兄妹 (エロ漫画博士)
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誰が為に比企谷 八幡は決意した

八小が好きすぎて書きました!


四月

 

春風が吹くと桜の花弁はヒラヒラと地表に舞い落ちる。鼻をくすぐる甘い香りは、風に乗ってどこまでも遠くに行けそうな気がした。

 

「へっへへーどう、お兄ちゃん?」

「おう、バッチリ似合ってるぞ!可愛すぎて目に入れても痛くないレベルだな」

 

相変わらずお兄ちゃんは妹バカだな。こんなにシスコンだと雪乃さん達に呆れられるよ?……それでも嬉しくて私の頬はほころぶ。

 

わたくしこと、比企谷小町は今日から総武高校の1年生です。良く学園アニメにあるような、希望と期待に満ち溢れ……てる訳じゃないけど気持ちは飛び跳ねそうなくらい浮かれています。だって、それは……。

 

制服に身を包んでリビングに向かうと、お父さんはトーストをかじりながら新聞に目を通していて、お母さんは私達の朝食を用意してくれていた。

 

「お父さん、お母さん、おはよう」

「おはよう、小町。うん、似合ってるわ」

「おー、まるで母さんの若い頃を思い出すな。可愛いぞ、目に入れても痛くーー」

 

お母さんの若い頃は、お父さん曰くかなり美人だったらしい。学園のマドンナ? とかなんとか言われてたみたいだけど、それに似てるって事は小町も学園の歌姫……じゃなかった。とりあえずは喜んでおこう。

 

「あなた、馬鹿な事行ってないで早く食べて支度しなさい。ほら、2人とも早く食べちゃって」

「はーい、じゃいただきますー」

「はい、召し上がれ」

 

うん、ママんの料理はやっぱり美味しい。トーストに合わせてサラダとスクランブルエッグと簡単な朝食だけど、この絶妙な塩加減とバターの甘みがマッチして私の舌に幸福感を与えてくれる。

 

登校の時間も迫っていたので早々に朝食を食べ終わり、隣を見るとお兄ちゃんはトマトをコロコロと箸遊びをしていた。

 

「お兄ちゃん? 食べ物粗末にしちゃだめだよ?」

「そ、そうは言ってもさ……苦手なもんは苦手だし……」

 

そう言ってお兄ちゃんはトマトを一向に食べようとしない。はぁー仕方ないな。

 

「ほら、お母さん見てないうちに、あーん」

「へ? あーんするの? それはちょっと恥ずかしいと言うか……」

「なら食べるのやめるーー」

「はい、あーん」

 

まったく……兄妹同士なんだから別に恥ずかしがる事ないのに。……そう言えば私、お兄ちゃんが口付けた箸で……。ダメ、ダメ。これ以上考えると顔が真っ赤になりそうだった。

 

「ほら、お兄ちゃん行くよ。お母さん、行ってきますー」

「はーい、行ってらっしゃい。お母さん達、今夜遅いと思うからー」

「分かったよー、ほら、お兄ちゃん早く早く」

「ちょ、ちょっと待てって」

 

玄関を出ると空に上がったお日様の光が眩しくて暖かい。太陽の光を全身に浴びながら、空に向かって思いっきり背伸びする。今日から家でも……学校でもずっと一緒にいられるんだ。

 

ーー

 

学校に到着すると、私と同じように真新しい制服に袖を通した1年生達が、次々と校舎の中に入っていった。皆付き添いに、お父さんかお母さんがいるけど、私に付き添いはいない。その事に少し落ち込み、小さくため息をつくとお兄ちゃんは察した様に頭を優しく撫でて呟く。

 

「俺が親父と母さんの分まで見てやるから、無い胸張って頑張れ」

「うん……ありがとう。ちなみ、無い胸は余計だよ。ちょっとは膨らんでます」

「悪い、悪い。じゃ俺は先行ってるからな」

 

そう言ってお兄ちゃんは撫でていた手を離して自転車置き場に向かってペダルを漕いでいく。……もう少し撫でて欲しかったけど、あんまりされると噂されちゃうしね……。

 

風で乱れた前髪を手櫛でサッサと直し、校門をくぐろうとすると後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「おーい、小町ちゃーん!」

「おー結衣さん、やっはろーです」

「やっはろー! 制服似合うね、小町ちゃんらしくて可愛いよ」

 

うん、やっぱり結衣さんは好い人だ。は! でも学校だと先輩だし、これからちゃんと先輩と呼ばないとかな。

 

「はぁはぁ……由比ヶ浜さん、急に走りーーあら、小町さん」

「雪乃さんもやっはろーです! 朝からお二人で登校なんて妬けちゃいますなー」

「まったく……朝からそんな事言ってないで早くクラス表見てきたら? 昇降口横に張り出されてるはずよ」

 

そうだった、そう言えばまだ自分のクラスも知らないんだった。雪乃さん達に軽く挨拶をして、クラス表を見に行く。A組から順に目で追って行くと私の名前はF組の欄にあった。

 

昇降口で買ったばかりの上履きに履き替えてクラスに向かう。友達も何人か総武高校に入学したけど、皆離れ離れになったので、また1から友達作りしないと。

 

「あ、比企谷さん!」

「おー大志君も同じクラスだったんだねーよろしく」

 

……知り合い、同じクラスにいました。まぁでも彼は塾の知り合い程度で、そこまで存在感と無かったし、小町的には噂されても平気かな。

 

私の席は教室の窓側、そして後ろの方だった。良かった、この席なら眠たい時ちょっと居眠りしてもバレにくいよね。

 

「比企谷さんって言うんだ。よろしく。僕は日野 春兎」

「お、お隣さんですな。比企谷小町だよ。こちらこそよろしく」

 

席に着くと隣の席に座っていた男の子が自己紹介してくれた。ふむふむ、春兎君か。身長はだいたい170cm未満で、髪はミディアムのさらりと流れるような感じ。それに身体からその……何て言うのかな? 優しい人オーラ的なのが溢れてる気がする。顔を結構整っている気もするし、所謂イケメンって部類の人だね。

 

「ねぇ、小町ちゃんって呼んでもいいかな?」

「へ? 別に良いけど。なら小町も春兎君って呼ぼうか?」

「そうしてくれると嬉しいよ」

 

春兎君はそう言いながら子供のように私に微笑みかけた。あーこうゆうタイプは裏がなくても厄介そうだから小町苦手かも。

 

それから春兎君と他愛もない話を繰り返した。どこの中学から来たのかとか、得意な分野は何だとか、部活動何にするかとか。

 

「へぇー春兎君はサッカー部にするんだ」

「うん。元々中学も三年間やっていたし、ここのサッカー部に葉山さんって凄い人がいるからさ。その人と一緒にやりたいんだ。小町ちゃんはどこにするのか考えてるの?」

「小町は入学する前から決めてるんだー。奉仕部に入るの」

 

春兎君はぽかんと首を傾げて私を見つめていた。まぁ、普通の人の反応だよね。多分部活説明とかもないし、それに平塚先生の独自の管轄みたいだから、知ってる人が少ないんだろうな。

 

「えっと、そのほ、奉仕部? って何をする部活動なの?」

「んー小町もまだ正式に活動した事あるわけじゃないから、詳しくは知らないけど、『飢えた人に魚を与えるんじゃなく、取り方を教えて自立を促す』そんな部活なんだって。相談部とは違うけど、そんな感じみたい」

 

私が奉仕部の活動を目の当たりにしたのは去年の夏休み。千葉村での事だった。当時、鶴見 留美ちゃんと言う女の子がいて、彼女は小学校のクラスメイトからイジメを受けていた。そしてその現状を覆そうとはせず、周りを見限り、受け入れていたフリをしていたのを、お兄ちゃんを筆頭に私達はその現状を変えようと手をうった。

 

イジメを解決させて、仲を元通りにさせるなんて事は一介の学生に出来るわけも無いけど、お兄ちゃんは解決ではなく、解消の方法を思いつく。その方法は決して褒められるやり方ではなかった。それでもあの現状を変えるには最適な方法だと今でも信じている。他の誰が何と言おうと、それを否定なんて絶対させない。

 

「そっかー。で、その奉仕部に気になる人でもいるのかな?」

「へ? ……ないないない! ど、どうして急にそんな話にーー」

「だって奉仕部の事話してくれた小町ちゃんの表情、かなり可愛かったよ」

 

ふぇ? 可愛い? 真顔でそんな言葉言う人に小町初めて会ったよ。別に小町的には別段変えてるつもりなく、至っていつも通りなんだけどな。好きな人……確かに好きだけど、それはお兄ちゃんとしてだから別に……。

 

「はーい、皆、席についてー」

 

教室のドアがガラガラと音を立てて開けられると、少しボサボサの短髪で、着崩した白衣の制服、どこにでも売っている様な何の変哲もない黒縁メガネを掛けた先生らしき人が教壇に立った。

 

「今日から1年間、このクラスの担任をする、白峰 寿道です。よろしくお願いします」

 

うーん、雰囲気的には何か頼りなさそうだけど、優しそうな先生ぽいし良かったぽい。小町的には平塚先生でも良かったんだけどね。

 

先生の自己紹介が終わった後はクラス毎に整列して、体育館に向かう事になりました。体育館では既に在校生と来賓の人達が用意された席に座っていて、入学式の主役の登場を今か今かと待ちわびている。

 

進行役の先生が新入生入場をアナウンスすると、A組から順に足並みを揃えて体育館の中に進んでいく。B、Cと徐々に中に入って行き、F組の番に差し掛かると、緊張は大きな音を立てて私に伝えていた。

 

「平気、平気。前向いて、胸張って歩けば良いんだよ」

「春兎君は緊張してないの?」

「まぁ、中学の頃からか部活で見られる事には慣れてるんだ。だから大丈夫!」

 

そう言って春兎君は子供のように私に微笑んだ。うぅー小町は見られる事には慣れてないからやっぱり……。

 

そうこうしている内に小町達の番になり、先頭のクラスメイトが体育館の中に進み出す。お兄ちゃんに言われた様に無いむ……ちょっとは膨らんでいる胸を張って、私は遅れない様歩いて行く。

 

体育館の中に入ると鳴り止まない拍手で迎えられた。内心オロオロしている私は目をキョロキョロと動かしてお兄ちゃんを探す。……確かクラスはFだったはず。

 

歩きながら探していると、そのクラスの中でも一際腐りきった瞳の持ち主を見つけた。その人も私の探す視線に気が付くと、他の誰にも気付かれない様に、優しく微笑みかける。

それだけで、私の中にあった不安は綺麗に跡形もなく消えて行った。

 

「これより第……入学式を始めますーー」

「新入生代表ーー」

 

つつがなく入学式が終わると、在校生はその場に残って式の後片付け、新入生はクラスに戻り担任から簡単な挨拶をもらった。

 

「でも驚いたー春兎君、新入生代表の挨拶するなんて知らなかったよ。頭良いんだね」

「そうでもないよ。自分に出来る事を精一杯やってるだけだなんだ。さっきも大丈夫って言ったけど、内心緊張してたし」

「えーと、それじゃ今から自己紹介をして行ってもらいます」

 

クラスに悲痛の声が走る。先生がお題に出したのは、名前と今年の意気込み。私の意気込みは既に決まっているので、順が来るまで平然と待っていた。

 

するとクラスに黄色い声が響く。

 

「初めまして、日野 春兎です。サッカー部に入部予定で、今年レギュラーに入れるように努力したいと思います。よろしくお願いします」

 

春兎君の自己紹介が終わると、クラスメイトの女の子は、ヒソヒソと声を出しては春兎君を見て目をときめかせている。……笑顔も爽やかだし、本当お兄ちゃんとは違うな。

 

そして次が私の番なので、椅子をゆっくりと動かし背筋をピンと立てて、声を出す。

 

「比企谷 小町です。今年の意気込みはお兄ちゃんをごみぃちゃんから更生させる事です。よろしくです!」

 

我ながら良い目標だと思う。お兄ちゃんの捻くれは去年の今頃を考えると、多少マトモになったかもだけど、まだまだ足りないから私が頑張らないと。

 

満足気な私に対してクラスの反応はどこかイマイチというか、春兎君とは別の意味でヒソヒソと話し声がしている気がした。……小町、何か間違えたかな?

 

クラス全員の自己紹介が終わると今日はもう帰宅だ。お兄ちゃん達も今日は同じように終わっているはずだから、とりあえず奉仕部の部室に行こうとした所でクラスメイトの女の子達から声を掛けられる。

 

「ねぇねぇ、比企谷さんってもしかしてブラコンなの?」

「ふぇ? 別にブラコンとかそうゆうのじゃないよ。どうしたの急に?」

 

彼女達はいきなり何を言い出すんだろ? 妹がお兄ちゃんのお世話とかするのは当然で、お兄ちゃんが捻くれてたら更生しようとするの当たり前じゃん。しかし彼女達はお互いの顔を見て、意思疎通している様に頷きまた問いかけてくる。

 

「普通、兄貴にそんな事しないって! 私も兄貴いるけど、ほぼ会話とかしないよ。家にいても無視する事多いし」

 

彼女達は「それあるー」とか言ってるけど、小町的には無いから。え? お兄ちゃんと会話しないとか、そんな事あり得ない。たまに……本当ごく稀に、小町のせいでお兄ちゃんが本気で怒っちゃって、話さない時があるけど、基本は毎日ずっと話してる。寧ろお兄ちゃんが小町の事無視してきたら、部屋に押し掛けてでも話すし。

 

言い返したい気持ちはあったけれど、こうゆう状況の対処術は心得ているので、淡白に事を伝える。

 

「親が共働きだし、小町が面倒見ないと直ぐダメ人間になっちゃうんだよね。だから仕方なくだよ。皆が期待してるような関係にはならないかな」

「あー、確かに共働きだと大変だよねー。私の家もーー」

 

彼女達はそれから何か自分の家庭の事とか色々話してくれていたけど、正直私は直ぐにでも奉仕部の部室に行きたかったので、軽く別れの挨拶を済まして教室を出る。

 

余計な事で思わぬ時間を取ってしまったので、少し早歩きで向かおうとすると、後ろから声を掛けられて立ち止まる。振り向くとそこには、後を追いかけてきた様に、春兎君が自分の鞄を手に持ってそこにいた。

 

「小町ちゃん、奉仕部に行くんでしょ? 僕も一緒に行っていいかな?」

「へ? 別にいいけど……」

 

まだ私も奉仕部の部員じゃないから断る理由とか無いけど、何か用なのかな?

 

訝しむ気持ちはあったけれど、仕方なく一緒に奉仕部の部室まで歩いて行く。部室の前に着くと、中から女の子2人の楽しそうな会話、そしてそれに相槌を打つ男の人の声が廊下に漏れていた。

 

早歩きで少し乱れた前髪を手で整えてドアをノックする。3回、コンコンと鳴らすと、部屋の中から透き通るような白い声で「どうぞ」と返事が聞こえた。少し重い扉は音を廊下に響かせて開かれ、中にいる人達は一斉に私に視線を向ける。

 

「いらっしゃい、小町さん。歓迎するわ」

「えへへー今日からあたしも部活の先輩かー」

「由比ヶ浜、お前の脳じゃ先輩じゃなくて後輩だ。そこ間違えるな」

 

きっといつもここでしているやり取りなんだろう。結衣さんはお兄ちゃんに悲痛の声を出しているけど、雪乃さんは顎に手を当てて納得している様子を見せた。……結衣さん、小町は結衣さんの味方です!

 

「それで、そちらの人はどなたかしら?」

 

すると雪乃さんは私の後ろにいた人物に気が付いて尋ねた。

 

「あ、えっーとこの人はーー」

「小町ちゃんのボーイフレンド?」

「は? ちょっと待て。今の聞き捨てなんねーぞ。え? 小町のボーイフレンド? 誰がそんなん許した? 俺は断じて認めてねー」

 

お兄ちゃん、そのシスコンぷりは小町もどうかと思うよ? 家なら……別に良いんだけどさ。案の定彼は苦笑いしているし。まぁお客さんみたいな物だから仕方ないか。

 

「えっと、この人は同じクラスで隣の席の、日野 春兎君って言うの。奉仕部の事少し話したら、一緒に来たいって言うから連れてきただけで、別に小町のボーイフレンドじゃありません」

 

私からそう聞くとお兄ちゃんは安堵した様な表情を浮かべていた。はぁーこれじゃ、小町が彼氏を作るのは随分先になりそうだなー。別に好きな人いないけど。

 

「只今、ご紹介に預かりました、日野 春兎です。小町ちゃんにこの部活の事を聞いて、少し興味がありましてーー」

 

春兎君が話し始めると、お兄ちゃんの顔色はどんどん苛立ちを見せ始めた。具体的に言うと春兎君が私のことを「小町ちゃん」と呼んだとこらへん。お兄ちゃん、それぐらい許してあげなって。

 

「それで来させて頂いたんですが、先輩方とても仲が良さそうで羨ましいです。えっと、先輩が小町ちゃんのお兄さんなんですよね? よろしくお願いします」

 

そう言って春兎君はお兄ちゃんに向かって手を差し出すが、お兄ちゃんは肩肘付いたままそっぽを向いて話し掛けた。

 

「別にお前とよろしくする機会なんてねーだろ。それに今日会ったばかりの小町にそんな馴れ馴れしくして、お前小町の事好きなのか?」

「ちょっとお兄ちゃん! 春兎君は別にーー」

「はい、好きですよ」

 

そうだよねー好きに決まってるよねー。嫌いなわけ……え? 好き? えぇ? だってまだ会ったばかりで……え? え? 小町、分からないよ?あ、あれだよね! 友達としての好きとか……。

 

その場の全員が呆気にとられた顔をしていた。そしてそれを見た春兎君は首を傾げて呟く。

 

「だって、明るくて素直で可愛いじゃないですか。凄く魅力的な女の子だと思います」

 

いやーどもども……。どうもじゃないよ! ど、どうすればいいの? 別に春兎君の事は意識してるつもり無いし……は! 雪乃さん、結衣さんに!

 

私の救難信号を2人に向けて飛ばして見たけれど、結衣さん撃沈。どうしてかって? 非常に女の子らしく口に手を当てて頬を染めながら「ひゃー」って言っているからです。もうあれは完璧に恋する乙女の対応。こうなれば残る小町の希望は雪乃さんだけ。

 

「……好き……好き……なるほど」

 

うん、雪乃さんもダメでした。今まで見せたこと無い様な表情で俯いて、ブツブツ呟いています。そして私はさっきから一言も喋らないお兄ちゃんの方へ、恐る恐る視線を向けると、お兄ちゃんはハトが豆鉄砲当たった様にポカンとしていた。

 

「あ、あのさ、春兎君、じょ、冗談だよね?」

「ううん、本気だよ。突然の事でびっくりしてると思うけど、小町ちゃん、良かったら僕と付き合って欲しい」

 

初めて、異性に告白された。厳密に言えば初めてではない。中学の頃も何人かに告白されたけれど、どれも人目につかない場所で、された事自体もお兄ちゃんに言っていない。言えばお兄ちゃんは私の事にも気を使ってしまう。特にお兄ちゃんは去年、一昨年と色々あってなるべく、お兄ちゃんにはこの事で心配かけたくなかった。

 

けれど、今日、初めてお兄ちゃんの目の前で異性から告白されてしまう。返事なんてもちろん断るに決まっている。だって私にはやらないといけない事があるし、第一私にはお兄ちゃんがいるから、別に恋人なんて……。

 

「小町ちゃん、返事はゆっくりでいいから考えてくれないかな? 僕本気だから。それじゃ僕はこの辺で帰らせてもらうね。また明日」

「ふぇ? ちょ、春兎君? まっーー」

 

そう言い残して彼は部屋を後にした。部屋の中は何とも言えない空気が漂っている気がする。うぅ……どうしよ……とりあえず何か話題を。

 

「……認めないからな」

 

何か話さなきゃと話題を考えていると、意識を取り戻した様にお兄ちゃんはボソッと呟いた。

 

「俺は絶対、認めないからな。いや、確かに見た目はいい奴ぽそうだし、何か何処と無く葉山に雰囲気似ている気がするが、俺は断じて認めん!」

 

そう言ってお兄ちゃんはムスーとした表情でそっぽを向く。本当お兄ちゃんってシスコンだよね、とりあえず安心させてあげないと。

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。小町、別に好きな人いないし、春兎君の事もただ隣の人ってくらいで、特別な感情なんてないよ。そもそも手のかかる兄が1人いるのに小町が彼氏作ってる場合だと思う?」

 

我ながら上手い言い分だと思う。本当に春兎君に対して恋愛感情なんて持ち合わせていないし、お兄ちゃんのお世話で小町はてんてこ舞いだから恋なんてしている暇も、するつもりも無かった。

 

お兄ちゃんは小町の方に視線を向けると、本気だと言う事が伝わったのか、深く長いため息を吐いて安堵した表情を浮かべている。まぁ、お兄ちゃんみたいな人なら恋人にしてもいいかなー。

 

そこからは奉仕部の活動内容を雪乃さんが細かく説明してくれた。とは言っても、大体聞いていた通りで、最近ではあまり依頼も無いので、ゆっくり部室でお茶してる事が多いみたい。

 

途中、平塚先生が部室にやってきたので、入部届けを提出する。これで私も正式な奉仕部の部員だ。雪乃さん達みたい出来るか不安だけど、お兄ちゃんがいるから頑張れると思う。

 

「それじゃ、今日はこの辺にしておきましょう。シスコン谷君は小町さんをきちんと送り届けなさい」

「何でサラリと罵声言われなきゃいけないの? それに俺はシスコンじゃない。ただ純粋に小町を愛しーー」

「シスコンより重症だよ! はぁー小町ちゃんも大変だね」

「うーん、まぁいつも通りなんで、大丈夫です。昨日なんかも小町の為にアイス買って来てくれたりしましたし」

 

そう言うと雪乃さんと結衣さんは、ちゃんとお兄ちゃんをしてる事に感心している様子をしたけど、お兄ちゃんは何か言いたそうに視線を私に向けていた。

 

せっかくフォローしてるんだから、雪乃さん達が気付く前にその目はやめた方が良いと思うよ?

 

雪乃さんが部室の鍵を閉めて職員室に鍵を返却しに行く。それが終わると昇降口に向かって歩き、雪乃さん、結衣さんは電車通学なので、校門前で私達と別れる。

 

帰り道は行きと同じようにお兄ちゃんの自転車の後ろに座り、落ちてしまわないよう、そっと兄の背中に手を当てていた。

 

ーー

 

自宅に帰ると、両親はまだ帰ってきていない様子で、家全体は森閑としていた。私が帰って来たことに気付いたカーくんは、リビングの少し開いたドアから、その重たそうな身体をのっそりと動かし「ぶみゃー」と何ともブサイクに鳴いて寄り添ってくる。

 

「小町、今日の晩御飯は俺が作るからゆっくり休んでおけ」

「え? いいの? やったー! ありがとね、お兄ちゃん。小町、お兄ちゃんのこと大好きだよ」

「あー、ありがとさん。……今日はいつもの言わないのか?」

「うん……。だって好きなのは本当だもん」

 

それは兄妹であれば当たり前の感情だろう。妹の為に兄が何かをしてくれるのに、そんな兄を好きじゃない妹なんていない。

 

お兄ちゃんが夕飯の準備をしている間、私は先にお風呂に入ることにした。

 

湯船にお湯を張って、爪先からゆっくりと湯船の中に入れる。肩まで浸かり小さくため息を吐くと、今日あった出来事が思い出された。……私は告白されたんだ。もちろん春兎君の事が嫌いとか、そうゆうのは無い。どちらかと言えば、苦手なタイプ……あ、これ嫌いな部類かも。それでも話していて、嫌な気分にはならないから、嫌いでは無いはず。ただ、告白の返事は直ぐにでも返すつもり。私はお兄ちゃんに彼女が出来るまで誰とも恋愛するつもり無いから。

 

お風呂から上がるとリビングのテーブルには既に料理が並べられていた。

 

「今日はお兄ちゃん特製のオムレツだぞ!」

「やったー! お兄ちゃんのオムレツ、小町大好物だよ」

 

我が家のオムレツは多分だけど、かなり特殊。普通オムレツと言えば具材は卵のみで中に何も入っていないけど、お兄ちゃんのオムレツは中に挽肉、ジャガイモ、ピーマン、タマネギなどなど。数種の野菜を中に入れた食感たっぷりのオムレツなのだ。

 

「お兄ちゃん、何か今回のいつも以上に美味しい気がするよ」

「そうか? いつもと作る手順も変えてないし変わらんだろ。強いて言えば小町への愛ーー」

「はいはい、小町もお兄ちゃんの事好きですよー」

 

棒読みで言われた事がショックなのか、お兄ちゃんはそっぽを向いてしまった。もう、仕方ないお兄ちゃんだな。

 

「あのね、お兄ちゃーー」

「なぁ、小町」

 

私の言葉を遮り、お兄ちゃんは視線を外したまま呟く。

 

「その、あ、あいつとはつ、付き合わないんだよ……な?」

 

あいつ? あー春兎君の事かな。それ学校でも言ったのに。

 

「うん、付き合わないよ。私にはお兄ちゃんがいるし。まぁ、お兄ちゃんに彼女が出来たら、もしかして……」

「そっか、俺のせいで……。変な事聞いて悪かったな。早く食べてしまおう」

 

何かボソッと聞こえた気がしたけど、お兄ちゃんはそれから一言も喋ろうとしないで黙々と食べ続けた。

 

私が聞き逃しまった事を後悔するのは後になってからだった……。

 

ーー

 

それから数日が流れる。

 

特に変わった様子は無く、あの翌朝、学校に行き、春兎君に断わりの返事をした。けれど彼は本気だから簡単には諦めないと言ってくれる。その後は、ただのクラスメイトで隣の席の男の子として私も接しているつもり。私のクラスでは何の代わり映えもしていない。そう、私のクラスでは……。

 

「ね、ねぇ、ヒッキー今度の日曜日さ映画行かない? お母さんがね、映画のチケット貰ったんだけど、自分は行けないからってくれたの。ゆきのん誘ってみたんだけど、その日は予定あるみたいで……」

「そっか。ま、まぁそれなら仕方ない……な。分かった。予定空けておく」

 

どうして私は隠れているんだろう。お兄ちゃんが昼休み、教室にいないのは知っている。いつもの場所でいつものように食べているだろうから、そこへ向かうとお兄ちゃんと結衣さんがいた。

 

珍しくは無い組み合わせだったし、声を掛けようとすると、結衣さんの呟いた声は静かに響いて私の耳にも届いた。そして怖くなった私は隠れてしまう。

 

別に隠れる事なんて無いんだ。いつもみたいに交ざって行けばいいんだ……それなのに足は竦んで動かない。

 

お兄ちゃんは結衣さんの事……。

 

 

放心したようにおぼつかない足取りで教室に戻り席に座ると、様子に気付いた春兎君は恐る恐る私に尋ねた。

 

「大丈夫? 何があったの?」

「うん……。平気、何でもないから」

「何でもないって……」

 

本当に何でもないの。ただきっと潮風に当てられて体調を崩してしまっただけだ。そうに違いない。だから家に帰って寝れば良くな……

 

「小町ちゃん!」

 

春兎君の呼ぶ声が聞こえたけど、朦朧とした意識のまま、私は床に倒れた……。

 

 

カーテンがヒラヒラと揺れていた。開いた窓から風と共に桜の花弁が部屋に入ってくると、揺れるカーテンをすり抜け太陽は部屋を照らす。照らされた瞳は眩しさに目を開くと、天井は低く少しホコリが見えた。

 

ここがどこだか認識する為、辺りを見渡すと、椅子に座りながら文庫本を読んでいたお兄ちゃんがいた。

 

「気が付いたか?」

 

私の視線に気付いたお兄ちゃんは文庫本をパタンと畳んで、私に顔を近付けて、おでこを重ねた。

 

「な、な、何? お兄ちゃんどーー」

「まだ少し熱がある感じだな。もう少しゆっくり休ませてもらっておけ」

 

そっか……私、風邪で倒れちゃったんだ。それで心配してくれたお兄ちゃんは起きるまで側にいてくれた。

 

「お兄ちゃん、ごめんね」

「気にするな。妹が倒れたなら側にいるのが兄貴だよ。ほれ、寝るまでいてやるから目を閉じろ」

 

そう言ってお兄ちゃんは畳んだ文庫本を開いてまた読み始める。

 

人って風邪の時、心が弱ってると言われていて、勿論例外もいると思うけど、私はそうでなかった。寂しく甘えたい心は、私の意思と関係もなく口を滑らせる。

 

「お兄ちゃん……結衣さんとデート行くの?」

「は? こま、聞いて……。あー、そのなんだ、デートじゃなくて映画観にいくだけだよ。雪ノ下が行けないんだとよ。だから代わりで行くだけだ」

「それが、デートなんだけど……。ちゃんと服装気を使ってね? お兄ちゃん小町が見立てないと、センス悪いから心配だよ」

「わかってる。小町は余計な心配しないで、今は体調治すことだけ考えろ」

 

お兄ちゃんは少しだけ頬を染めて文庫本を読み続ける。そして私はその理由がわからないまま、ゆっくりと目を閉じた。

 

ーー

 

今日は日曜日。絶好の春日和でお兄ちゃんが結衣さんとデートする日だ。

あれから平塚先生が車で家まで送ってくれて、薬を飲んで寝たら風邪はすっかり良くなった。そんな訳で今日のお兄ちゃんコーディネートも私が担当する。

 

春らしいとお兄ちゃんにはすらっとした格好が似合うと思うから、シンプルな黒のシャツにサテン生地のネクタイ。ダークグレーのベストと細めで朱色のパンツをチョイスする。

後はアホ毛がへなってしまうけど、シンプルなソフトハットを組み合わせれば、中々大人っぽい感じが……。

 

「ねー、小町ちゃん? これどうしても被らないとダメなの? お兄ちゃん帽子とかーー」

「被らないとダメ! 結衣さんとのデートなんだからオシャレしないと! ほら、もう時間も迫ってるし、男の人が30分前に着いて待ってるのは当たり前。準備した、した」

 

ほっぺたを膨らませてぶーたれているけど、渋々お兄ちゃんは着替えて家を出た。

 

うんうん。とりあえず後は、お兄ちゃんに任せても大丈夫だよね? 捻デレも多分軽減されてるだろうし。

 

お兄ちゃんを送り出した後は暇だったので、家の掃除をすることにした。まずは洗濯機を回して、その間に溜まっていた台所の食器を洗う。次にリビングから掃除機をかけていって、タイミングを見計らって洗濯物を取り出す。縁側から外に出ると春の暖かな日差しが眩しく心地よかった。

 

手のひらでシワを伸ばしながら物干し竿に洗濯物を掛けていき、掃除機の続きをする。ある程度終わると時刻はお昼を過ぎていたから、軽く食事を取って掃除の残りを終わらせた。

 

全部終わる頃には太陽は傾いてきて、空にはうっすらと夕色が広がっている。……あれからお兄ちゃんはどうなったんだろ? ちゃんと結衣さんをエスコート出来たのかな? ……ちょっと覗きに行くくらい平気だよね。

 

白いワンピースに身を包んでチューリップの髪留めを付ける。

確か映画はいつもの所で、今から行けば丁度終わった位に着くかな。

 

ーー

 

映画館に着くと思惑通り、丁度上映が終わった後でぞろぞろと人の波が出てきた。目を凝らして探すと、その中にお兄ちゃんと結衣さんを見つける。どうやら映画はラブストーリー物だったみたいで、2人とも頬をほんのりと染めていた。

 

遠くから見つからないように2人を見ていると、お兄ちゃんが結衣さんに何か話していて、終わると駅に向かって歩き出した。

 

普通はここで映画の余韻を楽しむため、カフェとかに入ってお茶をするのが当たり前だけど、もう夜のそこまで来ているしここはやむを得ないかな。

 

仕方ないと諦めていたけれど、駅に近付くにつれて結衣さんはお兄ちゃんに何か話していて、お兄ちゃんが1度顎で頷くと結衣さんの表情が明るくなり、2人は駅とは別の方向に向かって歩きだす。

 

しばらく北に歩くと千葉公園に着いた。この公園はモノレールが頭上に走っていて、春はソメイヨシノが絢爛豪華に咲き乱れ、夏は1面に大賀ハスが咲き誇る。秋には紅葉樹が綺麗な朱色に染まるなどと、四季折々の自然が楽しめる、そんな公園だ。

 

辺りはすっかり日が落ちていて、公園内を行き交う人は少ない。敷地も広いので、奥まで進むとモノレールの音が聞こえないくらい静かな所もある。

 

お兄ちゃんと結衣さんはあれから一言も話している様子なく進んで行って、一つポツンと置いてあるベンチに2人は腰掛けた。私はバレない様にそっと2人に近付いて耳を傾ける。

 

「今日はヒッキーありがとうね。映画ごめんね。あーゆう感じのだと知らなくてあたし……」

「い、いやまぁ、何て言うんだ。観る分には嫌いって訳でもないし、あんま気にすんな」

 

おー、お兄ちゃんがちゃんとフォローしてる! ちょーっと仕方は下手だけど、これは小町的にはポイントは少しあげても。

 

「それに久々にゆっくり出来たし、助かった。ありがとうな」

「べ、別にヒッキーが小町ちゃんの事で悩んでるから気分転換になればとかこれっぽっちも思ってないし、それに今日のはたまたま映画のチケットが余ってたまたまゆきのんが行けなかっただけなんだからね! か、勘違いしないでよね」

 

結衣さんのベタベタなツンデレは意外と可愛いかもしれない。

それよりもお兄ちゃんはやっぱり私のせいで疲れて……。

 

「ねぇ、ヒッキーあのねーー」

「由比ヶ浜、俺から言わせてくれないか?」

 

言葉を遮り、お兄ちゃんの結衣さんを見る瞳はいつも以上に真剣な眼差しをしていた。

 

そして静寂を嫌うようにお兄ちゃんの唇は震えて声を吐き出す。

 

 

「由比ヶ浜、俺と付き合ってくれないか?」




あとがき

いかがでしたか?
ラブコメが苦手なのでシリアスになっていると思います。中々心躍る内容では無いと思いますが、ふと思い出して覗いてもらえればと思います。


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そして比企谷 小町は自身に問い続ける。

小町の一人称が私になっておりますが、そこはご了承くださいませ。


恋は人生最大のイベント。

いつか読んだマンガでそう書いてあった気がする。大半の人は学園生活の日々を恋愛に華咲かせ、やれ告白だの、恋人が出来たのだのと自己の近況を報告したがる。そして他人の恋愛ほど興味が湧かない事は無い。誰が誰と付き合おうが、それは私にとって対して関係の無い事で、例えそれが実の兄が誰と付き合おうが私には……。

 

 

「ただいまー」

「おかえりなさい、お兄ちゃん。ご飯にする? お風呂にする? それとも小町にする?」

「うーん、小町と言いたいが腹減ったからご飯にしてくれ」

「はーい、あ、シャツはちゃんと袋に入れて洗濯機にいれておいてねー」

 

お兄ちゃんは面倒くさそうに返事をして、着替えに行った。いつもと変わらない私達のやり取り。それなのに違って見えてしまうのはどうしてなんだろう。

 

 

「由比ヶ浜、俺と付き合ーー」

 

 

初めてお兄ちゃんの告白を聞いた。実際人の告白の場面なんてそんなに出くわすものじゃない。中学の時にも仕方なく友達の告白の手伝いみたいな事をして、陰から見守る事はあったけれどそれは事前に打ち合わせしてあった。でも今回は違う。意図せず私はその場に居合わせ、聞いてしまったのだ。

 

 

そして私は結衣さんの答えを聞く前に、その場から逃げるように走って駅に向かった。電車に揺られながら思い浮かべるのはさっきの光景ばかり。お兄ちゃんと結衣さんはやっぱり両想いで、告白された事で晴れて2人は恋人に……。喜ぶべき事だよ、だってあのお兄ちゃんに念願の彼女が出来たんだよ? 喜ぶべき事なんだ! ……そう自分に言い聞かせていた。

 

 

「ただいまー」

 

 

自宅に帰ると中は電気が付いていないから辺りは暗く、家は静寂に包まれていた。浮かない気持ちの理由が何なのか分からないまま、リビングに向かいソファーに座り込む。お祝いはした方がいいのかな? 何て言ってあげればいいんだろ? お兄ちゃん、ちゃんと出来るかな? これから結衣さんの事はお義姉ちゃんって言った方がいいのかな? そんな事を私の頭は永遠と考え続けていた。

 

 

ひとしきり考えた後、結局私はお祝いすることに決める。これを機にお兄ちゃんはシスコンじゃ無くなるかもしれないし。……シスコンじゃないお兄ちゃんってどんなんだろ? 想像がまるでつかないや。生まれた時から当たり前に側にいて、いつも私を1番に想ってくれていた人。けど今日から私じゃなく他の人がお兄ちゃんの1番になる。それが例え結衣さんでも想像が出来なかった……。

 

 

今日は両親2人とも残業が続いて家に帰れないと連絡があったから、私が夕飯の準備を進める。お兄ちゃんに夕飯を任せてしまうと、7割の確率で麻婆豆腐になってしまう。中華は嫌いじゃないけど、3日続いた時は流石にしばらく豆腐は見たく無かった。

 

 

とは言ってもお兄ちゃんから後30分程で帰るって連絡があったから簡単な物を作るしかない。お味噌汁とサラダを先に用意して帰ってきそうな時間を見計らいフライパンに火を付ける。

 

 

あらかじめボールに卵3個と挽肉を適量入れて、菜箸で卵と挽肉を混ぜながら塩コショウで味を付けていく。味付けは至ってシンプルで塩コショウのみ。オリーブオイルをひいて全体に行き渡るようフライパンを回す。フライパンが熱されたらボールの中身をフライパンに入れて焦げ目を付けながら火が通る様に蓋をして少し待つ。頃合いを見計らって蓋を開けて盛り付けると、小町特製のたまひきオムレツの完成。

 

 

着替えに行ったお兄ちゃんが戻ってくるまでにテーブルの支度を整える。丁度セッティングが終わった頃にリビングのドアが開いてお兄ちゃんはやって来た。

 

「おー、いい匂いだな。あれ? これって」

「うん、覚えてる? 私が初めてお兄ちゃんにーー」

 

そう、この料理はまだ小学生だった私がお兄ちゃんの為に作って、初めてお兄ちゃんに美味しいと褒められた料理。レパートリーは多くは無いけど、今夜はこれにしたかった。

 

「時間が無くてこれにしちゃったけど、違うのが良かった?」

「俺は小町の料理なら何でも嬉しいぞ。あ、今の八幡的にポイント高いな」

「はいはい、冷めない内に早く食べちゃって。ほら、いただきますー」

 

 

良かった、喜んでくれて……。

 

 

テーブルを2人向かい合って座る。両の手のひらを合わせて合掌し、料理に箸を伸ばと、お兄ちゃんはその頬が膨らむまでオムレツを詰め込む。美味しそうに食べてくれるお兄ちゃんに視線を向けては、私も少し摘まんで口にする。お兄ちゃんは口の中が無くなる度に「美味しい」と私に笑いかけてくれた。

 

 

後どれくらい私はお兄ちゃんとのこの光景を見ていく事が出来るのだろうか……。

 

 

「ご馳走様ー。今日も変わらず美味しかったぞ」

「はい、お粗末様です。うん、喜んでくれて良かった。後片付けは私がするからお兄ちゃんは先にお風呂入っちゃってね。それとも久しぶりに小町と一緒に入りたい?」

「ばっか、妹と一緒になんて思う兄貴はいないぞ。俺はやる事あるか先に小町が入れ。上がったら教えてくれればいい」

 

そう言ってお兄ちゃんは恥ずかしそうに視線を逸らし自分の部屋に戻って行った。

 

 

食べ終わった食器を洗いながらふと考えしまう。そう遠くない未来、もしかしたら私にもお兄ちゃんみたいな、素敵な人が現れて付き合うかもしれない。そうなったら私達、兄妹はどうなってしまうんだろ? いつも、どんな時でも側にいてくれたお兄ちゃんから私は離れて行ってしまうのかな? そんな不安に煽られながら、リビングには食器を洗う水音が静かに響いていた。

 

 

お風呂にもあらかじめお湯を溜めていたので、部屋に着替えを取りに行って脱衣室に入る。ブラウスとホットパンツを脱いで、ブラのホックを外す。誰に見せるわけでもなく「高校生なのだから」と言って買った雪のように白いブラをカゴに入れて鏡を見ると、幼くても膨らみがある自分の身体が写っていた。

 

 

「やっぱりお兄ちゃんも結衣さんみたいに大きい方が……」

 

 

私もそんなに小さい方じゃ無いと思うんだけどな。……雪乃さんよりはデカいし。

 

 

浴室に入ると先ず、風呂板を丸め壁に立て掛け、桶で掛け湯をしてからお湯に浸かる。これがお風呂のマナーだ。ソースは幼き頃のお兄ちゃん。

 

 

当時は2人で銭湯に入ったりして、ある日お兄ちゃんが掛け湯をしないでお風呂に浸かろうとした。すると先にお風呂に入っていたお爺ちゃんに怒られて、罰としてちょっと熱めのお風呂に100数えるまで入れられてしまう事に。100数え終わる頃にはお兄ちゃんはゆでダコみたいに赤くなっていて、終わった直後直ぐに水風呂に飛び込んだ。それからお兄ちゃんはお風呂に入る時は家でも銭湯でも必ず掛け湯をしてから入る事にしているらしい。

 

 

入浴剤にアロマ効果のあるバブを入れて目を閉じながらゆっくり湯船に浸かると、今日の疲れが身体の底から抜けていく様な感じがした。

 

 

女の子のお風呂は長い。

男の人と違って色々する事があるからそれは仕方ない事だ。私の友達も大体が1時間くらい入るらしい。けれど私はその半分くらいで上がってしまう事が多々ある。大抵の女の子は髪を洗うのに時間が掛かるが、私は短い方なのでそんなに時間は掛からない。ただ今日はいつもみたいに直ぐ上がろうと思わなかった。

 

 

湯船から出て身体と髪を洗い終わり、浴室からでる頃には時間は1時間経っていた。身体を冷やさないようバスタオルを巻いてハンドタオルで身体の水滴を拭き取る。髪をドライヤーで乾かしてバスタオルを取り改めて自分の身体を鏡で見ると、やっぱり子供ぽいのかなと思ってしまう。大きくなるよういつもしてるんだけどな……。

 

 

パジャマに着替えて階段を上がる。少しぬるくなったけれど、お兄ちゃんも入るって言っていたし呼びに行かないとね。

 

 

部屋の前まで近づくと少し開いていた扉からお兄ちゃんの話し声が聞こえてきた。どうせ相手は中二さんだろうと思って、声を掛けようと扉に手を掛けようとするけど、それは憚れる。

 

 

「了解。7時に待ち合わせな。由比ヶ浜も遅れるなよ? お前、朝とか弱そうだしな」

 

 

そっか……明日は結衣さんと一緒に行くんだ。部屋の外から覗いたお兄ちゃんの表情は私が今までに見たこと無い笑顔をしていた。

 

 

「おぅ、分かってるよ。……そういやさまだ、小町に俺達の事言えてないんだ。いつ言えばーー」

 

 

その後は聞いてない。これ以上聞くことが出来なくて自分の部屋に戻って直ぐ布団の中に潜り込んだ。

 

 

お祝いするって決めたんだ。

……そう決めたはずなのに心はただ痛んでいった。

 

 

ーー

 

 

休日が終わるとまた学校が始まる。月曜日と言えばブルーマンデーが有名だと思う。意味? 多分憂鬱な月曜って意味かな。きっとこのタイトルを付けた人は追われ追われ、やっとの思いで終わったのが日曜日なんだろう。そしてその日は1日気分は浮くことが無かった。明日の月曜日が心配で心配で沈んでいたのだろう……。だからブルーマンデー。

小町的にもそれポイント高いかも。あれだけ楽しみだった学校なのに気分が一向に上がらないし。

 

 

春の陽気は暖かい。柔らかい日差しと涼し気な春風は気分を晴れやかにしてくれる。春を愛する人は心清き人と言うらしいがそれも頷ける。こんな季節に生まれれば誰にでも優しく出来そう。春生まれなのに私はちゃんと優しく出来ているんだろうか……。

 

 

制服の袖を通してリビングに向かう。昨夜から両親は職場に泊まった様で家に帰ってきていない。だから朝ごはんは必然的に私が作るのだ。制服姿にエプロンを付けてトースターにパンを入れる。朝は栄養が大事だからサラダとヨーグルト、それに卵とベーコンを炒める。トースターが音を立ててパンは飛び出すと、しっかりといい焦げ目が付いて何とも美味しそうな香りをリビングに広げた。卵は目玉焼きで塩コショウを少々、ベーコンはカリカリになるまでしっかりと炒めてお皿に盛り付ける。小町特製のお手軽朝ごはんの完成!

 

 

時計に視線を向けるといつもならもう起きてくるはずなのに、お兄ちゃんはリビングに現れない。はぁーやれやれだなー。仕方ないから起こしに行かないと。

 

 

リビングを出て階段を上がってお兄ちゃんの部屋の前まで行く。3回ノックしてみたけれどお兄ちゃんからの返事は無い。

 

 

「お兄ちゃん? もう朝だよ? 早くって……もぅ、まだ寝てる。はぁーお兄ちゃんー? 朝だよー、遅刻するよー」

「むにゃむにゃ……後……24時間……」

 

 

それ1日じゃん! うー中々起きそうに無いし、このままだとご飯も冷めちゃう。……よし。

 

 

「お兄ちゃん? 早く起きないとちゅ、ちゅーしちゃうよ?」

「む……ちゅー……良いんじゃ……ぐぅ」

 

 

……良いって言ったもんね。言質はしっかり取った。それにこれは起こすためにするのであって、別に変な事じゃないしね。そ、そう! 兄妹なら普通のこと……。はぁ、変に意識したら疲れるから早くしちゃお。

 

 

「ん……おにいちゃん……」

「……こ、小町ちゃん? 何してーー」

 

キス直前でお兄ちゃんは目を覚ました。唇が触れ合うまでその距離後10センチ。

 

 

「ふぇ? え、えっとこれは、その……。お、お兄ちゃん! 朝だよ! ご飯準備出来てるから早く下降りて来なさい。小町、先に食べてるからね」

「え? え? 何? 小町、さっきのはーー」

 

 

朝から大きな音を立てて扉を閉める。大声を上げてしまいそうだった。なんて事しようとしてたんだろう、その、兄妹でキスとか……。火照った顔を冷ます為に冷蔵庫にあったコーヒーを勢い良く飲む。甘っ!

あれ? これってお兄ちゃんの飲みかけのMAX……。

 

 

「お、おはよう、小町……」

「おはよう、お兄ちゃん! えっと……見た?」

「え? 何も見てないけど。えっとーー」

「見てないなら早く座って! そして早く食べて! 遅刻しちゃうから」

 

 

良かった……。もしこれが見られてたら小町、もう平常心で居られないよ。もう既にお兄ちゃんと顔を合わせるのが恥ずかしくて目を合わす事も出来ないし。

 

 

それから私達はお互い無言のまま朝食を進める。特にお兄ちゃんから話し掛けられる事も無く、視線をそっと向けて見ると目が合ったりして、私からも何と無く話し掛けられなかった。

 

 

お兄ちゃんは今朝の事どう思っているんだろう? もしあのまま起きないで私がキスしてたらどうなっていたんだろう? そんな事を考えながら黙々と朝食を食べ続けた。

 

 

今日から登校は電車で行く事になっている。お兄ちゃん1人なら今まで通り自転車で良かったけれど、流石に毎日2人乗りは危ないと言う事で電車になった。

 

 

朝食を終えて支度を整え玄関に向かおうとすると、家の中に来客のチャイムが響いた。あれ? もしかして……。玄関の扉を開くとそこにはいつものお団子髪だけど、少し前髪を整えた結衣さんがいた。

 

 

「おー結衣さん、やっはろーです!」

「やっはろー小町ちゃん。ひっ、ヒッキーいるかな?」

「すまん、すまん。待ち合わせの時間とっくに過ぎてたよな」

 

 

そう言えば昨日確か7時に待ち合わせって言っていたような。現在7時30分。もう……お兄ちゃんってば。

 

 

「待ち合わせしてたんですねー。結衣さん、本当愚兄ですみません」

「ううん、多分ヒッキー遅刻するだろうなーって思ってたし、平気だよ」

「そうですか。……ところで兄とどうして待ち合わせを?」

 

 

意地悪に聞いて見た。

予想通り結衣さんは目をキョロキョロとさせている。

もう少し意地悪しようかと思ったけれど、それはお兄ちゃんに阻止されしまい、そのまま私達は3人で学校に向かうことになった。

 

 

通学の途中私と結衣さんはいつものように雑談を交わしている。本当は聞きたい事があるけれど、今それを聞くのは躊躇ってしまう。そして同じ様に結衣さんも本当は何か伝えたい事がある空気をかもし出していたけど、伝えられずにいた。伝えたい事が何なのかは分かっているけど……。

 

ーー

 

学校に到着するとお兄ちゃん達と私は分かれて、1人教室に向かう。クラスではそれなりに仲のいい友達も出来て、順風満帆な学園生活を送っている気がする。後足りないのは……彼氏とか? 考えてみたけど、やっぱりいらないや。私にはお兄ちゃんが……でもそのお兄ちゃんにはもう結衣さんがいる……。

 

 

「おはよう。なんか眠そうだね、大丈夫?」

「おはよー。うーん、多分平気。ちょっと夜更かししちゃって」

 

 

昨日はあの後直ぐに布団に入ったのに、目を閉じれば閉じるほど電話の内容が気になって中々寝付けなかった。思考がグルグルと頭の中を巡り少しだけ寝ては起きる。それを繰り返して挙句朝食の準備もしたから若干眠気はあった。

 

 

「そう言えばさ、小町ちゃんのお兄さん、同じ学年の由比ヶ浜先輩と付き合ってるんだね」

「……。ふぇ?! はる、春兎君何でしっーー」

「ここ、小町ちゃん! 声大きい、大きい。抑えて抑えて」

 

 

そりゃ大きくなるよ! だってお兄ちゃん達が付き合い始めたのは昨日の事だよ? 多分2人はまだ誰にも言えて無いはずなのに何で……。

不思議に思っている私を察した様に春兎君は言葉を続ける。

 

 

「昨日、サッカー部の友達がさ映画見に行ってたみたいなんだ。その時偶然由比ヶ浜先輩と小町ちゃんのお兄さん見ちゃったみたいで」

「あ……そうなんだ。えっとね、その2人はーー」

 

 

何て言えば良いんだろう? お兄ちゃんが結衣さんに告白したのは聞いていた。けど私は結衣さんからの返事は聞いていない。まぁ、あの2人の様子を見てればどうなったかぐらい分かるけど。

 

 

「多分まだじゃないかな? 小町は何も聞いていないし。第一あのごみいちゃんだよ? 捻くれてて、いつも考えが斜め上なごみいちゃんに彼女なんてとてもとても」

「そうなの? その現場実際に見たわけじゃないけど、お似合いだったらしいよ?」

「断じてありません!」

 

 

……お兄ちゃん達が付き合ってるのは確証無かったし、お祝いすると決めたけど、実際本人から言われるまでは何も言わないでおこうと思っていた。

 

 

昼休みになるとクラスメイトは待ちわびたように歓喜の声を上げている。あるグループはお弁当を持ち寄って仲良さそうに食べたり、ある人はチャイムに気がつかず4限目から寝ていた。……そろそろ誰か起こしてあげようよ。

 

 

「小町ちゃん今日はここで食べるの? それなら一緒にーー」

「ごめん、春兎君。小町、部室でお昼する事になったからさ。また後でねー!」

 

 

若葉色の弁当包を持って奉仕部へ向かう。春兎君も弁当持参の人で、そりゃ隣の席なんだし誘ってくれるのは良いんだけど、あまり教室で積極的に来られると流石に好奇の目と言いますか、何と言いますか……。とりあえず春兎君モテるんだし私ばかりじゃなくて他の人も誘えば良いのに。……そう思って自分で自分が嫌いになる。結局私は告白に向き合わないで逃げているだけなんだ、春兎君から遠ざかって声に耳を塞いでるだけなんだと。これが言い訳なら優しさと言えるのだろう。けれどこれは全くの別物。……言うなれば罰なんだ。

 

 

誘われている訳でもないのに奉仕部まで足を運ぶ。部屋の中からは明るく強い声と優しく透き通るような声が聞こえた。静かに息を吐き出して深呼吸をする。ノックをリズムを変えずに3回すると中から入室を促す声が聞こえた。

 

 

「結衣さん、雪乃さんやっはろーです!」

「あら、小町さん、こんにちわ」

「小町ちゃんやっはろー! 今日はどうしたの?」

 

 

2人は相変わらずの笑顔で迎えてくれる。

 

 

「えっとですね、小町も奉仕部の部員ですしここでご飯一緒食べてもいいかなーと思いまして」

「ええ、もちろん歓迎するわ」

「やっぱりご飯は皆で食べた方が美味しいもんね。ほら、小町ちゃんらここ座って」

 

 

そう言いながら手招きで結衣さんは向かいの席に私を呼ぶ。椅子に座って机の上に弁当を広げて2人の方を見る。雪乃さんは自分で作っているのに見事にバランスが取れてそうなお弁当。変わって結衣さんは多分お母さんが作ってくれてるのか可愛らしい女の子なお弁当。私はその中間かな? だってお兄ちゃんはお肉入って無いと膨れるし。小町としてはちゃんとバランス良く好き嫌いも無くして欲しいんだけどな。多分お弁当にトマト入れたら見事にトマトだけ残すだろうし。

 

 

それから結衣さんと雪乃さんと他愛のない話をした。昨日見たテレビが面白かったとか、猫の耳たぶの柔からさの話しとか。雪乃さんの前で猫話は生半可な気持ちで、話て良いものではないって分かったのは収穫かも。

 

 

昼休みの終わりが刻々と近づいていた。当たり障りの無い日常会話を終えて、2人とも教室に戻ろうと支度をしている。けれど私はまだ聞きたい事があった。濁されるかもしれないし、雪乃さんには酷な話かもしれないけど聞いておく必要が私にはあるんだ。

 

 

「結衣さん、ちょっと良いですか?」

「え? う、うん。どうしたの? 急に改まって……」

 

 

いつもと違う空気を読んだのか結衣さんは少しだけ焦った様に聞き返す。別に責めるつもりは無いので、声色をなるべくいつもと同じ様、結衣さんに向かって問いかける。

 

 

「最近お兄ちゃんと何かあったんですか? 例えばお兄ちゃんに告白された……とか」

「こ、小町さん? 何を言ってるの? 彼が女性に向かってこく、告白なんてそんな事す、する筈がーー」

「えっと……。うん、ヒッキーにこの前、その、告白……され、たよ」

 

 

真っ直ぐにわたしを見つめ返して結衣さんは答えてくれた。雪乃さんは理解したくないのか、信じたくないのか目を点にしている。

 

 

「ゆ、由比ヶ浜さん? それじゃあなたと彼はーー」

「本当はね、今日部活の時に言うつもりだったの。ヒッキーも隠していたくないって言ってたし」

「そうですか……。分かりました、この後は放課後改めて聞きますね」

 

 

そう言って私は部室を後にした。

 

 

授業終了のチャイムが校内に設置されたスピーカーから鳴り響く。ここから学生は部活動に青春を謳歌したり、友達と友情の輪を深めようと遊びに行ったりする。春兎君は授業が終わると、翔ぶが如くサッカー部に向かった。今日は久々に葉山さんが来るらしいので授業中もずっとそわそわしていて、この時ばかりは見た目似合わず可愛いなって。

 

 

「比企谷さんー! た、助けてくださいー!」

「ぉ、おー大志君久しぶり、元気にしてた? ちゃんとご飯食べてる? 好き嫌いしてたら大きくなれないよ?」

「いやーそうなんすよー。最近食欲が……じゃなくて! 本当困ってるんす」

 

 

うん、とりあえずそんな大声で泣き付かないで欲しいかな。若干周りが引いてるし。とりあえず仕方ないから場所を移動しよう。泣きつく大志君を何とか宥めて人気のない場所に連れて行って訳を聞く。

 

 

「それで? 一体何があったの?」

「その……えっと……」

「時間無いんだからはっきり言う!」

「はい! その、一色いろはさんとお近づきになるにはどうしたらいいんすか!?」

 

 

……聞き間違いかな?

何故か大志君の口からいろはさんが出てきて、しかもお近づきになりたい? ……うん、ちょっと整理しよう。

 

 

「えっと、先ず聞きたいんだけど、どうしていろはさんに近づきたいの?」

「そ、それはーー」

 

……理由は単純にして明確。大志君の言葉はこうだ。

 

 

1年生の時から生徒会長でおまけにサッカー部のマネージャー。更にプロポーションも良くて誰が見ても美少女。高校生活、青春を謳歌せしめるなら先ずは彼女を作りたい! 恋人を作って高校生活の第一歩を踏み出したい! ……そうゆう事らしい。

 

 

「それで考えたんすけど、俺と一色先輩って全然接点無いんす! だから比企谷さんならお兄さん繋がりで紹介してくれるかと思ったんす!」

 

 

多分……と言うか絶対に脈無いと思う。そもそもいろはさんは小町の勘だけどお兄ちゃんの事好きだし、あ、そう言えばいろはさんも呼んでおかないと。

 

 

大志君の悩みはとりあえず片隅に置いて考えていたら、大志君は首を傾げてポカーンとしていた。現実を突き付けるのも優しさ……だよね? 多分。

 

 

「あのね、大志君。いろはさんの事は諦めた方が良いよ。大志君じゃいろはさんは難しすぎる。分かりやすく言うと山に登った事無い人がいきなりエベレスト登るって言い出すくらい無謀なの」

 

 

大志君はまだ首を傾げている。……え? この説明分かり難かったかな?

 

 

「と、とにかくいろはさんの事は諦めた方がいいよ。じゃ私、部活行くから」

「そ、そんなー! 比企谷さーん!」

 

 

後ろから大志君の悲痛の声が響いていたけど聞こえなかった事にしよう……。それにしても大志君でさえ恋愛に興味あるんだな。塾で会ってた時はそんな素振り見せたことないから少しだけ意外だった。やっぱり高校一年生の春は恋の季節なのかな?

 

 

奉仕部に向かう前に生徒会室に立ち寄った。最近はお兄ちゃん曰くちゃんと仕事していると言っていたから多分いるはず。3回扉をノックして中から声が聞こえると、扉を開けて中を覗く。

 

 

「失礼しますー。いろはさんいらっしゃいますかー?」

「あ、小町ちゃん! いらっしゃいー。何か用かな? そうそう、入学おめでとー」

「どーも、どうも。えっとですね、いろはさん今日これから少し時間大丈夫ですか?」

 

 

お兄ちゃんから聞くに最近のいろはさんはお兄ちゃん達に頼らずに生徒会の仕事をバリバリしてるらしい。……すっごいお茶飲んでたけど。

 

 

理由を話す前にいろはさんは二つ返事で承諾してくれて、生徒会室を後にする。部屋を出て行く時に副会長さんと思われし人が、コメカミを抑えて頭、痛そうにしていたのは見なかった事にしよう。そうしよう。

 

 

「そういえば、小町ちゃん、奉仕部に入ったんだよね? 良いなー私も生徒会長してなかったら入部届け出してたのになー」

「多分いろはさん生徒会長になってなかっならお兄ちゃんと関わり切れてましたよ? 結果的オーライですよ」

「ま、まぁあの中に入って行くのは一筋縄で行かなそうだし、外からコンタクトした方が先輩には有……って別にその方が扱いやすいだけだからね!」

 

 

そんなムキにならなくても小町、分かってますから大丈夫です! ただ……これから告げる事にいろはさんが耐えれるのか心配になってきちゃった。

 

 

奉仕部の部室前に着くと、これから起きる事の前に深呼吸をする。扉を勢い良く開けると既に結衣さん達は揃っていた。けれどそこにお兄ちゃんの姿はない。

 

 

「小町さん遅かっ、あら? 一色さんも連れてきたのね」

「はい、連れて来られちゃいました! それで今日は何かあったんですか? あれ? 先輩はまだーー」

「とりあえずいろはさん、席に着きましょう。それから今日の事話します」

 

 

さっきここに来るまで会話していた空気と違うことを察したいろはさんは、佇まいを直して結衣さんの向かいに座る。その隣に私も椅子を置いて座ると少しの間、沈黙が流れた。

 

 

窓の外から聞こえる部活動の音、リズムを狂わせることなく進む秒針の音、色々な音があるのにこの部室だけ静けさが囲んでいた。誰かが堪らず唾を飲み込む音を立てると、視線で雪乃さんに合図を送り話し始める。

 

 

「結衣さん。小町、やっぱり回りくどいのは苦手なので率直に聞きますね。……お兄ちゃんと付き合っているんですか?」

 

 

部室の中は再び静寂に包まれる。

 

 

雪乃さんは文庫本を読んだまま耳だけを傾け、いろはさんはいきなりの事に戸惑い、私と結衣さんを交互に視線を向ける。私は瞳に力を込めて結衣さんを見つめた。そして結衣さんは1度目を閉じ、ゆっくりと開いて真っ直ぐな瞳で答える。

 

 

「うん」

 

 

……たった2文字の言葉は部室の中を反響し続けているように、耳から抜ける事なく聞こえ続ける。

 

 

「えっと……結衣先輩、じょ、冗談ですよね? まさか結衣先輩と先輩がーー」

「……ごめんね、いろはちゃん」

 

 

結衣さんは多くを話さなかった。ただ優しく泣きそうな表情でいろはさんを見つめている。雪乃さんは開いた文庫本に視線だけ向けているけど、意識は結衣さんの言葉一つ逃さずに傾けている様にジッとしていた。

 

 

部屋の中はただただ静かだ。たった一つの物音すら聞こえない部屋は、耳を澄ませば3人の心音さえ聞こえそうな程、静けさに包まれている。そしてそれを嫌った様にいろはさんは椅子を押して立ち上がり、一言「失礼します」と、か細い声色で呟き、力無い足取りで奉仕部を後にした。

 

 

部室のドアが低い音を立てて閉められると、部屋の中は音を取り戻した様に雑音があちらこちらから聞こえてくる。

 

 

「ゆきのん、……ごめんね」

「……どうして謝るのかしら? あなたと比企谷君が恋仲になるのに私の許可が必要だったの? 違うでしょ? なら謝る必要なんてどこにもないじゃない……」

「それは……そう、だけど」

 

 

そして校内にチャイムが鳴り響く。

気が付けばもう下校の時間になっていた。

 

 

「では今日はここまでにしましょう」

 

 

それが合図に雪乃さんは文庫本を畳んで帰り支度をする。結衣さんは悲しそうな表情をしたまま雪乃さんに視線を向けては戻しを繰り返していた。雪乃さんが椅子を押して立ち上がると、それにつられ私達も立ち上がり部室の外へと向かう。

 

 

「私は平塚先生に鍵を返してくるから先に帰っていて平気よ」

「ゆきのん、あたしも一緒にーー」

「ごめんなさい」

 

 

結衣さんの言葉を遮り雪乃さんは私達に背を向け一歩ずつ遠ざかって行く。その背中は哀愁を漂わせ、私達はそれを追いかける事が出来ず、雪乃さんの姿が見えなくなるまでただジッと見続けていた。

 

 

「私達も帰りましょうか」

「……うん」

 

 

力無く泣いていた返事はいつまでも消える事なく、私の中で木霊し続けた。

 

 

ーー

 

 

「ただいまー」

 

 

家に帰ると玄関にお兄ちゃんの靴が並べて置いてあった。私も靴を脱いで綺麗に揃える。リビングのドアが少し開いていたので、ドアノブに手を掛けて中に入ると、窓の外を佇む様に見ているお兄ちゃんがそこにいた。

 

 

「ただいま、お兄ちゃん」

「……小町か。お帰り」

 

 

お兄ちゃんはそう返事を返すと私に向けた視線を外して、また外の景色を見始める。庭先の植木、隣家の花壇、風に揺れる洗濯物。お兄ちゃんの瞳はその奥を見ている様に虚ろんでいた。

 

 

冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注ぎ、一気に飲み干す。立ち尽くすお兄ちゃんを横目にリビングを出て自室に戻り、制服のままベッドに倒れ込む。今日私は何をしたんだろう? 悪戯にいろはさんを、雪乃さん……結衣さんを傷付けただけじゃないんだろうか? もっと他にやり方はあったんじゃないのか? そもそも何で私は結衣さんを問いただしーーそんな理由……分からないフリはもう出来ないよね。

 

 

「私って嫌な子だな……」

 

 

誰に聞かせるわけでもなく呟いた言葉は自身を痛め付ける。気が付けば窓の外は日がすっかり沈み、夜の色が広がって行く。もう夕飯の時間だ。制服を着替えてリビングに行くとお兄ちゃんはまだ立ち尽くしたまま窓の外を見ている。私は小さく息を吸い込んでお兄ちゃんに呟く。

 

 

「お兄ちゃん、ご飯用意するね」

「あぁ……。何か手伝おうか?」

「ううん、平気、大丈夫だよ。……あのね、ご飯食べたら……話したい事あるの」

 

 

お兄ちゃんは無言のまま頷いて、また外の景色をジッと見続けた。




今回もいかがでしたでしょう?少し暗いお話になっておりますが、ゆったりと読んでもらえればと思います。


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