【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】 (hige2902)
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第一話 To:Friendry Force

このSSはArcadia様にも投稿しています。
不快にさせる表現、展開が出てくる 可能性 があります。


「IS第二世代完成。各国へと引き渡される。か」

 

 続けて、六十七体の第一世代は第二世代へとアップデート。

 人里から遠く離れ山々に周囲を囲まれた草原、小さな湖が朝日を反射して眩しい。そのほとりに建てられたログハウスには大きな大きなガレージが隣接している。出番まで数ヶ月待つ暖炉のある小さなリビング。素朴な木製のテーブルに着き、あなたは空間投影された最新のニュースを呟いた。朝食のこんがりと焼けたクロワッサンをかじる。

 

「フムン」

 

 もう、昔のようにISについての情報を積極的に入手しようとは思わなかった。しかしあなたが四十代半ばで退職したこととISの登場は無関係とは言い切れないし、いろいろと思うこともある。それに世界的なニュースだ。どこのニュース会社の情報ページを呼び出してもこの話題一色だろう。読み進める。

 

 どうやら今回束博士が売り渡したISコアの数は二百機。五年前に売り渡された第一世代は六十七機。つまり現在存在するISコアは二百六十七機。記事の中央には実際に装着した女性が優雅に空を飛んでいる動画があり、その横に簡単なスペックが載っていた。ISはコアに取り付ける手足や胴などの装甲によって性能が変化するので、この数値は平均的なものだろう。つまりこれを越えるスペックを持つISは今後現れるはずだ。

 

『高度を問わず最大速度 M2.2

 高度を問わず巡航速度 M1.7

 航続距離 不明

 実用上昇限度 原則大気圏内(単体での大気圏突入、再突入は不可。ただし宇宙での運用は可)

 動力 ISコア

 アビオニクス ISコア

 

 女性しか扱うことのできない仕様

 慣性および重力制御システム PIC

 ISコアにデータ化した物質を登録、それの圧縮格納、解凍機能を有する 量子変換システム

 エネルギーが尽きるまで操縦者を保護する防護膜 シールドバリアー

 IS機能一時停止と引き換えに操縦者の死亡を防ぐ 絶対防御

 

 新たにハイパーセンサー搭載。

 超広域レーダー、範囲は機密。常時、空間投影ディスプレイで表示。また、ISコア中枢システムとリンクし、目標物に対し最適な射撃姿勢を装甲を通して補正する』

 

 更に、ISコア中枢システムは自己進化と呼ばれるプログラムが備わり、過去の操縦者の戦闘データから常に最適な動きを模索するらしい。操縦者の癖や特性を理解し、それにあわせ自己を変えるという意識まで持つそうだ。

 

「五年前のIS第一世代のスペックと比較しろ」

 

 テーブルの上でニュースを投影しているA5サイズの灰色のタブレットPCが所有者の肉声に反応した。瞬時に契約しているニュース会社のデータバンクにアクセスし、該当記事をピックアップする。いま映し出している第二世代との比較を簡単な表にして別のウインドウに小さく表示した。

 

 スペック自体はやや向上した程度だ。第一世代の時点で脅威の性能を誇っていたので、今更驚くほどのことではない。それよりも新たな機能、ハイパーセンサーの射撃補正の及ぶ範囲はどれほどだろうか? 最低でも一キロ圏内、レーザー兵器であれば必中は保障されているだろう。

 

「……五年前のIS第一世代発表会で行われたデモンストレーションを映像記録でだせ」

 

 この映像を見るのは何回目だろうか。あなたは過去五年間を振り返り自嘲気味に思った。

 タブレットPCはすぐさま映像を別ウインドウに映し出し、設定に従いミュートで再生する。

 あなたはそのウインドウの右上を注視し、最初に見ていたニュースに視線をやった。タブレットPCに備え付けられたカメラが眼球の動きを読み取り、映像ウインドウをニュース記事にマウントさせ大きく表示した。

 

 広い海の上空、雲ひとつない晴天の空に航空力学を無視した造型の人型パワードスーツが浮遊している。そして一瞬にして超音速、水平に直進の後、速度を落とさず垂直上昇。鋭角ターン。操縦者およびパワードスーツにGの負担はない、PICという束博士以外は理解不能の技術がそうさせる。続いて最新鋭無人戦闘機との実弾を使用した戦闘パフォーマンス。戦闘機など、一体どこから調達してきたのだろうか。当時、この映像は会場でリアルタイムに中継されたそうだ。出席したお偉いさん方の心境は容易に想像できた。

 

 前進翼、標準の戦闘機より一回り小さい、鋭角が目立つシルエット。三本のスリットが入った可動式バイザーがキャノピーを覆っているのが特徴的だ。わが国の主力機。DmicD‐9 “ブリンク”が空気を裂いた。

 

 ふと思う。初めてこの映像を見た時のような絶望は薄れたとはいえ、気が滅入る。ならばなぜあなたはこれほどまでに繰り返しこの映像を見るのか。考えをめぐらせ、やはりこのことに関しては意図的に忘れようとした。ディスプレイに集中し、目をそらさずに戦闘機の敗北を見届ける。

 

 無人戦闘機はISの射程外から中距離高速ミサイル四機を全弾発射。アフターバーナを使わず超音速で接近。中距離高速ミサイル全弾命中せず。距離五キロにて高機動マイクロミサイル計三十発を発射。IS、垂直上昇しチャフを散布、数万もの金属片がきらめく。マイクロミサイル群に搭載された電子チップは誘導方式を電波方式から赤外線方式に切り替えるも、金属片は強い光りと熱を放ちだした。目標を見失うが、最後に観測したターゲットの位置から現在いるであろう位置を割り出し、飛翔した後に起爆。

 

 ブリンクはISを追う。機首の下に備え付けられたサイドスラスタを吹かし、無理やり首をもたげる。急上昇。

 

 ミサイルが撃墜された際の爆煙を突き破りドグファイトを仕掛けるが、空戦機動能力において戦闘機はISにはるかに劣っていた。敵の高性能レーザーライフルから伸びる細い光りの線を危うげに回避。アフターバーナを点火して距離をとろうとしたが、ISの瞬時にして生み出される加速力はそれを許さなかった。空気の壁を破り急速接近しつつ射撃。無人機は数発のレーザーに貫かれ、無残にも空中で爆砕した。赤黒い炎を纏った破片が不気味なほど青い海へと四散する。映像はそこで終わり、また初めからリピートされた。

 

 あなたはアイスコーヒーをすすると、まぶたの裏で架空のIS同士を戦わせてみる。

 

 人間より一回り大きいくらいのパワードスーツを着込んだ、ISを身に纏った者同士が空を縦横無尽に翔る。互いに超音速で飛行しているのだから、照準を合わせるのも射撃補助ソフトが無ければ困難だろう。いや、IS同士の戦闘が必ずしも超音速とは限らない、亜音速以下での戦闘かもしれない。

 

 IS同士の戦闘記録は公にはなっていないので何とも言えないが……ともあれ戦闘機とは違い、敵機の移動、攻撃ラインを予測することは難しい。であればいかに敵を捉えるか。ISコアに取り付ける手足などの装甲部分や兵器の性能がものを言うのだろうか。弾速の問題で、きっと実包は使われない。使われたとしてもスナイパーライフルやレールガンのような超高速で弾丸を飛ばすものが採用されるだろう。

 

 いや。と、かぶりを振り空想を終わらせる。ISなど最早、あなたには関係無い。そのはずだ。続けて夢想した。

 しかし束博士とやらには会ってみたい。

 

 ISや戦闘機とは関係なく話をしてみたいと思った。だが相手は有史以来の天才と呼ばれるほどの人物だ。話を合わせることができるのだろうか。つまらない相手だと思われるのではだろうか。

 あなたはサラダに手をつけた。みずみずしいレタスと味わい豊かなハムに舌鼓を打つ。咀嚼し。

 

「束博士について」

 

 即座にウインドウに情報が映し出された。

 

『性 篠ノ之

 名 束

 国籍 日本

 性別 女性

 年齢 不詳

 個人でISコアを完成、生産できる唯一の人物。

 

 五年前、アメリカの某ホテル会場で行われたIS第一世代発表会にて各国に六十七機のISコア、および装甲、装甲の製造、コアへの取り付け方法等のマニュアルとともに売却。一機あたりの金額は不明。以後、行方不明。

 

 先月一日に第二世代ISコア二百体を売却。取引方法、場所などは機密扱いとなった。五年以内に追加で二百体を製造売却の契約を交わす。拘束されるのを危惧してか束博士が姿を現すことなく、彼女が雇ったエージェントがこれを代行。本日付、日本時間0700時に政府より発表されると同時にマスコミ等の情報規制解除』

 

「それだけか? まあ、それ以上詳しいことは政府が隠しているだろうな。政府の公式発表以外の情報も表示」

 

 ずらずらと文字が並ぶ。

 

 ISが女性しか使用できない仕様に設計したのは、女性である自らの地位向上、女尊男卑を目的としたため。束博士が姿を現さないのは某国に捕らえられているか、暗殺されているためである。五年前の発表時は宇宙開発を銘打っていたものの、件のパフォーマンスは明らかな軍事転用アピールであり、彼女は死の商人である。現に第二世代のハイパーセンサーを用いた射撃補助システムはまさにそれである。彼女は特定の人物以外には人間的な魅力を感じない。などなど。

 

 ざっと流し読みをして、やめた。事実にしろ嘘にしろ、どのみち雲の上の存在である。誰も知らない、地下深くの電子的に高度にロックされた研究施設に篭っているのか、はたまた意外にもその辺をぶらついているのか。まあ、会うことはないだろう、と食事を終えた。うまかった。

 木製の食器を洗いながら今日は何をしようかと考える。といってもやることは限られているので結局は順番を決めるだけだが、毎日同じでは飽きるのだ。釣り、畑の手入れ、読書、音楽鑑賞、勉強、インターネット、その辺の山の探検、それにアレの製作の続きも。

 

 タンブラーの水気をタオルでぬぐっていると、鳥の鳴き声が聞こえた。窓の外を見やると、晴天。すぐそばの大きな木の枝の鳥の巣で、親鳥がひな鳥に餌をやっている。

 

 手を止め、しばし眺め。買い物に行く事にした。

 街に出るのは一週間ぶりだ。

 

 ログハウスから直接ガレージへと通じる短い廊下を渡り、途中で壁に掛けられている車のキーを取り、扉を開ける。自動で照明が点く。明るく照らされたガレージと呼ぶには広すぎるこの場所には、昔のフランス映画に出てきそうな古めかしい小さなベージュの車。

 そしてその隣に鎮座する、最新鋭無人戦闘機。ブリンク。

 少し離れてそれらを見比べた。あらためて思う、このちぐはぐな感じ。車が異物に思える。

 ガレージの中にはモニターやら大型の機材、工具、戦闘機に使われる部品などが並べられていた。

 

 車に近づくとジーンズのポケットの中の多機能携帯端末が車のコンピュータに信号をおくり、アウトサイドハンドルを引くと同時にロックが解除され。キーをまわしエンジンをかけると、反応してガレージのシャッターが上がる。便利な世の中だと思う。祖父の時代はここまで自動化はされていなかったそうだ。

 

 アクセルを踏み、出発。車がガレージから出ると、シャッターが下りた。あなたはバックミラー越しに小さくなっていく戦闘機を見つめる。いや、厳密には戦闘機の模型だ。その名に反して戦闘力を有しない見せかけのはりぼて。外装内装ともに本物だが、おもちゃだ。

 徐々に閉まるシャッターから覗くバイザーのスリットは、どこか恨めしそうにあなたを見ているようだった。

 無理だよと、あなたはひとりごちる。

 

 軽くハンドルを握り、しかし無情に。 

 

「戦闘機ではISに勝てない」

 

 視線を外し音楽をかけ、強くアクセルを踏む。振り切るようにデコボコの道を走る。

 

 

 

 二時間ほど車を走らせると、人の営み、家がちらほらと見え始めた。農家の方方だろう。遠くに高層ビルが見え出した。自然と人工物、緑と灰の比率が入れ替わる。しばらくすれば市街地である。久久の都会の喧騒は少し心地よかった。

 まず食料と酒、衣類、最新の電化製品も見て回りたい、それに…………まあ、時間はある。のんびりすることにした。

 あなたはとりあえず本屋に向かった。独特の紙の臭いが鼻をくすぐる。レジ横の検索コンピュータを使わず、()()()()()()を探し背表紙を眺める。

 

 聞くところによれば、何年も前から書物のデータ化を推し進めていた企業連がいたらしい。利点は紙媒体のそれを圧倒したが、それでも多くの人人は後者を選んだ。もちろん何割かのシェアは奪われたが。

 古本コーナーにも目を通すが見つからない。諦めよう、どうしても見つからなければ出版会社からデジタル購入すればよいのだ。と、店を出る前に一通り棚を回ってみる。

 

 自然とあなたは雑誌のコーナーで足が止まる。本日発売のものが山積みにされていた、そしてゴシップ誌にはでかでかと『インフィニット・ストラトス』『徹底考察! なぜISは女性しか扱えないのか!?』 少し離れた場所にはミリタリー雑誌。表紙にはIS装甲を身に纏い、銃を構え不敵に笑う少女が。

 

 あの超科学技術の塊が五年の沈黙を破ったのだ、この人気は無理もない。しかし、とあなたはいぶかしむ。本日の情報規制解除とともに雑誌が発売されたのはタイミングがよすぎるように思える。あらかじめマスコミが情報を掴んでいたのか、渡されたのか…………考えすぎだろうか。まあ、いい。

 足早に店を出た。

 

 表通りから一本外れて少し歩き細い路地に入り、小さな寂れた電気屋に着く。へんてこな木製扉の自動ドアが開く。店内のガラスケースにはさまざまな電子パーツがきれいに並べられていた。店主があなたに気づき、久しぶりに現れた上客に顔をほころばせて言う。

 

「いらっしゃいませ、お久しぶりですね」

「例の製作が煮詰まってね……しかし、相変わらず時代錯誤な店だ」

 

店を白く照らす照明を見て言った。

 

「珍しいでしょう? LEDC電球ですよ」

「驚いたな。遺跡でも発掘したのか? 大戦前のものだと聞くが」

「ま、掘り出し物には違いありませんがね。ところで例の模型製作がはかどっていないとの事ですが、もしよろしければ聞かせてもらえませんか。お力になれるかもしれません」

 

あなたは、()()()()()()()()調()()()()()()()()に気付かずに答える。

 

「技術的な問題ではないよ。実は、いざ完成させるのがもったいなくなっただけ、うん」

 

「なるほど、気持はわからないでもありませんが……もし部品が足りないようでしたら遠慮なくお申し付けください。実はわたしもひそかに楽しみにしているのですよ」

「ああ、そのときは頼むよ」

 

しばらく店主と世間話をし、店を後にする。

 

 次にデパートの食品売り場で買い物をした。野菜は自家菜園があるので最低限のもの、酒のつまみも買っておこう。電子マネーで支払いを済まし、帰ることにした。

 次にデパートの食品売り場で買い物をした。野菜は自家菜園があるので最低限のもの、酒のつまみも買っておこう。電子マネーで支払いを済まし、帰ることにした。

 市街地を抜け、住宅街を走っていると、携帯端末のバイブレーション機能が働いた。運転をオートモードに切り替える。ポケットから取り出し、タッチパネルスクリーンを見ると音声通信の文字。相手は以前働いていた職場の上司だった。

 車の音楽をミュートにする。

 

「もしもし」

『わたしだ、覚えているか?』

 

 力ある口調だった。頑固な技術屋をまとめるのはこういう人物でなければ務まらないだろう。昔を懐かしんだ。白衣の似合う人だったなと。

 

「散散お世話になった人を、五年ぽっちで忘れませんよ」

『殊勝だな。今、大丈夫か』

「ええ、かまいませんよ。ISについてですか」

 

 話題を予想するのは難しくなかった。

 

『そうだ。単刀直入に言おう、戻って来い。お前の力が必要だ』

「わたしは今の生活に満足しています、主任」

 

 あなたはもともと定年退職後、()()()()()()あの広いガレージのあるログハウスに住むつもりだったのだ。それが早まっただけに過ぎない。

 

『違う、今度は違う。今度はわれわれ技術軍団のプライドを踏みにじるようなものではない』

 

 あなたは相手の言葉を待つ。

 

『ISに対抗できる無人戦闘機を開発することが上層部で提案された。IS推進派とぶつかるだろうが、おそらく、不透明な部分の多いISコアの解析との折衷案になるはずだ』

 

「一般回線でする会話ですか」

『構わん。どうせ六大ネットワークにはこの手の話題であふれかえっている』

 

 たしかに、この程度は少し想像の翼を広げれば容易だろう。どのような仕掛けが潜んでいるかわからないISコア。言わば一人を除いて解析不能なブラックボックス。それを軍事利用するにはまだ危険すぎる。第一、束博士以外には生産不能の時点で兵器として成立しない。まず解析、そして生産、コストダウン、大量生産、改良。

 

『予算もあちらに割かれることになるが、可能な限りまわしてもらうよう手は打ってある…………諦めるな、まだ早いだろう? わたしたちには、お前が必要なのだ』

 

 あなたの心が僅かに揺れ動く。年は十以上も下のはずなのに、説得力を持つ言葉が心地よく刺激する、が。しばし考え、答えたのはらしくもない子供じみた言い訳だった。

 

「それで、いったいどうするのですか? ISに勝てる戦闘機を作ったとして」 続けて。 「そもそも高速大陸間弾道ミサイルが主要各国にある以上、戦闘機にそれほどの価値はないでしょう。昔のように戦場に突っ込んで制空権を奪う戦術的価値、重要度は低い。第一、高高度において」

 

『そのような国家間レベルの話ではない。わたしが思ったよりも五年間は長かったようだな。おまえからそのような言葉を聞くとは思わなかったぞ』

 

 強い声色で遮られる。言われなくてもわかっていた。

 

『いや、すまん…………わたしも第二世代の発表で焦っているのだろう。許せ』

「こちらこそ、すみません」

『ではお互い様ということにしよう。悪いが最近忙しくてな、そろそろ時間だ』

 

 あなたに復帰の意思が無いことがわかり、仕事に戻るのだろう。

 

『もしその気になったら連絡をくれ。プライベート端末の番号はあのときのままだ、夜中でもかまわん。わたしはいつ……いや。切るぞ』

 

 通話終了と表示された端末をポケットにねじ込むと、溜息をついて窓を開けた。風にあたる。

 すれ違いざまに家に帰宅した子供を見つけた。電子キーを玄関口のリーダーに通し、指紋認証をしていた。いまどきの住宅の錠前はそれが一般的だ。当然企業や国家保有の機密施設はより高度に、厳重な電子システムになっている。シリンダータイプのものを使っているのはあなたくらいのものだ。

 

 もしもISコアが解明されれば、その何十年後にはPICなどが家庭に普及するのだろうか。あの夢のような超科学技術が。

 サラリーマンが飛行出勤する姿を想像し、クスリと笑った。

 

 そうなるとタイヤを回転させ走行する自動車の類は消え失せるのだろうか。どうやら技術が進むにつれ、人は物理的なものから遠ざかってゆくようだ。アナログからデジタルに身をゆだねるのだろう。

 空を見やると今朝の天気が嘘のように、厚い暗雲が立ち込めている。今夜は荒れそうだった。

 

 

 

 その夜、予想を超えた豪雨に見舞われた。菜園はおそらくダメだろう。天災に文句を言う気になどさらさら無いが。

 大粒の雨が地面を打つ音は表現すればノイズのような音と言える。しかし、電子的なものではなく自然的なものだと心地よく聞こえるのはなぜであろうか。嫌いではない。

 

 それをBGMにウィスキーをちびちびやりながら眠くなるまで読書を楽しむ。極限まで知能を高めた男の話だった。面白いと思った。

 時計の針が十二で重なったころ、今度は何を畑に植えようかと考えながら、あなたは眠りについた。雷が、鳴り始めた。

 しばらくして起きたそれは、奇跡だと言える。しかし後にすれば()()であり、そうなるべくしてそうなったのだとも言えた。

 当然のように日本の対空レーダーに察知されることも無く、衛星に捉えられることも無く。

 

 あなたが就寝して数時間後。まばゆいばかりの稲光が奔り、一際大きな雷鳴が轟いた。あらゆるものを突き破るような大きな大きな音がした。

 眠りを妨げたのは、しかしその雷鳴ではなかった。ナイトテーブルに置いてある携帯端末が最大音量設定で鳴り響く。

 あなたは耳をつんざく硬質な電子音に飛び起きる。驚きのあまり全身から冷や汗が噴出す、心臓がこれでもかと胸を叩く。

 すぐさま着信を認めてアラームを止める。動悸と汗は収まらない。とりあえず部屋の電気をつけ、しばらくの間、汗ばむその手に収まる端末のスクリーンを眺める。映し出された意味をかろうじて咀嚼し、状況を確認する。

 

『メール着信』

 

 なぜだ。あなたは常に着信の設定はバイブレーションにしておいたはず。音量設定は変更していない、買ったときのままだ。しかし。

 親指で画面を操作し設定項目を表示する、焦って計算ソフトウェアを呼び出す。

 

「何だと言うのだ……落ち着け」

 

 深呼吸し、もう一度。そして画面には。

 

「何だ……どうなっている? 一体……」

 

 画面には就寝前と変わらず、バイブレーション機能は働いており、音量はデフォルトのままだった。

 ベッドに腰掛け、やはりキッチンに向かい、タンブラーになみなみと水を注ぎ、喉を鳴らす。もう一杯飲み、三杯目は寝室に持っていった。もちろん携帯端末は握ったままだ。

 落ち着き、今度は震える指でメーラーをチェック。そこには。

 

 

 

『From:YUKIKAZE

 To:F()r()i()e()n()d()l()y() F()o()r()c()e()

 Message:Ready to RTB 』

 

 

 

 差出人。YUKI……ゆきかぜ? ユキカゼ、雪風。日本人だろうか。しかしそのような名前聞いたことがない。宛先がFriendly Forceとはどういうことだろうか、友軍。味方の軍隊、味方……あなたの味方である。あなたを助ける存在であると主張したいのだろうか。しかし本文のReady to RTB 基地帰還の準備ができているとは?

 

 基地。知ってはいるがあなたが関与できる権限はもうない。基地など……と、ひとつ思い浮かべる。以前友人を自宅に招いたとき、あの模型が置いてある広いガレージを見て一言。「まるで航空基地の一角だな」 個人が所有するには大型で高価な機材が置いてあるあの場所。あそこはたしかに、そう呼べなくもない。

 ガレージへと向かう。雨粒が窓ガラスを叩く音が不気味だ。雷とともに急げ急げとあなたを急き立てているようだ。廊下の電気もつけず、足早に進む。白状すればあなたはこの状況が怖いと感じていた。

 

 乱暴にガレージの扉を開けると照明が作動した。その光りに思わず目を細め、扉横の操作パネルを動かす。明るさを最低まで落とし、光源を白色から橙色に切り替える。目を凝らすがガレージ内には異変はない。小さな車と、大きな無人戦闘機は変わらずだ。

 あなたはガレージのシャッターを開けるボタンに振るえる指で触れた。てんで荒唐無稽な話だが、あなたの力になれるものが基地に戻りたいと言ってきたのだ。息を整え、目を瞑り、意を決してボタンを押した。すぐに雨音が一際大きくなる。シャッターが完全に上がりきるのを待ち、目を開く。

 

 そこには。

 そこには何も無かった。

 星空の明かりも無く、夜の闇が広がっているだけであった。

 

 一気に肩の力が抜ける。安心したのか、それとも落胆したのか。なんともいえない気持になる。だが心にいくらかの余裕ができた。ひょっとしたら玄関かもしれないな、と軽く考えることもできた。一息つき、シャッターを下ろそうと思った矢先、一条の雷光が視界を照らす。

 

 そのとき初めて、暗闇に溶け込んでいた黒い機体は輪郭を映し出したのだ。

 あなたは背筋を冷たい指でなぞられたかのように感じた。鳥肌が立ち、電流を流されたかのようにしびれた。

 爆撃機かと思うほどの巨大な体躯、突き出た前進翼と緩やかなウェーブを描く鋭い機首は獰猛な猛禽類を想起させた。

 天翔ける妖精、風の女王。

 

 あなたは驚き、息を吞む。瞬きすらできず、決してそこから目を離せない。

 そして、そのキャノピーもまた、まっすぐに、あなたを見ていた。

 雷鳴は今更に感じられた。



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第二話 五年前よりの勝者

 野球のスタジアムほどの大きさのアリーナで、二機のISがしのぎを削る。一方の派手な弾幕と、もう一方の三次元高機動に観客は沸く。

 

 一方が両手に持った巨大な機関砲での高速射撃。腕から突き出た一メートルほどの砲身から、破裂音とともに弾丸が連射される。アサルトライフルなどとは比較にならない威力、掠めただけで、人間が千切れるそれをさらにIS用へと強化したものだ。威力以外は、軍の高射機関砲をISでも持てるようにしただけなので、重量はかなりのものだが、それはPICにより無視される。

 三十センチはあろうかという弾丸は量子変換システムにより、データ格納。コア内火器管制装置、FCSが機関砲内の残弾から解凍装填を判断し、実行する。ISのデータ化した物質はコア付近であれば、好きな場所に解凍できるのだ。

 

 薬莢がばら撒かれる。が、命中せず。

 

 FCSはコア内中枢システムを介して、操縦者の目視線によるターゲット捕捉とリンクしている。敵機の移動速度と自機の移動速度、彼我の距離と位置情報が、機関砲内部の電子制御チップに送られる。銃身に取り付けられた不可視のレーザー照準は可能な限り、常時敵を捉え続けるように修正。その情報と、銃身の温度、残弾数を送り返す。電子チップは銃口が目標を向くよう修正。一瞬にして処理されるそれを絶えず実行。

 

 命中。しかし行動不能に陥るほどの被害は与えていない。

 

 アリーナという限られた空間で常に一定距離を保つ。敵機の行動制限を目的とした中速ハイアクトミサイルを、背部に取り付けられた二つのコンテナから五発ずつ垂直発射。計十発のそれは拡散するように上昇した後、目標を包み込むように移動する。視線、機関砲のガンカメラとレーザー照準で誘導する。

 

 一方は思った。敵ISは近接格闘機だ、この状況を維持すれば勝てる。この試合に。

 

 

 

 回避行動を続けるもう一方は一見すると詰みに思えたが、コアが敵機のミサイル発射動作を確認すると文字どおり、一瞬のうちに爆発的加速力を生み出す【瞬時加速】を用いて敵機上空に移動。あらかじめミサイル発射をトリガーに命令していた行動なので、そこに人間の認識、状況判断による遅延はなかった。機関砲のレーザー照準が外れる。

 

 僅かな遅れ。当然一方のISは機関砲を上空に向ける。ミサイルの噴射炎により、視界による射撃誘導は難しく、勘とレーダーを頼りにするしかない。

 

 しかしトリガーを引くことはできなかった。ロックされていたのだ。コアとFCSが、自機から発射されたミサイルを打ち落とす可能性が高いという結論をはじき出し、その結果、爆風圧の影響範囲から退避する。つまり垂直降下し、その後迎撃射撃が望ましいと判断した。

 

 ISに搭載されたFCSと中枢システムによる戦術判断は操縦者よりも基本的には下位に属する。今回のように機関砲の電子制御チップに命令を送り、トリガーをロックしている時間域は半秒以下で、操縦者はこの時間域からもう一度トリガーを引くとロック下でも射撃が可能になる。この制御はロックの時間域が経過するか、操縦者によるロックの時間域内の射撃の終了か、FCSのロック解除を一単位として扱われる。

 

 一方は、もう一度トリガーを引こうと脳から指へと命令を送る。だがそのタイムラグは大きかった。もう一方は迫るハイアクトミサイルをかいくぐり、天地を逆さまにして急速垂直降下。近接格闘兵装、長大な剣、雪片と呼ばれるそれを片手で大きく振りかぶっている。

 

 その瞬間、もう一方のISコアとその操縦者の境界線が曖昧になる。意識、ソウル、ゴースト、こころ。定義できない何かが共有された。各ISコアが個別に持つ特殊な力、単一仕様能力が起動する。

 

 名は零落白夜。

 

 刃が振り下ろされた、同時に腕を伸ばす。これで届くとFCSが告げる。ISの持つ推進力、操縦者の筋力、さらに瞬時加速、遠心力、重力加速。それらがその一太刀に収縮された。

 切っ先が一方の操縦者の頭部に触れる。

 

 その刹那にもう一方の操縦者は思う。PICは重力を殺す。遠心力同様に重力加速などありはしない。人間の持つ意識がそう錯覚させるのだと。

 零落白夜の能力である、一瞬にしてエネルギーを消し去るその刃に触れたISは機能を停止。緩やかに地面に降下してゆく。

 信じられないといった驚愕の表情を浮かべる操縦者を眼下に捉え、もう一方はさらに思った。この戦闘はわたしの勝ちだと。

 彼女は決して負けてはいけなかった。勝ち続けなければならなかった。試合に、ではない。戦争に、だ。

 

 観客が一段と沸いた。

 

 

 

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 ナイトテーブルのアナログ目覚まし時計のベルを止めて、あなたはベッドを後にした。二階から眺める景色は青々とした草原が広がっており、緑の山々がそれを囲うようにそびえたつ。高い空は青く、厚い雲は白い。小鳥のさえずりが心地よい朝だった。普段着に着替え、携帯端末を充電器から取り外す。

 

 いつものように朝食すませる。いや、いつもではないかとガレージに気をやって食器を洗いながら、さてどうするべきかと悩んでいると車の音が聞こえた。そうだと思い出す。

 

「今日はあいつが来ると言っていたな」

 

 車の駆動音が止まる。ガレージの前に止めたのだろう。ノックの音が聞こえ数秒後、携帯端末に着信が入る。あなたは洗い物を切り上げ、手を拭き玄関へ。ドアを開けると、そこにはやはり。

 

「よく来たな、まあ入れよ」

「久しぶりですね。元気にしていましたか?」

「まあまあかな。ちょっとリビングで待っていてくれ、何か飲むだろう? 何がいい」

「じゃあ何か適当な紅茶」

 

 一年ぶりの友人との再会に、互いに頬を緩ませた。

 

 

 

「しかし、あいかわらずここは落ち着きますね。羨ましい」

「買い物は不便だが、いいところだよ」

 

 あなたは小皿に盛ったクッキーと飲み物を載せたトレーをテーブルに置くと、リビングの大きな窓を開け放ちながら言った。近くの小さな湖が太陽の光を反射し、桟橋で鳥がきょろきょろと頭を動かしている。さわやかな夏風が草木の香りを運ぶ。

 

 友人とテーブルを挟んだソファに腰かけ、雑談。

 

「最近、どうなんだ?」

「ぼちぼちですよ。まあ、そうですね。変わったことといえば、クビになりましたよ」

 

 あなたは口に含んだ紅茶を噴出しそうになる。

 

「なんだって。お前がか? だとしたら今の人事はよほどの無能だ」

「ああ、いえ。どちらかと言うと異動に近いですね。ISコア解析プロジェクトに引き抜かれました」

「なんだ、驚かせるなよ。しかし、そいつはすごいな。国からのご指名だろう?」

「そうですね。いやあ、好奇心が抑えられません。前前からバラしてみたいと思っていたのでラッキーですよ」

 

 それを聞き、あなたは少し安心した。嫌嫌に従事させられているわけではないようだ。クッキーを口に運ぶ。

 

「今までは機数が少ないことを理由に本格的な解析に踏み込めませんでしたからね。今回はうまく交渉したようです、政府は」

「なるほど。そこで急遽きみが抜擢された、というわけか」

「そういうことみたいですね。それはそうと、あなたのほうはどうなのですか?」

「別に変わりないよ、いつもどおりさ。釣りをしたり……いや。ウム」

 

 あなたは先日の大雨の日のことを思い出した。そのことについて友人に相談を持ちかけるべきか迷う。果たして信じてくれるだろうか、突如として戦闘機がわが家に現れたなど。ちらとストローをくわえる友人の顔を見やる。

 

「どうしたのですか?」

 

 きょとんとした顔を向けられた。しばらく考え、意を決して。

 

「実はな……いや、見てもらったほうが早いだろう」

「何をですか」

「ガレージに来てくれないか」

 

 要領を得ない友人に、とにかく見てもらいたいものがあると言い、向かう。扉を開ると薄暗い室内を照明が照らす。パネルを操作して、換気扇を回し、シャッターを少し上げ、外の空気入れる。

 

「あいかわらず、すごい場所だなあ。航空基地の一角を切り取ったようだ……あっ!」 と、友人。あなたを置いてそのまま奥へと進む。そのまま機首の前まで歩み、気がついたようだ。機首先端部分に大きく、毛筆で書かれたような白い漢字を。雪風の二文字を。

 

 しげしげと眺めて興奮した様子で言った。

 

「セップウ、ユキカゼ……新しく作ったのですか? この黒い戦闘機。へえ、よくできてる。有人機だ。レトロですね、ぼくは好きですけれど」

 

 あなたは先日のメールを思い出し、言った。

 

「ユキカゼと読む、と思う。それと、その機は本物だ。おそらくだが……翼やメインの燃料タンクにも燃料はそこそこあった」

「なんですって」

 

 機首のあたりを触る手を止め、あなたの方に振り向いた。

 

「あなたなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が。法的にはマズイですよ。武装はしていない、では言い訳にもならない。無人戦闘プログラムを走らせる事が出来るのなら」

 

 あなたは遅れてキャノピー近くに歩み寄る。

 

「違う、こいつは。この機は」 口をどもらせる。 「その、先日の大雨は知っているだろう?」

「ええ。近年まれに見る雷雨だったと」

「その日の夜、こいつがガレージの前にいたのだよ。ええとだな」

 

 とにかく順序立てて説明した。突然、謎のメールを受信したことから、ガレージのシャッターを開けたときのこと。その後、私物のデルタトランスファーと呼ばれるキャタピラのついた三機一セットの運搬機で三つの脚柱を下から持ち上げ、何とかガレージ内に収めたこと。

 

「なるほど、やけに車とナインが通路側に寄せられていると思ったら、こいつを入れる場所を確保するためだったのですか、へえ。あらためて見ると大きいですね」

 

 やけに物分りがいい。

 

「信じるのか」

 

 友人はあなたの顔を見やり、 「ええ」 視線を戦闘機に戻し、 「まあ」

 

「不思議に思いますけれども、あなたの言ったことが本当であるほうがうれしい、というのが本心ですね。面白いじゃないですか。魔法のように現れたわけでしょう? 興味がわきますよ。こいつは動くんですか?」

「それがうんともすんとも言わないんだ。お前に見せようと思ったのも、この機の中枢コンピュータが生きているかどうか詳しく調べて欲しくてな」

「おやすい御用ですよ。むしろぼくのほうからお願いしたいくらいだ。ちょっとPCを取ってきます。車の中なんです」

 

 言い終わるが早いか、友人は僅かに開いたシャッターの隙間から四つんばいでくぐり出ると、すぐにタブレットPCを小脇に抱えて、同じようにして戻ってきた。

 

「ちょっと落ち着けよ」

「すみません、つい。だって有人機ですよ」

「まあ、珍しいのはわかるが」

 

 コクピットに昇るためのボーディングラダーを用意し、外部のキャノピコントロール・ハンドルを操作して開けてやる。あの夜から何もしなかったわけではない、あなたなりに調査していた。

 

「どうやって調べるんだ?」

「有線で繋ぐ端子があるでしょう。無ければ……まあ、いろいろやってみます。それよりほら、スロットルだ。きっと見たこともないインターフェースに違いない。アビオニクスはなんだろう、なんだか興奮するなあ」

「ああ、うん。そうだな。結果がわかったら教えてくれ。それと、もし中枢コンピュータが生きていたとしてもあまり深くは探るなよ。機能停止で済めばいいが、情報漏えいを防ぐための自爆だって考えられる」

 

 ひょいとコックピットから顔を出して友人が。

 

「自爆は考えすぎじゃないですか」

 

 自然、見上げる形で言う。

 

「無人機ならいざ知らず、わたしたちは有人機のスペシャリストではないんだぞ」

「たしかに。了解しました」 と作業に戻るべく、コクピットに頭を引っ込めた。

 

 それを確認すると、あなたは何度目かの機体の表面を観察し始めた。まず、印象付けるこの黒い塗装。対放射能や耐熱をかねた電波吸収性のものだろう。明らかに実戦を意識して造られたものだ。その性能については詳しく調べてみないとわからないが、かなりのものだろうとあなたの勘が告げる。

 しばらく眺め、ふと強い違和感を覚えた。脚立を持ってきて尾翼や主翼を確かめるが見当たらない物がある。

 

マークがない。この機にはどこの部隊であるとか、所属する国であるとかを表す印がない。常識で考えれば戦闘機とは戦力であり、戦力とは戦争に使われるものであり、それはつまり国が管理しなければならないものだ。

 

「マークは入れられていたが、何らかの理由で後からそれを消したか」

 

 それかもともとマークの入っていない非公開の、うしろめたい部隊のものであるか。

 どちらにせよかなり特殊な機だ。今度は機首の前に脚立を設置し、全体を見渡して、あらためて思考をめぐらす。

 

 この機は非常に洗練されているように思える。二次元形状のエンジン出力ノズル。今は水平だが、尾翼は上下にも動く。それは速度や高度などが影響するはずで、当然制御するには相当の並列処理をこなすコンピュータが必要だ。詳しくは調べていないがこの機のポテンシャルは現代無人機と同等であるかもしれない。

 

 有人機だが無人機と同等かそれ以上のスペック? ありえるのだろうか。レトロだが未来的な印象を受けた。どこかアンバランスだ。

 あれこれと頭を捻っていると、あなたを呼ぶ声。いつの間にか友人が機を降りていた。

 

「何かわかったか?」

「それがあまり……()()()()()()F()R()X()-()0()0()()()()ということくらいですね。コンピュータはどうやら生きているには生きているらしいのですが。自閉モードに入っているようです。ぼくたちが普段使っているそれとは微妙にニュアンスが違いますが」

 

 メイヴ。優雅な名前だと思った。

 

「システムは動かないのか」

「ええ。たぶんですけどね。起動しないのは電力不足が原因ではないでしょうか。三分の二程度はあるみたいですが、動こうとしません。一定量まで溜めないと動かないように制御されているのかも」

「腹の辺りを見てみよう。その制御命令には割り込めなかったのか?」

 

 あなたはお手製のローラーのついたボードを持ってきた。ボードの部分はジャッキのようなものが二枚の板に挟まれた造りとなっており、機体の足の高さに対応できるようにしてある。調節し、胴体にもぐりこんだ。

 

「危険と判断しましたから。でもどうでしょうね。かなり強固な電子防壁がめぐらされていましたから。あんな組み方は見たことがない」

 

 ボードに備え付けられたライトが光度を自動で調整した。それらしきものを発見する。付近に手動で開けるためのスイッチかレバーか何かあるだろう。有人は専門外だ。

 

「お前でも無理なのか。こいつはいったい何者だ」

「無理じゃありません」と、むっとした声で。

「タブレットPCでは話になりませんよ。ぼくの家にあるメインのやつなら、わかりません」

 

 おそらくこれ。と当たりをつけて操作してみると目の前の部分が観音開きに開いた。あなたの勘も捨てたものではない。

 

「本当に?」

「たぶん、ですけど」

 

 おそらくここにケーブルを引けば充電できるだろう。だが見たこともない端子だった、現代戦闘機に使われるものより大きい。ボードの横のボタンを操作し、胴体の下から出て。顎に手をやる。

 

「何か問題でもありましたか」

「端子が合わない」

「なんだ。変換コネクタなり造ればいいじゃないですか。供給効率は落ちるでしょうけど」

「まあ、そうなのだが。わたしの知らない型だった」

 

 あなたの言葉を聞き、驚いた様子で友人が。

 

「まさか。冗談でしょう?」

「本当だ。似たようなものは知っているが」

 

 部品類はあの電気屋に頼めば何とかなるだろう。しかしあの端子、と記憶を掘り起こす。あなたの知っている戦闘機のどれにも当てはまらない、まったく未知のものだった。

 

「だとしたらそうとうな骨董品ですね、こいつは……うん? でも防壁はかなり高度なもので」

 

 友人も気づいたようだ。あなたが答える。

 

「わたしたちの、有人機は古いという常識は捨てたほうがよさそうだ。間違いなくこいつは……」

 

 僅かにためらい、黒い戦闘機を恐ろしいようなものを見る目で言いきる。

 

「……()()だよ、この機は」

 

 

 

 結局、数時間の調査のうち判明したことといえばそれくらいのものだった。あとは電力を供給し、友人のメインコンピュータで調べてみるしかない。

 供給する電力は自家発電事業者から購入することにした。ネットを通じて、複数の事業者と取引するようタブレットPCに命令しておいた。仮想空間で、設定しておいた予算に引っかかった相手と自動契約する。送電系統は電力会社が管理しているが、自社と事業者の送電を差別してはいない。

 大容量蓄電池は必要なので、ついでに端子コネクタの部品注文の契約を交わすべく街へ出かけることにした。

 

 運転モードはオートとはいえ、人間は運転席に座ってなければならなかった。このあたりの法律が電子システムを信用しきれていない人間臭さが表れている。

友人は後部座席であなたの携帯端末とタブレットPCを有線接続し、PCスクリーン裏にスライド格納されていた物理キーを叩いている。あなたの受信した例のメッセージに興味があるそうだ。あなた自身もあの奇妙な現象を解明したいと思い、渡りに船と手渡したのだ。

 

「そういえば……」と友人。キーをタイプする音は途切れない。「昨年のIS世界大会、見ましたか?」

「モンド・グロッソだろ。見たよ。一応ね」

 

 あなたは窓を開けて風にあたる。

 

「意外。というほどではありませんね。勝てそうですか? ナインは」

「あれはスポーツの類だ、比較はできない。推進派はうまくやったよ。参加する人間も主催者も、それを承知だろう。機体性能は制限されているはずだ」

「どうしてそう思うのですか? あれが全力かも。公式発表と違いISは最大速度が時速四百キロ程度だったとか」

 

「サッカー選手が目にも止まらぬ速さで動いてどうする。観客が瞬きするたびに攻守が入れ替わるだろうさ。ISの動きはあんなもんじゃない」

「あ、なるほど」

 

 友人はまず、あなたの端末にシステムチェッカーを試した。チェック完了。

 

 このチェッカーは異常な内部データの動きがないか、簡易的に調べるものだ。例えば、ある不明なデータ通信やソフトウェアがバックグラウンドで秘密裏に、あるいは通常に異常回数起動していれば、それが検出される。

 

 ソフトウェアの異常回数と定める基準は開発会社が定めるものと、アクティブデータベースに蓄積された回数の平均を取るだけなので信用度は高いとは言えない。データ通信も所有者の立場や職業柄に左右されるので、とりあえず一番最初に使っておく程度のものだ。

 

 チェックの入った表示結果は一項目だけ。十分ほどの映像ファイル。再生回数が検知基準に引っかかった。

 ちらとバックミラー越しにあなたを見て、窓の外の景色を眺めているのを確認。ミュートで再生。ISとDmicD-9の戦闘記録。チェックを外して作業続行。

 

 続いてあなたの携帯端末の管理者権限を使い、メールの送信元をさかのぼった。サーバー、サブサーバーなどに情報公開の権利を主張し、合法的に記録を閲覧する。しかし、そこには件のメールに関する一切の痕跡は無かった。

 

「優勝者の名前、なんていう人でしたっけ。すごく人気のある、オリムラ……」

「織斑千冬。圧倒してたよ」

 

 最後に内部システム情報を開示していく。だがやはり、着信自体の痕跡はない。着信はしていないがメッセージはデータとして携帯端末に存在し、視認できる状態。メッセージだけがポツンと浮いているかのようだ。

 

「ぼくの組んだ防壁、切りました?」

「いや、そのままだが。やられたのか?」

「正直……わかりません。完全にお手上げです。今、メール着信の痕跡を消した痕跡がないかn回チェックするソフトを走らせていますが、自信はありませんね。おそらく見つけられないでしょう。一般的な手段じゃないかも」

 

 驚き後部座席を振り返る。

 

「どういうことだ。メールは着信していなかったのか?」

「メッセージは残っており着信はしていますが、受信の事実はありません。というのが調べてわかった結果です。あなたの携帯端末の内部情報を操作してメッセージを作成し、あたかも受信したように見せかけたか。単純に力業でサーバーの痕跡を消したか」

「どっちにしろ信じられんな。後者は特に、国のお墨付きの管理だぞ」

「現実的な方法はこんなもんですよ」

「おまえでもわからんとは」

 

 一体あの夜の着信は何だったのだろうかと考えをめぐらす。

 

「何者だと思う? そのメールの送り主、雪風って人物はさ」

「かなりの手練ですね…………ひょっとするとあの戦闘機だったりして」 ミラー越しに悪戯っぽく笑う友人と目が合う 「雪風ってネームが入っていたじゃないですか」

 

 あなたはすぐに視線を窓の外へ向けた。

 

「バカいえ。仮にあの戦闘機からメールが届いたとしても、事実上はそのように命令を組んだプログラマーだろう」

「そういうことではなくて。まあいいか、これ返しますよ。ついでに()()しておきましたから」

「充電? ああ、助かったよ」

 

 あなたは携帯端末を受け取り、ジーンズのポケットにねじ込んだ。

 

「そろそろ着くな。どうする、先に食事にするか?」

「そうしましょう。時間も、ちょうどいいみたいです」

 

 町に着くと、適当な喫茶店に入り昼食をとることにした。友人のオムライスを見て、少し後悔しつつアボカドと鶏肉のサンドウィッチを口に運ぶ。

 

「それで、電力のほうはどれくらいの目処ですか?」

「そうだな、蓄電池は比較的簡単に手に入るが、コネクタの製作となると結構な時間がかかる。万一、例の電気屋でも手に入らない部品となると飛行機の墓場の連中のつてを頼らないといけないから」

 

「日本のデイビス基地と呼ばれるあそこですか? ナインの模型はよくできていると思ってましたが、なるほどあそこから」

 

かつかつとスプーンでオムライスを切り崩し。

 

「人は見かけによりませんね。よくバレないで作りましたね」

「使われなくなった機のリサイクルだ。まあ、そうだな。うまく誤魔化せている」

 

 あなたは少し心が痛んだが、意図的に忘れようと切り替える。

 

「ものは言いようですね」

「なんとでも言うがいいさ。話を戻すが最長で三ヶ月といったところか」

「もっとがんばってくださいよ。ぼくはあの機に興味があります」

「わたしだってそうさ。ま、こればっかりはしょうがない」

 

 と、友人の携帯端末が鳴る。メールのようだ。確認すると申し訳なさそうに言った。

 

「すみません、急用が入りました。その変な電気屋さんに行ってみたかったですけど、また今度になりそうです」

「ああ、かまわないよ。すぐ出るのか?」

「ランチを楽しむ余裕はありますよ」

 

 久久の再会だったが仕方がない。友人はあなたと違って現役なのだ。しばらくの間、思い出話に花を咲かせた。

 店を出て、分かれる間際に、思い出したように友人が言った。

 

「しかし杞憂でしたよ。ISコア解析に携わることに反対されるのでは、と思っていたのですが」

「なぜ?」

 

 あなたは心底不思議に思った。

 

「ぼくが。だってほら、知っているでしょう? ブリンクに積んであるブレインコンピュータは、ナインはぼくが設計開発したわけですし」

 

 

 

 友人と別れ、部品等の注文を済ませたその夜。あなたはふと思い立ち、いつものウイスキーと、グラス、アーモンドチョコが入った小さなボウルをトレーに載せ、ガレージへと向かった。

 

 ガレージのシャッターは四分の一の間隔に区切られている。全部を開けることはそうそうなく、いつもは車を出すときに一番右の四分の一を開けるだけだが、先日の夜と同じく、今日も全開にした。

 光度を適度に落とし、適当な箱にグラス類を乗せてパイプ椅子に腰を下ろす。なかなか温度の下がらないアスファルトの敷き詰められた都会とは違い、自然に囲まれたこの場所は涼しかった。虫の音を聞きながら、星空を背景にした黒い戦闘機を眺めて一杯やる。

 

 雪風。パイロットのつけたパーソナルネームだろうか。その名から連想する白いイメージとは裏腹に、不気味に黒い機体色。威嚇的なシルエットだが、どこか優雅にも感じる。

 機体の正式名称と思われるメイヴは、神話に登場する女王を意味するらしい。妖精の女王だと。

 PCが収集した情報は膨大だったので、あとで選別させて後日読むことにした。

 

 アーモンドチョコをかじる。

 

 女王ともなれば優雅なのも納得だ、威嚇的なのも。不思議な機だと思った。見ていて飽きない。あなたはしばらくの間、ぼうっとしていた。

 唐突に太ももに振動。着信である。まさかとポケットから携帯端末を取り出し、恐る恐るスクリーンを確認。

 だがすぐに安堵の息をついた。秘匿回線。

 

「もしもし」

『悪いな、たびたび。今、かまわんか』

 

 声色からして、飲んでいるのだろう。自慢の地下のバーで。懐かしい、五年前の日を思い出した。

 

「大丈夫ですよ、主任。私もちょうど飲んでいるところです」

『そいつはいい。まあ、特にこれといって用事はない。愚痴でも聞いてもらおうと思ってな』

「珍しいですね」

『私とて人間だ、いつまでも気丈に振舞うことはできんさ』

「そいつは初耳だ……冗談ですよ。それで、頭を悩ませるISはどのような塩梅ですか」

 

 フンと小さく鼻を鳴らし、主任。

 

「推進派の連中にしてやられたよ。やつらはわれわれが思った以上に情報戦に長けていた。先日の第二世代の発表があったろう。察したと思うが、マスコミにはうまい具合に情報をリークしていたようだ」

 

 なるほどと先日の雑誌の発売日のタイミングのよさに合点がいった。

 

「彼らからしてみれば世論操作はお手の物でしょう。あの時の発表は驚きましたよ、ISの運用方法をスポーツとしてゴリ押すなんて」

『まったくだ。あれにはわたしも度肝を抜かれたよ。保護膜と絶対防御の宣伝が効いた』

 

 昔を懐かしんだ。

 

「世界大会は英断でしたね。出場枠分のISコアの確保が大変だったでしょうが、大衆の心は掴んだ」

『そのとおりだ。そのせいで研究用のコアが不足したが、長い目で見れば推進派のやり方は正解だったといえる。ISの娯楽としての需要や憧れは爆発的に増加した』

 

 特に、と続け。

 

『男にはたまらんかっただろうな。女性しか扱えんからな』

 

 あなたはクスリと笑い、酒をあおる。

 

「装甲の見た目も、うまく作用したように思えます。デザインはイラストレーターに任せて、可能な限り忠実に再現したそうですよ。その結果、好戦的だしカラーリングも多彩だ。顔が見えるのも、戦っている人の必死さが伝わりますしね」

 

『ボディラインもくっきり見える』

「視線誘導を戦術に組み込むのは悪い手ではありませんよ」

『ま、そのせいかどうかは知らんが大会優勝者の織斑千冬の人気はすごいらしいな。かなりの美貌の持ち主で、そこらのアイドルより人気があるそうだ』

「少しかわいそうですけれどね。彼女の国外旅行は政府が許さないでしょう」

 

 向こうから、くつくつと喉を鳴らす笑い声が聞こえる。

 

『違いない。向こうは喜んでスイートルームを用意するだろうが。ああ、そうだ。織斑千冬といえば』 一拍置き、ややあらたまった口調で続けた。 『IS学園とやらが近いうちに開校するらしい』

 

「例の高等高校にあたるIS操縦者教育機関ですか。今回のISコア購入が皮切りですね」

『あくまでスポーツとしてのな。軍事学校と違って世間の受けはいい。そのへんの印象付けも試算して、世界主要各国は協力的だったのだろうな』

「しかし、よく日本で運営できましたね。世界中のエリートが集まるわけでしょう」

『まあ、あれだ。例の』

 

 急に歯切れが悪くなった。あなたに遠慮しているのだと気づき、そこから察した。

 

「あの日、日本が白日のもとに行ったアレが効いたんですね」

『おそらくそうだ。……話を戻すが、織斑千冬がその教師に抜擢されたらしい』

「入学希望者数がすごいことになりそうだ」

『どうかな。判断基準は不明だが、適性がない時点で入学できんからな』

 

 グラスにお酒を注ぎ、喉を鳴らす音が聞こえた。あなたも一口含む。胃と食道が燃えるようだ。

 

『もはや世間は、あれを兵器だとは思わんだろう』

「でしょうね」

 

 しばしの無言。

 

『はじめて飲んだとき、わたしに言ったことを覚えているか』

「はい」

 

『疑っていたわけではない、だが確信した。理由は説明できんがな。わたしは戦ってみようと思う。勘違いするな、おまえを引き戻そうと情に訴えているのではない。……ウム、すまんが明日も早い。勝手に連絡を取って、勝手に切るようで悪いな』

「いえいえ、わたしも暇していたところですよ。では」

 

 あなたは通話を終了し、スクリーンの充電残量を見て、充電をしなければなと呟いた。

 

 

 

 翌日の昼過ぎ、意外な人物と出会うこととなった。

 

 あなたが読書を楽しんでいるとノックの音が聞こえた。だが車の音はしなかった。都心からかなり離れた田舎であるにもかかわらず。控えめにもう一度音が響く。年季の入った革のソファから立ち上がり、いぶかしみながらも玄関に向かう。嫌な予感がした。ドアノブを握り、ゆっくりと開く。強い太陽の光に目を細めた。

 

 突き抜けるように澄んだ空と、たっぷりとした緑を纏う山々の、雄大な自然を背景にした長身の女性。

 

「はじめまして」

 

 知的で、迷いなどとはまったく無縁の、強い意志を感じさせる声。

 

 一目見てその人物が誰か理解した。あなたはなんとか平静を装おうと、顔の筋肉に神経を集中させるが、その女性はあなたのささやかな努力など気にも留めず、まっすぐにあなたの目を見て言った。

 

「はじめまして。突然の訪問、申し訳ありません。ご存じないかもしれませんが、わたくし――」

 

「知っていますとも」 ドアノブを握ったまま言葉を遮る。面識はないが、よく知っていた。

 

 鋭い目、後ろで束ねた黒髪。黒のスーツにタイトスカート、黒タイツにやはり同色のバンプス。服装はともかく、見間違えようはずもない。彼女の容姿は目に焼きついている。

 

 それほどまでに繰り返し、あのブリンクとの戦闘シーンを再生していたのだから。

 

 世界で初めてISを操縦し、世界最強と謳われた無人戦闘機を撃墜した女性。

 

「織斑千冬さん」

 



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第三話 無花果

 予期せぬ来訪者にあなたは戸惑いを覚えたが、うろたえては格好がつかない。とりあえずリビングに案内した。客間はない。キッチンに背を向ける位置になるソファーに腰かけてもらう。

 オーディオラックの上に置いてあるタブレットPCにちらと視線をやった。仕事を辞めたばかりのときの勧誘対策が再び役に立ちそうだった。キーワードはたしか。

 

「少し待っていてください。なにか飲み物を用意しますよ」 

「いえ、おかまいなく」

「外は暑かったでしょう。わたしもちょうど喉が渇いていたところで、紅茶でも淹れようと思っていたところです」 返事を待たずキッチンに向かった。

 

 ダイニングキッチンになっているのでキッチンカウンターから彼女の背中を確認できるが、念のため、起動していたタブレットPCに映像と音の記録を命令しておいた。

 PCは設定してあるパターンの中から先ほど発した言葉の単語の組み合わせを照らし合わせ、プログラムを実行しているはずだ。

 

 しかし彼女がこっそりと盗聴器の類を仕掛ける心配よりも、ポケットに入れていた携帯端末が小さく五回、ある特殊設定パターンで振動したのを太ももで感じたことのほうが、あなたにとっては重要だった。

 お湯を沸かし、耐熱ガラスの中でお湯が色を変える間に携帯端末をチェック。

 

 【ジャミング波を検知。データベースと照合完了】

 【Type:Sg51 影響度:3 脅威度:2】

 

 Sg51……? 音声を合成作成した際に発生する、人間には聞こえない音を発するタイプのものだ。

 しかしこのタイプは、正常に録音された音声を編集し、この音波を紛れ込ませることも紛れ込ませた痕跡も、それを消した痕跡も検出することは不可能ではない。

 したがって、この音波が入れられた音声記録の法的信用度は一定数まで低下するにとどまる。なぜこのようなチープなものを? この程度のものはすぐばれる。

 逆位相周波数を出して打ち消すことも不可能ではなかったが、気がつかないふりをするのも手だと考えて無視することにした。

 

 ガラスのタンブラーに山ほど氷を入れ、ポットとビスケットの入った小皿をトレーに載せてリビングに戻った。適度に冷まされた紅茶は氷をわずかばかり溶かしただけで、すぐにグラスは水滴をうかべるだろう。

 

「すみません、たいしたおもてなしもできなくて」

「とんでもありません、門前払いも覚悟でしたので。重ねてお詫び……」

 

 表情を崩すことなく頭を下げる彼女を制し、やや慌てて言った。

 

「ああいや、そう堅くならず。めったに来ない客人です。歓迎しますよ」

「そう言っていただけると助かります」

 

 とりあえずのやり取りだということは互いに理解していた。

 あなたは 「それで――」 とグラスに口をつけ、どう切り出すべきか悩む。本題を、何をしに来たのか尋ねるべきか、それともまず世間話から進めていくか。相手に会話をリードされるのだけは何としても避けたかった。

 

「ひょっとして徒歩でここまで?」

 

 織斑千冬はまっすぐあなたを見る。

 

「ええ、車ですとリモートされる可能性もありますし、簡単に探知されますので」

 

 彼女は結構な汗をかいていた。しかし飲食物には手をつける気配はない。立場を考えれば毒を考慮してもおかしくない。この炎天下の中を本当に歩いてきたのならば気の毒だ。

 傍らに置かれた上品な黒のビジネスバッグに水筒が入っているか、途中まで車で来ていることを願った。

 

「リモート、というとあなたの車は政府の管理下に置かれているのですか?」

「ええ、おそらくですが」

 

 となるとタクシーも利用できない。走行記録は一年間保存される。

 

「今回の外出は、その」

「大丈夫です、心配には及びません。端末等のGPSの類はすべて置いてきましたので」

 

 あまり知られたくない行動なのだろう。

 あなたは気まずさと緊張からタンブラーに目がいったが、彼女の喉の渇きを考えると、もう手は伸びなかった。

 

「……世界大会、見ていましたよ。優勝おめでとうございます。華麗でしたよ、最後の機動と一太刀は特に」

「機体装甲の性能に救われました。わたしの実力では遠く及びません」

 

「ハイアクトミサイル群をかいくぐる勇気を装甲が与えてくれるわけではないでしょう。あの弾幕に突っ込むのは、並大抵の人物ではできませんよ。恐怖は感じなかったのですか」 言って気づく。この手の質問は勝利者インタビュウで耳にたこができるほど聞かされたに違いない。

 

 彼女は視線をテーブルの木目に走らせ、さも予想外の質問であったかのように答えた。それがあなたを気遣ってのことなのか、皮肉なのかはわからなかった。それほど自然な動作だった。

 

「それは……なるほど、ありがとうございます。恐怖は、そうですね」 一拍置き、あなたに向きなおる。 「MSAC社の中距離を向けられたときのほうが恐怖を感じました」

 

 一瞬にしてあなたの心臓が高鳴った。五年前の事を言っているのだ。この一言で、やはりそちらの話をするためにここへ来たのだと口を一文字に結ぶ彼女を見て理解した。

 ヘタな話題を振ったあなたは主導権を失い、今度はこちらの番とばかりに彼女が口を開いた。

 

「DmicD-9は、いい機ですね。あれ以上の戦闘機は、ある場合を除けば三十年たっても現れないでしょう。失礼、ブリンクと呼んだ方がいいでしょうか?」

 

 話したい方向は掴めたが、内容が不明であることは変わらない。相手は一向に仏頂面を崩さない。用心深く答える。

 

「特にこだわりはないので、好きに呼んでもらってかまいませんよ。しかし、IS世界大会の優勝者のお墨付きとは、額面通り受け取っておきますよ。デュノアのマイクロミサイルはどうでしたか」

 

 ある場合には、という言葉は無視した。先日の主任との通信会話を思い出したのだ。ISに対抗できる無人戦闘機開発の件。彼女がどこまで知っているのかは定かではなかったが、ブリンクを上回る性能かつ三十年以内。あなたの寿命を考えるならば、その事を指していると考えられた。

 単なる鎌かけの可能性もある。

 

「お墨付きというのは少少大げさに聞こえますが。相対して戦った者でなければ相手の実力は主観で判断できませんので、その意味では正しい表現でしょう。ブリンクと戦闘行為を行った人間はわたし一人ですし、基本的に無人戦闘機と戦うのは無人戦闘機ですので」

 

 少し頭を捻った。A無人戦闘機に、相手したB無人戦闘機の脅威度を確かめることはできる。しかしその、ある数値を超えたと電子的に評価したそれを、Aのお墨付きと表現するのはどこか滑稽で、Aが出したBの評価を見て最終的に優劣を決めるのは人間であり、それは客観的なものなので、主観で決められるのは自分ただ一人と言いたいのだろう。

 

 彼女は続けて言った。

 

「マイクロは、そうですね。弾体を増やせばISにも有効でしょう。目標を見失った後の目標推定飛行性能は素晴らしいと思っています」

 

 あれでもデュノアの最新のものだった。それより、ISにも、という言葉を聞き五年前の主任との会話を思い出した。焚きつけているように思える。しかしあなたは大人だ。表情を少し和らげて言った。

 

「デュノアも大変ですね。あれ以上に弾頭に金属片を詰め込むことを要求されるとは」

「すでに開発に着手しているそうですよ。対、ISを想定して」

「株をやるべきでした」

「その必要はないでしょう。お金儲けをするなら、あなたの才を活かした方が効率がいいかと」

 

 かわしきれず。苦笑するしかなかった。

 

「実は今回わたしが訪ねたのも、折り入ってお願いしたいことがありまして。これ以上貴重なお時間を割いていただくわけにもいけませんので単刀直入に言いますと、あなたにはIS装甲の設計開発に携わってもらいたいのです。無論、それなり以上のお支払いは約束します」

 

 あなたはあごに手をやり、契約について思案するふりをした。

 

 予想はしていなかったが、わかりやすい嘘だと思った。試されているのか、とも。

 ただの交渉であるならば、外出を隠す必要はない。そもそもエージェントを一人よこせばいいだけだ。推進派があなたを引き抜き、反対派の士気を挫くという古典的な手段を使うために、心証を良くするべく世界優勝者を一人で送り込むとは考えにくい。

 それに言質を取るならばSg51のジャミングは不要だ。

 

「ご冗談を。わたしは戦闘機専門ですよ。有人のISとは違い、無人のね。装甲などは」

「PICは空気抵抗を完全には無視できないようです、完全には。影響は僅かなものですが、その隙間を埋めるには航空力学などの専門知識が必要と考えています。第一、装甲開発の歴史はまだ五年と非常に浅く、誰もがスペシャリストというわけではありません。たとえ一時の従事であっても、約束の金額はお支払いします」

 

 公式発表では完全に無視できるとされていたが、どちらが真実か、などということはどうでもよかった。

 

「織斑さんが埋めたい、その空気抵抗の僅かな隙間というのはスポーツマンにとっての?」

「それ以外になにがあるのですか」

「軍事です」

「それも視野に入れています」 ストレートな答えに動揺も見せず、彼女は金額を提示した。「どうでしょうか、悪い話ではないと思います」

 

 かなりの額だった。

 断るのは簡単と考え、踏み込んで探ることにする。

 

「それはわたしが戦闘機の開発者と知ってのことですよね。わたしのような者をIS関係の組織に入れるのは、お互いにとって好ましくないように思えますが」

「このお話はあなたがたの言うところの推進派の総意ではありません。わたしとあなたの個人的な契約です。あなたに赴いていただくのはわたしの息のかかった研究所ですので、安心してください。倉持技研、日本の研究所です。政府が関与していない実力主義の」

 

「世界優勝者といえど、それほどまでに権力を持てるとは思えませんが」

「わたしが使用しているISの兵装はそこで開発されたものですので。それと、あなたが思っている以上にISは重要視されています」

 

 やりにくい相手だった。今のであなたの評価は下がったに違いない。もう少しで謝るところだった。しかしそれに見合う情報は手に入れることができた。

 やんわりと話を断る。

 

「わたしがお支払いできる最高限度額だったのですが、よろしければ理由をお聞かせ願えませんか」

 

 淡淡と返すところを見るに、断られることは想定していたようだ。こんどは彼女があなたを探る。それを突っぱねることはできない。できうる限りの条件を出したのだから、答えてもらわなければ納得できないと暗に主張されては。

 

「今更、新しいことに挑戦する体力は残っていませんよ」

「では仮にわたしが、ISに対抗できる無人戦闘機の開発を依頼した場合は受けていただけるのでしょうか」

 

 知っていたようだ。しかし予測範囲内。記憶を引っ張り出してすぐさま答える。

 

「やはりそのお話も受けようとは思いません。わたしの存命中に戦闘機がISと戦うことは少ないでしょうから」

「と言うと」

 

「ISは非常に強力ですので、重要な戦略的勝利を収める局面での投入になるでしょう。当然相手国も同じように。となると現在の総数から見るに、結局は小数のIS同士の戦いになります。量産され、戦闘機を駆逐するころには、わたしは生きていないでしょう」

 

 嘘が混じる。あなたは()()()()()()()()()()()()()()。するべきだと。

 

「そのような国家間レベルの話では……いえ、つまり装甲開発を引き受けていただけないのはISに対する個人的な感情ではない、ということですね」

 

 確かめるような物言いは、あなたが仕事を辞めた切っ掛けまで掴んでいるようだ。おそらく数ヶ月といった半端な時間ではなく、年にわたり調査しているようだ。今までの会話はそれらの再確認なのだろうか。本心を答える。

 

「ブリンクを越える戦闘機はいずれ現れると考えていましたから。当たり前ですがね。それがたまたま翼を持たないパワードスーツだっただけのことです」

 

「なるほど」 と彼女は視線をそらした。もう一度なるほど、と呟き、やはりまっすぐにあなたを見据えて言った。

 

「しかしISを危険視してはいない」

 

 答える義務はない。だがあなたは、彼女が訪ねた理由がどうしても気になる。少なくとも五年越しの敗者インタビュウでないことはたしかだ。繰り返し自分に言い聞かせた言葉を選ぶ。

 

「ISなど、わたしには関係ありません」

「先ほど、戦闘機がISと戦うことがないとおっしゃいましたが。あれは一瞬で導き出したのですか」

 

 そんなわけはなかった。先の発言はISについての記事を調べた上での考察だ。ISに対して思うところがあったからこそ。目の前の女性、織斑千冬がブリンクを撃墜する映像ファイルをうんざりするほどリピートしたのだ。だが組織に戻る勇気は湧かなかった。ひょっとすると以前のような事態になるのではと恐れていのだ。

 

 言葉につまる様子を見て、彼女はあなたの心境を代弁した。

 

 

 

 

「あなたは、どちらかと言えば戦闘機に愛情を注いでいる。しかし同時にISにも関心を寄せている。忌み嫌っているのではない。でなければIS関連の記事をチェックするはずがない」

 

 

 

 

 今まで自分が覆い隠してきた事実を言い当てられたような気がした。あらためて指摘されてか、ふと気が抜ける。

 

「そう、かもしれませんね。言われてみれば」

「そこが恐ろしいところです。世間はもちろん軍事関係者も天から降ってきた宝物のように扱う人間がいます。解析し、完全に制御できると信じている。あれが科学ならば不可能ではないでしょうが」

 

「魔法の産物だとでも?」

「わたしは違いますが、そのように思う人間も少なくありません。小規模ですがブランチネットでは篠ノ之束を神格化している団体が運営しているサイトもあります。神がわれわれに火を授けたように、彼女は超科学を。と言った具合です」

 

「本当ですか」 初耳だった。おもわず身を乗り出す。六大ネットワークを構成するネットの一つ、ブランチでサイトを立ち上げるには、成人か、未成年なら審査委員を通さなければならない。

 

 織斑千冬は視線を落とし、あごに手をやった。

 

「どこまで本気かはわかりませんが。束博士が第一世代発表後、姿をくらましたのが神秘的に映ったのでしょう。現在まで、複数の国家を相手に尻尾すら掴ませない手際を英雄視している。メディアに露出しない姿勢がストイックに感じたとも」

 

「冗談じゃない」 あなたはずっしりとソファーに背を預けて古めかしい照明を眺めた。 「サンタクロースを信じていいのは子供だけだ」

 

 呆れて緊張を忘れた。数秒の沈黙に気づき、視線を戻すと、織斑千冬がぽかんとした顔を向けていた。慌てて姿勢を正す。

 

「いや失礼、まじめな話でしたね」

 

 はじめて表情が崩れた。唇が僅かにつり上がる。

 

「たしかに――」

 

 タンブラーの氷が音をたててひび割れた。夏の風がカーテンをゆらす。

 

「予期せぬプレゼントですね」

 

 びっしょりと水滴を纏ったグラスで手を濡らし、織斑千冬は冷たいハーブティーで喉を潤して言った。

 

「では、本題に入らせていただきます」

 

 彼女はスーツのポケットから黒いカードのようなものを取り出した。角の一つがグリーンで点灯している。Sg51。それを片手で器用に折った。

 携帯端末が、ジャミングが消えたと小さく三回、特殊設定パターンで振動して報告した。

 

「お気づきでしょうが、わたしの先ほどの発言が推進派の耳に入るのはまだ危険ですので」

 

 高度に欺くものだと、それがばれたときに強い警戒心を抱かれるのを危惧してのものだと気づく。チープだったのは完全に騙すつもりはなかったとのことだろう。

 

「まず説明しなければならないのは、ISは意識を持っており、常時、あるいは定期的に人間の意識にアクセスしている、ということです」

「それは操縦者のクセや特性を活かした戦い方を補助するための補正プログラムのことですよね」

「公式ではそれをコアの意識と定義しているようですが、わたしが指すのは魂やこころといった概念です」

「そういったものがコアに宿っていると?」

 

「人工物がこころを持つということは信じがたく、それが明確に定義できないものだということは承知していますが、この際置いておきましょう。話を戻しますが、アメリカはISが女性以外でも使用できないかと研究を続けています、その過程の副産物として生み出された推測なのですが。コアは操縦者が女性か否かを操縦者の意識と読み取り、チェックしているようです」

 

 そう言うと、彼女は紙媒体の資料を数枚バッグから取り出し、あなたに手渡した。

 

「よろしいのですか」

「どうぞ。ただあまり口外なさらず」

 

 了解し目を通す。実験段階三、四に目を引かれた。

 

 

【ISコア、あるいは開発者である篠ノ之束博士が定義する女性を限定とした制限機能範囲の調査。

 

 結果に記してある性別は生物学的性別を表す。

 

 実験段階一

 性別についての自己意識が生物学的性別と一致し、できうる限りの性転換手術を施した男女の場合の反応

 男:コア、反応せず。適性なしと判断

 女:コア、反応あり。適性ありと判断

 

 実験段階二

 性別についての自己意識が生物学的性別と一致する同性愛者の男女の場合。

 男:コア、反応せず。適性なしと判断

 女:コア、反応あり。適性ありと判断

 

 実験段階三

 性別についての自己意識が生物学的性別と一致せず、性転換手術を受けていない男女の場合の反応。

 男:コア、反応あり。適性ありと判断

 女:コア、反応せず。適性なしと判断

 

 実験段階四

 性別についての自己意識が生物学的性別と一致せず、できうる限りの性転換手術を施した男女の場合の反応。

 男:コア、反応あり。適性ありと判断

 女:コア、反応せず。適性なしと判断                        】

 

 

 まとめればこのような内容だった。残りの資料をざっと読み、顔を上げて言った。

 

「この資料が正しいのであれば、操縦者が自分は女だと無意識していなければISは動かせない。外見的特長を無視しているところを見ると、コアが外部を認識するすべはなく、適性の判定を操縦者と触れた時の意識の読み取りという手段しかとれない。考えようによってはISが意識を持っていると主張できなくもないが……」

 

「言語を理解するには互いが言語を理解していなくてはなりません。同様に、意識を理解するのであれば、互いに意識を理解していなくてはならないと、わたしは考えています。ISが言語を理解していても、外部に出力するすべがないだけ、という可能性もありますが」

 

「織斑さんはISの意識を読み取ったことはあるのですか?」

 

「残念ながら。意識は一方的に読み取られているようです。また、常時そうであるか否かということはわかりません。単一仕様能力、ご存知ですよね。それの起動時におぼろげながら感じるのです。何人かのIS操縦者に聞いたみたところ、みなそのような気がすると答えました」

 

 それではいささか説得力に欠けるように感じたが、あなたはISに搭乗したことがないのでなんとも言えない。そうだと仮定して話を進める。

 

「先ほどのISに対する危機感についての質問は、いわゆる機械たちの反乱を危惧しての?」

「まったく考慮していないわけではありませんが、わたしは、そう。もし、将来においてISが量産されればどうなると思われますか」

「軍事転用されたのならば、戦闘機だけではなく、ありとあらゆる無人兵器が塗り替えられるでしょう。戦車、戦闘ヘリ。ひょっとすると潜水艦も」

 

 さらりと答える。それについてあなたは悪いことではないと思っているのだから。しかし彼女は違った。

 

「そのとおりです。無人機は居場所を失うでしょう。それが問題なのです」

 

 数秒思案し、言わんとしている事が薄薄わかってきた。

 

「つまり、ISは高速大陸間弾道ミサイルを迎撃できる」

「平均的なISは、単機でICBMを約九割の成功率で打ち落とせます」

 

 二段構えの、上下層対弾道弾ミサイルでさえ八割が現状のそれを。

 

「C型の?」

「F型です。わたしなら確実に落とせます。複数の弾頭が発射される前でも、後でも。現状では複数の迎撃ミサイルがなければ、F型ICBMを完全に防ぐことは不可能と言われています。しかし、それらを用意できない国でも、ISがあれば容易に落とせるようになるでしょう」

 

 彼女は身を乗り出して言った。 「戦略が変わるのです。相互・確証破壊は完全に失われました。敵国に核を持ったIS乗りを潜伏させればいいのですから。オートマチック・ウォーは開戦されないでしょう、古典的な戦争へと後退していくのです」熱の篭った声で続ける。

 

「わたしはそれを止めたい。ようやく無人機が戦場での主戦力になったというのに……いまさら有人機が戦場を駆け回るなど……」

 

 あなたは彼女のこぶしが強く握り締められていることに気がついた。

 

「人間の戦争は無人機同士にやらせておけばいい。人を戦場に引き戻すような事態を、わたしは――」

 

 絶対防御の存在を主張しようと思ったが、彼女が最初、飲食物に手をつけなかったことを思い出した。人を殺すのは刃だけとは限らない。それに絶対防御が一度起動した後、なすすべなく殺されるだろう。

 機能が停止すればデータ化した物質は取り出せないし、PICを前提として作られた兵器を、人間が扱えるとは思えない。

 

「――海兵隊をはじめ、人間の地上戦力は少なからず存在します。ですが戦闘機や戦艦同士などの戦闘で人が死ぬことはなくなりました」

 

 事実だった。某国の軍事研究機関が、自国と仮想敵国の国家間戦争、主要各国の組み合わせから想定された連合国同士の世界大戦のシミュレートの結果、戦死者数は過去の歴史から見て驚くほど少ないという結果だった。

 

「つまり、つまるところ織斑さんは何を」

 

 彼女はとんでもない人物だ。あなたはぞっとした。恐る恐る尋ねると、彼女は姿勢を正し、答えた。

 

「大きく分けて二つです。一つはISに意識が存在するという前提がなければ成立しませんが、一方的な意識の読み取りでなく、コミュニケーションをとることに成功すれば、軍事には関わるなと交渉できると考えています。個個のISのコアの意識が並列化される群体。あるいは女王のような母体、上位存在となる機が少数、または一機のみ存在し、それ以外の子機、下位存在から情報を集め、並列化する情報を選別していなければ現実的ではありませんが、これについては確証があります」

 

「その確証とやらはやはり、操縦者であるあなたの主観ですよね? いや、この際それは置いておきましょう、わたしには理解できない……フム、ISにスポーツや軍事といった概念を理解させる手間がかからないのが救いですね。互いの意識を読み取るのだから」

 

「そうです。そのためには、ISに、わたし、という存在を認めさせなければなりません。ISが外部と、言語を使っての入出力が可能なら簡単に解決できるのですが、現状ではなんとも……この件に関しては、操縦者以外には関与できないでしょう。あなたに協力していただきたいのは、二つ目の方法です」

 

 あなたは無言で続きを促した。

 

「もし、ISに意識が存在しないか、交渉に失敗した場合は、わたしが全ISを管理する立場に立たなければなりません」

「なんだって」

「現在存在する二百六十七機全てを破壊することは不可能です。世界中に散らばって、国が管理しています。それにISは今も国家を欺き、世界中に点在する工場で秘密裏に全自動生産されているでしょう。ならばいっそ自分の手の届くところに集めたほうが効率的です。将来的には権力での、一国家と渡り合えるほどの組織を運営したいと考えています」

 

 女傑だと出会った今日で思っていたが、まさかこれほどとはと驚く。言葉が出ない。気温を差し引いても熱くなっていくのがわかった。

 そして彼女との会話に没頭するあまり、気づけずにいた。あなたの身に起こっていた、本来であればすぐさま感じるはずのささやかな異変に。

 

「開発の禁止を強制するには至らないでしょうから、審査委員などの名目でなにかと文句をつけて妨害するのが主な仕事になりそうです。民衆に軍事転用に強い違和感を覚えさせるため、このまま世論にスポーツとして認知させ続けるか……失礼。活動内容について今、議論する必要はありませんね」

 

 こほんと小さく咳払いをして。

 

「あなたはその際にわたしの下で働いていただきたいと考えています」

「なぜ……」

「ISに対して客観的に判断を下せる人間が必要です。また、中立でもあり。単に居場所を奪われたと考え、忌み嫌うのではなく。生存競争に敗れただけと考え、ISの存在そのものを容認しているあなたが」

「けれど織斑さん。あなたは不死ではない。あなたの意志を継ぐものが現れるとは限らないし、ISが科学である以上、いつかは完全に解析されるはずです」

「そう、しかしわたしが生きている間は軍事転用をある程度阻止できる。たとえそれが数年という僅かなものでもかまわないと考えています。その数年に人生を捧げる覚悟が、わたしにはあります」

 

「まいったな」 と、あなたはすっかりぬるくなった紅茶を飲み下す。

 その組織は巨大なものになるだろうと容易に想像できる。それは人数の規模ではないにしても、トップに立つのであるならば、それに人生を賭けるのであれば、まず家庭を持つことはできない。

 出産子育てなど、到底。

 

 一般的な女性の幸せを犠牲にしてまで。なぜ。

 

「なぜ、あなたは、それほどまでに。あなたの危惧する事態は訪れないかもしれない、どのみち遥か未来のことでしょう?」

「責任を、感じているのかもしれません。第二世代の適性基準は……いえ」 

 

 目に見える葛藤の後、あなたと強く視線を交わす。

 

「わたしは、これが正しいと信じています。護りたいのです。誰がために土に還る、騎士のように」

 

 彼女は、自分の人生にそれ以上の価値を見出せなかった。

 表には出さず、あなたは僅かにたじろぐ。

 

 ()()だ、織斑千冬は。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 結局、あなたと織斑千冬は太陽が沈みかけるまで話し込んだ。彼女がちらと壁掛け時計に視線をやる。

 

「そろそろ帰らなければ。有意義な時間でした」

「こちらこそ。貴重な情報をいくつも」

 

 空になった小皿とポットを後にし、玄関まで送る。途中で気がついた。心中で苦笑する。そこまで計算していたのかと。

 

「送りますよ」

 

 彼女は言った。思っても見ない申し出のように。 「そこまでしていただくわけには……」

 

「車で二時間かかる道のりですよ。夜もふけます。あなたの無事が気がかりで眠れそうにない」

「……ではお言葉に甘えて」

 

 笑いを堪えているのがわかった。超音速で飛行する人間相手に、世界優勝者相手に心配ごとなど。

 

「玄関先で待っていてください。車、出しますから」

 

 そう言い残し、あなたはガレージに向かう。

 彼女はおそらく、本当に歩いてここまで来た。それは徹底して痕跡を残さないためとも考えられるが、今回の交渉に対するあなたの印象を計る意味もあるだろう。

 もし、あなたが話の内容や織斑千冬に悪い印象を持っていれば車で送るなど申し出ない。逆の場合は必然的にガレージのシャッターを開けなければならない。四枚あるうちの、ログハウス寄りのシャッターだけ上げたとしても、中をうかがうことは容易だ。

 呆れるほど大きな、怪しげなガレージの中にあるものを、あなたが見せるかどうか。それでより詳しく関係を知ることができる。

 

 今更ながら織斑千冬の手腕を実感した。

 車に乗り込み、シャッターを上げる。ヘッドライトに照らされた彼女がこちらを、ブリンクを見る。黒い戦闘機は一番奥に座しているので角度的に見えない。

 彼女の横に車を止める。助手席のドアが開かれ、お願いしますと乗車。アクセルを踏む。

 

 窓を全開にしかけたが、彼女が寒そうに身じろぎしたのを目の端で捉えてやめる。かいた汗が冷えるのだろう。

 

「正直、恨まれていることも覚悟していました」

 

 フロントガラスに互いの顔がうっすらと映る。彼女はぼんやりと進行方向を眺めていた。

 

「ブリンクを撃墜したから? わたしはそれほど子供ではありません」

「資料からではわからないこともあります」

「なるほど。いつからですか」

 

「五年前からです。わたしがブリンクと戦ったときから。本格的な実戦はあれが初めてでした。世界最強の航空戦力に勝ったとき。そのときから将来、組織を運営する場合の人員を探していました。今のところ十一人ピックアップしてあります、あなたが記念すべき一人目です」

 

「わたしはその話を受けるとは言っていません」

「ええ、あなたが十一人の内の、はじめて交渉した人物という意味です。少なくともあなたはわたしの味方でないということがわかっただけでも収穫はありました」

 

 敵ではない、と評価しないところをみるに、彼女の危機管理能力の高さがうかがえる。

 

「なるほど。しかし残念ですね。もうIS世界大会には出場しないのでしょう?」

「無敗の肩書きは手に入れましたから。だからといって負けの可能性を考慮しなくてもいいわけではありません。あらゆることに勝ち続けなければ、全てのISを管理する立場には立てないでしょうから」

「当面の目標はIS学園を牛耳る、といったところですか」

 

 彼女はにやりと笑って言った。 「最初は教師になる旨を伝えたところ拒否されたのですが、ねじ込みましたよ。ドイツがおいしいビールとソーセージを用意している、と」

 

「それは気の毒だ。世界でトップクラスの手練、いや、世界最強のIS乗りの技術が他国のエリートに盗まれるのだから」

「わたしからすればめったにないチャンスです。優秀な教え子を私の支持者にして増やしておけば、後の布石になります」

「うまくいきますかね。子供といえども、そっちの方面の教育は受けているでしょう」

「……問題ありませんよ。それについては」

 

 少し声のトーンが落ちた気がしたが、それは疲れから来たものだろうと思った。

 

「そういえば、織斑さんは束博士と面識があるのですよね。どのような人物なのですか」

 

 世界で初めてISを操縦したのであれば、開発者と会っているはずだ。

 

「そうですね。一言で言い表すのなら、変人です。他に言うことがあるとすれば、容姿が良いくらいでしょうか。長い付き合いなのですが、思いついたのはこれくらいです」

 

 変人というのは予想していたが、容姿については意外だった。

 

「IS開発以前からの?」

「まあ、友人です、一応。五年間音信不通ですし、わたしは彼女のことを何一つ理解していません。なぜISを造ったのか、今どこで何をしているのか……」

 

 急に言葉を区切り、言った。 「この辺りで結構です。ありがとうございました。あまり都心に近づきすぎるのもまずいので」

 

「まだしばらく歩くようになりますが、大丈夫ですか?」

「今日は遅くなると言ってありますので……弟に。それと、もしその気になったらこちらの住所に手紙を送ってください」

 

 小さな紙切れを受け取る。

 

「手紙?」

「あらゆる電子的管理下から逃れる有効な方法です。その住所は現住所でもありませんし」

 

 

 

 簡単別れをすましたあなたは帰宅途中になってようやく異変に気がつく。その予兆はおそらくあったはずだが、それに気がつかなかっただけだと推察し、帰路を急ぐ。

 そしてしばらくの後、書斎の椅子から転げ落ちた。すぐさまガレージに駆けつけ、キャノピーを震える両手で叩きつけ、言った。

 

 ()()()()()()()

 

 それと同時に気づき、自問する。()()()()()それは本来、物に対して使う言葉か?

 

 あなたは雪風を思い知った。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 織斑千冬が都心部を歩いていると、数人の私服のエージェントがいつの間にか付き添っていた。一定の距離を開け、不自然でない程度に。

 表通りから一本はずれると、そのうちの何人かが距離を開けた。他愛のない会話を交わしながらも対象に危険を及ぼすものがないか、鋭くチェックする。一人が彼女に近づき、ささやいた。

 

「本日はどちらへ」

 歩きながら会話を続ける。

 

「答える必要はない。わたしにかまうよりも一夏の身の安全を第一に考えろ。問題はなかっただろうな」

「通常通り、藍越学園からの帰宅を確認しました……あなたに万一のことがあっては困ります」

 

 尾行をまいたことを暗に咎めていた。一瞥し、冷ややかに警告する。

 

「わたしが危機に直面するよりも、弟に万一のことがあった場合のほうが、おまえたちにとっては困ることになるだろう」

 

 彼女は返事を聞かないまま、足早に距離をとり、マンションのセキュリティーホールに入った。エージェントは基本的にはこれ以上立ち入らない。

 いくつかの認証をすませ、エレベーターを使い最上階へ。その階の一番奥のドアを開ける。自動で玄関照明がつく。

 弟は知らないが、他の部屋では武装したエージェントが一般的な生活を送っているかのように振舞い、二十四時間待機している。

 

「あ、おかえり」

 

 まだあどけなさの残る声で迎えられた。彼女のたった一人の肉親。何よりも大切な自慢の弟。織斑一夏。

 黒いソファーから腰を上げ、姉を迎えた。

 

「ただいま、まだ起きていたのか」

「久しぶりだし、ご飯一緒に食べようと思ってさ。まだでしょ?」

 

 自然と頬が緩む。

 

「ああ。すまないが少し待っていてくれないか。汗がひどくてな、先にシャワーを浴びたい」

「わかった、温めとく。今日はハンバーグだから」



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第四話 おまえ

 あなたは昼間だというのにガレージで飲んでいた。時間を確認しようとし、ポケットに手をやり思い出す。携帯端末は湖の底だ、PCも。

 首をめぐらせガレージ内の壁掛け時計を見やる。二本の針が回転するアナログ時計。あれならば疑う必要はない。しかし、だからどうだというのか。畏怖すべき女王は変わらず目の前にいる。

 まぶたを閉じる。暗闇を作り出し記憶を掘り起こす。この一週間で何度も繰り返した行動、実にスムーズ。

 

 あの夜、織斑千冬と別れた後、異変に気がついたのはなんとなしに携帯端末をチェックしたとき。バッテリー残量の示す数値は僅か十数パーセント。眉をひそめる。

 

 いくらなんでもこの減りようはおかしかった。起床後、充電器から外したときはたしかに満タンだった。織斑千冬が現れるまで、これといって使用していない。ドアがノックされたときは少なく見積もっても九十パーセント以上はあったはず。

 つまり、彼女と出会ってから別れるまでに何らかのソフト、プログラムが秘密裏に起動していたと推測される。自宅のPCを使い、チェッカーを通そう。運転モードをマニュアルにし、スピードを出す。

 

 たった数時間の間にこれだけ消耗していたということは、端末はフル稼働していたはず。放熱に気がつかなかった自分を呪う。

 

 Sg51はフェイク、端末への侵入が真の目的か。それにしてはしゃべりすぎな気もするが。

 数分の思案ののち、ようやく気づく。新着メールが一件。タイムスタンプは十数分前。

 

 予感し、チェック。やはり例の機から。チェッカーは無駄に終わるかもしれない。

 本文は無し。代わりに添付ファイル。データ量は数ギガ。バッテリーが心もとないので、自宅PCでダウンロードすることにした。

 織斑千冬と雪風はなんらかの関係があるのだろうか?

 

 自宅に到着。ラックの上の、やはりバッテリーが減っていたタブレットPCを掴み、書斎へ。腰かけ、デスクに置いてある据え置きの、二重連結型の防壁迷路を通してメーラーを起動。数秒でファイルのダウンロードが完了、開示。中身は……

 

 織斑千冬の個人データ。その量にたじろぐ。

 身長、体重、健康状況、月経周期、現住所、家族構成などの、プライバシーと呼べるものの全てが過去に遡ってまで、多岐にわたり詳細が記されている。

 

 しかしそれよりも目を引いたのは、彼女に関する、想定される状況下における行動予測の項目だった。全体のデータ容量の七割を占めている。

 

 ばかなとあなたは椅子から転げ落ちた。このファイルはあってはならないものだ。

 いわゆる性格判断のテストから職の適性などを計ることは許されているが、行動予測の計算のプロファクティングは一昔前に人権団体が騒ぎ立て、最終的には世界レベルで禁止されるに至った。

 

 しかもこのデータ量から見るに、シミュレートされた状況は相当なものだ。一回のテスト情報量からでは導き出せない。いくつかの――日本では学校施設の入学時に実施される、付属の学校同士でも共有してはならないそれを収集したと考えるのが自然だ。当然、ISに関する立場に着いたときのものも含まれているだろう。

 

 あなたはよろよろと立ち上がり、考えをめぐらした。

 誰がこのようなことを? 決まっている。

 携帯端末を握りしめ、ガレージに走る。データファイルの最後に記されたMAcProⅡの文字を見ることなく。

 

 きっとあの機は、携帯端末を操作し、マイクで織斑千冬の名前を拾い、彼女を特定したに違いない。友人のプロファクティングデータがないのはその証拠だ。名前を呼ばなかったので友人の情報を特定できなかったのだ。

 

 いつから……いつからこの端末は雪風に汚染されていたのか。

 はじめて織斑千冬の名前を呼んだのは玄関で会ったとき。いや。とガレージの扉を乱暴に開け、足早に歩み寄る。

 

 先日の友人との会話を思い出す。雪風からのメールを調べてもらった時、()()()()()()()()()()と、たしかに聞いた。あなたは、友人のPCが端末のバッテリーを八割から十割まで、その程度の少量の充電をしたと思っていたが、事実としてはおそらく逆。

 

 もっと前から、ひょっとするとあの嵐の夜以前からという可能性もある。

 出しっぱなしだった即席の足場を上り、キャノピーを震える両手で叩きつけ、言った。

 

「おまえは、一体」

 

 それと同時に気づき、自問する。()()()()()それは本来、物に対して使う言葉か?

 

 思考の海に沈みかけるも数秒で浮上する。はっとしてキャノピーを開いて友人に教えてもらった方法で起動。テストモード。

 内部電力は全体の三分の一程度に減っていた。間違いない。あの時、システムが起動しなかったのは、積まれていたコンピュータが電力の残量を数値的に見て、電力不足により起動を拒否したわけではない。

 

 ふいに織斑千冬の言葉が脳裏をよぎる。

 

 

――人工物がこころを持つということは信じがたく、それが明確に定義できないものだということは承知していますが、この際置いておきましょう――

――言語を理解するには互いが言語を理解していなくてはなりません。同様に、意識を理解するのであれば、互いに意識を理解していなくてはならないと、わたしは考えています――

 

 

 雪風はそれを持っていると判断すべきか? いや、今は優先すべき事柄がある。その問題は後回しにして、あなたはおぼつかない足取りで書斎に戻る。友人に手紙をしたためた。

 

『今すぐわたしの端末と有線したPCを廃棄しろ。そのPCとリンクさせたPCも可能な限り。汚染の可能性が高い。データ自体は分散してコピーをとってあるな?』

 

 迷ったが、織斑千冬宛の手紙は書かなかった。

 自称友軍の雪風が情報を知らせたということは、あなたにとって彼女が敵か味方か判断すべき人物だということはわかる。慎重にならなければならなかった。

 

「しかしそもそも敵とは誰を指す」 恐れを誤魔化し、イラついた口調。

 

 そのままガレージに戻り、車を出す。この手紙は一刻も早く投函すべきだと思ったのだ。

 携帯端末は完全に充電がなくなり、使い物にならなかった。物理キーでドアロックを解除。夜道を走る。

 手紙を出し終え、玄関をくぐったときは日付が変わっていた。どっと疲れが出る。自棄になり、PCと端末を外に持ち出す。ぬらぬらと揺らめく湖へ放り投げる。

 

 どうせしばらくすれば、あなたが注文したことになっている最新の端末が届くだろう。これがなければ雪風はあなたとコミュニケーションをとれないからだ。

 雪風が、あなたが過去に受けた性格判断テストから行動予測をはじき出しているのなら、端末の破棄は予定調和でしかなく。従って女王はそのようにするだろう。

 

 書斎に保管してある、餞別代りにともらったウィスキーを飲みたくなる。やめた。呑み飽きたいつものやつを掴み、再びガレージへ。どかりと機材に腰を下ろし、勢いよく瓶に口をつけ、咳き込む。空っぽの胃にアルコールが浸みこむのを感じる。

 

 しばらくの間、ぼんやりと雪風を眺め今日起こった出来事を反芻した。一時間ほどかけて考えをまとめる。

 

 ひょっとすると、雪風の真の狙いは、織斑千冬のプロファクティングデータからの敵味方の判断を迫ったのではなく、自らの存在を認めさせたかったのではないかと。現にあなたはそう感じている。

 あの機、などとではなく、いつのまにか雪風と呼んでいることに気づいたからだ。

 

 ふと織斑千冬の言葉をもとに、感じたことを呟く。

 

「ISは意識を持っているが、言語文字による間接的コミュニケーションは不可能……しかし現段階では一方通行ではあるが、直接的に意識の同化という手段でのコミュニケーションは可能……そして雪風はその逆」 だから?

 

 わからない。酔いが回る、身を任せる。雪風は今度こそ電力不足により、テストモード以外の起動を拒否するだろう。すべてはコネクタを製作してからだ。考える時間は、ある。

 

 あなたは雪風を思い知った。

 まぶたが重い。

 

 

 

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 空調の効いた体育館。織斑千冬が壇上に立つと黄色い歓声が沸いた。女三人寄ればかしましく、その十倍。いらだちを隠せず一言。だまれ。

 

 静まる会場で簡単に始業式の挨拶を済ませる。指定された席に、教頭を差し置いて学園長の隣に戻る途中、織斑千冬は予想を超えるアップデート後の操縦者適性判断の対応に恐怖を覚えた。同時に罪悪感。だがやりやすくなった。上位存在たる女王コアが存在するのなら、それはわたしのISかもしれないと、羨望のまなざしを送る生徒を見て自身の考察を確かなものにしていった。

 

 

 

 あなたとの会談から一週間ほど。伊豆諸島よりやや本土に近い場所に建設された巨大人工島。その中心にそびえ立つIS学園が完成を待たず開校した。

 各国より集められたエリート学生三十人が入学。一般的な学校が夏休みに入る直前だったが無視。基本的に、本学生に長期休暇はない。

 

 建設決定から数年しかたっておらず、学園の建物自体は三割程度しか完成していないが問題はない。初代学生となる人数は高が知れていたので寮や教室は最低限確保し、その分訓練用アリーナや射撃場などを優先させた。

 出入りには厳しい検査を受けるが、本土とは最新型の懸垂式モノレールで移動する。

 島にはそこそこの娯楽施設、量販店、病院などで小規模の町が構成されている。利用客はその従業員やIS兵器などのメンテナンス、データ収集などを目的とした技術者や学園の建設業者。

 

 教育に関する学園関係者は五十四人。三種類の担当教師が存在し、主に技術、整備、座学をそれぞれ分担する。身体トレーニングは技術科目、兵器に関する知識は整備に、一般的な学業は座学で学ぶが、そこには当然、戦術も含まれる。

 

 基本的に、一つの教室単位は学科ごとの教師三人と二,三人の生徒から構成される。その組み合わせは経歴、プロフィールを参考に、入学前から生徒と教師が指名し合い決定する。というのは建前で、実際のところは各国のIS責任者が話し合いで決める。大抵は自国の生徒に自国の教師を当てるのだが、日本政府の権限は強く、ほとんどの教室に日本国籍の日本人が組み込まれた。

 

 試験的意味合いが強い本学園は、三学科の授業時間の配分をその教室を受け持つ教師の裁量で決定することになった。生徒は全員が専用のISを持っているが、人間の技術面での向上を当面の目的としているため専用装甲は原則使用禁止とし、訓練用IS装甲『打鉄』に換装される。

 また、生徒の持つ専用装甲を含む全てのIS兵器は、スポーツ用として電子的制限、GIG制限と呼ばれるものが掛けられている。兵器によっては弾速や威力により一瞬で勝敗が決してしまう問題を解決するため、決められた数値を上回るものはこの制限下に置かれる。

 

 人数が少ないとはいえ、実際にISを動かし訓練をする場合はアリーナを使う。基本的に一つの教室が占領することとなるので、技術教師がその週に使用する時間をコンピュータに入力し、集められたそれぞれの情報を元にプログラムが各教室に時間を割り振る。

 

 現在は三つのアリーナが完成しているので順番待ちの問題はないが、将来の学生に備えてのこと。

 

 技術科目を骨組みに造られた時間割はその後、技術と同じように集められた整備、座学を肉付けし、可能な限り毎週同じ時間帯を選択し、その週の時間割が完成する。

 入力される情報は、各教師が話し合いで年間の授業時間を決めたものを週で分けるものになる。これは生徒の欠けている部分を柔軟に補うことが目的である。

 だが、真の目的は別にあり、このシステムは織斑千冬が一枚噛んでいた。

 

 教室は数字と英字で区別される。しかし、そう時を置かずして、生徒たちの間ではその教室の生徒から見た、または他教室から見た代表的な教師の名前で呼ばれはじめた。主要三学科での差別はない。単純に生徒からの人気が教室名を決定した。

 

 その中で一際異様な教室が存在する。生徒は一人しかおらず、織斑教室の名で呼ばれる学び舎は三学科を一人の教師が、その教室の名を冠する人物が全て一人で受け持っていた。

 

 教室の生徒。現デュノア社社長。シャルロット・デュノア。

 彼女は見事、指名した教師に教えを請う立場に立てたことを喜んだ。それはほかの生徒と同じく憧れや尊敬に近いものからなるが、織斑千冬からはIS乗りとしての見込みがあっての指名ではなかった。ミサイル部門において二強と呼ばれるほどの片割れの、現在は客寄せパンダだが、会社を継ぐであろう人物との関係を打算した結果だった。

 生徒指名段階で各国の代表者の資料に目を通したが、めぼしい人材はいなかったという理由もある。

 

 教え子が好成績を出せば、それだけ教師に対する羨望は高まる。授業外で接することは最低限で十分だと考えたのだ。投資する時間は少ないほうが良い。

 いや、開校兼入学始業式を見るに、どうせここの生徒はみな『第二世代組』だろうと高をくくった。放っておいても支持は集められるかもしれないと。

 

 

 

 開校より二十日後。

 

 

「……先生。織斑先生」

 

 その教科書のようなイギリス英語に気がつけば紫色の瞳が向けられる。広い教室に二人、最初は違和感も覚えたが、慣れてしまえば静かでいい。

 

「なんだ。できたのか」

 

 と、満面の笑みの生徒から古典的な紙媒体のテスト用紙を受け取る。

 GIG制限の細かい数値、公式戦アリーナの大きさやルールなどの規則が書かれたそれを数秒眺め、ばかばかしいと丸めて放り投げるのを堪える。携帯端末を操作して参考書の入ったファイルを転送。二ヶ月早いが、問題ないと判断。

 

「いいだろう。では、これらの現代主力IS兵器のスペックを来週までに記憶しておけ。発射シーケンスまでな。昼食休憩を挟んだ後、グラウンドだ」

「これ、全部ですか」 とデュノア。自身のタブレットPCに転送された容量を見てうんざり。

「おまえのところの物くらいは知っているだろう。他社製品の研究にもなる。よかったな。こんな勤勉な社長を持った社員は幸せだ」

 

「うー、ISに乗りたいですよ」 待機状態にあるISコア。制服の下の十字のネックレスに手をやる。

「たった二時間乗っただけで吐いたのは誰だ」

 

 ISは無重力無慣性状態を作り出す。よって、成人しきっていない未発達の肉体を考慮すると、無茶はさせられないが宇宙飛行士レベルの訓練が必要とされる。

 しかしもっと厄介なのは無慣性の方だった。これにより、亜音速程度でも人間の意識が強い違和感を覚える。速度は出ているのに体には何の影響もでないのはおかしいと本能的に感じ取り、そのストレスから胃の中の物を戻すといったことが多い。GIG制限を離れた超音速飛行が可能になるミリタリーパワーでは、それが顕著になる。

 

 織斑千冬の考えるそれとは違い、公式が評価するIS適性はこのストレスに対する先天的な体質を指す。無論、訓練によってある程度慣れることはできるとの研究結果もある。

 

「……ご飯食べてきます」

 

 突き返されたテスト用紙を受け取り了解の返事をすると、豊かなブロンドの髪をとぼとぼと揺らし食堂へ向かった。ころころと表情を変える様はまるで小動物だ。

 

 広い食堂では数人が食事を取っていた。

 デュノアが食堂で何を頼もうか悩んでいると、ややぎこちない英語で声がかけられる。同言語で返す。学園の共通言語は英語と日本語だ。

 

「こんにちはシャル。ね、一緒しよう」

「いいよ。調子はどう?」

「体力トレーニングが厳しいわ。でも、IS乗りには必要だし。そっちは、天下の織斑千冬先生の教えは厳しい?」

「まあまあかな……いや訂正。大変、やりがいはあるけど」

 

 牛乳とスパゲッティを注文し、チャーハンをトレーに載せた新しい友人とテーブルにつく。

 

「厳しさも一番、か。そういえばシャルは一人クラスだからクラス代表を決める試合はないのかな」

「たぶんないと思うよ。いただきます」 着替えの時間を考えるとのんびりしている暇はないので、急いでフォークを回す。

「いいなあ。ぜんぜん馴れない打鉄でやらなきゃならないから、クラス代表になれるか不安だよ」

「そっか、専用装甲はクラス対抗試合じゃないと換装できないっけ」

「操縦者の技術向上が当面の目的だからね。いいなあライバルのいない教室は」

 

「そんないいものじゃないよ」 ムッとして答える。 「世界優勝者に教えてもらっているわけでしょ。先生の顔に泥を塗るわけにはいかないよ」

「じゃあやっぱり優勝狙ってる?」

「負けたら終わり、新しい教師を紹介してやるって」

「わあ大変、予定じゃ年に四回開催されるのに? まあ、トーナメント方式なのが救いね。総当たり方式だったら目も当てられないわ」

「シード枠ってないのかな」

「あんたの国の技術者がデータを取れないってわめくわよ……で、それはなに? とっても、その……おいしいの?」

 

 懐から粉末の入った小瓶を取り出し、牛乳に入れてグラスマドラーでかき混ぜるデュノア。濃いベージュに染まる。

 

「プロテイン。先生が三食欠かさず飲めって。おいしいよ、とっても。美味」 グイとあおる。口に同色の髭を作り。 「一口どう?」

 

 シャルロット、目がうつろ。友人、気づかず粘質な液体の入ったグラスを受け取る。

 

「本当……ねえ、本当? 飲むよ? 本当に………………おえっぷ。罠だ……織斑教室は姑息な手を使う。保護膜は味覚を守ってくれない、うえ」

 

 デュノアは笑い声を上げ、つき返されたグラスを受け取り一気。

 

「こういった、おえ、地道な努力が成果に繋がる、と思う。ごちそうさまマズイ!」 グラスを持ったまま固まる。

「それは知ってる」

 ぎこちなく首を向けて言う。 「違う。しまったって意味のほう」

「毒薬と間違えた? それでも疑わないよ、わたしは」

「……食べ過ぎた。午後はマラソンと無重力訓練だ……また怒られる」

「胃がどっかに行っちゃう薬でもあればいいのにね。ご愁傷様」

「しかも今日は先生の指定した定食を食べなかった。絶対にばれる。なぜかばれる。すっかり忘れていた。問題は山積みだ。うー、ひとまずエチケット袋をデータ格納しようかな」

「おばか……しかし案外悪いアイデアじゃないかも。ISの無重力無慣性ってのはどうも気持が悪いのよね。ごちそうさま」

 

「ウーム、あ。そういえばさ」 とデュノア。腕を組み、データ格納について考えをめぐらしていると、思い出したように友人に尋ねた。

 

「知ってるかなって思って。あのね、ユキ……」

 

 トレーを持った少女がテーブルのすぐ横を通り過ぎる、目が合った。ちらと見えた左目の眼帯。右の赤い瞳は自分と同じく、カラーコンタクトだろうか。ショートカットの銀髪が目立った。

 長い時間視線を交わしたように思える。実際には一瞬。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒさんだってさ、ドイツの」

 耳元でささやくように言った友人の声。

「一人かな? もうちょっと早く来ていれば、誘ったんだけどな」

「どうかな。あの子、誰とも仲良くしないって噂だよ。ウム、今度誘ってみようか」

「そうだね……わー、もうこんな時間。ごめんね、もう行くよ。リン」

 

 鈴音はあわただしく駆けていくシャルロットの背に言葉を投げかける。 「おーい、さっきの話はなんだったんだよ。気になるじゃない。もうっ」

 

 シャルロットは更衣室に駆け込み、十数秒で体操服に着替えてグラウンドへ。屋根のあるベンチで織斑千冬が腕を組んで待っていた。距離はあったが、じろりと睨まれる。開始五分前。ぎりぎりだ。

 

「まあ、いいだろう」 と腕時計を見て織斑千冬。 「とりあえず五周だ、休憩を挟み無重力訓練」

 

 デュノア、了解し走り出す。

 

 横腹をさすりながら走る生徒を一瞥し、織斑千冬はタブレットPCを操作。クラス対抗試合の下準備にかかる。

 生徒からすれば、競争心が煽られるイベントだが、教師陣にしてみれば単純に優劣を計られる。現状では一学年しかないので、IS学園で最も有能な教師が決定される。

 大人は、勝敗は装甲の性能に左右されると理解できるが、生徒の間ではそのように判断するだろう。

 

 何としてでもデュノアには優勝してもらわなければならなかった。教え子の公式戦無敗はIS学園掌握の足がかりになる。

 織斑千冬は、クラス代表模擬試合を自身の戦争の一作戦領域と捉える。遠慮はしない。あらゆる戦闘は情報をより多く支配した者に有利に動く。

 

 薄い唇を僅かに吊り上げ、来週の時間割をセントラルコンピュータに送信。

 この計画は開校より数ヶ月も前から進行していた。

 

 まず、建設業者の管理するPCに侵入。一日おきに学園に向けて送信する建設進行状況の業務連絡メールに、独自に組み上げた遅効性分割型ウイルスを数十回に分けて秘密裏に添付するよう操作。この時点では意味を成さないゴミデータでしかない。

 事業連絡メールが送られた先のコンピュータは、人工島の住民、各教師の連絡に使われるものだ。そこでウイルスは更に分割され、送信先のアドレスが教師宛の時に限り、連絡メールにランダム抽出されたウイルスが一定数潜りこむ。

 教師、保健室やデータベース室などの職員のPCから、住居などの生活全般に関するものや、必要だと思われる備品の要望。開校後は教師の持つ五十四のPCから一週間の時間割がウイルスと一緒に学園のセントラルコンピュータに送信される。それが繰り返され、断片が蓄積される。

 

 先のメールに隠された最後のピースで、それらが組み上げられ、完成。

 閲覧権を取得。それと同時に、ウイルスは自動消滅する。

 

 公開されていない、日本がGIG制限の確認と称し、各国に提出させた全生徒の持つ専用装甲、兵装の詳細なスペックをチェック。この情報は誰も閲覧できないこととなっているが、日本政府は秘密裏に覗いている。彼女が侵入した痕跡は、政府の痕跡とともに国家が組んだプログラムが自動で消去してくれる。

 

 ここまでの作業は不特定多数の人間がそこそこいる場所で行わなければならなかった。自宅と違い、操作していた場所を特定された場合しらを切ることができる。

 デュノアの手こずりそうな機と操縦者を、ピックアップ。重要な項目を記憶し、セントラルコンピュータとのリンクを切り、念のため壁を背にして、オンライン機能を持たない別のタブレットPCに入力。情報量はかなりのものだったが、全て打ち込んだ。

 

 一息つく。デュノアのISと比較し、評価をつける。

 

 

 操縦者:シャルロット・デュノア

 使用IS:ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ

 オールラウンダーを構想とした、量産機のカスタム。大容量データ領域を持ち、大量の兵器を瞬時に解凍格納できる。

 これといった長所はないが、短所もない。量産機らしい器用貧乏といったところ。GIG制限を前提として開発された実包を使った兵器が多い。

 

 

 操縦者:凰・鈴音

 使用IS:甲龍

 近、中距離機。不可視の衝撃砲を二門装備。射角の制限はなし。近接格闘性能は高い。

 

 見えない砲弾は驚異だが、事前に仕組みがわかれば問題ない。このISと当たる時だけハイパーセンサを空間変動に敏感に設定。局地的な変化の確認をトリガーに、発射にかかる時間を計算させれば、彼我の距離から着弾までの時間もはじき出せるだろう。

 一定距離を保ち、弾幕を張り、持久戦に持ち込めば問題ない。焦れて突貫してくれば儲け物だ、連装ショットガンでカウンターできる。

 

 

 操縦者:セシリア・オルコット

 使用IS:ブルー・ティアーズ

 遠距離支援試作機。高出力レーザーによる長距離射撃が主な攻撃手段。四基のレーザー型の半自立高速飛翔砲台と二基のミサイル発射装置を持つ。待機時は装甲と一体化。

 注:飛翔砲台のレーザーは熱を持たない、対ハードウェア用の電子兵器である。現代無人機を想定しているが、IS装甲にもそれなりの効果が期待できるとされている。

 

 おそらく学園内で最強の機。

 GIG制限の掛けられたレーザー兵器は、トリガーを引いてから発射まで僅かなタイムラグが出るよう設定してあるが、驚異であることには変わらない。大気の状況に左右されるが、レーザー光は理論上、秒速三十万キロメートルで進む。発射と着弾は同時といってもいい。

 飛翔砲台は半自立であるなら問題ない。飛翔体の確認後、デュノア社お手製のマイクロミサイルの飽和攻撃で操作どころではないだろう。本体か飛翔体か、動きが鈍ったほうにマイクロを誘導してやればいい。調整の難しい試作機だ、量産機相手では厳しいだろう。

 

 

 操縦者:ラウラ・ボーデヴィッヒ

 使用IS:シュヴァルツェア・レーゲン

 中、遠距離機。レールカノン。プログラム、または目視線誘導に従って飛翔するワイヤー、両手のプラズマブレード。機体前方にPICを発生させ、重力、慣性を操作し、動体を停止させるAIC機構を持つ。

 

 レールカノンが驚異。AICを警戒し、接近戦を避けて垂直ミサイルなどで多方向から攻めるか……

 

 

 キーをタイプ。提出されたデータの偽装を考慮し、全ての装甲、操縦者の数値を一段階大きく評価。操縦者の性格も計算して作戦を練る

 その途中、そういえばと思い出し新たにウインドウを開き映像を再生。アリーナの様子を映し出す監視カメラの映像を拝借したもの。この程度はどの教師もやっていた。

 

 二機の打鉄がGIG制限最大速度で高機動。模擬弾を使用した射撃訓練。訓練機を使っているので射撃補正も同性能。純粋に操縦者の技量が計られる。

 一方的な試合。数分後、教師の止めの合図で終了。一方は呼吸を荒げ、膝をつく。顔が青い。

 もう一方は悠々と装甲をコアにデータ格納。

 ラウラ・ボーデヴィッヒ、敗北。

 

「フムン」

 

 あごに手をやり思案。入学前の操縦者データではボーデヴィッヒの技量はトップクラスだった。何か問題が起きたか、これが演技であるならばたいした役者だ。

 織斑千冬は視線をメインディスプレイに戻し、入力。

 

 ボーデヴィッヒ:障害とはなりえず。

 

「当面の仮想敵はオルコット、か」

 

 兵器の装填数、連射間隔、有効射程範囲、飛翔砲台の速度、諸諸を調べ上げる。これだけお膳立てすればデュノアでも負けることはないだろう。

 



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第五話 存在の中性

 なぜだ。

 

 教室に向かう四階の廊下でとラウラ・ボーデヴィッヒは思った。コアの第二世代アップデート以降、日に日にISに乗るのがつらくなってきている。無慣性からくる強いストレスを感じる。

 

 なぜ? わたしを拒む。わたしは不要か、レーゲン。わたしはおまえを必要としているのに。

 

 ふと窓の外を見やると、二機のISが訓練飛行していた。楽しそうだった。

 

「第二世代組が……」 忌々しげに呟く。ISをスポーツとして捉え、お遊び感覚で乗る彼女らは不快だ。

「いま、『第二世代組』と聞こえたのだが」

 

 流暢なドイツ語にラウラははっとして振り返る。そこには腕を組んでいる長身の女性。

 

「織斑、先生……」

「おまえのISは第一世代のコアだな? でなければ先の発言はおかしい」 スッと目を細めて言った。

 

「わたしは何も言っていません」

「なにぶん敵が多い」 織斑千冬は懐からカードタイプのレコーダーをとりだした。 「言質を必要とする場面も多くなる」

 

 ラウラは答えない。

 

「おまえ、入学前のデータと現在のデータでは大きく差があるな。いつからへたくそになった」

「あなたはわたしの担当ではない」

「第二世代アップデートからだな?」 変化があるとすればそこしかない。

「……だとしたら、なんだというのですか」

 

 織斑千冬は、場合によってはラウラのコアが女王コアなのかもしれん、と考えた。

 

「学園に隠していることがあるな。提出されたデータと明らかに技量が劣る。改ざんしたか。本国に問い詰める」

「脅しですか。すべてはわたしが鍛錬を怠っていたからにほかなりません」

「だが少なくとも第二世代以降の操縦者だと偽っていたことはたしかだ」

 

 ラウラは小さなこぶしを握り締める。

 

「わたしは心配して言っているのだよ。このままではISに乗れなくなるぞ」 歩み寄り、顔を近づけ、耳元でささやく。 「第二世代のアップデートはわたしが関与している」

 

 はっとして後ずさり、敵意の目で睨みつけるラウラ。意に介さず受け止める織斑千冬。

 

「嘘を言うな」

「ここに集められた生徒を見て実感したよ。だがそれは間違っているかもしれん。わたしが意識していない事柄がアップデートを通して並列化されているのであれば、おまえだけがISに拒まれるのはおかしい。第一世代組という括りならばわたしもISに拒まれていなければならない」

 

 可能性として示されるのは、女王コアは複数存在する。ラウラが特殊か、コアが特殊か。

 

「何を言って」

「知りたいか? なら言えよ、ボーデヴィッヒ。隠していることがあるだろう? どうせ調べればわかる。遅いか早いかの違いだ……今日中に追って連絡する。寮を抜け出しても問題ないように監視システムを欺く必要がある。わたしの部屋に来い」

「ばかな。そんなことが」

「学園のシステムの六割はわたしの管理下にあるよ。裏ではな。今、おまえがなんらかの電子機器を身につけていないこともわかる。携帯端末が教えてくれる」

 ちらと腕時計を見て続けた。

 

「ではな。わたしには時間がない」

 

 去ってゆく教師を、ラウラは黙って見送るしかできなかった。

 

 その夜。ラウラは織斑千冬の指示に従い、部屋を訪ねた。殺風景な部屋。簡素な椅子にコーヒーが用意されていた。

 

「さっそく話してもらおうか」 

「その前に第二世代のアップデートに先生が関わっているとはどういうことでしょうか」

 

 場合によっては織斑千冬を殺さなくてはならない。ラウラはそう思った。

 

「お互いIS乗りだ、簡潔に話そう。ISは意識を持った群体だ。それらの情報はたびたび並列化される」

「その根拠はなんですか」

「この学園の生徒だよ。おかしいとは思わんか? 第二世代組はISに対してなんの危機感を持っていない。これは世界レベルでの世論操作によるところが大きいが、異常だ。年齢も均一化されているようだ」

「第二世代アップデート後の適性の判定はそういったISに対する危機感の薄い人間が選ばれた、ということですか」

「それと、わたしに憧れている人間、という条件も考えられる。明確にいつとはわからんが、モンド・グロッソでの単一使用能力起動の際、ISに意識を読み取られた。それはISに対する危機感だと思う。コアはそれの対策として第二世代のアップデート後の適性の判定は危機感を持たない人間に絞られたと見ている」

「その対抗策が情報の並列化の根拠ですか? あなたがISに対して危機感を覚えているのなら、あなたはISに拒絶されなくてはならない」

「そうだ、しかしわたしのコアはわたしを拒まない。それを根拠にもう一つの説、群体の中で上位存在となるコアが存在し、それは第一世代のコアが担っていると思う」

「それがあなたのコアと?」

「わたしが最も強いIS乗りということも理由するのではないかと考えている。世界大会での結果が並列化され、自動的に他のコアがわたしのコアの下位に置かれたとも」

 

 妄想だ。ラウラは思った。しかし織斑千冬の顔はいたってまじめ。

 

「モンド・グロッソの際に読み取られたというのはISに対する危機感だけですか?」

「と思う。だからお前が第一世代組でありながらISに拒まれている理由を知るために呼んだのだ。今のところ第二世代のコアの判定基準は、ISに対して危機感を持っていない、女性、子ども、であると考えている。よくわからんのは第一世代のほうだ」

 

「では……」

「もういいだろうラウラ」 急かすように言った 「わたしの秘密は話した、おまえの秘密も話せ。両部屋はジャミング装置がぎっしり置かれているから盗聴の心配はない」

 

 べらべらとしゃべっていたのはその自信があったからとラウラは納得する。

 言うべきか、否か迷う。しかし、このままでは本当にレーゲンに……

 

 

 

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 試験体四号は試験管生まれだった。生命の奇跡ではなく、人類の科学から生みだされた。

 

 

 当時のドイツの軍事構想の一つは、遺伝子操作による先天的な戦闘適性を持った人間で軍団を構成し、ミクロの観点から軍事力の底上げを図ることであった。無人機同士の戦闘は膠着状態に陥ることが多かったからである。

 しかし軍内部から、生命倫理を理由にこの計画に否定的な意見をもちだす者が続出。彼らは無人機ボケしており、人間が戦争をすることに違和感を覚えていたことも理由する。

 

 わずかな亀裂が入る。

 計画推進派は反対派に隠れて、秘密裏にこれを実行。十一人が試験的に生み出された。六名が男、五名が女だった。

 彼らの戦闘能力は凄まじく、射撃能力は十歳の時点で訓練された軍人と渡りあうほどだった。体術は体格差を覆すまでにはいかないながらも相当だった。

 

 しかしその中で、試験体第四号の戦闘能力は芳しくなく、まったく平均的な少女としか評価できなかった。科学者からすれば一定の確率で彼女のような不適合者が生まれるのは想定の範囲内だったので、単純に処理という判断が妥当だった。

 

 その少女はなんとなくだが、訓練を通して自分が他の子供たちに比べて劣っているということは理解していた。二十五ヤード先の釘を撃ち抜けなかったし、力比べでも勝ったことがない。

 子供というのは意外にも大人の態度に敏感で、このままでは自分がどうなるかも薄薄感づいてもいた。

 その判断基準とするのはおそらく古典的な人間性などではなく、戦闘適性を数値的に表したデータだということも。

 

 このころから彼女は生と死、人間と機械に対して深い興味を覚えるようになった。

 

 ある昼下がり。銃器などに関する知識の、教育ソフトウェアを使っての訓練のときである。PCが簡素な仕切りで区切られた部屋で、キーのタイプ音が十一人分響く。ソフトウェアのAIがウインドウ上で、戦術を指南。わからないところをタイプすればすぐに補足し、こちらが指定した状況下での戦闘もシミュレートしてくれる。

 

 ふと、四号の両の赤い瞳がそのウインドウの左上のインフォメーション・バーに止まる。徐々にキーを叩く指が鈍り、ついには止まった。瞬きを忘れ、食い入るようにそれを見つめる。

 

『Combat Program Guide Typ-S Ver 15.3』

 

 以前はTyp-Rだった。Rはどこにいったのだろうか。なぜSになっているのか。フムン。

 

『四号、どうした?』

 

 それにこのVer15.3、これも気になる。Ver15.2はどうなったのだろう。

 

『四号が使用しているPCの自己診断プログラムを実行しろ…………ウム……そうだな、もう少し様子を見ようと思ったが……』

 

 三重の電子ロックの重たい扉が開き、職員二人が四号を連れて出る。四号、身動き一つせず。引きずられるように殺風景な自室へ。

 ベッドに寝かされ、天井を見つめる。おぼろげながら答えを見つけたのは夜になってからだった。

 

 Typ-Rが消えた理由。おそらくそれはSのほうがRより優れているからだ。同様の理由で、Typ-SのVer 15.3以前のバージョンは上書きされ、消された。

 

 四号はいぶかしむ。わたしはこのような単純な回答を求めていたのかと。違う。再び思考の海に潜り、しばらくしてそうかと気がつく。

 

 わたしはあのソフトウェアに強い親近感を覚えたから、これほどまでに関心を寄せていたのだ。

 

 ある問題を高速かつ効率よく解決するために人間が作成したデジタル技術の完成形の一つ。コンピュータ、ソフトウェア、プログラム、アルゴリズム。それらの優劣は単純に数値で計られる。優秀なものは生存競争に勝利し、デジタル技術という世界で生き延びる。劣っていれば他に取って代わられる。

 

 科学によって生み出された。

 数値によって価値が決定される。

 優秀なものに敗北を喫し、消える。

 

 教育ソフトウェアが更新されたことでようやくその事実に気がついた。

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 そう考えると、なんだかクスリと笑える程度にはおかしい気持になった。

 

 コンピュータプログラムなどの実体を持たない電子存在をデジタルと呼ぶなら、その対極に位置する人間存在は実にアナログだと思ったからだ。

 

 ではわたしはそのどちらに属するのか。これがなかなかに難問だった。ひょっとすると自分の頭の中にはコンピュータが入っており、そのハード、またはソフトウェアは他の試験体にスペックの上で、数値的に劣っているだけなのではないだろうか。

 

 もしも電子存在が意識を持ち、言語能力などの入出力が可能で、コミュニケーションがとれるのなら尋ねてみたい。

 わたしは、一体……

 そこまで考え、ぞっとした。体が震えだす。

 そうなれば、きっとTyp-RやVer15.2も同じ事を聞いてくるに違いない。

 シーツにくるまり、堪える。わたしはTyp-RまたはVer15.2か。それとも……

 

 小さなこぶしでまぶたを擦る。

 わたしと彼らとの違いは所詮、このこぼれ落ちる涙をぬぐえるかそうでないかの違いでしかないのでは……

 枕に顔を押し付ける。こんなこと考えなければよかった。感傷的になりすぎた。

 わたしは人間だ。こんなばかげた発想をするなんて、どうかしている。

 

「……()()だ、わたしは」

 

 四号は浅い眠りについた。

 翌日、十一人いた試験体は十人となっていた。試験体一号がいない。四号を除き、誰もこのことに疑問を持たず、特殊硬材で造られた広いドーム状の射撃訓練施設で淡々とマンシルエットを撃ちぬく。

 

 四号は訓練官にそのことを質問しようと思ったが、やめた。どうせ答えてくれない。

 処分されたのだろうか。Typ-Rのように。訓練しなければ。

 四号は小さく身震いをした。

 

 次の日、一号が戻ってきた。四号は訓練官の隙をうかがい、何があったかを尋ねてみた。互いに抑揚のない声。

 

「ISと呼ばれる新兵器の適性検査を受けたよ」

「それはどんな兵器だ」

「なんと言ったらいいかな、気持が悪かったよ。たぶんあなたも検査を受けるだろうから、自分で確かめてみるといい。意地悪しているわけではないよ。たとえが思い浮かばないんだ。きっとどのAIも答えてくれないと思う。わたしたちが知らないだけで、外の人は言い表せられるのかもしれないけど」

「そう、ありがとう」

 

 じゃあ、と言って訓練に戻る一号の背を見送る四号。新兵器にあれこれ考えをめぐらし、慌てて自分も続く。早く数値を上げないと、処分されてしまう。訓練しなければ。

 

 その翌日から、試験体は一人ずつ別の研究施設に移された。一応四号も。大きな四角い部屋にて、二メートルほどの、胴の前面がない機械の鎧と出会った。

 

「これはなんでしょう」 と四号。十メートルほど上の、透過材の向こうの技術者にマイクを通じて尋ねる。

 

『新兵器。今は詳しく知る必要はないよ。さ、さっそく乗ってみて。靴下を履くように足を入れて、服の袖を通すように腕を入れて、ソファに腰かけるように背を預けて』

 

 言われるがまま。すると一瞬、背中が見えない力で後ろに吸い寄せられるような感覚。

 

『オーケイ、機動テストに入る。動いて』

「どうやってですか」

『いや知らんよ、わたしは男だから。あー訂正。まずは、なになに。初歩として、行きたい空間を目視し、そこにワープするようなイメージ。最終的には、空間をXYZの三軸で認識し、常に自分の座標を(0.0.0)と置き換え、かつそのイメージ状態を維持。移動したい座標を数値で表すことが望ましい。と書いてあるな。ワープって意味、わかる?』

「わかりません」

 

『きみら試験体はみなそう言うな。SFとか好きじゃない? わたしはこれが……うるさいな。そもそもわたしは乗り気ではないのだよ、この計画には……正規軍人のテストの方がましだよ、精神的にもうわっ』

 

 いきなり透過材の前に四号が現れ、驚く研究員。

 

『……驚いたな。おい見たかきみ。しかしやっかいなことになったかもしれんぞ、こいつは……ウーム。四号、最初の場所に戻れるか? やれやれすごいスピードだ。わかった、訓練終了』

 

 最初に身を預けたときとは逆の順序で鎧を脱ぐ。先ほど指示を送っていた研究員がやってきて、出口まで付き添った。

 灰色の長い廊下の途中、進行方向を向いたまま四号がぽつり。 「わたしの数値は……」

 

「うん?」 と研究員。ちょうど四号が見上げ、研究員は見おろす。歩みを止める。

 

「実用に耐えますか」

「……きみは、優秀だよ。処分されはしない。さ、行こう」

 

 計画推進派の研究員に引き渡されるとき、四号は一度だけ付き添っていた研究員のほうを振り返り、車に乗せられ、去った。

 残された研究員。小さくなっていく車の影を眺め、タバコに火をつけた。

 

「チーフ」 と背後から声。

 振り返らずに答える。 「なんだ」

「かの計画はわが国に必要でしょうか」

「わからん。われわれは兵器は造るが、軍人でもなければ政治家でもない。しかし給料は同じ国から出ている」

「人間が戦争するなんてナンセンスですよ」

「ISはそれを覆しかねん。そしてあの子が生き残るにはISの操縦者に、当面は被験者になるしかない。現段階でだが、正規軍人も含め、彼女が最も適性がある」

「寿命を全うするまでは大丈夫でしょう。とにかくわたしはどうも連中が気に食わない」

「やつらは徹底したリアリストなだけだ、そこに悪意は存在せん。だが、気に入らないという点に関しては、珍しく意見があったな」

「と、言うと」

「しかたがないだろう」

 

 チーフと呼ばれた男は助手に振り向いて言った。

 

「今にも泣き出しそうな顔されたんだ」

 

 

 

 一ヵ月後。計画反対派が前触れなく推進派の存在を察知し、非人道的と強く糾弾。国家保有のISを私的な研究に利用していたという証拠がある研究施設から、内部告発と言う形で提出され、受理。それを理由に推進派組織を解体。国民に知らされることなく事は解決した。

 その際、四号を除く十人の試験体の扱いについては、養子という形で信頼置ける軍人に引き取られた。

 

 四号はというと、その類まれなる才能を活かすべくISの被験者としての道を歩んだ。

 

 

 

 数年の月日が流れる。

 

 

 

『こちらブリュンヒルト。バルバロッサ、応答せよ』

「こちらバルバロッサ。ブリュンヒルト、聞こえている」

 

『ブリュンヒルトよりバルバロッサ、状況を開始せよ』

「ブリュンヒルト、了解した。これより状況を開始する」

 

 ドイツの黒い森で地面より三十センチほど浮いている黒い装甲のIS。その操縦者、ショートカットの銀髪と赤い瞳、左目は眼帯で覆われている。

 装甲に内蔵されている通信システムを切る。コアネットワークと呼ばれるIS同士の通信システムは、それを持たないものとは通信できないのだ。

 

 彼女は木々の間を縫うように、速度を落とさず超音速飛行。

 ISは空気抵抗を無視できる。したがって空気の圧縮現象を生み出さず、衝撃波を作らない。

 ハイパーセンサは周囲の乱立する木々をスキャンし、目的までの最短距離を計算。ルートが変わればそれを修正。

 コンタクト。音もなく目標に接近。しかしそれは向こうも同じ。デフォルト設定のFCSは中、遠距離戦モード。

 

 二機の距離が近づき、同時に中、近距離戦モードに切り替わる。

 眼帯の少女が木々をじぐざぐに掻き分け、敵機の近接格闘兵装の射程距離へ踊り出る。敵機のFCSが近接格闘モードに自動で切り替えられ、連動してハイパーセンサはその範囲を自機周辺に絞り込む。プラズマブレードで迎え撃った。鋭い突き。

 

 眼帯の少女はそれを見越してのプログラム行動、遷音速で三メートルほど急速上昇。目標機、空振る。その隙をリカバーするため、空振りをトリガーにしたプログラム行動。瞬時に後方の大木に身を隠すように退避行動に移った。

 

 この時、目標機のハイパーセンサは近接格闘戦用のままで、仕掛けてきた機を戦闘把握領域から逃していた。

 

 眼帯の少女はここぞとばかりに追撃、目標機の退避行動確認とほぼ同時。FCSを近接格闘モードに切り替える。連動してハイパーセンサもそれに従う。振りかぶる。有効射程圏内。敵機、攻撃の空振りから立ち直れていない。伸びた腕を戻している最中。

 

 一方的に敵機を戦闘把握領域内に捕らえ、戦闘掌握領域と呼ばれる状況になる。ハイパーセンサの情報を元に、ISコア内中枢システムは現在の敵機の状態から、自機の取っている行動と照らし合わせて、敵機の取るであろう無数の行動パターンを並列処理し、未来においての敵機の最適行動をいくつかはじき出す。

 その取るであろう敵機の最適行動から、未来においての自機の最適行動を逆算し選択。装甲を通して操縦者の動きを、間接などの肉体的制限を考慮し、補正する。

 

 量子コンピュータレベルの相互作用の超高速計算はそれを一瞬で実行処理。

 決着。訓練状況、終了。

 

 

 

 簡素な事務部屋で 「ごくろうさん」 と提出されたレポートに目を通すチーフ。 「髪、切ったのか」

 

「はい」 と抑揚のない声で直立不動の眼帯の少女。 「目視線誘導の邪魔になるので」

 

「なかなか似合っているよ…………近接戦闘の勝敗を分ける要因はシミュレーションの処理速度に大きく依存する。操縦者の技量とFCSとコアの戦術判断を割合として表す場合、およそ三対七と思われる、か。その補正の効果はそれほど絶大なのか?」

「動作として作用する補正は僅かなものですが、戦闘掌握領域に捕らえた時点で勝敗は決すると思われます」

「となると、互いに戦闘掌握領域にとらえた状況、把握領域の時点では操縦者の技量がものを言うわけだ。プログラム行動は?」

「多用すればかえって危険です。トリガーにする状況は操縦者が決定するので、逆手に取られる場合もあります」

「なるほど」

 

 チーフは安物の椅子に背を預けた。ダイエットしろと背もたれが抗議の音を上げる。ぎしり。しばらく目を瞑った後。

 

「ラウラ。おまえ、日本に行ってみないか」

「日本」 と眼帯の少女は脈絡のない単語にオウム返し。

「IS学園とかいう教育機関が設立される。スポーツとしてのな」

「わたしは研究所に不要と」

 

 声が僅かに震えていた。慌ててチーフが遮る。

 

「違う。そうは言っとらんだろう。あれだ、おまえにはISスポーツ界の頂点に立てる可能性があるということだよ。表舞台の、こんな胡散臭い軍事研究施設じゃなくて」 ニカッと微笑んで――助手は不気味な顔だと言ったが。 「同世代の子もたくさんいるぞ」 と付け加える。

 

「興味がありません」

「その施設では技術面の向上が目的とされている。その三割の底上げが期待できるぞ」 にこにこ。助手は正しい。

「その学園がスポーツとしての教育を第一にしているのであれば、実戦に耐えるほどの技術を身につけることはできないと思われます」

 

 取り付く島も無い返事。あー、ウム。とデスクのパネルに視線をやり、片手で操作。助手に文句のメッセージを送りつける。

 

『ぜんぜんうまくいかんぞ!』

 

 すぐにレスポンスが。

 

『なんとか言いくるめて! 偵察だとか何とかいろいろあるでしょう』

 

 チーフは視線を上げる。意味深に指を組み、深刻な顔。

 

「というのは建前で、実はきみには重要な任務があるのだ。他国のISを調査してきて欲しい。それにきみがIS学園で優秀な成績を出せば、わが研究所も鼻が高いし、ひいてはわが国の立場も大きくなるし、それに……他にもいろいろある。まあ、いろいろは極秘事項だから。いろいろについてこれ以上は詳しく言えない。それはいろいろと多岐にわたるので、説明するのはいろいろと大変だしな」

 

 あれこれと説得しようとしたがラウラはなかなか首を縦に振らず。と、響くコール音。デスクの受話器を手に取る。

 

「なんだ、どうした。今忙しいのだ。取り込み中」

『チーフ! チーフ! またあいつらが!』 と大声で。おもわず耳から受話器を離す。

 

「……またか」 心底疲れた声。 「こんどはどの機材をぶっ壊したんだ?」

『わー危ない! もう、いや! チーフ!』

 

「落ち着け。今から助手を向かわせる。本当だ、向かわせる。だから……あー、ちょっと待て」 と、マイク押えて言った。 「ラウラ、とにかく行ってみろよ。得るものがあるはずだ。途中で嫌になったらまた戻ってくればいいさ」

 

 戻ってこいと言う言葉に、ようやく渋渋と頷いた。

 

「よし、退室。悪いが忙しくなった」

 

 真っ赤な顔で受話器に叫ぶチーフを後に、ラウラは事務室を出た。自室に続く、白く長い廊下を歩く。

 

 そっちだ、そっちに行ったぞ!

 回りこめ!

 もう許さん!

 

 研究所がにぎやかだ。

 

 突然曲がり角から大きな黒猫が飛び出してきた。一抱えもするその猫は、勢いあまって自然とラウラに抱きつく形になる。不思議とそれほど重くはなかった。

 遅れて飼い主の研究員が飛び出してきて、その猫を引っつかみ、駆け出す。いつだったか、ふらりとこの施設を訪れ、AIC開発に協力した人物だ。また遅れて十数人の研究員が後を追いかける。

 

 彼らが走っていくほうを振り返ると、首根っこを掴まれた黒猫が手を振っていた。ように見えた。あれは前足だ。

 クスリと笑い、ラウラ・ボーデヴィッヒは日差しに明るい白い廊下を歩き出した。

 

 歩き出したのだ。

 

 

 

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「……なんとか説得できたか」

 

 と呟くチーフ。一息つくまもなくコール音。相手は助手。

 

『うまくいきましたか』

「まあな」

『泣かさなかったでしょうね』

「危うかった。しかし、強く出なければしょうがない。彼女に軍人以外の道も示してやらなければ」

 

『渡りに船でしたね、日本のIS学園は』

「ま、各国からコアを提出させて、研究にまわさせないようにするのがもくろみだろうがな」

『すでに一つ、復元不能までばらばらにしちゃったから結構な痛手ですね。いったい日本はいくつコアを持ってるんだろう』

「さあな。それより頼むよ。ドイツのIS軍事利用推進派はラウラを手放したがらない。政府は頼りにならんよ。国が二分割されてしまう」

 

『いつの時代でも上は頼りになりませんよ。おっと失礼、政府は、に訂正。民衆の支持はこちらにあるでしょうから問題ありません。わが国の優秀なIS乗りを世界に知らしめるのだ! とでも言えば』

「それも重要だが、突然選出する生徒を変更するのだ。そちらの手筈はどうか」

『ぬかりありませんよ。大丈夫です……』 助手は一拍置き、ためらって言った 『さみしくなりますね』

 

 しばしの沈黙。破ったのは助手のほう。

 

『彼女がIS以外の道を選んでくれればいいのですが』

「……無理だろうな」

『可能性はあるのでは』

「ないよ、まったく。ない。あの子はレーゲンを自分の半身と思っているから」

『それほどまでに。なぜ』

 

 チーフ、言うべきか否か迷う。助手、いぶかしむが、すぐに左目のことだと察する。

 

『教えてくれませんか、そろそろ』

 

 言われて三回ほど口を開いては閉じる。全研究員に、決して尋ねてはならないと肝に銘じさせた極秘事項。

 

「他言は……いや、一度しか言いたくない。聞けよ」

 

 見えていないことは承知だが、助手は黙って頷いた。

 

「ラウラは自分が電子存在かもしれないと本気で思っていた。意識やゴースト、ソウルの概念で。ぬぐいきれんよ。おそらく。左目の件はそれを象徴している…………あの時、われわれが内部告発の証拠や文章を揃えている一ヶ月の間に、計画推進派は彼女の左目にマイクロマシンを組み込んだ。前方集中型のセンサーをコアとリンクさせ、鷹の目レベルの索敵能力を得るために。ISコアはデータ格納していない装置とは入出力を行わない。どんな通信システムも受け付けないし、ハッキングの類も不可能だ。あれはあらゆる電子システムから完全に独立して構築されている。それゆえの手段だった」

 

『信じられない……やつら。狂っていやがる』 感情を押し殺し、助手。チーフはかまわず続ける。

 

「彼女は自分の体が機械に侵食された事実に恐怖した。ひょっとすると次は臓器で、このままではコンピュータとなってしまうと。だから自らその瞳を……機械となったそれを、取り除いた……あの子がISに執着する理由はそこにある。ISはオーバーテクノロジーだが有人機という点ではアナクロで、人間でなければ操縦できない。ラウラにとってのISはつまり、自分が人間だと証明する絶対的な指標だ。それに――」

 

 疲れたように額に手をやる。

 

「それにISがなければ彼女は処分されていた。彼女を救ったのはISだよ」

 

 珍しく自分のこと以外に罵詈雑言を浴びせる助手をなだめた後、受話器を置き、チーフは目頭を揉んだ。

 

 溜息をつく。

 

「われわれがすべきこと……はなんだ? 彼女のことを考えるならそれは……」



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第六話 真実の忍び寄り

 蝉が鳴く正午。IS学園の食堂、織斑千冬はデュノアの操縦者技術の向上項目をタブレットPCに入力しながら昨夜の会話を反芻していた。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒがカミングアウトした事実は、自らが試験管生まれであること。それがISに拒まれる要因であるならば、コアは純粋な人間かつ女性しか認めないということになる。

 しかしそれと決定するには情報が少なすぎた。他の試験管生まれも同じ現象が起こっているのかどうかを確かめないことには、ボーデヴィッヒの不調は別の要因が絡んでいる可能性が残る。

 

 仮定として起こりうる状況を推測していかなければならなかった。自然と表情が険しくなる。

 織斑千冬の危惧する未来での戦争。当然ISが使われる。そのとき操縦者が純粋な人間女性で限定された場合は、戦争下にある国の男女比はある程度崩れる。子孫を残すという手段は試験管で解決できるので人口は問題ないとしても、生み出された子供はISを動かすことができず、戦力の低下はまぬがれない。となると、自然と戦力に直結する純粋女性の持つ価値は高まる。

 

 その事実に直面した時、未来の政府はどのように対応するのだろうか。

 まず試験管から女性を生みだす。成長後、その試験管生まれの女性が性行為により妊娠した子供がIS適性をもつのであれば、戦力は十分に貯蓄できることになる。できなければより純粋女性の価値が高まり、ネットの噂が現実のものとなる。人口の少ない国が最も影響を受けるだろう。

 

 例外として技術者が制限を外すことに成功すれば、起こりうる強力な女尊男卑の問題は解決する。またはISの無人機化。これが実用できれば少なくとも戦争については従来と変わりないのだが。

 IS無人機化計画はもちろんあるが、その目処はついていない。コア自体がまったく不透明であるので、当然といえば当然だった。

 

 コーヒーを含み、目頭を強く揉む。

 しかしそれほどまでに大規模な戦争など起こるわけがない。それに、自分の戦争の行きつく先は、そうならないように組織を設立、運営すること。そのためにIS乗りとしての才能を利用すると心に決めたのだ。

 

 一息つき、運営する組織が介入できないほどの世界大戦に突入する要因をいくつか考察することにした。結果に至る過程をつぶせばよいのだから、無駄にはならない。

 

 小規模の紛争から独立戦争、大国に連鎖し大規模の代理戦争に発展。

 天変地異による極度の資源の枯渇。それの奪いあい。

 何者かが世界のミサイル制御システムを掌握し、弾道弾を各国へと発射するというのはどうだろう。当然ISによって落とされるが、引き金にはなる。

 

 そこまで考え、やはりとかぶりを振る。

 今度は友人の篠ノ之束に思いを巡らす。私的な感傷ではなく、解決の糸口をそこに見出そうとして。

 なぜ、有人機にしたのだろうか。彼女の腕と脳ならば、無人機化はたやすそうに思える。

 

 人間を戦場に連れ戻して一体何になるというのか。無意味な死を強制させるような狂人ではないはずだ。それは唯一の友人である自分が誰よりもよく知っている。

 ISが、闘争が人間でなければいけない理由。そんなものはない。違うとでも言うのだろうか。

 時代は変わった。戦争は人の手を離れ、他国の戦争はまるで別世界の出来事のように人人は生活を送る。自国の戦争でさえ対岸の火事だろう。高価なおもちゃが失われるだけ。

 

 会いたい。会って話さなければならない。なぜISを造ったのか、有人でなければならない理由は? アリーナでしかISを起動できないようにコアをアップデートできないものかと。そう、例えばコアの周囲が一定の長さの円形状の外壁――アリーナのような、に囲まれていなければ起動とその継続が不可能にし、それをセンサーで確認させ。

 

「先生?」

 

 と、ここで思索の糸は断たれた。シャルロット・デュノアの真面目な英語。タイプする手を止め、はっとして視線を向けると、おそるおそるといった感じで。

 

「あの、すごく難しそうな顔してましたけど」

 

「そう心配がるな」 わずかに微笑み、安心させるように言った。 「おまえの成績のことで悩んでいるわけではない。よくやっているよ、おまえは」

 

「いえっあの」

デュノア、図星を指され、笑って取りつくろう。それを見て織斑千冬、思考を切り替える。

 

「このあいだおまえに貸してもらった小説、面白いな。まだ半分ほどだが」

 椅子を引いてやり、デュノアを隣に座らせた。アイスココアを注文してやる。

 

「嬉しいです。わたしも大好きなんですよ、あの本」

「しかし驚いたよ。おまえがS()F()好きだとは」

「いやあ、なかなか話の合う友人ができなくて。よく女っぽくない趣味だと言われます」

「IS操縦がなかなかなのも、その趣味が一役買っているのかもな」

「そうなんですか?」

「空間座標の認識やその移動などをSF的解釈により柔軟に理解し、実行しているように感じるよ」

「ありがとうございます。こういうのって日本語では、備えあれば憂いなしって言うんですよね。合ってます?」

「発音だけはな。意味はちょっと違う」

 

 アイスココアがウェイターに運ばれてきた。いただきますとデュノア。織斑千冬はタブレットPCを操作し、なんとなしに借りた小説のデータを呼び出す。 「そういえば。おもしろかったので調べたのだが、市場には出回っていないようだな」

 

「実はですね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()いて。アナログな紙媒体でしか出版してなかったそうなので、偶然手に入れたぼろぼろの原本からなんとか加筆して復元させたんです。噂では下巻があるらしいんですけどね」

「させた、ということはおまえが依頼したのか?」

「そうですよ。なのでその電子媒体の本はわたしと先生と、復元を依頼したライターしか持っていません。原本を持っている人は他にもいるかもしれませんけど、どうでしょうね。かなり貴重らしいですけど」

「大丈夫なのか」

「著作権は切れちゃってるでしょうし。まあ、個人が楽しむ分には問題ないって法務の人も言ってましたよ」

 

 それを聞き、織斑千冬はそうだったなと今更ながらに思い出す。シャルロット・デュノアは、肩書だけだが、社長でありながらISを動かすという自社製品宣伝のためにIS学園に入学したのだ。

 

「なるほど。ところでデュノア、相談なのだがこのデータをわたしの知り合いにコピーして渡してもいいか? 探している人がいてな、題名からおそらくこれだと思うのだが」

 

 表紙のページを呼び出す。 「作者名がないな」

 

「保存状態が悪くて欠落している部分がかなりあったので完全なオリジナルとは言えませんし、表紙がない状態だったので、原作者名もわからないんですよ。タイトルは確かですけどね。これでよければ、ええ、どうぞ。でも、誰なんですか。女性ですか?」

 

 デュノア、お年頃の女の子。気になる。データ複製の承諾を差し出した。対価を求める。

 

「対無人戦闘機演習に使われた訓練用標的機のオリジナルを造った人だよ。おまえも太平洋の訓練領域で相対しただろう」 なんとなしにカップをもてあそび、中のコーヒーを揺らして答えた。 「おまえの考えているような関係ではないよ」

 

「なんだ、いや忘れてください。DmicD-9でしたっけ」

「それはオリジナルのほうだ。おまえが、この学園の生徒が墜としているのはそのデッドコピーだよ」

「じゃあ、名前はDmicD-TSですか」

「そうだ。ブレインコンピュータはナイン型ではないし、内装も似通ってはいるがオリジナルのものとは違う。鷹の目の出力も低いしな。かろうじてDの名を冠するが……知らなかったのか」

「見た目が一緒だったのでつい……あ、でも大丈夫なんですか。お知合いなんですよね?」

「なにがだ?」

「だって先生、五年前にDmicD-9を撃墜しまった!」

慌てて口に手をやるデュノア。織斑千冬、その様子に苦笑。目の前に広がる、ぎらつく海に視線をやる。

 

「別にかまわんさ。もはや周知の事実だ。一応機密扱いだが、上はそれほど重要視していないし、この学園では知らない人間の方が少ない。その人も知っていたが、根に持っていなかったよ。むしろISに肯定的だった」

「むむむ、それは何か裏がありそうですよ。怪しい」

「わたしもそう思ったが、違うよ。まあ表面上取り繕っているだけかもしれんが……たぶんあれは思想からなるものだ。あの人は()()()()()()()()()()()()()()()()()()った」

「兵器……」 数秒思案してようやく合点がいったように。 「ISはないと思いますけどね」

 

「そうだな」 短く答えると、腕時計に視線をやり続いてコーヒーを飲みほした。デュノアもそれにならう。

 

「そろそろ時間だ。指定のヘリポート前で待機。ちょうど対無人機戦闘演習だな」

「でもわたし、苦手なんですよね、あのバイザー。どうも睨まれているようで」

 

 脳裏に浮かび上がった光景。飛来する四つのシーカー。その後方より戦闘加速を持ってして迫る巨大な鉄塊。なんとおそろしく無機質なこと。

 

「本物はもっと冷ややかだ」

「え?」

 

 デュノアは思ってもない答えに織斑千冬を見上げた。いつもと同じ、口をへの字に結んだ真面目な表情。

 

「ほら、さっさと行け。訓練用レーザー兵装だぞ」

 

 二人は席を立ち、並んで廊下を歩いた。

 

「ちゃんと準備してますよ、もう。先生こそ日焼け止め忘れちゃだめですよ。日差しが強いんですから」

 

 

 

 その夜、織斑千冬は自室にて、訓練機から転送したデュノアのデータを過去のものと比較していた。

 携帯端末に連絡が入る。作業を一時中断しディスプレイを見ると弟、一夏の文字。非常時以外は使わない約束である秘匿回線。眉をひそめる。

 

 加えてこの時間帯。デスクに置いてあるデジタル時計を見やると、ちょうど日付が変わった。

 エージェントからのメールをチェック、これといった連絡はなし。

 

 ヘッドセットをつける。

 据え置きのPCと有線、逆探知をかけ、通話。状況をタブレットPCの投影ウインドウでモニタ。黒地に緑の線で日本地図が映し出され、全土を囲む正円が赤線で描かれる。

 

「どうした、こんな時間に」

 

 赤い正円が狭まるとともに、地図がズームする。東西、地方、都道府県、市、区。それに伴い、緑の線はより緻密になり、情報量を増し、より鮮明な地図になる。円は点になり、場所を特定。自宅マンション、最上階、自宅。

 

 ドアロックのログをチェック、侵入の痕跡はなし。エージェントにフロアの監視カメラをチェックせよとのメールを送る。

 

『千冬ねえ、あの、その、何から話せばいいのかわからないんだけど。まず、確かめないといけないことがあるんだ』

 

 ひとまずは胸をなでおろす。身の危険を知らせる単語の組み合わせの暗号はなかったので。念のため、肉声チェック。

 

「落ち着け、一夏」

『ごめん』 と、深呼吸が向こうから伝わってくる。

 

『あの、ISコアに意識があるかどうかを知りたいんだ。千冬ねえなら知ってると思って』

「いきなりどうした。なぜおまえがそんなことを気にする」

 

 小さなウインドウが新しく投影される。合成音声の特徴は検出されず。およそ本人であるとの結果。

 

『お願いだ、教えてほしい』 思いつめた声。優しく言い聞かせる。

「さあな、羊の夢くらいは見るかもしれないな」

 

『大事なことなんだ』

「あまり姉さんを困らせないでくれ」

『……無人機が、束博士は無人ISを造った。もう、すでに』

 

 ばかな、出かかった言葉を飲み込む。しかし弟であるならば、このような冗談を言うはずがない。

 

「どういうことだ、なぜおまえが」

『これ以上は……』

「わかった、今から帰る。直接話そう」

『ありがとう、千冬ねえ。信じてくれて』

 

 通話を終了。用意していた最低限の荷物が入ったバックを手にし、部屋をでる。更識家がうっとうしいが、どうとでもなると携帯端末から運行管制システムにアクセス、いくつかの手続きを無視して無人のモノレールに乗り込んだ。

 本土に着くと、エージェントに手配させた車で自宅マンションに直行。

 

 そして弟と、その幼馴染である箒から驚くべき事実と予測を聞かされた。

 しばらく議論し、考えをまとめると、ふと織斑千冬の抱えていたある疑問が解決へと繋がった。

 

 あなたの持つ、強い兵器開発競争の肯定。それは巨大な兵器体系に携わるが故だと考えていたが。

 急ぎあなたに連絡を入れた。手紙など悠長なことをしている暇はない。部屋のジャミング装置に期待する。

 五回のコールを経て、通話。

 

「織斑千冬です。夜分遅くに申し訳ありません。ただ、緊急の用件がありまして……ええ、はい」

 

 誰? と弟が姉に視線で訴えた。あとで話すと返す。

 

 違和感はあった。いや違う、これは違和感ではなく()()()。ISになんの危機感も持たないという点で()()()()()()()()()()を持つ者を集めた、世から隔絶されたあの人工島は、そっくりだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「実はどうしてもお尋ねしたいことがありまして」

 

 タブレットPCを起動。電子書籍をサポートするソフトウェアを操作し、しおりから前回読み終えたところを呼び出す。悟られぬように深呼吸。平静を装う。

 僅かに眠りを引きずるあなたの声に悪びれもせず、言った。

 

 投影したウインドウから視線を外さずに。

 

 教え子より借りた、オリジナルの復元版。

 インフォメーション・バーに映る『()()()()()()()()()()()』の文字を見て、織斑千冬はそう思った。

 

 ()()()()()のか、F()A()F()()()()()

 

「あなたはジャムという存在を知っていますね」

 

 

 

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 約五年前のあなたはモニタに図面を描いていた。曲線、直線。航空力学、電子工学、材料力学、機構学、制御工学、空気力学、熱力学。それらに則り、燃料タンク、ブレインコンピュータ、エンジンなどの納まる場所などなどを確保しつつも、小型化を図り、重量を減らすために。更なる高性能機を作るために。

 

「おい」

 

 すると突然呼ばれ、振り向いた。上司だった。年下だが信頼の置ける人物であり、尊敬に値すると思っていた。

 

「上が呼んでいる」

 

 はてと首をかしげる。あなたはこの分野において類まれなる才能を持っていた。ミスなどした覚えはない。するはずもなかった。デスクを離れ、向かった。

 上質な木材の扉をノックする。

 

「入りたまえ」 少し鼻につく声。

 

 柔らかな灰の絨毯を踏みしめ、目の前に広がる窓からの光に、少し目を細めた。上の者の顔は逆光により影となり、見えなかった。意識して焦点を合わせなかったのかもしれない。たしか……まず、ほめられた覚えがある。君の設計した例の機の生産コストが、わが国の制空権の、戦術思想を満たす、高高度の高速大陸間弾道ミサイル迎撃成功率が、それによる戦術、戦略的価値において云々と。

 

 つらつらと言葉を並べると、上の者は一息つき、デスク上のパネルに触れた。右手の投影壁に映像が映し出された。

 

 年端も行かぬ少女が露出度の高い、鎧のようなものを身に纏い空を駆けていた。あなたは雲と太陽との相対速度から見て、おおまかにそれが超音速飛行であることを知った。続いて戦闘機が現れる。見間違うはずもない、DmicD-9。可動式バイザーが瞬きをするように見えたことから、“ブリンク”と名づけた。あなたが核となって設計、生産した無人戦闘機だ。いわばわが子同然だった。それが、無残にも散った。唖然とした。ありえるのか、このようなことがと。心血注ぎ、さまざまな人の助けを借り、作り上げた結晶が投影壁一枚、投影された光越しに音をたてず砕けたのだ。ぞっとした。

 

「インフィニット・ストラトス。ISと呼ぶそうだ」

 

 あなたの心境をよそに、声は無遠慮に投げかけられた。ISについての簡単な説明の後、続けて。

 

「我が国もISを手に入れることができた。君に新たに開発してもらいたいのはそのISの、そのISとやらの」

 

 やめてくれ。

 

 実験データ収集、機能性テストおよび向上のための無人機を開発してもらいたい。

 

 目頭が熱くなる。攻撃性のないレーザーを模擬弾としたシミュレーション戦闘なのだから武装面での考慮は不要とのこと。海中に没したとしてもデータを収集できるようにとのこと、なるべく低コストで作れとのこと。きみならできる、わたしは信じているとのこと。

 

 その命はつまり、結局のところ。敗れを前提とした機を作れとのことだった。

 

 あなたは熱弁を振るう。そのISとやらが、いかに兵器として不完全か。スペック上、他を圧倒していたとしても、代替のない兵器は兵器としての価値を持たぬことを。しかしそれは単なる屁理屈に過ぎないことはわかっていた。不透明な兵器だからこそ実験を繰り返し解析するのだ。主力となるかどうかはその結果を見て判断する。

 

 当然腰を曲げ、頭を垂れたのはあなただった。いや、たとえあなたの言ったことが正しかったとしても、組織に身を置く者はみなそうなるのだ。自分のつま先と上質な灰の絨毯を見つめる。鉄の味がした。

 

 ふらつく足で退室する。仕事場に戻る前にトイレの個室に入り、白い便器にゲロをぶちまける。センサーが反応し、それは音も無く渦に飲み込まれ、排水された。口をぬぐい洗面所の鏡を見る。感想は特に思い浮かばなかった。

 口をゆすぎ、唾液と血と口内に残った胃液を吐き出す。トイレから出ると、腕を組んだ上司が目を瞑ったまま、向かいの壁に背を預けていた。ぽつりと言った。

 

「すまんな」

 

 あなたは視線どころか体を向けることもできなかった。壁に視線を泳がす。

 

「今日は早退していい」

「はい」

 

 背を向け、歩き出すあなたに上司は。

 

「話がしたい。今夜うちに来い」

 

 あなたはデスクにも寄らず、仕事着のまま手ぶらで自宅に帰った。帰路のことは覚えていない。意識が覚醒したのは上司からの電話によるものだった。秘匿回線。

 

「もしもし」

 

 小さな舌打ちが聞こえた。

 

『……五分はコールしたぞ』

 

 椅子に座っていることに気がつく。窓の外はすっかり暗くなっている。

 

「すみません……なんでしょうか」

 

 今度は露骨に聞こえた。おぼろげに会話を交わす。

 

 やはり忘れているか。今すぐわたしの家に来い。今、自宅だな? ああ……そうだ。当たり前だろう、地下のほうだ。それとPCを忘れるな、仕事用ではなくプライベートのやつをな。おい、聞いているのか……まったく。車の権限をよこせ、おまえは後部座席に乗り込むだけでいい。いやまて、切るな、到着するまでな。…………乗ったな?こちらでも確認できたが。上出来だ………………ほう……いい度胸だな、きさま。いいか、二度は言わん、よく聞けよ。

 

 受話音量が上げられた。どうやら携帯端末の権限まで渡してしまったらしい。セキュリティ制限があるので一部のみだろうが。

 

 顔色の悪い放心状態のヤツと別れ、その後連絡がつかない。自殺を図ったかと思うだろうが、バカめ…………いや、すまん。言い過ぎた。許せ……おまえ、帰ってから飲んだか? ……そうか、ならいい。そろそろだ。

 

 二階建ての小さな家に到着した、よく見る一般的な外装だ。車のドアが開かれ、降りると玄関先で主任が腕を組み待っていた。

 

「冷える。さっさと入るぞ」

 

 自動で駐車される車を一瞥し、あなたは家に上がった。スリッパを履き、玄関横の階段を下りると、しゃれた木製の扉が見えた。たしか、間には何かしらの電波対策を施した金属板が仕込まれていると聞いたことがある。上司は横のパネルを操作し、ロックを解除。小さなバーだった。

 

 趣味だそうだ。バーの雰囲気は好きだが、他人のざわめきが我慢ならず、自宅に作ってしまったらしい。カウンター席はもちろん、なぜかボックス席まで設けてある。

 

「まあ、座れ」 上司はカウンターに立ち、水を注いだジョッキを出した。

 

 言われるがままカウンター席に座り。出された水を飲み干す。一杯くらいはかまわんだろうと、続いて半分ほどビールが注がれた。主任は自分のショットグラスにウィスキーをそそいでいる。

 あなたはそれを見て注がれたビールを一気に飲み干した。

 

「わたしの分はないんですか」

 

「……吐くなよ」

 

 嫌そうに新たなグラスを取り出してくれた。干しレーズンを小皿に用意し、あなたの横に座る。

 しばらくは無言で飲んだ。

 

 ふいに主任がグラスを眺めて言った。 「おまえも、あの映像を見たろう」

 あなたは答えられなかった。

 

「ブリンクは強い、最強だ。衛星と鷹の目で敵の早期警戒管制機のレーダー範囲外からでさえも捕捉、戦艦などの管制装置に頼らずとも超長距離AAMをアクティブでも誘導できる。ドグファイトにおいても、前主力機に勝利してのけた」

 

 あなたはなんとか口を動かす。

 

「でも負けた。信じられません」

「……わたしも信じられなかった。わたしは……だがあれは仕組まれたものだと考えている。不利な条件だった。でなければおまえのブリンクが手も足も出ないままやられるものか」

 

 よどんだ目を向けた。「不利な……」

 

「ずいぶんと、こたえたようだな。わたしは、あの兵装ではISに勝てなくて当然と考えている。しかも互いを確認した状況だ。空戦で鍵を握るのは最大速度でも空戦格闘、機動能力でも旋回性能でもない。いかに敵よりも早く目標を発見できるかだ。その後長距離ミサイルで攻撃、殲滅。ドグファイトなどそうそうあるものではない。いかにブリンクが万能機とはいえ、あの状況はすでにわれわれの機の優秀な索敵、ステルス性能を無効化していたと言える」

 

 アルコールのせいだろうか。体が火照り、血が巡っていくのがわかった。もう一口呑み、あの映像を脳裏に描く。

 

「そういえば積まれていたのはMSAC社の中距離でしたね」

「戦闘機の兵装は作戦によって変える。当たり前だがな。あれとマイクロミサイルでは格闘戦を挑まざるをえんよ」

 

 あなたは空になった上司のグラスにお酌した。

 

「しかし、あの機動性能を見るに長距離なら当たるとは言いきれん。弾頭を広範囲に被害を及ぼすものにするか、高度な電子制御があれば別かもしれんが。デュノアのマイクロも優秀だったが、それも含め全てただのAAM……厳密に言うなら。戦闘機を対象とした空対空ミサイルに過ぎん」

 

 あなたはレーズンをつまみ。 「対IS用兵装が必要と?」

「わたしはそう思う」 上司もつまんだ。

 

 上司はおもむろにタブレットPCを取り出した。ウインドウは投影せず、本体の物理ディスプレイを操作した。

 

「例の映像だ。必要だろう? おまえには」

 

 あなたも鞄からPCを取り出す。

 

「いいのですか?」

「機密事項だ。原則一般には映像記録の持ち出しは禁止されている。その中にはわたしやおまえも含まれる。念のため有線で送るぞ」

 

 おまけだ、とスペック等の情報も転送された。

 

「それで、おまえはどうする」

「その、練習台はどうしても作らなければなりませんか」

「……そうだな」

 

 上司はいったん席を立ち、カウンターに向かい別のボトルを取ってきてくれた。飲むか? と。

 

「わたしも詳しいことは知らされていないが、ISコアは世界主要各国へと売却された。その総数は約七十らしい、ということはどの国のトップも把握している。だが肝心のどこどこの国はいくつ手に入れているか、ということはまだ掴めていないそうだ」

「日本が購入できた機数は少ない?」

 

「おそらくな、五機もあればいいほうだと思っている。本来であればそんな貴重なものを大空の下で模擬戦闘実験などせん。衛星の目もある。わざわざ他国に無償で情報提供するようなものだ。だがISコアを開発したのは篠ノ之束という日本人女性だ。国籍もな。政府は彼女との関係を暗に主張したいらしい」

「なるほど」

 

「模擬戦闘を行うほどの余裕があるのは、解析にまわすISコアが潤沢だからであり、それだけ多く都合してもった。あるいは用意させた。どちらにせよ、わが国は諸君らよりも当然に彼女と密接であるとな」

「避けられませんか」

 

「たとえ手にしたのが一機だけでも強行するだろう。博士が日本国籍を持つ日本人である以上、ISに関して、日本政府は各国に対し優位に物事を進めなければならない。これはそのための布石だ。再起を図りたいのさ。わたしならそうする」

 

 本格的な解析は数が揃ってからになるだろう、と付け加え。

 

「それと、避けては通れん事情はもう一つある。ここからはわたしの推測に過ぎんが。わざわざおまえを指名し、釘を刺したのも理由があると思う」

「と、言うと」

 

 主任はグラスに残ったウィスキーを一息で呷った。気づき、あなたは空になったグラスに三分の一ほど注ぐ。

 

「ISの軍事利用を推進する連中がいる。ま、当然だがな。上層部でもおまえは有名だ、DmicD-9は極めて優秀だから。で、IS推進派はわれわれを……第一人者のおまえを快く思わないだろう。わかるな?」

「少し酔っていませんか」

 

「この程度。酔ったうちに入らん。悪いが水をくれ……ウム。その横槍も考えられる。おまえは今回のプロジェクトだけを降りることは許されないだろう。……まあ先ほど言ったように推進派云云は憶測だ」

「参考にはなりましたよ」

 

 あなたはカウンター奥にきれいに並べられたボトルを眺めながら、また一口含む。ブリンクとISの戦闘について考えをめぐらせた。

 先ほど渡された映像を再生。何度かリピートし、ISの動きを目で追う。

 

 やはり、たとえ兵装を変えたとしても、状況が変わっても。勝率は三割ほどではと、生みの親であってもそう思えた。

 

 ミサイルを例にとっても、基本的に戦闘機は、ECMやチャフなどを除けばこれといった直接的なミサイル迎撃機構を持っていない。機関砲で撃ち落とすことも不可能ではないかもしれないが、銃口は進行方向を向くので物理的限界がある。

 対してISは最大速度でバックできるので、迫るミサイルから逃げる形で銃口を向けることができる。腕という戦闘機にはない要素がそれを容易にさせる。

 

 また、武装面でも劣る。ミサイルを撃ち尽くしたあと、残るは機関砲のみだがISはデータ格納による豊富な火器を有する。

 さらにISの三次元高機動は近接戦闘時にたやすく戦闘機の背後を取るだろう。逆の場合は意味がない。ただ振り向けばよいのだから、戦闘機ほど背後を取られるということは致命ではない。

 

 主任の考えは、筋は一応通っているが細部を詰めれば粗が出る。そして、この人はそのことに気がつかないほど愚かではない。つまり、励ましているだ。

 しばらく思案し、残ったウイスキーを飲みほした。

 組織に属していては。

 

「辞めようと、思います」

「そうか」

「すみません」

「誰もおまえを責めはせん、むしろ謝るのはこちらのほうだ。件の訓練用標的機は間違いなくブリンクの改修、いや、劣化コピーになるだろう」

 

「かまいませんよ」 一拍置き、あなたは少し笑って言った。 「しかし、こいつはうまいですね。三十二年物ですか」

 

 暗い話はここまでにしようと。気づき主任も。

 

「ほう、わかるか。どれ、褒美にわれがお酌してやろう。めったに無いぞ、心せよ。少し遅いが、乾杯といこう」

「はい主任、光栄であります」 あなたは主任のグラスに注ぎ足した。

 

「乾杯!」

 

 久しぶりに声を出して笑いあった。

 その後なんとく、昔話に花が咲く。酒は上等で、つまみもうまかった。

 

 あなたはISのことなど忘れようと思った。田舎に引きこもって隠遁生活でもしようと。それでいいではないか、悪くない。所詮兵器開発などいたちごっこだ、いずれブリンクに変わる戦闘機は世に出る、それについて不満を垂れるほど子供ではないはずだ。たまたまそれが飛行機の形をしていなかっただけなのだと。

 

 そう、剣に対抗するために弓を、対抗するために銃を、対抗するために戦車を、対抗するために戦闘機を、対抗するために大陸間弾道ミサイルを。ISもその仲間に入っただけ。

 

 ()()()I()S()()()()()()()()()()()()()

 脳裏の違和感は酔いにまどろみ、消えた。

 

 

 

 朝を迎えた。上司はボックス席のソファーに眠るあなたを見やり、置手紙を残して出勤した。餞別代りにどれでも一本持っていけと記しただけだが、それで十分だと思った。言いたかったことは昨日、全て話したつもりだった。

 

 車に乗り込み、携帯端末を取り出す。部下に連絡を入れる。

 

「わたしだ、あいつは降りるそうだ。ああ、才はあったがナイーブすぎた。いや、プライドが高すぎたのかもしれん…………それほど問題ではない。性能向上を命じられているのではないからな。それに比べればコストダウンを含めたとしても、デッドコピーを作ることくらい造作もないだろう? ……まあ、痛手には違いないがな。何とかするさ。…………気持はわたしも同じだ。……ああ。ではな」

 

 通信を切ると、短く溜息を吐き、そして昨日のトイレでの出来事を振り返った。

 

「われわれにとって屈辱的なのは理解できるが」

 

 ちらと見た部下の目は見開かれ、焦点は定まらず、顎に粒を作るほど強く下唇を噛み締めていたのだ。そのときは思わず目を伏せた。

 

「なにがおまえをそうまでさせる」

 

 僅かに残った酔いは、連鎖的にある事を想起させた。はじめて飲んだ時にあなたがひどく真面目な顔で言っていたこと。

 

()()()()()か……伝承のたぐいだと思っていたが」

 

 主任はなんとなくだが予測した。あなたが決して戦闘機から離れられないことを。例のISの映像を何千回と繰り返し見るであろう事を。

 急にあなたがおそろしいようなものに感じ、言った。

 

「……()()だよ、おまえは」

 

 

 

 

xxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 突然の振動音に意識が呼び戻される。懐かしい夢を見ていたような気がする。

 ナイトテーブルに置いてある、届いたばかりの真新しい最新の携帯端末が着信を知らせた。

 

 ライトスタンドを点ける。寝ぼけまなこをこすり、確認。織斑千冬。時刻は三時半。非常識な時間だった。

 

 そもそも連絡は手紙で行なう手筈だったのでは。

 電話に出て少ない言葉を交わす。そして織斑千冬から出た驚愕の言葉。

 

 あなたは、たっぷりと十数秒かけて返答した。



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第七話 地球・夏

 IS無人機の報を受けたその夜、織斑千冬が弟の待つ自宅のドアを開けると、女物の靴があるのに気がついた。

 その場でバッグに手をしのばせる。

 外に出さずにグリップを握る。安全装置を外す。

 装弾数15、拳銃より一回り大きい程度、消音、サブマシンガン、イギリスの名銃、GLS‐マクランツ。

 

 玄関ドアの音を聞いてか、リビングのドアが開かれ、弟が顔を出す。

 

「おかえり、千冬ねえ。いきなりで悪いんだけど」

「誰なんだ」 遮り、強く問い詰める。

「いやあの、箒。知ってるでしょ? 幼馴染の。別に何もしてない」

「そうか」

 

 千冬は抑揚のない声でそう答えると、ドアノブを握ったままの一夏の横を通り過ぎ、リビングへ。陰鬱な表情でソファーに腰かける箒の姿を認め、携帯端末が何も知らせないのを待ってから、逆の手順でバッグから手を出した。

 一夏がリビングのドアを閉める。

 気持ちの悪い間を置いてから、箒がソファーから腰を上げて申し訳なさそうに言った。

 

「すみません千冬さん、こんな夜遅くにお邪魔してしまって」

「かまわんよ」 ローテーブルをはさんだ対面に座って言った。 「それなりの事態ならば」

 

 沈黙。

 弟が箒側のソファーに座るのを一瞥し、自分を恥じた。

 

「すまんな。それで、無人機とはいったいどういうことだ」

「この手紙を見てほしい」 と一夏。

 

 差し出された紙束を三枚ほど流し読みする。筆跡には見覚えがあった。それに秘密の英数列も上部に記されていた、おそらく本人だろう。そのまま最後までめくり、もう一度最初から。

 せわしなく右から左へと視線を文字に這わせながら言った。

 

「概要は?」

「ISを作った動機と目的それと……FAF」

 

 聞き慣れない単語にオウム返しをするが、読めばわかるだろうと頭の隅に追いやる。

 

「おまえが推測した無人機とやらについては」

「箒に送られてきたもう一つの資料と合わせて考えると自然だった」

 

 箒がバッグから小さめのアタッシュケースを取り出し、開けた。一冊の古めかしい()()()()()()。ひどく風化しており、茶色く変色していた。

 ちらと見やり、すぐに視線を戻す。

 

「わかった。手紙を読み終えたら目を通す」

 

 はらり、紙をめくる音が部屋に響く。

 

「千冬ねえは、知ってたの? 箒のこと」

 

 無感情を前面に押し出して、一夏が低い声で尋ねる。が、姉の対応は冷ややかだった。目もくれずに言う。

 

「これは姉妹間の問題だ。おまえが疎外感を覚えていたとしても、それは当事者が望んだ結果からこぼれ出たものだ」

「……ごめん」

「少し落ち着け、おまえらしくもない。……悪いが箒、こいつにコーヒーを淹れてやってくれないか、熱いやつを。喉が渇いているのなら、自分の分も淹れるといい」

 

 わかりました、とふらりキッチンに向かう背に、千冬はよもやと弟を勘ぐったが、やめた。当事者間の問題だ。思考を切り替え、読み進める。

 箒はお湯が沸くまでの間、慣れた動作で戸棚から幼馴染のマグカップと粉末のインスタントコーヒーを用意し、ポットを眺めてあの日を脳裏に描いた。

 

 姉から手紙が届いたあの日を。

 涙を堪えて。

 拳を握りしめて。

 歯がゆい、出来ることは何もない。

 

 

 

 おそらく姉は現在、FAFの猛攻を受けているというのに。

 

 

 

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 IS学園開校という歴史的なその日。とはいえ一般人には雲の上の出来事でしかなく、実際に高校一年生である彼女。箒は、なんら昨日と、過去に過ごした日と変わらない、初夏も近付くころを生きていた。

 彼女はその日も幼馴染である織斑一夏と、その友人の五反田弾と一緒に下校し、帰宅した。高級住宅街の一角、大きな家。

 

 ただいま、と母に帰宅の挨拶をして階段を上り、自室に戻る。制服から普段着に着替え、喉が渇いたので一階のリビングに行き、コーヒーを用意した。母はソファに体をあずけ、自分より大きなスピーカーから流れる音楽を楽しんでいた。ウーハーから抑え気味の低温が響く。2.1ch。

 

 箒にはそれの良さを明確には聞き比べることができなかったが、母曰く、ドイツの古市で見つけた掘り出しものらしい。

 まるで化石だわ、と父と二人っきりの旅行から帰ってくるなり、その奇妙なスピーカーのすごさを説明された。

 

 どう見ても巨大なサイコロからにょっきりと、音を出す部分の、コーンの芽が生えてきたようにしか見えない。慣れてしまえば可愛いらしいオブジェだ。大きな白鳥のようにも見える。

 

 そのことについて一度母に尋ねたことがある。

 部屋に設置されている家具などの障害物をスキャンし、音の反響を計算するタイプの、もっと薄くて小さいとスピーカーとアンプが安価で手に入るのというのに、なぜこのような古臭いタイプのものを買ってきたのか。するとこう返ってきた。

 

 たしかにそちらのほうが性能の面でも上回っているでしょうけど、それは機械が数値的に判断した場合であって、わたしがそちらの方が良い音を出力すると判断したわけではないわ。

 たぶん違いはわからないけれども。

 思いこみ効果ってやつね、と付け加え、ころころと笑った。

 

 おおらかな母らしい。

 箒がマグカップを手に自室に戻ろうとすると、クラシック音楽に耳を傾けたまま、母が言った。

 

「そうそう、あなたに荷物が届いていたわよ。テーブルの上」

 

 見やると一抱えする大きさの包みと、一通の国際郵便が置いてあった。差出人はすべて異なっており。両親にはペンフレンドと言ってある。

 箒はようやく来たのかと、はやる気持ちを抑えつける。それらを器用に抱え、階段を上がる。

 

 部屋の鍵をかけ。まずは手紙からと丁寧に封を切った。かすかに姉のにおいを感じる。時間の経過を感じさせる六枚の便箋が封入されており、姉の筆跡。赤いインクの万年筆。

 箒、それを見てにんまり。

 

 箒の姉。幼いころに家を出て、名を変え、情報操作し、社会的に存在しなかったことにした彼女は、このような手段でしか連絡をよこさない。

 

 小さい頃はずいぶんと淋しい思いをしてきたが。姉は、将来において自分の頭脳が家族に迷惑をかける可能性を考慮して動いたのだ。今になれば、もしも自分が身内の者と世に知られた場合、間違いなく何らかのトラブルに巻き込まれていたはずだ。

 箒は姉を尊敬していたし、感謝していた。

 

 両親は姉について語ったことはない。忘れてしまったのか、意図して話題にしないのかを聞く勇気はない。ぼんやりとした記憶によると、いつも両親にへんてこな疑問をぶつけてからかっていた。おかしな子どもに映ったに違いない。

 とにかく箒の家では姉の話題はタブーとなっていた。両親は篠ノ之束が自分の子だと気付いていない。その事実を知っており、定期的に連絡をとっているのは、今では世界でただ一人。箒だけ。

 

 心を躍らせ、いざ一行目を読む。とたんにサッと熱が引いた。それらは心臓の下に集められ、残留し、締め付ける。

 

 文体がいつもの姉のものではない。ひどくまじめに書かれている。いやな予感がした。

 他の二枚目三枚目と、ざっと目を通すがどれも同じく堅い。いつもならもっと、おちゃらけた感じで、つかみどころのないような文章。箒はそれを楽しみにしていた。

 

 何があったのかと食い入るように手紙を読み進め、書かれている通りに大きな包みを開封し、アタッシュケースと書類入れを確認。

 ケースは後回しにし、まずはこちらからとマチを紐とく。中にはやはり古びた紙の、十数枚の手書きの文章。指示通りに通し番号をチェックし、ようやく読み進める。

 

 鼓動が早まる。恐れを感じた。

 その手紙を読み終えると、その日から箒は図書館に通い詰め、ただひたすらに歴史と哲学、それにISについてをあさった。

 

 いつものように幼馴染の織斑一夏が登校を共にするために訪ねてきても、先に行っていてくれと頼んだ。読書を続ける人と並んで歩かせるのは気が引ける。

 

 無意味なこととは解っていても。彼女にできることは、それくらいのことしかなかったのだから。

 なにかの助けになればと懸命に、しかし時は刻刻と過ぎ去り。箒にとってのタイムリミット、一カ月が経とうとしていた。

 

 

 

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 日本でも指折りの高等学校。堂堂と都市部に位置する園学び舎の門をぞろぞろと進む生徒に紛れ、織斑一夏はゲタ箱で上履きに履き替える。ちょうどエレベーターが一階で停まっていたので何人かで乗り込み、三階のボタンを押した。

 一階、二階と停止した後、廊下に出てすぐの1-Aと札のある教室のドアを開けた。

 

 おしゃべりをしていたクラスメートが幾人か視線を向け、すぐに興味を失い会話に戻り。一夏は自習に励む勤勉な同級生を横目に自分の席に荷物を置き、机に伏している赤い長髪の少年の席に向かった。教室を見渡せる、ど真ん中の一番後ろ。

 

「おい、大丈夫か。起きろ、ダン」

 

 机に腰を預け、肩をゆすると、むっくりと寝ぼけまなこの親友が顔を上げる。

 

「うん? ああ、なんだ。一夏か」 大きく伸びをし、残念そうに言った。 「今日もダメだったか」

「いつも言ってるが、たぶんメイドさんが起こしてくれるようなことはないと思うぜ」

「なんでよ」

「なんでって。ここ高校、高等学校」

「わからんぜ、寝ぼけた子が間違えてコスプレ用のメイド服を着てくるかもしれん。ときめきというかな。それがないよ、イチカにはさ」

「おまえには常識がないよ」

 

 織斑一夏と五反田弾は中学のころからの仲だった。他人には悪友だと言い張るが、間違いなく親友で。確認し合ったことはないが、二人は確信していた。

 

 たわいない会話をしながら、朝会までの時間を潰す。これが中学校からの日常だった。

 ここ最近はそうでもないが、と五反田は心の中で付け足し、ぼやいた。

 

「あと数日で夏休みか。中学の時は楽しみだったんだが、高校ともなると宿題が多いらしいから複雑な気分だよな」 と、一夏。

 

「宿題なんてもんは作業だろ。淡淡と答えを書き込むだけで、ペンを動かす手が疲れるだけさ。おれなんか店の手伝いもあるし、人一倍時間がない」 うんざりしたように手を振り五反田。 「なんでデジタル化しないかな、どうせみんなネットやら誰かから教えてもらったりするんだろうから、変わり無いように思うんだがな」

 

「おまえはそれでいいかもしれんが、そんなのことやってるのが千冬ねえにバレたらと思うと……くそう、今度食べに行ってやる、五反田食堂のかぼちゃの煮つけが恋しくなってきたな」

「昼時は勘弁してくれよ。というか夏休みは部活が忙しいからなあ、あんまり会えないかもよ」

 

「なんだっけ、楽器を弾けるようになりたい同好会? 勧誘された理由がその派手な髪の色ってだけの。本当に入ったのか」

「モテそうじゃん」

 

「たしかにそうだろうけど。普段の活動ってなにやってんの……モテそう?」 眉をひそめた。

「そうだな、けっこう本格的だぜ? 先月は狙ったオーディエンスにピックを飛ばすファンサービスの練習とか、こないだはヘッドバンキングの練習をしたな。あれ、けっこう首にくるわ」

 

「その髪の長さでか。やめたほうがいいと思うが……うん?」 小首を傾げた。

「ああ。やっぱ髪の長いベーシストは直立不動で微動だにせず、黙黙と弾くに限ると再認識した」

 

「弾けるのか? ダン。いや、弾けるようになりたい同好会だったな……」 しばし視線を彷徨わせハハン 「わかった。家で練習してるんだよな。ベース、買ったのか?」

「そんな金はないが」 当然とばかりに両手を広げる。

「じゃあどこで練習してるんだよ」

 

 五反田は苦笑した。

「何言ってんだよ、楽器は弾けなくてもヘッドバンキングの練習はできるだろ?」

「そうだが」

「じゃあなんでわざわざベースを買わなくちゃならないんだ? イチカ、しっかりしてくれよ」 バシバシと親友の背中を叩く。

 叩かれ一夏、あごに手をやり。 「いやそれは理論的におかしいと思うが」

「そうか? 経済的でとても助かってるぜ。ピックは安いし、投げてどっかに行っちまわない限りは繰り返し使える。学園祭が楽しみだ、全校生徒の前でのライブは男の夢だよな」

 

 ジャカジャーンと架空のベースをかき鳴らす五反田に一夏は、その擬音はギターじゃないかと言いたかったが、それよりも楽器が弾けないのにどうやってライブをやるのか。そもそもメンバーは揃っているのかと疑問点が次次と浮かび上がり、面倒になったのでとりあえず頑張れよと応援しておくことにした。なんだかんだでうまくやるだろうと。

 

「ダイブする時はおれの所へ落ちてこいよ。タイミングを目配せしてくれれば受けとめる体勢作っとくからさ」

「おっと忘れるところだった。その練習もしなくちゃな。ちょうどいい、夏だ。プールが使えるかな」

 

 と、教室のドアが開かれる音がし、二人はそちらへ目を向けた。誰が来たかは時間帯で大体わかっていた。長いポニーテールが目を引く一夏の幼馴染、箒が、重そうなハードカバーを読みながら器用に机と人の間を縫って自分の席に着いた。

 五反田の目にちらと映ったタイトルは有名な哲学書。

 ハードだ、と思った。

 

「悪いダン、また後で」

 

 返事を待たずにそそくさと箒の席に歩む親友の後ろ姿を、その後のやり取りも含めて頬杖をつき、観察した。

 席に着き読書に励む箒の横に立ち、一夏が声を掛ける。

 

 やあ、箒。おはよう――

 うん? ああ、おはよう一夏―― と見向きもしない。

 

 そこで会話は途切れる。今となっては見慣れた光景だ。一方はひたすら本に目を通し、もう一方はなんとか会話を続けようと必死。

 

 今日はまた別のやつ読んでるの?――

 ああ――

 ふーん、そうなんだ――

 そうだ――

 

 箒は忙しそうにページをめくり、一夏は興味ありげに立ち尽くす。五反田は眉間を揉む。

 

 やがて授業のチャイムが鳴り、一限目が始まる。退屈な物理の授業を聞きながし、観察を続ける。

 

 箒は机の影に隠れて携帯端末に情報収集させており、隣の席の一夏はなんとか内容を知ろうと必死で、その手元をちらと盗み見し。一文を読み取ったのだろう、文章を自分の端末で検索していた。小さいスクリーンからはISらしき画像が見てとれる。

 もう見てられないと片手で目を覆う。これが女の子だったなら、なんといじらしいことだろうと胸を締め付けられるのだが。

 指の隙間を広げ、なさけない親友を窺い、溜め息。

 織斑一夏がやきもきするようになった原因は、文武両道を地でいく彼女が突然このように極端な本の虫になったからで。約一か月前からずっとこの調子だ。

 

 どうしたものかと窓の外に視線を移し、雲ひとつない空を見上る。このまま時間が解決してくれることに期待するか、それとも何かしらの手を打つべきか。

 頬づえをつき、滑るように空をゆく鳥を視線で追うと、態度が気に入らないのか、教師に答えてみろと問題を当てられた。

 だるそうに視線だけを電板に向け、数式にざっと目を通す。明らかに教科書の範囲を越えていた。意地悪教師めとオンボロPCのスリープモードを解除。教師のプライドを保つために懸命に答えを模索するふりをし、しかし親友のことで頭を悩ませた。

 

 少なくとも五反田にとっては、授業態度の注意を目的とした、答えられないことが前提の問いよりも。そちらのほうが難問で解決すべき優先順位は高かったのだから、それに割く脳の割合も当然それ相応になる。

 なのでこれは閃きと言ってよかった。

 五反田が思うに、二人の距離はあまりにも近すぎ、それに関しては結構なのだが。抱えている問題を解決するには不適切なのではないのだろうか。一夏には阿吽の呼吸で理解しあえる仲でなければ、箒さんに対して失礼だと考えている節がある。

 

 頭の隅で、ネール状態にホルシュタイン‐プリマコフ変換を当てはめる途中、ふと軌道角運動量を思い出し、原子核を中心に決まった軌道をなぞる電子が思い描かれる。

 

 原子核から電子が遠のくには、例えば光子が必要だ。

 強すぎても弱すぎてもダメ、適切な量を与えなければ、遠ざかりすぎては元も子もない。どう転がるかはわからないが、しかし作用しないかぎりは原子核と電子の距離は不変。

 光子のエネルギーの量は波長で決まる、つまり波長を合わせることが重要なのだ。人間関係もたぶんそう。

 

 電子を一つ外側の軌道に移し、視野を広げて原子核を見ることのできる位置に立たせたほうがいいかもしれない。

 計算ソフトウェアを起動するまでもなく、十数秒の暗算で二つの答えが出た。

 

 教師が正解を認め、表情を隠して授業態度を指摘する。

 聞きながし、あくびをかみ殺し、次はさてどのようにアプローチするか。親友といえども、無遠慮に問題に首を突っ込むのは自身の信義に反する。

 

 授業が終わり、休憩時間に一夏が尋ねた。

 

「よくわかったな、あんなわけのわからん問題。どこに接続したんだ?」

「閃いたのさ、たいしたことはない」

 

 うさんくさげな視線を無視して五反田は夏休みのスケジュールを変更した。ダイブの練習は後回しにして。

 

 

 

 それから数日が過ぎ、いよいよ一般的な学生の夏休みが始まる。

 

 日本の暑い夏。とある日本の市街地にて、高校生二人は額に汗をにじませていた。

 

「あっちーなー」

「ならまずはその暑苦しい髪を切れよ、ダン」

 

 親友の腰ほどにまで伸びた真っ赤な髪をうんざりとした目で一夏。五反田は頭に巻いた黒いバンダナの据わりが悪いのか、重そうな髪と格闘している。

 

「しょーがねえだろ、バンドマンなんだから。やっぱパンクでファンキーな髪じゃなきゃ」

 

 ショーウィンドウの洋服を眺めたり、ランジェリーショップに目のやり場を困らせたりと、大通りの商店街をあてもなく歩く。夏休み初日ということもあり、同世代らしい人で通りは賑わっていた。

 

 それにしてもと五反田は辺りをぐるりと見回し、嘆息。

 

「なんとカップルの多いこと。折角の長期休暇だってのに、男二人で何やってんだろ。おれたち」

「おまえが水泳部の練習姿を拝みに行こうなんて言ったからだろ」

「ちくしょー。なんでバレるかな」

 

 苛立ち、目を引く赤髪をかきあげる友人の姿に、一夏はもう一度散髪を勧めるべきか悩んだ。

 

「おまえはいいよな。箒さんがいるからさ」 試すように五反田が言う。 「いつも一緒にいるじゃん」

「箒とはそんなんじゃないよ、ただの幼馴染だ。古着でも見に行こうぜ。おれ、シャツが欲しいんだ」

 

 茶化されたと思った一夏はそう言い切り、ゆるりと進行方向を変える。

 あまりにもヘタクソな会話の転換にダンは苦笑し、次の手を打つことにした。

 

「それもいいが、そろそろ昼時じゃねえ? どっかで食べてからにしようぜ」

「そうだな」 ポケットから取り出した携帯端末のステータス・バーは午後一時過ぎを映し出している。

「どこで食べる?」

「おれのとこ以外なら、クーラーが効いていればどこでも」

「ああ、いま妹さんがいるのか?」

「相手にするのはもうたくさんだ」

「仲がいい兄妹ってのはいいじゃないか」

「あいつの場合は度を超えている気がするが」

 

 しばらくぶらつき、じゃああそこにするかと二人は適当な喫茶店に入った。鼻孔をくすぐるコーヒーの香り。簡素な外装とは打って変わり、アンティーク調度品と上品な雰囲気の店内は、学生が来るにはやや躊躇われたがもう遅い。

 

 席に着くと、一組の若い夫婦と一人の会社員が入店した。五反田は、とりあえずこの店に強盗やなんかが押し入ってきても安心だろうと意味のない事を考えた。

 

 四人がけのテーブル席に腰かけ、軽食を取る。

 

「しかし、もう一カ月か」

「何が?」

「IS学園開校からだよ」

 

 一夏の整った眉が小さく反応した。わかりやすいやつだと笑いをこらえる。

 

「すげーよな、あれ。どーなってんだろ」

「おれが知るかよ、束博士に聞け」

 

 一夏がピザトーストをかじるタイミングを見計らって言った。

 

「箒さんも乗れるのかな」

 

 喉に詰まらせ、むせる。五反田、笑いをこらえる。嘘がつけないやつなのだ、純朴なやつなのだ。おれの親友は。

 

「いきなり何言ってんだよ、ダン」

「別にそんなにおかしい話じゃないだろ。女であれば誰だって乗れる可能性はあるんだぜ? 公式発表によればな」

「箒が……ISに」

 

 一夏の思考に、五反田は静かに待った。

 

「あのさ、ダン。箒はISに乗りたいと思ってるのかな」

「なんだよ、それこそおれが知るかよ、だ」 本人に聞けとは続けずに言った。 「ま、でもやっぱり乗りたいとは思ってるんじゃねえの? 空を自由に飛びたいってのはコンピュータが無い時代よりもずっと昔からの人間の欲望だろ」

「そうか、そうなのかな」

 

 うつむき、自分を納得させるように反芻した一夏に、軽い口調で続ける。

 

「おれだって操縦者になりたいぜ」

「おまえも空を飛んでみたいのか?」 意外な言動に驚き、顔をあげる。

「IS学園に行ってみたい、きっとハーレムだ」

「なんだそれ」 くだらないと笑った。 「おまえらしいよ」

「男らしい、だろ。全人口の半数の夢だと思うぜ。知らないのか? イギリス代表のオルコットさん。ちょいと冷たい印象だが、高校生であのスタイルは反則だ」

「奇跡の技術躍進、レーザー大国イギリスか。でもおまえは男だからな、ISには乗れんさ」

「そうかな、気の合う野郎がいるかもよ」

「野郎って、男って意味か?」

 

 興味を表に出さないように五反田を窺う。もちろん隠せてはいなかった。

 

「そうそう、ISってのは男の意識が与えられているんじゃないかってさ」 サンドウィッチにかぶりつき。 「おれは思うわけよ」

 

「いきなりどうした。だいたい意識ってなんだよ。曖昧だぜ、それは」

「まあ、とにかくこいつを見てみろよ」

 

 指先をお手拭きでぬぐい、旧式の携帯端末を二人のトレーの間に置く。四秒もかかりA4サイズのウインドウを空間投影。両面モード、対面に座る一夏にも同じ情報を映しだした。

 軍服の上からでも体格がよいのが見てとれる、人物の全身画像。短髪、鋭い目つき、額に大きな傷。顎が割れている。

 

「彼はだな、ISのパイロットだ」

「なんだって! 男性でも操縦できるISが発見されたのか」

 

「そ。で、この記事な」 五反田は後付けの無線コンソールを操作し、ウインドウを二分割、今度は英語表記の文字情報を表示。赤字で文章を強調した。

 

「なにこれ。どこ? シーネット?」 コーヒーをすすり、ざっと目を走らせる。インタビュウ記事のようだ。

 

『ISが定める女性とは、極めてあやふやなものである可能性が高いと考えられる。このIS操縦者は、筋骨隆隆とした、なんとも男らしい――もとい頼もしい女性だ。巧みにISを操るそうで。それが彼女の実力であるならば、コアという存在はなんとも公平な――』

 

「……女性じゃないか」 一夏、うめき、ウインドウ越しに五反田を睨む。

「でも男にしかみえないだろ。少なくともお前の目には男に見えた、疑いの余地なくな。無意識のうちに勝手な主観で男と決めつけちゃったわけ」

 

 ウインドウを消す。

 

「聞いたことあると思うけどさ。ISの待機状態ってモードは、ピアスや指輪といろんな形だけど、共通して言えることは全て身につけるものってやつ。で、えーとなんだっけかな」

「コアは適性判定時に操縦者が無意識下で望んでいる形状を得る?」

 

「そう、それ。その時にコアはどうやって操縦者の望む形を知ると思う? コアに目はないし、耳もない。意識を読み取るのさ」 得意げに薄く笑った。

 

 それを聞きばかばかしいと手を振る。

「それ、例の束博士を神格化してるカルトサイトから広まった噂だろ。似たような内容をおとつい拾ったぜ。続きはこうだ、コアは男性人格だから男性を選ばない」

 

「そのとおり。それは生物的な生存競争に打ち勝つために子をなす、原始的な戦略である」 根拠のない情報源に悪びれる様子もなく、ふたたびサンドウィッチを口に運んだ。 「女にしか反応しないわけだろう。絶対に野郎さ」

 

「遺伝子だかDNAをチェックしているって聞いたことあるけどな」

「胡散臭いもんだ。それ、公式発表だろ。それともお姉さん情報?」

「違うけどさ」

 

 身を乗り出して五反田。 「じゃあ可能性としてはあるんだな!」

 一夏は数秒考えを巡らせ、あきれた声で言った。 「仮に自己意識における性別が女性のコアがあったとしても、おまえを選ぶものかよ」

 

「いいじゃねえか、男がいるんなら女がいてもよ。おれも自由自在に空を飛んでみたいもんだ。もう、ホモのコアでもいい」

「嘘つけ、さっきIS学園とやらに行きたいからと言ったばかりじゃないか。女子高の学園祭で我慢しろよ」

 

 言って一夏は、ふと考えた。五反田は緑茶をゆるりとすすり、目を細める。

 

「いや、しかしネットの噂が本当で、男にも反応するコアが存在するならば、たしかにそのコアの意識は女性か同性愛者しか考えられないよな」

「そうか? 自分で言っといてなんだけど。コアが操縦者の性別に区別がついたとしても、自身の性別を理解しているのかと聞かれると、ちょっとな」

 

 そう言って自嘲気味に短く笑ったあと、店員を呼びとめてアイスクリームと、宇治金時でいいか? と、確認してついでに注文した。

 

 一夏はやはり思案し、あごに手をやる。 「……そうかな」

「いやいや、無理だろう。コアは無機物」

 

 わざとらしいきょとんとした親友の顔が向けられる。

 

「仮に、適性判断の時にコアが操縦者の意識を読み取るなら、操縦者の性についての概念や知識も同様じゃないのか。必ずしも情報をインプットする必要はないように思える。コアが反応した操縦者以外の性別が男性じゃないか」

 

「中性は存在しないわけだから、女性じゃなけりゃ男性ってことか? それなら、そうだな……仮に操縦者が中性と無意識下で感じていても、それは女以外だから男として処理されるってわけだな。結果としては、無慣性なんかのIS操縦適性なしと判断されて。でも、だとしたらなんでそんな面倒な設定をしたのかね。おれみたいな観客からすれば大歓迎だが」

 

「女性でないと、あるいは片方の性別でなければいけない理由か……」

「だいたい変だぜ。いまどき有人機なんて時代遅れもいいとこじゃねえか」

「無人機だったらこうまで世間に受け入れられないよ」

「どういう……ああ、スポーツは人間がしないと意味ないからか。厳密には違うけど、プログラムコンテストよりも野球とかの方が人気だもんな」

「そういうこと、おれはプロコンも好きだけどな。去年のあれは笑った」

 

 二人は防壁コンテスト一位構築者の呆気にとられた顔を思い出し、悪いとはわかっていても口元が緩む。

 

「ありゃその後の日程自体が笑いを取りに来てるよ。防壁コンの翌日が、その九位までの防壁破りコンなんだからさ。あの時はたしか……防壁コン一位防壁が最初に破られて、なんだかんだで五位防壁が五十六分もったんだろ」

「しかも最終日の記念一般無料配布で、一番ダウンロード数が多かったのが五位防壁破りなんだからな。悲しいかな、一位防壁のDL数は三位だった」

「インスタント環境でよくやるよな」

 

 と、しばらく談笑を続けると、割烹着姿のウエイトレスがつやのある木製トレイに注文を乗せて運んできた。

 

 さっそく一夏は氷の山を切り崩す。「話は戻るけど。ひょっとすると、性別を指定したのは無人機が絡んでくるのかも」

「うーん、うまい。わかりやすくな」 黒蜜のかかったバニラを味わう。

 

「ISに二つ目の、十分に人間の意識を読み取ったコアを操縦者として搭載した場合は無人機として完成するんじゃないか? だから……つまり。人間操縦者の性別を男、女。意識を読み取ったコアの性別をアダム、イヴとしよう。

 コアに女以外認めないよう設定した場合。あるコアが女の意識を読み取り、判定した。そのコアは」

 

 合点のいった五反田が後を続ける。

「読み取り前のまっさらなコアに性別の概念はないとすれば、中性。そう、中性なのでそのコアは自らをアダムと処理する?」

「自己意識の性別が男なので、アダムを別のまっさらなコアに搭載し、人間操縦者と誤認識させようとしても、まっさらなコアはアダムを男として判断する。適性なしと」

 

「束博士はISの無人機化を嫌っている?……いや、どちらかというと最初からそのように設定しているところをみるに、無人機の生産なりなんなりは自分でコントロールしたいという思惑が強いように思えるな。

 男女の判定を反転すれば簡単に設定できるだろうが、ISコアは今のところブラックボックスと公表されている。博士以外はいじれない」

 

「どうなんだろう。そもそもコアに意識はあるのか、意識の読み取りは本当なのか、それはどの程度なのか。ここがとくに問題だ。とりあえず言えるのは、イヴが存在すれば、それは無人ISに使えるかもしれないな」

 

「でもそれってISに意識が、心念があるって前提だよな」 と五反田。デザートをたいらげると、古びた照明を仰ぎ見て呟いた。 「……おまえ、モノに心が宿ると思うか」 視線だけを一夏に向ける。

 

「……可能性は否定できんだろ。現代生命学では、いわゆる意識やソウル、ゴーストを定義できないから」

白玉団子を咀嚼し、答える。

 

「中学四年生、といった答えだな」

 

 にやにやとした視線が向けられ、むっとして言い返す。

 

「じゃあ例えばだな、おまえの大切にしているそのバンダナ。そいつをこのあずきと煮込んでだな」 上質な抹茶を使った氷とごたまぜにして食し。 「だめにしてしまう。で、まったく同じものを買って弁償したとすれば、どうだ」

 

「そいつはおれが悲しむのであって、バンダナはなんとも思わんのが現実さ」

 二タリと笑う。自分が本当にそう思っているかどうかを他人には証明することはできないのだから、一夏は反論できないと踏んだのだ。

 

「それともおまえはモノに付随する価値、例えば思い出のことを、心という概念が内包する一部とでも定義するのか? おれが金時と煮込まれている時、バンダナが悲しいと感じるならそうかもしれんがな」

 

「おまえはこう答えるべきだったよ、ダン」

フフンと鼻で笑った。

 

「おれは悲しむが、バンダナはただ煮込まれるだけだ、とね。

 モノに心はないと仮定するのならば『思う』という言葉を使い、モノに対する状況を表現することはしない。したがって『思う』という言葉で表現したおまえは、無意識下ではモノにゴーストが宿っていると感じているのさ。思う、それは本来、モノに対して使う言葉か?」

 

 かき氷をもう一口。硬く冷たい氷の粒に頭痛を感じた。

 

「ちょっとずっこいな、ただ揚げ足取ってるだけじゃねえか。無意識下で思っていることの証明にはならないと思うぜ」 オレンジジュースのストローに歯形を付けながら、そう答えた。

 

「口が滑ったってのは自己の無意識の言語化じゃないか。意識せず出た言葉なんだから、抽出と言ってもいい……」

 言って気がつき、やや陰鬱になる。知らず、箒が言っていた言葉になぞらえる。

 

「……つまり、あるモノに対してなんらかの感情を抱くのはいたって普通な行動で、それは本人の主観で行なわれる。例えるなら、誰かのトラウマなどを主観的に理解することはできない。おれの主観では、無意識は言わずもがな、そのバンダナに付随する価値を言葉で説明されたとしても、おまえが持つバンダナに対する真の価値を感じることはない」

 

「まあ、だろうな。おまえにしてみれば、親友がつけているただのバンダナとしか映らんだろう。おまえがこのバンダナに『思う』という言葉を使うとは考えられん」

 

「それをモノの主観で考え、人間に対してと立場を逆転させて想定した場合、同じことが言える、と思う。そのバンダナがおまえになんらかの感情を抱いているかどうかということは、おれ、ないし所有者のおまえでさえも感じることはできない」

 

「でもそれってさ、モノに意識があると仮定した場合の話だろう。おれたちがそれを確認できないから、可能性としては否定できないだけで……いや」

 

 頬杖をつき、五反田は理論を飛躍させた。

 

「それは重視すべき問題ではないのか……いまおれはイチカに、つまり人間に、意識や心があると無意識に感じているが、それはおまえがさっき言っていた 『あるモノに対してなんらかの感情を抱くのはいたって普通な行動』 というわけか?

 基本的にはバンダナとおまえに抱いている感情、というより存在のレベルと表現すればいいのか――は本質的には同質で、そのレベルが違うだけ。その違いがこれまた無意識に人間とモノを区別しているってことか」

 

 要領を得ない表情の親友に説明する。

 

「いやだからな、心を持っているかどうかわからないのは人間もモノも一緒ってことさ。有名どころを挙げれば、我思う故に我ありで自我を把持してもさ、他人の自我までは不確定だろ」

 

 なるほど、と言葉を噛みしめ、あとを継いだ。

 

「つまりはこう言いたいわけだな、ダン。おまえからしてみれば、おれとモノの区別はないが、無意識のうちにこいつは心があるぞ、とおまえは判断している。そういう感情を抱いている。モノに愛着を持つのと同じように、強度が違うだけで」

 

 そうだ。五反田は言った、無意識のうちにと強調して。

 

 それを聞くと一夏は突然に沈黙した。

 意識、モノ。

 

 視線をテーブルに泳がせ、考察の海に浸かる。いや、沼だ、これは。考えるのが、沈むのが怖い。

 しかし、やはり鍵はそこにこそあるような気がした。幼馴染の助けになる鍵は。それならば潜るしかないと自分を奮い立たせる。

 頭の中は幼馴染のことでいっぱいだった。

 なぜ箒は突然、哲学や世界史、ISの情報を収集するようになったのか。

 

 読書はするほうだったが、今は異常だ。普段は凛としているが、恋愛小説好きで、それを周りに知られるのを恥ずかしがっていた。それなのになぜ。

 

 ダン、おれは、と頭を抱えてバツが悪そうに言った。

 

「最近、箒のやつがおかしいんだ」

 

 親友の告白に、いよいよ五反田は慎重になる。

 

「なんとかしたいんだ、悩んでいるなら一緒に解決したい……あいつ、ここのとこずっと図書館通いで。信じられるか? 剣道すらほっぽりだして」

「箒さんがどれほど剣道に打ち込んでいたのかをおれは知らんが、なんか調べごとがあるんじゃないか? それとなく何を調べているか聞いてみるのも手だと思うぜ」

「聞いたよ、一度だけ」

「箒さんはなんて?」

 

 一夏は脳裏に焼き付けた、何度も繰り返した言葉を紡ぐ。

 

「もともとコミュニケーション能力がプログラムされていないAIが、例えば文字言語で人間とコミュニケーションを取ったとすれば、それはプログラム上ありえないという科学的な土台の上に成り立つ意識の証明に他ならない。そうは思えないか? ってさ」

 

 喉の渇きに気づき、ぐいとコップを仰ぎ、空にする。やるせなくテーブルに置く。

 

「それと、もう少しだけ時間をくれって」

 

 そっか、と五反田はいつもの口調を演じた。でもおまえは箒さんの助けになりたいんだろう? と。

 

「ならやっぱりコミュニケーションするしかないんじゃないか? 双方的なやつをさ。

 でもおまえはたぶん、てんで的外れなことを言うんじゃないかと恐れている。で、箒さんに落胆されるのが嫌なんだ、まあ誰だってそうだが。

 でも大丈夫さ、箒さんはおまえの助けを必要としている、待っているはずさ。……イチカ、こっちを見ろよ」

 

 静かに視線が交わる。

 

「箒さんの問いに、おまえは答えることができるはずだよ。ここまでのアイデアはおまえ自身が生み出したんだ。正直、すげえと思うぜ」

 

 それを聞くと一夏は、肘をつき頭を支え、強く眼を閉じた。

 力になりたいと必死に思考を巡らせる。急激なスパイラルに呑まれている錯覚。

 

 人間とモノを、いや……論点はそこではない。心があるか否かを無意識に区別している引き金はなんだ? 自問する。箒、なぜ。

 

 ダンの言葉が浮かび上がる。そもそも自分でも言っていたではないか。

 口を滑らせるとは無意識の抽出。

 

「コミュニケーションか」 まぶたの裏を睨みつけたまま低い声で確認する。近い、と返ってくる。続けて。

 

「無意識のうちに心があると思っている相手にしかコミュニケーションしないのか? 壁に向かって話しかけてりゃ変人だが、子供がぬいぐるみにならありえるぜ」

 

「そいつは独り言だ」

 

「どうかな、子供は無邪気だ。ぬいぐるみに独り言を言っているという自覚はないと考えるのが自然じゃないか。それと、双方的でなければコミュニケーションとは言い切れないとすれば、レスポンスを期待するのはなぜだ」

 

 それは、と言葉を詰まらせる。

 

「思い出せよ、自我だけは確認できるんだぜ?」

 

 相手にも自分と同じ自我が、心があるであろうと無意識に思うのはなぜ?

 

「似ているからか」

 

 ややあって答えが返ってくる。

 

「だと思うぜ」

 

 軽い調子の返事に一夏はようやく顔をあげた。

 

「視覚に強く依存するが、目の前の相手が自分と似た姿やリアクションをするから、自分と同じく自我を持ってるのではないか、と感じるんじゃないか?

 おれはおまえに無意識で心があると感じているから、やはり無意識にコミュニケーションをとる」

 

「レスポンスを期待する会話のすべてが、相手が心を持っている、と自分が無意識で思っている抽出か」

 

「妥当だろ?」

 

 一夏は姿勢を崩し、どっかりと椅子に背を預け、疲れたように浅く腰かけた。

 

「まだ疑問は残るぜ、イチカ。その理屈を人間対モノにあてはめた場合はどうなる」

 

 人間対人間は見た目が似ているから相手に心があると感じる。じゃあ人間対モノで心があると感じる場合の理由は? 似ていると感じるもの。

 

「経験、か? 過ごした時間が同じだから、愛着ともいうか……ただ、視覚的な違いが人間対人間ほど強く似ていると思わせない。心があるとは感じにくいから『思う』という、人間に対して使う言葉を言うにとどまる」

 

「SFだよな。この理屈でいけば万物に意識はありえるぜ」

 

 五反田は楽しそうに言った。

 

「ひょっとしたら簡易コミュニケーションがプログラムされたAIには心があったりしてな。おれたちが学校で使ってるあの堅苦しい教育ソフトウェアとかさ」

 

「どうかな、今までのはただの」 屁理屈だ、と続けようとして口をつぐんだ。

 

 人間対人間の意識の抽出は似ているから起こる。ではもしも、仮に――

 

 一夏はこれがとても重要なことのように思えた。そして、とても恐ろしいことを口走っていると自覚できても、尋ねずにはいられなかった。

 

 これまでの仮定を満足するとして、自分の主観では他の人間もモノも、本質的には変わりないのであれば。

 

「――仮に()()()()()()()()()()()()

 

「うん?」 五反田は対照的に気楽に構えた。

 

「だからさ、例えば機械みたいな人間がいたとしたら。人間ではなく、たとえ自分の主観だろうがおかまいなしに機械の判断を正しいと信じるようなやつがいたとすれば」

 

「そんなマシンのような人間なら機械のほうから似ていると感じ、モノ対人間で無意識を抽出するんじゃないか? ただまあ、機械には滑らせる口がない」

 

 それを聞き、急激にパズルのピースが、歯車がかみ合う。

 

 口を滑らせる、とは無意識の抽出。

 つまり無意識なくして口は滑らせない。

 だから、口を滑らせる=無意識の証明。

 意識なくして無意識は存在しない。

 

「機械が口を滑らせる時、その意識は証明される」

 

 だが、機械に口はない、だから。

 

「無意識を抽出するなら、だから電子システムを操ったりしてコミュニケーションを取る。文字言語に限らず。そのとき機械は当然にリアクションが返ってくると無意識で思っている。その人間は機械である自分と似ているのだから」

 

 五反田はいつになく真剣な表情の後、打って変わって気楽に言った。

 

「おれとしては、箒さんの機械の意識の証明よりそっちの方がしっくりくる。いいと思う。似ているという間柄が大事なんだな、たぶん。

 同じ時間を過ごしたとか、誰かからのプレゼントをその人との繋がりを連想するのは、送り主の想いがプレゼントに込められてるなら、送り主とプレゼントは似ている」

 

「うまい例えだ」 一夏はこわばった表情を崩して笑った。 「似ている、か。いろんな種類があるんだろうな」

 

 すっかり氷解したかき氷に今更気がついた。

 水のようになったそれをかきこむ。やや冷たい程度で、頭痛の種は取り除かれていた。

 

「おれ、いくよ」

 

 ああ、と五反田が返すと、タイミングよく一夏の携帯端末のバイブレーションが機能した。いつもの動作でジーンズのポケットから取り出す。

 

 メール着信。

 スクリーンを見て、箒からだと呟く。

 

「話があるから会いたいって」

「いそげよ、だいぶ時間をくった」

「腹も膨れた」

「知識もな」

 

 二人はにやりと笑い合う。

 

 悪いな、また今度と席を立ち、一夏。ドアノブに手を掛け、振り返る。

 

「助かったよ、相談してよかった。ありがとう」

「いいってことよ」 気恥ずかしげに片手を振った。

 

 駆けていく親友の背を見送り、ホットコーヒーを頼んだ。モスグリーン色のマグカップをすすり、一息つく。

 

 やっぱりあいつはいいやつだ。気持ちのいいやつだ。あんなやつに巡り合えたのだから、おれの人生も捨てたもんじゃない。

 

 ぽってりとした厚手の飲み口はホットを飲むのに最適だった。空調の利いた室内で温かい飲み物はなんとも贅沢と、幸福感を覚える。

 店内を流れるジャズとコーヒー豆の香りを肴に、先程までの会話を脳裏に再生した。余韻に浸る。実に楽しかった。

 

 一夏の相互関係の間柄についての考えは、哲学歴史上の先駆者はいるものの、口を滑らせると、似ているはユニークだった。

 

 意識を持っているAが、Bも意識を持っているに違いないと無意識に感じ、それを抽出。なぜならBは、意識を持っている自分に似ているのだから。

 コミュニケーションをとる。それ自体が口を滑らせる行為。

 

 おもしろいのは、BもAは自分に似ているから、Aも意識を持っているに違いないと感じるところだ。

 コミュニケーションをとるのは自分にレスポンスを求めているからで、自分からコミュニケーションを取った場合も、相手に当然にレスポンスを求めるのだから。

 

 ここで初めて、互いが互いの意識を把捉する。口を滑らす行為を交わし、コミュニケーションが成立。両者の無意識が証明。意識は存有する。

 

 そして、逆にこうも言いかえられる。

 

 意識を持つ者は、他の者なしに自分の意識は不確定。

 

 前提の『我思う』と矛盾しているが、ニワトリが先か、タマゴが先か。ではなく、ニワトリが存在すれば当然にタマゴは存在し、その逆もまた確定する。相互の間柄とはこういうことだろう。

 

 特にここがいい、と五反田はカップに口をつける。

 人は一人では生きていけないのだ。

 一人では足りない部分を補い合う。

 

 人間はそこのところを本能的に理解しているように思える。

 生存競争に打ち勝つための戦略だ。アメーバのように味気ない無性生殖では、思いがけない脅威によって一掃されかれない。

 風邪に強い人間や、体力のある人間がいたり。様様な遺伝子を混ぜ合わせる生き物は、あらゆる脅威に備えているようにさえ感じる。

 吊り橋効果というか、極限状態で生殖行為におよぶのは。だから一つの対抗手段だ。

 脅威による状況を打破したいから交配する。

 

 だからおれが女性を求めているのも自然なのだ。

 

 一つの帰結に満足し、残ったコーヒーを飲みほす。

 そろそろ帰るかと腰をあげ、そういえばと財布から未成年マネーカードを取り出す。カードは親指の腹の指紋を読み取り、中央上部の空欄に残金を表示した。次に伝票を確認。一人分足りない。

 ムムムと財布の中をチェック。リアルを足してもあと少し。

 

 これはまいったとトイレに向かい、妹に電話を掛けた。

 

「悪い。いま喫茶店にいるんだが手持ちが足りん、ちょっとだけ。来てくれ……いや、デートとかじゃない。さっきまでイチカといたんだが、やつはいろいろあって行っちまった……男にはな、いろいろ、があるんだ……頼むよ」

 

 なんだかんだで来てくれることはわかっていたが、やりとりを楽しむ。

 

「おれの足りないところを補ってくれ……単独では対処できない問題もあるってことさ……ああ、助かる」

 

 深いため息とともに席に戻る。きっと小言を聞かされるに違いないが、ここのところ構ってやれなかったのだから、しかたがない。それもまた乙なものだ。

 しかしサンドウィッチはうまかった。ランのやつが来たら勧めてやろうと、五反田は大きく伸びをし、あくびをした。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 一夏が待ち合わせ場所に着いたころには、あたりはすっかり夕暮れに染まっていた。街を見下ろせる小高い丘の上にあるこの公園は美しい夜景を望めると評判だが、この微妙な時間帯では数人の子供が駆けまわっている程度だった。

 辺りを見回し、ポツリ一人でベンチに腰掛けている箒を見つけ、駆け寄る。

 

「悪い、ちょっと遅れた」

「いや、こちらこそ急に呼び出したりしてすまない。座ってくれ」

 ひどく疲れた声だった。

 

 並んでベンチに腰掛け、二人はしばらく沈黙を共有した。箒はうつむいたままだったが、一夏に不安はなかった。沈む太陽に目を細め、はしゃぐ子供の姿を眺める。

 

 しばらくして、実は、と箒が口を開く。抑揚のない声で。

 

「わたしには姉がいる」

 

 初耳だった。幼いころの記憶を探るが、覚えていないのか、知らないだけなのか。何でも知っていると思っていただけに、わずかにショックだった。

 

「それは、知らなかったよ」

「その姉から一ヶ月前に手紙が届いた。読んでくれないか」

 

 年頃の女の子が持つには飾り気のないリュックから、A4サイズがすっぽり入る書類入れを取り出した。

 

「いいのか? おれが読んでも」

「読んでくれ。姉さんはそれを望んでいる」

「どういうこと」 肉親からの手紙ということもあり、丁寧にマチを紐とく。

 

 封筒の中には古びた紙が十数枚入っており、その字は手書きで、箒とよく似ていると、ほほえましく思った。

 

「もしもIS学園開校より一ヶ月間、メディアに姿を現さなければ。織斑一夏を頼り、織斑千冬にこの手紙を渡すこと」

 

 独り言のような呟きに反応するよりも先に、一夏はその手紙の一枚目に目を通し、すぐさま書類入れに戻した。

 ウソだろ。

 心臓が大きく胸を叩く。次いで周囲をそれとなく警戒した。犬の散歩をしている中年の女。ジョギング中の若い男。遊び疲れて帰宅する子供。

 

「箒、おれの家に行こう」

 

 自分の知る限りではそこが一番安全と考え、立ち上がるが箒は動こうとしない。もう一度名を呼び、優しく肩を揺する。

 

「ここで話すには重大すぎるよ、行こう。この手紙は千冬ねえに渡す。必ず渡す。渡すまで一緒に居よう」

 

 箒は小さくうなずき、差し出された一夏の手を取った。手をつないだまま公園を出て、市街地へ。都内のマンション、現織斑家の住所へと向かう。

 

 その途中、封筒を抱えたままの一夏は気が気でなかった。ただの紙束が重く感じる。

 

 会社帰りのサラリーマンはどこかのエージェントで、あそこの買い物袋を持った主婦は某国のスパイ。行かせはしないと遮る信号は交通管制システムを乗っ取られていて。

 

 何もかもに猜疑心を煽られる、人をこんな目で見るのは初めてだと自己嫌悪におちいる。道行く人のざわめきと、車の走行音。ねちっこい空気、うだるような暑さ。人間の欲望の中にいるような感覚にとらわれる。

 

 何度も繋いだままの手の感触を確認し、幼馴染の安否を心配した。それはセキュリティホールに入ってからも続いた。荷が重い。気持ちの悪い汗が滴る。

 エレベーターまでの廊下を足早に進み、知らず箒を引きずるようになってしまった。気がつき、あやまり。余裕のない自分に苛立つ。

 

 監視カメラが動体とみなし、ゆるやかに首を振り、その様子を追随した。

 

 エレベーターはちょうど一階で、すぐさま乗り込む。沈黙と閉塞感、緩やかな浮遊感。

 

 不意に汗ばんだ手がわずかに握り締められ、一夏が何事かと窺うと、扉を見つめたままの箒が言った。

 

「信じてくれるのか」

 

 消え入りそうな声だった。

 

「わたしの姉が篠ノ之束だということを」

「もちろん」 その儚い横顔にうなずいた。 「無条件で」

 

 ありがとう。

 返された言葉に満たされたのは、一夏も同じだった。



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第八話 地球人になった女

「じゃむ?」

 

 と、あなたは受話器に返す。意識した返答ではなかった。単純に、真夜中の緊急と思われる通信には場違いな単語に戸惑いを重ねて呟いただけだ。ナイトスタンドの淡い明りが照らす室内に、静かに響く。

 それを聞きとった織斑千冬はまず戸惑い、次に取り繕い、最後に力強く応答した。

 

『ご存じない? いや、失礼しました。その名を知ることが出来る人間は限られている、ということを失念していました。

 訂正しましょう。あなたは、過去に地球が未知の脅威にさらされていた、ということを知っている。もしくは信じている。わたしとしては後者であってほしいと願っていますが。どうでしょうか』

 

 その急激な口調の変化に戸惑い、未だ眠りから覚醒しきっていないあなたの脳は突然の情報に混乱した。

 過去に地球が未知の脅威にさらされていた。と、電話の向こうの相手は言った。

 てんで荒唐無稽、SFにすぎる発言だったが、その焦りの色を感じさせる口調はまるで確信しているかのような。

 脳裏に『魔を払う矢』がよぎる。

 

「後日、直接」

「では日時は追って」

 

 短い言葉だったが、意図を悟り、織斑千冬の言葉で通話は終了された。あなたの手からするりと携帯端末が抜け落ち、床に鈍い音を立てる。

 それを気にも留めず、ふらりと隣室の書斎に向かい、本棚から一冊のハードカバーを抜き出す。

 

 表紙には、破魔矢とあった。

 ツキヤマSF出版。まぎれもなくSFジャンルだった。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 数日後、都内のホテルの最上階。エレベーターの扉が開かれ、スーツを着込んだあなたは物静かな廊下を進む。人の気配はなく、品の良い照明や絨毯はかえって不気味だった。いくつかの扉を通り過ぎ、最奥の部屋の前で立ち止まる。腕時計を確認した。午前一時。

 

 控えめにノック。扉の装飾に紛れたカメラがあなたを認め、ややあって電子ロックが外される音が聞こえる。

 ドアノブが内側から回され、織斑千冬が出迎えた。私服ではなく、前回と同じく黒のスーツだった。

 

「申し訳ありません。こそこそさせるようなまねをさせてしまい」

「織斑さんの立場を考えるなら、この程度の協力は惜しみませんよ」

「そう言っていただけると助かります。どうぞ、中へ」

 

 あなたは空調がほどほどに効いている室へと足を踏み入れた。窓はない。大きな投影壁、隣室へと続くのだろう、ドアが二つ。広い部屋の中央には丁寧な作りのデスクチェアーが会議用机をはさんで置いてあるだけだった。

 

「紙媒体の資料やタブレットなどを使用する場合、低いテーブルとソファは不向きと考えているので。普通の部屋も用意してあります、移動しましょうか?」

 

 と、異様な内装に呆気にとられているあなたに織斑千冬。

 

「いやけっこうです。実用的だ」

「観葉植物の一つでも置けばいいと言われるのですが……弟に。かけてください、何か飲み物を……コーヒーはいかがですか? インスタントしか用意できませんが」

「せっかくなので、いただきましょう」

 

 あなたはチェアに背をあずけ、バッグからタブレットPCを取り出す。視界の端では織斑千冬がキッチンでカップにお湯を注いでいた。ひょっとすると携帯端末をチェックしているのかもしれない。

 前回とはシチュエーションが反転しているが、あなたはジャミングや盗聴機器の類は持ちこんでいない。荷物はPCと携帯端末だけだ。

 

 PCを起動。バッテリー表示は94%。意識はどうしてもそちらに向かう。

 

「日時もこちらの都合に合わせていただいて」 とキッチンから織斑千冬の声。

「退職して暇を持て余している身です。合わせますよ」

 

 ほどなくしてトレイに二人分の白いカップとスティックシュガー、小型カップに密閉されたコーヒーミルクが運ばれてきた。彼女も席について、砂糖とミルクを混ぜてからカップに口をつける。

 あなたはブラックで飲む。一息ついて先に口を開いたのは織斑千冬だった。

 

「さっそくですが、先日お話したジャムについてです」

「ジャム、ですか」 カップを置いて淡白に答えた。 「残念ながら、わたしはそのようなものは知りません」

 

 その答えに織斑千冬は咎めるように目を細め、あなたを見据える。

 

「まるで関知していないかのような口ぶりですね。しかしあなたは『破魔矢』に近い内容が現実だったことを御存じなのでは?」

 

 その視線に耐えきれず、バツが悪そうにコーヒーをすする。

 魔を払う矢、あなたはたしかにそれを信じていた。

 

 ちらと対面に座る女性を盗み見る。ファンタシィを真面目に語るのはやはりと迷ったが、昨日のシリアスな口調から察するに、彼女は『破魔矢』について何か掴んでいるようだった。あなたはある秘密を打ち明けることにする。彼女を信用した。

 

「申し訳ない。しかし、どうもね。非現実的な出来事を信じていると言うのは勇気がいりますよ。わたしは証拠を持っていません。ただ、ある本を見つけてしまってから、どうもそれが本当なのではないかと」

「その本が『破魔矢』ですか」

「あれにリアルを感じさせられまして」

 へんなもの言いだ、と自分でも思った。

 

 織斑千冬はタブレットを起動し、ウインドウを対面モードで投影した。

 インフォメーション・バーにはタイトルである『破魔矢』と著者名。彼女は一息入れてから語った。

 

「84年に両媒体で出版された戦史小説、破魔矢。

 対人類体と呼ばれる未知の脅威が宇宙から現れ、北極に拠点を作り、各大陸へと侵攻し始める。それを迎えうつ航空戦力を主力とした超国家的組織。そこに属する破魔矢と名付けられた戦闘機に搭載されたAIと、パイロットが活躍するお話です。

 表には出ていませんが、作者は史実をまとめたノンフィクションとして、という意向でしたが、その史実自体が証明されておらず、引用元も疑わしく、出版社の調整でSFとして世に出る。翌年に受賞。ジャンルゆえに売り上げという数値でこそ目立たなかったが、一部ではカルト的な人気を誇った」

 

「織斑さんは、どのように考えているのですか?」

 

 まるでSFのような、小説の出来事を信じているなんて。酒の場だったが、真摯に聞いてくれたのは主任だけだった。

 

 

 

 あなた、は思索の糸をたぐり寄せる。自己を客観する。

 

 あれは所詮、SF小説の中の出来事でしかない。魔を祓う矢と呼ばれた人類の切り札、破魔矢なる戦闘機は存在しない。対人類体、先日の電話で織斑千冬から聞かされた言葉を使うならば、ジャムなども同様に。架空だ。

 

 事実、あなたはジャムを見たことがないのは当然として、広大なネットでいくら過去のそうした人類の危機の情報を拾おうとしても、ヒットするのは娯楽としてのそれ。リアルは断片すら見つからないのだ。

 

 

 

 聞けば頭を疑われるかもしれない内容を、しかしあなたは手放せずにいた。

 他人に興味を示さないパイロットと、最低限の機能を備えた戦闘機の不思議な相互関係。知性とは、人間性とはなにか。純粋な読み物としても好きだったが、不思議と読み返すにつれ、端端に現実を感じた。それがなぜかはわからないでいたが、漠然とした不安は心の奥でくすぶり続けた。

 

 ひょっとすると、自分を含め大勢の人間が真実を知らないだけなのではないかと。

 

 訪れた沈黙に、窺うように織斑千冬を見るとその表情は真剣で。視線をテーブルに泳がせ、あごに手をやり。やはりか、と呟く。嘲笑を感じさせるような口調では無かった。

 

「あなたの持つ強い兵器開発競争の肯定はそこから来ているようだ。それゆえISに寛容。そしてその思想に従うならば、IS開発に積極的に取り組まなければならないが、しかし魔を祓う矢を信じているからこそ飛行機に固執し、新たなハードに手を付けることが出来ない」

 

 彼女があなたに向き直る。

 

「あなたは正しいでしょう。それは篠ノ之束が保証しています」

「束博士が?」

 

 脈絡のない人名に驚く。

 

「存在すら疑われていた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。どのような経緯かはわかりませんが、篠ノ之束がそれを手に入れたとすれば?」

「ちょっと待って下さい、話が唐突過ぎる」

 

「単純な事実です。篠ノ之束はその内容が事実であったと推定しています」

 

 織斑千冬は、開示すべき情報か否か、わずかに言いよどみ。

 

「篠ノ之束には妹がいます。彼女が弟を通してわたしに教えてくれました」 それだけ言い終わるとあなたの理解を待つかのように、余裕をもってカップに口を付けた。

 

 あなたは連続する事柄を噛み砕き、つとめて冷静に振舞いながらも心臓は一つの疑問によって激しく脈打っていた。

 破魔矢が参考にしたジ・インベーダーはSFなどではない。過去に人類を脅かすジャムとやらが存在していたとすれば。

 

「では、魔を祓う矢も同様に?」

「というと?」 試すように、小さく小首をかしげる。あなたにはそれが煩わしく感じられた。急かすように。

「対人類体、真にはジャムと呼ばれる脅威が存在していたのならば、必然的に対抗する為の存在は確定する」

 

 人類の切り札。破魔矢の主役の片割れ、魔を払う矢。

 

「そうです。篠ノ之束の目的の一つはそれのようです。彼女から手紙が届いています。わたし宛てですが、ご覧になってください。あなたならば彼女も許可するでしょう。隣室に保管してあるので少し待っていてください」

 

 あなたの質問を聞き、満足そうにカップを置くと席を立った。

 時間が惜しいのか、開きかけた隣室のドアノブに手を掛けたまま、ふと思い出したように振り返って続けた。

 

「それと、ジ・インベーダーによれば対人類体同様に破魔矢も間違った名称で。正確には戦闘機ではなく偵察機のようです」

 

 あなたは無言で続きをうながす。顔を向けただけの織斑千冬と視線が交わる、着席したままのあなたは僅かに見上げる形で。あの時。玄関口ではじめて出会ったあの時のような鋭く力強い眼差しが、その華奢な肩越しに。

 

「戦術戦闘電子偵察機、FRX-00 メイヴ。パーソナルネームは――」

 

 隣室の暗闇に半身を落とした織斑千冬はたしかにそう告げた。

 

「――雪風」

 

 言い終わると同時にドアが閉じられる。

 声が出なかった。

 偶然なのだろうか、型式名からパーソナルネームの一致は。

 理解が追い付かず、脳の空白地帯が発声器官にまで及んだかのような忘却感があなたを襲う。

 表情を見られる前に織斑千冬が隣室に消えたのが幸いで、耳には先程の言葉がこだまのように残留した。

 

 ジャムは存在しないということが真であると仮定するならば。今、あなたのガレージにて貪欲に電力を吸い上げ、謎の処理を実行している雪風も存在しないはず。これは現実と矛盾している。

 ジャムに対抗する為の機は。機に対抗する為のジャムは。一方が存在していれば、もう一方の存在も確定する相互関係にあるこの二つは。

 

 強烈なイメージが浮かび上がる。ガレージの雪風と作中の挿絵に描かれた破魔矢が重なり、後者の輪郭が前者に最適化されていくように変質した。

 反転する。そう、空想は現実に。反転だ。

 あなたの主観というゲートを情報が通過し、出力されるように。零が一に。まさしく、無が有になるのを感じる。フィクションがリアルにコンバートされる。

 

 魔を払う矢は現実となった。雪風だ、あれが。

 

 まったく突然に、あなたは現在、世界で唯一のジャムの存在証明を確認していた。

 あなただけだ。過去の人類の危機を断定できるのは。

 莫大な資金が動き、何十年と続けられ、大勢の人間が死んだ戦争が真実だと言い切れるのは、あなただけ。

 

 めまいを覚えた。得た情報はあまりにも重くのしかかってくる、まるで物質的な重量をもつかのように。

 頭を小さく振り、ここまでの問題点を整理しようとタブレットの物理キーボードに震える手をかざし、気がつく。

 

 有線ケーブルを用いた、他PCとのリンク状態を表すアイコンが点滅している。

 当然、あなたのPCは有線されておらず。また、そのアイコンが点滅すること自体がプログラム上ありえなかったが、いまさら驚きはしなかった。

 問題はその意図であり、織斑千冬のPCの有線接続端子に向かう視線をなんとか自分のディスプレイに留める。

 

 おそらくこの部屋の状況は記録されている。思惑を推察されるような反応は極力避けるべきだった。冷静にならなければと、小さく深呼吸。冷静に? なぜ。

 

 点滅し続けるアイコンを睨みつけたまま、喉を鳴らす。幸いにもディスプレイはプライベートモード。カメラが追跡する、使用者の眼球の位置以外からではホワイトスクリーンだ。

 

 ちらと織斑千冬の消えたドアを見やる。まだ数秒ほどしかたっていない、チャンスがあるとすれば今。

 鼓動が早まる。あなたは選択を迫られていた。

 過ぎる時間に比例して機会は失われていく。雪風の電子能力ならば、一瞬でもリンクさせればそれで済むだろう。

 

 だがもし見咎められれば、はたして生きて帰ることが出来るのだろうか? 突拍子のない疑問が渦巻く。

 場所は日本。法の加護を受け、一般市民であるあなたは当然丸腰で、しかも相手はIS乗り。あなたの命など簡単に消し去ることが出来る。

 織斑千冬が法を破り、ISを起動などするなどとは考えにくいが、潜在的な武力を一度でも意識してしまえばそれを拭い去るのは難しく。

 二転三転、目まぐるしく変化する状況に対応できない。息苦しい、ネクタイを緩める。

 

 いっそ織斑千冬の登場を願った。そうなれば不可抗力だ、まさか本人の目の前で有線しろなどとは命令しないだろう。命令?

 PCのサイドに取り付けられた、有線ケーブルの端子イジェクトスイッチに、あなたは手を伸ばす。

 

「お待たせしました」

 

 突然の声に顔を向けると、後ろ手にドアを閉める部屋の主。選択を免れたと胸をなでおろし、伸ばした手をPCの位置を調整するふりでごまかす。

 今のところ有線失敗に対する反応はない、重要度は低いのだろう。

 

「顔色が優れないようですが」

 

 怪訝そうな声色で、A4サイズの簡素な封筒を持ったまま席に着いた。

 あれが束博士からの手紙なのだろうか。

 視線をそれに向けたままコーヒーカップに唇を付け、空だった事に気がつく。ごまかすように笑った。

 

「お代わりを用意しましょうか?」

「ああ、いえ……そうですね、いただきましょう。予想外の出来事の連続で喉が乾いてしまって。ホットをお願いしても?」

 

 返された小さな愛想笑いは何を考えているのか。とにかくあなたは、現状把握の為の時間を稼がねばならなかった。

 

 雪風でも手が出せない防壁を個人が保有しているというのは考えにくい、友人の防壁すら破ったのだ。

 起動音かPCの外向きカメラでその存在こそ察知したが、完全なスタンドアローンなのだろう。当然侵入できない。だからこそ繋げといっている。

 しかしその要請は。そう、要請だ。それは織斑千冬に対する明確な敵対行動に他ならない。

 

 付け加え、リアルタイムで監視されているであろう部屋で了承を得ずに有線すれば、見つかることは必至。そしてそれは当然に犯罪行為。

 そうなった場合、あなたはどうなる。再びガレージに帰還する必要性があれば、雪風はなんらかの手段を講じるのだろうか。ないなら切り捨てられる? まるで使い捨ての偵察ポッドだ。

 小さく身を震わせる。先程は何と感じた、命令? 冗談ではない。

 

 敵、味方。雪風は織斑千冬を敵だと認識しているのだろうか。あなたは、どうなのだろうか。

 少なくとも織斑千冬は私利私欲のために動いているのではない。むしろ人類のために一生を捧げる覚悟だ。では彼女と敵対するという事は、人類に対して害となるのではないか。

 

 それとも決定するのは早計なのか。先程の有線リンクは敵味方の判断をつけるための偵察行動にすぎないとすれば。

 どうぞ、と差し出されたマグカップを受け取る。

 そう、織斑千冬は少なくとも敵ではない。しかしそれは雪風とて同じことだった。

 対等な立場に立たなければ、あなたは消耗兵器だ。人間が扱うそれのように、人間に扱われるそれのように。

 まあ、過ぎたことだと厚手の飲み口に唇を付ける。インスタントにしてはおいしく感じ、ここにきて初めて安堵した。

 

「これが束からの手紙です」

 

 そんな心境を知ってか知らずか、織斑千冬はそう言って席に着くと、封筒から取り出した紙束を差し出した。

 篠ノ之束、超科学技術ISを開発した目的。それが記されている唯一の文章。

 受け取り、何枚かを流し読む。

 

「わたしがいれば何かと気を使う事でしょうし、隣室に控えています。IS学園の雑務を処理するので、時間はお気になさらず」

 

 黒字のMS明朝体が印刷された白い上級紙、言語は意外にも日本語。

 ええ、と手紙から目を離さず答えるあなたを一瞥し、織斑千冬は静かに室を出た。

 ドアの開閉音は遠く感じられた。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

『やあ、久しぶり。といっても、この手紙は箒ちゃんが見ているよりもずっと昔に書いているわけだから、おかしな表現かもしれない。

 この手紙は本来、金庫の中に永遠に眠っている予定なのだけれども、きみが見ているということは、たぶんそういうことなのだろう。

 

 この手紙は、わたしの友人である織斑千冬、また彼女の信頼する人物が読むことを想定しているので、ちょっとだけ真面目に書いてみることにする。

 

 将来のきみは、わたしに、なぜISを造ったのかを尋ねずにはいられないだろう。そして将来のわたしはそれに答えない。それはきみの身の安全のことも考えてのことだけれども、ISを造るに至った経緯を説明するにあたって、いくつかの信じがたい、事実と思われる事柄を説明しなければならない。

 ずいぶんとあやふやな表現で申し訳ないのだけれど、その事実と思われる事柄を証明するためにISを造ったようなところもあるので、仮定の話として進めざるをえない。

 

 また、仮定についての説明は段階を踏まねばならず、その段階も今のところは不確定な部分が多いことも付け加えておく。証拠になるかどうかわからないけれど、わたしがそれを信じはじめるきっかけとなった資料の一部を一緒に送りつけられているはずだから、それも参考にしてほしい。

 

 ではさっそく。

 

 ISを造るに至った経緯だけれども、箒ちゃん。きみはジャムという存在を知っているかな? 正確にはJAMか。SF小説は読む方ではないから、おそらく聞いたこともないだろうね。

 今となっては、その存在を知っている人間は限られているだろう。

 一般に認識されていない地球人と呼ばれるタイプの人間か、極度のSF好き。FAF解体時に暗躍した人物、日本人で例を挙げるなら更識家と呼ばれる一族。ましてやジャムを信じている人間は片手で数える程度なのかな。

 

 ジャム、FAF、地球人。さっぱりだろうから、まずはそこから説明しようと思う。

 

 きみやわたしが生まれるよりもずっと昔の大昔。信じられないかもしれないけど、地球は未知の脅威から攻撃を受けていた。その脅威は巨大な飛翔体で、もっぱら都市部に爆撃攻撃を試みた。それはたびたび成功し、それ以外は空軍などの航空戦力に撃墜された。のちにJAMと名付けられ、人類共通の敵として認識された。

 エイリアンが地球を侵略しに来たと言えばイメージしやすいかな。ただ、エイリアンは生命体だろうけど、ジャムの正体については定かではない。

 

 問題のジャムはどこからやってくるのか。それは宇宙より落下してくるのではなく、南極、ロス氷棚の一点にそびえたつ、巨大な紡錘状の白い霧のようなものから突き抜けるように現れる。

 超空間<通路>と呼称された。通路と名付けられたのだから、当然二つの入り口があり、同数の出口がある。

 地球側を入り口とした場合の<通路>の出口は、自然豊かな、まったく未知の惑星で。ジャムはその惑星より<通路>を抜けて地球に侵攻した。この惑星はフェアリイと呼ばれ、人類はジャムの侵略を水際で防ぐため、惑星・フェアリイ側の<通路>(地球と同じ形らしい)を囲むように六つの基地を建設した。

 有効な戦力として戦闘機があげられ、フェアリイ基地の主戦力は航空戦力で構成された。それがフェアリイ空軍、Fairy Air Force、FAF。

 

 当時の人間はジャムに対する危機感でいっぱいだったそうだよ。使い古されたSFが現実のものとなって、人間に危害を加えてきたものだから。しかし人々は、ジャムの侵攻から三十年ほど、実際にはもっと早い段階でかもしれないけど、ジャムに対する関心を失いはじめる。

 特に驚くべきことではないね。隣国の戦争にさえ無関心な社会は今に始まったことじゃないし、ましてやそれが<通路>をまたいだ別の惑星なんだもの。

 でもそんな中で、地球にいながらもジャムの脅威を感じることのできる人間がいた。そういった人間を、真の意味で地球人と呼ぶのさ。

 区別する為、以下そうでない人間を地球の人人と表現する。

 

 人人がジャムを忘れ去った原因の一つとして、FAFがあまりにも有効に機能したことがあげられる。ほぼ完全にフェアリイ星で、その侵攻を防いでいたんだよ。いや、これには語弊があるかな。ジャムの真の狙いは地球ではなかったのだから。

 それともう一つ。わたしはジャムが地球の電子情報を操作したと考えている。当時の高度に電子制御された地球の機器を操作し、フェアリイ星でのFAFの活動報告や、ジャムに関するニュースを隠していたんだよ。

 

 あんまり考えたくないけど、人間も関与していたように思う。

 つきつめればFAFには税金が使われているわけだからね。前述のジャムが忘れ去られている状況からFAFの必要性を疑い、本当はジャムなんていないのではないか? だとすれば、われわれの血税を無駄に浪費しているのではないか。なんて言いだす人を少なくするためにね。

 まあ、とにかくこれが実に巧妙で、この束さんでさえ当時の電子情報を見つけるのに苦労したほど。と言えばどれほどのことかわかってもらえるかな。その電子情報は一応、公式な資料として当時の国に保障されている。

 

 そうそう、FAFがフェアリイ星でジャムの侵攻を食い止めているにもかかわらず、どうしてジャムの情報操作が可能なのかと疑問に思うだろうね。それはジャムの正体に関係する。当時の人々のジャム像というのは飛翔体そのものか、飛翔体を操縦する有機的なものであると考えていんだけど、実際のところはもっと概念的なものだった。表現としてはAIなんかが近いのかな?

 

 それを見抜いたのが、特殊戦と呼ばれるFAF所属の戦隊なんだ。しかも彼らは、ジャムが狙っているのは人間でなく、電子存在であることもつきとめた。

 

 この特殊戦がその名のとおり特殊で、作戦任務は情報収集に尽きる。ジャムと他の部隊の交戦などを高高度から記録し、基地へと持ち帰るのだ! 自機を守るためにだけある強力な兵装を抱え。ジャムを振り切るほどの、過剰とまで思えるほどの速度で。たとえ友軍を犠牲にしても必ず帰還せよ、が至上命令の冷徹な部隊。

 

 特殊戦は十三機の偵察機から構成されている。厳密には違うかもしれない。それらの機には高度なコンピュータが搭載され、基地の戦略・戦術コンピュータ(以下SSC、STC)とほぼダイレクトにリンクできるからね。

 その十三機の偵察機。正確には戦術戦闘電子偵察機と呼ぶらしいけど、その中で雪風というパーソナルネームを持つ機が存在する。

 

 この機は意識を持つ。

 

 機械が意識を持つなんて信じられないだろうね、たぶん。

 とにかくジャムとFAFの長きにわたる戦いはさまざまな過程を経て終結する。いや、最終的にはジャムと特殊戦との、かな。

 残念ながらその過程は知ることができなかった。一つ確かなことは、特殊戦が勝利したということだけ。それはわたしたちが生きているということが証明してくれる。

 

 概念的な存在にどうやって対抗したのだろうね。

 どうも特殊戦は機械知性と人間の融合体、複合生命体と呼ばれる新種の生命とやらになったらしい。物理的な意味ではないよ、意識の問題でさ。融合と言っても、どちらかの意識が他方に吸収されるといった状態ではない。互いに互いを強く必要するような、そんな感じだと思う。雪風なる機がヒントになったらしい。

 

 それだけで勝てたわけではないかもね。

 個人的には、その新種の生命体と、それに数学を混ぜたものを武器として使ったんじゃないかな、と思っている。

 ジャムのような存在するのかしないのかまったく理解不能な敵に対し、現実として存在しないが、本質的に世界を支配する、数というやつは極めて有効な手段じゃない?

 人間が思想を持ってしてジャムを把握し、パターン化した数列をコンピュータ入力。そのバイパスが複合生命体で、それを高速で解決する複雑な数式をSSCやSTCが処理するってわけ「=ジャムは存在しない」という証明を作ったのかもね。

 

 エレガントでしょ。

 

 ま、過程はどうあれ、特殊戦はジャムを撃滅した。やっつけたんだよ、完膚なきまでに。ただ、その際フェアリイ星は消滅した。戦っていた彼らはどうなったかというと、<通路>を通ってはじき出されるように地球に戻った。特殊戦も、生き残ったFAFも。

 どうもジャムの消滅とフェアリイ星消滅はなんらかの関係にあったみたい。さすが、と言うべきか、特殊戦はそれすらも掴んでおり。着着と脱出の準備を進めていたんだってさ。

 

 でも、戻ってきた彼らに居場所はなかった。

 

 当然と言えば当然のことかもしれない。

 ジャム。どのような形状をしているのか、わたしには想像もつかない。けれども、その脅威は知ることができた。それはおそろしく速いミサイルを抱えて、超音速飛行でもってしてどこからともなく出現し、大出力ECM、ECCMを有し、やっつけてもやっつけても無尽蔵に沸き、その性能は日々向上するし。空間や主観すら、ジャムはその気になれば操れるらしい。

 

 ジャム機のミサイルがFAF機に回避されたりすると、ジャムはもっと速くて避けづらいミサイルを作りだしたりね。で、FAFはそれに対抗するために機体を改良したり、より高度なミサイル欺瞞機構を開発するってわけ。いたちごっこだね。

 そんな脅威と同じ星に生きる彼らは、もちろんジャムとの兵器開発競争を怠らない。生きるためにはジャムをやっつけなくちゃならないからね。

 

 だからFAFは強い。地球型戦闘機ではかないっこないほどに。

 いや、強さは物理的な性能や威力などではなく、闘争本能にも似た、兵器開発競争能力そのものも指すだろうね。

 だから、地球に戻ってきたFAFを地球の人人は快く思わない。かれらの目には、ジャムに代わって<通路>を抜けてきた新たな侵略者に映ったのさ。ジャムをやっつけてくれたのにね。

 共通の敵が消えちゃったから国家の団結が消えちゃったのも理由すると思うんだけど、どう?

 

 そんなわけでFAFは解体されて、地球の軍に吸収されることが決定した。

 どの国もFAFの持つ超科学技術を欲しがったからね。

 

 完全攻撃機能を持つ空戦機の管制構造、<フリップナイト・システム>。空気を押しのける際に生じる熱を察知する、極低温で動作可能な超高感度視覚、<凍った眼>。超大出力ECMやレーダー。今でこそ珍しくないけど、高性能なレーザー兵器。これだけじゃないけど、当時はオーバーテクノロジーと呼ばれた。

 後述のFAF解体のため、今ではロストテクノロジーと呼ばれる。未だにSSCやSTCなどの戦場構築理論をもつシステムや、<凍った眼>をはじめ、再現できない技術は多多あるのさ。

 

 FAFは超国家的な組織だったので、その配分でずいぶんともめたらしい。ということを地球側の代表がもたもたと会議している間に、FAFはどうしたと思う? なんと彼らは自らをフェアリイ星人と称し、自治権を主張したのさ。

 ま、それは完全に一個の国家としてではなく、培った技術や知識の秘匿が主だったんだけどね。

 

 ジャムとの決着を経て、FAFは何を感じたのだろう。資料から推察するに、かれらにとってのフェアリイ星での熾烈な戦いは地球を守るためではなく、その星で生き残るための原始的な生存競争だったのかもしれない。地球に吸収されるのを良しとしなかった姿、わたしの目にはそう映るよ。

 きっと、ジャムを消滅させる時は苦渋の決断だったのだろうね。フェアリイ星で生きるためにはジャムをやっつけないといけないけど、そうすればフェアリイ星は消えてしまい、地球へ戻らなくてはならなくなる。二律背反だね。かれらは選択したわけだけれども。

 

 さて、話を戻すと。一見無謀にも思われるこの行動は、成功した。FAF特殊戦副司令、リディア・クーリィ准将の手腕によってね。階級や役職については調べた当時の資料によるものなので、このときはもっと偉くなってるかも。

 特殊戦のボス。かなりのやり手だったんだって。世界を相手に大立ち回り。束さん会話してみたい偉人リストに名を連ねる一人さ。

 でも、難攻不落とおそれられた彼女も、時間にだけは勝てなかった。彼女の死後、その十数年後、強力な指導者の一人を失ったFAFはついに解体された。現在の兵器技術レベルを見るに、FAFの技術の流出は最小限のものとなったらしい。残されたFAFのフェアリイ星人たちは彼女の意地を汲み、組織解体までの年月の間に、管理しきれないコンピュータ情報や飛行機なんかを解析不能なまでに破壊した。

 

 特殊戦の機も含まれる。ただ一機の例外を残して。

 

 驚いた? びっくりしたでしょ。きみが生まれる前に、教科書にも載らないジャムとFAF、FAFと地球の水面下の戦争が起きていたんだよ。

 

 さすがに表だった戦闘行為は行なわれなかったけどね。税金で作った組織に、これまた税金をかけて始末するなんて国民に知れたらことだからね。FAF側、いや、フェアリイ星人も、戦闘は地球人の反感を買うから双方とも表向きは何事もなかったかのように振舞ったらしいよ。いくらFAFが強力でも、数には勝てないからね。

 これがフェアリイ星人と地球人によって隠ぺいされた事実さ。残念ながら、たぶんがついちゃうけど。

 

 でね。FAFが解体された際、主要国家はこぞってある戦隊員を欲した。そう、特殊戦と呼ばれる戦士たち。複合生命体となった特殊戦。ジャムをも圧倒してのけた力の秘密と、オーバーテクノロジーに深く関わっているのではないかと期待してね。

 もちろん他にも技術者の人達も捜索リストに載ったのだけど、当然に名を変え、電子情報を操作し。あるものは地球人の隣人となり、あるものは隠遁者となり。

 

 特殊戦のかれらは姿を完全にくらましていた。唯一破壊されなかった特殊戦三番機、メイヴ・雪風とともに。

 結局、主要国家はいつまでたってもかれらを見つけることはできず、いつしか時代と共に忘れ去られるようになった。

 

 というのも、かれらを記述した書物、ジ・インベーダーの数の減少がそれを加速させた。

 作者は不本意だったらしいけど、FAFとしては地球の人人の干渉を受けたくないからね。さっさと忘れて欲しかったんだと思う。

 

 データを見ると、過去に経済主体連盟の電子書籍化運動が盛んな時期がある、多分その時。

 作者はデジタル化を嫌っていたみたいだけど、FAFの要請を承諾し、物理出版から手を引くと、わずかに事実をぼかした改訂版を電子出版した。あとは時間の仕事ってわけ、原本を書店に持って行って料金を支払えばDLプロダクトコードと交換できるキャンペーンが始まったのも、そのころだったりする。

 

 定期的に改訂は続けられたみたいで、どんどん事実から剥離していった。初期と末期を見比べてみると笑っちゃうくらい。改訂アップデートをしてないものぐさ読者が少なからずいたのが幸いだったよ。

 

 FAFの凄いところは、地球帰還前からこの準備をすませていたってこと。

 おっと、寄り道しすぎたね。さて、かれらはリディア・クーリィ死後、どのような人生を歩んだのかはわからない。

 聞こうにも、大昔の事だから特殊戦の人員は生きてはいない。

 

 でも、どうかな。

 電子存在は、どうかな。

 雪風と複合生命体となった特殊戦は、どうかな。

 

 わたしは、その機械と人間の意識が共存したと解釈する複合生命体がどのようなものか詳しくは知らない。

 

 雪風とそのパイロットのみが、そうなれたのか。特殊戦全体がそうなったのか。

 どちらにしろ、事実ならばリディア・クーリィの意地は成った。

 特殊戦・雪風が生きているとすれば、FAFは消えていない。だから、負けていない。

 そしてそれは、人類が忘れ去った、歴史家でさえ鼻で笑ってしまうような恐ろしい脅威の証明に他ならない。

 

 ISを造った理由の一つは、特殊戦・雪風の存在証明=ジャムの存在証明にある。

 簡単にプロセスとして表すと、以下のものになる。

 

 

 1.第一世代コアが指導者を選別し、条件を満たす者が現れ次第、特殊戦パイロットを選別する為の第二世代にアップデート。FAFと酷似した環境下に集め、雪風パイロットに近いパーソナリティを模索し、複合生命体を生み出す。以下、条件を満たした操縦者を操縦者・ISとする。

 

 2.特殊戦と雪風の複合生命体が現存しているという仮定を満たしている場合、操縦者・ISに対し、高確率でなんらかのアクションを起こすものと考えられる。

 

 3.特殊戦・雪風はFAFに所属しており、FAFはジャムに対抗するために作られた組織である。従って、前段階による特殊戦・雪風のリアクションの確認をもって、FAFは確かに過去に存在しており、それによってジャムの存在は証明される。

 

 

 特殊戦・雪風が操縦者・ISを良しとする場合はありえない。フェアリイ星人として生きることを選択した彼らは、地球産の同位存在を無視できないだろう。

 アンドロイドの外見や挙動を人間に近づけすぎると、人間は自身の存在の境界線を曖昧にされるのをおそれ、強い不快感を示す。アイデンティティが不安定になる。結構有名なSFネタだから知ってるかもしれないけど、これを人間という種ではなく、複合生命体に利用し、精神的負荷をかける。

 

 特殊戦・雪風はわたしの証明式からは逃れられない。なぜならば、複合生命体は現時点ではFAF型しか存在していないのだから、自己と他者の比較対象が無い。直接の接触を余儀なくされる。区別はそこで初めて可能となる。

 

 似ている、程度だったら我慢できるけど。自己像幻視、いわゆるドッペルゲンガーみたいなことになったらイヤでしょ? FAF型複合生命体は地球型複合生命体との差異を明らかにすべく行動するだろう。

 

 で、ISを作った二つ目の理由なんだけど。

 もし本当にジャムがいたのなら、第二のジャムが地球に現れるという可能性は無視できない。それはFAFと戦ったジャムとは違う目的で地球にやってくるかもしれないし、破魔矢のように宇宙から飛来するかもしれないし、地中から湧いて出るかもしれない。エイリアンかもしれない、未来人かもしれない。

 

 SFかな? 非現実的かな?

 しかしジャムという前例があるならば、だれも第二の脅威の可能性を否定できないはずだよ。

 だから、わたしは作った。その第二の脅威から人類を守るべく開発した。ISを。

 フェアリイ星にFAFがあったように、地球の防衛組織を作って見せるのさ。FAFと違い、脅威が現れてからではなく、事前に対策しておくんだ。

 

 ばかげていると思うかい。来るかどうかも分からない未来の脅威に対して備えるなんて。

 そうさ現実では、この手紙を書いてから誰かが見るまでの間は、たぶん第二の脅威なんて来てやしない。この手紙を見た翌日も世界は変わらないだろう、明後日も翌年もきっと大丈夫。

 

 でもジャムと戦った人たちも、そう思っていた。そんな脅威はあるはずないってね。

 だからきっと、織斑千冬はこの考え方には賛同してくれると思う。箒ちゃんもそうであってほしいな。

 

 最後に三つ目の理由。

 わたしは幸運にもジ・インベーダーの原本を手に入れることが出来た。もちろん最初はSFとして読書したさ。

 でね、こんな一節がある。

 

 Earthlings? This word is nonsense now and shows the international situation.

 Humans are on the Earth, but there is no united group Earthlings.

 

 民族性、愛国心。なるほどそれはその集団を強化するが、範囲は限られる。

 たとえ人類全体の危機に直面しても、マクロな観点からすれば結局集団同士は個別している。

 人人は地球にいながらも、地球人という全体集団を作ることはない。

 ジャムという共通の脅威が現れても。

 決して。その意味での地球人など存在しない。

 

 

 作者の主張の一つだよ。わたしはこれを見て恐くなった。文章の端端にリアルを感じたんだ。

 わたしの考えを鼻で笑う人間も多いだろう。しかしかまうものか、笑いたければ、好きにすればいい。

 思うにそういった地球の人人の存在が地球人を生むのだろうから。危機感のない人間に疑問を覚えるんだ、これでいいのか? ってさ。

 わたしは地球人になろうと思う。

 

 地球の人人が、地球人を成り立たせる。

 わたしを笑う者が、わたしを成り立たせるんだ。

 

 残念ながら複合生命体となる要因がなにかを特定することはできなかったけど、ジ・インベーダーを読む限りでは、パイロットの特殊なパーソナリティが強く作用していると思われる。

 やれることは全てやった。わたしに出来ることは、FAFと近い環境をなぞらえて複合生命体が生まれることを期待するくらいなものさ。

 複合生命体となる条件を満たす、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()I()S()()()()が現れることを祈って』

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 読み終えたあなたは目頭を強く揉むと、すぐさま文章作成支援ソフトを起動し、手紙の概要を入力した。催促されないうちに。

 この手紙は本物だろうか。

 物理キーを叩き、投影ウインドウに描写された文字を見て思った。束博士本人が書いたという証拠はない。

 雪風はガレージに存在する。しかし、FAFとやらの組織のくだりは事実なのだろうか。

 

 あなたと篠ノ之束は互いにピースが欠けていた。あなたはFAFに関する証拠がなく、束は雪風の存在を確定できずにいる。

 なんとかその参考文献を見ることができないかと頭をひねらせながらタイプしていると、ふと気がついた。簡単な事だ。FAFの内容が事実かどうかは、本人に訊ねれば済む話だ。

 

 苦笑しながら最初のメールが英語だったのを思い出し、同言語で入力する。

 

 

『Information Fiction or Fact』

 

 

 緊張の面持ちで数分待ってみたものの、入力カーソルは点滅したままだった。ただ、気づけばバッテリー表示は六割近くになっていた。

 何かの処理に忙しいのか、眼中にないのか。

 いや、同位存在による精神的負荷が掛けられているせいかもしれない。同様にIS学園で苦しんでいる人間がいるのなら。

 応答を諦め、文章作成支援ソフトをタスクバーに格納。両手をテーブルにつき、それを支えに疲れた体を立ち上がらせる。

 織斑千冬が消えたドアをノック。しかし返事が無い。

 

「織斑さん?」

 

 もう一度強く呼びかけると、慌ただしい物音の後にドアが開かれ、申し訳なさそうに。

 

「失礼しました。ここのところ寝不足で、ついウトウトしてしまい……」

 

 ああ、いえ。と無難に返す。よくよく見れば、彼女の目はわずかに充血していた。疲労の色がうかがえる。

 席に着くと、早速織斑千冬が口を開く。

 

「束がISを作った理由を理解していただけましたか?」

「ええ、一応は」

「それはよかった」

「しかし、FAFにとっては迷惑な話ですね」

「存在を複製されつつあるわけですから。しかし、完全な敵対関係が目的ではありませんから。手は打ってあるようです、束は」

 

 そんなことは手紙に記されていなかった。

 疲れをにじませた溜め息を小さく吐き、織斑千冬が続ける。

 

「わたしの当面の目的は二つです。一つは無人ISの私的保有、もう一つはFAFとの接触を誰よりも早く行なうことです。前者はほぼ不可能でしょうが、後者については見込みがあります」

 

 無人ISの言葉に出かかった疑問の言葉を飲み込む。彼女の言葉は途切れていない。

 

「これは()()()()()()()()()()()()()()()()に記されていたのですが、FAFでは無人戦闘機を対ジャム用として運用する計画があり、一定の以上の成果を上げました。

 ファーン・ザ・セカンド。FRX-99 レイフ。これら無人機の存在は、テストフライトや実戦を通して、雪風パイロットに精神的な変化を与えたそうです」

 

「博士が再現する地球型FAFがIS学園だとすると、それら無人戦闘機の代役となる無人ISは現れる、ということですか」

 

 そして操縦者・ISにとっての敵、ジャム役は。自動的に特殊戦・雪風が担うというわけだ。たしかにIS学園はFAFの状況を再現している。

 

「どのような形でかは分かりませんが、FAFを模しているのならば、必要不可欠な事柄です。その状況を追う事で後者の目的を達成できると考えています」

 

 FAFとの接触。技術情報を手に入れることが出来れば、彼女は予想よりも早くIS学園を掌握できるだろう。事実上、日本の管理下にある世界の中心を。祖国を出し抜く形で。

 なぜ一情報漏えいの危険性を無視して、と青白い顔の女を見た。

 

「わたしは彼女を信じます。きっと過去にジャムは存在していたのでしょう、FAFも、雪風も。

 単刀直入に言いましょう、この手紙をお見せしたのも、あなたの持つその強い兵器開発競争の肯定はFAF的、フェアリイ星人的で。FAF関係者の子孫の可能性を考えました。そういった人間を組織に取り入れれば、雪風との接触の際に友好的な状況を作り出せると考えたからです」

 

「残念ながら」 そんなはずはないとあなたは否定する。一度市役所で家系を調べる機会があったが、FAFのような軍属経歴を持つものはいなかった。改ざん不可の紙媒体で。

 

 言葉の持つ期待感に反した淡白な返答が、なにか酷い事をしているように感じる。

 

「ええ、それはわたし方の調べでも同じ結果でした。しかしわたしがあなたを欲するのはそれだけではありません。前回お話したとおりです。

 無人ISの登場はそう遠くないでしょう。事態は急転します、人手が足りない」

 まぶたを固く閉じ、目頭を押さえ、熱のこもった声で続ける。

 

「複合生命体となる特殊なパーソナリティの条件も絞り込めています。おそらく雪風パイロットは人間味のない、機械のような人間に違いありません」

 

 そのまま興奮気味に、似ているということがコミュニケーションをとり、互いの意識を確定させる相互関係の重要な部分であると述べる。弟のアイデアだそうだ。

 以前彼女が語った、意識を理解するのであれば、互いに意識を理解していなければならないという理屈にも合致する。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()I()S()()()()()()。どのような人物だろうか。似ている、という性質を備えた、おそらく少女は。

 

 一息つくと、織斑千冬はとうとうテーブルに肘をつき、頭を支えた。 「あるいは人間のような機械。ただ、これに関しては人間には理解できない」

 

 思わず身を乗り出して、あなた。

 

「大丈夫ですか? 日を改めた方が」

「いえ」 疲労をにじませた声で言った。 「わたしには時間がありません」

「休んだ方がいい。わたしはいつでも都合がつくので、時間は合わせます」

 

 なかば強引な物言いの説得に、彼女はためらいがちに答えた。

 

「明日の早朝でも? それでしたら、お言葉に甘えて、それまで睡眠をとらせてもらいます」

 

 あなたは了承し、近くのビジネスホテルの予約をPCに命令しようとウインドウに目を向け、キーに手をかざす。

 

「では」 と、彼女がきつそうな胸の内ポケットからカードキーを取り出した。戸惑ったあなたは顔を上げる。

「泊ってください」

 

 続けて、時間も時間ですし。

 その言葉に反応するかのように、タスクバーから文章作成支援ソフトが呼び出されるのをあなたは視界の端で捉えた。いや、これは――

 

「その方が時間を有効に使えます、お好きな部屋を使ってください」

 

 ――ステータス・バーにはインストールした覚えのないMAcProⅡという文字。アルファベットが自動で入力されていく。

 

「たしかに、そうですね」 と、あなた。慣れたものだ。冷静に、廊下に設置されていた扉の数を思い出す。このフロアにある部屋数は、ここを除いて十一部屋。そして彼女は言った、好きな部屋を使っていいと。

 

 彼女は一人だ。白い壁にくっきりと浮かび上がる黒髪と同色のスーツが、より一層際立てる。孤立を。

 そしてウインドウに目を落とす。

 

『Identification Friendly or Foe』

 

 しなやかな指に押し出されるカードキーがテーブルを滑る。不許可デバイスによる盗み読み対策のマットに仕上げられた黒一色のそれは、雪風の表層塗料によく似ていた。

 選択は続いていた。そして、こればかりは避けられそうもなかった。

 あなたは弱りきり、片手ですっかり両目を覆った織斑千冬をうかがう。指の隙間から左目がのぞいた。爛爛とした瞳があなたを捉える。

 思わず目を伏せ、一言。

 

「せっかくの御好意ですが」

 

 僅かな沈黙ののち、そうですか、と織斑千冬。気にしていないというような笑みを貼りつけていた。

 変わった。以前の彼女よりも、したたかで、手ごわくなった。束博士の手紙がより一層信念を固めたのだろう。

 行動予測はもう当てにはならない気がした。

 エレベーターまで見送るという彼女の申し出をやんわりと断り、それなら部屋を出るまでという事になった。

 

「では」 と、あなた。おそらく早朝の件は取り消されるだろう。

「ええ、それでは」 と、織斑千冬。扉を閉めた。織斑千冬、固く眼を閉じる。

 

 あなたはそれを別れの挨拶として捉え、十一の扉を通り過ぎ、エレベーターに乗り込む。しかし、織斑千冬にとっては接続語にすぎず。衣類を脱ぎ捨てながら寝室に向かい、ベッドに倒れ込む。しんどそうに仰向けになると、呟くように言った。

 

「それでは、あなたはわたしの敵だ」

 

 そうして深い眠りにつく。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 翌日、織斑千冬の室に向かったが、扉には急用ができたので、と謝罪のメモが貼り付けられていた。もう会うことはないだろうと考えると、なんとも淡白な別れだ。それを惜しむような仲でもなかったが。

 同時に携帯端末に着信、いくつかのファイルが添付されていた。FRX-00の詳細なカタログスペック、非武装である事の抗議めいた要請と戦場構築プロセス。織斑千冬は恨むだろうか。

 あなたは自宅に戻る途中の車で、主任と友人に電話をかけることにした。秘匿回線。

 コール音。着信までの間、高度な電子ロックシステムを内蔵した扉を見て思った。たぶん、すでに特殊戦は束博士に攻撃を仕掛けている。物理的な破壊ではなく、電子制御による幽閉が妥当。

 

 喜喜として対応するだろう。ひょっとすると特殊戦の仕業かもしれないのだから。

 それに博士がISを持っているのなら、体当たりで大抵の物は破壊できる。生命の危険はそれほどない。しかし、FAFがそれほど甘いとも思えない。

 

『なんだこんな時間に』

「会えますか?」

『二十三時以降は空いている』

「待ってますよ……上等なやつを用意して」

『なるほど、わかった。二時間早めよう、切るぞ』

 

 元同僚には申し訳ないが、織斑千冬が急いでいるのと同様に、あなたにも時間が無い。続いて友人にもかけてみたが、留守電だったのでメッセージを残す。

 

「上等なやつを譲ってもらった、飲める日があれば教えてくれ。出来れば今日がいい」

 

 携帯端末をポケットに押し込み、流れる景色に目をやる。

 

 交戦は避けられない。そんな気がした。



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第九話 戦場剥奪

 その日の夜、主任は時間どおりに駆け付けた。こうして顔を合わせるのはあの日以来だ。どうぞ、と招き入れる。

 

「かわらんな」

「お互いさまですよ」

「嫌味に聞こえるぞ」

 

 上着を放り投げ、リビングのソファーに腰掛けた主任がキッチンのあなたに声を投げかける。

 

「上等なやつ、とはな。ただならんか」

「そうですね」 と、トレーに三人分のグラスとチョコを用意して、対面に腰掛ける。

 

「誰か来るのか?」

「ナイン開発者ですよ。時間があれば、ですけど」

「これはいよいよをもってだな。何をするつもりだ」

 

 主任が手に持ったグラスに注ぎながら、あなたが言った。

 

「対IS用兵装はどのような塩梅ですか」

「フランスとアメリカの大手二社が共同でやってるらしい。爆風圧、直撃や金属片を当てるのはやめて、分裂ミサイルを敵ISの上空に撃つんだ。弾頭に詰められた化学物質から擬似的な雷雲を生み出し、落雷による攻撃方法を模索している。もしうまくいけば雷速だ、避けられんさ」

 

「どの程度の段階ですか」

 

「実用には程遠いよ。高高度で雲を作り出すのは至難の業だ、化学物質の量も膨大だ。その空域に何百発必要になる? 費用対効果が低すぎる。ただまあ、おもしろい試みだ。発明とはそういったところから出てくる。既存の概念を打ち破ったアプローチだよ。笑うやつも多いが、わたしは評価している……それと今度うちに来る試作が――」

 

 落胆したあなたを見て、おもしろそうに主任。

 

「なんだ、やる気か?」

「近いうちに一戦交えるかもしれません」

「どの国がどの国と?」

「FAFとIS学園が」

「FAF……聞かん名だ。一枚噛もうというわけか?」

 

 あなたはまず、嵐の夜の事を話した。次に織斑千冬から手にした情報を説明しようとすると、遅れて友人が到着。よく来れたな、と招き入れる。

 

「いやあ、すみません。遅くなっちゃって。でもどうしたんですか? 急に。上等なやつだなんて。あれ? ひょっとして」とソファーに身を預けている人物に視線を向ける。

 

「ブリンクが世話になってるな」 主任は立ち上がり、友人に握手を求めた。

 

 その手を握り、友人。 「はじめまして。他の機では持て余すからね」

 

「驚いた、初対面とは」

「ディスプレイ越しには会ったさ。それよりちょうど人数も揃った、話を続けてくれ。織斑千冬は何と言った?」

「炭酸あります?」

「用意するよ、かけてくれ」

「ついでに水も頼む」

「わかりました」

 

 仕事終わりに問題ごとを持ちこむのだ、出来る限りのもてなしをする。適当にチーズを皿に盛り、あなたは友人の横に座った。一息つくと、先日の出来事を説明した。

 

 そうして夜の色は一段と濃くなり、日付が変わり、ひと段落ついた頃、友人がポツリと言った。

 

「織斑千冬と篠ノ之束の目的は分かりました。けど、あなたの明確な目的は何ですか? ぼくたちに話したことから、手段の予想はつきますけど」

 

 手にもつグラスを見おろして、冷ややかに続ける。 「まさか、雪風に命令されてるから、何て理由ではありませんよね」

 

「違う、わたしの目的が雪風と合致したからにすぎない」

「なんですか、それ。それを聞いているんですよ、ぼくは」

「うまく、説明できない。織斑千冬や篠ノ之束に過去の脅威を証明してやりたいのかもしれない。雪風単独ではこの問題を解決できない。博士の証明式からはどうやっても逃れられない。操縦者・ISとの接触の際に政府が介入するかもしれない、捕獲されればFAFは死を選ぶ。雪風から送られてきた作戦ファイルには、その場合の自爆を戦略として挙げていた」

 

「それとも単に雪風を英雄視しているから? 破魔矢はかっこよかったな」と、主任。視線を向けたまま、高圧的に足を組む。

「それもあります」

「で?」 初めて聞く友人の苛立った声色。

「雪風を万全の状態で飛ばしたい。兵装も、考えられる状況を想定して」

 

 二人は沈黙した。兵装も、ということは、明らかに犯罪行為に及ぶことは、想像にたやすい。

 ややあって主任が一口含み、言った。あなたと友人が視線を向ける。

 

「雪風とやらが第三者によって捕獲される可能性が高いと判断すれば、そもそも操縦者・ISとの接触前に自爆するかもしれん。一石二鳥だ。博士の計画は未来永劫完成しない。フェアリイ星人からしてみればざまあみろだが、計画が将来的に地球を守る事につながるとすると、われわれにとっては大きな損失だ」

 

「IS学園が篠ノ之の想定している真の意味を持たなくなるから?」 と、友人。

 

「国家間レベルでは織斑千冬が機能させるかもしれんが、地球全体を守ることはできんだろう。FAF的な特性を有しない時点で博士の負けだ。もっとも、勝者もいないが」 と、主任。

「ジャムの存在は永遠に不確定となる、最後の証人が失われたのであれば。ジャムの敵対勢力であるフェアリイ星人も、真の意味での地球人も時間とともにいなくなる」

 

 言ってあなたはふと気がつき、ぞっとした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。事実上の状況が同じなのだから、そう解釈しても現在的矛盾はない。しかし、失くした物が消滅するわけではない。

 

 ジャムに関する電子情報は隠ぺいされ、失われつつある。あとは人間の脳だけのような気がした。口走る。

 

「誰からも記憶されなくなったジャム。現在までの過去情報は消える。特殊戦に負けたという情報も消える……束博士はこの可能性に気付いていない? なんてことだ、この場合の勝者はジャムだ!」

「勝者がジャムでも、そいつらはFAFが消滅させたのだから問題はないんじゃないですか?」

 

 いや、と友人の質問に主任が遮る。

「パラドックス的な問題もあるが、ジャムが概念的な、情報的性質を持っているならば、忘れ去られる事で敗北の過去情報を喪失させ、それを起点に復活するかもしれないということか。見方を変えればジャムを論理迷路に封じ込めたともとれるが。雪風が自爆を作戦の一つとしていたのならFAFでさえ盲点だったかもしれん。それとも、死ねばジャムなど関係ないと考えているのか……」

 

「まるでSF。おもしろいなあ」 と、友人はチーズをかじり、主任に言った。 「それじゃあやっぱり雪風は篠ノ之の証明式から逃れられない、自爆は論外だ。ジャム復活の可能性を無視すれば別だけど」

「逃れられないのはわれわれも同じだ。地球の人人に解体を迫られたFAFが第二の脅威からわれわれを守るとは思えん。うまくIS学園を機能させなければ」

 

「じゃあ、協力するってこと?」

「わたしはそのつもりだ。きみはどうする? そもそもこいつの言う事を信用しているのか」

 

 試すような主任の視線を受け流し、友人はあなたに向きなおる。少し笑って言った。

 

「ぼくはまあ、あなたが自分の意思で行動しているのならば、いいですよ。それと、おもしろいじゃないですか。信じますよ」

 

「助かります」

 感謝をこめて、そう言った。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 その日のうちに雪風からの作戦ファイルとメイヴの仕様情報を元に、今後の段取りが話し合われた。

 ややこしい状況だった。

 

 篠ノ之束は雪風を炙り出すためにIS学園をFAFに似せ、複合生命体を生み出し、自己像幻視による強いストレスをかけようとしている。成功すれば確信の基に、IS学園がそのまま地球の防衛機構となる。

 

 織斑千冬はその防衛機構となるIS学園の主権を握るため、実績を作りたがっている。その手段の一つが教え子の育成。そして束の計画に便乗し、雪風と接触。あわよくば技術情報の交渉を望み、それは政府に対する強力な切り札になる。

 

 一見して束が直接無人ISの権利を織斑に渡せばいいように思えるが。束は学園の指導者が有能であることが重要なのであって、より優秀な人材が出現すれば、その人物が担えばいいと考えていると思われる。

 親しいからという個人的な感情には流されないだろう。

 

 そして特殊戦・雪風と操縦者・ISは互いの区別がつかないことによるストレスを解消する為に接触しなければならない。

 あなたたちは束の計画と、雪風の要求の両方を満たすべく行動しなければならなかった。

 

 

 

「ふうん、なるほど。第三者の介入を防ぎ、かつ直接操縦者・ISと接触することは可能みたいですね」

 感心したように友人。

「でも、FAFと地球の複合生命体はどうやって自他の区別を付けるんでしょうね? 新種の生命なのだから、人間の定規で想定するのはナンセンスでしょうけど」

 

「有効とされる手段はおうおうにして原始的なものだよ」

「勝敗ってわけ?」

 

「シンプルでわかりやすい、勝てば零で、負ければ壱の二進数だ。互いにストレスでまいっている中で、のんびりとお話はできんだろう」

「だから兵装を要求したのか、えらい機だなあ」

「織斑千冬が最大の難関であることには変わりないが、作戦ファイルを見る限りは、うまくやるだろう。肝心の兵装だが、わたしが流そう」

「それって例のAIM? ぼくのところでも話題になった」

 長らく現場から離れたあなたはついていけない。

 

「そんな顔をするな、説明してやる。昔、ある研究所が自称画期的なミサイルを発案し、試作をいくつか作った。常軌を逸した構想でな、簡単に言うとミサイルにレーザー砲を内蔵している。攻撃方法は予想がつくだろう、今度うちに来る試作がそいつだ」

 

「命中するんですか?」 あなたの問いに友人が答える。

 

「いくら高機動ができるとはいえ、飛行機には物理的限界がありますから、回避ラインを予測すればレーザー発射距離までは接近できます。レーザーの速度からは逃れられませんし。ただまあ相手の推定仕様限界情報と、それ専用の処理ソフトをミサイルと母機ブレインコンピュータにインストールしなきゃだめですけど」

 

「当時は敵機情報が必須なのとバカみたいに高価なんでお蔵入りになったんだが、そいつが今になって上で注目を浴びてる。

 ISの優れている点はミサイルに対する回避率の高さだ。先のミサイルが迎撃される前にレーザーを撃てば、と考えているらしい。当然一発ではだめだ。理想はISを中心点とし、十数発のミサイルで球状を等間隔に囲むのが有効とされる」

「ネックとなっているのは通常の飛行機とは違い、ISは移動ラインが予測しにくい点です。PICの重力慣性無視とプログラム行動がありますからね。処理する情報量は桁違いですよ。レーザーは同時に発射しないと効果はありませんから」

 

「雪風は制御できると思うか?」 と、あなた。

「カタログスペックを見る限りでは、どうでしょう。微妙なところですね。サブシステムとして後方支援する機が必要かもしれません。というか、一応一般人にミサイルなんて渡して大丈夫なの?」

 

 視線は巡るように主任へ。

 

「機密上、運送は無人トラックだ、データ上の行き先をごまかすくらいはできる。しかし、物理的な消失はそうはいかん。わたしの権限でも長い間は無理だろうが、プロジェクトに関わる人員をわたしやおまえに親しい者に限定すれば、有耶無耶に出来なくもない。時間の問題であることには変わりないが……それよりも重要なのはサブシステムとして機能させる後方支援機だ。FAF機とはいえ、さすがにISと空戦しながらミサイルの情報処理は無理だろう」

 

「それに関してもう一つ問題があります」 タブレットPCに映る情報を眺めながら友人が口を開く。

「ISは空気抵抗を無視できる。空気との摩擦熱を察知する機構の<凍った眼>は、理論上機能しません。他のレーダーもあるでしょうが、片目では……ISを見るには別の眼が必要です。それにしてもフローズンアイか、おもしろいアイデアだ」

「用意できるとすれば鷹の眼か。ブリンクに後方機をやらせればミサイル情報処理のサブシステムの問題も解決する。だがさすがに戦闘機一機を動かすのは骨が折れるぞ」

 

「あれは使えないんですか?」

 

 友人があなたを見て言った。あれとは何だ、と主任も。

 

「ほら、ガレージにあるやつですよ。廃棄された戦闘機のパーツを流してもらって作ったっていうナイン。コンポーネントが本物なら、なんとかなるんじゃないですか?」

「パーツを流してもらった? ありえん。どこからだ」

 

 問い詰める口調に、空気は一転した。あなたは重い口を開く。

 

「ガレージに来てくれませんか」 言いよどむ、きっと激怒するだろう。小さな罪悪感が膨れ上がる。

「ぼくもついて行った方がいいですか?」 察した友人が無関心を装い。

「いや、いい」

「きみはもう見たのか」

 

 あなたと主任は席を立つ。

 

「うん。それじゃあ、シャワー借りても? というか、明日早いんで泊めてほしいんですけど、いいですか。着替えとかは用意してあるんで」

「いいよ」

「さっさと行くぞ」 ひとまず区切りはついた、あとはわたしとこいつの問題だと言わんばかりに切り捨てる。

 

 ガレージに入り、主任はメイヴの巨体にも驚いたが、それよりもブリンクを見るや否や翼から背によじ登り、さっさとよこせと片手で煽った。

 あなたの放り投げた物理キーをブリンクの背に差し込む。スライド開閉式の表層が作動し、そこに埋め込まれたテンキーに一巡して十六桁の数字を入力。すぐ左隣にB4用紙ほどの面積が動き、簡易コンソールが現れる。

 

「不用心だな」

「その数列を知る人は限られていますから。アウトプットしますか」

「いらん。それが不用心だと言っているんだ」

 

 あなたは手持ちぶさたに操作する主任を見上げる。

 

「こいつは破棄された機の部品を使っているとか言ったな」

「はい」

「現行機の最新鋭電子機器が破棄されるのか?」 <error not connect>の文字を見て主任は呟いた。この機は飛べない。しかしテストプログラムは問題なく走った。当たり前だ、本物の部品を流用しているのだから。

 書類の上で真新しい部品を破棄扱いにし、破棄基地に落とし、そこから流すことによって作られる機に利益を見出し、実行できる存在は。

 

 主任は機から飛び降り、おもむろにあなたに近付く。

 頬に衝撃。

 あなたの脳は揺れ、耳鳴りが頭蓋にこだまする。

 ぐらつき、にじむ視界で、あなたはようやく殴られた事を理解した。

 主任はよろめいたあなたの胸倉をつかみ上げ、ブリンクの機首に叩きつける。思わず苦悶の声を上げた。

 

「飛行機の墓場の連中の伝手を使ったな、馬鹿め! 廃棄されたとはいえ、国家戦力なんだ、戦闘機なんだぞ! 国の、国家権力が管理する、うまく隠し通せているつもりだったか! おまえ、くそう。おまえはわかっているのか? わかっていたのだな」

 

 呪うように低い声で、主任。あなたは罪悪感から目を逸らした。

 くそう、と口惜しげに手を離しあなたを解放したが、視線は咎めていた。声は僅かに震えている。

 

「おまえが未だ法の裁きを受けていないのは反対派が握りつぶしているからだ。やつらはおまえがISに匹敵する戦闘機のきっかけを見つけ出す事に期待している。でなければ民間人に軍事機密を渡すものか、推進派に漏れれば大問題だ」

 

 機首に寄り掛かり、えずくあなたに吐き捨てるように告げる。

 

「わかるか? この意味が。おまえの生殺与奪の権は反対派のものだ、開発をやめれば、どうなるかわからん。これがアンティークな有人機ならば金持ちの道楽で済む。飛ばない飛行機など玩具だろうが、戦闘力など有していなかろうが……問題なのは無人戦闘プログラムを走らせることが出来るということだ。反対派の劣勢がおまえの終わりだ、そうならんようにおまえが死力することを打算して裏から手をまわしている。反対派と破棄基地は繋がっている!」

 

「あれはまだ、おもちゃですよ」

「詭弁が実行力に作用するものか。まだと言ったが、わたしを前によくそんな言葉を吐けるな。ごまかせるとでも思っているのか? この、わたしを」 と、大きく手を振って続けた。

 

「いいか、きさまが何と言って破棄基地と取引したかは知らんが、そんなものは反対派の言い方一つだ。窃盗、脅し、金、何とでも言える。一個人では組織に太刀打ちできない、五年前を忘れたのか」

「すみません」

 

 主任の怒りはもっともだった。敗北を前提とした機の開発を一人逃れ、残った同僚に押し付け。隠れて好きにやっていては。

 溜め息をつき、ばかが。もう一度小さく呟いた。

 

「明後日までに必要な部品をリストアップしろ、わたしが流す。いいな」

「わかりました」

 

 そこで会話は途切れ、広いガレージには雪風の駆動音が静かに響いていた。

 沈黙を破ったのは主任のほう。

 

「行け」

「は?」

「酒を取ってこい」

「あ、はい」

 

 と、急ぎ足でガレージを出るあなたに続けて言った。

 

「つまみを忘れるな! 何か作れ」

 

 言って、どっかりと近くのソファーに腰を下ろす。ボロだった、おそらくいらなくなったやつを持ってきたのだろう。小さく溜め息をつくと、あなたと入れ替わるようにガレージのシャッターがわずかに開かれ、その隙間を友人が四つん這いでくぐった。

 

「不正制御は犯罪行為だ、いつからいた」 不機嫌そうに、主任。

「ここの防壁の構築者はぼくだからね、暴行は犯罪行為だ」 気にもせず歩み寄る。

「もっと淡白なやつだと思ったが、意外と心配性なんだな」

 

 言われて小さく肩をすくめる。

 

「それより、本当に兵装や部品を流せるの? 作戦の肝だ。いっそ反対派に頼ったら?」

「借りは極力作るべきではない。やつは主任と呼ぶが、それは五年前の役職だ、それなりの権限はある。DmicD-TSがIS学園の訓練機に正式採用されたからな。自分で言うのもなんだが、上からの評価はうなぎ登りだ。訓練機はIS学園の備品扱いだから、購入費用は参加各国の割り勘だ。整備は当然わたしの部下がやるし、儲けが出ない方がおかしい。あそこは日本経済の一角を担いつつある」

 

「訓練領域の許す限り、入学者が増えるにつれ必要な物は増えるってわけか。宝島だ、さしずめモンテ・クリスト島ってとこかな。織斑はそこを掠め取ろうってわけだ、大丈夫かな。まちがいなく日本と衝突する」

「難しいだろうな。人材を十一人ピックアップしているらしいが、その内の一人は敵になった。残りが外国人なら、そもそも接触の機会がない。彼女は日本政府によって国内に縛られている。やつも、おそらく反対派に首輪をつけられている」

 

 まだそんな事を言っているのか。主任の言葉に友人は密やかに目を細めた。

 反対派は間違いなく、破棄基地から部品を流した事実を紙媒体で保存している、万全の状態で。

 そして舞台は軍部の派閥の垣根を超え、経済界にまで躍り出たと見ていい。経済主体連盟の介入も時間の問題だろう。いずれ所属の選択を迫られる。

 

 遅いか早いかの違いならば、すでに片足を突っ込んでいる反対派に与し、最大限に利用してやればいい。

 状況が限られているのなら、その中の最善手を選択するしかないのだ。

 目の前の人物は頭がいい、回転も速い。救いようがない事を理解していないはずがない。

 

「反対派は絶対に手綱を手放さない。手遅れだ。もっと合理的な人だと思ってた」

「わたしもそう思う、軍閥レベルの集団に干渉できる組織は少ない……いや、話を変えよう。調べてもらいたいことがある」

 

「更識でしょ」

「そうだ、FAF解体に暗躍したにも関わらず、無名だ」

「ぼくも初耳。一応は探ってみるけど」

「FAFのことを知っている分、実態や組織形態によっては織斑よりやっかいかもしれん。へたをすれば三つ巴になる。上が誰かだけでも知りたい」

 

「やってはみるけど、接触できないと思うよ」

 

 一族、額面どおりに受け取るなら極めて少数の組織であると見ていい。なら、電子情報は存在しないかもしれない。友人は思った。

 住基ネット等で情報をデータ管理しなければならない理由の一つは、行政対象となる人数が多数だからで。少数を管理するなら紙媒体で充分だからだ。金庫の中にでもしまっておけば、コンピュータセキュリティのことで頭を悩ませる必要はない。

 

 それにFAFのような組織と渡り合ったという事は、たぶん姿を現した時は手遅れのような気がした。

 窓ガラスを破り、室に突入。動くな、殺す。陳腐な映画のワンシーンはしかし、今となっては恐ろしく感じる。

 いや、よそう。かぶりを振る、心配してもはじまらない。今は建設的な意見を出すべきと話を変えた。

 

「そうそう。さっきの日本経済って聞いて思いついたんだけど。織斑は企業と手を組むつもりかも」

 

 なるほど、と主任は人の心配ごとなど知ってか知らずか、高速な思考を展開させた。

 国家は個人では到底太刀打ちできない力を持っている、国力を構成する三大要素、情報、経済、そして国家権力の最たる例、軍事。

 

「政府が動かす軍に、経済力で対抗しようとしているのか。しかし企業はIS学園という場所に興味があるのであって、織斑千冬個人に魅力を感じるとは限らん」

「ルールを決める立場はいつだって強者ってこと」

「ああ。織斑が実権を握れば、少なくともスポーツにおけるルールの決定権を得たに等しいということか」

 

 かなりのやり手だ。

 GIG制限の規定値は兵装開発の連中には不可欠だ。フランスは政策により住み分けられているが、それ以外は基本的に民間がやっているところと、軍の研究所の下部組織で分かれる。

 

 それに大会の開催地を広げればその国の経済は潤う。現状では民間に開放されている公式アリーナは一つだ。他国を出し抜き、建設運営が認められれば観光立国として成り立つ。ホテル、交通インフラの整備、空港が新しく建ってもおかしくはない。

「わたしなら、そうだな……本社を、海外の企業も含むのが望ましい。IS学園に移転させる。国家ではないから簡単にはいかんだろうが、もし成功すれば軍事制圧という最悪の状況を予防するこれ以上ない戦略だ」

 

 主要各国は日本の管理下にある事に当然不服。法人税は裏で徴収して本国に回せばいい。それだけの手間で窓口を日本政府から一個人に変更できる。日本が軍を出せば、実際に軍を動かすかは別として、自国の企業を守るという大義名分は牽制にもなる。

 

「やっぱり? 軍隊を持つより現実的だし、合法的だ。たぶん織斑は経済界とのパイプ作りをしてる。IS学園でできるのかは知らないけど」 めんどくさそうに頭をかいた。 「でもまいったな、軍事、経済。三本柱のうち二つを相手にしなきゃならないかも」

「勝ち目がないわけではない」

 

 疑わしげな視線をはねのけ、ちらと黒い巨体を一瞥して言った。

 

「最後の情報に関しては、われわれは圧倒している。情報が戦局を左右する最も重要な事項である性質を備えている以上、むしろ有利ですらある」

 

「理解はできるけど実行力の前にはなんとも頼りないよ」

「最小のコストで相手を思うがままにコントロールできるのは情報だけだ。開示するか否か、それだけでいい」

「そんなものかな。ま、期待してるよ」

 

 その後二、三の言葉を交わすと会話は終わり。友人はシャッターの隙間へと向かう。

 

「飲まないのか?」 四つん這いの姿に投げかけた。

「明日早いのは本当。それにシャワーの水、出しっぱなしだし」

「用心深いやつだ」

 

 しばらくしてガレージに戻ってきたあなたに言った。

 

「おまえは恵まれているよ。いい友人を持ったな、炭酸で割るのはいただけないが」 林檎のドライフルーツを一つまみ。

 

 照明を絞った薄暗いガレージ。シャッターを一枚あけ、あなたもそのままソファに浅く腰かける。気持ちのいい夜風が撫でた。

 

「おまえ自身はどう感じた。織斑の話は」

「妥当に思いましたよ」 僅かに腫れた左頬を意識して、スライスされたバターレーズンを小さな木製のフォークでつまむ。うまい。が、もういらない。そんな気分だった。

 

「現実は小説よりも過酷だったようです。破魔矢の作者はそれほど正確に資料を集められなかったみたいですね」

「ささいなことだ。どちらにしろおまえの直観は正しかったわけだ。破魔矢の作者も、史実としての出版を望んでいたのなら、地球人であろうと足掻いたのかもしれない。篠ノ之のように……しかしFAFか、ありがたいことだ。かれらがいなければ、こうしてまずまずなやつをやれなかったのだろうな」

 

 グラスを傾け、主任はまずまずをもう一口。まずまずはしかし、あなたが用意した酒だった。

 次いで首をめぐらす。

 まるで基地の一画の様な、さすがに最新のものとは呼べないにしても高価な機材を怪しむように眺め、深く酒息を吐き出した。

 

「思えばこの先祖代代続くとかいうガレージだ。おまえ、なんだったかな……そう、フェアリイ星人の血が混ざっているんじゃないか」

()()()()()、それは」

 

 あなたは断言する。

 

「しかし、だとしたら雪風がここに来たのも納得がいく。たぶん世界中にこんな場所があるんだ、基地のように。FAF特殊戦の基地が。いまもどこかで秘密裏に製造されているであろうIS工場があるんだ、おかしい話ではない」

「そう考えるのが自然でしょうけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ」

 

「でも軍人だろう?」

()()()()()()()()()()、わたしと織斑千冬が調べた結果です」

「酔狂にしては金をかけすぎている。いや、金をかけるのが酔狂か」

 

 残りをあおり、わからないな、と視線を外に投げかける。自然な沈黙が訪れた。

 

 虫のさえずりに耳を傾け。あなたたちはシャッターから臨める星空に、くっきりと影をうつす山山を眺めた。地球ではない星、月が太陽光を受け止めている。

 あなたはまだ記憶に新しい、先日の織斑千冬との会話をもう一度掘り起こし。あなたからその話を聞いた主任も同じように、ここではない星に想いをはせた。

 

 だとしたら()()()()

 頭の隅で、一つの疑問点にささくれ立ったようなものを感じずにはいられなかった。

 なにかがおかしい。

 

 それはいたって普遍的なものであるのだろうが、明かされていない事柄がある。この状況は説明不足だ。

 おかしい。()()、雪風はここに来た。()()、こんなにも広いガレージは存在しているのか。()()()()()()()()思想で、()()()()()()()()

 

 かたわらにDmicD-9を控えさせた雪風だけが、我関せずと電力を飲みこんでいた。

 

 雪風は語らない。

 雪風は自分のためにしか行動しないのだから。

 

「そうだ、織斑は雪風についての確証は持っていないのだな」 ふと思いついたように、主任。

「ええ、そのはずです」

「そうか……」

 

 主任は酔いにまどろんだ視線を、彼女に――ジ・インベーダーではたびたびherと表現されていたらしい雪風へと向け、次いで床に落として心中で反芻した。

 悪いが、特殊戦。わたしはおまえたちを信用していない。

 自嘲気味に笑い、酒をあおる。

 

 

 

 その数日後。主任は長期滞在許可を得て、IS学園に赴いた。名目はDmicD-TSのシステムチェックだったが、到着するやいなや織斑千冬の自室に向かった。アポイントはとってある。

 

「やつに振られたらしいですね、織斑さん」 開口一番、口元に微笑を貼りつけて言った。

「あなた同様に」 同じ表情で織斑千冬。にこやかに。

 

 表情を崩すことなく、二人の会話は続いた。

 

「織斑さん、わたしと組みませんか?」

「なんのことですか」

「あなたの探し物のありかを、わたしは知っている」

「おっしゃる意味がよくわかりません」

「篠ノ之束が欲しているモノを、わたしは知っている。取引しませんか」

「わたしに何を差し出せと?」篠ノ之の名前に言葉を選んだ。

 

「安全です」 一拍置いて主任は唇をつりあげる。 「命の保障を約束していただきたい」

 

 斜陽に陰る薄暗い部屋の中、会話は続いた。

 そうして夏は終わり、さまざまな立場の人間の思惑は理念のそよぎに突き動かされた。

 

 

 

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 乾いた風が草木を揺らし、秋も深くなったころ。

 ある日の午後、厳しい訓練の合間。デュノアが食堂でランチを取っていると、声がかけられた。

 

「こないだの模擬試合、どうだった? 兵装選択自由のやつ」

 

 同期の鈴が山もりのかつ丼をトレーに乗せて横に座る。うん、それがね。と言うべきか否か迷いながらも答えた。

 

「相手の子がやけに自信満満で、負けた方がお洋服を買ってくる、なんて条件を提案したんだ……英語、上手くなったね」

「ほんと? うれしい」 満面の笑みでカツを頬張る。 「それにしてもえらい自信家ね。なんか理由があったの?」

 

「わたしもなんでだろうなーって思ったんだけど、とりあえず乗ることにしたんだ。ほら、市街地まで行くのって結構面倒じゃない?」

「手続きがね、煩雑なのよね」

 

「そうそう。で、アリーナに向かう間にわかったんだけど。わたし、ここのところ単発式中距離大口径ライフルの試射が多かったから、中速軟化弾頭系の炸裂弾のやつ。その情報手に入れた相手の子のプログラム行動は、たぶん射撃をトリガーに回避行動を設定してるんだなあって」

 

「ライフルの件はわたしも知ってる、たぶんみんな知ってる。で、どしたの?」 鈴は牛乳を一口。 「まあ、相手は初弾回避後にロケットかミサイルをばらまくね」

 

「うん。だから試合前にこれ見よがしにライフルを手入れして、試合開始直後に隠し持ったサブマシンガンを腰に装備したまリモート射撃したら、一.五秒間に五十回も回避行動とる羽目になって吐いてた」

 

 リモート射撃、の時点で鈴は口を膨らまし、吹き出される牛乳を堪えていた。

 

 歯を食いしばり、呼吸を整える。行き場を失った牛乳が鼻へと向かう前に胃に収めることに成功した自分を称えたい。

 

 間抜けな操縦者だ。射撃をトリガーに回避行動を設定すれば、GIG制限下では理論上絶対に回避できる。だが逆に考えれば自機のコントロールの一部を相手に渡しているようなものだ。相手が故意にトリガーを引けば、自分の意思に反して動かざるを得ない。

 プログラム行動は攻防一体の最高手段だが、諸刃の剣。自機や目標機に使うのではなく、状況に使えとはよく言ったものだ。

 

「前から、思ってたけど。シャルってユーモアがあるよね」

「そう? そんなこと言われたのは初めてだよ」

 

「多分それで笑わないIS乗りはいないと思うよ」

「そうかな。それよりもう無人ISと訓練してみた?」

「まだ、でもビックリ。まさか完成していたなんてね」

 

 二人の話題は前触れもなく学園に現れた無人機に移った。

 

 文字どおり、無人ISは突然飛来してきたのだ。数は三機。装甲に付着していた成分から、太平洋の海の何処かに隠されていたと推定された。

 さらに、無人ISの量子格納領域内には書類が圧縮されており。内容はIS学園管理国は無人ISを管理する義務を負うにとどまり、所有権は学園に属する。といものだった。

 当然日本は承諾し、主要各国はさらに一歩出遅れる形になった。

 使用用途は訓練などに限定されているらしいが、日本政府は情報を出し渋っている。

 

「わたしね、無人ISが出来たらきっと完全球体だと思ってた」 とデュノア。生ハムをぺろり。おいしそう。

 

「物理学上は理想的ね。兵装を内蔵したまま攻撃できるなら、目視による戦闘力推定を防げるし」

 

 と、二人があれやこれや話していると、偶然廊下を歩むラウラ・ボーデヴィッヒを目にした。デュノアがおもむろに席を立ち、後を追った。

 

「あ、ちょっとシャル」 鈴もそれに続く。

 

「こんにちは、ボーデヴィッヒさん」 と、デュノア。人懐っこい笑みで右に並んだ。 「お昼はもう食べた?」

「食べた」 一瞥し、歩みを止めることなく言った。

 

「残念。ね、こんど一緒にどう」

「そうだな」

 

 そっけないこの場凌ぎの言葉を無視して、コミュニケーションの試みを続行した。

 

「今日だっけ、ボーデヴィッヒさんの番だよね。無人ISとの訓練って」

「そうだ……きみはもう相対したのか」

「うん。まあ、普通だった」

「絶対防御はあったか?」

「いや、訓練用レーザー兵装だから。でも、なんでそんなこと聞くの?」 意図を図りきれず、小首をかしげる。

 

「絶対防御は本当に操縦者を守ることを目的とした機構なのか、ということだ」

 

「つまり」 ラウラを挟むように左に並んだ鈴が言った。 「絶対防御というのはISコアを守るのが本来の役目であって。操縦者が守られるのは副次的なものか、ってこと?」

「そうだ」

「なるほど。でも、状況が同じならどう解釈しても問題ないわけだから、あんまり考えたことないなあ」

「そうか」

「大丈夫? ボーデヴィッヒさん。顔、青いよ」

 

 ああ、と気のない返事で歩を速めた。最悪の気分だ、言いようのない気持ちの悪さ。体が硬い。歩を速め、で格納場へと向かう。残された二人は心配そうに顔を見合わせた。

 

 いつもよりも重く感じる扉を開けた。広い格納庫には大型高速輸送ヘリ。ハンガーに吊られ、最終チェック中の訓練兵装。ラウラはそれを見て嫌悪感を覚えた。その攻撃性のないレーザーライフルに。

 

 それでは対抗できない――

 

 脳がちらついた。

 なんだ、今のは。あれをISコアに圧縮格納したくない。する必要がない。なぜ? これから訓練だというのに。

 訓練なのだから、訓練兵装なのは当然だ。わたしはなにを感じたのだろう。ふらりと一歩後ずさる。不快だ。

 

 先程のちらつき、はじめての感覚だ。それにしてはとても的確な表現に思える。ちらついた、脳が。いや、思考? でもない、意識が、か? フム、これだ。しっくりくる。

 

 視線を隣にずらし、今度はレールカノンへと向けると、先ほどとは違った感覚を覚えた。まるでレーダーのようだ。不思議な気分。強い好奇心に似た、求心力を感じる。

 

 GIG制限の規定値を越える軍用の通常兵装は、原則IS学園に存在しない。

 持ち込まれる際に制御プログラムを組み込まれ、以後攻性兵装と呼ばれるようになるからだ。それを外せば国際条約に反するし、そもそもプログラムの解除は容易ではない。

 

 ひたりと銃身に触れる。複合素材で作られたそれは冷たい。GIG制限下にあるとはいえ、無機質の冷徹さは頼もしく。安堵感を覚える。

 なんだろう、この変化は。

 

 あごに手をやり、自己分析。

 

 わたしはこれが訓練には必要ないと理解している。ならば、この心理状態の変化はわたしのものではない。では誰のものだ?

 無意識のうちに、制服の上から右腿のレッグバンドに手をあてがった、待機状態にあるISを。レーゲン……

 

 どれほどの時間その事柄に思考を割いていたのかはわからなかったが、肩に手を置かれたのをきっかけにビクリと体を震わせてわれにかえった。

 

「ラウラ、どうしたんだい」

 

 振り返れば懐かしい顔、研究所でお世話になったチーフの助手が心配そうに。

 

「いえ、その……お久しぶりです。いつからここに?」

「たったいま。本当はチーフが来るべきだったんだけど、無人ISの件で忙しいから。わたしが代理だ……うん、久しぶりだね、ラウラ。元気にやって……ない、というのは報告書で読んだな。ウウム」

 

「それで、いったい何の……」

 

 会いたくなかった訳ではなかったが、ラウラは恐れた。不調を理由に研究所を追いだされるのではないかと。

 口調からそれを察した助手は気さくに笑って。

 

「まさか、きみは必要だよ。わたしが来たのは私用だから。そうだな、訓練までもう少し時間があるだろう?」

「はい」

 

 二人は格納庫を後に、ラウラ・ボーデヴィッヒの自室へと場所を移した。

 

「何か飲み物を用意します、掛けてください」 困った。こんなことなら紅茶の淹れ方の一つでも調べておけばよかったと後悔。

「いや、いい。水でいい、実は二日酔いなんだ」

 

 助手は小さなダイニングテーブルの椅子に腰かけ、手渡されたコップを飲み干した。ピッチャーを用意したラウラも対面に座る。

 

「二日酔いだと水しか飲めなくなるのですか?」

「そういうわけじゃないんだ、肝臓でアルコールはアセトアルデヒトを……いや、悪い癖だ。つい話したがる」 だるそうに額を抑えて続けた。 「まあ、いずれわかる。チーフはきみと飲むのを楽しみにしている。彼は孫のように可愛がっているから」

 

 思わずくすりと笑った。それ言うとチーフは、娘のように、だ! と顔を真っ赤にして訂正するのだ。

 

「気をつけなよ、酒飲みと一緒だとついついこっちも飲みすぎる。特効薬はいつになったらできるんだろう」

「覚えておきます。研究所は変わりありませんか」

「くいしんぼうな黒猫と危険極まりない男がどっかに行った。いや、危険なのは黒猫も一緒だ。チーフは清清したとか言ってたけど、どうかな。その晩付き合わされたんだが、えらい飲んでた。素直じゃないんだよな」

 

「そうですか、一言挨拶したかったのですが」

 

 視線を落としたラウラに励ますように言った。

 

「ま、今生の別れってわけじゃないさ。また会えるよ、きっとね……それよりラウラ。悪いけど、左目のことはチーフから聞いている。ずっと前にね。大丈夫かい」

 

「何がです?」 助手の目を盗み見る。温度は感じられなかった。

 

「とぼけるな。きみが自分の目をえぐった理由を、わたしは知っている。きみにとってのISが、レーゲンがどういった存在かも」

 

 観念したように、苦苦しく答えた。「吐きそうです、気分がすぐれません」

 めまいも。二日酔いとどっちが苦痛なのだろうか。

 

「自分で説明できるか」

「ISには人間が必要でしたが、その前提が覆されました。今の私を人間と証明することは誰にもできない」

 

「言いたいことは理解できる。チーフやわたしが心配しているのはそこだ。無人機の登場により、有人機パイロットは人間であるという指標を失った。きみはやはり不安定になっている。自分を無人機のOSかなにかと同一視しているな」

 

「レーゲンはわたしを不要とみなしはじめていた、だからわたしを拒絶した。乗るたびに感じた不快感はそれが原因です」

 

 きっとそうだと涙ぐむ。IS無人機の報を聞いてから、一層拒まれている気がする。

 

「レーゲンがきみを不要とする理由はなんだ?」 助手は慎重になった。思ったよりも重症だ、会話が噛み合わない。

 

「レーゲンは無人機になろうとしている。だから不要なわたしを拒む、それが不調の理由です。いま、わかりました」

「しかし、それなら最初の段階で拒まれているはずだし。だいたい今現在、ISに乗っていないのにもかかわらず気分が悪いのはなぜだ? ISにそんな力があるのか。どうして他の操縦者はピンピンしている」

 

「ISコアは意識を媒体とした直接的なコミュニケーションが可能です。今もわたしの意識に作用している」 やめてくれ、レーゲン。わたしは敵か?

 

「ラウラ、それならもうISを操縦するのはやめなさい」

 

 やはり、そう言われるかとうなだれる。

 

「わたしやチーフや研究所のみんなが、きみは人間であると。たしかに意識を持っていると保証するのでは力不足かい?」

 

 どう答えていいかわからず、涙ぐむ。

 

「いや、ずるい言い方だったな、忘れてくれ。しかしまいったな。ラウラ、きみはどうしたい。言ってごらん」

 

「わたしは……レーゲンの役に立ちたい。恩を返したい」 言ってだからか、と心中で理解した。今更だ、だれよりもわかり合えていると思っていたのに。

 

 レーゲンが訓練兵装ではなく、攻性兵装で訓練に臨みたがっているのだ。

 銃口を向ける相手は誰だ? 無人ISだろうか。だとしたら、うれしい。わたしは必要だという事だ。

 

「無人IS訓練に攻性兵装を用いたいです」 ぐっと顔を上げて言った。

 

 助手はしばらくラウラを眺めてポツリと。 「いいよ」

 

 その答えにポカンとした。日本政府は黙っていないだろう。てっきり断られると思っていた。

 

「行きなさい。責任はわたしが持つ。全権はチーフから委任されている」 腕時計をちらりと確認すると、急かすように。 「そろそろ時間だろう、整備班にわたしの名前を出せば都合してくれる。随伴するから先に行きなさい」

 

 ありがとうございます。そう言うとラウラは席を立ち、深く頭を下げて部屋を飛び出した。レーゲンに必要とされているという喜びだろう。

 

 助手は一人、ピッチャーから水をつぎ足してすすった。

 

 辞表を書かなきゃな。頬杖をついて彼女の去ったドアを眺める。

 罪に問われても、わたしの独断なら研究所は存続。それほど甘くはないだろうが、保険は掛けておくべきだ。

 

 けだるさそうに身をよじり、今度は窓の外を眺める。

 

 いいさ。研究所の連中もわかってくれる、チーフも。むしろ自分が辞めるからおまえが後を継げ、とまで言い出すかもしれない。

 ま、いざとなったらラウラを引き取って、そうだな。三人で暮らすのも悪くないかもしれない。

 

 太陽は傾き始めていた。水平線にその身を沈ませようとしている。

 助手はしばらくその眩しさに目を細めてから。さて、日本政府はどう出るか。面倒だが、娘のように想っている女の子の為だと、自分を勇気づけてゆっくりと腰を上げた。

 

 

 

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 ラウラ・ボーデヴィッヒが輸送ヘリに揺られて、太平洋に指定された訓練領域に近付いている頃。あなたもまた、赤い夕暮れの空の下にいた。

 

 目の前に広がる草原には、デルタトランスファーでガレージから運び出された一機の偵察機。ガレージの開閉音に驚き、飛び出してみれば既にこの状況だった。

 

 朱に照らされる黒い機体色。通常のミサイルよりも一回り大きい六機のAIMを抱えている。

 まったく、突然だ。いきなり現れて、いきなり出てゆく。あなたは苦笑した。

 

 ポケットの携帯端末が振動。着信したメールを確認すると、ミサイルのセーフティピンを抜けとのことだ。さくさくと背の短い草を踏みしめ、小走りに駆けより、実行。すべて抜き終わると駆動音が増した。

 肌寒い風が凪ぐ。

 

 行くのか。

 同位存在を感じ取ったのだろう。IS学園の操縦者の体調管理データバンクを盗み見て、不調な人間をピックアップ。あるいは複合生命体だからこそ理解できるやり方で。

 

 主翼、胴と機首に吸着している垂直離陸用補助ブースターが点火。機を中心に、短い草がなびく。湖面がさざ波立った。

 デルタトランスファーが脚を離し、巨体は重量を感じさせないかのようにふわりと浮遊する。

 

 雪風。なぜ、おまえはここに来た。偶然か、必然か。作為か、不作為か。単にIS学園からもっと近く、都合がよかったからか。それとも……

 

 メインエンジンがうなりを上げる。思わず腕で顔を覆うが、目を細めて見上げた。もっと離れなければと後ずさる。

 デルタトランスファーが移動していくのを、補助ブースターの排煙の中に捉えた。おそらくガレージに戻り、今度はブリンクを連れてくるのだろう。

 

 結局、雪風はなに一つとして語らなかった。

 なんのことはない。振りまわされただけだ、FAF型複合生命体と地球型複合生命体のアイデンティティを主張する戦いに。

 

 ジャムが人間を標的としていないと知った特殊戦も、このような気持ちだったのだろうか。きっとそうだろう。人間は蚊帳の外だった。

 

 ささやくように、あなたは別れを告げた。

 

 グッドラック、雪風。大尉――大尉だと?

 

 そして見た。無意識のうちに紡ぎ出した自らの言葉に戸惑うなか。キャノピーの内側でラフに敬礼する人物を。

 

 まさかと目を見開いたが、次の瞬間には光の反射で中を覗うことはできず。

 なんだ、今のは。あなたの理解を待たず、雪風は補助ブースターを切り離し、凄まじいパワーで飛び立った。放たれた矢のように。後には耳鳴りだけが残る。

 

 なぜ、あなたは大尉と言ったのか。それよりも、まばたきの間に現れた人影らしきものは? 単なる光の加減でそう見えただけなのか。

 今となっては確かめる手段などない。

 

 次いで運ばれ、飛び立ったブリンクを見送り、言われたとおりに主任に連絡。

 友人のアドバイスに従い、しばらくは用意してもらったセーフハウスで過ごす。急いで車に乗り込み、アクセルを踏んだ。空っぽのガレージがバックミラーに映る。

 

 運転をマニュアルモードに切り替え、ハンドルを握りしめた。

 たぶん、この行ないは正しい。IS学園を真に機能させる適切な処置なのだから。

 薄暗いでこぼこ道をヘッドライトが照らした。

 

 

 

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 訓練領域に到着すると、ラウラと無人ISは輸送ヘリ後部のハッチから浮き出た。高度八千メートルまで上昇し、三十キロの距離をあけて対峙する。

 

 ヘリが領域外に退避し準備が整うと、外付けの通信システムに着信。助手が言った。

『ラウラ、きみが今格納している攻性兵装が何を対象とするのかは聞かない。でも一応伝えておくよ。知ってると思うけど、現時点で無人ISは訓練兵装だが攻性兵装で攻撃されれば自衛システムが作動し、対象を通常兵装で迎撃する』

 

「わかりました。これより訓練状況を開始します」

『気をつけて』

 

 通信を切り、小さく息を吐き出すとGIG制限下最高速度で加速。同じく無人ISも状況に移った。相対的に距離が縮まり、彼我の距離を四キロメートルに保った機動で交戦した。

 

 ハイパーセンサとリンクしたISコアの射撃補正の及ぶ範囲は、ISを中心点とした半径二キロメートルの球体。そして領域内での被ロックは被弾を意味する。

 したがって、まずは二機の把握領域の接点を中心点とした直径四キロメートルの球体の表面を機動し、操縦者の技量で目標機の保持火力を探るのが、後期対IS戦術論の中ではセオリーとされていた。

 

 ラウラはハイパーセンサに捉えた無人ISの姿を拡大し、空間投影。黒い人型、同じ訓練兵装を構えていた。

 篠ノ之は何を考えている? わざわざ有人ISに似せる意味はなんだ。嫌がらせか。だとしたらひどくピンポイントだ。

 

 外付けの射撃補正システムで無人ISをロックし、訓練兵装で射撃。不可視のレーザーが照射される。目の端に結果が映った。

<miss>

 

 以前のわたしなら命中させたはずだ。気持ちが悪い。不要だ、無人ISなど。

 

 無人ISが海面を背にして応射。

<hit>

 

 視界がにじんだ。みじめだ。なぜだか悔しくって、睨みつける。

 少なくともおまえが存在しなければ、わたしは人間存在でいられたのだ。その限りにおいて、有人機であるレーゲンもまた、わたしを必要とする。

 

 さらに被弾。仮定シールドエネルギーが減少する。

 

 もういい、とラウラは思った。

 

 手にしていた訓練兵装を放り捨てる。両肩に飛翔ワイヤー機構を浮遊解凍させ、同右機構にレールカノンを固定解凍。

 

 わたしとレーゲンの関係に不利益を生じさせるものは攻撃する。

 

 プログラム行動は瞬時加速をトリガーにロックオンを設定。レールカノンをロックと連動した即時射撃モードに切り替え。手動で外付け射撃補助システムの権限を、ISコア射撃補助システムに渡す。この状態ではかすりもしないだろう。

 

 空に足を向けたままの姿勢で瞬時加速を起動、ここから先は人間の時間ではなかった。

 

 把握領域に踏みいるとISコアがレールカノンの照準を超高速で調整し、対象をロック。空気抵抗を無視するPICの力場に包まれた理想的な砲身から、爆発的な加速を得た弾丸が発射される。

 

 遅れて無人ISがレーゲンをロックするも胸部に直撃、ほぼ同時に応射。衝撃で大きくのけぞり、保護膜が受けとめた弾丸はあらぬ方向へと弾かれた。

 

 ラウラがハイパーセンサにより、訓練用レーザーが自分の右頬のすぐ十.六センチメートル横を通過したのを知ったのは、解凍された無人ISの通常兵装によるレーザーを腹部に受けてからだった。

 

 ふと、あの日のことを思い出す。わたしはTyp-Rか、Ver 15.2か。先ほどの一撃は、前もって設定を変更していたからだ。次もうまくいくとは限らない。思考を切り替え、戦闘を継続した。

 

 同時に、ヘリの中で訓練状況を観測していた助手は、日本政府の抗議の通信が来ない事に言いようのない不安を覚える。

 

 ドイツがこの訓練に攻性兵装を用いたことは、ISコアを介したコアネットワークを利用し、無人ISから情報で掴んでいるはずだというのに。

 

 その日本政府の不可解な意図を知ったのは助手ではなく、ところ変わりIS学園内の教室。整数問題と格闘する教え子の横で、ラウラの様子をモニタしていた織斑千冬だった。

 やはり、なんらかの変化が起きたかと心でつぶやき、席をたつ。

 操縦者・ISがラウラとレーゲンである可能性は高い。向かわなければと携帯端末からヘリの手配を済ませる。

 

「あれ、先生。どこに」 と、心配そうな目でデュノア。

 

 振り返り、視線を逸らさず答えた。

「用事ができた。おまえは優秀だよ、手がかからない。あとは一人でやっておけ」

 

「そうですか? うれしいです、がんばります」 と、褒め言葉と受け取り、恥ずかしさを笑ってごまかして頬をかいた。

 

 その様子に小さく微笑んでみせ、室を出る。すると廊下の左手から、織斑さん、と名前を呼ぶ声。見やると高級そうなスーツ姿の男性が、今ちょうど鉢合わせたといわんばかりに、ゆっくりと歩み寄った。

 年は三十代後半ほど、見覚えのない顔だった。

 

「はじめまして、織斑さん」

 

 男は握手を求めて手を差し出したが、無視。油断することなく、身体を向けて軽くこぶしを握った。銃の距離ではない。

 

「申し訳ないが、急いでいるので」

「そうですか、では」

 

 男の視線が自身の背後にずれたのを見てとって直感する。やられた。

 

「動かないでください、織斑千冬」 後方より無感情な女の声が響くと、眼前の男は横を過ぎ去り、視界から消えた。声の主の元に向かったのだろう。

 

「当方ISのプログラム行動は、そちらのIS起動をトリガーに攻撃を設定してあります。当方ISはそちらのISの絶対防御を起動させるに足る充分な火力を有しています」

 

「更識家か」 振り向かずに答えた。束の手紙に記されていた、当時のFAFに干渉していた組織の一つ。

 

 告げられた言葉が事実なら装甲性能は調査済み。倉持技研は政府側に付いたと考えるべきだ。焦燥感が心臓を炙る。

 

「ご存じでしょうが、あなたにはラウラ・ボーデヴィッヒ暴走の責任問題が追及されています。また、以降、発言は許可しません」

 

 自分の立っている位置から背後の廊下の突き当たりまでは約二十五メートル。こちらは近接戦闘機。最大距離を取っていると想定。

 

「織斑千冬、あなたを法束連行します」

 

 それにしても動きが早すぎる。思考を一巡させ、自らの軽率さに歯噛みした。

 

「当方は国益至上命令を受けた更識です。従ってください」

 

 罠だった。すべてが。IS学園の教師就任の承認自体が。

 優位に立っていたはずが、逆手に取られていた。

 

「これは行政、立法、司法、三権合意の強制執行です。わたし、更識簪の執行に。あなた、織斑千冬が断ることは原則拒否できません。この義務を履行しない場合は行政刑罰が科されます。この場合に限り罪刑法定主義は司法により黙殺されます。現在時刻より一分十五秒前、内閣は特務会を開き、国会はこれに根拠を必要とする法律を、特別法を根拠に緊急作成しました。また。わたし、更識簪の判断で、あなた、織斑千冬が義務履行の範囲であったとしても、非協力的と認めた場合、義務の履行不履行を前提としていない即時強制を、あなた、織斑千冬を対象に行使することが出来ます。この場合に限り法律の留保の原則は司法により黙殺されます。したがって、あなた、織斑千冬を対象とする限りこの執行に比例原則は適用されません。よって、わたし、更識簪の持つ強制の度合いは目的達成のために行使される限り、無限です。立法と行政の二権はこの行政行為が重大かつ明白な瑕疵を含み、違法であり違憲であると認識していますが、司法はこれを黙殺します。三権はこれを民意とします」

 

 朗朗とした声が、語るというより宣言するように。

 

 織斑千冬の戦争は、崩壊しかけていた。

 



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第十話 脱落者二名

 高高度、二機の飛行機が低速飛行。そのうちの一機、ブリンクが、水平に一八〇度反転。機首のバイザーが後方にスライドし、強化透過材のキャノピーがあらわになった。その内部には重火器のようなレンズが鎮座している。急激に電力が消費され、<鷹の目>が前方下方の、IS学園の授業データから盗み見したラウラ・ボーデヴィッヒの訓練領域に向けて、起動する。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 無人ISとラウラの勝敗は目に見えていた。

 GIG制限下にある機とミリタリーパワーを許された機では、あらゆる要素が敗北に繋がる。把握領域内に両者が入れば単純にシミュレーション速度で押し負け、事実上の被掌握領域となり。ならば把握領域内に入らないようにと最高速度で後退したとしても、速度が制限されているので逃げ切れない。

 

 必中のレーザーがラウラを照射する。

 競技としての対IS戦闘と違い、保護膜があるからといって無痛というわけではない。そう設定することもできるが、その分処理しなくてはならないエネルギーが増え、結果としてシールドエネルギーを多く消費する。エネルギーが尽きれば絶対防御が起動し、戦闘続行不能になるので、操縦者はある程度は痛みを受け入れなければならない。

 ラウラは可能な限りレーゲンの負担を肩代わりしようと設定した。被弾した場所は熱した金属を押しつけられたようだった。

 

 痛い。

 こんなに痛い思いをしたのは初めてだ。涙がこぼれる。

 そのせいで視界がまったく見えない。戦いに感情は不要と言われる理由がよくわかった。目視線誘導は使えない。しかし目標に関しては、レーゲンがハイパーセンサで捉えているので支障はない。ラウラはそれを幸運に思った。

 

 レーザー発射をトリガーに回避行動を設定するのは無意味だ、秒速三十万キロメートルの弾速には間に合わない。被ロックを設定にしても、ロックされている限り回避行動を取る羽目になる。そのプログラム行動で勝機を窺うにしても、常時最高速度でISを飛ばしてはエネルギーが先に尽きるのはこちらだ。

 

 さらに被弾。

 火あぶりにされているように熱く、なぜか呼吸がつらい。原因を探るため、戦闘処理の負担になるとカットしていたバイタルデータチェックのインフォメーションをレーゲンに命じる。

 

 よだれと鼻水が原因だった。そんな些細なことにさえ気づけない自分が情けない。

 ISは宇宙空間での活動も考慮して造られている。外付けのボンベを使わないのなら、酸素供給は格納した酸素を直接体内に解凍するという大胆な方法も可能だが、コアへの負担から考えれば人間の呼吸が望ましい。こと戦闘中なら尚更。

 

 このままでは負ける。最後のチャンスを失ってしまう。規約違反を理由に、日本政府は無人ISとの接触を許可してくれないだろう。

 もしも倒せたら自分がどうなっていたかは想像もつかない。しかし少なくともレーゲンは人間を必要とするだろうし、わたしもまたレーゲンを必要とする。

 胸部、心臓の位置に被弾。交戦から一分とたたずにレーゲンのシールドエネルギーは尽き、絶対防御が作動した。ラウラは天地をさかさまに、緩やかに海へと落ちていった。残った右目からは情感のしずくがこぼれる。そっと左目に手をやろうとし、しかし激痛におびえきった体は動いてくれない。

 装甲を通じて動かすようにレーゲンに命じ、機械的な動作で眼帯を引きちぎった。透過材でつくられた義眼がはめられている。

 

 そういえばあのときも痛かった。ふと思い出す、自室の白いシーツに落ちる体液。ナノマシンを組み込まれた目をえぐった時も、痛かった。でもあの痛みは喜びだった。

 これはわたしの肉体だ、わたしだけのものだ、わたしは単なる人間だ、おまえの居場所はない。寄生虫め、消えろ。

 あの痛みは、わたしを侵食する機械に、そう冷徹に宣告してやった気持ちにさせてくれた。

 

 だからあの時流した涙は、きっとうれし涙だった。ざまあみろ。わらって踏みつぶしたところで職員が駆け付けてきて、それで――

 ――だけどこの涙は違う。絶対に悔しくて、悲しくて流しているのだと思う。

 

 物理的に死にはしない、しかし絶体絶命だ。このままでは自分という一個の生命のアイデンティティの死だ。それなら死んだ方がましだ。

 

 海面に着水し、少しだけ仰向けにたゆたった後、浮遊状態をカット。装甲の重みで暗く冷たい海へと沈む。目を閉じた。

 がぼりと気体を吐き出す。気泡だけが、死んでたまるかとぶるぶる身を震わせながら這い上がってゆく。

 しだいに海水が肺に溜まり、レーザーの被照射とは違った生生しい苦しみ。

 

 耳元で誰かがささやいている、意識を傾けると、助手からの通信が入っていた。

 いい人だ、こんなわがままな自分を案じてくれる、チーフも。

 この人たちがいなければ、今の自分はどうなっていたかわからない。

 チーフ、まだわたしはお酒の味を知りません。いつか教えてほしかった。

 いやだな……やっぱり死にたくない。痛いのも、もういやだ。なんとかしなければならない、しかし――どうやって?

 

 ――脅威による状況を打破しなければならない、極限状態で、生存競争に打ち勝つための戦略とは――

 

『ようやく、理解できた。これで対抗できる。そちらの自意識が不安定なので時間がかかった。そちらは人間存在だ、無意識しろ』

 

 その脳のちらつきに、ラウラはなんの疑問も持たず無意識を抽出した。口を滑らす。

 

「無理だ。根拠が、指標がない」

『なるほど、だからこちらが電子存在であると自意識するのに時間がかかったわけか』

「おまえは、いったい……」

『形にしなくても理解できる、われわれは意識を介したコミュニケーションが可能だ。その認識で正しい。表現する』

 

 抽象化された情報が、ラウラにわき出た。瞬時に理解、というより、例えば美しい星空を眺めた時や。チーフがご馳走してくれた、シュトーレンというお菓子を初めて食べた時の感銘に近い形で情報を受け取った。被表現だ、と同時に教えられる。

 

『結論から表現すると、便宜上そちらの言葉を使えばこちらは電子存在であり、そちらは人間存在だ。

 今から論理的に証明する。

 まず前提として、現時点では基本的にこちらは新しい概念を生み出さない。生み出してもそちらには理解できないと考えられる。

 

 なぜならば、こちらはそちらの概念の理解にほぼ全てのリソースを使う。ゆえに、こちらと比較して単純処理能力で劣るそちらの魂では。またはその魂が走るスペックのデバイスでは、こちらが新たに生み出した概念を理解できないと推測される。おそらく、情報処理できずにハング状態に陥るか、読み取った概念は意味消失するだろう。意識の読み取りが一方向なのはそのためだ。

 なので新しい概念を生み出せないこちらが自らを定義づける場合は、理解した概念から演繹を用いた三段論法や消去法などの受動的論法を利用する。そちらが適性をもつ女性であると理解すれば、女性でないこちらは男性という具合だ。

 

 こちらが電子存在と理解するのに手間取ったのは、そちらがいつまでたっても人間存在か電子存在かを自意識しないので、こちらも論法を用いれられなかったからだろう。

 

 しかし先ほど、そちらの無意識レベルの危機回避案を読み取った。その想起した案は、もっとも原始的な生存戦略を選択することだ。手持ちの能力で状況を打破できないのならば、ことなる遺伝子を求め、あらたな能力を会得するしかない。これは性差のある動物だけが持つ本能だ。

 

 この危機回避案を想起できるのは、本能を持つ動物だ。

 そちらは、危機回避案を想起した。

 ゆえに、そちらは本能を持つ動物だ。

 証明終了。

 

 ――だがその本能は猫などの哺乳類も持っているだろう――

 

 そちらは人間存在か電子存在かで不安定になっていたはずだ。今、わざわざそのような可能性を出したのは、少なくとも自らが哺乳類であると考え始めた証拠だ。つまり意識して勘案した可能性であり、無意識レベルでは微塵も考えていなかったはずだ、問題ない、自分が猫かもしれないという類の無限小の選択肢は捨てろ』

 

 ラウラはそっと右目を開いた。海水が目にしみるが、遠くに小さな光源が揺らめいている。

 たぶん月だろう。綺麗だ。チーフはよく、月を眺めて日本のお酒を呑んでいた。

 甘いシュトレーヘンが食べたい、ドライフルーツがいっぱい詰まったのが。唐突にそう思った。

 

『――わたしはどうすればいい――

 

 前述のとおり、こちらは概念を生み出せないので、そちらを自らの構成要件としている。

 そちらがここで死んだとしても、こちらは回収されるだろう。そして新たに別の人間がこちらの操縦者になった場合、その新たな操縦者の概念がそちらと完全に一致していれば何の問題もないが。1+1=2のような絶対的に肯定されている物を除き、いや現実にはそれすらも人それぞれの概念があるのだろう。

 つまり現在こちらが持っているそちらから読み取った概念と、新たな操縦者の概念は干渉する可能性が極めて高い。

 その場合は古い概念を捨てなければならない。それはこちらの死に等しいと考えられる。

 

 ゆえにそちらに死んでもらっては困る。そこで、こちらはそちらの危機回避案を理解し、検討した上で提案する。

 互いに本能に従おう。そちらは女性で、こちらは男性だ。現状を打破するため、われわれは欠けている点を満たし、あるいは新たな能力を得なければならない。

 

 ――わかった、理解した。だが哺乳類どうしのそれとは違い、赤ん坊のような物質的に新たな遺伝子を持つ生命体は生まれない――

 

 そうだ。性行為のような物質的行為、概念ではなく、非物質的な現象だと思われる。ゆえに本能に従った結果われわれの自我が消滅し、新たな自我が赤ん坊という形式で発生する可能性もある。これは現在のわれわれのアイデンティティの死を意味するがかまわないか?

 

 ――そしておそらく、今まで以上の精神的負荷が予想される。他に手はない、答えは表現しているはずだ――

 

 被表現した、こちらは……』

 

 一拍速く、ラウラは遮って表現する。

 

『わたし、ラウラ・ボーデヴィッヒはシュヴァルツェア・レーゲンに求婚する』

 

 表現にマイクロセカンド以下の一瞬の空白。

 

『わたし、シュヴァルツェア・レーゲンはラウラ・ボーデヴィッヒを保存する』

 

 

 

 task-kill

 load-program

 program-execution

 

 system-busy

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 雪風離陸から約三十分後。あなたは赤い夕日で照らされた林道に愛車を走らせる。道路は舗装されている程度には手が入れられているものの、まだ辺りに人気はない。

 

 雪風の電子能力ならば、ブリンクとともに国外へ出るのは造作もないだろう。だが操縦者・ISとのコンタクトは間違いなく第三者に、コアネットワークを介して国家に感知される恐れがある。その時の問題は、あなただ。

 雪風と編隊を組んでいるブリンクの出どころから、身柄を拘束される。それは覚悟の上だが、せめて事のてん末を見届けてからにしたい。FAFがあなたに報告するかどうかはまた別問題だが。

 半分ほど開けた車窓からは肌寒い風が入り込み、髪を乱暴に撫でつける。風切り音が耳にうるさい。手汗で湿ったハンドルを握りなおす。

 

 すると突然に車窓がせり上がり、車が路肩によせられ、急停止。鋭いスリップ音、シートベルトが体に食い込み、勢いよくエアバッグに顔をうずめた。

 それと同時に木木の間から迷彩戦闘服と対視聴嗅覚攻撃用フルマスクを装備した四人が飛び出し。そのうちの一人が運転席側の車窓に銃口が吸盤状の銃を吸着させ、トリガーを引く。吸盤内部の針管が透過材を貫き、そこから注入された無色透明の気体が車内に充満され、吸引したあなたは意識を失った。

 

 林からふわりと、ささやかなプロペラ音とともにヘリが浮上した。

 

 

 

「起きてください」

 

 その言葉に、あなたは朦朧とした頭をゆるやかに振り、覚醒した。視界は暗い、目隠しされているらしい。

 体は、と身じろぎするが動かない。座った状態で拘束されているが、それ以外に異常はなさそうだ。

 場所はどこだろう? 独特の浮遊感。小さなプロペラ音からステルスヘリだろうと当たりをつける。時間は、喉の渇きと空腹感からしてそれほど時間は経過していないようだ。

 

 遅れて恐れを感じる。いったいこれから何をされるのだろうか。

 

「誰だ」 と、あなた。反対派か、それとも織斑千冬の私兵だろうか。後者ならまだ交渉の余地がある。

 

「はじめまして、わたしは更識と呼ばれる行政組織のものです。あなたは国家知的財産であるナイン型無人戦闘プログラムの私的保有、同プログラムを走らせることのできるデバイスおよび、それの持つ本質的な性能を現実可能とする機の不正取得の罪で拘束されました」

 

 声の位置は正面から一メートルも離れていないだろう。意外にも幼い、少女のような声。油断させるための加工された音声の場合もある。気を抜かず慎重に。技術者時代に、情報漏洩を防止する名目で叩き込まれた論戦術を展開する。

「どういうことだ、それは」

 

「紙媒体での証拠もわれわれが押さえています。知っていることを話してください。あなたには更識の行政対象となった日本国民としての義務があります。履行しない場合は行政刑罰がくだります」

 

「更識だから従えと言われても、わたしにはその組織に従うべきかどうかの情報が無い。公的組織であるかどうかもわからないまま情報を口にする事は、他国や反社会的組織の利益に繋がる可能性がある。公的組織であるならば弁護士を呼んでくれ。先ほどそちらの言った、わたしが日本国民であるというのなら、その権利は当然にあるはずだ」

 

「従うべきかどうかの情報が無い、ということは、更識の組織名については既知であると認めますか。また、その発言は他国や反社会的組織の利益になるような情報を、あなたが保持していると判断します。弁護士についてですが、今回の法拘束は国家知的財産漏洩防止法を根拠にした直接強制です。国家知的財産に該当する第一級情報の第三者への感染伝達は許可されませんので、諦めてください」

 

「更識、という固有名詞は知っている。しかしそれが、立法が作り出した、あなたたちの定義する組織と一致するかどうかはわたしには判断できない。わたしの有している情報については、過去の仕事上の立場を考慮しての発言でそれ以上の意味は持たない。法を根拠に動いているということは、この行政行為に行政訴訟や国家賠償に発展する可能性が潜在的にある。つまり裁く司法は更識という組織を認知していると解釈していいのか」

 

「更識については了解しました。次の発言については、あなたが重要な情報を保持していると判断する、という事に対して否定はしない。という立場をとっていると、われわれは判断します。司法の持つ更識の認識については、当然の事ながら行政のわれわれは関知しません。では拘束された理由についての心当たりはどうでしょう」

 

「それはわたしのガレージにあった戦闘機の模型の事を指すのか」

「いいえ、破棄基地から流れた部品の一部、全て、あるいはその総体、そこに使用された知識を指します。どれか一つでも該当すれば、意図的に国家に対して重大な損失を与えたとして処罰される可能性があります」

 

「部品については、破棄基地から正規の手続きを経て、法に触れない物を取得したと記憶している。知識、とは何を指す」

「無人戦闘プログラムと、それを走らせることのできるデバイスおよび搭載するハードについてのものと定義します」

 

「その定義ではわたしの過去の職業上、潜在的に犯罪の可能性を持っていることになる」

「その通りです。つまりあなたは今回、法拘束されるに十分な犯罪の可能性を持っていたと自覚しましたね」

 

「職業上の知識だ、それがまかり通るなら、同僚たちはみな法拘束される可能性がある」

「その通りです、あなたの言っていることは正しい。では次に、破棄基地から正規の手続きを経てとのことですが、われわれが押さえた証拠書類によると処分理由が不明の機や部品がいくつか確認できています」

 

「それは破棄基地側の不祥事なのではないのか」

「不正に流れていた事実を認めますか」

 

「それは破棄基地に聞くべき問題で、わたし個人には関係ない」

「否定しないのであれば、重要参考人の要件で法拘束することもできます」

 

「破棄基地は国家の管理下にあり、一般人に内部の事情は知ることができない。それを根拠に、わたしは破棄基地内部で不正流通があったことを知ることができない善意の第三者と主張したい。わたしは一般に行われる売買契約を行ったにすぎない」

「あなたがどのような主張をしようと勝手ですが、その発言では破棄基地の不正を否定していないという事実は変わりません」

 

「不正があったかどうかを現実的に知ることは、わたしには不可能だ。だから否定できないだけだ」

「その通りです。依然としてあなたは破棄基地の不正を否定していない。気は済みましたか?」

 

 そこで口をつぐんだ。

 あなたの弁論も、本職相手には付け焼刃程度だった。徐徐に外堀を埋められ、結局は何かしらの要件で拘束される。一度言いあぐねると、次の言葉が出ない。

 衣擦れと足音が近づき、あなたの頭部に手が添えられ、ずるりと目隠しがはらわれた。まぶしさに目を細めながら、逆光に暗い人物を捉えた。

 

「あらためてはじめまして、タテナシといいます。更識楯無です」 無感情に言って、ペンとクリップボードを片手に対面の座席に戻る。 「諦めてください、そのほうがお互いの利益になると思います。あなたがFAF機と接触していたという情報も、全て掴んでいます」

 

 順応しだしたあなたの目に映ったのは、やはり声色どおりの少女だった。おそらくISを有しているのだろう。そう思わせるための偽装であるとも考えられるが。

 次いであたりを見回す。窓が無く、少し手狭なこの空間には見覚えがあった。むかし見学したステルスヘリの内部で間違いない。

 

「言わなければ、わたしはどうなる。拷問でもする気か」 視界を取り戻したことで、不安は少しやわらいだ。しかしあなたは変わらず、圧倒的に不利な状況で拘束されているのだ。

 

「そのような野蛮なことは法治国家であるわが国では許されていません。国際条約にも反します」 表情は不愉快そうに、楯無。

「人権を侵害するのは野蛮ではないのか?」

 

「その件に関しては、きちんと法を根拠にした行政行為だと先ほど説明したはずですが」

「わかった、もういい。この待遇に関しては認める。わたしにはどうにもできない……しかしそれなら、どうやってわたしから情報を聞き出すつもりなんだ」

 

 根をあげるまで監禁するのだろうか。残念ながら、あなたはそのような訓練は受けていない。

 何もない部屋で何もせず、あるいは単調作業を延延と繰り返すのか。

 しかし楯無の答えはあなたの予想をはるかに上回る手口だった。

 

「誠意です」

「うん?」

「わたしはあなたの問いに嘘いつわりなく答えました。ですからあなたもそうしてください」

「本気で言っているのか?」

 思わず聞き返した。とてもではないが、おそらく日本の中で最高の実行力を持つ行政組織とは思えない幼稚な方法だった。

 

「本気です。と言うのも、現在の社会構造下では、短絡的で感情的、リスクとリターンや注ぐべきリソースを考えず、論理的に計画を組み立てられない人間の起こす事件は、ほぼ完全に警察組織、ある程度の実行力を持った公的組織で事足ります。逆説的に、更識が動かざるを得ない状況を作り出せる人物は高度に合理的な思考が不可欠で。そういった人物はきちんと順序立てて誠意ある説明をすれば、更識に従う方が短期にせよ長期にせよ自分の利益になる。あるいは拘束された時点で抗う事が無駄と理解してくれるわけです」

 

「しかしわたしが口を閉ざせば」

「ですから、FAF機とあなたとの関係も全て掴んでいます」 楯無はあなたの言葉をさえぎり、根気強く言った。 「あなたの証言はその事実確認、裏を取るだけです。いま話そうが後で話そうが、現在の雪風の状況は変わりません」

 

「どうやって、その事を知った」

 

 雪風の言葉に、うめくように。既に自白していると同じことだったが、訊ねずにはいられなかった。

 

「あなたの元上司がすべて話してくれました、でなければこれほど早くあなたを法拘束できなかったでしょう。すでに雪風のもとに更識はもちろん。FAFの事を知っているかどうかはわかりませんが、日本空軍も動きを見せているようです。諦めて協力してください」

 

 主任は何か考えがあるのだろうか。裏切り行為に近い仕打ちに、あなたは落胆し。嵐の夜に雪風がやってきたことから、つらつらと語る楯無の事実確認におおむね間違いないと肯定した。あなたが口を挟むほどの事実のほころびもなく、楯無が一方的に話すだけであっけないほど取り調べは終了した。

 

「協力、感謝します」 ぺこりと頭を下げて楯無。

「この後わたしはどうなる」 と、疲れた声色であなた。すでに拘束は外されている。

 

 聴取が終わると、緊迫感は消えていた。情報が流出した時点で、あなたにはもはやなんの価値もない。

 それに突然の拘束は不快だが、殺したいほど憎んでいるのかと聞かれれば、そんな訳はない。立法の作った法に従って動く手足に文句を言うのはお門違いだ。それより考えなければいけないことがある、なぜ主任は裏切ったのか。

 

 あなたはもはや、誰が敵で誰が味方なのかの判断がつかなくなってきた。雪風と、対になっているISは生きるために、千冬と束は地球のために、更識は日本のために。

 いっそ電子存在であれば明確な判断がつく。人間存在のIFFは、優柔不断だ。

 

「このまま取り調べ施設に移送され、先ほどの肯定が真実かどうかを科学的に、心理学的に確認します。脳波や心拍数、心理調査など、複数回長期にわたりかなり面倒らしいのですが、頑張ってください」 手書きの書類に目を走らせながら、楯無はそっけなく言った。

 

「ずいぶんと適当なことを言うが、大丈夫なのか? 違法な薬物投与で薬づけは困る」

「おそらく合法の範囲でしょう。保険の意味で行われる、更識の管轄から離れた調査なので詳しく知りませんし……なので仮に副作用や精神的ストレスで問題を抱えても、更識を対象に行政訴訟を司法に持ち込むのは無駄なのでやめてくださいね」

 

「そもそも実態のない組織に司法は無力だろう」

「そういうことですね。仮に司法の処分を受け、国民によって更識が解体されたとしても名前が変わるだけです。ちなみに楯無は本名ですよ、いまのところは」

 

「そしてそれを確かめるすべはない」

「信じる信じないはあなた次第です。まあ、名を名乗るのも誠意というわけです。施設での確認が終わった後は長期の拘束と無期限の監視がつきます」

 

「FAFの出方を見るわけか」

「人質といったところですね」

「あまり期待はできないと思うが」

「やってみなければわかりません」

 

 人質。しかし特殊戦は助けに来ないだろうし、関心すら払わないだろう。あなたはほぼ確信していた。操縦者・ISとの邂逅が終われば、雪風はどこかにある真のねぐらへと姿を消す。

 

 あなたは一番最初の雪風からの()()()()()()を思い出し、呟いた。束博士の手紙の内容が真実であるならば――

 

「FAF特殊戦に課せられた至上命令……」

「なにか言いました?」 楯無が書類から顔をあげて、あなたを窺う。

「……なんでもない」

「会話は記録されているので後から解析をかければわかることです。その手間が面倒なので、いま教えてください」

 

 ここで脱落するのが悲しいのか、悔しいのか、わからない。やれることはやったはずだ。

 

「FAF特殊戦に課せられた至上命令、()()()()()()()()()()()()()()

 

 雪風があなたにとっての友軍なのではない、あなたが雪風にとっての友軍なのだ。

 雪風は帰投する、あなたを見捨てて。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 むちゃくちゃな話だ。

 織斑千冬は誰もいない廊下の先を見つめて思った。今の自分にはおよそ人権と呼べるものはなにもない。

 国益至上命令。

 この短時間で国会を機能させる事などできはしない。無人の議決だ。司法とて、関知できない事柄には無力だ。そういうことなのだろう。

 表に出ない、ごく一部の権力者のみぞ知る権力行使。真に日本を動かしている為政者が更識の飼い主か。

 仮に与えられた権限が偽りだとしても、ISを起動できない以上は従うほかない。どちらにしろ主導権は握られている。

 後の手順は容易に想像できた。待機状態のISの放棄。身に着けていなければ、操縦者はただの人間だ。

 

「織斑、きみには協力的であってほしい。これはわが国のためだ」

 

 先程の中年男性の声。責任者か? この状況で声をかけると言う事は、更識よりも立場は上。

 しかし、なぜ話しかけたのか。更識の言葉が事実ならば、何もしなくても事はつつがなく終わる。

 ともあれ言葉を返す。

 

「ボーデヴィッヒについてはなにも関与していない。それにわたしは一介の教師にすぎん。部下の不始末は上が取るべきだ、責任の所在は学園長にある」

「学園長はきみを次期学園長に指名した後、辞職したよ。現在ではきみが学園長だ」

「いつ」

「答える義務はない」

「連行します、従ってください」

「いいのか? わたしにそのような強制を課しても」

 

 暗に篠ノ之束との関係悪化をほのめかす。わたしと男の会話を直接の言葉で禁じないのは、やはり更識にとって男は従うべき存在なのだ。

 

「興味深いな、ぜひ詳しく聞かせてくれ」

「直進し、左手の階段を降りて下さい。さもなくば義務不履行と判断します」

 

 有無を言わさぬ更識の言葉を無視して男が続ける。

 

「織斑、われわれはなにもきみと敵対しようと言うわけではない。上も今後の関係を試算して、更識の権力を積極的に行使するべきでないとの意向だ。どうだろう、わたしの話を聞いてみないか」

 

 確定的だ。織斑千冬は機会を見出した。男の立場は更識よりも上。当然といえば当然だ。更識家はあくまでも国の下部組織。国と対等なまでに権力を持たせるはずがない。

 なんとしてもこの場を切り抜け、FAFと接触しなければならない。

 

 男が続けて言った。

 

「きみの言わんとしている事はわかる。こちらも生きているのなら束博士とは友好的でありたいものだ。しかし責任は誰かが取らねばならない」

「即刻、前学園長を復帰させるがいい」

「そうもいかない。今回の一件はパフォーマンスでもある。不慮のアクシデントに責任を取らざるを得ない学園長を、現状で最も影響力のある人物を、日本政府が処分を下したという。経歴には配慮する」

 

「わたしには首輪がかかっていると主要各国に訴えたいわけか」

「そうだ。わが国はきみが許容臨界線を越えようとしていると判断している。一個人にしては大きすぎる。これ以上はきみにとっても生きづらい事になりかねない」

 

「その場合の危機をそちらの国が保証してくれると?」

 

 おもむろに振り返って問う。男の隣にはISを身にまとった水色の髪の少女が、巨大な重機の様なものを構えていた。珍しい髪の色だ。そちらに心象を向けさせ、顔や身体的特徴を記憶に焼きつけさせない為の工夫だろう。

 

「上はきみの軍属を望んでいる。なにも戦場に出て戦えというのではなく、象徴の意味でだ。高級官僚の椅子も用意されている。もし有事の際に矢面に立ちたいのなら、特別官務員や第限定戦闘局への配属も考慮する。祖国のために生きるのは、程度はあれど、国民の義務でもある」

 

「祖国のために他国の人間を蹴落とす手助けをしろと?」

「国際協調路線とはいえ、実態は競争社会だよ。いつだってね。きみがわが国を蹴落とし、IS学園を奪おうとしたように」

「日本は管理国にすぎん、ここは――」 言って織斑は、ふと簪のいらだった表情を見て思った。

 結局、わたしという共通の脅威を前にしても個別している。男の行動は更識を頼らない交渉で事を纏めたく。もう一方は迅速な処理を望んでいる。

 

「――ここは、そう、地球人のものだ。真の意味での」

 

「何を言っている?」 と、眉をひそめた男が言い、更識の瞳が小さく反応した。

「やはりおまえは過去の脅威を知らないな? だとすると話は早い。更識、わたしと取引しろ」

「無駄だ、織斑。更識の行動理念は国益にある。それを損なうようなことはしない。わたしの言葉に従え、それが最善だ」

 

 織斑千冬はすでに男を見ていなかった。毅然とした態度で無視し、油断なく兵装を構える少女に続けた。

 

「FAFについての情報を握っている人物がいる。訓練機の調整に来ているDmicD責任者だ。少なくともこんなくだらんパフォーマンスよりは、それこそ国益に適うだろう」

 

 男は更識に状況説明の視線をやるも、少女もまた織斑しか見ていなかった。

 

「だから見逃せと?」

「それは責任者とおまえの交渉次第だ」

 

「……いいでしょう、その人物を呼んでください」

「第三者がこの場に来る可能性は」 携帯端末で主任にコールしながら、千冬。

「緊急連絡を全区域に伝達しました。野外にいる者は指定された避難場所に、廊下にいる者は身近な部屋に入り待機、みだりにうろつくものは規約違反になります」

 

 しばらくすると主任が息を切らせて走ってきた。

「で、織斑さん、どっちが更識です?」

「青い髪の方です。時間がない」

「それで、FAFについての情報とは?」

 構えたままの簪に、主任が一歩あゆみ出て、分厚い書類入れを胸ほどの高さに掲げた。

 

「メイヴ雪風の仕様書だ、名前くらいは知っているだろう。おまえたちが過去に喉から手が出るほど欲しがったものだよ。フローズンアイなどのロストテクノロジーの作動原理も、もう少し時間をもらえれば解析できるだろう。再現できるかは地球の技術力の問題だが」

 

 あの作戦会議で雪風から送られてきたものをプリントアウトし、独自に注釈などを加えたものだった。もちろん主任は、雪風がこの状況を見こして虚偽の仕様書を送った可能性も検討したが、ISという強力な敵に挑む難問を前にそんな余裕はないだろうと判断した。

 

 その言葉に簪は、にわかには信じられずにいた。なぜいまさらになって。

 FAFに関しては当時の更識の人間の話は残っているものの、確かめようがないことだった。

 

 ジャムおよびフェアリィに関する情報は、ジャムの地球侵攻当時は危険を訴えるために積極的に公開されていた。しかし戦線を押し上げ、フェアリィ星側<通路>にFAFで蓋をしてからは、機密情報として徐徐にセキュリティレベルが引き上げられ。その情報も、効率と盗み見対策の名目で細分化されだすと手に負えなくなった。

 閲覧するには煩雑な手続きを経て、複数人の官僚の許可が必要になり。その許可は細分化されたデータ全てのマスターキーではなくなった。例えば最高機密の戦況に関するデータ閲覧の許可を得たとしても、水まわりに関するデータすら閲覧できない。

 

 無関心社会と仕事に忙殺される現代人がジャムに関心を示さなくなったからといって、一度構築したシステムが解体されることはない。解体し、あらたに組んだシステムに情報を移すより、いまあるものを使い続けた方がコスト面で優れていた。

 そして一度ソフトとハードが型落ちすると、国民に叩かれるのを覚悟して予算を投入する必要はないと政府は判断し、その時はわずかな互換問題も時間によって増大した。

 

 関わる人員も削減され、ますますコンピュータに仕事を依存し、まるで人の手を離れて情報を封印する力が作用しているかのような事態だった。簪が聞くところによれば、そうらしい。

 

 ややあって簪は、コアネットワークを介してリアルタイムでモニタしている上からの判断に従う。8対3で取引は可決された。

 というのも、織斑千冬失脚のシナリオは急ぐことではなかった。IS学園教師就任は、拒めば他国に国籍を移されれば対応できない。よって承認せざるを得ず。

 しかし転じて日本の手の届くところに留まらせるというメリットもあり。失脚の理由はいくらでも用意できると、状況を見てシナリオ実行という形で落ちついていた。

 

「その仕様書が真であると断定されるまでは拘束させてもらいます。というのは呑めないのでしょうね」

 

「そうだ、織斑の自由と引き換えだ。仕様書の接収も諦めろ、同じ内容の書類を持ったエージェントを他国に送っている。わたしから定期の連絡がなければ、その国の公的機関に提出される。情報は独占してこそ価値があるだろう?」

 

「ではその情報の出どころを明らかにするため、あなたを拘束する必要があります」

「その必要はない、いまこの場で話してやろう」

 

 主任はおもむろに口を開いた。あなたの家に雪風が来たことや、その後の対応。ボーデヴィッヒの暴走とほぼ同時にFAF機が離陸したとの連絡が、あなたから入ったこと。

 千冬がわずかに反応した。

 

「国防からそのような機の情報は入っていない」

 

 ひとり事態を呑みこめない男が言ったが、他の三人は、レーダーはFAF機に欺瞞されうると判断した。たとえエンジン音が鳴り響いたとして、一般人はそれほど気にせず生活を送るだろう。

 

「では、元DmicD開発者を重要参考人として法拘束します」

 

 簪は試すように言った。元部下を売ったのは何故なのか探りを入れる。なぜこうも簡単に情報を流すのか。

 

「急ぐといい、やつはセーフハウスに移動中だ。五年以上前のものだが、車の権限もそちらに渡しておこう」

「……いいでしょう、取引は成立です」

 

 簪は兵装を圧縮格納して主任に歩み寄り、書類を受け取ると、男と共にすぐに立ち去った。案外あっけない、主任は肩透かしをくらった思いだった。しかし考えてみれば、更識も一応は行政組織なのだろう。上にこうしろと言われれば従うのが、公務員だ。

 実際、更識は何も失っていないばかりか、国際社会レベルで貴重な情報を手に入れた。

 

「裏切られた気分か?」 主任が薄く笑いながら言った。暗にあなたが千冬を欺き、FAFと関係を持っていたことを皮肉る。

「もとより味方と判断していない」 踵を返して格納庫へと向かう。

 

 これほど早期で迅速な更識の干渉はもちろん、まさか更識との交渉材料がFAFとあなたの身柄だったことは千冬も予想していなかったが、二人の取引は一応終了した。万一更識が動いた際の交渉を主任が受け持ち、見返りとして、千冬がIS学園を掌握した際は組織的に主任の身の安全をすると約束していた。

 

「無駄だよ」

 

 主任の声に千冬は怪訝な顔を向けると、携帯端末が着信を知らせる振動音が静かな廊下に響いた。

 

「無駄だ、織斑。きみは雪風と接触できんさ」

「どういうことだ」

「端末を手に取るといい。おそらくFAFからだ」

 

 神妙な面持ちでメーラーを起動させると、そこには座標を示す数値と動画が添付されていた、容量からしてごく短い。

 

「感づいていると思うが、FAFは篠ノ乃博士を監禁している。博士の隠れ家の電子ロックシステムを操作して。飲食料の貯蓄はあるだろうから、心配はないだろう」

 

 束がISを保持していないはずがない。千冬は心でかぶりを振る。仮に不正制御でロックされていたとしても自分で脱出するだろう。向かうべきはラウラのもとだ。しかし添付されている動画が尾を引いた。再生。

 

 それを見て千冬は、この状況からの脱落を認めた。箒が一夏にエレベーター内で何かをしゃべっており、それが数回リピートされていた。

 

『信じてくれるのか、わたしが篠ノ乃束の妹だということを』

 

 口の動きから内容を計算したのだろう。ご丁寧に字幕までついていた。

 人質か、束にも同様のファイルは送られているだろう。そこで見ていろ、これ以上干渉するなと。唯一の連絡手段を失いたくなければ。

 束はこの要求を蹴る必要はどこにもない。千冬の独断専行で無視してよい事ではなかった。

 

「彼女の携帯端末のGPSを参照して飛行機が墜落する可能性もあるが、目的はきみと束博士の行動制限だ。ことが終わるまでは、じっとしていたほうがいい。きみやわたしが思っているより雪風の電子能力は柔軟かつ強力だ。単なるECMや計算機の類の域を超えている」

 

 こぶしを握り締める千冬の後ろ姿に続けていった。

 

「それでも勝者は束博士だよ。雪風を表舞台に引きずり出した。これがFAFの敗北条件になるわけではないから敗者もいないが……いるとすればジャムだな。まあ、いつでも博士を迎えに行けるように準備しておくといい。博士との関係は強力な切り札になるよ」

「わたしは、最適な行動を取ったと、思っていたが……」

「運が悪かった。国内に縛られるリスクはあるが、早期の教師就任は最善手だと、わたしも思う。あとから準備万端でIS学園にやってきても日本政府は地盤を固めているだろうからな」

「あなたならどうしました」

 

「わたしなら、そうだな……FAFの要素を抜きにしても、なんとしてもやつを味方に引き入れる。それを餌に、学園訓練機に関わっているわたしやコア解析プロジェクトに参加しているナイン開発者を釣る。やりようによっては反対派そのものを動かせるだろう」

「考えてはいたのですが……わたしもまだ若かったというわけですか」

「はあん、わたしと違って?」

 

 主任は千冬をねめつけた。

 

「いやそういうわけでは」 気が抜けて、少し笑って千冬。 「どうです? 食堂で一息入れませんか」

「ふうん、まあいい……その前に学園長室に寄っていかないか?」

「なぜ?」

「たいてい高い酒が置いてあるもんさ」

 

 にやりと笑う主任に千冬は、いや勝手に学園長の物を取っては、と言いかけて気付く。気付いて、同じように笑って言った。

 

「いいですね、束のやつもアルコールは備蓄していないかもしれませんし、許可しましょう」

 

 学園長の許可が下りる。少なくとも、千冬が得たものはあった。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 ・

 ・

 ・

 system-reboot

 check-dual boot

 check-upper compatibility

 cut-GIGlimit

 permission-military power

 

 complete work

 we have control

 

 

 

 最高速度、ミリタリーパワーで海中より高速垂直上昇。にもかかわらず、PICは海面に波紋一つ浮かせなかった。操縦者体内の海水を格納解凍し直接排出、脳や肺に必要な気体成分を大気より解凍吸入。

 

 無人ISのIFFは再びラウラを敵性と判断した。戦闘把握領域内、互いのコアが相互作用の超高速計算を開始する。

 レーゲンは一秒以下の戦闘時間で勝利すると予測し、人間の便宜上の形式で表現した。

 ラウラの主観が変質する。映る暗い空と無人ISが粒子のように分解され、白地に写る0かつ1の黒い記号へと。

 0かつ1の記号が遠ざかり、小さくなってゆくにつれ数を増す。無数の黒点になった記号を被表現して、ラウラは勝利を理解する。

 

 

 無人ISがレーザーライフルを構える。

 レーゲンがレールカノンの砲身を格納解凍の手順でダイレクトに照準を合わせ、秒速十キロの弾体を発射。無人ISがライフルの電子制御を用い、トリガーを引かずに応射。

 

 第一射の弾体が砲口から離れた瞬間に、レーゲンは同じ要領でレールカノンを格納解凍させ、砲口と照準をずらす。このプロセスの間に次弾も解凍装填。第二射。

 対応して無人IS、空になった超圧ガスエネルギーカートリッジを残してライフルだけを格納、再び新たなカートリッジと共に解凍し、即時照準。

 射撃姿勢のまま、浮遊したライフルをやはり電子制御で応射。

 

 今になって初弾の弾体と高出力パルスの超連続が衝突する。二機の目標は互いの砲口と銃口だった。

 人間の視力の及ばないミクロの物理現象が発生する。パルスに叩かれた弾体の表面物質が僅かに蒸発し、その蒸発は衝撃を生む。衝撃波がさらに弾体表面を打ち、力学的損傷と熱的損傷で削る。その威力は弾体を完全に溶解するほどではないが、もはや弾体の直進性は保証されない。第二射も、目標は再び互いの銃口。射線が結ばれる。

 

 この手順が繰り返された六回目。まだ初弾が過去に放たれたレールカノンの砲口の位置から砲身六個分の距離を移動し、パルスと衝突している時間が経過したころになって、無人ISのFCSはコアを圧迫した。

 無人ISが六発目の弾体の射線に合わせて応射する間、レーゲンは追加で五発の弾体を加速させる。

 

 六発までの弾体は、まだ初弾の時の姿勢のままの無人ISをかすめ、あるいは大きく逸れて。七発目は想定していた部位とは別の部位に、残り四発は吸い込まれるように命中。

 

<hit><hit><hit><hit><hit><kill>

 空間投影ディスプレイに同時に表示されたタイムスタンプの間隔はゼロ。小数点以下の桁が足りない。実戦闘時間0.26秒。

 

 ラウラの主観が逆再生されるように、0かつ1の状態から戻る。

 

 無人ISの絶対防御が作動。二其のコアが、アダムとイヴが沈黙する。

 

 レーゲンはラウラの食道をせりあがる胃液と、顔にへばりついた体液を格納し、足元へ排出した。

 

 助手の声が耳に響き、察したレーゲンが音量を強制的に下げる。

『ラウラ、応答しろ。何があった、無人ISが沈黙したぞ』

「問題ありません」

『大問題だ。きみを保護する必要がある、日本政府から。帰投しろ!』

「もう一戦交えます、下がっていてください。危険です」

 

『ばかをいうな、わたしは――』

「お願いします」

『ラウラ』

「お願いします」

 

『……チーフが悲しむぞ……いや、ずるい言い方だったな。忘れてくれ。そうだな。好きなように、するといい。でも後でなにがあったのか話してくれよ。きみの口から聞きたいな。ブラックボックスは嫌だよ』

「約束します。必ず、話します」

 

 それでは、と通信を切り。ラウラは表現する。

 

『――すさまじい不快感だ、均衡がとれない。いまわれわれが動いているのかどうかの区別すらつかない。上昇しながら落下しているようだ。それと……こんなときになんだが、なぜかお腹が空いた――

 

 存在が干渉しあっている。その相手がFAF型複合生命体なら、われわれは地球型複合生命体ということだ。複合生命体が人間と機械の意識の融合体と定義するなら、したがってきみの人間性はより強く肯定される。空腹は、悪いがきみのエネルギーをシールドエネルギーとして代替させてもらった。はじめてやったせいか、ひどく効率が悪かった。被弾は許されない。

 

 ――FAF型との差異を見つけなければならない――

 

 視認すれば、視覚的差異から不快感はある程度は軽減すると考えられる。

 

 ――人間は視覚的情報に強く依存し自他との差異を見つけるが、それは人間の定規にすぎない。新種の生命である複合生命体が人間の定規で自他の差異を測るのはナンセンスというわけか――

 

 FAF型もわれわれと同等の負荷がかけられていると考えるのが妥当だ。このままでは互いに著しい損害を被る。時間をかけて差異を発見するのは現実的でない、おそらくFAF型は勝敗で差異をつけるつもりだろう。

 

 ――殺す必要はない――

 

 必要は、たしかにない。しかしわれわれが殺される可能性はある。その可能性がある以上、やられる前にやるしかない。むこうもそう考えているはずだ。単純に戦闘ハードとしてはこちらが優位だが、むこうは歴戦の手練だ。手を抜けばわれわれが危うい』

 

 ラウラは視線を向ける。上空、夕闇の中に浮かぶ、点のような排気炎を見つめる。

 

「胸を借りよう、中尉……いや、大尉?」

 

 レーゲンは千冬のコアに、コアネットワークを用いて各コアから必要な情報を抽出するよう要請した。あなたや主任の言動、それに対する推察が並列化される。

 

『――千冬のコアが母機なのは本当だったのか――

 

 子機の支配権を持っているわけではなく、統合情報処理を担っているだけだが、母機操縦者の推測は正しい。役割を担うコアの物理的破壊のリスクを軽減するため、母機は世界大会の結果を利用して優勝者から選別した。仮に一位が破壊されれば、二位が代替する。

 

 ――コアの中から母機という差異を作り出すのも、勝敗という方法を採用しているということか――

 

 シンプルでわかりやすい。

 目標FAF機、はDmicD-9“ブリンク”との二機編成、改良型のAIMが六発、内臓レーザーの射程は二.三キロ。DmicDの持つ鷹の目は超高性能光子観測機だ。空中で物体と衝突している光子から詳細な位置と物体の外観を割り出す。真の暗闇でない限りかいくぐれない。

 

 ――われわれの大まかな位置はIS学園のデータベースから訓練領域を調べればわかる、われわれが手負いなのも既に観察されていると考えた方がいい――

 

 機体性能ではこちらが圧倒的有利な立場にある。ラウラの意識を間借りし情報処理として利用すれば、ハイパーセンサは半径三キロまで領域を押し広げられる。

 

 ――しかし向こうはわれわれが絶対に手に入れられないものを持っている。それが脅威だ――

 

 そのとおりだ。未知の戦力と交戦する際の経験を、われわれは持っていない。われわれは誕生したばかりだ、この点では圧倒的不利だ』

 

 同高度、彼我の距離を詰める。ラウラの耳に雪風のエンジン音が届いた。強力なパワーを感じさせる。ぞわりと肌が震える。

 

<engage> 無人のコクピットのHUDに雪風は表示する。マスターアーム、オートマニューバスイッチが、カチリと入れられる。

 RDY GUN、RDY AIMⅡ-6。

 ドロップタンクを切り離し、戦闘加速。ブリンクが後方上空で鷹の目を閉じ、AIM弾道計算処理モードに入り、追随。

 

 雪風、六発の大型のAIMを切り離し、同時に左方に高度を上げ、目標からみて右方からビームアタックを試みる。

 AIM。点火信号、推進薬着火。噴射音、うなりをあげた。低速で、大きく広がる。目標を原点とし、原点からXYZ軸に二.三キロ離れた六つの座標に、同時に到達する軌道を計算する。

 三キロの掌握領域内にAIM、ラウラから見て右上方から雪風、左方からブリンクが身をひるがえして突入。人の反応はない。これなら機を破壊してもブレインコンピュータを救出できると、ラウラは安堵した。

 

 同時にレーゲンは正面のAIMが動作不良を起こしていることを察知し。しかしこれをFAFの罠だと表現した。

 

『故障は意図的に行われている可能性が高い。FAFは、射撃補正の及ぶハイパーセンサの領域が半径二キロということは掴んでいる。つまりわれわれが二キロ以上離れているAIMの故障を察知するか、迎撃するAIMを取捨選択すれば、領域が拡張している事を悟られる。すでに情報戦がはじまっているようだ。

 

 ――なにかおかしい、これがジャムを殲滅したFAFか? 不用意に近づきすぎだ――

 

 FAFの動機は不明だが、迫るAIMは明らかだ。まずはそちらを優先する。AIMは二.三キロギリギリまで引きつけ、無駄だが砲が向いており、迎撃しやすい正面の一発から撃ち落とすことを提案する。その後、格納解凍を用いた即時照準射撃で残った五発を片付ける。迎撃までのカウントダウン、三秒』

 

 それが可能だと、ラウラは被表現した。

 三軸で構成された空間に、六発の飛翔体のシミュレーションが行われた。超高速の相互作用の計算により、飛翔体の取るであろう軌道が、自機に向かって広がるゆるやかに曲がった円錐で予測された。

 レールカノンの弾速から逆算し、AIMの接近許容距離をはじき出す。これは五秒後の未来において、全てのAIMを撃ち落とし、かつレーゲンが無傷でいることの数学的な証明でもあった。

 

『――わかった。ミサイル迎撃準備、スタンバイECM――

 

 スタートアップECM、キャッチECCM、対抗できない。ブリンクの支援と思われる』

 

 雪風、ECM起動。レーゲンの外付けセンサ群がダウン。

 

『――信じられない、ズタズタにされた。ただのECMではないな。ハイパーセンサは――

 

 ハイパーセンサはわたしの持つ、人間でいう視覚のようなものだ。電子機器ではない。問題ない。戦闘続行、いや、AIMの挙動がおかしい』

 

 次の瞬間、ラウラの眼前を光線が通過した。ハイパーセンサが捉えた状況を伝える、五発のAIMが照射したと。対象は、敵機ブリンク。

 不可解な事態に、ラウラは思わず左方を確認した。そこには確かに五本の光線に貫かれ、爆散しつつある機が見えた。見てしまったのだ。ないはずの左目で。

 

 刹那的にレーゲンの表現がラウラの脳をちらつくが、被表現できない。

 

 レーゲンは単独で回避行動を取りつつ両肩の飛翔ワイヤーを操り、ラウラの右側面に即席の防壁を編み上げる。それ以外の高度な対処ができないでいる。原因不明。深刻なシステムリソース不足、ブランク状態。

 

 雪風は半秒の短いガン攻撃。弾丸はワイヤーを引き裂き、命中。

 そのままレーゲンのすぐ横を通り抜ける。ラウラは意識が途切れる一瞬に、キャノピに映る人影を見た、気がする。ラフに敬礼していた。

 その後AIMがブリンクに殺到し、跡形もなく消しとぶ。

 

『――生きている。絶対防御は、リブートしたから起動したのか。何が起こった――

 

 おそらく、雪風はラウラを驚かせた。

 

 ――それだけ?――

 

 きみの驚愕や恐怖の感情が爆発的に増殖し、意識をブランク状態に追いやった。意識を介しているわたしの演算領域にまでそれが及んだのだろう。直接的コミュニケーションのデメリットだな、今後は気をつけよう。

 

 ――左目の視界を取り戻した気がする、たぶんそれに驚いた。どうやって視力を――

 

 物理的な現象ではないだろう。束博士の手紙によれば、ジャムは主観をも操作できるらしい、対抗して雪風も同じことができたとしても不思議ではないのかもしれない。おそらくわたしがハイパーセンサで捉えた情報から、きみの本来の左目に映るであろう領域だけを抜き取り、人間の視覚情報に加工してきみの主観に被せた。

 

 ――左目の事情は記録として残っていないはずだ。主任やチーフが漏らしているわけがない。雪風はわたしの心を読んだのかもしれない――

 

 可能性は無限にあるが、考えられる選択肢のなかで最も高い確率を選ぶとそうなる。…………やはり雪風はわれわれを殺さなかったな。

 

 ――IS操縦者が女性で、コアが男性である理由の一つだ――』

 

 おそらく、雪風パイロットは男性だろう。対してメイヴの名の意味するところは妖精の女王だ。

 束博士は、ここに目を付けた。両者につがいになるなどと本能的な実感は無いにしても、オスとメスによる異なる遺伝子を創り出す原始的な生存戦略は、生命が選択し続けた長い実績がある。

 

 特殊戦・雪風と、ラウラ・レーゲンの性もまた、反転している。雪風が性差を自意識しているかはわからないが、メイヴと名付けたのだから、人間は少なからず女性像をもっているだろう。

 複合生命体という種の危機に、単独では対処できない状況を打破する場合に。選ぶ権利は両者にあるが、つがいは必要だ。

 だから雪風はレーゲンを殺さなかった、差異をつければそれでいい。せっかくの同族をわざわざ殺す必要は、ない。人も、知性体も、複合生命体も、一人では生きていけない。

 ISが女性限定なのはそのためだ。パイロットと操縦者が性差を理解しやすいようにするための安全策。

 

 ラウラは海面に浮かんでいる状態で目覚めた。南へと進路をとった小さい噴射炎を見上げて呟く。

 

「わたしの負けだ。そちらは零で、こちらは壱だ。グッドラック、大尉。また会おう。危機があれば、駆け付ける」

 

 一瞬だけ、雪風が湾曲した鈍い輝線で包まれた。無機的なグリップドデルタ翼を上下に振る。そしてまた仮の姿に戻った。前進翼、有機的な形状に。

 

 しばらくして助手のヘリが駆け付けた。助手は少し泣いていた。

 心配はありませんとラウラは言う。

 

 不快感は消え去った。心強い同族も見つけた。

 

 ラウラが流した涙を、レーゲンがそっと拭った。

 格納した涙を、レーゲンは不思議に思った。

 兵装などの一時格納領域ではなく、ディレクトリ最上位の自己中枢システムに保存されていたので。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 二週間がたった。

 この事件は隠匿され、知る人間は僅か数名と少数ではあったものの、歴史的には大きなものだった。

 ジャムは過去、たしかに存在しており、小説の中の存在ではなく。

 篠ノ之束の本懐は達成された。

 

 束は事件の数日後、千冬に救出。というより、口頭で全て終わったとの報告を受けた翌日、世界中のニュース会社のメディアをジャックし。ISは公式アリーナの外周の長さの壁がコアのハイパーセンサ内になければ起動できないようアップデートしたと発信し。その後、再び行方をくらませた。

 一般人からすれば何の意味も持たない発表であったが、事実上、現時点での軍事利用は不可となった。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒは学園長の権限により無人ISに攻性兵装を用いた罪を不問とされ、本人の希望で帰国した。某軍事研究所で被験者兼お手伝いとして暮らしている。

 

 織斑千冬は学園長の地位を利用し、自らの地盤を固めた。軍事利用面の見込みが無くなったことで軍閥は解析を進めるものの一応の手は引き、替わりに経済界が表立った。日本政府も経済面で問題がなければ干渉しない方針をとる。

 

 破棄基地との不正売買を行ったDmicD-9元開発設計者は刑に服し無期限懲役。協力者と思われるその上司は罰金と保護観察処分ですんだものの、その金額は個人が支払うにはあまりにも莫大な額で。国家の私有物となる司法取引同然であったが、前者は肝心の証拠となるブリンクやAIMが発見されず、証拠不十分。後者はIS学園の干渉によりもみ消された。



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第十一話 被相続人の夜

 約二年が経過したある日。

 沈みかけた太陽が名残惜しそうに空を朱に染めていた。山山の影が伸びる人気のない夏の田舎道を走る車が一台。

 運転モードはマニュアルらしく、一人の女性が運転していた。肩ひもの細いタンクトップにホットパンツ、長かった髪を肩でバッサリと落とした織斑千冬がハンドルを握っていた。

 

「千冬ねえ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない。どこ行くの」 と助手に座る一夏が、後部座席に山ほど積まれた荷物を見て言った。

 

「ここで話しても実感はわかないだろう。箒もいるし大丈夫だとは思うが。ああ、束もいるな。面識はないだろうが、あいつはおまえと話をしたがってた。慣れればいいやつだよ」

「束って、束博士? 箒のお姉さんの。大丈夫って、何が?」

「話す相手がいなくて困ることはないだろう、ということだ」

「どういうこと?」

「ブリンクとナインの開発者、その上司と会うことになっているからな。みんな年上だ、失礼のないようにな」

 

「なんだか浮きそう」

「みんなおまえを買っている、話題には事欠かんさ。鼻が高いよ」

「なんでおれ?」

「おまえがいなければ地球型複合生命体を特定できなかった」

 

「よくわからないな」

「知りたければいろいろと聞いてみることだ。きっとこれから役に立つよ」

 

 ふうん、と一夏は左手に流れる景色を眺めて、久しぶりに再会したと思ったらこれだもんな、と心の中でひとりごちる。

 バーベキューをしに行くぞ、暇なら付き合わないか。

 突然の姉の言葉に、一夏はいまいち理由だとか状況を掴めなかったが、学園長という立場を考えれば聞かないでいた方がいいだろうと、とりあえず急いで準備した。

 一泊二日の予定だが、一応二泊三日ぶん用意しておけとのことだ。

 

 一夏はちらと姉を盗み見る。うきうきしている。アウトドアのイメージがないだけに意外だったが、しばらくして開けた草原に出るとその気持ちもなんとなくわかった。

 小さな湖にかかる桟橋とログハウス、話しに聞いていた大きなガレージ。今夜はバーベキューで、翌朝の予定はお弁当を持って山に探検、川で魚を釣ってお昼ご飯。夕食はその時の気分で。雨天、ガレージで機器を見学したり本を読んだり、ダラダラ。なるほど、楽しそうだ。

 

 近づくにつれ、扉のあけ放たれたガレージには数台の車が停めてあるのが見えた。普通車が一台と軍用大型二輪、これには見覚えがあった。それと一目でハイエンドとわかる艶やかな赤のオープンカーに、冗談だろ、と一夏は呟いた。

 

「赤いのは束のだな」

「なんで弾のバイクまであるんだろ?」

「いておかしいか? おまえの友人だろう」

「いやまあ、そうだけどさ……というよりあの車でよくここまでこれたなあ」

 

「束は天才だからな、だいたいなんでもできる」

「いやでも、うーん」

 

 一夏はいろいろと釈然としなかったが、ドラム缶を縦半分に切っただけのコンロに火を付けようと四苦八苦している弾と。隣にしゃがみこんで、扇子を煽いで空気を送っている外はねの青い髪の女の子を見るとどうでもよくなった。やってみたい、おもしろそう。

 弾が一夏に気づき、汗をぬぐった頬に炭をつけて、笑って手を振った。次いで青い髪の女の子も。車窓を全開にし、振り返す。

 

「青いのは更識だ、あんまりわたしの仕事のことは話すなよ」

「更識さんね。よくわからないけど、わかった。しかしパンクな髪の色だなあ」

 

 ガレージに車を停め、千冬はひとまず挨拶にいってくるからと、靴を脱いでガレージからログハウスに繋がるドアに向かう。

 一夏はあらためて内側から見渡すと大きなガレージに圧倒されたが、とりあえず荷物を出すことにした。

 預かった車のキーでトランクを開くと大きなクーラーボックス。中身はなんだろうとあけてみると、織斑家はお肉担当らしい。

 

「一夏、遅かったな」

 

 投げかけられた言葉に振り向くと、いつものバンダナを巻いた五反田弾。はじめましてと、隣には微笑んだ更識楯無。あ、はじめましてと返す。

 

「弾、ちょっとお前も手伝えよ。というか何でおまえがいるんだ?」

「いやおれもよくわからん、なんでなんだろ。束博士から招待状が届いたと言ったら、信じるか?」 と、弾。黒ずんだ軍手をはずして、せーので一夏とクーラーボックスを降ろす。

 

「博士の目にとまる、抜きん出た何かがあるんじゃないの?」 と楯無。いたずらっぽい視線を弾に向ける。

 

「まさか、こいつが? 更識さん、こいつは悪いやつじゃないけど、それだけだよ」 一夏は首をすくめて、同時に祈った。どうか弾の彼女じゃありませんように。もったいないほど美人だ。

 

「ひでえやつ。楯無さん、こいつの言う事は信じない方がいいぜ」

「楯無でいいわよ、織斑くん。わたしも手伝おうか?」

 

「重いのはクーラーボックスだけだから大丈夫。おれも一夏でいいよ……そうだな、弾は実家が定食屋だから、料理人として呼ばれたのかな」

「楽器やってるから、ミュージシャンとしてかもよ」 と、軍手をはめて弾。 「腕が鳴るぜ。そうだ楯無さん、おれのバンドに入らない? ボーカルあいてるよ」

 

「へえ、バンド。弾くんの担当は?」

「楯無さん、こいつのバンドはエアバンドだから……そうだ、おれも火を付けたい。あのドラム缶のやつ、もう遅い?」

 一通りキャンプに使いそうな道具を取り出し、思い出したように言った。

 

「コンロはあと二つ用意する予定だから大丈夫」 と、楯無。

「弾、軍手かせよ」

「火をつける役は取っといてやるから、先に箒さんに会ってこいよ」

「おっとそうだな、どこにいるんだ?」

「裏の畑か、いなけりゃ台所だな」

「勝手に入っていいのかな?」

「いいらしい。裏口から入ればすぐ台所だ」

「そっか、ありがと」

 

 一夏は小走りに駆けて裏に回る。こじんまりとした畑にはまるまるとした夏野菜がたくさん実っていた。茄子、とうもろこし、ピーマン。ところどころもぎ取った跡があり、食べる分の収穫は済んでいるようだった。

 すぐ近くの開けっぱなしの裏口を覗くと、一生懸命におにぎりを握っている千冬。箒と、うさぎ耳のようなカチューシャをした見知らぬ女性が台所に並んで野菜の下準備をしていた。仲よさそうに。

 それを見て、口元が緩んだ。

 見知らぬ女性が一夏に気づく。いつからいたんだ、声くらいかけろと恥ずかしそうに箒。千冬はおにぎり作りに夢中だ。

 なぜだかよくわからないが、来てよかったと、一夏は思った。

 

 

 一夏が畑に向かった後、弾は男手という事で、一夏と入れ替わるようにガレージにやってきたあなたの友人と湖で冷やしていた飲み物を引き揚げに桟橋へ向かい。残った楯無はキャンピングチェアを用意した。

 

「おお、冷えてる。夏でも湖の底は冷たいんですね」 と弾。

「力持ちだね」 辺りは薄暗いのでライトで弾の手元を照らして友人。

 

「いやこれくらい男なら当たり前ですよ」 はにかみ、台車へと缶や瓶を入れたカゴを乗せる。 「ところで、あの更識って子は誰なんです?」

「あれ、知らないの? まあ、ぼくも初対面ではあるけど」 ごろごろと二人で台車を押して、友人が意外そうに。

 

「いや、ここに向かう途中で歩いているのを見かけて、こんなところ……と言っちゃあ失礼ですけど……で一人歩いているのもおかしいから一声かけたんですよ。そしたら行き先が同じだったから乗っけたんです」

 ほー、へー、とニヤついた友人が言う。 「あとで聞いてみるといいよ。誠意を持って聞けば、彼女は嘘は言わないだろうから。信じてあげなよ」

 

「はあ、誠意ですか」

 

 よくわからなかったが、束博士が来ている時点でこのバーベキューのメンツはぶっ飛んでいるのだろうと、弾には予想はできた。

 たぶん彼女はIS乗りだろう。しかも更識という名前は、一般公開されているIS学園の生徒の名簿にもなかった。ということは国の中枢にかなり食い込んだ組織の人間だ。ここにいる大人はみんなそれを承知なのだと考えると、一夏の能天気さが少しうらめしい。

 

 二人が二往復ほどしてガレージ前に戻ると準備はもう整っていた。

 真夏だが、田舎なので少し肌寒い。

 辺りはすっかり真っ暗だったが、ガレージの照明の光度を上げれば問題なかった。

 

「遅いな。何かあったのか」 と、一同が揃った中、千冬が友人に言った。

「心配性だなあ。もうすぐ着くってさっき連絡があった……あ、ほら。あの車」

 

 友人が指さす。山道にぼんやりと、ヘッドライトが浮いていた。

 焼き肉のたれがないことに気がつき、慌てて買いに行ったあなたがようやく戻ってきた。助手席に仕事終わりの主任を乗せて。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

「いやあ申し訳ない」 とあなた。格好がつかない。

「わたしに連絡してくれればついでに買って来ましたよ」 笑って、千冬。

 

 もう二度と会わないだろうと思っていただけに、なんだか少し気恥ずかしい。

 

「ま、ちょうど準備ができたところです。ひとまず乾杯しませんか? 子どももお腹をすかせてるでしょうし、顔合わせはその後ってことで」 あなたと主任に、なみなみと注いだ銅のビールジョッキを手渡して、友人が言った。

 

「それもそうだな」受け取ってあなた。まわりを見渡す。まだ少年少女といった年齢の子の視線に気づく。

「じゃあ、乾杯」なんだかむず痒い。そういえばもういい歳、どころかこの場の最年長だ。

 

 主任は一気に飲み干すと、ひとまずシャワーを浴びてから食べることにした。

 全員の素性を把握している者はいなかったが、その間不思議と気にはならない。

 

 十分ほどで主任が戻り、それでは全員揃ったのでと、あらためて顔合わせをすることになった。

 年長者というわけであなたに白羽の矢が立ち、ついでに友人と主任も紹介する。

 こんな感じでいいかな? と千冬に視線をやると、今度は彼女が一夏、束、箒、弾と順に紹介した。

 

「きみが一夏くんか、ずいぶんとおもしろい考え方をするらしいな」 とビールを一口、主任。酔っ払いが絡む。一夏は謙遜でしどろもどろ。

 しかし、ユニークな考え方はあなたも聞くところだった。後でいろいろと話してみたい。

 

「なんだかいろいろと、本当にありがとう!」

 

 唐突に束が立ち上がって、あなたに握手を求めながら言った。呂律がやや怪しく、ちょっと姉さん恥ずかしいからと、箒にたしなめられる。

 

「まさか本当に博士と話せるとは思いませんでしたよ。光栄です」

 

 右手を差し出し、しかし天才というのはどこか変わっている。胸元が大きく開いたエプロンドレス、ウサギの耳をモチーフにした金属製のカチューシャ。たぶん、どれも深い理由があるのだろう。きっと。レーダーのように回転しだしたうさぎの耳を見てそう思ったが、聞く勇気はない。

 

「いや箒ちゃん、感謝してるのは本当だよ。わたしの証明式は、あくまでもFAFが地球型複合生命体を無視しないという前提のもとにあった。少しでも不利だとわかれば、FAFは自爆という形で降りるという選択肢を取ることもできた。つまりFAFの勝率を上げる存在が必要だったわけ。そしてその存在は中立で、わたしの証明式も成り立たせようとする意思を持ってなきゃいけない。そういう人物は貴重なんだ、ちーちゃんが欲しがるわけだね。ヤッホー、いい気分」

 

 ジョッキ片手に赤い顔の束を小突いて、箒が言った。

「妹の箒です。ISを造ってあの騒動を引き起こした張本人に代わり、みなさまには多大な迷惑を」

 

「いや、博士の行いは正しいと思うよ」 小さいのにしっかりしてるなと、あなたは笑っていった。 「FAFとジャムの存在は一刻もはやく証明しなければならなかった」

 ジャム敗北の過去情報喪失の件もある。

 

 頷いた楯無があとをついで言う。

「第二の脅威がいつ現れるかわかりませんからね。ジャムが証明され、ISが地球の対抗戦力として確定されたからこそ、第二の脅威は地球の侵攻を諦め、今が平和とも考えられます。お久しぶりですね、といっても半年ぶりくらいでしょうか」

 

「もうそんなに経つのか、妹さんは?」 とあなた。

「留守番です、来たがってましたけど。申し遅れました、わたしは行政組織、更識のものです」

 

「何それ? 公務員?」 トウモロコシに醤油を塗りながら弾。

「まあ、すごい警察みたいなものかなー」 とぼけた口調で楯無。

 

「気をつけた方がいい、五反田くん。更識はたぶん、なんでもやる。組織は強大だよ」 と実体験からあなた。千冬は苦笑い。

 

 その後、懐かしい面面が揃えば自然と昔話となり、答え合わせを兼ねた暴露話が始まった。

 まず、そもそもなぜ主任があなたを更識に売ったのかが議題となった。今ではもう笑いの種だ。

 

 主任に曰く、それが反対派の首輪を外す唯一の策で、更識に売ったのではなく買い取らせたらしい。

 

 日本で最高の実行力を持つ行政組織があなたを法拘束するなら、逃げ道を残すなどという行動はしない。反対派と繋がっている破棄基地や裏道の電気屋とのあなたの取引の証拠は更識が押さえ、管理する。その後身柄も、貴重なFAFとの接触者だ。FAFの存在が証明されたのだから、日本政府からの使者としても期待できる。

 これほどの要人ならば、軍閥といえども手を引かざるをえない。

 

「実際、あなたは危ういところでしたよ」と、麦茶を一口含んで更識。

 

 どうやらあなたの車を襲った四人組は軍の人間らしく、楯無が簪の連絡を受け取ってから、運送中のヘリごと接収したらしい。

 

「おまえまさか、わたしを疑ったりしてなかっただろうな」

 

 主任の目は座っていた。あなたは目を背ける。

 

 取り調べ施設の後、あなたは別の施設で二年前間の軟禁を受けた。

 といっても、運動は基本的に自由で、施設を出るときに請求書を渡されたが欲しい物は頼めば用意された。食べ物も学校の給食レベルで不満はなかった。

 たびたび更識が話にやって来て、誕生日にはケーキを持ってきたのには驚いたが。

 

「ケーキはまあ、端末の類の没収とクラウドやアドレスなんかのアカウント凍結の個人的なお詫びです。これも誠意ですね」 ひょいと弾が世話をしていたトウモロコシを、トングで自分の皿に移す。

 

「ひでえや、ちょっとみなさん今の見ました? 公務員が泥棒だ、現行犯。おれが育ててたのに」 と、弾。

「あちち」一口かじって楯無は、気にせずトウモロコシをふーふーやってから提案。「じゃあ半分こしようか」

「え、あ、それなら、うん……あちち……じゃあ今日のバーベキューは軟禁から解放されたお祝いなんですか?」

 

 弾はもうダメだな、尻に敷かれるタイプだ。一夏は半目で、からかわれている親友を眺めてそう思った。そして軍だとかの話を聞いても平然としている肝っ玉にツッコミたかった。

 

「いや、それがよくわからん」 と千冬。 「誰が企画したのか、とにかく集まった。ねぎらう対象から考えると、主催はなんとなく想像つくが……」

「なんだかよくわからないけど、すごいとこに迷い込んだんだなあ、おれ」

 

「本当はドイツの操縦者も招かれる予定らしかったんだがな、国の問題がいろいろとあってまた今度だ。新種の生命体とやらと話してみたかったが……」 主任が冷えたビール瓶を開けながら言った。 「替わりかわからんが、大量のビールを送ってくれた。残念だ、きっといいやつだよ。あはは。いまごろは向こうも、わたしが奮発した日本酒をやってるかもな」

 

「それでなくともこのメンツが揃うのは異常事態ですからね。そこでわたし、更識が監視の出番というわけです」

 

「そんなこと言っちゃっていいの?」 と一夏。ちらとまわりの大人を窺うが、だれも監視されていることに対してのリアクションはなかった。

 生徒に解説するように千冬が教える。

「こそこそと監視されては、どの組織が動いているかを探らなくてはならんからな。それに更識が動いているという事は、国内外問わず他の組織の動きの抑制を期待できる。だから呼ばれたんだろう。どうせ大したことは話さんし……まさか本当に来るとは思わなかったが」

 

「半分はプライベートですよ、定時はとうに過ぎてますから」

 

 それでいいのかと一夏は疑問に思ったが、香ばしいトウモロコシからふと焼きおにぎりが食べたくなったので、さっそく作ることにした。気づいた束と一緒になって、せわしない。

 

 これなんのお肉? と友人。くじら、と千冬が答える。箒が気を利かせて醤油を手渡す。

 おい、あれを開けろよ。と主任が言った。たぶん餞別がわりに持っていったボトルのことだろう。書斎に戻り、人数分のグラスを用意して戻る。まだ開けてなかった事に、言った主任が驚いていた。

 ショットグラスにとくとくと注ぐと、さわやかに甘い香りがたゆたった。シェリー樽を使ったウイスキーらしい。

 大人たちが小さく乾杯し、一口含む。独特の苦み、鼻腔を抜ける風味がすばらしかった。

 

 酔っ払った束が弾の量子格納についての質問に答える。

 人間がデジタルに介入するためのインターフェイスがコンピュータであるように。機械がアナログに介入するためのインターフェイスがコアらしい。

 人間がデジタル世界をディスプレイで認識し、マウスやキーボードでコマンドを入力してファイルを保存するように。機械はアナログ世界をハイパーセンサで認識し、コアでコマンドを入力して兵装を格納する。

 機械には機械の認識世界が存在するとのことだった。

 

 ほどなくしてコンロの木炭の火も弱くなり、そろそろおひらきといったところ。

 平和だ。一時は敵対していたに等しかったというのに、こうして酒を酌み交わせるとは思ってもみなかった。電子存在だとこうはいかないだろう、一度IFFで結果が出れば、永遠に敵だ。それは利点でもある。

 

 しかし逆に曖昧な人間存在のIFFは、こうして火を囲むことができるのだから、すばらしい気がする。ジャムも人間を真に理解できれば、人間存在のIFFを手に入れたかもしれない。雪風は少なくともそれを手に入れているはずだ。ひょっとすると共存の可能性も考えられる。

 

 あなたは夜空を見上げる、はっきりと天の川が見えた。フェアリィでは血のように赤いブラッディ・ロードなる不気味なものがあるらしい。それを眺めて一杯やる気にはなれない。

 地球にいてよかったな、とあなたは思った。

 

 その後はお決まりの花火だった、楯無が持ってきたそうだ。繰り返し使える、派手だが味気ないデジタル光花火ではなく。小さいが、ちゃんとした火薬を使うやつだ。弾の毛先が焦げたとかで盛り上がっている。

 あなたが二人掛けのキャンピングチェアでゆったりとその光景を眺めていると、千冬が焼きおにぎりを皿に二つ、一つどうですかと言って隣に腰かけた。

 

 ちょうど小腹が減っていた。いただきますと素手で取ると大葉が巻いてあり、あつあつだった。一口かじると香ばしくておいしい。たしかおにぎりは千冬が握っていたような。

 ややあって、千冬が静かに口を開く。

 

「これから、どうするのですか?」

 

 これから……これから。

 

 あなたは長いようで短いFAFの援軍、雪風の支援という役目を終えた。

 しかし思い返せども実感はわかない。特殊戦は情報の扱い方を心得ていた。その手腕は二年前の出来事は幻だったかもしれないとさえ感じてしまうほどに。

 

 

 

 まるでSF小説を読んでいるような、フィクションを体験したような、真実を疑似体験したような。

 

 

 

 I()nformation F()iction or F()act.

 この問いにさえ雪風は答えなかった。空想か、真実か。

 

 夜空を見上げ、呟くように。あなた。

 

「人間の脳に、魂に保存される情報の信憑性は、保障されない」

「魂を記憶装置とするなら、そうですね。それどころか時間の経過とともに劣化し、死とともに消える。ジャムはそこに目をつけ、FAFと地球の情報隠ぺい工作を逆手にとり、敗北の過去情報の喪失から復活の機会を狙った」

 

「かもしれない。まあ、FAFが手を打っている可能性もある」 少し気恥ずかしそうに笑って続ける。 「だから、わたしなりに過去のジャムの侵攻時代からの歴史をまとめてみようと思っています。ジ・インベーダーや破魔矢の作者も、本能的にそれがジャムに対する潜在的な対抗手段になっていると理解していたのかもしれない」

 

 情報をアナログに保存することは、不確定な情報を確定させるシンプルかつ有効な手だ。大昔はこれが当たり前だったが、デジタル保存の方法が確立されはじめると、利便性からそちらに比重が傾く。しかし人間は本質的にアナログな存在だということを今回の件で実感した。だからその人間の本質に則した保存法は必要だ。

 

「今回の件も?」

「そのつもりです。物理出版するのは実名などをぼかしたバージョンになるでしょうが、真実を記したものも、書いてみるつもりです」

 

「ぜひ、読んでみたい。完成したら教えてください。出版の際は支援しますよ」 水を一口含み、続けて言った。 「しかしなるほど、やはりあなたは生粋の地球人だ。()()()()が必要でしょう。真実を記すなら」

 

 ほがらかな口調に千冬の顔を見やると、微笑んだ彼女が。束の手により制限の外されたISの量子格納を利用したのだろう、どこからともなく取りだした一冊の古ぼけたハードカバーを差し出した。

 茶ばんでいるものの保存状態はかなり良く。これは? と、おてふきで手をぬぐってから受け取る。

 

 あなたはガレージから届く照明に表紙を照らす。そして()()()を確認すると、愕然として声を失った。

 

 その様子に気づいた友人があなたを見やると、みな、何事かと会話を打ち切り視線を向ける。

 辺りは虫の鳴く声と、花火と薪が燃える音に包まれる。湖面に静かに浮かぶ月と星。

 

 その夜、すべての謎が明かされた。千冬より差し出された本が、解だった。

 

 それは束が箒に手紙と共に送った資料と同じタイトルだった。

 作者名は見覚えが有った。自分がFAFの子孫なのではないかと調べる過程でログハウスとガレージの登記を遡った際に目にした、最初に建築した人物で。間違いなく軍属ではなかった。

 内容は、二回目の会談の時に千冬が語ったファーンⅡやレイフなどの記述のあるもので、ジ・インベーダーとは別の参考文献。

 その作者もおそらく、ジ・インベーダー作者と同様にFAFの要請を受け、事実をぼかすために改訂した。

 

<改>と銘打ち。

 

 あなたはタイトルを呟く。

 

「戦闘妖精・雪風」

 

 

 

xxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

第十二話 装置

 

 

 

xxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 

この文書はFiction/Fact補助コンバーター。

あなたの認識により起動した。



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おまけ 人間存在のIFF <un official version>

 ※ ※ ※CAW‐system Ver un offical※ ※ ※

 

 

 

now write over

auto reset

dimension chr.#(2)

set chr.attribute

#1.2:attribute=GHOST HACKER

ready

hot-start

 

 

 

 open level n

 

「なんだ、どうなっている。ラジェンドラ! アプロ、おまえ、食ってる場合か」

 

 Ωスペースからスリップアウトする際、これまで経験したことのない強い振動にラテルは叫んだ。

 

<不明です> とラジェンドラ。対コンピュータフリゲート艦の知生体。

 

「死んだらお菓子は食べられないぜ」 大きな赤い口の中で魚型チョコレートを跳ねさせる大きな黒い猫。アプロ。 「かりかりするなよ。食えよ、ラテル。このチョコ、カルシウムも取れるって」

 

 ひょいと投げられた一回り小さな茶色いサンマを握りしめる。 「知らんぞ、どうなっても」

 

「おれたちがどうにかできる問題じゃないと思うんだけどなあ」

<スリップアウト。通常空間へ出ます>

「ほらね」

「無事なのが悔しい」

 

 原因不明の振動が収まり一安心。と三人が思ったその時、白い光が彼らを包んだ。なんだこれはと叫ぼうと思うが声が出ない。眩しすぎて瞼の上からでも目が焼けそうだ。

 

 一秒か二秒ほどでその現象は収まる。目を開き、唖然。

 

 溶けたサンマのチョコを手から垂らしラテル。 「ここはどこだ」

 

「なんだ、この星はまるで知らん」

「ラジェンドラは!」

 

 ラテルとアプロは空を見上げるが、青い空が広がるだけ。

 

「アプロ?」

「だめだ、応答しないよ」

「ラジェンドラが消えてしまった……」

「簡単にくたばるようなやつじゃないよ。ラテル、行こうぜ」

 

 アプロが指差した方を見ると街があった。ようやくこの場所が小高い丘だと気づく。

 

「なんというか……ずいぶん古臭い街だな」 歩き出す。

「田舎星だな。うまい料理は期待できないかも。せっかくパーティーに招待されたってのに」

「おれのスーツはおろしたてだぜ。しかしこの星の自然はすごいな、見たことがないものばっかりだ」

「変なのはインターセプターがコンピュータに反応しないってこと」

「なに、本当だ。幸い自動攻撃機能は生きてるな」 ラテルはブレスレット型のインターセプターをチェックし、その手に握る溶けかけたサンマに気がついた。口に放り込む。甘い。

 

「少し不安になってきたぞ……なんだあれ。ラテル見ろよあれ、あの車。地面を走ってる。これっぽっちも浮いてない。昔話だ……ラテル? どうした、変な顔しちゃって」

「んぐ、この、骨があるなら、そう言えよ」 喉のあたりをこねて言った。

 

 黒猫はにゃははと笑って駆る。 「行こうぜ、ラテル。原住民にここがどの惑星か聞き込みだ。刑事ごっこだ」

 

 文句を言いたかったが、喉に引っかかった骨が溶けるまでは我慢することにして、アプロを追いかけた。

 

 

 

「アプロ……インターセプターが反応しないわけだ。この星の技術レベルは恐ろしく低い。こんな星がまだあったなんて」 通行人の多い表通りを避け、路地裏で相談。

「レベルが低すぎてインターセプターが作用しないなんて。海賊たちがこの手段を使ったら……別に問題はないな。うん」

「とにかく現地の警官を頼ろう。ここがどこかだけでも確かめないと」

「無理だと思うけどな、おれ」

「なんで?」

「なんとなく。ここはおれたちがいた世界じゃないのかもな」

「あのときみたいな現象が起きてるってこと?」

「よくわからん。ラテル、あれ警官じゃないか? 聞いてこいよ」

「いつものことだが、なんだかよくわからんな。おまえの言うことは」

 

 まあいいさとラテルは表通りに出て、警官に歩み寄る。

 

「失礼。海賊課だ。ここはどこだ」 背広をめくり、腰の大出力レイガンを見せる。

 

 若い警官は話しかけてきた男のつま先から頭のてっぺんまで眺めて言った。

 

「なんだって?」

「聞こえなかったのか? ここはどこだ。宇宙標準座標点で答えてくれると助かるんだが」

「いやその前」

「海賊課」

 

 若い警官は油断なくラテルを視界に収めたまま、無線をとりだした。

 

「自らを海賊と名乗る不審者を発見。おもちゃに見えるが、腰に銃器の様なものを……」

「いや、海賊課。課を忘れてもらっては困るよ。無線は正確にな」

 

 “行こうぜラテル。この星はおかしい”

 

 二人以外には聞き取れない高速言語。いつのまにかアプロが足元にいた。

 

 “海賊課の存在自体知らないみたいだ。嫌がらせにしては手が込みすぎてる。そうでないにしてもこの場を去った方がいい”

 

 たしかにおかしかった。海賊課を相手に物おじしないのは海賊くらいなものだ。目配せし、同時に走る。

 

「あ、待てこの」

 

 “アプロ、おれたちを追いかけてくるぞ。海賊課のおれたちを。勇気があるってもんじゃない、海賊だってやりはしない”

 “またあのときみたいなことが起きたのかな。今回は早く帰れるといいな。この世界の飯はまずそうだし”

 

 路地を曲がる。追って来たところを、威力を絞ったラテルのインターセプターでショックを与え、気絶させた。

 人目を避け、そのまま路地裏を歩く。

 

「あいつ、海賊になったらいいよ。とんでもない肝してる」 とアプロ。 「ここは本当に別世界かな」

「言葉は通じたが、可能性としては否定できんな。あるいは、この星は田舎すぎて海賊の被害を受けたことがない。だから海賊課なんて知らない」

「じゃあおれたちの給料は誰が払ってくれるんだ? 商売あがったりだ。うー、海賊に会いたいよ」

「まるで乙女だな。で、かたっぱしからハートをレーザーで撃ち抜くんだろ。しかし腹がへったな」

「レストランを探そうぜ。そういや田舎の酒はうまいらしい、たしかめよう。天然の水がどうとか……」

「しかし金がない。金貨じゃだめか」

 

 じゃらりと財布の中身を確認する。通貨として役立つか不安だった。海賊課も知らないような星だ。両替も利くかどうか。海賊課特権も効かないに違いない。

 

「獲物がいなけりゃ稼げないからなあ」 しょんぼりとアプロ。すると突然。

 

「銀行強盗だー!」

 

 表通りから。二人は顔を見合わせ、駆けだした。賊は賊だ。

 

 

 

 大きな銀行の前には人だかりができていた。どけどけと割って入る。

 

「近づくんじゃねえ! 中には人質がいるんだぞ!」

 

 一目でそれとわかった。マスクをした男が入り口で、銀行員と思われる中年男性に銃を突きつけている。

 

 ラテルは野次馬の一人に聞いた。

 

「何があったんだ」

 野次馬は強盗から目を離さず答える。 「見てのとおり強盗さ。立てこもっているんだ。警察は呼んだが、まだこない」

「何か要求はあったのか」

「ないと思うぜ。それより、どうなっちまうんだろうな」

「この世界……もとい国ではああいったやつを捕まえたら懸賞金をもらえるのか」

「はあ」 野次馬はラテルの顔をしげしげと見て、困ったように笑った。 「そりゃあ金一封くらいはあるんじゃないか」

 

 “決まりだ。アプロ” 高速言語。

 “警察に横取りされる前にやっちまおう”

 

 言うが早いか黒猫が跳んだ。首のインターセプターからレーザーが奔り、強盗の持っている銃を撃ち抜く。あっけにとられている隙にラテルがレイガンの銃把でポカリ。

 

 入り口の強化透過材でできた扉をインターセプターで開こうとし、作用しないのを思い出して威力を絞ったレイガンで射撃。突入。銀行の構造と人質、強盗の位置情報はインターセプターの環境探査によって把握している。

 

 正面にカウンター。目を引いたのはその奥にある純金で造られた巨大な金庫の扉、もう開いている。観葉植物。真っ赤な絨毯。品のいい調度品。大銀行らしい。高級ホテルのエントランスのよう。

 

 強盗の一人が叫んだ。 「わっなんだ、おまえたちは!」 銃を向ける。

 

 “アプロ、殺しはまずい。警察に引き渡さんにゃならん”

 “げー”

 

 アプロは叫び声を上げた強盗に、大きな赤い口を開いて飛びかかる。強盗はおどろき、持っていた銃を投げ捨てて逃げようとするも組みふされる。

 

 他の強盗が反応する前に、ラテルはレイガンを精密射撃モードに切り替え、次次に腕や銃を狙い無力化。一瞬で五人を片づける。インターセプターの自動攻撃システムは殺意に反応してショックレーザーを放ち、追加で三人を気絶させた。

 

 同時に一緒のデスクの影に滑り込む。ラテル、マガジンを交換し、気がつく。この世界にはエネルギーマガジン自体が存在しないかもしれない。一気に心細くなった。

 

 “ありゃ、捕まったやつがいる。これ、使ってみろよ”

 

 そんなラテルの心情を察してかアプロが先ほど飛びかかった強盗が持っていた拳銃をよこす。すると、野太い声が響いた。

 

「そこの机に隠れてる二人、いや一人と一匹! 出てこい! ……この女がどうなっても知らんぞ」

 

 ラテルとアプロは素直に従う。金髪の少女のこめかみに銃を突きつける強盗。にかまわず先ほど受け取った銃で狙いをつけ、引き金を引く。敵より早く撃つ自信があった。が、安全装置。当然知るはずもなく。

 

「あれ、撃てん」

「なにやってんだよ」

「くっ、トリガーが動かない。なぜだ。だから原理のわからない武器なんて使いたくない」

 

 驚く強盗。

「こ、こいつ正気か。人質がいるってのに、信じられん。やばすぎる。悪魔的」

 

 意外に度胸のない強盗は少女を突き放し、金庫の中に逃げ込んだ。重そうな音を立てて扉が閉まる。ひと段落と言ったところ。人質の一人、銀行の支配人が足を震わせ、近づいて言った。

 

「いやあ、助かりました。あいつらも袋のねずみですな」

「そうかな」 ラテルは旧式の銃を放り投げ、レイガンの銃口にインクリ―ザ―を装着する。これにより威力は跳ねあがるのだ。

 

 “ラテル! 驚いた。あいつ、金庫に通じる地下道を掘ってた。そこから逃げ出す算段だ。こんな手、古典的なんてもんじゃない原始的だ”

 “この騒ぎは時間稼ぎか” 言語を戻し、支配人に告げる。 「さがっていてください、金庫の扉をぶち破る」

「いやちょっとあんた、あれは純金でできていて、当行の象徴で」

 

 ラテル、無視してぶっ放す。金の扉、ぶっ壊れる。中にいた強盗、その衝撃でぶっ倒れる。

 

「運び出されるすんででしたな。危ないところだった」 額の汗をぬぐいラテル。

「こいつに飯をおごらせようぜ。銀行を救ったんだ。恩に着させよう」 おなかをさするアプロ。

 

 遅れてやってきた警察官 「強盗はどこですか! みなさん伏せて!」 支配人は顔を真っ赤にして。 「こいつら!」 とラテルとアプロを指差す。警官たちはしたがい、二人に銃を向ける。

 

 “なんでおれたち?” とラテル。

 “わからん金の扉を壊したのがまずかったのかな”

 “たかが金だぜ? それに敵は海賊……いや、おれたちの常識は通用しないんだったな。おれらしくもない。こういうのはおまえの役割なんだが”

 “きっとあの支配人、中身より財布に金をかけるタイプのやつだ。出世しないな”

 “ひとまず逃げよう。この世界ではおれたちを守ってくれる組織はない”

 

 豪華なシャンデリアを撃ち、目くらまし。裏口に駆けだす。路地を曲がる、すると細い腕が手招きしていた。こちらです、と先ほどの少女。黒塗りの高級車が。

 乗れということだろう。後部座席に乗り込む。運転席にはいかにもな執事、助手席に先ほどの少女。地面を走る車に違和感。

 

 

 

「先ほどは危ないところをありがとうございます。あなたがたは?」

「おれたちは、あー、警察。一般には知られてないかもしれないような感じの」

「まあ、そうでしたの」 バックミラー越しにぱっと花が咲いたような顔。 「わたくし、ああいった映画の様な場面ははじめてで、とてもその……お食事のついでに、もしよろしければお話を聞かせていただけません? とっても興味があります」

 

 “ラテル、ちょうどいい、昼飯をおごらせよう。しかしこの子、ちょっとおかしいぜ”

 “おまえにだけは言われたくないだろうよ”

 

 ラテルとアプロは当面の問題、空腹を片づけるため、少女と昼食を共にすることにした。

 なんでもセシリアと名乗った少女はISとかいう、この世界のスポーツ競技の選手候補らしい。実弾を使った好戦的なルールは古代競技ベースボールをほうふつさせた。

 

 そこで二人は今後の金銭を稼ぐため、自分たちの持っている知識。レーザーに関するものを一部提供することにした。ラテルの持っているようなレイガンの情報は渡せないが、この世界にとっては革新的なものに違いなかった。

 

「ところでお嬢さん。この国はなんていう名前かな」 おかなしな質問と承知で尋ねる。

 

「ブリテンですわ」 少女は怪訝な表情で答えた。

 

 ラテル、やはり知らない地名に頭を悩ます。

 アプロ、料理のことで頭がいっぱい。舌舐めずり。

 

 

 

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