ロキ・ファミリアに出会いを求めるのは間違っているだろうか ~リメイク版~ (リィンP)
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Lv.1 新人兎
プロローグ


 

「ほう、【アポロン・ファミリア】に入りたいだと…?はっ、笑わせてくれる。貴様のような田舎者を【アポロン・ファミリア】に入団させるわけがなかろう」

 

「っ!お、お願いします…!雑用でも何でもしますから、僕を【ファミリア】に入れてくだ―――」

 

「黙れ、貴様のような弱者はアポロン様に相応しくないと言っているだろう。身の程をわきまえろ、三下が」

 

「っ…」

 

「とっとこの場所から去れ。貴様のような者が【ファミリア】の門前にいるだけでアポロン様の名に傷がつく」

 

「す、すみませんでした…」

 

 

 

***

 

 

 

「どうしよう…あそこの【ファミリア】がエイナさんに紹介された最後の候補だったのに…」

 

 

 僕、ベル・クラネルがダンジョンに出会いを求めて迷宮都市オラリオに訪れて三日経過した。

 この三日間で何をしていたかというと、ダンジョン探索専門の【ファミリア】に所属しようとあちこちの【ファミリア】に訪れていたのだ。

 

 オラリオに到着した初日。

 すぐにでもダンジョンに潜ろうと張り切ってギルドに訪れた僕を待っていたのは呆れ顔をしたハーフエルフの受付嬢だった。

 

「いい?冒険者になるためには【ファミリア】に所属する必要があるの」

 

「えっ、冒険者登録をすればすぐにダンジョンに潜れるんじゃ…」

 

「はぁ…キミねぇ、本当に何も知らずに冒険者になるつもりだったの?」 

 

「えっと、冒険者になるには何か必要なものがあるんですか?」

 

「あのねぇ…【ファミリア】に所属しないということは『恩恵』を授けられていないことなの。そして『神の恩恵』を授かっていない人がダンジョンに潜ることは許されていないわ」

 

「そ、そうだったんですか。じゃあ冒険者になるためにはまず、どこかの【ファミリア】に入ればいいんですね?」

 

「そういうこと。一応、私が知る限るのダンジョン探索を専門に行う【ファミリア】のリストを渡しておくね」

 

「あ、ありがとございます!でも、いいんですか…?」

 

「これも仕事だからね。それに冒険者が増えることはギルドにとって喜ばしいことだから。だから遠慮せずに受け取っていいからね」

 

「っ、はい!本当にありがとございます、チュールさん!」

 

「エイナでいいよ。私もキミのことはベル君って呼ばせてもらうね」

 

「はい、エイナさんっ!」

 

 何も知らない僕に、親切に色々と教えてくれたエイナさん。

 エイナさんはこれも仕事だからと言っていたけれど、それでも僕はこんな優しい人にこのオラリオで最初に出会えたことを感謝した。

 それにエイナさんはその後、地理に疎い僕を心配してオラリオの地図を用意してくれたのだ。他にもオラリオに来たばかりの僕を心配して、色々と助言もしてくれた。

 初対面でここまで優しく接してくれる人は初めてだったので、僕は凄く嬉しかった。

 ここまで親身になってくれたエイナさんを心配させないためにも、彼女が安心できる【ファミリア】に所属しようと心に決めた。

 そしてエイナさんから教えてもらったダンジョン探索専門の【ファミリア】に入ろうと、僕はこの三日間オラリオの街を駆け駆けずり回ったのである。

 

 だけど、現実はそこまで甘くない。結果は五十戦五十敗。どこの【ファミリア】も僕の入団を認めてくれなかった。

 出身や戦闘経験など聞かれ、全て答えた後に申し訳ないが入団は許可できないと伝えられたところもあった。 

 だけど、まだそこは全体を見てもいい方だ。中には見た目だけで判断され、ろくに面接もされないまま門前払いされたところもあった。

 ……正直、そのときは凄く悔しかった。だけど自分の姿を改めて鏡で見たときに、その気持ちもすぐに消えた。だって僕は、どこからどう見ても弱そうだったから。そう考えると、彼らの対応も仕方がないのかもしれない。

 

 僕がどこの【ファミリア】にも入団できない原因はわかった。だけどその原因がわかったところで、どうしようもないのだ。強くなるためには【ファミリア】に入る必要がある。だけどその【ファミリア】に入るためには入団を許可してくれるだけの強さが必要なのだから。

 今から身体を鍛えるとしても、誰もが冒険者として認めてくれるほどの実力や肉体を手に入れるためには具体的にどうすればいいのかわからない。

 こういうとき熟練な戦士である人に師事するのが一番だと思うが、冒険者に何一つ伝手がない僕には無理だ。

 一体どうすればいいのか。色々な考えが頭に浮かぶが、どれもピンと来ない。

 

「やっぱり、弱い僕なんかがダンジョンで出会いを求めるのは間違っていたのかな…」

 

 視線は自然と下に落ち、無意識に弱音がこぼれてしまう。

 鏡を見なくてもわかる。今の僕は凄く暗い表情をしているだろう。オラリオに足を踏み入れたときに想像していた希望に満ち溢れていた未来は、どこにも存在しなかった。

 

「……これから、どうしよう」

 

 あれほどエイナさんにはお世話になったのに、こんな情けない結果では彼女に合わせる顔がない。

 どんよりと沈んだ気分のまま、僕は惰性的に足を進めるのであった。

 

 

***

 

 

 失意に沈み、当てもなくオラリオを歩くベル。そんな彼の存在に気付き、並々ならぬ興味を持った女神がいた。

 彼女の名はロキ―――【ロキ・ファミリア】の主神であり、オラリオの頂点に君臨する女神の一人である。

 彼女はときおり、気が向くままにオラリオを散策する癖がある。そして今日も団員達に黙ってブラブラしていたところ、ロキは一人の少年とすれ違った。 

 ベルにとって幸運だったのは、ロキとすれ違ったときに先程の言葉を呟いたことだ。

 

「やっぱり、弱い僕なんかがダンジョンで出会いを求めるのは間違っていたのかな…」

 

(ん?)

 

 すれ違う瞬間にベルの呟きを聞いたロキは足を止め、おもむろに振り向いた。

 

(へぇ…生死を懸けて挑むダンジョンに『出会い』を求める子なんて初めて見たわ。これは久しぶりにおもろい子を見付けたかもしれへんな)

 

 ダンジョンに出会いを求めるなんて、子どもの常識では考えられない。まるで自分達と同じ神々の価値観だ。それだけで十分にロキの興味の対象である。 

 

(パッと見ただの気弱な子どもかと思ったけど、やっぱり人は見かけによらへんな。これやから下界の子は目が離せへん。フフ、この子がどう成長するのか今から楽しみや)

 

 そこまで考えたロキはすぐに踵を返して、離れて行く少年の肩をポンポンと叩いて声を掛けた。

 

「なぁ自分。行く当てがないならうちの【ファミリア】に入らへんか?」

 

「え…?」

 

 場違いなほど明るい女神の声に、ベルは素っ頓狂な声を上げるのであった。

 

 

***

 

 

 つい先程まで途方に暮れていた僕であったが、あれからすぐに状況は一変した。

 誰かに肩を叩かれて振り向いたら、自分の【ファミリア】に入らないかと勧誘されたのだ。

 初めは言葉の意味がわからなかったけれど、時間が経つに連れて自分が勧誘された事実にようやく気付いた。その瞬間、特大の喜びと興奮が僕の心を支配した。

 だけど待ちに待ったチャンスを前にしたのに、突然のことで混乱してしまい上手く思考が回らずにいた。

 あたふたと慌てるそんな僕を面白そうに眺めていた女神様は、やがて自分に付いてくるように言うと歩き始めたのであった。 

 

 まだ状況を把握できない僕だったけれど、急いで女神様の後ろに付いていく。

 迷いもなく歩いていく女神様にうっかり離れないように注意しながら、僕は彼女の背を追いかけた。

 

(朱色の髪をした女神様…そういえばエイナさんが説明してくれた【ファミリア】の主神にそんな神様がいたような…?)

 

 女神様の朱に染まった髪を見て記憶を思い返した僕だったけれど、彼女がどこの【ファミリア】の主神なのか目的地に着くまで思い出すことはなかった。

 

「ん、見えてきたな。あれが今日から自分が住むところや」

 

 つい最近見たばかりのある建物が周りに見えてきた頃、女神様はある建物を指差してそう言った。その建物は周囲一帯の建物より群を抜いて高く、僕も三日前に訪れたばかりの長大な館であった。

 

「え、あれってまさか…黄昏の館ですかっ!?」

 

「んん?なんや自分、いきなり驚いてどないしたんや?」

 

 驚くなという方が無理だ。

 黄昏の館―――その建物は僕が最初に訪れた【ファミリア】であり、三日前にエイナから教えられた都市最大派閥の一つ【ロキ・ファミリア】の本拠であるからだ。

 

「ここはあの有名な【ロキ・ファミリア】のホームではないですか!?えっ、まさか貴女は―――ッ!」

 

「なんや自分、うちが誰なのか気づいてなかったんかい」

 

 ここでようやく女神様…いや、ロキ様は、僕に自己紹介をするのであった。

 

「うちは【ロキ・ファミリア】の主神を務めているロキというもんや。気軽にロキたんと呼んでいいで?」

 

「あぁ―――」

 

 とうとう混乱が頂点に達した僕は、情けないことに意識を失うのであった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「いやぁ~、久しぶりに死ぬほど笑ったわ!まさか名乗っただけでぶっ倒れるとか、うちでも初めての経験や。流石はうちが見込んだ子や!ほな早速【ファミリア】入団の儀式をやろか!」

 

「やろうかではないよ、ロキ。いきなり意識のない少年を連れ込んで、一方的に説明された僕等の身にもなってほしい」

 

 ロキは少年(ベル)を担いでホームに帰ってくるなり『この子は新しい家族や!名前は知らへんけど、面白い子なんや。絶対フィンたちも気に入るで~』と言い放った。

 ロキの奇行は今に始まったことではないが、それでも意識を失った少年を連れてきたことに、フィン達が頭を痛めたのは言うまでもない。

 

「諦めるしかあるまい、フィン。ロキを主神として契約した時点でこうなる運命は分かっていただろう」

 

「……ん、ここは…?」

 

 ロキの他に小人族の青年とエルフの女性がそんな会話をする中、意識を失っていたベルは目を覚ますのであった。

 

「…ふむ、どうやら目を覚ましたようだな」

 

「おや、そのようだね」

 

「やっと起きたようやな。それやったら早速『恩恵』を刻むとするか~」

 

「えっと、あのっ、僕をロキ様の【ファミリア】に入れてください!雑用でも何でもしますから!」

 

「…ロキ、君は一体何て説明してこの少年を連れて来たんだ?」

 

「いやぁ、うちはただ普通に勧誘しただけやで?」

 

「普通に勧誘しただけでここまで下手に出る者はいないだろう」

 

「はぁ…どうにも君と彼の間で今の状況に齟齬があるようだ。ひとまず彼に話を聞いてみよう。すまないが君、名前は何と言うんだい?」

 

「ベ、ベル・クラネルです!」

 

「それじゃあベル、ここに来るまでの経緯を聞かせてくれるかい?」

 

「は、はい」

 

 フィンにそう促されたベルは、ロキに勧誘されるまでの経緯を説明していった。 

 冒険者になるためにオラリオを訪れたこと。 

 『恩恵』を授かるために様々な【ファミリア】を訪問して入団しようとしたこと。  しかし、それら全て尽く断られてしまい途方にくれていたこと。 

 心が折れかけて目の前が真っ黒になったときに女神に声を掛けられ、勧誘されたこと。

 そして黄昏の館を前にして、その女神の正体が都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】の主神であると知って、あまりの衝撃でに気を失ってしまったこと。 

 全ての【ファミリア】から入団を断られたことも言うか迷ったが、ベルは包み隠さずフィン達に話した。 

 例えそれで自分の評価が地に墜ちようと、こんな自分を誘ってくれたロキに隠し事をしたくないと考えたからだ。 

 しかし、この場にはベルの話を聞いて彼を情けなく思う者はいない。

 ベルの説明を全て聞き終え、場の雰囲気は真剣なものに変化していた。 

 

「これは流石にあかんな。うちの子どもが迷惑かけてホンマにすまん、ベル」

 

「僕からも【ロキ・ファミリア】団長として団員の非礼を謝罪させてほしい。正規の入団試験も受けさせないで門前払いしてしまい、本当にすまなかった」

 

「その愚かな応対したい者をすぐに探し、君に謝罪させることを約束しよう。もちろん、それ相応の処罰を与えるつもりだ。本当に申し訳なかった」

 

 自身の【ファミリア】の愚かな行為を聞いて、苦い表情をしたロキとフィン、そしてリヴェリアはベルに頭を下げた。

 

「あ、頭を上げてくださいっ!僕は全然気にしてないので大丈夫ですから!」

 

 【ロキ・ファミリア】団長である【勇者(ブレイバー)】、フィン・ディムナ。

 【ロキ・ファミリア】副団長である【九魔姫(ナイン・ヘル)】、リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 第一級冒険者の中でも実力がずば抜けており、世界中に名を轟かしている二人とその主神から謝罪されたことで、ベルは酷く狼狽えてしまった。

 

「それに、元はと言えばひ弱な見た目をしている僕がいけなくて……えっと、その人は何も悪くなくて…!」

 

 しどろもどろになりながらも、ベルは自分を門前払いした者を必死に庇う。

 そんなベルの姿を見て、リヴェリアは思わず優しい笑みを浮かべる。

 

「そうか。では君の優しさに免じて、処罰を与えるのは止めるとしよう」

 

「ありがとうございます、アールヴさん!」

 

「リヴェリアでいい。ここにいる仲間は皆、私のことを下の名前で呼ぶからな」

 

「は、はい!よろしくお願いします、リヴェリアさん」

 

「あぁ、よろしく頼む」

 

 フィン達を前にしてガチガチに緊張していたベルの顔に、徐々にだが笑顔が生まれてきた。

 そんな彼の変化に気付いたリヴェリアは、何も言わずに優しく微笑むのであった。

 

「見てみぃフィン、あれが我が子を慈しむときに浮かべる表情や。ママと呼ばれるのも納得やな」

 

「誰がママだ、誰が」

 

 そんなわけで、ひとまず話は一区切り付いた。そして、ここからがベルにとって本番(、、)である。

 

「さて、本題に入ろうベル・クラネル。確かに君はロキに勧誘されたが、それは強制ではない」

 

「えっ、それはどういう…?」

 

「君が自らの意思で入団するのなら、僕達は喜んで歓迎するつもりだ。だけど知っての通り、ダンジョンに潜るということは死の危険がある」

 

「死の、危険…」

 

「【ロキ・ファミリア】に入るということは、死と隣り合わせのダンジョンに潜り続ける必要がある。君に僕達と一緒に戦う覚悟はあるかい?僕達と一緒に死ぬ覚悟が君にはできているのかい?」

 

「ぼ、僕は……」

 

「自分の人生を無駄にしないためにも、今ここでよく考えてほしい」

 

 第一級冒険者のオーラを身に纏ったフィン。彼の言葉はとても重く、ベルの心の深い所に突き刺さった。

 

(戦う覚悟なんて…死ぬ覚悟なんて本気で考えたこともなかった…)

 

 本物の冒険者の存在を肌で感じたベルの思考は、より深いところに沈んでいく。

 

(どうして僕は、冒険者になろうと思ったんだ?) 

 

 今のベルの瞳には、フィン達の姿は映っていなかった。ベルが見つめる先にあるのは、己のみ。

 意識は心の底へと沈んで、沈んで、沈んでいく。

 

 

 

『僕は何故、オラリアに来ようと思ったの?』

 

 ――――冒険者になってダンジョンに挑むためだ。

 

『僕は何故、冒険者になってダンジョンに潜りたいの?』

 

 ――――ダンジョンに出会いを、英雄の冒険譚みたいな出会いを求めたからだ。可愛い女の子や、綺麗な異種族の女性と仲良くなりたい。

 

『本当に?』

 

 …本当に?

 

『それは祖父が僕に残した願望であって、僕の本当の願いではないだろう?』

 

 ――――お祖父ちゃん。両親がいなかった僕の、唯一の家族。

 

 『男ならハーレム目指すのは浪漫だよなー』とか、『ツンデレやクーデレな女の子を助けて仲良くなりたいよなー』とか、たまに何のことだか分からないことを言っていたけれど、僕の憧れの人。

 

『そう、僕が初めて憧れたのはあの人だ。』

 

 幼いとき、ゴブリンに殺されかけた僕を、颯爽と現れ、百戦錬磨の戦士のようにモンスター達を撃退してくれた。

 手に持っていたのは剣ではなく鍬だったけれど、僕には祖父が戦士に見えた。いや、僕を助けてくれた祖父の姿は戦士ではなく、英雄のようだった。

 今更ながら、僕が初めて憧れた英雄は、お祖父ちゃんだったんだ。

 

『それだけ?憧れだけで終わりなの?』

 

 ――――僕は…。

 

『それだけで【ロキ・ファミリア】に入るのかい?そんなちっぽけな思いでダンジョンに挑むつもり?憧れだけで、いつ死んでもおかしくないダンジョンに潜るなんて止めた方がいい』

 

―――それでも、僕は……。

 

『もう気づいているのだろう。僕がこのオラリアで本当に叶えたい願いを』

 

 ―――――叶うなら。

 ――――叶うなら!

 ―――叶うなら!!

 

 僕は祖父のような、英雄譚に出てくるような、誰もが憧れる英雄に。

 

 ―――僕はなりたいっ!!

 

『我ながら子供っぽいなぁ。でも、それが僕の願望だ。さぁ、英雄になるための最初の一歩を今、踏み出そう!』

 

 

 心の奥底に沈んでいたベルの意識が浮かび上がる。答えは出た。だから、もう迷うことはない。

 

「―――覚悟ならあります。だから僕を【ロキ・ファミリア】に入団させててください!」

 

 先程まで弱々しかったベルの瞳に、強い意志が宿る。今のベルは無意識のうちに冒険者の顔つきになっていた。

 そんなベルの変化にフィンは内心で驚いたが、それをおくびにも出さずに口を開いた。

 

「君の覚悟は確かに受け取った。しかし君は死を覚悟してまで、ダンジョンに何を求めるんだい?」

 

 命を落とす可能性があるダンジョンに潜る理由は人それぞれだ。

 名誉だったり、お金だったり、ただ純粋に強くなりたいなど、人の数だけ理由は存在する。

 では、ベル・クラネルがダンジョンに潜る理由は何なのか?

 フィンの問い掛けにリヴェリアとロキもベルの答えに注目する。

 

「…僕は、このオラリアで、ダンジョンに潜って、そしていつかは……」

 

「英雄になりたいんです!!」

 

 ベルの心からの願いに、その場にいた全員が言葉を失った。

 そして、次の瞬間に、三人は一斉に笑い出した。

 

「ははっ、あはははははははははぁっー!!いやぁ、最高やでベル~」

 

「こらロキ。あまり笑うのではない、ふふっ」

 

「あはは、そういうリヴェリアも笑っているよ」

 

 この年になって英雄になりたいなんて、恥ずかしい願望を叫んでしまったベルは、三人が笑っているのを見て、すごく恥ずかしくなった。

 あっという間に顔を真っ赤にさせたベルは、その場に崩れ落ちた。

 

(あぁ、僕は何て恥ずかしいことを…ッ!!うぅ、穴があったら今すぐ隠れたい…)

 

「いや、すまない。別に馬鹿にしているつもりはないんだ。ただ今までにない独特な答えだったもので…」

 

「誤解を与えてしまったのなら済まない。ただ私達は、君の答えに感服して笑みを浮かべただけなんだ」

 

「そ、そうなんですか…?」

 

「そうやでベル。いやぁしかし、自分を連れて来てホンマによかったわ。うんうん、うちの目に狂いはなかったんやな」

 

 ロキ達は崩れ落ちたベルに―――新たな自分たちの家族に優しく声をかける。

 

「さぁ、入団試験の結果を伝えるから顔を上げて立ってくれ」

 

「えっ、今のが入団試験だったんですか…!?」

 

「その通り。いいかい、ベル?【ロキ・ファミリア】に所属するために必要なのは力でも速さでも頭脳でもない―――戦う覚悟だけだ」

 

「戦う覚悟…」

 

「そうだ。それさえあれば、誰でも【ロキ・ファミリア】に入団することは可能だ。例え周りよりいくら能力が劣っていようと、覚悟さえあれば関係ない」

 

「そして君には戦う覚悟があった。だから入団試験は合格だ」

 

「そ、それじゃあ僕は【ロキ・ファミリア】に入団できるんですか!?」

 

「あぁ、君は今日から正式に【ロキ・ファミリア】の一員だ。団長として歓迎するよ」

 

「もちろん私も歓迎する。おめでとう、ベル」

 

「ありがとうございます、フィンさん!リヴェリアさん!」

 

「ベルが無事に入団できてホンマよかったわ。ほな、早速『恩恵』を刻むとするか。ベル、うちに付いてきい」

 

「はい、分かりましたロキ様っ!」

 

 こうしてベルは見事入団試験を通過し、晴れて都市最大派閥の一つである【ロキ・ファミリア】の一員になるのであった。

 

 

 

 

 



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兎と剣姫とレアスキル

正式に【ロキ・ファミリア】へと入団したベルを、自室まで連れてきたロキ。

ロキの部屋に連れてこられたベルはというと、初めて入る女神の部屋に緊張しているようであった。

 

(ここはベルの緊張をほぐすためにも軽いジョークでも言っとくか!)

 

「むふふ、それじゃあ上はすべて脱いでそこのベッドにうつ伏せになってな~」

 

「は、はい!」

 

 ロキに言われるがまま上衣を全て脱いで上半身裸になったベルは、ロキの指示通りにベッドにうつ伏せに寝て、ベルの上にロキはまたがるように座った。

 

「ロ、ロキ様っ!?ど、どうして僕の上に…!?」

 

「むふふ~実はなベル、これが【ロキ・ファミリア】入団の伝統儀式なんやで」

 

「そ、そうなんですか…」

 

 すぐに耳を赤くして慌てだすベルに、これが【ロキ・ファミリア】入団の儀式だと説明(大嘘)したら、簡単に信じてしまった。

 さすがのロキも自分の真っ赤な嘘を疑わないベルの純粋な姿に、軽く罪悪感を抱く。

 

(け、決してうちの心が汚れているわけじゃ…そうっ、ベルの心が純粋すぎるのがいけないんや!一体どんな環境で育ったらこんな純粋に育つんや…)

 

 ロキは自分の人差し指に針をさし、血を浮かび上がらせた。その人差し指でベルの背中に触れ神の『恩恵』、つまり【ステイタス】を刻んでいく。

 

 そしてベルの背中に【ステイタス】が浮かび上がった。

 

 

 

******************

 

 

ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 《魔法》【】

 《スキル》【英雄熱望(ヒーロー・ハート)

 ・早熟する

 ・英雄を目指し続ける限り効果持続

 ・英雄の憧憬を燃やすことにより効果向上

 

 

******************

 

 

 

 ロキはベルの背に刻んだ【ステイタス】を見て、今までにない以上に興奮した。

 

 ベルのスキル、【英雄熱望(ヒーロー・ハート)

  

(スキルの入手自体稀であるのに、まさかまだ冒険をしていないベルがスキルを獲得するとは…)

 

 しかも、今までに聞いたことのない名前から、レアスキルであるとロキは確信した。

 

 レアスキルとはスキル効果が希少であり、総じて、他のスキルよりも一線を超えるスキルのことである。

 第一級冒険者の中でも、ロキが知る限りレアスキルを持つものは五人といない。

 

 そして、【英雄熱望(ヒーロー・ハート)】は、間違いなく未確認スキルの一つだろう。

 ロキ自身、成長速度を強化するスキルはこの下界で初めて見た。

 自分の子にこのような規格外のレアスキルが発現したのなら素直に喜ぶところだが、そう楽観的にはいられない。

 

 自分もそうだが、娯楽に飢えている神々は多い。

 そんな神達にベルのレアスキルを知られると、アホのようにちょっかいをかけてくる暇人が絶対に出てくる。

 そしていくら【ロキ・ファミリア】の力が強大でも、バカどもは全く気にしないで勧誘してくるのだ。

 

 ロキは思わずため息をつく。

 

(もちろん、そんなアホにはその場で痛い目に合わせるんやけどな…。さて、どないしよう?)

 

「あの、ロキ様…?先程から黙っていますが、何か僕、まずいことでもしちゃったんでしょうか…?」

 

「ん~大丈夫や、もう少しで終わるで~」

 

 兎のようにおびえた眷族の声が、ロキの下から聞こえた。

 今のロキはベルの背に腰かけ、自分の神血を用いて【神聖文字】を刻み終わったところだった。

 動きを長らく止めたロキを訝しんだのか、ベルが首をひねってロキを仰いできた。

 そんな愛らしい眷族の姿を見て、このレアスキルはベルのためにも秘密にするべきだと思った。

 

 ベルは純粋すぎる。今このスキルを本人に伝えても、周りの人たちに隠し通すことなど不可能に近い。

 

 しかも、神々には嘘が通じない。

 レアスキルを得たベルは、神々によってすぐに捕捉されてめんどうなことになるのは間違いないだろう。

 

(ベルが第二級冒険者になるまでレアスキルのことは秘密やな…)

 

 

 自分の子どもの安全を考える眷族思いの主神(ロキ)であった。

 

 

「ん、契約おしまい。これが記念すべき初めてのベルの【ステイタス】やで~」

 

「ありがとうございます、ロキ様」

 

 僕はロキ様から渡された用紙を手に取る。そして、初めて見る自分の【ステイタス】に期待に胸を膨らませ、用紙に視線を落とす。

 

 

 

******************

 

 

ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 《魔法》【】

 《スキル》【】

 

 

******************

 

 

 

 これが僕の背に刻まれた【ステイタス】だった。

 

 ロキ様の説明によると、【ステイタス】は大きく分けて五つの項目があるという。

 

 自分の真名と契約した主神の名前。

 現在の自分の器を表すLv。

 五つの基本アビリティである、力、耐久、器用、敏捷、魔力。これらのアビリティには熟練度というものが存在し、上からS、A、B、C、D、E、F、G、H、Iとなっている。

 そして最後の項目は魔法とスキルだ。

 正直、魔法というものに憧れていたため、僕も魔法を使えるかも…!とさっきまで思っていた。

 

 しかし、現実は無情である。

 僕の魔法のスロットは空欄であったのだ…。

 

(さっきまで期待していた自分を殴りたい…)

 

「ん、そない落ち込んでどうしたんや?」

 

「…ロキ様。僕、魔法の才能ってないのでしょうか?」

 

「なんや、そんなこと心配してたんかい。ダイジョブ、ダイジョブ。どんな子でも魔法は最低一つ使えるはずや。まぁ本とか読んで知識を蓄える必要があるけどな」

 

「ちなみに魔道書みたいな例外もあるけどなぁ~」と、答えてくれたロキ様。

 

(それなら魔法を使いたいという小さい頃からの夢が叶うかもしれないってことだよねっ!よし、今日から頑張るぞ!)

 

 僕は今日から読書を習慣付けしようと心の中で決心した。

 

「あ、そういえばこのスキル欄のところなんですけど…」

 

「ん、何か気になることでもあったんか?」

 

「えっと、スキル欄も空白ですが…」

 

 ‘コンコン’

 

 紙に写された自分の【ステイタス】を見て疑問に思ったことをロキ様に聞こうとしたが、唐突な来客を告げるノックの音により、僕の言おうとした言葉は遮られる。

  

「ん、誰だか知らんが、もう少し待っててくれへんか?」

  

「…うん、分かった。それなら出直してくる」

 

「うおっ、その声はアイズたん!?いやいや、アイズたんなら大歓迎や!今終わったから入っていいで!!」

 

「えっ、ロキ様!?まだ質問の途中じゃあ…」

 

「さっきの質問には後で答えるから安心してな!さぁ、入っていいでアイズ!!」

 

「…失礼します」

 

 青い装備を身に付けた、金髪で金色の瞳をしたどこか神秘的な雰囲気をまとった少女が部屋に入室してきた。

 その少女は最初にロキ様を見て、次にその横にいる僕を見て顔を止める。

 

 

 僕の深紅の瞳と、彼女の金色の瞳。

 

 見えない磁力が働いたようにお互いの目と目が合った瞬間、時間が止まった気がした。

 

 

 こうしてベルは、【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインとの邂逅を果たしたのであった。

 



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剣姫の姉と白兎の弟

 ―――白く、とても白い。純粋で透明な色。

 

 男性にしては線が細く、繊細そうなその姿は髪が白いこともあり白兎のようだなと思った。

 

 それが、私―――アイズ・ヴァレンシュタインがベル・クラネルを初めて見たときの印象であった。

 

 本来の私なら他人にそれ以上の興味を抱くはずがなかった。

 理由はただ単に他人に関心がないから…ではなく、今の私には他人を心配する余裕がないからだ。

 

 今の私が為すべきことはただ一つ。

 

 ダンジョンで己を鍛え、

 さらなる高みへと至り、

 悲願を果たす―――。

 

 強くなることにしか考えていない私であるが、なぜだろう…その少年――ベルのことが無性に気になっていた。

 

 初めての挨拶のときに『ベルの姉になる』と言ってしまった私だが、改めてあのときのことを思い出すと顔が赤くなってくる。

 

 ベルに対して積極的に行動したのに明確な理由があった訳ではない…と思う。

 

 ただあの瞳―――どこまでも真っ直ぐで純粋な深紅の瞳を見た瞬間に私は確信したのだ。

 

 この白兎の隣にいれば新たな景色が開かれ、さらなる高みへ辿り着けるはずだと―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

****************************

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん~、アイズはまた一人でダンジョンに潜ってたんかい。あれほど無茶はするなと言ったのにな…」

 

「…ごめん、ロキ」

 

「心配かけたと思っているなら、ソロでのダンジョン探索もほどほどにしてな、ホンマに」

 

「…うん、わかってる。ところでロキ、この子は一体…?」

 

「おおそうやった、そうやった!アイズはベルのこと知らなくて当然やな。なんと今日から【ロキ・ファミリア】に入団することになった期待のルーキーや!それではベル、アイズに一言どうぞ~」

 

「え!?えっと…ベル・クラネル、十四歳です。戦いも知らない未熟者なので【ファミリア】の皆さんには迷惑をかけてしまうと思いますが、よろしくお願いします!!」

 

 ベルに挨拶されたため、自分も返さなくてはと思ったアイズであったが、残念なことにアイズのコミュニケーション力は途方もなく低かった。

 

 こういう場面に慣れていないアイズは心の中で慌て、とりあえず名前と年齢だけを言うことにした。

 

「…アイズ・ヴァレンシュタイン、十六歳。よろしくお願いします」

 

「何やそのつまらん挨拶は!二人ともダメダメやないか!いいか、ベルもアイズももう家族なんやで。家族同士でそんな固い挨拶なんて普通しないやろ。もう一度やり直しや」

 

「えっ!?で、でもどんな感じで挨拶すればいいのでしょうか…?」

 

 困り顔のベルとアイズを見て、ロキは真面目に答え―――

 

(いや、ここはベルとアイズの距離感を縮めるためにも軽いジョークでも言っとくか!)

 

 ―――る訳がなかった。

 

 困った程に悪戯好きな神である。

 先程それで罪悪感を抱いたことなどもう記憶にないのだろうか。

 

「う~ん、そうやな…今回だけはうちがお手本を見せるわ。出血大サービスやで、二人とも!」

 

「初めはベルの挨拶からやな」と言って、ベルの声色を真似てロキは叫んだ。

 

「僕の名前はベル・クラネル!今日から貴女の弟になりましたっ!よろしくねっ、アイズお姉ちゃん!」

「―――!?!?」

 

 ベルは顔を盛大にひきつらせ、言葉にならない奇声を上げてしまった。

 

「次はアイズの挨拶やな」と言って、同じようにアイズの声色を真似て叫んだ。

 

「私はアイズ!今日から君のお姉ちゃんとなりましたっ!何か困ったことがあったらいつでもお姉ちゃんに相談してねっ!」

「……………」

 

 ‘シ―――ン’

 

(あ、あかん…。これは完全に滑ったわ。調子に乗り過ぎたわ)

 

 無反応のアイズを見て、盛大にやらかしてしまったと焦るロキ。

 

 しかし実際にはロキにとって予想外なことが起きていたのだ。

 

 何とアイズ自身は、『姉』という言葉の響きに悪い気分を感じていなかったのである。

 

 というのも、【ロキ・ファミリア】は、アイズよりも年上ばかりでありいつもみんなから妹扱い(リヴェリアには娘扱いだったが)であり、少々不満に感じていたのだ。

 

 そしてロキの言葉を聞いたとき、アイズは自然と願っていた。

 

(こんな私でも、弟がほしい…。もしこの子が――兎みたいに可憐で繊細で、何故か見ているだけで癒されるようなこの子が弟なら、私は…)

 

「な、なぁ~んて、今のは軽い神様ジョークで…」

 

「わかった、ロキ。今日から私はこの子の姉になる」

 

「した~…って!?い、今何て言ったんやアイズ!?」

 

「…?この子の姉になるって言ったけど」

 

「「………」」

 

「「えええええええええええぇぇぇぇぇ――――!?!?!?」」

 

 ロキとベルは共にアイズの発言に驚愕し、思わず大きな声で叫んでしまうのであった。

 

 そんな二人のことを不思議そうに首をかしげて見つめる、ちょっぴり…いやかなり天然なアイズであった。

 

 

 

***

 

 

 

―――その後。

 

「そ、それじゃあ、今日からベルが弟でアイズがお姉ちゃんや!お互い初めは姉弟という関係に慣れへんとは思うが、ベルは弟としてアイズのことを頼り、アイズは姉としてベルのことを優しく支えてあげてな~」

 

 アイズの『ベルのお姉ちゃんになる』発言で一悶着あったが、そこは主神であるロキが何とか場をまとめるのであった。

 

「よ、よろしくお願いします、ヴァレンシュタインさん」

 

「…アイズでいいよ、ベル」

 

「い、いいんですか…?」

 

「もちろん…姉弟なら名前で呼んで当然だから」

 

「わかりました…ア、ア、アイズさん!」

 

「うん…これからよろしくね、ベル」

 

アイズは弟ができた事実が無性に嬉しく、思わず顔を綻ばせていた。

 

そしてそんなアイズの微笑みを見て、ベルは真っ赤になってしまったのは言わずもがなである。

 

 

 

こうして戦闘一筋であったアイズに、初めて弟ができたのであった。

 

 



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祖父への手紙

 拝啓、お祖父ちゃんへ

 あの日からもう一年。

 この一年…いえ、この数日の間に僕は色々なことを経験しました。僕の今現在についてお祖父ちゃんに伝えたいと思い、この手紙を書きました。

 貴方がいなくなってから毎日泣いてばかりだった僕。

 

 そんな日々が続いたある日の夜、僕は不思議な夢を見ました。

 

 

『男なら泣くな、ベル。お前がいつまでも泣いていたらワシは安心して天国に行けないのだ』

 

『泣いちゃいけないことはわかってるっ!でもっ、僕は泣き虫だからっ、お祖父ちゃんみたく強くないからっ!』

 

『ベル…。お前は今の自分を変えたいか?』

 

『変えたいに決まってるっ!こんな弱い自分なんて嫌だ…!僕は、僕はお祖父ちゃんみたいな英雄になりたいっ!』

 

『…そうか。それならベル、オラリオに行くのだ』

 

『オラリオって、お祖父ちゃんがよく話してくれたダンジョンがある所だよね…?そこに行けば強くなれるの…?』

 

『そこで強くなれるかはお前次第だ、ベル』

 

『僕次第…』

 

『…お前には冒険者としての才能はないのかもしれない。それでもワシはお前が望むのならオラリオに行って欲しいのだ』

 

『お祖父ちゃん…うん、わかった!僕、オラリオに行ってみるよ。そこで冒険者になって強くなってみせるっ!』

 

『うむ、さすがはワシの自慢の孫じゃ。その心意気なら可愛い女の子たちとも出会えるはずよ!』

 

『え、お祖父ちゃん…?』

 

『そして我が孫よ、男の浪漫であるハーレムを目指すのだ!!』

 

『お祖父ちゃんッ!?』

 

 夢の中で祖父とそんなやり取りをした翌日。

 僕は覚悟を決めて初めて村を出て、迷宮都市オラリオへと旅立ちました。

 そしてオラリオ到着後。

 まだダンジョンには潜っていませんが、素敵な人達と出会うことができました。

 ―――――どこの【ファミリア】にも入れてもらえず、路頭に迷っていた僕に救いの手を差し伸べてくれたロキ様。

 ―――――世間知らずだった僕に対し、優しく接してくれたリヴェリアさん。

 ―――――ひ弱で頭もあまり良くなく、覚悟だけしかなかった僕の【ファミリア】入団を許可してくれたフィンさん。

 ―――――そしてオラリオの中でも最強と謳われる、【剣姫】アイズさん。

 【ロキ・ファミリア】に所属することになった僕は、そんな素敵な方々と同じ【ファミリア】になれました!

 今でも昨日起きたことは夢なんかじゃないのかと疑っているくらいです。

 特にアイズさんとの出会いは衝撃的でした。

 

 

***

 

 

 昨夜、ロキ様の部屋にて。

 ロキ様に『恩恵』を刻んでいただいた僕は、部屋に訪れたアイズさんと初めて会いました。

 アイズさんのあまりの神秘的な美しさに、しどろもどろな挨拶になってしまった僕を見かねたロキ様。

 そんなロキ様が僕にお手本を見せていただいたのが、アイズさんが姉になったそもそもの原因でした。

 ロキ様の言葉を聞いた後、固まっている僕をよそにアイズさんは僕の姉になると宣言しました。

 ものすごい美少女から初対面でいきなり姉弟になると言われて、混乱せずにはいられません。

 僕は声を上げて驚きその後しばらく混乱し、あわあわと戸惑ってしまいました。

 

 場の空気は一時混沌と化しましたがすぐにロキ様がまとめました。

 

「そ、それじゃあ、今日からベルが弟でアイズがお姉ちゃんやで!お互い初めは姉弟という関係に慣れへんとは思うが、ベルはアイズのことを弟として頼り、アイズはベルのことを姉として優しく支えてあげてな~」

 

「よ、よろしくお願いします、ヴァレンシュタインさん」

 

「…アイズでいいよ、ベル」

 

「いいんですか…?」

 

「もちろん…姉弟なら名前で呼んで当然だから」

 

「わ、わかりましたっ…ア、ア、アイズさん!」

 

「うん…これからよろしくね、ベル」

 あまりの恥ずかしさにしどろもどろになってしまった僕をアイズさんはじっと見つめ、その端麗な相貌がほのかに微笑みました。

 その微笑を直視して真っ赤になっている僕を不思議そうに見たアイズさんは視線をロキ様に向け、質問しました。

「…ロキ。姉として弟に―――ベルに、何をしてあげたらいい?」

「おっ?なんや、ホンマに今日はやけに積極的やな。これなら、いい姉弟になれそうや」

 

「そうかな…?」

「いつもの自分と比べてみぃ…まぁそれは置いといて、ベルは戦い方を知らんみたいやし、姉として冒険者の戦い方を教えてあげるのはどうや?まぁその期間中はダンジョンに深くは潜れなくなるから、やっぱアイズには無理…」

「うん、わかった。ベルに戦い方を教えればいいんだね?」

「えっ!?あぁ、うん、そうやけど…。 でも本気かアイズ?ダンジョンで戦えるレベルにするためには、最短でも一週間はかかるで?その間ろくにダンジョンには潜れへんのはわかってるんか?」

「うん。自分のことよりも弟や妹を優先するのがいい姉である…ってティオネに聞いたことがあるから。私もベルにとっていい姉になれるよう、できるだけ頑張りたい」

「…ホンマ変わったな、アイズ。これもベルのおかげかも知れへんな。よしっ、それなら明日から早速『ベル・クラネル育成計画』を始めようかっ!!それじゃあ、明日は朝の五時に中庭に集合な!それでええか、ベル、アイズ?」

「わ、わかりました!!」

「…うん、わかった」

「それじゃあ今からベルを新しい部屋に連れていくわ。ちょっと狭い一人部屋だけど、勘弁してな」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 以上のような出来事があり、僕とアイズさんは姉弟になりました。

 そして僕は今日、アイズさんから冒険者としての戦い方を教えてもらえるのです!!

 こんな光栄なことはありません。

 お祖父ちゃん、今まで僕を育ててくれて本当にありがとうございました。

 ベル・クラネルは冒険者としての一歩を今、踏み出していきます!!

 ―――――それじゃあバイバイ、お祖父ちゃん。

 

 

ベルは手紙の最後をそう締めくくり、アイズが待つ中庭へと向かうのであった。

 

 

 

********

 

 

 

 

 その後中庭にて。

 アイズに回し蹴りにより派手に吹き飛ばされ、気を失いかけるベルの姿があった。

(痛いっ、体中がすごく痛いっ!?ダメだ、意識が飛ぶ…。あぁ、【ロキ・ファミリア】に出会いを求めるのは間違っていたのかも、お祖父ちゃん……)

 

『我が孫よ、それは我々の業界ではご褒美だぞ!』

 ベルの意識がなくなる直前、どこからともなく祖父の言葉が聴こえた気がした。

 

(い、意味がわからないよ、お祖父ちゃん…)

 

 こうして訓練を開始して数秒で、アイズにノックアウトされたベルは気絶したのであった。

 

 



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アイズの膝枕

「おはようさん二人とも~!どうや、ベルの指導は順調に進んでいるんか?…って、何でベルは気絶してんねんッ!?おまけに体もボロボロやし…。ま、まさかアイズの指導がここまで苛烈だとは思わへんかったわ。親は子に似るって言うが、気絶させるほどのスパルタっぷりはリヴェリアに似たんやろうか…」

「こ、これは違うのロキ。実は…」

 朝っぱらからの中庭での惨状を見てドン引きするロキ。

 そんなロキの誤解を解くためにアイズは慌てて今までの出来事を説明するのであった。

「ふむふむ、話をまとめるとやな…アイズはベルに体術を教えようとしたが力加減を間違えて強く蹴ってしまい、そのまま吹き飛ばせて気絶させたわけか」

「…うん、ベルのことを気絶させるつもりなんてなかったの。ただ誰かをこういう風に指導するのは初めてだったから、どのくらい手加減したらいいかわからなくて…」

「ん~この状況は理解したけど、さすがに初手で回し蹴りはやりすぎやろ…。一応ベルは気を失っているだけで特に怪我はしてへんみたいやけど、次からは気を付けるんやで?」

 苦笑いしているロキの言葉がアイズの心にグサッと突き刺さる。

「しかしなぁ…これはけっこうヤバい状況やで、アイズ」

 

「………?」

 苦笑いを止めて真剣な表情になったロキの言わんとしていることがよくわからず、アイズは思わず首をかしげる。

「いくら温厚なベルでも、いきなり気絶されるほどの威力で蹴られたことには怒るやろうな…」

 グサグサッ!と、またしてもアイズの心にロキの言葉が突き刺さる。

 ロキは次第に顔色を暗くするアイズに気付かないまま言葉を続ける。

「ベルがこのせいでアイズのことを嫌いになっちゃたりしてな~。そうやな…ベルが目を覚ました後に『アイズお姉ちゃんなんて大っ嫌い!!もう僕に話し掛けないで』なぁ~んてことを言われるかもしれへんな…」

 グサグサグサグサッ!!!

 ベルの声真似をしたロキの言葉を聞いた瞬間、アイズの目の前は真っ黒になった。

(は、初めてできた弟だったのに…。ベルに昨夜から何を教えようか考えるのにずっと夢中だったのに…。何より私は、純粋な白兎との触れ合いにより癒されていたのに…)

 アイズの心の中では今、子供姿に戻った自分が泣きそうな顔をして体育座りをしているのであった。

(それなのに私の失敗のせいでベルに嫌われてしまったら、この久しぶりに感じた温かい時間が終わってしまう…!!そんなの、絶対に嫌だっ!)

「っていうのは全部冗談やから安心せいアイズ!…って、アイズ?聞いてるんか、アイズ?」

(どうしよう、どうしよう…。一体どうすれば、ベルに嫌われないで済むかな?)

 心の中で子供姿に戻っているアイズは膝を抱えて必死に考え込んだ。

 そんな珍しく混乱しているアイズに、ロキの冗談だという言葉は届いていないのであった。

「おーい、アイズ。アイズた~ん。…ダメや、全然聞こえてへんわ。これはちょっとからかいすぎたかなぁ…?」

 ロキの呼び掛けにも反応せず、しばらくの間考え込んでいたアイズであったが結局いいアイデアは浮かんでこなかった。

「…ロキ!」

「な、なんや突然…?」

 今まで俯いて黙っていたアイズが突然顔を上げて、ロキの名を呼んだ。

 有無言わせないアイズのあまりの迫力に、ロキは思わず半歩後ずさってしまった。

「どうすれば…ベルは私のことを許してくれると思う?」

「そ、そうやな…」

(ベルならアイズが謝ればすぐ許してくれそうやし、このことでアイズを嫌いになるとは到底考えられへん…。ここでアイズにこの事実を伝えてもええが、それでは面白味に欠けるな~。…んっ、いいこと思いついたわ!)

「よしっ、それならうちが知っている中でもとっておきの方法を教えたるわ!いいか、アイズ。その方法とはずばり…」

「ずばり…?」

「ひ・ざ・ま・く・ら…や!!」

「…膝枕?」

「そうや!膝枕――つまり自分の膝を使ってベルを寝かせてあげれば、絶対許してくれるはずやで!」

「…そんなことでいいの?」

「もちのろんや!いつの時代も男にとって美少女の膝枕は憧れなんやでっ!!そして男であるベルも美少女であるアイズに膝枕されたら例に漏れず喜ぶやろうな~」

「…そうかな?こんな私なんかに膝枕されたら、ベルは迷惑じゃない…?」

「アイズはもっと自分の魅力に気づくべきや!それに膝枕は古来から伝わる由緒正しい謝罪方法(大嘘)なんやで!」

 

「…わかった。それでベルが許してくれるのならやってみる」

「ほな、ベルが起きる前に早くやろうか!(むふふ、アイズの膝枕とかレア物すぎる!しっかり堪能するんやで、ベル!)」

こうして天然な(アイズ)主神(ロキ)に見事騙され、ベルに膝枕をすることになったのであった。

 

 

***

 

 

 今も意識を失い続けているベルへと近づき、アイズはベルの傍に腰を下ろす。

 そして、細い腿にベルの頭を乗せ、アイズにとって初めてである膝枕をするのであった。

 自分の腿にかかるベルの頭の重さに、どこか新鮮なものを感じるアイズ。

 いざロキに言われるがまま膝枕をしてみたが、思っていたよりもその行為が恥ずかしく感じてきたのか、アイズの顔がほんのりと赤みを帯びてくる。

 

 ベルの穏やかな寝顔を眺めていたアイズだったが、思わずその兎のような白い髪を撫でたくなった。

(…少しくらいなら撫でても平気だよね?)

 アイズはベルを起こさないように白兎の髪に手を伸ばし、その頭を優しく撫でる。

(…何だか、すごく癒される。でもあまり撫で続けたら悪いかも…。でも、もうちょっとだけなら撫でてもいいよね…?)

 幸せそうな顔をしてベルのことを撫で続けるアイズ。

 そんな温かな光景を眩しそうに眺めるロキの瞳は、とても優しい目をしていた。

(今のアイズとベル…まるでずっと一緒に過ごしてきた姉弟みたいやな。しかもアイズのあんな幸せそうな顔、随分と久しぶりに見た気がするわ。…アイズを笑顔にさせてくれてホンマにありがとな。これからも期待してるで、ベル)

 ロキは心の中でベルに感謝を伝え、アイズたちから静かに離れるのであった。

 

 

 

 

****************

 

 

 

 

 

 その後。

 

 アイズはベルが目を覚ますまで膝枕をしたまま髪を撫で続け、幸せな時間を堪能していたのであった。

 



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レフィーヤの受難

 

 

 【ロキ・ファミリア】ホーム、黄昏の館のとある女子塔の一基。

まだ館の周辺は薄暗い中、ある一人の少女が目を覚ますのであった。

 目を覚ました少女は、どこかあどけなさを残している端麗な相貌をしている。山吹色の髪に碧色の瞳。そしてエルフの最大の特徴である、細く尖った可憐な耳。

 そのエルフの少女の名は、レフィーヤ・ウィリディス――― Lv.3 の第二級冒険者で、彼女が有する魔法にちなみ【千の妖精(サウザンド・エルフ)】という二つ名が授けられている、腕利きの魔導士である。

 

(今日はこんなに早く起きちゃった…。そうだ!この時間なら、いつもアイズさんが訓練しているはずっ!)

 

 レフィーヤが憧れているアイズは毎日朝早く起床し、ホームの中庭にて剣の素振りなどを行っている。それを知っているレフィーヤは、ときどき偶然を装って中庭に赴くのだ。

 

(いつも離れたところで眺めることしかできないけど、今日こそは…!今日こそはアイズさんに声を掛けるのよ、レフィーヤっ!そうすればきっと―――)

 

 

『おはようございます、アイズさん』

 

『あれ、レフィーヤどうしたの…? 』

 

『私も訓練しようかなって思いまして、ここに来ちゃいました』

 

『そうなんだ…偉いね、レフィーヤは』

 

『いえいえ、毎朝欠かさずに鍛錬してるアイズさんほどではないですよ~』

 

『…ふふ、そうだレフィーヤ。どうせなら一緒に鍛錬する? 』

 

『本当ですかアイズさん!?ぜ、是非お願いしますっ!! 』

 

 

「…ふふ、こんな素晴らしい展開になったりするかもっ!よし、そうと決まれば―――」

 

 朝から幸せな妄想に浸りご機嫌になったレフィーヤは、すぐに身支度を整え自室を後にし、アイズがいるはずの中庭へと向かうのであった。

 

 

 

***

 

 

 

(アイズさん、もう鍛練始めちゃったかな?)

 

 中庭へと向かう途中、レフィーヤは塔と塔の間を繋ぐ空中回廊で一旦立ち止まって中庭を見下ろしていた。

 目的はアイズがいるかどうかを確認するためである。

 そして空中回廊から中庭を見下ろしたところ、見覚えのある金色の髪がレフィーヤの目に映った。

 

(見つけたっ!あの後ろ姿はアイズさんで間違いないはず…。でもあれ?どうして芝生の上に座っているんだろう?アイズさんが鍛錬中に腰を下ろして休むなんて今まで見たことないのに…何かあったのか?)

 

 レフィーヤは普段と違う行動をしているアイズに疑問を思いながらアイズの周辺も見渡すのであった。

 

(んん?あそこに立っているのってロキ様だよね?どうしてあんな離れた位置からアイズさんのことを眺めているんだろう?それに心なしか優しいお顔をされているような…)

 

 エルフの視力はヒューマンよりも優れているため、遠くの距離にいる獲物も裸眼で見付けることができる。

 そんなエルフのレフィーヤにとって、空中回廊から中庭までの距離でもアイズやロキを見付けることは容易であり、またこの距離からでもロキの細かい表情を読み取るのは造作のないことである。

 しかしいくら目がいいレフィーヤであっても、背を向けて座っているアイズの表情まではわからないのであった。

 実はこのときのレフィーヤは最高にツイていた。

 なぜならレフィーヤのいる場所からではアイズの背中だけしか見えなかったからである。もしアイズがレフィーヤに対して正面を向いていたら、憧れの剣姫が頬を染めながら見ず知らずの少年を膝枕している姿を目撃することになっていただろう。

 その点だけ考えれば、今日のレフィーヤは幸運だった。

 

(すごく気になるけど何だかアイズさんたちの邪魔しちゃ悪そうですし、ここは大人しく部屋に戻ろうかな… )

 

 ここで自分の部屋に戻っていればアイズの膝枕という衝撃的な光景を目にしないで済み、レフィーヤの幸運は一日中続いていたに違いなかった。

 だがしかし、人の運勢とは常に変化するものである。

 何が言いたいかというと、もうレフィーヤの幸運は失われてしまったのだ。

 

「回廊から中庭を見下ろしてどうしたのだ、レフィーヤ?」

 

「リ、リヴェリア様…!?え、えっーと、それがですね…」

 

 アイズ達のことを見下ろしながら考え事をしていると、背後から声が聞こえた。

 高貴で気品が満ちた聞き慣れた声を聞いて、その声の主がすぐリヴェリアだと気付いたレフィーヤはすぐに畏まった態度を見せる。

 

(ど、どうしよう…!?まさかリヴェリア様にここからアイズさんを覗い…じゃなくて、見ていましたなんて言えない…!)

 

 ジロジロと上から覗く行為はあまり品性が良いとは言えない。しかもレフィーヤは、不純な気持ちで鍛錬中のアイズに近付こうとしていたのだ。

 そんなときに敬愛する存在であるリヴェリアに会ってしまった。厳格な親に悪さをする現場を見られた子供の気持ちになったレフィーヤの顔は、見る見るうちに青くなっていく。

 

「ふふ、そう慌てるなレフィーヤ。実は私も先程までアイズたちのことを見ていたから知っているさ。いつもと違うアイズの様子を疑問に思い、考え込んでいたのだろう?」

 

「は、はい、その通りです。それでリヴェリア様はアイズさんが何をしているのかご存知なのでしょうか…?」

 

「ああ、知っている。私もアイズがどのように指導するのか気になってな、上から二人のことを覗いていたんだ。…まぁ諸事情があって今は休憩しているがな」

 

(あ、あのアイズさんが誰かを指導しているっ!?一体その相手は誰ですか!?)

 

 レフィーヤは思わず取り乱しそうになったが、崇拝するリヴェリアの前ということもあり何とか理性を保ったのであった。

 

(お、落ち着くのよ、レフィーヤ。まだティオナさんやティオネさんたちっていう可能性も残っているわ!)

 

「あ、あの、リヴェリア様…。その相手はティオナさんとかですよねっ?」

 

「相手がティオナなら指導とは言わないだろう。指導とは新人にすることくらいお前にもわかっているだろう?」

 

「やっぱりそうですよね…」

 

(まだよ、諦めるにはまだ早いわレフィーヤ。その新人は女の子という可能性も残っているんだから!)

 

「その新人ってもちろん女の子ですよね?そうですよねっ?」

 

「す、少し落ち着け、レフィーヤ。その新人の名はベル、昨日【ロキ・ファミリア】に入団したヒューマンの少年さ」

 

「…ということは、今アイズさんが指導しているのがその…ベルっていう少年なんですね?で、でも中庭にはアイズさんとロキ様しか見えませよ?」

 

「うん?そんなことは…ああ、そうか。ここの位置ではベルの姿が上手くアイズに隠れてしまって見えないな」

 

「姿が隠れている…?」

 

「ああ、今のベルはアイズの膝の上に寝かしているためこの位置ではアイズがちょうど重なってしまうのだ」

 

(…膝の上に寝かしている?…誰が?…誰のことを?)

 

 レフィーヤはリヴェリアの言っている意味が理解できなかった。

 あまりの衝撃の事実に自分の耳がおかしくなったのではないかと疑うレフィーヤ。

 

(そそそそれって、俗にいう膝枕じゃっ!? え、嘘!?あのアイズさんが膝枕しているの!? しかも昨日入ったばかりの新人にっ!?)

 

 その事実は、レフィーヤにとって到底受け止められないものだった。

 残酷な現実を前にして取ったレフィーヤの行動は一つ―――逃避である。

 

「あはは…そうか、これはまだ夢の中なんだ…。だって膝枕なんて私にもしてもらったことがないのに、それをぽっとでの新人に先を越されるわけありませんもんね…。あぁ早くこの悪夢、覚めないかな~?」

 

「お、おいレフィーヤ、大丈夫か?目の焦点が合わない上に、ぶつぶつとつぶやいていて怖いのだが…」

 

 おどろおどろしいレフィーヤの雰囲気に、流石のリヴェリアも若干引き気味であった。

 

「うふふ、やだな~リヴェリア様。これは夢なんですから、そんなに引かないで下さいよ~」

 

「…レフィーヤ、残念ながらこれは現実だ。だから早く正気に戻れ」

 

「…現実?いいえ、夢に決まってます…そうだっ、私の頬を思いっ切り叩いて下さい!夢なら痛くないはずですから、今が夢だと証明できます!!」

 

「…わかった。どうやらキツイ一発が必要なようだな」

 

 錯乱状態にあるレフィーヤが、リヴェリアに右頬を突き出す。

 小さくため息をついたリヴェリアはそのまま頬にビンタを一発…はさすがにせず、レフィーヤの額に強烈なデコピンを与えたのであった。

 

「…痛っーい!?え、何で夢なのに痛いの…?まさか、本当に現実…?」

 

「やっと目を覚ましたか、レフィーヤ。それともまだ夢の中だと言い張るのなら、今度はビンタを与えてもいいが?」

 

「い、いえ、完全に目が覚めました!!だからもう勘弁して下さい、リヴェリア様!」

 

 こうして、レフィーヤはやっと過酷な現実と向き合うことにしたのである。

 

(リヴェリア様が嘘をつくとは思えないけど、勘違いしている可能性だってあるはず!こういうことはやっぱり自分の目で確認しなくちゃ!そうと決まれば…)

 

「リヴェリア様!急ぎの用事ができたので、失礼します!!」

 

「こらっ、レフィーヤ!まだ話は終わっていないぞ!」

 

 後ろから呼び止めるリヴェリアだったが、レフィーヤは Lv.3 の脚力を存分に発揮し、すごい勢いでアイズたちがいる中庭に向かうのであった。

 

 レフィーヤが現実と向き合うのはもう少し先のようである。

 

 

 

******

 

 

 

 

 Lv.3の全力疾走により、すぐに中庭に辿り着いたレフィーヤ。

 

(アイズさん発見!って…あれはっ!?)

 

 レフィーヤの瞳に映る光景――――――――

 

 白髪の少年の頭を撫でながら幸せそうに膝枕しているアイズの姿をレフィーヤは見てしまった。

 

(ええええええええええええッ!?あ、あのアイズさんが本当に膝枕をしてるッ!?)

 

 その光景を見たレフィーヤは特大の雷が落ちたかのような衝撃を受けた。

 

 全身が硬直して頭の中が真っ白になったエルフの少女は、そのままベルの意識が戻るまで生ける石像と化したのだった。

 

 

 

 

 

 

*****************

 

 

 

 

 

 

 アイズがベルのことを膝枕して、けっこうな時間が経過した頃。

 

「んっ…」

 

 ベルの瞼が震え、そのまま徐々に目を開けたのであった。

 

 そんなベルの反応にびくっとしたアイズは、慌てて撫で続けていた手をさっと腰の後ろに隠す。

 そして、ベルの意識が完全に覚醒するまで、アイズは寝ぼけ眼な深紅の瞳を真っ直ぐ見つめるのであった。

 

(…まだ心臓がドキドキしている。でも、喜んでもらえたかな…?)

 

 そのまましばらくすると、ベルの深紅の瞳は覚醒の光を宿していく。

 目を覚ましたベルは自分を見下ろしているアイズの金の瞳をぼんやりと見つめるのであった。

 

「…………って、どわぁっ!?」

 

 アイズに膝枕されているという状況を理解した瞬間、ベルは顔を真っ赤にしてアイズの膝の上から飛び上がった。

 

 すごい勢いで自分から距離をとったベルを見て、アイズは首をかしげた。

 

(…あ、あれ?どうしてロキの言う通り膝枕したのに、逃げちゃうんだろう?…あまり嬉しそうでもなさそうだし…)

 

 実際のところベルは突然のアイズによる膝枕に驚いていただけで、嬉しくないわけではなかった。

 ただ純情なベルにとって膝枕はいささか刺激が強すぎた。

 その相手が出会ったばかりの美少女(アイズ)なら尚更である。

 このときのベルは嬉しさよりも恥ずかしさの方が上回っていたため、慌ててアイズから離れたのであった。

 ちなみに遠くから眺めていたロキはというと、そんなベルの心情を的確に見抜き悪戯が成功した子供のように爆笑していた。

 しかしロキと違い他者の感情に疎いアイズでは、そんなベルの心情を読み取ることができなかった。

 そのため「自分の膝枕のやり方が間違っていたのかな…?」と、アイズは勘違いしてしまったのである。

 

「あのね、さっきは気絶させちゃって、本当にごめん…」

 

「い、いえっ!?僕の方こそすぐに気絶してしまいすみませんでした!!そっ、それで、どうして膝枕をっ!?」

 

「膝枕をすればベルが喜んでくれるって、ロキが言っていたから…」

 

「アイズさんに何を吹き込んでいるんですか、ロキ様!!」

 

 顔を真っ赤にしたベルが、いつの間にかアイズたちの近くに来ていたロキに向かって叫んだ。

 

「いやぁ~、朝からおもろいもんを見させてもらったわ!期待通りのリアクションをありがとな、ベル」

 

「ロ、ロキ様ぁ…」

 

「………?」

 

 自分の主神(ロキ)にからかわれたことに気付いたベルは、情けない声を出した。

 ただ、天然なアイズはロキに騙されていることに、未だに気付いていなかったが。

 

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

 

「………っは!私は今まで何を!?」

 

 今まで生ける石像と化していたレフィーヤであったが、ベルが目を覚ましてアイズと話し出したところで現実に戻ってきたのであった。

 アイズの膝枕を存分に堪能していた少年(レフィーヤ主観)が、アイズの膝から転げ落ちるようにして離れたと思ったら、すぐにアイズやロキと楽しそうに話し出したのである。

 そんな楽しそうな光景を見てレフィーヤは焦り出した。

 

(リヴェリア様のおっしゃっていたことは本当だったんだ…。あのアイズさんが膝枕していたなんて…何て羨ましい!!って、そうじゃないでしょレフィーヤ!?今もアイズさんと楽しそうに会話している無礼な新人に、身の程を教えてやらなければっ!!)

 

 ベルを見つめる視線の鋭さが徐々に増していくレフィーヤ。

 心の中で不埒者(ベル)に対し呪詛を唱えながら、これ以上の蛮行は許すまじと急いでアイズたちのもとへ走り出したレフィーヤ。

 だがしかし、今日のレフィーヤは途轍もなく不運であった。

 

「そこの新人!今すぐアイズさんから離れて下さいっ!!早く退かないと、実力行使をしまっ…きゃぁっ!?」

 

 レフィーヤは焦り過ぎて思わず足がからまってしまい、芝生の上に転んでしまったのである。

 

「あの、大丈夫ですか?凄い転び方でしたけど怪我はありませんか…?」

 

 いきなり現れ派手に転んでしまったレフィーヤを真っ先に心配して声を掛けたのはベルであった。

 というのもアイズとロキは背中を向いていて、転んだ場面をちょうど目撃したのはベルだけであったのもあり、真っ先にレフィーヤのことを心配したのだ。

 まさかレフィーヤがつい先程まで自分に対し呪詛を唱えていた相手だと知るよしもないベルは、レフィーヤのことを純粋に心配したのである。

 そんな心優しき少年を嫉妬でボコボコにしようと考えていたレフィーヤに、神からの天罰が下るのは仕方がないかもしれない。

 天罰―――具体的にはベルの目の前でレフィーヤのスカートが派手にめくれ上がる俗という『ラッキースケベ』が発生したのだ。

 どうやら今回レフィーヤに天罰を下した神は、俗世に染まりきった神だったようである。

 

「いえ、大丈夫で……ッッ!?」

 

 あどけなさを残した端麗な相貌をしているレフィーヤ。

 そんな彼女のスカートがめくれ、小枝のように細いながらも健康的な太ももがあらわになった。派手に転んでしまったためか、太ももの付け根まで丸見えになるほどスカートがめくれ上がってしまい、レフィーヤが穿いていたピンク色のショーツまであらわになってしまったのである。

 そしてそのことに気が付いたベルは、先程アイズに膝枕されたときよりも顔が真っ赤になってしまった。

 

「あっ、その僕、何も見てませんからっ!」

 

 ベルが慌ててレフィーヤあら視線を逸らしたが、時は既に遅し。

 自分の下着が丸見えになっていることに気付いたレフィーヤは、羞恥と憤怒でベルと同じように顔を真っ赤にするのであった。

 

「きゃあああああああああああああッ!?この、へんたぁ~~~~いッ!!」

 

「ご、ごめんなさぁあああああいっ!?」

 

 ベルとレフィーヤ―――二人の出会いはこれ以上ないくらい最悪の形であった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 その後の中庭にて。

 憤慨しているレフィーヤ。どこか困り顔のアイズ。爆笑しているロキ。

 そして――――――左頬に真っ赤な紅葉マークができた涙目のベルの姿が見られたのであった。

 



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初めての訓練と新たな姉

「―――いいですかっ!あなたは新人なのでまだ知らないかもしれませんが、この御方は誰もが知っている第一級冒険者の【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインさんですよ!!そんな御方に、ひ、膝枕させるなんて信じられませんっ!?いいですかっ、そもそもですね…」

  

「…まったく、心配になって来てみればやはりこうなっていたか…。お前は何をしているんだ、レフィーヤ」

「リ、リヴェリア様っ!?どうしてここに…い、いえこれは違うんです!全ての元凶はこの礼儀知らずな新人なんですっ!!」

 ビシッ!とベルの顔を指差し、自分は悪くないとリヴェリアに訴えるレフィーヤ。

 しかし空中回廊から一部始終を見ていたリヴェリアには、ベルに非がないこと、そして全てがレフィーヤの自業自得だということはわかっていた。

「…我々がいるとベルたちの訓練の邪魔になる。行くぞ、レフィーヤ」

「ま、待って下さいリヴェリア様!まだこの不埒者に常識というものを叩き込んでいる途中なんです!今ここで私がいなくなったら…」

「問答無用だ。早く行くぞ、レフィーヤ」

「リヴェリア様、お願いですからこの手を離してください!あの新人をこれ以上、アイズさんと一緒にいさせるわけにはっ…!?」

「お願いアイズさん、早く目を覚まして!」と叫んでいるレフィーヤの首根っこを掴んで持ち上げるリヴェリア。

 彼女はアイズたちに邪魔したなと言い残し、空いている片手でロキを掴んで中庭を後にするのであった。

「…えっ?何で自然な流れでうちも強制退場されとるんや、リヴェリアっ!?」

「たわけ。元はと言えば貴様がアイズに嘘を吹き込んだのが原因だろうが…。二人とも、罰としてこれから私の鍛錬に付き合ってもらうぞ」

「えっ!?レフィーヤは冒険者やから分かるけど、うちは神なんやけど…」

「もちろん知っているさ。しかし【ガネーシャ・ファミリア】の主神は、自分のファミリアの一員と一緒に鍛錬していると聞く。それなら我が【ロキ・ファミリア】の主神が鍛錬していても別におかしくはあるまい」

「か弱い乙女なうちと、あのガネーシャを一緒にせんといてっ!?」

「あんな奴に、アイズさんは絶対に渡さない…」

 その後、興奮状態のエルフの少女と悪戯好きの主神はリヴェリアのキツイ鍛錬でこってりとしぼられるのであった。

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

「…それじゃあ、訓練の続き、しようか?」

「は、はい!よろしくお願いします!!」

 アイズは先程の指導の仕方を間違いだったと反省する。

 体術を教えようとしていきなり回し蹴りを見せたのが悪かったのは理解した。

 

 しかし話すことが得意ではない自分では、ベルを言葉で立派な冒険者へと導くことはできない。

 だから実際に体術を見せてベルに技術を覚えてもらおうと思ったが、それはアイズの力加減が間違ったせいで失敗してしまい、ベルのことを気絶させてしまったのだ。

 アイズ・ヴァレンシュタインがもつ戦術全てをベルに叩き込みたいが、不器用な自分の指導では十全に伝えることができずとても歯痒い。

 ベルを膝枕している間、アイズはいい方法がないのかをずっと考え込んでいた。

 そしてアイズは決めた。

 自分の戦術を全てベルに伝えるためにはこれしか方法はない、と――――――。

「…やっぱり、闘おう」

「えっ!?」

「…君の得物はナイフだよね?」

「あっ、はい!ギルドに行ったときに、初めはナイフの方が扱いやすいと助言されまして、ギルドでナイフを貸してもらいました」

「…ナイフは今持って来ている?」

「ええ、持って来ていますが…?」

「そう。…ならそれを構えて」

「ええっ!?」

 アイズは携行していた愛剣のデスペレートを引き抜き、引き抜いた剣を中庭の隅に置いて鞘だけ持ってベルの前まで戻る。

 そして――――静かに鞘を構えた。

 

 アイズの纏う空気が変わったのに気付いたのか、ベルは咄嗟に右手でナイフを掴み、そのまま構えた。

「…うん、いい構え。それでいいよ。今ベルが反応した通り、これからの闘いの中で色々なことを感じ取ってほしい。…それじゃあ、いつでも攻撃していいよ」

「で、でもアイズさんにナイフが当たったりしたらっ…!?」

「…大丈夫。それだけは絶対にないから、安心して」

「………ッ!?」

 二人の間に、張り詰めた空気が漂う中、思わずベルは一歩後退った。

  

 アイズがベルの瞳を覗くと、そこには怯えの色があった。

(…大丈夫。君なら立派な冒険者になれるはず。だから、怖がらず前に出て…)

 しばらくの間、金の瞳と深紅の瞳は見つめ合う。

 アイズの思いが伝わったのか、徐々に深紅の瞳から怯えの色が薄れていった。

 そしてベルはアイズに一歩踏み出した!

「う、うおおぉおおおおおぉ!!」

 雄叫びを上げて突っ込んできたベルに対しアイズは心の中で称賛し、安易にナイフを振りかぶったせいでがら空きになったベルの脇腹を狙って鞘で攻撃した。

「ぶはぁ!?」

 アイズの一撃はベルの横っ腹に直撃し、そのままベルはぶっ飛ばされる。

 

 芝生の上に転がったベルは、あまりの痛みに顔を歪めていた。

「…立てる?」

「は、はい…」

「…すごく痛いと思うけど、今のうちに痛みには慣れといた方がいい。…それじゃあ、もう一度攻撃してみて」

 

 その後――――――。

 

「…もっと視野を広く持って、死角を作らないようにして。…立てる?」

「…相手の動きから目を離さず、次の行動を読めるようになって。…それで、立てる?」

「…回避するだけじゃダメ。武器で防げるようになって。…それで、まだ立てる?」

「…ま、まだ立てますっ!!」

 アイズの鞘での攻撃を何度も受けたベル。

 その度に膝をつき痛がってはいたが、一度たりとも立ち上がらないことはなかった。

(…闘うのは初めって聞いてたけど、なかなか筋はいい。それに痛みにも負けず、よく頑張っている。…でもちょうと厳しすぎたかな?こういう時、フィンなら飴と鞭を上手に使い分けると思うけど…)

 まだアイズがLv.1だった頃。

 アイズはフィンやリヴェリア、ガレスたちに頼み込んで指導を受けていた。

 そしてフィンとの模擬戦のとき、今のベルのように自分はボコボコにされたのだ。

 当時、自分の心があまりの訓練の厳しさに挫けそうになったとき「後もう少し堪えたらアイズが欲しがっていた剣を買ってあげるよ」とフィンに言われたことがある。

そのときの自分はその(ことば)のおかげで最後まで訓練を頑張った記憶がある。

(そっか…今の状況はあのときにそっくりなんだ。それならに今のベルに効果的な(ことば)はこれしかない…)

「ん…朝食まで後三十分。ベルが最後まで訓練を頑張れたらご褒美を上げるよ」

「ご、ご褒美ですかっ!?」

 

既にボロボロと化している少年はそのアイズの発言が嬉しかったのか、傷の痛みを忘れて子供のように顔を輝かせた。

 そんなベルの顔を見てアイズは、辛いときには飴を与えるという考えは間違っていなかったと確信したのであった。

 そして残りの三十分間――――――。

 アイズの攻撃を受け続けるベルだったが、今までのように膝をつくことはなく、アイズの攻撃に食らいついていた。

 こうして、ボロボロに傷付いた白兎(ベル)は、かすり傷一つない剣姫(アイズ)からご褒美を得る資格を手に入れたのである。

 もちろん、この事実を後で知った妖精(レフィーヤ)が悔しがったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 ベルとアイズが訓練を無事終えた頃。

 一方リヴェリアに連行されていったロキやレフィーヤはというと―――。

「い、いつもより杖で叩かれる威力が強かったです…」

「せ、背中の感覚があらへん…」

「何を言う、これでも背中に痕が残らないよう手加減しているぞ。それに、だ…レフィーヤ。今日の瞑想は雑念が多く、いつもより集中できていなかったぞ」

「…う、うちは何で叩かれたんや、リヴェリア…」

「お前はいつも雑念が多いから自然と喝を入れる回数も多くなるというものさ。それに元々この鍛錬方法を私に教えたのはロキだっただろうに」

「あのときのうちは酒に酔ってて、正常な思考じゃなかったんや!」

「私には十分素面に見えたが?それにしてももうこんな時間か…。もうすぐ朝食の時間になるし、鍛錬はここまでにするとしよう。私は用があるので先に失礼させてもらうぞ」

 倒れ込んで休んでいるレフィーヤとロキに背を向け、リヴェリアは離れていくのであった。

 リヴェリアのキツイ鍛練から解放された二人はホッとため息をつく。

「や、やっと解放されたわ…」

「…ッ!それなら早く、アイズさんのところに行かないとっ!?」

「ちょい待ち、レフィーヤ。ベルのことで伝えときたいことがあるからもう少しここに残ってくれへんか?」

 急に真剣な表情になったロキの顔を見て、中庭に急ごうとしていたレフィーヤはその場に止まる。

「ベルって先程の新人ですよね?」

「そうや、レフィーヤはベルのことを誤解しているみたいやからな。出来ればベルがどういう少年なのかを正しく知っていてほしいんや…特にレフィーヤにはな」

「…?(特に私には知ってほしいってどういうことなんだろう?)」

「これはレフィーヤだから言うんやけどな…実はベルってもう家族が居らず、あの歳で天涯孤独の身なんや」

「えっ、そうだったんですか…?」

「自分の子どもの事情を知っとくのは主神として当然やろう?まぁうちも昨夜ベルに聞いたばかりやけどな。何でも物心ついた頃には両親は居らず、祖父が一人でベルを育てたみたいなんや」

 ロキの口から語られるベルの事情にベルを目の敵にしていたレフィーヤもさすがに顔色を暗くする。

「ま、待ってください。今の彼が天涯孤独ということは、もうベルのお祖父様は…」

「…そうや、レフィーヤの予想通りもう亡くなっている。何でも一年前に運悪く現れたモンスターに殺られたらしいんや…。ベルには祖父の他に頼れる身内が居らず、それで祖父が生前よく話していたそのオラリオに来ましたってどこか寂しそうな表情でベルは言うねん…」

「なかなかハードな人生やろ?」っとロキは悲しそうに笑った。

 いつものロキらしくない悲しげな表情を見て、レフィーヤは何も言葉を返すことができなかった。

 ロキは軽く咳払いして話を続ける。

「ベルは入団試験のときにうちやフィン、リヴェリアがいる前で英雄になる(、、、、、)と宣言したんや。しかもあのフィンがベルの覚悟は本物だと認めよった…」

「えっと…冗談ですよね、ロキ様?彼は本気で英雄になるためにこのオラリオに一人で来たのですか…?」

「本気と書いてマジや。まぁベルの英雄になりたいっていう気持ちは間違いなく本物やけど、今のベルはその過程を重視している感じやな…」

「英雄になる過程ですか?それは一体…」

「そんなの単純や、ただ強くなる(、、、、、、)…それだけや」

「えっ?それは冒険者として当たり前のことでは…」

「確かに当たり前のことやな…。でも強くなるというても限界があるもんや。レフィーヤだって強くなる――つまりLv.が上がっていくとステイタスも伸びにくくなるやろ?」

「その通りですが、それは当然のことではないのですか?」

「そうやな…人は己の限界へと近づいて行くにつれて強くなりにくくなる。そしていつかは自分の限界を知り、強さはそこで打ち止めや」

「ただし英雄は違くてな、英雄っていうもんには限界が存在しないんや。ただ強くなるということをいつまでも(、、、、、)当たり前のことのようにやっているんやで」

「た、確かにそんな規格外な存在なら英雄と呼ばれてもおかしくはありませんね。しかしベルはそんな存在を目指しているのですか…」

「まぁベルも子供っぽい夢を抱いてるのを恥ずかしがっているみたいやし、あんまり本人には言わんといてな」

「わ、分かりました…」

 

ロキの話を聞いてレフィーヤはベルに対する負の印象が誤解であったことを悟った。

 

(私は…彼のことを誤解していた)

 あのときアイズに膝枕されているのを見て、レフィーヤは羨ましく思いベルに嫉妬してしまった。

 転んでしまったときにスカートの中をベルに見られてしまい、彼には非がないのがわかっているのに理不尽な怒りを向けてしまった。

 レフィーヤは改めてベルのことを思い返し、自分が勝手にベルの印象を悪くしていたことにやっと気が付いた。

 そして、同時に思う―――。

 自分の勝手な思い込みにより、数々の暴言を浴びせられ、しかも、思いっ切りビンタをされた少年は何故…。

(何故ベルは何も悪くないのに一言も言い返さず、本当にすまなそうな表情をして謝っていたのだろう…?)

 レフィーヤの脳裏には、下着を見てしまったことを何回も頭を下げて謝る白髪の少年が浮かんでいた。

 相貌は中性的でどこかあどけなく、その純白の髪はレフィーヤの故郷の冬に積もった白雪を思い出させ、ベルに対して親近感を抱かせた。

 それに年齢は自分とそう違わないみたいなので、ファミリア内で同年代があまりいない自分にとってベルはいい友達になれるかもしれない…。

(あれ?アイズさんのことを除いてよく考えてみたらベルに対して好印象しかない…。何で私はあんな暴挙をしてしまったんだっ!後で謝った方がいいよね…?)

「うんうん、どうやらその様子やとベルに対する誤解も解けたようやな。ホンマによかったわ!そんでそんなレフィーヤにうちからお願いがあるんや」

「…ロキ様からのお願いですか?」

「そうや。そのお願いってのはな…ベルの家族になってもらいたんや」

「か、家族ですか…?」

「そうや、ベルの環境と性格を考えると家族という存在はあの子を大きく変えると思ってな。うちの勘ではベルは自分のためよりも誰かのために強くなるタイプやから、家族がいるだけで成長力も段違いに増すと思うんや」

「そうなんですか…。でも家族といっても実際に何をしたらいいか…」

「家族と言うてもそんなに難しいことはせんでいい。長年一緒にいる今のファミリアメンバーだって家族みたいなもんやろ?ただ今のアイズのようにベルのことを気に掛けてくれるだけで十分や。…それで頼まれてくれるか、レフィーヤ?」

「…ロキ様に頼まれてしまったのなら仕方ありません。いいでしょう、今日から私、レフィーヤ・ウィリディスは、ベル・クラネルの家族になることを神ロキに誓います。…ただし!もしベルが不誠実な人だと分かったのなら、即刻この話はなかったことにしますからね!!」

「レフィーヤは本当に素直じゃないな~。しかしこれでベルにも天然な(アイズ)とツンデレな(レフィーヤ)の二人の姉ができたわけやな!」

 レフィーヤの顔を見ながらニヤニヤと笑うロキ。

 レフィーヤはロキの『ツンデレ』という言葉を聞いて思わず顔が歪む。

「もしかしてツンデレな姉って私のことじゃないですよね?」

「別に姉でおかしくはないやろ。レフィーヤは十五でベルは十四のはずや。ベルの方が一つ年下やからレフィーヤは姉で合ってると思うで~」

「あ、ベルって私より一個年下だったんだ…ってそこではありませんっ!ツンデレの部分ですっ!」

「んん?レフィーヤはどこからどう見てもツンデレやろ。何か問題でもあるんか?」

「…以前ロキ様はいつもツンツンしているけど時折デレる人のことをツンデレだと仰っていました」

「ん、確かにそう言ったな」

「どう考えたら私がその定義に当てはまるように見えるんですかっ!?」

 

「せやからまんまレフィーヤのことやろ。ベルの事情を知って優しく接して行こうと思うレフィーヤ。だがしかしアイズのこともあって素直になれず、ベルに対して思わずツンな態度をとってしまうレフィーヤ…そんな光景がありありと思い浮かぶで~。どうや、これこそツンデレやろ?」

「そ、それは全てロキ様の想像です!私は絶対にそんなことしませんっ!私は絶対にツンデレではありませんからねっ!」

「レフィーヤ…それ思いっきりフラグやからな」

 

 

 こうしてレフィーヤはアイズと同じくベルの姉になるのであった。

 

 



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兎と狼とアマゾネス

 アイズさんとの訓練終えた僕は、さすがに汚れた服装のまま朝食に出るわけにはいかないため、一度自分の部屋に戻ることにした。

 ボロボロの自分とは対照的に汗一つかいていないアイズさんに「一旦着替えてから食堂に向かうので、アイズさんは先に行っていて大丈夫です」と伝えた。

 

 しかし僕の言葉にアイズさんは首を横に振った。

 

 何でも昨日入ったばかりの僕では食堂の場所が分からないのではないかと心配したようである。

 さすがにそこまでしてもらうのは申し訳ないと思い、僕はやんわりと断り続けた。

 正直アイズさんの申し出はありがたかったけれど、実は昨夜ロキ様に食堂の場所を教えられていたのだ。

 そのことをアイズさんに伝えたら渋々だが納得してくれたようだった。

 

 そして、アイズさんと別れた僕は急いで自分の部屋に戻り、すぐに汚れた服を着替え、食堂へと足早に急ぐのであった。

 

(…僕が断ったときに心なしかアイズさん、落ち込んでいるような気がしたけどきっと気のせいだよね?)

 

 実はベルの気のせいではなく、アイズは自分の申し出を断られて落ち込んでいた。

 というのもアイズは姉として弟の役に立ちたいという気持ちが、先程の訓練でよりいっそう強まったからであった。

 

 初めは純粋な瞳に目を惹かれ、次に膝枕で心を癒された。

 不器用だと自覚しているアイズの指導に嫌な顔せず真剣に取り組むその姿。

 しかも自分の教えをどんどん吸収して強くなっていくのが実感できるのだから、姉としてこれほど可愛げのある弟はいないだろう。

 

 そんなこともあり、今のアイズはベルのために何かしてあげたい気持ちでいっぱいであったのである。

 

 アイズがどれだけベルを想っているか…自己評価が低いベルがそれを正しく認識するのは、残念ながらまだまだ先のことである。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 黄昏の館の通路にて。

 ベルが食堂に向かっている途中、突然ベルの耳に鐘の音が聞こえた。

 

「この鐘って何の合図だろう…?」

 

「これはね、朝食を知らせる合図の鐘だよ」

 

「えっ、フ、フィンさん!?」

 

「おはよう、ベル。今までアイズと訓練していたようだね。あの訓練に関しては色々と言いたいことはあるけれど、まぁとりあえずはお疲れ様と言っておくね」

 

「は、はい!ありがとうございます!でも、どうしてここに?」

 

「君と同じく僕も食堂へ向かっている途中だよ。ベルは昨日入団したばかりで知らないと思うから説明しとくね。【ロキ・ファミリア】の朝食はね、館にいるメンバー全員で一緒に食べるっていうロキが定めた規則があるんだ。だから大体、みんなこの時間には食堂へと向かっているんだ」

 

「そうだったんですか。でも食堂に集まってみんなで食べたら賑やかそうで楽しそうですね。僕も今から楽しみです!」

 

「…アイズが君を弟にしたのもなんとなくわかる気がするよ」

 

「えっ?それはどういう…」

 

「その意味は後で考えてみるといいよ。それじゃあ僕たちも食堂まで急ごうか、ベル」

 

「は、はい!わかりました、フィンさん!」

 

 こうしてフィンと合流したベルは、そのまま一緒に食堂へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

********

 

 

 

 

 

「みんな、朝食の前に少し時間をもらいたい!知っている者も多いと思うが、昨日我ら【ロキ・ファミリア】の入団試験を受け、見事合格した新人がいる。それが今僕の横に立っているヒューマン…ベル・クラネルだ。まだ冒険者に成り立ての新人だが、彼のダンジョンに挑む覚悟は僕等と同じく本物だ。みんなには同じファミリアの先輩として、ベルが困っているときはぜひ助言などをしてもらいたい。では新たに【ロキ・ファミリア】の一員となったベルから一言もらおう」

 

「べ、ベル・クラネルです!今まで碌に戦ったことがないので【ロキ・ファミリア】の皆様には迷惑をかけてしまうと思いますが、ファミリアの名を汚さない立派な冒険者になれるよう努力していくつもりです!!えっと、そんな不甲斐ない僕ですがこれからよろしくお願いしますっ!!」

 

「よろしくな、新人!」

「こちらこそよろしくね、ベルくん!」

「困ったことがあったら何でも俺に相談しろよ!」

 

 

 黄昏の館の食堂にて。

 【ロキ・ファミリア】メンバーは朝食を食べるために全員集まっていた。

 朝食の前に団長であるフィンからベルの紹介が行われたのである。

 

 首領のフィンがベルの入団を率先して認めたこともあって、ベルの入団に否定的な人はいなかった。

 というのも【ロキ・ファミリア】のメンバーはロキが認めた者だけが入団できるので、基本的に悪人はいないからである。

 そのため多くの人たちが素直にベルの入団を歓迎してくれのであった。

 

 ただし神ロキの名を汚す可能性がある者には敏感に目を光らせており、中にはその行為が行き過ぎる者たちもいた。

 以前ベルがひ弱そうな見た目だけで門前払いされてしまった背景には大規模ファミリアならではの困った事情があるのだ。

 これにはさすがのロキも困っており、フィンやリヴェリアなどはそんな団員を見つけ次第に説教をしていたりする。

 

 ちなみにベルを門前払いにしてしまった人はというと、ベルの紹介が終わった後にベルのもとに赴いて謝ったのであった。

 新人の自分に対してきちんと頭を下げて非礼を詫びる先輩冒険者。

 ベルはそんな先輩に自分は全然気にしていないことを伝え、互いに握手をして和解したのであった。

 

 こうしてベルは【ロキ・ファミリア】の一員としてみんなに認められたのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 ベルの件が一段落した後。

 団員たちは各々の席で朝食を食べ始めた。

 

 つい先程団員たちに認められたベルはというと、ファミリアの先輩方一人ひとりに挨拶しに行っていた。

 

 歴戦の冒険者には子供のように表情を輝かせ憧れの存在を見るような瞳で挨拶をし、美人の冒険者には恥ずかしさで顔を赤らめ緊張でたじたじとなりながら挨拶をし、同じ新人冒険者には率先して握手を求められ照れくさそうに握手しながら挨拶をした。

 そんなベルの純粋さに団員の大半が好印象を抱き、多くの励ましの言葉をベルにかけるのであった。

 

 

 そして現在のベルは、褐色の肌をした二人の女性に挨拶していた。

 

「あぁー!ネル・クラベルくんだ!」

 

「馬鹿ティオナ。団長がベル・クラネルって紹介したでしょう。もう忘れたの?」

 

「あぁ!そうだった、ベル・クラネルだよねっ!よし、今度こそ覚えた!それじゃあベルって呼んでもいい?」

 

「は、はい、大丈夫です」

 

「よし!それじゃあこれからはベルって呼ぶね!あっ、そういえばまだ名乗ってなかったね。あたしの名前はティオナ・ヒリュテだよ。みんなからはティオナって呼ばれているから、ベルもそう呼んでねっ!」

 

「それじゃあ私も名乗らせてもらうわ。私の名前はティオネ・ヒリュテ…そこにいるティオナとは双子で私が姉よ。ティオナと同じように私のこともティオネと呼んでくれて結構よ。私もベルって呼ばせてもらうから」

 

「わ、わかりました」

 

(ティオナさんとティオネさん、二人とも凄く似ているからまさかとは思っていたけど、双子の姉妹だったんだ…)

 

 ちなみに漆黒の半短髪で明るい雰囲気の人がティオナさんで、漆黒の長髪で落ち着いた雰囲気な人がティオネさんである。

 二人の身長はほぼ同じで、胸の大きさに違いはあるが、顔立ちは瓜二つだ。

 目のやり場に困る露出の多い服装と褐色の肌から種族はアマゾネスだとわかった。

 

(ほ、本当に目のやり場に困るっ!?どこ見て話せばいいんだろう…)

 

「わ、わかりました、ティオナさん、ティオネさん。まだまだわからないことばかりで、お二人にも迷惑をかけてしまうと思いますがよろしくお願いします!」

 

「よろしくね~!それと遠慮なくあたしを頼ってくれていいからねっ!ここ最近ずっと新人に頼られたことないから、誰かに頼られたい気分なの!」

 

「はぁ、ティオナに相談しても脳筋な回答しか得られないとみんなわかっているから貴女を頼らないのでしょう…。ティオナを頼るのは危ないから気を付けなさい。もし何かに困ったら私を頼っていいからね、ベル?」

 

「むぅ!何でベルの前でそういうこと言うのさ!ティオネの馬鹿っ!」

 

「馬鹿なのはティオナの方でしょう。私は本当のことをベルに伝えただけよ」

 

 言い争いをしているアマゾネスの姉妹を見て、ベルはどうしていいかわからずあたふたしてしまう。

 

 そんな三人に近づいて来る人物がいた。

 

「おい邪魔だ、デコボコ姉妹」

 

 頭に獣耳、腰から尻尾を生やし、灰色の鋭い毛並みを持つ、不機嫌そうな狼人(ウェアウルフ)の青年がベルたちの前に現れたのであった。

 

(こ、この人…僕のことを凄く睨んでいるような)

 

狼人の青年が悪態をついて現れた瞬間、ティオナさんとティオナさんは同時に言い争いを止めその青年に注目した。

 

「むぅ!何よベート?今はあたしたちがベルと話しているんだけど!」

 

「けっ、どこがだよ!てめえら姉妹が仲良く漫才やっているようにしか見えなかったぞ。うるせぇし目障りだ、漫才やるなら余所でやってろ。…俺はコイツに用があるんだ」

 

 ベートとティオナさんに呼ばれた狼人の男性が、鋭い目つきで僕のことを睨んできた。

 

(やっぱり凄く睨まれてるっ!?…ぼ、僕が何か失礼なことをしてしちゃったのかな? う~ん、でもベートさんとは初めて会うはずだけど…?)

 

「あら、ベートが入団したばかりの新人に自分から出向くなんて珍しいわね」

 

「えー!絶対いつもの新人いじめだよ!ほら、いつもお前らは雑魚だカスだって偉そうに言って蔑んでいるじゃん!あたし、ベートのそういうところが嫌いっ!!」

 

「ごちゃごちゃうるせぇぞ!てめえらに用はねぇんだから少し黙ってろ。…おい、新人!名前は何て言った?」

 

「は、はい!ベル・クラネルです!」

 

「けっ…てめぇみてぇなガキの名前なんていちいち覚えてられっかよ!てめぇは兎野郎で十分だ」

 

「いやなら何で聞いたし」

 

「ティオナ、私も同感だけど今は黙って聞いてあげなさい」

 

「うるせぇぞ、外野!おい兎野郎…」

 

「は、はい!何でしょうか…?」

 

 ベートさんは左手で僕の胸ぐらを勢いよく掴んで僕のことを引き寄せた。

 そのまま顔を寄せられ、ベートさんの琥珀色をした鋭い瞳が僕の顔の目の前に映る。

 

「…調子に乗ってんじゃねぇぞ」

 

 あまりのベートさんの迫力に僕は何も言えなかった。

 ベートさんはすぐに僕の胸ぐらから手を放し、僕を解放する。

 そして最後にもう一度僕を一睨みして、ベートさんは背を向け食堂から出て行ってしまうんであった。

 

「あの、僕…ベートさんに何か失礼なことをしてしまったのでしょうか?」

 

「ベルのせいじゃないから気にしなくて大丈夫だよ!ベートはね、いっつも自分より弱い人のことを蔑んでる嫌なヤツなの!もしまたあいつに酷いことを言われたらすぐにあたしに言ってね!一発ぶん殴ってやるんだから!!」

 

「…でも、いつものベートにしてはおかしくなかったかしら?確かにベルに暴言を吐いていたけれど、いつもみたいに雑魚やカスとは言わなかったし…。それに、何だかベートのベルを見る目が、いつもみたいに蔑むような目ではなかったわ。あの目は弱者を見下す目ではなく…」

 

「相手の実力を認めた目をしていた、と言いたいのだな、ティオネ?」

 

 翡翠色の長髪と同色の瞳をした見目麗しいエルフの女性―――昨夜入団試験のときに会ったリヴェリアさんがティオネさんの後ろから現れた。

 

「あっ、リヴェリアだ!それでそうなのティオネ?」

 

「ええ、リヴェリアの言う通りよ。でもリヴェリア、その様子だとベートがいつもと違う理由も知っているのね?」

 

「そうだな、大方の予測はついている。きっとベートはアイズとベルの訓練でも見ていたのだろう」

 

「えぇー!?ベルってもうアイズと一緒に訓練するほど仲良かったんだ!」

 

「確かにそこも驚いたけど、私が一番驚いたのはアイズが他人の鍛錬を手伝っているってことよ。今まで自分の力を磨き上げることしか考えていなかったアイズが、ベルに指導をつけているなんて意外だわ」

 

「それもそうだね~、ベルからアイズに頼んだの?」

 

「い、いえ、ロキ様がアイズさんに僕への指導を提案してくれたおかげなんです。僕なんかがアイズさんに直接頼めませんよ!…でもやっぱり、アイズさんに指導してもらうのはまずかったのでしょうか…?」

 

「いや、アイズにとってもベルとの訓練は己の実力を磨くことにつながるからな。他人を指導するということは、自分の技術を今一度振り返るいい機会になる。いくら第一級冒険者であっても…いや第一級冒険者だからこそ、冒険者としての原点を顧みることが必要なのだ」

 

「へぇ~何だかよく分からなかったけど、つまりあたしもベルと訓練すれば今よりも力がつくってことだね!」

 

「はぁ…せっかくリヴェリアが説明してくれたのに、半分も理解してないじゃない」

 

「そう溜め息をつくこともないぞ、ティオネ。ティオナはしっかりと大切なことを理解している」

 

「さすがリヴェリアはティオネと違ってあたしのことをわかってるね!」

 

「調子に乗るな、馬鹿ティオナ。…まぁ新人との訓練で新たに学べることがあるのは私も理解してるわ。第一級冒険者っていう肩書のせいで頼みづらそうにしている新人もいるけど、同じファミリアなのだし遠慮する必要はないわって優しく言ったら、みんな指導を頼んでくるわよ」

 

「あたしは頼まれたことないのにな~。でもアイズはベルに指導しているんだよねっ!?ちょっと羨ましいなぁ~。アイズとはどんな感じに訓練したの?」

 

「えっ~と、模擬戦形式でアイズさんと戦いました」

 

「えぇっー!!あのアイズと戦ったの!?それで、どうだったのっ?」

 

ティオナさんに質問されて、僕は今朝のアイズさんとの模擬戦を思い返した。

 

「あはは…それが情けなくなるくらい、手も足も出ませんでした…。模擬戦が終了したとき僕は全身ボロボロなのに、アイズさんはかすり傷一つありませんでしたから」

 

「あはは、そっか!でもそれはしょうがないよ!アイズの強さは次元が違うからね~」

 

「でもアイズの攻撃を何度も食らっても、最後まで模擬戦をやりきったのでしょう?それはけっこう凄いことよ。大抵の新人は痛みに慣れていないから、アイズの攻撃を一撃でも食らったらすぐに音を上げるわ。最後まで耐え抜いた自分を誇っていいと思うわ。…だからもっと自分に自信を持って堂々としなさい、ベル」

 

「で、でもアイズさんは鞘での攻撃で、しかも手加減をしていましたし…」

 

「いいや、それは違うぞベル。確かにアイズの攻撃は手加減をしていたが、それでもあの一撃は私が受けても痛みを感じるぞ。そんな攻撃を何度も喰らったにも関わらず、最後まで諦めずに食らいついていたベルは立派だった。…ベートもそんなベルの勇姿を見たからこそ、君を認めたのだろうな」

 

(ベートさんが僕のことを認めてくれていた…?さっきは全然そんな風には見えなかかったけど、あれがベートさんなりの認め方なのかな…?)

 

「あっ!?そういえばベートに何があったかについて話してたんだった!すっかり忘れてたよ~」

 

「馬鹿ティオナは放っておくとして、これでベートの様子がいつもと違うのには納得したわ。相変わらずアイツもめんどくさい性格してるわね~。どうして嫌われるような発言しかできないのかしら?」

 

「まぁベートなりに第一級冒険者としての誇りと矜持を持っているからな。誤解されやすい性格だが、根は真面目な奴だぞ」

 

「えぇー!?あんなに性格悪いのに根は真面目とかありえないよ!」

 

「まぁベートの真意もそのうち分かるはずさ。…というわけで期待しているぞ、ベル」

 

「えっ、僕がですかっ!?」

 

 リヴェリアさんの突然の無茶ぶりに、僕は思わず驚いてしてしまった。

 そんな僕を見て、リヴェリアさんはふふっと軽く微笑む。

 いつも凛々しい雰囲気を身に纏う、絶世の美貌を持つリヴェリアの微笑みに、僕は思わず見惚れてしまった。

 

(改めて思ったけどこのファミリアって、アイズさんやリヴェリアさんを含め女性陣はみんな美人だよな…。うぅ、男としては誰もが羨むファミリアなんだろうけど、女性に慣れていない僕にはキツいものがあるな…。せめて顔を赤くしないように頑張らなければっ!)

 

 そんなことを心の中で考えていた僕であったが、リヴェリアさんの言葉に何か引っ掛かりを感じるのであった。

 

(そういえばリヴェリアさんのあの発言…ちょっとおかしくないかな?)

 

「あの、リヴェリアさんって僕たちが模擬戦を始める前にロキ様たちを連れて、他の場所で鍛錬していたのですよね?それなのにどうしてそんなに僕たちの訓練風景を詳しく知っているんですか?まるでずっと見ていたような話し方だったんですけど…?」

 

 リヴェリアさんのあの話し方は、僕たちの訓練を直接目にしていなければできないはずだ。

 でもそれはありえない。

 なぜならそのとき、リヴェリアさんはロキ様たちと別の場所でいたのだから。

   

「ふふっ、それは秘密だ。でもそうだな…ベルがアイズに一撃入れることができたのなら、そのときに教えよう」

 

「そ、そんなぁ…」

 

(あのアイズさんに一撃…そんなの何年経っても僕なんかじゃあ不可能だよね…。遠回しに僕には教えることができないって言ってるのかな?)

 

 僕の疑問に対し、リヴェリアさんは微笑んだまま片目を閉じてどこか面白がるように答えるのであった。

 

 

 このときベルはリヴェリアが無理難題を課したのはその秘密を教えるつもりがないと思い込んだが、実際のリヴェリアの考えは違ったのである。

 リヴェリアはベルならアイズに一撃を入れられるくらいに成長できると思い、そのような発言をしたのだ。

 ちなみにリヴェリアの予想では数年も経てばそのレベルに到達し、ベルも立派な冒険者になっていることだろうと考えていた。

 

 要するに今のベルには秘密を教えるつもりはなく、ある程度の実力を付けた何年後かに改めて秘密を明かそうとリヴェリアは考えていたのであった。

 

 

 ――――しかしこのリヴェリアの予想は大きく外れることになる。

 

 だがそれも仕方がないことだろう。

 

 まさか一週間という短い期間で、アイズに一撃入れる新人が現れるとは誰にも…たとえ神であっても予想できるわけがなかった。

 

 ――――――ベル・クラネル。

 

 彼が冒険者として頭角を現す未来(とき)は近い。

 



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彼女の願いとご褒美×2

 朝食の時間が終わりを迎えた。

 団員の多くがダンジョンに潜りに行ったり、武具の整備や新調を行うために出掛けて行く。

 

 そんな中食事を終えたベルは、リヴェリアに大切な話があると言われ、リヴェリアの部屋に連れられて来たのであった。

 

「あの、リヴェリアさん。僕に大切な話って何でしょうか…?」

 

「貴重な時間を割いてもらいすまなかったな。どうしてもベルに、アイズのことでお礼を言いたかったんだ」

 

「僕にお礼ですか…?」

 

「そうだ。アイズの厳しい指導を真摯に取り組んでくれてありがとうな」

 

「えっ、そんなっ!僕はただ当たり前なことをしただけですから!それにお礼を言うのは指導をつけてもらっている僕の方ですし…」

 

「ふふっ、そんな君の真っ直ぐな心にアイズも惹かれたのだろうな…。あのアイズがあそこまで生き生きとしている姿は、今まで見たことなかったぞ。それに最後までベルがアイズの攻撃に食らいついたとき、アイズは自分のことのようにすごく嬉しそうにしていたな」

 

「そ、そうだったんですか。訓練に集中していたせいか、全然気付きませんでした…」

 

「まぁアイズはあまり感情を顔に出すタイプではないからな。私たちみたいに何年も一緒に過ごしている者くらいにしか、アイズの感情は読み取れまい。まだ入団して日の浅い者ではわからないだろうがな」

 

「はぁ…そうなんですか」

 

「ベルは昨日所属したばかりだからわからないのも当然だ。だから気にすることはあるまい。でもな、ベル…私は君に期待しているんだよ」

 

「ぼ、僕に期待ですか…?」

 

「そうだ。ベルならアイズの支えになってくれる存在になってくれるのではないかとな」

 

「ぼ、僕なんかがあのアイズさんの支えですかっ!?逆に僕が支えてもらっているくらいですし、それは無理なんじゃ…」

 

「確かに戦闘面での支えは無理だろう。そうではなく、ベルにはアイズの精神的な支えになってもらいたいのだ」

 

「精神的、ですか…?」

 

「アイズは確かに強い。だが精神も強靭かと聞かれたら、実はそうでもないんだ…。彼女は身も心も限界まで削ってダンジョンに挑んでいる。肉体はそれで鍛えられているが、精神の方はそうではない。あれは鍛えているというよりも心を…感情を鈍くしているのだ」

 

「あのアイズさんが…」

 

「つまりな、アイズは本当の自分の感情をその心の奥底に封じ込めているのだ。そしてその心の封印は、ダンジョンに潜るごとにより強固へとなっていった。感情を擦り減らし、まるで人形のようだと周りから言われようともアイズはダンジョンに潜り続けた。…そして今の剣姫(アイズ)が誕生したのだ」

 

「そ、そうだったんですか…」

 

「だけどな、私はそれを悲しく思う…。あの子にはもっと自分の人生を楽しんでもらいたいのだ。もちろんアイズがダンジョンに潜り続ける理由も知っているし、私もあの子の悲願を叶えてあげたい。だが同時に思うのだ。あの子にはダンジョンで強大なモンスターと戦うよりも、ずっと笑顔で家族や友と過ごしてほしい。もっと今の時間を楽しんでほしいと…」

 

「リヴェリアさん…」

 

「ふっ、つい余計なことまで言ってしまったな…。すまない、最後の言葉は忘れてくれ。要するに今のベルにしてほしいことは、できるだけアイズの傍にいてもらいたいということだ。それだけでアイズもいい方向に変化するだろう。頼まれてくれるか、ベル?」

 

「…はい、分かりました。こんな僕でいいのならアイズさんの傍にいさせてもらいます」

 

「そうか。ありがとうな、ベル」

 

「それと、最後のリヴェリアさんの言葉、絶対に忘れません」

 

「…ベル?」

 

 アイズさんのこと語るリヴェリアさんの表情はどこか寂しそうに感じた。

 僕はそんなリヴェリアさんの顔を、どうしても忘れることができない。

 そんなことを思っていたらいつの間にか、僕の口から自然と言葉が出ていた。

 

「リヴェリアさんのアイズさんを大切に思う気持ちは痛いほど伝わりました。今の僕に、アイズさんを支えられるような力はまだありません。それでも僕は…アイズさんのためにも、そして…アイズさんを心から心配するリヴェリアさんのためにも精一杯頑張りたいんですっ!!だから、だから…!!」

 

「ベル…」

 

「そんな悲しそうな顔をしないで下さいっ!リヴェリアさんがそんな顔をしているのをアイズさんが見たら、きっと悲しむと思います。僕はアイズさんだけじゃなくて…リヴェリアさんにも笑顔でいてほしいんです!!」

 

 気が付いたら、僕は自分の気持ちを包み隠さずリヴェリアさんに話していた。

 リヴェリアさんは急に熱くなった僕の様子に驚いたようで、翡翠色の瞳を見開き、瞠目していた。

 そのまま僕を真っ直ぐ見つめ、リヴェリアさんの口が開く。

 

「…やはり、私の目に狂いはなかったようだな」

 

「えっ?」

 

「いや、何でもない。ところでベル。君はアイズの弟になったと小耳にはさんだのだが、それは本当か?」

 

「えっと、その…畏れ多いですが本当です」

 

「そうか、あのアイズがな。ふむ…」

 

「あのやっぱりまずかったでしょうか…?」

 

「ふふ、そんなことはいない。ただ今の話を聞いて思うことがあってな」

 

「思うところですか…?」

 

「いやなに…私もベルと同じファミリアなのだから、私たちも家族だなと思ってな」

 

「えっ!?」

 

「ふふ、アイズが姉ということは、私は母ということになるな」

 

「ええぇっ!?リ、リヴェリアさんが僕のお母さんですかっ?」

 

「何だ、ベル…私が母親では不服か?」

 

「い、いえっ、そんなことはないです!ただリヴェリアさんのような凄い人が、僕なんかの母親になるなんて畏れ多くて…」

 

「なんだ、アイズが姉になるのは認めたのに私が母親になるのは認めないのか…。やはり私みたいな堅物エルフではベルも嫌か…」

 

「ち、違いますっ!嫌じゃなくて、その…リヴェリアさんみたいな素敵な女性が僕の母になってくれるなんて夢みたいだと思って…。えっと、そのつまり何を言いたいかといいますと……ぼ、僕なんかでよければリヴェリアさんの息子にさせて下さい!!」

 

「ふむ、私の提案を一度断り自分で頼み直すあたり、ベルにはその筋の才能があるな」

 

「えっと、その筋ですか…?」

 

「いや、今のは戯言だから忘れてくれ。どうやら私もロキに毒されていたようだ…。とにかく改めてよろしくな、ベル」

 

「はいっ!改めてよろしくお願いします、リヴェリアさんっ!」

 

 

 こうしてベルに、初めての母親(リヴェリア)ができたのであった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】ホーム、応接間。

 その広い室内は、暖色系で彩られており、テーブルやソファーなどがいくつも置かれている。

 

 朝食を食べ終えたアイズは応接間に足を運び、いつも座っているアームチェアに膝を抱え座り込んでいた。

 応接間にはアイズの他にもソファーでくつろいでいる者もいたが、いつもと違うアイズの様子を見てとても驚き、自分の目をこすっている者もいた。

 応接間にいる者全員が、アイズのことを気にしてチラチラと見ている者もいたが、アイズはその視線に気づかないほど、ベルのご褒美を何にしようかを真剣に悩んでいたのであった。

 

(私のときと同じで、武器を買ってあげようかな?でも、確かベルは防具も持っていないはずだし、ここは防具の方がいいかな?う~ん、どうしようか…)

 

「あの、アイズさん。何をそんなに考え込んでいるんですか…?」

 

軽く膝に顔を埋め込み、頭を捻らせていたアイズのすぐ近くで、山吹色の髪を後ろでまとめたエルフの少女―――レフィーヤが不思議そうな顔をして立っていた。

 

「レフィーヤ…」

 

(そうだ、レフィーヤに相談してみよう。こういうことは私なんかより、レフィーヤの方が詳しいよね…?)

 

「あのね、レフィーヤ。少し相談したいことがあるんだけど、いいかな…?」

 

「は、はいっ!もちろんです!何でも相談してください、アイズさんっ!!」

 

「ありがとう、レフィーヤ。実はベルにご褒美で武器か防具をあげたいんだけど、どっちがいいと思う…?」

 

「ベ、ベ、ベルにご褒美ですかっ!?いえ、そもそもなぜアイズさんがご褒美をあげるんですかっ?」

 

「えっと…約束したから、かな?」

 

「約束ですか…?」

 

 怪訝そうな顔をしたレフィーヤに、アイズは今朝の訓練でのベルとの出来事を伝えたのであった。

 

「そうだったんですか…。まったく、本当にベルは羨ましい…じゃなくてっ、真面目に訓練を頑張っていたんですね」

 

「…うん、あの子は本当に頑張っている。だから私もそんなベルに報いるために、真剣にご褒美を選びたいの」

 

(あのアイズさんがここまで他人のことを気にしているなんて…。以前の私ならベルのことを嫉妬していただろうけど、ベルのお姉ちゃんになった今の私は一味違う!さすがに姉が弟に嫉妬するのはカッコ悪い…ではなく、姉としての威厳を見せつけてあげましょう!)

 

「えっとその、アイズさんは今のところ武器か防具のどちらにするのかを迷っているんですよね?」

 

「うん、そのつもりだけど…」

 

「それなら、アイズさんは武器を買ってください。…防具は、その、私が買いますから!」

 

 顔を仄かに赤くしたレフィーヤの発言に、アイズは思わず聞き返す。

 

「…いいの?今朝、ベルにすごく怒っていたのに…?」

 

「それはっ!その…何て言いますか、元はと言えば私の誤解だったわけですし、その謝罪ということで、私からもベルにご褒美をあげてもいいかな~なんて思いまして…」

(ここでしっかりベルに謝って、プレゼントも渡せば姉としての威厳を示せるはず…。年上の威厳というものを見せてあげるわ、ベル!)

 

「…そう。ありがとね、レフィーヤ」

(レフィーヤ、いつもより張り切っているような…?)

 

「念のため言っておきますけど、あくまで謝罪のためだけですからねっ!べ、別に、家族になった記念にプレゼントしようなんて思っていませんからっ!」

 

「………レフィーヤ?」

 

「はっ!?私ったら何を余計なことを…。ごほんっ!そ、それでいつ買いに行くのですか?」

 

「うーん、ベルが戻って来たらすぐ行く予定だよ…」

 

「そうなんですか。まったく、ベルはアイズさんを待たせてどこをほっつき歩いているんでしょうか」

 

「今ベルはリヴェリアに呼ばれているはず。もうそろそろ戻って来ると思うけど…」

 

レフィーヤとの会話を途中で止め、応接間の出入り口に視線を向けるアイズ。

 

 そのときタイミングよく応接間の扉が開き、誰かが入室してきた。

 アイズの金の双眸が見つけたのは、兎のように真っ白な頭髪をし、その深紅色の瞳で誰かを探しているベルであった。

 きょろきょろと顔を動かしているベルのことをアイズがじっと見つめていると、アイズの視線に気付いたのかこちらを向き、ぱぁっと顔を輝かせアイズたちの方へと歩いて来た。

 そんなベルの反応を見て、アイズは心の中でほっこりとするのであった。

 

「お待たせしてすみません、アイズさん…とあなたは今朝のッ!?」

 

 アイズの側にいたレフィーヤを見て今朝の出来事を思い出したのか、ベルの顔が真っ青になる。

 そして凄い勢いで頭を下げて謝るのであった。

 

「ほ、本当にっ、あのときはすいませんでしたっ!」

 

 ベルがレフィーヤに土下座する勢いで謝ったのを見て、応接間にいた全員の視線がベルとレフィーヤに集まる。

 いきなりベルに謝られたレフィーヤはというと、ベルに先手を取られてしまったので慌てていた。

 

(私から謝ろうと思っていたのに、まさかベルに先を越されるなんて…。「私が全面的に悪かったです、ごめんなさい。でもこれからは姉としてよろしくね」何て今さら言える訳がない。一体どうしよう…)

 

「あ、あの、許してくれるでしょうか…?」

 

 いつまで経っても反応がないため、顔を上げて不安げな表情でレフィーヤの顔を見つめるベル。

 そんなベルを見てレフィーヤは自分から謝ることは諦め、ここで優しくベルのことを許して年上(あね)としての器の大きさを示すことにした。

 

「今朝のことは私に非がありましたので、貴方が謝る必要はありません。だから顔をあげて下さい」

 

「で、でも…」

 

「私はもう怒っていないのに、いつまでも貴方にすまなそうな顔をされるとこっちが迷惑なんです!いいから顔を上げて下さい、ベル!」

 

「は、はいっ!ありがとうございます、えっーと…」

 

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私の名前はレフィーヤ・ウィリディス。レフィーヤと呼び捨てでいいですよ」

 

「分かりました。よろしくお願いします、レフィーヤさん」

 

「こちらこそよろしくです、ベル。(…そして今朝は本当にすみませんでした。これからは姉として弟にあのような身勝手なことをしないように心がけますね)」

 

「す、すみません、最後の方の言葉が小さくてよく聞こえなかったんですが…」

 

「もう二度は言いませんっ!こほんっ…話は変わりますが、もう武器や防具を買いに行くんですか、アイズさん?」

 

 アイズはレフィーヤの端麗な顔が仄かに赤くなっていることに気が付いていた。

 またベルにはレフィーヤの最後の言葉が聞こえていなかったが、アイズにはばっちり聞こえていた。

 

 だが残念なことに、アイズは超ド級の天然であった。

 レフィーヤが顔を赤く染めている理由は、少し熱でもあるのかなと考え、

 最後の『姉』発言に関しては、レフィーヤも可愛い弟が欲しかったのかなと見当違いな考えをしていた。(さすがのアイズも謝罪の意味については今朝ベルにビンタしたことだとわかっていた)

 

「…そうだね。こういうのは早い方がいいと思うし、今から買いに行こうか」

 

「分かりました。それでは一旦部屋に戻って準備してくるので、十分後に正門の前で待ち合わせということでいいでしょうか?」

 

「…うん、それでいいよ。ベルもそれでいいよね?」

 

「はい、もちろん大丈夫です。…ってあれ?アイズさんたちの武器や防具を買うのに、僕って必要なんですか?」

 

 レフィーヤとアイズはベルの肯定の返事を聞いた瞬間には、もう応接間から立ち去っていた。

 そのためベルの疑問に答えてくれる者は誰も居らず、ベルは自分のご褒美を買いに行くことに気付かずまま、待ち合わせをした正門に向かうのであった。

 

 ちなみにベルたちのやり取りを見ていた団員たちは、大体の事情は察していたがベルに真実を告げることはなかった。

 

 それは何故か?

 

 答えは簡単―――。

 

 悪戯好きのロキを主神とする【ロキ・ファミリア】、そして悪神に毒された団員。

 

 この一行に尽きるだろう。

 

 



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バベルでお買い物

 【ロキ・ファミリア】ホーム、黄昏の館の正門。

 ベル、アイズ、レフィーヤの順に正門へと到着し、予定の時間よりも早く全員が集合したのであった。

 

「お待たせしてすみません。皆さん揃いましたし早速買いに行こうと思うんですけど、アイズさんはどこのお店に行くつもりなんですか?」

 

「…【ゴブニュ・ファミリア】のお店に行こうと思うんだけど、どうかな?」

 

 【ゴブニュ・ファミリア】とは鍛冶系ファミリアであり、建築関連の依頼も請け負っている。

 また同業の【ヘファイストス・ファミリア】に規模では劣るものの、その鍛冶の腕は匹敵していると言われているのだ。

 ちなみにアイズやティオナなどが利用しているお店でもある。

 

 つまり何が言いたいのかというと、冒険者になったばかりの新人(ベル)が踏み入れてよい場所ではないのだ。

 

 レフィーヤにとってアイズさんの言葉を否定するのはとても心苦しいことであったが、やんわりと否定的な意見を返す。

 

「えっ、それはさすがに…。あそこはベルのような新人向きの武器や防具は取り扱っていないと思いますし、もしあったとしても値段は高いはずですよ…?」

 

「…お金の心配なら大丈夫。七百万ヴァリスも持ってきたから、何でも買える」

 

「へぇ~七百万ヴァリスですか…って、えぇっ!?なななっ、七百万ヴァリスですかっ!?そんな大金持ち歩いて、一体ベルにどんな一級品を買うつもりですかっ!?」

 

「…ダメ?」

 

「ダメに決まっているじゃないですかっ!?新人冒険者がそんな高価な装備品をしていたら問題になってしまいますよ!!」

 

「…むぅ、レフィーヤの意地悪」

 

「何を言っているのですかアイズさんっ!自分の実力とかけ離れた武器や防具を装備してはいけないのは、冒険者としての常識じゃないですかっ!?それにっ!それだと武器や防具の性能に頼ってしまい実力がつかなくなってしまうって、私が新人の頃アイズさんに言われましたよっ!」

 

「…そういえば、そうだった。ごめん、レフィーヤ…」

(…ベルに相応しいご褒美を考えるのに夢中になりすぎて、失念してた)

 

 「い、いえ!誰にでも間違いはありますから、アイズさんは気にしないで下さい!もとはと言えば、ベルが新人なのがいけないんですよ!だからアイズさんは悪くありません!まったく、ベルったら…って、ベル?そんな真っ青な顔をしてどうしたんですか?」

 

 憧れのアイズに思わず興奮してツッコミを入れてしまい、しかも謝られてしまったレフィーヤはというと、凄くテンパってしまった。

 そして自分のせいで心なしか落ち込んでしまったアイズさんを慰めるため、レフィーヤはベルに責任を転嫁してしまうのであった。

 

 一方レフィーヤに理不尽な責任転嫁をされたベルはというと、二人の会話を聞いて自分のご褒美を買いに来たのだと遅まきながら気が付き、レフィーヤと同じくテンパっていた。

 

(二人とも、自分の武器や防具にを新調するのかなって思っていたけど、僕のご褒美だったんだ!?た、確かに今朝の訓練でアイズさんから「頑張ったご褒美に、後でプレゼントあげるね」って言われてつい舞い上がっていたけど、まさか武器を買ってくれるなんて…)

 

 ベルは歩きながらも思わず頭を抱えてしまうのであった。

 

(てっきりもっと安価なものを想像していたから、応接間で話していた武器や防具が僕のご褒美だとはまったく気が付かなかった…。これで僕が連れて来られた理由も納得したよ…って、納得している場合じゃない!! 僕みたいな新人のために武器や防具を買ってもらうのはさすがにアイズさんに申し訳ない!!)

 

 ちなみにであるが、レフィーヤも防具をプレゼントしてくれることにベルはまだ気が付いていなかったりする。

 

「あ、あの、アイズさん!そのやっぱり、ご褒美の件はなかったことに…」

 

「…そうだよね。ベルも私みたいな常識がない人から、ご褒美なんてもらいたくないよね…」

 

 ベルのその言葉にもの凄くショックを受けたのか、いつも無表情なアイズが明らかに悲しそうな顔をしていた。

 アイズはガーンと効果音が聞こえてきそうなほど落ち込み、心の中では横殴りの大雨が降り、泣きたい気分になっていた。

 アイズが自分の言葉のせいでもの凄く落ち込んでいるのに気が付いたベルは、慌てて先程の言葉を撤回するのであった。

 

「ち、違うんです、アイズさんっ!僕なんかがアイズさんからご褒美をもらうなんて、図々しすぎるんじゃないかって思っただけなんです!だから、その、アイズさんからご褒美をもらえると聞いたとき…僕はとっても嬉しかったですっ!」

 

「ベル…」

 

 必死になって弁解するベルを見てアイズの心の中での雨は止み、次第に明るい気持ちへとなっていく。

 

「で、でも、さすがに武器や防具だと費用的にアイズさんに悪いです!それに今の僕には、アイズさんのその気持ちだけで十分嬉しかったです!だからご褒美の件は…」

 

「…ふんっ!」

 

「ごほぁッ!?」

 

 ベルとアイズの会話を黙って聞いていたレフィーヤだったが、突如ベルの腹を殴るという暴挙にでた。

 しかも、割りと強めの右ストレートパンチである。

 

「貴方は一体何様ですか?アイズさんが買ってあげると言っているのですから、ベルに拒否権なんてありません。いいから貴方は黙って私とアイズさんからご褒美をもらいなさいっ!」

 

「は、はいっ!!ってあれ、どうしてレフィーヤさんからもご褒美をもらえることになっているんですか?僕、レフィーヤさんにご褒美をもらえるようなことしましたっけ…?」

 

「…そんなの、私の単なる気まぐれに決まってますっ!それと、私とアイズさんから武器と防具を買ってもらえるからといって、あまり調子に乗らないで下さいね、ベル!」

 

「わ、わかりました!!」

 

(しまった…!?ベルに謝られなければならないのに、またしても有耶無耶にしてしまった。これじゃあロキ様の言った通りに…ッ!?)

 

 レフィーヤのパンチのおかげ?で、アイズとレフィーヤから武器と防具を買ってもらうことに納得したベル。

 そんなベルを見て、アイズの表情は心なしか柔らかくなる。

 

「それでですね、もし他にお店の候補がないのでしたら摩天楼(バベル)がいいのではないでしょうか?」

 

「……!確かに、あそこなら新人冒険者向きでも良品が置いてあるはず…」

 

「えっと、摩天楼(バベル)ですか…?」

 

「ベルも行けばすぐにわかりますよ。それじゃあベルの装備品はそこで揃えましょうか」

 

「…うん、そうしよう」

 

 こうして、ベルたち一向は、バベルを目指して中央広場へ向かうのであった。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 ダンジョンに蓋をするように築かれた超高層の白亜の巨塔、バベル。

 バベルの役割はダンジョンの監視と管理であるが、それ以外の役割を果たす様々な施設が存在している。

 

 例えば冒険者のための公共施設として簡易食堂や治療施設、換金所などがある。

 そして一部の空いているスペースを、色々な鍛冶や商業系ファミリアにテナントとして貸し出されているのだ。

 今回アイズたちは、バベルに出店している鍛冶系ファミリアの中でも最高峰である【ヘファイストス・ファミリア】の武具屋に向かっていた。

 

 【ヘファイストス・ファミリア】――――――。

 オラリオに来て日の浅いベルでも【ヘファイストス・ファミリア】の人気ぶりは知っていた。

 凄く質の良い武具を取り扱っており、【ヘファイストス・ファミリア】で買い物するとなると大金が必要となってくるのだ。

 しかも一番高い武具では、何億ヴァリスもするとか。

 

 バベルに向かう途中、レフィーヤからバベルの説明をされたベル。

 そしてベルの武具を【ヘファイストス・ファミリア】のテナントで買うと聞かされたベルは、大いに慌てるのであった。

 

「そんな有名なお店に、僕みたいな新人向けの武具なんてあるんですか…?」

 

「そこが【ヘファイストス・ファミリア】の、他の鍛冶系ファミリアと異なるところなんです。あそこは末端の職人にもどんどん作品を作らせて、それをお店に並べているんです」

 

「あれ?それっていいんですか…?」

 

「まぁ【ヘファイストス・ファミリア】は特別ですからね…。何でもあそこの主神のヘファイストス様が、未熟な鍛冶師たちに機会を与えるためにこのバベルで作品を出すことを推奨しているみたいです」

 

「…その未熟な鍛冶師が作る武具の中に、思わぬ掘り出し物があったりするの。ベルの武具も、今日はそこから探すつもり…」

 

「そうだったんですか…。このオラリオに来てロキ様にしか神様にお会いしたことないのですが、そんな素晴らしい神様なら一度はお会いしてみたいです」

 

「確かロキ様とも親交があるはずですし、いずれベルも会えると思いますよ」

 

 そんな会話をしているうちに、ベルたちはバベルの門の前までやって来るのであった。

 その門をくぐると、ベルたちの前に白と薄い青色を基調にした大広間が現れた。

 

「ここからはあそこにあるエレベーターに乗って、目的の【ヘファイストス・ファミリア】のお店がある八階に向かいます」

 

「エレベーターですか…?」

 

「…乗ってみれば分かるよ」

 

 いくつも存在している円形の台座、その一つにベルたちは乗り込む。

 レフィーヤが備え付けの装置を操作したかと思えば、台座は地面から離れ浮遊する。

 そのままベルたちを乗せた台座は上へと昇り始めた。

 

「ッ!?浮いてるっ!?」

 

「このエレベーターは、フロア間を行き来するための昇降設備…魔石製品の一種です」

 

「…私も初めて乗ったときは驚いた」

 

 ほどなくして、ベルたちを乗せた台座は八階に到着したのであった。

 

「四階から八階までのテナントは、すべて【ヘファイストス・ファミリア】のお店なんですよ。この八階には先程話した、未熟な鍛冶師の作品がメインに置いてあるんです」

 

「そ、そんなに広いんですか?」

 

「【ヘファイストス・ファミリア】は特別で、他のファミリアのお店はそこまで広くないんですけどね。しかしこれだけの広さがあると、私たち全員で見て回るのは非効率です。そうですね…一時間後にこの場所に集合ということで、それまで各自で探すということにしますか?」

 

「…うん、その方が効率的だね。私が武器を探すからレフィーヤは防具をお願いね?」

 

「あの~僕はどうすれば…?」

 

「…ベルは欲しい武具を見付けたら、それを持ってきていいよ。もし私が選んだ武器よりもベルが選んだ武器の方がよかったら、そっちを選ぶつもりだから」

 

「わ、わかりました」

 

「それじゃあ今から一時間後まで、ベルのために防具を選ぶとしましょうか」

 

「…期待しててね、ベル」

 

「お、お二人に負けないよう、僕も精一杯いい武具を選べるよう頑張りますっ!」

 

 こうしてベルたち三人はその場で別れた。

 アイズは武器が置いてある区画へ、

 レフィーヤは防具が置いてある区画へ、

 ベルは新人向きの武具を扱っている区画へと向かうのであった。

 

 

 

****

 

 

 

 それから一時間後。

 ベルたち三人は各々が厳選した武器や防具をその手に持ち、先程の場所に集まっていた。

 そして各々の選んだ武具を見せ合うのであった。

 

「…それじゃあ、私が選んだ武器から見せるね」

 

 アイズが選んだ武器は、片手剣であった。

 片手剣の中でも細かい分類で言えば、片手用直剣と呼ばれている剣である。刀身は雪のような白色であり、淡く輝いている。剣の柄は銀色をしており、刀身の色と近い。

 その片手剣の銘はその淡雪を思わせるような色合いから≪スノーライトソード≫と名付けられた。

 

 現在ベルが持っている短刀だけでは、大きなモンスター相手に致命傷を与えられない。そのためアイズはナイフ以外の武器もベルに装備してほしかった。

 アイズが選んだ片手剣は、ダンジョンの中層でも十分通用するほどの鋭さと頑丈さを持ち合わせていた。同時に新人冒険者が扱いやすい重さと長さの剣であった。

 そういう理由もあり、アイズはこの片手剣を選んだのであった。

 

「わぁ~、凄く綺麗な剣ですねっ!それに切れ味も鋭そうです!」

 

「さすがはアイズさんですね。新人でも扱える武器の中でも、ここまで高品質のものを選ぶとは…」

 

「偶然、見付けられただけ…」

 

 ベルとレフィーヤに絶賛されたアイズの頬は、少しだけ赤く染まっていた。

 

「でもこんなにいい剣だと値段もけっこう高いんじゃないですか…?」

 

「…うーん、十万ヴァリスくらいするみたい」

 

「意外ですね、この剣なら二十万ヴァリスはくだらないと思ったんですけど…」

 

「…この剣をつくった鍛冶職人が、私が購入すると聞いて値段を安くしてくれたの」

 

「さ、さすがアイズさんですね。ちなみにその職人はアイズさんに何と言って値段を下げてくれたんですか?」

 

「確か…『私の剣をあの剣姫様が買ってくれるなんて大変光栄なことです!もちろん値段もタダでいいです!』って最初に言われたんだけど、お金は全額払うから大丈夫って私が伝えたら…『それじゃあ半額でっ、半額でいいのでお願いします!これ以上は私の誇りにかけて譲れませんっ!!』って言われて、二十万ヴァリスした剣が半額の十万ヴァリスになったの…」

 

 もしこの場にロキがいたら「アイズたんマジパネェ!」と叫んでいたことだろう。

 

「…もしベルが気に入らないのなら、他の武器にするけど…」

 

「いえ、そんなことないですっ!!アイズさんが選んでくれたこの剣、凄く気に入りましたっ!僕、この≪スノーライトソード≫がいいです!」

 

「…そう、それはよかった」

 

 ベルが気に入ってくれたと聞き、アイズは心の底から安堵するのであった。

 

「アイズさんが選んでくれた武器ですので、くれぐれも大切に使って下さいね、ベル?…では、次にベルが自分で選んだ武器を見てみましょうか」

 

「えっ!?もう僕の武器はアイズさんが選んでくれたから、これ以上武器を見る必要はないんじゃ…」

 

「…扱える武器の種類は多いに越したことはない。だから、私に遠慮しないで、ベルが選んだ武器を見せてほしい…」

 

「アイズさん…。分かりました、これが僕の選んだ武器です」

 

 ベルが選んだ武器は、二本の短刀であった。

 その二本の短刀はそれぞれ紅色と蒼色に輝き、どちらの短刀も透明感のある鋭い刀身であり、長さは普通のナイフよりも少しだけ長いくらいだと思われる。柄はそれぞれの刀身の色に近く、刃が紅色の方は赤銅色で、蒼色の方は青紫色であった。

 赤色の短刀の銘は、その刀身の色から≪(くれない)≫と、青色の短刀の銘はその刀身の色から≪(あおい)≫と名付けられていた。

 

 実はこの武器、二本同時に装備しないと本来の切れ味を発揮しないという効果が付与(エンチャント)された短刀であると、店員に説明された。

 なんでもこの短刀を打った本人ですら、どうしてこのような負の効果が付いたのかわからないそうだ。二本装備時の切れ味は中層でも通用するほど抜群であるが、一本だけで使用するとその切れ味は格段に落ちるらしい。

 

 そのような裏事情があるため、今まで売れ残っていた訳ありの武器である。そのためか値段は二本で十万ヴァリスと、中層で通用する武器の中ではとても安かった。

 

―――以上のことをベルはアイズたちに説明した。

 

「確かに質の高いナイフですね。これなら中層でも十分戦えるはずです。…ですがそれは二本同時に装備している場合ですよね?ベルは二刀流でも目指しているのですか?」

 

「は、はい…実はアイズさんと訓練をしたときに、僕には二刀流のスタイルが合っているかもって言われたんです。それで両手で武器を扱えるように頑張ってみようかなって思ったんだけど、ダメだったかな…?」

 

「うーん…ベルには二刀流のスタイルが合っているのですか、アイズさん?」

 

「…うん。私が思うに、ベルに最適な戦闘スタイルは速度と手数にものをいわせた二刀流…相手に攻撃の機会を与えないほどの激しい猛攻(ラッシュ)だと思う。その戦闘スタイル――双刀装備(ダブルナイフ)を極めたら、第一級冒険者(わたしたち)に匹敵するほどの冒険者になるはず…。あくまで私の見立てだけど、どうかな…?」

 

「アイズさん…!ぼ、僕なんかに二刀流を極められるかわかりませんが、アイズさんの期待に応えられるよう精一杯頑張りますっ!!」

 

「ベル…」

(私好みの戦闘スタイルを目指してくれるなんて、凄く嬉しい…。他人の戦闘スタイルに口出しするのはよくないけど、姉弟なら他人じゃないし、別にいいよね…?)

 

「…それじゃあ、その双刀も買おうか」

 

「えっ!?いいんですか!?」

 

「…実は私、片手剣と双刀で最後まで悩んで結局片手剣を選んだの。だからベルが双刀を選んでくれたときは、凄く嬉しかった。…私が買いたいのだから、ベルには遠慮しないでほしいかな…?」

 

「ア、アイズさん…!!ほ、本当にありがとうございますっ!絶対に短刀での二刀流をマスターしてみせますから!」

 

「…うん、早速帰ったら訓練の続きをしようね」

 

「はいっ!!」

 

「…もう買い物は終了した雰囲気になっていますが、まだ私の選んだ防具がありますからね!!」

 

「ご、ごめんなさいっ!?そ、それで、どんな防具なんですか?」

 

「まったく…。私が選んだ防具はこれです。実際に着てみて下さい」

 

 レフィーヤが選んだ防具はロングコートであった。

 そのロングコートは、レフィーヤの故郷にあった森の葉のようなエメラルドグリーン色の生地であり、ベルが装備してみるとその丈は膝下まで達していた。

 ちなみにであるがエメラルドグリーンはエルフが好む色でもあった。

 そのロングコート、≪妖精の抱擁(フェアリー・クロス)≫は、防御力はあまり高くないため中層からのモンスター相手では心許ない防具であるが、実はこのコートには特別な効果が付与(エンチャント)されていた。それは致命的なダメージを受けたときに一度だけこのコートが身代わりとなり、装備者へのダメージを大幅に減らしてくれるというものである。

 

 その効果からもわかるように、何だかんだ言ってレフィーヤもベルのことが心配であったのだ。そのため少しでもベルの生存率が上がるよう、この防具を選んだのである。

 また致命的な攻撃を受けた際、身代わりの効果を発動した、≪妖精の抱擁(フェアリー・クロス)≫は光の粒子となり跡形もなく消えてしまうという欠点も存在した。

 しかしそのときは、また同じものをベルに買ってあげようと考えている、いつものツンツンした態度からからは想像できないほど弟想いの(レフィーヤ)であった。

 

「それで、実際に着てみてどうでしたか?」

 

「はい!僕の体にピッタリで、着心地も抜群…凄く気に入りましたっ!それじゃあ防具はこれにします。本当にありがとうございました、レフィーヤさん」

 

「…まぁこの私がベルのために選んだのですから、気に入るのも当然ですね!」

(ふふんっ、これでベルに年上(あね)としての威厳を示せたはず…!)

 

「ところで、このロングコートの値段はいくらなんですか?」

 

「この≪妖精の抱擁(フェアリー・クロス)≫は、一着三十万ヴァリスですよ」

 

「えっ、そんなに高いんですかっ!?ほ、本当に買ってもらっていいんですか、レフィーヤさん…?」

 

「まさかアイズさんからもらっといて、私からはもらわないということはもちろんありませんよね、ベル…?」

 

 レフィーヤからの重圧(プレッシャー)により、ベルは思わず汗を流した。

 

「ひぃっ!?…も、もちろんですっ!!」

 

「それならよろしい。まったく、ベルは謙虚すぎるんですよ。…それではベルの武器と防具も選び終わったことですし、会計に行きましょうか」

 

 

 こうしてベルは二人の姉からご褒美として、新しい武器と防具を手に入れたのであった。

 



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黒白の玉

 無事に新しい武器と防具を買い終えたベルたちは、その場でベルに装備させた後、エレベーターに向かっていた。

 そんな中、エレベーターに向かう途中にベルは、何か違和感のようなものを感じているのであった。

 

(この通路ってお店に向かうときに通った道のはずだよね?何かさっきと雰囲気が違うような…?)

 

 疑問に思った僕は、歩きながら周囲に目を配らせる。

 僕の一歩前を歩くレフィーヤさんとアイズさんは、どうやら僕が感じている異変に気が付いていないようである。

 

(やっぱり僕の勘違いかな…って、あれ?)

 

 何かが僕の視界の端で、黒く光ったような気がした。 その方向に視線を向けると、とある装備品が飾ってあった。

 

(あの玉…さっきここを通ったときにあんなもの置いてなかったはずだけど…?)

 

 ベルの視線の先には、小さな黒い(ギョク)が棚に置いてあった。

 その玉には銀色の飾りが周囲に施されており、一見して凝った細工だとわかる。

 どうやら首飾りになっているらしい、直径三センチ程度の漆黒の玉に、何故か僕の視線は引き寄せられていた。

 そして気付いていたら僕は、その玉の方へと近づいて、それを掴もうと手を伸ばしていた。

 

 その黒い玉に触れた瞬間、突然それは白く輝き始めた―――!!

 

「なっ!?」

 

 その変化は劇的であった。

 

 玉の色が徐々に黒から白へと変わっていったのである。

 その光景はまるで暗闇が光に埋め尽くされるようだと、僕は感じた。

 その現象に驚愕を隠せない僕であったが、本当の驚きはむしろここからであった。

 

 元々黒かったはずの玉が半分ほど白色に染まったときに、よりいっそう眩しく輝く。

 その光により僕の視界は真っ白に塗りつぶされた。

 

 あまりの眩しさに僕は目をつぶってしまう。

 数秒後、光が弱まったのを感じ目を開けてみると、何と周りの風景が一変していた!

 

 先程まで確かにバベルの中のお店にいたはずだが、今の僕が立っている場所は、白と黒――光と闇が混ざりあった、どこか神秘的な空間であった。

 

(い、一体何がっ!?ここはどこなんだ…?確かあの黒い玉に触れた瞬間、白く輝き出したと思ったらいつの間にかここに来ていた。…やっぱりこの不思議な現象はあの玉と何か関係あるはず…。でも、これからどうすれば…)

 

 この不思議な現象について考える僕であったが、突然頭の中に響いた声(、、、、、、、)により、中断を余儀なくされた。

 

『貴方は英雄になりたいですか?』

 

 見渡す限りベルしかいないはずの空間で、不意に女性の声が聞こえた。

 

 冷静で、無機質で、どこか人間味を感じさせない神秘的な声。

 

 自分の理解を超える現象の連続にいつもの僕なら激しく動揺し、冷静ではいられなかっただろう。

 しかしなぜだろう、今回の僕は落ち着いていた。

 たぶん僕の心はその女性の声を聞いた瞬間、この不思議な現象は僕を害するものではないと感じたからだ。

 

(この空間、そして女性の声からは僕に対する敵意や悪意は感じない…。むしろ歓迎されているような…?まずは彼女の問い掛けに答えないと…)

 

 僕はそんなことを考えながら、彼女の質問に自然と答えていた。

 

「はい、僕は英雄になりたいです」

 

 普段ならそんなこと恥ずかしくて言えない僕の夢であるが、今だけは恥ずかしいと感じることはなかった。

 そして僕がそう返答すると、この不思議な空間の色合いが変化したように感じた。

 

(さっきより空間がより白くなった…?僕が返答した瞬間に黒が白に変化したけど、これは一体…)

 

 立ち尽くす僕の頭の中で、またしてもあの声が聞こえてきた。

 

『英雄へと至る道はとても過酷なものです。自分よりも強大な敵に挑むことや理不尽な数の暴力に晒されることもあるでしょう。そんな試練がこれから貴方を待ち受けており、命を失う可能性も今までとは比べ物にならないほど高くなります。英雄を志したことを後悔する日がいつか来るかもしれません。それでも貴方は…本当に英雄になりたいのですか?』

 

 相変わらずその無機質な声から感情は読み取れないが、それでも僕の身を心配してくれているのは伝わる。

 ここは彼女の忠告に従い、今すぐ馬鹿な考えを止めるべきだと僕の本能が告げている。

 

(今なら英雄になりたいっていう夢も、夢のままで終われる。彼女の言う通り、今ならまだ僕の覚悟を撤回できる…。自分の一生を、命を、全てを懸けてまでなれるかどうかわからない存在を目指す……そんな馬鹿な選択はせず、賢明な生き方をするべきだ。それが正しいと頭ではわかっている…)

 

―――それでも。

 

―――それでも僕は英雄になりたいと、あのとき自分自身に誓ったのだ。

 

―――僕を救ってくれた祖父のような強い英雄になってみせると…!

 

―――でも、今はそれだけではない…。

 

 こんな自分に優しく接してくれる【ロキ・ファミリア】の人たちを思い浮かべる。

 そして真っ先に思い浮かんだのは…僕に向かって優しく微笑んでくれるアイズさんの笑顔だった。

 

―――僕は、

―――僕はっ、

―――僕はッ…!!

 

―――アイズさんを笑顔にできるような…そんな優しい英雄に。

 

―――そして、今の自分にはおこがましい願いだけれども…。

 

―――フィンさんやリヴェリアさん、ティオナさんやティオネさん、レフィーヤさんや他のファミリアのみんなを…僕の新しい家族を、いつか自分の力で守れるような…そんな本物の英雄に。

 

―――僕はっ、絶対に英雄になるんだっ(、、、、、、、、、、)!!

 

 ベルがそう宣言した瞬間、空間全体がよりいっそう白く輝き始めた。

 そしてその光により闇は完全に消え去った。

 最初は黒と白が入り交じっていた空間だったが、今は完全に白一色の空間へと変貌したのである。

 

『私の忠告を真剣に考えた上でのその決断…どうやら英雄へと至る決意は十分に堅いようですね。そして貴方から伝わってくる意思の強さ…これなら資格を十分に満たしています』

 

 先程と同じ女性の声が真っ白の空間に響き渡る。

 ただし先程とは違う点が存在した。

 何とベルの目の前に光の粒子が集まってきたのである。

 凝集した粒子は、徐々に人の形を描き出す。最終的には、女性の姿へと変化するのであった!

 

「あ、貴女は…!?」

 

『驚きましたか?先程までは姿を現さずに声だけで失礼しました。今、貴方の瞳に映るこの姿が本来の私の姿です』

 

 半ば透き通り、神秘的な雰囲気を身に纏った女性。

 突然ベルの前に現れた彼女は、神が創った人形と言われても納得してしまうほどに美しかった。

 人ならぬ美貌…美の神に匹敵するほどの端麗な容姿。

 彼女の瞳と髪の色はこの空間と同じ白色。その白い髪は腰に届くほど長く、その白い瞳は何もかも見透かしているようであった。

 

 そんな彼女を前にしてたらどんな人間でも緊張するはずである。

 それが女性に慣れていないベルであるのなら尚更、いつもよりも緊張して赤面する未来がは容易に想像できる。

 

 しかし今回のベルの行動は、その予想から大きく外れるものであった。

 この空間でいきなり声を掛けられたときに自然体で答えていたのと同様に、今回も緊張して顔を赤らめることなかったのである。

 

 強い意思を宿す紅の瞳は、深い叡知を宿す白の瞳を真っ直ぐと見据えて答える。

 

「そうだったんですか…。でも、どうして初めは声だけだったんですか?」

 

『…今の私はとある事情により、この姿を維持できる時間が限られているのです。そのため初めからこの姿だと、すぐに時間切れを迎える可能性がありました。そういう理由もあり、初めからこの姿で現れることが不可能だったのです。やはりお気を悪くしましたか?』

 

「えっと、僕は別に失礼だと思っていませんから大丈夫ですよ。ただ特別な事情でもあるのかなって気になっただけですから。それで、そのとある事情というのは一体…」

 

『申し訳ありません、もうあまり時間がありませんので、私の事情についての説明は省かせていただいてもよろしいでしょうか?』

 

「あ、僕こそすみません。時間があまりないみたいなのに余計なことを聞いてしまって…」

 

『貴方が謝る必要はありませんよ。それでは、ベル・クラネル…今から貴方に加護を授けたいと思います』

 

「加護、ですか…?」

 

『今から授ける加護は貴方の運命…因果律に干渉し、英雄へ至るための試練を与えることでしょう。また、この加護により魔法が発現しやすくなります。きっかけさえあればすぐにでも魔法を使えるようになることでしょう。…以上が加護の説明となります。それでは加護を授けますので、お立ちになったまま目をつぶってください』

 

「えっと、これでいいんですか…?」

 

 ベルは彼女の言葉に素直に従い、目をつぶった。

 彼女は浮遊しながら目を閉じているベルに近づき、お互いの鼻がくっつきそうになる位置まで距離を縮める。

 そして彼女はベルの顔を数秒見つめた後、無防備なベルの額に口づけをするのであった。

 

『これで無事、貴方に加護を授けることができました。もう目を開けていただいてよろしいですよ』

 

「い、今のってまさか…」

 

『口づけですか?古来より私たちが加護を授けるときは、対象の額に口づけをするのが決まりなんです。もしかして、私に口づけされるのは額であっても嫌でしたか?』

 

「い、嫌じゃありませんでしたけど、額でもいきなり口づけされたら心臓に悪いですよ」

 

『そうでしたか。ですが貴方の心はずっと落ち着いていましたよ?』 

 

「え、そんなはずは…」

 

(あれ?言われてみれば今の僕は確かに落ち着いてるような…。いつもの僕なら情けないことに、女性にこんなことされたらテンパってしまうはずなのに…。まぁこれ以上考えても仕方ないか。それよりも気になることがある)

 

「あの、どうして僕に加護を授けたのですか…?それに加護を与えることができる貴方は一体何者なんですか?加護を授ける存在なんて、まるで…」

 

『すみません、今はまだ貴方の質問に答えることができません。ただ私の正体については貴方の予想通りだと思いますよ。…どうやらもう時間切れのようです。それでは、貴方が最初の試練を無事乗り越えることを心から祈っていますね。また会いましょう、≪最後の英雄(ラスト・ヒーロー)≫の資格を持つ者よ…』

 

(最初の試練…?それに≪最後の英雄(ラスト・ヒーロー)≫の資格…?それってどういう意味…)

 

 ベルが意味深な言葉の意味を尋ねようとしたが、それは叶わなかった。

 

 なぜなら突然、よりいっそう空間全体が眩しく光輝いたのである!

 

 そして光の輝きが止んだ空間には、なんとベルの姿はいなくなっており、たった一人…彼女だけが残っていた。

 

『…ベル・クラネル。貴方にこのオラリオの未来を託しましたよ』

 

 その言葉は誰にも届くことはなく、白い空間に消えていった。

 

********

 

 

 

 これは白い(ギョク)に封印された誰かの記憶―――。

 

 彼女は、真っ白の空間に存在していた。

 彼女は、未来を見通すことができた。

 彼女は、ある都市の破滅の未来を知ってしまった。

 彼女は、その運命を自分の力で防ぐことができないと理解していた。

 彼女は多くの人がただ無力に死んでいく未来を見て、彼女の心に絶望が芽生えた。

 彼女の絶望が伝染するように、その空間は白から黒へと変化していく。

 

 その光景はまるで希望が絶望に塗り潰されるようだった―――。

 

 そして彼女は、暗闇の空間に存在していた。

 彼女は、その運命を防ぐ――決まった未来を改変する方法を長い間考えていた。

 彼女は長い間考え続け、その破滅しか待っていない運命を変える存在に行き着いた。

 それは運命を覆す唯一の存在、≪英雄≫と呼ばれる者である。

 そして彼女は、英雄の誕生を待つことにしたのだ。

 

 彼女が英雄の誕生を待ち続け、長い年月が経った。

 そしてついに、運命の歯車は回り始める―――。

 

 彼女が存在している暗闇の空間に、突然暖かな白い光が差したのだ。

 彼女の周りに存在した絶望の暗闇は、その白い光が消し去ってくれた。

 彼女は、その白い光がずっと待ち望んでいた『希望(えいゆう)』であると確信した。

 

 彼女は、その『希望』に手を伸ばし、英雄になることを望むか問いかけた。

 

 『希望』は、眩しく光り輝きながら肯定してくれた。

 それに伴って闇は完全に光により消え去り、残されたのはずっと昔に彼女が存在していた真っ白の空間だった。

 

 こうして彼女はその『希望』――ベル・クラネルに加護を授けた。

 そして彼に、破滅の運命が待ち受ける都市―――迷宮都市オラリオの未来を託すのであった。

 

 

 

 

 

 

******************************************

 

 

 

 

 

 

「―――ル!しっかりして下さい、ベルっ!?」

 

「ベルっ!!」

 

 ベルの意識が戻ったときにまず初めに聞こえたのは、自分の名を心配そうに呼ぶレフィーヤとアイズの声であった。

 

「…あれ、レフィーヤさんとアイズさん?どうしたんですか、そんなに心配そうな顔をして…?」

 

「もう!何寝ぼけたことを言っているんですかっ!?今まで私たちがどんなに呼び掛けても、石像のように固まっていたんですよ!!私たちがどれだけ心配したのか、ベルはわかっているのですかっ!?」

 

「えっ、僕って今まで固まっていたんですか…?」

 

「…うん、その白い玉を手にしたまま、まるで時間が止まっているように固まってたの。肩を揺すっても反応がなかったから、凄く…凄く心配した」

 

「そうだったんですかっ!?あの、本当に心配かけてすみませんでした!!」

 

 鬼気迫るレフィーヤとアイズさんに詰め寄られ、ベルはいつの間にか掴んでいたその玉から手を放し、二人に頭を下げる。

 その瞬間、慌てて頭を下げたベルの手から白い玉がこぼれ落ちてしまった。

 

「しまったッ!?…って、あれ?」

 

 白い玉は自由落下して床に激突すると思われたが、幸運なことにその玉は首飾りだったため、ベルの首にぶら下がるのであった。

 

(危なかった、落とさずに済んでよかったよ。でもいつから僕は、こんな首飾りを着けたんだっけ?何か、大切なことを忘れているような…)

 

「突然すみません、僕ってこんな高そうな首飾り、いつからしていたかお二人は覚えてますか?」

 

「いきなり何を言っているんですか?そんなの、今朝からずっと(、、、、、、、)首から掛けていたじゃないですか」

 

「今朝からずっと……。あの、アイズさんも同じですか?」

 

「…う~ん、今朝のときから着けていたのかな…?ごめん、あまり自信ないがないかも…」

 

 レフィーヤさんによると、僕は最低でも今朝からこの首飾りを着けていたようである。

 ただアイズさんは首を傾げ、どうやらレフィーヤさんの返答に対して疑問を感じているみたいである。

 

「…ねぇ、ベル。その玉ってどこで手に入れたの…?」

 

「これですか?それが、僕にもよくわからなくて…」

 

「自分が装備しているものなのに、どこで手に入れたのかを忘れたのですか?」

 

 白い玉に関心を示すアイズさんに、僕の言葉を聞いて呆れ顔のレフィーヤさん。

 僕はこの二人の顔をまじまじと見つめてから、自分の首にかかっている白い玉に視線を向けた。

 

( …僕はこの玉に、何か大切なことを誓ったような気がする。でも、まるで頭にもやがかかったように思い出せない… )

 

 唯一記憶に残っている情景は、闇と光が入り混じった空間と、そこで自分は誰かと話したということだけ…。

 

「あの、アイズさんはこの首飾りについて何かわかりませんか?」

 

 僕と同じく、この首飾りに違和感を感じているアイズさんなら何かわかるかもと思い、聞いてみることにした。

 

「…ごめん、私にもよく分からない。ただ…」

 

「ただ…?」

 

 アイズさんの答えを期待して待つ僕に、アイズさんはどこか寂しそうな表情をして答えた。

 

「その首飾り…白色の玉を見ていると、とても懐かしい気持ちになってくる。まるで――――――」

 

 その先に紡がれた言葉は、あまりにか細い声であったため、僕は聞き取ることができなかった。

 

「あ、あの…」

 

「…?」

 

「い、いえっ!何でもないです…」

 

 先程アイズさんが見せた表情。

 今までに見たことのないようなアイズさんの悲しげな瞳を思い出したら、僕は何も聞き返すことはできなかった。

 思わず口ごもってしまった僕のことをアイズさんは小首を傾げ、不思議そうに見つめていた。

 

 

 三人の会話がちょうど途切れた時。

 正午を告げる大鐘が鳴り響くのであった――――――。

 



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女神の店員と再びの訓練

二日連続投稿です。


 

 バベルでの買い物を無事終えたベルたち一向は、白い玉の件で一悶着はあったものの、今は北のメインストリートに向かっていた。

 実はバベルを後にする前、【ヘファイストス・ファミリア】の店員にその首飾りについて尋ねてみたが、あまり芳しい情報は得られなかったのだ。

 唯一得られた情報は、その首飾りが【ヘファイトス・ファミリア】が作製したものではないということだけであった。

 ベルが訪れた【ヘファイトス・ファミリア】で売っていないということは、必然的に今朝からベルは着けていたというレフィーヤの意見が正しいということで事態は収束したのである。

 ちなみに問題となったその首飾りはというと、現在もベルが身に着けているのであった。

 

 昼食を取るために、北のメインストリートにあるお店を目指して歩くベルたち。

 しかしベルたちは誰も気が付かなかった。

 

 ベルの首にぶら下がる白い玉―――。

 それから放出された透明な魔力が、ベルの体に入っていく現象に…。

 

 この現象がベルにとって何を意味するのか―――?

 

 その答えが判明するのはもう少し先の話となる。

 

 

 

********

 

 

 

「あ、あの!あれは事故のようなものなので、別に気にしなくても…」

「あんなにお腹を鳴らしといて気にしないでと言われも、説得力はありませんよ」

「ううっ、あれはその…」

 バベルでの買い物が終わり、次はどうしますかというレフィーヤさんの問いかけに答えたのは、グゥ~と鳴り響く僕のお腹の音であった。

 アイズさんたちは恥ずかしさで真っ赤になる僕の顔を優しい目で見つめ、昼食にしようと提案したのである。

(うぅ、あのときは死ぬほど恥ずかった…。お腹が鳴った原因はたぶん、挨拶が忙しくて朝食を満足に食べれなかったせいだから、こればっかりは仕方ないよね…)

 恥ずかしい姿をアイズたちに見せてしまったことにガクッと肩を落として落ち込むベル。

 そんなベルを心配したアイズが、優しくフォローをする。

「…大丈夫、ベルと同じで私もお腹が空いていたから」

「…その、気を使わせてしまいすみません、アイズさん」

「ううん、私もベルと同じくお腹が空いていたの…。だから、もう気にしなくていいんだよ?」

「アイズさん…!!」

「もう、アイズさんはベルに甘すぎです…。ところでアイズさん、私たちはどこのお店に向かっているんですか?」

 

「…北のメインストリートに、ジャガ丸くんのお店があるって、ティオナに教えてもらったから、そこに向かっている」

「ジャ、ジャガ丸くんですか…?」

「…ベルも気に入ると思う」

「アイズさんはジャガ丸くん、好きですもんね…」

 こうして僕たちは、バベルから広く整然とした裏通りに抜け、とても賑わっている北のメインストリートに出たのであった。

 真っ直ぐ歩くこと数分、アイズさんは目印を発見したのか、通りを折れて脇道に入る。僕とレフィーヤもアイズさんの後に続きと、そこには露店が立っていた。

「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりでしょうか、お客様?」

 そこの露店の中にいたのは、とても可愛らしく…そしてどこか神々しい、ツインテールの美少女だった。

「ジャガ丸くんの小豆クリーム味、三つお願いします」

 僕がその店員のことを見て固まっている横で、アイズさんは淡々と注文していた。

 別の店員さんが衣をつけて揚げたジャガ丸くんを、その店員は丁寧に包装して、「はい、 百二十ヴァリスです」と笑顔で言って、アイズさんに差し出した。

「…うん?どうしたんだい、そこの君?ボクの顔をじっと見つめて固まっちゃったりして…ははぁーん、さてはこのボクに惚れたな!」

「い、いえ、そうじゃなくてっ!?な、なんだか女神様みたいだな~って思いまして…」

「それは当然さ!ボクは女神みたいではなく、正真正銘の女神なんだからね!!」

「ええぇーっ!?ほ、本物の女神様ですか!?」

「そう、これだよ、これっ!ボクはこの反応を待っていたんだ!!それなのにあの馬鹿どもは、このボクのことをロリ神とか言って馬鹿にして…っ!でも、やはり下界の子供はあいつらとは違うねっ!…よし、決めた!君の名前は何て言うんだい?」

「ベ、ベル・クラネルと言います、女神様…」

「うん、いい名前だね!それじゃあ、ベル君と呼ばせてもらうよ。僕のことも女神様じゃなくてヘスティアと呼んでくれたまえ」

「わ、分かりました、ヘスティア様」

「早速だがベル君。ボクは今、【ファミリア】の勧誘をやっていてね。ちょうど君みたいな子に入ってほしいなぁーなんて奇遇にも思っていたところなんだよ。その、うん、なんだ…もしよかったら、ボクの【ファミリア】に入らないかい?」

「えっ!ぼ、僕ですか…!?」

(確かに僕は、ロキ様以外の神様ともお会いしたいと思っていたけど、まさかその日に二人目の女神様にお会いし、しかもその女神から【ファミリア】勧誘されるなんて…!?)

「…ふんっ!」

「痛ぁっ!?」

 顔を真っ赤にしてテンパっていた僕の右足を、隣にいたレフィーヤさんが思いっ切り踏みつける。

「…まさかとは思いますけど、女神の美貌に負けて【ファミリア】を鞍替えする、なぁーんて馬鹿なことはもちろんありませんよね、ベル?」

「…ベル?」

 後ろに般若が見えるレフィーヤさんと、心なしか恐い顔のアイズさんを見て、僕は情けない悲鳴を上げてしまった。

「ひぃっ!?も、もちろんありませんっ!!」

「そうか、ベル君はもう【ファミリア】に所属しているのかい。それは悪いことをしたね。…安心していいよ、いくらボクでも、人様の子にちょっかいをかけるつもりはないから」

「す、すみません、ヘスティア様…」

「悪いと思うのなら、またジャガ丸くんを買いに来てくれよ、ベル君?」

「は、はい、もちろんです!!…そういえば、どうして神様がこんなところで働いているんですか?」

「うぐっ!?…ボクだって働きたくて働いているわけじゃないのさ」

 僕の素朴な疑問を聞いて、ヘスティア様の雰囲気が一気に暗くなった。

「ボクの神友にヘファイストスっていう女神がいるんだけどね、彼女のところでボクは少しだけ厄介になっているんだ。ボクが【ファミリア】の勧誘を頑張っているのに、ヘファイストスはボクに『これ以上ニートを続けるつもりなら、この家から追い出すわよ?』とか言って、ボクが抗議したら『自分の食費くらい自分で払ってみせるというくらいの意志を見せなかったら、明日には追い出すわよ。いいから早く仕事を見つけなさい』って怒ったんだよ!?長年の神友なのに酷い話だと思わないかい!?そもそもだね…」

「あはは…」

 どうやら僕は、ヘスティア様の地雷を踏んでしまったようだ。 僕は苦笑いを返すことしかできなかった。

 それからヘスティアは次の客が来店するまでずっと、ベルたちに愚痴を吐き続けたのであった。

 ベルは終始苦笑いで相槌を打ち、レフィーヤは困った顔をしながらも、女神の愚痴を真剣に聞いて、時には言葉を返し、アイズはいつもの感情の薄い顔をして黙って聞いていた。

 自分の愚痴を真面目に聞いてくれたベルたち三人を、ヘスティアはとても気に入ったようで、その店を去る際には、とびっきりの笑顔でまた来てくれよ~とベルたちを見送ったのであった。

 ちなみにベルたち三人が所属しているのが、ヘスティアの大っ嫌いなロキの【ファミリア】であるという事実を、ヘスティアはまだ知らない。

 

 

 

 

 

********************

 

 

 

 

 

 ジャガ丸くんのお店でヘスティアに長い時間拘束されたベルたちは、女神の愚痴から解放された後、ジャガ丸くんを食べながらホームへと戻るのであった。

 そして、三人ともジャガ丸くんを食べ終えたとき、【ロキ・ファミリア】ホームにちょうど到着し、現在はベルの訓練を行うため、中庭に集合していたのである。

 

「…それじゃあ、今朝の訓練の続きを始めるね」

 

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

「頑張って下さい、アイズさん!…ついでにベルも、アイズさんの期待に応えられるくらいには、頑張って下さいね」

 

「が、頑張ります!」

 

 現在のベルは右手に≪紅≫、左手に≪蒼≫の短刀を装備し、俗に言う二刀流状態であった。

 防具は先程レフィーヤに買ってもらったロングコートを着用しているため、今朝の訓練のときよりも様になっていた。

 

 二刀を構えたベルと鞘を構えたアイズ。

 両者の間に緊迫した空気が流れた。

 

 そして、最初に動いたのはベルだった。

 

「うおおぉおおぉ!!」

 

 雄叫びを上げ、姿勢を低くしてアイズに突進していくベル。

 その突進の勢いのままアイズに向かってナイフを振り抜こうとしたが、ベルの考えは甘かった。

 

 ベルがアイズの間合いに足を踏み入れた瞬間に待ち受けていたのは、鞘による高速の一閃だった。

 

「くっ!?」

 

 ベルは咄嗟に右手のナイフでその一撃を防いだが、右手にとてつもない衝撃が響いた。 思わず痛む右手に意識がいってしまったベルだが、その一瞬の隙をアイズは見逃さない。

 アイズはベルの無防備な左腹に向かって、鞘で二撃目を放った。 アイズの読み通り、ベルはアイズの二撃目に全く反応できず、そのままベルの左腹に鞘が食い込み、その衝撃を殺しきれずにベルは後ろに弾き飛ばされたのであった。

 

 

「ぐはぁっ!?…ま、まだだっ!」

 

 アイズの攻撃をもろに食らったベルであったが、何メートルも弾き飛ばされながらもすぐに態勢を整え、またしてもアイズに突進してきた。

 

(…もう、痛みに怖がらないで、自分から攻めていけるなんて…)

 

 そんなベルの成長ぶりを見て、アイズは密かに驚いていた。

 ベルは先程のアイズの攻撃からアイズの間合いを読み取ったのか、アイズの間合いの手前で、右手のナイフを上段に、左手のナイフを下段に構え、全身を防御できるように構え直した。

 

 ベルがアイズの間合いに足を踏み入れた瞬間、鞘での一閃がベルの頭上に向かって振り落とされた。 ベルは右手のナイフでその攻撃を受け止め、ナイフから伝わる衝撃に意識を向けず、次の防御に集中した。

 ベルの右手がまだ痺れている状態のまま、アイズの二撃目がベルの右腹に向かって放たれた。 ベルはその攻撃に反応し、左手のナイフで二撃目を見事受け止めたのであった。

 

 先程の二の舞にならなかったことを内心でほっとするベルであったが、そう悠長に喜んでいる暇はない。

 なぜなら、アイズの鞘による二閃を防御したベルだが、むしろアイズの攻撃はこれからが本番だったからだ。

 

 右手を頭上、左手を右腹の前に構えたまま硬直しているベルに向かって、アイズは三、四、五撃目を放つ。 アイズの三撃目はベルの右手に、四撃目はベルの左手に当たり、ベルは手の痛みから思わずナイフを手放してしまった。

 そして、五撃目は無防備なベルに向かって放たれたのである。

 

「ぐあっ!?」

 

 ベルはその一閃を避けることができず、綺麗に食らってしまった。

 

「…私の間合いを正確に把握したところまでは、よかったよ。…ただ、その後の防御の仕方がなっていない」

 

「防御の仕方、ですか?」

 

「…ベルは私の攻撃を防御するとき、そのナイフで受け止めているよね?」

 

「は、はい、その通りですが…」

 

「…受け止めた後は、すぐに動ける?」

 

「い、いえ。その…アイズさんの攻撃を受け止めたときに手が痺れてしまって…」

 

「…攻撃を真っ正直に受け止めたら、自分に衝撃が伝わるのは当然。そしてその衝撃が伝わっている間は、さっきのベルみたいに次の行動に移るのが遅くなるの。だから、自分よりも強い敵からの一撃は、武器で受け止めたらダメ」

 

「は、はい、分かりました!…でも、それならどうやって防御すればいいんでしょうか?」

 

「…攻撃を受け止めるのではなく、受け流すの。一流の冒険者はみんなそうしている」

 

「受け流し、ですか…?」

 

「…実際に体験した方が分かりやすいと思う。ベル、私に攻撃してみて」

 

「わ、わかりました」

 

 ベルは先程落としてしまった短刀を回収し、アイズと距離を少し空けて向かい合った。

 

「それじゃあ、行きます!!」

 

 ベルは叫ぶと、猛然と地を蹴リ出す。

 

 そんなベルを見つめるアイズは、鞘を構えたまま動かない。

 ベルは瞬く間にアイズの間合いに踏み込み、アイズに向かって右手のナイフを降り下ろした。

 対するアイズは、自分に向かって撃ち込まれてくる右のナイフの側面に、鞘をそっと合わせた。

 ふわり…としか形容できない柔らかい手応え…まるで風に撃ち込んだような手応えを感じ、ベルは驚愕して目を見開いた。

 

「ふっ…」

 

 ベルが驚くのも束の間、アイズはベルに向かって一歩踏み込みながら、鞘を握っている右手を後ろに振り抜いた。

 

「うわぁ!?」

 

 ベルが声を上げたときには もうベルの体はアイズの後方へと吹き飛ばされていた。

 芝生の上に転がっていたベルだが、ふらふらしながらもすぐに立ち上がる。

 

「い、今のが受け流しなんですかっ!?」

 

「…そう、これが受け流し、だよ」

 

「アイズさんの受け流しは、本当に凄い技術ですね。私には到底真似できません…」

 

 アイズの受け流し身をもって体験したベルはもちろんのこと、見学していたレフィーヤも、その技術の高さに改めて驚いていた。

 

「こんな途轍もなく凄い技が、僕なんかに使えるでしょうか…?」

 

「…今のベルには力が足りないから、今の受け流しを真似することはできないと思う」

 

「で、ですよね…」

 

「…でも相手の攻撃による衝撃を、ある程度受け流すだけなら、今のベルにもできるはずだよ」

 

「ほ、本当ですか…!?」

 

「…うん。もちろん、君の努力次第だけどね」

 

「わかりました!一刻も早く、その受け流しをできるよう頑張ります!!」

 

「…それじゃあ、訓練の続きを始めようか」

 

「はい!お願いします!」

 

 こうして、ベルとアイズの模擬戦は再び行われた。

 

 アイズの鞘による高速の一撃を受け流すのは容易なことではなく、ベルは何度も防御に失敗し、その度に吹き飛ばされた。

 

 しかし、ベルは絶対に諦めず、何度も立ち上がってはアイズに挑んでいく。

 

 何回も吹き飛ばされるベルを見て、レフィーヤは凄く心配そうな表情をしながらも、ベルに励ましの言葉を送り続けた。

 そして、アイズに挑む回数が増えるごとに、ベルがアイズの攻撃を受け流す回数も徐々に増えていき、アイズが休憩を入れるまでには、十回ほど連続で防御が成功したのであった。

 

 ちなみに、十回という数字をベルは情けなく思っていたが、アイズはベルの成長速度に瞠目し、ベルの成長を自分のことのように嬉しく感じていたのであった。

 

 

 

 




次回の更新は来週となります。


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兎は魔法に憧れる 

 激しい模擬戦を終えたベルとアイズは、見学していたレフィーヤを含め三人で円になるように座って話し込んでいるのであった。

 会話のお題は、『魔法』についてである。

「そういえば、ベルって魔法は使えるんですか?」

「うっ、使えません…」

「ま、まぁ、ヒューマンは魔法が発現しにくい種族ですし、そんなに落ち込まなくても大丈夫ですよ」

「…それに、後天的に覚える人も多いから、そのうちベルも発現するはずだよ」

 レフィーヤの何気ない質問に顔を暗くして落ち込んでしまったベル。

 そんなベルを見てレフィーヤは慌ててフォローを入れる。

 またアイズも、レフィーヤと同じように落ち込んでいるベルを励ますのであった。

 

 余談であるが、今まで感情が薄いアイズであったが、ベルが笑顔だと自分まで明るくなり、ベルが落ち込んでいるのを見ると自分まで悲しくなるという、今までにない変化が現れてきたのであった。

 リヴェリアが期待した通り、アイズはベルと時間を共に過ごすうちに、いい方向へと変わって来ているのであった。

 

「そういえば、ロキ様が本を読んで魔法についての知識を増やした方がいいとおっしゃっていましたけど、そうなんですか?」

「ええ、そうですよ。魔法を発現している人の多くは、日常的に本を読んでいますからね。もしよければ、オススメの本でも貸しましょうか?」

 

「えっ!?い、いいんですか、レフィーヤさん…?」

「もう何回も読んだ本ですし、構いませんよ。た・だ・し、くれぐれも汚さないようにしてくださいねっ!」

「は、はい、もちろんです!ありがとうございます、レフィーヤさんっ!」

「…早く魔法が発現するといいですね」

「えっ?」

「な、何でもありません!ただの独り言ですっ!」

「す、すみませんでした!」

 

 素直な(ベル)と素直になれない(レフィーヤ)

 そんな微笑ましい一コマを、温かい目で眺めるアイズであった。

「そういえば、レフィーヤさんの魔法ってどんな感じなんですか?」

「そうですね…。私の魔法は三つ発現していますが、攻撃魔法が多いですよ」

「えっ、三つも発現してるんですかっ!?」

「まぁ、エルフは比較的魔法が発現しやすい種族ですからね。そう珍しいことでもありませんよ」

「そ、そうなんですか…。あの、アイズさんの魔法はどのようなものなんでしょうか?」

 ベルの質問にアイズは頭を働かせ、ベルに理解しやすい言葉を選んで答えた。

「…私の魔法は風を操る、補助魔法かな?」

「アイズさんの魔法は攻撃や防御にも応用できますし、万能魔法と呼んでも過言でないほど凄いですよ!」

「ば、万能魔法って、何だか凄そうな魔法ですねっ!いったいどんな魔法なんだろうな…」

 アイズとレフィーヤの言葉を聞いて、ベルはアイズの魔法がどんなものか想像しているのか、うんうん唸って考える。 瞳を輝かせて真剣に考え込んでいるベルの姿を、アイズは微笑ましそうに眺めていた。

 その態度からもわかるように、ベルは魔法に憧れているようであった。

 純粋に魔法を憧れるベルの姿を見ていたアイズは、そんなベルのために何かをしたいと思い、自然と言葉に出していた。

「…それじゃあ、私の魔法、見てみる?」

「えっ!?い、いいんですかっ!?」

「…流石にここだと危ないけど、ダンジョンの中なら魔法を使っても大丈夫だから」

「ほ、本当にいいんですか…?」

「…うん、いいよ」 

「あ、ありがとうございます、アイズさんっ!!」

 満面な笑みで喜ぶベルを見て、アイズの心は温かくなっていくのを感じるのであった。

 

(…やっぱりベルの笑顔を見ていると、心が温くなってくる)

 純粋な弟の存在によってアイズが密かに癒されている中、隣に座っているレフィーヤは、落ち着きなくそわそわし始めた。

「…しょ、しょうがないですね!私も一つだけですが、魔法を披露することにしますよ」

「えっ、レフィーヤさんもいいんですか?」

「まぁ、実際に見た方が魔法というものをイメージしやすいですし、その方が早く魔法を発現できると聞きますからね」

「そうなんですか…。その、本当にありがとごさまいますっ!」

「…本来、魔法というものは人前で見せていいものではありません。それを、私とアイズさんが特別に見せてあげるんですから、私たちの期待に応えて早く魔法を使えるようになって下さいね?」

「は、はいっ!魔法を披露してくれるお二人のためにも、僕、頑張ります!!」

 

「どうやら気合は十分のようですね。それでは、ダンジョンに行きましょうか」

「…あ、言い忘れたけど、まだベルはモンスターと戦ってはダメだからね…?」

「………えっ!?」

「何を驚いているのですか?今朝から訓練を始めたばかりの新人が、ダンジョンのモンスターに挑むなんて早すぎますっ!ダンジョン内の目的地に着くまでは私たちがモンスターを倒すので、ベルは絶対に手を出さないで下さいね?」

「そ、そんなぁ…」

「…今回は特別だけど、君一人だけでダンジョンに潜って大丈夫だと私が判断するまで、ダンジョンには絶対に行かないこと。…わかった?」

「…で、でもですね、先程バベルにいた店員が一階層くらいなら新人でも楽勝だって言っていたような」

「確かに一階層なら冒険者になりたての新人でも余裕でしょうね」

「な、なら僕も少しくらいなら潜っても…!」

「「ベルはダメ(です)」」

「…ぜ、絶対にダメですか?」

「「絶対にダメ(です)」」

「わ、わかりました…」

 ベルの懇願をきっぱりと断るアイズとレフィーヤ。

 アイズたちがそうまでしてベルをダンジョンに潜らせないのには理由があった。

 新人であってもダンジョンに潜ることは自由であったが、やはり死亡率は高い。

 一階層のモンスターのほとんどはゴブリンなどの雑魚であるため、武器を持っていれば新人でも余裕で倒せる。

 ただし、それはあくまでも一体一の場合の話だ。 ダンジョンでモンスターと一体一で戦える機会はほとんど存在しない。 なぜなら、弱いモンスターほど群れをなして襲ってくるからだ。雑魚モンスターでもそれが五体も集まれば、新人ならその時点で逃げるべきである。  

 中にはモンスターの集団に無謀にも一人で挑む新人もいるが、大抵はすぐに周りを囲まれ、数の暴力に負けてしまう。

 

 つまり、どんなに浅い階層でもダンジョンに絶対の安全はないのだ。

 そのため、ダンジョンの危険性を熟知しているアイズやレフィーヤは、ベルに単独でのダンジョン禁止令を出したのであった。

 ちなみにベルたちは知らぬことだが、中庭にいる三人のことを上から見ていた者たちがいた。

 一人は中庭を立ち去っていくベルたちを見て、「アイズもレフィーヤもキャラ変わりすぎやろ!?まさかあの二人がここまでベルに過保護になるなんて、神であっても予測できるわけないやろっ!!」と興奮して叫び声を上げ、もう一人はため息をつきながら主神の頭を叩いていた。

 こうして、二人の保護者に見送られながら、ベルたちはダンジョンに向かうのであった。

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 通例、魔法の訓練をするときはダンジョン内で行う決まりがある。 それは言うまでもなく、攻撃魔法を都市の中で使うと市民に被害が出る可能性が高いためであるからだ。

 中には街の中で魔法をぶっ放す馬鹿な冒険者もいるが、その多くはギルドから重いペナルティーが課せられる。

 そういう事情があり、魔法の訓練をする者は皆、ダンジョンに潜るのである。アイズたちも例にもれず、ダンジョンに潜っていたのである。

「ここが、ダンジョンの中ですか…」

「夢中になって、私たちからはぐれないでくださいよ」

「は、はい!…そういえば、僕らは今どこに向かっているんですか?」

  

「…五階層の西端の『ルーム』に向かっているよ」

「あそこは正規ルートから外れてますから滅多に冒険者は来ませんし、魔導士たちに人気な訓練エリアはもう少し下の階層ですから、魔法の試射にはうってつけの場所なんですよ」

(『ルーム』…レフィーヤさんの言葉から察するに、広い空間がある場所なのかな?)

こうしてベルたちはダンジョン 五階層、西端の『ルーム』に足を運ぶのであった。

 

 五階層最奥の広間に到着したベルたちは、まず最初にレフィーヤが魔法を実演することにした。

「それでは、行きます!」

 レフィーヤは杖を構えて詠唱を始める。

「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹。汝、弓の名手なり】」

レフィーヤの足元に、山吹色の魔法 (マジック)(サークル)が展開される。

山吹色の魔法円を展開させながら、レフィーヤは詠唱を紡ぎ続けた。

「【狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】!」

最後の詠唱を終えたレフィーヤの手元に光の弓が現れる。

 

(さて、どこを狙いましょうか…)

 

 光の矢を番えた弓を引き絞り、どこに狙いを定めるか迷うレフィーヤ。

 そこでタイミングよく、『ルーム』の出入り口の通路の先に、数体のモンスターの姿が現れたのを確認する。 そのモンスターたちはどれもが巨大な単眼を持った蛙型のモンスターであり、その口から長い舌をちらつかせていた。

 五階層出現モンスター『フロッグ・シューター』である。

(少々物足りない気もしますが、彼らを狙うとしましょうか)

 敵との距離は約五十メートル。

 並みの冒険者では敵に魔法を命中させるのには厳しい距離だが、熟練の魔導士であるレフィーヤには何の問題もなかった。

 レフィーヤは『フロッグ・シューター』の一体に狙いを定め、引き絞った弓から矢を撃ち出すのであった。

「【アルクス・レイ】!!」

 展開された山吹色の魔法円から光が弾け、レフィーヤの手元から一条の光が放たれる。

 一直線に加速しながら伸びる光の矢は、一番前にいた『フロッグ・シューター』に突き刺さり、次の瞬間には眩い閃光を放つ。そして近くにいた全てのモンスターを巻き込んで炸裂し、消滅されるのであった。

「す、凄い…っ!?今のが、レフィーヤさんの魔法っ!?」

 ベルがレフィーヤの魔法の威力に驚いている中、レフィーヤは涼しい顔で答えていた。

 

「私が使える魔法の一つで、照準対象を自動追尾する光の矢を撃ち出す攻撃魔法、【アルクス・レイ】です。単体しか狙えませんが、今みたいな弱いモンスターなら、光の矢の衝撃で数体は倒せるんですよ」

「五階層のモンスターでも反応できなかったくらい速かったのに、避けても自動で追ってくるとか強すぎせんかっ!?」

「まぁ使い勝手はいいんですが、【アルクス・レイ】の威力では、深層のモンスターに通用しないことが多いですね。それなので、今の魔法は私が使える魔法の中でも弱い方ですよ」

「い、今の魔法で弱い方なんですか…。レフィーヤさんって本当に凄いんですねっ!」

「ま、まぁ、このくらい普通ですよ」

 目をキラキラさせてレフィーヤのことを誉めるベル。

 その純粋な称賛にレフィーヤは思わずむず痒くなり、頬を少し赤く染めて答えるのであった。

 そんなベルとレフィーヤのやり取りを横で眺めているアイズは、相変わらず無表情であったが、内心はいつもより燃えていたのである。

 というのも、今まで(といってもまだ一日だが)自分に向けていてくれた笑顔を他人に向けていたからだ。本当に珍しいことだが、アイズの心に独占欲が芽生えてきたのである。

 

(…ベルは私の弟なのに、このままじゃレフィーヤに取られちゃう。そんなの、絶対に嫌だ…)

 レフィーヤの魔法の実演が無事終了し、次はアイズの番となった。

 

 ベルの姉としての威厳を取り戻すためにも、いつもより気合いが入ったアイズは魔法の準備に入る。

「…それじゃあ、次は私がやるね。危ないから私から少し離れてて」

「は、はい!」

「この位置まで下がれば大丈夫でしょうか、アイズさん?」

「…うん、そこなら大丈夫。それじゃあ、始めるね」

 魔法を発動しようとするアイズのことを、真剣に見つめていたベル。

 そのとき、ビキリッと得体の知れない嫌な音が聞こえてきたのであった。

(な、何だろう、今の音は…?)

 ベルが不思議に思い辺りを見回すと、ビキリ、ビキリッと迷宮の壁の一部から何かが割れるような音が鳴り続け、その音は徐々に大きくなってくのであった。

  

「こ、これってっ!?」

「そういえば、ダンジョンに潜るのは今回が初めてでしたね。これからダンジョンに潜り続けるのなら、嫌でも経験する瞬間ですよ」

「あの、レフィーヤさん。今、一体何が起こっているのですか…?」

「そうですね…。ダンジョンのモンスターが一体どうやって産まれてくるのか、ベルは疑問に思ったことはありませんか?」

 不吉な現象にベルが驚いている横で、もう何度もこの現象を経験しているレフィーヤは落ち着いたまま、ベルに問い掛ける。

「え、それは確かに不思議に思ったことはありますけど。…ま、まさか、この現象がっ!?」

「そうです。この現象がその答えです」

 レフィーヤが言い終わった瞬間、ベルたちの視線の先で、唐突にダンジョンの壁が破れ始める!

(これはっ…!?)

 ベルが目を見開いてその光景を見守る。そして生じた亀裂から、複数のモンスターが現れるのであった。

「壁の亀裂からモンスターッ!?」

「私も初めてこの光景を見たときは、ベルほどではありませんでしたが驚きましたね。…そうです、このダンジョン全体がモンスターの母胎であり、ダンジョンの中であるのならどこでもモンスターは生まれるのです」

 レフィーヤの言葉に続いて、アイズが発言する。

「…そして、ダンジョンは非常に狡猾。ベル、後ろを見てみて」

「えっ?」

 アイズの言葉に従い後ろを振り向いたベルが見たものは、ビキリッと音を鳴らして、先程と同じようにダンジョンからモンスターが産まれ落ちるところだった。

「同時に、しかも前方と後方に偶然、モンスターが出現するなんて…」

「…偶然じゃないよ。挟み撃ちは、ダンジョンだとよくあることだから、覚えといてね」

「は、はい、わかりました!」

「…それじゃあ、そろそろ始めるね」

 前方にいる敵を見据え、アイズは『魔法』を唱え始める。

「【目覚めよ】」

 レフィーヤの長文詠唱とは異なり、超短文詠唱を紡ぐアイズ。

「【エアリアル】」

 魔法名を唱えた瞬間、アイズの魔法は発動した。

 その魔法――【エアリアル】により、アイズの体を包み込むように風が現れる。

(アイズさんの周りに風が生まれた…?)

 僕でも視認できるほどの大気の流れにより、アイズさんの綺麗な金の髪が波打つ。 そんなアイズさんの姿を見ていると、何故だろう…英雄譚に出てくる存在と重なって見えた。

 

(これがアイズさんの魔法…。まるで、風の精霊が具現化したみたいだ…)

 

 僕の視線の先で、風を身に纏ったアイズさんは静かに剣を抜いた。

 そして風が揺らめいた瞬間、アイズさんの姿はかき消えていた(、、、、、、、、、、、、、、、)

(え、消えたっ!?)

「ベル、前方のモンスターを見てください!」

「ッ!?」

 僕がレフィーヤの言葉にしたがって前方を見たときにはアイズさんは全てのモンスターを倒し切ったところであった。

(は、速すぎるっ!?まさか一瞬であそこまで移動して全て倒したってこと…?)

 アイズがやったことは簡単だ。

 地面を蹴ってモンスターに突っ込み、そのまま一刀で切り伏せただけである。

 ただしアイズはその一連の動作をベルが視認できないほどのスピードで行ったのである。

 そして、前方の敵を全て倒したアイズは残るモンスターの方へと振り向き、またしてもベルの視界からかき消えるのであった。

(くっ!?やっぱり速すぎて、目が追い付かないっ!?)

 慌ててアイズの姿を追うベルであったが、すでに決着はついていた。 モンスターは全滅しており、アイズは剣を鞘にしまっているところであったのだ。

「う、嘘っ!?あんな一瞬で倒すなんてっ…!?」

 アイズさんの強さは模擬戦を通してわかっているつもりだった。

 そう、つもりだったのだ。

 アイズさんの実力は、僕の想像を遥かに越えていた。 確かにレフィーヤさんの魔法も凄かったけれど、アイズさんの魔法はそれ以上だった。

「今のがアイズさんの付与魔法【エアリアル】です。風を纏わせることにより、速度を上げたり、攻撃を補助したり、自分を守る盾になったりするので、まさに万能魔法とも言っても過言ではありません…」

 レフィーヤが魔法の説明をしている横で、ベルは先程の剣姫(アイズ)の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 風を身に纏わせたアイズさんは、まるで英雄譚で語られる風の精霊のように思えた。

そんなアイズさんの神秘的な姿を見て、僕は心の底から憧れを抱いた。

 だが同時に、どこか彼女と自分は違う存在だと思ってしまっている自分がいた。彼女の実力を目の当たりにして、思わず自分と比べてしまう。

 自分と彼女の、決して埋まることはないほどの実力の差に、僕の決意が鈍ってくる。

(僕は前にどこかで誓ったはずだ。アイズさんに追いつきたい、一緒に戦いたい、そしていつか彼女を守りたいと。だけど、そんなの不可能だったんだっ!弱い僕なんかがいくら頑張っても、アイズさんに追い付ける訳がないに決まってるんだ…。決まっているはずなのに…)

 ベルの顔がくしゃっと歪み、手のひらから血がにじみ出るほどに拳を強く握りしめる。

 

(―――どうして僕は諦めきれないんだっ!?)

 頭ではその夢が実現することはないとわかっているのに、どうしても願ってしまう。

 叶うはずのないその願いを実現するために、ベルは純粋に力を望んだ。

 ベルが望んだ力―――それはレフィーヤが放った、空を駆ける一条の『光』。

 ベルが望んだ力―――それはアイズが身に纏った、どんな敵をも薙ぎ払う神速の『風』。

 ベルが望んだ力―――それは彼女たちが持っている『魔法』という絶対的な力。

 心から『魔法』を渇望するベルの鼓動に共鳴するかのように、ベルが身に付けている白い玉が光り始める。

 その瞬間、時が止まった――――。

 




11月中は時間が取れないため、更新は遅くなります。誠に申し訳ありません。


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ベルと魔法と新スキル

 ベルが心から『魔法』を欲した瞬間、白い玉が光り出した。その光は徐々に強くなり、ベルたちがいるルーム全体を覆う。

 そして次の瞬間には全ての時が停止しているのであった。

 

(アイズさんやレフィーヤさんの動きが止まっている…?いや、これは時が止まっているのか!?)

 

 自分以外の時間の流れが止まる現象に驚きを隠せないベル。

 

(お、落ち着け、僕…。ダンジョンでは常に冷静でいることってアイズさんに教わっただろう!?きっとアイズさんならこういうとき、冷静に原因が何であるのか分析しているはずだ)

 

 ベルはアイズの教えを思い出し、心を落ち着かせることに集中する。アイズとの訓練成果は戦闘面だけでなく、精神面でも発揮されるのであった。

 

(たぶんだけど、この白い玉が関係しているのは間違いないはず。でも、これと似たような現象を、つい最近経験したような…?)

 

 自分の首に掛かる白い玉を見つめながら考え込んでいたベルの頭に、突然声が響く。

『―――どうやら貴方にとっての魔法がなんであるのか、わかったようですね』

  

(この声、どこかで…)

 

 聞こえてきたのは冷静で、無機質で、どこか人間離れした神秘的な声。 そして最近どこかで、聞いたことがあるような女性の声であった。

「僕にとっての魔法…?」

『貴方の思い浮かべる魔法は、弱い自分を奮い立たせ、どんな困難も打ち破って道を切り開く、そう…まさに英雄のような力』

 彼女は、まるで僕の心を覗いているかのように僕にとっての魔法を言い当てる。

『彼女たちの魔法を見て、貴方は何を思いましたか?』

 ―――僕は、彼女たちの魔法を見て何を想像した…?

 その声に導かれるように、脳裏に焼き付いている先程の光景を思い出す。

 

 レフィーヤさんが放った、空を駆ける一条の『光』―――そう、求めるのは敵を一撃で打ち倒す強き光。

 アイズさんが身に纏った、どんな敵をも薙ぎ払う神速の『風』―――そう、求めるのは一瞬で敵を切り裂く速き風。

 

 ―――そう、僕が望んだ魔法はその両方の力を兼ね備えた、無限の可能性を秘める『魔法』。

『――それが、貴方にとっての魔法なんですね』

「――はい。これが、僕が心から望み…願った魔法です」

『わかりました。それでは貴方の願い、この―――が叶えましょう』

 何故だかわからないが、彼女の名前を聞き取ることができなかった。

「ご、ごめんなさい。もう一度だけ名前を言ってくれませんか?」

『…すみません、どうやら現段階では私の真名をお伝することができないみたいです』

 

「???」

 

『わかりやすく言い換えれば、今の私という存在に名前はありません。…そうですね、もしよろしければ貴方が私に名前を付けてくれませんか?』

 

「ええぇっ!?ぼ、僕なんかが名前を決めてもいいんですか…?」

 

『はい。貴方だからこそ、私の新たな名を決めてほしいのです。それに重要なのは、貴方が私という存在に名前を授けたという事実ですからね』

 

「…?よ、よく意味がわからないんですけど、名前を考えてみますね」

 

『ありがとうございます。それと、私相手には敬語ではなく気軽な話し方で大丈夫ですよ』

 

「わ、わかりました…じゃなくて、わかったよ」

 

(誰かに名前をつけるなんて始めての経験だから緊張する…。しかも声だけしかわからない相手の名前を考えるなんて…うーん、どうしよう…)

 

 どうやら声の主は女性のようであるので、女性の名前を考える。

 昔読んだことがある物語の登場人物――その女性の名前から付けようかなと思い始めたとき、ふとある名前が脳裏に浮かんだ。

 

「――“リィン”、何てどうかな?」

 

どうしてかわからないけれど、その名前は彼女にピッタリだと感じたのだ。

 

『――“リィン”、ですか』

 

「うん、君の声を聞いていたら“リィン”という名前が思い付いたんだ。…やっぱり、気に入らなかったかな?」

『…いえ、むしろその逆です。“リィン”という素晴らしき名を授けていただいたことに対して、喜びを噛み締めているところです』

 

「えっと、それはいくら何でも大袈裟じゃ…」

 

『大袈裟ではありません。“リィン”―――これほどまでに私という存在に相応しい名前はありませんね。さすがは我がマスターです』

 

「そこまで喜んでくれたのならよかったよ。…ところで、マスターって誰のこと?」

 

『もちろん、貴方に決まってますよ、マスター』

 

「えっと、何で僕の呼び方がマスターなの…?」

 

『ベル様とお呼びするのも他人行儀の気がしましたので、親しみを込めてマスターと呼ぶことにしました』

 

(な、何でマスターと呼ぶのが親しい呼び方なんだろう…)

 

『それと今の名付けにより、私とマスターの間で魔力のラインが確立されました。これにより、いつでもマスターと会話できるはずです。それでは、新たに発現した魔法が活躍する機会を楽しみにしていますね。また会いましょう、マスター』

「ま、待って、リィン!魔力のラインってどういう意…」

言葉の途中で、止まっていた時間が動き始める。

 

「…味なの!?」

 

「えっ、いきなり叫んでどうしたんですか、ベル?」

 

「…ベル、どうしたの?」

 

「あ、あれ?レフィーヤさんにアイズさん…?」

 

「何を不思議そうな顔しているのですか。不思議に思っているの突然叫ばれた私たちの方ですよ。一体どうしたというのですか」

 

「…ベル、何かあったのなら遠慮なく言ってくれて大丈夫だよ」

 

「えっと、それが…(あ、あれ?どうして僕はあんな言葉を叫んだんだっけ?確か、誰かと話していたような…)」

 

 アイズたちに理由を説明しようとしたが、その理由が思い出せずに言葉が途切れてしまったベル。

 そんなベルのことを不思議そうに見つめるアイズとレフィーヤであった。

 

 

*****

 ダンジョンでの魔法の実演も無事終わり、アイズたちはホームへと帰っている途中であった。

 夕方ということがあり、昼間よりも人通りが多くなって来た道を歩きながら、今後の予定について話をしていた。

「アイズさんは明日もまた、ベルの指導をなさるのですか?」

 

「…うん。一週間後の遠征までは、一日中指導するつもり」

 

「えっ、一週間ずっとベルに付きっきりですかっ!?」

 

「…ダメ、かな?」

 

「い、いえ!ダメという訳ではありませんが、その…ベルに付きっきりだとダンジョンに潜れませんよ?」

 

「…うん、それはわかっているつもり。だけど今はベルの指導に集中したいの」

 

「そ、そうなんですか…」

 戦闘一筋なアイズが、ダンジョンに潜ることよりもベルを優先したことに驚きを隠せないレフィーヤ。

 最近――つまりベルが来てからアイズは以前とは異なる行動をとることが多くなった。

 以前のアイズは、フィンたちに何度注意されても一人でダンジョンに潜ることを止めず、ロキを含め多くの仲間たちを心配させていたのである。

 その貪欲なまでに強さを求める姿を見た仲間が、アイズとの距離を一線引いてしまうのも仕方ない話なのかもしれない。

 余談であるが、アイズが単独でダンジョンの深層に挑んだと聞いたときの仲間たちの反応だが、フィンは真剣な顔で忠告し、リヴェリアは表情を苦くしながら説教をし、ガレスはアイズが無事ならいいじゃないかと笑い飛ばすことが多い。またティオネは、次潜るときは私にも声を掛けてねと優しく微笑みながら伝え、ティオナは寂しい表情を見せながらもアイズの無事を素直に喜び、すぐに笑顔になることが多いのであった。

 アイズ自身、仲間たちが自分のことを心配していると自覚している。それでも、自身の悲願を叶えるために単身でダンジョンに潜ることを止めなかった。

 以上の話からもわかるように、アイズが一週間もダンジョンを後回しにすることは珍しいどころの話ではないのだ。

 そんな今までのアイズからでは想像もできない行動に、思わずレフィーヤはその理由を尋ねよう…としたが直前で思い止まった。

「…?どうしたの、レフィーヤ…?」

 

「…いえ、何でもありません」

 

 結局レフィーヤはアイズに理由を尋ねることはなかった。なぜなら、理由を聞くまでもなく原因は明らかであったからである。

 レフィーヤは自分の斜め後ろを歩いているアイズを変えた原因――ベルの顔をちらっと見る。 

 

(本当に悔しいですが、貴方がアイズさんを変えたのを、認めざるを得ませんね)

 入団したばかりのベルがアイズに何かしらの影響を与えたのはレフィーヤの目から見ても確かなことである。

 その事実を悔しく思っていないといったら嘘になる。

 何せレフィーヤはベルよりもずっと長くアイズと一緒にいたのにできなかったことを、ベルは短い時間で達成したのだ。それでも根が優しいレフィーヤは、アイズにとって良い変化を素直に喜ぶことにしたのである。

 

 一方アイズはというと、レフィーヤと会話をしながら自分の斜め後ろを歩いているベルの表情を何度も盗み見ていた。

 というのも、ダンジョンでのベルの行動――具体的にはダンジョンで自分の魔法を披露した後に、突然ベルが叫んだことをずっと気になっていたのだ。

(あのときのベル、どこか様子がおかしかった…)

 ベルがそうなった原因を見つけるために、直前の自分の行動を思い返す。

 確か自分は、魔法を発現する手助けになればと思いからベルに自分の魔法――【エアリアル】を見せた。

 …ちなみに、ベルに魔法を絶賛されたレフィーヤへの対抗心からいつもより燃えていたのは二人には内緒である。

 その後【エアリアル】で移動速度を上げて敵を一刀両断で倒した。ベルはレフィーヤのとき同様に興奮気味に驚いていたが、どこか落ち込んでいたように見えた。そして次の瞬間には何か叫んでいたのであったはずだ。

(ということは、私が原因ってことだよね?ど、どうしよう…)

 自分が原因だったという事実に焦り始めたアイズは、少し挙動不審気味にベルに話しかける。

「…と、ところで、ベル。何か、その…私に伝えたいことはあったりする?」

 

「…?い、いえ、特にありませんけど…」

 

「そ、そう…」

 

「……?」

 

「まさかベル、アイズさんに何かしたのですか!?」

 

「えっ!?もしかして僕、無意識に失礼なことをしてましたか…?」

 

「…ううん、ベルは何も悪くないよ。悪いのは私だから…」

 

「「……?」」

 アイズの言葉の意味がわからず、思わず首を傾げるベルとレフィーヤ。

 アイズは何かベルに悪いことをしてしまったのではないかと尋ねようしたが、質問が遠回しすぎて通じなかった。

 これというのも、アイズは自分の気持ちを言葉で表現するのは苦手であったからである。また、今まで必要最低限な会話しか行っていなかったのも原因の一つであろう。

(何がいけなかったんだろう…?ベルの姉として、私なりに頑張ったつもりだったのに…。魔法だって、ベルのために全力で披露したのに…。うぅ…)

 

 自分のせいだと思い悩んでいるが、それはアイズの勘違いであった。

 しかし、ベル自身もどうして叫び声をあげたのか忘れてしまったため、そのとき叫び声を上げた真の理由が明らかになるのは、もう少し先のことである。

 そんなことをしている内に、アイズたちはホームへと帰って来たのであった。

 

 

 

*****

 

 

 ベルの自室にて。

 ロキはダンジョン帰りのベルを捕まえて、【ステイタス】を更新している真っ最中であった。

「よし、これで【ステイタス】の更新完了や!」

「ありがとうございます、ロキ様」

「さてと、ベルの【ステイタス】は…(何やこれはッ!?)」

「ロキ様、どうかしたんですか…?」

 ロキの言葉が途中で途切れたことを不思議に思うベル。

 そのロキはというと、ベルの更新した【ステイタス】を見て、途方もないくらいの衝撃を受けていたのである。

 ロキの瞳に映るのは、神の自分でさえも異常だと感じる、ベルの【ステイタス】であった。

*************************************

 

 

ベル・クラネル

  Lv.1

 力: I0 → F355  耐久: I0 → F396  器用: I0 → F378  敏捷: I0 → E437  魔力: I0 → H100

 《魔法》【ウインドボルト】

     ・速攻魔法

 《スキル》【英雄熱望(ヒーロー・ハート)

     ・早熟する

     ・英雄を目指し続ける限り効果持続

     ・英雄の憧憬を燃やすことにより効果向上

     

      【命姫加護(リィン・ブレス)

     ・魔法が発現しやすくなる

     ・『魔力』のアビリティ強化

     ・運命に干渉し、加護の保持者に絶対試練を与える

     ・試練を乗り越えるごとに、加護の効果向上

 

 

*************************************

 

 ロキは自分が与えた『恩恵』が示すあまりにも早い成長過程を、戦慄の眼差しで受け止めていた。

 

 たった一日の訓練で、全アビリティ熟練度上昇値トータル1600オーバー!?

 しかも、昨日まではなかったはずの『魔法』と『スキル』も発現している。

 何もかも早過ぎる。熟練度の伸びも、魔法の発現も。

 そして、何より―――。

 

(この【命姫加護(リィン・ブレス)】っていうスキル、まさか…)

 

 加護というのはつまり、精霊が与える『恩恵』である。だが、普通の精霊では【ステイタス】に反映される程の『恩恵』はないはずだ。

 ということはつまり、ベルに加護を授けたその精霊は最低でも上級精霊に分類されると推測できる。

 そして、『命姫』という名前から想像できる精霊―――。

 ―――『命』とは運命。

 ―――『姫』とは最上級に値する力。

 ベルの新スキル【命姫加護(リィン・ブレス)】とはつまり、

 

(―――運命を司る最上級精霊の加護、ということか)

 

 今回ベルの魔法が発現したのは、この加護によるものであろう。

 また別の効果として『魔力』のアビリティ強化が記されていた。これにより魔法をまだ使っていないのにベルの『魔力』の熟練度が上昇したのだろうと。

 

 そしてこの加護が授けられた原因として考えられるのは、ベルが首に掛けている白い玉であろうと推測する。

 その白い玉からは微弱ながらも力が発せられている。

 ロキにはその神々しい力には見覚えがあった。

 

(この玉から発せられる魔力―――どうして微弱しか魔力を感じないのか解らんが、精霊に間違いあれへん。しかし“リィン”という名の最上級精霊なんてうちが知る限り居なかったはずや。それにこの精霊…ほとんど力を失っているみたいやし、これはまた厄介事になりそうな予感がビンビンするな…)

 

「なぁベル、その玉はどこで手に入れたんや?」

 

「これですか?それが僕にもよくわからなくて…。おかしな話ですが、気付いていたら手に持っていたんです。レフィーヤさんに尋ねたら、今朝から身に付けていたはずだと言われたのですが、どうも納得できなくて…」

 

「…ベル、レフィーヤは確かに今朝から身に付けていたと言ってたんやな?」

 

「は、はい。実はアイズさんにも聞いてみたところ、今朝からかどうかは記憶に自信がないとおっしゃっていました。後、小声でしたがこの玉を見て懐かしいと呟いていたような…」

 

「そうか、あのアイズが懐かしい(、、、、) と言ったんか…」

 

「あ、あの、ロキ様…?」

 

 アイズのことも気になるが、今はベルのことが優先だ。

 特に今回ベルが発現した魔法『ウインドボルト』には気になる点が多い。

 

「んん、なんでもないで!それより聞いて驚け、ベル!念願の魔法が発現したで~」

 

「えっ!?本当ですかロキっ様!?」

 

「マジやマジ。ほれ、見てみぃ」

 

 喜びを隠せない様子のベルに、ロキは【ステイタス】が記された用紙を手渡した。

 ただし、ベルが新しく発現したスキル【命運加護】は【英雄熱望】と同じく用紙には書かず、『魔力』も更新前の数値を書いて、ベル本人には今のところ隠すことにしたのであった。

 

 

 

 

 

 

**************************************

 

 

ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I0→F355 耐久:I0→F396 器用:I0→F378 敏捷:I0→E437 魔力:I0

 

 《魔法》【ウインドボルト】

     ・速攻魔法

 

 《スキル》【】

 

 

**************************************

 

 

「…やった、本当に魔法が発現してる!!」

 

 ロキ様から手渡された用紙を見て、思わず僕は歓喜の声を上げてしまった。自分の顔を見なくても口元がにやけているのがわかる。

 

「ロキ様っ!僕、魔法が使えるようになりました…!」

 

「うんうん、ホントによかったなぁ~ベル」

 

 手放しで喜んでいる僕のことを、ロキ様は温かい目で見つめていた。

 

「さて、早速この魔法について考察しよか!ちょっと気になることもあるしな」

 

「気になることですか…?」

 

 僕は昂ぶっている気持ちを落ち着かせるために、深呼吸して冷静になるよう努めた。

 

「長い話になるからかいつまんで話すんやけど、魔法っていうのはどれも『詠唱』が必要なんや」

 

 ロキ様の説明を聞いて、僕はアイズさんとレフィーヤから教わった『魔法』について思い返した。

 

「確か『詠唱』を経てから魔法が発動するんですよね?」

 

「そうや。そしてその詠唱文は通常、魔法が発現したときに【ステイタス】の魔法スロットに表示されるんや」

 

「えっ…でもこの用紙には『詠唱』が記載されていないんですけど…」

 

「うちが気になっているのはその点や。そして、スロットに補足されているこの『速攻魔法』っていう情報から推測するに…ベルの魔法は『詠唱』が必要ないのかもしれないなぁ」

 

「え、『詠唱』がいらないって…そんなことあるんですか?」

  

「いいや、神のうちでさえ初めて見る現象やな。…でもな、ベル。この下界には無限の可能性が存在するんや」

 

「無限の可能性ですか…?」

 

「そうや。まぁそれは今置いとくとして、ベルのこの魔法なんやけど『速攻魔法』という文面から察するに【ウインドボルト】と唱えるだけで魔法が発動すると思うんや」

 

「じゃあ、この【ウインドボ――むぐっ!?」

 

「うちの話を聞いていたか、ベル?今自分が【ウインドボルト】と言っただけで魔法が発動することになるかもしれないのやぞ」

 

 ロキ様の言葉を聞いて、僕の顔は真っ青になる。室内で魔法を展開していたら、僕たちのホームは粉々に吹き飛んだかもしれなかったのだ。

 念願の魔法が発現したことに浮かれ過ぎて、あまりにも迂闊であった。

 

「そ、そうでした…。すみません、ロキ様」

 

「まぁ結局うちの推測だからまだわからんけどな。…それにしても、ベルはまだその魔法を使っていないのやな」

 

「は、はい、そうですけど…?」

 

(やはり、ベルの魔力が上がっていた【命姫加護(リィン・ブレス)】の効果で間違いなしやな)

 

「まぁ明日、ダンジョンで試し撃ちでもしてきたらどうや?それで自分の魔法の正体も白黒はっきりする筈やで」

 

「そうですね!あっ、でも…」

 

「んん?どうしたんや?」

 

「実は僕、アイズさんたちから許可をもらえないとダンジョンに潜れないんです…」

 

「ふふふ、安心せい、ベル。そのときの自分らの会話、上からばっちり聞いていたからベルの事情は把握済みや。うちからアイズに事情を伝えておくから今日と同じように一緒に潜ってくれるはずや。アイズが傍にいればどんな不測の事態が起きても大丈夫やし、思う存分魔法を試せるで~」

 

「本当ですか!ありがとうございます、ロキ様!!」

 

「ええよええよ。さて、もうそろそろ夕食の時間やし、うちらも食堂に向かうとするか」

 

「はい、ロキ様!」

  

 こうして【ステイタス】を更新した僕は、ロキ様と共に食堂へと向かうのであった。

 

 



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ウインドボルト

 以前にもフィンがベルに告げた通り、朝夕の食べ始めは全団員(もちろん、ダンジョンに潜っている者や見回りの者たちはその限りではない)が揃ってから行う。

 ベルにとっては初めての夕餉ということもあり、先輩たちからひっきりなしに話し掛けられ、ときには酒を勧められたりした(ただし、リヴェリアがまだベルには早いという理由で全て断った)。

 

 そんな慌ただしい夕餉を取り終わった後。

 大食堂から自室に戻って来たベルは、食後のせいか、あるいは今日一日の疲れが出たのか、一気に眠気が押し寄せてきた。

 

(な、何だか凄く眠い…。でも、まだ眠るには時間が早いな。どうしよう…)

 

 眠気に耐えようと頑張っていたベルであったが、結局食後の眠気に逆らえず、無意識にベッドで横になってしまう。そして、たった数分で完全に寝息を立てるのであった。

 

 

 ――――草木も眠る丑三つ時、多くの人が夢の中にいる時間帯にベルは目を覚ました。

 

(…ん、いつのまにか寝ちゃっていたみたい。今何時頃だろう…?)

 

 備え付けの時計に目を向けると、時間は二時を越えているのであった。

 

「やばっ、もうこんな時間ッ!?ど、どうしよう…?」

 

 寝過ぎたせいか完全に目が覚めてしまったベル。

 朝までどうするべきか腕を組んで思案するベルの頭に浮かんだのは、更新した自分の【ステイタス】についてだった。

 

(そうだ、僕は念願の魔法を手に入れたんだ。確か魔法名は【ウインドボルト】…。でも、具体的にどんな魔法なのかは名前しかわかってないんだよね)

 

 ベルの思考はいけない方向へと流れていく。

 

(本当は今すぐ使ってみたいけど、ロキ様はアイズさんたちを同伴にしてダンジョンで試すように言われたんだよな…。で、でも、今ならロキ様たちも眠っているはずだし、こっそり向かえば問題ないよね?一階層くらいなら今の僕でも大丈夫そうだったし…。よし、そうと決まれば!)

 

 アイズたちに買ってもらったばかりの武具を身に付け、ベルは音を立てずに部屋から出る。

 

(すみません…ロキ様、アイズさん。少しだけ、本当に少しだけ魔法を試すだけなので許してください!)

 

 心の中で二人に謝りながら、出来るだけ気配を消してダンジョンへと足早に向かうのであった。

 

 

 

*****

 

 

 

 あれから誰にも見付からずにホームを抜け出したベルは、バベルまで無事に辿り着いたのであった。

 バベルに入り真っ直ぐ地下へ。取り付けられている螺旋階段を足早に下っていき、大穴の中心に飛び込む。

 こうして僕は、ダンジョン一階層に降り立った。

 やっぱりロキ様の言いつけを破ったことに罪悪感はあったが、それでも魔法という魅力には勝てなかった僕は、そのまま二度目のダンジョンへと足を踏み入れるのであった。

 

 昼間では冒険者が数多く出入りするこの場所も、夜になるとその数はめっきりと減る。

 

(やっぱりこの時間帯だと潜っている人も少ないのかな?これなら誰にも会わずに魔法を試して帰れるかも…)

 

 そのまま薄暗い通路を真っ直ぐ歩いていくと、前方に生き物の気配を感じた。

 目を凝らして見ると、小汚ない格好をしたゴブリンが二体いるのが確認できる。

 どうやらそのゴブリンたちは後ろを向いているため、ベルの存在にまだ気づいていないようであった。

 

(ゴブリンが二体か。的の大きさとしては十分だけど、距離が遠い…)

 

 敵との距離は約五十メートル。

 初めての魔法を使用するベルにとっては厳しい距離であった。

 

(ここは確実に当てるために、もう少し近づいた方がいいかな?でも、近づき過ぎて敵に気付かれるのも避けたいし…)

 

 距離を詰めるか迷う僕の脳裏に、昨日見たレフィーヤさんの魔法が浮かび上がった。

 

(レフィーヤさんの放った魔法――『光の矢』はこれより離れた距離だったのに急所に命中していた。初心者の僕なんかがベテランのレフィーヤさんに挑むなんて、おこがましいのは理解している。だけど、自分の魔法の可能性に挑戦してみたい…ッ!)

 

 心の中でそう結論を出したベルは、五十メートルも離れているゴブリンの一匹に狙いをつけ、右手を突き出す。

 

(思い出せ…レフィーヤさんが放った『光の矢』が敵の頭を貫いた光景を。イメージしろ…僕の魔法が敵の頭を撃ち抜く光景をッ!!)

 

 そして思いっきり息を吸い込み、咆哮する。

 

「―――【ウインドボルト】!!」

 

 魔法名を唱えた瞬間、構えた右手から金色に輝いた風(、、、、、、、)が発射された。

 その風は高密度に凝集しており、空間を駆け抜けるそのエネルギーの奔流はまるでレーザーのようであった。

 恐るべきエネルギーを秘めた金色の風は一瞬でゴブリンの頭を貫いた。いや、貫いたというよりも切り裂いていったと言った方が正しいだろうか。

 

『……ァ…』

『グギャアッ!?』

 

 無事だった方のゴブリンは、先程まで健在だった相方がいきなり倒されたことに驚いているようである。

 そして見事ゴブリンに魔法を命中させたベルはというと、その結果に目を見開いて驚愕したのであった。

 

(こ、これが僕の魔法…)

 

 呆然と立ちつくしたベルは、まじまじと手の平を見つめる。

 

 しかし、ベルが驚愕するのも当然であろう。何せ想像以上に、魔法の性能が高かったのだから。

 五十メートルの距離を一瞬で駆け抜ける速度に、一撃で敵を倒せる威力、そしてイメージした通りに命中する正確さ。

 相手がゴブリンであったため威力が高く見えただけかもしれないが、それでも詠唱は不必要だというのだから、これほど有能すぎる魔法はないだろう。

 

(やった、ついに僕は魔法を手に入れたんだっ!これで少しはアイズさんに近づけたはず…!)

 

 今の戦闘で自分の魔法の性能を分析したベルは、念願の魔法がこれ以上ないほどの強さだったことに気付き、もの凄く興奮したのであった。

 

 だがしかし、忘れてはいけないことが一つある。

 それはベルの魔法で倒したゴブリンは一体だけであり、もう一体は健在ということだ。

 

『グギャアアッ!!』

 

 突然の仲間の死に混乱していたゴブリンであったが、やっとベルの存在に気が付いたようである。

 すぐにベルが仲間を倒した敵だと理解したゴブリンは怒りの声を上げ、ベルに向かって駆け出した。

 

「…やばっ、もう一体いたのを忘れてた!?う、【ウインドボルト】ッ!」

 

 自分に向かって突撃してくるゴブリンに焦り、急いで右手を突きだし魔法を唱える。

 再びベルの右手から【ウインドボルト】が発射されたが、先程とは違いゴブリンの右腕を軽く切り裂いただけであった。

 

『グギャアアアッ!!』

 

「嘘、頭を狙ったつもりだったのに!?」

 

 焦っていたせいで狙い通りに命中せず、ベルが放った魔法はずれてしまったのである。

 そしてベルの攻撃によってさらに怒りが増したゴブリンは、よりいっそう雄叫びを上げてスピードを上げるのであった。

 

「【ウインドボルト】!【ウインドボルト】!!【ウインドボルト】ッ!!」

 

 ベルは先程よりも自分に近づいて来るゴブリンに本能的に恐怖を感じ、がむしゃらにに魔法を連射する。

 放たれた三発の魔法――最初の一発は大きくはずれ、次の一発で敵の左腕を切り裂き、最後の一発で胴体を撃ち抜いたのであった。

 

『グ、グガアァァ…』

 

 左腕が消滅し、胴体に穴を空けられたゴブリンは悲痛の叫びを上げながら倒れ、そのまま消滅するのであった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…やったんだよね?」

 

 ゴブリンの消滅を確認した僕は、その場に座り込んで大きく息を吐いた。

 

「ゴブリン相手に焦って魔法を乱射するなんて、どんだけマヌケなんだよ僕は…」

 

 あまりの醜態に顔を真っ赤にして恥ずかしがるベル。

 不幸中の幸いは今の戦闘を誰にも見られていなかったことだろう。

 

(ダンジョンでは常に冷静でいることってアイズさんに教わったばかりなのに、何をやっているんだ、僕は!?…よし!僕にだって男として意地がある。今度こそ冒険者らしい戦闘をするぞッ!)

 

 初めてモンスターを倒し、いつもよりもテンションが高くなった僕は、新たな得物を求めてダンジョンの奥へと進んで行くのであった。

 

 

 

「【ウインドボルト】!」

 

『グァアアアアア!?』

 

「【ウインドボルト】!【ウインドボルト】ッ!」

 

『グァアアアアア!?』『グァアアアアア!?』

 

 敵と遭遇したらすぐに魔法を放つ。倒したのを確認したら新たな敵を探して駆け回る。そしてまた敵と遭遇したらすぐに魔法を放つ。倒したら新たな敵を探して再び駆け回る。

 ひたすらこれの繰り返しであった。

 

 そしてゴブリン二十匹目。

 

「【ウインドボルト】!【ウインドボルト】!!よし、これで終わりだ、【ウインドボルト】ッ!!」

 

『グァアア!?』『グァアアアア!?』『グァアアアアアッ!?』

 

「はぁ、はぁ…やったっ!三体を同時に相手にして完勝できた!!」

 

 ベルはゴブリンとの戦闘を何度もこなしていくうちに、イメージ通りに魔法を放つことができるようになり、命中率は格段と上がったのである。

 最終的にはゴブリン三体なら、たったの数秒で倒せるほどになった。

 

(魔法も狙い通りに放てるようになって来たし、もうそろそろ帰ろうかな…?)

 

 ベルがそう考えた瞬間、突然それは訪れた。

 ぐらり、と視界が揺れる。

 

(あれ、何だか目眩が…)

 

 足がおぼつかなくなったベルは、思わず壁に手をついてしまう。

 

(これは、一体…)

 

 突如自分の身に起きた現象について、ベルはそれ以上考えることはできなかった。

 なぜなら次の瞬間には、ベルの意識は完全に消失し、ダンジョンの冷たい地面へと倒れ込んでしまったからである。

 

 ―――ベルの身に何が起こったのか?

 ―――答えは簡単。魔法初心者に陥りやすい現象、魔力の使い過ぎによる精神疲弊(マインドダウン)である。

 

 マインドダウン自体はけっこう知られている常識であったが、不運にも冒険者に成り立てのベルは知らなかったのである。

 本来であれば今日行われるアイズたちとの魔法訓練でマインドダウンの危険性について説明されるはずであった。

 しかしベルが待ちきれずに単独でダンジョンに潜り魔法を連発してしまったことで起きた悲劇であったのである。

 

 極度のマインドダウンに陥った者は例外なく気絶する。

 そしてダンジョン内で意識を失うということは、安全地帯での気絶を除いて死を意味する(、、、、、、)

 しかも今のベルには無防備な彼を守ってくれる仲間もいない。

 この絶好な機会を、ダンジョンは見逃すはずがない。

 

 ―――ピキピキ。

 気絶しているベルのすぐ近くの壁から不吉な音が鳴り響く。

 この音が意味すること、それは新たなモンスターが産まれ落ちるということだ。

 

『『『『『グギャアアアアアアアア!!!』』』』』

 

 雄叫びを上げ産まれたのは五体のゴブリン。そのゴブリンたちは自分たちの目の前に無防備な敵がいることにすぐに気が付いた。

 

『グギャッ!!』

 

 そして最もベルの近くにいた一体のゴブリンは、気絶している白兎(ベル)へと攻撃を仕掛けるそぶりをみせる。

 

 

『グギャアッ!!』

 

 そのゴブリンは雄叫びを上げ、意識がないベルに近づき、その無防備な脳天へと攻撃を繰り出そうと飛び掛かった!

 

 

 

 

 

 

 その光景を見ていた他のゴブリンたちは、確実に敵を仕留めたと思った。

 

 ―――だから、いきなりその仲間の姿がいなくなっているのを見ても、すぐにはその状況を理解できなかったのである。

 

『グギャ…?』

『グ、グギャ?』

『グギャアッ!?グギャッ!?』

『グギャア…ッ!?』

 

「――――邪魔だ雑魚共、さっさと消えろ」

『『『『グァアアアアアアアアアアアア!?』』』』

 

 そして彼らは最後まで理解できないまま、認識できないほどの速さで強烈な蹴りを喰らい、一瞬で消滅するのであった。

 

 窮地に陥っていたベルを救ったのは、剣姫と呼ばれる少女…ではなく、同じ【ロキ・ファミリア】に所属する狼人の戦士―――ベート・ローガであった。

 

「チッ、兎野郎のくせに世話をかけさせやがって」

 

 実はベート、この夜中に一人でダンジョンに潜っていたのである。

 いつも自己鍛練を欠かさないベートであったが、夜中に一人でダンジョンに挑むのは珍しいことであった。

 普段なら潜らない時間帯に今日に限って潜っていたベートは自分で課したノルマを終え、いざホームへと帰ろうと下層から一階層まで上っていたところ、ベルがゴブリンに襲われている場面に遭遇したのである。

 

 そして超高速で蹴りを放ちゴブリンどもを瞬殺したのであった。

 

 ちなみにベートがこんな時間にダンジョンに潜るほど燃えている理由だか、時間は今朝(もう昨日だが)に遡る。

 

 その日ベートは剣戟の音が気になって中庭を覗いてみたところ、何とアイズと初めて見るヒューマンのガキが打ち合っていたのだ。

 

 その光景にベートは思わず目を疑った。アイズがいつも朝早くから中庭で自己鍛練をしているのはもちろん知っていたが、今まで誰かと一緒に鍛練しいるのは稀であったはずだ。

 

(一体何があったんだ…?それにあのガキは誰だ?どうしてアイズと戦っている…?)

 

 ベートはいくつもの疑問を抱きながらも、しばらくその戦いを見守ることにした。

 

 どうやらヒューマンの少年は新人であるらしい、ということがアイズと実戦形式の訓練でわかった。新人と訓練するアイズのことを見て驚いたが、それよりも関心を引いたのはその新人の方だった。

 その新人の第一印象はオスのくせに体は細くていかにも弱そうで兎みたいなヤツ、であった。

 アイズの十分手加減した攻撃を防御し損ね、何度も吹き飛ばされる姿を見て、最初は失望と怒りが同時に沸き上がってきたものだ。

 

 あの他人に興味がないアイズが訓練をつける相手―――。

 どれ程の強者なんだと期待していたのに、蓋を開けてみればどう見てもただのド素人だったのである。

 

(クソ、何て無様な戦闘をしてやがる!どうしてアイズはこんな雑魚に構っているんだ…?)

 

 その疑問に対する答えは、意外とすぐにわかるのであった。

 アイズに攻撃をどれだけ喰らおうとも、諦めずに立ち上がる男の姿。

 そして徐々にだが、確かに感じる成長の兆し。

 

(あの雑魚、少しずつだが動きがよくなってやがる…。それにボロボロになっても闘うことを止めないその根性…ちっとはやるようだな、あの新人(、、))

 

 このときからベートはベルのことを雑魚とは呼ばなくなった。

 ベートにしては珍しいことだが、素直にベルの実力を認め始めたのだ。

 ただしベル本人にそのことを伝えることはないが。

  

 こうしてベルという新しい刺激によりベートはいつもより燃え上がり、夜遅くまでダンジョンに潜っていたのであった。

 

 そして帰路の途中でベルを助けたベートは、そのまま気絶しているベルのことを捨て置く訳にはいかず、ホームへと連れ帰ることにしたのであった。

 意識がないベルのことを軽々と肩に担ぎ上げたベートは、忌々しそうに独り呟く。

 

「てめえがどこで野垂れ死ようが俺の知ったことじゃねぇ。…だが、それでアイズを悲しませたら俺はてめえを一生許さねぇ。アイズの隣にいる限り、絶対に死ぬんじゃねぇぞ、兎野郎」

 

 そんな彼の呟きは、意識がないベルには届かない。

 しかしベートがそう呟いた瞬間、ベルが身に着けている白い玉がまるで感謝を示すように発光するのであった。

 

 

 

 今回ベルが無事で済んだのは本当に運がよかった。

 たまたまベートがこの時間にダンジョンに潜っていて。

 たまたまベルがゴブリンに殺されそうになったときに。

 たまたまタイミングよく通りかかったのだから。

 

 ―――この出来すぎた偶然には些か作為を感じるだろうが、現時点ではこれ以上考えても仕方ないことだろう。

 

 ただ一つ断言できることは、ベル・クラネルという冒険者がここで死ぬ運命ではなかったからこそ、こうして生き残れたということだ。

 

 ベル・クラネル―――。

 運命の加護の力をその身に宿す少年が、これからどのような冒険をしていくのかは誰にも…例え神や精霊であってもまったく予想できないことであった。

 

 

 

********************************

 

 

 

 ベルがベートに助けられるのを最後まで確認したリィンは安堵していた。

 

『ふぅ…。一時はどうなるかと思いましたが、私の力が無事に働いたようで安心しました。マスターの窮地を救ってくれたあの者には感謝しなくてはなりませんね。しかし…』

 

 ベルの無事を喜ぶリィンであったが、同時に気掛かりなことがあった。

 

『私とマスターの間にはラインが結ばれています。それによりいつでも会話が可能となったはずなのに、私の「これ以上魔法を使うと危険です」という呼び掛けは、マスターには全く聞こえていませんでした』

 

 無機質なリィンの声に、思わず感情が宿る。

 

『それに、マスターが私を忘れているままというのも本来ならあり得ないことです。これらは一体…?』

 

 リィンは原因を探るため、ベルの身体と精神状態を分析していく。そしてついに、気になる反応を発見するのであった。

 

『――マスターの心の奥底に宿るこの不思議な反応は…何らかのスキルでしょうか…?』

 

 そこから考えられるあらゆる可能性。その中から現段階で最も確立の高い、ある一つの可能性に辿り着く。

 

『――つまり、今のマスターは何らかのスキルが中途半端に発現して(、、、、、、、、、、、、、、、、、)おり、その影響で私とのラインにノイズが生じていた。その結果私のことを思い出せず、会話もできない状態になってしまった、ということでしょうか…?』

 

 

 ―――こうして物語は新たな段階へと進んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 この物語も今回の話で大きな区切りを迎えました。次回は時系列が進み、【ロキ・ファミリア】遠征当日からの話となる予定です。
 余談ですが【ウインドボルト】は【ファイアボルト】と比較すると、威力はやや低く、速度はより速い感じです。そして何より【ファイアボルト】にはない特性が存在します。それはまたいずれということで…。


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閑話 ベルとアイズの関係性

閑話なので短めです。



 【ロキ・ファミリア】遠征の前日。ホームの中庭にて。

 ベルとアイズの二人は日が暮れても、訓練を続けているのであった。

 

 【剣姫】と呼ばれている少女は間断なく攻撃し、同じファミリアの先輩達からは最近【白兎】と呼ばれ始めている少年は、その攻撃を必死になって防御していた。

 アイズが高速で振るう鞘を、ベルは両手に構えた短刀で受け流す。

 たまに防御を超えて一撃を喰らうこともあったが、反射的に後ろに跳んでダメージを軽減し、以前のように倒れることはなくなったのである。

 

 紅に染まる空の下、少年と少女の攻防が繰り広げられる。

 ベルに鞘を振るうアイズは、自分の攻撃を確実に防いでいくことに内心驚いていた。

 

(私の攻撃を上手く受け流している。まさか、こんな短期間でここまでの練度に仕上がるなんて…)

 

 以前のように、自分の攻撃を真正面から受け止めようとせず、横や斜めから短刀を打ち込んで方向をずらし、受け流している。

 アイズが教えてきた防御方法の一つ、受け流し。

 実戦で通用するのには最低でも三ヶ月はかかると思われた『技』を、ベルはたったの一週間でものにしたのだ。

 

(…ベル。君は本当にすごいね)

 

 鞘を振るいながら、アイズは思わず微笑んでしまった。

 

(まさか他人の成長をこんなに嬉しく思うなんて、一週間前の私では想像もできなかっただろうな…)

 

そんなことを考えながら、アイズは鞘を振るう速度を少し上げる。

 

「―――ッ!?」

 

 より苛烈になった攻撃に、ベルは両目を見開く。そしてよりいっそう真剣な顔つきへと変貌するのであった。

 その顔つきは、まぎれもなく冒険者の顔つきであった。

 

(ベル…こんな表情もできたんだ)

 

 ベルの新しい一面を知り、内心嬉しく感じるアイズ。

 そのとき、ほんの一瞬であるがアイズの攻撃に隙が生まれた。

 そしてこの一週間、ずっとアイズの攻撃を受け続けてきたベルはその一瞬を見逃さない。

 

「―――やぁッ!!」

 

 アイズの攻撃を強引に避けながら、ベルは初めて反撃した。

 ベルは鞘が頬を掠めるのを気にせず、ありったけの力を込めてアイズへと短刀を振るう。

 

「……!」

 

 一瞬の隙を突いたといっても、そこは第一級冒険者のアイズ。

 迫りくる刃を難なく鞘で弾いて防御するのであった。

 だが次の瞬間、アイズにとって予想だにしないことが起きた。

 アイズがベルの短刀を弾く瞬間、なんとベルは自分から短刀を手離した(、、、、、、、、、、、)のである。

 短刀は軽々と弾かれ、回転しながら宙に舞う。

 ベルは弾かれた短刀の行方を見向きもせず、振るう右腕の速度を落とさないままアイズの胸当てへと拳を打ち込むのであった。

 

 ゴン、と拳と防具が衝突した音が鳴る。

 Lv.5のアイズにとって今の攻撃によるダメージは皆無であった。

 それでも確かに、ベルの一撃はアイズに届いた。

 今この瞬間、ベルがアイズに一撃入れたのはまぎれもない事実であった。

 

 以前リヴェリアが、ベルがアイズに一撃入れるのは数年後だと予想していたのを覚えているだろうか。

 そのときにも述べたが、リヴェリアの予想は大きく外れることとなった。

 リヴェリアの数年という予想を裏切り、一週間という短い期間でベルはある種の偉業を達成したのだ。

 

「…!!」

「はぁ、はぁ…」

 

 自分に一撃入れた右腕をだらりと下げて呼吸を大きく乱すベルの姿に、アイズは思わず双眸を見張る。

 

(…確かにあの一瞬、自分は油断してしまった。けれど、それはあくまでも一瞬だけ。武器を捨てて素手で攻撃してきたベルの行動は、私の想定を完全に超えていた。…これは、完全に私の負けだ)

 

 完敗だった。Lv.5の自分がLv.1のベルに一撃もらったなんて夢にも思わないことであった。

 このことをレフィーヤやティオネに伝えても、きっと信じてくれないだろう。

 フィンやリヴェリアに伝えても、やはり初めは疑うことだろう。

 いつも飄々としているロキでも、大声で驚くかもしれない。

 

 しかし、それも仕方がないことだ。

 それほどまでに、新人のベルが【剣姫】と呼ばれるアイズに一撃入れたのは、ありえないことなのであった。

 

(でも何でだろう…悔しいという気持ちが湧いてこない。むしろ、喜びの気持ちの方が強い…。ベルは、こんなに成長していたんだね)

 

「あ、あの、咄嗟に素手で殴ってしまいすみませんでしたッ!」

 

「…ベルは何を謝っているの?」

 

「えっ、だっていきなり素手で攻撃を…」

 

「…この模擬戦には、素手で戦ってはいけないというルールはなかったよ?」

 

「そ、そうですけど…」

 

「…それならベルは、何も謝る必要はない。むしろ誇るべきだと私は思う。武器による攻撃を囮にして、本命は拳による一撃…無意識に素手という攻撃手段を除外していた私の意表を突く、とてもいい作戦だったよ」

 

「い、いえ…作戦というか、気付いていたら無我夢中で行動していただけですよっ!」

 

「…それでも君は、私に一撃を入れた。きっと今のベルなら九階層まで一人で潜っても、十分通用するはずだよ」

 

「ア、アイズさん…!!」

 

 アイズに実力を認められたベルは、あまりの感動で泣きそうになるのであった。

 そんなベルをアイズは微笑ましそうに見つめるのであった。

 

「…明日から私が側にいなくても、今の君の実力なら何も不安に思うことはない。だから自信を持ってダンジョンに挑むといいよ。…ベルは自分を過小評価しがちだから」

 

「はい、わかりました!あの、アイズさんも明日からの遠征…頑張ってくださいねっ!」

 

「…うん、頑張る」

 

 

 少年は少女の隣に立つために、そして彼女を守れる存在になるために成長していく。

 少女は少年の成長を喜び、そして少年と過ごすうちに失った感情を取り戻していく。

 

 現段階でのベルとアイズの関係は『姉弟』―――しかし、そんな二人の関係は近いうちに変わっていくのかもしれない。

 

 それでも、これだけは断言できる。

 

 ―――二人の関係がどれだけ変化しようと、お互いを大切に思う気持ちだけは絶対に変わらないのである。

 

 

 

 

 








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閑話 ベルとリヴェリアの関係性

感想で他の人の閑話も見たいという声が多かったので、その要望に応えて今回は本編ではなく閑話となります。
本編は次回からということで。


 【ロキ・ファミリア】遠征の数日前の夜、リヴェリアの自室にて。

 この連日リヴェリアはベルと二人きりで勉強会を行っていた。

 今日で三日目となる勉強会―――リヴェリアはベルにダンジョンに関する知識を叩き込んでいるのであった。

 

「さて、今日は主にモンスターについて教えていく。まずはそうだな…『上層』とされる階層は第一階層から第何階層までだか分かるか?」

 

「確か『上層』は一階層から十二階層までのことだったと思います」

 

「うむ、正解だ…しっかりと予習しているようだな、ベル」

 

「そ、その…リヴェリアさんからただ教えてもらっているだけじゃいけないと思いまして、自分なりに勉強してみました。それに…」

 

「それに?」

 

「…数日前にリヴェリアさんからお説教を頂いて、無知のままダンジョンに潜った自分がいかに愚かであったのか身にしみましたから…」

 

「…どうやら、先日の説教は無駄ではなかったようだな」

 

 先日の説教とは何か?

 話は三日前――ベルが夜中にホームを抜け出して一人でダンジョンに魔法を試しに行った日まで遡る。

 

 ベートに担がれホームへと帰還した日の朝、ベルはアイズとの早朝訓練を行うために中庭へとやって来た。

 中庭に現れたベルの様子が明らかにおかしいと感じたアイズとレフィーヤ(アイズとベルの訓練を見学もとい監視しに来ていた)が問い詰めたところ、ベルは二人の約束を破ってダンジョンに潜ったこと、そして初めての魔法に夢中になってつい魔力を使いすぎて極度のマインドダウンに陥り、気絶してしまったことを包み隠さず明かしたのであった。

 そう…そのときにゴブリンに襲われて危うく殺されかけたことも含めて全て白状したのだ。

 

 ちなみに、気絶していたベルがゴブリンに殺されかけたことを知っていたのは、目を覚ました後にベートから説明されたからであった。

 

 実は最初ベルは、自分が気絶したことや死にかけたことを上手く誤魔化そうとしたのだが、もちろん彼にそんな器用なことができるわけなく、また二人の少女のから感じる尋常ではない圧力に耐えきれなかったこともあり、あっさりと吐いてしまったのだ。

 

 

 そしてベルの話を聞き終えたアイズとレフィーヤはというと、すごく激怒した。

 それはもう大激怒であった。

 あまりの怒りように何事かと駆けつけたリヴェリアであったが、レフィーヤから事の顛末を聞かされた後は、アイズたちと同様…いや、それ以上の雷をベルに落としたのであった。

 その後ベルが三人から長々とお説教を受けたのは言うまでもない。

 

 その説教のときにリヴェリアがベルに告げた言葉―――「ダンジョンに関して無知でいることは、ダンジョンにおいて死を意味する。知識も経験もない今のベルがダンジョンに潜っても、何もできずに死ぬだけだ」

 

 一見厳しめな忠告であるが、これはリヴェリアが真にベルの身を案じたからこそ、あえて辛辣な言い回しにしたのだ。

 

 そのリヴェリアの思いはベルに伝わり、自分がいかに無謀なことをしていたのか気付いて猛省したのである。

 そして自分のことを心配しているからこそ本気で怒ってくれるリヴェリアたちに土下座して謝ったのであった。

 十分に反省しているベルを見て許したリヴェリアから勉強会の提案があり、ベルは申し訳ないと思いながらもこれを承諾したのだ。

 

 これがベルとリヴェリアとの勉強会が始まったきっかけであった。

 

 現在のベルの態度を見るに、リヴェリアが伝えたかった意図をしっかりと理解していることは明白であった。

 

(私から教えてもらっているだけではいけないと自覚し、積極的に自分から勉強しているみたいだな)

 

 無知でいることは悪いことではない…それがまだ年若いベルなら仕方がないことだ。

 しかし、ダンジョンに潜るなら話は別である。

 ベルには厳しめに伝えたが、実際に知識も経験もない状態でダンジョンに潜るのは自殺行為であるのは本当のことである。

 そのことを自覚してもらうためにも、ベルに嫌われるのを覚悟で強めの口調で説教をしたのだから。

 その後ベルは私の期待通りに…いや、それ以上に自分の知識の無さを痛感し、自分がいかに無謀なことを仕出かしたかを自覚したようであった。

 

(アイズとの訓練で疲れ果てているはずだが、私との勉強会でその疲れをおくびにも出さない。それに、一昨日も昨日も寝る間を惜しんで資料室に籠っていたようだし、少し薬が効きすぎたか…?)

 

 嫌われるのを覚悟で厳しめに説教したが、今のベルは自分のことを避けているようには見えない。

 もちろん約束を破った罪悪感から申し訳そうにはしているが、とても自分のことを嫌っている…怖がっているようには見えなかった。

 

(厳しめに叱った私のことを怖がっている様子もなければ、無理をしている様子もない。ベルは私のことをどう思っているんだ…?)

 

「あ、あの…リヴェリアさん?」

 

「あぁすまない。それでは講義に戻るぞ」

 

「はい!」

 

 ベルの気持ちはひとまず置いといて、私は再び教えることに集中するのであった。

 

「『上層』で出現するモンスターは、ゴブリンやコボルトなど弱いモンスターが多いのは事実だ。だが『上層』にも新米冒険者にとって鬼門となるモンスターは数多く存在している」

 

「いくら新人向けの『上層』であっても、厄介なモンスターはいるってことですね?」

 

「その通りだ。そのモンスターたちは俗に『新人殺し』と呼ばれ、駆け出しの冒険者にとっては最大限に警戒して戦わなければ勝てない相手でもある」

 

「し、『新人殺し』ですか…」

 

「確かにどれも厄介な相手だが、各モンスターの特徴について把握してれば、そう過剰に恐れる敵ではない」

 

 『新人殺し』の餌食になる冒険者の多くが新米冒険者――中でもそれらのモンスターについてあらかじめ調べて来ずに挑んだ新人がほとんどである。

 各モンスターの攻撃パターンや固有能力――例えば爪に毒が塗られているなど――の特徴をあらかじめ学習していれば、戦闘時の死亡率はぐっと下がるのだ。

 

「具体的に例を挙げると、六階層に出現する『ウォーシャドウ』は厄介な敵だな。どのようなモンスターであるか知っているか、ベル?」

 

「『ウォーシャドウ』…まるでナイフのような指を持つモンスターですよね?」

 

「うむ、その認識で概ね間違っていないな。他には何か知っているか?」

 

「確かとても素早く動いて相手に接近し、その両手の指を用いて攻撃を仕掛ける…でしたよね?」

 

(ほう、まさかここまで答えられるとは…本当によく勉強しているな)

 

「うむ、その通りだ。『ウォーシャドウ』の純粋な戦闘能力は上層の中でも高い。六階層だからと油断していると、奴の速度と指の威力に翻弄されて命を落とす冒険者も少なくはないのだ」

 

「さて、『ウォーシャドウ』の特徴は鋭利な指と移動速度の速さであるが、実は他にもある。それが何だか分かるか、ベル?」

 

「…わ、分かりません」

 

 リヴェリアの問い掛けに答えられず、ガクッと落ち込むベル。

 そんなベルを慰めるように、リヴェリアは出来るだけ優しい口調で語りかけた。

 

「そう落ち込むことはない、ベルはよく勉強している」

 

「でも…」

 

「いきなりモンスターに関する全ての知識を網羅するのは私でも無理だ。だから、ゆっくりと時間をかけて覚えていけばいいさ」

 

「…はい、分かりましたっ!」

 

(…どうやらこんな私の言葉でも、誰かを慰めることはできたようだな)

 

 誰かを慰めることに自分の性格は向いていないと自覚しているリヴェリアだが、無事にベルを元気づけることができ、内心ほっとするのであった。

 

「『ウォーシャドウ』の特徴は鋭利な指と移動速度の速さ…そして長いリーチを誇る腕だ。リーチが長い敵と戦うのは言うまでもなく厄介であるが、それは何故だか分かるか?」

 

「そうですね…相手のリーチが自分のリーチより長いと、うかつに懐に近づけません。自分の間合いに相手を引き込めず、相手の間合いで戦うことになり、自分にとって終始不利な戦いになるから…だと思います」

 

「…完璧な答えだ。アイズから教えられたのか?」

 

「はい、模擬戦闘を通じてアイズさんから教えてもらいました」

 

(あまり口数の多い子ではないから心配していたが、どうやら杞憂だったらしいな。ふむ…アイズの指導はベルに合っていたようだ)

 

「…ベルの言う通り『ウォーシャドウ』の長い腕は厄介だ。射程距離が長く、おまけに攻撃の威力も六階層のモンスターにしては高いのが警戒するところだな。それから―――」

 

 リヴェリアの口から説明されるモンスターの特徴について、ベルは真剣な表情でメモをとっていく。

 

 そしてそれから一時間後。

 

「―――以上で、上層に出現する注意すべきモンスターの説明は終わりだ。それではこれから、確認テストを始める」

 

「テ、テストですか…?」

 

「そう不安そうな顔をすることはない。よく勉強しているベルなら簡単にできるテストだからな」

 

「うっ、余計にプレッシャーが…」

 

「ちなみにこの確認テストで八割以上とれなかったら、真夜中まで勉強会を続けるからな。そうなったら今日は眠れないと思え、ベル」

 

「えっ、そんな…」

 

 その言葉を聞いて顔をサッと真っ青にするベル。

 

(しっかりと予習していて、私の話も真剣に聞いているベルなら余裕で八割超すのに決まっているのだが…少し脅し過ぎたか?)

 

 リヴェリアは青ざめた顔するベルを安心させるように優しく微笑んだ。

 

「大丈夫だ…今のベルなら八割は堅い。万が一できなくても、そのときはまた一緒に勉強し直せばいいさ」

 

「リ、リヴェリアさん…!僕、必ず八割を越えてみせます!!」

 

「うむ、その意気だ」

 

 リヴェリアは多くの者を教え導いただけあって、アイズよりも飴と鞭の使い方が上手であった。

 これは余談だが、以前のリヴェリアは飴を用いず鞭だけの教え方だった。

 そのとき同じ【ファミリア】であるフィンの飴と鞭を上手く使い分ける指導方法を見て、自分も取り入れたのである。

 エルフは頭の硬い種族だとドワーフやアマゾネスから言われることも多いが、少なくともリヴェリアに関してはそんなことはなかった。

 柔軟な思考をもち、尚且つ伝統を軽視する訳ではない彼女だからこそ、多くのエルフから尊敬されるのだろう。

 といっても、ある一部のドワーフからは未だに頭が硬いと言われているが。

 

 話は戻り、リヴェリアお手製のテスト―――あえて名付けるなら『ダンジョン確認テスト』がベルに配られた。

 

「制限時間は三十分。それでは、始め!」

 

 リヴェリアの開始合図を聞き、ベルは配られた『ダンジョン確認テスト』を解き始めるのであった。

 

 テストは全三十問。一問一分で回答し、三十問中二十四問以上正解なら合格である。

 

 ちなみに参考程度だが、以前このテストを受けたことのあるアイズ大好きエルフさんの点数は、三十問中二十九問であった。

 勉強熱心で優秀な頭脳をもつ彼女だからこそ、一問ミスという驚異の正解率だったのである。

 

 果たしてベルは、無事に八割を越えることができたのか?

 

 ベルの結果は―――――。

 

 

 

*****

 

 

 

 約三十分後。ベルは全ての問題を解き、リヴェリアの採点も終わった。

 

「それでは結果を発表する。ベルの得点は三十問中―――」

 

「(…ごくっ)」

 

「二十九問正解だ。八割を超えるどころか、まさか九割を超すとはな…」

 

「えっ…ほ、本当ですか!?」

 

「ここで嘘をついてどうする。こんなに素晴らしい結果を叩き出したのだ…もっと誇るといい。一問ミスはレフィーヤ以来の快挙だぞ」

 

「レフィーヤさんもこのテストを受けていたんですか…」

 

(まさか二人とも同じ点数で、しかも間違えた箇所まで同じとは…案外二人は似た者同士なのかもしれないな)

 

 その後リヴェリアはベルが間違えた問題だけを解説し、三日目の勉強会は終わりを迎えるのであった。

 

「よし、今日はここまでにしようか」

 

「はい!今日もありがとうございました…また明日もよろしくお願いします」

 

「うむ、また明日な」

 

 ベルはお礼を告げ、リヴェリアの部屋から退出しようとした。

 自分の部屋から立ち去ろうとするベルの背中に向かって、何故だか分からないが私は思わず呟いていた。

 

「ベルは私のことが怖くないのか?」

 

 ―――どうしても私の説教は他人の説教と比べて怖いらしい。

 自分に怒鳴られた者の多くは、私に畏怖の念を抱いている。

 私のことを尊敬してくれるのは伝わるが、彼らと自分の距離は遠い。

 もちろん彼らに悪気はないのは分かっているが、同じ【ファミリア】…同じ家族の距離感ではなく、まるで先生と生徒のような距離感なのだ。

 

 だがベルは違う。私のことを尊敬しているのは伝わるが、畏怖の念を抱いているように見えない。

 この三日間過ごして分かったが、私とベルの関係は先生と生徒の距離感よりずっと近いものなのだ。

 だから私はどうしてもベルに尋ねずにはいられなかった。

 

「リヴェリアさんのことを怖い…ですか?そんなこと全然ありませんけど…」

 

「どうしてだ?」

 

「えっ?」

 

「どうしてあんなに怒鳴られたのに、お前は私を怖がらない?」

 

 ―――どうして私を見つめるベルの瞳には『恐怖』が全く存在しないんだ?

 ―――どうして私を見つめるベルの瞳は『優しさ』に満ちているんだ?

 

「確かにあんなに怒られたのは初めてでしたから凄く怖かったですよ。でも、同時に思ったんです…これが『母親』に怒られるということなんだって」

 

「……『母親』」

 

「僕には母親がいませんでしたから、母親から説教されることが具体的にどのようなものか分かりません。それでもリヴェリアさんが、僕のことを本気で心配してくれたからこそ叱ってくれたんだって…いくら鈍い僕でも分かりました」

 

「……!」

 

「リヴェリアさんは『母親』として悪いことをした『子供(ぼく)』に説教をしただけです。一度怒られたくらいで『母親』を嫌いになる『子供』なんていませんし、ずっと母親を怖がったままの子供もいないと思うんです。…だから僕にリヴェリアさんを怖がる理由はありませんよ」

 

「不出来な『息子』で申し訳ないという気持ちはありますけどね」とベルは恥ずかしそうに告げるのであった。

 

 そんなベルを見て、私はやっと気が付いた。

 

(あぁそうか、そうだったのか…ベルは私のことを『母親』として見てくれていたんだな。…何が不出来な『息子』で申し訳ないだ。お前は私なんかにはもったいないくらいよく出来た『息子』だよ)

 

 現段階でのベルとリヴェリアの関係は『母親』と『息子』―――しかし一般的な親子の距離感と比べると、やはりまだどこかぎごちない。

 彼と彼女の関係は始まったばかりであるから、それも仕方がないことだろう。

 

 それでもこれだけは断言できる。

 ―――ベルとリヴェリアの二人は紛れもなく『親子』であった。

 

 

 

 

 

 




次回の更新は今週の土曜日となります。


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別れと出会い、そして再会

 ベルが夜遅くに一人でダンジョンに潜り、ベートに助けられた日から一週間ほど経過した。

 

 そして今日は【ロキ・ファミリア】遠征日であった。

 空は青く晴れ渡り、まさに遠征日和だった。

 ダンジョンに潜ったら地上の天候は関係ないように思えるが、遠征に出発するときに雨に濡れると士気は落ちてしまうので、天候は重要であったりするのだ。

 そのため【ロキ・ファミリア】の団員は皆、士気が高まっているのであった。

 

 雲一つなく晴れ渡った青空の下、黄昏の館前には【ロキ・ファミリア】の全団員が集まっていた。

 これから遠征へと向かう攻略組と、そんな彼らを見送る待機組の二つに分かれている。

 言うまでもないが、新人であるベルは待機組であった。

 

 待機組はダンジョンへと向かう遠征組にある者は声をかけ、ある者は激励を送っていく。

 そして待機組である一人の少年もまた、遠征に挑む一人の少女に声をかけるために近寄るのであった。

 

 

 防具を装備し、愛剣を腰に携えたアイズはホーム前できょろきょろと誰かを探しているようであった。

 

「アイズさん!」

 

 そんなアイズの背中から、探していた少年の声が聞こえてきた。

 反射的に振り返ったアイズの視界には、自分に駆け寄って来るベルが映るのであった。

 

「…ベル」

 

 アイズのもとにやって来たベルは、いつになく心配そうな顔をしていた。

 

「あの、もうすぐ『遠征』に行くんですよね…?」

 

「うん、そうだよ。…実はね、出発する前にベルに確認しておきたいことがあったの」

 

「ぼ、僕にですか…?」

 

「うん…ベルは今日から一人でダンジョンに潜るんだよね?…もう準備はできたの?」

 

「その…一応準備はしたんですけど、これで合っているのか自信がなくて…」

 

「…それじゃあ、もう少しだけ時間があるから私が見てあげるよ」

 

「す、すみませんアイズさん、遠征前だというのに…」

 

「私は大丈夫。…それじゃあまずは、装備する武器の確認から始めようか」

 

「はい、分かりました!」

 

 その後、アイズは武器や防具などの装備や鞄に詰める回復薬などの道具をベルと一緒に確認するのであった。

 そして一通り確認を終えた頃には『遠征』出発時刻五分前となっていた。

 

「…うん、これで準備は大丈夫だね。そろそろ時間だから私はもう行くね、ベル」

 

「ま、待ってくださいアイズさんっ!」

 

「…?」

 

 立ち去ろうとしたアイズをベルは呼び止めた。

 急に呼び止められたアイズは、不思議そうな顔をしてベルのことを見る。

 咄嗟にアイズを呼び止めたベルはいつもより真剣な表情をして、アイズにとって思いもよらない言葉を告げるのであった。

 

「―――どうか無事に、帰って来てくださいねっ!」

 

「……!!」

 

 アイズは顔に出さなかったが、酷く驚いた。

 ベルと出会って何度目だろう、自分の気持ちがこんなに揺れ動いたのは…。

 アイズが第一級冒険者になる頃には、そんな言葉を伝える者はいなくなっていた。

 それも当然だ。強すぎる彼女に心配の声をかける必要はない。

 そのためアイズにかけられる言葉の多くは、激励の言葉であった。

 それでもやはり、自分を心配してくれる人がいるのは嬉しいことである。その人が自分にとって大切な存在ならなおさらだろう。

 久しく聞いていなかった心配の言葉の温かさが、アイズの心に優しい波紋を生んだのである。

 

「…心配してくれてありがとうベル。絶対に無事に帰ってくるからね…それじゃあ行ってくる」

 

「はい、いってらっしゃい、アイズさん!!」

 

 自分を笑顔で見送ってくれるベル。

 次に会うのは遠征後…順調に進めば一週間も経たないうちにホームに帰って来れるだろう。

 ベルとのしばしの別れを惜しみながら、号令をかけるフィンのもとへと歩き出すのであった。

 

 

***

 

 

 

 アイズたち遠征組がダンジョン攻略へと出発した後。

 ベルはホームの応接間にて、一人の青年と話していた。

 

「おいベル。もうダンジョンに向かうのか?」

 

 赤みがかった茶髪に琥珀色の瞳をしたヒューマンである彼の名はキース・ライアン。

 半年ほど前に入団した新人であり、ベルとの初顔合わせで率先して握手を交わし、「新人同士頑張ろうぜ!」と挨拶した気の良い青年である。

 

「おはよう、キース。うん、そのつもりだよ」

 

「そうか…なぁベル、本当に一人で潜るつもりなのか?前にも言ったが、俺らのパーティーに入ってもいいだぜ?」

 

「何度も誘ってくれてありがとう、キース。でも、僕は一人で大丈夫だよ」

 

「だが…」

 

「それにね、これは僕のわがままなんだ。どうしても…どうしても初めは自分だけでダンジョンに挑みたいんだ」

 

「………」

 

「だから、本当にごめん…キース」

 

 僕の謝罪の言葉を聞いて。頭をごしごしと掻きながら何かを考えるキース。

 そしておもむろに顔を上げて、僕の瞳を真っ直ぐ見据えた。

 

「…謝ることはねぇ、お前の気持ちは痛いほど伝わった!俺はお前のその意志を尊重するぜっ!」

 

「キース…っ!!」

 

「だが一人で潜ることに少しでも限界を感じたら、すぐ俺に声を掛けろよな!いいか、絶対だぞ!?」

 

「う、うん。心配してくれてありがとね、キース。でも突然入ったら、他のパーティーメンバーに迷惑がかかるんじゃ…」

 

「大丈夫だって!ベルならいつでも大歓迎だって仲間たちも言っていたと思うし、特に女性陣はお前のことを気に入っていたみたいだから、問題なしだぜ!」

 

 そう言って快活に笑うキースは、年上の威圧感をまるで感じられず、面倒見のいい近所のお兄さんのように思えた。

 

「それ、全部キースの主観だから当てにならないような…」

 

「おっ、お前も言うようになったね~。数日前までは俺に対して一歩引いた感じだったのによ。これも俺の人徳かな!」

 

「あはは、そうかもね。…でも、そうだね。もしそのときが来たら、キースのパーティーに入れてもらうことにするよ。そのときは足手まといにならないように頑張るね」

 

「おうよ!いつでも待ってるぜ、ベル!」

 

 自分のことをあれこれと心配してくれるキースに、僕は心の中で感謝を告げるのであった。

 

「―――それじゃあ行ってくるね、キース」

 

「おう、行ってこい!それとロキ様への挨拶も忘れるなよ~」

 

「もちろん、今から行ってくるよ」

 

こうしてベルはキースと別れ、応接間からロキの部屋へと向かうのであった。

 

 

 【ロキ・ファミリア】ホーム、黄昏の館の最上階。

 螺旋階段を上りロキの部屋へとやって来たベルは、ドアをノックした。

 

「ロキ様、ベル・クラネルです」

 

「ん、ベルか。入ってええで」

 

 ロキ様の許可をいただいた僕は、部屋の扉を開けた。

 入室した僕を待っていたのは、椅子に腰かけて書類に目を通しているロキ様だった。

 

「よし、これで一通り目を通し終わったで。それでうちに何のようかな、ベル?」

 

 書類から顔を上げたロキ様は僕の顔を真っ直ぐ見据え、話し始めた。

 

「…ロキ様、今日から僕も冒険者としてダンジョンに挑みます。【ロキ・ファミリア】の名に恥じないよう、精一杯頑張っていく所存です」

 

「なんや、ずいぶん堅苦しい挨拶やな…リヴェリアの影響か?まぁ毎晩二人っきりで勉強していたら影響受けて当然かもな~」

 

「ロ、ロキ様ぁ…」

 

「冗談や、冗談!!」

(まったくベルはすぐに顔を赤くして可愛いなぁ…って今回はふざけている場合じゃないな)

 

「ごほん…さて、今日冒険者登録して正式に冒険者となるベルにうちから伝えることは特にあらへん。ベルを指導したアイズが『今のベルなら一人で潜っても、九階層までなら大丈夫』と保証してくれたんや。これなら、安心してダンジョンに送り出せるわ」

 

「その、ロキ様…今更ですが、一人で潜りたいという僕の身勝手な行動を許していただき、本当にありがとうございました」

 

 自分のことを真に思いやる神の姿に、思わず感謝の言葉を口にするベル。

 そんなベルに、ロキは意地悪そうな顔をしてある事実を告げた。

 

「実はな、ベル一人でダンジョンに潜るのを認めるのに色々と苦労したんやで~」

 

「えっ、そうだったんですか…?」

 

「ホンマに大変やったわ~。何せリヴェリアとレフィーヤから猛反対されたのやからな」

 

「リヴェリアさんとレフィーヤさんが…?」

 

「そうや…リヴェリアからは『いくら知識量が増えて来てもダンジョンでは何が起こるか分からない。圧倒的に場数が足りていない今のベルではパーティーを組ませるべきだ』と断固拒否されて、レフィーヤからは『一人で潜るのはベルにはまだ早すぎます!もう少し経験を積ませるべきですっ!!』と猛反対されたんやで」

 

「そ、そうだったんですか…リヴェリアさんとレフィーヤさんがそんなことを…」

 

「まぁあの二人は何かと過保護気味やからな…。手強い相手だったが、何とか条件付きで手を打ったから安心せいベル!これでいくつかの制約さえ守れば一人でダンジョンに潜れるで~」

 

「せ、制約ですか…。ち、ちなみにその条件とは一体…?」

 

「その一、現段階では六階層までしか潜らないこと。その二、無理だと感じたらすぐにパーティーを組むこと。その三、初日から五日目まではダンジョン探索を三時間で切り上げること。その四、六日目以降のダンジョン探索は夕方までとすること」

 

「あ、あの…まだあるのですかっ!?」

 

「その五、勝手にホームを抜け出してダンジョンに潜らないこと」

 

「うっ…!?」

 

「まぁこれは完全にベルが悪いから仕方ないやろ。あの日、挙動不審なベルをレフィーヤが問い詰めたら速効でバレたからな~。その後アイズ、レフィーヤ、リヴェリアからなが~い説教をもらったんやから、さすがにもう懲りたと思うけど…」

 

「本当にあのときは勝手に約束を破ってしまいすみませんでした!もう二度とロキ様たちとの約束は破りません!絶対にです!」

 

「それはいい心掛けやな。まぁアイズたちは怒ってたけど、うちは別に怒ってへんよ。逆に感心したくらいや」

 

「えっ、感心ですか?」

 

「うちは従順な子より、破天荒な子の方が見ていて楽しいんや。…そういえば知ってるかベル?男の子は少しくらいヤンチャの方がモテるんやで~」

 

「ほ、本当ですかそれは…?」

 

「本当やで!規則通りに行動する男より、破天荒な男の方が女性にとって魅力的に映るんやっ!」

 

 ニヤニヤと笑いながらベルに嘘を教えるロキ。

 リヴェリアが聞いていたら何をデタラメをベルに吹き込んでいるんだと激怒しそうな内容である。

 しかし、この場にはロキとベルしかいない。

 

(そういえば、お祖父ちゃんも「男ってのは女との約束を破る生き物なんだ!」って似たようなことを言っていたような…。あのときは意味がわからなかったけど、そういう意味だったんだ。ロキ様と同じくらい物知りなんて、さすがお祖父ちゃんだな)

 

 したがってロキの発言を素直に信じてしまうベルであった。

 やはり神様たちの価値観は偏っているのは間違いないだろう。

 

「ベルに課せられた制約は以上や。ちなみにこれを破ったらそれ相応の罰を与えるみたいやな。ほな、モテ男になるために早速破ってみようか?」

 

「や、破りませんよ!?絶対に破りませんからねっ!?」

 

「あはは、冗談や。…さて、話を戻すがうちが望むことはただ一つ―――無事に我が家に帰って来ることだけや」

 

「ロキ様…」

 

「いつもと違って傍にアイズたちはいないんやから、初日は無理しないようにな~。それじゃあ、いってらっしゃい!」

 

「はい、いってきますっ!」

 

 こうしてベルはロキに見送られてダンジョンへと向かうのであった。

 

 

 

****

 

 

 

 黄昏の館を出発したベルは今、メインストリートを歩いていた。

 ちなみにそのメインストリートの続く先に白亜の摩天楼があり、その下にダンジョンが存在するのだ。

 

 摩天楼を眺めながら歩くベルは、冒険者としてダンジョンに一人で潜ることに期待よりも不安を感じていた。

 原因は一週間前の出来事にあった。

 

(あのとき僕は一人でダンジョンに潜り、魔法の使いすぎによって気絶してしまった。もしもベートさんがいなかったら、僕は死んでいたんだ…。魔法の使用回数には気を付けるけど、それでもやっぱり不安だな…)

 

 思わず顔が暗くなり、うつむき気味になるベル。

 そのためベルは目の前に人が立っていたことに気付かず、ぶつかってしまうのであった。

 

「わっ!?」「きゃあ!?」

 

 そこまで激しい衝突でなかったため、両者ともふらつきはしたが転ぶまでには至らなかった。

 

(痛てて…ってしまった!?考え事に夢中で目の前に人がいることに気が付かなかったよ…)

 

 ベルは自分の不注意でぶつかってしまった相手に向かって頭を下げて謝るのであった。

 

「ご、ごめんなさいっ!考え事をしていて、前をよく見てなくて…」

 

「い、いえ、私の方こそ前をよく見てなかったのでお互い様ですよ」

 

「そ、それでも僕がちゃんと前を向いて歩いていれば、ぶつかることはありませんでした。だからその、貴方のせいでは…」

 

 慌てて頭を下げたベルに釣られるように、ベルがぶつかった女性も頭を下げる。

 その女性はウエイトレスの格好をしたヒューマンの少女であった。

 薄鈍色の髪と瞳をした可愛らしい少女は、必死に謝るベルのことを見て口元を手で隠しながら微笑んだ。

 

「ふふっ、それじゃあ両方とも悪いということで終わりにしましょう」

 

「えっ、でも…」

 

「そうですね…そこまで気にするのでしたら、今日の夜にあそこの酒場に来てくれませんか?」

 

「えっ、酒場ですか…?」

 

「はい、実はあそこの酒場は私の職場なんです。そこで晩御飯を召し上がって頂ければ、私のお給金が高くなること間違いなしです。それでどうでしょうか?」

 

「あはは、それなら…って、しまった!?」

 

「ど、どうされましたか…?」

 

「あの…提案してもらって本当に申し訳ないんですが、その…」

 

「もしかして、先約でもあるのですか?」

 

「先約というか、僕が所属するファミリアには朝夕みんなで一緒に食べる決まりがあるんです。それなので夕食を食べに行きことができないんです…その、本当にすみませんっ!」

 

 またしても勢いよく頭を下げるベル。

 まだ【ロキ・ファミリア】に入団して日が浅いベルは知らないことであったが、事前に仲間にその旨を伝えておけば外に食べて行っても大丈夫なのであった。

 ただし、ベルがその事実を知るのはもう少し先の話になる。

 

「私は全然気にしていませんので、頭を上げてください」

 

「で、ですが…」

 

「【ファミリア】のしきたりなら仕方ありませんよ。それに私のわがままを優先して【ファミリア】の決まりを破ってしまうのは、さすがに嫌ですしね」

 

「…お昼なら」

 

「えっ?」

 

「昼食なら大丈夫なはずです!だから今日のお昼に伺ってもよろしいでしょうか…?」

 

「私は構いませんがよろしいのですか…?見たところ貴方は冒険者のようですし、今からダンジョンに潜るんですよね?そうなると帰りは夕方を過ぎるのでは…」

 

「実はですね、一人でダンジョンに潜るにあたって守らなければならない約束事がありまして…。その内の一つ、『初日から五日目まではダンジョン探索時間を三時間で切り上げること』に従えばお昼くらいには地上に帰れると思います」

 

「初日から五日目まで…?まさか今日初めてダンジョンに潜るのですか?」

 

「いえ、今まで先輩たちの付き添いで何度か潜っていました。ただ冒険者として一人でダンジョンに挑むのは今日が初めてなんです」

 

「そうだったんですか。ですがダンジョンではパーティーを組んだ方が安全なのに、どうしてお一人でダンジョンに挑むのですか?パーティーを組む相手がいないようには見えないのですが…」

 

「あはは、確かにパーティーを組むのはダンジョン探索において常識ですよね。それでもどうしても…どうしても最初は一人でダンジョンに挑みたかったんです」

 

「…その理由をお聞きしても?」

 

「その…情けない話ですが、先日僕は【ファミリア】のみんなに隠れて夜中に一人でダンジョンに潜ったんです。そのとき魔法の連発によってマインドダウンを起こし、ダンジョン内で意識を失ってしまったんです。もしもそのときベートさん…【ファミリア】の先輩がいなかったら、僕は無事では済まなかったと思います」

 

「………」

 

「自分の力だけでダンジョンに挑み、そして勝利したい。もう、あのときの自分ではないということを証明したい。そうしないと僕は、先には進めない気がするんです…」

 

「…そうだったのですか」

 

「あの、さすがに呆れちゃいましたよね?」

 

「そんなことありませんよ。むしろその逆です」

 

「逆ですか…?」

 

「ええ、私はむしろ貴方のその行動に感心しました。過去の失敗を悔やみ、自分の力だけで乗り越えようとするその意志…それは誰にでもできることではありません」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 まさか褒められるとは思っていなかったベルは、顔を赤くしてお礼を伝えるのであった。

 

「ふふっ、それじゃあ正午からお店は開いていますので、ぜひいらしてくださいね」

 

「はい、絶対に行きますっ!」

 

「はい、お待ちしています」

 

「あっ、そういえばまだ名前を名乗っていませんでしたね。僕はベル・クラネルと言います」

 

「私はシル・フローヴァです。これからもよろしくお願いしますね、ベルさん」

 

 こうして、ベルはダンジョンに向かう途中でシルに出会うのであった。

 

 

 

*****

 

 

 

 バベル内に存在するギルド本部、その受付窓口にて。

 シルと別れたベルはその後、冒険者登録を行うために十日ぶりにギルドへと訪れ、とある人物と再会するのであった。

 

「――えっ、ベル君っ!?」

 

「えっと…お久しぶりです、エイナさん」

 

「うん、本当に久しぶり(、、、、)だよね、ベ・ル・く・ん?」

 

 久しぶりの部分を強調するエイナの迫力に、思わずベルは数歩下がった。

 

「あ、あのエイナさん…?僕、何かしちゃいましたか?」

 

 その言葉を聞いてぷつんっとエイナの中で何かが切れる音がした。

 

「こっちは君がいつまで経っても顔を出さないから心配してたんだよっ!?【ファミリア】に入ったら連絡してねって伝えたのに今まで何の音沙汰もなかったから、もしかしたら路頭にでも迷っているんじゃないかってずっと不安に思っていたんだからねっ!!」

 

「す、すみませんでしたっ!!」

 

 烈火の如く怒り出したエイナに、ベルは物凄い勢いで謝るのであった。

 

 

 場所は変わり、ギルド本部ロビーの面談ボックス。

 先程窓口でエイナが怒鳴り声を上げてしまったため、あの場にいた全員から視線が集中した。

 我に返ったエイナは、急いでベルの腕をを引っ張ってこの部屋に逃げ込んで来たのである。

 冷静になったエイナはベルに謝罪してから、部屋に置いてある椅子にお互い対面になるよう座り、今までベルがギルドに顔を見せなかった理由について聞くのであった。

 

「―――つまり、慈悲深き神に拾われて【ファミリア】に無事入団できたけど、先輩方との訓練に忙しくて私に会いに行く時間がなかった、ってことでいいんだね?」

 

「は、はい…」

 

「ふーん、てっきり私のことをきれいさっぱり忘れていたと思ったよ」

 

「そ、そんなことありません!」

 

 ジト目になったエイナの言葉を聞いて、ベルは慌てて否定するのであった。

 

「…今回だけはその言葉を信じてあげる。それで一体どこの【ファミリア】に所属したの?さっきの話し方だと、ダンジョン探索専門の【ファミリア】だと思うけど…」

 

「はい、実は【ロキ・ファミリア】に所属することになりました」

 

「…ごめん、聞き間違いだと思うからもう一度言ってくれないかな?」

 

「えっと、【ロキ・ファミリア】に所属することになりました」

 

「……ん、あの【ロキ・ファミリア】?」

 

「は、はい。たぶんあの【ロキ・ファミリア】です」

 

「………嘘なんかついていないよね?」

 

「はい!」

 

「………………」

 

「あの、エイナさん…?」

 

 笑顔のまま固まったエイナを、ベルは心配そうに見つめる。

 そしてエイナは勢いよく椅子から立ち上がり、爆発した。

 

「ロ、ロキ・ファミリア~~~~~~~~~~~っ!?」

 

 その大声に、エイナの目の前にいたベルは思わず身を大きくのけぞらせるのであった。

 不幸中の幸いであるが、面談ボックスは情報が他人に漏れないよう防音になっていた。そのため、エイナの叫び声はロビーに響き渡らずに済むのであった。

 

 冷静になったエイナは二度も叫んでしまったことをベルに謝罪し、ベルから詳しく話を聞くのであった。

 

「えっと、これがロキ様から預かった証明書です」

 

「うん、ありがとう。…確かにベル君は【ロキ・ファミリア】に所属だとこれで証明されました。だけどまさか、ベル君が都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】に入団したなんて、これを見ても信じられないよ」

 

「あはは、確かにそうですよね。僕も最初はこれって夢なんじゃないかと不安に思うときがありましたから」

 

「まぁ何はともあれ、無事【ファミリア】に入団できておめでとうベル君。それで、早速今日からダンジョンに潜るの?」

 

「は、はい。今日のところは二階層を目標にして、三時間ほど潜ってみます」

 

「…へぇ、最初に会ったときの常識知らずな様子からてっきり『一日中潜って中層を目指します!』とか言うと思ったけど、さすがに学習してきたようだね。うん、偉い偉い」

 

「さ、さすがにそこまで無謀のことは言いませんよっ!」

 

「ふふ、冗談だよ、ベル君」

 

「もう…からかわないでくださいよ、エイナさん」

 

「ごめん、ごめん。でもその感じだと、ダンジョンについての知識は私から教えなくても大丈夫そうかな?」

 

「はい、ダンジョンに関する一通りの知識はリヴェリアさん…ファミリアの先輩にこの一週間教えられましたから」

 

「そうなんだ、それなら安心だね」

(あれ…今、リヴェリアさんって言ったような…?ま、まさかあのリヴェリア様じゃないよね…?いくら同じファミリアでも新人のベル君にリヴェリア様自らご教授するなんてありえない…はず。うん、きっと私の聞き間違いだよね)

 

 まさか入団してまもないベルがリヴェリアに師事されていると思わず、エイナは自分の聞き間違いだと考えるのであった。

 実際はエイナの聞き間違いではなく、毎晩リヴェリアの部屋で『勉強会』を行っているのだが、その事実をエイナが知るのはずっと先のことであった。

 

「それじゃあベル君、ダンジョン探索頑張ってね。それと、くれぐれも無理だけはしちゃ駄目だからね!絶対に無事に帰って来ること、わかった?」

 

「はい、わかりました!」

 

「うん、いい返事だね。それじゃあ、いってらっしゃい」

 

「はい、いってきますっ!」

 

 こうしてベルはエイナに見送られ、ダンジョンへと足を踏み入れるのであった。

 

 

 

 




次回の更新は来週の土曜日となります。


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豊饒の女主人

 現在位置はダンジョン一階層。

 そこでベルは二体のゴブリンを相手にしていた。

 

『グァッ!』『グアァッ!』

 

「ッ!」

 

 ゴブリンの攻撃を危なげなく避けるベル。

 一向に攻撃が当たらないことにゴブリンは怒り、爪を振るう速度をさらに上げた。

 しかしそれでも、ベルを捉えることはできない。

 

(動きが雑で遅すぎる…。これならッ!)

 

「―――ふッ!」

 

『『ギャアッ!!?』』

 

 爪を振りきったときに生じた隙を見逃さず、ベルはゴブリン二体に一瞬で距離を詰め、両手のナイフを振るって二体を同時に倒すのであった。

 

(あのときより、ゴブリンの動きが凄く遅く感じる。いや、僕が速くなっているのか…?)

 

 確かな成長を実感したベルは、次の相手を求めてダンジョンの奥へと歩き出すのであった。

 

 

***

 

 

『『『『『ギシャァァァッ!!』』』』』

 

「―――――」

 

 現在位置は二階層。

 あれから何度か数体のゴブリンと戦闘し、それらを全て無傷で勝利したベル。 

 そして彼は今、五対一という数字的には不利な状況で戦っていた。

 

 ゴブリン五体を相手取っているベルはというと―――

 

(五体もいれば少しは苦戦すると思ったけど、こんなものか)

 

 ―――この状況を不利とは全く感じていなかった。

 

 ゴブリンの動きを完全に見切り、五体の攻撃を難なく避けるベル。

 

 『ギギィッ!』『シャア!』

 

 自分たちの攻撃がベルにかすりもしないことに業を煮やし、二体のゴブリンの攻撃が大振りになった。

 その瞬間をベルは見逃さず、その攻撃をかいくぐりながらその二体に接近してナイフを振るった。

 

「―――そこっ!!」

 

『『グァッ!?』』

 

 致命傷を喰らった二体のゴブリンは、ばたりと地面に倒れて消滅するのであった。

 

『ギィッ!』『ギシャアッ!』『グアァ!!?』

 

「―――やぁっ!!」

 

『『『ギャァ…ァァ…』』』

 

 一瞬で仲間が倒されたことに動揺する残りのゴブリン。

 ベルはそんなゴブリンに一瞬で肉薄し、高速でナイフを振るう。

 二刀の短刀が朱と蒼の軌跡を描いた次の瞬間、ゴブリンたちの頭は地面に落ち、灰へと還るのであった。

 

「…よし、やっぱり強くなってる。これでもう、ゴブリンに怯えていたあの頃の僕はいないんだ」

 

 今の戦闘からも分かるように、ベルの実力は確実に上がっていた。

 アイズとの訓練により、全般的なベルの能力は格段に上昇したのだ。

 そして何より、ベルの【ステイタス】は想像を絶するほどの上がり方をしていた。

 

 ちなみにこれが現在のベルの【ステイタス】である。

 

 

************************************

 

 

ベル・クラネル

  Lv.1

 力:SS1003  耐久:S956  器用:SS1025  敏捷:SS1088  魔力:S942

 

 《魔法》【ウインドボルト】

     ・速攻魔法

 

 《スキル》【英雄熱望(ヒーロー・ハート)

     ・早熟する

     ・英雄を目指し続ける限り効果持続

     ・英雄の憧憬を燃やすことにより効果向上

     

       【命姫加護(リィン・ブレス)

     ・魔法が発現しやすくなる

     ・『魔力』のアビリティ強化

     ・運命に干渉し、加護の保持者に絶対試練を与える

     ・試練を乗り越えるごとに、加護の効果向上

 

 

*************************************

 

 

―――これが、『恩恵』を刻まれてわずか一週間の【ステイタス】である。

 

 これにはロキも酷く驚き、あやうくベルには秘密にしている『スキル』がバレてしまうところであった。

 しかし、ロキがそこまで取り乱したのも仕方がないことだろう。

 本来、ステイタスの上限はS999であり、その限界を越える者は今まで存在していなかった。

 しかしベルはその限界を越え、『力』『器用』『敏捷』の三つの項目においてSSであったのだ。

 神であっても、この異常とも呼べる現象には驚かずにはいられなかったのである。

 

 文字通りの『限界突破』―――これはベルが持つスキル【英雄熱望(ヒーロー・ハート)】によるものであった。

 アイズたちと過ごすうちに、英雄を目指す思いが強くなったベル。

 【ステイタス】の限界超えてしまうをほどの強き思い―――絶対に英雄になりたいというベルの意志に、さすがの(ロキ)も戦慄を隠せずにはいられなかった。

 

 それでも神は神。

 すぐにいつもの余裕を取り戻したロキは、この規格外の成長をただの成長期だとベルに信じ込ませた。

 普通の者ならいくら主神の言葉でも少しは疑うものだが、素直なベルは主神(ロキ)の言葉を疑わない。

 そのため自分の【ステイタス】を見た感想が「成長期ってこんなに伸びるものなんだ…今のうちにどんどん伸ばさなくちゃ!」であった。

 

 流石のロキも純粋過ぎるベルを見て内心頭を抱えていた。

 

(その純粋さは美徳やけど、その純粋さにつけこむ奴はどこにでもいるからな…例えば娯楽に飢えている神とか)

 

 自分のことを棚に上げるロキであったが、やはり自分の眷族(こども)のことになると話は別である。

 ベルの【ステイタス】が他人に―――特に神々にバレないよう細心の注意を図るロキであった。

 

 こうしてロキの気苦労は増えていったのである。

 

 

 

*****

 

 

 

 ベルがダンジョンに潜ってから三時間が経過した。

 

 ベルはリヴェリアたちと約束とした時間通りにダンジョン探索を切り上げ、地上へと帰還していた。

 本日のベルの戦績はゴブリン百四体にコボルトが十六体―――。

 エイナに帰還報告をしたベルは、倒したモンスターから入手した魔石の欠片を換金所に持って行った。

 そこで二六〇〇ヴァリス(ゴブリンの魔石ばかりであったので思いの外安かった)に換金してもらったベルはエイナに別れを告げ、シルが働いているという酒場へと向かうのであった。

 

 

 ダンジョン探索を無事に終えた僕は、今朝シルさんと交わした約束を守るために彼女が勤めているという酒場を探していた。

 

(確か、シルさんが言ってた酒場ってこの建物だよね?)

 

 今朝シルさんに教えられたカフェテリアを見つけた僕は、その店頭で足を止める。

 二階建てで石造りの建物で、周りにある建物の中でも群を抜いて大きかった。

 

(ここがシルさんが働いている酒場、『豊饒の女主人』。…凄い名前のお店だけど、どういう意味なのかな?)

 

 店名が書かれている看板を仰ぎ見た僕は、そんなことを考えながら店内をそっと窺ってみた。

 最初に目に付いたのは今朝会ったシルさん……ではなく、カウンターの中にいる恰幅のいいドワーフの女性であった。

 

(あの人がこの酒場の女将さんかな…?ということは、店の名前の『女主人』という言葉ってあの人のことを指しているんだよね?)

 

 確かに女主人というイメージが似合う女性であった。

 

(えっと、他にはヒューマンの女性やキャットピープルの少女…エルフの店員までいるのか。でも、シルさんは見当たらないな……)

 

「来てくれたのですね、ベルさんっ」

 

「うひゃぁっ!?」

 

「そ、そんなに驚かれると私…けっこう傷付きますよ?」

 

「す、すみません!」

 

 音もなく僕の隣に現れたシルさんに驚き、思わず変な声を出してしまった。

 

(け、気配をまったく感じなかった…シルさんっていったい何者なんだ?)

 

「うふふ、冗談ですよ。ベルさんが本当に来てくださったのが嬉しくて、つい驚かしちゃいました。それでは早速、席まで案内しますね」

 

「は、はい」

 

 笑顔で迎えてくれたシルさんに流されるまま、僕はカウンターの席へと案内された。

 

「ここはちょうど酒場の隅ですから、自分のペースで食事ができますよ」

 

「こんなにいい席を用意してくれてありがとうございます、シルさん」

 

「いえいえ、大切なお客様のためですから。それでは早速当店おすすめのパスタをご用意しますね」

 

 そしてそれから十分後。

 

「どうですか、ベルさん…私おすすめのミア母さんが作ったパスタのお味は?」

 

「その…凄く美味しいですけど、ちょっと量が多めな気が…」

 

「ボリュームがあるのが当店の売りですから」

 

「もちろん一番の売りは味ですけどね」と告げながら、シルさんは僕に微笑むのであった。

 

(値段は聞いてなかったけど、今日一日で稼いだ収入だけで足りるかな…だ、大丈夫だよね…?)

 

「大丈夫ですよ、ベルさん。このパスタのお値段は三〇〇ヴァリスですから、ベルさんの手持ちのお金で十分足りると思いますよ」

 

「あぁ、そうだったんですか。どうやら無事に払えそうで良かったです…って僕、口から考えが出ていましたかっ!?」

 

「うふふ、ベルさんは考えが顔に出やすい人ですからね。それに私、勘はいい方ですから」

 

「あはは、そうだったんですか」

 

(僕ってそこまで分かりやすい顔をしているのかな?う~ん…)

 

「私はそこがベルさんの美点だと思いますよ。ですから、そんなに悩まないでください」

 

「ま、また表情に出ていましたか!?」

 

「うふふ、さぁどうでしょうね」

 

 自分の考えが全て読まれたことに動揺した僕をシルさんは面白そうに見つめるだけで、その答えは言わなかった。

 そのときカウンターの奥からキャットピープルのウェイトレスがシルさんに声を掛けた。

 

「シル~お客が増えて来たから手伝ってニャ」

 

「うん、分かったよアーニャ。…それじゃあベルさん、私はそろそろ仕事に戻りますね」

 

「はい、お仕事頑張ってくださいね」

 

「ベルさんが応援してくれたおかげで、いつもより頑張れそうです」

 

「それでは失礼しますね」とシルさんは綺麗なお辞儀をして、厨房の中へと消えていった。

 

 去って行くシルさんを見送った僕はというと、地味に落ち込んでいた。

 

(結局答えをはぐらかされたけど、やっぱり僕の表情から考えを読み取ったってことだよね?僕ってそこまで顔に考えが出ちゃうのかな?うぅ…アイズさんやリヴェリアさんをもっと見習なくちゃ)

 

「それほどシルの言葉を気にする必要はありませんよ」

 

「えっ?」

 

 落ち込んでいた僕の後ろから突然、澄んだ声色をした女性の声が聞こえた。

 その声に反応して振り返ってみるとそこには、ウェイトレス姿であるエルフの女性が立っていた。

 驚くことにそのエルフの女性は、リヴェリアさんに匹敵するくらいの端麗な容姿であった。

 

(この人……入り口から覗いたときに見かけた、エルフのウェイトレスさんだ)

 

「シルは気に入った相手をからかう癖がありますので、あまり深くは考えない方がいいですよ」

 

 あまり深く考えなくていいと言われても、さすがに「はいそうですね」と納得できない。

 自分の考えていることが全て筒抜けなのは結構マズい問題である。

 

「で、ですが僕の考えていることは全てシルさんに筒抜けでしたし…」

 

「あれはシルの勘が鋭過ぎるのです。いくら表情が顔に出やすいからといって、普通の人ではあそこまで詳しくは読み取れませんよ」

 

「そ、そうですよね!」

 

 彼女の言葉を聞いてようやくほっと安心する一方、僕の中でシルさんに対する疑問が増えていく。

 

(でもそれができるシルさんは、やっぱり普通じゃないってことだよね。ほ、本当にシルさんって何者なんだろう…?)

 

 彼女について知れば知るほど、謎は深まるばかりだ。 

 シル本人に尋ねてみても、絶対に誤魔化されることだろう。

 とりあえずシルさんの素性は横に置いておくとして、今は親切に教えてくれたエルフの女性にお礼を伝えないと―――。

 

「あの、わざわざ教えてくだいありがとうございました!えっと…」

 

「リュー・リオンです。リューと呼んでくれて構いませんよ、クラネルさん」

 

「分かりました、リューさん…ってどうして僕の名前を?」

 

 リューさんとは初対面なので、僕の名前を知る由はないはずだ。

 それとも、僕が忘れているだけで、どこかで出会ったことがあったのかな?

 頭を悩ます僕を見てリューさんは、「実はシルから貴方のことを伺っていたのです」と驚くべき発言をした。

 

「シ、シルさんからですか…?」

 

「はい。今朝出勤するときにベル・クラネルという面白い少年に出会ったと言っていました。…シルは貴方がこの店に来られるのを大層楽しみにしていたようですよ?」

 

「そうだったんですか、シルさんがそんなことを…」

 

 このお店に訪れたときに、シルさん本人から自分が来るのを楽しみにしていたと聞かされていた僕であったが、てっきり冗談だと思い込んでいた。

 まさか職場の同僚にまで言っていたなんて…。

 僕は今頃になってシルさんのあの発言が冗談ではなかったと知り、むず痒い気持ちになるのであった。

 

 思わず照れてしまった僕であるが、今のリューさんの発言で一つだけ気になる所が存在した。

 

(『面白い少年』か…。僕ってそんなに変なことをシルさんにしたかな…?)

 

 今朝のシルさんとの出会いを思い返してみると、何個か思い当たる節が存在した。

 思わず頭を抱えてそのときの行動を省みる僕であったが、気が付くとそんな僕をリューさんはその空色の瞳で見つめているのであった。

 

「す、すみません!会話の途中なのに考え事をしまって…」

 

「いえ、構いませんよ。私も考え事をしていましたから」

 

「考え事ですか…?」

 

「そうですね……実はクラネルさんに尋ねたいことがあるのですか、よろしいでしょうか?」

 

「は、はい…大丈夫です」

 

「…クラネルさんは最近冒険者になったばかりなのですか?」

 

「えっと…最近というか今日なったばかりです」

 

「今日冒険者になったばかりですか。……なるほど、シルが貴方のことを面白いと言ったのも分かる気がします」

 

 リューさんは僕の回答を聞いて、何かを納得したように頷いた。

 

(リューさんにまで面白いって言われるなんて…。僕ってそんなに新人っぽいオーラが出てるのかな…?)

 

「あの、やっぱり一目見ただけで新米冒険者だって分かるんですか?」

 

「…どうやら誤解を与えてしまいましたね。紛らわしい言い方をしてしまい申し訳ありませんでした、クラネルさん」

 

 そう言ってリューさんは僕に向かって頭を下げた。

 

「そ、そんなっ!?頭を上げてください、リューさんっ!僕は全然気にしてませんから!!」

 

 深々と頭を下げて謝ってきたリューさんの生真面目過ぎる行動に、僕は慌てふためく。

 エルフという種族は誇り高く、滅多に頭を下げることはないと聞いていたけれど、リューさんは全然違っていた。

 レフィーヤさんやリヴェリアさんも礼儀正しい人だと思っていたが、リューさんの律儀さは彼女たちを越えているかもしれない。

 

「その、てっきり新人丸出しの雰囲気が僕から漂っているのかと……」

 

「そんなことはありません。それに大多数の方が貴方のことを新人だと気付くことはないと思いますよ」

 

「そ、それならよかったです。…ってあれ?それならどうして、リューさんは僕が冒険者になったばかりだと分かったんですか?」

 

 リューさんは僕の疑問にすぐに答えず、吸い込まれるくらい透き通った空色の瞳で僕の顔をじっと見つめてきた。

 

「あの、リューさん…?」

 

「……それは貴方から感じる強さが他の冒険者とは大きく異なっていたからです」

 

「えっ、僕って他の人とは大きく異なっているんですか…?」

 

「えぇ、ただし勘違いしないでください。貴方は強い……それも新人とは思えないほどの実力を持っている」

 

「ぼ、僕がですか…?」

 

「あくまで私見ですが、貴方の実力は間違いなく新人の域を脱していると思います。ただ他の実力者と比較すると、何かが足りない。…それが何なのか、クラネルさんの言葉を聞いてやっと分かりました」

 

 今日冒険者になったばかりという僕の発言から、リューさんは何に気が付いたのだろう?

 

「その、僕に足りないものとは一体…?」

 

「―――それは『経験』です」

 

「け、経験ですか?」

 

「はい、貴方にはその実力に見合うほどの『経験』が圧倒的に足りていないように思います。だから私は、貴方のことを最近ダンジョンに潜ったばかりの新人冒険者だと推察したのです」

 

「そうだったんですか…」

 

 ベルがオラリオに訪れたのは約十日前。

 そしてアイズとの訓練が始まったのは一週間前。

 それ以前―――つまりオラリオに訪れる前のベルは戦闘とは無縁な生活を送っていた。

 いくら【ステイタス】が急上昇しても、『経験』が急上昇することはありえない。

 経験とは日々の積み重ねで得られるものであり、どんな『スキル』でもその法則を破ることはできない。

 そのため他の冒険者と比べてベルは、踏んで来た場数が圧倒的に少ないのであった。

 

「冒険者になったばかりなら経験が少ないのも頷けます。ですが限られた経験でここまでの実力に至るとは…。本当にこの世界に居たのですね、『英雄』と呼ばれる存在が…」

 

「へぇ~そうなんですか…って僕が英雄ですかっ!?」

 

「私は出会ったことはありませんが、英雄と呼ばれる者の中では少ない経験で格段に力を伸ばす者も多いと聞きます。貴方もその一人だと考えればその強さも納得します」

 

「そ、それだけは絶対にありえませんよっ!?僕みたいな弱い人間がそんな立派な存在な訳がありません!!」

 

「クラネルさん…謙虚なのは美徳でもあるのでしょうが、あまり自分を貶めるような発言は…」

 

「別に謙虚でも何でもありません、今の僕はリューさんが言うような大層な人間ではないんですっ!だって僕は…」

 

 ―――守られてばかりのちっぽけな存在なんです、というベルの言葉はリューにより遮られた。

 

「クラネルさん…それ以上自分を貶める真似を続けるのなら、私は本気で怒りますよ」

 

 謙虚過ぎる…いや、この場合は卑屈過ぎるベル。

 本気で英雄を目指しているベルが、リューの発言を激しく否定したのには理由がある。

 彼は英雄に本気で憧れるからこそ、今の弱い自分が英雄と呼ばれることを認めるわけにはいかなかったのだ。

 【ステイタス】が上昇し確かに力がついたベルであるが、彼はまだ自分のことを弱い存在だと思い込んでいた。

 決して忘れることはない、自分がいかに無力な存在なのか痛感したあのとき―――その過去が枷のようにベルを縛り、彼の輝きを邪魔していた。

 

 そんなベルを見て、常に冷静なリューにしては珍しいことに怒りの感情を顔に出していた。

 

「で、ですが…」

 

「もう一度言いますが、それ以上自分を貶める真似を続けるのなら、私は本気で怒りますよ」

 

 先程より怒気が強くなったリューを見て、熱くなっていた頭が冷やされたベルは、急いで謝るのであった。

 

「あの、思わず意固地になってしまってすみませんでした…」

 

「…いえ、私の方こそ少し熱くなってしまいました。こちらこそ失礼なことを言ってしまいすみませんでした、クラネルさん」

 

「い、いえ、リューさんは悪くありませんよっ!…そうだ、リューさんはダンジョンに詳しいんですか?」

 

「…えぇ、まぁ。私は過去に冒険者を名乗っていましたので少しは詳しいです。それが何か?」

 

 ベルの質問を聞いて、思わず表情が固くなるリュー。

 ベルはリューの過去を詮索するつもりはないことを告げ、自身の悩みを打ち明けるのであった。

 

「ここに来る前にダンジョンの第二階層までに潜ってきたのですが、その…」

 

「戦ったモンスターが弱過ぎたのですね?」

 

「…はい、リューさんの言う通りです。思わず拍子抜けするほど相手にしたモンスターは弱かったんです。ゴブリン五体を一度に相手にしましたが、危なげもなく勝利しました。それで、その…」

 

「―――ふむ、クラネルさんが私に相談したいことはわかりました。つまり、階層をより深く潜るべきか悩んでいるんですね?」

 

 リューの言葉に頷くベル。

 そのままベルは話を進めた。

 

「はい、そうなんです。冒険者になったばかりの新人は、探索範囲を三階層までにするのが常識だとよく言われてます。なぜなら三階層まではゴブリンとコボルト――この二体しか出現しませんので、新人にとっては最も危険が少ない階層だからです」

 

「確かにゴブリンとコボルトの強さはモンスターの中でも最底辺に位置しますからね。ダンジョンの中では最も安全な階層でしょう」

 

「はい、リューさんの言う通りです。…ですが四階層からはそれまでとは大きく違ってきます。まず出現するモンスターの種類が増え、そしてそれらのモンスターが出現する間隔も三階層までと比べものにならないほど一気に増加します」

 

「…三階層でダンジョンはこんなものかと舐めてしまった新人が存在するのは確かです。そしてその新人達は間違いなく全員が痛い目に遭います。中には地上に帰還出来なかった人もいるでしょう。新人にとって最初の難関は第四階層をいかに油断せずに挑めるかに尽きると私は思います。そしてクラネルさんもそう思われているのですね?」

 

「はい、僕もリューさんと同じ考えです。だから凄く迷ってしまうのです。今の自分の実力なら四階層に降りても大丈夫なはず―――だけどそれはただの油断ではないのか、と……」

 

 このまま三階層を中心に活動していくか、それとも四階層に進出していくか。

 ベルはその二択で迷っているのであった。

 

「とりあえずクラネルさんは明日、三階層に挑むということで合っていますか?」

 

「はい…ですが難易度的には二階層と三階層はそれほど差がないと教わりましたから、たぶん今日の感じだと…」

 

「今のクラネルさんなら三階層はまず余裕でしょう。しかし、これはまた難しい問題ですね…」

 

 思いの外真剣に悩んでしまったリューに、ベルは慌てて告げる。

 

「あ、あの、今さらですがやっぱり…」

 

「遠慮なさらないでください、クラネルさん。シルの友人である貴方が悩んでいるままだと私も困ります」

 

「リューさん……」

 

 律儀なリューはベルの悩みに対し真摯に答えるために、真剣に考え始めた。

 そしてしばしの熟考の後、リューはベルに自分の考えを告げるのであった。

 

「―――四階層に進出せずに三階層で経験を積むことを、私はクラネルさんに勧めます」

 

 リューがベルに示した回答は三階層で経験を積む…つまり現状維持であった。

 

「今の貴方の実力なら三階層は物足りないと思うでしょう。ですが冒険者にとって本当の意味で無駄で無価値な経験など存在しません。そしてそれらの経験は、いつか貴方の身を救うことでしょう」

 

「僕の身を救う、ですか…?」

 

「はい。恐らくですが、貴方が目指す場所に辿り着くためには、そのような経験も必要なのだと思います」

 

「リューさん…」

 

「…いえ、あまり気にしないでください。私の勘はよく外れる」

 

 リューはふっと笑い、ベルの目の前に置いてある料理を見た。

 

「クラネルさん、料理が冷めてしまうから早く食べた方がいい」

 

「は、はい」

 

「それではお客が増えて来たようなので、私は業務に戻りますね」

 

「あのっ、リューさん!」

 

「何でしょうか、クラネルさん?」

 

「―――相談に乗ってくれてありがとうございましたっ!その…明日もお昼を食べに来てもよろしいでしょうか…?」

 

 ベルの言葉を聞いたリューは、彼女にしては珍しく笑みをこぼすのであった。

 

「…ふふ、別に私に許可を取る必要はありませんよ。ぜひ明日も入らしてください、クラネルさん」

 

「はいっ、ありがとうございます!」

 

「それでは私はこれで」と告げてベルに告げ、リューは入店して来たお客の方へと向かうのであった。

 

 

 リューの助言が正しかったのかは今の時点では分からない。

 ただし、これだけは断言できる。

 今回のベルの選択がどういう結果を導くのかは、今から五日後に判明するのであった。

 

 ―――五日後、ベルにとって最初の試練が幕を上げる。

 

 

 




次回はベル視点からアイズ視点へと話が変わります。


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妖精の成長と楽園の終焉

 『遠征』から三日目、【ロキ・ファミリア】の面々は五十階層に到達していた。

 この五十階層はダンジョンの中でもモンスターが出現しないとされる階層―――安全階層(セーフティポイント)であるため、冒険者達の間では野営地としてよく利用されているのであった。

 そしてそれは、都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】も例外ではない。

 

 五十階層は灰色に染まった樹林に埋め尽くされた階層である。

 樹林の間には川が葉脈状に走っており、青い水流が途切れることなく続いていた。

 その階層に存在する、高さは約十メートルもある広大な一枚岩―――その上に中規模ほどの野営地が作成されていた。

 

 その野営地では多くの者が何らかの作業に勤しんでいる。

 たくさんの器材を肩に担ぐヒューマンの男性や、武器の点検を行うドワーフの女性、戦いで疲れた者にタオルや飲み物を手渡すヒューマンの少女など、作業に勤しむ者は様々であった。

 

 そんな準備で騒がしい野営風景から少し離れた場所で、二人の少女が会話をしていた。

 

「アイズさん、先程はお疲れ様でした」

 

「…ん、レフィーヤこそお疲れ様」

 

「ありがとうございます。でも、アイズさんたち前衛がほとんど倒してくれましたので、私は楽をしてしまいました…」

 

 そう告げるレフィーヤの表情は心なしか少し暗い。

 思わず俯いてしまったレフィーヤに、アイズは優しい表情で語りかけた。

 

「…ううん、気にしなくていいよ。レフィーヤたち後衛は戦況を引っくり返すほどの攻撃力を持っている。そんなレフィーヤたちを守るのが、私たち前衛の仕事だよ」

 

「それにレフィーヤたちが後ろでサポートしてくれるから、私たちは安心して戦える」と言いながら、アイズはレフィーヤの頭を優しく撫でた。

 

「ア、アイズさん…!!」

 

 顔を上げたレフィーヤの顔にはもう暗さはなく、彼女の紺碧の瞳は思わず潤みかけた。

 

(あのアイズさんが私のことをこれほど信頼してくださっていたなんて…。このレフィーヤ・ウィリディス、感激ですっ!)

 

「私…いつも以上に頑張りますからっ!!絶対にアイズさんの信頼に応えてみせますっ!!」

 

「…う、うん?」

 

 アイズの言葉がジーンと心に響いたレフィーヤは、凄い勢いで張り切り出した。

 レフィーヤの山吹色の髪を撫でていたアイズはというと、いきなり熱くなったレフィーヤに驚き、撫でていた手を思わず戻すのであった。

 

 そんな盛り上がっている二人の所に、エルフの女性が近付いて来て声をかけた。

 

「随分と盛り上がっているようだな…アイズ、レフィーヤ。これなら大いに活躍を期待できそうだ…特にレフィーヤはな」

 

「リ、リヴェリア様!?えっとですね、これはその…」

 

「お前の発言は私にも聞こえていた。いいか、レフィーヤ…アイズの言葉を聞いて張り切るのはいいが、肩に力が入り過ぎだ。そんな状態では肝心な所でミスをするぞ」

 

「うっ、申し訳ありません…リヴェリア様」

 

「ふふ、どうやら頭が冷えたようだな。いいか、レフィーヤ…お前の力が必要になってくる場面はこの遠征中に必ずやって来るはずだ。…厳しいことを言ったが、私もアイズ同様期待してるぞ、レフィーヤ」

 

「リヴェリア様……はい、必ずや期待に応えてみせます」

 

 余談だが、アイズやリヴェリアがLv.3のレフィーヤにここまでの期待を寄せる理由―――その答えはレフィーヤの【ステイタス】にあった。

 

 

************************************

 

 

 レフィーヤ・ウィリディス

  Lv.3

 力:I78  耐久:H103  器用:H182  敏捷:G223  魔力:C680

 魔導:H  耐異常:I

 

 《魔法》【アルクス・レイ】

     ・単射魔法

     ・照準対象を自動追尾

 

     【ヒュゼレイド・ファラーリカ】

     ・広域攻撃魔法

     ・炎属性

 

     【エルフ・リング】

     ・召喚魔法

     ・エルフの魔法に限り発動可能

     ・行使条件は詠唱及び対象魔法効果の完全把握

     ・使用した対象魔法分の精神力を消費

 

 《スキル》【妖精追奏(フェアリー・カノン)

     ・魔法効果増幅

     ・攻撃魔法のみ、強化補正倍化

     

      

*************************************

 

 

 レフィーヤの【ステイタス】は魔力特化型の【ステイタス】であるが、これは魔導士としては平均的な数値である。

 

 真に注目すべき所は、三つあるレフィーヤの魔法の一つ―――召喚魔法【エルフ・リング】である。

 この召喚魔法は、憧れの存在であるアイズの力になりたいという彼女の強き思いが形となり、最後に発現した魔法であった。 

 その召喚魔法【エルフ・リング】は、神々さえも仰天させるほどの前代未聞な効果――主神であるロキが『まさにチート魔法や!!』と評したほどの性能を持つ魔法であった。

 その魔法効果は、詠唱及び効果を完全把握したエルフの魔法に限り使用することができるという反則技―――。

 ベルの速攻魔法【ウインドボルト】も十分に規格外な魔法であったが、レフィーヤの召喚魔法はそれすらも上回るほどの力を秘めた魔法なのだ。

 

 以上の理由から、リヴェリア達はレフィーヤのことを高く評価しており、彼女の力が必要になるときが必ずある来るだろうと確信していた。

 また、努力家で仲間を気遣うレフィーヤの人柄も、みんなから信頼される理由の一つになっているのは言うまでもない。

 

「うむ、いい返事だ。…しかし、私達がダンジョンに潜ってもう三日目か」

 

「………うん」

 

 アイズはリヴェリアの言葉…具体的には三日という言葉を聞いて、一人の少年のことを考えていた。

 

 その少年の名はベル・クラネル―――アイズが直接指導した新人である。

 アイズにとってベルと過ごした日々はとても新鮮で、彼から色々なことを学ぶことができた。

 こんな素敵な弟が自分にできたことを、神に感謝したくらいであった。

 

 ―――彼は元気だろうか?

 ―――自分がいない間にダンジョンで怪我をしていないだろうか?

 ベルの師として…そして姉として、心配せずにはいられなかった。

 

「やはりベルのことが心配か、アイズ?」

 

 リヴェリアは、三日目という言葉を聞いて黙り込んでしまったアイズの様子から、ベルのことを気に掛けているのだろうと推察した。

 

「…うん、ベルの実力なら心配ないと思うけど、やっぱり少し心配…」

 

「私は今でもベルが一人だけでダンジョンに潜るのは反対です…。その、どうしてリヴェリア様は条件付きで許したのですか?」

 

「ふむ…私もレフィーヤと同じく反対だったが、ベルの意思を一方的に無視するのはどうかと思ってな。だから条件付きで許可することにしたんだ」

 

「そうだったんですか。ですがベルは、私たちが課した条件をちゃんと守るでしょうか…?」

 

「以前に私たちからこっぴどく叱られて、凄く反省していたのはお前も見ていたから知っているだろう?あの様子では、再び約束を破るような真似は絶対にしないさ」

 

「まぁ万が一破ったときは、以前よりもさらに厳しい説教が待っているがな」とリヴェリアは瞳を鋭くされて告げる。

 そのリヴェリアの有無を言わない迫力に、レフィーヤはベルが約束を守ることを心から祈るのであった。

 

「そういえば、アイズさんはベルが一人で潜ることに初めから賛成でしたよね?」

 

「…ちょっと違うかな?私にベルのその意思を反対する資格はなかったから、反対できなかっただけ」

 

「反対する資格がなかった、ですか?そんなことは…」

 

「…ううん、そんなことはあるよ。だって私もよく一人でダンジョンに潜って、みんなに心配を掛けているから…」

 

「そ、それは…」

 

「…そんな私が反対するなんて、さすがに自分勝手すぎる。だから私には、一人で潜ろうとするベルを止める資格はない」

 

「確かにその通りだな。ベルが一人でダンジョンに潜ることに対して、お前だけは反対だと言う資格はない」

 

「…うん」

 

「ア、アイズさん…」

 

 リヴェリアに強い口調で責められたアイズは顔を俯き、レフィーヤはそんなアイズのことを心配そうな顔をして見つめるのであった。

 

「反省しているのなら、これからは一人でダンジョンに潜ろうとするな。上層や中層ならまだしも、一人で深層に挑むのは危険過ぎる。…どうしても潜りたいときは私を誘え。分かったか、アイズ?」

 

「…本当にありがとう、リヴェリア」

 

「リヴェリア様っ、アイズさんっ!」

 

 二人の間に存在した張り詰めた雰囲気がなくなったことに、レフィーヤは心から安堵するのであった。

 

「まったく…弟子は師に似るというが、お前とベルは本当に似ているよ」

 

「…私にはよく分からないけど、そうなのかな…?」

 

「あぁ…お前たちを見ていると、本当の姉弟のように思えてくる」

 

「…何だか、照れる」

 

 リヴェリアにベルとは姉弟のようだと言われたアイズは、思わずその頬を染める。

 アイズが頬を染めた理由―――それは彼女とベルの関係が、客観的に見ても姉弟だと評されたことが嬉しかったからだ。

 

(…本当によかった。今の私は、ベルに相応しいお姉ちゃんになれたのかな?)

 

 照れくさそうに微笑むアイズとは打って変わり、レフィーヤの表情は硬かった。

 

「あ、あのリヴェリア様…私は…」

 

「私はベルと本当の姉弟のように見えますか?」と尋ねようとしたレフィーヤだが、直前で思い留まる。

 何故ならレフィーヤ自身、リヴェリアに聞かなくてもその答えは分かっていたからだ。

 他人から見た自分とベルの関係は、【ファミリア】の先輩と後輩―――。

 いくらこの一週間で距離が縮まって来ても、自分達のことを姉弟みたいだと評してくれる人はいないだろう。

 

 ―――だって自分は、アイズさんとは違うのだから。

 

 二人が中庭で訓練しているときに、自分はただ見ていることしかできなかった。

 最初はベルに色々と教えていた自分だが、時間が経つに連れてベルに教えられることがなくなってきたのだ。

 しかし、それも当然である。

 なぜならベルは、戦闘面ではオラリオ最強の剣士であるアイズさんに鍛えられ、知識面ではオラリオ最強の魔導士であるリヴェリア様に教えられているのだ。

 そんな偉大な二人と比べてずっと実力が劣っている自分が、今さらベルに何を教えられるというのか……いや、はっきり言ってないだろう。

 

「どうした、レフィーヤ?」

 

「…いえ、何でもありません」

 

「ふむ、そうか…」

 

「…?」

 

 リヴェリアはレフィーヤの心中を察したのか、それ以上何も追求して来なかった。

 一方アイズは、神妙な顔をする二人のことを不思議そうな表情で見つめていた。

 ベルと過ごす内に他人の感情の機微が段々と分かるようになってきたアイズだが、今のレフィーヤの心境までは察することはできなかった。

 

 そんな三人の下へ、小人族の青年が駆け寄って来た。

 

「リヴェリア、アイズ、レフィーヤ」

 

「ん、フィンか…もう天幕は張り終わったのか?」

 

「あぁ、こっちはもう完成したよ。だからこうして、リヴェリアに伝えに来たんだ」

 

 笑顔でそう告げるフィンに対し、何かを考えるように両目を閉じたリヴェリア。

 そして徐に片目だけ開けて、フィンに告げた。

 

「…伝えたいことはそれだけではあるまい、フィン」

 

「流石はリヴェリア、本当に察しがいい」

 

「本当に天幕が完成したことを伝えるだけなら他の者で十分だからな。わざわざ団長であるお前自身が来たということは、他の団員たちには聞かせられないほどの案件なんだろう?」

 

「あぁ、本当に話が早くして助かるよ。実はリヴェリア達三人に伝えておきたいことがあるんだ」

 

「…ふむ」

 

「…私たちに伝えたいこと?」

 

「あの、何かあったのでしょうか…?」

 

「ンー、そうだね……何かあったと言うよりは、これから何かが起こる(、、、、、、)と言った方がいいかな?」

 

「そ、それって…」

 

「どうにも親指が疼いて仕方がない。しかもこの疼き方……途轍もなく嫌な感じだ」

 

 真剣な表情をしたフィンは、右手の親指の腹をぺろっと一舐めしてから呟いた。

 フィンの意味深な呟き、リヴェリア達の表情は一気に険しくなった。

 

「それは穏やかな話ではないな。今までにお前の勘が外れたことはない……これはいつもより警戒しておく必要があるな」

 

「け、警戒ですか…」

 

「そう不安そうな顔をするな、レフィーヤ。前もって危険を知ることができたのは大きいぞ。だからお前はいつも通り、直ぐに魔法を放てる準備をしていればいい。危険に直面したときこそ冷静に―――それが冒険者の鉄則だろう?」

 

「リ、リヴェリア様…」

 

「…大丈夫だよ。レフィーヤたちが魔法を放つまで、私たちが絶対に守り切るから、だから安心して、レフィーヤ」

 

「ア、アイズさん……」

 

「うん、アイズの言う通りだ。僕たち前衛はモンスターを後衛で控える魔導士達の下へと行かせないために存在する。だからレフィーヤは普段通り、自分の為すべきことを為せばいいさ」

 

「それにだ…レフィーヤはいつも守られてばかりだと思っているかもしれんが、それは間違いだぞ。―――そうだろう、アイズ?」

 

「えっ?」

 

「…うん。だって私達前衛はいつも、レフィーヤ達後衛に助けられているから」

 

「―――!!」

 

「…この前も危険に陥ったとき、レフィーヤの魔法に助けられた。―――そうだったよね?」

 

「――――――」

 

 アイズにとっては当たり前のことを伝えただけであったが、レフィーヤにとっては衝撃的な言葉であった。

 

 前衛は後衛を守り、後衛は前衛を守る―――それは自分とアイズさんにも当てはまっていた。

 前衛であるアイズさんは私を守り、後衛である私はアイズさんを守っていた――その事実にレフィーヤはようやく気付くことができたのだ。

 

(―――あぁ、自分はなんて大きな勘違いをしていたのだろう…。私がずっと気が付いていなかっただけで、本当はもう…アイズさんの力になれていたんだ)

 

 ―――彼女を支え、彼女を癒し、彼女を助け、彼女の力になりたい。

 そんな自分の願いはとっくの昔に叶っていたのだ。

 

「…レフィーヤ?」

 

「…すみません、自分がいかに愚かだったのか思わず反省していました。だけどようやく…ようやくアイズさんのおかげで気が付くことができました」

 

「…?よく分からないけど、レフィーヤは愚かなんかじゃないよ」

 

「だって私よりも賢いから」と優しい表情で告げるアイズ。

 

「アイズさん…。私は、私は……」

 

 ―――私はこんなにも優しい彼女の力になることはできたのだ。

 ―――だけど憧れの彼女は強く、自分が弱いという事実は変わらない。

 

(それでも、アイズさんの力になりたいという自分の願いは叶えることができた。それなら、私はもう…)

 

 ―――憧れのアイズさんに認められたのだから、もう強くならなくてもいいのかもしれない。

 

(だけど私は―――私はいつまでも、アイズさんの力になりたいっ!!)

 

 ―――アイズさんはどこまでも強くなっていくはずだ。そうしたら、歩むことを止めた自分はすぐに置いて行かれるに決まっている。

 ―――彼女との差が開かないようにするにはどうしたらいいのか?

 

(答えは簡単……それは今の自分より強くなるだけ!アイズさんに追いつくために、私は絶対に強くなってみせるッ!)

 

「―――アイズさん、この危機を必ず乗り切りましょうね!」

 

「…うん、頑張ろうねレフィーヤ」

 

 自力で壁を乗り超え、成長したレフィーヤ。

 纏う雰囲気が変わったレフィーヤを見て、アイズは内心で驚きながらも、優しい表情でうなずくのであった。

 

 そんな二人のやり取りを黙って見守っていたフィン達は、これ以上ないほどの温かい瞳をしていた。

 

「こういう光景を見ると、この【ファミリア】の団長を務めていてよかったと改めて感じるよ。そうは思わないかい、リヴェリア?」

 

「…あぁ、そうだなフィン。次世代を担う若者の成長というのは、いつ見ても嬉しいものだ」

 

「これは珍しい…今のリヴェリアは子供の成長を喜ぶ母親のような表情をしているよ」

 

「…お前までロキと同じようなことを言うのか、フィン」

 

「あはは、そんなに睨まないでよ。リヴェリアに本気で睨まれると結構怖いんだよ?…さて、話は変わるんだけど一つ聞いてもいいかな?」

 

「ん、何だ?」

 

「四十九階層での戦闘…そこで魔法を連発したが、削られた精神力はどのくらい回復したかい、リヴェリア?」

 

「精神力か…。先の戦いでの思ったよりも消費したからな、まだ半分も回復していないぞ」

 

「そうか…。まぁ、五十一階層に出発するまで時間は十分にある。それまでゆっくり休んで英気を養って……ッ!?」

 

 不自然な形で会話が途切れたフィンに、リヴェリアは怪訝そうな顔をする。

 

「突然どうした、フィン?」

 

「親指がさっきよりもうずうずいっている。これは―――」

 

 自分の親指が先程よりも強く疼いていることに気付いたフィン。

 危険知らせる親指……その親指が疼いたときには、フィンたちは様々な危険に直面してきた。

 そして今までの経験則から、フィンの親指の疼きが大きいほど、直面する危険はより大きなものとなる。

 そして今回、フィンの親指はとても強く疼いていた。

 これが何を意味するのか?―――その答えは明白だ。

 

(―――この疼き方はマズイっ!?) 

 

「戦闘用意ッ!!」

 

 自分達の身に危険が迫っていることにいち早く気が付いたフィンは、遠くにいる団員にまで聞こえるよう大声で叫んだ。

 

「「「―――!!」」」

 

 フィンが言い放った瞬間、【ロキ・ファミリア】の団員達は団長の指示に即座に従う。

 野営の準備をしていた者はすぐに作業を止めて武器に手を伸ばし、休憩していた者は外していた防具を一瞬で装備し、武器を構えた。

 アイズもフィンの指示に即座に反応し、腰から剣を抜いて周囲を警戒する。

 レフィーヤやリヴェリアも杖を手に取り、辺りを警戒し始めた。

 

 そしてフィンはというと、約百メートルほど離れた地点に存在する横一面に広がる大きな壁を真剣な表情で見つめていた。

 フィンの視線の先にある巨大な壁―――それが僅かであるが亀裂が生じたのを碧色の瞳は見逃さなかった。

 

「来るぞッ!!」

 

「なに?」

 

 フィンが叫ぶのと同時に、壁の亀裂が大きくなる。

 ビギビキビギッ、と不吉な音を鳴らしながら壁一面に無数の亀裂が走り出した!

 

(亀裂が生じる範囲がいつもより大きい!?―――これは間違いなく強敵だッ!)

 

 【ロキ・ファミリア】の面々は戦闘体勢に移行しながらも、その明らかにいつもとは異なる現象に普段よりも警戒心を高くする。

 

 そしてついに亀裂は壁全体へと走り、地割れの如く崩れ落ちた。

 

『『『―――――――――!!!』』』

 

 フィン達の視線の先で、崩れ落ちた壁の中から巨大なモンスターの大群が姿を現すのであった!

 

「「「―――ッッ!?」」」

 

 突如出現したモンスターは芋虫のような外見であった。

 ただし、全長四メートルという巨大な体を有し、緑色の表皮には毒々しい極彩色が刻まれている。

 その上半身は山のように盛り上がっており、左右からは腕のような触手が伸びていた。

 そして下半身は無数の短い足からなっており、その動く姿は芋虫に似ている。

 

 長年ダンジョンに潜り続けてきたフィン達でさえ、一度も見たことがないモンスター。

 そんなモンスターが百体以上(、、、、)も出現したのだ!

 

 本来ならモンスターが産まれ落ちることはない階層で、見たこともない怪物―――『新種』のモンスターが突然大量に出現した。

 この異常事態に歴戦の戦士である【ロキ・ファミリア】の団員達も流石に言葉を失うのであった。

 

「何だあれは!?」

 

「し、『新種』のモンスターなの…?」

 

「一体一体が巨体なのに、数まで多いとかどうなってやがる!?」

 

「それよりもここは安全階層のはずだぞ!?なぜこんなにも大量なモンスターが産まれ落ちるんだッ!?」

 

 長い間ダンジョンに潜ってきた彼らでも、安全階層で未知のモンスターを大量に産み落とされた経験はこれが初めてだった。

 そのため団員達に動揺が走り、思わず体が硬直するのであった。

 

「―――ッ!」

 

 多くの団員達が混乱している中、最も早く動いたのはフィンだった。

 

「まずは冷静になれッ!奴等がここまで登るのには時間がかかるはずだ!陣形を立て直すぞ!」

 

 いち早く動揺から立ち直ったフィンは矢継ぎ早に指示を出していく。

 

「魔導士達は魔法の射程圏内に移動次第、すぐに詠唱を開始しろ!リヴェリア、彼らへの指示は任せたぞ!」

 

「了解だ、フィン!…行くぞ、レフィーヤ!」

 

「はい、リヴェリア様!」

 

 フィンの指示に従い、リヴェリアやレフィーヤなどの魔導士達は即座に行動を開始するのであった。

 

「アイズ、ティオネ、ティオナ、ベート!あれほどの群れを相手にするには、強力な魔法を打ち込むしかない!そのため君達には魔導士達が魔法を放つまでの時間を稼いでもらう!ただし時間を稼ぐと言っても、相手はどんな能力をもつか解らない『新種』のモンスターだ!細心の注意を怠るなッ!」

 

「…任せて」

 

「分かりました、団長っ!」

 

「了解だよっ!」

 

「相手が『新種』だろうが関係ねぇぜ!」

 

 フィンの指示に即座に従い、アイズ達は一枚岩の上に作成された野営地から飛び出して敵へと駆け出すのであった。

 

「残りの半分は弓などの遠距離武器でここからベートたちを援護しろ!ラウル、彼らへの細かい指示は君に任せる!」

 

「は、はいっす!」

 

「残りの半分は盾を構えて魔導士達を守れ!敵は『新種』だ、どんな遠距離攻撃を放つのか分からない!だがどんな攻撃が来ても必ず後ろの仲間を守り抜くんだッ!ガレス、陣形は君に任せる!」

 

「うむ、任せろフィン!」

 

 フィンの指示を聞いて、ヒューマンの青年とドワーフの男性を中心に行動を開始した。

 

 敵が現れて十秒も経たない内に、全団員へと指示をし終えたフィン。

 この異常事態に冷静に対処するその姿は、まさしく【勇者(ブレイバー)】であった。

 そんなフィンが居たからこそ、【ロキ・ファミリア】の団員達はすぐに動揺から立ち直り、最適の行動へと移ることができたのだ。

 

 こうして、後に『五十階層の激闘』と呼ばれることになった戦い―――その火蓋が切って落とされるのであった。

 

 

 




次回の更新は1/28となります。


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五十階層の激闘-前編-

 

 

 先手を取ったのは、アイズ、ティオネ、ティオナ、ベートの四人だった。

 アイズ達はLv.5の脚力を存分に発揮し、百メートル離れた敵との距離を一瞬で埋める。

 

「てやぁッ!」

「フッ!」

「喰らえッ!」

 

 ティオナは芋虫型のモンスターの頭に向かって大双刀(ウルガ)を叩き込み、ティオネはすれ違い様に一対の湾短刀(ククリナイフ)でその胴体に無数の斬撃を浴びせ、ベートはその横っ腹に渾身の飛び蹴りを叩き付けた。

 

 そして同じように芋虫型のモンスターへと斬りかかったアイズはというと、遠征前日にしたベルとの会話を思い出していた―――。

 

『…ベルは苦手なものとかあったりする?』

『その…お恥ずかしい話、芋虫が苦手だったりするんです』

『意外…どうして苦手なの?』

『実は小さい頃、外で遊んでいたときに芋虫を踏みつけてしまったんです』

『…それで、どうなったの?』

『誤って踏んでしまったその芋虫の体液が足にかかったんですけど、浴びた箇所が焼けるように痛くなって、薬を塗っても痛みが全然引かず、凄く辛い思いをしました…。それがトラウマになってしまい、未だに芋虫は苦手なんです』

『…そんな危険な芋虫がベルの故郷にはいたの…?』

『お祖父ちゃんが言うには珍しい種類の虫だったらしく、滅多に人里には現れないらしいんですけど、運がなかったのか出会ってしまったみたいです…。確か効果は弱いながらも腐食作用(、、、、)の体液を有する珍しい芋虫だと―――』

 

(―――腐食作用のある体液を有する芋虫)

 

 ベルが語ってくれた芋虫についての話を走馬灯のように思い出したアイズは、目の前の『新種』に対してひどく違和感を覚えた。

 現在進行形で斬りつけている芋虫型のモンスターに対し、猛烈に悪寒が走る。

 アイズは自分の直感に従い、敵を斬り終わった瞬間に全力で後方へと跳躍して距離を取るのであった。

 

 結果として、自身の直感を信じたアイズの行動は正しかった。

 ―――なぜならアイズが後ろに跳んだ次の瞬間、芋虫型のモンスターの傷口から体液が飛び散ったからである。

 その体液がアイズが先程までいた場所に降り注ぎ、じゅう…と音を立てて地面を溶かしたのだ。

 

「ッ!?」

(―――腐食液ッ!?)

 

 腐食液の放出範囲から間一髪で逃れたアイズは、自分がいた辺りの地面が溶かされた事実に驚愕する。

 なぜなら、地面を一瞬で陥没されるほど溶かすほど強力な腐食作用のある体液なんて見たことも聞いたこともなかったからだ。

 

 アイズは直前に後ろへと跳ぶことでに腐食液を回避することができたが、他の者はそう上手くはいかなかった。

 

「きゃっ!?」

「痛っ!?」

「クソッ!?」

 

 一対の湾短刀(ククリナイフ)で無数の傷口をつくったティオネは、自分がつくった多くの傷口から放出された腐食液を全て避け切ることができず、腕や足などに数ヶ所かかり、彼女の褐色の肌をじゅぅっ、と焼いた。

 またティオナとベートも自分達がつくった傷口から噴出してきた腐食液を回避しきれず、少なくない傷を負ったのだ。

 

 だが、それはまだ序の口であった。

 芋虫型のモンスターの頭を叩き潰したティオナと、その横っ腹に渾身の飛び蹴りを放ったベート―――二人の攻撃は一撃でモンスターを絶命させた。

 本来なら敵を一撃で倒す、つまり相手に攻撃の機会を与えずに倒すことは最良の戦闘である。

 しかし、このモンスターに対してその方法はこの上なく悪手だった。

 

 ―――なぜならそのモンスターは絶命したら爆発して腐食液を撒き散らすという、悪質な能力を持っていたからだ。

 

『『オオオオオオォォ!?』』

 

「なっ!!?」

「うそッ!?」

 

 絶命した二体のモンスターは勢いよく破裂し、腐食液が爆弾のように二人を襲う。

 そしてティオナとベートは、飛び散った腐食液をもろに喰らってしまうのであった。

 

「ティオナッ、ベート!?」

「二人ともっ!?」

 

 アイズ達の視線の先では、身に纏う軽装ごと皮膚は溶かされ、痛々しく焼かれた肌から煙が立ち昇るティオナとベートの姿があった。

 そんな二人を見てティオネは思わず名を叫び、アイズも切羽詰まった声を出す。

 

「私は大丈夫っ!ティオネっ、片側半分の足を狙って!」

「こんなの掠り傷だっ!それよりアイズ、早く風を纏えッ!!」

 

 決して無視していいダメージではないのにもかかわらず、ティオナとベートは即座に大丈夫だと言い切った。

 そしてティオナはティオネに、ベートはアイズにそれぞれ最適な行動を助言する。

 

「……!わかったわ!」

「了解です…ッ!」

 

 ティオネはティオナの助言通りにモンスターの短い多脚のみに狙いを絞り、先程の攻撃で腐食液を浴びて溶けかけている二刀の湾短刀を使って切断していく。

 傷口から溢れ出す腐食液を見切りつつ、腐食液で徐々にボロボロになっていく湾短刀の寿命を気にしながらも片側半分の足を全て切断する。

 そして次の瞬間には、モンスターはバランスを失って地面へと倒れ込むのであった。

 

「よし、足止めとしてはこれで十分ね」

 

 厄介なモンスターを一瞬で無力化したティオネは、腐食液により歪な形になってしまった湾短刀を捨て、予備の湾短刀を取り出して装備し、新たな標的へと狙いを定めるのであった。

 

 そしてアイズはというと、

 

「【目覚めよ】」

 

 前方に存在するモンスターの群れを見据え、

 

「【エアリアル】」

 

 必殺の魔法を発動させた。

 

「―――行きます」

 

 そして疾風と化したアイズは、物凄い勢いでモンスターの群れへと一直線に突っ込んだ。

 

『!?』

 

 アイズは疾駆のまま先頭にいた一体に向かって剣を振り抜き、その胴体を真っ二つにする。

 切断された胴体から腐食液がアイズに向かって勢いよく噴出したが、アイズの身体を包み込む風がその全てを吹き飛ばす。

 

『オオオオオオォォ!?』

 

 次の瞬間、真っ二つになったモンスターは勢いよく破裂して腐食液を撒き散らす。  だが、放出された腐食液は風の鎧を超えることはできず、アイズに傷の一つも負わすことができなかった。

 

(風で腐食液は防げている…それに≪デスペレート≫も溶けていない。これなら、いけるっ!!)

 

 アイズの愛剣である細剣(デスペレート)は腐食液を浴びても、ティオネの湾短刀(ククリナイフ)とは違い剣身が溶けることはなかった。

 それもそのはず、アイズの剣は不壊属性(デュランダル)と呼ばれる特性を兼ね備えた特殊武装だからである。

 不壊属性(デュランダル)―――それは上級鍛冶師の中でも一握りしか作れない属性持ちの特殊武装であり、威力そのものは他の一級品装備に劣るものの、何があろうと決して壊れない(、、、、、、、)装備であるのだ。

 

 アイズは決して刀身が曇ることはない銀の細剣を構え、新たな標的へと疾駆と化して突っ込んで行くのであった。

 

 一方、傷だらけのティオナとベートはというと、自分の装備を見て苦々しい顔をしながらモンスターの攻撃を避けていた。

 

大双刀(ウルガ)はもう、使い物にならないね…」

「チッ、≪フロスヴィルト≫もダメか」

 

 大双刀(ウルガ)を叩き潰すように使ったためか、剣身はもろに腐食液を浴びてしまい、見るも無残な形になってしまった。

 そしてベートが身に着けるメタルブーツ―――とある属性を秘めた特殊武装(フロスヴィルト)も腐食液をもろに浴びてしまい、本来の能力が発揮できないほど溶解してしまった。

 そんな武装を失った二人の姿を見て、フィンは急いで指示を下す。

 

「ティオナとベートはすぐに下がれッ!!」

 

「「!!」」

 

 フィンの言葉が二人の耳に届いた瞬間、ティオナ達は即座に身をひるがえし、キャンプがある一枚岩の上へと戻る。

 

「ティオナ、ベート、目をつぶれッ!」

 

 フィンは万能薬(エリクサー)を取り出し、ぶつけるように二人の全身へとかける。

 腐食液を浴びて黒く変色してきた皮膚は、万能薬によりみるみるうちに治癒していくのであった。

 

「ありがとっ、フィン!」

 

「ありがとよ」

 

「疲労しているところ悪いが、ベート達には足止めを続けてもらう。敵の腐食液に気を付けながら、ティオネのように足を狙っていけ」

 

「今度は油断しないよ!」

 

「同じミスは二度もしねぇ」

 

 そしてティオナはボロボロになった大双刀の代わりに長槍を二本手に取り、ベートはナイフを数本手に取った。

 

「それとティオナ、この予備の湾短刀をティオネに渡してくれ」

 

「了解っ!それじゃあ、行っくよおおぉぉ―――ッ!!」

 

「虫退治と行こうぜええぇぇ―――ッ!!」

 

 回復を終え、予備の武器を装備したティオナとベートは、雄叫びを上げながら再びモンスターの群れへと突っ込んで行く。

 

「よっと!」

 

 ティオナは獰猛に笑いながら、一体の個体に向かって掬い上げるように槍を突き出し、その身体をひっくり返した。

 

「それっ!」

『!?』

 

 宙に浮いたモンスターの片側半分の足を薙ぎ払うように切断する。

 飛散する腐食液も、間合いが長い槍で攻撃したティオナには届かない。

 

「次行くよー!」

 

 流れるような動作で敵を無力化したティオナは、別の標的に狙いを定めるのであった。

 

「喰らえッ!」

 

 ベートはモンスターとモンスターの間を縫うように高速で移動しながら、ナイフで足を斬っていく。

 

『『『!?!?!?』』』

 

 一瞬の間に三体ものモンスターを無力化したベート。

 そんなベートに危機感を感じたのか数体のモンスター達が、彼に向かって一斉に口から腐食液を放出する。

 

「―――同じミスは二度もしねぇと言っただろうが」

 

 だが、飛びぬけた敏捷(あし)を持つベートには通用しない。

 易々とその攻撃を回避したベートは、一瞬で敵との間合いを埋め、足を全て切断する。

 

『!?』

「芋虫は芋虫らしく、地べたに這いつくばっていやがれ」

 

 地面へと倒れ込む芋虫型のモンスターを見下しながら、ベートは戦場を駆け抜けるのであった。

 

「やれやれ、どうやら先程の攻撃でスイッチが入ったようだね。今の彼らなら、敵の攻撃を受けることは絶対にない」

 

 そんなベート達の奮戦する光景を眼下に、フィンは戦況を分析する。

 

(魔導士達の詠唱が終わるのも後少し―――これは決まったかな)

 

 フィンが自分達の勝利を確信する中、魔導士達は詠唱を紡いでいく。

 

「【間もなく、焔は放たれる】」

 

 広大な一枚岩、その中で戦場を一望できる場所に集まり、一斉砲撃の準備をしていた。

 

「【忍び寄る戦火、免れ得ぬ破滅。開戦の角笛は高らかに鳴り響き、暴虐なる騒乱が全てを包み込む】」

 

 魔導士達の足元に魔法円(マジックサークル)が展開する。

 

「【至れ、紅蓮の炎、無慈悲の猛火】」

 

 詠唱が進むごとに展開された魔法円(マジックサークル)の輝きは増していく。

 

「【汝は業火の化身なり。ことごとくを一掃し、大いなる幕引きを】」

 

 詠唱中である全ての魔導士達の魔力は莫大に高まり、魔法が完成へと至ろうとする。

 

「【焼き尽くせ、スルトの剣―――我が名はアールヴ】」

 

 ―――そしてついに、長大な詠唱は完了した。

 一番前に立つリヴェリアの詠唱完成を皮切りに、他の魔導士達も詠唱を終える。

 複数の魔法円が重なるように大きく展開し、後は魔法名を唱えるだけとなった。

 

「五秒後に魔法の一斉砲撃を開始する!アイズ達は一旦下がれッ!!」

 

 魔導士達の準備が完了したことをすぐに悟ったフィンは、モンスターの群れと戦っているアイズ達に下がるよう指示を出す。

 きっちりと足止めの役割を果たしたアイズ達は、敵との戦闘を切り上げ離脱し、一枚岩の上へと下がるのであった。

 

「―――今だ、放てッ!!」

 

 フィンの号令を皮切りに、魔導士達は必殺の『魔法』を発動させた。

 

「【レア・ラーヴァテイン】!!」

 

 炎、雷、水、土、風。

 様々な攻撃魔法がモンスターの群れと襲い掛かった。

 

『『『オオオオオオォォォォォ!!?』』』

 

 炎の柱が多くのモンスターを丸呑みにし、雷の槍が胴体を貫き黒こげにし、風の矢がその身体を切り裂き、火の雨が敵に突き刺さって炎上し、モンスター達を殲滅させた。

 そして数瞬後には、無残な姿となったモンスターの群れが確認できるのであった。

 

「やったっ!やったよ、アイズっ!」

 

「…うん、ほとんど倒せたね」

 

「安心するのは早いわ、二人とも。まだ残ったモンスターがいるわよ」

 

「さっさと倒して終わらせるぞ、お前ら」

 

 アイズ達四人は残りのモンスターを殲滅しようと一枚岩から飛び出す。

 そんな彼女らを尻目に、リヴェリアはフィンの下へと駆け寄って来た。

 

「どうやら勝負はついたようだな、フィン」

 

「そのようだね、リヴェリア。一級品の武器すら溶かす腐食液を見たときはどうなるかと思ったけれど、流石はアイズ達だ」

 

「あの『新種』の恐るべき点はそこだけだからな。腐食液があるということさえ判っていれば、どうということはない」

 

「そう考えると、あの『新種』は初見殺しに特化したモンスターだね。しかし、安全階層である五十層に大量の『新種』が出現、か…」

 

「私が知る限りこのようなことは初めてだし、聞いたことすらない。…異常事態としか言えないだろう」

 

「―――異常事態、か…」

 

(本当に、どうしてあれほどの数の『新種』が安全階層である五十層に出現したんだ?一体どんな異変がダンジョンに起こっているというんだ…?)

 

 フィンはこの異常事態について考察しようとした瞬間、親指の疼きが消えていないことに気が付く。

 

(―――親指の疼きが消えていない…?いや、むしろ先程よりも強くなっているッ!?)

 

 その事実に気が付いたフィンは臨戦態勢を纏い直し、辺りを警戒し出した。

 

「フィン…?」

 

「―――まだだ、リヴェリア」

 

「なに?」

 

「まだ、戦闘は終わっていない」

 

 そうフィンが呟いた瞬間、

 

『――――――』

 

 不吉な音が五十階層全体に響き渡った。

 

 ―――フィンの言う通り、モンスターとの戦いは終わってなどいなかった。

 こうして五十階層の激闘は、第二ラウンドを迎えるのであった。

 

 

 




しばらくは週1で更新していく予定です。


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五十階層の激闘-後編-

 

 

「「「―――!」」」

 

 遠方から木々をへし折る破裂音が聞こえた。

 その音はまるで、巨大な何かが森を壊しながらこちらに近づいているように感じた。

 

「こ、この音って…」

 

 誰もがその音に何かを感じ取ったのか、それぞれ武器を装備し直して臨戦態勢へと移る。

 油断なく音がする方角を見つめていたフィン達の視界に、それ(、、)は現れた。

 

「何よ、あれ…」

「…ひ、人型のモンスター?」

 

 姿を現した新たな『新種』を見て、ティオネとティオナは目を見開いて思わず呟く。

 先程まで戦っていた芋虫型のモンスターも巨大であったが、目の前に現れたそれは、比較にならないほど巨体である。

 黄緑色の皮膚という点では芋虫型のモンスターと類似しているが、その作りは芋虫型ではなく人型であった。

 

「先程の『新種』の上位種かッ!?」

 

 下半身は芋虫型と変わりないが、上半身は人の姿を模していた。

 ただし腕は人間とは違い四本存在し、頭の後ろからは管のような器官が何本も垂れ下がっている。

 その顔にあたる部分は目も鼻も口もないが、何故か女性の顔であるのが連想できた。

 そして真に注目すべきは、あまりにも醜悪に膨れ上がった敵の腹部である。

 先程の芋虫型のモンスターの上位種だとしたら、絶命時に身体を破裂させて腐食液を撒き散らすのは当然予測できる。

 

(あれほどの巨体が爆発したら、ここまで腐食液が届く可能性は高い。…いや、腹にあれほどの体液を溜め込んでいるのなら、確実に僕達は巻き添えを喰らうだろう。なら、ここで取るべき選択は―――)

 

「おい、フィン!奴の後ろを見ろッ!!」

「ッ!あれは…!!」

 

 フィン達の視界の先に映ったのは、人型のモンスターの後方から現れる芋虫型のモンスターの大群であった。

 その数はおよそ五十。数で言えば先程殲滅した群れの半分であるが、今回は芋虫型のモンスターだけではなく、見るからに強敵そうな『新種』が存在する。

 

(人型の『新種』だけならまだしも、芋虫型の『新種』が多すぎる。これで先程考えた作戦は使えないな…。さて、どうする―――?)

 

 フィンは頭脳をフルに働かせてあのモンスター達を打倒し、かつ被害を最小限に抑える方法を模索する。

 

「リヴェリア、魔力は残っているか?」

 

「…すまない、先程と同じ威力を放てるほどの魔力はもう残っていない」

 

 運が悪いことに、リヴェリアは四十九階層での戦闘で魔法を連発したため、この戦闘が始まった時点で魔力は半分も…実際は四分の一も残っていなかった。

 そして先の広範囲殲滅魔法で魔力を大きく消費してしまったため、もう一度あれほどの攻撃魔法を放つ魔力は残っていなかったのだ。

 

「そうか。…レフィーヤ!」

 

「は、はいっ!」

 

遠くにいたレフィーヤを呼び寄せたフィンは、早口で質問する。

 

「魔力はまだ残っているか?」

 

「はい、九割以上残っています!」

 

 レフィーヤの力強い言葉を聞いて、フィンはこの状況を打破する最良の策を考えた。

 そして即座にその作戦を実行する。

 

「そうか。―――総員聞けッ!!」

 

 全ての団員達はフィンの指示に耳を傾ける。

 

「アイズは人型のモンスターを抑えろ!ティオネ、ティオナ、ベートの三人は芋虫型のモンスターの足止めに徹しろ!レフィーヤは僕と一緒にここに残れ!他の者は速やかにキャンプを破棄し、最小限の物資を持って撤退しろッ!総員、行動開始ッ!!」

 

「「「了解ッ!!」」」

 

 フィンの指示が届いた瞬間、即座に行動を開始する。

 アイズは人型の、ティオネ達三人は芋虫型のモンスターへと突っ込んで行く。

 そして撤退を命令された団員達は、速やかに離脱の準備に入った。

 

「あ、あの団長…、私は何をしたら…?」

 

 場に取り残されたレフィーヤは、不安そうにフィンを見つめる。

 

「レフィーヤにはベート達が足止めしている間に、最大威力を誇る魔法を召喚してもらう。それで人型を除く全てのモンスターを仕留めてくれ」

 

「そ、それは…」

 

「君の実力ならやれるはずだ、レフィーヤ」

 

 フィンが考えた、被害を最小限に抑えながらも敵に勝利する方法―――その要となる存在はアイズとレフィーヤであった。

 もちろんモンスターの群れを足止めするベート達も重要であるが、実力が未知数な人型のモンスターをある時点まで抑え、かつ最後には打倒しなければならないアイズの役目は重大である。

 同じく五十を超える芋虫型モンスターを魔法一発で殲滅しなくてはならないレフィーヤの役割も重大である。

 先程のように多くの魔導士達で一斉砲撃したいところだが、今回仲間の被害を最小限に抑えるためには必要最低限の人数で殲滅する必要があった。

 そして全団員の実力を把握しているフィンは、人型を除く全てのモンスターを殲滅するにはレフィーヤ一人で十分だと判断したのだ。

 

「わ、私は…」

 

「―――それとも、君が召喚できる魔法ではあのモンスター達を倒せないと言うのかい?」

 

「ッ!!」

 

 レフィーヤが有する召喚魔法【エルフ・リング】は、詠唱及び効果を完全把握したエルフの魔法に限り使用することができる―――つまり、オラリオ最強の魔導士であるリヴェリアの魔法を使用することができるのだ。

 

 私が最も尊敬する魔導士の魔法では、五十を超えるモンスターの群れを倒せない―――?

 ―――否、そんなことがあるはずがない!

 

たかが(、、、)五十のモンスター、リヴェリア様の魔法なら一撃で殲滅できるに決まっているっ!)

 

「―――そんなことはありません!絶対に倒してみせますッ!!」

 

「よし、どうやら覚悟はできたようだね。敵がこちらを狙って来ても、必ず僕がその攻撃を防ぐ。だからレフィーヤは詠唱を完成させることだけに集中してくれ」

 

「はい、わかりましたっ!―――【ウィーシェの名のもとに願う】」

 

 覚悟を決めた顔になったレフィーヤは、眼下に群がるモンスター達を見据え、詠唱を開始する。

 そんな彼女を守るよう側に立つフィンは、眼下の戦闘をじっと見つめるのであった。

 

 

 

*****

 

 

 

「【目覚めよ、エアリアル】」

 

 再び風を纏い直したアイズは、人型のモンスターへと突っ込んで行く。

 自分に向かって来るアイズに気付いたそのモンスターは、顔面部に横一線の亀裂を走らせ、口のようなものを形成する。

 そして不気味に開かれた口から、腐食液がまるで弾丸のように撃ち出された。

 

「―――ッ!」

 

 その放出された腐食液のあまりの速度に驚いたアイズであったが、即座に行動へと移す。

 自分に向かって飛んでくる腐食液に対して、風を纏わせた愛剣を一閃する。

 風の壁が召喚され、迫り来る腐食液の弾丸を吹き飛ばした。

 

(―――今度は、こっちの番)

 

 腐食液を防いだアイズは、風を纏わせた細剣を人型のモンスターに向かって振り抜く。

 

『―――!』

 

 突風が生まれ、人型のモンスターだけを吹き飛ばす。

 あまりの巨体にたったの三十メートルしか吹き飛ばすことができなかったが、それでも他のモンスター達から引き離すことはできた。

 

「流石ね、アイズ!」

「雑魚どもは俺らに任せておけ」

「それじゃっ、行っくよおぉぉ!!」

 

 ティオネ達は芋虫型のモンスターあの群れに突撃し、先程と同じように敵の無力化のみを念頭に置いた戦い方を始める。

 

(このまま敵を誘導しなくちゃ)

 

 芋虫型のモンスター達と戦うティオナ達から少しでもこのモンスターを引き離すために、アイズはそのまま遠くへと誘い出そうとする。

 しかし、アイズの思惑通りに動くほど目の前の敵は甘くなかった。

 

『―――』

 

 人型のモンスター、その四本の腕がアイズめがけて勢いよく振られる。

 しかし振られた腕は射程圏外にいるアイズに届かず、むなしく空を切った。

 

(ただの空振り…?いや、何かが舞っている…?)

 

 振られた四本の腕からおびただしい量の鱗粉が舞い、辺り一帯を漂う。

 極彩色に輝く粒子群が自分を中心に降りそそいだ瞬間、アイズの背筋に悪寒が走る。

 直感に従い即座にその場から逃げるアイズ。

 拡散する鱗粉の範囲から抜け出す一歩手前で、宙に舞う無数の鱗粉が爆発するのであった。

 

「なッ!?」

「爆発しただと!?」

「アイズっ!?」

 

 人型のモンスターから放たれた光る粒子群が爆発し、その凄まじい熱気に身体を焼かれるベート達。

 彼らは足止めに徹しながらも、爆発に呑み込まれたアイズを心配する。

 次の瞬間、ベート達の視界の先に映る煙が突風により吹き飛ばされ、そこから全身に風を纏ったアイズが現れるのであった。

 

(―――風を纏っていなかったら、今のは危なかった)

 

 アイズは内心で冷や汗を流しながら、再び人型のモンスターへと突っ込んで行く。

 

『!』

 

 剣を構え接近するアイズに対し、モンスターは四本の腕で迎え撃つ。

 まずは足を狙おうと右側の多脚に向かって剣を振り抜くアイズであったが、モンスターは一本の腕を伸ばしアイズの攻撃を防御する。

 それなら反対側の足を狙うのみとばかりに即座に斬りかかったが、別の腕が伸ばされ防がれる。

 

 (―――それなら、背後を狙うのみ)

 

 敵に攻撃を防がれても流れるような動きで敵の背後に回り、その背中へと斬りかかる。

 しかし一本の腕がアイズの一閃を完全に防御し、残る一本の腕がアイズを攻撃する。

 

「…っ!」

 

 迫り来る腕に対し持ち前の反射速度で防御するも、ほっと一息つく暇はない。

 なぜなら防御に回していた三本の敵の腕が、アイズめがけて振り抜かれたからだ。

 

「ッ!?」

 

 驚異的な反射速度で二本の腕を剣で防ぐも、最後の一本が間に合わなかった。

 咄嗟に【エアリアル】の威力を上げて風の鎧の強度を上げるも、その横薙ぎの攻撃に思いっきり弾き飛ばされる。

 風の加護のおかげでダメージはほとんどなかったが、それでも敵との距離は大きく開いてしまう。

 

(―――しまったっ!?私の考えが正しければ、この敵から距離を空けちゃいけないのに!)

 

 アイズの懸念通り、モンスターは大量の腐食液と鱗粉を放つ。

 アイズめがけて一直線に放たれた腐食液を何とか回避するも、先程よりも大量に舞う鱗粉の射程範囲から逃れることはできなかった。

 敵に向かって走りながらも身に纏う風の気流を強くし、爆発の衝撃に備えるアイズ。

 そして、無数の光粒群は炸裂した。

 

「―――ッ!!」

 

 幾重もの風の壁を展開したことで直撃こそ免れたものの、決して少なくないダメージを負う。

 しかしアイズは受けたダメージを完全に無視し、敵へと斬りかかった。

 

『!』

 

 人型のモンスターはすぐに二本の腕を伸ばし、アイズの攻撃を防ぐ。

 それでもアイズは何度も何度も敵に斬りかかる。

 時折迫り来る敵の攻撃をきっちり打ち払い、先程のように弾き飛ばされることはなかった。

 

(やっぱり…この近距離だと爆粉を使おうとしない)

 

 ―――敵の懐に潜り込めば爆発する鱗粉はもちろん、腐食液も自滅を恐れて放てなくなるはず。

 そのアイズの予想は見事的中し、モンスターは四本の腕でしか攻撃して来なかった。

 ただし流石のアイズであっても、縦横無尽に駆け回る四本の腕を捌くだけで精一杯だった。

 

 こうしてアイズと人型の『新種』との戦闘は、しばらく拮抗状態に陥るのであった。

 

 

 

*****

 

 

 

 アイズ達が『新種』の群れと戦っている一方、一枚岩の上にいるレフィーヤは詠唱を紡いでいた。

 

「【―――至れ、妖精の輪。どうか、力を貸し与えてほしい】」

 

 レフィーヤの足元には山吹色に輝く魔法円(マジックサークル)が展開され、魔力が高まる。

 そして、その魔法名が紡がれた。

 

「【エルフ・リング】」

 

 魔法名を唱えた瞬間、魔法円の色が山吹色から翡翠色へと変化する。

 

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に風を巻け】」

 

 二つ分の詠唱時間と精神力を犠牲にしてレフィーヤが召喚するのは、彼女が知る限り最強の攻撃魔法―――。

 呼び起こすのは全ての存在を凍てつかし、敵の命を刈り取る無慈悲な吹雪―――。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地―――】」

 

 詠唱の完成が近付くにつれ、翡翠色の魔法円はよりいっそう強い輝きを放ち出す。

 爆発的に魔力が高まるレフィーヤ…そんな彼女に危機感を抱いたのか、アイズと戦闘中であるモンスターが動きを見せた。

 

『―――』

 

 後頭部から生える無数の管が蠢き、一枚岩の上にいるレフィーヤめがけて鱗粉を弾丸のように撃ち出したのだ。

 

「っ!!」

 

 無数の管が意志を持ったように動いた瞬間、アイズは即座に敵の狙いを看過し、阻止しようと動き出していた。

 しかし四本の腕がそうはさせまいとアイズを果敢に攻撃し、アイズをその場に縫い付ける。

 

「!?」

 

 放たれた極彩色に光る粒子群が、詠唱中であるレフィーヤを狙って勢いよく飛んでいく。

 本能的に自分が狙われていることに気付いたレフィーヤは、先程の爆発を思い出して顔を青くする。

 

 ―――だが、レフィーヤの側には頼もしい騎士(ナイト)がいることを忘れてはいけない。

 

「大丈夫だ、レフィーヤ。そのまま詠唱を続けて」

 

 フィンは気負いなくレフィーヤに告げ、一歩前に出る。

 目を疑うようなおびただしい粒子が目の前に迫っているのを尻目に、フィンは予備の槍を握りしめ、そして―――

 

―――その槍を全力で投げた。

 

 渾身の力で放たれた槍は恐るべき威力を秘めながら宙を一瞬で駆け、その風圧で眼前に広がっていた鱗粉の壁を押し返す。

 そのまま槍は一条の閃光となって、アイズを攻撃していた腕の一本を貫くのであった。

 

『!?!?!?』

 

 突然腕の真ん中辺りが穿たれ、その痛みで思わず混乱するモンスター。

 一方、投擲された槍の風圧で押し返された極彩色の粒子群はというと、誰もいないところで爆発するのであった。

 

「―――あまり冒険者(ぼくら)を舐めるなよ、怪物。その攻撃はもう見切っている」

 

 三.〇六秒。その数字は、本体から放たれた光の粒子が爆発するまでの時間である。

 アイズとの戦闘において見せた鱗粉による爆撃、フィンはその攻撃を二回見ただけである法則を看破した。

 それは極彩色の粒子群が爆発するのは一定の時間…具体的には放出されてから三.〇六秒かかるということ―――。

 そして、一度放たれた鱗粉は敵によって制御されているわけではないということだ。

 恐るべき洞察力でそのことに気が付いたフィンは、三.〇六秒以内に何らかの手段で放たれた鱗粉を吹き飛ばせば、爆発に巻き込まれることはないと見抜いていたのだ。

 

 【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナ―――勇者(ブレイバー)と呼ばれる彼の実力は伊達ではない。

 

「【吹雪け、三度の厳冬―――我が名はアールヴ】!」

 

 そしてフィンに守れながら、詠唱を完成させたレフィーヤ。

 

「三秒後に魔法を放つ!ティオネ達は一旦下がれッ!!」

 

 レフィーヤが詠唱を終わらせた一瞬後には、フィンはモンスターの群れを足止めしているティオネ達に下がるよう指示を出していた。

 離れた位置で人型のモンスターと戦うアイズを除き、ティオネ達は敵との戦闘を切り上げ、即座に離脱した。

 

「―――今だ、レフィーヤッ!!」

 

 フィンの号令を聞いて、レフィーヤは『魔法』を発動させた。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 

 三条の吹雪がモンスターの群れめがけて襲い掛かった。

 蒼と白の砲撃が前方のモンスターから次々と凍結させ、辺りは蒼氷の世界と化す。

 そしてアイズと戦う人型のモンスターを除き、全てのモンスターは凍り付き、氷像と化すのであった。

 

「や、やった…?」

 

「うん、流石はレフィーヤだ。モンスターの群れは全滅だよ。―――残すは、あの上位種だけだ」

 

 フィンがそう告げた瞬間、ドンッと上空に閃光が打ち上げられた。

 それは仲間達の撤退完了の合図―――そして、目標撃破の許可でもある。

 

「それじゃあ僕等も撤退しよう、レフィーヤ」

 

「は、はいッ!」

 

「ティオネ、ティオナ、ベートの三人も撤退しろッ!そしてアイズ―――敵の撃破を許可するッ!!」

 

 フィンの言葉を聞いて、アイズは今以上に風の出力を上げる。

 そして一条の風となり敵に突っ込んだ。

 

『―――』

 

 突然速さが増したアイズに、モンスターの反応は遅れる。

 今までの速度とは一線を画す加速力で敵の真横を通過したアイズ。

 彼女が通り過ぎた一瞬後、片側半分の全ての足が断ち斬られた。

 

『!?』

 

 何が起こったのか分からないまま、バランスを崩すモンスター。

 咄嗟に二本の腕を足代わりにしてバランスを保ったモンスターであったが、アイズの攻撃は止まらない。

 通り過ぎた瞬間即座に方向転換し、怯むモンスターに向かって疾走する。

 そして一瞬の間に後頭部から生える管をすれ違いざま切断し、四本の腕をその肩口から斬り落とした。

 本体から斬り落とされた無数の管と四本の腕は、重力に従い地に落ちる。

 地面に落ちた衝撃でふわっと極彩色の鱗粉が宙を舞う。

 

 ―――そして三.〇六秒後、爆発が連続して起こった。

 

『―――ァァァァッ!?』

 

 爆発の連鎖に巻き込まれたモンスターは、その痛みから思わず絶叫した。

 一方遠く離れた一枚岩の壁に着地したアイズは、爆破の渦から逃れることができずに悶え苦しむモンスターを見下ろす。

 アイズは眼下の敵をその金の瞳で見据え、壁に足をつけた体勢で必殺の構えをとる。

 最大出力の風を纏い、最大限まで力を溜めるアイズ。

 今から彼女が繰り出すのは、どんな敵でも一撃で打ち破ってきた必殺技―――。

 

(―――そういえば、まだあの子にこの技を見せていなかったな…)

 

 ―――この必殺技を見せたら、ベルは一体どのような反応を見せてくれるだろう。

 ―――前に魔法を披露したときは失敗してしまったけど、今度は喜んでくれるかな?

 

 今もどこかで戦っているはずの少年の姿が脳裏に浮かび上がり、強敵との戦闘で硬くなっていたアイズの表情も思わず柔らかくなる。

 そしてアイズは、主神命名である一撃必殺の技名を静かに唱えた。

 

「―――リル・ラファーガ」

 

 次の瞬間、金色に輝く大風の螺旋矢が誕生した。

 神風と化したアイズが一直線に敵へと飛んでいく。

 傷付いたモンスターはアイズの攻撃に直前のところで気付き防御しようとしたが、すでに勝負は決していた。

 

『―――!!』

 

 特大の風を纏い突き出された銀の細剣は敵を容易く貫き、その胴体に風穴を開ける。

 致命傷を喰らった人型のモンスターは、瞬く間に全身を膨張させ一気に破裂させる。

 その爆発は、今までの『新種』の自爆とは比較にならないほどの大爆発であった。

 

 ―――次の瞬間、世界は灼熱に包まれた。

 

「アイズっ!」

「アイズさんっ!?」

「…アイズ」

 

 撤退した【ロキ・ファミリア】の団員達の視界が赤く染まる。

 先程までアイズとモンスターが戦っていた場所は炎の海と化し、その炎の壁のせいで彼女の姿が確認できなかった。

 

「…!あれは…」

 

 炎で顔を焼かれながら爆心地を見つめていたフィンの目が見開かれる。

 一部の炎が不自然にうなりを上げ、炎の壁が左右に割れた。

 燃え盛る炎の海から出て来たのは、金色に輝く瞳と髪を持つ一人の女剣士―――。

 

 一振りの剣で強敵を打ち倒し、灼熱の世界から堂々と帰還するその姿は、まさに【剣姫】―――。

 

 そして彼女の無事を確認できた瞬間、辺りは大歓声に包まれるのであった。

 

 こうして、五十階層の激闘は【ロキ・ファミリア】の完全勝利で幕を閉じた。

 

 

 

 

 




これにて一旦、アイズ達の冒険は終了です。
次回からは遂に、ベルの冒険が始まります。


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ベル・クラネルの冒険 ①

 ―――ダンジョン十一階層。

 

「どうしてコイツがこんなところにいるんだよ!?コイツが出現するのは中層なはずだぞ!?」

 

「う、狼狽えるなジャック。こちらは四人に対し、向こうは一体のみだ。俺達四人で戦えば十分倒せる相手さ」

 

「そ、そうだよな!?」

 

「ビビり過ぎだぜ、ジャック。確かに俺達はLv.1だが、こっちにはLv.2のシュドルとコングがいるんだぞ」

 

「おいおい、俺はランクアップしたばかりなんだから、あんまり持ち上げるなよ」

 

「お喋りはそこまでだ、お前達。いつもの陣形で行くぞ―――かかれッ!」

 

「「「おうッ!!」」」

 

『―――』

 

 ―――人の数だけ『冒険』が存在する。

 ―――今まさに危険を冒している彼らだが、果たしてどのような『冒険』をするのだろう?

 ―――彼らの『冒険』の行方を知る者は、ただ一人しか存在しなかった。

 

 

 

********

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】が遠征へと出発して、六日目の朝。

 今日も朝早くからダンジョンに潜るつもりであるベルは、出発することを主神に伝えるため、ロキの部屋へと訪れていた。

 

「それではロキ様、今日もダンジョンに潜りに行ってきます」

 

「おお、ベルは今日も張り切ってるな~。今日から潜れる時間が長くなったのが、そんなに嬉しかったんかい?」

 

「はい!昨日までダンジョンに潜っていられる時間が三時間だけでしたので、その…少し戦い足りなくて…」

 

「確かに、ダンジョン探索がたったの三時間だけやと物足りなく感じるやろうな。…うちはてっきり、リヴェリア達との制約を破ると思ってたのにな~」

 

「や、破りませんよっ!?」

 

「この前は思いっきり破ったのに?」

 

「うっ、それは…その…」

 

「まぁ今回はきっちり守ってたみたいやし、これからも大丈夫やろ。どうやらリヴェリア達にはいい報告できそうや」

 

「よ、よかったです。もうリヴェリアさん達には怒られたくありませんでしたから…」

 

「うちは破って欲しかったのにな…。もっと破天荒なベルを見たかったわ~」

 

「ロ、ロキ様~!」

 

「冗談や、冗談。でもまぁ、今日からダンジョンに潜る時間が夕方まで延長されたんやからよかったやないかい!」

 

「それはまぁ、そうですけど…」

 

 ―――初日から五日目まではダンジョン探索を三時間で切り上げること。

 ―――六日目以降のダンジョン探索は夕方までとすること

 この二つはベルが単独でダンジョンに挑むにあたり、リヴェリア達が課した条件である。

 

「―――それではロキ様、夕食の時間までには帰ってきますね」

 

「了解や。いつも言っているが、無事に帰って……」

 

 

 

********

 

 

 

 ―――ダンジョン九階層。

 

「う、嘘…何で九階層にこんな怪物がいるの!?」

 

「ま、まずは落ち着け!ミリーは早く攻撃魔法の詠唱を開始しろ!」

 

「は、はいっ!」

 

「サリファは弓でヤツを狙え。僕とリグルは魔法が完成するまでヤツの注意を僕達に逸らすぞ!」

 

「お、おうよ、この大剣でぶったぎってやるぜ!!」

 

「確かに相手の方が強い。それでも僕達の力を合わせば倒せるはずだ!」

 

「ふふ、そうね。このパーティならどんな敵でも倒せるはずだわ」

 

「よっしゃ、根性見せてやるぜッ!!」

 

『―――』

 

 ―――多くの冒険者達はパーティを組んで、自分達より強大な敵を打ち倒してきた。

 ―――冒険者達は仲間と力を合わせることで、『冒険』を乗り越えてきたのだ。

 ―――弱者が強者を倒すための最も真っ当な方法だが、果たしてこの弱者達は強者を倒せたのだろうか?

 ―――その答えは……

 

 

 

********

 

 

 

「…ッ!!」

 

「…ロキ様?」

 

(―――何や、今一瞬感じた恐ろしく嫌な気配は…?どうにも胸騒ぎが止まらへん…)

 

 ―――嫌な予感がする。

 これが一般人の台詞なら気のせいだろうと笑い飛ばせるが、神となると話は別だ。

 ―――神の直感はよく当たる。

 ましてや、他の神よりも勘が鋭いと自負しているロキの直感が外れたことは、今までほとんどない。

 

「…ちょい待ち、ベル。久しぶりに【ステイタス】の更新しよか」

 

「…?はい、わかりました」

 

 出発する直前に更新なんて珍しいな、と少し疑問に思うベルであったが、素直にロキの指示に従う。

 そして滞りなく【ステイタス】の更新をさせたロキ、更新された内容を紙に書き写す。

 

「よし、【ステイタス】の更新終わったで~」

 

(新スキルや魔法の発現はなし。しかし、この数値は…)

 

「ありがとうございます、ロキ様。それでは、行ってきます!」

 

「…ん、いってらっしゃい、ベル」

 

 自分の部屋から退出していくベルを見送ったロキは、書き写したベルの【ステイタス】にもう一度目を通すのであった。

 

************************************

 

ベル・クラネル

  Lv.1

 力:SS1053 耐久:S960 器用:SS1085 敏捷:SSS1138 魔力:S982

 

************************************

 

「SSS、か…」

 

 そう呟くロキの表情は、いつになく真剣な表情をしているのであった。

 

 

 

********

 

 

 

 ―――ダンジョン七階層。

 

「【火の矢よ、眼前の敵を焼き尽くせ―――フレイムアロー】!!」

 

「やったかッ!?」

 

「ッ!う、嘘だろ…」

 

「そんな馬鹿な!?あれを喰らって無傷だと…」

 

「話が違うじゃないかアゼン!?魔法なら倒せるって言ったのに、どうしてヤツは倒れないんだよッ!?」

 

「そんなの俺が知るかよッ!?愚痴を吐いてるいる暇があったら剣を構え―――」

 

「ア、アゼンッ!?」

 

「う、うわあああぁぁぁぁ!?」

 

「こ、この化け物がぁぁッ!アゼンの仇だッ!!」

 

「止せ、コギットッ!お前じゃ奴には敵わない!!」

 

『―――』

 

 ―――ダンジョンで冒険するのは、『偉業』を成し遂げるためである。

 ―――己自身よりも強大な相手を倒すことで、より高みへと至ることができるのだ。

 ―――ただし弱者が強者を倒すのは、そう簡単なことではない。

 ―――『試練』を乗り越えられない者の末路は、語るまでもないだろう。

 

 

 

********

 

 

 

 豊饒の女主人の店の前にて。

 

「おはようございます、リューさん」

 

「おはようございます、クラネルさん。今日もダンジョンに潜るのですか?」

 

「はい。今日は昨日よりも長くダンジョンに潜るつもりです」

 

「そうですか…。今のクラネルさんなら大丈夫だと思いますが、ダンジョンでは何が起こっても不思議ではありません。くれぐれも油断しないようにして下さいね」

 

「はい!そ、それで申し訳ないのですが、夕方まで潜っているので、その…」

 

「もしかして、クラネルさんは昼食を食べに来られないことを気に病んでいるのですか…?」

 

「は、はい、その通りです…」

 

「ふふ、本当にクラネルさんは面白い方ですね。そんなことを気にする必要なんてありませんよ」

 

「で、ですが…」

 

「それほど気に病むのでしたら、ダンジョンに潜らない日に寄って下さい。きっとシルも喜ぶでしょう」

 

「わかりました。ところでシルさんの姿が見当たりませんが、店の中にいるのですか…?」

 

 黄昏の館からダンジョンに向かう途中にある『豊饒の女主人』の前を通るとき、店の外にいるシルさんとリューさんに挨拶を交わすのがこの五日間の日課だったりする。

 いつもリューさんの隣にはシルさんが立っているはずだが、今日はリューさん一人だけでシルさんの姿は見えなかった。

 

「シルですか…。彼女はまだ来ていません」

 

「珍しいですね、この時間になってもシルさんが来ていないなんて…」

 

「……」

 

「あの、リューさん?」

 

 僕の発言を聞いたリューさんは、なぜか気まずそうな顔をしていた。

 

「そうでもないニャ、白髪頭。シルはよく無断で仕事を休んでいるニャ」

 

「ア、アーニャさん…」

 

 店の中から現れたアーニャさんが、押し黙ったリューさんの代わりに答えてくれた。

 

「まったく、シルには困ったものニャ。怒ると怖いリューだけど、シルには甘いから全然叱らないし」

 

「…きっとシルにもシルで事情があるのでしょう。それよりアーニャ、何か私に用があって来たのでは?」

 

「そうだったニャ、ミア母さんがリューのことを呼んでいるニャ」

 

「わかりました。…それではクラネルさん、ダンジョン探索頑張って下さいね」

 

 リューさんは軽く会釈をして、アーニャさんと共に店の中へと入って行く。

 

(シルさん、何か用事でもできたのか…?)

 

 僕はシルさんのことを考えながらも、目的地に向けて歩き出す。

 視線の先にそびえ立つのは、白亜の巨塔。

 バベルをぼんやりと眺めながら、ダンジョンを目指す。

 そして―――

 

 

 

********

 

 

 

 ―――ダンジョン六階層。

 

「これは何の冗談だ!?ここは六階層だぞ!それなのに何でオマエがここにいるんだよッ!?」

 

「に、逃げるぞお前らッ!こんな化け物に俺らが敵うわけがない!」

 

「ま、待て、俺を置いて行かないでくれえぇぇ!!」

 

「うるせえッ!俺はまだ死にたくないんだよッ!!」

 

「おい、追ってくるぞ!?」

 

「なっ、もうこんなに近づかれて―――ッ!?」

 

「う、うああああああああっ!?」

 

『―――』

 

 ―――その怪物は、モンスターの代名詞と知られる存在。

 ―――その怪物は、Lv.1の冒険者を容易く打倒できる存在。

 ―――その怪物は、ギルドにてLv.2に分類され、『力』と『耐久』に特化した存在。

 ―――その怪物の名は……。

 

 

 

********

 

 

 

 リューと別れた後、ベルはダンジョンへと潜り、順調に一、二階層を突破していた。

 そして、三階層に足を踏み入れるのであった。

 

 「……?」

 

 どうしてだろう。三階層に足を踏み入れたからというのも、ずっと首筋が疼く。

 奥に進むに連れて、酷く不安な気持ちになっていく。

 

(この階層、いつもと何かが違うような…?)

 

 この数日間ずっと三階層に潜っていたけど、階層に漂う空気がいつもと異なっているように感じるのだ。

 三階層を探索してしばらく経つが、ダンジョンの中とは思えないほどに静か過ぎる。

 いつもならゴブリンやコボルトと戦闘をこなしているはずなのに、三階層に降りてからまだ一度も遭遇をしていないのだ。

 いや、一応コボルトには遭遇はしたけれど、僕のことなんて眼中にないかのようにどこかへ走り去っていった。

 

(あのコボルト…まるで何かから必死に逃げていたような…)

 

 違和感に次ぐ違和感に、本能がここから立ち去るべきだと警鐘を鳴らす。

 最大限に周囲を警戒しながらも、僕は三階層の深部へと足を進める。

 何度も地上へと戻りたくなったけれど、ロキ様やリューさんに夕方まで潜ると宣言した手前、昼前に帰還するのは情けない…。

 しかもダンジョンがいつもより静か過ぎるという漠然とした理由で引き返すなんて、冒険者として恥ずかし過ぎる。

 

(僕が臆病だからそう感じるだけかもしれない…。でも、三階層の終点についてもモンスターに遭遇しなかったらどうしよう…?)

 

 そんな僕の考えは杞憂に終わった。

 いや、杞憂に終わっていた方がよかったのかもしれない。

 だって、四階層へと繋がる出入り口がある『ルーム』へと辿り着いた僕を待ち受けていたのは、真性の怪物(、、、、、)だったからだ。

 

『ヴヴォオオオオオオ!!』

 

「―――ッ!?」

 

 大砲声。

 全身筋肉質でありながら、三メートルを越える巨躯。

 黒紫色の体皮に、瞳は血のように真っ赤に染まっている。

 ―――その怪物の名は『ミノタウロス』。

 モンスターの代名詞と呼ばれる怪物の中の怪物が、僕の目の前にいた。

 

(ま、まさか…ミノタウロスッ!?何て威圧感なんだ!?)

 

 その圧倒的な重圧感に、思わず僕は押し潰されそうになる。

 

(Lv.2に分類されているモンスターが、どうして三階層に…ッ!?)

 

 突然の事態に逃げることも脳裏に浮かばず、ミノタウロスから視線を逸らすことができない。

 そんな僕と、ミノタウロスの目が合った―――。

 その瞬間、僕は悟ってしまった。

 

(―――ああ、無理だ。これは、絶対に勝てない)

 

 ―――ベル・クラネルが経験する、初めての『冒険』。

 ―――絶対強者(ミノタウロス)に単身で挑む弱者(ベル)

 ―――英雄を志す少年は『試練』を乗り越え、より高みへと至ることができるのか?

 ―――それとも……。

 



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ベル・クラネルの冒険 ②

 一定の距離を空けて対峙するベルとミノタウロス。

 ―――先に動きを見せたのは、ミノタウロスの方であった。

 

『ヴヴォオオオオオオッ!!』

「ッ!?」

 

 ミノタウロスは大きく息を吸い込み、ベルに向かって『それ』を放つ。

 『それ』はただの砲声ではなかった。

 原始的な恐怖で相手の行動を封じる砲声―――『咆哮(ハウル)』をベルに向けて放ったのだ。

 自分より実力が低い者なら問答無用で強制停止を引き起こす『咆哮(ハウル)』。

 

(か、身体が動かないッ!?)

 

 それをもろに喰らったベルは、何も行動をとれなくなってしまう。

 そして、そんな大きい隙を見逃すほど怪物は甘くない。

 ミノタウロスは硬直状態に陥っているベルめがけて突撃してきた。

 

(ヤ、ヤバい!?早く動け、僕の身体―――っ!!)

 

 ミノタウロスが間近に迫る中、ベルの思いが通じたのか身体の硬直が解け始める。

 

「―――ッ!」

 

 ベルは即座に回避行動に移り、何とかミノタウロスの突撃を紙一重で躱す。 

 

(あ、危なかった…。回避するのが後もう少し遅かったら―――)

 

『―――!』

「なっ!?」

 

 ミノタウロスは自身の攻撃を避けたベルに向かって、間を空かず攻撃を繰り出す。

 咄嗟に双刀を構えてその攻撃も防ぐも、突進の勢いを活かした剛腕による薙ぎ払いは凄まじい威力を秘めていた。

 

(くッ!?受け流せない!?)

 

 ベルは咄嗟にバックステップをとり衝撃を殺すが、それでも強烈な膂力により放たれた一撃を受けきれず、少年の身体はまるでボールのように跳ね飛ばされる。

 強烈な腕薙ぎによりベルの身体は、先程ミノタウロスが立っていた地点まで吹き飛ばされるのであった。

 

 一瞬の攻防で、両者の位置が入れ替わる。

 態勢を立て直したベルは、ミノタウロスから距離をとったまま今の状況を冷静に分析し始める。

 

(速さは互角…いや、ギリギリで僕の方が上のはず。だけどそれ以外は…)

  

 『咆哮(ハウル)』を受けたベルは数秒間であるが硬直状態に陥った。

 このことよりベルの実力がミノタウロスより劣っていることが証明されてしまった。

 しかし、それも仕方ないことだろう。

 相手はLv.2のモンスターの中でも最強と呼ばれるミノタウロス。

 Lv.1の冒険者の実力では『咆哮(ハウル)』を抵抗するのはほぼ不可能―――。

 昇華した器、または強靭な精神でなければミノタウロスの『咆哮(ハウル)』を防げないのだ。

 

(活路があるとすれば、相手を上回る『敏捷』しかない…。それなら自分の敏捷(あし)を信じ、相手の攻撃を上手く躱しながら反撃し、そして―――)

 

 ―――隙を見て逃げ出すしかない!!

 ひとまず戦闘の方針は決まった。

 自分の実力では眼前の敵を倒すことは絶対に無理。

 それなら相手を打破することは諦め、隙を見て逃走するのが最も正しい判断のはずだ。

 できることなら尻尾を巻いて逃げ出すなんてこと、本当はしたくない。

 だけど、リヴェリアさんはこう言っていたはずだ。

 

 ―――強敵から逃げずに戦う…勇敢な行動であるが、死んでしまったらその『勇気』は『蛮勇』となる。お前は決して『勇気』と『蛮勇』の意味を履き違えるなよ、ベル。

 

(ここでミノタウロスを倒そうとするのは蛮勇のはずだ。だから敵から逃げ出すことをためらうな、ベル・クラネルっ!!)

 

 迷いを振り切ったベルは静かに双刀を構え、ミノタウロスを見据える。

 そして思いっきり地面を蹴り、敵に向かって駆け出した。

 

 真っ正面から向かってくるベルに対し、ミノタウロスは右腕を振り上げる。

 ベルがミノタウロスの射程圏内に入った瞬間、巨大な右腕が振り落とされる。

 恐るべき威力を秘めた拳が唸り、地面を陥没させる。

 しかし、その拳に地面以外の手応えはない。

 ミノタウロスの攻撃が当たる直前、ベルは横に跳躍してミノタウロスの攻撃を避けたのだ。

 ベルはそのまま体を捻り、双刀でミノタウロスの右腕を斬りつける。

 

(よしッ、まずは一撃ッ!!)

 

 紙一重で相手の攻撃を避けながら、一撃を入れたベル。

 今の動きは、アイズとの模擬戦で身に付けた技術の一つ『カウンター』である。

 攻撃に意識が回っている相手は、必ず防御への反応が鈍くなる。

 そこで攻撃を喰らわせれば、通常よりも大きなダメージを与えることができる。

 速さで相手を翻弄するベルの戦闘スタイルにとって、『カウンター』は必須な技術―――。

 そう考えたアイズが、『受け流し』と同時進行で教えた技でもあったりする。

 

 ベルが地面に着地するのと同時に、傷をつけたミノタウロスの右腕から紫色の血が少量だが流れ出す。

 

『ヴオォォォー!!』

 

 ミノタウロスは雄叫びを上げ、ベルに向かって左腕を横に振り抜く。

 しかし、またしても手応えはない。

 今度は真上に跳躍してまたしても敵の豪腕から逃れたベルは、そのまま空中で身体を捻り、ミノタウロスの左腕を短刀で斬りつける。

 カウンターを連続で決めたベル…彼の足が地面に着いた瞬間、即座にミノタウロスから距離をとるのであった。

 

(何とかミノタウロスに攻撃を入れることはできたけれど…)

 

 ミノタウロスは耐久が馬鹿のように高いため、ベルがつけた傷はとても浅い。

 それでも弱者(Lv.1)であるベルが、強者(Lv.2)のミノタウロスに傷をつけたことは称賛に値するだろう。

 

(―――Lv.1の僕ではコイツにまともなダメージを与えられない。それでも、速さだけなら僕の方が勝っている。これならタイミングを見て離脱できるはずだッ!)

 

 ベルが活路を見出す中、ミノタウロスが再び突撃して来る。

 その後も繰り出されるミノタウロスの攻撃を避けながら、ベルは逃げ出すタイミングを伺っていた。

 

(数日間ずっとこの階層に潜っていたおかげで、地上までの最適な逃走経路…敵を撒きやすい道をほぼ把握している―――っ!!)

 

 もしこれが進出したばかりの四階層や五階層でミノタウロスに遭遇していた場合、慣れない地形のため上手く逃走できず、敵から逃げ出せなかったかもしれない。

 しかしこの五日間、ずっと一、二、三階層で戦っていたベルは地上から三階層までの地形を完全に把握していた。

 リューの助言に従ったことが功を奏し、ベルがミノタウロスから逃走できる確率は限りなく高かったのだ。

 

 ―――ただしそれは、ベルが『逃げる』という選択をとった場合の話である。

 

「馬鹿なっ、ミノタウロスだと!?」

「うそ…ここは三階層のはずなのに!?」

「で、でもあれって絶対にミノタウロスですよね?」

 

 ベルの視線の先に現れたのは、四階層へ通じる階段から昇ってきたヒューマンで編成された小規模のパーティであった。

 

(四階層から戻ってきた冒険者ッ!?このままじゃ―――ッ!)

 

「早く逃げ―――っ!!」

『ヴヴォオオオオオオ!!』

 

 ベルの言葉を打ち消すタイミングで、ミノタウロスは新たに現れた六人の冒険者に向けて咆哮を放つ。

 

「ッ!?」

「か、体が…!?」

「不味いっ!!」

 

 ミノタウロスは標的を強制停止に陥っている彼らへと移し、突撃して行く。

 他人へ注意が逸れたことにより、逃げ出すには絶好のタイミングが生まれる。

 だがしかし、ベルは逃げ出せずにいた。

 

(―――どうする!?彼らを囮にすることで確実に逃走することができる。でも、本当にそれでいいのか?)

 

 逃げ出すことを躊躇うベルの脳裏に、フィンと交わした会話が浮かび上がっていた。

 

『これからダンジョンに潜るベルに、ダンジョンでの暗黙の了解を教えておくね』

『暗黙の了解、ですか?』

『うん、それはね―――ダンジョンでは仲間以外の冒険者とは不干渉を貫くこと、だよ』

『え、他の冒険者とは関わってはいけないんですか…?』

『うん、基本的にはそうだね。例え自分の目の前でピンチに陥っている冒険者がいても、勝手に助けようとしてはいけない』

『そ、それは流石に薄情なのでは…』

『冒険者は自己責任の職業だ、その考えはダンジョンでは甘すぎる』

『で、ですが…』

『それにベルが善意で助けに入っても、相手が感謝するとは限らない。これ幸いと思いベルにモンスターを押し付け、自分だけ逃げるかもしれない』

『…すみません、フィンさん。それでも僕は、助けを求める人を見捨てることはできません』

『もちろん、余裕があるのなら助けても構わない。だけど、自分の身を危険にさらしてまで他人を助けるは愚か者のすることだ』

『フィンさん…』

『いいかい、ベル。君の優しさは美徳だが、ダンジョンにおいてその優しさは身の破滅へと繋がる』

『身の破滅…』

『良い人は先に死に、悪い人が生き残るとよく言われているけれど、その言葉はある意味で正しく、ある意味で間違っている』

『……』

『ダンジョンでは理性的に行動することだ。決して情に流されてはいけない…分かったかい、ベル?』

 

 ―――他人である彼らを見捨てるのが正しいと、僕の理性が告げている。

 ―――だけど、僕の心が彼らを助けたいと願っている。

 ―――それなら、僕が取るべき行動は……。

 

「【ウインドボルト】!!」

『―――!』

 

 一条の金色の風が、ミノタウロスの無防備な背中を襲う。

 ベルが放った【ウインドボルト】は敵に直撃こそしたが、厚い筋肉の鎧を貫くことはできなかった。

 それでも、敵の注意を再び自分に戻すことはできた。

 

 ―――ごめんなさい、フィンさん。

 ―――僕が取った行動は、とても愚かであるのは理解しています。

 ―――それでも…、

 

(目の前の彼らを見捨てて、自分だけ逃げ出すことはできないッ!!)

 

「お前の相手は僕だ、ミノタウロスッ!」

 

『ヴオォォー!!』

 

「コイツは僕が抑えます!だから早く逃げてくださいッ!!」

 

「で、ですが…」

 

「早く!!僕は大丈夫ですからっ!!」

 

「…行くぞ、お前達」

 

「待ってください、桜花殿!!それではあの冒険者が…!」

 

「何度も言わせるな、早く行くぞ!」

 

「お、桜花殿…」

 

「俺は見ず知らずの他人の命より、お前等の命を優先する。胸糞悪いと言うのなら、後で好きなだけ罵ってくれ」

 

「…わかりました」

 

 強制停止が解けた冒険者達は、怪物に出会った恐怖からか、焦った顔で四階層へと逃げていく。

 殿を務める黒髪の少女が泣きそうな表情でベルを見つめ、すぐに顔を背ける。

 そして六人の冒険者達は、四階層へと逃げ去っていくのであった。

 

 戦場は再び、ベルとミノタウロスの二人だけとなる。

 

(魔法でミノタウロスの注意を引きつけ、あの人達を逃がすことはできた。だけど……)

 

「【ウインドボルト】、【ウインドボルト】、【ウインドボルト】!!」

 

 迫り来るミノタウロスを狙い、連続して魔法を放つ。

 金色の風が炸裂し、ミノタウロスの身体を少しだけ後退させる。

 だが厚い体皮には軽い傷しか残っておらず、与えられたダメージは微々たるものであった。

 

(…ここで僕が逃げたら、このミノタウロスは彼らを追いかけるかもしれない。よって逃走するという選択肢はもうなくなった。残る選択肢は、僕自身の力でコイツを倒すのみ)

 

 ―――でも、僕の実力でそんなことが可能なのか…?

 ベルは間近に迫ったミノタウロスの攻撃を回避しながら、冷静に状況を分析する。

 

(いや、勝機は十分にあるはず…。このまま敵の攻撃を回避し、継続的にダメージを与え続ければ、いつかは倒せるはずなんだッ!)

 

 折れそうな心を鼓舞し、ベルはナイフを構える。

 ―――しかし、現実は残酷だ。

 ベルの甘い考えを嘲笑うかのように、ミノタウロスの体に変化が訪れる。

 短刀で斬りつけたミノタウロスの両腕…その傷が、徐々に塞がっていったのだ。

 

「なっ…!?」

(傷が治っていく!?そんな馬鹿なッ!?)

 

 その現象に気付いたベルは驚愕し、真っ先に己の目を疑った。

 リヴェリアからモンスターについて色々と教えられていたベルであったが、ミノタウロスが自己治癒能力を持っているなんて聞いたことがない。

 だが現実に、ベルの目の前でありえないことが起こっている。

 そして本来ならあるはずのない自己治癒能力を皮切りに、ベルは次々と敵の違和感に気付いた。

 

(そういえば、本来のミノタウロスの全長は二メートル強で、赤銅色の体皮のはずだ。それなのにコイツは三メートルを軽く越えていて、しかも黒紫色の体皮をしている…)

 

 リヴェリアから教わったミノタウロスと、目の前のミノタウロスの特徴が全然違い過ぎるのだ。

 そしてベルは、ある一つの可能性に思い至った。

 

(―――まさか、これがリヴェリアさんの言っていた『強化種』なのか!?)

 

 『強化種』とは、同じモンスターを殺し、その魔石を喰らい続けた存在―――。

 通常の個体よりも能力は軒並み高く、また本来なら持っていないはずの能力を発現させることもある厄介なモンスターだ。

 このミノタウロスの『強化種』は、通常の個体よりも力と耐久が飛び抜けて高く、そして本来なら発現しないはずの自己治癒能力を持っているという恐るべき怪物である。

 そして今、蒸気のようなうっすらとした紫色の粒子が傷の部分に集まり、ミノタウロスの身体を治癒していくのであった。

 

『ヴオォォ!!』

「―――ッ!」

 

 治癒している最中にも関わらず、ミノタウロスは弾丸のように地を駆け、ベルめがけて丸太のような腕を振り落とす。

 瞬時に回避は間に合わないと判断したベルは、ミノタウロスの攻撃を双刀で受け、その衝撃を後方へと流す。

 アイズとの訓練で身に付けた『受け流し』を用い、相手の一撃を防いだベル。

 彼は即座に身を翻し、ミノタウロスから距離をとった。

 

(やはり傷が…ッ!)

 

 今までベルが創った傷は、もう塞がりかけていた。

 

(紫色のもやみたいのが傷口を覆い始めた瞬間、傷が癒えていくように見えた。まさかこのミノタウロス、自分の魔力を燃焼させて傷を治癒しているのかッ!?)

 

 自身の魔力を燃焼させることにより傷を癒すモンスターがいると、リヴェリアが話していたことを思い出したベルは、即座にその現象に当たりをつける。

 しかし自己治癒能力の絡繰りを看破しても、ベルにミノタウロスの回復を止める術はない。

 相手の魔力が空になるしか、自己治癒を止める方法はないのだ。

 

(懸命にダメージを与え続けても、敵の傷は癒えてしまう…そんなのって、そんなのって―――ッ!!)

 

 相手の魔力を全て使い切らせるほど、自己治癒能力を使わせる―――それはあまりにも現実的な策ではない。

 理不尽な現実に、ベルは目の前が真っ暗になっていくのを感じた。

 

「う、うおぉぉォォ!!」

 

 勝機が完全に潰えたことを認めたくないためか、ベルは雄叫びを上げて自分からミノタウロスに突っ込んで行く。

 ミノタウロスの懐に入り込んだベルは、朱の刃と蒼の刃を無我夢中で振るう。

 旋風を思わせる速度でミノタウロスの右足をズタズタに切り裂き、無数の斬撃の跡が刻まれる。

 

「うおおぁぁぁッ!!」

『―――!』

 

 ミノタウロスの攻撃を紙一重で避けながらも、ベルは果敢に攻撃を続ける。

 しかし、そんなベルを嘲笑うかのように傷口は回復していく。

 

(くそっ、もっと速く攻撃を―――ッ!?)

 

 その焦りは、ベルの視界を狭くしてしまった。

 ミノタウロスはベルに攻撃されている右足で蹴りを放ってきたのだ。

 

(しまった―――ッ!?) 

 

 今まで攻撃パターンは両腕だけであったため、ベルは蹴りという当たり前の攻撃手段があることを失念していた。

 ミノタウロスの両手の攻撃だけを警戒していたベルに、その蹴りを避けることは不可能であった。

 しかも焦って攻撃の方に重点を置いてしまったため、防御反応が完全に遅れてしまったのだ。

 

「ッッ!?」

 

 ベルはミノタウロスの蹴りをもろに喰らい、そのまま高々と上空に蹴り上げられる。

 何とか両腕をクロスさせることだけは間に合ったが、あまりの蹴りの威力に防御した腕が痺れ、左手に持っている短刀を一本、手から滑り落としてしまった。

 

(短刀がッ!?)

 

 このときベルが真に心配すべきは己の武器ではなく、自分自身であった。

 なぜなら今のベルは宙に浮いているため、碌に回避行動を取らない状態であるからだ。

 ―――素早い相手を仕留めるのなら、これほど絶好的なタイミングはない。

 

『ヴヴォオオオオオオッ!!』

 

 ベルが宙を舞う間に、最大限まで力を溜めたミノタウロスは、思いっきり吠える。

 そしてどこにも逃げることができないベルめがけて、渾身の力を込めた一撃を放つ。

 

「がッ!?」

 

 三メートルを超える巨体から繰り出された拳を喰らい、ベルは思いっきり後ろへと殴り飛ばされる。

 あまりの威力にもう一本の短刀も落としてしまったベルは、武器の心配をする余裕などあるわけなく、そのままドゴンッと壁に叩きつけられるのであった。

 

「~~~~~~ッ!?!?!?」

 

 あまりの痛みに悶絶するベル。

 ミノタウロスが放った一撃は、死んでいてもおかしくはないほどの威力であった。

 痛みに苦しんでいるベルであるが、身体に残ったダメージは思いの外少なかった。

 その理由は、ベルが装備している防具にあった。

 

(≪妖精の抱擁(フェアリー・クロス)≫―――致命的なダメージを一度だけ大幅に減らしてくれる効果を持つ防具…。そうか、ダメージが思ったよりも少なかったのはこの防具のおかげだったのか…)

 

 本来なら即死してもおかしくないほどのダメージであったが、レフィーヤに買ってもらったロングコートの身代わり効果により、ベルは万死に一生を得たのだ。

 ただし、その効果を発動したら跡形もなく消滅してしまう防具のため、もう次はない。

 翠のロングコートが優しく発光し、光の粒子になって消滅していくのを見て、思わずベルは泣きそうになる。

 

(レフィーヤさん…助けてくれて本当にありがとうございました―――このお礼は、必ず生きて還って伝えます)

 

 ベルは心の中で自分を助けてくれたレフィーヤに感謝を告げながら、痛む体を起こす。

 

(体のあちこちが痛むけど、まだ戦える。短刀は二本とも落としてしまったから、もう二刀流は不可能。それなら―――)

 

 ベルは携行していた予備の装備―――片手剣(スノーライトソード)を手に取り、ミノタウロスを真っ正面から見据える。

 

『ォオオオオオオオオ!!』

 

 渾身の一撃を喰らわした敵が立ち上がったのを見て、ミノタウロスは獰猛に笑い、雄叫びを上げる。

 その姿はまるで、この戦いを心から楽しんでいるかのようであった。

 

 こうして、少年と怪物の戦いは次の局面へと移っていく。

 

 ―――果たして、勝利の女神はどちらに微笑むのだろうか?

 

 



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その冒険の裏側

 『彼』は生まれたときからずっと孤独だった。

 『彼』は仲間を求めて、暗闇をずっと彷徨っていた。

 『彼』は自分と同じ姿をしている存在を見つけた。

 

 しかし、自分と同じ種族であるはずの『彼ら』は『彼』を仲間だとは認めなかった。

 そして集団で『彼』のことを襲い掛かったのであった。

 

 『彼』は必死に抵抗したが、数の暴力には敵わず、半死半生に追い込まれてしまう。

 

 ―――オレノイノチハ、ココマデナノカ…?

 

 『彼』が自分の命を諦めかけたそのとき、『彼』の身体に変化が起きた。

 

 ―――キズガ、フサガッテイク…?

 

 全身にできた無数の傷が治癒していき、受けたダメージが回復していったのだ。

 

 ―――ソウカ…ドウヤラオレハマダ、イキタイラシイ。

 

 そんな『彼』の異変に気付き、『彼ら』は思わず攻撃を加えるのを止めた。

 『彼』はその隙を見逃さず、一体の首に喰らい付き、そのまま絶命させた。

 

 ―――チカラガ、ホシイ…ッ!!

 

 命を失った敵は魔石だけを残し、灰へと還る。

 そして『彼』は本能に従うまま、その魔石を喰らうのであった。

 

 ―――チカラガ、アフレテクル…。

 

 そこから『彼』の逆転劇…いや、虐殺劇が始まった。

 次々と殺されていく仲間を見て恐怖を抱いたのか、『彼ら』は降伏した。

 しかし『彼』は、殺戮を止めなかった。

 

 ―――オマエラハ、ドウホウデハナイ。タダノ、テキダ。

 

 その後『彼ら』の魔石を全て喰らい、急成長を遂げた『彼』は頭上を見上げるのであった。

 

 ―――マズハ、ウエヲメザストシヨウ。

 ―――ドンナテキガイルノカ、タノシミダ。

 ―――ネガワクバ、ドウホウ二アイタイモノダナ…。

 

 こうして『彼』は上の階層を目指し歩き出すのであった。

 その後、幾度も敵を打ち倒しながら『彼』は同胞を求めてダンジョンを彷徨った。  『彼』は長い時間ダンジョンを彷徨った果てに、一匹の兎に出会う。

 

 そして――――――。

 

*****

 

 ―――同時刻、ダンジョン六階層。

 

「やっと六階層に着いたよ~。これで地上に戻るまで後ちょっとだね、アイズ」

 

「…そうだね、ティオナ」

 

 五十階層の激闘の後、【ロキ・ファミリア】は『遠征』を切り上げて、今は地上へと帰還する途中であった。

 

「ホームに帰ったら早くお風呂に入りたいわ。モンスターの返り血が鬱陶しくして仕方ないし」

 

「ティオネさんは本当に大活躍でしたしね」

 

「あら、褒めても何も出ないわよ、レフィーヤ」

 

「ねぇねぇ、私はどうだった~?」

 

「ティオナさんも凄かったです!硬い装甲を持つモンスターを簡単に真っ二つにした瞬間は、思わず声に出して驚いちゃいました」

 

「あはは、ありがと!でも予備の大剣だったからか、斬れ味はイマイチだったんだよね~。いつもならこう、スパッと斬れるんだけどな~」

 

「けっ、俺らが雑魚相手に無双してもカッコ悪いだけだろうが」

 

「むぅ、何でベートはイジワルなことしか言えないの!?」

 

「俺は当たり前のことを言っただけだ。大抵のモンスターは第一級冒険者(俺ら)にとっては雑魚同然だ。雑魚相手に無双していい気になるのはアホらしいだろうが」

 

「ふんっ…そんなんだからベートはアイズに嫌われるんだよっ!」

 

「あんだと貧乳アマゾネスッ!?」

 

「うるさいボッチ狼ッ!!」

 

「止めんか二人とも、いくら『上層』でもまだダンジョンの中なんだぞ。喧嘩するのは地上に帰還してからにしろ」

 

「リヴェリアがそう言うなら…」

 

「けっ…」

 

 リヴェリアに注意され、不承不承であるがティオナとベートは口論を止める。

 ティオナとベートの喧嘩…恒例であるそのやり取りを見てレフィーヤ達は苦笑するのであった。

 

「まったく…二人とも、少しは団長を見習って大人になることね」

 

「ンー、でもティオナとベートの二人はいつか、良きパートナー同士になると思うよ」

 

「え~、そんなの絶対ありえないよっ!」

 

「フンッ、それはこっちの台詞だ!」

 

「まったく、お前達は…」

 

「あ、あはは…」

 

「………!」

 

「ん?どうしたの、アイズ?」

 

「…向こうから誰か来る」

 

 アイズの発言を聞いて、他のメンバー達も注意を前方に向ける。

 アイズ達の前方に見えるT字路、その右手の方角から激しい足音が聞こえるのであった。

 

「この足音の数…六人かな」

 

「かなりの速度で走っているようだけど、モンスターにでも襲われているのかしら?」

 

「―――いや、それにしてはモンスターの気配が感じられない」

 

 やがてアイズ達の視界の先に六人組のパーティが現れる。

 ただしリヴェリアの言葉通り、モンスターの姿は見えなかった。

 

「何かやけに慌てているね~。どうしたんだろう?」

 

「モンスターから逃げているわけでもなさそうなのに、凄く必死な顔をして走っているわね」

 

「う~ん、声でも掛けてみる?」

 

「もう忘れたの、ティオナ。ダンジョン内では他の冒険者とは基本不干渉なのよ」

 

「あ、そうだったねっ!」

 

「本当に大丈夫なのかしら、この子は…」

 

 妹のあまりの馬鹿さ加減に、がっくりするティオネ。

 一方、前方から走って来る冒険者達は、通路の先にいるフィン達のことに気付いたようであった。

 

「先頭を歩くのは、金髪碧瞳の小人族(パルゥム)…まさかあの―――!?」

 

「【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ…ということはあの冒険者達は【ロキ・ファミリア】じゃないかっ!?」

 

「何たる幸運、まさかこんな上層で【ロキ・ファミリア】に会えるなんてっ!」

 

「…なぁ、何か俺らのこと見て喜んでないか?」

 

「確かにそのようだね。…全員、ここで止まれ。」

 

 フィンの指示によりアイズ達はその場に立ち止まり、自分達に駆け寄って来るパーティを待ち構える。

 それから少しして、東方風の戦闘衣に身を包んだ六人の冒険者達がフィンのもとへ駆け寄り、そして全員が膝を地面に付いて頭を垂れた。

 

「ダンジョンで他のパーティに干渉するのは本来なら誉められたことではありません!ましてや助けを求めるのは非常識だと承知しております!ですが、どうしても【ロキ・ファミリア】の皆様のお力を借りたいんです!」

 

「お願いします、あの少年を助けてくださいっ!!」

 

「んん、どういうこと?一体何があったの?」

 

「ミノタウロスですっ!ミノタウロスが三階層にいたんですっ!!」

 

「ミノタウロスが三階層にだとッ!?」

 

「何かの見間違いじゃないのかしら?」

 

「そ、そんなことは絶対にありません!あれは絶対にミノタウロスでしたッ!!」

 

「落ち着いて話してくれ。本当に三階層にミノタウロスがいたんだな?」

 

「は、はい!私達が四階層から三階層に昇ると目の前に、あの怪物がいたんです!」

 

「…申し訳ないが、貴方達が見たものを詳しく聞かせてもらえないだろうか?」

 

「は、はい!」

 

 フィンに話の続きを促された少女は、所々早口になりながらも語っていく。

 いつも通りダンジョン探索を終え、地上に帰還中であった彼女達。

 階段を昇り三階層に着いた彼女達であったが、視界に映ったのは黒紫のミノタウロスと、それと対峙していた一人の冒険者の姿―――。

 突然のことで思わず固まってしまった彼女達は、ミノタウロスの咆哮(ハウル)を喰らい、強制停止に陥ってしまった。

 迫り来るミノタウロスを見て死を覚悟した彼女であったが、金色の光が見えた瞬間、ミノタウロスは途中で動きを止めたのだ。

 どうやら先程までミノタウロスと対峙していた少年が後ろから魔法を放ち、ミノタウロスの注意を自分に引き付けたようであった。

 そしてその少年は自分達に対してこう叫んだのだ。

 

 ―――お前の相手は僕だ、ミノタウロスッ!

 ―――コイツは僕が抑えます!だから早く逃げてくださいッ!!

 

「―――あの冒険者は、自分に注意を引き付けることでミノタウロスから私達を逃がそうとしてくれました!あのとき私達を見捨てていれば、彼だけはミノタウロスから逃げ出させたはずなんです!ですが彼は自分を囮にして、私達を助けてくれました!」

 

「自分達が無茶なお願いをしているのは判っています!ですが、どうかあの冒険者を助けてくださいッ!!」

 

「どうするんだ、フィン?」

 

「…冒険者は自己責任の職業だ。自分自身はともかく、仲間達の身を危険にさらしてまで他人を助けるは団長として失格だ」

 

「そ、そんな…」

 

 冷たいことを言っているようだが、それは冒険者として当たり前の考えである。

 ダンジョンで考えるのは自分とパーティメンバーの安全のみ。

 【ロキ・ファミリア】団長であるフィンが、情で目を曇らせてはならないのだ。

 なぜなら、自分の誤った判断のせいで仲間が死ぬのかもしれないからである。

 

「君も、自分の仲間の方が大切だったから彼を見捨てたのだろう?」

 

 フィンは跪く六人の中で、一番大柄の男に向けて言葉を告げる。

 フィンは持ち前の洞察力で、彼がこのパーティのリーダーだと見抜いていた。

 

「…あぁ、そうだ。俺はソイツと仲間の存在を秤にかけて、仲間の方を優先にした。そして、そのこと自体に後悔はない」

 

「お、桜花!?」

 

 【タケミカヅチ・ファミリア】の団長である桜花も、フィンと同じ考えであった。

 決して情に流されない桜花が上にいるからこそ、今現在【タケミカヅチ・ファミリア】は誰一人欠けずに済んでいるかもしれない。

 ただし彼は、ただ冷たいだけの人間ではなかった。

 

「…だがそれは、あの冒険者をこのまま見捨ていい理由にはならないはずだ」

 

「ほう、つまり君は何が言いたいんだい?」

 

「あの化け物を目にした瞬間、俺達の力ではあのミノタウロスには絶対に勝てないと悟った!だから俺は、自分達を助けてくれたあの冒険者を囮にして、必死に逃げた最低な男だ!だけどフィン・ディムナッ、お前らならあの化け物を倒せるのだろうッ!?頼む、あの勇敢な戦士を助けてやってくれ!!」

 

「お、桜花…ッ!!」

 そのまま桜花は、頭を地面に着けるほど深く頭を下げる。

 

「私からもよろしくお願いしますっ!」

 

「お願いします、フィン・ディムナ様!!」

 

 桜花に習い、六人全員が同じように深々と頭を下げる。

 しかし彼らを見つめる【ロキ・ファミリア】団員達の表情は、とても複雑そうであった。

 それも仕方がないことだろう。

 彼らは自分達が見捨てた相手を助けたい、でも自分達では力が足りないから力のある【ロキ・ファミリア】が助けに行ってくれと、あまりに厚顔無恥なことを言っているのだから―――。

 確かに【ロキ・ファミリア】の実力ならある程度の事態でも解決できるだろう。

 それでも五十階層での異常事態を思い返せば、絶対に安全だと言えないのだ。

 

 そういう背景もあり辺りの空気が重くなる中、フィンは一つの決断をする。

 

「まずは頭をあげてくれ」

 

「し、しかし…っ!!」

 

「君達は勘違いをしている。僕はその冒険者を助けないとは一言もいっていないよ」

 

「えっ…?」

 

「仲間達の身を危険にさらしてまで他人を助けるのは冒険者として…何より団長として失格だ」

 

「……」

 

「しかし、ミノタウロスを三階層で野放しにするのは不味い。このままでは多くの冒険者がミノタウロスの犠牲になりかねない」

 

「そ、それじゃあ…!!」

 

「これ以上被害が拡大する前に、僕達の手でミノタウロスを討つ。異論はあるかい、リヴェリア?」

 

「勿論ない。それにミノタウロス相手に遅れをとる団員はここにはいないはずだ」

 

 現在この場にいるのは【ロキ・ファミリア】の中でも選りすぐりの先鋭達である。

 『遠征』に挑むメンバーは全員が実力者であり、戦闘に参加しないサポーターでさえLv.2以上の冒険者なのだ。

 Lv.2にカテゴライズされるミノタウロスがどんなに強くても、このメンバーには敵わないだろう。

 

「ッ!それじゃあ助けてくれるんですかっ!?」

 

「あぁ、もちろんだよ」

 

「よかったっ!これであの白髪の少年も助かるっ!」

 

「「「!!」」」

 

 少女の発言に、アイズを含む数名が反応を示す。

 

(…白髪の少年?まさかっ!!)

 

「その冒険者の特徴は?」

 

「えっ、特徴ですか…?す、すみませんが白髪で中性的な顔をした少年だったことしか覚えてません…」

 

「少年の瞳の色は……」

 

「えっ?」

 

「その少年の瞳は、何色でしたか…?」

 

 ―――お願いだから、私の杞憂であってほしい…っ!!

 ―――どうか、あの色(、、、)だけは言わないでッ!!

 

 そんなアイズの切実な願いは―――、

 

「確か兎の瞳のように紅かった(、、、、)と思います」

 

 ―――無残にも叶わなかった。

 

「うそ、その冒険者ってまさか…!?」

 

「…ッ!!」

 

 その冒険者の特徴を聞いたレフィーヤは、顔を真っ青にして最悪の可能性に思い至る。

 そしてアイズは、少女の言葉を聞き終わった瞬間にはもう駆け出していた。

 

「待ってください、アイズさんっ!!」

 

「アイズ、レフィーヤっ!?」

 

「ちッ、あの馬鹿ッ!!」

 

「済まないフィン、私も先に行かせてもらうッ!」

 

 全力で疾走して行ったアイズの後に続き、レフィーヤ、ベート、リヴェリアが走り去って行く。

 

「ベートやリヴェリアまで凄い勢いで行っちゃったけど、一体どういうことなの、フィン!?」

 

 未だに状況を理解できていないティオナにとって、どうしてあれほどアイズ達が焦っていたのかわからないのであった。

 そして【タケミカヅチ・ファミリア】の面々も、この事態を把握できずにいた。

 

「あ、あの私、変なことを言ったのでしょうか…?」

 

「…君が挙げた冒険者の特徴は、【ロキ・ファミリア】に所属する団員と一致しているんだ」

 

「ッ!?そ、そんな…」

 

「まさかミノタウロスに襲われている冒険者ってベルのことなの!?」

 

「ああ、間違いないだろう。これはもう、他人事ではなくなったようだ」

 

 フィンの脳裏に浮かぶのは、遠征前日にしたベルとの会話。

 

 ―――ベルが善意で助けに入っても、相手が感謝するとは限らない。これ幸いと思いベルにモンスターを押し付け、自分だけ逃げるかもしれない。

 

 フィンの言葉を聞いたベルは物凄く悩んでいるようであったが、最後には真っ直ぐな瞳をしてこう告げた。

 

 ―――すみません、フィンさん。それでも僕は、助けを求める人を見捨てることはできません。

 

(まったく…君は本当にお人よしだ、ベル。これは後で話し合う必要があるようだね―――だから、絶対に生きていてくれよ)

 

「隊はこのまま前進!当初の予定通り、地上へと帰還しろ!ラウル、指揮は君がとれ!」

 

「は、はいっす!」

 

「ティオネ、ティオナ!僕等も三階層に急ぐぞッ!」

 

「「はいっ!」」

 

 ラウル達や【タケミカヅチ・ファミリア】の面々を残し、フィンはティオネとティオナを連れて三階層へと向かうのであった。

 

 

 

*****

 

 

 

 遭遇するモンスターを歯牙にもかけず、アイズはひたすら走り続ける。

 瞬く間に四階層まで踏破したアイズの耳に、その咆哮は聞こえた。

 

『―――ォォ――ォォッ!』

 

 遥か前方からモンスターの…ミノタウロスの砲声が響き渡り、アイズの焦りは加速する。

 

(お願いベル、どうか無事でいてっ!!)

 

 少年の無事を一心に祈りながら疾走するアイズは、ようやく三階層へと繋がる階段へと辿り着く。

 そのまま階段を駆け上り、アイズは三階層へと飛び込んだ。

 

(――ッ!?ベルっ!!)

 

 心の中で少年の名を叫ぶアイズ。

 そんな彼女の視界映ったのは、三階層の終点に位置する広大な『ルーム』―――その中央で繰り広げられる少年と怪物の死闘であった。

 

(うそ…)

 

 眼前で展開されている戦闘は、怪物(ミノタウロス)による一方的な蹂躙ではなく、ベルとミノタウロスとの真剣勝負―――。

 

(相手はミノタウロスなのに、どうして君は…)

 

 全身凶器のミノタウロスの攻撃を紙一重で避け続けながら、相手の隙を突いて反撃するベル。

 相手の腕や足を剣で斬りつけるベルの横顔は、アイズとの訓練でも見せたことがない表情をしていた。

 

(―――どうしてベルは、一歩も引かずに戦い続けていられるの…?)

 

 ミノタウロスはLv.1の冒険者では絶対に勝てない怪物。

 ましてやベルは、最近冒険者になったばかりの駆け出しだ。

 そんな彼がミノタウロスに戦いを挑んでも、敗北の未来しか訪れない。

 そしてダンジョンでの敗北は、『死』を意味する。

 

「おいアイズッ!なにこんな所で固まってやがる!?」

 

「一体状況はどうなっている!?」

 

「アイズさんっ!ベルはっ、ベルは無事ですかッ!?」

 

 少年と怪物の真剣勝負に目を離せずにいるアイズの後方から、ベート達の焦った声が聞こえた。

 アイズに遅れてベート、リヴェリア、レフィーヤも三階層に辿り着き、そして目の前の光景に絶句するのであった。

 

「おい、これは何の冗談だ…!?」

 

「ミノタウロスと互角に渡り合っている、だと…」

 

「こ、こんなことって…!」

 

 三人とも冒険者に成り立てのベルがミノタウロス相手に奮闘していることが信じられず、思わずその場に立ち尽くす。

 眼前で繰り広げられるベルとミノタウロスの戦闘…その衝撃からようやく立ち直ったレフィーヤは、急いで助けに入ろうと動き出す。

 

「いけないっ!すぐに助けないと―――」

 

「待て、レフィーヤ」

 

「リ、リヴェリア様!?どうして止めるのですかっ!?」

 

「これは命を懸けた両者の真剣勝負だ。部外者である我々が、この勝負に介入するわけにはいかない」

 

「で、ですが…!」

 

「ごちゃごちゃうるせえ、大人しくそこで見ていろッ!」

 

「は、はいっ!?」

 

「…これはアイツの『冒険』なんだ。誰だろうとこの死闘に手を出す資格はねぇ」

 

「ベ、ベートさん…」

 

「そういうことだ、レフィーヤ。我々はここで戦いの行方を見守るしかない」

 

「…はい、わかりました」

 

 ベートとリヴェリアに説得されたレフィーヤは、内心では不承不承ながらもその言葉に従う。

 レフィーヤ達がそんなやり取りをしている一方、アイズはこれ以上ない真剣な眼差しで目の前の戦闘を見続けていた。

 

(―――君はこんなにも、成長していたんだ)

 

 自分が教えた技術を全て発揮し、少年はミノタウロスに挑んでいる。

 ベルは今、全身全霊を賭して怪物を倒そうとしているのだ。

 

(―――だけど戦況は、ベルの方が圧倒的に不利)

 

 どんなにベルがミノタウロスの攻撃を避け続けても、致命傷を与えなければ勝つことはできない。

 ベルは何度もミノタウロスの身体に片手剣で斬りつけているが、致命傷には程遠い。

ミノタウロスはベルに一撃でも攻撃が当たれば、それで勝負はつく。

 致命的なダメージを大幅に軽減してくれる≪妖精の抱擁(フェアリー・クロス)≫を失ったベル…そんな彼がミノタウロスの一撃を喰って無事に済む道理はない。

 上手くダメージを減らして戦闘不能に陥ることを防いでも、受けたダメージにより身体機能は低下するだろう。

 その怪我により敏捷(あし)が少しでも鈍ったら、完全に『詰み』である。

 

(―――他人の『冒険』に手を出していけないのは理解している。それでもベルが命の危機に瀕したとき、私は…)

 

 アイズ達が見守る中、ベルとミノタウロスの戦闘はさらに加速していく。

 

 



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ベル・クラネルの冒険 ③

 失った双刀の代わりに片手剣を装備し、再びミノタウロスと対峙したベル。

 そしてベルは、勇猛果敢に怪物へと駆け出して行った。

 

 それから少年と怪物による一進一退の攻防が続いた。

 破壊力のある攻撃を繰り出すミノタウロスと、その攻撃を紙一重で避けながら剣を閃かすベル。

 回避が間に合わない攻撃に対しては、アイズ直伝の受け流しを用いて見事に防いでみせる。

 形勢こそ、終始攻め続けているミノタウロスの方が有利であったが、確かに勝負は成立していた。

 ―――互いの命を賭けた、真剣勝負。

 

 しかし、ここで忘れてはいけないことがある。

 人は戦いの中で成長していく―――そしてそれは、モンスターも例外ではないということだ。

 互角に見える攻防戦…その均衡が今、崩れようとしていた。

 

 

 

*****

 

 

 

「アイズ、レフィーヤ、リヴェリア!」

 

「ベルは無事なの!?」

 

 ベルとミノタウロスが熾烈な戦闘を繰り広げる中、フィン、ティオナ、ティオネの三人はようやく三階層へと到着し、戦闘を見守っているアイズ達の下へと駆け寄った。

 

「ティオナ達か…ベルは無事だ、あそこを見てみろ」

 

「あっ、ベルだ!…ってうそ!?何でミノタウロスと戦ってるのっ!?」

 

「っ!まさか今までずっとミノタウロスを相手取っていたの…!?」

 

「おそらくそうだろう。私達が駆け付けたときからずっと、ベルはミノタウロスと戦い続けている」

 

「―――本来なら新人がミノタウロスに挑んでも絶対に敵わない。でもどういうわけか、ベルはミノタウロス相手に一歩も引かずに戦っている。…ふむ、現段階において手を出すのは早計か」

 

(ひとまずベルが無事なのはよかった。…しかしベルはまだLv.1のはずだが、あの動きはどう見ても…)

 

 フィンはベルの実力がLv.1のそれを超えていることに内心で驚愕する横で、ティオナは興奮気味にアイズへと詰め寄った。

 

「アイズがベルを指導していたんだよねっ?どんな特訓をしたらあんなに強くなるのっ!?」

 

「…私はただ、模擬戦闘を行っていただけだよ。それに今のベルは、私と訓練していたときよりも凄く成長している。正直、私も驚いている」

 

「ふむ、直接指導してきたアイズでも分からないとは…」

 

「ベルの急成長の謎はひとまず置いておくとして、今はミノタウロスとの戦闘の行方を見守ろう」

 

(見た限り、ベルはミノタウロスに対する決定打を持っていない。今は互角に渡り合っているけれど、長期戦ではベルが圧倒的に不利だ。―――圧倒的に不利なこの状況で、君はどうする?)

 

 フィンが考えた通り、今のベルには決定打が欠けていた。

 そしてそれは、ベル自身も気が付いていた。

 

(傷を負わせて、相手に魔力を使わせているけれど、自己治癒能力は未だ健在…。しかも、ミノタウロスの攻撃も段々と僕のことを捉え始めてきている。このままじゃ……)

 

 この死闘の最中に、ベルの実力は確かに成長した。

 しかしベル以上に、怪物は成長してしまった。

 相手の動きを読むことを覚えたミノタウロスは、素早いベルの動きを捉え始めてきたのだ。

 この戦いで先読みの技術を手に入れた怪物―――その技術を万全に使いこなすようになったとき、ベルの命運は尽きる。

 

(何か、何か起死回生の一手はないのかっ!?…っ!そういえば―――)

 

 頭脳をフル回転して打開策を探すベルに、天啓が閃く。

 

(―――確かミノタウロスの魔石は、どの個体も胸部中央に存在しているとリヴェリアさんが言っていた。それなら剣で相手の皮膚を貫き、その奥にある魔石を砕けばミノタウロスを倒せるはずだ!!)

 

 全てのモンスターに共通する特徴―――それは体内に魔石を有している点である。

 魔石―――それはモンスターにとっての最大の弱点であり、冒険者にとって最大の有効打となる。

 どんな屈強なモンスターでも、魔石さえ破壊すれば倒すことができる。

 長期戦では圧倒的にベルが不利。こうなってしまえば、短期決戦でしかベルに勝ち目はない。

 そして短期決戦で勝負を決めるならば、モンスターの核となる魔石を直接破壊するしかないのだ。

 

(隙を見て相手の懐に飛び込み、そして(弱点)めがけて剣を突き刺すしかないッ!)

 

 このままではジリ貧になると思ったベルは、直接ミノタウロスの魔石を狙うことを決決心する。

 ただしこれは大きな賭けだ。

 なぜなら一撃で倒すことに失敗した場合、ベル自身は大きな隙をさらすことになる。

 その隙を敵が見逃す道理はなく、無防備な状態ででミノタウロスの一撃を喰らったら、確実に勝敗は決してしまうだろう。

 

(―――それでも、やるしかないんだッ!!)

 

『グオオオォォォ!!』

 

 覚悟を決めたベルの眼前にミノタウロスの拳が迫る。

 ベルはその拳を強引に前に出ることで避ける。

 拳が腕にかすり吹き飛ばされそうになりながらも無事に敵の懐に侵入したベルは、即座に跳躍態勢に移る。

 そしてベルは弱点の魔石がある胸の中央を狙い、全身のバネを活かし思いっきり跳躍する。

 渾身の一撃、全身全霊を賭けた刺突をミノタウロスに放たれた。

 白の刃がミノタウロスの胸部へと突き刺さり、厚い筋肉の装甲を穿ち、その奥に存在する魔石に―――、

 

「なッッ!?」

 

 ―――届かなかった。

 ミノタウロスの厚い筋肉に阻まれ、剣の切っ先は魔石に届くことが叶わず、破壊することができなかったのだ。

 

 弱点である魔石を直接狙うのは悪くない策だった。

 ただしベルは致命的な過ちを犯した―――それは、敵のスペックを見誤ってしまったことである。

 普通のミノタウロスであれば、今の一撃で刃が魔石まで届き、砕くことができたであろう。

 ただしこのミノタウロスはただのミノタウロスではない。

 より強力な存在である『強化種』だ。

 眼前の敵は本来よりも高い『耐久』を持ち、筋肉の鎧も通常より硬い。

 渾身の一撃なら筋肉を貫けるはずだとベルは考えたようだが、その見通しは甘かった。

 

(やばいッ、早く離脱しないと―――っ!?)

 

 ミノタウロスの胸に剣を突き刺したまま、宙に浮いて無防備な状態をさらすベル。

 そんな大きな隙を敵が見逃す訳もなく、ミノタウロスは右腕を大きく振りかぶって渾身の一撃をベルに繰り出す。

 攻撃の予兆を感じたベルは急いでミノタウロスの胸に突き刺さった剣を引き抜こうとしたが、それは悪手であった。

 

「いけないベル!すぐに剣から手を離してっ!」

 

 アイズの切羽詰まった声がベルに届いたときには、もう遅かった。

 すぐに剣を抜いて回避すれば間に合うと考えたベルであったが、分厚い筋肉に突き刺さった剣を引き抜くことは叶わず、大幅に時間を無駄にしてしまったのだ。

 アイズの切羽詰まった声を聞いて本能的に剣から手を離したベルであったが、その目の前にはもう巨大な拳が迫っていた。

 咄嗟にベルは両腕を胸の前でクロスさせて防御したが、できたことはそれだけであった。

 

「―――がっっ!?」

 

 ミノタウロスの強烈な一撃が炸裂する。

 その一撃を喰らったベルは物凄いスピードで殴り飛ばされ、勢いよく壁に叩きつけられた。

 

「ッッッ~~~~!?!?!?」

 

 途方もない痛みに、ベルは思わず声なき絶叫を上げる。

 

(全身が痛い…それに、眼を開けているはずなのに辺りは真っ暗だ。あれ、おかしいな?手足が動かない……そうか、僕はアイツに…負けたのか……)

 

 ―――そういえば、ミノタウロスの攻撃を喰らう直前、誰かの声が聞こえた気がした。

 ―――どうしてだろう、その声を思い出すだけで、身体の痛みが和らいでいく気がする。

 

(僕の名を叫んだ声の主は確か…あれ、誰だっけ…?)

 

 ―――あんなに大切に思っていたはずなのに、どうしてか顔も名前も思い出せない。

 ―――でも、もういいか。だって僕はもう………。

 

(久しぶりに、お祖父ちゃんに会えるといいな…)

 

 そんなことを思いながら、ゆっくりと瞼を閉じるベル。

 ベルが全てを諦めかけたそのとき、その声(、、、)が聞こえた。

 

『もう諦めるのかい?』

 

(この声…?まさか―――)

 

 ベルの頭に直接響いてきた男性の声(、、、、)は、ベルがよく知る人物の声であった。

 

 

 

*****

 

 

 

 ―――場面は、ベルがミノタウロスの魔石を直接狙うことを決心した瞬間まで遡る。

 

「ふむ、ベルの顔つきが少し変わったな」

 

「そうだね、今から何か行動を起こすんじゃないかな」

 

「何かって何なの、フィン?」

 

「ンー、おそらくだけど、ベルは一撃必殺を狙っているんじゃないかな」

 

「何それ凄いっ!!ベルってばそんな凄い技を隠し持っていたの!?」

 

「はぁ、ティオナ…貴方は何年冒険者をやっているのよ…。団長が言う意味の一撃必殺とは、魔石を直接狙うっていうことよ?」

 

「あっ、そういうことね!」

 

「まったく、本当に貴女は…」

 

「あの、ミノタウロスの魔石って胸の中央にあるんですよね?」

 

「その通りだ、レフィーヤ。『強化種』でも魔石の存在する位置は変わらないはずだ」

 

「つまり隙を見て魔石を狙うってわけか~。でも、ベルはミノタウロスの魔石どこにあるのか知ってるの?」

 

「おそらく大丈夫のはずだ。以前に私が教えたことがあるからな。ベルならばしっかりと覚えているだろう」

 

 ティオナの疑問にリヴェリアが答えた次の瞬間、戦況は大きく動いた。

 ベルはミノタウロスの攻撃を強引に前に出ることで避けて、敵の懐に潜り込む。

 

「―――ッ!おい、強引に懐に飛び込んだぞ!」

 

「行っけええぇぇ、ベル!!」

 

 ベルは全力で跳躍し、ミノタウロスの胸部へと剣を突き刺す。

 その光景を見てレフィーヤは思わず歓喜の声を上げた。

 

「っ!やりました!やりましたよ!!」

 

「駄目だ!あれでは魔石まで届いていないッ!!」

 

「う、うそ…」

 

 フィンの言葉通り、刃は厚い筋肉に阻まれ、魔石を破壊することができなかった。

 そしてフィンの言葉を聞いたレフィーヤは、その顔を真っ青にする。

 

「クソ、予想以上に筋肉が厚過ぎたのかッ!?」

 

「これじゃあ、もう打てる手が…」

 

「―――ッ!!いけないベル!すぐに剣から手を離してっ!」

 

 本来なら武器を捨ててその場から離脱するのが正しい。

 しかしベルは、敵の胸に突き刺さった剣を引き抜こうとしてしまった。

 その致命的な行動を見て、アイズは形振りも構わず叫んだ。

 だがアイズの叫びも虚しく、ミノタウロスの渾身の一撃を喰らってしまったベルは、彼女の目の前で勢いよく壁に叩きつけられた。

 

「―――がっっ!?」

 

「「「ベルっ!?」」」

 

「い、今のはちょっとヤバくない!?」

 

「咄嗟に腕を差し込んで致命傷は避けたけれど、受けたダメージは大きいわね」

 

「チッ、馬鹿が…おいフィン、もういいだろう」

 

「何がもういいんだい、ベート?」

 

「今のミノタウロスの一撃は、Lv.1の『耐久』程度じゃあ耐えられねぇ…五体満足なのが不思議なくらいだ。だがもう、あのダメージではアイツが戦闘を続行することは不可能だ。なら、俺が手を出しても構わねぇだろう」

 

「―――駄目だ、まだ僕達が助けるときではない」

 

 数秒の熟考の後、きっぱりとそう告げるフィン。

 その言葉を聞いた団員達に緊張が走る。

 顔を真っ青にしていたレフィーヤは、真っ先に悲痛な声を上げた。

 

「そ、そんな…!?」

 

「…おい、正気なのかフィン?」

 

「ねぇフィン、早く助けに行かないとベルが死んじゃうよっ」

 

「…お願いフィン、もう行かせて」

 

「私からもお願いします、団長。ベルは十分に頑張りました、だからもう…」

 

 ベートは瞳を鋭くし、ティオネとアイズは悲痛な表情を浮かべ、ティオネは神妙な表情でフィンに進言する。

 しかし、フィンの意志は変わらなかった。

 

「もう一度言う、ベルとミノタウロスの戦闘に介入することは絶対に許さない―――これは団長命令だ」

 

 非情な命令を下すフィンであったが、彼はベルの命がどうでもいいからこんなことを言ったわけではない。

 フィンもアイズ達と同じく、今すぐ傷だらけになったベルのことを助けに行きたい。

 だけど同時に、勇者としての勘がまだベルを助けるべきではない、とフィンに告げているのだ。

 

 ―――ベル・クラネルの実力はこんなものではない。

 ―――彼なら必ず立ち上がり、あのミノタウロスを倒すことができるはずだ、と……。

 

 親指が告げる勘が本当に正しいのかは分からない。

 しかしフィンは、いつも通り己の直感を信じることにした。

 

 そんなフィンの意志が通じたのか、アイズ達は不安そうな顔をしながらもフィンの言葉に従うことを決め、ベルが立ち上がることを祈るのであった。

 

 (しかしあのミノタウロス…今なら止めを刺すことも容易なのに、それをしようとしない。まるでベルが立ち上がることを待っているかのように、その場から動こうとしない。まさかあのミノタウロス……いや、流石にそれは僕の考え過ぎか…)

 

 

***

 

 

 最初にベルの変化に気が付いたのはアイズであった。

 今まで閉じていたベルの瞼が、ゆっくりと開かれていくことに気付く。

 

「―――ッ!ベルっ!?」

 

「っ!おい、眼を開いたぞ!!どうやら意識はあるみたいだッ!」

 

「これならまだ戦えるかも!なぜかミノタウロスはその場から動こうとしないし!」

 

「そうね、どうしてベルを襲わないのか分からないけれど、今のミノタウロスの行動はこちらにとって好都合だわ」

 

「で、ですが、再び立ち上がることができたとしても、今の傷付いたベルではミノタウロスを倒すことは……ッ!」

 

「それは…」

 

「…ベル」

 

 全身が傷だらけで、四肢がだらりとした状態で壁に半ば埋まりながら座り込む少年。

 今すぐ彼を助けに行きたいという気持ちを何とか抑え込みながら、アイズはじっとベルのことを見つめる。

 

 それから少しして、事態はアイズにとって思いもよらない方へと動き出すのであった。

 

 

 

*****

 

 

 

『もう諦めるのかい?』

 

 ―――この声…?まさか、僕の声なのか?

 

『正解。こうして僕自身と語り合うのは、これが二回目だね。確か一回目は入団試験のときだったかな』

 

 ―――入団試験のとき…?それって…。

 

『まぁ、そんなことはどうでもいいじゃないか。問題なのは、今の状況さ』

 

 ―――今の状況…?

 

『なんだい、頭を強く打ちつけたせいで記憶が混濁しているのか?君は今の今までミノタウロスの強化種と戦っていたじゃないか』

 

 ―――ミノタウロスの強化種…ッ!そうだ、僕はアイツと戦っていたんだ!!

 

『やっと思い出したのか。それじゃあ、そろそろ戦線復帰してみたらどうだい?』

 

 ―――それは…不可能だよ。だって僕にはもう、立てるだけの気力もないから。

 

『そんなつまらない言い訳で、僕は戦うことを諦めるのかい?』

 

 ―――えっ…?

 

『聞こえなかった?僕はそんなつまらない言い訳で、戦うことを諦めるのかと質問したんだ』

 

 ―――言い訳じゃない。これは仕方がないことなんだ。だって僕はもう…。

 

『言い訳も泣き言も聞きたくない。聞きたいのは僕自身の本心だ。その上でもう一度だけ問うけど、本当に僕は戦うことを諦めるのかい?』

 

 ―――君が僕自身ならわかっているだろう!?僕だって本当は諦めたくない!!でも、身体に力が入らないんだから仕方がないだろう!?どうすればいいって言うんだよッ!!

 

『…眼を開けて、右を見て』

 

 ―――えっ?

 

『早く、もう眼は開くはずだよ』

 

 自分の声に従って眼を開けたベルは、何とか右側に顔を向ける。

 その視界の先に映ったのは、ぼやけた人影―――。

 徐々に瞳のピントが合い、その人影が鮮明に見えたとき、ベルはようやく彼女達の存在に気が付くのであった。

 

(あれは、アイズさん達だよね…?どうしてここに…?)

 

 混乱するベルの脳裏に、先程聞こえて来た女性の声を思い出した。

 

(そうか、あれはアイズさんの声だったのか。でも、今のアイズさんの表情…)

 

 ベルの視界に映るアイズの表情…それはベルが見たこともないくらい悲痛な表情をしていた。

 

(あぁそうか、アイズさんは僕が弱かったせいであんな表情をしているのか…。アイズさんを笑顔にさせる…そう、リヴェリアさんに誓ったはずなのに)

 

 ―――それがどうだ、今のアイズさんは今にも泣き出しそうな顔をしている。僕が絶対に見たくなかった顔である。

 

『彼女を悲しませた原因は何?』

 

 ―――僕のせいだ。僕が弱いからアイズさんはあんな表情をするんだ。

 

『そうだね。それで、僕は彼女を悲しませたままでいいのかい?』

 

 ―――いいわけないに決まってるっ!僕はアイズさんのあんな表情を一度たりとも見たくなかったんだ!

 

『だけど僕が弱いせいで、現に彼女は泣きそうな表情をしているよ。さぁ、どうする?』

 

 ―――決まってるっ!アイズさんの笑顔を取り戻すために、自分の強さを証明するっ!

 

『強さの証明か…確かに僕が強いのなら彼女を悲しませずに済むだろうね。けれど、具体的にはどうやって強さを示すの?』

 

 ―――ちょうど打ってつけの存在が僕の目の前いるじゃないか。Lv.2に分類されるミノタウロス…この強敵を倒し、僕は自分の強さを証明してみせる!!

 

『言い訳ばかり並べ、戦うことを諦めかけていた先程までとは大違いだね。確かに、Lv.1の新人がミノタウロス…しかも強化種を打倒することができれば、十二分に強さを証明できる。だけど、僕にそれほどの偉業(、、)を成し遂げることはできるのかい?』

 

 ―――それは……

 

『泣き虫な僕が…祖父に守られてばかりだった弱い僕が、偉業(、、)を成し遂げることができると本当に思っているのかい?』

 

 ―――確かに以前の僕なら不可能だ。でも、今の僕なら絶対に成し遂げられるッ!!

 

『へぇ、凄い自信だね。いつもの僕では考えられない宣言だ。…一体その自信はどこから来るんだい?』

 

 僕は【ロキ・ファミリア】に入団してからのことを思い出す。

 入団した翌日からずっと行われたアイズさんとの模擬戦闘。

 アイズさんとレフィーヤさんによる魔法の披露。

 ダンジョンを深く知るために行われたリヴェリアさんとの勉強会。

 フィンさんやティオナさん、他にも多くの先輩方からたくさんのことを教えられた。

 

 【ロキ・ファミリア】の実力者達に鍛えられた今の僕が昔と変わらず弱いまま…?

 

 ―――ふざけるなッ!いつまで自分は弱者だと思い込んでいるつもりだ、ベル・クラネル!!

 

 ―――世界に名を轟かすほどの冒険者達…そんな彼らに鍛えられた僕が、以前の弱い自分と同じであるはずないんだろう!?

 

 ―――昔の自分はもう死んだ。ここにいるのは、【ロキ・ファミリア】に所属する一人の冒険者だ。

 

『【ロキ・ファミリア】に所属していることを心の底から誇りに思い、そして自信が生まれたのか…。ふふ、これで最後のピースが揃ったことだし、今の僕なら真の実力(、、、、)を発揮できる』

 

 ―――真の実力…?僕は本気でミノタウロスと戦って…。

 

『本気ではあったが、全力ではなかったということさ。自分を弱者だと思い込んでいた僕は、その思い込みのせいで己の実力を低く見積もっていた。自分の限界を勝手に決めつけてしまった故に、実力の全てを発揮することができずにいたんだ』 

 

 ―――さっきまでの僕は、全力を尽くしていなかったのか…。

 

『その通りだ。今まで守られてばかりだった僕は、自分に自信を持つことはできずにいた。でもそれは過去の話だ、自信に満ちた今の僕なら実力を全て発揮できるだろう』

 

 ―――僕は……。

 

『そうだな…最後に僕からの助言を一つしよう』

 

 ―――助言…?

 

『いいかい、ベル・クラネル―――絶対に自分の限界を決めつけるな。余計なことは考えず、己の力を信じ、眼前の敵を倒すことだけに集中するんだ』

 

 ―――そうだ、余計なことを考えず、どうすれば目の前の強敵を倒せるのかを考えろ。

 ―――今度こそ絶対に、自身の全てを賭してミノタウロスを倒してみせるんだッ!!

 

『それじゃあ英雄の真似事…怪物退治と行こうじゃないか!今こそ君だけの冒険(、、)を世界に、そして神々に示すんだ!!』

 

 

 

*****

 

 

 

「―――おおおおおッッ!!」

 

 今まさに、アイズの目の前で信じられない光景が広がっていた。

 ミノタウロスの一撃を受け、戦闘不能に陥ってもおかしくなかったはずの少年が、雄叫びを上げながら立ち上がったのだ。

 

「―――っ!」

 

 少年の身体はもうボロボロで、立ち上がることだけさえも辛いはずだ。

 それなのに、少年の真っ赤な瞳は死んでいなかった。

 闘志は衰えておらず、むしろ先程までより強い意志を感じる。

 今の少年から感じる気迫は、Lv.2…いや、Lv.3の冒険者に匹敵する程のものだ。

 再びミノタウロスに対峙する少年の顔は、先程よりも凛々しく見える。

 今の少年を見ると、どうしてだろう……父親の姿と重ねてしまう。

 

(どうしてそんなに傷だらけなのに、君は立ち上がれるの…?)

 

「ベル―――」

 

『グオォォォォォ!!』

 

 呟かれたアイズの言葉は、ミノタウロスの砲声によりかき消された。

 今まで微動だにしなかったミノタウロスは、雄叫びを上げながら立ち上がったベルの姿を見て獰猛に笑い、負けじと雄叫びを上げ返す。

 ベルが立ち上がるまで決して攻撃を加えず、ベルが立ち上がった現在、嬉そうに砲声を上げるミノタウロスの姿は本物の人間(、、)のようであった。 

 

 己の殻を破った少年と理性を兼ね備えた怪物の決戦―――その決着は、近い。

 



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ベル・クラネルの冒険 ④

 

 再び立ち上がった少年(ベル)と獰猛に笑う怪物(ミノタウロス)の決戦―――先手を取ったのは後者の方であった。

 ミノタウロスは胸に突き刺さった剣を片手で引き抜くと、立ち上がったばかりのベルの頭を狙って投擲したのだ。

 

「―――!」

 

 ミノタウロスの逞しい片腕から投げられた剣は恐るべき速度でベルに迫っていく。

 物凄い速さで宙を駆ける必殺の投擲―――少しでもベルの回避が遅れたら、その時点で決着は着いてしまうほどの一撃。

 そんな自身の命を刈り取ろうとする剣を臆することなく真正面から見据えたベルは、素早く横に跳んでその投擲を避けた。

 次の瞬間、ドガンッと大きな音を立てながらベルの剣が壁に突き刺さり、鍔より上の刀身が全て埋まる。

 投擲を避けたベルは即座に壁に埋まった剣の柄を握って、力を込めてスパッと引き抜いた。

 

(武器を全て失ったときはどうしようかと思ったけど、ミノタウロスが僕の片手剣(スノーライトソード)を投げてくれて助かった…)

 

 ベルは片手剣(スノーライトソード)を装備し、その剣先をミノタウロスに向ける。

 再び剣を構えたベルを見て、ミノタウロスは獰猛に口角を吊り上げた。

 

(なッ!?僕が剣を構えたのを見て笑った…?まさかあのミノタウロス、僕に武器を返すためにわざと剣を投げたのか!?)

 

 武器を失った自分では取るに足らないということなのか?それとも、ただの気まぐれなのか?

 本当の答えはわからないけど、これは僕にとってチャンスだ。

 素手の状態でミノタウロスに挑んでも絶対に勝機は存在しない。

 だが剣があれば話は別だ。先程の一撃必殺は失敗したが、あの命を賭けた攻撃により得られた情報がある。

 その情報と僕の持ちうる力を全て発揮すれば、今度こそミノタウロスの厚い筋肉を貫き、その奥にある魔石を破壊することができるはずだ。

 

(だけど、この作戦には問題が二つある。一つは僕の『魔法』が想像通りの効果を発揮してくれるかどうか…そしてもう一つは―――)

 

『ヴヴォオオオオオオッ!!』

 

(―――魔石狙いの胸への一撃を、ミノタウロスは警戒しているということだ)

 

 このミノタウロスは恐ろしく頭がいい。おそらく僕がもう一度魔石を狙うことはバレているだろう。

 そんな警戒心が高くなった相手に対し、もう一度同じ攻撃をしてもすぐに対処されてしまう。

 先の一撃で仕留めきれなかったことが悔やまれるが、過ぎてしまったことは仕方がない。

 

(今はまず、ミノタウロスの懐に侵入することだけに集中しよう。後のことはそれからだ)

 

 考えが纏まったベルは身を低くして、弾丸のようにミノタウロスまで駆ける。

 疲労でとてつもなく重い足を懸命に動かし、敵の間合いに近付くベル。

 そんなベルを迎え撃つため、腰を落とし巨大な左腕を高く掲げるミノタウロス。

 緊迫した雰囲気に包まれる中、ついにベルはミノタウロスの間合いに侵入した。

 

『ッ!』

 

 ミノタウロスはベルめがけて勢いよく腕を振り落とす。

 この戦闘中により鋭くなった拳が唸り上げ、ベルを叩き潰そうと迫って来る。

 今までのベルであればすぐにスピードを落として回避していた。

 しかしベルは決して速度を落とさず、より深くミノタウロスへと近づく。

 そしてミノタウロスの剛拳がベルに触れる直前、彼は速度を緩めないまま左へサイドステップしてかわすのであった。

 

「くッ―――!」

 

 全力で走っている状況からいきなり横へと跳んで避けたベルであったが、その回避方法は決して小さくない代償が伴った。

 無謀な動きにより足へかかった負担が大きく、筋肉の繊維がブチブチと裂けてしまい、ベルの最大の武器である足に激痛が走る。

 

(絶対に声を上げるな!このくらいの痛みなら何でもないだろうッ!この機会を逃すわけにはいかないんだ――ッ!)

 

 その苦痛から思わず声を上げそうになるベルであったが、歯を食いしばってそれを我慢する。

 攻撃を行った直後はどんな強敵でも硬直し、隙が生じる。その隙を狙って攻撃を喰らわす技術であるのが『カウンター』。

 この戦闘中ベルは何度それを使ったが、今のミノタウロスがカウンターによる胸への一撃を警戒していないはずがない。

 よって、魔石への一撃必殺を警戒するミノタウロスにカウンターを喰らわすためには、相手の想像の上をいくしかないのだ。

 そのためベルは今まで行わなかった全速力からの回避を実行し、足がぶっ壊れるのを覚悟でミノタウロスの意表を突いたのである。

 

 自分の一番の武器である足を犠牲につくった絶好の機会―――ならばここで叫ぶ言葉は意味のない悲鳴ではなく、意味のある言葉でなければいけない。

 

「【ウインドボルトッ!!】」

 

 ミノタウロスの攻撃をギリギリで避けて懐に侵入した直後、ベルは足の激痛を耐えながら魔法名を叫んだ(、、、、、、、)

 次の瞬間、ベルの足元から金色に輝いた風が発射される。

 そう、手のひらではなく足の裏から速攻魔法【ウインドボルト】を放ったのだ。

 ありったけの魔力を込め地面に放った【ウインドボルト】の威力は凄まじく、その反作用を受けたベルの身体が疾風のように宙を駆ける。

 ミノタウロスの胸へと突っ込むよう角度を調整して魔法を発射したベル―――凄まじい威力の反作用を乗せた白の刃は、魔石が存在する胸の中央へと吸い込まれるように放たれた。

 

 最初の一撃必殺が不発に終わった最大の理由は火力不足―――現段階のベルの力ではミノタウロスの堅い筋肉を貫き、その奥の魔石を砕くことはできない。

 だからベルは考えた、どうすれば火力を補えるのかと。

 そしてベルが思い付いた方法は、足から魔法を全力で放ち、その凄まじいエネルギーを利用して刺突の威力に上乗せする―――という斬新なものであった。

 魔法は手のひらから放つのが常識であるが、そこ以外…つまり足の裏からも魔法を放つことができるのだ。

 しかし足から魔法を放っても、普通の状況では何の意味も無い。大多数の冒険者では、足から魔法を放出するという馬鹿げたやり方を思い付かないだろう。

 常識という固定観念に縛られておらず、柔軟な思考回路を持っているベルだからこそ、この方法を考え付くことができたのだ。

 しかしどんなに斬新な方法であっても、成功する保証はどこにもない。

 足から魔法を発射するなど一度も試したことはなかったため、ベルの作戦が狙い通りにいくかは未知数であった。

 それでもベルは、この方法に全てを賭けたのだ。

 

 金の風が地面に放たれ、その反作用を受けたベルの身体は勢いよく宙を駆け抜け、凄まじい威力を秘めた刺突を繰り出すところまで成功している。

 残すは剣の切っ先を胸部へと突き刺し、その奥に存在する魔石を貫くのみ―――。

 しかし、全てがベルの狙い通りにいくほど目の前の怪物は甘くなかった。

 

『グオオオォォォ!!』

 

 全身全霊を賭けたベルの一撃が自分にとって致命傷になることを本能的に悟ったミノタウロスは、驚くべき速さで右拳を繰り出してきた。

 

「ッ!」

 

(―――速く、速く、もっと速くッ!ミノタウロスの反撃が当たる前にヤツの魔石を砕くんだっ!!)

 

 ミノタウロスの攻撃で自分の命を奪われる前に、神速の一撃をもって魔石を粉砕する。

 相手の拳が当たるよりも先にミノタウロスを倒さんとするベルの剣は、真っ直ぐ相手の胸へと突き刺さる。そして胸部へと突き刺さった刃は、その奥の魔石を目指して厚い筋肉の鎧を穿っていった。

 

「―――ッ!?」

 

 しかしベルは悟ってしまった。自分の剣が敵の魔石を砕く未来は絶対に訪れないことを。

 ミノタウロスの魔石を貫く前に、振るわれた怪物の剛腕が自分の命を粉々に粉砕する光景がありありと見えてしまった。

 死という文字が、ベルの脳裏によぎる。

 

(もう少しっ、後もう少しなんだッ!!もう少しだけ時間があれば、ヤツの魔石を砕くことができるのにッ!!)

 

 しかしベルがどんなに願っても、どんなに嘆いても訪れる未来は変わらない。

 ありったけの力を込めても堅い筋肉の鎧を穿つ速度は変わらず、間近には唸りを上げる拳が刻一刻と自分の顔に近付いてくる。

 確実にベルの身体を無残な肉塊へと変える剛拳。

 残酷な死が、目の前まで迫っていた。

 

(何か、何かないのかっ!?一瞬だけ時間を稼ぐ方法は―――)

 

 ベルが必死に頭を回転させたそのとき、ふと『彼』の言葉が脳裏に浮かんだ。

 

『いいかい、ベル・クラネル―――絶対に自分の限界を決めつけるな。余計なことは考えず、己の力を信じ、眼前の敵を倒すことだけに集中するんだ』

 

(そうだ、僕は―――ッ!!)

 

「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 力強く砲声を上げたベルが取った行動は、本能的なものだった。

 自分の命を刈り取ろうするミノタウロスの拳に対し、ベルは剣を持っていない方の手で殴りかかったのだ。

 

「―――ッッ!?」

 

 怪物の降り下ろした拳と少年の振り上げた拳が衝突した瞬間、バキバキッとベルの左腕から悲鳴が上がる。

 とてつもない破壊力を秘めたパンチを真正面から受け止めたベルの細腕はその圧倒的な衝撃に耐えきれず、ほんの一瞬の間に何本もの骨が折れてしまった。

 無謀な反撃により左腕が完全に折れてしまったベル―――しかし己の腕一本を犠牲にして稼いだその一瞬の間に、彼の剣がミノタウロスの筋肉の鎧を全て穿ち、その奥の魔石を貫く。

 

「おおおおおおぉぉぉぉぉぉッッ!!!」

 

 そしてベルは腕が破壊される激痛を無視して思いっきり剣を捻り、ミノタウロスの魔石を粉々に砕いた。

 

『―――――――――ッッ!?』

 

 魔石を破壊された瞬間、ミノタウロスの身体に無数の亀裂が走り一気に砕け散る。

 その後ベルの眼前に残ったのは、サラサラと幻想的に宙を舞う黒紫色の灰であった。

 

(僕は、勝ったのか…?)

 

 全身がボロボロになりながらも紙一重で怪物を打倒したベルであったが、あまりの疲労に意識が肉体から離れかかっていた。

 

『…ミゴト、ダ…チイサキ…モノ、ヨ…』

 

(えっ―――?)

 

 そんなベルの耳に、誰かの言葉が聞こえた気がした。

 いや、誰かではなく今まさに倒したはずのミノタウロスがそう呟いたようにベルには感じられたのだ。

 理性無きモンスターが言葉を話すなんてありえない、しかも相手は魔石を砕かれ消滅したはずだ―――そのはずなのに、ベルにはその言葉の主が今まで戦っていたミノタウロスであることを疑わなかった。

 だからベルも、消えゆく宿敵の言葉に答えるために口を開く。

 

「貴方も、見事でした…叶うのなら、また貴方と戦いたかったです」

 

『…フッ…オレモ、ダ……』

 

 そう最期に呟いた瞬間、宙に舞っていた黒紫色の灰が完全に地に落ちてしまうのであった。

 死闘を繰り広げた怪物の最期を見届けたベル。そんな彼の傷付いた身体も魔法の放出を終えたことで地面へと落下していく。

 

(着地するために体勢を変えないと―――あれ、身体が動かない…?これじゃあ碌に受け身もとれないや…)

 

「―――ベルッ!」

 

 ベルが地面へと落ちていく光景を見て、真っ先に反応したアイズは力強く地を蹴り、ベルの下へと駆け出していた。

 そして一瞬で空間を駆け抜けたアイズは、落下してきたベルを抱きかかえることに成功する。

 

「アイズ、さん…」

 

 意識が朦朧としていたベルであったが、アイズの腕の中に包まれているのは理解できた。

 いつもならあまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にするところだが、なぜか今はそういう気持ちが生まれなかった。

 ボロボロの自分を心から案じてくれる少女の腕の中は、身体中を襲う痛みを忘れてしまうほど心地よかった。

 疲弊した肉体も、彼女の温もりに包まれるだけで癒えていくようにさえ感じた。

 このまま彼女の腕の中で眠りにつきたい…だけど、まだダメだ。僕はまだ、意識を失うわけにはいかない。

 

 ―――だって僕にはまだ、アイズさんに聞かなければいかないことがあるから。

 

「…待ってて、今治療をするから…っ!」

 

「…僕、は…よ……まし…か…?」

 

「えっ?」

 

「…僕は、強く…なれました、か…?」

 

「―――っ!」

 

 ベルはどうしてもそれを確かめたかった。

 アイズの笑顔を取り戻すためにベルは傷だらけの身体で立ち上がり、何とかミノタウロスを打倒した。

 

 ―――それは全て、自身の強さを彼女に証明するため。

 ―――それは全て、もう二度と自分のせいで彼女を悲しませないため。

 ―――それは全て、明るく微笑んでいる彼女の顔を見たいため。

 ―――それは全て、そんな彼女の隣にいつまでもいたいため。

 ―――それは全て、いつか自分の手で彼女を守るため。

 

「…君は―――」

 

 自分の腕の中にいる傷付いた白兎がどうして今、そんなことを聞いてきたのかわからない。

 それでもアイズは彼の問い掛けに対して真剣に考え、そして答えた。

 

「…君は、とても強くなったよ」

 

(―――ああ、よかった。僕は本当に、強くなれたんだ…)

 

 その言葉を聞いた瞬間、ベルは安堵からか気が遠くなっていくのを感じた。

 それでも最後の力を振り絞って、お礼を伝える。

 

「ありがとう、ございます……アイズ、さ…ん……」

 

「ベル…?ベルっ!?目を開けて、ベルッ!?」

 

「アイズ、急いでこの万能薬(エリクサー)をベルに飲ませろッ!」

 

「―――っ!わかりましたッ!」

 

「う、嘘…どんどんベルの顔が青く…っ!」

 

「おい、こんなところでくたばんじゃねぇぞ新人!」

 

「ど、どうしようフィン!?」

 

「万能薬を飲ませた以上大丈夫だと思うが、万が一の場合があるかもしれない。急いでベルを連れて地上に帰還しよう」

 

「…それなら、私がベルを抱えていく」

 

「わかった。僕とティオネとティオナ、それとベートがここに残るからアイズ達は先に地上に帰還してくれ」

 

「えっ、私も残るの!?ベルのことが心配なのにっ!」

 

「もう少しここを調べる必要があるし、ラウル達にこのことを伝える必要がある。わかってくれ、ティオナ」

 

「ティオナ、団長の指示に従いなさい。ベルにはアイズとレフィーヤ、リヴェリアが付いているから大丈夫よ」

 

「うぅ、わかったよ」

 

「僕とティオナがラウル達の元に戻る。ティオネとベートはこの場に残り、ミノタウロスのドロップ品を含め、何か異常がないか調べてくれ」

 

「わかりました、団長」

 

 フィンの指示を聞いて、その場にいた全員が行動を開始するのであった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 怪物(ミノタウロス)を単独で打ち倒したLv.1の新人冒険者、ベル・クラネル。

 彼がオラリオに来て約二週間。

 冒険者登録をしてから、わずか五日。

 一匹の兎が『偉業』を成し遂げ、自身の器を昇華させた。

 短期間でLv.2にランクアップしたベルであるが、それがどれだけ異常なことであるのか彼はまだ知らない。

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの約一年というLv.2到達記録―――その記録を大幅に塗り替えたベルの名前がギルドから正式に発表されるのは、彼がミノタウロスを倒してから三日後のことであった。

 

 



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眠る兎に剣姫を添えて

 厳かな空気が支配する石造りの広間。

 四隅に設置された松明が燃える音を除けば、この場は静寂に包まれていた。

 そんな広間の中央に置かれた神座に腰かける一柱の男神は、何かを考えるように瞼を閉じているのであった。

 深く懊悩する男神―――そんな彼の目の前に気配無く現れた黒衣の人物が声を掛ける。

 

「ウラノス、ロイマンから新たな報告が来た。どうやら二日前に上層に出現したミノタウロスは『強化種』で間違いないみたいだ」

 

「それは確かな情報なのか?」

 

「【勇者】と【九魔姫】からもたらされた情報だ。件のミノタウロスはもう討伐されてしまったから確認しようがないが、彼等の推測なら信用できるだろう」

 

「ふむ、確かにロキの眷族達なら信用できるだろう。彼等は他に、そのミノタウロスについて何か言っていたか?」

 

「どうやら件のミノタウロスは、通常の個体とは比べ物にならないほどの実力だったらしい。それと戦闘中に理性的な動きを見せたらしく、【勇者】達は『強化種』の中でも異質な存在である可能性が高いと述べていたようだ」

 

「力と理知を備えるモンスター、か…。まさか、そのミノタウロスは―――」

 

「あぁ、件のミノタウロスは『異端児(ゼノス)』であった可能性が高い。だがそうなると、厄介なことになってくる」

 

「ロキの眷族達が『彼等』の存在に気が付くのも時間の問題、か…」

 

「どうする、ウラノス?」

 

「…しばらくは様子を見る」

 

 黒衣の人物に指示を仰がれた老神はゆっくりと瞼を開けるとともにそう答える。

 そんな神の指示に、黒衣の人物は驚いた気配を見せる。

 

「正気かい、ウラノス?【ロキ・ファミリア】は都市最大派閥の一つだ。オラリオだけでなく世界中からも注目されている。そんな彼等が何か問題を起こした場合、ギルドの力を使っても隠しきれないぞ」

 

「その心配はいらない。天界では問題児であった女神(ロキ)だが、眷族を持ったことで以前とは比べ物にならないほど丸くなった。今の彼女なら信用に足りる」

 

「…貴方がそういうなら私は従おう。だが、一つだけ聞かせてくれ―――ロキの眷族達は『彼等』の希望になりえることができるだろうか?」

 

「…それは私にもわからない。だがら、この目で見極めたいのだ。女神(ロキ)の眷族達が『彼等』にとって希望になりえるか、否かを」

 

「貴方の神意はわかった。しかし万が一、『彼等』にとって希望ではなく絶望(、、)になってしまったときはどうするつもりなんだい?」

 

「…そのときは、『彼等』を切り捨てるしかないだろう。だが私はそんな未来が『彼等』に訪れないと考えている」

 

「ほう、それはどうしてだい?」

 

「―――ベル・クラネル」

 

「…?その名は確か、件のミノタウロスを単独で撃破した冒険者の名前だったか。彼がどうかしたのかい?」

 

「あの者が【ロキ・ファミリア】に在籍している限り、『彼等』にとって暗い未来が訪れる可能性は低いと私は考えている」

 

「ふむ、その根拠はどこにあるんだい?」

 

「あの者に異常なほどの執着を見せ、裏で色々と手を引いている男神から全てを聞いた。ベル・クラネルという少年は―――――――――――」

 

 ベル・クラネルについて重要な情報―――アイズやロキでさえも把握していなかった情報をウラノスは告げる。

 

「―――それは本当なのかい、ウラノス!?それが本当ならベル・クラネルは『彼等』だけでなく、オラリオ…いいや、世界にとっても希望の存在になりえるじゃないか…!」

 

「あぁ、だから私は期待しているのだ。ベル・クラネルと彼に影響を受けた者達が創る未来に希望があることを―――」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 黄昏の館のとある一室、その部屋の主は静かな寝息を立てていた。

 ベッドの上で眠る彼―――ベル・クラネルの瞼はずっと閉じられたままである。

 そんなベルの側に椅子を置いて座っているアイズは、心配そうに彼の顔を見つめているのであった。

 

 フィンの指示を聞いた後、ベルを抱きかかえたまま急いで地上へと帰還したアイズ達は【ロキ・ファミリア】のホームである黄昏の館へと移動した。

 遠征から無事に帰還したアイズ達をいつも通り笑顔で出迎えたロキであったが、彼女達のただならぬ様子とアイズの腕の中で気を失っているベルの姿を見た瞬間、浮かんでいた笑みが消える。

 一瞬で大まかな程度の事情を察したロキはアイズ達からベルの容体を詳しく聞き、万能薬(エリクサー)を飲ませたことで傷は治癒したことを確認した。

 折れた骨もきっちり元通りになっていることを確認し終え一安心したロキ達は、万能薬を飲ませた以上はこれ以上の治療はできないと判断し、ひとまず部屋で安静にすることを決めるのであった。

 

 アイズ達はベルを彼の部屋に運び込んでベッドに寝かせた後、詳しい事情を聞いて来たロキに自分が知る限りの情報をロキに伝えることにした。

 五十階層にて異常事態が発生したため遠征を中断したことや、その帰り道に出会った冒険者達から三階層に現れたミノタウロスに襲われている冒険者の命を助けてくれと頼まれたことなど説明するリヴェリア。

 ミノタウロスに襲われている冒険者の特徴からベルである可能性が高いと判断して即座に三階層に向かい、そこでベルとミノタウロスの戦闘を目撃したことを伝えるアイズ。

 ベルはボロボロになりながらも死力を尽くしてミノタウロスを打ち倒し、そのまま気絶したことをロキに話し終えた頃、タイミングよくホームに帰還したフィン達がベルの部屋に訪れるのであった。

 

 こうしてベルの部屋に、ミノタウロスの激闘を目の当たりにしたメンバーが全員集まった。

 意識を失った瞬間は死者のように青白い顔をしていたベルであったが、万能薬を飲ませたことにより傷が癒えたのか、安らかに眠る顔には生気が戻りつつあった。

 その場にいた全員がベルの容態が良くなったことに安堵し、これならすぐに目を覚ますだろうと明るい表情で話し合うのであった。

 

 ―――そして、ベルが眠りについてから丸二日(、、)が経過した。

 質素な部屋に設置されたベッドで、ベルはあれから一回も瞼を開くことなく安らかに眠っている。

 

(まだ目を覚ます様子はない、か…。でも、本当に穏やかな表情をして眠っている)

 

 未だにベルが目を覚まさないことを心配するアイズは、穏やかなベルの寝顔を眺めながら、二日前の激闘を思い出していた。

 瀕死の状態から雄叫びを上げて立ち上がり、自分より格上である怪物との死闘を制したベル。   

 あのときのベルはLv.3の冒険者に匹敵するほどの気迫を纏い、普段の少年からでは想像できないほど凛々しい表情であった。

 

(私との訓練のときにも凛々しい姿を見せていたけど、あのときのベルは別人に見えた…)

 

 アイズの視線の先で安らかな寝顔を見せるベルが、ミノタウロスを打倒したことを未だに信じられずにいた。

 アイズから見たベルの印象は素直、純粋無垢、頑張り屋…こう言っては何だが、あまり冒険者向きの性格ではないのだ。

 そんなベルが冒険者として冒険に挑み、そして『偉業』を成し遂げたのだ。 

 

(ベルは私との模擬戦を通じて、確かな成長を遂げた。それでもミノタウロスを単身で倒せるほどの域には達していなかったはずなのに…)

 

 アイズの知らないところで、ベルは冒険者としてある一線を超えた。自分の力だけで壁を乗り越えたのだ。

 ―――私は知りたい。ベルが急成長を遂げた理由を。

 ―――私は知りたい。己の限界を踏み越えて、その先へと辿り着く方法を。

 ―――私は知りたい。ベルが何を求めてダンジョンに潜るのかを。

 

(―――私はもっと、君を知りたい…)

 

 そんな願望が胸の内に浮かんだアイズは、眠るベルの横顔をじっと見つめる。

 そして無意識のうちに自分の手がベルの頭に伸びており、そのまま彼の白い髪を優しく撫で始めていた。

 

(やっぱり、ベルを撫でていると癒されるな…)

 

―――トントントン。

 

 心地よい気持ちにアイズの心が包まれかけたとき、ノックの音が突然響いて来た。

 

「私だアイズ、入室しても大丈夫か?」

 

(この声は、リヴェリア…)

 

「…うん、大丈夫だよ」

 

 アイズはベルの頭を撫でていた手を戻してから返事をすると、ガチャリと部屋の扉が開く。

 そして部屋に入って来たのは心配そうな顔を見せるリヴェリアとレフィーヤの二人であった。

 

「ベルの様子はどうだ、アイズ?」

 

「…あれからずっと眠っている」

 

「そうか……ん?名残惜しそうな顔をしているが、何かあったのか?」

 

「…な、何もないよ」

 

 実はもっとベルの頭を撫でていたかったのだが、リヴェリア達に本当のことを言うわけにはいかず、思わず誤魔化してしまうアイズ。

 目が泳いでいるアイズを訝しそうな目つきで見つめるリヴェリアであったが、深くは追及しないことにした。

 

「そうか、まぁそれならそれでいいのだが…」

 

「あの、アイズさんはずっと起きているのですか?」

 

「…うん、そうだけど」

 

「その、少し休んだらどうでしょう…?私が代わりにベルのことを見ていますから」

 

「…ありがとう、レフィーヤ。でも大丈夫、私は全然疲れてないから」

 

「アイズさん…」

 

 レフィーヤはアイズの言葉を聞いて、より心配そうな表情を見せる。

 レフィーヤにはアイズのその言葉が嘘であるのはわかっていたのだ。

 なぜなら死と隣り合わせの『遠征』から帰還したばかりなのだから、疲れていないはずはない。

 それなのにアイズは一昨日から一睡もしていないのだ。

 

「…あまり根を詰めるな、アイズ。ベルが目を覚ましたときに疲れ切ったお前の顔を見たら悲しむぞ」

 

「…私、そんな酷い表情をしている?」

 

「ああ、顔に疲れが現れている。だから後は私達に任せて、お前は少し眠っていろ」

 

「…ごめんリヴェリア、それはできない」

 

「ア、アイズさん…?」

 

「…我儘なのはわかってる。それでも私は、ベルが目を覚ますまで側にいたいの」

 

「………」

 

「お願い、リヴェリア」

 

「はぁ…仕方がない。条件付きで許してやろう」

 

「…!ありがとう、リヴェリア」

 

「お礼を言うのはまだ早いぞ、アイズ。私の言った条件を守れない場合は、強制でお前のことを休ませるからな」

 

「…うん、わかってる。それで、その条件って一体…?」

 

「なに、簡単なことだ―――ただ笑えばいい」

 

「…笑うだけでいいの?」

 

「笑う『だけ』とは随分な言い草だな、アイズ。お前は笑顔をつくるのが苦手だっただろう?」

 

「…そんなことはない」

 

そうリヴェリアに指摘されたアイズは、頑張って笑顔をつくってみた。

 

「…どう、かな?」

 

「全然駄目だ。そんな堅い表情をしても誰も笑っているとは思わないぞ」

 

 リヴェリアに一刀両断されたアイズは、心なしか潤んだ瞳でレフィーヤのことを見つめる。

 

「…レフィーヤも、リヴェリアと同じように思っているの?」

 

「そ、そのようなことは思っていません!今のアイズさんは素敵な笑顔をしています!」

 

「レフィーヤ、正直に答えないとアイズのためにもならないぞ」

 

「リヴェリア様!?えっと、その…少しだけ、ほんの少しだけ笑顔がぎこちないかと…」

 

「…そう、なんだ」

 

 頼みの綱のレフィーヤからもダメ出しされたアイズは、物凄く落ち込んでしまうのであった。

 

「ふむ、レフィーヤの言葉を聞いて余計にアイズの表情が暗くなってしまったな」

 

「ええぇぇッ!?わ、私のせいですかリヴェリア様!?誤解ですからねアイズさん!」

 

「…でも、ぎこちないって」

 

「ほんの少しだけですから!四捨五入すれば最高の笑顔ですよね、リヴェリア様!?」

 

「お前が何を言っているのか私にはわからないのだが…」

 

「ですからアイズさんの笑顔ならどんな笑顔でも素晴らしいのです!!」

 

「落ち着け、レフィーヤ。その結論はおかしいぞ」

 

 テンパったレフィーヤに冷静に突っ込みを入れるリヴェリア。

 そんな二人のやり取りが面白く、気が付いたらアイズは思わず笑っているのであった。

 

「…ふふふ」

 

「ア、アイズさん…?」

 

「ほう、いい笑顔だな。これならベルのことも任せられそうだ」

 

「…ありがとう、レフィーヤのおかげで自然に笑うことができたよ」

 

「い、いえ!これも全てアイズさんのおかげです!流石はアイズさんですね!」

 

「あ、ありがとう…?」

 

「はぁ…どうやらレフィーヤも疲れているようだな。まぁ仕方がないか、レフィーヤもベルのことが心配であまり眠れていないようだしな」

 

 意地悪な笑みを浮かべたリヴェリアの口から投下された爆弾発言に、レフィーヤは慌てふためき出す。

 

「リ、リヴェリア様!?別に私はベルの心配なんか―――!」

 

「静かにしないか、レフィーヤ。ベルが寝ているんだぞ?」

 

「うぅ…!で、ですが―――!」

 

「さて、それでは私達はこれで失礼するとしよう。行くぞ、レフィーヤ」

 

「ち、違いますからねアイズさん!」と叫ぶレフィーヤを引きずってリヴェリアは部屋を後にするのであった。

 

 

 それから少しして、またベルの部屋のドアがノックされた。

 

(…今度は誰だろう?)

 

「入るよ~アイズっ!」

 

「こらティオナ、ベルが眠っているんだから大きな声を出さないの」

 

 豪快に開かれた扉から入って来たのは、快活な雰囲気を纏うティオナと呆れた表情を見せるティオネの二人であった。

 

「あっ、そうだった!うぅ…ゴメンねベル」

 

「まったくあんたは…それでアイズ、ベルの様子はどうなの?」

 

「…砕けた左腕の骨は完全に元通りになっているし、他の傷も完治しているから問題ないよ。だけどまだ、ベルが目を覚ます気配は……」

 

「そうなの…それは少し心配ね」

 

「うぅぅ、ベルのことが心配で夜も眠れないよ~!」

 

「はぁ…よく言うわよ、あんなに熟睡していたくせに」

 

「うぇっ!?あ、あたしだって本当にベルのことを心配していたんだよ!ただずっと心配している内に眠くなっちゃって…」

 

「それで気が付いたら眠っていたというわけね…」

 

「…ふふ、ティオナらしい」

 

 いつも通りのアマゾネス姉妹のやり取りを見て、アイズの表情が仄かに綻ぶ。

 

「むぅ!笑うとかヒドいよ、アイズっ」

 

「どう見てもあんたが悪いでしょうが。…だけど安心したわ、アイズが元気そうで」

 

「…私?」

 

「そうだよ!だってアイズ、ベルが倒れてからずっと暗い顔をしてたじゃん!ベルのことも心配だったたけど、アイズのことも同じくらい心配だったんだからね!」

 

「…心配かけてごめんね、ティオナ、ティオネ。でも、もう大丈夫だよ」

 

「そう…どうやら今回は本当に大丈夫そうね」

 

「ずっと暗い顔をしてるアイズを元気づけてあげようと色々と面白い話を考えて来たのにな~」

 

「あら、さっきの馬鹿な話でアイズを笑わせることができたのだから良かったじゃない」

 

「よくないよっ!う~ん、でもまぁ、アイズが笑ってくれたのならいいのかな~?」

 

「…ありがとう、二人とも」

 

 自分のことを気に掛けてくれるアマゾネス姉妹にアイズはお礼を言う。

 

「へぇ、ティオナにしては良いことを言うじゃない。それにしても―――」

 

 言葉を区切ったティオネは、ベッドの上で穏やかに眠っているベルに視線を移す。

 

「―――素晴らしい戦闘だったわ。思わず、血が滾ってしまうほどに」

 

「…ティオネ?」

 

 そう発言するティオネの表情にはアイズとは違う種類の笑みが浮かべていた。

 それは、戦闘本能を刺激されたときに浮かべる女戦士(アマゾネス)の笑顔であった。

 

「確かにあんな熱い闘いを見せられたらこっちまで興奮しちゃうよね~。ねぇアイズ、ベルの強さの秘密ってホントに心当たりはないの~?」

 

「…うん、私にもわからない。前にも言った通り、私はただ模擬戦闘を行っていただけだから」

 

「指導してきたアイズでもわからないとなると、直接本人に尋ねるしかなさそうね」

 

「早く目を覚まさないかな~。ってそうだ、いいこと思い付いたっ!!」

 

「うるさいティオナ、さっき大きな声を出さないように言ったばかりでしょう」

 

「うっ、ゴメン…」

 

「はぁ…それで何を思い付いたの?まぁ、あんたのことだからくだらないことだと思うけど」

 

 胡散臭そうなものを見るような目でティオナのことを見つめるティオネ。

 

「ふふん、実はね―――」

 

 そんなティオネの視線に気付かないままティオナは自信満々に告げるのであった。

 

「―――あたしもベルとアイズの訓練に参加しようと思うの!」

 

「…えっ?」

 

 ティオナの発言に、思わず素っ頓狂な声を上げるアイズ。

 そんなアイズとは対照的に、ティオネは興味深そうな表情を浮かべる。

 

「ベルの訓練内容って模擬戦闘なんだよね?それならあたしも得意だし、ベルの力になれると思うよ。それに、その中でベルの強さの秘密に気付くかもしれないでしょ?」

 

「ティオナ―――あんたにしてはいいアイデアじゃない」

 

「でしょ!どう、ティオネも混ざる?」

 

「実際にベルと戦える絶好の機会だし、そうさせてもらうわ」

 

「決まりだね!強くなったベルと戦えると思うと、何だか血が騒いできたよ!ねぇティオネ、今から組手しない?」

 

「いいわね、私もちょうど組手をしたい気分だったの。それではこれで失礼させてもらうわよ、アイズ」

 

「ティオネとの組手が終わったらまた来るね、アイズ~!」

 

 朗らかに笑いながらティオナ達は部屋を後にするのであった。

 ティオナ達が立ち去った部屋には、再び静寂が満ちる。

 

(…リヴェリアやレフィーヤの二人は、ベルのことを凄く心配していたな)

 

 レフィーヤ自身は否定していたけれど、ベルのことを気に掛けているのはアイズにもバレバレであった。

 

(…ティオナとティオネもベルのことを心配していたようだけど、早くベルと戦いたそうにしていたな)

 

 ティオナやティオネの種族であるアマゾネスは、熱い戦いを見ると戦闘本能を刺激されて血が滾る者がほとんどだ。

 どうやらベルの死闘は、彼女達のアマゾネスとしての本能を刺激したようである。

 

(…そういえば、今度からティオナ達も訓練に参加するんだっけ?ベルが起きたらこのことも伝えないと)

 

「はぁ…」

 

 無意識のうちに、アイズはため息を吐いていた。

 本来なら訓練するメンバーが増えることは喜ばしいことだが、アイズは素直に喜べずにいたのだ。

 

(…あれ?どうして私、ため息をついて…。ティオナ達が訓練に加わることは、ベルにとってもプラスになる。だからここは、喜ぶことが正しいはずなのに…)

 

 アイズは自身の胸の内に生まれたおかしな感情に戸惑いを見せる。

 その感情の名前を、アイズはまだ知らないのであった。

 

 







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エピローグ

 ティオナとティオネがベルの部屋を去った後。

 それからしばらくして、またしても部屋の扉がノックされるのであった。

 

「お邪魔するね、アイズ」

 

「けっ…」

 

「…フィン、それにベートさん」

 

 静かに開かれた扉から入って来たのは、知的な笑みを浮かべるフィンと機嫌が悪そうなベートの二人であった。

 

「ベルの見舞いに来たけれど、まだ目を覚ましていないようだね」

 

「…うん」

 

「ンー、それは心配だね」

 

「フン、傷はもう癒えたんだから心配する必要なんかねぇだろうが」

 

「…それは」

 

 ベートの辛辣な言葉を聞いて、表情を曇らせるアイズ。

 

「―――心配する必要はない、か」

 

 表情が暗くなったアイズと対照的に、ベートに対して意味深な笑顔を向けるフィン。

 含みがあるフィンの様子に、ベートは怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「何だよフィン、その気持ち悪い笑顔は。俺に何か言いたいことでもあんのかよ?」

 

「いや、特にないよ。ただ心配する必要がないはずなのに、どうしてベートはベルの部屋を訪れたのかなって思ってね」

 

「…フン、そんなのただの気紛れに決まっているだろうが」

 

「気紛れ、ね…。それじゃあ、昨日からベルの部屋近くを徘徊しているのも気紛れだったのかな?」

 

「…ベートさん、まさかベルのことを―――」

 

「なに気色悪い勘違いをしてやがる。俺がここに来たのはフィンからのしつこい誘いを断るのも面倒だっただけだ」

 

「ンー、確かにベルの様子を見に行かないかと誘ったけれど、強引な誘いではなかったはずだよ?むしろ僕から誘われるのを待っていたように…」

 

「フ、フンッ!俺は馬鹿みたいに眠っているコイツを嘲笑うために来ただけだ。それ以上でもそれ以下でもねぇ!」

 

 不機嫌そうな顔でそう吐き捨てるベート…しかしその尻尾は落ち着きなく揺れていた。

 他人の感情を読み取ることが苦手なアイズであっても、そんなベートの様子から彼の言葉が偽りであることに気付くのであった。

 

「…その、ベルのことを心配してくれてありがとうございます、ベートさん」

 

「チッ、勝手に勘違いしてろ」

 

「はは、今この部屋にロキがいなくて助かったね、べート」

 

「あん?それはどういう意味だ、フィン?」

 

「いや、人に変な属性を付けたがる主神(ロキ)が今のベートを見たら『ツンデレ狼』と呼んでいたのかもしれないと思ってね」

 

「ツ、ツンデレ狼だと!?フィン、テメェ―――ッ!!」

 

「すぐ側でベルが眠っているんだからそんな大きな声を上げては駄目だよ、ベート。それに今のは全て冗談だから安心してくれ」

 

「それで誤魔化せると思ったら大間違いだ!今すぐ表に出やがれッ!」

 

「あはは、ほどほどにしてくれよ。それじゃあアイズ、僕達はもう行くね」

 

「…もう行くの?」

 

「ベルの容態は確認できたしね。それに、僕の勘だともうすぐ彼は目覚めると思うよ」

 

「っ!!」

 

 フィンの衝撃発言を聞いて、アイズは驚きから両目を見開く。

 

「…それは、本当ですか?」

 

「あくまでも勘だけどね。ただベルが目覚めたときに、僕やベートがこの場にいるのは具合が悪い。僕は空気を読めない団長になりたくないからね」

 

「…そ、そんなことは」

 

「別に隠さなくてもいい。彼が目覚めたら伝えたい言葉や聞きたいことが山ほどあるんだろう?」

 

「―――!どうして、それを…?」

 

「ベルが意識を失う直前のやり取り…そしてこの二日間のアイズの様子を見れば簡単に推測できるよ。僕だけでなく、ベートだって…」

 

「おい、いつまでごちゃごちゃと話しているんだ。早く行くぞ、フィン!…それと絶対にないと思うが、あまりにも暇なときはまた来るからな」

 

「本当にベートは素直じゃないね…。そうだ、アイズ。お節介だと思うけど、一つだけ助言しておくね」

 

「…助言?」

 

「ンー、助言というよりは確認かな。ときどきアイズは物事を複雑に考え過ぎることがあるから、これだけは伝えておこうと思ってね。いいかい、アイズ―――ベルは君のことを大切に想っている。それは君自身も気付いているだろう?」

 

「…うん、ベルは優しいから。私だけでなくレフィーヤやリヴェリア、そしてみんなのことも大切に想っている。ずっとベルを見てきたから、それはわかっているつもりだけど…」

 

「そう、ベルは僕を含めてみんなのことを家族のように思ってくれている。だけどね、アイズ。君はその中でも頭一つ…いや、三つくらい飛び抜けているんだ」

 

「…?」

 

「今はその意味がわからなくてもいい。ただ、ベルが君のことを心から想っていることをわかってくれたのならそれで十分だ」

 

「…わかりました」

 

「それじゃあ彼が目を覚ました後でまた会おうね、アイズ」

 

「フン、じゃあな」

 

 そう言ってフィン達は部屋を後にするのであった。

 

(…フィンの言っていた助言、あれはどういう意味なんだろう…?)

 

 その後しばらくの間、意味深なフィンの発言について考えるアイズであった。

 

 

 

***

 

 

 

 それから頭を働かせたアイズであったが、結局フィンが何を伝えたかったのかわからないまま時間だけが過ぎて行った。

 そんなとき、ノックもせずにいきなり開かれた扉から彼女が入室して来るのであった。

 

「入るで~、アイズ」

 

「…ロキ」

 

「ようやく真打ちたるうちの登場やで、二人とも!」

 

「…ベルが眠っているので静かにしてください」

 

 突然ベルの部屋に現れたロキはどうしてか異常にテンションが高く、アイズは心なしかうんざりした表情を見せる。

 

「スマンスマン、もうすぐベルが目覚めそうな予感がしたから、ついついテンション上がってしまったわ」

 

「…そうなんですか」

 

「ありゃ、てっきりもっと喜ぶかと思ったけど…はは~ん、さてはフィンから聞いたんやな」

 

「…はい、先程ベルの見舞いに来たフィンもロキと同じことを言っていました」

 

「やっぱりそうか~。まぁフィンの勘は(うちら)のそれと遜色ない域に達しているし、ベルの件も不思議でもあらへんか」

 

「…以前から思っていたんですけど、どうしてそんなことがわかるんですか?」

 

「ン~、このくらい勘が鋭い神なら簡単にわかるで。何て言うんか…こうピンと天啓のようなものが舞い降りるんや!」

 

「…そ、そうなんですか」

 

(フィンやロキの勘って、もう未来予知と変わりないような…?)

 

 そんなことを考えるアイズに、ロキは気になっていたことを質問する。

 

「そういや、フィンの他に誰か来ていたんか?」

 

「…えっと、ベートさんも一緒に来ました。その前は―――」

 

 アイズはベルのことを心配して訪れたレフィーヤ達のことをロキに伝える。

 

「ほうほう、エルフ師弟にアマゾネス姉妹、そしてイケメンコンビが見舞いに来たんか。ムフフ、ホンマにベルは愛されているな~」

 

(確かに、ロキの言う通りかもしれない。みんな、倒れたベルのことを心配して見舞いに来ていたし…)

 

 リヴェリア達が訪れる前にも、多くの団員がベルの見舞いに訪れていた。

 それも二日続いてベルの部屋に訪れる者が多く、アイズ自身も驚きを隠せずにいたのだ。

 

「…あの、わからないことがあるんですが」

 

「ん、何がわからないんや、アイズ?」

 

「…どうしてみんな、入団したばかりのベルのことをこんなに心配してくれるんですか?」

 

「ん~、確かにアイズが不思議に思うのもわかる。いくら同じ【ファミリア】に所属しても、全員が仲良く出来るとは限らへんからな。それにベルはまだ入団してから月日が浅いから、他の団員達との接点も薄い」

 

 ロキの言う通り、入団したばかりのベルはアイズを含め数人以外の団員とは関わりが少ないはずである。

 これが何年も一緒に歩んできた団員ならおかしいことではないが、ベルはそうではない。

 それなのに多くの団員が二日連続でベルの見舞いに来たことは、アイズにとって不思議だった。

 

(みんながベルの見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、入団したばかりの新人をここまで気に掛けるなんて…。こんなこと、今までなかったはずなのに…)

 

「どうやら随分と悩んでいるようやな。確かに、アイズには不思議に思えるかもしれん…アイズには、な」

 

「…私だけ、ですか?」

 

「そうや。…ベルが入団してからずっと二人で訓練していたやろ?それも実際に打ち合う本番形式で」

 

 ロキの言葉を聞いて、アイズは黙って頷く。

 

「うちも中庭で行われていた二人の訓練を何度か覗いたんやけど、あれはヤバい。正直軽く引いたわ」

 

 真面目なトーンで話すロキの言葉に、びくりとアイズの肩が震える。

 

「…え?あの、それはどうしてですか…?」

 

「いやどうしてって、流石にあれはやりすぎやろ。何度ベルの身体が棒切れのように吹っ飛んだことか」

 

「うっ…そ、それはその、力加減を間違えて…」

 

「自分が不器用なのは知っているけど、訓練であんなにボコボコにするのは流石にマズいやろう。ベル以外なら初日で逃げ出すレベルやで」

 

「うぅ…」

 

 ロキが放つ言葉の刃に心を滅多刺しされたアイズは、思わずへこんでしまう。

 そんなアイズを優しい表情で眺めながら、ロキは言葉を続ける。

 

「でもな、そんな厳しい訓練にベルは泣き言も吐かず真剣に取り組んていたんや。アイズの攻撃を必死に捌き、ときには避け損なって派手に吹き飛ばされても、決して膝が屈することはなかった……そうやろ、アイズ?」

 

「…はい」

 

「それに最初は気を失うことも多かったが、訓練を続けるうちに気絶することも少なくなったようやしな。まぁ自分の攻撃を喰らって吹っ飛ぶのは多々あったようやけど」

 

「…それはその、ベルの実力が向上したことで力加減を見誤って…」

 

「ホンマに自分は…。ベルは何度ブッ飛ばされても一言も文句言わへんけど、今度からもうちょっと手加減してあげてな」

 

「…はい」

 

 優しく語り掛けるロキの言葉を聞いて、アイズは申し訳なさそうに頷くのであった。

 

「少し話は脱線したけど、みんなが入団したばかりのベルを心配する理由はそこや。真摯に訓練に取り組むベルの姿を毎日見せつけられたら、情が湧いてしまうのも当然やろう?」

 

「…っ!まさか、みんな訓練を見ていたんですか?」

 

「そりゃあ、あんな壮絶な訓練が行われていたら見てしまうのが人の性ってもんやろ。中にはベルに悪感情を抱いている奴もいたが、訓練を見続けていく内に気持ちが変わったみたいやしな」

 

「…ベルに悪感情を抱いている人なんていたんですか?」

 

「ん、そこに反応するか?それはまぁ、もちろんいるやろう。入団したばかりの新人が皆の憧れであるアイズと四六時中一緒にいたら、どうなるのかは火より明らかやしな」

 

「…?」

 

「はぁ…ホンマにアイズの天然は筋金入りやな~」

 

 女神にも劣らぬ美しい容姿、それと圧倒的な強さを兼ね備えるアイズに憧れを抱く団員は多い。

 そんな憧れの存在から直々に戦闘指南されているとなれば、ベルに嫉妬する者が現れるのも当然のことであろう。

 ただし、アイズ本人はそのことに気が付いていないようであるが。

 

「まぁアイズの天然は置いておくとして、そんな嫉妬に狂った団員達もベルの真摯な態度を見て、考えが変わったようやで。むしろあまりの訓練の苛烈さにベルを同情し、お前は本当に凄い奴だよと尊敬する者もいるとか小耳に挟んだりしたな~」

 

「…つまりベルはみんなに気に入られた、ということですか?」

 

「ン~、まぁそういう解釈で間違いではないかな?多くの団員がベルに好印象を抱いているのは確かやで」

 

「…そう、ですか」

 

 ベルが多くの団員達に気に入られていることを知ったアイズの胸の内には、またしても複雑な感情が芽生える。

 喜ばしいことであるはずなのに素直に喜べない……それは先程ティオナ達の言葉を聞いたときに抱いた感情と似ていた。

 

(…このままじゃ、みんなにベルを取られちゃう)

 

 自分だけに懐いていた兎が他の人に奪われてしまう未来を想像したアイズは、彼女にしては珍しく不機嫌そうに頬を膨らませてしまう。

 そんなむすっとした様子のアイズを見て全てを察したロキはニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「はは~ん、さてはアイズ妬いているな?」

 

「…妬いて、いる…?」

 

「そうや、ベルが他の人に気に入られると聞いてモヤモヤとした気持ちが生まれたやろ?」

 

「…うん、そうだけど」

 

「それが嫉妬と言って、人にも神にもある当たり前の感情や。何もおかしなことではあらへん」

 

「…これが、嫉妬…?」

 

 自身の胸の内に芽生えた嫉妬という感情に戸惑いを見せるアイズ。

 そんな新鮮な表情をするアイズを見たロキは、ニタァ~と邪悪な笑みを浮かべるのであった。

 

「あのアイズが嫉妬するとは、ベルはやりおるな~。フヒヒ、うちのアイズたんを嫉妬させた罪は大きいで~ということで、ベルが起きる前に悪戯したるわ…!」

 

「ベルに変なことをしたら斬ります」

 

「えっマジで?」

 

「マジです」

 

「じょ、冗談や!冗談やから剣を取りに行こうとしないで!?」

 

 眠るベルに悪戯しようとするロキに釘を刺すアイズ。仮に手を出したら本気で斬り捨てるのではないかと思わせるほど冷たい雰囲気を身に纏うアイズを見て、ロキは冷や汗を流すのであった。

 

「…先程も言いましたが、ベルが寝ているので大きな声を出さないでください」

 

「えっ、うちが悪いんか!?」

 

「…ロキ」

 

「大きな声を出してすみませんでした」

 

 責めるような視線をアイズから浴びせたらロキは、反射的に謝る。

 ロキにしては珍しく、アイズの抑揚のない声を聞いて本気で怖気づいてしまうのであった。

 

(こ、これはマジであかん。今度からアイズがいるときにベルにちょっかいをかけるのはやめへんとな…)

 

「そ、そうや!ベルのことでアイズに伝えておきたいことがあったんや」

 

「…何ですか?」

 

 またつまらない冗談かと思ったアイズであったが、真面目な雰囲気を纏い直したロキを見て身構える。

 そんなアイズに対し、ロキは衝撃的な言葉を口にするのであった。

 

「実はな、アイズ―――単身でミノタウロスを撃破したことで、ベルの器は昇華したはずや」

 

「ッ!!」

 

「まだ【ステイタス】更新してへんけど、あれほどの『偉業』を成し遂げたんやから確実にランクアップしたやろうな」

 

「…それは、いくら何でも速過ぎるのでは…?確かベルが冒険者登録したのは一週間前ですよね?」

 

「アイズの言う通り、ベルが冒険者になったのは今日でちょうど一週間や。まさかアイズのLv.2最短到達記録を大幅に塗り替えるとは、うちでさえも驚きを隠せへんわ」

 

「…ロキは、ベルの強さの秘密を知っているですか?」

 

「そうやな…ベルが急成長を遂げた理由は知っているで」

 

「っ!それは一体…?」

 

「………」

 

「…ロキ?」

 

 アイズの問い掛けに対し、黙りこくるロキ。

 ロキは何かを考えるかのように視線を天井に向けた後、その視線を眠るベルの方へと向けるのであった。

 

「スマンが今は教えられへん」

 

「…それは、どうしてですか?」

 

「少し気になることがあってな。この懸念が晴れたときには教えるから、悪いけどそれまで待ってくれへんか?」

 

 いつも見せる不真面目な態度は完全に鳴りを潜め、重い口調で話すロキ。

 アイズはそんな主神の姿に何かを察したのか、神妙に頷くのであった。

 

「…わかりました」

 

「ホンマに悪いな、アイズ。…さて、そろそろうちはこれで失礼するわ。―――それと、ベルが起きたら聞いてみたらどうや?」

 

「…?何をですか…?」

 

 投げかけられた言葉の意味がわからず、アイズは首をかしげる。

 

「ベルが何を求めてダンジョンに潜るのか―――アイズは今、それを知りたいのやろう?」

 

「っ!!ど、どうしてわかったんですか…?」

 

 自分の内心を言い当てられたことに驚きを隠せない様子のアイズ。

 そんなアイズの様子を見て、ロキはイジワルそうに笑う。

 

「ムフフ、それは企業秘密や!…と言いたいところやけど、ずっとアイズのことを見てきたから何となくわかっただけなんやけどな」

 

「…確かに私は、ベルがダンジョンに潜る理由を聞きたいです。ですが……」

 

「ん、アイズはベルの心の内に踏み込み過ぎることを恐れているんやな?」

 

「…はい、正直どこまで聞いていいのか私にはわからないんです」

 

「安心せい、アイズ。そのくらいの質問なら何も問題ないはずや。アイズが尋ねれば、恥ずかしがりながらもきっと答えてくれるはずやで」

 

「…えっと、どうしてベルは恥ずかしがるんですか?」

 

「フフフ、それは聞いてからのお楽しみや。ほな、さいなら~」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながらロキは部屋を出て行くのであった。

 嵐のような存在であるロキが立ち去った部屋には、ベルの寝息だけしか聞こえない。

 そんな静かな部屋の中で、アイズは考え込む。

 

(…私がベルに伝えたいこと、そして聞きたいこと、か……)

 

 そのまましばらく考え込むアイズだったが、中々ピンと来る言葉が浮かばない。

 考えに煮詰まったアイズは、ベルのあどけない寝顔を眺めることにした。

 

(…そうだ。ベルを撫でていれば、自然と浮かんでくるかもしれない)

 

 そう考えたアイズは、そっと手を伸ばしてベルの頭を撫で始める。

 

「んっ…アイズ、さん…」

 

「―――っ!」

 

 優しく撫でていると、瞼が閉じたままであるベルの唇が開き、自分の名を呼んだ。

 

(ど、どうしよう…?まだ考えが纏まっていないのに…!?)

 

 ベルが目覚めようとしている事実にオロオロと狼狽えるアイズ。

 しかしアイズにとっては幸運なことに、ベルが起きることはなかった。どうやら先程の呟きは寝言だったようである。

 

(あ、危なかった…)

 

 先程までベルが早く目覚めることを願っていたアイズであったが、このときばかりは目を覚まさなかったことに感謝した。

 

(早くベルが起きる前に何を言うか決めないと…!)

 

 そのとき、ふとある言葉がアイズの心に浮かんだ。

 アイズがベルに一番聞きたいこと…それは―――。

 

「―――どうしてあれだけ傷付いても、諦めようとしなかったの…?君は何を思って戦っていたの…?」

 

 アイズはベルの手を握りながら、そう問い掛けた。

 寝ているはずのベルの口が開き、何かを呟いた。

 

「―――英雄に……」

 

「えっ?」

 

「…英雄に、なりたい……アイズさんを守れるくらい、強い英雄に……」

 

「ッ!!」

 

 夢うつつであるベルの呟き、それは紛れもなく少年の本心だった。

 ベルの口から飛び出した言葉を聞いた瞬間、アイズの脳裏には先程のフィンの言葉を思い返していた。

 

『ときどきアイズは物事を複雑に考え過ぎることがあるから、これだけは伝えておこうと思ってね。いいかい、アイズ―――ベルは君のことを大切に想っている』

 

 そしてベルが呟いた『自分を守れるくらい強い英雄になりたい』という言葉。

 今までのベルの言動などがアイズの頭の中でグルグルと渦巻く。そしてアイズの中でカチリ、と全てが噛み合った。

 ベルがあれだけ傷だらけになっても、最後まで倒れなかった理由…それは―――。

 

(―――まさか君は、私のために戦ってくれたの…?)

 

 激闘を終え意識を失う直前、私に『僕は強くなれましたか』と尋ねてきたベル。

 それに対しアイズが肯定の言葉を返したとき、ベルは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべてお礼を伝えてきた。

 あのときはどうしてそんなことを聞くのかと思っていたが、今ならわかる。

 ベルは強くなりたかったのだ…それも自分のためではなく、アイズを守るために―――。

 

 普通に考えればアイズが守る側で、ベルは守られる側の存在だ。

 それなのにベルは、アイズを守れる存在…強い英雄になりたいと願っている。

 Lv.1の少年がLv.5の少女を守るなんて夢物語もいいことだ。そんな馬鹿げたことを言っても、多くの者は身の程を知れと笑うだろう。

 無謀過ぎる願いを抱くベルの寝顔を見つめるアイズの表情―――感情を表に出さない彼女にしては珍しく、ある感情が強く浮かび上がっていた。

 

(こんな感情は初めて…。でも、どうしてだろう……この芽生えた感情を二度と手放したくないと思ってしまうのは……)

 

 感情が希薄だと思っていた自分の胸の奥底から、強烈な渇望としか思えないほどの感情が生まれたことにアイズは驚いていた。

 心の奥底から芽生えた温かな炎のような感情、その熱が氷のように冷たいアイズの心を少しずつ溶かしていく。

 

「…ふふ」

 

 初めて生まれた温かな気持ち…そんな名付けられない一つの感情を宝物のように抱えながら、無意識にアイズは微笑みを浮かべていた。

 その笑みは、どこにでもいる少女が浮かべる笑顔と何の遜色もないものであり、リヴェリアが望んでいた笑顔だった。

 

 未だ繋がれた二人の手は、少女の気持ちを表すかのように固く握られているのであった。

 

 



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Lv.2 世界最速兎
プロローグ


今回から、第二章開幕です。


 

 温かな光に包まれた白い空間、そこに一組の男女が存在していた。

 男性の方は白い髪に紅い瞳を持った少年であり、兎を彷彿とさせる中性的な外見をしている。

 女性の方は少年の髪よりも透き通った色の白い髪を腰まで伸ばし、瞳の色も全てを見透かすかのように白である。

 

「ふふふ、まさか最初の試練がミノタウロスの強化種だなんて、本当に『僕』はツイていないな。君もそう思わないかい、◼️◼️◼️?」

 

「………」

 

 まるで神が創った人形と言われてもおかしくないほどの容貌を兼ね備えた彼女に、少年は親しげ話し掛ける。

 名前の部分だけノイズが走ったような音になっているが、彼は気にした様子はなかった。

 

「もう、無視するなんて酷いよ。これじゃあ僕が独り言を呟いているみたいじゃないか」

 

「………」

 

「返答なし、か。う~ん、もしかして『僕』が傷付いたことを気に病んでいるのかな?」

 

「…!」

 

「いや、そんなはずないか。だって今回の試練は君が『僕』の運命に干渉して与えたものなんだからね」

 

「…っ!」

 

 少年の言葉を聞いた瞬間、今まで無表情であった女性の表情が歪む。

 少年はそんな彼女の変化に気が付いているはずなのに、何事もなかったように話し続ける。

 

「己の加護を授けた者が無事試練を乗り越えた今の心境はどうだい?いや、聞くまでもなかったね。そんなの最高に決まって…」

 

「貴方は…ッ!!」

 

 女性は鋭い声を上げ、少年の話を途中で遮る。

 だが少年はどこ吹く風のように、笑みを浮かべながら問い掛ける。

 

「いきなり大きな声を出してどうしたのかな、運命を操る精霊さん?」

 

「…貴方は一体、何者なのですか?何故、『ここ』に存在しているんですか?」

 

「ようやく口を開いてくれたと思ったら、第一声から僕の存在否定か。流石の僕も傷付くな~」

 

 口ではそう言いながらも、ニコニコと笑みを絶やさない少年。

 そんな少年に対し、女性は責めるような口調で話す。

 

「…『ここ』はマスターの精神世界です。私のような契約した者を除いて侵入することはできません。それなのに何故、貴方のような異分子がこの場所に存在するのか聞いているのです」

 

「あはは、そんなの僕が『僕』だからに決まっているでしょ?本人を異分子呼ばわりとは酷いな~」

 

「…どうやら真面目に答える気はないようですね」

 

 そんな少年の返答を聞いて、彼女は瞳を細めて睨みつける。

 しかし残念ながら、敵意がこもった視線をぶつけても少年の不敵な笑みが消えることはなかった。

 

「失礼な。僕は真面目に答えているつもりだよ」

 

「それなら、貴方の真名を名乗ってください」

 

「だから言っているだろう、◼️◼️◼️──僕の名前はベル・クラネルだってね」

 

「……こうも堂々とマスターの名前を騙られると、これほど不愉快に感じるものなのですね」

 

「ふふふ、騙られる、か…どんな根拠があって僕を偽物だと思っているんだい?」

 

「まだ推測の域ですが、貴方の正体には見当がついています」

 

「へぇ、それは興味深い内容だね~」

 

 彼女の言葉を聞いても、依然不敵な笑みを浮かべる少年。

 しかし少年がそんな態度を保ってられていたのも、次の言葉を聞くまでであった。

 

「──貴方は我がマスターであるベル・クラネルの『スキル』ですね?」

 

「……へぇ」

 

 ここで初めて、少年の顔から笑みが消えた。

 能面のように無表情となった少年を見て自分の推測が当たっていることを確信した彼女は、言葉を続けるのであった

 

「正確には、中途半端に発現している『スキル』でしょうか。何故『スキル』に自我が存在しているのかは不明ですが、おそらくこの推測はそう外れていないはず」

 

「……」

 

「どうなのですか、マスターの『スキル』さん?」

 

「………」

 

「沈黙は肯定と見なしますよ?」

 

 未だ無表情なまま沈黙を貫く少年に対し答えを迫る。

 彼女の言葉を聞いて、ようやく少年は口を開いた。

 

「うーん、それじゃあ言わせてもらうけど君の答えは不明瞭過ぎる。もしこれがテストならその答えは三十点だよ。もちろん百点満点中ね」

 

「…私の推測のどの辺りが間違っているのでしょうか?」

 

 自分の推測が三十点と聞いて不服そうな様子である女性に対し、少年は微笑みながら告げる。

 

「ふふ、答え合わせは君が九十点以上の答えを導き出したときにしてあげるよ」

 

「…教える気がないのなら、そう言ったらどうですか?」

 

「それは誤解だよ、◼️◼️◼️。僕は必ず約束を守る男さ……でも、そうだね。これではヒントが少な過ぎる気もするし、特別に君が気になっていることを一つだけ教えてあげるよ」

 

「私が気になっていること、ですか…?」

 

「そう、例えば『二人の間に確立されたラインの不具合』についてとかね」

 

 少年から告げられた言葉を聞いた女性は驚きから両目を見開く。

 そして再び責めるような口調で少年に話しかけた。

 

「っ!ラインが結ばれているはずなのに、私とマスターの間で意思疏通ができないのは、やはり貴方の仕業だったのですね」

 

「あぁ、やっぱり君はその原因を中途半端に発現した『スキル』…つまりは僕のせいだと考えていたんだね」

 

「…違うのですか?」

 

「ううん、中途半端に発現した『スキル』っていうのは置いておくとして、僕が原因だっていうのは合っているよ」

 

 あっけなく認めたことに不信感を抱きながらも、彼女は矢継ぎ早に問い掛ける。

 

「やはりそうですか。どうして私とマスターのラインを妨害するのですか?私とマスターの意思疏通を封じることで、貴方にどのようなメリットがあるというのですか?」

 

「もう忘れちゃたの、◼️◼️◼️?僕が教えるのは一つだけと言ったはずだよ」

 

「…わかりました。それでは、今すぐ私の視界から消えてください」

 

 意地悪な笑みを浮かべる少年に対し、彼女は氷のように冷たい口調でそう告げる。

 

「いやぁ、これは酷い嫌われようだね。僕は君のこと結構好きなのにな~」

 

「…私は貴方のことが嫌いです」

 

「そう言わないで仲良くしようよ。ここにいる以上、僕達は長い付き合いになるんだから」

 

「いえ、それは絶対にありません。近い未来に貴方の正体を暴き、マスターの中から追い出してみせます」

 

「ふふ、それは楽しみだね」

 

 強い意志を秘めた精霊の眼光を真正面から受け止める少年。

 不敵に笑う少年の真っ赤な瞳は爛々と輝いており、どこまでも自信に満ち溢れているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ、あの子は私が思った通りの…いえ、私の想像をはるかに上回るほどの存在だったわ」

 

「あの者はフレイヤ様の期待に応えたのですね」

 

「ええ、そうよ」

 

 迷宮の真上に築かれたバベルの塔。

 その最上階の部屋には、一柱の女神と一人の眷族が話をしていた。

 

「少し前からあの子には目をつけていたのだけれど、まさかここまで成長するなんて……本当に見違えたわ」

 

「あの者の魂はそれほどまでに輝いていたのですか?」

 

「ええ、この瞳が焼かれるほどの輝きを放っていたわ。しかも、それほどの輝きを放ちながら、その魂はどこまでも澄み切っている……あそこまで汚れも穢れもない綺麗な魂を見るのは初めてよ」

 

「まさか、そのような者がいるとは。それで、これからどういたしますか?」

 

「もちろん、絶対にあの子を私のモノにするわ──例えロキの眷族(子ども)であってもね」

 

 当然のことだが、すでに契約を結んでいる子供に手を出すのは褒められた行為ではない。

 無理矢理奪い取ろうものなら、その主神や【ファミリア】が黙っているはずもなく、間違いなく諍いが起こる。

 実際にこれまで少なくない数の問題をフレイヤは起こしてきた。

 しかし、都市最大派閥の一つである【フレイヤ・ファミリア】の力を持ってすれば、中規模程度の【ファミリア】は泣き寝入りするしかない。

 しかも多くの男神達はフレイアの魅力にやられているので、自身の子供を取られても文句を言えないのである。

 

 そんな男癖の悪いフレイヤであるが、もちろん気に入った子供に全て手を出そうとするわけではない。

 相手が規模の大きい【ファミリア】の場合、こちらにもそれなりの損害が出る。

 いくらその子供を気に入っても、手を出すのがマズい相手であればフレイヤは絶対に手を出さないのだ。

 それくらいの分別はフレイヤにもある……いや、あるはずであった。

 

 しかし今フレイヤは『絶対にあの子を私のモノにするわ──例えロキの眷族であってもね』と告げた。

 その言葉が意味するのは、すでにロキと契約しているベルを自分の眷族にするということ。

 その行為が意味するのは、都市最大派閥である【フレイヤ・ファミリア】と同等の勢力を有する【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売るということ。

 そしてその先に待つ未来は、都市最大派閥同士により行われる前代未聞の抗争。

 

 自分と同じ都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】にベルが所属している時点で、フレイヤには彼のことを諦めるべきであった。

 たった一人の男を手に入れるためだけに自分と同等の戦力を有するロキと事を構えることが、どんなに愚かなことであるのかフレイヤも十分に理解しているつもりである。

 それでもフレイヤは、ベルを自分のモノにしたいという欲求を抑えることができなかった。

 

「流石の貴方も、こんな愚かな私に愛想を尽かしたかしら?」

 

 頭でわかっていても珍しく本能に逆らえないフレイヤは、側に控えていたオッタルに尋ねる。

 主神(フレイヤ)からの試すような問い掛けに、オッタルは気負いなく告げる。

 

「滅相もありません。貴方様が望むのでしたら相手が【ロキ・ファミリア】であっても潰してみせましょう」

 

「ふふ、面白いことを言うわね、オッタル。貴方も知っての通り、ロキの眷族達は強敵よ。それでも貴方は私が命令したら実行してくれるのかしら?」

 

「愚問です。貴方様のご命令でしたら、例え相手が誰であろうと倒してみせます」

 

「うふふ、本当に貴方は頼もしいわね、オッタル」

 

「光栄の極みでございます」

 

「……でも、【ロキ・ファミリア】を潰すのはあくまで最後の手段よ。少し回りくどいけれど、こちらに被る損害が少ない方法を採るとしましょう」

 

「判りました。それで、その方法とは…?」

 

「そうね、貴方だけには教えておくわ。ロキの眷族である彼を手に入れる方法をね」

 

 そして、フレイヤは自身が考えた策をオッタルに告げる。

 

「──以上が、こちらの被害をゼロに抑えながら確実に(・・・)あの子を手に入れる方法よ。どうかしら、オッタル」

 

 フレイヤからその策の全貌を伝えられたオッタルの表情には、珍しいことに困惑の色が浮かんでいた。

 

「フレイヤ様のお考えを疑うつもりではありませんが、不確定要素が多いのでは?私には【ロキ・ファミリア】を直接潰す方が確実だと思えるのですが…」

 

「貴方がそう思うのは仕方がないことだわ。なぜなら貴方は、ベル・クラネルという人間について何も知らないから」

 

「………」

 

「あの子は誰よりも純粋で優しく、そして強くなれる子よ。ベル・クラネルがベル・クラネルである限り、間違いなく彼は私のモノになる」

 

「フレイヤ様がそこまで仰るほどの人物像なのですね、ベル・クラネルという男は」

 

「ふふ、貴方も彼を見ていればいずれ解るはずよ」

 

 そう言いながらフレイヤは羊皮紙とペンを取り出し、そこに何かを書き始める。

 そして書き終えると、その紙を封筒の中に入れて封をしてオッタルに渡すのであった。

 

「オッタル、この手紙をアポロンに届けなさい」

 

「はっ、かしこまりました」

 

「ふふふ、悪いけれどアポロンには私の手のひらで踊ってもらうわ」

 

 ベルはまだ知らない、フレイヤが自分を手に入れるために動き出したことを。

 ベルはまだ知らない、フレイヤが企てた計略の全貌を。

 ベルはまだ知らない、美の神と呼ばれるフレイヤの男に対する執念と、その恐ろしさを。

 

「あぁ、あの子が自分から(・・・・)私の下にやって来る日が待ち遠しいわ」

 

 瞳を細めてそう呟くフレイヤは、全ての男を魅了する妖麗な笑みを浮かべているのであった。

 

 

 

 

 

 

***********

 

 

 

 

 

 

 ベルがミノタウロスを倒してから約一週間が経過した。

 オラリオから遠く離れたとある都市の喫茶店に、二柱の神が赴いていた。

 閑散としている店内の隅のテーブルに座ったその神達の手には、今朝発行されたばかりの情報誌が握られている。

 二人が読んでいる情報紙の一面には、とある冒険者の公式昇格の報せが載っていた。

 

『所要期間、わずか一週間!?【ロキ・ファミリア】所属の新人ベル・クラネルがLv.2到達!!』

 

 その記事に目を通していた老神は、顔を上げて鋭い瞳で対面に座る男神の顔を射抜く。

 

「…ヘルメス。まさかとは思うがベルのランクアップの件、お前が裏で手を引いたのか?」

 

「もしそうだとしたら、どうしますか?」

 

 老神からの問い掛けに、ヘルメスと呼ばれた男神は満面の笑みを浮かべて逆に問い掛ける。

 

「………」

 

 人を食ったような態度のヘルメスに対して、老神は無言の圧力を放つ。

 

「そんな恐い目で睨まないでくださいよ。今回の件に関しては、俺は何も手を出していませんから」

 

 重い気配を纏い出した相手を見て、流石にマズいと思ったのかヘルメスは浮かべていた笑みを消して真面目に答えるのであった。

 

「今回の件に関しては、か…。お前が手を出していないのなら、ベルがLv.2最速到達記録更新という偉業を達成できたのはどうしてだ?」

 

「おっと、貴方の目は曇ったのですかゼウス?これほどの偉業を成し遂げるとこができたのは、ベル君にとびっきりの才能があるからじゃないですか──英雄になれるほどの才能がね」

 

 真剣な表情でそう告げるヘルメスに対して、ゼウスは何やら深刻そうな表情を浮かばせていた。

 

「…ヘルメス、前にも言ったと思うがあの子には冒険者としての才能がない。ただ誰よりも心が優しく、他人を思いやれる子なんだ。決して英雄と呼べるほどの器ではないのだ」

 

「ふむ、貴方のお孫さんが英雄になるかもしれないというのに随分な言い種ですね」

 

「儂はお前と違って、あの子に英雄になってほしいわけではない。儂がベルに望むのは、大切な人と共に幸せな人生を送ることだ。たとえ弱くてもあの子が幸せならそれで十分だ」

 

 優しい表情でそう語るゼウス──その言葉からわかるように、彼がベルのことをどんなに大切に想っているのかヘルメスにも痛いほど伝わった。

 

「貴方が彼を大切に思っているのはわかっています。しかし、彼に英雄の素質があるのは紛れもない事実です」

 

「…なぁヘルメス、英雄になれる人物などあの子の他にも存在するだろう。それなのに、何故お前はそこまでベルに執着するのだ?」

 

「確かに仰る通り【勇者】や【剣姫】、そして【猛者】などは英雄と呼べるほどの器を備えています。しかし、『彼女』が選んだのは彼らではなくベル君でした。このことが何を意味しているのかは、聡明な貴方ならお分かりですよね?」

 

「運命の精霊を祀るために『古代』に建てられた神殿…今では建物の原形をとどめていないその神殿の中でお前が見つけた黒い宝玉──その中に封印された精霊のことか」

 

「いやぁ、まさか完全に廃れてしまったあの場所で、あんな掘り出し物があるとは思いませんでしたよ。『彼女』を見付けたときは嬉しさのあまり、大声で叫んでしまいましたね」

 

 すこぶるご機嫌な表情で語るヘルメスのことを、ゼウスは冷めた表情で見つめていた。

 

「精霊の隣には必ず英雄がいる、か。お前はあの精霊を使って英雄を…『最後の英雄(ラスト・ヒーロー)』を見付けようとしていたのだろう?」

 

「えぇ、全ては貴方のご想像通りです。最も、元々俺はベル君に当たりをつけていましたけどね」

 

「それで、あの精霊をベルに渡したのか?」

 

「それがですね、俺の眷族(子ども)に『彼女』を預けていたんですけれど、不注意でどこかに落としちゃったみたいなんですよ」

 

「………」

 

「その後『彼女』を落としたお店にベル君が訪れて、どんな因果か『彼女』を拾ったんですよ。いやぁ、こんな素晴らしい偶然があるんですね~」

 

 白々しい口調で語るヘルメスを見て、ゼウスの機嫌は目に見えて悪くなっていく。

 

「…ヘルメス、儂相手に白々しい芝居は止めろ。全て貴様が仕組んだことだろうが」

 

「ハハハ、俺はヘルメスなんですからこのくらいは許してくださいよ。…さて、本題に戻りますが、貴方のお察し通り『彼女』はベル君を選び、『加護』を授けたようです。最も、大部分の力を失っている今の『彼女』ではそれほど強力な恩恵はもたらさないと思いますが」

 

「だがベルに『加護』を与えたということは、件の精霊との間で契約が結んだことは確かだ。ベルが成長するにつれ、精霊も力を取り戻していくだろう」

 

「そして取り戻した力の分だけ、ベル君にもたらす恩恵はより大きくなる。ハハハ、古代において英雄と精霊はお互いになくてはならない存在とされてきた理由もわかりますね」

 

「…お前はもう、オラリオに戻るのか?」

 

「ええ、そのつもりです。ですが安心してください、これからも定期的に報告には伺いますから」

 

「わかっていると思うが、ベルに対する行き過ぎた干渉は許さんからな」

 

「もちろん、心得ているつもりです。それではまた三ヶ月後に会いましょう、ゼウス」

 

 そう言って椅子から立ち上がったヘルメスは、机の上に二人分のお代を置いて恭しく一礼する。

 

「──あぁ、早く未来の英雄さんに会ってみたいものだ」

 

 軽やかな足取りで喫茶店から出て行くヘルメスは、誰にも聞こえない声量でそう呟くのであった。

 

 



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ランクアップと新たな力

 

 

 ベルが目覚めた次の日の朝、彼は自室にて【ステイタス】を更新している真っ最中であった。

 うつ伏せに寝ているベルの上に跨って座りながら【ステイタス】を更新しているのは、もちろん彼の主神であるロキである。

 

「よし、これでLv.1最後の【ステイタス】更新終了やな!」

 

「えっ、それってまさか…!」

 

「むふふ、そうや。ベルのレベルが上がったんやで!」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「マジもマジ、大マジや!っと、その前に……よし書き終わった。ほい、これがベルのLv.1最後の【ステイタス】や」

 

「ありがとうございます、ロキ様!」

 

 更新した【ステイタス】内容を共通語に書き換えたロキは、その羊皮紙をベルに手渡す。

 お礼を言ってその紙を受け取ったベルは、視線をその紙に落とす。

 そこにはベルの名前と現在の器の位階、そして基本アビリティの上昇値が記載されていた。

 

 

************************

 

ベル・クラネル

  Lv.1

 力:SS1053→SSS1183 耐久:S960→SSS1123 器用:SS1085→SSS1215

 敏捷:SSS1138→SSS1403 魔力:S982→SSS1108

 

************************

 

 

「こ、これが僕の【ステイタス】…」

 

 自分の【ステイタス】が書き記された紙を読んで、目を見開くベル。

 そんなベルの様子を見つめているロキはの内心は穏やかでなかった。

 

(以前うちがついた成長期という嘘をベルはすっかり信じ込んでいるようやけど、流石にこれで自分の【ステイタス】の異常さに疑問を抱いたはずや…)

 

 本来、ステイタスの上限はS999であり、その限界を越える者は今まで存在していなかった。

 しかし約一週間前、なんとベルはその限界を越えてSSに至った。

 

 このことが他の者にバレたら面倒なことになると考えたロキは、この規格外な成長速度をただの成長期だとベルに信じ込ませたのだ。

 純粋無垢なベルが主神(ロキ)の言葉を疑う訳もなく、簡単に信じ込んでいるという事情があった。

 

(全アビリティSSSって何やねん!?そんなの初めて見たわ!!あぁ、これはもうあかん…流石のベルも成長期だという言葉では誤魔化せないはずや)

 

 そしてロキは、一つの決心を下す。

 

(決めた…『スキル』のことは隠した上で、今の成長速度が他の人とは一線を画している事実を伝えよう。最初はベルも戸惑うとは思うけど、そこは上手く誤魔化すしかない…)

 

 隠し事ができないベルに【英雄熱望(ヒーロー・ハート)】という『レアスキル』が発現していることを伝えれば、他の神々にもそのことがバレて面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。

 

(Lv.3…いや、Lv.4になったらベルに伝えよう。そんくらい力をつければ、神々(アホども)のちょっかいも自力で振り切れるやろうしな)

 

「ベル、今回の【ステイタス】を見てビックリしたやろう?」

 

「はい、本当に驚きました!」

 

「うむ、ベルが驚くのも当然や。なぜなら成長期という言葉は…」

 

「【ステイタス】が驚くほど伸びていますよ、ロキ様!成長期だとこんなに伸びるものなんですねっ!」

 

「…んっ?」

 

「こんなに【ステイタス】が上昇したのも以前ロキ様がおっしゃっていたように今が僕の成長期だからなんですよねっ!」

 

「…んんっ?」

 

 自分の言葉を微塵も疑わないベルの様子を見て、覚悟を決めたはずのロキは急に後ろめたい気持ちになっていった。

 

(まさか未だにうちの言葉(うそ)を信じていてくれたとは…。くっ、いくら必要な嘘とはいえ、このままベルを騙し続けるのもうちの心が痛む!?)

 

「………」

 

「えっと、ロキ様…?僕、何かおかしなことを言いましたか…?」

 

 黙り込んだロキを心配したのか、ベルは不安そうな表情でロキのことを見つめてくる。

 思わず庇護欲を掻き立てるような眷族の姿を前にして、ロキはベルのためにも嘘をつき続けることを決心した。

 

「な、何もおかしなことは言ってないで!そう、今がベルの成長期なんや!」

 

「やっぱり成長期なんですね!そういえば、この成長期っていつまで続くのかロキ様にはわかりますか?」

 

「お、おそらく今までの経験則から大体一年くらい続くと思うで!」

 

「そうなんですか。成長期って結構長く続くんですね」

 

「そ、そうやな」

 

(あかん、覚悟を決めても目をキラキラと輝かせたベルに、嘘を吐き続けるのはやっぱり精神的にキツイわ。ここは話を変えへんと…ッ!)

 

「そ、そうやベル!とっても良い報告があるんやで!」

 

「良い報告、ですか…?」

 

「何と【ランクアップ】の特典である『発展アビリティ』が発現可能や!」

 

「えっ!?『発展アビリティ』ってあの『発展アビリティ』ですか!?」

 

 『発展アビリティ』、それは既存の基本アビリティに加えて発現する能力である。

 『発展アビリティ』が発現するタイミングはランクアップするときだけであり、Lvが上がる都度【ステイタス】に追加される可能性がある。

 『発展アビリティ』が発現するかどうかは、その者が積み重ねてきた経験に左右される。

 一定の【経験値】が存在しなければ例えランクアップしても『発展アビリティ』は発現しない場合がある。

 逆に言えば、多くの経験を積み重ねてきた者は、候補として複数の『発展アビリティ』が選択可能になる。

 ちなみにであるが、一度のランクアップにつき選択できる『発展アビリティ』は一つだけという制約があったりする。

 

「ベルが知っている『発展アビリティ』で合ってるで!ちなみに選択可能なアビリティは一つだけだから、どれを選択しようか悩む心配もないからな」

 

「あのロキ様。今回発現可能な『発展アビリティ』って、どんなアビリティですか?」

 

「フフフ、そのアビリティの名は『天運』や!」

 

「『天運』ですか…?」

 

 今回のランクアップで取得可能であるベルの『発展アビリティ』はそれ一つだけであった。

 しかしその『発展アビリティ』もまた彼のスキル同様特殊であった。

 

「実はこの『発展アビリティ』は、うちも初めて見るアビリティなんやで」

 

「えっ、そうなんですか!?」

 

 多くの団員を眷族に持つロキは、様々な『発展アビリティ』を見てきた。

 しかし今回ベルに出現した『発展アビリティ』は、ロキでさえも初めて目にするものであった。

 つまり今回ベルに発現した『天運』は、間違いなく『レアアビリティ』である。

 

「あの、ロキ樣…その『天運』というアビリティはどのような効果があるのかわかりますか?」

 

「それは実際に選んでみないことには何とも言えへん。さっきも言った通り、うちでさえも見たことも聞いたこともないアビリティやからな。ただまぁ、大まかな効果でいいなら予想できるで」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「うむ、うちの勘だとこのアビリティは『加護』に近いもんやと思うんや」

 

「『加護』ですか…?」

 

「ん~何と言えばわかりやすいやろうか…本人が関与しないところで働く超常的な護りみたいなもんや」

 

(それにしても『天運』…これもあの精霊の影響やろうな)

 

 どんな『発展アビリティ』が出現するかは、その者が積み重ねられてきたものに反映される。

 運命を司る精霊と契約しているという事実が、今回の『発展アビリティ』に反映されたのであろうとロキは当たりをつける。

 

(まぁベルにとって悪いもんではないようやし、取って損はないやろう)

 

 そう判断したロキは、ベルに『天運』を発現させるか尋ねる。

 

「そんで、どないする?うちは取っておいた方がいいと思うけど、最終的に決めるのはベル自身や」

 

「──僕は、この『発展アビリティ』を取りたいと思います。ロキ様が言ったようにこのアビリティは僕のことを守ってくれる…そんな気がするんです」

 

「よし、わかった。それじゃあ、『天運』を発現させるで」

 

 ロキは再びベルの背に跨り、朱く波打ちながら発光する【神聖文字】に目を落とす。

 待機状態にしているベルの【ステイタス】に指を走らせたロキは、器の昇華を執り行った。

 

 

************************

 

ベル・クラネル

  Lv.2

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 天運:I

 

************************

 

「よし、これで無事に【ランクアップ】したで…って、これは…」

 

「あの、何か問題が起きたんですか?」

 

「ンー、問題は何もないから心配あらへんで。ムフフ…」

 

「…?そ、そうですか」

 

 何故かウキウキとしたロキの様子に、不思議そうな顔をするベル。

 しかしロキはニヤニヤと笑みを浮かべながらも、その理由を語ろうとしなかった。

 その笑みはまるで、サプライズで子供にプレゼントを贈ろうとする親が浮かべる微笑みであったのだ。

 

「そうそう。よし、もう服を着ていいで!」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 滞りなく【ステイタス】の昇華を終えたベルは、ロキにお礼を言って服を着る。

 

「そうや、ベル。昨日目覚めた後に、アイズとはどんなことを話したんや?」

 

「うぇ!?ア、アイズさんとですか…?」

 

「そうや。昨夜聞き逃したときから、ずっと気になっていたんやで!?」

 

 鼻息を荒くするロキにベルは狼狽えたながらも答える。

 

「え、えっと…その、アイズさんとはあまり話せませんでした」

 

「んん、そうだったんか?でも目が覚めたときはアイズと二人きりやったんやろ?」

 

「は、はい。ですが、その…」

 

「ン~、何らかのハプニングがあったんやな。とりあえず、昨夜何があったのか聞かせてや」

 

「その、実は──」

 

 そしてベルは目を覚ましたときの出来事をロキに語るのであった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

「ん…んんっ、あれ…?ここは…」

 

 丸二日間眠り込んでいたベルの瞼がようやく開く。

 まだ覚醒したばかりのためか、ベルの頭は上手く働かず、現在の自分の状況を理解できずにいた。

 

(そうだ、僕はミノタウロスを倒したんだった。それで、その後は確か…)

 

 意識がはっきりしていく内に、ベルの意識が完全に覚醒する。

 そしてそこでようやく、ベルは自分の手から伝わってくる心地良い温もりと、すぐ横に誰かがいることに気が付いた。

 

(誰かに手を握られている…?それに、誰かが僕の隣で寝ているみたい…)

 

 不思議に思ったベルは穏やかな寝息が聞こえる方に顔を向ける。何とそこにはベルの方に顔を向けて眠るアイズの姿があった。

 

「えっ?ア、アイズさん…?」

 

 横向きに寝た無防備な体勢を見せるアイズの姿を前にして、ベルは目を白黒される。

 ベルが声を出しても、アイズは何も反応を示さなかった。どうやら完全に眠っているみたいである。

 

(どうしてアイズさんが僕の隣に!?しかも僕の手を握りながら熟睡しているし、もう訳がわからないよ…)

 

 アイズと同じベッドで寝ているという事実に、顔を赤くしてどぎまぎするベル。

 顔を真っ赤にしながらも混沌とした状況に狼狽えるベルであったが、とりあえずアイズを起こさないようにしながら身を起こすことにした。

 

(アイズさんを起こさないように…って、あれ?手が離れないッ!?)

 

 まずは繋がれた手を離そうとしたベルであったが、眠っているはずのアイズがあまりにもがっちりと自分の手を握っているためか、ビクともしなかった。

 

(ど、どうしよう!?あまり強引に振りほどこうとするとアイズさんが起きちゃうし…)

 

 スヤスヤと気持ちよさそうに眠るアイズを起こすのはあまりに忍びない。

 しかし手を繋がれたままの状態だと、ベッドから出ることができない。

 

(それにしても、どうしてアイズさんが僕の隣で眠っているんだろう…?)

 

 ふと、そんなことを疑問に思うベルであったが、彼の疑問に答えるためには時を少しだけ遡る必要がある。

 

 

 

 それは、ベルが目覚める一時間前のこと。

 

 ベルの衝撃的な寝言を聞いたアイズは、手を握ったままベルの目覚めを待ち続けた。

 しかしベルの心意を知って心地良い気分になったアイズに、丸二日ろくに眠っていなかったツケがきたのか、眠気が襲ってきたのである。

 

 必死に眠気と戦いながらもアイズはこう思った。

 ──ベルが目を覚ましたときに、眠たげな表情を見せるのは色々マズい、と。

 

 そこでアイズは、ベルが起きる前に少しだけ仮眠を取ろうと考えたのであった。

 しかし繋いだ手から伝わるベルの温かさを手離すのは名残惜しいと思ったアイズは、手を握ったまま眠る方法を考えた。

 そうして思い付いた方法が「そうだ、一緒のベッドで寝ればいい」であった。

 ロキやリヴェリアの誰かがいれば「それは違う」とツッコミを入れたところが、この部屋には眠るベルとアイズの二人だけ。

 アイズは音を立てずにベッドに潜り込み、ベルのあどけない寝顔を眺めながらゆっくりと瞼を閉じた。

 手のひらから伝わるベルの体温を感じながら、アイズの意識は微睡の中に落ちていくのであった。

 

 

 

 そしてアイズがぐっすりと眠り込んで約一時間後、彼女の隣で寝ていたベルが目を覚まし、今の状況に至るのである。

 

(ま、まずは落ち着こう。冷静になればこの状況もどうにかなるはず…)

 

 バクバクと脈打つ心臓を落ち着かせながら、アイズが起こさないで自分だけ起きる方法を考えるベル。

 しかし、いくら考えても妙案が浮かぶことはなかった。

 

(マ、マズい!?何も浮かばない…)

 

「……」

 

 未だ瞼を閉じて、すぅすぅと小さな寝息を立てるアイズ。

 あどけない寝顔を晒すアイズがずっと視界に映る状況で、冷静に思考を働くはずなかった。

 逆の方向に顔を向ければアイズの寝顔を見ずに済むのだが、そんな簡単なことに気が付かないほど今のベルはテンパっていた。

 

(も、もし今この状況を誰かに見られたら…いや、大丈夫だ!そうタイミングよく誰かが着たりしないはず…!!)

 

 そんなベルの希望的観測は、次の瞬間無残にも砕け散った

 

 ──トントントン。

 

「えっ、うそ…」

 

 来客を知らせるノックの音を聞いたベルの表情がサァーと青くなっていく。

 そしてベルが見つめる先で静かに扉が開き、エルフの少女が入って来た。

 

「アイズさん、もうすぐ夕食ですからそろそろ…って、えッ!?」

 

「レ、レフィーヤさん…」

 

 目を真ん丸にして驚くレフィーヤと、凍り付いた顔で彼女の名を呼ぶベル。

 レフィーヤはギギギと壊れたロボットのような動きでベルの隣で穏やかに眠るアイズに顔を向ける。

 幸せそうに眠るアイズの寝顔をしばらく見つめた後、レフィーヤは再びベルの方へと視線を戻した。

 

「ひぃっ!?」

 

 感情が全て抜け落ちた表情をするレフィーヤと目が合った瞬間、ベルは情けない悲鳴を上げる。

 

「…何か言い残したことはありますか?」

 

「えっと、お、おはようございます…?」

 

 レフィーヤのあまりの恐さに、的外れた言葉を口にするベル。

 ベルの言葉を聞いて、ニッコリと微笑むレフィーヤ。

 

(た、助かった…?)

 

 レフィーヤが微笑んだことで危機は去ったと思ったベルは、ホッと息を吐く。

 だが、それは大間違いであった。

 

「あ、あなたという人はぁあああああああッ!!」

 

「ご、ごめんなさぁあああああああああいッ!?」

 

 浮かべていた笑顔を仮面のように剥がしたレフィーヤはキッ!!と鋭い剣幕でベルを睨み付け、怒りを爆発させた。

 

「んっ、ベル…それにレフィーヤ?」

 

 部屋中に響き渡ったレフィーヤとベルの叫び声により、ぐっすりと眠っていたアイズも目を覚ますのであった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

「──と、言うことがあったです」

 

「アハハ、そんなことがあったんかい!それはベルも大変やったな~」

 

「アイズさんがレフィーヤさんの誤解を解いてくれなかったら、危ないところでした」

 

「ふむふむ、それでベルが目覚めたのにレフィーヤの機嫌が悪かったんか。しかしこれはとんだ誤算や。せっかく二人きりで語り合う機会を作りたかったのにな~」

 

「えっと、二人きりですか…?」

 

「ムフフ、ベルは気にせんでええ。それに、レフィーヤの気持ちもわかるしな」

 

「は、はぁ…」

 

 ようやくベルが目覚めたと思ったら、そんな彼が憧れの存在(アイズ)と一緒のベッドで寝ているという衝撃的な光景を目撃したレフィーヤ。

 レフィーヤも素直にベルの目覚めを喜びたかったはずなのに、ベルに対する第一声が怒号では本人も複雑な心境であろう。

 ロキは、絶賛後悔中であるレフィーヤに心底同情するのであった。

 

「あのロキ様、そろそろアイズさん達と約束した時間ですので…」

 

「ん?何や、みんなでどっかに出掛けるんか?」

 

「はい、アイズさん達と一緒に武具店に行く予定です」

 

「ふむふむ、このタイミングだとアイズ達の用事は『遠征』で損耗した武器の修理と、ベルの装備の補強やな」

 

「はい、それで今回はアイズさんだけじゃなくて…」

 

「ベル!準備できたっ?」

 

 ガチャ!っと勢いよく開かれた扉からベルの部屋に入って来たのは、天真爛漫な笑顔を浮かべたティオナであった。

 

「テ、ティオナさん…」

 

「あれ、どうしてベルの部屋にロキがいるのっ?勝手に入って来ちゃったけど、もしかしてマズかった?」

 

「大丈夫や、今ちょうど話し終わったところやからな」

 

「そうだったんだ!じゃあ、ベルを借りても大丈夫だね!」

 

「おう、思う存分連れ回してええで!」

 

「え、ロキ様!?」

 

「ありがと、ロキっ!それじゃあ、みんなのところに行こう、ベルっ!」

 

「は、はい!それではロキ様、いってきます」

 

「じゃあね、ロキ~」

 

「おう、気を付けて帰って来るんやで~」

 

 ティオナに腕を引っ張られ、引き摺られるようにして部屋から出て行くベル。

 そんな二人の後ろ姿を見送ったロキは、最後に更新したベルの【ステイタス】を思い返して、微笑むのであった。

 

************************

 

ベル・クラネル

  Lv.2

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 天運:I

 

《魔法》【ウインドボルト】

    ・速攻魔法

 

    【エンハンス・イアー】

    ・付与魔法

    ・自身の聴覚を強化

    ・詠唱式【我が耳に集え、全ての音よ】       

《スキル》【英雄熱望(ヒーロー・ハート)

     ・早熟する

     ・英雄を目指し続ける限り効果持続

     ・英雄の憧憬を燃やすことにより効果向上

     

     【命姫加護(リィン・ブレス)

     ・魔法が発現しやすくなる

     ・『魔力』のアビリティ強化

     ・運命に干渉し、加護の保持者に絶対試練を与える

     ・試練を乗り越えるごとに、加護の効果向上

 

 

************************

 

 

(【ランクアップ】と『発展アビリティ』が出現するのはうちの予想通りだったけど、まさか新たに『魔法』まで出現するとはな…)

 

「きっと新しい『魔法』が発現したことを知ったらベルも喜ぶやろうな~。ムフフ、ホームに帰って来たら教えてあげるとするか!」

 

 鼻歌混じりにそう楽し気に呟くロキであるが、ベルが魔法の存在を知るのは少し後のことになるのであった。

 

 

 



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ゴブニュ・ファミリア

 

 

 突然だが【ロキ・ファミリア】において、自分の武器や防具は自己管理するのが暗黙の了解となっている。

 フィンやリヴェリアなどの首脳陣が、自分の命を預ける武具は自分で管理するよう常日頃言っているのもあり、己の装備を他人に任せる団員は一人も存在しない。

 そのため遠征から帰還すると、全ての団員達は武具の整備を行うために各々いつもの武具屋に向かうのである。

 

 例にもれず、アイズとティオナの二人も武器の整備を行うためにとある鍛冶系ファミリアの一つを利用している。 

 そして二人の強い推薦もあって、ベルはその鍛冶系ファミリア──【ゴブニュ・ファミリア】の武具店に武器の整備を依頼するため、アイズ達に案内される形で訪れるのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 北と北西のメインストリートに挟まれた区画、その路地裏深くにお店を構える【ゴブニュ・ファミリア】のホームがある。

 ベル、アイズ、ティオナ、ティオネ、レフィーヤの五人がごちゃごちゃと入り組んだ路地裏を進んだ先に見えたのは、石造りの平屋であった。

 工房でもあるこの広い平屋が【ゴブニュ・ファミリア】のホーム『三槌の鍛冶場』である。

 

「ごめんくださーい」

 

 お店の扉を開けて、薄暗い店内へと入るティオナ。

 ベル達もティオナの後に続いてお店の中に入っていく。

 

「いらっしゃい…って、げえぇ!?【大切断(アマゾン)】!?」

 

「もうっ、毎回私の二つ名で悲鳴を上げるのは止めてよ!後輩(ベル)があたしのこと勘違いしちゃうじゃんっ!」

 

「ひぃっ!?す、すみませんッ!!」

 

 何かしらの作業をしていた職人達は、突然現れた壊し屋(ティオナ)の顔を見て一様に慌て始める。

 

「大変です親方ッ!壊し屋が現れました!!」

 

「むぅ、壊し屋とは失礼なっ!あたしだって壊したくて武器を壊すわけじゃないんだからね!」

 

「それじゃあ今日は何しに来たんだよッ!?」

 

「ふふん、今日はあたしの可愛い後輩の防具を新調しに来たのっ!」

 

「そ、そうか…ふぅ、どうやら今回は大丈夫だったようだな」

 

 ティオナの言葉を聞いて、心底安心した表情をする男性職人達。

 

「後はね、また武器を作ってもらいたんだよ!」

 

 しかし、続くティオナの発言により店員達の顔は一瞬にして凍り付いた。

 

「…は?そ、それって後輩の方の武器だよな?」

 

「ううん、あたしの武器だよっ」

 

「ウ、ウルガはどうした!?あれは大量の超硬金属(アダマンタイト)を不眠不休で鍛え上げた最高傑作の専用武器なんだぞッ!?」

 

「それがね、刀身が溶けちゃったんだ」

 

「じょ、冗談だよな…?」

 

「むぅ、本当のことだよ!はい、これが証拠っ!」

 

「「「お、俺達のウルガがぁぁぁぁぁ──!?」」」

 

 溶解液を浴びてボロボロになってしまった大双刃を見て、不眠不休でウルガを作り上げた職人達は絶叫する。

 

「な、何だか大変そうですね」

 

「…うん」

 

「まったく、あの子は…」

 

「あはは…」

 

 ティオナと職人達が騒ぐのを尻目に、アイズ達は奥の部屋へと入っていく。

 部屋の中へと進んだアイズ達を出迎えたのは、老人の外見をした一柱の男神であった。

 白髪で白鬚を生やし、恰幅のいい身体は筋肉で引き締まっているその老人の名はゴブニュ──鍛冶を司る神様である。

 手元の短剣を丹念に磨いているゴブニュは、部屋に入って来たアイズ達に気付くと、作業を止めないまま口を開いた。

 

「そんな大所帯で来て、何の用だ」

 

「二人分の武器の整備を、頼みに来ました」

 

「ふむ、一人はお前として…もう一人はそこの小僧か?」

 

 ゴブニュの言葉にアイズはうなずく。

 

「その依頼を受けるかは小僧の武器をこの目で見てから判断するが、いいか?」

 

「…はい」

 

「わかった。とりあえず、お前の武器から見るとしよう」

 

 アイズは帯刀していた(デスペレート)を手に取り、ゴブニュに渡す。

 手渡された剣をじっくりと眺めていたゴブニュは、すぐに瞳を細くした。

 

「これはまた、随分派手に使ったな」

 

「…すみません」

 

「刃がやけに劣化しているが、何を斬った?」

 

「その、何でも溶かす液を吐くモンスターを…」

 

 寡黙な鍛冶神(ゴブニュ)はより一層目を細め、刀身を観察し続ける。

 空気が重くなったのを感じたのか、今まで黙っていたベル達が二人の会話に参加する。

 

「そ、その…アイズさんの剣って不壊属性(デュランダル)ですよね?それなのに、劣化してしまうものなんですか?」

 

「あら、ベルはまだ知らなかったの?不壊属性(デュランダル)の武器であっても、切れ味は落ちるものよ」

 

「え、そうなんですか…?」

 

「ベルも知っての通り、不壊属性(デュランダル)の属性が付与された武器は絶対に壊れませんが、整備を怠ると武器としての性能は落ちてしまいます。そうですよね、アイズさん?」

 

「うん、レフィーヤの言う通りだよ」

 

「はぁ、普通に扱っていればここまで切れ味が低下することはないんだがな」

 

「…その、ごめんなさい」

 

「反省しているならいい。ただ、元の切れ味に戻すのは時間がかかる。代わりの剣を出してやるから、しばらくそれを使っていろ」

 

「…ありがとうございます」

 

「待って、アイズ。ホームに戻れば予備の剣もたくさんあるのだし、わざわざ武器を借りる必要はないんじゃない?」

 

「いや、半端な武器ではどうせすぐに使い潰す。別に金は取らんから、素直に受け取っておけ」

 

「ゴブニュ様がよいのなら、お言葉に甘えますが…」

 

「今代わりの剣を持ってくるから少し待っていろ」

 

 腰を上げたゴブニュが別室に入り、少しして代わりとなる武器を手に持って来た。

 

「レイピアだが、お前さんなら特に問題ないだろう」

 

 ゴブニュから細身のレイピアを受け取ったアイズは、鞘から刀身を引き抜く。

 引き抜かれた刃はうっすらと輝いており、素人であってもこのレイピアが業物であることが察することができた。

 

「わぁ…!とても綺麗な刀身ですね、アイズさん!」

 

「…うん、そうだね」

 

 キラキラと輝いた瞳で剣を見つめるベル。そんな子供っぽいベルの様子を微笑ましいモノを見るような目で見つめるアイズは、優しい声色で同意を示す。

 

「あまり剣には詳しくない私でも、かなりの業物であるのがわかります」

 

「へぇ、代わりの武器にするのはもったいないくらいの良い武器ね。今までレイピアで戦ったことはなかったけれど、私も一度使ってみようかしら?」

 

 ゴブニュから渡されたレイピアを見て、思い思いの感想を口にするベル達。

 そんなベル達の褒め言葉を聞いたゴブニュは特に表情を変えることなく、アイズに言葉を掛ける。

 

団員達(あいつら)には整備を急がせるが、お前さんの武器は少々特殊だ。元の切れ味に戻るまで五日はかかるぞ」

 

「…はい、それでも大丈夫です」

 

「そうか。それなら五日経ったら取りに来い」

 

「わかりました……ありがとうございます」

 

 無事に依頼を頼み終えたアイズはゴブニュにお礼を伝える。そして次はベルの番となった。

 

「さて、次はお前さんの武器を見せてみろ」

 

「は、はい」

 

 ゴブニュに武器を出すよう促されたベルは、片手剣(スノーライトソード)と二振りの短刀≪紅≫と≪蒼≫を手渡す。

 

「ふむ…お前さんもまた派手に使ったな。一体何を斬った?」

 

「その、ミノタウロスを…」

 

「ミノタウロスだと?それは本当なのか?」

 

「え…」

 

 ベルを言葉を聞いて、ゴブニュは険しい表情を浮かべる。

 ゴブニュに鋭い目つきで睨まれたベルは思わず狼狽えるが、そこですかさずティオネがフォローを入れた。

 

「それは私達が保証するわ。ただ、通常の個体よりも厄介な『強化種』だったけれどね」

 

「…そういうことか」

 

「その、何か問題があったのでしょうか…?」

 

「いや、ミノタウロスを斬ったにしては武器の損耗が激し過ぎると疑問に思っただけだ」

 

「えっと…ミノタウロスは耐久に優れたモンスターですし、それは仕方がないのでは…」

 

「確かにミノタウロスは硬いが、ここまで刃がボロボロになるのは普通では考えられない。だが、ミノタウロスの強化種を斬ったのならこの損耗具合も納得だ」

 

「あ、そうだったんですか」

 

 ゴブニュの説明を聞いて、ベルは納得の表情を浮かべる。

 

「ふむ…他には問題なさそうだ。わかった、お前さんの依頼を引き受けよう」

 

「ありがとうございます、ゴブニュ様!」

 

 ゴブニュの言葉に、ベルは嬉しそうな表情でお礼を伝える。

 側に控えるアイズ達も、無事に依頼できたことにほっとした表情を浮かべる。 

 

「それで、整備は急がせた方がいいのか?」

 

「えっと、特に急ぎではないので他の人の武器を優先させて頂いて構いません」

 

「そうか。それなら、お前さんも五日経ったら取りに来い」

 

「はい、本当にありがとうございます、ゴブニュ様。…あっ!」

 

「?どうした、やはり整備を急がせた方がよかったか?」

 

「い、いえ、そうではなく実は──」

 

 ベルは腰に携えていた『ミノタウロス角』を取り出すと、それをゴブニュに見せる。

 

「これは、お前さんが斬ったミノタウロスのドロップアイテムか?」

 

「はい、そうです」

 

 数日前、ベルとミノタウロスの死闘の後。

 フィンの指示で戦場に何か異変がないか調べたティオネとベートが灰の中から見つけたのが、この『ミノタウロスの角』であった。

 

「その、この角を材料に装備品を作れると聞いたのですが、強化素材として使うことも可能なのでしょうか?」

 

「ふむ、それは今の武器をそのドロップアイテムで強化したいということだな?」

 

「はい、そうです。…やっぱり、無理でしょうか?」

 

「いや、ミノタウロスから取れるドロップアイテムは何だって武具に活用できる」

 

「それじゃあっ…!」

 

「あぁ、もちろん可能だ。だが、それなりの技術と『鍛冶』のアビリティを持つ者でないと厳しいな。……少し待っていろ」

 

 数分後、ゴブニュはアイズと同じくらいの年齢であるヒューマンの少女を連れて戻って来た。

 

「えっと、この方は…?」

 

「こいつは『鍛冶』のアビリティ持ちで、腕もそれなりだ。まだ未熟な面もあるが、おそらくお前さんの希望に沿える武器を作れることだろう」

 

「ベル・クラネルです。その、よろしくおねが──」

 

「挨拶はいい。まずはそのドロップアイテムを見せて」

 

「えっ…」

 

「早く」

 

「ど、どうぞ」

 

 他人を寄せ付けない雰囲気を身に纏う青髪碧眼の少女は、冷たい口調でベルの挨拶を遮り本題へと入っていく。

 そんな少女の態度にベルは戸惑いを見せながらも『ミノタウロスの角』を手渡した。

 

「………」

 

 青髪の少女はベルから受け取った角を真剣な瞳で観察し始める。

 

「この『ミノタウロスの角』…普通のモノより黒いけど、どうして?」

 

「お、おそらくですけど、その角を残したミノタウロスが元々黒かったからだと思います」

 

「黒いミノタウロス……もしかして、強化種?」

 

「はい、そうだと思います」

 

「ということは、貴方がそのミノタウロスを倒したの?」

 

「は、はい、そうですけど…」

 

 少女は黒く染まった『ミノタウロスの角』をじっと観察しながら、矢継ぎ早に質問する。

 時折困った表情を浮かべながらも全ての問い掛けにベルは答えると、ようやく少女は腑に落ちたような表情を見せた。

 

「ふぅん……そういうことか」

 

「何か気が付いたことでもあるんですか?」

 

「うん。でも貴方には関係ないことだから、別に気にしなくていい」

 

「は、はぁ…」

 

 そうベルに冷たく言い放つと、彼女は『ミノタウロスの角』を机に置く。

 そしてその横に置いてあった武器に視線を向けた。

 

「どれが貴方の武器?」

 

「えっと、机の上に置いてあるのは両方とも僕の武器です」

 

「そう」

 

 ベルから確認を取った彼女は二つの武器を順に手に持って、観察し始めた。

 

「あの、ゴブニュ様…」

 

 自分のペースで進める少女にすっかり翻弄されたベルは、助けを求めるように彼女の主神であるゴブニュに視線を向けた。

 

「すまんな。こいつは鍛冶の腕は確かだが、少し変わった奴なんだ」

 

 そして彼女の主神であるゴブニュも、彼にしては珍しく困った顔をしていた。

 その表情から、ゴブニュも少し変わっている少女鍛冶師に手を焼いていることが伺える。

 

「まぁなんだ、お前さんが良ければこいつに依頼してくれ」

 

「その前に彼女に確認させて。貴女はベルの武器を強化することはできるの?」

 

 ティオネの質問を聞いて、女鍛冶師はベルの武器から目を離さないまま口を開く。

 

「片手剣は無理だけど、短刀なら可能」

 

「あら、どうして片手剣の方は無理なの?」

 

「素材同士の相性の問題」

 

「はぁ、貴女ねぇ…」

 

 全く理解させる気のない説明に、ティオネはピクピクと眉をひくつかせる。

 ストレスが溜まっている様子のティオネを見て、レフィーヤは慌てて会話に入る。

 

「つまり短刀に関しては二本とも強化できるんですね?」

 

「問題ない。この素材の大きさなら、短刀二本くらい十分に強化できる」

 

「本当ですか!」

 

「本当。それで、短刀の強化が私への依頼ってことでいいの?」

 

 少女の言葉を聞いたベルは心から嬉しそうな表情を浮かべる。

 

「はい!ありがとうございます、えっと…」

 

(しまった。僕、まだ彼女の名前を知らないんだった…)

 

 依頼を引き受けてくれる少女にお礼を伝えようとしたベルだったが、彼女の名前をまだ聞いていないためどう呼んだらいいのかわからず困ってしまう。

 

「?」

 

 会話の流れを読めば自分の名前がわからずに困っているのは一目瞭然だが、残念ながら目の前の少女にはベルがどうして困っているのか見当も付いていないようである。

 

「はぁ…この小僧はお前の名前を知らないことで困っているんだ」

 

 その状況を見かねたゴブニュが、溜め息を吐きながらベルに助け舟を出す。

 

「そうなの?」

 

「は、はい。その、貴女のお名前は…」

 

「………リエル。ただのリエル」

 

(ただの…?)

 

 リエルと名乗った少女の言葉に少し引っかかりを覚えたベルであったが、お礼を伝えることを優先させた。

 

「依頼を引き受けていただきありがとうございます、リエルさん」

 

「別にいい。…ゴブニュ様、こっちの片手剣は誰が整備する予定でしょうか?」

 

「それなんだが、できればその剣の整備もお前に任せたい。頼めるか?」

 

「はい、大丈夫です。損傷は激しいですが、一日で仕上げられると思います」

 

「そうか、それじゃあ頼む」

 

(流石に自分の主神には敬語が使うんですね)

 

(自分が認めた相手には敬意を示す…まさに職人気質ね)

 

 ゴブニュとリエルの会話の横で、レフィーヤとティオネは小声で話す。

 主神であるゴブニュには敬語で話すところを見ると、リエルは尊敬する相手にしか敬意を払わないタイプなのかもしれない。

 

「聞き忘れていたが、お前さんの防具は整備に出さなくていいのか?」

 

「防具、ですか?」

 

「そうだ。これだけ損耗した武器を見れば、件のミノタウロスとの戦闘が壮絶なものだったのは容易に推測できる。それなら防具の損傷も激しいはずなんだが、もう別の店に修理に出したのか?」

 

「いえ、それがその…」

 

「ベルの防具は戦闘中に全損してしまったのよ」

 

「あぁ、そういうことか。それでは修理も不可能なようだな」

 

「えぇ、その通りよ」

 

「…できればここで、ベルに合う防具を購入しようと思っています」

 

 アイズの言葉に真っ先に反応したのはゴブニュではなく、リエルの方であった。

 

「そういうことなら、私の防具を薦める」

 

「え、リエルさんの防具ですか…?」

 

「うん」

 

 突然のリエルの提案にベルは戸惑いを隠せない。今までの短いやり取りの中で、彼女が積極的な人間ではないと思い始めていたからだ。

 

(こういう職人は自分の腕に絶対的な自信を持っているから厄介なのよね)

 

 「はぁ~」と内心で溜め息を吐くティオネ。

 

(神ゴブニュの言葉を疑うわけではないけれど、この子の実力を見極める必要があるわ)

 

「へぇ、よほど自信があるのね。それじゃあ、ベルに合う防具を見せてもらえるかしら?」

 

 今までのやり取りからそう判断したティオネは、彼女の実力を見るためにも防具の提示を求めた。

 

「今は無理。二日待って」

 

「はぁ?何で二日も待つ必要があるのよ」

 

「今から作るから」

 

「えっと、リエルさんは何を言っているのでしょうか?」

 

「さ、さぁ…?」

 

 リエルの相手を理解させる気のない説明に、ティオネは付き合ってられないとばかりに首を振り、レフィーヤやベルも困惑の表情を浮かべる。

 そんな中、一人だけ彼女の言いたいことが何となく伝わったアイズはベル達に説明した。

 

「…私が作った防具は全て売ってしまい手元にない。今から彼専用の防具を作るから、それでいいでしょう…って言ってると思う」

 

「「今の言葉だけでそこまでわかったんですか、アイズさん!?」」

 

 これにはベルとレフィーヤも口を揃えて驚きの声を上げる。

 ティオネやゴブニュも、あれだけの説明で理解できたアイズに驚愕の視線を向ける。

 

「…うん、何となくだけど」

 

「それで合っている。私に依頼してくれるのなら、彼専用の防具を作る」

 

「僕専用の防具ですか!?あ、でも…」

 

 武器屋で販売している防具は不特定多数の冒険者を対象にしているので、サイズが微妙に噛み合わないことが多々ある。

 微妙なサイズの違いで少しでも動きが阻害されることを嫌う冒険者も多い。

 そのため、お金に余裕がある冒険者…特に上級冒険者は、自分の身体にフィットする防具を注文するのだ。

 

 リエルから専用防具オーダーメイドを作るかどうか尋ねられたベルは、一瞬顔を輝かせたがすぐに落ち込んだ表情をしてしまう。

 暗い顔をするベルの様子に疑問に感じたティオネとアイズは言葉を掛ける。

 

「あら、こんなに早く自分専用の防具を作ってもらえるのに、あまり嬉しそうじゃないのね?」

 

「…何か心配事?」

 

「実はその、あまり手持ちがなくて…」

 

「あぁ、そういうことね」

 

 オーダーメイドの装備は通常のモノよりも倍以上費用がかかるのは当然である。

 そして冒険者になったばかりのベルの所持金が、まだまだ少ないのも当然のことである。

 つまり今のベルには、自分専用の防具を買えるだけのお金を所持していないのだ。

 

 暗い顔をするベルのことをじっと見つめていたレフィーヤは、唐突に口を開く。

 

「リエルさん、オーダーメイドの値段はどのくらいなのでしょうか?」

 

「えっ、レフィーヤさん…?」

 

「それは防具の種類と元となる素材次第」

 

「ベルの戦闘スタイルなら、ライトアーマーを選ぶべきだと思うけれど、アイズはどう思う?」

 

「…うん、私もティオネと同じ考え。ベルもそれでいい?」

 

「ま、待ってください!僕、お金が…」

 

「はぁ、ベルの手持ちが心もとないくらい私達も知っていますよ」

 

「え、それじゃあ…」

 

 今の手持ちでは専用の防具を買えないことを知っているのに、自分の防具を購入する体で話を進めるアイズ達の様子に疑問に思うベル。

 ティオネは「実はベルに伝えていなかったことがあるの」と前置きしてから、ベルに事情を説明し始めた。

 

「私達は今朝、団長の部屋に呼ばれたのよ」

 

「フィンさんにですか?」

 

「…フィンは私達が部屋に入ると、百万ヴァリスを渡してきた」

 

「ひゃ、百万ヴァリスですか!?」

 

「はい、そのお金でベルの装備品を整えるよう言われました。だからお金の心配をする必要ありません」

 

「で、でもそんな大金を貰うのは…」

 

「遠慮しないで受け取ってほしいとフィンは言っていた」

 

「ベルの気持ちもわかりますが、ここで断る方が失礼に当たると思いますよ。ここは素直に団長達の厚意を受け取ってください」

 

「それでも納得できないのなら、今は借りるという形で考えなさい」

 

「借りる、ですか?」

 

「えぇ。頂いたお金は自分で稼いで返す…今の貴方の実力では時間はかかると思うけれど、団長はいつまでも待ってくれるはずよ」

 

「ティオネさん……はい、わかりました!その、本当にありがとうございます」

 

「お礼なら私達じゃなくて団長に伝えることね」

 

 ようやく明るい表情に戻ったベルを見て、ティオネ達は優しく微笑む。

 

「はい!…ってあれ?」

 

「…どうしたの?」

 

「その、さっきレフィーヤさんは団長『達』って言っていましたよね?」

 

「(ビクッ!?)」

 

 ベルの鋭い指摘を受けて、レフィーヤは「しまった!?」という表情を浮かべる。

 それが意味することは、ベルに百万ヴァリスもの大金を贈ってくれた人はフィンだけではないということだ。

 

「ということは、フィンさんの他にも……」

 

「いませんっ!」

 

「えっ」

 

「さっきのは私の勘違いというか言い間違いであっただけでベルに贈った百万ヴァリスは全て団長が出したのですいいですね?」

 

「え、ですが…」

 

「わ か り ま し た ね?」

 

「は、はいっ!」

 

 レフィーヤの有無を言わせぬ圧力に、ベルは必死に頷く。

 そんな二人を見て、ティオネは助け船を出す。

 

「話は戻るけれど、防具はライトアーマーでいい?」

 

「はい、僕もその…ライトアーマーがいいと思います」

 

「リエルさん、ライトアーマーだとどのくらいの値段になるでしょうか?」

 

「それは用いる素材による。素材に関して何か要望はある?」

 

「…ベルは何か希望ある?」

 

「えっと、特にありませんけど…」

 

「そうね。だったら、予算が五十万ヴァリスほどで収まる素材なら何でもいいというのはどう?」

 

「そうですね。他にも色々と装備を整える必要がありますが、そのくらいの予算が妥当だと思います」

 

「…素材はそちらに任せる」

 

「わかった。それじゃあ今から採寸を測るからじっとしてて」

 

「は、はいっ」

 

「俺はあいつらに指示を出す必要があるから席をはずす。何かあったらすぐに呼べ」

 

「わかりました」

 

 ゴブニュはアイズから預かった《デスペレード》を手に持つと、そのまま部屋を出て行く。

 ゴブニュが退室した後、リエルは採寸用の道具を取り出してベルの身体の寸法を測定し始めるのであった。

 

 

 

 

 

 








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男神の寵愛

 

 

 その後、テキパキとベルの身体を測定していくリエル。

 アイズ達三人はその様子を眺めながら、ベルに聞こえない声量で会話していた。

 

「…危なかったね、レフィーヤ」

 

「うぅ、本当にごめんなさい」

 

「まぁ、バレずに済んだのだからよかったじゃない。ただ、もう少し上手く誤魔化してほしかったけれどね」

 

 そう言って苦笑いするティオネ。

 自分の迂闊な言葉のせいで先輩達に迷惑をかけてしまったレフィーヤは、勢いよく頭を下げて謝った。

 

「本当に申し訳ありませんでした!」

 

「…レフィーヤ、声を抑えて」

 

「あっ…すみません、アイズさん」

 

「まったく、リヴェリアも厄介なお願いをしてきたわね」

 

 アイズに注意点されたレフィーヤは、よりいっそう落ち込んでしまう。

 そんなレフィーヤを見て、ティオネは困ったようにそう呟くのであった。

 

 ベルは知らないことであったが、実は貰った金額の大半はフィンではなく、リヴェリアが自分の財布から出している。

 どうしてアイズ達はそのことをベルに秘密にしようとしているのか?

 それはリヴェリア自身から、自分の存在をベルには伝えないでほしいとアイズ達に頼んだからだ。

 そして頼まれたアイズ達はというと、どうしてそんなことを頼むのか不思議に思い、レフィーヤなどは戸惑いの表情を浮かべていた。

 だがリヴェリアの真剣な表情と、フィンの後押しもあってアイズ達はベルには黙っていくことを承諾したのであった。

 

「ですが、リヴェリア様はどうして自分の名前を出さないでほしいなんて言ったのでしょうか?」

 

「リヴェリア自身詳しい理由は話してくれなかったし、まったく見当が付かないわね。アイズならわかる?」

 

「…ううん、私にもわからない」

 

 アイズ達がその理由を尋ねても、リヴェリアは苦い顔で『勘弁してくれ』と言うだけであった。

 

「そういえば団長、凄く微笑ましそうな表情でリヴェリアを見ていたわね。何か関係あるのかしら?」

 

 リヴェリアの謎めいた行動に首を捻るアイズ達。

 現時点でリヴェリアの行動の真意を知る者は、フィンとガレス、そしてロキしかいない。

 どうしてリヴェリアは自分の存在をベルに隠したのか、その理由が明らかになるのはもう少し先の話であった。

 

「採寸終わったから、もう楽にしていい」

 

「ありがとうございます、リエルさん」

 

 そして約五分後、ベルの採寸が問題なく完了した。

 

「最後に一つ確認したいことがあるから、私に付いて来て」

 

「えっと、どこかに移動するんですか?」

 

「付いて来ればわかる」

 

「あの、私達は…」

 

「五分くらいで終わるから、貴方達はここで待ってて」

 

「わかりました」

 

「それじゃあ、付いて来て」

 

「は、はい」

 

 レフィーヤの質問に答えたリエルは、踵を返して部屋から出て行く。

 そんなリエルの背を追って、ベルも部屋から出て行くのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 リエルに連れられて別室へと移動したベル。

 その部屋は無人であり、モンスターの素材や鉱物などが積み上げられて置いてあることから、倉庫のような役割をしていることが伺えた。

 

(どうしてこんな所にリエルさんは連れて来たんだろう…?)

 

「あの、最後に確認したいことって何ですか?」

 

「………」

 

「リエルさん?」

 

 ベルの問い掛けに反応せずに、何かをじっと考えている様子のリエル。

 少しして考えが纏まったのか、リエルはベルを真っ正面から見据えると、静かに口を開いた。 

 

「──貴方は英雄になりたいの?」

 

「っ!」

 

 その言葉は、ベルにとって予想外で意表を突く質問であった。

 目を見開いて驚くベルを見据えながら、リエルは言葉を続ける。

 

「その反応…やっぱり」

 

「ど、どうしてわかったんですか!?」

 

 確かにベルは英雄になりたいという夢を持っているが、そのことをリエルに話した覚えはない。

 それなのにリエルは、ある程度の確信を持ってベルに尋ねたように感じた。

 

「貴方みたいに英雄に憧れ、英雄になろうとした人を今までずっと見て来たから」

 

(英雄に憧れ、英雄になろうとした……僕と同じだ)

 

 ベルとリエルが言うその人で異なる点は、ベルは英雄になろうとしているが、リエルが言うその人は英雄になろうとした──つまり過去の話だということだ。

 

「あの、リエルさんがずっと見て来たその人って…」

 

「その人は私の……ううん、そんなことはどうでもいい。私が貴方に言いたいことは一つだけ───そんな愚かな夢は今すぐ諦めて」

 

「っ!?」

 

 一瞬にして冷たい雰囲気を纏ったリエルは、まるでベルの瞳の奥を覗き込むようにして語り出す。

 

「英雄を目指した先にあるのは、身の破滅だけ。英雄譚に憧れ、英雄になろうした者は皆、自身の無力さを痛感する。だって英雄は選ばれた者しかなれないのだから」

 

 リエルは語る、英雄がどのような存在なのかを。

 

「英雄と英雄でない者の間にある越えることのできない高き壁───それは実力であり、知力であり、運であり、勇気。実力があっても勇気がなければ英雄にはなれないし、勇気があっても実力がなければ英雄にはなれない」

 

 英雄とはいかに優れた存在なのかを。

 

「どんなに卓越した能力を持っていても、運がない者は呆気なく死ぬ。どんなに幸運な者でもそれに見合う実力がなければ英雄になれない。だって、英雄とはそういう存在なのだから」

 

 英雄というものがいかに完璧な存在なのかを、リエルは語る。

 

「で、でも諦めなければいつかは…!」

 

「自分では英雄になれないと悟りながらも、それでも英雄になることを諦めないのは愚かの一言に尽きる。貴方には、愚か者の最期が想像できる?」

 

「英雄を目指した者の最期…」

 

「わからないなら教えてあげる。彼らが子供の頃に抱いた夢はいずれ悪夢へと変わり、自分も…そして周りの者達も苦しめ続ける。それが英雄になることを諦め切れなかった者の末路」

 

 まるで実際に見て来たかのように話すリエル。だからだろうか、彼女の言葉にはとても重みがあった。

 そんな彼女の話を聞いていくうちに、ベルは気が付いてしまった。

 今の話はリエルが先程言っていた人物───彼女がずっと側で見て来たという人の物語であることに。

 英雄に憧れ、英雄になろうとした者が実際に辿った哀れな末路であることに。

 

(これは誰にでも語っていい内容じゃない。それなのにリエルはこんなに言葉を尽くして語ってくれた)

 

 決して初対面の人間に話していい内容ではないのに、どうして会ったばかりのベルに話してくれたのか?

 その答えはただ一つ。

 

(リエルさんはもう誰にもあんな辛い思いをさせたくないと思った……だからこうして、僕に話してくれたんだ)

 

「話はこれで終わり。これで貴方も英雄になることを諦める決心が付いたはず」

 

 リエルの心遣いは痛いほどにベルに伝わった。

 そしてリエルの言葉は全て正論。ここで英雄になることを諦めるのがベルにとって正しい選択だ。

 

(大した才能もない自分は、リエルさんの言葉に従って諦めるのが正しい。でも、僕は───)

 

「───ごめんなさい、リエルさん。やっぱり僕、この夢を諦めることはできません」

 

「…貴方、正気?」

 

 ベルの出した答えを聞いて、リエルは信じられない表情を見せる。

 

「確かに今の僕の実力では英雄には全然届きません。それでも僕は、諦めたくないんです」

 

「英雄は努力や鍛錬でなれるような存在ではない。今諦めないと絶対に貴方は後悔する」

 

「そう、かもしれませんね」

 

「それなら…!」

 

「でも、ここで英雄になる夢を諦める方が絶対に後悔する……そう思うんです」

 

「!」

 

 そう呟くベルの紅き瞳には、強い決意が現れていた。

 意志が弱そうな少年だと思っていたリエルは、ベルの強い意志を目の当たりにして軽く目を見張る。

 

「僕が抱く夢がいかに無謀なのかは自分自身が一番わかっています。英雄と呼ばれてもおかしくない実力を持つあの人を守る未来なんて、まったく想像できません」

 

「……」

 

「それでも、例えどんなに愚かな夢だと言われようとも、僕は絶対に諦めたくないんです」

 

(──だって僕はあのとき誓ったんだ)

 

 もう二度と自分が弱いせいでアイズを悲しませたくない、と。

 

 微笑むアイズの隣にいつまでもいるために誰よりも強くなりたい、と。

 

 そして何時の日かアイズを守る英雄になってみせる、と。

 

 だからベル・クラネルは英雄に──彼女だけの英雄になることを決して諦めない。

 例えこの先、どれほど困難な試練が待ち受けていようとも、ベル・クラネルは英雄を目指して前に進み続けていく。

 

「貴方は…貴方は本当に愚か。私があれだけ忠告したのに諦めないなんて」

 

「本当にすみません。リエルさんの心遣いは十分理解しているつもりです。だけど、僕は…」

 

「もういい。貴方の意思がアダマンタイトより固いのは十分に理解した。だから私はこれ以上何も言うつもりはない」

 

「ア、アダマンタイトよりって…」

 

「事実。貴方は見かけによらず頑固」

 

「うっ」

 

(け、結構心に刺さる…)

 

 辛辣な言葉の槍に心を痛めるベル。

 傷付いた様子のベルをじっと見つめていたリエルは、おもむろに口を開いた。

 

「貴方はどこにでもいるような普通の少年。そのはずなのに、強き意思を心に秘め、憧れの壁を乗り換えて英雄になろうとしている」

 

「リエルさん…?」

 

「しかもミノタウロスを打ち倒した。まるであの英雄譚の『彼』のように」

 

「彼って、『アルゴノゥト』のことですか?」

 

 『アルゴノゥト』。それは英雄になりたいと願うただの青年の物語。

 英雄になりたいという夢を持つ普通の青年が、牛人によって迷宮へと連れ攫われた王女を救いに行く物語。

 それは一般的な英雄譚とは異なり、なし崩し的に王女を救い出してしまうという、どこか滑稽な物語。

 

「そう…決して英雄になれる器ではないのに、英雄になれてしまった青年。貴方はどこか『彼』に似ている気がする」

 

(英雄になれてしまった青年…?)

 

 ベルはリエルの言葉──英雄になれたではなく、なれてしまったという言い方に引っ掛かりを覚えた。

 

「あの、リエルさんも『アルゴノゥト』を読んだことあるんですか?」

 

「うん、父から数え切れないほど聞かされた」

 

「リエルさんのお父さんは英雄譚が好きだったんですね」

 

「父は英雄譚を深く愛していた──『アルゴノゥト』以外の英雄譚を」

 

「えっ、『アルゴノゥト』以外ですか?でも、どうして」

 

「…父は、英雄アルゴノゥトを深く憎んでいたから」

 

「憎んでいたって…」

 

 その理由を尋ねようとしたベルであったが、リエルが苦しそうに表情を歪めているのを見て、それ以上言葉を続けることはできなかった。

 

(リエルさん、何だか苦しそうな…)

 

「…話はもう終わり。さっきの部屋に戻るから私に付いてきて」

 

 表情を歪めたのも一瞬、すぐに元の無表情に戻ったリエルは、扉を開けて廊下へと出て行った。

 

「あ、待ってください、リエルさん!」

 

 そんなリエルの後を、ベルは慌てて追いかけて行くのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「あ、戻ってきました」

 

「…おかえり」

 

 部屋に戻って来たベルとリエルを出迎えるアイズ達。

 彼女達はリエルが告げた時間を過ぎても一向に帰って来ないベルを心配していたのだ。

 

「やっと戻って来たわね。それで、どのくらいで防具は仕上がりそうなの?」

 

「二日あれば十分」

 

「へぇ、思ったよりも早いわね」

 

「その、武器の方もあるのに大丈夫なんですか?」

 

「平気」

 

「でも、他の人の依頼とかもあるんじゃ…」

 

「ない。今請け負っている依頼は貴方だけだから」

 

「そ、そうなんですか」

 

「そう」

 

「えっと、その…あははは」

 

 リエルの言葉を聞いて、ベルはどう反応していいかわからず、困ったように笑って誤魔化す。

 

(依頼が一個もないって…この子、本当に大丈夫なんでしょうね)

 

(ど、どうなんでしょう…)

 

(…大丈夫だと思う。多分…)

 

(多分って、アイズ…)

 

 リエルとベルに聞こえないように、アイズ達は小声で話す。

 新人ならともかく、『鍛冶』の発展アビリティを持っているのに受け持っている依頼が一個もないのは通常あり得ない。

 しかも鍛冶の腕はゴブニュが太鼓判を押しているので余計に不自然なことである。

 考えられる原因としては、リエルが何かしらの問題…それも大きな問題を抱えているということである。

 

 アイズ達の胸の内に一抹の不安が生まれる中、リエルはベルに最後の確認をする。

 

「それで、他に依頼はない?」

 

「は、はい」

 

「そう。なら私はこれで」

 

 リエルはそう言うと、ベルの武器を手に持って部屋から出て行くのであった。

 

「あ、リエルさん!…って、もう行っちゃいましたか」

 

「…中々面白い子だったね、ベル」

 

「そ、そうですね」

 

「ゴブニュ様はリエルさんの鍛冶の腕は確かだと言っていましたし、大丈夫…ですよね?」

 

「そこは自信を持って言い切ってほしかったわ。それじゃあ、無事に頼み終えたことだし、そろそろお店を出るとしましょう」

 

 武器の整備と強化、そして防具の製作を依頼したベル達は、ティオナの元に向かうのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「あっ、みんな!もう終わったの~?」

 

「えぇ、こっちの用事は全て終わったわ。そっちは大丈夫なんでしょうね」

 

「うん、もちろんっ!問題なんて一つもなかったよ!」

 

 天真爛漫に答えるティオナ。

 そんな彼女とは対照的に周囲にいる職人達は疲れ果てた表情をしていた。

 「あぁ、何て悪夢だぁ」と呟きながら頭を抱える者もいることから、ティオナが気付かないだけでたくさんの問題があったことが伺える。

 

「その、本当に大丈夫なんですか?」

 

「…大丈夫、いつものことだから」

 

「そ、そうなんですか」

 

 その光景を見て引き攣った顔をするベルに、アイズは特に動じることなくそう言う。

 

「うぅ、せっかく厄介な問題事が解決したと思ったのによぉ…」

 

「厄介な問題事、ですか?」

 

「あぁ、実はつい三日前まで迷惑な奴等がいたんだ」

 

「迷惑な奴等ねぇ。それって、ティオナみたいな客かしら?」

 

「むぅ!あたしは迷惑な客じゃないよっ!そうだよね、みんな?」

 

「「「………」」」

 

 ティオナの言葉に、【ゴブニュ・ファミリア】の団員達は気まずそうに眼を反らした。

 

「ま、まぁそれは置いておいて、話を戻すぞ。別にそいつらは武器や防具を何度も壊したりするわけじゃない」

 

「奴等は【大切断(アマゾン)】より厄介な…いや、あんな奴等と比較するのは流石にお前さんに失礼だな」

 

「…その人達は一体何をしたの?」

 

「奴等は、奴等の主神はうちの団員に激しく言い寄って来た」

 

 【ゴブニュ・ファミリア】の団員達は、ベル達に事情を説明し始めた。

 

「つい三週間前のことだ。どこで知ったのかあの神はリエルに目を付けたんだ」

 

「え、リエルさんですか?」

 

「何だ、もう会ったのか?」

 

「会ったというか、僕の依頼を引き受けてくれた人がリエルさんなんです」

 

「それなら話が早い。リエルは自分が受けている依頼について何か言っていたか?」

 

「確か…今請け負っている依頼は僕以外にないと言っていました」

 

「その理由は聞いたか?」

 

「いえ、そこまでは…」

 

「リエルの名誉のために言っておくが、彼女は多くの依頼を受け持っていた──【アポロン・ファミリア】の連中が現れる前まではな」

 

「【アポロン・ファミリア】…」

 

「確か【ファミリア】としての等級はDで、中規模の【ファミリア】でしたよね?」

 

「えぇ、神アポロンが見初めた者達が数多く所属していて、美男美女が多いと聞いているわ」

 

「あぁ、その通りだ。リエルに一目惚れしたアポロンは、毎日欠かすことなくうちに通いつめ、ムカつくことに彼女を引き抜こうとしたのさ」

 

「もちろん、リエルはまともに取り合わなかった。それでもしつこく言い寄るアポロンに『仕事の邪魔』とバッサリ切ったくらいだ」

 

「そ、それは凄いですね」

 

「だが、アポロンは驚くほど執念深かった」

 

「え?」

 

「奴は自分の眷族をぞろぞろと引き連れて店に訪れ、陰湿な嫌がらせをしてきたんだ」

 

「それは一体どのような…?」

 

「買うつもりがまったくないのに多勢で営業時間中ずっと店内に居座る。しかも店に入って来る冒険者を威嚇して店から追い出す嫌がらせ付きだ」

 

「それって営業妨害じゃあ…」

 

「あぁ、その通りだ。しかも連中は厄介なことに、自分達より実力が上の冒険者が来たときは絶対に何もせず、客の振りをする。まったく、本当に忌々しい連中だぜ」

 

 忌々しそうにそう吐き捨てる職人の言葉に、ティオネは同意を示す。

 

「確かに、それは厄介ね」

 

「むぅ、なにそれっ!?どうしてやり返さなかったの!」

 

「もちろん、俺達も黙っていなかったさ。だが連中を店から排除しようとしても『俺達は客だぞ』とふんぞり返って、店から立ち去ろうとしなかった」

 

「それならブッ飛ばせばいいじゃん!」

 

「ティオナさん、流石にそれは…」

 

「いや、俺らも我慢の限界が来て力づくで店から追い出すことにしたんだ。だが連中は『この店は客に暴力に振るう野蛮な武具屋だと言い触らすぞ』と逆に脅してきやがった」

 

「そんな!?」

 

「それは流石に酷すぎます!」

 

「それで、【アポロン・ファミリア】の迷惑行為をギルドに報告したの?」

 

「もちろん奴等の行為をギルドに報告したさ。だが【アポロン・ファミリア】への処罰は厳重注意のみ。それがギルドの決定だった…ッ!!」

 

「厳重注意って、具体的には…」

 

「書面で注意文書を送るだけで【アポロン・ファミリア】に対するペナルティーは一切なしだ」

 

「それじゃあ何もお咎めなしと変わらないじゃん!」

 

「その通りだ。クソッ、何が直接的に被害を受けているわけではないから厳重注意が妥当だよッ!」

 

「おそらく【アポロン・ファミリア】もそれがわかっていたから強気だったのでしょうね」

 

「ですがティオネさん、普通ならもっと大きい処罰が下るはずでは…」

 

「えぇ、そうね。私もそう思うわ」

 

「う~ん、つもりどういうことなの?」

 

「【アポロン・ファミリア】がギルドと裏で通じている可能性があるってことよ」

 

「ギルドと裏で通じているって、どういうこと!?」

 

「アポロン達はギルドの上層部に多額のお金を渡し、処罰を軽くするよう手を回していた可能性があるのよ」

 

「それって賄賂じゃないですか!?ギルドがそんなことをするなんて信じられません!」

 

「まだ【アポロン・ファミリア】がギルドと裏で通じていると決まったわけではないわ。何より、証拠がないもの」

 

(だけどもし【アポロン・ファミリア】が賄賂を送っているとしたら……)

 

 【アポロン・ファミリア】は直接的な暴力行動は格下の【ファミリア】が相手の場合を除いて起こさない。

 ただしつこく、粘着質に見初めた相手に付きまとうのみ。

 多少の問題行為も賄賂を受け取ったギルド職員が権力を使ってその情報を握りつぶしてしまい、彼等の問題行動を知っている者は被害者達と一部の限られた者だけとなる。

 

(まったく、私はこういう相手が一番嫌いなのよね)

 

 【アポロン・ファミリア】の薄汚さに、ティオネは心底嫌悪感を抱いた。

 

「しかも団員達に営業妨害をさせながら、アポロンだけはリエルを口説き落とそうと四六時中彼女にまとわりつく。そのせいでリエルは自分の仕事に集中できず、彼女に依頼を頼む人も減っていったんだ」

 

「それが三週間も続いたせいで、最後には誰もリエルに依頼しなくなったのさ。まったく、あのクソ神め!」

 

「それでリエルさん、今受けている依頼が一個もなかったんですね」

 

「あれ、でもおかしくない?毎日来ているのなら、今日も来ているはずだよね?」

 

「最初に言っただろう、つい三日前までいたってな。不思議なことに二日前から連中、姿を見せなくなったのさ」

 

「ようやく完全に脈なしだと理解したんだろう。まったく気付くのが遅すぎるぜ、バカ神め」

 

「それか、他の子に夢中になっているのかもな」

 

 一人の団員がそう呟くと、周りの者もそれはありえると頷く。

 行き過ぎた男神の寵愛が生んだ被害を聞いて、ベル達は心底【ゴブニュ・ファミリア】の団員達に同情した。

 

「何ていうかその、本当に災難でしたね」

 

「あぁ、二度と奴等の顔は見たくねぇな。お前達も【アポロン・ファミリア】には気を付けろよ…って、その心配はいらないか」

 

「そうね。確かに彼らは厄介だけれど、うちに手を出すほど馬鹿ではないでしょうし」

 

「確かにそうだな。まぁ何だ…色々あったがこれからもうちの店を利用してくれると助かる」

 

「もちろんだよっ!」

 

「いや、お前だけはあまり来ないでくれると助かるんだが…」

 

「むぅ、何であたしだけダメなのっ!?」

 

「毎回武器を壊されるからに決まっているだろう!!」

 

 ティオナと職人のやり取りに、全員が苦笑を浮かべる。

 天真爛漫なティオナのおかげで、重くなった空気が和らぐのであった。

 

 



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女神の寵愛

 

『三槌の鍛冶場』を後にしたベル達は、お昼には少し早い時間であったが、グゥ~とお腹を鳴らすティオナの強い訴えもあって、早めのお昼を取ることにした。

 その際アイズの強いジャガ丸くん推しに一同は若干狼狽えながらも、アイズお気に入りのお店がある北のメインストリートに赴くのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりでしょうか、お客様?」

 

「ジャガ丸くんの小豆クリーム味と抹茶味とそれからチョコレート味をそれぞれ十個ずつお願いね、店員さんっ!」

 

「それぞれ十個ずつですね、かしこまりました」

 

 以前ベルとアイズ、レフィーヤの三人で訪れたジャガ丸くんのお店に到着したベル達。

 早速お腹の減っていたティオナは、結構な数のジャガ丸くんを店員に注文した。

 

「テ、ティオナさん…その、少し多くないですか?」

 

「う~ん、そうかな~?別にこのくらい量は普通だよね、レフィーヤ?」

 

「そ、そうですね」

 

 同意を求められたレフィーヤは、気まずそうに目を反らした。

 

「馬鹿ティオナ、あんたの底なし胃袋と私達のそれを一緒にするな」

 

「むぅ!アイズやレフィーヤはともかく、ティオネはフィンの手前抑えているだけで、本当はあたしと同じくらい食べるじゃんっ!」

 

「それは少し前の話よ。団長は太っている女性よりスリムな女性の方が好みだと聞いてから、人並みの食事量に抑えているわ」

 

「あれ?でも前にフィン、よく食べる女の子の方が好きだって言っていたような…」

 

「はぁ!?それは本当なのティオナ!?」

 

「うん、確かにフィンはそう言っていたはずだよ」

 

「ど、どういうことなの…団長は太っているより痩せている女性の方が好みだと言っていたはずなのに…?」

 

「えっと、痩せていてもよく食べる女性は冒険者に多いですし、団長の発言は矛盾していないのでは…」

 

「え…」

 

「あ、思い出した!少し前にお酒に酔ったフィンがロキとの会話で『冒険者として相応しい体型を維持しながら、人一倍よく食べる子にとても好感を持てる』って話していたのを聞いたんだ!」

 

「っ!?そんな…私はなんて勘違いを……あぁぁ……」

 

「ティオネさん…」

 

「…ティオネ」

 

 ガクッと落ち込むティオネを、ベル達は心配そうに見守る。

 何て声を掛ければいいのか迷うベル達であったが、それは杞憂であった。

 

「───決めたわ。店員さん、小豆クリーム味を二十個追加で」

 

「「「えっ」」」

 

 今まで落ち込んでいたティオネはがばっと勢いよく顔を上げると、新たに注文を頼んだのだ。

 

「いきなり注文を追加してどうしたの、ティオネ?」

 

「気が付いたのよ。過ぎ去った時を後悔する時間があったら、団長に好かれる努力をした方が建設的だということにね」

 

「うんうん、やっぱりティオネに少食は似合わないよっ!よく食べるティオネの方が私も好きだもん!」

 

「あんたに好かれても別に嬉しくないわよ。…まぁ、団長の情報を教えてくれたことは感謝するわ」

 

「えへへ、どういたしまして!」

 

(あはは、ティオナさんとティオネさんって本当に仲がいいですね)

 

(…うん。たまに喧嘩することもあるけど、二人は凄く仲良しだよ)

 

 仲睦まじい様子のアマゾネス姉妹を見て、ベルとアイズは小声でそう言うのであった。

 そんなこんなで、ティオナ達が頼んだジャガ丸くんの総数は五十個。

 大量の注文を受けた店員は、自分だけでは人手が足りないと思い、今まで休憩していたもう一人の店員を呼び寄せたようであった。 

 休憩から復帰したツインテールの店員と協力して大量のジャガ丸くんに衣をつけて揚げ、出来上がったものを丁寧に包装していく。

 そして全てのジャガ丸くんを包装し終えると、ツインテールの店員が両手いっぱいに抱えたジャガ丸くんをティオナとティオネの二人に差し出すのであった。

 

「ありがとう、店員さんっ!みんな、好きなのを取って食べていいからね!」

 

「足りなくなったらまた注文すればいいのだし、私が頼んだのも遠慮なく食べていいわよ」

 

 店員に代金を渡し、ジャガ丸くんを受け取ったアマゾネスの姉妹。

 大量のジャガ丸くんを買ってご機嫌なティオナと使命感に満ち溢れた表情をするティオネの二人は、笑顔でジャガ丸くんをベル達に差し出した。

 

「ありがとうございます、ティオナさん、ティオネさん」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「…ありがとう」

 

 レフィーヤとベルは二つ、アイズは三つほどジャガ丸くんを手に取ったが、アマゾネス姉妹はもっと食べるように勧めて来た。

 

「あら、遠慮せずにもっと取っていいわよ?」

 

「うんうん、五十個もあるんだがらもっと食べて大丈夫だよ!」

 

(((どうしよう、こんなに食べきれない)))

 

 眼前にある大量のジャガ丸くんを見て、ベルとアイズ、レフィーヤは心の中で感想を一つにした。

 そんなベル達のやり取りを楽しそうに眺めていた店員は「んん?」と何か気が付いたようにベルやアイズ、レフィーヤの顔をじっと見つめてきた。

 

「あっ!君達は以前ここに来た子じゃないか!久しぶりだね」

 

「お久しぶりです、ヘスティア様。その…この前は色々とお騒がせしてしまいすいませんでした」

 

「おいおい、ボクと君の仲なんだからこのくらい全然構わないぜ。それよりまた君達に会えて本当に嬉しいよ」

 

「ヘスティア様…!」

 

(むっ…)

 

 優しい笑みを浮かべながら告げられたヘスティアの言葉に、ベルは照れくさそうに頬を染める。

 そんなベルの様子を見て、アイズは少しムッとしていたが、幸か不幸かそのことに気付いた者は誰もいなかった。

 

「え、この店員って神様なの!?」

 

「こら、ティオナ!連れが無礼な発言をしてしまいすみません、神ヘスティア」

 

 一方、ヘスティアと初対面であるティオナはまさか店員が神様だとは思わず、驚きの声を上げた。

 妹の失礼な態度をティオネはすぐに詫びたが、ヘスティアは特段気にしていないようであった。

 

「あはは、ボクは全然気にしてないから頭を上げてくれよ、アマゾネス君。それより、君達もベル君とは同じ【ファミリア】なのかい?」

 

「はい、ここにいる私達は全員【ロキ・ファミリア】に所属しております」

 

「そうかそうか…って、それは本当なのかいっ!?」

 

「え、えぇ、本当のことですけれど…それがどうかしたのでしょうか?」

 

「ぐぬぬ、まさか君達がロキの眷族だったとは…!!」

 

「へ、ヘスティア様?」

 

 ベル達の所属が【ロキ・ファミリア】と聞いた瞬間、どうしてかヘスティアは憎々し気な表情を浮かべ始めた。

 ヘスティアのあまりの変わり様に、ベル達は戸惑いを隠せずにいた。

 

(一体どうしたのでしょうか、ヘスティア様は?)

 

(ロキの名前を聞いた途端、態度が豹変したね~)

 

(神ヘスティアはロキと何かしらの因縁があるのかしら?)

 

「うぅぅ、まさかこんないい子達がロキの眷族なんて信じられない……これは何かの間違いに決まっているっ!そうだろう、ベル君!?」

 

「お、落ち着いてくださいヘスティア様!?僕の主神はロキ様で間違いないです!」

 

「そ、そんな…!?」

 

 告げられたベルの言葉を聞いて、ヘスティアはかなりショックを受けているようであった。

 ベル達は知らないことであったが、ヘスティアがここまでショックを受ける理由は、ベル達が彼女と犬猿の仲であるロキの眷族であったからである。

 ヘスティアとロキは相性が悪く、最悪と言ってもいい。二柱の神はまさに水と油のような関係なのだ。

 両者の関係が険悪なのは、一方的にロキがヘスティアを親の仇とばかりに敵視しているからである。

 ロキがヘスティアを敵視する理由を簡潔に述べるとすれば、ロキが貧乳でヘスティアが巨乳だから───その言葉に尽きる。

 

(貧乏神、貧乏神と会う度ボクを馬鹿にしてくるあのロキの眷族が、こんないい子達だなんて…!?いや、ロキに騙されている可能性はある!)

 

「突然だけど、君達に質問していいかい?」

 

「はい、大丈夫ですけど…」

 

「君達は、自分の主神はのことをどう思っているんだい?」

 

「ロキ様ですか?もちろん、とても素晴らしい神様だと思っています」

 

「素晴らしい神、ね…。他のみんなもそう思っているのかい?」

 

「う~ん、ロキはベルが思っているほど素晴らしい神じゃないよ?」

 

「えっ」

 

「そうね、お世辞にも神格者と呼べるほどロキは善神じゃないわよ?」

 

「えぇっ!?」

 

「その、ロキ様は時々おかしな言動をなさるので…。で、でも、おかしな言動に目をつぶれば素晴らしい神ですよ!」

 

「いやいやエルフ君、おかしな言動がある時点で素晴らしい神だとは言えないだろう?」

 

「うっ、それは…」

 

 ヘスティアに痛い所を指摘されたレフィーヤは、言葉に詰まってしまう。

 日頃、ロキのおかしな言動──簡単に言えばセクハラの被害に合っているレフィーヤにはどうしても主神を神格者と言うことはできなかった。

 そんなレフィーヤの横で、うんうんと唸っていたベルはロキとのある出来事を思い出した。

 

「おかしな言動……あっ、僕も前に言われたことありますよ!入団したばかりの頃、ロキ様は僕の緊張を解きほぐすために時々面白い冗談を言ってくれたんです」

 

「…どういう冗談?」

 

「『ベルなら絶対似合う』と言われて可愛い女性服を渡されました」

 

「「「!?」」」

 

 衝撃的なベルの言葉に、一同は驚愕する。

 

「はぁ…何やってんのよ、ロキは…」

 

「んん?何でベルは男なのに女性服なの~?」

 

「僕も初めは驚いちゃいましたけど、ロキ様のなりの冗談だと思います。そうでなくちゃ、男の僕に女性服を渡しませんから」

  

 そう告げるベルは恥ずかしそうに笑っていたが、アイズ達は全然笑えずにいた。

 

(う~ん、それは絶対に冗談じゃないような…)

 

(えぇ、ロキのことだから絶対に冗談じゃないわね)

 

(ぐぬぬ、ロキのヤツ、純粋無垢なベル君に何て真似を…ッ!)

 

「…他に何か、ロキから変なことを言われたことはある?」

 

「他にですか?そういえば一週間前くらいに『女性服が嫌ならこっちでもええで』と言われて獣耳頭具(ケモミミ・カチューシャ)も渡されたりもしました」

 

「「「!!?」」」

 

 再びベルの発言を聞いて、驚愕する一同。

 ロキの株が音を立てて暴落していった瞬間であった。

 

「本当に何考えているのよ、ロキは!?」

 

獣耳頭具(ケモミミ・カチューシャ)~?何それ、ベル?」

 

「僕もロキ様に見せられるまで知らなかったんですけど、獣人じゃない人でも簡単に獣人になれる便利道具のようです」

 

「へぇ~、そうなんだ。でも、どうしてロキはベルにそれを渡したの~?」

 

「よく分かりませんが、ケモミミを生やした僕のことを見てみたかったみたいです」

 

「そ、そうなんだ…」

 

「あはは、ロキ様もあんな冗談を言うんですね」

 

(((それ、絶対に冗談じゃない)))

 

 本当のロキを知るアイズ達は、全員心の中でそうツッコミを入れるのであった。

 純粋無垢なベルはロキの言葉が冗談であることを微塵も疑っていない。

 ロキの言葉からは下心が見え見えなのだが、彼女を素晴らしい神だと思っているベルがそのことに気付くはずがなかった。

 

「…ベル、今度同じようなことロキに言われたらすぐに私を呼んで」

 

「ア、アイズさん…?」

 

「…わかった?」

 

「は、はい、わかりました」

 

 アイズの有無の言わない迫力に、ベルは素直に首を縦に振った。

 大切な弟分であるベルが下心満載の主神の餌食になることを、アイズが許すはずなかった。

 余談であるが、アイズの怒りの波動が『黄昏の館』まで届いたのか、自室でくつろいでいたロキは唐突に悪寒を感じて、大量の冷や汗をかいていたようだ。

 そして、アイズと同じくらい怒っている者がもう一人いた。

 

「純粋無垢なベル君に何を吹き込んでいるんだ、あの無乳(ロキ)は!?」

 

「へ、ヘスティア様!?一体どうしたんですか…?」

 

「どうもこうもあるか!君はロキに騙されているんだよ!」

 

「えっ、でもあれはロキ様なりの冗談のはずじゃあ…」

 

「いいかい、ベル君?ロキは天界でもぶっちぎりに性格が悪い女神なんだぜ」

 

「ロ、ロキ様がですか?そんなはずは…」

 

「ふんっ!いいかい、ベル君?アイツはボクと顔を合わせるたびに馬鹿にしてくる。ボクが貧乏っていう理由だけでだ!ロキは器も胸も小さい神なんだよ」

 

「そ、そんなぁ…」

 

「そんな色々と小っちゃいロキなんかより、ボクの【ファミリア】に入った方がベル君も幸せだぜ?」

 

「えっ、ヘスティア様の【ファミリア】にですか?」

 

「優しい君のような子に相応しいのは、慈愛と包容力に富んだ主神だ。ボクは君を大切にするよ?だからボクの【ファミリア】に移籍しようぜ、ベル君!」

 

「………すみません、ヘスティア様。前にもお伝えしたようにやっぱり僕は──」

 

「ふっふーんっ、そんなことを言っていいのかなベル君?」

 

「え?」

 

「いいかい、ベル君。もし君がボクの【ファミリア】に入団してくれるのなら、団長に任命するぜ?」

 

「ぼ、僕が団長ですか!?」

 

 ベルにとって団長と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、フィンの顔であった。

 

(僕が、フィンさんと同じ団長になれる…)

 

 誰しも一度は夢見る団長という立場。

 かくいうベルも、ひょっとしたら自分もどこかの【ファミリア】の団長になれるのではないかと考えていた時期もあった。

 しかし現実がそう上手くいくはずがなく、田舎者のベルでは団長になるどころか【ファミリア】に所属することも容易ではなかったのだが。

 

(よし、ベル君の心を掴んだぞ!)

 

 ベルの心が揺れていることに悟ったヘスティアは、たたみかけに入る。

 

「そうさ、今すぐロキとの契約を破棄してボクの所に来てくれるのなら、必ず君を団長にすることを約束するぜ!」

 

(僕が団長になるってことは、フィンさんと同じ立場になれる…)

 

 フィンを心から尊敬しているベルにとって、すぐにヘスティアの勧誘を拒否することができなかった。

 ヘスティアの怒涛の勧誘に思わず意志が揺らぐベルであったが、それも少しの時間だけであった。

 アイズとレフィーヤの責めるような視線に気が付いた瞬間、ベルの揺らぎかけた心が一瞬で元に戻った。

 

(ぼ、僕の馬鹿ああぁぁ!?迷うってこと自体、ロキ様やみんなに失礼じゃないかッ!!)

 

「…ベル、迷ってた」

 

「うっ、そ、それは…」

 

「まさかとは思いますけれど、団長になれるという甘い誘惑に目がくらんだわけではありませんよね?」

 

「も、もちろんです!」

 

 レフィーヤの言葉に、ブンブンと顔を縦に振るベル。

 しかしレフィーヤの言葉を聞いた瞬間、ベルの目がわずかに泳いだのを動体視力抜群のアイズが見逃すはずなかった。

 

「…今、一瞬目が泳いだ」

 

「うぇ!?」

 

「…私は、ベルに嘘をついてほしくない」

 

 寂しそうな顔をしてそう呟くアイズを前にして、ベルが嘘を吐き続けられるわけがなかった。

 

「───すみません、本当は心が揺らいでしまいました!!」

 

 正直そう告白して深々と頭を下げるベル。

 嘘を吐かれたことは悲しかったが、素直にそれを認めて謝ったのでアイズはベルを許すことにした。

 何よりアイズは、ベルが本気で移籍するとは欠片も思っていなかったので、それほど怒っていなかったからである。

 しかし、もう一人の妖精は違う。レフィーヤの怒りは深かった。

 

「いい加減にしてください、ベル!貴方は【ロキ・ファミリア】の一員なんですよ!?そのことをもっと自覚してくださいッ!」

 

「ほ、本当にすみませんでした!!」

 

「大体貴方は──!」

 

「もう、レフィーヤったら怒り過ぎだよ~」

 

 怒りのままベルに説教を始めようとするレフィーヤ。

 そんなレフィーヤを止めるため、ティオナが「まぁまぁ~」と彼女を落ち着かせようとするのであった。

 

「ですが、ティオナさん!」

 

「落ち着きなさい、レフィーヤ。それとすみませんが神ヘスティア、ベルは私達にとって大切な仲間ですので、勧誘は諦めてもらえませんか?」

 

「………」

 

 一連のやり取りを見て、ベルが仲間から凄く大切にされているのだとヘスティアは確信した。

 もしベルを引き抜いたら、彼女達は悲しむだろう。子ども達を心から愛するヘスティアにとって、そんなことできるはずなかった。

 だが、それでもヘスティアはベルのためにも、絶対に問わなければいけないことがあった。

 

「……それなら最後に一つだけ聞かせてくれ。君はロキの【ファミリア】に入って良かったと思っているかい?」

 

 真剣な表情をしたヘスティアそう質問されたベルは、迷うこともなく即座に答えた。

 

「はい、心からそう思っています」

 

(一欠片も嘘の気配がしない。今の言葉は、紛れもなくベル君の本心だ)

 

「………」

 

「えっと、ヘスティア樣…?」

 

(本当は認めたくないっ!…認めたくないけど、ベル君はロキの眷族になって良かったと心から思っている)

 

「わかった。ベル君の想いが変わらない限り、絶対に君を勧誘しないことをボクの名に誓って約束するよ」

 

 ヘスティアの言葉を聞いて、アイズ達は安堵の表情を浮かべる。

 

「ありがとうございます、神ヘスティア」

 

「ただし、ロキの【ファミリア】に愛想をつかしたときは、いつでもボクの所に来ていいからね!」

 

「はい、わかりました……あっ」

 

「…ベル?」

 

「何がわかったのか詳しく聞かせてください。まさかと思いますが…」

 

「ご、ごめんなさい!?」

 

「あはは、ベルってばまた謝ってる~」

 

「はぁ、女神に気に入られ過ぎるというのも困ったものね」

 

「でもさ、ベルを気に入ってくれたのがヘスティアみたいないい女神でよかったよね~」

 

「確かにそうね。もしもベルを引き抜こうとしたのがさっき話しに出た男神(アポロン)だったら色々と面倒なことになっていたわ」

 

「確かにあれは酷いよねっ!よし、【ゴブニュ・ファミリア】の代わりにあたしがブッタ斬ってやる!」

 

「なに馬鹿なこと言っているのよ。気持ちは分かるけど、面倒なことになるから止めておきなさい」

 

「はぁ~い。ところでさティオネ、最近のアイズ、前より感情が顔に出るようになったと思わない?」

 

「言われてみれば確かにそうね。でも、どうしてかしら?」

 

「アイズが表情豊かになったのはきっとベルのおかげだよ!だってベルと話しているときのアイズ、よく楽しそうに笑っているもん!」

 

「まぁ、たまに落ち込んだりもしているんだけどね~」と言いながら姉に笑いかけるティオナ。

 

「確かにアイズが感情豊かになってきたのは、ベルのおかげかもね」

 

 今もムッとした表情でベルの弁解を聞くアイズを見て、ティオネはそう心から感じた。

 しかし、どうしてもティオネには一つだけ引っかかることがあった。

 

(あのアイズがあそこまで不機嫌な感情を表に出すなんて…まさかアイズ、ベルのこと───)

 

「黙り込んでどうしたの、ティオネ~?」

 

「何でもないわ。それより、あまり長居するとお店に迷惑だしそろそろ移動しましょう」

 

(流石に私の考え過ぎよね)

 

 ティオネは思い付いた一つの可能性を頭の隅に置き、ティオナと共に三人の仲裁に入るのであった。

 

 

 

 



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友という存在

久しぶりのベル君視点。


 

 

 昼食を取り終えたベルは、武器や防具以外に必要となる道具をアイズやティオネ達の助言を聞きながら買い揃えていった。

 そして一通りの用事を済ませた後、西のメインストリートに個人的な用事があったベルは、アイズ達と別行動を取るのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 アイズさん達と別れた僕は、数日ぶりに『豊穣の女主人』に訪れていた。

 昼食を取るには遅く、夕食を取るには早すぎる時間帯のため、店内にいるお客は少ない。従業員の手が比較的空いている時間帯と呼べるだろう。

 僕がこの時間にお店に訪れたのは、シルさんやリューさんに話したいことがあったからである。

 夜になると冒険者が大量に訪れたるため店内が忙しくなり、二人を引き留めて会話するのは難しくなると思ったからだ。

 

「いらっしゃいませ…って、ベルさん?」

 

「あ、シルさん!その、お久しぶりです」

 

「ふふっ、お久しぶりです。でもベルさんがこの時間に訪れるのは珍しいですね」

 

「あはは、実は色々ありまして…。今日はダンジョンに潜らずに、武器の整備に訪れたり、必要となる道具や消耗品を買ったりしていました」

 

「まぁ、そうだったのですか。でも、本当によかったです。私はてっきり、ベルさんがダンジョンで何か危険な目に遭われたのではないかと思って心配しちゃいました」

 

「うっ…」

 

 す、鋭い…。

 つい最近、格上の相手であるミノタウロスと死闘を繰り広げた僕は、思わず変な声を出してしまった。

 

「…何か私に隠していませんか、ベルさん?」

 

「いえ、その……実は、シルさんとリューさんに伝えたいことがあるんですけど、今大丈夫ですか?」

 

 元々隠すつもりはなかったので、僕は早速本題に入った。

 

「この時間帯はお客さんも少ないですし、私とリューが抜けても大丈夫だと思いますよ。ふふ、ベルさんがどんな話をしてくれるのか今から楽しみです」

 

 その後、四人掛けのテーブルに僕のことを案内したシルさんは、リューさんを呼ぶために厨房へと入って消えて行くのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「───クラネルさん、もうLv.2にランクアップしたのですか?」

 

「はい、今朝【ステイタス】を更新したときに、Lv.2に上がっていると神様に言われました」

 

 テーブルを挟んで僕の対面に座ったシルさんとリューさんに、最初に僕はランクアップしたことを伝えた。

 うぅ、自分の口からLv.2になったことを伝えるのってやっぱり照れくさいな。自慢しているみたいで、正直身体がむず痒い…。

 

「わぁ、すごい!ベルさんったらもう一人前の冒険者様になってしまったんですね!」

 

「そ、そんなっ!僕はまだまだですよ」

 

「謙遜なさらないでください、クラネルさん。これほど短期間にランクアップすること自体、物凄い偉業だ」

 

「い、いえっ!これもシルさんやリューさんが相談に乗ってくれたおかげです」

 

「私は何もしていませんよ、全てベルさんの努力の賜物です!」

 

「ええと、そんなことは…」

 

 シルさんとリューさんは僕のことを手放しに褒めてくれる。

 だけど称賛されることに慣れていない僕は、情けない表情を浮かべて口籠るしかなかった。

 

「シルの言う通りです、クラネルさん。私はただ自分の経験談を語っただけ…これほど早く器を昇華できたのは、紛れなくクラネルさんの実力だ」

 

「そ、そんなことありません!僕だけの力ではLv.2になれませんでした。それに、ミノタウロスに勝てたのだって…」

 

「待ってください、クラネルさん。今、ミノタウロスと言いましたか?」

 

「は、はい。その、実は───」

 

 僕はランクアップをするきっかけになった冒険の内容──三階層で遭遇した黒いミノタウロスとの顛末についてリューさんとシルさんに話をした。

 

「ミノタウロスが三階層に進出したとは…それもクラネルさんの話ではその敵は『強化種』だったのですよね?」

 

「はい、フィンさん──えっと、ファミリアの団長からそう説明されました」

 

「詳しいことはわかりませんけど、『強化種』って普通より強いモンスターのことですよね?よ、よくそんな相手に勝てましたね、ベルさん」

 

「あはは…正直、あのときは無我夢中で戦っていましたから。実際、僕は終始押されっぱなしでしたし…今でもあのミノタウロスに勝てたのが信じられないくらいですよ」

 

「…確かにLv.1の冒険者がミノタウロス──それも『強化種』を一人で打倒したなんて話、にわかには信じられないことです」

 

「あはは、やっぱりそうですよね」

 

「ですが、それはあくまで一般論の話です。私はクラネルさんの話を信じていますよ」

 

「えっ…」

 

「クラネルさんが物凄い速度で成長していっているのは、私も気付いていました。ですのでそう遠くない内に、Lv.2に昇華すると確信していました」

 

「そ、そんな…僕がランクアップできたのは、ただ運がよかったからで…」

 

「クラネルさん、貴方は自分を過小評価し過ぎです。前にも言いましたが、自分を貶めるような発言は控えてください」

 

「す、すみません…」

 

「クラネルさんの謙虚さは美徳ですが、あまり行き過ぎると人によっては不快に感じることもあります。以前からも言っていますが、出来るだけ気を付けた方がいい」

 

「リューの言う通りですよ、ベルさん。誰にでも自慢しろとは言うつもりはありませが、せめて私達には今回の偉業を素直に誇ってほしいです」

 

「リューさん、シルさん……そう、ですよね」

 

 そうだ、あの戦いの中で弱い自分に…何もできなかった過去の自分に打ち克ったばかりじゃないか。

 それなのに、こうして二人を気遣わせてしまう何て情けないにも程がある。

 

「僕は自分に自信を持つことが…自分の力を信じることができずにいました。でも、今は違います」

 

 昔の僕は弱かった。襲いかかる理不尽から目を背け、ただ泣くことしかできなかった。

 そんな自分が心底嫌で、だから自分と正反対の存在である『英雄』に憧れた。

 でも、今は違う。何もできなかった過去の自分はもういない。

 あの黒き猛牛との死闘で、僕は過去の弱い自分と完全に決別したのだ。

 

「僕はようやく、自分に自信を持つことができました。大切な家族(ファミリア)や友人の存在が、自分自身を信じる勇気を僕に与えてくれたんです」

 

「クラネルさん…」

 

「今まで自分に自信を持てていなかったので、すぐには素直に誇れないかもしません。でも、これからは胸を張って前に歩いて行くつもりです」

 

「…ふふっ、やっぱりベルさんは凄いです。まさかこんなにも早く証明してしまうなんて」

 

「えっ、証明ですか?」

 

「初めて出会ったとき、ベルさんが私に話してくれたことですよ」

 

「シルさんと初めて出会ったとき……あっ」

 

 シルさんのその言葉を聞いて、僕はあのときのことを思い出した。

 

 シルさんと出会う前の日の夜に【ファミリア】のみんなに隠れて夜中に一人でダンジョンに潜った僕は、魔法を連発したことでマインドダウンを起こしてしまい、意識を失ってしまった。

 いくらあのとき初めての魔法で心が躍っていたとはいえ、本当に僕は愚かなことをしてしまった。

 ダンジョンで意識を失うなんて普通ならあり得ないミスだ。

 もしベートさんが助けてくれなかったら、僕は間違いなくゴブリンに殺されていた。

 初めてシルさんと会ったときの僕は、そのときのことを思い出して酷く落ち込んでいたんだった。

 

「あのときのベルさんは私にこう言いました。『自分の力だけでダンジョンに挑み、そして勝利したい。もう、あのときの自分ではないということを証明したい』と…」

 

 そうだ、僕は確かにシルさんにそう言った。

 

「ベルさんは一人で強大な敵に挑み、そして勝利しました。もう以前のベルさんではないことを証明したんですね」

 

 ───あぁ、そうだったんだ。

 

 僕はあの黒きミノタウロスを倒したことで証明することができたんだ。

 

 もう僕は前に進んでいたんだ。

 

「うふふ、先程よりもいい表情をしていますね、ベルさん」

 

「そ、そうですか…?」

 

「はい、とても凛々しいです。もう完全に上級冒険者の顔つきですね」

 

「そ、そんな、僕は…」

 

 否定の言葉を発しようとしたとき、僕の顔をじっと見つめるリューさんの視線に気が付いた。

 リューさんの『謙遜しないでください』という意味を込めた眼差しに気付いた僕は、咄嗟に否定の言葉を飲み込んだ。

 そうだ、ついさっきあまり卑屈にならないでくださいって、言われたばかりじゃないか。

 リューさんの言葉を思い出した僕は、ぎこちなくシルさんに笑い返した。

 

「ふふっ、素直に上級冒険者になったことを認めてくれて嬉しいです」

 

「ぅぅ…」

 

 確かにLv.2にランクアップして上級冒険者──より詳しく言うなら第三級冒険者への仲間入りを果たした僕だけれど、正直なところ現実味が薄い。どう反応していいか分からないのだ。

 だからこうして面と向かって言われると、非常に照れくさいのである。

 

「クラネルさん、顔が赤くなっていますがどこか具合が悪いのですか?」

 

「い、いえ!大丈夫ですっ」

 

「そうですか、それならいいのですが…」

 

「そういえば先程ベルさんの言葉の中に出てきた大切な友人って、誰なんですか?」

 

「それはもちろん、シルさんやリューさんのお二人で……あっ」

 

 し、しまった!?シルさんの問いに、つい正直に答えてしまった。

 

「「………」」

 

 恐る恐るシルさんとリューさんの顔を見てみると、二人はぽかんと驚いた表情を浮かべていた。

 まだ会って二週間も経っていない相手から大切な友人だと思われているなんて、流石にひかれたはずだ。すぐに謝らないと…!

 

「す、すみませんっ!今のは、その…!」

 

「えっと、落ち着いてください、ベルさん」

 

「すみません、すみません!いきなり大切な友人だなんて図々しいことを言って……痛っ」

 

 何度も頭を下げて謝る僕の頭に、軽く衝撃が走った。

 顔を上げると、困った顔をして笑うシルさんと胸の前で拳を握っているリューさんが目に入った。

 今の頭への衝撃って、まさかリューさんの拳骨…?そ、そんなはずないよね。

 リューさんの瞳が怖いような気がするけど、き、気のせいだよね。

 

「クラネルさん、少し落ち着きましょう」

 

「は、はい。でも本当に図々しいことを…」

 

「そんなことはないですよ、ベルさん」

 

「でも、シルさん…」

 

「ベルさんの口から大切な友人だと言ってもらえて私、凄く嬉しかったです」

 

「ほ、本当ですか…?」

 

「もちろんですよ。けど控え目なベルさんが私達のことを大切な友人だと言ったときは流石に驚いちゃいました。ふふ、リューもそうよね?」

 

 そう言ってシルさんは隣に座るリューさんに笑いかけた。

 

「私は……いえ、そうですね。クラネルさんに大切な友人だと言われ、柄にもなく驚いてしまいました。もしこれを狙ってやったのなら、クラネルさんは人が悪いです」

 

「い、いえっ!つい思ったことを口にしてしまっただけで…」

 

「もちろん、クラネルさんがそのような方ではないのはわかっていますよ。今のはその…私なりの冗談です」

 

「あはは…リューさんの冗談なんて初めて聞きました」

 

「そうですね。私自身、あまり冗談の類いは好まないので滅多に口にしませんので」

 

「えっ、それならどうして…?」

 

 僕の問い掛けに、リューさんは唇を曲げて目を伏せがちにする。

 そして数瞬の空白の後、リューさんはゆっくりと口を開いた。

 

「……友の言葉を思い出したからでしょうか」

 

「リューさんの友達の言葉、ですか?」

 

「はい。このオラリオで初めて出来た友人に、私はもっと冗談を言った方がいいと言われたときのことを…」

 

 ──リオンの話し方は堅苦し過ぎるわね。そうだ、あたしとの会話だけでもいいから冗談を挟みなさいよ!

 

「…それから自分なりに努力しているつもりですが、あまり結果は芳しくないらしく、何度もその友人に呆れられました」

 

 そのときのことを思い出しているのか、リューさんは小振りな唇を綻ばしていた。

 オラリオに訪れたリューさんに初めてできた友達か。正直、凄く気になる。

 話を聞く限り、リューさんとは正反対な性格みたいだけど…。

 

「あの、リューさん…」

 

 僕はその友達についてもっと尋ねようと思ったけど、寸前で思い止まった。なぜならリューさんの表情が次第に曇ってきたからだ。

 先程の楽しそうな表情とは打って代わり、寂しそうな…悲しそうな表情をするリューさん。

 

「どうかしましたか、クラネルさん?」

 

「いえ、その…何でもないです」

 

「…?そうですか」

 

 リューさんのそんな表情を見てしまったら、聞けるわけなかった。

 それに僕の無遠慮な質問が、リューさんを傷付けてしまう気がしたのだ。

 そんなことを内心で考えていると、シルさんから温かい視線を感じた。

 そんな彼女と目が合うと、シルさんはまるで僕の内心を見透かしたように優しく微笑むのであった。

 

「ふふっ、ベルさんのような人が私とリューの友達で本当によかったです。ねぇ、リュー?」

 

「そうですね。クラネルさんのように心が真っ直ぐな人を友に持てて、心からよかったと思っています」

 

 そう言ってリューさんは笑った。いつも冷静然としたリューさんが浮かべた淡い笑みに、思わず僕は顔を赤くしてしまった。

 

「え、その、えっと…」

 

「クラネルさん?」

 

「うふふ、照れるベルさんも可愛いですね」

 

「…?どうしてクラネルさんは照れているのですか、シル?」

 

「それはリューの言葉のせいだよ」

 

「…?私はただ、素直な感想を口にしただけですが…」

 

「もう、リューは本当に天然なんだから」

 

「天然…?」

 

 シルさんの言葉を聞いて、リューさんは不思議そうに首を傾げた。

 この様子を見る限り、リューさんは天然だ。それもかなりのレベルの。僕は顔を真っ赤にしながら、心の中で戦慄していた。

 

「また顔が赤くなってますよ、クラネルさん。やはりどこか具合が悪いのでは…」

 

「え、いやそのっ、全然大丈夫です!」

 

「それならいいのですが……万が一のことがありますので、今日はしっかり休んだ方がいいですよ?」

 

「わ、わかりました。今日はいつもより早く寝ることにします」

 

 顔を赤くしている僕を見て、どこか具合が悪いのではないかと心配してくれるリューさん。

 実際僕が照れているだけだとわかっているシルさんは、面白そうに僕達の様子を眺めているだけであった。

 

「ふふっ、ねぇリュー。無意識で今の振舞いを続けていくと、そのうち女の子に愛の告白されちゃうかもよ?」

 

「いきなりどうしたのですかシル。後、その冗談はあまり面白くありません」

 

「あ、ひどい。そんなことないですよね、ベルさん?」

 

「えっと…」

 

「クラネルさん、気遣いは無用です。ここはシルのためにも、正直に答えるべきだ」 

 

 にこにこと笑うシルさんと、じっと僕の瞳を見つめるリューさん。

 両方から圧力をかけられた僕は、ただ困った顔をして笑うしかなかった。

 

 その後、ランクアップしたことが他の従業員にも伝わり『豊穣の女主人』は一時お祭り騒ぎになった。

 アーニャさんやルノアさん達にも祝われたり、初めてお酒に挑戦してみたりした。

 ただ、あまりにアーニャさんが騒ぎ過ぎてミア母さんの雷が落ちたときは正直肝が冷えたけど。

 こうして僕は、お店が混んで来るまで『豊穣の女主人』で楽しい一時を過ごしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、その後ホームに帰ったらお酒を飲んだことが一発でアイズさん達にバレた。

 自分では気が付かなかったが、お酒の影響で顔が赤く染まり、身体がふらついていたみたいだ。

 

 うぅ、あのくらいの量で酔ってしまう何て…。どうやら僕はお酒に弱い体質らしい。

 

 そんな落ち込み僕を見て、フィンさんは誰しも初めはそうなるよと優しく笑いかけてくれた。

 ガレスさんは、克服するためにはお酒を飲み続けるのが一番だと豪快に笑い、早速一緒に飲もうと誘ってくれた。

 まぁそのすぐ後に、リヴェリアさんからそれはドワーフの勝手な持論だとばっさり切られていたけれど。

 結局、子どもである僕にお酒はまだ早いということになり、十五になるまではお酒を飲むことを控えることになった。

 

 やはり僕にはまだ、お酒は早かったみたいだ。成長すればお酒に強くなれるのだろうか…?

 そんなことを最後に思いながら、全身に酔いが回った僕はいつの間にか深い眠りに落ちるのであった。

 

 



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動き出す悪意

 

 

「う、嘘だろう…?」

 

 ベルが『豊饒の女主人』を訪れていた頃、ギルドは異様な熱気に包まれていた。その原因は、今しがたギルド本部巨大掲示板に貼り出された、とある羊皮紙(しらせ)にある。

 午前中にギルドに訪れた【ロキ・ファミリア】団長は、規則に従い【ランクアップ】した構成員の名とLv.を報告した。

 その報告の中には、担当した受付嬢が大声で叫んでしまうほどの規格外なものが含まれていた。

 そして今、多くの冒険者がその報せを一目見ようと掲示板に殺到しているのであった。

 

「ランクアップ所用期間が一週間ッ!?そんなことがありえんのかよ!?」

 

「さ、流石に何かの間違いだろう」

 

「でもよ、あの【ロキ・ファミリア】だぜ?」

 

 その内容──とある冒険者の公式昇格の報せを冒険者達は唖然と見上げていた。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの約一年というLv.2到達記録──その記録を同じ【ロキ・ファミリア】の冒険者が大幅に塗り替えるという偉業。

 ギルド内は現在、Lv.2到達記録を大幅に塗り替えた少年の話で熱狂状態にあった。

 

「………」

 

 ガヤガヤと騒がしいギルド、その中に一人だけ異質な青年がいた。

 興奮気味で騒ぐ周りの冒険者達とは対照的に、その青年は冷めた瞳で貼り出された報せを見つめている。

 

「──ベル・クラネル…ッ!」

 

 Lv.2到達記録を大幅に塗り替えた少年の名を忌々しそうに呟いた青年は、何事もなかったかのように踵を返す。

 

「あの女神め…よくも余計なことをアポロン様に吹き込んでくれたな。あの方の寵愛を授かるのは、私だけで十分だと言うのに…!」

 

 言葉の端々に嫉妬を滲ませた青年の呟きは、周囲の喧騒によってかき消されるのであった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 太陽は完全に沈み、オラリオは暗闇に包まれる。

 真夜中の【ガネーシャ・ファミリア】のホームに、二人の来客が訪れていた。

 応接間に案内されたその神と眷族。主神によって人払いが為されたその部屋にいるのは四人──いや、二柱と二人という表現が正しいだろう。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の主神であるガネーシャと団長のシャクティ。

 【アポロン・ファミリア】の主神であるアポロンと団長のヒュアキントス。

 ガネーシャとシャクティ、そしてアポロンとヒュアキントスの両者はテーブルを挟んで席に腰を落とす。

 挨拶もそこそこに、アポロンは突然訪問した理由をガネーシャに話し出した。

 

「実はな、ガネーシャ。今年の怪物祭(モンスターフィリア)をより盛り上げるために、自分達も協力させてほしいのだ」

 

「なに?」

 

 一週間後に行われる【ガネーシャ・ファミリア】主催の怪物祭(モンスターフィリア)。それをより盛り上げるために協力させてくれないかと切り出したアポロン。

 そして彼は、具体的にどのようにして怪物祭(モンスターフィリア)を盛り上げるつもりなのかを嬉々として語り出す。

 

「──ということだ、ガネーシャ。どうだ、中々盛り上がるイベントだろう?」

 

「…話はわかった。だが、お前の提案は怪物祭(モンスターフィリア)の趣旨にかけ離れている」

 

 アポロンの提案を聞いたガネーシャの表情は仮面に隠れて見えないが、あまりいい顔をしていないのは重苦しい口調からも明らかであった。

 

「それならそのイベントを怪物祭(モンスターフィリア)の後夜祭とすればいい。今話題の【ロキ・ファミリア】のルーキーが出るとなれば、多くの観客が集まるはずだ」

 

 つい数時間前にギルドで発表されたとある冒険者の偉業は、オラリオ全体に広まっていた。

 ガネーシャも少し前に、Lv.2到達記録を大幅に塗り替えたという【ロキ・ファミリア】の冒険者について眷族から聞かされていたので知っている。

 そのロキの眷族を実際に見てみたい人も多いことだろう。

 しかしガネーシャには、アポロンの提案で腑に落ちない点が存在した。

 

「確かに多くの観客が集まるのは間違いないだろう。だが、どうして決闘形式にする必要があるんだ?」

 

 そう、そこが疑問だった。

 アポロンは怪物祭(モンスターフィリア)を盛り上げるために、ロキの眷族と自分の眷族を観衆の前で戦わせようとしているのだ。それも一対一という決闘方式で。

 

「何を言うかガネーシャ。古来より一対一の決闘ほど燃えるものはない。怪物祭(モンスターフィリア)の趣旨とは少々かけ離れているかもしれない。だが多くの同族、そして愛する子ども達が熱中することだろう」

 

「俺が気になっているのはそこではない。ロキの眷族と一騎討ちで戦う相手がお前の眷族だというところだ」

 

「うむ、あのような大記録を樹立したとなれば腕が立つのは間違いないだろう。そのような強者の相手が務まるのは私の眷族しかいないと思っただけだ」 

 

 そう口にするアポロンだが、その様子はどこか胡散臭かった。

 

「件のロキの眷族がどれだけ才能に恵まれた子でも今はまだLv.2だ。それなら、俺の団員に相手をさせても問題ないと思うが…」

 

「その心遣いは嬉しいが、お前達は怪物祭の主催者として忙しい身だろう?」

 

「む、それはそうだが…」

 

「神友であるお前の手を煩わせたくないんだよ、ガネーシャ。だから俺の厚意を素直に受け取ってもらえると助かる」

 

 まだアポロンの提案には納得できない所もあったが、こちらが頷くまで絶対に諦めないのは目に見えていた。

 

(このような提案をするということは、既にロキの承諾も得ているということか)

 

 もし仮に彼女が事後で今回の件を知った場合、ブチギレたロキによってアポロンはただでは済まないだろう。

 こうもアポロンが自信満々であるということはロキに話が通っているから──そう勘違いしてしまったガネーシャは、アポロンの提案を受けることにした。

 

「お前の気持ちはわかった、アポロン。そこまで言われたら俺も頷かないわけにはいかないな」

 

「おぉ!流石ガネーシャ、話がわかるな」

 

「ただ一つ聞きたいのだが、ロキはその決闘について何と言っていたのだ?」

 

「いや、ロキにはまだ決闘については話していない」

 

 耳を疑うような言葉がアポロンの口から飛び出した。

 

「なに?まさかと思うが、決闘を行うロキの眷族にも話を通していないのか?」

 

「うむ、その通りだ。ということでよろしく頼むぞ、ガネーシャ」

 

 あまりにも非常識な振る舞いなのに、アポロンは一つも悪びれていなかった。

 これには流石のガネーシャも開いた口がしばらく塞がらなかった。

 

「…待て、アポロン。お前がすでにロキに話を通していると思ったから俺は許可したのだ。ロキの承諾がないのに、勝手に俺が許可するわけにはいかない」

 

「ふむ、どうしてもダメか?」

 

「駄目だ。そんな一方的な決闘を怪物祭の後夜祭として開くわけにはいかない。そのくらいお前にもわかっているだろう?」

 

「もちろんわかっているさ。だからロキとその眷族には明日中に決闘のことを伝え、許可をもらうつもりだ」

 

「ふむ、そう言われてもな……実際にロキ達から許可をもらうまで俺は許可することはできないぞ」

 

「うむ、お前の立場ではそう簡単に頷けないのはわかっている。だから明日、ロキ達から許可をもらい次第お前に知らせる。それならいいだろう、ガネーシャ?」

 

「…ロキがお前の提案に納得したのなら、俺は反対しない」

 

「よし、ようやく話はついたな。それと、後夜祭の方は俺のファミリアで準備しておくから、安心してくれていい」

 

「ふむ、それほどの自信…あのロキから承諾を得る勝算があるということか」

 

 ロキは神々の中でも頭がキレ、そして何より都市最大派閥の主神だ。

 ガネーシャから見て、彼女がアポロンの提案に頷くとは全く思えなかった。

 

「なぁに、以前と比べロキは丸くなった。今の彼女なら間違いなく承諾を得られるだろう。それに、こちらには心強いパトロンがいることだしな」

 

「心強いパトロンだと?」

 

「おっと、口が滑った。すまんが今の言葉は忘れてくれ、ガネーシャ」

 

「…アポロン、何度も言うが明日までにロキとその眷族──ベル・クラネルから許可をもらえない場合には、この話は無効にするからな」

 

「それでいいよ、ガネーシャ。彼女達から許可をもらうのは決定事項だからな。それでは、決闘の承諾を得たら伝えに来る」

 

怪物祭(モンスターフィリア)が成功させるためにお互い頑張ろう、ガネーシャ」という言葉を残し、アポロンとヒュアキントスは退出して行った。

 

「あれでよかったのか、ガネーシャ?あの神がよからぬことを企んでいるのは明らかだ。このままでは、私達にも火の粉が降りかかる可能性が…」

 

「そう心配するな、シャクティ。俺は群衆の王、ガネーシャだ!」

 

「ガネーシャ…」 

 

 いつも通りふざけた物言いをするガネーシャだが、その言葉には不思議と頼もしさがあった。

 彼の眷族としてずっと側にいたシャクティだからこそ、今のガネーシャが滅多に見せない真剣な顔になっていることに気付いた。

 

「アポロンも、子ども達と過ごしていく内に真の愛に気付くと思っていたんだがな…」

 

 アポロンの行き過ぎた愛情は昔から知っていた。

 それでもガネーシャは、眷族と過ごす内にアポロンが真の愛に気付くはずだと信じていた。

 

 しかし、アポロンの行き過ぎた愛の情熱はとどまることを知らない。

 それどころか、無理矢理彼の眷族にされた子どもが多くなってきた。

 子ども達の笑顔が大好きなガネーシャにとって、これ以上アポロンの暴挙を許すわけにはいかなかった。

 

「…もうこれ以上、アポロンを見過ごせすわけにはいかないようだ」

 

 寂しそうに呟いたガネーシャは、おもむろに立ち上がる。

 

「このガネーシャ、子ども達のためにも一肌抜くとしよう!」

 

 こうして群衆の王(ガネーシャ)は子ども達を守るために、行動を開始するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、バベルの塔の最上階にて。

 

「フレイヤ様、アポロンが動き始めたようです」

 

「そう、ようやく動いたのね。不測の事態に備えて貴方は彼の周囲を見張りなさい、アレン」

 

「かしこまりました」

 

 猫の尾と耳を持つ青年は、自身の主神に対して慇懃に礼を取る。

 

 悪意は、ベルのすぐ側まで迫っていた。

 

 



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太陽は黒く輝く-前編-

 

 

 『豊饒の女主人』に訪れた翌日の朝。

 昨夜のお酒の影響で起きてしばらくは頭痛に悩まされていた僕は、朝食で多くの人に心配された。

 昨夜の記憶はおぼろげにしか覚えていないが、十五歳になるまでお酒を飲むことを禁止されたのだけは覚えている。はぁ、情けなさ過ぎるだろう、僕は…。

 

 話は変わり、毎日恒例のアイズさんとの訓練は武器が修理中なため今日は中止になった。

 凄く残念だったけど、明日から本格的に始めるから今日はゆっくり休むようアイズさんに言われたので、素直に身体を休めることにした。

 期せずして休養日になった僕は、同じ【ファミリア】の仲間に買い物に誘われ、一緒に出掛けるのであった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「キース、これで買い物は終わり?」

 

「あぁ、わざわざ付き合ってもらって悪いな、ベル」

 

「ううん、気にしないで。僕も楽しかったし」

 

 オラリオに来てまだまだ日の浅い僕にとって、キースとの買い物は純粋に楽しかった。

 【ロキ・ファミリア】の先輩方はみんな優しい人ばかりだけど、まだどうしても緊張してしまうときがある。

 もちろん、緊張せずに話せる人もいる。その一人が僕と同じ新人冒険者であるキースだ。

 入団して半年のキースとは、年齢が近いことや彼の兄貴分な性格のためか、僕達はすぐに打ち解けた。

 あまりオラリオを散策する機会はないので、こうして気の置けない友達と一緒に出掛けるだけで胸が躍る。

 

「ベルはオラリオに来たばかり知らないと思うが、この辺りに美味い料理屋があるんだぜ」

 

「え、そうなの?」

 

「あぁ、時には長い行列ができるほど美味しい店だ。どうだ、行ってみたいだろう?」

 

「うん、行ってみたい!」

 

「よし、それじゃあ急ごうぜ。この時間ならすぐに食べられるはずだ」

 

 こうして、僕とキースはそのお店に向かうことにした。

 

 太陽は真上に輝き、僕達を照らす。

 この時間帯は多くの冒険者がダンジョンに潜っているため人通りは少ない。いつも多くの人で混雑しているため注意して歩いている道も、今は少しくらいよそ見をしながら歩いても、問題ないはずだった。

 

 優しい日常は悪意という存在で簡単に崩れ落ちるのを、僕はまだ知らなかった。

 

「───」

 

「っ!」

 

 キースと話をしながら道を曲がろうとしたとき、いきなり僕の目の前に一つの影が現れた。

 

(危ない、避けなきゃ───!?)

 

 慌てて避けようとした僕だったけど、次の瞬間予期しないことが起きた。

 何と目の前の人影は、僕が避けようとした方に向かって足を進めてきたのだ。

 

「えっ…?」

 

 回避しようと強引に身体を動かしたが、完全に手遅れ。奮闘虚しく、目の前の人影にぶつかってしまう。

 ガシャンッ!と派手な音が鳴り、何かが割れる音が聞こえた。その音に反応して咄嗟に足元を見れば、濡れた地面に粉々になった酒瓶が転がっていた。

 

(まさか、今の衝突で…!?)

 

 僕がぶつかったせいで相手がお酒を落としてしまったことを理解した瞬間、顔が真っ青になっていくのを感じた。

 

「す、すみませんっ!あの、大丈夫で───」

 

 相手の行動に腑に落ちない所もあったけど、ぶつかった原因は注意不足だった僕にある。だからすぐに頭を下げてぶつかったことを謝った。

 そして怪我はないか尋ねようしたけど、それは叶わなかった。

 

 ───なぜなら、いきなり途方もない衝撃が僕の腹を襲ったからだ。

 

「ぐっ!?」

 

 突然のことに混乱したけど、腹に膝を打ち込まれたことだけは理解できた。

 

(どうしてっ!?)

 

 それ以上を思考することは許されなかった。

 地面に身体を浮かされた僕は、直感に従い両腕で顔をガードする。

 その一瞬後、顔面に向かって飛んできた拳がガードした両腕に叩き込まれた。

 

「ベル!?」

 

 キースの叫び声が聞こえたが、それに反応する余裕はなかった。

 衝撃に逆らわずに後ろへと跳んだ僕は、身体の体勢を崩さずに後方に着地する。

 顔を上げた僕の目の前に立っていたのは、冷ややかな笑みを浮かべる長身の青年だった。

 

「ふん…腐っても【ロキ・ファミリア】の一員か」

 

 そのヒューマンはエルフにも負けないくらい美青年で、金属のイヤリングを始めとした、様々なアクセサリーを派閥の制服の上から身に付けていた。

 一度見たら忘れることはないほど印象的に残る人物だけど、今まで会った記憶はなかった。

 

「貴方は、一体…?」

 

「お前は…【アポロン・ファミリア】団長、ヒュアキントス…ッ!!」

 

 ヒュアキントスという名前は初めて聞いたが、【アポロン・ファミリア】は知っている。昨日の話を聞いた限り、あまりいい印象は持っていなかった。

 

「そう大声で叫ぶな。品性を疑われるぞ?」

 

「お前ぇ…!いきなりベルを殴って、どういうつもりだ!?」

 

「殴った?馬鹿を言うな、まだ軽く撫でただけだ」

 

「お前ぇ…ッ!!」

 

 怒りで身体を震わすキースを見て、ヒュアキントスは冷ややかな笑みを浮かべた。

 その笑みのあまりにも冷たさに、ビクッと僕の身体は震えてしまう。

 

「勘違いしているようだが、こうなった責任の所在はそちらにある」

 

「なに?」

 

「先程の衝突でアポロン様に捧げる大切な酒瓶が駄目になってしまった。あぁこの罪は重いぞ、三下共」

 

 細められた碧眼の奥で、嗜虐的な光が浮かぶのを僕は確かに見た。

 

「酒瓶一つ割れたくらいで何を言ってやがる。そんなに大切なものならしっかり持ってろッ!」

 

「ふん、どうやら頭が悪いらしいな。面倒だが仕方あるまい、ここは冒険者の先輩として教育を付けてやろう」

 

「ッ!?キース、逃げて!!」

 

 悪寒を感じた僕はそう叫んだが、遅かった。

 キースが全く反応できないほどの速さで接近したヒュアキントスは、流れるような動きで彼を地面に投げ付けたのだ。

 

「がっっ!?」

 

「キースッ!?」

 

 思いっきり地面に叩き付けられた仲間の姿を見て、カッとなった僕は相手に向かって駆け出す。

 こちらに背中を向けるヒュアキントスに突っ込んだが、その背が突然ブレた。

 

(躱された──ッ!?)

 

 あっさりと突撃を躱された僕は、怒りで沸騰した頭が一瞬で冷えていくのを感じた。

 

「遅い」

 

「っ!」

 

 回避してすぐ僕に向かって鋭い蹴りが飛んできた。致命的な隙を狙って繰り出された攻撃を避ける術はない。

 無防備な横っ腹に蹴りを入れられた僕は、そのまま蹴り飛ばされた。

 

「~~~ッッ!?」

 

 何とか受け身はとったが、すぐには立ち上がれないほど痛みが走る。

 そんな僕を見て、彼は鼻を鳴らして嘲笑っていた。

 

「ふん、弱いな。どうしてアポロン様はこんな奴を…」

 

「ベルッ!?くそっ、よくもやりやがったな!」

 

 怒声を上げながら立ち上がったキースは、敵に向かって何発も拳を繰り出した。

 だが、当たらない。敵との実力差は明らかだった。

 

「こんなものか───ふッ!」

 

「がっ!?」

 

「キースっ!?」

 

 強烈な回し蹴りを喰らったキースは、そのまま吹き飛ばされた。

 

「ぅっ、ぐっ…」

 

「何だ、まだ意識があるのか。これは教育し甲斐があるな」

 

「っ!止めろッ!?これ以上キースに手を出すなッ!」

 

「…手を出すな、だと?」

 

 次の瞬間、先程以上の速度でヒュアキントスの姿が霞んだ。

 一瞬で僕の前に移動した彼は、恐るべき速度で拳を繰り出してきた。

 

「くっ!?」

 

 アイズさんとの訓練の成果が出たのか、紙一重でそれを避ける。

 だが、敵の攻撃は止まらない。呼吸するのを忘れるほど回避に意識を割くが、それも長くは続かなかった。

 顎への一撃を躱し切れず、視界が揺れる。やばっ、と思ったときには勝負はついていた。

 

「がっっ!?」

 

 腹に一撃喰らって前のめりになった僕の頭に、容赦なく踵を落とされる。

 それをもろに喰らった僕は、顔面から地面に叩き付けられた。

 激痛が走ったけど、動けないほどのダメージではない。

 すぐに立ち上がろうとしたけど、何故か地面が揺れているため、上手くいかない。

 

(違う、地面が揺れているんじゃない。僕の視界が揺れているんだ) 

 

 さっきの一撃が頭に響いているのか、視界の揺れが酷い。悔しいけど、それが収まるまでは起き上がれそうになかった。

 

「その程度で吠えるな。思わず殺したくなる」

 

 憎悪がにじみ出た言葉を頭上から投げ掛けられる。

 痛みで表情を歪ませながらも何とか顔を上げると、今までに見たことのないほど冷たい瞳が目に入った。

 

「あ───」

 

 僕はオラリオに来て、多くのモンスター達と戦ってきた。初めはモンスターが発する殺気に恐怖を感じるときもあったけど、今は恐怖を感じることはなくなった。

 敵から殺意を向けられることに慣れた僕は、相手が僕のことを殺そうとしていても怯むことはなくなったのだ。

 そのときは心が強くなったんだと思い、凄く嬉しかった。

 

 でも僕は、本物の殺意がどういうものなのかを全く知らなかった。

 

(───恐い)

 

 初めて本物の殺意を向けられた僕の身体は、恐怖という感情に支配されるのであった。

 

 

 

 



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太陽は黒く輝く-後編-

 

 殺意に満ちた瞳が僕を見下す。僕の身体は、氷ついたように固まってしまった。

 

「このくらいの殺気で怯えるとは、話にならんな」

 

 恐いという感情が顔に出ていたのか、ヒュアキントスは僕のことを嘲笑ってきた。

 僕は恐怖に震えながらも、口を開く。

 

「どうして、こんなことを…?」

 

「どうしてだと?それはお前がアポロン様に献上する酒を台無しにしたからだ」

 

 ぶつかった僕が悪いのは確かだけど、ヒュアキントスの理屈は無茶苦茶過ぎる。

 そのお酒がどれだけ大切なものかはわからないけど、ここまでしていい理由にはならないはずだ。

 ぶつかった僕はともかく全く関係ないキースにまで手を上げるなんて、あまりにも理不尽過ぎる。

 

「…ぶつかったのは、本当に悪いと思っています。駄目にしてしまったお酒の代金も弁償します。だから、これ以上仲間を傷つけるのは止めてください!」

 

「そうだな…私も鬼ではない。きっちり弁償してくれるならこの怒りを鎮めるとしよう」

 

 その言葉に、僕は両目を見開く。

 

「本当、ですか…?」

 

「あぁ、嘘は言わん」

 

 瞳の奥に暗い感情があるのは気になったが、嘘は吐いていないと自分の直感が告げていた。

 もうこれ以上友達が傷つく姿を見たくなかった僕は、彼の言葉に従うことにした。

 

「それで、いくら払えば…」

 

「一億ヴァリスだ」

 

「えっ…?」

 

 聞き間違いだと思った。いや、聞き間違いだと思いたかった。

 

「お前のせいで落とした酒は『神酒(ソーマ)』と呼ばれるものだ」

 

「『神酒(ソーマ)』…?」

 

「本来なら手に入れることは不可能な品物だが、幸運なことに【ソーマ・ファミリア】から格安で譲ってもらったのだ。まぁ、それでも一億ヴァリスはしたがな」

 

 【ソーマ・ファミリア】──確かロキ様から聞いたことがある。

 ロキ様が大好きなお酒で、普通の商品とは比べ物にならないくらい値段が高いらしい。

 だが、それでも常識の範囲内であったはずだ。一億ヴァリスもするなんて聞いたことが──。

 

「言っとくが、一般的に販売されている【ソーマ・ファミリア】の酒とは別物だぞ」

 

「っ!」

 

 疑念が顔に出ていたのか、ヒュアキントスは『神酒(ソーマ)』について説明し始める。

 

「一般的に売っている酒は失敗品だ。全ては『神酒(ソーマ)』の出来損ない。そんな失敗作をアポロン様に献上するはずないだろう」

 

 そんな、馬鹿な。お酒一本で本当に一億ヴァリスするというのか…?

 一億ヴァリスなんて大金、僕なんかが払えるわけない。一体、どうすれば…。

 

「もちろん、払ってくれるだろう?」

 

 嗜虐的な光が宿った瞳が、僕を冷たく見下ろす。

 

「そ、それは…」

 

「まさか払えないというのか?」

 

「…すみません。そんな大金、持っていません」

 

 僕は震えながら、そう言うしかなかった。

 

「何だと?まさかこのまま責任逃れするつもりか?」

 

「そんなことは…!」

 

「ふん、どうだかな。だが【ファミリア】の権力を使われて踏み倒されるのも面倒だ。特別にこちらが譲歩してやろう」

 

 譲歩───本来なら救いのある言葉だが、残虐性が帯びたヒュアキントスの顔を見る限り、そうは思えなかった。

 

「私と一対一で戦え、ベル・クラネル」

 

 一対一で戦う…?彼の提案があまりにも突拍子過ぎて意味が解らなかった。

 

「その決闘で私に勝てたら今回の件は不問にしてやる」

 

「っ!本当、ですか…?」

 

「あぁ、何なら準備期間として数日くれてやる。どうだ、好条件だろう?」

 

 確かに好条件だ。ヒュアキントスは強いが、アイズさんよりは弱い。それは少し戦っただけでもわかる。絶対に敵わない相手ではない…はずだ。

 

「わかりました。その提案、受け───」

 

「待て、ベル!」

 

 僕がその提案に頷こうとしたとき、キースの叫び声が聞こえた。

 振り返って見ると、お腹を押さえて立ち上がるキースの姿があった。

 

「キース、怪我は大丈夫なのっ!?」

 

「あぁ、何とかな。それよりもその提案は罠だ。絶対に受けるな、ベル」

 

「わ、罠…?」

 

「ふん、罠とはなんだ。こちらがこんなに譲歩しているというのに」

 

「それじゃあ聞くが、その決闘でお前が勝ったらベルに何を要求するつもりだ?」

 

「チッ…」

 

 キースの言葉に、忌々しそうに舌打ちするヒュアキントス。

 そうだ、僕が勝ったら今回の件は不問にしてくれると言ったけど、負けた場合どうなるかは何も言っていない。

 気が動転していたせいか、そこまで気付かなかった。

 

「僕が負けた場合、一億ヴァリスを払えばいいんですか…?」

 

「それだけなら、あまりにもお前に都合が良すぎだろう。なぁ、ベル・クラネル?」

 

 この人、どうして僕の名前を…?彼とは一度も会ったことはないのは間違いないはずなのに…。

 何だか、凄く嫌な予感がした。

 

「俺が勝者になった暁には一億ヴァリスに加え、ベル・クラネル──お前の身柄を要求する」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 

「なっ、ベルを引き抜くだとっ!?まさかお前、最初からそれを狙って、この状況になるよう仕組んだのかッ!」

 

「っ!」

 

(まさか、あのときの不自然な行動は…!)

 

 今の状況が全て仕組まれたことならば、あのときのヒュアキントスの行動も腑に落ちる。

 彼とぶつかる直前、僕は咄嗟に避けた。だけど僕が避けた方向に、ヒュアキントスは突っ込んできたのだ。

 

(…あれは、偶然じゃなかったんだ!)

 

 初めから僕と衝突することを狙って、わざとぶつかってきた。

 そしてヒュアキントスはお酒を落とし、その責任を僕に擦り付けた。

 全てはこの状況に持ち込むために──。

 

「憶測で物を言うな、三下。もう一度潰してやろうか?」

 

「くっ!」

 

 ヒュアキントスに睨まれたキースは、悔しそうに声を漏らす。

 彼の言う通り、証拠がない。悔しいけど、今のはあくまで僕達の推測に過ぎないのだ。

 

「それにお前は勘違いしているようだが、ベル・クラネルを移籍させるのは私にとっても不本意なことなのだぞ」

 

「それなら、どうしてベルを引き抜こうとするんだ!?」

 

「ふん、少しは足りない頭で考えてみたらどうだ?さて、貴様の答えを聞かせてもらおうか、ベル・クラネル?」

 

「そ、それは…」

 

 この人に勝てる可能性はあると言ったけど、それはあくまで可能性の話だ。

 一対一で戦った場合、おそらく僕は負ける。何回も、何十回も戦えば勝てるかもしれないが、勝負は一度きりだ。

 アイズさんの強さは手が届かない強さ。そしてヒュアキントスの強さは手が届く強さだ。だが、どちらも僕より強いのは変えられない事実だ。 

 自分より強い相手に必ず勝てると断言できる人なんているはずがない。

 そして、その一戦で負けた瞬間もう僕は【ロキ・ファミリア】所属じゃなくなる。

 そう、アイズさん達と一緒に居られなくなるのだ。

 そんなの…絶対に嫌だ…!!

 

「僕は…この決闘を…」

 

「あぁ言い忘れていたが、もしこの提案に乗らないようなら、今すぐ一億ヴァリスを払え」

 

「えっ…そ、それは無理です」

 

「そうか、ならば今から【ロキ・ファミリア】のホームに赴いて、愚かなる団員の代わりに一億ヴァリスを払ってもらうとしよう」

 

「それだけはっ!…それだけはやめてください」

 

「それが嫌なら、どうすればいいのかわかっているだろう?」

 

 【ロキ・ファミリア】に居られなくなるのは嫌だ。アイズさん達と別れるなんてもっと嫌だ。

 …でも、それは僕の我が儘だ。僕の身勝手な行動で、ロキ様やフィンさん達に迷惑を掛けるわけにはいかない。

 それに元はと言えば、僕がもっと注意して歩いていればこんなことにはならなかったはずなのだ。

 …今の僕に取れる行動は一つだけであった。

 

「…わかりました、その勝負受けます」

 

「早まるな、ベル!団長に事情を話せばきっとどうにかな──!」

 

「部外者は黙っていろ。私は今ベル・クラネルと話しているんだ」

 

「部外者じゃない!ベルは大切な俺の仲間だッ!」

 

「キ、キース…」

 

 こんなときだけど……いや、こんなときだからこそ。

 キースのその言葉は涙が出るほど嬉しかった。

 

「情けないかもしれないが、ここは団長達を頼るべきだ!団長達が出てくればこいつも今みたいなでかい態度を取れなくなる!」

 

「ふん、見下げた根性だな。虎の威を借りるなんて情けないと思わないのか?」

 

「あぁ、本当に今の俺は情けないさ。だが、友を失うよりマシだ!」

 

「キース、僕は…」

 

 確かにフィンさん達に事情を話せば、どうにかなるかもしれない。

 でも確実に【ファミリア】のみんなに迷惑をかけることになる。

 フィンさん達に縋り付きたい気持ちと、迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちが僕の心で激しくぶつかり合う。

 だけど、僕が迷っていられるのも数秒だけであった。

 

「はぁ、茶番はもういい」

 

「茶番だと…?」

 

「あぁ、茶番さ。もうベル・クラネルから決闘の承諾はもらったのだ。【勇者】達が今更出て来てもどうにもならない」

 

「何を言ってやがる!さっきの承諾は無効に決まっているだろう!ベル、改めて決闘を拒否するんだッ!」

 

「だから言っているだろう───もう遅い、と」

 

 そう言うと、ヒュアキントスは指を鳴らす。

 すると僕達の前に、冒険者が十人ほど現れた。

 

「すでに言質は取った。そして証人は私以外にもこれだけいる。今更撤回するのはもう不可能ということだ」

 

「お、お前ら…ッ!」

 

「感謝するぞ三下。もしベル・クラネルと一緒にいたのが【勇者】や【剣姫】だったらこうは上手くいかなかっただろうからな」

 

「…黙れ」

 

「アポロン様が考案された【ロキ・ファミリア】対策は完璧だ。一番の鬼門だったベル・クラネルの承諾を得ることができた時点で、もうお前達は詰んでいるのだ」

 

「…黙れッ!」

 

「お前のような雑魚と標的(ベル・クラネル)が一緒に外に出掛けてくれたおかげで、わざわざ奥の手を使う手間も省けた。お前には本当に感謝しているぞ、三下」

 

「黙れぇぇッ!!」

 

「駄目だ、キースっ!?」

 

 殴りかかろうと敵に向かってキースは駆け出して行く。

 視界の揺れがようやく収まった僕は、すぐに身体を起こし駆け出そうとした。 

 

「ふん、単調な動きだな…ハッ!」

 

「あぐっ!?」

 

 しかし、そんな僕を嘲笑うかのようにヒュアキントスは既に動き始めていた。

 キースの懐に潜り込んだ敵は、容赦なく彼を地面に叩き付けたのだ。

 

「さて、寝るのはまだ早いぞ三下」

 

「っ!?もう止めてくださいっ!」

 

 地面に叩き付けられたキースに追撃しようとしているヒュアキントスを見て、僕は無我夢中で叫ぶ。だが、彼は止まらない。

 

「何を言っている、先に手を出したのはそちらの方だろう。私がお前の言葉に従う理由はどこにもない」

 

 残虐な笑みを浮かべてそう言い放つと、地にうずくまるキースをまるでボールのように蹴って遠くに飛ばす。

 

「ガッッ!?~~~~ッ!?……う……あぁ………」

 

 そして遠く離れた壁にぶつけられたキースは、その衝撃で意識を失ってしまったのかピクリとも身体を動かさない。

 

「キースッ!!」

 

「なんだ、あれくらいで気を失ったのか。だが私の気が済むまでお前にはまだ付き合ってもらうぞ」

 

(そんな、もうキースは気を失っているのに…っ!)

 

 ヒュアキントスは、キースに向かってゆっくりと歩いていく。これ以上攻撃を加えられたらキースが本当に死んでしまうと感じた僕は、無意識のうちに叫んでいた。 

 

「───絶対にっ!」

 

「ん?」

 

「絶対に先程の承諾を撤回したりしません!」

 

「ほう…」

 

「だからお願いします…!必ず決闘は受けますから、もうキースには手を出さないでください…っ!」

 

「…フン、いいだろう。だがお前の仲間が犯した無礼、きっちり償ってもらうぞ」

 

 それでこれ以上キースが傷付かないで済むなら、もう何でもよかった。

 

「わかりました。それで、一体僕は何をしたら…」

 

「地面に頭を擦りつけながら謝罪しろ、ベル・クラネル」

 

「そ、それは…」

 

「どうした、こんなこともできないのか?言っておくが、私の気はあまり長くないぞ?」

 

 ヒュアキントスはそう言うと、地面に横たわるキースを踏みつけようとする。

 …もう、素直に従うしかなかった。

 

「…本当にすみませんでした」

 

 僕は地面に座り、ヒュアキントスに向かって頭を下げた。

 

「それが謝罪か?私は地面に頭を擦りつけながら謝罪しろと言ったのだッ!」

 

「っ!?」

 

 頭に手を置かれたと思ったら、思い切り地面に叩きつけられた。

 痛い…それに、額から温かいものが流れていくのを感じる。どうやら今ので額から血が出てしまったみたいだ。

 だけど、傷の心配をする余裕はなかった。

 

「どうした、早く謝罪をしろ!」

 

「っ…本当に、申し話ありませんでした…ぐっ!?」

 

「声が小さくて聞こえないなぁ、もう一度やり直しだ」

 

 ゴシゴシと顔を地面に強く押し付けられる。苦しい、痛い。それでも今は従うしかない。

 

「本当に、本当に申し訳ありませんでした…!!」

 

「ふん、無様だな。だが、まだまだお前には───っ!?」

 

 それはあまりにも突然だった。

 頭上で何かが炸裂する音が聞こえた。

 その音に続くように、青年の手が僕の頭の上から離れた。

 

「くそっ!」

 

 初めてヒュアキントスの焦った声が聞こえた。

 自由になった頭を上げると、彼が慌てた様子で後方へと跳んでいくのが見えた。

 

(一体、何が…?)

 

 頭が上手く働かないまま、僕は辺りをぼんやりと眺める。

 そんな僕の視界に映ったのは、大きな紙袋を片手に抱えたエルフの女性だった。

 

「リュー、さん…?」

 

 いつもと違う雰囲気を身に纏っていているリューさんを見て、僕は戸惑いを隠せなかった。

 憤怒に染まった空色の瞳は、敵を真っ直ぐ見据えているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








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疾風vs太陽

 

「っ!?」

 

(馬鹿なっ、攻撃されたッ!?)

 

 突然の痛みが腕を襲う中、ヒュアキントスは本能的に何が起こったのかを理解する。恐ろしい速度で飛んできた何かが自分の腕に直撃し、木っ端微塵に砕け散ったのだ。

 

(クソ、油断したッ!)

 

 ヒュアキントスは痛みを無視してすぐにベルの頭から足を退けて、後ろへと跳ぶ。回避行動を取ったヒュアキントスに向かって、いくつもの真っ赤な砲弾が投擲させる。

 

「なっ!林檎だとッ!?」

 

 林檎で狙撃されていることに驚愕を隠せなかったヒュアキントスだが、身の危険を感じてすぐに迎撃態勢に移行した。後ろに飛びながらも短刀を構えたヒュアキントスは、自分に向かって恐ろしい速さで投げつけられる林檎を撃ち落としていく。

 

(一体誰だ!?まさか【ロキ・ファミリア】の連中かッ!?)

 

 襲撃者の姿を探すヒュアキントス。そして彼は見た───自分に向かって林檎を投げつけるウエイトレスの格好をした女性の姿を。

 その女性───空色の瞳を持つエルフは、ゾッとするほど冷たい表情をヒュアキントスに向けていた。

 

(このエルフ……初めて見るが、状況から察するに奴はベル・クラネルの仲間なのは間違いないはずだ)

 

 ヒュアキントスは高速で頭を回転させ、目の前のエルフの正体を考える。

 彼が秘密裏に調査した限り、標的(ベル)の側にいることが多いエルフの冒険者は二人のみ。第一級冒険者である【九魔姫(ナイン・ヘル)】と第二級冒険者である【千の妖精(サウザンド・エルフ)】だけだ。

 もちろん【ロキ・ファミリア】には他にも実力の高いエルフは存在する。ヒュアキントスも警戒対象となりうる者の顔と名前を覚えているが、どうしても眼前のエルフに見覚えがなかった。

 

(どういうことだ…?今の投擲を見た限り、少なくとも奴はLv.3のポテンシャルは持っているのは確かだ。だが、Lv.3以上の構成員は全て把握しているが、奴の正体に繋がる情報は一つもない…)

 

 一瞬の間にそこまで考えたとき、ヒュアキントスは重要なことを思い出した。

 

(いや、【ロキ・ファミリア】の団員がこの二人を除いて近くにいないことは仲間に見張らせて確認済のはずだ)

 

 ヒュアキントスを始め【アポロン・ファミリア】はこの作戦を確実に成功させるため、事前にいくつもの準備を行っていた。

 追跡が得意な仲間をベル・クラネルにつけ、彼が一人になるとき、また一人ではなくてもLvが低い相手と一緒になるときを見張っていたのだ。

 ヒュアキントスは傲慢であっても、馬鹿ではない。自分達の力量は弁えている。よって、第一級または第二級冒険者が近くにいる状況で、標的に手を出すのはあまりに無謀過ぎる行為だと自負していた。

 彼は狡猾にも、ベルの周りにアイズやリヴェリアなど高位の実力者がいない瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。

 

(配置した仲間達には【ロキ・ファミリア】の団員…特に上級冒険者が近くにいないことだけは入念に確認させた。つまり奴は【ロキ・ファミリア】の者ではない)

 

 自分にいきなり攻撃を加えてきたエルフが【ロキ・ファミリア】の団員ではないことがわかったのはひとまず僥倖である。 

 しかも自分が初めて見るということは、有名な【ファミリア】の団員ではない。おそらく【アポロン・ファミリア】よりも劣るところだろう。それなら奴を潰したことで相手の【ファミリア】の怒りを買っても問題はない。

 

(───つまり、目の前のエルフはそこまで高位の冒険者ではない可能性が高い)

 

 いきなりの不意打ちで、相手の力量を過大評価してしまったのだろうと当たりをつける。

 

(万が一自分と同程度のステイタスを持っていても、こちらは武器を持っているのに対し相手は見る限り丸腰だ。クク、ふざけた投擲が終わったときが奴の最期だ…ッ!)

 

 ヒュアキントスの考えが纏まったとき、リューの投擲が止んだ。彼女の手元を見れば、たくさんあった弾丸(リンゴ)のストックが切れてしまっている。 

 

(ようやく投擲が止んだ…これで近接戦闘に持ち込めば私の勝ちだッ!)

 

「私に傷を付けるとは……貴様ァ、絶対に楽には殺さんぞ…ッ!」

 

 最初に投擲を受けた箇所を苦々しく見つめた後、ヒュアキントスは眼前のエルフを睨む。

 プライドを傷つけられ怒りに燃えるヒュアキントス。しかし、激怒しているのは相手も同じである。

 

「それはこちらの台詞だ、【太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)】。友を傷付けた罪、その身で償ってもらうぞ」

 

 冷徹な空色の瞳の中には、抑えきれない怒りの炎がはっきりと浮かんでいる。

 その迫力に、ヒュアキントスを除く【アポロン・ファミリア】の団員達が怖じ気付く。

 下級冒険者が本気で怯えるほど、今のリューは激怒していた。

 

(チッ、臆病者共め。このくらいで殺気で怯えては話にならないではないか。やはりここは私が出るしかないようだな)

 

「お前達は下がれ。このエルフの女は私が相手をする」

 

(絶対に取り逃がさぬよう団員たちには奴を取り囲んでもらいたかったが、こうなってしまっては仕方あるまい)

 

 そんなヒュアキントスたちの様子を黙って見ていたリューは、おもむろに口を開く。

 

「別に全員で挑んでも私は構わない。どうせ貴方達では束になっても、私に敵わないのだから」

 

「フン、粋がるなよエルフ。貴様など私一人で十分だ。今すぐそこの男と同じ運命を辿らせてやろう…ッ!」

 

 両者の殺気は痛いほど高まり、場は緊迫の雰囲気に包まれる。

 

「だ、駄目です、リューさん…!彼は……っ!」

 

 ようやく立ち上がることができたベルは、今にも戦おうとするリューを止めようと必死に声を上げる。

 

(彼は本当に強い……もしリューさんまでキースと同じ目にあったら…!)

 

 リューの身を案じるベルであったが、それが杞憂であることは彼女自身が知っていた。

 

「安心してください、クラネルさん。すぐに終わらせますから、貴方はそこで見ていてください」

 

 ヒュアキントスと向き合ったまま、リューは微塵も不安を感じさせない声音で答える。

 

「でも……ッ!」

 

 心配いらないことを伝えても、自分を止めようと声を上げるベル。自分の身を心から案じるベルに安心させるよう、リューは彼に優しい視線を向ける。

 

「大丈夫ですよ、クラネルさん。今は私を信じてください」

 

「リュー、さん…」

 

 冷たいながらもどこか優しさを感じさせる空色の瞳を見て、ベルの心から不安は消えていく。ベルは本能的に察したのだ───彼女の強さを。

 

「よそ見とは余裕だな、エルフ!」

 

 そんなリューとベルのやり取りを隙だと捉えたヒュアキントスは力強く地を蹴る。そして彼は地を駆ける中、武器を短刀から愛用の波状剣に持ち替える。

 

(まずは足を狙って機動力を削いでやろう。そうすれば奴も逃げられまい)

 

 残虐な笑みを浮かべ、波状剣を低く構えながら地を駆けるヒュアキントス。敵の動きに反応して、リューも無手のまま静かに構える。

 

(フン、武器なしで俺に挑むとは馬鹿なエルフだ)

 

 自信に満ち溢れた態度を見て暗器でも隠し持っているのではないかと警戒していたヒュアキントスからしたら、正直リューの行動は拍子抜けだった。

 そしてリューが自分の間合いに入った瞬間、ヒュアキントスは敵の足を狙って波状剣を斬り上げる。

 

(───その足、もらった!)

 

 斬撃を放った瞬間、そう確信したヒュアキントス。しかし、彼は大切なことを見誤っていた。

 

「──」

 

(なっ、避けられた!?)

 

 手応えはなかった。ヒュアキントスが放った斬撃をリューは危な気もなく避けたのだ。絶対に自分の攻撃が決まったと思っていたヒュアキントスは、その事実に一瞬思考が止まる。その致命的な隙を逃すほど、リューは甘くなかった。

 

「がっ!?」

 

 ヒュアキントスの懐に潜り込んだリューは、回し蹴りを放つ。恐るべき速度で繰り出された蹴りをヒュアキントスは避けることができず、そのまま後ろにブッ飛んでいく。

 

(くそ、油断した!?まさか奴がこれほどまでに強いとは…。だが、奴は丸腰だ。油断さえしなければ十分勝てる相手のはず──)

 

 後ろに吹き飛んだヒュアキントスは、地面に片膝を着いて慢心を消す。

 しかしその隙はリューに攻撃の機会を与えてしまっていることに、慢心しきっていたヒュアキントスは気付かない。

 

(なっ、はや──ッ!?)

 

 リューの姿が高速でブれ、ヒュアキントスの視界から消える。Lv.3である自分の動体視力でも捉えきれない速度に慄きながらも、ヒュアキントスは必死に喰らい付く。だが、Lv.4の敏捷(あし)を持つリューを捉えることは叶わなかった。

 

「ガッッ!?」

 

 完全に自分を見失っているヒュアキントスの背後に回り込んだリューは、再び回し蹴りを喰らわせる。

 もろに彼女の蹴りを背中に受けたヒュアキントスは、苦痛の声を上げながらまたしてもブッ飛んでいく。しかし、彼女の攻撃は終わっていない。飛んでいくヒュアキントスの行く手に先回りしたリューは、彼の腹に向けて再び蹴りを繰り出した。

 

「あがっ!?うぐ、ゲホッゲホッ!」

 

 地面の上で身体を丸め、リューに蹴られたところを手で押さえて嘔吐くヒュアキントス。

 彼はここに来てようやく、眼前のエルフが自分より強いことに気が付いた。

 

(くそっ、この強さ…奴はLv.4か!?だが幸い数の利はこちらにある。先程は奴の殺気で怖気づいているようだったが、それでも私自らが選んだ先鋭達だ。いくら奴がLv.4でも、この数で取り囲めば勝てるわけ───)

 

「一つ聞きます、貴方はクラネルさんに謝るつもりはありますか?」

 

「なに?」

 

 仲間を呼ぼうとしたヒュアキントスの行動を遮るように、リューは冷たく見下ろしながら問い掛ける。

 

「クラネルさんに心から謝罪する気持ちがあるのなら、これで手打ちとしましょう。私も弱い者いじめが好きな訳ではありませんから」

 

「なに…?弱い者、いじめだと…?」

 

 ───アポロン様の寵愛を受ける者は、絶対に強者でなくてはいけない。弱者はアポロン様の眷族として相応しくない。そう考えるヒュアキントスにとって、今のリューの言葉は彼の逆鱗に触れた。

 

「この俺が…アポロン様の寵愛を受けるこの俺が…弱い、だと…ッ!!」

 

 最大級の殺意に満ちた瞳でリューを睨みながら、ヒュアキントスは立ち上がる。あまりの怒りに身体の痛みが全て吹き飛んでいるのか、まったく痛みを感じなかった。

 

「舐めるなッ!まだ勝負は始まったばかりだ…ッ!!」

 

「そうですか、それは残念です。クラネルさんに謝るつもりもないのですね?」

 

「フン、誰があんな雑魚に謝るものか!貴様もアイツと同じように地べたに這いつくばらせて──ッ!?」

 

 ヒュアキントスの言葉を遮るように、殺気が込められた鋭い蹴りが顔面に放たれる。

 

(くっ、やはり速い…がもらったッ!)

 

 ヒュアキントスは必死に首を捻らせて避けながらカウンターで剣を振るう。

 しかしリューは蹴りを放った後、瞬時に身体を回転してその攻撃を避ける。

 虚しく空を切ったヒュアキントスの剣の一撃に対し、リューの蹴りの一撃はヒュアキントスの頬を掠め、パックリと切れた傷口から血が流れる。

 

(馬鹿な、今のはあえて顔を狙うよう誘導したのだぞ!?あらかじめ予測できた攻撃なのに完全に避けきれず、おまけに本命のカウンターは掠りもしないだとッ!!)

 

「はぁ…これほど簡単に相手の挑発に乗ってしまうのは冒険者として失格ですね」

 

(こいつ、私の狙いに気付いた上でわざと挑発に乗ってきたのか!?)

 

 内心で驚愕するヒュアキントスに、リューは冷たく言い放つ。

 

「しかし挑発とはいえ、これ以上友を侮辱する発言を許すつもりはない」

 

「く、クソが!」

 

「仲間を呼ぶのでしたらどうぞ。貴方程度の実力では絶対に私に勝てません」

 

「チッ、舐めるな──ッ!」

 

 リューの挑発に見事嵌まってしまったヒュアキントスは、自分から数の利を捨ててしまう。冒険者はどんなときにでも冷静であるのが鉄則。よって冷静さを失った時点で、ヒュアキントスに残っていた僅かな勝機も完全に潰えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、勝負に絶対という言葉はない。

 

「………雑魚が」

 

 その言葉を象徴するかのように、眼下の戦闘を見下ろしていた一つの人影が行動を開始するのであった。

 

 

 

 

 







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新たな試練の始まり

 

 

 鬼のような形相をしたヒュアキントスが、リューに何度も斬りかかっていく。

 だが一撃足りとも当たらない。

 全力で放った無数の斬撃は虚しく空を斬るだけで、彼の攻撃がリューを捉えることはなかった。

 

(クソッ、奴は防具を着ていないんだ!たった一撃……一撃でも当たれば奴の動きは鈍るはずなのに…ッ!)

 

 焦るヒュアキントスの心を見透かすように、リューは冷たく言い放つ。

 

「そのような半端な剣技では、私を捉えることは不可能です」

 

「っ!図に乗るなッ!」

 

 リューの冷静な指摘にカッと頭に血が上ったヒュアキントス。そして怒りそのまま、大振りで放たれた雑な一撃をリューが見逃すはずなかった。

 

「フッ!」

 

 雑になった攻撃を回避して懐に潜り込んだリューは、勝負を終わらせるため全力の蹴りを彼の腹に叩き込んだ。 

 

「~~~ッッッ!?」

 

 Lv.4の本気の蹴りが直撃し、ヒュアキントスの肋骨が音を立てて軋む。運が良くて骨に罅、最悪折れていることだろう。

 

「私はいつもやり過ぎてしまう。だが、貴方相手ならそれを気にする必要もない」

 

「ッッ…許さん…ッ!許さんぞ貴様ァ…!!」

 

「…思ったよりもタフですね」

 

 普通ならすぐには立てないほどの激痛だが、ヒュアキントスは顔を真っ赤にして立ち上がる。その様子を見て腐ってもLv.3かとリューは感心していたが、それがまたヒュアキントスの怒りを加速させた。

 

「黙れッ!ここまで私を虚仮にした奴は貴様が初めてだ…!!絶対に、絶対に許さんぞッ!」

 

「それはこちらの台詞だ。私の友人をここまで侮辱し、傷付けた罪…今さら謝ろうと絶対に許しはしない」

 

 怒り狂う傷だらけのヒュアキントスと、静かな怒りを身に纏う無傷のリュー。

 誰が見てもヒュアキントスの敗北は明らかであったが、彼の仲間は助けに入ろうとしない。いや、できないと言った方が正しいか。

 自分達の団長が手も足も出ないのを目の当たりにして、本能的に何人束になっても敵わないと悟ってしまったのだ。

 これが苦戦程度なら彼らも団長を助けようと戦闘に介入したはずだが、あまりにも圧倒的なリューの実力を見て足が竦んでしまったのだ。

 

 そしてベルは───。

 

(───強い。これが、リューさんの実力……)

 

 彼女の圧倒的な強さを目の当たりにして、ベルの心は複雑であった。

 もちろんリューが自分と同じように傷付かなかったことはホッとした。自分では敵わなかった相手を、簡単に翻弄する姿にはカッコイイと思った。自分のためにいつも冷静な彼女があそこまで怒ってくれたことに胸が熱くなった。

 

 だけど同時に思ったのだ───僕は何て情けない存在なんだろう、と。

 

(あぁ僕は……あのミノタウロスに勝って、自惚れていたのかもしれない)

 

 初めて『冒険』をしたあの日、強敵を自分の力だけで倒したことで弱い自分と決別した。

 Lv.2になって、家族(ファミリア)のみんなに褒められて、ようやく自分は人並みの自信を手に入れたのだ。

 

 しかし自信と過信は紙一重だ。

 

 どんな高潔な人間でも、心の片隅に過信は存在する。

 そしてベルにも、胸に抱いた自信の中に過信が混じっていた。

 

(もう僕は昔の自分(じゃくしゃ)じゃない。でも、まだ強者ではないんだ)

 

 Lv.2になったことで無意識に浮かれていた自分の心を叱咤する。そして、改めて強く願う。

 

(もっと強くなりたい。もう二度と、今日のような思いはしたくない…っ!)

 

 強き意志が灯った紅の瞳が見つめる中、戦闘は今にも再開しようとしていた。

 

 しかし、ここで誰もが予想していなかったことが起こる。

 

「───そこまでだ」

 

「「っ!?」」

 

 ヒュアキントスとリューの間に音もなく一人の猫人(キャットピープル)か飛び込んできたのだ。

 

「なっ、どうしてお前がここに…ッ!?」

 

 突然現れた乱入者の顔を見て、ヒュアキントスは酷く驚いているようであった。

 そんな彼の様子に疑問を覚えながらも、リューは警戒しながら突然現れた黒と灰の毛並を持つ猫人(キャットピープル)の青年を観察する。

 

 そしてリューも彼の正体に行き着き、驚愕から瞠目する。

 

(ッ!なぜ【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】がここに…!)

 

 リューの記憶が確かなら、目の前の青年は都市最大派閥である【フレイヤ・ファミリア】の幹部の一人である。

 Lv.はリューより二つ上のLv.6。もし戦闘になれば、ヒュアキントスとは違い厳しい戦いになることは明らかだ。

 

(一線を退いてしまった今の私では、相手になるかも怪しい…)

 

 リューは瞬時に最悪な場合を考え、どう動くべきが最善であるのか冷静に考える。

 そんなリューと対照的に、未だ怒りが冷めやまぬヒュアキントスは猫人(キャットピープル)の青年に怒鳴り声を上げる。

 

「──答えろ、どうしてお前がここにいるんだ!?」

 

「雑魚が俺に指図すんじゃねぇよ。それより目的は既に達したんだ。テメェはさっさとホームに帰れ」

 

「ふざけるな!このまま引き下がったら私のプライドが───!」

 

「黙れ」

 

「っっ!」

 

「テメェの下らねぇプライドなんて知ったことか。そもそもこの女より弱いテメェが悪いんだろうが」

 

「違う…ッ!私はまだ負けていないッ!!このエルフとの勝負はまだついてな───」

 

「黙れ、敗者の言い訳に興味はねぇ。さっさとあのクソッタレな主神のところに帰れクズが」

 

「だが…!」

 

「何度も言わせるな。それとも、俺に潰されたいのか?」

 

「っ!…くそッ…この礼はいつか必ず晴らすからな、エルフッ!それと、ベル・クラネル!」

 

「!」

 

 少し離れたところで戦況を見守っていたベルに、ヒュアキントスは視線を移す。

 

「お前は確かに私との決闘を承諾した。今更それを撤回することは許されない」

 

「っ!そんな、あれは…」

 

 顔を青くしたベルが反論しようとしたが、ヒュアキントスは歯牙にもかけぬ様子で言葉を続ける。

 

「五日後の午後三時、闘技場にて決闘を行う。この決闘は怪物祭(モンスターフィリア)の後夜祭として行われる予定だ」

 

「も、怪物祭(モンスターフィリア)…?」

 

 オラリオに来てまだ一月も経たないベルには、怪物祭(モンスターフィリア)がどういうものなのかわからない。

 だが、自分達の決闘が怪物祭(モンスターフィリア)の後夜祭として行うことが、ベルにとって…【ロキ・ファミリア】にとって都合の悪いことなのは本能的に察することができた。

 

「私と貴様との決闘が行われることは、もうすぐ民衆たちにも大々的に宣伝されるだろう。ハハッ、これがどういうことかわかるか!?」

 

 そして、その不安は的中した。

 

「貴様はもう決闘から逃げることは許されない。もし私に負けることを恐れて決闘の場に現れなければ、観客達は大いに怒り、そして失望する。そして民衆の感情は貴様だけでなく【ロキ・ファミリア】にも向かうに違いない」

 

 最高に邪悪な笑みを浮かべながら、ヒュアキントスはベルに言い放つ。

 

「───貴様のせいで【ロキ・ファミリア】の名声も堕ちることだろう」

 

「!」

 

 悪意が込められたヒュアキントスの言葉を聞いて、ベルは顔色を一層悪くする。

 家族(ファミリア)の名誉が少しでも傷付くことを絶対に避けたいベルは、これで決闘に参加するしか選択肢はなくなった。

 ここにフィンやリヴェリアなど頭がキレる者がいれば違った展開になっていたが、残念ながらここにはいない。

 この場にいる者でベルの味方になるのは二人のみ。しかしベルと同じ【ロキ・ファミリア】であるキースはヒュアキントスに受けた攻撃により気絶しているため実質一人だ。

 

 この場で唯一のベルの味方であるリューは少年を守るため、そして事情を把握するために口を挟む。 

 

「待ってください。どうして貴方とクラネルさんが決闘することになっているんですか?」

 

「フン、部外者に話すことは何もない。【ロキ・ファミリア】でいられる最後の日々をせいぜい楽しむといい、ベル・クラネル」

 

「待て!このまま逃がすと思って───」

 

 捨て台詞を残し、仲間と共に離脱していくヒュアキントス。そんな彼を逃がすまいと地を蹴るリューだが、それは叶わない。

 

「止まれエルフ、一歩でも動いたらテメェの足を折る」

 

 駆け出そうとするリューの前に、【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】───アレン・フローメルが立ちはだかる。

 物騒なその台詞はただの脅しではないことをリューは肌で感じ、咄嗟に動きを止める。

 明らかにヒュアキントスを逃がそうとする彼の行為に、疑問を抱いたリューは問い質す。

 

「【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】…。どうして【フレイヤ・ファミリア】である貴方が彼に肩入れするのですか?」

 

「テメェの質問に答える義理はねぇ。俺から言えることは二つ…奴を追いかけるのは諦めろ。そしてこれ以上この件に首を突っ込むな」

 

「……もし私が従わないと言えば貴方はどうしますか?」

 

「───潰す」

 

 短い宣言。だがその一言を聞いて、リューは死を覚悟した。Lv.4のリューがそう感じてしまうほどの殺気が、今の言葉に含まれていたのだ。

 

「…わかりました。彼を追うのは諦めます」

 

「ハッ、賢明だな。テメェはただ娘の遊びにでも付き合ってればいい」

 

「娘…?」

 

 目の前の青年が溢した言葉の意味が気になり、聞き返すリュー。だがアレンはそれ以上何も語らず、リューに背中を向けると一度頭上を仰ぐ。

 

「待ってください、貴方は───」

 

 もう一度問い質そうとしたリューであったが、その瞬間一陣の風が吹く。

 思わず目を瞑ってしまうリュー。そして彼女が目を開けたときには、もう彼はどこにもいなかった。

 

(今から全力で追いかければ間に合うと思いますが、その場合【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】と戦闘になるのは間違いないでしょう。…流石にそれは拙い) 

 

 状況を冷静に分析したリューは、ヒュアキントスを追うことを諦める。

 もちろん彼がベルにしたことを許すつもりは毛頭ないが、怒りに我を忘れて今すべきことを見誤るのは最悪だ。

 感情的になってしまう場面こそ、冒険者は冷静に行動しなくては生き残れないのをリューは身をもって知っている。

 

(もっとも私はもう、冒険者ではありませんが…)

 

 そんなことを考えながら、リューは視線を意識を失っている青年(キース)に移す。そして数秒観察した後、ベルの元に移動した。

 

「あの、リューさん……僕は……」

 

「クラネルさん…ひとまず話は後にしましょう。先に治療を済ませます」

 

 身体の傷が目立つベルの正面に立ったリューは、治療に取りかかる。

 

「あっ、治療するならキースを先に…!」

 

「彼はクラネルさんの仲間でしたか…ですがそう焦らなくても大丈夫です。意識はないようですが、見た限り命には別状ありません。クラネルさんの治療が済み次第、彼も治療しますから」

 

 リューはそう言うと片膝をつき、右手を添えるようにベルの顔へ近付ける。そして、呪文を唱え始めた。

 

「【汝を求めし者に、どうか癒しの慈悲を───ノア・ヒール】」

 

 魔法を唱えるとリューの手の平に木漏れ日を連想させる暖かな光が生まれる。

 暖光が集まった手の平をベルの頭に当てると、額にできた傷や顔の擦り傷が徐々に塞がっていった。

 

「か、回復魔法……すごい……」

 

「いえ、この魔法はクラネルさんが想像するほど優れたものではありません。回復薬(ポーション)のように即効性がないため、戦場では使えません」

 

 リューは自分の魔法の欠点をベルに説明しながらも、怪我をしているところに手の平を当てていく。

 そしてベルの怪我が全て治ったのを確認した後、リューは離れたところで気絶しているキースの治療を始める。

 

 意識がないキースに回復魔法を当てるリュー。

 ベルは心配そうにその様子を見守っていたが、ふと強烈な視線を感じた。

 

「───っ!?」

 

 初めて味わったその感覚に、ベルはぞっと身体を震わす。

 まるで心臓を鷲掴みにされたと錯覚させるほどの視線を受けて、ベルは辺りを見回す。

 

(だ、誰かに視られている…?でも、一体誰が…?)

 

 辺りに不審な人影はない。だが、誰かに視られている感覚は止まらない。

 ベルは無意識に、先程の乱入者(アレン)が最後に見上げていた方角を仰ぐ。

 視線の先に見えたのは、強く輝く太陽と白亜の巨塔。

 

「………」

 

 思わず目を細めてしまうほど眩しく輝く太陽と、巨大な摩天楼(バベル)は何も言わずベルを見下ろしているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、ようやく私の視線に気付いたのね」

 

 バベルの塔の最上階。そこで銀髪の女神はベルを…ベルだけを見つめていた。

 

「ごめんなさいね、ベル。私だって貴方が傷付く姿は見たくないのよ?」

 

 バベルの最上階から、彼女はベルに向けて語りかける。

 

「でも、これは貴方の魂をより輝かせる上で必要なことなの。だから私はアポロンを焚き付けて、貴方に試練を与えることにしたわ」

 

 ここからではベルに彼女の声が届かないことは明らかだが、彼女は気にせず言葉を続ける。

 

「でも、勘違いしないでね。私は貴方がアポロンの謀略を打ち破り、この試練を乗り越えてくれることを心から願っているの。ふふっ、私がここまで願うなんて初めてよ」

 

 恍惚とした表情をしながら、フレイヤは願う。

 

 「もし力及ばなくても、私が貴方を見限ることはないから安心していいわ。アポロンが貴方に手をつける前に彼を潰して手に入れるつもりだから」

 

 こちらを不安げな眼差しで見つめるベルを安心させるように、彼女は優しく語りかける。 

 

「だけど叶うのなら、また私を魅了してくれるほどの魂の輝きを見せてほしいわ。ねぇ、ベル?」

 

 美の女神は遠くに映るベルを瞳を細めて見下ろしながら、妖しく微笑むのであった。

 

 

 

 

 



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ベルの選択

 

 リューの回復魔法により全快したベルは、傷は塞がったが未だに目を覚まさないキースを背負って黄昏の館に戻ることにした。

 キースを背負って歩くベルと、その横で辺りを警戒しながら足を進めるリュー。そして帰路の途中、リューは事態の詳細を知るためベルに尋ねるのであった。

 

「それで、クラネルさん。一体何があったのですか?」

 

「…その、実は───」

 

 ベルは迷った末、リューに何があったのかを全て伝えることにした。

 未だ突然のことで混乱冷めやまないベルであったが、リューに話していく内に、自分が置かれている現状…どれだけ今の自分が追い込まれているのかを、正確に理解することができた。

 

「───と、いうことなんです」

 

「…そのようなことがあったのですね」

 

(何と卑劣な…これが噂に聞く【アポロン・ファミリア】のやり方…)

 

 ベルの話を聞いたリューは表情こそ変えなかったが、内心では許せない気持ちで一杯になっていた。

 既に正義の使徒ではなくなったリューであるが、だからといって【アポロン・ファミリア】の所業は到底許すことはできないものだった。

 

(さて、どうするべきか…)

 

 彼女はその端麗な顔つきを険しくしながら、どう動くべきか考える。

 すぐにでも【アポロン・ファミリア】のホームに乗り込んで成敗したいところだが、それは現実的な案でないことは理解していた。

 

(【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】の様子から察するに、私が【疾風】であることに気付いているはず。ならば、私の襲撃を警戒して【アポロン・ファミリア】のホームを見張っている可能性か高いでしょう)

 

 アレンは余計なことに首を突っ込んだら潰すと言い残した。わざわざそのような言葉を残す時点で、リューなら何かしてくる可能性が高いことをわかっている証拠だ。

 

(私の正体がバレているのなら、ホームへの襲撃はもちろん、闇討ちも警戒されているはず……これは拙い)

 

 今すぐリューが【アポロン・ファミリア】を潰すために行動を開始すれば、【女神の戦車】が出張ってくるのは間違いない。

 いや、そもそも彼一人の独断でヒュアキントスを庇うのは考えにくい。【フレイヤ・ファミリア】全体が関与しているのは間違いないだろう。

 下手に行動を起こせばリューは都市最大派閥である【フレイヤ・ファミリア】を敵に回す。その先に待つ未来は、言うまでもないだろう。

 悔しいことだが、直接的な行動を封じられた今のリューでは、ベルが置かれている危機的状況を解決することは不可能であった。

 

(…私ではクラネルさんを助けることはできない。だが、状況は絶望的ではない)

 

 リューの頭の中には既に、この状況を打破する方法を思い付いていた。

 

(クラネルさんが所属する【ロキ・ファミリア】の力を借りれば、五日後の決闘を待たずに事態は解決する)

 

 今更説明するまでもないが、ベルが所属する【ロキ・ファミリア】は【フレイヤ・ファミリア】と同じ都市最大派閥だ。

 仲間を卑劣な手段で引き抜こうとする行為は、確実に【ロキ・ファミリア】の怒りを買うこと間違いない。

 そして彼らは仲間───この場合はベルを守るために行動を起こすだろう。

 例え今回の騒動の裏に【フレイヤ・ファミリア】の影が見え隠れしていても、【ロキ・ファミリア】は止まらないはずだ。

 それに普通に考えれば、【アポロン・ファミリア】を守るために【フレイヤ・ファミリア】が【ロキ・ファミリア】とことを構えるとは考えにくい。 

 つまり【ロキ・ファミリア】が実力手段に出れば、それでこの問題は解決するのだ。

 

 ただし、一つだけ問題があるとすれば───。

 

「あの、リューさん…?」

 

 説明を終えてからずっと考え込んでいる様子のリューを、心配そうにベルは声を掛ける。

 暗い表情をする少年を安心させるよう、リューはできるだけ優しい声色で考え付いた解決策を伝えた。

 

「…クラネルさん、この状況を解決するのは簡単です」

 

「ほ、本当ですか!?あの、一体どうすれば…っ!」

 

「貴方が所属している【ファミリア】の力を借りればいい」

 

「【ファミリア】の力を借りる……あっ、先輩方に指導していただくってことですねっ?」

 

「……」

 

 ベルの真っ直ぐな思考に、リューは一瞬だけ言葉につまる。しかし、それは一瞬だけであった。

 

「…本来なら、それが正しいのでしょう。ですが、今は時間がありません。後五日で貴方がLv.3並の実力を身に付けるのは難しい」

 

「えっ、それじゃあ一体…?」

 

 純粋な少年の問い掛けに、リューは無意識に声を低くして答えていた。

 

「…【ロキ・ファミリア】は【アポロン・ファミリア】よりも遥かに強大です。彼らなら、敵のホームに乗り込み主神を討ち取るのは容易い」

 

「っ!そ、それは…!」

 

 厳かにリューが告げた言葉は、ベルに途方もない衝撃を与えた。

 フィンやリヴェリア、そしてアイズに全て任せる───それが今考えられる上で最も正しい選択だ。

 もちろんベルが決闘に勝つことだけができるのなら、それが最良の解決方法だ。しかし、それはあまりにも現実的ではない。

 ベルはLv.2に上がったばかりであるのに対し、相手はLv.3。しかも先程の一戦では、ベルはヒュアキントスに手も足も出なかった。

 現時点でベルがヒュアキントスに勝てる確率は、ほぼゼロであるのは間違いなかった。

 

 【ロキ・ファミリア】は都市最大派閥と呼ばれるだけあって、有する戦闘力も飛び抜けている。

 【アポロン・ファミリア】と抗争に発展しても、勝利するのは間違いなく【ロキ・ファミリア】だ。

 Lv.5を数人攻め込ませるだけで決着はつく。こちらはほぼ無傷で相手のファミリアを陥落させることができるだろう。そう、ベルが決闘で戦うより遥かによい解決策であるのは明らかであった。

 

 リューの言う方法を取れば、ベルが直面している問題を劇的に解決されることだろう…それは残酷なまでに。

 

(でも、そんなのって…!)

 

 心が荒れる。胸が穿たれたように痛い。

 

「クラネルさん、貴方は優しい。だが冒険者である以上、時には冷酷にならなくてはいけない瞬間があります。それが今なのです」

 

「ですが、流石に相手の主神を討ち取るのは…!」

 

「情けをかける必要はありません、クラネルさん。彼らはもう道を踏み外してしまった」

 

 ベルの言葉をリューは冷たく切り捨てる。

 

「【アポロン・ファミリア】が攻め滅ぼされるのは、自業自得です。ですから、貴方が心を砕く必要はありません」

 

 確かに【アポロン・ファミリア】の行いは善か悪かで言えば間違いなく悪だ。

 それでもリューの言う通りにするのは、何かが違うように思えた。

 

「リューさん……でも」

 

「仲間が傷付くことを恐れているのでしたら、問題ありません。【ロキ・ファミリア】ほどの実力者なら、ほとんど傷を負うことはないでしょう」

 

 ベルの迷いを振り払うように、リューは言葉を続ける。

 彼女自身も、ベルに残酷な選択を突き付けている自覚はある。でも、これだけは譲れなかった。

 リューから見てベルは優しすぎる。およそ冒険者に相応しくないほどの心の優しさは確かに美徳だが、同時に重大な欠点も抱えている。

 冒険者は冷徹な判断をしなければ生き残れない。そのことを元冒険者であるリューは痛いほど知っていた。だからリューは、時には非情の選択を取らなければ生き残れないことをベルに知ってほしかったのだ。

 

「………」

 

「もし自分のせいで【ファミリア】に迷惑かけてしまうと思っているでしたら、それは違います。全て【アポロン・ファミリア】が原因です」

 

「…気遣ってくれてありがとうございます。でも、こうなってしまったのは僕にも責任があります」

 

 ここで自分は何も悪くない。全て彼らが悪いんだと開き直ってしまったら、ベル・クラネルを支える根幹の何かが崩れてしまう気がした。

 

「…私は【ロキ・ファミリア】をよく知っていますが、彼らは家族(なかま)に手を出されて黙っているような者達ではありません。今回の事情を知ったら、間違いなく実力行使に出るでしょう」

 

「た、対話で解決することはできないんでしょうかっ?」

 

「残念ながら、先程の【アポロン・ファミリア】の様子を見る限りそれは難しいでしょう」

 

「っ…」

 

 表情が歪む。必死に頭を働かせるが、これ以上何も思い浮かばなかった。

 

「そんな辛そうな顔をしないでください、クラネルさん。先程も言いましたが、全ての責は【アポロン・ファミリア】にあります。貴方はただの被害者です」  

 

(被害者………本当にそうなのか?)

 

 確かに今の絶望的な状況に追い込まれた原因は【アポロン・ファミリア】にある。でも、自分が彼より強ければこんなことにはならなったはずだ。 

 もし狙われたのが僕ではなくアイズさんなら、キースが酷い目に合うこともなく簡単に彼らを撃退していたことだろう。

 でも、それは意味もない仮定だ。彼らの標的になったのは僕であり、アイズさんではないのだ。

   

(本当にこのまま全てフィンさんやアイズさん達に任せてしまっていいのか…?)

 

 自分に問う。思考した時間は数秒。そして僕は答えを出した。

 

(───絶対に嫌だ)

 

 黒き猛牛との死闘を越えて、ただ守られるだけの弱い自分とは決別した。

 そしてあの戦いを終えて決意したのだ───いつか彼女を守れるほど強くなりたいと。

 このままアイズ達が【アポロン・ファミリア】を攻め滅ぼしてしまったら、僕はまた守られる存在へとなってしまう。

 それだけは駄目だと本能が告げていた。理由はわからないけれど、それを許容してしまったら、僕はもう前には進めなくなる。

 

 だから、僕は───。

 

「───ごめんなさい、リューさん。それでも僕は、その選択だけは取りたくありません」

 

「クラネルさん…」

 

「どうしようもないくらい馬鹿なのはわかっています。でも、どうしてもアイズさんやフィンさん達に任せることはしたくないんです」

 

 子どもみたいな我が儘を言っているのはわかっている。でも、自分の心は誤魔化せなかった。

 

「抗争という手段を取らずにこの問題を解決する方法は一つだけ───貴方が決闘で【太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)】に勝つことです。それがクラネルさんにはできますか?」

 

「ヒュアキントスさんに、勝つ…」

 

「えぇ、貴方が決闘に敗けてから【アポロン・ファミリア】を潰すのは良策ではありません。それだと民衆達は決闘で敗けた事実を有耶無耶にするため【ロキ・ファミリア】が攻め込んだと邪推される恐れがあります」

 

 例え【アポロン・ファミリア】の行いを赤裸々に明かしたとしても、全ての民衆達がその言葉を鵜呑みにするとは限らないのだ。

 【ロキ・ファミリア】の暴走だと捉える者が必ず出てきてしまい、今まで培ってきた信頼が揺らぐ可能性が生まれてしまう。

 

「決闘に出るからには、必ず勝利しなければいけません。クラネルさんの敗北は【ロキ・ファミリア】の名に傷を付ける恐れがある…それを理解してもなお、決闘という不確かな手段を取りますか?」

  

 決闘に出るからには敗北は許されない。しかも相手は手も足も出なかったベテランの冒険者。

 あまりにも絶望的過ぎる状況に、再び決意が揺らぐ。

 視界がぼやけ、身体がすくむ。理性がフィンさん達に任せるべきだと訴える。でも心が『それ』を否定している。

 ここでアイズさん達に全てを任せてしまったら、もう僕は彼女と共に前へ進めなくなってしまう。

 あのときした決意も、胸に宿るこの熱き想いも全て消えてしまう。

 どれだけこの選択が愚かだろうと、後悔だけはしない。

 祖父(あのひと)だって、きっと僕の選択を笑いながら肯定してくれるはずだ。

 

『───そうだベル。それでこそ男だ』

 

 頭の中で、力強い祖父の声が聞こえた気がした。

 もう迷わない。迷う必要もない。迷惑をかけてしまうロキ様達には死ぬほど謝ろう。

 そして負けてしまったときは、全ての責任を取ろう。自分の我が儘を貫くのだから、それくらい当然だ。

 

「───はい、それでも僕は決闘を選びます。そして、必ず勝ってみせます」

 

 勝とう。絶対に勝ってみせよう。これからも彼女と…いや、彼女達と一緒に過ごすために。

 

「そうですか……クラネルさん、貴方は本当に愚かだ」

 

「…すみません、リューさん」

 

 自分が愚かなのはわかっているが、それでも面と向かって言われると心にくる。しかも、リューさんの助言を尽く無視してしまうことに僕は胸一杯に罪悪感を感じた。

 

「………」

 

 ベルが頭を下げる中、彼の意志の堅さを感じ取ったリューは困ったように目を伏せる。

 彼女は友人の矜持と安全を天秤に乗せ、どちらを選択すべきかもう一度考えていた。

 

(自分より格上の敵、敗けられない勝負……冒険者として上に登るためには避けては通れない道だ)

 

 ダンジョンに潜って自分より強いモンスターと戦う。冒険者なら誰もが経験する『冒険』と、今回の決闘は本質的には同じことだ。

 そして元とはいえ冒険者であるリューに少年の『冒険』を止めることは叶わない。彼女は知っているからだ───『冒険』することの意義を。

 

「──どうやら私が間違っていたようですね」

 

 冒険者として本当に正しかったのは、自分ではなくベルだったことに気付いた。

 

「よく聞いてください、クラネルさん。貴方はたった一週間でLv.2に昇格した。これは常識で考えてありえないことだ」

 

 あの剣姫でさえランクアップするのに一年かかった。その記録を破る冒険者はもう現れないと誰もが思っていた。

 だが、誰もが不可能だと思っていたことを貴方はやり遂げたとリューは告げる。

 

「そんな貴方なら、残された時間で【太陽の光寵童】に追い付くほどの……いや、彼に勝てるほどの力を身に付けることは不可能ではないのかもしれない」

 

「リ、リューさん…!」

 

 ベルは彼女の言葉を聞いて、顔を輝かせる。

 自分の決断を肯定してくれたことも嬉しかったが、何よりベルが敵わなかった相手を圧倒したリューに勝てると言われたことが嬉しかったのだ。

 

「私にできることがあったら何でも言ってください、クラネルさん」

 

「ありがとうございます、リューさん!」

 

「ただ戦闘面では私の出る幕はないでしょう。【ロキ・ファミリア】には私より腕が立つ者が多い。彼らに師事された方がクラネルさんも早く強くなるのは間違いないと思います」

 

 確かにリューはLv.4の実力者だが【ロキ・ファミリア】にはLv.5以上の強者が多く存在する。

 何より冒険者として歩みを止めてしまったリューより、今も過酷な戦いに身を投じている彼らの方が実力、技術において上なのは明らかだ。

 だからリューは、ヒュアキントスと実際に戦った自分だからこそわかる情報をベルに伝えることにしたのだ。

 

「私から今、クラネルさんに言えることは第一に己を知り、第二に敵を知ることです」

 

「己と敵を知る、ですか…?」

 

「はい。敵の実力や戦い方、使う武器などをしっかりと把握し、自分には何ができてできないかを弁えて戦う。それができれば、例え格上の相手であっても十分に渡り合えます」

 

「それが、己と敵を知るということ…」

 

 リューの言葉を真剣に聞くベル。

 そんな彼にリューは、実際に敵と相対したことで確信した一つの勝機を伝え始める。

 

「敵は見たところ、クラネルさんを侮っています。確かに自分よりレベルが下の者を相手にするのなら、多少油断していたところで敗けることはないでしょう」

 

 ですが、とリューは言葉を続ける。

 

「それは相手と圧倒的な力の差がある場合の話です。そうでない場合、油断や侮りは大きな隙となり、敗北へと繋がる」

 

 Lv.が一つ違うだけで、圧倒的な力の差が存在する。今のベルはLv.2で、ヒュアキントスはLv.3。つまり、ベルとヒュアキントスの間には本来なら圧倒的な力の差が存在するはずだ。そうヒュアキントス自身考えているだろう。

 だがわずか五日でLv.2に昇格したベルなら、その差を埋めることが可能なのかもしれない。しかし、それはあくまで可能というだけで、絶対ではない。

 今のベルではヒュアキントスがどれだけ油断していても勝つのは難しいだろう。Lv.が丸々一つ以上開いている現状では、いくら敵を知り己を知ろうと勝利をもぎ取ることは無理だ。ライオンと兎では勝負にならないのと同じことである。

 つまりリューの助言は、ベルがヒュアキントスと対等に戦える実力まで成長しているのが前提なのだ。

 そう、リューは信じているのだ───ベルがヒュアキントスと渡り合えるほどの実力まで成長することを。

 

 

 

 

『ふふ、覚悟は決まったようね、ベル』

 

 そして彼女同様、ベルなら必ず自分の期待に応えてくれると信じている銀髪の女神は、そんな二人のやり取りを妖しく微笑みながら塔の上から見下ろしているのであった。

 

 

 

 

 



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欲望渦巻くオラリオ

 

 リューとの対話を通じ、ヒュアキントスと闘うことを決意したベル。

 冒険者として自分より遥かに格上であるリューの助言を深く胸に刻み込んだベルは、門前で彼女と別れ、ようやく【ロキ・ファミリア】のホームへと帰還したのであった。

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 バベルの塔の最上階にて、その女神は最上級の笑みを浮かべていた。なぜなら、自分の思惑通りにことが進み、大変満足していたからだ。

 

「ごめんなさいね、ベル。私だって本当は貴方が傷付く姿は見たくないの」

 

「でも、これは貴方の魂がより輝く上で必要ないことなのよ。だから私は、アポロンを焚き付け、彼に手を貸し、貴方に試練を与えることにした」

 

「貴方がアポロンの謀略を打ち破り、この試練を乗り越えてくれることを心から願っているわ。ふふ、私がここまで願うなんて久しぶりなのよ」

 

「叶うのなら、また私を魅了されるくらいの魂の輝きを見せてほしいわ。ねぇ、ベル?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、少し心配ね。忠告はしたけれど思ったよりもアポロンの子は小物だし、これであの子の相手が務まるのかしら?…そうね、オッタル」

 

「はっ」

 

「───貴方にやってほしいことがあるの」

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 派閥のホームである屋敷の一室にて、その男神は豪奢な金細工の椅子に腰かけ、優雅にワインを味わっていた。

 

「愛しきベル・クラネル……ついにこの私の手で愛でられる日が来るのか」

 

フフフと愉悦の笑みを漏らす男神は、自分のモノとなった少年との明るい未来を想像して、歓喜に打ち震えていた。

 

「あぁ、ベル君!いや、ベルきゅん!二人で真実の愛を育んでいこうじゃないか!!」

 

 

 

 

 

 

************************

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。【アポロン・ファミリア】ホームのとある私室にて、二人の青年が高そうなワインを飲みながら、計画の首尾について話し合っていた。

 

「フン、思わぬ妨害があったが、奴らの手助けもあって計画は順調だ。アポロン様もお喜びになっていたぞ」

 

 ホームに帰還した当初は荒れていたヒューマンの青年だが、敬愛する主神から直接お褒めの言葉を頂いたこともあり、すっかりご機嫌になっていた。対して、青年の対面に座る小人族の男は、不安げに彼の表情を伺っていた。

 

「でもよぉ、ヒュアキントス。やっぱりあの【ロキ・ファミリア】に手を出すのは不味いんじゃ…」

 

「今更臆病風に吹かれたのか、ルアン」 

 

 ヒュアキントスは怯えた表情をみせる小人族の青年をギロリと睨む。

 

「だって、もし【ロキ・ファミリア】が攻めて来たらウチは…」

 

「その心配は無用だ、ルアン───その可能性は絶対にありえん」

 

 ヒュアキントスは歪んだ笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「あの女神からもたらされた情報には、奴は愚かな程お人好しで、自分のせいで【ファミリア】の評判が傷つくことは絶対に避けるはずだと書かれていた。当初はその情報の信憑性を疑っていたが、ベル・クラネルを実際に見てあの情報が正しいことを確信したよ」

 

「ど、どうしてその情報が【ロキ・ファミリア】が攻めて来ない理由になるんだぁ…?」

 

 ヒュアキントスが何を言いたいのか、イマイチわからず困惑するルアン。そんな彼の様子を見て、ため息を吐きながらもヒュアキントスは答える。

 

「ハァ…少しは頭を働かせろ、ルアン。【ロキ・ファミリア】には俺達を攻める大義名分は存在しないのだ。そんな状況で俺達を滅ぼしたら、民衆達はどう思うだろうな?ククク…」

 

「ど、どう思うんだ…?」

 

「確実に民衆からの【ファミリア】の名声は堕ちる。奴らが俺達に非があると民衆に訴えても、証拠はないんだ。そんな状況で強硬策に出れば、【ロキ・ファミリア】に不信感を抱く者も出てくるだろう。それがわかっているベル・クラネルは、仲間が攻め込むことを必死で止めるだろう」

 

「な、なるほど。…んん、でもよぉヒュアキントス。ベル・クラネルの制止を無視して攻め込む可能性もあるんじゃないのかぁ?」

 

「まぁその可能性もないとは言い切れないだろう。ククク、喧嘩っ早い凶狼(ヴァナルガンド)などは暴走して攻め込んで来るかもしれないぞ」

 

「そ、そんなぁ!?あんなバケモノ、いくら束になってもに勝てねぇよ、ヒュアキントスッ!?」

 

「落ち着け、ルアン。確かに奴はムカつくことに私よりも強い。だか、こちらには奴ら(、、)がいるだろう?」

 

「や、奴らって、まさか…!」

 

 ヒュアキントスの指す人物に心当たりがついたのか、ルアンは驚愕の表情を見せる。

 

「今回の計画には【フレイヤ・ファミリア】の連中が力を貸してくれている。都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】を抑えるには、同じ都市最大派閥が適任だろう」

 

 ヒュアキントスの話を聞き、一先ず【ロキ・ファミリア】に攻め滅ぼされる不安から解消されたルアンであったが、彼には分からないことがあった。

 

「でもよぉ、どうして【フレイヤ・ファミリア】はそこまでしてくれるんだぁ?そのベル・クラネルの情報も【フレイヤ・ファミリア】からなんだろう?」

 

 ルアンの言うことはもっともだ。【アポロン・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の間には親交はない。そして親交がない相手の手助けをするほど【フレイヤ・ファミリア】はお人好しではないのは明らかだ。

 今まで接点がなかったファミリアにここまで力を貸してくれることは本来ならありえないこと。ルアンは今の状況が不気味でならないのだ。

 

「さぁな。あの女神が考えていることが全く理解できんし、理解したくない…といいたいところだが、彼女の考えは読めている」

 

「本当かぁ!?」

 

「あぁ、あの女神はベル・クラネルを手に入れるために、我らを利用するつもりだろう」

 

 ヒュアキントスも馬鹿ではない。【フレイヤ・ファミリア】が無償で力を貸してくれると思っているわけではないのだ。

 

「?そんなの、あのファミリアならオイラ達を利用しなくても簡単だろう?」

 

「相手が普通のファミリアならな。だが、ベル・クラネルが所属するファミリアはどこだ?」

 

「【ロキ・ファミリア】だろう?」 

 

「そうだ。気に入った男が同じ都市最大派閥に所属していたら、いくらあの女神でもおいそれと手は出せないだろう。だからこそ、第三者である私達を利用してベル・クラネルを手に入れようとしているのだ」

 

「ま、まさか、オイラ達がベル・クラネルを取った後、【フレイヤ・ファミリア】は横取りするつもりなのかぁ!?」

 

「ククク、お前の想像通りだろうよ、ルアン」

 

「想像通りって、どうしてヒュアキントスは落ち着いているんだ!?このままじゃ決闘に勝ってもオイラ達は損するだけじゃねえか!」

 

「損だと?馬鹿を言え、我が【ファミリア】には得しかあるまい。私の見立てでは、アポロン様はベル・クラネルにすぐ飽きる。なぜなら奴にはアポロン様を満足させる程の実力も魅力もない。そして用済みになった奴をあの女神に差し出せばいい。そうすれば、アポロン様は私達を…私だけを見てくれる!」

 

「な、なるほど」

 

「あぁ完璧な未来だ…!アポロン様の一番はあんな雑魚ではなく、この私!【太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)】である私こそが、アポロン様に最も愛されていなければならないのだ!!いいか、私がアポロン様に見初められたときは──」

 

 このままではいつもの長話に付き合わされてしまうと悟ったルアンは、慌てて話を遮った。

 

「と、ところでヒュアキントス!肝心の決闘は大丈夫なのか?」 

 

「太陽が美しく輝くあの…ん?何だ、大丈夫とはどういう意味だ?」

 

「いやよぉ、相手はLv.2到達最短記録を更新した天才なんだろう?いくらお前だって、万が一のことがあるかも…」

 

「ふん、要らん心配をするなルアン。奴とは一戦交えたが全く大したことはなかった。おそらく何かしらのズルでもしたのだろう。まったく、天下の【ロキ・ファミリア】も落ちぶれたものだな、クハハハ!」

 

「なぁんだ。それじゃあ、オイラの心配は杞憂だったんだなぁ!」

 

「あぁ、何も問題ない、ククク…五日後の怪物祭が楽しみだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女神の思惑、男神の欲望、冒険者の嫉妬。それぞれの悪意がベル・クラネルを中心に交錯する中、時は流れ、激動の怪物祭(モンスターフィリア)を迎えるのであった。

 

 

 

 



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太陽と黄昏の怪物祭—開幕—

 

 怪物祭の開催日。

 ちょうど正午の時間帯である現在、都市東端に築き上げられた円形闘技場には多くの人が訪れている。

 周囲の建造物より抜きん出て大きい巨大施設で行われるのは、【ガネーシャ・ファミリア】によるモンスターの調教。観客達は冒険者によるモンスターの調教を一目見ようと、闘技場に足を運んでいた。

 しかし、今年の怪物祭は例年より多く観客が集まっていた。その理由は、五日前に怪物祭の後夜祭として『アポロン・ファミリア】団長、ヒュアキントス・クリオと【ロキ・ファミリア】期待の新人(ルーキー)、ベル・クラネルの決闘が行われることが大々的に宣伝されたためである。

 

 観客の関心はもちろん、ベル・クラネルだ。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが有する約一年というLv.2到達記録を大幅に塗り替えた規格外の新人。

 Lv.2到達記録を大幅に塗り替えた少年について、その偉業の真偽、そして彼の実力について様々な憶測が飛び交う中で、タイミングよく少年の実力が明らかになる機会が現れたのだ。

 しかも相手は歴戦の冒険者、アポロン・ファミリアの団長。普通の新人なら勝負になるわけないが、何せ約一週間でLv.2にランクアップした規格外の冒険者である。多くの者が今回行われる決闘に強い関心を抱いたことは言うまでもない。

 こうして普段は怪物祭に足を運ばない者まで、その戦いを一目見ようと闘技場に赴き、あっという間に観客席は満席になるのであった。

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

(あぁ、もうすぐ時間…!)

 

 仲間達と共に観客席に座るレフィーヤ・ウィリディスの心の中は焦燥に満ちていた。

 

「おい、まだ決闘はやらないのか?」

 

「注目の新人の決闘は怪物祭が終わった後だから、まだ時間がかかるんじゃないか」

 

「なんだよ、まだやらないのかよ。確かに【ガネーシャ・ファミリア】の調教は凄いけど、俺はモンスターより冒険者の戦いが見たいんだ!」

 

「【ロキ・ファミリア】期待の新人ベル・クラネルと、【アポロン・ファミリア】団長ヒュアキントス・クリオの決闘か。確かに興味深い戦いだよな」

 

「だろう!?しかもそのベル・クラネルってLv.2到達記録を大幅に塗り替えた規格外の新人なんだぜ?」

 

 近くから聞こえる観客が話す内容が、より一層レフィーヤの焦燥感を募らせた。

 不安気な顔をするレフィーヤとは対照的に、隣に座るティオナ達はいつもと変わらない表情で怪物祭を楽しんでいる様子であった。

 

「わぁ、【ガネーシャ・ファミリア】の調教技術ってやっぱり凄いねー。あたしには真似できないや」

 

「そうだな。彼らは力尽くでモンスターを従せているわけじゃない…素晴らしい技術だ。観客達がこれほど熱中するのもわかる気がするな」

 

「モンスターをテイムする確率はとても低いはずだけど、今のところ全て成功させているわね。改めて【ガネーシャ・ファミリア】の凄さを痛感したわ」

 

 怪物祭の観戦に来ているティオナ、リヴェリア、ティオネは眼前で繰り広げられる光景に対し感想を口にする。

 今現在、華美な衣装を身に纏う調教師(テイマー)の女性が縦横無尽に鞭を振るい、虎のモンスターをテイムしている最中である。

 

「あのっ、どうして皆さんはそんなに冷静にしていられるんですか!?」

 

「ん、いきなりどうしたのレフィーヤ?」

 

「だって、だって…これからベルが決闘するんですよ!?」

 

「うん、もちろん知ってるよ。楽しみだね、レフィーヤ!」

 

「た、楽しみ!?」

 

「そうね、ベルがどうアイツと戦うのか楽しみだわ」

 

「テ、ティオネさんまで何言っているんですか!?この決闘に負けたら、ベルが【アポロン・ファミリア】に行ってしまうんですよッ!?」

 

 ───五日前。それまで穏やかな空気が流れていた【ロキ・ファミリア】のホームに突如激震が走った。

 その原因は、帰って来たベルとキースの姿にあった。意識を失っている状態のキースを抱えながら帰還したベル。彼らが何者かによって襲撃されたのは明らかであった。

 買い物に出掛けたはずのベル達が傷付いて帰ってきたことに出迎えた団員達は何事かと慌て、仲間想いの団員がどこの誰の仕業だと殺気立った。

 そんなホームの異変に気付き、すぐにその場に駆け付けたロキは血気盛んになる団員達を諫め、ベル達二人を自分の部屋に連れていき事情を聞くことにした。

 

 フィンやリヴェリア、アイズなどの幹部達がベルから話を聞くため集結した頃、タイミングよくキースの意識も回復した。

 そしてベル達二人は起きたこと全てを説明した。彼らの説明の途中に部屋のあちこちから殺気が放たれ、中には【アポロン・ファミリア】に攻め込もうと部屋から出て行こうとする少女もいたが、何とかフィンやリヴェリアによって止められていたりした。

 

 そんなこともあり、ベルの話が終わる頃には部屋の空気は最悪であった。

 

 【アポロン・ファミリア】へ然るべき報いを与えようと今にも行動を始めようとする者も多い中、ベルはできれば決闘に応じたいということを皆に伝えた。

 それに対しアイズやティオナなど反対する者もいたが、ベルの必死な訴えと彼の援護に回ってくれたフィン、そして何より主神であるロキの鶴の一声もあり、最終的には相手の思惑通りヒュアキントスとの決闘を行うことにしたのだ。

 

「お前の心配はわかる。相手はLv.3の実力者、しかもベルは一度戦い、敗北した。あれからどれだけ厳しい鍛錬を積んだとしても、たった五日ではLv.の差を埋めることは普通なら不可能だ。だが、ベルは違う。そうだろう、レフィーヤ?」

 

「た、確かにベルの成長速度は凄いですけど…」

 

「大丈夫だよ、レフィーヤ!今のベルは、特訓前より凄く強くなったから、絶対にヒュアキントスを倒せるよ!」

 

「で、でも…」

 

「ティオナの言う通りよ、レフィーヤ。しかも今回の特訓内容は団長自らが主導したものよ!これでベルが負けるはずないわよ」

 

「あ、あはは…あのティオネさん。私、団長が具体的にどのような訓練をベルにつけていたのか知らないんですけど…」

 

 ベルとフィンの特訓は本当ならレフィーヤも見守っていたかったのだが、急な依頼が入ってしまってその願いは叶わなかった。

 

「あら、そうなの?」

 

「はい、フィン団長がベルと模擬戦闘を行っていたのは知っているんですけどそれぐらいしか…。あの、一体団長はどんな技や知識をベルに授けたのですか?」

 

「なに、フィンがベルに教えたことはそう特別なものではない。ダンジョンに潜る冒険者なら誰でも行っている…それくらい当たり前のことだ」

 

 リヴェリアはレフィーヤ達にフィンの狙いについて、自分の考えを交えながら解説し始めた。

 

「そう、お前達がいつもモンスターについて勉強しているように、相手の特徴、攻撃手段、弱点などを事前に調べ、自身の糧として知識を力へと昇華する。それは冒険者相手でも変わりない」

 

「た、確かに…」

 

「以前の戦闘では、ベルにとってヒュアキントスは未知の敵であった。しかし相手の情報を頭に叩き込んだ今、ベルにとって既に奴は既知の敵となった」

 

 そこでリヴェリアは一旦言葉を区切ると、レフィーヤに視線を向ける。

 

「さてここで問題だ、レフィーヤ。昨夜ガレスはベルの勝率がどれくらいかフィンに聞いたのだが、奴は何て答えたと思う?」

 

「えっと、七…いえ、八割くらいですか…?」

 

「外れだ。答えは───」

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

「ベル・クラネルとは別れを済ませてきたかい、ロキ?」

 

「……」

 

 椅子に座っているロキに近付いてきたアポロンは、ニヤニヤと薄笑いを浮かべながら声を掛けた。

 いつも軽口を叩くロキなら何かしらのアクションが返ってくることを期待したアポロンであったが、意外なことに彼女は何も反応を示さなかった。

 

「おや失敬。お喋り好きな君が黙っているとは、よほど彼がいなくなることが堪えたんだね」

 

「……」

 

「しかし安心してくれ、ロキ。ベルきゅ…ごほん、ベル君は私の手で大切に愛でるつもりだ」

 

「………」

 

「あぁ、ベルきゅんとの初夜を想像するだけで私はッ!?」

 

 ピンク色の妄想を垂れ流すアポロンであったが、突如強烈な悪寒を感じて身体が硬直した。

 

(な、何だこの凄まじい殺気は!?一体誰がこんな──)

 

 青い顔で周囲を走らせたアポロンの視線が、ロキの後ろに控えていた人形のように美しい少女を捉える。

 

「っ!??」

 

 目があった瞬間、アポロンは真っ先に死を覚悟した。それほど、自分を無表情で見つめる少女──アイズ・ヴァレンシュタインは強烈な殺気を放っていたのだ。

 一見無表情に見えるが、彼女の瞳の奥には負の感情を詰め込んだ黒い炎が渦巻えているようにアポロンは感じた。

 

「そこまでや、アイズたん。まだ(・・)その変態に手を出したらあかんで」

 

「……わかりました」

 

 ロキが窘めると、アイズは殺気を放つのを止めてアポロンから目を逸らす。

 

「うんうん、流石アイズたん。聞き分けがよくて助かるわ~」

 

 楽しそうに会話するロキを見て、アポロンは内心で怒りを爆発させていた。

 

(ロキめ、こうなることを見越してわざと【剣姫】を連れて来たな。くだらない真似をしおって……まぁいい、あと少しでベルきゅんは私のモノだ。このくらい笑って許してやるとしよう)

 

「はは…まったく、眷族の手綱はしっかり握っておいてくれよ、ロキ。いきなり第一級冒険者の殺気を浴びせられた私の気持ちを考えてくれ」

 

「ん、すまんな~」

 

(こいつ、まったく反省してないじゃないか!…いかん落ち着け、私。こういうときは愛しのベルきゅんを想像するんだ)

 

 全然感情のこもっていない謝罪にアポロンは再び怒りが湧きかけたが、ベルとの明るい未来を想像して、気持ちを落ち着かせた。

 

(あぁ早く私のベルきゅんを手に入れてくれ、ヒュアキントス)

 

 すでにヒュアキントスの勝利が確定していると考えているアポロンは、決闘が始まるのを今か今かと待ち望んでいた。

 

(ハッ、いつまでその気色悪いにやけ面が続くか見物やな)

 

 そんな彼の様子を横目で見ていたロキは、深い笑みを静かに浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

*************

 

 

 

 

 

『───この戦いは始まる前から勝敗は決している』

 

 そうフィンさんは僕に言った。

 

『ガレスに今回の勝算を聞かれたとき、僕はそう答えた。正直に言おう、ベル。僕は君を甘く見ていた。まさか君がここまで(・・・・)成長するとは思わなかったよ』

 

 尊敬するフィンさんにそう言われた僕は、素直に嬉しかった。

 

『いくら相手を知り尽くしても、そこに圧倒的な力の差が存在した場合、勝利することは不可能だ。しかし、今の君とヒュアキントスの実力はほぼ互角(・・・・)、拮抗していると判断した。そして情報戦はこちらが制している』

 

『相手の戦闘スタイルは既にわかっているね。そして、相手の弱点も』

 

 はい、と僕は頷いた。この五日間、フィンさんに徹底的に教え込まれたのだ。わかっていないはずがない。

 

『そうか。ならもう一度言おう、ベル。この戦いは始まる前から勝敗は決している。だから、もっと力を抜いて戦おう。勝者が緊張する必要はどこにもないだろう?』

 

 フィンさんの力強い言葉を聞き、知らない内に緊張していた心と身体がほぐれていく。そして自分の胸の中にある自信が、身体全体に広がっていくように感じた。

 ありがとうございます、フィンさん───最後に深々と頭を下げてお礼を告げた僕は、決闘の舞台に向かっていく。

 

 円形闘技場の中央に進んで行くと、多くの観客が自分のことを注目していることにすぐ気付いた。観客の歓声や野次が僕に向かって飛んでくる。まさに場の空気が振動し、僕を揺さぶってきた。

 

(あぁ、こんな経験初めてだ…)

 

 いつもの僕ならこの異質な空気に飲まれて、上手く身体を動かせないだろう。でも、今は違う。フィンさんから勇気をもらったおかげで、緊張せずに済んでいる。

 フィンさんだけじゃない。アイズさんやリヴェリアさん、ティオナさん達からもたくさんの勇気をもらった。

 どれだけ人が自分のことを注目していようと、どれだけこの一戦が重要だろうと、僕の心身を縛り付ける重りにはならない。フィンさんの言う通り、緊張する必要はどこにもないんだ。

 

「ほう、逃げずに来たか、ベル・クラネル」

 

 目の前には、既に入場していたヒュアキントスさんが不敵な笑みを浮かべて待っていた。

 僕は挑発めいた彼の言葉にあえて反応せず、相手の武装を観察する。

 白を基調にした戦闘衣に大型のマント、腰には長剣と短剣。真正面から見て確認できる武装はそのくらいであった。観察を終え、僕は心の中でホッとした。

 ───なぜなら、彼の装備はこちらの予想通りのものであったからだ。

 

(武装で注意するのはあの長剣…そしてフィンさんの言う通りなら彼はまだ隠し玉を───)

 

「おい、返事ぐらいしたらどうだ。それとも緊張して言葉が出ないのか?ククク」

 

 僕の思考を遮るように、ヒュアキントスさんが再び口を開き、挑発するよう笑う。

 しかし、僕は口を開かない。何も言わず、ただじっとヒュアキントスさんの顔を見つめていた。

 相手の言葉を無視するなんて、本来なら物凄く失礼なことだ。しかし、もう勝利への布石は始まっている。

 この五日間でいくつもの戦闘の心得を学んだ。その一つ、戦いは刃を交える前から始まっていることを僕はフィンさんから教わった。

 

「……………」

 

「チッ、本当に言葉が出ないのか。貴様がどのような命乞いを口にするのか楽しみにしていたのだが、どうやら無駄になったようだな」

 

 何も反応せず、ただ自分のことをじっと見つめるだけの僕の態度にヒュアキントスさんは明らかに苛立っていた。

 これがオドオドとした様子であったら彼も満足したかもしれないが、今の僕は臆することなく自然体で立っている。

 彼にとって僕の態度は不可解で、そのことが余計に苛立ちを増大させる。

 

『いいかい、ベル?戦闘時の苛立ちは冷静な判断の邪魔となり、思考を単調なものに変化させる。だから冒険者はどんなときでも平常心であることが大切なんだ』

 

『ヒュアキントスは君のことを見下しているようだが、この状況はとても使える。僕の見立てでは、彼は戦闘前に君のことを挑発してくるはずだ。そこで君は何も言わず、胸を張って相手を見つめ返せ』

 

『自分が見下している相手に無視をされたら、彼の性格からして必ず苛立ちを覚えるはずだ。これでまず、冷静な思考という重要な武器を奪うことができる』

 

 フィンさんから学んだ盤外戦術。今のところ上手くハマっているようであった。

 

「楽に終われると思うなよ、ベル・クラネル。貴様が無様に泣きわめくまでいたぶってやる」

 

 ヒュアキントスさんがそう言った後、拡声器からこの決闘の審判を務める青年の声が響き渡った。

 

『それでは両者、所定の位置に着いてください』

 

 審判の指示に従い、目印が付いてある地点まで移動する。そして武器を構え、ヒュアキントスさんと向かい合った。

 向かい合う彼の目を真っ直ぐ見つめる。読み取れるのは激しい昂ぶり。弱者たる僕をどんな風にいたぶるかを考え、僕が初手にどう動くかなんてわざわざ考えていないだろう。

 それが強者である彼の傲慢。彼にとっては当たり前で、そして僕にとっては戦闘の主導権を握る上で欠かせない重要なピースとなる。

 

 『両者、準備はいいですね?それでは───決闘開始!』

 

 号令の下、力強く鳴らされた戦闘開始を告げる鐘の音が円形闘技場に響き渡り、戦いの幕は開けるのであった。

 

 



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太陽と黄昏の怪物祭—決闘—





 

『それでは───決闘開始!』

 

 戦闘開始を告げる鐘の音が円形闘技場に響き渡った瞬間、ベルは一陣の風になってヒュアキントスに襲い掛かっていた。

 

「っ!?」

 

 迫りくる短刀の初撃を長剣で防いだヒュアキントスであったが、後少し反応が遅れていたらその一撃を喰らってしまっていた事実に内心で驚愕する。

 

(ハッ、私が油断している最初の瞬間を狙っていたようだが、甘かったな三下が!俺とお前とでは冒険者としの格がちがっ───)

 

 そんなくだらないことを思考しているヒュアキントスであったが、すぐにその余裕がなくなる。

 

「ふッ!!」

 

 二撃、三撃、四撃。

 次々とベルの両手から放たれる二振りの短刀により放たれる斬撃。

 隙を見て反撃しようと考えていたヒュアキントスを嘲笑うかのように苛烈さが増してくるベルの攻撃速度に、彼は防戦一方になる。

 凄まじい速度で攻撃を繰り出すベル。

 これが速さ重視の威力の弱い攻撃ならヒュアキントスにとって何の問題もなかった。

 あえて一撃喰らい、相手の攻撃の隙をついて反撃に転じることができた。

 しかし、自身に放たれる斬撃を防ぐ際に伝わる手元の武器の衝撃から、恐るべき威力が込められているのを感じ取った。

 

(馬鹿なっ!?敏捷だけでなく、力さえも私のステイタスに迫っているだと…!?)

 

 つい先日まで、ベルのステイタスはヒュアキントスより圧倒的に低かった。

 だからこそ、眼前に広がる異常な光景にヒュアキントスの理解は追いつかない。

 

 そして、彼は一つ勘違いしていた。

 確かにベルの力はヒュアキントスに迫っているが、敏捷に関しては彼の上をいく。

 

「くっ!?」

 

 ベルの攻撃を全て防いでいたヒュアキントスであるが、少しずつ対応は遅れ始める。

 まるでヒュアキントスの間合いを完全に理解しているように立ち回るベルの動きに翻弄され、自身が得意な間合いで戦うことを許してくれない。

 

 そんな二人の熱戦を観客席から見つめるフィンは、未だ自身が置かれた状況を理解できていないヒュアキントスに向けて告げる。

 

「ヒュアキントス、君の敗因は二つだ。一つはベル・クラネルの成長速度を見誤ったこと、そしてもう一つは情報戦を疎かにしたことだ」

 

 とある第二級冒険者のエルフは以前、ベルにこう助言した───第一に己を知り、第二に敵を知ることが大切だと。

 敵の実力や戦い方、使う武器などをしっかりと把握し、自分には何ができてできないかを弁えて戦う。それができれば、例え格上の相手であっても十分に渡り合えると。

 

 そしてこの五日間、フィンは特別な特訓をベルにつけた。

 まずフィンが最初にやったのは、ヒュアキントスの戦闘スタイル、武器、思考について徹底的に調べて精査した。

 ヒュアキントスの戦闘は一年前にフィンがこの目で見たことがあるため、集めた情報と照らし合わせて記憶にあるバトルスタイルに変化がないことを確信した。

 後は彼の現在のステイタスを推測し、彼が愛用する武器に一番形が近い長剣をファミリアの倉庫から見つけ、フィン自身が仮想ヒュアキントスになることでベルと模擬戦闘をひたすら行ったのだ。

 

 余談だが、本来のフィンの獲物は槍であるが、様々な状況を想定して一通りの武器全般を鍛えているため、ヒュアキントス程度の剣技を模倣することは大して難しいことではなかった。

 

『ベル、僕はこれから今のヒュアキントスのステイタスであるLv.3にまで力を加減する。そして戦闘スタイルも同様、ヒュアキントスをできる限り再現して行うつもりだ』

 

『は、はい!』

 

『時間は有限、模擬戦闘の最中に逐次助言していくから、君には戦いの中で修正してもらう。できるかい?』

 

『はい、頑張ります!』

 

『うん、いい返事だ。それではやろうか』

 

 それから五日間、ベルはひたすら仮想ヒュアキントスを演じるフィンとの訓練を続けた。

 最初の内はフィンの動きについていけずに、もろに攻撃を喰らってダウンしてしまうときもあった。

 そのときは回復魔法が使えるリヴェリアや、彼女が不在の時は他の団員が彼を癒し、すぐに戦闘に復帰させた。

 

『これはまた、たった一日ですごい成長やな…』

 

 フィンの指示で訓練の終わりの夜に毎回ステイタスを更新することになった、ベルのステイタスの伸びに驚愕する。

 

************************

 

ベル・クラネル

  Lv.2

 力:I0→G201 耐久:I0→F305 器用:I0→G221 敏捷:I0→F301 魔力:I0→I85

 天運:I

 

************************

 

全アビリティの上昇幅が1000を超えるベルの異常な成長速度に、流石のロキも顔を引きつっていた。

 

 そして模擬戦闘を続けるうちに、次第にベルが打ち漏らすフィンの攻撃が少なくなり、ダメージを喰らう回数も減っていった。

 ただし、二日目の段階ではまだ防御だけで手一杯であった。

 

 三日目。

 ようやくフィンの攻撃をしっかりと防御し、反撃のタイミングを探す余裕ができた。

 しかし、実際に反撃に移すとすぐに強烈なカウンターを喰らってやられてしまった。どうやらあえて隙を作って誘われたようであった。

 

 四日目。

 フィンの攻撃を捌きながら、牽制の一撃を入れることに初めて成功した。

 しかしその一撃はあまりにも軽く、ダメージは期待できない。

 それでも仮想ヒュアキントスにベルの攻撃が初めて通ったのだ。もっとも、気が抜けてしまいその後強烈な一撃を喰らってしまったが。

 

 五日目。

 次の日に決闘を迎えるため、実質今日が訓練の最終日であった。

 初日は助言が多かったフィンであるが、二日目、三日目と時間が進むにつれて口数が少なくなっていった。

 そして最終日には、何一つベルに対して助言することはなくなったのだ。

 それは助言をする必要がなくなったという何よりの証。

 

『お疲れ様、ベル。現時点をもって対ヒュアキントスを想定した模擬戦闘は終了だ』

 

 訓練の最後に、フィンはそう告げた。

 

『はぁはぁ…あ、ありがとうございました!フィンさんのおかげで僕はここまで強くなることができました』

 

『いいや、ここまで強くなったのは純粋に君自身の力だよ、ベル。君は僕の予想を超える成果を叩き出した』

 

 対ヒュアキントスを想定したこの模擬戦闘で、ベルは見事フィンの期待に応えた。

 いや、期待以上の実力を身に付けることに成功したといってもいいだろう。

 ステイタスはもちろん、技や駆け引きなど戦闘技術を大きく向上させた。

 

 ちなみに、以下が五日間のフィンとの特訓を終えた時点のベルのステイタスである。

 

 

************************

 

ベル・クラネル

  Lv.2

 力:SS1012 耐久:SS1092 器用:SSS1209 敏捷:SSS1314 魔力:SS1088

 天運:I

 

 

《魔法》【ウインドボルト】

    ・速攻魔法

 

    【エンハンス・イアー】

    ・付与魔法

    ・自身の聴覚を強化

    ・詠唱式【我が耳に集え、全ての音よ】   

   

《スキル》【英雄熱望(ヒーロー・ハート)

     ・早熟する

     ・英雄を目指し続ける限り効果持続

     ・英雄の憧憬を燃やすことにより効果向上

     

     【命姫加護(リィン・ブレス)

     ・魔法が発現しやすくなる

     ・『魔力』のアビリティ強化

     ・運命に干渉し、加護の保持者に絶対試練を与える

     ・試練を乗り越えるごとに、加護の効果向上

 

***********************

 

 

 そして、時は現在に戻る。

 

 今のベルのステイタスは、前回分の貯金も考えれば十分Lv.3の冒険者と渡り合える実力を秘めていた。

 フィンの見立てでは、力では僅かにヒュアキントスに劣るが、耐久、敏捷、器用のアビリティは同等かそれ以上のポテンシャルをベルは有していると判断した。

 そして、仮想ヒュアキントスとして何度もフィンと戦闘を繰り返したことで、彼の技はベルにとって既知のものになる。

 フィンの優れた洞察力によりヒュアキントスの技や思考は正確に模倣され、模擬戦闘中ベルは本物のヒュアキントスと戦っているように錯覚するほどであった。

 そのため、本来なら冒険者として地力が上のはずのヒュアキントスが、対人戦闘経験に浅いベルにここまで翻弄されているのだ。

 

(ふざけるなッ!この私がこんな格下相手に負けるはず…!?)

 

「シッ!」

 

「なっ!?」

 

 一閃。

 幾度も鋭い斬撃を浴び、少し罅が入った長剣の弱点を正確に狙ったベルの渾身の一撃が入る。

 バキッと真っ二つに折れた愛剣に、ヒュアキントスの思考に空白が生まれる。

 

 そしてその隙を見逃すほど、今のベルは甘くなかった。

 

「ハッ!」

 

「ぐはっ!?」

 

 右肩に一撃。続いて左胸にも。

 防具越しに強い衝撃が走り、痛みで思わず口から悲鳴が漏れる。

 しかし腐っても上級冒険者。ヒュアキントスはすぐに折れた長剣でそれ以降のベルの攻撃を防いでいく。

 

 ただし、今の攻撃により拮抗は崩れた。

 無視できないダメージを負った身体と折れた長剣でベルの攻撃を防ぎきるのは困難だとヒュアキントスは直感した。

 そして、次にベルの攻撃を喰らってしまったら自身の敗北が濃厚になることを悟ったヒュアキントスは、ここで勝負に出ることにした。

 

「ッ!」

 

「ぐっ!」

 

 ベルの一撃を折れた長剣で受け止めた瞬間、相手の力を利用して後ろに全力で飛んだ。

 

(後ろに飛んだ!?体勢を立て直すためだと思うけど、この機を逃すわけにはいかない!)

 

 ここが勝機だと理解しているベルは、ヒュアキントスを逃がさないために前へと出る。

 

「喰らえ!」

 

 追撃して来ようとするベルに向かって、ヒュアキントスは折れた長剣を全力で投擲する。

 

「!?」

 

 ヒュアキントスを追おうと踏み込もうとした地面目掛けて飛んできた剣に、慌ててベルは足を止める。

 その投擲で地面は抉れ、舞い上がった土煙がベルの視界を防ぐ。

 その間に全力で後方へと跳躍したヒュアキントスは、ベルとの距離を大きくあけることに成功した。

 

 そして、

 

(まさか兎相手にこれを使うとは思わなかったが、背に腹はかえられない。ここで確実にヤツを仕留める!)

 

 本来なら使う予定がなかった切り札をここで切ることを決心した。

 

「【我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ】!」

 

(そうだ、ヒュアキントスさんには魔法がある。ここは相手に時間を与えるのはマズイ!)

 

 詠唱を開始したヒュアキントスを止めようと、土煙の中を突っ込んで前へと疾走する。

 このままでは詠唱が完成する前にベルに妨害されることは火を見るより明らかであったが、ヒュアキントスには秘策があった。

 

(よもや魔法だけでなく、これも使わされるとはな)

 

 懐から取り出すのは小振りな魔剣。

 この決闘には武器の制限がない。

 それを利用して財力がある【ロキ・ファミリア】が実力で劣るベルに複数の魔剣を装備させて決闘に挑んでくることを危惧して用意していたものだ。

 結局、ベルは魔剣を持ち込まずにここまでヒュアキントスを追い詰めたのだが、別にヒュアキントスが使ってはいけないという決まりはない。

 もっとも、一騎討ちの決闘で格下相手に魔剣を使用することはヒュアキントスのプライドを大きく傷つけた。

 

(クソが、この恥辱…決して忘れぬぞベル・クラネルッ!)

 

 ここで魔剣を使わず敗北した場合、彼の主神であるアポロンの顔に泥を塗る。それは絶対に許されないことであった。

 主神を何よりも優先するヒュアキントスは、プライドを殴り捨てて魔剣を構えた。

 

「【我が名は罪、風の悋気。一陣の突風をこの身に呼ぶ】!」

 

(ここだッ!)

 

 詠唱を続けながら振り抜いた魔剣から、炎の壁が生まれてベルへと迫っていく。

 

「なっ、魔剣!?」

 

 広範囲の攻撃なため避けることが不可能だと判断したベルは、すぐさま手を突き出して叫ぶ。

 

「【ウインドボルト】!」

 

 ベルの右手から放たれた風の奔流は、そのまま炎の壁にぶつかり、炎の威力を弱める。

 

(一発じゃ足りない…それなら!)

 

「【ウインドボルト】、【ウインドボルト】!」

 

 二撃、三撃放って、ようやくベルの眼前に迫った炎の壁は相殺される。

 しかし、その間にヒュアキントスの詠唱は完成へと向かっていった。

 

「【放つ火輪の一投】」

 

(っ、させない!)

 

「【ウインドボルト】!」

 

 ベルはこれ以上、ヒュアキントスに詠唱をさせないために前へと突っ込みながら魔法を放つ。

 しかし、それを予期したかのようにヒュアキントスは魔剣を再度振り抜いて火の壁を生み出す。

 

「【ウインドボルト】、【ウインドボルト】!」

 

 先程同様、魔法を三発撃ち込んで相殺したが、間髪入れずに魔剣から炎の壁が放たれる。

 

「くっ、【ウインドボルト】、【ウインドボルト】、【ウインドボルト】!」

 

(まさか速攻魔法を隠し持っていたのは驚いたが、魔剣がある限りこちらに近づけない。そして、その間に私は詠唱を完成させる)

 

 使用回数に制限がある魔剣のため、ずっと打ち続けることは不可能。しかし、魔法が完成するまでであれば壊れることはないため、魔剣でベルが接近してこないように牽制しながらも詠唱を続けていく。

 

「【来たれ、西方の風】!」

 

 そして遂に詠唱は完了し、後は魔法を発動するだけとなる。

 

(この魔法は自動追尾で、絶大な威力を誇る。これで貴様の敗けだ、ベル・クラネル!)

 

 勝ちを核心したヒュアキントスは魔法名を告げる。

 しかし、油断した彼は気付かなかった───ベルの唱える魔法の回数が少なくなっていることに。

 

「【アロ・ゼフ───】」

 

「【ウインドボルト】!」

 

「がっ!?」

 

 自身が生み出した炎の壁を突き破って現れたベルは、今まさに魔法を発動しようとしているヒュアキントスを狙って魔法を放つ。

 直撃した風の塊にヒュアキントスの身体は仰け反り、膝をつきそうになる。

 

(馬鹿な!?時間的に奴の魔法で相殺するのは間に合わなかったはず、どうやって火の壁を乗り越えた!?クッ落ち着け、ここで魔法が暴発したら大変なことに───!)

 

 幾度も修羅場を経験しているだけあって、ヒュアキントスは混乱しながらも魔力を暴発させることだけは防いだ。

 もっとも、魔法制御に集中してしまったため、魔法を放つまでにタイムロスが生まれてしまった。

 

 そして、その隙を見逃すほどベルは甘くない。

 

「ふッッ!」

 

 全身に火傷を負いながらも速度を緩めずにヒュアキントスへと疾駆したベルは、その勢いのまま右手を突き出した。

 

「ま、まだだッ!」

 

 そんなベルに向かって手に持つ魔剣を振り抜くが、既に彼我の距離は埋まっている。

 放たれた魔剣の一撃をスライディングすることで避け、火の壁はベルの頭すれすれを通って後方へと消えていく。

 

(な、魔法を放つのはフェイク!?)

 

「あああぁぁぁっ!」

 

 ヒュアキントスの真下に潜り込んだベルは、思いっきり上へと跳躍しながら顎に狙いを定めて右手を振り抜いた。

 

「がぁっ!?」

 

 咆哮をあげながら放たれたベルの右拳は正確に相手の顎を撃ち抜き、真上と吹き飛ばす。

 そして無防備な状態で滞空するヒュアキントスに向かってベルは跳躍すると、左手に構えていた短刀を両手で持って、胸に全力の一撃を振り下ろした。

 

「があッッ!!?」

 

 真下へと斬り飛ばされたヒュアキントスの身体は地面に凄まじい衝撃で叩きつけられる。

 遅れて地面へと着地したベルは 相手が白目をむいて意識を失っていることを確認し、ふっと安堵の息を吐いた。

 

「───」

 

 Lv3の冒険者がLv2の冒険者によって倒されたという信じがたい目の前の光景に、誰もが言葉を失った。

 

『せ、戦闘終了~~~~!?決闘の勝者は【ロキ・ファミリア】の期待の新人、ベル・クラネルだ───!!』

 

『『『うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!?』』』

 

 審判の宣言を受けて、闘技場はすぐに勝利の歓声に包まれるのであった。

 

 



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太陽と黄昏の怪物祭—乱入—

 

 ベルとヒュアキントスが刃を交えた瞬間まで、少し遡る。

 

 観客席から二人の戦闘を見守るレフィーヤたちは、始まった決闘を食い入るように見つめていた。

 

「は、始まったばかりなのに凄い攻撃…!」

 

「惜しい!後少しで一撃入ったのに!」

 

 レフィーヤは初っ端から突っ込んでいたベルの攻撃の速さに驚きを隠せない様子であり、ティオナはもう少しヒュアキントスの反応が遅ければ先制の一撃が決まっていたことを本気で悔しがっていた。

 

「開始直後の急襲…まずは主導権を握ることができたようだ」

 

「へぇ、やるじゃないベル。動きが見違えたわ」

 

 リヴェリアはフィンの思惑通りに戦闘が進んでいることに安堵し、ティオネはベルのステイタスが想像以上に成長していることに感心していた。

 

 そして、ヒュアキントスが防戦一方の展開を興奮しながら見ていたレフィーヤは思わず声をあげる。

 

「このままいけば、ベルが勝つんじゃ…!」

 

「いや、まだ油断はできな状況だ。今はベルが押しているが、対人戦闘経験は奴の方に分がある。もしヒュアキントスがこの状況を乗り切ることができたら、勝負は分からなくなる」

 

 リヴェリアが戦況を冷静に分析する中、流れが大きく変わることが起きた。

 

「あっ!ベルが武器を斬った!」

 

「今までの攻撃で弱った部分を狙って斬るなんて本当に成長したわね、あの子」

 

 ヒュアキントスの長剣を真っ二つにしたことにティオナとティオネは嬉しそうに声をあげる。

 そしてレフィーヤは、これにより勝負が決まったと確信して喜色の表情を浮かべる。

 

「でも、これで…!」

 

「いや、まだだ」

 

 ヒュアキントスは後ろに跳躍し、折れた自身の武器を投擲することでベルの動きを止める。

 そして二人の距離は大きく開くことになり、戦闘は仕切り直しになった。

 

「距離は開きましたけど、相手は武器を失っているし、もうベルの勝ちでは…」

 

「いや、奴は短剣も携帯しているはず…だがあの動きは…」

 

「まさかヒュアキントスの奴、魔法を打つ気?」

 

「えぇ、この状況で魔法!?そんなの無謀じゃん!」

 

 リヴェリア達の予想通り、ヒュアキントスは魔法の詠唱を始める。

 ただし彼が懐から魔剣を取り出し、ベルに向けて発動したのは流石に彼女達にも予想外であった。

 

「ま、魔剣!?そんなの卑怯じゃないですか!」

 

「…いや、装備に関しては特に制限は設けられていない」

 

「つまりそれってどういうこと!?」

 

「この戦いで魔剣を使っても問題はないってことよ」

 

「そんなの…いくらルール上問題ないからといってもベルに不利過ぎますっ!」

 

「レフィーヤ、お前の気持ちは理解できる。しかし今は、ベルを信じて見守るしかない」

 

(今までフィンの読み通り進んでいた展開であったが、ここで外れるとはな…)

 

 実際、フィンはヒュアキントスがこの決闘に魔剣を持ち込む可能性を予測していた。

 ただ、実際に戦闘で魔剣を用いることは『ある例外』を除いてないと予想していたのだ。

 その例外とは、【ロキ・ファミリア】側がベルに魔剣を武装させた場合である。

 

 ベルが魔剣を使用した際へのカウンターとして魔剣を持ち込み、いざというときに使用する。

 しかし、こちらが魔剣を使わなければ彼の方から使うことはないとフィンは判断した。

 

(いや、こればかりは私もフィンと同じ見解だったな)

 

 自分よりLvが低い冒険者に対して多くの観客の前で魔剣を使うことはヒュアキントスにとって耐え難い恥辱である。

 もし魔剣を使ってベルに決闘に勝っても、観客の反応は冷めたものになるだろう。

 何よりも自身のプライドを大切にするヒュアキントスにとって、そのような屈辱的な視線に耐えられるわけがないと思っていた。

 

 しかし、フィン達はヒュアキントスがどれほど主神(アポロン)を想っているのかを読み違えた。

 確かに彼は尊大で高慢でもあるが、自身の誇りよりも主神の威光を何より大切にする。

 敬愛するアポロンのためなら、身を切る覚悟がヒュアキントスには備わっていたのだ。

 

「炎の魔剣…しかも範囲が広いっ!」

 

 ヒュアキントスから放たれた魔剣による攻撃に、レフィーヤは思わず悲鳴を上げる。

 しかし、隣にいるリヴェリア達は冷静であった。

 

「確かに回避は困難だが、ベルには速攻魔法(ウインドボルト)がある」

 

「そうね、見たところ魔剣の威力はそこまで強くないようだし、まだ勝機があるわ」

 

 リヴェリアとティオネの言葉通り、ベルから放たれた速攻魔法(ウインドボルト)により炎の壁は弱まっていく。

 

「よし、ベルの魔法で対抗できたっ!」 

 

「よ、よかった…」

 

「ウインドボルト三発で相殺か…厳しい状況だな」

 

「そうね」

 

 喜ぶティオナとレフィーヤとは対照的に、リヴェリアとティオネの表情は晴れなかった。

 

「えっと、ベルの魔法で魔剣の攻撃を消し去ることができるんですから、大丈夫では…?」

 

「確かにそうだが、相手の目的は魔剣でベルにダメージを与えることではない。魔剣はあくまで魔法を完成させるまでの時間稼ぎだ」

 

「あ…」

 

「ヒュアキントスの魔法が何なのか私も知らないけど、この状況でそれを選択するくらいだから切り札なのは確かよ。おそらく、魔法が完成してしまったら戦況は一気にアイツに傾く可能性が高いわ」

 

「じゃあ、ベルは魔法で魔剣の攻撃を打ち消しながらヒュアキントスに近づいてガツンと一撃を喰らわせればいいってことだ!」

 

「それができれば話は簡単だけどヒュアキントスの奴もここが正念場なのはわかっているはずよ。魔剣を連発してでも、ベルの足を止めてくるでしょうね」

 

 ティオネのその言葉通り、ヒュアキントスは何度も魔剣を振るって炎の攻撃を連発する。

 ベルは速攻魔法(ウインドボルト)で何とか相殺しているが、一向に彼との距離が縮まることはなかった。

 

「マズいな、このままでは…」

 

「相手の魔法が完成しちゃいます…ッ!ど、どうすれば…!?」

 

「まだアイツの魔法を止める方法はあるけど、それにベルが気付くかどうかね…」

 

「ベル…!」

 

 レフィーヤは泣きそうな表情で二人の戦闘を見つめる。

 そんな彼女に、ティオナは明るい笑顔で言葉を掛けた。

 

「大丈夫だよ、レフィーヤ!ベルは絶対に勝つよっ!」

 

「ティオナさん…」

 

「だからそんな表情しないで、明るい顔でベルを応援しようよ!その方がベルもきっと喜ぶよ!」

 

「…はい、わかりましたっ!すぅ…はぁ…頑張れっ、ベル~~~~ッ!!」

 

 レフィーヤの声援がベルに届いたのかは定かではないが、少年の顔つきが変わったことに一部の者達は気付いた。

 

「あの顔は…どうやら覚悟を決めたようだな」

 

「えぇ、それしかアイツの魔法を止める方法はないわベル。恐れずに突っ込むのよ」

 

「いっけぇぇ、ベルぅぅぅ~~~っ!!」

 

 ティオナの大声が闘技場に響いた瞬間、ベルは勢いよく前へと駆けていく。

 もちろん眼前には魔剣により生まれた炎の壁がいくつも存在していたが、それそれに一発ずつ速攻魔法(ウインドボルト)をぶつけ、炎が弱まった部分に身体を突っ込ませて強引に突破していく。

 

「ベル…!!」

 

 レフィーヤは少年の勝利を祈る。

 

 一個の炎の壁を乗り越える度にベルの身体は火に焼かれる。

 いくら炎が弱まった個所を抜けてきているとはいえ、完全にダメージを防ぐことはできない。

 それでもベルは、炎に身体が焼かれる痛みを恐れずに前へ前へと疾走していく。

 

「あと少しだ、ベル」

 

 リヴェリアは少年の勝利を信じる。

 

 残りの魔剣による炎の壁は一枚。

 そして自身が生み出した炎の壁によってヒュアキントスの視界は塞がれ、急接近するベルの存在に気付いていない。

 そして少年はすぐ目の前に迫った炎に風魔法をぶつけ、弱まった炎の隙間に足を止めず突っ込んでいく。

 

「決めなさい、ベル」

 

 ティオネは少年に発破を掛ける。

 

 炎の壁を破って現れたベルの速攻魔法(ウインドボルト)をもろに喰らい、片膝をついて動揺するヒュアキントス。

 しかし流石は上級冒険者であって、手に握っている魔剣を発動させてベルの身体を焼こうとする。

 しかし、あらかじめ読んでいたベルは前方へとスライディングすることで紙一重で避け、相手の懐まで潜り込んだ。

 

「いっちゃえ、ベルっ!!」

 

 ティオナは少年にとびっきりの声援を送る。

 

 咆哮をあげながら放たれたベルの右拳は正確に相手の顎を撃ち抜き、ヒュアキントスの身体を真上と吹き飛ばす。

 そして無防備な状態で宙に浮かぶヒュアキントスに向かってベルは跳躍し、全力の一撃を振り下ろした。

 

「「いっけええぇぇぇッ!!」」

 

 レフィーヤとティオナの叫びが重なる。

 そして、ベルの渾身の一撃によりヒュアキントスは戦闘不能になった。

 ヒュアキントスの意識が完全に失われているこを確認した審判が、決闘の勝敗を告げる。

 

『せ、戦闘終了~~~~!?決闘の勝者は【ロキ・ファミリア】の期待の新人、ベル・クラネルだ───!!』

 

『『『うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!?』』』

 

「や、やりました!ベルがやりましたよっ!」

 

「うん!やったねっ!」

 

「ふふ、本当にいい戦いだったわ」

 

「ふぅ…よくやったなベル。ん…?」

 

 ベルの勝利に観客達が歓声を上げて熱狂する中、ふと何か感じたリヴェリアが視線を空に向ける。

 彼女の視線の先…バベルの塔近くの空中に『何か』が見えた。

 

「あれは───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、リヴェリア達から離れた通路付近でウエイトレス衣装の上に灰色のケープを羽織った金髪のエルフの姿が見られた。

 

(…クラネルさん、よく頑張りましたね)

 

 ベルとヒュアキントスの激闘を最後まで見守っていたリューは、少年の勝利に安堵の表情を浮かべる。

 

 元々は怪物祭を見に行ったシルが財布を忘れていることに気付き、店主であるミアの了承を得てリューが届けに来たのだ。

 

(シルに財布を届けるために闘技場までやってきましたが、クラネルさんの決闘を見届けることができたのは僥倖でした。しかし、シルは一体どこに…)

 

 確かにリューはベルの戦闘に集中していたが、この決闘が始まる前まではシルのことをずっと探していた。

 しかし、どこを探しても彼女の姿が見付からず、そうこうしている間にベルとヒュアキントスとの決闘が始まってしまったのだ。

 

(途中で財布に忘れたことに気付き、酒場に戻って私と行き違いになってしまったのでしょうか…)

 

 それならシル本人かアーニャあたりがリューのことを呼び戻そうと闘技場に来ると思われるが、この時間になっても同僚の姿は見られなかった。

 

(クラネルさんの勝利は確認できましたし、ひとまず豊穣の女主人まで戻って……ん、あれは)

 

 踵を返そうとしたリューは、嫌な気配を感じて空を見上げる。

 彼女の見つめる視線の先に、『それ』がいた。

 

「馬鹿な、あれは──!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な、ヒュアキントスが負けた…だと…?ハハ、これは夢に違いない…」

 

 ヒュアキントスの敗北という衝撃的な結果に、アポロンは白い顔をして現実逃避する。

 しかし、もちろん隣にいるロキがそれを許すはずがない。

 

「現実を見ろボケ。お前の子はベルにボッコボコにやられて敗北したんや」

 

「だが、ヒュアキントスの方がレベルは上のはずだ…」

 

「ハッ、下界の可能性を忘れたんかアポロン」

 

「まさか…この短期間でヒュアキントスのステイタスに迫るほどベル君が成長したというのか…!?」

 

「そのまさかや」

 

「そんな…」

 

 ロキの言葉を聞いて、ガクッとアポロンは肩を落とす。

 そんな彼にロキは慈悲なく追撃をかけていく。

 

「あとなアポロン、自分にはこれから二つの選択肢を選んでもらう」

 

「は…?」

 

「うちのファミリアとの戦争遊戯(ウォーゲーム)で、一騎討ちならアイズとの勝負。攻城戦ならファミリア幹部が全員参戦。どちらか好きな方を選んでええで」

 

「な、何を言っているんだロキ…そんなのどちらも選べるわけないじゃないか!」

 

「あ、そう。自分が選べへんのならウチが選ぶな」

 

「お、横暴だ!あまりにも横暴ではないか、ロキ!」

 

「どの口が言ってるんやこのボケ」

 

「ひっ!?」

 

 ロキに鋭く睨まれたアポロンは思わず悲鳴を上げる。

 

「はぁ、今まで横暴な振る舞いをしてきた自分にそんなこと言われるなんてな~。気分悪くなってきたし、ベートにでもカチコミに行ってもらうか~」

 

「そんなの、許させるわけがない!」

 

「ほう、誰が許さないんや?」

 

「だ、誰って…民衆達やギルドに決まっているだろう!いくらお前のファミリアが強大でも、理不尽に他のファミリアへ攻撃したらペナルティが与えられるはずだ!」

 

「──残念だがアポロン、ギルドはロキの味方だ」

 

 いつの間にかアポロンの後ろに立っていたガネーシャが、真面目な声色で発言する。

 

「が、ガネーシャ?どうしてここに…いや、そもそも今の言葉はどういう意味だ」

 

「うむ、俺がガネーシャだ!そしてシャクティ、後の説明は頼む!」

 

 ガネーシャの斜め後ろに立っていた【ガネーシャ・ファミリア】団長シャクティがアポロンの前に進み、冷めた瞳を男神に向けながら口を開く。

 

「ギルドの上層部の一人に【アポロン・ファミリア】から賄賂を貰い、彼らの迷惑行動を隠蔽し、様々な便宜をはかっていた愚か者が存在することがつい先日明らかになった」

 

「なっ!?」

 

「神ウラノスとギルド長の協力もあって、その者は既に捕縛してあり自白も済んでいる。【アポロン・ファミリア】のありとあらゆる悪行も吐いてくれた」

 

「そ、それは…!」

 

「そして、この一件を重く見たギルドは【アポロン・ファミリア】の解散という重いペナルティをくだすことにした」

 

「か、解散ッ!?ま、待ってくれ、これには事情があって…!」

 

「どのような事情があろうとギルドの考えは変わらない」

 

「そ、そんな…!?」

 

「…ところが、そのギルドのペナルティ内容に意見する女神がいた」

 

「え…?」

 

「その女神は、神アポロンにチャンスを与えたいと言ってきて、ギルドはその提案を受理した」

 

 シャクティの口から飛び出す衝撃的な内容にアポロンはどんどん顔色を悪くしていったが、最後の言葉を聞いて一筋の希望が宿る。

 

「おぉ!(そうだ、私にはフレイヤがいた!彼女が庇ってくれたのか!)」

 

「──で、その救いの女神がウチってことや」

 

 しかし、その希望は一瞬で絶望に変わる。

 

「は…?ど、どういうことだっ!?」

 

「いや~、ファミリアの解体じゃウチの気も済まないし、一部の団員達も納得しないと思ってな。だからこそ、そのフラストレーションを発散するために戦争遊戯(ウォーゲーム)を提案したんや」

 

「…ち、ちなみに戦争遊戯(ウォーゲーム)でこちらが負けた場合は何を要求するつもりだ…?」

 

「もちろん主神の強制送還…と言いたいところやけど、ファミリアの解体に加えて都市(オラリオ)追放でギリギリ許してやるわ」

 

「そんなぁ…あまりに酷すぎる…!」

 

「あのなぁ、嘆いてないで早く一騎討ちか攻城戦か選んでくれへん?」

 

「あぁ…!!」

 

 ロキたちのやり取りを黙って見ていたアイズは、絶望して膝から崩れ落ちたアポロンを見て、自身の胸がすくのを感じた。

 

「…!」

 

 勝利を収めたベルのことを優しい表情で見つめるアイズであったが、彼の遥か頭上に現れた『それ』に瞠目する。

 

(あそこにいるのは、まさか──!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(危なかった…ヒュアキントスさんの魔法が発動する前に間に合ってよかった)

 

 倒れ尽くすヒュアキントスを見つめながら、安堵の息を吐いたベルは自身が受けたダメージを確認していた。

 

(いてて、やっぱりウインドボルト一発じゃ魔剣の炎は防げなかったか)

 

 身体の至る所に火傷を負っているが、耐久が高いこともあって見た目ほどダメージは受けていなかった。

 

(ポーションを飲んで回復を…いや、まずはここから退場しないといけないのかな?)

 

 ベルの勝利が告げられてから、辺り一面で歓声が沸いている。

 全て自分に向けての歓声であることにベルは変な気持ちになりながらも、ひとまず舞台から降りようと動こうとした。

 

 ───しかし、まだ舞台から降りることは許されない。

 なぜなら、怪物祭はまだ終わっていない。

 今から現れる『怪物』こそが少年にとっての本当の試練だからだ。

 

「───」

 

「えっ?」

 

 ベルは異質な気配を感じて、おもむろに空を見上げる。

 

 視線の先にいたのは翼を羽ばたかせ、こちらに向かって空を飛んでいる『何か』であった。

 

 歓声を上げていた観客もその宙に浮かぶ存在に気付き始める。

 

「おい、あれってまさかモンスターじゃ…」

 

「そんなわけないじゃない。だってここは地上よ?」

 

「あ、もしかしたら【ガネーシャ・ファミリア】が調教したモンスターとか?」

 

 観客達が疑問を口にしながらも、まだ大きな混乱は見られない。

 正直多くの者がこの状況を正確に理解できておらず、怪物祭の一環だと思い込んでいた。

 

 多くの注目を集める中、翼を羽ばたせ闘技場のど真ん中に降り立った『怪物』は、紫色の瞳をベルに向ける。

 

 ───ミツケタゾ!白イ髪ニ紅目ノニンゲン!

 

『ガアアアアアアァァァァ!!』

 

 目当ての人物を見付けたモンスターは、雄叫びを上げる。

 その咆哮が、ベルにとって新たな戦闘の合図であった。

 

 



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太陽と黄昏の怪物祭—試練—

 

『ガアアアアアアァァァァ!!』

 

「が、ガーゴイル!?」

 

 突然、上空から現れたモンスターを見てベルは驚愕しながらその正体を口にする。

 

 石竜(ガーゴイル)。別名、動く竜の石像。

 リヴェリアから教わった外見の特徴と一致していたため、ベルはすぐにモンスターの正体を看破した。

 

 ダンジョンのモンスターについては教育係である彼女から一通り教えられているため、ベルは記憶の中から石竜(ガーゴイル)の知識を引っ張り出す。 

 

 最も特徴的なのは、ガーゴイルの体全てが石で出来ていることだ。

 そのため非常に高い耐久を有しており、通常の武器では文字通り歯が立たない。

 魔法を使えない冒険者にとってガーゴイルというモンスターは天敵とされている。

 しかも防御力が高いだけでなく、その攻撃力も侮れない。

 手足に生える石の鋭爪は、一撃で冒険者を死に追いやる威力を秘めているのだ。

 

(このガーゴイル、一体どこから…!?)

 

 本来ならダンジョンにいるはずのモンスターが地上に現れたことに、ベルの思考は一瞬止まる。

 

 しかし、戦闘の火蓋は既に切られている。

 

『グオオォォ!』

 

 ガーゴイルはベルのことを正面から見据えると、翼を強く羽ばたかせ弾丸のように突撃してきた。

 

「!?」

 

 突き出されたガーゴイルの右爪を、ベルは咄嗟に右手の短刀で防御する。

 しかし、瞬時に防御ではなく回避するべきだったとベルは自分の判断を悔やむことになる。

 

(ま、マズイッ!?このままだと、防御が破られる…っ!!)

 

 自分の腕力より上回るガーゴイルの力を受け止めた瞬間、防御は不可能だと判断したベルは相手の攻撃の勢いを利用してそのままに後ろに跳躍する。

 

(クッ…今の一撃で腕が痺れて…このまま追撃されたら不味いッ!?)

 

 着地後、すぐさま体勢を立て直して敵からの追撃を警戒するベルであったが、予想に反してガーゴイルはその場から動くことはなかった。

 

(こ、攻撃してこない…?まさか今の一撃で僕を倒したと思った…?)

 

 目の前のガーゴイルは恐るべき力を有しているが、知能はそこまで高くないのかもしれないと考察するベル。

 未だに相手はこちらをじっと見ているだけで、攻めて来る気配はない。

 この時間を無駄にしないためにも、ベルは目の前の敵を観察して情報を探る。

 

(あの石の装甲を剣で貫くのは困難だ。それなら魔法を連発すれば…いや、僕の速攻魔法(ウインドボルト)がどこまで通用するか分からないし、今はできるだけマインドを温存すべきだ)

 

 ベルの視線が相手の左腕に移ったとき、異変を発見する。

 

(あれ、左腕の部分の石だけ大きくひび割れている…?)

 

 何故そのような大きなダメージを既に負っているのか分からなかったが、せっかく見つけた弱点を利用しない手はない。

 

(ここから左腕を狙って魔法を発動しても防がれる可能性が高い。それなら、距離を詰めて隙を見て速攻魔法(ウインドボルト)を決めれば勝機があるかもしれない…!)

 

 戦略は決まったベルは、俊敏に動き出す。

 

「…!」

 

『ガッ!』

 

 ベルは前へと疾走してガーゴイルの左腕を狙う。

 もちろん敵が黙って見過ごすわけがなく、右腕を振り下ろしその鋭い右爪でベルを叩き潰そうとする。

 

「ッ!」

 

 その攻撃を紙一重で避けるベルは、無理に前進せずに相手の間合いの外へと逃げる。

 一歩踏み出せば攻撃が届くはずなのに、ガーゴイルはその場から動く気配はなかった。

 

(このガーゴイル、もしかして───)

 

 その後ベルは敵の間合いに何度も侵入し、右腕の攻撃を避け続けることである確信に至った。

 

(───左腕だけでなく、足も痛めているのか)

 

 最初の攻撃以降、その場から相手が動こうとしない理由はそれくらいしかベルには思い付かなかった。

 

(それなら、間合いギリギリの距離で魔法を打ち続ければダメージを与えることがてぎるはずだ…!)

 

 そしてベルは敵の右腕による振り下ろしを避けると、そのまま間合いの外に離脱せずに右手を突き出して魔法を唱える。

 

「【ウインド…】」

 

 速攻魔法を口にした瞬間、ガーゴイルが嗤った気がした。

 悪寒が走ったベルは、急いで速攻魔法を放とうとする。

 しかし、ベルが魔法名を最後まで口にすることは許されなかった。

 

『ガァッ!』

 

 今まで動かなかったガーゴイルが突如少年に向かって突貫し、左脚による蹴りを繰り出し、足先の鋭爪でベルの身体を突き刺そうとする。

 

(なっ!?)

 

 魔法を放とうとしてるベルに今更回避は間に合わない。

 どうにか左手で握る短刀で打ち出された敵の爪撃を受け止めたが、力の拮抗は一瞬であった。

 

「ッ~!?」

 

(まさか誘導された…!?モンスターが駆け引きするなんて…!)

 

 ガーゴイルの一撃はベルの防御をもろともせずにその小さな身体を大きく吹き飛ばす。

 碌に受け身を取れずに地面へと衝突したベルであったが、頭だけは庇ってダメージを最小限に防ぐ。

 

(早く起きなきゃ…!追撃が来る…ッ!)

 

 地面をゴロゴロと転がりながらもすぐに体勢を整えたベルは、ガーゴイルからの急襲に備える。

 しかし、先程と同じように敵がベルに追撃を仕掛けることはなかった。

 

『……』

 

 ガーゴイルがジッとこちらを見据える中、ベルはあがった息を整える。

 

「はぁ…はぁ…」

 

(強い、今まで出会ったどの敵よりも……ッ!)

 

 自分よりも実力は上で、おまけに駆け引きですら上を行かれた。

 少なくとも二回はベルを仕留める機会があったのに、それをわざと見逃したように思える。

 

 相手の底が見えない。敵を倒す未来が見えない。

 今まで出会ったことのない未知の怪物に、ベルの心は折れそうになる。

 

「お、おおおおぉぉぉ!」

  

 だが、それでも少年は立ち上がる。

 一度冒険を乗り越えたベル・クラネルは、また再び冒険をする。

 

『グゥ…』

 

 絶望的な状況でも諦めずに自分に突撃してくる少年の姿を見て、ガーゴイル──異端児(ゼノス)であるグロスは不満げに唸りながら、迎撃体勢に移る。

 ベルを見つめるその視線には、確かな理知が存在しているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『異端児(ゼノス)』。

 それは通常のモンスターとは異なり、高い知性を持った存在だ。中には人の言語を理解し、流暢に話すことができる者さえいる。

 彼らは文字通り異端の存在のため、冒険者だけではなく同じモンスターからも命を狙われ続け、現在生き残っている者は50体を下回る。

 

 異端児(ゼノス)達はダンジョン内で安全な場所を複数拠点として普段は敵から姿を隠している。

 その中でも腕利きの異端児がダンジョンで新たに産まれた同胞を保護するため、冒険者やモンスターを避けながら迷宮を巡回しているのだ。

 

 同胞からグロスと呼ばれる石竜(ガーゴイル)は魔石を喰らった強化種であり、高い知性を有しているためLv.5クラスの第一級冒険者に匹敵するほどの実力を持っている。

 そのため彼は、誕生したばかりの異端児を保護するために単独でダンジョンを飛び回ることが多かった。

 

 そして、いつものように翼を使って同胞を探していたグロスであったが、不幸にも最強(・・)と出会ってしまった。

 

 ───ナンダ、アレハ。

 

 知性ある怪物(グロス)が出会ったのは、人の姿をした怪物(オッタル)

 一目見た瞬間、自分では決して敵わないと悟った石竜は、すぐさま旋回してその場から離れる。

 

 しかし、その怪物(オッタル)はその巨体に似合わないほど速かった。

 

 高速で逃走するグロスの真下まで数秒で辿り着いた大男はその勢いのまま跳躍する。

 

 ───ナンテ速サダ!?ダガ、空中ナラ避ケラレマイ!

 

 自身に向かって真っすぐ飛んでくるオッタルを叩き落すため、グロスはカウンターで渾身の一撃を放った。

 

「…いい一撃だ」 

 

 しかし、繰り出された彼の攻撃は簡単にオッタルにいなされ、伸ばされた右腕を捕まれる。

 

 ───馬鹿ナ、受ケ止メラレタダト!?

 

「ふん!」

 

『ガァッ!?』

 

 そのまま地面へと思いっきり投げられたグロスは、叩き落とされた衝撃から悲痛の声を上げる。

 しかし、迫りくる身の危険を感じグロスは何とかその場から離れる。

 その一瞬後に、グロスが先程まで転がっていた位置にオッタルの巨体が降ってくる。

 凄まじい砂埃が生まれる中、グロスはその隙に距離を取ろうとしたが、気付いた時には目の前に巨大な影が迫っていた。

 

『ガッ!?』

 

 ガーゴイルの身体に、オッタルの拳が突き刺さる。

 グロスは咄嗟に左腕で防御したが、猛者の一撃はそれすら無視して殴り飛ばす。

 

 ───コノ男ハ危険ダ、何トシテモ同胞達二シラセナケレバ!?

 

 吹き飛ばされたことを利用し、翼を使って上空に逃げようとしたグロス。

 

「強化種の石竜…お前ならあの方の神意に応えられるだろう」

 

『!?』

 

 その言葉は思ったよりも近くから聞こえた。

 グロスがその声に反応して回避行動を取るよりも先に自身の首に凄まじい衝撃が走る。

 

『アガッ!!?』

 

 ───同胞達ヨ、無事デイテクレ。

 

 意識を失う直前に同胞の身を心配しながら、グロスの身体はそのま地面へと叩き落されるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長いこと意識を失っていたグロスが目を覚ましたのはダンジョンの中ではなく、地上であった。

 空に浮かぶ太陽を見て地上に連れて来られたことを悟った彼は、目の前にいる二人の人物に意識を向ける。

 一人は自分は容易く倒した武人。

 そしてもう一人…いや、もう一柱はモンスターであるグロスですら思わず見惚れるほどの美貌を持つ女神であった。

 

 目を覚ましたガーゴイルを興味深そうにじっと眺めていた女神は、上品に微笑みながら口を開く。

 

「貴方、理知を持っているわね。私の言葉も理解できるんでしょ?」

 

「……」

 

 ───モウ自分ハダメダ。ダガ、同胞ノコトハ決シテ話サヌ。

 

 モンスターでありながら高い知性を有すグロスは、自身の生殺与奪の権は目の前の女神が握っていることに気付いていた。

 隣に控える大男は彼女の命令で自分を捕らえ、何らかの情報を聞き出そうとしている。

 しかし、同胞想いの彼は仲間の情報を売るくらいなら自身の死を選ぶ。

 

 ───後ハ任セタゾ、リド。

 

 最後に同胞の中で最も強いリザードマンの顔を思い浮かべたグロスは、小さく笑うと身体に力を入れる。

 左腕の石の装甲は大きくひび割れていて痛みもあり、満足に動かすことは叶わない。

 何より一番の問題は最後に猛者からもらった首の後ろにある深い傷だ。少し身体を動かしただけでも鋭い痛みが走る。

 全力を出せる状況ではないが、それでも目の前の敵に一矢報いる分には問題ないことをグロスは確認した。

 

 ───フッ、念願ノ地上デ死ネルナラ本望カ。

 

 グロスが動く気配を感じ、オッタルがフレイヤの身を守るように前へと立つ。

 だが、そんな従者の動きを彼女は制した。

 

「誤解しているようだけど、こちらに貴方の命を奪う意思はないわ」

 

「……」

 

「そして、貴方がそうまでして守ろうする存在にも手を出すつもりもない」

 

「信ジラレルワケガナイ!」

 

「あぁ、やっぱり言葉を話せたのね。言葉を話すモンスターなんて初めて見たわ」

 

「っ……」

 

 フレイヤの言葉に、グロスは己の失策を悟り、それ以降口を閉ざす。

 

「それと今の話は本当よ。私の望みはただ一つ…貴方にある少年と戦ってほしいの」

 

「…?」

 

 フレイヤはグロスに自身の目的を話す。

 女神の考えはモンスターである彼にとって理解しがたいものであったが、それでも今は彼女の言葉に従うしかなかった。

 

「──ツマリ白髪ニ紅目ノ人間ト戦エバイイノダナ?」

 

「そうよ。ただし貴方はあくまで保険。今から行われるアポロンとの子の戦いで、ベルの魂が十分に輝くことができた場合は必要ないわ」

 

「ソノトキ自分ハドウナル?」

 

「その場合はダンジョンに戻すから安心して」

 

「…本当カ?」

 

「えぇ、迷宮内に帰還するまで私の眷属を付けるけど、こちらから手を出すことはないわ。まぁ貴方から攻撃しない限りだけどね」

 

 グロスから見て、フレイヤが嘘をついているようには見えなかった。

 だからこそ、モンスターであるグロスを地上まで連れてきておいて、場合によってはそのままダンジョンに戻すという行為は理解不能であった。

 

「…神ノ考エハ理解デキン」

 

「ふふ、神とはそういうものよ」

 

 今ここでグロスが暴れても一瞬でオッタルに制圧されるのは明らかだ。

 そのため、グロスは納得できないが同胞の元に戻るためにも女神の指示に従うことにした。

 

「…従オウ。ソレトソノ人間ト戦ウコトニナッタラ自分ハドウスレバイイ?」

 

「普通に戦ってくれていいわ。ただ、できるたげあの子を追い込んでほしい」

 

「ソレハイタブレトイウコトカ?」

 

 グロスは石像のため表情はないはずだが、女神の言葉に嫌そうに表情を歪めているように感じられた。

 そんなガーゴイルの様子に、フレイヤは「心外ね」と言わんばかりの表情で誤解を解く。

 

「少し違うわ。あの子の魂は逆境でこそ光り輝く。つまり絶望的な状況ほど魂はより激しく輝くの」

 

「…ヤハリ神ノ考エハ理解デキン」

 

 女神の神意を聞いてもその言葉の意味が理解できず、グロスは力なく首を振る。

 そんなモンスターの様子が可笑しいのか、フレイヤは思わず笑みを溢す。

 

「ふふ、簡単に言えばあの子が全ての力を出し切る前に倒さないこと。それだけ守ってくれればいいわ」

 

「ツマリ、ソノ人間ノ底ガ知レタラ倒シテモイイノダナ?」

 

「それでいいわ。ただし、その目でよくあの子を見極めてから行動に移しなさい。くれぐれも慎重にお願いね」

 

 フレイヤは微笑んでいるが、その目は先程と違ってまったく笑っていなかった。

 

 ───コレガ神威…ウ、動ケン。

 

 その身から漏れた女神の神威を浴びたグロスは身体が硬直する。

 少年が全力を出し切る前に殺してしまった場合、今度こそ自身の命が潰えることをグロスは覚悟した。

 

「…ワカッタ」

 

 拒否する選択肢は持っていないため、グロスは不服ながらもフレイヤの指示に従うことを誓うのであった。

 

 

 

 



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太陽と黄昏の怪物祭—逆境—

 

 怪物祭が始まり、演目は順調に進んで行った。

 そして始まったベルとヒュアキントスの決闘は白熱した展開になり、最終的にはヒュアキントスの身体は地に伏し、少年の勝利で終幕を迎えた。

 

「あら、もう決着が着いたのね」

 

 その光景をバベルの塔から『鏡』を通じて見ていたフレイヤはそう口にする。

 

 『神の鏡』。

 虚空に浮かぶその鏡は、下界の指定した場所を覗くことができる神の力(アルカナム)

 以前にもベルとミノタウロスの戦闘をその力を用いて覗いていたフレイヤ。彼女は今回も神の鏡を使って闘技場の決闘を眺めていた。

 本来なら私用で神の鏡を使用することは厳禁だが、美の女神は他の男神達を誑かすことで、この神の鏡を密かに使用していた。

 

「悪くはなかったけど、あの時より魂の輝きが劣っているわ。やはりアポロンの子ではあの子の相手として相応しくなかったようね」

 

 神の鏡で決闘の決着を見届けたフレイヤは物足りない表情を浮かべ、視線をグロスに向ける。

 女神の視線の意味に気付いたガーゴイルは厳かに口を開く。

 

「出番カ。アソコニ飛ンデ件ノ人間ト戦エバイイノダナ?」

 

「えぇ貴方には期待しているわ、知性あるモンスターさん」

 

「フン」

 

 女神の言葉にグロスは不服げに返事をし、バベルの塔から身を乗り出す。

 そして塔から飛び降りたガーゴイルはすぐに翼を羽ばたかせ、遠くに見える円形闘技場を目指して飛んでいく。

 

「オッタル、後は頼んだわよ」

 

「お任せください。この試練、誰にも邪魔はさせません」

 

 ベルに新たな試練を与えたフレイヤは、オッタルに一つの命令を下す。

 女神の命を受けた猛者は彼女に一礼すると、外に控えていた一人の女団員と入れ替わった後、恐ろしい速さで闘技場へと駆けていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいガネーシャ、あのモンスターはなんや!?」

 

「俺にも分からん!」

 

 場所は変わり、闘技場の貴賓室。

 突然現れたガーゴイルについて問いただすため、ロキはガネーシャに詰め寄っていた。

 

「ハッ倒すぞ自分。モンスターが自力で地上に進出するのは不可能や。ということはつまり…」

 

「もしや、団員たちが捕獲したモンスターが逃げ出したのか…!?」

 

 最悪の展開を考えて天を仰ぐガネーシャに、隣に控えるシャクティは口を挟む。

 

「いや、それはありえない。捕獲したモンスターの中にガーゴイルは含まれていないからな」

 

「それは本当かい、シャクティ?」

 

「フィンか」

 

 先程まで別の場所でベルの決闘を見ていたフィンであるが、状況を正確に把握するために複数の団員を伴って貴賓室へと姿を現した。

 

「あぁ間違いない。何ならリストを見せても構わない」

 

「いや、君の言葉だけ十分だ。つまり、あのモンスターは【ガネーシャ・ファミリア】が捕獲したものではなく──」

 

「──第三者の仕業っちゅうわけやな、フィン」

 

 フィンの言葉を引き継いで、ロキがそう口にする。

 そして彼女は隅で放心状態で座り込んでいる男神をギロッと睨む。

 

「まさかこれも自分の仕業か、アポロン?」

 

「ち、違う!私は何も知らない!本当だ、信じてくれロキ!!」

 

「そんな汚い顔で近寄るな、ボケ!」

 

 涙で顔がグシャグシャになった状態で自分にすがり付いてきたアポロンに思わずロキはビンタしてしまう。

 ぐへっと悲鳴をあげて地面に転がったアポロンは、その後も「本当に何も知らないんだ…」とうわ言を繰り返していた。

 

「その反応…ホンマに知らんようやな。しかしそうなると、誰の仕業や?」

 

「あのガーゴイルは明らかに誰かの命令でベルを襲っている。しかも今までの戦闘を見る限り、ベルを殺す意思は限りなく薄いように思える」

 

 フィンの意見にロキやシャクティが同意する中、今まで黙っていたアイズが口を開く。

 

「フィン、あのモンスター…既に傷ついている」

 

「あぁ、左腕と首の後ろだね」

 

「つまり傷を庇っているせいで、ベル・クラネルへの攻撃が疎かになっているということか?」

 

 シャクティの言葉に、アイズは首を横に振って答える。

 

「怪我で全力を出せないのは確かだけど…明らかにベルに致命傷を与えないよう手加減しているように見える」

 

「モンスターが手加減…そんなことが有り得るのか?」

 

「確かにそんなモンスター今まで聞いたことないけど、僕もアイズの意見に賛成だ。敵が本気を出していたら今頃ベルは立っていないだろう」

 

「まだうちの団員が捕まえたモンスターが逃げ出していた方が話が早かったが………我々があのガーゴイルを倒しに行くのは下策だと思うか?」

 

 判断に悩み、頼れる頭脳を持つフィンに尋ねたシャクティであったが、彼の表情は苦かった。

 

「君の想像通りそれは得策ではないね。多くの観客がこの状況を怪物祭の一環だと勘違いしてしまっている中、僕達が動くのは悪手だ」

 

 フィンの言葉通り、観客達はこの一連の出来事は怪物祭の演目の一種だと思い込んでしまい、ベルが格上のモンスター相手をどう戦うのか興奮しながら見守っている。

 だからそこ、ガーゴイルという強大な怪物が地上に現れたというのに、大きな混乱は見られないのだ。

 しかし、それはあくまでガーゴイルが用意されたモンスターだと観客達が誤認しているから危機感なく観戦できている。

 

「この状況で第一級冒険者がいきなり出てきてモンスターを討伐したら彼らはどう思う?」

 

「ベル・クラネルとガーゴイルの戦いは怪物祭の演目ではなく、イレギュラー…つまりモンスターが地上に逃げ出してしまったため討伐されたと思うだろうな」

 

「あぁ、僕達があのガーゴイルを討ってしまうと逆に民衆に不安を与えることになってしまう」

 

「そうなれば怪物祭を運営するうちのファミリアの信頼も大きく下がることになる……都市の憲兵としてはあってはならないことだな」

 

 ベルとガーゴイルの戦闘に手を出すことは悪手であることをこの場にいるメンバーに共有したフィンは話を進める。

 

「既に団員達には僕が合図を送るまで静観するよう伝えてある」

 

(本当にベルの命が危なかったら飛び出す団員も多いだろうけど、嫌に親指が疼く…)

 

 ベルとガーゴイルの戦闘は、明らかに第三者の意思が介在している。 

 しかもその存在は、ベルに対する執着心がとても強いようにフィンは感じた。

 

(裏で糸を引くその人物が、ベルを助けようと動いた団員を黙って見過ごすことなんてありえるのか?)

 

「フィン、どうしかしたか?」

 

「いや、何でもないよ。それとシャクティ、改めて君の団員達にもガーゴイルには手を出さないよう伝えてくれ。今は敵の正体と狙いを探ることを優先する」

 

 フィンの言葉に頷いたシャクティは、すぐに他の団員に命令を下す。

 そして自身がモンスターを調教する立場だからこそわかる情報をフィンに伝える。

 

「あのモンスターが調教されているのなら、近くに奴を操っている調教師がいるはずだ。闘技場の内部に怪しい者がいないか団員達と共に捜索を開始する」

 

「わかった。闘技場の外側は【ロキ・ファミリア】に任せてくれ。それとアイズ、君には別の命令がある」

 

「私は何をやればいい、フィン?」

 

「ベルが真に危なくなったとき、あのガーゴイルの討伐は君に任せる。そして重要なのが、そのとき何らかの妨害が入る可能性が高い」

 

「!それって…」

 

「ベルのことは君に任せる。最悪、ガーゴイルや妨害に来た者を倒せなくても構わない。頼んだよ、アイズ」

 

「…わかった、フィン。ベルのことは私に任せて」

 

 アイズと視線を交わしたフィンは、フッと微笑むと最後に眼下で繰り広げられる戦闘を一瞥する。

 ガーゴイルに吹き飛ばれて宙を舞うベルの視線が、フィンの姿を捉えた。

 

(ベル、今の君ではそのガーゴイルに勝つのは難しい。だけど、まだ君には残している切り札があるだろう?)

 

 フィンは自身の()を指差す。

 それはベルが吹き飛ばされる間での一瞬の出来事であったが、勇者の助言は確かに少年へと届くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルは何度もガーゴイルに挑み、その度に相手の一撃によって吹き飛ばされた。

 力で劣り、耐久で劣り、器用で劣り、そして最もベルの中で高い敏捷でさえ相手に劣る。

 絶望的な状況で少年が選んだのは速攻魔法であった。

 

「【ウインドボルト】!」

 

 自身に迫り来る右腕を魔法で迎撃する。

 石の装甲を貫くことはないが、それでもベルが回避するまでの時間を作れた。

 ───ただし、それだけであった。

 

(やっぱり僕の魔法だと相手にダメージを与えられないッ!)

 

 本来なら物理に強く魔法に弱いはずだが、目の前のガーゴイルはベルの魔法を喰らっても石の装甲に軽い傷が付くのみであった。

 

 しかも段々と相手の攻撃が激しくなっていくため、それを捌くためにもベルは速攻魔法を使わされて(・・・・・)いる。

 マインドが徐々に失われていき、おまけに速攻魔法を使っても避けきれない攻撃があり、ベルの身体はボロボロに傷ついていく。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 着実にダメージが蓄積していく中、少年の目には未だ強い光があった。

 

(まだだ…諦めなければ勝機はあるはずだ…ッ!)

 

 そして再度突撃したベルを待ち受けていたのは、ガーゴイルにとって第三の腕である双翼。

 新たに攻撃に加わった石の翼による一撃は避けきれずに少年の腹に喰い込む。 

 

「ガハッ!?」

 

 そのまま後方へと吹き飛ばされる中、偶然にも遠くでこちらを見つめるフィンとベルの視線が交わる。

 その瞬間、ベルの脳裏にリヴェリアとのやり取りが想起された。

 

『いざというときはフィンの教えを思い出せ。それが状況の打破に繋がるはずだ』

 

(フィン、さん…)

 

 ベルの視線の先で、フィンは自分の耳を指して静かに微笑んでいた。

 言葉はなかったが、ベルにはフィンが言わんとすることが確かに伝わった。

 

(ありがとうございます、フィンさん。まだ僕のことを信じてくれて)

 

 ベルはフィンとの鍛練中の一幕を思い返す。

 それは鍛練最終日に伝えられた、少年の新たな力の扱いについて。

 

『いいかいベル。不測な事態や劣勢な状況に追い込まれたときには迷わず使うんだ』

 

『ですがフィンさん、今の僕では扱い切れないから今回の決闘では使わない方針だったんじゃ…』

 

『確かにその通りだ。僕の予想した通りなら君は間違いなくヒュアキントスに勝てる。しかしこの力(・・・)を使った場合、最悪制御できずに自爆する可能性がある。ここまではいいかい?』

 

『はい、大丈夫です』

 

『問題は僕ですら見通せなかったイレギュラーが起きた場合だ』

 

 その状況でもし発動できるチャンスがあれば迷わず新魔法(・・・)を使えとフィンは言う。

 

『君に発現した新たな魔法は諸刃の剣だ。しかし、だからこそ強力な力を持つ。それこそ、自分より強い者を倒せるほどにね』

 

(新しく発現した僕の魔法…使うなら、ここしかない!)

 

 走馬灯のように一瞬で想起された記憶を見ている間に、宙に舞っていた身体は地面へと衝突しようしていた。

 何度も攻撃を喰らったことで受け身だけはしっかり取れるようになったベルは、すぐに立ち上がるとガーゴイルを正面から見据えた。

 

「すぅ…はぁ…」

 

 大きく息を吸って、吐く。

 戦闘中にはあり得ない行動に、敵はじっと動かずベルの様子を見守る。

 

(相手は僕が攻撃するまで攻めて来ない。この特殊な状況だからこそ、この魔法を使うことができるッ!)

 そしてベルは唱える──新たに発現した新魔法を。

 

「【我が耳に集え、全ての音よ】」

 

 それは短文詠唱でありながら、強力な魔法。

 しかし発動してから安定するのに時間がかかりすぎてしまうため、実戦ではまだ使えない判断されたベルの魔法。

 

 その魔法の名は───、

 

「───【エンハンス・イアー】」

 

 

 

 







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