スペルカードルールができるまで (いかるおにおこ)
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スペルカードルールができるまで

 幻想郷、第118季の春。

 異変が起こっているわけではなく、穏やかな気候、空気が、幻想郷を穏やかに包んでいた。

 

 そんなある日のこと、一つの大きな流れが生まれようとしている。

 人間と妖怪の共存――必ずしも平和的なものだとは言えないが――が昔から続いている幻想郷では、妖怪の弱体化が進んでいた。

 無論、侍であるとか忍者、霊能力者といった、特殊な訓練を積んで力を持った者でなければ妖怪を討つなどということはかなわない。かなわないのだが、妖怪の弱体化は、彼らの存在意義を弱めてしまう。

 妖怪とは、人間の恐怖の対象が具現化したものである。人間にとって妖怪は恐怖の象徴であり、妖怪にとってはこれが存在意義である。その妖怪が弱体化を続けたとなれば、存在意義が薄れてしまうのは誰もが頷けるだろう。

 

 そもそも、妖怪が力を弱めてしまった原因は博麗神社の巫女にあった。巫女の名は博麗霊夢という。これまでの巫女がそうしていたように、彼女もまた幻想郷を形作る博麗大結界の管理の任をその身に帯びていた。

 それこそが妖怪の弱体化の原因である。妖怪が人間を襲う。霊夢がこれを退治する。妖怪だって黙ってやられるわけにはいかないので反撃する。しかし、その反撃が思うように出来ない。

 んぜなら、幻想郷を維持する大結界を管理しているのは霊夢であり、平素のように襲って彼女を死なせてしまえば、幻想郷は崩壊するからだ。

 しからばそれは幻想の存在たる妖怪の全消滅を意味している。故に、誰も霊夢に逆らえず、妖怪はその力を衰えさせるしかなかった。

 もちろん、霊夢一人に責があるわけではない。力を持った妖怪同士が全力で衝突して鬱憤を晴らしたとすれば、幻想郷自体への損害は計り知れない。

 それに、これは当時の妖怪事情にも左右される面があり、霊夢だけが立場上の問題での原因になっているというわけでもなかった。

 

 これをなんとかしなければいけない。そう思い立ったのは妖怪の賢者が一人、八雲紫であった。

 長い冬眠から目覚めた彼女は、背の高い若々しく魅力的な肢体を白の寝間着に包み、くしゃくしゃの腰のあたりまで伸びる金髪に包まれた頭を働かせる。

 寝起きだというのに、冬眠の前からの課題であった長く続く妖怪の弱体化を食い止めるために。彼女にとって大事なものが幻想郷であるので自然なことではあるが、尋常なる人間では頭の初速も平常運転の速度も比べ物にならない。

 

 彼女の家は幻想郷の境目にあった。深い森の中、質素な平屋がひっそりと建てられているが、殆どの人間や妖怪の目には映らないし近づくことさえ不可能だ。

 それはひとえに、紫が自己申告している「境界を操る程度の能力」の応用の効果が発揮されているからに他ならない。

 自室で布団を畳みながら紫はううんと悩む。妖怪が気軽に霊夢を倒せるような状況を作り出すこと。それが、問題が解決した後の光景や日常、常識となるだろう。だが、そこに持っていくまでの良い手段がなかなか浮かばない。

 

「要は妖怪が異変を起こしやすくする風潮が起きればいいのよ。私がどうにかして、その風潮を起こす。でも異変を起こした妖怪が、退治にやってきた霊夢を勢い余って殺してしまったら全部終わりよねえ」

 

 布団を押し入れに仕舞った紫はゆっくりと背伸びをすると大きなあくびをした。

 のんきにあくびなどしている場合ではないとほほを軽く打った紫は、顔を洗えば何か良い考えが浮かぶかもしれないと思い立ち、早足で井戸の方へと足を運んでいった。

 

 

 

 結果として、紫の頭には依然として何のイメージもわいてこない。彼女は居間のちゃぶ台に両肘を乗せ、両手の上に自分の顎を乗せて何度もため息をつく。

 右を見れば、昇りつつある太陽の光が縁側から降り注いでいるのが分かる。冬眠から目覚めたということはこの時分は春なのだ、と陽光の穏やかさを感じ取った紫は思い出すように目を細め、表情をだらしなく弛緩させた。

 

「紫様、そんな顔をしていたら美人さんが台無しですよ」

 

 両手にお盆を持って現れたのは紫と同じ金髪を持ったやや背の高い少女だった。

 白の簡素な着物を着ているが、その臀部からは九本の金色の尻尾が覗いている。頭からも動物の耳が生えており、誰もが一目で狐の妖怪だと分かってしまうほどにはその存在感は強い。

 

「んー。ねぇ藍、貴方、何か良い知恵って無いかしら。アイデアっていうか……」

「はあ、アイデアにございますか」

 

 藍と呼ばれた狐の妖獣の少女は、お盆を畳の上に置いてちゃぶ台に突っ伏した紫の背中を見る。その表情は少々の戸惑いを湛えていた。

 

「アイデアと言われましても、何に対するアイデアかが分からなければ考えようがありません」

「そんなの察しなさいな。貴方に八雲の姓を与えたのを忘れたの?」

「いえいえ、そのご恩を忘れたわけではありませんが、きっと紫様が私の立場にあっても何のことかさっぱり分からないでしょう」

 

 ため息をつきながら紫は顔をあげた。藍は紫と相対するようにちゃぶ台の向こう側で座っていた。悩みがあるのであれば言ってください、とその可愛らしい顔立ちが凛々しい色を帯びていく。

 狐を思わせるように細長の目をしていて、それに合わせるように顔のパーツは鋭く、かつすらっとしているが、その容貌の中から愛嬌というものが、あるいは美女と呼ぶにふさわしいものがあった。

 自分だって負けていないと紫はぼんやりと考えた。自分のチャームポイントは……やはりきれいに整ったこの顔立ちだ。知性のあるようにややつり上がった目だとか、形の良いように、それでいてはっきりした性格を持つような口だとか、そういう外見の良さは自分だって負けていない。

 

「何か変なこと言いましたか」

「はあ?」

「だって、なんだか睨んでいるようですから」

「睨む? 睨むって藍を?」

「ええ。……いえ、見間違いでした。そういう風に見えただけです。それで、一体何を思い悩んでいるのです?」

 

 柔らかい口調で藍が訊ねる。

 紫の式神である藍は、その能力で紫に勝てる部分はない。しかしこの問題は個人の能力で解決できるものではなく、個人の経験が解決するものだ。紫はその考えに至ると目を瞑って口を開いた。

 

「最近アレじゃない? 妖怪がどんどん弱っていってるというか」

「ええ……ええ、そうですね」

「それもこれもみんな巫女のせい、霊夢のせいよ。実質的な幻想郷の支配者に誰も逆らえないでいるのだから、当然といえば当然かもしれないけど……私は懐古趣味なんて持ち合わせていないけど、昔の方がよかったなんて考えてしまう妖怪の気持ちだって分からないではないわよ?」

「ええ、それで、悩みとは?」

「だからー。どうしたら妖怪達が気軽に巫女と戦えるのかって話よ。妖怪って人間に恐れられてあたり前の存在でしょう。それが異変の一つも起こせなくなっちゃうのは、ねえ」

 

 納得するように藍は頷き、両手をちゃぶ台の上に載せて瞑想するように顔を伏せる。紫も同じようにしてうーんと唸るが、なかなか状況を一変させるような良策が浮かばない。

 

 

 

「なれば決闘法を定めるというのはいかがでしょう」

 

 不意に藍が呟いた。決闘法、と紫は口の中で繰り返すと、顔をあげて藍の額に視線を向ける。

 

「決闘法ね。具体的には?」

「具体的と言われましても。うーん、んー。正直言ってお手上げです。人間の体はもろいから、妖怪がどんな制限をかけても人間が妖怪に勝つっていうのは難しいですよね。できれば平等に戦えれば面白いのだろうけど……その点、昔の人間って強かったなぁ。侍とか忍者とか、本当に強い人間はまともにぶつかっても強かったじゃないですか」

「あら、今の巫女だって強いわよ。殺伐とした妖怪退治は苦手みたいだけど、それが出来ないってほど弱くはないし、むしろそれをさせたら右に出る者はいないってくらいには強いんじゃないかしら」

 

 藍の口から具体的な話は聞けなかったが、代わりに飛び出た決闘法という言葉に紫は意識を集中させる。

 決闘法。戦いに関する規則をまとめたもの。自分も何度か考えついたが、これはなかなか良いセンをいっているかもしれない。それに上手い具合の具体性を持たせることが出来れば――

 

「そういえば、そろそろ『調達』の方をしなければなりませんね」

 

 話題を変えるように藍が手を軽く打つ。調達。紫には藍が何を言わんとしているのかは分かっていた。

 

「そうねえ、調達ね。それじゃあ藍、私が外に行って帰ってくるまでの間、結界の監視を頼んだわよ」

「お任せください紫様。そうだ、今日はどのくらいでお戻りになられますか」

「んー、次に太陽が昇るまでには。その後でリクエストをしていた妖怪の元に行かなきゃいけないから……しかしねえ、妖怪も本当に弱くなったものよね。わざわざ私に報酬を渡すから人間を用意してくれだなんて言うのだから」

 

 そう。紫は人間の天下である外の世界へと足を踏み入れることがある。それはもっぱら「神隠し」のためだ。

 外の世界の人間を攫い、境界を弄ってスキマを発生させ、人間をそれに放り込み、幻想郷に連れて行く。大昔からそんなことを続けていた紫は、神隠しをした人間を喰らうこともあったし、他の妖怪に分け与えて食べさせたこともあった。

 ここ最近――それが百年前だったか十年前だったかはおぼろげだが――ではそんなことはあまり無かったのだが、昨年の秋に紫が冬眠に入る前に一人の魔法使いが接触を計ったのである。

 少女というよりは女の体をした、外見年齢は紫よりも高い印象を放ったその魔法使いは「どうしても人間でなくては、それも具合の悪い人間でなければ実験が成り立たない魔法があり、しかし自分では人間を攫えない」と主張して紫に頼みこんだのだった。

 

「その報酬って確か、茸とお酒でしたっけ」

「高級品を渡すからって言っていたわねえ。こっそり人里に住んでいない人間でも攫えばいいものを、そうする度胸もないのに人間が必要だなんてねえ。思いつめた妖怪が勝手な行動を起こされても困るし、外の世界じゃ死んでも構わないって考えてる奴も多いし、別にいいんだけど……なんだかねえ」

 

 紫はため息を残して居間を出る。外の世界に出る前に着替えをすまさねばならなかった。

 いかに妖怪の賢者が一人、いかに大妖怪と呼ばれようとも、白の寝間着で人間跋扈の外の世界を出歩くわけにはいかないのである。

 彼女の身体や精神は人を惹きつけ、あるいは忌避させる。だから、服というのはその影響を包む意味がある。

 

 

 

 

 

 

 太陽が真上にあがる頃、紫は外の世界にいた。

 正確には都会と呼ばれる人間の街の中にいた。紫が三番目に高い頻度で神隠しに利用する街だ。

 今の紫は幻想郷ではあまり着ない服を着ている。幻想郷で着るものと外の世界で着るものを彼女は分別していた。

 白の長いワンピースに明るい紫色のベスト。以上が現在の紫の服装である。

 仰々しい紫色のドレスだとか、道士めいた服を幻想郷では主に着ているが、そんな目立つような服装は選ばない。木を隠すなら森の中、人を隠すなら街の中である。

 人のなりをした妖怪が紛れるには人の格好をしなければならない。わざわざ目立つ理由がない。今の紫は誰が見ても清楚で飾り気のなく可愛らしい、裕福な家庭で育った十代後半の美少女であった。

 

 紫は開けたすきまを用いて適当な裏路地に出ると、そこにある一つの喫茶店に足を運んだ。

 彼女は幻想郷の住人だが、外の世界の金銭をそこそこ持っている。その源は過去に神隠しをした人間から奪った財布だ。

 その喫茶店、「ロータス・ランド」ののれんをくぐった紫は、少々薄暗い店内の内側のテーブルに近寄った。

 この店には何度か足を運んでおり、ブラックコーヒーとサラダサンドイッチがとても美味しいことが紫をこの店に立ち寄らせている理由になっている。

 昼ごろだというのに人気は少なく、紫以外の客は一人しかいない。隅のテーブルでコーヒーをすすっているコート姿の人物だった。ブラウンのロングコートは体型を隠し、マフラーやサングラス、帽子を着用してその素顔や素性が分からない。

 冷え症なのかしら。紫はその人物をそう評することにして、恭しく注文を取りに来た背の小さな少年店員の顔を見た。まだあどけなさの残る童顔で、礼儀正しい所作や爽やかな微笑みを湛えての接客は見事なものだった。

 

「よく店長さんから指導を受けてるの?」

「え? ええ。失礼な接客をしたら少ないお客さんが帰っちゃうだろって言うんです」

 

 少年店員がそんなことをいうので紫は思わず笑ってしまった。

 なるほど、そんなユーモアも叩きこまれているのだろう。黒色の多いしっかりした制服を着る少年店員に良い印象を抱いた紫はそろそろ客としての行動をとることにした。

 

「ふふっ、あらあら、そうなの。それで注文なのだけど、サラダ・サンドイッチとコーヒーを」

「承知しました。それではしばらくお待ちくださいませ」

 

 少年店員はさらさらと手元の伝票にボールペンを走らせると、これを制服の胸ポケットに仕舞って伝票をテーブルの上に置いた。

 

 注文したものがテーブルに運ばれるまでには三、四分程度の時間がある。

 紫はそれまでの時間を、店内の真ん中あたりに置かれている本棚に並べられた雑誌や小説の類を手にとって過ごそうかと考えたが、結局そうはしなかった。彼女の視界の端になにか奇妙なものが映ったからだ。

 テーブルのようだが、少し違う。それが気になった紫は静かに立ち上がってそれに近づいた。

 

「これは……ゲーム機かしら?」

 

 見れば見るほどそれであるのが分かる。

 テーブルにしては背が小さく、そのために小さな四脚の背もたれのない椅子がちょこんと置かれている。テーブル型の筐体だ、と紫が悟るには時間がかからなかった。

 テーブルの真ん中に縦長のモニターが埋め込まれている。デモ画面を表示しているようだが、その上段にある「PLAY」の表示がおかしなことになっていた。文字に表わすなら「PLA人」というのが的を射ている。Yの字が逆さまになっているのだ。

 酷い誤植だと紫は堪えきれなくなって僅かに苦笑するが、画面右から白のキャラクターが現れるのに気付く。

 倒せば30点のキャラクターらしいそれが画面の左へと動き、逆さまのYを修正すると、画面右に動いて消えてしまった。

 

「へえ、面白い演出ね――あら、もうできたの?」

 

 後ろに食器がかちゃりと音を立てるのを聞いた紫はゆっくりと振り返る。そこには先程注文をとっていた少年店員が紫のテーブルにサンドイッチを乗せた皿とコーヒーカップを置いていた。

 その時になって初めて、紫は店員の名を「藤木」というのを知った。制服の左胸に名前を刻んだバッジがくっついているのだ。

 

「ええ。ごゆっくりどうぞ。……いや、すみません。一つお時間をとらせて頂いてよろしいでしょうか」

「構わないわ。それで、何の用?」

 

 椅子に座った紫が訊ねると、藤木少年はゲーム機の筐体を指さした。紫も振り返って筐体を見る。

 

「一応、あのゲームはお客様に遊んで頂くために置いてあるものなんです。もしよろしかったら、どうか遊んであげてください」

「変な言い方をするのねえ。そのゲーム、面白いの?」

「もちろんです。ゲーム好きの父親が、ゲームという娯楽にどっぷりとはまったきっかけがあの『スペースインベーダー』なのだと嬉しそうに語ってくれましたから」

 

 どこか誇らしげに、しかし寂しそうに藤木少年は言う。彼の様子が面白かった紫は少し苦笑して、そして口を開いた。

 

「そうなの。それじゃあ、また来た時にでも遊んでみようかしら」

「ありがとうございます! ……いや、ごめんなさい。今時、スペースインベーダーの筐体を珍しそうに見る若い人なんて滅多にいないもので」

 

 昔のゲームに興味を持つ若者ながいないことが、藤木少年には面白く思えないことなのだろう――紫はそう踏むと、柔らかく微笑んでからコーヒーカップに手を伸ばして口をつける。期待通りの苦みを含んだ黒い液を紫は満足そうに嚥下した。

 

 

 

 今回、紫が外の世界を訪れた理由は、喫茶店でコーヒーを飲むわけでもなく、知人友人と語らうためでもない。幻想郷に住む魔法使いからの「具合の悪い人間を連れて来てくれ」という依頼のためである。

 紫には外の世界に親しい者などいないのだが、それは外の世界でのコネクションがないことを意味している。人間の探索は基本的に彼女の足で行わねばならない。

 

「具合の悪い人間ねえ。病院に行けばそういう奴がいるかもしれないわ」

 

 ぽつりと呟いた紫はこの街に大きな病院があることを思い出した。そこならば大病を抱えている者が、依頼人の魔法使いが言うところの「具合の悪い人間」がいるだろう。

 それにスキマを用いた強引な幻想入り、神隠しを行う対象の人間は生きることを諦めている者の方が望ましい。

 死にたいと願っている人物ならばそうさせてやるのが情けともいえるし、生きたいと強い意志を持って邁進している者を幻想の者だと言うには似つかわしくない。

 

「もっとも、死にたいって言ってる奴がいざ死ぬとなれば――なのだけど。今回の人間はどんな反応をするのかしら?」

 

 紫にとって探し物というのはすぐに終わることである。この街の大病院へ近づけば、建物の外側からでも人を調べることが出来る。

 そうしてめぼしい患者を見つけたら、彼の者をスキマに放り込んで神隠ししてしまえばよい。外の世界での行動はいつも単純で、簡単で、あっけのないものだ。

 ルーチンワークじみた外の世界での仕事だが、さらに厄介なことが紫を退屈にさせる。

 白昼堂々と神隠しをしてもよいのだが、そうすると人間社会である外の世界に大きな混乱をもたらしてしまう。

 幻想郷はその存在自体を外の世界に大きく依存しており、外の世界でマイナスになるような行動を起こす訳にはいかないのである。故に、紫が神隠しをするのは夜間、深夜という時間帯が主で、その行動は素破めいて隠密のものでなければならない。

 

「さて、夜になるまで何をしようかしら。……ここに来るのは夕方でもよかったかもしれないわ」

 

 ため息交じりに紫は街を歩く。

 高くそびえる石の塔が天を貫かんとするかのように並び立ち、あたりには現代の服装の人間達が跋扈する。緑や川といった自然物と呼べるものは殆どない。幻想郷の妖怪がここにいればきっと息が苦しくなるのだろうなと紫は頭の隅で考えた。

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに訪れた街を散歩しているとすぐに日が暮れ、沈み、代わりに月が昇って夜となる。

 幻想郷であれば闇夜に人は出歩かず、そうしたとしても明かりの灯る人里だけが行動範囲となる。しかしここは外の世界、人間跋扈の世界である。彼らが手にした科学という新しい力は夜に昼の明かりを生みだし、人外が活発に動く時間でも生きるようになっていた。

 だから、すきま妖怪と恐れられる紫であっても慎重な行動を起こさねばならない。上弦の月を見上げる紫は目当ての病院から離れた人気のない公園のベンチに座り込んでいた。

 

 紫の双眸は静かに閉じているが、その視界が無くなっていたわけではない。

 彼女は目当ての病院のありとあらゆる目立たない場所の境界を操作し、スキマを発生させ、そこから視覚と聴覚を得ていた。

 人間に簡単に説明するには、これは超高性能の監視カメラとこれを管理するシステムなのだとでも言えばよいのだろうか――病院の観察を続ける紫は頭の片隅にそんなことを考えると、いくつかのスキマがもたらす知覚情報に意識を向けた。

 

「……ふむ。この老人なんて面白そうね」

 

 複数のスキマから得た情報は紫の頬を緩くさせた。人間では絶対に知覚しえない、名状しがたい調査を通じて早々に今回の神隠しの対象を導き出したのだ。

 

 紫はあたりをしっかりと見回し、人間や動物が誰もいないことを確認すると、虚空に横向きの線をなぞってスキマを創り出した。

 何もない空間に目の形をした亜空間の入口が現れ、暗黒の塊めいた亜空間の中には無数の「目」がぎょろぎょろとうごめいている。

 目指すは病院の503号室。その座標を指定した紫は亜空間の中で出口のスキマを創り出し、人気のない公園からその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 ああ、お迎えのお嬢さんだ――それが、病室に侵入した紫が初めに聞いた言葉だった。枯れた男の声は紫の予想外のものであり、僅かに目を丸くする。

 ここは間違いなく病院の503号室だ。一人分のベッドしかなく、そこには齢六十を過ぎているであろう老いた男が力無く横たわり、ベッドの上の毛布に体を包んでいる。

 その容貌は皺が多く刻まれているものの、これらを取り除いて禿頭を覆うかつらを被せれば若々しい青年、それも童顔に近い顔立ちになりそうだ。紫にはカーテンの隙間から覗く外の光で薄暗く映る男の顔はそう見えた。

 仰向けになって深夜の奇怪な来客である紫を見て、老人は僅かに微笑む。これまで神隠しを行ってきた人間はそんな反応をとらなかった。

 誰もが驚き、恐怖に顔を歪め、悲鳴をあげてスキマに落ちていく。十人十色の反応ではあったがそれらの指し示す方向性は常に一点を向いていた。紫が驚いたのは、この老いた男の反応が尋常なる人間のものではないことにあった。

 

「貴方、私がここに来るのを知っていたの?」

「……夢を見るんです。予知夢というのかな、幼い頃からよく近い将来のことが分かるのですよ」

 

 外の世界に住まう人間達はきっとこの老人の言うことをまともに取り合わないだろう。

 しかし紫は幻想郷の住人である。外の世界ではあり得ないとされる幻想の一切を受け入れる幻想郷の住人であるが故に、男の言葉に頷いた。

 

「それで近いうちにお嬢さんがここに来るのは分かっていたのですよ。……それで、お嬢さんは何者なのでしょう? 死神でしょうか」

「いいえ。人じゃないのは確かだけど、死神じゃない」

「……ふむ、言われてみれば鎌の一つも持たない死神というのも妙な話。まあ、お嬢さんが何者だろうとわたくしには関係のないことですな」

 

 奇妙なまでに落ち着いた言動をとる老人に紫は僅かに動揺する。

 紫が突如としてこの病棟に現れたという常識では説明のつかない状況にあるのに、目の前の老人はそれにうろたえることもなく、予知夢で分かっていたというだけで落ち着き払っている。

 人間の癖に不気味だ。そんな印象を紫は抱いた。

 

「さあ、お嬢さん。わたくしを殺してもらえぬかな」

「殺す? 私が、貴方を?」

「そのためにここへ来たのでは? ああ、そうか、予知夢ではお嬢さんが何をするかまでは見えていなかったのだった……」

 

 残念そうに老人がため息をつく。

 紫は一度視線を逸らして、老人の横たわるベッドの横に一台の機械が設置されているのを見た。

 彼女の持つ外の世界の知識によれば、それは心電図をモニタする機械である。正式名称は分からないが、それで人間の健康状態を把握することが出来るのだということを紫は知っていた。機械は弱々しい図形を投影している。

 

「……わたくしの身体はもう駄目なのですよ。ガン、という病気でね。これが体の一か所だけに出来ているのならいいのだけど、体のあちこちに転移してしまって。だからわたくしの命はそう長くはない」

「病気で死ぬのは嫌だけど、私に殺されるのは良いってこと?」

「そう。どんな手段でも構わないから、早く死にたいのですよ。身体はまだ薬とかのおかげで動く。でも、じきにだめになるでしょう。わたくしにも家族がいましてね。妻と子供が二人。わたくしの治療費が馬鹿にならないのを分かっているのに、みんな私が快復するなんて奇跡を願っている。祈っている。でも、そうすることで皆に大きな負担を強いている。わたくしにはそれが我慢ならない。だから頼みます、どうか私を殺して頂けないでしょうか?」

 

 それは外の世界でよくある話だった。

 誰かがとある者のために奔走するが、そのとある者はそれを厭っている。その具体例はこの老人と、彼の家族の関係だ。

 この老人にとって神隠しとは救いになり得るのだろうか。紫の頭の片隅にそんな疑問が浮かぶとすぐに消えた。

 少なくとも老人にとって救いになる。瞬き一つする間に判断を下した紫は静かに口を開くことにした。

 

「まず、私は彼岸の者ではないわ。人間でもないけどね。それに、貴方に用があるのは向こうの世界の住民なの」

「向こうの世界?」

「幻想郷といってね、ここで嘘だ幻だと言われた者の辿りつく世界よ。私もそうやって幻想にされた者の一人なの。そこに住む者が人を攫ってきてほしいと言うから、久しぶりにこっちに顔を出してきたってことよ。分かったかしら」

「つまり、わたくしが死ねるかどうかはその者にかかっていると?」

 

 そういうことだと答えるように紫は頷き返した。老人の動きが一度止まり、しかし満足そうに微笑むと思い出したように小さく手をうった。

 

「そうだお嬢さん、幻想郷という土地にわたくしを攫う前に、一つ頼みごとがあるのだけど」

「頼みごと?」

「ええ。息子が喫茶店で働いていて、三日ほど前に見舞いに来てくれた時に教えてくれたのですよ。僕の働いている喫茶店でお父さんが好きだと言っていたゲームがあるんだよ、とね」

 

 楽しそうに懐かしむ老人の言葉に紫ははっとした。彼女の見つけた共通点はただそうであるというだけで、この老人の話とは何の関係もないかもしれない。しかし彼女は確かめてみたいと強く考えた。

 

「そのゲームって、スペースインベーダーかしら。そして貴方の息子が働いている喫茶店は、ロータス・ランドという名前よね?」

「お嬢さん、どうしてそれを知って――いや、人間ではないなら何の不思議もないですね。知っているなら話が早い。どうかそこで最後の晩餐を楽しみたいのです。ブラックコーヒに、サラダ・サンドイッチ。あれがあの喫茶店で一番おいしい組み合わせなんだそうですよ。代金はわたくしが持ちますから、一緒に食べてみませんか?」

 

 皺で一杯の顔が温厚そうに笑いかける。

 最初にこの老人を見た時からおかしいとは思っていたが、外の世界で最後に過ごす場所に喫茶店を指定するなどとは想像もつかなかった。

 本当に時々、こういうおかしな人間に出会えるのは紫にとって嬉しいことだ。だから、老人の最後の頼みを叶えてやるくらいはしてやろう、と素直に頷くことが出来た。

 

「分かったわ。それじゃあ、この手を握って目を瞑ってくれる?」

 

 右手を差しのべながら紫が呼びかける。老人は微笑んで答えると、その黒い瞳を閉じ、左手で紫の手をとった。

 

「そうそう、わたくしの名は藤木はじめといいます。これからよくしてくれる人に名乗らないというのは失礼な話でしたね」

「あら、自己紹介を受けたのなら私も応えなきゃね。八雲紫よ。八つの雲に紫色って書くの」

「ゆかり、紫さんですか。素敵な名前です」

「あらそう? ありがとう。……さて、着いたわ」

 

 紫の言葉に藤木老人がそっと目を開けると、そこは人気のない裏路地だった。病院の寝間着を着ていたはずが、おしゃれな店で売られているような新品の黒の外套を身に纏っていることに彼は驚く。

 

「これは凄いなあ。紫さん、これは貴方がして下さったのですか?」

「勿論。さあ、貴方の最後の晩餐と行きましょうか」

 

 清楚な雰囲気のある背の高い少女と、それよりも頭一つ分背の高い老いた男。そんな二人が共に喫茶店に入るとなれば、はたから見れば仲の良い祖父と孫のように映ることだろう。

 

 

 

 時計の針が全て0を示そうとする頃でも、ロータス・ランドは営業を続けていた。

 この時間になると客が入るのは少なくなるため、藤木少年のような従業員は既に帰宅してしまっている。喫茶店の店長は、家が建物の二階にあるので、心置きなく最後の時間までカウンターで待機していた。

 しかし店を閉める時間が近づいたという時間になって客が飛び込んできたという場面は滅多にない。それはこの店に入ってきた若者が、少し前に仕入れてきたスペースインベーダーで遊ぶことが稀であるという程度には低い。

 

 そんな深夜のロータス・ランドに、自分のサングラス越しに来客が見えたのは、今朝のテレビの星座占いで自分の星座が一位だったからに違いないと店長は確信した。

 一日の始まりと共に放映されるテレビ番組の一コーナの星座占いの確認は彼の日課の一つだ。

 っしゃきたあっ! ラッキーアイテムは木製のしゃもじ! 買っててよかった!! ――店長は心の中で雄叫びをあげると、対照的に表情には紳士めいた冷静さを浮かべて来客の様子を伺った。

 一人は白のワンピースに紫色のベストを着た金髪のかわいい女の子で、もう一人は黒のコートに身を包んだ老いた男だ。

 こんな時間に妙な組み合わせだと店長は首をかしげるが、客は客である。親切な接客をモットーとする店長は親しみやすさと恭しさを同居させた声を出した。

 

「いらっしゃいませ。あとでお連れ様は来ますか?」

「いや、わたくし達だけですよ。ところで注文の方、まだ頼めますかな」

 

 やけに紳士的な態度をとる老人に店長は感心と共に驚きを抱き、人の良いようにええと頷き返す。すると老人がブラックコーヒにサラダ・サンドイッチ、少女も同じものを頼んだので、店長は恭しくお辞儀をすると厨房へと向かっていった。

 

 店長と思しきサングラスをかけた男が店の奥へと引っ込んだのを確認した紫は手近な席に座った。それに倣うように藤木老人も腰をおろし、テーブルをはさんで向かい合う。

 

「それじゃあ、ここで食事をとった後にそのゲームを遊んで、それから貴方を幻想郷へ連れ込む。それでいいのね?」

「ええ。それが最高ですよ。……先の短いわたくしですが、最後に紫さんのようなきれいな人に会えてよかったと思います」

「あらそう? 嬉しいこと言ってくれるじゃない。私もね、貴方みたいな変わった人間に出会えて嬉しいわ。だって死にたいっていう人間は決まって最後に命乞いをするんですもの」

 

 ふふふ、と紫は微笑んでみせた。そうすることで藤木老人がどのような反応を見せるか試してみたかったのだ。

 

「……紫さんは、きれいで、それで同じくらい残酷な方なのですね」

「全てを受け入れる幻想郷で生きているからね。それどころか、人だって食べてみせるわ」

「そうですか。それだったら、病気の人間は食べない方が良い。いや、私が死にたくないというのではなく、もしも紫さんがわたくしを喰らえばという話です。私を蝕む病が、今度は紫さんを蝕んでいく。献血の前に提供者の血液を検査するのと、肉を喰らう前に火を通すのと同じですよ。食べるなら健康な人間を捕まえた方が良い」

 

 本当におかしな人間だ。紫は改めて実感すると、藤木老人が力無く笑っているのに気付いた。

 

「それにしても身体の具合が良い。紫さんのような美人さんと顔を合わせているからかな」

「いいえ、私があなたの体を弄ったの。苦痛を感じることがないようにね。痛みを感じないだけで、貴方の病は生きているから体を蝕んでいるわよ」

「そんなことが――いや、説明しがたいことをやってのける紫さんのことだ、それが出来ても不思議ではない、のかな?」

 

 おどけたように藤木老人が笑う。

 この頭のネジがいくつか喪失している人間は面白いと紫は思った。

 思っただけで、神隠しの対象から外そうとは考えない。新たにスキマを用いて条件にあう人間を探すのが面倒だからだ。

 だが、この老人への興味はそこそこ湧いている。紫は踏み込んだ問いを投げかけることにした。

 

「正直言うとね、貴方、おかしいのよ」

「おかしい? わたくしがですか。わたくしはただの人間ですよ、言葉や科学で説明できない存在じゃあないです」

「そうね、貴方は人間ね。でもただの人間とは違う。いざという時に命乞いはしないし、普通ならひいてしまうような話にも合わせるし、それどころか私を気遣った。おかしいというよりは、不気味な人間よ」

「不気味……ですか。いや、わたくしはただただ冷静なだけです。それと、諦めが早いというのもそうなのかな」

 

 確かめるようにテーブルを指で軽く叩く藤木老人は、小さく唸って目を瞑った。

 

「うーん、やっぱり、それが原因かな。若い頃だったらこんな冷静さはなかったですしね」

「冷静さねえ。私としては、貴方が異常なまでの冷静さを手にしたきっかけとか、お話とか、そういうのを知りたいわ」

「昔話をしろっていったって、たぶん紫さんの方が長く生きているのでしょう? ……かわいい女の子の姿をしている貴方には失礼な話でしょうが、紫さん、分かる人には分かりますよ。わたくしでさえうっすらと気付くことが出来るのですから」

 

 藤木老人の言葉は紫の心を傷つけることはなかった。紫の身体はこの姿で成長をとどめている。それより先に熟れさせる意味がないし、なにより紫自身がこの姿を気に入っている。

 

「そうねえ、確かに私は貴方の何倍も生きているわよ。でもね、一人の人間の歴史って、そうやって簡単に価値のないものだとは言わないわ。むしろ逆。短い命を手にした者の方が、実は立派だったりすることもあるの」

「わたくしの人生も立派だったらよかったのですが。若い頃は遊び、老い始めてから家族のために奔走し、そしてこの様です。……たぶん、紫さんの興味は、わたくしがスペースインベーダーを遊んだのがきっかけだと思いますよ」

 

 その言葉に紫は目を丸くした。

 娯楽が人間の性格を変えるのは良くある話だ。昔から賭け事といえばイカサマが横行していた。イカサマ師は、人を騙して銭を得るために手先の器用さを磨き、頭の回転の方法を変えていく。そういうことなら紫は素直に納得できる。

 だが、デジタルの極みであるコンピュータゲームが人間の性格を変えるとは紫には想像が出来ない。

 特にスペースインベーダーは、レバーとボタンだけで遊ぶものらしい。それならばトランプ・カードを用いたギャンブルや麻雀などのアナログの遊びが性格を変えるにふさわしいだろう。捉えなければならない事柄、掴みとらねばならない空気は、そういったものの方が圧倒的に多い。

 

「シューティングゲームって知っていますか?」

「えっ、シューティング……?」

「ああ、やっぱり紫さんには分からないですよね。簡単に言えば、自分の操作するキャラクターが弾を撃って敵を倒し、敵の放つ弾を自分のキャラクターが避ける。撃って、避ける。それだけのゲームです」

 

 それなら幻想郷で同じようなことをした覚えがある、と紫は思い至った。

 妖怪同士の戦いは殴り合いや、彼らの持つ妖力を凝縮した弾体を撃ちだす戦いがある。後者に似ていると紫は直感した。

 

「今じゃ弾幕系……なんて一見無茶な遊びに見えるものもありますがね、そういう今の流行りも、昔懐かしのシューティングゲームも、全部大体このスペースインベーダーってゲームを元祖としているんですよ」

 

 そう語る藤木老人は喜びに満ちていた。皺の入った顔は嬉しそうに皺の数を増やし、枯れた声にも幾分かの活力が宿っている。

 

「そうなの。私はこっちの世界の住人ではないから、いろいろ知れて面白いわ。じゃあ、頼んだのが来たら、遊んでるところを見せてくれない?」

「いいですよ。ただし、きちんとわたくしを幻想郷に連れて行ってくださいね。お願いしますよ」

 

 藤木老人はぐっと右手を紫の方へと差し出した。彼の小指だけがぴんと伸びている。紫は柔らかく微笑むと、彼の小指に自分の小指をからませ、ちょうどやってきた店長と彼が持つプレートを見て頬を緩めた。

 

 

 

 二人が満足して食事を終えると、藤木老人はすぐに会計を済ませて紫の元へと戻った。その表情は子供が見せるような期待に満ちたものだ。

 

「ねえ、スペースインベーダーってどうなの?」

「さっきも言いましたが、とても楽しいゲームですよ。今のシューティングゲームのような派手さはないから、見ている側はそうでもないかもしれませんけどね」

 

 藤木老人はテーブル型筐体の前にある椅子に座ると小銭入れから百円玉を取り出す。

 おそらくこれが最後の消費活動だと彼は笑うと、両手をレバーとボタンに、その視線を画面の切り替わったモニタへと注視した。

 

 ゲーム画面を映し出すモニタは、下から順にプレイヤーが操作する自機――文字に起こすなら凸が一番ふさわしい――と、四つの歯を模ったような形のトーチカ――これも凹を逆さまにしたと形容できる――を表示している。

 その上には十点、二十点、三十点のインベーダーが編隊を組んでおり、遅く左右に移動しながら自機のいる側へと集団で移動している。

 

「スペースインベーダーはね、この自機を使って画面の上に陣取るインベーダーを倒せばいいんですよ。このボタンを押せば自機からビームが出る。今時のシューティングじゃないから、画面上に出せる弾は一発だけで、ちゃんと狙わないとインベーダーにあたらないんですよ。的はあんなにたくさんあるのにね、不思議でしょう?」

 

 そんな解説を紫に話しつつ、しかし神経をゲームに集中させる藤木老人は着実に十点のインベーダーを撃破していく。

 

「それで、インベーダーの方を見てください。彼らが放つギザギザのものがあるでしょう、あれに触れると自機が壊れちゃうんです。だから四つのトーチカで防御したり、自力で回避しなきゃいけない。その上で攻撃もしなきゃいけない。たぶん、スペースインベーダーが大流行した二十数年前って、こういう……戦っている感じがうけたんじゃないかな」

 

 まるで心臓の鼓動のような四拍子の非常に単純なBGMが流れる中、藤木老人の操る自機は既に二十点のインベーダーを撃破し始めていた。

 自機の移動速度やインベーダーの放つ攻撃の弾速、トーチカの状態などを彼は把握し、赤子の手をひねるようにインベーダーをせん滅する。この様を見ると自分の裡に何かが芽生える。そんな感覚を紫は覚えていた。

 

「わたくしが三十歳の頃かな、スペースインベーダーが出てきて、世間がインベーダーブームに包まれて。不良のたまり場だったゲームセンターに人がいない日は来なかったし、世の中じゃ百円玉が足りないって騒いだり、あのころはとても楽しかった。シューティングゲームの元祖、ある種のパイオニアですよね。まさしく、キング・オブ・ゲームス。それに触れられたってだけで、とても嬉しいですよ」

 

 過去を懐かしむように藤木老人はどこかうっとりとした調子で言葉を紡ぎ、とうとう三十点のインベーダーを撃破し始めていた。

 

「……それから先のゲームセンターはシューティングゲームが流行りましたよ。ダライアス、グラディウス、R-TYPEなんか有名だと思うのですがね。でも、物事には等しく波というのがあるんですよ。確か九十年代あたりに入ってからかな、格闘ゲームがゲームセンターのブームになって、そっちの方が回転率が――シューティングよりもお金が沢山入ってくるっていうお話で。そのあたりからシューティングゲームの衰退が始まったのかもしれません」

 

 三十点のインベーダーを粛々と、それでいて楽しむように撃破する藤木老人の声は、その所作とは対照的に沈んでいた。

 

「……昔が良かったとだけ言うつもりはありませんよ。ダライアス外伝、レイフォース。家庭用ゲーム機でいえばアインハンダーとか、シューティングゲームの衰退が始まってからも面白いゲームは沢山出てきました。そのあたりから出てきた弾幕系だって刺激的で面白い。冷静さだって要求する。どのように敵が配置されて、どのように敵弾が放たれるかを予測、観測、回避を行う。その上で攻撃をして、その上で回避をする。それが楽しいんです。でも、2000年以降の話では、シューティングゲームの人気は下火になっていると言わざるを得ない状況に陥っています」

 

 インベーダーは残り五体。画面上部に現れたUFOを正確に狙い撃った藤木老人は、ゲームに対する集中を切らすことなく続けていく。

 

「01年には、確か斑鳩ってシューティングゲームが出たんですよ。あれは面白かったなあ、自機の属性反転で敵弾の吸収、パターンゲーとしての作りこみの完成度が高くて、何度遊んでも面白かった」

「へえ」

「だけどそれはシューティングゲームが大好きだって人だけにしか分からないんです。もう、シューターなんて希少種もいいところで。多くの人々の心を掴んで離さなかったスペースインベーダーを上回るようなものは現れてこない。……童話は消えてしまったのか。でも、わたくしはそうは思わない」

 全てのインベーダーをせん滅した藤木老人は、次に配置されたインベーダーをせん滅すべくレバーとボタンの操作に改めて集中した。

 よく見れば、再配置されたインベーダーは最初の配置よりも一段下に、つまりは自機側に少し近づいた状態だと紫は悟った。

 

「いつかきっと、シューティングゲームが多くの人の心をつかむ見る時代が、またやってくる。それがどこかのゲーム会社の手によるものか、会社じゃない別の団体が成し遂げるかは分からない。分からないけど、シューティングゲームってやっぱり面白いから、また多くの人の心を掴んでいけるはず。面白いものが廃れるなんて矛盾は、きっと近いうちに無くなるはずです。その敷居がほら、今のこのゲームのようにだんだんと上がっていくとしても、そういう未来は絶対にやってくる」

 

 藤木老人は強く言い切った。彼の長い話は、外の世界のサブカルチャを知らない紫の心に強く響いた。

 ただの娯楽、それもデジタルの娯楽が人間の性格を変えるとはこのことを指すのだ――紫ははっきりと感じた。テーブル型筐体からごおぉと雑音が割り込んできた。

 

「……こんな老いぼれですから、集中が切れて被弾というのは当たり前ですね。だけど、それでもわたくしは確信しています。だって、そういう予知夢を見たのですから」

「そうねえ。物事には波というのがあるのでしょう? だったら、隆盛して、凋落して、また盛り上がる。そうじゃないとおかしいわ」

 

 久しぶりに口を開く紫の頭は密かに高度な回転をしていた。スペースインベーダー、シューティングゲーム。これらの言葉や指し示す意味。それらが、紫にあるアイデアを閃かせるに至り、それが形になっていく。

 

「ああっ、またやられた。やはり老いも、長いブランクも響きます。――ああ、またやられた。ゲームオーバーだ」

「どうするの? もう一回遊ぶ?」

「……いえ、十分です。これで満足もできたし、納得もできたし、なによりこの世への未練を完全に断ち切れた。少しでも多くの人に、いや、紫さんは人じゃないかもしれないですが、シューティングゲームの話が出来て本当に良かった。あっ、さっきのお話、聞いていて苦痛でしたか」

 

 この人間は最後まで誰かを気遣うつもりらしい。それが面白くて紫は笑い声をあげると、ゆっくり被りを振った。

 

「いいえ。私はあまりこの世界に来ないから、沢山勉強になったわ。こちらこそ面白い話をしてくれてありがとう」

「そんな言葉を投げかけられたのは初めてかもしれない。この藤木はじめ、この世界で生きていたくないという願いを叶えてもらうだけでなく、この嬉しさを与えてくれた紫さんに、感謝の言葉が浮かばない」

「ねえ、やっぱり貴方っておかしな人間ね。それじゃあ、目を瞑って手を握ってくれる?」

 

 紫の呼び掛けに藤木老人は「ええ」と頷いた。そっと二人の手が重なると、地面に現れたスキマが二人と、ついでにスペースインベーダーのテーブル型筐体をのみこんでしまった。

 

 

 

「あっちゃー、今日の深夜占いは最悪の順位だった。なんだよ十二位って、それもこれまでにない最悪の出来事が起こるでしょうって――」

 

 店の奥に姿を消していた店長が店を閉めるべく表に現れると、みるみるうちにその表情を驚愕のものに変えていった。

 

「――ええぇぇえっ!! スペースインベーダーの筐体がない!! なんで!? どこ行ったのおぉっ!?」

 

 サングラスをカウンターに投げた店長は店内をくまなく探すが、テーブル型筐体の姿を認めることはできなかった。まるで、最初からそんなものが存在しなかったかのように、ロータス・ランドから偉大なるレトロゲームは姿を消してしまったのである。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷へ帰ってきた八雲紫は、外の世界から連れてきた老人、藤木はじめを依頼主の魔法使いに引き渡し、美味な茸と赤ワインを受け取って自宅へと戻っていく。

 時刻は未明。まだ太陽は昇らず、夜の闇が幻想郷を包んでいる。

 その中で紫は自室のぼんぼりに明かりを灯し、小さな机に向かい、筆と硯と墨を用意し、それを小さな新品の巻物に走らせていく。

 

「ああ、紫様、お戻りになられていたのですか」

 

 すっと紫の部屋の引き戸が、白の寝間着に身を包んだ藍の手によって開かれる。「うん」とだけ紫は返し、一度止めた筆を一心不乱に走らせていった。

 自分の主人が何をしたためているのか気になった藍はそおっとこれを覗くことにした。

 巻物の右端、つまり一番初めには「命名決闘法案」と達筆めいた文字で記されている。続いて「理念」「法案」とあり、紫が何か閃いたのだと藍は悟った。

 

「紫様。その『命名決闘法案』とはどのようなものなのでしょう」

「シューティングゲームよ」

「はあ?」

「正しくはシューティングゲーム……スペースインベーダーにヒントを得たの。妖怪同士の決闘は幻想郷を滅ぼす危険がある。でも、それがゲームだとしたら? お遊びだとしたら? お遊びの中の本気なら大丈夫でしょう?」

 

 要領を得ない説明だが、それでも藍は自分の主人が何を言わんとしているのかの察しをつけることが出来たので、ぎこちない動きで頷くことが出来た。

 

「確かに遊びで本気を出して……っていうのは分かります。それなら大丈夫でしょうね。でも、スペース……インベーダー? それって一体、何者なんです?」

「外の世界に伝わるデジタルなゲームで、ある種の童話よ。くだらない復讐なんかと違って、語り継がれるべき童話ね」

「はあ、ゲームで、童話ですか」

 

 やはり何を言っているのか分からない。紫が最後に「具体的な決闘方法は後日、巫女と話し合う」としたためたのを確かめた藍は、確認のために紫に声をかけた。

「紫様、いつ博麗神社に行くおつもりですか」

 

「早くて二日後くらいかしら。一応の具体的なアイデアはあるんだけど、その前に遊びたいのよ、スペースインベーダー」

「遊びたいって……そのゲームを持って帰って来たのですか!? 持っていた人に断りは?」

「何も言わなかったけど悪い? 妖怪が人間に迷惑をかけて何か悪いのかしら?」

「いいえ、口ごたえをするつもりはありませんが……でも、紫様が直接博麗の巫女と話をするのですか」

 

 そのくらいなら自分でも出来る。そう言わんばかりに藍は胸を張った。

 

「私もまだ霊夢とは顔を合わせるべきではないと思うし、そうするとしても来年の春が良いかなって考えているのだけど……でも、霊夢と話し合うのが私であって私でないとしたら?」

「はあ。変装ですか」

「そうそう。妖怪の賢者って私以外にもいるから、そいつらに許可をとってからなりすまして霊夢と話し合いをする。そうすれば霊夢は私と会ったってことにならない。そうでしょう?」

「いやまあそうですけど。随分と回りくどいことをしますね」

「だって私、胡散臭さの塊ですもの」

 

 ふふっと紫は笑うが、果たして笑うべきところかと藍は迷い、代わりに別の言葉を出すことにした。

 

「あー。じゃあ、そのスペースインベーダーっていうのを見せてください。ちょいとばかし興味があります」

「いいわよ。スキマの中に仕舞ってあるから、ちょっと待ってて。それとね、このゲーム、人間の性格を面白いように変えるから。そうねえ、質の良い童話と呼ぶにふさわしいから、遊ぶ時は気をつけなさいよ?」




初めましての方は初めまして、そうでない方はお久しぶりです。生意気にも石の上を名乗っております、ゆうと申します。この度は東方二次創作短編小説「スペルカードルールができるまで」をお読み下さり、誠にありがとうございます。

ざっとこの短編小説の内容をお話しますと、紫さんが外の世界で刺激を受け、インスピレーションを受け、スペルカードルールの元となった命名決闘法案を書き上げる、といったところです。そんな簡単なお話を書くのに二万字です。もっとスリムに出来たんじゃないかな、いや、短編だったら四万字ギリギリを狙っていくべきだったかな――と少々迷っています。

初めて小説を書く人は長編よりも短編を書いてみた方が良いかもよ、というアドバイスが昔からありますよね。この度に「スペルカードルールができるまで」という短編小説を書いてみたわけですが、起承転結を意識する度合いというのが長編よりも強くしなければならないことに驚きました。

短編ってそのお話だけで完結しちゃうから、より強い衝撃や面白さを持たせなきゃいけない。だから起承転結や言葉の選択、文章のテンポなどが本当に重要になってくるんですよね。分かっているようでえらそうなことを書いていますが、実際問題として上手く出来ているかは分からないです。一つ言えるのは、今の自分が持てる全力を出してこの短編は書き上げましたよ、ということくらいでしょうか。



この短編を書き上げるについて一番注意を払ったのは、東方Projectの世界観とスペースインベーダーというシューティングゲームをどうやってすりあわせるか、という点に尽きます。

東方とSIをすりあわせるというのは、実はそれほど難しくはありませんでした。SIは非常にシンプルなゲームですし、お話とか世界観というのも特に取り上げるものは無かったと思います。

とだけ書くと「貴様はスペースインベーダーを貶めているのか」と怒られそうですが、そんなことはありません。むしろ逆で、私はスペースインベーダーというゲームに強い憧れというか、尊敬といいますか、そんな気持ちを抱いている人間です。

だから苦労した点というのは、東方のファンの人やSIのファンの人(厳密にはシューターの人と思われる)が喧嘩をしないような作風を作り出すことでした。例えば作中で紫さんが「SIとか昔のゲームじゃん、今はやりの弾幕ゲーの方が面白い」みたいなことを言ってしまえば、それは完全にアウトですよね。少なくとも私には駄目です。駄作確定です。評価0か1をつけて、ボロクソにけなした一言を添えるくらいまではするのではないでしょうか。

今の世論を顧みるに、シューティングゲームが大好きな人間を指すシューターと呼ばれる人って希少種なんだと思います。作中に登場した藤木老人には少しだけ私の考えを代弁してもらいました。面白いものが廃れるのは矛盾を極めている。だから、いつかまた、シューティングゲームが陽の目を見る時代がやってくるのだと思います。




それと最後に。私はこのハーメルン様にて、シューティングゲームのネタを組みあわせた東方二次創作小説作品というのを見つけることが出来ませんでした。何か見落とした作品の中にあったかもしれませんが、それは気付かなかった私に責があります。すみません。

ですので、今後も東方二次創作小説を書くぞとなれば、惜しみなくシューティングゲームのネタを絡ませていこうかと考えています。読者さんにそれが私の作風なのだと意識してもらうのが狙いだったりするのですが、一番の理由は書いていて私が楽しいから、ということに尽きます。



長々とあとがきを書き連ねましたが、これ以上特に言い残しておきたいことは無いので、ここで〆ることにします。それでは「スペルカードルールができるまで」をお読み下さり、どうもありがとうございました。また、次の小説でお会いできればと思います。それでは。

(平成25年1月30日 22時36分 スペルカードルールができるまで 筆者、石の上のゆう)


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