他の深淵に劣るのかも知れない。

 

「(これなら、逃げ切れる)」

 

ここは障害物に溢れた森だ。リフルの攻撃は軽々と木を斬り飛ばせるが、木に当たる度に僅かに速度が落ちる。

 

更に木のおかげで攻撃が来る位置が予め分かる。その上、今ローズマリーは妖気を発しない。だから彼女を捉える為、リフルは鬱蒼と草木が生い茂る森の中、高速で駆けるローズマリーを目視してから攻撃しなければならない。

 

それはかなりの至難、人が草むらの中で鼠を追うようなものだ。

 

「(……む)」

 

空気の流れが変わる。

 

すると刺突の雨が再び降って来た。

 

だが、一つとしてローズマリーの直撃コースには落ちない。それはリフルがローズマリーを目で追えていない証拠だった。

 

「(なるほど、私の位置が分からないから広範囲に大雑把な攻撃をしているわけか)」

 

今のリフルはローズマリーの位置を音だけで判断しているわけだ。

 

これはどうしても狙いが甘くなる。だから身体能力が落ちたローズマリーにも余裕があるのだ。

 

おそらくリフルが得意な戦闘スタイルはその長大な身体を生かした待ち構えて迎え撃つスタイル。

 

弱点である上半身を高所に置き、敵には敢えて自分の身体を足場に弱点へ向かわせ、その足元から攻撃、なんて事をするのかも知れない。

 

「(まともに戦ったらとんでもなく苦戦するだろなぁ………でも)」

 

この森というフィールドで逃走を図るとしたらルシエラより随分と楽。

 

戦闘力はルシエラと互角でも、追い駆けっこをするならリフルの方がマシ、そうローズマリーは結論付けた。

 

……結論付けたついでに。

 

「(その目的を考えなければ)」

 

降り注ぐ触手の群れを躱しながら、ローズマリーがリフルの狙いを考える。

 

「(ムカつくから自分を追っている……という答えはあまりに幼稚過ぎる。きっと別に理由がある)」

 

覚醒体前の外見は十代半ばだが、実年齢は70を超えるリフルだ。そんな理由でルシエラよりローズマリーを優先する筈がない。

 

もっと深い理由がある筈だ。

 

「(森の中でルシエラさんを追い掛けても追いつけないと思ったから?……あり得るな、でもなにか違う)」

 

もし、これが答えならもっとリフルは焦るか苛立っている。きっと別の答えがある。

 

「(ルシエラさんと相対して敵対の愚を知った? もう一人の深淵に隙を晒さない為? 切り札の深淵に近いという仲間が間に合わなかった? ……それとも、仲間の実力が実は深淵以上(・・・・・・)とか?)」

 

最後の考えに、いやまさかなとローズマリーは首を振る。

 

深淵とは歴代のナンバー1戦士が覚醒してしまった最悪の存在、その実力は凡百の覚醒者とは比較にならず高位覚醒者とも一線を画す。

 

しかも、深淵達は全員が歴代のナンバー1の中でも上位に食い込む実力者だったと聞く、それを上回る覚醒者なんてあり得ない。

 

「(……そう、あり得る筈がない、今確認されている深淵以外でナンバー1が覚醒した事例はない、ナンバー1以上の実力者かも知れなかったなんて戦士が覚醒したという話も聞かないし)」

 

他にあり得るとしたら巨大な才能を秘めながら、下位ナンバーに甘んじていた者が覚醒したとかか? だが、これも可能は低い。

 

あれこれとローズマリーは考える。

 

そうしている内に再び空気の流れが変わる。

 

広範囲攻撃の前兆だ。

 

「あーもー、ちょこまか、ちょこまか!…こうなったら…」

 

リフルから莫大な妖気が迸る、妖気を感じ取れない今のローズマリーにも分かるレベル、この妖気にローズマリーは一度立ち止まり木々に隠れながらリフルを観察した。

 

するとリフルは籠のようだった下半身の触手が解け、地面近くまで来た上半身にグルグルと巻きついていた……これはマズイ。

 

「この一帯ごと斬り飛ばす!」

 

次の瞬間、リフルがその場で駒のように回転、同時に巻きついていた触手が円を描くように全方位に放たれた。

 

触手の帯が鋼刃となって縦横無尽に駆け巡る。この一撃のみリフルの触手の長さは先程の数倍まで伸び。

 

そして、鋼の竜巻と化した触手の群れが森の全てを斬り飛ばした。

 

 

 

十数秒後。

 

 

 

 

「み〜つけた」

 

覚醒体を解いたリフルが、幼さの残った笑顔でーー今から虫の足を捥ごうとする子供のような笑顔で言った。

 

「うわー、見つかっちゃった」

 

そんなリフルに対しローズマリーが冷や汗混じりの棒読みで返す。

 

数百本…いや、千本以上の木が一気に伐採され、森の一角に巨大な空き地が出来ている。リフルの超広範囲攻撃の結果だ。

 

「…………」

 

正直言ってローズマリーはリフルを舐めていた。このまま、逃げ切れるだろうなぁ、じゃあ、目的を考えなきゃ、とか考えている時点で甘過ぎたのだ。

 

相手は深淵、甘く見るべきではなかった、得意不得意が有ろうと彼等は圧倒的な力を持った覚醒者達の頂点なのだから。

 

「梃子摺らせてくれたわね、でも、もう見失わないわ」

 

「……でしょうね、こんな綺麗さっぱり木がなくなっては隠れられませんからね」

 

そう言いつつローズマリーはリフルが覚醒体を解いた理由を予測する

 

「(覚醒体を解いたのは今の攻撃で消耗したから……なんて理由ならいいんだけど、多分、上から見下ろすのでなく視線の高さを合わせ、木々が視界の邪魔にならなくする為かな?)」

 

木々より高い覚醒体は周囲を見渡せる反面、森の中を覗くのが困難だった。

 

だが、同じ高さの目線となればかなりの距離を離さないと目視されてしまう。例えこの空き地から再び森に入っても今まで通りに逃げるのは難しいだろう。

 

「(ああ、完全にミスったなぁ、これは死んだかな?……でも)」

 

逃げられる可能性はゼロではない。

 

いや、むしろまだ可能性は高い。

 

空き地は出来たが、依然として平原より逃げ易いのは確かだ。そして、それ以外にも大きな勝算がある。

 

ローズマリーの鼻が独特の香りを嗅ぎ取っていた。

 

それは塩辛い磯の香り、そう、おそらくもう少しで海なのだ。そこまで逃げればなんとかなる。

 

ーーそして、なんとかなるなら。

 

 

 

「(リフルさんに自分を追った真意を聞こう)」

 

ローズマリーはリフルに視線を向けて話し掛けた。

 

「……リフルさんって冥土の土産を相手にあげるタイプですか?」

 

「いきなりなに?」

 

「いえ、ただルシエラさんじゃなくて私を追った理由を知りたくて」

 

「あなたの方がムカつくからって言ったでしょ」

 

「うわ、ひどい……でもそれは本当の理由じゃないんでしょう?」

 

ローズマリーとリフルの視線が交差する。

 

「…………」

 

「…………」

 

暫し無言で見つめ合う二人。先に根負けしたのはリフルだった。

 

「はぁ……いいわ、特別に教えてあげる、あなたを狙ったのは強い戦士を減らす為よ、近々組織に襲撃をかけるつもりだからね」

 

「なるほど、でも、この地に来たって事は組織の前にルシエラさん……いえ、他の深淵を全て倒す気なんですよね? ルシエラさんを追わないのはおかしいんじゃないですか?」

 

「ふふ、そうね、でもルシエラならあたしの仲間が追ってるから大丈夫よ」

 

「それは私を優先する理由になりません、仲間を何人向かわせたか知りませんが、万全を期すならリフルさんは自身がルシエラさんを追うべきでは? 優先順位としては私よりもルシエラさんの方がずっと上の筈ですし」

 

ローズマリーの言葉にリフルが肩をプルプルと震わせる。

 

「………ふふ…ふふふふふ、優先順位ねぇ」

 

おかしくて堪らない、そんな声色でリフルが言った。

 

「………何か変な事を言いましたか?」

 

「ふふ、いえ、普通そう考えるわよね」

 

「どういう意味です?」

 

「そのままの意味よ、じゃあ、あたしからも聞くけど……あたしがルシエラよりあなたを優先した(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と、どうしてあなたは判断したの?」

 

「…………」

 

その言葉にまさか、とういう考えがローズマリーに生まれた。有ってはならない思考が脳内を支配した。

 

「……それは、深淵であるあなた自身が私を追って来たからですよ」

 

その思考のせいで硬くなった声でローズマリーが言う。

 

そんなローズマリーを見てリフルは笑みを深めた。

 

「あら、あたしが追うと優先順位が絶対高いの?」

 

「…………」

 

「ふふ、もう気付いてるんでしょ? いえ、最初から可能性として考えてはいたでしょう?」

 

そう、もうローズマリーは気付いている。気付きたくなかったが。

 

「……まさか、本当に?」

 

「ええ、そうよ」

 

リフルは堂々と取って置きの自慢話をするように両手を広げ、こう言った。

 

 

「あたしはあなたよりルシエラを優先した、つまり、あなたに向けた戦力(あたし)よりルシエラに向かわせた戦力()の方が上なのよ……ほら、ちょうど来たわ、ふふ、あなた失敗したわよ、すぐに逃げてればまだ助かったかも知れないのに」

 

そう言って楽し気にリフルがローズマリーの右側を指す。その方向にローズマリーは身体ごと顔を向けた。

 

それはリフルに隙を大きな晒す行為、だが、そうしなければならない気がした。

 

リフルの指した方向から蒸せ返る程濃い死臭が漂って来たのだから。

 

 

「ギニャギニャ」

 

 

そう、言って “黒い” 少女とルシエラが現れた。

 

いや、違う。

 

 

ルシエラの生首(・・・・・・・)を両手に抱える黒い少女が現れた。

 

その少女を見てローズマリーは凍りつく。

 

ルシエラの頭を持っていたから……ではない、まるでテレサと相対したようなーーいや、テレサ以上(・・・・・)の存在と相対したような、覆しようのない絶対的な差を感じたからだ。

 

 

「ただいま、おかーさん」

 

少女はトテトテとリフルへと駆け寄って彼女に抱きついた。

 

ぼとりと、ルシエラの生首が地に落ち。だが、それをリフルも黒い少女も気にしなかった。

 

「ええ、おかえりなさい。どうだったルシエラは?」

 

リフルは少女を愛おしそうに抱き返しながら聞いてくる。

 

「うーん、まあまあかな? あんまりつよくなかった……でもほらみて、ねこだよ、ねこ! ギニャギニャ」

 

黒い少女は地面からルシエラの生首を拾い上げ、顎を開閉させながら猫の鳴き真似をする。

 

「ふふ、そう、楽しめたようでなによりだわ」

 

「うん、でも、おとーさんもいっしょに、これたらよかったのにね」

 

「ダフはダメよ、ノロマだし妖気を消すのも下手糞だから」

 

「ええ〜おかーさんひどい、おとーさんはのろまじゃないもん!」

 

「ふふ、そうね、ごめんなさい……じゃあ、お詫びにあたしのオモチャをあげるわ、好きにしていいわよ」

 

そう言ってリフルはローズマリーを指した。

 

「え、いいの?」

 

「ええ、いいわよ、ふふ、しっかり……壊すのよ」

 

その会話を聞いた瞬間、ハッとなると、ローズマリーが弾かれたように駆け出した。彼女は一気に最高速に乗ると、必死に足を動かす。

 

そんなローズマリーに。

 

「ほら逃げるわよ」

 

「はーい……つかまえた」

 

という少女の声が真後ろから聞こえて来た。

 

 

 

思わず振り返るローズマリー。するとそこにはリフルに抱きしめられていたはずの黒い少女がいつの間にか居て。

 

「……ッ!?」

 

「あなた、おそいね」

 

そう言って笑い、少女は緩やかな動きで拳を引く。

 

そして、次の瞬間、ローズマリーは大空を舞っていた。

 

「……え?」

 

グルグルと回る視界、状況が分からない。遅れて激痛が胸元からする。見れば、ローズマリーの身体は頭と首、そして右胸の一部を残し消失していた。

 

「(殴…られ、た!?)」

 

拳が全く見えなかった。いや、あまりの衝撃に記憶が飛んだのかも知れない。

 

「(とにかく、再生しないと)」

 

ローズマリーは妖力解放しようする。

 

だが、解放出来ない。

 

「(あ、薬)」

 

そこで思い出した。自分が妖気を消す薬を飲んでいた事を。

 

「(くっ、このままじゃ死ぬ…なんとか、薬を抜かないと)」

 

クレイモアはアルコールや毒素を自らの意思で弾く事が出来る、これを応用すれば薬の効果を打ち消せるかも知れない。

 

ローズマリーは必死に薬を排除して行く。

 

すると徐々にだが、薬の効果が消え始めた。

 

 

「(よし、このまま、一気に!)」

 

「ねぇ、なにしてるの?」

 

そう、黒い少女が聞いてくる。少女は自身の髪をリフルに似た、帯状の触手にし、それを羽ばたかせて飛んでいた。

 

「…………」

 

「さいせい、しないの?」

 

「…………」

 

「……そう」

 

唖然としているローズマリーを見て、黒い少女がつまらなそうに拳を構えた。

 

狙いは顔面、攻撃が来る。

 

「…………」

 

 

防ぐ?

 

 

……無理。

 

 

避ける?

 

 

…………無理。

 

 

耐える?

 

 

………………無理。

 

 

 

………………………………………………。

 

 

 

 

「(……終わった)」

 

ローズマリーの諦めと同時に拳が放たれた。

 

走馬灯のようにスローになるその視界、その中ですら少女の拳は疾い。

 

そのまま少女の右ストレートがローズマリーに迫る。

 

ーーその時。

 

「あ」

 

少女がローズマリーの後方を見て驚いたように目を丸くした。

 

この行為でパンチの軌道が僅かに変わる。

 

そして、少女の拳はローズマリーの “首元” に直撃、ローズマリーの頭から下を消し飛ばしその衝撃で彼女の頭を遥か彼方へと弾き飛ばした。

 

 

 

 

 

「ちゃんとトドメは刺せた?」

 

自らの元に帰ってきた少女にリフルが聞いた。

 

「…………」

 

しかし、その問いに黒い少女は答えず、ガッとリフルの手を握り、彼女を引っ張り走り出した。

 

「ちょ、ど、どうしたの!?」

 

「きて!」

 

そう興奮気味に言って少女は、リフルを “ソレ” の前へと連れて行った。

 

「……ああ、なるほど」

 

連れて来られたリフルはようやく自分の娘の行動に納得した。

 

そう言えばこの子は “ソレ" を見た事がなかったと。

 

 

 

「ねぇ、ねぇ、おかーさん、このおおきな、みずたまりってなに!?」

 

そう無邪気に、興味津々な様子で少女はリフルに聞く。

 

そんな娘が愛しくてリフルは微笑み少女の頭に手を乗せると “ソレ” の名前を告げた。

 

「ふふ、これはね、海って言うのよ」

 

「う、み?」

 

「そう、海よ」

 

「うみ、うみね!」

 

「ふふ……ところでちゃんとオモチャは壊したかしら?」

 

「あ! ……うーん、わかんない」

 

「そう、まあ、仕方ないわね」

 

「……ごめんなさい」

 

「ふふ、いいのよ、別に大した問題でもないから」

 

「(どうせ、この子の敵にはなり得ないのだから)」

 

口には出さないが、絶対の自信をリフルは持っている。

 

そもそもルシエラの排除すら念の為に過ぎないのだ。

 

リフルは自分の覚醒体に姿に似た、黒い少女の頭に手を乗せる。

 

「さあ帰りましょう “ダフル” お父さんが家で待ってるわ」

 

「うん!」

 

そう言ってリフルは黒い少女ーーダフルの頭をひと撫でし、彼女の手を引いて歩き出した。

 






今話の前書きでルシエラが死なないと書いたな……あれが嘘だ。


ダフル「なんであなしの、なまえはダフルなの?」

リフル「……ダフが、二人の名前から取ろうとか言うから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話

お待たせ………しませんでした?


「……バカな、この私が…」

 

呆然としたような。

 

「……貴様に…」

 

あり得ない事態が起こったような。

 

「追いつけない…だとッ!?」

 

そんな顔と声色で彼女ーーヒステリアが唖然と呟いた。

 

 

 

 

トランプのスピードで連敗して。

 

「お前ら訓練しろ」

 

まさかの連敗に項垂れるヒステリアと、連勝に当然とばかりに胸を張るテレサ。そんな遊んでばかりの二人にクルトが呆れた声で注意した。

 

ここは組織本部、訓練生達の為の修練場、その中のテレサ専用の部屋だった。

 

そこに任務がなく、ローズマリーが任務中で暇なヒステリアがテレサと遊びに来たのだ。

 

「ヒステリア、お前は何をしにここに来た?」

 

「トランプよ」

 

「おい、ナンバー1のお前がわざわざ本部まで来てする事がソレか? 流麗の名が泣くぞ?」

 

その言葉に項垂れていたヒステリアがテーブルから顔を上げた。

 

「……別にいいでしょ、だって私、もうすぐローズマリーに抜かされるから、ナンバー1じゃなくなるしぃ」

 

遠い目をしながらヒステリアが呟く。その声に力はない、顔はどんよりとやる気を失ったように見える。美しさを意識しているヒステリアらしからぬ珍しい姿だ。

 

しかし、クルトはとってそんなヒステリアの姿よりも、彼女の言葉に驚いた。

 

「………近々ローズマリーがナンバー1になるってのは本当の話なのか?」

 

噂は聞いている。

 

だが、アレがナンバー1? と、クルトは首を捻った。

 

クルトもローズマリーが強いのはよく分かる。

 

しかし、いつものほほんとしているローズマリーと戦士ナンバー1のイメージがまるで合致しないのだ。

 

「……本当よ、今ではローズマリーに回される任務の方が私よりも重要なものが多いし、それにローズマリーの方が私より強いもの……ちょっとだけどね」

 

「まあ、確かに……そうではあるな」

 

クルトはここ最近のテレサとヒステリアの模擬戦、そして、テレサとローズマリーの模擬戦の勝率を比べて頷いた。実際、模擬戦の勝率はローズマリーの方が上である。

 

だが、それでもローズマリーにナンバー1という地位は似合わないように思えた。

 

なんというかクルトの中ではローズマリーは誰かを補助する、縁の下の力持ちというイメージが強い。

 

ナンバー1にしてはプライドというか我が薄く、戦士達を引っ張っていける気もしない。

 

そう、ローズマリーはリーダーに向かない性格のだ。

 

「だが、やはりアレがナンバー1というのは違和感を感じるな」

 

ナンバー1ローズマリーを想像して微妙な顔をするクルト。

 

「……それは私もよ、でも組織がそう決めたんだからしょうがないでしょ」

 

拗ねたようにヒステリアが言う。彼女はテーブルの横に置いた皮袋をゴソゴソと漁ると、中から安酒を取り出しおもむろにそれを煽り出した。

 

「昼からお酒ぇ? ……まあ、確かに、お姉ちゃんが強いのは確かだけど、行くぞ〜! ってみんなを引っ張って行くよりは、行く? って聞いてくるイメージがあるね」

 

ナンバー1が似合わないと思うのは一緒なのか、自棄酒を飲み始めたヒステリアに呆れつつも、テレサは二人の言葉を肯定した。

 

「正にそれだな。あいつはみんなを引っ張るよりも、引っ張ってもらうイメージが強い」

 

「うん、誰かに指示を出すのが苦手そうだよね。でも、大丈夫じゃない。お姉ちゃんなら大抵の任務を一人でパッとこなせるでしょ、ね、ヒステリアさん」

 

「……まあ、そうなんだけどね」

 

テレサの問いを、渋々といった様子でヒステリアが肯定した。現ナンバー1の彼女は知っているのだ。ナンバー1にはカリスマもリーダーシップも、そして、協調性すらも必要ない事を。

 

実際の所、ナンバー1に必要なのは強さだけだ。どんな敵でも斬り殺せる圧倒的な戦闘力、クレイモアのトップに求められるのはそれだけなのだ。

 

その点で見ればローズマリーは全く問題ない。全戦士中、歴代五指に入ると言われるヒステリアより実力が上なのだこれでナンバー1に相応しくないと言った日にはナンバー1になれる者など居なくなってしまう。

 

 

ーーここにいるテレサを除いて。

 

「…………」

 

ヒステリアは酒を片手にテーブルに寝そべりながらテレサを見上げた。

 

この一年でテレサは大きく成長した。身長が伸び、幼く感じた顔立ちも女性のそれに近付き始め、胸の膨らみもだいぶ大きくなった。出会った当初と比べ支給される服のサイズもふた回りは大きくなっている。

 

そして、その実力はあのローズマリーさえ寄せ付けないようになりつつあった。

 

「(……これが戦士になったら私はナンバー3か)」

 

「な、なに?」

 

じっと自分を見つめるヒステリアにテレサが居心地悪そうに聞く。それに溜息を吐き、なんでもないと言うと酒一気に飲み干した。

 

「……模擬戦でもしましょうか、今回は金眼まで妖力解放有りで」

 

「え〜妖力解放とかヤダ。危ないよ? ……主にヒステリアさんが」

 

「誰にものを言ってるのかしら?」

 

「もちろん、時期ナンバー “2” のヒステリアさんです」

 

ピシリとヒステリアの額に青筋が浮かぶ。

 

「……ふ、ふふふ、上等よ……泣かせであげる」

 

「ヒステリアさんには無理だと思うなぁ」

 

そう言って二人は大剣片手に椅子を立った。それを呆れた顔でクルトが見送る。

 

三人はいつも通りの日常を過ごしていた。

 

 

ローズマリーの危機など露知らずに。

 

 

 

 

 

「ほぉ、つまり、お前はローズマリーを囮に逃げた……という事か?」

 

「い、いえ、決してそういう訳では」

 

石造りの椅子が平行に並ぶ大広間、そこで組織の長ーーリムトと幾人かの幹部の前でアガサが縮こまって答えた。

 

なんとか死地から逃げ帰ったアガサだが、それで、めでたしめでたし…とは行かなかったのだ。

 

「私が居てもローズマリーの邪魔になりますし」

 

嘘ではなく、本当にアガサはそう思っている。

 

「お前とローズマリーはナンバーが一つしか違わない筈だが?」

 

だが、リムトの同意は得られなかった。彼はローズマリーとアガサの間に共に戦うと足手纏いになるほどの力量差が有るとは思っていなかった。

 

「ま、まぁ。確かに」

そして、それもある意味事実である

 

共に戦えば力に成らずとも足手纏いにはならなかっただろう。

 

しかし、足手纏いは別に居たのだ。

 

「ですが、彼女からこの子を託されまして……はい」

 

冷や汗を流しながら、アガサは隣に立つ少女を指差す。

 

少女は状況が分かっていないのか、はたまた元から興味がないのか思考の読めない無表情で佇んでいる。

 

「……」

 

そんな少女を一瞥したリムト、彼はすぐに視線をアガサに戻すと手を組んで彼女に問い掛けた。

 

「……それが理由で、深淵をローズマリーに任せ逃げて来たという訳か?」

 

「…ま、まあ、端的に、言えば……」( )

 

リムトの質問に、アガサは一度プルリと震えると、消え入りそうなほど小さな声で肯定した。

 

「……ではアデライドはどうなった?」

 

「ふ、不明です」

 

「…………」

 

小さくなるアガサ、そのアガサの様子をジッと見た後、リムトは小さく息を吐いた。

 

「……まあ、良い。深淵が出現してしまっては任務の続行は不可能か……ダーエ」

 

「はい」

 

リムトの言葉にアガサの後方に居たダーエが応えた。

 

「ローズマリーが生存している確率はどれくらいと見る?」

 

「生存率は七割…といったところでしょう」

 

「ほぅ」

 

ダーエの言葉にリムトは感嘆の息を漏らした。歴代のナンバー1と比べてもローズマリーの実力がすば抜けていると分かったからだ。

 

「一人で深淵を相手取り、アガサが逃げる時間を稼いだ上でそれだけ可能性があるのか?」

 

「はい、ローズマリーならば」

 

「優秀だな……では、回収班が必要か?」

 

「不要ですな、生きていればどんな傷を負おうと問題ない筈、自分の足で帰って来るでしょう」

 

「そうか……ならば後はローズマリー本人に任せよう」

 

その時、コツンと石を踏む音と共に、一つの影が大広間に現れる。

 

黒い帽子に黒眼鏡をした胡散臭い男。

 

「おや、お話中でしたか?」

 

そう、ルヴルだ。彼は薄い笑みを浮かべ、リムトに話し掛けた。

 

「ルヴル、戻っていたのか」

 

「はい、お久しぶりです長」

 

「挨拶は良い、それより報告を聞きたい」

 

「分かりました……しかし」

 

そう言ってルヴルがアガサと少女を見た。

 

「ああ、そうだったな……アガサ」

 

「は、はい!」

 

「もう行っていいぞ、新たな任務が出来たら追って伝える」

 

「はい、あ、あの、降格とかは、ないんですか?」

 

「ない」

 

「そ、そうですか……え、マジで? ……逆に困るんですけど( )

 

「何か、言ったか?」

 

リムトがアガサに尋ねる、その視線に怒りは含まれていない、だが、アガサは強い悪寒を感じた。

 

何故なら、リムトの目が、まるで、ゴミ箱に捨てる予定の不要品を見ているような、無機質なモノに見えたからだ。

 

「い、いえ、なんでもありませ〜ん! 失礼しました!」

 

アガサはリムトの視線を恐れ、慌てたように少女の手を引くと、大広間から逃げるように出て行った。

 

ーー実の所。

 

「…………あんな小心だったか?」

 

アガサが感じた悪寒は気の所為だった。

 

リムトとしては、今のは「もういいからここから出て行け」というニュアンスのつもりで送った視線だったのだ。故にそれに過剰反応したアガサにリムトは首を傾げる。

 

別にリムトはアガサを要らないとは思っていない。むしろ、それなりに必要と考えている。でなければ彼女にナンバー3を与えるような事をする訳がない。

 

そう、リムトは無駄な事はしないのだから。

 

しかし、表情も声色も殆ど変えぬリムトの感情はとても読み辛い、故に彼の考えを読み間違える者は何処にでも現れる。

 

その一人がダーエだ。

 

「リムト様、アガサが不要でしたら実験に使いたいので欲しいのですが」

 

ダーエは怪しい笑みを浮かべ、ストレートに要らないならくれ、とリムトに要求。完全に彼もリムトの視線を深読みしたらしい。

 

「(分かり辛かったか?)」

 

リムトはそう思考し、すぐに首を振る。

 

「(……いや、コイツは違うか)」

 

ダーエはリムトの感情を読めなかったのではなく、純粋に実験体が欲しかった故に都合よく解釈しただけだろう。

 

それに気付いたリムトは溜息を吐く。

 

「はぁ、誰が不要と言った? アレでもアガサはナンバー3だ、もう少し大事に扱え……そんな事より本題に入るぞ……本国の様子はどうだったルヴル?」

 

リムトは残念と肩を竦めるダーエを無視し、ルヴルに問い掛けた。

 

「戦況は大分盛り返しておりましたよ、“龍喰いの戦士達” が思いの外……いえ、素晴らしい働きをしているようで」

 

そう、ルヴルが言った。困るんだけどね、と内心で付け足して。

 

「アレは戦士とは言わん。獣、あるいはただの兵器だ」

 

「くくく、確かに、刷り込まれた敵をただ喰い散らかすアレはあまりに獣、戦士とはとても呼べないシロモノでしたな……しかし、本国では彼等をそう言って重宝しております」

 

「……ただ龍の末裔のみを喰らう兵器、確かに重宝されて同然か」

 

「はい、再生能力も覚醒者以上で、その上、条件付けすれば人には襲い掛かって来ませんから……向こうで作られる主流も既にただ戦士から龍喰いの戦士に置き換わっております」

 

「……本国はなにか言っていたか?」

 

「今度は覚醒しない戦士を作れと言っておりました」

 

「覚醒しない戦士?」

 

リムトが眉をひそめる。今まで求められた事と全く別の内容だったからだ。

 

「はい、龍の末裔に対する戦力は龍喰い一本に絞り、これからは通常の……龍の末裔以外の敵と戦う強く、そして従順な扱い易い戦士が欲しいと言っておりました」

 

「ふん、あっさりと要求を変えおって」

 

リムトは本国の掌返しのような要求に悪態をつく、覚醒しない戦士なら簡単に作れると思っているのか? と。

 

「……ダーエ、現状の技術で覚醒しない戦士は作成は可能か?」

 

「戦闘力を落として良いならば今すぐにでも可能です」

 

その問いにダーエは断言で返す。だが、その顔はイマイチつまらなそうだった。どうにも彼の趣味には合わない研究らしい。

 

「落ちる戦闘力はどのくらいだ?」

 

「そうですな……普通の戦士と “色付き” 程の差かと、戦士てして考えれば弱小も良いところですが、まあ、それでも人間相手には十分でしょう」

 

「…………」

 

その答えにリムトは僅かに考えてから、首を振った。

 

「………そうか、失敗作レベルの戦闘力か…流石にそれは許容出来ない。龍の末裔程ではなくとも向こうには人を超えた力を持つ種族が居る、最低そいつらより確実に強くなければ使い物にならん」

 

「ふむ、そうなると今、作成する事は難しいですな、研究しても出来るかどうか……むしろ人の意識を持った覚醒者か龍喰いを作る方が簡単やも知れません」

 

そう、どこか含みがあるように言うダーエ。どうやら何かあるらしい。

 

「……その言い方、研究に何か進展があったのか?」

 

「くっくっくっ、いえ、まだ何も……ただローズマリーの経歴を改めて少々気になる事が浮上しまして」

 

「気になること?」

 

「はい、それにつきまして、少々やりたい事がありますので、必要な物とリムト様の許可を頂きたいのですが?」

 

「物はなんだ……そして、なんの許可だ?」

 

面倒事は起こすなよ。無表情ながらリムトの雰囲気はそう言っている。それを分かっているのか? ダーエは全く安心出来ない怪し気な笑みを浮かべ頷いた。

 

「なに、そうコストの掛かるモノでも、危険な事でもありません」

 

ーーただ。

 

 

 

 

「三組ほど、親子を攫って来て頂けますか……あと、覚醒者を作る許可を」

 

そう言うダーエの表情は玩具を強請る子供のように無邪気なものだった。

 

 

 

 

 

 

優しく揺られる感覚に意識が浮上する。

 

視界がぼやける、息が苦しい。ローズマリーは反射的に呼吸。すると不快感が彼女の鼻と喉を襲った。

 

「ん…ゴボっ!?」

 

口と鼻に進入してきた塩辛い水。それに驚きローズマリーは完全に覚醒した。

 

気付けばそこは海面で、知らぬ間に、ローズマリーは波に揺られ、流されていたのだ。

 

「…ガボ…ゴフ…」

 

涙目で咳き込み、器官に入った海水を吐き出すと、ローズマリーは立ち泳ぎで身体を安定させながら周りを見渡した。

 

前を見る……海。

 

右を見る……海。

 

左も見る……海。

 

後ろを見る……やっぱり海。

 

 

目前に広がるのは広大な海原だけだった。

 

「…………」

 

起きて早々ローズマリーは途方に暮れる。どこにも陸地が見当たらないからだ。

 

「……なんで、こんな所に?」

 

ローズマリーは何が起こって、海の、それもこんな沖合に居るのか記憶を探る。

 

理由はすぐに思い出せた。

 

「……そうだ、確か黒い女の子に」

 

そう、異常に強い、どこかリフルに似た、黒い少女型の覚醒者に敗北した結果だった。

 

「…………」

 

それを思い出し、ローズマリーは寒気を覚える。

 

あの少女型の覚醒者は明らかに今までの覚醒者から逸脱していた。

 

ルシエラ、リフルと立て続けに深淵の者と遭遇、交戦したがアレは桁違い。もはや意味不明なレベルの強さだった。

 

「……ヤバかったな」

 

ローズマリーは我が身を抱きながら呟いた。

 

本当に相対した時はその異質な存在感から来る恐怖で動けなかった程だ。もう二度と会いたくはない。

 

「はぁ、この頃、嫌な事が多いな」

 

喰われそうになったり、殺されそうになったり、そして、自分の感覚が、おかしくなったりと本当についていない。

 

ローズマリーは海面に漂いながら日が傾き始めた空を眺めた。

 

「……クレイモアなんて、やめちゃおうかな?」

 

赤くなり始めた空を見上げて、そんな無意味な独り言を言う、ローズマリー。

 

なぜ無意味かと言うと、クレイモアは止められないからだ。

 

彼女達は戦士となった時から戦いの果てに人のまま死ぬか、限界を迎え人として(・・・・)死ぬかの二択しかない。

 

転職なんて出来ないし、それが嫌で逃げれば、粛清に合う。

 

そして、当然それはローズマリーも同様だ。

 

ローズマリーは強いが最強ではない。追っ手にテレサなんて寄越された日には逃げ回っても数分で敗北する自信がある。

 

そして、それ以上にローズマリーは仲間に剣など向けたくないし、向けられたくない。

 

ローズマリー程の戦士が離反すれば、当然それ相応の追っ手がかかる。その相応の追っ手こそヒステリアとテレサだ。

 

二人の内、必ずどちらかはローズマリー粛清のメンバーに入る。彼女達と殺し合うなど冗談ではない。きっと彼女達も望まない筈だ。

 

だから自ずと選択は決まる。ローズマリーはこれからも戦士として生きていく、戦士として、死ぬか、人を止めるその日まで。

 

「……はぁ、なんだかなぁ」

 

微妙な気分になったローズマリーは気分を紛らわせる為、そして此処がどこなのかを知る為に周りの妖気を探り始めた。

 

だが、どの方向からも妖気は感じない、先ほど見回した時に予想はついたが、どうやら陸地からかなり離れてしまったようだ。

 

「……ふふ、この歳になって迷子とは」

 

ローズマリーは自分の現状に苦笑。

 

だが、笑っている場合ではない。もうすぐ日が落ちる。出来れば夜になる前に陸地を見つけたい。

 

「………すぅ」

その為に、ローズマリーは大きく息を吸い、海中へと潜る。

 

日の光が弱まってきたせいか、海の中はそれ程澄んではいなかった。

 

だが、ローズマリーの瞳になら問題なく見える。事実、彼女の目は海中を自由に泳ぎ回る色とりどりの小魚と、その小魚を喰らう大きな魚を捉えていた。

 

「(……サメとかいないよね?)」

 

小魚が食べられる光景を見て自分がサメに食われる嫌な想像してしまったローズマリー。急に現状が怖くなった。

 

「…………」

 

ローズマリーは不安な気持ちを振り払い下へ下へと海を潜る。水圧の変化で少し耳に違和感、耳抜きでそれを緩和し海底へと到達、そこで彼女はある程度息を吐き浮力を弱めると、膝を曲げ海底を蹴った。

 

グン、と砂を巻き上げ、海水を押しのけるようにローズマリーが加速する。彼女は速度を上げる為、ドルフィンキックで水を蹴る。

 

すると、そこで身体に違和感を感じた。

 

「(あれ、動きが鈍い?)」

 

現状、ローズマリーの速力はそこらの魚にだって勝てるレベル。決して人では出せない程の高速だ。

 

しかし、それでもローズマリーの予想よりだいぶ遅く、思ったように速度が上がらない。

 

「(……妖力解放の影響が残ってるのかな?)」

 

取り敢えず、ローズマリーはこの違和感を放置する。以前もあった事だし、今は現状をどうにかするのが先決だからだ。

 

ローズマリーは高速で水面へ。そのままの勢いで彼女はイルカのように大ジャンプ、視界が波で邪魔されない位置まで飛ぶと、周囲を、もう一度ぐるりと見回した。

 

「……ん!」

 

そして、見つけた左方向に、緑の点……おそらく島だ。

 

島を確認した事で、現状に対する不安が少し晴れる。

 

それと同時に最高点から落下を始めたローズマリー、彼女は着水の前に空中で身を捻ると、腹を水面で打たないように頭を下げようとする。

 

だが、やはりその動きはいつも程のキレがない。その為に、頭を下げるのがかなりギリギリになった。

 

「……ふぅ」

 

それ故に間に合った事に安堵したローズマリー、彼女の視線が海へと向かう。グングンと近づく水面、そこに向かってローズマリーは頭からダイブ。

 

 

 

 

ーーする直前に巨大なサメのような魚が海から顔を出した。

 

手が届きそうな至近距離でローズマリーとサメの視線が交差。

 

「……うぇ?」

 

ローズマリーが変な声を出し落下の姿勢で固まった。

 

だが、そんなローズマリーを気にもせず、サメはイタダキマスと言わんばかりの大口を開けて落下してきた彼女をキャッチ。

 

そのままローズマリーを一飲みで腹に収めると海の底へ消えて行った。

 

 

 

 

 

 




海は怖い……ファンタシー世界は特に。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話

世界が平和でありますように(白目)


南の地、その南端の森を一人の女性が歩いていた。

 

「…………」

 

女性は旅人のようであり、だが、それにしてはリュックなどの荷物を持たない不思議な格好であった。

 

「…………」

 

彼女の足取りはゆっくりと、どこか独りきりの寂しさに耐えているようにも見える。

 

だが、それでも彼女は止まることなく歩き続けた。

 

「…………」

 

しばらく歩くと、女性は見通しの良い広場のような場所に出る。

 

広場は、まるでそこだけ大災害が起こったかのようにバラバラになった木々が散乱していた。いや、大災害が起こったからこそ広場があるのかも知れない。

 

しかし、そんな事はどうでも良いのだろう。女性の歩みは変わらない。特に驚いた様子もない。

 

女性は倒れた木を避けながら前へと進む。

 

それから更に数分歩くと、不意に女性は足を止めた。

 

「…………」

 

女性は無言で、前方の地面を見つめている。そこには一つの物体があった。

 

その物体とは生首だった。

 

ネコ科の動物のような、だが、虎と比べても明らかに大きな頭を持つソレは、ただ、打ち捨てられ、虚ろに虚空を見つめていた。

 

「…………」

 

生首を見つけた女性はそれを避ける……事もせず、むしろ、ゆっくり、ゆっくり、近づき、その前で膝を折った。

 

そして、女性は迷う事なく生首に手を回すと悲しそうに、愛おしいそうに両手で優しく抱き締める。

 

 

 

「………姉さん」

 

女性ーーラファエラの表情は目深に被ったフードで見えない。だが、時々、彼女から発せられる啜り泣くような音が、その表情を視覚以上に周りに伝えていた。

 

 

 

そんなラファエラに。

 

「お、南の深淵が死んだってマジだったんだ」

 

という軽薄な声が聞こえて来た。

 

声の主は痩身の男だった。山賊のような身なりの男、彼はただの男ではない。なぜ分かるかと言えば、彼から妖気が漏れているからだ。

 

そう、つまり彼は人間ではなく妖魔。

 

 

ーーでもなく覚醒者だった。

 

一般的にクレイモアは全てが女性、と思われているが実はそれは正解ではない。組織が最初に創り出した戦士は男だった。

 

彼等は女性の戦士と比べても同等かそれ以上の力を持っていた。だが、今、彼等は戦士として()作成されていない。

 

その理由が覚醒のし易さだ。

 

妖力解放は性的衝動に似た感覚を使用者に齎す。そして、その性質から性的衝動が女より激しい男の方がより簡単に覚醒してしまう、

 

だから扱い辛い男の戦士は作られなくなったのだ。

 

 

そんな男の覚醒者がスタスタとラファエラに歩み寄る。

 

そして、男はラファエラの抱えるルシエラの頭をしめしめと眺めると。

 

「そらっ!」

 

おもむろにラファエラの腕からソレを蹴り飛ばした。

 

「はっはあぁ、スッキリしたぜ。いやぁ、こいつのせいで満足に飯も食えずに困ってたんだよなぁ、ほんと、リフル様様だよ……てか、お前誰?」

 

男がラファエラに問い掛ける。

 

「…………」

 

しかし、ラファエラはそれに答えない。彼女は蹴り飛ばされたルシエラの頭に再び近づくと、優しく大事そうに膝に抱えて蹲った。

 

「え、無視? てか、なにしてんの生首なんて抱えて、気持ち悪くねぇの?」

 

「…………」

 

「おーい、聞いてます? 聞こえてない? そんなもん持ってなにしてんのって聞いてんの」

 

「…………」

 

「……うわ、こいつムカつくわ」

 

次の瞬間、男の右手が背後からラファエラを貫いた。

 

背中を貫き、ミチミチとラファエラの内臓を掻き回す。それからすぐに男がハッとして顔を顰めた。

 

「あ、ヤベ、殺っちまった、くそ、楽しんでからにするつもりだったのに……ま、いいか、こいつムカつくし、どうせブスだろ」

 

そう言って男はラファエラの腹から内臓の一部を抉り取ると、ヨダレの垂れる口元へと運び。

 

「いただきます」

 

それを口に押し込んだ。

 

よほど腹が減っていたのか、内臓を頬張る男の表情は喜びに満ちていた。

 

しかし、一噛み、二噛み、三噛み……咀嚼を繰り返す度に嬉しそうだった男の表情が萎んでいく。

 

その理由は肉の味だ。

 

「……うぇ、マズ、なにこれ妖魔みたいな味なんだけど、え、全然妖気を感じないんだが、お前クレイモアなの?」

 

男がラファエラに訊ねる。

 

「…………」

 

だが、やはりと言うべきか?その質問にラファエラは答えない。いや、正確には答えられない。

 

ラファエラはフラリと揺らぐと、ルシエラの頭部を抱きながら地に倒れた。彼女の腹部から漏れる大量の血が、その場に大きな水溜りを作る。

 

致命傷だ。

 

「…………」

 

男はしばらくラファエラを観察した後、溜息を吐いて踵を返した。

 

「………はぁ、口直し、しねぇとな。まぁ、今なら食い放題だし問題ねぇだろ」

 

そう言って男は歩き出した。

 

それと同時にピリピリと空気が震える。

 

「ん、あ、妖気?」

 

男が首だけをラファエラに向けた。そして、男は確認する。ラファエラから漏れる強い妖気を。

 

「お前、死んで」

 

なかったの? と言い切る直前。

 

 

妖気の大瀑布と共に、凄まじい勢いで放たれたナニカが、男の意識を消し飛ばした……永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

「……うみこわい」

 

ローズマリーが片言で呟いた。

 

ここはとある無人島、現在、ローズマリーはその浜辺、海面からだいぶ離れた場所で、体育座りで震えていた。

 

その身体はやけに生臭い。まあ、理由は不明……という事にしてあげよう。

 

「………帰りたい」

 

遠い目をしてローズマリーが言う。彼女の視線の先には大陸が見えている。

 

その距離およそ2キロメートル。それが、島から大陸までの長さだーー実に短い。

 

泳ぎが得意ならば、ただの人間でも普通に横断出来る距離、当然ローズマリーなら余裕で泳ぎ切れる。

 

だが、ローズマリーは泳がない。

 

その理由が島の周りに潜む黒い影だ。鯨程もある複数のソレが海中を自由に泳ぎ回っている。

 

この影が何の捻りもなくただの鯨なら、ローズマリーも最近出来たトラウマを気合いで抑えて海に入っただろう。

 

だが、残念な事に、相手がトラウマの原因(SAME)と来ては躊躇せざるを得ない。

 

サメ達は時々思い出したかのように海上に鋭いヒレを覗かせる。

 

それを見る度にローズマリーのビクリと身を震わせた。

 

「……一生ここで暮らす?」

 

暗い声でローズマリーが呟いた。

 

だが、それは不可能だろう。

 

なにせ、島の大きさは直径200メートル程、しかも、その殆どが砂地であり、中心部に十数本の木が生えている以外は何もない。

 

水もなければ、食料もない。ここはとても人が住めるような島ではないのだから。

 

「……どっか行ってくれないかなぁ」

 

まあ、無理だろう。島に来てから二日ほど経過しているがサメ達が居なくなる様子はない。この島は周辺が彼等の縄張りなのだろう。

 

「………はぁ」

 

ローズマリーは途方に暮れ、空を見上げた。

 

空には海鳥達が飛んでいる。それを羨ましそうにローズマリーが見つめた。

 

「……良いなぁ鳥は飛べて、空を飛べれば大陸までひとっ飛びなのに」

 

風を掴み。優雅に空を舞う海鳥達。その動きをローズマリーは視線で追う。

 

まるで、自分も一緒に連れてって、とでも頼んでいるかのように。

 

だが、当然そんな願いは叶わない。しかも、恨めしそうな視線を嫌ったのか、視線の返答に、海鳥達はローズマリーに糞を降らせて来た。

 

「解せぬ」

 

ローズマリーは糞を紙一重で回避。代わりに浜に落ちていた透明なガラス片を思いっきり踏み付けてしまう。

 

「………ッ」

 

僅かな痛み、皮膚を突き抜け、足裏にガラス片が食い込んだ。

 

とことん運がない。

 

ローズマリーは食い込んだガラス片を引き抜く。その際に少量の血が流れる。

 

それを見て大した怪我ではないのに視界が歪んだ。

 

「…………」

 

ローズマリーは無言で目元をゴシゴシ拭うと、赤くなった目を閉じ。再び浜辺に座り込んだ。

 

そうやって足の間に顔を埋め、辛い現実から逃避するようにただただ座っていると不意にローズマリーの腹がぐぅと鳴った。

 

「………はぁ、お腹空いた」

 

そういえばシルヴィと戦ってからずっと何も食べてない。しかも、シルヴィ以降の連戦で四肢を何度も飛ばされ、更に半身を二度も砕かれ、再生している。空腹になって当然だ。

 

「なんか、食べれるものは……」

 

ローズマリーが足の間から顔を上げると、島の木々に視線を走らせる。だが、木に果実などが実っている様子はない。

 

次に海に視線を走らせる。見えるのは水を切る黒く禍々しい背ヒレのみ。

 

「…………」

 

最後にローズマリーは視線を浜に向ける。そこにあるのは白い砂と、巨大な、鯨程もあるサメのみだ。

 

サメは二日前、ローズマリーと共にこの地に打ち上げられたものだった。

 

「……アレしかないのかなぁ」

 

心底嫌そうにローズマリーが呟いた。

 

おそらく、海を泳ぐものと同種だろう、サメは文字通り死んだ魚の目で何処とも知れぬ虚空を睨んでいる。

 

死因は浜辺に打ち上げられた事による衰弱死ーーではない。

 

サメの腹には大人が余裕で潜れる程の大穴が開いていて、そこから流れ落ちた大量の血がその周囲を赤く染めている。

 

その傷がサメの死因だった。

 

「…………はぁ」

 

まあ、その死因はともかく、正直、ローズマリーは死んでいるとはいえ、サメには近付きたくもない。

 

ましてや、打ち上げられて二日経った魚を喰らうなんてあり得ない。

 

と、ローズマリーは思っている。

 

 

だが、ローズマリーの空腹はかなり激しかった。

 

「…………」

 

正直今ならなんだって食べられる。

 

サメを見て自然と口内に唾液が溜まった。ローズマリーはそれをゴクリと飲み込むも、やはりサメが怖くて動かない。

 

そんな彼女を急かすように、ぐぅ、と腹がひと鳴きーーそれが決め手となった。

 

「………………………………」

 

長い長い沈黙の後、ローズマリーはふらりと立ち上がると、ゆっくりと警戒しながらサメへと近付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

トゥルーズーー聖都ラボナも属する大陸の中央部、その一角、ちょうど東西に延びる分かれ道を前に二つの影が佇んでいた。

 

「りふる、このまま、きたにいくのか?」

 

影のうちの一つは大柄な、見目麗しい、とはとても言えないむしろ不細工に分類される男ーーその名をダフと言う。

 

ダフは隣の少女ーー人間体のリフルにそう訊いて来た。

 

「うーん、正直迷ってるのよねぇ」

 

ダフの問いにリフルが顎に手を置き、僅かに迷う仕草をする。

 

「このまま一気にイースレイを倒すのも良い……でもルシエラが死んで、もうこの地にいる全ての覚醒者が組んだとしても私達には勝てなくなった」

 

自信過剰にも思える発言。

 

だが、それは慢心でも油断でもない、ただの事実だった。

 

リフル達の戦力は自身を含めてたったの三体。しかし、この三体が揃いも揃って強大な力を持っていた。

 

初代クレイモア、男時代のナンバー3、覚醒者の中でもひときわ硬い外殻と格別のパワーを誇る、最も古き時代からこの地で生き残る強者。

 

覚醒者ダフ。

 

女の初代ナンバー1、最も幼くその地位を極め、そして最速で覚醒した少女。

 

深淵の者、西のリフル。

 

そして、リフルとダフの娘。最強の覚醒者と称される、深淵の名を冠する者、その一体、南のルシエラを容易く倒してのけた少女。

 

深淵を超える者ダフル。

 

この三体が誇る戦力は本当にこの地の全ての覚醒者を足しても勝てない程のモノであったのだ。

 

「だから今すぐイースレイを倒す必要はないのよ」

 

「がへ、じゃあ、にしに、もどるのか?」

 

「それもちょっとね、あんな氷に閉ざされた北の地に興味はないけど。イースレイは早い内に排除したい……うーん、でもそうねぇ、北は後回しで、まずはここから近い東の組織に向かいましょう」

 

「そしき、なんでだ?」

 

「これ以上、戦士を作られると厄介だからよ、強い戦士が生まれてそれが覚醒したら、後々、面倒な事になるかも知れない、現に最近戦った戦士はかなり強かった。あれは覚醒してれば確実に深淵級になったわね」

 

「そーなのか、そのせんしは、どうなったんだ?」

 

「もちろん、殺したわ……と言いたいところなんだけど、私はその戦士の胸から下が消し飛んだところまでしか見てないのよ」

 

「それ、しんだんじゃ、ねぇのか?」

 

「普通はそうなんだけど、うーん……なんか、違和感があったのよねあの戦士……まあ、とにかくそんな強い戦士をこれ以上生み出されるのは困るから、まず組織から潰すわ……ダフル〜行くわよ」

 

リフルは振り返って、後方にいるダフルを呼んだ。

 

「は〜い」

 

リフルの呼び掛けに後方から声があがる。

 

そして、トテトテと一人の少女がリフルとダフの元へと駆けて来た。

 

リフルによく似た容姿、だが、背の低いリフルよりも更に頭一つ小さな少女。今は人間に見える彼女こそ、リフルとダフの娘ーーダフルだ。

 

「おかーさん、やっぱりこれ、きゅうくつ」

 

そう言ってダフルは自身が着るリフルと色違いの黒いワンピースを引っ張った。

 

伸びた生地がミシミシと軋む。それをリフルが手で止めた。

 

「ダメよ、せっかくあたしに似て可愛いんだからオシャレしないと」

 

そう、リフルはダフルを優しく注意する。その時、彼女はダフルの口元とワンピースが赤く汚れている事に気が付いた。

 

「ああ、もう、こんなに汚しちゃって……ダフ、ハンカチ持ってる?」

 

「おお、りふるにいわれたから、ちゃんと、もってるぞ」

 

そう言ってダフはポケットを探り、取り出したクシャクシャのハンカチをリフルに差し出した。

 

それにリフルは顔を顰める。

 

「はぁ、綺麗に持ちなさいって言ったでしょ、まったく……ダフル動いちゃダメよ」

 

リフルはダフから渡されたハンカチを丁寧にたたみ直すと、それでダフルの口と胸元を押し擦った。

 

「むうぐぅ」

 

「こら、動かない」

 

「くすぐったい」

 

身を捩り逃げようとするダフル。

 

それをなんとか押さえこみ、リフルは綺麗に彼女の口元を吹き終わるとダフルの頭に手を乗せて撫で回した。

 

「……はい、おしまい」

 

最後にポンポンと優しくダフルの頭を叩き、リフルは視線をダフに戻した。

 

「ダフ、あんたお腹空いてる?」

 

「ん、ああ、おれは、ちょっとはらへった」

 

「そう、じゃあ、ここから近い東の街まで行くわよ、そこでご飯を食べたら組織に乗り込みましょう」

 

「わかった」

 

「おとーさん、かたぐるま、して」

 

「いいぞ」

 

「わーい」

 

そう、言うや否やダフルがダフの肩に飛び乗った。

 

「こらダフル、ダフは水浴びしてないから汚いわよ」

 

「りふる、ひでぇよ」

 

そんなやり取りをしながら、三体は連れ立って歩いて行く。

 

その歩みの先に数多の屍を作りながら。

 

 

 

 

 







世界が平和になりますように by リフル


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話

ローズ○リー「こんな危険な島に居られるか! 私は大陸に戻らせてもらう!」


「ほっ」

 

助走してローズマリーが跳ぶ。

 

「はっ」

 

ローズマリーが丸で囲った地面に着地、それと同時に再び跳ぶ。

 

「とっ」

 

また別の丸に着地、もう一度ローズマリーが跳ぶ。

 

ローズマリーはポンポンと島の浜辺を跳び回っていた。これは別に遊んでいる訳ではない。本場に備えた予行練習だ。

 

「…………」

 

更にローズマリーは複数の歪に砕かれた木材の感触を一つ一つ足裏で確かめる。

 

その表情は真剣そのものだ。

 

そして、ローズマリーは十数分、木材を踏み続けると、感触を完璧に覚えたのか、力強く頷いた。

 

「……よし」

 

その直後、ローズマリーが決意を固めた瞳で、木材を両手に抱えた。そのまま彼女はその場で一回転。踵、爪先と重心を巧みに変え、ハンマー投げのように木材を加速させると、背後に向かい放り投げた。

 

高速で放たれた大きめの木材が、優美な放物線を描き、飛来する。そして数秒後、ボチャンと大きな水飛沫を上げて海面に着水した。

 

「…………」

 

ローズマリーは着水した木材の位置と浮いている事をその目で確認、次の木材を手に取り、同じように、しかし、今度は更に遠くに投擲した。

 

 

 

 

「はぁ……ふぅ、はぁ……ふぅ」

 

緊張した面持ちでローズマリーが息を整える。彼女の視線は海に固定されている。いや、正確には海に浮かぶ複数の木材に固定されていた。

 

彼女がしようとしている事は簡単だ。木材を足場に海に入らないように大陸まで戻る事である。

 

どう考えても無茶苦茶な方法だ。

 

島から跳躍し、揺れる海面を漂うそれぞれ数十から数百メートル離れた一メートルに満たない木材、そこに着地出来ると考える頭脳、それはどう甘く見積もってもイカれている。

 

しかも、今は雨が降っている。

 

晴れの日でもあり得ないのに、ローズマリーはこんな日にその愚行に挑戦しようとしているのだ。

 

これを誰かが知れば完全にローズマリーの正気を疑うだろう。

 

そして、なんと言えば良いのか、残念な事に、今のローズマリーは本当に若干正気を失っている。

 

真剣な目付きだが、その目は何処か虚ろだし、目の下には真っ黒なクマが出来ている。

 

それも仕方がない事なのだ、一昨日の嵐と満潮時が被ったことにより一時的に海面が上昇、島の九割が沈み、狭い陸地の中、一晩中、サメから逃げ回って夜を過ごしたのだから。

 

「…………」

 

ローズマリーは手足をプラプラさせ、調子を確かめるように爪先で地面を叩く。

 

それから一つ頷き、彼女こう呟いた。

 

「はは、ぜっこうちょう、よゆう、よゆう」

 

 

全然余裕じゃない。

 

 

お目々グルグル、掠れた声で繰り返し自分を鼓舞する呟きを漏らすローズマリー。この上彼女は全裸と来ている……その姿は明らかにヤバイ人だった。

 

可哀想な事に、どうやらサメの襲撃に頑丈な肉体は無事でも精神の方は参ってしまったらしい。

 

「できる」

 

「うん、だいじょぶ、できる」

 

「ちょーよゆう、しっぱいとか、ありえない、できてとうぜん」

 

そのまま、およそ10分間、ローズマリーは只管自分は出来るといい続けると。

 

「……………」

 

いきなり無言になった。

 

それからローズマリーは静かに、虚ろな瞳を一度閉じる。思い浮かべるのは島での日々と、大陸に居るテレサとヒステリアの顔。

 

それを思えばこんな所には居られない。

 

そしてローズマリーはカッと目を見開き、極限まで集中すると大地を蹴って駆け出した。

 

一歩、二歩、三歩、ローズマリーは百メートルを超える助走距離を数歩で潰し、加速すると、歩幅を合わせ砂浜へ。

 

そして、ドンッと、地を揺らしローズマリーが島から跳躍した。

 

「…………ッ」

 

ローズマリーが空を舞う。顔を叩く雨風に目を瞑りそうになるも、彼女は必死にそれを抑え、着地点の木材を視認、全身でバランスを取り、体重移動と風を利用し体勢を整えると、島から数百メートル離れた木材に。

 

見事、着地した。

 

それは尋常ならざる身体能力と運動センス、そして極限の集中力を併用してなした、正に神業だった。

 

「………フッ」

 

成功を確信したローズマリーが小さく笑みを浮かべる。そのまま彼女は全身で着地の衝撃を和らげ、次の跳躍に繋げる為、膝を曲げ、木材を蹴る。

 

そして、次の瞬間、ローズマリーが着地した木材が砕け散った。

 

「うぅえ!?」

 

ーーまあ、普通に考えれば分かる事だ。

 

数百メートルの跳躍から着地、更にその跳躍を成す脚力、それを連続で叩き込まれた、ただ木片が砕けないと思うだろうか? ……いや、思わない。

 

というか最初の投擲で海面に叩き付けられた時点で木材は半壊していた。

 

つまり、元から成功の可能性はゼロだったのだ。

 

「………あ」

 

走馬灯のようにスローになるローズマリーの視界。この頃良くなる感覚、それに嫌な予感がビンビンする。

 

すると、やはりと言うべきか、待ってましたと言わんばかりに側面から忍び寄っていた巨大サメが大口開けて突っ込んで来た。

 

ここでようやくローズマリーは正気を取り戻す。

 

だが、時既に遅し。

 

角度、速度、共に完璧。更に着地の衝撃から水没に掛けて最もローズマリーが対応し辛い最高のタイミング。それら全てが合わさった神業的狩猟。

 

これの前に正気の有無など無意味だ。

 

 

「………ま」

 

待って、とでも言おうとしたのか? ローズマリーの口から音が漏れ、それが意味を持つ前に、ローズマリーはサメの口の中に消えて逝った。

 

残念な事に同じ神業でもローズマリーと違い、サメは馬鹿な失敗をしないのである。

 

 

 

 

 

 

深淵の者、西のリフル、その進軍は組織にとって青天の霹靂だった。

 

何故なら組織はルシエラの死を知らない。その為、彼等は未だ三体の深淵が睨み合う構図が成り立っていると思っていたのだ。

 

「馬鹿な、なぜリフルが動く!?」

 

「とにかく伝令を急げ!」

 

「一桁ナンバーを全員召集させろ!」

 

「リフルの現在地はロートクレ!? ここから30kmもないぞ!?」

 

「戦力を集めろ! 訓練生でも構わん!」

 

組織の幹部達が焦ったように指示を出し、下級構成員が慌ただしく走り回る。

 

「…………」

 

「…………」

 

その彼等を無表情のリムトと楽しい気なダーエがそれぞれ眺めていた。

 

「……ダーエ」

 

「はい、なんですかリムト様」

 

「実験的に作り出した龍喰い……今は何体いる?」

 

「全部で四十体ですな、ただ、覚醒者を判別してそれを喰らうのが、その内のたったの五体だけ、残りは条件付けが中途半端でして龍喰い以外の妖気を持つ者を優先的に狙うような状態です」

 

「つまり、戦士、妖魔、覚醒者問わず襲い掛かるということか?」

 

「いえ、妖気を持つ者を優先的に狙うだけで、奴等の獲物には人も動物も含まれます」

 

ダーエの説明にリムトが舌打ちした。

 

「ち、殆どの個体は戦士との共闘は不可能、という事か……」

 

そこで一度リムトは黙る。彼は暫しの間、目を瞑るとダーエの語った言葉を噛み締め、今後のリスクと照らし合わせ、一つの決断をした。

 

「……………分かった。では今すぐ調整を終えた五体を除く全ての龍喰い共を解放しろ」

 

それは龍喰いの解放である。

 

「よろしいので? 下手をすれば各地に広がり人や召集中の戦士を襲う事になりますぞ?」

 

リムトの命令に本当に良いのか? とダーエが問う。

 

それはリムトを止めようとしている発言にも聞こえる。だが、そうではない。その証拠にダーエの口端は鋭く釣り上がっていた。

 

彼は龍喰いを試したくて仕方がなかったのだ。そして、ダーエは知っていたのだ今更何を言おうと、リムトが命令を取り消さない事を。

 

つまり、これは単なる確認に過ぎない、だからこその発言である。

 

「構わん、非常自体だ。組織がなくなっては元も子もない。今はリフルを追い返す事、あるいは手傷を負わせる事だけを考えろ」

 

「くっくっく、それは重畳……それでは解放前の調整がありますので私はこれで」

 

ダーエは愉快そうに笑う。と軽くリムトに一礼し軽い足取りで部屋を出て行った。

 

「……ふん、どこが重畳だ」

 

リムトは小さく吐き捨てると、下級構成員に今本部にいる戦士を集めるように指示を出した。

 

 

 

 

 

「んあ?」

 

それの接近に最初に気付いたのは意外な事にダフだった。

 

「りふる、だふる、なんかへんなようきが、ちかづいてねぇか?」

 

「あら、そうね、これは覚醒者の群れ?………いえ、ちょっとだけ……」

 

違うわね、とリフルが呟いた。

 

彼女は接近する者達の妖気に違和感を覚えた。覚醒者のソレに性質は近いのだが、どこか決定的に異なる、そんは言葉にし辛い違和感。

 

それに何かしら、と首を捻っていると、ダフの肩に乗るダフルがあっ、と声をあげた。

 

「あたし、このようきしってる」

 

「本当? どこで感じたの?」

 

「ねこさん、のあとにたたかったひとと、おんなじようき」

 

「猫さんの後? ………ああ、あいつか」

 

猫さんが、何を指すのか思い出したリフルはすぐにその存在に思い当たった。

 

「あいつって、だれだ?」

 

合点がいった様子のリフルにダフが問い掛ける。

 

「ほら前に話したでしょ、倒せたか分かんないって言ったあの戦士よ」

 

「………むねからしたが、けしとんだ、ってやつか?」

 

「そう、そいつよ。ダフあんたは念の為、覚醒体になりなさい、あり得ないと思うけどこいつらが全員あの戦士と同レベルだったらかなり厄介よ」

 

「わかった」

 

その言葉に答え、ダフは妖気を解放する。強大な妖気が空気を震わせ、ビキビキと音を鳴らしダフの筋肉が膨張していく。白かった肌色が黒く変色、金属のような光沢が走った。

 

「がへ」

 

現れたのは鋼の巨人、それがダフの覚醒体だった。

 

「……きた」

 

ダフが変じたのと、ほぼ同時に複数の人影がリフル達の前にやって来る。

 

「あら、少し見ない間に随分と戦士の格好が変わったわね」

 

それを見たリフルは苦笑し、組織と人影に対する皮肉を飛ばした。

 

人影は衣服を纏わぬ、男女が入り混じった集団だった。全体的に大柄な者が多いが、戦士と似た姿をしている。

 

だが、決定的に違うのはその腹部。半妖改造の折、痛々しいし手術痕を残す筈のそこが実に綺麗なものだった。

 

その痕は覚醒しない限り消えないにも関わらずだ。

 

「ギヒャ、ギャハハ」

 

リフル達を視認し、人影達ーー龍喰いが駆け出した。

 

その動きはかなり疾い。

 

龍喰い達は、その金眼を細め、凄惨な笑みを浮かべる。その口からは待ちきれないと言わんばかりに大量の涎が溢れていた。

 

龍喰い達はリフル達を敵とは思っていない。リフルが人を食料と認識しているように、彼等はリフル達をただの餌と考えているのだ。

 

「なるほど、組織は戦士じゃなく、人型の化物を作り始めたわけか……いや、あの戦士を見るにこいつらはアレの失敗作ってところね」

 

先手必勝、龍喰いが接近しきる前に、リフルは髪の一部を鋼の触手に変化させる。

 

そのまま、彼女は自身に駆け寄る龍喰いの一体にカウンターでそれを突き出した。

 

防御も回避も間に合わない。高速の刺突、それが、ずぶりと音を立てて龍喰いを貫いた。

 

突き刺したのは心臓。普通の戦士ならば致命傷。

 

しかし、龍喰いはそれを気にした様子もない。

 

「ギ…ヒャ」

 

それどころか龍喰いはミチミチと、傷口を広げるながら刺さった触手を撓ませると無理矢理自身の口元に引き寄せ、そしてかぶりついた。

 

ガジガジと噛み砕かれる触手。

 

「ちっ」

 

それにリフルは舌打ちし、別の触手を龍喰いに放つ。振るわれた触手は食べる事に夢中な龍喰いの頭部に直撃、その頭を半分に斬り分けた。

 

「ギ、ガ?」

 

鼻から上を失った龍喰いは何かを求めるように一歩、二歩歩くと、糸が切れた人形のようにバタリと地に倒れ伏した。

 

……死んだのである。

 

だが、リフル達に向かうのは今の一体だけではない。複数の龍喰いがリフル目掛け同時に飛び掛った。

 

「気持ち悪い……あたしの身体を汚さないでよね」

 

その龍喰い達を前に、リフルが髪全てを鋼の帯に変化させる。

 

そして、それを黒髪を龍喰い目掛け乱舞させた。

 

刃の群れと化した多数の触手が飛び掛った龍喰いを細切れにする。

 

スライスされた龍喰い達はその勢いを失いリフル達の手前でボトボトと地に落ちた。

 

しかし、頭を失った個体以外はたった数秒で完璧に身体を再生させ、再び飛び掛って来る。とんでもない再生能力だ。

 

「……面倒ね、ダフ、攻撃は上半身を狙いなさい、こいつら頭を潰さないと再生するわよ」

 

「りょうかい」

 

了承と共にダフはリフルの触手を掻い潜った一体にその拳を叩き込む。圧倒的パワーにより龍喰いの上半身が弾け飛んだ。

 

これはもう再生出来ない。

 

「よし、その調子よ、ダフルは……」

 

撃ち漏らしをお願い。

 

そう、リフルは指示を出そうとした。

 

だが、その前にダフルは動いていた。彼女は母と同じように、その黒髪を全てを帯状の触手に変化させる。ただし、その太さはリフルより細く、数は多い。

 

そして、ダフルはその触手を龍喰い達の突き放った。

 

閃光のように走った多数の触手が正確に龍喰いの頭を消し飛ばす。

 

本当に一瞬の出来事だった。

 

その一瞬で数十いた龍喰いが全滅した。

 

「…………」

 

「…………」

 

リフルとダフが唖然とした顔で自身の娘を見つめる。ダフルはその視線に、どうしたの? というように首を傾げた。

 

龍喰いは弱い敵ではなかった。むしろ並みの覚醒者より強い疾い。圧倒的再生能力も相まってリフルとダフだけでは苦戦したかもしれない程の戦闘力を持っていた。

 

しかし、ダフルの前では有象無象、取るに足らぬ雑魚の群れに過ぎなかったようだ。

 

「おわったよ、いこう、おかーさん、おとーさん」

 

固まる両親に、無邪気な笑顔でいうダフル。それに二人はハッとした。

 

「……そうね、行きましょう」

 

リフルがその声に応え、先へと進み。

 

「すごかったぞ、だふる」

 

ダフが良くやったと、ダフルを褒め、その指でダフルの小さな頭を撫でた。それにくすぐったそうにダフルは目を細める。

 

 

 

結局、龍喰い達がリフル達に与えたダメージはほぼゼロ、稼げた時間も数分に満たない僅かなものに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

組織の広間、そこに複数の戦士が集められていた。

 

そのメンバーは。

 

ナンバー1流麗のヒステリア。

 

ナンバー3鮮血のアガサ。

 

ナンバー10 ラキア。

 

ノーナンバー、訓練生のテレサ。

 

そして、無言で佇む、五体の龍喰いだ。

 

「……集まったか」

 

リムトが戦士達を前に話始めた。

 

「既に分かっていると思うが、現在、深淵の者、西のリフルがこの地に進軍している。お前達はこれの討伐、出来ねば追い返す事を命じる」

 

「質問しても良いかしら?」

 

リムトの言葉に一早く口を開いたのはヒステリアだ。

 

「なんだ?」

 

「……メンバーはこれだけなの?」

 

彼女は難しい顔でリムトに問い掛ける。それに対するリムトの返答は。

 

「そうだ」

 

の、一言だった。

 

「…………」

 

これにヒステリアが黙る。それからしばらく部屋に沈黙が訪れた。

 

「……質問はそれだけか?」

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

その言葉を受けて、アガサが慌てたように声をあげた。

 

「なんだ、アガサ」

 

「め、メンバーは本当にこれだけなの!? ならいくら何でも無茶です、相手は深淵、しかも他に二つも大きな妖気を感じるんですよ!?」

 

「問題ない、お前は知らなかっただろうが、そこの五人は全員が一桁ナンバー相当の実力を持っている………ローズマリーの出来損ないと言えば意味が分かるか?」

 

そのリムトの説明に。

 

「ッ! そういう事……通りで」

 

「…げぇ!?」

 

「…………」

 

「…………」

 

ヒステリアが息を飲みそして納得、アガサが引き攣った顔で呻き固まる。テレサとラキアは無言、一人は理由が分からず、もう一人は敢えてなにも言わなかった。

 

「それと、ナンバー10のラキアも故あってこのナンバーであるだけで本来は一桁上位でもおかしくない実力者、そして、そこの訓練生のテレサはローズマリーやヒステリアに匹敵する力を持つと言われている」

 

「………ローズマリーとヒステリアに匹敵ィ?」

 

リムトの言葉にアガサが再起動。

 

何言ってんだコイツという目でリムトを見た後、視線をテレサに向けた。その視線にテレサが笑みを返す。

 

それにアガサが顔を顰めた。

 

「……いや、あり得ませんから、こんな訓練生がナンバー1クラスの力を持つわけないでしょう!?」

 

「……なんであなたにそんな事が分かるの?」

 

あり得ないと断じたアガサにテレサが抗議する。

 

「シャラップ! 実践経験もないガキンチョは口を挟まないで、今、私は長と話してるの!」

 

「……むぅ」

 

自身の言葉を聞かないアガサをテレサが睨んだ。だが、そのテレサの視線をアガサは無視、彼女はただただリムトに無理だ無茶だと喚いていた。

 

 

 

アガサの人生の中でも割と大きな死亡フラグを踏んだ瞬間である。

 

 

 

 

 

「さて、じゃあ、誰が誰と戦うか決めましょうか」

 

そう、ヒステリアが言った。

 

「はい! 私は深淵以外が良いです!」

 

ヒステリアの言葉にアガサが即座に反応、リフル以外の希望届けを提出。

 

「とりあえず保留ね、テレサは誰と誰が戦った方が良いと思う?」

 

ヒステリアはその届け出を素気無く横に置き、先ずはテレサに問い掛けた。

 

「聞いといて酷い! てか、なんで最初がソイツなの!?」

 

自分の希望をあっさり流したヒステリアにアガサが抗議を入れ、そして、いの一番にテレサの意見を求めた彼女に疑問を浮かべた。

 

普通、ここはヒステリアが意見を言ってから他の意見を聞くべきなのでは? と。

 

「なんでって……このメンバーで一番強いからよ」

 

そんなアガサに、嫌そうな顔で、だが、ヒステリアはしっかりとテレサの強さが自分以上と断言した。

 

「……はい? 一番強い?」

 

だが、はっきり言われた言葉の意味がアガサには分からなかった。

 

そして、アガサは、一番強い…一番強い…一番強い……と、ヒステリアが言った言葉を下を向いて繰り返し呟く。

 

それからおよそ十数秒、アガサはゆっくり顔をあげると、その顔に絶望を滲ませラキアの方を見て言った。

 

 

 

「ラキア、どうしよう恐怖か何かでヒステリアが壊れちゃった!」

 

「深淵の前にあなたから斬り刻むわよ」

 

青筋を浮かべ、大剣の柄を握るヒステリア。

 

「ちょ、嘘です嘘です、ごめんなさい! 場を和ませるちょっとしたジョークです」

 

そんな、今にも斬り掛からんとするヒステリアを見て慌てアガサが謝った。

 

「…………まあ、良いわ。それでテレサはどう思う?」

 

はぁ、と深い溜息を吐くと、改めてヒステリアはテレサに意見を求めた。

 

「……そうだね」

 

それにテレサは珍しく難しい顔を浮かべ、しばらく考え悩む……自分にそれが可能か不可能かを。

 

「……………」

 

そして、考え抜いた末、彼女は自分の意見を口にした。

 

「……深淵をヒステリアさんとラキアさん、一番弱そうなのをアガサ……そこの五人は指示が効くか分からないから保留、そして私は………残り一人の相手をする。これが良いと思う」

 

テレサのメンバー決定にヒステリアが意外そうな顔をした。

 

「へぇ、てっきり自分が深淵をやるって言うかと思ったわ、それはつまり、あなたが速攻で一体を倒して、その後、他の救援に向かう……という事かしら?」

 

「………うん、そうだよ」

 

ヒステリアの言葉に、やはりどこか歯切れが悪い風に答える。

 

「ん?」

 

そんな割と物事をはっきり言うテレサらしからぬ態度にヒステリアが首を捻る。

 

 

 

結局、ヒステリアがテレサの態度に納得したのはリフル達が襲来してからの事だった。

 

 

 

 

 




龍喰いさんは犠牲となったのだ、ダフルのチート具合、それを読者様に伝える、その為の犠牲にな


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話

書き溜めしたい……でも投稿しちゃう!


南の地、その最南端の浜に一つの死体がーーいや、一人の人間が打ち上げられた。

 

「…………」

 

生気を失った真っ白な顔、濁った銀瞳、肘から先の消えた右腕に、腹から下を食い千切られた下半身。それは完全に死体にしか見えない女性だった。

 

その女性は。

 

……まぁ、言うまでもないだろうがローズマリーだ。

 

彼女はここ最近、虚ろになりっぱなしの目で高く青い空を見上げると。

 

一言こう吐き捨てた。

 

「二度と来るか、こんな場所」

 

なんで? とは言うまでもないだろう、疑問に思っても聞くのは止めておいて欲しい。

 

「………はぁ」

 

ローズマリーは溜息を吐き、一度目を瞑りすぐに開く。するとその時には濁った銀眼は鮮やかな金眼へと変化していた。

 

そして、彼女の変化はそれだけではない。

 

するりと、若木が伸びるように失われていた手足が伸びていく、それは異常な光景であり、だからこそ不思議と目が離せない光景でもあった。

 

「…………」

 

それから十数秒後、そこには欠損が完全に消え、美しく均整の取れた身体を取り戻したローズマリーが寝転んでいた。

 

「…………」

 

彼女はなんとなく、たった今、再生させた右手を太陽にかざして見る。クレイモア特有の病的に白い肌が光で透け、その裏に真っ赤な血潮が流れているのが分かった。

 

「……ああ、ほんと、バケモノじみてきたなぁ」

 

心底嫌そうな顔でローズマリーが言う。

 

どんどん人間から離れていく感覚。それを自覚する故に、酷く不快に感じるのだ。

 

先程負った重症、その傷口から殆ど痛みを感じなかった。失った手足の付け根から感じた痛みはまるで、皮膚を爪で引っ掻いたような、薄く痒みに近い痛みだったのだ。

 

「…………」

 

もしかしたら、もうローズマリーにとって半身を砕かれるのは、なんて事ない軽傷に含まれるようになってしまったのかも知れない。

 

それはクレイモアや覚醒者から考えても明らかに異常であり、とても……とても怖い事のように思えた。

 

「ふふ、便利な身体だよ、まったく」

 

自分に抱いた恐怖を紛らわせるように、ローズマリーが自嘲に満ちた苦笑いを浮かべた。

 

「………ふぅ」

 

だが、その苦笑は1分と持たず霧散する。

 

思い出したのだ、今すべき事を。

 

そう、今はやる事がある。組織に伝えなければならない重要な事があるのだ。

 

「……さて、急いで組織に戻らないと」

 

そう言ってローズマリーは立ち上がる。そして軽くボディチェック。やはり身体に不調はない。妖力解放による反動すらない。万全といっていい状態だ。

 

これにまた鬱な気分になりそうになるが、それを無理やり抑え、ローズマリーは足を踏み出した。

 

だが、踏み出した自分の足を見て、ふと気がついた。

 

「……あ」

 

自分がまだ裸だった事に。

 

瞬間、ローズマリーの頬が真っ赤に染まる。

 

彼女は赤面を自覚すると、サッと周囲に人影がないか確認、コソコソと見晴らしの良い海岸から遮蔽物の多い森の中へと入って行った。

 

「……痛みだけじゃなく、羞恥心も鈍感すれば良いのに」

 

ーーそんな不便な身体に毒づきながら。

 

 

 

「……ん?」

 

森の中を歩いていると、ローズマリーは自分に近付く一つの妖気を感知した。

 

「これは……覚醒者か」

 

妖気の強さから相手は一桁下位か、二桁上位ナンバーを持っていた覚醒者と思われる。覚醒者の中でもそこそこ強い方だろう。

 

だが、所詮は程度、ローズマリーの敵ではない。

 

シルヴィ、アデライド、ルシエラ、リフル、謎の少女、SAME……それらの強敵と比べれば何てことない相手だ。

 

故に、格好考えると少し恥ずかしいが、ローズマリーはその覚醒者を迎え撃つ事にした。

 

 

ーー数分後。

 

 

現れたのは痩身の、山賊のような身なりの男だった。その額には部分覚醒でもしているのか、不気味な形の角が生えていた。

 

「…………」

 

男の覚醒者だったのは予想外、しかも、現れるなり、男は無言でじっとりとローズマリーを観察して来た。

 

それにローズマリーは強い羞恥心と不快感を抱き、身体を隠したくなる。

 

しかし、そんな事をしては隙を晒す、もう戦闘は始まっているのだ。

 

「……ッ」

 

かなり恥ずかしが、ローズマリーは右足を後ろに引き、拳を構えた。手の位置が若干下な理由はそういう構えだからだ、決して秘部を隠しているわけではない。

 

………多分。

 

「こ、こんにちは」

 

とりあえずローズマリーは挨拶をする。挨拶はコミュニケーションの基本だ。例え数分後に居なくなる相手だとしても、欠かせない。

 

特に覚醒者を蔑まないと決めているローズマリーなら尚更だ。

 

「…………」

 

しかし、その相手の男は無言。彼は言葉を発する事なく、未だにローズマリーを上から下まで観察している。

 

非常に居心地が悪い。

 

「あ、あのなにか返答してくれませんか?」

 

「……ああ、すまない」

 

観察を終えたらしい男が、意外な程の落ち着いた声で言うと、おもむろにその上着とシャツを脱ぎ始めた。

 

「……何やってるんですか?」

 

「服を脱いでいる」

 

いや、それは見れば分かるよ、とローズマリーは思った。

 

「覚醒体になると破けるからな」

 

「ああ、なるほど、そういう事ですか……しかし、一応敵を前にそれは命取りなんじゃないですか?」

 

「そうだな、だが、問題ない。こいつが死のうと私は構わないからな」

 

「……? 意味が分からないんですが」

 

「すぐに分かるさ」

 

そう言って首を傾げるローズマリーに、男は脱ぎ終わった上着とシャツを投げて来た。

 

「えっと、なんで私に投げるんです?」

 

「着ろ、汚いが裸よりはマシになる筈だ」

 

「あ、はい……ありがとう、ございます」

 

やけに紳士的な男にローズマリーは困惑する。しかも、こう親切にされると倒し辛い。

 

しかし、裸が嫌だったローズマリーは若干躊躇するも、男の好意をありがたく受け取りその服を着始めた。

 

着替え中もローズマリーは男を警戒し続ける。

 

だが、男は腕を組んで目を瞑ったままピクリとも動かない。最初の観察するような視線以外は本当に紳士的な覚醒者だった。

 

「…………」

 

服を着終わったローズマリーは軽く自分の身体を見る。

 

男のシャツは丈が長く、ローズマリーが着るとちょうど短いワンピースのようになり、この上に上着を羽織ると、意外と悪くない服装になった。

 

「………はぁ」

 

やや薄汚れて汗臭いが、久しぶりの服にローズマリーは少し感動し、自然と頬が緩む。

 

そんなローズマリーに男が声を掛ける。

 

「着終わったな」

 

「ハッ……はい、お待たせしました」

 

「そうか、では始めるぞ」

 

言うや否や、ビキビキと音を立てて男が覚醒体になって行く。

 

その際の男は隙だらけだった。普通はこの隙を逃さないのだが、 服を貰った恩にローズマリーあえて男が覚醒体になるのを待つ。

 

その間、ローズマリーは変身中の男に質問をした。

 

「あ、戦う前に……私はローズマリーと申します、あなたのお名前を教えていただけませんか?」

 

「……名前、名前か、そう言えば私はこいつの名を知らなかったな」

 

「…………ええと、記憶喪失ですか?」

 

「いや……そうだな、記憶喪失だ。残念だがこいつの名は名乗れない、まあ、気にするなどうせどうでも良い存在だ」

 

「……え、はい…?」

 

自虐か? そうローズマリーは思った。

 

だが、それはさて置き、ローズマリーは集中力を高める。男が覚醒体になり終わったからだ。

 

その姿は直立した鰐に似ている。爬虫類のように硬そうな鱗に、細い瞳孔の金眼、その牙は鋭く、どんな硬いものも食い千切りそうだ。

 

頭には人間体の頃からあった角が生えており、それは先程より巨大化し、それに加え目と口が新たに生まれていた。

 

「ギニャギニャ」

 

角に生まれた口、そこからそんな声が聞こえて来る。それにローズマリーは既視感を感じた。

 

「(この声、どこかで最近聞いたような)」

 

「行くぞ」

 

だが、その答えに思い当たる前に男がローズマリーに踏み込んだ。それ故、ローズマリーは考え事を止め、男を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

組織本部からほど近い、草一本生えない岩石地帯、そこで、堕ちようとする夕日に照らされ複数の影が浮かび上がった。

 

それは、ヒステリア、アガサ、ラキア、テレサ、龍食い達のものである。組織防衛の為、西から来るリフル達を迎え撃ちに出発した彼女達はただ、強大な三つの妖気ーーリフル達の元へと足を進めていた。

 

リフル達もまたテレサ達を知覚、引き寄せられるように足を早める。

 

そして、両者は出会った。

 

 

「…….来た」

 

そう、テレサが呟き。

 

「あなた達がね」

 

と、リフルが返す。

 

両者は二十歩程の距離を置いて向かい合っている。この場にいる実力者からすればそれは手が届きそうに感じる程の至近距離。

 

互いから滲み出る戦意と妖気が名状しがたい独特の雰囲気を作っていた。

 

『…………』

 

テレサと龍喰いを除く戦士達が緊張を高めた。

 

緊張の理由、それは鋼の巨人にある。

 

造形としては有り触れた人型だが、そいつは彼女達が今まで出会った覚醒者の中でも五指に入る程、高い妖気を放っていっていた。

 

そして、その鋼の巨人がこの場の覚醒者で最も弱い妖気の持ち主(・・・・・・・・・・)なのだ。

 

リフルと、リフルに似た少女は巨人よりずっと大きな妖気を持っている、これは緊張もしよう。

 

「随分と少ないのね」

 

ダフの左肩に腰掛けながら、リフルが拍子抜けしたように言った。最初に来た数十の龍喰いから組織にはもっと戦力が有るかと思っていたのだ。

 

そんなリフルに。

 

「ふん、あなた達を狩るのなんて、この人数で充分だからね」

 

と、ヒステリアが強がった。

 

リフルがヒステリアを見つめる、ヒステリアは視線を逸らさずリフルを睨む。そうやって互いの力量を測っていく。

 

そして、分かった事は。

 

「(……へぇ、結構強いわね、ダフじゃ危ないかも)」

 

「(……くそ、こいつ、やはりシルヴィ以上か)」

 

というものだった。

 

これはヒステリアを褒めるべきだろう、なにせ深淵に結構強いと思われる程に実力があるのだから。

 

そのままリフルとヒステリアは睨み合いを続ける。

 

そんな無言の測り合いがつまらなかったのか。

 

「おかーさん、もうやろうよ」

 

ダフの右肩は座っていたダフルが退屈そうな声をあげた。

 

おかーさんという戦場に似つかわしくない言葉に戦士達の視線がダフルに向かう。しかし、そんな視線を気にせず、ダフルは肩から飛び降りると、ゆっくりと戦士達に歩き出した。

 

「……もう、少しはこういうのも楽しめないと損よ」

 

そんな子供っぽいダフルに苦笑し、リフルも肩を降りるとダフルの後に続いた。

 

『………ッ』

 

ただ歩く。それだけで、戦士達に緊張が走り、その身体が知らず知らずの内に下がる。強大な二体の覚醒者の歩み、 それはとてつもないプレッシャーを相対者に与えるのだ。

 

「………ふん」

 

そんな及び腰になった戦士達の中、自分を奮い立たせ、ヒステリアが一歩前に出ようとした。

 

しかし、それをテレサが手で止める。

 

「テレサ?」

 

ヒステリアからあがる疑問の声、それに答えず、テレサは彼女の前に出た。

 

初めからテレサはこうするつもりだった、何故ならリフル達が組織に向かっている時点で彼女は分かっていたのだ。

 

そう、テレサだけが正確に分かっていたのだ。

 

リフル達が………いや、リフル似た少女が、どれ程脅威なのかを。

 

「…………」

 

「…………」

 

そして、戦士の先頭と覚醒者の先頭、すなわちテレサとダフルの視線が交差する。

 

その瞬間、ダフルもまた理解した。

 

「……へぇ」

 

ーーコイツは強いと。

 

「……くす」

 

テレサの実力を感じ取ったダフルがオモチャを見つけた子供のように、パッと花のような可憐な笑みを咲かせた。

 

次の瞬間、ダフルの妖気が爆発的に上昇。それに伴い、身長が伸びる。白くきめ細やかだった肌が、漆黒の金属のようになり、黒く艶やかだった黒髪が、その色を残しながらも数十房に束ねられ帯のように変化し、硬化する。

 

 

 

それこそが、ダフルの覚醒体、現在この地で深淵を含め、ぶっちぎりで最強の覚醒者、その戦闘形態である。

 

『……ッ!?』

 

ダフルが覚醒体となった瞬間、彼女から放たれた妖気が大瀑布となって全ての者に押し寄せる。

 

それは未だ誰も感じた事もない、想像絶する強大さ。リフルが可愛く見えるあり得ない程の巨大な妖気だった。

 

この妖気に晒されたヒステリアが冷や汗を浮かべ青褪める。

 

アガサ、ラキアに至ってはあまりの恐怖に尻餅をつき、アンモニア臭のする液体でその股を濡らしてしまう。

 

自我が無い筈の龍喰いすら、彼女を恐れるように後退した。

 

 

「ふふ、あらあら、足腰弱いのね」

 

そんな滑稽な戦士達を見て、リフルがさも愉快なものを見たように嘲り、そして彼女はすぐに首を傾げた。

 

その理由はテレサである。彼女は他の戦士達と違い、緊張した面持ちながらも、恐れは抱いていないように見えた。

 

それがリフルには不思議でならなかったのだ。

 

「あら、あなたは反応が薄いのね、もしかして恐ろし過ぎて逆に反応出来ないのかしら?」

 

リフルが笑顔で挑発するような質問する。

 

「…………」

 

だが、リフルの問い掛けにテレサは無言、彼女はただ一点、ダフルの動向だけに意識を集中している。

 

「……あら、無視?」

 

それが少し気に食わない。リフルは身の程を思い知らせてやろうと、一歩前へ出ようとした。

 

「ダフル?」

 

しかし、その動きをダフルが右手を横に突き出すことで制する。

 

それからダフルは一言、自身の母にこう言った。

 

「おかーさん、あぶないよ」

 

それは母の身を案じるダフルの警告。

 

「え、危ない?」

 

だが、愛娘からの注意の意味がリフルは分からなかった。

 

まあ、それはほんの数秒の事だが。

 

ーー何故ならすぐにテレサの実力を嫌という程知ったからだ。

 

瞬間、大気が揺れる。

 

グッと全身に力を入れ、テレサが妖気を解放する。彼女の瞳が鮮やかな黄金に染まり、その顔付きが僅かに変わる。

 

外見的な変化はたった、それだけ。

 

だが、それが齎した効果は劇的だった。

 

堰を切ったように、膨大な妖気がテレサから溢れ出す。その場を満たしていたダフルの妖気がテレサのソレによって一気に押し戻された。

 

しかも、テレサの妖気はそこで尽きる事はない。減ったようにすら思えない。

 

汲めども尽きぬ絶大な妖力は、減るどころか、むしろ引き出す度にその総量が増しているように錯覚する。

 

『……ッ?!』

 

そのテレサの妖気を前に、恐怖を抱いたのはリフル達だった。

 

なにせ、テレサの妖気は空前絶後とすら思われた、ダフルの妖気にすら匹敵しているのだから。

 

「…………」

 

「…………」

 

テレサとダフルの中間点、そこで激しく妖気と妖気が鬩ぎ合う。拮抗する両者の妖気が空間を軋ませるようだった。

 

その場の全員が唖然した様子でテレサとダフルを見比べる。

 

最も驚愕したのはダフルの力を一番知るリフルだった。

 

「(う、うそでしょ…? 信じられない、顔付きが少し変わる程度の妖力解放で家の子に匹敵するなんて)」

 

リフルはまだダフルが本気ではない事を知っている、おそらく全力を出せば今の倍程に妖気が膨れ上がる筈だ。

 

しかし、それはテレサも同じだった。

 

いや、それどころか顔付きまでしか変化がないところを見るにテレサの解放率は多く見積もっても40%以下、覚醒しない程度に抑えても、まだここから倍以上、下手すれば三倍近くに妖気が跳ね上がる計算だ。

 

そう、つまりテレサの妖気はダフルを凌駕している、それはもう完璧に。

 

「(あ、悪夢だわ、こんな奴がこの世に存在していたなんて)」

 

テレサの強大さに、リフルの顔が引き攣る。

 

だが、確実に自分より上の妖気を持つテレサを前にしてもダフルには余裕がある、いや、むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見えた。

 

それを見て、リフルは冷静さを取り戻す。

 

「(……落ち着け、大丈夫、家の子は負けない!)」

 

そうだ、例え妖気はテレサが上だとしても、まだ、ダフルの方が有利なのだから。

 

その差は戦士と覚醒者の違いにある。

 

戦士は覚醒者と違い長時間、妖気を解放する事が出来ない。いや、正確には高い解放率を長時間維持できない。

 

長時間、高い解放率を維持すると心身に多大な負荷が掛かってしまう、そして、その負荷に負けてしまうと戦士は限界を超え覚醒者となってしまうのだ。

 

それに対し、覚醒者はそんなリスクは存在しない。既に覚醒している存在に覚醒に伴う恐怖などあり得ないし、なにより覚醒者は戦士よりも、妖気に適応している。

 

覚醒体への変化も適応のひとつだ。自身の妖気をより使い易く、より強い力を引き出す為に最適化した身体こそが覚醒体だ。

 

だから、例え同等の妖気を持とうと身体能力の上昇値でテレサがダフルを超える可能性は少ない、ダフル以上の妖気で一時的に上回る事は可能だろうが、それも短時間の事、ダフルの優位は動かない、最悪でも互角に持っていける筈。

 

ならば自分がやるべき事は一つ。

 

それ即ち、他を蹴散らし早急にダフルの援護に向かう事。

 

「(速攻で終わらせましょう)」

 

リフルはテレサの次に強いと思われるヒステリアに狙いを定めると、妖気を解放した。

 

リフルの輪郭が解け、多数の黒い帯のような触手と化す、それが蠢き、絡み合うと再び人型の上半身を形作る。

 

そして、人型の腰から下は残った帯状の触手が荒籠のように編み込まれる。

 

それがリフルの覚醒体だ。

 

「………ッ」

 

ヒステリアが息を呑んだ。

 

ビリビリと感じるリフルの妖気。ダフルには劣るが彼女は深淵、最強の覚醒者の称号を持つ者の一体、その妖気は桁違いだ。

 

「ヒステリアさん」

 

そんな、ヒステリアが恐れを抱きそうになった時、テレサがふと声をあげた。

 

「話し合った通り、あの子は私が倒す、だからそれまで深淵の足止めをお願い……出来るよね、ナンバー1なんだから」

 

挑発的にふてぶてしい微笑を浮かべ言うテレサ。それに一瞬、ヒステリアは唖然とし、すぐに勝気な笑みをテレサに返した。

 

「………ふ、ふふ、そうね、でも、足止めするのは構わないけど……別にアレを倒してしまっても構わないんでしょう?」

 

「ええ〜無理だと思うよそれ」

 

「ふん、私を誰だと思ってるの、それより貴女こそ死んじゃダメよ、アガサ、ラキア起きなさい!!」

 

 

ヒステリアの大声にアガサとラキアが驚き、反射的に立ち上がった。

 

「よし、アガサとラキアはあの男の足止めよろしく」

 

「………はい」

 

「ちょ、ちょっと!? あれ相手に二人とか無理なんですけどッ!?」

 

「つべこべ言うな、そっちにラキアをつけてあげたんだから死ぬ気でやりなさい! それが嫌なら私のと変わる?」

 

そう言ってヒステリアはリフルを大剣で示した。

 

それにアガサが顔を引き攣らせると。

 

「いえ、あの男を足止めさせていただきますッ!!」

 

と、敬礼して言った。平常運転である。

 

「ふん、あんたらしい答えね……行くわよ!」

 

その言葉と共に、戦士達が抜剣。

 

そして、ここに激戦の幕が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 




アガサちゃん白目編、開幕!(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話

今回は無双回!!(白目)


「行くよ」

 

テレサがそうダフルに言う。

 

そして、その言葉が空気を伝わり、ダフルに届く……その前にテレサはダフルの間合いに入り込んでいた。

 

「……っ!」

 

遅れてテレサが蹴った大地から炸裂音が鳴り響く。音を置き去りにする神速の踏み込みだ。

 

そのままテレサは突撃からの刺突をダフルに放つ。それはリフルにすら知覚困難な超速度の攻撃。

 

しかし、これにダフルは反応する。

 

ダフルは刺突の狙いーー心臓を守る為、両手で突きを防御、クロスしたダフルの腕と大剣の鋒が激突、重く鋭い金属音が衝撃波と共に大気を揺らした。

 

「むぅ」

 

ダフルの足が地を離れる。接触の瞬間悟ったのだ。このまま踏ん張っては防御ごと貫かれると。だからダフルはあえて踏ん張らず、テレサの攻撃に押される事を選択した。

 

凄まじい勢いで押されたダフル、彼女は一瞬にして数百メートル以上の距離を弾き飛ばされた。そして、それを追ってテレサが神速でこの場を去る。

 

ここまで、ほんの一秒足らずの出来事だった。

 

「「ダフル(だふる)!」」

 

二人の攻防を遅れて知覚したリフルとダフが、娘を心配して同時に叫んだ。

 

そんな親の片割れーーリフルの顔面に。

 

「……フッ!」

 

ヒステリアが大剣を走らせた。

 

リフルがダフルに意識を向けたと同時に、動いたヒステリア。彼女は瞬間的に70%近くまで妖力解放して跳躍、高い解放率で跳ね上がった速力が、彼女の身体を一瞬でリフルの元へと運んだのだ。

 

「なっ」

 

予想より遥かに疾いヒステリアの動きにリフルが僅かに動揺する。

 

この状況、並みの覚醒者なら一巻の終わり。だが、リフルは深淵だ。そんじょそこらの覚醒者と同じと考えてはならない。なんとリフルは動揺しながらもその斬撃を回避。

 

それどころかカウンターをまで放って来た。

 

複数の触手が前後と真下からヒステリアを突き殺そうと迫ってくる。

 

「ちっ」

 

これにヒステリアが舌打ち。

 

リフルに悟らせぬよう、彼女の身体を駆けず跳躍でここまで来たヒステリアは、今、空中に居る。当然そこに足場はない。その為、普通の方法ではこの攻撃を回避出来ない。

 

故にヒステリアは普通でない方法で回避する。

 

ヒステリアは真下から来た触手の一本に狙いを定めると、剣の腹で押すように弾いた。それにより触手の軌道が変わる。変わった触手が背後から来た触手に激突、双方の攻撃が止まった。

 

その間、ヒステリアは触手を押した反動で倒立回転し、前方からの攻撃を飛び越えた。

 

「ちっ」

 

ヒステリアを仕留め損なったリフルが舌打ち、追撃を彼女に放つ。それを空中で振り向くように放った大剣が斬り飛ばす。再び瞬間的に妖力を解放し、斬撃の威力を高めたのだ。

 

妖気力解放中のヒステリアならば硬いリフルの触手をも斬り裂ける、速度に隠れ勝ちだが、ヒステリアの攻撃力は決して低くはないのだ。

 

リフルの攻撃を凌いだヒステリアが着地。そんな彼女に再び触手が襲い掛かる。

 

だが、既にヒステリアの足は地に着いている。ヒステリアは『流麗』でリフルに残像を見せ、その攻撃をあっさり回避した。

 

「ちっ、ちょこまかと」

 

「フッ、付き合ってもらうわ、深淵さん……あちらの戦いが終わるまでね」

 

苛立つリフルにヒステリアは不敵な笑みを浮かべると、大剣を正眼に構え彼女を挑発した。

 

 

時を同じくて、リフルとヒステリアのすぐ近くでダフとアガサ達の戦いも始まっていた。

 

「がはぁあ」

 

口を開いたダフ。その口内から太い鉄柱のようなモノが射出された。

 

それは再生能力を応用し、硬い外皮を棒状に固めたモノ、その強度は鋼鉄に匹敵する。当然、その威力はかなりのもので、当たれば五体が砕かれるだろう。

 

ーーもっとも、当たればの話だが。

 

「…………」

 

真剣な顔付で射出された鉄柱をアガサが避ける。そして、アガサは意外な程に良い動きで………いや、ナンバー相応の素晴らしい動きでダフに突進、すれ違いざま大剣をダフの足に叩き込んだ。

 

「くぅ…」

 

だが、斬れない。アガサの斬撃はダフの足に一筋の薄い線を残す事しか出来なかった。

 

「てめーらの、ちからじゃ、おれはきれねーよ」

 

そう言ってダフが背後を振り返る。

 

そこにはラキアが刺突の体制のまま固まっていた。ラキアも死角からアガサと同時に強襲していた。だが、やはりと言うべきか? 彼女の攻撃も僅かに外皮を傷付けるだけで、彼に血の一滴も流させる事が出来なかった。

 

「ふん」

 

ダフが裏拳をラキアに放つ、それをラキアはバックステップで回避、だが、拳が通過する直前、ダフはデコピンのように中指を弾いた。

 

大人の頭程もある指先がラキアの顔面に直撃、その顔を陥没させ弾き飛ばす。

 

「ご、ぎゃ…!」

 

悲痛な呻きを漏らし、ラキアが赤い線を空に引いて空を舞う。そんな彼女の腹部を細い鉄柱が貫いた。

 

「まず、ひとり」

 

ダフが掌をラキアに向けながら呟いた。

 

「ラキア!」

 

アガサがラキアの身を案じ叫ぶ。

 

「ギヒャアア!!」

 

そのアガサの声を掻き消すように五体の龍喰いが雄叫びを上げダフに飛び掛った。

 

「おっと」

 

それにダフはドンッと地を蹴り後ろに下がる。そして相対的に遅くなった龍喰いの一体をその右手で捕まえ、握り締めた。

 

「ギ、キャガ、ガ」

 

潰されまいと龍喰いが両手を突っ張りダフの握力に抗う。しかし、それは無意味だ。ダフは口からしたの同じように龍喰いを握る掌から細い鉄柱を射出、動けない龍喰いの頭を打ち砕いた。

 

「てめーらは、ちからはつよいけどよぉ」

 

更にダフは背後に下がり続けながら、左手の指先から細く多数の鉄柱を射出する。それを龍喰い達は高くて跳躍して回避。

 

いや、正確には回避させられた(・・・・・・・・・)

 

「うごきが、わかりやすいんだよなぁ」

 

ダフは腕から自身の身長に迫る、巨大な鉄柱を生成すると、それは握り棍棒のように空中にいる龍喰い達に振り抜いた。

 

「ギ、ギャ」

 

横薙ぎに振るわれた巨大な鉄柱が龍喰い四体を纏めて砕く。この一撃に二体が即死、二体が下半身を砕かれる地に落ちた。

 

「うらぁあ!」

 

そして、ダフは地に落ち再生に入った龍喰い二体に棍棒を叩き付け、駄目押しにその足裏で踏み砕く。

 

それは全く容赦のない追撃だった。

 

「……もっと、かずがいりゃ、やっかいだけどよ、このかずならたいしたことねぇな」

 

龍喰い達が再生しない事を確認すると、ダフは最後に残ったアガサを睨み付ける。その視線にアガサが顔を真っ白に染め、歯をガチガチと震わせた。

 

「さて、はやく、こいつ、ころして、えんごにいかねぇと」

 

「ちょ、つ、強過ぎ、ない?」

 

アガサが泣き言を呟いた。その声は恐怖と緊張で震えている。

 

それも仕方あるまい、攻撃は効かず、味方はあっさり全滅してしまったのだから。

 

覚醒者ダフ、その実力はダフルや深淵を除く覚醒者の中で最高に近い。本気の本気で集中した彼を止められる者は戦士、覚醒者を含めても両手の指で足りる。

 

そのダフがアザサ目掛けて棍棒を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(……おかしい)」

 

ローズマリーは男の覚醒者と戦いながら内心で首を傾げた。

 

戦い始めてから数分、男の右腕は二の腕からへし折れ、胴体には戦鎚でも撃ち込まれたように陥没し、片目は完全に潰れている。

 

それに対しローズマリーは無傷、戦況は完全にローズマリーの優勢だった。

 

しかし、何かがおかしい。

 

「…………」

 

殺意も、気迫なく、淡々と、決まった作業をするように男がローズマリーに接近し、その左腕を振るう。男の指先についた鋭い爪がローズマリーに迫った。

 

だが、ローズマリーは男の手の振りよりも速く、彼の懐深く潜り込むと、その胴体に拳を突き出した。

 

その細腕からは考えられぬ、ローズマリーの剛腕が男の腹部に直撃、怪音を鳴らし硬い鱗を粉砕、腹を大きく陥没させ、その巨体を十数メートル殴り飛ばした。

 

「…………」

 

しかし、そんな強力な拳打を受けながらも、男は倒れない。攻撃により浮いた二本の足を地に打ち付け、地面に線を引いて身体を停止させると、間を置かず再びローズマリーに襲い掛かった。

 

その動きはダメージで鈍っているが、彼の表情には痛みも、格上と戦っている緊張感も、そして、このままでは死ぬという恐怖もない。

 

何もない感じていない、そんな顔だった。

 

「(……なんなんだ、この人っ)」

 

そんな男にローズマリーは恐怖する。戦闘力は予想通り大した事はないせいぜい一桁下位の覚醒者レベル。外皮が非常に硬い以外は目立った特徴のない相手だ。

 

だが、男は決定的になにかが壊れていた。そして、何がヤバイか分からないがとにかく得体の知れない危機感を感じる。

 

その為、ローズマリーは決着を早める事にした。

 

男が右足を軸に一回転、長く太い尻尾をローズマリーに振るう。それをローズマリーは地に身体を擦り付けるくらい体勢を低くして回避、そのままの接近し、男の右足にローキックを叩き込む。

 

一撃、二撃、三撃、瞬く間に三回の蹴撃を繰り出したローズマリー。強力な連続蹴りを同じ箇所に打ち込まれ、男の足がその肉ごと真っ二つにへし折れる。

 

そして、折れたのは軸足だ、体重を支えていた足を粉砕され、男が膝をつくように倒れ込む。その倒れて来た男の顎をローズマリーが蹴り上げた。

 

轟音と共に身体ごと男の頭が跳ね上がり、それにより男が棒立ちになる。

 

次の瞬間、その腹に飛び蹴りが直撃、斜め上に男が蹴り飛ばされた。

 

放物線を描き、背中から地面に落ちる男、しかし、その着地点にローズマリーが先回り、落ちてきた男の後頭部に、右足を振り上げた。

 

ーー直後、轟音が木々を揺らす。

 

落下する全体重とローズマリーの蹴りの威力をまとめて喰らった後頭部が彼女の足型に陥没、その威力に押され、男は高速で頷いた。

 

行ってはならない角度まで首が曲がり、それにより鰐型の長い口が、自身の胸に激突、頭がバウンドし、ローズマリー目掛け後頭部が返ってくる。

 

そこにローズマリーが止めの一撃を放った。

 

ローズマリー渾身の蹴り、それが陥没していた後頭部に再度激突、直後、硬いもの同士が高速で衝突した音に続き、バチャンっと水面を叩いたような音が響く。

 

そして、男の頭は敢え無く爆散、ローズマリーの視界を赤一色に染め上げた。

 

 

 

 

 

黒い帯が優雅な動きで空を舞う。

 

黒帯は水面を泳ぐ蛇の如く、緩やかな速度でうねりながら進むと、急にうねりを止め、ピンと伸び、一本の黒槍と化した。

 

「つぅ……」

 

タイミングを外し放たれた黒槍、それをヒステリアが首を逸らして躱す。だが、彼女の頬には一本の赤い線が引かれている。

 

回避しきれなかったのだ。

 

「見事な動きだけど、そろそろ目が慣れて来たわ」

 

そう、冷静な声で、触手を放ったリフルが言う。

 

序盤は、急がねばと焦るリフルを挑発と『流麗』で更に乱し、深淵相手にヒステリアは互角の戦いを演じていた。

 

だが、中盤以降からは焦っては余計に時間を食うと悟り、冷静さを取り戻したリフルに押されっ放しになっている。

 

無理もあるまい、元から地力が違う。むしろ押されながらとはいえ、ローズマリーのような再生能力もなしに単身、時間を稼げているだけで驚嘆すべき事だ。

 

 

ーーしかし、それもそろそろ限界。

 

「はぁ…はぁ…くっ」

 

ヒステリアの体力が底をつき始めて来たのだ。

 

現在、ヒステリアが使用している『流麗』は本来は多用するような技ではない。

 

瞬間的な妖力の急上昇により運動速度を大幅に引き上げ、その速度差と巧みなステップを併用する事で相手に残像を見せる。それが流麗という技だ。

 

そして、この瞬間的な妖力の急上昇がかなりの負荷を使用者に与える。しかも、今使っている流麗は普通のものとは違う。

 

普通、流麗は緩急をつける為に最初は妖力解放せず、無解放から妖力急上昇させる。

 

だが、今使っているのは妖力解放状態からの流麗だ。遮蔽物の少ない開けた場所でリフルの攻撃を避け続けるには常にある程度の速度を維持しなければならない。

 

そして、ヒステリアをもってしても、無解放でその速度を出す事は出来なかった。

 

だから今、ヒステリアは無解放から40%解放のところ、20%解放から60%解放というかなり負荷が大きいやり方で流麗を発動しているのだ。

 

「ふふ、速度が落ちてきたわね、ほら捕まるわよ?」

 

正面から刺突、背後から薙ぎ払い、左右からは斬撃、と四方からヒステリアに触手が殺到する。速度が落ちたせいで包囲されてしまったのだ。

 

「くっ…」

 

その同時攻撃をヒステリアは跳んで避ける。回避ルートはこれしかない。

 

だが、それは罠だ。

 

「ほら次よ!」

 

リフルは身体を支える最低限のを残し、全ての触手を正面に集めると一瞬、ギュッと力を溜めるように縮め、その直後、弾けるようにそれを放った。

 

百を超える触手が刺突の雨となってヒステリアに襲い掛かる。

 

ーー避けられない。

 

「はぁあああッ!!」

 

ヒステリアは必死に大剣を動かし、迫る触手の群れを斬り払う。しかし、剣一本で凌ぐにはその数が多過ぎた。

 

ザクザクと地にシャベルを突き立てるような音がする。その度に鮮血が宙を舞う。

 

そして、数秒後、ヒステリアが地面に着地。同時にボトリと、水気を含んだ重いものが地に落ちた。

 

「ぐぅ、はぁ…はぁ、がぁ、はぁ」

 

荒い息を繰り返し、ヒステリアが倒れそうな身体をなんとか立たせる。

 

その身体には左手がなかった。

 

「……やるわね」

 

ヒステリアと地に落ちた穴だらけ(・・・・)の左手を見てリフルは心底関心したように呟いた。

 

ヒステリアは攻撃を捌ききれないと悟るや否や左手を捨てた。右手で大剣を振るい、それでも落としきれなかった刺突を左手を盾に受け逸らし、悪夢のような連撃を最小限のダメージでやり過ごしたのだ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

攻撃が止んだ隙に急いで息を整えるヒステリア。そんな彼女を見てリフルは肩を竦めた。

 

「頑張ってるけどもうボロボロね、そろそろ諦めたら? これ以上粘っても辛いだけよ?」

 

「はぁ、はぁ……ふふ、まだ…まだよ」

 

リフルの言葉に、途切れ途切れ言葉を返すと、ヒステリアは再び大剣を構えた。息も絶え絶え、体力も限界、その上、片腕を失った彼女だが、その気迫だけは衰えていない。

 

そんなヒステリアにリフルは呆れたような顔をする。

 

「なんでそこまでして時間を稼ぐの? そこを退くなら見逃してあげても良いのよ?」

 

「はぁ、はぁ……ふぅ……嘘ね」

 

「本当よ、正直、あなたほどの実力者を見逃したくはないけど……今はあなたを殺すより優先したい事がある」

 

そう言ってリフルは一瞬、心配そうな目でヒステリアの遥か後方、轟音と衝撃波が絶えず巻き起こっている地点に目を向ける。

 

そこはテレサとダフルの頂上決戦が行われている場所、最強のクレイモアと最強の覚醒者が雌雄を決する地だ。

 

ここからでは大まかにしか分からないが、妖気の動きを見る限り、二人の戦いはほぼ互角らしい。

 

だからこそリフルは怖い。天秤が傾くか分からないからだ。

 

持久戦となればダフルが有利だとは思うが、それでもひとつ間違えれば負けかねない状況だからだ。

 

早く援護に行きたい。それが偽りなきリフルの本心である。

 

しかし、ここまでの戦い振りから短時間で勝てる程、ヒステリアは容易い相手ではないとリフルは思った。

 

いや、正確には短時間で勝てるには勝てる、だが、下手をするとヒステリアを覚醒させかねない。

 

流麗という繊細かつ覚醒の危険を孕んだ技を使っているのだ。追い込みすぎて限界点を読み間違え覚醒……なんて事になったらどう転ぶか分からない。

 

覚醒して、ヒステリアが戦いを止めるなら良いが、もし、戦闘続行なんて事になれば目も当てられない。元の力量から考えてヒステリアが覚醒すれば間違いなく深淵レベル。そんな彼女と戦えばダフルの援護どころか自分の命さえ危なくなる。

 

ーーだからこそ。

 

「私は早くあの子の元へ行きたいの、そこを通してくれるなら私達に手を出さない限り二度とあなたを襲わないと約束するわ……どう、悪くない取引だと思わない?」

 

だからこそ、リフルは交渉を持ちかけた。見逃してやるからそこ退けと。

 

「…………」

 

その提案に、ヒステリアは油断なくリフル観察しながらも考える素振りを見せる。

 

そしてヒステリアは。

 

「………嫌よ」

 

体力回復と僅かな時間を稼いだ後、リフルの申し出を拒否した。

 

「……そう」

 

考える素振りはブラフだろうとリフルも分かっていた、だが、万が一があるので待った。

 

待った結果、予想通りだった。

 

予想通りだったからリフルの殺意が高まった。

 

 

「意思は硬いのね。そういう人は嫌いじゃないけど……今はちょっとウザいわね」

 

「まさか、少しでもその申し出を受けると思ったの? そんなの受けるわけないじゃないあの子と約束したんだから」

 

「約束? ……さっきあの子が言ってた時間を稼いでってやつ?」

 

「ふ、ふふ、違うわ」

 

「違う?」

 

ではなんだ? と首を傾げるリフル。そんな彼女にヒステリアが会心の笑み浮かべ、こう言った。

 

「ええ、あなたを倒すって約束よ」

 

「…………」

 

ビキ、ビキという音がリフルのこめかみから鳴った。

 

「……そういう強がりは……」

 

触手で地面を蹴り、リフルがヒステリアに踏み込んだ。

 

危険を感知し、ヒステリアが下がる。

 

それと同時に高所にあったリフルの上半身が地面スレスレまで落ちる。足の代わりだった触手達が凄まじい勢いで、彼女の上半身に巻きついた。

 

ーーそして。

 

「これを凌いでから言う事ねッ!!」

 

黒い刃の竜巻がヒステリア目掛け放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 




腕が軽い…

こんなに筆が進むのは初めて(出来が良いとは言ってない)…

もう更新を待たせないーー!(フラグ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話

注意! キャラ崩壊があります!

……え、とっくにしてるって?




い、いや、今までの比ではないので一応(白目)


唸りをあげて巨大な棍棒が振るわれた。

 

棍棒の対象は一人の戦士……もちろんアガサだ。

 

「うきゃあああ!?」

 

アガサは迫る棍棒に悲鳴あげ、倒れるようにそれを回避。

 

すると今度は巨大な足裏が落ちて来た。

 

「ちょ、た、タンマ!」

 

アガサはそれを転がるように躱す。砕け散った岩の破片が身体を叩く。とても痛い。だが、アガサは止まらない。止まれば死ぬ。

 

ゴロゴロと地を転がるアガサ。そんな彼女をボールを追う子供のようにダフが地響きを鳴らし追い掛け、追い付く。

 

そして、ダフはアガサに照準を定めると腿上げをするように連続でアガサを踏みつけた。

 

轟音が連続で響き、硬い岩場にダフの足形がいくつもいくつも刻まれる。

 

まともに喰らえば綺麗にぺしゃんこ。踏み潰された虫ケラのように地面と癒着し離れない事だろう。

 

まあ、つまり、当たればアガサでは万に一つも生き残れない。

 

「ぎゃあああ!? ほんと、やめて、死ぬ…死んじゃうぅ!?」

 

しかし、奇跡的にアガサは天から落ちる連撃を一発も喰らわずに切り抜ける。この幸運を逃がさんと、アガサが空かさずダフから距離を取る。

 

……だが、そう、上手くはいかないのが、戦いというもの、奇跡というのは殆ど起きないから奇跡なのだ。

 

「ごはぁあ」

 

多数の鉄柱がダフの口から発射され、アガサの行く手に降り注ぐ。

 

「うひゃ…!?」

 

危うく、自ら串刺しになりに行く所だったアガサが慌てて急停止。そんな彼女の耳に轟然とした風切り音が聞こえて来た。

 

反射的にアガサは深々とお辞儀をするように身を屈める。そのアガサの頭上を巨大な鉄柱が通り過ぎ。

 

「あ、あぶ…ぐはぁッ!?」

 

続けて放たれた蹴りがアガサの身体を小石のように弾き飛ばした。

 

地面と平行に飛んだアガサ。彼女はかなりの速度で岩に激突、死んだか? と思ったら、ふらつきながらも即座に立ち上がった。蹴りの直前、足と身体の間に大剣を差し込み、直撃を避けたのだ。

 

「や、や、ヤバイ死ぬ、マジで逃げないと」

 

そう言ってアガサが震える足をなんとか動かし、一目散に逃げ出した。

 

「にがすか、ぼけ」

 

しかし、そんなアガサを追ってダフが走り出す。それを見てアガサが涙目で悲鳴をあげた。

 

「いゃあぁぁッ!? ちょ、追ってくんなっ! 邪魔とかしないから、ほんとだから、マジでっ!」

 

「うるせぇ、とりえず、しね」

 

ダフの両手から大量の鉄柱が射出された。

 

「そんな理不尽!? …あ、ちょ、ちょっと待て、それはマズイから、いやほんと待って待て待て待てってんだろうぅぅ!!」

 

「くそ、ちょろちょろ、にげやがって」

 

そんなやり取りしながらら、アガサとダフは走り去り。

 

 

 

 

「…………」

 

その場に静寂が訪れる。

 

そして、ダフとアガサが妖気が離れたのを確認すると。岩にもたれかかるようように倒れたラキアがゆっくりと目を開けた。

 

「………ふぅ」

 

そして、ラキアは目視でも二人がいない事を確認、更に、組織の監視がない事も確信すると、静かに立ち上がった。

 

初めに死んだと思われたラキアだが、彼女はちゃっかり生きていた。しかも割と元気で。

 

その理由は彼女の能力にあった。

 

組織のナンバー10は特殊な存在である。

 

戦士内では知られる事はまずないが、組織のナンバー10は代々、その実力に関わらず、ある能力に秀でた戦士が選ばれ、戦士達の反乱に備え、常に組織内にその身を置く。

 

その能力とは妖気同調による感覚支配。対戦士において極めて力を発揮する能力である。

 

まあ、感覚支配といっても、完全に支配するのは不可能。ラキアに出来る事は目を眩ませたり、距離感を見誤らせるくらいの些細なもの。

 

だが、これが曲者だ。感覚を支配し、掠っただけの一撃を直撃したと誤認させたり、手応えを最大限に感じさせ、追撃の必要がないと思わせる事なら出来るのだ。

 

この能力を利用し、攻撃を受けた直後、妖気を限界まで静めたラキアはダフとアガサに自分が死んだと誤認させた。

 

その後、ラキアは二人が戦っている間に、受けた傷をゆっくりと時間をかけ、気付かれないように再生させたのだ。

 

そして、更に言えば、アガサがダフの攻撃をあれだけ避けられたのも、ラキアがダフの感覚を狂わせていたからである。

 

「……ああ、本当に死ぬかと思った」

 

ラキアはまだ回復しきっていない、腹部と顔面を痛そうに押さえると、一度アガサ達が消えた方を向き、そして、親指を立てた。

 

ーーサムズアップだ。

 

「……アガサさん、感覚は狂わせたんで、もう少し頑張って下さい……私が逃げ切るまで」

 

そう言ってラキアはダフをアガサに押し付けると、妖気を消す薬を飲みスタスタとこの場を離れ出した。

 

組織のナンバー10 『懶惰』のラキアはその二つ名の通りヤル気がない。彼女は組織本部でグウタラ出来るからとナンバー10になった経歴を持ち。

 

そして、中々にイイ性格の持ち主だった。

 

 

 

 

 

 

 

ビキビキと音を立て、ダフルの右腕が変形する。

 

腕は一度、大量の黒い帯と化すと、それが互いに絡み合い身の丈を超える巨大な剣へと変貌した。

 

そして、ダフルはその巨剣を振り下ろす。

 

たった今、数十の触手を捌ききったテレサに向けて。

 

「ーーハッ!!」

 

ダフルの剣撃をテレサの斬撃が迎え撃つ。

 

直後、黒い巨剣と白銀の大剣が衝突、凄まじい轟音と共に大気と大地が同時に揺れた。

 

「……っ!」

 

「……ッ!」

 

その威力に両者が弾かれ、二人の間に距離が生まれる。

 

だが、それも次の瞬間にはゼロになっていた。

 

「ーーはっ!」

 

「ーーセイッ!」

 

地に足を叩きつけ、目にも映らぬ速度で移動、二人は敵を斬り捨てんと神速で剣を走らせた。

 

振るわれた巨剣と大剣が幾度となく交差する。虚空を走る光と化した両者の剣が、激突する度に強大な衝撃波を発生させ、四方八方に飛び散ったそれが、あらゆるものを砕いていく。

 

そのまま、二人は数秒の内に百を超える剣戟を繰り広げ、互いの動きを地面が支えきれなくなった瞬間、同時に跳んだ。

 

ダフルは後方へ、テレサは前方へと。

 

ダフルが距離を取りながら多数の触手を放つ、牽制だ。

 

しかし、その牽制の威力たるや半端ではない。触手の一本一本が大地に巨大な疵を刻み、その速度は風よりもなお疾い。

 

この牽制を生きて凌げる者など大陸中を見渡しても片手の指で余る。それこそ、深淵級の実力者でも下手をすれば殺られかねない。

 

事実、南の深淵はこれと似た攻撃で致命傷を負ったのだから。

 

 

ーーだが、そんな攻撃を前にしてもテレサは恐れない。

 

確かに強力な攻撃ではある。しかし、テレサとダフルから見れば、その攻撃は間違いなく牽制。相手を倒そう、などと思って放たれた攻撃ではない。

 

故にテレサはその攻撃に真正面から突っ込んだ。

 

「はぁあああッ!!」

 

気合いの叫びを上げ、テレサが妖力解放率を大きく引き上げる。それにより異常に高かったテレサの身体能力が更に跳ね上がり、一時的にダフルを完璧に超えた。

 

そしてテレサが大剣を振るう。

 

疾風迅雷。一瞬で数十と振るわれた刃が多数の触手を切り刻む。そのままテレサは触手の壁に穴を開け、後退中のダフルに急接近。

 

空かさず上段から大剣を振り下ろす。それには他の追随を許さない、最速最強の斬撃、防御も回避も迎撃も全てが不可能な必殺攻撃だった。

 

だが、その必殺とはこのダフル以外に対して使った場合に限る。

 

信じ難い事に、この斬撃すらダフルは反応。頭を目掛け振るわれた大剣、それを両手をクロスさせて受け止める。

 

直後、ダフルの足が膝まで地に埋まり、遅れて巨大なクレーターが二人の足元に発生した。

 

「ぐぅう…!」

 

斬撃のあまりの重さにダフルが初めて苦し気に呻く。

 

その威力たるや今までのテレサの斬撃と比べてすら別格で、わざわざ盾状に編んでいた左腕を数瞬で粉砕、黒帯の巨剣すら斬り飛ばす。

 

だが、そこで威力と速度を大きく落とした大剣をダフルはバックステップで回避、大地に振り下ろされた大剣が、数十メートルに渡る地割れを発生させた。

 

「ちっ」

 

テレサが苦々しいく舌打ち。攻撃の直後、地面から飛び出した複数の黒槍を躱すと、追撃せずに一度後退、妖気を沈めて息を吐く。

 

「ふぅ、はぁ」

 

テレサの息はわずか弾んでいた。初めて見える同格の敵、そして、慣れない妖力解放が彼女の体力を急速に削っているのだ。

 

「…………」

 

しかし、そんなテレサに対しダフルは息を乱していない。

 

ダメージこそテレサより多いものの、妖力解放による消費の少ないダフルは体力的にテレサより余裕があるのだ。

 

「………くす」

 

ダフルが小さく笑い、斬り飛ばされた両腕を再生する。今度は巨大な籠手のようになった両腕、それを彼女は構えた。

 

瞬間、大地がひっくり返る。

 

密かに髪の一部を地に打ち込み、それを持ち上げる事で地面を大きく掘り起こし、岩山の一部を丸ごと持ち上げたのだ。

 

たった今、テレサが立っていた大地が縦横100メートルを超える石壁となって押し寄せる。

 

「くっ…!」

 

テレサは再び妖力解放。身体能力を上げ、これをバックステップで対処した。

 

いや、しようとした。

 

だが、テレサが下がった瞬間、ダフルが壁を殴打。爆散した壁が数えるもの馬鹿らしい散弾となってテレサに襲い掛かって来た。

 

ーー避け切れない。

 

テレサは傷を負うものだけを選別し大剣で弾く。だが、ダフルの攻撃はここで終わらない。散弾に紛れて数十の触手が放たれる。

 

「ちっ…!」

 

ただでさえ対処しきれなかった攻撃が更に厄介さを増す。この一瞬にテレサは身体にいくつもの傷が生まれた。

 

しかし、これは本命ではない。

 

散弾と触手を対処中のテレサにダフルが跳んだ。

 

体勢が悪いテレサは自身に飛んで来た岩を大剣の腹で叩き、散弾としてそれを放つ。

 

だが、ダフルはその攻撃を当然のように無視。その身に岩を受けながらも真っ直ぐテレサの懐に飛び込み、巨大な拳を彼女に放った。

 

唸りをあげて右ストレートがテレサに迫る。

 

テレサは仕方なく、妖力を限界ギリギリまで解放、なんと素手でこれを受け止めた。

 

バキメキとテレサの左腕が異音と共に折れ曲がる。だが、攻撃は止めた。テレサは大剣を一閃、薙ぎ払われた大剣がダフルの両足を切断。ダフルの身体が倒れ込む。

 

そんなダフルに、大剣を翻し、二の太刀を放つテレサ。

 

これをダフルが左手でガード。だが、今、彼女の身体を支えるのは黒帯の触手のみ。当たり前だが先程までより力が弱い。

 

「(押し切れる!)」

 

テレサは決着を着ける為に、全力で大剣を押した。

 

そして、金属を引き裂いたような不快な音と共に、ダフルの左腕を両断、その身体に大剣を叩き込んだ。

 

 

しかし、次の瞬間、テレサの右肩に鉄柱が突き刺さる。

 

「がっ!?」

 

突然の攻撃、それにより斬撃が止まってしまう。

 

驚きダフルを見るテレサ、ダフルの口は三日月のように開いている。

 

ーーハメられたのだ。

 

「ぐぅ…」

 

二撃目の鉄柱がダフルの口から発射される。至近距離から顔面に迫るソレを、テレサは咄嗟に屈んで避ける。

 

すると、テレサの目の端に黒腕が映る。それはダフルの右腕。

 

「しまっ!?」

 

次の瞬間、ダフルのアッパーがテレサを天高く殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

「……なんだこれ」

 

ローズマリーがそう呟いた。彼女の視線の先には男の覚醒者の角……と思っていたモノがある。

 

「ギニャギニャ」

 

地面に刺さった角は本体が死んだにも関わらず、未だに時々こう鳴くのだ。しかも、かなりの妖気を角から感じる。

 

まるでこれだけ男のは別個の覚醒者のように。

 

「まぁ、いいか一応、砕いておこう」

 

ローズマリーは腰を落とし、拳を構えた。

 

ーーその時。

 

「思った通りだ」

 

背後からそんな声が掛かった。

 

「!?」

 

ローズマリーが地を蹴り、前方へと跳ぶ。そして彼女は空中で身を捻り着地、声の主を視認し、ギョッとした。

 

声の主は赤いドレス(・・・・・)を着た女だったのだ。

 

「…………」

 

女を凝視するローズマリー。そんな彼女の視線を受けて、女がどこか恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「やはり、ドレスなど私には似合わないだろう? いや、自分でも分かっているのだが、姉さんが似合うと進めて来てな、はぁ、私は姉さんのように美人ではないのに」

 

いきなり、現れるなり自虐を始めた女性にローズマリーは面食らう。だが、性格故か? 彼女は反射的にフォローの言葉を口にした。

 

「あ、いえ、とても似合ってますよ。ただ、ちょっと最近、ドレスを着た女の人に追い掛けられまして、それで警戒したように見てしまったんです、ごめんなさい」

 

「ああ、そうか、いや、こちらこそすまない、姉さんが迷惑をかけたな」

 

「……………」

 

ドレスの女性から聞き捨てならない台詞が出た。

 

「姉さん?」

 

「ああ、最近お前を追い掛けたという女というのはルシエラだろう?」

 

「はい、そうです…………つかぬ事をお聞きしますが、ラファエラさん、ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

ローズマリーは再び良くドレスの女ーーラファエラの顔を観察する。確かに、黒髪茶目(・・・・)の整った顔立ちは、どこかルシエラと似通っている。

 

タラリと、ローズマリーの頬を一筋の冷や汗が流れた。

 

「あ、あの、ルシエラさんはラファエラさんが戦士だと言っていたのですが? 一般人だったんですか?」

 

「いや、戦士だったよ、つい数日前までな」

 

「………妖気を全然感じないんですけど?」

 

「ああ、諸事情から長年妖気を押さえる生活をしていてな、自分の妖気を完璧に封じる技能を身につけたんだ」

 

ほら、と言ってラファエラが妖気を解放する。

 

その妖気の質は覚醒者、そして妖気の強さは深淵級。

 

 

ーーを、明らかに超えていた。

 

「………っ」

 

一瞬、呆然となり、だが、すぐにローズマリーは再起動、青ざめながらもラファエラに拳を構える。

 

しかし、構えたはいいが拳が震えた。

 

それもしょうがない。なにせ、ダフルを見ていなければ恐怖で竦み上がっていたかもしれない程、ラファエラの妖気は強大なのだから。

 

「………ここへは何をしに?」

 

ローズマリーは油断なく構えながら、硬くなった声で問い掛ける。

 

すると、ローズマリーの緊張を知ってか知らずか。

 

「ローズマリー、お前に会いに来たんだ」

 

そう言ってラファエラはローズマリーに笑いかけた。

 

「………なんで私の名前を知ってるんですか? 一応、初対面ですよね?」

 

「ん? ああ、確かに初対面だ。しかし、姉さんの記憶からお前の事は少し知っている」

 

「………姉さんの記憶?」

 

不可思議な事を言ってくるラファエラにローズマリーは不審な目を向けた。すると、ラファエラはおもむろにドレスの正面に着いた紐を解く。するとラファエラの腹部が露わになる。

 

「……ッ!?」

 

ラファエラの腹部を見たローズマリーが驚き、顔を引き攣らせた。

 

何故なら腹部から覗いたのは白くなだらかな皮膚ーたさではない。

 

そこにあったのは美しい女性の顔(・・・・)。穏やかに目を瞑るルシエラが、ラファエラの腹部に埋め込まれていた。

 

「どうだ、私と違って姉さんは美人だろ?」

 

そう言って、ラファエラが愛おしそうに自身の腹部を撫でる。その目にはとても穏やかで、だからこそローズマリーは彼女から強い狂気を感じ取った。

 

「……はい、そうですね。でもラファエラさんも美人ですよ」

 

ジリジリと後方に下がりながらローズマリーが言う。

 

「ふふ、お世辞でも嬉しいよ、さて話は変わるが、ローズマリーに聞いてほしい事があるんだ」

 

「………なんですか?」

 

「なに、私の目的を果たす為に協力して欲しいんだ」

 

ラファエラは笑みを深め、そして、再び口を開いた。

 

「姉さんが覚醒してから、私は化物になった姉さんを殺してやる事だけを願って生きてきた……その、つもりだった。だけど、気付いたんだ。私の本当の願いに」

 

「本当の、願い?」

 

「ああ、私はただ、昔のように共に笑い合える姉妹に戻りたかっただけ……それだけだったんだ」

 

そこでラファエラは優しい気な顔から一転、ドス黒い殺意を抱いた顔に変貌する。

 

「……ッ!」

 

「だから、その機会を永久に奪ったリフル達を許さない。絶対にこの手で殺してやる……しかし、残念ながら、それを成すには私は少し力不足なんだ。リフルは問題ないが、姉さんを殺したアイツに勝つにはもっと戦力がいる」

 

そこでラファエラはローズマリーを真っ直ぐ見つめる。その目は最高の獲物を見つけた狩人のように鋭かった。

 

「だから、お前を仲間にしに来たんだ、お前が覚醒すれば間違いなく深淵級になる。姉さんもそう言ってるからな」

 

そう言ってラファエラはゆっくりとローズマリーに歩み寄って行く。

 

それを見て、ここ最近こんなのばっかだなぁ、とローズマリーは涙目になり。

 

「…………ああ〜申し訳ありませんが」

 

ローズマリーは妖力開放。

 

「……遠慮します!」

 

凄まじい勢いで駆け出した。

 

それを見つめて、ラファエラが笑う。

 

「ふふ、そうか、でも悪いな」

 

ラファエラが腰を落とし。

 

「お前に拒否権はないんだ」

 

猛烈な勢いで地を蹴ると、圧倒的なスピードでローズマリーを追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

黒刃と化した触手の群れが縦横無尽に駆け巡る。

 

その攻撃は正に竜巻、触れるもの全てを両断する悪夢の連撃だった。

 

しかし、その連撃をヒステリアは避け続ける。

 

「くぅぅ、はぁ、ぜはぁ、かはぁ」

 

苦しげに息を荒げ、張り裂けんばかりに心臓が鼓動を刻み、全身から鮮血を滴らせながら、ヒステリアは連撃を避け続ける。

 

「くっ、粘るわね」

 

そんなヒステリアを前にリフルが忌々しそうに呟く。

 

この連撃を始めてから既に十分、ヒステリアは全身に傷を負いながらも致命的なモノだけは受けずに、これを凌ぎ続けていた。

 

「いい加減、しつこいわよ!」

 

怒りと共に振るわれる黒帯の触手。だが、それはやはりヒステリアに当たらない。

 

そう、何故ならヒステリアは。

 

「はぁ…はぁ、はっ」

 

リフルの攻撃を見切り始めていた。

 

この戦いを通して、リフルを観察し続けたヒステリアは彼女の攻撃パターンと癖を大まかにだが把握していた。

 

だからこそスピードが落ちた身体で避ける事が出来る。

 

「くっ(こいつ、私の攻撃を)」

 

そして、自分の攻撃が見切られ始めた事をリフルも分かっていた。

 

今、ヒステリアが負っている傷は全て数分前につけたもの、ここ数分は攻撃をノーダメージで避けられているのだから。

 

「ちっ」

 

リフルは舌打ちし、攻撃パターンを変える。多数の触手を地面に突き刺さし、それを持ち上げる事でヒステリアの足場を崩そうと目論む。

 

そして、それを実行しようとした瞬間、ヒステリアがリフルに飛び込んだ。

 

「なぁ!?」

 

多数の触手を地に刺したという事は、当然、今までよりも攻撃密度が落ちる。そのタイミングを狙われたのだ。

 

「くっ」

 

迫るヒステリアにリフルが慌てて触手を振るう。だが、既に攻撃を見切ったヒステリアはそれをあっさり回避。

 

迅速果断に、リフルの懐へ飛び込むと。

 

「はぁああッ!!」

 

妖力を限界まで解放し、ガラ空きの胴体に大剣を走らせた。

 

「ガッ、この」

 

上体を逸らし、両断は免れたリフルだが、脇腹を深く斬られてしまった。それに怒り、ヒステリアの背に触手を放つ。

 

ヒステリアは大剣でなんとか攻撃を逸らし、背中から地面に墜落。

 

「ぐぅ、が」

 

痛みに呻きつつも、リフルの追撃を転がり躱し、起き上がって剣を構えた。

 

「はぁ…はっ、はぁ、はぁ」

 

「……やってくれるたわね」

 

「はぁ、はぁ、ふふ…油断する、からよ」

 

息を乱しながらも、ヒステリアは確かに笑った。その姿は時間を稼いでいるようには見えない。

 

ーーむしろ。

 

「……あなた、まさか本気で、私に勝つつもりなの?」

 

そう、リフルを倒そうとしているように見えた。

 

「はぁ、ぜぇ…聞いて、なかったの? はぁ、はぁ…そう、言ったわよ」

 

「……そう」

 

リフルがユラユラと触手を泳がせながら呟く。

 

「……?」

 

触手を複雑にくねらせるリフル。今までにないパターンの動き、よく観察してもヒステリアにはなんの為にそんな事をしているのか分からなかった。

 

「でも、あなたじゃ私を倒せない」

 

「はぁ、はぁ、やってみないで、なぜ分かる?」

 

むしろ、それは自らの隙を晒すような行為、やはり、ヒステリアにはその意図が理解出来ない。

 

その為、ヒステリアは更に集中してリフルを観察する。

 

「ふふ、分かるわよ」

 

 

それが隙となった。

 

「……ッ!?」

 

唐突に聞こえた風切り音。

 

ヒステリアの背後から大量の鉄柱が飛んで来る。直前で気が付いたヒステリアがそれを跳んで回避、だが、そこで完全にリフルに隙を晒した。

 

「……ほらね、無理だったでしょ」

 

複数の触手が高速で振るわれ、その一本がヒステリアの右手を斬り落とす。

 

「がっ!?」

 

残った右手腕を大剣ごと失ったヒステリアに。

 

「うりぁあっ!!」

 

ダフが走り込んで棍棒を振るう。

 

「ギィがぁ!?」

 

そして、ダフの全力で薙ぎ払われた棍棒、それがヒステリアに直撃、弾けるような怪音と共にヒステリア腰から下を粉砕し、彼女を遥か遠くまで殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 




フラグは出来るだけ回収するようにしてるんだ(ゲス顔)

ラファエラ(エラエラ)さんほぼオリキャラに(白目)



……なんか、主人公勢、みんな誰かに殴り飛ばされてるなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話

……もう待たせないと書きましたね。





ごめんなさい、アレは忘れて下さい(土下座)


バラバラと肉片が地面に堕ちる。

 

それは足の残骸、たった今、ダフが粉々にしたヒステリアの下半身の一部だった。

 

「ありがとうダフ、時間短縮になったわ」

 

それを少しだけ見つめた後、リフルがダフに微笑み、礼を言う。

 

「それで、あなたの方はどうなった?」

 

そのまま、リフルはダフに他の戦士を始末したか質問する。

 

しかし、ダフはそれに答えず、急いでリフルに駆け寄ると、ヒステリアの斬撃を受けた脇腹を撫で出した。

 

「……どうしたの?」

 

「り…りふる、けが!?」

 

「え? ああ、大丈夫よ、心配しないで大した怪我じゃないわ……というよりもそうやって触られると痛いから、ちょっとやめて」

 

「わ、わりぃ」

 

顔を顰めたリフルから慌ててダフが手を離した。

 

「ふふ、そんな謝らなくて良いわ、それで、あなたの方は終わったの?」

 

リフルはヒステリアから受けた傷を再生させながら、再び同じ質問をする。ダフはそんな彼女の言葉に目を泳がせた。

 

それだけでリフルはダフの答えが分かった。

 

「……そ、それが、すばしっこいのを、ひとりにがしちまった」

 

怒られるんじゃないかと、大きな身体を小さくするダフ。それを見てリフルは吹き出した。

 

「ぷっ……ふふ、大丈夫よ、逃げたなら良いわ、あくまで奴等は時間稼ぎ、ダフから逃げる奴が戦力になるとは思えない……そもそも戦力になりそうな奴は最初から一人も居なかった」

 

そこで言葉を切り、リフルは妖気を探る。

 

すると随分と遠くに今にも消えそうな妖気を感じる……ヒステリアのものだ。

 

「……はぁ、本当にしぶとい、まだ生きてるわね……虫の息だけど」

 

ヒステリアの生存にリフルが呆れと称賛、そして面倒臭さが入り混じった溜息を吐き出した。

 

そんなリフルに空かさずダフが口を開く。

 

「ころすか?」

 

至極当然の事を言うようにダフが棍棒を担いで聞いてくる。それにリフルは仕方ないとばかりに頷いた。

 

「ええ、面倒だけど、血迷って覚醒、なんてされたら困るわ、念の為、消しましょう」

 

そう言って、リフルはダフと共にヒステリアの下へと走り出した。

 

「「………つ!?」」

 

しかし、その直後、遠くのーーダフルとテレサが戦っている岩山の一部が丸ごとひっくり返り、次の瞬間に爆散、それからほんの数秒後、二人の妖気が膨れ上がり、すぐに大きく乱れた。

 

どうやら戦いは佳境に突入したらしい。ならば、ここで優先すべきはヒステリアの止めではない。

 

「……予定変更、すぐにダフルの援護に向かうわよ!」

 

「おう!……って、り、りふる?」

 

ダフが困惑したような顔をする。その理由はリフルが触手でダフの持ち上げたからだ。

 

「さあ、行くわよ」

 

「りふる、おれ、はしれるぞ?」

 

リフルのいきなりの行動にダフが抗議に近い声を上げる。しかし、その声をリフルは真っ向から否定した。

 

「いいのよ、あんた遅いから、私が運んだ方が遥かに速いわ」

 

そう言って、リフルは地を蹴り走り出す。その動きはお荷物(・・・)を抱えているのに速い……ダフが走るより遥かに。

 

「が、がへ」

 

その事実に、ダフは少し落ち込むと、抵抗する事なくリフルに抱運ばれて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

ーー手応えあり。

 

ダフルはテレサを殴った右手を満足気に撫でた後、身体を再生させながら空を見上げた。

 

ダフルの視線の先。空高く舞ったテレサが空中でくるりと反転。

 

彼女は体勢を立て直すと、両足で衝撃を吸収し、危なげなく地面に着地した。

 

「かはぁ、ごふ」

 

しかし、着地の直後、テレサが咳き込み、口から僅かに血が飛び散る。ギリギリ防御は間に合ったが、ダフルのアッパーが強過ぎて防御を超えた余剰分のダメージを受けてしまったのだ。

 

「ごほ、がほ……はぁ、はぁ、はぁ……やって、くれたね」

 

更に二、三度咳をすると、テレサは荒い息を吐き、怒りを顔に滲ませダフルを睨む。

 

「ふふ…あは…あはははははっ!」

 

そんなテレサに悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを見せたダフル。

 

既にテレサの斬撃で斬り落とされた両足と肩は再生を終えている。

 

ここまでの攻防で体力、妖力はかなり落ちたが、ダフルの身体に欠損はなく、その五体は万全だ。

 

対するテレサは絶大な妖気に翳りはないが、折れた左腕は治りきっておらず、先程殴り飛ばされた際に脇腹を痛めている。

 

テレサの傷はダフルが受けたものと比べればほんの些細なものだ。しかし、テレサとダフルでは身体の作りが違う。

 

覚醒者で四肢及び致命的な臓器を除いた身体の完全再生が可能なダフル。攻撃タイプの戦士で、指の欠損すらまともに再生出来ないテレサ。

 

二人の間には圧倒的な回復力の差が存在している。

 

そして、この差を利用し、ダフルは捨て身でテレサの戦闘力を削ったのだ。

 

「なおさないの?」

 

意地悪な顔でダフルはそう言うと、テレサの左腕と、脇腹を指差す。

 

「…………」

 

それにテレサは無言。治さないのではなく、治している。ただ完治させるには十分近く掛かってしまう。常人から考えればあり得ない回復速度だが、ダフルから見ればそれは亀の歩みに等しい。

 

ダフルは自分の選択が間違っていなかった事を確信しリフルそっくりの笑みを浮かべた。

「ふふ、なおさないなら……いくよ」

 

開幕、テレサが言ったセリフを呟き、ダフルが多数の触手をテレサに放つ。

 

「……ちっ」

 

テレサは自身に迫る触手をステップで躱し、回避先に放たれていた鉄柱の群れを大剣で弾いて後退する。

 

「ふふ、おそいよ!」

 

だが、テレサの後退速度よりも疾く、ダフルが接近、その豪腕を真っ直ぐテレサに突き出した。

 

大気を打ち抜き、とんでもない速度で迫る豪腕。

 

「……ハッ!」

 

この拳に対しテレサで大剣で迎え撃つ。直後、大剣と豪腕が衝突、轟音が響き、衝撃波が巻き起こり。

 

テレサが一方的に弾かれた。

 

脇腹の痛みで、満足に剣を振れなかったせいだ。

 

「ぐぅ…っ」

 

体勢が崩れたテレサに黒帯の触手が振るわれる。

 

蛇のよう蠢く触手は角度、速度がバラバラで対処が難しい。

 

テレサは触手の軌道を危ういタイミングで見切り、辛くもこれを躱す。だが、その直後、脇腹が痛みを発し、動きを鈍らせる。そこにダフルが巨大な鉄柱を発射した。

 

これはテレサも躱せない。

 

「ぐぅッ」

テレサは鉄柱を大剣で受け止める。

 

重い衝撃に、また鈍い痛みが脇腹を打ち、それを我慢し、彼女は鉄柱の弾き飛ばした。

 

その時、弾いた鉄柱の陰からダフルが現れる、鉄柱はただの目眩まし。それに気付いたテレサが即座に大剣を引き戻し……薙ぎ払った。

 

唸りをあげる大剣、それが虚空を走り抜ける。

 

ーーつまり、回避された。

 

地に身体を沈み込ませ、大剣を回避したダフルは、起き上がる動きと連動し左腕をテレサに振り上げる。

 

暴風を纏った凶悪な一撃が、テレサの顔面へ急接近。

 

テレサは仰け反るように身体を倒し、これを回避。躱しざまにダフルの左腕を蹴り上げた。

 

「む…?」

 

伸びきった腕に蹴りを受け、ダフルの身体が浮き上がる。その隙にテレサはバク転で体勢を整え、後退を続ける。

 

「にげるだけ?」

 

宙にいるダフルが下がるテレサを挑発しながら触手の刺突を雨と降らせる。それを彼女は華麗なステップで回避。

 

その間、着地したダフルが今度は大小様々な鉄柱の射出、テレサは自分に当たるものだけを選別し、弾き、逸らした。

 

「……むぅ」

 

ダフルは上手く当たらない事に苛立ちながらも、焦らず冷静な攻めを展開する。

 

触手を振るい回避コースを限定せるとテレサに巨大鉄柱を発射。

 

テレサはこれも躱すが、避けた瞬間。鉄柱が爆散、複数の細い鉄柱に分かれテレサ諸共、周囲の地面に降り注ぐ。初見でこれは躱せまい。

 

「ッ……!」

 

意表を突いた攻撃。土埃が舞い上がり二人の視界が遮られ、そこに無数の刃が振るわれる……ダフルの触手だ。

 

触手は煙の中を走り抜けると、その中心でクロスするように交差、範囲内のあらゆるものを細切れにした。

 

「ふふん」

 

致命傷、あるいは重症を負わせた確信があるのか? 触手に感じた確かな手応えに、得意気にダフルが息を吐く。

 

ーーその時。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

息を切らせテレサが粉塵の中から姿を現した。その全身にはいくつもの傷が出来ている。特に左肩の怪我は骨に達するほど深い。

 

だが、そんなテレサを見てダフルは首を傾げた。

 

ダフルはこの攻撃で確実に致命傷を与えたと思っていた。しかし、そんな彼女の予想よりもテレサのダメージは遥かに浅い。なにせ、命に関わるものが一つとしてなかったのだから。

 

「……あれ、それだけ?」

 

「はぁ、はぁ」

 

テレサはその言葉に答えない。

 

テレサは息を整えながら一歩後ろに下がる。次の瞬間、彼女が今まで立っていた地面から槍と化した触手が突き出て来た。

 

「…………」

 

攻撃を躱されたダフルが無言で妖気を爆発させる。

 

ダフルは大小多数の鉄柱が口と両手から発射、続けて黒帯の触手、それが解けた(・・・)そして、一の触手が二十に分かれ。テレサを囲うように展開し、刺突の豪雨をテレサに降らす。

 

全方位に展開された千に届く黒槍と、数十の鉄柱。

 

この範囲攻撃に逃げ場などない。逃げ場などない筈なのだが。テレサは焦る様子もなく、一歩踏み出し、正面から来た鉄柱に大剣を振るった。

 

大剣によって弾かれた鉄柱が側面から来た触手に激突、その軌道を逸らす。更に、軌道が逸れた触手が更に別の触手に激突、またその軌道を逸らし、そして包囲網に小さな穴を開ける。そこにテレサが身を躍らせ、包囲網を潜り抜ける。

 

穴を潜る際に、黒帯の刃と鋭い鉄柱がテレサの身体を傷付けた。しかし、そのいずれも軽傷。そう、テレサは最小限のダメージでこの攻撃を凌いだのだ。

 

「…………っ」

 

この結果がダフルには理解出来なかった。今のは牽制でもなんでもなく、本気で必殺を狙って放った攻撃だった。万全テレサのにも対処困難な攻撃のだった。ましてや動きが鈍ったテレサを仕留めるのになんの問題もない攻撃の筈だった。

 

なのに、攻撃の結果、テレサは軽傷。これはどう考えてもおかしい。

 

驚き、テレサを凝視するダフル。

 

「………ふぅ」

 

その視線を知ってか知らずか、テレサは自身の脇腹を撫で、ダメージを確認すると目を瞑り静かに、その息は吐いた。

 

いつの間にか、荒かった息が整っている。

 

「……ようやく、見えるようになってきた」

 

目を瞑って何が見えると言うのか? ピンチの筈なのに落ち着き払ったテレサの姿にダフルが苛立つ。

 

それはまるでもう勝負が決したとでも思っているように見えたからだ。

 

「…っ、こっちをみろ!」

 

悪い予感を払うように、ダフルが怒りを滲ませ触手を振るう。千に増えた触手がテレサを包囲し、嵐のような攻撃を仕掛けた。

 

しかし、今度は剣すら振るわない。目を閉じたテレサが嵐のような連撃を踊るように躱していく、その動きに無駄はない、最小限の動きで回避している。

 

「ちっ……!」

 

その余裕すら感じられるテレサにダフルが舌打ち。テレサの余裕を砕く為、触手の嵐に加え、多数の鉄柱でテレサを狙い撃つ。

 

 

ーーしかし、これが悪手となった。

 

「っ…!?」

 

ビキビキと音を立てて腕が変形、巨大化する。その腕をダフルが胸の前でクロス。そこに大剣の鋒が激突したのは次の瞬間だった。

 

鉄柱を入れる為、触手の包囲網に隙間を作る直前(・・)テレサが動き、そこを抜けて刺突を放ったのだ。

 

遅れて誰も居なくなった大地に鉄柱が殺到、間抜けな轟音を響かせ、大地を穿つ。

 

「…ぐ、このっ!」

 

ギリギリと腕に埋まっていく大剣。それを強引にテレサごと弾く、テレサはダフルの力に逆らわず一度彼女から離れる。ダフルが追撃しようと触手を動かし。

 

「!?」

 

その隙を突きテレサが再び接近、ダフルに大剣を閃かせた。

 

「…く…ぐっ」

 

次々と振るわれる大剣にダフルは応戦、しかし、次第と防戦一方に追い込まれていく、そんな馬鹿な。

 

「…こ、この!」

 

ダフルが右拳をテレサに振るう。しかし、テレサはそれを紙一重で回避、すれ違いざまカウンターでダフルの脇腹を斬りつけた。

 

「……がっ」

 

腹部の半分以上を斬られたダフルが痛みに呻く。だが、そんな彼女に構うことなく、テレサは返す刀で上段から大剣を振り下ろした。

 

「く……っ」

 

ダフルは大剣を防ぐ為に腕を上げる。その動きでガラ空きになった腹部、そこにテレサの足が埋まったのは次の瞬間だった。

 

「が…はっ」

 

先の傷口に減り込む右足。ミシミシと音を立てダフルの傷口が広がった。堪らずダフルは一旦距離を取ろうと後ろに飛び退く。

 

それに合わせてテレサも接近、ダフルの右足首を両断した。

 

「ぎぃ…」

 

なくなった右足の代わりに、触手を地に刺し身体を支えるダフル。しかし、触手に体重を乗せた瞬間、大剣が走り、その触手も斬り飛ばされる。

 

必然、重心が偏り体勢が崩れる。そこに連続で大剣が振るわれ、ダフルの身体を刻んでいった。

 

ーーこのままではいけない。

 

「……くっ、ちょうしに……ちょうしにのるなっ!!」

 

妖気を大量消費し、身体の損傷を一気に再生させるとダフルがありとあらゆる攻撃をテレサに繰り出した。

 

嵐の如く、振るわれる千の触手。

 

豪雨のように降り注ぐ大量の鉄柱。

 

山すら砕く、拳打、蹴撃。

 

それら全てを組み合わせたコンビネーション。

 

しかし、その尽くが空を切る。

 

「なんでっ!?」

 

ダフルはこの状況が理解出来なかった。

 

テレサの身体能力は落ちている。今はパワーもスピードもダフルの方が圧倒的に上だ。なのにダフルの攻撃はテレサに避けられ、テレサの攻撃をダフルは避けらない。

 

それがあまりにも理不尽な事にダフルは思えた。

 

「あなたの力と速度に驚いてね」

 

疑問を抱えるダフルにテレサが攻撃を加えながら話し掛けた。

 

「つい、こちらもそれを高めて対抗してしまった」

 

「それが、あたりまえ、でしょ!」

 

当然の事を言うテレサにダフルが苛立つ。しかし、そんなダフルにテレサは首を振った。

 

「いや、間違いだった。力で力に対抗するのはバカのする事。それに普通、戦士の身体能力は高位の覚醒者を超えない、私はなまじ超える事が出来たからそれを選択してしまったけどね」

 

そう言ってテレサが苦笑しながら斬撃を放つ。その表情とは裏腹に剣筋は鋭く、大剣が振るわれる度にダフルの身体が傷付いて行く。

 

「……く……がっ……」

 

「ここからは戦士の戦い方で行く。力も速度も劣る、戦士なりのやり方でね」

 

その言葉と同時にテレサが大きく一歩踏み込んだ。

 

 

 

 

「く…こ、このっ!」

 

ーーあまりにも速過ぎる。

 

テレサの動きにダフルが思った事がこれだ。あのダフルが全く攻撃に移れない。テレサの動きは最初と比べ圧倒的に速くなっていた。

 

ただ、この速いというのは攻撃速度ではない。斬撃の速度は最初と変わらない……どころかかなり落ちている。

 

ならば、何が速いかというと、攻撃と攻撃の繋ぎ……次にどこを攻撃するかの判断する時間。相手の隙を見つけるまでの時間が異常に早い。まるで考えるまでもなく分かっているように。

 

まるで、次にどこが隙になるか、予め知っているように。

 

ーーこのままでは負ける。

 

「ふ、ざけるなっ!!」

 

ダフルが吠えた。そんなものは認めない。勝つのはわたしだ。

 

起死回生、ダフルは左腕を犠牲に攻撃を弾き、後方へ退避、千の触手を十に纏め上げるとそれを地に刺し、両脚と共に力を溜め。

 

文字通り全力で地を蹴った。

 

反動で大地が陥没、大型のクレーターが発生する。そして、それほどの力で加速したダフルはやすやすと音の壁を越え、開幕のテレサの踏み込み、その倍程の速度を叩き出しすと一直線にテレサに接近、右拳を突き出した。

 

全ての運動エネルギーを収束、極限まで加速した拳はテレサですら知覚困難、掠っただけで万物を木っ端微塵にする威力を持った最強の拳打だった。

 

ーーしかし、そんな魔拳も当たらなければ意味はない。

 

ダフルが踏み込む直前、右斜めに一歩踏み出し斬撃姿勢を整えたテレサがダフルの拳を完璧に避け、その胸に折れた左手すら使い両腕で大剣を振るった。

 

恐ろしく重い手応え、それは巨石が高速で突っ込んで来たような衝撃だった。

 

「ぐっ……っ!」

 

あまりの重さに接触の瞬間、メキリ、という音を響かせ、テレサの右腕が折れた。元々折れていた左腕は完璧に砕け、肩口から千切れ飛んだ。

 

酷い怪我だ。

 

「……はぁあああああああっ!!」

 

しかし、それでも尚、テレサは裂帛の気合いを持って大剣を振り斬る。

 

それだけの犠牲を払う価値があったからだ。

 

「………っ」

 

驚愕に見開かれた黒い瞳と鋭い金眼が刹那の間、交差する。

 

そして、視線が離れた瞬間、ダフルは殆ど声もあげられず、自身の踏み込みの速度を維持したまま遥か彼方へとすっ飛んで行く。

 

一つは西に、そして、もう一つは南へと……そう、交差の瞬間、走った大剣がダフルの身体を真っ二つに両断したのだ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

この一瞬の攻防に体力と集中力を一気に消費したテレサは、荒い呼吸を繰り返し、フラフラと千切れた左腕の元へと歩くと、それを拾い上げ傷口に押し当てた。

 

「いっ……っ」

 

強敵との勝負が終わり、集中力が切れたせいか、全身……特に左肩と脇腹が猛烈に痛い。テレサは涙で視界を滲ませながら傷の治癒の為、軽度の妖力解放を維持するとそのまま、地面に座り込んだ。

 

今回は本当に死ぬかと思った。

 

正直、全力を出してこんなに苦戦する相手が存在するとテレサは思ってもみなかった。ローズマリーやヒステリアを見てこの世の強さの上限をなんとなくだが理解していたからだ。

 

しかし、そんな予測とは裏腹に初任務でこの苦戦。

 

「……やってけるかな」

 

テレサは少し今後が不安になった。

 

ーーそして、なったからそこ。

 

「……不安の芽は絶たないとね」

 

危ないものは早急に排除しなければならない。

 

自分の為にも周りの為にも。

 

テレサは傷がある程度回復した事を確認すると立ち上がって猛スピードで駆け出した。彼女が目指す目標は当然、まだ息があるダフル(危険物)

 

 

ーーそして、そのダフルを抱えて必死に逃げるリフルだった。

 

 

 

 

 

 





リアル鬼ごっこ開幕!(リフル一家白目)



Q.なんでテレサが勝ってんの? ローズマリーはダフルの事をテレサ以上みたいって感じてたじゃん!?

A.ローズマリーはその時、妖気を感じる事が出来なかった、そして、イレーネさん同様テレサをまだ過小評価していたんだ(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話

○○○「せいぞん、せんりゃくぅぅぅぅうう!!」


「……絶対に許さないわよ」

 

珍しく、顔に青筋を浮かべ、アガサがそう断言する。

 

「もう、何度も謝ってるじゃないですか」

 

そんな、ブチギレているアガサに飄々とした態度でラキアが答えた。ダフの猛追から命からがら逃げ切ったアガサ。彼女はダフが追うの止めてからも走り続け、そして、偶然、先に逃げていたラキアに遭遇。

 

結果、ラキアが死んだ振りをし自身を囮に逃亡した事を知り怒っているのだ。

 

「……本当に許さないから」

 

「まだ言いますか……はぁ、もう良いですよ許してくれなくても、それでアガサさんはこれからどうするんですか?」

 

「……教えてあげない」

 

「何も考えてないだけですよね?」

 

「ぐ……しょうがないじゃない、こんな事になるなんて考えてなかったんだから」

 

図星を指されアガサがムッとする。

 

「ふふ、ちゃんと先の事を考えて行動しないと危ないですよ?」

 

そんなアガサに、やれやれ、といった調子でラキアが肩を竦める。初対面の印象は無口だが誠実、そんな風に見えたのに今ではお喋りで不誠実、と丸っきり印象が反転していた。

 

はっきり言ってかなりムカつく。

 

「じゃあ、そう言うあんたはどうするのよ! それだけ大口叩いてるって事は何か考えが有るのよね?」

 

「当然です、こんな事もあろうかと、ナンバー17、ナンバー25時代に組織の目が届かない地域に目星をつけてあります、ついでに数年分の妖気を消す薬と幾らかお金も隠してあります」

 

ふふん、とラキアが胸を張る。そんなラキアにアガサが呆れた目を向けた。

 

「………いや、なんでそんな事してんのよ」

 

「当然、組織から抜ける為に決まってるじゃないですか、まさか、アガサさんは一生戦士を続ける気だったんですか? もしかして、私戦うの大好きって人ですか?」

 

アガサの視線に逆に生暖かい目を返すラキア。いちいち行動がイラっとする。だが、怒ってばかりでは話が進まない。アガサは怒りをグッと抑えて会話を続けた。

 

「……そんな訳ないでしょ。私だって出来ることなら、のんびり暮らしたいわよ……でも組織から抜けたら粛清されるでしょ?」

 

粛清は恐ろしい、昔ナンバー8の時に一度だけ、アガサは粛清に参加した事がある。その時は逃亡者の末路と来たら、かつての光景を思い出しアガサはプルリと身体を震わせた。

 

「ええ、粛清、怖いですよね、だから組織を止められない気持ちも分かります」

 

「そうでしょ」

 

「ええ……でも、残念ながら私もアガサさんも組織から逃亡しましたよね?」

 

「…………」

 

「…………」

 

その場に痛い沈黙が訪れた。いや、痛いと思ったのはアガサだけだ、ラキアは今もニコニコしている。

 

「………ちなみに、組織の目が届かない場所ってどこ?」

 

努めて興味なさそうに、アガサが聞く。それにラキアが聖母のような……あくまような(・・・)優しい笑みを浮かべこう言った。

 

「それはですねぇ…………あれ〜、参ったなぁ、昔過ぎて忘れちゃいました。まあ、その内思い出すでしょう、アガサさんと別れた辺りで」

 

「…………」

 

「…………」

 

再び場に沈黙が訪れる。

 

そして、それを破ったのはまたアガサだった。

 

「…………わ、別れる必要あるの?」

 

今度は取り繕う余裕がなかったのか、震える声でアガサが言う。

 

そんなアガサにラキアはワザとらしく首を傾げた。

 

「え、でもアガサさんは私を許さない訳ですし、そんな私と一緒にいると不快な気持ちになるでしょう?」

 

私はアガサさんの為を思って言ってます。そんな内容の言葉を、ニヤニヤとしながらラキアが言う。随分と性格が悪い。

 

「…………」

 

そんなラキアとは対照的にアガサの顔はどんどん青くなっていく、自分が多数の仲間に嬲り殺しにされる光景でも想像したのだろう。

 

あるいはローズマリーに食い殺される光景かも知れない。

 

ーーだが、何にしてもこの瞬間、アガサの心は決まった。

 

 

 

「やだなぁ、許さないとか言ったのは冗談だから、一度囮にされたくらい、全然気にしてないんだから」

 

絶対許さないがなんだって? アガサは一瞬でフレンドリーな笑顔を作り、先の発言をなかった事にする。

 

意地を張っては生きて行けない。人生において、プライドなんてものは大して必要のないものなのだ。

 

 

 

 

 

左、右、とローズマリーが木々を避けながら疾駆する。

 

木々が生い茂る森、暗くなり始めた事もあり、そこは逃亡者に有利なフィールド。ローズマリーにとって願ってもない状況だった。

 

しかし、やはりと言うべきか、そんな追い風のような状況も、力量が離れていてはあまり意味がない。

 

暗い森もなんのその、ラファエラはローズマリーの妖気をしっかり補足しながら、彼女の倍の速度で接近、大した時間も掛けずにローズマリーに追い付くと。

 

「悪いが逃がさない」

 

そう言って、背後から攻撃を放って来た。

 

ルシエラ同様、溢れ出た強大過ぎる妖気のせいで細かい動きが予測出来ない。それどころか目視もしてないのでどんな攻撃が来たのかも分からない。

 

しかし、彼女の言動からこの攻撃にこちらを殺す意図はない筈、それを信じ、ローズマリーはノーガードで振り返った。

 

「ぐ…っ」

 

同時に、棒状のものがローズマリーの胴体に突き刺さる。

 

ーービンゴだ。

 

予測した通り、ラファエラの攻撃は致命傷にならないものだった。いや、腹部をぶち抜いているのだから、普通の攻撃型の戦士なら致命傷になるだろう。だが、ローズマリーからすれば今更、腹を貫通する程度の攻撃など大した事ない軽症なのだ。

 

「シィ……っ!」

 

受けた攻撃を気にせず、ローズマリーが振り返る動きを利用し、ラファエラに鋭い足払いを仕掛ける。それが彼女の出足を綺麗に刈り取った。攻撃直後で反応が遅れたせいだろう。

 

足を刈られ、体勢を崩したラファエラが、突撃の勢いのまま宙を舞う。だが、彼女は体勢を整える為に動かない。ラファエラは体勢が崩れたまま再び攻撃を放ってきた。

 

「(チャンスッ!)」

 

ラファエラの指が高速で伸び、ローズマリーの肩と腿を貫く、それをやはり気にせずローズマリーは全力で彼女の身体を蹴り上げた。

 

重低音が響き、物凄い勢いで天高く飛んで行くラファエラ。突進に加えローズマリーの蹴りの威力まで加算されたのだ当然の結果だ。

 

この機は逃せない。ローズマリーは脚の傷を再生させると方向変換、二度と行かないと誓った海へ脇目も振らず駆け出した。

 

あの海にはヤバイ生物がいる、正直行きたくない。だが、それでもラファエラから逃げ切るには妖気を限界まで抑えて海に潜るくらいしか方法がないのだ。

 

一歩、二歩、三歩、一気にトップスピードまで加速したローズマリーが見る見る内にラファエラから離れて行く。その間、ラファエラは何もしない。最高点に達した彼女は重力に任せ自由落下を続けている。

 

余裕か? ラファエラがなんの行動も起こさない事に疑問を抱きながらも、ローズマリーはただ走る。そう、理由なんてどうでもいい。なんにしても今は出来る限り距離を取りたいのだ。

 

ーーしかし。

 

「効果が薄いのか?」

 

突然、ラファエラの声が聞こえて来た。

 

馬鹿な!? ローズマリーの顔が強張る、振り返るまでもなく、妖気の位置的にラファエラは後方で自由落下の途中、だが、声はすぐ近くから発せられたもの。

 

ローズマリーは走りながら声の出処を探り、そして目が合った。

 

最初に腹部を貫いたラファエラの攻撃、それが残した棒状の杭、そこについた目と。

 

「………ッ!?」

 

「なるほど、妖気の強弱で侵食速度が違うのか」

 

杭についた口がそう言う。目は不気味な視線でローズマリーを観察していた。この視線には覚えがある、先程の男覚醒者のソレだ。

 

これは絶対身体に良くない。ローズマリーは逃げるの優先し、放置していた杭を引き抜き、捨てる。

 

引き抜く際、周りの肉が盛大に抉れた。まるで木が土に根を張るように、ローズマリーを肉体を得体の知れないものが侵食していたのだ。

 

しかし、それにも関わらずローズマリーは大した痛みを感じなかった。

 

「……痛みに鈍感になったのが裏目に出たか」

 

苦々しいくローズマリーが呟く。痛みで身体が硬直する事は少なくなった。それは良い事だ。戦闘中の硬直はそれが一瞬でも死に繋がりかねない。実力者同士の戦いでは特にだ。

 

しかし、痛覚が鈍い故に、自身の危険に気が付けないのもまた死に繋がる。身体にナニカが寄生する、なんて状況はそうそう起こらないだろうが、現状はあまり良いとは言い切れない。

 

改善出来たら早いとこ改善しよう、そうローズマリーは思った。

 

もちろん、改善する機会が訪れたらの話だが。

 

「……ああ、もう、ついてないなぁ」

 

ローズマリーは後方に感じる妖気に泣き言を漏らした。

 

ただでさえ強大だった妖気が馬鹿みたい上昇している。見るまでもない、ラファエラが覚醒体になったのだ。

 

地響きが鳴り響く。高所から高重量のものが落ちてきたような音、それはラファエラの着地音、それが意味するのは追いかけっこの再開である。

 

ローズマリーは更に妖気を解放し、足に力を込め、死ぬ気で走った。そんな彼女の背後から数十の物体が飛来、ローズマリーの頭上を通り、浜辺の手前に扇状に突き刺さる。

 

「…………」

 

何が目的だ? 走りながらローズマリーが思った。狙いが逸れたにしてはあまりにもノーコンな投擲、行く手を遮るにしては攻撃と攻撃の隙間が大き過ぎ、何より海に近過ぎる。ローズマリーはラファエラの意図が分からなかった。

 

しかし、そんなローズマリーの疑問も数秒後には解決する。

 

ーーとても嫌な形で。

 

地に突き立ったラファエラの攻撃、柱のようなそれが強い妖気を発し、ビキ、ボコと音を鳴らし急速に形を変えていく。

 

「……いやいや、冗談キツイよ、これ」

 

その光景を前に、ローズマリーが立ち止まり顔を引き攣らせた。それはとても見慣れたものだったから。

 

そう、それは覚醒者が覚醒体へと変じる姿そのものだった。

 

そして、その結果、ローズマリーの前に数十の覚醒者が現れ、彼女を包囲する。

 

「…………」

 

覚醒者達はみな同じ姿をしている、それはルシエラの覚醒体にそっくりだった。

 

「(全員、ルシエラさんレベル、とか……ないよね?)」

 

後方のラファエラ本体に注意を向けながらも、ローズマリーは前方のルシエラもどき達に意識を集中する。

 

そんなローズマリーに。

 

「それほど嫌か?」

 

ルシエラもどきの一体が声を掛け。

 

「案外、悪くないものだぞ」

 

更に別の個体がその言葉を引き継ぎ。

 

「覚醒するのはな」

 

そして、また別の個体が告げて来る。どの声も完璧にラファエラのものだ。ルシエラのコピーを大量に作り出し、それを操るのがラファエラの能力、そうローズマリーは判断した。

 

「……幾ら何でも反則過ぎません?」

 

判断したから思わずローズマリーはそう言った。

 

まあ、そりゃ、言いたくもなるだろう、なにせ覚醒者を量産し、操るなんて能力を見せられてはその恐ろしさが理解出来る者なら誰だってそう言うだろう。

 

「いや、そうでもない、これにも色々問題がある」

 

そう、言いながらルシエラコピーの一体がローズマリーに襲い掛かった。その速度は本物に比べれば遥かに遅い。だが、それでも楽観視出来る程は鈍くはなかった。

 

ローズマリーは振るわれた腕を掻い潜り、懐へ飛び込むと、その腹に掌底を叩き込んだ。

 

攻撃が当たったコピー体が吹き飛ぶ、それに合われてローズマリーも前進、コピーを盾に包囲網を抜けるつもりなのだ。

 

「……少々、動かし辛いな」

 

弾き飛ばされたコピーがそう呟く。すると盾にしていたコピーの腹をブチ抜き、鋭い爪がローズマリーに迫って来た。

 

「………っ!」

 

それをローズマリーは横に飛んで躱す、そこで彼女の目に飛び込んで来たのは突進するコピーの群れ。

 

コピー達の全身からは見覚えのある突起物が生えている。

 

これはヤバイ、ローズマリーは総毛立つような感覚を覚え、上に飛んだ。直後、ローズマリーが居た場所を多数の杭が通過した。

 

その時、ローズマリーは見た、杭に小さな目と口が生えているのを。どうやらコピー体も侵食する杭を打つらしい。

 

「…………」

 

宙を舞いながらローズマリーは周囲を素早く見回した。杭を放ったコピー達は、身体の大半を変換して射出した為か、その場で倒れて動かなくなる。

 

再生能力は高くないらしい、朗報だ。

 

しかし、凶報もまた存在する。残り全てのコピーが一斉にローズマリーに向かい跳躍したのだ。

 

ほぼ全方位から迫るコピー、しかも、その全身には数え切れない突起物、足場なしの空中ではどうやっても回避出来そうにない。

 

「ちょ、待って」

 

なので、ローズマリーはダメ元で攻撃の停止を要請。

 

「悪いが待たない」

 

しかし、当然、ラファエラはそれを拒否。

 

次の瞬間、全方位から数千の杭が発射され、ローズマリーの全身を貫いた。

 

 

 

 

 

 

太陽はとうに沈み、闇が支配する岩石地帯、そこをリフルがひた走る。数十の触手を脚とした速度は正に疾風、闇夜を駆ける黒い風だ。

 

しかし、そんなリフルは内心でこう思っていた。

 

ーー遅過ぎる、と。

 

ああ、確かに速い、自分はとても疾いだろう。覚醒者の中でも最上級、極々少数の例外を除けば最速だと確信している。

 

だが、そんな速度もこんな化物を相手にどれほど通用する? リフルは背後に迫って来る地響きに目を向けた。

 

リフルの遥か後方、暗い大地に鳴り響くそれは信じられない事に足音(・・)なのだ。それも巨大な覚醒者のものではなく、人間大の、小柄な戦士のもの、リフルも実物を見ていなければ到底信じられなかった。

 

だが、残念な事にこれが現実、まあ。出会った時に感じた、自分と比してなお巨大過ぎる妖気からすればこれ位当然の事なのかも知れないが。

 

「(あーあ、失敗したわね)」

 

逃げながらリフルは後悔する。

 

こんな事になるなら、欲を出さず今まで通りひっそり暮らして居れば良かった。あるいはもう少し三人でのんびりと暮らし、ダフルが成長するのを待てば良かった。そうしていればあれにも勝てたかも知れないのに。

 

「(……いや、難しいか)」

 

リフルは自分の考えを否定した。

 

可能は十分ある。しかし、成長するのは何もダフルだけではない、あれも年齢的に成長中に見えた。だから、例えダフルが成長しても結果は変わらなかったかも知れない。

 

ーーつまり。

 

「……組織を潰すのが遅過ぎたのか」

 

「りふる?」

 

突然の呟きに、己の腕の中で覚醒体を解いたダフが自身の名を呼ぶ、その手には大事そうにダフル抱えられている。ダフルは胸から下を失い苦しそうに目を閉じているが、身体は徐々に再生している、この調子なら死にはすまい。

 

「なんでもないわ」

 

ダフルの様子に安堵しリフルは微笑み、そして、少し昔を思い出す。

 

思えばこの数十年、色々な事があった。楽しい事、嬉しい事、悲しい事、悔しい事。そして驚く事。

 

驚く事と言えば、自分が母親になった事だ。

 

自分が子供を産むなど戦士になった時は思ってもみなかった。なにせ半妖になる施術で身体を切り開かれた自分は子供を産める身体ではなくなってしまったのだから。

 

しかし、そんな身体も覚醒により癒えている、だからという訳じゃないが、リフルは自分が覚醒した事を後悔した事はない。最初から他人の為に頑張るなんて性に合わなかった。覚醒した時は清々としたくらいだ。

 

ーーそして、驚く事はもう一つ。

 

「なあ、りふる、どうしたんだ?」

 

何より自分の伴侶がこんな醜男になるなんて想像もしてもいなかった。

 

「ダフ、あんた本当に不細工よね」

 

「ひでぇ、いや、それよりあいつがきちまう、おろしてくれ、おれがじかんをかせぐから」

 

「……見てくれはダメダメ、身体も臭い、頭は低脳、好きになる要素なんてなかったんだけどなぁ」

 

「り、りふる?」

 

自分の言葉に答えず、こんな状況で何を言ってるのか分からない、ダフの声にはそんな感情が籠っていた。それにリフルは溜息を漏らす。

 

「はぁ、相変わらず鈍いわね」

 

「わ、わりぃ」

 

「……まあ、良いわ……ねぇダフ、あたしのお願い、聞いてくれる?」

 

「おう、りふる、のならなんでも、きくぞ」

 

「本当になんでも?」

 

「ああ」

 

「本当に? 嘘つかない?」

 

「ああ、うそじゃねぇ」

 

「約束する?」

 

「ああ、する」

 

「……そう、じゃあ、その子をお願いするわ、お父さん」

 

リフルは走るのに使っていた触手の一部をダフに絡め、胸元から顔の近くまで二人を持ち上げる。そして二人の口に触れる程度のキスをした。

 

「り、りふる!?」

 

「絶対逃げ切ってね」

 

次の瞬間、リフルは長い触手を大きく振るい、限界まで遠心力を加えるとダフとダフルを遥かに前方へと投げ飛ばした。

 

「り、りふるうぅぅぅうう!?」

 

尾を引いてダフの叫びがリフルの耳に届く。しかし、それも数秒の事、直ぐにダフの叫びは聞こえなくなった。

 

「バイバイ、ダフ、愛してるわ」

 

恥ずかしがって面と向かって言った事がなかった。そして、それは最後まで同じ。その言葉はダフには届かない。聞かせるつもりはない独り言なのだから。

 

「……さてと」

 

リフルは家族に別れを告げると逃走を止め振り返る。更にその動きと連動させ背後に触手を走らせた。

 

放たれた触手が黒い刃と化し、鋭い斬撃となって振るわれる。

 

しかし、その黒刃はより鋭い刃に両断された。

 

それを成したのはもちろんテレサだ。彼女は多数の触手を斬り飛ばし、立ち止まる事なく前進する。早く自分を始末してダフルを追いたい、そんな内心が見え見えだ。

 

「舐められたものね」

 

リフルは足に使うものを除き全ての触手を束ねると巨大な剣を作り出し、直進するテレサに振り下ろした。

 

「く……っ」

 

予想以上の速度と大きさに、回避が間に合わない。テレサが大剣でそれを受け止める。瞬間、テレサの足が地に埋まり、周囲に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせた。

 

しかも、リフルの攻撃はこれで終わらない。巨剣の一部が解け再び黒帯の触手となる。それが地に押されたテレサに放たれた。

 

「……ちっ」

 

舌打ちし、テレサが一瞬だけ妖力解放率を引き上げる。そのまま彼女は巨剣を力任せに跳ね除け、バックステップで触手を躱した。

 

「…………」

 

身体が重い、自分の動きにテレサは顔を顰める。傷はあらかた完治した、しかし、ダフルとの激戦でかなり体力を消耗していた。

 

その影響で集中力、反応速度が落ち身体が重く感じるのだ。

 

「行かせないわよ、絶対に」

 

そう言って、多数の触手を構えるリフル。全ての意識を戦う事に向けた彼女はテレサをしてそこそこ(・・・・)強そうに思えた。

 

「…………」

 

テレサは一度、リフルから距離を取る。そして、周囲の妖気を探り、ほどなくしてダフルを見つけた、今も遠ざかっているが、まだ知覚出来る範囲、しかし、現在地と逃亡速度から十分以内に方をつけねば追付けない。

 

「……はぁ」

 

ならば、さっさと倒してしまおう。どちらにせよ、逃すなんて選択肢はあり得ない。なにせリフルは()なのだから。

 

 

 

 

 

それから五分後、リフルはテレサの前に敗れる事になる。

 

しかし、深淵の意地で……いや、母親の意地でリフルは命を捨てて特攻、自身の命と引き換えにテレサの足に傷を付ける事に成功、十分の再生時間を稼ぎ、見事家族を逃す事に成功したのだった。

 




○○○ → アガサ+ラキア

……全国一億二千万のリフルさんファンの方、申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話

ようやく、長かった虐め展開も終わりに近付きます(終わるとは言ってない)


入って来る。

 

「あっ」

 

自分の(なか)に入って来る。

 

「あっ あっ」

 

それは記憶であり記録、ラファエラの思い出が頭に入って来る。

 

「あっあっ あ」

 

ーー右目に刺さった杭を伝って。

 

「あっ、あ、あ、ああああああああああああッ!!」

 

ローズマリーが絶叫した。

 

大事な何かが押しのけられている感覚。それは自分が消えようとしている感覚。

 

右目に……いや、全身に刺さった杭が、ローズマリーを侵食し、彼女をラファエラ(・・・・・)という存在に書き換えようとしているのだ。

 

「あがあ、ああ、ああああああああッ!!」

 

散り散りになる意識、存在を上書きされる恐怖。ローズマリーがガムシャラに暴れ、それにより深く杭が身体に刺さっていく。思考能力が低下し、杭を抜くという発想にすら辿り着けない。

 

ローズマリーはただ意味もなく暴れ回り、周囲の全てを壊していった。

 

「……ふむ」

 

そんなローズマリーの様子を見て、巨人が小さく呟いた。

 

どんな覚醒者よりも大きな天を衝く巨躯に、悪魔のような捩れた四本の角、羽毛のない骨肉で作られた飛べない翼を持ちーーそして、その腹部は大きく膨れ、中央には目を閉じた獣の顔が存在した。

 

全体で見ると、子を孕んだ女性像に見える巨人。それこそがラファエラの覚醒体、深淵を超える者の姿だった。

「……………」

 

「あ…が、かかか…」

 

暫くの間、ラファエラが真剣な目でローズマリーを観察する。杭が刺さってから十分、ローズマリーの暴走は既に止まり、絶叫は途切れ、今では譫言のように意味のない音を口から漏らすだけとなっていた。

 

「…………」

 

しかし、そんな有様ではあるが、まだ、侵食は終わっていない。

 

「あ…あ……」

 

多数の杭に刺されながらも、未だにローズマリーの身体は必死に、ラファエラの支配を拒み続けていた。

 

「……良く粘るな」

 

そんなローズマリーをラファエラが称賛する。このままでは、侵食しきる前に杭が力を失う。それくらいの頑張りようだ。

 

「…………」

 

まあ、逆に言えば、ローズマリーの頑張りはその程度の成果しか出せていないという事だ。

 

はっきり言って、そんなものは焼け石に水。杭の替えはいくらでもあるのだ。ただラファエラは逃げる力を失ったローズマリーが限界を迎えるまで侵食を続ければ良いのだから。

 

「…………」

 

ラファエラがピンと伸ばした人差し指をローズマリー向ける。すると次の瞬間、その爪が伸び、ローズマリーを大地に縫い止めた。

 

「……が、あが、が、が」

 

昆虫の標本のような状態のローズマリーが、ビクンっと、大きく跳ねる。意識しての行動ではない、ただ、攻撃に対し肉体が条件反射を起こしているだけ。

 

今、彼女は朦朧としており、意識して身体を動かせる状況にない。

 

「…………」

 

ラファエラはローズマリーを少し検分した後、刺した爪に妖力を込める。すると水を与えられた植物のように、爪がローズマリーに根を生やしていき、彼女を侵食する。している事は杭と同じ、ただし、本体が直前行っている分、効力は断片である杭より遥かに高い。

 

その為、侵食は一気に進む。

 

「………あ、ぎゃぁあああぁああッ!?」

 

すると、再びローズマリーの絶叫が周囲に響いた。どこにそんな力が残っていたのか? ラファエラの爪を砕かんばかりにローズマリーが暴れる出す。

 

彼女の身体は本能的に分かっているのだ、絶対に逃げねばならないと、ここで逃げられねば自分が終わってしまうと。

 

「がぁあああッ!!」

 

ローズマリーが手足を地面に叩きつけ、無理やり身を捻り、胴体を抉って爪から逃れようとする。

 

しかし、それを叶えてやるほど、ラファエラは優しくない。

 

「…………」

 

ラファエラが無言で、ローズマリーの四肢を粉砕した。

 

ローズマリーの四肢が即座に再生される。だが、再生した四肢をまたラファエラが粉砕した。

 

再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕、再生、粉砕。

 

「…………」

 

抵抗する虫の足を捥ぐように、繰り返し繰り返しラファエラはローズマリーの四肢を壊していく。

 

復元しては打砕き。新たに生えては引っこ抜く。そんないたちごっこをラファエラとローズマリーは何度となく続け。

 

そして、それが百を幾つか超え、ローズマリーが手足が歪に生え始めた、その時。

 

「……もう、眠れ」

 

遂に、ラファエラの侵食が、ローズマリーの抵抗を押し切った。

 

 

 

 

 

 

 

今、振り返って考えれば、正直、その時は事の重大さを理解していなかった。

 

「ーーーー」

 

自分が何をしているのか、自分が何をされているのか、それを考える余裕は残っていなかった。そう、その時はただただ怖かった。

 

自分が消えていく感覚、押しつぶされる感触、それが加速したのが堪らなく怖かったのだ。

 

それまでは寄せては返す波のように一時的に記憶の一部が押し流されても、すぐに自分に返って来た。

 

しかし、暫くすると、それが返って来なくなった。

 

それはまるで、落ちる砂時計のように、ひっくり返さない限り戻って来ないような気がした、それは良く覚えている。

 

そして、それを自覚した時、目の前に本当に砂時計が出現したのだ。

 

いや、今思えばあれは追い詰められた私が、妄想で作り出した幻覚だったのだろう。

 

しかし、その時は手に取れる本物と錯覚した。落ちる砂時計の砂が、自分の記憶だと気付く、根拠もなく理解した。

 

「…………」

 

砂粒は残り少ない。その時には既に、自分が誰か分からなくなっていた。いや、自分はラファエラだ(・・・・・・)と、思い掛けていた。

 

だが、残った記憶の切れ端が必死に、私はラファエラなんかじゃない! と否定する。だからこそ、なんとかしなけばと思った。それは良く覚えている。

 

故に、私は砂時計に手を伸ばした。

 

落ちた砂を戻すのなんて簡単だ、ただひっくり返せば良い(・・・・・・・・・)そう思って砂時計に手を掛けたのだ。

 

砂時計を持ち上げた瞬間、それまで以上の恐怖が押し寄せて来る。その理由が分からない。自分が消される以上に怖い事なんてある筈ないのに。

 

そう、その時は私は考え、恐怖を振り切り、一気に上下の向きを入れ替えた。

 

 

ーーそれが、自分の死より恐れていた事とは気付かずに。

 

 

 

 

 

 

それはいきなりの事だった。

 

「………ッ?」

 

ローズマリーを侵食していた爪が、負荷に耐えかねたように砕け散る。何が起こったのか、ラファエラがすぐに察知、一旦、後方に飛び退いた。

 

「…………」

 

下がったラファエラが、倒れたローズマリーを観察する。その目はここに来て初めて警戒の色が浮かんでいる。

 

しかし、そんな視線を受けながらローズマリーは寝起きのように、まだ眠っていたいと言わんばかりのゆっくりした動きで立ち上がる。その仕草から危機感は感じない。

 

そして、ローズマリーはとろんとした目を何度か瞬きさせると、ラファエラに視線を “向けず” やや虚ろな目で、自身の身体を見下した。

 

「…………」

 

ローズマリーが見た自分の身体は配色は大きく変わっていた。

 

白過ぎて不健康そうなだった皮膚は、血色の良い温かみのある肌色に、同じく不気味だった銀眼はありふれた黒眼へ変化。

 

そして、色素の抜けた銀髪は、その名の通り、ローズマリーの花のような、どこか紫掛かった黒髪へと回帰する。

 

一糸纏わにその身体は美しく、そして人間らしく(・・・・・)見えた。

 

「…………」

 

ローズマリーは髪を引っ張り、その視界に入れる。

 

「…….ああ、確かに、子供の頃はこんな髪に肌だったな」

 

ローズマリーは懐かしそうに呟く、しかし、その顔は非常に暗く沈んでいた。

 

ーー分かるのだ。

 

戻ったのは見てくれだけで、その肉の内側は今まで以上に人間から離れたものに成り果てていると。それを本能的に理解していたのだ。

 

「……はぁ」

 

溜息を漏らし、ローズマリーが目を瞑る。思い浮かべるのは人、戦士、そして、覚醒者の顔……そして、その優先順位。

 

「………だよね」

 

諦めたような、どこか諦めきれないような呟きをローズマリーが漏らす。

 

ーーどうやら、順位が変動しているらしい。

 

「はは、本当に……本当にやってくれましたね」

 

そう囁き、ローズマリーは悲し気に笑うと。

 

「ねぇ……ラファエラさん」

 

目線を上げて、ラファエラに声を掛けた。

 

「……もう、良いのか?」

 

話し掛けられたラファエラが、ローズマリーにそう返す。それにローズマリーが頷いた。彼女の目は既に完全に醒めていた。

 

「ええ、お待たせしました」

 

「そうか、覚醒に伴う混乱は落ち着いたようだな」

 

そんな事を言って来るラファエラにローズマリーが頷くと。

 

「落ち着いた? ええ、そうですね、落ち着きましたよ」

 

そう言って静かにラファエラを見つめた。

 

「…………」

 

「…………」

 

そうすると、会話が途切れ、言い知れぬ緊張感が、周囲を支配した。

 

しかし、その沈黙は長くは続かない、いくら黙ろうと問題はないが、双方とも長々と時間を掛けるつもりはないからだ。

 

「その様子では、支配は完全に失敗か」

 

沈黙を破り、先に口を開いたのはラファエラだ。彼女はローズマリーを観察し、自身の支配が機能していない事を確認すると、僅かに表情を曇らせた。

 

「支配……さっきの杭の侵食の話ですか?」

 

「ああ、それだ。お前の意識を砕き、自分の操り人形にするつもりだった」

 

「はは、随分とエゲツない、ラファエラさんは私を仲間にしたいと言っていませんでしたか?」

 

「その通りだ、しかし、途中で人形にした方が楽だと気が付いてな、予定を変更した」

 

「……その内容の変化は私からすればたまったものじゃないんですが?」

 

「失敗したんだ、別に良いだろう」

 

そう告げるラファエラに、ローズマリーが呆れ顔となる。

 

「いや、それは結果論でしょう……まあ、良いですけど、それで、なんで覚醒してすぐに攻撃しなかったんですか? 大チャンスでしたよ」

 

ローズマリーが微妙に納得いかなそう顔で聞いてくる。その姿には出会った当初はなかった余裕が見受けられる。それにやはりか、とラファエラは内心溜息を漏らした。

 

「支配にしろ仲間にしろ、私の目的はお前に力を貸してもらう事だからな、当然、お前と交渉する為だ」

 

「交渉? 今からですか?」

 

「……そうなるな」

 

「それはまた、都合が良い考えですね」

 

「自覚はある。だが、復讐の為に手段を選ぶつもりはない」

 

「はは、なるほど、ではもう一度、ストレートに言ったらどうです? 私の仲間になれと」

 

「…………」

 

「聞かないんですか? 拒否権はないんでしょう?」

 

そう言ってローズマリーは微笑む……膨大な妖気と共に強い殺気を放ちながら。

 

いつの間にか、彼女は革鎧の様なものを装備していた。

 

「……それがお前の覚醒体か?」

 

迸る強大な妖気と殺意。それを受けながらラファエラがローズマリーに問う。その質問にローズマリーは笑みを深めた。

 

「さて、どうなんでしょう、覚醒したてで分かりませんね。それよりも早く聞いて下さい、私に仲間になれと」

 

「……質問するまでもないだろう?」

 

その、殺気を見れば一目瞭然だ。

 

「だとしても、聞いて欲しいものですね」

 

「……戦う気か?」

 

「私がしてもらいたい質問はそれではありません」

 

「お前は強い、その妖気を見ただけで分かる、きっとお前はルシエラ姉さんよりも強いだろう」

 

「……聞いていますか?」

 

「だが、多分、私の方がお前よりも強い、それでも……それでも」

 

ーー戦う気か?

そう、ラファエラが告げようとした瞬間、ローズマリーが消えた。

 

遅れて、炸裂音が周囲に響き、その頃にはローズマリーはラファエラの懐に潜り込んでいた。

 

「余計な話が長い」

 

大きく引かれた右腕が音の壁を打ち抜き、ラファエラの腹部、そこにあるルシエラの顔に着弾。

 

直後、もはや衝撃波と化した大音響と共にラファエラの巨躯が殴り飛ばされた。

 

「ッ……!?」

 

苦悶と驚き、そして怒りがラファエラの顔に浮かぶ。

 

苦悶と驚きは予想を遥かに上回る威力、そして、怒りは腹を、ルシエラの顔を殴られたからだ。

 

ラファエラが地に足を突き立て、体勢を立て直すと、鋭い視線をローズマリーに向ける。それにローズマリーは不敵な笑みを返し。

 

「さあ、聞いて下さい、仲間にならないのかと」

 

などと、ほざいてくる。それにラファエラがキレた。

 

ラファエラが右手をローズマリーに向ける、その掌に数十の突起が生まれ、それが杭となり高速で射出される。

 

しかし、その刹那、またもローズマリーが消えた。

 

いや、今度は辛うじて見える。しかし、対応が間に合わない。

 

ーー轟音。

 

再び、ラファエラの胴体に拳が減り込んだ。

 

「………ッ」

 

恐ろしく重い衝撃。踏ん張る両足が地を削る。ラファエラは森に巨大な爪痕を刻みながら後退、同時に彼女は翼でもってローズマリーに反撃した。

 

唸る大翼が巨剣となって接近する。攻撃直後で未だ宙にいるローズマリー。翼を持たぬ彼女にこれは躱せない。

 

故にローズマリーは巨剣に対し、右拳を突き上げた。

 

拳と巨剣が真正面から激突、直後、右手と翼が砕け散り、発生した衝撃に天地が鳴動、斜め下と斜め上、双方が逆方向弾かれた。

 

「……なるほど、そういう絡繰りか」

 

吹き飛びながら、冷静さを取り戻したラファエラが納得の呟きを漏らす。何を納得したかというとローズマリーの速力と攻撃力の理由だ。

 

ローズマリーが踏み込んだ時、その足裏から何かが射出され、地に突き立った。それがローズマリーを加速させのだ。そして、激突の直前、ラファエラは見た、彼女の拳が超高速で巨大化するのを。

 

ラファエラが巨躯に見合わぬ俊敏な動きで、くるりとバク宙、吹き飛ぶ勢いを回転運動で相殺し、着地、ローズマリーが激突した地面を睨む。

 

「……それが、お前の能力か」

 

「能力なんて大袈裟な、あなたのソレに比べればなんて事ないものですよ、身体を作り変えるなんて覚醒者なら誰でも出来る事でしょう?」

 

ーー私はただそれを他よりも早く行えるだけ、そう言いながら、ローズマリーが土煙が舞う着弾地点から姿を見せた。

 

「……それよりも早く聞いて下さい。仲間にならないかと」

 

「……まだ言うか、何故そんなに聞かれたい?」

 

「仲間になりたいからかも知れませんよ?」

 

「……嘘だろう?」

 

「まあ、そうですね」

 

ラファエラの言葉をあっさりローズマリーは認める。

 

「覚醒前にも聞いていたでしょう、私の仲間になれと、その時の心境と今の心境、感じ方の違いを知りたいんですよ、私が覚醒前と覚醒後でどう変わったか知る為に」

 

「……それは無駄な行為だぞ?」

 

「ええ、そうですね、しかし、それでも聞いて欲しい」

 

その眼は真剣であり、どこか縋るような色も伺えた。

 

「…………」

 

ラファエラは暫しの間、黙る。それと同時に、侵食中、万が一にもローズマリーを逃さぬように、周囲に配置していたルシエラのコピー体。その操作に回していた意識を本体に戻し、集中力を高めた。

 

それによりラファエラ知覚速度が大幅に上昇する。これでローズマリーを見失うなんて無様は晒さない。戦いの準備は整ったのだ。

 

「……では聞こう」

 

万全となったラファエラがローズマリーの真っ直ぐ見つめる。

 

ーーそして。

 

「私の仲間になれ、ローズマリー」

 

真剣な目でローズマリーを仲間に誘った。

 

「ーーーー」

 

 

 

 

 

「………ああ、やっぱり」

 

誘いを受けたローズマリーが悲しそうに目を伏せる。

 

「もう、私は戦士ではないんですね……この誘いを少し、嬉しく思ってしまいましたよ」

 

そう、言って泣き笑いを浮かべたローズマリー。そして、彼女は。

 

「しかし、お断りします」

 

ラファエラの誘いを断った。

 

瞬間、彼女の身体が変化する。

 

少女から大人へとなるように緩やかにその四肢が伸び、肌色だった革鎧は黒く暗くく、染まっていき、その厚みを増すと騎士甲冑へと姿を変えた。

 

「…………」

 

数秒後、ローズマリーが立っていた地点に、黒鎧を纏ったが戦乙女が現れた。

 

その大きさは人間体の倍もない、ラファエラの二十分の一以下、そんな小さな覚醒体だった。

 

しかし、それが纏う妖気はラファエラにすら並びかねない。

 

深淵を超える者、その三体目の誕生、それがローズマリーが完全覚醒した結果だった。

 

「…………」

 

ローズマリーが変化を終えた瞬間、ラファエラが全身から杭を発射した。何も、ラファエラはただ黙ってローズマリーが覚醒体になるのを待った訳ではない、変身の隙にどんな速度でも避けれない攻撃を用意したのだ。

 

数千あるいは万に届く巨大杭の豪雨がローズマリーに迫る。一人に対象を絞ったそれはどんなに動きが疾くとも避ける術は隙間的にない。

 

そんな豪雨を前に、ローズマリーは左腕を伸ばした。すると魔法のように、ローズマリーの全身を覆う黒いタワーシールドが出現、杭の嵐を受け止めた。

 

大地を穿つ杭の豪雨が轟音を響かせ盾を撃つ、立て続けに放たれる強力な射出に盾がヒビ割れ、砕けていく、しかし、盾は決して全壊しない、破損する度に、新品同様に再生する。

 

攻撃力が足りないのだ。

 

「…………」

 

ならばと、足が止まったローズマリーにラファエラは巨大な右手を振り下ろす。

 

ローズマリーの頭上に巨大な影、まるで天が落ちて来た様な錯覚する大きさとそれに見合う威力を持った攻撃だ。しかし、ローズマリーはこれを、この展開を待っていた。

 

右腕が振り下される直前、ローズマリーが地を蹴った、同時に足の一部を変形させ、杭として射出、それを地に突き立てることで通常ではあり得ない推進力を得ると、超高速で飛び出した。

 

巨腕を傘代わりに、弾幕の薄まった地点をローズマリーが盾を構え駆け抜ける。その速度は先程よりも尚疾く、瞬く間もなくラファエラの股を抜け、背後に着地。同時に再び地を蹴りの砕き、跳躍、その背に強烈極まる飛び蹴りを叩き込んだ。

 

「グぅ……ッ!」

 

ボコン、と、ラファエラの背中がクレーターのように陥没、蹴りの威力で、大きな放物線を描き、ラファエラが吹き飛んだ。

 

そして、ラファエラの背には未だに、ローズマリーが居る。蹴りと同時に足裏に巨大なスパイクを作り、それを突き刺す事でラファエラに張り付いたのだ。

 

ローズマリーが立つラファエラの身体から多数の突起が生まれ、それが槍となりローズマリーに襲い掛かる。

 

しかし、多数の槍に突き刺されながらローズマリーは小揺るぎもしない。ローズマリーの鎧は硬く、また、多少破損しても盾同様、一瞬で再生してしまう。

 

「……前言を撤回する」

 

背に作り出してたルシエラのコピー、その視界でローズマリーを捉えたラファエラが呟く。コピーの視界に映るローズマリー、彼女が掲げる両腕はいつの間にか、身の丈の数倍の黒い大剣へと変貌していた。

 

ーー防御も回避も間に合わない。

 

「どうやら、勝つのはお前の方らしい」

 

自身の敗北を認めたラファエラ。

 

彼女が縦に割れたのは、次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 




やったね、ローズマリー、ようやく準最強タグが活かせるよ!(白目)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話

他人のSSを早く更新してくれええええ! と、思いつつ自分の稚作の更新が遅い。つまり何が言いたいかと言いますと。



……遅れて申し訳ありません(土下座)


ふわりとローズマリーが地面に着地する。

 

それに遅れ、真っ赤な雨が降り注ぐ。

 

ズン、という重い音。真っ二つになった巨体が木々をへし折り倒れ込んだ。

 

土煙が舞い上がり、数秒ほど視界が悪化、その後すぐ強い海風に吹き、また視界がクリアになる。

 

澄んだ視界に映るラファエラはピクリとも動かない。ただ、彼女の身体から流れる多量の血液が川のように地面を赤く満たしていた。

 

「…………」

 

そんなラファエラをローズマリーは静かに観察すると、不意に違和感を感じ顔を顰める。

 

「避けましたか」

 

「ああ、正解だ」

 

虚空に溶ける筈のローズマリーの呟き、それを先程まで停止していたルシエラのコピーが拾い上げた。

 

「負ける可能性が高くなったのでな、逃げさせてもらったよ」

 

軽い動きで、立ち上がり、コピーが岩の一つに腰掛ける。仕留め損ねた事と、余裕あるその態度にローズマリーが目を細めると。

 

「あっさり勝てたと思いましたよ」

 

そう言って、鋭い視線で周囲を探る。すると動かなくなったコピー達が次々と再起動、そのままゾロゾロとローズマリーを包囲した。

 

普通なら絶対絶命の状況、以前のローズマリーでも厳しい戦況、しかし、今のローズマリーからすればコピーに囲まれた所でどうという事はない。

 

脅威がある敵はコピーなどではないのだから。

 

「…………」

 

ローズマリーは自分を取り囲むコピーの群れを無視してラファエラ本体を探す。だが、妖気を消している為か、彼女を見つける事は出来ない。

 

ならばとより一層集中して周囲を探るローズマリー。そんな、彼女にコピーの一体が。

 

「そう警戒しなくてもいい、もう、私はここには居ないからな」

 

と彼女の思考を読んで話し掛けた。その口調は淡々としており、嘘を言っているようには感じされない。

 

「…………」

 

だが、所詮は感じないだけだ。こちらを騙そうとしているのかも知れない。故に、ローズマリーは。

 

「信用出来ませんね」

 

その言葉をコピーの身体ごとバッサリ斬り捨てた。

 

「……信じないならそれでいい」

 

しかし、斬られたコピーに変わり、新たなコピーが会話を継続する。変わりは幾らでも居るようだ。

 

「…………」

 

反撃が来るかと思い軽く身構える。しかし、コピー達は動かない。どうやら会話が望みらしい。

 

「(不意打ちするつもりか?)」

 

ローズマリーは言葉を引き継いだコピーを一瞥すると、いきなり、回転しながら右手を一閃。

 

元々刃の形に変化していた右手が遠心力で伸びるように巨大化、瞬時に百メートル強の大剣に変貌し、凄まじい勢いで周囲の木々ごと、全てのコピーを斬り捨てた。

 

「……よし」

 

視界が一気に開ける。だが本当にラファエラは見当たらない。これでようやく安心出来る。

 

「……信じないならいいとは言ったが、さすがに酷くないか?」

 

綺麗に腹から両断されたコピー。ソレが地面に転がりながら抗議の声を上げる。それに対しローズマリーは。

 

「必要な措置ですよ」

 

と澄まし顔でそう返すと、大剣を一瞬で腕に戻し転がるコピーに歩み寄った。

 

「それで、どうやって逃げたんです? もしかして杭に紛れてですか?」

 

「ああ、それも正解だ」

 

ラファエラはあっさりとローズマリーの予想を正しいと認めた。

 

「背中にお前が張り付いた時にな、重要な器官を杭に押し込んで射出し逃げたんだ。あのまま戦っても旗色が悪そうなったのでね」

 

「……なるほど、そして巨大な脱け殻を囮に、妖気を極限まで消す能力を使い、追跡すら許さぬ徹底振りで撤退したと……はは、便利なものですね、ラファエラさんの能力は、まさかあの巨大な身体すら遠距離操作出来るなんて」

 

倒れるコピーを見下ろしながら言うと、ローズマリーはおもむろに右足を持ち上げ、それを真っ直ぐコピーの頭に落とす。

 

ローズマリーの足裏がコピーの顏を打ち砕き、そのまま勢いを落とすことなく地面に衝突、激震と共に大きなクレーターを形成した。

 

「……でも、さすがにその能力は少し、ズルすぎませんか?」

 

「そうだな、お前の立場なら私もそう思っただろう」

 

続くローズマリーの言葉にまた別のコピーが答える。その変わらぬ口調にローズマリーの顔がうんざりしたモノに変わった。

 

「なら自重して下さい」

 

「そうだな、考えておこう」

 

適当な、気の無い返事をコピーが返す。それに思わずローズマリーが溜息を漏らす。

 

「はぁ……自重する気ないでしょう?」

 

「いや、これをすると自分が何処に居るか分からなくなる、そんな違和感を感じるからな、復讐を果たしたら止めるさ」

 

「本当ですか?」

 

「本当だ」

 

じーっと、ローズマリーが真偽を確かめるようにコピーを見る。コピーは身じろぎ一つしない。

 

「…………」

 

それから暫くし、彼女は何気ない仕草で腕を振るう。するとまたも腕が巨大化し、今度はその形をハンマーに姿を変え、コピーを叩き潰した。

 

「……そろそろ無意味に端末を壊すのは止めてくれないか?」

 

またもコピーを変えてラファエラが言う。だが、その口調には先程と違い少しだけ疲労の色が見える。多少は精神にダメージがあるのかも知れない。

 

脳内のメモ帳にローズマリーはそれを書き込んだ。

 

「……お前、的外れな事を考えているぞ」

 

「……ま、そうですね」

 

ラファエラの言葉を認め、ローズマリーは肩を竦めた。

 

「それで、まだ私に何か用ですか?」

 

「ああ、今後について少しな、お前はこれからどうするつもりなんだ」

 

「とりあえず、ラファエラさんを見つけ出して殺すつもりです」

 

さも当然のように言うローズマリーにラファエラの感情を反映してか、コピーが呆れたような表情を作る。

 

「覚醒させた事、まだ怒っているのか?」

 

「当たり前でしょう」

 

「……お前、意外と根に持つタイプだったんだな」

 

そう言うラファエラにローズマリーはさも心外だ、という顔をする。

 

「いや、覚醒ですよ、無理矢理覚醒させられたんですよ? そりゃ根に持ちますよ」

 

「そんなものか? むしろ覚醒して清々しい気持ちにはならなかったか?」

 

不思議そうに聞くコピー。挑発等ではなく本当にそう思っているのだろう。

 

「…………」

 

ローズマリーは眉をひそめる。別に嘘を言っても良い。だが今は嫌な現実を認める為にも本当の事を語ろう。

 

少しだけ悩んだ後ローズマリーはラファエラの問いに重々しく頷いた。

 

「……ええ、ええ、なりましたとも素晴らしい開放感と共にね」

 

「ならば何故?」

 

素晴らしい開放感と、苦虫を噛み潰したような表情で言うローズマリーにラファエラは疑問を深めた。

 

「……覚醒前に痛めつけた事を恨ん」

 

察しが悪い。見当違いの事を言い出したラファエラに、苛立ったローズマリーは質問途中のコピーを粉砕、それから息を吐き、自分を落ち着かせると、ゆっくりと答えを言った。

 

「……違います。分かりませんか? そんな気持ちにさせられたのが嫌なんですよ、死ぬ程嫌だった筈の覚醒を清々しく思う、そんな風に感じるように自分を変えられたというのが憎い、私の心に無理矢理押し入り、その思考を勝手に、根本から変えた事が憎い、だから私は貴女を殺したい程恨んでいる」

 

不快感を露わに、心底憎々しげに言うローズマリー。それは覚醒前の彼女を知る者からしたら信じられない姿だった。

 

怒りの為か、ローズマリーの全身から膨大な妖気が迸る。そのあまりの強さに妖気は物理現象に転換、突風という形を取り、周囲の小物を吹き飛ばした。

 

「…………無駄に難しく考えるんだな、自分の感情に素直になれば良いものを」

 

「その素直な感情というのが、勝手に変えられた思考から生まれているものなら素直には、なれそうにありませんね」

 

「ならばどうする、思考そのものは既に変わっているのだろう?」

 

「…………」

 

痛い所を突かれ、ローズマリーの言葉が詰まる。それから十数秒、彼女は能面のような表情で考え込み。

 

そして、答えを返した。

 

「……未定です、ただ、出来る限り戦士だった頃の自分を再現しながら生きていくつもりですよ」

 

「それはまた、疲れそうな生き方を選択する」

 

何処か哀れんだような声で言うラファエラ。それから彼女は一度言葉を切り。

 

そして、確信を持ってこう続けた。

 

 

「ーーしかし、それは無理だろう」

 

「……無理?」

 

いきなりの否定に不愉快そうにムッとする。それを皮切りに、再び発せられたローズマリーの妖気が、大気を震わせ、地面を割った。

 

「やってもいないのに何故そう断言出来るんですか?」

 

怒りを顔に張り付け、ローズマリーがラファエラに聞く。有無を言わさぬ迫力がそこにはある。

 

だが、そんなローズマリーにコピーは呆れたような声で言った。

 

「気付いていないのか?」

 

「……何をです?」

 

意味が分からない。表情に困惑を滲ませてローズマリーが聞く。

 

「お前が私に向ける憎悪の事だ」

 

その言葉に、ローズマリーはますます困惑した。

 

「憎悪がなんだと言うんです? まさか、自分を殺すのは不可能とか言いたいんですか?」

 

「いや、お前なら十分可能だろう、だが私が言っているのはそこではない……私を憎いというその感情、それは覚醒前なら感じたのかな? 」

 

「……あ」

 

そう言われ、ローズマリーはラファエラが何を言いたいのかようやく理解した。

 

「それほど感情を剥き出しにしているんだ、 『人だった頃はこう思っただろう』なんて考えて起こした行動ではない筈だ。しかし、お前はたった今、戦士だった頃の自分を再現しながら生きると言った、だから無理だと言ったんだ」

 

「…………」

 

ラファエラの言う通りだった。ただ、湧き上がる怒りに任せて行動していた。つまり、自分の心にーー覚醒し、変質した自分に素直に従っていたという事だ。

 

確かに、これでは無理と言われても仕方がない。

 

「私としてはお前が戦士のように生きるのに異存はない、私と敵対する事はあってもあいつと仲間になる事はないだろうからな」

 

「…………」

 

「だが、それは無理だ。簡単な事は意識出来ても、心の底から願っている事を偽る事なんて出来ない。隠そうとしても何処かで行動に反映される」

 

そう、告げるラファエラにローズマリーは反論出来なかった。最初の一歩目から失敗してしまっているのだから。

 

「結局はな、誰もが自分の心に素直になってしまう。幾ら押し殺した所でそれは変わらない。無理に人を真似てもどうせすぐにボロが出る。ならば最初から自分の心を偽らない方が良い、そうは思わないか?」

 

「…………」

 

その言葉は悪魔の囁きのように、スルリと頭に入ってくる。確かにそれを認めざるを得ない事だった。

 

「その通りですね、ラファエラさんの言ってる事は正しい、早くも自分の感情に従ってしまいましたから」

 

故にローズマリーは頷いて、こう続けた。

 

「……でも、それでも、私は人らしく生きたい」

 

「…………」

 

「それも、私の本心、素直な気持ちですよ」

 

ローズマリーの言葉を聞き、コピーは少しの間、沈黙する。

 

「……そうか、ならばもう何も言わない、好きにすれば良い。だが、もし、仲間になりたいと思ったら言ってくれ、歓迎しよう」

 

「……いや、今の会話の流れで誘いますか普通?」

 

呆れた顔でローズマリーが言った。

 

「ああ、芽がない訳じゃないだろう? 私の誘いを嬉しく思ったと言ったじゃないか」

 

「でも、それより遥かに貴女が憎いです」

 

「そうか、だが、そういう強い感情はいずれは薄れ、風化する」

 

「……それは、ラファエラさんのものもですか?」

 

「……さてな、だがどちらにせよ風化する前に復讐するさ、絶対にな」

 

「…………」

 

その念押しに、ローズマリーはラファエラの強い決意を感じ取った。

 

「お前の怒りが消えた頃、再びお前を訪ねるよ……ではな、また会おうローズマリー」

 

その言葉を最後にコピーは沈黙した。ラファエラが接続を切ったのだろう。

 

「…………はぁ」

 

確かに、仲間に誘われるというのは悪い気分にはならない。ローズマリーは溜息を吐くと、自身に生まれた感情を紛らわすように残りのコピーを念入りに粉砕。その後、彼女は周囲に危険がない事を確信し、覚醒体を解除した。

 

人の倍程の体躯が縮み、黒く金属質だっ身体が、人肌と同じ体色に変化。外見は完璧な人間の女性となると、そこから更に彼女の身体に変化が現れる。

 

黒髪は銀髪へ、肌の色は薄白く、そして、開いた眼は銀色へ。ついでに鎧や服も、皮膚の変化で作り出すと、たった数秒で戦士の自分を再現した。

 

「………微妙」

 

己の手足や髪を見てローズマリーが呻く。間違いなく戦士時代の、ほんの半日前の自分の姿、なのに違和感ばかりが湧いてくるのだ。

 

これも覚醒の影響なのかも知れない。

 

「…………」

 

自分の身体に視線を落としながら、ローズマリーは思う。

 

ラファエラの言葉は正しいと。

 

認めたくないだけで、分かってはいるのだ。感情を偽って生きるのは辛くて疲れる。そもそも、既知の事柄ならまだしも、未知に出会った時、人の頃はこう感じた、なんて考えても分からないのだから。

 

そして、未知の体験なんてこの世界にはいくらでも転がっている。

 

だから、ラファエラの無理だと言う言葉は実に正しい。

 

 

ーーだが、それでも。

 

「恥ずかしながら、私はテレサちゃんやヒステリアさんと一緒に居たいんですよ」

 

ローズマリーはそう思う。人の頃の思い出は色褪せている。戦士の時は良かったと思った行動も “今” 思えばなんて下らない事だろうと思うものも多数ある。

 

しかし、それでもテレサ、ヒステリアとの思い出だけは鮮明に見えた。

 

だから、人らしく生きたいという想いも、結局は彼女達と共に居たいからというのが理由だ。ただ親しい者達との関係を崩したくない、それだけが理由なのだ。

 

もし、本性をさらけ出しても彼女達に嫌われないというと言うなら、自分は喜んで覚醒した事を受け入れる……かも知れない。

 

それくらい今、自分は危ういとローズマリーは理解していた。

 

「はぁ、儘ならないな」

 

ローズマリーは胸のわだかまりを息にして吐き出すと一人、その場を離れ出した。

 

 

 

 

「……失敗か」

 

閉じた目を開き、ラファエラが呟いた。

 

ここは戦場から数キロ離れた盆地、そこからラファエラはコピーを通してローズマリーと話していたのだ。

 

戦場から離れていくローズマリーの妖気を捉えながら、ラファエラは今回の事を振り返る。

 

今回は大失敗だった。ローズマリーを仲間に引き込めず、それどころか厄介な敵を作ってしまったのだから。

 

「…………」

 

失敗の原因は幾つもあり、中でも大きいものは二つ。

 

一つはローズマリーの過少評価。覚醒時の想定していた彼女の戦闘力は深淵級だったのだが、蓋を開ければ、深淵を遥かに上回るという、完全に想定外の結果となってしまった事。

 

ーーそして、もう一つはラファエラが自分の能力を把握しきっていなかった事だ。

 

自分の支配が及ぶのがどのレベルまでか、ラファエラは大まかにしか分かっていなかった。もっと細かく認識すれば、或いは能力に使い慣れ、支配力を高めてから挑めばローズマリーを仲間にする事も可能だったかも知れない。

 

それが残念でならない。

 

「……はぁ」

 

あの戦力を逃したのは大きな損失だ。身体の疲れも相まってラファエラの口から自然と溜息が漏れた。

 

しかし、溜息を吐けば戦力が増すわけではない。復讐を果たすためにも次の行動に移らなければ。

 

「……さて、どうする」

 

ラファエラは体調をチェックしながら今後の事を考える。ローズマリーを除き、リフル達との戦いで役立ちそうな者はラファエラが知る限り6体、その内、所在が少しでも分かっているのは2体。

 

この2体は上下関係はあれど仲間で、しかも多数の部下を引き連れている。支配力の実験と練習にはもってこいだ。

 

しかし、今すぐ実験する訳にはいかない。なにせ大量のコピーと巨大覚醒体を囮に使ったせいで妖気が殆ど残っていない。その為、一時的とはいえ、ラファエラは高位覚醒者レベルまで弱体化してしまった。

 

今、この2体、最後の深淵と初代ナンバー2の覚醒者の元に行くのはいくらラファエラでも自殺行為だ。

 

故に今は動かない。今回の一件で懲りた。自分には準備が足りない、敵への憎しみが強過ぎて慎重さが欠如していた。

 

これからはもっと考えてから動こう。そうラファエラは決意する。

 

そんな時、彼女の腹がぐぅと鳴った。

 

そういえば覚醒してからまだ、“食事” を取っていない。

 

「……ふふ、先ずは腹ごしらえか」

 

ラファエラは苦笑し、愛しげに自分の腹部ーールシエラの頭を一撫ですると、美味そうな匂いが漂う、町へと足を進めるのだった。




今回で一部完、まで持って行くつもりが、全然持って行けなかった(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28話

た、大変お待たせ致しました。

申し訳ありません、スランプで書く内容は決まっているのに何故か文に出来ませんでした(汗)


 

組織に向かいながらローズマリーは思った。

 

ーー風景が変わるのが早い、と。

 

覚醒により、潜在能力が解放され、基礎能力が大きく上昇した為だろうか、ただ普通に、戦士で言う所の妖力解放なしで走っているのだが、以前よりずっと速度が出る。

 

「(力が漲る。それでいて完璧に制御も出来る)」

 

正直、ローズマリーは自分の強化された能力に引き摺られ、慣れるまでは動きがぎこちなくなると思っていた。しかし、蓋を開ければそんな事は全くなく、最初から以前と同等かそれ以上に上手く身体を操れていた。

 

「(そう言えば出会った覚醒者は足が六本だろうと、羽根が有ろうと上手く操れていたな)」

 

身体の変化に対応出来ずおかしな動きをする覚醒者など見たことがなかった。かく言うローズマリーも高速移動中に瞬時に覚醒体の形を変化させる等、超高難易度な身体制御を初見でしており、それでいてその制御を難しくも思わなかった。もしかしたら覚醒すると身体制御能力も上昇するのかも知れない。

 

「(……まあ、なんにせよ扱えないよりはずっと良い)」

 

力は有るだけ望ましい、特にこれからも戦士として生きるつもりのローズマリーは早々覚醒体を晒す事が出来ない、やって良いのは最大でも部分覚醒まで、その点を考えると人間体時の運動能力強化はとても有り難い。

 

ちょっとやそっとの実力ではこの世界では生き残れない、運が悪かったとしか言えないが、最近頻発した格上との戦いから改めてこの世界で生き残る難しさを知ったローズマリー。

 

彼女は以前よりも力を蓄えるのに積極的だった。

 

「(……しかし、それにして、速度も力もいくらでも引き出せそうだ)」

 

ーー今ならテレサちゃんにも勝てるかも。

 

思わずそんな考えが浮かぶほど、能力の上昇率が高かった。お互い妖力解放なしという条件なら高確率で勝てると思う。おそらく妖力解放したテレサ相手でも良い勝負が出来る筈だ。

 

もちろん、ローズマリーが覚醒体となり、テレサが覚醒しない事が最低条件だが。

 

「(……って、いやいや、なんで私はテレサちゃんと戦う事を考えている?)」

 

覚醒して無駄に好戦的になっているのかも知れない。ローズマリーは無意味な想像を首を振って消しさると、一人、組織へと足を早めた。

 

そこで本来感知出来る筈もない遠方から強い妖気が流れて来た。

 

「む……っ」

 

自分の知らない、だがこの距離ですら分かる大きさの妖気。その大きさは明らかに深淵を超え、あのラファエラにすら匹敵している。そんな妖気の持ち主は一人しかあり得ない。

 

「これは……あの黒い子か」

 

ローズマリーはこの妖気が黒い少女ーーダフルのものだ、と確信した。

 

「なるほど、やっぱり妖気も強いか」

 

納得の呟きをローズマリーが漏らす。おおよそ、妖気の強さと身体能力の高さは比例する。ならばこの妖気の強さも当然だ。

 

「…………」

 

流れてくる妖気の強さにローズマリーは顔を引き締める。

 

一度、黒い少女と相対したローズマリーだが、あの時は妖気を消す薬の影響で相手の身体能力しか分からなかった。

 

だが、その妖気を知れた今なら分かる、この妖気の持ち主の実力が。そして考える、ダフルの事を。

 

「(やはり、尋常じゃなく強い)」

 

ーー今の自分なら勝てるだろうか?

 

ある程度、妖気と身体能力を知れた今、この距離からでもダフルのおおよその力が分かる、ラファエラの発言を考慮して考えれば間違いなくダフルはラファエラ以上の戦闘力を持っているはずだ。

 

「(……なら、難しいかな? でも不可能ではないはず)」

 

ダフルと戦えばかなり拮抗した勝負になる、そうローズマリーは考えた。ダフルの技量にもよるが少なくとも容易く負けるとは思わない。そして、もし、同等ないし若干劣る程度のの戦闘力差ならば持久戦に持ち込んで勝てる。自身の再生能力を加味してローズマリーはそう予測を立てる。

 

ーーだが、その予測はあくまでローズマリーが全力を出せればの話だ。

 

「(……ああ、マズイなぁ)」

 

ローズマリーの顔に小さな焦燥が浮かぶ。

 

妖気を感じるのは丁度、彼女の進行方向、東の果て、つまり組織がある方角だ。考えるまでもない、ダフルは明らかに組織を潰そうとしている。

 

そして、組織にはテレサが居る。このままでは、テレサとダフルが戦う事になる。ローズマリーの見立ててでは二人の力はほぼ互角。だが、ダフルの近く高確率でリフルが居る。

 

いかにテレサとはいえ、深淵と深淵超えを同時に相手取るのは不可能に近い、このままではテレサが危ない。

 

「(他の妖気は……分からないか、仕方ないそもそも遠いし、なにより黒い子の妖気が強烈過ぎる。でもなんにしても今、本部で強いのはテレサちゃんくらいのはず……あんまり時間がない。このままじゃ間に合わない)」

 

ラファエラと戦ってから、二日が経過し、脅威的な速度で南の地を抜けたローズマリーだが、逆に言えばまだ、東の地に入ってすぐの地点なのだ。

 

今のスピードで走っても組織まで丸一日は掛かる。そんな経っては戦いが終わってしまう。

 

「(この妖気は持ち主から放たれて、それなりの時間が経っているはず)」

 

音や光と同じく、妖気にもまた、伝達速度が存在する。ローズマリーは妖気がどれくらいの早さで空間を伝わるか知らないが、感覚的に音より大幅に早いとは思えない。

 

要するに、星の光と同じだ。ここに届いた妖気はかなり前に放たれたモノ、ここまで妖気が届くという事は、既に戦いが始まっている可能が高い。

 

それ故、もしかしたら今更向かっても遅いのかも知れない。

 

ーー間に合わない、行っても無駄だ。

 

ーー着いたら着いたら覚醒体を解除して戦わないといけない。

 

ーー人間体で戦う気か? それは自殺行為だ。

 

そんな思考が浮かんでは消えていく。そして、それはどれも正しい事だった……しかし。

 

「とか、考えるて諦める位ならはじめから組織に戻ったりしないんだよね」

 

ローズマリーの全身から凄まじい妖気が迸った。

 

組織にバレる覚悟をする、隠すつもりが早速これとはローズマリーは思わず苦笑した。

 

しかし、この選択に間違いはない、なにせ、ローズマリーが組織に戻ろうとするのはテレサやヒステリアという親しい者が居るからだ、当然、組織に正体を隠すよりもテレサの命の方が重要だ。

 

「(最悪この一件を対処したら逃げれば良いしね)」

 

ローズマリーは決意を固めると、瞬時に覚醒体へ変身。膨大な妖力と再生能力にモノを言わせ足裏から連続で杭を射出、地に穿った杭の反動で一気に加速、閃光のような疾さで一直線に突き進んだ。

 

 

 

 

ーーのだが。

 

全力疾走を開始した僅か数秒後、ダフル以上に大きな、そしてよく知る妖気が現れ、ダフルと戦い始めると、20分と掛からず、決着が着いてしまった。

 

「ええ〜、うそぉ」

 

その勝者はよく知る妖気の持ち主ーー言うまでもなくテレサである。

 

要するに、テレサがダフルに、勝った。そして今、彼女は敗走するおそらくリフルと思われるダフルに似た妖気を追撃中という状況だった。

 

「(……いや、テレサちゃん強過ぎなんですけど)」

 

思わず思考が軽くなる。

 

ダフルとテレサの実力は互角か少しテレサが不利とローズマリーは予想していた。リフルが居ては勝ち目がないとすら思っていた。しかし、その予想を覆し普通にテレサがダフル達に勝ってしまった。

 

「(あの子とそんなに実力差があった?……いや、実力が近いのは確かか。例え、互角同士の戦いでも短時間で勝負が決まれば勝者に余裕が残るはず、あ、でも、リフルさんも居たわけだからやっぱり実力差があった?)」

 

なんにしても急ぐ必要はなくなった。ローズマリーが覚醒体を解き、速度を緩める。

 

ダフルとテレサによる妖気の嵐が収まり、二人以外の妖気も感じる事が出来るようになった。どうやら本当にテレサは一人でダフル達を相手取り勝利してしまったらしい。

 

そう、としか思えなかった。なにせ覚醒者以外で感じる妖気はテレサと組織本部にいる訓練生のみなのだから。

 

「(ここから組織はかなり距離がある、多分、覚醒は発覚しなかっただろう)」

 

テレサとダフルの妖気のおかげでローズマリーの妖気はそこまで目立たなかった。もしかしたらローズマリーの妖気を感知した戦士が居るかも知れないが、覚醒体を見られて居なければ言い訳は出来る。

 

「(まあ、とにかくテレサちゃんが無事で良かった)」

 

テレサがリフルを追撃中の為、まだ完全に安心は出来ないが、リフル相手なら先ずテレサが勝つだろう。深淵相手に随分な言い様だが、二人の妖気の強さの差からその予想はまず間違いない。

 

「……はぁ」

 

肩の荷が下りたようにローズマリーが安堵の息を漏らす。

 

ーーすると、それに続くように彼女の腹がくぅと鳴った。

 

 

 

 

 

「勝負……あった、わね」

 

地に倒れたリフルが弱々しく、だが安心したような声色で言った。彼女の宣言通り、勝負は決した。

 

ーーリフルの敗北という形で。

 

倒れ伏すリフルの下半身は寸断され、既に覚醒体の維持もできなくなっている。まだ喋れるのは流石の生命力だが、それも時間の問題、遠からず声は止まり、そして、命を終えるだろう。

 

まあ、当然の結果だ。ダフルの戦闘力はリフルを遥かに上回っていた。そして、そのダフルをテレサは破った。この時点でリフルに勝ち目は薄い……例えテレサにダメージが残っていたとしても。

 

だからこそ、リフルは時間稼ぎに徹した、逃した二人を追わせない為に、そして、その企みは見事に成功した。

 

「……ふふ」

 

「…………」

 

満足そうにリフルが笑い、それに対しテレサは無言で顔を顰める。テレサの視線はリフルではなく、自身の下半身に注がれている。

 

テレサの視界には本来在るべきものが欠如している。そう、テレサの右脚は膝から下が消失していた。

 

それは防戦に徹したリフルが最後の最後に見せた捨て身の反撃、今まさに致命傷を与えられている最中、絶対に避けきれないタイミングを見切り放たれた敗北前提のカウンター、その成果だ。

 

歴戦の強者たるリフルが自身の命を囮としたそれが見事にテレサを捉え、彼女の足を斬り裂いたのだ。

 

「……ロクでもない当て方」

 

テレサが苦々しい声で漏らす。それにリフルはさも心外そうな声色で答える。

 

「あたしだって、不本意なのよ」

 

でも、ああでもしないと当たらないんだもの、そうリフルは続けると、いきなり咳き込み大量の血を吐いた。蒸せ返るような鉄の匂いがテレサの鼻を打ち、テレサは更に顔を顰めるも、すぐに表情を消す。

 

自分にはやるべき事がある。

 

ゆっくりと、警戒しながらテレサが倒れたリフルに近付く、接近したテレサに弱ったリフルは視線だけを向ける。

 

ーー目と目が合った。

 

「…………」

 

「…………」

 

視線が合ってから数秒、テレサはゆっくり大剣を持ち上げる。リフルはノーリアクション、油断を誘っているのか、あるいは動ける余力がないのか。

 

だが、なんにしてもテレサがする事は変わらない。

 

テレサは意を決し振り上げた大剣を真っ直ぐ振り下ろす。それでもリフルは動かない。

 

結果、テレサの大剣はなんの妨害もなくリフルの首に斬り落とした。予想した反撃はなく斬撃は狙い違わずリフルを捉え彼女の命を刈り取った。最後の接触で完全に力を使い果たしていたのだろう。

 

「…………」

 

だが、そんな動かない相手を斬ったにも関わらず、片足で力が入りきらなかったせいか、本来その重さ故にあまり感じない肉と骨を裂く手応えが大剣を伝いテレサの腕を痺れさせた。嫌な感触だ。

 

手に残る不快な感触、カタカタと大剣が音を立てる。気付くと、腕が少し震えていた。そういえば命を奪うのは初めてだった。

 

「ちっ」

 

テレサは舌打ちし唇を噛みしめる。すると体の震えは治まった。戦士となる上で動揺の抑え方は訓練済みだ。

 

まあ、だからと言って平気というわけではないが。

 

「…………」

 

テレサは目を閉じ黙祷を捧げると、リフルから意識を切る。それからテレサは大剣を杖代わりに片足とは思えぬ素早い動きで少し離れた場所に落ちた自身の右足を拾い上げ、再生作業に入った。

 

しかし、再生に入ったは良いが、なかなか接続が上手くいかない。切断面が荒い為だ。時間が掛かりそうな斬り口、おそらくリフルが狙ったのだろう。厄介な置き土産だ。

 

再生を続けながらテレサはダフルの妖気を探る。すると妖気すぐに見つかった。しかし、既にかなりの距離を稼がれている。このままのペースでは足がくっつく頃には追いつけない距離になりそうだ。

 

ーー追いながら再生する?

 

そんな思考が脳裏を掠める。しかし、テレサは即座にそれを否定した。流石に片足を再生させながら追うよりも向こうが逃げる方が速いし、再生をしくじる可能性が高い。

 

およそ戦闘における死角のない天才であるテレサだが、彼女は攻撃タイプの戦士、防御タイプと違い四肢の接続は出来るが一から再生する事は出来ない。この接続を失敗すれば一生に関わるハンデを負う。

 

「…………」

 

ダフルは多少無理してでも仕留めたい所だが、今は傷を癒すのが先決。テレサはダフルを逃すリスクと足を失うリスクを天秤に掛け再生を取ると、潔く追跡を諦め再生に集中した。

 

 

 

 

「これだから戦士は面白い」

 

そう呟き、ダーエはとびきりの素敵なプレゼントを貰った子供のような会心の笑みを浮かべた。

 

「……どこがだ」

 

そんなダーエに彼の背後からリムトがランプを片手に現れ言う。珍しい事にリムトの顔には僅かばかり疲れが見えた。

 

まあ、仕方あるまい、組織壊滅の危機だったのだから。

 

「おや、避難されなかったのですか?」

 

現れたリムトに意外そうな顔をするダーエ、それも当然、組織の幹部は挙って船に乗り込み、この大陸から逃げ出す準備をしていた、その為てっきりリムトも船に居るものと思っていたのだ。

 

「最高責任者が逃げる訳にも行くまい」

 

「なるほど、確かに」

 

リムトの言葉に納得するとダーエは視線をリムトから地面に転がる肉塊に向けた。

 

「それにしても興味深い、まさかリフルが子を産むとは」

 

「……それは確かな話なのか?」

 

ダーエの言葉にリムトが疑問を挟む。

 

「覚醒者が子を産むのか?」

 

当然の疑問だ、リムトが組織の長となって数十年初めて聞いた話なのだから。

 

「はい、元々、男の覚醒者が生殖能力を持っているのは分かっていました。ならば低い確率ではありますが子供が生まれる可能もありましょう、また、外見、能力、リフルの態度からこの個体がリフルの子なのは間違いないかと」

 

ダーエが興奮したように早口でまくしたてる。

 

「…………」

 

良くない兆候だ。ダーエが興奮している時はロクなことが起きない、否、ロクな事を起こさないが正確か。嫌な予感に頭が痛む。リムトは片手で頭を押さえた。

 

「しかし、深淵を超える程の力を持った存在が生まれるとは、しかも、その者すら超える戦士が居ようとは夢にも思いませんでした。いやはや、やはりこうした予想外の自体は面白い、正直ヒステリアの実力が妖魔の肉の限界値と愚考しておりました、くくく、もう一度徹底して研究せねば」

 

「最強の戦士を一人を作るのではなく、強い戦士を複数作れ」

 

「より強い戦士を作るのも、重要でしょう?」

 

「……あまりに強過ぎても面倒なだけだ」

 

戦士の平均レベルが上がるのは嬉しいが、特出して強い戦士は管理が面倒だ。そういう者は大抵素行が悪く、扱いが難しい。

 

そして、今回の戦士は歴代でも最も管理が難しくなるだろう。なにせ、深淵以上の実力が確定している。万が一反逆などされては目も当てられない。

 

ーーストッパーが必要だ。

 

「……ダーエ、早急に戦力の増強を図れ」

 

「おや、早急にですと予算が嵩みますが宜しいので?」

 

「構わん、リフルは此処に来るまでに相当数の戦士を潰しているはず、ローズマリーはまだ分からんがそれ以外の一桁上位が全滅したこの現状は不味い」

 

「くくく、ですが、その損失が霞む程の戦士が生まれたではありませんか?」

 

「……分かっているだろう、増強理由はアレが反逆した時の抑止力だ」

 

つまり、テレサが反逆しても崩れない戦力を用意しろと、リムトは言っているのだ。

 

「……くくく」

 

そんなリムトの言葉にダーエは浮かべていた笑みを深める。

 

「分かりました。しかし、残念ながらあのレベル相手には普通の戦士や龍喰いを何体揃えても太刀打ち出来ません」

 

何が嬉しいのか、笑みを浮かべたままダーエは首を振る。

 

「……お前は戦士の可能性を見誤っていたのだろう、ならば龍喰いの可能性もそうなのではないか?」

 

「それを言われては耳が痛い。ですが、早急となりますと今まで通りのやり方では難しいと言わざるを得ませんな」

 

「……そうか」

 

リムトは重苦しく息を吐いた。

 

「それで、お前は普通ではないやり方を試したいと」

 

「はい、その通りでごさいます」

 

「ふん、で、お前は今度は何がしたい」

 

「……くくく」

 

その言葉が聞きたかった。ダーエはその言葉を待っていたのだ。彼は地を照らすように手に持ったランプを置くとゆっくりとその場にしゃがみ込み。

 

「早速ですがコレを使うつもりです……宜しいですね」

 

そう言って、落ちていた肉塊ーーダフルの下半身を指差した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話

……グロ描写あり。


戦いは終わった。

 

「…………ふぅ」

 

テレサが小さく息を吐く。ようやく全ての傷を癒し終わったのだ。

 

テレサはゆっくりと立ち上がり、背を預けていた大剣を引き抜こうとした。すると不意に足から力が抜けガクリと身体が沈み込んだ。

 

「…………ッ」

 

大剣の柄を強く握り、倒れそうになった身体を支える。しかし、その手も上手く力が入らない。酷く身体が気怠い。

 

「……当然か」

 

テレサは一人呟いた。

 

なにせ人生初の全力戦闘だったのだ。先ほどまで疲労を殆ど感じなかったのは、興奮と緊張から表に出ていなかっただけらしい。

 

まあ、それは当たり前のこと、誰であろうと全力を出せば疲れる。テレサもそれは例外ではなく…….いや、それどころか、疲弊の度合いは普通の戦士よりずっと高いだろう。なにせ深淵をも圧倒する強大極まる妖気を未成熟な身体で使ったのだ、全身にガタが来るのが必然だ。

 

「……追わなくて大正解」

 

今にも倒れそうな身体を見て、テレサがそう呟いた。これでは歩くことも難しい。テレサは溜息を漏らすと再び大剣に背を預けた。

 

「…………」

 

やることがないので空を見上げる。

 

今日は雲一つない快晴だった。その影響だろう、夜空もまた澄み渡り、砂銀のような星々がテレサを静かに見下ろしていた。

 

「…………」

 

星は世を去った人々の魂が転じた姿……そんな話を半妖になる前、両親から聞いたことがある。

 

なんでも、死んだ者の前に女神テレサとクレアが現れ、その魂を天へと導くとか。

 

もしそれが本当だったら、星となった両親は今の自分を思うか。まだ昔のように見守ってくれているか、それとも半分妖魔となった時に見捨てているか。

 

「…………はぁ」

 

テレサは視線を星から外した。

 

考えても詮無いこと、例え見守ってくれていても自分には分からないし、自分の力にはなってくれない。

 

それに、テレサはこの話をあまり信じていなかった。人は死んだら終わりだ。だからこそ、親しい者の死が悲しいのだ。

 

ーーだから、今、悲しいのだ。

 

テレサが妖気を探る。やはりヒステリアの妖気は感じない。ダフルに勝利した時から既に感じられなかった。そして、彼女が足止めしていたリフルがダフルを抱えて逃亡した。

 

つまり、ヒステリアは死んだのだろう。

 

疲労とは別の震えがテレサに走った。

 

「……無理するから」

 

生意気な、しかし、悲し気な口調でテレサが呟く。

 

意地っ張りでプライドの高いヒステリアだ、死ぬ気で足止め、あるいは相打ちするつもりで戦ったのかもしれない。

 

テレサは足を抱え、視線を落とした。俯く顔は周りからは見えない。

 

「………お姉ちゃんになんて言おう」

 

小さく掠れた呟きは、星空に溶けるように消えていった。

 

 

 

 

草木が減り、岩が目立ち始める。大分組織まで近付いて来た証拠だ。ローズマリーは組織に戻る前に改めて己の姿を確認する為、大陸最南端の川に立ち寄っている。飲み水なにも使用されるこの川は透明度が高く流れも緩やかで、鏡として使用するのに適していた。

 

とは言え、太陽がまだ出ていない今、光源は星明かりだけ、いくら鏡のように使えるとはいえ、この暗さでは姿の確認など出来ない。

 

しかし、そんなもは普通の人間の話。ローズマリーには関係ない。戦士の中でも特に五感が優れていた彼女は覚醒により更に能力を伸ばし、今では僅かな光さえあれば昼と同じレベルの視界を有するのだ。

 

「…………」

 

ジーっと、ローズマリーは己の姿を見る。

 

髪の色は銀色だ。

目の色も銀色だ。

肌は戦士特有の不自然な白さ、その姿は数日前の覚醒前となんら変わらない、これならば外見で覚醒を悟られる事はないだろう。

 

「(うん、身体の方は大丈夫そう……後は服と大剣か)」

 

今のローズマリーの服は戦士用のものではなく、覚醒体への形態変化を応用して作った “皮” の鎧だ。その為、見てくれは問題ないのだが少々生臭い。

 

「(服は破れが酷かったから、変えた事にすれば良い、実際嘘じゃないし……臭いは血が乾いたせいにしよう)」

 

最後の問題は大剣だ。

 

ローズマリーは大剣なし、妖力解放なしでも凡百の覚醒者くらい素手で解体出来る。それは覚醒前からで、今ならよほど強い覚醒者でもなければ無解放、無手で屠る事は容易い。よほど強いなんてレベルを軽く超越している深淵レベルでも妖力解放すれば対応可能。

 

そして深淵超えレベルが相手では大剣があろうと覚醒体なしではどうにもならないので逆に必要ない。なので現状、大剣がないからと戦闘面で困る事はないだろう。

 

ならばなにが問題なのか?

 

それは大剣を紛失した罰則だ。

 

「(……大剣はなぁ、無くしましたで許されるんだろうか? ……粛清とかされないよね)」

 

組織は、なにをどうしたらどんな罰則が有るかなんて教えてくれない。明言されているのは人を殺した時は必ず粛清されるという事だけ、他の罪は随分と曖昧で、絶対粛清されるだろうという行いをしたのに罰せられなかったり、逆にこの程度で? という軽いミスでキツイ罰を与えられる事もある。

 

「(業務マニュアルとかくれないかなぁ)」

 

いつも任務を口頭で伝えるのも困る、戦士になってすぐの頃、担当じゃない黒服が任務を教えに来た際、あまりに滑舌が悪くローズマリーは街の名前を聞き間違えて遠出した事があった。

 

その時、ローズマリーは聞き間違えたかも、という自覚はあったのだが、どうにももう一度お願いしますと聞ける雰囲気ではなく、多分合ってるだろうと出かけてしまったのだ。

 

そのミスのせいでローズマリーは最悪……いや、ここ最近に比べたら遥かにマシだが、かなり酷い目に遭った。

 

誤解した任務地は担当地域から遥かに遠く、その上で二日で済ませろと言われたので、かなり急いで向かう羽目になった。着いたらついたで空振りなら良いものを、間が悪い事に新人に任せるにはあまりに強い元一桁ナンバーの覚醒者がたまたま食事にやって来ており、休む間も無くその覚醒者と交戦。

 

激闘の末、なんとか勝利するも、任務を放置し全く違う場所に向かったせいで組織に離反を疑われ、なんとか疑いを晴らす事が出来たが、例の滑舌が悪い黒服からガミガミと聞き取れない小言を貰った末、覚醒者の単独討伐を評価されナンバーを上げられるとうローズマリーに取っては踏んだり蹴ったりの結果となったのだ。

 

「(いや、多分合ってるだろうで出掛けたのが悪いんだけどさ、重要ならちゃんと紙かなんかに書いて渡してよ! 『行けば分かる』とか曖昧なのも多いし)」

 

昔の事を思い出し、ローズマリーは脳内で組織に文句を言った。

 

「(おっと脱線した。大剣紛失についてだった……流石に粛清はないだろう。せいぜいナンバー降格とか、有事に使う様の資金カットとかかな?)」

 

ナンバー降格とかだと良いんだけど、とローズマリーは思う。

 

そんな時、ぐぅとローズマリーの腹が鳴いた。

 

「(そういえばお腹空いた、なにか食べたい…………あれ? そう言えば私ってなにを食べるんだ?)」

 

赤子でもあるまいし、自分がなにを食べれるか分からないというのはかなりあり得ない事なんだが、なにぶんローズマリーはつい数日前に覚醒者という半妖とは似て非なる者に生まれ変わった。

 

しかも、妖魔の血肉ではなく、覚醒者の血肉を使った戦士というイレギュラーな存在、普通の覚醒者は人の肉、特に内臓を好んで食べるが、ローズマリーは前例が無い為、なにを食べて良いか分からない。

 

とりあえず、ローズマリーは鏡代わりに使っていた川から手で水を掬って飲んだ。

 

「(うん、流石に水は大丈夫だよね、後は栄養になるものか……普通に考えたら人の肉なんだけど、それは戦士としてアウト過ぎる)」

 

ローズマリーは戦士時代の好物を片っ端からから想像してみる。

 

「(……特に問題なく食べれそうだ……でもなにか違う)」

 

想像した好物は普通に食べれそうなのだが、なんとなくあまり食指が動かない。まるで一カ月連続で同じものを食べた後、次の月と同じ食事ですと言われたような、言うなれば美味しいけど食べ飽きたような感覚。

 

「…………」

 

ならばと今度は自分が人を襲って喰らうシーンを想像してみる。すると。

 

「…………あれ、普通に不味そうなんだけど」

 

思わず声に出してしまった。それくらい人は不味そうだった。

 

「(そもそも火を通さずに生肉を食べるのが嫌だ、ユッケと考えれば美味しそうだけど、普通内臓を生で食べるか? 焼こうよせめて、寄生虫とか居たらどうする?)」

 

ローズマリーはラファエラに寄生され掛かった時の事を思い出し身震いした。とにかく生はない、サメも不味かったし、以前は好物だったが今は刺身もノーサンキューだ。

 

「(……あ〜、早まったな、組織に戻るなら自分がなにを食べられるか確認してからにすれば良かった。一旦戻ろうかな? いや、もう組織の近くまで来ちゃったし、今、反転したら色々と疑われる……まあ、普通の食事も食べれそうだからなんとかなるだろう)」

 

そう、ローズマリーは楽観視すると、再び組織に向かって歩き出す。

 

その時、風向きが変わった。

 

そして、風に乗って良い匂いが漂って来た。

 

「ッ!?」

 

瞬間、早鐘のように心臓が鳴り出す。

 

口が物凄く寂しい。とにかく “ソレ” を咀嚼したい。ぐうぐうと空きっ腹が喚き声を上げ、飢餓感が刻一刻と大きくなる。

 

「……なに、これ?」

 

あまりの空腹に飛びそうになる理性。それを抑えてローズマリーが疑問を問う。そんな彼女の意思とは別に、身体が勝手に足を動かす。その歩みは匂いの方への向かっていた。

 

まるで、覚醒する前にあった暴走のようだ。

 

早く速く疾く、とにかく “ソレ” を口に入れたい。歩みはすぐに走りへと移行し、それでも遅いとローズマリーの身体が彼女の意思に反して覚醒体へと変態、ブレーキをかける理性を振り切って全力で匂いの元へも駆け出した。

 

 

 

 

「え?」

 

休んでいたテレサは不意に強い妖気を感知した。それは良く知る妖気。そう、ローズマリーのモノだった。

 

ーーしかし。

 

「お姉、ちゃん?」

 

テレサは疑問の声を上げた。ローズマリーが組織に向かって来てるのはしばらく前から分かっていた。ならばテレサはなにが疑問なのか?

 

答えは妖気の大きさだ。

 

感じる妖気はとても強い、いや、強過ぎた。それこそ先のダフルに迫る程の強さを感じる。

 

ーーそれは。

 

「(……あり得ない)」

 

そう、あり得ない。ローズマリーの妖気が強いのはテレサも知っている。だが、ここまでのモノではなかった、絶対になかった。例え限界近くまで解放してもこれほどのものは出せないばずだった。

 

ーーそれこそ、覚醒でもしない限り。

 

「あり得ない!」

 

否定を口にしてテレサが立ち上がる。体力はそれなり回復している。動くのになんの支障もない。居ても立っても居られなくなったテレサは即座に妖気解放し、とんでもない速さでローズマリーの下へと駆け出した。

 

 

 

 

 

「…………」

 

其処にはほんの数十秒で着いた。

 

ゴツゴツした岩場、組織から程近い、岩石地帯。其処に、匂いの元が “あった”

 

匂いの元は一つの遺体だった。

 

「……………………」

 

覚醒体が解ける。呆然と、ローズマリーが立ち尽くした。高速で叩き付けられたのだろう、ソレは下半身を失い、上半身は半分潰れた状態で岩に減り込むように、張り付いている。

 

そして、その遺体はローズマリーの良く知る者のモノだった。

 

「……ヒステリア、さん」

 

その名をローズマリーが呼ぶ。

 

しかし、ヒステリアから反応は返って来ない、当然だ。ヒステリアはもう生きては居ない、ただのモノへとなったのだから。

 

「…………」

 

思考停止したローズマリー。彼女はふらふらと酔っ払ったような足取りで、ヒステリアの側へと寄る。

 

ーーそういう、事だったのか。

 

ローズマリーはようやく悟った。テレサがダフルとリフルに勝てた理由を。

 

何てことはない、テレサは一対一でダフルと戦ったのだ。そして、その間、ヒステリアはリフルの足止めをしていたのだ。

 

「…………」

 

間近で見るヒステリアの顔には苦悶が浮かんでいた。さぞ、痛かったのだろう。さぞ悔しかったのであろう。

 

ローズマリーはそっと、ヒステリアの身体を岩から外し、地面に横たえると半開きになった彼女の目を閉じてやる。

 

その際、ヒステリアの血が手に付着した。

 

「…………」

 

ドクンドクンと、心臓が早鐘を鳴らす。先程感じた感覚、ヤバイと思う間も無く、自然とローズマリーは手についた血を舐めていた。

 

「っ!!」

 

ーー美味い。

 

それは今まで口にしたどんなものよりも美味かった。ローズマリーの腕が今度はヒステリアの傷口へと動く。

 

「ッ!?」

 

そこでようやく、ローズマリーが理性を取り戻した。

 

意志の力で腕を止め、引き戻そうとする。しかし、それは一瞬遅く、傷口に触れたローズマリーの手がベッタリと血に汚れた。

 

手からヒステリアの血が垂れる……勿体無い。ローズマリーは再び手を口に運んだ。

 

ーーそこからはもう、止まれなかった。

 

腹を裂き、そこに顔を突っ込む。血は芳醇なワインのようで、肉は最高級の牛よりなお旨い。血の一滴も肉の一欠片も落とさない様にローズマリーはヒステリアを喰らって行く。

 

美味い、旨い、うまい。理性が吹っ飛び、獣の如く、ローズマリーは一心不乱にヒステリアを咀嚼した。

 

 

ーーそんなローズマリーに。

 

「お姉……ちゃん?」

 

とても大切な者の声が聞こえた。

 

「……ッ!?」

 

それがローズマリーを引き戻す、ヒステリアから口を離したローズマリー、彼女が目にしたのは胸から下を食い荒らされた無惨な遺体。

 

それから目を逸すようにローズマリーは振り返る。

 

次に見えたのはテレサの顔。

 

テレサは泣いていた。

 

「……あ」

 

初めて見るテレサの泣き顔、それに言葉が出て来ない。

 

なんと言えばいい? 一体この状況でなにが言える? ローズマリーは凍り付いたようにテレサを見つめ、そこで悟ってしまった。

 

ーーこんな状況なのに、まだ腹が減っている事に。それどころか、早く食事を再開したいと身体が主張している。それにローズマリーの意思さえ引っ張られている。

 

そして、その食べたいという食指はヒステリアだけではなく、テレサにさえ向いていた。

 

「(……ああ)」

 

もう、どうしようもないのだ。ローズマリーは終わりを自覚した。

 

テレサ、ヒステリアと共に過ごす。そんなものは覚醒してしまった時点で不可能だったのだ。

 

「……ごめん」

 

テレサから目を逸らし、ローズマリーは覚醒体になるとヒステリアを抱えて走り出した。

 

「待ってッ!」

 

後ろから静止の声が聞こえる。それでも止まらない。止まれない。自分を追うテレサを振り切り、ローズマリーは逃げ出した。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ」

 

どれくらい走っただろう。日は登り、テレサの妖気は感じない。ローズマリーは覚醒体を解除し、妖気を極限まで抑えた。テレサから隠れるように。

 

「はぁ…はぁ……はぁ………」

 

動きを止めたローズマリー。

 

「…………」

 

これからどうしよう。ローズマリーは途方に暮れた。

 

元々、夢なんてなかったが、やりたかった事くらいある。しかし、それは出来なくなってしまった。

 

「…………」

 

簡単だと思ったのだ。少し、窮屈な思いをするだけで、簡単に手に入るモノだと思ったのだ。

 

でも、それは勘違い。現実はそんなに都合良く出来ていなかった。呆れる程、今思えば笑ってしまう程甘い展望だった。

 

カラン、という音で我に帰る。

 

「あっ」

 

それはヒステリアが握り締めていた大剣が落ちた音だった。

 

「…………」

 

腕の中のヒステリアを見つめる。テレサから逃げる為に滅茶苦茶に走ったせいだろう、元々の状態もありヒステリアの身体は酷い事になっていた。

 

そんなヒステリアの惨状を、見て、ローズマリーの腹が鳴った。

 

「………ッ」

 

なぜ、逃げるのに邪魔な、ヒステリアを此処まで運んだ? なんの為に、ヒステリアを連れて来た? まさか、食べる気か、浅ましいッ!!

 

自らの唇を噛み千切り、再生したそれをまた噛み潰す。痛みはないが、こうしていると少しだけ理性が持ちそうな気がするから。

 

「……埋葬しなきゃ」

 

ローズマリーはなんとか食欲を抑え込むと優しくヒステリアを地に下ろす。そして、手で地面に穴を掘り、そこにヒステリアを入れた。

 

「…………」

 

穴の中のヒステリアにゆっくりと土を掛ける。すると勿体無いという気持ちが湧き上がる。ああ、なんという事か、ここは別れを惜しむべきであろう。

 

「………ひぐっ」

 

嗚咽が漏れた。自分のあまりの浅ましさに涙が出る。

 

そのままローズマリーは泣きながらヒステリアを埋葬し、自分が愚行に走らないように、祈る間も無く急いでその場を離れた。

 

後ろ髪を引かれる未練が、食欲に関する事なのが無性に悲しかった。

 

「ああ、許さない!」

 

ヒステリアの墓から離れながらローズマリーが叫んだ。強く大きな声、それは世の不条理を呪うように、自身の不甲斐なさを嘆くように、だった周囲に響き渡った。

 

「絶対だ、絶対に許さないッ!」

 

ローズマリーはヒステリアの大剣を柄が潰れそうなくらい握り締め、強い怨嗟の声を上げた。

 

「殺してやるぞ、ラファエラッ!!」

 

それは一人の復讐鬼誕生の産声だった。

 

 




クレイモアは少し不幸なくらいがデフォルト(白目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話

少し短めです。


雪に覆われた大地。白に支配されたそこに紅い雫が飛び散った。遅れて倒れた巨体が細切れとなりボトボトと雪を赤黒く汚す。

 

「……しつこいな」

 

そう巨人型の覚醒者の胸に生えた杭が呟く。

 

「…………」

 

そんな杭に答えず、黒髪黒目の女が巨人目掛けて踏み込んだ。

 

迎撃の為、巨人が蛇腹剣のような触手を振るう。だが、攻撃に合わせ女が急加速、触手は何も捉える事なく虚空を斬り裂き、代わりに白銀の大剣が杭諸共、巨人を両断する。勝負ありだ。

 

「…………」

 

しかし、敵は巨人だけではない。多種多様の覚醒者の群れが一糸乱れぬ動きで女目掛けて襲い掛かる。

 

いずれも体に杭を生やした覚醒者達は一分の隙もない完璧なコンビネーションで攻撃を繰り出す。それは正に阿吽の呼吸、まるで思考を共有しているよ異様な動きだ。

 

拳、触手、刃、そして杭。それらが互いの隙を補いながら、回避コースを潰し女に殺到する。その包囲網に逃げ場はない。

 

ーー故に、女は網に穴を開けた。

 

正面から来た巨拳に女が拳を合わせる。そのサイズ差大人と赤子のおよそ三倍、質量差は数十倍。女の行動は普通に考えて無謀な愚行だ。

 

しかし、そんな愚行があっさりこの状況を打破してしまう。絶望的なウェイト差を軽々と乗り越え女の拳が覚醒者の巨拳を粉砕、破壊は拳に留まらず衝撃に耐えきれなかった右腕が根元から吹き飛んだ。

 

「…………」

 

女の拳の威力に覚醒者が後方へと弾かれる。

 

そのまま女は前進し、包囲網から逃れると、地を蹴り跳躍。片腕を失った覚醒の顔面に足裏を叩き込んだ。直後爆散する覚醒者の頭部。それに続いて、女を包囲していた覚醒者の頭が次々と破砕、雪原に真っ赤な花を咲かせた。

 

女がした事は単純。蹴りの反動で他の覚醒者の頭へ跳躍し、またそこを蹴り砕き、跳躍、順番に頭を粉砕していっただけだ。

 

だが単純ではあるがそれは言う程容易くない。硬い頭蓋骨を一撃で潰す絶大な筋力に、覚醒者に姿を補足されない圧倒的な速力、そして高速運動を制御する抜群の身体バランスと空間把握能力を要求される絶技だ。

 

「…………」

 

ドン、覚醒者の遺骸に降り立った女が鋭い眼光を走らせる。視線の先には残り十数体となった覚醒者。そのどれもが一桁下位の戦士では手に負えない力を持っている。

 

だが、そんな覚醒者の群れを恐れる事なく、女ーーローズマリーは、真っ直ぐ彼等に踏み、ほんの数分で殲滅した。

 

 

 

 

 

ーー今回はかなり痛いな。

 

大木の裏、半ば雪に埋もれたラファエラが内心で愚痴をこぼす。

 

予想以上にローズマリーの妨害が酷く、南に行けば南に、西に行けば西に、そして北に行けば北に。覚醒してから約一年。ダフルを倒す為の戦力集めに奔走しているラファエラは事ある毎にローズマリーに邪魔をされていた。

 

ラファエラは完璧に妖気を消す事が出来る。だが、生物を侵食、支配する時は少なくない妖気が漏れてしまう。その妖気を感知し、何処からともなくローズマリーが現れ、せっかく支配した覚醒者達を潰してしまうのだ。

 

逃げるのはそれ程難しくない。妖気を完璧に消せばローズマリーでも補足出来ないのだがら。

 

しかし、そこで逃げられるのはラファエラだけ。ラファエラは妖気を外へ逃がさぬ事が可能だが、支配した覚醒者達はそれが出来ない。しかも、ある程度距離が近くないと覚醒者達を操れず、離れ過ぎるとただの木偶人形と成り果てる。

 

そうなっても距離を詰めれば再び支配が出来るが、支配が解けてからある程度時間が経つと人形は生命活動を停止してしまう。故に遠方に戦力を隠して置くことは不可能なのだ。

 

その為、ラファエラは毎回大所帯で移動せざるを得ず、それは必然的にローズマリーからも見つかり易くなり……と、戦力を集めれば集めるほどローズマリーに容易に発見される悪循環が出来てしまっていた。

 

そして、今回、その悪循環を断つべく、ラファエラは前々から狙っていた単体でも充分戦力になる存在。北の深淵イースレイの支配に乗り出した。

 

南で大規模な動きを見せ、それでローズマリーを釣り、細心の注意を払いつつ一気に北へ移動。見事にローズマリーを引っ掛け、単身イースレイを取り込みに来たラファエラだったのだが、流石は原初にして最後の深淵と言うべきか、イースレイは彼我の戦力差を素早く見切り、配下の覚醒者を囮にギリギリの所だがラファエラから逃げ果せたのだ。

 

で、そのイースレイを追おうとした所、入れ違いでローズマリーが出現。せっかく支配した数十の覚醒者達を残らず殲滅、結果、ラファエラは白銀の大地を幽鬼のようにフラつくローズマリーから隠れているのだ。

 

「(……しつこいな)」

 

覚醒者達を殲滅してから結構な時間が経ったが、未だラファエラを探すローズマリーの妖気を感じる。その妖気はローズマリーの感情を表しているのか激しく波打っていた。この波長は良く知っている自身がダフルに向けるモノと同一だから。

 

相当根に持ってるな、とラファエラは思った。今日で四度目の接触だが、最初を除き、ここ三回、ローズマリーは殆ど会話に応じずラファエラを全力で殺しに来ている、それはもう完璧に徹底的になんとしても殺すと考えているように見える。

 

ダフルという同格以上の他者が居る、漁夫の利を狙われかねない現状で、消耗を厭わぬその姿勢は捨て身の様にすら感じられた。

 

「(一度目の接触から二度目の間に何かあったか? なんにしてもこのままでは戦力が集まらない。ここは先にローズマリーを排除するべきか?……いや、単純な戦闘力は向こうが上、やはりもう少し様子を)」

 

そんな考えをラファエラが巡らせているとローズマリーの妖気に変化が有った。

 

ドンっと大気が揺れ雪が大きく舞い上がる。それは強大な妖気が物理現象に転化した証、ローズマリーが覚醒体となった余波だ。

 

「(このタイミングで?)」

 

急な覚醒体への移行にラファエラが疑問を抱く。

 

ローズマリーは先程まで一貫して人間体で……それも妖気を極力抑えて戦っていた。答えは考えるまでもない、力の温存の為だ。

 

一の力で倒せる敵を十の力で倒すのは無駄、近くに自身と同格の敵が潜んでいる状況で覚醒体にならないのは本来なら自殺行為に等しい。しかし、ローズマリーに限ればそれは当てはまらない。

 

圧倒的な変身速度を持つローズマリーは後手に回っても覚醒体への移行が間に合うのだ。しかも、頭以外は弱点が無い為、不意打ちの対応も容易で、実際、前々回、逃げる振りをして妖気消して強襲したラファエラにあっさり対応していた。

 

そんな彼女が覚醒体になった。力の浪費を抑える為にラファエラ本体を見つけるまで戦法を取っていた、全ての力をラファエラ討滅に使う為に温存してローズマリーがだ。

 

ーーそれは、つまり。

 

雪を跳ね除け、ラファエラが木陰から飛び出る。次の瞬間、白銀の刺突がたった今ラファエラが隠れていた木を粉微塵にした。

 

「ちっ」

 

どういう訳か、妖気を隠した此方の位置を察知したローズマリーにラファエラが舌打ちした。とにかく、このままではマズイ。覚醒体となる時間を稼ぐ為、ラファエラは後退しながら質問する。

 

「なぜ、こちらの位置が分かった?」

 

油断なく下がりながら問うラファエラ。しかし、当然と言うべきか、それに対するローズマリーの返答は五つの刺突だった。

 

ローズマリーの左手。その五指が鋭く伸びてラファエラを襲う。覚醒者どころか妖魔すら使う実にポピュラーな攻撃だ。

 

「くっ」

 

だが、その攻撃速度と威力は桁外れ、四本まではギリギリ回避するも一発避け損ない肩口から左腕を抉り取られてしまう。

片腕を失い僅かに体勢を崩すラファエラ。倒れはしないが速度が落ちる。そこに空かさずローズマリーが追撃する。足裏を巨大化させ、滑らぬように柔らかい雪を押して加速。一気にラファエラを大剣の間合いに捉えた。

 

そして、閃光のような斬撃が放たれる。

 

「ッ!」

 

紫電一閃、頭上から白雷のように迫る大剣、それにラファエラが残る右腕を振り上げた。覚醒途中の巨腕と白銀の大剣が激突、だが大剣は殆ど拮抗を許さず腕を断ち斬り、止まる事なくラファエラの胸に接触、鮮血が舞い飛んだ。

 

「ぐぅ」

 

胸を深く斬られたラファエラ、それでも動きを止めないのは流石だが、ローズマリーは既に次の攻撃に入っている。降り注ぐ雪を消し飛ばし、翻った大剣が再度ラファエラに襲い掛かった。

 

それをラファエラは避けようとする。だが、速度差からまるで間に合わない。出来た事は斬られる対象を胴体から脚に移しただけ。

 

「がっ」

 

肉を断ち斬る嫌な音と共にラファエラの右脚が身体から滑り落ちる。片脚を失い倒れそうになるラファエラ。そんな彼女にローズマリーは容赦なく次の攻撃を繰り出した。

 

左手を突き出しラファエラに向ける。その掌に数十の細く鋭い突起が生まれ、それが一気に解き放たれた。先の指を用いた刺突、それの応用だ。

 

串刺しにせんと鋭利な針が一直線に突き進む。その攻撃をラファエラは背から生えた骨の翼を盾に凌ぐ。しかし、幾つかの刺突は翼をすり抜けラファエラの身体に突き刺さった。

 

更に、突き立った針はラファエラの身体を貫通した途端、その先端が肥大化、彼女を逃さぬように返しを作りしっかり拘束する。

 

「ッ……!」

 

「終わりだ」

 

ここに来て、ローズマリーが初めて口を開く。彼女はラファエラをしっかり押さえ込み、万全の体勢で大剣振るう。

 

唸る剛剣。両腕を失くし、棘に縫い止められたラファエラにはこれを凌ぐ術がない。そして、天より落ちる大剣が動けないラファエラに接触し。

 

その右肩を斬り飛ばした。

 

「がっ」

 

「ちぃ」

 

ローズマリーが忌々しそうに舌打ちする。これでラファエラを仕留めるつもりが叶わなかったから。横合いから突然来た衝撃に狙いを外されたから。

 

その衝撃はラファエラの左腕……正確には左腕が変化したルシエラのコピー体のタックルが起こしたものだ。

 

万が一に備え、ラファエラは四肢が切り離された時、コピー体となるように仕組んでいたのだ。

 

コピーがローズマリーに抱きつきその動きを止める。そこに残りの斬り落とされた四肢がコピー体に変身、ローズマリーを羽交い締めにした。

 

その隙にラファエラは四肢を再生、爪で棘を斬り裂くと、束縛を逃れ覚醒体へと変身する。膨大な妖気が物理現象に転化され、発生した風が、舞い落ちる雪の軌跡を歪める。

 

次の瞬間、現れたのは山のような巨人、それがラファエラの覚醒体だ。

 

「ふっ!」

 

変身した彼女は今正に拘束を弾き飛ばしたローズマリーをコピーごと蹴り飛ばす。コピー体が砕け散り、ローズマリーが小石のように吹き飛んだ。

 

しかし、ローズマリーに目立ったダメージはない、直撃の瞬間、左腕を盾状に巨大化させ防御したのだ。

 

「…………」

 

弾き飛ばされながら、ローズマリーは左腕を元に戻す。更に彼女は背から翼を生やすと飛ばされる体勢をそれで制御し、ある程度安定した瞬間、強く強く羽ばたいた。

 

凄まじい膂力で振られた翼が暴風を巻き起こす。発生した風が木々を揺らす。ローズマリーはその力を持って天高く上昇、そして次の瞬間、方向転換。重力加速を加えラファエラ目掛けて突っ込んだ。

 

「…………」

 

最高速に達したローズマリー。その瞬間、彼女は羽を畳み、左腕を突き出すとランスへと変換。自らを黒い流星と化し、一直線に襲い掛かった。

 

ローズマリーの速度は先の追撃よりも遥かに速い。

 

絶対の死角たる真上から、尚且つ目視不可能な速度で迫る攻撃。これの対処は深淵とて十に一度出来るかどうかだ。

 

しかし、そんな攻撃にラファエラは慌てない。何故なら彼女は深淵超え、一割とはいえ深淵に防ぐ事が可能な攻撃、凌げない筈がないからだ。

 

尋常ではない妖力が、天を衝く巨躯をあり得ない速度で動かす。巨大からは考えられない俊敏さを発揮したラファエラは頭部を狙ったローズマリーの突撃を避け、それで終わらず同時に拳を突き上げた。

 

しかし、ローズマリーもまた深淵超え、この程度で如何にかなる彼女ではない。ローズマリーは直撃の瞬間回転し、両足を槍のよう鋭く変化させラファエラの拳に突き立てた。それにより拳に張り付くと、翼を鋭い触手に変化、肉に突き立て、ラファエラの腕を駆け出した。

 

「ちっ」

 

頭を目指し駆けるローズマリー。それに舌打ちし、ラファエラは腕を変化させる。丁度、ローズマリーが踏み込んだ皮膚に穴が開く。そこに足を取られたローズマリー。ラファエラは即座に穴の淵に歯が生やし、ガッチリ足を拘束する。

 

そして、ローズマリーの動きを止めたラファエラは即座に巨大な手でローズマリーを覆うと爆縮するような勢いで握り締めた。

 

「ぐぅ」

 

苦悶の声がローズマリーから漏れる。あまりの握力に身体が軋む、更に指の腹から生えた無数の杭が半ば自壊しながらも鋼に勝る肉体を貫きローズマリーにダメージを与えるのだ。

 

ーーしかも

 

「(なんだ、これは)」

 

ダメージとは別に血を吸われるように感覚がローズマリーを襲う。まるで生命そのものを奪われているような不快感。

 

「……ぐぅ、ああああっ!!」

 

危機感を感じたローズマリーは渾身の力でラファエラの手を押し広げ、身体と手の間に空間を作ると、拘束された足を切り離し全身に刃を生やして高速回転。ラファエラの手を切り刻み束縛から脱し、触手をラファエラの頭に打ち込み固定、触手を縮め、その勢いを利用し頭へ突進する。

 

しかし、その行動は僅かばかり遅かった。

 

「くっ」

 

ローズマリーが頭に届く数瞬前、ラファエラの頭に準備された十数本の杭が、全方位目掛け射出、そして、ローズマリーが頭へ到達した瞬間、頭に巨大な口が生まれローズマリーを丸呑みした。

 

 

 

 

 

耳を塞ぎたくなる破砕音と共に体液が周囲に飛び散った。

 

「…………」

 

ベタベタと張り付く血と肉片を落としながらローズマリーがラファエラの体内から脱出する。

 

「(また、逃した)」

 

暗い表情でローズマリーが視線を落とす。ラファエラを取り逃がしたのはこれで四度目、今回も良い所まで追い詰めたのだが、最後の最後に逃げられてしまった。

 

「……はぁ」

 

気が滅入って仕方がない。純粋な戦闘力では勝っているのに、逃走を許してしまう。それ程、ラファエラの能力は逃走に向いていた。

 

妖気を完全に消す能力に、遠隔操作可能かつ数十、数百と生成可能なデコイ。そして自身を杭とし、それを遠方へと飛ばす射出能力、この三つが合わったせいでラファエラは逃走能力はズバ抜けて高いのだ。

 

しかも、代わりに戦闘力が低いのかと問われれば否だ。一対一の実力はローズマリー方が高い、それは間違いないが、その差はかなり小さい。

 

天を衝く巨大を支える圧倒的な筋力、そこから繰り出される攻撃は強力でまともに喰らえばローズマリーとてタダでは済まない、それに加え他者を侵食、支配する力に今回新たに発覚した生命力を略奪されるような能力、逃走用で挙げたデコイの戦闘力も侮れず、妖気を消しての不意打ちはかなり凶悪だ。

 

「…………」

 

ラファエラが近くに居るなら妖気を消されても “匂い” である程度位置は分かる。しかし、このままでは、ラファエラを追っても取り逃がし続けるし、運が悪ければ返り討ちに合うだろう。

 

「…………」

 

やり方を変えねば殺せない。ローズマリーは今後の戦法を考えながら北の大地を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話

ただ一言。



お待たせいたしました。


走り抜けた剣閃が妖魔の腕を断ち斬った。クルクルと赤い飛沫を飛び散らせながら舞う右腕。それをすり抜けるように避け、女性が驚く妖魔に二の太刀を浴びせた。

 

肩口から銀の刃ががスルリと入る。大剣はまるで水を斬るように速度を落とすことなく、妖魔の身体を鮮やかに両断した。

 

「ば、バカな!?」

 

棒立ちの下半身を残し、重力に引かれた上半身がドチャリと落ちる。大剣が見えなかったのか、ここでようやく斬られた事を知覚した妖魔が驚愕の声をあげ、そんな妖魔を冷めた銀眼で女性が見下ろしていた。

 

「な、なんだ! なんなんだっ、お前はッ!?」

 

致命傷を受けた妖魔はあまりの実力差にあり得ないモノ見るような目で女性を見上げる。それを不快に思ったのか、女性の足が妖魔の後頭部を踏みつけた。

 

「ぐぎゅあッ」

 

瞬間、ゴキッという鈍い音とビチャリという水を撒いたような音が重なって聞こえた。石畳と鉄製の靴に挟まれた妖魔の頭が圧力に耐え切れず砕け散ったのだ。

 

「きゃっ!?」

「うわっ」

 

漏れ出た脳髄と鮮血が道を赤く染める。妖魔の凄惨な最後に町民達が悲鳴を上げた。しかし、そんな周囲に女性は特に興味を示さずにただ濁った体液が石畳を赤く濡らすのを見つめていた。

 

「…………」

 

それから、暫しの間、感情の読めない目で妖魔の遺体を見つめた女性だが、彼女はおもむろに視線を上げると大剣を振り払い血を落とした。赤い飛沫が町人達に掛かるが、彼等は震えるばかりで文句の一つも言えなかった。

 

「仕事は成した」

 

大剣を背負いそう言い放つと女性が町の外へと歩き出す。

 

「お、お待ち下さい」

 

そんな女性に慌てた声が掛けられた。この町の町長だ。彼は小走りで近付くと重そうな皮袋を女性へ真っ直ぐ差し出した。

 

「こ、こちらが今回の報酬です」

 

「ああ、それはいらんよ」

 

振り返りそう町長に告げる女性、妖魔を斬り殺した直後にも関わらず感情を読めない人形のような微笑は、町長が震え上がるほど冷たく美しかった。

 

「後から怪しい黒服が回収にやって来る。報酬はそいつに渡すといい」

 

「は……はい」

 

それだけの情報では渡し間違える。そう、町長は思ったが、口から出たのは短く掠れた肯定の言葉だった。

 

受け渡しの疑問よりも、町長は早くこのクレイモアに町を出てもらいたい、そう町長の心が体に訴えた結果だろう。

 

「…………」

 

女性はもう良いな、と無言で周囲を見回した。その視線から町人達は目を逸らす。どうやら質問はないらしい。女性はマントを翻し歩みを再開、凍りつく空気を気にせず今度こそこの町を後にした。

 

 

 

 

町を出てしばらく、女性は淀みない歩調で進んでいたが、不意にその足を止めた。進行方向から黒ローブを纏う人間が現れたからだ。

 

「終わったか? テレサ」

 

止まった女性ーーテレサに接近し、黒服が問いを投げかける。そんな黒服にテレサは興味無さげな目を向けた。

 

「それを問う意味があるのか?」

 

「フッ……確かに歴代最強の戦士に言うセリフではなかったな」

 

黒服の称賛の言葉にやはり興味がないのか、テレサは軽く流して話を促す。

 

「それで、お前が来たという事は次の任務か?」

 

「ああ」

 

「ふーん、内容は?」

 

あまり乗り気に見えないテレサの様子に黒服は苦笑を漏らした。

 

「粛清任務だ」

 

「粛清?」

 

珍しい内容にテレサの眉がピクリと動く。

 

「ああ、対象は十二年前、組織襲撃のどさくさに紛れて逃亡した元ナンバー3のアガサと元ナンバー10のラキアだ」

 

「……ああ、そんな奴らも居たな」

 

印象が薄く顔が出てこないが、確かにその名には聞き覚えがあった。特にアガサには何かしらこのとでバカにされた様な気がする。

テレサはアガサとラキアの顔を思い出そうとし、ちょうど、同時期に失った二人の顔が頭をよぎり小さく顔を歪めた。

 

「どうした?」

 

「……いや、なんでもない。それでそいつらの似顔絵はあるか?」

 

苦い思い出に蓋をし、テレサが聞く。それに黒服は首を小さく横に振った。

 

「いや、ない」

 

「そうか、なら、他を当たれ。顔が分からん」

 

「……会った事がなかったか?」

 

不審そうに黒服が問う。嘘をついたと思ったののだろう、実に心外な事だ。

 

「会った事はある……だが顔を覚えていない」

 

きっぱり言い切るテレサ、その言葉に嘘がないと判断したのか、黒服は疑念混じりの顔から一転、顔一面に呆れを浮かべた。

 

「……足並みを揃えろとはまで言わんが、同じ戦士なのだから面識があるなら顔くらい覚えろ」

 

黒服からの忠告にテレサが小さく息を吐く。

 

「そう言うなよ、会ったと言っても十年以上前に一度きりだ。しかも、丁度、そいつらの百倍印象に残る奴らと戦ってたんだ、頭に残るわけがないだろ? むしろ名前に覚えがある事が奇跡だな」

 

最初の敵にしてテレサのそれなりに長い戦士生活の中でも断トツで強い覚醒者ーーダフルとリフルはそれだけ印象深い相手だった。

 

あの戦いは今でも良く覚えている。自分がアレだけ手古摺ったのは後にも先にもあの二者だけなのだから。

 

「そういう訳だ、仕事を振るのは構わんが似顔絵でも用意してくれ」

 

「………はぁ」

 

悪びれもしない明け透けなテレサの態度に黒服が溜息を吐いた。

 

「今の戦士で奴らの顔を直接見た事があるのはお前だけなんだがなぁ」

 

「そいつは残念だったな、まあ、この手の任務は慣れてないから振られても時間が掛かる。それに、そいつらはとっくに妖気が消えてるだろうからな顔が分かっても探すのは難しい。だから失敗しても文句は言うなよ」

 

あんまりな物言いだが、テレサの判断は妥当だった。数年間、妖力解放しないで過ごした戦士は妖気を発しなくなる。それは次、妖力解放するまでの限定的な状態に過ぎない。だがアガサ、ラキアは共にそれなりの実力を持っている。

 

そんな者達が任務がない現状で妖気解放する事態など稀だ。故に、今、二人は高確率で妖気を感じない。いや、リフル一派の襲撃により一時的に組織の機能が麻痺した事を差し引いても十年以上も粛清を逃れていたのだ、確実に今、二人は妖気を発していない。

 

そして、妖気感知という広範囲を探索する術を使えない現状で、視覚に頼り逃げ隠れする戦士を見つけ出すのはテレサからしても困難極まりない、もし、フードなどで顔を隠されたらお手上げだ。

 

「なんだ、見つける自信がないのか?」

 

「出来る事と出来ない事の区別くらいつくさ、というか粛清なんて別に任務にして特定の奴に振らないで、戦士全員に似顔絵配って見つけ次第殺せそうなら殺せとでも言っとけば良いんじゃないか?」

 

「そうか……では、この任務は他の者に振るとしよう」

 

「私の話を聞いていたか?」

 

「ああ、聞いていたとも。だから、この任務はお前ではなく他の者に振る」

 

「……あてがあるのか?」

 

「ふふ、何も手掛かりは顔と妖気だけじゃない……例えば臭いとかな」

 

「そうか、でも匂いねぇ、犬かそいつは」

 

「はは、犬か言い得て妙だな、確かに奴は犬のように組織に忠実だな……まあ、この話はもういい、お前には別の任務をやる」

 

黒服がローブの内側から巻かれた皮用紙を取り出した。担当の戦士に振る依頼の一覧だ。

 

「別に無理にくれなくてもいいんだが?」

 

「ナンバー1を遊ばせとくなんて勿体無いだろ……良し、次の任務はここから西に歩いて二日、テオの町からの依頼だ」

 

「はいはい、それで他に情報は?」

 

「欲しいのか?」

 

その黒服の言葉に、そう言えば要らないなとテレサは思った。

 

「ん? ……いや、別に」

 

「そうだ、お前のやる事は変わらない。妖魔が何匹いようが相手が覚醒者だろうが同じだ。見つけて殺せ……それだけだ」

 

話は終わりだ。そう、示すように皮用紙を懐に仕舞い、黒服がテレサに背を向け歩き出した。

 

「はいはい、了解、ボス」

 

去って行く黒服にやる気なさげな敬礼をしたテレサ、彼女は懐から一つの飴玉を取り出しそれを口に放る。口の中を飴玉が転がる度に甘味が広がる。

 

「……テオの町か」

 

まだ行った事のない町だった。テレサは腰のポーチから地図を取り出し、さっと目的地を確認する散歩するような足取りで歩き出した。

 

 

 

 

カァン、っと小気味好い音と共に縦に薪が割れ、二つに別れたそれが切り株から転がり地面に落ちた。

 

「……あ〜暇ねぇ〜」

 

切り株に腰を下ろしたアガサが愚痴をこぼす。時間が余って仕方がない。まだ、正午にもなっていないのに今日のノルマが終わってしまった。別に労働に勤しむ気はないがやる事がないのは正直辛い。

 

手持ち無沙汰を紛らわす様にアガサは斧代わりに使っていた大剣を見つめる。戦士時代からの相棒は未だに刃毀れ一つなく、その刀身に映る自分の姿もまたこの大剣を得た日から大差ない姿をしている。改めて自分が人間ではないと実感した。

 

「…………はぁ」

 

なんとなく憂鬱になる。そんな気分が溜息として漏れた。何か面白い事はないものか? 大剣から視線を外したアガサが東の空を見上げた。

 

組織を離れてから既に十年以上が経過した。当初、強力な追手から逃げ続ける過酷な生活を想像していたアガサだが、蓋を開けてみれば逃亡生活は平和そのものであった。

 

その理由は組織の匂いがしない土地ばかりを選んで移動した事でも、大量の妖気を消す薬を持っていたからでもない。

 

そんな、平和を送れた訳、それは組織に離反者を追う余裕がなかったからだ。途中で逃げ出し為、詳細は分からなかったが、あのリフル一派の襲撃が余程堪えたのだろう、然もありなん、アガサは半ば本気で組織が潰れると信じていた。それくらいリフル達の戦力は圧倒的で歴代屈指のナンバー1、流麗のヒステリアが居てもどうにもならない脅威だった。

 

そして、そんな襲撃があったにも関わらず組織が壊滅しなかった理由は明らかだ。あの異常に強い訓練生ーーテレサが居たからだ。

 

「…………」

 

襲撃から十年以上が経過している。例え、当時の一桁ナンバー全てが襲撃で消えていたとしても、テレサを筆頭に既に新たな戦士達が台頭している頃だろう。つまり、もう戦力的にアガサを追う事は可能なのだ。最悪、テレサがやって来るかも知れない。今はアガサにとってあまり良くない状況と言えた。

 

「……暇過ぎて死にそう」

 

しかし、それが分かっていながらアガサに危機感はなかった。今更追手など来ないだろうし、例え来たとしても年月を経て妖気が消えた自分を探し出すことは出来ない。そう、アガサは楽観している。

 

だからこそ、アガサは暇なのである。

 

「はぁ、やる事ないのがこんな苦痛だなんて知らなかったわ」

 

「なぁに、独りで喋ってるんですか?」

 

またも漏れた独り言、それに応える声が背後からやって来た。無造作にアガサが振り向く。そこに居たのは一人の女だ。そこらの村娘のような、それでいてよく見ると動き易いように改良された服を着た女。同時期に組織から逃げ出した戦士ーーラキアだ。

 

肩口で切り揃えられた銀髪を揺らし自分に近寄るラキア。そんな彼女を見てアガサは思った事を口にした。

 

「絶望的に似合わないわね、その服」

 

別に、嫌味で言った訳ではない。ただ本気で似合っていない。村娘ですよ〜と主張する普通の服に対して銀髪銀眼は少しばかり異質過ぎた。まあ、アガサの中で銀髪は戦士という固定観念が強いせいかも知れないが。

 

「仕方ないでしょう、銀髪に合う服なんて少ないんですから」

 

アガサの言葉にラキアはジト目でそう返す。お前も似たような服着てるだろ、と。その目が語っていた。

 

「それで、まだお昼前なのにそんな黄昏ちゃってどうしたんです?」

 

「黄昏もするわよ、だって暇なんだから」

 

左手で薪の一本を弄りながらアガサが言う。

 

「じゃあ、前倒しで今日の訓練でもします?」

 

「あ〜、訓練はいいわ、面倒くさい」

 

「……あんまり、気を抜いてると何処かで痛い目見ますよ」

 

「はは、大丈夫でしょ」

 

申し訳程度に周囲を探りながらアガサは言った。ここ数年、妖気感知を鍛え続けている、その方面で優秀だったラキアの指導もありアガサは戦士時代よりも格段に感知出来る範囲を伸ばしている。だからこんな適当でも索敵範囲は並みの戦士より広いのだ。

 

「ーーほら、近くに妖気は感じないでしょ? 仮に戦士か覚醒者が来たとしてもこっちは妖気が消えてるんだから向こうが気付く前に逃げれるわよ」

 

「……まあ、そうなんですけどね」

 

消極的にラキアが同意する。特殊な任務で妖気を消す薬を飲んだ戦士と鉢合わせる事がないとは言い切れないが、こちらは髪を染め変装しているので傍目から外見で元戦士と気付かれる可能性は低い。そもそもアガサとラキアの顔を知る戦士も限られている。

 

そして、もし、粛清者がやって来たとしても逃げるのは可能だとラキアも考えていた。実戦から遠退いた二人だがなにも遊んでいた訳ではない。アガサを見ると若干断言を憚られるが、二人は有事を考え、次いでに有り余った時間を潰す為、毎日の訓練は積んでいる、実力は戦士時代を維持どころか、若干向上している、その確信が二人にはあった。

 

「でも、油断は死に繋がりますよ」

 

「大丈夫大丈夫」

 

「はぁ……もう、良いです」

 

ラキア諦めた。これは一度痛い目に合わないと治らないだろう。出来れば痛い目に合う時は自分を巻き込まないで欲しい。

 

「それより何か面白い事ない?」

 

「ありませんよ」

 

切り株に腰掛けながら足をプラつかせるアガサに、ラキアは投げやりに答えた。

 

「まあ、そりゃないわよね、同じ生活してるんだから……それにしても普通の人ってこの暇をどうやって潰してるのかしら」

 

特に良い答えを期待していなかったのか、アガサはあっさり話題を変える。そんなアガサの質問に、ラキアは少し考えてから答えた。

 

「…………むしろ暇なんてないんじゃないですか?」

 

半妖と普通の人間は違う。一日三十分も眠れば充分で大きな怪我を負わねば数日食事を抜いても問題ない半妖に対し、人間は食事睡眠に多くの時間を費やさねばならない。ここに日々の労働が加われば暇な時間は殆どなくなる。

 

殆どの人間は退屈を感じる間も無く日々が過ぎ去っていくのだろう。

 

「ああ〜、そういえば普通は毎日食事と睡眠が必要なんだっけ?」

 

「何言ってるんですか、昔は私達もそうだったでしょうに」

 

「まあ、ね。でも昔過ぎて忘れたわ」

 

「……確かにそうですね」

 

「ええ」

 

「…………」

 

「…………」

 

話題がなくなった。

 

当たり前と言えば当たり前だ。山奥での二人だけの生活、それで何を語れと言うのだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

黙った二人の間を風が吹き抜ける。木々の葉が揺れ、サワサワと音を立ててこすれ合う。耳を澄ませば鳥の囁きが聞こえる。繁殖期の為か、鳴き声の質少し違う。空は晴れ渡り、輝く太陽が天から森を照らしている。

 

そんな大自然を前に二人は思った。

 

ーー実に退屈だ、と。

 

「……本当になんか面白い事ない? このままだと暇に殺されそうなんだけど」

 

「それは大変ですね、では組織に特攻でもしたらどうです? 少なくとも暇には殺されませんよ」

 

「それのどこが面白いのよ」

 

「傍目から見る分には中々面白いかも知れませんよ?」

 

「……趣味悪いわぁ」

 

精神を疑うような目で見てくるアガサに、ラキアは冗談ですと肩を竦めた。

 

「なら、面白いかは分かりませんが、買い物なんてどうですか? ちょうど塩が切れそうなんですよ」

 

「ああ、それは良いわね」

 

アガサは手に持った薪を倉庫に放り投げ立ち上がった。

 

「今すぐ行きましょう、次いでにお酒も飲んで来ない?」

 

「良いですね、久しぶりに飲みますか。あ、でも町に行くならちゃんと髪を染めないとダメですからね」

 

ラキアの忠告を聞いた途端、動きを止めて顔を顰めたアガサ。

 

「……あれ、ベタつくから嫌なんだけど」

 

どうやら染める気がなかったらしい。

 

「濃く塗り過ぎなんですよ、銀髪には見えない程度の軽い染めで良いですからして下さい」

 

「……染めなくてもフードを被ればいいでしょ」

 

「真昼間から深くフードなんて被ってたら、私は不審者ですよ〜、やましい事してますよ〜と宣伝してるようなものじゃないですか」

 

それに不審者は買物でも酒場でも足元見られるんですよ、とラキアは続ける。

 

「あ〜、でもお金なら結構あるでしょ、少しくらい多めに払っても大丈夫じゃない?」

 

アガサとラキアは二度ほど戦士のフリをして妖魔を倒し街を救った事がある。その際の謝礼がまだかなり残っていた。だから多少ボッタクられても問題ない、そう言って尚も食い下がるアガサにラキアは首を横に振った。

 

「ダメです。節約出来る時にしないといざという時に無くなります。それに怪しい奴だと思われたくもありません、気持ち良く飲めないじゃないですか」

 

「むぅ……分かったわよ」

 

確かに不審者扱いは気分が悪い。ついに折れたアガサが渋々といった様子で立ち上がると櫛と髪染めを手に井戸の方へ歩き出した。そんな子供っぽいアガサにラキアは苦笑を漏らした。

 

 

 

 

髪を染めて出発、隠れ家から走って三十分、アガサとラキアはルボルの街に来ていた。山間に有りながらも聖地ラボナにほど近いこの街は南からやって来る巡礼者が立ち寄る事も多くそれなりに栄えている。

 

四方を山に囲まれたルボルは物価がやや高いが、逃げ隠れするのに適しており、聖都が近い事もあり大陸でも特にクレイモアに対する風当たりが強い。その為、組織の影響力も少ない。アガサ達にとってこの街は絶好の補充地点だった。

 

「はぁ、予想外でしたね」

 

「ったく、ムカつくわ」

 

残念そうなラキアの言葉、それにアガサが不機嫌な顔で答える。道中にトラブルはなかった。天気が良く、戦士、妖魔、覚醒者の妖気を一度も感じなかった。ルボルに到着してからの買物もスムーズかつ不良品を掴まされる事もなし、此処までは実に順調だった。

 

ーーしかし、問題はここからだった。

 

なんと街の酒場が巡礼者の一団により貸切状態となり使えなかったのだ。

 

「巡礼者が昼から酒なんて飲むなっての」

 

不貞腐れて愚痴るアガサ、よほど酒を楽しみにしていたのだろう隣を歩く彼女は態とらしく足音を立てて苛立ちを発散させていて、そんな彼女の態度にラキアは苦笑を深めた。

 

「まあ、ラボナに着いたら巡礼者はお酒を飲めませんからね、飲める内に飲んどきたいんでしょう」

 

「それにしたって今から聖地に洗礼に行こうって奴らが酒浸りってどういうことよ」

 

「巡礼者って言っても人間ですからね……それにあの人達は巡礼の旅が出来るくらいお金に恵まれた人達ですから、むしろ普通の人より欲が強いんじゃないですか? 私達を怪しい目で見てましたし」

 

酒場で向けられた視線を思い出し、肩を竦めたラキアが、お酌をするなら酒場に入れたんじゃないですかね、と続けた。

 

「冗談、良い男ならまだしも酒臭いおっさんの相手なんてゴメンだわ」

 

「はは、そうですよね、でも、求めてくれるだけマシじゃないですかあんな視線を向けられるなんて戦士時代なら考えられませんでしたよ」

 

「ハッ、あんなハゲ達に求められても寒気がするだけよ…………で、どうする? しばらく酒場は使えなそうだけど」

 

微妙な表情でアガサが言った。その顔から読み取れる内容は『酒は飲みたい、だが、待つのは嫌だ』と言ったところか? 長年の付き合いからラキアはそう判断した。

 

「そうですねぇ……」

 

ラキアは自分の背負う荷物を見る。調味料に長期間保つ嗜好品、それから趣味の裁縫に使う布と糸……そして、念の為持って来た大剣とそれを隠す大きなバック。こんな大荷物で長時間街をぶらつくの目立つ事この上ない。

 

「……残念ですが、荷物もありますし今日はもう帰りませんか? なんでしたらお酒は明日でも来れば良いですし」

 

「……うーん」

 

ラキアの提案にアガサは考える素振りをする。それから数秒、諦めがついたのか残念そうに顔で頷いた。

 

「まあ、仕方がないか。買物だけでも多少の気分転換になったし、今日は帰りましょう」

 

お酒は明日飲めばいい。不貞腐れて落としていた目線を上げ、アガサが同意した。

 

ーー丁度その時。

 

「見つけました」

 

二人の背後から声が掛かる。

 

「「…………」」

 

慌てず騒がず、しかし、素早くアガサとラキアが振り返る。そこには清潔そうなローブを着た一人の少女がいた。

 

「なっ」

 

少女の姿を確認し、アガサが小さく呻く。見えたのだ。半妖由来の優れた視力がローブの奥に隠れた瞳と髪の色を暴いたのだ。

 

ーー暴かれた色、それは銀。

 

そして、その配色が示すのは。

 

「初めてお目にかかります」

 

軽い挨拶と共に少女がローブを脱ぎ捨てる。途端に往来を歩く人々の目が少女に集中した。

 

「私、最近ナンバー2の印を受けたプリシラと言います」

 

そう言って少女ーープリシラは露わになった銀の双眸を鋭く細め、流れるように背にした大剣を引き抜き、そして。

 

「ぶしつけで申し訳ありませんが、お二人の首をいただきにまいりました」

 

真っ直ぐと、その銀の切先を二人に向けた。

 




ピンチですね(他人事


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話

……アガサちゃんの勇姿をご覧下さい。


歩いて二日、そう言われた通りテレサがテオの町に着いたのは二日後の事だった。

走ればもっと早く着いたし、もしかしたら犠牲者を減らせたかも知れない。

 

しかし、それが分かっていながらテレサはのんびり歩いた。テレサは妖魔が斬りたくて仕方ないタイプの戦士ではないし、正義感に溢れても居なかったから。

 

そもそもテレサは大して人間が好きではない、むしろ嫌いとも言っても過言ではなかった。

 

なにせテレサにーーいや、戦士に向けられる人々の視線の殆どに軽蔑と恐怖が滲んでいたから。別に感謝など求めていないが、大金と引き換えとはいえ一応は命を救っているのだ、組織や戦士を不気味に感じる感情も理解は出来るが、もう少しマシな対応をしてはどうだ? と戦士に成り立ての頃、何度となく思った。

 

まあ、それは昔の事、時を経て大人になった今は人々の態度に思う所はなく、納得すらしている。

 

ただ、それでも一度嫌いになった対象を好きになる事が出来ず、今日、テレサは向けられた態度に相応な態度で仕事に臨んでいる、そしてそれは多くの戦士が同じだった。

 

 

 

「……さて」

 

呟いて、テレサが町に入る。ここに来るまでに感じた妖気は七つ、いずれも弱小な妖魔のものだ。弱過ぎて遊べそうにない。

 

最近、あまりに歯応えのない相手ばかりなのであえて一撃で仕留めずに戦うゲームをしていたがそれも前回で飽きた。

 

こういう時は。

 

「(さっさと終わらせて寝るか)」

 

テレサは目視と妖気の位置で七匹の妖魔を一瞬で見つけ。

 

そして、動いた。

 

軽い一歩で人々と妖魔の動体視力を置き去りにすると、最寄りの妖魔を両断、更に未だ人間に擬態している三匹を立て続けに斬り捨て一時停止。

 

街に悲鳴が響き渡る。随分と反応が遅い。おそらくここは平和ボケした町なのだろう。そうテレサは思った。

 

ここで、妖魔に動きがある。このままではマズイと焦りだしたのか、残り三匹の妖魔の内二匹がようやく戦闘状態になった。最後の一匹はやり過ごすつもりか? 人間に擬態したままさりげなく幼い少女を盾にしている。まだ気付かれていないと思っているらしい、実に浅はかで愚かな事だ。

 

「遅いんだよなぁ、私の姿を視認した瞬間から全力で備えなきゃ」

「「グギァアッ!」」

 

酷薄な微笑と共に思った事を口にするテレサ。そんな彼女の話が終わる前に二匹の妖魔が襲い掛かっていた。一応奇襲するくらいの頭はあったらしい。だが、その動きはテレサから見てあまりに遅過ぎた。

 

「……フッ」

 

妖魔のトロさに憐れみ混じりの失笑を漏らすテレサ。彼女は迫る攻撃を楽々回避し、そのまま擦れ違い様に大剣を二振り、それだけで妖魔は真っ二つに斬り分けられて絶命した。

 

「もし生まれ変わったら次はもっと工夫するんだなーーまあ、もっとも」

 

再び、人々と妖魔の目からテレサが消える。

 

「お前たちじゃ何をどう足掻いても結果は変わらないだろがな」

 

テレサが少女を盾にする妖魔の背後に現れた。そして、その時には既に攻撃は終わっている。

 

次の瞬間、妖魔の身体が正面の皮一枚残して二つに開く。

 

縦に破られた妖魔の身体から大量の血肉が溢れる。それに当たらぬようにテレサは横に一歩ズレた。

 

「本当にめでたい町だ……七匹もの妖魔にいいように居座られているとはな」

 

そう言って笑うテレサ。

 

ーーそんなテレサを一人の少女が見つめていた。

 

 

 

 

街の往来は予期せぬクレイモアの出現に騒ついていた。だが、それ以上にアガサとラキアは混乱していた。なにせこの距離でも妖気を感じないのだから。

 

「(薬で妖気を消している? いや、彼女の目は銀色。薬を使えば一時的に銀眼は失われるはず、私達と同じ時間経過で妖気を消した? ……いや、それよりも今はどう対応するか考えなきゃ)」

 

ラキアが脳内で妖気を感じない理由の候補を挙げていくが、それよりも重要な事を思い出し、アガサにアイコンタクトを取る。

 

「ナンバー2ですって?」

 

しかし、ラキアの視線に気付かずに、アガサの口からそんな呟きが漏れた。

 

「(ああ、余計な事を!)」

 

動揺したせいだろう、アガサもそれを口にしてからすぐに『しまった』という顔をしていたから。そのアガサの行動にラキアは内心頭を抱える。たった今、白を切るという選択肢が消えたのだ。

 

最初にナンバー2という言葉に反応したのがいけない。なにせ、クレイモアが自分の首を取りに来たという、一般人からしたらあり得ないレベルでヤバイ内容を差し置いて、組織関係者以外には何を指すのかよくわからない言葉に注目したのだ。もう、『はい、自分が粛清対象で合ってます!』と名乗り出たようなものだ。

 

ーーその証拠に。

 

「やはり、アガサさんとラキアさんで間違いないんですね?」

 

鋭いながらも僅かに揺れていた瞳が、敵意一色に染まっている。プリシラの目は既に二人がターゲットだと確信していた。

 

「……ごめん、ミスったわ」

 

これはもうダメだ。そう、理解し開き直ったアガサが荷物を捨てリュックから大剣を取り出した。そんなアガサにラキアは溜息を吐いた。

 

「……はぁ、次は気を付けて下さいよ」

 

事ここに至っては仕方がない。そもそも誤魔化せる可能性は低かった、そう思いラキアは気持ちを切り替えると、アガサと同じく荷物を捨てる。勿体無いが我慢だ、荷物を惜しんで命を落とすなど馬鹿らしい。

 

ラキアは右手で大剣を構え。フリーの左手でアガサの背を叩いた。それは予め決めていたボディタッチによる意思疎通、そしてこれは。

 

「(戦いますか? それとも逃げますか?)」

 

という内容の質問だった。

 

「…………」

 

プリシラから目を離さぬまま、アガサはほんの数瞬考えると、靴の間を詰めるように爪先で地面を二回叩いた。それが意味するのは『戦闘』だ。

 

「…………」

 

逃亡よりも危険を伴う選択、しかし、その意見にはラキアも賛成だった。ここでプリシラを倒すのがベスト、少なくともそうラキアは思っている。

 

妖気を感じない事、二人に対する追手なのに組織に一人で送り込まれた事、そしてナンバー2という肩書き……確かに、プリシラは色々と厄介そうな相手である。だが、ここで逃げては次は仲間を連れて自分達の前に現れるかも知れない。

 

今日遭遇したのは偶然でたまたま、本当に運が悪く鉢合わせてしまったなら良いが、甘い想定はしない方が無難だ。おそらく組織は妖気が消えた戦士を探す方法を確立している。ならばここで逃すのは悪手、削れる内に少しでも組織の戦力を減らすのが今後の生存に繋がる。

 

そして、更に言えば、確率はやや低いがこちらを追う事が出来るのがプリシラだけという可能性もある。もし、プリシラが特別で自分達を見つけた方法が彼女にしか出来ない事だとしたら尚更逃がせない。ここで彼女を消せば追われる心配が一気に減るのだから。

 

「(だからこそ、一般人を装って後ろからズブリといきたかったんですけどね)」

 

ラキアはアガサの背中を恨めしそうに見た後、腰の辺りを二回叩く。自分も戦う事に賛成だと伝えたのだ。そのままラキアはアガサの斜め後ろに移動すると暫く此方を伺っていたプリシラに質問を投げかけた。

 

「プリシラと言いましたね、一つ聞きたいんだけど、どうやって私達を見つけたの?」

 

嘘を吐くか黙秘か、何にしてもまず答えが返らない質問だ。しかし、聞くだけならタダである。少しでも答えが返る可能性があるなら聞く価値がある。例え嘘を言われても何かしらの手掛かりが掴めるかも知れないし。

 

「匂いを追いました」

 

などと思っていたのだが、プリシラはあっさりと答えた。ついでに彼女は腰のポーチから二枚の布の切れ端を出して掲げる。その切れ端は戦士の衣服の一部に見えた。

 

「…………」

 

プリシラの声色、表情、行動からは嘘を吐いたように見えない。七割方本当の事を言っている。これで妖気さえ読めれば嘘ではないと断言出来たのだが少々残念であるが、これが本当なら朗報だ。

 

人間を超えた五感を持つの半妖だが、匂いのみを辿り遠くの相手を探すなんて真似はまず出来ない。つまり、プリシラが特別なだけの可能性が高く、他の戦士は自分達を探せない。

 

ここで彼女を倒せれば見返りは大きい。

 

ーーしかし、それにしても。

 

「あっさりと教えてくれるのね」

 

ラキアが疑問を述べた。そこが少しラキアには引っかかる。嘘を吐いていないように感じるのに情報を漏らすのになんの躊躇もないのだ。

 

「そんなに重要な事じゃないので」

 

「…………」

 

この言葉にも強がりや嘘の類は感じられない。しかし、まあ、プリシラが言った内容は大切でない筈がない。此方を追う方法が分かったなら対策が立てられる。例えば匂いならばある程度消す方法が思いつく。

 

「はぁ? 重要じゃない? そんな訳ないでしょ」

 

アガサはこの情報の大切さが分かっているのだろう、それを簡単に教えたプリシラの顔を呆れたように見た。

 

「それよりも私もお二人に聞きたい事があったんです」

 

しかし、そんなアガサの眼差しを物ともせず、プリシラが真っ直ぐ二人に問うた。

 

「なぜ、組織を守るという重大な任務を放棄して逃げたのですか?」

 

「なぜって、そりゃ、逃げなきゃ死ぬような状況だったからよ、なんで逃げたか聞いてないの?」

 

「聞いてます、組織に深淵の者が攻めて来た時に逃げ出したと」

 

「なら、理解出来るでしょ」

 

「いえ、出来ません」

 

「はぁ?」

 

コイツ馬鹿か?……アガサの顔はそんな事を思っている風だった。

 

「だってそんなの普通の事じゃないですか、私たちの任務はどれも死と隣り合わせでしょう?」

 

「……あんたはあの場に居なかったから分からないだろうけど、アレは特別危険だったのよ」

 

あの敵をあの妖気を知らないから言えるのだ。そう続けるアガサの顔に青筋が浮かんでいる。あの状況を普通の任務と一緒にされたのがイラついたのだろう、かく言うラキアも体験もせずにアレを普通などと称して貰いたくなかった。

 

「それでも逃げるべきじゃなかった。組織が潰れてしまったら誰が妖魔を倒すのです?」

 

「…………」

 

「…………」

 

その言葉に、アガサとラキアは黙り込む。誰も倒せはしないだろう。妖魔は未だしも覚醒者を倒せる人間など存在しないと断言出来る。

 

「私たちの役割は人々の平穏のために妖魔を殲滅すること、そのために自らの命を削り戦うのです」

 

自明の理を語るかの如く、プリシラがスラスラと自分の意見を……いや、組織の建前を口にする。それは確かに正しいように聞こえた。

 

しかし、それは組織と人々にとって正しいだけだ。ラキアとアガサにとっては正しくはない。

 

「それなのに、その私たちが危険だからと逃げるなんて、組織が今まで築き上げてきた人々の信頼を失う許されざる行為です」

 

「……人々の信頼ですか」

 

ラキアは小さく漏らすと、意識をプリシラに向けたまま、サッと事の顛末を見守る周囲を見回した。人々の反応の大きさは様々だが、どう見てもクレイモアを好意的に見ている視線はない。

 

「そう、人々の信頼です」

 

だが、どうやらプリシラにはこの視線が信頼に見えるらしい、随分と組織に刷り込まれたものである。

 

「ですから申し訳ありませんが、組織の命に従い、お二人の首をからせていただきます」

 

話はこれまでプリシラは膝を曲げ、左脇に抱えるように大剣を構えた。その場の緊張が高まる。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

そして、数秒後、プリシラが動いた。

 

低い体勢で一気に接近したプリシラが上体を起き上がらせながら大剣を斜めに斬り上げる。狙いはアガサだ。

 

「フン」

 

鼻を鳴らし、アガサが迎撃に移る。彼女は自分に向かって来るのを良い事に、両足を開きどっしりと構え腰の捻りを最大限利用した袈裟斬りを放つ。アガサ渾身の一撃だ。

 

高速の大剣同士が二人の中心で接触。その瞬間、甲高い激音が鳴り響き、民家のガラス窓が大きく震えた。

 

「うわぁ!?」

 

大剣の交差が生んだ衝撃に町人の悲鳴を上げる。

 

しかし、声を上げたのは町人だけではなかった。

 

「ぐぅ!?」

 

アガサの口から苦悶が漏れる。腕を痺れさせる重い手応え、斬撃の威力で負けた彼女が大きく後方に飛ばされた。しかし、そんなアガサに対しプリシラは全く振れずに斬撃を終えている。アガサの斬撃を物ともしないその姿は彼女が圧倒的パワーと驚異のボディバランスの持ち主だという事を如実に示していた。

 

「…………」

 

アガサに打ち勝ったプリシラ、そんな彼女の目に銀の切先が映る。ラキアの大剣だ。手加減抜きで手心無し、攻撃直後の硬直を狙った一撃。それが真っ直ぐとプリシラ目掛けて突き進む。

 

ーーしかし、当たらない。

 

胸の中心を抉る筈の切先が横に逸れた。剣の柄から離したプリシラの左手、その手首に装備された籠手が大剣の腹を叩き、刺突の軌道を逸らしたのだ。更にその直後。

 

バキボキと骨が折れる嫌な音が聞こえた。

 

「ガハッ」

 

ラキアの口から鮮血混じりの呻き声が漏れた。見ればプリシラの膝がラキアの腹にめり込んでいる、刺突の対処と同時に放ったカウンターだ。

 

足が地を離れ、くの字に曲がって吹き飛ぶラキア。そんな彼女を追ってプリシラが地を蹴った。即座に間合いを詰めたプリシラが未だ地に降り立てないラキアに大剣を走らせる。直後、凄まじい衝撃がラキアの身体を貫いた。

 

「ぐぅう」

 

辛うじて大剣を引き戻して盾にするが、まるで威力を削れなかった。無理な体勢で受けた左腕がへし折れ、大剣の腹と接していた左肩が陥没する、衝撃は肩を伝い内臓へと及び一瞬だが心臓すら停止した。そのまま彼女は小石のように弾き飛ばされてしまう。

 

数秒間、地面と平行に飛んだラキアが重力に引かれ地に接触、大きくバウンドし、ゴロゴロとボールのように転がる。そんな回る視界の中にプリシラの姿が大きく映った。彼女は肩に担ぐように持った大剣を今にも振り下ろそうとしている。

 

ーー回避は出来ない。

 

そして、次の瞬間、死を覚悟したラキアの視界に二筋(・・)の銀閃が走った。鋼を打った大きくも澄んだ音がラキアの耳を鳴らす。

 

「早く立ちなさい!」

 

そんな声と共にラキアの視界にアガサの背中が現れすぐに小さくなる。まだ、勢いが止まらないのだ。そのままラキアは街を囲う塀へと激突、それでようやく動きを止めた。

 

「ッ……」

 

ダメージで息が詰まる、身じろぎする事すら苦痛だ。しかし、このまま蹲っているわけにもいかない。ラキアは震える手足に力を込めてなんとか立ち上がる。

 

しかし、そこが限界だった。鉛のように重くなった身体は一歩として足を動かす事を許さない。ラキアは大剣を杖に身体の回復を待つ。その間にもアガサとプリシラは激しい剣戟を繰り広げていた。

 

「こ、こいつッ!」

 

いや、繰り広げていたというのは語弊がある。ダメージで揺れる視界に映るアガサは凌ぐのがやっとの様子。彼女は一方的に打ち込まれる斬撃を必死の形相で捌いていた。

 

「…………」

 

大きな妖気を感じる。久しく忘れていたアガサの妖気だ。しかし、それに対しプリシラからは相変わらず妖気を感じない。これはつまり、アガサは妖力解放しても無解放のプリシラに及ばないという事だ。

 

一振り、二振り、三振り、一手毎にアガサの劣勢が強まる。その身には既に幾つもの傷が刻まれていた。防御に徹してすらコレだ。これは早く加勢に入らなければアガサが殺られる。

 

今後の逃亡が難しくなるがそうも言ってられない。一瞬の躊躇の後、ラキアも妖気を解放する。ダメージが高速で抜け、傷が癒えていく。そして数秒後、走れるだけ回復したラキアが無理を押して地を蹴った。

 

不自然に身体が揺れる、まだ足がガタつき解放前よりも速度が遅い。たったの一撃でこのザマとは。甘い想定を軽々と超えたプリシラの圧倒的力にさっさと逃げればよかったと後悔する。どうやらアガサの油断癖が移ってしまったらしい。自分もこの十二年で随分と物事を楽観的に考えるようになってしまったようだ。ラキアはこの場を生きて逃れたら、早急にこの癖を治すと誓った。

 

「ハァッ!」

 

転がされて空いた距離を大回りで詰め、ラキアがプリシラの背後から斬り掛かった。

 

斜めに走った大剣がプリシラに迫るがその斬撃は視認すらせずに回避されてしまう。当然だ。こんなコンディションで放つ攻撃、このレベルの相手には軽く対処される。

 

だが、それで良い。そんな事は分かっていた。

 

ラキアの攻撃を避ける動き、それにより一旦プリシラの猛攻が止む。そう、これが狙いだ。だからあえて攻撃時、より自分に意識が行くように声を出したのだから。

 

「……ッ!」

 

ラキアが作った隙、そこを突き、防戦一方となっていたアガサが反撃に出た。アガサの顔が妖気で歪む、瞬間的に妖力解放率を引き上げ肉体能力を高めたのだ。

 

アガサは素早く腰で溜めを作り、プリシラの軸足目掛けて大剣を振る。鋭くコンパクトに振られた大剣。威力よりも速度を重視した一撃だ。

 

しかし、それよりなお相手は疾かった。プリシラは半歩下がると重心を逆足に移し、地から足を持ち上げる。尋常じゃない反射神経と運動センスだ。

 

「くっ」

 

持ち上げられた足の下を虚しく通過する大剣。攻撃を外した事に悪態をつきそうになったアガサ。そんなアガサの口を止めるように彼女の鼻面をプリシラの爪先が撃ち抜いた。

 

「〜〜ッッ!?」

 

鼻が潰され二つの穴から鮮血が吹き出る。避ける次いでに放たれたとは思えぬ痛烈な蹴撃だ。自慢の顔を台無しされたアガサが大きく後方に吹き飛び、大きく一回転、ビタンと痛そうな音を立てて地面に落ち、そのまま動きを止めた。そんなアガサの妖気は急速に弱まっている。

 

ーー更に。

 

「かはっ」

 

呻き声がプリシラの背後から漏れた。それを発したのはラキアだ。彼女の腹には大剣の柄頭が突き刺さっていた。アガサに合わせて攻撃しようと大剣を振りかぶったのだが、それが裏目に出てしまった。

 

「…………」

 

プリシラが大剣を引く、するとズブリと音を立てて尖った柄頭がラキアの腹から抜けた。すると栓を外したように彼女の腹部から夥しい血が溢れ出す。

 

「…………」

 

プリシラの大剣という支えを失ったラキアが一歩、二歩とフラ付きながら後退、そして六歩目に達した瞬間、切れた人形のようにへたり込んでしまう。その口からはポタポタと涎と血が混じった液体が垂れていた。

 

ーー動けない。

 

動きたいが、動けない、腹が熱く他が冷たい。内臓を潰された、この感覚は致命傷に近い、だが、まだ間に合う。ラキアは限界近くまで妖力解放し、必死に傷口の再生を図る。

 

そんな隙だらけの彼女に向かい、悠々とした態度でプリシラが歩み寄る。

 

「終わりですね」

 

プリシラが言う、その通りだ。

 

「…………」

 

抵抗の術がない。防御タイプのラキアだが、短時間で内臓を再生する事は出来ない。死なない程度に癒すだけでも最低二分は掛かる。

 

どうすればいい? 必死に思考を回し打開策を考える。しかし、有効な策など出て来ない。

 

身体はダメージで動かず、妖力の大半を回復に回して、妖気同調による幻覚を見せる余裕などない、そもそも妖気を感じない相手に同調など出来ないし、口八丁で誤魔化せる状況でもない。アガサに助けを求めようにも彼女の妖気は既に消えて感じない。あの蹴りで脳をやられてしまったのかも知れない。

 

走馬灯のように次々と策が浮かんでは現実の前に消えていく、そして結局、ラキアは何も出来ぬままプリシラが目の前までやって来るのを許してしまう。

 

「…………」

 

プリシラがゆっくりと大剣を振り上げた。陽光を反射した刀身が眩く光る、それはまるで裁きを下す断罪の聖剣の如き輝きだった。

 

「言い残す事はありますか?」

 

最後の情けなのか、プリシラがそう聞いてくる。それは最後のチャンスでもあった。ラキアは少しでも時間を稼ごうと口を開いた。

 

 

「死にたく、ない」

 

しかし、出て来たのはそんな言葉だった。

 

「…………ごめんなさい」

 

そして、刃は振り下ろされる。

 

 

 

鮮血が舞う。続いて真っ赤なシャワーが降り注ぎ、身体を濡らす。それはとても鉄臭く、そして熱かった。

 

「あ、が」

 

口から漏れる意味を成さぬ音、しかし、それは驚いているように聞こえた。

 

 

ーーそう、ラキアには聞こえた。

 

「ゆだん、じだばね」

 

聞き辛いダミ声が耳に届く、それにラキアは上を向く。目に飛び込んで来たのは赤く濡れた銀の切先。それはプリシラの胸から生えていた。

 

「な、んで? 妖気は」

 

大剣を振り下ろそうとした姿勢で、背後から貫かれたプリシラが驚愕の声をあげる。それはラキアも聞きたい。確かにアガサの妖気は完全に消えていた。そして一度解放した妖気を完全に消す事は数年かけねば出来ない。即座にそれをするには死ぬか。

 

ーー薬を飲むしかない。

 

「……あ」

 

ラキアが答えに思い至ったと同時にアガサが大剣を抉りながら引き抜く、更なる鮮血がラキアに降り注ぐ。アガサは抜いた剣を構えた。

 

「ぐ、がぁあ!」

 

顔を歪めたプリシラが叫びをあげ、振り返りながら大剣を振る。しかし、それよりもアガサの方が速い。

 

「あ゛あ゛あ゛ああ、アッッ!!」

 

血を吐くような雄叫びをあげ、アガサが剣を乱舞する。袈裟斬り、右薙ぎ、逆袈裟、銀光が何度も舞い、閃いた刃が肉を裂き、そして。

 

プリシラの身体はバラバラに斬り分けられた。

 






アガサ「所詮は成り立て、私の敵じゃないわ(ドヤ顔)」
プリシラ「(ビキビキ)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33話

命知らず(白目)


ーー完璧に殺した。

 

肩から入った刃が背骨を断つ深い裂傷を刻み、返す刀で上半身と下半身を分断、大剣を翻し斬り上げで心臓を潰し、そして最後に首を落とした。

 

これは特殊な例を除けば覚醒者だろうと殺せるダメージ、半妖を殺傷する上ではオーバーキル極まりない内容だった。

 

そう、だから完璧だったのだ。ここまでやって殺せない半妖は居ない。それ故、アガサには分かった、分かってしまった。

 

ーーコイツは化物だと。

 

宙を舞うプリシラの頭に変化が生じる。斬り飛ばされた首の付け根、そこの肉が盛り上がり一気に伸びていく。

 

「ッ!?」

 

地に落ちる途中、舞い上がっていた頭が、アガサの目線程の高さまで落ちる僅かな時間でプリシラは上半身全てを再生させていた。

 

「ふざげんなッ!!」

 

ザラついた声で叫びアガサが再び斬撃を放つ。狙いは頭部だ。アガサは知っていた、コイツの弱点はそこしかないと。

 

走った剣撃が肉を引き裂く。しかし、それは頭部のモノではない、咄嗟にプリシラが滑り込ませた両腕の肉だ。

 

「グッ」

 

クロスした両腕を斬り飛ばし、守られていた頭部を狙うも、やけに皮膚が硬く軌道が逸れてしまう。その結果、斬撃はプリシラの顎から下を断ち切った。

 

すっぽ抜けた大剣が明後日の方向に飛んで行く。先の防戦から酷使してた両手の握力が限界に達したのだ。その間、プリシラの頭部が前方に投げ出される。もちろん、高速再生中だ。

 

「ご、ごのッ!」

 

大剣を拾っている暇はない。アガサはヤケクソで踏み込むとプリシラを全力で蹴った。大きく高い弧を描き、プリシラの頭が街の外へと飛んで行く。それを見届けもせずアガサは即座に反転。投げ飛ばしてしまった自分の大剣の代わりにプリシラのそれを背中に差し、座り込むラキアを抱えて走り出した。

 

「がいふくまであど、どれぐらいかる?」

相変わらずの濁声でアガサが聞く。それにラキアが申し訳なさそうな顔をする。

 

「す、すいません、後、一分と少し必要です」

 

「……わがった。じゃあ、おわっだら、ぐすり」

 

「それなんですけど、ちょっと、考えがあるので、待ってもらって良いですか?」

 

嫌な顔をしたアガサにラキアは真剣な表情で説明を始めた。

 

 

 

 

 

絶対に逃がさない。プリシラは地面に着地した瞬間、力強く地を蹴った。地が爆散し、身体が強く風を切る。動きに違和感はない。体調は万全、再生は飛ばされている間に終わっている。

 

「……見つけた!」

 

走るプリシラの知覚が街を離れる小さな妖気と匂いを捉えた。まだ余裕で追える距離だ。だが裸で無装備は流石に辛い。大剣と脱ぎ捨てたローブを回収する為街に立ち寄る。裸で現れたプリシラにどよめきが起こるが、それは赤面しつつ無視、目的のモノを探す。

 

しかし、ローブは直ぐに見つかったのだが大剣がない。しっかり探そうとするも妖気と匂いはドンドン遠ざかっている。このままで知覚範囲外に逃げられる。

 

「くっ」

 

逃す訳には行かない。仕方なくプリシラは大剣を諦めローブだけ纏うと追跡を開始した。

 

組織の掟を守る為、ひいては全ての妖魔を殲滅する為、どんな任務だろうと失敗出来ない。ましてや妖魔から逃げる戦士などあってはならない。必ず仕留める。

 

大剣の損失による戦力低下、それを補う為、プリシラが妖気を解放する。ドンッと大気が震え、身体能力が上昇した。その妖気は先の限界近くまで妖力解放したアガサとラキアに匹敵する。

 

しかし、そんな大きな妖気を発しながらプリシラの瞳は金に染まらない。その瞳は未だ銀のままだ。これが意味するのはまだプリシラが一割も妖力を解放していない証だった。

 

プリシラは10%以上の妖力解放を組織から硬く禁じられていた。なんでも自分は普通の戦士と違い、限界点が曖昧で下手をすれば簡単に覚醒してしまうと言われていたからだ。

 

前例に自分と似た戦士が居たらしい、だが、その戦士と比べてもプリシラは特別らしくより覚醒し易い体質らしかった。非常に不本意な話である。それ故、プリシラは訓練生時代、妖気を抑える鍛錬ばかりを課せられていた。だからこそ、今、これほどまでに妖気を発さず行動出来るのだ。

 

「…………」

 

街を出てからおよそ五分、グングンと距離が詰まり、そして逃亡者の背が見えた。やはり妖力解放による身体能力の上昇は目覚ましい。あと一息で追いつける。

 

視認出来るまで縮まった距離。アガサとラキアが首だけを振り向かせ自分を見た。そんな二人を睨みつけ、プリシラは考える。

 

ーーどちらを先に潰すのかを。

 

残念ながら逃げる間に回復させたらしい。アガサもラキアも特に目立った傷はない。違いがあるとすれば妖気の有無、アガサからは妖気を感じない。薬の効果で妖気が抑えられているのだ。

 

「…………」

 

妖気を感じないのは厄介だ。匂いよりも妖気の方が遥かに追い易い。今回はたまたま自分の担当区域に居たので直ぐに見つけられたが、ここで逃がせば厄介な事になる。やはり、ここは先にアガサだ。

 

プリシラは力強く踏切、アガサ目掛けて跳んだ。流れる視界が一気に加速し距離を詰める。そして、プリシラは大剣の射程の直前で停止した。

 

何故なら振り向きざまにアガサが斬撃を放って来たから。

 

鼻先を素通りする軌道を描き大剣が虚空を走る。妖力解放できない為かその速度は先の戦いより遅い。この程度なら回避は容易い。妖力解放中なら尚更だ。

 

「…………」

 

この大剣を避けてカウンターを叩き込む。プリシラは拳を強く握り締めた。そして、大剣が振り終わる。

 

ーー今だ!

 

タイミングを合わせてプリシラが前に出る。その瞬間、鮮血が舞った。

 

「ッ!?」

 

鋭い痛みに慌てて動きを止める。見れば鼻がザックリ斬られていた。

 

「(なんでッ!?)」

 

驚き一旦距離を置く。何かおかしい。プリシラは自分の鼻を触る。傷の再生は一瞬で終わっていた。

 

「(間合いを間違えた?)」

 

疑問を抱きながらも追跡を続行、離れた二人に再び接近。

 

「(今度こそ間違えない!)」

 

しっかり間合いを図りアガサへと急襲。接近に際し振られたアガサの大剣、それを潜り抜けて懐へ潜る。そしてプリシラはガラ空きの胴体へと拳を放った。

 

しかし、拳が捉えたのは柔らかな布の感触、僅かばかり身体には届かなかった。

 

「(なぜっ!?)」

 

誤りはなかった筈。またも外れた攻撃に驚きを隠せない。そんなプリシラに街でやられた意趣返しか? アガサが蹴りを放つ。

 

顔面目掛けて跳ね上がった足、驚きで動きを鈍らせながらも、蹴りを視認したプリシラは身を逸らしてそれを躱した。

 

そう、確かに躱したのだ。

 

「ガッ!?」

 

しかし、次の瞬間、顎が砕ける感触と共に身体が後方へと投げ出される。躱した筈の蹴りが何故か顎に突き刺さったのだ。

 

「……追撃しないで下さいね」

 

「分かってるわよ」

 

吹っ飛ぶプリシラにそんな会話が聞こえて来る。

 

「……ふざけるな!」

 

瞬時に傷を再生させ、プリシラが叫んだ。グルンと反転し頭から落ちる軌道を修正、右足で地を捉えるとプリシラは三度目の接近を試みた。ただし、今度の対象はアガサではない。狙いはラキアだ。

 

「ハッ!」

 

気合いを込めてプリシラがラキアへと襲い掛かる。間合いに入ったプリシラにラキアが大剣を振った。妖力解放しているからかその速度はアガサよりも疾い。だが、プリシラからすれば十分対応出来る速度だ。

 

斜めに走った斬撃、それを紙一重で躱す。しかし、やはりと言うべきか? 躱した筈の大剣に構えた左手を斬り飛ばされ、胸を浅く斬られてしまう。

 

「その、程度でッ!」

「なっ!?」

 

だが、ここでプリシラは諦めなかった。傷を無視して更に踏み込みラキアの肩を右手で掴んだ。ガッシリと掴む筈が、服の端を捉えるに終わったしまったが成功は成功だ。

 

「やった!」

 

喜び、プリシラはそのまま千切れんばかりに服を引いた。狙いは膝蹴り、無理矢理攻撃を当てようとする。

 

ところが、ここでも攻撃は失敗した。

 

「セイッ!」

 

死角から放たれたアガサの斬撃に右腕を斬り飛ばされてしまったから。痛みと怒りに顔が歪む。そんなプリシラにアガサは振り下ろした大剣を翻し、その顔面へと刺突を放つ。彼女はこれを大きく飛び退く事で回避した。

 

「くっ」

 

プリシラが呻く。妖気による干渉か? 方法はさて置き完全に間合いを弄られている。しかも誤認させられた距離が三回とも違う。これでは紙一重の回避が出来ない。

 

「あと、どれくらいよ!」

 

「もう少し、多分もう少しです!」

 

プリシラが攻撃を躊躇している間、アガサとラキアは意味の分からぬ会話をしている。何がもう少しだと言うのか? まさか、このまま逃げ切れると思っているのか?

 

ーーもしそうだとしたら。

 

「無駄ですよ」

 

冷徹な声が口から漏れた。そう、無駄な事なのだ。現状を見れば負け惜しみにしか聞こえないが実際、逃すなどあり得ないのだ。身体能力はプリシラが圧倒している。自分より遅い相手をこの目視で補足出来る距離から逃すなどあり得ない。

 

そして、もし二人がプリシラの体力切れを狙っているなら浅はかだ。全力に近い速度で走っている二人に対し、プリシラはかなり速度を抑えている。最大速度で上回っているのだから当然だ。全力で走る者と抑えて走る者、どちらが先に体力が尽きるかなど論ずるに値しない。

 

その上、プリシラの体力は全戦士の中でもトップクラスなのだ。追いかけっこで自分に勝てる戦士は一人か、多くて二人しか居ない。少なくともアガサとラキアに負ける気は欠片もなかった。

 

「何処まで行くんです?」

 

プリシラが静かに問う。その声は冷静だった。遅かれ早かれ勝つと思い至ったからだ。

 

「いつまでこの愚かな逃亡を続けるのです?」

 

プリシラが質問を続ける。その問いにラキア首だけを振り向かせた。

 

「もちろん、貴女が追ってこなくなるまでよ」

 

「……本気で言ってるんですか?」

 

プリシラは苛立った。その言い方はつまり、ラキアとアガサが逃げ切るのではく、プリシラが二人を追う事を諦めると言っているのだから。

 

「あたしが、任務を放棄すると考えているの?」

 

思わず素の口調が出る。それだけ失礼な事だったから、それは全力で任務に当たるプリシラへの侮辱なのだから。

 

「誓います。私は絶対にあなた達を逃さない。必ず今日、粛清を実行します」

 

そう、確信を持って断言するプリシラ。

 

「……ねぇ、あんた確か人々を守る為に戦うって言ったわよね」

 

そんなプリシラの宣言に触れずにアガサがそんな質問をした。

 

「ええ、言いました。それがどうしました?」

 

何故、今そんな事を聞くのか意図が分からない。プリシラはそんな顔だ。

 

「命を削り、妖魔を殲滅する事、それこそが戦士の役割って言ったわよね」

 

「言いましたよ、それがどうしたというんですか?」

 

だからどうしたと言うのだ。当然の事をまたも聞いてくるアガサに苛立つプリシラ。その真意がまるで読めない。逃げ切る上で必要な事なのか?

 

「立派な事ですね、本当に貴女は戦士として正しい心を持っている」

 

今度はラキアがそんな事を言って来た。本気で褒めているようだ。本当に何が目的だ? プリシラは内心首を捻った。

 

「……褒めても手は抜きませんよ」

 

「もちろん、手を抜いてくれるなんて期待していないわ、でも、一つ聞きたいんだけど良い?」

 

「……なんですか?」

 

「嘘じゃないわよね?」

 

「え?」

 

真面目な調子で言ったラキアの言葉。それに続けるようにアガサもプリシラの目を見て言った。しかし、言った内容をプリシラは理解出来なかった。

 

「聞こえなかった? 嘘じゃないかって言ったのよ。本気でどんな危険だろうと逃げずに命を懸けて人々を守るかって聞いたのよ」

 

「…………」

 

自分の内側からプツンと何かが切れる音がする。

 

「ふざけるなッ!!」

 

気付けばプリシラは吼えていた。彼女の瞳が銀から金へと変化する。強大な妖気が立ち昇る。その妖力は先程までの倍以上。思わず妖力解放率を上げてしまったようだ。

 

「悪者のくせに! 組織の掟に背いたくせにッ! 正しいあたしを疑うのかッ!!」

 

もう、間合いの誤魔化しなんて関係ない、今すぐ引導を渡してやる。高めた妖気を足に集めプリシラが穿つ勢いで地を蹴ろうとする。

 

しかし、そんな動きをラキアの声が止めた。

 

「じゃあ、なんで助けにいかないの?」

 

それはさも不思議そうな声だった。

 

「は? 何を言って、意味が……ッ!?」

 

ーー分からない。

 

そう、答えようとした所で、プリシラは気付いた。気付いてしまった。今までのやり取りの意味を。

 

「ふふ」

 

先程までの真面目な顔は何処へやら嫌らしい顔で笑い、左斜めの方角をラキアが真っ直ぐ指さした。

 

「ッ!」

 

距離はかなり遠い、しかし、その方向から確かな強い妖気が二つ漂って来る。そして、この妖気の質は覚醒者だ。

 

「あは、気付いたわね」

 

「くっ」

 

嗤うラキア。それに対し辛い選択を迫らたプリシラが苦しげな顔で呻く。

 

「いや〜、助けを求めてるわねー、きっと戦士が来るのを今か今かと待ち侘びてるわねー、あ、でも全然、戦士の妖気を感じないわ、これは誰か駆けつけないと町の人達が皆殺しにされちゃうわね〜。誰かいないかしら、何処かにいないかしら〜強くて正しい清らかな心を持った救世主のような戦士が〜…………あははっ!」

 

アガサがここぞとばかりの勝ち誇った顔で、相手を完全に馬鹿にした顔で、プリシラを挑発した。早く行けよとあからさまに覚醒者の方をチラチラ見るアガサにプリシラが青筋を浮かべる。

 

しかも、今のアガサは妖気を感じられないので言っている内容は出任せだ。しかし、プリシラの知覚にも戦士の妖気は引っ掛からない。もし、覚醒者が街を襲っていたら。

 

ーー本当に町が滅びてしまう。

 

行かねばならない。しかし、と。プリシラが未練と憎しみを込めた目でアガサとラキアを睨めつける。

 

「あら、行かないの? 妖魔を殲滅するのがお仕事のプリシラさん? まさか、人々を襲い喰らう覚醒者達より組織から逃げ出しただけの戦士の方を優先するのかしら? どちらがより人々に危害を加えるとか考えるまでもないと思うけど?」

 

そんな事も分からないの? とでも言うような嫌らしい笑みで挑発するラキア。プリシラは怒りで頭がどうにかなりそうになった。同時に握り締めていた拳の骨が自身の力で砕け散る。

 

「くっ、ぐっ、この卑怯者ッ!」

 

「いや〜卑怯者でごめんね〜」

 

「ふふ、負け犬の遠吠えが聞こえますねぇ」

 

千切れるほど強く唇を噛んだプリシラが、悪鬼の如き表情でアガサとラキアを睨んだ。だが、二人はニヤニヤとプリシラを挑発した後、方向転換。

 

ーーアガサとラキアは覚醒者とは真逆の方向へと走り出した。その数秒後、ラキアの妖気も消える。薬を飲んだのだ。

 

「……許さない、絶対に許さないッ! 地の果てまででも追い掛けて八裂きにしてやるッ!!」

 

その言葉が最後だった。プリシラは二人の背に射殺すような視線を送った後、理性を総動員。爆発寸前の怒りを抑え込むと妖気を鎮め覚醒者の方へ走り去った。

 

これにて決着、ギリギリの所でアガサとラキアは、プリシラから逃亡を成功させたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、喰った喰った」

 

そんな声が血に染まった街に響いた。

 

その言葉を発したのは肩口まで伸びるやや癖のついた黒髪を持つ男ーークロノスだ。彼は真赤な手をひと舐めし、満足気に頷くと視線を血だまりに座り込む一人の男に向ける。

 

「そっちは喰い終わったか?」

 

「……今終わる」

 

クロノスの声に硬そうな髪質の金髪の男ーーラーズが答えた。彼は血だまりから立ち上がると口をモゴモゴと動かしながらクロノスに近づく。どうやらこちらも満足したらしい。

 

「はは、ラーズお前、服が血だらけだぞ? もうちっと綺麗に喰えよ」

 

真っ赤になったシャツを指差しクロノスが笑った。それにラーズがムッとする。

 

「別にいいだろ、俺は豪快に喰うのが好きなんだ」

 

そう言いつつ、汚れを隠すように背を向けるラーズにクロノスの笑みが深くなった。

 

「はは、全くしょうがねぇな、あっちに服屋があったからさっさと変えて来いよ」

 

「分かった……クロノスは変えないのか?」

 

「ん、ああ、こいつは気に入ってんだ。汚れが目に付くようになるまで変えるつもりはねえ」

 

「そっか、じゃあ」「お前たちのせいだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

ラーズのセリフに被せるようにそんな声が二人の覚醒者に届いた。クロノスとラーズが声の出処へと視線を向ける。そのには銀髪、銀眼を持った少女が一人、怒りに顔を歪ませ、二人を睨みつけていた。彼女はローブだけを纏い。怒りに歪んだ顔でこう続けた。

 

「お前タチのせいだ! オマエたちのセイだッ!! オマエ、タチノ……セイダァァァッッ!!」

 

少女ーープリシラの瞳が金に染まり、その身から上位覚醒者以上の妖気が迸る。それと同時にプリシラがクロノス、ラーズに飛び掛った。




アガサ&ラキア「死亡フラグは押し付けるモノ!!」

プリシラ「ビキビキビキビキッ!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話

ビニール紐「週一更新いけるやん!(フラグ)」


ーーどうしてこうなった。

 

そう、思ったのは一瞬の事。何故なら答えなんて問うまでもなく分かっているから。そう、自分が悪い、甘く弱い自分が悪いのだ。

 

「…………」

 

テレサは隣の少女を見下ろす。そんなテレサの視線に気付いたのか、少女は無言で、だがニコニコとテレサを見返した。そんな少女の右手はしっかりとテレサの左手と繋がっている。

 

「……はぁ」

 

どうしてこうなった。テレサは溜息を吐いた。いや、本当に理由は分かりきっているのだが。人間、無意味でもこう思わねばばならない時があるのだ。

 

事の顛末を語れば、それほど長くは掛からない。

 

そう、あれはテオの街からの依頼での事だ。近接する町で妖魔を七匹斬った。ここまでは良い。妖魔討伐は五秒で終わる極々簡単な任務だった。しかし、問題はここからだ。最後に斬った妖魔、それが連れていた少女に何故か懐かれてしまったのだ。

 

自分に抱きつこうと突撃を繰り返す少女を華麗に躱し、テレサはコイツはなんだと町長に聞いた。で、町長から返ってきた答えは『良く分からない』だった。

 

町にとっては数少ない子供だろうに、少しばかり冷たくはないだろうか? そんな風に僅かな苛立ちを込めて問うと町長は慌てたように分からない理由を語り出した。

 

なんでも少女はこの町の住人ではなく、妖魔のオモチャ兼非常食として連れ回されていた子供らしい。だから、分からない。しかも、よほど妖魔から酷い扱いを受けたのか、口が聞けなくなってしまったらしく、話を聞く事も出来なかったと町長は零した。

 

そこまで聞き、なるほど、とその時テレサは思った。

 

少女の詳しい境遇は分からない。だが、おそらく自分を救った私を救世主か何かだと考えたのだろう。ならば話は簡単だ。

 

テレサは自分は救世主じゃないと言い捨て、金は他の街から貰っている、礼をしたいならばその少女の面倒を見ろと告げて町を出る。これで問題解決だ。

 

しかし、にも関わらず少女は今、自分の隣にいる。非常に困った事に少女はかなり諦めが悪かったらしい。なんと大人達の手を逃れて自分に着いて来てしまったのだ。まあ、考えるまでもなく厄介払いだろう。町の人間が少女を本気で捕まえようとしなかったのは明らかだ。

 

テレサは苛立った。文句を言ってやろうと思った程だ。だが、テレサは町へ戻らなかった。戻っていちいち話し合うのは面倒だからだ。

 

それで、テレサは走る事にした。まあ、少しばかり気分が悪くなるが、所詮は見ず知らずの子供。それが攫われようが、野たれ死のうが、自分には関係ない。

 

テレサは軽く走って少女を置いて行った。

 

そう、置いて行ったのだ。

 

だが、ここで最大の問題が発生した。なんと、ほんの数歩、走っただけで何故か自分の足が止まってしまったのだ。

 

何故止まる? そう、思ったが足は一向に言う事を聞かない。結果、トテトテと走る少女に僅か一分で追いつかれてしまった。その時の足が動かなくなった感覚。それはまるで張り詰めた見えない紐で自分と少女が繋がっているようだった。

 

それから何度もテレサは少女を撒こうと試みる。しかし、何度やろうとギリギリ人間が視認出来そうな距離まで行くと急に足が鉛のように重くなり、前に踏み出せなくなってしまうのだ。それどころか後方へと強く引かれている気分だった。

 

何故逃げられない? 五度目の失敗を機にテレサは理由を考えた。そこで出て来たのは過去の自分の体験だ。追い掛けるて来る少女に過去の自分を重ねてしまったらしい。テレサは渋々ながらそう結論付けた。

 

トラウマというものだろう。まだ、戦士になる前、最初の実戦折、信頼する相手に逃げられた経験だ。それを思い出した瞬間、脳裏に灼き付いて暫くその光景が頭を離れなかった。

 

「……はぁ」

 

とっくに克服したと思っていたのだが、存外心の傷とは長く残るものらしい。テレサはガリガリと右手で頭を掻く。こうしてテレサは逃げる事を諦めたのだった。

 

 

ーーそれが三日前の話である。

 

「……はあ」

 

そんな風に少女との出会いを振り返り溜息を吐く。すると不意に視線を感じた。見れば少女が見上げている。その顔は不安を……いや、自分を心配しているように見えた。

 

「なんでもない」

 

ぶっきら棒に言うと少女が悲しそうな顔をする。どうにもこの顔にテレサは弱かった。

 

「…………」

 

手が自然と少女の頭へと伸びた。そのままテレサは少女の髪を撫でる。特に撫でるのに理由はない、ちょうど手を置きやす位置にあったからだ。

 

そんな風に聞かれてもいないのに、心の中で誰かに言い訳をしながら頭を撫でていると、思い出した事があった。

 

「……懐かしいな」

 

心地好さそうな少女の顔が、過去の自分と重なった。そう、自分もよく髪を撫でられたのだ。きっと自分もこんな顔をしていたのだろう。

 

「…………」

 

「……ん?」

 

感慨にふけっていると、それに、どうしたの? と聞くように少女が小首を傾げてテレサを見た。

 

「いや、なんでもない、それよりお前は……ああ、そうだ、名前が分からなかったな」

 

テレサが少女を見ると、少女は何かを言おうと口を開く。しかし、出てくるのはヒューヒューという呼気の音だけだった。

 

「…………」

 

悲しそうに下を向く少女、それにテレサはなんとなく、そう、あくまで、なんとなく悪い事をしたような気持ちになった。

 

「名がないのは面倒だな……そうだ、本当の名前が聞けるまで私が仮の名前をつけてやる」

 

そうテレサが告げると、少女は期待するように目を輝かせた。現金な奴だと思う。だが、そんなに期待するな名前なんて付けたことないんだ。

 

キラキラとこちらを見る瞳にたじろぎそうになる。別に威圧されたという訳じゃないのだが、この視線は覚醒者の殺気よりよっぽどテレサに効果的だった。

 

「……変な名でも怒るなよ?」

 

過剰な期待に予防線を張った。それに少女はコクリと少女は首を振る。取り敢えず了承は得た。とは言え、変な名前は付けられない。

 

名前とは重要はものである。仮とは言ったが今日決めたものが一生の付き合いになる可能性だってあるのだから。

 

「…………」

 

柄にもなく緊張している自分がいる。もしかしたらダフル戦並に緊張しているかも知れない。というか緊張なんていつ以来だろうか?

 

『そんなことと どうれつに かたるな!』舌足らずな叫びが何処かから聞こえた気がする。まあ、気の所為だろう。 テレサは珍しく掻いた手汗をマントの裾で然りげ無く拭いた。

 

「そうだな……」

 

この少女にはどんな名が似合うだろう。テレサは考える。

 

アガサは……ただの討伐対象だ。

ヒステリアは……なんか性格が悪くなりそうである。

ローズマリーは……あり得ないな。

 

というかコイツらは全員年上のイメージがあってダメだ。しかも二人は多分存命だ。ただでさえアレなのに、もし出会ってしまったら非常に微妙な気分になる。

 

そもそも会ったことある奴を名前の候補にあげるべきじゃなかった。そう、自分で考えなければ。

 

少女はだいぶ年下だ。年下で共に生活するとすれば娘? いや妹か。自分の妹、それならどんな名が似合う?

 

「…………あ」

 

その時、天啓のようにテレサの頭にその名が浮かんだ。

 

「よし、そうだな、これにしよう」

 

テレサは何時の間にか上を向いていた視線を下げる。すると目が合った。自分が視線を逸らしても少女は目を離さず此方を見上げていたらしい。

 

「…………」

 

そんな少女に言葉が詰まる。緊張する訳だ。戦闘力を求められる事はいくらでもあったが、この手の期待は受けた事がない。

 

だが、何時まで待たせるのは悪い。期待に応えられるかは微妙だが、テレサは意を決してその名を口にする。

 

「クレアなんてどうだ?」

 

少女ーークレアは驚いたような顔をした。それに顔が引き攣りそうになる。どうも失敗したかも知れない。

 

「なんとなく、お前にはその名が、似合う……と、思う」

 

そう告げてテレサは曖昧に微笑んだ。その姿は実に常とは違い実に自信がなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

「ようやく着いたか」

 

瓦礫の山と化した街、それを見て黒い服の男が呟いた。ここはアルキの町。最後にプリシラの妖気が観測された場所だ。

 

「それで、プリシラはここに居るのか?」

 

「はい、少なくともこの付近に居るかと」

 

黒服の質問。それに一人の戦士が答えた。腰まである銀髪を三つ編みにした鋭い目付きの女ーー現ナンバー16のシルムだ。

 

シルムは先導するように黒服の前を歩きながらキョロキョロとアルキの各所に視線を送る。しかし、プリシラが見つからない。なのでシルムは軽く妖力解放し、更に遠方へと目を向ける。

 

ーーそれから数秒後。

 

「…………見つけました。東山中で倒れています。外装は大剣、衣服を含めてなし、呼吸あり、身体についても目立った外傷はありません。後、周囲に細切れの遺骸有り、覚醒者のモノと思われます」

 

あっさりとシルムは目的のプリシラを発見した。

 

『炯眼』それがシルムの二つ名だ。彼女は誰よりも遠方を捉え。誰より優れた動体視力を持つ。その凄まじさたるや平地なら1キロ先の蟻の瞳を見つけ出し、現ナンバー3イレーネの最速剣技『高速剣』すら完璧に見切る。

 

ただ、惜しい事にそれだけの眼を持っていながら、その能力に身体能力がついて来れない。攻撃を完璧に見切れても、反射速度が追いつかず回避が出来ず、相手の隙を見つけて動く頃には隙が消えている。

 

それゆえ、シルムは防御に徹しながら相手の挙動をよく見て、大きな隙が出来るのを待ってはそれを突く……という戦闘スタイルを確立した。

 

しかし、その戦術が使えるのもせいぜい一桁下位レベルの戦士まで。だから彼女はナンバー16に甘んじており、戦力が充実している今は主に妖気で探せない戦士の探索や黒服の補助を仕事としているのだ。

 

「そうか無事か。それは良かった。おい、プリシラを起こして連れて来い」

 

「「はっ!」」

 

黒服の男は背後に付き従う下位構成員達に命令、彼等は指示に素直に従うと、プリシラが居ると言われた山中へ走って行った。

 

「しかし、覚醒者が細切れなのは頂けないな……どの程度の大きさなんだ」

 

「片手から両手に乗りそうなくらいの大きさの肉片が多数落ちています。元が何体の覚醒者だったか、そもそも本当に狩れたかも此処からでは判別出来ません」

 

「……そうか」

 

覚醒者の遺体にはそれなりの使い道がある。だが、あまりそれが細かいと使えなくなってしう。黒服は残念そうに呟いた。

 

「ダーエに頼まれていたんだが、な……まあ、それはいい。しかし、何故プリシラはここに居て覚醒者などを狩っている?」

 

思考を切り替えた黒服が浮かんだ疑問を口にする。別に覚醒者を狩る事を禁止はしていない。だが、プリシラは既に粛清という任務は受けていたのだ。

 

「プリシラはルブルの町でアガサ達と接触したのだろう? なのにどうしてこうなった、どんな過程を経て粛清から覚醒者狩りに任務内容が変化した?」

 

「おそらく粛清者を追う途中で妖気を感知し、狙いを覚醒者へと変えた為かと」

 

シルムの言葉に首を捻る。プリシラは任務を途中で投げ出すような奴ではない。プリシラ担当である黒服はそれをよく分かっていたのだ。

 

「……プリシラは任務に忠実だったはずだが?」

 

「はい、その通りです。しかし、彼女は人一倍、妖魔を憎んでいましたから、それを利用されたのかも知れません」

 

「……なるほど」

 

シルムの説明に確かにそうだ、と黒服は思った。人々の為と謳っているし、そうなるように組織が思考誘導したがやはりプリシラの根幹に有るのは妖魔への憎悪だ。極論すれば任務への誠実も組織に盲目的なのも妖魔を殺せるからに過ぎない。

 

そう、だからだろう。潜在的にプリシラは思っていたのだ。人に近い半妖よりも覚醒者を殺したいと。それ故、プリシラはより優先度の高い覚醒者を狙い、アガサ達を逃したのだ。そう考えれば納得がいく。

 

ーーしかし、それは。

 

「……少々問題だな」

 

黒服は顔を顰める。どれだけ能力が高かろうと追う度に横道に逸れていては、いつまで経っても逃亡者を捕まえられない。アガサとラキア……一桁上位レベルの二人が本気で協力すれば、妖魔や覚醒者を囮にプリシラから逃げ続けるのも不可能ではないのだ。

 

「……確か、ルボルの街でアガサとラキアは妖力解放していたな?」

 

「はい、そう伺っております」

 

「分かった。ならばアガサとラキアの粛清は別の者に任せるか」

 

適材適所、プリシラには望み通り、妖魔、覚醒者を屠る任務を与えよう。黒服は粛清任務からプリシラを外す事を決定した。

 

「それならば龍喰いに追わせてはいかがです?」

 

そう、シルムが提案する。彼女は黒服の補助をする関係上、あまりその存在を認知されていない龍喰いについても詳しかった。

 

「ルボルでアガサとラキアの血液を入手しています。それを使えば対象指定は可能です。奴等なら私情を挟む事は一切ないのでよろしいかと」

 

命令に違えない。プリシラを命令違反で外した事を考えれば無難な選択である。

 

ーーしかし。

 

「いや、龍喰いは使わない」

 

シルムの案に黒服は首を縦には振らなかった。

 

「確かに奴らは私情を挟まない。だが、問題もある。匂いの対象以外を襲わないと言われているが、龍喰いは対象の近くに動く者が居るとそれをターゲットと誤認してしまう」

 

安定した高い戦闘力と覚醒者を上回る再生能力を持つ龍喰いだが、思考がほぼ喰う事で埋まっていて、突発的な事態への対応力はゼロ……まあ、要するにバカなのだ。

 

こういう手合はズル賢い者に良いように踊らされてしまう。そして、アガサとラキアは正にそのズル賢い者の典型だ。はっきり言って相性が悪い。

 

「例えばアガサとラキアか町に潜伏した場合、被害が大きくなる上、町人を囮に逃げられる恐れがある。また、予め自分の血を採取してそれを野生動物にでもかけておけば簡単に龍喰いを誘導する事が出来る」

 

更に言うと、覚醒者だけを襲えといった大雑把なモノなら兎も角、個体指定はそれなりに手間なのだ。深淵級ならまだしもただの逃亡者相手にそんな手間を掛けるのは頂けない。

 

「やはり、妖気が感じられるなら戦士を送るのがベストだろう」

 

「分かりました。では、誰に任せますか? やはりテレサですか?」

 

「いや、テレサではない。ああ、確かに奴なら確実だろう。しかし、ナンバー1ばかりに難しい仕事を任せていては下が育たん。それにテレサの奴は少し前に人間の少女を拾ったらしくてな、こういう任務に良い顔をしないだろう」

 

「人間の少女、ですか……よろしいので?」

 

「…………」

 

正直な所、あまり良くはない。移動速度が極端に減るし、まずあり得ないだろうが、下手に感情移入して人質にされる恐れすらある。はっきり言ってデメリットしかない。

 

だが、そんなデメリットよりも無理やり引き剥がして反感を持たれる方が百倍面倒だ。離叛でもされたら笑えない。

 

「まあ、所詮は気紛れだ。飽きるまでは好きにさせる……さて」

 

黒服は丁度良い高さの瓦礫に目をつけると、汚れを払い腰掛ける。それから彼は懐から丸めた皮用紙を取り出した。それは全戦士の任務状況を記したモノだ。

 

「どれどれ…………」

 

紐を外した。中身を確認する。暇かつ粛清を任せられる戦士を探しているのだ。

 

「……ほう、これは丁度良い、イレーネ、ソフィア、ノエル、エルダの手が空いている。アガサとラキアには奴らにチームを組ませて当たらせよう」

 

ナンバー3〜6で構成された討伐隊、それは中々エゲツないオーダーだった。

 

「……まるで覚醒者狩りのようなメンバーですね」

 

イレーネはプリシラが戦士となる前のナンバー2だ。それもテレサがいなければナンバー1を任せてなんら問題ない極めて強力な戦士である。

 

ソフィア、ノエルもそれぞれ膂力、俊敏性でプリシラに迫るほどのモノを持っており他の能力も総じて高い。

 

そしてエルダは前の三者には劣るもバランスの良い戦士で、妖気感知はテレサに次ぐ。戦闘だけではなく逃亡者を見つけるのにも力を発揮するだろう。

 

このメンバー、深淵級でもなければ上位の覚醒者だろうと軽く屠れる戦力である。控えめに言っても多過ぎだ。そうシルムは思った。

 

「流石にこのメンバーは戦力過多では?」

 

「いや、仮にもアガサは元ナンバー3、ラキアもナンバー10ながら一桁上位並みの力を持っていた。運も在ろうがプリシラからも逃げ切っている。油断は禁物だ。幸い、今は戦力も余っている、もう二、三人追加しても良いが……くっくっく、そこまでしては過剰戦力だろうが、ここらで奴らの逃亡生活に終止符を打ってやろう」

 

もう十分過ぎる程生きただろう。そう言って黒服は酷薄な笑みを浮かべると、皮用紙を懐にしまう。こうしてナンバー3〜6のアガサ、ラキア粛清隊が結成されたのだった。

 

 

 

 








ローズ・エラエラ・ダブル「……出番が来ない」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35話

なんか、あんまりうっかりしてない。


 

 

 

「コレが最後です」

 

真剣な表情でラキアが言った。彼女の掌には二つの黒い錠剤がある。見慣れた、何の変哲もない妖気を消す薬だ。しかし、それを見たアガサの顔は盛大に引き攣っていた。

 

「ほ、ほんと? ほんとうに……これだけ?」

 

震える声でアガサが言う。それも当然、なにせこの薬は逃亡の生命線なのだから。

 

「も、もうちょい……なかったっけ?」

 

「ないです」

 

しかし、現実は何時だって非情である。ラキアはゆっくりと、アガサにこの世の厳しさを突き付けるように、首を横に振った。

 

「…………」

 

それでも、諦めの悪いアガサは、勝手にラキアのズボンと上着ポケットをパンパンと叩き出した。まずは自分のからしろとラキアは思った。しかし、どうせ無駄なので指摘はしない。存在しない物はいくら探してもないのだ。何処ぞの歌にある魔法のポケットとは違うのだ。叩いたって薬もビスケットも出て来ない。

 

「う、嘘だぁ、だって私の記憶だと、まだ数十錠はあった筈……なんだけど?」

 

「だからないと言ってるでしょう……いえ、そうですね、確かに数十どころか数百は残ってますよ? でもここにはないんです。アガサさんはその数十錠とやらは何処で見ました?」

 

「…………」

 

もちろん、隠れ家である。そもそも隠れ家を移す訳でもないのに、紛失する可能性がある小さな、けれど大事な薬を、大量に持ち歩く筈がない。

 

「隠れ家に戻りましょう」

 

「かなりの確率でプリシラに見つかってると思いますよ?」

 

「……薬って、他の隠れ家にも置いてあったかしら?」

 

「ええ、もちろん、必須ですから」

 

「…………元の除いて、ここから一番近い隠れ家までどれくらい?」

 

青褪めた顔でアガサが問う。まあ、もちろん、彼女は大体の距離を把握している。最重要の情報故にしっかりと覚えている。だが、それでも聞いたのは自分の記憶が間違っていて欲しかったからだ。

 

しかし、悲しいかな。アガサの記憶は正しかった。

 

「一番近いので三日ですね……飲まず食わずで走り続けて」

 

現在地がここで、目的地がここ。アガサの質問にラキアは血塗れね地図を取り出し指さした。この結果、ラキアの説明でより事態の深刻さを理解したアガサの顔色が青から白へとチェンジした。

 

飲まず食わずで走って三日、だが使える薬は一日分。

 

「…………」

 

「…………」

 

痛い程の沈黙が二人の間に流れた。

 

ーーそして。

 

「ちょっ、なんでもっと多く持っとかないのよッ!!」

 

白から一転。顔全体を真っ赤に染め、アガサが叫んだ。私怒ってますよ! と言わんばかりの態度である。

 

しかし、そんなアガサの怒りを軽々沈めるほど、ラキアの態度は冷たかった。

 

「そうですね、ごめんなさい。でも持ってたんですよ? プリシラの攻撃でポケットが破れて落としてしまっただけなんです。ああ、すいません言い訳ですね、ないことに変わりありませんからね……ところで今出したのは私の破れたポケットから出て来た物ですけど、アガサさんは何個薬をお持ちなんですか?」

 

「え、そ、それは……ええと」

 

盛大なブーメランだった。そう問われ、途端にアガサの声が小さくなる。旗色が悪くなった彼女の目がスーッと泳ぎ、ラキアを視線から外す。しかし、逸らした先にわざわざラキアは回り込んだ。

 

「いやぁ、私に食って掛かるという事は三個以上は確実にありますよね。そもそも外出する時は六個は持つと決めてましたもんね」

 

そう言って止める間も無く、ラキアがパンパンとアガサのポケットを探る。しかし、というか当然、薬は出て来なかった。

 

「おやぁ、薬がありませんねぇ、おかしいな、計算では五個は残ってる筈なんですが? 何時の間にこの世界では6一1が0なんて答えになったんです?」

 

アガサの顔を下から覗き込みながらラキアが言った。その目は仄暗い水底のようで見つめられるとやたら不安になって来る。

 

「ゔっ……い、いや、だって」

 

「だってなんです?」

 

早く続きを言えとばかりに、出来もしない言い訳を待つラキア。それにとうとうアガサが折れた。

 

「…………ごめんなさい。ラキアが持ってるから大丈夫だと……思って、ました……本当、すいません」

 

申し訳なさそうに、頭を下げる。そう、素直に謝ってくれれば良いのだ。少しだけ憂さが晴れ、小さな満足を得たラキアが息を吐いた。

 

「ふぅ……いいですよ、私も色々助けられてますからね。でも次回からは本当にお願いしますよ」

 

まあ、次回も望み薄だろう。ラキアは思った。だってアガサが抜けてるのはいつもの事だから。或いは自分が構い過ぎたから、だらしなくなってしまったのかも知れない。ラキアは出来の悪い妹を持ったような気分になった。まあ、アガサの方が年上なのだが。

 

「それより今後の事を手早く話しましょう、私達の妖気が戻る前に」

 

ラキアは再び地図に視線を向けた。

 

「次の隠れ家まで行くルートはいくつもあります。ですが現実的に私達が取れるのは五つ。そして、その内の二つが最も良いと私は思います」

 

ラキアは分かりやすいようにルートを指でゆっくりなぞりアガサを見る。どうやら彼女も理解したようだ。アガサは静かに頷き先を促す。その様子に問題ないと判断したラキアは本格的にルートの説明を開始した。

 

「一つは戦士を避けて大回りで山中を行くルートです。所用時間は約七日。薬を飲むタイミングは隠れ家を発見されない為に最後の一日にします。メリットは妖気を抑えていれば戦士に感知される可能性がかなり低い事」

 

「……デメリットは?」

 

「隠れ家を作る際に調べたんですが、ルート中に高位覚醒者が多数潜伏してます。もちろん、かなり前なので今も居るかは分かりませんが、もし、こいつらに妖気を感知されると覚醒者狩りと勘違いされる恐れがあります……でも、匂いでプリシラが追って来たら囮に使えますね」

 

「……もう一つのルートは?」

 

「コレです。公道を通って最短ルート、所用時間は約五日。やはり薬を飲むのは最後の一日です。このルートのメリットはとにかく早く着く事。デメリットは確実に戦士に感知される事と、隠れ家の発覚が早まる可能性が高い事ですね。こちらを選ぶなら着いてすぐに全ての薬を持って更に別の隠れ家に行く必要があります」

 

「ルート上を担当区域としてるナンバーって覚えてる? 私の記憶だとナンバー13なんだけど」

 

「はい、その通りです。もし十二年前のままなら担当区域はナンバー13です。ただ、近くのナンバー22、そしてナンバー6、この二者に妖気を感知される恐れがあります……いえ、よほど鈍くなければまずに感知されるでしょう」

 

「……別の三つも聞いていい」

 

「分かりました」

 

ラキアは地図を指し口頭で残りのルートの説明をする。しかし、やはりはじめにラキアが言った通りあまり良いルートではない。簡潔に言うと二つのルートの下位互換、目的地まで時間が掛かるだけで待ち受ける危険は同じ、いや、時間が掛かる分危険は増していた。

 

「…………」

 

全てのルート説明を聞き、アガサは難しい顔をする。実際難しい。三つは論外、とは言え、残る二つも相当危険なルートである。

 

「このルートで行きましょう」

 

ただ、その割にアガサはすぐに一つルートを選択した。選択したの最初のルート。高位覚醒者の縄張りを通るルートだった。

 

「……理由はなんです?」

 

ラキアがそう問うと、アガサは頷き、自分が何故このルートを選んだか語り出した。

 

「最初のルートは覚醒者が居るかも知れない。でも二つ目のルートは確実に戦士が居て見つかる。リスクが低いのは上よ」

 

「それでも高位覚醒者はヤバイですよ」

 

「それくらい知ってるわよ……なんとか出来る奴が居る事もね」

 

上位、高位の覚醒者と言ってもピンキリだ。本当にどう足掻いても無意味なレベルからアガサやラキアが単独で勝てる者まで居る。

 

ーーしかし、それに対して。

 

「でも、組織はそんな優しくない。覚醒者と違い、掟の執行者は絶対私達よりも強い。そうじゃなくても複数の強い戦士を送って来るでしょう」

 

実際、プリシラは強かった。その性格を利用し運良く逃げる事が出来たが、そうでもしなければ確実に殺されていたほどに。

 

「見つかってもなんとかなるかも知れないのが覚醒者。どうにもならないのが組織。なら、覚醒者の方を選ぶしかないでしょ」

 

アガサの説明にラキアは思案顔になる。彼女は視線を地図に落とすと確認するようにもう一度、ルートを指でなぞった。

 

「……………………そうですね」

 

そして、たっぷり熟考した後、ラキアはアガサの意見に同意した。確かに覚醒者の方がマシである。

 

だが、何にしても出会わないのが良い。ラキアは辛く苦しい旅路が少しでも平穏である事を神に祈った。

 

 

 

 

アガサとラキアがプリシラを撒いてから一日。早くも次の追手が結成された。メンバーの中には本来集合地点まで、五日以上掛かる者も居たのだが。運良く、覚醒者討伐で近くに来ていたのだ。

 

「で、そのアガサとラキアを討伐する為にあたしらが集められたって訳か」

 

そして、本来なら集合時間を考慮して討伐メンバーから除外されただろう戦士ーー疾風のノエルがそう口にした。

 

「元ナンバー3と10が相手か、ふん、面白ぇじゃねーか」

 

ガサついた短髪を風に揺らし、ノエルは軽い調子て言うと拳を胸の前で打ち合わせた。その顔には好戦的な笑みが浮かんでいる。まるで腕が鳴るとでも言うように。

 

そして、そんなノエルに話し掛ける者がいた。

 

「あら、ノエルさんにしては珍しい」

 

肩口まで伸びるウェーブした髪を持った戦士ーー膂力のソフィアだ。彼女はおちょくるような調子の声で、意味ありげな笑みをノエルに向ける。

 

「あ? そいつはどういう意味だ、ゴリラ女」

 

せっかくの高揚感を冷まされ、ノエルがソフィアにガンを飛ばす。だが、ソフィアはノエルの睨みを涼しい顔で受け流す。

 

「いえ、ただ討伐対象のナンバーを覚えてるなんてあなたにしては凄いと思っただけよ」

 

「はあ? そんなの忘れるわけねぇだろ」

 

「でも、あなたエルダの名前を忘れてたじゃない」

 

「ぐっ」

 

そう告げてバカにしてくるソフィア。それに反論したいが、忘れたのは事実なので良い言葉が浮かばない。なのでノエルは顰めっ面で呟いた。

 

「……忘れてねぇよ、ちょっとど忘れしただけだ」

 

「それを忘れたって言うんだよ」

 

ノエルの言い訳になっていない言い訳に忘れられた当人ーーエルダがもっともなツッコミを入れた。

 

「年に何度か会ってるし、ナンバーも担当区域も近いよね? ……なのになんで忘れるの?」

 

忘れられた事を根に持っているのか……持っているのだろう。不貞腐れたようにエルダがジト目でノエルを睨む。そんなエルダにノエルは悪びれもせずこう言った。

 

「しゃあねえだろ、だってお前影薄いんだもん」

 

「うわ、気にしている事を」

 

身も蓋もない言葉だ。自覚がある分胸にくる。ノエルの返答にエルダは少なくないダメージを負った。

 

「はいはい、ナンバー5と6の諍いはいいわ、それでエルダ、もう、アガサの妖気は見つかったの?」

 

そう言ってエルダに聞くソフィア。それにエルダが口を開き。しかし、それに割り込む形でノエルが声を被せた。

 

「今は……」「おい、てめぇが話を振ったんだろが、それにナンバー5ってのはなんだ? ナンバー4とナンバー6の間違いだろ、頭沸いてんのか?」

 

「あら、あなたはいつも私がナンバー4だってムキになっていたじゃない? 自分で言ったことまで忘れちゃったの?」

 

「ふざけんな、それはプリシラが入る前の話だ!」

 

「…………」

 

言葉を遮られたエルダが無言になる。本当にこの二人は折り合いが悪い。この争いは戦士になった直後からで、彼女達はナンバーの事で時々……と言うか顔を合わせる度にぶつかっていた。

 

しかも、タチの悪い事に、二人の実力は拮抗しておりナンバーが上下する事も珍しくない。そのせいでどちらが上かと毎回騒いでいるのだ。

 

「そう? でも招集の時、私がナンバー4って言われたわよ」

 

せせら笑うような、自慢するような口調でソフィアが告げる。それにノエルが青筋を浮かべた。もちろん、ノエルはソフィアが嘘を吐いていない事を知っている。なにせ前回の任務でそれについて黒服に文句を言っているのだから。

 

だが、正しいと知っていても、その余裕綽々の人を馬鹿にしきった態度が気に食わない。そう思うからノエルは反抗するのだ。

 

ーーソフィアの一番嫌がる言葉で。

 

「ハッ、聞き間違いだろ? 戦士のくせに耳が遠くなっちまったのか? ああヤダねぇ年は取りたくない」

 

「……何ですって?」

 

年増と言われソフィアの米神にも青筋が浮かぶ。女性に年齢は禁句である。戦士は比較的気にしない者も多いが、あくまで比較的に多いだけ、その多いの中にソフィアは入っていなかった。

 

「あなた、私の同期でしょ、まさかそれまで忘れてしまったの? じゃあ、自分の年齢は覚えてる? ……あ、そう言えばあなた、お馬鹿さんだから元々年を数えられなかったわね」

 

「もちろん覚えてるぜ、だから年増って言ったんだよ。お前さぁ、神経質過ぎんだよ。年齢とか見てくればっか気にしてさぁ、老化しないあたしらにそんなの必要ねぇだろ? そんな事も分からねぇのか? はは、そうならお前の方が馬鹿だな」

 

「私はお馬鹿でガサツなお猿さんと違って身嗜みに気をつけてるのよ」

 

「ハッ、なるほどゴリラ女は見てくれに自信がねぇんだな?」

 

「(……こいつら、面倒くさい)」

 

言い争うノエルとソフィアを前にエルダは思った。もちろん、思っただけで口にはしないが。巻き込まれてはそれこそ面倒だ。

 

「…………」

 

ここにいても良い事はない。静かに、エルダは言い争う二人から距離を置くと、少し離れた場所で座る討伐任務のリーダーに話し掛けた。

 

「すいません、またあの二人が暴れそうです」

 

止めて下さい。そういう意図を込めてエルダが言う。

 

「…………」

 

しかし、声を掛けられな戦士ーーイレーネから返答がない。彼女は何事かを悩むように視線を落としている。珍しい事だ。

 

常にはない様子のイレーネに、少々不安になる。

 

「あの、イレーネさん、どうかしましたか?」

 

「……ああ、すまない少し任務について考えていた」

 

二度目の問い掛けに反応を示したイレーネ。彼女は座っていた岩から立ち上がるとたった今、大剣を抜いたノエルとソフィアを一瞥し。

 

「やめておけ」

 

そう、イレーネが声をあげる。たったそれだけで斬り合いを始めようとしていたノエルとソフィアの動きが止まった。

 

プリシラが現れるまで、その実力から十年近くに渡りナンバー2の座についていたイレーネ。彼女はどんな任務も一人でこなすテレサに代わり、集団戦では常に戦士を纏めていた。

 

もちろん、個人の任務達成度もトップクラス。更に仕事に私情を挟まないクールな性格を持ち、その使い易さから組織の信頼はむしろテレサより厚い。それ故、彼女は半ばナンバー1扱いをされていた。

 

実際、イレーネの実力は歴代のナンバー1と比べても遜色がない。テレサという別格さえ居なければ戦士のトップに立っただろうし、その肩書きに相応しい勤めを果たしただろう。

 

だから、イレーネの言葉は重いのだ。

 

「仲間うちで争って何になる? 我々の任務は逃亡者の粛清……違うか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

正論ではあるが、普通なら反論の一つも出そうな言い方だ。しかし、これにノエルもソフィアも黙り込むと、すぐに大剣を背に仕舞った。

 

他の者が言ってもこうはならない。流石の貫禄である。

 

「文句はないようだな、では任務の話に入る」

 

会話可能な態勢が整ったメンバーに、イレーネが話し出した。

 

「聞いての通り、今回は粛清任務だ。対象は元ナンバー3とナンバー10だ。それなりに厳しい戦いが予測される各自しっかり気を引き締めろ」

 

「いや、このメンツなら余裕だろ」

 

敵を過大評価するようなイレーネの言葉に、むしろ、ナンバー3とは一対一でやりたいぜ、とノエルが楽観したように返す。

 

「油断するな、プリシラが取り逃がした相手だ」

 

しかし、イレーネがそう注意すると、ノエルの顔色が驚きに染まった。彼女は最近プリシラに突っ掛かって痛い目に合たばかりなのだ。

 

「げっ、マジかよ、じゃあ、そいつらプリシラ以上なのか? だとしたら相当ヤバイじゃねぇか」

 

「だからイレーネさんが注意してるんでしょう? ……でも、イレーネさん、プリシラが二人を逃したのは負けたんじゃなくて、追い詰めたのに他の覚醒者を追ったせいなんでしょ?」

 

「ああ、そうだ」

 

そう、ソフィアがイレーネに問うと、イレーネはその通りだと返した。その言葉にノエルの驚きは途端に霧散する。代わりに浮かんだのはプリシラへの怒りだ。

 

成り立てのくせにあっさりナンバー2になっておきながら、そんな理由で任務に失敗してんじゃねぇ……と思った訳だ。

 

「あ、何やってんだよアイツ」

 

「なんでも、任務を遂行するより野良覚醒者を狩る方が重要だと思ったらしいわ」

 

「いや、本当にあのガキ何やってんだよ。もう、降格させろよ、あいつにナンバー2なんてまだ早いんだよ!」

 

そう怒鳴ってノエルが小石を蹴る。忌々しくて仕方がないという顔だ。

 

「それには同感ね、実力は認めるけど、もう少し様子を見るべきだったわ」

 

珍しくソフィアもノエルに同意する。こちらもプリシラに良い感情を持っていないように見受けられる。まあ、新人に拘っていたナンバーをあっさり抜き去られたのだから当然だろう。

 

「確かに、プリシラの行動には問題があると思います。しかし、二人は一度、剣を交えてから逃げ切ったんですよね」

 

「そうだ、だから気を緩めるな、組織を出奔したのは十二年も前。その間、奴らが力を伸ばした可能性が高い。実際、プリシラは普通の戦士なら死ぬようなダメージを与えられたらしい。故に対象はナンバー2クラスが二人と考えろ」

 

イレーネは静かに注意を促した後、エルダにこの任務で最重要な事を聞く。

 

「……それでエルダ、お前はアガサとラキアの妖気に覚えが有るのだな?」

 

「はい、昨日、私の担当区域の近くで覚えのない二つの妖気を感知しました。そのいずれも戦士のモノ、まず間違いなくこれはアガサとラキアのモノです。突如現れたのは妖気を消す薬の効果が切れたからと思われます」

 

謎の妖気が現れたのは本当に突然の事だった。知らない妖気だし、感覚的にかなり強力な戦士に感じた。だから興味が湧き、意識していたのだ。それはアガサ達からしたら不運としか言いようがなく、組織からすれば僥倖だった。

 

「という事は登録したのだな?」

 

「はい、私の感知の範囲外に出そうになったので、感知する妖気をその二つに絞って精度を上げました。この状況なら通常の数倍の範囲まで索敵可能です。ただ、これをしていると対象以外の妖気を感知出来ないのでその点はご了承下さい」

 

「構わない、他は我々でカバーする。お前はその二つだけを追えばいい……念の為に聞くが、今も対象の妖気は感じているのだな?」

 

「はい」

 

「そうか……」

 

イレーネは頷き、懐から地図を出すと大きく広げた。そして、一度、エルダから視線を切り、その場の全員に視線を投げ掛けた。近付くように告げているのだ。

 

「今、妖気の位置はどの辺りだ?」

 

全員が近付くと、イレーネが地図をエルダに寄せ聞いてくる。それにエルダは少し考えた後、おおよそ場所を指し示した。

 

「ここです、この辺りです」

 

「うぇ、結構遠いじゃねぇか」

 

地図を覗きこんだ。ノエルが嫌そうに呟いた。現在地から対象までかなりの距離があるのだ。

 

「一日でこの距離を行くって事はかなりの速度ね」

 

ソフィアも地図を見て難しい顔をする。速度に優れたノエルが嫌そうなのだ。追いつくのに時間が掛かりそうだ。

 

「ああ、確かに遠い。普通なら追い付けないだろう。だが、奴らは山中を迂回して走っている。おそらく、こちらに妖気を悟らせぬようにする為だ」

 

「でも、妖気は既に感知してますよ?」

 

「ああ、それが奴らの誤算だ。まさか、この距離で索敵されるとは考えないはずだ」

 

イレーネが地図の一角に小さく丸を書き込む。

 

「私の予想では奴らはこの辺りを目指している」

 

「なんで分かるんだ?」

 

ノエルが不思議そうに尋ねた。それにソフィアがノエルを馬鹿にしようし、その気配を察したイレーネの睨みに止められた。

 

「この区画には戦士の担当区域から僅かに外れている。しかも、近い担当区域の者は軒並み下位のナンバー……逃亡者が隠れるにはもってこいの場所だ」

 

「ほ〜、なるほどね」

 

「本当に分かってるのかしら?」

 

ソフィアが溜息を漏らす。挑発の意図はなく自然に出たものようでノエルは反応しなかった。なのでイレーネはその発言をスルーして説明を続ける。

 

「そして、奴らは妖気を消す薬を持っていない。あるいはギリギリまで使用を躊躇う程の数しかない。持っていればとっくに使っている」

 

イレーネは地図を睨むと、トントンと指を二回地図に落とした。

 

「もし、奴らがあと二回分の薬を持っていればこの辺りで、一回分ならここで使う筈だ。そして、使ったならば奴らの目的地はおおよそ予想通りという事になるだろう……ここまで何か意見や問題があったら言え」

 

イレーネは視線を地図から上げて言った。

 

「あたしはないぜ」

 

「私もありません」

 

「二人に同じです」

 

「そうか……では、続ける。奴らがこのルートで行くなら、私たちが行くべきルートはコレだ」

 

イレーネが地図に線を引く。それは、ラキアが示した五つのルート、その内の一つとほぼ完璧に合致した。

 

「我々は奴らの目的地を目指して、奴らがこちらを感知出来ないルートで行く。奴らのルートでは目的地まで大きく迂回している、我々も多少大回りになるがそれでもこちらのルートの方が走る距離はずっと短い」

 

イレーネは地図を仕舞うとノエル、ソフィア、エルダを順番に見回す。全員疲労の色はなく、戦意も充実している。油断さえなければ万全の状態と言って良いだろう。

 

「奴らが着く前に到着し、待ち伏せする……遅れるなよ」

 

その言葉に各自が、当然とばかりの返事をする。それにイレーネは静かに頷くと、先頭を切り、走り出した。




良かれと思った事が裏目に出る事もある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36話

アガサ&ラキア……お前達が主人公だ。




急いで書きすぎて、かなり文が変だったんで色々と直しました(上手く直ったとは言ってない。

内容はほぼ変わりありませんのでもう読んだ方は安心です(白目


ーーそれは道中の事だ。

 

「ああ、全く予想通りって奴ね」

 

アガサが諦めたように呟く。達観しきった声だった。そんな彼女のすぐ後ろには異常に巨大な蛇と蜥蜴が居る。無論、覚醒者だ。

 

「「死ね、アガサッ!」」

 

血走った目で覚醒者達が叫ぶ。どうやら知り合いだったらしい。しかも、相当怒っている。戦士時代に仲が悪かったのだろうか?

 

「アガサさん、なんか凄い恨まれてるみたいですが……いったい何をしたんですか?」

 

走りながら、ラキアが胡乱な目でアガサに問う。それにアガサは悟りを開いたかのような顔でこう言った。

 

「親友に届けてくれって渡された黒の書をなくしました。ちなみに蛇が出した人で、蜥蜴が届く筈だった人です…………はい、すいません」

 

「…………」

 

こいつ面倒事しか呼ばねぇな、とラキアは思った。

 

アガサがやった事を簡単に言うと、限界が来て覚醒しそうだから親友に介錯して貰おうと、頑張って送った手紙を無くしてしまったという訳だ。来ない親友を必死に待った蛇に涙さえ出てきそうだ。

 

まあ、親友の方も覚醒してるところを見るに、覚醒した蛇が唆したか、或いはショックで覚醒してしまったのだろう。何にしてもタチが悪いにも程がある。

 

もちろんタチが悪いのはアガサの事だ。

 

「お前のせいで、お前のせいで私はなぁッ!」

 

正当っぽい呪言と共に、蛇の口から飛来物が放たれる。その正体は口内に無数に生える鋭い牙だ。それが十数本、散弾となってアガサに襲い掛かった。ラキアはガン無視である。相当アガサに拘りがあるらしい。

 

「危なッ!?」

 

アガサは大きく前に跳んで、散弾から逃れる。避けられた牙が多くの木々を爆散させる。かなりの威力だ。掠ろうものなら周囲の肉ごと持っていかれるだろう。

 

「死ねッ!」

 

更に攻撃は続く。牙を逃れたアガサに蜥蜴の尻尾が薙ぎ払われる。直撃コース。どうやら先の範囲攻撃は囮、こちらが本命のようだ。

 

「ちっ」

 

舌打ちしたアガサが回避に動く。だが、僅かばかりタイミングが遅い。それを悟ったアガサは回避から防御に切り替えた。身体の向きを入れ替えつつ左手を剣の腹に添え、強固な大剣を盾にする。

 

その直後、聞きなれた鋼の悲鳴が森に響き、アガサが前へと吹っ飛んだ。

 

「ぐっ」

 

宙に投げ出されたアガサが身体を捻って体勢を整える。そんなアガサに蛇が大口を開いた。また、牙を射出する気だ。

 

足場のない空中でコレを躱すのは不可能。防御にしてもあの威力と数の牙を大剣一本で弾き切るのは多分無理。

 

これは助けないとアガサがヤバイ。自業自得っぽいので自分で対処して欲しかったのだが……ラキアは妖気同調を行った。

 

同時に多数の牙が放たれる。その数は先の数倍に達した。しかし、その大半がアガサに当たらないコースだった。

 

「!?」

 

蛇が驚いた顔をする。彼女からすれば攻撃がアガサをスリ抜けたように見えたからだ。

 

「ちょっ、もうちょい真面目に助けてよ」

 

少数の牙を弾き飛ばし、無事に着地したアガサ。彼女は距離を置いていたラキアに近づくと、すぐに文句を言って来た。巻き込まれるのでコッチに来るなとラキアは思った。

 

「いや本当、あいつら結構強いから、私一人じゃ厳しいのよ」

 

「ええ〜嫌ですよ、だって聞いてる限りアガサさんが悪いじゃないですか」

 

木々を利用し、覚醒者達から逃げながらそんな会話をする二人。その間も覚醒者は追って来るが幸いアガサ達の方が少しだけ速いので距離は縮まらないので安心だ。

 

「確かに無くした私が悪かったけど、わざとじゃないのよ!」

 

「わざとじゃなくても、許されない事ってありますよね?」

 

「ゔっ、いや、でも、仕方なかったの! 丁度覚醒者狩りの任務の途中で、無くしたというか戦いで破れちゃったのよッ!」

 

「…………まあ、それなら仕方ない、かな?」

 

歯切れが悪いが、一応ラキアは納得した。実際、自分が同じ立場で責められたら嫌だ。蛇さんには間が悪かったと諦めて貰おう。まあ、覚醒しても自殺していないので、案外死なないで良かったのかも知れないし。

 

「じゃあ、あの覚醒者達はどうしましょうか、倒します?」

 

「……いや、なんかちょっと」

 

負い目からか、躊躇いを見せるアガサ。まあ、そりゃそうだろう。不可抗力かも知れないが、自分のせいで覚醒させてしまったようなものなのだから。むしろ、ここであっさり殺しましょうと言われたらドン引きである。

 

「そうですね、強そうですし逃げましょうか。まあ、この森ならなんとかなるでしょうし」

 

ここではあの巨体は活かせない。覚醒者達の動きはかなり速いが、乱立する木々に邪魔され攻撃も移動もし辛そうに見えた。だからこそアガサとラキアはこんな余裕で会話が出来るのだ。

 

「もう結構近いわよね、そろそろ薬を飲んだ方が良いんじゃない?」

 

「はい、そうですね、隠れ家まで丁度良い距離ですし、あの覚醒者達の視界から逃れたら……」

 

ーー薬を飲みましょうか。

 

そう、ラキアは続けようとした。しかし、その言葉は直前で止まる。突如、後方に大きな妖気が現れたから。

 

「…………」

 

「…………」

 

アガサとラキアは黙り込んだ。何故ならこの発生した妖気に覚えがあるからだ。それから数秒後、アガサとラキアが頷き合う。

 

同時に禁じていた妖力を解放し、逃げる速度を一気に上げた。

 

「……私達ってそんなに匂うんですかね?」

 

「冗談じゃないわ、毎日水浴びしてるってのに!」

 

強張った顔で言うラキアにアガサがヤケクソ気味に叫んだ。覚醒者の後方。そこに突如現れた妖気、それはプリシラのものだった。

 

 

 

 

「お前を粛清の任務から下ろす」

 

黒服からの命令が、どうしても納得がいかなかった。

 

「安心しろ、粛清者には十分な戦力を当てている」

 

自分の代わりにアガサ達を追うのはイレーネとノエルとソフィア、後は会った事のない一桁ナンバーが一人の計四人らしい。ああ、確かにそれなら安心だ。戦力的にイレーネ一人で問題はないとさえプリシラは思った。

 

プリシラはイレーネの事を良く知っていた。戦士になった最初期の一カ月、最初から一桁ナンバーを与えられ戸惑っていた自分を何かと気遣ってくれたのが彼女なのだ。

 

強くて冷静で組織の教えを違えない。正に戦士の模範と言えるイレーネはすぐにプリシラの目標となった。まだまだ未熟にも関わらず自分がナンバー2に選ばれた時はとても気不味かったが、イレーネは気にした様子もなく真面目に任務に当たっていた。そんなイレーネをプリシラは尊敬している。

 

 

ーーだが、それとこれとは話が別だ。

 

自分の尻は自分で拭う。失敗したくせ文句を言うなんて図々しいとは思うが、自分の不手際で逃した相手を他の人に任せるのは抵抗があった。だからプリシラは任務とは別に動き出したのだ。

 

 

 

「……やっと追いついた」

 

長かった。微かな匂い、それだけを頼りに進んだ正しいか分からぬ不安な道。途中で感知した妖魔、覚醒者を秒殺し、その分のロスを不眠不休で補って走り続けた。それから数日。ようやく見つけた。二つの妖気。もう、絶対に逃がさない。

 

匂いを経て妖気感知に、そして今、視界に映る程、アガサ達に接近したプリシラ。彼女はその心が赴くまま一気に突撃……する事なく左手の開閉を繰り返した。身体の調子を確かめているのだ。

 

数日前、二人の男覚醒者相手に妖力解放してから左手が痺れてまともに動かなかった。反動だろう、これは訓練生時代にも起こった事がある。

 

「よし!」

 

しかし、その痺れは今では大分引いている。アガサ達を追っている間にある程度回復したのだろう。これなら十分いける。プリシラは妖気を解放した。

 

解放率は5%、それでも身体能力は大きくアップした。上がった筋力を活かして地を蹴りつける。それがプリシラの身体を前へと跳ばした。

 

同時に多数の牙が飛んで来る。蛇の覚醒者が放ったモノだ。プリシラはそれを一気に加速する事で回避。

 

「ハッ!」

 

大きく加速したプリシラが大剣を振り被る。狙いは蛇より近くに居た蜥蜴に似た覚醒者だ。その時、蜥蜴が迎撃に出る。走行を止めた蜥蜴が真後ろ目掛けて蹴りを放ったのだ。

 

馬がする蹴りに似た動きだが、覚醒者のそれは威力の面で比較にならない。

 

当たれば身体が砕け散る。猛烈な勢いで迫る足裏。プリシラは体勢を倒れるギリギリまで低くしてこれを回避。それと同時に走った斬撃が蜥蜴の軸脚へと放たれた。

 

「ギィャ!?」

 

硬い鱗を引き裂いて、大剣が覚醒者の脚を斬り裂く。しかし、深い傷を与えつつも斬り落とすには至らない。鱗が硬過ぎたせいか? それもある。だが、最も大きな要因は狙いを外されたからだ。

 

「…………」

 

ギロリッとプリシラは覚醒者より更に前にいるアガサとラキアを睨んだ。攻撃が直撃しなかったのは例の間合いを誤認させる技のせいだ。まさか、覚醒者を倒す事すら邪魔するとは。

 

あまりの怒りにプリシラは二人を今すぐ斬り殺したくなる。だが、人々を守るという大前提を忘れてはならない。先に始末するのは覚醒者だ。

 

プリシラは反撃で振るわれた尾を大きく跳んで躱し、再び蜥蜴に突撃した。次の攻撃は刺突、狙いは胴体、これなら多少のズレは関係ない。

 

「ギヒャァアッ!!」

 

そんなプリシラにカウンターで十数の槍が突き出される。その鋭い穂先の正体は伸ばされた鱗だ。これを数倍に伸ばして攻撃したのだ。

 

「…………」

 

刹那の間に、プリシラは迫る槍の軌道を見切った。咄嗟に放った為か? 見たところ、槍はプリシラに当たらない場所を貫く。まあ、それはおそらく間合い誤認による間違いだ。この攻撃は自分に当たる。しかし、どう避ければ回避出来るか判断出来ない。ならばどうする? 簡単だ。

 

「ガハッ」

 

次の瞬間、プリシラの胸と腹を数本の槍が貫いた。プリシラの口から多量の血が吐き出される。

 

ーーしかし。それだけだ。

 

「ギャハッ!?」

 

ダメージを受けた。だが、それがどうした?

 

プリシラは自身に刺さる槍を無視して前進、頭を守っていた大剣を動かし、蜥蜴の腹に突き立てた。大剣の刃が根元まで肉に埋没する。だが、この程度では終わらない。プリシラは刺さった大剣を即座に捻り傷口を抉りながら引き抜く。

 

同時に夥しい血が腹から漏れ、プリシラを濡らす。それを汚らわしそうに見たプリシラは至近距離から蜥蜴を蹴り上げた。

 

着弾点を中心に、覚醒者の腹が陥没、その衝撃で大剣で出来た穴から噴水のように血が吹き出て、巨体が大きく浮き上がる。プリシラの身体から槍が抜け、血が溢れた。

 

しかし、それはほんの瞬く間の事だ。流血は即座に止まり、傷口もすぐに塞がった。プリシラを倒すには頭を潰す他ないのだ。

 

「カァアアアッ!!」

 

そんなプリシラに巨大な尾が襲い掛かる。蛇形の覚醒者のモノだ。真上から頭を潰すコースで放たれた攻撃。プリシラはコレを大剣の腹で受け止める。直後、地に足が埋まり重い衝撃が全身を打った。

 

だが、やはり、それだけだ。この程度でプリシラは揺るがない。力を込めて尾っぽを真上に弾き飛ばす。

 

「き、貴様、化…」「うるさい」

 

何か言おうした蛇の腹を反撃の刃で断ち切る。上手く決まった。どうやら間合いの誤認は消えているらしい。

 

「…………」

 

プリシラは先程までアガサ達が居た場所を見る。そこにはもう彼女達は居ない。こちらから遠ざかる二つの妖気を感じる。また、覚醒者を囮に逃げたのだろう。

 

「……ふふ」

 

思わず、笑い声が口から漏れた。本当に人を怒らせるのが上手い人達だ。プリシラは綺麗な笑みを作ったまま額に青筋を浮かべると、早く二人を追う為に覚醒者への攻勢を強めるのだった。

 

 

 

 

「アガサとラキアの妖気に変化がありました。これは……妖力解放です!」

 

二人の妖気を追っていたエルダがそう声をあげた。

 

「なに?」

 

エルダの言葉にイレーネが疑問に思う。アガサとラキアは組織に悟られぬように妖気を抑えて移動していたのにだ。それなのにここに来ての妖気解放。何故それをしたのかイレーネには分からなかった。

 

「なんでここまで来て?」

 

「気付かれたんじゃねぇか?」

 

「……可能性はあるか」

 

イレーネはまだアガサ達の妖気を感じない。しかし、目的地が近くなり、必然的にアガサ達との距離は縮まっている。相手のどちらかがエルダのように妖気感知に優れていれば悟られているかも知れない。

 

「エルダ、もうお前の通常の妖気感知でも探れる距離か?」

 

普通のものでもエルダ妖気感知はこの中で最も広い。その彼女が気付ける範囲なら可能性はある。故にイレーネはエルダにそう問い掛けた。

 

「もう少し…………こ、ここからならギリギリいけます!」

 

イレーネの質問にエルダは肯定を返す。やはり、やってやれない距離ではないらしい。イレーネは自分達の存在が悟られたかもと考え、もっと情報を得る為にエルダに指示を飛ばした。

 

「分かった、では、通常の妖気感知に切り替え、アガサ達の状況を報告しろ」

 

「は、はい!」

 

イレーネの言葉にエルダが妖気感知を切り替える。それから数秒、エルダはアガサ達周辺の情報を探った。

 

「 …………これは、アガサとラキアの他に妖気が三あります。内二つは覚醒者の妖気です」

 

「……なるほど、そういう事か」

 

イレーネはその言葉に納得した。自分達に気が付いたのかと思ったが有事の為、仕方がなく解放したようだ。

 

「それで、アガサ達と覚醒者以外のもう一つはなんなんだ」

 

「……ひょ、表現に困る妖気です。覚醒しかかった戦士? ですかね、とても不安定に感じます。でもこの妖気が一番大きいです」

 

「…………」

 

そのエルダの答えにイレーネが難しい顔をした。その表現が似合う妖気を彼女は知っていたのだ。

 

「……プリシラか」

 

「はぁ!? なんでプリシラがここに居んだよ、しかも覚醒しかかってるってどういう事だ!?」

 

ノエルが驚愕の顔付きでイレーネに噛み付く。それも無理はない。プリシラが覚醒したら大惨事だ。混乱を避ける為、イレーネは努めて冷静な声で、ノエルを落ち着かせるように説明した。

 

「プリシラがなぜ居るかは知らん。だが覚醒については問題ない。奴の妖気は元々そういう感じのものなんだ……ソフィア、ノエルお前達はもうアガサ達かプリシラの妖気を感じ取れるか?」

 

ちょうど、話している途中、イレーネの知覚範囲にプリシラの妖気の入った。もしかしたら二人も感知したかも知れない。そう思ったのでイレーネは問い掛けた。

 

「私はまだ何も感じません」

 

「不安定でデカイ妖気と覚醒者のなら見つけたぜ。この不安定なのがプリシラなのか? …………あ、ちょっと待て、今、戦士の妖気ぽいのも感知した。数はニ、かなり強い妖気だからまず間違いねぇ」

 

それは僥倖だ。故にイレーネはすぐに指示を出す。

 

「分かった。ではお前は先行してアガサ達を足止めしろ」

 

「おいおい、まだかなり距離があるし、こいつら結構速いぜ?」

 

「もう妖力解放しても良い。それなら追いつけるだろ?」

 

『疾風』の二つ名は飾りか? そう言ってイレーネはノエルを焚きつけた。

 

「……ハッ、舐めんなよ、解放有りなら余裕だぜ」

 

挑発染みた焚きつけにノエルはやる気に満ちた笑みを浮かべた。それにイレーネは少しだけ笑って頷いた。

 

「では、行け」

 

「りょうかいッ!」

 

そう答えると同時にノエルが妖力解放。一気にその速度を高め、アガサ達に向かって行った。

 

 

 

 

「……どれくらい、保つと思う?」

 

「十分……稼げれば御の字じゃないですか?」

 

これまで抑えていた妖気を解放し、正真正銘本気で走りながらアガサが聞いて来る。それに同じく全力疾走するラキアが答えた。

 

「クソッ、本当、冗談じゃないわよ、せっかくここまで妖気を抑えて来たってのに」

 

そう、アガサが毒付く。この六日、組織に悟られぬように覚醒者と遭遇しても無開放で凌いでいたのだ。なのにその努力が水の泡である。

 

「はは、これだけ解放してますからね、プリシラ以外にも絶対に位置を気付かれましたね」

 

今のルートは妖気を最大限抑えて初めて見つからずに移動出来ると踏んだ道だ。ギリギリまで抑えるどころか、限界近くまで解放してしまったのだから発見されない筈がない。

 

実際、ラキアの妖気感知が効く範囲に一人戦士がいる。妖気が小さく動きもない様子から追手ではないだろうが、高確率で組織に情報が伝わるだろう。

 

「こうなったら時間との勝負です。もう薬は使わず、一気に隠れ家まで行って薬を持ったら即座に逃げます」

 

「……今、薬は使わなくて良いの?」

 

「妖力解放なしの速度ではすぐにプリシラに追いつかれます。それに薬で妖気を抑えても匂いで勘付かれる」

 

ここまで正確に匂いでこちらを辿れるならば薬の摂取は戦闘力下げるだけの愚策だ。

 

「このペースならどれくらいで着くかしらね」

 

「……二時間って所ですかね?」

 

「…………」

 

「…………」

 

逃げ切れる気がしない。アガサとラキアは同時に思った。

 

「……最悪、二手に分かれた方が良いかも知れません」

 

隠れ家に行く事を諦め、ここで別方向に逃げれば少なくとも一人はプリシラから逃げられる。しかし。

 

「いや、どうしたって大量に薬がなきゃアウトでしょ」

 

アガサはラキアの言葉を即座に否定した。敵は組織、プリシラはその組織の一部に過ぎない、プリシラだけから逃げられてもダメなのだ。

 

「……まあ、そうなんですけどね。でも、奇跡的な偶然が重なれば上手く逃げられるかも……知れませんよ?」

 

「そこはちゃん断言してよ。奇跡的な偶然が重なっても “かも” レベルの可能性なんて0と同じだわ」

 

「はは、そうですね……あ、ヤバイです。まだかなり遠いですけど、プリシラとは別方向から妖気が来てます。数は四」

 

こちらに接近している所を見ると追手ですね、とラキアは嫌そうに続けた。

 

「マジで!? ………私はまだ感じないんだけど?」

 

「私の妖気感知がギリギリ届くレベルですからね、向こうも妖気感知に優れたのが居るみたいです。あ〜〜マズイマズイマズイ! これは全員一桁……というか三人は一桁上位クラスほっい妖気ですよ」

 

強張った顔をするラキア。その情報にはアガサも顔が引き攣りそうだった。

 

「……その四人も隠れ家まで保たない?」

 

「ギリギリって所ですね、全員速いですが、かなり遠いので隠れ家までは保ちます。でも、薬を持って出る前に、先行している一人に追いつかれそうです。コイツが突出して速い。多分、足止めするつもりですよ……あ、蜥蜴の方の妖気が消えた」

 

そんな事をしている間に、プリシラの方に動きがあった。タッグ覚醒者の一方が堕ちたのだ。

 

「クソッ、まだ五分も経ってないわよ!? もう少し頑張りなさいよ……って蛇の方も死にそうじゃない!?」

 

「あ、本当だ。蛇の妖気が弱まって……消えましたねぇ、あ〜プリシラ追って来た。はは、速い速い」

 

笑いながらラキアが言った。笑うしかなかったのだろう。蛇の妖気が消えた途端、プリシラの妖気が大きく動く。動く方向はもちろんアガサとラキアに向かってだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

アガサにもラキアにもプリシラの接近が良く分かる。これは尋常じゃない速度だ。前回接触した時よりも確実に疾い。この感じではどれだけ甘く見積もっても隠れ家の遥か手前で捕まる。

 

出来れば近くに(覚醒者)が欲しいが。

 

「…………くっ、居ない!」

 

見つからない。ラキアの妖気感知に使えそうな相手が居ない。感知出来る範囲には覚醒者どころか妖魔すら存在しなかった。感知出来る範囲に居なければ囮には使えない。

 

誰か居ないのか? せめて妖魔でもいいから居て欲しい。程よい距離に居ればもっと嬉しい。ラキアは必死で妖気を探る。だが、やはり見つからない。そうしている間にもプリシラはこちらを追い上げている。

 

「……これは仕方ないわね」

 

ーーその時、アガサが覚悟を決めた顔で口を開いた。

 

「戦いましょう」

 

「…………本気ですか?」

 

アガサの言葉にラキアが真顔で聞き返した。到底勝てるとは思えないからだ。

 

「ええ、本気よ」

 

「殺されますよ」

 

「このまま逃げても殺されるわよ。なら勝つ為に動こうじゃない」

 

そう言ってアガサは左斜め前方を指差す。反射的にラキアがその方向の妖気を探るがなんの反応も帰って来なかった。しかし、当然だ。アガサが指したのは妖気ではないのだから。

 

「向こうに街があったわよね? 覚えがあるわ、そこでやりましょう。人に溢れた場所ならプリシラは本気を出せない」

 

アガサの言葉にラキアはようやく納得がいった。

 

「……なるほど、積極的に人を盾にするんですね」

 

「人聞き悪いわね……まあ、そうなんだけどね」

 

戦士は人を殺せない。それが組織の掟。そしてどんな理由であれ掟を破った者は粛清される。それに、あれだけ組織の正義を謳っていたプリシラだ。人を盾にされれば動揺もするだろう。

 

そして、最悪、自分達は人を殺しても問題はない。この差は果てしなく大きい。

 

「…………背に腹は変えられませんね。分かりました。でも、戦うならあんまり時間は掛けられませんよ。四人の追手に追いつかれます」

 

「どっちにしたってあんなの相手に長時間なんて戦えないわよ、街に行って速攻で()を捕まえて……殺るわよ」

 

「……はぁ、仕方ないですね。追加で、私達のせいで人が死んでも、お前が殺したって言って責めれば効果があると思いますよ」

 

「ははっ、それ良いわね、アイツになら効きそう」

 

「ふふ、そうでしょう?」

 

そうやって二人は少しだけ笑い合い、外道な作戦を立てると決死の覚悟で街へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作ラスボスを倒せ(白目


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37話

ようやく、死亡フラグの大半を回収しました(誰がしたとは言わない


「……ん」

 

窓から差し込む光に目が覚めた。テレサはゆっくりと瞼を開く。そんな彼女の目にクレアの顔が映った。今日もベットに潜り込んで来たらしい。

 

ガッシリと自分の右腕を抱え込むクレア。彼女がいつ潜り込んで来たのか分からない。相当気が緩んでいるな、とテレサは油断し切った自分自身に呆れてしまった。

 

「…………」

 

それはさて置き朝である。そろそろ宿屋の主人が朝食を持ってくる。ノックはされるだろうが、こんな有様を見られるのは少々恥ずかしい。

 

なのでテレサは自分の腕に抱きつくクレアを優しい手付きで剥がしに掛かった。しかし、思いの外、拘束がキツイ。しばらく起こさぬように格闘したテレサだが、結果は惨敗。より拘束を強めるに終わった。

 

「…………はぁ」

 

彼女は息を吐くと起こし掛けた身体をベットに戻した。諦めた訳だ。まあ、少し考えて見れば主人には既に同じ状況を二日前に見られている。なので今更取り繕う必要もあるまい。

 

暇になったテレサはプニプニとクレアの頬をつつき出した。

 

 

 

 

テレサとクレアが出会って一ヶ月が経過した。

 

クレアの足に合わせての旅路はゆっくりとしていて、テレサにとって新鮮なモノだった。日々のクレアの食事を探すのに苦労したり、途中、二人に絡んで来た盗賊団や覚醒者なども居たが、特に問題はなかった。

 

覚醒者の方は一桁下位レベルの弱い相手だったので、出会い頭に一刀両断して終わり、盗賊団の方は手足の骨を折って森に放置した。町まで連れて行くのが面倒だったからだ。きっと今頃、野生動植の餌か、森の肥やしとなっている事だろう。

 

クレイモアには人を殺してはならないという掟がある。これは絶対で如何なる理由があろうとその手で人の命を奪ったと知れた時、その戦士は組織から粛清される。

 

だが、逆に言えば見つからなければ問題はないのだ。仕立人が自分だと分からなければ例え、人を殺しても罰は受けない。

 

更に、罰せられるのは直接その手に掛けなけた場合のみ、他は知らないが少なくともテレサは組織からそう説明されていた。

 

なので、妖魔より弱い盗賊は正に雑魚、倒すよりもむしろ力加減を間違って殺さないようにするのに苦労した。

 

ただ、盗賊と戦った際に、その首領が気になる事を口走っていた。

 

そう、あれは確か、首領を除いた盗賊を全て片付けた後、最後に取っておいた盗賊の頭を処理した時の事だ。首領が蛇腹剣を振り回しながら「俺の隼」がどうたら言っていたのだ。

 

今更になってそれが気に掛かる。正直、その時は興味がなく、無防備のままグルグル、蛇腹剣を回す盗賊があまりにも隙だらけだったので、攻撃される前に瞬殺(殺してはいない)してしまったのだ。そのせいで隼から先の言葉を聞けなかった。

 

結局、頭が言った『隼』とは何を指していたのだろうか? 剣を振りながら言っていたことから『隼の剣』とでも言いたかったのだろうか? しかし、あの剣は蛇腹剣だし、それはないだろう。ならば、本当に隼でも飼っていたのか? それならその隼に悪い事をした。檻などに入れられていない事を祈る。

 

そんなハプニングから一週間、一度妖魔討伐の任務を経てテレサとクレアは今の町に落ち着いた。落ち着いたきっかけはちょうど、この町を訪れた際に現れた妖魔を倒した為だ。

 

任務外で金の請求をしなかった所為もあるだろうが、町を救った事を大いに感謝された。住人の気質も穏やかで、住み良いと思ったテレサは、ちょうど任務もないので旅の羽休みとしてこの町に滞在しているのだ。

 

 

 

食事も終えたので外に出る事にした。ちなみに、何をとは言わないが店主にはバッチリ見られた。旅の途中はそうでもなかったのだが、油断していると中々クレアは寝坊さんだった。まさか、あれだけ頬を押しても起きないとは。

 

宿を出たテレサはクレアの手を引いて歩き始める。クレアは見送りをする店主に手を振っていた。

 

「…………」

 

相変わらずクレアの声は戻らない。この一ヶ月、色々と試してみたのだがダメだった。幸いな事に意外とクレアは感情表現が豊かなので、テレサには彼女が何を欲しているのかは割と簡単に分かる。

 

しかし、だからと言ってこのままでは良い筈がない。テレサがクレアの挙動で彼女の感情を分かるのはそれなりの時間、彼女と生活を共にしたからだ。

 

クレアには自分以外の理解者が必要だ。友か、養父か、或いは夫が。

 

テレサとて、ずっと一緒に居れるとは限らないのだ。戦士の仕事にはいつも死の危険が付き纏う。テレサは己が最強の戦士だと自認しているが、無敵とまでは思っていない。片手の指が余る程しか居ないが自分を倒し得る者も存在するし、今後、自分を超える存在が誕生しないとも限らない。

 

それ以上に、テレサとクレアでは時の流れが違う。半妖のテレサは成長すれど老化しない。成人した彼女の外見は時が止まったかのように変化しない。何年生きられるかも不明で一説には永遠の命とすら言われている。

 

それに対し、人の寿命は平均で五十、長寿でも七十年程度しか生きられない。子供のクレアにはまだまだ時間がある。しかし、それでも日々クレアは変わっていく。クレアの身長は出会った時よりも一センチくらい伸びた。ガリガリに痩せていた身体も平均を少し下回るくらいまでは回復した。

 

今後もクレアは成長し、そして、成年すれば後は老いるだけなのだ。きっと十年もすれば外見年齢でテレサに追い付き、二十年経てば完全に上回る。

 

そして、三十年もすれば、皺が目立つようになり、出会った頃から変わらない自分にクレアは嫉妬か恐れを抱く事だろう。クレアに限ってそんな筈はないと思いたいが、人間というのはそういう存在だ。

 

もしかしたら三十年どころか数年もしたらそう思うようになるかも知れない。それだけ半妖は異質な存在なのだ。なんにしても心の準備は必要だろう。

 

「……はぁ」

 

嫌な未来予想図だ。テレサは溜息を漏らす。

 

「…………」

 

クレアがチョイチョイとテレサのマントを引っ張る。目を向けると、クレアは不安そうにテレサを見上げていた。また、心配させてしまったらしい。

 

「悪い、なんでもないよ」

 

誤魔化すようにテレサは微笑むとクレアの頭を撫でた。

 

「さて、クレア、なにかしたい事があるか?」

 

「…………」

 

そう、テレサが問う。するとクレアは少し考えてから、あまり嬉しそうには見えない顔で、まっすぐ指を前方にさした。テレサがクレアのさした方向を目で追い掛ける。

 

露店ではあるまい、クレアは無駄遣いを嫌う。ならば他の子供が遊んでいたりするのだろう。その遊びを自分としたいに違いない。そう、テレサは考えた。

 

ーーしかし。

 

クレアが示したのはそんな光景ではなかった。

 

「……ああ、なるほど」

 

通りで嬉しそうじゃない訳だ。少し考えれば分かる事ではないか。前方を注視したテレサが苦々しく漏らす。残念そうな表情の理由、それを理解したのだ。

 

「本格的に緩んでるな」

 

まさか、この距離で気が付かないとは。今どれだけ気を張っていないかが分かる。クレアとテレサの視線の先、広場の噴水に腰掛ける黒服が居た。どうやら次の任務が来たらしい。

 

テレサに気付いた黒服が立ち上がり、テレサとクレアに歩み寄る。住民達の視線がテレサと黒服に集中した。

 

「…………」

 

クレアがテレサのマントの裾をギュッと握る。返事の代わりにテレサはクレアの肩を優しく叩く。その間に眼前まで来た黒服が口を開いた。

 

「仕事だ」

 

それはいつも通りの第一声だった。

 

「だろうな」

 

黒服の短い言葉にテレサも短く返す。

 

「で、内容は?」

 

「妖魔の討伐だ」

 

「……そうか」

 

テレサの顔が顰められた。つまらない任務を回されたからだ。誰でも倒せる妖魔なんかは下位ナンバーに回せば良いのに。

 

「それで私はどこに行けばいい?」

 

こんな任務はさっさと終わらせる。テレサは黒服に任務地を聞いた。

 

「…………」

 

しかし、黒服からの反応がない。なにやら、目を細め、珍しい物を発見したような顔をしている。

 

「どうした?」

 

黒服の様子に疑問を抱く。テレサは怪訝な顔で黒服に問うた。それに固まっていたり黒服が再起動する。彼はテレサからクレアに視線を移し、意外そうな表情と口調で返答した。

 

「……いや、随分と仲が良いのだな」

 

「……ああ、そうだな」

 

無意識の内にまたクレアの頭を撫でていた。テレサはクレアの頭から右手を離す。クレアは残念そうに息を吐いた。

 

再度、テレサがクレアの頭に手を乗せる。その途端、クレアは満足そうな表情となった。分かりやすくて結構な事である。

 

「自分でも不思議なくらいだよ」

 

「そうか……だが、程々にしておけよ」

 

「はいはい、分かってるさ」

 

二人の様子に黒服が忠告する。御尤もだが頷けそうにない。テレサはただ肩を竦めて軽く流した。

 

「それでもう一度聞くが私はどこへ行けば良い?」

 

気を取り直し、黒服に任務の説明再開を促す。まあ、説明と言っても組織が寄こす情報はいつも簡潔で不足しているし、間違っている事も多い。だからテレサにとって必要なのはどこに行けば良いのかという情報だけなのだ。

 

「……依頼を出したのはここから歩いて十日、コールの町からだ」

 

「遠いなおい、そこって私の担当か?」

 

「担当だ。ギリギリだがな」

 

「ちっ、面倒だな」

 

まあ、良い。所詮は歩いて十日、一人で走れば日帰り出来る距離だ。問題はクレアと離れたら起るトラウマだが、流石にそろそろ慣れて来た。この前の買い出しでクレアを宿に残して来た時には発生しなかった。

 

どうやら、心理的に置いて行く訳ではないと思っていれば起こらないらしい。

 

「……仕方ない、クレア、ちょっと留守番を頼む」

 

「…………」

 

そう、テレサが告げた瞬間、クレアの顔が曇った。自分を見上げる瞳は悲しそうで、一緒に連れてってと言っているようで見える。こういう視線は心に刺さるものがあった。

 

しかし、ここは心を鬼しなければならない。ここまでの旅と妖魔から受けた仕打ちにより、子供のクレアはかなり疲労が溜まっているはず。しばらくは長旅なんてさせずにこの町に留まるべきなのだ。

 

テレサはしゃがんでクレアと目を合わせた。

 

「大丈夫だ。私を信じろすぐに帰って来る」

 

「…………」

 

そう言っても、やはりクレアは不満顔だ。それにテレサは苦笑を漏らす。

 

「十日と言っても私なら一日あれば余裕で往復出来る。だからクレアは……」

 

説得を続ける為、クレアの目を見て話していると、不意にテレサ達に影が射した。雲が太陽に掛かったか? ちょっとした変化だったのだが、不吉な予感がする。テレサは確認の為に、顔を上げた。

 

その直後、テレサの視界に、巨大な、あり得ない飛来物が映った。

 

「ッ!?」

 

テレサが慌ててクレアを抱き寄せる。

 

そして、次の瞬間、巨大な岩が通りに着弾、真赤な花を地面に咲かせた。

 

 

 

 

視界が飛ぶように流れる。これはかなり調子が良い。前へ前へと足を進めるノエルは思った。

 

身体がキレ、いつもより速く走れている気がする。いや、気のせいではなく、いつもより疾い。事実、妖気は感じれど、後方には既にイレーネ達の姿はない。かなりの速度を持つ筈のイレーネ達だが、速度差から自分の疾走には着いてこれなかったらしい。

 

「ふふん」

 

ノエルは得意気に鼻を鳴らした。先行しろと言われたが、単騎で前に行き過ぎるのはあまり褒められた事ではない。相手の実力から一人で足止め出来る時間にも限りがあり、下手をすれば討ち取られかねないからだ。

 

しかし、味方を置き去りにした事実、これがなんとも気分が良い。特にムカつくソフィアをぶっちぎるのは爽快である。

 

ノエルは高揚した気分を足に加え、更に走る速度を上げる。その時、アガサとラキアの妖気が走る方向を変えた。

 

「おっ、コッチに来てくれんのか?」

 

ノエルが口にした通り、アガサとラキアはノエルに近付くコースを走っていた。まさか、先行する自分を先に叩く気か? そうノエルが考えていると、不意にアガサとラキアの妖気が停止する。

 

「………?」

 

何故止まる? ノエルは走りながらプリシラとアガサ達の妖気を探った。しかし、理由は分からない。しかも、少しするとまた二つの妖気は動き出した。訳が分からない。

 

「………まあ、いいか」

 

少し考えた末、ノエルは二人が止まった理由をどうでも良い事と判断する。なんにしても差が縮まった。口惜しい事にこの調子だとプリシラが先にアガサ達を捕まえるが、流石に倒す前に合流出来るだろう。

 

もし、合流したら片方を無理矢理譲らせよう。ここで活躍すれば組織が自分をナンバー4と認める筈。ノエルは悔しがるソフィアの顔を想像しながら、さてどんな風に煽ってやろうかと考えだした。

 

「ま、なんにしてもさっさと追いつかねぇとな」

 

挑発の内容は自分がナンバー4になってからだ。そう、考えてノエルはアガサ達の下へと急ぐ。

 

そんなノエルの前方に数十人の人影が見えた。

 

「……あ、なんだ、あいつら?」

 

怪訝な顔でノエルが呟く。公道を歩く集団は商人ぽくない、然りとて盗賊とも思えない。あの姿は明らかに村人だ。しかし、こんな場所でどうして?

 

妖魔かと一瞬思ったが妖気は全く感じない。人間で間違いないだろう。

 

「(なんで、こんなところに居るんだ?)」

 

疑問を抱きつつ、少し速度を落とし正面から来る集団に接近し様子を伺う。

 

服装はやはり至って普通の出で立ちだ。その上、村人達はリュクもバックも小さなポーチすら何も持っていなかった。本当にフラッと散歩に来たような軽装振りだ。

 

「……散歩ってか? 暇だねぇ」

 

興味を失ったノエルは再び速度を上げると、集団の横を通って、前に進もうとした。その瞬間、グルンっと一斉に村人達がノエルを見る。

 

ーーその目は虚で酷く白濁していた。

 

 

 

 

 

 

外道に手を染める覚悟を決め、町へと訪れたアガサとラキア。その二人を待っていたのは無人となった建物の数々だった。

 

「…………」

 

「…………」

 

人を盾に、なんとかプリシラを倒す。しかし、それに最も必要な盾が居ない。作戦は最初の一歩目で頓挫した。これにはアガサもラキアも無言に成らざるを得ない。

 

町は荒れて居なかったが、一目見て分かる程、生物の気配が感じられない。とは言え、良く探せば、もしかしたら何人か残っているかも知れないが、残念ながらそんな時間はなかった。よってアガサとラキアが取れるのは作戦を諦め、逃亡を再開する事だけだった。

 

「……なんで滅びてんのよ!」

 

アガサが叫んだ。その声には、こんなはずじゃなかったという想いが込められている。逃げながら諦め切れずに町内に目を走らせるが、やはり、人は見つけられなかったのだ。

 

「知りませんよッ!」

 

アガサの叫びに、ラキアも叫びで返す。ただでさえ短い猶予を浪費してしまったのだ。この徒労感には叫ばなければやってられない。

 

「なに? 逃げたの? 山奥の暇な生活に耐えられなくなりましたとかぁッ!? 良い御身分ですね、変わって欲しいわ、全くぶざけんじゃないわよッ!」

 

アガサが捲し立てる。煩い。自分の不幸を他人のせいだと宣うその姿は実に傲慢で、他者を犠牲にしてでも生にしがみつこうとしているのがありありと伺える。相変わらず良い性格をしているとラキアは思った。

 

「てか、なんであんな綺麗に残ってんのよッ!」

 

アガサの言う通り、町はとても綺麗に残っていた。新築したばかりなのか、建物に破損は殆ど見受けられず、小洒落た喫茶店のテーブルには飲みかけの紅茶が残っていた程だ。

 

襲われたのならあり得ない状況、然りとて捨てるには惜しい環境だった。しかし、事実として町に人は居ない。正直言ってそれが不気味極まりない。まるで、ある時、人が溶けて消えたかのような有様だったのだから。

 

「だから知りませんってッ! ……そ、それより、もう時間がッ」

 

だが、不気味な町など今ははどうでもいい。今の問題はいかにして生き残るかだ。

 

一気に駆け抜け、アガサとラキアは廃町を後にした。

 

「………」

 

公道を走りながらラキアが背後を探る。町に寄ったロスが痛い。プリシラの妖気はすぐ後ろまで迫っていた。もう幾ばくかもしない内にプリシラに追いつかれる。

 

「くっ、アガサさん、公道から森に入りましょう。その方が多少は……」「待ったッ!」

 

そろそろ目で確認される距離になる。その為、森に入りせめてプリシラの視線からだけでも避けようと提案したラキア。そんな彼女の言葉を遮り、アガサが叫んだ。

 

「あれ! 前、あれって人影よねッ!?」

 

アガサの言葉にラキアは何時の間にか背後ばかりに向けていた目を前に戻す。アガサの言う通り前方に人影のようなモノが見えた。

 

「……確かにッ!」

 

小さく朧げにしか見えなかった影は走る内に、大きくハッキリしたものになる。それは間違いなく人の形をしていた。性別は女。妖気は……感じない。服装は高そうな赤いドレス、髪の色は黒。ならば人で間違いあるまい。

 

「…………」

 

「…………」

 

しかし、何かおかしい。公道とは言え女の格好は山を歩くのに適さない。リュック等の荷物も持っていない。一番近い町は廃墟と化している等、実に不自然な事が多い。だが。

 

「……やっと希望が見えましたね!」

 

「……ええ、さっさと捕まえるわよ!」

 

それでもアガサとラキアが歓声をあげた。

 

違和感があろうと妖気がない。この時点で人質として機能する。服装や町の様子なんて些細な事よりも希望が繋がった事の方が遥かに重要だった。

 

そして、アガサとラキアは人質にする為、女目掛けて突撃した。




あとは、人質を盾に戦うだけですね(白目


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38話





あくまで噂されてるだけですからね?(イレーネさんを見ながら


 

 

「あのお猿さん、何をしてるのかしら!」

 

ノエルが先行して少ししてからの事、ソフィアが苛立たった声をあげた。彼女の苛立ちを示すように、一歩一歩、地面に足がつく度に不必要な程大きな足音が鳴っている。ああやって苛立ちを発散しているのだろう。

 

「……妙だな」

 

ソフィアに続き、イレーネも訝しげに顔を顰めた。良い感じに先行していたノエルの妖気。その動きが変なのだ。一直線に走っていた状況から一転、今、ノエルは細かく一定の範囲内を動き回っている。まるで何かと戦うように。

 

「……妖気を消した戦士とでも戦っているのか?」

 

そう、自分で呟くも、イレーネはその線も薄いと感じていた。粛清対象に現役戦士の仲間が居るなんて報告はないし、万が一居たとしてもノエルは一桁上位の戦士だ。妖力解放している彼女を妖気を消した状況で相手に出来る者はほんの一握りしか存在しない。

 

戦士で言えばテレサ、プリシラ、イレーネ、ソフィアのみだ。この内、テレサを除いて全ての者の位置は把握出来ている。多人数の戦士や覚醒者が妖気を消して相手にしているとも考え難い。

 

だからこそ、ノエルの変調に得心がいかない。何故止まる? 走りを止めた理由が分からない。イレーネは並走するエルダに視線を向けた。

 

「エルダ、何か妖気を感じるか?」

 

「妖気については何も……ただ、微妙に違和感があります」

 

そう、言ってエルダは片目を瞑りなにやら難しい顔をすると、残った眼をノエルが居る方へと向ける。

 

「違和感?」

 

「はい、上手く説明出来ないのですが、妖気とも呼べない微細な空気、なんと言いますか、妖気を消す薬を飲んだ直後の放射されていた妖気の残滓のような……とにかくそんな不自然な空気を感じます」

 

「つまり、薬を飲んだ何者かが居ると?」

 

「かも、知れません。しかし、そうでないとしても何者かと戦っているのは確かだと思います。このノエルさんの妖気の流れは激しく剣を振っているソレです」

 

「……交戦中か」

 

「はい、あくまで多分ですが」

 

「そうか、ならば早く合流しよう」

 

「まったく、世話が焼けるわね、足止め係が足止めされてどうすつもりなのかしら?」

 

ソフィアがやれやれといった調子で笑い。そんな彼女をイレーネが窘めた。

 

「そう言うな、相手は強敵かも知れない。これは一人で先行させた私のミスだ」

 

「……ノエルさんが不甲斐ないだけだと思いますが?」

 

「例え、そうだとしてもそこまで考えてなかった私が悪い。まあ、それより時間がない。あまり時間を掛けては粛清対象に逃げられる。さっさとノエルに合流し、あいつが足止めされた理由を排除、その後、全力でアガサ達を追うぞ」

 

そうイレーネが言った瞬間だった。斜め前方から複数の杭が飛んで来たのは。

 

「なに?」

 

驚きながら、イレーネが抜刀する。抜き放たれた刃が霞むような速さで走り、迫る杭を斬り落とした。

 

「……まるで妖気を感じなかったぞ?」

 

イレーネは油断なく大剣を構え、杭が来た方向を睨む。既にソフィアもエルダも散開し戦闘体勢に入っている。

 

果たしてそこから現れたのは、何の変哲も無い、普通の男だった。

 

「…………」

 

一歩、二歩と歩き辛そうに森から出て来る仕草は鈍臭く、まるで妖気を感じない事から脅威を感じない。

 

「気を付けて下さい!」

 

しかし、そんな中、エルダが逸早く警告の声をあげた。

 

「覚醒者です」

 

「覚醒者?」

 

エルダの言葉にソフィアが疑問を抱く。イレーネだってそうだ。この距離でもまるで妖気を感じないのだから。

 

「間違いないのか?」

 

「はい、この距離でようやく分かりました。極小の妖気が彼から漂っています。その質は紛れもなく覚醒者のモノです」

 

「でも。アレは男よね」

 

そう、ソフィアが言う通り、相手は男だった。戦士は全員が女、つまり男の覚醒者はあり得ないと言いたいのだろう。

 

だが、イレーネはかつて男の戦士が居た事を知っている。故に試す事にした。

 

「…………」

 

イレーネは男へと踏み出した。後方でソフィアとノエルが驚いているが構いはしない。そのまま接近し相手を間合いに捉えると大剣を一閃。しかし、男は先程までの鈍臭い仕草が嘘のように、素早く大剣を回避した。

 

「なるほど」

 

これでイレーネは確信する。今のは人が反応出来る速さではなかった。それどころか妖魔でも厳しい速度。つまり、少なくともコイツは人ではない。

 

イレーネは手加減を止める。強く地を蹴り、後方に逃れた男に即座に追い付き、大剣を閃かせた。

 

斜め下からの斬り上げが男の右手を斬り落とす。だが、そんな重症に男は声一つあげない。彼は虚ろな目をイレーネに向けると、二の腕から先が消えた右手をイレーネに突き付ける。その傷口の一部が盛り上がり突起物が生まれた。

 

「最初のはコレか」

 

先の攻撃の正体を看破したイレーネ。彼女は突起物が杭として射出される刹那、右腕に妖気を集中する。

 

ーー直後、イレーネの右手が消えた。

 

「…………」

 

男が急に動きを止める。

 

「……行くぞ」

 

そんな男に背を向け、イレーネが二人に指示を出す。遅れて、フラリと男が後ろに倒れ込み、その過程で男の身体は細々した肉片となり、地面にボトボトと落ちた。

 

一瞬の早業、戦士最速の剣捌きと噂されるイレーネの面目躍如だった。

 

 

 

 

 

何かがーー水気を多分に含んだ何かが、弾け飛んだ音がした。

 

「は?」

 

思わず呆然とした声が口から溢れる。背後からドレスの女を羽交い締めしようと動いたアガサ。そんな彼女の右手があっさり爆せたのだ。

 

「アガサさんッ!?」

 

ラキアが焦り顔で叫ぶ。二人とも状況が理解出来ない。衝撃で尻餅を着いたアガサが自分の腕を見る。見間違いではなかった。やはり、アガサの右手は肘から先が消えている。遅れて宙を舞っていた大剣が地面に落ち、ガランと音を立てて地面に転がった。

 

「………ガッあっ!」

 

だいぶ遅れて、傷口から焼けるような痛みが走る。反射的にアガサは左手で右腕を抑えて止血。妖気を右手に集めて再生を図る。

 

「どうして分かったんだ?」

 

再生作業に入ったアガサ。そんな彼女にドレスの女が右手を振り抜いた体勢で問い掛ける。女の右手にはそのドレスよりも赤い血がベッタリと付着していた。

 

「…………」

 

サッと傷口から痛みが引き、代わりに氷水に浸かったような寒気に襲われる。それは恐怖から来る寒気。絶対絶命に陥った時だけに感じる特有のものだった。

 

「どうして分かったんだ?」

 

質問に答えないアガサ。それを聞こえなかったと判断したのか、女が同じ質問を繰り返す。しかし、恐怖と驚きでまともな言葉が出て来ない。アガサはただただ、女の姿を見上げる事しか出来なかった。

 

「…………ッ」

 

女とアガサから距離を置いたまま、ラキアの足が凍り付く。

 

状況は未だ不明。質問の意味も分からない。しかし、一つだけ分かった事がある。それは自分達がヤバイ奴に触れてしまった。それだけは確かだった。

 

「聞こえなかったか? だから何故私が覚醒者だと分かった? 妖気は完全に消していたはずだが?」

 

今後の参考に聞きたい。そう、ドレスの女は続けた。それを聞いて、あ、やっぱり覚醒者なんだ、と場違いな感想がアガサの頭に浮かぶ。おそらく現実逃避だろう。

 

「外見か? 匂いか? 雰囲気か? お前達は正式な戦士という感じではないな、離反したのか? ならば何故私と接触した?」

 

「…………」

 

矢継ぎ早にされる質問。それに答えぬままアガサはズリズリと後退する。少し離れた場所ではラキアが大剣を構えている。しかし、その重心は後方に偏っており、完全に腰が引けていた。

 

「何も答えないか……」

 

顎に手を置き、考える女。その間、アガサはゆっくりと女から離れている。そこでハッ、とラキアが何かに気が付いた。

 

「まあ、良いだろう、答えないなら勝手に……」

 

「後ろッ!」

 

女の話の途中で入った、短く鋭い警告。それにアガサが反応する。形振り構わず地を転がり。直後、彼女が座り込んでいた場所に大剣が落ちて来た。

 

プリシラに追い付かれたのだ。

 

「シィッ!」

 

「くっ」

 

地に着く前に大剣が翻り、低空の横薙ぎがアガサの顔面を狙う。回避出来ない。アガサは苦し紛れに残った左手を振り回す。それが奇跡的に斬撃の軌道を変えた。

 

「あぐぅ」

 

しかし、そこで手詰まり。左手が歪に千切れる。素手で攻撃を防いだ代償だ。これでアガサは両手を失った。そこに三度振るわれる刃。陽光を映した大剣が、断罪の一撃となり降って来る。

 

もはや、防御すら出来ない。無言の殺意と共に閃いた銀光が吸い込まれるようにアガサの脳部に迫り、そして。

 

「悪いが取り込み中なんだ」

 

ーーピタリと止まった。

 

無造作に動いたドレスの女。その右手に止められてしまったから。

 

「「「ッ!?」」」

 

アガサ、ラキア、そしてプリシラ。その三者が驚愕を露わにする。特にプリシラのそれは他の二者より大きかった。

 

それも当然。手心は加えていない。接近を隠す為、妖気を隠していたが、アレは紛れもなく無解放で放ちうる本気の斬撃だったのだ。

 

なのに、女はプリシラの本気をあっさり防いで見せた。それはつまり、コイツがとんでもなく強いと言う事に他ならない。

 

「………ッ」

 

両手に力を込め体重を乗せる。しかし、腕がプルプル震えるだけで大剣は一向に動かない。万力のように鍔を握る女の右手がプリシラの力に勝っているのだ。

 

そんなプリシラと女の攻防を隙と見るや、アガサは転がって逃げ出した。プリシラが悔しげに呻く。

 

「くっ……あなたは、何ですッ!」

 

奥歯を噛み締め、燃えるような瞳で女を射抜く。そんなプリシラの視線を女は涼しい顔で受け止める。

 

「何か、か。ここは誰だと問う所だと思うが? ……まあ、そうだな」

 

そう言って女は品定めするような目でプリシラを見ると。

 

「私はただの覚醒者だよ」

 

何でもない風に自身の事を覚醒者と告げた。

 

「ッ!」

 

女の宣言を受けて、プリシラがターゲットを変更する。足を振り上げ女の顔面を狙う。女は半歩下がりこれを回避。しかし、大剣の拘束が緩んだ。

 

プリシラは接近に際し抑えていた妖気を解放。筋力を高めると腕を捻り女の手を大剣から引き剥がす。これで大剣は自由となった。相手は先の回避により若干反応が遅い。好機!

 

「セイッ!」

 

プリシラは女より早く攻撃姿勢を整えると、大剣を真横に薙いだ。

 

ちょうど、首を寸断する軌道で走った斬閃が女に迫る。だが、これでも女の余裕は崩れない。素早く持ち上げた右手で大剣の腹を叩き、斬撃を弾いてしまう。

 

「良い威力だ。少し腕が痺れたよ」

 

「黙れッ!」

 

そう言って女が笑った。ちょっとだけ驚いた顔をしているあたり、本気で感心しているのかも知れない。だが、それはプリシラからすれば挑発にしか見えないし、聞こえなかった。

 

「ガァアァアッ!!」

 

プリシラが吠え、妖力を引き上げる。瞬間、威圧感が跳ね上がり、彼女の瞳が黄金に輝いた。

 

「ほぅ」

 

轟ーーっと大気が渦巻く。高位覚醒者を上回る妖気の発露。それに女が感嘆の息を漏らした。同時にプリシラが動く。

 

踏み込んだ右足を起点に腰を捻る。その捻りを使い、担ぐように構えた大剣を存分に加速。女目掛けて袈裟斬りを放つ。

 

女はこれを受けきれないと判断。バックステップで躱すも、ドレスの裾が僅かに舞った。かなり速度が上がっている。

 

「これは、なかなか」

 

女の口が弧を描く。その笑顔が頭に来る。プリシラは暴力的に地を蹴ると、後方に逃れた女に刺突を繰り出した。

 

押し出された空気が軋み、悲鳴を上げる。精緻にして目も眩むほど疾い突きだ。それが身体の中心目掛けて突き進む。

 

「そこはやめてくれ」

 

狙われた箇所を見るや、女は急に真顔になった。彼女は右足を起点に身体を大きく捻る。その動きに女を串刺しにする筈だった鋒が脇腹を掠めて終わる。

 

更に女は避ける体勢を利用し半回転。刺突を躱され体勢が泳いだプリシラに後ろ回し蹴りを放った。

 

「グガッ!?」

 

鉄槌の様な一撃。加速した踵がガラ空きだったプリシラの左脇腹に着弾。肉を潰して背骨を砕き、彼女を砲弾のように蹴り飛ばす。

 

そのままプリシラは木々をへし折り、森の奥へと消えて行った。

 

「……さてと」

 

消えたプリシラを見送ると、女は優雅さすら感じる動きで、持ち上げた足を地に下ろし、膝を曲げる。狙いはこっそり逃げ出したアガサとラキアだ。

 

ドンっと地が凹み、女の身体が加速。ほんの数秒でアガサ達を抜き去り、ステップと共に振り返り、白い顔の二人を通せんぼ。ドレスの乱れを手早く直し口を開いた。

 

「では、聞かせて……」

「あの戦士から逃げる為の人質にしようと思ってました!」

 

「うん?」

 

しかし、そんな女の言葉に被せるようにラキアが声を張り上げた。

 

「ちょっ、ラキア!?」

 

いきなりの暴露にアガサが悲鳴染みた声で責めてくるが、それを無視してラキアはアガサの後頭部を掴むと共に女に頭を下げた。

 

「妖気がなかったのであなたが覚醒者だとは気が付きませんでした! だから人質にしようと襲い掛かりました。すいません! 見逃して下さいッ!」

 

ラキアの行動、その意図を察したアガサがそれに追随する。

 

「……お願いします! もうしません、本当、もうしませんから助けて下さい! 死にたくありませんッ!」

 

「…………」

 

お願いしますお願いしますと必死に頭を下げる二人に女は少し困惑した。逃亡も抵抗も不可能と悟ったからの行動だろうが、ここまでストレートに命乞いされたのは初めての事だったから。

 

助命を乞うという行為は簡単なようで難しい。コレをするには恥ずかしさや悔しさ、恨みやプライド、それらに蓋をしてでも生き残りたいという強い生存欲求が必要なのだ。そして、戦士はこの生存欲求が普通の人より薄い。悲惨な生い立ちが多く、自分が化物だと無意識に思っている戦士達は、そこまでして生き残りたいと思わないのだ。

 

ある意味、戦士は綺麗好きと言える。既に汚れきった生涯だが、彼女達は泥臭い行為でこれ以上それを汚したくないのだ。だから、彼女達は汚く生きるよりは、綺麗に死ぬ事を望む、高位ナンバーになればなるほどその傾向は強かった。

 

しかし、どうやらその傾向にアガサとラキアは当て嵌まらないらしい。アガサはナンバー2経験者。そう女は記憶している。ラキアのナンバーは知らないが、動きから見て一桁上位レベルの力は持っている。低いナンバーというのはあり得ない。おそらく3〜6、あるいは特殊なナンバーである10といった所だ。

 

そんな戦士として上位に居た彼女達なのだが、プライドとか戦士の吟醸はないのだろうか? そう女は思った。

 

「……気付かれた思ったのは私の勘違いか」

 

「は、はい。い、言い辛いのですが……」

 

「…………そうか、事情は分かった」

 

恐る恐る、様子を伺うアガサとラキア。それに女は息を吐いた。そして、女は道を開ける。

 

「行っていいぞ」

 

アガサとラキアが信じられないものを見るような目をした。

 

「え、ほ、本当? 後ろか刺したりしない?」

 

「……疑い深いな、そうして欲しいならそうするが?」

 

「滅相もありません!」

 

そう言うや否やアガサ達女を避けて駆け出した。二人は走りながらも時々こちらの様子を伺うようにチラッと振り向く。その目は疑惑の色がある。

 

まあ、本来なら見逃したりはしないので当然だ。一桁上位を覚醒させれば場合によれば戦力として数えられるし、自分に襲い掛かって来た相手だ。戦力にしないならサックっと殺してしまうのが後腐れがなくて良い。

 

だが、今回、女はそうしなかった。これは女の気紛れと、上等で確実に戦力になる対象を自分の前に連れて来てくれたアガサ達への礼だ。

 

「……小魚に夢中で大物を逃したら笑えないしな」

 

女はアガサ達を見送ると視線を二人からプリシラが消えた方角へと戻す。瞬間、森の中から更なる妖気の猛り共にプリシラが飛び出して来た。

 

「ガアッアアァッ!!」

 

黄金の瞳を爛々の輝かせ、顔付きが変わったプリシラが右手一本で大剣を振る。女は腰を落として斬撃を潜ると、抜手をプリシラに放った。それをプリシラは左腕でガード。爪が指ごとプリシラの肉に埋まる。女はそこから根を伸ばすようにプリシラを侵食、身体の支配しに動く。

 

しかし、なかなか根が伸びない。強力な妖気が女の支配に抵抗しているのだ。そこにプリシラの蹴りが飛んで来た。

 

抉るように突き出された足先。速度の増したこの蹴りは至近距離からでは避けられない。女は左腕を盾に踏ん張る。凄まじい衝撃、バキリと鳴った二の腕、そこは完全に折れていた。

 

「……やるな」

 

見た目に反して強靭な自身の腕、それがたったの一発でお釈迦になってしまった。その上、相手は支配を跳ね除ける程の妖気を持っている。女からしても強いと言える強敵だ。

 

ーーしかし、だからそ。

 

「素晴らしい」

 

真っ赤な唇が弧を描く。これくらい強くなければ意味がないのだ。続けて放たれたプリシラの左ストレートを折れた腕で受け止める。そして今度は踏ん張る事なく、威力を流すように後退。一旦プリシラから距離を取った。

 

相手は驚く程に強い。だが、それで良い。素晴らしい逸材だ。女は怪しい笑みを浮かべる。

 

ここまでの戦いで確信した。コイツを支配すれば申し分ない戦力になる。もしかしたら、今の絶望的状況をひっくり返す事が出来るかも知れない。

 

しかし、今のままではプリシラを支配出来ない。ならば多少のリスクは払わねば。女の身体から仄暗い妖気が滲み出る。ついに女が隠した力を開示したのだ。

 

「手早く済ませよう。邪魔が入らぬ内にな」

 

絶望的に大きく、そして禍々しい妖気。それを迸らせながら女ーーラファエラは迫るプリシラを迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

「…………」

 

腕の中のクレアにテレサが問い掛ける。それにコクリとクレアが頷頷いた。咄嗟にかなりの速度で動いてしまったが、どうやら怪我はないらしい。テレサはクレアの様子に安堵すると、視線を大岩に向けた。

 

民家程もある巨石は幾人かを巻き込み、大通りを塞ぐように減り込んでいる。その周囲では犠牲になった者の関係者が、呆然と真っ赤に染まった岩の下を見つめたり、悲鳴をあげて岩を持ち上げようと足掻いている。

 

「……ちっ どこのどいつだ」

 

胸糞悪い光景を見せられ、舌打ちする。テレサは岩が飛んで来た方角を睨んだ。すると、青い空に黒い点を発見する。それは徐々に大きくなっていた……第二陣だ。

 

轟然と大気を押し退け、矢のような速度で岩が飛んでくる。冗談のような光景だ。

 

「……くそっ!」

 

テレサが視線を背後に走らせ悪態をついた。速度、タイミング的に彼女が回避するのは容易い。だが、テレサが避けては町人に犠牲が出る。

 

故に避けない。テレサは飛来した岩目掛けて跳ぶと、刃でなく腹を向け大剣を一閃。掬い上げるように放った一撃が怪音と共に、悪夢の魔弾を打ち砕く。

 

テレサの大剣にて割られた巨石はその身を数百の破片へと変貌させ、彼女が狙った通り、町を避けるように降り注いだ。

 

これで町への被害は最小限で済む。テレサは岩を砕いた反動で錐揉み回転しながらも、自身が成した結果に満足した。

 

ーーしかし。

「……ッ!?」

 

攻撃はこれで終わりではなかった。宙を回るテレサ。その視界に新たな黒点が映り込んだのだ。それは当然のようにまた巨石。

 

それも、矢なんて可愛いレベルの速度じゃない。グングンと近付く大岩は先の三倍以上に疾く見える。しかも、今度の狙いは町ではなくテレサだ。

 

つまり、これまでの岩はテレサを空へと誘い込む為の手を抜いた囮、彼女がまともに動けぬ状況に持っていく為の布石だったのだ。

 

「ちぃ、やってくれるっ!」

 

良いように動かされた。テレサは大剣を振り、その反動で回転を弱めると超絶の体捌きで即座に体勢を整える。そして、僅かに妖力解放。瞬間的に増した筋力で持って自身に迫った大岩を一刀両断した。

 

二つに分かれた巨石が遥か後方へと飛んで行く。テレサは大剣を翼のように振り、空気を捉え加速、落下速度を速め半ば追突するような勢いで地に向かう。

 

「クレアッ! 何処でも良い、物陰に隠れてろ!」

 

落下しながらテレサが叫ぶ。狙われているのは自分だ。それは岩の動きで分かっている。故にここを離れなければならない。テレサはグルンっと一回転、地面に足から降り立っと、膝を曲げ衝撃を吸収。そのままバネのように伸ばし加速、超高速で走り出す。

 

「テレサッ!!」

 

そんな声が後ろから聞こえた気がしたが、あえてテレサは答えなかった。

 

風よりも疾く走りながらテレサは考える。今回の仕立人の事を。空から目を凝らしたが敵影は発見出来なかった。つまり、相手はこちらの視覚外から攻撃していた訳だ。

 

「まったく、面倒なのが来たもんだ」

 

テレサが誰に言うでもなく呟く。

 

自身の視覚の外から、民家程もある巨岩を軽々届かせる筋力。その上、こちらが動く度に次の投擲を軌道修正する精密性、これの仕立人は間違いなく化物だ。

 

それも自分が知る化物だ。

 

目で見えずとも妖気なら分かる。テレサが走り出してから急に覚えのある妖気が発生した。まるでコッチ居るぞと主張するように。

 

よく分かる。隠していた妖気を曝け出したのはは完全な誘いだ。会ったのはずっと前に一度きり。しかし、この妖気の記憶は鮮明に残っている。とびきり強大で、肌をピリつかせるプレッシャーを放つこの持ち主は、以前取り逃がした過去最強の敵だった。

 

「リベンジのつもりか?」

 

そう漏らしテレサは一度目を閉じ、そして開く。クレアとの旅で緩んだ精神。それを意識的に引き締める為に。この相手に気の緩みは命取りだ。

 

森を抜け、草原を越え、岩場に突入しーーーー見えた。

 

切り出されたように不自然に欠けた岩山。それを背に黒髪の女が立っている。覚醒者の外見年齢は覚醒時から変化しないと聞くが、どうやら、アレは例外らしい。女はどこで手に入れたのか組織御用達の大剣を右手に持っていた。

 

「ハッ、戦士の真似事か?」

 

そう言って笑い。テレサは速度を緩める事なく、黒髪の女ーーダフルに突っ込んだ。

 







さすがはアガ・ラキ! 並(普通)の戦士にはでき(ry


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39話

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします(土下座


──挨拶もなしにテレサが跳んだ。

 

銀の疾風と化した彼女は、瞬く間も無く接すると音より速く大剣を走らせた。斬光が鋭利な弧を描きダフルの脳天に迫る。

 

しかし、ダフルは挙動から放たれる大剣の動きを予測。左に一歩ズレて斬閃を紙一重で躱すと、応手に突きを放って来た。

 

「…………」

 

銀の切っ先が迫る。その動きを優れた瞳で捉えながらテレサは刹那の間思考する。妖気の流れで狙いは最初から分かっていた。この突きは胴体を目指している。

 

しかし、想定より速度が速い。

 

攻撃直後の硬直を脱する時間がない。このままでは、回避出来ずに貫かれる。然りとて大剣を引き戻す時間はない。

 

テレサは大剣から右手を離す。そして高速かつ緻密な動作で突き進む剣先を摘む。もちろん、この程度でダフルの刺突は止められない。だが、テレサの指は自身の体重を支える力は余裕であった。

 

右手で身体を押し上げ、大剣の上で倒立。刺突をやり過ごすと、そのままテレサは前方へと回転し踵下ろしを放つ。

 

ダフルは左手を掲げ、この一撃を受け止める。瞬間、踏み締めた大地が悲鳴をあげ陥没、地と接する両足が深々と埋まり、そこを中心に放射状にヒビが広がった。

 

「……フフッ」

 

ミシッと、本人しか聞こえない肉が軋む音がする。それに笑みを浮かべ、ダフルは左手に力を込める。拮抗していた力のバランスが崩れ、テレサが大きく弾き飛ばされた。

 

小石のようにテレサが宙を舞う。彼女はクルクルと後方回転し体勢を整えるとダフルから三十メートル程離れた位置に着地した。

 

「痛いなぁ」

 

蹴りを受けた左手を軽く振りながらダフルが言う。大人っぽい、目も覚めるようは美しい外見とは裏腹にその声はやや舌足らずで可愛らしいものだった。

 

「いきなり襲い掛かって来るなんて酷いわ」

 

「ハッ、どの口がほざく。先に襲い掛かって来たのはそっちだろう」

 

「え、私なにかしたかしら?」

 

わざとらしく首を傾げるダフル。その仕草は可愛らしく無駄に様になっており人の苦笑を誘う。しかし、コイツは覚醒者の中でも別格に強い化物だ油断は出来ない。

 

「石コロが飛んで来たぞ」

 

「あら、挨拶くらいで怒らないでよ」

 

「じゃあ、私の挨拶にも文句言うなよ」

 

「挨拶の割には殺す気満々だったわよ」

 

「それはお互い様だろ」

 

世間話のような会話をしながら、テレサは注意深くダフルの隙を伺う。しかし、困った事にテレサの目から見てもダフルに隙は見当たらなかった。

 

直立のようで僅かに膝を曲げた体勢。右手の大剣は先が地に着くかつかないかの位置で保持されている。それは大剣の扱いに慣れた戦士が良くする構えの一つだった。

 

「……その剣は誰から習ったんだ?」

 

「お父さんからよ」

 

「嘘つけ、お前の父親ってあの大雑把ぽいデカブツだろ、絶対違うだろ」

 

「デカブツって失礼ね、ああ、でも大雑把ってのは否定出来ないかな」

 

そう、言って笑った瞬間、ダフルがテレサに踏み込んだ。その意表を突くような動きには訓練の跡がある。やはり、何者かに師事したのだろう。テレサは突っ込んで来たダフルを迎え撃つ。

 

「やあっ!」

 

可愛らしい掛け声とは裏腹に、危険な風切り音を響かせ大剣が薙ぎ払われる。テレサはソレをギリギリまで引き付けて躱すとカウンターを取ろうとし──

 

「チッ」

 

──急にそれを止め大きくバックステップで距離を離す。

 

それと同時にテレサが予定していた回避地点を黒い槍が貫いた。剣撃で作った死角に黒髪の槍を潜ませていたのだ。もし、テレサが大剣を紙一重で避けていたら串刺しになっていただろう。

 

「えいッ!」

 

下がったテレサを追ってダフルが攻め込む。左右に振られる大剣に死角から来る髪の槍と鋭い杭。テレサはそれらを防がず躱す。外れた攻撃が地を穿ち、岩を砕く。

 

「…………」

 

無言でテレサが顔を顰めた。危なげなく踊るように避ける彼女だが、その実あまり余裕はない。傷を負うほどではないがヒヤリする事が何回かあった。その理由はダフルの妖気にある。

 

(……面倒なものを覚えやがって)

 

ダフルは極限まで妖気を封じて戦っている。いや、正確には大剣を振る右腕以外の妖気をギリギリまで抑えているのだ。

 

剣撃の動きは妖気読みで簡単に予測出来る。しかし、それ以外、髪を硬化させて伸ばす攻撃も、杭を撃ち出す攻撃も、単純な手足の動きすら先読みが難しい。どうしても大きな妖気を内包する右手に意識が行ってしまうからだ。

 

実に適切な策だ。妖気読みに長けた相手へは非常に効果的だろう。やり辛いことこの上ない。

 

テレサは妖気感知によるものから、視認と経験と基づく先読みへとシフト。集中力を高め反射速度を高めると攻撃を躱しながらダフルの動きを注視する。彼女の癖や呼吸を掴もうしているのだ。

 

「…………」

 

しかし、相手を知ろうとしているのは相手も同じだった。テレサの行動を予測していたのだろう。ダフルはテレサが先読みの性質を切り替えた途端これまでにない妖気を纏い攻撃を繰り出した。

 

突然増した攻撃速度に僅かに反応が遅れ回避が間に合わない。テレサは迫る斬閃を大剣で弾きその反動で身体をずらし、時間差で来た黒槍を回避。ダフルの背後を取ると反撃に転じた。

 

走った剣撃がダフルを目指す。狙いは首、直前でダフルは左腕で跳ね上げ、大剣の腹を叩き斬撃を頭上へ逸らす。

 

弾かれた大剣から伝わる衝撃がテレサの身体を浮き上がらせた。膝が伸び、極短い隙をテレサが晒す。そこに多数の杭が発射される。

 

至近からの放たれた範囲攻撃。テレサは片手を大剣から離し、最初に来た杭を掴み取るとそれを武器に後続の杭を弾き飛ばした。

 

「それ私の」

 

「なら返す」

 

連弾を捌ききるや否や、テレサは杭を投げ返した。ダフルは真っ直ぐ顔面に来た杭を首の動きだけで躱す。

 

だが回避の直後、銀の切っ先が眼前に現れた。

 

先の意趣返し。杭を目くらましに放たれたテレサの刺突だ。これは避けられるタイミングではない。

 

──ガィンっと金属音が鳴り響き、ダフルが大きく弾かれ飛んだ。

 

「おいおい」

 

思わず、テレサの口から呆れ声が漏れる。なんとダフルは顔を動かし、剣先を自身の前歯で受けたのだ。

 

「イタタ……」

 

あっさり着地したダフルが、僅かに切った口端を指で擦る。テレサはダフルに追撃せんと膝を曲げ身を沈めた。直後、地面から髪の黒槍が飛び出して来る。

 

咄嗟に進行方向を後方に変更し槍を回避。すると今度は杭の群れが飛来。しかし、この距離では牽制以上の役割は出来ない。テレサは軌道を見切り、数十の杭を楽々躱しきった。

 

「丈夫な歯だな」

 

「健康には気を使ってるからね」

 

そう言って『いーっ』と子供のように歯を剥くダフル。前歯には小さな傷が一つあるだけで、折れたり欠けたりしておらず、それすらも漏れた出た妖気により復元してしまった。

 

「……なんだ、もう妖気は抑えないのか?」

 

右手以外からも妖気を発し始めたダフルにテレサが問い掛ける。

 

「うん、今みたいな戦いも嫌いじゃないけどね」

 

そう言って笑うや否や、ダフルの顔が黒く変色し金属を思わせる光沢を放った。いや、変化は顔だけに留まらない。首も手足も、そしてきっと服で見えない胴体も滑らかな黒に染まっていた。

 

肌色の変化と共にダフルの妖気が急速に膨れ上がる。途端に目隠しされたような、太陽が雲に覆われたような異様な感覚がテレサを襲う。これには覚えがあった。

 

──強烈な匂いが犬の嗅覚を効かなくするように。

──強過ぎる光の前に人が視界を失うように。ダフルから溢れた膨大な妖気が、氾濫した大河の如く彼女以外の妖気を流し、テレサの妖気感知を狂わせたのだ。

 

「…………」

 

ドクンっと心臓の音が聞こえた。自分が緊張している事がはっきり分かる。辺りに満ちる妖気はかつてのダフルと比しても強大で、テレサに死を予感させるほど苛烈だった。

 

「…………ふぅ」

 

嘆息と共に肩を竦め強張った身体をほぐす。気付けばテレサも妖気を引き上げていた。妖気を解放したのではなく、解放させられたのだ(・・・・・・・)。これは危機感から来る無意識の行動、初めての経験だった。

 

テレサの妖気がダフル一色に染められた地に別の色が混じる。二つの色か互いを喰い合うように広がり、それ以外の色が完全にその地から消えた。

 

(……こうなる前に片付けるはずだったんだがな)

 

テレサは好機を見逃した己に苦笑を浮かべた。

 

テレサがダフルの姿を視認した時、彼女は覚醒体ではなかった。それはこれ以上ないチャンスだった。

 

何故なら、その名の通り覚醒体こそが覚醒者の本領であり、例外なく覚醒者は人間体より覚醒体の方が強い。そして、個体差はあるが覚醒体となるのに用する時間は戦士の妖力解放より長い。

 

そう、テレサは最初から全力を出し即座に斬殺するつもりだったのだ。

 

しかし、実際にやった事は僅かに妖力を解放しての奇襲。どう考えても甘い判断である。しかもその後本気を出すタイミングは幾らでもあったのに終ぞテレサはダフルが本領を発揮するまで金眼になる事すらしなかった。

 

その理由は二つ。

 

一つは思ったよりダフルとの戦いが楽しかった事。そもそも戦いと呼べる戦いをテレサと演じられるものは極めて少ない。勝利が確定したつまらない蹂躙にテレサは飽き飽きしており無意識に競い合うという状況を長く続けたいと思ってしまったのだ。

 

そして、もう一つの理由は純粋にテレサが全力を出す事に慣れていない為だ。

 

テレサは本気を出す事に慣れていない。何故なら彼女は最強だから。加減してなお、あらゆる者を圧倒する絶対強者たるテレサは本気はもちろん妖気を解放する事すら稀だ。

 

だから、初手から全力を発揮するのが不得意で、意図せぬ事だが、彼女は最初手を抜いしまう。その癖が身体に染み付いてしまっていた。これは明確な弱点である。

 

だが、その弱点をダフルは見逃した。

 

「…………」

 

テレサは覚醒体となったダフルを見る。肌色が変わり、髪の量が増え、手足の一部が大きく膨れた以外は人間体とさほど変わらない。しかし、その身から感じる圧力は先の比ではなかった。

 

もし、初手からダフルが本気だったら加減中のテレサはあっさり殺されていたかも知れない。それほどのプレッシャーを感じる。

 

しかし、ダフルはそれをしなかった。そして、その訳は皮肉な事にテレサと同じ理由だった。ダフルもまた絶大な力を持った深淵超えの猛者。テレサ同様に最初から全力を出す事が苦手なのである。

 

「うぅ〜ん、やっぱり戦うなら覚醒体じゃなきゃね……でも、まあ、なかなか使いどころがないのよね」

 

そう言って調子を確かめるようにダフルが手足を動かす。それに倣った訳でもないがテレサも剣の握りを確かめる。

 

体調は万全、溢れる妖気はダフルに及ばぬ強さだが軽く深淵を超える。しかも、まだこれで二割を少し超えたところ。おそらく妖気の総量ならばダフルすら大きく越えるだろう。

 

「相変わらず……うんうん、以前にも増してバカみたいに大きな妖気だね」

 

自身を超える妖気をテレサが持っていると理解したダフル。しかし、彼女はそれを恐れることはなくただ呆れたように息を吐いた。

 

「お前に言われる筋合いはないな」

 

「いやいや、倍近い差があるんだから言ってもいいでしょう」

 

「……その割には余裕じゃないか」

 

「余裕……余裕かぁ、確かにそうだね」

 

此の期に及んで大して緊張した様子のないダフルにテレサは違和感を覚えた。しかし、それも次の瞬間には水泡のように消える。ダフルが剣を構えたからだ。

 

「でも、なんでかな」

 

──負ける気がしないんだ。

 

そう笑いダフルはテレサへ踏み込んだ。

 

 

 

 

イレーネ達が辿り着いた時、そこは既に血の海だった。

 

「…………」

 

人人人、五体をバラされモノと化した人の骸が真っ赤に染まった地の上に転がっている。そんな地獄のような光景の横、山道の端に生えた木を背に良く知る戦士が座り込んでいた。

 

「──ノエルさん」

 

エルダが呼び掛ける。それにヨロヨロと力なくノエルが顔を上げた。

 

「……おう、遅かったな」

 

「遅かったなじゃないわよ」

 

内容とは裏腹に弱々しい口調のノエルにソフィアが食って掛かった。

 

「あなた、何こんなところで道草食ってるのよ」

 

「ってもよ、結構ヤバかったんだぜ」

 

てめーだったら死んでたから、と強がりノエルが木に体重を預けながらゆっくりと立ち上がった。疲労か、恐怖か、それとも別の理由か、その全身は小刻みに震えていた。

 

「……何があった?」

 

立ち上がったノエルに三人を代表してイレーネが問う。

 

「……そこに転がってる奴らが襲い掛かって来たんだ。最初はただの人間かと思ったんだ。けどよ、いきなり杭みたいなの飛ばして来やがった」

 

ノエルが地面を指差す。そこに視線をやれば先ほどイレーネが見た杭にそっくりなものが落ちていた。

 

「それがヤバかった。囲まれた時に一発そいつを貰っちまったんだ。そしたら木の実かなんかみたいに、あたしの体に根を張って来やがったんだ」

 

「……なるほど、その傷はそれが原因か」

 

イレーネはノエルの肩に目をやる。そのにはあるべき防具が消失しており露出された肌は広範囲に渡って抉れていた。

 

「ああ、なんとか無理やりとった。だけどおかげで大分消耗しちまったぜ」

 

「そうか、しかし、その傷でよく勝てたな」

 

「ふん、あたしが簡単にやられる訳ねぇだろ……って言いたいところだが、正直ダメかと思った。でもこいつら急に動きが悪くなってよ」

 

「急に悪くなった?」

 

「ああ、最初はすげぇ統制が取れてたんだ。一糸乱れぬってやつだ。だが、ちょうど今さっきなんだがいきなりてんでバラバラで動くようになったんだよ、だからなんとか倒せた」

 

「いきなりか……?」

 

ノエルの言葉にイレーネは警戒しつつ落ちていた杭を拾い上げて観察する。

 

なんでもない石のように見えるそれには僅かに熱の残滓があり、側面には小さな口と目が付いている。

 

さらによく見ると表面には小さな凹凸があり、見ようによっては発芽したての種のように見えた。

 

統率された動き、根を張る杭、そして先ほど感じた生き物というよりもどこか人形を思わせる生存欲の無さ。

 

「…………」

 

イレーネは考えるように黙り込んだ。

 

「…………」

 

「あの、イレーネさん」

 

口を閉じ思考を始めたイレーネに躊躇い勝ちにエルダが声を掛けた。

 

「疑問は尽きませんが先ずは任務を優先しませんか? ノエルさんが足止め出来なかったのでアガサ達に大分距離を話されてしまっています」

 

「おい、それはあたしに対する当てつけか?」

 

「あ、いえ、そういう訳じゃ」

 

「良いのよエルダ、実際ノエルさんが足止めどころか逆にこっちの足を引っ張ってるんだから」

 

「てめぇ、ソフィアぶっ飛ばすぞ!」

 

「ふふ、そのザマじゃとても無理よ」

 

仲間達の様子を見て頷くとイレーネは杭を捨てた。

 

「……そうだな」

 

そう、任務の内容はアガサ達の粛清。謎の敵や不気味な杭の解明は組織に任せればいい。そう思い直し、イレーネは顔を上げ、仲間達に指示出そうとした。

 

──その時だった。

 

暴力的な妖気の波がイレーネ達に伝わった。

 

「「「…………ッ」」」

 

それは大きな、そう大きな妖気だ。それこそこの場の全員が未だ嘗て感じた事がないほどに。

 

「な、なんです、これ?」

 

あまりに巨大な妖気に周囲への警戒も忘れエルダが愕然とした声を零した。たった今発生した妖気、これはプリシラのそれすら軽く超える。自身の正気を疑ってしまうほどの絶大なものだ。

 

「な、なによこれ」

 

「じょ、冗談だろ? なんだよ、このバカでかい妖気」

 

暗く重い、深淵という呼ぶべき悍ましい妖気に怯えたソフィアとノエルが怯えを見せた。相対せずとも分かる。これと戦えば死ぬ、逃げても死ぬ、出会った時点で生存不可能と瞬時に理解する、その絶望的に隔絶した力の脅威を。

 

「…………薬を飲め」

 

戦士達が呆然としたのはどれほどの時間か? いち早く正気に戻ったイレーネが妖気を消す薬を口に放り、ノエル達にも服用を呼び掛ける。その声にハッとした三人も黒い丸薬を飲み込んだ。

 

薬が効力を発揮し、イレーネ達の妖気を消す。その代わりにアガサ達の妖気を感じる事は出来なくなった。しかし、そんな事はどうでも良い。今はこの妖気に見つからない事の方が遥かに重要だ。

 

妖気で消耗を誤魔化していたノエルが、地面に倒れ掛ける。それを見て素早くイレーネが肩を貸した。

 

「すぐに移動を開始する」

 

イレーネが三人に指示を出す。目指す方角は当初の目的地とはまるで方向が違う。だが、それでいい。そのコースこの妖気の持ち主が追って来た場合最も逃げやすい道なのだ。

 

既に四人の中で任務の続行を考える者はいない。

 

(……すまん、プリシラ)

 

イレーネは妖気の方角にチラッと目をやると内心でプリシラに詫びた。この妖気の側にプリシラを見捨てるからだ。

 

イレーネは自分の選択を間違えだとは思わない。情に流され助けに行く事こそ間違いだ。何せ行けば全滅するのは目に見えているからだ。このメンバーのリーダーとして最善の選択を取る義務がイレーネにはあった。

 

だが、それでも仲間を見捨てるという行為は心が痛む。イレーネは死地にいるプリシラに黙祷を捧げると助けに行きたい思いを断ち切って、急ぎ走り出した。

 

 

 

──そう、だからイレーネ達は気付く事が出来なかった。

 

「…………」

 

イレーネ達の近くに一人の女が隠れていたのを。




光陰矢の如し、今週は忙しいから書けないや……と思ったら数ヶ月経っていた一体誰が私の時を消し飛ばした?(言い訳


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40話


皆様いつも感想ありがとうございます。とても力になります!(なのにこの更新速度か……とか思ってますよね?)


ダフルの踏み込みに大地が揺れた。絶大な筋力によって加速された身体は一瞬にして音を抜き去り、刹那の内にテレサをその間合いに収める。

 

「──ッ!」

 

繰り出されるは愚直な拳。肩口から真っ直ぐ放たれた左拳が大気を撃ち抜きテレサを接近、テレサはこれを大剣の刃で受けた。

 

──しかし、

 

「ぐぅ……っ」

 

力負けし弾き飛ばされた。

 

投擲された小石のように高速回転しながら宙を舞うテレサ。目紛しく視界に映る色が変わる。そんな彼女に多数の鉄柱が射出される。

 

「ちぃっ!」

 

回転により視界が悪く妖気感知も当てにならない。その上威力、速度共に先の攻防とは桁が違う。テレサは金眼から一段妖気を引き上げると超速で大剣を乱舞させた。

 

幾筋も走る銀光がテレサを覆う格子を作る。その斬撃によって編まれた籠が鉄柱の尽くを弾き逸らした。

 

次弾に備え体捌きで回転を制御、テレサはダフルの位置確認する。それと同時だった。

 

──頭上に影。

 

身を貫く悪寒に従い即座に大剣を振り上げた。

 

直後、光条と化した二本の大剣が激突、真っ赤な火花と雷鳴の如き大気の悲鳴が周囲一帯に響き渡った。

 

「ぐっ、がぁっ」

 

苦悶の呻きが口から漏れる。またも力負けしてしまった。

 

高速で落ちるテレサ。彼女は体重移動で足を下に向けると地を穿つ様に着地。両足で衝撃を逃すもそこに追撃の鉄柱と黒槍が放たれた。

 

人の絶対の死角たる頭上から滝のように降ってくる鉄柱、更に左右前後にテレサを逃さぬように展開された黒髪の鋭い檻。視界が黒一色に染まる。

 

これは回避、防御ともに極めて困難だ。

 

「────」

 

追い込まれたテレサの顔から表情が消えた。危機的状況に凪いだ湖のように心が静まり、頭の内にずっとあった『遊び心』と『クレアの心配』が完全に消失。本当の意味で戦いに集中した。

 

いつもより緩やかに流れる視界、そこに映る多数の鉄柱、その内自身に最も速く到達する三本に大剣を走らせる。

 

一本、二本、三本、狙い澄ました方向、威力で弾かれた三つの攻撃、それが後続の鉄柱を巻き込んでテレサを檻の一部に激突。囲いに小さな穴を穿つ。

 

黒に閉ざされた視界に一筋の光が差した。そこにテレサが身体をねじ込ませる。肩当てと大剣で鋭利な黒髪から身を守り、回転を加えて小さな穴を飛び抜ける。

 

「…………」

 

着地するや否なテレサは視線を走らせたダフルを探索、その姿を捉える。敵はまだ空にいた。髪の一部を変形させ翼代わりに飛行しているのだ。

 

檻から逃げたテレサ。ダフルは格子状に編んだ黒髪が瞬時に解き刃にして追撃。追加で空から雨あられと鉄柱が飛来させる。

 

「…………」

 

しかし、完全に集中したテレサにはそれらがとてもゆっくり見えた。

 

流水のように滑らかに、鉄柱を最小限の動きで全て躱し、身に迫る黒槍を斬って落とす。一切の無駄を排した回避は攻撃がすり抜けたように見えるほど紙一重だった。

 

テレサの動きを見たダフルが伸ばした髪を引き戻し、鉄柱で牽制しつつ空の優位を捨て地に降りた。遠距離攻撃は身を削られ消耗するだけと判断したのだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

眼光が交錯する。無言で睨み合う両者、その顔からは常にあった笑みが消えている。相対距離はだいたい二十歩。この二人なら瞬く間に数度往復出来る距離だ。

 

共に構えをとったまま動かない……動けない。二人はただ相手の隙が出来るのを待った。それから数秒、不意に切っ掛けが訪れる。

 

ゴズンッと、先程囲いを脱出する為に打ち上げた鉄柱の一本がテレサの後方に落ちたのだ。

 

「………っ」

 

ほんの僅かにテレサの意識が後方に向く。その瞬間、ダフルが動いた。ほぼ同時にテレサも前に出る。

 

先制はやはりダフルだ。引きしぼられた右拳を雷のように放つ。顔面を殴り砕かんと迫る拳、これをテレサはギリギリもギリギリ、顔の皮を削らせながら躱す。

 

直後、テレサは妖力を六割まで解放。ダフルの右腕の下を、閃光と化した大剣が駆け抜ける。しかし、これに対しダフルはいつの間にか伸ばし硬化させていた黒髪で防御。

 

ほんの刹那の間、髪が斬撃を止まる。

 

その隙とも言えない極小の時間。秒を微塵に砕いた欠けらを射抜き、ダフルの左足が跳ね上がった。それとほぼ同時に大剣が黒髪を斬り終えダフルを目指す。

 

そして、銀光の剣閃と紫電の蹴撃が交差、互いの肉体に接触。衝撃と轟音が大陸を駆け巡り………

 

──鮮血が舞った。

 

「かふっ……ッ」

 

ダフルの口から血が溢れる。いや、口だけではない深々と捌かれた腹と寸断された左足からも盛大に出血していた。

 

支えを失ったダフルがよろめいて地に手をつく。そう、この刹那の交差。先に相手に攻撃を当てたのは勝者はテレサ、

 

 

──ではなかった。

 

「……ふぅ、やられたなぁ」

 

斬り飛ばされた足の断面を傷口にくっつける。するとその身に宿る膨大な妖気が足を接着、再生。更に腹の刀傷もものの十秒で塞がってしまった。

 

足の調子確かめるとダフルが立ち上がり空を見上げた。視線の先、ダフルの優れた視力を持ってしても黒点にしか見えない遥か上空……どんな山よりも高いそこにテレサはいた。

 

そう、先の攻防を制したのはダフルだった。

 

あの斬撃の軌道で攻撃に用いた足を斬り落とされる。それは先に斬撃が通過したらあり得ない。

 

それどころかもし先にテレサの剣撃が決まっていれば今頃ダフルは真っ二つになっていただろう。それだけ威力がテレサの一撃にはあった。

 

「──さて、行こうか」

 

敵はまだ生きている。勝負を決める為にダフルは地を蹴ると黒髪で翼を形成、力強くそれを羽ばたかせテレサが泳ぐ上空へと飛翔した。

 

 

 

 

 

傀儡達の操作を切り、ラファエラが妖気を解放する。同時にプリシラが飛び出した。

 

自身を上回る妖気を前に怯むことなく前に出る、一見して無謀な行動はその実は正しい判断だ。

 

覚醒者の真価は覚醒体にある。そして、人間体から覚醒体へ移行するタイミングを狙う事こそが、覚醒者相手のセオリーなのだ。

 

しかし、そのセオリー通りに動いても打倒出来ない状況もある。

 

判断が正しいからと言って良い結果が生まれるとは限らない。最良を選んですら覆せない現実なんてものはいくらでもある。

 

そして、プリシラにとって今がそれだった。

 

覚醒体にさせる前に接近に成功、そこからプリシラが大剣を閃かせた。薄明かりを鮮烈に斬り裂く銀の輝きがラファエラの首を絶たんとする。

しかし、ラファエラは変身中の右腕でそれを受け止めた。今日一番、いや、もしかしたらプリシラの短い生涯の中で最高の一閃だったかも知れない。そんな一撃があっさりと防がれる。その事実がプリシラに恐怖と、それ以上に強い怒りを抱かせた。

 

「──うがぁあああッ!」

 

「ムッ……」

 

憤怒を燃料に妖気を引き上げる。吹き上がる妖気がプリシラに更なる力を与えた。硬化し大剣を受け止めていた右腕に刃が埋まり始める。マズイと思ったラファエラは長い足でプリシラ蹴り飛ばした。

 

「ガッ、ガガッ」

 

猛烈な勢いで弾かれたプリシラ。彼女は獣のように四肢で着地、手足と剣を地に突き立て勢いを殺す。そして威力を殺し切った直後、ナイフのように鋭く伸ばしそれで己の腹を掻き毟った。

 

血と肉と臓物がボタボタと溢れる。そんな真っ赤な肉に混じって地に白い杭が地に落ちた。

 

その杭こそ突然の自傷行為の原因、蹴りのついでにラファエラが埋めた支配の種だった。

 

(やはり、素晴らしい才能だ)

 

自傷を厭わぬ咄嵯の判断にラファエラが感心する。そんな彼女を余所にプリシラは即座に再生を果たしたラファエラを狙う。

 

種を排除し、再び突撃するプリシラ。その動きは疾くそして力強い。感じる妖気は強大で今尚上昇し続けている。睨んだ通りその資質は長い組織の歴史でも間違いなく最上級。並みのナンバー1を大きく引き離す天賦の才を感じる。

 

(しかし、このまま覚醒させると面倒だな)

 

ラファエラが高速で思考する。まだ覚醒には至っていないが、この調子で妖気を解放し続ければ遠からず限界を迎えるだろう。ただ、支配する前にそうなるとラファエラにも御し切る自信がなかった。

 

実力は現時点で深淵級、かつてのローズマリーを思わせる。このプリシラの力は覚醒すれば大陸の情勢を大きく変えるだろう。その事が容易に分かるレベルである。それこそ自分以上になるかも知れない。

 

──だが、それでも。

 

(今は私達の方が上だ)

 

プリシラの速度に覚醒体は間に合わないと判断。ラファエラは変身をストップし妖気解放で身体能力を大幅に引き上げるに留めると、腰を落とし迎撃の姿勢を取った。その瞬間、プリシラが剣の間合いに入る。

 

眼前に迫ったプリシラが大剣を振り下ろす。力任せな、だが異常に速い一閃。ラファエラは首筋に迫る斬撃を屈んで躱すが、予想以上の速度に回避しきれず額が浅く裂かれ血飛沫が舞う。

 

しかし、それだけだ。致命傷には程遠い。

 

「シィ……ッ!!」

 

鋭い呼気を発し、ラファエラは回避行動で曲げた膝を全力で伸ばし前進。腰に構えた右手をプリシラへと突き出した。

 

「──ッ」

 

完璧なタイミングで放たれたカウンター。これをプリシラは今まで以上の超速の反射で回避。唸る抜き手がプリシラのすぐ横を虚しく穿つ。

 

しかし、この程度は避けると読んでいた。プリシラが回避する直前、ラファエラのドレスの裾が捲れ上がる。

 

「ガッ!?」

 

苦悶と驚きの呻きがプリシラから漏れた。見れば彼女の脇腹にスカートの奥から伸びる蛇のような尻尾が食い込んでいる。それは死角を突いた巧みな一撃だった。

 

「──さて」

 

そして、支配が始まる。

 

「ガァアアアアッ!!」

 

プリシラの勘が危険を察知する。獣染みた咆哮。プリシラが左腕を振り下ろし刺さった尾を殴りつけた。舞い散る肉片。無理やり尾を引き抜かれぶちぶちと張られた根により肉が持っていかれる。

 

腹の肉の半分がごっそり奪われた。だが、そんな重傷を無視してプリシラが動く。地を蹴り後方へと退避、仕切り直しを図る。

 

しかし、ラファエラはそれを許さない。同時に踏み込み退避を阻むと追撃の抜き手を放つ。

 

疾風の突き。唸る右手を大剣で弾く。だが次の瞬間、今度は左の刺突がプリシラを襲う。

 

右左右左右左右左右左右左──規則正しく繰り返される攻撃。一見単調なそれは、恐ろしいほど速く攻撃と攻撃の連鎖の間にまるで隙がない。複雑な動きでないからこそ余分な動きがなく、それ故に速度で劣るプリシラはただ連撃に飲まれるばかりで反撃に移ることが出来ない。

 

「グ……クッ」

 

刺突の雨がプリシラを追い詰める。彼女は必死に大剣で応戦するも手数に押され後手に回ってしまう。後方へと威力を流す事で辛うじて捌いているが劣勢を覆す手がない。

 

「グッ、ガッ、ガッ」

 

一撃毎にプリシラが下がり、それを追ってラファエラが踏み込む。攻撃の度に身体に傷が増える、このまま防いでもいつかやられる。危機感がプリシラにリスキーな賭けをさせた。

 

「ガァアアアッ!」

 

迫る連撃を無視。防御を捨て、身を削られながら相打ち狙いの斬撃を放つ。

 

「焦ったな?」

 

しかしそれは悪手だ。連撃に押され体勢の整わぬ一撃など無意味。プリシラの悪足掻きのあっさり躱し、攻撃で出来た致命の隙をラファエラが穿つ。

 

「ゴガッ!?」

 

舞い散る肉片、胸に大穴が開いた。プリシラの決断は完全に裏目に出てしまった。

 

「経験が足りなかったようだな。せっかく高い再生能力があるんだから、今のは我慢して耐えるべきだったよ」

 

決着が付いた。そう、言外に告げるラファエラ。

 

「────ッ!」

 

それでもまだ諦めない。貫かれた胸を無視してプリシラが動く。ゴキっと骨が折れる嫌な音を響かせ倍以上に腕が伸長すると空振りした大剣が引き戻される。蛇のように向きを変えた切っ先が懐に居るラファエラを背後から狙う。

 

──だが、

 

「もう遅い」

 

刃がラファエラに到達する一歩手前、あと少しという所でプリシラの動きが鈍り、止まってしまった。

 

「……ガッ、ガッガ」

 

プリシラの身体が小刻みに痙攣する。渾身の力を込めているのに起こる反応はそれだけ、それ以上は得られない。まるで頭からの指令が身体に届いていないようにプリシラは感じた。

 

止まったプリシラの右手首を捩じ切り、ラファエラが大剣を奪う。しかし、こんな事をされたのにプリシラは痛みが全くない。

 

そう、プリシラの予感は的中していた。貫かれた胸から根が体内に侵入、殆どの神経を遮断し動きを掌握されているとのだ。

 

「ガァアアッ!」

 

ならばと強い妖気で支配に抵抗するプリシラ。だがそれでも侵食は止まらない。

 

「無駄だ。先程とは訳が違う」

 

ラファエラが笑う。この能力を得てから十数年、人に動物、妖魔に覚醒者と傀儡にした生物の数は数千に及ぶ。この経験を経てラファエラの侵食能力は当初の倍以上に高まっている。そして、この支配は腕からの行う浸食が最も強力なのだ。

 

「ガァ、ガあ」

 

本気を出したラファエラに支配出来ない者はぼぼ居ない。それこそ同格以上の相手でもなければ不可能。覚醒さえすればプリシラは同格以上になるかも知れないが手遅れだ。

 

何故なら、侵食の過程で同調したラファエラの妖気が強制的にプリシラの妖気を鎮めているから。

 

「あ、あっ……」

 

膨張していた筋肉が萎み、手足が元の細さに戻る。妖魔よりになっていたプリシラの顔付きが人に戻る。妖気で変色した金眼も平常時の銀眼に戻る。

 

──全てが元に戻る。

 

「…………あ」

 

完全に妖気を封じられ、抵抗力を失うプリシラ。もう声すら出ない。しかしそれでもラファエラは手を緩めない。彼女はトドメに一歩近付くと愛しい者を包むように優しくプリシラを抱擁した。

 

間近にある無防備なラファエラの頭があるのに、もう指先一つ動かない。どうしようも出来ないという現状、自分が自分でなくなるような恐怖がプリシラを襲い、そのまま彼女の意識を闇の底へと沈めた。

 

直後、侵食が一気に加速、意思の抵抗すら消えた身体をラファエラの妖気が満たし、プリシラを完全なる傀儡へと…………

 

「終わりだ」

 

 

 

──変える事はなかった。

 

「ッ!?」

 

それに気付けたのは奇跡に等しい。妖気は感じなかった。だが、長い長い戦歴の中で培った直感。実戦の中で何度も己の命を救った虫の知らせが、悪寒と共に僅かな違和感を伝えた。

 

地を踏み締める小さな音、後方から迫る殺気。支配を止めラファエラは身体を入れ替えるように抱いていたプリシラを背後に投げ付け、危機感に従い前に跳ぶ。直後、閃いた銀光がプリシラを避けラファエラの首を浅く斬り裂いた。

 

「く……っ」

 

紫がかった黒髪が視界の端に映る。ラファエラはその髪目掛けて奪った大剣を薙ぎ払った。

 

硬い感触、衝撃、そして大剣が弾かれる。

 

「ちッ」

 

体勢を崩された。姿勢の傾いたラファエラに斬光が走る。迫る大剣、ラファエラは左腕でその腹の叩き銀刃を逸らすも、刃は即座に翻りラファエラを狙う。

 

「ぐっ……っう」

 

灼けるような痛み。間近に迫った一撃を尾っぽを犠牲に防ぎ、お返しに引き戻した大剣を振り抜く。

 

攻撃直後を狙った一撃。襲撃者はそれを左腕を硬化させそれを盾に凌ぐ。重い手応え、一瞬の拮抗。大剣が敵を斬り裂けず、ただ対象を弾き飛ばした。

 

有効打は与えられなかった。だがそれでも今の一撃は無意味ではない。奇襲から乱された体勢を整える時間を得たのだから。

 

「ふぅ」

 

小さく息を吐き、ラファエラが油断なく大剣を構え集中する。

 

正眼に構えた大剣の先に襲撃者の姿がはっきりと映った。敵の姿にラファエラの目が細まる。それはやはり知った顔だった。

 

二人の攻防に遅れてどさりとプリシラが地に倒れるがラファエラはそちらを見ない。そちらを視界に収める余裕がないのだ。

 

「……食事、睡眠、排泄、知的生物が隙を晒すタイミングは無数にありますが、貴方の場合は強敵を支配する直前が最もそれに大きいと思ったんですけど案外上手くいかないものですね」

 

襲撃者が口を開いた。小さく、早い口調。人に思いを伝えるには向かぬ独り言のような口調。それはまるで長年人と喋った事がないような、適切な喋り方を忘れてしまったかのような話し方だった。

 

どうやらここ数年、まともに他者と喋って来なかったらしい。

 

「……まったく、しつこいな」

 

昔よりも温かみの失せた襲撃者の声にラファエラは苦笑いを浮かべる。

 

「そんなに暇なのか?……ローズマリー」

 

そう問うラファエラに襲撃者──ローズマリーは応えず妖気を解放し踏み出した。

 





……ああ、出るまで長かった(誰がとは言わない)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41話


何故だろう。二日で八割は書けたのに、残り二割に二週間以上掛かってしまった。
……一体、どうなってるんだ?(言い訳)


──ミスった。

 

天高く、それこそ大陸のいかなる山よりも高く宙を舞いながら、テレサは先の失敗について悔やんだ。

 

あの初撃の右、あれが誘いだったのだ。接触の刹那、ダフルは右より先に左を……正確には左に持った大剣を動かした。

 

攻撃ではない、順手から逆手に持ち替え己の半身を頑強な刀身で防御したのだ。これにより当初狙っていた首を断つ攻撃コースが潰されてしまった。

 

ここで半瞬、更に最初の出遅れでもう半瞬、テレサは行動が遅れ先制を許してしまう。そして、繰り出された辛うじてカウンターが取れそうな右に反応、その作られた小さな隙に反射的に食いついつき、致命傷にならぬ腹を狙わされてしまったのだ。

 

そう、全部計算尽くだった。最初から肉を切らせるつもりだったのだ。ダフルは上下に身体を分断されたくらいでは死なない。それは十年以上前、最初に戦った時、ダフルが生き残った事から確実だ。

 

だからダフルは己を両断させる代償にテレサの上半身を粉砕しようとしていたのだ。

 

「ぐ………」

 

左腕が痛む。そこは真赤な林檎のように鬱血し、見るも無残に変形していた。

 

それは直前でダフルの狙いに気づき、攻撃ではなく防御に回した結果。先にダフルの攻撃が当たったのは途中、テレサが大剣から片手を離したからだ。そうしなければ今頃はダフルを両断した代償にテレサは粉微塵にされていた。

 

「ッッ…………」

 

ダメージ確認の為、テレサが腕に力を入れる。しかし腕は痛むだけでピクリとも動かない。時間を掛ければ治りそうだが、すぐに再生するのは難しい。

 

テレサが思考していると不意に真下から強い羽ばたきの音がした。下方に視線をやればダフルが翼のように髪を編み、こちらに飛翔している。ヤバイ、そう思った次の瞬間、ダブルが獲物を狙う猛禽類のように襲い掛かって来た。

 

ぐるっとテレサの背後を取ると大剣を一閃。テレサは背に大剣を背負うように動かしこれを防御。衝撃で乱回転するもなんとか防ぐ。

 

──だが、残念ながら攻撃はこれでは終わりではない。

 

大翼を羽ばたかせ空中で自由自在に動き、ダブルはテレサの死角から死角へ移動。高速で飛び回りながら黒槍を連打して来た。

 

テレサは大剣で黒槍を弾く。しかし反動でその都度体勢を崩され、どんどん不利な状況に追いやられる。

 

「…………ちっ」

 

空中戦で翼の有無は絶対的な戦力差である。テレサならば空気を叩き、方向転換や多少の移動くらいは出来る。しかし、そんなもの、この相手には気休めにしかならない。

 

テレサは例え空中でも、翼を持ったそれなりに強い覚醒者くらいなら普通に倒せる自信があった。

 

だが、相手はダフル、それなりに強いなんてレベルではなく、極限に強い覚醒者だ。地上戦でも苦戦は必至、事実地上でしてやられたからこそテレサは今、空に居る。

 

そんな難敵に翼を使われてはどう考えても空で勝ち目などなかった。

 

ダフルが優雅に翼を羽ばたかせ、大きく旋回……そこから一気に加速し、フェイントでテレサを惑わせながら黒髪を操り攻撃して来る。

地がない事を生かした上下左右から全方位攻撃。突き斬り打つ、変幻自在の黒髪が次々とテレサを襲う。

 

「……ちっ」

 

大剣を縦横無尽に走らせ苛烈な攻めを捌くテレサ。だが斬撃防御を抜け、一本、二本と黒槍が服と鎧を裂いていく。早くも完全には防ぎ切れなくなってきた。

 

「くっ……」

 

避け損なった黒槍がテレサの皮膚に赤い線を刻んでいく。このままでは殺されのは時間の問題だった。

 

地へと引かれ、身体はグングンと加速し落下している。

しかし、地上まではまだまだ遠い。おそらく後、一分少々掛かるだろう。この調子では地に足が着く前に骸だ。

 

(……まだ、集中力が足りない、もっと集中しろ)

 

テレサは冷静になるように己に言い聞かせる。焦っても状況が悪化するだけ、ここは落ち着く事が肝心だ。

 

「…………」

 

意識を研ぎ澄まし、攻撃を防ぎながらどうすれば現状を打開出来るか思考。答えは直ぐに出た。

 

(……今求めるべきは更なる身体能力じゃない。多少、身体能力が増した所で翼がなければ意味はない)

 

そう、必要なのは運動能力ではなく、相手の行動を読み解く洞察力。より小さく、より正確に、より素早く、限界まで無駄を省き回避する為の道筋を作り出す先読みだ。それが出来ねば嬲り殺しにされる。

 

(意図を読め、狙いを悟れ、次は何処に移動する? 何処から攻撃が来る?)

 

移動方向、体勢、発射直前の微動、そして視線の動き……それら全てを視界に収め、即座に予測を立てるとテレサは先読みを実行に移した。

 

一度目はまるでダメだった。フェイクに引っかかり左腕を抉られる。

 

二度目も失敗。予測を出すのが遅過ぎて、捌き切れず肩に小さな傷を負う。

 

三度目は成功。傷を負う事なく黒槍を回避。しかしまだ次の回避に繋げる動きで弾けない。

 

──そして、四度目、テレサの読みは完璧だった。

 

「ハッ……!」

 

先読みした攻撃を迎撃、意図した方向に弾き、その反動で乱れていた自身の体勢を修正、続いて来た槍を更に上手く弾き、連撃にさらされながら、しっかりとした余裕のある迎撃姿勢を作り出していく。

 

ダフルが攻撃の手を強める。数を増した黒髪が蛇のようにうねり、巧みにテレサの裏を突こうと、タイミングをずらしながら殺到する。

 

──しかし、それでも当たらない。

 

「…………ッ」

 

少なくない衝撃をダフルは受けた。足場がないのに、翼を持たないのに、高速飛翔から放たれる全ての黒槍が弾かれ、捌かれ、躱されるのだから。驚かない筈がない。黒曜石のような顔が小さく引き攣った。

 

だからだろう、ダフルはリズムを変えるべく黒槍に混ぜて鉄柱を発射する。

 

それがいけなかった。

 

「……フッ」

 

待っていたと言わんばかりにテレサは鉄柱を蹴り飛ばした。

 

「──ッッ!?」

 

一秒先のダフルを位置を正確には予測。超高速で蹴り返された鉄柱が直撃コースでダフルに迫る。彼女は咄嗟にこれを迎撃、ノーダメージで済ます。

 

だが、その結果、攻撃の手を緩めてしまう。その隙に突き、テレサは鉄柱を蹴った反動で加速、ダフルの追尾を引き剥がすと、圧倒的不利な空中から脱し地面に降り立った。

 

「……ふぅ、ヤバかった」

 

息を吐くと、テレサが地上からダフルを見上げる。細められた金眼、その鋭い眼光にダフルは自分の行動全てが筒抜けなのでは? という気分になってくる。

 

だが、ダブルはすぐに首を振って余計な思考を追い出すと心を落ち着かせよう自分に言い聞かせる。

 

「…………まあ、これくらいはするよね、あなたなら」

 

羽ばたきにより宙で静止しながら、僅かに動揺した心を鎮める。むしろこの程度は出来て当然だ。そう、考えやや甘くなっていたテレサの脅威度の認識を上方修正する。

 

ダフルは緩やかに円を描くように滑空、しばらく、自らの姿を追うテレサの様子を観察すると翼を解き、少し離れた地面に着地。再び二人は相対した。

 

「…………」

 

「…………」

 

眼光が激突する。やはり両者共に動かないのか?──いや、違った。静止するテレサに対しダフルは僅かずつだが動いている。

 

ジリジリとすり足で距離を縮める。先ほどとは全く対応が違う。そんなダフルの動きをテレサの金眼が余す事なく射抜いていた。そこで不意にダフルが口を開いた。

 

「…………なるほど、そういう事か」

 

──なにがだ?

 

そう、テレサが問おうとした瞬間ダフルが飛び出した。

 

覚醒体になる前と同じ意表を突いた動き。だが、それはもう経験している。テレサは即座にダフルの目線と筋の微細な初動から彼女の動きを先読みしようとした。

 

「ッッ!?」

 

しかし、テレサが先読みを完成させる直前、テレサの死角からダフルの黒髪が動き、彼女の全身を外套のようにすっぽり覆った。これでは視覚に頼った先読みは難しい。早くも先読みのタネが割れたらしい。

 

先読みの失敗に伴い行動が遅れる。外套の下から発射口の見えない数本の鉄柱が飛来。全て避けたが僅かに体勢が崩された。そこで黒髪の外套が跳ね上がり、中から横薙ぎの銀光が現れる。

 

轟然と振るわれる大剣。テレサは瞬時に妖気を五割解放、袈裟斬りの一閃で迎撃する。

 

大剣が噛み合い、盛大に大地を揺らす。重い衝撃がテレサを右手を伝い、その身を後方へと弾いた。五割解放でも右手一本では打ち負ける。

 

踏ん張った足が地を削り、二本の線を大地に引く。ダフルの追撃。彼女は再び黒髪の外套を纏いテレサの予測を阻害する動きを見せた。

 

しかし、そう何度も同じ手は食わない。

 

「セイッ!」

 

テレサは “外套を纏う” という動きを先読みしていた。あえて踏ん張りを弱くして後方に滑らせていた身体を瞬間停止。全力で地を蹴ると外套を纏うというロスで動きが遅れたダフルに大剣を突き出した。

 

「ッッぐっ」

 

真っ直ぐと顔の中心を目指す切っ先。ダフルは頬を裂かれながらも放たれた刺突を躱す。

 

「……がっは、ぁあっ!?」

 

しかし、突きの動きに連動させ間髪入れずに放たれた飛び膝蹴り、これを避けるのは流石に無理だった

 

膝の直撃で鼻が潰れ顔面が跳ね上がる。突進から一転。後方に弾け飛ぶダフル。トドメを刺さんと追い討ちにテレサが走る。

 

しかし、ダフルも簡単にはやられない。髪の半分をテレサの牽制に放ち時間を稼ぐと、もう半分を足の代わりに地に突き立て急制動。

 

体勢を整え、移動方向を変更し足止めでタイミングのズレたテレサの攻撃を躱す。そのまま滑るように側面へと移動、左腕に頑丈な鉄柱を生み出すと苛烈な攻撃を加え出した。

 

予測を覆すには短期集中、予測の間に合わないほど速く、多数の攻撃を叩き込む。

 

超高速で走る大剣と鉄柱、不意に死角から飛び出る黒槍。この乱撃にテレサも応じ己が大剣を走らせる。

 

「「………ッ!」」

 

数瞬の衝突。秒に満たぬ間に攻防は数十合に及び、五つ数える頃には千を超えた。そのまま二人は思考と身体を加速させ互いの命を奪わんと激しく己の武器を振る。二人は全くの互角に見えた。

 

──だが、その拮抗も長くは続かない。

 

「ぐ……くっ」

 

剣撃に押されテレサが退がる。開いた距離を瞬時に埋めダフルが激しくテレサを攻め立てた。乱れ飛ぶ剣閃の数は止まる事なく増え続ける。

 

(……このままじゃ負ける)

 

テレサは調子付くダフルを強力な一閃で弾き飛ばし、僅かに間合いを離す冷静に戦況を見つめる。今はほぼ互角だ。しかし、これはダフルの初動を見切って全ての行動に先んじているからに過ぎない。

 

先の対応、呟きから先読みのタネは既に割れている。だからダフルは読まれる事を承知で対処不可能な数の攻撃を用意しているのだ。

 

それどころかダフル自身もテレサと同じ先読みをし始めている。だからどんどん形勢が不利になる。

 

身体能力を上げ対抗ようにも既に解放率は常時三割、ここぞという場面で六割にほどで使っている。長期戦を想定する戦士にとってこれはギリギリの解放率と言っていい。

 

覚醒者と違い戦士は常に高い解放率を維持は出来ない。そんな事をすればすぐ限界が来てしまう。然りとて七割以上で一気に勝負を決めようにもダフルは強大で短時間で仕留められる気がしない。しかもテレサは妖力解放をしての戦いに慣れていないので下手に七割以上の力を出せばそのまま覚醒してしまう恐れすらあった。

 

(……この(・・)先読みじゃダメだな)

 

初動を読んでからの先読みでは間に合わない。速度で多少優っても手数の多さに押し潰される。もっと早い予測が必要だ。初動が肉の表層に現れた時点で動き読めくらい早い先読みが。

 

テレサは意識的に切っていた妖気感知再開し、先読みをしようとする。しかし、ダフルの荒れる大河の如き妖気がテレサの感知を阻む。やはり、妖気感知の先読みは出来ないのか?

 

(……いや、そんなはずはない)

 

テレサは防戦一方になるのを承知で更に妖気感知に集中力を割く。捌き切れなくなった攻撃がテレサの身体を擦り出す。

 

(意図を読め、狙いを悟れ、体勢、筋肉の微動、視線の動き……そこに次の行動が現れている。それは分かる──ならばその動きが始まる前の微細な妖気の違いを見れば先読み出来るはずだ)

 

「ぐっ」

 

ダフルの攻撃がテレサの左腕を斬り飛ばす。知ったことか、どうせこの戦いでは使えない。痛みに集中力が途切れそうになるのを気合いで抑え、テレサはより深くダフルの妖気を探る。

 

(どんな巨大な妖気でも、底の見えない澱んだ濁流でも、魚が動けは普通の流れとは別の漣が立つ。どんなに小さくても立つ、ならばそれを見つけろ……そこに必ず)

 

ダフルの攻撃が頬を深く削る。鮮血が目に入り視界が潰れる。トドメだ。好機とばかりに笑みを浮かべ、ダフルが大剣を走らせた。

 

(──敵の未来(動き)があるのだから)

 

「……?」

 

しかし、決着を期した斬撃は何故かあっさり回避された。

 

たまたまか? テレサが目を瞑っている事を確認し、至近から多数の鉄柱を発射。それに合わせて気配を消して移動、斜め後ろから斬撃を放つ。

 

だが、これも見えていたように……いや、初めから動きが分かっていたように躱される。攻撃を放つ前に回避行動を終えている。

 

「思い出したよ」

 

そう、テレサが言った。悪寒を感じダフルが下がる。しかしそれより早く動き出していたテレサが絶妙な位置どりで大剣を走らせた。放たれた剣閃が回避行動で生まれた防御の隙をするりと通過し、ダフルの胸を浅く斬る。

 

「……ッ」

 

ダフルは両足だけでなく黒髪も使って地を蹴る。急停止と急加速による緩急によりダフルの姿が何人にも分かれ。

 

──次の瞬間、テレサの斬撃により強制的に一人に戻される。

 

「……ッく」

 

防御に回した左腕にテレサの大剣が食い込む。ダフルが蹴りを放ち、避けたテレサと間合いが離れる。そこでダフルは隠していた罠を発動。移動の際に地に潜らせていた黒髪をテレサの背後から急襲させる。

 

だが、これも既知のように攻撃前に躱される。

 

「久しぶり過ぎて忘れてだが……お前、前回もこうやって負けたよな」

 

テレサが前に出る。妖力解放60%。瞬間七撃の剣閃が放たれた。七つの斬光はその全てが尋常じゃなく疾い。しかしダフルなら決して防御出来ない速度はない……そう、ないのに。

 

「ガ、ハァッ!?」

 

七撃全てがダフルの胴体を削った。防御の動きの裏を突かれたのだ。

 

早くなっている。動きが速くなっているのではない、動き出すタイミングが早くなっている。読みが深まり、一手前の予測から四手、五手前の動きまで先読しているのだ。

 

「ぐっ、ふ」

 

無理は禁物だ。全ての髪を地に叩きつけ、それで得た推進力でテレサを置き去りにするとダフルは一旦、距離を取った。

 

『…………』

 

ダフルとテレサは互いのダメージを確認する。

 

テレサは左腕の肘から先を失い、どれも深くはないが、全身に数十の痛々しい切傷がある。

 

ダフルはたった今の胴に受けた七つの傷以外は再生している。彼女の高い再生能力なら胴の傷も程なくして癒えるだろう。

 

ダメージ的、体力的にはダフルの方が有利だ。無理をせず、現在の傷を癒させないように、遠距離から延々と黒髪と鉄柱で攻撃すればテレサを削り、血を流し続けさせればこのままでテレサを倒す事が出来るかも知れない。

 

──かも知れないのだが、それを試す気にはダフルはなれなかった。

 

「やっぱりか……やっぱり、あなたは強いね」

 

「いきなりなんだ?」

 

ダフルが小さく呟いた。おそらくフェイントではない。何か喋るつもりらしい。傷を癒す時間が欲しいテレサからすればダフルの話は聞く価値がある。なので先を促すようにテレサが質問した。

 

「再確認かな? ……あなたって一度も負けた事ないよね?」

 

「は? なんの話だ?」

 

「なんの話って戦いの話だよ。誰かと本気で戦って負けた事がないよねって聞いたの」

 

「……いや、当たり前だろ」

 

ダフルの言葉にテレサは何いってんだコイツと、不審そうな目で見る。それにダフルが少しだけ悔しそうに言った。

 

「そう、そうなんだよね」

 

「……お前は何が言いたいんだ?」

 

「う〜ん…………あなたの “敗因” かな?」

 

その言葉と同時に、ダフルとテレサの妖気に満たされた空間に三つの異物が進入する。

 

「…………」

 

背後から来た三つの気配に、無言でテレサは身体の向きを変え、ダフルを警戒しつつ乱入者に目を向けた。

 

一体は大型の巨人。人の五倍は有りそうな体躯を持った大型の巨人。その手にはダフルが射出する鉄柱に良く似た、棍が握られている。ダフルの父親と思われる覚醒者。

 

もう一体は二足歩行する獅子、体躯は人の倍もいかない程の小さなもの、鋭い爪を持った高速戦闘が得意そうな覚醒者。

 

そして、最後の一体は巨人型より少しだけ小さな体躯をした、神話に出てくるケンタウロスそっくりな覚醒者。その右手には刺突槍、左手な盾、そんな風に形成された雄々しい騎士のようにも見える。

 

三体が三体、ダフル程ではないが並みの覚醒者ではない。明らかに元ナンバー1かそれに準ずる力を持った戦士が覚醒したものだろう。

 

「…………」

 

例え妖気を抑えていてもこんな奴らが近づけば、かなり遠くからでも普通は分かる。妖気感知が得意なテレサなら尚更に。だが、今回ばかりは状況が悪い。

 

この場はいるダフルと他ならぬ己の妖気が強過ぎて、この距離まで接近に気づけなかったのだ。

 

「……手下はデカブツだけじゃなかったのか」

 

「ふふ、十年来の頼れる仲間だよ」

 

ダフルが胸を張って言った。

 

「……最初、一人で戦ったのは私を釣る為か?」

 

「それもあるけど、私のワガママが大きいかな。私は一人であなたに勝ちたかったんだよ。一時はこのまま押し切れるかな? と思ったけどやっぱり難しいね。悔しいけどあなたは私よりも……うんうん、この大陸の誰よりも強い」

 

「……そいつはどうも」

 

「でも、だからこそ、それがあなた敗因よ。誰よりも強いから、一度も負けた事がないから、どんな状況もどんな相手も一人でなんとか出来る。そう強敵相手にも確信を抱いている……まるで。あなたに負ける前の私と同じようにね」

 

「…………」

 

「だから、自分の窮地を知識として分かっていても、本当にそうなのか実感が得られない。頑張ればなんとかなるんじゃないか? そう、思ってしまう。だって、窮地の実感が得られるのは敗北を知る者だけだから、最強のあなたは特にそれが顕著ね」

 

「…….ふん、負けたら死ぬだろ」

 

「ふふ、そう、その通りね。だからこそあなたは他者との協力という選択を取らせない。あなたは助ける側ではあっても、助けられる側ではないから」

 

「ダフル、それ以上長引くと相手に回復されてしまうよ」

 

ケンタウロス型の覚醒者がダフルに忠告する。

 

「はいはい、イースレイはうるさいなぁ、分かってますよ……まあ、なんにしても」

 

イースレイと呼ばれた覚醒者の言葉にダフルは溜息を吐くと臨戦態勢を取る。同様に背後から来た三体もそれぞれの武器を構えた。

 

「終わりよテレサ。誰よりも強いあなたは誰よりも強いまま一人で死ぬ。それが最強の限界なのよ」

 

 

 

 

 

 

 






最強に仲間と一緒に挑む展開って燃えますよね!(白目


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。