ドラゴンクエストⅢ~それは、また別の伝説~ (ルーラー)
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第一話 動き出す時間(前編)

○アレルサイド

 

 ――水の音がする。

 

 遥か高みから叩きつけられているような、水の音。

 

 それ以外に聞こえてくる音はなにもなかった。

 

「――ここは、一体……?」

 

 静寂が少し、少しだけ怖くなって、声に出して呟いてみる。

 

「僕は、布団に入って、眠って、それで……」

 

 そう。そしていまの、この状況だ。と、すると……、

 

「これは……夢?」

 

 そうとしか考えられなかった。ためしに頬をつねってみたところ、案の定、まったく痛くない。

 

「……なんだ、夢か」

 

 ……そう確認できたところで、まったく落ち着けない。夢と認識できたところで、状況は変わらない。この場所にひとりでいることは、変わらない。

 

 とりあえず、自分の身体を確かめるように見回してみた。

 丈夫な布で作られた服に、足首まであるズボン。町の中ではなく、外を歩くために頑丈に作ってある靴に、長いマント。そして、腰にはずしりと重い、剣。

 

 これは、明らかに旅人の装備だ。十年前のあのときから、この装備で旅立つときを夢見ていた、理想の服装そのもの。僕はまた『いつか来る、その日』の夢を見ているのか。いままで何度も見たというのに、よく飽きないもんだ……。

 

 呆れ混じりの嘆息をひとつ。そして、この夢になにか進展をもたらすため、とりあえず水の音がするところまで登っていってみることにした。怖がってばかりじゃ、なにも始まらないから。

 

 

 そこは、崖だった。向かい側にはすごい勢いで流れる滝がある。……そうか。水の音はこの滝の音だったのか。

 ――と。

 

『アレル……、アレル……、私の声が聞こえますね……』

 

 唐突に、澄んだ女性の声が聞こえてきた。しかも『聞こえますか?』ではなく『聞こえますね』ときたもんだ。僕のいきなり名前を呼ばれた驚きと、そしてそのあとの少しばかりの呆れに、しかし声の主はまったく気づかないらしく、そのまま続けてきた。

 

『私はすべてをつかさどるもの。あなたはやがて、真の勇者として私の前に現れることでしょう』

 

 ……え~と、なんと言っていいものやら……。すべてを、つかさどる? まあ、言葉を額面どおりに受け取ればかなり嬉しいことを言われているわけだけど、でもなんか、うさん臭いよなぁ、いくらなんでも……。

 

「あの、そう言ってもらえて、嬉しくはあるんですけど、でもそんな、断言されても――」

 

『しかし、その前にこの私に教えて欲しいのです。あなたがどういう人なのかを……』

 

 うわ。僕のセリフ、無視された。もしかして僕、発言が許されてなかったりする?

 

『さあ、私の質問に正直に答えるのです』

 

「え、え……?」

 

 しょ、正直に……?

 

『アレル、私はこれからいくつかの質問をします。難しく考えず、素直な気持ちで答えてください。そうすれば私は、あなたをさらに知ることになるでしょう』

 

「は、はい……?」

 

 僕にあなたのことを知る権利はないのでしょうか?

 そんな質問をしそうになり、慌てて飲み込む。

 

 しかし、一方的だなぁ……。僕の戸惑い、完全に無視?

 

『さあ、始めましょう』

 

「は、始めましょうって……、僕にはなにがなんだか……」

 

『あなたにとって、冒険とは辛いものですか?』

 

 ああ、やっぱり僕の発言は無視されてる……。あれかな。必要なこと以外は一切しゃべるなってことかな……。でもこれなら僕にでも――いや、僕だからこそ簡単に答えられる。

 

「いえ、一概にそうとは。冒険をしていたからこそ、知り合える人だって、きっと、いると思いますし。それに父さんだって――」

 

『防具より、武器にお金をかけるほうですか?』

 

 うわ。僕のセリフ、また遮られた。もしかしてあれですか? 『はい』か『いいえ』のみで充分ということですか?

 ともあれ、僕は答えることにする。

 

「はい。やっぱり攻撃は最大の防御といいますから」

 

『近くの高い宿屋より、遠くの安い宿に泊まりますか?』

 

 ……なんだろう。最後までしゃべらせてもらえたっていうのに、このわずかに感じる寂しさは……。

 

「……ええと、いえ。近くの高い宿屋に泊まります」

 

 だって、遠くの宿屋にたどり着けなかったら元も子もないし。世の中、命あってのモノダネだよ。やっぱり。

 

『よく夢を見るほうですか?』

 

 また脈絡のない質問を……。

 

「はい」

 

 モンスターと戦う夢なんて、本当によく見る。一度、父さんが死んだ夢を見たことだってあるくらいだ。

 

『誰かに追いかけられる夢を見ることがありますか?』

 

「いえ、それはさすがに……あった。リザに追いかけられる夢なら、ときどき……」

 

『あまり知らない人といるのは疲れますか?』

 

「え? いえ、別にそういうことは、特に」

 

『なにか失敗をしても、あまり気にしないほうですか?』

 

「えっと……、まあ」

 

 気にしてばかりじゃ始まらないし。

 

『友達は多いほうですか?』

 

「……多いほうじゃないかと思います。自分でいうのもなんですけど、アリアハン王立アカデミーで仲いいヤツはけっこういますし」

 

 ……うわぁ。本当に自分で言うことじゃないな……。

 しかし声は、僕の内心の恥ずかしさなんか意に介した風もなく淡々と続けてくる。

 

『人の噂話が気になりますか?』

 

「まあ、気にならないといえば嘘になりますけど、でも気にしても仕方のないことではありますから。極力気にしないようにしてはいるつもりです」

 

『人に騙されるのは、うっかりしていたなど、騙されるほうにも責任があると思いますか?』

 

「思いません」

 

 僕は自身の中にある信念に則って、キッパリと断言した。

 

「だって、そうじゃないですか。騙す人がいなければ、騙される人もいない。それなら悪いのは――」

 

『早く大人になりたいですか?』

 

 またも僕の言葉は遮られてしまった。ちょっとムッとするものの、この質問に対する答えはもう何年も前から決まっているものだったので、すぐにそれを返した。

 

「もちろんです。そうすれば父さんを探しに旅に出れる。十六歳になれば――」

 

 声に遮られたわけではなく。僕は熱くなりすぎて、かえって言葉を口に出せなくなってしまった。

 そこに、声からの次の質問が浴びせられる。正直、ちょっと助かった。

 

『夢を見続けていれば、いつかその夢が叶うと、そう思いますか?』

 

「……っ!」

 

 投げかけられた問いに、一瞬、返す言葉に詰まる。しかし、すぐに空を見上げて、返答を返した。そうしなければならない気が、なぜかしたから。

 

「……そうでなければ、悲しすぎます……!」

 

 しばしの沈黙。この声の主にも僕の感情の昂ぶりとか、伝わったのだろうか。

 しかし、どうやら違ったようだった。

 

『そうですか……。これであなたのことが少しはわかりました』

 

 ……少しなんだ。これだけ色々質問しておいて、それでも少しなんだ。

 

『ではこれが最後の質問です』

 

「まだ質問あった!」

 

 そう僕が叫ぶと同時。

 辺りの景色がぐにゃぐにゃと歪み――、気がつくと僕は洞窟の中に立っていた。

 

「……え~と?」

 

 目の前にある立て札を読んでみる。

 

『左に進め』

 

「……はいはい、左、っと」

 

 もはや達観した感じで向かって左の道に入っていく僕。すると、

 

『右に進め』

 

「今度は右、か」

 

 嘆息混じりに、僕。一体なんなんだろう、ここは。

 しばし、いくつかあった立て札のとおりに進んでいくと、右手に宝箱が見えた。

 

「……罠だよなぁ、あれ。取りに行ったら立て札の指示から外れちゃうし……」

 

 ちょっと惜しい気持ちはあったものの、宝箱は無視。

 そしてまたズンズンと進んでいくと、今度は左手のほうから声が聞こえた。それはさっきまで質問してきていた声ではなく、もっとか細い、少女の声。

 

「……助けてぇ……」

 

 地面と大岩に足を挟まれ、身動きを取れない様子の少女が、そこにいた。立て札はまっすぐ進むように指示してきているけど……。

 

「そんな指示、聞いてられるかっ!」

 

 仮にもここは洞窟。近くにモンスターが隠れていないか気配を探りつつ、僕は急いで少女のところに駆け寄った。――刹那!

 

「うわっ!?」

 

 周囲の景色が歪む! その光景はまるで、この洞窟に来たときのようで。

 

「……僕、選択肢間違えたかな……」

 

 どこか達観したように、僕はポツリと呟いた。

 

 

 再び聞こえてきたのは、あの滝の音。そして、あの声。

 

『私はすべてをつかさどるもの。いま、あなたがどういう人なのか、わかったような気がします』

 

 いまの、一部始終見られていたのか……。

 

『アレル、あなたはなかなか『しょうじきもの』のようですね』

 

 ……なかなかって。大体、質問には正直に答えろって言わなかったっけ? この声。それに僕はそれほど正直者ってわけでも――

 

『自分ではそう思っていないかもしれませんが……。もし嘘をついても、あなたは表情に出てしまいます』

 

 え。そうなんだ……。

 

『正直なぶん、色んなことに迷いがちで、周りに流されてしまうことも少なくありません』

 

 うっ……、それはそうかも。よくリザには振り回されてるし……。

 

『失敗を恐れるあまり、少し慎重になりすぎているのかもしれませんね』

 

 ……そう、かな……。

 

『ときには失敗を恐れず、大胆な行動に出てみては? そうすれば新しい自分を発見できることでしょう』

 

「はあ……、そうですか」

 

『……と、これがあなたの性格です』

 

「なにその、とってつけたような締めの言葉!」

 

『さあ、そろそろ夜が明ける頃。あなたもこの眠りから目覚めることでしょう』

 

「ああっ! また無視された! ……って、眠り? これってやっぱり夢だったのか……」

 

 なんとなくわかってはいたものの、改めて夢とわかると、なぜか安堵感が込み上げてくる。そうだよな。いきなり洞窟に飛ばされたりなんて、夢じゃなきゃ起こらないよな。

 

『私はすべてをつかさどるもの。いつの日かあなたに会えることを楽しみに待っています……』

 

 その言葉を最後に、その声は聞こえなくなり、そして、僕の視界も暗転した。そして、聞こえてくる別の声。優しい、女性の声。

 

「アレル……、アレル……、私の声が聞こえますね……。私はすべてをつかさどるもの」

 

「――って、夢、リピート!?」

 

 がばっと起き上がった僕の視界に入ったのは、僕の母さんであるマリアだった。

 

「……母さん、なにふざけてるのさ……」

 

 呆れて言うと、母さんは僕に背を向け、笑みを含んだ声で告げてくる。

 

「あら。私はアレルの母親よ。つまり、『アレルのすべてをつかさどるもの』」

 

「つかさどってないよ! つかさどられちゃ僕がたまらないよ!」

 

「そんな大声出すことないじゃない。ちょっとした母さんのお茶目よ」

 

「お茶目って……。ねえ、母さん。なんか、いつもよりテンション高くない?」

 

「……あのねぇ。十六歳になる私と『あの人』のひとり息子が旅に出るっていう日なんだから、無理にでも明るくしていたいのよ。私としては」

 

 母さんの声音は、一転して悲しげなものに変わっていた。……そっか。僕は今日、十六歳になったんだっけ。それで、王様に旅立ちの許可をもらいに行くんだっけ。

 

「えっと……、ごめん、母さん」

 

「なに謝ってるのよ、朝っぱらから。ほら、ゼイアスおじいちゃんにも挨拶して、早くお城に行くわよ」

 

「あ、うん……」

 

 母さんが部屋から出て行ったところで、僕はベッドから下りて、パジャマから外着に着替え始めた。



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第二話 動き出す時間(後編)

○アレルサイド

 

 アリアハンの王城は何年も前から変わらずに、そこに立派にそびえ立っている。

 少し呆けた表情で城門を見ている僕に、母さんの声がかかった。別にいいと言ったのに、母さんはここまでついて来たのだ。

 

「じゃあ、アレル。ここからはひとりで大丈夫? ちゃんと王様に挨拶できる?」

 

「大丈夫だよ。僕だってもう大人……ではないけど、子供じゃないんだから」

 

「そう? じゃあ私は先にルイーダのところに行ってるわね。王様への謁見が終わったら、ちゃんと顔を出すようにね」

 

「う、うん。わかったよ」

 

 ちょっと返事をためらった。ルイーダさんは酒場を経営していて――、まあ、それはいいんだけど、ルイーダさんの酒場は僕の幼なじみであるリザの家でもある。正直、僕の旅立ちのことはリザには知られたくなかった。あるいは恨まれるかもしれないけれど、それでも、彼女を危険な目に遭わせたくはないから。

 僕の旅立ちを知れば、行動的な彼女のことだ、きっとついてくると言い出すだろう。それは、僕としては出来る限り避けたかった。そのことは、母さんも知っているはずなんだけどな……。

 

「それじゃあアレル、くれぐれも王様に失礼のないようにね」

 

「うん、わかってるよ。母さん」

 

 過保護な母親オーラ全開の母さんに背を向けて、僕は城門をくぐった。その途端、場内のあちこちから視線が飛んできた。城に詰めている兵士たちのものだ。

 ぺこぺこと頭を下げながら、奥にある二階への階段へと歩を進める僕。やがて階段を昇りきると、そこには数人の兵士と大臣、そしてここ――アリアハン大陸を統べる王様がいた。

 

 玉座に座っている王様に、少しおおげさに頭を下げる僕。そして、静かに告げる。

 

「勇者オルテガの息子、アレルが参りました」

 

「うむ。よく来た、アレル。ここ十年ほどですっかり逞しくなったな。さすが、あのオルテガの血を引いているだけのことはある」

 

 そう言われるのは、正直、あまり面白くはなかった。でも、それ以上に父さんを偉大だと感じているのも、また事実で。

 この感情は、ときどき僕を悩ませた。誰もが僕のことを『オルテガの息子』として見る。それを誇らしく思う気持ちもあるものの、一方で自分が父さんの代替なのでは、と思うこともある。そして、結局この悩みに答えは出なくて、いつも複雑な感情だけが胸に渦巻いてしまう。

 

「お前の実力のほどはワシもよく知っておる。並みの兵士よりもずっと強い、とな。しかし、ひとりで旅となると、またもオルテガと同じ不運を辿ることになるやもしれん。それは、お前もわかっておるだろう? まあ、そこに関しては心配は要らんわけだが」

 

 王様は僕がリザを連れていくと思っている。確かに仲間がいれば、精神的にも実際の戦闘でも、助けられるところは多いだろう。リザは僧侶で、回復呪文を使えるのだから、なおさらだ。けれど、それでも――。

 

「王様。僕はひとりで旅立つつもりです。旅は危険ですから、リザを連れていくことはできません」

 

 王様は驚きに目を見開いた。当然、なのだろうか……。

 

「なんと! しかしそれでは危険すぎる!」

 

「それでも、もう決めたことですから」

 

「ううむ、頑固さまでオルテガゆずりとは……。仕方ない。――クリス! クリス!」

 

 手をパンパンと叩き、王様は声を張りあげる。クリスというのは、兵士の名だろうか。そんなことを考えていると、やはりそうだったらしく、周囲に控えていた兵士たちの中から、特に身軽な格好をした女性が一歩、前に進み出てきた。……って、女性?

 

「アレルよ。彼女は去年・一昨年とアリアハン武道会で優勝した王宮兵士、クリスじゃ。まだ十八歳と若いが、充分頼りになる」

 

 ああ、どこかで見たことがあると思ったら、そうか。アリアハン武道会に出場していた人だったのか。

 

「リザを連れていかないのならば、アレル、せめてクリスを供につけさせてやってくれ。決してお前が弱いと言っているわけではない。ただワシも、この国の人間も、そしてなにより、お前の母であるマリアと大勇者ゼイアスも、オルテガのときのような絶望を味わいたくないのだ」

 

 懇願(こんがん)されるような口調で言われては、断ることなんてできやしなかった。ただ――

 

「クリスさんは、それでいいの?」

 

 なにしろ、生きて帰って来られるか、わからない旅なのだから。

 

「もちろんだよ。それとアタシのことはクリスで――呼び捨てでいいよ。よろしくな、アレル」

 

 言って笑顔で握手を求めてくるクリス。僕は手を出して、彼女の手をグッと握った。

 

「さて。大臣、アレルに『あれ』を」

 

「はい、王様」

 

 大臣が布に包まれた棒状の物をこちらに差し出してきた。少し怪訝に思いながらも、受け取る。

 

「これは……!」

 

 アリアハンの武器屋に置いてあるのも見たことがない。それはこの辺りの村や集落、町では手に入らないという『はがねのつるぎ』だった。

 

「これ、いいんですか……?」

 

「旅立つアレルへの餞別(せんべつ)じゃ。遠慮なく受け取ってくれ。それと――」

 

 王様が僕の近くの兵士に目配せする。その兵士は無言で布製のおおきな袋を差し出してきた。受け取って中を覗き込んでみる。そこにはずっと小さい皮袋がひとつと――、

 

「……玉? それと、巻物?」

 

「それはここから北東にある『いざないの洞窟』の封印を解くための玉――『まほうのたま』じゃ。そこからロマリア大陸に行ける。巻物のほうは、ロマリア王にあてたワシからの書状じゃ。ロマリア王に見せれば、きっと力になってくれるじゃろう」

 

 ――ロマリア大陸。僕にとっては一度も行ったことのない、未知の大陸だ。強いモンスターがうじゃうじゃしてるって聞いたことはあるけど……。

 

「こっちの皮袋は……お金?」

 

「先立つものは、必要じゃろう?」

 

 小さい皮袋は、しかし、見た目に反してずしりと重かった。こりゃ百ゴールドは入ってるな……。僕にとってはとんでもない大金だ。……と、あれ?

 

「あの、王様。クリスになにか装備は?」

 

「アタシはこの格好でいいんだよ」

 

 横から口を挟んでくるクリス。彼女の服装を見ると、王宮兵士の装備として『けいこぎ』を着ているだけ。それ以外特別なものはなにも身につけていないし、武器も持っていない。

 

「アタシは武闘家だからね。この身体そのものが武器なんだよ。適当な武器を使うと、かえって間合いを計り損ねたりするし、下手な防具を装備しようものなら、動きが鈍って本来の素早さが出せなくなるのさ」

 

「……なるほど」

 

 僕はレーベの村あたりで、ひと通り装備を整えようと思っていたわけだけど、なるほど、武闘家の場合は僕と同じ要領で装備を選ぶと、本領を発揮できなくなるわけか……。

 

「ではアレル、そしてクリスよ。頑張ってくるのじゃぞ!」

 

「はい! 王様!」

 

「お任せください!」

 

 こうして、僕とクリスは王城をあとにしたのだった――。

 

 

○リザサイド

 

 わたしは王城に続く通りを全速力で走っていた。もちろん、少し息を切らせながらも、だ。基本、わたしは運動があまり得意ではないから。

 

 朝起きて、一階に降りていったら、そこにはちょうどアレルのおじいちゃん――ゼイアスさんがわたしの家にやってきていた。もしやと思い、彼の首許を掴んでぶんぶんと振って問い詰めると、アレルはわたしには内緒でこのアリアハンを発とうとしているという答えが返ってきた。

 

 それだけでもショックだったのに、そこにアレルのお母さん――マリアさんもやって来て、アレルは既に王城に行ってしまったと聞かされた。こうなっては家でおとなしくなんてしていられない。

 

 わたしはマリアさんとゼイアスさん、そしてわたしの母であるルイーダの制止を無視し、ダッシュで自分の家を飛び出したのだった。もちろん向かうは王城。愛しのアレルと合流するために――。

 

 

○???サイド

 

 ――ここがアリアハン、か。思っていたよりも大きな町なんだな。ゲームをやっていた限りでは、もっと小さいイメージがあったんだけどな……。

 

 さて、とりあえずは『ルイーダの店』に行ってみるか。

 ゲームでは、あそこが『勇者』が仲間を集める場所だったからな。

 まあ、行ってみて損はないだろう。……多分。



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第三話 絆のかたち(前編)

○アレルサイド

 

「記憶喪失!?」

 

 僕は隣を歩く黒髪の武闘家――クリスにオウム返しに尋ねた。

 彼女はこともなげにうなずいてみせる。

 

「そう、記憶喪失。アタシはね、十年くらい前にこのアリアハンにやってきたんだけどさ、そこで城の兵士に『どうしたんだ』って尋ねかけられたのが、記憶にあるアタシの『最初』。……着の身着のままでどこかから飛び出してきたのか、ボロボロの格好をしてたらしいよ」

 

 記憶をまさぐるように、クリスはそう僕に語ってくれた。それも、にこやかな表情で。でも、記憶がないという事実はこの十年間、きっと彼女の精神を蝕んでいたはずだ。だってそれは、誰もが当たり前に持っている多くのものが、彼女にはないということを示すのだから。

 

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、クリスは続ける。

 

「王様がアレルと旅に出ろってアタシに命じたのは、アタシのことを案じてくれていたから、というのもあるんだろうね。きっと」

 

「……? どういう――って、ああ、そうか。父さんが消息を絶った場所――つまり、魔王バラモスが居城を構えているのはネクロゴンド大陸。でもいきなりそこに行けるわけじゃないから――」

 

「そう。当然各地を旅することになる。あるいはその途中で、アタシが生まれ育った場所が見つかるかもしれないし、環境の変化が記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないって考えてくれたんだろうさ。――ま、ムダなことなんだけどね……」

 

「え?」

 

 嘆息混じりにつぶやかれたその言葉に、僕は首をかしげた。ムダって、決めつけることないと思うんだけど……。

 

「あ、いやいや。なんでもないよ、アタシの独り言。――ところでさ」

 

 首をぐるりと回して、クリスはちょっと居心地悪そうな表情をした。二つくくりにしている彼女の髪がもう少しで顔に当たりそうになる。

 

「アタシたち、なんでこんなところ通ってるんだい? アレル?」

 

「え~と、それは……」

 

 僕たちがいま歩いているのはアリアハンの貧民街(ひんみんがい)だった。あちこちに生ごみが散乱していて、正直、ものすごく匂う。クリスが『こんなところ』と言うのも当然だった。

 

「表通りは……通りたくなくてね……」

 

 もの欲しそうな目を向けてくる、ここに住んでいるのであろう男性からすぐさま目を逸らし、僕はクリスに答える。

 

「下手に表通りを通ったら、リザと鉢合わせしてもおかしくないし……」

 

「リザ? ああ、あのアリアハン王立アカデミーの天才?」

 

「そう言うとものすごく優秀な人間に聞こえるね、リザって。僕からしてみれば、ただただ暴走しているだけの幼なじみって感じなんだけど……」

 

 言って苦笑する僕。でも、そうだな。その幼なじみが大切だから、僕は――

 

「そういえば城でも言ってたね、連れて行かないとかなんとか。でもさ、だったら酒場に向かわないで別のところから町を出ればいいんじゃないかい?」

 

「う~ん、そうしたいのは山々なんだけど、王様との謁見が終わったらちゃんと顔を出すようにって言われてるんだよ……。でもって、母さんがルイーダさんの酒場にいるんなら、もうリザは僕が旅に出るって知ってるだろうし。さらに彼女、行動的だからさ、僕がまだ城にいると思っていまごろ城に向かっていてもおかしくないんだ」

 

 王城に向かって全速力で走っているリザの姿を想像し、僕は軽くめまいを感じて額を押さえた。同時にちょっと胸が痛みもしたけど、まあ、それはそれ。

 

「そりゃ、母さんの言いつけを破るっていうのもひとつの手段ではあるよ。でもさ、僕の母さんって、元・武闘家でけっこう強いんだよね。バラモスを倒して、父さんを連れて帰ってきたとき、出会い頭に殴られたり蹴られたりっていうのは、正直、ご免こうむりたい……」

 

 なんというか、色々と台無しになってしまうだろう。感動とか、感動とか、感動とか。

 

「なるほど、ね」

 

 僕の言葉に秘められた決意に気づいてか、クリスはニッと笑って返してきた。――決意。それは必ず生きて帰ってくるという、もはや僕の中では当たり前のものとなっている心構え。

 

「じゃあ手早く挨拶を済ませて、その幼なじみに見つからないうちに出発しようか」

 

「うん、そうだね。リザのことだから、城に行っても僕がいなかったら町中を捜そうとするだろうし。――っと!?」

 

 嘆息気味にクリスに返した瞬間、正面から来た人とぶつかってしまった。普段ならこんなドジはしないんだけど、相手に『殺気』とかがなかったからなぁ。というか、人間なら誰でも持っている『気』そのものがあまりにも希薄だったような……。

 

「おっと、ごめんだべ」

 

 僕の思考はその声に中断させられてしまった。改めてぶつかった相手を見てみると、黒髪の男性で、年の頃は僕よりもちょっと年下であろう十四、五歳といったところ。

 

「本当にすまんべ~」

 

 言ってその少年は駆けていってしまう。『人にぶつかっておいてその態度はどうだろう』なんて思っていると、クリスが地を蹴って一瞬で少年に近づき、その襟首をむんずと捕まえた。……それにしても速かったな、いまのクリスの動き。僕もスピードにはそれなりに自信あるのに、ちょっと彼女にはかなう気がしない。

 

 いやいや、そんなことよりも。

 

「いきなりなにやってるんだよ、クリス」

 

 ちょっと非難するように僕が言うと、どういうわけか彼女は呆れたような表情をこちらに向けてきた。

 

「なにって……。気づかなかったのかい? アレル?」

 

「気づかなかったって……?」

 

「……やれやれ、なんか先が思いやられるねぇ。コイツの『気』、妙に『薄い』と思わなかったかい?」

 

 そういえば思ったな。ずいぶんと『気』が希薄だって……。

 

「ほら、少なくともアタシには完全にバレてるんだ。いまアレルからスッた財布、おとなしく返しな。そうすりゃ一発殴るだけで勘弁してやる」

 

 空いているほうの手をグッと握り込むクリス。捕まっている少年はそれを見てハッキリと顔を青ざめさせた。

 

「……か、返さなかったらどうなるべ……?」

 

「決まってんだろ。返す気になるまで殴る」

 

 ……悪いのは少年であることは間違いないわけだから、止めに入ることもちょっと出来ないし。ええと……、とりあえず、少年に合掌(がっしょう)

 

 

○リザサイド

 

「アレルなら、つい先ほどクリスと共に城を出て行ったはずじゃが、会わなかったのか? リザ」

 

 城について階段を駆け上がり、肩で息をしながら『王様に『アレルは来たか』と尋ねたところ、返ってきた答えが、それだった。

 

「えっと、まあ……」

 

 アレルがわたしを置いて旅に出ようとしていることは、ゼイアスさんやマリアさんから聞いて知っていたから、いまこの場で茫然自失とはならなかった。けれど、王様からクリスを同行させた経緯を聞くにつれ、『どうして』という思いがどんどん湧きあがってくる。

 

 アレルはどうしてわたしを置いていったのか、どうしてクリスという武闘家は連れていったのか、そして、どうして王様はぶん殴ってでもアレルを引き止めておいてくれなかったのか。正直、王様の胸ぐらを引っ掴んででも問い質したかった。

 

 王様が言うにはクリスという女性、年齢は十八で、かなり優秀な武闘家らしい。実は記憶喪失だそうで、各地を旅することで記憶が戻るかもしれない、という読みもあるのだという。

 しかし、そんなことはどうでもいい。どうして王様はアレルの旅の供にそんな若い――わたしやアレルと二歳しか違わない、年頃の女性を選んだのだろうか。これならいっそ、アレルがひとりで旅立ってくれていたほうがずっと安心だったのに。

 

 大体、アレルだって十六歳の少年だ。かたときも離れることのない唯一の仲間に心を許しすぎて、特別な感情を抱いたりなんかしちゃったら、どう責任をとってくれるのだろう。

 

「……い、リザ? おーい、リザ? 大丈夫か?」

 

 王様の声でハッと気づく。わたしはすっかり考え込んでしまっていたらしい。きっと王様からは茫然としているように見えたことだろう。

 

「――あ、はい。それでは、わたしはこれで」

 

「う、うむ……」

 

 王様に頭を下げると、わたしはとぼとぼと城の一階に歩を進めた。それから再び考えごとをしながら歩く。

 

 大体、そのクリスという武闘家にアレルを支えることなんて出来るのだろうか。――無理だろう。アレルは確かに優しくて、来る者拒まず、といったところがあるけれど、それはアレルの一面でしかない。彼は想像以上の『がんこもの』でもあったはずだ。意見が衝突すれば自分のそれをなかなか撤回したりしない。

 まあ、自分が間違っていると感じたら、すぐに謝る性格でもあるのだけれど。

 

 ……うん、そうだ。わたし以外にアレルを支えるなんて、出来るはずがない。クリスと違って、わたしはアレルとのつき合いが長いんだから。大体、武闘家に出来ることなんて、たかが知れてる。魔法だってなにひとつ使えないはずだし。

 それに比べて、わたしはどう? 近接戦闘は確かに苦手だけれど、本来、それはアレルの役目。わたしはケガをしたアレルを魔法で癒せる。修行を積めばサポートも出来るようになる……はず。それに、僧侶ではあるけれど、攻撃魔法だって使える。

 

 これでもわたしよりクリスっていう武闘家のほうがアレルの役に立てるって言える? ううん。そんなわけないじゃない。アレルと二人で旅をするのなら、わたし以外にふさわしい人間なんているわけない!

 

「よし! そうと決まったら早速アレルを追いかけよう! 大丈夫! モンスターなんてわたしの攻撃呪文で――」

 

「なあ、お譲ちゃん」

 

 ふと、横手から声をかけられた。怪訝な表情でそちらを見やると、そこには牢屋に入れられた四十代前半ぐらいに見える男性の姿。……あれ? 牢屋? なんでわたし、こんなところに……?

 

「おいおい、お嬢ちゃん。首を傾げたいのはこっちだぜ」

 

「ああ、そうか。考えごとしながら歩いてたから……」

 

「……考えごとしながら歩いて牢屋にまで来ちまうヤツを、俺は初めて見たよ」

 

「ほっといてよ。まったく、まるで人をオルテガさんみたいに……。で、何の用なの? 用もなしに話しかけたわけじゃないんでしょ?」

 

「ああ、そうだった。お嬢ちゃん、アレルを追いかけるとかって言ってたよな? そのアレルってのは今日、王様から旅立ちの許可をもらったっていうオルテガの息子のことかい?」

 

「……そうだけど、だったらどうだっていうの?」

 

 男を威圧するように、わたしは言う。相手が牢屋に入っていても、怖いという感情は抑えることができなかったから。男はわたしの態度を気にした風もなく続けてくる。

 

「町から出た奴を追おうってことは、お嬢ちゃん、それなりに強いってことだよな」

 

「――まあね」

 

 胸を張って返すわたし。自分で自分のことを強いだなんて、本当は一度も思ったことなかったりするのだけれど。

 

「そんなお嬢ちゃんに頼みがあるんだ。俺にはモハレっていう十五歳の息子がいるんだが、俺はドジやってここにぶち込まれちまった。このままじゃモハレは飢え死にしちまう。俺は死ぬことだけはねえのに、だぜ?」

 

「……まあ、そうでしょうね」

 

「そこで、だ。お嬢ちゃん、オルテガの息子を追いかけるっていう旅に、モハレを連れて行ってやってくれないか? 本当はオルテガの息子に頼もうと思ってたんだけどな、お嬢ちゃんがオルテガの息子を追おうってんなら安心して預けられる」

 

 なんだか勝手な話になってきたなぁ……。わたしはひとつ嘆息して男を思いとどまらせようと言葉を紡ぐ。

 

「あのねぇ。預けられるわたしの身にもなってよ。旅費も倍以上になるでしょうし、それに第一、危険な旅なのよ? 町から出ればモンスターと戦うことにもなるんだから」

 

 しかし男はこちらの思惑に反してニヤリと笑ってみせた。

 

「危険な旅だっていうのなら、なおさら、さ。大体、この町を出てオルテガの息子に追いつくなんざ、お嬢ちゃんひとりで出来ると本気で思ってるのかい?」

 

「――それは……」

 

 思わず言葉に詰まる。さっきは『大丈夫』と自分に言い聞かせてたけど、不安がないわけがなかった。正直、とても自分ひとりで出来るとは思えない。それでも、言い負かされるわけにはいかなかった。誰かを巻き込むなんて、したくなかったから。

 

「でも、危険な旅っていっても、普通の人のそれとわたしのこれとはその度合いがまったく違うのよ。無事にアレルに追いつけたら、今度はその足で魔王を倒しに行くんだから」

 

 しかし、男はわたしの言っていることを嘘だとでも思っているのか、

 

「魔王を倒す、か。そりゃすごいな」

 

 そう言って笑ってみせた。それから真剣な表情に戻って、切々と訴えかけてくる。

 

「――旅の途中でどんな悲惨な死に方をしたって、俺やモハレにしてみりゃ飢え死にのほうがよっぽど屈辱的さ。旅に誘ったお嬢ちゃんのことをアイツが恨むわけがねえ。それに、アイツにはまだ未熟ながらも盗賊の技能がある。旅に連れて行けばきっと役に立つぜ?」

 

 ここに来て、わたしは迷い始めていた。自分ひとりで旅をするなんて、冷静になって考えれば無理なことだって、すぐにわかったから。いや、それは旅立ちを決めたその瞬間から、心のどこかでわかっていたから。アレルになら、あるいは出来るのかもしれないけれど――。

 

「それで、そのモハレって子はどこにいるの?」

 

「おっ。連れて行ってくれる気になったか。――アイツは貧民街にいるだろうよ。そこでスリの技術を生かして、とりあえず食いつないではいるはずだ。……多分な」

 

 スリ……。それはれっきとした犯罪だ。でも、そういうことをしなきゃ生きてもいけない人たちが、世の中にはいる。……嫌な事実だった。

 

「盗賊バコタから頼まれたって言えばアイツにもわかるはずだ。少しドンくさいところのあるヤツだが、よろしく頼むぜ。お嬢ちゃん」

 

 言って男――バコタは、モハレの特徴をわたしに詳しく話しはじめたのだった。



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第四話 絆のかたち(後編)

○リザサイド

 

 アリアハンの貧民街(ひんみんがい)

 ここはその名のとおり、アリアハンに住む人たちの中で特に貧しい人たちが住んでいるところだ。

 だからなのだろう。貧民街に入ったとほぼ同時に、もの欲しそうな視線がわたしに集中した。

 

 ここには昔、アレルと一度だけ一緒に来たことがある。そして、そのときにわたしは理解した。ここに住んでいる人間になにかを恵むようなことは、基本、しちゃいけない、と。

 別に法律で禁じられているわけじゃない。蔑んでいるつもりもない。ただ、恵まれた人間が不幸な目に遭うからだ。

 恵んでもらった人間は、大抵、恵んでもらえなかったここの人間から妬まれ、下手をすると恵んでもらったものを手放すまでリンチを受ける。たとえ恵んでもらったそれが一ゴールドでも、パンの一欠片であっても。

 だから、誰も貧民街の住人にはなにかを恵むことは出来ないし、しない。とにかく、しちゃいけない。

 

 だから、わたしが『その少年』を見つけたとき、一瞬ながら判断に困ってしまったのは、仕方のないことといえるだろう。

 

「う、うう……」

 

 彼はボロボロだった。年の頃は十四、五歳。髪は黒。――もしかして……。

 

「――あなた、もしかしてモハレ?」

 

 わたしはまず、ボロボロになっている彼を気遣わず、ただそう呼びかけることを選んだ。もちろん彼の状態は気になったけれど、この貧民街で他人を気遣うなんてことは、するべきじゃない。

 

「……う?」

 

 果たして、わたしの言葉にわずかに反応する彼。しかし、その返事は肯定なのかどうなのか、はっきりしない。わたしはひとつ嘆息して、

 

「盗賊バコタに頼まれたんだけど、わかる?」

 

「……う、父ちゃ……? けほっ……」

 

 とりあえず、彼がモハレであることは間違いないようだった。しかし見たところ、あちこち打撲を負っているようで、会話が成り立つ感じじゃない。回復呪文『ホイミ』で治してあげて、ちゃんと話をしたいところだけれど、言うまでもなく、ここでそんなことするわけにはいかないし……。

 

 ……ふむ。じゃあ、こうしようかな。

 

「ほら、立ちなさい! もう逃げることなんて出来ないわよ! あなたはこのまま牢屋行きなんだからね!」

 

 意識的に大きな声で、モハレにそう言うわたし。こちらを見ていた人たちは途端にあさってのほうに目を逸らし、当のモハレは目を白黒させる。しかし当然のことながら、引っ張るわたしに抵抗する力は残ってないのだろう。抗議の声すらあげずにモハレはわたしに引っ張られる。

 

 そうして、貧民街から出てしばらくしてから、

 

「ホイミ!」

 

 わたしは回復呪文でモハレの打撲を治してあげた。

 

「……ど、どういうことだべ……?」

 

 状況が呑み込めていないのだろう。不思議そうに訊いてくるモハレ。

 

「ろ、牢屋行きってのは……?」

 

「あ、それウソ。ああでも言わなきゃ、貧民街の人たちから反感買いそうだったからね。――それで、あなたがモハレで間違いないのよね? 盗賊バコタの息子の」

 

「そ、そうだべ。だども、どうして父ちゃんのことを知っとるべか? 父ちゃんはいま、城の牢屋に――」

 

「その牢屋に行って、バコタに会ったのよ。で、わたしが今日旅に出たアレル――オルテガさんの息子を追う旅に出るつもりだって言ったら、あなたのことも一緒に連れて行って欲しいって頼まれたの。このままじゃ飢え死にするだけだからってね」

 

「そうだったんだべか……。オイラが旅に……」

 

 そうつぶやいて、彼は少しうつむいた。もしかしなくても、怖じ気づいたのだろうか。まあ、それが自然な反応なのだけれど……。

 しかし、その心配は必要なかった。

 

「――すごいべ! やっとアリアハンから出られるべ!」

 

「……えと、怖くないの……?」

 

「そりゃ怖いに決まってるべ!」

 

 ……全然説得力がなかった。

 

「でもそれ以上にワクワクするだよ! 手に入れろ! 金銀財宝! スリもモンスター相手にやれば罪にならないべ! 罪悪感もゼロだべよ!」

 

 ……なるほど。バコタは彼にそういう風に教えてたんだ。まあ、そのとおりではあるんだけど……。

 

「ねえ、モハレ。じゃあ、いままで人間相手に盗みを働いてたときは、罪悪感あったんだ?」

 

 ふと気になってそう問うと、彼はなぜか親指をグッと立ててみせ、

 

「全然なかったべよ!」

 

 満面の笑顔。……ダメだ。彼、根っからの盗賊だ……。

 

「あの大盗賊カンダタを超えるには、その程度のことで罪悪感を覚えてちゃダメだべ!」

 

「それもバコタが……?」

 

「んだ! 父ちゃん、しょっちゅうそう言ってただ!」

 

 子供になに教えてるのよ、バコタ……。

 

「ところで姉ちゃん、あんたの名前はなんていうだ? 名前教えてもらえねえと呼びづれえだよ」

 

「あ、そういえばまだ自己紹介してなかったわね。わたしの名前はリザよ」

 

「リザだべか。歳はいくつなんだべ?」

 

「――女性に年齢を訊くのは失礼なことだって、お父さんから教わらなかった?」

 

 わたしが発してみせた圧力に、モハレは少したじろいだ。

 

「お、教わらなかっただよ。それに、オイラより年上か年下かわからねえと、接するスタンスが決めにくいべ」

 

 まあ、それは確かにそうだ。でも、わたしからっていうのが納得いかない。

 わたしが明らかに不満そうな表情をしたからだろう。モハレは「仕方ないだ」と嘆息混じりにつぶやいて、

 

「オイラは十五歳だべ。名前はモハレ」

 

 いや、名前はわかってるから。――でも、

 

「じゃあわたしのほうがお姉さんね。わたしは十六歳だもの」

 

「な~んだ。オイラより年上だったんだべか……」

 

 なぜか残念そうにつぶやくモハレ。

 

「なんでそんなに残念そうなのよ……」

 

「オイラ、一度でいいから、年下のヤツ相手に威張ってみたかっただよ……」

 

 その発言に、わたしは思わず額に手を当てて空を仰いでしまうのだった。

 

 

○アレルサイド

 

 アリアハンの割と外れに建っている大きな店。そこがルイーダさんの経営しているルイーダの店だ。

 ちなみに、一階が酒場で、二階はルイーダさんとリザの居住スペースとなっている。

 

 もしリザがまだここにいたら、と思って、僕は酒場の中を見回して彼女がいないことを確かめてから中に入った。その後ろを苦笑しながらクリスがついてくる。

 

「こんにちはー」

 

 まだリザが二階にいる可能性があるため、二階には届かないよう、少し声を抑えてそう口にしてみた。

 

「お帰り、アレル。なにをこそこそしてるのよ」

 

 返してきたのはルイーダさんではなく、テーブルのひとつについていた母さんだった。どこかいたずらっぽく笑いながら続けてくる。

 

「リザちゃんだったら、ここにはいないから安心しなさい。旅に出る前にアレルは一度ここに戻ってくるからって言う暇もなく飛び出して行っちゃったからね、あの子」

 

 それを聞いて僕は少し安心した。あとはリザが戻ってくる前に旅立つだけだ。

 僕は次に母さんの向かいに座っている祖父――かつては『始まりの勇者』と呼ばれたゼイアスおじいちゃんのほうに視線を向けた。するとおじいちゃんもまた、昨日の稽古のときとまったく違う優しい眼差しを僕に向けてくれた。

 

「アレル、頑張ってくるんじゃぞ」

 

 一瞬、息が詰まる。あまりにも短くて簡潔な、その一言。でもそれにどれだけの想いが詰まっているか、理解できたから。

 

「――うん」

 

 だから、僕はそれだけを口にした。それ以上の言葉は、必要ないと思った。

 

 僕は最後にカウンターに居るルイーダさんのほうを向いて、リザに伝言を頼もうと――した、その瞬間、

 

「あら、誰かと思えばクリスじゃない。久しぶりね~。元気だった?」

 

 母さんのセリフに驚いて、そっちに目をやる。本当に懐かしそうな表情をしている母さんと、戸惑っている様子のクリスの姿が視界に映った。

 

「え、えと……?」 

 

 クリスはそのまま、しばし戸惑っていたが、ふと、なにかを思いだしたのか、

 

「あっ! マリアさんですか!?」

 

「なに、忘れてたの~? 仮にも師匠とでも言うべき人を」

 

 ……師匠? ああ、そうか。クリスは武闘家で、母さんも元とはいえ武闘家。つまり――

 

「母さん、クリスに格闘術教えたことあるの?」

 

 僕の問いに『知らなかったの?』とでも言いたげな表情でうなずいてみせる母さん。

 

「まあね。もっとも、基本的なことを教えただけなんだけど。――あれは確か、『あの人』の訃報(ふほう)が届くちょっと前だったから、七年くらい前かしらね」

 

「もう、そんなになるんですね……」

 

 母さんとクリスはなんだかそのまま思い出話を始めてしまった。早く旅立たなきゃいけないというのに……。

 

「アレル、言い忘れておったのじゃが――」

 

 ひとつ嘆息した僕に、おじいちゃんがそう声をかけてきた。……なんか、さっきのおじいちゃんとの感動的なやり取りが台無しになってしまった感じがする。

 

「お前にはまだ、ひとつだけ教えてやれていないことがあった。『魔法剣』というのじゃが――」

 

「魔法剣? 振っただけで攻撃呪文と同じ現象を起こせるっていう剣のこと?」

 

 世間一般で言うところの『魔法剣』というのはそれのことを指す。しかしおじいちゃんは首を横に振ってみせた。

 

「そうではない。魔法剣は攻撃呪文の力を剣に込める、勇者の血を引く者にしか使えん特殊な『剣技』じゃ」

 

「そんなものがあったんだ……」

 

「火の玉を生み出す呪文――メラの力を剣に込めれば、剣で斬りつけたときの威力は通常のそれを遥かに上回る。もっとも、メラはしょせん初級の呪文じゃ。その力を込めた魔法剣の扱いは、さして難しくない。むろん、ワシとて使える」

 

 おじいちゃんが『魔法剣』を使ったところを、僕は一度も見たことがないのだけれど、おそらくそれは本当なのだろう。『始まりの勇者』とまで呼ばれた彼がこんな嘘をつくとは――いや、よく考えてみたら、これまでもシリアスな感じで話をされて、最後に『嘘じゃよ~ん』なんて言われたこと、何度もあったな……。

 まあ、旅立ちの日に嘘をつくことはさすがにないだろう。……ないと信じたい。

 

「しかし、ワシとてすべての魔法剣を使いこなせるわけではない。主に使いこなせんのはメラゾーマを始めとする上級の呪文と……ギガデインじゃ」

 

 ――ギガデイン。

 『魔法剣』同様、勇者の血を引く者のみが使えるという、雷撃の呪文。

 

「白状すれば、ライデインの力を込めた魔法剣すら、ワシには使いこなせんかった。ワシが使ったライデインの力を宿した魔法剣は、その力を暴走させたも同然のものだったんじゃ。とても、剣技などとは呼べんかった」

 

 暴走した力がモンスターを次から次へと薙ぎ払っていく――。

 そんな光景を想像し、僕は思わず背筋をブルッと震わせた。

 

「じゃが、お前なら。――昨日、ワシを超えてみせたお前になら、あの恐ろしいほどに強力なギガデインの力を込めた魔法剣ですら、制御できるようになるじゃろう。間違いなく、な。まあ、むろん修行をつめばの話じゃが。――再びこのアリアハンに帰ってきたときには、この老いぼれにそれを見せてくれ」

 

「――うん。絶対に」

 

 ……まったく、これでまた生きて帰ってこなきゃいけない理由ができちゃったな。

 そんなことを思いつつ、僕はおじいちゃんにそう返した。

 

 それからおじいちゃんに口頭で、あくまで手短に『魔法剣』の使い方を教わり、最後にルイーダさんのほうを向く。

 しかし、僕が口を開くよりも早く、どこか懇願するような瞳と口調で彼女は僕に告げてきた。

 

「アレル、リザのことなんだけど、やっぱり一緒に連れていってあげられない?」

 

「それは――」

 

 思わず言葉に詰まる。僕だって、本心ではリザについてきて欲しいと思っていたから。でも――

 

「――できないよ。危険な旅なんだ。それにリザを巻き込むことは、できない」

 

「……そっか。でも、これだけ聞いてくれない? リザはね。あたしの本当の子供じゃないんだ。いまから十五年前、だったかな。オルテガと旅をしたことがあるっていうリザの両親がアリアハンに来たことがあってね、それで自分たちの代わりにリザを育ててやってくれないかって頼まれたのよ」

 

「……リザは、そのことを――」

 

「知ってる。ほら、あの子頭も勘もいいし、あたしとリザって全然似てないしね。あたしは呪文をまったく使えないのにあの子は使えるってこともあって、小さい頃から薄々ながらも『もしかして』って思ってたんだって」

 

 どこか自嘲するように笑ってみせるルイーダさん。

 

「それで、実の両親のことをリザに教えたのが二年前。でもあの子、両親に会いたいとか、言わなかったんだよね。そう言ったらあたしが傷つくと思ったのかもしれない。……でも、本当の両親を求めるよりも、あたしと暮らしていくことを選んでくれたのは……やっぱり、嬉しかったな」

 

 言って、彼女は本当に嬉しそうに目を細める。

 

「おっと、話が脱線したね。――あたしとしてはさ、でもやっぱり、本当の両親には逢わせてあげたいんだよ。リザのためにも。そしてあの子の両親のためにも」

 

「逢わせてあげたいっていっても、いまどこにいるのかも、そもそも、そのリザの本当の両親の名前もわからないんじゃ……」

 

「確かにどこにいるのかはわからないけどね。でも、あの二人、ちゃんと名乗っていったんだよ」

 

 名乗っていった? 一体なんのために? まあ、それは置いておくとして。

 

「その二人の名前は?」

 

「父親のほうが僧侶のボルグ。母親のほうが魔法使いのローザ。――ああ、リザが僧侶でありながら攻撃呪文も使えるのは、母親が魔法使いだから、なんだろうね。おそらく」

 

 ああ、なるほど。道理で――って、いまはそんなことはどうでもよくて。

 

「でも、どうして名乗ったんだろう。そのリザの両親。名乗る必要なんて、ないはずなのに……」

 

 だって、本当の両親がいるなんてことは、リザからしてみれば知らないほうがいいことだ。なのにわざわざ名乗るなんて、まるでリザとルイーダさんの関係にヒビが入ったほうがいいとでもいうような――、

 

「やっぱり、本当の親がいるってことを――お前はボルグとローザの娘なんだよってことをリザに知っておいてほしかったんだろうね、もう二度と逢えないと思うからこそ、余計に。知っておいてもらうことで心が救われるってことも、あたしはあると思うよ」

 

「その理屈は、わかるけど……」

 

 でも、リザを育て、一緒に暮らしていくルイーダさんの心情も、もう少し察するべきだと、僕は思う。

 

「まあ、それはそれとして。あたしとしてはあの子を本当の両親に逢わせてあげたい。でも一人で旅に出すのはさすがに心配だし、やっぱりアレルにつれていってもらいたいのよ」

 

「気持ちはわかるけど……」

 

 僕が困ったようにそうつぶやくと、ルイーダさんはひとつ息をついて、それから自分に言い聞かせるように、

 

「無理な相談だったかな。それによく考えてみれば、アレルだって魔王バラモスを倒す旅に出ようとしてるんだもんね。ごめんね、その辺、もう少し察してあげないといけないわよね」

 

 言って、ルイーダさんはどこか、申し訳なさそうな表情を見せる。

 僕はそれにしばし黙り込んだあと、ひとつの提案をした。

 

「……もしも旅の途中でリザの両親と会ったら、必ずアリアハンに連れてくるよ。――それでもいい?」

 

 僕の言葉に、ルイーダさんは嬉しそうな、でもどこか悲しげな笑みを浮かべてみせる。

 

「もちろんよ。ありがとうね、アレル」

 

 それは、両親が見つからない限り、リザが自分のもとからいなくならないという安心感からくる笑みなのか、それともリザの両親が見つかる可能性が生まれたことに対する笑みなのか。もちろん、僕なんかにはわかるはずもなかった。

 ただ、これ以上リザの両親の話をしても、ルイーダさんは苦しいだけなんじゃないかと、そう思えて。

 

 だから、僕はこの話を切り上げて、母さんとルイーダさんに別れの言葉を告げることを選んだ。実際、そろそろ出発しないとリザがここに戻って来かねないし。

 

「じゃあ、母さん、ルイーダさん。――行ってきます」

 

 別れの言葉。でもそれは、必ず戻ってくる、という意味の言葉でもあって。

 

『行ってらっしゃい』

 

 声を揃えて、にこやかにそう返してくれる母さんとルイーダさん。いまの僕の言葉は間違いなく、父さんの旅立ちを連想させるものだっただろうに、それを笑顔で送り出せるなんて、やっぱり、二人は強いなぁ……。

 

「ほら、じゃあ行くよ。クリ――」

 

 クリス、と言いかけたその瞬間。

 

「ルイーダの店はここかな」

 

 そうつぶやきながらルイーダの酒場にひとりの男性が入ってきた。年の頃は二十前後の黒髪の青年。このあたりではちょっと見かけない、変な格好をしていた。

 彼は僕のほうを向くと、

 

「あっ! 勇者アレル!?」

 

「そ、そうですけど、僕、あなたに会ったことありましたっけ?」

 

 僕の憶えている限り、この男性と会ったのはこれが初めてのはずだった。それほど特徴のある顔立ちではないけれど、変な服装をしているし、会ったことがあるのなら確実に憶えていると思う。

 案の定、青年は僕の言葉に首を横に振った。

 

「いや、僕が一方的に知ってるだけだよ。でもすぐに会えてよかった~。――これから旅に出るところ? だったら僕も同行したいんだけど」

 

「ど、同行って――」

 

「ちょっとロマリア大陸まで行きたくてね。まあ、別にロマリアに用があるわけじゃないんだけど。でもあの大陸に行くには『まほうのたま』が必要でしょ? だからついて行きたいな、と」

 

 そんなこと言われても、正直、困る。

 

「危険な旅だっていうのは充分承知してるし、僕の職業は――え~と、この世界では魔法使いってところかな。ほら、正直言って、呪文が使える仲間がいないと大変でしょ? それに僕は、どんなモンスターがどこに生息してるのかも知ってるし、どこにどんな町があるのかも知ってる。連れて行ってくれれば、それなりに頼りになると思うよ」

 

 『それなりに』って、なんでそんな微妙に自信のない自己アピールを……。それに『この世界では』って一体……?

 

「あの、とりあえず名前を……」

 

 そこで青年はいま気がついたのか「あ、ごめん」と言い、ようやく自分の名を名乗ったのだった。

 

「ごめん、自己紹介がまだだったね。僕の名前はルーラーっていうんだ」

 

 ――と。



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第五話 それぞれの想い

○バラモス城

 

 ネクロゴンド大陸の際奥にある、断崖絶壁に囲まれた巨城――バラモス城。その玉座の間に巨大な体躯(たいく)と漆黒の翼を持ち、片手にハルベルトを携えたモンスターが入ってきた。

 彼の名はミノタウロス。この城の主たるバラモスの参謀にして、強大な力を持つ将軍でもある。

 

 玉座の間にはすでに、八つの首を持つ竜――『やまたのおろち』と、この城の主――バラモスの姿があった。――いや、それともう一人。

 

「やあ、ミノタウロスさん。なにやら慌てていらっしゃるようですが、どうかなさいましたかぁ? オルテガの息子がアリアハンから旅立ったようですが、それがそんなに問題ですかねぇ?」

 

 年のころは十四、五歳といったところだろうか。首もとのあたりで切り揃えられている金色の髪。なにもかもを――そう、光さえも吸い込んでしまいそうな青い瞳。そして、男性にも女性にも見える、中性的な顔立ち。

 もっとも、ミノタウロスを初めとするモンスターたちにとっては、目の前の人間の性別など、本当に瑣末なことでしかない。重要なのは、この人間がバラモスと同格の――人間でありながら自分たちの主であるバラモスと同格の存在であるという事実、それだけだった。

 

「なぜ、そのことを知っておられるのです? 魔人王殿」

 

 ミノタウロスはつい先ほど、部下のホロゴーストからその報告を聞いたばかりだった。それを伝えるためにここへ来たのである。しかし、目の前の人間はすでにそれを知っていた。

 ミノタウロスはそのことに軽く恐怖を覚える。一体、この人間はなんなのか、と。

 見れば、同格であるはずの魔王バラモスは、驚きのあまりにか玉座から腰を浮かしていた。

 

 魔人王は、なにを驚くことがあるのか、という風に答える。

 

「もちろん、()たからですよぉ。いやぁ、なかなかに強そうでしたねぇ、勇者アレル」

 

 以前にもこういうことを言われたと、ミノタウロスは思い出した。魔人王は遠く離れた場所を『視る』ことができるという。その能力の名は確か――そう、『霊視(れいし)』。

 

 魔人王は次に、腰を浮かせたままのバラモスに向き、ニコリと笑いかけた。

 

「そう心配する必要はありませんよぉ、バラモスさん。強いといってもしょせんは、普通の人間よりも、といったくらいのもの。いまのままならミノタウロスさんにすら敵わないでしょう」

 

「……本当か? メフィスト」

 

 不安は拭えないのだろう。とりあえず玉座に腰を落ち着けはしたが、バラモスは魔人王――メフィスト・フェレスに疑念たっぷりに問いかけた。

 

「おや、言葉だけでは信じられませんかぁ? なら――」

 

 瞬間、メフィストの顔がニタァと邪悪に歪む。

 

「ボクの配下を使って、試してみましょうかぁ」

 

 その表情を目の当たりにして異論を挟める者など、そこには誰一人いなかった――。

 

 

○クリスサイド

 

 アレルと謎の魔法使いルーラーと共にアリアハンを旅立って二日目の昼。その日もまた、アタシたちは襲いくるモンスターたちを相手に戦っていた。

 

 しかし、アレルはいいとしてルーラーの奴、まったく役に立ちゃあしない。なんと、魔法使いのくせに魔法をちっとも使おうとしないのだ。「呪文は全部修得しているけど、最大魔法力は少ないみたいで……」とかなんとか奴は言っていたけど、それじゃ覚えてないのとまるで変わらないじゃないか。旅に出た日からずっと戦おうともしないし。このぶんだといざというときにちゃんと呪文を使ってくれるのかさえ、怪しいもんだ。

 そんなわけで、アタシはもうアイツのことは戦力外とみなしている。モンスターと戦えるのは実質、アタシとアレルだけだ。

 

 胸のムカムカをなんとか鎮め、アタシは目の前のモンスターに向き直る。敵はウサギに角が生えたようなモンスター――『アルミラージ』が三匹。これなら打撃だけで攻めていっても平気だろう。皮膚が硬そうでもなければ、タフそうにも見えないし――

 

「気をつけて! そいつは確か相手を眠らせる呪文、『ラリホー』を使ってくるよ!」

 

 ルーラーの言葉を耳にして、すぐさま気を引き締める。アイツは役立たずではあるが、モンスターのことにやたらと詳しい。昨日も『じんめんちょう』は幻を見せる呪文、『マヌーサ』を使ってくる、とアタシたちに注意を呼びかけ、マヌーサをくらってしまったあとはアレルに呪文での攻撃を指示したくらいだ。呪文を使わずに戦っていたら、負けていたとまではいかないだろうが、けっこうな怪我を負わされていたことだろう。

 そういうわけで、アタシは奴の持つ知識『だけ』は認めてやっているのだ。……シャクではあるけど。

 

 ルーラーの言ったとおり、アルミラージがラリホーを唱えてきた! ――ルーラーに向けて。

 

「ぐぅ……」

 

 思わず額に手を当てて空を仰いでしまいそうになる。アイツ、やっぱり知識以外はからっきしだ。

 

「むにゃ……、もう食べられないよぉ……」

 

 さらに寝言まで漏らしている。それもメチャクチャ定番なものを。次にルーラーは口元に笑みを浮かべ、

 

「クリスは弱いなぁ、スライムなんかにやられるなん――」

 

「やられるかあぁぁぁっ!!」

 

 思いっきり殴り飛ばす。まったく、なんて夢を見てやがるんだ。コイツは。

 

 軽く二メートルは吹っ飛んでから、うなりながらルーラーが身を起こす。

 

「眠った仲間をパーティーアタックで起こそうって発想はわかるけどさ、クリス。どうせなら『ザメハ』使ってよ。眠っちゃった仲間を起こす呪文、ザメハ」

 

「使えるか! アタシをなんだと思ってるんだ!」

 

「武闘家。呪文を使えない、武闘家」

 

 なんか、ルーラーがアタシにケンカを売ってきた。……もう一発殴るか。

 

「殴ることでしか人を起こせない、武闘家」

 

 どうも根に持っているようだった。おまけに殴るのを封じられた。心理的に、封じられた。ここで殴ったら負けだ。そんな気がする。

 

 落ち着くために深呼吸。殴らない。絶対に殴らない。……殴るのはせめて、そう、明日くらいにしよう。

 ニヤリと笑ったアタシを見て、ルーラーがぶるりと身を震わせていた。いい気味――

 

「ちょっと、いい加減加勢してよ! 二人とも!」

 

 声のしたほうを見ると、アレルがアルミラージ三匹と戦っていた。……マズい! 早く加勢しないと!

 

 そうは思ったものの、駆け寄っている余裕はない。――よし、ここはあれでいくか。

 

熱覇絶衝拳(ねっぱぜっしょうけん)!」

 

 気合いの声と共に拳を思いっきり振りぬき、その拳から強力な熱波を放つ! それは一匹のアルミラージを直撃したものの、しかし倒すまでには至らない。でも、それでもいい。アタシはモンスターたちが突然の攻撃に戸惑っているのを見てとると、一気に間合いを詰めた。

 

 ――と、そこに。

 

冥魔崩滅波(ラグナ・ストラッシュ)!」

 

 ルーラーが一匹のアルミラージに向けて黒い波動を放ち、見事に直撃させる!

 

 アタシはそれに呆然としてしまった。だって、いまルーラーが使ったのは、『アタシが住んでいた世界』の……。

 

 残り二匹となったアルミラージから少し距離をとり、アレルが呪文を唱える。そして左の掌を自分の持っている剣に向け、

 

「――メラ!」

 

 火の玉が剣に接触すると同時、アレルはアルミラージへと駆けた。間合いを一息の間に詰め、剣を振り下ろ――そうとした瞬間、小さな音を立てて剣が小爆発を起こす!

 魔法剣――その力の暴発だ。どうやら今回も上手くいかなかったらしい。

 

 アレルはすぐに気を取り直して、剣でアルミラージを(ほふ)る。最後に残ったアルミラージは、敵わぬ相手と悟ったのだろう。まさしく脱兎(だっと)の勢いで逃げていった。

 

「……ふう」

 

 追おうとはせずに、剣を鞘に収めるアレル。それからポツリと、

 

「また、暴発しちゃったなぁ……」

 

 旅に出てから毎日、機会があるたびにアレルは魔法剣を使おうとしていた。魔法剣の詳しい説明は受けなかったものの、それがどういった剣技であるのかは感覚的にわかるらしい。

 そんな無理に使おうとしなくても、とアタシは言ったのだが、アレルは首を横に振った。戦わなければ勝てないように、求めなければ得られないように、使おうとしなければいつになっても修得できないのだから、と。

 

 とはいえ、一向に使えるようにならないのは、やはり落ち込むようだ。アタシは肩を落としているアレルに苦笑を向け、次に表情を厳しくしてルーラーを見た。先ほど奴が使った呪文――いや、『術』は、『アタシの住んでいた世界』のものだったから。

 

 無言で睨んでやっていると、ルーラーはなにやら居心地悪そうにし、それを振り払うように足を進め始めた。……スルーするつもりか。しかし、そうはさせない。

 ルーラーの隣に並び、アタシはアレルに聞こえないよう声を潜めて尋ねる。

 

「――あんた、『蒼き惑星(ラズライト)』から来た、あるいは来てしまった人間なんじゃないのかい?」

 

 『蒼き惑星(ラズライト)』、それはアタシが住んでいた世界の名前。ルーラーは思ったとおり、その単語にピクリと身体を震わせた。どうやら当たり、か。

 それなら、と続けようとしたアタシに、今度はルーラーが問うてくる。

 

「なんで『蒼き惑星(ラズライト)』のことを? ――いや、そうか。さっき『術』を使ったから……」

 

「そういうこと。<冥魔崩滅波(ラグナ・ストラッシュ)>はこの世界には存在しない術だ。それを知っていて、しかも使えるってことは、そういうことなんだろう?」

 

 まあ、『熱覇絶衝拳(ねっぱぜっしょうけん)』もそうだったりするのだけれど、ルーラーはアタシがなぜそれを使えるのか、とは突っ込んでこなかった。その代わりに小さくつぶやく。

 

「クリスが記憶喪失だっていうのは、嘘だったのか……。しかも『蒼き惑星(ラズライト)』の人間みたいだし。――下手に術を使うんじゃなかった、かな」

 

 それにアタシは思わず絶句する。瞬時にそこまで看破(かんぱ)されるとは思っていなかったから。

 

 そう、アタシは記憶を失ってなんかいない。物心ついてからいまに至るまでをすべて、ちゃんと憶えている。ある日、気づいたらアタシの住んでいた世界からこの世界に来てしまったということも含めて、だ。ただ、記憶がないということにしたほうが、この世界では生活しやすいだろうと思ったから、そう偽っていただけで。

 そもそも本当にアタシが記憶喪失になっていたとしたら、当然『熱覇絶衝拳(ねっぱぜっしょうけん)』も忘れていたわけで。

 

 つまり、あの技を使えるということが、アタシが記憶を失っていないというなによりの証拠であり、また、アタシが『蒼き惑星(ラズライト)』からやって来てしまった人間であると確信できる要素にもなっているのだ。おまけにアタシは自ら『蒼き惑星(ラズライト)』の名を口にしている。……なんだ、よく考えてみれば、奴がアタシの記憶のことや、アタシが別の世界からやって来てしまった人間だということに思い当たれるのは当然じゃないか。むしろ、看破してもらえないと、アタシが頭悪いみたいでみじめになるだけだ。

 

 そもそもコイツは知識だけはある『魔法使い』だ。これくらいは瞬時に看破できて当然。ヒントも充分すぎるほどにあったわけだし。

 

 あ、いま思い当たったことだけど、ルイーダの店で会ったときにコイツが自分のことを『魔法使いみたいなもの』と言ったのは、だからだな。『蒼き惑星(ラズライト)』では『魔道士(まどうし)』が『魔法使い』のポジションにあるわけだから。……まあ、コイツが『魔道士』だと決まったわけではないけれど。

 

 アタシが思考を巡らせている間、ルーラーはルーラーで「あのときに手違いでもあったかな。だとするとちょっとマズいかもなぁ。別の世界に飛ばされた人間、他にもいそうだ」とかぶつぶつとつぶやいていたけれど、考えても無駄だと判断したらしく「仕方ない。とりあえず今度、ちょっと調べてみてリスト作っておこう」と結論を出して、再びこちらに顔を向けてきた。

 

「――で、アレルには言わないの? 記憶のこと」

 

「……アレルは、この旅でアタシの記憶が戻るかもって、本気で思ってくれてるだろ? だからちょっと、言うのためらっちゃってね。騙して旅について来た感じになってもいるし。だからまあ、アレルが気づくか、言う必要に迫られない限りは、隠しとおしたいんだ」

 

「……ふうん。まあ、僕としては正直、言ったほうが色々と楽な気がするけど。まあ、クリスがそれでいいっていうのなら、いいんじゃない? それでも」

 

「なんか、奥歯に物が挟まった言い方するね……」

 

「他意はないよ。ところで僕に訊きたいことはさっきので全部じゃないよね? 僕がどの世界の人間か推測できたところで、クリスにはなんのメリットもないもん」

 

 そうだった。すっかり忘れていたけれどアタシはコイツに、コイツがこの世界に『来た』人間なのか『来てしまった』人間なのかを訊きたかったんだ。もし前者ならこの世界と『蒼き惑星(ラズライト)』とを行き来する方法があるということに他ならないわけだから――

 

「まず、クリスの期待を裏切っちゃうかもしれないけど、僕は『蒼き惑星(ラズライト)』の人間じゃないよ」

 

 ――え? コイツいま、なんて……?

 

 ……い、いやいや、落ち着け、アタシ! ルーラーは『『蒼き惑星(ラズライト)』の人間じゃない』と言っただけだ。この世界にはない――『蒼き惑星(ラズライト)』の魔術を使った以上、『こことは別の世界の人間』であることは疑いようがない。

 

 さらに重要なのは、だ。

 

「それは別にかまわない。アタシが訊きたいのは、あんたがここに『来た』人間なのか『来てしまった』人間なのか、だ」

 

「? あ、ああ。そういうこと」

 

 一瞬、ルーラーは訝しげな表情をしたが、すぐにアタシの問いが持つ意味に気づいたのだろう。どこか気まずげに答えてくる。

 

「えっとね……。結論から言うと、僕は『来た』人間だよ。自分の意志で。でも、『僕の住んでいる世界の人間にしか使えない方法』で来たから、クリスに同じ方法は絶対に使えないんだ。――まあ、次元(とき)を超える手段があれば別だけど、ね」

 

次元(とき)を、超える……?」

 

 なんだ、それ。そんなことが出来るのか? そんな術、『蒼き惑星(ラズライト)』に存在したか? いや、そもそもルーラーは一体、どの世界から来たんだ? コイツの住んでいる世界の人間にしか使えない方法って、なんだ……?

 

 まあ、そこは考えても仕方ないか。アタシは魔術を使えないし、ルーラーの住んでいる世界に行けるわけでもない。どうしてもアタシが自分の住んでいた世界――『蒼き惑星(ラズライト)』に帰ろうというのなら、

 

次元(とき)を超える手段を探すしかない、か」

 

 どうやって、と考えようとして、アタシは思考を止める。これ以上はいま考えても意味のないことだったから。

 

 考えるのをやめてみて、ふと思った。アタシの記憶が戻るなんてことは絶対にないけれど。でもアレルと旅していれば、あるいは『次元(とき)を超える手段』が見つかるかもしれない。

 限りなくゼロに近い可能性に苦笑しつつ、アタシはアレルを見る。アレルは魔法剣の感覚をつかもうとしているかのように、真剣な表情で両の掌を握ったり開いたりしていた。

 

「あ、レーベが見えてきた」

 

 ルーラーの言葉にアレルが顔を上げる。

 

「本当だ! 今日中に着けそうでよかった~!」

 

 昨日は小さな村にあった家に泊めてもらえたものの、旅立った日の夜は野宿だったから、アレルが喜ぶのは無理ないと思えた。実際、宿のベッドで寝れるのはアタシも嬉しいし。――けど、さっきまでの真剣な表情はどこへいったのやら……。

 

 再度、苦笑して空を見上げると、ぶ厚い雲が太陽の光を遮り始めていた。これは、今夜はひと雨きそうだ。うん。今日中にレーベに着けそうで本当によかった。

 

 

○リザサイド

 

 窓際で頬づえを突き、ざあざあと降る雨を見るともなしに眺める。

 

 アレルのあとを追ってモハレとアリアハンを発った、二日後の夕方のことだった。そりゃ、この名もない小さな村にある家のひとつに泊めてもらえるのはありがたいのだけれど、雨が降ってさえこなければ今日中にレーベまで足を伸ばしたかったというのが本音で。

 

 あれから――モハレと会ってからすぐ、わたしはルイーダ母さんにアレルのあとを追うと告げに帰った。母さんは当然、慌ててわたしを止めようと――すると思っていたのだけれど、そう言いだすと思ったよ、と笑顔で言って、わたしとモハレを気持ちよく送り出してくれた。

 それはもちろんよかったのだけれど、少しは止めるそぶりを見せてほしかったなぁ、なんて矛盾した思いもあったりして……。

 

 ――まあ、もちろん気づいてはいたけどね。母さんの笑顔がどことなく寂しげだったことには。

 

 ともあれ、そんな感じでモハレと共にアリアハンを発ち、いまに至るのだけれど……。

 

「やむ気配ないなぁ、雨……」

 

 こうしてわたしが足を止めている間にも、アレルたちは強行軍で進んでいるんじゃないかって思うと、いまこうしていることが酷くもどかしく感じられて、ついつい口からため息を漏らしてしまう。

 

 ちなみに、わたしがいまいる部屋には、当然わたししかいない。モハレは物置きで寝させてもらうことになっている。

 

 何気なく部屋の扉に目をやった。するとタイミングよく扉がノックされる。

 

「モハレ?」

 

「んだ。ちょっといい物見つけたべ。――入っていいだべか?」

 

 いい物? はて、一体なにを見つけたのだろう。

 

「いいわよ」

 

 わたしがそう返すと、扉が向こう側から引かれてモハレが顔を見せた。すごく得意気な表情をしている。

 このモハレの表情、わたしはアリアハンを発ってから何度も見てきた。もう軽く十回は超えるだろう。

 

 初めてあの表情を見たのは、そう、確かスライムから『やくそう』を盗んでみせたとき。さすが盗賊、とわたしもあの時は彼を素直にすごいと思ったっけ。でも、モンスターと戦うたびに盗んでみせられると、なんていうか、『それが当たり前』って認識になっちゃうのよねぇ。実際、いまモハレが頭に被っている『かわのぼうし』も『おおありくい』から盗んだものだし。

 

 でも、いまモハレがあの得意気な表情をしたということは、まさか……!?

 

「モハレ! 今度はなにを盗んだの!? ダメでしょ! モンスターからならともかく、一晩お世話になる家で物を盗んじゃ!!」

 

 そんなことをしたら、恩を仇で返すようなものだ。いや、『ようなもの』じゃなくて、まんま恩を仇で返すことになる。

 

「戻してきなさい! いますぐに!!」

 

「ちょっ、ちょっと待つだよ、リザ」

 

 わたしの剣幕にたじろぎながらも、なにやら弁明しようとするモハレ。

 

「オイラはなにも盗んでないだ! ただ物置きでこれを見つけたから、もらってきただけだべ!」

 

 言ってモハレがとりだしたのは、木で出来た丸く平べったいお盆のようなもの。それも二つ。おまけに取っ手が付けてある。おそらくモハレが細工したのだろう。

 

「名づけて『おなべのフタ』だべ! 盾になるべよ!」

 

「名づけるなっ! ああもう、どうするのよ、こんな細工しちゃって……。こっそり返すわけにもいかなくなっちゃったじゃ――」

 

「だから盗んだわけじゃないべ。何度言ったらわかるだべか、リザ」

 

「……あのねえ、言葉を変えてもやってることは同じでしょ! モハレ、言ったじゃない! 『もらってきた』って!」

 

「んだ。もらってきただべよ」

 

「そういうのを世間一般の人は『盗んだ』って言うの!」

 

 声の限りにわたしがそう叫ぶと、モハレは少しの間硬直し、やがて手をポンとやった。

 

「ああ! そういうことだべか! リザ、勘違いしてるべよ。オイラはちゃんと、この家の人に許可をとって、もらってきただ」

 

「許可をとったって、盗みは盗――え? 許可、もらってたの?」

 

 子供に言い聞かせるような彼の口調に、わたしはようやく落ち着きを取り戻す。

 

「『持っていっていいよ』って?」

 

「んだ。処分する手間が省けていいくらいだって言ってただよ」

 

「な、なあんだ。それを最初に言ってくれれば……」

 

 安堵のあまりに身体から力が抜け、わたしは部屋にひとつだけあるイスにへなへなと座り込んでしまった。そのわたしの前にモハレが来る。

 

「勘違いしたのはリザのほうだべよ。オイラは最初からそのつもりで話してただ。――それよりリザ、なんだかイライラしてないべか?」

 

「……まあね。この雨のせいでアレルたちに距離を離されてるかもしれない、とか考えると、やっぱりどうしても、ね」

 

「この雨だべ。どこかの町や集落で足を止めてると考えるのが妥当だと――」

 

「わかってるわよ。それくらい」

 

 モハレの推測を遮って、わたしはピシャリと返した。

 

 そう。そう考えるのがもっとも妥当だ。でも、もしかしたらと思うこの焦りはどうしても消せなくて……。

 

 モハレがわたしの表情を見て、なにか考え込み始めた。そして告げてくる。

 

「じゃあ雨の中、レーベ――いや、『いざないのどうくつ』まで強行軍といくだべか?」

 

「えっ!? そんな無茶なこと――」

 

「そんなに無茶でもないだべよ。オイラとしては、このままイライラしているリザとここにいるほうが大変だべ」

 

 その言葉にわたしはムッとして、けれど口元に笑みを浮かべて返した。

 

「なによ、それ」

 

 モハレはわたしの不満を苦笑で受け流し、扉へと足を向ける。ここを発つ準備と、家の人に事情を話しにいくのだろう。なんだかんだで頼りになる仲間だった。

 

「――あ、リザ」

 

 出て行ったかと思ったら、再び扉が開いてモハレが顔を覗かせる。

 

「『おなべのフタ』、ちゃんと使うだべよ?」

 

「いや、さすがにこれを使うのは、なんていうか、ビジュアル的に……」

 

 それにモハレは呆れたと言わんばかりの息をついた。わたしに見せつけるように。

 

「またそれだべか。『かわのぼうし』のときもそんなこと言ってたべ、リザ」

 

「だって、『おおありくい』の持っていた帽子なんて、正直、被りたくないし……」

 

「仕方ないべ。じゃあ、レーベに着いたら売ることにするべよ」

 

「うん。そうしてそうして」

 

「……まったく、リザは贅沢者だべ」

 

 いや、でも実際、普通の女の子はイヤよね? モンスターの持っていた帽子を被るなんて……。



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第六話 たったひとつの冴えたやり方

○アレルサイド

 

「でやあぁぁっ!」

 

 我ながら大げさだな、と思うほどの大声を出しながら、僕は動く鎧のモンスター――『さまようよろい』に全力の一撃を繰り出した!

 当然、剣を振り終えたときの隙は大きいけれど、いまは前後のコンビネーションを気にする必要はない。なぜなら――

 

「――たあっ!」

 

 一歩踏み込んで放たれたクリスの拳が、その鎧の腹に叩き込まれる! 隙だらけに僕に向けて剣を大きく振り上げた『さまようよろい』の腹に、だ。つまり、僕の役割は最初からオトリ。これが僕たちがこいつと戦うことになって、急いで練った戦法だ。

 

 腹部をへこませ、後方へと吹っ飛ぶ『さまようよろい』。その勢いで地面に何度も身体を打ちつけ、やがて完全に沈黙する。そうなってようやく、緊張をとく僕とクリス、そしてルーラー。

 

 レーベを発って四半日ほどが過ぎた頃、『いざないのどうくつ』に向かって草原を渡っていたときのことだった。そりゃ、ここまでも割と頻繁にモンスターと戦ってはきたけれど、『さまようよろい』の強さは僕の考えていたものよりも遥かに上で。

 あの強さは『じんめんちょう』や『アルミラージ』のそれとは根本的に違っていた。言い表すのなら、あれは『正攻法』の強さ。

 身のこなしや呪文で相手を惑わせて戦いを己に有利なように運ぶのではなく、ただ純粋に『力』のみをもって敵を叩き伏せる。あれは、そういう強さだった。

 『いざないのどうくつ』からロマリア大陸に渡ったら、そういうタイプのモンスターとも頻繁に刃を交えることになるのだろうかと思うと、少しだけ気が滅入ってくる。……まあ、それで弱音を吐いたりなんて、するつもりはないけどさ。

 

「でもよかったよ。ホイミスライムを呼ばれる前に倒せて」

 

 ホイミスライム? ああ、そういえば戦闘中にそんなことを言ってたっけ、ルーラー。

 ちなみに彼はいまの戦いの間、ひたすら『さまようよろい』から距離をとることだけに専念していた。僕はそれを悪いとは思わない。だってそれは、それぞれに向き不向きがある、というだけのことだから。

 ルーラーは『いざというとき』のために呪文を唱える力を温存する。それでいい。

 

「なにせ、ホイミスライムを呼ばれるとかなり厄介なことに――」

 

 そこまで言って、ルーラーがなにかに驚いたように口を閉ざした。彼の視線の先に目をやると、先ほど確かに倒したはずの『さまようよろい』がゆっくりと、しかし、しっかりとした足取りで立ち上がろうとしている。

 

「……あのクリスの一撃をくらって、まだ倒れてなかったのか? いや、あれのパラメーターを考えれば間違いなく……。あれじゃHPの高さだけなら『じごくのよろい』――いや、『キラーアーマー』並だ……」

 

 ぶつぶつと、よくわからないことをつぶやくルーラー。けれどいま考えるべきはそんなことじゃないはずだ。

 

 剣を構えなおした僕の間合いに瞬時に入り、剣を振るってくる『さまようよろい』。それを受け止めようと僕は剣を前に出す! しかし、

 

「ぐっ……、重……っ!」

 

 先ほどまでと比べて、明らかに膂力(りょりょく)が上がっている。思えば先ほどまでは瞬時に間合いを詰められるなんてこともなかった。まさかこいつ、一度倒されてからパワーアップして起き上がってきた……!?

 そんなことがあるのか、と思う気持ちはあるものの、いまはそんな考察をしている場合じゃない。このままじゃ、いずれは押し切られ……!

 

「――意操衝霊弾(クラッシュ・ウェイブ)!」

 

 焦る僕の耳に、ルーラーが呪文を放つ声が届いた。同時に剣にかかっていた圧力が消え、『さまようよろい』が横に飛ぶ。そうして目に入ったのはルーラーの呪文によって生じたのであろう黒い(おび)が僕のほうへと向かってくる姿!

 

「危ない! アレル避けろっ!」

 

 圧力が消え、たたらを踏んでいる僕にクリスの叫びが遠く聞こえる。黒い帯は速度を落とさずに僕に迫り――唐突に軌道を変えて『さまようよろい』を直撃した!

 黒い帯に身体を撃たれ、ごろごろと地面を転がる『さまようよろい』。

 

「…………。えっと……?」

 

 ま、曲がった? いや、『さまようよろい』を追尾した? そういう呪文だったのか……?

 

 再び立ち上がり僕たちから距離をとる、動く鎧のモンスターを呆然としながら見てしまう。その耳にルーラーの発した舌打ちが届いた。

 

「あれを食らってもまだ倒れないのか……。いくらなんでも……異常だ」

 

 いまの一発でルーラーの呪文は打ち止め。舌打ちしたくなる気持ちもわかる。

 

 視界の端でクリスが拳を固めるのと同時、『さまようよろい』が手にしている剣を天へと突き上げた。

 

 ――一体、なにを……?

 

 首をかしげる僕とは対照的に、ルーラーが焦った口調で叫ぶ!

 

「マズい! 仲間を呼ばれた!」

 

 仲間って、まさか――!

 

 僕が気づいた次の瞬間、『さまようよろい』の全身を淡い光が包み込んだ。慌ててあたりを見回す僕。

 

 ――いつから、だったのだろうか。『さまようよろい』の影に隠れるように、ホイミスライムが一匹、そこにいた。

 

 鎧の戦士に『ホイミ』をかけたホイミスライムへと、クリスが瞬時に肉薄する! 腹部のへこみが直った『さまようよろい』もまた、一息の間に僕の懐へと入ってきた。迎え撃とうと慌てて剣を構えなおすも――

 

「――くっ!?」

 

 わずかに遅れ、右腕を浅く薙がれる! そして剣をかみ合わせ、再びの硬直状態。しかし、利き腕に怪我をしている以上、すぐ押し切られるのは目に見えている。クリスやルーラーの援護も期待できないし、このままじゃ――

 

 ――刹那!

 

 どこからか飛びきた氷のつぶてが『さまようよろい』を直撃する!

 

 いまのは、もしかして『ヒャド』の呪文? でも一体誰が――

 

 どこか呆けたままに、つぶての飛びきた方向に顔を向ける。そこにあったのは、一組の――十代の男女の姿。少年の顔は『どこかで見たことがあるような……?』くらいのものだったけれど、もう一人の、少女のほうは――。

 

 不意に吹いた一陣の風が、青いマントをたなびかせる。その身にまとっているのは白色の、ミニスカートタイプのワンピース。そしてその白が、少女の腰まである青い髪をより美しくみせていた。顔立ちは『美しい』とはちょっと違うけれど、十人に訊いたら九人までが『可愛い』と評するだろう、そんな、顔立ち。

 

 それは、僕がよく知っている顔。物心がついた頃にはすでにそばにいて、つい最近まで毎日のように見ていた顔。もう、しばらくは見ることは出来なかったはずの顔。そして、本当は……本当は、ずっと一緒にいたいと――共に旅をしたいと思っていた幼馴染みの顔。

 

 その彼女が、いま、目の前にいる。僕の幼馴染みの少女――リザが。

 

 彼女は僕のところまで駆け寄ってくると、ボンヤリと突っ立っている黒髪の少年に指示を飛ばした。

 

「モハレ! まずホイミスライムをやっつけちゃって! 『ホイミ』を使われると厄介だから!」

 

「わかっただ! リザ!」

 

 『ひのきのぼう』を携えて、クリスに加勢するようにホイミスライムのほうへと駆け出すモハレという名らしい少年。

 

 続いてリザは『さまようよろい』が不意打ちのショックから立ち直っていないことを確認するように鎧の戦士に目をやり、怪我を負った僕の右腕に手をかざした。

 

「――ホイミ」

 

 淡い光が僕の腕を包み、みるみるうちに傷が塞がる。それから耳に小さく届く、リザの動揺を含んだ声。

 

「大丈夫? アレル。一応、傷は塞がったと思うけど……」

 

 リザは『さまようよろい』に視線を固定していた。おそらく、だから呪文にちゃんと集中できただろうかと、一抹の不安があるのだろう。

 

「大丈夫。助かったよ、リザ」

 

 まあ、なんで彼女がここにいるのかとか、どうしてあの少年と旅をしているのかとか、疑問に思うところはあるけれど。

 

 リザは僕に微笑み――はせず、真剣な表情で尋ねてくる。

 

「でも、まさかアレルがザコモンスターに苦戦してるなんて、ね。なにか特殊な能力でもあるの? あの『さまようよろい』」

 

「わからない。ただルーラー――僕の旅の連れは『異常だ』ってこぼしてた。とにかくタフなんだよ」

 

「……突然変異種かなにかなのかしらね。――っと、アレル、くるわよ!」

 

 ショックから立ち直った『さまようよろい』が横薙ぎに剣を振るってきた! バックステップでかわす僕と、思案顔で背を向け、全速力で鎧の戦士から距離をとるリザ。

 

「これで――おしまいっ!」

 

 『さまようよろい』から充分に距離をとったリザの隣では、クリスがホイミスライムに正拳を叩き込んでいた。わずかに浮遊していた身体が地面に落ちる。どうやらホイミスライムは倒せたようだ。僕もクリスと合流しようと剣で『さまようよろい』を警戒しながらジリジリと動く。

 ――と、リザとクリスの話し声が風に乗って耳に届いてきた。

 

「――要は、あの鎧を壊せればいいのね?」

 

「ああ、けどものすごく硬くてね。リザっていったっけ、『ルカニ』は使えないかい?」

 

「守備力を下げる呪文ね。あれはなかなか難しくて、わたしには、まだ。なんていうか、わたしもまだまだ未熟よね~」

 

「そんな悠長なことを言ってる場合かい。なにか打開策を考えないと――」

 

「大丈夫。あの鎧をどうにかするテはあるから。――そうね、熱膨張を利用するのはどうかしら? ああいう鎧は、熱した直後に急激に冷やすと一気に脆くなるから。その逆もまたしかり、ね」

 

「……よくわからないけど、熱するなり冷やすなりした直後に逆のことをやれば倒せる、と?」

 

「そこに強力な打撃を加えれば、ね。――さて、熱する呪文を使えるのはわたしとアレル、冷やす呪文を使えるのはわたしだけ、か。と、すると――」

 

「じゃあ、熱するのはあんたとアレルがやっとくれよ。アタシは熱することも冷やすことも出来るから、冷やすほうに回ることにする」

 

「えっ!? そんなこと出来るの!? でもパワーバランスを考えるなら、メラ一発、ヒャド一発のほうが――」

 

「なに。アタシの技はたぶん、ヒャド二発分に相当すると思うよ? 熱する技のほうも熱量はメラ二発分くらいだろうし」

 

「…………。そう、じゃあお願い。――あ、アレル! 作戦決まったわよ!」

 

 ジリジリと動き、ようやく合流を果たした僕にリザが告げてきた。

 

「聞いてたよ。すぐ実行に移そう」

 

「そうね。でも『さまようよろい』に斬りつけるのはアレルの役目になるだろうから、メラを撃つ前に――」

 

 リザが呪文を唱える。しかしそれは攻撃呪文ではなく、

 

「――スカラ!」

 

 瞬間、僕の身体をオーラが包んだ。物理攻撃の威力を軽減してくれるオーラが。

 

「これで少しくらいの打撃はオーラが受け止めてくれるわ。――さあ、じゃあ始めましょう!」

 

 僕とリザが詠唱を始めると同時、クリスが深く腰を落とす。そうして――

 

凍覇絶衝拳(とうはぜっしょうけん)!」

 

 振りぬかれた彼女の拳から、強烈な冷気が放たれる! そしてそれにやや遅れて、

 

『――メラッ!』

 

 僕とリザの放った火の玉が『さまようよろい』に直撃! それを視界に認めて僕は鎧の戦士へと駆け、とどめとばかりに剣を振るう!

 

「たあぁぁぁっ!」

 

 凍覇絶衝拳(とうはぜっしょうけん)が直撃した一瞬あと、剣はかわされることなく『さまようよろい』を捉えた!

 

 しかしあたりに響いたのは苦鳴の声でも鎧にヒビの入る音でもなく。

 

 信じられなかったから、だろうか。硬質なだけのその音が、鎧の戦士が僕たちの連携に耐えきったことを示していたというのに、僕はどこか呆然としたままで奴の剣での一撃を食らっていた。もちろん僕の身体を包むオーラがいくらか勢いを殺してくれてはいたものの、完全に防ぎきることもまた、出来なかったわけで。

 

 熱さを伴った痛みが腹部に走る。

 

 ――熱い、あつい、アツイ……!

 

 地面に転がってのたうちまわれば、あるいは少しは痛みが和らぐかもしれないけれど、我を失うほどのダメージはなく、そんな隙をみせずには済んだ。そんな熱を――痛みを抱え込んだまま戦わなければならないというのは、あるいは見苦しくのたうちまわるよりも辛いことなのだろうけれど。

 

 ――抱え込む?

 

 いきなり、思考が飛躍――いや、暴走する。それは、僕にしか理解できない感覚。勇者の血を引く人間以外、わからないであろう感覚。――そうか。いままで魔法剣が失敗し続けたのは、だからだったのか……。

 

「――リザ! クリス! もう一回だ!」

 

 大声を張り上げる。

 

 体力的にみて、僕が剣を振れるのはあとせいぜい一回か二回。だからこれは、最後の攻撃。失敗は、許されない……!

 

 僕の意図を汲み取り、『凍覇絶衝拳(とうはぜっしょうけん)』を繰り出すクリス。メラを放とうと掌を『さまようよろい』に向けるリザ。そこで僕はサイドステップし、リザに叫ぶ。

 

「こっちだ! リザ!」

 

 戸惑いの表情を浮かべる彼女。クリスの『凍覇絶衝拳(とうはぜっしょうけん)』が鎧の戦士に直撃するのを視界に捉え、僕は焦る。

 

「――早く!!」

 

 意を決したようにうなずき、掌を僕へと向けるリザ。

 

「――メラ!」

 

 ――それで、いい。

 

 思えば僕は、剣に取り込んだメラをいつも、剣の中に閉じ込めようとして、暴発させていた。そうすることで威力を発揮する魔法剣も、おそらくはあるのだろう。でもメラは――メラ系は、違う。メラ系の魔法剣は――

 

 剣を横薙ぎに振るい、火の玉を斬る――メラを取り込む。僕はいつもここから失敗していた。メラの魔力を剣に封じようとして。――違うのに。火は器に容れるものじゃない。そのまま持ち歩けるものじゃない。

 火は――メラ系の魔法剣は、火の望むままに力を放出させるべきだったんだ。僕はそれにほんのちょっとだけ指向性を与えるだけで、それだけでよかったんだ。だって、抱え込んで立っているよりも、のたうちまわるほうが(からだ)はずっと楽なんだから。

 

 メラをまとわせた剣を、僕は返す動きで『さまようよろい』の腹部に滑らせる。薙ぐというよりは、刀身で撫でるぐらいの勢いで。

 

 指向性は与えた。あとは解き放たれるに任せればいい。

 

 ――瞬間、剣が爆発を起こした! しかし、暴発じゃない。暴発のときは爆発のエネルギーが拡散していた。いまはエネルギーがほぼすべて、目の前の敵へと向かっている。

 

 鎧が砕けた。

 

 持っていた剣が地に落ちた。

 

 『さまようよろい』を、倒した――。

 

 僕は剣を地面に突き刺して、杖のようにする。まだ座り込むのは早いと、直感が告げていたから。

 

 『さまようよろい』は倒した。なのに、目の前には変わらず気配がある。敵意が、ある。鎧を操っていたのであろう、禍々しい『なにか』が僕を見ている。存在しないはずの、その瞳で。

 

 敵意は殺気へと変わり、僕に収束した。同時、僕に突進してくる黒い『なにか』。

 

 ――身体を奪われる!

 

 そう思ったのは、なぜだろう。

 

「――ニフラム!」

 

 聞こえたのは、リザの声。彼女の使った『アンデッドを消し去る呪文』が、僕に向かってきていた黒い『なにか』を消滅させる!

 

 

 こうして、リザがいなければ負けていたであろう戦闘は、ようやく幕を閉じたのだった――。

 

 

○バラモス城

 

「アハハハハハハ! いや、面白いこともあったもんだなぁ! アハハハハハハ!」

 

 唐突に、無邪気に笑いだした魔人王メフィストに、バラモスと『やまたのおろち』、そしてミノタウロスの視線が集まった。戸惑いと恐れの混じった、その視線が。

 

 笑い終えたメフィストはやがて、静かに告げる。

 

「ボクの配下、負けちゃいましたよぉ。正直、予想外でした」

 

「――なっ!? どういうことだ、メフィスト! 勇者アレルは――」

 

「ミノタウロスさんにも敵わない、ちょっと強いだけの人間、でしたっけ。そうですねぇ。いまのままなら、そうでしょうねぇ。でも――」

 

 一度、言葉を切るメフィスト。その瞳にはなぜか、喜びの色があった。

 

「勇者アレル! 勇者アレル! いやいや、これはなかなかに期待できそうだ! もしかしたらオルテガよりも強くなるかもしれない! アハハハハハハ!」

 

 再び笑うメフィスト。なにがそんなに面白いのか、メフィストはアレルのなにに期待しているというのか、しかしそんなことはバラモスたちにはどうでもいいことだった。

 

 メフィスト・フェレスはいま、なんと言った? 『オルテガよりも強くなるかもしれない』? それは、恐ろしいことだった。アレルの存在を見過ごしてはおけない。

 しかし、バラモスには現在、手駒がなかった。彼の配下で強力な力を持っているのは、せいぜい三匹。各地で暴れさせているモンスターは山ほどいるが、それは果たしてアレルを倒せるだろうか。メフィストの配下を倒したという、勇者アレルを。

 

 バラモスのその思考は、しかし、幸か不幸か中断させられることになる。ジパングから使いとしてやってきた、ベビーサタンによって。

 

「ご報告します、バラモス様!」

 

 玉座の間に入ってきたベビーサタンが、その甲高い声で告げる。

 

「ジパングにて『パープルオーブ』が発見されました!」

 

「なにっ! 本当か!?」

 

 目を大きく見開き、思わず玉座から腰を浮かせるバラモス。そしてメフィストもまた、珍しいことにピクリと眉を動かしていた。その反応も無理はない。六つすべてを集めた者は『大いなる翼』を手に入れるといわれているオーブのひとつが、ジパングで見つかったというのだから。

 

 『大いなる翼』がなんの比喩なのかは、わからない。だがバラモスは――いや、メフィストもそれを『なんらかの強大な力』と解釈していた。そしてそれを手に入れようと、どちらもがあちこちに配下を放っていた。事実、アレルたちと死闘を繰り広げた『さまようよろい』も、本来はオーブを探し出すためにアリアハン大陸に送り込まれていたのだ。

 

「これはもう、ベビーサタンなんて小物に任せておくべきことじゃありませんねぇ、バラモスさん」

 

「う、うむ……」

 

「勇者アレルの動向を気にしている場合じゃありません。『やまたのおろち』さんに行ってもらいましょう」

 

「――い、いや、それは……!」

 

 バラモスはメフィストの提案に異を唱えた。

 ミノタウロスはいざというときのために手元に残しておきたかったし、別の場所にいる自分の配下を向かわせるのも時間がかかる。

 である以上、メフィストの提案は当然のものだ。しかし、果たしてアレルを放置しておいていいのだろうか。各地で暴れているモンスターにアレルの抹殺を任せていいのだろうか。それはあるいは、アレルの成長をいたずらに手助けしてしまうことにならないだろうか。

 

 オーブのことがなければ、いや、それを一旦放置してでも『やまたのおろち』はアレルの抹殺に向かわせたい。それがバラモスの本音だった。

 

「バラモスさん。『やまたのおろち』さんに出撃命令を出してください」

 

「――し、しかし、それは……」

 

 首を横に振るバラモス。メフィストはそれでもなお、同じ提案を繰り返す。言葉をバラモスの頭にすり込もうとしているかのように、一語一語、ゆっくりと。

 

「パープルオーブが見つかったんです。一刻も早く手に入れたい。バラモスさんだって、そうでしょう?」

 

「…………。それは、当然だ……」

 

「なら、『やまたのおろち』さんを向かわせましょう? ね?」

 

 しばしの沈黙。

 

 ――やがて。

 

 バラモスは小さく、しかし確かに首を縦に振った――。



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第七話 愛の証明(その一)

○アレルサイド

 

 『いざないのどうくつ』に入ってすぐの石壁を。

 

 『まほうのたま』の起こした大爆発が、一瞬にして吹き飛ばした。

 

『…………』

 

 その威力に、誰もがただただ耳を塞いだまま、絶句。ルーラーなんて『まほうのたま』が爆発したときの轟音(ごうおん)にびびったのか、「これ、鼓膜が破れかねないんじゃあ……。こんな威力のものを毎回、石壁に張りつくようにして使わせてたなんて、僕はなんてことを……」なんてつぶやきながら、ぶるぶると震えていた。

 なんというか、これは本当は『さまようよろい』相手に使うべきアイテムだったんじゃないかと思ってしまう。いや、王様は『いざないのどうくつ』の封印を解くためのものと言っていたから、これが正しい使い方なのだろうけれど。

 それでも、

 

「いまの、爆発系の中級呪文『イオラ』――いえ、下手をしたら上級呪文『イオナズン』並みの威力があったかもしれないわね……」

 

 なんてリザがつぶやくのを聞くと、やっぱりあれは戦闘で使用するほうが賢いんじゃ、と思ってしまうわけで。……アリアハンに戻ったら、王様からもうひとつもらえないかな、『まほうのたま』。

 

 まあ、そんな冗談はともかく。

 

「――じゃあ、行こうか」

 

 崩れた石壁の向こう側へと、足を踏み出す。しかし、

 

「待ちなさい」

 

「待つだよ」

 

 リザとモハレに止められてしまった。そのままリザはずいっと僕に詰め寄ってきて、

 

「アレル? 旅に同行するのは認めるから、というだけでわたしを置いていったことを帳消しにしようなんて思ってないでしょうね? わたしはまだ納得してないわよ。置いていった理由」

 

「いや、だからそれは、危険な旅になるから……」

 

「そんな嘘じゃ騙されないわよ、アレル! じゃあ、なんでクリスさんたちは連れていくことにしたの!? 二人とも、わたしとそれほど実力差ないでしょう!?」

 

 事実だった。

 いや、でも僕は『リザに』危険な目に遭ってほしくなかったから、内緒で旅立つことにしたんだけどなぁ。でもそれをそのまま言うのは恥ずかしいわけで……。

 

 というか、てっきりいまの爆発で流れたと思ったんだけどなぁ、その話は。

 

「おーい。パーティー内に痴情のもつれを持ち込むのはよしとくれよー」

 

 クリスが無気力に、呆れ果てた様子で声をかけてきた。

 どうやらここにくるまでずっと、

 

『どうして置いていったの! アレルのバカバカ!(リザ、泣きながら僕の胸をポカポカ)』

 

『ごめん。リザ、本当にごめん(僕、困り果てながらリザの頭をなでなで)』

 

 なんて光景を見ていてせいで、すっかり脱力してしまったようだ。

 『まほうのたま』を使ったときには気力が戻っていたようだったけれど、再びリザが「どうしてわたしを置いていったのか」と詰問してきたことで、クリスはすっかり無気力状態がぶり返してしまったらしい。「よくこんな痴話喧嘩(ちわげんか)している二人で『さまようよろい』を倒せたもんだねぇ……」とかつぶやいているし。

 

 『さまようよろい』を倒したそのあと。

 満身創痍(まんしんそうい)だった僕たちは、モハレがスライムなどから盗んだという大量の『やくそう』を使って、傷を癒した。

 その際に一度レーベかアリアハンまで戻って、しっかり身体を休めてから『いざないのどうくつ』に向かったほうがいいんじゃないか、と提案したのだけれど、それはモハレの「せっかく使った『やくそう』がもったいないべ!」という主張と、リザの「レーベまでならともかく、いまさらアリアハンに戻るなんてできないでしょ、合わせる顔がなくて。――もしかしてアレル、まだわたしをアリアハンに置いていくつもりなの!?」という正論&涙ぐみながらの糾弾によって却下された。

 

 誤解のないように言わせてもらうけれど、僕にはもうリザを置いていくつもりはない。彼女が居なければ僕たちは『さまようよろい』に負けていただろうし、僕自身、やっぱりリザには精神的に依存している部分が大きいしで、つまり、戦力的にも僕の心情的にも、今後、彼女はこのパーティーに必要だと、あの戦闘を通して痛感されられたのだ。……僕に必要だ、と言わないのは、せめてもの抵抗ということで。まあ、なにに抵抗しているのかは、いまひとつよくわからないけれど。

 だからアリアハンに戻ろうと提案したのは、ルイーダさんに僕たちとリザが無事合流できたことを伝えた方がいいのではないかと思ったからのことであり、そこには本当に他意はない。

 

 しかし、それを口に出して言ってはいないからなのか、リザの嘆き――いまや怒りに変わっている――は止まらない。

 

「大体アレルは昔っからそう! なんでもひとりで抱え込んで! もっとわたしを頼ってよ! それともわたしはそんなに頼りにならないの!? ねえ!?」

 

 リザは僕の服の襟元を掴んで揺さぶってきた。……ああ、確かにこれは痴情のもつれ云々言われても文句言えないかもしれない。

 

「置いていったことは悪かったよ。本当にごめん」

 

 恥ずかしいけれど、いまはそう返すしかない。クリスとルーラーの視線の生温かさがまた一段上がった気がしたけれど。それでも……。

 

「リザが頼りにならないってわけでもない。ただ僕は、その……」

 

 そこから先の言葉が続かない。うう……、リザのことは幼馴染みなんだから、当然、相応に大切に思っているのだけれど、毎日のように顔を合わせていたからこそ、改まって『大切に思っているリザだから、危険な旅には同行させたくなかったんだ』と言葉にするのが恥ずかしいわけで。

 そんなわけでしばし、口ごもっていると、

 

「――あ、もしかして、わたしに傷ついてほしくなかったの? 他の人はともかく、『アレルの大切なわたし』にだけは、危険な目に遭ってほしくなかった?」

 

 リザがニヤニヤしながら、先回りして尋ねてきた。僕はそれに顔を赤くしながらも、無言で首を縦に振る。すると彼女は少しだけキョトンとしてから、今度はニマ~っという表現がピッタリ合う表情になり、なぜか赤い顔で僕の背中をバシバシと叩いてきた。……ちょっと痛い。

 

「なぁ~んだ。だったらそう言ってくれればいいのに~。アレルったら、相変わらず恥ずかしがりやさんなんだから~♪」

 

 なんか、すごく上機嫌なリザ。……ああ、クリスとルーラーの視線がちょっと、なんというか……。

 あれ? そういえばモハレはなにをしているんだろう、と僕が彼のほうに目をやろうとすると、それまでバシバシと僕の背中を叩いていたリザが急に真剣な表情になって、「でもね」と続けてきた。

 

「アレルがそう思ってくれるのは、確かに嬉しくもあるけど、わたしにとってはアレルに置いていかれるほうがよっぽど傷つくの。肉体的にじゃなくて、精神的に、ね。それだけは、覚えておいてね」

 

「――うん」

 

 僕もまた、真剣な表情でうなずく。いまの言葉で、僕に追いつくまでのリザがどれだけ辛い思いをしたのかが、どれだけ僕の身を案じてくれていたのかが、伝わってきた気がしたから。

 

 そうしてから改めてモハレの姿を探す。彼も洞窟の最深部へと向かおうとした僕を止めたのだから、なにか言いたいことがあるのだろう。……と思ったのだけれど。

 

「モハレ、なにやってるの……?」

 

 彼は石壁の崩れた先の床にぺたりと座り込み、なにやら爪を立てていた。

 

 モハレは『さまようよろい』を倒したあと、僕とクリスを見て短く悲鳴を漏らした。僕はよく覚えていなかったのだけれど、なんでも彼、アリアハンの貧民街で僕の財布をスッた少年だったらしい。モハレ、あのときクリスにボコボコにされたもんなぁ、なかなか財布を出さなかったから。彼からすれば、軽くトラウマものの出来事だったらしい。

 で、アリアハンの王城の地下にあった牢屋でリザはバコタという盗賊に頼まれ、彼女はその足で貧民街へ。クリスによってあちこちに打撲を負っていたモハレに回復呪文をかけてやり、一緒に旅をすることに。そして、いまに至るというわけだ。

 

 『いざないのどうくつ』に向かい始めたばかりのモハレはもう、僕から見ても可哀相になるくらい、クリスにびびっていた。しかし、何度かモンスターと戦闘になった際、僕はリザを背にして戦うことが多かったからか、必然的にクリスはモハレをかばうように動き、結果としてモハレのクリスに対する恐怖感はだいぶ和らいだようだ。まあ、クリスが大声を出したりすると、いまだにビクッとはするようだけれど。

 

 で、そんな彼は、僕からはなにをしているのかさっぱりわからない行動を続け。

 

「――あっただ!」

 

 床の一部が横にスライドし、浅く狭い空洞の部分が覗いた。そしてそこから姿を現したのは、一枚の黄ばんだ紙と一枚の巻物。モハレがその二つを手にし、紙のほうに目をやる。そうして「なになに」と、ためらいなく紙に書いてある内容を読み上げた。

 

「――これを読んでいるということは、あなたはアリアハン王に『まほうのたま』を託され、魔王バラモスを倒す旅をしているのでしょう。私たちはそれが勇者オルテガの息子、アレルであることを願ってやみません。

 

 私たちは、かつてオルテガと共に旅をした者たちです。そして、ネクロゴンド大陸に辿り着く前に、パーティーから離れた者たちでもあります。なぜ離れたのかといいますと、オルテガがバラモスを倒せなかったときのことを考えたからです。もしオルテガが敗れるというのなら、バラモスを倒せるのは彼の息子以外には存在し得ないでしょう。

 そう思い、私たちはアリアハンへと戻り、ここにある『旅の扉』に封印を施し、その封印を破壊するための『まほうのたま』を作りました。いつか逞しく成長し、バラモスを倒すために旅立つであろうオルテガの息子、アレルに渡してほしいとアリアハン王に頼んで。

 

 もっとも、それはただの言い訳なのでしょう。私たちがオルテガの元を去ったのには、もうひとつ理由があるのですから。というのも、オルテガと旅をしていたとき、私たちは子供を授かりました。そして、それを知ったオルテガが私たちに当時使っていた地図を渡し、パーティーから抜け、どこかで子供と一緒に三人で暮らしたほうがいいと言ってくれたのです。

 私たちもまた、そう思っていたため、結果としてパーティーから離れ、彼の故郷であるというアリアハンを目指しました。

 

 途中立ち寄ったレーベでその子を産み、数ヶ月ほど私たちは穏やかに暮らしていました。しかし、ひとりバラモスとの戦いに身を投じたオルテガのことを案じない日などあるはずもなく、私たちはその子が産まれてから一年ほどが経ったある日、アリアハンにある『ルイーダの酒場』の女主人に愛する我が子を預け、その一年の間に作っておいた『まほうのたま』を、前述した通りアリアハン王に渡し、ここ、『いざないのどうくつ』に『封印の呪法(じゅほう)』を(ほどこ)しました。

 

 すべては、これから再びオルテガと合流するためです。バラモスが倒されたという報せはアリアハンに届いておらず、ならば彼はまだ打倒バラモスの旅を続けているということになります。それなら、せめて合流し、力になりたいのです。

 実の娘を放ってまでやることなのかと責められる覚悟は出来ています。ただ、そう責められてもなお、私たちは最愛の娘をそばに置いておくことは選べませんでした。なぜなら、『最愛の娘』だからです。それ以外の理由などありません。

 私たちのもっとも愛しい我が子に、争いと血にまみれた道を歩ませたくはなかったのです。たとえ私たちのその選択を知ったとき、娘が私たちのことを恨んだとしても。

 

 この手紙を読んでいるのがオルテガの息子ではないとすれば、誰とも知らぬあなたに長々と私事(わたくしごと)を語ってしまい、申し訳ありませんでした。本来なら私たちは、ただ『この手紙と一緒に隠してあるオルテガの使っていた地図を託す』とだけ書けばよかったのですから。

 しかし、勇者と呼ばれた者と共に旅した者であっても、ときに心を強く保てず、誰とも知らぬ者に心情を吐露(とろ)したくなるときがあるのです。弱音を吐きたくなるときがあるのです。娘と永遠に(たもと)を分かったいまだから、なおのこと。どうか、そのあたりはお察しください。

 

 そして、もしこれを読んでいるのがアレルであるならば。どうか私たちの娘、リザだけはアリアハンで穏やかに暮らさせてやってください。もし打倒バラモスの旅に同行しようとしても、平和な世界に――アリアハンに留まるよう、説得してください。

 私は祖母、バーバラのように豪胆(ごうたん)にはなれそうにありません。その旅の最中(さなか)に娘が命を落とすのでは、と想像しただけで身が凍るような心持ちになります。

 

 最後に、これを読んでくれているであろうオルテガの息子、アレルがよき仲間に恵まれるよう、祝福を。

 そして、できることならばこの手紙を私たちの愛娘、リザに届けてください。この手紙はあなたと私たちを繋ぐ唯一の絆であり、私たちがあなたを偽りなく愛していたのだという、確かな証なのだ、と言って。

 

 リザ。私たちの愛する娘よ。

 どうか、あなたに永久(とわ)安寧(あんねい)を。

 

                 ボルグ&ローザ」

 

 ――っ……!

 

 これは、リザの本当の両親からの手紙……。

 

 こんなところにあることに、まず驚いた。そりゃ、『まほうのたま』を作ったのは一体誰なのかと疑問に思わないではなかったけれど、だからって、そこからリザの両親の存在を連想するのは、いくらなんでも不可能だろう。

 そして、それよりもずっと、ずっと大事で、僕の心を揺さぶった後半の文章。それは僕の一番最初の選択を肯定してくれているものであり、いまの僕の行動を否定するもの。

 

 最初に動いたのは、リザだった。こんな重い内容だとは思っていなかったからなのか、固まってしまっているモハレに近づき、

 

「――モハレ。その手紙と地図、渡してもらえる? それはわたしとアレルが持っているべきものだと思うから」

 

「あ、そうだべな。でも――」

 

「いいから」

 

 明るい声のままモハレの言葉を遮り、リザはこちらを向いた。

 

「まず、これだけ。――アレルはちゃんと『わたしを置いていく』っていう、わたしの両親の望む選択をしたんだからね。いまはわたしが勝手に追いかけてきて、旅に同行したってだけ」

 

 サラッと言って、更なる地下に続いている階段へと向かう彼女。僕の横を抜けるときに「これはオルテガさんの使っていた地図なんだから、会ってちゃんと返さないとね」と地図を手渡してくれる。同じ歳である場合、女性のほうが精神年齢が高いというのは本当だな、と心の底から思った。そして、リザは本当に強いな、とも。

 

「――じゃあ、行きましょうか!」

 

「……って、なんでリザが仕切ってるのさ!」

 

 笑顔でそう突っ込み、僕は先頭に立って階段を下りた。さっきまでの、罪悪感ともつかない感情の大部分を意識的に振り払い、リザの両親がそうしたように、僕もまた、彼女の両親に責められることを覚悟して――。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 ――それからしばらくのときが経ち。

 リザの両親に会い、責められ、僕は激しく後悔することになる。なぜあのとき、ちゃんとリザを突き放さなかったのか、と。

 いや、正確にはリザの両親に会うよりも前に、なのだけれど、自覚したのがそのときだったのだから、やっぱり本当の意味で後悔に襲われたのは、間違いなくそのときなのだろう。

 

 そう。嫌われてしまっても、憎まれてしまってもよかった。すべてが遅くなってからその人を愛していたのだと思い知る、そんな苦しみに襲われることに比べれば――。



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第八話 愛の証明(その二)

○リザサイド

 

 ――参った……。

 

 いや、別にあの手紙の内容に参ったわけではない。確かに思うことは色々とあったけれど、それでもわたしの『アレルについていく』という意志は覆せるものではなかったから。というか、わたしの本当の両親も、究極のところ、わたしよりもオルテガさんを優先したのだ。なら、わたしが両親の願いよりも自分の意志を優先したところで、文句を言われる筋合いはないだろう。

 

 もちろん両親の想いが分からなかったわけじゃない。わたしに平穏な毎日を送ってほしいと願ってくれたことが――わたしを母さんに預けたのは、わたしのことをちゃんと考えてくれたからこそなんだ、ということが理解できないわけじゃない。ただ、顔も声も記憶にない両親よりもアレルのほうがわたしにとっては大切だったというだけで。

 

 両親の願いを裏切る代わりに、両親を恨むこともしない。わたしは自分でも驚くほど短時間でそう結論を出していた。だって、母さんに預けられていなかったら、アレルとも出会えていなかったかもしれないのだから。

 そう、アレルだ。結局のところ、わたしの存在理由、存在意義はすべて、アレルが占めているらしい。正直、ここまではっきりと自覚したのは初めてだった。それに気づけたこと、アレルに出会えたことは両親に感謝してあげなくもない。

 ……まあ、とは言っても、両親と会えたときには文句のひとつくらい、言うつもりでいるというのもまた、事実なのだけれど。

 

 ともあれ、だからわたしが参っている理由はあの手紙にではなく、この『いざないのどうくつ』にあった。いや、というよりは、洞窟を進む度に――モンスターに出くわす度に、改めて見せつけられるアレル、クリス、モハレの実力にあった、というべきだろうか。

 

 まず大前提として、わたしは僧侶だ。魔法使いが修得する呪文もいくつか使えるけど、それにしたって魔法力が尽きてしまえば直接攻撃でしか戦闘には参加できなくなることには変わりない。

 加えてわたしは非力な女性である上に、現在、素手。本当はレーベに立ち寄った際に『ブロンズナイフ』を買うつもりでいたのだけれど、レーベに入ったところでアレルらしき少年が仲間二人と東――『いざないのどうくつ』方面に向かったと聞き、そのままアレルたちと合流した地点まで強行軍でやってきてしまったのだ。

 

 別にまだ魔法力が尽きたというわけではないけれど、それでもこの洞窟をどれだけ進むのかがわからない以上、呪文の使用はできるだけ控えたほうがいいに決まっている。

 実際、わたしは回復手段に必ず『ホイミ』ではなくモハレの盗んでくれた『やくそう』を使っているし。というか、それ以外のことが――戦闘に参加すること自体が出来ていないし。

 こうなると、本当、自分の役立たず加減がよくわかる。アレルがわたしを置いていったのも、本当はわたしじゃ戦力にならないと判断したからなのではないかと、思わず邪推したくなるほどだ。

 

 それに比べて、まずクリス。

 彼女は本当に一流の武闘家だった。もちろん『さまようよろい』と戦ったときにみせた『凍覇絶衝拳』という技がすごいというのもあるけれど、怪我を負った際にまったく怯まないその精神力とか、アレルやモハレ、更には後ろに居るわたしやルーラーにまで注意をちゃんと払っているという、戦う際の姿勢というのが、なによりもすごくて。

 

 次に、これは言うまでもないことだとは思うけど、アレル。

 『さまようよろい』との戦闘では、わたしの放った『メラ』を刀身に取り込む、なんて離れ業をやってみせた。先ほど聞いた話では『魔法剣』といって、勇者の血を引く者だけが使うことの出来る特殊な『剣技』なのだという。なんでも旅立つ直前にゼイアスさんから口頭で教わったのだとか。

 『魔法剣メラ』はその中ではもっとも簡単な部類に入るらしいけれど、それでも教えてもらってから三日ほどで使いこなせるようになってしまうなんて、やっぱりすごいことだと思う。もちろん、それ相応の努力もしたのだろうけど、それ以上にアレルの才能があって初めて成せる業だろう。

 そうそう連発できるものではないからなのか、洞窟に入ってから『魔法剣』はまだ一度も使ってないけれど、それでもやっぱり、アレルは剣技そのものが冴え渡っているし、いざとなったら『メラ』を撃つことだって、『ホイミ』をかけることだってできる。

 

 そして、モハレ。

 動きをよく見ていると彼もかなり強かった。武器は『ひのきのぼう』と貧弱だけれど、その貧弱さを補うために、自分の気配をほぼゼロに近いレベルまで消して、背後から不意を突いたり(ついでに、ときどきアイテムを盗んだりもしている)、その素早さを活かしてアレルやクリスと合流、最低でも二対一でモンスターと戦える状況を作り出したりと、少しばかりこずるくも思えるけれど、でも確実で効率のいい戦い方をしている。

 当然、モハレは前衛で戦う三人の中ではもっとも怪我を負っていない。まあ、その理由は『怪我をして『やくそう』を使うことになるのがもったいないから』みたいだけれど、それでも彼がすごいという事実は動かないだろう。

 

 ――あ、けれど。

 

「いや~、わかってはいたけど、やっぱり強いね、皆」

 

 ルーラー。彼はどうなのだろう。

 なんでも彼、すべての呪文を修得しており、わたしの持っている『魔法の教則本(きょうそくぼん)』にも載っていない、初級呪文なんかとは比べ物にならない威力を持つ『魔術』というものまで使えるらしいのだけれど、魔法力が極端に少なく、一日に一回しか呪文を使えないらしい。……すごいのか役立たずなのか、判断に迷うところだった。『さまようよろい』との戦闘時に『魔術』を一度使ってしまったとのことで、今日はすでに『魔法力』が尽きているらしく、こうなるとわたし以上の役立たずにも思えてくる。

 

 ちなみにわたし、彼のことはどうも苦手だった。それは別に、同じ『呪文を扱うポジションだから』とかいう理由で危機感を抱いているというわけではなく、

 

「そういえば、リザ。リザは僧侶なのに魔法使いの呪文も使えるんだよね?」

 

「え? ええ。なによ、唐突に」

 

「いや、それってまるで、『ルイーダの酒場』でいきなり賢者を連れていけるようなものだよなぁって思って、ね。もし実際に出来たら冒険が楽になるだろうなぁ。というか、一番最初に王様から『はがねのつるぎ』と『まほうのたま』をもらえるっていうのも反則だよね」

 

「…………」

 

 意味がわからない。

 そう。わたしが彼を苦手としているのは、こういうところがあるからだった。まるで、モンスターのことだけではなく、わたしたちのことまですべて――いま現在のことだけではなく、未来のことまで知っているかのような口ぶり。それが、どこか底知れなかった。怖かった。……そう、『怖い』んだ。わたしはルーラーのことが苦手なんじゃない。場合によっては敵意を向けることも辞さないくらいに、彼に恐怖を抱いている。

 

「そういえばリザのその衣装って、サークレットがない以外は女賢者のものとまったく同じなんだね。なるほど、『ダーマの神殿』で賢者に転職するための伏線、か」

 

 また意味のわからないことを言っている。アレルはこういう言動になんの不信感も抱かなかったらしいけど、わたしは駄目だ。いちいち彼の言っていることが頭に引っかかってしまう。

 せめて自分の中で膨れ上がる恐怖を緩和させようと、ルーラーにもう少し噛み砕いて言ってくれと要求しようとした瞬間。

 

「ルーラー! なにリザとくっちゃべってんだい! 呪文も直接攻撃もできないんなら、せめて盾になれ! 盾に!」

 

「ええっ!? やだよ! なんでわざわざ望んで怪我しにいかなきゃいけないのさ!」

 

「それすらできないのか。ちっ、使えない奴……」

 

「ちょっ! それかなり傷つくんだよ!? 最近、リアルでも言われたから、本当にへこむんだよ!?」

 

「知ったこっちゃないよ!」

 

 どうやらクリスもルーラーのことは嫌っているようだった。そういう意味では、彼女とは気の合ういい仲間になれるかもしれない。……それにしても、『リアル』というのはどこのことだろう? そんな町、あったかな……。

 

 と、わたしがそう首を傾げると同時、最前列にいたアレルが足を止めた。

 

「行き止まりだ……」

 

「うわ、またかい。しょうがない、引き返そうか」

 

「そうだね。あーあ、僕の憶えている『いざないのどうくつ』の地図がそのままここにも対応してればよかったのになぁ……」

 

「そんな狭い範囲を記した地図があるだべか? ルーラー。まあ、なんにせよ戻るべ戻るベ。――アレル、そんなに落ち込むことないだよ。別に行き止まりだったのはアレルのせいじゃないだ」

 

「当たり前でしょう!」

 

 思わずモハレに突っ込むわたし。というか、ルーラーの発言には誰も突っ込まないのだろうか? どう考えてもおかしいことを言っていると思うのだけれど……。だって、あの発言をそのまま受け取るなら、『いざないのどうくつ』はこの世界に二つあるということに――

 

「リザ! 危ない!」

 

 狭い通路内に響き渡るアレルの声。けど、危ないって……?

 わたしは考え事をしていたために足元にやっていた視線を前に向けた。するとそこには、薄汚れたローブを着た『まほうつかい』の姿――。

 

「メラッ!」

 

 『まほうつかい』の唱えた『メラ』がわたしに向かって迫りくる!

 

 しかし、それは髪の端を掠めて、周囲の石壁に当たり、はじけて消えた。わたしがなにかをしたわけじゃない。『メラ』が当たらなかったのは――

 

「リザ、大丈夫!?」

 

 仰向けに転がったわたしの上にいるアレルが大声で尋ねてくる。

 

 きゃ~! アレルに押し倒されちゃった~! なんて言ってる場合ではないだろう。わたしは声も出せずに、ただ無言でこくこくとうなずいてみせる。……正直、押し倒された云々と言える余裕なんてなかったのだ。状況も状況だし、そもそもアレルがわたしを押し倒すというのが、緊急時であろうとあまりにもあり得ないことだったから。

 

 アレルは即座に立ち上がり、また、ルーラーを除く全員がわたしをかばうように前に出た。……やっぱり、わたしなんて足手まといでしかないんだな、と胸がチクリと痛む。

 

 モハレが素早く『まほうつかい』の脇を抜ける。

 一瞬遅れて、もう一度放たれる『まほうつかい』の『メラ』。それはクリスの行動を牽制するためのものだったに違いない。そして、不意を突く形ではなく『メラ』を使ったのは、明らかに『まほうつかい』のミス。

 

 もちろんのこと、『まほうつかい』は知らなかったのだろう。だからミスと呼ぶのは本当は違うのかもしれない。けれど、事実として『メラ』が放たれたと同時、アレルは剣を抜いて呪文を取り込むべく『メラ』を斬っており、そしてそれは『まほうつかい』の敗北に繋がる。

 

 『メラ』を取り込んだアレルが身を低くして、『まほうつかい』へと駆けた!

 

 そして、爆発! これが『さまようよろい』を倒した『魔法剣メラ』の威力――って、あれ? なにかが違うような……。爆発のエネルギーが『まほうつかい』にまったくといっていいほど届いていない? そして火傷を負ったのはむしろアレルのほう……? いや、そんなことよりも!

 

「――アレル! 早くそこから動いて!」

 

 通路にへたり込んでしまったアレルに『まほうつかい』が近づき――

 

「――崩護(ほうご)っ!」

 

 『まほうつかい』がアレルになにかするよりも早く、クリスの両腕と膝が『まほうつかい』の顔面と顎、鳩尾(みぞおち)に突き刺さった!

 

 吹っ飛び、石壁に背中から衝突して昏倒する『まほうつかい』。クリスはそれを見て『武闘家の本領発揮』とでも言わんばかりに、機嫌よさそうに鼻を鳴らした。

 

「しっかし、また暴発したのかい? アレル」

 

「……うん。『さまようよろい』と戦ったときに修得できたと思ってたんだけど……。今回はうまく集中できていなかったのかな。――とりあえず、ホ――」

 

「待ちな。あんたは『メラ』を使うときのために魔法力を温存しておいたほうがいい。――リザ、回復呪文を頼むよ」

 

「え、でも『やくそう』を使ったほうがいいんじゃないの? わたしだって魔法力は温存しておくに越したことはないんだし……」

 

「あいにく、『やくそう』じゃ火傷が引くまでに時間がかかるからね。『やくそう』自体、無限にあるわけじゃあないし。それに、自分だけなにも出来ないっていうのは、やっぱり辛いだろ? リザ」

 

「……あ、うん。それじゃアレル、腕を出して」

 

 裾を捲り上げるアレル。わたしはそこに手をかざして、

 

「――ホイミ」

 

 少しずつ塞がっていく、アレルの傷。それを見ながら、わたしはクリスに問いかけた。

 

「ねえ、クリス。わたし、もしかして沈んだ表情してた……?」

 

「ん? ああ、少しだけ――」

 

「ものすごい沈んだ表情してただよ、リザ。見ているこっちのほうが心配になったべ」

 

 モハレがわたしとクリスの会話に割り込んできた。……そっか。わたしはそんなに――ん?

 

「ちょっと、モハレ。一体どこに行っていたのよ?」

 

 考えてみたら『まほうつかい』の脇を抜けたあと、モハレの姿はどこにも見当たらなくなっていた。わたしはてっきり『まほうつかい』の背後に回りこんだのかと思っていたのだけれど。

 

「ああ、ちょっと宝の匂いがしただべよ。ほらこれ、『聖なるナイフ』だべ」

 

 そう言って、後ろ手に隠していたナイフを見せてくる。

 

「純銀製だからモンスターにはよく効くだよ。特に『さまようよろい』みたいなアンデッドモンスターには効果絶大だべ! それになにより、高く売れるべ!」

 

「結局はそれなのね、モハレ」

 

 クスリと笑みを漏らすわたし。しかしモハレは高く売れると言ったそのナイフをわたしに差し出してきた。

 

「リザ、これ使うだべよ。これでリザも戦えるようになるべ!」

 

「――モハレ……。でも、あなたは……?」

 

「オイラには『さまようよろい』から盗んだこれがあるだよ!」

 

 道具袋からモハレが『どうのつるぎ』を取り出した。

 

「……呆れた。『さまようよろい』からまで盗ってたのね……」

 

 まあ、ある意味、頼もしくもあるけど。

 

「呆れた、は酷いべよ、リザ。とにかく、これを使えばオイラも、もっと……。…………。もっと……」

 

 剣を振り上げ、そのままよたよたとした足取りになるモハレ。どうやら彼程度の腕力じゃ扱えないものらしい。そのまま振り下ろしはしてみるものの、

 

「――うわぁっ!?」

 

 ガキンッ! とルーラーのすぐ近くの床に当たり、二人同時に青ざめる。

 

「…………。オイラ、まだ当分は『ひのきのぼう』でいくことにするだ……」

 

「そうしたほうがよさそうね……」

 

 わたしがそう同意すると同時、ルーラーが手を軽く挙げて、

 

「と、いうよりさ。モハレが『聖なるナイフ』を使って、『どうのつるぎ』はリザが使えばいいんじゃない?」

 

「いや、それは無理だべよ、ルーラー。オイラでもまともに振り回せなかったものをリザが使いこなせるわけないべ」

 

「え? いや、そんなことないよ。盗賊は身軽さが損なわれるから『どうのつるぎ』を装備できないけど、僧侶は意外と力があるから、問題なく『どうのつるぎ』を使えるんだよ。賢者だったらなおさら、ね」

 

「ちょっと、やめてよ! まるでわたしが非力じゃない、みたいな言い方! 大体、わたしの腕はモハレよりも細いのよ!?」

 

「でも装備できるものはできるんだって。試してみれば? 使えたらそれが一番効率いいんだし」

 

「イヤよ! あ、じゃあ、あなたはどうなの? ルーラー」

 

「僕は無理。魔法使いは一番非力だから。ちなみにクリスも無理だよ。腕力があるとかないとかの問題じゃなくて、剣を使うと武闘家の技は活かせなくなっちゃうから」

 

 アレルの火傷はとうに治っていたのだけれど、そのまま考え込んでしまうわたしたち。いや、考え込んでいるのはわたしとモハレだけか。まったく、ルーラーは本当にいらないことばかり……。

 

 やがて、最初に口を開いたのはモハレだった。

 

「――『聖なるナイフ』は、やっぱりリザが使ったほうがいいだよ。オイラには逃げ回りながら攻撃するとか、そういう『技術』があるべ。『どうのつるぎ』はロマリアで売って路銀の足しにすればええだし。――それに、リザがオイラよりも腕力あるというのを見せつけられたりなんかしたら、ちょっとへこむだ……」

 

 いや、それは同時にわたしだってへこむから……。

 

 ルーラーはモハレの言葉を聞いて、やれやれとでも言いたげに嘆息した。

 

「まあ、全員が納得しているんなら、それでいいけど……。――じゃあ、そろそろ先に進もうか、アレル」

 

 そうしてわたしたちは再び、洞窟の最深部を目指して歩き始めるのだった。わたしはこのパーティーには要らない存在なのかもしれない。そんな不安を抱いたままで――。



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第九話 愛の証明(その三)

○リザサイド

 

 何度、戦闘を繰り返しただろうか。数えるのも馬鹿馬鹿しくなってきた頃、わたしたちはようやく下に降りる階段を発見した。まったく、この洞窟は迂回路が多くて、本当、苦労させられた。しかもわたしはわたしで、自分に自信を持てる機会もなかったし……。

 

 わたしはここで引き返してアリアハンに戻るべきなのだろうか。最初にアレルがそう望んだように。わたしの本当の両親がそう望んだように。

 ……らしくもない、そんな弱気な考えが頭をよぎる。

 

「さて、ここまで来たらもう一息だよね」

 

 アレルが誰に尋ねるでもなく、そう口にする。それはただ単に『あと一息』とわたしたちを奮い立たせるためのものだったから。

 しかし、それに答える声があった。ルーラーだ。

 

「そうだね。ここを下りたら、あとは三叉路(さんさろ)に出て、向かって右の通路を一直線に進むだけのはずだから」

 

「よく知ってるね、ルーラー」

 

「何度もやったからねぇ~」

 

 一体、なにを何度もやったというのだろうか。しかし、彼の発言にいちいち眉を動かすのも、いい加減、疲れてきていた。

 

「じゃあ、行きましょう。ルーラーの言うことが本当なら、すぐにこの洞窟から出られるみたいだし」

 

「本当ならって……。信用ないなぁ……」

 

 そんなやりとりを交わしながら、わたしたちは階段を下りていく。そうして下りた先には、

 

「キャタピラー!?」

 

「バブルスライムも二匹いるだよ!」

 

 あまりにあんまりな不意打ちに叫ぶわたしとモハレ。一方、アレルは無言で剣を抜き、クリスもまた、同じく無言で拳を構えていた。戦い慣れしている人間と、そうでない人間との差が如実に出るのはこういうときだ。

 

 イモムシを巨大化したようなモンスター、キャタピラーが身体を丸めて、クリスに突っ込む!

 

「――くっ!?」

 

 両腕を前に出してガードする彼女。さらに、後ろに飛んで勢いを殺したようだった。しかしそれでも耐えきれなかったのか、吹っ飛ばされて地面を転がる。……まあ、次の瞬間にはすぐに立ったから、それほどのダメージはなかったのだろうけど。

 

 一方、液体のような形状をしたバブルスライムが二匹がかりでアレルに襲いかかる!

 

「うっ!? 身体が重く……!?」

 

 剣を振り、二匹共を遠くへ追い払ったものの、バブルスライムはその体内に毒を持っているはず。おそらく、飛びかかられたときにそれをうつされてしまったのだろう。どうしよう、『ホイミ』じゃ毒の治療はできないし、解毒の呪文『キアリー』はわたしにはまだ使えない。……本当、自分がなんのためにここにいるのか、わからなくなってくる。

 

「仕方ないだ。ちょっと危険ではあるけんどもっ!」

 

 今度はモハレがバブルスライムの一匹に踊りかかる!

 ……? でも、『ひのきのぼう』を牽制程度に振り回し、むしろ素手でバブルスライムに触れようとしている? あんなの、毒をうつされる可能性が高くなるだけじゃ――

 

「――そうか! バブルスライムは『どくけしそう』を持っていたはず!」

 

 モンスターやアイテムに関する知識だけはあるルーラーが、自身は階段の途中に留まったまま、大声でそう叫んだ。しかし、こうも続ける。

 

「でも、落とす確率も盗める確率も、決して高くはないはずだけど……」

 

「確率なんて関係ないわよ! 蘇生呪文の『ザオラル』じゃないんだから、成功するときは成功するし、失敗するときは失敗するに決まってるでしょ! あとはモハレがどれだけ頑張れるか、よ!」

 

「そうは言うけど、実際には落とす確率というものが存在しているんだよ、A、B、Cの三段階で。バブルスライムは確かAだったとは思うけど、それでも確率は50%を切るはずで――」

 

「だから関係ないの! モハレは何度もモンスターから盗みを成功させてるんだから! それはあなただって知ってるでしょ!?」

 

「信じられないことではあるけどね。というか、そんな『必ず盗める』なんて便利な能力を持った盗賊が本当に存在するなら、次の冒険時にはぜひとも仲間にしたいところだよ」

 

 確かに、必ず盗めるというわけではないのだろう。けれど、モハレなら――

 

「ぐっ!? なんのっ! ……これで、盗っただ! それと、そっちのバブルスライムからも――いただきだべっ!」

 

「やったあっ!」

 

「うわあ。本当に盗んだよ。しかも毒に侵されながら、二匹のバブルスライムから一個ずつ……」

 

「アレル! 使うだっ!」

 

 モハレがアレルに『どくけしそう』を投げ渡す! そして毒をうつされた彼自身もまた、『どくけしそう』を左手の親指と人差し指ですり潰し、口内に投げ入れた。

 

 その刹那!

 

 ――うおぉぉぉんっ!

 

 クリスと戦っていたキャタピラーが、その身をのけぞらして鳴き声をあげた! 同時にキャタピラー、バブルスライムたちをオーラが包み込む!

 

「まさか、『さまようよろい』と戦ったときにわたしがアレルに使った呪文と同じもの!?」

 

「違う! あのときリザが使ったのは、対象がひとりだけの下位呪文『スカラ』だ! いまのは仲間全員の守備力を高める上位呪文『スクルト』! 重ねがけされると厄介――」

 

 ――うおぉぉぉんっ!

 

 言ってる間に重ねがけされたようだった。モンスターたちを包むオーラが輝きを増している。

 

「呪文攻撃にきりかえたほうがいい! 打撃はほとんど効かないよ、特にキャタピラーには!」

 

 さすがに焦った口調になるルーラー。それに一番最初に反応したのはアレルだった。

 

「よしっ! メラッ!」

 

 生まれ出た火の玉がキャタピラーを直撃する! イモムシモンスターの身体から焦げ臭い匂いが立ちこめ、苦悶の声が上がった!

 

「もう一度! メラ!」

 

 ――――。

 

 かざしたアレルの掌からは、しかし、今度はなにも生まれ出なかった。

 

「――メラッ! メラッ! ――くそっ! 魔法力が尽きたのか!」

 

「ひいいっ!?」

 

 上がったのはモハレの悲鳴!

 そうだ! キャタピラーに気をとられてしまっていたけど、モハレはまだバブルスライム二匹と戦っていたんだ! それもひとりで!

 

 本当、わたしはなにをやっているのだろう。こういうとき、近接戦闘に参加できるようにと、モハレに『聖なるナイフ』を譲ってもらったというのに。

 

「モハレ! すぐに加勢――」

 

「来ちゃ駄目だべ! いま毒をうつされたら治す手段がないだ! ――くっ……!」

 

 素早い身のこなしでバブルスライム二匹共の攻撃をかわし、そのうち一匹に『ひのきのぼう』を叩きつけるモハレ。けれどそのバブルスライムはまだ倒れない。それに彼はいま、攻撃を食らっていないのに表情を苦痛に歪めた。心なしか、動きも鈍いように感じる。――まさか!

 

「モハレ! あなた、すでに毒を――」

 

「だから、だべよ。毒をくらうのはもう、オイラだけで充分だべ……」

 

「……っ!」

 

 思わずわたしは唇を噛む。どうしよう。呪文を使う? でもわたしは呪文をあと何回唱えられる? 一回? 二回?

 バブルスライムを倒せても、まだキャタピラーが残っているのに……。

 だったら、せめて――

 

「これを使って! モハレ!」

 

 わたしは腰に提げてあった『聖なるナイフ』をモハレのほうに鞘ごと投げた。彼はそれを受け取り、

 

「助かるだ、リザ! ……っ! ――たあっ!」

 

 苦悶の表情と笑顔を同時に顔に浮かべながら、モハレがバブルスライムに斬りかかる! 一匹をしとめ、残るバブルスライムはあと一匹!

 けれど、モハレの身体には毒が回ったまま。彼がバブルスライムを倒せるのが早いか、毒がモハレの体力を奪うのが早いかの勝負になる。また、勝てることと毒を解毒できることはイコールじゃない。この戦闘での勝利は、必ずしもモハレの生存に繋がるわけじゃないんだ。……あまりにも、分の悪い戦い。

 

 わたしは、しばし迷ってから彼に声をかけた。

 

「…………。モハレ! その『聖なるナイフ』はわたしのものなんだからね! 絶対にあなたの手で返すのよ!」

 

 こちらを見ずに無言でうなずくモハレ。その一方では、アレルとクリスもまた、キャタピラーと死闘を繰り広げていた。

 

「――たあぁぁぁっ!」

 

「くらえっ! 飛水連墜撃(ひすいれんついげき)っ!」

 

 アレルが剣を上段から振り下ろす! 続けてクリスが両の拳で、目にも止まらぬ速さで次から次へと殴りつける!

 しかし、アレルの剣も、クリスの拳も、キャタピラーを包み込んでいる『スクルト』のオーラに阻まれ、届かない。

 

 ――と、バックステップしたと同時に視界に入ったのだろう。バブルスライムに襲いかかられているモハレを見て、クリスが目を見開いた。同時、一瞬にしてバブルスライムとの間合いを詰める!

 

「これならどうだ! 轟雷掌打(ごうらいしょうだ)っ!」

 

 掌を開き、クリスがバブルスライムに掌底を叩きつける! バブルスライムを包むオーラにぶつかり――次の瞬間、まるで雷でも落ちたかのような轟音を立て、クリスの掌がそれを貫いた!

 しかも、減速した掌底は殺傷力を失わずにバブルスライムに一撃を加え、その身を跡形もなく弾けさせる!

 

 ――これで、あとはキャタピラーを残すのみ。

 

 しかし、わたしたちもまた、かなり疲弊(ひへい)している。特にバブルスライムから受けたダメージが大きく、モハレが動けずにいた。クリスがせめて体力が尽きないよう、薬草をすり潰し、彼に塗ってあげている。

 

「あ、姉御(あねご)……。助かるだ……」

 

「おい。なんだ、姉御って……」

 

 あれなら、とりあえずは大丈夫だろうか。それよりも問題なのは――

 

「くそっ! まったく効果がない!」

 

 キャタピラーと一対一で戦っているアレルのほう。はっきりいって、アレルがキャタピラーの攻撃をくらうことはない。アレルの放つ剣による攻撃も、充分捉えられる範囲内だ。けれど、どれだけ相手を捉えられてもオーラに阻まれ、ダメージを与えられないのでは意味がない。それに勇者とはいえ、彼も人間。このままではスタミナが尽きるか集中力が切れるかして、動きが鈍り、いずれ決定的な一撃を受けてしまう。

 

 どうすれば……。

 わたしの呪文でなんとかできれば……。そうだ、わたしにはメラの他にヒャドやギラも使える。このどちらかを使えば……。

 

 でも、もし倒せなかったら?

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 ……しょうがない、か。

 

「ルーラー。あのキャタピラー、何発メラ、あるいはヒャドを当てたら倒せると思う?」

 

 正直、彼に頼ることだけはしたくなかったけれど。でも、現状を打破する手がそれ以外にないのなら……。

 

「う~ん。すでにメラを一発くらっているから……。メラのダメージは少なく見積もって、9。多く見積もったところで12。ヒャドのダメージ量は大体30で、キャタピラーのHPは50だから……」

 

 また、わけのわからないことを言い出すルーラー。けれど、いまだけは完全に聞き流そう。そして、出した結論を信用しよう。

 

「メラなら最低でも三発。ヒャドだったら二発ってところかな。あ、あとギラでも二発は必要になる。――使えるよね? ギラ」

 

「…………」

 

 ルーラーの返答に、わたしは顔を青ざめさせた。背筋が凍る心持ちがする。

 ……どうしよう。わたしの魔法力はそこまで残っていない。ヒャドかギラなら一発、メラでも二回唱えるのが精一杯だ……。



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第十話 愛の証明(その四)

○リザサイド

 

 ……どうすれば。本当に、どうすれば……。

 考えないと。わたしが使える呪文は、他になにがある?

 

 対象の――アレルの素早さを上げる『ピオリム』、同じく守備力を上げる『スカラ』、傷を癒す『ホイミ』。……駄目だ。どれも根本的な解決にならない。

 

 なら、モンスターを――キャタピラーを対象とした呪文なら?

 幻覚を見せる『マヌーサ』、聖なる光でモンスターを消し去る『ニフラム』。……こっちも駄目。どうしても確実性に欠ける。

 

 アレルの魔法剣に頼るのは論外だ。『魔法剣メラ』の威力は確かに絶大だし、成功するならメラ一発で片がつくけれど、あれはかなりの精神集中を必要とするみたいだった。現在、アレルの集中力は普段よりも落ちているはず。

 

「あと有効な手段は……、そうだ、『ルカニ』はまだ使えない? あれなら一回であのオーラをほぼ消すことが出来ると思うし、そうすればアレルの攻撃で充分倒せるはずだよ?」

 

 ルーラーの提案にわたしは首を横に振る。『さまようよろい』との戦いのときに修得できていなかった呪文を、あのあと大した修行をしたというわけでもないのに使えるようになっているとは思えない。

 

「……あれは、わたしにはまだ無理――」

 

「――つぎゃあっ!?」

 

「アレル!?」

 

 ついにスタミナが切れたのか、それとも集中力が切れたのか、アレルがキャタピラーの体当たりをまともにくらい、壁にその身を打ちつけられた。そのまま床に崩れ落ち、苦しげにうめく。

 

 ――そうだ。無理だなんて言ってる場合じゃない。アレルだって、クリスだって、モハレだって、必死で戦ってるんだ。自分のやれる限りのことをやっているんだ。だったら、わたしがそれをやらずに『無理だ』と逃げていていいなんてこと、あるわけない!

 

 わたしはいつも持ち歩いている小さな手帳――『魔法の教則本』を片手に、呪文の詠唱をする体勢に入った。

 使う呪文は、当然――

 

「――汝を護りしその盾を、我が魔力(ちから)(もっ)て打ち砕かん!」

 

 『魔法の教則本』をスカートのポケットに滑り込ませるように仕舞い、両の手の人差し指を胸元で交差させる。

 

 この『構え』や呪文の『詠唱』は、その呪文を修得できている場合は効力アップのために、そうでない場合は呪文発動の成功率を上げるために行うもの。つまり、まだ修得できていない呪文であっても、教則本に載っていた『詠唱』と、その呪文に対応する『構え』をやれば――

 

「――ルカニ!」

 

 ――きっと、発動する!

 

 ややあって、キャタピラーの周囲をオーラが包んだ。守備力を下げる『ルカニ』のオーラが。それはキャタピラーを包んでいた『スクルト』のオーラに重なり、

 

 ――パキィィィィンッ!

 

 二種類のオーラがお互いを相殺しあい、澄んだ音を立てて対消滅する!

 

 ――成功した……!

 

「いまよ! アレル!」

 

 あたしが言うと同時。いや、あるいはそれよりも早く。

 

 アレルは床から立ち上がり、キャタピラーに斬りかかった!

 そして再度『スクルト』を唱えさせる間も与えず、返す動きで刃を一閃!

 

 ズズン、と音を立て、キャタピラーが床に倒れ伏す。……やっぱり、アレルの剣技はすごい。『スクルト』さえ使われなければ、全然苦戦する相手なんかじゃなかったんだ……。

 

 剣を鞘に収め、アレルがこちらを向き、照れたように微笑む。

 

「リザ、助かったよ。『さまようよろい』との戦いのときといい、本当、僕はいつもリザに助けられてばかりいるね」

 

 ――アレルが、わたしに助けられてばっかり……?

 

 そんなことはないだろう、と思った。心から。

 『さまようよろい』のときも、今回も、きっとアレルなら最終的には自分でなんとかできていたに違いない。

 けれど……。

 

 けれど、彼がわたしを必要として、頼ってくれるというのなら……。

 

 それなら、わたしはアレルと一緒にいよう。たとえ足手まといになったとしても、アレルがそう望んでくれるのなら、わたしは彼についていこう。それがどれだけ苦難に満ちた旅路であろうとも。

 

「クリス! モハレは大丈夫!?」

 

 アレルが大声を張り上げる。……そうだ! モハレはバブルスライムに毒をうつされて……!

 

「ああ。毒は回っているけど、定期的に『やくそう』を使えば大丈夫みたいだよ。――モハレ、立てるかい?」

 

「あはは……。クリスの姉御が珍しく優しいと気味悪――いだだだだっ!」

 

「そういうことを言うのはこの口かい? ん?」

 

 そう言ってモハレの頬を引っ張るクリス。よかった。本当に大丈夫そうだ。なので、わたしはちょっと軽口を叩いてみることにする。

 

「ほら、クリス、モハレ。いちゃついてないで、またモンスターが現れる前に先に進みましょう?」

 

「なっ!? ちょ、リザ! なに言ってんだい! アタシとモハレはそんなんじゃ――」

 

「そんなことよりも、これ返すだよ、リザ」

 

「おい! そんなことってなんだい!」

 

 わめくクリスを無視して立ち上がるモハレ。それと、不機嫌そうにしながらも彼を支えてあげるクリス。……なんだ、本当に仲いいじゃない。見方によってはわたしとアレルよりもずっと……。

 

 モハレはわたしに『聖なるナイフ』を返すと、そのおぼつかない足取りのままでキャタピラーの亡骸(なきがら)へと足を向けた。

 

「おい、一体なにをするつもり――」

 

「まあ、見てるだよ、姉御。こいつは確か――ん、あっただ」

 

 キャタピラーが持っていたのだろうか。屈んだモハレの手の中には一枚の『やくそう』があった。

 

「『やくそう』はあって困るものじゃないだ。特に、いまのオイラには」

 

「……まあ、そりゃそうだね。それにしても、あんたもよくやるもんだよ、まったく……。――じゃあ、今度こそ行こうか」

 

「そうね。ほらアレル、先頭先頭」

 

「ああ、うん。……リザ、なんか元気になった?」

 

「そう見える? じゃあ、そうなのかもね~」

 

 そんな会話をしながら、わたしたち五人は見えてきた三叉路を右に折れ、最深部を目指して歩く。はっきり言って、もう全員が全員、ボロボロだ。アレルとルーラーの魔法力は尽きているし、わたしも同様、火の玉ひとつ出せそうにない。モハレに至っては動くのもしんどい状態だし。

 

 この中でまともに全力で戦えるのはクリスだけ――と思いきや、話を聞いてみると彼女もかなり限界が近いらしい。なんでも普通に戦うのならまだしも、『技』を使うとなると、どうしても魔法力ともスタミナとも違う『力』を消費するらしい。それがなんであるのかは、クリス自身にもよくはわかっていないようなのだけれど……。

 

「――あっ。あそこに見えるのが、リザの両親の手紙にあった『旅の扉』かな?」

 

 アレルが子供のような無邪気な声をあげる。そこにはグルグルと渦を巻く、淡く蒼い光を放っている『なにか』があった。わたしを含め、アレルの問いに答えられる者はいない。となれば、当然口を開くのはこの男。

 

「だね。いやあ、実物を見るのは初めてだなぁ。――じゃあ、行こうか?」

 

「ここに飛び込めばいいのかな?」

 

「うん。そうすればロマリア大陸の南部にワープできるよ」

 

 『旅の扉』を見たのは初めてだと言っているのに、どうして確信を持って言えるのだろうか……。

 

 ともあれ、わたしたちはアレルの「せーのっ!」というかけ声と共に、『旅の扉』に飛び込んだ。……モハレの体力にも、余裕はなかったから。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 次の瞬間、わたしの目に映ったのは、空にかかる薄闇色のカーテンと一面に広がる林、そして足元で蒼い光を放つ『旅の扉』だった。あたりが暗いせいだろうか、鬱蒼(うっそう)と生い茂っている木々たちには正直、ちょっとだけ薄気味悪い印象を受ける。

 それにしても……、そっか、もう夜の(とばり)が落ちる時間になっていたんだ……。……いや、それよりも。

 

「――ロマリアは?」

 

 白い目をルーラーに向けるわたし。間違った情報に踊らされている暇はわたしたちには――特に、モハレにはない。

 彼はわたしの目に少し気圧された風になりながらも答える。

 

「ここから北上すればすぐだよ。……いや、本当に」

 

「あ、じゃあオイラが探してみるだ!」

 

 モハレが元気よく手を挙げた。……それにしても、本当に元気ねぇ……。身体に毒が回ってるなんて、嘘みたい。

 

「ん~……。わかっただ! 北に一キロ、東に百メートル行ったところにあるだよ!」

 

「なんでわかるのよ!?」

 

「オイラの特技だべ! 『タカのめ』いうだよ!」

 

「モハレ、そんなことできたんだ……」

 

「さあ、行くべ! 身体に毒が回っててキツイだよ……」

 

「急に弱々しい声になったわね! いま!」

 

 そう勢いよくわたしが突っ込んだところで、わたしたちはロマリア大陸を北上し始めた。……どうでもいいけど、わたし、こんなに突っ込んでばかりいるキャラじゃなかったと思うんだけどなぁ。もっとこう、恋する乙女って感じの……。

 

 と、歩き始めると同時、ルーラーが口を開いた。

 

「じゃあ、ここでお別れだね。僕はロマリアには行かないから」

 

 それにアレルが振り向く。

 

「そういえば、そう言ってたね。ルイーダさんのところで。――これからどうするのか、訊いていい?」

 

「ちょっと行きたい――いや、行くべきところがあるんだよ。でも、それ以上は秘密」

 

「そっか……。でもルーラー、呪文は使えないんだよね? なら一緒にロマリアに行って、一晩休んでからにしたほうがいいんじゃない?」

 

「大丈夫だよ。それよりもほら、早く行かないと。モハレのためにも」

 

 ルーラーがモハレに視線をやると、「確かに」と少し苦しげにモハレがうなずいた。……まったく、さっきからなんでもない振りをしようとしているのよね、彼は。……失敗してるけど。

 

「じゃあせめて、これを持っていくだよ。合流する前に『じんめんちょう』から盗んだものだべ」

 

 そう言って、道具袋の中から『キメラのつばさ』を取り出すモハレ。しかしルーラーはそれにも首を横に振った。

 

「それはモハレたちが必要とするときがきっとくるよ。ゴールド節約のためにもとっておいたほうがいい。――じゃあね」

 

 早く行け、とばかりに手を振るルーラー。仕方なくわたしたちも手を振り返し、北へと向かう。やれやれだ……。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 こうして。

 わたしたちは最後まで謎に包まれたままだった魔法使い、ルーラーと別れたのだった。

 

 彼とは、またしかるべき場所、しかるべきときに再会することになるのだけれど。

 それは、もう少し先のこと――。

 

 

○ルーラーサイド

 

 ――同期、終了。

 

 『僕』の意思は僕の中から消え、僕の中には『僕』からの『命令(コマンド)』だけが残る。

 

「まずは『シャンパーニの塔』へ向かえ、か。座標位置の調整は『僕』がやる、と」

 

 相変わらず勝手だなぁ、と嘆息し、目を瞑る。そうして、ふと思った。

 

 『異常』なモンスター、『さまようよろい』と『キャタピラー』。

 『さまようよろい』の異常性にはすぐに気づいたけど、『キャタピラー』のほうは、あの段階では気づけなかった。

 

 あのときは、ついとっさに『スクルトを重ねがけされると厄介』なんて叫んでしまったけれど、よくよく考えてみたら、同一個体のキャタピラーがスクルトを二回使ってくるなんてことは――スクルトを重ねがけしてくるなんてことは、絶対にありえない。なぜなら、奴にはそれができるだけの魔法力――MPがないからだ。

 キャタピラーのMPは7で、『スクルト』のMP消費は4。これはどうやっても覆らない。しかし、だというのにあの『キャタピラー』はスクルトを二回使った。

 

 これは、どういうことだろう?

 この世界は『僕』のプレイした『ドラゴンクエストⅢ』の世界とは、また別の世界なのだろうか?

 

 否定はできない。『僕』があちこちの世界で好き勝手したのだから、この『ドラゴンクエストⅢ』の世界にバグなりエラーなりがあってもおかしくはない。

 いや、むしろあそこまでいくつもの世界に介入したのだから、なにもおかしなことが起こらずに済むほうがよっぽどおかしい、か。事実として、クリスが『蒼き惑星(ラズライト)』からこの世界にやってきてしまってもいるし。

 

 なんにせよ、僕は――。

 と、足元がふらつき、反射的に目を開ける。目の前には天に向かってそびえ立つ塔の姿。

 『シャンパーニの塔』だ。あの大盗賊カンダタがアジトにしている場所。

 

 ゲームのシナリオでは、カンダタはロマリア城で『きんのかんむり』というものを盗み、それを取り返しに『シャンパーニの塔』にやってきた勇者一行――アレルたちに成敗される。もっとも最後、勇者たちはカンダタを取り逃がしてしまうのだけれど。

 

 さて、僕はそんなシナリオの用意されているここで、一体なにをすればいいのやら――。

 

「リミッターを70%まで解除、か。で、『あれ』の使用を許可する、と」

 

 僕は眼前にそびえ立つ塔を見上げる。『僕』からの情報によれば、いまカンダタは三人の子分たちと共に、ロマリア王から『きんのかんむり』を盗むべく出撃準備を整えているらしい。それを裏づけるかのように、塔の上のほうにある窓から、いくつか明かりが漏れ出ているのが確認できた。

 

 僕は『僕』からの『命令』に従い、右の掌を塔へと向ける。そして、一言。

 

「――ビッグバン」

 

 『まほうのたま』が起こしたそれを遥かに上回る大爆発。それが『シャンパーニの塔』を跡形もなく消し飛ばした。

 そう。それが、あまりにもあっけない――あっけないにもほどがある、表舞台に出てくることすらできなかったカンダタの最後だった――。

 

「――なんにせよ僕は、『僕』からの『命令』に従うだけ、ってね……」

 

 なんとなく、空虚な心持ちになりながら、そうつぶやく。

 そして、続いて頭に流れ込んでくる『僕』からの『命令』。

 

「次の目的地は『次元(とき)の狭間』。そこで『漆黒の剣(カオス・ブレード)』を回収して、その足で三回目の『蒼き惑星(ラズライト)』へ向かえ、か」

 

 『命令』の内容を口に出して復唱。そうしてから再び目を閉じた。こうすれば先ほどと同じように、『空間移動』は――それがたとえ『世界』をまたぐものであっても、問題なく『僕』がやってくれる。

 

 そうして。

 僕はこの四回目の『地球』、四回目の『世界』をあとにしたのだった――。



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