東方覚深記 (大豆御飯)
しおりを挟む

序章 ある初夏の変わり事
第一話 その訪問は突然で


初めまして、大豆御飯と申します。
全編シリアスだけです。日常要素とか本当にありません。
後、流血描写があります。苦手な方はブラウザバックを推奨します。
なんでもよろし、という方はどうかよろしくお願いします。
書いててなんですが、結構難しいというか。
________________________________________________



 幻想郷。
 日本の中に存在しながら、しかし世の中から離反され、現代に生けるものの意識から消えていった幻の郷。それでも、その郷は確かに存在し、忘れられた今でも生を紡ぐ者達はそこに存在する。
 だが、その中枢を担うのは人ではない。
 それを担うのは数多もの魑魅魍魎、すなわち妖怪なのだ。小さな郷の中、古今東西の様々な妖怪が、己の生を何十年何百年と紡いでいる。
 また、妖怪を基準にした社会は、人を基準にした社会とは、鏡を置いたように表裏一体である。常識と非常識は入れ替わり、それでなお統率された社会構造。何人たりとも異を唱えず、それなりに許容して生きている。
 ある妖怪の賢者は、この幻想郷をこう言った。

「この幻想郷は全てを受け入れる」

 それは、幻想郷を形容するには最も端的でありながら、実に的確であった。パワーバランスは均等に保たれ、互いに攻めることも無く、ただただ平和が広がっている。
 そこは、万人が現実に甘んずることが出来る、正真正銘の理想郷なのだ。
 それは同時に、絶対的な安心を齎す場所、という残酷な思い込みを抱かせてしまう。
 時として、その思い込みは、生きてきた道をも壊しかねない、無慈悲なものとなる。



 外の世界と、陸続きの幻想郷の間には、二つの世界を分かつ結界が存在する。とは言うものの、結局は陸続きであることに変わりはなく、その間には境界がある。そして、その境界に建っているのが博麗神社である。この博麗神社だけは幻想郷の外と中の両方に存在するのだ。

 しかし、神社と言っているものの、一体どんな神様を祀っているのかを知っている者は居らず、山奥に建っており、更には何故か妖怪が毎日のように訪れている為に、人間の参拝客は殆どと言って良い程居ない。そんな訳で、ある問題が起こってしまう。

 

「……今日も……入っていない、か……」

 

 博麗神社に住む巫女、博麗霊夢は、身に纏う服とは正反対の、暗くどんよりとしたテンションで賽銭箱の中を見ている。

 月が始まって今日で四日。その四日間連続で一銭たりとも賽銭が入っていないのだ。とは言え、こんなことは割と日常的に起こることなので、あまり違和は感じないのだが、無という単純かつ直線的な情報は、何度経験しても切ないものがある。そして、切ないだけならまだしも、賽銭が生活費の一端である以上、死活問題にも発展するのだ。幸い、霊夢は博麗の巫女と言う幻想郷に必要な役職を担っているので、妖怪の賢者が彼女の健康を案じて援助をおこなったりしているのだが、いつまでもそれに委ねるのは気が引ける。

 そもそも、どうして神社にやって来る妖怪は賽銭を入れてくれないのか。

 

「はぁ……」

 

 恐らく、傍に誰かが居たとしても聞き取られない程か細い溜め息が漏れた。

 真夏の夕刻の空は雲が掛かり、今にも雨が落ちそうであった。そのことが、更に彼女の心を落ち込ませる。賽銭を得るために何かするべきなのだろうが、そもそもそんなものが成就するとは思えない。そんな思考が頭を過る。

 

「気を取り直して、晩御飯にでもしましょうかしらね」

 

 いくら現状に不満を漏らしたところで、何一つとして変わらないのが現実。文句を言わずに受け入れるしかないのだろう。つまり、いつも通りの生活をいつものように営むのが最も良いのだ。霊夢は、特にこれ以上の生活を望んでいる訳でもないので、ある程度満足できることを誇るべきなのだ、と霊夢は肯定的に考えることにした。

 ある程度心持ちも回復し、晩御飯の内容を考え始めた時のことだった。ちょっとした変わり事があった。そよ風を作りながら、ごく普通の魔法使いが飛来してきたのだ。

 その金髪黒色の魔法使いは箒から静かに境内に降り立つと、親近感ある笑顔で片手をあげてくる。

 

「珍しいじゃない魔理沙。こんな時間に何かあったのかしら?」

「いんや、特に何でもないさ。何となく来ただけだぜ。」

 

 その魔法使い、霧雨魔理沙は笑いながら、あくまでも気軽に答えた。しかし、霊夢は、その明るさがどこかぎこちないものに思えてしまう。そう感じてから、霊夢は魔理沙の服が汚れていることに気付く。心なしか、魔理沙は疲れているようにも見えた。

 

「ねぇ、魔理沙……何かあったの?何かいつもの感じと違うわよ?」

「あー、アレだ。ちょっとばかしアリスと喧嘩しちまってさ。」

 

 そう言って苦笑いしながら頭を掻く魔理沙は、目に見えて寂しげだった。

 

「ほんの些細な切掛けだったんだが、今じゃ会いに行くのも怖く思えてしまうぜ……」

「喧嘩、ねぇ。私はアンタ等の内輪の話まで解決する気はさらさらないわよ?」

「ん~…少しは期待してたんだが……ま、最初から中立とかを頼みに来た訳じゃない。何となく霊夢に会いたくなっただけだぜ」

 

 いつもと違い、勢いが無く弱弱しい魔理沙の声は、夕刻の風の中に流れていった。その目には誰に向けられているかは分からない哀れみが浮かび、ただただ儚げでしかない。

 二人の間に、思った訳でもない沈黙が流れる。しかしそれは心地悪い訳ではなく、少なくとも魔理沙にとって、終わること無いままにずっと続いてほしい、そんな叶わぬ願いを生み出す。

 甘えることは簡単で、委ねることに苦も無くて。

 だからこそ、その少女は安息を断ち切る。

 

「さて、と。いつまでも小さくなってる暇は無いからな。私はそろそろ失礼するぜ。」

「はいよ~。ま、喧嘩くらいさっさと終わらせなさい。」

「あぁ、魔理沙様に任せとけって。ここに来て気持ちの整理もできたからな。」

 

 そうして、魔理沙は箒を持って背を向けた。

 夕日は殆どと言って良い程沈んでいるようで、魔理沙の目前には漆黒が広がる。空は雲に包まれたまま、間もなく夜を迎える。果たして、この雲は明日の朝には晴れているのか、それを今知る方法は持ち合わせていない。

 

「じゃあ、霊夢……またな」

 

 そう言い残した少女は、薄暗い郷に消えていく。

 一人残された霊夢は、その背中に向けて、届くかも分からない声で呟いた。

 

「結果、ちゃんと教えなさいよ」

 

 今も魔理沙は遠く、遠くへと飛んでいく。

 もう会えなくなるかもしれない。

 そう思える程に果て無く、彼方へと。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 心を渦巻くもの

朝涼。

夏と雖も日差しは低く、気温の上がりきっていない束の間の涼しさ。

そのささやかな休息の空気に包まれて霊夢は目を覚ます。そのままの空ろな表情で顔を洗い、ぼんやりしたまま寝間着から着替える。妙に肌がしっとりしていると思ったら、昨晩は雨が降ったらしく、雨滴が軒先から滴り落ちている。しかし、空にはまだ雲が立ち込め、圧迫感を生み出す。

 

「不安定な空ね……」

 

単純に思ったことを口に出したところで、返される言葉は無い。いつもと変わらないことなのに、何故か今日はそれが寂しく感じた。

ぼんやりと朝食の準備をし、たった一人黙々と食べる。いつもと同じ、代わり映えのない平凡なはずなのに、霊夢の心には漠然とした虚しさが広がる。いつもは気の知れた数人と食卓をかこんでいる、そんな錯覚さえ頭を過っていた。

ただ機械的に目の前の食べ物を口に運ぶ。その一連の動きの最中、箸に取った一粒の米が滑り、膝に落ちた。それを右の指で摘みながら、何となく考えてしまう。

 

「魔理沙……」

 

 またな、と言い残して帰っていった霊夢の知人。その姿が、どこか心に引っ掛かり、意識の外に外れることがない。ただ何となく送ってしまったあの瞬間は、本当にその程度で良かったのか。もっと深く、そして重要な時間ではなかったのか。

 本当は、魔理沙は自分に何かを求めていたのではないか。

 自分は、その信号をみすみす見逃したのではないか、と。

 その禅問答じみた思考は、頭の中に蟠りを作り出し、心の中にすら雲を掛けていく。

 

「あぁもう!  何で私がこんなことを考えなくちゃいけないのよ!!」

 

答えの見えない、暗い迷路から強引に逃れようと、霊夢はより黙々と箸を動かす。しかし、冷めてきた味噌汁は、美味しくなかった。

 

 

 

 朝食の始末を終え、またいつも通りの日課が始まる。壁立て掛けていた竹箒を握りはしたものの、どこか集中出来ない。二つの眼は焦点が定まっておらず、心だけが、ここではないどこか遠い世界に行ってしまったようだった。それは、単純にぼんやりしていると言うよりも、何かを失った時のように、虚無感が漂っているようにも見える。そんな、人形のような霊夢にかけられる声があった。

 

「あややや?  霊夢さん、今日は何だか元気がありませんね」

「ん……? あぁ、文じゃない。どうしたのよ」

 

 訪問者は射命丸文。幻想郷にすむ多種多様な妖怪の中でも、特に初会性の高い天狗。その中で、自ら新聞記者を名乗り、『文々。新聞』を発行しているのが、この射命丸文だ。

 

「どうしたって、いつものように新聞勧誘ですよ。どうです? 私の新聞、購読してみませんか?」

「いらない」

「そうですか。残念です」

 

 これもまた、いつも繰り返される他愛も無いやり取り。なので、文も特に気にすることなく、受け流すだけだった。

 しかし、いつものように流れるやり取りに、覇気もなく漠然と委ねるだけの霊夢を、文は不思議に感じる。そのやり取りが終わると、また生気の抜けたように掃除する霊夢に、文は堪らず聞いてみた。

 

「あの……最初から元気がありませんが、本当にどうしたんですか?」

「……何でもないわ。何でもないのよ」

 

 その言葉を発した姿に、どこか陰りがみえたが、これ以上言及しても何も進展しないと思った文は、それ以上の詮索はしなかった。しかし、このまま無言でいるのも、何となく心地悪い。だからと言って、これと言って話す内容も無い。色々考えた文は、共通の知人の話を持ち出すことにした。

 

「そういえば、昨晩のことですけど、突然魔理沙さんが私を訪ねてきましたよ」

「本当に!?」

「え? えぇ、隠す理由もありませんし……」

 

 思いがけない過剰反応に文は若干戸惑うも、霊夢の元気の無さの原因が片鱗を覗かせた気がした。そして、もし垣間見えたものが真実ならば、霊夢と魔理沙の間か、魔理沙自身に何かあったことに変わりは無い。そうならば、少なからず文にも影響を及ぼすものであることは容易に想像がついた。

 しかし、そう考えている途中でも霊夢は必至に質問してくる。

 

「それは何時頃!? どんな目的だったの!?」

「お、落ち着いてください! 取りあえず落ち着いてくださいって!!」

「ご、ごめん……」

 

 文に言われて、何とか平静を取り戻す霊夢。それでも文への質問を止めない。この心に渦巻く蟠りを払拭したいからだ。

 

「それで……魔理沙とはどんなことがあったの?」

「そうですね……特にこれと言ってあった訳ではありませんが。ただ、『何となく来ただけ』と言ってきましたね」

「何となく来ただけ、か……他には? アリスと喧嘩したとか言ってなかった?」

「アリスさんと喧嘩、ですか? それは言ってませんでしたね。でも、服が汚れている理由を聞くと、『新しい魔法の開発に失敗した』と返ってきました。あとは、そのことで手伝って欲しいと言われましたね。私はあまり魔法に詳しくないので、止むを得ず断りましたが」

 

 どこか引っ掛かる。当然だが、霊夢と文が魔理沙にした質問は違う。しかし、その答えは全く違う。両方事実だと言えばそれまでなのだが、それにしても不自然だ。パズルのピースを間違えて嵌めるかのように、何一つとして組み合わさらない。

 もしや、アリスとの喧嘩を新聞のネタにされることを恐れたかとも思ったが、いくら幻想郷の少女が起こす騒動を新聞にしているとは言え、個人的な喧嘩をネタにはしないと容易に考えられる。でないとマナーも悪い。

 

「でも……」

 

 そんな霊夢の思考に、文の呟きが入り込んだ。

 

「あくまでも私の見解ですが……魔理沙さんは焦り、そして怯えていたようにも見えました。まるで、何か隠し事をしているかのように」

 

 その言葉を聞いたとき、頭の中の歯車が噛み合ったような感覚になった。と同時に、とても嫌な予感が脳裏に浮かぶ。普段はそんな雰囲気を見せない、男勝りのその少女がちらと見せた僅かな弱み。今までにない具体性を伴って、霊夢に悪い予感を起こさせる。

 

「別れ際……魔理沙は何て言った……?」

「またな、とそれだけですね。」

 

 またしても、どうしようもない嫌な予感が全身を駆け巡る。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 ある記憶の蟠り

「魔理沙さんがどうかしたんですか?」

 

しばし熟考している霊夢を見かねた文は、自ら聞き出すことにした。しかし、その声のトーンは真剣で、どこにも浮足立った雰囲気は感じられない。むしろ、霊夢の顔から、一種の『異変』の影を感じている。

 

「まぁ、もう察していると思うけど、昨晩に私の所にも来たのよ」

「はい、それは察しましたが……何故あそこまでの反応を?」

「私の所に来た時、魔理沙は何だか疲れていたの。そして、どこかぎこちなかった。それが、いつもの魔理沙を思うとどうしても変に思えて仕方ないのよ」

「そう、ですか…? 疲労位なら普通に起こりうることだと思いますが……」

「そう言われたらそこまでなんだけど、やっぱり腑に落ちなかったのよ。それで、何だか敏感になっちゃって、あそこまで過剰な反応しちゃったの」

 

 そう説明されて納得した文。その表情を確認した霊夢は、今度は自分の本題に入る。

 

「それで、私からも良い?」

「構いませんよ」

「どうして魔理沙は私と文に全く違うことを言ったのかしら? 何故、私には『アリスと喧嘩した』と言って、文には『新しい魔法の開発に失敗した』と言ったのかしら?」

「両方事実だったのでは? そう考えるのが最も妥当だと思いますし。」

「私も少しはそう思ったわ。でも、魔理沙があなたに頼んだ内容を考えたら少しおかしいと思うのよ」

 

 そこで霊夢は一息置いた。次に紡ぐ言葉を確実なものにするために。

 

「誰かと喧嘩したって状況で、それでも別の人に魔法開発を悠長に頼めるかしら?」

「それは……」

「もう、アンタみたいな妖怪にはとうに忘れちゃった感覚かもしれないけど、私たち人間にとって、人との関係は思ってる何十倍も重いもの。まして、あの二人は外野が見た以上に関係が深い。その関係が崩れかけている時に、悠長に魔法の開発なんて、少なくとも私にはできないわ。」

「成る程……まして魔理沙さんはよく人間と妖怪の違いを話のタネにしてますからね。そう考えると、魔理沙さんは人一倍人間関係を気にしててもおかしくありませんね」

「そう。ただ、その理屈だとどちらかに嘘をついたことになるのよ」

「その二つの事象が同時に起こらないと仮定した場合、確かに片方は偽りとなりますが……それはどちらなんですか?」

 

そこで、霊夢の顔が少し弱弱しくなった。今までの発言に自信があったのに対し、今から言うことに自信が無いことの表れかもしれない。

 

「それは……私にはまだ分からない。ただ、勘だけど、アリスの名前が出たってことはアリスと何かあったって考えてるの。多分それは、良くないことだと思う」

「そう、ですか。なら、確かめに行ってみましょう。私も嫌な予感がしてきましたから」

 

 文の顔に、いつもと違う深刻さが浮かぶ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 残されたメッセージ

 そんな訳で、アリス及び魔理沙のもとに何かあったのか聞きに行くことにした霊夢と文の二人。不可思議な力で宙に浮かぶことが出来る二人は、歩く速度の何倍もの速度で進んでいく。幸い、その二人は同じ魔法の森に住んでいるので、そこに行けば二人に会えるだろう。

 

「先にどっちから行く?」

「魔理沙さんの方が良いかと。一度霊夢さんに打ち明けてますから、気分を害する確率もそう高くありません」

「じゃあ、魔理沙の所に行くわよ! ……悪いわね、証拠も何もない、もしかしたら何でもないような出来事にムキになる私に手伝わせちゃって」

 

「構いませんよ。こちらこそ普段からお世話になってます。その借りとでも考えてください」

 

 微笑みながら言われた言葉に、霊夢は助けられたような感覚になった。自分の言った通り、嫌な予感も、もしかしたらただの杞憂で、魔理沙には何もないのかもしれない。そんな程度のことに、共に真剣に向き合ってくれる存在を、霊夢は初めて大切なものに感じた。そして、その姿に記憶の中の魔理沙が重なり、僅かな安堵の中に焦燥を生み出す。

 

「少し、急ぐわよ」

「了解です。そちらの速度に合わせますよ」

 

 耳元を大きな空気の塊が流れた感覚と共に、景色がより激しく流れる。普段なら生じる爽快感も、今は薄れていた。

 一瞬ごとに速度を増していく二人。と、そんな二人の視界の端に、何者かが映った。紫を基調とした服装のその人影は、二人とは正反対の方向に進んでいる。そして、その人影は二人にとって見覚えあるものだった。

 

「あら、パチュリーじゃない。」

「んっ……? あ、丁度良かったわ。私も貴女に用事があったの。」

 

 パチュリー=ノーレッジ。霧の屋敷の畔に建つ広大な屋敷、その地下にある巨大な図書館の主たる妖怪の魔法使いである。生まれながらの喘息持ちで、魔法を上手く唱えられないことがあるが、魔法使いとしての実力は非常に高い。また、普段はその図書館に籠っているために、滅多に外に出ることはない。

 

「して、用事と言うのはいったい何なんですか?」

「単刀直入に言うわね。まずは見てほしい物があるんだけど…」

 

 そこでパチュリーは徐に一本の鍵を取り出した。その鍵に繋がっている紐はどこか汚れてはいるものの、鍵自体にはまだ光が残り、使われている時間を感じさせる。恐らくは十年より短い。それは、妖怪にとっては刹那に等しい時間であるが、人間の霊夢には、それが永遠のように長いものに感じられた。

 

「これ、恐らく霧雨魔法店の鍵だけど、昨晩に魔理沙が図書館に置いていったものなのよ」

「置いていった……?」

「えぇ、突然訪問してきたと思ったら、ちょっと話をした後に、机の上にこの鍵を置いて帰っていったのよ。それも、わざわざ私の見えやすい位置に」

「その時、どんな感じだったの?」

「日が沈んだころに、いつもと違って咲夜に案内されて図書館に来たのよ。それで、しばらく他愛も無い話をしたところで、突然『今からアリスがどうやって人形を動かしてるか調べに行こう』って言い出したの。前後の脈絡も考えてないし興味もない発言だったから、勢いで断ったんだけど。で、その後すぐに魔理沙は帰っていったわ。机の上にこれを置いていったから呼び止めたのだけど、無視して帰っていったわ」

 

 そう説明されても、霊夢にはその光景があまり想像出来なかった。日頃の魔理沙を考えたら、パチュリーに自分の家の鍵を渡すということが有り得ないからだ。周知のことであるが、魔理沙はよく他人のものを盗る。パチュリーの蔵書もまた例外ではなく、頻繁に図書館に盗りに行っていることは、一部では有名な話だ。逆に言えば、鍵を渡すということは、相手に本を取り返す方法を与えているということになる。

 

「まさか……!」

 

 その声を上げたのは文。何か、悪い予感がしたのだ。

 以前、文々。新聞にて、魔理沙の盗難について触れたことがある。その時に間接的に聞いた彼女の言葉が、その悪い予感を作っていた。そして、その言葉の通りなら、すでに手遅れである可能性も非常に高い。その言葉を端的に表すとどうなるか。

 

「『私が死んだら、本を回収しろ』。確か、以前魔理沙さんはそのようなことを言ってたんですよね……?」

「そう。つまり、魔理沙は私に『私は死ぬ』と伝えてるとしても過言ではないの」

 

 抑揚の少ない声でいわれて、確実に霊夢の息が詰まった。今まで、どんな状況であろうと感じたことのなかった死と言う感覚が、一瞬で身近なものに変貌し、平和ボケな心を蝕んでくる。それでかつ、つい昨日まで話していた相手が、もう永久に話をすることが出来ないかもしれない事実は、とても許容出来るものではなかった。

 

「じ、じゃあ、昨日私達の所に来たのも……」

「もし、本当に死ぬ気だったなら、別れを告げに来たことに間違い無いでしょう」

 

 認めたくないもの。『もう会えない可能性』がある現実。そして何よりも、最後の時間になっているかもしれないあのやり取りが、全て後悔へと変化していく。そして、その負の感情の奔流に抗えず、心の中心に立つ弱い柱がゆっくりと削られていく。

 

「私は今からアリスのところに行く。魔理沙があの状況でアリスの名を出したことには、きっと意味があるから」

 

 そう言ったのは、言うまでもなくパチュリーだった。彼女は、いつもと変わらない、気だるげな顔のままだった。別に、霊夢達二人に強要する様子はなく、あくまでも自分の予定を言っただけのようだった。それでも、

 

「なら、私達も一緒に行くわ。文もそれで構わないでしょ?」

「えぇ、問題ありませんよ」

 

 表ではいつも通りに見せかけた。しかし、裏では不安で仕方なかったのだ。一人でも多く、誰かの傍に居なければ、自らの中から襲いくる後悔と罪悪感に、精神が押し潰されてしまうような、どうしようもない不安が心を満たしているのだ。

 決して、誰にも見せられない。水面下で霊夢は一人、自らに苦しめられ、もがいていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 魔法使いの朝

 アリス=マーガトロイド。

 元々は人間でありながら、妖怪としての『魔法使い』へと昇華した稀有な存在。人間ではなくなったために、本来なら食事も睡眠も取らなくてよくなったのだが、人間としての名残か、食事も睡眠も人間と同じように取っている。住居は魔法の森に構えており、その森で迷い、運良く彼女の家を見付けると快く泊めてくれると言う。やはり、人間であった以上、人間への親近感は強いのだろう。

 そんな彼女も、いつもと変わらずに朝食の仕度をしていた。厳密には、彼女が操る人形が仕度をしている。たくさんの人形の動きには無駄が無く、実に手際が良い。人形を完全に己の手足にしている。そんな錯覚さえ生みかねない程、彼女の技術は素晴らしいものである。

 しかし、外見上はいつものように無駄が無くとも、内では何かが決定的に違った。

 

(おかしいわね……朝食の準備だけなのに、尋常じゃない疲労が生まれてくる……)

 

 いつもなら、歩くよりも楽に行っている作業のはずなのに、今は何故か額に汗さえ伝っている。必死に勉強した後のように体が重く、熱は無いのにベッドに倒れ込みたいとさえ思う。

 

(昨日に原因があるのかしら……)

 

 異常だ、と感じ取った彼女は即座に人形の行使をやめ、残った作業を自分自身で片付けながら考える。

 昨日の午前中は人形を作ることで終わったはずだ。気が付くと昼時だったので、一度切り上げて昼食にした。その途中に迷ったと言う人が訪れてきたので、昼食を終えて人里に送った。ついでに、人里で食糧や雑貨類、布や糸を補給して人里から出る頃には既に夕刻。急ぎ足で家に戻り、夕食や入浴を済ませた頃には日が暮れており、人形を完成させたら直ぐに寝た。

 過度に魔法を使うところは一切無かったはずだ。そのはずなのに、

 

(魔法を使うと感じる疲れ……一体どこから来てるというのかしら……?)

 

 完成した朝食を運びながら、必死に考えてみる。しかし、幾ら考えても答えには辿り着けず、得体の知れない嫌悪感がこびり付く感覚に陥る。

 作った人形に問題があるのでは、とパンにバターを塗りながら、実際に完成させた人形を見てみる。それも、特に変わった様子は無く、別段位置が変わっている訳でもない。そして、他の人形も何一つとして変化が無い。人形は何の問題もない、そう確信しながらあらためて朝食に向き合う。

 バターの滲みたパンを控えめに齧りながら、別の可能性を考える。例えば、睡眠途中に大量の妖力を使ったという可能性である。しかしながら、そんな可能性は皆無に等しい。今までそんなことを経験したことも聞いたこともないからだ。かつ、意識して行うことを、無意識下で行うとは到底考えられない。

 ついでに、皿に盛ったサラダをフォークで口に運びながら、一番の極論を考えてみる。それはすなわち、

 

(実は、私が昨日と思っているのは全部一昨日の出来事で、本当の昨日に何か大変なことがあったか……)

 

 紅茶を口に含みながら、思わず鼻で笑っていた。温かい液体を喉に通らせた後、つい言葉が漏れていた。

 

「そんなことある訳ないじゃないのよ」

 

 再びパンを齧りながら、分厚い雲の切れ目を見ていると、考えていたことがバカらしくなってきた。そもそもが『疲れる』だけのことなのだ。そんなことに一々反応していたら切りがない。日常生活に大きな支障がある訳でもない。深く考える必要は微塵も無かったのだ。

 最後の一切れを咀嚼しながら今日の日程を考えることにした。

 

(久々に魔理沙の家にでも行ってみようかしら)

 

 思えば最近あまり会ってなくて、寂しいとさえ思っていた。そして、片付けをしようと椅子から立った時、玄関の呼び鈴が鳴った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 来客には紅茶とお話を

「開いてるわよ」

 

 食器を乗せたお盆を持つアリスは、キッチンに向かったまま応じた。案の定、扉のノブが勝手に回り、見知った顔が入って来る。

 

「もうちょっと防犯はしっかりした方が良いわよ」

「別に良いのよ、霊夢。盗人なんて来ないし。……にしても、珍しい面子ね」

 

 アリスは入ってきた三人を見回す。

 博麗霊夢、射命丸文、パチュリー=ノーレッジ。

 神社等でよく見る霊夢と文の組み合わせなら分かるが、パチュリーとの接点があまり思いつかない。そもそも、普段から図書館に籠っているパチュリーが外に出ていることが妙だ。そんなことを、アリスはただ何となく疑問に思った。

 

「最初は私と文だけだったんだけどね、パチュリーがここに行くって言うから付いて来たって訳」

「まぁ、パチュリーさんの付録みたいなものです」

「ふぅん……そうなの」

「ところで、そこのソファに座って良いかしら」

「構わないわ。紅茶を淹れてくるから、座って待ってて」

 

 アリスがそう言うと、パチュリーはドッシリと座ってしまった。日頃から運動不足故、ちょっとした移動でも体力を使ったのかもしれない。それを見た霊夢と文も、一瞬アリスを見ると、ちゃっかり座ってしまった。

 丁寧に、かつ手際良く紅茶を淹れるアリス。部屋を柔らかな薫りが包み、安らぎを齎す。そのことに幸福を感じ、微笑みを浮かべた彼女は、ティーカップと紅茶の入ったポットを運んでくる。

 

「わざわざすみませんねぇ」

「別に良いわよ。客人をもてなすのは、家主として当然のことだから」

「だそうですよ、霊夢さん」

「何よその目は」

 

 ぶつくさ言いながら紅茶を口に含んだ霊夢は、しかし口内に広がる芳醇な薫りに頬が緩む。上質な茶葉で淹れられた紅茶は、普段は安い茶葉の緑茶しか飲めない霊夢の心を満たすには十分過ぎている。

 

「何か、こうしていると色々なことが割とどうでもよくなってくる気がするわね……」

「大事なことを忘れないのよ」

「分かってるわよ。私だって馬鹿じゃないんだからね」

 

 湯気の上がるティーカップを皿の上に置きながら、霊夢はゆっくり息を吐いた。その吐息は、反対に腰を下ろしたアリスの紅茶の湯気を揺らす。流された白線は、どこかに当たるまでもなく、虚空へと消えていく。

 それを期に、部屋を包む空気が冷たくなった。安息が終わりを告げたように、体感ではない心で感じる静かさは、ある種の不安を掻き立てる。どうにもその冷たさに耐えられなくなったアリスは、三人に向けて絞り出すように声を出す。

 

「…それで、私に何か用事でもあったの?さすがに、わざわざパチュリーに付いて来たってことは、あなた達二人も少なからず私に用事があるんでしょ?」

「そうなんですよ。」

 

 真っ先に口を開いたのは文だった。霊夢とパチュリーは文に説明を任せるようで、何かを口に出すことは無い。任された文は、二度三度頭を掻き、少し躊躇った後に言葉を発した。

 

「率直に聞きます。昨日、魔理沙さんと何かありましたか?」

「昨日魔理沙と……? そもそも昨日は魔理沙と会ってないわよ。」

「本当に……ですか?」

「えぇ。と言うか、ここ二日程会ってないわね。」

「そう……ですか。見当がずれましたかね。」

 

 文とアリス共にキョトンとしてしまい、互いに次の言葉を発せない。訪れた沈黙にアリスは身を捩り、間を埋めるように紅茶を口に含む。

 その紅茶が喉を通るのを確認して、口を開いたのはパチュリーだった。

 

「一つ聞いても良いかしら?」

「えぇ、大丈夫よ」

「それじゃあアリス、昨日は何日?」

「え、き、昨日?」

 

 少し変わった質問にアリスは少し戸惑ったが、間違えるはずがないので堂々と答える。

 

 

「今日は四日だから、昨日は三日でしょ?それがどうかしたの?」

 

 

 

 単純な質問に答えたはずだった。何もおかしいところは無いはずだった。そのはずなのに、訪れたのは静寂そのもの、ただ言葉が消失した。

 

「え、私何か変なこと言った……?」

 

 たまらずにアリスは声を出す。その言葉を聞いたであろう三人は互いに顔を見合わせ、そして深刻な面持ちでアリスに向き直る。戸惑う彼女に代表してパチュリーが告げる。

 

「今日は正確には五日。つまり、アリスの時間は一日ずれているわ」

「え……? な、ずれてる……?」

「そう。おかしな話だけれどね」

 

 目を白黒させるアリス。一人だけ時の流れから外れる感覚は、彼女自身はおろか、他の誰もが感じたことのないもの。理解できないからこそ、三人はアリスの心を晴らすことが出来ない。

 

「なら……なら何で私に昨日の記憶が無いの……?」

「それは分からないわ。分からないけれど、見当は付いている」

「見当……?」

「なるほど、そういうことですか」

「あ、私も分かったわよ。パチュリーが言いたいこと」

 

 口を開いたのは霊夢と文。しかし、その顔は晴れず、何かを渋るかのように曇っている。分かったことに対して、何故そのような顔をするのか。アリスにとって、それはあまりにも不可解で、それでいて心地良いものではない。堪らずに、彼女は半ば叫んでいた。

 

「み、皆で納得してないで、私にも教えなさいよ! そう……妙な顔しないでさ……!」

 

 それを聞いて、三人は再び顔を見合わせる。互いに、何かを決心するかのように頷き合って、アリスに向き直る。心なしか、どこか陰りを見せる霊夢は、ゆっくりと口を開いた。

 

「それは、今から行こうと思う場所に答えがあると思うわ。まだ、私達も確信してるわけじゃないけれど、思った通りなら、アリスにとってはとても辛いことに間違い無いわ。それでも、私たちに着いて来ようと思う?」

 

 紅茶の湯気はまだ止まっていない。その少女に迷いは無かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 真実

 歩いて数分。

言葉にしたら、たったそれだけの移動でも、時に無限を感じることもある。一歩一歩が重い、そんなことを感じることは生きているならば一度や二度はあるだろう。行きたくない、そんな思いは想像以上の影響力を持つ。そのことを頭に置きながら、文はアリスの気を窺う。

 

「足取りが重いですよ。大丈夫ですか、アリスさん?」

「……大丈夫、心配しないで。大丈夫だから、ね……」

 

 ぎこちない笑みを浮かべ、返答した後もアリスは俯いている。確かに、迷いは無い。けれど、その心に体が追い付いていないのは明白であった。

 

「アリス、着いたわよ。目的の場所」

「えっ……? 魔理沙の家じゃない」

 

 霊夢に声をかけられて顔を上げたアリスは、まずキョトンとした声をだした。目の前にあるのは幾度となく訪れたことのある建物で、思ったような所でなく拍子抜けしたからだ。

 何故ここなのか、素朴な疑問を浮かべる彼女は無意識に声を出していた。

 

「何で、魔理沙の家なのよ?」

「ちょっとした訳があってね。ま、その辺も中で話すから、とりあえず入るわよ」

「どうやって?」

「パチュリーが鍵を持ってるのよ」

 

 色々なことが理解出来ない。

 

 

 

 散らかっている、けれどどこか殺風景な、家主の居ない部屋だった。魔理沙のたくさんの私物で足の踏み場もほとんど無い。そんな部屋を、どうしようもなく切なく思ってしまう。

 

「やっぱり、魔理沙は居なかったわね」

 

 あくまで落ち着いた声でパチュリーが発する。適当に部屋を見回しながら、部屋の奥へと進んでいく。そんな彼女に続いて霊夢達三人も進む。四人が入った部屋は途端に窮屈に感じさせ、移動することさえも僅かながら抑制しているような。そんな錯覚が、この部屋にある『何か』から逃げる選択を消した気がした。

 そして、そう広くない部屋の中、その『何か』を見付けるのも容易であった。

 

「これは……置手紙でしょうか?」

「そうみたいね。読んでみる?」

 

 文の見付けた手紙を受け取った霊夢は、それを丁寧に開き、皆が見えるようにテーブルに広げる。

そこには、こう記してあった。

 

 

 

 

 

 

親愛なる仲間へ

私が居なくなって、どれ程経ってからこの手紙が読まれているのかな。きっとこの手紙を読む人は、私が最後に会った誰かだと思う。別れらしい別れを告げられなかったこと、ここに謝らせてもらうぜ。悪かった。

 さて、私は今からアリスの暴走を止めに行くから時間が無い。だから、手短に伝えたいことを伝えようと思うぜ。

 まぁ何だ。お前達に会えて良かったぜ。決して悪くない、有意義な人生の中心には確かにお前達の姿があった。こんな話、全然私らしくないだろうけど、それくらい感謝してる。と言うより、言葉じゃ足りなくて、体じゃ表わせられない程の感謝をしている。

ありがとな!!

お前達の土産話は向こうで聞く。だから、私の知らないことを、どうか体験してくれ。

もう一度、ありがとな!!そして、またな!!

PS:涙拭けよ。笑っちゃうだろ

                         魔理沙

 

 

 

 

 

 その手紙の全ての文字に目を通し終えてから流れ出る感情に気付くまで、霊夢は少しの時を要した。そして、気付いた時にはもう止めることが出来なくなっていた。悲しげに目を伏せる文とパチュリー。手紙の内容に動揺を隠せないアリス。その周りのことなど、今の霊夢には見えていなかった。何よりも二つの目から溢れ出る透明な雫が、彼女の世界を染めていく。

 

「ちょ、ちょっと! 一体どういうことなのよ!? この手紙は何なの……?」

「そのままよ。そして、これが私達の知りたかった真実」

「だから、それはどういう……」

「なら、今から少し説明しましょう。霊夢さんが落ち着くまで」

 

 疑問を浮かべるアリスにそう言った文とパチュリーは、家の外で説明することにした。それは、霊夢に対する優しさの表れか。扉が明確に閉じる音を聞いて、その少女は遂にその場に泣き崩れた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第終話 ある初夏の始まり

 どれ程の時間が経ったのだろうか。気付けばその涙も止まっていた。どれだけ顔が崩れていようと、もう流す涙は枯れている。

 

「さよなら、ね」

 

 失ったかけがえのない日々と儚く消えた思い出、そしてもう二度と会えないであろう面影はある。けれど、立ち止まる選択肢もまた、露のように消えていった。その瞳にはいつも以上の光を灯し、誰もいない部屋の中、静かに顔を上げた。

 

「皆は、外に居るのかしら?」

 

 ゆったりと立ち上がった霊夢は玄関へと歩を進める。そのまま扉を開けると、丁度話が終わったらしき三人が居た。思った通りかアリスの目元には少しの涙が浮かび、他の二人の表情も暗いままだった。

 

「あら、霊夢さんやけにスッキリしてますね」

「当然よ。確かに、この上なく辛くて悲しいけれど、いつまでも立ち止まっている訳にいかないからね」

 

 その急な心の変化に戸惑う三人だが、そんな彼女達もしばらくすると、何かを悟ったように表情が少し緩む。きっと、霊夢という大きな存在の影響は、彼女達本人が思っている以上に強いのだろう。

 皆の表情がいつも通りのそれに近いものになったのを確認してから、パチュリーは自身の思っていることを口に出した。

 

「それで、よ。何故アリスは暴走していたというのかしら?それも、自身の記憶を一時的に遮断してしまう程の暴走をね」

「そこですよね。どう考えても自然発生とは思えませんし」

「そもそも、私自身が原因を分からないのよ。一体何だったのかしら」

「まぁ、自然発生じゃないって考えると、これは誰かの作為によるものよね。それに、アリスだけがこの暴走を起こしているとも思えないのよね…。あくまで私の勘だけどさ」

 

 そこで霊夢は一度言葉を切った。改めて他の三人を見回し、一泊置いて発する。

 

「きっと、暴走を起こす犯人が居る。この勘の通りならば、戦いになることは免れないわ。その戦いですら、命懸けになる」

 

 命懸け。決闘における前提の一つ。そのはずなのに、スペルカードルールが適応されて以降、微塵も感じることのなくなったもの。安全という事実に身を委ね過ぎていたからこそ、そのあまりにも単純かつ鮮明な前提をどうしようもない恐怖に感じる。

 

「最も、アンタ達にはあまり関係無いかもしれないけどさ」

「まぁ、妖怪と魔法使いだから」

「でも、霊夢さんに関わる以上、幻想郷に住む身としては無視してはならないことです」

「博麗の巫女としても。そして、大切な仲間としても、ね」

 

 死というものに限りなく敏感な今、完全に他人事とは思えない。

もう何も失いたくない。何も離したくない。

だからこそ、少女達は決意する。

 

「まだ真実かも分からないけれど、もし真実ならば全力で行くわよ」

「当然ですよ。敵の分も必要ですしね」

「たまには運動も必要よね」

「確かに少し怖いけど、弱音吐いてる暇は無いわよね」

 

 思うこと、言うことはそれぞれ。しかし、目的は一つだけ。

 ただ、一つあれば十分。それだけで、全ての話が付く。

 

「じゃあ……頑張るわよ!」

 

 薄暗い森の中に、その少女達の声が響き渡る。

 その瞬間、小さな物語が動き出す。




これにて『東方覚深記』の序章は終了となります。
ここまで読んでください、ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 例え力が無くても
第一章一話 ある庭師の朝


 早朝。その少女は主よりも早く起きることも有名であり、その日もまた変わらずに主の眠る姿を確認してから己の仕事に就いた。少女は庭師という肩書ではあるが、主の剣術指南役も兼任し、さらには主の食べる朝昼晩の料理も作っており、庭師よりはメイド等と呼んだ方が当てはまりそうな少女、魂魄妖夢であった。

 彼女が住み込みで働くのは白玉楼。冥界にて存在する幽霊の統率を任されている西行寺幽々子の住む豪邸。無論、妖夢の主は幽々子である。

 

「朝御飯、何にしようかなぁ」

 

 裸足のまま木造の廊下を少し速足で歩く。一般的な量よりも多い朝御飯を作るには、一分一秒が惜しくなる。それでなくても、三時のおやつを除いた休憩はあんまり無い位の毎日の仕事量、のんびり等やっていられる訳がない。

 きっと、彼女の一日は今日も忙しい。

 

 

「どうぞ、幽々子様!」

 

 彼女が調理を終えて、運んで来る頃には、幽々子は笑顔で待ってくれている。それは今日も変わらず、妖夢に僅かな達成感を齎してくれた。その御陰で自らの頬も緩めた妖夢は幽々子の反対側に腰を下ろす。二人して合掌し、まだ温かい朝食へと箸を伸ばす。

 

「そろそろ夏ねぇ……」

「……もう夏だと思いますけど」

「そうなの?」

 

 そんな他愛も無い言葉が行き交う。そこには、大きな幸せがある訳ではないのだが、それでもありふれた幸せだけは確実に存在している。

 だが、不穏な話題が上がる日も珍しくはない。ふと真顔になった幽々子は、唐突に切り出した。

 

「そういえば、昨晩位に紫から聞いたのだけど」

「と、突然どうしたんですか?」

「えっと、幻想郷で少し厄介なことが起こっているらしいのよ」

「厄介事ですか?」

「そう、厄介事。詳しくは知らないのだけどね」

 

 そこまで言うと微笑みを浮かべて、再び朝食に向き直る。よく脂の乗った焼き魚の身を箸で取りながら、妖夢に少し悪戯の視線を送る。

 

「厄介事。どんなものか気になっているの?」

「い、いえ、そこまでの興味は……」

「隠したとしても顔に書いてあるわよ、妖夢。むしろ、貴女のことを考えたら、気にしない方が不自然。人一倍正義感が強いもの」

 

 面と向かってそう言われ、少しだけ照れ臭くなる妖夢。少なからず、敬愛する主に評価されたことが嬉しいのだろう。彼女は照れ隠しをするかのように白米を口に詰め込み、噎せた。顔を真っ赤にして胸を叩く庭師の従者をみて少しオロオロする主であった。

 二度三度程咳き込み、何とか回復した妖夢は、先程の話の続きに戻る。

 

「……それでまぁ、確かに気にならないと言えば嘘になりますが、私のやることなんて……。霊夢さんも動くでしょうし」

「貴女らしくないわよ、妖夢。自ら進んで戦いに赴けとまでは言わないけれど、そんなことで尻込みは、本当に貴女らしくない」

「私らしくない、ですか?」

「そう。まぁ、妖夢がやりたいようにしたら良いのよ。主である私は、妖夢の行動に特に制限を設けることはしないから」

 

 そう言った幽々子は味噌汁を啜る。妖夢からは味噌汁のお椀で隠れてその表情は見えない。ただ、きっといつもと変わらない微笑みが浮かんでいるのだろう。無意識に、妖夢は箸を置いて考え込んでいた。

 

「紫の言う厄介事っていうのは、不自然な力の暴走らしいわ。」

 少しの時が経ち、朝食を全て食べ終えた幽々子は妖夢に語り掛ける。

「もう一度言うわ。貴女の選びたい選択をして良いってね。」

 最後にもう一度笑って見せた幽々子は、妖夢に背を向けると何処かへと歩いて行ってしまった。

「私は…。」

 

 その瞳は、壁に立て掛けた一対の愛刀を据えていた。

 

 

 

「行ってきます!!」

 

 元気の良い出発の言葉を耳にした幽々子は、自分しか居ない和室の中で静かに呟いていた。

 

「ごめんなさい、妖夢。けれど、貴女には少しでも長く残っていてほしいのよ」

 

 今の彼女は、心の中で何かを理解していた。それが妖夢に伝わるかは、全くの別の話ではあるが。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章二話 始まりの知らせ

冥界から少女が飛び出した頃、幻想郷にある湖の畔に一人の妖精が立っていた。その妖精にはこれといった固有名がなく、彼女の友達を含めた周りの者は『大妖精』と呼んでいる。この名前ですらも、本来は『妖精の中でも特に大きな力を持つ妖精の俗称』でしかない。傍から見れば相当に不憫であるものの、その妖精本人は気に留めている様子は無いのであった。

 

「ふぅ……」

 

 初夏であっても、朝の湖の水は冷たい。顔を洗えばその爽やかな冷たさで眠気が飛ばされる。続けて体を伸ばすと身も心も完全に回復する。

 

「今日は何をしようかなぁ。まずはチルノちゃんの所に行くとして…。後は、ルーミアちゃんとかも誘って…それから話し合えばいいかな。」

 

 すこし考えた少女は、自分の羽で空気を掴み、ふわりと浮き上がる。快楽的浮遊感に包まれた少女は、森の方へと体を向けると、心なしか風向きが追い風へと変わる。少し湿ってはいるけれど、その風は小さな特別感を運んでくれた。

 

「チルノちゃん、まだ寝ていたりして」

 

 口に手を当ててクスリと笑った少女は、友の元へと急ぐためにその速度を上げた。その場所までは、今居る所からそう遠くない。

 

 

 

「き、今日こそは大ちゃんに見つかるより早く大ちゃんを見付けるんだ……!!」

 

 森の中で一人、鼻息を荒らげて意気込む妖精が居る。まさしくチルノ本人である。この湖周辺の妖精のリーダー的存在で、他のあらゆる妖精の中でも最も強い力を持ち、主に冷気を操ることが出来る。それ故か、彼女の体からは常に冷気が溢れ出ており、夏場等では一部で人気があったりする。

 大ちゃんと言うのはまさしく大妖精のことであり、毎日のように向こうから声を掛けられることに対抗心を燃やしているのだろう。別に、一切気にすることは無いのだが、そんなことを気にするのが妖精故のことなのだろう。

 

「さぁ、どこだー……どこにいるんだー……おぶっ!?」

「きゃっ!?」

 

 よほど探すのに集中し過ぎたのだろう、チルノは目の前に居た女性にぶつかってしまった(おかしな話ではあるが)。そして、尻餅をついたまま噛み付くように言った。

 

「いったぁ~……ちゃんと前見てよ!」

「見てなかったのはどっちよ……」

「あれ?アタイが見てなかったんだっけ?」

「知らないわよ…。それより君、怪我とかしてない?」

「アタイは頑丈だからね、怪我とかしたことないよ」

「それは、羨ましいわね」

「そう言うアンタも怪我してないみたいじゃない」

「流石にあれ位じゃ怪我はしないものよ」

 

 その女性は変化の激しいチルノに半ば呆れながらも、その小さな体を起こしてあげようと右手を差し出した。チルノもその意味は直ぐに理解したのか、何も迷わずにその右手に手を伸ばす。

 もしかしたら、ここが分かれ目だったのかもしれない。もしここで手を伸ばさなければ、何かが変わっていたのかもしれない。けれど、そんなことは今の彼女には知る由もないことだった。

 繋がった右手を中心に、チルノの内側から何かが起こった。その何かは、少しの時も経たずに意識を刈り取り始める。

 

「な……に……?」

 

 あまりの突然の出来事に、もはや疑問を浮かべることしか出来ない。もはや自分が立っているのか寝ているのかも分からない位になったとき、その女性の声があまりにも鮮明に響いてきた。

 

「ごめんなさいね。本当は、こうするためにワザと貴女にぶつかったの」

 

 そこが、限界だった。ブツリ、と世界が暗転する。

 

 

 その変化は唐突に訪れた。森の中で友を探す大妖精も直ぐに知覚出来る程大きな変化、それは彼女にある不安を掻き立てさせる。

 

「何か、急に寒くなった……? い、今初夏なのに……?」

 

 寒さ。夏場になれば、そうそう感じることのない感覚なのに、季節を間違えたかのように現実のものとなっている。

 原因は知らない。心当たりも無い。

 ただ一つ、可能性があるとしたら…

 

「チルノ、ちゃん……?」

 

 もしや、とそう思った時には体が動いていた。

 

「……? 鳥が……逃げてる?」

 

 妖精達の居る森から離れた所に居る妖夢にもその変化は見て取れた。最も、その変化によって起こされた、派生の出来事ではあるが。

 

「きっと、あの森で何かあったって、そう考えるのが妥当よね」

 

 妖夢は少し考える。そして、これから何をするべきか、速やかに結論を出した。

 

「なら、あの森に行ってみるしかない。厄介事について分かることがあるかもしれないし。」

 

 二人の少女は、一直線に突き進む。その先に何が待っているか分からないままに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章三話 変えることの意味

 木の間を通り抜ける度に、身を包む気温が下がっていく。冬と勘違いするほどのそれは風に流され、薄着の大妖精の肌を刺す。

 これ程の冷気を発することの出来る存在に、大妖精は心当たりが無い。彼女が知る中で冷気を生み出すことが出来る唯一の存在であるチルノですら、周囲一帯の気温をこんなにも下げることは出来ないからだ。

 しかし、本当にそうであるのか。先を急ぐ大妖精は疑問を浮かべる。チルノが見せるいつもの力の奥底に、本当は強大な力が眠っているのではないか。それこそ、妖精という弱小な殻を破りかねない大きな力が。

 

「だとしたら……この冷気の中心には、間違いなくチルノちゃんが居る。でも、どうして唐突にこんな力を行使し始めたのかの説明にはならないけど……」

 

 いくらその少女に乱暴なところがあるからと言って、こんなことをする様な性格ではなかったはずだ。むしる、もっと小さな、それでいて無邪気な悪戯に力を使っていた。

 では、彼女に何があったのか。少なくとも、何もない訳は無いだろう。その真実を確かめようと決意した大妖精の目が、少しばかり鋭くなる。

 その直後の出来事だった。自分の周り全方向から硬い石に亀裂が入る様な音が響く。

 それは、変貌の音だった。つい一瞬前までにあった森の景色は消え、代わりに白い氷の世界が構築されている。気温の異常な低下が、まるで日常茶飯事に思えてしまう程、その刹那の変化は現実を離れていた。

 カツン、と氷の上を小さな足が踏んでいる。

 

「やっぱり……」

 

 その正体は、いつも通り水色を基調とした服を身に纏っている。しかし、その瞳は赤く変色し、その周囲に霧を生み出し、あたかも不可侵の領域を作り出しているようだった。

 でもそれは、無邪気さが無くても、あどけなさが消えたとしても……

 

「……チルノちゃん……だったんだ……」

 

 両者の間に沈黙が生まれる。氷が広がる音だけが響き、足を止めた二人はただ見詰め合っている。

 

「チルノちゃん……何が……何があったの……?」

 

 恐る恐る大妖精は口を開いた。変わり果てた友人にことばは伝わっているのか、それとも伝わっていないのか。目の前の存在を、己の友であるか理解しているのか、していないのか。もはや、客観的にはその判断すら出来なくなった友人へ、小さな声を伝える。

 言葉の返しは無かった。ただ、少しの陰りが見えた直後に行動で示された。

 チルノが右手を上げる。それが何かの鍵になったのだろうか。殺人性を宿した透明な槍が形成される。

 

「……ッ!?」

 

 もはや声を挟む隙も無い。大妖精はその場から全力で横に跳ぶ。

 嗜虐的な音を上げ、顔があった空間を槍が貫くのを一瞬だけ見届け、大妖精は倒れた体を無理やり起こし、遮蔽物たる木の陰に滑り込んだ。気持ちを切り替え、臨戦態勢に移る。

 破壊音と共に、第二の槍が木を易々とへし折った。

 

「う、そ……!?」

 

 宙を舞い、刎ね飛ばされた木は地に落ち、氷の大地を粉砕した。パラパラと宙を舞う木片と氷の欠片を浴びながらも、大妖精は瞬きすらも出来なかった。

 歪な切り株を挟み、両者の動きが止まる。

 

「そうか……そうなんだね……」

 

 自虐的な笑みを浮かべた大妖精は、己の服に付くポケットに右手を入れた。

 

「もう、楽しかった時は、遠い昔に置いて来ちゃったんだね……」

 

 もしかしたら、昔も戻って来るかもしれない。けれど、大妖精には、何故かそれが淡い幻想な気がした。そう思わないと自分が消えてしまう、と確信したのだ。

 倒せなければ、自分が消える。

 倒さなければ、自分以外の誰かも消える。

 そう、心に言い聞かせるために。大妖精は、過去を諦めて、目前の存在を『敵』と捉えた。

 

「もう、終わりにしよう。何もかも、あの瞬間も」

 

 確かに、それは自己中心的な考えだけれど。世界一醜い考えだけれど。

 変わり果てたかつての友を、破壊に走る化け物にするよりかは良いだろう。

 それが、大妖精の小さな友情だったのかもしれない。かつての友の口角が、ほんの少しだけ上がっていた。

 ポケットの中から、一枚の紙を引き抜いた。

 

「微風『静かなる風の精』!」

 

 それは、かつての友に勧められて作った、初めてのスペルカードだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章四話 葛藤。そして決断を

「不自然に寒くなってきた……」

 

 鳥が逃げてきたであろう方向へと急ぐ妖夢も、遂にその変化に気付く。まだ肌を刺す程の寒さではないものの、これから進むにつれて寒くなると推測すると、この温度変化は許容出来るものではない。

 

「この森を超えると湖で行き止まり……となると、原因はこの森の中に在るって考えるのが妥当、か」

 

 ふと足を止め、入口よりその森を見る。大きく息を吐き、目を閉じる。

 きっと、この森に入ればもう自分は後戻りしない。振り向く最後のチャンスは今しかないからだ。

 そんなことを悠長に考える自分を、妖夢は思わず嘲笑していた。

 

 

 

 小さな体を中心に弾幕が展開された。その一弾一弾に大量の空気が叩かれ、大太鼓を全力で叩いたような音が響き、巻き込まれた大量の木の枝がへし折れ、宙を舞う。

 スペルカード。

 それは、『殺し合いを遊びに変える』為に生み出された。もし、もしもの話、そこから『遊び』の概念が消えたとしたらどうなるのか?まさしく、ルールすら理解出来なくなってしまったら、一体どうなってしまうのだろうか?

 答えは、至極単純で、

 

(やるんだ……!)

 

 この世に在って良いとは思えない、

 

(息を止めるつもりで…やるしかない……!)

 

 やらなければやられる。そんな、ありふれた殺し合いに変わるのだ。無論、その世界に手加減は無い。

 白一色で統一された弾幕は標的の周囲を囲い込む。本来ならば、余程冷静でなければ心理的圧迫により無抵抗なまま餌食となる。そして一発でも当たってしまえば連鎖的に攻撃を与えられただろう。

 しかし、

 

「……ッ!!」

 

 標的の表情が少し歪んだ直後、弾幕が内側から破壊された。

 

「嘘……でしょ!?」

 

 力技で抉じ開けられたという衝撃が大妖精を包み込む。それでも次の一言を発する時間は無い。

 クダケチレ。そう口が動いた様に見えた時には、氷槍が、ピタリと、左胸に、標準を、合わせていた。アワセテイタ。

 少女は絶叫し、凍り切った大地を全力で蹴る。でも足りない。永久機関のように生み出される槍は立ち止まることを許してくれない。ただ無差別な破壊を巻き起こし、ギロチンの紐を少しずつ削っていくように大妖精を追い詰める。さらには破壊された大地を覆っていた氷や凍りかけていた樹木は地面に散乱し、生死の係る少女の努力を嘲笑うように妨害する。

 

(このままじゃ、こっちがやられちゃう……)

 

 槍の放たれる速度はすでに大妖精の速さを上回り、いくつかの槍は小さな体躯を掠めていた。もはや出し惜しみをしている場合では無い、と今更に確信した少女は、二枚目のスペルカードを引き抜く。

 

「無風『白光の檻』」

 

 その弾幕に動きは無い。静止して、ただ空中に漂う無数の白弾があるだけで、相手を狙うこともしない。

 その変わり、相手の視界も行動も抑制する、白弾による檻であるが。

 苛烈を極めた連撃は、狙いを定められなくなった瞬間に止まる。またしても、その森に静寂が訪れた。

 

「……私とチルノちゃんが初めて出会ったのは、もう何年前になるのかな……」

 

 小さな声が響く。足を止めた少女は、ただ呟く。

 

「楽しかった、な……」

 

 その一言で、別れを告げた気持ちになれた。

 そんなかき消すように、まるで離そうとしないとしているかのように檻が砕かれた。

 それと、最後のスペルカードが唱えられたのに、果たして時差はあっただろうか。

 

「台風『常温の吹雪』……!!」

 

 一昔前のこと、少女はその友人に憧れていた。友人の心の強さに、純粋な実力に、その明るい人柄に、少女はひたすらに憧れていた。

 君が好きだ、と。君の様になりたい、と。

 伝えたくても恥ずかしくて伝えられなかったその一途な思い。それをせめて形にしようと、自分だけでも忘れない形にしようと作った、最高にして最愛の、スペルカードだった。

 全方位、全角度から相手を狙う、正真正銘の弾幕。それは、不可能と呼ばれる寸前の量で、標的を仕留めにかかる。

 しかし、標的も黙ってはいない。無数の槍を射出し、そして振り回して白弾を正確に叩き落す。

 

(抜ける……!)

 

 全てをかけると決めた数秒前に未練は置いてきた。まだ心は死んでいないけれど、残酷になれた数秒前に、過去も置いてきた。

 そして、この戦いの終末と共に、このスペルカードも破り捨てると決めた。例え、何度も復活を遂げられる妖精と知っていても、一番好きな人に牙を向けた自分を、許せないから。

 

(これで、お別れ、だよ)

 

 遂に、固い守りが崩れた。暖かな時の終わりが始まった。

 なのに。

 

「……いやだ。」

 

 大妖精は、そんな声を聞いた。

 

「大ちゃん、と、別れたく、ない。」

 

 それは、ほんの小さな奇跡だったのかもしれない。大妖精を救えることが出来るのに、最後には救うことの出来ない、悲しい奇跡だったのかもしれない。

 冗談みたいな音がして、大地が隆起する。

 

「え?」

 

 色々な現実が重なって、大妖精はなす術も無く打ち上げられた。

 冷静な目で見れば、それはあまりにも巨大な霜柱。地中の雨水を大量に冷凍させた氷塊。そんな物理的なことは、大妖精の目には、微塵も入っていなかった。

 途端に相手は氷塊から冷気を抜き、大質量が液化した。出来上がったのは、黒い、深い、冷たい、大きな沼だった。

 大妖精は動かない。

 

(私には、やっぱり無理だったよ……)

 

 闇の中に吸い込まれる。黒く染まってしまう。抵抗も許されない。

 だからこそ、捨てられない希望もあってしまった。

 

「間に、会え……ッ!!」

 

 沼に浮かぶ孤島の様な切り株を蹴った、緑色をした乱入者がそこには居た。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章五話 変わり変わらぬもの

 トン、と軽やかな音が聞こえた。

 無気力なまま沼の底へと沈むはずだった自分の耳に音が聞こえたと認識するまで数秒。そして、その音が着地音だと理解するのに数秒。さらに、その音の主が自分を抱えていると気付くのに数秒掛かった。

 冷めきった外気の中にある、決して寒くはない人肌。しかし、常人のそれよりは少し冷たい。大妖精の記憶の片隅に、あるものが浮かんできた。

 白玉楼に住む庭師は己の半分が幽霊であるために、常人よりも少し冷たいということが。

 

「あ……あなた、は……?」

 

 微かに絞り出した声で、せめてもの質問をした。

 

「私は魂魄妖夢。ただの庭師です」

 

 薄目を開ける大妖精に目線を合せ微笑み、安心させる様に抱える両手に少し力を入れる。それが、心を擦り減らせていた大妖精にはどれだけ優しいものであったか。自然と瞳から雫が零れる。

 

「何がどれだけ出来るのか、私自身にも分かりませんが……それでも何かを変えてみせましょう。だから……動ける範囲で構いません。どうか、協力してください……!」

 

 こんな自分でもまだ頼られる。まだ必要としている人が居る。

 先の決意は何処へ行ったのか、忘れた自分ではないはずだ。

 ならば、ズタズタの心でもう一度飛び出せ。そう、何かが駆り立てている。

 だけど。それでも。大妖精の心を強く抑制する『恐怖』は、その思いを上からズタズタに引き裂いていった。

 

「……無理、ですよ。どうせ、負けちゃうんですから……理不尽な暴力に、屈するしか手段は無いんですから」

 

 微動だにせず二人を見つめる敵と、真っ直ぐ自分を見つめている妖夢。その答えがどれだけ妖夢を裏切るものか分かっていながら、それでも前に進めない貧弱な自分。

 何が正解で、何が救いで、何が幸福かも分からなくなった大妖精に、妖夢はただ一言だけ告げた。

 

「なら、絶対に私の体を離さないでください。少々派手に動きますから」

 

 言うと、大妖精を支えていた右手を白楼剣の柄に添える。左手一本で大妖精を抱えながら、腰を低く落とした。つまり、臨戦態勢へと移ったのだ。

 

「魂魄家に伝わる家宝『白楼剣』はあらゆる迷いを断ち切る。例え心消えていたとしても、その胸に刻まれている迷いは見て取れる……ならば、私が解放してあげますよ。お二人にとっては赤の他人である、この私がね」

 

 宣戦布告。

 直後の動作は極めて単純。足場の切り株が粉砕しかねない力で強く蹴り出し、一直線に敵へと突撃する。それに対する敵も、あくまで冷静に対処した。

 神速の抜刀術と、鋭利なる氷槍が至近距離で交差する。

 極限の緊張が二人の間の僅かな空間を突き抜けた。

 

「いきますよ」

 

 冷徹な声を響かせた妖夢は、白楼剣と交差する氷槍を大きく弾いた。耳に突き刺さる様な音が響くと同時、無防備な敵の胸の中央にその刃を突き出す。空気を切り裂き、真っ直ぐに胸を捉える一閃は、しかし迅速に生み出された氷の盾に阻まれる。

 刃が中途半端に氷の盾に刺さったことで、今度は妖夢が無防備になる。とっさにその盾に足を掛けて引き抜こうとするが、その一瞬のタイムラグを完璧に狙われた。

 鈍い音と衝撃が側頭部から突き抜け、世界が歪んだ。

 ほんの刹那の間意識が飛んだ。

 

「が、うッ……!?」

 

 思わず出ていたその声が自分のものだと気付いた妖夢は、素早く理解を追い付かせようとする。

 気付いた。自分が今漆黒の沼に落ちかけていることよりも、大妖精が左手から離れていることに。

 

「しまっ……」

 

 目を見開いた妖夢の続く言葉は、着水に遮られる。弾ける様な音がするより早く、妖夢の下半身が黒に沈む。その瞬間を見逃す敵でもなく、沼を一斉に凍結した。

 水よりも膨張した氷は、埋まった体を容赦無く圧迫する。

 激痛どころの話ではなかった。骨が湾曲し、骨盤が歪んだ。

 森の中に少女の絶叫が虚しく響いた。

 僅かに与えられた慈悲なのか、氷は冷気を奪われ、またも漆黒の沼へと姿を変える。しかし、痛みに囚われた体は満足に動かない。何とか浮き出たところで、何を出来る力が無かった。

 ピシッと、亀裂が走る様な音がした。それが耳に入り、顔を上げた時には氷槍が胸の左側を正確に定めていた。

 

「あ、あ……」

 

 明確な死を自覚した。したところで許容は出来ない、が現実は流れていく。

 横合いから何者かが腰に抱き着き、勢いを殺さずに遠くへと飛び去ろうとする。その小さな影は呟いた。

 

「逃げましょう。安全な所まで……!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章六話 氷を溶かす光

 そして、黒い沼の広がる中にその敵は一人取り残された。

 

「…………」

 

 一言すらも発さずに一面の黒を氷に変えて、その上に降り立った。否、一言も発さないというのは間違いで、発せないというのが正しいのかもしれない。

 意識はあるが体が既に自分のものではない。無慈悲なる攻撃を、考えもしなかった行動を最も大切な者へと差し向け、小さな心を踏み躙った。

 難しいことは分からなくても、それが彼女にとっては悪だということだけは理解できた。

 

(どうしたら良いか……分かんないよ……)

 

 その嘆きが世界に放たれることはなく、自分を騙る何かが黙ったまま押し殺す。

 お前に存在の権利は無い。そう世界から決めつけられている様な、絶望的な孤独感に支配されていた。

 助けての思いも世界には届かない。

 

 

 一心不乱に逃げて、無我夢中で遠ざかって、大妖精は気付いたら森の入口に立っていた。

 何故ここまで無事に辿り着けたのかも分からないけれど、とにかく蜘蛛の糸に掴まって生き残った。安堵しても良いのか、落ち着いて良いのか分からない。けれど、どうしようもない敵から取り敢えずは逃げ延びた。

 でも、その先に何がある?

 残ったものは一体何だ?

 どうせ直ぐに見付かる。間も無く極大の地獄がやって来る。自分達ではどうにも出来ない悪魔がやって来る。そうしたら終わる。それ以上も以下も無い。ただ、終わる。

 なら、やることは一つしかない。

 妖夢を離した大妖精は震える声で言った。

 

「逃げましょう……攻撃される心配の無い位遠くに……出来るだけ、見付からない所まで……」

 

 結局、その口から出てくるのはどうしようもない人任せ。自分達が逃げ切ったのなら、他の誰かがあの敵と戦うことは避けられない。その戦うことになった者も、理不尽な現実に嘆き、そして敗北していく。そこまで分かり切っているのに、尚も自分のことを惜しみ自分を優先させた。

 自分はどれだけ下劣な存在なのか。考えれば考える程、思い込めば思いこむ程精神が削られていく。

 これも、友を切り捨てた自分への罰と思えば幾分楽になるのだろうか。

 なけなしの精神力で何とか立つ力を保っていた大妖精。その耳に、聞きたくない答えが聞こえてきた。

 

「逃げろ、ですか……それはちょっと出来ない相談ですね」

「…………え?」

 

 ここで、分かりました、と言われたらどれだけ楽だっただろう。

 自分の醜い言葉を、低俗な意見を、ほんの片鱗だけでも賛同してもらえたらどれだけ楽になれただろう。

 なのに、目の前の存在は、まだ何一つ折れていなかった。己の刀を鞘に戻し、無理やりに圧迫された下半身を確かめる様に解している。

 軽い息を吐きながら、妖夢は大妖精に問いかける。

 

「別に、私は全ての者が戦場に向かうべきだとは微塵も思っていないので、逃げることを非難しませんし、むしろ尊重します」

 

 屈伸を終え、スッと立った妖夢は続ける。

 

「でも、それは貴女の本心ですか?」

 

 そこまで言われて、問われて、心の中で何かが声を上げた。今までずっと何かに抑制され、忘れ去られていた弱い何かが、精一杯の声を上げていた。

 

「そんな訳ないじゃないですか……」

 

 胸の中からその声は、小さくそして力強く硬い殻を破ろうともがく。暴れる。

 言いたいなら言ってしまえ。そんな高い言葉は最初から持ち合わせていないのだから。

 

 

「そんな訳無いじゃないですか!! 逃げたいなんて、最初から思ってる訳無いじゃないですか!! 戦いたくは無いけど、逃げて終わる話じゃないって、痛い程理解してるに決まってる。だったら、どれだけ泥臭くても、逃げるって選択肢だけは残らないって、それだけは理解してるに決まってるじゃないですか……ッ!!」

 

 

 自分がどれだけいい加減で、矛盾していて、醜いかなんてよく分っている。

 それでも、小さな体から、その叫びは世界に飛び出て行った。

 

「逃げたいとも思わない……だからと言って、戦いたくもない……もう、分かんないですよ……だって、あの敵は……私の……友達なんですから……」

 

 世界はそれを、自己の正当化と呼ぶだろうか。その思いをそんな結論で固めてしまうのだろうか。

 それでも良かった。

 それが、大妖精の出した、ちっぽけな本心なのだから。

 

「……よく、言えましたね」

「ふぇ……?」

 

 目元に涙すら浮かぶ小さな頭を優しく撫でながら妖夢は続ける。

 

「貴女は、出来るか出来ないかではない大切なことを知っていますか?」

「するか、しないか、ですよね……?」

「いいえ。今この瞬間に限って言うのであればそれは……やりたいか、やりたくないかです」

 

 大妖精の頭から手が離れる。微かに残る温かさは、震える心を少しずつ溶かしていく。真白の紙に色が広がり、それが絵となるように、心が開いていく。

 

「主人公っていうのは、やりたくないことはやらないんです。自分のやりたい、信じることを貫いてこそ輝いているから。だから迷いも雑念も無い」

「でも、私には今……」

「やりたいことは何も無い、ですか?そんなことは絶対ありません」

 

 まだ気温は低い。初夏であるはずなのに、森の奥からは冷たい風が吹く。二人のスカートを揺らし、外へ外へと流れていく。

 

「だって、彼女は貴女の友達なんでしょう?」

 

 地面を蹴る音がしたと思ったら、目の前に居た少女が戦地へと走り去っていた。

 果たして、自分にも大地を蹴る力はあるのだろうか。

 

「私は……」

 

 それでも、いい加減この風に抗っても良いはずだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章七話 たった一人の剣士

 カツン、と澄んだ音が響く。

 背後を振り返ってみれば、大量の木に隠されて、大妖精の姿は微塵も見えなくなっている。

 

「今度こそ、一対一か……」

 

 先刻の戦いは、大妖精が居たからこそ逃げることが出来た。しかし、その少女は今隣に居ない。両手が自由を得た故に、十八番たる二刀流を行うことが出来るが、それですらも気休めにしかならない。相手は虚空から無限と思える程に凶器を生み出すのだから。

 つまり、持久戦になればなるほど敗北の可能性が高まる。具体的な打開策は何も無いけれど、それだけはハッキリと理解出来ている。

 

「気を、引き締めないとね……」

 

 妖夢は深呼吸をした。

 既に当たりの空気は真冬の様に下がっており、相手が近くに居ることを意味する。刹那が過ぎた瞬間に戦いが始まるかもしれない。極限の状況の中で、ゆっくりと刀に手を掛ける。

 抜刀術には多少なりとも自信がある。

 全ての神経を周囲の気配に集中させ、その瞬間を待ち構える。風が頬を掠めた。

 

 直後、数多の破壊が一斉に到来する。

 

 それは、もはや白い壁だった。氷の槍と槍の隙間をさらに別の槍が埋める。回避等と言う行為は、その破壊の前では無謀でしかない。

 だが、妖夢は冷静だった。数秒の間も作らず正確に状況を判断し、そして解析する。目を細め、右手に握り締めた白楼剣を一気に引き抜いた。

 まず、その刀の峰でもって先頭の槍を粉砕する。手首に鈍い衝撃が走ったが、それを完全無視した妖夢は、空中に漂う氷の破片に視線を移す。楼観剣を握る左手に力が入る。

 そして、幾つもの破片を楼観剣の側面でもって正確に叩いた。叩かれた破片は別の破片とぶつかり合い、互いに予測不能な方向へと散っていく。更に、その破片は飛来する槍を側面から当たることで、その軌道を決定的に狂わせる。

 数多の破壊は一撃すらも妖夢を傷付けることは無かった。

 

「手荒い歓迎ですね」

 

 二刀を構え直した妖夢は、先の攻撃をそう評価した。改めて、この戦闘の無慈悲さを自覚しながら、妖夢は一点を睨みつける。

 その視線の先には、やはり水色の影が居る。容姿だけを見れば、まだ幼い少女。その小さな体に、果たしてどれ程の苦しみを背負っているのか。

 

(友達、か……)

 

 まだ、目前の少女を思う者が居る。

 

(幸せなのね。私が言えることじゃないだろうけど)

 

 自分にも、思ってくれる主君が居る。

 ならば、自分も相手も本当に対等。言い訳は出来ない。正々堂々ぶつかる以外の選択肢は無い。

 もっと言うのであれば、誰も悲しまぬ結末を作ることが出来るのは、

 

(私だけ。そんなの考えなくても分かってる)

 

 先の戦闘で、何か変えると断言したのだ。有言実行は最低条件だろう。

 気合を入れ直した妖夢は、真正面から突撃する。強く氷の地面を蹴り、大きく跳ね上がる。己の身長を超える程跳躍した妖夢は、一つのスペルカードを詠唱する。

 

「断迷剣『迷津慈航斬』ッ!!」

 

 二本の刀を大きく振りかぶり、落下の速さも利用して一気に叩き付ける。その刀は蒼白の光を纏い、見かけ以上の攻撃範囲でもって標的を狙う。

 行動がオーバー過ぎた故、威力はあろうとも寸前で避けられてしまう。しかしそれは想定内のこと。着地した妖夢は曲げた膝をバネに飛び出し、相手に反撃の隙を与えない。

 無防備な相手の胸の中央に強烈なタックルを見舞った。

 小さな体が、まるで木の葉の様に宙を舞う。

 

(このまま、反撃させずに一気に叩く!!)

 

 持久戦でなければ僅かにでも光はある。その光に照らされ続ければ、打開することは可能なはずだ。

 

「六道剣『一念無量劫』!!」

 

 踏み込む時間は無い。そう考えた妖夢は、自分の周囲を高速で斬りつける。その一筋一筋から放たれる弾幕でもって追撃を加えるのだ。

 辺り一帯の景色が光で埋め尽くされる。苛烈な物量で一気に攻め上げることは有効な手段の一つと言えよう。事実、いくつかの弾が敵を捉えた感触はある。だが、その攻撃には一つの弱点があった。

 突然前方から何かが爆ぜた音がする。それはドミノの様に連鎖的に周囲に伝播していき、遂には妖夢の背後からも聞こえた。攻撃を続けながらその状況を考察していたのは、果して正解と言えたのか。

 横槍を入れられるはずの無い過剰攻撃が、強引に外側から崩壊させられた。変わるに待っていたのは相手の弾幕。それも、所々凍りかけた弾幕の破片だった。

 鋭利な刃が、千の方向から襲い掛かる。

 刀を振り回していたままの妖夢では、その防御不能の攻撃を避けることは不可能。

 

 数多の刃が妖夢の肌を、肉を引き裂く。裂かれた緑の服の断片と、噴き出した大量の血飛沫が宙を舞う。人語ですらなくなった少女の絶叫は、弾幕の音によって無残にもかき消される。

 

 カラン、と氷の大地に音が響く。

 己の攻撃で相手の姿を見失うこと。あれだけ短期決戦で仕留めようとしていたにも関わらず、確実な一撃よりも物量に頼ったこと。それが、失敗の理由だった。

 音と共に大地に落ちた二本の刀は、数度跳ねた後に動かなくなる。

 弾幕は全方向から飛んできていたために、派手に吹き飛ばされるなんてことはなかった。ただ、全身を引き裂かれた妖夢に立つ力は残っていない。支えを失った人形の様に、カクリと膝から崩れ落ちた。

 

「あ、ぐ……あ……?」

 

 疑問の声も言葉にならない。どこが間違いだったのかもまだ気付けない。

 

(い、一体……何、があった、の……?)

 

 俯せになり、広く接した氷の大地に体温を奪われていく。それでも原因を掴もうと、首だけをゼンマイ人形の様に動かして必死に探した。

 そして、見付けた。こちらを見下す相手の掌中にある一枚のスペルカードを。

 

(凍符……『マイナスK』……?)

 

 実際に手合わせしたことは無かったが、聞いた話によると、弾幕を急激に冷凍させて生じた弾幕内部と外部との温度差で弾幕を破裂させる弾幕だと聞いた

 つまり今自分に差し向けられたのは、それを限りなく増量したものなのだろう。

 そこまで考えて、ようやく現実に追い付けた。しかし、今更何だというのか。全身から血を流し、起き上がる力の無い自分に、今更何が出来るというのか。

 何故か、笑みをこぼしていた。

 

「未熟、者なの、に、見栄を張るものじゃ、なかった、わ、ね……」

 

 不思議と悲しみが少ない。自分の欠点を自覚して死ねる等と、英雄気取りでもしているのか、分かりはしない。

 けれど、悔しかった。まだ、終わりたくなかった。

 それなのに何もできない自分を嘲笑いながら、目を閉じるしか出来ない自分が、そこには居た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章八話 小さく強い意志

 友達が居て、何てことの無いことで笑い合って、無邪気に遊んだ。そんな、柔らかな日々は、もう帰っては来ないのか。

 もはや心しか無くなった氷精。その心でさえも、地に臥した少女を前に完全に死んでいた。広がっていく赤色を見詰め、それでいて何の手も加えない、冷酷な自分。

 そう、この悲劇を作り出したのは自分。

 希望を砕いたのも自分。

 

(あぁ……)

 

 全部、自分がやった。

 

(アタイは、もう……アタイじゃないんだね……)

 

 まだ性懲りも無く世界に望みを持つ自分が居る。きっと、きっと助けてくれる者が居る、と諦めることの出来ない、どうしようもない自分が居る。

 現実を見ろ。友達は自分で傷付けたではないか。助けてくれる者は、もう立ち上がれないではないか。何度自分に言い聞かせたら良いのだろう。

 全部、自分がやった。

 

 

ぜんぶ、じぶんが、やった。

 

 

もう限界であった。死んだ心が、漆黒に染まっていくのを自覚しながら、もう止めることが出来なくなっている。

支えを失った心は、力に溺れる体を更なる狂気へと導く。大切なものを全て巻き込んで、戻りたかった場所も壊して、ただ暴れ狂う狂者へと変わっていく。

 

 

「ぐッ……く……」

 

 妖夢はその豹変を最も近い所で感じ取った。周囲の気温が暴力的に下がっていく。ピシッ、ピシッと、溢れ出た己の血液が視界の端から凍っていく光景。漂っていた霧は凍結され、結晶となり大地に墜ちていく。

 動かなければ自分は氷の中に閉ざされ、無抵抗なまま孤独に絶え逝く。

 けれど、

 

(動か、ない……)

 

 指先は、痙攣かと思う程度にしか動かず、まともに動かせるのは両の瞼だけ。

 根本的に己の精神が折れており、体力すらも発揮出来なくなっていた。

 頭上では吹雪が渦巻き、凍りついて刃と化した木の葉が舞っている。それらを傍観しか出来ない自分を、心のどこかで許してしまう。それを弱さと認めずに、良い様に変換してしまう自分が居た。

 

(もう、良いんじゃないのかな……私は、十分頑張ったんだから、さ……)

 

 挑んだけれど、未熟で相対するには程遠く、結局は正当化している。

 それが、私なんだ。

 

 

 これが、私の限界なんだ。

 

 

 少女は静かに目を閉じる。思い残しはあるけれど、自分の最期にはこれが相応しい。身勝手にそう決めつけることが、出来てしまった。

 だけど、そんな終わり方を許容して良いはずがない。世界はそんなに優しくもなく、残酷でもない。

 

「妖夢さんッ!!」

 

 音を、視界をかき消す吹雪の中に、こちらを呼ぶ叫び声が聞こえた。閉じていた瞼がゆっくりと開いていき、情報が少しずつ入り込んでくる。

 

「妖夢さん!! 返事してください!! ねぇ!!」

 必死にこちらを呼び掛けてくれるその影は、最初は吹雪に隠れてシルエットしか見えなかった。けれど、そのシルエットだけで特定するのは、とても容易なことだった。

 背中に生える特徴的な羽。幼さを惹きたてるワンピース。

 

「な、んで……?」

 

 自分が戦場から遠ざけたはずの少女、大妖精がそこには居た。

 吹雪の猛威を両手で何とか防ぎ、懸命にこちらに向かってくる。

 

「何で、ですか?貴女が言ったからですよ。『やりたいことをやれ』って!!」

 

 真剣な顔をして、大妖精は妖夢と狂者の間に割って入る。二本の足で氷の大地を踏みしめ、妖夢を庇う様に立ちはだかる。

 しかし、妖夢に見える足は震えている。恐らく、とてつもない恐怖を背負って立っているのだろう。

 

「早く、にげてください……貴女なら、まだ、間に合うでしょうから……」

「……貴女の言葉を使わせてもらいますよ。それは出来ない相談です」

「何で……!」

「だって!!」

 

 妖夢の言葉は叫びにかき消される。まるで、この絶望を全て覆すと言わんばかりに大妖精の意志は揺るがない。

 

「私はもう逃げないって決めたんです! 例え戦う力が無くたってもう逃げないって、そう誓ったんです!! 解決する手段が他者任せの最低なものだとしても、せめてその方の盾になるって決めたんです!! 大好きな友達を救いたいから、私は貴女の隣に立つって決めたんですから!!」

「私の、隣……?」

 

 大妖精は遠回しに告げていた。私達の為に戦ってくれ、と。

 傍から聞けば、それは本人が言った通り最低な発言だろう。最も危険な場所に自ら立つことを拒んでいるのだから。その気になれば、失敗したとしても、全ての原因を押し付けることだって出来る。

 それを知っていながら、大妖精は妖夢に告げているのだ。

 戦ってくれ、と。

 

「全てが終わった時、私は『悪人』と評されたって構わない。それで、友達が……チルノちゃんを救えるのなら、私は私を殺したって構わない。だから、戦ってください……! お願いします……お願いします!!」

 

 沸々と、心の奥底で何かが沸き上がるのを妖夢は自覚していた。

 目の前の少女は、一度ズタズタに打ちのめされ、散々弱音を吐いて、それでも自らの品位を殴り捨ててここまで来たのだ。

 自分はどうだ?格好付けて講釈垂れて、自分の不注意で傷を負ったら何もかも諦める?

 愚かにも程がある。何も出来ない未熟者なのに、何を傲慢な態度をとっていたのか。のうのうと死のう等、罪を償わずに逃げる様なものではないか。

 

「私は、どうやら、勘違いをしていたようですね」

 

 償うチャンスは目の前に転がっているではないか。立ち上がることが、第一歩。

 体力はまだ戻らない。けれど、気力なら十二分にある。

 

 立てる。立ち上がれる。絶望に屈するのは、もう終いにしよう。弱い自分は心の奥に押し込んだ。

 

 キン、と握り締めたことで大地に当たった刀が音を鳴らし、それを合図に血塗れの体躯がゆっくりと起き上がる。

 

「行きましょう。だから、援護を頼みます」

「分かりました。これで、決めましょう」

「勿論ですよ」

 

 それ以上の会話は要らない。湧いてくる勇気に、己の力の高まりを感じる。変えてやる、その意志に応じて瞳の色が青く光る。

 救う者達と救われる者が正面から激突する。

 




今更ですが、良ければ感想もよろしくお願いします。
アドバイスやらなんやら、色々お待ちしております!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章九話 夏場の寒冷は終わりゆく

 咆哮が響く。喉の奥から叫んだ氷精は、周囲を更に残虐な空間へと変えてしまう。体を叩く風は強烈な冷気と氷によって殺人性が宿り、容赦無く妖夢と大妖精に襲いかかって来る。逃げ場等無い圧倒的理不尽。それは、不可能弾幕(インポッシブルスペルカード)と言っても何の過言も無い。

 だからどうした。もはや、二人はその程度で止まることを知らない。

 

「向風『アポジションカーレント』!!」

 

 大妖精を中心に新たな風の流れが生まれる。単純な風力だけでな、霊力の籠ったその風は、襲い掛かる無数の破壊を的確に退けていく。傘で雨を遮るように、二人への被害は極限まで減らされていく。

 大妖精は直接戦を行いはしない。だが、主に戦う妖夢の為に、安全な位置から最高にして最大の補助を行うと決めている。いくら相手が狂気的な力を振るっていたとしても、根底にはあの友人の影がある。どんな攻撃であっても、大妖精になら分かる友人のクセが混ざっているはずだ。そこを突けば、かなりの力量差を埋めることは不可能ではないはずだ。

 それを理解したのかは分からないが、氷精の目が細くなる。

 

「跳んでください!! 攻撃パターンが変わりますよ!!」

 

 その小さな変化に気付いたのは妖夢。叫んで知らせた妖夢もまた、一瞬の隙を突いて前に大きく跳び出す。慌てた様に飛んできた氷槍を白楼剣で弾き飛ばし、氷精への距離を一気に詰める。

 変わりかけたパターンは再度大きく変わる。分かりにくい猛吹雪なんてものではなくなり、もっと単純化され最適化され、それでかつ分かりやすい破壊を生み出す槍の乱打へと。

 

「天星剣『涅槃寂静の如し』」

 

 小さく妖夢は呟く。それだけで辺り一帯の空気に緊張が走る。大妖精や氷精が知覚した時には時の流れが変わっていた。妖夢の眼光が鋭くなるにつれ、周囲から音が、色が消えていく。

 緩やかに流れる時の中で、妖夢は全ての攻撃を見切った。

 空を一閃が薙いだ瞬間に、破壊の乱打が正確に放たれた弾幕によって次々に撃墜していく。攻撃を放ち終わった瞬間に全ての変化が元に戻り、大量の破砕音がする。砕かれて宙を舞う破片は光を反射して幻想的な光景を生み出す。それはオアシスの様に、張り詰めた心をほんの少しだけ溶かした。

 しかし、安心はしていられない。景色に見惚れることのない氷精は第二波の展開を開始している。

 

「追風『無色軟強な壁』!!」

 

 攻撃を妖夢に裁かせていてはことを進めることは出来ない。その判断から大妖精は最大の支援を行う。この場の全ての風が妖夢の背中を押すと同時に、風に逆らう氷槍は失速し地に墜ちる。重量ある氷槍は氷の大地と共に遠くへと音を響かせていった。

 その音は合図。全ての障害を乗り越えて、絶対勝利の間合いに詰め寄った合図だ。

 

「貴女には多くのことを学ばされましたね」

 

 低く重心を落とし二刀に全体重を乗せる準備を進めながら、妖夢は静かに語り掛ける。

 

「私達が学んだこと、改めて友達から聞いてください。きっと、貴女の光になる」

 

 下手な美辞麗句なんて要らない。綺麗事なんて無くて良い。

 

 妖夢は決着のスペルカードを叫ぶ。

 

「空観剣『六根清浄斬』ッ!!」

 

 轟音が炸裂した。

 あれだけ苦しめられた、氷精の小さな体がいとも簡単に宙に刎ね飛ばされる。その体が地に臥し、聞こえてきたのは安らかな寝息だった。

 それだけで、二人が理解するには十分だった。

 

 のだが、

 

「わ、わっ!? 地面溶けて……!?」

「能力が強引に解除された影響でしょう!! チルノさんを!!」

「は、はいぃ!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章終話 終わり、そして始まる

 夏の昼前。段々と気温が上がっていく何とも憂鬱になりやすい時間帯。しかし、先の異常気象のおかげか暑いとまではいかず、心地の良い温かさが周囲を満たしている。

 地面は泥沼と化している為に、大妖精は大木の枝の上に座っている。その傍らでは、どうしても救いたかった友達が、体を大妖精に預けて静かな寝息を立てていた。

 ふわりと柔らかな風が頬を撫でる。葉が揺れ、テンポの良い音を奏でていく。

 

「風って、こんなにも穏やかなものだったんだね……」

 

 無意識に大妖精は呟いていた。ほんの数分前までの争いがまるで幻想であったかのように、そこにはただ平穏が流れていた。

 

「ん……」

「あ、起きた?」

「……大、ちゃん?」

 

 まだ状況を掴めない。そんな表情の友達の声が聞こえただけで、大妖精は心が温かさで満ちていくを感じた。

 先の戦いは色々なことがあった。何一つ幸せだと思えることは無かったけれど、それでもこの結末に悲しむ者は居ない。取り返したものは、いつものありふれた日常。

 それが、何よりも大事に思えた。

 

「な、何が……アタイ、どうなって……?」

「大丈夫、安心してチルノちゃん」

 大妖精はチルノに面と向かって伝える。

「もう、終わったから。苦しむことも、悲しむことも、もがくことも全部終わったから。だから、安心して大丈夫だよ……チルノちゃん!」

 

 たったそれだけの言葉では全てを伝えることは出来ない。

 けれど、それ以上の言葉もまた必要無かった。

 

 

 

 

「……良かった」

 

 少し離れた場所で妖夢は二人を静かに眺めていた。

 何とかする。その約束を果たしたと言って良いのかは分からないけれど、それでも何かを変えられたのは確かだろう。その事実に妖夢は安堵の息を漏らす。

 

「服、ボロボロになっちゃったな……」

 

 彼女達の問題は解決したけれど、まだ異変の問題を解決したとは思えない。その幸せに浸り続ける時間は無いのだ。

 と言っても、たくさんの氷の刃に引き裂かれた服装で行動するのも気が引ける。だからと言って、白玉楼まで戻っては、幽々子に解決したと思わせてしまうだろう。

 妖夢だって女の子、身嗜みはとても重要なのだ。

 

「どうしよ……人里なら代わりに着れる服を売ってたりするかな?」

 

 服が変わればきっと気持ちも変わる。そう考えた妖夢は人里に向かうことにした。

 

(動きやすい服があると良いなぁ……きっとこれからも着ることになりそうだし、丈夫さもポイントかも)

 

 急ぎたいものの、ちょっと疲労が激しい。走ったり飛んだりして行きたいが、体力的に歩くしかなかった。

 それが失敗だったのかもしれない。

 泥の大地を踏む不快な足音が耳に響いてきた。

 

 

「おめでとう。どうやら無事に解決させたみたいね」

 

 

 聞いたことの無い声。その声には何の善性も無く、むしろ実験台のネズミに向けるかの様な哀れみのある声だった。

 

「誰ですか……?」

「その質問は何を求めているのかしら?私の名前だとするのなら、浅茅(あさじ)撫子(なでしこ)よ」

 

 足を止め、その女性に向き合う。それだけでなく、妖夢は少し身構える。

 

「そんなに警戒しなくて良いわよ。貴女から何かしない限り、私は何の干渉もしないから」

「私に何の用ですか? 何も無しではないのでしょう?」

「そうね。ちょっとした告白と助言と言ったところかしらね」

 

 刀を構える妖夢に睨まれても余裕の態度を崩さない撫子は、何の悪気も無く言ってのけた。

 

 

「さっきの出来事の原因だけどさ、私なのよね」

 

 

「……え?」

 

 予想を超えた告白に、思わず絶句してしまう。何か言わないといけないと思いながらも、何を言うべきか見付からない。少しでも下手な発言をするだけで踏み込んではいけない領域に入ってしまうような感覚に襲われる。

 

「ど、どういう……?」

「そのままよ。彼女の力を暴走させ、無益な災禍を生み出したのは私ってこと。そこまで難しい話ではないはずよ?」

「何で、そんなことを……?」

「簡単よ」

 

 まるで、世界のルールを口に出すように、撫子は言ってのける。

 

「悪役になるため、たったそれだけのことよ」

「悪役に、なる……?」

「ええ。正確には、『私が』というよりも『私達が』の方が正しいけれど」

 

 今までにも、この幻想郷には様々な異変があった。そして、妖夢本人が起こす側だったこともある。

 けれど、自ら悪役になろうと思った者は、妖夢の知る限り一人も居ないはずだ。全員自らの善に従い異変を起こしたはずなのだ。

 けれど、目前の少女はその善すら捨てているのだ。

 

「悪役になるって……何で? 何の利益も貴女には無いんですよ!?」

「理由を知りたいのなら、私達の起こす異変を解決した後に教えてあげるわ。大丈夫、この世界は正義が勝つ様に出来ている。必ず解決するから」

「じゃあそもそも何で異変を!?」

「全部終わって教えて上げる。その為の助言もしてあげるから、頑張って解決しなさい」

 

 ふっと撫子は笑みを浮かべる。まるで、全て思い通りに進められていると言わんばかりに。

 




これにて東方覚深記第一章は終了です。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
感想やここまでのストーリーへの質問を大歓迎しております!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 過ぎ去った別れの先に
第二章一話 船頭と上司


 舟と言うのは便利なもので、岸に繋げておけば流されることも無く良い感じに揺れる。言うなれば揺り籠の様なものだ。三途の川の畔で小野塚小町はいつもの様に横になってウトウトしていた。サボタージュとも言う。

 

「にしても、平和だねぇ……」

 

 働き者が聞けば大激怒しそうな状態と言葉ではあるが、そもそも彼女はそんなことを一切考えずにただ単にダラダラしていた。

 しかし、そんな小町とて単なるバカではない。一見無防備なこの格好だが、それでも警戒心最大にしていつでも察知出来るようにしている存在が居る。

 例えば、まず挙げるとしたら上司である。同様に背の低い上司、緑髪の上司、怒りっぽい上司、説教臭い上司、案外優しい上司も挙げられる。全部同一人物であるが。そんな上司は今の様に仕事の疲れを癒している(サボタージュ)と突然現れてお説教してくるのだ。

 例えばこんな感じに。

 

「小町」

「ふおぉう!? え、映姫様!? い、一体どうしたんですか!?」

「どうしたもこうしたもありますか。目を離すと直ぐにこうなんですから……ね?」

 

 警戒とは何だったのか。筒抜けじゃないか。等と文句を浮かべても時既に遅し。何やら黒い笑みを浮かべる上司、四季映姫を前に高速で正座に移行する小町。この辺だけは良く出来た部下である。

 対する映姫はと言うと、浮かべていた黒い笑みも束の間、いつもの様な真面目な顔に戻る。そんな些細な変化に反応した小町に対して映姫は言う。

 

「まぁ、サボタージュのことは後日みっちりしっかりとことん説教しますが……今日は少しばかり頼みがあって来たのです」

「頼み? あたいに、ですか?」

「勿論です。小町なら安心して信頼できますからね」

 

 意外にも信頼してくれていた、と言う勝利の笑みをグッと堪え、続く話を聞く。

 

「頼みと言うのは、霧雨魔理沙を見つけ出してもらいたいのです」

「……はい?」

「ですから、霧雨魔理沙をですね」

「いえ、それは分かったんですが……でもどうしてですか? 別に寿命が来てる訳でもないですよね?」

「はい。そんな至極単純なことでなく、もっと深刻なことです。先程、寿命の管理を行う死神の方から申し出がありました」

「どんな申し出ですか?」

 

 小町が真剣に話を聞いているのを確認しながら、映姫は更に続ける。

 

「昨晩を最後にこの世界から『霧雨魔理沙』と言う存在が完全に消失した、と言うのです」

 

 思わず小町は怪訝な顔になる。それも無理のないことで、『存在が世界から完全に消える』と言うのは、絶対に有り得ないからだ。

 通常、人及び生ける者はこの世かあの世のどちらかに属している。特異な例として、輪廻転生の輪から外れた天人が挙げられるが、天人は天界に属している。つまり、必ずこの三世界のどこかに個人は存在していなければおかしいのだ。

 

「え、映姫様? それは何かの勘違いだったりしないんですか?」

「残念ながら。私も最初は半信半疑でしたが、しかとこの目で確認しました。名簿のどこを探しても彼女の名は記されていなかったのです」

「なるほど……映姫様が本当と仰るのなら、やはり間違い無いんですね」

 

 ゆったりと小町は立ち上がり映姫に背を向ける。先程までの表情は何処へやら、その瞳は何かを真っ直ぐ捉えていた。

 

「仮にあたいが魔理沙を見付けられなかったとして、彼女の処遇はどうなるんですか?」

「まだ決定はしていませんが……可能性としては『形式上の死』が第一になります」

「他の可能性は?」

「『最初から全ての世界の何処にも存在していなかった』です。つまり、魔理沙の存在は幻想だったと結論付けることですね。いずれにせよ、到底許容出来るものではありませんがね……」

「なるほど……」

 

 更にその目を細める小町。そんな小町を見て申し訳なくなったのか、その小さな体を更に小さくした。

 

「無理難題を頼んでいるのは十分承知しています。それでも、黙っている訳にはいかないのです。それに……」

「皆まで仰らなくても大丈夫です。全て理解しましたから」

「いや、その私は頼みをしているだけなので、その、理解が必要な程深いことは何も言ってないのですが……」

「つまり、映姫様は心の整理を付けられていないのでしょう? 誰よりも死を見詰め、向き合ってきたからこそ、知り合いのこのような終わり方を拒んでいるのでしょう? 貴女は閻魔である前に、あたいと同じで心の有る一人の存在に過ぎないのですから」

 

 映姫に振り返った小町は無邪気にも笑って見せた。

 そう、この話を初めてから小町の目は、悲しげな映姫の姿をあまりにも鮮明に映していたのだから。誰よりも映姫と共に居る時間が長い彼女だからこそ、その様子を見逃す訳が無かった。

 慣れた手つきで岸から舟を離した小町は再び映姫に背を向ける。

 大鎌と小町だけを乗せた舟はゆっくりと流れ始めた。

 

「必ず見付けてみせましょう。ですから、どうか吉報をお待ちあれ」

 

 霧深い、先の見通せない奥の世界へと進み行く死神の舟。その舟以外の浮上を禁ずる三途の川の上の孤独を、果して映姫に理解出来るだろうか。

 

「お気をつけてください。油断は大敵ですよ!!」

 

 小さな体で精一杯の声を送る。

 その答えは背中越しに立てた親指だった。

 

「いってらっしゃい。貴女の吉報をお待ちしていますよ、小町」

 

 もう一度、誰にも聞かれない声で映姫は声を送った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章二話 涙の後、始まりの行動を

ちょっとしたお知らせ。
この第二章はこの話より試験的に地の文に改良を加えることにしました。
具体的には、今までは第三者からの視線を中心に、たまに登場人物に移入する書き方でしたが、この話からの第二章は完全に一人の登場人物の視点から話を進めていきます。



 霧雨魔法店で泣きじゃくって、一致団結したまでは良かった。仲間を失ったことは良くなかったけれど、それでも前を向いて歩き出そうと誓ったのだ。

 もう一度言う。そこまでは良かったのだ。

 

「……で、これからどうするんですか? 何か手掛かりと言えばアリスさんしか居ない現状ですが、肝心のアリスさんは記憶を飛ばしてしまった様子ですし」

「……悪かったわね」

 

 困った様に文が言い、申し訳なさそうにアリスが言った。

 そう、今の私達には何の手掛かりも無いのだ。何となく、これは外来人の起こしたものだと思っているが、まさかこの魔法の森だけの出来事とは思えないから、この魔法の森を無闇に探索するのは無駄に思える。

 

「どうしたものかしらね。霊夢は何か考えがあったりするのかしら?」

「あったら困ってないわよ。気を持ち直したとは言え、そう頭が回転するような気持でもないし……とか言い訳して停滞する時でもないし……」

 

 パチュリーに聞かれて答えてみたものの、本当に何も浮かんでこない。魔理沙の為に動かなければならないのに、こうしている時間がとてももどかしい。刻一刻と時間は過ぎていくのに、私達の時間はずっと止まったままなのだ。

 

「誰かに協力を仰いだりしたらどうでしょう。もしかしたら芳しい情報を持っている方も居るかもしれませんよ。あまり言いたくありませんが、既に他の被害が出ている可能性も否めない訳ですから」

 

 少し深刻な面持ちで文が口を開いた。

 確かに、この異変が何者かの作為的なものであるのならば、第三者が新たな被害者になる可能性は非常に高い。協力を仰いでこの件を広めれば被害を未然に防ぐことも出来るかもしれないし、被害が起こってしまったのなら片っ端から解決していけばいずれ真相に辿り着くことが出来るかもしれない。後者はあまり好ましくないけど。

 

「そうね。誰かに知らせに行ったりしましょうか」

「だったら、まず紅魔館はどうかしら。今朝私は出掛けるとしか伝えていないから、一から事情を話すことになるけれど」

「問題ないでしょ。パチュリーが居るんだから理解を得るのは簡単でしょうし」

「なら、まずは紅魔館ですか。そうと決まったなら急ぎましょうかね」

 

 そういう訳で、まずは紅魔館に行くことになった。当主であるレミリアは昼間の外出は厳しいため協力を取り付けることは難しいけど、メイド長である咲夜なら何とかなると思う。

 

「あの、急ぎたいところ失礼するのだけど、今の私は飛べないと思うのよね」

「え、何でよ」

「朝から魔法を使うとすごい疲労に襲われるの。多分、今のまま飛んだりしたら疲労困憊で倒れてしまうわね」

「大丈夫なんですか? さっきは何とも無かった様に見えましたが、まさか演技だったり?」

「演技じゃないわ。霊力を使わない日常動作なら難なくこなせるだけなの」

 

 少し体を小さくして申し訳なさそうに言うアリス。

 これは少し痛いかもしれない。時間を争う中、四人で揃って歩いていくのは致命的なタイムロスだから。

 

「最悪、私は霊力が正常になるまではここで待機しておくけど」

「それは、もう一度襲われる可能性を考慮しているの?」

「それは……」

「もう、この幻想郷に安全な場所は無いと言っても、何も過言は無いの。貴女に口封じが来る可能性は極めて高いのよ」

 

 いつになくパチュリーは真剣だった。ぼんやりとしたいつもと違うその雰囲気に、少しだけ私は圧倒されていたかもしれない。

 やっぱり、失うということは心に変化を齎したのだろうか。

 

「……分かったわ。もうそんなことは言わない。でも、歩きだとかなりの時間が掛かることは確かよ」

「大丈夫ですよ。幻想郷最速である私が負ぶってあげます」

「それはそれで心配ね」

「でも、それしか手段はないのよね。仕方無いけど、アリスには我慢してもらうしかないわ」

「心配なんて冗談よ。文の行為に甘えるとするわ」

 

 話は纏まった。行動指針も決まった。

 後は行動を起こすだけだ。これ以上の悲劇はもう見たくない。

 けれど、現実は何一つとして甘いものではなかった。聞きたくもない異分子の声が私達四人の耳に突き刺さった。

 

「あはっ、やっぱり釣れちゃったよね。『博麗の巫女』さん?」

 

 本当の意味で、私達はまだこの異変を理解出来ていなかったのかもしれない。

 




霊夢、アリス、パチュリーの口調ですが、区別が付きにくいものになってしまいました。申し訳ありません。
自分で口調に明確な区分を付けられる様になったら改良をしていくので、それまでは温かい目で読んでいただけると幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章三話 敵対的な少女

「誰……?」

 

 その声は誰が発したのだろうか。もしかしたら私かもしれないし、私じゃないかもしれない。それ位、空気に溶け込んだ小さな声だった。

 

「誰かって? 知りたい?」

 

 その少女はとても無邪気に尋ねてくる。まるで私達を試すかの様に、笑みを浮かべて尋ねてくる。少女自身には何の悪意が無くても、問われている私達としては背筋を撫でられる様な不快感を誘ってきた。

 果たして、何も隠さずに返答して良いのか。それすらも分からない。

 分かっていることは、不味いということ、ただそれだけだった。

 

「あれ、急に黙っちゃってどうしたのさ」

「……どう答えたものか、考えているのよ」

「へぇ、普通に聞けばいいのに。アンタの名前は何ですかって。今はそこまで警戒しなくても大丈夫よ」

「なら聞くわ、アンタ誰よ。わざわざ私達の前に出てきたってことは、何の関係も無い通行人ってことは有り得ないでしょ」

 

 私は敢えて強気に出ることにした。文やアリス達も私に任せる様で、私の斜め後ろで浅い呼吸音を響かせている。

 

「そうだよねぇ。そう思っちゃうよねぇ」

 

 挑発的に、それでも無邪気に少女は笑う。

 

「私は酸漿(ほおずき)(なつめ)。言うなればお姉さん方の敵であり、お姉さん方が一番求めている存在かな?」

「私達が、求めている……?」

「んー、求めているって言うのは間違いかな? 正確には憎んでるの方が正しいかも。どちらにしても、倒すことを望んでいることに間違いないんだから、そのために求めてたり……あ、日本語がおかしくなっちゃったな」

「ちょっと、憎んでるってどういうこと?」

「少し考えたら分かるよ。気付いたら最後、ここは恨みと殺意と血の混じった修羅場と化すだろうけど」

 

今度こそ、その少女、棗は悪意に満ち足りた顔で笑った。心を逆撫でして、自分の思い通りにことを進めようとしているのか。たった一人で私達に相対する棗の顔からは、全ての善性が消えている。

 緊張を深める私の耳に、小さな声で文が話しかけてきた。

 

「……霊夢さん」

「……何よ」

「……気付きましたか? 私達が彼女を恨む理由を」

「……おおよその見当は付いてる。だけど、それをはっきり言って良いのか分からないの」

「……どのみち、彼女は言うでしょう。その時に理性を保つことが重要です。興奮して争いになれば……」

 

 改めて文は私達を見回す。

 射命丸文、パチュリー=ノーレッジ、アリス=マーガトロイド。そして私、博麗霊夢。

 自惚れるつもりは無いけれど、ここに居るのは幻想郷きっての実力者だと思っている。けれど、文はそんな生温い言葉を言ってはくれなかった。

 

「勝ち目はありません。よほどの奇跡が無い限りは、ね」

「……そう」

「……だから、冷静にことを運びましょう。棗さんの思い通りにしないように」

 

 見ると、アリスとパチュリーも視線だけをこちらに向け、目で頷いていた。

 今までに無かった緊張が、言葉では表せられない感覚が私達を支配する。相手はたった一人だというのに、単純でかつ不明確な事実が私達を拘束している現状は、こんなにも厳しいものなのだろうか。

 沈黙を決め込んだ私達に棗はつまらなそうな顔を向けてきた。

 

「……おもしろくないなぁ、黙り込んじゃって」

「生憎と、こっちも様子を窺ってる状況なのよね。迂闊に喋ると思ったら間違いよ」

「そっかぁ。まぁ、迂闊に喋らないって言ったってことは、私が恨まれている理由は分かってるってことだよね」

「……」

「黙秘、かぁ」

 

 少しだけ残念そうな顔を浮かべたけれど、間を置かずしてその表情も消える。代わりにつまらなそうな顔を浮かべながら言った。

 

「ま、良いさ。お姉さん方が何しようたって居なくなった人が戻って来る訳じゃないし、私には何の害も無いし」

「居なくなった人……?」

「あ、やっぱり喰い付くよね。分かってるくせに分かってないフリしてさ」

 

 その言葉に反応したのは、果して正解だったのだろうか。

 そんな問の答えは分からないけれど、棗の反応を見てみる限りは良かったとは思えなかった。そして、思った時にはもう気付いていた。

 きっと釣られた魚の様に相手の思うままのレールに乗せられる、と。

 

「そうよ。名前は忘れたけど、黒い魔法使いのことよ。お姉さん方がここに来た原因なんでしょ、その人の消失」

「……正確に言えば、真実を知るため、だけど」

「ふうん。何にせよ、お姉さん方も暇だよねえ。たかが一人の為にここまで来るなんてさ」

 

 たかが一人。

 きっと、それは安い挑発だったのだろう。下手な子供騙しで、だけれど確実に怒りを買うことの出来る安い挑発だったのだろう。

 冷静になれ。

 言葉にするのは何よりも簡単だけれど、実行するとなれば話は変わってくる。

 私は、いや私達はその安い挑発を耳にして、あの面影を愚弄された瞬間から、何かの堰に亀裂が走るのを自覚した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章四話 引き金

今回グダってます。申し訳ありません。


「何が……何が、たかがよ」

「だって、私にとっては路傍の石位の存在だし」

 

 何も悪気は無く、それでかつとてもつまらなそうに棗は言い捨てた。

 確かに、棗にとってはその程度なのかもしれない。けれど、私達にとってはその存在はあまりにも大きすぎているのだ。

 だから、馬鹿馬鹿しくても惨めでも、そう言われることが許せなかった。

 

「と言うか、あの魔法使いも面白いよねー。えらくムキになっちゃってさ」

「どういうこと?」

「『アリスを汚したお前だけは、絶対に許さない』だったっけ? すっごい剣幕浮かべてさ。善人気取りか何だか知らないけど、あんなに必死になるもんかね」

「私を、汚したって……」

「あ、お姉さんがアリスだったの? ごめんねー、今朝から違和感あるでしょ?」

「違和感って……私は霊夢達にしか言ってないわよ。何で、アンタが知ってるのよ」

「さぁ、何でかな。ま、いずれ分かるから何の副作用とか言わないけど。それより、だよ。今こうしてお姉さんはピンピンしてるんだよ? それで十分なのに、わざわざ私に挑んでくるとか、何ヒロイン気取ってるのかっての」

 

 ふと、アリスの方を振り返ってみた。両目を見開いて、口元は僅かに震えている。

 何か、決定的に危ない。このまま何も触れないままだと、今のままなら耐えられる限界を易々と超えてしまう様な、底なしの危険がそこにある様に思えた。

 同時に、それは止められないことだと確信した自分も居た。

 止めることは無謀だ、と。アリスの思いはそんなに軽くない、と。

 確信し、理解しても認めたくはないけれど。

 

「魔理沙は……気取りなんかじゃない……」

「気取りでしょ」

「違うッ!!」

「アリス落ち着いて!!」

「落ち着いてるわよッ!!」

 

 涙混じりの瞳がこちらに向いた。

 普段見せることの無い激情を表したアリスが、明らかな憤怒を剥き出しにしている。

 私達と棗に向けているであろう明確な怒りは、私達へのそれよりもアリス本人に向けられているのだろう。

 

「もういい。アンタがそう言い張るなら、その汚い口を潰してあげる」

「出来るもんなら」

 

 それ以上の言葉は無かった。

 アリスは私達を取り残して静かに告げていた。

 

「蒼符『博愛の仏蘭西人形』」

 

 五人の気配しかしなかったこの空間に、突然多数の気配が浮かび上がる。まるで生きているかのようなその存在達は人形、アリスに操られる奴隷達だ。

 私や文が何か言うより早く、圧倒的な光弾が視界を埋め尽くす。人形から放たれる弾幕は周囲一帯を戦場へと変えていった。

 

「不思議な力だよね、こういうの。もっとも、この次元に収まる様じゃダメだけど」

 

 憎らしく笑いながら言う棗を目にして、心の中の何かが切り替わる。

 勝てない、そう思いながらももう後戻りは出来なくなってしまった

 

「こうなったら自棄です!!」

「仕方ない、わね……」

「アリスの馬鹿……ッ!!」

 

 思い思いの言葉を吐きながら、私達もそれぞれのスペルカードを宣言する。

 

 風神『風神木の葉隠れ』

 火符『アグニシャイン』

 そして、夢符『封魔陣』

 

 弾幕の強さとか、難しさとかそっちのけで宣告された計四つのスペルカードを前に、棗は不敵に笑った。

 

「良いね、こういうの。全員纏めて相手してあげる」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章五話 最初の戦い

地の分を一人称視点にするとか何とか言って書いていましたが、前回の話で無理だと悟ったので、この話から通常営業します。


 タタン、と軽やかな音が辺りに響く。アリスの張った弾幕を棗がステップで回避している音だ。立体的に構成される弾幕を、飛ぶこと無くステップだけで回避し、接近されたアリスは少し驚いた様な表情を浮かべたものの、直ぐ緻密に人形を操り狙いを定め直す。

 集中的に地面を狙い、ステップの為の足場を崩していく。湿った地面に弾が着弾する度に泥が跳ねていった。

 

「生身相手に遠距離なんて、中々姑息なんじゃない?」

「うるさいわね。殺し合いに姑息も何も無いわよ」

 

 僅かな会話が交わされる。

 直後、何かが弾かれる様な音がしたと思った瞬間にアリスの視界が潰れた。突然刺さるような痛みが走り、反射的に閉じた目が開かなくなる。人形への命令を継続状態に変えたアリスは素早く状況を整理していく。

 

(目潰し……跳ねた泥を正確に叩いて当ててきたってこと!?)

「お姉さんは無理をしない方が良いよ。消費された力を強引に使うと、まともに立つことも出来なくなるからね」

 

 掌に付いた泥を振って落としながら、弾幕の単純化したアリスへと一直線に走っていく。アリスが泥を拭って目を開くには、時間が決定的に足りない。

 それでも諦めず、音を頼りに棗に攻撃するように人形に命令を送る。ヤケクソ気味な一撃は当たるはずも無く、体を折り曲げた棗は更に距離を詰める。

 

「失礼しますね」

「えっ」

 

 一陣の風が頬を薙いだと思った時には意識を刈り取られていた。

 

 状況を判断しアリスを手早く無力化した文は、宣言したスペルを展開する。崩れる様に倒れるアリスを支る文は、大量の木の葉の中に紛れて姿が見えなくなった。

 例え木の葉と言えど、高速で動くそれが体を掠めれば皮膚が避ける可能性がある。走る足を強引に止めた棗は、誰にも分からない程度に舌打ちをした。

 

「逃げの戦いですいませんね」

「謝るなら止めてよね。打開策とか幾らでも出来るんだし」

「御もっともで」

 

 言いながら、巨大な防御網から木の葉を射出していく。文の知るところではないが、魔理沙はこの弾幕を『外側で飛んで来る鋭い葉をちまちまかわすしかない』と言っていた。つまり、現状で遠距離攻撃を持っていないように窺える棗に対しては非常に有効なのだ。

 

(アリスさんはなんとしてでも守らないと。少しでも、確信に迫る手掛かりを残しておかないと、後で詰む可能性が出てくる……!!)

 

 攻めなくていい。守り抜けばそれでいい。

 文はそう改めて己に教え込みながら、弾幕を張り続ける。

 ただ、大きすぎる防御網は棗に無駄な時間を経たせるだけの役割しかないけれど。

 

「横がガラ空きなのよね」

「文に夢中になってる暇はないんじゃないの?」

 

 棗の耳に、別方向から声が響いた。振り向いた彼女の目には、新たな弾幕が目に入る。大量の札で動きを大幅に制限された中、業火が周囲を包み込む。

 木の葉や木の幹の焦げる嫌な匂いが鼻に刺さり、地面の水分が飛んでいく。更には、文や霊夢の弾幕に引火し、爆発的に攻撃範囲を広げる炎は、一瞬にして棗を拘束していく。

 

(ったく……本当に厄介ね……!!)

 

 心の中で悪態を吐きながら、棗は地面に落ちていた小石を拾う。躊躇している時間は無い。

 まだ乾き切っていない小石を、とにかく文の居るであろう方向に投げた。生身の人間が投げたとは到底思えない程の速度で飛ぶ小石は、防御網に大きな風穴を抉じ開けた。

 

「う、そッ!?」

「慢心してんじゃないの?」

 

 乾きかけの大地を蹴って、躊躇なく風穴に飛び込む。奇襲を受けた、それでも攻撃方法を変えようと後ろに下がる。

 しかし、防御網を突破されてしまえば、残ったのは中途半端に動けなくなった文が居るだけ。もはや、それは戦力でなく的でしかない。

 外からどちらかの声が聞こえたが、弾幕の雑音に掻き消されて上手く聞き取れない。

 少しだけ覚悟を決めた文は、抱えていたアリスを遠ざけようと、意識の無い体を投げ飛ばした。

 

「いい判断だと思うよ」

「どうやら、私はチェックメイトの様ですからね」

 

 二人が交差する。

 少し遅れた文が右手に持つ扇を振るう。しかし、決定的に時間が足りない。完全にその扇を振り切るより早く、棗の拳が振り切られた。

 贓物が潰される様な衝撃が腹を貫いた。宣言していたスペルを維持する力が一瞬で抜け、防御網が霧散する。殴り飛ばされた体は地面を転がり、泥と乾いた砂で全身を汚された。

 喉の辺りに何かが詰まっている。強引に吐き出してみると、それは血塊だった。

 

「お疲れ様」

 

 聞こえた声に、文は何の反応も示さない。ただ、残る意識と力を使って何とか立ち上がろうとしていた。

 だから。

 這う様な格好の文の背中を、棗は容赦せずに踏み潰した。

 断末魔は響かない。ただ、意識が闇の中へと吸い込まれていった。

 

「お姉さんは使えそうだね。少しばかりその体、預からせてもらうよ」

 

 そんな声が聞こえた直後、文の全てが闇に墜ちた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章六話 魔法使いの選択

「どうなったの……?」

「分からないわ。ただ、好ましい状況じゃなさそうだけど」

 

 文のスペルカードが途切れたすぐ後に、二人は己のスペルカードを解除した。スペルカードを宣言したままにして、咄嗟の出来事への対処が遅れると不味いと思ったのだ。

 弾幕によって荒らされた視界が、徐々に回復していく。跳ねた泥の匂いや焦げた匂いが一層濃くなっていく。刹那が過ぎる度に増していく緊張。

 だんだんと飽和状態に近づく緊張。それが、限界まで入れた風呂の水が溢れる様に、一瞬で溶けた。

 意識の無いアリスが二人の元に投げ飛ばされてきたのだ。骸の様に手足を投げ出したアリスが足元で伏している。けれど、二人にアリスに深く反応している余裕が無かった。

 目線の先に、目を背けたくなる人影が現れたからだ。

 

「中々危なかったよ。三人とはいえ、よく私をここまで追い詰めたよ」

「……ハンデ有りでも、突破出来なかった様ね」

「その通り。そのお姉さんはもう使えないから返すけど、もう一人居たお姉さんはこっちで有意義に使わせてもらうから」

 

 へらへらと笑いながら、こちらに歩み寄ってくる棗。その傍に、共に戦っていたはずの文の姿は無かった。

 言葉が口から出てこない。余計なことを言うだけで、崩れかけで保っている何かが全て瓦解すると確信できる。

 

「霊夢」

「……何よ」

「逃げてもらえるかしら?」

「何でよ。二対一の方がまだ……」

「いえ、それは慢心よ」

 

 もう、パチュリーに隠す気は無かった。普段の会話の声で霊夢に言う。

 

「貴女は、単騎で戦う方がずっと強い。周りへの被害を何も考えずに、存分に力を振るえれば、貴女はあの天狗と私を同時に相手取れる実力者なのよ」

「だからって、私が逃げればパチュリーはどうするのよ」

「……最初から、結論なんて決まってるのよ。終わりよければ全て良し。それがこの世の理だから」

 

 言ったパチュリーは、霊夢より一歩前に出る。それに呼応した棗の笑顔が、より残虐性を纏っていった。

 だからって、認められるはずがない。

 それが最善と言われたって、認めて良い筈がない。

 何よりも、これ以上の犠牲を受け入れること等出来はしない。

 

「嫌よ」

「……何故」

「理由なんて言わない。パチュリー一人に良い所を持って行かれるなんて御免だわ」

「何言ってるの?」

「理解しなくて良いわよ。意地でも戦ってやる」

「そう」

 

 パチュリーは、そこで説得を諦めた。

 もう何を言っても無駄だと悟った。もう、決して揺るがないだろうと察した。

 そして、パチュリーは何処までも優しかった。

 

「じゃあ」

「えぇ。一緒にぶっ飛ばすわよ」

「さよなら、霊夢」

 

 告げるのはたったそれだけ。

 いつの間にか、彼女の右手には一枚の紙が握られていた。それは、紛れも無くスペルカードそのもの。

 木符『シルフィホルン』

 それは、風に舞う木の葉をイメージしたスペルカード。ただし、今はそれはスペルカードと言う遊びの範疇を超えた、殺傷するに足る力を持つ。故に、発生する風は生半可なものではなかった。

 味方からの不意打ちを予期していなかった霊夢は、なす術も無くアリスと共に上空へと投げ出されてしまう。

 

「あのバカッ……!」

 

 悪態を付きながら体を制御し、何とか視線を下に向ける。

 パチュリーが右手の親指を立ててこちらに向けている。よく見ると、口を動かしていた。

『頼んだわよ。貴方は幻想郷の希望なのだから』

 そう動いていた。

 

 霊夢の中の何かが折れかけていた。また目の前で犠牲が増えるのか。望んでもいない選択で、無くて良い犠牲が増えるのか。

 

「……」

 

 もう、最後にしよう。

 一世一代の覚悟を無駄にしないで、機会を窺え。猪になって、勘を頼りに解決する異変はもう終わったのだから。

 

「ありがと」

 

 小さく、本当に小さく霊夢は呟いた。

 そして、森の出口へと、アリスを抱えて飛んでいく。

 

 

 

「お姉さん、中々優しいね」

「そうでもないわよ」

「そう? ま、良いか」

「始めましょうか。貴女の一方的な戦いを」

「お姉さんも逃げていれば見逃していたかもしれないのに」

「火水木金土符『賢者の石』。私の使命は逃げることでも、勝つことでもない。出来る限り時間を稼いで、残った者達に希望を繋ぐこと。その為なら、百年生きたこの命、散らしてみるのも一つの華よ」

 

 無謀だって構わない。

 

「……さようなら、レミィ」

 

 永久の孤独に生きる、魔法使いの最期の舞が人知れず幕を開けた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章七話 より上位のもの

ジャンケンって難しいですよね。


「まぁ、所詮こんなものよね。この次元の力だと、あの魔法使いはよく粘ったんじゃないかな?」

 

 もうその場所にパチュリーの姿は無かった。ただ、激しい戦闘の跡を残し、何処とも知れぬ場所へと消えていた。

 果たして、文とパチュリーは何処に消えたのか。その答えを知るのは張本人の棗のみ。

 

「さて、と。この二人は思わぬ収穫だったかも。後は、誰から当たろうか。花の妖怪が恐ろしく強いとは聞いてるんだけど……」

 

 立ち止まって考える棗の様子は、何も深刻な様子ではなく、むしろ朝御飯のメニューを考えている位の気軽さだった。相手側にとって、どれほどの辛さを伴わせることであろうとも、棗にとっては無関係でしかない。

 

「じゃ、さっさと行こうかな。面倒なのは早く終わらせるのが一番だし」

 

 戦いの跡には目もくれず、棗は森の出口へと体を向ける。今棗に大切なのは、次の標的を狙うこと。それ以外のことに興味を向ける程、暇な存在ではない。

 

 けれど、必ずしも全てのことを無視出来ないのもまた事実だった。例え、自分のやっていることが悪だとは言え、まだこの悪性に気付いていない者も居る。故に、無駄に怪しまれる行為は極力避けていくのが最善だからだ。

 だから、こんな些細なことの相手はしなければならない。

 

「少し良いかい?」

「何かしら? 言っておくけど、私はこの辺の地理については詳しくないよ」

「いや、道を聞くつもりじゃないさ。もっと単純なことだ」

「へぇ、時間が許す限り協力してあげるけど」

「ありがたいね。ちょっとばかし人探しをしていてね」

 

 赤い髪をツインテールに纏める、何故か大きな鎌を担いだその女性は笑顔で聞いてきた。

 

「この辺に住んでいる『霧雨魔理沙』って言う女の子なんだけど、昨日の夜に見かけたりしなかった? 特徴は、常日頃から黒い服に身を包んで大きな帽子を被っているから、そうそう忘れる程インパクトが無い訳でもない」

 

 悪意の無い質問をされた棗は、少し思い出す様な仕草を挟んでからキッパリと言い切った。

 

「ごめんね、悪いけど見たことない。他を当たった方が早いと思うよ?」

「そうかい? そりゃ残念だ。言われた通り他を当たるよ」

 

 見たか見てないか。そんな質問に答えれば更に時間を持って行かれる。相手には悪いが、棗はそれ以上取り合わず、自分のするべきことへと向かおうとした」

 

「そうだ、アンタにもう一つ用事がある」

「今度は何? 多分、お姉さんと共通の知人なんて居ないと思うよ」

「違う、今度はそんな間接的な用事じゃないんだ」

 

 その女性は、笑みに少しの真面目さを含ませて言った。

 

「先の戦いを少しばかり影から眺めさせてもらった。アンタがあの二人を攫う時に出したあの謎の穴は何なんだ?」

 

 空気が固まった。

 その女性は最初から分かっていたのだ。分かっていたからこそ、何も知らぬ顔をして油断を誘ったのだろう。そして、自分はまんまと騙された。最善の行動は、自分にあの魔理沙のことを聞いてきた時点で相手を無理にでも無力化して逃げるべきだったのだ。これ以上の尻尾を掴ませない為に。

 

「……お姉さん、少し知りすぎたね」

「自覚しているよ」

「別に、お姉さんはターゲットじゃなかったんだけど……仕方ないよね」

「何が仕方ないのかは聞かないよ。ただ、こう見えてある程度の実力はあると自負しているさ」

「いいわ、誘ってあげる。さっきの二人と魔理沙とか言う魔法使いと同じ場所にね」

「この小野塚小町、アンタに死神の実力とやらを見せてやろう」

 

 次の瞬間の棗の行動は実にシンプルだった。

 固く握った拳を真っ直ぐ小町の顔面に突き出すだけ。それだけで、彼女の力でなら鼻を粉砕することは難しいことではない。弾丸の様に正拳が飛ぶ。

 それは、小町の顔の真ん中に命中し、容赦無くその顔を破壊し小町の体を簡単に宙に浮かせる。

 はずだった。

 

「ん、なっ!?」

「当たらないだろう? その拳、届かないだろう?」

 

 得意げな声が聞こえる。笑みを浮かべた小町がその大鎌を振り上げたところだった。

 頭が混乱する。何故なら、小町は足を一歩も動かしていなかったからだ。自分が距離を誤った訳でもないのに、棒立ちだった小町に拳が届かなかったことが、理解出来なかった。

 その一瞬の思考が、明らかに棗の行動を遅らせる。

 横薙ぎに振るわれる鎌への反応が決定的に遅れてしまった。何とか体を折り曲げて直撃は回避出来たものの、背中側の服に鎌の先端が引っ掛かり汚れた地面を転がされる。

 受け身をとって距離を開けたうえで立ち上がり、反撃に入ろうとした棗の動きが固まった。

 離れたはずの小町が、自分の目の前に鎌の柄の先端を向けていたのだ。

 

「何でッ!?」

「教えて欲しいか?」

 

 先端が一気に突き出される。鈍い音が炸裂し、眉間を中心に頭全体に衝撃が走る。脳を揺さぶられる様に、ほんの一瞬全ての感覚が分からなくなった。

 今度こそ受け身をとれずに、棗は無様にも地面に転がった。

 

「く、そ……厄介ね……」

「慣れてしまえばいくらでも対処が出来る力なんだけどね。この世界に生きる以上の基準をずらされたら、確かに慣れるのは難しいだろう」

 

 汚れを払う様に鎌を振るった小町は、そのままの勢いで鎌を肩に担いだ。

 

「ただ、それはアンタも同じじゃないかい? 冷静に見てみれば、アンタの振るう力はどこかこの世界とは違う。この世界に当てはまらない故に、あの二人を強引に無力化させることが容易だった」

「……鬱陶しい位の観察眼ね。あながち間違いじゃないのが余計に腹が立つ」

「褒めてくれたと受け取るよ。しかし、幾ら違うと言えど、力は力でしかない。他のものに強引な干渉が出来ないのが弱点だ」

「何が言いたいのよ」

「そう急かさなくても言ってやる。幾らアンタの『中』の力が特別でも、アンタを包む『外』の世界までは特別にはならないってことだ」

 

 小町はもう一度鎌を構えた。挑発する様な、煽る様な笑みを浮かべて最後に付け足した。

 

「つまり、アンタを包む外を操るあたいにとって、今のアンタは敵ではないということさ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章八話 二人の操るもの

 結局、当たらなければ意味が無い。どれだけ強力な一撃を見舞うことが出来たとしても、相手に当たることが無ければ全てが無意味。

 我ながら、安い挑発に乗ってしまった、と傷だらけの棗は少しばかり後悔するが、全ては過ぎ去ったこと。手負いの現状では、小細工を使わずに撤退するのは容易ではないだろう。その上、どういう理屈かは分からないが、目前の敵である小町は距離を操る。

 それを考えると、世界そのものに干渉しなければ逃げることは不可能であると言えるだろう。

 

「……面倒臭いね」

「そうかい? あたいとしては、中々に楽しいんだけど」

 

 笑みの混じったその言葉を聞いて、棗は顔を歪めた。

 楽しい。つまり、小町は本気を出していないこととなるのだ。認めたくはないが、棗自身はある能力を封じて戦っていたこと以外は全力で戦ったつもりではある。

 小町の言う通り、『外』と『中』の相性が最も大きな要因なのだろうが、それでもここまでの差が生まれてしまうというのか。それが、納得いかなかった。

 

「しかし、アンタはまだ全力じゃないじゃないか。さっきの穴も含め、まだ隠し玉はあるんじゃないかい?」

「だからって、そうそう使うもんじゃないよ」

「そう、か。どちらにせよ、使うなら早めに使うことをお勧めしよう。勝負を売ってきた者にそうそう慈悲をかけるあたいじゃないんでね」

「つまり、私を殺すと? お姉さんの探し人の情報を握る、他でも無い私を?」

「白昼堂々、単身で博麗の巫女の前に姿を現したこともあるし、ここまで痛めつけられてもまだ逃走を考えない辺り、アンタには共犯者が居るだろう。そいつに聞き出せばそれでいい」

 

 淡々と並べられた言葉に、嘘偽りの心は無い。いざとなれば、彼女は本当に棗を殺し、次なる相手に手を掛けるのだろう。

 それはそれで一つの結末。選択肢として存在するものの内の一つなのだろう。

 ただ、棗はそれではダメだと思った。

 棗は、他人には何処までも残酷になれる存在だけれども、心を許した相手には際限ない優しさを注ぐ存在でもあるのだ。

 心の奥底では、彼女も外見相応の少女でしかないのだから。棗は、決めた。

 

「分かったよ」

「お、乗り気になった?」

「全力を出してあげる。だから、さっさと決着にするよ」

 

 宣言した。

 内だけの干渉を、外の世界へと向ける。使いたくはなかった手段で、目の前の小町だけは黙らせると決めた。

 ただ一つ、小町が浮かべた笑みを見逃したのが失敗だったかもしれないが。

 

「行くよ」

「何処からでも相手をしてあげるよ」

 

 棗がその掌を宙にかざす。それだけで、空間に穴が開いた。何色とも取れない奇妙な色のその穴に、棗は躊躇なく飛び込んだ。

 その場に居るのは小町だけになる。ふと赤い髪が風に揺れた。

 その直後、小町の背後の空間が割れた。亀裂が走り、まるで硝子の様に砕けた。

 

「後ろ……!」

 

 咄嗟に小町はその亀裂と自分の距離を離す。安全圏に退避し、冷静に次に起こることに対処するためだ。

 しかし、

 

「逃げられると思った?」

 

 冷徹な声と共に、小町の背中が蹴り飛ばされた。来ると思ってなかった位置からの攻撃に、小町は反応する暇も無く地面に倒される。

 泥が口の中に入り込み不快感を生み出すが、それに細かく反応している時間はない。俯せの状態から急いで起き上がり、棗の居るであろう方向に向き直る。

 だが、そのことに集中し過ぎて、またしても背後に生まれた穴に気付けなかった。

 背中に衝撃が走る。同じように蹴られたと気付くのに時間は掛からなかったが、棗の移動を理解出来ない。

 今度は俯せのまま、冷静に考えようとする。何か不自然な点は無いか。有り得ない点は無いか。

 結論は簡単。その全てだった。

 

「お姉さんの操るものは、所詮この世界のものよね」

「……まぁ、そうなるね」

「でも、私の操ったものは、あの二人を沈めた力と同じで、この世界のものじゃない」

 

 何かの皮肉かの様に、棗は言った。

 

「条件が同じなら、ごり押し出来るんでしょう? なら、今のお姉さんに勝ち目は無いんじゃない?」

「無いね」

 

 棗の予想とは裏腹に、小町はハッキリと答えた。まだ、その余裕は消えていないことに、棗は若干の苛立ちを浮かべる。

 

「ただ、アンタは世界を嘗め過ぎているかもしれない」

「どういうことよ」

「いずれ分かるさ。ただ、あたいはアンタの突破方法を既に見付けたけれど」

「そう。成功すると良いわね」

「そう思うよ」

 

 交わされた言葉はそれだけ。

 二人の操る者は、再び戦いを始める。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章九話 外を操る者の決着

「……はぁ、厄介なことになってしまったねぇ」

「どうしたのさ、さっきまでの威勢はどこに行ったの?」

 

 棗が言った通り、条件が揃った瞬間から、小町は劣勢となった。それでも小町は棗の動きを先読みし、何とか粘っている。しかし、それは勝ちを齎すものではなく、時間稼ぎの様なものでしかない。もはや、小町に勝ちの望みは無いに等しい。

 泥に汚れ、至る所に打撲の跡や擦り傷が刻まれた小町は、それでも体の芯を真っ直ぐに立っている。

 

「私の突破方法、見付けたんじゃないの?」

「それを実行するに足る隙が見付けられなくてね。

「そう、つまんないの」

「そう言うなら、隙を作って欲しいよ。アンタによりも、隙を見付けられないことに厄介だと言ったんだから」

 

 劣勢に立たされてなお、小町の余裕は消えていなかった。口の端を僅かに上げて見せた笑みは、まだ負けを考えていない。本当に、一瞬の隙を見つけて一発逆転をしてくる様な、根拠の無い不安が棗の心の底で渦巻き始める。

 

「……さっさと決める方が良いわね」

「だったら、あたいも一つ賭けにでるとしようか」

「出来るもんならやってみると良い。私は、そんなことさせないから」

 

 自分が言い終わるより早く、棗は動き出していた。空間に穴を作り出し、やはり躊躇無く飛び込んでいく。

 対する小町はその場で静かに目を閉じる。全ての神経を聴覚に集中させ、目で反応出来ない出現場所を音で判断するためだ。

 スッと、全ての雑音が消える。ただ必要な音を聞き漏らさないように、小町は完全に意識の空間に入り込む。

 静寂の意識の中、体感的に左側から硝子の割れる様な音が炸裂した。一瞬で反応した小町は、両手に握った大鎌を後方へ向けて全力で薙いだ。

 鈍い衝撃が両手に伝わる。今までの棗の行動から出現位置を予測したが、それは上手くいったらしい。しかし、その衝撃から分かる通り、手に伝わった感触は肉を裂いたそれではなかった。

 

「惜しかったね」

 

 目を開くと、鎌の先端よりも内側に入り込んだ棗が、鎌の柄を両手で握っていた。見かけ重視の大鎌故の弱点がここに来て露見した、と思いながらも小町は次の手を考えようとする。

 だからこそ、棗は次の行動を速やかに実行した。具合的には、力任せにその鎌を振り回したのだ。この世界の力とは少しばかり違う棗の力は、生身の人間では到底不可能な力技を強引に成し遂げる。鎌を握る小町を振り回したまま、全力で木に投げて叩きつけた。

 不完全な悲鳴を上げ、小町の体が不自然な方向に曲がる。衝撃で体の芯が貫かれ、その手から遂に鎌が零れ落ちた。

 一瞬にして立つ力を失ってしまった小町の目に、一対の足が映る。ただ、どれだけ届きそうなものでも、もはや干渉することは出来ない。

 

「いやぁ……上手くいったと思ったんだけどねぇ」

「流石に、ここまで完璧に読まれるとは思ってなかったけどね。お姉さん、惜しかったわ」

 

 最後にして最大の称賛を送り、そして棗は宣言通り、小町もまた魔理沙達と同じ運命をたどらせることにした。

 意識のあるままにしたのは、彼女なりの優しさの表れか、せめて最後に真相を見せてあげようと思ったのだろう。自分に相性を教えてくれたことに感謝の意を籠めて、彼女にだけは真相を教えてあげようと。

 

「それじゃあ、さようならね」

 

 静かに手をかざす。言葉では表せられない音と共に、『この世界』と『違う世界』を結ぶ穴が開かれる。徐々に、その穴に体を飲み込まれていく小町。

 その横顔にまだ諦めではない笑みが浮かんでいたのは、やはり失敗だったのかもしれない。

 

「なるほどね」

「……何?」

 

 体の大半が飲まれた小町から漏れた声に棗は純粋な疑問を浮かべた。

 次の瞬間、圧倒的な光量が棗の視界を奪った。何かが爆発したかの様な光は視界だけでなく、瞬間的に平衡感覚すらも曖昧にする。なので、棗にはその光の出所がまだ分からなかった。

 もし遠くからその光景を見ているものが居れば、直ぐに理解していただろう。

 その光は、世界を繋ぐ穴から放たれていたことに。

 

「く、そ……何が起こったの!?」

 

 何かが真横を通り過ぎた感覚がして、棗は無理にでも目を開き、過ぎていった方向へと視線を向ける。

 そこには、ぐったりとした一つの影を抱える一人の少女の姿が、曇り空の切れ目から射した陽の光を浴びて、シルエットとして浮かび上がっていた。

 その影からハッキリとした声が聞こえる。

 

「星符『ドラゴンメテオ』!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章十話 人間の魔法使い

ぼちぼちと書いてきたこの『東方覚深記』ですが、遂にUA数が1000を超えました!!
読んでくれた皆様、本当にありがとうございます!!
そして、まだまだ続くこの物語を、これからも応援していただけると幸いです。
本当にありがとううございました!!


 それはまるで隕石の落下だった。圧倒的な衝撃が空気そのものを叩き、棗を吹き飛ばす。それだけに留まらない破壊は、地面にクレーターを作り上げ、棗に大量の泥を浴びせてくる。

 しかし、それは一回で終わらなかった。立て続けに二発三発と投下された衝撃に、棗は抵抗できずに地面を転がされてしまう。

 

「何よ……!?」

「どうした? 一度勝った相手の攻撃を受けることが、そんなに疑問を浮かべることなのか?」

 

 言いながら、その影はゆっくりと同高度まで降りてくる。

 そして、そのシルエットが明確になっていくにつれて、棗の顔が驚愕に染まっていった。その理由は言うまでもない。

 シルエットの張本人が、もうこの世界に居ないはずの存在だったからだ。

 元に戻る力も持っていなかったはずなのに、どの様な手段でもってこの世界に戻って来たのか。激しい疑問が棗の頭の中に駆け巡った。

 

「どうやって……戻って来たの!?」

「私に聞くな。聞くなら小町に聞いてくれ。まぁこのぐちゃぐちゃの地面を見るに、相当暴れたんだろう? 大方、私の時みたいに欲を張って折角狂わせたアリスを素の状態に戻されたのと同じように、無駄な深入り戦闘でもしたんじゃないか?」

「……」

「何にせよ、私はお前の御陰で違う世界を見て、感じて、そして理解することが出来た。もうお前が特別であるとは言えないぜ。だから、今からはお前のステージじゃない。私、霧雨魔理沙様の晴れ舞台さ」

 

 絶対に二度と対峙することは無いと思い込んでいた存在、霧雨魔理沙の口角が上がる。ギリギリで救い出した小町を木に凭れさせた彼女は、ポケットから新たなミニ八卦炉を取り出す。それは、魔理沙が最も愛用するマジックアイテム。彼女の代名詞を中心とした、その小ささからは想像出来ない、圧倒的な火力を生み出す。

 

「どうする? 別にお前が逃げる意志を見せるならば追い打ちはしない。何せ、対等な条件になれば私の方が有利なんだ。私は弱い奴を執拗に狙う姑息なことはしない主義でね」

「そうやって有利って決めつけてると、足元を掬われるよ……って言いたいけど、お姉さんの言うことは事実だよねぇ」

「分かってるならさっさと撤退してくれるとありがたいぜ」

「でもね、私にも意地があるの。ここまで荒らしたんだもん。負けると分かっていても、一二手位は抗ってやるわよ」

 

 微笑みを浮かべて棗は世界を結ぶ穴を開く。同時に魔理沙が身構えたのが見えたが、もう棗は気にしない。魔理沙にこの戦法を使うのも二回目、小町と同じ様に出現先は読まれるだろう。

 それでも、魔理沙に向けられる最大の攻撃手段はこの不完全な奇襲しか無い。真正面から突撃したが最後、その火力の前に焼き払われるのが目に見えている。

 棗の居る世界が二転する。明と暗、表と裏、そんな対比的な世界間の移動の先に、ただ一人の標的を見据えて飛び出す。その標的がミニ八卦炉を構えている方向とは正反対の方向を狙って、死角から攻撃しようとする。

 それなのに、

 

「やっぱりな、読めてたぜ」

 

 見え見えの不意打ちなど相手からすればただの動く的でしかなかった。

 

「『ブレイジングスター』」

 

 スペルカードが宣言される。それと同時にミニ八卦炉が火を噴いた。爆発的に光が広がり、空気すらも焼かれていく。しかし、その反動は凄まじく魔理沙自身も飛ばされる。

 真っ直ぐ、棗の居る方向に。

 咄嗟に腕で防御しようとするが、果してその陳腐な盾は何の役に立つだろうか。違う世界の物理法則の混ざった相手の攻撃を、完全に対等な条件で防御しようと言うのなら、力の強いものが勝つに決まっているのだから。

 激突まで時間は無かった。棗自身が魔理沙の至近距離に出現してしまったが故に、一瞬にしてトップスピードに達した攻撃をもろに受けてしまった。そして、ぶつかったことにより移動力を受け取った棗は砲弾の様に吹き飛ばされる。木の枝を派手に巻き込みながら、何メートルも飛ばされた後に木に叩き付けられ、その衝撃で喉の底から赤黒い液体が溢れた。

 それでも、まだ立てる。肉体が悲鳴を上げようとも、棗の意地は潰えない。

 そんな彼女の瞳が、魔理沙が上空へ向けてはなった『マスタースパーク』を捉えた。

 

「何して……」

「これは狼煙だ。お前の戦意をさっさと失わせるには、何よりも戦力が手っ取り早い」

「……増援は皆、私達の力は理解出来ていないとしても?」

「それで良いんだよ。必要なのは、質じゃなくて量。ただ、今のボロボロのお前なら来た増援にすら勝てないと思うがな」

 

 中途半端に打つのを止めたミニ八卦炉を、今度は棗へと向けながら魔理沙は告げる。

 

「そして、お前が私を極限の孤独に誘ったからこそ私は習得したものがある」

「孤独から学ぶものが戦いで使えるとは思えないけど」

「いや、孤独故に騒がしさが無かったからな。ただ、脱出することに限りない集中を注ぐことが出来た。……これは余談なんだが、私の知り合いにはスペルカードを使う際に集中し過ぎて周囲から色や音を奪う奴が居るんだ」

 

 再び魔理沙の口角が上がる。今度は絶対的な勝利を確信した笑みだった。

 

「もし私がスペルカードを使う際に周囲の景色や音に注いでいた集中を、ただスペルカードだけに注いで魔法を打てば、一体どれ程の威力になると思う?」

 

 言い終わるよりも少し、世界は白黒に変わり始めていた。その言葉すらも少しずつ遠いものになっていく。

 魔法は基本的に使用者の霊力等に依存する。つまり、それは精神的なものであり、本人の調子によって大きく左右されるだろう。

 もし本当に威力が上がるのなら、一体どれ程の破壊を生み出すのだろうか。

 純粋な恐怖が芽生えてきた棗の瞳が、滑らかに動く魔理沙の唇を捉えた。もし音が明確に聞こえていたら、ハッキリと聞こえていたであろう彼女の新しいスペルカードの名前。

 それは、こう告げられていた。

 

「純符『サイレントマスタースパーク』」

 

 色も音も消えた世界が爆ぜた。想像を絶する光量を、熱量を、威力を極限まで細く圧縮した一撃が棗だけを狙って飛んで来る。

 そして、これを避けられたとしてもまだ増援がやって来るかもしれない。

 ここまでされて、初めて棗はプライドを捨てた。一瞬も迷うことなく穴の先に広がる世界へと逃げたのだ。

 

 色と音の戻った世界、そこにはもう棗の面影は無かった。

 

「ま、増援が来るなんて私自身思ってないんだけどな」

 

 残された魔理沙はポツリと呟いて小町へと向き直る。何かの線が切れたかの様に意識を戻さない小町。

 礼も込めて介抱してやるか。そう思った魔理沙は小町を家に運ぼうと腰を屈めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章十一話 願い続けた果てに

 魔法の森を抜ける頃にはアリスの意識もハッキリしてきた。とは言え、何故かしら彼女の疲労具合が尋常ではないので移動手段を徒歩に変える。涼しい風の吹く上空と違い、地上は少し湿気ている。

 

「今どこが安全なのかが分からないのが難点よね。動こうにも先ずはアンタの回復が最優先だと思うし」

「……そうよね」

「……あのさぁ、何時までへこんでる訳? 確かに、アンタがもう少し我慢で出来ていれば文もパチュリーも無事だったかもしれない。でも、それを幾ら悔やんだところで何の解決にもならないのよ」

「分かってるわよ、そんなこと。でも、魔理沙も文もパチュリーも、全て私が原因で居なくなったのよ? 悔やむ時じゃないと思っていても、だからってどんな顔をしてれば良いのか分かんないのよ……」

 

 それを聞いた霊夢は僅かに眉を顰めた。アリスは自分だけが悪いと言っているが、それは間違いなのだから。責任は、戦える力が有りながら何も出来なかった自分の方にこそあるのだ、と霊夢は心の中で強く否定する。

 けれど、何と伝えれば良いのだろうか。

 美辞麗句を並べる励ましには何の意味も無い。適切な言葉も有りはしない。言葉で行える慰めは、無駄に相手を傷付け、更なる孤独を生み出す結果にしか繋がらないのだから。

 だから、せめて心に寄り添えないものか。こんなことをするのは自分らしくないと自覚し、自分を笑いながら、霊夢はそっとアリスの左手を握った。

 互いに傷付いて、互いに己を責めるもの同士、自然と握る手には力が籠っていた。

 自分はまだ、一人じゃないのだ。そんな確かな実感が湧いた。

 

 そんな安らぎを打ち砕く様な轟音が、二人の背後から響いた。

 完全に二人の世界に入り込んでいた彼女等は、大変情けない悲鳴を上げる始末となってしまった。

 

「今の何!?」

「う、後ろの方から聞こえたけど?」

 

 何が起こったか分からない二人は咄嗟に振り向く。警戒心を最大にまで高めた二人は、振り向いた先に見た。

 

 森の中から天空へと一直線に伸びる光の柱を。

 

 そひて、二人はその光には見覚えがある。何故空へと放たれているのかは知らないが、兎に角その光に二人は見覚えがあった。

 ただ、その光はもう二人の瞳に映るはずの無いもののはず。

 それは、魔理沙の愛用していた『マスタースパーク』そのものなのだから。

 

「まさか……」

「本物の魔理沙が……?」

 

 何が本物なのかは知らないが、まさか本当に魔理沙が居るのだろうか。

 実は酷似した別物かもしれない。けれど、既に二人の思考からはその可能性は潰えていた。ただ見出した小さな希望を全身が感じる頃には二人は走り出していた。

 純白の光が伸びていたその付け根へと、一心不乱に走り出していた。

 

 

 

 

 

 さて、意識の無い人を運ぶにはどうしたら良いのだろうか。

 おまけに無駄に大き過ぎる鎌も付いて来るときた。もう自分の細腕じゃ支えきれないだろ。とは思いながらも、先程ノリで抱えていたのだから不可能ではない。でも具体的にどうやったら疲れないで且つ安全に運べるだろうか。

 そんな死ぬほどどうでも良いことに魔理沙は頭を悩ませていた。もう引っ叩いて起こす方が楽なんじゃあるまいか、と投げ遣りになるほど悩んでいた。

 

「しかし、もう一度この地面を踏めるとは思ってもいなかったぜ。どういう理屈を使ったのかは知らんが、小町には本当に感謝しないとな」

 

 さっさと運ぶことを諦めた魔理沙は、木に凭れて座りながらそんな独り言を発した。何も無い向こうの世界より、何よりもキノコが生えていて仲間も居るこの世界の方が気持ち良い。今までこんなことを考えたことも無かったが、今回のことでそれを強く感じさせられた。

 ただ一つ心配なのは、あの恥ずかしい置手紙を読まれていないかどうかである。

 あの手紙を書いた当時は本当に死にに行くつもりで書いたので何も思わなかったが、幸か不幸かこの世界に帰って来れたとなると、あの手紙は途端に恥ずかしいものになる。

 これからの自分の為を思って、読まれていないことを願うばかりなのだが。

 

「……読んだんだろうなぁ……」

 

 魔理沙の瞳がこちらへと懸命に走って来る二人の知り合いを捉えた瞬間に、そんな願望は砕け、そして安堵が込み上げてきた。

 ここに来て、魔理沙は本当に自分が幻想郷に帰って来れたと実感できたのかもしれない。一番心配を掛けたであろう二人が近づいて来るにつれて、三人の瞳が雫を浮かべ始める。

 

 

 

「魔理沙!!」

 

 思わず霊夢は叫んでいた。夢と消えたと思い込んでいた面影は、現実として目の前に居る。溢れ出てくる涙を隠そうともせずに、霊夢はひたすらに書けて行く。

 並走するアリスは何も言わなかった。けれど、様々な感情が入り混じった涙を浮かべ、同じように走っていく。

 

 その二人に応える様に魔理沙もゆっくりと立ち上がり、片手を振り、笑顔を見せた。

 お互いに再会を渇望した少女達は今、再び一つになった。

 恥も外聞も無く三人は互いに抱き合い、喜びに涙し、笑った。

 三人の中の誰も、こんなにも誰かに涙を流したことは無かっただろう。掛け替えのない幸せは、まだ少女達を見捨ててはいなかった。

 

「おかえり。バカ」

「あぁ、ただいま」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章終話 ある戦いは過ぎ去り

タイトルが一章終話に被ってたので変えました。


「う、ん……」

 

 いつの間にか気を失っていたらしい。魔理沙に抱えられた時は覚えているのだが、それからの記憶がサッパリ無い。敵を前にして気を失うとは我ながら情けないが、終わったことは仕方がない。意識が少しずつ回復してくる中、何とか体を起こそうと小町は自分が横たわっている柔らかい地面に手を突いた。

 

「……ん?」

 

 少し落ち着いて考えてみると、柔らかいっておかしくないだろうか。地面がどれだけ湿っていようと、こんな柔らかさは有り得ないだろう。というか湿っていない。かつ布地の様な、と言うか布地そのものの温かさがある。

 記憶が無い故に現状が一切分からない。何故かしら不安に駆られた小町は意識を強引に鮮明にして横になっていた体を跳ね起こした。

 

「あら、起きた?」

「……ここは?」

「私の家。気絶した貴女も居たんだから、いつまでも外に居る訳にはいかないでしょう?」

 

 小町が起きた時、傍ではアリスが本を読んでいた。ベッドに寝かせられていた小町はほんの一瞬状況が掴み切れなかったが、特に考えようとしなかった。どう考えてもアリスは敵ではないからだ。よく思い出してみると、文が囚われる直前まで文を抱えていたはずである。

 仮に、あの戦いで文とパチュリー以上の犠牲が無かったなら、恐らくこの家に霊夢と魔理沙も居ることだろう。念のために聞いてみると、まさしくその通りなので、小町は安心の微笑みを浮かべた。

 

「そうだ、魔理沙がありがとうって伝えておいて欲しいって」

「本人が伝えてくれば良いのに」

「アイツは軽いお礼ならサラッと言うのに、こういう心からのお礼は面と向かって言うのが苦手なのよ」

「へぇ、意外だったねそれは。覚えておこう」

「覚えるまでのことじゃないでしょう」

 

 何気ない会話で何気ない笑顔が生まれた。ほんの数刻前まで生死を分ける戦いをしていたことを考えると、こんな些細なことが夢の様なものに思えた。

 

「後、私からもありがとう」

「あたいはアンタには感謝される様なことしていないけど」

「いやその……貴女が、魔理沙を助けてくれたから……」

「何だって?」

「な、何でもないわ。やっぱり忘れてちょうだい」

 

 本当はしっかり聞こえていたのだが、アリスの顔が紅くなっていたのでからかっただけである。悪意は無い。

 

「ま、お礼の気持ちはアンタの秘密の思いと一緒に心に留めておくよ」

「秘密の思い……って、やっぱり聞こえてたのね!?」

「何、あたいが魔理沙を助けたことに感謝しているとしか聞いていないさ。アンタの反応から恋心を推測なんてしてないさ」

「うぅ……言うんじゃなかった……」

 

 拗ねた様に頬を膨らませるアリスを見て少し気分を良くする小町。しかし、ニヤニヤしていたら少し睨まれたので反省することにした。

 

「……そうだ、どうやって魔理沙を助けたの?」

「ん? あぁ、方法か。まずヒントなんだが、映姫様に『霧雨魔理沙という存在が世界から消えた』と言われてね。単純に考えて、この世界じゃない世界があると見た訳さ」

「だから、その先のことよ」

「それなら簡単だ。その別の世界の魔理沙とこの世界のあたいの距離を定めて短くしたら良いだけだ。そう思い付いて魔法の森に来てみたら、偶然アンタ達とあからさまな悪者が戦っているじゃないか。魔理沙のことを知っている風だったから少し観察させてもらった。……ただ、そのせいで二人も奪われたのはあたいの失敗だった。これは、いくら謝っても許されはしないと思う」

 

 申し訳なさそうにした小町だったが、アリスに先を催促されたので話を続ける。

 

「で、だ。どうやら、向こうの世界とこの世界じゃ何やら法則が違うようでね。それに、その棗とやらは戦いの中で世界を繋げることをしようとしなかった。いざ戦ってみても、どうしたものか迷ったものだ」

「でも、上手くいったのよね」

「そう。だからあたいは挑発して追い詰めて、強引にそれを使わせたのさ。そして、そこからはわざと劣勢に立つ。案の定ボロボロにされてね、あたいも向こうの世界に引きずり込まれかけた……が、そこまであたいの計算通りさ」

「……わざと向こうの世界に半身入ることで、向こうの法則とかを実感したってこと?」

「御名答! 半ば賭けだったけど上手くいって良かったよ。結果は既知の通りで、あたいは魔理沙とこの世界の距離を定めて救出に成功した。……ただ、時間も無く、あたいの限界がきたこともあって、あの二人を助けるには至らなかった。ま、これが全部だ」

 

 話し終え、それでも申し訳そうにしている小町。先のアリスの様に、一人で罪の意識に捕らわれるのは誰でも同じなのかもしれない。

 

「ありがとう」

「あたいはそれだけしか出来なかった。褒められたことじゃないさ」

「そう思うのは貴女だけよ。実際、貴女を責めているのは貴女しかいない」

 

 魔理沙が帰ってきたことで、少しばかり心に変化があったのだろう。

 アリスは笑いながら言った。

 

「だから、一緒に頑張りましょう? そして、全てが終わった時に皆であの二人に謝ればいいの。今、下を向く時ではないわ」

 

 それを聞いた小町は一瞬アリスを見て、そして微笑んだ。

 部屋の外では呑気な会話が広がっていた。




これにて『東方覚深記』の第二章は終了となります。読んでくださいありがとうございました!!
感想等お待ちしております!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 紅く幼い昼時の月
第三章一話 妖の郷の敵


この話から、登校時間は固定で午後五時とします。ご了承ください。


「さて、次のターゲットは誰だったかしら? 確か……」

「あれ、撫子ったらそんなことも忘れたの?」

 

 一仕事を終え、まだ涼しい霧の湖の湖畔で浅茅撫子が休んでいると、何処からか酸漿棗が現れた。前触れを感じさせない登場だったが、彼女等にとってそれは日常茶飯事でしかない。

 無邪気な笑みを浮かべながら棗は撫子に擦り寄る。これもまたいつものことなので、撫子は特に拒絶したりしない。けれど、そんな棗の体に真新しい傷があるのを見て少し表情が険しくなった。

 

「……何かあったの?」

「ん? まぁ、あったと言えばあったよ。成功も失敗も両方ね」

「そう……ま、棗が無事だったから良いんだけど」

「あれ、気にならないの? 何があったかとか」

「どうせ棗のことだから、アイス落としたとかそんな話でしょう?」

「違うよ!! て言うか、そこまで幼くないし!!」

「私から見れば、棗はずっと子供なのよ」

「三歳しか変わらないじゃん」

「そうだったわね」

 

 素のままで会話をする二人は、さながら年相応の姉妹の様だった。まだ彼女等は十五歳と十二歳。裏ではどれだけ冷酷な存在を演じようと、それらは全て偽りの正確でしかないのだろう。

 

「でも、本当に大丈夫? 見るからに痛々しいんだけど……」

「大丈夫だって! ちょっと転んだだけ!」

「本当は?」

「喧嘩した!」

「……本当、無事でよかったわ……変な無理はしていないでしょうね?」

「そんなことしないって」

 

 実際は無理しまくっていたのだが、変な心配を掛けたくなかったのだろう、棗はハッキリとは伝えなかった。少しもじもじしていた棗だったが、不意に撫子に抱きしめられるのであった。低身長の棗の顔は比較的高身長の撫子の豊満な胸に埋まる。割と本気で呼吸を遮られているが、どうやら撫子に気付いている様子は無い。

 一瞬生命の危険を感じた棗は、持てる力を思い切り使って撫子を引き剥がす。少し残念そうな表情を浮かべる撫子だが、棗が噎せているのを見て申し訳なさそうな表情に変わった。

 

「ふぅ……少しは自重してよぉ」

「ごめんなさい。少し感情が入ってしまったわ」

「うん、次からは気をつけてね?」

「善処するわ」

 

 とは言え、あの柔らかさやら何やらが羨ましくて忘れられない棗であった。絶対に三年であそこまでの成長は出来そうにない現実に、内心泣いている棗十二歳。

 

「さて、と。次のターゲットは誰だったかしら?」

「あれ、さっきも言ってなかったっけ?」

「そうだったかしら? 決めといたはずなのに思い出せないのよ」

「……ボケた?」

「そ、そうじゃない……はずよ。まだ若いもの。いつもの忘れ癖よ」

 

 割と本気で狼狽える撫子。普段から物を失くすことや忘れることが多い彼女にとって、この話題は禁止事項なのだ。

 

「本当に忘れたの?」

「情けないことにね……」

「ほら、言ってたじゃん。何だっけ、紅魔館の当主だとか何とか」

「そう、それよ!! 紅魔館当主、レミリア=スカーレットよ!! いやぁ、覚えていてくれてありがとう!」

「普通忘れないよ」

「そうよね……」

 

 大事なことを忘れたことが、相当堪えているのだろう。一々ダメージを受ける撫子であった。

 紅魔館当主レミリア。幻想郷のパワーバランスの一角を握る紅魔館の頂点に立つ最高峰の妖である。純粋に力の強い吸血鬼であり、更には運命を操る力をも持つ非常に強力な存在だ。その実力はこの幻想郷でも十の指に入ると言っても過言ではないだろう。

 裏を返せば、そんな彼女を狙うということは相応のリスクが伴ってくる。まして、相手はレミリアだけでなく紅魔館なのだ。時を操るメイド長を中心に、決して侮れない戦力が揃っている。

 

「我ながら、危ないところに出向くものね」

「……怪我しないでよ? 帰ってきてよ?」

「安心しなさい。私はそう簡単に傷ついたりしないわ」

「本当?」

「えぇ」

 

 心配そうな顔を浮かべる棗の頭を、撫子は優しく撫でた。

 

「そう簡単に居なくなるようなら、私は最初から貴女達と一緒に居たりしないわ。それに、棗もさっき戦地からこうして戻って来てるじゃない」

「私は私じゃん」

「でも、棗に出来たことは、きっと私にも出来るのよ。例え、使える力が棗程優秀じゃなくてもね」

 

 二人は、共に限りなく似た違う力を持っている。総合的には等しい力だが、戦いという面でなら明らかに棗の方が強い。

 だからこそ棗は心配しているのだ。

 けれど、撫子にとって戦力は関係無いことなのだ。

 

「それに、戦わずともレミリアを落とすことは出来るわ」

「……どうやってさ。ぶつからないとダメじゃないの?」

「『力』を中心に据えた棗だったらね。『物』を中心に据えた私なら、別の方法が有るわ」

 

 撫子の顔はいつになく得意気だった。姿勢を正し、湖畔の反対に見える紅魔館を見据えて彼女は続ける。

 

「それじゃあ行ってくるわ。氷の妖精の延長戦にね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章二話 悪魔の契約

 レミリアは雨が苦手である。そもそも吸血鬼自体流水が苦手ということもあるのだが、それよりもジメジメするからレミリアは雨が苦手である。

 

「雨が止んだ後のこのジメジメ、本当に何とかならないものかしら」

 

 自室にて一人紅茶を飲みながら、彼女は憂鬱になっていた。咲夜は色々と忙しいし、パチュリーは朝から出掛けているし、美鈴は門番中だし、フランは籠っているしで遊び相手も特に居ない。雨上がりだし暇だしでとにかく憂鬱なレミリアであった。

 

「何かないかしら……勝手に本を読むって言うのも気が引けるわね……」

 

 どれだけ優雅なカリスマとして振舞っていようとも、根本的な部分で彼女は外見通り幼いのだ。好奇心の塊みたいな彼女は何かすることを求めているのだった。

 

「紅茶を飲み終わったら、私からフランのところに行ってみようかしら」

 

 適当に考え、適当に納得したレミリアは紅茶を口に含む。芳醇な紅茶で幸福感を満たして、レミリアは大きく頷いた。予定が決まって上機嫌なのだろう。

 喉を通った紅茶の喉を抜ける薫りで更に満足度を高めたレミリアは唐突に呟いた。

 

「……それで、貴女は何の用かしら?」

「あら、分かっちゃったのね」

「生憎と、気配なら大方理解できるのよね」

 

 ほんの一瞬で真後ろに現れた人影。隠れる素振りも見せずにただ立っているのを気配で察したレミリアは、振り向くことなくその姿勢のままで相手へと話しかける。

 

「貴女、名前は?」

「撫子よ、浅茅撫子。二つ名とかは別に無い」

「そう。分かってると思うけど、私がレミリア=スカーレットよ。何の騒ぎも無かったってことは、門を通って入ってきた訳ではないのでしょう?」

「その通りよ。私にとって壁はあって無い様なものだから」

「中々面白そうな力を持ってるのね、貴女」

「そうね、私自身気に入ってるわ」

 

 見かけは普通の談笑だけれど、二人の間には明確な壁があった。互いに必要以上に相手を内側に入れようとせず、一定の距離を保って会話を広げている。

 恐らく、レミリアは最初の気配を察した時点で相手がどれほど脅威かを理解したのだろう。明らかにレミリアは警戒していた。

 

「それで、貴女の要件は何かしら?」

「知りたい? 私は特に嘘はつかない主義なのよ」

「遠慮しなくて良いわよ。予想は出来てるから」

「そう、ならお言葉に甘えるわ」

 

 未だに二人は顔を合せない。レミリアの背中を物理的な壁にして二人の会話は続く。

 

「私の目的は貴女そのもの。貴女の存在であり、その実力よ」

「成る程ね」

「理解していただけたかしら? それなら、なるべく抵抗しないで欲しいのだけれど」

「それは出来ない相談よね。かと言って、貴女がそう簡単に引く様な人ではないことも見えてるし。どうしたものかしら」

 

 撫子はレミリアが楽しんでいるなと感じる。その言葉の節々に好奇心が溢れているからだ。

 これが強者故の余裕か、改めて撫子はレミリアという存在を感じ取っている。

 

「そうだ、一つ契約を交わしましょう」

「あら、私と? 言っておくけど、悪魔との契約は絶対よ?」

「分かって言ったのよ」

「内容は?」

「貴女が一枚のスペルカードを宣言して、それによって決するの。私がそれに敗北したならもう貴女に干渉しない。けれど、私はスペルカードの発動中に要件を達成する」

「分かりにくいのだけど、つまりスペルカードで私が押し切るか貴女が実力で押し切るかってこと?」

「そういうこと」

「分かったわ」

 

 契約は成立した。絶対の元に定められる契約は、即座に行動へと変わっていく。

 

「いくわよ」

「いつでもどうぞ」

「紅符『不夜城レッド』」

 

 スペルカードが宣言された。それと同時に撫子はレミリアの背中へと飛び掛かる。背後とは言え気配は確実に知られている故に、どれは不意打ちとしての意味を成さない。それは撫子も理解していた。

 ただ、レミリア程理解は出来ていなかったのは結果の話ではあるが。

 

 レミリアへと伸ばした右手に強烈な痛みを感じた。咄嗟に右手を引くが、既にボロ雑巾の様になっていた。

 

「不意打ちが決まらない。つまりそれは、相手に次の手を読まれていることでしょう?」

「……その通りね」

 

 紅い十字架に包まれたレミリアの姿はしっかりと確認できない。ただ、声だけが聞こえる。

 

「私のスペルカードはもう少し続くわよ」

「見れば分かるわ」

「だから、早く見せなさい、貴女の逆転を。結末はもう私には見えてるから」

「……分かったわよ」

 

 傷だらけの撫子の右手に謎の物質が纏わりついていく。一体どこから現れたのかその物質は、瞬く間に腕を包み込み完全に防御する。

 撫子は迷わない。紅の十字架へとその右手を突き込んでいく。

 痛みは守れても、流動する弾の数々に腕が攫われる。それを力技で強引に抑え込んだ。

 

「チェックメイト、ね」

「そのようね」

 

 撫子の右手がレミリアの首筋を掴んだ瞬間に紅の十字架が消し飛ぶ。

 勝敗はここに決した。

 

「覚悟は良い?」

「その前に一つ助言を」

「何よ」

 

 それでもレミリアは余裕の態度を崩さなかった。笑みを浮かべて、それでも撫子に顔を見せることなく告げる。

 

「貴女が思う程、咲夜達は脆くないわ」

「そう」

 

 それが、二人の交わした最後の会話。

 ここに、レミリアの意識は深淵より突き落とされた。

 

(咲夜、そして他の皆。後のことは任せるわ。不甲斐ない当主で申し訳ないけどね)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章三話 紅魔の従者

 紅魔館には妖精メイドやらホフゴブリンやら大量の召し使いが居る。広大な屋敷を端から端まで掃除をするのは流石に無理があるからだ。量より質、例え何人かがサボろうとも関係無いのだ。

 ただし、その何人かがあまりにも多過ぎると話は変わってくる。

 

「はぁ……」

 

 紅魔館メイド長、十六夜咲夜は長い廊下の真ん中で少し溜め息を吐いた。別に今やっている掃除が辛いと言う訳ではなく、自分以外に掃除をしている者が居ないというこの状況に溜め息を吐いたのだ。

 確かに、今までの経験で分かってはいるのだ。妖精メイドは根本的に自分のことで精一杯なのだと。何かイベントがある時しか妖精メイドは当てにならないのだと。

 分かっていても、心の片隅では期待している自分が居る。と言うか、ホフゴブリン位手伝ってくれても良いじゃないか。

 今まで数多もの回数熟してきた掃除も、少しは楽をしたい。そんな小さな願望を胸に抱く咲夜であった。

 

「この廊下が終わったら食堂ね。その後は美鈴の様子も見に行かないと」

 

 いつまでも愚痴を浮かべる訳にもいかない。気を取り直した咲夜はモップを左手で握り、空いた右手で音を鳴らした。

 途端、咲夜以外の全てが止まった。正確には、世界そのものの時間が止まったのだ。様々な動が静へと変わった中、咲夜は掃除を再開する。

 この時間の止まった中で掃除にどれだけ時間を掛けようと、実際の時間は刹那の時も経たない。妖精メイドが動かない分咲夜が全てしなければならないので、こうでもしないと一日では終わらないのだ。

 手際よく丁寧に、それでかつ素早い彼女の動きには何一つとして無駄が無い。極限まで洗練された動きは見ている者が居たのなら感動を与えていたかもしれない。しかし、いまこの光景を見る者は誰一人として居なかった。

 

 程無くして廊下の掃除も終わり、時間は再び動き出す。何も知らない者が見たら、廊下が一瞬で綺麗になる異様な光景だが、生憎と見ている者は居なかった。

 

「さて、食堂に行こうかしら。ついでに少し休憩も挟みましょうか」

 

 掃除道具を抱えて食堂へと歩き出す。館内移動と雖もこの屋敷は広い。部屋を移動するだけでも一苦労だったりする。

 移動の途中、バケツの水を変える為に炊事場によって見れば妖精メイドが自分の朝食を作っていた。どう考えてもゲテモノになりそうな味付けの朝食を見て頭を痛めながら、咲夜は用が済むと炊事場を離れた。

 紅魔館の食堂は無駄に広い。無駄と言ったのはまさにそのままで、一度に五人程しか食事をしないのに席が百程有ったりするからだ。特にここでパーティを開くことも無く、まさに無駄に大きい食堂なのだ。メイド長を務めている咲夜自身、この広さをたまに疑問に思ったりする。声にはしないけれど。

 

「さてと、始めましょうか」

 

 食堂の掃除はテーブルがある分やることが多い。のんびりしている時間は無さそうだ。床の上にバケツを置きモップを入れて濡らしながら、ざっと全体を見渡す。急げば一時間程で終われるので、昼食には間に合いそうだと考えた咲夜は能力を使わないことにした。

 さて昼食はどうしたものか、等と考えながらジャブジャブしていると、食堂の扉が大きな音を立てて開け放たれた。

 

「扉は静かに開けなさい!」

「そ、それどころじゃないんですよぉ!!」

 

 咲夜の注意を流したその妖精メイドは切羽詰まった様子で咲夜へと走り寄ってくる。

 

「何があったのよ」

「お、お嬢様が……お嬢様が!!」

「お嬢様がどうしたの?」

「暴走しているんです!!」

 

 何を言っているのか、お嬢様の暴走何て日常茶飯事ではないのか。と怪しげな視線をその妖精メイドに送る咲夜だったが、一瞬でその状況が変わった。

 館内に甲高い悲鳴が響いたのだ。

 

「何……?」

「だから、お嬢様が……!!」

 

 咲夜の記憶が正しければ、今の悲鳴は妖精メイドの内の一人のもので間違いないだろう。

 では、その妖精メイドに何があったのか。様々な予想を立てるが、中々これと言った答えが浮かんでこない。

 ならば、目前の妖精メイドの言葉しか信じるものは無いのではないだろうか。お嬢様が暴走しているというその言葉を。

 

「教えて、暴走って具体的には?」

「は、はい! えっと、その……突然暴れ出しまして、他の仲間が止めに入ったのですが既に言葉が通じる状態では無く、今は無差別に破壊活動を……」

 

 相当焦っているらしいその妖精メイドは早口で教えてくれたが、いまいち実感が湧かない。実際に見た方が早いと判断した咲夜はその妖精メイドに一つの命令をした。

 

「貴女に一つ指令を与えるわ」

「は、はい! 何でしょうか?」

「速やかにこの館内から私とお嬢様以外の全員を退避させなさい。お嬢様は吸血鬼だから今は外には出られないから」

「で、でも私じゃ……」

「弱音を吐いている時間じゃないわ。少しでも遅れるとどれ程の存在が消えるか分かったものではないの。時間なら稼ぐから」

「……最善を尽くしますが、あまり期待はしないでください……」

「最初から過度な期待はしてないわ。だから、貴女でも間に合う様に私が時間を稼ぐと言っているの」

 

 少し語気を強めた咲夜の言葉にその妖精メイドは少したじろいだが、やがて決意を固めた。

 

「……分かりました。やってみます」

「頼むわ」

「咲夜さんも、御無事でお願いします」

「生憎と、主君の前で力尽きる無様な従者じゃないの」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章四話 紅魔の門番

 今日ものんびり立って寝る練習、否、門番である。とは言え、紅魔館までわざわざやって来る様な者は中々居ないので、やっぱり立って寝る練習をしてしまう紅美鈴であった。

 本人は知る由も無いが美鈴が門番をしている御陰で、里の人々の紅魔館への親近感を沸かせているのだ。実に人の様な妖怪である彼女は、自ら人を襲うことはない。話しかけられれば気ままに世間話をしてくれる彼女なので、わざわざ彼女と話をする為に紅魔館の門に来る者も居たり居なかったりする。

 

「ふぁ……」

 

 腕を組み、壁に凭れ掛かって大きな欠伸をする。とても仕事中とは思えない様な態度だが、美鈴故に仕方ないのだ。普段は咲夜がわざわざ起こしに来る始末である。

 

「相も変わらず暇ですね……本当、咲夜さんも暇潰し用の道具か何かくれれば良いのに」

 

 ぼんやりと曇り空を眺めながら、適当に愚痴を漏らす。咲夜が聞いていたらナイフの一本でも投げてくるだろう。

 この門を強行突破して来ようとする不埒な輩が居れば良いのだが、残念なことにそんな輩は片端から負かしてきた。今では痛い目に遭いに来る輩も居なくなってしまい、もはや門番が要るのかと思う程には誰も来ない。それでも、たまに来る美鈴との会話目当ての人は多少の楽しみなので、門番を止める訳にもいかない。と言うか、門番を止めると言ったら咲夜さんに怒られてしまう。

 等とどうでも良い思考に耽る位には美鈴は暇だった。

 

「……庭の手入れでもしよっと」

 

 門番はやっぱり暇である。もう別の役目を果たさんと、美鈴は凭れていた背中を離した。一度に住人は軽く潜れるだろう大きな門を両手で押し開け、紅魔館敷地内に入ってみると、美鈴は意外な光景を目の当たりにする。

 妖精メイドを中心とした紅魔館の住人がほぼ全員庭に出ていたのだ。

 

「何かあったのかな?」

 

 何があったのか分からない美鈴は特に反応を示すこともなく庭園へと急ぐ。が、そうそう無視出来る訳も無く、近くに居た妖精メイドに呼び止められた。

 

「美鈴さん!!」

「はい、何でしょうか?」

 

 暇潰しに洗練させたにこやかスマイルで応答すると、怪訝な顔をされた。どうやら場面的に合ってなかったらしい。二人の間に微妙な空気が流れる。

 コホン、と一度咳払いした美鈴はどうせなので聞いてみることにした。

 

「ところで、中で何かあったんですか? 皆庭に居るので気になったんですが」

「そうです! そのことを知らせようと呼び止めたんです!!」

「あ、そうでしたか。それで、本当に何があったんですか?」

 

 相変わらず気楽な美鈴だが、妖精メイドの方はそうではない。この上なく切羽詰まった様子なのだ。流石にその雰囲気を異様に感じた美鈴は、その表情を険しくさせた。

 

「あの、紅魔館の館内で、その、お嬢様が暴れてるんです!!」

「お嬢様が? 日常茶飯事じゃないですか?」

「そうじゃなくて、言葉も何も通じなくなって、ただ無差別に色んなものを壊したりしてるんです!! 襲われて大怪我をした妖精メイドも居て……」

「それで、安全を確保するために皆で外に出てきたという訳ですね。吸血鬼は日光が苦手だから」

「そのことです。私が咲夜さんを見付けて、このことを伝えたらこうする様に言われて……」

 

 言われてから美鈴は改めて辺りを見回してみると、咲夜が居ない。嫌な予感が脳裏を過ったが、それを無視して美鈴は聞く。

 

「では、咲夜さんは何処に? まさか、まだ中に居るんですか?」

 

 その質問に対する妖精メイドの反応を見て、美鈴は答えを察した。なので、質問に答えようとした妖精メイドを手で制した。にわかには信じ難いが、この年中忙しい紅魔館でわざわざ自分の為にこんな大掛かりなドッキリを仕掛けるとは思えない。

 そんな思考の途中だった。

 今美鈴達が居る直ぐ近くの紅魔館の外壁が突然爆発したのだ。

 美鈴達より近くに居た妖精メイド達から甲高い悲鳴が上がった。突然の出来事に庭は軽いパニック状態になってしまう。

 美鈴と話していた妖精メイドもオロオロしていたが、美鈴に急に両肩を掴まれて我に返った。

 

「一つ、私からも頼んでも良いでしょうか」

「は、はい、何でしょうか!?」

「今この庭に居る全員を門の外に退避させてください。この庭だと戦闘の余波を受ける可能性があります」

「戦闘って……そんな大規模になるんですか?」

「恐らくですが、中で咲夜さんは戦っているのでしょう。時間稼ぎとか何とか理由を付けて」

「そうですけど……」

「門の外に居た私が気付かなかったってことは、まだ騒ぎが起こって間もない。時間が長引けば、流石に私でも気付きますし。つまり、まだ戦いが始まって間もないということ。裏を返せば、今の爆発は所謂前座になります」

「……戦いはこれから激化するということですか?」

「正解。庭に居ても被害無しとはいかないでしょう」

 

 妖精メイドの顔が青褪める。これからのことを思ってか、将又咲夜の身を案じたのかは分からないが、状況が芳しくないことを理解したのは感じ取れた。

 

「分かりました! さっきみたいに皆に呼びかけます!」

「お願いしますね」

「それで、美鈴さんはどうするんですか?」

「紅魔館の中に行きます」

 

 その答えに妖精メイドの顔は更に青褪めた。制止を促そうと開きかけた妖精メイドの口に人差し指を当てて発言を止めさせた美鈴は笑顔で言った。

 

「だって私は、紅魔の門番ですからね。内であろうと外であろうと、私には紅魔館を守る義務があるのです」

「だからって……」

「紅魔館を守ると言うことは、何もこの館を守ると言うことではありません。ここの住民全てを守ることなのです」

 

 決意を固めた美鈴はその妖精メイドに背中を向ける。それは、最後の逃げ道を自ら断つ意味を込めていたのだろう。

 

「だから、相手が誰であれ、住民を脅かす者に容赦をしてはいけない。それが例え、暴走したお嬢様でもね」

 

 言うと、美鈴は玄関へと向かって一直線に走り出しす。

 妖精メイドが最後に見た美鈴は、右手を横に突き出して親指を立てていた。

 

「非力な私達を許してください。そしてどうか御無事で……!!」

 

 両手を握り締め、精一杯の願いを込めた妖精メイドはお腹から声を出して叫んだ。

 全員、門外へ退避。美鈴が告げた頼みを。

 




次の投稿からこの章の投稿時間は午後十時となります。
時間こそ遅いですが、どうか読んでください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章五話 紅魔に仕える二人

「さて……」

 

 紅魔館館内に入った美鈴はまず、ざっと周囲の気配を探る。複雑な内部構造をしている為に、少し油断すると曲がり角を曲がった直後に鉢合わせするかもしれないからだ。

 感覚的な安全を確信した美鈴は、更に先程爆発があった場所へと急ぐ。今度は鉢合わせを回避する為ではなく、レミリアを見付ける為だ。未だにレミリアが暴れているということに半信半疑だが、そこに行けば少なくとも手掛かりは有るだろう。

 

「仮に本当だとしたら、咲夜さんの命も危ないってことよね……お嬢様の状態によっては咲夜さんが食べられてしまう可能性も……」

 

 走りながらそこまで考えて、そしてそれ以上を考えるのは止めた。最悪の結末を安易に想像出来る程、美鈴の心は強くない。ただ無心で目的地へと走り続ける。

 

 そんな時だった。美鈴の走っている直ぐ隣の壁が、反対側から破壊されたのは。

 咄嗟に前方へと転がり、何とか壁の破片の直撃を回避しながら、美鈴はその方向を確認する。

 粉塵の中飛び出して来たのは、他でも無い咲夜だった。

 

「さ、咲夜さん!?」

「美鈴!? 貴女、どうしてここに……!?」

 

 互いに驚いた様な声を上げて動きが止まるが、咲夜は直ぐにそんなことをしている場合ではないと我に返る。呆け面をしている美鈴の右手を強引に握って、美鈴が向かっていた方向へと走り出した。

 

「逃げるわよ。ここだと見通しが悪くて上手く戦えない」

「お嬢様とですか?」

「話が分かってるじゃない」

 

 走りながらニヤリと笑う咲夜。しかし、その横顔には焦りが浮かんでいた。

 

「恐らく今お嬢様は粉塵で視界が封じられている。今の内に出来るだけ距離と時間を稼いで、態勢を整えるの」

「態勢も何も、その程度で戦力をひっくり返せる相手ではありませんよ!?」

「分かってるわよ。勝つんじゃない。私達は今から足掻くのよ。足掻いて足掻いてお嬢様の戦力を削って、最終的に元に戻す。これが私達のするべきことなのだから、戦力をひっくり返す必要は無いの」

 

 言うと、太腿のナイフホルダーから一本のナイフを取り出し、後方へと投げる。鋭利なナイフは粉塵を散らすことなく、その先の虚空へと消えていく。

 これによって後方確認を行いながら、咲夜は走る足を更に速めた。握っていた美鈴の右手も離し、距離を稼ぐことを一番に意識する。

 

「でも、態勢を整えるって言っても、具体的にどうするんですか?」

「まずは広い所に行く。今のお嬢様がスペルカードルールに縛られてくれるかどうかは分からないけど、弾幕勝負となったら回避に使う十分なスペースがあるだけで全然違うから」

「弾幕は自信無いです」

「何言い切ってるのよ。もし近接戦闘になった場合、私よりも貴女の方が活躍するに決まってるじゃない」

「それはそうかもしれないですけど……弾幕勝負じゃなくなったり、スペルカードルールを無視したりなんてあるんでしょうか?」

「可能性が否めないってことよ。言葉が通じないなんてどう考えても普通じゃない。ならば、人為的に定められたルールなんて意味も無いに等しいの」

 

 曲がり角を曲がったところで二人は一度立ち止まった。この先の廊下に曲がり角が連続しているので、先回りされている可能性を考慮して安全を見極める為だ。

 

「大丈夫みたいね」

「そうですね。取りあえずどこに行きますか?」

「広い場所で一番確実なのは食堂。あそこは紅魔館の中でも無駄に広いから」

「分かりました。それじゃあ、一気に駆け抜けますよ」

「元よりそのつもりよ……!!」

 

 二人は顔を合わせて一度頷くと、一気に走り出した。

 

 

 

 

 

(なるほど……体の制御を奪う程力を暴走させた訳ね。ただ、単純に力を操ったって訳でもなさそうだけど)

 

 自分以外誰も居なくなった廊下にレミリアは立っていた。自分自身の制御を失うという極めて奇妙で且つ数奇な体験をしている彼女は、心のどこかでこの状況を楽しんでいた。

 確かに、大切な従者に不必要な牙を向けるのは本来望むことではない。けれど、従者を試してみたいという好奇心もまた彼女の中に存在しているのだ。抱いてはいけない好奇心と分かってはいるものの、体が動かせない分思いが強く浮き出てしまうのか。

 そのような推測を抱くことも含めて、レミリアは楽しんでいた。

 

(さて、この状況に咲夜達はどう挑むのかしら。暴走した私なんて、生半可な覚悟で戦えば、例えスペルカードルールの中でも命を落としかねない脅威のはず)

 

 ゆっくりと歩き始めた自分の動きにも注目しながら、レミリアは更に想像を続ける。

 

(今は昼間なんだから、外に逃げれば一応の安全は確保出来るわよね。逃げ道が有るってことは、多少の無理にも挑戦出来る)

 

 もし今のレミリアに体を動かすことが出来たなら、果してどのような表情を浮かべているだろうか。

 心の中で、さぞ楽しそうな笑みを浮かべながら、レミリアはゆっくりと歩いている。

 

(咲夜達のことだから、どうやっても私を殺すことは考えないはず。……さて、貴女達はこの前代未聞の強敵を相手に、如何にして挑むのか、拝見させてもらうとするわ。兎に角、頑張ってね)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章六話 独りの妹

 紅魔館には窓の無い地下室が有る。そこは物置等ではなく、その地下室を自室として生活している吸血鬼が居る。

 その吸血鬼はフランドール=スカーレット。当主であるレミリアの妹だ。

 かつてこの地下室に幽閉されていた名残から、今でもここを自室として使っているのだ。

 そんな彼女は今、

 

「暇だなぁ……」

 

 言葉の通り、暇だった。と言うのも、部屋に有る遊び道具は片端から壊してしまったのだ。人形も何もかも、全て壊して残骸となった。

 それは衝動的なものによるのではなく、日常的に壊れていく。どれだけ新品でも頑丈でも、問答無用で全て壊れていく。

 

「咲夜に頼んで何か作ってもらおうっと。ついでにお腹も減ったし、おやつ頼もうかな」

 

 紅魔館の中でも割と孤立している彼女の生活は、実に気ままである。昼間は紅茶を飲んだり寝たりしているレミリアと違い、昼間も何かしら見付けて遊び、夜になれば外に出て遊ぶ。流石に三食の食事は他の住人と取る様だが、それ以外は基本一人だ。

 

「何作ってもらおうかなぁ……お人形は直ぐ壊れちゃうし……まぁ、何作ってもらっても一緒ではあるけどさ」

 

 重い扉を開けて部屋の外へと出て行く。不自然に人気を感じられなかったが、フランドールは特に気にしなかった。皆忙しくて地下室の近くに居ないだけだと決め付け、それが事実ならば、結局誰も自分に注目をしてはいないと言うことに寂しさを覚えた。

 風通しが悪く蒸し暑い階段をぼちぼちと登っていけば、他の皆との感覚的な距離が縮まる。そう自分に言い聞かせると、重い足取りも段々と軽くなる気がした。

 

「咲夜は今どこに居るんだろう……たぶん、掃除中だと思うけど……」

 

 階段を登り切ったフランドールはそのまま人気の無い廊下を歩いていく。時折窓から僅かに差す日光を避けたりしながらどれだけ歩いて行っても何の気配も感じないことに少し不安を感じながらも、深く気にすることはなかった。

 

「さーくやー! どこー?」

 

 呼びかけても帰ってくる返事は無い。寂しさを通り越して苛立ちを自覚し始めるフランドールは、足音を大きくする。ズカズカと暫く廊下を進んで行けども、やはり誰とも出会うことが無い。しかし、苛立ってきたフランドールにとってそれは段々とどうでも良くなってきてしまい、寧ろ咲夜を見つけ出すことに集中し始めた。

 

「全く……意地でも見付けてやるわ。手当たり次第に部屋を漁る勢いでね!!」

 

 テンションも段々と上がってきたフランドールは足を速め、廊下を駆けて行く。咲夜が居そうな部屋を全て確認すると言う、迷惑極まりない行為に移ろうとする彼女だったが、不意にその行動が全て止まった。

 棒立ちになり、辺りを見回す。

 

「何か、変な感じがする」

 

 ポツリと呟いて、改めて周囲を見回す。未だに何者かの気配は感じられないけれど、何か妙な予感が彼女を包んでいる。

 そしてそれは唐突に訪れた。

 何処で起こったかは分からないけれど、体感出来る爆発の余波が地面を駆け抜けたのだ。

 足先から伝わり、頭の先まで揺れを感じたフランドールは、キョトンとした表情を一変させ、悪魔的な笑みを浮かべた。

 

「これは、どこかで戦いが起こってるって言うことかな?」

 

 戦いは彼女にとって、唯一壊れない遊び。場所は分からないが、紅魔館の中を駆けまわれば必ずや戦場に辿り着けるだろう。

 彼女は再び走り始めた。己の欲求に駆られ、走り始めた。

 

「多分向こうだよね。足に伝わってきた振動から考えると向こうなはず」

 

 感覚的に得た情報を頼りに大体の場所を考える。そして、場所が掴めれば迷うことは無い。

 彼女は戦いを求め、その足を速めていく。

 

 

 

 

 

「吸血鬼の特性として流水の中では行動出来ないの。だから、キッチンにある大きな鍋に出来る限り水を溜めるわよ」

「大きな鍋って……ここにあるの全部ですか!?」

「当たり前でしょ。兎に角、お嬢様が来るまでに対抗できる手段を一つでも増やしておくの。これは時間との勝負よ」

 

 フランドールが廊下を駆けまわっている頃、咲夜と美鈴の二人はキッチンに居た。先程稼いだ時間にものを言わせて、圧倒的な相手に一泡吹かせるに足る準備をしていた。

 吸血鬼は他の妖怪と比べて力が強い代わりに、特徴的でかつ単純な弱点が多い。咲夜の言った通り、流水もその一つ。他の弱点と違い完全な無力化は出来ないが、隙ならば作ることが出来るだろう。

 

「で、この鍋の水を掛けた後はどうするんですか?」

「分からないわ。時の判断に委ねるしかない」

「え」

「吸血鬼は弱点が多い代わりに、その弱点の一つ一つが致命傷になりかねないの。お嬢様の弱点を突く手段は大量にあるけれど、不用意に使うと命に関わりかねないのよ」

 

 そう、この戦いは相手を殺すことが目的ではない。兎に角、無力化させることが第一なのだ。故に、過剰な行為を行うことが出来ない。

 

「それ、だいぶ不味くないですか?」

「ハッキリ言うと、かなり不味いわ。何とかしないといけないけど、手段は限界まで限られているんだから」

 

 水でいっぱいになった鍋を流し台から出し、別の鍋に水を入れ始めながら咲夜は続ける。

 

「最悪、空に頼る」

「空……日光ですか!?」

「極めて一瞬だけ当てるのなら、恐らく無力化するに止まるから」

「失敗したら終わりじゃないですか!」

「だから、最悪と言ったの。最終手段に決まってるでしょ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章七話 二色の紅

 カツン、と紅魔館の廊下に革靴の音が響く。ゆっくりと、一歩一歩確実に且つ堂々と進むレミリアは、さながら女王の様だった。

 しかし、それは真の彼女ではなく、力に取り込まれた偽りの姿。外見に変わりは無くとも、表層的な内面は冷酷にただ血を追い求める存在と化している。

 

(見事に誰も居ない。咲夜か誰かが全員を退避させたのかしら)

 

 深層的な内面に残った彼女の本当の心はあくまで冷静であった。自分の置かれた状況を飲み込み、それでいて楽しむレミリアは本当に落ち着いている。

 

(果たして、それが幸となるか不幸となるかよね。確かに被害は減るけれど、咲夜自身に掛かる負担は確実に大きくなる。どう考えても、狙いは咲夜ただ一人に限定されるのだから)

 

 無表情のまま、淡々と廊下を歩いていく。体の制御を奪った力も、特に荒れる様子が無い。少なからず本当の自分の影響を受けているのだろうか、そんな考察を挟みながらも、レミリアは頭を休めない。

 自分の従者を試しているかの様なレミリアは、ただ咲夜に残っているであろう光明を探る。

 

(如何に私の弱点を突くか、そこがポイントとなるのは間違い無いわよね。咲夜のことだから、吸血鬼の弱点なら網羅してると思うし、その中で咲夜が何を選択するかよね)

 

 自分で自分を倒す手段を考える。そんなあまり体験しないこと自体を深く味わう暇は無い。何よりも、レミリア自身の自覚していない焦りが、兎に角何かを考えないと平静を保つことを許してはくれない。

 そんな時だった。レミリアの耳に小さな足音が聞こえた。制御の奪われた体は自然的にそちらへと向く。

 そこに居たのは、

 

(フラン……!?)

 

 紛れも無くレミリアの妹、フランドールだった。何かを求める様な笑みを浮かべるフランドールに、レミリアは何か不穏なものを感じ取る。今の状況では絶対に相対してはいけなかったと確信出来る、そんな何かを感じ取る。

 先程まで心に合った楽しみが一気に冷めていく。奥底で燻っていた焦りが、一気にレミリアの本心に喰らい付いてきた。

 

(何か……何か手は無いの……!? フランと戦うことになってしまえば、どう考えても互いの被害が大き過ぎる。何とか回避したいけど、体の制御が出来ない以上何も出来ない……!)

 

 考えれば考える程、レミリアは自分を追い詰めていく。けれど、その焦りも今の体に現れることは無く、ただ無表情にフランドールと相対している。

 

「お姉様……?」

 

 フランドールの僅かに疑問の籠った声が響く。焦りを募らせるレミリアの思いも虚しく、時は刻一刻と流れていく。その一瞬一瞬で焦りが募っていくレミリアの本心の思いは世界には届かない。

 無慈悲にも、レミリアの体はスカートのポケットから一枚のスペルカードを引き抜いた。

 神槍『スピア・ザ・グングニル』

 それは、たった一段の弾を極限まで破壊に特化させた特異なスペルカード。出現させた球を潰してしまう程の力で握り、大きく振りかぶる。目を背けようともそれが出来ない現実に、レミリアは抵抗することは出来ない。

 空を裂き投げ放たれたその一弾は、その名の通り槍の様に変形する。耳を劈く様な轟音を撒き散らし、一直線にフランドールの首筋を狙う。

 けれど、その一撃がフランドールを貫くことはなかった。その直前に、他でも無いフランドールによって阻まれたのだ。

 

「禁忌『レーヴァテイン』」

 

 あまりにも巨大な炎の剣。槍の一撃が当たる直前にその剣でもって弾いたのだ。フランドールを中心に衝撃が辺りを駆け巡り、廊下の窓が震える。

 刹那的に増した極度の緊張がその場を支配する。二度三度、何かを払う様に剣を振ったフランドールは、先程浮かべていた笑みを残酷なものへと変化させる。

 

「お姉様だったのね。さっき感じた戦いの衝撃の元凶」

 

 更に剣を振り払い、一歩一歩近付いてくる。具体的な戦闘力の差は上手く把握出来ないけれど、レミリアの考える通り、強大な力がぶつかり合えば、当事者よりも周りの被害が大きい。まして、それが当事者にとっても命懸けの戦いならば、周りへの被害は更に大きくなる。

 だからと言って、何が出来る訳でもない。今のレミリアに出来ることは、精々最も危険な所から眺めることしか出来ない。

 

「どうやら今のお姉様は、本当のお姉様じゃないみたいだし、止めてって言っても無駄だろうしね」

 

 迫ってきたフランドールとの距離は、遂に絶対的な範囲に入る。二人ならば一度の跳躍をするだけで懐に入り込める絶対的な範囲。

 一触即発の状況の中、火蓋を切る言葉が響いた。

 

「手加減は無しだよ。どっちが強いか、決着にしよう」

 

 

 

 

 

 淡々と戦いの準備を進めている咲夜と美鈴の二人。黙々と作業を続けていたからか、既に水は十分すぎる程の準備が出来ていた。

 

「さて……もう良いかしらね」

「……そう、ですね。これだけあればかなり抑制出来ると思います」

「後は、お嬢様を如何に食堂に誘い込むかよね。安全面を第一に考えると、出過ぎた囮も良くないし……」

 

 二人が考え込んでいる、その途中だった。

 突然、紅魔館全体が大きく揺れた。地震のそれとは大きく異なり、大きな衝撃によって強引に揺さぶられている様な感触。あまりに突然の出来事に二人は辺りを見回す。けれど、そこにあるのはキッチンの地味な壁だけだ。

 

「何があったのかしら……!?」

「分かりません……ただ、自然的なものではないのは確かです」

 

 今の二人にとっての危険性が少ないと分かると、直ぐに状況の飲み込みに入る。

 

「じゃあ、誰かの手によって起こされたと言うことよね」

「そうなります。だとすると、現状考えられるなら……」

「お嬢様、ね」

 

 咲夜の言葉に美鈴が頷く。認めたい訳ではなく、寧ろ美鈴は豹変した後のレミリアと対峙したことも無い。どのような状態かは分からないけれど、対峙経験のある咲夜の同意は、美鈴の考えを裏付けると言うに足るものだった。

 

「つまり、逆にチャンスですよ」

「お嬢様の場所が比較的容易になったとか?」

「そうです。紅魔館全体を揺るがした程ですから、もしも断続的に起こしてくれるならば必ず相応の音が伴います」

「その音を頼りにしたら、お嬢様に会えるって訳ね」

「上手くいけばの話ですけど」

 

 控えめな美鈴の付け足しを聞き流した咲夜は、少し考えてから美鈴に支持を出した。それから、咲夜は一人でキッチンを出て行った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章八話 紅く染まる

どうも、お久しぶりです。
新たに連載開始した二つの作品が十話を越えるまでは更新しないと言う自分ルールを設けていたため、こんなに遅くなってしまいました。
申し訳ありません。


 静寂に包まれた館内はもはや過去のこと。薄暗い館内には今、轟音が連続的に炸裂していた。

 人ならぬ妖同士の、想像を超えた死闘。それが、館内全体を震わせているのだ。

 その吸血鬼の片側、金髪を揺らす妹は猟奇的に笑う。

 

「ほらほら、どうしたのお姉様!! そんなになってもまだ弱いのかしら!?」

 

 暴力的な弾幕を撒き散らし、実の姉を追い詰めていく。もはや、その暴挙は周囲のこと等関係無く、無尽蔵の破壊を撒き散らす。そこに善性は微塵も有りはしなかった。

 

(どうしたものかしら……私の意志で干渉出来ないのが凄く悔やまれるわね……)

 

 意識の中で歯噛みしながら、何とか打開する方法を模索するレミリア。感覚的に彼女自身の全力は発揮されておらず、今この瞬間の闘いはどこか楽しんでいる様だった。

 果たして、そのことにフランドールは気付いているのか。レミリアの自問自答の答えは否だった。

 つまり、今の操られたレミリアが全力になってしまえば、フランドールは時間なく壊れることを意味する。フランドールは力の制御を知らない為に、今この戦闘でも全力で戦っているに違いないからだ。

 

(ただ……中途半端に可能性が残されているのよね。悔しいけど、それに賭けるしかない。今の私では、この状況を改善出来ないんだし)

 

 一発の弾が頬を掠めた。それに反応した体は、回避重視の戦い方を切り替える。狂気的な力を得たレミリアの弾幕は、本来の彼女の弾幕の個性と合わさって圧倒的な物量に変貌する。もはや、それは幕ではなく壁に等しかった。

 圧倒的、その単語をそのまま表現する攻撃を前にしたフランドールは、

 

「禁忌『フォーオブアカインド』」

 

 挑発的な笑みを浮かべたまま、その姿が分身する。

 量の敗北を一度の発射数で強引に補う作戦に出たフランドールは、分身した後も弾幕を緩めることはしなかった。

 既にその場は様々の色の弾に包まれて、状況を確認することすらも難しくなっていた。空気が震え、小さな物音は掻き消され、ただ有るのは常人を拒む戦場だけ。

 

「さぁ……ここからが本番だよ、お姉様。水入らずの時間、思いっきり楽しまないとね」

 

 笑うフランドールが壊れるのが先か、僅かな希望が生まれるのが先か。

 焦るレミリアだが、時間は刻一刻と過ぎていく。そんな、何百個目かの弾が目の前を通り抜けた瞬間のことだった。

 

「お嬢様ッ!! 妹様ッ!!」

 

 不意に、後方から高い声が響いた。意図していなかった出来事に姉妹の動きが一瞬固まる。

 その一瞬さえ有れば、その声の主が二人の間に割って入るには十分だった。

 

「咲夜!! 何で割って入って来るのさ!! 今お姉様と遊んでたのに!!」

「別に、これが正真正銘の遊びならば手出しはいたしません。けれど、客観的に見てこれは吸血鬼同士の死闘。周りへの被害やお二人自身のことを考えると、止めに入るのが私のすべきことなのは間違いないでしょう」

 

 万が一にも即死する可能性のある場所に立っていながら、咲夜は冷静だった。氷の様に鋭い眼差しを吸血鬼の姉妹へと向けながら、ただその場に佇む。

 

「即ち、戦いを続けるのであれば、私達はそれ相応の対処を取らせていただきますよ」

「なるほどねぇ。ま、何が出来るかは知らないけど、さッ!!」

 

 少しの間だけ静かだったその空間に、再び轟音が炸裂した。咲夜ごと巻き込み攻撃しようと、再びフランドールは笑う。

 けれど、咲夜はその表情を一切崩すことは無かった。何故なら、その後のことがもう分かっていたからだ。

 パチン、と細い右手の指を鳴らす。その一泊後に、

 

「了解でっすよぉ!!」

 

 どこか気楽さの残る声が響いた。隠れる様子の無い声の主は、両手に大きな鍋を掴んだまま一直線に走ってくる。しかし、戦いに熱狂し、咲夜に注目を向けていた吸血鬼の姉妹は僅かに反応が遅れてしまった。

 

「失礼しまぁす!!」

 

 戦場のド真ん中に割り込んできた乱入者はその鍋の中身をその姉妹に向けて全力で掛けた。

 その中身は純粋な水。そして、吸血鬼は流水の中では動くことが出来ない。

 つまり、放出されることで流れを得た水は吸血鬼の姉妹を二人同時に無力化させる。

 

「良い仕事よ美鈴!!」

「いえいえ」

「兎に角、今は撤退するわ。妹様をお願い!!」

「はーい、了解です!!」

 

 全身を濡らし、キョトンとした表情を浮かべるフランドールを美鈴は優しく抱え上げる。

 

「ちょっと!?」

「少し走るので揺れますよ。しばらく我慢していただけると幸いです」

 

 咲夜に先導で、ひたすらその戦場から離れていく三人。

 後に残るのは、大量の破壊跡と濡れた吸血鬼の姉だけだった。

 

(感謝するわ咲夜、そして美鈴。さて……私が再び動けるようになってから、貴方達がどう動くかを拝見させてもらおうかしら)

 




シリアスって難しい……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章九話 闇の底で

まず、更新が遅れたこと、申し訳ありません。
投稿時間を変えたこと、申し訳ありません。


「……何と言いますか、静かですねぇ……」

 

 紅魔館地下に有る大図書館。その片隅にある椅子に小悪魔は腰かけていた。広大な図書館の中は、ただ彼女が本のページを捲る音だけが単調に響いている。

 本来のこの図書館の主であるパチュリーは現在不在故に、彼女以外には誰も居ない。なので、彼女は何も気にすることなく読書に集中しているのだ。

 

「にしても、パチュリー様ったら、帰る時間位教えてくれたら良いのに」

 

 暇を持て余しているかの様に何度も足を組み直し、何度も何度も読み過ぎて内容が完全に頭に入っている本をパタンと閉じる。

 壁に掛かっている時計の短針は、パチュリーが出掛けてから既に三周していた。ごく普通の体力を持つものならば特に気に掛ける必要は無いが、滅多にこの紅魔館から出ないパチュリーとなると話は変わってくる。今何処かで日光にやられて干からびているのでは、と少々心配になる小悪魔。かなり過保護である。

 

「……まぁ、その内帰って来るだろうし、今は一人の時間を楽しもうかしらねぇ」

 

 心配そうな表情から一転して、今度は膨大な知識を独占する愉悦にひたる。

 さて、新しい本に挑戦してみようかしら、と重たい腰を上げ、近くの本棚に歩み寄る。口元に手を当て、目前の本を選んでいると、突然入口の扉が大きな音を上げた。

 肩を強張らせ、手に持っていた本を床に落としてしまう小悪魔。急いでその本を拾い上げ、抱き締めながら扉に警戒の視線を投げかける。

 乱暴にその大きな扉が開かれて、入って来たのは小悪魔にとってよく見知った顔だった。

 

「さ、咲夜さん!? に美鈴さんと……妹様? ど、どうなさったんですか?」

「一人の時間悪いわね。ちょっと匿ってもらうわ」

「は、はぁ。匿う? と言うか、妹様びしょ濡れですけど」

「少しばかり図書館の外であったんですよ」

 

 うっすらと額に汗を浮かばせて、後ろ手に扉を閉める咲夜。フランドールを抱えていた美鈴は手頃な椅子にフランドールを座らせてタオルを取り出し、濡れそぼったフランドールの体を丁寧に拭いていく。そのフランドールはと言えば、キョトンとした表情を浮かべていたが、思い出した様に頭を振り、髪に付いた水滴を落としている。

 

「それで、何があったんですか?」

 

 そんな咲夜達に、小悪魔はそのまま疑問をぶつけた。

 

「簡単に言うと、お嬢様の暴走。原因は分からないけれど、今はただの猛獣みたいになってるの」

「猛獣ですか……」

「そうですよ。たぶん、言語が通じる様な状態じゃないと思います」

 

 フランドールの頭を拭きながら、美鈴が割と気楽そうに言う。意外と力が入っているのか、顔を覆われたフランドールがジタバタしていた。

 

「それでまぁ、そんなお嬢様と妹様が交戦していたので、私と咲夜さんで妹様を連れ出してここまで逃げてきたんですよ」

「なるほど、事情は大体分かりましたけど……どうするんですか? ここ、出口が一つしか無いので、実質完全に追い詰められていますけど」

「だったら、お嬢様がここに到達する前に抜け出すしかないの。完全に袋の鼠と化す前に、少しでも何とか出来る見込みのある場所にね」

「それって、どこですか?」

「分からない。だから、ここを出てから探すしかないわ」

 

 思い切り真面目な顔でそんな曖昧なことを言われた小悪魔は、軽く絶望した。

 

「それ、どうするんですか!? 不意打ち受けたら終わりですよ!?」

「その時はその時よ。運命だと思って諦めるしかないわね」

「そんなぁ……」

「それと、小悪魔。貴方に一つ頼みがあるの」

 

 表情を一切崩すことなく、咲夜は小悪魔の瞳を見詰めている。

 その瞳はノーと言うことを許さない様な冷徹さが混ざっていた。

 

「妹様を、何とか守ってもらえないかしら」

「妹様、をですか?」

「えぇ。私と美鈴はお嬢様を何とかしに行くけれど、そうなれば妹様の傍に立つ者が居なくなる。だから、貴方に託すしかないのよ」

 

 美鈴から解放され、頭を振って髪を乾かそうとしているフランドールには、どうやらその会話は聞こえていない様だ。タオルを折り畳み、近くの机の上に置いた美鈴は静かに小悪魔の返答を待っている様である。

 

「……もしもの話、私が妹様を守り切れなかったとしたら?」

「貴方は決して失敗しない。でなければ、貴方には頼まないわ」

「……分かりました。引き受けましょう……それでも、過度な期待はしないでください」

「ありがとう。とても助かるわ」

 

 口角を少し上げるだけの笑顔を見せて、咲夜は小悪魔に背を向けた。

 もう一度、戦いの場に戻る為に。安全圏を脱する為に。

 咲夜は、静かに背を向けた。

 

「私と美鈴が出て行ってから暫くして、安全だと思ったら出て来なさい。幸い、戦いの音は大きい筈だから、私達が交戦の途中ならお嬢様に遭遇しなくて済むと思う」

「交戦の決着がついていたら?」

「私達が勝っている筈よ。胸を張って出て来なさい」

「それじゃあ……行きますか咲夜さん」

 

 気楽な声で美鈴が咲夜の肩を叩いた。これから死地に赴くからこそ、気持ちにゆとりを持とうでも言いたいのか、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 

「あ、そうだ。行く前に一つ話をしておきましょう」

「何の話?」

「まぁ、話って程でもないですけど」

 

 咲夜の前に出たことで、自然に小悪魔の前にも立つ構図になった美鈴は、笑みを崩さない。

 

「もうダメだ。そう思ったならば、最も危険な場所に全力で逃げてください。生きたければね」

 

 最後に小首を傾げた美鈴は振り返り、大きな扉のノブに手を掛けた。後は、手に力を加えるだけでその扉が開け放たれる。

 後戻りは出来ない。

 美鈴のその一言を飲み込み、そして理解した咲夜と小悪魔は顔を見合わせて小さく頷き合う。

 

「頼むわよ」

「任されました」

「じゃあ、行きましょうか、美鈴」

「はいはーい。扉、開けますね」

 

 相も変わらず気楽な声を上げて、美鈴は扉のノブを回す。そのまま、遠慮せずに開けようとした、その直後、

 

「咲夜!! めーりん!!」

 

 椅子に座っていたはずのフランドールがいつの間にか立ち上がり、その小さな体で出せる精一杯の声で叫んだ。

 

「がんばってね!!」

 

 少し震えたその叫び声。先の会話も、聞こえていなかった様に見えていただけなのだろうか。

 咲夜と美鈴は顔を見合わせて、少し目を閉じる。

 二人は言葉には表さず、微笑みと立てた二本指で意志を示した。きっと、それだけで伝わる筈だから。

 それでも不安そうなフランドールの手を小悪魔が握ったのを確認して、二人は無言で大図書館を後にした。

 

 大図書館の入り口の扉の前、二人は少しの言葉を交わす。

 

「猶更死ねなくなりましたね」

「妹様にあんなことを言われてしまったらね。意地でもお嬢様を止めないと」

「さてさて、取り敢えず、水入りバケツを取りに行きますかね。食堂ってどっちでしたっけ?」

「何で忘れてるのよ……食堂は向こ」

 

 言い掛けた咲夜の言葉が唐突に途切れた。一瞬、その理由を咲夜本人にも分からなかった。

 何故? どうして?

 幾ら考えても答えは浮かばない。彼女一人では、どうしても結論を出せなかった。

 だから、その答えは意外な場所から判明する。

 

「すみません、咲夜さん」

「美、鈴……貴方、何をして……」

「少しだけ、眠っていてください」

 

 その言葉を聞いて初めて、美鈴が意識を刈り取ってきたのだと理解した。

 けれど、それは既に過ぎたこと。糸が切れたマリオネットの様に崩れていく自分を制御出来ない。両目を見開いて何とか美鈴の顔を見ようとも、視線そのものが定まらない。

 

「何、で……?」

「ごめんなさい」

 

 それでも、その声だけは鮮明に聞こえた。

 決して裏切った訳ではない、その固い意志の声が。

 

「それでも……私にも、譲れないものが有るんです」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十話 華人小娘の覚悟

もう少しで連載開始から半年。
のんびりやってますが、今後ものんびり書いていきます。


 裏が擦り減り、地面の固さが直接足の裏に伝わる様な靴を履き続けている美鈴は、独り長い廊下を歩いていた。

 小悪魔は咲夜の指示を守ってフランドールの護衛をしてくれることだろう。そして、その咲夜は自らの手で安全な所に寝かして来た故に、今の彼女に共に戦ってくれる者は居ない。

 不安が心に暗い影を落とすが、直ぐに首を振ってその不安を払拭する。考えるまでも無い。今まで自分は、門番として主も知らない場所で独り戦ってきたではないか。この戦いがどんなものであろうと、その延長でしかない。

 そう何とか自分に信じ込ませることで精一杯な事実も、確かに感じてはいるけれど。

 

「さて……お嬢様の気配はどこから感じるかしら……」

 

 歩きながら、美鈴は目を細める。出来る限りの視覚情報を抑え、気配を探ることに集中する為だ。

 窓の外から聞こえる妖精メイドの声も段々と意識から遠退いていき、その気配が次第に鮮明になっていく。あくまでも感覚的なその気配に、段々と輪郭が付き始める。

 そして、

 今、自分の向いている方向、その右斜め前方に、戦うべき相手の気配を察知した。

 

「よし……!!」

 

 目を大きく開いた美鈴は拳を握り、一直線にそこへと走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

(とんと誰も居なくなったわね……咲夜や美鈴、それにフランは何処に行ったのかしら?)

 

 相も変わらず操れない体の中で、レミリアはずっと考えていた。

 戦いの最中では焦ったものの、それをいつまでも続けることは彼女の中のプライドが許さない。先の焦りは既にその面影を無くし、いつもの様なカリスマ性を戻していた。

 とは言っても、体に現れない故に、客観的には何も分からないのだが。

 

(さて……これからどうなるのかしら。恐らく咲夜辺りがもう一度戦いに来ると思うけど……フランをどうしているかも考えるべきところかもしれないわね)

 

 考えた所で何の進展も無いのは承知しているのだが、考えないとやっていけない。自覚はしたくないが、内心かなり参ってきているのだ。

 

(誰が動くのか、それとも私の体が動くのか……どうやら、その結論は早々に下された様だけど)

 

 思考を行うことしか出来ないレミリアが意識の端に、何者かの影を感じた。

 ゆっくりとレミリアの体はその影に正面を向ける。余裕の混ざったその挙動は、敵意を持って対峙するその影に対して威圧感を与えるだろう。

 けれど、正面に見据えたその影は後ずさることもせず、ただただレミリアを見詰めていた。

 

(美鈴……)

 

 覚悟を決めたと言わんばかりに口を結び、紅魔の門番がそこには仁王立ちしている。

 周りに誰かが居る訳ではない。この圧倒的な相手を前に、美鈴はたった独りで挑もうとでも言うのだろうか。

 

「改めてですが、主に拳を向けること、ここに深くお詫び申し上げます。この戦いが終わった暁には、私のことを罰していただいて構いません」

 

 少し肩に掛かっていた後ろ髪を背中側に払いながら、美鈴は言葉を続ける。

 

「ですが、私とて門番。紅魔館を守る為ならば、この命を捧げる所存です。それ故に、例え相手が主であろうとも決して譲ることが出来ない戦いが有ります」

 

 握られていた二つの拳を、ゆったりと開き、腰を下ろしていく。

 心なしか、美鈴の瞳にナイフの様な鋭さが浮かんだ。

 

「この世界において最も近い位置で、私の最期の晴れ舞台を篤とご覧ください。願わくば、後の誉れにならんことを思って」

 

 音を感じさせない、流れる様な挙動で両の手を構える。

 死線に立ったその全身全霊の覚悟。果たして、その思いは届くのか。

 

(美鈴……どうやら、貴方はまだ分かっていないことがあるみたいね)

 

 体は何も発さない。美鈴には何も伝えられない。

 けれど、思いが伝わることを信じて、レミリアは心の中で命令する。

 

(だから、まずは私を倒しなさい。そして、何よりも無事でいること)

 

 レミリアの体が不敵に笑う。

 絶対的強者と有力な弱者の激突が、今ここに始まる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十一話 門番と雇い主

 美鈴は極めて冷静だった。体を横に向け、レミリアの攻撃に対してどこからでも反応出来るように集中力を研ぎ澄ます。

 

(お嬢様の攻撃は反応出来ない程の速度ではなかった。自分の力を過信するのは良くないけれど、私程度で何とか出来るかもしれない)

 

 何とか出来たとして、その先でどうするのか。その算段はまだだけれど、もうやるしかない。今の美鈴にとって大事なのは、戦うことだけなのだから。

 ただひたすらに静寂が流れていく。互いに相手の行動を窺い、また自らの隙を一切見せようとしない。

 

(美鈴の判断は懸命ね。実力差は目に見えている訳だから、下手をしたら勝負は一瞬で決まる。だったら、一手目は確実に取らなければならないから)

 

 思考だけを保ち続けるレミリアは、あくまでも冷静を装っている。今の暴走した己の力を曖昧でも分かっているレミリアは、美鈴が勝つ可能性を大方理解出来る。それは。決して高い訳ではなく、寧ろ限りなく零に近い。

 

(もし、私が手加減したならば万が一の可能性は掴められるでしょうけど……本気になってしまえば美鈴と私では比にならない。それに、美鈴が先手を取ったとして、その後の展開によってはあっと言う間に押し負ける)

 

 考えたところで、やはり何も行動は出来ない。けれど、その先の展開は読むことが出来た。

 

(つまり、私にとってはいつ動いてもデメリットは無い。ならば、私が取る行動は決まってるわね。このままでいても何も進展はしないのだから)

 

 レミリアがそう思ったその直後だった。その小さな二本の足が赤く彩られた絨毯の床を強く蹴り、一直線に美鈴の懐へと飛び込んでいく。

 戦いの再開は極めて一瞬だった。音すらも遅れる様な、刹那の間に美鈴に接近したレミリアは、指を綺麗に揃えた右手を美鈴の腹部に真っ直ぐ突き出す。その尖った爪でもって、その腹部を抉る為だ。

 そして、美鈴はそれを読んでいた。レミリアの速度、動き、それらを一瞬確認し、その突き出された右手に自分の右手を添える。そのまま、その一撃を体の横に逸らせ、手を交差させながら左手で掌底を放つ。柔らかい物を潰すような感覚と共に掌底はレミリアの顔に直撃する。

 自らの推進力と、その力とは正反対に働く掌底により、レミリアの体は大きく仰け反る。生じた一瞬の隙が有れ、美鈴には十分だった。

 攻撃を受け流した時、自然的にレミリアに向いた右肘を躊躇なく突き出す。

 鈍い音が響き、レミリアの華奢な体が大きく跳ね飛ばされる。

 

「余談ですが、私が普段から演武を欠かさない拳法に太極拳があります」

 

 両手を戻し、再び構えを取る美鈴。その声はのっぺりとしていて、いつもの明るい彼女とは懸け離れた冷徹さを秘めている。

 

「貴方はご存じないかもしれませんが、太極拳は柔の拳法とも呼ばれています」

 

 絨毯の上に倒されたレミリアは、ゆっくりとした動きで体を起こす。先の一撃もレミリアにとっては大したものではないらしく、わざとらしく服に付いた埃を払った。

 

「柔能く剛を制す。例えどれ程の時間が掛かろうと、お嬢様の体を騙る貴方に自爆の道を教えて差し上げましょう」

 

 美鈴が眼つきに鋭さを籠める。それを引き金に、レミリアが獰猛な笑みを浮かべ、猛撃を開始した。一手一挙動が運命を支配する、それを自覚している美鈴は平静を決して崩さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

 ぼんやりと、まだ完全にとは言えないが、他に誰も居ない部屋の中で咲夜は目を覚ました。見覚えのあるその部屋は、先程美鈴と戦闘の準備をしたキッチンだ。恐らく美鈴がここまで運んできたのだろうか。彼女の気配りか、咲夜は椅子に座らされていた。

 

「全く、何なのよ……何か意図があってのことなのかしら……」

 

 素の状態であれ、美鈴とレミリアには実力差が有り過ぎると咲夜は思っている。故に、双方が一対一で勝負をすれば、勝敗は目に見えているはずだ。咲夜はあくまでもメイドであり、そのような戦いに関しては、どう考えても美鈴の方が詳しい。力の差など、美鈴が一番分かっているはずだろう。

 だからこそ、咲夜には分からなかった。美鈴が自ら一人になった理由が。

 悪意でも何でもない、純粋な善意でこの様なことをしたことが、さっぱり分からなかった。

 

「まさか、私を戦地から遠ざける為に、わざわざこんなことをしたとでも言うのかしら……」

 

 そうだとしたら、素直に紅魔館の外に運び出せば良いのだ。こんなハイリスクな場所で寝かせておかないで、もっと良い選択も有ったのだ。

 咲夜の中で、様々な憶測が行き交う。それでも、一つだけ有る確かなことは、美鈴に猶予は無いということだ。兎に角、一瞬でも早く美鈴の元へ行かなければならない。

 一瞬を無限に変えられる咲夜は、まだ残っているバケツを一つ手に取って、キッチンを飛び出した。

 




大豆御飯は太極拳やその他の拳法にそこまで詳しい訳ではありません。
描写がおかしくなるかもしれません。すいません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十二話 紅の戦い

 レミリアの小さな体からはとても考えられない、強烈な蹴りが放たれる。もはや生物のそれとは思えない、鋼鉄の杭の様な過剰な一撃が、美鈴ただ一人に向けて放たれる。その足に空気が圧縮され、爆発する様な音が爆ぜた。

 美鈴は避ける素振りを見せない。ただ、その足の裏に合わせる様に体を後ろに動かして衝撃を和らげる。それでも冗談の様な衝撃が胸部を貫いたが、美鈴は気にせずにその足を掴み、回転させながら横に投げる。

 それでもレミリアは度重なる攻防でボロボロになった床に足をつけ、隙も見せずに再度攻撃を仕掛けようと強く蹴り出す。右手の紅く鋭い爪を突き出し、美鈴に突き刺す為に。

 それを漠然と予想していた美鈴は直ぐに態勢を整え、その攻撃に対応した。体を回し、左手で攻撃を逸らせレミリアを背中側に流し、すかさず右肘を側頭部に直撃させる。鈍い音が鳴り、今度こそレミリアの体がボロボロの床に転がる。

 二、三歩距離を取り、再び構えを取る。その美鈴の体には、この戦いの中で出来た真新しい傷が幾つも有る。けれど、その痛みを顔には出さず、あくまでも無表情のままだった。

 

「ふぅ……」

 

 先程から何度も繰り返した極限のやり取り。気を抜いた代償は即ち命。極限の緊張に弱音を吐くことも許されない。

 

(チャンスが無い限りは絶対に攻めないこと……堅実に、何よりも慎重に……)

 

 同じ言葉を何度も何度も心の中で繰り返す。頬を垂れた汗が伝い、場面に似合わないくすぐったさを感じる。後方に上げた左手で頬の汗を拭い、唾を飲み込む。起き上がるレミリアのゴソゴソとした音以外には何も聞こえない。

 ゆっくりと、レミリアが再び立ち上がる。口元からは血が垂れて、身に纏う白い服は所々破れている。それでも、力に溺れるレミリアは笑っていた。

 背中に生える漆黒の翼を広げる。レミリアの身長程もある両翼の長さは、美鈴に威圧感を与えてきた。

 そして、その口が開かれた。嗜虐的な笑みのまま、決定的な一言を口にしたのを美鈴の眼は捉える。声は聞こえないけれど、確かに告げていた。

 

 飽きた、と。

 

「マズい……!?」

 

 美鈴の中の何かが明確に叫んでいる。だからこそ、美鈴は全力で横に跳んだ。拳法や戦法をかなぐり捨て、本能のままにボロボロの床に俯せに倒れ込む。

 その直後だった。美鈴が立っていた場所を、深紅の光弾が貫いた。空を裂き、音すらも裂いて放たれたその光弾は、その射線上に有った太い柱を容赦無く破壊した。

 大量の破片と化した柱が美鈴に降りかかる。大小様々な破片は単純な落下の速度や断片の鋭利さによって痛みを生み出す。けれど、そんな些細なことに意識を配る猶予は無かった。両手両足を使い、俯せの状態から必死に柱の陰に隠れる。たった今の破壊を見ればそれはあまりにも無意味であるとは思えたが、遮蔽物が有ることでとても小さな余裕が生まれる。それでも、それは物音一つで弾けそうなものでしかないが。

 次の一撃がいつ来るかは分からない。レミリアが歩いて回りこんでくる可能性もある。美鈴はそのどれ程か分からない時間を使って兎に角考える。

 

(どうする……? もう、受け流すとか、緩和するとか、そんなことが通用する様な力じゃない……仮にその戦法を続けたとしたら、確実に私の体が壊れる……!!)

 

 その時、隠れていた柱が轟音を上げた。巨大な塊は一瞬にして数多の破片へと成り下がり、真後ろに居た美鈴に襲い来る。細かい破片を目に入れない様に、固く目を瞑り、別の柱の陰に全力で飛び移る。柱に手を突いて隠れたと確信した美鈴は目を開き、素早く部屋の中の残りの柱の数を確認する。その本数は、今この柱を含めて二本。ただし、たった今の移動よりも距離が離れ過ぎている。

 つまり、この柱を壊されてしまえば、隠れることは出来なくなる。

 

(もう、やるしかない……!! 受け身は無理だって分かっているなら、やられる前に……もう、やるしかない……!!)

 

 柱に隠れたまま、静かに両の拳を握る。それと同時にレミリアの一撃が放たれた気がした。

 強く床を蹴り、自ら遮蔽物の影を離れる。二本の足を床に押し付け、しっかりと態勢を整えたその時には柱は粉砕されていた。

 粉塵が宙を舞う。

 再び面と向かってレミリアと対峙した美鈴は、両肘を曲げてゆっくりと構えに移行した。

 

「八極拳……」

 

 それは、『柔』ではない『剛』の拳法。

 キッとレミリアを睨みつけ、反撃の狼煙を上げる。

 

「いざ、尋常に!!」

 

 声はそれだけで十分だった。

 真正面から、何の小細工も無しにレミリアに立ち向かっていく。その無謀とも言える姿にレミリアは更に獰猛な笑みを浮かべて弾幕を展開する。それは、幕と言うよりも壁に近い密度で、もはや全てを回避しきることは無謀にも思える。

 ただ、美鈴には最初から避けるつもり等無かった。雄叫びを轟かせ、自分に最も近い一弾に向けて右肘を全力で振り抜く。

 風船が割れる様な音が室内に響いた。あまりにも強烈な一撃を受けたその光弾はベクトルを正反対に変え、更に幾つもの小さな光弾に分裂した。拡散し、互いにぶつかり合い、美鈴が作った小さな火種は爆発的に広がって、その弾幕に風穴を開けた。

 その間も一切足を止めることなく、レミリアに対して攻撃が当たる絶対のところまで到達する。至近距離まで近付いて来た美鈴に反応したレミリアが透かさず右手の爪を突き出してくるが、美鈴の方が一瞬だけ動きが速い。

 鈍い音が響く。回す様に放たれた美鈴の右肘が、的確にレミリアの左頬に炸裂した。

 けれど、レミリアは表情を崩さない。衝撃で顔は横を向いたが、その向きを治すことなく左手の爪を突き出す。

 湿った音が響き、爪が刺さった美鈴の右肩から鮮血が滴る。骨にまで達した一撃に、その表情が苦痛に歪むが、行動そのものは決して止めない。傷を負った右腕を無理やり動かしてレミリアの左腕に絡ませ、ガラ空きの腹部に左肘を連続して打ち込んでいく。一撃打ち込む度に肉を潰す様な嫌な感触が伝わってくる。

 けれど、そこまでしてもレミリアは笑っているた。丁度五発目の肘を打った直後のこと、突然美鈴の腹部に衝撃が貫いた。体内の全てのものが逆流する様な強烈な吐き気が込み上げ、体格差を無視して美鈴の体がいとも簡単に吹き飛ばされる。

 それが、レミリアの膝蹴りによるものだと気付いたのは、柱の破片が乱雑に散らばる床に背中を強打した時だった。肺の空気が押し出され、呼吸が派手に乱れる。しかし、止まっている時間は明らかに致命的。

 体は既に言うことを聞かなくなってきているけれど、震えながらも美鈴は上半身を起こす。

 ただ、目の前に広がっていたのは、深紅の弾幕だった。

 頭や腹部と言った限定的にではなく全身を、防ぎようのない衝撃が叩いた。

 美鈴に出来たことと言えば、精々両手で頭部を守る程度。そのなけなしの防御でさえ、圧倒的な物量で弾かれ、解かれ、無意味へと退化する。

 美鈴の中で、何かが壊れた。

 弾幕の猛攻が過ぎた時、そこに転がっていたのは血塗れの美鈴。もう動く気配は無く、両の瞳に光は無い。何とか出来る、そう思っていた過去の己は殺され、今はもうその傲慢の罪を受ける程度の存在まで成り下がっていた。

 

「は、はは……」

 

 乾いた笑みが零れる。ゆっくりと歩み寄ってくるレミリアはまだ笑っている。

 果たして、本当のレミリアがこの状況を見たら何と言うか、今はそれを想像する余裕すら持っていなかった。

 

 ただし、それは今の美鈴だけ。他の全員がそんな状態な訳が無い。

 

 美鈴の目と鼻の先にレミリアの小さな靴が映る。視界を上げる気力も無いが、何となく見下されているのは分かった。

 きっと、止め。

 目を閉じることもせず、漠然と遠くを眺めていた。

 そんな美鈴の目を覚ます様に、目の前に突然滝の様な水が落ちてきた。レミリアを濡らし、その動きを止めたその水は果たして何か。疑問を浮かべた瞬間には、瞳に映る景色そのものが変わっていた。それどころか、床に臥していた筈なのに、今は二本の腕に抱えられている。

 

「確か、逃げる時は一番危ない所に逃げろって言ったわよね」

「へ、え……?」

「その通りにしたらこの様よ。一体どう落とし前を付けてくれるのかしら」

 

 起こる様な声。それは、いつも聞いていた、どこか優しさの籠った声。

 

「生き残ったら説教よ」

「……咲夜、さん……?」

 

 美鈴を抱えているのは紛れも無く咲夜だ。目は真っ直ぐに美鈴を見詰めて、暗に視線で言ってくる。

 これで終わりなのか、と。

 

「何で、来たんですか……」

「美鈴が私を逃がす為に昏倒させたのは理解した。それで、美鈴に言われた通りに逃げたらこうなった。それだけよ」

「普通に、逃げればよかったのに……」

「生憎と、私は指示に忠実な人間なのよ」

 

 美鈴を床に立たせながら、咲夜は続ける。

 

「さぁ、次は何をしたら良い?」

 

 美鈴が返答するよりも早く、咲夜は太腿のナイフホルダーから一本の銀のナイフを手に取った

 




くどい様ですが、大豆御飯は拳法にそこまで詳しい訳ではありません。
『普通はそんなことしないよ』的な動きを書いている場合が有ります。
申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十三話 砕け、その果て

訳合って文章がいつもと違う感じかもしれません。
気にしないでください。


(へぇ……ここに来て咲夜が戻って来たのね。舞台としては文句無しかしら)

 

 濡れそぼった体が再び動き始めた頃、レミリアの心は沸々と湧き上がる歓喜を感じていた。それが、果して何によるものかは分からないけれど、兎に角心が湧きたっていた。

 それは同時に、片隅にある不安を生み出させる。それは、体だけでなく、この残った心や意思までもが力に支配されていっているのではないかという、漠然とした不安。今この絶望的な状況に歓喜し、楽しむその心理こそが、何よりも証拠として十分過ぎる。

 思い返せば、この戦いが始まった当初から、楽しみと焦りを繰り返す様に感じてきた。それは、冷静に考えると普通の心理状況ではない。

 

(なるほど……もしかしたら、私自身の猶予も無いのかもしれないわね)

 

 けれど、レミリアは嗜虐的な笑みを浮かべた。

 不安を打ち消して、段々と強まっていく破壊欲求。それは、レミリアは気付いていないけれど、もう止まることを知らない段階まで登っていた。

 

 

 

 

 

「本当に、戦うんですか……?」

 

 ナイフを構える咲夜の隣、美鈴が震えながらそう呟いた。既にいつもの明るさは消え失せ、咲夜すらも見たことがない怯えた表情を浮かべている。

 それに対して、咲夜は美鈴を一瞬見ただけで、それ以上の反応を示さなかった。ただ、美鈴にだけ聞こえる様な小さな声で、少しだけ告げる。

 

「今までだって何度も何度も負けてきた筈よ。私は、たった一度の敗北で戦いを投げ出す様な腰抜けを雇った覚えは、人生で一度も無いわ」

 

 氷の様な一言。告げた咲夜は笑わない。

 いつの間にか両手に指には三本ずつナイフが挟まっている。

 合図は無かった。レミリアと咲夜の目が合った瞬間に、時間が再び動き始める。

 数え切れない程の深紅の弾が部屋を包み、それに匹敵する程の量のナイフが空気を裂いて突き進む。

 音と衝撃が部屋を震わせ、呆然と立つ美鈴の長い髪が揺れる。

 物量に紛れた二人の姿は今、美鈴の眼には映らない。美しくも残酷なその光景を前に、美鈴はぽつりと呟いた。

 

「何でそう、無駄な足掻きをするんですか……?」

 

 紅と銀の幕の向こうから、悲痛な叫び声が聞こえた。

 

「分かってるじゃないですか。無駄だって」

 

 紅が銀を段々と飲み込んでいく。

 

「敵う訳、ないんだから」

 

 紅が銀を消し去り、そして深紅の幕の中から見慣れた人影が吹き飛ばされていた。一瞬前まで綺麗だった筈なのに、今は服が引き裂かれ、思わず目を逸らしたくなる程血を流している。

 結局、無駄だった。

 深紅の弾幕は美しく散り、その中心にはその発動者たるレミリアが君臨している。

 その紅い眼が、美鈴を捉えた。

 

「……う、あぁ……やってくれるじゃない……」

 

 その時、くぐもっているけれど確かに聞こえた。ボロボロになった咲夜の、か細い声が。

 

「何美鈴を狙ってるのよ……まだ私は、倒れてないわよ」

 

 膝に手を突いて、よろめきながら立ち上がる。その右手には一本の銀のナイフが握り締められており、明確な殺意を浮かべている

 もはや正常とは懸け離れたその風貌に、美鈴は足を竦ませていた。

 雄叫びを上げて、咲夜が再びレミリアに立ち向かう。先程と同じ様に大量のナイフを設置し、物量でもってレミリアを無力化させようとする。しかし、攻撃を受け、弱り切った咲夜の攻撃等、先程よりも無力。

 レミリアはたった一段の紅い光弾を握り締め、それを全力で投げ放つだけだった。

 空気を裂き、荒らし、飛来するナイフを乱雑に吹き飛ばし、満足に動けない咲夜へと容赦無く向かっていく。

 時間は無かった。

 致命的な急所を外れたことは、まだ幸いだったかもしれない。

 腹部の中心よりも右側、横腹の辺りを深紅の光弾が貫いた。湿った音が壁に反響し、その体が宙を舞う。光弾よりも紅く黒い液体が飛び散る。その全てが、一瞬で終わった。

 床に叩き付けられ、口から鮮血を吐き出した咲夜。それでも、まだ動いていた。

 いや、動くと言うには不完全過ぎる。手足を僅かに痙攣させる様な、そんな程度のものだった。

 今度こそ、レミリアは美鈴を見据えた。

 けれど、美鈴は、そんなものを眼中に入れてなかった。

 僅かに首を持ち上げた咲夜、その口元が動いているのをハッキリと見たからだ。声は出ない。けれど、確かに口は動いていた。

 

 例え骸になろうとも、私は抗ってやる。

 それが、私の忠誠だから。

 

 美鈴が見ていないことに気付いたのか、レミリアもまた咲夜の方を見た。まだ、僅かに動いている。

 だから、レミリアは排除することにした。大した理由は無い。ただ、暴走する力が叫んでいるから。

 レミリアに蹴られた床が大きな音を上げる。鋭く尖ったレミリアの手の爪が、真っ直ぐ咲夜の首筋に向かっていく。

 

 美鈴の中の何かが壊れた。奥底で、ずっと抑えられていた何かが解き放たれた。

 戦地において、味方を骸に変えることは簡単だ。味方を生きたままにすることは、何よりも難しい。

 腐ることも簡単だ。立ち上がることは難しい。

 

 例え如何なる世界であろうとも、逃げることは簡単だ。逃げ続けることも、墜ちていくことも簡単。

 けれど、簡単なことを選べば、必ず代償が付き纏う。

 

 だから、美鈴は選んだ。

 

「させない……」

 

 右手に一発の光弾を生み出す。

 それを、ただレミリアを狙って投げた。

 こんなところで、終わらせて堪るか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十四話 もう一度

この小説の第一話投稿から、めでたく半年がたちました。
とは言っても、半年たってもこれだけしか話が進んでいませんが……
おれからも、どうぞよろしくお願いします!!


 何かが横から直撃した。

 一直線に標的の命を刈り取る筈だった体は、いとも簡単に跳ね飛ばされた。

 そして、衝撃が一瞬遅れて体を突き抜ける。具体的で確かな痛みを感じる。

 

「もう、何もさせない……」

 

 そんな、重い声が響いた。床に散らばった瓦礫を踏み潰す音が、段々と近付いて来ている。

 

(……美鈴……?)

 

 ズタボロにやられ、腐っていたはずの存在。もう敵性は無いと判断し、排除を後回しにした筈の存在が、またこちらを鋭く睨んでいる。

 その目は、殺意に満ちていた。先の戦いとは違う、無力化しようとか、そんな生温い感情ではない。紅く変色したその瞳は、彼女の優しさや温かさを完全に殺している。

 

「決めました……この体朽ち果てて、もう原形も留めなくなったとしても、貴方だけは潰してやる」

 

 何かが爆ぜた。枷が外れた猛犬が、その牙を見せる。

 

(……面白いじゃない。なら、その覚悟、この私に見せてみなさい)

 

 飼い犬に牙を向けられる、それはまさにこんな感覚だろうか。

 実感し、楽しみ、その上でレミリアは笑みを消した。

 鎖の付いていない猛犬など、飼い犬としては必要ない。ならば、排除してしまえば良い。そんな狂い、壊れ果てた思いが心を満たしている。

 もはや、何が狂っていて、何が壊れていて、何が正義で、何が本心かも分からなくなった混沌の空間。人ならぬ両者は、もはや何を目的としているのかも忘れているのかもしれない。

 

 レミリアがその体を美鈴に向ける。今までよりも冷酷な雰囲気を纏い、ただ美鈴を見ている。隙を見せれば猶予は無い。

 ふと動かした足元に何かが当たった。

 

(……銀の、ナイフ……)

 

 つい先ほどまで咲夜が使っていた、綺麗に研がれたナイフ。

 どこかで聞いたことがある。吸血鬼の退治には銀の弾丸が有効だと。

 詳しいことは分からない。けれど、材質が同じならば、代用出来る筈だ。

 

(……これしかないか)

 

 そう、決め付けた。

 拾う隙は見せてはならない。だから、美鈴は壁に向けてそのナイフを蹴り上げた。回転しながら飛んでいったナイフは壁に鋭角に反射する。その軽やかな衝突音が、引き金となる。

 両者が同時に床を蹴った。

 空中を漂うナイフを右手で掴んだ美鈴は、そのまま真っ直ぐにレミリアに突き出す。

 神速のその突きは、寸分の狂いも無くレミリアの左胸を狙う。

 けれど、レミリアもまた冷静だった。瞬き一つせず、ただ左腕を出して美鈴の右手を掴む。純粋な腕力が美鈴の右腕の骨を歪ませ、その直接的な痛みに表情を歪ませる。

 レミリアは無表情のまま右手に深紅の光弾を浮かべる。

 言うまでも無く、それはグングニルの前触れ。このゼロ距離で投げられれば、回避は不可能に等しい。

 故に、美鈴は躊躇わなかった。

 迷わずに、レミリアのその小さな右手を左手で包む様に握った。

 レミリアの表情に一瞬焦りが浮かんだ。そう見えたその瞬間、レミリアの右手の中で、行き場を失った光弾が爆ぜた。至近距離で対面していた両者をその爆風は吹き飛ばし、ある程度の距離を置かせる。ただ、暴走した力を爆発させたその代償は少し大き過ぎた。

 

(……左手が、もう使えそうにないわね)

 

 痛みは感じない。それを通り越して、感覚が無い。

 肘から下、力無く垂れ下がる人形のような腕を見ながら、美鈴は少し笑った。

 それは、レミリアも同じこと。それだけでも十分な結果だ。

 

(さて……これからどうしようか。もう同じ手は使えないだろうし……)

 

 ナイフを持った右手を構えながら、ふっと息を吐く。

 目の前のレミリアは、動かなくなった右手を見詰める。つまらなそうな顔を浮かべたレミリアは、顔を逸らした。とても面倒臭そうに、今度は別のものを見詰める。

 

 それは、起き上がろうとする咲夜だ。

 

 美鈴の表情が変わる。

 まさか、咲夜をさっさと殺してしまおうとでも考えを変えたとでも言うのか。

 不味い、そう確信した美鈴は、一気にレミリアに駆ける。一瞬でもレミリアの注目を戻さなければ、今度こそ咲夜は止めを刺される。近接攻撃は、それでも間に合いそうにない。

 思考を切り替える。ナイフを持つ右手を一気に振りかぶる。

 それを、そのまま投げた。鋭く縦に回転するナイフは、レミリアの側頭部へと吸い込まれる様に飛んでいく。

 その刹那、レミリアの横顔が嗜虐的な笑みに満ちた。

 美鈴の背中を悪寒が走ったが、決定的に遅かった。

 軽やかに、優雅にそのナイフをレミリアは掴む。そのまま体をくるりと一回転させると、その遠心力を乗せて一気に投げつける。

 真っ直ぐ、美鈴の心臓を狙って。

 視界の奥、咲夜が何か言おうとしていた。

 けれど、美鈴はその迫ってくるナイフを、ただ傍観している。

 もう避けられない。

 驚愕と残虐性が交差する。それは、たった一瞬の出来事。

 

 昼間の屋敷の中、何かが壊れた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十五話 戦地に舞い戻る

 固く目を閉じ、終わりの瞬間を待っていた。けれど、幾ら待ってもそれは訪れず、砕ける様な音が響いただけ。

 何か、細かいものが地面に落ちる音が聞こえる。

 そっと、目を開けてみた。光が目に入り、目の前の光景を鮮明に描き出す。それは、忌々しそうな表情を浮かべるレミリアで、その視線は美鈴にも咲夜にも向いていなかった。

 

「本当、めーりんは直ぐに油断するんだから。そういうの危ないよ」

 

 そして響いてきたのは、幼い少女の声。それは、握った右手を真っ直ぐ前に突き出す、紅い少女。

 

「妹、様……?」

「どうしたのさ、そんな顔して」

「何で……何でここに……?」

 

 吸血鬼、フランドール=スカーレット。

 そう、あらゆる物を破壊する能力を持つ少女は、ゆっくりと美鈴に歩み寄る。

 

「何でって……そんなの薄々分かってるでしょ」

 

 握り拳を開いたフランドールは笑った。

 

「逃げるべき場所を教えてくれたのは貴方ですよ。その結果として今この状況になっているだけです」

「そういうことだよ」

 

 新たな声は、丁度咲夜が居る方向から聞こえてきた。紛れも無く、そこに居たのは小悪魔だ。傷だらけで真面に動けない咲夜を両手で抱え、その服が地で汚れることも気にせずに微笑を浮かべている。

 本来なら、ここに立つことなく、紅魔館の外に抜け出せていた筈の二名。

 その二名が、現実としてここに立っている。

 

「めーりん」

「な、何でしょう……?」

「戦おう。私と一緒に。お姉様と、戦おう」

 

 明確に、強い意志の籠った言葉。フランドールから美鈴に贈られた言葉は、確実に何かを変えた。

 

「ご安心を。咲夜さんはこの私が責任をもって安全な所まで遠ざけます」

「小悪魔さん……」

「だからね、美鈴。これは、守る為の戦いじゃない」

 

 美鈴の正面に立ったフランドールは、美鈴の右手を両手で包み込み、そして宣言した。

 

「私達が、私達である為の戦いなんだ」

 

 紅魔館は内側から崩れかけている。

 主は暴走し、その従者は深い傷を負い、門番も既に傷だらけ。

 それでも、きっと元に戻れる。今この時を無かったことには出来ないけれど、以前の様な生活をきっと取り戻せる。

 だから、フランドールはそう宣言した。

 

「行こう、一緒に」

 

 その声がこの空間の中に響いたその瞬間、止まっていた地獄が再び顔を覗かせた。

 圧迫する様な気配が周囲を満たし、レミリアがその口角を吊り上げる。

 今のレミリアに小悪魔と咲夜は眼中になく、ただ、明確な敵意を見せる美鈴とフランドールをその視界の中心に据えている。

 所詮、潰す相手が増えただけ。そう判断したレミリアは、躊躇しなかった。

 

 深紅の、飛び散る鮮血の様な弾幕が展開される。

 

 刹那、フランドールは再び一振りの大剣を生み出す。

 禁忌『レーヴァテイン』

 あまりにも長大過ぎる大剣は、もはや傷を与える程度の威力ではない。一方的な破壊を生み出す大剣を両手に握るフランドールは、そのままレミリアの弾幕に真正面から立ち向かっていく。

 フランドールはちらとレミリアの立つその先を見る。先程までそこに居た小悪魔は、無事に部屋を抜けた様だ。

 ならば遠慮はしない。両手に力を込めたまま、レーヴァテインを全力で左に薙いだ。

 衝撃が辺りを貫く。弾幕を切り崩し、己の衝撃によって更なる弾幕を生み出した破壊の一振り。

 その火力を前に、レミリアは笑い、そして美鈴は圧倒された。

 もはや、その火力は美鈴の持つ力の限度を遥かに超えている。技量だけで追いつくことが出来ない、そう思えてしまう。

 けれど、そんな美鈴にフランドールは叫んだ。

 

「行くよ、めーりん!!」

 

 その言葉は、凍った足を溶かすには十分過ぎる。

 拳を握ると、美鈴は躊躇をしなかった。その戦場、地獄の中心へと覚悟を持って突撃する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章十六話 可憐に散れ、紅い華

 破壊。

 圧倒的力の暴力が生み出したのは、まさにそんな戦闘だった。

 視界に入る物が全て壊れていく。無事なものと言えば、攻撃の範囲から外れた天井位か。

 机も椅子も、部屋を仕切る扉さえも、壊れ、粉砕され、地面を飾る塵へと変わる。

 もはや、ここに広がるのは醜い平面だけ。

 

「……はぁ」

 

 口元から垂れた血を拭い、軽く息を吐く美鈴。けれど、喉に血塊でも詰まっているのか、その息は少しくぐもっている。

 ただ、口元に止まらない流血は服を汚し、更なる不快感を生んでいく。

 それは美鈴に限った話ではない。傍らでレーヴァテインを構えるフランドールもまた、身に纏う赤い服を更なる赤色に染め、可愛らしい金髪も所々血で染まっている。

 

「……参ったね。結構頑張ってるつもりなんだけど……」

 

 フランドールが彼女らしくない声を漏らした。

 先に見据える相手は、服が汚れてはいるものの、それ以外の目立った被弾の痕は無い。

 そう、二人で攻撃を始めたあの瞬間から、有利を取れたことは一度も無いのだ。可憐に踊る様に攻撃をし、そして避ける。時に攻撃を受け止め、カウンターをも加えていく。

 美鈴とフランドールは、ただ掌で踊らされているだけの様に、全く何もすることが出来ない。

 

「どうしますか……?」

「どうするも無いよね。正面突破しか無さそうだし」

 

 レーヴァテインを握る手に力が籠る。その気配を察して、美鈴は思う。

 そう、分かっている筈だ。正面突破は不可能だと。

 本気を出していないレミリアにすら正面から挑んで何度も敗れたのに、先程よりも確実に手を抜いていない今のレミリアに正面突破が通じる訳が無いのだ。

 ならば、どうするべきか。

 必死に考えを巡らし、視線は自然と宙に向かう。

 そして、目に入ったのは、天井だった。高さ故に、まだ何の被害も受けていない天井。

 

(天井……? 待てよ……?)

 

 仮に天井が崩れたとしよう。その先に何がある?

 言うまでもないだろう。上の階の部屋だろうが関係ない、全て抜けてしまえばその先に広がるのは唯一つ。

 果てしなく広がる空だ。

 

「妹様」

「何、めーりん?」

「天井、この上を全部貫きましょう。それで、きっと解決できます」

「天井……」

 

 釣られて、フランドールもぼんやりと見詰める。

 そして、笑った。

 確かに、これを使えば誰だってこの吸血鬼を始末できる。

 

「悪いこと考えたね」

「申し訳ありません」

「いいよ。めーりんに賭ける。きっともう、それしか無いんだろうね」

 

 かしこまりました、と小さく呟く。

 その次の瞬間には一気に駆けだしていた。

 他でも無い、レミリアの懐に向かって。

 

(兎に角、グングニルを誘発させよう。妹様のレーヴァテインでも良かったけど、それだと妹様のリスクが大きくなる)

 

 レミリアの攻撃の中で、瞬間的最高速度と攻撃力が最も高いと言えるグングニル。まして、力が増幅している今ならば、天井を崩壊させる威力があっても何もおかしくない。

 では、何をするべきか。

 こちらも出せる最高速で突っ込めば、その一撃を誘うことが出来るのではないか? 互いの速度が合わさり、受ける側にとってほぼ回避困難な一撃になるのだから。

 そして、それは思惑通りだった。

 美鈴を見るレミリアの口角が不吉に歪む。

 

(来いッ……!!)

 

 心の中で叫ぶ。

 そして、正に思うがままだった。レミリアが右手を大きく掲げたかと思うと、その手に一発の光弾が生み出される。

 そして、ほぼ前兆無しに右手が振り下ろされた。空気を裂く様な音を聞くより早く、美鈴は横に倒れ込む。地面に散らばった何かの破片が皮膚を裂くが、そんなことを気にしている時ではない。射出されたグングニルは美鈴を掠めた後、一直線上に居たフランドールへと向かう。

 

「妹様ッ!!」

「任せて」

 

 微笑みを浮かべながら、フランドールはレーヴァテインを両手で構える。

 そして、

 向かってくる神槍を掬いあげる様に、一気に振り上げた。

 衝撃と閃光、そして爆音が部屋を駆け巡り、そしてグングニルが軌道を鋭角に返る。

 丁度、レミリアの上辺りの天井に向かって。

 レミリアは焦りの色を見せ、そして後ろに下がろうとする。

 

「させま、せんよ……!!」

 

 しかし、遅かった。

 予め動きを考えていた美鈴が、レミリアの足にしがみ付く。それでも、今の彼女ならそれ位一瞬でほどけるだろう。

 一瞬は掛かるけれど。

 

 頭上より、轟音が響いた。

 

 曇り空から僅かに漏れる太陽光が、邪魔なものを押しのける様に瓦礫を落とし、荒れた室内を極所的に照らす。

 その瞬間レミリアの体内を巡る力のシステムが停止した。あれほど莫大に占めていた暴走は太陽光が消し飛ばし、そしてレミリアの体そのものを蝕み始める。

 ただ、美鈴はそれを許さなかった。

 乱雑に振りほどかれたけれど、もう一度、今度はレミリアを包み込む様に飛びつく。

 そして、太陽光が届く範囲を外れたところ、空からレミリアを庇う様にその幼い体を地面に離した。

 

「……う、ぁ……」

「……申し訳ありません。こうするしかなかったのです」

 

 声ならぬ声に、美鈴はただ押し殺した様に呟くしかなかった。

 実行し、解決したのはそれで良い。けれど、まさかこのままレミリアは消えてしまうのではないか。そんな嫌な想像が頭を蝕み始める。

 背後に心配そうなフランドールの気配を感じたが、今は反応出来なかった。

 その時だった。

 小さな手が美鈴の頬を撫でた。

 驚いて目を見開くと、目の前にはレミリアの微笑み。伸ばされた右手が、美鈴の頬に触れている。

 

「何を、謝っているのよ……」

「お嬢様……」

「それは、私の、台詞よ……」

 

 掠れた小さな声が漏れるだけ。

 けれど、不思議と鮮明に聞こえる。

 

「ごめんな、さい……そして、ありがとう……」

 

 そして、レミリアは笑みを浮かべた。

 私は消えたりなんてしない。そう、唇が動いた。

 何よりも求めた声が、耳を通る。

 たったそれだけのことが、美鈴の中の何かを破った。

 

 零れ落ちた一滴が、レミリアの頬を優しく濡らす。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章終話 ある館の闘争の果て

 荒れ果てた紅魔館。それを、妖精メイド達は門の外から眺めていた。

 つい先ほど、咲夜を抱えて出てきた小悪魔は『永遠亭に行く』と妖精メイド達に伝えたまま、逃げる様に消えてしまった。

 そして、館内に残っているのは、レミリアと美鈴、そしてフランドールだけ。

 少し前の紅魔館を貫いた紅い槍の衝撃で、紅魔館は外見からも壊れていることが分かる。

 

「ね、ねぇ……あの中で生き埋めになっていたり、しないよね……?」

「し、しないって。大丈夫、だと思うよ……」

 

 不安の声があちらこちらから上がり、全体の雰囲気が暗くなっていく。

 

(どうしよう……)

 

 紅い槍が貫いてから、紅魔館から聞こえる音が全て消えてしまった。これが、何を意味するか、妖精メイド達には分からない。

 咲夜や美鈴から伝言を受けた妖精メイドもそれは同じ。無機質な門を挟んで、傍観することしか出来なかった。

 

(じっとしてちゃ、ダメなのかな……) 

 

 門に歩み寄り、そっと手を掛ける。

 この仕切りを外すことは簡単だ。ただ、押せば良い。

 問題はその勇気の有無だ。この先に入り込んで、仮に暴走したレミリアに遭遇したらどうなるか。その結果等言うまでもない。

 

(だからって、じっとしてちゃ分からないもん……)

 

 心の底から浮かんでくる葛藤。門に掛けた手が自然に震える。

 その様子を心配した他の妖精メイドが彼女に声を掛けた。

 

「どうかしたの?」

「どうかしたって……こんな状況だもん」

 

 振り返り、声を絞り出す。

 

「このまま……このまま、あの時間が無くなっちゃうんじゃないかって、どこか思ってしまうの」

「……うん」

 

 その一言が聞こえた妖精は、皆同様に下を向いた。

 嫌な想像はしたくはない。けれど、幼過ぎる思考は、そんな想像を無理に誘ってくる。

 

「だから、言われたことを破ってでも、中に、入らないといけないのかなぁって」

「ダメだよ!!」

「何で!?」

「ダメだよ……そんなの、良くないよ……」

 

 きっと、誰もがそうしたい。だけど、中に入るのは危険すぎる。

 美鈴も、妖精メイド達を被害に遭わさない為に外に出る様に言ったのだから。

 

「……そうだよね」

「うん……ごめんね」

 

 謝るその声に覇気は無い。

 ただ、変化は唐突に訪れた。

 

「あ」

 

 ずっと紅魔館の玄関を見詰めていた妖精メイドがぽつりと声を上げた。その声に反応して、他の妖精メイドが一斉に玄関の方を向く。

 遠くに見えるそれは、目を凝らして初めて僅かに様子が見える程度。それでも、ゆっくりと開いているのが見て取れる。

 

「あれ……」

 

 それは、不幸の前兆ではなかった。

 開いた扉から出てきた影は、紛れも無い味方。

 レミリアを抱える美鈴と、その傍らに立つフランドールだった。

 日光を浴びない様に美鈴とフランドールは日傘を差し、一歩ずつ門へと歩いてくる。その最中、双方がこちらに気付き、そしてフランドールが手を振っていた。

 何かの堰が壊れる。入ってくるなと言われた庭の中へと、門を開けて飛び出していく。

 そして、それを制す声は聞こえなかった。

 一直線に、その元へと駆けていく妖精メイド達。距離が近くなるにつれて、鮮明になるその笑顔。

 

「……入ってくるなと言いましたのに」

「申し訳ありません。我慢、出来なかったんです……!!」

「全く……」

 

 沢山の妖精メイドに囲まれ、呆れた様な声を漏らす美鈴。

 それでも、そこには笑顔しか無かった。

 

「その……よく、御無事で……!!」

「当然です。私は門番なんですから」

「兎に角、今はここを離れた方が良いかもね。お姉様をこんなにした奴が近くに居てもおかしくないし」

「そうですね。喜ぶのは暫く後に回して、今はここを離れましょう」

 

 笑顔しか無いからと言って、安心できる訳じゃない。その表情に真剣さを戻した美鈴は、先導して門の外へと向かう。妖精メイドやフランドール達もそれに続き、やがて紅魔館の敷地内に残っているのは、ただ二人になっていた。

 

 そう、一部始終を見ていた撫子と棗だ。

 

 二人は、互いに微笑みながら呟く。

 

「ま、結果は上々じゃないかな? ここでも同じ様に、勧善懲悪は証明された訳なんだからさ」

「そうね。ターゲットに選んだ甲斐があったわ」

 

 傍から聞けば、その真意は分からない。

 けれど、二人は、笑っていた。

 

「リミットは近いわ」

「分かってる。急いで次のターゲットに向かわないとね。多分、向こうも動いてるだろうし」

 

 虚空に穴が開く。縦横無尽な移動を可能とする正体不明のその穴。二人は、やはり躊躇うことなくその穴の先へと進んで行った。

 

「正義は勝つ。本当にそうだって、教えて頂戴ね」

 

 そんな言葉を残して。

 




これにて第三章は終了となります!!
ここまで読んでください、本当にありがとうございます!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 紡ぎ、途切れ、生まれる歴史
第四章一話 人間の里


「まだここには被害が出ていないみたいね、局所的なものだったのかな……?」

 

 氷精との激闘を終え、のんびりゆっくり人里に歩いてきた妖夢。緑色の服のあらゆるところが裂けていたり、その下から真新しく生々しい傷跡が見えたりと、そんな風貌の妖夢は少々浮いて見える。実際、人里を行き交う人の中には、妖夢のことを怪しそうに見ている者も居る。

 

「早いとこ呉服屋さんを見付けないと……変な噂が立っちゃったら仕方ないし」

 

 感じる視線を意識の外に頑張って外しながら小走りに人里の中を駆けて行く。正直言うと、その風貌の怪しさから服を売ってもらえるかも疑問だが、今はそれは二の次だ。

 そんな折だった。

 

「あら、妖夢じゃないの」

「ん? あ、鈴仙さんじゃないですか!! 奇遇ですね!!」

 

 横合いから唐突に投げかけられた声。その主は鈴仙・優曇華院・イナバ。大きな兎の耳と長い髪が特徴的な妖夢の知り合いだ。ただ、今はいつもと違い、その特徴的な頭を隠す様に傘を被っていたり、いつもの洋風の服と違って薄茶色を基調とした装束を身に纏っている。

 茶店にて餡団子を片手に妖夢に話し掛けてきたのだ。傍らに置いてある大きな荷物から察するに、薬売りの最中だろうか。

 

「いやぁ、まさかこんなところで会えるなんて!!」

「うん、丁度運が良かったのかしら。それより……どうしたの、その怪我」

「あぁ、先程色々ありまして……恥ずかしながら、この様な格好になってしまいました」

「色々って……余程のことがあったのね……」

 

 呆れた声を出しながら、荷物を弄る。どうしたのかなと首を傾げた妖夢だったが、荷物の中身を想像し、そして理由を察した。

 

「あった、これね。ちょっと傷が酷いから、消毒するわよ」

「え、良いんですか……? それ、一応商品なんでしょう?」

「サービスするわよ。これくらい、私だって作れる代物だし」

「それでは、遠慮無く……」

「はーい。っと、いっけない。まずは傷口を洗わないとね」

「あ、そうでしたね。忘れてました」

「それじゃあ、少し移動しようかしらね。水場じゃないと傷も洗えないわ」

 

 そう言った鈴仙は残っていた荷物を探る手を止めて団子を一気に頬張ると、そのまま立ち上がる。口をモゴモゴ動かしながら荷物を背負い直してから、彼女は「ごひひょうしゃまでしたー!!」と店に向かって言った。どうやら、お金は既に払い終えていたらしい。

 

「もごもご」

「ちゃんと飲み込まないと、よく聞こえませんよ」

「もぐ、ん……んっ!?」

「あー……」

 

 喉に詰まったのだろうか、顔を紅くして胸のあたりをバシバシ叩く鈴仙。何かした方が良いかなと多少狼狽える妖夢だったが、程無くして回復したことに胸を撫で下ろす。

 

「はぁ……死ぬかと思った……」

「全くもう。気を付けてくださいよ……」

「焦っちゃうとねー。仕方ないわよ。と言うか、急ぎましょう。早い方がきっと得だもの」

「はーい」

 

 薬売り、ボロボロの少女を連れて人里を歩くの図。

 妖夢一人だけでもかなり怪しい感じだったが、その怪しさは増し、道行く人はちょっと変な目で見たりしている。しかし、それを気にする二人ではないのであった。

 水辺と言ってもそう多い訳ではなく、里に点々とある井戸か外れにある小川位のもの。ただし、水を多く使う料理店舗は井戸の近くに店を構える。なので、二人が井戸に着くのにそう時間は掛からなかった。

 

「ちょっと待ってなさいよ」

「分かってますって」

 

 桶を下ろし、そして引き上げて水を掬う。自然に清められた水は雲間から零れる日光を反射して煌めく。

 

「それじゃあ、ちょっと袖とか捲ってもらえるかしら?」

「分かりました」

「ありがと……って、かなりやられてるじゃない。本当、何があったの?」

「まぁ……それは後程……」

「ふぅん……ま、消毒含め、さっさと終わらせてしまいましょう」

 

 真新しい傷跡には清水も滲みる。けれど、その痛みも化膿してしまうよりは良いだろう。

 ちょっと顔を顰めたりしながらも、変に体を動かしたりはしなかった。水が流れる度に傷跡も生々しさを見せていく。

 

「洗い流すのはこれ位で十分かしらね」

「はい、ありがとうございます」

「見たところ切り傷ね。今度もちょっと滲みるけど、少し我慢してね」

「本当、すいません」

「いえいえ。貴方と私の仲じゃない」

 

 再び荷物の中を弄り、今度こそ消毒液を取り出す。霧吹きに入った液体は、果たしてどれ程滲みるのか。想像すると、少しだけ怖じ気付いてしまう妖夢だった。

 結局、今ここにあるのは平凡。妖夢が知る先の死闘が夢だったかのように、ここにあるのはただ穏やかに流れていく時間だった。

 あれは、局所的なものなのかもしれない。撫子と名乗ったあの女性が最後に言ったことが引っ掛かるが、妖夢はそう思いたかった。

 思い続けて、いられれば良かった。

 

「お、おい……!!」

 

 突然そんな大声が聞こえた。

 切羽詰まった、男の大声が聞こえた。

 

「や、山の妖怪が……一斉に、お、降りてきているぞ!!」

 

 妖精は所詮前座でしかない。

 力を超えた物量との闘い。

 平穏は、前触れも無く崩された。

 




呼び方ミスってました。すいません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章二話 立ち込める雲

 山。幻想郷で言えばそれは妖怪の山のことを指す。天狗や河童を中心とした妖怪が高度な社会を形成して住んでいる山である。

 故に、そこは幻想郷で一番妖怪が生息している所であると言える。

 

「どういうことかしら……そんな、突然降りて来るっておかしい気もするんだけど……」

「……まさか……」

 

 段々と、通りに人が出て来る。その外れ、手当てを受ける妖夢は思い出していた。

 そう、あの氷精のことを。

 力に狂った、あの地獄のことを。

 

「……まずい、かもしれません……」

「え? ちょ、妖夢!? まだ、終わってないって!!」

 

 まだ包帯を巻かれる途中であったにも拘らず、妖夢は飛び出して行った。

 あの外れの森の妖精ならまだ余裕があったかもしれない。あそこで妖夢と大妖精が止められなかったとしても、まだ他の誰かが来てくれていたかもしれないからだ。

 ただし、今回は違う。

 人里は幻想郷の中で最も重要とも言える場所。

 仮に、ここが壊滅してしまったら、答えは言うまでもない。

 

「そんなの……させちゃいけない……!!」

 

 後ろから聞こえる鈴仙の声も、今は遠くに聞こえる。

 振り向く余裕は今の妖夢にはなかった。

 

 

 

 

 

 同じ頃、人里の外れの寺子屋で、そこを経営する人獣の上白沢慧音もその知らせを聞いた。

 

「妖怪が……? 何かあったのですか……?」

「分かりません……化けてきた訳でもなく、ただ天狗を中心に虚ろな目をした妖怪が凄い数降りてきて……誰かが何かされたとは聞いていませんが、里は既に軽い混乱状態で……」

「原因不明……成る程。兎に角、今は様子を見てみるしかないでしょう。目立ったことをせず、事態がある程度収束するまで屋内に隠れておくのが最善かと思います。妖怪は基本的に里の人間には手を出さない約束ですから」

「分かりました。里の皆にそう促してきます。慧音先生も……どうか、お気を付けて」

「分かっています。そちらこそ、気を付けなさい」

 

 伝えに来た女性は慧音に一礼し、小走りに帰っていった。

 

「妖怪が、か……」

 

 一人に戻った慧音は、聞いたことを噛み砕き、飲み込み、そして考察する。

 妖怪が人里の人間に手を出さないと言うのは、暗黙の了解として決まっている。理由は簡単で、その存在を信じる人間が居るからこそ妖怪は自分を保てるからだ。仮に、幻想郷から人が消えたとすると、妖怪は皆消え去ってしまう。

 では、何故妖怪がこの様なことをしているのか。

 虚ろな目。間違いなくキーワードはここにある。

 

「何者から精神的干渉を受けたか……こう考えるのが一番確実ね……」

 

 妖怪は肉体的には人間より遥かに優れているが、精神攻撃には弱い。それを利用すれば、この様な結果を生み出すことも可能だろう。

 しかし、一度に大量に精神的干渉を起こす方法も、起こすことが出来る存在も、少なくとも今の慧音には心当たりが無い。何か、人里で生まれた噂が新手の妖怪を生んだのか、それとも幻想郷の外、彼女の英知の外側から何かが来たのか。

 

「どちらにせよ、よろしくないことは明らか。巫女の協力を頼むべきなのだろうけれど……それまでに集められるだけ情報を集めておこう。一瞬たりとも無駄にできない状況だから」

 

 歴史を纏めることが彼女の仕事。過去に無い事例であるからこそ、彼女はそれを知識として蓄えなければならない。伝聞だけの信憑性に欠ける歴史は、後世への欺瞞と同じ。

 

「となると、実際にその妖怪達を最も近い所で見てみるのが一番早いのかしら。多少危険が伴うけれど、それも仕方ない」

 

 思い立ち、そのまま立ち上がって寺子屋を出る。ジメジメとした外の空気は、あまり心地良いものではない。何とか晴れ間がある曇天も、果していつ雨を落とすのか。まだちらと人影が見える通りを望みながら、慧音は歩き出した。

 

「……確かに、今も天狗が山の方から飛んできているわね。それも、バラバラと言う訳ではなく、不自然に統率が取れている……ますます怪しくなってくる」

 

 誰かによる精神的干渉。慧音の建てた仮説は、見れば見る程信憑性を増していく。比例して浮かんでくる疑問は、果してそれを誰がやり、どの様な目的があるのかと言うことだ。

 

「半ば分かってはいたことだけれど、簡単ではなさそうね」

 

 慎重に行こう、そう気を引き締めた慧音は、歩く速度を僅かに速めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章三話 百鬼の行く先

「……沢山居ますね……」

「百鬼夜行ってこんなのを言うのかな? 今昼だけど」

 

 物陰に隠れ、山から降りてくる大量の妖怪達を観察する妖夢と鈴仙。意志が無く、何かに操られている様に動く妖怪達はまるでマリオネットの様だ。

 何か破壊活動をする訳でもない。人を襲う訳でもない。

 地上に降り立った妖怪達は、ただ何処かへと歩いて行くだけ。最初こそ危険なものに見えたが、それほどのものではないのだろうか。

 

「どうする? このまま暫く様子を見てみる?」

「あまり刺激をするのも良くなさそうですからね。ただ……何か目的があって何処かに向かっていたとしたら、最悪それを確かめないといけないですが……」

「そうか……兎に角、慎重さが大切なのには変わりないわよね」

「はい」

 

 奇妙な光景を前に、二人は息を潜めていた。

 

 

 

 

「先ずは何処から主に入ってくるか確かめるか。大体の見当は付くが、知ったつもりになるのは良くないから」

 

 妖怪が闊歩する中を歩いて行く慧音。初めは攻撃を受けることも考慮していたが、妖怪達はただ移動しているだけで何もしてこない。脅威があることに変わりないが、何かしてくるよりはまだ良い。

 

「里の人は皆隠れたのか。先程の女性が皆に知らせてくれたのかな? だとしても、対応が早いのは良いことね」

 

 人気が無い分だけ不気味さが増す。出来るならなるべく早く切り上げよう。そう決めてからまた暫く歩いていると、里の入り口付近に到着した。

 慧音が思った通り、妖怪達はその入り口から入ってきている様だ。今はもう殆ど入ってきていないが、慢心は出来ない。

 侵入場所の確認は出来た。これからどうしようか、等とゆっくり考えながら、今度は妖怪が向かう先を調べようと視線を動かす。

 その視線の端、慧音は怪しげな人影を捉えた。

 

「……? 何をしているのかしら?」

 

 その人影は、慧音の見知らぬ人ではない。服がボロボロだったり、髪が異様に長かったりと、不審な風貌ではあるが、あれは妖夢と鈴仙ではないだろうか。物陰に隠れて何やらぶつぶつ話し合っている。

 もしかしたら、そんな考えが一瞬頭を過り、慧音は二人に接触する。

 

「どうかしたのか?」

「きゃっ!?」

「だ、誰!? って……慧音さんかぁ……」

「すいませんね。少し驚かせてしまったかしら」

 

 余程二人の世界に集中していたのか、返って来たのはそんな大きなリアクションだった。

 

「それで、二人は何をしているんだ?」

「妖怪達のことですよ。恐らくですが、貴方もこの突然のことを調べているのでしょう?」

「まぁ、そうなるな。私は今、何処から里入ってきたのか確認しに来たわけ」

「来たってことは……寺子屋からここに?」

「あぁ。幸い、この妖怪達は攻撃してこなかった。不気味ではあったけれど、安全に来られたよ」

「そうなんですか……? な、なら、隠れていた意味って……」

「少々慎重になり過ぎていたみたいだね」

 

 安全と分かったが、それでも二人は辺りを警戒しながら出て来る。改めて、妖夢のボロボロの風貌を不審に思う慧音だったが、特に何も聞かなかった。

 

「それで……何か掴めたりしたの?」

「まだ、何も分からないまま。ただ、誰かが後ろで操っていそうな雰囲気だと思っただけ」

「誰かが……」

「そちらは何かあったりする?」

「大体一緒です。ここから眺めていただけですから」

「そう、か……まぁ、仕方ないわね。まだ起こって間もないみたいだし」

 

 三人で妖怪が進んで行く方向を眺める。

 

「あの……」

「どうかしたの?」

「関係があるかは分かりませんが……心当たりのある人が居るんです」

「それは、私達の知り合いかしら?」

「いえ、私が先程対峙していた人です。多分、鈴仙さんとも慧音さんとも面識はありません」

 

 控えめに妖夢は口を開いた。何か、嫌な思い出なのか、その顔には雲が掛かっている様に見える。

 

「名前は確か……浅茅撫子と言いましたか。先程、霧の湖の湖畔でちょっとしたことをした人です」

「何をしたのよ」

「何と言いましょうか、簡単に言えば力を暴走させたと言ったところです。ターゲットは氷の妖精だったのですが、理性を失って無尽蔵な破壊行為に走っていました」

「なるほど、その時に戦って出来たのがその全身の怪我ね」

「まぁ、そういうことです。で、何とか倒した後にその撫子さんと対峙したんですが……」

 

 一度間を置き、そしてしっかりと声に出す。

 

「その時言ってたんです。『私達が起こす異変を解決しろ』って」

「つまり、これもその異変の中の一つだと」

「はい。それも、幻想郷のあらゆる存在から悪として見られる様な、決して優しくないものかと」

「一見訳が分からないこの光景も、実は幻想郷の害になることか。まぁ、妖怪がこれだけ入ってくるだけでも十分危ないことなんだけど」

「この光景と撫子さんに接点があるならば、妖怪達が向かっている先には、必ず何かあると思うんです。私は人里に詳しくないので分からないのですが、この先に何かありますか?」

 

 私達が起こす異変。その言葉に覚えた引っ掛かりを流しながら、慧音は道の先を見据える。

 何があっただろうか。人里にある、幻想郷にもそのものに影響を与えそうなもの。

 物に心当たりはない。ならば、者ならばどうだろうか。人里に住む、幻想郷での重要な役割を担う者。

 それならば心当たりがある。

 まず一人は自分自身、上白沢慧音だ。幻想郷の歴史を絶えず生み出し、博麗の巫女の代わりとして人間と妖怪の間に立っている。

 そしてもう一人。

 生と死を繰り返し、受け継がれる記憶から歴史を生み出す少女。稗田阿礼の生まれ変わり。

 稗田阿求だ。

 

「まさか……」

 

 稗田家の屋敷は人里の奥にある。

 丁度、妖怪達が向かう道の先に無かっただろうか。

 仮に、この二人の何方かが狙いだとしたら。慧音に何も被害も無い以上、狙われているのは阿求の方ではないだろうか。

 

「どうかしたのかしら?」

「稗田家だ……」

「え?」

「狙いは、きっと……阿礼の生まれ変わり、阿求……」

「じゃあ……」

「えぇ、急いだ方が良い。これだけの妖怪があそこに殺到したら、霊夢ですら守り切るのは難しくなるわ……!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章四話 知識から生まれる答

「……外が騒がしいわね」

 

 鈴奈庵から借りている本を読んでいた阿求はポツリと呟いた。

 確かに、たまに外から人の大声が聞こえてくることはある。ただ、それは商売の呼び込みが多く、今この嫌な雰囲気を纏う騒がしさを今までに感じたことが無い。

 

「外で何か起こっているのかしら。変なことじゃなければ良いのだけど……」

 

 少しだけ外に向いた注目も直ぐ本へと戻る。

 けれど、その注目は再び本を外れる。部屋を仕切る襖が静かに開かれ、使用人が一礼して入ってくる。

 

「阿求様、お客様がいらっしゃりました」

「客? 呼んだりした覚えはないけど……」

「如何いたしますか?」

「まぁ良いわ。通しなさい」

「かしこまりました」

 

 また一礼し、使用人は静かに退室していった。

 再び部屋には彼女一人が残された。客が来るからと読んでいた本にしおりを挟み、棚に戻す。

 

「さて、誰が来るのかしら……小鈴、じゃないわよね。今はお店開いている時間だし。となると、きっと里の人間よね。妖怪の被害でも起こったのかしら……」

 

 それを想像し、表情を曇らせる。彼女が書く幻想郷縁起は歴史書であると同時、あらゆる妖怪への対処法を纏めたもの。被害があったと言うことは、その知識が十分に広まっていないと言うことでもある。極論と言えばその通りだが、どうしても彼女は責任を感じてしまう。

 

「……そうでないことを、願いましょうか」

 

 さて、来客は誰だろうか。悪い話が伴わなければ良いのだが。

 

『阿求様、お客様をお連れ致しました』

「良いわ、こちらに入れなさい」

『かしこまりました』

 

 静かに襖が開き、先程の使用人と客人が入ってくる。二人の客人は両方とも彼女が知る人物、他でも無い幻想郷縁起に纏めた者だ。

 

「では、失礼いたします」

「ありがとう。そして、いらっしゃい」

「はい、お邪魔しています」

「同じく、お邪魔してます」

「それで……何かあったのかしら?」

 

 訪ねてきたのは妖夢と鈴仙。ボロボロだったり薬売りの格好をしていたりと、特に妖夢の風貌が怪しいが、特に阿求は気にしなかった。

 

「簡単に言いますと、山から大量の妖怪が降りてきているんです」

「え?」

「それで、慧音さんも含めて色々考えてみた結果、貴方が標的かもしれないって考えてね。こうして、方向及び護衛に来たって訳」

「ちょ、ちょっと待って……!! 山から、妖怪が降りてきた? で、私を、狙っている……?」

 

 ずっと籠っていたからだろうか、外で起こっていたことに気付かなかった。もしや、先程の騒がしさはその所為か。

 

「はい。あくまで仮説の話ですが、妖怪が降りてきているのは事実です」

「ちょ、ちょっと確認してみても良いかしら!? その、私の記憶にはそんな光景が無いから、一応見ておきたいの」

「それなら、着いて行くわよ」

「お願いするわ」

 

 

 

 

 

「うわぁ、本当ね。これは人通りも無くなる訳だ」

「見ての通りの現状ですよ。裏で誰かが操っているみたいな」

「わざわざ伝えに来ていただいてありがとう。もしかしたら、何も知らずにうっかり出歩いてしまっていたかもしれないわ」

「ね、ねぇ……」

「あ、すいません。確認したから、もう下ろしてもらって大丈夫よ」

「ひぃ……」

 

 稗田家の屋敷を囲う塀の上から顔を出して外の様子を見る。その時に阿求は鈴仙に肩車をしてもらっていた。

 

「はぁ……意外と疲れる……」

「お疲れ様です」

「ごめんなさいね」

「いえいえ……私が言い出したことだから……ま、状況は解ったでしょ?」

「えぇ、確かに。何と言うか、機械的ね……」

「本当ですよ」

「それで、あの狙いが私かもしれないと」

「そういうこと」

「それは……ちょっと違うんじゃないかしら」

 

 頬に片手を置き、考える様な仕草をしながら、阿求は言う。意外だという表情を浮かべる妖夢と鈴仙だが、口を挟んだりはしない。

 

「だって、仮に私を狙うのなら、こんな大仕掛けをする必要があるかしら? 個人を狙うには無駄が多過ぎないかしら?」

「でも、多い方が確実性が増すと思いますが」

「違うのよ。確かにそうとも言えるけど、少人数で里の人間に化けて、貴方達みたいに客人を装ってここに侵入したらもっと簡単よ。その分、その少数にはリスクが掛かるけど、確実性は大きい」

「スパイ作戦の方が良いってことかぁ……」

「それによ。私の寿命は大体あと十年程。私を狙うってことは、幻想郷縁起に関係してくるんでしょうけど、ハッキリ言って私を狙うのはおかしいわよ」

 

 今度は両手を組み、当然と言った表情で阿求は続けた。

 

「私は死んでもいつか転生する。その時に今この歴史は纏められるし、そう考えると私を狙う意味は無い。意味があるなら、人質としてこの上ないって位よ。でも、この妖怪の量は何をするにしても人質なんて要らない。量で圧倒できる」

「で、でも……歴史の編纂に支障が出たり……」

「それは、上白沢先生にも言える話よ」

 

 二人の虚を衝いた様な言葉。その驚きの表情を見た阿求は締め括った。

 

「今ちょっと考えただけのことだけど言うわよ。この大量の妖怪は全員フェイク。貴方はさっき、『裏で誰かが操っているみたいな』って言ったわよね」

「は、はい。まぁ……」

「きっと、本命はその人よ。木の葉は森の中に何とやら、大量のフェイクの中に自分を隠して忍び寄っているんじゃないかしら」

「まさか……」

「そう。貴方達と別れた、上白沢先生のところにね」

 

 

 

 

 

 同じ頃、慧音は阿求の家の近くで避難を呼びかけていた。戦闘になれば、この辺りの住民は巻き込まれる可能性も出て来る。

 

「大方移動したかしら……まだ残っていないか、改めて確認しましょうかね」

 

 その避難も終わったと言える頃、慧音は少し足を止めた。

 違和感に気付くべきだった。違う場所へと移動していった人と一緒に、妖怪の影も消えていったということに。

 そして、新たな影が近付いていたことに。

 

「さて、漸く一人になったわね」

「む?」

「失礼。挨拶をしないのはいけないわね。すみません」

「いや……その、誰だ?」

「名前は聞いたことあるんじゃないかしら。昔じゃない、ついさっき」

 

 現れた女性は、僅かに口角を吊り上げた。

 

「確か、貴方はこの世界でも有数の知識人よね?」

「奢りたくはないけれど、まぁ、そうなるわ」

「そんな貴方に教えてあげる。虚無の桃源郷に生まれた未知の形をね!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章五話 襲撃者

 一瞬。ほんの一瞬だけ、慧音は異質な空気を感じた。

 今まで生きてきた中で感じたことが無い、この世のものではない様な空気を感じた。

 直後、雲間から射していた日が遮られる。何事か、ふと見上げた空に映った。

 

 純白の鋭利な槍が落ちてきているのが。

 

 咄嗟に横に逸れて槍の直撃を回避するが、かなりの重量なのか、着弾した槍は地面を揺るがす。

 

「……最初からこれとは、随分なご挨拶じゃないかしら」

「大丈夫。まだまだ序の口よ」

「一つ、確認しても良いかしら」

「何なりと」

 

 地面に深く突き刺さり、動かなくなった槍に触れて見詰めながら、慧音は聞いた。

 

「貴方は、私の敵と言う認識で間違いないわね?」

「当然。少なくとも、味方とは言えないでしょう?」

「それもそうね。当たり前のことを聞いてごめんさい」

「いえいえ」

「まぁ……それならば、抵抗しない理由も無くなるわよね」

 

 慧音は襲撃者に向き直る。

 それだけで、戦いの火種になった。

 

「国符『三種の神器 剣』」

 

 丈の長いスカートのポケットから取り出したのは、一枚のスペルカード。普段は授業の教材として使うそれも、いざ戦いの場に持ち出せば、それは凶器と化す。

 その脅威を前にして、襲撃者は一言だけ言った。

 

「スペルカードルール。素晴らしいルールだけど、それが通用しないことだってあるのよ」

 

 スッと右手を掲げる。釣られる様に出現したのは、全て純白に染まった多数の槍であり剣であり、そして盾。

 

「中々興味深い力……一体何かしら?」

「そうね……敢えて言うなら何かしら。『物から始まる世界を生む程度の能力』とでも言いましょうかね」

「成る程……」

「さて、説明も終わったことだし、今度こそ本番よ」

 

 言い終わってからの時間は無かった。盾は女性を守る様に、槍や剣は慧音を攻撃する様に、見える全ての範囲が動いた。

 それは慧音も同じ。少しだけ瞳を動かし、その全てを視認すると、即座に弾幕を発動した。

 天叢雲剣。その一振りを表現するその弾幕は、一人を狙うのには心許ないが、多数を同時に攻撃するのには長けている。

 衝撃と轟音が断続的に炸裂し続ける。けれど、両者に傷は付かない。

 互いの攻撃を互いに相殺し合い、撃ち落としていく。

 

「勝負が付きそうにないか……」

 

 襲撃者の呟きが聞こえた。途端、あれだけあった純白の物質が全て消滅する。一瞬、攻撃の対象であった慧音も動揺したが、それはまさに一瞬のこと。

 広範囲へなら強い。ならば、一点で突き崩せば良いだけなのだ。

 再び生み出される物質。それはまず、襲撃者を守る様に盾が展開され、その前面、慧音に向けて高密度に細い槍上の物体が形成される。

 

「行け」

 

 僅かな命令。それだけで高密度な連弾が高速で射出される。

 無論、たった一点だけを突き崩す様な連弾を、広範囲に薄く展開する弾幕で防ぎ切れる訳が無い。

 

(しまった……!?)

 

 一瞬の思考は追い付いた。けれどそれだけで、防ぐ手段を展開する時間が足りない。

 絶体絶命、せめてもの抵抗として両手で顔を庇った時だった。

 

「伏せてください!!」

 

 そんな声が後ろから聞こえた。反射的に倒れ込む様に伏せた慧音の真上を何者かが飛び越えた。

 

「六道剣『一念無量劫』っ!!」

 

 耳を劈く様な金属音が聞こえる。それが、二本の刀を引き抜いた音だと分かるのは、その人影を見た時だった。

 慧音を背に庇う位置に立ち、その刀を高速で振り回す。向かってくる槍は吸い込まれる様に刀に当たり、全て叩き落されて消えていく。

 

「お願いします!!」

「任せなさい!!」

 

 刀を振り終えた両手を頭の上で交差し、軽く腰を下ろす。

 それを後ろから走ってきた誰かが踏み台にして高く飛んだ。

 

「狂符『幻視調律(ビジョナリチューニング)』」

 

 生み出される弾幕。あらゆる方向から飛んできているそれを防ごうと新たな盾を生み出しかけた襲撃者は、しかし息を呑んだ。

 見える全ての弾幕が、まるで実態が無いように透けている。その奇妙な光景に動きが止まる。

 しかし、それは所詮幻想。次の瞬間に見えたのは、実体として襲い掛かってくる弾幕だった。舌打ちを挟み、咄嗟に盾を生み出す。けれど、生半可な防御程度では完全に防ぎぎることは出来ない。

 

「やってみたら案外うまくいきましたね。と言うか、今使ったスペルカード、ちょっとしたトラウマなんですが……」

「じゃあ、何で自分で使っているのよ……」

「使い慣れていますからね」

 

 慧音を背に言葉を交わす二人。それは紛れも無く妖夢と鈴仙だった。

 

「さて……慧音さん。一つ言っておきます」

「何かしら……?」

「もう分かっていると思うけど、アイツの狙いは貴方。それ以外は全てダミー」

「戦闘になってしまった以上、逃げ道はありません。出来る限りの護衛はしますから、せめて近くを離れないでください」

 

 地面に着弾した弾幕が生み出した粉塵。そこに見えるシルエットがゆらりと立ち上がった。

 

「……良い攻撃ね。及第点かしら」

「言ってくれるじゃない」

「……やはり、貴方でしたか」

「勘付いてはいたのね。それも及第点としましょうか」

 

 粉塵が晴れ、襲撃者が姿を現す。

 

「浅茅……撫子さん」

「あら、名前を憶えていてくれたの。嬉しいわ」

 

 無限に生み出される破壊を伴って。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章六話 白昼の戦い

「毎日暑いな……やってられないよ」

 

 迷いの竹林。無数の竹が生い茂る、自然が生み出した迷宮。その入り口付近で藤原妹紅は腰を下ろしていた。木陰に入って片手をパタパタ振って僅かな風を起こしながら、何とか夏の暑さを凌ごうとしている。

 

「んー……暇だなぁ。本当、暑いだけ」

 

 毎日の様に炎を扱う彼女でも、暑いものは暑い。さっさと秋が来ないかな等とぼんやり思ったりしている。

 そんな時だった。遠くに見える山から小さな点が何処かへと飛んでいっているのが見えた。多分、山の妖怪達だろうな、鴉っぽくないし等と想像しながらその行く先を辿ってギョッとした。

 

「人里……!?」

 

 あれだけの妖怪が人里に何か用でもあるのか、不審に思った妹紅は立ち上がった。

 里の人間もそうだが、何よりも人里に住む慧音のことが気になった。

 

 

 

 

 

 妖夢と鈴仙が来てから戦いの速度が変わった。撫子が生み出す白の物体はその量を増し、単純な体積でもって場を制圧していく。そして、それらを交わし、弾き、妖夢と鈴仙は戦いを運んでいく。

 その影、一転して守られる存在となった慧音はその戦いを陰で見守っている。

 

(状況は五分五分……二対一でそれってことは、不利だってこと……)

 

 助太刀したいのは山々だが、今の自分はこの戦いの速度に着いて行けそうにない。無理に加勢して撫子に狙われてしまえば、守られている意味が無い。今は、どれだけもどかしくても傍観するしかなかった。

 

「……面倒ね」

 

 白に覆われていく視界。その隅からそんな声が聞こえた。次の瞬間にその白が全て消え去り、いつもの様な平坦な道が現れる。

 

「……追加『アームユニット』」

 

 その声が響いた直後、撫子の背中から、生えた。左右に二本ずつ、白い、生物的に動く四本の細長い何かが。

 

「……遠距離で悠長に構えるのは終わりってことですか……」

「生憎とね、私は突撃が好きなのよ」

「とは言っても……格好が少々禍々しいと言うか……」

「私は化け物なのよ? これ位、当たり前と思ってもらわないと困っちゃうわ」

 

 交わされた会話はそこまで。その残響が曇り空に消えていった瞬間から、戦闘が更に激化した。

 四本の腕が地面を叩き、撫子が砲弾の様に妖夢と鈴仙に突撃する。その突然のことに、二人は反応が一瞬遅れてしまった。撫子はその一瞬を見逃さない。左側の二本の腕を地面に突き刺して急停止しながら、右の二本を束ねる。

 その大木の様な腕を、容赦なく妖夢に振るう。辛うじて防御は間に合ったものの、意図も簡単にその華奢な体が跳ね飛ばされる。

 ターゲットが妖夢に行ったことで余裕を得た鈴仙は、咄嗟に妖夢の撫子と妖夢の間に割って入った。その鈴仙を目掛けて、今度は地中から左の二本腕が鈴仙を狙う。

 けれど、それは二本とも宙を貫いた。

 

「幻弾『幻想視差(ブラフバラージ)』」

 

 更に、追撃を潰そうとスペルカードを発動する。それは、幻の弾を大量にばら撒くもの。攻撃手段としてはあまり向いていない。

 けれど、その特性を知らない撫子の動きを封じるのには十分だった。

 視界に入った大量の弾を警戒し、撫子は後ろに下がる。

 生じた一瞬の隙、それを狙って鈴仙の横を抜けた妖夢が一気に距離を詰めた。

 

 ただ、撫子は笑っているが。

 

「後ろ!!」

 

 唐突に聞こえた慧音の声に、妖夢が反応し、そして釣られる様に振り返った。

 そこに見えたのは、不自然に盛り上がる地面。

 

「危ない!!」

 

 スペルを途中で終了させた鈴仙が全力で駆け寄る。そのまま妖夢に飛びつき、そのまま覆い被さる様に倒れ込む。

 妖夢が元居た場所を、白い腕の先端が貫いた。

 その光景に一瞬呼吸を忘れる。その猶予は無いと言うのに。

 

 完全に態勢を立て直した撫子が、その腕を振るった。

 

 原始的な打撃の音が聞こえた。目の前で鈴仙の側頭部が薙ぎ払われ、曇り空が広くなる。

 

「鈴仙さん……!!」

 

 咄嗟に姿勢を起こし、鈴仙を見る。

 そこに見えたのは、俯せに倒れる鈴仙と、その背中を踏みつける撫子だった。

 

「さて……」

 

 鈴仙の動きを封じながら、撫子は鼻歌が混ざった様な声色で言う。

 

「この少女の生殺与奪は私が握った訳だけど……貴方はどうする?」

 

 挑戦的な言葉。その選択を迫られた妖夢は、

 

「人符『現世斬』」

 

 即答だった。白楼剣を鞘に納め、楼観剣を両手で構える。

 そのまま、高速で撫子に斬りかかった。

 その瞳に殺意を浮かべて。

 

「……まぁ、そうよね。それが正義だもの」

 

 その太刀筋の延長に立ちながら、撫子は冷静だった。

 

「でも、惜しいわ」

 

 鈍い音が響いた。白い腕で妖夢の手元を受け止めた撫子は、そのまま妖夢の両手に二本の白い腕を絡ませる。両腕の自由を奪われて尚も抵抗しようとする妖夢に首に白い腕を巻き付け、締め、吊り上げた。

 

「たった一つ、選択一つでこの世は変わる」

 

 初めこそ足を必死に動かしていた妖夢も、段々と力が弱くなっていく。そんな彼女に撫子は淡々と話し掛ける。

 

「この世界の正義は、時に大切なものを切り捨てる。それが、一人の人間としての意味でさえもね」

 

 段々と意識が遠くなっていく、その最中に聞こえたその声は、後悔と怒りの感情を含んでいる様に感じた。

 振りほどこうにも、鈴仙を助けようにも、すでに力が入らない。

 それでも、何とか声を出そうとした。

 

「……そ、ん……な……」

「残念だけど、これがこの世界よ。間違った正義は己の身を亡ぼす、この少女を見捨てて、守るべき対象を守り通せば、こんなことにはならなかったでしょうに」

 

 瞳を動かす力は無い。

 湿った音がした。雨上がりの地面に楼観剣が落ちた音だ。

 もう持たない。せめて最後に何かできたなら。その思いが遠退いていく。

 

「それはまぁ、大層な意見だな」

 

 けれど、現実はまだ続いていた。

 そんな声が聞こえた、そう思った気がした瞬間に、体の拘束が全て解けた。途端、止まっていた血液が再び流れ始め、顔に熱を感じる。

 

「大丈夫か?」

 

 地面に手を突いて、荒い息を漏らす妖夢の目の前に一振りの刀が差しだされた。

 言うまでもない、楼観剣だ。

 まだ、力が戻ってきた訳ではない。けれど、吸い寄せられるようにその刀を握っていた。

 

「刀を取る力があるなら大丈夫そうだな。安心したよ」

 

 その声の元を辿る様に妖夢は顔を上げる。

 既に背中を向けたその人は、長い白髪を揺らし、妖夢と鈴仙を庇う様に立っている。

 見覚えのある背中だった。

 

「も……妹紅……」

「何よ慧音。折角来たのに反応が薄いじゃない」

 

 不老不死の人間、藤原妹紅がそこには立っていた。

 

「……痛いわね。結構響いたわ」

「そりゃどうも」

 

 妹紅に蹴り飛ばされたのだろうか、撫子が頬を擦りながら立ち上がる。

 

「ただ、お前の言う正義は何も心に響かなかったぞ。あんなのは正義とは言えないな」

「そうかしら。少なくとも、私が見て感じて、体験した正義だけど」

「なら、その考えを今変えてやるよ」

 

 ポケットに両手を入れたまま、妹紅は背中に炎の翼を生み出した。

 向き合う両者の口角が僅かに上がる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章七話 二人の人間

「慧音」

 

 直前、妹紅は小さな声で言った。

 

「二人を頼む」

 

 瞬間、妹紅は一気に前に出た。撫子との距離を詰める為、そして満足に動けそうにない妖夢と鈴仙を守る為に。

 そして、それに撫子は答えた。四本の腕を器用に動かして、妹紅を返り討ちにしようとする。

 放たれた四本の腕。その予測不能の動きの間隙を、妹紅はすり抜けた。

 

「な、ん……!?」

 

 流れる様に、少しの思考も挟まずに絶対の距離まで近づいた妹紅は、撫子の驚きの声を無視して撫子の右腕を掴む。

 そのまま、躊躇いも無くその右肘をへし折った。

 

「化け物と雖も、やっぱり痛いんだろう?」

「そう思っているなら止めて欲しいわね……!!」

 

 言うことを聞かなくなった腕を庇う様に、撫子は妹紅を押し飛ばす。華奢な腕からは想像できない力が強引に距離を離し、戦闘に空白が生まれる。

 

「……やってくれたわね」

「生憎、人間は長く生き過ぎると躊躇を忘れてしまうんだ。今回も、まぁ勘弁してくれ」

「長く生き過ぎると、ねぇ……」

「それよりも、アンタだって人間だろう? 気配で分かるよ」

「そう見えるかしら?」

「少なくとも、私にはね」

「そう……」

 

 右腕に白い物体を纏わりつかせ、強引に動く様にしながら、撫子は呟く。

 

「それでも、私は化け物なのよね」

 

 生えた。四本だけではない、新たに二本の腕が。

 妹紅は横目で慧音の方を確認する。物陰に隠れているが、どうやら二人を無事に助けられたようだ。ならば、もう守ることを意識する必要は無いだろう。指の関節を鳴らし、心のスイッチを切り替える。

 それに対する撫子は宣言した。

 

「形状変化『ショットユニット』」

 

 計六本の腕の内の二本の形が変わった。他のしなやかに動く腕と違う、筒状に固まった二本の腕。名前と形状から、どの様な機能なのかは容易に想像がついた。

 

「本気みたいだね」

「そうね。貴方になら本気を出しても良い気がした」

「それは光栄だな」

「貴方には……私達と同じ匂いがするから」

 

 爆音が鳴り響いた。

 二本の腕、文字通りの砲台から純白の砲弾が発射される。

 

「精々楽しませてよ」

 

 妹紅はそう呟いた。

 刹那、その白い砲弾に対抗する様に、妹紅を中心に鮮やかな弾幕が展開された。

 それは、ある魔法使いに『究極の弾幕』と評された弾幕。

 

「『インペリシャブルシューティング』」

 

 永遠の破壊と再生を表すスペルカード。

 妹紅なりに、本気に答えた結果だ。

 様々に形状を変化させ、戦う相手も、それを見る者も楽しませる弾幕は、妹紅と撫子を包み込んだ。

 

「ありがとう」

 

 全力をぶつけてきたことに感謝の言葉を述べながら、撫子も容赦をしなかった。

 精密に狙いを定める二門の砲台から、妹紅に砲弾を飛ばしていく。

 しかし、あまりに強力な力の駆け引きは長く続かない。その瞬間は唐突に訪れる。

 鮮やかな弾幕は突然晴れ、砲弾の発射音も止む。残されたのは、地面に臥した両者だった。

 

「妹紅!!」

「心配しないで。まだ、立てるから」

 

 出血し、至る所に痣を作りながら妹紅はよろよろと立ち上がる。膝に手を突いて体重を支えながらも、何とか立ち上がる。

 けれど、撫子は違った。四本の腕を使って機械的に起き上がった撫子は、痛みを感じさせないままに砲台を構える。

 

「……私の仲間には、私よりも幼い子が居るの」

 

 躊躇いを消す様に、撫子は言う。

 

「その子も、私の程じゃないけど化け物に片足を踏み入れてるわ。でも、痛みを痛みとして感じる心は残っている」

 

 自嘲気味に、撫子は告げる。

 

「いつからかしらね。痛覚はあるのに、それ以上に何も感じなくなったのは」

 

 撫子の体には今、夥しい傷がある。きっと、それは全身を痛みで支配している。

 けれど、撫子にとってはその程度でしかなかった。痛いだけでしか、なかった。

 それで動きが止まることはない。人としての感情はまだ持っているのに、半端に壊れたからくり人形の様に、痛覚を無視して動けてしまう。

 

「……痛みについて、それだけ考えられるなら、アンタはまだ人間だよ」

「……」

「何百何千何万と痛みを感じれば、やがてどうでも良くなる。そうなるよりは、まだ救いようがあるだろう」

「……貴方も、きっとまだ真っ当な人間よ」

 

 最後にそれだけ言葉が交わされた。

 何とか立っている状態の妹紅に、砲台の照準が合わせられる。

 

「逝きなさい」

「逝けるのなら逝ってるさ」

 

 妹紅は笑った。また、苦しさを超えた痛みを感じる現実に、笑った。

 その言葉が耳に入るまでは。

 

「け、慧音さん!! 行っては駄目です……!!」

「……え?」

 

 妖夢の呼びかける声。

 それが耳に入った時には、慧音が妹紅を庇う様に両手を広げて立っていた。

 

「け……い、ね……?」

「ごめんなさい」

 

 砲弾が発射された。

 

「やっぱり私は……貴方が苦しむのを、もう見たくなかったみたい」

 

 目の前で、

 針の様に尖った砲弾が、

 慧音の腹を貫いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章八話 歴史が変わる時

「な、あ……?」

 

 妹紅から声ならぬ声が漏れた。

 鮮血がたった今吹き出た鮮血が妹紅を濡らす。

 灯が消える様に、一瞬にして慧音の体から力が抜ける。

 崩れ落ちるその体を、炎の翼を消した妹紅は咄嗟に支える。

 

「慧音……!! おい、慧音!!」

 

 ゆっくりと慧音を寝かせながら必死に呼びかける。

 胸の奥から莫大な感情の奔流が込み上げてくる。恐れ、悲しみ、怒り、悔やみ、遠い昔に置いて来た感情の数々が、妹紅を支配していく。

 視界の外で、妖夢と鈴仙が撫子に向かっていくのが分かった。

 きっと、彼女等も悔やみ、怒っているのだろう。

 

「なぁ……慧音……!!」

 

 けれど、妹紅は気にも留めなかった。

 目前の、唯一無二の理解者を失うかもしれない。それが、途轍もなく恐ろしい。

 その時、慧音の腕が動いた。

 弱弱しく震えながらも、その腕は妹紅の顔に伸びる。そして、拭った。

 いつの間にか流れていた、一滴の涙を。

 

「……も、こう……」

「慧音……」

「泣か、ないで……」

 

 それだけだった。

 慧音は笑った。

 ゆっくりと、瞼を閉じながら。

 

(……意識が……!?)

 

 失うのか。また一人、失うのか。

 また一滴、冷たい涙が伝った。

 

「……まだ間に合うわよ」

 

 感情が感情を飲み込み、自分が一体何をしたいのかも失いかけたその時、下を向く頭の上からそんな声が聞こえた。

 

「まだ、死んだわけじゃないわ。生きているなら、きっと間に合う」

 

 そう言われて慧音を再び見る。確かに、瞼は閉じている。

 けれど、微かな呼吸の音がする。

 

「その上で貴方に聞く。どうしたい?」

 

 顔を上げると、そこには鈴仙が立っていた。その向こう側には必死になって撫子に喰らい付く妖夢の姿。

 そうだ、まだ下を向く時じゃない。

 数多の感情は音もたてずに消えていき、妹紅の心は妙な冷静さが姿を見せ始めていた。

 

「なぁ」

「何かしら?」

「慧音を頼んでも良いか? そうだ、永遠亭に運んでくれ」

「他の頼み事は?」

「慧音を絶対に死なすな。仮に死なせでもしたら、私はお前を焼き殺す」

 

 いつもの声のトーンでそう言うと、鈴仙は笑って慧音を抱えた。

 

「なら、私が焼き兎になる心配はないわね。兎は足が速いもの」

「速く行け」

 

 最後に一度、妹紅に目を合わせて頷いた鈴仙は、踵を返して飛んでいった。慧音に変な衝撃を与えないようにしながらも、決して速度を下げない様に。

 その遠くの空に消えていく背中を見届けて、妹紅はもう一度撫子の方を向く。形振り構わず突っ込んでくる妖夢をあしらいながら浮かべているその表情は、どこか切なそうだった。

 その表情の意味を考えながら、妹紅は再度翼を噴き出す。

 今度こそ、後悔はしない。

 ならばまず、今戦っている妖夢を守り抜くところから始めようか。

 無限に再生する、自分をも大切にして。

 

「行くか」

 

 地面を蹴った。

 爆発した背中の翼は空気を一気に膨張させて辺りに熱風を巻き起こす。

 その風に乗る様に、妹紅は一気に接近した。そのまま右拳を固く握り、撫子に向けて全力で打つ。

 直前でそれに気付いた撫子は翼を使って防ぎ、妹紅の右腕から嫌な音が走る。

 けれど、妹紅はそれを無視して蹴りを放つ。骨盤の辺りに直撃し、撫子は簡単に吹き飛ばされた。

 

「……なぁ」

「何ですか……?」

「一緒に、戦ってくれ」

「……はい」

 

 妖夢の隣に降り立って、横目で見ながら頼む。

 答えた妖夢は、刀を強く握り直した。

 視線の先で、撫子が不自然な挙動で起き上がる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章終話 攻防の終わり

「それよ。その目よ。私が、私達が見たいのは」

 

 計六本の白い腕を不気味に動かしながら撫子は笑う。

 

「さぁ、やってみなさい。悪の塊を、その正義の下でね!!」

 

 雄叫びが上がった。

 双方が同時に接近する。

 その中で、最初に仕掛けたのは妖夢だった。両手で構えた楼観剣を、躊躇なく撫子の首筋を狙って振るう。けれど、撫子は白い腕を使って冷静にそれを防ぐ。柔軟に動いているにもかかわらず、不自然な硬度を持つ腕は、その衝撃を直接妖夢の腕に伝える。

 顔を顰めて僅かに動きを止める、その隙を狙って他の白い腕が飛ぶ。

 妹紅は妖夢の腰に抱き着き、転がる様に地面に倒した。

 妖夢の胸があった虚空を貫いた腕は深々と地面に突き刺さる。

 そのまま妖夢の上に覆いかぶさった妹紅は、背中の炎を爆発させた。至近距離に居た撫子は、その熱を直接受け、逃れる様に大きく後ろに下がる。

 妹紅はそれを確認してから真上に大きく跳んだ。

 撫子から見ると、丁度雲間から射す日光と重なる位置に。

 真面に直視して、目が眩む。そこを狙って妹紅は宣言する。

 

「不死『凱風快晴飛翔蹴』」

 

 その右足に炎が纏わり付く。そのまま、流星の様に撫子に蹴りを放った。

 衝撃が辺りを走る。そして、その一撃はそれだけに留まらなかった。着弾点を中心に、炎の柱が吹き上がる。撫子を包み込んで焦がす炎は、辺りを熱風の渦に包み込む。

 

「……油断はするな」

「分かってますよ」

 

 立ち上がった妖夢と言葉を交わしその渦を見詰める。

 直後、その炎の渦は内側から爆発した。撒き散らされた火の粉は辺りの建物に当たり、一瞬の間を置くことも無く消えていく。

 

「中々良い攻撃ね」

「そりゃどうも」

「ただ、所詮『この世界』での話なのよね」

 

 業火に包まれながら、それでも火傷一つ負わなかった撫子が、その右手を真っ直ぐ横に向ける。刹那、妹紅と妖夢を囲む様に、何百と言う純白の槍が周囲に展開された。

 

「伏せて!!」

 

 そう言い終わるより早く、妖夢は左手で白楼剣を抜いた。同時、妹紅は何も言わず姿勢を低くし、その槍が一斉に放たれた。

 もはや妖夢に迷いは無い。その槍の束を見据えると、構えた両の刀を全力で振り回す。兎に角当てさえすれば良い。そうすれば、連鎖的に穴が開く。

 断続的に物がぶつかる音が響く。その音が薄れてきた時、妹紅は刀を振る妖夢を抑え、代わりにまた炎を爆発させる。

 爆風に煽られた無数の槍は全方位へ向けて様々な向きで飛ばされる。

 けれど、その全ては虚しく建物や地面に当たるだけで、他の何かを捉えはしなかった。

 

「……逃げたか」

「……そう、ですか」

「ま、悪人にしては妥当か。仕方ないが、奴を仕留めるのは次の機会だな」

 

 その後暫く気配を感じたり、はたまた姿を見せないか待ってはみたものの、その様子はまるでない。

 戦いの終わりは呆気ないもので、二人は脱力感と安堵に包まれる。

 けれど、

 それは長くは続かなかった。

 撫子の気配は感じない。しかし、新たに夥しい数の敵意を感じ取った。

 

「……マズくないか?」

「えぇ、マズいでしょう。恐らく、山の妖怪達でしょうし」

 

 嫌に冷静なまま会話を交わした二人は、一目散に走り出した。

 生き返るまでが戦い。兎に角、二人は慧音が運ばれているであろう永遠亭を目指す。

 




中途半端に感じると思いますが、これにて第四章は終了となります。読んでくださって、ありがとうございました!!
それにしても、やっと前半の終わりが見えてきました。半年以上続けているのに、まだまだこれだけしか話が進んでいないのは、結構恥ずかしい話ですね。(途中サボったりしてるのは言わない約束)
兎に角、夏休み中の完結を目指して頑張りますので、どうかこれからもよろしくお願いします!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 果てかける郷
第五章一話 あれから


 結局、その日霊夢達はアリスの家から外に出ることはしなかった。何か、根本的解決に走らなければならないと自覚しながら、それでも先の出来事が頭を離れず、未体験の感覚に封印されてしまったからだ。

 無慈悲にも地上を照らす太陽は西の空へと沈んでいく。朱く、炎の様に染まる大空は、そんな彼女等をどう見るのか。ただ見上げるしか出来ない彼女等に、知る由もない。

 

「皮肉なもんだな」

「本当にね」

 

 交わしていた呑気な会話もいつの間にか失せ、残ったのは矛盾した焦燥。呟きながら魔理沙が触れた窓の硝子は固く外の世界と隔離する。

 

「なぁ、霊夢」

「何よ」

「これから、どうなると思う?」

「……どうかしらね」

「だって、私一人を救うのに文とパチュリーが犠牲になったんだろ?」

「……そうね」

「なら、これから何かをするのに、一体どれ程犠牲が付いて来るんだ?」

「……さぁ、どうかしらね」

 

 覇気を感じられない、その焦燥と憂鬱に支配された言葉。ただただ淡々と流れ出て来る言葉は、一層の虚しさを掻き立てるだけだ。

 

「……浮かない様子ね」

「……あぁ、アリスか。まぁ、現実が頭に入ってくるとなぁ」

「それも仕方ないわよね……」

 

 小町の治療の為に寝室に居たアリスも同様で、その瞳は僅かに沈んでいる。

 

「……今日は、どうするの? 泊まっていくって言うなら、準備と言うか色々あるもの」

「私は、そうさせてもらうぜ。恥ずかしい話、今は外に出たくない」

「……そうね。お邪魔でなければ、私も泊めてもらおうかしら」

「了解したわ」

 

 頷いたアリスはそのまま台所へと消えていく。そろそろ夕食の時間だからだろう。

 

「小町はどれ位回復したのかしら」

「どうだかな。人じゃないから、ある程度回復速度は速いと思うが……」

「後で様子を見に行ってみましょうか」

「そうだな」

 

 会話は長く続かない。断続して訪れる静寂は、果してこれで何度目か。無限に続く様なループを断ち切る方法を、まだ彼女達は分からない。

 故に、それは外から訪れた。

 一回だけ鳴った呼び鈴に、二人はピクリと反応する。来訪してきた者が居るのは分かるが、それが誰なのかが分からない。いつもなら特に何かを思うことはなかっただろうが、今この瞬間、玄関のドアからは何やら威圧の様なものが感じられる。

 

「あ、アリス!! ど、どうする?」

「そうね……代わりに出てもらっても良いかしら。大丈夫、ドアに付いている覗き穴で外を見てみれば良いから」

「わ、分かったぜ……」

「一応私も着いて行く。敵が立っている可能性だってあるから」

 

 一度、二人で頷き合ってからゆっくりと玄関に向かう。近い様でその距離が遠く感じられてしまう。やがて、そのドアの前に立った時も、それは押しても引いても開かないもののように感じられる。

 慎重に、ドアに付いている覗き穴から外を見る。歪な形に見える小さな硝子の先の景色に、何者かが佇んでいるのが見える。それは、九本の優美な尻尾を持つ妖獣であり、妖怪の賢者の式神である八雲藍だ。

 その姿に二人は安堵し、ゆっくりとドアのノブに手を掛ける。ギィ……と重く音を漏らしながら扉が開き、先に立っていた藍は今度こそ明確になり、その彼女は先ず一礼した。

 

「わざわざこんな時間に申し訳ない」

「問題無いわよ。まぁ、ここはアリスの家だけど」

「取り敢えず入った方が良いだろ。今、外は何かと物騒だからな」

「なら、その言葉に甘えさせてもらうことにしよう」

「おう」

 

 合わせた両手を袖の中に隠すいつもの態勢のまま藍は中に入ってくる。それを誘導する様に霊夢と魔理沙もリビングへと戻る。

 その中途、何気なく霊夢は藍に聞いた。

 

「それで……藍はどうしてここに来たの?」

「理由はただ一つだけ」

 

 その藍の返答は、極めて単純だった。

 

「この幻想郷を襲う危機、それについての紫様の伝言を伝えに来たのさ」




藍の口調ちょっと直しました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章二話 伝言を辿って

今回意味不明です



「どうぞ」

「あぁ、すまないね」

「いえいえ、客人を持て成すのは主の役目だもの」

 

 アリスに運ばれてきた紅茶の香りを嗅いだ藍の尻尾が揺れた。そのまま一口飲み、また尻尾が揺れる。部屋の隅、窓際の椅子に座っていた魔理沙の視線が、その尻尾の動きに同期した。

 

「さて……早速本題に入ろうか」

「そうね……のんびりするのも今の雰囲気には合わないでしょうし」

 

 ゆっくりと息を吐いた藍の提案に、霊夢が反応を示した。

 

「まず、被害の状況は……紅魔館が墜ちた」

「な……じゃあ、レミリアや咲夜はどうなったんだ……?」

「揃って永遠亭に行ったらしい。何でも、咲夜が重傷を負ったらしいわ」

「そう……あの咲夜が……」

 

 魔理沙が座る椅子の隣にあるソファに腰掛けたアリスが暗い顔を浮かべて呟く。

 

「紅魔館で……何があったの?」

「当主、レミリアの暴走。解決はした様です」

「そう……良かった」

「そして、後は人里の陥落か。操り人形の様な状態の天狗が大量に徘徊している現状だ」

「大丈夫なの?」

「一応、住民への被害は一人を除いて出ていない。その一人も、先駆けて人里に入ってきた首謀者の一人と交戦した上白沢慧音だけ。結論的に、その天狗達による被害は皆無。恐らく、監視的な役割かもしれないでしょう」

 

 現状の被害は以上になる。そう言った藍はまた紅茶を一口啜った。話を変える意味だったのだろう、静かに藍の話を聞いている三人を見て、再び口を開いた。

 

「今確認が取れている首謀者は二人。浅茅撫子と酸漿棗ね。それぞれ似たような能力だけど、微妙に違うんだ」

「浅茅撫子って誰だ?」

「紅魔館の件の首謀者だ。彼女は『物から始まる世界を生む程度の能力』を自称している」

「どういうことよ」

「詳しくは分からない。こればかりは本人に聞いてみないと、変な誤解を生んでしまったら命取りですから」

「じゃあ、棗の方はどうなんだ?」

「それは分からない。これはあくまで紫様が見た情報だからね。本人が自称していなければ、推測の域に入ってしまうから」

 

 残った紅茶を飲み干した藍はふぅと息を吐いた。それに釣られる様に訪れたのは静寂で、誰も何も話そうとしない。ただ、今提示された情報を飲み込み、自分なりに解釈をしていく。

 その後、長い静寂を断ち切ったのは魔理沙だった。ゆっくりと、一文字ずつ絞り出す様な声で、魔理沙は藍に聞いた。

 

「……なぁ」

「どうした?」

「これから、どうするんだ? 能力は上手く掴めない。そもそも、幻想郷のパワーバランスの一角が墜ちた。私達は、今からどうするんだ?」

「答えは一つしか無いだろう。戦うの」

 

 簡単に、藍は言い切った。

 勿論、魔理沙達三人は棗と交戦しているため、その実力は理解している。魔理沙だけなら彼女を圧倒出来たものの、霊夢とアリスにそれが出来るかは分からない。

 それを分かっている三人は、同様に驚いた様な表情を浮かべる。

 

「戦うって……どうするのよ。文とパチュリーを真正面からねじ伏せる様な奴よ? そんな……」

「それなんだが……紫様の話では、どうも相手に二つのパターンがある」

「何だよそれ」

「単純だ。一つは、純粋に持てる力を最大限に引き出した故に体の制御を失う者。そして、根本的にこの世ならざる方式を扱う者だ」

 

 一度話を止め、藍は三人を見回す。真剣に聞いていることを確認してから、再び話し始めた。

 

「前者は真っ向から立ち向かうしかない。暴走したレミリアもこのタイプだったらしいわ」

「なら、後者はどうするんだよ」

「具体的解決方法は分からないが、このタイプはまだ棗と撫子の二人にしか確認が取れていない。ただ、両者とも対抗できる存在が居た」

「……それが」

「そう、棗には小野塚小町と霧雨魔理沙。撫子に関しては恐らくだが誰でも攻撃を通すことが出来る様ね」

「……でも、おかしくないかしら。この世ならざる方式ってことは、私達が使う公式は当てはまらないってことでしょ。お互いに攻撃が通らないのが普通だと思うけど」

 

 目を細め、藍に聞いたアリス。藍はその質問は予想していた様で、一度頷いてからそれに答える。

 

「まず、棗に関してだが、紫様に聞いた話によると、元々普通の人間だった様子。だけど、何らかの過程を得てこの世ならざる方式に触れ、人と妖の区別が付かない存在になってしまった様だ。故に、この世と別の世の両方の公式を持っているため、向こうの攻撃を強引にこの世の公式に当てはめることで、あのような一方的に攻撃を出来たらしい。ただ、それでも単純な物理的攻撃には弱い様ね」

「じゃあ、何で私の攻撃が通るんだよ」

「魔理沙も向こうの世界に行ったからでしょう。知らぬ内に向こうの方式に触れ、体で覚えたのよ」

 

 じゃあ、小町もそう言うことなのか。

 成る程、と一人納得する魔理沙を横に、アリスは答えの続きを求める。

 

「それで、その撫子とか言うのはどうなのよ」

「撫子は棗と違って向こうの世界の『物』を強引にこちらの世界に当てはめている。力を当てはめた棗とは違ってね。故に、力の流れ自体に影響がある訳じゃないから、ただ壊せない物を生み出すだけ。それさえ注意したら、撫子自身に攻撃は通せる。棗と違ってね。ただ、撫子も人と妖の中間。寧ろ、妖の色が濃くなっているらしい。物理的な手段では限界があるかもしれないわ」

 

 藍がそう言った後、暫くの間静寂が部屋を包んだ。

 正直、説明されても分からない。世界だとか方式だとか公式だとか、そんなものは理解出来ない。

 提示されたのは、対抗できる存在だけ。方法までは分からない。

 

「つまりだ」

 

 それでも、魔理沙は軽く口を開いた。

 

「私が棗をぶっ飛ばして、撫子は誰かに任せて、そして人里も解放する。これだけの単純なことだろ?」

「まぁ……極めて簡単に言えばそうなるわね」

「実行はいつだよ」

「可能なら明日。夜は妖怪も活発になる故に、危険度も高いから」

「なら、私は明日動く。他は知らんが、脅威は一個でも減らすべきだろ」

 

 パン、と。魔理沙は頬を叩いた。心を切り替える様に、魔理沙は続けて息を吐く。

 既に、彼女の心は前向きに切り替わっていた。不安として存在していた要素に、少しだろうとどうであろうと自分が対抗できると分かったから。

 

「……なら、私はその撫子とか言うのを叩く。アリスは人里を任せても良いかしら」

「了解したわ」

「そうだ、人里の事なんだが」

「何よ」

「今、橙や狐を利用して幻想郷の有力者に協力を仰いでいる。何も単騎で挑む必要は無い」

 

 少しだけ、思っていた以上に希望が見えた。

 そう、と僅かな微笑みを浮かべて言った霊夢は、しかし藍にもう一つ質問する。

 

「ところで、当の紫はどうしたのよ」

「『本丸を叩きに行くから、後のことは藍に任せるわ』とだけ言い残してスキマの中に消えて以来、行方は知れません」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章三話 夜、朧な月の下

 氷精と戦い、人里で稗田家を訪ね、撫子と戦い、永遠亭に走ってきた。

 そんな、忙し過ぎた一日の終わり、日も暮れて月は空の中心に来た、そんな時。

 

「……綺麗な月ですね」

 

 そう呟いた妖夢は一人、永遠亭の庭を歩いていた。白玉楼に帰ろうと思ったが、妹紅に制止されて帰ることが出来ず、永遠亭に止まった。慣れない場所であり、あまり接点が無かった者と同じ屋根の下で眠ろうにも中々寝付けないので、少し夜風を浴びに来たのだ。

 

「幽々子様……今どうなさっているのでしょうか……」

 

 本音を言えば、今すぐにでも帰りたいけれど、一人で出て行くのは危険が高いと言う妹紅の制止も反論できない。一人で行って、一人で倒れれば意味が無い。

 それでも、彼女の思いは自然と彼女を門の前に運んでいた。

 開ける訳じゃない、ただ、少しでも近い所に居たい。そんな儚い思いが。

 そして、それは一人ではなかった。ふと門の傍に目を向けた時、中華風の服に身を包んだ女性が座っているのが見えた。

 

「貴方は……」

「美鈴。紅美鈴よ。紅魔館の門番をしてる」

「あ、どうも……魂魄妖夢、です」

 

 返ってきた言葉に更に返答し、そのまま美鈴の隣に行く。少し馴れ馴れしいかなとも思ったが、美鈴に気にする様子はなく、一瞬妖夢の顔を見てからまた正面を向いた。

 

「……何故かしらね、中に居るよりも、こうして門の前に座ってる方が落ち着くの」

「はぁ……やはり、いつも門の番をしているから、でしょうか」

「それもあるだろうけど……今、永遠亭には私の雇い主が二人入院しているのもね」

「咲夜さんと、レミリアさんですか?」

「そう……本来なら、私が侵入者は門前払いしないといけないの、まんまと侵入を許して、挙句の果てに重傷を負わせてしまった。だから……顔向けする勇気が無いんでしょうね」

 

 同情は求めていない。これは、自分の非を再確認する言葉だった。

 美鈴本人も、あれはどうしようもなかったことだとは分かる。門から入らず、突然紅魔館館内に現れたのだから。

 それでも、せめて被害は減らすことが出来た筈なのに。

 

「……これじゃあ、門番も失格かなぁ。ただの庭師だよ」

「貴方も庭師だったんですか?」

「花畑専門だけどね。大変なのよ? パチュリー様が急にミステリーサークル作ったりさ」

 

 そんな冗談を言って、少しでも場を盛り上げたかっただけだった。それでも、込み上げてくる負の感情は打ち消し、僅かな微笑みすらも消してしまう。

 

「……元の平和なままだったら、もっと深く話することが出来るのだろうけど……」

「生憎、そんな時ではないですからね……」

 

 例えばの話も虚しく、月が朧に浮かぶ空に消えていった。

 

「……あの、貴方は明日、どうするんですか?」

「私は……取り敢えず人里に向かおうかなと。あの猫の妖獣の話だと、そこが一番重要そうだったし、主犯格には私だと太刀打ち出来ないだろうから」

「そうですか……」

「妖夢は?」

「私も、そうしようかなと。何より、人里を守ることが出来なかったのは私でもありますからね」

 

 会話が長く続く訳でもない。途切れ途切れでぎこちない会話は、それでも二人の距離を段々と形にしていった。

 まだ近くはない。けれど、追い詰められた状況は、距離を遠いものにもしなかった。

 

「……美鈴さん」

「何かしら?」

「その……この異変が終わったら、一緒にお茶にでも行きませんか?」

「……そうね、時間が出来たら、一緒に。その為にも……お互い無事で終わらないと」

「そうですね」

 

 朧に浮かぶ月は止まっている様で、流れる時間を感じさせない。いっそのこと、このまま平和だと感じられる時間が続けば良いのに。

 儚い思いは胸の奥に消えていく。

 

 代わりに前触れもなく現れたのは、奇妙に開いた空間から出てきた、傷だらけの女性。

 

「うぇ……?」

「え、ゆ、紫様……?」

 

 突然の出来事、そして生々しい惨状を目の当たりにして、二人は驚きを越えて言葉を失った。

 その女性は八雲紫。妖怪の賢者であり、その実力は幻想郷でも十指に入るほど。そんな存在がここまでの傷を負うものなのか。まして、物理攻撃には割と強い種族の妖怪なのに、だ。

 

「……丁度良い所に、出られた様ね……」

「大丈夫ですか!?」

「大丈夫よ……所詮物理的な傷だから、一夜もすれば殆ど直る。それよりも、よ」

 

 重々しく顔を上げた紫は、妖夢の顔を見て自嘲気味に笑った。

 

「紅魔館、妖怪の山、そして紅魔館。これに続いて……白玉楼も堕ちたわ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章終話 不安と微光

 あまりに唐突な告白は、その場を更なる静寂で支配することは容易だった。疑問と驚愕が混ざった表情を浮かべる妖夢と、相変わらず自嘲気味に笑う紫を交互に見ながら、美鈴は慎重に口を開く。

 

「それはつまり……白玉楼の主である、西行寺幽々子様も……」

「そう。私と一緒に主犯の一人と戦って、そして敗れた。私は何とか逃げてきたけれど、ね」

 

 その事実を受け入れようとしても、どうしても認めたくない。妖夢は何か言おうとするが、言葉が何も浮かんでこない。

 

「恐らく、幽々子は既にレミリアと同じ暴走状態にあるわ。冥界と幻想郷の境界を半ば強引に閉じたから、こちらに来る心配はないけれど、いつまでもそうしていられない」

「なら……誰かが幽々子様を元に戻しに行かなければならない、と?」

「そうなの。ただし、一つ重大な問題が有る」

 

 人差し指を立てて紫がそれを言おうとした時、妖夢がポツリと呟いた。紫と同じ位、若しくはそれ以上に幽々子を知るからこそ、その脅威が一瞬で理解出来た。

 

「死を……操る程度の能力……仮に、近付いたとしても、その者には問答無用の死が与えられる……そう言うことですよね?」

「そう、その通りよ。だから、何とかしようとしても出来ないの」

 

 どうしようもない現実を突きつけられた。何よりも、暴走した存在の恐ろしさを妖夢と美鈴はよく分かっている。

 だからこそ、能力の理不尽と単純な脅威が一層どうしようもないものに感じられた。

 重く、暗い何かが場を満たす。

 

「……要は、能力の影響で死ななければ良いんだろう?」

「……え?」

「そんなこと、息をするよりも簡単じゃないか」

 

 その声は、その暗く重い何かに光を齎した。それでも、僅かな光だが、有と無ではまるで違う。

 声の主である妹紅は、いつになく真面目な表情で三人の所に歩いてくる。

 

「要するに、私がそいつをぶっ飛ばせば良い訳だ」

「それで良いんですか……?」

「確かに、可能性があるのは妹紅、貴方位しか居ないものね。だけど……」

「だけど?」

「逆に言うと、協力者は居ないと言うことよ? それで、本当に大丈夫なの?」

「紫らしくないな。何もかもを理解している様な普段のお前らしくない。まぁ、私自身お前のことをよく知っている訳じゃないが」

 

 組んだ腕を解き、胸の前に右手を置いて妹紅は微笑んだ。

 

「死なないってつまり、負けないってことだ。何回傷付こうが、何万回死にかけようが、最後に勝つのが私なんだよ」

「……そう。それ程の自信があるなら、任せるわ」

「私からも……幽々子様のこと、どうかお願いします」

「分かってるさ。その代わり……人里のことは任せる。失敗したけじめを自分で付けられないんだ。だから、せめて私の分まで戦ってくれ」

「……分かった。その拳、私達に預けなさい」

「すまないな……」

 

 美鈴が右拳を差し出し、妹紅がそれに右拳を当てる。

 特に面識が無かった両者は目を合わせると、静かに頷き合った。

 

「それじゃあ、実行は橙も言ったと思うけど明日。今日はもう休みなさい。明日に響くと冗談抜きで不味いから」

「分かりました。紫様は今からどうされるんですか?」

「私は、少し色んな所に行ってくる。少しでも協力者を募ってくるわ」

 

 そう言って紫はスキマの奥に消えていった。残された三人は暫く無言でいたが、やがて妖夢がぽつりと呟く。

 

「……本当に、大丈夫なのでしょうか」

「何とかするしかないだろうな。大丈夫だとかじゃなくて」

「そうね。逃げている場合でも無い訳だし」

「そう、ですよね……」

 

 不安ばかりが募る様で、僅かな光も霞む。

 せめて、出来る最大限の仕事をしなければならない。

 ちっぽけな決意は、果して原動力となるのか。

 




これにて第五章は終了となります。
読んでくださって、ありがとうございました!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 異端である超常
第六章一話 崩壊した


 少女は見失っていた。

 大切なものを、自分の居場所を、そして自分そのものでもあり、世界でもある何かを、ただ見失っていた。

 ただ、覚醒した自分の中を駆け巡るのは、単純で且つ難解な命令。

 

『漠然としたもの、それを壊せ』

 

 何もかも、目に入る物が全て漠然としたこの世界で、一体何を壊せと言うのか。

 様々な英知の結晶たる頭脳を持つその少女にも、その命令は難解だった。全てを壊せとでも言うのか。そうでなければ、漠然とした世界の中で、更に輪郭の不確かなものを壊せと言うのか。

 

「……何でも、良いわよね、そんなこと」

 

 知識に無いことを考えることを、彼女は放棄した。

 自分の中の本能のまま、命じられたことを淡々と熟せばいいのだ。

 結論に至った少女は、またゆっくりと歩き始める。

 

 そして、見付けた。

 

 彼女の本能を騒がせる、四人の少女を。

 瞬間、彼女は無意識のままに攻撃した。あらゆるものを焦がす、灼熱の炎でもって。

 

「危ないっ!!」

 

 炎で遮られた奥、聞き慣れた様な、初めて聞く様な曖昧な声が聞こえた。続いて何かにあたった様に炎が大きく拡散し、そして散る。

 その先に見える、紅白の服に身を包んだ少女はお払い棒を構え、こちらを真っ直ぐに見詰めていた。

 

「……今の炎、まさかとは思うけど、アンタの仕業じゃないでしょうね」

「そうだとして、何なの?」

 

 自分でも驚く程冷たく発したその言葉。その残響が消える頃、少女は漸く目の前の四人を理解出来た。

 そうだ、きっとあの四人は知り合いだったはずだ。少なくとも、こうして敵対する相手ではなかった筈だ。では、何故今攻撃したのか。本能は、何故体を攻撃に移行させたのか。

 疑問は解消されず、絡まり、自我が更に染まっていく。

 どこまでも黒い、決してこの世界ではない何かに、染まっていく。

 

 一体何を強いられているのか。どうしてもこうあらねばならないのか。

 

「兎に角、アンタも邪魔するってなら、容赦はしないわよ」

 

 お払い棒で自分の肩を叩きながら、紅白の少女は言う。

 

 そして、少女は命令に支配された。

 自我を失った訳ではない。ただ、明確に何かが壊れた。

 

「そう……なら、仕方ないのかしらね」

 

 懐から魔導書を取り出した少女は、ゆっくりと戦いに移行する。

 

「何故かと言われれば分からない。それでも、私は貴方達をここで地に帰す」

 

 本来の自分なら、絶対にこんなことは言わないと自覚しながら、もはや流れ出る言葉を止めることが出来なくなっていた。

 そんな少女を見て。紅白の少女の傍らに立つ、黒い服の魔法使いが呆然と呟いた。

 

「……パチュリー、どうしたんだよ……」

 

 分からない。

 分かるのなら、今ここに立っていない。

 その少女、パチュリーは誰にも聞こえない悲鳴を上げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章二話 再び

「……どうしちまったんだよ」

 

 魔理沙の頭は既に疑問ばかりが占めていた。普段から感情をあまり顔に出さないパチュリーだが、今目の前に居る彼女はあまりにも無表情すぎる。それは、人形の様で、話すその言葉にすらまるで意思が感じられない。抑揚が、形だけのものとしか感じられないのだ。

 

「別に、どうもしないわよ」

「なら……!!」

「そんなこと知らない。今はただ、出来る限り消極的に、尚且つ確実な手段で貴方達を地に帰す。それだけ」

 

 そう言って、パチュリーは一冊の魔導書(グリモワール)を取り出した。

 

「……よく分からないけど、もう強行突破するしかないわよね」

「もう正常な状態では無いと見てわかるからね。あたいの能力で抜けるのも一つだけど」

「立ち塞がられた以上、逃げてもいずれ戦う羽目になる。なら、ここで倒すのが良いでしょ」

 

 既に霊夢と小町の二人は戦う手段を選んだ様で、それぞれ鎌とお払い棒を構えている。

 もはや、制止を促したところで戦いは避けられない。魔理沙の脳裏に、あの夜の記憶が蘇ってきた。

 そう、暴走したアリスと死に物狂いで戦ったあの夜が。

 

「……魔理沙?」

 

 気が付けば、ミニ八卦炉を握り締めていた。仲間と思っていた者に、本気で、殺意を持って勝負を挑むのはあれが最初で最後だと思っていた。

 薄々気付いていた筈だ。

 そんな訳ないんだと。

 

「……先に行ってろ」

「ちょっと、それどういうことよ」

「良いから行ってろ」

「何でよ!!」

「パチュリーに時間を取られている場合じゃないだろ。それに、これはお前達が見るべきじゃない」

 

 霊夢と小町、そしてアリスを箒で制しながら、魔理沙は静かに言った。

 

「……それならば、私も一緒に戦うべきじゃないかしら」

 

 そんな魔理沙の方に手を置いて、優しくそう言ったのはアリス。箒を避け、魔理沙の隣に並び、共にパチュリーを見据える。

 

「魔理沙が戦ったのは私。でも、その時の記憶は私には無い。なら、今それを経験したら良いじゃない」

「でも……」

「まさかとは思うけど、負けると分かった上で戦おうとか無謀なことは考えてないでしょうね。今はそういうの、求めてないわ」

 

 アリスも、魔理沙を一人にしたくなかった。もう孤独を味わうのは嫌だった。

 折角もう一度会えたのだから、全て終わった時はまた笑っていたい。無論、パチュリーも含めて。

 

「なら……なら二人にここは任せるわ」

「えぇ。さっさと行きなさい」

「分かった」

 

 背後で霊夢と小町が離れていくのが分かった。

 残されたのは三人のみ。静かすぎる森は、場の緊張を高めていく。

 

「……遺言は終わり?」

「生憎と死ぬ予定は無いわ」

「そう」

「……行くぜ。覚悟しとけ」

 

 幻想郷に住む三人の魔法使い。

 超常を操る戦いが幕を開けた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章三話 異端の戦い

 パチュリーを中心に生み出された弾幕が空気を叩いた。

 ドン!! と連続して叩かれた空気は周囲の木々を叩き、その葉を無慈悲にも飛ばしていく。

 

「木符『シルフィホルン』」

 

 弾幕だけではない、現実の物体として存在する木の葉は鋭利な刃として魔理沙とアリスを襲う。全方位、何処を見ても完全にその嵐の渦の中、抵抗しなければ服を着ただけの脆い体は残酷過ぎる程のダメージを受けてしまう。

 だからこそ魔理沙は叫んだ。

 光や炎、その様な派手な魔法を扱う人間の魔法使いは、その木の葉の弾幕を火力で吹き飛ばしにかかる。

 

「恋符『マスタースパーク』」

 

 出し惜しみはしない。手を抜いたその瞬間が最期となるから。

 爆ぜた。

 人間として出せる中でもトップクラスの一撃は辺りの空気を更にかき乱し、舞い散る木の葉の動きを完全に殺し、遠ざける。

 それでいて、その一撃は正確にパチュリーを狙う。

 

「日符『ロイヤルフレア』」

 

 それに、彼女もまた火力で答えた。生み出された爆発的な光は真正面からマスタースパークと絡み合い、互いに霧散していく。

 けれど、魔理沙は一人ではない。控えていたアリスが声を上げる。

 

「呪符『ストロードールカミカゼ』」

 

 アリスの手の動きに合わせ、森の木の中から不意に現れたのは数多の藁人形。その禍々しい大集団は、一直線に二つの光が絡み合うその中心に向かっていく。

 そして、その中に飛び込んだ人形は全て炎を纏った。

 これもまた、魔法を越えた物理攻撃。見かけは単純だが、魔法に慣れるものに一瞬でも隙を作るには十分だと思ったのだ。

 しかし、

 

「水符『プリンセスウンディネ』」

 

 パチュリーは冷静だった。

 淡々と唱えられたその魔法。直ぐに数多の水玉が空中に浮かび上がり、炎の藁人形を真正面から包み込み、無力化される。

 それだけではない。その量は藁人形の比ではないのだ。

 水の圧力、それは量に比例する暴力。押し潰されればそれは建物の下敷きにも等しい衝撃となる。

 分かった上で、パチュリーはそれを魔理沙とアリスに差し向けた。

 回避するスペースは限りなく少ない。木々に触れ、割れた水玉は重力に従って落下し、動くだけの幅を制限するからだ。

 それでも必死に間隙を飛ぶ魔理沙は視認する。

 パチュリーは既に次の魔法の詠唱準備をしている。

 

「賭けるしかないか……」

 

 急ブレーキをかけ、パチュリーに背を向けながらミニ八卦炉を構える。

 もう一度、マスタースパークを放つ為に。

 

「彗星『ブレイジングスター』!!」

 

 叫び、背後の水玉には注意を払わずに一気に突撃する。高所から地面に叩き付けられる様な衝撃が何度も襲うが、それを歯を食いしばって堪える。

 そして、今度こそ何か柔らかい物に当たった様な感触が背中に伝わる。それも刹那の間、直後に伝わってきたのは背骨が折れる様な激痛だった。

 

「ほんと、代償が大き過ぎるぜ……!!」

 

 愚痴を漏らし、一瞬背後を確認する。

 突撃を受け、受け身も取れずに吹き飛ばされたパチュリーはそれでも空中で態勢を立て直す。

 

「『グランギニョル座の怪人』」

 

 そこを狙ったのはやはりアリスだった。

 藁人形ではない、木々から出てきた大量の西洋人形が、莫大な量の弾を吐き出す。

 詠唱は追い付かない。致命的な一撃を与えるには十分だろう。

 

 そう思えたのに、

 

「火&土符『ラーヴァクロムレク』」

 

 魔法は一瞬で発動した。

 圧倒的な弾幕を、呼吸でもしているかのように簡単に吹き飛ばし、魔理沙とアリスをも巻き込む。

 

(どういう、こと……!?)

 

 有効打を確信していたアリスは混乱し、慌てて次の魔法に移ろうとする。

 

「馬鹿、まだ止せ!! 態勢を整えろ!!」

 

 そんな魔理沙の声が聞こえた。

 しかし間に合わない。不安定なまま、パチュリーの弾幕に更に飲まれていく。

 一瞬、明確な終わりが頭を過る。

 

 ただ、何かがそれを強引に遮った。

 閉じかけた目を開けてみると、そこに居たのは弾幕を一身に受けてアリスを抱き締める魔理沙だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章四話 変化

 アリスは魔理沙に圧し掛かられて地面に倒れていた。いや、その表現は厳密には正しくないのかもしれない。弾幕を一身に受けたその背中は既にボロボロで、破れてボロ雑巾の様になった服の間からは生々しい傷が大量に見えた。

 

「な、んで……」

 

 魔理沙は答えない。答えられない。

 ただ守られたアリスは、その行為に疑問を抱くことしか出来なかった。

 

「起きなさいよ……」

 

 アリスの胸に突っ伏したままの頭を二度三度揺さぶってみても、生気が無いただの人形の様にまるで反応を見せない。

 何故、あのタイミングで魔理沙は自分を助けてくれたのか。そんな疑問が頭の中を支配し、目前の単純な事実と絡まり、混乱に拍車を掛けていく。

 

「ねぇ、起きてよ!!」

 

 思わず声を荒らげたけれど、やはり返事は無い。加速するばかりの混乱が判断力さえも低下させていく。

 しかし、

 そんな状態を不意に止めたのは、嫌に平坦な声だった。

 

「……さて、悲劇はもう終わりかしら?」

「……パチュリー」

 

 その声は現実を思い出させ、同時に絶望を感じさせる。

 二人で挑んだのに、気が付けば一瞬で一人が戦闘不能状態にされた。その事実が改めてアリスを追い詰める。

 

「さて……面倒臭いし、もう終わらせるわよ」

 

 極めて退屈そうに、パチュリーは次の魔法の詠唱をする。既に何かが壊れかけているアリスは、その詠唱の声すらも耳に入らない。ただ茫然と、目の前で伏す少女を眺めるだけだった。

 その時だった。ピクリ、と動いた魔理沙の手が地面に何かを落とす。

 それは、彼女が愛用するミニ八卦炉。

 

「……っ!!」

 

 瞬間、アリスは突発的にそれを掴んだ。一番近くの人形に目で命令を下し、動けない魔理沙を体の上から退かす。

 諦めてなるものか。

 壊れかけた何かが再構築され、アリスはミニ八卦炉を両手で構え、意志を持って宣言する。

 

「恋符……『マスタースパーク』……!!」

 

 実際、その撃ち方を知っている訳ではない。

 けれど、アリスは体内に残る霊力をミニ八卦炉に集中させる。思い描くは極大の、それでいて象徴的で絶対的な光線。

 直後、双方から破壊の光が発射された。

 互いにぶつかり合い、その衝撃によって周りの木々が大きく揺さぶられた。

 

「……貴方、その力……」

「知らないわよ」

 

 パチュリーが漏らした疑問の声に、アリスは素っ気無く答える。

 

「……そうよ。諦めちゃダメ。勝機はきっとあるんだから」

 

 アリスは理解していないけれど、彼女もまた己の力が暴走した者。彼女の体はその時の感覚を覚えているのだ。

 奥底から何かが沸き上がってくる。普段は全力で戦うことの無い少女が、明確な殺意を宿す。

 

「まぁ、良いわ。人間の成り上がりには越えられない壁を教えてあげる」

「その減らず口、いつまで開きっぱなしでいられるのかしら?」

 

 けれど、まだ恐怖心は残る。

 それ以上に、今はただ目前の敵への醜い感情が心を支配している。

 

 生粋の魔法使い。その全力は、もはや人間程度に太刀打ち出来るものではない。人形はもう、魔理沙を安全圏まで退避させたはずだ。少なくとも、この戦いの余波を受けない程度の所までは。

 手に収まる金属の質感は鈍く、そして重い。

 倒すには、十分な重さだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章五話 人間の葛藤

『おう、また来たぜ。それにしても、やっぱりなんかカビ臭いぞ此処』

『……来て開口一番がそれってどうなのよ。まぁ、今に始まったことじゃないけど』

『そもそも、私達が住んでいる魔法の森だって大概よ魔理沙』

『そうか?』

 

 最後にそんな会話をしたのはいつだっただろうか。何故か、それがとても遠い昔のことの様に感じる。

 何かに運ばれているのだろうか、穏やかに揺れている体には力が入らない。背中に感じるのは痛みだけれど、最早意識の範囲外のものでしかない。

 

『ちぇ、つまらないぜ。折角提案したのに』

『私には特に興味が無いもの。彼女の人形の秘密なんて、別にそこまで深いものでもないでしょうし。唯の人形をあそこまで精密に動かす彼女の方が気になる位』

『まぁ、良いか。じゃ、私は帰るぜ』

『分かった』

『じゃあ……またな』

『えぇ、また。……あ、鍵』

 

 確か、それが最後に正気のパチュリーと交わした会話だったか。今思うと、死を覚悟していた者とは到底思えない気軽な会話。

 パチュリーは果たして、悟っていたのだろうか。

 何て考えても、もう今はどうでも良い気がした。

 

『……悪いな、アリス』

『……』

『もう、二度と、一緒に紅茶も飲めなくなるかもしれない』

『……』

『ごめんな』

 

 暴走したアリスを何とか救って、彼女の家のベッドに寝かせ、最後に話し掛けたのはそんな言葉だった気がする。

 謝るなんて自分らしくないよな。分かっていた筈なのに、何で謝ったんだろうな。

 

「は、はは……馬鹿だろ私」

 

 乾いた笑いが漏れる。結局、守ろうとして体を張ってこの様なんだから。

 所詮自分は人間で、生粋の魔法使いになんて敵わないのか。

 ルールの中に居たから、平等になっていただけなのに。いざルールを取ってしまうとこうだ。有利な相手でない限り、手も足も出ない。

 

「結局、今までのことって、何だったんだよ」

 

 自分が馬鹿らしくなって、そんな言葉を呟いた。その時、ふと自分を支える何かが途切れ、地面に落ちてしまう。一瞬息が詰まる様な感覚があった後、地面と俯せの体の間に何かが挟まっているのに気付く。ゆっくりと、態勢を変えないままそれを取ってみると、それはアリスの人形だった。

 偶然なのか、その服装は魔理沙のそれによく似ている。

 

「アリス……」

 

 つまり、だ。アリスは気を失った自分をわざわざ戦地から遠ざけたのだ。理由は言うまでもないだろうし、その後のアリスがどうしているのかも容易に想像出来る。

 そして、また気付いた。ミニ八卦炉が何処にもない。

 

「まさか……使っているんじゃ、ないだろうな……?」

 

 背筋にスッと冷たいものが走った。

 確かに、ミニ八卦炉は火力は出る。だが、限度があるのだ。単純な魔力だけで打てるわけではない。燃料を入れなければ使えないのだから。

 故に魔理沙はいつも予備を持ち歩いている。ただ、アリスがそれを持っている訳ではない。そして、アリスと言う生粋の魔法使いがその魔力を継ぎこんで霊力を燃やしたら、どう考えても魔理沙が使うより早く枯渇する。

 魔理沙はギョッとしてポケットを弄る。ボロボロではあるけれど、辛うじて役割を保っていたポケットの中から、小さな個体の燃料が出てきた。

 

 つまり、アリスは燃料を持っていない。

 

「まさか……今人形が動かなくなったのって……」

 

 顔が青くなる。

 

「アリスのヤツ……まさか……!!」

 

 最悪だった。

 もう決定的に遅いかもしれないという現実が、真正面から叩き付けられる。

 

 同時に思う。

 今更行って何になるのだろうか。もうアリスは手遅れかもしれないし、あの状態のパチュリーの前に今このボロボロの体でのこのこ出て行くなんて、犬死しようとしているとしか思えない。

 当然、見捨てて逃げて、頼りになる誰かを呼んで、もっと万全の態勢で戦うのも一つだ。

 

 そもそも、霊夢程力もない自分は、行くだけ足手まといなのだから。

 

「……何だよ」

 

 無意識の内に拳を握っていた。それを意味も無く近くの木にぶつける。

 自分を追いつめているのは確かに自分だけれど、事実以外は言っていない。

 

 それは、板挟みと言うのだろうか。

 でも、暴走したアリスには勝てたじゃないか。それも偶然なのだろうか。

 

「……分かんねぇよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章六話 魔法使いの争い

「……まだ続けるの? もう差は歴然だと分かった筈よ」

「うる、さいわね……」

 

 アリスはミニ八卦炉を握り締める右手で額の脂汗を拭う。

 全力を出したけれど、結局パチュリーには一歩及ばなかった。示された答えはそれであり、否定も出来ない。段々と、外側から削れていく様に減っていく魔力は、戦闘継続のリミットを知らせてくる。その危険信号が発せられるのも、決して遠くはない筈だ。

 

「正直、貴方との戦いは少しだけ面白かった。今なら命までは取らない。逃げるならさっさとしなさい」

「うるさいって……言ってるでしょ。狂って音まで聞こえなくなったのかしら……?」

「戯言ね。安い挑発」

「知ってるわよ……!!」

 

 パチュリーとしても、ただ面白かっただけの戦闘を長々と続ける気はしない。仕留める敵がまだ居る以上、さっさと片付けた方が手っ取り早い。

 だからこそ、逃げる道を諭した。それが一番楽だったから。

 

「もう一度言うわ。逃げるなら今の内よ」

「逃げると思う?」

「真っ当な生き物なら」

「そう……生憎、私は魔法使いなものでね。既に真っ当な生き物とは言えないわ」

 

 パチュリーは目を細めた。

 最後の通告は、しかし無視された。

 ならば、容赦はしない。目前の半端者はここで終わらせる。

 ……何か、大切なものを失うと思いながら、それでもパチュリーは決めた。

 

「なら、さよならね」

「それはどうかしらね。幻想ばかり作り続けてきたこの腕も、漸く守りたい現実を見付けたのだから」

 

 ミニ八卦炉を握る手に力が籠る。片方は魔導書のページを捲り、もう片方はそのミニ八卦炉を半ば力任せに相手に向ける。

 

「日符『ロイヤルフレア』」

「魔性『シャルルヴィルの魔砲』」

 

 パチュリーが生み出したその炎は、先程のものとは比べ物にならない火力へと変貌していた。けれど、アリスは怯まない。

 周りの木々から大量の人形を呼び、その全てと同時に自らもミニ八卦炉でもって光線の乱舞を生み出す。それは彼女の限界を殆ど超えた攻撃。それを自覚していながら、それでも止めない。止めることはつまり死であり、そして全てを消失することだから。

 二つの力が激突する。熱を伴う風が吹き荒れ、更には森の湿気を巻き上げて不快感を与えてくる。

 

 そして、突然停止した。

 

「…………え?」

 

 一瞬前まで使っていたミニ八卦炉が突然動きを止めた。アリスの思考が半ば停止しかけ、同時にパチュリーは不敵な笑みを浮かべる。

 火力が決定的に足りなくなる。咄嗟に新たな人形を展開してロイヤルフレアに対する防御態勢に移ろうとするが、遅い。そして、脆い。

 その業火を前に、人形は一瞬で灰に変わっていき、それはこれからの自らの運命をも物語る。

 けれど、まだ諦めきれない。何か、この状況を打開できる策はないか、自身の頭に記憶した魔法を総動員して、この状況を切り抜ける方法はあるのか。迫りくる業火を睨みながら、アリスは必死に思考を巡らせる。

 それでも、一度停止しかけた思考は直ぐには回らない。何かを言う暇も与えず、業火はその華奢な体を包み込む。

 

 その直前に、

 それでも、彼女を守る者が居た。

 

 一瞬にして形成された氷のドームが業火からアリスを守る。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章七話 再び来る者

「……まさか、全部使う羽目になるとはな。流石に想定外だぜ」

 

 木や草が焦げ、嫌な匂いが鼻を刺すその真ん中、焼け跡の無い円形の地面があった。その円の中、何かの糸が切れてしまったのか、アリスが座り込んでいる。

 

「でもまぁ、間に合ったみたいで良かったぜ」

 

 発動されたのは氷の魔法の筈だった。ただ、アリスが知るその声の主は光や炎の派手な魔法を好む者。氷のようなものとは無縁の筈だ。

 

「ま、りさ……?」

「おう。魔理沙だぜ」

 

 ぎこちなく振り向いた時に見えたのはやはり霧雨魔理沙。ボロボロに傷付いた人間が、それでも二本足で地面を踏んで立っている。

 

「……しぶとい人間ね」

「生憎、そういうバカだ」

 

 魔理沙は笑った。その顔はやはり疲れているけれど、確かに笑った。そして、石の残骸の様な物を適当に投げ捨てる。代わりにポケットから小さな固形物を取り出してアリスに近付く。

 

「確かに、私は派手な魔法が好きだ。そうじゃなければ魔法ではないとまで思っている位には」

「……」

「だからと言って、こんなことが出来ないとでも思ったか? まさかとは思うが、自分が使う魔法の対策も取れないヤツだとは思っていないよな?」

 

 魔理沙はアリスが握っていたミニ八卦炉をそっと受け取ると、その中にその固形物を詰めていく。

 

「……もう今の魔法は使えない。次こそ負けたら終わりだぜ」

「な、んでよ……?」

「……?」

「どうして、戻って来たのよ……」

 

 震える声でアリスは聞く。魔理沙は、アリスの後ろに居るパチュリーが魔導書を捲っているのを見ながら、尚も優しいまま答えた。

 

「……何でだろうな。やっぱり、戻って来ないと私じゃないと思ったんだよ」

 

 ミニ八卦炉に燃料を入れ終えた魔理沙は、アリスに右手を差し出す。

 暫くその右手を眺めていたアリスは、やがて頬を緩めるとその右手を取る。服は汚れてしまったけれど、洗えば綺麗になる。それでも、なるべく早く洗う方が良いだろう。

 だから、早く終わらせよう。こんな悪夢にも似た時間は終わらせよう。

 

「……もう、後戻りは出来ないぜ。失敗したら、一緒に終わる」

「それでも良い。だけど、終わらせないわよ。きっと」

 

 自信は持てない。魔理沙が戻って来ただけで、別に強くなった訳でもパチュリーが弱くなった訳でもないから。

 それでも、気持ちは回復した。力が無くても、気力だけならいくらでもある。

 

「感動の再開はもう終わりかしら?」

「一々待つなんて律儀な奴だな。でも大丈夫だ、続きを始めようぜ」

「待たせたのだから、威勢だけではないと教えてくれると良いのだけれど」

 

 退屈そうにパチュリーは手をかざす。途端、弾幕が全方位を包み込み、一瞬で二人を追い詰める。

 それでもアリスは迅速に対応した。展開していた無数の人形から弾を吐き出し、可能な限り相殺していく。それでも、そこには限界がある。余剰の弾は容赦なく人形を捉え、そして壊していく。

 長期決戦は不可能。時間が掛かるほど力量に押されるだけ。

 だから、アリスは魔理沙に賭ける。

 

 ミニ八卦炉、今二人が持つ中でも最高の火力を出せるその魔法具のことを誰よりも知る魔理沙に。

 

 何かが収束するような音。それも次第に消えていく。

 弾幕が互いに絡み合う音も射出音も、更には色彩までも薄れていく。

 

 それは、アリスの知らないスペルカードの予兆だった。

 

「純符……『サイレントマスタースパーク』」

 

 不自然な程に白色に染まる世界の中、その声はまるで硝子の様に透き通っている。

 瞬間、静けさとは程遠い爆音が世界を貫いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章八話 希望的な属性

 世界を貫いた閃光。極限まで意識を研ぎ澄ますことでその威力を限界まで高めた閃光。

 パチュリーはその瞬間、初めて本格的な防御に移る。その閃光の属性は即ち火、故に水の属性を持つ魔法で打ち消そうとしたのだ。

 詠唱の時間は極めて短い。それでも閃光が直撃するまでの時間で詠唱できる最大威力の魔法を構築し、即座に発動する。

 

 けれど、それは限界を超えた火力だった。

 

(……人間の……何処にこんな力が有ると言うの……!?)

 

 パチュリーは目前で自身の発動した魔法が相性を無視して破壊される瞬間を見た。

 疑問が頭を過るけれど、迷っている時間ではない。相殺が不可能ならば、受け流す。詠唱もせず、己の身長と同程度の火球を生み出したパチュリーはそれを閃光に叩き込む。

 

 二つの破壊が衝突し、空気が爆ぜた。

 

 全方位が閃光で覆われる中、パチュリーはそれに逆らう様に連続して発動していく。その度にまた空気が震え、彼女の華奢な体を空中に放り出そうとしてくる。

 

 それでも、パチュリーは凌ぎ切った。

 

 時間にしてみたらさして長くは無い。けれど、その攻防はパチュリーを確かに追い詰めた。

 けれど、パチュリーは凌ぎ切った。

 

「マジかよ……」

「……残念だったわね」

「そうみたいだな」

「最も、今のは少し危なかったわ。それだけは褒めてあげる」

 

 傷だらけにもかかわらずその体に負担を掛け過ぎた所為なのか、魔理沙は至る所から鮮血を溢れさせ、その足は震えている。指先で少し力を加えれば、それだけで地面に臥してしまう様な、それほど魔理沙の体は悲鳴を上げている。

 

 せめて、そこまで戦った雄姿を湛える様に、

 パチュリーは止めの魔法を宣言する。

 

 けれど、彼女は確かに忘れている。

 先の閃光自体には、アリスは何も関与していないと言うことを。

 

「試験中対人外用兵器『ゴリアテ人形Mk-Ⅱ』」

 

 それは奇怪な名前のスペルカード。その言葉にパチュリーが反応したその時にはアリスの隣に彼女の倍はあろうかと言う巨大な人形が立っていた。

 その手には巨大な剣が握られ、その柄には一冊の小さな魔導書が収まっている。

 

「悪かったわね魔理沙。時間稼ぎしてもらって」

「気にすんな。安い買い物だ」

 

 その会話にパチュリーの思考が一瞬明らかに止まった。

 つまり、二人はいつか、何処かのタイミングでこの作戦を練っていたと言うことだろうか。パチュリーの襲撃は予想できたものではなかった筈だから、きっとこれはこの場で作戦を練った筈。無論、その作戦は決して精巧なものではないけれど、明らかに連携が取れすぎていないだろうか。アリスがこの兵器を持ってくることを確信した上で魔理沙も切り札を切った様にしか思えない。

 

(落ち着きなさい……これはほんの些細なこと。まだこの場を掌握された訳じゃない。あの兵器だって試験中なのだから。そう、まだ勝機は私の方が多い)

「動揺しているな。魔法使いに動揺は明確な欠点になるぜ」

 

 アリスに肩を借りた魔理沙が笑った。その一言がパチュリーを更に現実に戻す。

 

「これは全て結果論だ。最初から作戦を練っていた訳じゃない。でも、何となく分かっていたんだよ」

 

 兵器が動く。その時に剣が揺れ、魔導書のページが少しだけ見えた。

 記されているのは五大元素。その最も基本的なこと。

 対人外用兵器。その名は魔法使いだって標的とする筈だ。その剣は何を意味するか、それが何となく想像出来る。操るのは人間から魔法使いになったアリスなのだから。

 

「パチュリー、私はお前に紅魔館の図書館で言ったよな」

「……?」

「『アリスがどうやって人形を動かしているのか調べに行こう』って。その意味……もう分かるよな」

 

 思い出していた。そして、魔理沙がどうして居なくなっていたのかも思い出していた。

 少なくとも、魔理沙はこの兵器と戦ったんじゃないだろうか。

 

 少しずつ、パチュリーを包む外殻が剥がれていく様な気がした。

 魔理沙とアリスは一瞬顔を見合わせて、そして兵器に命令する。

 

「突撃……!!」

「……火水木金土符『賢者の石』」

 

 兵器が動く。

 もはや火力が低くても良い。その兵器の腕を壊すことが出来るなら、それだけでも形成を逆転させることが出来る筈だ。五つの属性、その全てを選択し、応用し、操り、何としてでも戦力を削る。これだけの兵器なのだ、破壊した暁にはもう二人に魔力は残っている筈がない。

 耐えきって、耐え抜けば、きっと勝てる。その思考は、もはや意志ある者として当たり前に持つそれと何も変わらなくなっていた。

 

 先ずパチュリーは炎でもって破壊に移る。

 けれど、その兵器は水を纏った剣でもってその魔法を両断する。

 

 その属性を見て、パチュリーは地面に干渉した。即ち、地面より泥を使い、兵器の足を絡めとる。

 けれど、兵器は止まらない。その剣を今度は地面に突き刺すと、そこを中心として植物が急成長し、足に絡まっていた泥は忽ち干上がる。

 

(確実に、有利な属性で対処してくる……)

 

 それでも、パチュリーは諦めなかった。

 即座に大量の金属を錬金し、兵器に向けて射出する。

 それは、灼熱の炎を纏う剣の一振りで全て溶け落ちる。

 

 ならば、パチュリーは大量の水を生み出し、その物理的圧力で人形を直接破壊しようとする。

 けれど、その兵器は再び地面に剣を突き刺し、先の攻防で乾いた土を跳ね上げて水を吸収して防ぐ。

 

(まだ、まだ何か……!!)

「諦めなさい」

 

 その声は、氷の様にパチュリーの思考を止めた。

 

「もう結末は分かっているのでしょう?」

 

 しかし、その得意気な声を聞いてもう一度パチュリーの思考が蘇る。

 属性での対処は不可能。ならば、その属性をも無視出来る程の圧倒的火力で吹き飛ばせば良いだけだ。

 

「日符『ソル・エールプティオー』」

 

 唱えた直後、空間そのものを巨大な爆発が包み込んだ。莫大な光を放つ太陽、それが爆発するというもしものことをそのまま形にしたような、そんな一撃だった。

 嵐のような風が吹き、地獄の様な炎が暴れるその空間。パチュリーが立つその周囲だけは何かに守られたように平穏そのもの。

 

 けれど、

 それでも、その兵器は空間に入り込んできた。

 

「う、そ……?」

 

 妙に遅くなったように時間が流れる。

 金の属性で強化した剣での力技。それが、最大の魔法を突破した手段だと悟るのに時間は掛からなかった。

 

 目の前に見えた、剣の側面。

 一体どれ程の衝撃だったかは分からない。

 ただ、パチュリーの意識は一瞬で途絶えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章終話 人の関係

 全身が痛い。骨でも折れているんじゃないだろうか。ただ、そこまで激しい痛みではないから、骨は大丈夫かもしれない。

 変わったと言えば、特に変わった感じも無い。それでも、何か蟠りが解けたような、

 

「あら、起きたのね」

 

 そんな声が聞こえて、意識は現実に引き戻される。

 そこは、綺麗な洋室のベッドの上だった。フカフカの、体が沈み込む様なベッドは目覚めたばかりでも眠気を誘ってくる。それは寧ろ、酷く疲れていると言うことでは無いだろうか。

 

「ここ、は……?」

「私の家よ。別に変な所じゃないわ」

 

 声が聞こえた方を向くと、本にしおりを挟んだアリスが微笑んでいる。

 

「体調はどう? 一応手当はしたんだけど」

「え、えぇ……特に異常はないわ……」

 

 そして、パチュリーはその無防備さに驚愕する。

 先程まで殺し合いをした相手だ。確かに知り合いではある故に、多少心は許せるかもしれない。けれど、起きた時にまた襲い掛かってくるかもしれない相手を易々と家の中に入れるのはあまりにも無防備すぎる。

 

「どうかしたのかしら?」

「どうかしたのって……私に警戒はしなかったの……?」

「どういうことよ」

「どういうことって、さっきまで殺し合った仲なのに……」

「あぁ、そう言うことね」

 

 アリスはふわりと微笑んだ。

 

「別に良いじゃない。殺し合いなんて日常的にやっていることよ。今更本気でやり合ったところで切れる関係でも無い。パチュリーだって分かっているでしょう?」

「分からないから聞いたんじゃないの」

「まぁ、そうよね。貴方は生粋の魔法使い。こういう人間らしさは少し異質なものに感じるかもしれない」

 

 キョトンとするパチュリーの額を人差し指で突き、ウィンクを交えてアリスは言う。それは、短命な人間だからこそ大切にするもの。そして、長く生きる妖には軽く感じるもの。

 

「例え貴方が私達を殺そうとした相手であろうと、貴方は掛け替えのない私達の知り合いであり、そして友である。だからこそ、こうして貴方を家で診ることに抵抗も無いし、寧ろ積極的にそれをする。何一つとして確かじゃない、相手との関係とか言う至極矮小なものにどうしようもなく縋る人間だからこそ、時にリスクを顧みないものなのよ」

「……なるほど」

 

 頷いてみたけれど、パチュリーには上手く実感できなかった。

 パチュリーには勿論親友が居る。それは紅魔館の当主レミリア。互いに長寿であるために、その関係が不変的なものに感じられる。

 短命な人間は、それが短期的に可変するものに感じられると言うことなのだろうか。

 パチュリーは深くベッドに埋もれた。幾ら魔法を誰よりも深く習得しているとはいえ、その人間臭い意識を持っていないことが、何故かしら劣っているように感じた。

 

「……強いのね、人は」

「一人では何の力も持たない、拙い存在だもの。誰かとの関係を強く意識するのは必然的。それは寧ろ、強さより弱さの象徴ではないかしら」

「いや、それでもやっぱり強いんじゃないかしら」

「……どうかしらね。強さは案外、主観が一番分からないものだから」

 

 その時、部屋の外で疲れたような声が聞こえた。きっと魔理沙のものだろう。パチュリーがそれを気にしていると、アリスが答える。

 

「先の戦いで色々と汚れたりしてしまったからね。ちょっと服を選択したりしていたのよ」

「……まだ敵は残っているでしょうに。随分悠長そうに見えるけど」

「それは、もう他の誰かに任せるわよ。もう魔力なんて底を尽きちゃった訳だし。戦場に戻れば足手まといになるだけよ。なら、もうこうして一歩退くべきかなと魔理沙と相談して決めたの」

「そうなのね」

「……何より、大切な人があんなに傷付くのを、私自身がもう見たくなかったていうのもあるけど……」

「……そういうことね。成る程」

 

 人の感情だとか、そう言ったものはとんと分からない。

 何処か思いを馳せる様に視線を宙へと向けるアリスを見ながら、パチュリーは頬を緩めた。知識に頼って今まで色々なことをしてきたけれど、偶には弱いものに頼ってみるのも悪くないかもしれない。それがどんな結果であれ、少なくとも全体の負には行かない筈だ。

 無責任にも程があるなとも思ったけれど、それでも彼女も関係を信じてみることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 平穏ならぬ里
第七章一話 里の中の妖


 鈴奈庵。人里にある本屋、と言えば何でもない様に聞こえるが、その実態は稀覯本から妖魔本、そして外来本まで広く扱う何とも怪しげな本屋である。

 

「……まだ、外は危ないのかなぁ」

 

 そんな店の奥、いつもと変わらぬ席にて本のページを捲りながら店番の少女、本居小鈴はため息交じりに呟いた。

 店の外は今も天狗の大群が闊歩しているのだろう。里に住む人々は昨日のその突然の来襲に困惑し、そして誰も屋内から出て来なくなった。よって人里は不気味な程静寂に包まれている。

 実際、天狗が何か害をなす様なことをしている訳ではない。ただ歩いているだけなのだが、やはり人にとっては脅威そのもの。正直に言うと、小鈴は今すぐにでも飛び出して行きたいが、どうにも恐怖心が拭えない。

 

「……暇ねぇ。そんな時は読書に限るわ」

 

 仕方なく、彼女は頬杖を突いて本のページを捲る。何度となく読み返した本は何処か味気ない。

 休日の様な平日は全く退屈だ。外はとんでもないことになっているというのに、呑気なものだとも思う。

 そんな時だった。入口の暖簾に手が掛かり、こんな時にも関わらず来客が。ぼんやりとしていた小鈴は直ぐにそれに気付き、急いで本にしおりを挟む。

 

「いらっしゃ……あ、今日も来てくれたんですね!!」

「おう、外がやけに静かなもんでのう。おかげで特に寄り道もせんかったわい」

「外、危ないんじゃないですか?」

「どうなんじゃろうか。天狗と言えば妖怪の中でも力ある種、故に人を襲えば襲われた側は一溜まりもないじゃろうて。儂は特に襲われはせんかったが、やはり外出は勧められんのう」

 

 入って来たのは茶色の長髪を揺らす女性。いつのもの様に木の葉の髪飾りを付け、大きな丸眼鏡を掛けるその女性は入って来るなり小鈴に歩み寄る。小鈴もそんな彼女に対して気さくな笑みを浮かべると再び本を開く。

 

「何を読んでおるのじゃ?」

「あぁ、ほら、外があんな感じですから、何か縁がありそうなものを探してみてこうして読んでいるんですけど……」

「なるほど、そういうことか。しかし、こればかりは過去には無い事態じゃろうて。故に、どんな本にも載ってはおらんじゃろう」

「そう、ですかね?」

「あぁ、どう見ても普通じゃないからの。いつにしろ、過去に似たことが起こったのならば、具体的な解決策もあるはず。それに、ここまで巫女が動いておらんのも奇妙な話じゃ」

「そういえば……何ででしょうか」

「何か事情が有るんじゃろうな。そうでないなら、放っておけば自然に治る現象なのか……」

 

 そう言ったところでその女性は顎に手を置いて考える素振りを見せた。

 

「あ、あのー……」

「ん、何じゃ?」

「これから、どうなるんでしょうか……?」

「……そうじゃなぁ。こればかりは分からん。とは言え、このまま変化がないことも考えられん。いずれ何かしら起こるじゃろうて」

「……だと良いのですが」

「まぁ、そう心配するんじゃない。誰か何かやってくれるさ」

 

 先の笑顔とは対照的な不安そうな顔を浮かべる小鈴の頭を、女性はポンと叩いた。それはきっと、小鈴を安心させる為だろう。小鈴にもその思いが届いたのか、少しまた笑みを零した。

 その時、女性は確かに一瞬表情が硬くなった。小鈴にそれを気付いた様子は無い。

 無くて、正解だったのかもしれない。気付いていたなら、彼女は干渉し過ぎただろうから。

 

「さて、儂はそろそろ戻るとするよ」

「外、大丈夫ですか?」

「襲われはせんじゃろうて。行きがそうじゃったからな」

 

 女性はそれ以上の返事を聞かず、そそくさと店を後にする。

 

 そして、道を行く天狗共をチラと見て、そして不敵な笑みを漏らした。

 

(聞いた話によると、天狗達は操られておるんじゃったか、そんなところ。普通の天狗なら儂の変装を見破る奴も居るじゃろうが、生憎今はそれ程賢くない)

 

 誰にも気付かれず、そして堂々と彼女の体が煙に包まれる。

 

 二ツ岩マミゾウ。人に化けて小鈴と接触していた彼女は化け狸。

 天狗の集団に混じった偽りの天狗は密かに行動を開始する。

 

(狐に協力とはどうにもらしくないかもしれんが、仕方あるまいて。偶には使われてやろう)

 

 腹の底では豪快に笑い、しかしその表情は周りの天狗同様に虚ろとしている。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章二話 突入前

「……里の様子はどうですか?」

「やっぱり変わらないわよ。いつ突入しても直ぐ天狗に見付かる。向こうに敵意が有ったらその時点で全て水の泡ね」

「そう、ですか……」

 

 人里の入り口の近く、気に隠れるように鈴仙と鈴仙の服を着る妖夢は内部の様子を窺っていた。とは言っても、鈴仙が中に居る生き物の波を見ているに過ぎない。それでも、何処にどんな者が居るかは大方見当が付く。

 

「最悪、片っ端から私が幻覚を見せていったら何とかなるかもしれないけど……」

「けど……?」

「それが出来るのは目が合った者だけ。数が多いとどうしてもねぇ」

「……ならば、その手は使えないと」

「そういうことよ」

 

 鈴仙は妖夢に向かって苦笑いをした。一刻も早く行動しなければならないが、その為の一歩がどうしても踏み出せない。

 

 その時だった。

 声が、聞こえてきた。

 

「あやや、盗み見とはいただけませんね。その手のことはどちらかと言うと私の専売特許ですよ」

 

 いつの間に、いつの間に後ろに近付いていたのか。その声に対し反射的に振り返った二人の目の前に居たのは文だった。

 ただし、それは決して味方だとは思えない。僅かに上がった口角と、そして焦点が合っていない様な瞳。そこの中には何故だか意思が感じられなかった。ただ、相手が反感を抱く様な醜悪さを仮面にして被らされているだけの様だ。

 

「何ですか……?」

 

 その様子に妖夢は警戒し、刀に手を掛けて質問した。

 それでも文は上げた口角を下ろさず、ただ声を出す。

 

「何でしょうね。いずれにせよ、貴方達にはどうでも良い話でしょうけど」

「どういう意味よ……!!」

 

 もはや人里の内部を見ている暇は無い。文に向き直った鈴仙は腰を低くして臨戦態勢を取る。そして、その判断は間違ってはいなかった。

 

「さてさて、予告無しの突撃取材の時間ですよ。少々過激に行きますので、精々頑張ってください」

 

 それは、不自然な程滑らかな挙動だった。持っていた扇をゆったりとした動作で肩の高さまで上げると、それを一気に振り下ろした。

 直後、嘗て体験したことのない暴風が周囲を一変させる。枝葉の付いた木々は大きく揺さぶられ、その枝葉が容赦なく毟り取られていく。

 

「風は即ち大気の動き。世界を包むものそのものの怒りを、その身に刻むが良い!!」

 

 空気が裂ける様な轟音、立つことすらもままならぬ状況の中、妖夢と鈴仙の二人はそれでも仁王立ちする文の声を聞いた。

 手段がない。舞い上がる泥や砂、荒れ狂う枝葉は目を開けることすらも分からず、耳元で暴れる音は気配の察知すらも阻害する。せめて吹き飛ばされないようにと地面に臥せる妖夢は、死に物狂いで自分の刀に手を掛ける。

 

 

(せめて……先ずは一撃でも打って出ないと何にもならない……このまま無抵抗なままだと……)

(敗北と、その先の何かがこの身に降りかかることは、火を見るよりも明らかね)

 

 それは、想像するのも悍ましいこと。一瞬頭に浮かんだその未来を強引に掻き消した時、鈴仙の耳元で異質な足音が聞こえた。

 薄らと開けた目に映ったのは一本下駄。間違いなくそれは文の物だろう。

 となると……

 

「……まだまだ前座ですが、動くこともままなりませんか」

「うる、さいわね……もうちょっとこれどうにかならないの?」

「手加減する理由が有るとお思いで? まぁ、最初から貴方達に勝たせるつもりはありませんし……面倒なので、貴方から記事にさせていただこうかと」

「……生憎と、ね」

「……?」

「私はこうなった時、潔く両手を上げる飼育はされてこなかったのよ」

 

 もうどうにでもなれ、鈴仙は一か八かの賭けに出た。僅かに目を開け、文が油断をしているのを確認してその足を掴んだ。そのまま文が何か言うより早く両足を掴んだ足に絡みつかせ、強引に転ばさせる。

 そして、鈴仙は体を起こすと、そのまま文の足の関節を極めた。折れてしまうかもしれない、そんなことは考えず、全力を籠めてその足を封じに掛かる。仮に足を一本でも潰せたなら、幾らでも大きな隙が生まれる筈。そうなれば、こちらには刀と言う必殺の武器があるのだから。

 

「大人しく、しなさい……!!」

「……なる、ほど……これはこれは、油断が過ぎましたかね」

 

 何かが凍った様な感覚だった。

 文の声は涼しいままだったのだから。

 

「ですが……ですがそれは貴方も同じ。取材の途中です、気を抜けばどんな言葉を記事にされるか分かったものではありませんよ?」

 

 見せた横顔には確かに苦痛の色が浮かぶ。

 けれど、笑っていた。

 何故、この状況で笑えるのか。単純な疑問符が頭に浮かび、一瞬周りの状況を見失った。

 

「れ、鈴仙さん!! 横、右横です!!」

 

 そんな薄い膜を破る様に聞こえたその声。釣られて右横を見た瞬間、何か固く重い、そして何よりも鈍い衝撃が横腹に突き刺さった。

 

「鈴仙さんッ!!」

 

 体が、文の体から、離れる。聞こえた妖夢の悲鳴は焼けつくような痛みが全て上書きする。衝撃は体の内側をも貫き、彼女を支えていた芯を粉々に砕いていった。心なしか霞む視界は何とか地面に落ちていく一つの物体を捉える。

 

(……か、わら……?)

 

 運が悪かっただけ、なのだろうか。自分の脇腹に偶然直撃しただけなのだろうか。

 いや、違う。この強風を操る主の仕業に違いない。

 即ち……

 

「ま、及第点ですかね。悪くはなかったです」

「あ、文さん……!!」

 

 別の衝撃が全身を叩いた。地面に落ちたのだろうか。立とうと体を起こそうにも、芯が砕けた体は言うことを聞かずに風に煽られ、再び地面に倒れてしまう。

 不味い、これは致命的に不味い。

 妖夢の性格のことだ、こうなると自分を庇いながら戦いに挑むはず。この空間を支配する力を持つ、前代未聞の敵に対して、だ。

 

「あやや、この状況を見た上で刀を抜くのですか。それはそれは」

「……仲間が倒れ、その上で逃げるのならばそれこそ刀に失礼でしょう。戦略的撤退とは別の話、これは己の志に反する」

 

 地面に膝を着き、風邪に耐えながら白刃の光を見せる。

 このままだと、このままだときっと、妖夢も……

 それだけは避けなければならない。折れていない心が叫ぶ。何とか握った拳を地面に押し付け、全体重をそこにかけて立ち上がろうとする。

 

 けれど、足りない。手を離す直前、ふと全身から力が抜けてしまう。

 

「ち、くしょう……」

 

 奥歯を噛み締め、もう一度立とうとする。

 けれど、その間にも目の前の時間は動いてしまう。

 

 スッと、文が扇を振り上げた。二度目の暴風は、果してどれだけの結果を生み出すのか。

 その前に、何としてでも。

 最早立つことを諦め、鈴仙は座ったまま銃を構えるポーズをとる。銃身に見立てた指は真っ直ぐ文の頭部を狙って。

 チャンスは恐らく初弾のみ。これを逃せば、どうなるか分からない自分ではない。

 

「……今」

 

 同時だった。文が扇を振り下ろすのも、妖夢が抜刀するのも、鈴仙が弾を撃ったのも。

 

 そして、その影が突如出現したのも。

 

「天狗のくせして、中々楽しそうなことをしているじゃないか」

 

 現れたのは文のすぐ背後。背は小さいが、それに対して不似合いな大きな角が一対頭に付いている。

 紛れもなく、それは鬼そのもの。疎と密を操る伊吹萃香だ。

 

「ただ、ちょっとばかし度が過ぎたから……」

 

 文が振り返る。

 きっと、彼女が見た顔は怒りと、そして微笑みだ。

 

「痛い目に遭ってもらうよ」

 

 トン、と、それは軽い音だった。

 瞬間、あれだけ猛威を振るった風は止み、文の体から力が抜けた。その原因は萃香の小さな手。その手刀は文の後頭部を捉え、容赦無くその意識を刈り取ったのだ。

 まるで糸が切れた操り人形の様に地面に倒れた文の体を抱え、近くの木の根元に座らせた萃香は鈴仙と妖夢に向き直る。

 

「危ない所だったねぇ。私がいなければどうなっていたことか」

「あ、ありがとうございます……」

「何、気にしないでよ。私は貴方達に協力するためにここに来たんだ。狐の妖怪から聞いたよ、中々面白そうなことをしているじゃないか」

 

 萃香は立ち上がると鈴仙に肩を貸して立ち上がらせる。

 

「まだ、戦えるかい?」

「まぁ……多少無理をしたら、ね」

「それ位なら十分だね。そこの貴方、これからちょっと頑張ってもらうよ。里の中に突入するからさ」

「突入って……」

「そのまんまさ。天狗共は私が真正面から叩き潰してあげる。だから、貴方達は」

 

 萃香は鈴仙と妖夢を交互に見て、そしてニヤリと笑った。その真意は分からないが、少なくとも負ではない。

 

「貴方達は、里の中の本丸を叩きなさい」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章三話 天の申し子

「……まさか、こんな最悪な貧乏くじを引くことになろうとは……」

 

 人里の別の入り口、美鈴もまた、塀に張り付いて内部の様子を窺っていた。ジャンケンの結果、一人になってしまったのは正直失敗だと今更ながら思う。とは言え、向こうが突入したら内部の様子も変わる筈。美鈴の役目はそこから挟撃を仕掛けることだ。

 

「その時まで辛抱ね……」

 

 拳を握らず、しかし全身は急な事態に備えて神経を集中させる。

 が、しかし。少々内部に集中し過ぎた様だ。

 

「気になる位ならさっさと行きなさいよね」

 

 ゲシッと何者かに尻の辺りを蹴られた。何とも情けない声を上げてバランスを崩してしまった美鈴は、勢いを殺せずに里の中に入って転倒してしまう。

 そして、運悪く二人の白狼天狗と目が合った。しかし、襲てくる様子は無い。敵であるかどうか判断しているのか。何にせよ、光の灯っていないその瞳は気味が悪く、普通でないことは一目で分かった。

 

(結果的にこんなことになったけど、どうしようかしら。チャンスと言えばチャンスで、ピンチと言ってもその通り。ていうか蹴ったの誰よ)

 

 誰か分からないのに恨んでも仕方がない。ゆっくりと立ち上がると、そのまま服の汚れを払う。

 

「さて……」

 

 こうなった以上仕方ない。怖じ気付いても何も始まらないのだ。

 

「不本意だけど、やるしかないのね」

 

 両手を前に構える。足を軽く開き、その二人の白狼天狗を睨みつける。それが敵対認識されたらしい。二人の天狗は刀を抜くとそのまま襲い掛かって来た。

 全身に緊張が走る。その攻撃を受け止めようと二人の動きに意識を集中させた瞬間、今度は声が聞こえた。

 

「ちょっと、そんな所で構えられたら邪魔じゃないのよ」

 

 反射的に美鈴は振り返った。直後、何者かの足が彼女の肩を踏みつけ、真っ直ぐ

その天狗に斬りかかる。

 青く、流れる様な長髪に装飾の施されたスカート、そして桃の飾りが付いた帽子を被り、その手には黄金に輝く一振りの剣。その影はたった二振りでその二人の天狗の意識を刈り取った。

 

「ご安心ください。総領娘様は何も殺生を犯した訳ではありませんから」

 

 呆気にとられる美鈴の横に並んでそう言ったのは、綺麗な服を纏った紫色の短髪の少女。総領娘様と呼ばれた少女は地に倒れる天狗を見ながらつまらなそうに呟く。

 

「何よ、もう少し楽しめると思ったのに」

「そう仰らずに。総領娘様は相手の弱点を確実に突くことが出来るのですから」

「ま、良いわ。そこの紅いの」

「わ、私?」

「私は、貴方達に協力しろと頼まれた比那名居天子。そっちは付き添いで来た永江衣玖よ。私は見ての通り、衣玖の方も実力は申し分ないから、精々頼りなさいよね」

 

 適当に剣を振り、天子は美鈴に背を向ける。その先には既に天狗達がこちらに向かっているのが見える。

 

「次から次へと、退屈はしないわね」

「良いことでは無いですか」

「えぇ。あの鬼もそろそろ暴れ始めるだろうし、ここらでちょっとばかし見返してやろうかしらね」

 

 スタスタ先へと歩いて行く二人の背中を眺めていた美鈴はふと思った。

 

 呑気だなぁ、と。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章四話 再対峙

 その腕が振るわれる度、その足が付き出される度、襲い掛かる天狗はいとも簡単になぎ倒される。目の前で展開されるのは戦いなんて言う高貴な物でも何でもない、一方的な暴力だった。

 また鈍い音がくぐもった様に消えていき、腹部を殴られた天狗が一人、崩れるように倒れた。

 

「まぁ……スペルカードを無視してしまえば、鬼の実力なんてこんなものだ」

 

 適当に体の誇りを払いながら、萃香は得意気に呟いた。妖夢と鈴仙は殆ど傍観しているだけ。それでも、たまに天狗と戦うことはあったものの、その全てを萃香が片手間でなぎ倒してしまった。

 

「ここらの天狗は大方片付いたかね。ほっとけば勝手に治るんでしょ?」

「え、えぇ、意識を失わせさえすれば……」

「じゃ、こいつらはほっておいて良いんだね。後二人位連れてきたから、そっちはそっちで上手くやっているだろうし……でもまぁ、落ち合うに越したことはないか」

 

 言うと、腰に下げた瓢箪を持ち、その蓋を開けて中の酒を呷る。

 

「……さて、ここ等で別行動にしよう。貴方達は天狗が居なさそうな所を縫って移動しながら本丸を探してくれ」

「……分かりました。やってみます」

「頼むよ。正直、天狗を潰すだけだと埒が明かないと思う。まぁ、居なかったらその時だ」

 

 口元を手の甲で拭った萃香は瓢箪の蓋を閉めて振り返った。

 

 その、直後だった。

 

 地鳴りがしたと思った直後、萃香の真下の地面が文字通り割れたのだ。

 

「……えっ?」

 

 一瞬何が起こったか分からず、萃香は、そして妖夢も鈴仙も動くことが出来なかった。

 ただ、時間は急加速していく。その割れ目から、大きな純白の、いつか見た腕の様な物が何本も伸びてきたかと思うと、萃香の全身を掴み、巻き付き、抵抗する間も無くその中に引きずり込んでいく。

 萃香を飲み込み、割れた地面が元に戻るまでそう時間は掛からなかった。

 つい一瞬前まで頼れる仲間が立っていた場所は今、誰の面影も見せずに風だけが吹いていく。

 

「……悪人ってのは、こんなことだってするわよね」

 

 そんな声が聞こえたのは、二人の背後からだった。

 聞き覚えはある。

 鮮明に、その声を覚えている。

 

「さぁさぁ、最大の味方は今消えた。嘗て私に敗れた二人だけで、果して何ができるのかしら?」

 

 ゆっくりと振り返ると、居た。

 もっとも出会うべき、それでいて出会いたくない最悪の相手が、居た。

 

「浅茅、撫子さん……」

「どうしたのかしら? そんな顔しちゃって。ともあれ、こうして対峙してしまった以上、もう手段は一つしか無いでしょう?」

「……相手の言う通りになるのは癪だけどね。生憎その通りよ、妖夢」

「ならば、見せてみなさい。私に、真の正義を。悪を挫き、世界を主張するに足る本物の正義を!!」

 

 何かに陶酔したかのように撫子は叫ぶ。直後、幾重もの腕が彼女を中心として出現する。それは剣であり、槍であり、盾でもあり、棍棒でもあり砲台でもある。純粋にありとあらゆる兵器を表すそれは、もはや目で見るだけでその脅威が分かる。

 それもいつか見た腕の比ではない。少なくとも二十は超えるであろうその腕の数は単純に質と量の両方で二人を上回っていることをも示す。

 

「……幾つか、質問があります」

 

 そんな中、妖夢が重く口を開いた。既にその手は刀の柄に触れ、いつでも抜刀できる体勢になっている。神速にして最高の一閃を放つ準備はもう出来ている。

 質問を終えれば即ち開戦の合図となるだろう。

 

「なら答えてあげましょうか」

 

 尚も撫子は飄々としていた。彼女も既に戦闘態勢は整い、いつ妖夢が抜刀しようと、鈴仙が弾を放とうと対処できる故なのか、それとも他に何か理由が有るのか。

 

「一つ、萃香さんはどうなったんですか」

「少しばかり動きを封じているだけよ。これから先は私達悪人でなく、貴方達正義の逆転の時。その為の登場人物を今更こちらの者にするのは申し訳ないじゃない」

「……二つ、先の戦闘は本気ではなかったのですか?」

「その通りと言えばその通り。厳密に言うと違う。『全力を出せるようになった』が正しい表現ね」

「……つまり?」

「そこから先は、私を倒してからのお楽しみ。さぁ、そう言う訳で、行くわよ!!」

 

 撫子の顔が狂気に染まる。

 ただ、それが何故か妖夢と鈴仙には、ただ虚しいだけの空白の表情に思えた。

 

 本当に、今こうして戦うことに意味はあるのか。今この瞬間考えることでもないけれど。

 でも、撫子と言う少女は、こんな顔をする様な少女だっただろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章五話 遭遇

 変な踊り。

 以前、太極拳の稽古をしていた時に言われた言葉だ。確かに、そう言われたら仕方がない。しっかりと会得した者が見たらまた違うが、何も知らぬ素人が見たら本当に変な動きでしかない。

 そんな、気分だった。

 本当に、変な踊りの様だった。

 

「とりゃあ!!」

 

 気の抜けた様な気合が入った様な曖昧な声を上げた天子は持っている剣、緋想の剣を地面に突き刺す。それだけで襲い掛かる天狗の足元が不自然に突き上がり、その天狗を空高く突き飛ばした。

 

「衣玖」

「……分かりましたよ」

 

 天子は名前を呼ぶだけでやって欲しいことを伝える。本来付き添いできただけの少女は一瞬面倒臭そうな顔をしたが、しかし天高く腕を伸ばして指を差す。

 それだけの挙動で、雷光が空気を裂き、大地へと一直線に貫いた。無論、空中に放り出されていた天狗等言うまでも無く体を不自然に痙攣させながら地面に落ちてきた。

 

「紅いの」

「美鈴です」

「確か、反対の入り口から鬼が侵入している筈だから、さっさと合流するわよ。相手が私達を敵対認識した以上、こうして向かってくるに決まっているのだから、一纏まりになって迎え撃つ方が良いでしょう?」

 

 気だるげに天子は緋想の剣を地面から抜くと美鈴に振り返って言った。天子の鮮やかな戦いに見惚れていた美鈴は自分の名前を教えただけで、それ以上何も言えなかった。

 もう周囲に天狗は居ない。何かあったのかと窓から顔を出す里の人々に天子は適当に手を振りながらスタスタ歩いて行く。その後に続いた衣玖の眉がピクッと動いた。

 

「総領娘様」

「……気符『無念無想の境地』」

 

 直後、天子の直ぐ近くの空間が裂け、見たこともない影が飛び出てきた。その影は握った拳を躊躇なく天子の顔面に向けて突き出す。

 思わず顔を覆いたくなるような、そんな鈍い音が辺りに響いた。

 しかし、それ以上の動きが無い。その一瞬を見ていた美鈴も、その不思議な光景に何も言い出せない。

 

「……妙だね、お姉さん」

「一切の痛覚を消すこと。天人ともなればそれ位容易いこと。ついでに言うとこの幻想郷のあらゆることに楽しさを見出し、髪は綺麗で汗も掻かないし服も汚れないわよ」

「……?」

「で、誰かしら? こうして殴ってきた以上、味方ではないでしょうけど」

「酸漿棗。黒幕の内の一人さ」

 

 黒幕、そう言った瞬間に場の空気が変わった。頬に拳をめり込ませたまま天子はゆっくりと向き直ると、ワザとらしく剣を握り直す。棗はその頬から拳を離し、一歩下がる。それに答える様に、彼女と初めて会い見える衣玖と美鈴も一歩、前に歩み出た。

 しかし、正直美鈴は彼女への勝ち筋を見いだせていなかった。昨晩聞いた限りでは、この棗と言う少女はこの世ならざる力を使うらしい。その得体の知れないものに己の武術はどこまで通用するのか。

 

「……にしても、一対三は酷くないかな?」

「それでも尚強かったと聞かされているけど」

「そりゃどうも。でもまぁ、お姉さんたちにまでその条件でする必要は無いよねって思ったの」

 

 先頭に立つ天子が怪訝な顔を浮かべた時、何か威圧感が辺りの空気を更に重くした。

 カツン、と足音が聞こえる。それは天子達の後ろから聞こえていた。

 振り返ると居た、妖怪の中でも屈指の実力を誇る花の妖怪、風見幽香がゆっくりとこちらに歩いて来ているのを。更にその傍らにはいまだ幼い毒の妖怪、メディスン・メランコリーもフワフワと飛んできている。幽香の口元には残虐な、メディスンの口元には無邪気な笑みが浮かぶ。ただ二人共視線が何処か泳いでいて、正常でないことは一目瞭然だった。

 

「……なるほど」

「ちょっと衣玖。何一人で分かったようなこと言っているのよ」

「一人でも何も、空気を読むまでも無いでしょう。三対三の対等な戦いになると言うことですよ」

「とは言っても、そんな単純な話にも見えませんけど……」

「何でも良いわ」

 

 棗と二人の妖怪に挟まれる形になって尚、天子は笑みを見せる。心の底からこの状況を楽しんでいる様で、その表情には少しも不満も不安も無い。

 

「いずれにせよ、所詮地上の妖怪。それを遥か彼方から見下ろす私の足元にも及ばぬ存在でしかない。せめてこの私を喜ばせるために踊って見せることね」

 

 剣を払い、それを天子は高らかに掲げる。

 それが開戦の合図となった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章六話A 白濁の怪物

Aルート:妖夢や鈴仙の方


 一歩一歩、撫子が歩いてくる。妖夢は刀の柄に手を掛け、鈴仙は手を銃の形に模して構え、それに向き合う。

 安息とは程遠い、緊張が支配する中で撫子は手の中に小さな白い塊を生み出した。歩きながらそれを手の中で転がし、適当に放り投げる。奇妙な程ゆっくりと宙を舞う塊はやがて下へと落ちていく。

 

 そして、カツン、と。

 鮮明に音を鳴らした。

 

 直後、妖夢と鈴仙を取り囲む様に無数の白い腕が地面から飛び出る。まさに人の腕の様に、五本の指と関節を持つその腕は二人の動きを封じようと一斉に掴みかかる。

 それでも、二人は合図も無しに動き出す。鈴仙は妖夢の前に出て走り出し、タンッと地面を蹴って飛び上がった。その鈴仙の真下を薙ぐように妖夢は一閃、鋭く空気を裂き、光の刃を飛ばす。そしてそれは鈴仙の足元に群がる腕を全て容赦なく切り飛ばした。そのまま刃は撫子へと向かうが、それを小さく飛んで躱すと、突っ込んでくる鈴仙を迎え撃つ。

 

「……何!?」

 

 無論、鈴仙はそんなこと分りきっている。だからこそ、切られて宙を漂う腕を一本掴むと撫子の顔を目掛けて投げたのだ。当然、撫子の視線はその腕に集中する。一瞬でも、その腕を脅威と感じ、対処しようとする。

 鈴仙の狙った通りの動き。

 

「だあぁっ!!」

 

 鈴仙は大声を上げた。普段なら動じることもなかっただろうに、変に緊張状態になっていた撫子はその大声に肩を強張らせ、思わず鈴仙の方を向いてしまう。

 それに鈴仙が目を合すことは難しくなかった。

 

 そして、撫子の見る世界が歪んだ。

 

(やられた……幻影に……!!)

 

 自覚しても既に遅い。まともに鈴仙の紅い瞳を見た応酬は既に撫子を蝕む。目に映る何もかもが震え、焦点が定まるどころか平衡感覚までも奪われてしまった。

 鈴仙はその撫子の側頭部に回し蹴りを見舞う。ガツンと確かな鈍い感触を足に感じ、そのまま一気に薙ぎ払う。仮に相手が普通の人間ならばこれで意識を刈り取ることが出来るのだが___

 

「……生憎、軟弱でも無いようですね」

 

 無数の腕の処理を終えた妖夢が鈴仙の隣に並んで呟く。蹴られた側頭部を抑え、それでも撫子はしゃがんだまま二人を見据える。

 

「わざわざ意識を戻してくれるなんて、優しい限りね」

「面倒だし、さっさと倒れなさいよ」

「痛みが痛みだけで、それ以上何も感じないこの私の性質。今この瞬間だけでもありがたいわね。そして、そのリクエストには答えられないかな」

 

 撫子は、笑った。

 

「これが、私の最期の戦いだから」

 

 撫子はその態勢のまま拳を握り、地面を全力で殴りつける。鈍い音がして撫子の拳から血が飛び出たのを二人が見た瞬間、変化は速やかに訪れる。

 それは、地面が揺れた様な感覚だった。

 それに恐怖を感じた鈴仙は咄嗟に妖夢を押し倒す。直後、一瞬前まで妖夢が立っていた場所に地面から白い杭が飛び出す。空気を裂く暴力的な音がしたが、二人にはそれに反応する余裕はない。継続的な地面の揺れから逃れるように、そして撫子に攻撃するために立ち上がって接近する。

 その勢いに乗せ、妖夢は腰の捻りも加えて楼観剣を一気に突き出す。神速の一突きはしかし住んでの所で白い盾に阻まれ、且つ中途半端にその中にめり込む。

 

「ちっ……」

 

 舌打ちをした妖夢は楼観剣を諦めた。仮に撫子の手に渡ろうと、長すぎる故に扱うことは出来ないだろう。すぐさま白楼剣を抜くと、盾を交わして撫子に斬りかかる。

 しかし既に撫子は後方へと距離を取っていた。反射的に妖夢も距離を詰めるが、地面から級に飛び出した腕によって動きを封じられてしまう。

 

「鈴仙さん!!」

「分かってる!!」

 

 妖夢は名前だけ呼ぶと、頭の上で両手を交差させる。妖夢の影に隠れるように走っていた鈴仙は跳躍し、その両手の交差したところを踏みつけるとさらに跳躍して一気に撫子との距離を詰める。

 撫子は今度、それを凝視はしなかった。鈴仙の態勢だけを確認すると顔を背け、放たれた踵落としをいとも簡単に回避する。しかし即座に態勢を整えた鈴仙は着地と同時に撫子に飛び掛かり、地面に押し倒した。受け身を取ることも出来ず、背中を打ち付けられた撫子の呼吸が狂わされる。

 

「このまま貴方の気道を締めて意識を奪うことも出来るわよ」

「そ、う……」

 

 極めて冷徹に鈴仙は宣告する。

 それは気を失うか降伏するかの二択。

 それでも、撫子は笑った。腕を震わせながらも鈴仙の後ろに向けて指を差す。釣られて振り返った鈴仙はその先の光景に目を見開いた。

 

 無数の白い腕に体の動きを完全に封じられた妖夢の首が、今まさに折られようとしているのだ。

 

 握っていた刀は地面に落とし、口元も封じられて悲鳴を上げることも叶わない。

 

「い、いのかしら……?」

 

 撫子は悪魔的に笑った。

 ここで撫子を仕留める対価に妖夢の首を支払うか、撫子から離れるか。

 その二択に鈴仙は迷わなかった。ゆっくりと立ち上がると撫子を睨んだまま一歩ずつ後ろに下がる。後ろで何かが崩れる様な音がした時、漸く鈴仙は振り返ってその倒れる妖夢に駆け寄る。

 

「すい、ません……チャンスだったのに……」

「こっちこそ。完全に作戦負けね。首は大丈夫?」

「首よりも圧迫されていた全身が痛いですが……まぁ、問題ありません」

 

 首を庇う様に手を添え、強がって笑った妖夢は落ちていた楼観剣と白楼剣を取る。

 

「単純でないことは最初から分りきっていたこと。もう不覚を取らない様、気を引き締めて行きましょう」

 

 その言葉に頷いた鈴仙は振り返って撫子を見据える。

 更なる戦いの為、無数の白い腕を出現させた撫子は不敵に笑う。

 次の激突は遠くない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章六話B 平等な勝負

美鈴達のパートですね


 三対三。始まった戦いはしかし、その初手から既に戦局が片方に支配される。

 メディスン・メランコリー。毒を操る彼女は先ず毒霧を周囲に撒き散らした。咄嗟に衣玖が紫電で吹き飛ばしたものの、無尽蔵に撒き散らされ続ける毒はその程度では収まらない。それも、まさに美鈴達三人の動きを阻害する様に撒き散らされ、状況は棗側に傾いていく。

 

「……まったく、面白味が足りないわね」

 

 その状況の中、天子がポツリと呟いた。天地人を操ることが出来ると豪語する彼女はまだその全力を出し切っている訳ではない。この追い詰められる状況を楽しんでいた天子だったのだが、流石にそれも飽きてきたのだ。

 そうなると彼女は躊躇しない。持っている緋想の剣を体の前で構えると、そのままその刃に左手を添えて宣言する。

 

「『全人類の緋想天』」

 

 直後、極大で真紅の光線にも似た光弾の密集体が放たれた。それは毒の霧を吹き飛ばし、その発生源であるメディスンを捉え、そのまま絶え間なく放たれ続ける。その圧倒的な暴挙を前に、美鈴は思わず見惚れてしまっていた。

 

「紅いのと衣玖!! ボーっとしてないで他の二人を頼むわよ!!」

「え、あ、はい!!」

 

 言われてから美鈴は先ず棗の方へと走った。勿論、美鈴は最初から勝てるとは思っていない。昨晩自分の口からも言った通りだ。それでも、もうするしかない。目配せで衣玖に幽香の方を頼み、固く拳を握って棗に殴りかかる。当然、当の棗もそれに呼応して拳を握り、美鈴に向けて一歩前進する。

 互いの拳の交錯は一瞬、しかしその結末は偏る。

 

 柔らかい物を潰し、その先の固いもので挟み込んだ様な感触が美鈴の拳に伝わる。

 それが、棗の頬に自分の拳がめり込んだものだと本人でさえ分からなかった。

 

「……」

 

 それは全て無意識の内、反射的に起こった出来事。それでも、美鈴は棗の拳を見切り、避けて且つ自分の攻撃だけは命中させた。最初から良くて相打ちのつもりだった美鈴にとってこれは僅かな誤算であり、小さな光となる。

 

「……やるじゃない。結構響いたよ」

「一つ、聞きます」

「何よ」

「今まで、格闘技などの経験は?」

「……行くよ!!」

 

 幸い、幽香の相手は衣玖がしてくれている。そちらがどうなっているかは分からないが、棗に集中できることは悪くない。

 その棗の華奢な体から、相反する力で右拳が振るわれる。けれど、それは美鈴からしたら素人が拳を振るう、まさにそのままだった。

 危なげなく美鈴はそれを回避すると、両掌で棗の胸をドンと突き出した。それだけで棗の肺から一気に空気が押し出され、そのまま地面に倒れ込んだ彼女は咳き込みながらも美鈴を睨み付ける。

 

「……一番相手にしたくなかったタイプのお姉さんだね」

「それは誉め言葉と受け取りますよ」

「それで良いよ。厄介だし……それに」

「……?」

「……この話は良いや。どうせあの二人なら勝てるだろうから、私はお姉さんを止めればそれで良いからね」

 

 あの二人、それは間違いなく幽香とメディスンのことだろう。しかし、美鈴はそれらについて深く考えないことにした。勝てているとは言っても相手は主犯格。気の迷いを見せたらそこを狩られるに違いない。棗が立ち上がるのと美鈴が構えるのは同時。しかし、先に動いたのは棗だった。

 動いた、そう思った時には美鈴も全力で体を捻る。距離を一瞬で縮めてきた棗の神速の一発を回避できたのは偶然かもしれない。

 そのまま美鈴は右腕を棗の首筋に打ち付ける。衝撃で棗の体は宙に浮き、そのまま抵抗する間も無く地面に叩き付けられる。

 そのまま足の関節を締めようと掴みかけた時、横から何か重たい衝撃が美鈴を襲った。

 

「すみません……」

 

 その衝撃は、幽香に吹き飛ばされた衣玖。時間は殆ど立っていない筈なのに、既にその広い服はボロボロで、傷付いた柔肌が見える。

 

「大丈夫、ですか?」

「私の心配なら無用です、と言いたいですけどね……総領娘様は大丈夫でしょうが、あの緑髪の妖怪、尋常でなく強いですよ」

 

 何とか衣玖を支えて二人立ちあがり、既に立っていた棗とゆっくりと近付いてくる幽香を見据える。

 

「割と、不味い状況ですよね。これ」

「その様です。ですが、やるだけやってみましょう」

 

 バチン!! と電気が爆ぜた。それに合わせて美鈴も構える。

 どうやら簡単にはいかないらしい。美鈴が苦笑いすると同時、戦いは再会する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章七話A 過去

 戦いながら、撫子はなんとなく思い出していた。まだ彼女も幼い頃、世の中の何も理解していない頃、そして今の仲間達と出会ったあの遠い時間のことを。

 

 そんな大した思い出なんてものではない。当初からやんちゃだった棗のチャンバラごっこ等に付き合っていただけのことだ。

 

 撫子は仲間の中でも最年長であり、他の二人はおとなしかったこともあって、相手をするのはいつも撫子一人だった。

 

(あの頃にはもう、この能力も開花していたんだっけ)

 

 鈴仙の肩を踏み台に斬りかかって来る妖夢を白い腕で迎え撃ちながら、撫子はそんなことを考える。

 そうだ、その筈だ。

 おもちゃなんて無かったし、木の枝を拾える外に出ることもできなければ、棒を作ることができる紙だって無かった。だからこそ、こうして物質を生み出しては二人で振るって遊んだものだ。

 

 これは、固さと質量、その形状を彼女の意のままに変えられるこの世にない物質。

 それが、先天的なものではなくて後天的に植え付けられたものだと知るのは、彼女が今戦っている妖夢や鈴仙の外見と同じくらいの年齢になった頃だ。

 

「……残酷な話よね」

 

 思い出さないようにずっと封印してきたことだけれど、今になってしまうとどうにも頭に浮かんでくる。

 

「何がよ」

 

 妖夢の相手をして生まれた隙を狙撃しながら鈴仙が聞いてくる。

 撫子に答えない理由など特に無かった。

 

「これが私の最期の戦いだとさっき言った。それは比喩でもなんでもなくて、この戦いが終わったら……いいえ、もしかしたらこの戦いが終わる前に、私はこの世界で姿を保てなくなる」

「どういう、ことですか?」

「この世界からの消滅。本来あるべき……そんな場所に送還される。それだけのことよ」

 

 撫子は拳を握った。白い腕で地面を叩いて鈴仙に突撃し、その拳を思い切り彼女に叩き付ける。けれど、その攻撃は防御され、カウンターに回し蹴りを喰らう。

 撫子はそれに対し、白い腕を振るって鈴仙の体を薙ぎ払い、鈴仙の影から接近していた妖夢に別の腕を突き出す。

 

 その腕が、その時初めて二つに切り裂かれた。

 

「えっ……?」

 

 斬った妖夢本人が驚く。鉄の様に固い物だと思い込んでいた物が、まるで豆腐か何かの様に簡単に斬れた。

 だからと言って、侮れる訳ではない。鋭く狙ってくる別の腕に咄嗟に反応し、再び白楼剣で斬りつける。

 

 白楼剣ですら、斬れてしまった。

 

「ここに来て、急激に力が劣ってきたのね。これはもう、時間が無いわ」

 

 撫子はそれでも笑った。

 ただでさえ拮抗していたにもかかわらず、自分は今最大の武器を失ったのだ。

 それでもなお、笑った。

 

 そうだ、私は悪だ。世に存在してはならない、消滅すべき者。

 ならば最期は悪らしく、高笑いの一つでもしてやろうじゃないか。

 

 さぁ、終わりを自覚した上でどこまでもしぶとく生き残ってやろうじゃないか。

 能力を酷使して、例え体が朽ち果てようと、もはやこの世に生きられないのならば誰の迷惑にもなりはしないのだ。

 

「さて……クライマックスと行きましょうか!!」

 

 それは、爆発だった。爆発の様に思えた。

 今までの日にならない量の、夥しい数の白い腕。形すら保てず、枝分かれしたり裂けたり、更には先端から崩れていくもの。神秘的とさえ思えるその光景は、しかし妖夢と鈴仙の二人にとっては絶望に近いものが有った。

 

 斬れるから何になるのか。

 二人だけで、捌き切れる量ではないことなど明白ではないか。

 

 しかし、撫子も無事ではない。展開と同時に吐血し、その目からも血が垂れる。

 

「何が、貴方をここまで狂わせたのですか……」

 

 呆然と妖夢は問う。

 撫子の目は、最早妖夢を捉えることすらできなくなっていた。誰も居ない方向を向き、撫子は口を開く。

 

「……まだ物心も無い赤子の時、私達は裏組織に改造された。国際法だとか人権だとか、そんなものの及ばない暗い世界に落ちたのもその時だった。原因が何かなんて、未だにわかる術も無い」

「……それで?」

「それで、今の体になった。この世にない物質を生み出し、そしてそれを存分に振るうだけの物理的でかつ物理法則に当てはまらない曖昧な力を得た。それが、私の『物から始まる世界を生む程度の能力』よ」

「あの、世界を生む、とは……?」

「そのままよ。その裏組織は世界の構成要素を『物』『力』『空間』と定めた。『物』を生み『力』で補強する私は、その結果僅かに『空間』をも制御できる。だからこそ、任意の場所にその白の物体を生み出すことができる訳よ」

 

 そこまで言った所で、撫子は更に吐血した。よろめき、倒れかけながらもなんとか両足で踏ん張り、撫子は話を続ける。

 

「改造されたと事実を知った時、私達四人は何かの堰が決壊し、能力を今の様に暴走させて人ならざる異形と化した。その瞬間、私達は自由を得たと同時に世界から拒絶されたのよ。暴走する能力は私達をこの世ならざる者として定義付けられ、誰の目にも届かない場所で誰からも見放され、忘れ去られた。教科書にも載らない惨めな四人がそこで生まれた」

 

 発生した白い腕は攻撃してくることもなく、崩壊と再生を繰り返してグロテスクな光景を生み出す。

 今の妖夢と鈴仙はただ、撫子の話にだけ集中してその腕に等注意を向けていなかった。

 

「幻想郷に来てしまったのはその影響。忘れ去られたし、それに人間だと言われればそうでもないもの」

「では……」

「何故こんなはた迷惑なことをしたのか。簡単よ。世界から拒絶される存在になってしまったのは、外でも幻想郷でも変わらない。いつかは消えてしまうのなら、せめて生きたことを世界に刻みたかった。その為に、一番手っ取り早い手段が、ただの純粋な悪になること。そうなるだけの、必要なカードは全て揃っていた」

「何故、そんな手段を……もっと別にあったでしょうに。せめて普通に暮らすとか、できたんじゃないの……?」

 

 撫子が笑みを消した。

 ただ無表情で、冷徹な表情だった。

 

「得ている者に得ていない者の気持ちなんてわかる訳ないでしょ。別の手段なんて無いのよ。あるなら縋ってた。あってくれたのなら、私は喜んでそれに釣られた。だけど……だけど、そんなもの、何処にもありはしなかったのよッ!!」

「……ごめん」

「私と同じ境遇になんてならないで。なりそうになったら逃げて。何を捨ててでも、全力で逃げなさい。私の様に、悪も知らないまま悪になる前に」

 

 その瞬間に浮かべた表情は、悪だとは到底思えない温かいもの。口元から血を垂らし、目は血に染まって見えなくなり、そして真っ直ぐ立つことすらままならなくなった壊れ果てた体。

 何が彼女をここまで駆り立てるのか。こうまでして生きることに意味を見出したいのか。

 

 いや、もっと簡単に、目立ちたかった、人目に触れたかっただけなのかもしれないのに。

 

「さぁ、無駄話は終わりよ。もう容赦はしない。捉えたら殺す」

 

 妖夢は剣を握る力を強め、鈴仙は両手を銃の形に構える。

 だけど、何故だろうか。今浮かんでくるのは、倒すとかそんなことよりも、この戦いの意味の無さと虚無感ばかり。

 

 全て嘘だなんて思えない。

 この状況で嘘を吐けるのなら、それこそ彼女は本物の悪人だ。

 

 だけど、彼女は、彼女達は被害者で、そして狂ってしまった善人なのだ。

 

「狂っていたのは貴方であり、そして貴方の周りの世界であった。そう言うことですか……」

「……もう、戻れないの?」

「人間に戻る道は捨てたわ。誰かが提示してくれるのなら縋りたいけれど、それを実行に移す時間は無いもの」

 

 もう変えられない。

 結果が既に決まった破滅。

 妖夢は唇を噛み、鈴仙は視線を落とした。

 

 しかし、そんな彼女等とは正反対の少女が居た。

 突然出てきた訳ではない。出て来る隙を窺っていた様なタイミングで、少女は地面から這い出てきたのだ。

 

「……え?」

 

 その奇妙な光景に妖夢は変な声を上げてしまう。

 それを無視して少女は叫んだ。

 

「自分の……自分の気持ちに嘘を吐いたままにするのは許さないからなぁッ!!!!」

 

 歪な一対の角。小柄な体、そして常備している瓢箪。

 

 鬼の少女、伊吹萃香は激昂した。

 




「えっ?」となったことが多いですが、後々補足していくので、お楽しみに


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章七話B 天人の狂気

 戦いながら、天子は段々と己の体の異変に気付き始めた。

 自分が有利に戦いを運んでいる筈なのだ。それでも、意識しなければ口が開いて涎が垂れ、聞こえてくる筈の声が聞こえ、そして見える景色の色が不自然に変わる。

 

「な、んなのよ……」

 

 緋想の剣を握る手にも上手く力が入らない。こんな状況でも彼女が倒れこんだりせず、メディスンを単騎で撃破できたのは、やはり彼女が天人だからだろう。

 

「余裕だと思っていたけど……かなり厄介ね……」

 

 既に倒れて動かなくなったメディスンを前に、同行が不自然に開いた天子は肩で息をする。その呼吸さえも満足にできるわけではなく、掠れる様な変な音が混ざる。

 しかし、まだ安心できる訳ではない。

 背後からはまだ叫び声や悲鳴、何かが壊れる様な音が頻繁に聞こえてくるのだ。

 

 できるのなら振り向きたくない。もう十分戦ったのだから、さっさと帰って休みたい。

 けれど、敵を排除しない限りはこの体では逃げられない。

 ならば、倒すしかないのだ。

 

 ゆっくりと振り返る。

 

 見えてしまった。

 衣玖と美鈴を蹂躙する、緑の髪の妖怪と、それをほぼ完璧な形で補佐する黒髪の少女を。

 

「……は、ははは」

 

 天子は乾いた笑い声を上げた。

 これが絶望か。他のどの呑気な天人も知らない、究極の暗闇なのか。

 

「ははは、は、はは」

 

 不自然に、胸が高鳴ってきた。何故か心が躍り始めた。

 

 求めていた何かがここにある。知ることもなかった死への恐怖。痛みへの恐怖。

 闘争への快楽的感情。

 

 彼女はその笑いを高笑いに変えた。

 堪えようとも腹の底から込み上げてくる笑いは止まることを知らず、不気味に肩を震わせる。

 

 そして、

 彼女を引き留めていた糸が、ぷつりと千切れた。

 

 紅く染まる思考。飢えを越えた激しい渇望。

 かつて感じたこともない絶望の渦を狂気的に受け止めた天子は緋想の剣を握り、地面を強く蹴って二人の標的へと突撃していく。

 スペルカードも、そんな技も要らない。そんな陳腐な枠に囚われる位なら、ただ本能に身を委ねる方が楽しいに決まっている。

 

 勝つ負けるではない。今の天子を満たすのは、快楽の追求一色だ。

 

「ガァァァアァアアッ!!」

 

 雄叫びを上げ、天子は幽香に斬りかかる。

 幽香は一瞬だけ天使を見て、踏みつけていた衣玖の腕を掴むと強引に振り回した。

 

 ゴキリ。

 衣玖の体を受け止めた天子の左手首から嫌な音がする。

 

 天子は更に笑った。

 これが、戦いの痛みか。

 命の取引の副産物か。

 

 痛みを感じ、自覚する程に笑みが狂気に染まる。

 緋想の剣を握り締め、ゼロ距離の幽香の頭をその柄で、全力で殴りつける。

 

 躊躇は無い。前屈みになった幽香の頭部を目掛けて、全力で膝蹴りを入れる。

 

 何かが砕ける様な感覚。

 

 跳ね上げられた頭に釣られ、幽香は衣玖を離してしまい、大きく後ろに吹き飛ばされた。

 

「総領、娘様……」

「大丈夫? には見えないか」

「い、いえ……ご心配、なさらず……」

 

 体の芯が砕けた様な衣玖はよろよろと立ち上がる。服はもう擦り切れ、斬り裂かれてボロボロで、下の柔肌から鮮血が溢れ出ている。

 それすらも、今の天子にとっては狂気を加速させる。

 

 そして、その直ぐ近くでは消耗した美鈴が棗の攻撃を必死になって回避し、受け流していた。

 幽香が立ち上がるにはまだ時間がある。

 天子の笑みは更に歪んでいく。

 

「総領娘様……」

「何よ」

「……少し、お休みになってください」

「何でよ!!」

「今の総領娘様は何かが外れてしまっている。こうして見ているだけで痛々しい」

「何処がよ!! 私は真っ当よ!! 一々訳の分からないことを言って邪魔しないで!!」

「吐血で服を真っ赤に染めながら言う言葉ですか!?」

「……えっ?」

 

 真剣な表情で言われ、天子は呆然として視線を下げた。

 

 吐き気がする程真っ赤に染まった、白かったはずの自分の服。

 口元を手の甲で拭うと、べっとりと生温い赤い液体が擦り付けられる。

 

 瞬間、体が言うことを聞かなくなった。目眩がして足は震え、鼓動のテンポすらも分らなくなった。

 

 とても耐えられた状態ではない。よろめき、衣玖に凭れ掛かる様に倒れた天子は両目を見開いて衣玖の顔を見た。

 

「い、く……?」

「大丈夫です。ですから、もう少しだけ辛抱してください。私と彼女で終わらせます。総領娘様の御陰で、あの花の妖怪もかなりのダメージを受けたようですから」

 

 美鈴がついに棗に反撃した。振り抜かれた肘が棗の腹部に直撃し、棗が鈍い声を漏らす。

 

「衣玖さんッ!!」

「……そう言う訳です。終わったら天界へと戻りましょう。それまでの辛抱です」

 

 美鈴が衣玖を呼び、衣玖は微笑みで返して体に電気を纏った。

 

「総領娘様が作ってくださったこのチャンス、逃しはしません」

 

 天子を落ち着かせるように見せた微笑み。それは直ぐに消えたが、それでも鮮明に天子の目に映った。

 それとほぼ同時に幽香も立ち上がる。

 幽香だけではない。棗も立ち上がり、目の前の美鈴を見据える。

 

「化け物じみた耐久ね……」

「もうすぐ終わりだけどね」

 

 双方ボロボロで、それでも真正面から向き合う。

 冷静になれた天子の目には、今度はそれがどうしようもなく暗いものだと理解できた。

 

 そうだ、こんなもの楽しめる筈がない。命の駆け引きを楽しむことが、世界も知らない自分にできる筈がない。

 

「ま、待って、衣玖……」

「……何でしょう」

 

 衣玖は滑らかに、まるで待っていたかのように答えた。

 

「私も……まだ、まだ戦えるから」

「……では、背中はお任せを」

 

 衣玖はまた微笑んだ。そのまま片手を天子に差し出し、手を引いて立ち上がらせる。抑制したのだろうか、その手からは感電しなかった。

 人数は勝った。希望はまだ捨てていない。

 

 美鈴が構え、衣玖が紫電を纏い、天子が軽く剣を振った。

 棗もまた構え、幽香はただ三人を見下げる。

 

 その時だった。

 

 視界の端に、見えた。

 

 こちらに歩いてくる、眼鏡を掛けた白狼天狗の姿が。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章八話A 敵

 地面に飲み込まれたはずの萃香は、自力でその中から脱出し、泥だらけになりながらも地上に這い上がってきた。

 その瞳にあるのは憤怒。

 明確に、撫子に向けて怒りを表し、両の拳を握って強く睨み付ける。

 

「……何が嘘よ。私は嘘なんて何も言っていない。ただ生まれ、悪と化したまま悪として小さな世界の中で死ぬ。望まずして定められた運命よ」

「最初から悪でもないくせに、自分に嘘を吐くのを止めろと言っているの。アンタが悪だと誰が決めた訳でもなく、私はアンタほどの善人をそうそう知らない」

 

 妖夢と鈴仙には目もくれず、萃香は一歩一歩撫子の元に歩いて行く。

 

「まぁ、それでも敵として、だけどね。だけど、敵になるにはアンタは優しかった。闇より光を好んでいた」

「何が、言いたいのよ」

「アンタは、爪痕を残しながらも、それでも自分が倒されることを望んでいる。私には、そう見える」

 

 撫子の動きが止まった。何か言おうと口を開いても、そこから出るのは荒い息と鮮血ばかり。

 それはもう、強大過ぎる敵の姿ではなく、一人の孤独な少女だった。

 萃香が言ったことは決して難しい話ではない。あくまでも萃香が見て、撫子がどんな存在なのかを言っただけだ。

 それなのに、それは彼女の動きを封じるに足る力を持っていた。

 

「そんなこと、ないわよ……」

「そう思うのならそれで良い。でも私は嘘が大っ嫌いだ」

「私は、倒されたいんじゃないの。倒されないと……他の全てのものに、倒されるべき存在なのよ」

 

 少女はわなわなと震え始めた。

 固い殻がうっすらと剥がれ、中の柔らかく脆い本質が姿形を表し始めた。

 

「いつだって、そうだったもの……私は、いつだってそうだった。チャンバラだってそう、戦いごっこはいつも敵役。ゲームだって、私は皆の敵だった……だから、だから……」

 

 少女は肩を震わせながら叫んだ。それと同時にまた新たな鮮血が口から溢れる。服はもはや元の色が何であったかもわからなくなるほど黒い赤に染まり、その赤が広がる程に少女の軸がぶれていく。

 

「敵は、倒されないといけない。だから、正義の味方には生きてもらわないといけないのよ……」

「……では、私の首の骨を直ぐに折らなかったのも、私を絞殺さなかったのも、全て……」

 

 妖夢が震える声で聞いた。

 撫子は、首を振らなかった。それが肯定を表し、妖夢はどうしようもない悔しさを覚える。

 そしてそれは、鈴仙も同じだった。

 

 二人では、撫子には敵わない。

 彼女の肯定は、それを意味しているのだから。

 

「正義の味方は負けない。でないと正義ではない。私もまた、正義ではない」

「違うと言ったら、どうするのですか」

「違わないと言い返す。そして、倒されるべくして、貴方達の前に私は立つ。こんな惨めな姿になったとしても、それでも私は倒されるべき敵として、貴方達の前に立ち塞がる」

「……分かったわよ」

 

 鈴仙は一歩前に出た。それに妖夢も続き、萃香はそれを見てニヤリと笑った。

 

 本当の敵は目の前の少女ではない。少女をここまで追い込んだ何かだ。

 それが何かなんて知る由もないけれど、もう彼女を苦しみから解放しなければならない。

 

 撫子は、そんな三人を見て、笑った。

 この中で最も彼女と会い見えた妖夢は、それが彼女が見せる初めての心からの笑顔だと悟った。

 

「行きましょうか」

 

 妖夢は駆け出した。

 これが、撫子との最後の戦いだと、分かっていた。

 

 技の名前など要らない。そんなもので飾って良い戦いではない。

 勝敗なんて既に目に見えている。

 結末なんて、考えなくても分かっている。

 

 追い詰められ、一つのことしか考えられなくなってしまった哀れな少女を、この美しい世界から解放してあげるのが、今すべきことなのだ。

 

 数え切れない白い腕が三人を襲う。

 萃香は表情を真面目なそれに変えると、即座に巨大化した。襲い掛かる無数の腕の殆どを受け止め、へし折っていく。

 それでも萃香が漏らした腕は鈴仙が精密に狙撃していった。既に脆くなっているからだろう、一発でも当たった腕はその部分から破壊の波を広げ、腕一本丸ごと粉砕されていく。

 

「妖夢ッ!!」

「分かっています!!」

 

 ダンッ!!

 妖夢の細い足が大地を力強く蹴る。標的は言うまでもなく撫子で、白楼剣を収めた妖夢は楼観剣を両手に持ち、らしくない雄叫びを上げて突っ込んでいく。

 

 白い腕は限りがない。崩壊しては生成され、萃香と鈴仙の隙を抜けて妖夢を狙う。

 

(関係ない……!!)

 

 それはもう、何度も経験した攻撃だ。

 何度も見てきた筈だ。

 今更恐れるものではない。

 

「そこを……退けろ……ッ!!」

 

 真正面から狙ってきた白い腕を叩き割る。

 できたのは、撫子への一本道。

 

 躊躇は捨てた。迷いは飲み込んだ。

 

 何故だか優しい笑みを浮かべる撫子に向け、妖夢は楼観剣を強く握り締めて突っ込む。

 

「……貴方とはいつか、ゆっくりと話をしたい」

 

 距離が縮まる程、様々な思いが交錯する。

 

 これで、この私の戦いは終わりだ。

 

 妖夢だけではない。撫子もまた、今まで生きてきた短い人生の思い出を、一つ一つ鮮明に思い浮かべていた。

 

 まだ幼い日、棗と戯れた無機質な部屋の中のこと。

 真実を知り、初めて見た澄み渡った青空のこと。

 初めて感じた、太陽の暖かさ。

 広く、果ての無い世界。

 寂しさ。

 孤独。

 

 そして、この心地良い温もり。

 理解された、感謝を。

 

「ありがとう」

 

 撫子は言った。

 距離は零。

 

 楼観剣が、横薙ぎに振るわれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章八話B 闖入者

 一本下駄が砂利を踏む音が断続的に響く。ゆっくりと、歩いて近付いてくるその白狼天狗は抜いている剣を軽く振り、その場に居る五人をざっと見た。

 

 それは、先程戦った白狼天狗の内の何者か。その光の消えた瞳、それは美鈴と天子、衣玖を見据え、無表情のままに走り出す。

 

「ここに来て……ッ!!」

 

 天子は思わず悪態を吐いた。

 場面としては最悪。相手が白狼天狗であろうが、三人共疲弊した今、それは十分な脅威となる。

 対して棗はその口角を吊り上げた。予想もしなかった増援だが、それはこちらに傾いている。

 倒せる。

 そう確信し、棗は腰を低くした。

 

 天子、美鈴、衣玖。棗、幽香。

 

 五人が動き出したのは同時だった。

 衣玖が雷を、美鈴が蹴りを棗に仕掛け、幽香がそれを阻害し、美鈴を投げ飛ばして帯電した衣玖にぶつけ、天子はその隙を狙い幽香に緋想の剣を突き立てようとするが、それは棗によって阻まれる。

 天狗はゆっくりと歩いて近付いてくる。

 それが美鈴達三人に焦燥を生み、連携も次第に崩れ始めていった。

 

「気符『無念無想の境地』!!」

 

 ついに天子はもう一度スペルカードを宣言する。瞬間、幽香の拳の直撃を受けたものの、天子はそれに動じず、逆にその腕を掴んだ。そのまま緋想の剣を振りかぶる。

 距離的に回避は不能。それでも幽香は笑った。突っ込んできた美鈴を蹴り飛ばし、天子の体を片腕で悠々と持ち上げると、笑ったまま投げ飛ばした。

 痛覚を消しているからと言って、消耗したからだが満足な力を扱える訳が無い。抵抗もできず宙に放り出された天子は、そのまま地面に臥していた美鈴の上に墜落した。

 

 下から悲痛な声が聞こえる。一々気にしている余裕は無い。顔を向けると既に幽香が目の前に立っているのだ。

 

(死、ぬ……!?)

 

 ここに来て、そのイメージが鮮明になる。それでも、天人故に死ぬことはないだろうが、しかしこのスペルの効果が切れた時、それ以上の苦痛が待っているのはほぼ明白。

 

「総領娘様ッ!!」

 

 その時、棗の相手をしていた衣玖が叫んだ。直後、幽香を貫く様に青白い紫電が空より地面に落ちた。目の前に炸裂した眩し過ぎる閃光と爆音。冗談抜きで意識の全てが白に染まり、その視界が回復するまで暫く経った。

 その間、僅かに聞こえたのは衣玖の悲痛な声。断続的な暴力の音も天子を更に焦燥に追い込む。

 

 視界が戻った時、目に映ったのは意識の途絶えた幽香が横たわる姿と棗に蹴り飛ばされる衣玖の姿。

 

「衣玖!?」

 

 美鈴の上から立ち上がり、まだふらつきはするものの天子は棗に斬りかかる。その一閃も容易くかわされ、バランスを崩した天子は更に足を蹴られ地面に転げてしまう。衝撃に緋想の剣が手から離れ、それでも掴もうとした天子の右手首を棗が踏みつけた。

 

「あ、ギッ……!?」

 

 その手首からした異音。直後に異常な程の痛みが天子を襲い、その足を退けようと左手を伸ばすが、ワザとらしくその踏む足を動かされて天子は痛みに悶絶する。

 

「色々あったけど、結果的には勝利、だけどなぁ……」

 

 その痛みの中、天子は寂しげな声を聞いた。

 でも、それに意識を回す余裕が無い。生まれてから感じたこともない激痛が、彼女の華奢な体を痛めつけてくるのだから。

 

「こっちを見ろぉぉおおおおおッ!!」

 

 その状況下で聞こえた雄叫び。それは美鈴のものだろうか。

 その雄叫びの直後に手首から足が離れ、天子は右手首を庇う様にうずくまる。それでも何が起きたのかを確認すると、美鈴が棗にタックルを仕掛けたのか、天子と衣玖を庇う様に美鈴が倒れる棗を見ている。

 

「何が、勝利ですか……三人を戦闘不能にしてから言ってくださいよ……!!」

「……きっと、知らないだろうけどさ、私って特殊なのよ」

 

 棗は疲労を感じさせない滑らかな挙動で立ち上がった。

 

「終わりが近付くと、逆に私は強くなる。さっきとは違うよ」

 

 その棗の瞳から血の雫が伝った。

 その生々しさに美鈴は一瞬硬直してしまう。

 

 同時に、背後から足音を聞き取った。

 

(ま、さか……?)

 

 ギョッとして振り返ると、直ぐそこに白狼天狗が来ている。

 

(この状況で……!?)

 

 手首を負傷して戦えなくなった天子は何とか体を動かして端に逃げる。しかし、直接挟まれる形になった美鈴は一歩も動けない。

 

「さぁ……終わりだよ!!」

 

 天狗と棗が同時に地面を蹴った。それに対し、美鈴ができたことと言えば、ただそれを眺める位のことだ。

 呆然と、挟み撃ちにやられるだけ。

 

 それなのに、誰かが背中側にグンと引っ張り、美鈴は倒れてその挟撃を回避できた。

 

「え……?」

 

 妙にゆっくりと傾く視界。

 それは、棗に斬りかかる天狗を捉えた。

 

 当の棗は拳を突き出したまま唖然としてその天狗を見詰める。

 

 そして、生々しい音と共に白狼天狗が突き出した剣が棗の手を裂いた。

 比喩でも何でもなく、棗の人差し指と中指の付け根から刺さった剣は彼女の手首までを綺麗に二分したのだ。

 

 棗が声にもならない絶叫をする。

 右手首を左手で掴んで地面を転げまわる。

 

 白狼天狗は無言のままその棗を踏みつけ、剣を振り上げた。

 

 美鈴や天子が何か言う間も無く、その剣は無慈悲に振り下ろされる。

 棗の、首筋を狙って。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章九話A 儚くて

 それは、撫子には捉えられない程高速かつ静かな一閃。

 

「……あ、え?」

 

 そこで撫子は気の抜けた疑問の声を上げた。

 

 まだ、首が繋がっている。まだ呼吸をしている。まだ生きている。

 

 必殺の一撃は撫子の首筋にピタリと当たっているものの、その肌には一切切れ込みを入れずに止まっているのだ。

 

「ど、どうして……?」

 

 撫子は思わず妖夢に問い掛ける。

 妖夢は、笑って答えた。

 

「もう、いいでしょう。お人好しと言われれば否定はしませんし、偽善と言われればそれを受け止めましょう。それでも、今の私には貴方を斬れるだけの刃がありません」

「え、え……?」

 

 撫子は聞いた。

 トス、と刀が地面に刺さる音を。そして、気付いた時にはもう妖夢は両手に何も握っていなかった。

 ただ、何処までも温かくて、何処か懐かしさを覚える様な笑顔を浮かべている。

 

 妖夢は、撫子を抱き締めた。

 

 その手に血が付こうと構わず、躊躇を忘れて抱き締めた。

 それは、少しだけ冷たく温かい、そんな体温だった。

 

「……もうじき、貴方は消えるのでしょう」

「そう、だけど……」

「不器用なのはどうか許してもらいたい。こんなことしかできないのは、自分でも恥ずかしい。だけど私は、貴方に誰かの尊さを伝えたい」

 

 抱き締められた。たった、それだけなのに、胸の奥から熱い何かが込み上げてくる。

 

 妖夢は撫子の全てを理解しているなんて思っていない。つい先程まで命のやり取りをした相手に対し、こんな行動をするなんて馬鹿げていること、誰よりも自分がよく分っている。

 撫子は妖夢の行動の意味をよく掴めていない。だけど、これがごくありふれている程度のもので、だからこそ何よりも尊いものだということは何となく理解できた。

 

 妖夢は初めて、誰かを本気で抱き締めた。

 撫子は生まれて初めて、誰かに本気で抱き締められた。

 

 撫子がふと前を見ると、鈴仙と萃香が微笑んでいた。

 撫子の知らない、温かい笑顔だ。

 

「なん、で……!?」

 

 ずっと心に満ちていた暗い雲が、ゆっくりと晴れていく様な気がした。

 

 抜け出して、助けを求めれば気付く人だっていたのに、それを諦めてもがいて逃げて、気が付けば世界を敵に回していた。

 それでも、自分は抱き締められた。

 

「涙を流したいのなら、全てこの胸で受けましょう。笑いたいというのなら、共に心から笑いましょう。お腹が空いたのなら、共に団子でもいただき、喉が渇いたのならば美味しいお茶でもいただきましょう。愛が欲しいというのなら……最期の時まで寄り添いましょう。これは、私なりの正義です」

 

 正義は悪を断つものだと、ずっと信じ込んできた。

 それは、間違いではないけれど、正解でもなかったのだ。

 

 その正解なんて無い、ただ誰もが持つ意思なのだから。

 

 今、やっとわかった。

 最後の最後に、ようやくわかった。

 わかることができて、本当に、良かった。

 

 そして、今この瞬間が、幸せという時間なのだろうか。

 

 ずっと、ずっと、闇ばかりを見ていた。狭い世界で、支配された世界で、何処を向いても広がる闇を追って歩いてきた。

 そんな世界しかないのだと、ずっと信じ込んできた。

 皆見るのは闇ばかりで、その中でも光を見付けようともがくのがこの世界の常識なのだと。

 

 だけど、闇の底に叩き落しても落としきれなかった少女達は、そもそも闇なんて見ていなかったのだ。

 見ていたのは、言うまでもない光だった。

 

 知りもしなかった、手を伸ばしても届かない世界に、導いてくれたのだ。

 

 初めて込み上げてきた、嬉しさの涙。

 堪えることなんで出来ない、莫大な感情の雫が堰を切って溢れ出る。

 そんな撫子を、妖夢は優しく抱き締め、その頭をふわりと撫でる。

 

 それでも、その瞬間は唐突だった。

 さらさらと、撫子が爪先から風に流される様に、粒子となって消えていくのが分かった。

 

 ぽろぽろと流れる涙を拭い、妖夢と目を合わせた撫子。その表情に恐怖は無く、そしてその闇も無い。

 年相応で大人し気な少女の、精一杯の笑顔が、そこにはあった。

 

「もう、終わりみたいね」

「……抗えない、のですね」

「道を踏み外した末路よ。だけど……不安は無いもの」

 

 寂しげな妖夢の頬に、撫子はそっと手を触れる。

 柔らかい、その素肌の感触。こうして感じるのは、いつ以来になるだろうか。

 

「……最後に会い見えたのが、貴方達で本当に良かった」

「……どうしても、最期なのですか?」

「えぇ。私の体はもう、ボロボロに朽ち果ててしまったわ」

 

 気が付けばもう足が消えている。

 それはとても残酷で、綺麗とさえ思える最後の姿。

 

 それを全て受け入れ、撫子は前を向いた。

 

「もし……次に、会う時があるのなら……その時は、私を食事に誘ってくれるかしら?」

「えぇ……絶対です、約束します」

「そう、約束、ね……」

 

 消える。

 世界から、消えていく。

 

 あぁ、この世界は、どこまで美しいのだろうか。

 

 透き通った空に手を伸ばしても、もう届かない。

 

 もう、妖夢の頬に触れる手も、消えてしまったのだから。

 

「……じゃあ、ありがとう、ね」

 

 その言葉の残響が消えるより早く、妖夢の両手はその温かみを感じなくなった。

 腕の中で、撫子は消えてしまったのだ。

 

「……約束、守ってください、よ……!!」

 

 この涙は何なのだろうか。

 自分でもよく分からない涙を流す妖夢はそのまま地面にへたり込み、大声を上げて泣いた。

 

 それは夏の初めの、何てことの無い時間の中の、

 何てことの無い一期一会。

 

 私は今、幸せでしょうか。

 




貴方の思う正義とは、いったい何でしょうか。
貴方の思う幸せとは、いったい何でしょうか。

それを知っているのなら、胸を張って生きましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章九話B つぎはぎの最後

 思い返せば何もない人生で、世界はずっと灰色だった。青空を見上げても、それが美しいものだなんて思えたことは一度もなかった。撫子に遊んでもらった瞬間も、何故だか物足りないで、ずっと心が満たされることはなかった。それはもう、どうしようもないもので、やがてこの体をこの世界に止められなくなると知ってからも何も感じなかった。

 

 何も、残せていないのだから。

 

 多くの人の記憶に残った訳ではない。偉業を成した訳でもないのだから。

 そんな偉大なことより以前に、当たり前に広がっていてもおかしくなかった日常を体験したことすらなかったのだから。日常を欲したことすらもなかったのだから。

 

 仮に今、こんな血みどろの戦いをしていなければ何をしていたのだろうか。

 何処かで美味しいスイーツでも食べていたのだろうか。面白い本を読んでいたのだろうか。太陽の下で遊んでいたのだろうか。何かに対して笑ったり、苦しくなって泣いたりしていたのだろうか。

 

 誰かと一緒に、対等に、時間を過ごしていたのだろうか。

 

 いや。どんな状況であれ、そんなことは許されないのだろうか。

 灰色は黒にも白にも、ましてや彩り豊かに変化することは、決してないのだろうか。

 

 あぁ、せめて最期くらいは、

 綺麗な空を望んでみたいものだった。

 

 

 湿った音がした。一瞬感じたのは冷たさで、直後に痛みが腕全体を襲う。

 棗は既に裂けた手でもう一度、その一撃を受け止めたのだ。

 

「……ッ!?」

 

 天狗が驚愕する。そんなことも構わず、棗は地面に両手をついて体を持ち上げた。体が壊れそうな程叫び声を上げ、吐血しながらもその拘束を破っていく。それは天狗や美鈴、天子からすれば極めて狂気的で、とても同じ意思あるものには思えない程。

 

 だが、そこまでだった。

 立ち上がっただけ、だった。

 そこで限界がきて、棗は荒い息を上げながら空を仰ぐだけ。その目元には透明な雫が浮かぶ。

 

「……もう、終わりかぁ」

 

 そのポツリとした呟き。それは切なくて、寂しげ。

 

「……やれやれ、わざわざ化けてまで接近したのに終わりはこんな呆気ないものかい。世話の焼ける奴じゃな」

 

 戦闘は終わった。そう判断したのか天狗がそう呟く。そのまま軽く飛ぶと謎の煙に包まれ、その正体を露わにした。

 

「天狗じゃ、なかったのね」

「騙されたかの? 儂は佐渡の二ツ岩、マミゾウじゃ。まぁ……今名乗ったところでお前さんに果して意味はあるのかは分からんがの」

「分かっているみたいね。もう私が長くないって」

「分かるも何も、ワシはこう見えて化けの皮を見破るのが得意でな、一目で分かる故に仕方ない。たった今強引に力を入れた途端にお主の正体に亀裂が走りおったわ」

「そう、か……」

 

 棗は特に表情を変えず、マミゾウは申し訳なさそうに顔を伏せ、そして美鈴は訳が分からずに口を開けたまま交互に二人を見遣る。天子は衣玖を抱いて立ち上がり、その状況を無表情で眺めていた。

 

「あの、これはどういった状況で……」

「……言わなかったから、わかんないよね。私達が使う力は私達を段々と世界から切り離す性質があるってことを」

「つまりどういうことなんですか」

「そのままの意味だって。それなのに、この体だけは世界に止まろうとして拒絶する。無理に力を使えばその分だけ切り離そうとされ、それを体が拒絶するからこうやって壊れるんだ……」

「何で……」

「これが理不尽って奴だよ。望んでも居ない力を埋め込まれ、闇に堕ちた自分たちに射す光さえも拒んだ者の末路。流石にもう拒絶するだけの力は無いから、切り離されるのを待つだけなんだけどね」

 

 また棗は血を吐いた。よろめいた体を咄嗟に美鈴が支え、棗は小さく感謝を述べる。止め処なく溢れる血は美鈴の腕や服を赤く染め、それが棗の体が散っていく様を表している様だった。

 

「切り離される時ってね、なんか……粉みたいに、さらさらって、消えていくらしいんだ……」

「そう、ですか……」

「綺麗な、最期だと、いいなぁ……」

 

 美鈴は衝動的にその華奢な体を抱き締めていた。先程まで戦っていた相手なのに、今抱き締める少女はただただ小さくて、雪の様に繊細だった。見せかけの鎧が溶けた今、その何よりも弱い本質が露わになっているのだ。

 

「大丈夫、ですよ……そんな、まだ……」

「そうよ。まだ決着がついた訳じゃないの。このまま勝ち逃げなんて許さないわよ」

 

 天子が棗を睨み付ける。わがままな彼女の性格が、こうして前触れも無い終わりを許さないのだろう。そんな天子に棗は笑みを見せた。ただ僅かに頬を緩めるだけの力のない笑み。ボロボロの体ではそれが限界。そう理解できた時、天子もその唇を噛んだ。

 

「……こんなの都合が良いなんて、私が一番、分かっているんだ。殺し合った相手が、急に弱くなるとか、こんなの、物語なら誰も褒めてくれなくて……そんな稚拙な、ご都合主義で……」

「分かりました。分かりましたから、静かにしてください。大丈夫、まだ助かりますから……」

「……口を挟む様で悪いが、流石にもう手遅れみたいじゃ」

 

 マミゾウが切なそうに棗の足元を指差す。

 

 既にそれはさらさらと流れて消えていっていた。

 

「……ねぇ、お姉さん」

「何、ですか」

「そらって、きれいなんだね」

 

 棗の声が震えていた。見上げれば雲間から陽が射しこみ、綺麗な鋭角の筋を宙に描いていた。

 それは、まるで、道の様に。

 

「……ごめんね」

 

 それが、精一杯の声だった。

 不完全な物語。つぎはぎの人生は今、何かが決定的に満たした。

 

 無茶をし続け、死を意識し、それでもなお最後にはただ一人の少女であったその華奢な少女。

 棗は今、美鈴の腕の中で世界から消滅した。

 




これにて第七章は終了となります。
ありがとうございました!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章 不滅
第八章一話 直前のやり取り


「薄気味悪いね、静かすぎて」

「貴方は二度と来ることのない世界ですわ」

「皮肉をどうも。これから戦いに行こうって奴に大したセリフじゃない」

「気持ちを多少紛らわしてあげようと思ったのに」

 

 冥界の片隅、妹紅は憎らし気に傍らの紫を睨んだ。ただ、これから戦うという状況でその冗談に付き合い切れと言うのは酷な話で、妹紅は小さく息を吐いて目の前に広がる森を見据える。薄暗く、そして不自然に涼しい。

 

「普段は冥界と幻想郷は繋がっているって話だけど、どうしてわざわざ隙間を介してここに来たの?」

「幽々子を幻想郷に出さない為よ。今はもう私が幻想郷と冥界の間に結界を張っているから、普通に通り抜けることができないのよね」

「なるほどね。それは大変なことだ」

 

 実際、それをしなかった場合の被害など妹紅は知らない。

 

 西行寺幽々子。妹紅にとっては肝を食わせろだの言われた記憶くらいしかない相手だが、持っている能力はかなり凶悪なものだと聞く。

 生あるものの命を一瞬で奪う。それだけの能力だ。

 

「実際どうなのよ。その幽々子とやらは本当に暴走状態にある訳?」

「確かめられたら良かったのにね。生憎、仮に暴走状態なら私なんて視界に入るだけでおさらばよ」

「はぁ。じゃ、アンタの共闘も望めない、と」

「生憎ね」

 

 紫の悔しそうな顔を見て、妹紅は目を細めた。聞いた話だと幽々子は紫の古くからの友人。何かしら、特別な思い入れがあってもおかしくはない。

 自分が慧音のことを大切に思う様に、紫もまたそうなのだろうか。

 

「……こんな愚か者に期待をしちゃあいけない」

「そうするしかない、とでも言いますわよ?」

「分かっているさ。私にしかできないなら何だってやってやる。ぶっ壊れない体ってそれなりに便利だからね」

「……だからと言って、無理をなさらぬよう」

「どうしたのさ、らしくもない。人間に気を遣うなんて」

 

 妹紅がそう聞くと紫は押し黙った。それが答えと言えばまさにその通り。紫としても、人間に頼らねばならない程切羽詰まっていることなんて、考えるまでもないことだ。

 

「……なぁ」

「何かしら?」

「全部終わったらどうするのさ」

「全部って」

「妖夢達も無事解決して、幽々子ももちろん元に戻って、その後だよ」

 

 これ以上紫をここに引き留めていてもしょうがないだろう。妹紅は最後にそんなことを切り出した。

 それは、漸く紫の頬を緩める。

 

「そうね……その時は、美味しいお酒でも用意しましょうか。博麗神社で洒落込みましょう」

「それはまた、負けられない理由ができてしまったね」

「……それなら」

「行ってくるよ。どうせ勝つから、私が呼んだらいつでも駆けつけられる所に居てくれ」

「頼まれたわ。本当に、くれぐれも……気を付けて」

 

 紫に背を向け、片手を挙げてそれに答える。次に会う時はいつになるのか、柄にもなく寂しさを覚える妹紅はそれでも振り返らない。

 目の前には森が延々と続く。飛び交う蝶も、たまに見かける動物も皆命を持っていない。それは今から見える西行寺幽々子も同じこと。命があること自体が異様なこの世界の中、妹紅は歩きながら何となく空を見上げた。

 

「……さっさと終わらせるか」

 

 呟き、走り出した。

 とっくに覚悟はできている。その筈なのだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章二話 冥界の妖

 初めての地であるはずなのに、何故だか妹紅は迷わなかった。何かに導かれる様な感覚に包まれて入るものの、それを不思議とも思わずに妹紅は進み続け、件の白玉楼まで辿り着く。

 とうに紫の気配は消えている。逆に感じるのは、もっとドロドロとしておぞましい何かの気配。触れるだけではない、ただ見るだけで禁忌となるような、ただ何処までも黒い気配。次の生を待つ者の地とは到底思えない、妹紅が感じているのは正反対の地獄のような感覚だ。

 

「……こりゃ、相当厄介な仕事を引き受けたもんだ。また死なないことを恨みかねないよ」

 

 ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、妹紅は気だるげに呟いた。

 しかし、いつまでも独り言をしてはいられない。フッと強く息を吐き、両手に炎を出現させて目の前の門を強引に破った。

 爆音が轟き、焦げ臭さが周囲に蔓延する。それを気にすることも、躊躇することもなく妹紅は白玉楼の庭に踏み入り、ざっと見渡した。それは一見なんともない、ただ池やそれを跨ぐ橋が架かる豪華な庭。ただしそこは今、黒い気配が満たしており、妹紅には綺麗だとかそんなことを思う余裕は無かった。

 

「……妙だな、そこら中に気配を感じるのに、人影が無い」

 

 全ての障子が閉じられた館へと妹紅は進んで行く。派手な音を鳴らしたのだから、誰か出てきてもおかしくはない筈だが、何も影すら表わさない。

 

「中に、居るのかな?」

 

 不審に思いながらも橋を渡る。そして縁側に靴を脱いで上がり、その障子を僅かに開けて中を見た。

 

 そして両目を疑った。

 

 一言で表せば異形。白い、得体の知れない塊が部屋の中にあり、その中に下半身を取り込まれ、ぐったりした様子の幽々子の姿。

 そして、見慣れない二人の人影。

 

「な、んだ、これ……?」

「ん? あぁ、来客さんかぁ」

 

 思わず妹紅が漏らした言葉にその人影の傍らが反応する。

 

「これはね、私達の最高傑作さぁ。この二日前から何人か操ってきたけど、これはそんな次元じゃない代物さぁ」

 

 灰色の長髪を揺らす長身の少女は妙に間延びした甘ったるい声で妹紅に話しかける。その顔には歓喜の色と、そして僅かな虚しさが浮かぶ。けれど口元は恍惚的でまさに今この瞬間に酔っている様子だ。

 そして何よりも気になるのはその言葉。何人か操ってきたとはどういうことなのか。少なくとも、それを聞き出すために刺激するのは危険だ。分からなくてもきっとそれは終わったこと。今は関係無いだろう。

 

「お前等は、誰だ……?」

「私達かい? 私は竜胆(りんどう)芙蓉(ふよう)。そしてこっちは糸杉(いとすぎ)エリカ。棗と撫子の代わりに世界に出てきた真の敵さぁ」

 

 エリカと呼ばれた、背が低い少女は芙蓉の影に隠れる。

 真の敵、その響きだけで何てことの無い誰かではないことは明白。妹紅が身構えると芙蓉は制する様に右手を前に出した。

 

「まぁ落ち着きなって。今から君が戦うのは私達じゃないんだ」

「……敵なのでしょう?」

「ほら、私達の最高傑作が後ろに居るんだ。君で試してみても構わないだろう?」

 

 背筋にゾクッと寒気が走る。同時にエリカが何かを呟いた。

 直後、ぐったりしていた筈の幽々子の上半身が不自然な挙動で起き上がる。部屋中から何かが軋む様な音が響き、その白の塊が動き出す。

 

「じゃ、頑張ってねぇ」

 

 それだけ言うと、二人は忽然と消えた。それは比喩でも何でもなく、なんか妙な音がしたと思った直後にはその姿形は何処にもなくなっていたのだ。

 そんな些細なことよりも、妹紅はただ目の前の異形の姿に圧倒されていた。

 

「冗談じゃない……」

 

 今までにない程の恐怖。可能なら、今すぐにでも逃げ出したい衝動。全身から冷や汗が吹き出し、自然と足が震えた。

 それほどまでの脅威だと、彼女の深層からの意識が叫ぶ。死なないからと安心できる相手ではない。死なないからこそ、もっと恐ろしい未来を作り出せるような異形だ。

 異形から無数に伸びる大小さまざまな触手が奇妙に蠢く。幽々子の虚ろな両目が妹紅を捉える。その瞬間、妹紅は障子を叩き付ける様に閉めた。そのまま振り返り、半ば倒れる様に縁側から飛び降りる。

 

 それでも、一瞬遅かった。背後で障子を突き破る音がしたと思った瞬間、一瞬の衝撃と共に背骨が異音を上げる。触手で殴打されたことは直ぐに分ったが、吹き飛ばされて受け身も取れずに地面に叩き付けられる。

 

「ち、くしょう……」

 

 軋む体に鞭を打ち、何とか上体を起こす。メキメキと縁側や天井を破壊しながら館の外に出てきた異形は直ぐに妹紅を見付けた。

 異形の上で、幽々子の口角が吊り上がる。

 

「が、うぐぁ……!?」

 

 その直後、心臓を鷲掴みにされた様な尋常でない痛みと息苦しさが妹紅を襲った。思わず胸を押さえ、足をバタバタと動かしてのたうち回る妹紅へと異形は更に近付く。

 

(な、んだよこれ……何が起こった……!?)

 

 そんな状況でも必死に頭を巡らし、事実を飲み込もうとする。

 ただ、遅かった。

 

 無数の触手の、圧倒的な乱打が妹紅を襲う。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章三話 不老不死の現

 ぐちゃ。

 粘質な音がした。ゆっくりと上げられた触手にはべっとりと鮮血がこびり付く。言葉を発さない異形は真っ赤に染まった妹紅を見下ろしていた。

 その乱打を妹紅が防ぐ術など無く、ただただ殴られ続けた。

 

「あ、ぎゅ……ぐぁ……」

 

 声にもならない様な呻き声が肉塊同然の少女から漏れる。時折ピクンと動くのは何かしらの意思によるものか、それともただの痙攣か。そんな妹紅に異形は情けを掛けることもせず、いつでもその体を叩き潰すことができる様に見下ろしていた。 

 

「がっ、く……」

 

 そんな妹紅が僅かに腕を上げた。天に向けるには程遠く、唯ほんの少しだけ動いた程度。

 

 その瞬間、また触手が振り下ろされた。ぐちゃ、ばきっ、と異音が響いた。

 また新たな鮮血が飛び散り、妹紅の腕が力無く地面に落ちる。

 

「……は、はは」

 

 その直後だった。呻き声を上げるだけだった妹紅が突然声を上げたのは。

 

「くふっ……ダメだ、笑ったらダメだ……いや、どうにも堪えられない。くっ、ふふ……」

 

 今までのことが全て演技だと言わんばかりに妹紅は起き上がる。また新たに振り下ろされた触手を両手で受け止め、血に塗れた顔で不敵に笑う。

 

「何をしたかは知らないけれど、アンタの最大の脅威は心臓への直接攻撃。単純な物理攻撃ならあのバカの方がよっぽど怖いね」

 

 ゆったりと立ち上がる。全身からバキバキと異音を上げ、狂った様な瞳を光らせる。

 

 ボンッ!! と彼女の背中から火が噴き出し、それが一対の翼のような形をとる。

 その体はどれだけ傷付いているのか。骨はもう全身至る所が折れていてもおかしくない。それなのに、妹紅はそれを全て無視して立ち上がって笑っている。それはまるで化け物か何かの様で、とても人だとは思えない。

 

「ちょっと油断したけれど……これからが本番よ!!」

 

 爆音。音が響いたその瞬間には妹紅と異形が肉薄していた。

 その触手では上手く攻撃できない異形の懐。その絶対の距離から妹紅は炎を纏わせた足を一気に突き出した。異形にそれを防ぐ手段は無い。

 

 その白い体躯がバキバキと悲鳴を上げる。妹紅の足に衝撃が走り、更にその着弾点から巨大な火柱が噴き上がる。

 不死『凱風快晴飛翔蹴』

 異形の巨大な体躯を包み込んだ火柱はその触手さえもいくつか焼き焦がし、耐え難い灼熱に異形は暴れて悶え苦しんだ。

 

「……ここまでやってもこれだけ動くあたり、相当な化け物だよね」

 

 囂々(ごうごう)と燃える炎の中、異形の上の幽々子は妹紅を直視している。萌えている様子はまるでなく、それどころか狙いを定めている様なそんな印象さえ受けてしまう。そのあまりにも異常な光景は妹紅の顔を引き攣らせるには十分で、そして次の行動への反応を遅らせることも容易だった。

 

「ぐ、ごぁ!?」

 

 再び襲ってきた、心臓を握り潰される感覚。言葉にすらならない苦しみに悶え、膝を着いた妹紅を目掛け、異形は炎の中から飛び上がってきた。

 

 しまった。

 そう思った時にはもう遅い。

 妹紅の上に圧倒的な重みが情け容赦なく落下してくる。それが先の触手の乱打以上に妹紅の体をズタズタに壊してしまうのは想像するまでもない。

 

 

 轟音が冥界に轟いた。

 

 絶叫は、聞こえてすら来なかった。

 

 ぐちゅ、ゴキッ、と何かを潰す様な音が後に続いて響いてくる。その体躯の下の惨劇を望んでみようと思う者はまず居ないだろう。未だその体の一部が燃えている異形が体を退かした時、そこには血塗れになり両足すらも変な方向に曲がってしまった妹紅が両目を見開いて倒れていた。

 

(ゆ、だん、した……)

 

 それでも死ねないのは、寧ろとても残酷なこと。全身を貫く限度を超えた激痛は時間と共に妹紅を追い込んでいく。多すぎる出血は思考力すらも阻害し、本能的に逃げようともほとんど動かない手で体を引き摺って逃げる以外の選択肢が無かった。

 そして、折れてしまったその足に異形は細い触手を絡めた。そこからまた更に一本、そして一本と妹紅の体を絡め取り、ゆっくりと引き込む。それから何をされるのか、考えるだけでもおぞましい未来に妹紅は心の底から恐怖した。

 

「い、いやだ……!!」

 

 今までの人生を生き地獄だなんて思っていたけれど、今この瞬間だけはその全てが生温いものに思える。踏ん張るだけの腕力も残っていない。感触が気持ち悪いとか、そんなごく普通なことはもう浮かんですら来なくなってしまった。

 

「だ、れか……助け、て……」

 

 けれど、冥界には今、妹紅と異形しか居ない。たかだか実体のない幽霊には何とかできる相手でもない。その目元に涙さえ浮かべ、必死に助けを求めても届く相手など居ない。

 

 理解したくないそんな現実が、じわじわと頭の中に入り込んできた。

 

「あ、あぁ……」

 

 死なないことは負けないこと。千年近く生きてきたからこその傲慢が、今ここで牙をむいてきた。

 全て終わりだ。ここからが、きっと本当の生き地獄だ。

 真面に何も考えられない頭がそう悟った。

 

 刹那、目の前の空間に奇妙な筋が走り、桜色の服を着た何者かが現れるまでは。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章四話 ある時の直前

 少し前、妹紅を冥界へと送った紫は永遠亭に戻っていた。庭の端の上から見下ろす水面は怪しく揺れる。境界を操ることができようと、生命に平等な死を与える幽々子の能力の前に成す術などない。自分が今最大の貢献をするのなら、こうして安全な所で次の算段を立てること。幽々子と紫の二人を打ち負かしたあの敵はもう、動き出しているのかもしれないのだから。それは寧ろ遅い位の行動なのだ。

 

「……全く持って無力ね」

 

 紫は珍しく唇を噛み締めた。誰よりも幻想郷を愛していようと、それは何かができる理由としては足りないことが現実。いつもの様に扇子を開くことさえ、今の彼女はしなかった。

 

「月の民でさえ出し抜いた貴方の様な者がそこまで苦しんでいようとは、今回の異変はそれほど重大なものなのね」

「……八意永琳」

「ならば私共もまた無視はできない。何より、優曇華はもう関わっているようだけれど。その上で八雲紫、貴方は今何に対して頭を抱えているのかしら?」

 

 そんな紫の隣に並んだのは八意永琳。この幻想郷でも最高峰の英知を誇る彼女は腕を組んだまま、同じ水面を見下ろす。

 その永琳の質問に答えることを、初め紫は躊躇った。永琳は元々月の民で、紫は彼女のことを信頼している訳ではないからだ。実際はもう月と疎遠であろうと、弱みを晒すことがまるで劣っていることを示してしまう様で、それが彼女の自尊心を傷付ける。

 

 けれど、分かっていた。未来と天秤に掛けて釣り合う程彼女の自尊心は尊大ではない。寧ろ幻想郷の為ならば、その身を幾らでも捧げようと誓う身、その為に今躊躇う意味などありはしない。

 そして、紫は重く口を開く。

 

「冥界に今、暴走状態の幽々子が居るわ。境界を閉ざして冥界に閉じこめているけれど、それがいつまでも通じる手段なのか私は分からない。そして今そこでは、きっと妹紅が幽々子と戦っている」

「それだけ?」

 

 紫の答えに永琳は更に問う。

 それは、それだけのことで悩んでいるのかと半ば見下す様な問いではない。もっと重大な、それこそこうして永遠亭にいることの安全性を脅かしかねない悩みがあるのか、永琳はそれを聞いたのだ。紫はその意を察し、再び深刻な表情で口を開く。

 

「……仮に戦っているとして、妹紅に勝ち目があるのかはわかりません。そして、私と幽々子の二人を同時に撃破した、更なる化け物まで居た冥界。仮に二対一ならば負けは濃厚。そして、その化け物がもし境界を越えられるのならば」

「幻想郷にそいつが居る可能性がある、と」

「可能性故に断言はできませんけど。それに、今この幻想郷を襲う暴走化した妖の話も知っているでしょう。現在前線にて戦う者達とこれから動き出すであろう宗教家達とその他。戦力としては十分ですが、果してそいつが幻想郷に現れたらどうなるか……恐らく、対抗できるのは霊夢しかいません」

「断言するのね。その根拠は?」

「彼奴は今浅茅撫子や酸漿棗と違って、空間それ自体を此方とは違う、彼女自身の世界へと変質される力を持つ。そこでは今私達が縛られている数多の法則は通用せず、そして全く異なる法則に埋め尽くされている。取り込まれてしまえば最後、抵抗すること等無理なのです」

「……なるほど。だから、その法則にすら縛られない可能性がある霊夢でなければ」

「そう、太刀打ちできない」

 

 永琳は眉を(ひそ)めた。あの聡明な紫でさえその手段しか太刀打ちできないと断言する、嘗てない程の強大な敵。看病をしていたとは言え何も知らないままでいた永琳はその事実に自身を恨む。

 

「幽々子の方は置いておいて、そのもう片方が幻想郷の何処に現れるかどうかの目処は?」

「まるで分からないわ。ただ、既に荒廃した紅魔館周辺。陥落した妖怪の山にはその可能性は低い」

「となると、この永遠亭も被害に遭わないって訳ではなさそうね」

「えぇ。空間内に患者をも引き込まれてしまったら、患者を庇いながら戦う必要まで生まれる。貴方と雖も全てを守り切るのは殆ど不可能だと思って良いわ」

 

 永琳の実力を紫はある程度推測できている。彼女の本気を見たことはないけれど、あの理不尽の前にはどれだけ力があろうと無意味。不可能と言われたとうの永琳もまた、それを理解した。

 橋の上を暗い雰囲気が満たす。霊夢が今何処に居るのか、安易に確かめようと動き出せばそれだけで重大なリスクの生まれるこの現状、願うことはこの永遠亭に来ないことばかりだった。

 

 そんな時、ふと庭に面した障子が開いた。自然と二人の注目はそこに移る。顔を出したのは、美しく長い黒髪に桜色の服を着たこの永遠亭の主、蓬莱山輝夜。彼女は辺りを見回し、そして永琳を見付けると頬を緩めて手を振った。

 

「おや、姫。どうなさいましたか?」

「慧音が妹紅は居るかって。少しばかり話がしたいそうよ。何処に居るか知ってる?」

 

 何も知らなければ、分からないと平和に答えられたのだろうか。答えに困った永琳を見て、輝夜は怪訝な顔をした。

 

「ここには居ないのかしら?」

「そう、ですね。何処に居るとも言えませんが……」

「場所は分かるの?」

「……分かると言ったら姫はいかがいたしますか」

「呼び戻しに行く」

「なりません」

 

 怒気を孕んだ様な強い声で永琳は言った。キョトンとする輝夜を見詰め、永琳は口を一文字に紡ぐ。何があっても輝夜を危険な目に遭わせたくはない。そんな永琳の意思とは裏腹に、紫は顎に手を当てて考える様な素振りを見せた。

 

「八雲紫……?」

「……妹紅の居場所を教えるのもまた一つの手かもしれないわよ。だって、輝夜もまた、妹紅と同じ蓬莱人なのでしょう?」

「戦わせるつもり?」

「普段から殺し合っている二人なら、もしかしたら息が合うことも望めるのではなくて? それが私の世迷言であろうとも、確実に一人より二人の方があの場では戦えるに違いない」

「……どうかしたの?」

「いえ、なんでもありません。お気になさらず」

 

 永琳は歯噛みした。確かにその通りだ。幾ら冥界に隔離された相手であろうと、その境界を突破しないとは言い切ることができない。そうなれば、この幻想の地は市の暴力によって蹂躙されるのだろう。

 

「……姫」

「何かしら?」

 

 苦渋の決断。それを迷う時間は無いと悟った。

 

「戦いにはなるでしょう。それでも妹紅を探しに行きますか?」

「アイツに貸しを作れるのなら、願ったり叶ったりだわ」

「……ならば八雲紫、案内役を頼めるでしょうか」

「よろこんで頼まれますわ。ご武運のお祈りを」

「えぇ。後のことは全て任せます。姫、どうか御無事で」

「当たり前よ」

 

 永琳はそれだけ言うと紫と輝夜を視界から外し、一人室内へと戻っていった。その背後からスッと音がしたのは、恐らく紫がスキマを開いた音だろう。永琳はそのまま慧音の病室へと向かうことにした。

 

 その直ぐ後のことである。

 永遠亭が竜胆芙蓉の襲撃を受けたのは。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章五話 犬猿の仲

「か、ぐや……?」

「あら、だらしない姿ね。私を殺しに来るいつもの威勢は何処に消えたのかしら?」

 

 現れたのは蓬莱山輝夜。助けなんて来るはずがない、そう思い込んでいた妹紅はその登場に一瞬希望を感じたが、しかし直後に首を振る。仮に今輝夜が戦ったところで、深手を負った妹紅を庇いながら戦うのであればもう勝ち目なんて微塵も感じられないのだ。

 

「なんで、来たんだ……」

「理由はまぁ幾つかあるけれど……話は後ね」

 

 ギチギチと異形の体が唸る。それを真っ直ぐに見据えながら、輝夜はその瞳に殺意を籠めた。

 

「言うとしたら、貴方の敵は私ただ一人だということ」

 

 その輝夜を異形が触手で狙うまで時間は無かった。彼女の前面を覆いつくさんとする無数の触手が弾幕の様に打ち出される。

 

 その全てを、輝夜は弾幕で相殺してみせた。

 

「……思っていたよりも軟弱ね」

 

 続いて放たれた槍の様な突きも最低限の動きだけで避けていく。それは避けるというよりも踊っている様な優雅さで、見ている妹紅ですら言葉を失ってしまった。

 けれど、輝夜はその時点で理解した。異形は微塵もその実力を発揮していない。今の乱打は所詮挨拶程度のものだ。だが、勝てない相手ではないのもまたそうだろうと思う。

 

「妹紅!!」

「……うぇ?」

「とっとと立ちなさい。どうせ全身粉々に吹き飛んでも三日で再生する体でしょう? ふて寝する暇があったら文字通り身を粉にしてみなさい」

 

 輝夜は叫び、妹紅を庇う様に弾幕を展開する。スペルカードとして美しさを追求しながら、しかし相手を窮地に追い込むだけの攻撃性を兼ね備えた弾幕は見事に異形の動きを制限し、妹紅が立ち上がるだけの余裕を生みだした。その隙に輝夜は妹紅に駆け寄り、その腕を強引に引っ張る。

 

「さぁ、さっさと片付けて帰るわよ。貴方を待っている人が居るの」

「待っている、人?」

「慧音よ。貴方と話がしたいって。まさかこんな所に居るなんて思わないでしょうに」

 

 輝夜は軽くその肩を叩くと、悪戯な笑みを浮かべて言った。

 

「それとも、私が片付けるのをただ待っているのかしら。それならそれで構わないけれど、優劣はハッキリしてしまうかもねぇ」

「……この」

「悔しければ、行動に示してみることね。こっちだって、何となく貴方が馬鹿やっているだろうなって思ってわざわざやって来たのだから、それ位の意地は見せて欲しいのだけれど。ま、どうせ深窓のお嬢さんだから無理よね」

 

 妹紅の癪に障るように輝夜は言い、そして妹紅は輝夜の狙い通りに精神が逆撫でされる。弾幕の嵐を耐え抜いた異形は怒り狂ったように触手を暴れさせながら二人へと猛進してくる。その最中、妹紅の足から不自然な音が何度も鳴り響いた。何てことの無い、ただ折れていた骨を自力で修復しているだけのことだ。

 

「黙っていればペラペラと……」

 

 そんな異形はすでに妹紅の眼中にはないようで、ボロボロの彼女はフラフラしながらも煮えくり返る様な怒りを顔に表していた。全身を蝕む痛みを堪え、キッと輝夜を睨み付けた妹紅一人で立ち上がり、右手に炎を生みだす。

 

「後から来たくせに図に乗った様な事を言うもんじゃないぞ」

「あら、何か知らないけど一人で行って勝手にピンチになっていたくせに」

「黙れ。諸共焼き焦がすぞ」

「あらやだこわい」

 

 対照的に面白がる様に輝夜は妹紅を横目で見た後、異形を真正面から見据える。

 

「攻撃を与えた量が少なかった方は多かった方に何か奢りね」

「上等だ。里で一番高いもんを要求してやる」

「あら、貴方をお金で買ってもよろしくて?」

 

 輝夜が笑った時、異形が咆哮した。規格外の弾幕を展開した輝夜をより脅威だとみなしたのだろうか、派手に触手を打ち鳴らして大きく跳躍した。

 直後、二人をその心臓を握り潰す様な痛みが襲う。それを予想していた妹紅は輝夜を抱きかかえると異形の巨大な体の下から逃れる為に大きく横に跳んだ。

 

 回避はできた。

 異形が地面に叩き付けられた瞬間、その二人を衝撃が容赦なく叩いた。

 

 受け身を取る余裕もなく、二人は地面を転がっていく。けれど、受けた細かい擦り傷は一瞬で消え、輝夜は髪に付いた砂を適当に払いながら何事も無かったかのように立ち上がった。

 

「……助かったわ」

「あぁ。アレには注意しろよ。どういう訳か、前兆もなくあんなのが襲ってくるんだ」

「それは良いとして質問なのだけど、あのくっ付いているのは冥界の当主である西行寺幽々子で良いのかしら?」

「え? あ、あぁ……」

「ふーん……確か、死を操る能力を持っているのよね。それが変に暴走でもしているのかしら。蓬莱人でさえ苦しめる死の痛み、中々面白いじゃない」

 

 ゆっくりと起き上がった妹紅は輝夜の肩をトンと叩いた。

 

「怖じ気付いた?」

「貴方のその目はいつかの月の様に見掛け倒しであることはわかったわ」

「余裕ね。後で泣いた顔を拝むのが楽しみだわ」

「あらあら。ボロボロにされて素っ裸で帰る貴方を見るのが楽しみでしょうがないわ」

 

 互いに特に意味もなく火花を散らしながら異形と向き合う。深手を負った妹紅と異形の脅威をまだ片鱗しかしらない輝夜。その二人の相性は最悪にして、最高だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章六話 猛威の終末

 口元から血が垂れる。それを妹紅は手の甲で拭った。汗で湿ってきた髪を揺らし、段々と動きが鈍くなってきた異形を見据える。

 向こうの消耗も、輝夜を含めたこちらの消耗も激しい。肩で息をする輝夜を横に見て、妹紅は薄らと笑った。

 

「……まだ、お互い、肩で息をする程度しか消耗していないみたいね」

「あら、妹紅はもうかなり怪我をしているみたいだけど。邪魔だから下がっていて構わないわよ」

「輝夜こそ、だよ。下がったら?」

「生憎、貴方に負けたくないの」

「こっちもだ」

 

 異形がギチギチと蠢く。嫌悪すら感じるその異様な挙動、輝夜は僅かに顔を顰めた。

 

「これ、どうやったら動かなくなるの?」

「あの上の冥界の主を切り離せばよいのではないかしら」

「うわめんどくさい」

「どちらにしても、やるしかないでしょう。どうせ逃げられないし」

「……囮、頼んで良い?」

「こちらの台詞よ」

 

 そんな輝夜の返答を聞かず、妹紅は我先にと異形へと突撃する。どちらが囮よ、と溜め息を吐きながらも輝夜は弾幕を展開する。妹紅と言う脅威を更に上から隠す様な圧倒的火力を、異形へと仕向ける。

 

 異形が大呂の触手を横に薙いだ。それだけで弾幕は霧散し、隠したはずの妹紅が露わになる。その筈だった。

 

 既にその姿は何処にもない。足跡を残し、その影だけが消えている。

 

「こっちだボンクラ!!」

 

 ボンッ!!!! と異形が薙いだ触手の先端が爆発した。炎の翼を携えた妹紅が更に触手を蹴り、一気に幽々子の元へと突進する。

 異形に防ぐ術はない。異形に取り込まれた幽々子が妹紅を睨むが、それがせめてもの行動だった。

 

「焼き切れろ……ッ!!」

 

 幽々子が囚われるその根元に妹紅の蹴りが炸裂した。爆炎が空気を叩き、妹紅自身までもが吹き飛ばされる。けれど、異形の被害は甚大で、悲痛な叫び声を上げてのたうち回った。

 その巨体が跳ねる度、地面が不自然に揺れる。これだけ燃やしてもまだここまで暴れるのかと妹紅は辟易しながらも炎の中を凝視する。幽々子は亡霊であるから、燃え死ぬなんてことはないと思うが、それでも若干心配になった。恐る恐る、近付いてみるがその影はぐったりとしていて動く気配がない。

 

(……流石にやり過ぎたか?)

 

 下からこちらを見上げる輝夜にその場で待つよう促し、改めて幽々子を凝視する。動かないのであれば引っこ抜けるか。そんなことを気軽に思い、また更に近付いた。その時。

 

 ぐじゅ、と幽々子がズレた。

 

「え?」

 

 幽々子を支えていた場所が熱で溶けているのか、ぐったりとした幽々子の体は地面に引っ張られる様に下へ下へと滑り落ちる。マズいと思って幽々子が完全に落下を始める前に妹紅はその下で待ち構えた。しっかり受け止められるようにと見上げ、両手を上に伸ばす。

 

 その手の間から、幽々子と目が合った。

 

「ぐ、ごぁ……!?」

 

 再び、襲ってきたのはあの心臓を握り潰される感覚。思わず両手で心臓を押さえ、浮遊くる力さえ途切れた妹紅の体は地面へと吸い込まれていく。その中途、突然伸びてきた無数の触手が彼女の全身に巻き付き、束縛して一気に締め上げた。

 

「妹紅ッ!?」

 

 輝夜の声に答える余裕もない。胸の辺りからはバキバキと異音が響き、呼吸すらもまともに行えない。手足を動かす等まず無理で、寧ろ骨に過剰な負荷がかかり激痛を生み出す。

 

(だ、だめだ……まったく、う、動け、ない……)

 

 喉の奥底から絞り出される様に血を吐き出した。痛いとか、苦しいとか、そういう感情さえも薄れる程の激痛。どの骨が折れたとか、そんな判断すらままならない。地獄のような苦しみの中、妹紅は出せる限りの大声で絶叫した。

 

「さっさと……離しなさいッ!!」

 

 黒色にも近い意識の最中、そんな叫び声が聞こえた。直後、ふと全身を締め付ける力が消えた。あぁ、触手が何かで切れたんだなと理解したのは、誰かに受け止められた暫く後のこと。

 

「何が待っていろよ。油断の塊なんだから」

 

 そんな優しい声が声の主は、血塗れの妹紅を見てふと微笑んだ。嘲笑には程遠い、子供を慰める母親の様な温かさで。

 蓬莱山輝夜は抱いた妹紅をそっと地面に寝かせる。虫の息の妹紅の手を握り、大丈夫だと諭す。頭上では奇妙な音を上げて触手が再生しているが、完全に再生しきる前に倒せば良いのだから。

 

「ねぇ、妹紅」

「な、に……?」

「ちょっと厳しい現実を叩き付けることになるかもしれないけれど、ごめんなさいね」

 

 碌に動けない妹紅は小さく疑問の声を上げた。

 

 その直後。

 

輝夜は振り返り、異形と向き合う。静かに右手を向け、妹紅にも聞き取れない小さな声で何かを呟いた。

 直後、輝夜が右手から放った光線が、幽々子を辛うじて異形に留めるその根元を容赦なく焼き切った。

 

「え?」

「……もう、貴方と対等では、居られなくなるかもしれないけれどね」

 

 妹紅の目の前で、異形の動きがピタリと止まった。

 その異形の体躯の中心を、輝夜の光線が再度貫く。

 それはあまりにも呆気なくて、同時に終わったという安堵が生まれて。何故かしら、妹紅の目元に涙が浮かんだ。

 

「……全力を出せば、この程度なの」

 

その声は、今までに聞いたどんな声よりも寂しく聞こえた。

 異形がボロボロと崩れていく。最初から、妹紅なんて要らなかったかのように。

 崩れていく。

 崩れてしまう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章終話 長所

 輝夜は妹紅の方を向けなかった。その背中に、彼女の視線を感じながらも、振り向くことができなかった。

 殺し合いに感じていた喜びの日々。それを、自ら壊してしまったという虚無感。互いに罵倒し、殴って蹴って、爆散させて笑いあった。そんなあの瞬間はもう、今見せてしまった本気の自分が壊してしまったのだ。

 

 もう異形の姿は跡形もない。起き上がらない幽々子の姿が有るだけ。輝夜はただ、呆然と空を見上げた。

 

「……強かったんだな、そんなに」

「……地上へ降りて何百年生きようと、月の民の姫であったことに変わりはないもの」

「そっかぁ。結局月は、何年経とうと見上げるものなのね」

 

 聞こえてきたのは、妹紅の穏やかな声。思わず振り返った輝夜の目に入ったのは、何とか立ち上がった妹紅の姿。蓬莱人とは言えその驚異的な回復力に驚くと同時、妹紅が笑みを浮かべていることに言葉が出なかった。

 どうして、笑ってくれるのか。今まで散々手加減してきた、下に見ていた、そう思われても仕方ないのに。いつだって、殺し合いをする時の妹紅は全力で、とても輝夜は対等でなかったというのに。

 

「それでも良いさ」

「良いって……私は、貴方に……!!」

「その、無駄に感じる罪悪感。もう十分穢れているんじゃないか?」

 

 揶揄う様な笑み。まだ力が入りきらないのか、一歩踏み出す度によろけてしまう。

 だけど、笑みだけは崩さなかった。子供の様に、笑っていた。

 

「私は、お前が本気だろうがなんだろうが、全力でぶつかれることが嬉しかった。お前が底力を隠していようが何だろうが、それは紛れもない事実だ。今更底力を知ったところで、どうにも思わんさ」

「妹紅……」

「……私はまだ、お前には遠く及ばない。だからと言って、それがお前にぶつからない理由にはならないよ」

 

 ぽすん。

 ふらふらと歩いた妹紅は、そのまま輝夜の胸に顔を埋めた。

 

「理由にして……たまるか……!!」

 

 漏れてきた嗚咽。そうだ、分かっていた筈だ。

 妹紅は、輝夜の前では意地でも弱音を吐かないのだということは。

 

「……ごめんなさい」

「謝るなよ……」

「……ごめん、なさい」

 

 馬鹿だと、浅はかだと言われようと、輝夜は妹紅を抱きしめることしか出来なかった。

 これから先、妹紅との殺し合いで自分はどうするのが正解なのか。深く、隠していた事実を表した今、輝夜は嘗てない暗雲の中に居た。

 これからもよろしくと言えば良いのだろうか。それを、自分が言うべきなのか。

 先の見えない、左右も前後も分からない暗雲。その中で、道しるべの様に聞こえてきたのは、聞き慣れない声だった。

 

「うぅ……頭が痛いわ。随分酷使されたのかしら」

 

 見ると、頭を押さえながら立ち上がる幽々子。周囲をざっと見渡したのち、輝夜と妹紅をみて「あらあら」と頬を緩めた。それは、何処か慈愛に溢れた微笑み。見ているだけで、優しく包まれそうな気がした。

 ゆっくり、近付いてくる。妹紅はそんな幽々子にすら気付かず、ただずっと輝夜の胸で泣くばかり。どうすることもできない輝夜は幽々子に顔を向けるだけで、幽々子もまた近付く以上に何かすることはなかった。

 

 どれだけの時間が経っただろうか。嗚咽も気が付けば聞こえてこない。それでも尚妹紅が顔を押し付けて隠すのは、照れ隠しか何かだろうか。幽々子が再び「あらあら」と微笑み、二人の肩にポンと手を置いた。

 

「二人共、助かったわ。ありがとう」

「……私は、礼を言われることはしていない」

「あらあら。拗ねているのかしら? 誰に言われずとも、貴方の功績は当事者である私が一番理解しているのよ?」

「……だけど結局」

「自分は最後、傍観者だったと言いたいのかしら? まぁ、私は貴方達を傍観していただけだから、深いことまでは知らないのだけど。だったら介入するなって話よねぇ」

 

 クスクスと口元に手を当てて幽々子は笑う。

 

「まぁ、それでも良いじゃない。誰よりも命を懸けた貴方を誇らぬ者が居るのなら、私はその者を愚かと笑いましょう。他でもない、貴方であっても」

「そう思っているのは、輝夜姫、貴方も同じでしょう?」

 

 妹紅はハッと顔を上げた。そんな妹紅の目を見て、頷いた。

 褒めても何にもならないことは分かっている。ここが良かったと言おうと、何の解決にはならない。だから輝夜はそれ以上何も言わなかった。

 だけど、輝夜には分かる。幾ら蓬莱人と雖も、誰も助けに来ないかもしれない場所で命を懸けることの恐ろしさを。遊びとは程遠い、本当の死を間近に感じることの恐怖を。

 

「……勇者であった、貴方が居なければきっと今この結末にはなっていない。貴方が命を懸けたから、だから輝夜姫も全力を出したのでしょうから」

 

 輝夜は頷いた。それだけで妹紅には伝わった。

 腐れ縁の悪友だから、殴り合い罵倒する仲だから、終わる訳にはいかなかった。

 

「……そう、か」

 

 今まで全力でぶつかり合ったことはなかった。そうなのだと今知った。

 だけど妹紅はもう、そんなことを気にしようとは思わない。長所を妬んでも自分は伸びないのだから。

 

 そうだ、今は何よりも、二人の力で勝てたのだ。

 そのことを喜ばないで、一体何を思えば良いのか。

 

 妹紅は、輝夜と目を合わせ、今度こそ心の底からの笑顔を見せた。

 




これにてこの章は終わりとなります
想定では後三章
最後まで頑張りますので、これからもよろしくお願いします!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章 救い無き者
第九章一話 桜色の仙人


「……紫は永遠亭に居ると聞いた。だけど、本当に居るのかしら?」

 

 桜色の仙人、茨木華扇は竿打(かんだ)という名の大鷲の上で呟いた。雲が近い上空は、どうにも湿気て気持ち悪い。

 遡れば昨晩のこと、突然やってきた狐が忙しなく飛び回るので何事かと聞いてみれば、紅魔館も人里も、妖怪の山も冥界の白玉楼も、その全てが襲撃に合って崩壊、及び占拠されている、とのこと。揶揄っているのかしらとも思ったが、念のため博麗神社を訪れてみると、なんと誰も居なかった。そこで段々現実を理解し始めた所で、再びひょこっと現れた狐に紫の場所を教えられた。

 全て仕組まれた様な、そんな気さえした。ごく普通に現状を知り、そのまま紫の元へと訪れる様に、そう仕組まれている様な。

 

 分かっている。少なくとも紫は犯人ではない。その目星がついているのかはまだ教えられていないけれど、紫のことだ。自身の場所を知らせてきたということは、何かしらの情報を開示する予定なのだろう。

 

「……最悪、私が退治しろとかそういうことかしら。普通に考えるとこの手の出来事の管轄は霊夢でしょうから、私に自分の場所を知らせる意味は無い」

 

 野を越え、竹林の上を翔る。地上に居れば道も分らぬ竹林も、空から見下ろせば迷うことはない。向こうに永遠亭らしき建物を見付けた華扇は、竿打に少しずつ高度を下げるように指示を出した。

 

 やがて着いたのは永遠亭の上。竿打に旋回させて庭の様子をざっと見たが、今は誰も庭に居ない様だ。これなら誤って頭上に着地することもないだろう。そう思い、竿打をそっと撫でてから飛び降りた。

 ダンッ。少々大きな着地音。誰も出て来ないのは、そこまで響かなかったからだろうか。腕を組み、入口を探す。カツカツと足音だけが庭に響いていた。

 

 

 

 

「……あぁ、ここが入口ね」

 

 暫く歩いて、漸く見つけた入口。鍵は掛かっておらず、華扇は恐る恐る戸を開けた。

 しかし、誰かが出迎えてくれた訳ではない。誰も居ない、長い廊下がそこには有った。ただその遠く、微かにだが部屋から漏れる光が見える。誰か居るのだろうか。華扇はお邪魔しますと挨拶をしてから靴を脱ぎ、駆け足でその光へと近付く。

 段々と、その向こうの話し声が大きく聞こえてきた。聞き覚えのあるその声は紫のものだろうか。ヒタヒタと足音を立て、近付いた部屋の光が漏れる隙間から、ばれないように中の様子を窺う。そこに居たのは紫と、そして八意永琳。何故かしら紅魔館当主レミリアとその妹フランドールが居た。

 

「……そこに居るのは華扇かしら?」

「えっ」

「当たりね。入ってきなさい」

 

 紫の妙に静かな声が響く。同時、一斉に他の四名の視線が集まり、華扇はゆっくりと戸を大きく開けて中に入る。

 そして目に入った。死角に寝かされていた数人が。

 

「これ、は?」

「つい先程、この永遠亭も襲撃を受けた。幸い牽制程度で被害は殆ど無かったけれど、本気で攻められていたら、負傷者もどうにもならなかったでしょうね。言いたくないけれど、その場に居合わせなかったことを良かったとさえ思っているわ」

 

 悔しさを滲ませ、紫が言った。

 襲撃。その意味を華扇は未だに上手く呑み込めない。けれど、紫が浮かべるその表情が全てを物語っている。そしてそれは、ひたすらに華扇の不安感を煽るばかり。

 

「でも、貴方……八意永琳と、そして吸血鬼の姉妹も居たのだから」

「控えめに言って、あれを倒すのは私達には無理よ。前提としてこちらの世界の力学を無視するもの。打撃も射撃もあったものではないわ」

「こっちの世界の住人ではないのかしら。前提としてその意味も分からないけど、フランがその『目』を破壊できなかったのよ。悔しいけど、私も何もできなかった。まして、夜ではないもの」

 

 永琳とレミリアも忌々し気に言った。フランドールも黙って頷き、枕をギュッと抱き締めた。誰も皆、強者なのに。それが皆、負けて諦めすら見せていることが華扇にはあまりにも衝撃的だった。

 そして思ってしまうのは、今ここに自分が居て、一体何ができるのかと言うこと。戦えと言われても、勝機なんて無いことはもう、言われなくても分かる話なのだから。

 

「……だけど、霊夢ならきっと勝てるのよ」

「霊夢、なら……?」

「そう。霊夢なら、彼女に苦戦することはないでしょう」

 

 紫はそう言った。

 

「彼女はこの世界の何事にも縛られない。ただルールの中に甘んじているだけ。もしかしたら、かの芙蓉の世界ですら彼女を縛ることはできないと思うのよ」

「なるほど……して、霊夢は何処に?」

「さぁ、探せば直ぐに見付かるでしょうね」

「……芙蓉は?」

「人里へ向かったわ」

 

 割り込む様にそう言ったのは永琳。腕を組み、部屋の中に一つだけ有る窓から外を見て言った。

 

「今人里には、少なくとも妖夢と美鈴、そして内の優曇華が居る。彼女は言ったわ。先ずはアイツ等から潰すと」

「無論、それを成し遂げる為に十分な力が有ることを、私達に見せつけた上でね」

「まぁ、厄介なことよ。ただでさえ件の撫子や棗を倒せたのか分からないし。仮にまだだとしたら、考えたくも無いわね」

 

 永琳に続いてレミリアも口を開く。それは、ただ華扇の不安を助長させるばかり。華扇は何かが胸の奥にスッと逃げていくのを自覚した。

 このままでは最低三人が襲撃を受ける。それはあまりにも致命的。対面したことのない華扇はその得体の知れない脅威に恐れを覚える。

 

「……急いで、霊夢を見付けないとね。それで、倒してもらわないと。こんな時位、こき使っても許されるわよね」

「それは私が引き受けるわ。それで、華扇」

「何……?」

 

 紫は恐る恐ると言った様子で華扇に聞く。

 今何よりも、承諾を得られないであろう頼み事を。

 

「貴方には、時間稼ぎをしてもらいたいの。勝てとは言っていない。ただ、私が霊夢を見付け、人里へ向かわせるその間を、繋いでほしい」

「妖夢達三人はもう……」

「……こうなってしまった以上、最初から捨て駒よ。死なないことを、祈るばかり」

 

 その場の全員が顔を伏せた。最初から分かっていたことなのだ。それを言葉にして、受け止めたことが何よりも厳しいだけで。

 そして、華扇はいつになく足が震えている。嫌な汗が滲み出る。逃げたい、怖い。最初から勝ち目のない、一方的に遊ばれるだけであろう相手に立ち塞がれなんて、こんな突然言われて決意が固まる訳がないのに。

 

「ゆ、紫……」

「……思っている通りよ。残酷だけれど」

「私も、捨て駒の、一人なのね……」

「……弁解の余地があるのなら、最初はそのつもりは無かったけど、事情が変わったの。同時に、今ここには上白沢慧音と、十六夜咲夜という怪我人が寝ている。誰かが警護に付かないと、こちらは抵抗もできないのだから」

「……この昼間に、吸血鬼姉妹が出る訳にもいかず、医者である永琳もまた、出る訳にもいかない」

 

 重圧。理不尽な期待。

 華扇に突如圧し掛かった、途方も無く多大な責任。

 

 怖い。怖い。怖い。

 

 だけど、それでも、華扇にはもう。

 それ以外の道が、無い。

 

 そうだ、霊夢が私よりも早く着いてくれたら。

 そう、少しでも楽観的に考えなければ、押し潰れてしまう。

 

 視界の端、フランドールが何か言おうとしたけれど、それ以上誰かが口を開くことは無かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章二話 休息の中

 棗が消えてからそれなりの時間が過ぎた。天狗の姿はもう何処にもなく、通りには人影がぽつりぽつりと戻って来る。とは言え、それも殆どが物好きばかり。まだ何かあるのではないかと疑う里の人達はまだ、閉めた戸を開ける素振りも無い。

 それは、美鈴達にとっては好都合だった。通りの隅、日陰を見付けて彼女等四人は休んでいる。正確には六人だが、幽香とメディスンは休むというより眠っている。

 

「……納得できないわ」

 

 井戸に腰掛ける天子は腕を組んだまま不服そうな顔で美鈴を見た。美鈴は苦笑いをするだけ。天子はふんと息を吐くと、髪を払ってそっぽを向いてしまう。

 

「今何を言おうと棗は戻って来ませんよ、総領娘様」

「分かっているわよ……勝ち逃げされたのが納得いかないわ」

「ほう、噂ではお前さんは自分を負かす程強い者と戦いたがると聞いたが、違うのか」

「……まぁ、うん」

 

 キセルを吸うマミゾウが揶揄い、天子はムッと頬を膨らませた。その隣、美鈴は自分の服に付いた少女の血を見て、虚しさを覚えた。触れてみようと、その華奢な体の感覚が戻って来る訳ではない。たった一度、戦場で会い見えただけの相手に、嘗てここまで名残惜しんだことがあっただろうか。

 

「……どうして、あんな道を選んでしまったのでしょうか」

「棗のことかの?」

「はい。どうにも、分からないんです。わざわざ虐げられる道に進まずとも、残された時間を……もっと、真っ当に」

「あれが、彼女なり……いえ、彼女達なりに進んだ真っ当な道だったのでしょう」

 

 答えたのは衣玖だった。

 

「貴方は、真夜中の森の中に連れて行かれ、そこから光も持たずに特定の目的地に行けと言われて、果して辿り着くことはできますか?」

「……無理、ですね」

「……例えが少々分かり辛ければ申し訳ありません。ですが、何となく分かっていただけたでしょうか。光も道も用意された我々と、その両方を与えられなかった彼女等の違いを」

「……最初から希望なんて、無かったのですね」

「そういうことです。けれど、まだ子供。せめて最期だけは、甘えてみたかったのかもしれませんね」

 

 それも、真実かなんてわからない。もう居なくなった誰かのことを言った所で、確かめる術なんて限られている。それを実行できる誰かがここに居る訳でもない。

 全て推測。そうだったかもしれない、その話。

 もしかしたらで語るしかない、虚しい瞬間。

 風が、吹き抜けた。

 

「……何でも良いわよ。勝ち逃げしたのは納得いかない」

「お前さんも大概子供よのぅ。天人なんじゃから成長せんかね」

「うるさい」

 

 その天子の子供っぽさに少しの懐かしさを覚えて、美鈴は頬を緩めた。相変わらず天子はご機嫌斜め。衣玖もマミゾウも、そんな天子を面白がっている。それは、仄かに暖かい空間だった。

 

 そう。空間『だった』。

 

「やぁやぁ、随分と気を緩めているじゃないかぁ。まさか、もう脅威が全て去ったなんて思い込んでいる訳じゃないだろう?」

 

 妙に間延びした、甘ったるい声。それが、風の音さえ遮って響いた。

 

 カツン、カツン。ゆっくりと近付いてくる何者かの足音。不自然な程、その音が大きく聞こえる。そして、その音が聞こえる度に、何かの感覚が明確に歪んでいく。得体の知れない感覚へと、歪んでいっている。

 美鈴は拳を握り、天子は緋想の剣を持って立ち上がった。衣玖はただ音のする方を睨み、マミゾウはキセルの火を落として踏み消し、袖の中に仕舞う。一瞬で場の空気は冷たさを帯びた。

 

「撫子と棗を倒してエンディングを向かえたのは褒めてあげよぉ。だけど、実はまだ黒幕が居ましたなんて、何てことの無い展開だろう?」

「……よくわかんないけど、気に入らないわね」

「いいねいいね。そうだよぉ、倒すべき敵はまだ居るさぁ。それは今までとは比にならない強大さ。理不尽と絶望の体現。空間から物と力を操る、正真正銘のラストボス。ゲームで言うと、ここから盛り上がる輩も居る位だよねぇ」

 

 そして、気が付いたら、少し先に少女が居た。灰色の長髪を揺らす長身の少女が、ニタニタと笑いながら立っていた。

 

「……あれ? 通りの、人々は……?」

 

 その時、美鈴は思わず呟いた。釣られてマミゾウが周囲を確認する。

 

 何故かしら、通りには人が居ない。

 いや、通りだけではない。建物の中からも、人の気配を感じられないのだ。

 

「厄介じゃな」

 

 マミゾウは苦笑いを浮かべた。僅かにだが天子も不快を表し、衣玖もまた溜め息を吐く。

 

「大丈夫大丈夫。ここでどれだけ暴れても、元の世界にゃ影響ないよぉ」

「空間から物と力を操る、ですか。寧ろ物と力を操る為の空間を自ら生成した様に思えますね」

「まぁまぁ、そう言うことさぁ。説明もめんどくさいし、さっさとやっちゃおうよ。この竜胆芙蓉がねぇ!!」

 

 芙蓉がその笑みを歪める。美鈴が身構え、天子は剣を構える。

 音が消えた。余計だと排除されたように、消えた。

 仁王立ちのまま芙蓉は右手をゆっくりと上げる。そして丁度頭上へと来た時、パチンと指を鳴らした。

 

 その音はやがて空間全体へと広がり、巻き起こしたのは破壊の嵐。

 弾幕を越えた、無秩序の暴力が解き放たれる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章三話 異界の猛者

 何が起こったのか分からなかった。ただ目の前に壁が生まれた様な錯覚が起こり、気が付けば体が宙に浮いていた。右も左も分らないままに振り回され、そして気が付けば地面に叩き付けられていた。体を貫いた衝撃よりも、何が起こったのかを理解できない。口の中から血と砂を吐き出しながら、美鈴は俯せの状態から顔を上げた。

 

 誰も、居ない。

 

 いや、粉塵の先に見えた。何事も無かったかのように立つ誰かのシルエット。鼻歌でも歌っているのか、現実と釣り合わない旋律が非現実を思わせる。

 間違いない。それは芙蓉のシルエット。

 

「あぁ、何度使っても飽きないねぇ。理不尽に理不尽で叫び声を轟かせる。こんな素晴らしいこともそうそうないんじゃないかなぁ?」

「……何を、したの?」

「世界を荒らしたの。ここは君達の知らない世界。支配者は私さぁ。単純計算の答なんて、君たちが知るもんじゃないのだぁ」

 

 危険を感じ、美鈴は立ち上がる。その目戦の先、一歩一歩ゆっくりと近付いてくる芙蓉。中途半端に後退りするのが精一杯で、その距離は段々と縮まってしまう。緊張から呼吸が荒くなる。

 このまま近付かれるとマズい。そう思いながら、逃げることも立ち向かうこともできない。圧倒的な壁が迫ってきている様な感覚、どうしたところで逃げ場が無い。

 

 粉塵を越え、芙蓉の姿が明らかになる。

 塵一つ付いていない、不自然な姿だ。

 

「さぁ、まだまだお楽しみはこれから。頑張ってよぉ?」

 

 芙蓉は笑った。

 ここはもう、彼女の絶対領域。全てが彼女の掌の上。

 

 せめて抗おう。無いと分かっていても逃げる手段を探さなければ。冷や汗を浮かべる美鈴は腰を落として構える。徒手空拳でどこまで戦えるのか、算段等最初から立っていない。

 

「紅いのッ!! 腰を落としたまま動くんじゃないわよ!!」

 

 何者かが背中を蹴った。それは聞いたことのある声で、いつか既視感のあるこの瞬間。

 

 比那名居天子が美鈴の背中を踏み台に、芙蓉に斬りかかっていた。

 

 先程見た時よりも遥かに傷だらけ。その白い服は血で赤く染まり、青い髪ですら赤く汚れている。

 

「おぉ、まだ動くのかぁ」

 

 しかし、その一撃の結果は単純だった。

 

 芙蓉が腕で受け止めただけ。

 

「……くっそ」

 

 そのまま天子は体を捻り、芙蓉の顔に蹴りを入れる。それも芙蓉は表情を変えずに受け止め、天子の態勢を崩して地面に叩き付けた。天子の悲鳴が聞こえた直後、美鈴へと芙蓉が突撃してきた。

 拳を肘で受ける。けれど芙蓉は痛みを顔に出さない。衝撃を流す様に回転し、肘で美鈴の首筋を狙う。しかし、美鈴はそれを避けて芙蓉の軸足を崩した。

 

 直後、美鈴の背中を強い衝撃が襲う。想定外の一撃は美鈴を倒した。

 

「なに……?」

 

 俯せになりながらも美鈴は直ぐに起き上がる。しかし、更に一発、二発と謎の衝撃が遅い、美鈴は抵抗もできずにゴロゴロと地面を転がされてしまう。

 

(痛い訳じゃないけど……この力は何? 強い訳でも、弱い訳でもない……よく分からないこの力は……)

 

 顔を上げた向こうでは天子がまた芙蓉へと攻撃を仕掛けていた。

 不自然なのだ。

 攻撃を受ける腕も、受けきれずに斬られる体も、すべて傷が入らない。何度斬っても、芙蓉は痛みすら顔に浮かべない。

 

「本当……ゾンビみたいな奴ね……」

「失礼だなぁ。ゾンビと違って無敵なだけさぁ。もしかして、もう限界が近いのかい?」

「……馬鹿にしてくれるわね」

 

 芙蓉から距離を取った天子は口元の血を拭い、剣を構え直す。それを見ても芙蓉は余裕綽綽で、棒立ちの無防備な状態のまま。

 天子は苦笑いを浮かべた。正攻法では勝てない、そう確信したのだ。まだ何か抜け道があるかもしれないが、それを見付けて叩くだけの余裕が天子には無い。

 だから走った。美鈴が吹き飛ばされた方向に、少しでも望みがある方向に。

 

「紅いの!!」

「は、はい!!」

「ちょっと私のこと支えてもらえるかしら」

「支える?」

「アイツを吹っ飛ばす。だから、その反動で私が吹っ飛ぶのを防いでもらえれば良いから」

 

 向こうで芙蓉は天子の後姿を見て笑った。無敵の意味が分かっていないのかと嘲笑しているようだ。

 それでももう、やるしかなかった。天子の意図を組み込んだ美鈴は振り返った彼女の背中を支える。まるで攻撃が効かなかった相手だ。無駄だと思ってももうそれしか打つ手がない。

 

 天子は緋想の剣を水平に持ち、スペルを詠唱した。

 

 全人類の緋想天。

 

 彼女の奥義、その全身全霊の最高火力。スペルカードの遊びの範疇を越えた、正真正銘殺すための一撃。無数の光弾の集合体は爆音を轟かせながら芙蓉へと牙を向く。その反動は凄まじく、放った瞬間に二人の肩から異音が響き、激痛が襲った。

 

 そして、一際大きな音が鳴った。手から伝わる新たな衝撃。不要に直撃したのだろうか。紅い光弾に隠れて分からないが、天子は更に力を加える。

 

 彼女らしくもなく、絶叫した。

 

 紛れもなく、彼女の全て。全身の傷口から血が噴き出し、美鈴にもその体の悲鳴が聞こえる。

 

 それなのに。

 

「おぉおぉ、中々お見事だぁ」

 

 バチンッ!! と、音がした。

 気が付けば、その一撃は霧散していた。

 

「でも残念。撫子や棗には効いたかもしれないけど、私には聞かないんだよぉ」

 

 芙蓉は笑った。

 天子と美鈴も、笑うしかなかった。

 

 無傷。あれだけの攻撃を受けながら、飄々としている。

 

「化け物ね……」

「そうだよぉ。怖い怖い化け物さぁ」

 

 カツン、と芙蓉が一歩踏み出す。

 ただもう、天子に動くだけの力は残っていなかった。

 

「ねぇ、紅いの」

「なん、ですか……?」

「……衣玖に、ごめんって言っておいてもらえるかしら」

 

 そう言った途端、天子は膝から崩れ落ちた。俯せに倒れ、地面に血が滲む。

 それでも天子は、美鈴を見詰めた。

 

「あ、ああ……」

 

 芙蓉が近付いてくる。

 

 どうしようもない恐怖が、絶望が近付いてくる。

 礼を入れる余裕もない。自棄になった様な笑みを浮かべた美鈴は、一目散に逃げ出した。

 

 どうしようもない選択を、無理矢理に正当化しながら。何処かも分からない世界の中、衣玖を探して逃げ出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章四話 この世界は

 どれだけ走っただろうか。何処を曲がったか、何処を直進したか、路地裏に何度入ったか、何度こけたかももう覚えていない。息が続く限り兎に角走り続けた。誰も居ない、気配すらもしない不気味極まりないその逃げ道の果て、警戒しながら歩く衣玖とマミゾウを見付けた。それはもう、藁にも縋るような思いで美鈴は二人へと駆け寄る。

 

「おぉ、無事じゃったか。良かった良かった」

「お二人も、無事で、本当に……本当に……」

「……何か、あった様ですね」

「あ、あぁ……」

「まぁ、先ずは休め。ちょっとでも体力を回復した方がええじゃろう。ここはまだ芙蓉とやらの世界じゃろうて。どうせ戦うことになる」

 

 二人はまず美鈴を道端に誘導して座らせた。全身から噴き出す汗。早く天子のことを伝えなければと思っているのに、声が思う様に出ない。束の間かもしれない安堵に包まれた体は冗談の様に震え、涎までもが溢れてくる。

 衣玖とマミゾウは周囲に何も来ていないか見張り、特に何か声を掛けようとはしなかった。掛けられなかった、の方が正しいかもしれない。

 代わりに衣玖はマミゾウに小さな声で話し掛けた。

 

「あの様子ですと、総領娘様にも何かあったのかもしれません」

「そうでないにしろ、芙蓉とやらに接触したのは間違いないじゃろうて」

「……分かってはいたことですが」

「あぁ。そう易々と相手にできる輩ではなさそうじゃ」

 

 マミゾウは忌々しそうに呟く。

 

「……根本的に、ここは儂らの知らぬ世界。何がどのように脅威なのかはまるで分からん。分かるのはあの芙蓉とか言う奴が明確な脅威と言うだけじゃ」

「では……私達は、彼女よりもこの世界からの脱出を試みる方がより現実的なのでしょうか」

「それもないぞ。どうせこの世界の出口など芙蓉しか知らん。そもそも儂等はこの世界この世界と知った様に言っていながら、本質ではここが元の世界と違うことすら理解出来ておらんからの」

 

 マミゾウは道端の石を拾い上げる。それを衣玖に手渡し、フッと鼻で笑う。受け取った衣玖は手にした瞬間顔を顰めた。それは重い訳でも軽い訳でもなく、今までに持ったこともない質感をしている。それが具体的にどのようなものであるかを説明する材料が頭の中に入っていないのだ。

 

「そういうことじゃ。理解不能だと理解した上で動くしかあるまい。まして、妖怪とは言えここまでの恐怖が植え付けられた。ちょっとではないが不自然じゃ」

「精神に作用する効果もあるのかもしれない、と」

「推測じゃがな」

 

 衣玖は石を投げ捨てたが、その石が音を鳴らすことは無かった。

 マミゾウはチラと美鈴を見る。幾分は落ち着いたようだが、まだ暫くは動けそうにもない。

 

「……大丈夫かえ」

「はい……何とか、落ち着いてきました……」

「そうか。いつ芙蓉とやらが来るかは分からんからの。いつでも動ける様にはしておけ」

 

 手持ち無沙汰なのか、マミゾウは袖からキセルを出して弄ぶ。しかし衣玖から見ても美鈴から見ても、その表情には余裕が無かった。誰かの掌の上で踊らされている状況が、いつでも握り潰されるであろうこの状況が、純粋に彼女等を追い詰める。

 そんな中、美鈴が絞り出すように声を出した。

 

「あの、衣玖さん」

「なんでしょうか?」

「……こんな状況で言うのも、野暮かもしれませんが、天子さんから伝言が」

「……皆まで言わずとも分かっています。どうせ総領娘様のことですから『ごめん』か『よろしく』のどちらかでしょう?」

「……よく、お分かりで」

 

 衣玖は笑った。

 

「長い付き合いですからね。大丈夫です。そう言って行方を眩ませた時、必ず彼女は直ぐに戻って来ましたから」

「……でも」

「私が大丈夫だと言うから大丈夫ですよ。まして、天人なのですから」

 

 衣玖が涙を堪えていたことを、誰も指摘しなかった。

 指摘できなかった、そう言う方が正しいのかもしれない。言ってしまうと天子はもう戻って来ないと認めることの様な気がしてしまうからだ。

 いっそこのまま何事も無く終わってくれるのなら、どれだけ幸せなのだろうか。それが終末ではなく、何事も無く元の世界に戻ることができるのならば、どれだけ望んでいるだろうか。

 

「……この世界でも、私は雷を打ち出せるのでしょうか」

「どうじゃろうか。高望みは止しておく方が賢明じゃとは思うがの」

「そう、ですよね……」

「何か企んでおるのか」

「……どうにも、私は固執してしまう性質があるようです。と言えば、分かっていただけるでしょうか」

 

 だけど、そんなこと来るはずがない。そう分かっているから、もう一度芙蓉と接触するしかない。彼女を倒すことが正解なのかも分からないけれど、少なくとも何もしないよりは良いだろう。

 かと言って動く勇気があるか、そう言われればあるとは言えない。彼女の力は既に見せつけられているのだから。抗ったところでどこまで戦えるかは分からない。

 けれど、衣玖は妙に清々しい顔をしていた。

 しれが何を意味するか、マミゾウは一瞬で悟る。

 

「少し、見回りに行ってきます」

「……それで良いのかのう」

「良し悪しはもうきっと、壊れてしまいました。別れを知らぬ遊女の、最初で最後の涙の雫を、どうか見なかったことにしてください」

「衣玖さん……?」

 

 二、三歩進んで道の中央に出た衣玖は振り返った。

 ふんわりと浮かべた笑み、その頬を雫が伝う。

 

「大丈夫です。お二人が逃げるに足る道は、この私が見付けましょう」

 

 その一言だけを残して、衣玖は曲がり角に消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章五話 喪失から崩壊へと

(この芙蓉ちゃん、今までで一番残酷なことをしちゃうのでは)


 衣玖が何度か曲がり角を曲がった先に、芙蓉は立っていた。誰かの血飛沫を受けて赤の斑点が付いた服を着て、道の中央に立っていた。

 そこに、天子の姿は無い。衣玖は思わず自嘲気味に笑った。ここに至るまで、心の何処かで彼女が居るのではと思っていたからだ。分かっているのに。そんことは有り得ないのだということを。

 

「やぁやぁ、また会ったねぇ」

「生憎道に迷いましてね。まさかもう一度、貴方の顔を拝むことになろうとは」

「嘘が下手だなぁ」

「申し訳ありません。褒められるほど上手な嘘を吐いたことがないものでして」

「それは可哀想だなぁ。私が直々に教えてあげようかぁ?」

 

 衣玖は笑ったまま首を横に振った。

 

「あららぁ」

「褒められるほどの嘘を吐いたことが無いだけですよ」

「……?」

「基本的に、嘘を吐く時はバレなかっただけです。相手は総領娘様でしたからね。騙すのはそう難しいことではございませんでした」

「そっかぁ」

 

 そんなやり取りの中でも、衣玖の心の底からやるせない怒りが込み上げてくる。

 別に天子のことを深く気にかけていた訳ではなかった。ただ目付け役として、彼女のことを見ていただけだった。いつしか交流も増えてきたけれど、彼女の中ではそれ以上の関係ではないものだと思い込んでいた。

 桃を渡された日もあった。丸一日愚痴を聞かされた日もあった。里に行こうと誘われた日、楽しそうに一日のことを話す彼女の姿も見た。

 

 その全てはもう、戻って来ないのだろう。

 また「聞いています」の嘘も吐けず、ただ正直に前しか向くことの出来ない、そんな生きたからくり人形を残して。

 

「まぁ、もうそれもどうでも良い話ですね。ここに来て嘘がどうだと話をするつもりはありませんでしたし」

「だろうねぇ。やるんなら、さっさと始めよぉ」

「言われるまでもなく。感情に任せた負け戦とは、実に虚しいものですね」

 

 バチン!! と衣玖の周囲で電気が爆ぜた。それは次第に大きく、連続していき、衣玖の体は青白い電気に包まれていく。裸眼を焦がす様な暴力的な閃光に芙蓉は思わず目を背けた直後、衣玖は真っ直ぐ芙蓉へと突進した。

 対する芙蓉は逃げも隠れもしない。目を固く閉じたまま口を笑みで歪め、右の拳を握る。それを、躊躇なく衣玖の居る方向へと突き出す。

 

 骨が折れる様な異音が、衣玖の全身から響いた。

 

 直撃したのは衣玖の左胸。狙って打ったかのような一撃が衣玖の肋骨、そして心臓を貫いて鼓動を狂わせる。そのまま加速した芙蓉は後ろへと飛ばされる衣玖に二発三発と殴打を加え、その度に異音が響いて鮮血が衣玖の白い衣に滲む。

 

 殴り飛ばされた衣玖は投げられた小石の様に何度も地面に跳ね返り、くぐもった悲鳴が漏れる。並大抵の人間ならその衝撃だけで死に至ってもおかしくはない。

 けれど、衣玖は、何処まで正常なのかも分からない体を動かした。

 俯せから手を突いて体を起こし、血の塊を吐き出して芙蓉を見据える。

 

「……貴方だけは、許さないと決めたのです」

「ほぇ」

「……例えこの身が朽ちて血袋となり、ただの肉の塊となろうとも、総領娘様の仇を取ると決めた。そこに美醜は関係ない。生き残った時、誰もが私を醜いと罵ろうと、そんなものは関係ない。この手で貴方を……貴方を滅し、灰も残さず消し去ることができるのならば、私はもう何であろうとやり切ってみせる」

 

 地面に擦れた柔肌は血を吹き出す。その血塗れの姿で衣玖は立ち上がった。軸がぶれ、少し斜めになっており、更にはその目にまで血が垂れる。

 それでも、立ち上がった。不死身か何かと思わせるほどに異様な姿で、立っている。芙蓉はその姿に顔を引き攣らせ、無意識の内に一歩下がった。その一歩を、衣玖は二歩詰め寄って帳消しにする。

 

「あぁ、そうです。そうですとも、壊してみせますよ。えぇ、全ては総領娘様の為、失われた私の未来の為に。壊れてしまった以上はもう、私は幾ら壊れようと変わらないのなら、自爆となってでも貴方を壊しましょう。さァ、どうなろうともう、構わないのですから」

 

 衣玖の口元が歪んだ。

 

「……こりゃすごいやぁ。怖いねぇ」

 

 それでも芙蓉の顔には余裕が窺える。寧ろ、心の何処かで楽しんでいる様な、そんな表情だ。

 

「エリカに精神関与の力をこの世界にかけてもらっている御陰かなぁ? 必要以上に恐怖する妖怪にしろ、恨みと憎悪に狂う君にしろ、誰よりも正義感の塊みたいになったあの天人にしろ。これはすっごい効果だねぇ」

 

 ワザとらしく前髪を払い、はぁと息を吐く。

 一歩一歩、ゾンビの様に近付いてくる衣玖を見据えて、芙蓉は指を鳴らした。

 

「いいよ。ボッコボコにしてあげる。事実不確定なままで勝手に希望を捨ててぶっ壊れた愚かな心なんて、正直叩き直した方がマシじゃない?」

 

 今までの話し方とは違う、ハッキリとした声で芙蓉は言った。腰を低く落とし、獣を意識した様な構えを取った。

 

 首筋を、握り潰しやすいように。関節を突き崩しやすいように、そして最小限の力で無力化できるように。計算された動きを頭の中に描き出し、そして衣玖を最短で無力化させる方法を導き出す。

 

「よし、確定」

 

 全ての道筋が組み上がった。

 その計算上、必要時間は一分も無い。

 

 そして、芙蓉はまず衣玖の胸に指を突き込む為に走り出す。

 

 それを見て、衣玖も顔を歪めて笑った。

 

 その、直後のことだった。

 二人のものとは違う、咆哮が轟いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章六話 地獄の果ての少女

 ぐじゅり。

 肉が潰れる様な音がした。

 

 それは衣玖の体ではない。芙蓉の体でもない。

 その間に割り込んだ、一人の少女のもの。

 

 芙蓉の指はその少女の背中の傷口に深く刺さり、抉り広げていた。

 

「……死にたいなら、勝手に死ね」

 

 絞り出すような声で少女は呻く。

 

「殺したいなら勝手に殺せ」

 

 その体は全身血塗れ、真面に立っていること自体が不自然な程なのに。

 それなのに、少女は衣玖を攻撃から守った。

 

「だけど……その分私も、好き勝手に生きてやる」

 

 少女、比那名居天子はスペルも何も使わず、その身一つで衣玖を守った。

 

「……悪いけどその命、散る前に救うことにするわ」

 

 天子は拳を握り、傷口に芙蓉の指が刺さったまま振り返る。傷口が更に広がり、背中の感覚を奪う尋常でない痛み。咆哮でそれを掻き消し、血走った眼は芙蓉の額を見据える。

 

 鈍い音が響く。

 天子の拳は、芙蓉の額を正確に捉えた。

 

 間違いなく、疑いようもなくそれは致命的な一撃。

 その筈なのに。

 

「ざぁんねん」

 

 芙蓉は笑った。

 

「聞かないんだぁ。良い攻撃なのにねぇ」

 

 その額に血が付いただけで、芙蓉には一切効いていない。感触は確実に捉えたものだったのに、芙蓉にはまるで虫が当たった程度の攻撃にしかならなかった。

 天子の顔が恨みがましく歪む。それを見た芙蓉は更に顔を笑みで歪ませ、右手をゆっくりと開いた。

 

「これこそが絶望。光無き世界さぁ。さぁ、理不尽の前に跪くがいい!!」

 

 その右手を天に掲げた直後のこと。

 

 衣玖と天子の立つ場所が不自然に隆起した。

 

「な、に……!?」

 

 現実に理解が追い付くより早く、二人の体は宙に浮く。何とか態勢を整えようとしたその直後、二人は上からの謎の力に叩き落された。あまりにも大きな手で叩き落された様な感覚で、抵抗する間も無く固い地面が迫る。

 そして地面に叩き付けられる瞬間、再び爆発的に隆起した。

 

 落下の勢いと地面に挟まれた体が悲鳴を上げる。受け身を取ることもできずに胸から叩き付けられた天子は呼吸を忘れ、なまじ手を突いた衣玖の腕は動かなくなっていた。

 

 呻き声を上げるのが精一杯。地面を這おうとも腕が思うように動かない。空気を求めて息を吸えば、血塊がそれを阻害する。

 

「予測不能の即死技。回避不能の全体攻撃。ラスボスの後のおまけで出て来る裏ボスの定番でしょ? って言っても、ここにはゲームが無いから分からないかぁ」

「あ、が、あ……」

「撫子と棗はラスボス。エンディング後のお楽しみが私なのだぁ。実はこいつが黒幕でした、実はラスボスはこいつの前兆に過ぎなかったのだぁ。なんて、ストーリーとしてはベッタベタだけど、中々面白いと思わない?」

 

 芙蓉はワザとらしくしゃがみ込み、天子の顔に近付いて言う。けれど、焦点が合ってない天子の目にその姿は写っているのか。

 

「……まぁ、その様子だと暫く動けそうにないねぇ。残念だぁ」

 

 芙蓉は立ち上がった。広がる血の池を見下ろし、何処か寂しそうに首を振った。その意味を問う声は無い。今この瞬間、この場に居るもので意識があるのは芙蓉だけだった。

 

「……虚しい」

 

 ぽつりと呟いた言葉。それは、儚く遠く、消えていった。

 

「まだいっぱい居るんだから、探しに行かないと」

 

 衣玖と天子の二人から目を離し、芙蓉は当ても無く歩き始める。

 どうせこの世界の中、何処かに行けば遭遇するだろうと、適当に思いながら。

 

 

 

 

「行ったみたいですよ」

「そうじゃな。助けに参るかの」

 

 芙蓉の姿が見えなくなった頃、二人の人影が建物の影から顔を覗かせた。

 紅美鈴と二ツ岩マミゾウ。

 こっそり衣玖の後ろを付けていた二人はいそいそと天子と衣玖を抱いて物陰へと身を隠す。惨たらしいその姿に思わず美鈴は目を背けてしまうが、マミゾウは特に構うことなく路地の奥の少し開けた場所へと進んだ。そこでマミゾウは持っていた葉を綺麗な布に化かし、その上に二人を寝かせた。

 

「どう、ですかね?」

「まぁ、人間ではないからのう。これだけ怪我をしていようと死にはせんよ。とは言え、この先一週間は安静にしとらんとならん」

「……」

「一週間で済む。そう考える方が賢明じゃろうて。あの状況に儂等が入り込んでしまえば、儂等が無事では済まんかった。入った方の結果が良くなったのではと言いたいじゃろうが、あの攻撃はもう何人であろうと同時に潰されるだけじゃな」

 

 再び出した葉を包帯に変え、最低限度の応急処置をしながら言う。その隣で美鈴は何も言えずにただその処置を見ていた。

 悔しいけれど、その通り。あの不可視の攻撃を物理特化の美鈴に対処できるかと言われると無理な話なのだ。

 

「何とも残酷な世界じゃな、幻想郷(ここ)は」

「……彼女は、幻想郷の者ではないと思うのですが」

「まぁ、外来人ならなぁ。とは言え、この世界と同じじゃろうて。中にいる間はそのルールに縛られる。結局、ここは弱肉強食の世界なんじゃて」

 

 衣玖の処置を終え、マミゾウは天子を見た。天人の丈夫な体をここまで痛めつけることができるとは、とマミゾウは半ば関心までしてしまう。白かったはずの服はもう、元の色さえ失っている。

 

「美鈴よ」

「何でしょう?」

「聞いておったか? 芙蓉の言葉を」

「聞いていましたが……それが、どうかしたのですか?」

「どうやら、儂等だけではない様じゃな」

 

 ピクッと天子の体が動いた。同時に微かな呻き声を上げ、腕を上げようとする。まだ意識があるのかと驚いたマミゾウはそんな天子の額をそっと撫で、大丈夫だと囁いた。一瞬、ほんの一瞬だけ表情を緩めた天子は再び力無く意識を失ってしまう。

 

「……良くも悪くも、次は儂等以外の誰かの為に、儂等がこうなる番じゃ」

 

 マミゾウは自嘲気味に笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章七話 天狗の目覚め

「うぐぉ」

 

 里を隔てる門の直ぐ近くの木の下、少女は呻き声をあげた。

 

「うぅ、頭が痛い……」

 

 少女、射命丸文は頭を押さえて体を起こす。頭が痛いだけでなく何となく怠い。というか、どうしてこんな場所で寝てしまっていたのかが分からない。そもそも、文はここが何処かもイマイチ把握できなかった。

 

「何処なのよここ……里、の近くで良いのよね?」

 

 取り敢えず目に入った門からそう判断した。木を支えにして立ち上がり、怠い体を元に戻そうと伸びをする。背骨の辺りからボキボキと変な音がしたが気にしない。取り敢えず文花帖と扇を失くしていないことを確認し、寝る前のことを思い出すことにした。

 

「えーっと……どうにも記憶が朧ね。戦っていたような気がするけど……」

 

 ヒントは周囲にあるだろうかと見てみれば、なんと地面が荒れている。落葉、というか折れた枝がそこら中に散らばっているのは自分の風の所為か。兎に角派手にやらかした様な気がする。

 

「では、誰に対してやらかしたのか」

 

 二人だったような、そんな気がする。そう、刀が合った。そうだ、片方は魂魄妖夢だっただろうか。もう片方はまず長い髪が特徴的で、確か関節技を仕掛けてきたような来なかったような。武術に秀でた長髪。

 

「美鈴さん?」

 

 文は首を振ってそれを否定した。髪は紅くなかった筈だし、寧ろ白に近かった気がする。

 白の長髪。

 

「あぁ、鈴仙さん。だよね?」

 

 取り敢えず彼女しか思い浮かばなかったので、そう言うことにしておく。いや、後一人誰か居た様な気がするが、姿は見ていない気がするので今は考えない。

 その二人と何をやらかしたのか。そもそも、それが寝た原因だろうけど、どうしてなのか。

 

「ふむ、意識を奪われた、と考えるのが妥当か。もしくは私が消耗し過ぎて疲れて倒れたか。そのどちらか。倒れた場合は鈴仙さんが居たりするから、何かしら手当をされただろうけどそんな形跡は見当たらない……となると」

 

 意識を奪われた。そう判断する。

 

 では、何故?

 

 暴れ過ぎていたことが原因か。ならばどうして暴れ過ぎていたのか。この説明ができない。

 しかし、暴れたではなく襲ったの方が良いのではないだろうか。彼女等二人を相手取るには幾ら文とて手加減はできない。必然的に、こんな枝が落ちたりする風を起こすのも納得出来る。言葉による説得ができないのなら、身を守る為なら意識を奪うのも手段の内だ。

 

 何故、は消えない。

 何故襲ったのか。

 

「……あー」

 

 何となく先が見えてきた。

 時間が経つにつれて頭もハッキリしてくる。それこそ、意識を失う前のこともいくらか鮮明になってきたのだが、それよりも以前に起こったことを思い出したのだ。

 

 そう。

 棗に敗れ、連れ去られた自分は何処とも知らぬ世界で棗ともまた違う見知らぬ少女の前で目を覚ました。確かパチュリーも一緒だった筈だ。

 そこで、得体の知れない精神攻撃を受けたのだ。

 印象としては、暗い大きな闇が一気に包み込んできたような。そこから先の記憶全体に靄が掛かっているけれど、どうにも普段の自分の意識とは違う、もっと深い場所で動いていたような気がする。それが、歪んだ形に変形されて。

 

「……あぁ、そうね。何となく思い出した」

 

 深きを覚ます精神操作。

 その効果はもう切れているだろうが、しかし思い出した。

 

 同時に込み上げてくる、やり切れない感情。敵の毒牙に掛かり、本来味方であるはずの少女達に襲い掛かった。

 

「……まだまだねぇ」

 

 文は唇を噛み締めた。仮にでももう少し頭が鈍ければ、この事実を思い出すのにもう少し時間が掛かっただろう。その方が楽だと思うのは傲慢か。そこに付け込まれたのだと自嘲して反省する。

 

「まだまだだよぉ、天狗は」

「……その声は」

「元天狗の上司の鬼だよ」

 

 ふと、そんな文の頭上から声が聞こえた。何かと思って上を向くと、そこには瓢箪を片手に持った伊吹萃香が木の上で横になっていた。鬼と一対一は苦手なのだが、この際文は何も言わない。

 

「ま、頭は冷えたかい?」

「元から冷えています。あれは私の意志とは……」

「だろうねぇ。そうだろうよ。天狗はあんな浅はかな奴じゃない。もっと頭を使う策士の筈だ」

 

 萃香は文を試すように言う。けれど、間違いなくその一言は否定的な意味合いではなく、文のことを認めている様な言葉だった。

 萃香は文のことをしっかり理解している。その上で、今こうして話し掛けている。文は萃香の次の言葉を待つ。

 

「起きてもちょっとは思い出せないことがあったっぽいけど。それはまぁ、今は置いておこう。私は力任せの種族だからね、頭を使うには人より少ししか切れないんだ」

「……」

「そんな私から策士に向けて頼みごとがある」

「なんですか?」

「ちょっとマズいことが起きてね。協力して欲しいんだ」

 

 文は目を細めた。

 

「妖夢と鈴仙の奴が異界に連れ去られた、と言うより引き込まれた。お前さんはどうやら異界について知っている様だから……異界へと続く道になって欲しい」

「……いや、無理です」

「いやできる。何、異界とは言えここと完全に切り離すことは無理だろうさ。僅かな歪みがどうせ何処かにあるだろう。そこを探すのを手伝って欲しいんだ。見付かったら私がぶっ壊すから」

 

 協力するには首を縦にしか触れないが、しかしどうやってぶっ壊すのか。

 ともあれ、何かしらお返しをする時が来たようだ。文は苦笑いしながら頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章八話 知らぬ世界

 歪な、それでいて正体不明の大穴が突然開いたと思った直後から意識が少し途絶えた。空中に穴が開く、そんなことはスキマ妖怪がよくしているから見慣れているけれど、それに吸い込まれたことのない二人にとって何が起こったのかを理解するのは少々難しかった。

 

 魂魄妖夢と鈴仙・優曇華院・イナバの二人は人影も何もない静かな世界に立っていた。

 

 そこが元の幻想郷でないことは鈴仙がその波長を読み取って察した。彼女の能力は事物の波長を操ることだが、その能力が何故かこの場に作用しない。今までに感じたことのない波長ばかり。それはまさしく、この場が幻想郷でない証拠となったのだ。その筈なのに、目に映る景色は実際の幻想郷と酷似している。

 どんなに声を出しても、帰って来る返事は無い。人里に入ってみても会話一つ聞こえない。代わりに遠くで何やら戦いのものの様な大きな音が断続的に聞こえた。

 その一角、建物の角から周囲を窺う鈴仙に妖夢が話し掛ける。

 

「……ここは、何処なのでしょうか」

「さぁね……良くない場所だとは分かるのだけど」

「やっぱり、そうですよねぇ」

「何となくだけど、撫子が生み出してたあの白いのに似た匂いを感じるのよね。あくまでも感覚的に、だけど……もう少し彼女の波長を覚えておくべきだったかしら」

 

 鈴仙が悔しそうに言う。

 今二人は何かしらの手掛かりを掴もうとその音がした方へとゆっくり進んでいる。進んでも進んでも人っ子一人見当たらないが、同時に怪しい人物にも会わない。必要以上に用心深く進んでいる所為もあるかもしれないが、やはり不自然であることに変わりない。

 

「……いつでも抜刀できるようにしているわよね?」

「勿論です。何処から来ようと引き抜けますよ」

 

 鈴仙よりも極端に周囲を警戒する妖夢。少しだが肩で息をしているのを鈴仙は見た。基本的に臆病な妖夢だ、今こうして見知らぬ土地で安心もできない状況は精神を擦り減らしてしまうのだろう。少なくとも現状分かっているのはあの音だけなので、その発生源を調べない限りは安心できない。急ぐなら一人で行く方が早いだろうが、妖夢を一人にする訳にはいかなかった。

 

「……ねぇ、妖夢。こんな時に聞く様なことじゃないけど、良いかしら?」

「なんでしょうか?」

「今晩、さ。良かったら美鈴さんも呼んで、三人で外食しない?」

「今晩ですか……」

「そう。紅魔館も白玉楼もめちゃくちゃって話だったじゃない? なら、今日位なら上司の目を盗んだりできるでしょうよ。なに、私は師匠にこってり絞られるだけで済むからさ」

 

 笑って言った鈴仙を見て、妖夢は頬を緩める。こんな時にそんな話を持ち掛けられても反応に少々困るが、日常を思うと僅かに余裕ができた。

 

「……しょうがないですね」

「ふふっ、ありがと。それじゃあ……今は生き残りましょうかね。何もないこの世界を」

 

 コクリと妖夢は頷き、鈴仙は彼女を先導する様に角を出た。何事も無かったことを確認して妖夢は後に続く。そのまま建物に沿って進み、音源へと近付く。

 

「見付けたぁ」

 

 その移動はしかし、そこまで長く続かなかった。

 

「次は君達だよぉ」

 

 灰色の長髪を払い、カツンカツンと足音を立ててゆっくりと近付いてくる長身の少女。

 堂々と、道の中央を歩く少女は笑い、そして踊り子の様な優雅さで両手を広げた。

 

「私は竜胆芙蓉。君達をこの世界に閉じ込めた張本人。故に、今から何をするかはわかるだろぉ?」

「……敵、よね」

「ご名答ぉ!! 私はこの世界を生み出した者。空間から物と力を操る者。圧倒的な理不尽を前に君たちはどう動くのか、見せてもらおうじゃないかぁ!!」

 

 芙蓉がそう叫んだ直後のこと。

 鈴仙と妖夢の目に映ったのは壁の様なものだった。

 建物と挟む様な形で突然生まれた壁。轟音は最早聞き取れず、二人は一瞬何が起こったのか分からずに呆然としてしまった。

 

(地面が、急に盛り上がって……!?)

 

 鈴仙がそう思った時にはもうそれは二人を押し潰さんと迫ってきている。

 

「妖夢、こっち!!」

 

 兎に角躊躇う時間が無い。妖夢の腕を強引に掴んだ鈴仙は壁と建物の間を一気に走り抜ける。動かなければ押し潰されて死ぬのだから、妖夢が痛いというのでさえ聞いている余裕は無かった。

 

 潰される寸前という所で抜け出した二人はそのまま建物脇の路地を奥へと進む。それは追い詰められ、逃げ方すら自分で縛っているのだと自覚しながらも進むしかなかった。

 だが、戦いが継続していることはわかっている。走りながらも反撃の手段を模索し、勝つための算段を立てる。

 

 だが。

 

「……そもそもアイツ何をしてくるのよ」

「何って……?」

「まさか地面を盛り上がらせて壁みたいなもん作るだけで終わったりしないでしょ。それだけだったらあんないかにもなこと言わないし」

 

 撫子はまだ対処できた。パターンが一つだったからだ。

 仮に芙蓉も地面を操るだけならば対処できるかもしれない。けれど、空間から操るなんて言っていた以上、その筈がない。

 では、何をしてくる?

 それを考える為のデータが足りないのだ。

 

「……どうする?」

 

 考えろ。

 

「……どうしたら良いの?」

 

 追い詰められていた思考は深読みを加速させる。

 沼の様に底が見えないにも拘らず、意に反して沈み続ける。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章九話 道を決める時

 路地を走る。なるべく芙蓉に居場所が悟られないように、入り組んだ路地を奥へ奥へと進む。先回りされたら全てが瓦解するが、それを恐怖している余裕は無かった。段々と息が上がり、走る速度も遅くなってきた。

 

「鈴仙さん。少し、休みましょう。この調子で走っていても、いざ見付かった時には成す術無く負けてしまいますよ」

「そうだけど……そう、分かっているけど……!!」

「なら……」

「だけど、もしアイツが追い掛けてきていたら……今度こそ逃げ場は無いのよ!?」

「……そうですね」

 

 妖夢はまだ何か言おうとしていたが、それ以上は口を開かなかった。先に比べて妙に冷静になった妖夢。対照的に鈴仙は芙蓉に怯え、冷静さを欠いている。決断を全て鈴仙に委ねるのは危ないと自覚しながらも、しかし無理に反対すれば混乱してしまうだろうと思ったのだ。鈴仙の言う通り、追い掛けてきている可能性も否めないのだから。

 

 だが、見るからに鈴仙は限界だった。吐息の音が大きく、走りも少し乱れている。体力もそうだが、先ずは心を落ち着かせた方が良い。

 そう思った矢先のことだった。

 不意に、不自然な風が二人の髪を背後から揺らした。

 

「妖夢殿の言う通りじゃ。休む方が良いじゃて、一端止まらぬか」

 

 その風の吹く先、風は纏まって煙となり、その煙の中から一匹の妖怪が姿を現す。

 

「マミゾウさん!?」

「おう、佐渡の二ツ岩じゃ」

 

 二ツ岩マミゾウ。現れた彼女は未知を塞ぐように二人の前に立つ。

 

「まぁ、鈴仙とやら。彼奴には万全で挑んでも勝ち筋は薄い。それでも、体力は残しておかんと、抗うにも抗えんじゃて」

「でも……それなら」

「この世界に居る限り彼奴のテリトリーじゃ。逃げることよりも、如何に抗うことができる状態を保つか。この方がまだ望みがあるじゃろう」

「……あの、マミゾウさん。聞いても良いですか?」

 

 何処か余裕さえ浮かべるマミゾウ。不自然とも思えるその余裕が妖夢にはどうにも分からなかった。今は落ち着いているとはいえ、妖夢には今余裕を浮かべる好きなんて無い。今この瞬間でさえ芙蓉の襲撃を受けてもおかしくないのに。

 

「もしかして、ですが……既に誰かしらが」

「あぁ、倒された。天人と付き添いの天女じゃよ。今は安全であろう場所に寝かせておる。何、傍には一人居るからちょっとは安心じゃて」

「そうですか。それで、マミゾウさんはこれからどうするつもりですか?」

「言わんでも分かるじゃろうて。儂とて幻想郷の一妖怪、このまま好き放題暴れさす訳にもいかんからな。過去にも無い様な一世一代の大玉砕に出向く所じゃ」

 

 言うとマミゾウは高笑いした。

 

「大玉砕って……」

「勝てる見込み等ない。下手したらここで儂の生は潰えてしまうかもしれん」

「……どうすることもできない状況だけど、だけど、わざわざ負けると決めて行かなくても!!」

「その通りじゃよ。負けると分かって出向くのは馬鹿じゃ」

「なら!!」

「……正解等無い。否定すべき答えでも、肯定すべき答えでもない。分かってはくれぬか」

 

 微笑みを浮かべたマミゾウは二人の肩を叩いた。

 それが、今の彼女の全てを表している様な気がして。それだけで二人はもう何も言えなかった。

 無理にでも勝つんだと思い込んだ所で窮地に立っていることに変わりはない。それは妖夢も鈴仙も分かっている。マミゾウはそれを受け入れているだけのことなのだ。

 

「彼奴は、芙蓉は何処に居る」

「正確な場所は分かりません。ですが、私達は先程この路地を行った向こうにて対峙しました」

「そうか。礼を言うぞい」

 

 マミゾウはそう言うと、キセルを取り出しながら妖夢と鈴仙が来た道へと進んで行く。その背中を眺める二人。一歩も動けなかった。

 

 やがて、その背中も見えなくなって暫くした頃、鈴仙がぽつりと呟いた。

 

「……なんで、教えたの?」

「……私には、硬い意志を阻むだけの勇気がありませんでした。中途半端な心意気で阻んでも、それは無礼の極みです」

「今そんなこと言える状況なの……?」

「……状況を考えたら首を横に振ったでしょう。意地でも生き残るべき時なのでしょう。私とて、マミゾウさんを戦場に送ったまま見て見ぬ振りをするつもりはありません」

 

 妖夢は鈴仙と向き合う。その瞳に闘志を燃やし、静かに決意を固めて。

 まだ動揺を隠せない鈴仙はそんな妖夢を見て口元を震わせた。その彼女の手を取り、妖夢は両手で包み込む。

 それは少しだけ冷たい、優しい手だった。

 

「……鈴仙さん。貴方は、今晩一緒にご飯を食べようと誘ってくれましたよね」

「え、えぇ……」

「その約束は必ず守ります。ですが今は、一人の剣士の我が儘をどうか許していただけないでしょうか」

 

 真っ直ぐ、妖夢は鈴仙を見詰める。

 中途半端な答えなど要らないと言わんばかりに、ただじっと見詰める。

 

 だからこそ、鈴仙は諦めた。

 

「しょうがないわね」

 

 足が震える。包まれた手が汗ばむ。怖い。

 けれど、鈴仙は笑った。

 

「妖夢一人じゃ心許ないでしょ。私が居たら大丈夫。絶対にね」

 

 強がりだ。強がりなのに、妖夢は笑ってくれた。

 こんなことはもう最後にしよう。無理なら無理という勇気を持とう。

 そう誓って、鈴仙は妖夢と共にマミゾウの後を追う。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章十話 比類なき存在

 通りの中央、芙蓉は鼻歌混じりに歩いて行く。目的は妖夢と鈴仙を見付ける為。とは言え、何処と言う宛てがある訳でもない。ただ歩いていればいつかは鉢合わせするだろうという漠然とした予測だけを元に、ただただ歩く。

 その顔には余裕と自信が窺える。自身の世界の中で何を恐れる必要があるのだろうか。彼女の鼻歌は止まらなかった。

 

 だが、その終わりは唐突に訪れる。不意に何者かの足音が聞こえて、芙蓉は鼻歌と足を止める。

 

「……狸さんかい?」

「ほぅ、儂が狸と分かるのか」

「だって耳がそうじゃないかぁ。狸に似てるよぉ」

「ふぉっふぉっふぉ、それもそうじゃな。一本とはいかんが、これはやられたわい」

 

 振り向いたその先に居たのは、キセルを片手に持つ狸の妖怪。

 

「そう言えば名乗っておらんかったな。儂は二ツ岩マミゾウ。化け狸の長じゃよ」

「そっかぁ」

「どうしてここに来たのか。それは言う必要あるまい。目的はお主の目的とも合致するんじゃろうて」

「だよねぇ」

 

 マミゾウはキセルの中の火を地面に落として踏み潰した。キセルを袖に仕舞い、眼を鋭く光らせる。芙蓉もゆっくりと両手を広げ、マミゾウへと挑発的な視線を向けた。その顔にはやはり余裕が浮かぶ。マミゾウもまた何処か開き直ったような顔をしている。それも無理は無いだろう。

 そもそも勝つ見込みさえ無いのだから。

 

「さぁ、何処からでもかかって来るが良い。お前さんの好きな時、好きな手段で、好きなようにな」

 

 マミゾウがそう言った瞬間、芙蓉は上げた両手を一気に振り下ろす。

 

 直後、芙蓉を中心に地面が大きく波打った。周りの建物はその波に呑まれ、積み木で作られていた様に崩壊する。破砕の波は一瞬にして周囲の姿を変え、対峙していたマミゾウに隙を生み出させる。

 

 その隙を突く様に、波の頂点を跳んで一気に接近する。そのまま拳を握り、マミゾウの腹部を狙って一気に突き出した。

 

 けれど。

 

「ちと甘かったかの」

 

 腹を貫いた筈の拳が叩いていたのは、たった一枚の葉。一瞬の内に何が合ったのか、芙蓉の頭は混乱する。器用に並の頂点に着地したが、既にマミゾウの姿は何処にも無い。ならばとばかりに波を更に激しくし、壊れた建物の残骸をも打ち上げさせる。

 

 突然、足元が暗くなった。

 

「え?」

「頭上注意じゃ」

 

 見上げ、眼に入ったのは巨大な石の塊。人間を二十人は軽く潰せそうな塊が、そのまま落下してくる。

 回避出来るだけの余裕は無い。無論、芙蓉一人を押し潰すのにその石の塊は十分過ぎた。

 

 だが、それでも芙蓉は笑う。

 握り拳をそのまま石の塊へ向けて打ち出す。

 

 その拳が直撃する寸前。石の塊は粉々に砕け散った。

 

 その先に居たマミゾウと目が合う。全て分かっていた様に、微笑みすら浮かべるマミゾウ。

 芙蓉は容赦をしない。

 

 マミゾウの真上から、不可避の一撃を見舞った。

 叩き落された虫の様に、抵抗する素振りすらなくマミゾウは墜落する。地面に叩き付けられたマミゾウは僅かに呻くだけ。芙蓉はそれを見て笑みを浮かべると、ゆっくりとマミゾウに歩み寄る。

 

「……ぐ、おぉ」

「お疲れ様ぁ」

「……ま、まぁ、結末なぞ最初から、分かっておったわ」

「悲しいねぇ」

「……そうとしか、選べんかったもんでな」

 

 眼鏡が割れたマミゾウ。その目の光はよく分からない。

 芙蓉はもう、それ以上何かしようとは思わなかった。勝敗は着いたのだから、かかって来ない限りはもう干渉する気は無い。そうと決めているのだ。

 

 だが、それを知る者は芙蓉以外に居ないのだ。

 

「……どうして来ちゃうのかなぁ」

 

 芙蓉は寂しそうに呟いた。

 

「……来なければ、痛い目に遭わなくても済んだかもしれないのにさぁ」

 

 もう既に傷付けないと決めた誰かを守る為に、二人の少女は彼女と対峙してしまった。

 魂魄妖夢と鈴仙・優曇華院・イナバ。

 その自分の知らない、持ったこともない誰か他の繋がり。芙蓉はそれが忌々しかった。

 

「……助太刀、とでも言いましょうか。どうせ結果は見えていますが」

「引き返しなよぉ。どうせ追い掛けるけどさぁ」

「……甘い誘惑ね。はいと言えるなら元からここに立っていないけど」

 

 芙蓉は溜め息を吐いた。

 それを合図に妖夢は一歩大きく踏み出す。彼女が一撃の範囲内に接近するのに時間は無い。楼観剣の柄を握り締め、一直線に芙蓉の首を狙う。

 更にその妖夢に合わせる様に、鈴仙は芙蓉と目を合わせた。それだけで幻覚の中に取り込み、妖夢の姿を認識できなくする。

 

 回避するには運任せ。圧倒的な二人の連携は、並大抵の相手ならば仕留められる。

 

「……ざぁんねん」

 

 けれど、

 楼観剣の一閃は、首を捉えた瞬間に止まってしまった。

 

「この世界では、君達の使う力は通じないんだぁ」

 

 驚く妖夢を無視して、芙蓉は楼観剣の刃を掴む。その首筋には一筋の傷さえ無かった。

 

「もう、わざわざ戦いの演出なんてしなくて良いよねぇ」

 

 ドン、と妖夢を左手で押す。思わぬ力に三歩程後ろによろめいてしまった妖夢。彼女は、芙蓉が右手に何かを集中させているのを見た。

 

「ま、ず」

 

 咄嗟に避けようにも態勢が崩れた今避ける手段は無い。

 芙蓉はその一撃を放つ瞬間でさえ何も言わなかった。右手を妖夢の腹部へと突き出す。

 

 ドンッッ!!!!

 

 荒れた里を轟音が駆け抜け、妖夢の体を衝撃が貫く。そのまま後方に居た鈴仙までもを衝撃が蝕み、悲鳴を上げる間も無く二人共吹き飛ばされた。そのまま瓦礫に体を傷付けられ、無視できない量の血を吐き出す。

 まだ意識はあるようだが、内臓に直接攻撃された二人はもう暫くは動くことができないだろう。

 

「……悪いことしちゃったねぇ」

 

 呻き声を耳に芙蓉は呟く。

 だが、まだあと一人居るのだ。わざわざ自分から来ていない、まだ賢明な、名も知らぬ標的が。

 早く倒しに行こう。それでここは終わり。他の倒すべき標的へと向かう。

 撫子と棗が傷跡を残し、芙蓉は更にその傷跡を抉っていく。

 これが、彼女達の悪として名を遺す方法。

 

「……これしか、選べなかったからねぇ」

 

 芙蓉はもうマミゾウや妖夢と鈴仙には目もくれない。瓦礫の上を、進み始める。

 

 ビキィッッ!!!! と硝子に亀裂が走る様な音がしたのはその直後のことだった。

 あまりにも響き過ぎたその音。驚き、ハッと顔を上げて周囲を確認した芙蓉の目に入ったのは、虚空に浮かぶ亀裂。

 

 そして、その亀裂は更に強引に破られる。その向こうに見えたのは幻想郷の人里と、そして二人の少女だった。

 

「おぉ、中々やるじゃん天狗。見直したよ。今度一杯どうだい?」

「一杯では済まないでしょうに……とは言え、成功でしょうかね?」

 

 茶髪に二本の大きな角を生やした小柄な少女と、黒髪に黒い翼を持つ高身長の少女。

 

 芙蓉はまだ名も知らぬ二人。

 伊吹萃香と射命丸文がそこには立っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章終話 正義の暴力

祝!! 百話到達!!
ここまで読んでくださった全ての皆様、本当にありがとうございます!!
もう終盤ですが、最後までよろしくお願いします!!


「やぁやぁ、世界の壁って案外簡単に壊れるもんだね。壊して言うのも何だけど、驚いたよ」

「馬鹿力、便利ですね。それにしても、まさか別の世界との綻びがあるなんて」

「そんなもんさ。紙に穴を開ければ、裏面にも穴が開く。不思議な様で必然のこと」

 

 力技で芙蓉の世界に入ってきた二人はそんな会話を交わす。意識を保つことが限界のマミゾウや妖夢達には見えていないかもしれないが、芙蓉には嫌でも目に入ってしまう。

 砕けた世界の穴は直ぐに修繕されていく。けれど、二人が入り込んだ事実はもう変わらない。初めて起こった大誤算に、芙蓉の頭は混乱していく。

 

「……して芙蓉さん。先はお世話になりました」

 

 芙蓉はまだ名も知らぬ長身の少女が口を開く。

 

「私は射命丸文。覚えていないこともないでしょう」

「昨日、棗が捕まえて……」

「そう。こことはまた違う、真っ黒の世界に連れ込まれて、そこで貴方達に思考を暴走させられた天狗ですよ」

 

 共に来た小柄な少女はいそいそと倒れている妖夢達の方へと走って行く。

 けれど、それを目で追うことはできなかった。

 

 何故かしら、恐怖が体を縛っているのだ。

 彼女の中の幼さが再び芽吹く。脅威に責められている様な感覚が、訳も分からず蘇ってきたのだ。撫子や棗達と過ごしたあの暗い過去の記憶が、蘇ってきているのだ。

 

「見た所随分とやってくれたみたいじゃないですか。人里を再現しているのはどうしてでしょう? 地理の有利はそちらにあるとでも言いたいのでしょうか」

 

 文は言葉に怒気を孕ませる。

 文は分かっている筈だ。マミゾウも妖夢も鈴仙も、そう簡単にやられる様な者ではないと。確かに文は妖怪の中でも最高格の強さを持つ。けれど、その三人を一方的に倒せるかと言われた時、意地を張らなければ無理と答える。

 その上で、文は強気に出ているのだ。

 

「とは言え、どういう理屈かは知りませんが、この世界にはこの世界の法則があり、それを理解出来るものでなければそうそう干渉はできないと」

「……」

「故に貴方は一方的に相手を倒せた。誰の攻撃も当たったところで効きすらしない」

 

 言った文ですらまだ理解はできていないのだろう。

 でもそれで良かった。

 

「……ところで、貴方達が私の思考を暴走させる過程で、何かしら私の知らない力を送り込まれたのですが」

「……そうねぇ」

「条件はこれで対等ではないですかね? 無論、やってみなければわかりませんし。そもそも、それが何の目的かなんて知りません。貴方の様に無敵になるためだったのかもしれませんが、効果がありませんでしたし」

 

 文は背中に手を回した。握られたのは紅葉の形の扇。

 鴉天狗の武器。自然の脅威を越えた暴風を生み出す、正真正銘の破壊兵器。

 

「幻想郷最速にして頭脳明晰、風を操る鴉天狗一の記者、伝統ブン屋の射命丸文。少々手荒な突撃取材と参りましょう」

 

 最早小柄な少女や倒れていた三人が何処に居るかなんてことはもうどうでも良かった。嘗てない、目の前の最大脅威だけが芙蓉の全てを支配する。咄嗟に文に向けて不可視の一撃を叩き込んだ。

 

 だが、既にそこには誰も居ない。

 

 見上げるとそこに、翼を広げた少女が居た。

 

「どもです」

 

 既に扇を振りかぶっている。

 芙蓉には、何か言う暇すら与えられなかった。

 

 別世界の人里を、超局地的な暴風が暴れ狂う。

 

 その中心に立つ芙蓉には何故か被害が無かった。

 キョトンとした顔を浮かべる彼女の耳に、暴風の唸り声の向こうから少女の声が聞こえた。

 

「死なないように、頑張ってくださいね」

 

 服が破れる様な音が聞こえたのは同時だった。

 

「ちょっと待って」

 

 そこまで言った瞬間が限界。

 

 風の刃が、巻き上げられた石が、木の破片が芙蓉の体を掠め切り裂き、抉った。

 

 回避はできない。痛みの中、背筋を翔る死の恐怖。痛い、痛い。怖い。

 

 地獄なら早く晴れて欲しい。上も下も分からない。無敵の少女は今、この世界で誰よりも死の崖へと引き摺られていく。

 

「た、助けて!! 誰か!! 誰でも良いから、誰か、助けっ、助けてよぉ!!」

 

 その声は誰にも届かない。地獄は晴れることを知らない。

 天子にも衣玖にも、マミゾウにも、妖夢と鈴仙にも破ることができなかった少女の表面がガリガリと削られていく。嘗て闇を知り過ぎた心が、今再び闇へと沈んでいく。

 泣き喚き、助けを乞いても差し出される手は無い。

 

 灰色の壁の様に見える暴風の向こう、少女の表情が見えた。

 

「あ」

 

 そうだ

 

「あぁ」

 

 正義を振りかざす人は皆

 

「 」

 

 そんな顔をしていた。

 

 そうだったじゃないか。

 ずっと昔にやったゲームの最後のボスだって、

 結局、主人公に倒されるんだ。

 正義の下に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は咆哮した。

 

 

 世界が、歪んだ。

 

 

 倒されるのが運命だと思い込んで、皆と頑張ってきたけど。

 もううんざりだ。

 壊してでも生きたいと思った。

 そうだ、ずっとそう思っていたじゃないか

 

 この世界が何処であろうと、

 ずっと自分を探して生きてきた。

 奥底の、心の暗い奥底の自分を探して生きてきた。

 

 今、私はここに居る。

 

 

 咆哮は暴風を上書きし、

 虚空には亀裂が走り、

 世界は混同する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何です?」

 

 暴風を吹き飛ばされた文は顔を顰め、亀裂へと視線を向ける。

 

「やらかしたみたいだねぇ」

 

 何処か焦った様な萃香が文に並び、背中をドンと叩いた。

 

「多分だけど、今からはこっちが地獄を見ることになるだろうよ」

 

 萃香が向く先には膝を着いて肩で息をする芙蓉。

 

 その更に向こう、誰も居なかった筈の道の中央に、立っていた。

 背の低い、黒髪の少女。

 

「……ふよう、ねえちゃん?」

 

 少女は呟く。

 

「……ここは、どのせかい?」

 




これにてこの章は終わりとなります
出てきた少女、一応すでに出ています


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章 希望無き世界の中で
第十章一話 狂える世界


 まだ十歳程でしかないであろう幼い少女。文と萃香が眺める先に、その少女は居る。

 怯えた様な、少しも堂々としていないその少女は芙蓉のことを呼びながら一歩一歩近付いてくる。膝を着いたままその少女を見る芙蓉は明らかに焦っていた。

 

「なん、でぇ……?」

 

 想定外。その表情はこの一言を表していた。

 

「エリカは、エリカだけは……表舞台に立たせないって、決めていたのにぃ……」

 

 ついには乾いた笑い声を上げた。文と萃香にはそれが何者かは分からないけれど、芙蓉にとって重要な誰かであることは間違いないだろう。

 そうしている間にも、空間に亀裂が走っていく。亀裂は虚空を面で切り取り、ボロボロと剥がれる。その先に映るのは懐かしくも感じる禍々しい黒の世界。その先に、蠢く白い異形の巨体が何体も見て取れた。それはとても生物だとは思えないのに、妙に滑らかな動きで無数に生えた腕を動かしている。

 

「……このせかい、こわれてる」

 

 エリカと呼ばれた少女がポツリと呟いた。

 

「……だったら、ぜんぶもう、いらないよね」

 

 芙蓉が待ってと叫ぶが、もう遅かった。

 割れた虚空の向こうに蠢いていた白い異形の腕がその割れ目を掴む。

 

 瞬間、その割れ目はバキバキと音を立てて壊れ、黒色の世界が広がっていく。荒れた里の青空が侵食され、奇妙に揺れる黒色が世界を覆う。

 

「……大スクープですね」

「なーんて言っている暇は無さそうだよ。ほら、あの白いの」

 

 バキバキ、バキバキ。

 顔の無い白い巨体。腕とも脚とも取れない無数の触手でゆっくりと黒い世界から侵入してくる。

 

「……大きいねぇ」

「呑気ですね」

「はっはぁ、笑いたくなるよ。ひょっとしなくてもあんなのと戦うことになるんだろう? 天狗は良いけど、私の攻撃通るの?」

「……通るよぉ」

 

 芙蓉がポツリと答える。

 

「……あの世界は、あの黒い世界は、私が作った最初の世界なんだよぉ。その基盤にあるのは元居た世界、君達の居る世界なんだぁ」

「基盤、ですか。それ故法則とやらも幻想郷、及び元の世界と同じと言う訳ですね」

「そうさぁ。まぁ、ややこしい話なんだ。どうせ理解出来ていないと思うけどぉ……今この場は色々な世界が混ざり合っている。法則なんてもうぐちゃぐちゃさぁ……」

「……妙に弱気だね。色々暴れていた様だけど、その時もこんな威勢だったのかい?」

 

 萃香が聞くと、芙蓉は自重気味に笑った。そのまま立ち上がって、エリカと異形を見据える。エリカはそんな芙蓉を見て首を傾げ、背後から近付いてくる異形に何かしらを話しかけている。

 

「……まぁ、答えたくないなら良いよ。おい天狗」

「はいさ」

「さっきみたいに世界が繋がっているポイントを見付けたりできる?」

「それなら戦わなくて済みそうですが、無理ですよ」

「えぇ……」

「今この場には色々と混ざり過ぎています。例え紙に穴が開いていても、紙を二重にされれば見え辛いですからね」

 

 文は苦笑い、萃香は溜息を吐いた。

 来たのは良いが、元の世界に戻れるのだろうか。それを考えると萃香は少し頭が痛くなる。それに、マミゾウや妖夢に鈴仙まで居るのだ。今は倒れている以上、彼女等も二人だけで守らねばならない。

 そうしている間にも異形は近付いてくる。思わず後退りしてしまう程の巨体。どれ程の怪力を持っているのか、何か特殊能力を持っていたりするのか。想像するだけでも恐ろしい。

 

「……今夜は美味い酒に酔いたいね」

「鬼なのですから、幾らでも準備できるでしょう」

「言ってくれるなぁ。そう簡単に準備出来ないんだからな」

 

 そんなことでも言わないと、自分の中の恐怖心を抑えられなかった。

 正体不明、見たことも聞いたこともない偉業を前に、一妖怪に何処まで何ができるのか。たった一体ならまだしも、まだまだ黒い世界からやってきているのだ。

 

「……彼女は、意識と思考を操るのさぁ」

「エリカさんですか?」

 

 ぽつり、芙蓉が呟いた。

 

「意識あるものの考え方を根本から操ったりできる。紫の魔法使いと君を操ったのは私じゃなくて彼女だよぉ。で、あの異形は撫子が作り、棗が力を与えて、私があらゆる法則を詰め込み、そしてエリカが操っているのだぁ。まぁ、それはどうでも良いよねぇ……」

「何が言いたいのですか」

「……エリカを君達の敵にしたくなかった理由がある」

 

 そう言った直後、雲も無いのに落雷が空を貫いた。

 同時、あまりにも突拍子の無い地震が辛うじて建ったままだった建物を根こそぎ倒していく。咄嗟に萃香はマミゾウ達三人を庇い、文は空中に逃げた。

 その文は空中から見てしまった。

 

 少し離れた場所に、血塗れで立つ二人の姿。

 比那名居天子と永江衣玖。

 

「……え?」

 

 一瞬の疑問。だが、文はそこまで悩まなかった。

 単純な話で、文と萃香が来る前にこの世界で天子と衣玖がこの世界で芙蓉に負けた。それを今、エリカが掌握しているだけなのだろう。

 だが、いつそれをした? 少なくとも姿を見せる以前の話だ。その時の話はマミゾウ達なら知っている筈だが、生憎今は聞けそうもない。

 

「……これは、かなり厄介ですね」

 

 天狗と雖も天人達まで同時に相手取れるかと聞かれると怪しい。萃香が居るのは心強いが、マミゾウ達が居る以上はやはり満足に戦えないのだ。

 マミゾウ達が操られる可能性さえあるのだから。

 そして、直ぐ近くには芙蓉まで居る。

 

「萃香さん」

「何だい天狗」

「もしかしたら、今宵のお供は焼き鳥かもしれません」

「笑えない冗談だね」

 

 戦うしかない。全て薙ぎ払って、勝つしかない。

 文は扇を握り締め、萃香は拳を握った。

 

 丁度その時。

 

「起きたら空が禍々しくて、何とも気に入らないのだけど……分かり易く説明してくれる誰かしらは居るかしら?」

「この辺りにはスーさんが居ないのねぇ……寂しいなぁ」

 

 予想もしていなかった二人が、我が物顔で立っていた。

 

「な、何故……?」

「何故って……それを聞きたいのはこちらなのだけれど。ここは何処なのかしら。後あの図体だけが大きいでくの坊は何?」

 

 その傍らは気に入らなそうに顔を顰め、緑色の髪を払う。もう片方は小さな人形を頭に乗せ、無邪気な子供の様に忙しなく辺りを見回していた。

 

「何故、幽香さんとメディスンさんが……」

「だからそれを聞きたいのはこちらよ」

 

 風見幽香とメディスン・メランコリー。

 二人が何故か、この場に立っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章二話 激突

 幽香とメディスンが立っていたのは異形と萃香達の殆ど中間。萃香達の方へと進んでいた異形は標的を変え、幽香達を狙おうとその触手を持ち上げた。

 

「あら、出会ってそうそう争い事かしら。疲れるから苦手なのだけど……言葉が通じる程頭が良い訳でもなさそうね。所詮はでくの坊でしょうから」

 

 メディスンを庇う様に前に出た幽香は軽く拳を握る。直後、その太い触手が感情も伴わずに振り下ろされた。マズいと顔を強張らせる文を尻目に、幽香は微笑みすら浮かべている。

 

 避けることすらしなかった。ただ、真正面から拳を触手に打ち付けただけ。

 それだけで、その攻撃を受け止めたのだ。

 

「柔らかいのね。中身は全部油か何か?」

 

 ぽかんと口を開けるメディスンを見ることもなく、幽香はその触手を両手で掴んだ。そのまま声を上げながら触手を引き千切る。ブチブチィッ!! と音が鳴り、異形が他の腕を暴れさせる。幽香は笑みを歪めながら、痙攣する触手をぞんざいに投げ捨てた。

 当然、それに対して異形が何もしない訳がなかった。更に無数の触手を唸らる。確実に幽香を潰そうと暴れ狂う。

 

「あーもう、うるさいなぁ」

 

 そう呟いたのはメディスンだった。そのまま暴れる触手を器用に避けて飛び出す。異形の顔らしき場所まで近付くと、彼女は両手を前に突き出した。異形はそんな彼女など眼中に無いのか、何ら反応を示さない。

 

「うるさいとスーさんが悲しんじゃうじゃない!!」

 

 メディスンの体から紫色の霧が出て来る。それが偉業の頭部を包み込んだ時、暴れるその激しさがより一層増した。

 それは毒。彼女にだけ抽出できる、極めて殺傷能力が高い毒だ。人間が浴びればまず助からない。それは異形を苦しめ、激しく暴れさせる。

 

 だが、相手は異形だけではなかった。

 

「メディスン!!」

 

 下から幽香が叫ぶ。のんびりと振り返った彼女へと、文が一気に接近する。

 

「少々失礼」

 

 優しくメディスンを抱いた文。左手で鼻をつまみ、目と口を固く閉じて毒の霧を突き抜ける。

 

 その一瞬前までメディスンが居た場所を、紅い閃光が貫いた。それは衝撃だけで毒を浴びた文を吹き飛ばす。

 

(キッツい、ですねこれ……)

 

 目を開いた瞬間襲ってくる激しい痛み。手を離れたメディスンの不思議そうな顔が映る。

 

 その先の空。禍々しい黒い空に不自然な空が形成されていく。

 

「よ、けて……」

 

 掠れた声はメディスンに届かなかった。手を伸ばしても届かない。突き飛ばそうにも体が動かない。

 

 誰かの呼び掛ける声が聞こえた。

 

 その直後、何かが光った

 

 その前後の感覚がすべて焼失する。それでも息絶えないのは妖怪故か。二人はそのまま地面に叩き付けられ、ピクンピクンと痙攣する。それが爆発的な雷だと気付いたが、直ぐ真上には別の脅威が迫っていた。

 比那名居天子。

 緋想の剣を両手に、串刺しにしようと突進してくる。

 

 声を上げる余裕すらなかった。痙攣する体は言うことを聞かない。

 

「天狗!! 大丈夫か!?」

 

 刺さる直前に萃香が割り込む。全力で天子を殴り飛ばした。だが、真後ろでは異形が触手を振り上げる。

 

「う、し……」

「分かっているよ」

 

 呟いた萃香は巨大化した。異形が触手を振り下ろすと同時、握り拳を打ち付ける。先に聞いた引き千切れる音が響き、異形の体が石の様に吹き飛んだ。巻き込まれそうになった幽香が顔を顰める。萃香は思わずはにかんでしまった。

 

 瞬間、背中に感じた冷たさ。それは直ぐに激痛に変わる。耐えられずに巨大化を戻してしまった萃香の右胸から赤く染まった刃が突き抜けた。

 

「あ、が……?」

 

 からくり人形の様に振り返る。その途中で刃が引き抜かれた。小さな体は糸が切れたように倒れ込み、地面に赤い水溜まりを作る。

 

「すい、か、さん……」

 

 文は見ていた。

 比那名居天子が、萃香の背中を突き刺す瞬間を。

 

 天子が剣を振り、血を飛ばす。その先、倒れる文達には目もくれず、顔を顰めたままの幽香を見据えた。

 

「天人ともあろうお方が、一妖怪を背中から刺すなんてね」

「……」

「安いわよ」

 

 天子が一気に駆け抜ける。突き出した剣を回避した幽香は前のめりの天子の顎に膝蹴りを見舞う。けれど何事も無かった様に無表情のまま、天子は強引に剣を振り上げた。だがそれも回避した幽香は天子の腕を掴むと、華奢な体を地面に叩き付ける。

 

 ズン……!! と衝撃が地面を走る。

 

 加勢しなければと歯を食いしばる文の耳に、また別の声が聞こえた。

 

「なーんかおもしろくないの。つまんない」

 

 視線を向けると、立っていた。エリカの姿があった。

 

「みんなもっとあばれちゃえ」

 

 パンパンと手を叩く。それだけで、後ろに控えていた異形たちの動きが変わった。

 天子と幽香の元へと地面を叩きながら突進していく。巨体に隠れて戦いが見えなくなることが、文の中から光を奪う。

 

(メディスンさんが、動けたら……)

 

 だが、少女は完全に目を回している。助ける術が無い。

 

「だからって……諦めては……!!」

 

 歯が砕けそうな程食い縛った。余力は殆ど無いけれど、まだ何かできる筈だと奮い立たせる。立つことさえままならない中、スカートの中から一枚の紙を取り出した。

 

「竜巻『天孫降臨の道しるべ』……ッ!!」

 

 扇を振るった。

 それは異形の群れの中心から強大な竜巻を生み出す。瓦礫を巻き込み、異形の巨体でさえも薙ぎ払って暴れ狂う竜巻。近くに居なかった文達の体でさえも意図も簡単に吹き飛ばされてしまった。

 

「……はぁ、もう、むりです、ね……」

 

 上下左右も遠のき、文から意識が途絶えていく。結果を見ることなんて叶わない。

 白濁する視界、それでもメディスンを守ろうと手を伸ばした。

 

 だが、何かを掴むこともなく。

 そしれ誰かに抱き留められた。

 

「……え?」

「……マミゾウさん、化かしたことを恨みますよ」

 

 辛うじて見えたのは、綺麗な赤い髪と緑色の帽子。

 

「め……りさ、ん……」

 

 文の意識は闇に墜ちる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章三話 勝てない戦い

 いつ何処でどのように化かされたのかは分からない。変らない人里を進んでいた筈なのに、気が付けばマミゾウが近くに居なかった。それどころか空に色は禍々しく変貌し、ふと見れば見たこともない巨体の怪物が居た。

 あれは一体何だ。そう思えたのは一瞬で、今この状況を理解することに直ぐ頭が持っていかれる。

 あの巨体の直ぐ傍にマミゾウは居るのだろうか。道の奥で寝かしている天子と衣玖は無事なのか。色々な情報が一気に頭に入り込んだ美鈴の心を不安の雲が包んでいた。

 だが迷っている余裕も無さそうで、兎に角巨体の元へと走る。走って走って、不意に落ちた巨大な雷に耳を塞いだりしながら走り続けた。

 

 そして、落下してきた文とメディスン、萃香を受け止めいたのだ。直ぐ近くで発生していた竜巻は急速に衰え、巻き上げられていた巨体が落ちる。美鈴は急いで三人を離れた場所に降ろすと、帽子を文の胸の上に乗せた。

 

「少し、預けておきますね」

 

 聞こえている筈もない声を掛け、立ち上がって進行形の惨事へと目を向ける。

 

 分かっている。これはもう、自分の手に負えるようなことではない。あんな巨体を倒せるほどの力は、自分には無いということ位、分かっている。

 そもそもの状況に理解が追い付かないのだ。強者の部類に入る天狗と鬼ですら戦闘不能に陥るこの状況に、人間にはかなり強い程度の美鈴に何かできるかと言われると何も返すことができない。

 

 遠くに見える戦闘。あれは天子と誰であろうか。それが、天子が敵に見えるのはきっと間違いではない。戦い方がずっと野蛮になった天子の姿を見詰める美鈴の瞳には、何かが切れた様な虚しささえあった。

 

 だが、現実はそう甘いものではない。巨体を蠢かせる異形がゆっくりと美鈴の居る方へと向いたのだ。理由は単純だろう。文が居るからだ。

 

「……一人で守れって言うのですかね、これは」

 

 頬を汗が伝う。地面を叩きながら近付いてくるその異形を前に、美鈴の体はあまりにも小さかった。

 

 けれどもう、挑むしかない。倒せなくても、耐え続けるしかない。

 耐えるだけなら大丈夫だ。衝撃を受け流す術ならば、主である吸血鬼にだって通用したのだから。直撃だけならば回避できるかもしれない。

 

 触手が振り下ろされる。しなり、叩かれた空気が鈍い音を鳴らして美鈴の真上に迫る。意を決した美鈴は指を伸ばして右手を頭の上へと持ってくる。

 

 そして触手が丁度その高さに来た瞬間のこと。手首を動かして側面に触れると同時に右斜め下へと振り抜いた。

 

 結果は明白。美鈴をも潰す筈だった触手は、美鈴の直ぐ右隣の地面を激しく叩いたのだ。長い髪が乱れ、足に振動が伝わったけれど、直撃だけは避けた。

 しかし安心している余裕は無い。顔を上げた先にはもう、二本目の触手が振り上げられている。極度の緊張が彼女の中に生まれ、笑みすら浮かべながらその攻撃を迎え撃つ。

 

 流して、流して、流す。

 

 段々と何度も何度も打ち付けられる触手を受ける手の甲は擦れ、血が滲む。傷口は砂で汚れていくけれど、そんなことを気にする余裕は無い。

 

「……マズい」

 

 地面を触手が叩く度に伝わる衝撃は美鈴の足を追い詰める。

 一発が重たいために、他のことに気を配る余裕は無い。

 

 触手は何本も生えている。何も太いばかりではないのだ。

 

「きゃっ!?」

 

 上にばかり集中する美鈴の足に細い触手が絡みつく。反応したのが限界で、一気に引っ張られた。抵抗することもできず、地面に擦れた腕に無数の傷が走る。そのまま触手の極至近距離で宙吊りされてしまった。

 それでも触手を掴み、必死に抜け出そうと試みる。けれど、そんな彼女を弄ぶように振り回した異形。美鈴の体は異形にとっては矮小で、捻り潰すこと等容易なのだ。

 

「ち、っくしょ……!!」

 

 弄ぶように体に巻き付いてくる触手。もがいて振り解こうとも力が強い。ミシミシと、全身が訴える痛みを噛み殺し、兎に角もがく。

 

 振り解けない。

 一瞬そう頭に浮かんだ瞬間、全身が悲鳴を上げた。

 

「い、っぎ、が……ッ!?」

 

 圧迫される肺は声を出すことすら許さない。絞り出しただけの声が、意識の無い文達に届くこともない。

 今この場に助けてくれる誰かが居ないことは明らか。広がる瓦礫の地面に、希望は一つも無いのだ。黒一色の空を見るだけでも、そんなことは明らかなのだ。

 

(ま、待って……)

 

 一瞬、本当に一瞬だけ美鈴は全て諦めた。

 

 ただ、彼女はどれを認めないと言わんばかりに乱入してくる。

 目に映ったのは、包帯に巻かれた巨大な手。それが異形の巨体を殴り飛ばしたのだ。骨が砕ける様な硬い音はしない。けれど、殴り飛ばされた異形の下敷きになった瓦礫がバキバキと音を上げて粉砕されていく。

 美鈴は力が緩んだ異形の触手から抜け出した。誰なのか、必死に見回した時、一人の少女が目に入る。

 

 桜色の短い髪。そして赤を基調とした服に右手を包む包帯。

 

「……大丈夫かしら? 豪快な助け方をしたからね」

 

 ふわりと微笑んで、少女は美鈴を見る。

 

「私は茨歌仙。この状況は解らないけど……霊夢が来るまでの時間稼ぎの為に、貴方に手を貸すわ」

 

 茨木華扇。

 美鈴に知る由もないが、彼女もまたかなりの強者である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章四話 半端な強者であること

昨日ランキング載ってました。
ありがとうございます!!


「手を貸すと言ったは良いけれど、無理そうなら下がっていて」

 

 地面に座り込む美鈴の前、彼女を守る様に背を向けて立つ華扇。その先には異形の群れがわらわらとこちらへと向かって来ている。それだけでも絶望感が漂うにも拘らず、華扇は一歩も下がらなかった。

 下がれなかった、と言う方が正しいだろうか。美鈴だって分かっている。あれだけの巨体と数を前にした今、自分がどれだけ小さいか等、誰に言われなくても嫌と言う程叩き込まれる。

 事実、直立不動に見える華扇の足は今、小刻みに震えているのだから。

 

「……私は普段、矢面に立って何者かと戦うことはありません。仙人として修業し、人として生活しているだけの、ただの行者ですから」

「……でも、今は戦うしかない、ですよね」

「はい。意識ある限り、両の眼が世界を捉えている限りは」

 

 ギリリ……と固く握った拳が音を上げる。

 

「勝てなくていい。勝つことだけが戦いではない。強者に全てを任せる為の、ただの時間稼ぎだって立派な戦いです」

 

 華扇は両目を大きく見開いた。

 

「私とて、戦わずともそれなりの武家修行は欠かさない身。真の強者ならずとも、ある程度の強者であると思いたい。それは貴方も変わらない筈」

「……」

「決め付けるのは傲慢かもしれないけどね。だけど、まだ戦えるのならば……貴方に手を貸す私に、手を貸してください」

 

 華扇は振り返った。泣きそうな顔で、手を差し出してきた。

 

 そうだ。勇敢に立ち向かっていったであろう天狗も鬼も、皆恐怖に駆られていたのだ。

 

 それでも、もう立ち向かうしか選択肢は無い。来るかも分からない明日と、そして更なる強者の為に、立ち向かうしかない。

 闇を進むのに松明は持っていない。それでももう、周りには闇しかないのだから。

 

 だから美鈴はその手を取って立ち上がる。

 

「時間稼ぎと聞きました。となると、真打が来ますよね?」

「えぇ。きっと」

「……ならばそれまで、何時間でも耐え抜くだけです」

 

 華扇は頷いた。

 

 同時に全てが動き始める。地面を叩いて触手を振り回す異形の巨体を見据えた華扇は再度拳を固く握り締めた。その拳はゆっくりと、背中に隠す。

 その瞬間を狙って触手が振り下ろされた。空気を裂いて、華扇の体をピッタリと捉えて。

 視界が異形の腕で埋まっていく。けれど、彼女は一切動じない。

 

 横合いから飛び込んだ美鈴がその触手の起動を逸らす。間一髪、華扇の直ぐ右隣を空振りした触手は地面を揺らし、砂埃や石を巻き上げる。

 

 その時には異形の目と鼻の先に現れた華扇の剛腕がその巨体を捉えていた。貫通してしまう程深くめり込んだ剛腕はそのまま殴り飛ばす。他の異形をも巻き込み、瓦礫を撒き散らしながら飛んでいく。

 だが、当然の様に再び動き出す。

 

 華扇の前に美鈴が庇う様に立ち、華扇は間髪入れずに二発三発と打撃を加えていく。右手に伝わる湿ったものを潰す感覚に顔を顰めながらも、動き暇を与えないようにと打撃を与え続ける。

 その瞬間のこと。

 

「危ないッ!!」

 

 背を向けて立っていた美鈴が突然突き飛ばしてきたのだ。

 

「何!?」

 

 咄嗟に聞いたその先で、何も無かった虚空が突然歪んだ。

 直後、二人を目に見えない衝撃が叩く。一瞬だけ全ての感覚が白くなる。地面に叩き付けられた衝撃で感覚が戻り、押し出された空気を求めた肺が呼吸を狂わせる。

 

「がっ、はぅ……何なの……?」

「すいません。真打です」

 

 膝を立てて一点を見据える美鈴。その視線の先の粉塵の向こうにゆらりと人影が。

 

「異形は結構無視できないですが、もっと無視できない奴です。忘れていました」

 

 その粉塵が内側から爆散する。立っているのは長身の少女。

 

 竜胆芙蓉。

 

「……一度狂ったものは何でも、誰かが直すまでは直らないよねぇ」

 

 カツンと石を蹴り飛ばし、芙蓉は自嘲気味に空を見上げる。漆黒の空は何も語らず、そしてもう、大きな変化を見せることもない。

 

「あの異形も何もかも、全てもう計画の範囲外だからぁ……私も最後は自由に、暴れさせてもらうよぉ」

 

 揺れる体。虚ろに下を向いた芙蓉は静かに両手を広げる。何が来るのか、身構える華扇と美鈴は唾を呑み込んだ。

 

「……世界『森羅万象の背反領域』」

 

 世界から動きが消える。

 

(……え?)

(……何?)

 

 音も無ければ風も無い。何もかも奪われた様な、そんな感覚。見ることはできるけれど、視線を動かすことはできない。目に入る異形達でさえ岩の様に動いていない。彩までもが消えた世界はモノクロ。

 全てが、凍りついた。

 

 その世界の中心とでも言う様に、少女は君臨する。

 

「万物の拒絶。抗える者等居ない。次の一撃を、半端な君達に抗う術なんて無いのさぁ」

 

 光の消えた笑みを浮かべて芙蓉が近付いてくる。どれだけ力を籠めようとしても入らない。立つことでさえしていないように感じる。

 それは途方も無い恐怖を生む。このまま目の前の少女に殺されてしまうのではないか。あるいはもっと悍ましい何かか、想像もしたくない醜い未来か。

 止めての声が出ない。悲鳴を上げることもできない。

 非現実的空間で、現実味を帯びた悪魔が一歩一歩と近付いてくる。

 

 そして、

 

「君達は、チェックメイト。かなぁ?」

 

 芙蓉は右手を上に、指をパキンと鳴らした。

 

 襲い来るは、動を思い出した世界の暴挙。

 芙蓉の掌の上で転がされる、反抗心を植え付けられた世界の悲鳴。

 その、集合体。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章五話 本当のこと

 薄らと目が覚めた時、先ず感じたのは異様な空気。続いて体の痛みを覚え、そして瓦礫の感触を得る。やがて音が耳に入り、土の様な臭いが鼻に突く。

 現状の把握もままならないまま、魂魄妖夢は痛む頭を押さえてなんとか上体を起こす。見れば服はボロボロ、血で赤黒く染まっていた。言うまでもなく自分の血だが、妖夢はそれを受け入れることができなかった。そして何よりも、腹の中が掻き回された様な気持ち悪い感覚。混み上がってきた吐き気を堪えた。

 

「……ここは」

 

 空は黒。広がるのは荒れた知らぬ場所。

 そして、見たこともない、禍々しい謎の巨体の群れ。幽香と天子の激しい戦い。

 

「……何が、起こっているの?」

 

 呆然と呟いて、妖夢はただへたり込んでいた。

 

 その直ぐ真後ろを、何かが瞬間的に過ぎ去る。

 

「え?」

 

 咄嗟に振り向いて、見えたのは吹き飛ばされた人影。地面に叩き付けられ、荒れた地面に擦られて止まったその影は、長い赤色の髪を持っていた。

 見間違う筈もない。その人影は紅美鈴だ。突然の出来事に混乱する。その最中にまたもう一人と吹き飛んできた。見えた桜色の髪の少女は茨華仙と名乗る仙人だったか。

 困惑し、大丈夫ですかと駆け寄る余裕も無く妖夢は手元に無い楼観剣を探す。鞘に収まったままの白楼剣だけでは自衛もできないだろう。しかし、瓦礫が散乱する地面にその刀の影は無く、まして傷付き消耗し果てた体は這うことですら痛みを訴える。

 

「……あの妖怪の他に、まだ意識があるのが居たのかぁ」

 

 そんな妖夢の耳に、一つの足音が聞こえる。

 

「とは言え、今意識が戻った様子だねぇ。かわいそうだなぁ」

 

 見れば、ゆらりゆらりと歩く少女。

 竜胆芙蓉だ。

 

「……もう、君達には希望は無い。立ち上がっても未来は無い。それだけなのにねぇ」

 

 気が付けば、声にもならない声が漏れていた。

 純粋な恐怖は足を泥沼の様に絡め取り、逃げることもできない。芙蓉の光の無い瞳が自分を捉えているということが、何よりも理不尽に感じられてしまう。喚き散らして誰かが助けてくれるのか。そんな希望的観測を抱く余裕も無ければ、まして助けての声が出る筈も無い。

 

「どうしたの? 何をそんなに怖がるのぉ? 君は誰よりも、誰よりもこの一件の中で戦ってきた筈だろぉ? 暴走した氷精を倒し、撫子と二度も戦い、そして私に倒された。ここまで来て、何を恐れると言うのかい?」

 

 悪意の籠った声で芙蓉が聞いてくる。見透かしていた様に、妖夢の今に至るまでの戦い。を言う。

 それは、ただ気になっているから聞いただけだろう。特別な感情もなければ、特別な興味も無い。知らなければそれで良い程度の興味だ。この瞬間、助けも武器も体調でさえも全てが揃わない妖夢に聞くのはあまりにも酷。けれど、芙蓉は聞いてきた。

 

「……そんな、経験したら恐怖が拭えるなんて、思っている訳じゃないですよね?」

「そんなもんじゃないかなぁ」

「そ、そんな訳……そんな訳ないじゃないですか……ッ!!」

 

 きっと最初から答なんて求めていないのだろう。

 そうと分かった上で、妖夢は叫んだ。

 

「怖いに決まっているじゃないですか……本当の殺し合いなんてしたこともない。生きるか死ぬかの瀬戸際で、恐怖を感じない訳ないじゃないですか!! それに慣れろとでも言いますか!? やりたいことをやるのが主人公だと言うのなら、最初から私には主人公なんてなれる訳ないんですよ……命の取引なんて、何度経験したって……やりたい訳ないじゃないですか……ッ!!」

 

 震えながら、妖夢は白楼剣に手を掛ける。

 こんなことはやりたいことではない。それを挙げて良いのなら、最初から彼女はここに立っていない。鼓舞する為の言葉は、自分を騙していたに過ぎない。自分ですら騙していたことに呆れ、嘲笑し、小さな少女は顔をぐちゃぐちゃにしてまで刀を引き抜く。

 構えていられる程体が動く訳でもない。

 まして、刀を振ることができる程力が残っている訳でもない。

 

 それでも妖夢はもう、嘘を重ねるしか無かった。

 今更、嘘で塗り固めていたことを咎める者等居ないのだから。

 

「……そう。それが、人間らしさ、なのかなぁ」

 

 芙蓉はポツリと呟く。

 

「……そりゃ、怖いよねぇ。私だって怖かった。死を実感した時、初めて悲鳴を上げたよぉ」

 

 芙蓉の顔を見た妖夢の目に映ったのは、少しだけ光が戻った、寂しそうな顔だった。

 

「……だけど、世界は残酷なんだ。悲鳴を聞いてくれる誰かなんて居ない。差し伸べられる手なんて以ての外さぁ。同情、傷の舐め合い、痛みの主張、妥協、そして諦め。そのくせ、狂ったように他人の痛みに塗る塩を薬だと思い込む。誰も救えないくせに。そして君は、その塩を……自分にまで塗ってしまったんだぁ」

 

 そんな顔を浮かべていても、敵であることに変わりはない。

 

 芙蓉は右手を挙げる。

 

「……来世でもし会えるのなら、君とは友達になってみたい」

「……待って、ください」

「ごめんね。同情しても、私はあくまでも真っ黒の悪だ。優しくあったら、ダメなんだぁ」

 

 先程喰らった、全く同じ攻撃だろうか。

 

 もう、次は受けられないだろう。このボロボロの体は間違いなく壊れるだろう。

 だけど、逃げる力も無いから。

 妖夢は固く目を瞑る。

 

 最期にやりたいことが叶うのならば、白玉楼の縁側で主とお茶を飲みたかった。

 

「させる、ものか……ッ!!」

 

 その最期の筈なのに。

 体が受けたのはあの一撃ではなく微風のような衝撃。

 

「な、え?」

「……殺させはしない。貴方が天道の内の人の子である限り、人殺しなどこの私が許さない……!!」

 

 そっと目を開ける。

 

 目の前に見えたのは芙蓉とは違う別の人。

 特徴的な桜色の髪は示す。茨華仙の後姿。

 

 芙蓉の一撃を右手で握り潰し、妖夢を庇って立つ。

 

 それだけではなかった。

 

 気配を感じて振り返れば、救いの権化のような存在が。

 八坂神奈子。

 聖白蓮。

 豊聡耳神子。

 

 幻想郷における神道、仏教、道教の頂点とも言える三人が、妖夢の後ろに立っているのだ。

 

「……なんで」

「救われない者が居ると聞いて、直接宗教勧誘に来ました」

「私も大体同じ理由よ。弟子になってくれたら良いなと」

「あ、それなら私も。人間も妖怪も平等であるべきですからね」

 

 いつもと変わらない調子で三人は言う。

 

 ただ、それだけで妖夢の心の底に、安堵の温かさが浮かび上がった。

 




突拍子も無く出たけど、一応一回それっぽいこと言ってた


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章六話 救いの導達

 加奈子、白蓮、そして神子は躊躇うことなく妖夢の前に出る。ただ振り返ったりはせず、見詰める先は異形や芙蓉達だ。チラと三人を見た華扇は僅かに笑みを浮かべ、震えながらも構えを取る。対照的に芙蓉は気圧されたのか二歩後退りし、額の汗を拭った。

 

「……君達は、何なのぉ……?」

「宗教家、と言えば簡単でしょうが……まぁ、私は山の神様です」

 

 三人の真ん中に立つ加奈子は腕を組んで答える。

 

「私は聖白蓮。命蓮寺にて住職をしています」

「そして私は豊聡耳神子。色々やっている仙人だよ」

 

 白蓮と神子も続いて名乗り、また一歩前に出る。

 

 言わなくても分かる。既に三人は臨戦態勢に移っているのだ。その実力の程はまだ芙蓉には分からない。けれどこの視界に入る惨状を目の当たりにしても一切動じない所を見る限り、少なくとも手慣れであることだけは分かる。

 

 そして何よりも。華扇やこの三人と言い、本来はこの世界に居る筈の無い者が簡単にこの世界に入り込んでいると言う現状が、何よりも彼女が窮地に立っていることを浮き彫りにするのだ。

 この世界は色々な世界が混ざり過ぎている。故に、構成する法則も数式も何もかもが定まっていないのだ。全てが適応され、全てが適応されない。

 それは、芙蓉から無敵の要素を失くしたに過ぎない。

 それでも彼女は強い。

 

 けれど、強いと言うのは誰にでも勝てると言う意味ではないのだ。

 

「……なるほどねぇ。うんうん、ある意味ではこれで元の計画に修正できるのかぁ」

 

 芙蓉もまた笑みを浮かべた。勝つことはできなくて良いのだ。散々暴れ、手こずらせた上で負けることが最初の予定。エリカの登場によって全てが崩壊してしまったけれど、この三人と華扇を使えば元の軌道に乗せられる。

 

「それじゃあ、かかって来なよぉ。四人同時だろうが五人だろうが、相手してあげるからさぁ」

 

 まだ最強の矛を持っていることに変わりは無い。空間を動かす、回避困難な攻撃手段だ。

 それで、散々かき回す。

 

「それでは、よろしくお願いします」

 

 白蓮が一礼した。

 

 それと地面を強く蹴る音が聞こえ、砂塵が宙を舞っているのを見たのは同時だったかもしれない。

 芙蓉が何か反応を見せるより早く、白蓮はその懐に潜り込む。鉄より硬く握られた拳は既に突き出されていた。驚愕するより早く、芙蓉が体を動かすよりも早く、白蓮の拳はみぞおちへと吸い込まれる。

 

 悲鳴すら無かった。

 衝撃の暴力はたった一撃で全てを粉砕する。

 

 血を吐き出しながら砲弾の様に殴り飛ばされた芙蓉を眺め、神子ははぁと溜め息を吐いた。まるでそうなることを分りきっていたかのようだ。言うまでもなく、彼女等に芙蓉の心中は分からない。

 

「……三人も来た意味が無さそう」

「そうですか? 向こうに禍々しいのが多数いらっしゃいますが……とても一人では対処しきれそうにありませんよ」

「なら、あの禍々しいのは私が処理するわ。何、仙人様にもまだ相手は居るみたいよ」

 

 加奈子は神子の肩を叩いてある方を指差す。

 その方向にあるのは不自然な暗雲。その下には赤く汚れた衣を纏う一人の天女、永江衣玖の姿がある。ゴロゴロと雷鳴が唸り、衣玖自身も紫電を纏っている。僅かに浮遊したままゆっくりと近付いてくるその姿を見て、神子は顔を顰めた。

 

「……残り物を押し付けられたような気がするのは、気のせいと言うことで良いの?」

「どうでしょうかね。それなら、禍々しいのも天女様も全て纏めて私達で相手をするということでもよろしいですが」

 

 余裕綽々で言葉を交わす三人。その後ろで華扇と妖夢は呆然と三人を眺めていた。

 

 あの巨体を見て、何一つとして動じない。かと思えば、あの芙蓉を打ちのめし、そのついでのような感覚で話をしている。まだ戦えると思っていた華扇でさえ、そこに出る幕は無い。

 もはや狂気とさえ感じられた。何がそこまで彼女等にゆとりを持たせるのか。この訳の分からない世界の中で、何故そんなにも平静を保っているのか。

 そして何故、己の強さに自身を持っているのか。

 

「山の仙人様。貴方に一つ、頼みがあります」

 

 不意に神子が華扇に背中を向けたまま呟く。

 

「倒れている方を遠い所へと退避させていただけないでしょうか。これから少々激しいであろう戦闘になりますので、動けない者には危険すぎる」

「……分かりました。ですが、既に手負いなので思いの外時間が掛かるかもしれません」

「構いませんよ。可能な範囲内で早く、それで大丈夫です。何があろうとその間は貴方達に危害が加わらないことを約束しますから」

 

 振り返り、微笑み掛けた神子はゆっくりと宝剣に手を掛けた。金属が擦れる音がして、その銀色の刃が光を反射する。それを合図に加奈子は腕を解き、白蓮は手のひらに拳を打ち付ける。

 妖夢に肩を貸して立ち上がらせながら、華扇は思わず聞いていた。

 

「何故、そこまで……堂々と?」

「言うまでもないとは思うけど、ここに来て直ぐの貴方もそうだったのではないかしら」

 

 背中を向けたまま加奈子が答える。

 

「まだ恐怖をしらないのさ。それ以外の理由を求めると言うのなら……そうね、救いの道標である以上、恐れおののくべきではないと言うのも理由だよ」

「救いを解く者が恐怖の中に囚われていては元も子もありません。そんな単純な理由ですよ。怖くない訳ではない。怖さを克服している。それだけです」

 

 少しだけ振り返った白蓮は笑みを浮かべて言う。

 

「まぁ、任せてください、山の仙人様。救えずして宗教家を名乗ることは恥じるべきことでしょうからね」

 

 神子は剣を掲げ、我先にと走り出す。それに続いて行く三人の背中を眺める妖夢は小さく笑みを零した。

 

「……私達の出番は、漸く終わり、ですかね……」

 

 突然糸が切れたように意識を失った妖夢を何とか支え、華扇はお疲れ様と声を掛ける。

 何人も倒されたその果て、遅れてやって来た真打達。それはこの黒い空に切れ目を作る光のようだった。

 もう自分があの忌々しい異形に目を向ける必要は無い。妖夢を背負った華扇は一番近くに倒れている美鈴の元へと急ぐ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章七話 光り、そして

 ダダンッ!! と地面を蹴った神子が衣玖に肉薄する。対抗する様に紫電を撒き散らす衣玖だが、神子はそれを気にも留めない。電気の奔流を鮮やかに回避すると、宝剣を大きく振りかぶった。高く高く跳躍し、眼下に衣玖を見据えて一気に急降下する。

 衣玖は笑った。神子の真上には黒雲が集まる。迫る神子の向こう、それは極大の雷撃の予兆。

 

 光った。

 

「危ない真似をしてくれるものだ」

 

 けれど、それが神子の体を貫くことはなかった。空中でひらりと回転した彼女はそのまま雷撃を切り裂いたのだ。

 時間にして刹那の話、幾ら仙人と雖も目で捉えられる筈のない雷撃はしかし両断されて地面へと突き刺さる。

 

「こういうのは仙人の領分ではなさそうだけどね」

 

 雷を切った刀の伝承を思い出して笑みを浮かべた神子。動きの止まった衣玖の額へと剣の柄の先端を力任せに叩き込む。

 

 固い物が砕ける音が炸裂する。

 額の衝撃で衣玖の首は後ろに大きく曲がり、更に引っ張られた体が弓の様に反る。連続した異音は衣玖が地面に倒れる音で掻き消され、その体からは一切の力が抜けていた。

 トンと神子は着地し、ざっと辺りを見渡す。萃香と文、そしてメディスンを運ぶ華扇を確認し、暴れ狂う異形へと目を向ける。

 

「……よくもまぁ、こんな化け物を作り出したものね」

 

 退屈そうに呟くと、宝剣を構え直す。

 

 切り刻むなど造作もない。白蓮や加奈子が出る幕は無いだろう。そう思い、僅かに口角を吊り上げる。

 

「背中、失礼いたします」

 

 そして背中を誰かが踏み台にした。

 

「な、貴様ァ!!」

 

 見えたのは黒い人影。揺れる長髪は黄色と紫の特徴的なもの。

 

 聖白蓮が異形の群れへと単身突っ込んでいく。それはあたかも黒い砲弾の様で、踏み台にされた神子は危うく倒れそうになった。思わず地面に向いた神子の視界の外側で轟音が炸裂する。同時に周囲をピリピリと衝撃が振動させる。見ないでも分かる暴力的な一撃の結果。顔を上げた神子は思わず苦笑いをしていた。

 

 白蓮が放っていたのはただの握り拳。たったそれだけで異形の巨体が寸断されていたのだ。ブチブチと音を上げ、二つに分かれた異形は灰のように消えていく。

 白蓮の攻撃はそれだけに留まらなかった。他の異形達は狙いを白蓮唯一人に絞り、全ての触手を持って彼女を叩き潰そうと襲い掛かる。

 

 それは全て、更に強い力で吹き飛ばされた。白蓮の拳でも、神子の斬撃でもなく、文字通り根こそぎ千切れ、四方八方へと飛び散っていく。

 

「ふむ、風の神として存分に力を発揮できるとは思ったけれど……どうやら少しばかり強すぎたかな?」

 

 異形の群れに突っ込んでいく神子と白蓮を眺めながら、加奈子は腕を組んで呟いた。

 

 全てが圧倒的。全力を存分に発揮する神子や白蓮は勿論のこと、それを見て的確に隙を埋める加奈子もまたこの場を覆すには十分過ぎる存在であった。蹂躙の方向が変わり、加奈子の視界の隅では見慣れない幼い少女が呆然と立ち尽くしている。

 

(彼女も……敵なのかしら)

 

 あたふたと意味もなく手を彷徨わせるその幼い姿に加奈子は目を細める。場に手を出す訳でも無ければ、かと言って逃げ出す訳でもない。巻き込まれていた里の人か、その判別さえ正直難しい。白蓮と神子は異形に集中している今、彼女に何らかのことをできるのは自分だけ。自然とそう思って、加奈子はその少女へと近付く。

 

 その、直後。

 

「……ッ!?」

 

 直感的に体を反らしたその目の前を赤く染まった人影が横切った。横切った先を見るとその人影は地面に叩き付けられ、痙攣した様に動いただけでそれきり。それは白蓮や神子のではなく、体を染める赤は血だろうか。

 

「……貴方、山の神様だったかしら」

「貴方は……」

「風見幽香。自己紹介はいいわ。それよりも、今貴方が近付こうとしたあの女の子なんだけど」

 

 その反対から声をかけてきた幽香。派手に乱れた服に真新しい傷跡、そして肩で息をするその様からは相当な疲労を見て取れる。

 けれど、それを感じさせない滑らかな声で幽香は言った。

 

「今戦っている相手の中で一番危険だと忠告しておくわ。そして、何が合っても意識だけは失わないように」

 

 背後から悲鳴が聞こえた。

 先程聞いた女性の声。

 

「……意識を失った輩は、もう敵よ」

 

 振り返ると、そこには立っていた。

 

 虚ろな目をした妖夢。体の軸がズレている萃香、そして華扇の首を絞めて持ち上げている美鈴。

 

「見てわかったでしょう。天女も天人も、奴の毒牙に触れていた。恐らくあの三人も、ね」

 

 ふと見ればメディスンや文は倒れたまま。だが、それを疑問に思うよりもまず感じたことは危機だった。

 

「……話が通じる状態ではない、と」

「当たり前でしょう。でなければ、あんな狂った天人を真正面から相手にしないわ」

 

 加奈子はまた目を細める。背後では異形が一掃されたのか、暴力的な音が消えた。

 その代わりに聞こえてくる、聞き慣れない少女の声。

 

「ぜんぶぜんぶ、こわれちゃえ」

 

 暗転。心象の雲間が消え、闇が覆う。

 ある意味ではここからが宗教家としての本分ではある。けれど、そこにあるのは最早救いや導きの類ではなかった。

 自我の無い、いうなればゾンビの様に変貌した妖夢達。

 導くべき心も何も、そこあるのは空白だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章八話 虚との戦い

 幽香が忌々しそうにふんと鼻を鳴らした。既に天子との戦いで消耗している幽香だが、決して弱っている所を見せようとはしない。その強がりが果して吉と出るか凶と出るか、加奈子は薄々気付いていた。

 

「……無理はしませんように」

「するなと言われても、譲れないものがあったりするのよ。貴方の様な神様には分からないであろう、しょうもないプライドがね」

「そう……」

 

 加奈子はもうそれ以上何も言わなかった。皮肉も込められたその言葉の真意はきっと、別の所にあるのだから。それは神であろうと、それ以上踏み込もうとは思えない。

 

「相手は三人、こちらは現在二人。どうせすぐにあの尼と仙人も来るのでしょう?」

「でしょう。人数的に言えば有利ね」

「ただ……あいつらは痛みを知らないよ。意識を奪わないと、狂ったように襲い掛かってくる。あの天人もそうだったけど……油断したら死ぬと言っておくわ」

「……一妖怪が神に忠告ね。生憎と、そうそう息絶えはしないと知っているじゃない」

「だから皮肉を言ったのだから」

 

 加奈子は腕を組む。

 

 それが、開戦の合図となった。妖夢が刀を構え、萃香は力を誇示する様に地面を踏み鳴らし、そして美鈴は華扇をぞんざいに投げ捨てた。地面を転がる華扇に目を向ける余裕は無い。

 

 技術と力の権化が、真っ直ぐに突進してくる。

 

「神祭『エクスパンデット・オンバシラ』」

 

 加奈子もまた慈悲は持たなかった。スッと右手を前に出した瞬間、彼女の背後から無数の木柱が射出される。普段は手加減して放つそのスペルカードも今は手加減などない。超高密度且つ高速度の物量の暴力に回避の隙等無い。

 

 その筈だった。

 

 木柱で埋もれた視界の向こう、空気を切る音が微かに聞こえた。直後、三人を暴力の濁流にのみ込むはずだった木柱は全て滑らかな動きで切り刻まれていくのが見えた。

 それだけではない。斬撃の音に混ざって木を破壊する音が聞こえ、更には美鈴が舞うかのように木柱の間隙を生み出し、回避しながら接近してくる様子でさえ目に映る。

 

 幽香は冷静だった。生み出された木柱の間隙から美鈴が飛び出して加奈子へと殴りかかるその瞬間に二人の間に割って入る。

 妖怪としてならば二人の差は歴然。幾ら美鈴が手慣れと雖も素の実力が最上級である幽香に叶う筈がない。

 

 けれど、突き出された拳は受け止めた幽香の腕を弾いた。あっ、という短い悲鳴。そのまま美鈴は流れるように胸、腹部、顎と連続して肘と掌底を見舞い蹴り飛ばす。

 

 それを加奈子は予想していた。最初から幽香がまともに戦うことができるなど、想定はしていない。

 だからこそ、木柱の標的を絞る。抑えていた妖夢と萃香から美鈴唯一人へと。

 

 態勢が不安定な美鈴にそれを回避する手段は、今度こそ無かった。

 声も出さず、破壊の奥にその体が埋もれていく。

 

 それは同時に、妖夢と萃香に隙を与えてしまう。

 

 だが、それで良かった。

 

「何かと思って駆けつけてみれば、また厄介なことになっている様ですね……ッ!!」

「やはり神と言っても一人では厳しいのだろうか?」

 

 妖夢の斬撃を神子が、萃香の右腕を白蓮が受け止める。神子はそのまま妖夢の体を突き飛ばし、一対一に持ち込む。しかし、鬼の圧倒的な力と拮抗する白蓮にはそこまでの余裕が無い。加奈子を背に、更に一発二発と打ち込まれる拳を真正面から受け止める。

 それを見た加奈子は美鈴への攻撃から一瞬だけ意識を反らしてしまう。

 

 その瞬間に美鈴が木柱の濁流を突破した。

 

 驚くべきことにほぼ無傷。地面に大量に刺さった木柱を足場に、加奈子と白蓮へと接近する。加奈子は即座にスペルを中断し、応戦の為のスペルを取り出す。

 

「あ、あああああああああああああッ!!」

 

 それは雄叫びが中断させた。加奈子へと飛び蹴りを放とうとする美鈴の横合いから華扇が殴りかかったのだ。奇襲は惜しくも美鈴に空中で対処されるが、食らい付いた華扇は美鈴と絡み合い、地面に叩き付ける。

 

「萃香を、早くッ!!」

 

 血眼になって華扇は叫び、少しでも美鈴の動きを封じようと手足へと必死に絡み付く。

 

 加奈子は心の中で感謝を述べた。白蓮は小さな声で「いきますよ」と呟き、受け止めていた拳を横に弾く。

 

「天符『大日如来の輝き』」

「『神の御威光』」

 

 距離は無かった。二人のスペルが萃香を捉えた。

 かの様に見えたのに。

 

 そこに居たのは、一瞬で十倍近く巨大化した萃香。二つの光線を物ともせず、威圧感を二人に押し付ける。

 ただしそれは二人だけの話ではない。妖夢と交戦していた神子は直ぐにその変異に気付き、舌打ちをする。けれど、妖夢は神子が意識を別の所に向けることを許さない。放たれる神速の斬撃が神子の動きを徹底的に制限する。

 

(……このままだとなし崩し的に全滅する)

 

 そう確信した神子は次の一撃で妖夢を倒そうと決意する。その結果どれだけ力が失われようと、全滅するよりは断然ましだ。

 

「『我こそが天道なり』ッ!!」

 

 宝剣を掲げて叫ぶ。それは目も開けられないほどの光を生み、光線と化して妖夢へと襲い掛かる。

 それを対処する余裕は刹那より短い一瞬のみ。決まった奇襲はその一瞬さえ無かったものにしてしまう。

 

 だが、妖夢はそれを両断した。

 その一瞬の出来事を、神子は捉えることができなかった。

 

(ま、ず……ッ!?)

 

 一度掲げた宝剣を振り下ろす。そう動こうとした瞬間には、既に妖夢は絶対の距離に入り込んでいた。

 

 待っているのは、光線と同じ運命。

 

 一刀両断。

 

「ふ、せ……ろぉぉぉおおおおおおお!!」

 

 だが、その決着の瞬間にまた乱入者が現れる。

 神子の肩を強引に引っ張ると、入れ替わるように前に出た。

 

「ま、まて……!!」

 

 白く長い髪、そして大きな兎の耳。

 

 鈴仙がそこに立っていた。

 

 だが刀は無慈悲に迫る。その瞬間、鈴仙は一瞬たりとて瞬きしなかった。狂気の隻眼でただ、妖夢のことを見つめる。

 

 刀が鈴仙の顔のすぐ横を掠める。

 途端に妖夢が態勢を崩し、地面にへたり込んだ。

 そこに鈴仙は飛び掛かった。手の関節を極め、首を足で締め上げる。妖夢は振り解こうともがくが、鈴仙は構わずに顔を赤くしながら締め上げた。

 

「早く……あのお二人に加勢してください……!!」

 

 鈴仙が絞り出した様な声でそう言った時、神子は我に返って巨大化した萃香へと立ち向かう。巨大化した分だけ動きが遅く見えるけれど、萃香が拳を振るうたびに空気が唸り声をあげているのが分かった。

 

 ただ、それに構っている余裕は無い。

 

 加奈子と白蓮と神子の三人は目配せだけで息を合わせる。

 

 目の前で暴れ狂う暴君を見据え、三人は喉がかれる程の雄叫びを上げた。

 解き放つのは、最大出力の、まだ名もなき三人の同時スペル。

 

 狂った世界を、白の閃光が包んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章九話 少女達の真実

 吹き飛ばされた萃香はあっと言う間に元の大きさに戻り、地面に落ちてからは起き上がることはなかった。

 しかしまだ安心はできない。まだ美鈴と妖夢の意識はあるのだから。

 そう思った矢先、華扇が小さな悲鳴を上げた。咄嗟に加奈子等三人は振り返ったが、目に映ったのはドロドロに汚れた華扇とぐったりと倒れる美鈴。その頭部の直ぐ横に大きな緑の葉が落ちていた。

 

「……良い所だけ取ってしまったかの。まぁ、許してくれんか」

 

 声のする方に居たのは、キセルを片手に持つマミゾウだった。こちらも幾分服が汚れており、既に戦闘に参加していたのだと加奈子等は推測する。

 

「マミゾウさん、朝から居なかったと思えば……」

「おぉ、これはこれは聖様。何も言わずにここに来ていたのは失敬。まぁ、首を突っ込みたい性分での、こっちも許してはくれんかの。ほれ、お主も偽りの投石に腰を抜かす暇があったら早う立てい」

 

 華扇へと歩み寄ったマミゾウは左手を差し出す。華扇はそれを取って立ち上がると、また小さく「あっ」と声を上げた。

 華扇が右手で指差す方には、鈴仙が意識の無くなった妖夢を抱きかかえて歩いて来ていた。

 

「皆さんは大丈夫ですか……?」

 

 余程強い力で締め上げていたのだろうか、妖夢の顔はまだ赤い。鈴仙の足にも赤い跡が生々しく残っている。やはり服はもう全体的に茶色くドロドロに汚れており、更に言えば所々血が垂れていた。

 

「やぁ、先程は助かった。礼を言おう」

「あぁ、いえ。気にしないでください。少々乱暴な真似もしてしまいましたから」

「だからこそ、です。いざと言う時は遠慮など要らないものだから」

 

 取り敢えずの脅威が去ったことを確認した神子は宝剣を鞘に納めると、鈴仙に一度頭を下げた。思わず釣られて頭を下げる鈴仙。その滑稽な光景に加奈子はクスリと笑みを漏らし、立ち上がった華扇もまた穏やかに頬を緩めた。マミゾウはというと倒れていた美鈴を背負い、キセルの煙を吐く。

 白蓮が居ないと一瞬の不安を感じた神子だが、萃香を背負い、倒れていた幽香に肩を貸す様子を見付けて胸を撫で下ろした。

 

 兎に角、脅威の波は去っただろうか。焦燥は消え、僅かな緊張感と余裕が漂う。だが、まだ黒幕たる者は残っているのだ。鈴仙とマミゾウ、そして白蓮は一歩下がると残る加奈子と神子、そして華扇と目を合わせる。それだけで意図したことが伝わり、加奈子等三人は小さく頷いた。

 振り返り、その先に居るのは幼い少女。右手を胸に、不安そうな表情を浮かべて忙しなく顔を動かしている。

 

「……彼女が何をしたのか、分かる者は?」

「私は何も……私はただ、時間稼ぎを頼まれただけでしたし」

「最初から貴方と行動を共にしていた私も、ね」

「そう……」

 

 ただ、先の発言からして彼女がただの一般人である可能性は無いと言っても良い。更に言えば、逃げる意思もなければ加勢する意思も無かった。味方である、そう言うには少々難がある。

 話が通じるのなら、説得して終わらせたい。だが、見るからに十程の年しか生きていないであろう少女に無理な話を要求するのは酷でもあった。

 

「攻撃を仕掛けて来たら、容赦はしない。それで良い?」

「……心は痛むけど、仕方ない、か」

 

 加奈子の問いに華扇が答え、神子も首を縦に振る。

 

 一歩、踏み出した。

 

「止まれ」

 

 聞こえてきたのは、極めて冷徹な、刺すような一声。

 

「エリカには……それ以上近付くな」

 

 振り返れば、口から血を吐いたのだろうか、服や顎がべったりと赤く染まった芙蓉の姿。立っているだけでユラユラと揺れているが、その瞳に冷たい光を浮かべて加奈子達のことを睨んでいる。

 一歩近付く度に聞こえてくる砂利を踏む音が、徐々に場の雰囲気を変えていく。それは失われた焦燥を呼び起こし、浮かんだ安堵を再び沈めていった。

 

「……まぁ、一撃だけで倒れる様な軟な相手な訳がないか」

「正直さぁ、私もいい加減くたばるべきだと思うんだぁ。どうせほっといても直ぐに朽ち果てる身、一々立ち上がって戦う理由なんて、究極的には無いんだしぃ?」

「なら……」

「だけど残念なことに、戦わない理由も無かった。それに決めてたんだぁ、私達四人で」

 

 竜胆芙蓉は両手を大きく広げた。

 

「『動けなくなった時に初めて安寧を享受する。動けるのならば、世界に相反する悪として、ただ立ち上がり続ける』とねぇ。こんなクソくらえな約束なんて、この世界の誰にでも理解はされやしないんだぁって、知っているさぁ」

「……何がそこまで貴方を追い詰めたのかしら」

「別に大したことじゃないよ。幻想郷には私らみたいな異常な力を持った人間がちらほら居たじゃないかぁ。それが、外の世界には居なかった。それだけじゃない。そもそも私達は認知すらされなかったんだぁ」

「……なるほど、何となく分かったわ。どういう経緯かは知らないけれど、外の世界で人を脱してしまったのなら、仏にでもならない限りは忘れられるでしょうよ。実際、元から神様だった私でさえ認知されなくなったのだから。まぁ……私達への信仰心が薄れていただけなんだけどね」

 

 芙蓉は自嘲気味に笑った。ついでにエリカを手で呼び寄せる。

 

「……そんな話じゃないんだ。元の世界の全てを水と言うのなら、私達は油だった。私達が意図せずして与えられた力は、元の世界に属してはならないもの。だからこそ、浮いたんだ」

 

 傍に来たエリカを芙蓉はそっと抱き締める。浮かべる表情は自らを悪と謳う者とは思えないほど穏やかで、安らか。

 

「……苦しんでいる、そう叫ぶのは贅沢だったのだろうねぇ。世界ってのは残酷さぁ。そして世界から脱落して、箱の外から眺めてて、思ったんだ。勝った者が正義だ。そんな簡単な事実をね」

「……」

「勝ったら美談。だから、悲劇に見舞われた奴はおおよそ『可哀想』で終わるんだぁ。後になって幸せな奴が『悲劇の中にこんな美談があった!!』なんて言い出して」

「……そんな世界が、嫌になったのね」

「簡単に言えばそう言うことさぁ。所詮子供の見る範囲。一から百まで間違いだらけの的外れなことを言っているのかもしれない。そんな嫌な世界でも、私達はその中に居たかった。だから、悪でなければならなかった。だけど、悪として生きるにはあの世界は広すぎたの」

 

 エリカが不安そうに芙蓉の名前を呼ぶ。大丈夫とも何も言わず、ただ黙ってその髪を撫でた芙蓉は、空を仰いだ。

 そこに、あの世界の空は無い。芙蓉達が浮かずに済む別世界の空も無い。

 分かっている。浮かずに済む世界は虚構であり、四人だけの永久の孤独でしかないということを。魔理沙と文とパチュリーを連れ込んだ世界だ。何も無い場所だと言わずとも伝わる『幸せな奴』はもう居る。だから最後まで悪を全うして、幸せ者の美談として酒の肴にでもなれば良い。

 

 結局、これが、この異変の真相だった。

 

 生きていた証を、残したかった。

 それだけだった。

 

「……こんな私の最後の頼みがあるとしたら、せめてこの子、エリカだけは戦わせたくないの。何て、我が儘だけどね」

 

 芙蓉はエリカを離した。下がって、と一言だけ伝える。

 

 静かに聞いていた加奈子と神子、そして華扇は身構えた。

 

 誰に言われなくても分かる。

 これからが、本当に最後の戦いだ、と。

 

「……こんなことを言った後だけど、本気の本気でいかせてもらうよぉ。もう後には引けない。前にも進めない。空間から世界を操るこの私、竜胆芙蓉の有終の美を、せめて覚えていてくれないかなぁ」

 




あれ? 霊夢は?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章十話 空間の支配者

 芙蓉はエリカが十分な距離を取ったことを確認した。だが、その不安そうな声に耳を傾けたりはしない。既に決まっている覚悟を、もうこれ以上揺らがせはしない。これで終わらせる。今度こそ、生きたまま死ぬ。生きた、ここに居た、その証拠を世界に叩き付けて、正義を讃えて、死ぬ。

 自分が見て、渇望した世界は正しいのだと強引に肯定して、必要悪として消える。

 そうだ。もう、この世界で生きるという願望を押し殺して。

 

 世界が震えた。

 

 地面に、虚空に、黒い空に亀裂が走り、形容のしようがない禍々しい色の光が差し込む。

 同時に芙蓉は胸を抑え、大量の血を吐き出す。地面に血が滲み込み、倒れそうになりながらも芙蓉は加奈子等を見据える。手の甲で口元を拭い、血が混ざった唾を吐き出す。

 

「白夜『常住の終焉は理想郷の光より』」

 

 その光は纏まり、光線へと変化して無尽蔵に世界の中へと放たれる。それは悲劇と安寧を齎す終極の光。

 貫かれた時の運命等、考えたくもない。

 

 それが、加奈子等の全力を出させた。

 

 人を遥かに超越した三人は、予測不能の光線の雨を寸前で躱す。時に生み出した木柱を盾に、時に地面に転がっていた木の板を盾に、ありとあらゆる手段を駆使して回避する。

 

 だが、避け続けるだけでは意味が無いこともまた事実。

 神子は宝剣を握り直すと、地面を強く踏み込んだ。目の前から放たれた光線を跳んで回避し、全神経を研ぎ澄ます。本丸さえ止めてしまえば、この光線の嵐も収まるはずなのだ。

 

 芙蓉もただ眺めているだけではない。急接近してくる神子を見て、咄嗟に地面の砂利を蹴り上げる。

 大量に蹴り上げられた訳ではない。けれど、剣で切ることもできない目暗ましは神子の動きを制限する。光線に神経を集中させていた神子は、その突然の目暗ましに対処できず、宙を舞う砂利の中に顔から突っ込んでいった。

 

(しまった……!!)

 

 既に遅い。反射的に固く閉じた瞼は言うことを聞かず、取り残された聴覚が全方位からの射出音を捉える。

 避けられない。それでも咄嗟に体を縮こませて、光線の直撃を避けようとする。

 

 そんな神子の体が誰かの手によって強引に引き寄せられる。

 

「絶対に動かないでください!!」

 

 聞こえてきたのは華扇の叫び声。神子を抱きかかえた華扇は強引に横に飛んで光線の密集する場所を抜ける。同時に右手を背中に隠し、距離を無視したその拳で芙蓉を直接狙う。

 

 捉えた。芙蓉の左頬に食い込んだ拳を全力で振り抜き、殴り飛ばす。頭を大きく揺さぶられた芙蓉は地面を転がり、暫く呻いた。

 光線が霞む。

 華扇は神子を離し、同時に加奈子へと視線を送ると、二人は頷いた。

 

「龍符『ドラゴンズグロウル』」

 

 宣言した華扇はよろめきながらも立ち上がる芙蓉へと一気に接近する。彼女とて仙人、人を遥かに超えた速度の接近は容易。完全に隙を突かれた芙蓉には、今度こそ成す術が無い。

 

 ゴッ!! と鈍い殴打の音が炸裂する。

 

 振り上げられた拳、そして打ち出された青い光弾に打たれた芙蓉の体は棒のように無抵抗なまま宙に舞う。

 

「御柱『ライジングオンバシラ』」

 

 加奈子の追撃も無慈悲だった。無数に生み出された木柱が下から突き上げる様に芙蓉の体を狙う。既に態勢の整っていない芙蓉にとって、それは正真正銘の必殺技。空中で錐揉みしている今、正確にその位置を把握することすら難しいのだから。

 

 だから、選択を躊躇わなかった。眩む頭を抑えながら、早口で呟く。

 

「極夜『天地創造は崩落の闇に通ず』」

 

 それだけで、

 無数の木柱が全て、一瞬で粉砕された。

 

 それだけに留まらない。数多に刻まれていた空間の亀裂にそって、空間そのものがずれていく。嘘でも何でもなく、目に見える景色が断層のようにずれていく。華扇は驚愕し、理解が遅れて動きが止まってしまう。

 

「おいバカ!! とっとと逃げろ!!」

 

 加奈子が叫び、華扇はハッと我に返る。だが、その時にはずれる空間が華扇の腹部を貫いた。

 体が引き裂かれたりしたわけではない。華扇の体が空間と同じ様にずれて見えた訳でもない。

 

 華扇はガクガクと体を震わせながら加奈子と目を合わせた。両目は大きく見開かれ、半開きになった口元から涎が滴る。

 

 視界の隅で、着地した芙蓉が右手を握った。

 

「先ずは一人」

 

 呟く。その瞬間、華扇が大量の血を吐き出し、膝から崩れ落ちた。僅かに上下する胸でまだ息があることは確認できるけれど、そこには人形のように生気を感じられない。最早骸と言っても、誰も疑問を浮かべないだろう。

 

「安心してよぉ。元の世界に変えれば、元に戻るからさぁ」

 

 ゆらり立ち上がった芙蓉は相変わらず頭を抑えたままそう言う。

 ただ、その状態が、加奈子にはどうにも不気味に思えてしまった。

 

 異常だ。分かり切っていた事実を真正面から叩き付けられる。

 

 芙蓉は最早華扇に興味が無く、右手を開きながら一歩近付いてくる。

 

「忘れられた様子なのは心外だな」

 

 ダンッ!! と地面を強く蹴り、加奈子と芙蓉の間に神子が割り込んだ。芙蓉は僅かに顔をしかめたが、すぐに笑みを浮かべてスッと右手を前に伸ばす。すると、新たな亀裂が周囲一帯に走り、瞬く間にそれらが全てずれる。

 

「残念だが、内容が分かってしまえば対処は随分と容易になるのだよ」

 

 だが、加奈子と神子の周りだけは何の変化も起こらなかった。ただ神子は不敵な笑みを浮かべ、芙蓉は表情を曇らせる。

 神子が作ったのは全く新しい空間。芙蓉の干渉の外にある空間を強引に生み出し、亀裂から生まれるずれを強引に打ち消したのだ。

 

「……そうは言っても、その中に居ないと結局意味ないんじゃないのぉ?」

「……まぁ、その通り。ここから弾幕を張れても、貴方にはさして効果も無いでしょうよ」

 

 芙蓉は僅かに余裕を見せた。しかし、神子の笑みは消えなかった。

 

「目に見えた障害。攻撃の内容は一人の犠牲で確認済み。人間ならまだしも、妖怪や人外ともなると、そんな攻撃にはもう特に恐れたりはしないだろう。まして、その主たる貴方が見ているのは、紛れもなく私と加奈子の二人だ」

「つまり何が言いたいのぉ?」

「言うまでもないでしょう?」

 

 神子の声に合わせるように加奈子が右手を突き出した。身構える芙蓉だったが、何かが起きた訳ではない。

 生まれたのは静寂。黒一色の世界の下、瓦礫だらけの荒れた光景だけが広がる。

 

「……え?」

 

 気付いた。

 世界から一切の亀裂が消えている。

 風景のずれも、何もかもが消えている。

 

「そうさ。貴方が戦っていたのは、何も私達三人だけではない」

 

 漸く気付いた。

 

 神子と加奈子を挟んだ向こうに眼鏡を光らせる狸の妖怪。

 そうだ。この亀裂の消失は幻覚か。

 華扇と同じ様に、あの狸の妖怪を倒すことはできる。空間の亀裂を走らせろ、ずらせ、内側から崩すのだ。

 突破口を見付けた芙蓉は縋りつくようにその手段を選ぶ。

 

 それを嘲笑う様に、視界が赤に染まった。

 

 ただでさえ揺れていた頭が、致命的に揺らぐ。平衡感覚が、感触が薄れた。

 

 辛うじて見えたのは、紅い瞳の兎の妖怪。

 

 そして、拳を握って突っ込んでくる、あの紫色の髪の黒い人影だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章終話 世界の輪の中で

「ふようねえちゃん!!」

 

 白蓮に殴ろ飛ばされた芙蓉はそんな声を聞いた。ぼやける視界の隅、駆け寄って来たのは家族の様な少女の姿。

 糸杉エリカ。温もりも知らない、哀れな少女。真っ当な人生を歩むことができたなら、こんな現実を見なくても良かったであろう、哀れな少女だ。

 エリカは直ぐ傍で屈み、芙蓉の頬に触れる。

 

「えり、か……」

 

 少女の頬を撫でようと手を伸ばす。けれど、腕が上がらない。痛烈な二発目の打撃は彼女の体力を根こそぎ奪い取っていた。自分の内臓が真面な位置に収まっているのかも分からない。血を吐き出し、口元が真っ赤に汚れても、もう自力で拭うことすらできない。

 そんな芙蓉の左手をエリカは両手で包んだ。言うまでもなく、その左手も真っ赤に濡れている。

 

「いやだ、いやだよ……ねぇ、ふようねえちゃん……!!」

「……だいじょう、ぶよ、えりか」

 

 泣き出しそうなエリカに芙蓉は笑いかけた。

 

「死ぬわけじゃ、ないんだよぉ……もっと、遠い、場所に行くだけさぁ」

「いやだ!! えりかもいくもん!!」

「……それは、だめだねぇ」

 

 痛いくらいに左手を握り締めるエリカ。芙蓉はそれでも笑うしかなかった。

 黒い空。人里を模していた筈の瓦礫の山。その全てが、剥がれ落ちて行く。元の世界の曇天が、綺麗なままの建物が、漸く出てきていた名前も知らない里の住人が視界に入る。その人々は加奈子や神子、白蓮や鈴仙、その他の戦いに関与していた全ての者を取り囲むように集まる。

 

「……もう、時間がないや」

 

 芙蓉は言った。エリカは嫌だ嫌だと叫ぶばかり。

 加奈子達は何も言わなかった。

 

『おい!! あのお嬢ちゃん大丈夫なのか!?』

『医者だ医者!! 早く呼んでこい!!』

 

 そして聞こえてくるのは里の人々の声。

 芙蓉のことを言う、大多数の声。

 

 それは非難ではない。誰もが凄惨な姿を心配している。

 ただ、やることは医者を呼ぶばかりで、他に何かしようとする者は居なかった。

 

 その方が、良かったのだろうか。

 

「やっと……認知して、もらえたんだねぇ……」

 

 それでも良かったのだ。

 初めて、この世界の輪の中に、入ることができたのだから。

 

「……皆さん!! 怪我人は彼女以外にも複数名居ます!! 何があったかの説明はいずれしますから、今は治療できる場所を提供してください!!」

「野次馬は控えて。心配ならそのように団結してください!!」

 

 そんな時に、白蓮と神子が叫んだ。すると、初め民衆はどよめき、そしてわらわらと人が散らばり始める。内の部屋なら十分空いている、応急手当てが出来そうなものを持ってくる。そんなやり取りを交わしながら、三々五々に散っていく。

 

 それはもう、芙蓉がただ輪の中に居るだけではなかった。

 気が付けば、彼女を中心に、誰もが彼女のことを第一に考えていたのだ。

 

 芙蓉は瞳だけを動かして白蓮と神子を見る。言葉こそ何も話さないけれど、ただ大丈夫だと目で語っていた。

 

 それが、芙蓉の中の堰を決壊させる。

 

 一粒溢れた雫が、星屑の様な雫が止めどなく瞳から零れていく。

 もう感情を言葉にすることすらできなかった。何もかも失って、それでも生きてきて、そうして最後に見せてくれた、この世界の輪。それは彼女が異変を起こすより前に思っていた認知のされ方とは違う。

 

 そんなやり方よりも、ずっとずっと、温かくて優しい方法。

 

「ふようねえちゃん……」

「……こんな世界なら、エリカも希望を持ってくれるのかなぁ……」

 

 エリカは首を振る。

 それも仕方がなかった。

 

 エリカは今芙蓉が感じる感動も何も、まだ分かっていないのだ。

 どれだけ必死になって、漸く辿り着いた今なのかを、分かっていないのだ。

 

「……エリカ、はね。エリカは、操るものが私や撫子達とは違うから……多分、一緒には、来れないの」

「いやだもん!! いっしょに、いっしょにいくもん!!」

「本当……我が儘、だなぁ……」

 

 芙蓉は最後の力を振り絞った。

 震えながらも右手を挙げて、エリカの頬を撫でた。

 

 それはエリカに与えられる、最後の温もりだと芙蓉は悟る。

 さようなら。その代わり。

 

「……自分を、押し殺しちゃあいけない。奥底でくすぶって、もがくくらいなら……逃げても、良い。心だけ、死んでしまわない、ようにね……」

 

 エリカが左手を握る力が更に強くなる。

 

「なら……いまの、わたしのはなしを、きいてよ……なでしこねえちゃんとかなつめねえちゃんみたいに……どこかにいかないでよ……」

「……そうだよねぇ」

 

 芙蓉は説得を諦めた。

 どうせ放っておけば自分は消える。何かの手違いでエリカが付いて来ることは避けたいけれど、仮に来てしまってもまた四人に戻れるだけなのだ。

 

 なるように、なれば良い。

 

「……あーらら、もう終わっちまったみたいだね。随分と遅くなったのが運の尽きかな?」

「呑気なこと抜かしてんじゃないわよ」

 

 そんな時に聞こえてきた。聞いたことのない二つの声。

 里の人の声とは明らかに違う声。カツンカツンと近付く足音が鮮明に聞こえてくる。

 

「霊夢……!?」

「あらら、仙人さん。死神のあたいを無視するたぁワザとかい? まぁ、今は良いんだが」

 

 神子が声を上げた。何とか見えた赤髪の女性が皮肉のように返答する。それを無視して近付いてくる霊夢と呼ばれた少女。

 温かみとも冷淡とも取れる光を瞳に浮かべ。お払い棒を片手に歩いて来る。

 

「だれ……!? ふようねえちゃんにわるいことするの……!?」

「……損得はそちらに委ねる。私は博麗霊夢。色々あるけど、端的に言うなら人間が妖怪になることを防ぐ者よ」

 

 誰かに制止させられることもなく、霊夢は二人の傍に来た。妖怪だとか人間だとか、そういうことを理解していないエリカは直感的に敵であると判断する。

 それは既に結界寸前だったエリカの心を崩すには十分だった。

 芙蓉の左手を握る手を離し、叫びながら白い光球を生み出す。それを力任せに霊夢の胸へと叩き込んだ。

 

 それなのに。

 

「……残念だけど、そっちの子には時間が無さそうじゃない。いつもならそのお遊びにも付き合うのだけど、今はそうする余裕が無いの」

 

 全く、聞かなかった。

 

「あ、あぁ……」

「ごめんなさいね。さて……そこの寝てるの」

「寝てるの、とは心外、だなぁ……」

 

 エリカの手首を右手で掴んだ霊夢はそのまま芙蓉に話し掛ける。

 芙蓉は何となくだが何を言い出すのか分かっていた。その返答も決めた。

 霊夢は一度深呼吸をすると芙蓉に切り出す。

 

「今にも消えそうだけど、貴方達はもう幻想郷に居られない。無論、それはここのバランスを崩しかねないからよ」

「だろうねぇ……」

「……だから、どうあっても貴方達二人には消えてもらう。それを私が執行するの」

「……そうかい」

 

 霊夢は左手でお払い棒を振り上げた。

 周囲がどよめく。エリカが泣き叫ぶ。

 

 そこに慈悲は無い。ただ、同情と哀れみだけがある。

 

「……本当、最後の最後だけ、戦ってもない私が持っていくのは無礼だと思う。だけど許して欲しい」

「許すも何も、何でも良いさぁ。世界の輪に、入れたんだ。世界のルールに……裁かれるのは、当然だから、ねぇ……」

 

 芙蓉は最後まで穏やかだった。

 

 最後まで戦ってくれた、この世界の全てに感謝をして。

 そしてこの世界に別れを告げよう。

 

「……さようなら。再び幸福が訪れることを……願っているわ」

 




はい、十章も終了です!!
次の章は最後になるのかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一章 それは、秘めた思い
第十一章一話 迷い


 あの異変から早くも一週間が過ぎようとしていた。燦々と照りつける太陽はずっと地面を焦がしていたけれど、今日は曇天。いつか見た空と同じ、どこまで重く、暗い雲の空。

 そして今は夕刻。いつもならば綺麗な夕陽が西の山へと沈んでいく幻想的な光景が眺められただろうに、生憎と雲はそれを許さない。

 

 そんな博麗神社の境内にて、食器を入れた桶を運んでいた霊夢は一人、溜息を吐いた。誰かが聞いている訳ではない。聞かれたい訳でもない。憂鬱な心模様を打ち明けるにも、それをしても許される相手もまた分からない。今日は異変の解決を記念した宴会の日ではあるが、果して彼女はそこで笑っていられるのだろうか。あの時から一週間ほど、異変の後処理に追われて誰かとゆっくり過ごすなんて余裕も無かったのだ。

 

「……何人来るのかしらねぇ」

 

 そう呟く声にも覇気が無い。少しでも何かがあると切れてしまう細い糸で支えられている様な彼女は、機械的に敷物の上に食器を並べ始めた。

 

 もっと道はあった。

 あった、はずだった。

 

 けれど、霊夢が諭された道は、かの首謀者の消失だけだったのだ。

 

『貴方は件の二人を、妖怪を消すのと同じ手段を用いて消してくれるだけで良いわ。何を気にすることも無い。彼女達が誰であるのか、貴方は知る必要もないし、詮索をしても分からない。霊夢、良いかしら。貴方はただ、何も考えずに消し去るの』

 

 凡そ一週間前、ゆかりに言われた言葉が頭を過る。まるで全ての物事の責任を押し付ける為に、一方的に言われた様な言葉だ。

 恐らくそれは思い込み過ぎているのだろう。だが、やはり腑に落ちなかった。

 

 何も知らなくても、最後の最後だけ関与しただけでも分かる。

 彼女達は人間だった。限りなく人間から外れた人間だった。更に言えば、幻想郷の人間でなかった以上、霊夢が手を下す理由も無い。博麗神社に連れて行けば外に帰ることができたかもしれないのだ。

 

 端的に言えば、消す理由がまだ無かった。

 まして、仮に人の道を外れて妖となったとしても、幻想郷の中に完全に属していない以上大きな影響力がある訳でもない。難しいかもしれないけれど、妖怪として歓迎することも不可能ではなかっただろう。

 些細な話ではあるけれど、あの時手を下した二人は嘗て霊夢達と戦った棗と名乗る少女でもなかった。

 

 霊夢は何も、分かっていなかった。

 その状態で、最後だけ任されたのだ。

 

「……あれは、正解だったの?」

「知らん。知る気は無いが、興味はあるな」

 

 返って来ないと思っていた、呟きへの返答。振り向けば、そこには魔理沙が立っていた。

 

「魔理沙……怪我はもう大丈夫なの?」

「ばっちりだぜ。この通りピンピンだ。とは言え、永琳には派手に動くなって言われているけどな」

「そう。ま、来たからには手伝いなさいよね」

「おうよ」

 

 ワザとらしく敬礼した魔理沙は早速桶の中の食器に手を伸ばす。とは言っても暇を見付けては霊夢の脇腹を突いたりと、霊夢と比べたら余裕があった。

 しかし、流石の魔理沙の霊夢があまりにも無反応だと心配になってくる。いつもならばニ三回突いたら怒られたり、頭を本気で殴られたりするものなのに。今は、何度突いても何の反応も示さなかった。

 

 それはまるで、人形のような。

 霊夢と言う名前の空白。

 

 直感的に魔理沙はそう思っていた。

 霊夢とアリス、そして小町と共に退治したパチュリー。それと同じような状態だったアリス。そこに何か近いものを感じながら、しかし決定的にその正体を掴めない。

 ただ、今の霊夢には中身が無かった。

 

 中身が無いように見えて、実は莫大な火薬を貯め込んだ爆弾でもあるのか。本当に、決壊すれば何も残らずしぼんでしまう、風船のような虚無なのか。

 

 カチャカチャと、食器同士がぶつかる音。

 それが魔理沙の心の中に拍車をかけ、気が付けば突いていた手で霊夢の肩を掴んでいた。

 

「……何?」

「……あ、あぁ、いや……その、なんだ」

「……」

「貯め込むなよ」

「……ぶちまけて良いかしら。そうね、愚痴と言うか、弱音と言うか」

 

 もう一度振り返った霊夢は弱弱しく微笑んだ。

 普段の霊夢ではない霊夢が、そこに居た。

 

 思わず魔理沙は食器を置いて、霊夢と向かい合う様に座る。しかし霊夢は恥ずかしがるように体を横に向けると、ぼんやりと空を見上げた。

 

「……私は、幻想郷を守る役目を担っているじゃない」

「そうだな」

「だけどさ……あくまでも、それは他人の言う通り動いているだけ。守るんじゃない。その他人の思うがままの姿形に幻想郷を変えているって言うのが、真実なんじゃないかなって」

「そう、なのか?」

「例えば紫。今回の件もそうだった。言われるがまま私は首謀者を消したけれど……それは本当に、幻想郷を守ったってことになるの?」

 

 必死だった。

 普段の彼女なら迷う筈もないことなのに。何故霊夢はこんなにも揺らいでいるのか。

 

 正しいことを見失っている。その正しいことを魔理沙は知らない。

 

 かけるべき言葉が分からない。中途半端な肯定を口にする訳にはいかない。

 そう、思っていた時にはもう、遅れていた。

 

「分からない……分からないのよ!! 何が正しかったの? あの子達……名前も知らないあの子達はどうして消えなければならなかったの? ねぇ、おかしいじゃない!! こんなの……こんなの理不尽じゃない!!」

「落ち着けって……」

「何も知らないからそう言えるのよッ!!」

 

 怒声。

 答える声は無い。

 

「……教えなさいよ」

「……私に言われても困るぜ。そもそも、普段のお前はそんな疑問を浮かべないからな」

「それでも、嘘でも良いから……虚言でも良いから……正しいことを、教えてよ……」

 

 泣き始める霊夢を見て、魔理沙は確信した。

 

 確実に、霊夢は無意識のうちに何かの干渉を受けた。それこそ、霊夢が信じて疑わなかった行動を疑問に思う程、根本から人格を覆すような干渉を。

 

 今回の異変でもあった。

 暴走し、異常な思考に変わってしまうことが。それと同じならば。

 

「……霊夢」

「何よ」

「がっかりだぜ。失望したよ」

「……え?」

「お前がそんな、腐った奴だったなんてな」

「どういう、意味よ」

「意味も分からんか。そのままの意味なんだが」

 

 意識を奪えば良い。

 魔理沙はポケットからミニ八卦炉を取り出す。

 

 終わったと聞いた異変の、最大の事後処理は、どうやら骨が折れそうだ。

 

「……よくも言えたわね。何も、何も知らないくせに……!!」

「おぉ、おぉ。そうだそうだ、激昂しろ」

「何も、理解しようともしないくせに……ッ!!」

 

 言われるがままに激昂した霊夢もまた、ポケットからお札を取り出す。

 

 そうだ、霊夢を倒せばすべてが漸く終わる。

 

 今宵の酒の肴に、いい話が出来そうだ。魔理沙はそう思うと、自然と笑っていた。

 生き残ることができたなら、の話だが。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一章二話 夕刻の賢者

 博麗神社に歩いていくのなら、森の中の獣道を通る必要がある。昼間であっても決して明るくないのだが、夕方は西日の影響で多少の光が差し込む。夏も近い今頃はこの時刻になるとちらちらと虫の声が聞こえ、危険性を度外視すれば、心を休めるのに持って来いの場所になっている。故に、並大抵の妖怪や獣なら容易く屠ることができる強者なら、この道はただの安らぎの道になるのだ。

 

「紫も物好きねぇ。わざわざ歩いていかなくても良いでしょうに」

「あら、そうかしら? 時にこのような道を行くのも悪くないと思うのだけど」

「そうかしらねぇ」

 

 八雲紫、そして西行寺幽々子。彼女等はそれぞれ妖夢と藍を従えてその獣道を歩いていた。

 幽々子は閉じた扇子を口元に当て、空を行く鴉を眺める。隣の紫は特に視線を動かしたりはしていないけれど、ただ雰囲気に楽しさを感じている様子。

 しかし、幽々子はそんな紫の瞳の奥に怪し気なものを感じ取っていた。

 長年友人として付き合ってきた彼女だからこそ分かるその僅かな気配。まだ何か、重大なことを隠している様な気配があるのだ。

 反面、幽々子には特に不安を抱く様子は見られない。それは彼女が紫のことを信頼している証だろう。少なくとも、不利益なことを紫がする筈がないという確信があるのだ。

 だからこそ幽々子は遠回しに紫に尋ねる。

 

「酒の肴はまだ無いのかしら?」

「今は、ね。何より、それは喜怒哀楽を生むに値する肴になるであろうことは間違いないわ」

「怒ったり哀しんだりできるのねぇ」

「あら、そこだけ着目するの」

「生憎、私は喜びと楽しみに満ち溢れていますから」

 

 くすくす笑い合う二人。前を行く妖夢と藍は訝しむ様に振り返ったが特に何も言わず、そのまま向き直って談笑を再開した。

 

「それでもねぇ、今宵の酒の肴にはそれなりに準備が必要なの。後はそうねぇ、今から協力者も募らないと」

「あらあら、もう少しで宴会じゃない。間に合うの?」

「大丈夫よ。間に合わせるから。いや、間に合うようになるからね」

 

 幽々子は「なるほど」と呟き、妖夢の肩をトンと叩いた。微笑みながら和気藹々と談笑していた妖夢は「ぴぃっ!!」と奇声を上げた。頬を紅くし、僅かにふるふる震えながら振り返った妖夢の額をつんと突いた幽々子は笑みを浮かべたまま言う。

 

「妖夢、先に行って、霊夢の手伝いをして来てもらえるかしら」

「は、はぁ。分かりました」

「それじゃ、行ってらっしゃい」

 

 言われ、妖夢は頷くと、藍に「ではまた、後程」と言って駆けて行った。獣道の奥、段々と見えなくなる背中。自然と藍は紫の隣に立った。とは言え二人の会話に入ろうとはせず、自然を眺める振りをしながら歩く。

 

「がんばってねぇ」

 

 もう見えない背中にそんな声を投げかける幽々子。それ以上に応援する素振りも心配する様子も見せない幽々子を咎めるように紫が袖を引くと、幽々子は扇子で口元を隠した。

 

「……従者に厳しいのは紫も変わらないでしょう? 可愛い子には旅をさせるべきなのよ」

「あら、そんなことないわ。ね?」

「……失礼ながら、それは私に答えを強制させているのでは。首を横に振るとまた躾を受けるのでしょう……?」

「あらら、釣れないわねぇ」

 

 頬を膨らませる紫を横目で見た藍。しかし大きくため息を吐いた後、ワザとらしく大きく首を縦に振った。勝ち誇ったように扇子を畳んだ幽々子は仕返しとばかりに紫の脇腹を小突いた。藍の顔が引きつる。

 そんなことをしている内に、西の陽が山の頂上に触れていた。東の空から覆う黒い夜。それは即ち妖怪の時間の訪れ。宴を前に、紫は珍しく高揚していた。万人の理想郷はまたその側面を表していく。

 

 全てを受け入れる。それは水面下の秩序があってこそ。

 その秩序を乱す者の居場所は無い。

 

「……藍。幽々子と一緒に先に行っていてもらえるかしら。野暮用を思い出したの」

「仰れば私が行きますよ」

「あぁ、いえ、大丈夫よ。従者には優しく優しく」

「……」

 

 何処か言いたいことを残している様子の藍だったが、再び溜息を吐くと幽々子を促した。立ち止まった紫に一礼し、長い九尾を揺らしながら歩いていく背中。それが遠くへと行く前に紫もまた踵を返して来た道を戻っていた。

 正面に見えるは太陽。幻想的な朱色。物思いに耽ることもなく、ぽつりぽつりと進む。

 

 酒の肴の準備をしよう。その為の協力者に会いに行こう。

 

 初めは予想もしていなかった件の異変も、終わった今は彼女の掌中の出来事。彼女以外の誰も知らない結末を、今漸く幻想郷が受け入れる。全ては面白く、腹を抱えて笑ってしまう程上手くいっていた。

 

 嫉妬すら覚える程にこの世界は美しい。

 狂おしい程全てが素晴らしい。

 

 今は居ない少女達の執着も今なら分かる。その声を、言葉を、スキマの向こうからでしか聞いたことのない紫でも、何となく理解できた。

 まして直接手を下した霊夢なら。

 

 頭上は藍色。

 神社の上はもう闇夜だろうか。

 

 陽が沈んでしまう前に。

 

 先の異変はまだ、終わりを告げない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一章三話 階段

 熱い吐息が漏れる。気が付けば暗い足元に気を付けて階段を駆け上る妖夢の額には汗の珠が浮かんでいた。何度となく登ったこの神社前の階段も、今は何故か懐かしく感じる。

 先の異変が終わり、宴会を開くと言うことで、妖夢の心にも漸く余裕が生まれてきた。しかし、最後の最後に敵の掌中に落ちていたと言う事実だけはどうにも払拭できない。仕方なかったとはいえ、主のことを任せきりにしてしまったことも、彼女にとって負い目でしかない。

 彼女が知る中で、あの異変は目に見えた被害が一番大きかった。その中で、自分がとても深い場所で関与していたのではないだろうかとも薄々感じている。腕の中で消えていったあの少女の面影を何処かに求めては、しかし居ないと分かり切った現実に阻まれる。

 

 本当に、消えてしまうことが。

 彼女達ではない、この幻想郷にとって正解だったのだろうか。

 

 異変が終わった今、新たに浮かんでいるこの疑問の答えとなる導は無い。あの見知らぬ世界の入り口を見付けることさえ、妖夢には敵わなかった。

 

 しかし、何も全てが負の方向だった訳ではない。あの異変から様々な者、特に鈴仙や美鈴、そして妹紅と言った者達と親しくなった。鈴仙とは約束通り美鈴を連れて一度飲みにも出かけたりもした。漠然とした日々の中、また新しい芽を見付けて健気に水をやる。それは前と変わった様で、変わっていない様な気もする。

 

 それでも、思うのだ。

 もしも、心の奥底をひけらかして良いのならば、もう一度あの撫子と名乗った少女に会ってみたい。会って、世界に花を咲かせてみたい。何でもいい。人里でお茶を飲んだり、できたら冥界の桜だって見せてあげたい。

 あのまま彼女、いや、彼女達が救われないのであるならば、それはどうしようもなく嫌なのだ。せめて、彼女等の灰色の世界を彩ってあげたい。それだけで良い。

 

 けれど、もうきっと、この思いは届かない。

 

「……知らずに、ただ敵として倒していたならなんて、思うのは罪なのかなぁ」

 

 そうであるのなら、今こうして蟠りを抱えてはいなかった筈だ。終わったことを思っても仕方ない。それは分かっているのに、やはり浮かんでくるのはそのことばかり。

 せめてそれを解消しよう。そう思った妖夢はまた更に走る速度を上げ、階段を一気に駆け上がる。誰かと話をしている時だけは、そんな蟠りも何もかも感じないで済むのだから。

 

 段々と大きくなる鳥居。息と一緒に漏れる声を押し殺すこともせず、登っていく。

 その登り切る直前、丁度神社の境内と目線が同じ高さになった瞬間のこと。

 

 真っ黒い何かが砲弾のように吹き飛ばされてきた。

 

「ふわぁっ!?」

 

 咄嗟にその黒い何かを受け止めたのは良いのだが、衝撃で体が仰け反る。下にあるのは崖の様に長く急な階段。驚きは一瞬で消え、本格的な命への恐怖心が沸き起こる。

 

 落ちる。

 

 妙にゆったりとした時間の中で、妖夢の体にはびっしりと鳥肌が立っていた。妖夢は無我夢中且つ本能的に霊力を生成し、浮遊に移行する。直後に体は重さを取り戻し、感覚的な時間は一瞬で元に戻る。同時に黒い何かを見る余裕は生まれた。

 仄かに暖かい、人の様な。いや、金髪に真っ黒の服を着るそれは間違いなく人、それか妖怪だ。同時に、その金髪黒色は妖夢にとっても見覚えしかないもの。幻想郷の人の中では珍しいその風貌はあの魔法使い。

 

「ま、魔理沙さん!?」

「……妖夢、か?」

 

 妖夢の驚きの声に反応した黒い何か、及び霧雨魔理沙が反応した。自らを抱きかかえる妖夢の顔を見た魔理沙は安堵した様に息を吐くと、途端に顔を歪めた。

 

「大丈夫?」

「いっちち……ちょっとへましたぜ。あぁ、自分で飛べるから大丈夫だ」

 

 魔理沙はミニ八卦炉を持つ腕を抑えながらも妖夢の腕から抜け、自力での浮遊を始める。普通ではないその様子に妖夢は戸惑い、鳥居と魔理沙を交互に見遣っていた。

 間違いなく神社で何かがあった。それが魔法の失敗などと言う杞憂に終われば良いのだが。しかし、この妙な胸騒ぎは何だ。無意識の内に刀へと伸びる手を止めるものは無い。隣で魔理沙が額を手の甲で拭い、忌々しそうに呟く。

 

「霊夢だぜ。アイツは今、敵だ」

「えっ……? 一体何が……」

「よく分からん。分かったところでマシなもんじゃないだろうな。アイツは今、ただのバーサーカーだ。悔しい話だが……打ち勝つのは無理だろうよ」

 

 簡単にそう言われた所で理解できるかと言われるとまた別の話。だが、ミニ八卦炉に木片を詰め込んでいる魔理沙にそれを聞く余裕は無かった。兎に角、霊夢と戦っていることだけは間違いない。果たして魔理沙が味方なのか、それとも魔理沙が敵なのか。そんな疑いさえ持ってしまうけれど、実際の霊夢を見てみれば解決するはずだ。

 

 妖夢は刀に手を掛ける。何処から来ても、気付くことができたなら対処もできる。遠くに聞こえる蝉の声以外の音が遠退いた中、どちらかが唾をのむ音が響いた。

 

「来るぞッ!!」

 

 魔理沙が叫ぶ。それと同時に鳥居の向こうから無数の光弾が襲い掛かってきた。

 今までに見たどの弾幕よりも高密度。それでいて高火力だと言うことは一目瞭然。刀で弾くなどと言う次元ではないと直感した妖夢は迷うことも無く横へと飛ぶように避けた。

 

 光弾が地面に着弾し、衝撃が服を大きく揺さぶる。幸い怪我はしていないが、魔理沙も同じかは分からない。舞い上がる粉塵の中、必死にその名前を呼ぶ。

 

 だが、聞こえてきたのは返答ではなくて足音。トン、トン、と階段を下りてくる音。

 

「……一人増えたのね」

「霊夢さん……ですか……?」

「まぁ、いいわ。うん、どうでも」

 

 奇妙な程のっぺりとした声が粉塵を越えて聞こえてきた。

 間違う筈もない霊夢の声。

 

 感じたのは、純粋な殺意。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一章四話 異変の残り

 ゆっくりと、ゆらりゆらりと近付いてくる霊夢。粉塵が晴れて見えた瞳に光は無い。ただ人形が歩いているだけのような、意思や理念も何もかも感じられない。

 あれは、本当に霊夢なのだろうか? 浮かんできたそんな疑問はしかし、口に出す余裕は無い。一歩ずつ近付いてくる。進行形で侵食される間合い。まして相手は幻想郷でも頭一つ抜けた実力を持つ霊夢なのだ。

 魔理沙の方を見ることができない。ただ霊夢を凝視して、霊夢が詰めてくる間合いが自身の必殺の領域になるまで待つ。

 

 極度の緊張と蝉の声。

 

 嫌な汗が背中を濡らす。

 

 白楼剣の柄に掛けた右手に、必要以上の力が籠る。

 

 トン、と足音がした。

 

「ふんっ……!!」

 

 短く息を吐き、霊夢の首筋をピタリと狙った抜刀術を放つ。鋭く空気が裂かれる音。寸分の狂いも迷いもない一閃は明確に獲物を捕らえる。

 

 ただそれは、相手が非凡でない場合のみ。

 

 霊夢は表情一つ変えずに上半身を大きく仰け反らせ、その一閃を回避する。その前髪が三本ほど僅かに切られたが、それでも尚表情は変わらない。階段に片手を付いた霊夢はそのまま振り上げた右踵で妖夢の顎を狙う。妖夢は態勢を整える間も無く、強引に左肘で受け止めた。肘から腕、肩へと鈍痛が走り、妖夢の顔が僅かに歪む。その間に霊夢は器用に体を回転させ、妖夢の側頭部を狙って左足で薙ぐ。

 

 その直撃を受け、視界の右半分が赤く瞬いた。一瞬刈り取られた意識は階段に叩き付けられた衝撃で強引に呼び戻さる。それが連なる痛みを無理矢理に体へと刻み付け、思わず妖夢は手から白楼剣を落としてしまう。何とか自身は踏みとどまったが、白楼剣はカンコンと音を立てて遥か下方へと滑るように落ちていく。

 

 しかし霊夢は待ってくれない。ポケットからお札を抜き取ると、下方の妖夢に向けて飛び上がった。

 

(避けるしか……ッ!!)

 

 階段の上。態勢を崩せば吸い込まれる様に転げ落ちて行ってしまう。

 その逡巡が、決定的に行動を遅らせる。

 

「ちょっと失礼するぜ!!」

 

 そんな妖夢を横から飛び出してきた魔理沙が拾い上げた。変な悲鳴を上げた後、既に誰も居なくなった場所に霊夢が着地する。よろける様子も無く、ゆっくりと顔を動かして魔理沙達を目で追う。

 

 魔理沙は躊躇も無くミニ八卦炉を構えた。

 

「恋符『マスタースパーク』!!」

 

 抱えられている妖夢までもを反動が襲う。情けない悲鳴を上げる妖夢を無視して魔理沙は射出を続ける。不安定な足場の所為か全力を出し切ることができないけれど、超至近距離で放たれた閃光を避けることはほぼ不可能だ。確かな手ごたえを感じる魔理沙はゆっくりと妖夢を下ろす。

 

 その瞬間を狙う様に、閃光の向こうから無数の光弾が放たれた。

 完全に不意を突かれた二人に光弾が直撃し、階段を外れて木々の向こうへと吹き飛ばされる。

 

「あ、ぐぁ……」

 

 太い木に背中や頭を打ち付けた二人は昏倒し、急な斜面に転がる。手から離れたミニ八卦炉が転がっていくのを追うこともできず、意識を戻そうと魔理沙は必死に頭を叩く。当たり所が悪かったのか妖夢は呻くばかりで、最早真面に動ける状態ではない。

 そんな二人にゆっくりと近付く霊夢。

 

「……何が、正解なのよ」

「……知るかよ」

 

 感情の籠っていない声に吐き捨てるように答える。

 

「今のお前に答えても、何一つ解決しないからなッ!!」

 

 まだ眩む頭を抑えたまま、魔理沙は叫ぶ。打ち出すのはなけなしの光弾。霊夢にはまるで効果が無い、そんな一撃。

 諦める訳にはいかないけれど、分かっていた。

 敵う訳がないのだ。

 

 心の何処かには、勝てるかな、何て思っていた自分も居た。けれど、今目の前に居る相手はそんな低次元に居るのではない。

 

 敵対する者を問答無用で倒すことができる、文字通りの最強無敵。

 

 たった一発の光弾は呆気なく打ち消された。

 

「……はぁ」

 

 魔理沙は深く溜息を吐いた。

 

 霊夢があの異変の中でどれ程戦ったのかは知らない。

 それでも自分はそれなりの修羅場をくぐり抜けた。過度な自慢はしたくないけれど、自分の中では誇れる部類に入る筈だ。

 

 そんな経験はやはり関係なかった。

 惑う友人一人を正す。こんなことにさえ至らなかった。

 挙句の果てには今、自分以外にもう一人、その命を危険にさらす羽目になっている。

 

 それは今、明確に自覚した奥底に巣食う心の闇。嫉妬、そして憧れと恨み。

 

「……う、あ、あああああああああああ!!!!」

 

 叫んだ。

 もう何もかも分からない。

 

 一体何に影響を受けた?

 どうして陽気に考えられない?

 何故下ばかりを見る?

 

 そもそも自分は、何の為に頑張っていたんだ?

 

 あぁ、そうか。

 これが、そう言うことなのか。

 

 実際にその光景を目の当たりにした訳ではない。

 だが、これはきっと。

 

 霊夢が最後に受けたであろう攻撃が巻き起こす負の連鎖。

 

 否定的思考の拡散。関われば関わる程に、希望の芽を摘んでいく。

 

 その解決法なんて、知る訳がないじゃないか。

 

「あ、あぁ……」

 

 悲痛な、少女の声が聞こえた。きっと妖夢だけれど、もう顔を向ける気になれない。顔を向けたら最後、これ以上の犠牲を増やすだけになるのだから。僅かに残った信念が負の感情を食い止める。善悪も何もかも混ざり合った以上な思考を掻き消すために、ただただ叫んだ。

 

 いや、僅かに違うな。

 これは後天的に浮かび上がった感情ではない。

 

 沸々と、心の深遠なる闇の向こうから押し寄せてくる、元から抱いていたものなんだ。

 

 せめて、この状況を変えてくれる様な、楽天的な馬鹿が居てくれたらなぁ。

 

「空が綺麗なんだから喧嘩とか止めさせるよ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一章終話 初夏の終わり

 小柄な少女が割り込んできた。丁度魔理沙と同じ位の身長の少女だ。木々の間を器用に縫いながら滑り降りてきた少女は飛び上がり、霊夢に殴りかかる。その顔に浮かぶ無邪気で自信に溢れた表情に、魔理沙は見覚えがあった。

 

 霊夢は軽々と後ろに下がって一撃を避ける。その元立っていた場所に少女の拳が突き刺さり、湿った土が派手に舞い上がった。鬼のような馬鹿力を発揮していながら、全く苦を見せないまま続けて霊夢に殴りかかる。霊夢は両手で拳を受け止めると、少女を狙う様に全方位から光弾を放つ。

 

 着弾。土と白煙が舞い上がり、少女の姿が隠れて見えなくなる。

 

 その煙幕の向こうから小さな石が高速で飛んできた。

 

「くっそ……!!」

 

 言葉を汚した霊夢は今までにない全力の回避。寸分の狂いなく霊夢の眉間を狙っていた小石は直線上にあった木の枝を粉砕し、空へと消えていく。何とか避けることはできたが、完全に座り込んでしまった。

 

 だが、小石は一発だけではない。粉塵を段々と吹き飛ばしながら飛んで来る無数の小石。直撃すれば骨まで砕きそうな破壊力。避けたままの中途半端な態勢の霊夢は咄嗟に結界を張り、強引に防御する。

 

「そこを狙っていたのさッ!!」

 

 その声と共に、少女自ら霊夢へと突撃してくる。結界は小石を全て粉々に壊しているが、少女はそれを気にしなかった。

 固く握りしめた拳を全力で結界に叩き付ける。たったそれだけで、結界が粉砕された。

 

「え、え……!?」

「どうよ、理解の範疇に居ない敵!! とは言っても一度会い見えて且つ戦った間だ。今度はこっちのリベンジマッチと行くよ!!」

 

 拳を振り上げる。舌打ちした霊夢は靴で地面の土を救い上げ、一瞬の目暗ましをする。立ち上がる時間も無く、這うように距離を取った霊夢はポケットから無数の札を引き抜く。

 

 間違いない。

 少女は、酸漿棗。話に聞いた限りでは、既に幻想郷には居ない筈の存在。

 

「春雨魔理沙!!」

「霧雨だぜ」

 

 目元の土を払った棗は叫ぶ。

 

「勝つよ、私。もう、勝つんだ!! 下を見るだけの時はもう、全て昔の話だからさ!!」

 

 同時に放たれた、妖怪を問答無用で封印する無数の札。

 

 棗は動かなかった。

 

 棗を、そして魔理沙と妖夢も庇う様に、突然地面から白い壁がそびえ立った。それが札を全て受け止め、無効化する。

 

「間に合ったかしら!?」

 

 その壁は瞬時に消え、代わりに現れたのは背中から生やした無数の白い腕で蜘蛛のように移動する少女。彼女は棗と霊夢の間に割って入ると、動きを封じようとその白い腕を伸ばす。霊夢は自分を守る様に立方体型の結界を張ると、少女を睨みつけた。

 少女は笑う。最初から、霊夢の体を戒めようとはしていなかった。ただその近くに無数の腕を突き刺すことで、行動範囲を極端に減らす。

 

「見たら分かると思うけど、私は束縛が得意でね。そこの少女……妖夢と言ったかしら、に聞けば色々と教えてもらえる筈よ」

「小癪な奴ね……!!」

「何とでも言えば良いわ」

 

 自分に害が無いと分かると霊夢は結界を解除し、至近距離の少女へと光弾を見舞う。だがそれは新たに出現した白い盾が防ぎ、ついでに霊夢を叩き潰そうとその盾を地面へ振り下ろした。

 巨大な杭のような一撃は深く地面に突き刺さる。避けた霊夢は密集する腕の一本にぶつかり、態勢を僅かに崩した。

 

「私は浅茅撫子。初めてお見受けするわね、博麗の巫女様」

 

 白い腕の檻。その外で妖夢はその名を聞いた。

 

「撫子、さん……?」

「久しぶりね、健気なお嬢さん。情けなくも帰って来たわ。約束は果たさないとね」

 

 まだ残る、あの感触が蘇る。

 儚く消えていった、あの時あの瞬間の感触が。

 

「さて、話は後にしましょうか……棗!!」

「あいさ!!」

 

 白い腕の間をすり抜け、棗が霊夢に接近する。態勢の崩れた霊夢には彼女の攻撃を完璧に回避する術はない。打ち出された拳を自らの腕を交差して防いだけれど、その華奢な体は簡単に殴り飛ばされる。抵抗もできないまま幾つもの白い腕に体を叩きつけられ、そして木に叩き付けられたことで漸く勢いが止まる。

 

「この……!!」

「あれだけ派手にふっ飛ばしても動けるの……?」

「相手は博麗の巫女よ。伊達なことでは意識も奪えないでしょ。それでも、チェックメイトになるかしら?」

 

 そんな会話を聞いて、霊夢は憤っていた。何に対するものなのかは分からないけれど、沸々と心の底から込み上げてくる激しい怒り。それは彼女の行動をも制御し、正真正銘の大本命を彼女に使わせようとする。

 取り出すのは一枚のスペルカード。

 

 それは魔理沙がスペルカードにしたものであり、遊びでなければ打ち勝つことができるものは居ない。

 

「『無想天生』」

 

 霊夢は目を閉じた。全ての音が、消えていく。

 彼女は世界の全てから浮き、何事も何人も触れることの許されない状態へと変化する。姿を捉えることはできても、彼女に手を伸ばしても届かない。

 

 文字通りの無敵。少なくとも、突破する手段は無い。無意識の内に放たれる光弾は全て相手をピタリと補足し、意味のない反撃の隙を与えない。

 

 それでも、棗と撫子は余裕だった。

 迫る光弾を前に、一切動じない。

 

「芙蓉」

 

 撫子は名前を呼んだ。

 

 それだけで、空間全体に亀裂が走る。

 

「さてさてぇ、予定から大きく外れた、真のクライマックスだよぉ!!」

 

 その亀裂が向こうから砕け散り、黒い光が差し込む。その光に照らされた霊夢の光弾は輝きを奪われ、やがて何も無かったかのように消えていく。その全てを、傍から見ている魔理沙や妖夢は幻想的とさえ思ってしまった。

 

 そして、生まれた空間の裂け目から二人の少女が歩いて出てくる。

 

「落とし前はやっぱり、今この惨状を生んだ私達が付けるべきだよねぇ」

「頼むわよ。私と棗ではもう彼女に干渉できないのだから」

「あいわかった。そんな訳で、竜胆芙蓉と糸杉エリカ、ただいま帰って参りましたぁ」

 

 撫子と棗は一歩下がり、魔理沙と妖夢の傍に来る。そのまま二人を抱えると霊夢が居る所から距離を取った。

 

 それを確認して、芙蓉は笑みを零した。

 

 見たことある少女、霊夢と妖夢の姿が確認できるだけで、彼女にとっては感無量。恋い焦がれた世界に今、私達は立っているのだ。そう確信できるだけで、沸き上がる喜びは見るもの全てを煌めかせる。

 

「……エリカ」

「なぁに、ふようおねえちゃん?」

「……何でもない。全部全部終わらせよぉ。彼女の心……元に戻せるよね?」

「うん」

 

 芙蓉はエリカの頭を撫でた。

 そして抱き締め、もう一度頭を撫でた。撫子と棗に視線を送り、頷き合うと霊夢を見据える。目を閉じたままの霊夢は、果してこちらに気付いているのだろうか。

 

「世界『作り愛した方程式』」

 

 芙蓉は宣言する。

 その瞬間、霊夢の光弾が全て消え失せた。新たに打ち出されることもなくなった。亀裂は修復され、全ての景色は元通りに。けれど、元の世界とは何かが決定的に違う。

 

 これは、芙蓉の世界。元の世界とは違う、彼女が零から作り出した、彼女のみが知る世界。それが、霊夢に過干渉する。何人にも触れない、世界から浮いた状態は、全く違う世界によって強引に引き戻される。途轍もなく強い力が、霊夢の特別性を全て掻き消していく。

 

 霊夢は僅かに目を開けた。

 

 既に、その目の前に少女が立っていた。

 

 糸杉エリカ。

 この変った世界の中で、右手に白色の光弾を浮かべて、そして無邪気で柔らかな微笑みを浮かべて。

 

「ごめんね」

 

 子供らしく大袈裟に頭を下げた。

 

 そして、右手の光弾をゆっくりと霊夢の左胸に当てる。

 

「覚深『奥底の目覚め』」

 

 拙い普段の話声とは違う、滑らかで流暢な声。

 

 気が付けば、霊夢の頬を雫が伝っていた。

 救われた。そんな、柔らかく心地良い感覚が心を満たす。

 

「……そして、ね。ありがと、ね。げんそうきょう? の、おねえちゃんたち、みーんな。ありがとね……!!」

 

 そう言って腰に抱き着いてきたエリカ。その頬を撫でた時、霊夢は漸く理解した。

 

 今この瞬間に漸く、この異変は終わったのだと。

 

 空を見上げれば、そこには星が浮かんでいる。いつもいつも眺めていたその星が、とても綺麗だった。

 




第十一章、これにて終了です!!
約二年続いたこの作品も、残すは後一章、最終章だけになります!!

最後まで、よろしくお願いします!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章 何てことのないもの
最終章一話 宴会の端


 星と月の輝く賑やかな夜。宴会の席は大盛況だった。あの異変に直接関わった者も居れば、そうでない者も居る。全貌を知らない霊夢にはその区別はできないけれど、絶え間なく咲く笑顔を遠巻きから眺めていると、もう終わり良ければ全て良しだと決めつける。

 

 そして、その笑顔の中にはあの四人も混ざっていた。

 撫子は妖夢や鈴仙と酒を酌み交わしている。しかし、何処か遠慮している様子なのは酒を飲んだことが無いからだろうか。

 棗は天子や文に絡まれている。特に天子の目はいつになく嬉々としており、対応に困っているのか肩を組まれたままオロオロと戸惑っている。

 そして芙蓉はエリカと一緒に宗教勧誘を受けている。特に守矢神社の勧誘が激しい。苦笑いの芙蓉に対し、エリカは若干怯えている。

 

 それは、たった四人増えただけの変わらないいつもの宴会。境内を照らす提灯が風に揺れ、至る所から食べ物と酒の食欲をそそる匂いが漂う。時折起こるいざこざは笑ってうやむやにされてその内消えて、弱者も強者も誰も彼もが皆、同じ場で語らい酒を酌み交わす。

 そう、たった四人増えただけの変わらないいつもの宴会。

 けれど、今この瞬間をこうして何事もなく送れることが何よりも幸せなのだ。

 

「よう霊夢、こんな所に居たのか」

「あぁ、魔理沙ね。向こうに居なくても良いの?」

「ちょっと抜けてきただけだぜ。何、直ぐに戻る」

 

 霊夢が一人居たのは賽銭箱の前。そこに頬が赤くなった魔理沙が近付いてきた。持っている桝の内側は透明な酒が残っている。

 魔理沙はそのまま霊夢の隣に腰を下ろすと、その残っていた酒を一息に呷った。酒が喉を通ると音が鳴り、飲み干すと手の甲で口元を拭う。何処か男勝りなその仕草を見ていると、魔理沙は不思議そうに視線を合わせてきた。

 

「どうかしたか?」

「……あんた、変わらないわねぇ」

「お互い様だぜ」

 

 魔理沙はにししと笑うと桝を置き、両手を後ろについて空を見上げた。

 

「なぁ、霊夢。あの時は確か、夕方だったよな。それも、夜に移り変わる直前の」

「あの時? あぁ、あの時ね」

「そうだ。私が、アリスと何だかんだあったって言いに来たあの時だ」

 

 懐かしむ様な表情を浮かべて魔理沙は小石を蹴り飛ばした。僅かに顔を傾けて霊夢と目を合わせ、いつになく安心した様にほぅと息を吐く。

 件のアリスは宴会場の片隅で人形劇を開いている。チルノや大妖精を中心とした妖精達に加え、宗教家から逃げてきたエリカ等が食い入るように見詰めている。別の所を見れば、ワインを片手に持つレミリアがチラリチラリと見ているのを隣で咲夜が笑っていたり。やはりそれはいつも通りの光景で、その彼女と何かがあったなんて、霊夢はまだ信じ切れていない部分がある。

 

 けれど、確かに魔理沙は誰よりも早くあの異変と戦った。そして今、その時のことを思い出してはこうして懐かしんでいる。

 

「……霊夢。今更だけど、もう一度、言っても良いか?」

「何をよ。何でも言ってみなさい」

「ただいま。帰って来たんだぜ。この幻想郷に、私達の郷にな」

 

 魔理沙は二カッと笑った。霊夢も柔らかく微笑んで「おかえりなさい」と一言だけ告げる。

 

「……何て、しんみりしたのはらしくないよな。まぁ、何だ。またこうしてこの場で酌み交わすことができて良かったぜ」

「そう。まだ始まったばかり、存分に楽しみなさいよね」

「そうだな」

 

 魔理沙は宴会の方に視線を戻すと、スッと立ち上がった。そのまま一度霊夢を見て「じゃ、またあとでな」と告げると、小走りにその喧騒へと戻っていく。

 そして霊夢はまた一人残される。頬杖を突いて暇そうに髪を弄り溜息を吐く。誰かと話をした後にこうして外から眺めるだけと言うのはどうにも寂しさがある。いい加減お酒の一杯でもと思い、霊夢は僅かに腰を浮かせた。

 

「あら、漸く動くのね」

「……あんたにそう言われると動きたくなくなる」

 

 そんな霊夢の肩が、誰も居なかった筈の背後から掴まれた。

 振り返らなくても分かる、その手の感触と気配。けれど霊夢は振り返り、その顔を見詰めた。

 

 八雲紫。

 

 怪しげな微笑みを浮かべる妖怪の賢者が賽銭箱の隣に立っている。

 

「異変解決お疲れ様、と労うべきかしら? 何はともあれ、やはり酒の席と言うのは賑やかなものね」

「アンタこそ向こうに居なくて良いの?」

「酒の席の楽しみはそれぞれですわ。今の私は貴方に少し話をしたい気分なの」

 

 怪しげな微笑みは崩れない。霊夢はもう一度大きく溜息を吐くと、喧騒へと視線を戻した。

 戻っていったばかりの魔理沙は早速棗に絡んでいる。馬が合ったのだろうか、それとも棗が天子から逃れる為に無理に合わせているだけなのか、そのどちらであっても霊夢の目にはとても楽しんでいる様に見えた。

 

「……その前に聞きたいんだけどさ、消えたらしいあの四人が今この場に居るって言うのは、どうせアンタの仕業なんでしょう?」

「そうね。隠す意味も無いし。そう、竜胆芙蓉達四名をこの幻想郷に呼び戻したのはこの私。色々手間取ったし、正直言うと最初はそんな予定は無かったのだけれど……あのエリカと言う少女が貴方の中に『彼女等が存在したと言う証拠』を残していたからこそ、そして貴方がそれに支配されたことで呼び戻すきっかけになったとでも言いましょうか」

「その証拠って何よ」

「誰しもが抱く、誰にも言えない感情。まして人と言う矮小な存在こそ強く抱いてしまう自虐や嫉妬。根本に触れる疑問。貴方は妖怪を退治する使命を負う巫女でありながら、しかし実際に退治すべきは秩序を乱す存在。表面上と内側の差異は貴方を歪ませていた。その証拠とはその歪みを明確された状態よ。そうされるだけで、意思あるものは皆時限式の爆弾になってしまう」

 

 さぞ面白そうに紫は言うけれど、霊夢はそれを笑えなかった。

 

 その差異の中にあったつい先程の自分を理解しようとも、どうにもできない。何が言いたいのかももう分からない。板挟みに近いけれど、挟む板が無い様な極めてあやふやな状態だった。

 

「糸杉エリカはあの年齢でありながら、そういう差異を明確にする能力を持っているの。空間を操る芙蓉、者を操る撫子、力を操る棗。そして、その中に思考の雫を加えることで、彼女達の生み出す異界をよりこの世界に近付ける。それがエリカ。物体に意思を持たせて暴れさせ、そして既に意思のあるもの……この異変の具体例でいえば射命丸文やパチュリー=ノーレッジの意思を思うがままに歪ませ、望んでもいない行為を強要することができた」

「それはまた厄介な……そしてそれに私もまんまと引っかかった訳ね」

「そういうことよ。本当、お疲れ様。後で魔理沙達に感謝しておきなさい」

 

 頭をポンと叩かれた。不服を浮かべる霊夢を紫は無視してそのまま撫でる。

 何故か魔理沙と天子が言い争いになっている。それを棗と衣玖が宥め、隣で文が目を輝かせながら文花帖にせっせと何かしらを書いていた。その近くではエリカとチルノ等が美鈴で遊んでいたりする。

 

「……なんちゃってね。実は最初から彼女等を歓迎する気でいたのよ。騙された?」

「だとは思ったわよ」

「あらー」

「……そもそも、アンタがあれほど消せだの言うことが怪しいのよ。今言った証拠の話だってそう。そんなもの今考えたこじつけで、境界を操るアンタだからこそ彼女等との世界との境界をあやふやにした。それだけのことでしょう」

「……ま、大雑把に言えばね。そうよ。私は最初から彼女等を追放する気は無かった。いつものように異変解決に向けて誰かに倒されて、最終的に歓迎される。霊夢の築いてきたそんな流れに、私も一度乗ってみたかったのよね」

 

 もう一度、霊夢は深く大きく溜息を吐いた。

 もう何だか色々と損した気分だ。次に会う時は人里の和菓子を要求すると心に決めて、また紫をギッと睨む。

 

「そして何よりも、今貴方に言いたいのよ」

「……何よ」

「幻想郷は全てを受け入れる。それはこんなにも美しく残酷なことであり、同時に酔狂な私の望みでもあるのよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章二話 物を操る少女

 魂魄妖夢は苦笑いをしていた。元々こんな宴の席でも多人数と話をする様な性格ではなく、いつも誰かしらと一対一でやり取りすることが多かった。その方が、落ち着きが合って性に合っているかなと自分でも思っていたし、何よりその一対一のやり取りですらにわかに緊張する程であったのだ。酒の席、無礼講とは言うけれど、相手に気を遣わないではいられない。酒が入るからこそ相手にとって何かしら不快なことをしてしまわないようにいつも以上に注意を払う。相手となる誰かしらからは「もっと肩の力を抜きなさい」とか言われるのだが、生憎妖夢は生真面目なのだ。意識せずとも気を遣ってしまうのだ。

 

 普段の会話なら良い。お酒が入ると無駄に気を遣う。だから余計に疲れる。主からはよく「損をしているわね」と言われる。自分でもそう思う時がある。

 

「あ、の、もう一杯どうですか?」

「んー……なら、もらおうかしら」

 

 そして今。酌み交わす撫子もまた、その部類の者だと発覚してしまったのだ。

 会話が続かない!!

 

「……まぁ、初対面だからってところもあるでしょうけど。貴方達、お酒が半端に入ると会話が続かないタイプなのね」

 

 一緒に呑んでいる鈴仙が呆れたようにそう言った。反論できない二人は愛想笑いで誤魔化し、顔を隠す様に桝の中の酒を呷った。鈴仙の視線が痛い。周りのがやがやとしたざわめきが羨ましい。

 

「ほ、ほら、私達ってつい一週間程前は思い切り殺し合っていた仲じゃない? ほら、こうして一緒のお酒を飲むってこう、ね?」

「それは私も一緒じゃないかしら……幻想郷では割とよくある話だし。向こうで騒いでいる魔理沙とかしょっちゅうよ?」

「えぇ……なんか途轍もなく恐ろしい席に今座っているんじゃ……」

「……それを撫子が言っちゃうとお仕舞な気がするんだけど」

 

 撫子はまた顔を隠す様に酒を呷った。桝の中の酒はたった二回飲んだだけで空になる。初めは遠慮していた撫子だが、こうしてみるとかなり飲める口だ。愛想笑いをしたままの妖夢が日本酒の瓶を持つと、これまた愛想笑いの撫子がその桝を差し出す。

 鈴仙は思った。これは、完全に酔ってしまった時が厄介なタイプなのでは、と。背中に走った悪寒を掻き消そうと、鈴仙はお猪口を傾けた。

 

「……にしても、撫子さんが今ここに居ることがまだ信じられません。確かにあの時、私の腕の中で消えてしまったのに……」

 

 妖夢は話を切り替えた。無理に盛り上げるよりも、こうして言いたかったことを言うだけで良いではないか、と言い聞かせる。そんな思いを呼んだのか、鈴仙はまた苦笑いをしていた。

 

「そうね……私も不思議なのよ。あの女性……八雲紫と名乗ったかしら、が突然私達が居た暗い世界の中に入って来てね。それから色々あって、今に至るわ。妖夢はもう見たけれど、能力は健在よ」

「流石は紫様……」

「まぁ、なんかもう悪を演じる必要性も無い訳だし。今思えば最初からあんな悪を演じず、ただ四人の来訪者としてこの幻想郷で振る舞うだけで良かったのでしょうけど。若さゆえの誤りとして見逃してもらえる?」

「見逃してもらえる? と言われてもねぇ……もうお咎めなしだけど、流石にあんな死にかける様な戦いは御免だわ」

「そうですよ、と言える程はっきり覚えている訳ではないですけどね……」

「お互い必死だったからねぇ。それに、貴方達だけではないわ。例えば貴方達と一緒に居たあの青い髪の女性、そして白い長髪の少女。吸血鬼の少女や氷の妖精なんかも、きっと何かしら私に言いたい所があると思うわ。もしかしたら一発二発殴られたりするでしょうけど……まぁ、それもしょうがないわよね」

「そうかそうか。つまり殴られる覚悟はできている訳ね」

 

 突然聞こえたその声に三人はギョッと振り返る。見れば、得意気な顔をした妹紅が立っていた。手に持っているのはまだ酒が並々と入っている一升瓶。まだ飲むことになるのかと妖夢は若干血の気が引いたけれど、撫子は撫子でまた挑発する様な視線を妹紅に向ける。

 

「あら、覚悟はあるけれど、無論無抵抗とはいかないわよ? どうする、賭け事の餌にでもなってみる?」

「おう、良いわよ。ちょっと表に行きましょうか。何だかんだ、あの時も圧倒していたのは私だし」

「今は今、昔は昔。過去の栄光に縋るご老体?」

「生憎お前よりは遥かに年上だ」

 

 一触即発。宴会は苦手な雰囲気を醸し出していた筈の撫子は今、ニヤニヤと挑発的に笑いながら妹紅と額をぶつけ合っている。その性格が全くと言っていい程掴めない妖夢と鈴仙だが、取り敢えずなんかマズそうなので二人してオロオロしていた。この二人の喧嘩に割って入る勇気なんて有る筈がない。無論、それがお遊びだとしても、勇気なんて沸く筈がない。

 さてどうしようか。お互いに目線で割って入る様に諭すが、お互い動こうともしない。撫子と妹紅は何かあるとすぐに白い変なものを出したり炎を出したりしそうだ。

 

「こら、こんな所で喧嘩を始めるな。子供っぽい」

 

 そんな撫子と妹紅の頭にゲンコツが落ちた。ゴッ!! と大層痛そうな音が響き、妖夢と鈴仙は思わず目を閉じる。撫子は「きゃっ!!」と言って頭を抑え、妹紅は「いだぁ!!」と言って涙目になった。

 その後ろに仁王立ちしているのは慧音。あの異変の中で撫子に腹を貫かれた彼女だが、永遠亭での入院とそして獣人という人を外れた身も相まって、既にほぼ完治している。

 初めキッと睨みつける様な眼光で撫子ら二人を見ていたが、やがてふわりと柔らかな表情を浮かべた。

 

「さて、私も混ざっても良いかしら? 妹紅のように無駄な騒ぎは起こさないと約束しよう」

「あぁ、お構いなく。寧ろ歓迎しますよ」

「ありがとう」

 

 慧音は撫子の隣に腰を下ろし、その隣に妹紅が腰を下ろす。すると五人は丁度円の形に座ることになった。その中心に妹紅が一升瓶を置く。とは言え先程まで飲んでいた瓶の中にもまだそれなりに酒は残っている。慧音はそれを持つと、妖夢達に勧める。遠慮しながらも桝を差し出し、また酒が並々と注がれる。

 

「ここに来た時に耳にはしていたけれど、まさか本当に貴方が幻想郷に居るなんてね。驚いたわ」

「私としては、そちらから今私ともお酒を飲もうとしていることが驚きよ。妖夢達もそうだけど……殺し合った仲と言うか、貴方なんて特に殺されかけた相手でしょうに」

「今更腹を貫かれた程度で気にする私ではないよ。それに自ら受けに行った攻撃。それを口実に貴方を咎めるのはお門違いと言うものよ。言っては何だけど、妹紅は死なない故、貴方の攻撃を幾ら受けようとさほど影響は無かったのだから」

 

 妹紅は自慢気に自分の二の腕を叩いて見せた。浮かべる無邪気な笑顔には慧音と同じ様に咎めるような意思は見受けられない。寧ろ今は一人の友人として接している様な雰囲気さえ醸し出している。

 撫子は最初、歓迎されたりはしないだろうと考えている所があった。あれだけ暴れた悪人。良く思う者なんてそうそう居る筈がない。しかし、蓋を開けてみればこの通りだ。きっと何処かに嫌悪を浮かべているかもしれないけれど、それを見せびらかす者は誰一人として居ない。

 

「……あの、皆に、聞きたいんだけど、さ」

「どうかしましたか?」

「……本当に、何とも思わないの? 目の前に居るのは確実に貴方達にとって敵なのに」

「逆にどうしてまだそう思う必要があるの? 仮に思っていたとしても、酒の席にまでそれを持ち込む意味が無い。だからお前ももう気にするなって」

 

 妹紅はポンと撫子の頭を叩いた。殴られたばかりで痛みが残る頭にその衝撃は中々堪えるものがある。だが、何故だか心地良くて、温かかった。

 

「まぁ、そんな訳だ。幻想郷の新しい仲間を歓迎する為にも、今一度乾杯をしましょう」

 

 酒の入った桝を妹紅は掲げた。それに合わせ、妖夢も鈴仙も、そして慧音もまたは嫌お猪口を掲げる。最後に撫子が遠慮がちに掲げると、妹紅が一層笑顔になった

 まだ疑問は残る。撫子にとって、これはあまりにも異常な光景だから。

 

 けれど、まぁ、それで良いかと思う。

 今この世界にこうして許容され、一員として生きることが、これ以上ない幸福なのだ。

 

 撫子ははにかんだ。

 

「乾杯!!」

 

 妹紅が音頭を取り、四人は続いて声を上げる。騒がしい宴会の一角にまた新たな騒がしさの輪ができる。その中に座る撫子は、笑っていた。

 

 純粋な、心の底からの笑顔。

 長らく忘れていた、いや、最初から知らなかった、本当の笑顔だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章三話 綺麗な夜空の下

 少々飲んだだけなのに、既に平衡感覚があやふやになっている。一瞬でも和中とは思ってしまったが、自分よりもガブガブとお酒を飲む天子を見ていると、そうでもなさそうだった。と言うか、人間ならとっくに酔い潰れている様な常軌を逸した酒量。渡された桝を置いた棗の愛想笑いは引き攣っていた。

 

「あいつ等は人間じゃないからな。酒の量を合わせていると死ねるぜ」

「あ、そ、そうなの?」

「と言うか、棗はもう知っているだろう。ここには人間の方が少ないってこと位さ」

 

 笑いながらそう言った魔理沙は二杯目の桝を呷る。酒の席のことを全く知らない棗ではあるが、外見年齢とその酒量は明らかに食い違っているなとは思っていた。

 

「お酒が進んでいないようですが……いかがです?」

「あ、いや!! ちょっともうフラフラしているので……」

「そうですか。無理をなさらぬよう。気分が悪くなったとしたら、横になれる場所は用意しますよ」

「ありがとね」

 

 衣玖の気遣いに礼を言い、山菜の天ぷらに箸を伸ばす。嘗ては敵だった中に気が付けば取り込まれ、そして酌み交わしているこの現状に疑問は感じていなかった。

 ただ、綺麗な夜空を見上げているだけで幸せ。それだけで、満たされていた。

 何かが欲しい訳ではなかったけれど、気が付けば欲していたかもしれないものが全てここにある。それだけで満足できる。

 

「それでアンタ。私の再戦はいつ受けてくれるのかしら」

「さ、再戦!? なんでよ!!」

「負けたままじゃ終われないのよ。あれじゃアンタの勝ち逃げじゃない!!」

「幼いですよ、総領娘様。今この席でするべき話ではございません」

「良いじゃない、無礼講なんだしぃ」

 

 頬を膨らませて抗議する天子とそれを無視する衣玖。魔理沙は魔理沙で「変わらねぇなぁ」と呟いていた。

 

「さってさて、突然ですが取材させていただいても大丈夫でしょうか!?」

「ひっ!? しゅ、取材!?」

「おい文。急に出てくるもんじゃないぜ」

「あやややや、これは失敬。で、どうです? 悪い話ではないと思うんですよ」

 

 天子を押し退け、何かしらを文花帖に書きまくっていた文が近付いてきた。天子は憤慨したが、衣玖に押さえつけられている。なんとも無残なその光景を前に棗は顔を引き攣らせた。また文が何かしら書いているので覗き見てみると『天人が従者に取り押さえられる。むごい』という簡素なメモ書きが。

 

「……あの、取材って何なの?」

「あぁ、私はこう見えて新聞記者でしてね。厚かましいとは思いますが、やはり今回の異変の件を貴方の口からも何か聞いておきたいのです。勿論、貴方が黙秘したいことは無闇に聞こうとは思いません。ただただ、私は色々な視点から今回の異変を纏めておきたいだけなのですから」

 

 ふわりと文は微笑んだ。だが、隣から魔理沙が口を挟む。

 

「止めておけ。コイツ偏向報道の塊だぜ。碌なことを書いたためしがない」

「誤解ですよ。私は幻想郷一早くて新鮮な情報を清く正しく書き記す正義の伝統ブン屋です。そんなことするわけないじゃないですか」

「お、そうか。と言う訳でまぁ、取材を受ける分には何も言わんが、発言には注意することをお勧めするぜ。困ったら私が傍に居てやるから」

「あ、ありがと……」

 

 魔理沙は胸をドンと叩き、棗の肩に手を回す。突然の行動に棗は戸惑い、その手を振り払った。なんだよぉと魔理沙は呟き、桝の中の酒を飲み干した。

 魔理沙が居てくれるのならば大丈夫だろうか、なんてことを思い、棗は文の取材を受けることにする。大丈夫だ。変なことを言わなければ結局変な記事を書かれることも無いのだ。文の目が不敵に光ったのは置いておいて、棗は文に向き直った。

 

「おや、天狗の取材か。邪魔でなければ見学させてもらっても構わんか?」

「むっ……」

「あっ、貴方は……」

「マミゾウじゃ。佐渡の二ツ岩じゃよ」

 

 すると、また天子を押し退けて新たに入り込んできた。それは結構な厚着に狸の耳を持つマミゾウ。押し退けられた天子はいい加減涙目になっていて、衣玖に宥められている。

 マミゾウは丁度棗と文を隣にする様な場所に座ると、文に挑発的な視線を送った。この二人は何か確執とかがあるのだろうか、何も知らない棗は首をかしげる。

 

「むぅ……まぁ、良いです。貴方は同業者ではありませんから、情報の奪い合いになることも無いでしょう」

「ふぉっふぉっふぉ、そうじゃな。そりゃあ助かる。何、邪魔はせんよ。儂とてこの少女に関わった一人じゃからの。まぁ、大したことはしておらんが……やはりこうなった以上、関わる権利くらいはあるじゃろうて」

「あーはいはいそうですねぇ。それじゃあまぁ、私としても聞きたいことは一つなので、手短にいきましょうか」

「え、一つ?」

「はい、一つです。異変の件、とは言っても、その内容に触れる訳ではございません。聞きたいことは一つ『今ここに帰ってくることができて、どのように思っているか』ただこれだけです」

 

 文はまたふわりと笑った。隣ではマミゾウがうんうんと頷き、魔理沙が何かしらの串を口に咥えてこちらを見ている。天子は拗ねてひたすら酒を呷っている。

 

「どのように、思っているか……?」

「えぇ。実際、何処かでは抵抗があると思います。あの異変から今日に至るまで、色々な方に話を伺いました。この幻想郷にはスペルカードルールなるものがあります。故に、実際に命の駆け引きを真面目にしたことがあるものは殆ど居ない。その中で、この異変では色々な方が明確に命を脅かされ、また貴方達を倒さんと全力で戦いました。それ故、双方共に今この結果に動揺している所があるとは思います。見る限りでは明るく振る舞っていようともここは酒の席。そうせざるを得ないと言うのが本音でしょう。だからこそ、私はまず貴方の本心を聞きたい」

「私の、本心……」

 

 棗はふと空を見上げた。

 あの異変の中でも自分は最後に空を見上げた。確かに、綺麗だった。もう一度見てみたい、叶うのならいつまでも見ていたいと思ったあの空。

 時間と色こそ違えども、それは今目の前の空に広がっている。

 満足。それが今、意識しなくても浮かんでくる単純な思い。嘘偽りは無いし、思っていることに間違いは無い。

 

 それが本心となるとどうなのか。

 目の前に居るのは、自分が殺してしまう程の必死さで牙を向いていた敵なのだから。

 

 

「それは……その、怖いよ……」

「怖い、ですか」

「……だってそうじゃない。まだ生まれて二十年も経っていない子供のくせに、やれ殺す殺さない。世界がどうだのこうだの、何度体験したって慣れるもんじゃない。昨日の敵は今日の味方。そう思える程、単純な訳ないじゃん」

「そうですよねぇ……」

「仕方のないことじゃ。人は妖怪とは違う。故に殺す殺さないなんてことはあまりにも大き過ぎるのじゃよ」

 

 マミゾウは杯を呷った。

 

「……儂から聞いても良いじゃろうか? 棗さえよければその答えを記事にしても構わん」

「良いですよ。棗さんは?」

「えぇ、お構いなく」

「そうじゃな……これから先、お主の今までとは真反対の生活が待っているじゃろう。何処にでもある生活に、何処にでもある悲劇。何処にでもある喜びと、何処にでもある諍い。お主にそれを耐える自信はあるか?」

 

 マミゾウの眼鏡が月の光を反射して、その瞳にどんな光を浮かべているのかが分からない。

 けれど、口元は笑っていた。

 だからこそ、棗の心も一瞬の不安から解かれ、安らぐ。

 

「勿論よ。寧ろ大歓迎なの。自身も何も、自然と耐えてしまう他無いじゃない」

「……そうかい、それは良かった。なら安心じゃな。ブン屋」

「そうですね。まぁ、そこの楽観主義な魔法使いと同じ道を歩みそうですが……良いでしょう。不安も恐怖も、その気持ちさえあれば何も阻むことはできませんから」

 

 山菜の天ぷらを口いっぱいに頬張っていた魔理沙が「むごぉ!!」と何か言ったが、二人は全く気にしない。それどころか、棗が使っていた桝に酒を注ぎ、二人も互いに新たな酒を注いだ。

 あぁ、乾杯ね。

 棗の口元が緩む。

 

「それでは、ささやかですけれど……新たな仲間を歓迎しまして」

「乾杯!!」

「あぁ……!!」

 

 音頭をマミゾウに盗られた文が悲痛な声を上げる。

 棗は笑った。

 

 掲げた桝から零れた酒の雫が天子の額に当たり、天子がまた憤慨する。棗の周りの賑やかな夜は長そうだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章四話 純粋であること

 アリスが人形劇をするといつも誰かしら幼い子達が集まる。それは昔からずっと変わらない。人里の夏祭りでは里の子供達が、そしてここでは妖精達が。子供達、厳密には子供の心を持った子達はそれぞれ差があっても純粋だ。だからこそ、物語を心から楽しんでくれる。人形は自分の手足の様に動かせるけれど、語り口はそうはいかない。緊張と言うものは何度やっても解れないもので、公演中はいつも喉が渇き切っているし、何度か噛むこともある。けれど、それを過度に指摘する様な子は殆ど居ないし、それが直接作品への評価に影響したりはしない。

 彼女は自分に拙い所があるのは認めている。だからと言って、それを理由に自分の世界が必要以上に下に見られることが何よりも怖い。

 

 その人形劇は今、今宵の幕を閉じた。

 

「ふおぉ!! うおぉ!!」

 

 最前列で目を輝かせ、手を叩きまくるチルノ。その隣でこれまた惜しみない拍手を送ってくれる大妖精。何故かクルクル回りながら飛び跳ねているメディスンとその保護者なのかは知らないけれど、腕を組んだまま不敵に笑う幽香。その他にも手を叩く妖精が居て、その後ろで見慣れない少女がジッとアリスの方を見詰めていた。

 

「皆、今日はありがとう。今日の公演はもうしないけれど……またいつか、何処かの講演で会いましょう!!」

「おぉ!!」

 

 アリスは椅子から立ち上がって深く礼をすると、また大きく拍手が起こり。そして妖精達は三々五々に散っていった。達成感に包まれるアリスはその声が全て聞こえなくなった時にゆっくりと顔を上げた。

 そこにはまだ立っていた。不思議な雰囲気の少女。表情こそ硬いけれど、その目は確かに輝いている。気に入ってくれたのかしら、そう思ったアリスは思わず頬を緩めた。

 

「……彼女は糸杉エリカ。件の異変の主犯格の一人であり、思考を新たに加える力を持つ少女よ」

「……急に後ろに立たないで貰えるかしら。驚いてしまうのだけれど」

「そうね……申し訳ないわ。こうして外に出ること自体慣れていないもので」

「慣れる慣れないの問題かしら……」

 

 背後から気配を感じさせずに話しかけてきたのはパチュリー。いつもの暗い雰囲気は夜になりより一層暗くなっている。紅魔館の図書館に行く時によく同じ状況になるからか、アリスは然程驚いたりはしなかったけれど、取り敢えず肩を小突いた。

 睨まれた。何か怖いけれど特に何も言わないことにする。

 

「後それと、そっちでわくわくしながら見ていたのがレミィよ。紅魔館の主であり、我が儘で有名ね」

「それは公演していて分かっていたわ」

「その後ろでその姉を楽しんでいるのがフランドールね。姉妹の立場が逆と言う意見は受け付けないわ。姉妹の関係を違和感なく明記している本を読んだことが無いから」

「あら、そう。まぁ、いいわ」

 

 酔っているのだろうか。紅魔館の吸血鬼姉妹は大概変わり者だけれど、今のパチュリーはそれ以上におかしい。なので、取り敢えず流す様に受け答えをした。

 

「それで、どんな用事かしら? わざわざパチュリーの方から話し掛けてくるなんてそうそうあることではないし」

「そうね……取り敢えず先ず一つ、あの死神の船頭が貴方のことで色々とあること無いこと言い触らしていたから、暫くは何かと警戒をしておく方が良いわ」

「は?」

「何だったかしら、魔理沙がどうとかこうとか……」

「あっ。いや、それは何でもないわ。気にしないで」

「……そう。まぁ大丈夫よ。幾らあのサボタージュ常習犯でも魔理沙本人に伝える様なことはしないわ」

「……」

 

 何故だろう、頭が痛くなってきた。ふと見ればこちらに何かを察した様なレミリアが咲夜に取り押さえられている。それをフランドールに笑われ、小さな姉妹喧嘩が勃発していた。

 その向こうでは件の死神船頭こと小町が上司である映姫にこってり絞られている。何かしらやらかしたのだろうか、それを見ていると気分が幾分すっきりした。

 そして少女、エリカは相変わらずこちらを見ている。

 

「何か話しかけてあげたら? 彼女、見た所臆病で奥手の様だし」

 

 パチュリーがそう背中を押した。とは言ってもアリスはアリスで何と話し掛けて良いのかが分からない。腕を組み、首を傾げるアリス。それを見たパチュリーはワザとらしく大きな溜息を吐いた。それに少々ムッとしたアリスだが、パチュリーが何かを呼び寄せる様に手を振っているのを見て、その先を見る。その先に、赤っぽい髪色の女性が二人、談笑していた。美鈴と華扇だ。

 パチュリーの手招きに気付いた二人は互いに目を合わせ、自分の顔を指差す。パチュリーは頷いて答え、エリカから見えないように彼女を指差し、ついでアリスの顔も指差した。それだけで意図を察した二人は迷うことなくエリカに近付いていく。

 

「どうかしました?」

 

 エリカの肩をそっと叩いた美鈴は、彼女と視線の高さが同じになる様にしゃがむ。

 

「あ、え……」

「大丈夫。彼女達もまた、貴方とお話がしたい様ですから」

 

 その隣で華扇も同じ様にしゃがんで話し掛けた。恐怖心を抱かせないように浮かべる柔和な笑みは効果があったのだろうか、エリカはまだ少しオドオドとしているけれど、ゆっくりとアリスの方に近付いてきた。

 

「あ、あの……にんぎょうの、おねえちゃん……」

「何かしら。お姉ちゃんはなんでも聞くわよ」

 

 アリスもしゃがんで答え、同じ様な笑みを浮かべる。変りようの早さに隣のパチュリーはわざとらしく溜息を吐いた。

 

「その……すごかった、よ……!! いつかまた、みてみたい!! ……です」

「ありがとう。そう言ってくれると、この人形劇を開いて良かったって、心から思えるわ。大丈夫、いつかまた必ずやるわ。きっと今日よりすごいのをね」

「ほんとう!?」

「えぇ。それなら、約束をしましょう。指切りげんまん」

「うん!!」

 

 アリスが差し出した小指にエリカが自分の小指を絡ませ、約束の歌をアリスが歌う。

 二人を傍から見るパチュリーも、思わず口元を緩めた。子供の様な無邪気さ、純粋さを失わないことが羨ましく思える。本ばかり読んできた理屈っぽい自分ではもう得られそうにないその心が、近いのに遠く感じられる。

 

「いかがいたしました、パチュリー様?」

「……何でもないわ。気にしないで。ただ、そうね……輝いているって、やっぱり素晴らしいこと。美鈴、貴方の様にね」

「は、はぁ……輝いている、ですか」

「……なんてね、嫉妬よ。取り立てて言う様なことじゃないわ。だから気にしないで」

 

 自嘲気味にそう言って、パチュリーは髪を払った。パチュリーの隣に来た美鈴は「ん、んー?」とか言いながら何かしら考えていたが割と直ぐに諦めて頷く。美鈴がこちらに来たことで自然と華扇も近付いて来た。

 

「嫉妬する位なら、偶には自分を忘れて欲に走ってみると良いでしょうに」

 

 華扇はキョトンとした顔でそう言う。

 ただ、その欲に走ると言う言葉が、何故か心に突き刺さった。それは決して痛い訳ではない。そうではないけれど、まるで突き刺された様な感覚に襲われたのだ。

 

 自嘲気味な表情は変わらない。

 パチュリーは僅かに顔を上げた。

 

「……この異変は結局、主犯となる四人が自らの欲を抑えて尚も自分達らしく世界に名を残そうとした。そう言う異変で良いのよね」

「どうでしょうか。私は聞いた所最後の最後しか関与していませんから……全てを知っている訳ではありませんし」

「……私は最初しか関与していないわ。それは今どうでも良いの」

 

 自前の人形をアリスが幾つか手に取っている。エリカにあげるのだろうか、偶に「どれが良い?」なんて聞いている。

 子供は純粋だ。こういう時も遠慮したりしない。好き嫌いも良し悪しもはっきりと口にする。ただ純粋に、そのものだけを見て、無駄な情報を全て度外視して。

 

 遠くで掴みながら喧嘩する吸血鬼姉妹も、怒られる小町も。

 

 ふと周りを見てみると、結局欲に忠実で純粋で無邪気な誰か氏らは山程居るのだ。

 あの異変の対極に位置する様な誰かは、身近に居る。

 

「でも、そうね……」

 

 パチュリーは美鈴に向き直った。

 

「どうかしました?」

「今度、私の大図書館で……運動会でも開いてみましょうか。妖精達を呼んだら楽しそうね」

「えぇっ!? でも、大事な本が……」

「欲を満たすために遠慮はしない。大丈夫よ、本は全てこの私が完璧に守り抜いて見せるから」

 

 自信満々に自分の胸を叩いたパチュリーは華扇の方も見る。誘導したからには手伝ってもらおうという思いなのだろうか。華扇は「仕方ありませんね」と予想していた様に呟くと、持っていた桝の中の酒を一息に呷った。

 

 余談だが、これについて一番頑張るのは、この話を陰で聞いていた小悪魔である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章終話 悪くない世界

 気が付けば宗教勧誘をしてきたあの宗教家を傍から眺めていた。何やら揉めているのだろうか、額をぶつけるような勢いで黒い笑みを浮かべて何やら言い合っている。ただ、それは殆ど白蓮と神子で、加奈子は傍から眺めて偶に茶化しているだけのようだ。

 何と言うか、人間臭い。芙蓉は彼女等のことを達観した人達だと思っていたからか、その光景は少々拍子抜けだった。同時に親近感を覚え、何故かしら安心する。

 何も特別な訳ではない。ただ、ある道を究めただけの存在。

 無礼ではあるかもしれないけれど、根本的な所では自分も彼女等も変わらないのではないかと薄々思っていた。

 

「やぁ、退屈しているみたいだね。ちょっと付き合ってもらえるかい?」

 

 そんな芙蓉に小柄な少女が話しかけてきた。頭から生える大きな二本の角が象徴するのは鬼であるということで、持っている瓢箪に酒でも入っているのかラッパ飲みをしている。

 

「あぁ、いいよぉ。えっと……」

「伊吹萃香。鬼だよ。まぁ、警戒はしていないと思うけどね」

 

 そう言いながらも瓢箪に口を付けてガブガブと飲み続ける。鼻に着いた臭いはやはり酒だろうか。この少しの時間だけでも、萃香は余程酒に強いのだなと芙蓉は確信する。

 

「芙蓉、だっけ? 取り敢えず、戻ってきておめでとうで良いのかな?」

「まぁ、そうだねぇ。願ったり叶ったりぃ」

「そうか。それじゃ、乾杯だ。お酒注ごうか?」

「あ、お願いしますぅ」

 

 芙蓉は自分が渡された桝を萃香に差し出す。近くにあった日本酒の瓶を持ち、萃香はその桝に注ぐ。月明りを怪しく反射する透明な液体に芙蓉はつい見惚れていた。

 

「それじゃ、乾杯」

「かんぱぁい」

 

 瓢箪と桝を合わせ、コンと軽い音がする。酒は今日初めて飲んだのだが、思いのほか口に合う。外では未成年は飲酒禁止だとか決められていたためにその機会すらなかったが、いざ幻想郷のこの宴会に参加してみると、そんな法等存在していなかった。

 そう、この幻想郷にはきっと、何かを縛り付けるものが無いのだろう。あれだけ殺し合った相手とこうして平然と酌み交わすあたり、明確な善悪の基準すらないのかもしれない。

 それは、芙蓉にとって理想郷だった。それに気付かずに暴れていたことを今更ながらに後悔する自分と、今になってでも気が付けたことに感謝している自分が居る。

 日本酒の角の無いまろやかな甘みが頬を緩める。

 

「良い飲みっぷりだね。これは新しい飲み友達ができたかな?」

「いやいやぁ、まだ酔ったことも無ければましてお酒を飲むのは初めてなんだぁ。そう判断されると困るよぉ」

「ありゃあ。そうかい。まぁいいさ。鬼の酒量に付いて来ることができる飲兵衛はそうそう居ないから」

「むっ、そう言われると無理にでも飲まないといけないなぁ」

「あぁ、ぶっ倒れない程度にね。偶に誰かしら飲み潰れさせて、霊夢に怒られるんだ」

「それは災難だねぇ」

 

 二人顔を見合わせてくすくすと笑う。最早宗教家かは蚊帳の外だ。

 あ、そうだ。そう言った萃香はふと立ち上がる。どうかしたのかと待っていると、萃香は何かが乗った皿を取って来た。

 

「それは……?」

「ふろふき大根。掛けているのは肉味噌。まぁ、ちょっとした肴さ。まだ温かい様だし……二人で突こうじゃないか」

「……ありがと」

「何、肴が無いと酒は進まない。話に花を咲かせるのも良いけれど、やっぱり腹を満たすに越したことはない。一つの料理を誰かと突いて飲む酒もなかなか良いもんだよ」

 

 トン、と、お盆に乗せたままその皿を地面に置いた。そして箸を手渡し、自分も箸で二つある大根の内一つを一口大に切り取る。いただきますと小さく言ってから頬張り、美味しそうに満面の笑みを浮かべた。正直な所、芙蓉は野菜全般それほど好きではないのだが、そんな顔を見ていると、どうしても食べたくなってくる。

 箸の持ち方も良く知らない。見よう見まねで箸を握り、大根に刺す。それはとても柔らかくて、芙蓉の知らない感触だった。

 箸で切り分けた大根を挟んでも、逃げて上手く挟めない。萃香の面白がるような視線を睨みつけ、五回目で漸く口の中に運んだ。

 

「ん……おいし」

「そうかいそうかい。ま、もっと欲しかったら私の分もあげよう」

「えぇ、大丈夫だよぉ。そんなわざわざ……」

「遠慮することはないさ。今宵の主役はそちらなんだしさ。とは言え、本当に欲しかったらの話さ」

 

 言うと萃香は瓢箪を傾け、ガブガブと酒を飲む。釣られる様に芙蓉も酒を飲むと、なるほど萃香がこの料理を勧めた理由が分かった。確かに何も食べずにただ飲むだけでは味気ない。

 

「……どうさ、こんな生活も悪くないと思わない?」

 

 そんな時に萃香が聞いてきた。

 

「悪くないっていうか……憧れていたんだよぉ。ずっと、ずっとね」

「憧れていた、ねぇ……」

「……今思えば、あれだけ暴れたのも、ずっとずっと、ただ救って欲しかっただけなんじゃないかなぁ」

 

 ふろふき大根をまた一口頬張り、芙蓉はふと視線を下げる。

 凡そ半分無くなった大根。空の月とは対照的に不完全だ。だけど、それ位が何故か良くて、箸を動かしていた手が止まる。

 

「同情とか、哀れみとか、そんな目で見られたい訳じゃなかったんだろうねぇ……誰かが差し伸べてくれる手に、死に物狂いで縋ってみたかった。だけど、現実は私達がその手をはねのけていたってのが正しいかなぁ?」

「そっかぁ」

「だから、うん。悪くないっていうより寧ろ、嬉しいんだ。今度こそ差し出された救いの手を握ることができて。それこそ、そうさぁ、怪しいとは思うけど、真面目に宗教勧誘設けたりしてさ……そして萃香も、こうして酌み交わしてくれて。この世界は四人だけじゃない。もっと広い、そう気づくことができただけで、嬉しいんだぁ」

「……そっか」

 

 萃香は微笑んだ。

 瓢箪の酒を呷る。

 

「悪いね。酒の席なのに、前振りも無く話を切り出して」

「いやいやぁ、気にしないでよ。どんな話でも楽しいんだぁ」

「良いねぇ純粋なの。ところで、後ろの小さな宗教戦争は放っておいても良い?」

「良いんじゃないかなぁ? 普段の彼女達のことは知らないけど……ほら、仲良さそうだし」

 

 二人は振り返り、相変わらず額をぶつけ合う白蓮と神子を見てクスッと笑った。

 そこにあるのは、新しい平凡。またあの四人と過ごす、四人以上の世界。

 

 具体的にこれから何をしようとは決めていない。これからは迷惑をかけず、生きたい様に生きてみたい。ささやかな望みを抱いて、ふろふき大根を頬張った。

 




次回、最終回です!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ
八月のある日


 八月の暑さは体が焼けてしまいそうになる。室内に居ても蒸し風呂か何かのようにただひたすらに暑く、外に居るのと大差ない。普段からそんなに熱いと言うのに、今日はまた一段と暑かった。だからこそ、本を読む気にもなれないし、何かを書き記す気にもなれない。道を行けば陽炎が見えることもあるけれど、逆にそれは夏らしくて好きだった。そんな人里を阿求と小鈴は歩いている。

 

「……へぇ、それで、その異変を起こした四人組がこの人里でお店を始めたの」

「そうなの。食事の提供を始め、家事の手伝いや里の外に出る時の護衛まで何でもこなす万事屋だそうよ」

「今はそこに向かっている訳ね。でも何か用事があったりするの?」

「ん、その、お昼御飯でもどうかなと。で、一人だとちょっと恥ずかしいから、定休日でどうせ暇な小鈴を誘ったって訳。大丈夫、会計は私が持つから」

 

 どうせ暇、と躊躇なく言われたことに小鈴は頬を膨らませた。人里の通りはこんな猛暑でも活気に溢れ、あちらこちらから賑やかで大きな声が聞こえてくる。ほんの一か月ほど前に一日、動きを囚われた天狗によって静寂に包まれていた。あのことがもう嘘のようだ。あの日と違う今日の燦々と照りつける太陽も、その変化を体に感じさせる。

 

「……でも阿求もさ、それは名目上なんでしょ?」

「……そんなことないわお」

「お?」

「……コホン。んっ、まぁ、そのね、色々あるのよ。先の異変のことをちゃんと残せていないと言うのが実の所。秘密主義者の神社の巫女には話を聞き出せないし、そもそもそこまで深く関与はしていなかったって話だし。ならば、やはり首謀者に聞くのが手っ取り早いじゃない」

 

 人差し指をクルクルと回しながら阿求は答える。正直そのあたりのことはさっぱりな小鈴は「ふぅん」と生返事をした。

 

 暫く阿求に着いて行くと、道の先に見慣れない建物を見付けた。木造なのは見て分かるけれど、全体的に白く塗装されていて、お洒落な印象を与えてくる建物だ。低い柵に囲われたその庭の花壇には草花が植えられ、その隣では何か野菜を育てているのだろう畑がある。他の家屋に比べてとりわけ大きい訳ではないけれど、それでも大きいと言えば大きい。

 

「あそこ?」

「そう。名前はまだ決まっていないらしいわ」

「へぇ……いつの間にこんなのが建っていたのかしら」

「建築には妖怪や天人も関与したって噂に聞いている。だからこそ、でしょうね。こんな短期間であれ程の建物を建築できたのは」

「そんな妖怪が居るんだ」

「妖怪だもの」

「なるほど」

 

 近付くと、大きな窓から中の様子を窺える。その窓際の四人掛けの席では妖夢と鈴仙、そして美鈴という変わった組み合わせの三人が洋菓子と紅茶を楽しんでいた。そこにケーキなる甘味を乗せたお盆を持って、見慣れない長身の女性が来る。店員なのだろうか、店の外見と同じく白いエプロンを身に着けているのが分かった。そのまま空いている席に腰掛け、三人の談笑に混ざる。その奥の席には永琳と輝夜らしき人影がこれまた同じように紅茶を楽しんでいるのが見えた。

 小鈴はただ綺麗な女性だなぁと思っただけだが、阿求にはそれが件の異変の首謀者の一人である撫子だと分かる。神社での宴会以来、幻想郷の色々な所に出向いていると言う話を聞いてはいたけれど、実際に見るのは初めて。外見は本当に何の変哲もない人間そのもので、妖怪が化けている様な気配も無かった。

 

 恐る恐る入口の小さな門を通り、開いたままの扉から店内へ。どこもかしこも同じだと思っていた鬱陶しい程の暑さはパタリと途絶え、代わりに全身を涼しい空気が包んだ。

 

「あら、いらっしゃい」

 

 すると、こちらを見付けた撫子が立ち上がってそう言った。同席の妖夢達の視線も集まり、阿求はつい会釈をする。

 

「初めまして。だから、ご来店は初めて、よね?」

「えぇ、まぁ……」

「ここは頼まれれば余程のことでない限り何でも請け負う何でも屋。店内でできるのは大体食事だけだけど……どうする?」

「お品書きはあるかしら?」

「あぁ、そうね、ごめんなさい。先ずは席に案内するわ。こっちに来て」

 

 束ねた長い髪を揺らし、撫子が促す様に歩いていく。阿求はその直ぐ後ろに着いて行き、店内をボーっと眺めていた小鈴も慌てて着いて行く。

 案内されたのは裏庭を見渡せる席。表に面した席とは違い、そこに広がっているのは子供が走り回って遊べそうな芝生。木と周りの建物に囲まれた秘密基地の様な場所だ。その片隅でアリスとこれまた見慣れない少女……それはエリカだろうか、が人形劇の練習らしいことをやっていた。

 

「どうぞ、こちらお品書きになります」

「おすすめは何かしら?」

「紅茶とパウンドケーキの組み合わせ。スイーツ全般は芙蓉が担当しているのだけど、パウンドケーキは本当に格別なの」

「そうなのね。なら、私はそれで。小鈴はどうする?」

「私? んー……うん、私も同じのをください」

「かしこまりました。では、少々お待ちください」

 

 撫子は深く礼をする。束ねた髪が流れ、ふんわりとした香りが漂った。

 

「あ、そうだ。私からもう一つ、注文をして良いかしら?」

「注文、ですか? 可能な限りならなんでも承るわ」

 

 キョトンとした表情を浮かべる撫子と小鈴。だが、小鈴は言わんとするとことを直ぐに察して視線を窓の向こうに向けた。

 

「後々、個人的にですが貴方方からお話を伺いたいのです。時間が空いている時で構いません」

「お話? あぁ……なるほど。貴方が」

 

 撫子も納得した様に頷いた。

 阿求は微笑みを浮かべ、目的を示す様に愛用の万年筆を取り出す。

 

「そう、私は幻想郷の書記。貴方達の過去を無闇に詮索は致しません。ただ、貴方達とこの幻想郷の未来を描く、その第一歩としてどうかお力添えできたなら、と、そう思っています」

「そういうことならば、寧ろこちらからお願いしたい位だわ」

「ありがとう」

 

 隣で交わされる約束を聞きながら、小鈴は頬を緩めた。

 

 この世界は好奇心にあふれている。

 何かが終われば何かが始まり、誰かと別れると誰かと出会う。一瞬一瞬を切り取るのはとても簡単で、長く見つめることはとても難しい。

 ただ何となく流れる、たった今も直ぐ隣で流れている時間は、果してどれ程の重みがあるものなのか。客観的には分からない。

 

「では、そういうことで、よろしくお願いします」

「かしこまりました。それでは、少々お待ちください」

 

 もう一度礼をした撫子は小走りに厨房であろう場所へと駆けて行った。

 

『ただいまぁ!! 次の配達ある?』

『あぁ、棗おかえり。ちょっと厨房の手伝いに回ってもらえるかしら。芙蓉はパウンドケーキをお願い』

『任されたよぉ。あ、そうだ。冷蔵庫がちょっと不調っぽいから、見ておいてもらえると助かるなぁ』

『本当? んー……流石に機械の生成は無理があったかしら。もうちょっと構造とか調べておかないと』

『それ以前の問題だと思うんだ。電気無いし』

『無いなら作れば良いんだぁ』

 

 聞こえてくるのは、そんな楽し気なやり取り。客に聞こえていると言うのは問題なのかもしれないけれど、阿求も小鈴もそれを不快とは思わなかった。

 ただ、ありふれた光景が、ありふれた温かさを生む。庭の片隅ではアリスとエリカが手を叩いて喜んでいた。

 

「夏も、悪くないじゃない」

「そうねぇ。読書には向かないかな」

「……本当、貴方って本の虫ね」

 

 顔を見合わせてくすくすと笑い合う。やはり、そこにあるのは、何てことの無いやりとりだ。

 

 いつか世界から顔を背け、悪に染まって絶えようとした。その出来事はもう変えられない。

 けれど今、その少女達はまた新たな道を行く。きっとその道は険しくもあるのだろう。本当に辛い、誰にも打ち明けられないような出来事が引っ切り無しに襲い掛かってくるのかもしれない。

 だけど、彼女達はもう、自ら選んだその道を、後悔することはないだろう。

 

 この世界は、輝いている。

 きっと、今実感している以上に、必ず光がある。

 

 陽の光は今空高く、大地に生きる全てを照らす。

 遠い昔も、昨日も、今日も、そしてこれからも。

 




あとがき



 改めまして、大豆御飯でございます。
『東方覚深記』これにて完結です。連載開始は丁度二年前で、終わった今もそれが実感できません。と言うか、処女作なのに初完結作品じゃないのはどうなんだ。一番伸びなかった作品なのに、自分の中で唯一ランキングに載った作品でもあり、思い入れは半端ではありません。

 まず、ここまで読んでくださった皆様。
 本当に、本当にありがとうございます!!
 もう感謝してもしきれません。正直に言うと、ここに至るまで何度も連載を止めようと思っていました。ですが、やはり応援してくださった皆様の期待に応えようとその度に向き合い、そして今があります。本当に、ありがとうございました!!

 今でこそ、こうしてハーメルンに投稿していますが、この作品は初め小さなノートに延々と書いていました。それこそ、友達に見せると言っても見せていたのは二人だけ。自分もその時にはまさかここまで来るとは思っても居ませんでした。活動環境も大きく変わり、知識も増えた今の作品を当時の自分が読んだらどう思うのだろうか。


 さて、自分語りも程々に、作品についてですね。
 タイトルの『東方覚深記』の覚深は当然ながら造語です。自分の心の底に秘める思いを曝け出す、そんな意味合いで作った訳ですが、それをうまく表現できていたでしょうか。フランとか、慧音とか、割とうまくいったと思いたい。
 そして何より、四人のオリジナルキャラクター達です。最年長の撫子、妹分の棗、間延びした話し方の芙蓉とロリのエリカ。何処まで活きていたかは自分では判断しづらい所ですが、でもやれるだけやれたかなとは思います。後、やはり幾分説明不足かなと思うところが多いので、多分ちまちま修正加えるかなぁとも。
 何が善か、それとも悪か。これを決めるのはかなり難しいことで。勝てば官軍とは言いますが、それによってもみ消される汚い側面があったりするのもまた事実。だからこそ、自分を貫くことが大切だと、彼女達はそう思ったのでしょう。悪として育った、そう決め付けることで生き方を見付けたと言いますか。
 実際、こんな極端な話ではなくても、謙遜を越えて自虐をすることは誰しもあることではないでしょうか。自分もそうだったし。それは違うんだと真正面から言ってくれる人って意外と少なくて、自分に自信が無ければ暗い道を肯定することもあるでしょう。
 これはまぁ、そんな話です。抑え込んだ思いを世界に打ち明けてみようと、そんな話です。何かのきっかけで、人生なんて180度変わる。それは時に理不尽であり、この上ない救いにもなる訳で。その救済の結果彼女達が手にしたのは、ただ平和に暮らす、それだけなんです。

 小難しい話ばかりだとあれなんで、制作の裏話も。
 実は登場させる予定だったキャラクターも結構いるんです。こいしとか正邪とか。でも、限界でしたね。努力せねば。もっと言うと、地底編とかも考えていましたし、幽香とかがあの状態に至るまでの話も書く予定ではありました。はい、案の定のガバガバさです。申し訳ありません。
 撫子や棗がやった暴走は、相手の体内に異物や異界の力を強引に生み出すことで、所謂アレルギー反応を起こしたって感じです。作中で説明しろ。申し訳ありません。
 そして、明確に主人公が定まっていないのは、これが初めての東方二次創作であり、色々なキャラクターを使いたかったというのが本音です。ここまで霊夢や魔理沙が空気になっている戦闘ものも少ないのではないでしょうか。後、作者が妖夢好きって言うの結構わかりやすく表れていますよね。


 改めて、本当に終わったんだなぁと。どんな物語にも必ず終わりはありますが、制作する側としてその終わりに立ち会うと、また特別思い入れがあります。これから先続く筈の物語はもう、世界に新しく飛び出していくことはなくなって、作品を手にした色々な人の中で続いていく。本当の結末は千差万別で、自分はこの作品の一割ですら理解していないのかもしれませんね。


最後にもう一度、今まで読んでくださった全ての皆様へ、ありがとうございました!!
いつかまた、違う作品でお会いできたら光栄です。自分をここまで走らせてくださったこと、本当にありがとうございました!!

 では、また。その時までごきげんよう!!


 2017年10月14日  大豆御飯


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。