Survivor's guilt (くーはく)
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Survivor's guilt

あまり明るくない話なので読むときは注意をお願いします。
ネットのどこかで雪風には陰がなきゃおかしいっていうのを見て書き始めました。
4万字程度でさっくり読み終わるので読んでいただけると嬉しく思います。



op

 

 

 6畳一間の1DKのマンションで男はパソコンと睨めっこしていた。

「資材量確認オーケー。頼む、頼むぞぉ! 今日こそ24分来てくれよぉ」

 男が睨めっこしているパソコンに映し出されているのは、『艦隊これくしょん』という名の所謂ブラウザゲーというやつである。

 プレイヤーが提督として着任し、第二次世界大戦中の軍艦を可愛らしい女の子に擬人化した子を戦わせ、育成していくシミュレーションゲーム。

 提督(プレイヤー)の人数は300万人を超え、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気のゲーム。男はそのゲームに最近着任したばかりの新米提督であった。

 そして、今男が行っているのは『建造』という『燃料』『弾薬』『鋼材』『ボーキサイト』の4種類の資材をつぎ込み新しい艦を作る作業。

 始めて3日程の新米であるが故に少ない資材を捻出して、決して高くない確率で出るお目当ての艦を狙う。高く見積もっても2%程度の確率を狙うには余りにも分の悪い賭けだった。下手な鉄砲もなんとやらというが、前述のとおり資材量が少ないため物量で押し切る作戦は使えない。『課金』という最終手段もあるにはあるのだが、始めたばかりで続けるかわからないゲームにお金をつぎ込む程男も馬鹿ではなかった。

「頼む雪風きてくれ! 今の資材量じゃこの一回がラストなんだよ」

 祈るような気持ちで建造開始!!のボタンをクリック。

 男が狙っているのは『雪風』という駆逐艦だった。

 帝国海軍所属。終戦まで生き残った彼女は数々の伝説を残した優秀な駆逐艦として平成の世にも語り継がれているほどだ。

 まぁ、そんな優秀な彼女だから『艦隊これくしょん』でのレア度も高く、上から数えたほうが早い『ホロ』というランクに位置されていた。

「うおっマジで24分来た! マジかマジなのか! 落ち着け、落ち着けよぉ。まだ雪風と決まったワケじゃない。落ち着けぇー」

 画面に映った24分という文字を見て、震えそうになる手をなんとかなだめ、『高速建造』のボタンにマウスポインタを持っていく。

 高速建造とは高速建造材、通称バーナーと呼ばれるアイテムを使い建造時間を短縮することである。駆逐艦という艦種であるために建造時間が24分程度と短いが、戦艦クラスになってくると4時間オーバーは当たり前。『大和型』と呼ばれる超大型になってくると8時間もの時間が必要になってくる。それを短縮するのが高速建造というシステムだ。

 たったの24分であるがお目当ての艦という自信が男にはあった為、早く会いたいと思うあまりアイテム使用をもったいないなんて考えが浮かぶこともなく高速建造をクリックを押した瞬間――

「えっ」

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走り、次第に視界がぼやける。

 ――暗転

「うそ……だろ……せっかく…………あえ……るのに」

 そして、男は意識を手放した。

 

 

 ――浮遊。浮上。浮いていく。体が軽い。鳥にでもなった気分だ。

 

 

 暗い暗い何も無い空間。生きているのか死んでいるのかすらわからない狭間の中、彼女の意識が濁流してくる。

 彼女の周りにはたくさんの仲間が居た。何人もの姉妹が居て、その輪の中で笑っている彼女は幸せそうだった。

 だが、次第にそれも変わっていく。

 状況の変化。

 開戦したのだ。相手国はアメリカ。現代の歴史の教科書にも載っている第二次世界大戦が。

 彼女たちは戦うために開発、建造された大日本帝国の武器だ。戦争になればもちろん己を刃とし、戦場へ向かう。命のやり取りをするために。

 彼女が所属していたのは第16駆逐隊。『雪風』『天津風』『時津風』『初風』の4隻の編成。

 多数の作戦を決行していく内に『時津風』が沈んだ。

 涙をのみ、戦争だから仕方ない。そう思い込んだ彼女の心に一つの影が生まれた。

 その後、更に作戦を決行していくと次に『初風』が沈んだ。

 泣いた。大声で泣いた。一晩中泣きはらした。けれども彼女は強かった。心を押し殺し、明るく振舞う。戦況が悪化し誰しもが下を向く中彼女は強く、しっかりと前を見た。

 しかし、心に生まれた影は次第に大きくなっていく。

 そして『天津風』が大破損傷し、彼女の属していた第16駆逐隊は彼女を残していなくなる。

 厳しい状況で心が摩耗していく中でも彼女は明るく振る舞い、周囲を元気づけようと必死だった。 

 最初はどんな作戦でも無傷で帰ってくるため『幸運艦』などと呼ばれていたが、次に属することになった17駆逐隊以降は全く逆のことを言われるようになった。

 護衛対象の艦を守れなかったこと、他の艦が沈むなか彼女だけが無傷で帰ってくることから影では他の艦の運を吸い取る死神と嫌われることもあった。

 もちろん彼女にそんなつもりはない。いつだって全力で臨み、結果的にそうなっただけの事。それでも周囲は穿った見方をする。

 すり減り、摩耗した心が更にすり減る。

 

 ――やめてくれ。もうこんなの見せないでくれ。

 

 今にも壊れてしまいそうな心を押して、それでも彼女は明るくあろうとした。

 数多くの仲間を看取り、嫌われ、潰れてしまいそうな重圧のなかでも彼女は明るく振舞う。

 いや、恐らく彼女はもう壊れていたのだろう。心が崩壊し、誰も助けがいない中必死にもがき苦しんでいたんだろう。自分だけが生き残る『幸運』に苛まれながらも、表には出さずにただ救いを求めていたのだろう。

 

 ――無理だよ雪風。俺は君の救いにはなれそうにないよ。だって「俺は」「私は」『雪風は』……もう笑えないから。

 

 映像もラストに近づき、ついには終戦。数々の仲間が沈み、生き残った艦はわずか。戦争の虚しさ、虚無感が胸を支配する中、

 

『……絶対……大丈夫』 

 

 疲れきり、普段の明るさからは程遠い、そんな彼女の声が聞こえた気がした。

 

 

 

1

 

 

「提督。先ほど妖精さんより連絡があり、新造艦の建造が終わったとのことです」

 

「おお、そうか新造艦か。ようやく我が鎮守府も鎮守府らしい体裁を整えることができそうだな。こりゃ提督として出迎えてやらないとな」

 

「ふーん。戦力になるといいけれど」

 

 8畳程度の執務室。執務室としては決して広くはないその場所で、一人の男は嬉しそうに、もう一人の女性は少し不機嫌そうに会話を交わす。

 

「ん、どうした? 加賀。仲間が増えるのは喜ばしいことなんだから、そんなしかめっ面してたら折角の可愛い顔が台無しだぞ?」

 

「かっ……可愛いとかあなたはまたそんなつまらない冗談を」

 

「うーん、冗談じゃないんだけどなぁ。まっ、加賀が可愛いのは置いといて早速新しい娘に会いに行こうか」

 

 提督と呼ばれた男は、先ほどまで書類仕事をしていて凝った肩や腰を伸びをすることで解消する。バキボキと心地いい音を立て、書類仕事からの開放を体が喜んでいた。

 加賀はそんな提督を見て深くため息を吐く。元よりこの男が女性の気持ちなんて物をつま先の爪程も理解できるとは初めから思っていないので、いつものことと諦めつつ新造艦が建造された工廠に向かうため席をたった。

 

「しっかし、この鎮守府に来てから初めての艦娘か」

 

「ええ、そうね」

 

 工廠へ向かう途中、何げない提督の呟きに加賀が答える。

 執務室が小さいように、この男の鎮守府は他の提督の鎮守府と比べると一回り、下手したら二回りも小さな規模だった。そのため、工廠へもものの数分で到着するくらいで、加賀としては二人きりの時間が後僅かしかないのは少し不満だった。その代わり、小さいということはそれだけ提督に会える率も上がるということでもあるため、複雑な乙女心の心境でもあった。

 

「俺がヘマしてここに飛ばされてから初めての娘か。あれ以降大本営から目の敵みたいに扱われてて新造艦建造の許可なんて降りなかったからなぁ。なんだかそう考えたら感慨深くなってきたな」

 

 男は頭をぽりぽりと掻き、当時のことを思い浮かべ苦笑いを浮かべる。

 そんな男を見て、加賀は一つどうしても聞きたくなった。

 

「……提督は、提督はあの時のことを後悔しているのですか?」

 

「ん? 俺が大本営に噛み付いたこと? ありゃ俺は間違ったことは言っていないつもりだよ。ただ最近はもうちょっとスマートに物事を運べないものかなって考える時はたまにあるけどね」

 

「そう、それならいいわ。あなたが後悔してるなんて言ったら、私は多分あなたの頬に大きなもみじを作っていたところだったわ」

 

「おお怖い」

 

 軽く身震いするような仕草を見せる男に対し、満足行く答えを聞けた加賀は普段の無表情からは想像できない優しい顔になっていた。もちろん普段の表情からはというだけでその顔の変化も些細なものだったが、それなりに付き合いの長い男にはその表情の変化がはっきりとわかった。

 

「いつもそういう顔をしてれば『近寄り難い加賀さん』から『親しみ安い加賀さん』になるのに勿体無いなぁ」

 

「別に……私はこんな性格の可愛げのない女ですから。知って欲しい人に知ってもらえるだけで私は幸せだもの」

 

 加賀の呟きは風に流され、提督の耳に届く前に青い空の一部へと昇華されていった。

 

「でもさ、やっぱり俺は『捨て艦戦法』なんて作戦は一生認められそうにないわ」

 

「ええ、知っているわ。そんなあなただから……。そんなあなただから、この鎮守府の娘達はあなたのことが大好きなのだから」

 

 其れきりで二人の会話は終わり、工廠へと足を進めた。

 

 

 

 工廠へ着いて早々、二人はただならぬ空気を感じ取る。辺りでは妖精さん達が困り顔でこの状況をどうしたものかとうろつき、せわしなく動き回る。そんなことをしていた妖精さんの一人が二人の姿を見つけるとすぐさま駆け足で近寄ってきた。

 

「テイトク! アタラシイカンムスガアバレテイルノデアリマス」

 

 新しい娘がいるであろう場所を指差し、どうすればいいのかと提督に指示を仰ぐ。

 提督がその指差す方向を見ると、そこには一人の女の子が立っていた。

 戦艦や空母は成熟した大人としての姿が一般的で、重巡や軽巡は成長途上の姿が多い。そして、駆逐艦は幼さを残す女の子の姿がほとんだだった。工作艦や揚陸艦なんてのもいるのだが、それは今回費やした資材では建造ないことが証明されていることでその可能性は無い。

 そんな考査で新造艦の少女は戦艦や重巡としては小さく、少しあどけなさを残す容姿をしていたため駆逐艦と予想をつける。

 

(うーん。制服からすると陽炎型かな?)

 

 少女は少し興奮しているのか肩で息をし、辺り構わず睨み尽くし、今にも飛びかからんばかりの殺気を撒き散らす。

 そのピリピリした空気を感じ取り、加賀は提督を守る為に前に出ようとしたが、一歩を踏み出す前に提督に手で静止させられる。

 そんな提督の行動に少し不満が出た加賀は、不満を隠そうともせず提督を見るがその顔を見た瞬間に毒気を抜かれた。

 ――ああ、また提督の悪い癖が出た。

 どうやらこの提督は性善説を信じている節がある。世の中には悪人なんていない。悪事を働くのはそうしないといけない事情があったからだ、という考え。提督が加賀との付き合いが長いように、加賀も提督との付き合いが長いのである。秘書艦としてこの鎮守府の誰もりも一緒にいた時間が多い加賀だからわかる。だからこそそんな考えが出来る提督に加賀達艦娘はその存在が眩しく映り、こんな辺鄙な鎮守府に異動になってもついていこうと思えたのだ。

 提督を危険に晒すのは加賀としては不本意で仕方ないが、提督には提督らしく居て欲しいと願っている加賀はこの行動を止める術はなかった。

 もちろんその身に傷一つ付けられるつもりはないので、相手が攻撃を仕掛けてきたらその身を呈してでもかばうつもりではあったが。

 

 (駆逐艦に遅れを取るつもりはありません)

 

 提督はそんな加賀の気持ちを嬉しく感じ、目で『ありがとう』と返事を送る。そして、その気遣いを無駄にしないように1歩、2歩と少女に近づき3歩目を踏み出した瞬間――

 

「あんた達はなんで『雪風』に戦闘を強いるんだよっ! もう『雪風』は十分に頑張ったんだ! 多くの味方を看取って自分だけ沈めない『幸運』に苛まれて、それでも歯を食いしばって必死に頑張ったんだよっ! もういいだろ……もう……十分だろ? そっとしておいてくれよ……」

 

 ――少女が泣きながら吼えた。

 

 

 

 

2

 

 

「しれぇ! 今日の夕食担当は吹雪さんみたいですよ! 料理には自信があるって言ってました。楽しみですね!」

 

「しれぇ! 工廠裏で猫さんが子供を産んでました! むつごです! 雪風が名前決めちゃってもいいですか?」

 

「しれぇ! さっきしれぇの部屋で百円拾いました! 雪風のお財布に入れてもいいですか?」

 

「しれぇ! 雪風がお茶を入れたら茶柱が立ってました! 見てください見てください! へうっ、あっ……」

 

「しれぇ!」

 

「しれぇ!」

 

 今日も今日とてばたばたと、執務室の扉は休まることを知らない。一人の少女、雪風が何か事あるごとに提督への報告とばかりに執務室を訪れるのだ。本当に些細な、無駄とも思えることまで報告するその姿は最近ではそれがこの鎮守府の名物と言えるものになっていたりする。

 そんな雪風が鎮守府に来てから早くも一ヶ月が経とうとしていた。

 

(うーん、普通にいい子だと思うんだけどなぁ)

 

 提督は一ヶ月前のことを思い出しながら、ちょこまかと動く少女を見る。鎮守府での評判も悪くない。明るい性格の彼女は誰とでも仲良くなれ、あっという間に他の艦娘達の信頼を得ていった。加賀は何かと警戒していたが、それは杞憂じゃないだろうか。というのが今の提督の考えであった。出会いはあまりいいものであったとは言えないが、それよりも過程、現状が大事という考えのもとそう提督は納得していた。

 

 

 

 ――出会い。

 

 あの後のことを軽く語ると、少女が吼えたと思ったら次の瞬間にはケロリとした表情で、

 

「なーんて、冗談です! 陽炎型駆逐艦8番艦、雪風です! どうぞ、宜しくお願い致しますっ! 雪風ちょっといたずらしました!」

 

 大成功といたずらっぽく舌を出し、ブイサインを提督へと送る。

 それを見た周りの妖精さん達は肩に入った力を抜き、何人かがへとへとと倒れこみ、あたりに張り詰められていた緊迫感は離散していった。雪風本人は「第一印象のインパクトが大事ですから」と冗談っぽく言っていたが、十分すぎるインパクトを与えられた提督は「妖精さん達の迷惑になることはしちゃダメだぞ」と返すのが精一杯だった。

 その後「雪風の演技はどうでしたか? どうでしたか? 迫真の演技は」とドヤ顔で聞きまわる姿を見て、どこからともなく笑い声が生まれ、それが連鎖し最後はみんなで笑いあった。

 そんなこともありその後、雪風が妖精さん達に謝ってその場は丸く収まったという結末。

 

(うーん、やっぱりいい子だと思うんだよなぁ)

 

 『雪風』の名を知らぬものはいない程に有名な艦娘。名のある作戦には大抵参加し、無傷で帰ってくるその姿から奇跡の艦とまで言われた娘だ。この鎮守府に力を貸してくれるなら、これほど心強い味方はいないだろう。駆逐艦なので燃費の面でも資材の少ないこの小さな鎮守府にとってはありがたいものだった。

 提督としてはもう少し艦娘としての生活に慣れてきたら、遠征や空母の護衛などその力を貸してくれるように頼むつもりであった。

 

(やっぱり第一印象が悪すぎたのかな……)

 

 ただ秘書艦である加賀の雪風に対する印象が悪すぎた。普段の彼女の様子から彼女は無表情ながらも他の艦娘と接するときはどこか優しさが有り、そっけないながらも相手を気遣える性格をしているのだが雪風は例外らしい。警戒心を隠しもせず、雪風の行動に逐一目を光らせている。

 どうしてそこまで警戒するのか、仲間なんだしもう少し仲良くできないだろうかと相談したこともあったが、加賀の答えは首を横に振るばかりだった。

 逆に考え、どうすれば仲良くなれるのかと聞いたところ、

 

 ――薄ら寒い仮面を被った駆逐艦。その仮面が取れたときなら仲良く出来るかもしれない。

 

 加賀の返答は曖昧であり、今の提督には理解できそうになかった。

 

 

3

 

 

 渇く。渇く。死への渇望。

 

 暗い暗い何も無い空間。手足の感覚も無く、浮いているのか沈んでいるのかさえわからない。

 それでも望む。無への羨望。

 考えることを放棄し、この空間の一部となり悠久の時を歩みたい。それはきっと甘美なことだろう。ここにいれば自分が傷つくことも、誰かを傷つけることも無い。現実世界のいざこざから開放された優しい世界。

 そこは、優しい優しい『二人』だけの世界。『二人』だけで完結した世界。

 

『なあ、居るんだろう?』

 

 声になっているのかわからない。なにせ意識だけしかない身では確認のしようもない。けれども『彼』には伝わっているという確信があった。その確信が合っていたかの様に『彼』の言葉に応じ、何もなかった暗闇の中から彼女が形成される。

 

『しれぇ……』

 

 帰ってきたのは力の無い声。俯きこちらを見ようとしない。『彼』のことを『しれぇ』と呼んでいることから、彼はあの時の建造で出来た娘だろうとという疑問は確信へと変わった。

 生前とでもいえばいいのだろうか、未だに死んだという感覚が無い『彼』の知識では考えられない彼女の姿だった。

 ネットの海を徘徊し、たどり着いた動画投稿サイトでたまたま見た彼女の姿は元気で明るく、周りに笑顔にするその可愛らしい彼女に一目惚れし、『艦隊これくしょん』というゲームを始めようと思ったのだ。

 詰まるところ『彼』が『提督』として存在している理由は彼女の為であった。彼女……『雪風』と一緒に『艦隊これくしょん』という冒険をし、共に強くなろうという気持ちが『彼』の『提督』としての本心であり心に決めたこと。

 

『やっぱり居たか。ここってやっぱり君が作り出した空間なのか?』

 

『ここはわたしの心の空間。しれぇと二人だけの楽園です』

 

『ああ、楽園……ね。まぁ確かに居心地はいいしあながち間違っちゃいないか』

 

『はい。しれぇはわたしの望みを叶えてくれる。わたし達が消えてもこの楽園の中、ずっと『二人』でいられる。それはきっと素晴らしいこと』

 

『望みか……。以前この空間に来た時、君の意識が流れ込んできて一通り把握は出来てる。それを本気で君が望んでいるなら、俺は何を犠牲にしても叶えて上げたいと思う。君の返答を聞きたい』

 

『わたしは……雪風はもう疲れました。戦争も……仲間が沈んでいくのも、もう見たくないです……』

 

 力なく項垂れる彼女を見て、彼は腹をくくることにした。確かに彼女は艦娘としての力がある。それは一般人である『彼』が逆立ちしたってかないっこない程の力だ。それなのに今目の前で助けを求めている少女は、道を間違え迷子になり、今にも泣きそうなただの幼子のそれだった。

 

『……君は軍艦としては優しすぎたんだね。本当は違う返答が聞きたかったけど、君が真にそれを望んでいるのが分かっちゃうから……意識の混濁ってのはやっかいだね』

 

『しれぇ、ごめんなさい』

 

『いや、謝ることはないさ。俺はいつだって君の味方でありたいと思ってる。だからここは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』にしないか?』

 

『――っ! こんな嫌なこと押し付けているのに『ありがとう』なんて言えないですっ! 言えるはずがないです……わたしもそこまで馬鹿じゃないです……』

 

『そっか、まぁそれは一旦置いておこう。それよりも報酬を先に貰っておこうかな』

 

『報酬? わたしがしれぇにあげられる物なんて何も……』

 

『幸運の女神のキスを一つ』

 

『幸運の女神?』

 

『そっ。つまりは君のキスかな。君はそう呼ばれることに抵抗があるかもしれないけど、俺にとって君はやっぱり幸運の女神様なんだよ。出会って喋り合うことなんてできないと思っていたのに、今こうして君と会話できている。それだけで俺は幸運だ』

 

『随分と安い幸運ですね』

 

『なんて軽口言ってないと体が震えてきちゃってさ。情けないことにこれからのことを思うと怖くて仕方ないのさ』

 

 腹をくくったは良いが、それでも不安は拭えない。なにせ一世一代の大仕事だ。失敗は許されない。その不安を打ち消すための苦し紛れの提案であった。

 

『――ごめんなさい……。しれぇの負担を考えるとわたしのキスくらいじゃ釣り合わないけど……』

 

『もちろん俺は強欲だからな。キスだけじゃない、作戦の成功報酬もきちんともらうつもりだから。とりあえずの先払いはキスをくださいってこと』

 

『そう……ですね。しれぇがロリコンでも私は、雪風は大丈夫ですから。では報酬の先払いをするので目を瞑ってください』

 

『お、おう。なんだか恥ずかしいな。っていうか君には俺の姿が見えているのか?』

 

『ここはわたしの心の中ですから。しれぇがどこにいるかもちゃんとわかっています。それじゃあいきます』

 

 そして、その言葉を最後に雪風の唇と『彼』の魂が一つに重なった。

 

 今回はそこで暗転していく。

 

 暗闇に押しつぶされる最中、『あなたが雪風の最期のしれぇで良かった』そんな彼女の声が聞こえた気がした。 

 

 

 

 

4

 

 

 運命への抵抗。

 運命というものを信じているかいないかなんてのは人それぞれ。生まれた時から既に運命は決まっているという考えと、運命なんてものは自分の行動一つで変えられるという考え。

 どちらかといえば『彼』は前者の思想の持ち主だった。

 ただ、現実には前者の考え方だが、憧れとするのは後者であった。

 なにせ後者の考え方は確認のしようがない。運命が変わったのだと観測出来る人間、いやそのことを観測できるのだとすれば、それはきっと神さまあたりなのだろう。人の身で観測者になるには、どこぞのアニメの青いタヌキが使っていた、現代科学を超越した未来な道具でもない限りは無理だろう。もちろん『彼』が生きている今、そんなものはありはしない。

 まぁ早い話、気の持ちようで変わることだが、運命という曖昧なものがあるならば、それに抗って見たいと『彼』は思っていた。

 

 

 雪風が建造されてから2ヶ月の時が過ぎた。

 その2ヶ月間の間に新たに建造された艦娘は0。提督は上に相当嫌われているらしく、建造の許可を求めても何かとはぐらかされ、許可が降りることがないと嘆いていた。

 資材に乏しく艦娘の数も乏しい。調べていくうちに分かったことだが、この鎮守府にいる艦娘は雪風を含めたったの5隻だった。その5隻の内訳も、空母1に駆逐艦4という貧弱っぷり。更にはたった1隻の空母、加賀の装備も他の鎮守府に居る空母と比べると見劣りするのだ。

 これで深海棲艦と戦って、それを撃滅せよというは土台無理な話であった。

 そんな状況の中でできることといえば。

 

 

「あっ! 雪風ちゃん。今日も提督から4人で遠征の任務だって」

 

「今日も夕立頑張っちゃうっぽい!」

 

「も~、みんな勝手に入っちゃ悪いよぉ」

 

 勝手知ったる他人の部屋。ドタドタと3人の艦娘が雪風が使っている部屋へとなだれ込んできた。女3人寄れば姦しいと言うが、その諺に偽り無しと雪風はこの2ヶ月で嫌という程身をもって経験していた。

 最初に入ってきたのは『吹雪』。

 提督から仕事を任されるのが嬉しいのだろう。提督からの指令を嬉しそうに伝えにくるあたり、提督への好意はバレバレである。本人は否定していたが、提督を見つめる視線が乙女のそれとはっきりわかってしまうので、隠す気がないだろうと邪推してしまうのはご愛嬌。

 次に入ってきたのは『夕立』。

 良くも悪くもマイペースな彼女は、実は3人の中で怒らせると一番怖い艦娘である。この前みんなでおやつにショートケーキを食べていた時のことだ。雪風は自分の分を食べきっても少し足りないと気がして、彼女の皿にぽつんと残されていた苺をもう食べないものだと思い、それを拝借。すると目の前に鬼がいた。好きなものは最後に残す派だった彼女のその時の言葉『げっ歯類が調子に乗ってるっぽい?』というのは今でも耳に残っている。流石『ソロモンの悪夢』とまで言われた艦娘だ。逆らうまいと心に決めた雪風だった。

 そして、最後に入ってきたのが『睦月』。

 この鎮守府『最後の良心』この今一言に尽きる。上2人の保護者的存在。実戦経験に乏しい吹雪を補佐し、たまに暴走する夕立を止めることのできるのは彼女だけだろう。ある意味、彼女がいなければこの鎮守府は成り立たないのかもしれない。

 

 そんな3人と今日も遠征の任務を遂行する。

 今はみんなの信頼を得るのが先だ。焦ってはことを仕損じる。なにせ加賀からは初対面の印象からか嫌われている節がある。ここはじっくりと行くべきだ。そう言い聞かせ雪風は今日も今日とて遠征にひた走る。

 

「遠征ですね。はいっ! 頑張ります!」

 

 

 

 

 夕暮れどきに4つの影。艤装と呼ばれる装備を持ち、それを操る艦娘の影が4つ。その内の3人は満面の笑みを浮かべていた。

 それもそのはず――。

 

「今日の遠征も大成功だったね! 司令官喜んでくれるかな?」

 

「絶対喜ぶっぽい! だってこんなにいっぱい資材持って来れたんだから、提督さんだって嬉しいっぽい!」

 

「で、でも提督が一番喜ぶのは睦月達が無事に帰って来た事だよ。あの提督ならきっと」

 

「むぅ~、確かにそうっぽい。でも夕立達が無事でこんなに資材とってきたんだから絶対褒めてくれるっぽい!」

 

 ――今日の遠征は大成功だった。

 遠征の内容は輸送船団を護衛するという任務。吹雪たち3人しかいなかった時は深海棲艦に襲われたり、天候の悪化に見舞われたりで散々な結果しか残せなかった任務が、雪風を入れることによって大成功を収めることができた。それに伴い、鎮守府運営には欠かすことのできない資材を確保でき、万年資材枯渇の鎮守府に少しずつだが潤いを与えていた。そのことが3人には嬉しくて仕方ない様子。

 

「それにしても雪風ちゃんが来てからいいこと一杯あるね。戦力は増えたし遠征だってここ最近大成功ばっかり。私たちいいトリオになれそうだね!」

 

「吹雪ちゃん。トリオは3人の呼び方で4人だとカルテットだよ」

 

「えっ? そうだっけ? それじゃあ私たちいいカルテットになれそうだね!」

 

「カルテット。何かかっこいい響きっぽい!」

 

「ああ、早く司令官に会いたいなぁ」

 

「じゃあ走って帰ろうか?」

 

 はしゃぐ3人の少し後ろを雪風は歩く。

 考えるのは今日のこと。雪風としてこの体を借りてから何度目かの遠征。未だに海上での足は覚束ず、前の3人についていくのがやっとだった。それでもなんとかうまくやってこれているのは雪風が力を貸してくれているからだろう。顔には出さないようにしていたが、内心では冷や冷や物だ。それもそうだろう。『彼』は元々一般人でしかない。そんな人が突然海の上に出てそこを走るなんて、いくら体のサポートがあるとは言え、メンタル的に追いつけそうもなかった。人は海の上に立つことができない。一般人として生きて来た『彼』には、その固定概念が深く根付いているのだから仕方ないのかもしれない。

 まだしばらく慣らす必要がありそうだな。そう思索に耽っていると吹雪に呼ばれていることに気づいた。

 

「……ちゃん。……か……ちゃん! 雪風ちゃん!」

 

「はっ、はい! 雪風に何か、ご用でしょうか?」

 

「雪風ちゃん聞いてなかったっぽい?」

 

「だから、雪風ちゃんは幸運の女神様だなって話なんだけど」

 

「幸運の女神?」

 

 『幸運の女神』その言葉を聞いた瞬間、ズキリと頭にノイズに似た痛みが走る。心の奥底の否定。雪風の否定

 

「雪風は幸運の女神なんかじゃないです。今日の大成功だってみなさんが頑張ったからであって、雪風の力なんて微々たるものでした。実際、海上ではみなさんについていくのがやっとで……」

 

「うーん。そこは練度の差なんじゃないかな? 私たちは改二になれる練度はあるから。雪風ちゃんは建造されたばかりだし、しょうがないよ。私なんて初めての頃は転んでばっかりだったしね。それに比べれば雪風ちゃんはすごいよ」

 

「あはは、吹雪ちゃんが転んでたの懐かしいっぽい!」

 

「でも、吹雪ちゃん頑張ってたもんね」

 

 昔を懐かしみ、笑い合う3人。その会話の中で、雪風は気になる点が一つ浮かび上がっていた。それは、3人が改二になれる練度があるということ。いくら万年資材枯渇の鎮守府とは言え、駆逐艦3人を改二に出来るくらいの資材はあるはずだ。それすらないなら遠征から帰った時の補給すらままならないことになる。何より、戦力強化になる改造をやらないことは、デメリットはあれどメリットが見当たらない。雪風は、沸いた疑問を素直にぶつけてみることにした。 

 

「なぜみなさんは、改二にならないんでしょうか?」

 

「えっ!?」「ぽいっ!」「えーと……」

 

 三者三様の驚き。その反応を見て、雪風は突っ込んではいけないことを聞いてしまったかと後悔する。少しは慣れてきたとは言え、3人と組始めてからは1ヶ月程度の新参者。そのよそ者がいきなり聞くには少し不躾な質問だったのかもしれない。

 ――が、3人は顔を見合わせしばらくの後、頷いた。言葉にしなくても伝わるそれは、3人の信頼の高さが伺える。

 

「えーっとね、確かに私たちは改二になれる練度はあるんだけど、上がね……許可を出してくれないんだって」

 

「上?」

 

「そう、大本営からの許可が降りないんだって……」

 

「なぜ許可を出さないんでしょうか? 改二にしないメリットなんてありません。雪風にだってそのくらいわかります」

 

「司令官は……大本営に嫌われてるから……」

 

 最後は下を向き、悔しそうに声を搾り出す。

 3人を代表して吹雪が話してくれた。だがその内容を聞いても、浮かび上がるのは疑問だけ。雪風は2ヶ月程この鎮守府で過ごしているが、提督の怒っている姿を見たことがなかった。性格は温厚そのもの。人あたりの良い彼は、決して人から嫌われるものではない。雪風から見た提督の人物評価だが、この鎮守府で過ごしているみんなの顔を見れば、あながちこの評価が間違えているとは思えなかった。

 

「そう……だね。雪風ちゃんには聞く権利があるよね。だって――私たち仲間なんだから」

 

 いいよね? と、吹雪が夕立、睦月に聞く。2人は黙って頷き、それに応えた。

 

「元々、司令官は呉鎮守府の提督でね。ここよりももっと広くて、もっと大きくて、もっと一杯艦娘のいる鎮守府だったんだ。もちろん資材だって、ここと比べるのもおこがましい位あったよ。それにあの大和さんや赤城先輩もいたりしてね、その頃は最強の鎮守府は横須賀か呉かなんて言われてたっけ。とにかく、それくらい大きな鎮守府の提督だったんだよ。私たち3人も呉鎮守府に所属してた」

 

「呉……ですか」

 

「あぁ、雪風ちゃんも元々は呉にいたんだっけ?」

 

「はい。生まれは佐世保ですけど」

 

「それでね、司令官は帝国海軍を代表する提督の一角だったんだけど、ある事件で大本営とぶつかることになっちゃったんだ」

 

「ある事件?」

 

「公式な作戦名なんて無い。みんなからは『捨て艦戦法』なんて呼ばれてた……。日々勢いを増していく深海棲艦に焦りを覚えた大本営が打ち出した作戦で、変えの効く駆逐艦を敵の艦隊に突撃させて足止めさせてね、その足止めしてる間に戦艦や重巡の大口径主砲の一斉射撃でズドンって方法。そんなことすればもちろん前線にいた駆逐艦もただじゃすまない。実際、1回目に行われた『捨て艦戦法』では駆逐艦3隻が突撃して……3隻とも轟沈した。でも……幸か不幸かその作戦は大成功しちゃったんだ……。その戦果に気を良くした大本営が次に目をつけたのが司令官のいた呉鎮守府で、選ばれた駆逐艦は……私たち3人……。当時の私たちは所属したてで練度も低くて、大本営から見たら失っても痛くない戦力だったから。でも司令官からしてみたらそうじゃなかったみたい。大本営は艦娘を兵器って考えてたけど、司令官は一人の人として扱ってくれた。所属したての私たちにも他のみんなと同じですごく優しかった。そんな司令官だからその作戦に賛同することは出来なくて断ったんだけど、大本営から見たら反抗の意にしか取れなかった。その後も何度も何度も命令が来たんだけど、その都度そんな非道なことは出来ないって突っぱね続けてた。そして、業を煮やした大本営が『そんなに駆逐艦が大事ならその3隻と一緒にいればいい』ってこの鎮守府に左遷命令を下して、司令官も『捨て艦戦法』を取るくらいならって言って、私たち3人を連れてこの鎮守府に異動した。それがこの鎮守府の始まりで、司令官が大本営に嫌われてる理由」

 

 提督と大本営の内情を説明し終えた吹雪は深く一息吐き、伸びをしている。その吹雪を労うように夕立と睦月が近づき、お疲れ様と声をかけていた。

 事情は大体わかった。あの温厚そうな提督と上の仲が悪い理由もはっきりした。けれども吹雪の話を聞いていたら新たな疑問が生み出された。吹雪は『私たち3人を連れてこの鎮守府に異動した』と言っていた。今、鎮守府に所属しているのは雪風を抜くと4人。駆逐艦3人と……どう考えてもこの鎮守府にはオーバースペックすぎる空母が1人。それに前に提督は、この鎮守府に来てから初めての艦娘は雪風と言っていた……。疑問は疑惑へと変わる。

 

 ――加賀は一体何者なんだろうか。

 

 

 

 

 

「そろそろあの子達が帰ってくる頃か」

 

 執務室に差す、黒と橙のコントラストを見て提督が呟いた。

 朝見送ったばかりだと思っていたのに、気がつけばもう夕方。いつもは駆逐艦の子達がバタバタと執務室に入ってくるのでその都度仕事を一時休止して相手をしてあげているのだが、今日は遠征で居ない為、時間を忘れて仕事をしていたようだ。執務室にいるのはもう1人。加賀は元々口数の多い方ではないので、静かで穏やかな時の流れを感じることができた。

 

「ええ、そうね。迎えに行きますか?」

 

 書類を書いていた加賀は手を止め、提督の方を見てその呟きに応える。

 

「もちろん。こんな書類仕事なんかより、あの子達を労う方がよっぽど提督として重要な仕事だからな」

 

「ふふ、あなたは変わらないのね」

 

「それよりも加賀は一緒について来ていいのか? その書類、上に出すやつなんだろ?」

 

「構いません、書いていてもつまらないものですから。なんならあなたも見ますか?」

 

「どれどれ、って加賀は相変わらず達筆だなぁ」

 

 加賀の書いていた書類を見ると、そこにはぎっしりと並んだ文字の羅列。だが、その1文字1文字が丁寧に綴られていて、決して読みにくくはない。提督は真面目な加賀らしい書類だなと感心するが、その内容は『いつも通り』で苦笑いを浮かべてしまう。それもそのはず、加賀が作っていた資料は、提督の『監視記録』だった。提督の逐一を上に報告するために作られたそれは、いつも通り最後に『恭順の意無し』という言葉で締めくくられていた。

 

「でもこれって本当は俺に見せたらいけないんだろう?」

 

「ええ、でも私は、あの時からこの鎮守府の一員だから」

 

「うーん、まぁ、加賀の立場が悪くならないならそれでいいけど、悪くなるようなら切り捨てちゃってもかまわないぞ」

 

「……頭にきました」

 

 乙女心のわからない提督に加賀は少しカチンと来た。確かに出会いは少し特殊だったかもしれない。けれども今はこの鎮守府の一員だ。たとえ親友の赤城であろと、この立場を譲るつもりはない。そのことがわからない鈍感な提督に加賀は頭に来たのだ。

  

「因みにさ、最後に恭順の意無しって書いてあるけど、恭順したらどうなるんだ?」

 

「……その意思があるんですか?」

 

「いや無いって! 無い、絶対に無い! だから睨むなって。もしも、もしもの話だから」

 

「まぁ、あなたに限ってはないと思いますが、恭順したら恐らく呉の鎮守府に戻されるでしょうね」

 

「へぇ、あんなこと仕出かしておいてまだ呉に戻させる気があるなんて、なんというか上も甘いなぁ」

 

「今の呉の状況なら仕方ないのかもしれないですね」

 

「ん? 今呉ってどうなってんだ?」

 

「戦艦『大和』を筆頭にボイコット状態です。あなたがこちらに異動になって以来、まともに鎮守府として機能していません」

 

「あいつら……」

 

「嬉しそうですね、提督。そういう訳で上としてはあなたを呉に戻したい意志があるみたいです」

 

「そうだな、慕ってくれるのは嬉しいが、俺に戻る気は無い」

 

「ええ、上もあなたがここまで頑固者だとは思っていなかったでしょう。直ぐに根を上げて泣きついてくると思っていたみたいなので」

 

「ははっ、頑固者か。でも近々手紙でも出さないとな」

 

「そうしてあげて。赤城さんから毎月提督はどうなっているかっていう手紙が来てうるさいから」

 

「そっか……それじゃあ、もう少ししたら手紙出すって言っておいてくれ」

 

「ええ、わかったわ」

 

 そこで会話は止まり、ちょうど外からワイワイと騒音が執務室まで届いた。どうやら遠征に出ていた駆逐艦達が帰ってきたらしい。提督は弾むような騒音を聞き、今日も無事に帰って来れたことに感謝しつつ、執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 

5

 

 

 数多の作戦に参加し、その作戦の中でも戦果を上げつつほとんど無傷で生還した『奇跡』の駆逐艦。彼女の戦歴は華々しいものだが、その心はどうだったのだろう。

 戦争。お互いに譲れぬものがあり、その信念の元、力同士をぶつけ合う。そして、必ず出てしまう犠牲。数多くの作戦に参加するということは、それだけ多くの沈んでしまった艦を見てきたということ。その犠牲の中で生還してきた彼女の精神は無事でいられたのだろうか?

 『サバイバーズ・ギルト』という言葉がある。

 そんな犠牲の元、『奇跡』の生還を果たした者が、周りの人々は亡くなってしまったのに何故自分だけ助かってしまったのだろうと感じる罪悪感のこと。

 『奇跡』の駆逐艦とまで呼ばれた彼女がこの罪悪感に苛まれていたとするなら…………何度も何度も『奇跡』の生還を果たした彼女がこの罪悪感に苛まれていたとするなら…………それは『奇跡』でもなんでもなく、『悪夢』でしかない。

 しかし、『悪夢』と言えど、所詮『夢』。覚めない夢などない。いつかは終わりを迎えるのだ。

 そして、今日。その悪夢から彼女を開放する決意を胸に『彼』は出撃する。

 

 

 

 

 その日の提督の目覚めは最高に悪かった。夢見が悪かったわけじゃない。ただ、妙な胸騒ぎに襲われ、どうしようもなく不安になり目が覚めてしまった。手元にある目覚まし時計を確認すると針は6の数字を指していた。いつもより相当早く起きてしまったようだ。

 

「はぁ、いかんな……。あの子達の出撃の日だというのに、俺がこんな様子じゃあの子達を不安にさせてしまう」

 

 頭を振りかぶり、嫌な考えを断ち切ろうと思い外を見ると、そこはまだ暗闇が支配している世界だった。いつもだったら、既に朝日が顔を出していてもおかしくない時間であったが、今日は少し様子が違った。

 

「一雨……降りそうだな」

 

 

 あいにくの曇天。そこには薄暗い空に黒い雲が群れを成して闊歩していた。今にでも降りだしそうなそれを見て、提督はため息を吐く。

 今日は駆逐艦4人の出撃の日。特に雪風は初めての出撃で緊張しているかも知れない。そんな彼女たちを万全の状態で送り出すのが提督としての仕事で一番大事な事と考えている彼は、今日の天気に文句を言ってやりたくなった。曇天が悪いとは言わない、けれども出撃の日くらいは太陽に祝福して欲しいと思う。艦娘と一緒に戦うことが出来ず、自分はただ安全な場所から指示を出すだけしか出来ない提督にとって、曇天への言いがかりは精一杯の文句であった。

 

「すっかり眠気も覚めたな」

 

 もう一度寝直すにしても微妙な時間。それに眠気もない。このまま無駄に時を過ごすのは如何な物かと思い、制服に着替え執務室へと向かうことにした。

 

 執務室に近づくと、コーヒーの良い香りが提督の鼻腔をくすぐってきた。どうやら先客がいたらしい。先客にはおおよその検討は付いているが、微かに光が漏れている執務室の扉を開けるとそこにはやはり予想通りの人物がいた。

 

「なんだ、加賀も早く起きちゃったのか?」

 

「提督? ええ、ちょっと夢見が悪くて」

 

 そこにいたのは加賀だった。提督が来たことに対して少し目を見開いたが、顔全体に驚きの色はない。

  

「加賀もか……」

 

「も、という事は提督も?」

 

「なんだか妙に胸騒ぎがしてな、気がついたらこんな時間に起きてたよ」

 

「そう……。でも今日はあの子達の出撃の日。提督のあなたがそんな顔じゃみんな不安がるわ。コーヒー、飲みます?」

 

「ああ、ブラックで頼む。しかし加賀がコーヒーなんて珍しいな」

 

「たまには、と言いたいところだけど、目を覚ましたいですから」

 

 そう言い、戸棚からカップを取り出し、慣れた手つきでコーヒーを入れていく。執務室にコーヒーメーカーなんて立派な物はなく、お湯を入れるだけで出来るインスタントの物だが、出来上がったものが手元に来てその匂いを嗅いだ瞬間、入れてくれた人の優しさが感じられ気持ちを落ち着けることができた。

 

「加賀は今回の出撃をどう見てる?」

 

「どう……とは?」

 

「上からの通達では偵察任務ってことだけど、それにしては他の鎮守府から戦艦と重巡を1隻ずつ戦力に加えてくれるなんて物騒なんじゃないか? 偵察任務に戦艦なんてただの燃料食いだろう?」

 

「ええ、そうね。でも――」

 

「いくら上がキナ臭くても断ることは出来ない……」

 

 そう。断ることの出来ない任務だった。この鎮守府に『正式に』所属しているのは駆逐艦3人のみ。吹雪、夕立、睦月がこの鎮守府の戦力の全て。そして、そこに建造された雪風が加わるはずだったのだが、上がそれに横槍を入れてきた。

 建造許可を出したは良いが、投じた資材量から普通の駆逐艦ができるだろうとあたりを付けていた所にひょっこりと出てきたのが雪風。帝国海軍の駆逐艦の中でトップクラスの功績を持ち、その上凄まじい豪運を持つ彼女を彼の鎮守府の一員とて認めたくなかったのだ。

 そこで今回の偵察任務を提督に課した。提督が彼女を御せるなら所属を認めると。

 

「あなたの心が決まっているなら何も言うことはないわ。私はそれをサポートするだけ」

 

「いつもすまんな、加賀」

 

「それは言わない約束よ。大丈夫。みんな優秀な子たちですから」 

 

「そうだな。提督としてみんなを信じてやらないとな」

 

 

 日差しは登る。

 刻一刻と運命の時に近づきつつあった。

 

 

 

 

6

 

 

 波の上を滑りながら『彼』は考える。

 今回の任務は敵に姫級の艦が現れたかもしれないということで、それが事実であるかどうかを見極める偵察のための出撃であった。信憑性のほどは定かではない。しかし、姫クラスの敵となるとその驚異は恐ろしいもので、早期に発見し艦種やその特性を把握しておかないと被害が甚大になってしまう。噂の信憑性がどうであれ、今回の偵察任務は早いうちに行わなくてはならない事であった。

 提督はもしかしたら戦闘になるかもしれないと言っていたが、もしかしたらではダメなのだ。確実に深海棲艦が居てくれないと雪風の願いは叶えられない。

 『彼』がこの数ヶ月、鎮守府に所属していてわかった事だが、『彼』の居る鎮守府は余りにも出撃が少ない。遠征はよくあるのだが、戦闘をする機会は一向にない。初めの頃はまだ新入りに出撃を任せられないだけだろうと思っていたが、他の駆逐艦の子達も同様に出撃の機会はなかった。そのことに少し安堵してしまったのも事実。けれども『彼』は『雪風』のしれぇだ、あの時の約束を違えるわけにはいかない。それは『彼』のけじめであり、何よりも守らなければいけない約束だった。

 

 

 

「なんだか少し寒いな」

 

 身を震わせながら吹雪が呟いた。

 薄暗い空に浮かんだ雨雲が日光を遮り、周囲の気温もそれに応じ下がっていた。快晴の日と比べると視界が悪く、その分警戒を怠れないので気を抜くことは出来ない。そのため周囲に目を光らせながらの発言であった。

 

「それに、いやーな天気ね」

 

 そんな吹雪に答えたのは戦艦『扶桑』。他の鎮守府との合同での作戦ということでこの任務に参加している彼女は、その圧倒的な艤装を震わせながら空を見上げて寒そうにしていた。

 

「扶桑さん。ここはもう安全な海域とは言えません。警戒を怠らないでください」

 

 そしてもう1人。扶桑と同じ鎮守府から参加しているのは重巡『妙高』。空を見上げ、警戒を怠っていた扶桑を叱咤する。 

 旗艦である扶桑を先頭にその後ろを妙高、次いで吹雪、夕立、睦月、雪風という順に並んで単縦陣を敷き、姫級が目撃されたとされる場所を目指している途中であった。

 鎮守府を出発してから結構な時間が経ち、太陽が顔を覗かせていたのなら恐らくは頭上か少し西に傾いているであろう、そんな時間帯。出発してからずっと緊張状態が続いていた6人は、少しずつだが気の緩みが生じつつあった。

 

「はぁ、この状態のままでの航行は危険と判断します。少し休憩しませんか? 扶桑さん」

 

「そうね、次に孤島が見えたらそこで休憩にしましょうか」

 

 妙高の提案に扶桑が乗る。後ろを見てみると駆逐艦の子達が休憩という言葉を聞いた瞬間に嬉しそうな顔をしていたのを見て、扶桑はこの判断は間違っていないと思うことができた。

 

「休憩ですか? 雪風、おにぎりを握ってきました! みなさんで食べましょう!」

 

「ゆ、雪風ちゃん……」「朝いないと思ったらおにぎり握ってたっぽい?」「うふふっ、雪風ちゃんったら」

 

 後ろから聞こえてくる会話に、妙高は頭を抱えたくなった。これは遠足ではない……正真正銘の出撃任務である。それなのに遠足気分が抜けきっていない駆逐艦達を叱ろうとしたが、すんでのところで扶桑の手が肩に置かれ止められた。

 

「いいのよ、あの子達は出撃回数が少ないらしいから。緊張してるよりは楽しんでいたほうがいいじゃない?」

 

 この艦隊の全権を預かっているのは扶桑だ。その扶桑にそう言われてしまっては妙高はノーとは言えない。

 

「ごっはんー♪ ごっはんー♪」

 

「夕立ちゃん、恥ずかしいからやめて!」

 

「ごっはんー♪ ごっはんー♪」

 

「もう! 睦月ちゃんまで!」

 

「ご飯の歌ですね! 雪風もご一緒します! ごっはんー♪ ごっはんー♪」

 

「もう!」

 

 吹雪の苦労と妙高の頭痛は、次の孤島が見えるその時まで続いたそうな。

 

 

 

 

 そんなことから数刻の後、艦隊一行は孤島に到着と相成った。大きさ的にはあまり大きくないが、鬱蒼とした草木が生えているそこは、隠れがてらに休憩するにはもってこいの場所だ。姫級が目撃されたと言う島まで目と鼻の先。まずは妙高が見張り番を買って出て零式水上偵察機を飛ばし、自身も海上に身を置き警戒にあたる。その警戒に身を守られながら、休憩を取ることになった。

 

「……はい。……そうですね。現在は視界も悪く、接敵したとしても姫級の艦種特定に失敗の可能性もあります。……はい。それではしばらくはここで…………」

 

 島に付いて早々、扶桑は大本営との無線のやり取りを始め、現在もその会話は続いている。

 最初は扶桑達も誘って一緒に食べようと思っていたのだが、どうやらこの様子ではしばらくはかかりそうだ。そんなわけで2人には悪いと思いながらも、先にいただく事にした。

 

「こっちの大きいのが扶桑さんので、これは妙高さんのです」

 

「わっ、おっきいね!」

 

「はいっ! 戦艦さんということでいっぱい食べると思って」

 

 持ってきた風呂敷からおにぎりを取り出す雪風。大中小と様々な大きさのおにぎりが出てきたのだが、それはなんというか――。

 

「なんだかいびつっぽい!」

 

「わわ、言っちゃダメだよ夕立ちゃん!」

 

 ――お世辞にも形がいいとは言えないものだった。そのことを素直な夕立は指摘し、鎮守府最後の良心である睦月が嗜める。作ってきたのは丸いおにぎりのはずなのだが、何故かごつごつの不格好なおにぎりが出来上がっていた。これでは『おむすびころりん』の昔話に出てきたとしても、おにぎりを落としただけで話が終わってしまう。そんな転がりそうもないおにぎりが目の前に並べられていた。

 

「でっでも! 確かに見かけは悪いですが、味は雪風が保証します! 絶対、大丈夫!」

 

「まぁ、おにぎりだもんね。誰が作っても……っと、中の具材はどうなってるの?」

 

「梅干に昆布に鮭と何も入ってないただのおにぎりです! 扶桑さんと妙高さんのには全部入れておきました!」

 

「夕立、鮭がいいっぽい~!」

 

「およ? 睦月は昆布がいいかなぁ?」

 

「私は梅干がいいな」

 

 各々がそれぞれ食べたい具材を言うなか、それを聞いた雪風の口元が僅かに上がった。

 

「ふっふっふ……みなさん、雪風にはわかっています。夕立さんが鮭を選ぶことも、睦月さんが昆布を選ぶことも、吹雪さんが梅干を選ぶことも雪風にはわかっていました!」

 

「えっ!?」「およ?」「っぽい?」

 

「ふっふっふ、雪風の洞察力にかかればこの程度のこと朝飯前なのです。鮭を選ぶと思っていた夕立さんのおにぎりは少し大きめにしました。ご飯大好きな夕立さんなのでこのくらいの大きさがちょうどいいかと思いました。逆に睦月さんは少食なので気持ち小さめにしてます。吹雪さんのは少し塩分を控えてみました。この前塩辛いのは苦手と言っていたので」

 

 予想が見事に当たり、驚いている吹雪たちの顔を見て、してやったりとほくそ笑む雪風。種明かしをするとすれば、数ヶ月もの間寝食を共にしていれば多少は相手の好み嗜好の把握もできるというだけ。そんな単純なことだが、それでも予想通りに動いてくれるのは嬉しいものだ。

 

「因みに1人2個ずつです! 流石に次に選ぶ物までは分からなかったので全部同じ大きさですけど……」

 

「もう1個!? 選り取りみどりっぽい?」

 

「夕立ちゃんそんなにがっついたらダメだって!」

 

「じゃあ睦月は梅干でいいかな?」

 

「みなさん、慌てないでください! 雪風のおにぎりは逃げませんから!」

 

 みんなでわいわいと不格好なおにぎりを取り合っていく。その光景を見ると、ここが戦場だということを一瞬忘れてしまいそうになる。

 そして、みんなにおにぎりが2個ずつ行き渡ったところで吹雪が気づいた。

 

「あれ? 2個余った?」

 

「およ? みんな2個ずつ取ったよね?」

 

「扶桑さんと妙高さんの分もちゃんととってあるっぽい。作る数間違えたっぽい?」

 

 各自の前におにぎりが2つずつある。それなのに風呂敷の上にはおにぎりが2つ残っていた。そのことに疑問を浮かべる3人。

 

「この2個……これは雪風の分です」

 

 作った人の特権です。と言われては3人は言い返すことができなかった。もともとこんな場所でおにぎりを食べられるとは思っていなかった。今回の任務はあくまで偵察で偵察機を飛ばして島の上空から様子を見るだけという短期で終わるはずだったのだが、生憎の天気に見舞われ視界が悪く偵察機から得られる情報が不確かなものとなるため、長引いてしまっている。本来ならば妙高が飛ばしている偵察機がもう少ししたら情報を持ち帰り、それで帰路につくはずだったのだ。

そんな訳で3人にとっては食べられるだけでもありがたかった。

 

 

「うーん! おいしいっぽい!」

 

「わわっ! 夕立ちゃん、ちゃんといただきますしてから食べようよ!」

 

「そうだよ、夕立ちゃん。せっかく雪風ちゃんが作ってきてくれたんだから」

 

「雪風はみなさんが美味しそうに食べてくれるだけで満足なので頂いちゃいましょう!」

 

 雪風の言葉をきっかけに、吹雪と睦月もいびつなおにぎりを食べ始めた。しばらくするとそこに無線での連絡が終わった扶桑も加わる。用意されたおにぎりの大きさと形にに驚いていたが『ありがとう』と言って4人と一緒に食べた。

 食べている間はみんなが笑顔で、敵がいるかもしれないと言う島まで目と鼻の先なのだが、とても穏やかな時間がそこには流れていた。

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が降りた頃、周辺の警戒をしていた妙高がみんなと合流した。目標の島から近いため、極度の緊張感の中で警戒していたのだろう。帰ってきたその顔からは疲れの色が見え隠れしていた。偵察機からの情報も芳しくなかったのだろう、それが妙高の疲れを加速させていた。

 そんな疲れた状態の妙高が一息ついただけでまた周辺警戒をしに出ようとしたとき、それを見かねた吹雪が警戒を買って出ると言い夕立と睦月もそれに続いた。そして、雪風もその案に賛成する。扶桑と妙高も最初は難色を示したが、熱心な駆逐艦達の説得についに折れた。まだ一緒にいる時間は短いが、吹雪達駆逐艦の頑固さが伝わったのだろう、2時間程度の警戒を持ち回りで受け持ることを渋々ながら了承した。ほんの少しの異変でもあったら即報告することを条件にしてだが。

 

「あっ、雪風ちゃんここにいたんだ。そろそろ睦月ちゃんが帰ってくるから、次は雪風ちゃんが警戒にあたる番だよ」

 

「もうそんな時間でしたか。すみません」

 

 吹雪、夕立の見回りが終わり、今は睦月が警戒にあたっている。そんな中で先にその任務を終えた吹雪が、みんなから離れ1人で座りながら月を見ていた雪風を見つけ声をかけた。吹雪は雪風の隣に腰を下ろす。

 

「緊張してるの?」

 

「緊張……ですか? どうなんでしょう……」

 

「私はね、初めての出撃の時すっごい緊張した。右も左もわからない新米の頃だったんだけど、全然うまくいかなくてね……みんなに迷惑かけちゃった」

 

「怖くは……怖くはなかったですか?」

 

「怖かったよ。艦の時代ならそんな感情もなかったかもしれないけど、今のこの体になってからはすっごく怖かった。でもね、帰ってきた時に司令官に『おかえり』って言ってもらったらそんなの吹き飛んじゃった。帰る場所を守れた幸福感っていうのかな? 私でも少しは役に立ってるって実感できたから」

 

「帰る場所……。雪風にもあるんでしょうか……」

 

「もちろん。私たち、雪風ちゃんも含めてみんなの帰る場所はあの鎮守府なんだから。今回もみんなで無事に帰って司令官に褒めてもらおう!」

 

「でも『雪風』の居場所は……何処にもない。『雪風』は1人ぼっちだ……」

 

 憂いを帯びた雪風の横顔を吹雪は見た。いつも明るいはずの彼女が今にも泣き出しそうな顔をして、どこか遠くを眺めている。それは消えてしまいそうなくらい儚く、ひどく脆く感じられた。漠然とした感情だが、このまま放っておいては雪風を失ってしまうかもしれないと言う焦燥感が吹雪を突き動かす。

 

「ねぇ、雪風ちゃん。雪風ちゃんが何か隠してるのはみんな知ってるよ。多分知らないのは司令官ぐらいじゃないかな? 司令官は人を疑うことを知らないから。でもね、私はそれでいいと思ってる。みんなも私と同じ意見だと思う。誰にだって人には言えない秘密が1つや2つあるから。私にだってあるから……だからさ、もし雪風ちゃんが隠している物が自分じゃどうしようもなくなった時、その時には私にもその重荷を背負わせて欲しいな。1人で悩むより、2人で悩んだほうがきっと気が楽になるから」

 

「吹雪さんは良い艦娘ですね。少し憧れちゃいます」

 

「憧れるだなんてそんな……私なんてまだまだだから」

 

「……そんな吹雪さんに少し聞いてもらってもいいですか?」

 

「何かな?」

 

「……とてもつまらない話です。本当につまらない話」

 

 虚空を見上げ、高揚の無い雪風の声に辺りの木々から合いの手が入る。その風を肌で感じ、ひと呼吸着くと雪風はぽつりぽつりと語り出した。

 

「ある所にひと組の男女が居たんです。女の子の方はどう思っているかわかりませんが、男の子の方はその女の子のことが大好きでした。それこそ、その女の子の願いならなんでも聞いてあげたいと思えるくらいに。それくらい大好きでした。そんな男の子ですが、ある時に女の子の望みを知ってしまうのです。その女の子は救いを求めていました。たった1人の孤独に苛まれながら、罪悪感に苛まれながらもただひたすらに女の子は救いを求めていました。そして、男の子には女の子を救う術があった。吹雪さんなら女の子を救ってあげますか?」

 

「うーん……結構曖昧な表現が多いけど、その女の子がそれで幸せになれるなら、私は救ってあげたいかな」

 

「それが男の子にとって、悲しい結末を生むことになってもですか?」

 

「……そうなると難しいね。『彼方を立てれば此方が立たず』ってやつなのかな?」

 

「そうですね。その認識で合っているんですけど、本当は男の子の結論は最初から決まってました。女の子を救うことにしたんです。男の子は女の子の事情を知っていましたから、悲しい結末になろうと女の子を助けることに迷いはなかったんです……。この男の子の判断、これは間違えているんでしょうか?」

 

「……さっき相談してなんて言ったばっかりなのに無責任なことを言うようだけど、私には何が正解なんてわからない……。でもね――」

 

「あっ! 吹雪ちゃんに雪風ちゃん、こんなところにいたんだ。睦月、無事帰還にゃしぃ! 次は雪風ちゃんが警戒にあたる番だよ!」

 

 2人の会話の途中、突然第三者の声が入ってきた。吹雪の言葉を遮ったのは警備から帰還した睦月だった。無事に警戒を終わらせたことで自信が着いた様子の彼女は、テンションが少し高くなっていて、いつもだったら気づけたであろう2人の間の空気がおかしいことに気がついていなかった。

 

「もうそんな時間になってましたか。吹雪さん、相談に乗ってくれてありがとうございます。雪風は大丈夫ですから……それでは行ってきます」

 

 睦月の報告を聞いて雪風は立ち上がり、2人に一礼すると海の方へ歩いて行った。

 吹雪はその小さくなっていく背中を見つめ、先ほど言いかけた無責任な発言をしてもいいものかと躊躇するが、ここで言わなければ後悔すると思い、意を決して立ち上がり力の限り叫ぶ。

 

「雪風ちゃん! 私は頭が良くないから

、雪風ちゃんの質問にちゃんと応えることが出来ない! でもねっ! でも、私は、私は2人が救われる方法があると信じてる! 無責任かもしれないけど、私はみんなに幸せになって欲しい!」

 

 

振り返り、吹雪の叫びを聞いた雪風は驚いた表情をしたが、次の瞬間には笑顔になっていた。

 

「やっぱり、吹雪さんは良い艦娘ですね。少し、いえ……本当に憧れちゃいます」

 

 それっきり振り返る事はなく、雪風は再び海の方へと歩き出した。

 

 

 

「睦月ちゃん、夕立ちゃんを起こしてきてくれない? 少し扶桑さんに相談があるんだ」

 

 雪風の背中が完全に見えなくなった頃、吹雪は動くことにした。何もなければそれで良い、自分が謝ればそれだけで済むことだ。けれども、もし何かあるならば……その可能性があることを考慮しながら何も手を打たなかったことに死ぬほど後悔するだろう。吹雪は自身の勘を信じ、後悔しないために扶桑に相談することにした。

 

 

 

 

 

7

 

 

 艦として戦い、艦として散りたい――

 

 

 時刻はまだ薄暗い明け方。引き続き天気は生憎の模様。

 雲に隠れ、たまに顔を覗かせる月を見上げ『彼』は思う。

 

「なぁ知ってるか、雪風。世界は本当は綺麗なんだぜ? 俺がもっとしっかりしてればな、その世界のことを見せてやれたんだが……あいにく俺は矮小な存在でね、泣いている女の子1人救えやしない。大好きな女の子を笑顔にさせてやることもできない……」

 

 辺りには誰もいない。ただ1人の独白。ただ1人の懺悔。穏やかな水面だけがそれを聞いていた。

 

「きっと傍から見たら間違えているんだろうな……。俺は君のしれぇとして、1人の男として君の願いを叶えたいと思ってる。大好きな子が消滅を願っているのを手助けするなんて馬鹿げていると思う。それでも俺にはそれしか君の救いになれそうにないから……。この世界がこんなにも綺麗なことを伝えることが出来ない俺にはそれしかできないから…………だから逝こうか……」

 

 この島に着いてから頭の中を警報が鳴り響き続けていた。遠征の時もこの警報が鳴り響いたときがあったが、その時はこの警報に従い航路を変更させた。『彼』の体は雪風の体だ。幸運艦とまで言われた彼女の警報。それが意味することは……。

 

「みんなを裏切ってしまうことになるのは辛いけど……。彼女達なら……雪風が沈んだ時に泣いてくれるだろうな……」

 

 鎮守府のみんなの顔が頭の中に浮かんだ。吹雪、夕立、睦月に加賀、それに妖精さんと提督。人数の少ない鎮守府だったが、みんなかけがえのない良い人達だった。その彼女達が泣いてくれるなら……雪風も少しは報われるのかも知れない。

 これからやろうとしていることはみんなへの裏切り。提督が雪風を鎮守府に正式に迎え入れる為に色々と手を打ってくれていることは知っている。駆逐艦の子達も雪風が鎮守府の生活に早く溶け込める様に色々と世話を焼いてくれていることもわかっている。加賀も……加賀もきついことを言ってくるが、その言葉の所々に雪風を気遣う気持ちがあることを知っている。

 それを裏切る事への申し訳なさはある。けれども、やはり『彼』の心の一番を占めるのは『雪風』だ。彼女のしれぇとして、戦いを嫌がる彼女を目覚めさせてしまった愚か者として、鎮守府のみんなよりも彼女の願いを優先することに迷いはない。

 

 島から離れるごとに濃密になっていく死の気配を肌で感じる。ピリピリとして、どす黒く、冷や汗が止まらなくなる。

 

「これが、戦場か……」

 

 生身で感じる戦場の気配。彼女はこれを何度も何度も経験して、摩耗していった。たった1度の経験しかしていない『彼』でもわかる。こんなことを繰り返していたら頭がおかしくなってしまうだろう。いや、現に彼女はそれを経験し壊れてしまっている。

 集めた欠片を拾い集めても元の形には戻らない。1度罅の入ったビー玉は、2度と綺麗な姿を晒すことはない。

 ならば終わらせよう。『彼』の手で雪風の物語を終わらせるのだ。感動のフィナーレなんていらない。泥臭く、惨めな終わりだっていい。彼女の心が、ただ平穏に逝ければそれでいい。

 

 決意を胸に海上を航行する。18ノット程度の通常航行で警報の鳴る方へ、鳴る方へと向かう。

 

『しれぇ、 雪風は間違えているのでしょうか?』

 

 その途中、風のいたずらか、辺りを見回しても誰もいない。けれども『彼』にははっきりと聞こえた。雪風のか細い声が。

 

「いや、間違えてなんてないさ。……俺はさ、平穏な暮らししか知らない。明日が来るのが当たり前で、誰もがそれを疑わない世界しか知らない。けど、その世界の平和ボケした唯の凡人にだって意地ってものがある。君の望みの1つや2つくらい叶えてやれないなら、俺という存在は何のためにここにいるんだ? 俺は君の絶対的な味方だ、誰がなんと言おうと君は正しい」

 

 正しいか間違えているかの問題じゃない。『彼』にとって大事なのは雪風が望んでいるかどうかだ。そのことを確認するために、幻聴かも知れない雪風の声に『彼』は声を出して応えた。

 胸の奥が温かくなる感覚。海上の風は冷たく、容赦なく体温を奪うが、心の中の温度までは奪えないようだ。

 本当は引き止めたかった。みっともなく泣き叫んででも引き止めたかった。だが、『彼』はそれをしない。理由はただ一つ、雪風がそれを望んでいないからだ。

 『彼』自身はもう自分の消滅を恐れていない。現実世界のあの時に『彼』は死んでいた。それをなんの奇跡かもう一度、生を得ることができたのだ。拾った命、彼女の為に使うのは惜しくない。惜しくない……。けれども彼女がこのまま朽ちていくのは口惜しく思う。

 

 だが、もう遅い。

 

「戦艦棲姫……」

 

 薄暗い夜でもわかる。白すぎる肌に赤い目を爛々と輝かせ、獲物を見つけた獣のごとく舌なめずりをするその姿は、死を連想させる。そして、それを取り巻く様に重巡ネ級エリートが1隻と空母ヲ級改フラグシップが2隻それに軽巡ツ級エリート1隻が艦隊を組み、そこにいた。

 

「あれが……死か……」

 

 目の前に広がる死。

 艦娘になりきれていない『彼』にとっては逃げることすら不可能であろう。もちろん、勝つことなんて天地がひっくり返っても有り得ない。それくらい圧倒的な戦力差。

 しかし、そんな絶望を前にしても、水面同様『彼』の心も穏やかだった。目を瞑り、両手を胸に当てる。

 

「きっとこの気持ちは、君と一緒だからなんだろうな……」

 

 自分自身に語りかけるように呟く。

 『彼』が深海棲艦に気づいているように、深海棲艦も艦娘に気づいているはずだ。ならばじきに砲撃が始まるだろう。戦艦棲姫の16インチ三連装砲が、ネ級の8インチ三連装砲が、ヲ級の艦載機、ツ級の5インチ連装両用莢砲、その全てが雪風の命を狩りに来るだろう。

 

「あぁ、今日は穏やかな気持ちで逝けそうだな」

 

 目を見開き敵を睨む。覚悟は決まっている。

 けれどもその前にやることがあった。今回の出撃の目的は偵察任務だ。『彼』が見た深海棲艦の編成を無線で伝えれば、それで今回の出撃の目的を達したことになる。吹雪達はその情報を持って帰還すればいい。褒められることはあれど、貶されることはないだろう。

 

「不沈艦なんて……この世にはないんだ……。でも、1人でも多く道連れにしてやろう。こちらが払うのは雪風の命、安くはないぞ! それ相応の対価をもらおうか!」

 

 胡蝶の夢の終わりは近い。

 

 

 ――それが雪風の願い。皆と一緒に戦い1人だけ生き残ってしまった雪風の願い。

 

 

 

 

 

 扶桑は困惑していた。

 

 夜明け近く。もう少ししたら太陽の頭も見えてくるだろう。駆逐艦3人がやってきたのはそんな時のことだった。

 相談があると聞いてみると、話の内容は雪風の様子がおかしいという事。雪風と1日の付き合いもない扶桑にはわからない事だが、3人には確信があるようで、何度も何度も扶桑に様子を見に行く許可を貰おうとしていた。妙高もそばでこの話を聞いていたが、決定権があるのは扶桑だからと口を出すことはなかった。

 3人はしつこいくらい何度も何度もお願いした。そしてとうとう扶桑は3人の必死の懇願に負け、許可を出す。異変があるかもしれないから扶桑と妙高もついていくという折衷案での許可ではあったが。

 

 扶桑は困惑していた。

 

 3人の勘が当たったのか、雪風が警戒しているであろう海域に行っても雪風はいなかった。

 そのことに焦った駆逐艦達は他の場所にいるかもしれないからと、夜の行動は危ないと言う扶桑の言葉も聞かずに周辺を探索しに行ってしまった。そして、しばらくした後、3人は浮かない顔で戻ってきた。どうやら近くの海域にも雪風はいなかったらしい。

 そんなどうしようもなく途方に暮れていた時だった。突然雪風からの無線が入ってきたのは。

 

『扶桑さん。姫級を発見しました。場所は目標の島の西側で姫級は戦艦棲姫。そして、重巡ネ級エリートが1隻と空母ヲ級改フラグシップが2隻それに軽巡ツ級エリート1隻です。扶桑さん達はこの情報を持って鎮守府に帰還してください』

 

「えっ!? 雪風さん、何を言って――。雪風さん! 雪風さん!」 

 

 雪風が言いたいことだけ言って無線は切れた。再び無線を繋ごうとしても繋がらない。

 

「扶桑さん、今の雪風ちゃんからですか? 雪風ちゃんは何て?」

 

「姫級発見の報告を受けました。姫級は戦艦棲姫。その情報を持って私たちは帰れと」

 

「なっ!」「ぽいっ!」「なんで!」

 

 焦りながら聞いた吹雪の問に扶桑が答えた時、3人は目を大きく見開き驚いた。その傍らでは妙高も声は出さなかったが、その表情からは驚きと戸惑いが読み取れた。

 扶桑は最初、功を焦ったかと思ったが、その考えを即座に否定する。相手はあの雪風だ。こと戦いの動き方に関しては扶桑よりも上であろう。強い弱いの問題ではなく、戦いの上手さでは歴戦の強者だ。その彼女が功を焦ることはまずないだろう。

 ――ならば何故。

 扶桑の疑問に答えられる人はここにはいなかった。

 

「くっ、とりあえず大本営に連絡を取ります」

 

「そんなことより雪風ちゃんを助けに行かなきゃ!」

 

「そうだよ! 早くしないと間に合わないっぽい!」

 

「早く! 早くしないと!」

 

 焦り、扶桑を急かす3人。それを傍で黙って聞いていた妙高の堪忍袋の緒が切れた。

 

「黙ってください! 扶桑さんは旗艦としてみなさんの命を預かっている責務があるんです! 今回は雪風さんの単独行動です。それをみなさんを危険に晒してまで助けに行く裁量は与えられていません。ひどい言いようですが、大本営の判断を待つしかないのです……」

 

「ありがとうございます、妙高さん。いつでも行動できるように、私たちは島の西側を目指しながら大本営に連絡を取ることにします」

 

 フォローしてくれた妙高に礼を言い、無線を繋ぎつつも全力で目的の島を目指す。駆逐艦たちも妙高の激と扶桑の行動で一応納得してくれたらしく、逸る気持ちを抑えながらも扶桑の後に続いた。

 

 扶桑は困惑していた。

 

 大本営の決定に困惑していた。

 

「山城……」

 

 航行しつつも無線のやり取りをしていた大本営が下した判断は、戦艦棲姫をこの場で倒すという無謀極まりないものだった。

 もうじき太陽が登る。そうなると空母ヲ級の艦載機が発艦し、制空権は深海棲艦側に取られるだろう。そうなったら今の艦隊、艦載機を持たないこの艦隊は全滅の恐れすらある。その前に夜戦でケリを付ける。というのが大本営の建前。

 しかし、大本営が秘中の秘という策を授けられた扶桑にはわかっていた。これは結局の所、上層部の権力争いの一部でしかない。

 駆逐艦達の提督が大本営から嫌われていることは知っていた。そして、呉にいる艦娘が彼を慕っているため、無闇に処分できないことも。だからだろう……大本営にとってこの策は一石二鳥なのだ。駆逐艦達の提督の力を削げ、あわよくば戦艦棲姫まで倒せるかもしれない。その策の名は――。

 

「――捨て艦……」

 

 全ての艦娘がそれを是とすることはなく、否定し続けてきた策。いや、策と呼べるものですらない。唯々おぞましい行為だ。扶桑とてそれは同じで、できることなら拒否したかった……。が、今の扶桑、それと妙高には拒否できない理由があった。

 

「山城……」

 

 扶桑には山城、妙高には3姉妹。それを引き合いに出された。この決定に従わなければ解体する……と。戦艦と重巡という貴重な火力を削るかもしれないのに、それをしてまでこの策を実行しようとする。どこまでも腐っている上層部に反吐を吐きたい気持ちになるが、それでもこの決定に従わざるを得まい。姉として大好きな妹を守る。心を鬼にしてでも……。 

 

「妙高さん、そのままでいいので聞いてください」

 

 戦闘の扶桑が低速の為、艦隊全体が扶桑の最大船速の20ノット程度で海上を進む中、扶桑は妙高に話しかけた。顔は前を向いたまま、ただ声だけで。幸い、単縦陣で移動しているため、先頭2人の会話は後ろの駆逐艦達には聞こえていなかった。

 妙高は静かに扶桑の話を聞く。

 

 全ての話を聞き終えた妙高は怒りを露わにした。そして、そのすぐ後から悔しさが滲み出てきた。まだ短い時間しか一緒にいないが、妙高には駆逐艦の子たちが大成する予感を感じていた。これほどまでに仲間を案じて上げられる優しい駆逐艦達、その未来を潰すことになるかもしれない。それが悔しくて仕方ない。だが、姉として、妹達を守らなくてはいけない。その狭間で揺れる妙高。

 

「先ほどあの子達にあんなことを言ってしまったのに……。これ以上……私にどうしろというのですか……」

 

 妙高の弱々しい言葉は扶桑の耳に届いたが、扶桑には答える術がなかった。

 

 島に近づくにつれてわかる、戦闘の音。まるで巨人が地団駄を踏んだかの様な激しい音が鳴り響き、凄まじい閃光が辺りを照らす。それと同時に緊張感を増す艦隊。

 間に合った。砲撃の音から戦闘は間違いない。戦艦棲姫が砲撃をする相手がいる。詰まるところ、雪風はまだ沈んでいないということ。そのことに吹雪達は一瞬安堵するが、戦況は未だに悪い。いや最悪と言ってもいい。

 そして、そういう時は何時だって最悪が重なるものだ。それを証明するように扶桑が語る。

 

「吹雪さん、夕立さん、睦月さん。私達を恨んでくれても構いません。いえ、恨んでください。あなた達にはその権利がある。でも、私達にも譲れないものがあるんです……だから、ごめんなさい」

 

 本来ならば駆逐艦3隻を突撃させて敵艦隊を足止めし時間を稼がせ、その後扶桑と妙高の持つ最大火力を放つべきなのだろう。

 だが、そこまで扶桑は鬼になりきれなかった。幸い、雪風が奮戦しているおかげで戦況は膠着しているように見える。ならば、3隻を突撃させることなく、このまま砲撃を浴びせ敵戦力を削る。それが、今扶桑が思いつく最も犠牲が少ない最良の選択だと信じて。

 主砲と副砲を敵艦隊と思われる影に向ける。薄暗い空で敵の影なんてはっきりとはわからない。その影のどれかが雪風かも知れない。けれども、もう遅いのだ。この策を実行しなければ山城は、那智は、足柄は、羽黒は……。

 扶桑が後ろを振り返ると、妙高も苦しそうな表情を浮かべていた。

 

「扶桑さん……。あなただけが悪者になることはないです……。私も、あの子達の恨まれ役を買いましょう」

 

 妙高もわかっていた。3隻を突撃させない扶桑の優しさを。だがその優しさ、それは一歩間違えれば大本営の決定に異を唱えるということだ。確かに捨て艦戦法を実行はしているが、大本営の決定は全駆逐艦を突撃させて行うというもの。それを1隻だけで行ったら、大本営はなんと思うか。

 それを黙らせるには戦果が必要だ。圧倒的な戦果。戦艦棲姫を沈めるというくらいの圧倒的な戦果が。

 扶桑もそれは重々承知だろう。ならばそれに妙高は応える。全火力を持ってして敵を殲滅させるのだ。駆逐艦達には恨まれるだろう。それでも構わない。駆逐艦1隻の犠牲でこの子達と妹達を救えるのなら鬼にだってなってやろう。妙高は心を殺し、主砲を敵の影に向けた。

 

「主砲、副砲、撃てえっ!」

 

「第一・第二主砲、斉射、始めます!」

 

 耳を劈く様な破裂音。心臓を突き破る様な衝撃が吹雪たちを襲う。何発も何発も装填しては撃ち、装填しては撃ち、ただその作業をひたすらにこなす二つの影。

 

「なんで! どうしてこんなことっ! これじゃまるで……」

 

 吹雪の悲鳴にも似た叫びが辺りに響くが、誰も耳に届くことなく、砲撃の音にかき消された。

 

「くっ!」

 

「吹雪ちゃん!」

 

 突然の扶桑と妙高の砲撃に驚いた夕立と睦月が吹雪に駆け寄ってきた。

 

「私はそれでも助けに行く! 司令官があの時私達を助けてくれたように、今度は私が誰かを、雪風ちゃんを助ける番だ!」

 

「うん。でも1人より2人の方が良いっぽい!」

 

「2人より3人だよ! だって私達4人で『カルテット』なんだから。『カルテット』は誰1人欠けてもだめなんだから!」

 

 夕立に続き睦月と吹雪の思いに応える。吹雪は2人の思いに胸にこみ上げてくるものがあったが、今はそれをぐっと押さえ込む。

 あの提督ならきっとこの判断を後押ししてくれるだろう。皆が無事に帰還しなければ意味がないのだ。こんな最悪の状況も、後で雪風が暴走したと笑い話にしなければいけない。悲劇で終わらせては絶対ダメだ。終わらせるならば喜劇で終わらせないと。

 

「みんな! 行くよっ!」

 

 戦火の中心まではまだ遠い。最大船速で吹雪達は向かう。絶対に助けるという確固たる意思を持って。

 

 

 

8

 

 

 暗い暗い何も無い空間。そこにいるのはたった1人。目の前に映されたスクリーンを眺めていた。

 スクリーンに映っているのは、今まさに戦っている最中の雪風の姿。その姿は所々被弾し、肌の色が見え隠れしていた。ぎりぎり中破で留まっているが、このまま行くと遠くない未来、大破轟沈するだろう。

 あの圧倒的な戦力差の前で啖呵を切っただけあって、ツ級は雷撃で仕留めた。ヲ級1隻も中破にしている。上出来いや、出来過ぎなくらいの戦果だ。だが、そこが『彼』の限界だった。中破状態に追い込まれた雪風の火力では戦艦棲姫の装甲を抜くことは出来ず、与えられるダメージは雀の涙ほど。速力が落ちてきたこともあって至近弾も増えてきた。

 そして、そこへの追い打ちで後ろからの砲撃だ。初めは敵の増援かと思ったが、その砲撃はもう1隻のヲ級を中破にし、ネ級を轟沈させ、雪風をも殲滅しようと狙っていた。無差別に放たれるそれを見て、敵の増援という考えを捨てた。ならば残るのは味方という考え。何故引き返しているはずの味方がここに居るのかわからない。何故無差別に砲撃しているのかもわからない。けれどもその考えが正解とでも言うように、雪風に近寄ろうとしている3つの影を見つけた。遠く、小さな影でもわかる。あれは吹雪、夕立、睦月だ。心のどこかで期待していたのかも知れない。あの子達ならきっと助けに来ると。

 だが、それではダメだ。それでは雪風の死に3人を巻き込んでしまう。その考えを現すように、『彼』はそこで動きを止めた。

 目の前には戦艦棲姫が放った徹甲弾が見える。それは美しい放物線を描き、雪風の命を刈り取る死神の鎌。着弾まで後10秒ほど。計算され尽くされたように雪風に吸い込まれていく。

 

 瞬間。

 

 時が徐々に遅くなっていき、周りの色彩が薄くなっていく。

 

 そして、

 

 ――時が完全に止まった。

 

 

 

 暗い暗い何も無い空間。先程まではそこにいるのは1人だったが、今は2人に増えていた。

 

『しれぇ……』

 

『なんとなくだけど、もう一度君と会える予感がしてた。いや、このまま沈む前に会わなきゃいけないんだよな』 

 

 現れたのは雪風の姿をした『彼』だった。先ほどの映像通り、所々に傷を負いボロボロになった彼の姿。その格好を見て雪風は息を呑む。それは自分の業を表したものだ。自分が背負っていたものを『彼』に背負わせ、自分はただ見ているだけ。目を背けることは許されない。許されるはずがない。雪風は『彼』の言葉を待った。

 

『見ていたならわかるだろ? こんな高いスペックの体を有していながら、俺が戦うとこんなザマだ。でも、艦娘になりきれていない半端者の意地ってやつは少しは見せられたかな?』

 

『もう……十分に…………魅せられました……』

 

『そっか……。このまま行くと戦艦棲姫の砲撃は避けらない。まぁ、避けられた所で後ろからの砲撃がある。沈むのは時間の問題なわけだ……』

 

『はい……。嫌な事を押し付けてすみません』

 

『……この前に言ったこと覚えているかい?』

 

『この前……ですか?』

 

『ああ。成功報酬の話』

 

『それは、覚えています。雪風が差し出せる物なら、なんでも差し上げます』

 

『そうか。なら、それを受け取りに来た。俺たちはこのまま消えてしまうだろう? でも、その前に君に「ありがとう」って言って欲しかったんだ。「ごめんなさい」や「すいません」じゃなくて「ありがとう」って言葉が欲しい。君の笑顔でその言葉が聞きたい。それが俺の最後の望みなんだ』

 

『そんなことで……馬鹿。馬鹿ですね。本当にしれぇはとんでもない大馬鹿だったんですね……』

 

 『彼』の望みを聞いた雪風が思ったことは、馬鹿の一言に尽きた。誰だって土壇場になれば自分の命が惜しくなるものだ。いくら格好良く決めていたってその間際になれば手のひらをひっくり返してもおかしくはない。実際、『彼』がこの空間に現れた時から雪風は散々な言葉で罵られることも覚悟していたのに、『彼』の言葉は雪風の想像とは真逆だった。頬に熱い雫が伝わるのがわかる。

 

 わかっていた。

 

『しれぇ! 今日の夕食担当は吹雪さんみたいですよ! 料理には自信があるって言ってました。楽しみですね!』

 

 雪風と意識が混濁した『彼』が、もし、もし仮に雪風の気が変わってもいいようにと、自分という存在を殺して雪風になりきり、鎮守府での居場所を確保しようとしてくれていたこともわかっていた。

 

『しれぇ! 工廠裏で猫さんが子供を産んでました! むつごです! 雪風が名前決めちゃってもいいですか?』

 

 吹雪や夕立、睦月と仲良くしていたのだって、少しはそういう打算があった事は間違いない。そのこともわかっていた。 

 

『しれぇ! さっきしれぇの部屋で百円拾いました! 雪風のお財布に入れてもいいですか?』

 

 雪風が戻ってきた時に、少しでもいい環境にしてあげようとしていたのが『彼』の原動力だった。これもわかっていた。

 

『しれぇ! 雪風がお茶を入れたら茶柱が立ってました! 見てください見てください! へうっ、あっ……』

 

 何時だって自分は二の次で、優先するのは雪風のこと。雪風の願いを知っている『彼』に得があることなんて何もない。

 

『しれぇ!』

 

 おにぎりだって、あの2個は雪風のものだ。作っていた所を見ていた雪風にはわかる。食べることなんて無いこともわかっているのに、それでも『彼』は雪風の為に作った。仲間はずれにはしたくないからと……。

 

『しれぇ!』

 

 この成功報酬だって『彼』自身の為じゃない。雪風が何の悔いも残さないで逝ける様に配慮してのことだろう。

 

 そんな『彼』が『彼』としてみんなの前に出たのは一度だけだ。それも、

 

『あんた達はなんで『雪風』に戦闘を強いるんだよっ! もう『雪風』は十分に頑張ったんだ! 多くの味方を看取って自分だけ沈めない幸運に苛まれて、それでも歯を食いしばって必死に頑張ったんだよっ! もういいだろ……もう……十分だろ? そっとしておいてくれよ……』

 

 雪風を思っての、この時だけ。それ以降『彼』は自分という存在を埋没させ、偽物の雪風を演じ続けていた。

 

 わかっていたのに……。馬鹿だ本当に馬鹿だ。

 

 でも、本当の大馬鹿は『彼』じゃない……雪風だ。

 

 こんなにも優しい『彼』をこのまま、雪風のわがままで沈めてしまっていいのだろうか……。

 

 いや、

 

 そんなの幸運の女神様は許してくれないだろう。そして、何よりも雪風が許さない。

 

『本当にしれぇは馬鹿です。でも、そんなしれぇだから私は……雪風は、守りたい! 生きていて欲しい! しれぇの言う綺麗な世界で思う存分生きて欲しい! しれぇに笑いながら生きていて欲しい!』

 

 このまま何もせずに静観し続ければ雪風の願いは叶うだろう。けれども、新たに芽生えてしまった願い、『彼』に生きていて欲しいという願いは叶わない。どちらの願いを取るかなんて今の雪風には決まっていた。

 守るべき対象は『彼』。護衛任務は何度も失敗してきた。雪風が護衛に着くとその護衛対象は沈む。そんな噂まで流れた程だ。だけど、今回だけは失敗出来ない。このやさしい『彼』がこのまま日の目を見ずに消えていくなんて、今の雪風には到底許容出来ない程、『彼』の存在は大きくなっていた。

 

 彼は雪風の副人格的なものだ。主人格は雪風。体の主導権を奪うのはたやすい。

 目には揺らぐことのない決意の火を灯し、雪風は立ち上がった。

 

 

 暗転。

 

 ――止まっていた時が動き出す。

 

 

 雪風が体の主導権を奪い、目を開けた瞬間、はらりはらりと白く冷たい物が砲弾の煙に混じり降ってきた。それはまるで、ここに本物の雪風が戻ってきた事に対し、天が歓喜しているようにも思えた。

 

「絶対にしれぇを沈めさせない!」

 

 揺るぎない決意を言霊に乗せ、自身に言い聞かせる。

 

 

 

 

 

「雪?」

 

 最初に気がついたのは吹雪だった。

 出撃前からぐずついていた天気だったが、それがとうとう悪化し雪が降り始めた。急激に気温が下がり、吹雪達の体温を奪う中でようやく見つけた。

 

「ふ、吹雪ちゃん! 雪風ちゃんが!」

 

「雪風ちゃんがいたっぽい!」

 

 絶望的な砲弾の雨の中、雪風は立っていた。砲弾の煙が辺り一面に立ち込む中、そんな中でも雪風は立っていた。所々に傷があるのは変わらないが、その姿、佇まい、何よりも目が違っていた。決意の火の灯った瞳は戦艦棲姫を睨みつけていた。

 

「雪風ちゃん……良かった」

 

「でも、まだ安心できないっぽい!」

 

「うん。むしろここからが本番だよ!」

 

 ようやく雪風を見つけたがまだまだ安心は出来ない。敵と味方からの砲撃のど真ん中にいるのだ。むしろ状況は絶望的なまでに悪い。

 そんな中でもまだ救いとも言えるのは、2隻のヲ級から立ち上る煙だろうか。少なく見積もっても中破。下手したら大破もあり得る。あれほどの被害ならば艦載機は飛ばせないだろう。それと事前情報として雪風から聞かされていたネ級とツ級がこの場にはいなかった。それだけがこの絶望的な状況下での救いだった。

 

「吹雪ちゃん、どうするの?」

 

「雪風ちゃんを助ける!」

 

「どうやって助けるっぽい?」

 

「私達3人で雪風ちゃんの所に向かっても……」

 

 吹雪はどうやって助けるかを思案しながら雪風を見やる。

 吹雪の視線の先にいるのは雪風。雪風のはずなのだが、吹雪の知っている雪風とは違う気がした。吹雪の知っている雪風はお世辞にも海上航行が上手いとは言えなかった。けれども今吹雪の視線の先にいる雪風は砲撃の雨の中、その全てを避けきって見せていた。『幸運』の一言では済ませられない。圧倒的な練度。

 前にも練度の話をしたが、恐らく今の雪風は吹雪たちよりも練度が高いだろう。吹雪達がこのまま雪風のそばに行けばむしろ足手まといになるかもしれない。助けにきたはずの吹雪達が足手まといになっては本末転倒。吹雪がどうやって雪風を助けようか考えていると突然、雪風からの無線が入ってきた。

 

『吹雪さん、突然すみません。雪風の単独行動いかなる叱咤も受けるつもりです。見捨てられても文句は言えません。っですが! ですが今だけは、今だけは力を貸してもらえないでしょうか!』

 

 無線から聞こえてくるのは雪風の切羽詰った声。その声が吹雪に、夕立に、睦月に助けを求めている。それなら初めから答えは決まっている。雪風を助けるために吹雪達はここに居るのだから。夕立と睦月にも雪風の無線は聞こえていたらしく、2人は黙って頷く。

 

「雪風ちゃんが何を思ってこんな行動に出たのかは後で聞かせてもらうとして、その後でたくさんお説教するから! だから! 絶対にみんなで鎮守府に帰るよ!」

 

『ありがとう……ございます』

 

「それで、私達はどうすればいい?」

 

『魚雷を、魚雷を目一杯戦艦棲姫に向かって放ってくれませんか?』

 

「えっ! でもそんなことすれば魚雷の射線上にいる雪風ちゃんにも当たっちゃうよ!」

 

『雪風は大丈夫です。絶対に、大丈夫! こんなことをしでかしておいて言うのもおこがましいですが、今は、今だけは雪風を信じてください!』

 

「くっ、でも!」

 

『お願いです! 信じてください!』

 

 吹雪は迷っていた。もし、避け損ねたら今の中破状態の雪風では大破轟沈も有り得る。雪風の頼みでもそれは危険すぎる賭けだと吹雪は黙り込んでしまったが、そんな吹雪の背中を押したのは夕立と睦月だった。

 

「私は、雪風ちゃんを信じるよ。吹雪ちゃん」

 

「夕立も、雪風ちゃんを信じる。それが仲間ってものっぽい!」

 

 2人の目はしっかりと戦艦棲姫を捉え、魚雷発射の準備を始めた。その行動を見て吹雪は迷いを断ち切る。信頼出来る仲間が必ず避けると言っているのだ。雪風は今も砲弾の雨あられの中にいて、それを避け続けている。その仲間が言った言葉。それを信じずして何が仲間か、『カルテット』か。吹雪は2人に習い魚雷発射の準備を始めた。

 

「雪風ちゃん、わかった。雪風ちゃんの合図でいつでも発射可能だよ。それとお説教は倍の時間だからね!」

 

『吹雪さん、夕立さん、睦月さん。ありがとうございます』

 

 そこからの時間はやたらと長く感じた。敵と味方の砲弾を避ける雪風を見つめ、今か今かとその時を待つ。数分か、それとも数時間か、時間の感覚が曖昧になってきた頃にそれはあった。

 

『――っ今!』

 

 その無線からの合図を聞いた瞬間、3人が一斉に魚雷を発射させる。

 

「酸素魚雷、一斉発射よ!」「睦月、砲雷撃戦始めるよ!」「ソロモンの悪夢、見せてあげる!」

 

 放たれた数十本の魚雷は航跡をほとんど残さず進み、戦艦棲姫目指して飛び立っていった。

 

 酸素魚雷の強みの1つは雷跡をほとんど残さない所にある。通常、魚雷の避け方は、視認してから回避行動を取るというのが鉄則。真昼間の状態でもその雷跡が視認しづらいのに、太陽の頭が見え始め、辺りも多少明るくなってきたこの時間での雷跡の視認は相当難しいだろう。そのことがわかっていながらの全力雷撃。

 それでも3人は信じると決めた。必ず雪風が雷撃を回避し、みんなで無事に鎮守府に帰ると。

 

 魚雷発射から数分。未だ爆発音は聞こえてこない。確認できるのは砲弾の水柱くらいか。魚雷を放った本人達ですら魚雷が今どこに居るのかわからない状態だが、時間経過から見て雪風に当たっていない事は想像できた。

 

「良かったぁ。避けたみたいだね」

 

「す、すごいね。あれだけの雷撃を避けるなんて」

 

「夕立は雪風ちゃんが避けるって信じていたっぽい!」

 

「魚雷は発射した。雪風ちゃんも避けた。後は雪風ちゃんが何をしようとしているか見定めて、私達もそれに合わせて直ぐに動ける準備しておこう!」

 

「わかったっぽい!」「了解にゃしぃ!」

 

 その会話の数分後、爆音と共に何本かの水柱が上がるのが見えた。当たったのは戦艦棲姫。酸素魚雷の隠密性が功を奏し、避けきれなかった戦艦棲姫からは炎と煙が上がっていた。

 雪風がその隙を見逃すことはなかった。魚雷が当たり、戦艦棲姫が一瞬怯んだのを見て、即座に反転。吹雪達がいる方へと舵を取る。

 その雪風の行動を見た吹雪達は雪風に合流するために舵を取った。

 少しの後、見えてきたのはぼろぼろな姿の雪風。だが、生きている。3人にはそれだけで十分だった。

 

「雪風ちゃん!」

 

「みなさん……すみません。それと、こんな馬鹿な雪風を信じてくれてありがとうございます」

 

「も、も~ばかぁ~! もう沈んだかと思ったっぽい!」

 

「本当に……でも無事で良かった!」

 

「本当にすみません。事情は後で説明します。ですが今はここから離脱することが先決です」

 

「そうだね、でも扶桑さん達が……」

 

 吹雪の視線の先には未だに砲撃を続けている扶桑と妙高の姿。雪風が戦線から離脱したこともあり、戦艦棲姫の砲撃の対象になり、凄まじい砲撃の応酬を繰り広げていた。その姿は何かに駆り立てられる様に必死で、被弾してもなお戦艦棲姫への砲撃の手を緩める事はなかった。だが、雪風と合流した吹雪達は一刻も早くこの場から脱出したかったので、扶桑に無線を繋いだ。

 

『扶桑さん、吹雪です。無事に雪風ちゃんと合流できました。敵艦隊はもう壊滅状態です。撤退しましょう』

 

『吹雪さん!? 雪風さんは無事だったんですね……。ですが、私と妙高さんは撤退できません。吹雪さん達だけで撤退をお願いします』

 

『――っ! なんで! なんでですか! 魚雷が当たったとは言え戦艦棲姫はまだ小破程度です! このままだとこちらがやられてしまいます!』

 

『わかっています。それでも、私達はやらなきゃいけないんです。戦果を上げないと……、妹達が……』

 

『戦果なら十分上がってるじゃないですか! ネ級とツ級が轟沈にヲ級2隻は中破、もしくは大破です! 偵察任務に来た艦隊としては十分すぎるじゃないですか!』

 

『それでも、戦艦棲姫が小破じゃまだ足りないんです……。だから吹雪さん達だけでも撤退を……』

 

『どうして、そんなに……』

 

『……すみません。何を言っても今更の言い訳になってしまうかもしれませんが、妹達が人質に取られました……。戦果を上げなければ、妹達が解体されてしまうかもしれないんです……。だから私達はここで戦艦棲姫を最悪でも中破程度には追い込んで、しばらくの間は活動が出来ない様にしないといけないんです』

 

『くっ、どうすれば……』

 

 大本営のやり方に怒りを覚える吹雪だが、扶桑達の事情を聞いてしまった以上見捨てる事も出来なくなっていた。ここで見捨ててしまえば吹雪達の提督は悲しむ。他の鎮守府の艦娘とは言え、同じ艦娘。あの提督ならきっとこの場面でも『助ける』を選択するだろう。そのことがわかっている吹雪はどうすればいいのかわからなくなってしまった。この無線を聞いていた夕立と睦月も同じ表情で、悔しさが滲み出ていた。

 だがそんな中、雪風だけは違った。

 

「わかりました。なら、雪風がやります。太陽が登ってきたとは言え、まだ薄暗い、夜戦の範囲です。なら、行けます。雪風には幸運の女神がついてますから。何より、ここで2人を見捨てることを、雪風の『しれぇ』は嫌がりますからね」

 

 3人の前に立ち、戦艦棲姫を睨みつける雪風。魚雷発射管を戦艦棲姫に向けて角度を調整し、発射の準備を始めた。

 

「でも、やるってどうやって!」

 

「中破状態の雪風ちゃんだと戦艦棲姫の装甲を破るのは難しいっぽい!」

 

「無理しないで、雪風ちゃん!」

 

「絶対、大丈夫。雪風には守らなきゃいけない物があるんです。その為なら、この身が朽ち果てようと構わない。それに、戦艦棲姫には雪風の『しれぇ』をいたぶってくれたお礼をしないといけないんですっ!」

 

 2基の四連装魚雷発射管から放たれる8本の酸素魚雷。開進射法ではなく並進射法で放たれたそれは、雪風の思いを乗せ真っ直ぐ戦艦棲姫へと向かった。命中よりも威力を重視しての雷撃であったが、雪風の経験と綿密な計算から絶対に当たるという自信があった。

 

 そしてその読み通り、数分後に魚雷は吸い込まれるように戦艦棲姫に突き刺さった。

 

「う、嘘! 全弾命中!」

 

「すごい……っぽい」

 

「およよ! 戦艦棲姫が燃えてる!」

 

 凄まじい轟音と共に1本の大きな水柱が見事に上がり、戦艦棲姫は姿勢を崩した。少なく見積もっても中破。恐らく大破まで行っているだろう。

 3人はその驚異的な雷撃に目を見開いた。だが、今は1分1秒でも惜しい状態だ。そのことがわかっている吹雪はこの事の報告の為、再び扶桑へ無線を繋いだ。

 

『扶桑さん!! 雪風ちゃんがやりました! やってくれました! これなら!』

 

『ええ、十分すぎる戦果です。本当にありがとうございます。妙高さん、撤退します!』

 

『合流ポイントは何処にしますか?』

 

『私達が休憩していた島にしましょう。そこで合流で』

 

『わかりました。私達も全速力で向かいます』

 

「みんな、聞いてた? 私達は全速力であの島を目指すよ!」

 

「わかったっぽい!」「了解にゃしぃ!」「雪風も了解です!」

 

 

 そこからは迅速だった。ヲ級が中破していることもあって敵艦載機はやってこない。戦艦棲姫も体制を立て直すので精一杯だ。追っ手がいない。そのことがこの撤退戦を手助けしてくれた。

 そして程なくして休憩を取っていた島にたどり着いた。

 

「はぁ、死ぬかと思ったっぽい」

 

「睦月も今回ばかりは死ぬかと思いました」

 

「本当にね。でも、みんな生きてる。本当に良かった」

 

「みなさん、本当にすみません。そして、そんな思いをしてまで雪風を助けに来てくれて本当にありがとうございます」

 

「助けに行くに決まってるよ。だって、私たち仲間なんだから! でも、こんな事はもうしないで欲しいかな」

 

「はい、わかっています。もう二度と、こんな事はしません……」

 

 吹雪の言葉を胸に刻む雪風。仲間の暖かさを思い出し、この暖かい輪の中に『彼』を戻す事を再度決意した。

 

「あっ! 扶桑さん達が見えたっぽい!」

 

 夕立の言葉を聞き、他の3人がその方向を見ると、そこには2つの影。被弾した為、所々から煙が上がっていたが、なんとか無事である。そのことに安堵し、合流の為その方向へと向かう4人。

 

 敵艦隊は壊滅状態。2隻は轟沈し、残っている3隻は傷を負っていない艦はいない。

 

 そう、『5隻』の艦隊は壊滅状態だった。だが、敵の艦隊は本当に5隻だけだったのだろうか?

 姫級が現れたときは必ず6隻の艦隊を組んでいるのは今までの目撃から確認されている。それが今回は『5隻』しかいなかった。そんなことは今までなかった。

 目的の島へ着く前、妙高が『扶桑さん。ここはもう安全な区画とは言えません。警戒を怠らないでください』と言っていた。そう、ここは安全な海域ではないのだ。だが、逃げ切ったという安心感が4人の心に慢心を生んでしまっていた。

 

 最初に海面からこちら側を覗く潜望鏡に気がついたのは雪風だった。この海域に潜望鏡があるということは敵の潜水艦がいるという事を意味している。

 だが、気がついた時にはもう遅い。海面から白い雷跡がこちら目掛けて放たれた後だった。

 そのことに気がついているのは雪風だけで他の子達は気づいていない。敵潜水艦が狙った魚雷が吹雪目掛けて向かっていくのを見て、雪風は知らずのうちに体が動いていた。『彼』を守る為だったらこの行動は完全に愚行だろう。だが、『彼』の思いがわかっている雪風には、助けるという選択肢しかなかった。

 雪風は合流の為、先頭を走っていた吹雪に体当たりし、魚雷の射線上からその体をはじき出した。

 

「えっ!? 雪風ちゃん?」

 

 突然雪風に体当たりされた吹雪は一瞬何が起きたのかわからなかったが、次の瞬間には何故雪風がそんな行動に出たのか嫌でもわかってしまった。

 轟音の後、ぼろきれの様に弾け飛ぶ雪風の体が吹雪の視界に映っていたのだから。

 

「雪風ちゃん! うわあぁぁぁぁ! 雪風ちゃんがっ!」

 

 そんな雪風の無残な姿を見た吹雪の悲痛な叫びが辺りに木霊した。

 

 

 

9

 

 

 暗い暗い何も無い空間。そこにいるのは同じ顔をした2人。

 その片方、雪風は服の至る所が裂け、その体は傷を負っていない所を探すのが難しいほどである。息も絶え絶えで目も虚。恐らく助からないだろうことは容易に想像できた。

 もう片方、『彼』も傷を負ってはいるが、雪風に比べると損傷は少ない。

 『彼』は正座し、雪風の頭を自分の膝に乗せていた。

 

「しれぇ、雪風……最後にやらかしちゃいました」

 

「違うっ! 違う……。君は、仲間を守ったんだ。大切と思える仲間を……。立派な最期だ……」

 

「でも、違うんです。雪風は、しれぇが悲しむ顔が……見たくないから、あの行動に出てました。吹雪さんが沈んだら……しれぇは悲しみますよね?」

 

「ああ……」

 

「だから、雪風には打算しか……ありませんでした。それでも……しれぇに褒められると……嬉しいです……ね」

 

「ああ、いくらでも褒めてやる。これから行くところが天国だろうと地獄だろうと、君と一緒なら怖くない。だから……安心して逝こう」

 

「しれぇ、一緒には……逝けません。雪風の……私の精神は時期に息絶えるでしょう、けど体はまだ辛うじて生きています。こんな馬鹿な私の最期の願い……我が儘を聞いてくれませんか?」

 

「ダメだっ! それだけは……それじゃあ君は1人になっちゃうじゃないか……」

 

「私の最期の願い……我が儘は、しれぇに生きていて欲しい。どんな形でもいい……。ただ、しれぇには生きていて欲しいんです……」

 

「嫌だっ! それだけは嫌だっ! 君を1人するなんて俺には出来ない!」

 

「しれぇ、雪風はもう1人じゃないです……。みんなが、迎えに来てくれました」

 

 暗い暗い何も無い空間。その何も無い虚空へ手を伸ばす雪風。『彼』には何も見えないが虚ろな目の雪風には見えているのだろう。雪風がみんなと呼ぶその子達の姿が。嬉しそうな雪風の顔を見るとそこに本当に居るかのように錯覚させられる。

 

「やっと……そっちにいける……。会いたかった……」

 

 嬉しそうな雪風の目から大粒の雫が溢れ落ちる。

 

「ダメだ! 逝っちゃダメだ! 俺を……1人にしないで……くれ……ゆきかぜぇ」

 

 『彼』の目からも大量の涙が溢れ出ていた。涙でくしゃくしゃになっている『彼』の顔。虚な目の雪風にはもう見えていないだろうが、それでも『彼』の気持ちは伝わっていた。

 

「しれぇは……もう1人なんかじゃない……です。吹雪さんがいる、夕立さんも睦月さんもいる。鎮守府のみなさんがいます。だから……絶対、大丈夫」

 

「それでも! その中に君がいない!」

 

「違います……しれぇ。雪風はいつだってしれぇのそばにいます。だって雪風は……しれぇの幸運の女神なんですから。少し先にあっちに行くだけです。あっちで……みんなと一緒に……しれぇのお土産話を待っているんです」

 

「俺も……連れて行ってくれよぉ……」

 

 泣いて縋る『彼』に雪風は静かに頭を振り応える。

 

「しれぇ、雪風は本当に幸せな艦でした。だって最期にこんな素敵なしれぇに出会えたんですから」

 

「馬鹿だな……君は。こんなくだらない男に出会っちまった最高に不幸な艦だよ……」

 

「ふふっ……やっぱり雪風は最高の幸運艦です。しれぇ、これが本当に最期の我が儘です。最期に……キスしてくれませんか」

 

「……ああ」

 

 『彼』にはわかっていた。雪風に残された時間が本当に後僅かしかないことに。ここで我が儘を言ったら雪風は悔いを残してしまう。だから飲み込む。本当に言いたいことは飲み込む。

 そして、雪風最期の願いを聞き、雪風の唇に自分の唇を重ねた。

 

 瞬間、流れ込んで来たのは雪風の記憶と経験。

 

「しれぇは……よわっちぃですから、雪風の最期のお土産に……雪風の経験と記憶を……あげます」

 

 突然のことに『彼』は驚いたが、雪風最期の土産を受け取り『雪風』を継承した。それがあればきっと彼は艦娘として格段に強くなるだろう。

 

「しれぇ、『ありがとうございます』」

 

 最期にそう言った雪風の顔は笑顔だった。何処の誰よりも綺麗な、とても綺麗な笑顔だった。

 

 次の瞬間。暗い暗い何も無い空間に小さな亀裂が入り、それは次第に広がり、空間全体を覆う。 

 

「雪風……そっちで見ていてくれ……。俺は最高にこの世界を楽しんでやる。お前の分まで生きてやるから」

 

 もう暗い暗い何も無い空間は無い。全体を覆っていた暗闇は払われ、空間には光が満ち溢れていた。

 

 

ep

 

 

 雪風が目を覚ますと、そこは消毒液の匂いが漂う鎮守府の医務室のベッドの上だった。どうやらあの後無事に鎮守府に帰還できたみたいだ。

 窓から差す日差しが眠気まなこには眩しく映え、細めた目をこすった。

 そして、ベッドの周りの3つの寝息に気がつく。あれからどのくらい時間が経ったかわからないが、3人が看病してくれたようだった。その静かな寝息を聞くと穏やかな気持ちになれた。

 

「これからこの子達に色々と説明しなくちゃな……。忙しくなりそうだ」

 

 人は死ぬかもしれないし、国は興亡するかもしれないが、その理念は生き続ける。

 

「雪風。俺はこっちでもう少し頑張ってみるよ。君以上の最高の幸運艦になって最高の土産話を一杯持って行ってやるから、楽しみにしていてくれ」

 

fin

 




カットインの描写なんてわからんよ。一体どうやってあの超火力を出しているのやら。
それと捨て艦は独自の考えです。現実だったらこんな感じなのかなって想像しました。
海上護衛は軽巡入れないと失敗するよっていうのは突っ込まないお約束。


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