大海原でつかまえて (おかぴ1129)
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01.岸田の元に来たのは

 季節は真冬。お正月も終わり、師走の煩雑な日々が終わりを告げ、時の流れが一気にスピードダウンしていくのを肌で感じることの出来る、僕の大好きな季節だ。

 

 今日は、お昼に秦野と外出していた。今年高校受験を控えた僕は元旦以外は基本的に勉強漬けの冬休みだったのだが……

 

『先輩。超絶鈍感クソ野郎と言われたくなければたまには外に出ましょう。勉強は明日にしてください』

 

とかなり強引な手口で誘われたからだ。

 

 少し前に電話で秦野と話をしたのだが、どうも秦野は初詣をしなかったらしい。僕も初詣に行こうと大晦日の日に岸田を誘ったのだが岸田は誘いに乗ってこず、結局初詣に行かずじまいだったことを話すと、

 

『じゃあ先輩、私と時期外れの初詣に行きましょう』

 

と提案され、今まさに神社に来ている。

 

 秦野と二人でお賽銭を投げ入れ、無作法に鐘を鳴らし、柏手を打つ。その後、神様にお願いごとをして、僕と秦野は社を後にした。

 

「先輩、何をお願いしたんですか? やっぱり合格祈願ですか?」

 

 神様へのお願いが済んだ後、いつもよりほんの少しはしゃいでるように見える秦野は、しきりに僕にそう聞いてくる。

 

「そういうのって人に話したら効果無くなっちゃうんじゃないの?」

「そんなの聞いたことないですよ。何お願いしたんですか?」

「秦野こそ何をお願いしたのさ?」

「私は今年こそ金賞です。先輩とも約束しましたし」

 

 秦野はそう言って背筋を伸ばし、胸を張る。だが元々背の小さい秦野が背筋を伸ばしたところで、ぼくの胸元辺りまでしかない秦野の背はそこまで代わり映えがしないというのは秘密だ。本人、気にしてるらしいしね。

 

「で、先輩は?」

「合格祈願。高校受験ってのは、やっぱり大きな壁だからね」

「……やっぱりそうですか」

 

 これはウソだ。僕のお願いは、これではない。僕のお願いは、こんな僕自身の努力でなんとかなるお願いではない。

 

――姉ちゃんに会えますように。

 

 僕のお願いはこれしかない。これしか考えられない。梅雨時、この小さな神社で出会い、僕の隣でお日様のような笑顔を見せてくれていた比叡姉ちゃん。いくら僕が努力をしても、艦これの世界に戻ってしまった姉ちゃんに会うことは叶わない。なら、神様にお願いするしかないじゃないか。僕は今日、生まれて初めて、心から真剣に神様に自分のお願いを祈った。

 

 神社を後にした僕達二人はその後、街に出てちょっとぶらついた後に帰った。最近出来た評判の和風カフェに行ってみたいと秦野が言い出し、無理やり付き合わされたのだ。和風カフェは本当に江戸時代の茶屋みたいな出で立ちの場所で、客席はひとつひとつが小さな個室のようになっている。ぼくはお抹茶と金つば、秦野は甘酒をホクホク顔で堪能していた。

 

 散策も終わり辺りが暗くなってきた頃、僕は秦野を家に送り届けた。

 

『キャラメルもいいですけど、甘酒もいいものですね。今日好きになりました』

 

 別れ際にそういい、上機嫌で自分の家に入っていった秦野。秦野との付き合いも結構長いけど、別れた後少しスキップを踏むように上機嫌で家に入っていった彼女は見たことがない。うん。まぁゴキゲンなのはいいことだし、人生を楽しむ上で、好物が増えるのはいいことだ。

 

 しばらく歩いていると、僕のスマホに着信が入った。えらくタイミングよく電話がかかってくるなぁと思いながら、僕はポケットからスマホを取り出し着信の相手を見る。画面には『岸田』という文字と、岸田のブサイクな写真が表示されていた。

 

「う……」

 

 反射的に変な声が出てしまうのは勘弁してくれ岸田。嫌いではないんだ。嫌いではないんだけど、どうも岸田という存在を確認してしまう度、脊髄反射で変な声が出てしまうんだ。僕は手袋を外すと、寒さに震える手でスマホを操作し、岸田からの着信に出た。

 

「ぅぅおおお岸田ー。どうかしたかー?……」

『うああああうあうあうあううううああああうううあうあうあ』

 

 スマホの向こう側から聞こえてきたのは、呪詛の言葉としか思えないような、岸田のうめき声というか叫びというか妙な声だった。ついに岸田はおかしくなってしまったのか……

 

「岸田?」

『うああああああああああシュウよ……あいいいあああいあいあいいいあああ』

 

ダメだ。まったく話にならん。

 

「どうしたの? なんかあったの?」

 

 一応そう岸田に問いかけるが、相変わらず岸田はうめき声しか発してこない。しかしうめき声を注意深く聞いていると、ときどき若い女の人の声が岸田の声に混じって聞こえているような? ついに岸田に彼女が出来たのか?

 

「岸田? 女の人の声が聞こえるけど、誰か来てるの?」

『そ、そうなんだけどあいあいいいいああああああ』

 

うーん……確かに岸田はキモヲタだけど、根は悪いやつじゃないし、実はイケメンなところがあって、決して会話不可能なほど知能に欠陥があったわけではないはずなんだけど……それよりも気になるのが、岸田の背後から聞こえる女の人の声だ。

 

――岸田殿、橋立殿がお電話の相手でありますか?

 

 なんかこんな感じのことを言っていた気がするんだけど……僕の名前が出ている? 相手は僕を知っている?

 

「岸田? そこに誰かいるんだな?」

『お、おう。いああああううええうい』

「そいつは僕のことも知ってるんだな?」

『いあああうううおおおえええいいあうあうううう』

 

 ダメだ……岸田の返事の意味がまったく分からない……埒が明かないので、僕は岸田の部屋に行き、真相を確かめることにした。岸田に電話を切らないように伝え、僕は走って岸田の家に向かった。

 

 岸田の家の前に到着した僕は、インターホンを鳴らす。『はーい』といってドアを開けてくれたのは岸田のお母さん。岸田の家は、父親が単身赴任で滅多に家には帰ってこられず、実質、岸田家は岸田と岸田のお母さんの二人暮らしだ。その岸田のお母さんを適当にいなし、僕は岸田の家に上がらせてもらった。

 

 こちらから聞かずとも岸田のお母さんが教えてくれたのだが、やはり今、岸田は来客中らしい。それも、服は全身黒ずくめで、おしろいを塗ってるんじゃないかと思うほどに顔が白い、若い女性なんだとか。なんだその個性的な風貌の女性は……

 

 岸田の部屋の前まで来る。あの日……比叡姉ちゃんと共にレ級に立ち向かった日以来の緊張が僕の手を襲い、緊張で手が震えてドアノブをうまく握ることが出来ない。理由は分からない。得体のしれない女性という存在を恐怖に感じているのか……はたまた他に何か要因があるのか……なんとか力を込めてドアノブを回し、意を決した僕は勢い良くドアを開いた。

 

「岸田! 無事か?!」

「あおういうえあういうえあぁぁあああシュウ!!」

 

 よかった。岸田は白目を向き、口から泡を出して死亡寸前のスベスベマンジュウガニみたいな顔をしていたが、意味不明ながらも僕の姿に反応したあたり、少なくともひどい目にあってはないらしい。

 

「よかったぁあ……無事だったか……」

「橋立シュウ殿……で、ありますか?」

 

 電話口で何回か聞こえた声に話しかけられた。声のした方を振り向くと、そこには確かに、岸田のお母さんが説明した通りの、人身黒ずくめの服に身を包み、肌が雪のように白い、一人の女性が座っていた。彼女は僕にペコリと頭を下げ、こう言った。

 

「突然申し訳ございませぬ。あなたが、橋立シュウ殿でありますか?」

 

 僕はこの女性と会ったことはない。会ったことはないのだが、どこかで見た覚えがある。

 

「そうです。あなたは?」

「失礼。自分、“叢雲たんチュッチュ鎮守府”所属、特殊船丙型、あきつ丸であります」

 

 そう言いながら、彼女……あきつ丸さんは立ち上がり、敬礼をしながら僕をまっすぐに見つめた。そうだ思い出した。比叡姉ちゃんのことを調べた時、この人のことを見た覚えがある。

 

「……ん? その妙ちくりんな鎮守府名は……てことは比叡姉ちゃんの……?」

「はい。橋立殿のことは、比叡殿から常々聞いておりました」

 

 あきつ丸さんのこの発言を聞き、僕はあの日々のことを思い出し、胸がキュッと締め付けられたのを感じた。それにしても、もう二度と体験することはないだろうと思っていた、ゲームの中の人との会合をまた果たすだなんて……しかも相手は比叡姉ちゃんと同僚っぽいし。

 

「比叡姉ちゃんと同僚なんですか?」

「ハッ。そうであります。橋立殿のお話は比叡殿から常々。なんでも自慢の弟で、レ級に立ち向かった勇敢さを持ち……」

 

 いや確かに立ち向かったのは事実かもしれないけど、戦ってたのは姉ちゃんだし、それは言い過ぎだよ。でも自慢の弟だなんて思ってくれていることは、嬉しいことこの上ない。

 

「お風呂あがりの比叡殿のあられもない姿を見ては憤慨し、時に比叡殿に甘えて頭を撫でてもらうのが趣味の、ちょっと甘えん坊な弟だと伺っているであります」

 

 前言撤回。会うことはないだろうと思ってあることないこと吹き込んでいるようだ。それじゃまるてスケベ心丸出しで甘えるの大好きな五歳児みたいじゃないか……この憤り、どうしてくれよう……

 

 岸田を見ると、あきつ丸さんの突然の来訪に頭が混乱しているようで、相変わらず白目をむき、口から泡を吐いて痙攣している。まぁ気持ちは分からないでもないけれど……

 

「……えーと、とりあえず座って下さい」

「はい。承知したであります」

 

 僕があきつ丸さんに座るように促すと、あきつ丸さんは敬礼をやめ、再び腰を下ろした。この人はずいぶん真面目な性格のようだ。

 

「とりあえず話を聞かせてもらいたいんですけど……その前に岸田を正気に戻していいですか?」

「ハッ。むしろ自分からもお願いしたいのであります。自分が来た途端、岸田殿はこのように泡を吹いてピクピクと痙攣されており、まったく話が出来なくて困っていたであります」

 

 この状態で僕に電話をかけてきたのか岸田……

 

 その後、岸田のほっぺたに容赦なく平手打ちをかまし(実際にはぺしぺし叩いただけだけど……)、岸田を正気に戻した後、岸田のお母さんに頼み込んで、台所で3人分のココアを淹れさせてもらった。ココアを淹れて部屋に戻ってみると、岸田が再び白目を剥きはじめていたので、再度ほっぺたをぺちぺちと叩いて、こっちの世界に呼び戻した。意外と小心者だなぁ岸田。

 

「お前が腹が据わりすぎなんだよ!! 普通自分が楽しんでるゲームのキャラが目の前にいたらビビるだろ!!」

 

 僕がこの状況でもビビらないのは、すでに一度経験済みだからなのだが、今はその説明は却下だ。あきつ丸さんにはホッと一息ついてもらうため、岸田にはとりあえず落ち着いてもらうため、僕は自分が持ってきたココアを二人に薦めた。

 

「比叡殿のおっしゃった通り、絶品なのであります」

「シュウ、お前のココア……うまいな」

 

 姉ちゃんはそんなことまで鎮守府で自慢してたのか……そして岸田にそんなこと言われるとなんだかキモいぞ。

 

「ところであきつ丸さん」

「ハッ」

「比叡姉ちゃんは元気ですか?」

「そのことで、お二人にお願いがあります」

 

 あきつ丸さんはテーブルに自身のココアを置き、まっすぐに僕達二人を見つめ、真面目な顔でそう切り出した。これだけで、穏やかではない事態が起こりつつあるのが予想できる。

 

「岸田殿、橋立殿。“叢雲たんチュッチュ鎮守府”まで、ご足労いただけませぬか」

「うあああいいいあいああいあいい」

 

 岸田、うるさい。……てことは僕と岸田に、あっちの世界に行けってこと?

「あの……何か問題でも起こったんですか?」

「はい。今は詳しくお話は出来ませんが……岸田殿の身に危険が迫っているのであります」

 

 僕は反射的に岸田の顔を見る。今のあきつ丸さんの セリフを聞いた為か、岸田は口をあんぐりと開け、目を点にしている。

 

「お、俺に身の危険……?!」

「そうであります。元々は比叡殿もこの場に来る予定でありましたが……運悪く深海棲艦に遭遇し、比叡殿は囮役を自らかって出て、向こうに残ったであります」

 

 その言葉を聞いて、僕の頭が真っ白になった。秋口の、比叡姉ちゃんと僕を極限まで追い込んだレ級とのあの戦いを瞬時に思い出し、僕は気がついたらあきつ丸さんの肩を掴んで揺さぶっていた。

 

「姉ちゃんが?!! 姉ちゃんは大丈夫なのか?!!」

「ゆ、揺らさないで欲しいのであります……!!」

「無事か?! 無事だったのか姉ちゃんは!!」

「ひ、比叡殿は我が鎮守府でも手練の一人……そう簡単には沈まないのであります……今もきっと無事かと……!!」

「無事なんだな! 姉ちゃんは無事なんだな?!」

「や、やめて欲しいのであります……!」

 

 あきつ丸さんの言葉による抵抗を受け、僕は我に返り、あきつ丸さんの肩から手を離す。我ながら、今のは大人気なかった……

 

「ご、ごめんあきつ丸さん」

「気にしないで欲しいのであります。誰でも自身の姉が危機に直面していると知ったら、取り乱すものであります」

 

 あきつ丸さんはそう言って僕に微笑みかけてくれる。よかった。少しは気が楽だ。

 

「……時間がありません。話を戻しますが岸田殿、来ていただきたいのであります」

「あ、あの……シュウ?」

「そして……個人的にですが、橋立殿……」

 

 うーん……なんか橋立と呼ばれるのは違和感がある……

 

「シュウでいいですよ。みんなそう呼んでるし」

 

 みんなじゃないけど……“超絶鈍感クソ野郎”って呼ぶ奴もいるけど。今秦野はくしゃみしてるんだろうなぁ……

 

「了解であります。ではシュウ殿。シュウ殿をお呼びするのは、このあきつ丸の独断なのでありますが……比叡殿に、シュウ殿を会わせたいのであります」

「へ?」

「比叡殿は鎮守府に戻ってから、ずっとシュウ殿の話をしていたであります。今日こちらに来てシュウ殿と会うことも、とても楽しみにしてらっしゃったご様子。作戦が決まった日から今日までずっと、あんなに楽しそうな比叡殿は見たことがなかったであります」

 

 そうだったのか……姉ちゃん……

 

「不測のアクシデントとはいえ、そんな比叡殿がシュウ殿と会えないというのは……このあきつ丸、忍びないのであります。自ら危険な役を買ってでた比叡殿には、なんとしてもシュウ殿に会っていただきたい」

 

 そこまで言われたのなら仕方ない。父さんと母さん、それに秦野の顔が一瞬浮かんだが、姉ちゃんのことが心配だ。僕で力に慣れることがあるのなら、喜んで力になる。

 

「分かりました。僕は何をすればいいんですか?」

「とりあえず、岸田殿と共に鎮守府に来ていただければよいのであります」

「分かりました。おい岸田?」

 

 僕は改めて岸田を見た。岸田は相変わらずポカンとした顔をしていたが、目に少し光が戻っている。この異空間に、少しは慣れてきたのかな?

 

「お……おぉおおお、なんだシュウ?」

「なんだじゃないよ……岸田、僕は行くよ」

「い、行くってどこへだ?」

「決まってるだろ。お前の“叢雲たんチュッチュ鎮守府”だよ。お前はどうする?」

「ど、どうするったって……」

 

 岸田は怪訝な顔であきつ丸さんを見た。あきつ丸さんは相変わらず、まっすぐな眼差しで岸田の方を見つめている。

 

「あ、あの……あきつ丸……さん?」

「はい、であります」

「行くって……」

「岸田殿が作り上げた、“叢雲たんチュッチュ鎮守府”であります」

 

 真面目な顔して言う名詞じゃないよなこれ……つーか岸田、改名するって言ってなかったっけ?

 

「ほ、ホントに? ウソじゃない?」

「ウソではないのであります。鎮守府では、あなたの分身たる叢雲たんチュッチュ提督が、あなたの到着を待っているであります」

 

 岸田は目をぐるぐるさせながら、自分のパソコンのモニターを指さした。なんかだんだんイライラしてきた……

「こ、このモニターの向こう側へ?」

「そうであります」

「俗に言う、二次元へ?」

「そうであります」

「俺とシュウが向こう側の世界に?」

「そのとおりであります」

 

 あーもうムカつく!! 行くのか行かないのかハッキリしろよ岸田!!!

 

「いや、つーかもう僕が決める! あきつ丸さん! 岸田も行きます!!」

「ちょっと待てシュウ! 勝手に決めるなよ!!」

「よく考えろ! 二次元だぞ?! お前、前から口癖が『フェイトそんは俺の嫁』と『あー二次元行きてぇ。リアルに』だっただろうが!!」

「た、確かに……」

 

 やはりだ。やはりこう攻めれば岸田は陥落する。

 

「よし決まり! あきつ丸さん!! 岸田も行きます。つーかむりくりでも連れて行きます!!」

「だからといってかってに決めるなシュゥウウウウウ?!」

 

 僕の決意、そして岸田の慟哭を聞いたあきつ丸さんは、安心したようににっこりと微笑み、目に涙を浮かべた。

 

「……よかったであります。このあきつ丸、任務達成だけでなく、比叡殿に助けていただいた恩も返せるであります」

 

 その直後あきつ丸さんの身体が、あの日の比叡姉ちゃんのように輝き始めた。それを見て岸田は『ひえっ?!』という悲鳴を上げ、腰を抜かしている。岸田、その悲鳴を姉ちゃん以外が使うことは許さん。

 

「こ、これは……」

「お二人とも、このあきつ丸の手を握って欲しいのであります」

 

 輝くあきつ丸さんが、僕と岸田に手を伸ばしてきた。僕はあきつ丸さんの左手を取り、岸田の手を強引に取って、同じくあきつ丸さんの右手に触れさせた。

 

 その途端、僕と岸田の身体も同じく光り輝き始めた。痛みや違和感はないが、自身の身体が発光し、身体からたくさんの光の粒がたちこめる体験なんてしたことなくて、少し狼狽えてしまう。

 

「大丈夫であります。このまま手を取っていていただければ、向こうに行けるのであります」

「そ、そうなんですか? つーかこんなタイミングよく……」

「それは向こうに到着してからお話するであります」

 

 岸田を見ると、岸田はさっきと同じく、白目を剥いて泡を吐いている。スベスベマンジュウガニの再来だ。

 

「身体が……身体が光って……うひゃひゃ……」

「岸田しっかりしろよ! 仮にも叢雲たんチュッチュ提督の分身なんだろ?」

「……ハッ! そういえば!!」

 

 光り輝くスベスベマンジュウガニが、思い出したように口から泡を吐きながらあきつ丸さんに詰め寄った。

 

「向こうに行くということは!! 叢雲たんに会えるのか?! 待ってくれているのかッ?!!」

 

 いよいよの段階にきて、やっと正気を取り戻したかと思えば、聞くことはそれなのかこのスベスベマンジュウガニは……

 

「あ……あの……」

「どうした?! 叢雲たんは待ってくれているのか?! 待ってくれているのだな?!!」

「そ、それがー……叢雲殿は敵母港空襲作戦に出て、しばらくは帰ってこないのであります……」

「そ……そう言えば今日の昼過ぎに遠征任務に出したんだった……ボーキないから……む゛ら゛ぐもぉぉおおおおお?!!」

 

 その瞬間、僕達の姿は消え、向こうの世界に渡った。こっちの世界で最後に聞いた声は、いまいち人間に進化しきれないスベスベマンジュウガニの慟哭だった。

 

 姉ちゃん、待ってて。今行くから。

 



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02.艦娘たちとの初会合

 自分の姿が消えるという世にも珍しい体験をした後、僕は人生三度目の気絶という体験をした。そして次に気がついた時僕達は、目の前には海岸、背後には森林というロケーションの寒空の下、震え上がっていた。

 

「ぉおおおッ! 寒っ!!」

 

 いつの間にかスベスベマンジュウガニから人間に進化していた岸田が、体中をガタガタと震わせながらそうつぶやく。

 

「誰がスベスベマンジュウガニだッ! つーかここは……」

「夏の戦いで深海棲艦たちから奪取した島の一つであります」

 

 僕達の背後で、あきつ丸さんが右耳に手を当てながらそう教えてくれた。どうやら本当に、僕達は艦これの世界に来たようだ。

 

「シュウ……」

「ん?」

「お前……妙に落ち着いてるな……」

 

 ぁあ、そう言えばまだ岸田には姉ちゃんの話をしてなかったっけ。……もう隠す意味もないし、話しちゃっていいか。

 

「お前、前にさ。自分とこの鎮守府から比叡がいなくなったって大騒ぎしたことあったじゃん」

「そういえばあったなぁそんなこと」

「あの時さ、比叡さん……いや姉ちゃん、うちに来てたんだよ」

「なんだとッ?!!」

 

 今も思い出すだけで胸が締め付けられる。あの梅雨時の日の神社で出会った、神秘的な美しさとお日様のような笑顔とあたたかい優しさを持った姉ちゃんとの、かけがえのない大切な日々。

 

「んじゃあれか?! うちの比叡たんが言ってた弟って……!!」

「うん。僕のことだよ」

「なんで教えてくれなかったぁあああン?!!」

「いや、どうせ言っても信じられないだろ?」

 

 岸田は蛇口が壊れた水道のように涙を流しながらわんわんと叫び始めた。最初、僕が岸田に秘密にしていたことがあったということを嘆いていたのかと思っていたが……

 

「なぜシュウばかりが?! おれの鎮守府なんだからおれんとこ来いよぉおおおオオオ!!」

 

と言うセリフを聞いて、姉ちゃんに最初に会ったのが僕でよかったと心から思った。

 

「それはそうとあきつ丸さん、姉ちゃんを助けに行かないと……」

 

 岸田との漫談を切り上げ、僕はあきつ丸さんを振り返った。あきつ丸さんはどこかと通信しているようで、ぶつぶつと何かをしゃべっている。岸田は岸田で先ほどから7歳児のように泣きわめいているし……手持ち無沙汰になった僕は周囲を見回した。

 

 すでに夜なこともあり、周囲は5メートル前後までしか見通しが効かない。空を見上げると、周囲に光源がないせいか、星と月がよく見える。逆に言えば、満月ですらない月の明かりだけが頼りな状況だ。

 

「はい……はい……承知したであります」

 

 あきつ丸さんの通信が終わったようだ。あきつ丸さんは右耳に添えていた自身の右手を下げると、僕達の方を向いた。

 

「もうすぐ迎えが到着するであります。まずは鎮守府に来ていただき、提督がお会いしたいと」

「え……姉ちゃんを助けには行かないの?」

「すでにここは敵勢力圏内に入っているであります。早くここから移動せねば……それに残念ながら、比叡殿が今いる場所はここからかなり離れている様子」

 

 確かに、この近辺で戦闘をしている気配はない。レ級と戦った時は、小田浦港から離れたうちにまで、レ級の砲撃音が聞こえてたもんな……それに比べたら、ここは波の音以外何も聞こえてこない。ぁああと岸田の泣き声。

 

「加えてこのあきつ丸も戦闘力はあまり高くない故、今のままでは比叡殿の救援に向かっても、かえって足手まといになるであります」

「そ、そんなんやってみなきゃ!!」

「よせ岸田! あきつ丸は支援タイプの艦娘で戦闘力は確かに高くない。足手まといになるってのは正しい」

 

 突然岸田が覚醒してこんなことを言い出す。なんだこいつ突然真人間みたいなこと言い出して……

 

 だがたとえ甲殻類であったとしても、艦これ歴の長い岸田がそういうのなら、確かなのだろう。僕はなんだかんだで艦これのことはまったく知らない。あの後自分でもプレイしてみようと思ったのだが、『姉ちゃんではない比叡』を手に入れることにどうしても抵抗があり、結局プレイすることはなかった。

 

「だから我慢だシュウ」

「うう……」

「お気持ちはお察しするが……どうかこらえていただきたいのであります」

 

 確かに今すぐにでも助けに行きたい気持ちではある。あのレ級との戦いを体験したあとだからなおさらだ。あの時のように傷だらけになってなければいいけれど……。

 

「あー!! いたいたー!! おーいあきつまるー!!」

 

 僕が真人間になった岸田とあきつ丸さんに説き伏せられてこらえていると、不意に海の方から女の子の声が聞こえた。声のした方を向くと、ライトをつけた女の子4人がこっちに向かってきており、ノースリーブのセーラー服を来た子が一人、こちらに向かって手を降っていた。4人の子たちはあの日の比叡姉ちゃんのように水面に立って滑走しており、4人で小さなボートを引っ張ってきていた。

 

「迎えが到着したであります」

 

 あきつ丸さんがそう言い終わるか終わらないかのところで、4人の子たちが波打ち際までたどり着いた。4人は砂浜に上がり、僕達のところに歩いてくると、ビシッと敬礼を決めた。

 

「軽巡洋艦川内以下4名。みんなを迎えに来たよ!」

「やはり川内殿が来たでありますか。ご苦労であります」

「夜だからね! 夜は誰にも譲れないよ!!」

 

 あきつ丸さんと話をしていた人……川内さんはそう言うとニカッと笑った。暗闇なのに、白い歯がキラーンと光ったように見えたのは僕の気のせいか? その後、川内さんはこっちを見ると、ツカツカと僕達の方に歩み寄り、僕達をランランとした瞳で見つめた。

 

「あなたたちが向こうの世界の人?」

「そ、そうです」

「ムホーッ!! 川内たん!! 川内たんが目の前にッ!!!」

 

 興奮して膨らんだ鼻の穴から水蒸気を噴射している岸田はとりあえずほっとこうか……

 

「私たちが曳航した船に乗って! 話は鎮守府に帰りながらしよう!! ニヒッ!!」

 

 川内さんはそう言いながら、比叡姉ちゃんとは違う感じの、フラッシュライトのような笑顔を向けた。眩しい笑顔って、きっとこういう笑顔のことを言うのだろう。

 

 その後、僕達は川内さんに言われたとおり、船に乗って鎮守府に向かった。戻る最中、4人から自己紹介を受け、その度に岸田が『ふぉぼぁ!! ◯◯たんかわいい!! かわいいよぉおお!!!』とうるさかった。敵に見つかったらどうするのさ……

 

 まず、このピックアップ艦隊のリーダーが、さっき僕と話をした川内さん。

 

「夜戦なら任せておいてね!!」

「お、俺も夜戦したいよぉぉおお!!!」

「岸田、自重してくれ……」

 

 寒空にもかかわらずノースリーブのさわやかなセーラー服を着ているのが、涼風ちゃん。

 

「てやんでぇ! あんたのことは比叡のあねさんからイヤってほど聞いてるよ!!」

「なんて聞いてるの?」

「なんでもあねさんに頭を撫でられたら、安心して泣いちゃうらしいじゃねーか!!」

「忘れるんだ。いいね?」

「シュウって時々シシリアンマフィアみたいな口調で話すよな……」

 

 なんだか運動部のマネージャーみたいなジャージ姿の人は、速吸さん。

 

「お二人ともおなかすいてないですか? おにぎりありますけど、食べます?」

「食べる!! 速吸たんの握ったおにぎり食べるぉぉおおお!!!」

「アハハハハ……ど、どうぞ……」

「すんません……すぐ黙らせます……」

 

 涼風ちゃんとは違った感じの、僕らが“セーラー服”と言われてポッと想像するタイプのセーラー服を着て、ちょっと控えめな子が潮ちゃん。

 

「う、潮です……」

「潮たん!! うひょぉおおおお潮たーんッ!!」

「ひ、ひぁぁああああ?!!!」

「岸田、いますぐその遠隔セクハラをやめろ」

「どこがセクハラだッ?!!」

「顔」

「シュウ……俺、海の藻屑になるわ……」

 

 そんな感じで賑やかな中、僕達は鎮守府に向かう。これは後であきつ丸さんからこっそり聞いた話なのだが、岸田はワザとはしゃいでいる節があったそうだ。なんでも、僕の顔が険しくなるとタイミングよく岸田がはしゃぎ、涼風ちゃんや川内さんがツッコミを入れてやいのやいのしていたらしい。

 

 僕は鎮守府に向かっている間もずっと比叡姉ちゃんのことが頭から離れず、確かに時折険しい顔をしていたかもしれない。そう考えると、7歳児だったり人間以外だったりする岸田だけど、やっぱりイケメンの素質を持ってるんだなぁ……と感心した。本人には言わないけど。

 

「いいねいいね~。岸田! 私と夜戦するッ?!」

「ヤる! 川内たんとヤるぉぉぉおおおお?!!!」

 

……本当か? 本当にこれはわざとなのか? 岸田、川内さんと一体何をやるつもりなんだお前は……。

 



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03.提督と岸田は似ていた

 5人の艦娘に曳航されながら一時間ほど経過した頃、目的の鎮守府が見えてきた。“叢雲たんチュッチュ鎮守府”というけったいな名前とは思えないような立派な施設だ。入港した僕達を出迎えてくれたのは、メガネをかけた理知的な美人の大淀さん。

 

「お待ちしておりました。川内以下救援部隊4名とあきつ丸、及び岸田様と橋立シュウ様は、このまま執務室に向かって下さい」

「フツクシイ……シュウ……これは夢か……大淀さん……なんとフツクシイ……」

「現実だ。しっかりしてくれ……」

「シュウ……人は美しい物を目の当たりにした時、涙を流すというのは本当なんだな」

 

 川内さんと大淀さんを先頭に、僕達は執務室に向かう。道すがら、たくさんの女の子とすれ違い話しかけられた。特に印象深かったのは、天龍さんと龍田さんの二人。

 

「お前たちが岸田と橋立シュウだな?」

「はいそうです。あなたは?」

「俺の名は天龍。フフ……怖いか?」

「怖いお!! 天龍ちゃん怖かわいいよぉぉおおおぉおおぉおお!!」

「お、おう……」

「あらあら……天龍ちゃんをたじろがせるだなんて……さすがは提督の分身とレ級に立ち向かった人間ねぇ~……ヤりがいあるわぁ~……ウフフ……」

 

 こんなことが日常茶飯事なのかこの場所は……つーかヤりがいって何だ何する気だ……まぁいい。つーか僕は何もやってないし言ってない。

 

 執務室の前まで来ると、川内さんが勢い良くドアをノックし始める。

 

「ていとくー!! 川内以下救援部隊4名、目標3名を回収して今戻ったよー!!」

『了解した! 全員入ってくれ!』

「はーい!!」

 

 川内さんがドアを開ける。部屋の中は広々としており、高級そうな机が部屋の奥に置いてあった。床は板張りなのだが、執務室に似つかわしくないジュークボックスが置いてあり、そのジュークボックスからは演歌が流れていた。なんというか、果てしない異空間だ。

 

 机には『提督』と書かれた名札とオシロスコープのような機械が置いてあり、その席には、真っ白い軍服に身を包んだ、僕たちより年上に見える一人の男性が座っていた。その男性は、僕達が執務室に入ると立ち上がり、机の前に立って僕達を出迎えた。

 

「あきつ丸とピックアップ部隊のみんな、よくやってくれた。お前たちは随時入渠して疲れを取った後に解散してくれ。二人は話があるからここに残ってくれ」

「了解! それじゃあ岸田、シュウ、明日にでもまた話しようね!」

「岸田殿、シュウ殿。それでは自分もこれで。改めて、来て頂いてありがとうであります」

 

 そう言い残し、あきつ丸さんたちは執務室から出て行った。確かに色々あったし怒涛の展開だったけど、彼女たちと過ごした時間は楽しかったな。

 

 あきつ丸さんたちが部屋から出て行くと、軍服の男性は『さて……』と言いながら自身の帽子をかぶり直し、こちらを見据えた。

 

「いきなりのことで色々訳がわからないとは思うが……まずは自己紹介をさせてもらいたい」

「はい」

「俺はこの鎮守府を預かっている叢雲たんチュッチュ提督だ」

「ぶふッ」

 

 いきなり真面目な顔をして“叢雲たんチュッチュ”とか言い出すものだから、僕は思わず吹いてしまった。やっぱオカシイだろこの名前。

 

「なぜ笑うッ?!」

「いやだって……すごい真面目な顔で“叢雲たんチュッチュ”て……」

「名付け親の岸田にいえよぉぉおおおおン?!!!」

 

 そう言いながらその男性……提督はスベスベマンジュウガニに退化して痙攣しながら泣きだした。一方、当の名付け親の岸田本人は、そんな提督を見て指差して大笑いしている。一体誰のせいだと思ってるんだこいつは。

 

「“叢雲たんチュッチュ”て!! いや名付けたの確かに俺だけど!! ブハッ……」

「お二人とも! 提督は自身の名前が珍妙なことをとても……ブフッ……気にされています! それ以上おちょくるのは……!! おやめ……ブホッ」

 

 大淀さんは笑いをこらえている僕と大笑いしている岸田を諌めるが、彼女もまた笑いをこらえきれてないのを、僕が見逃すはずはない。

 

「ま、まぁそれはさておき……」

 

 ……あ、提督がスベスベマンジュウガニから人間に進化した。

 

「岸田。そして橋立シュウ。当鎮守府を代表して二人を歓迎する。よく来てくれた」

 

 甲殻類から人間に進化した提督は、僕達の方に来ると手袋を外して握手をしてくれた。その握手は力強く、なにか強い意思のようなものを感じ取れる握手だった。提督は握手が終わると自身の席に戻り大淀さんに何か伝えると、大淀さんは頷いて部屋の奥にある扉から室外に出ていった。

 

「二人には色々と話があるんだが……あきつ丸からどこまで話は聞いている?」

「姉ちゃ……比叡さんが囮になって敵に囲まれているってことぐらいです。具体的なことは特にはまだ何も……」

「そうか。橋立……あーめんどくせ。シュウでいい?」

「いいですよ」

「ありがと。シュウが来るのは元々はイレギュラーな事態で、本来のあきつ丸と比叡の目的は、岸田をここまで連れてくることだったってのは?」

 

 そういえばあきつ丸さんは、僕を呼ぶのは独断だって言ってたっけ。

 

「いや、別に来ちゃダメだったわけではない。実際、俺を始めとしたうちの子たちも、岸田と同じくきみに会うのを楽しみにしていた。だから単にイレギュラーってだけの話で、そこは気にしないでくれ」

 

 う……そんなこと言われると恥ずかしいような……あと岸田、僕をそんな目で睨まないでくれ……

 

「そして、本来の目的……岸田に鎮守府に来てもらった理由だが、きみは深海棲艦の勢力から、最重要人物として命を狙われている」

「はい?!!」

 

 岸田が素っ頓狂な声を上げて、またワタリガニに退化し始めんばかりの勢いで痙攣しはじめた。しかし、この事実は僕にとっても驚きだ……まさかこの甲殻類が……

 

 提督の説明によると、この鎮守府は司令部から“ノーリスクでマックスリターンを得る奇跡の鎮守府”と言われるほどの戦果を上げているらしい。そして、その指揮を取り、鎮守府を運営しているのは今目の前にいる提督なのだが、実際は彼は岸田のゲームプレイを再現しているに過ぎず、この鎮守府で奇跡とも言える多大な戦果を上げているのは、岸田の判断によるところが大きい……とのことだ。提督には、実際には岸田に操られている自覚というのはないのだが、その辺に『提督が岸田の分身』『提督はこっちの世界での岸田』という側面につながっている……というよく分からない理論を展開していた。

 

 提督は自身の席に戻り、椅子に座って帽子を脱ぐと、まっすぐにこちらを見据えた。

 

「この事実に関しては、深海棲艦の方が我々よりも早く真相に辿り着いた。奴らは“艦娘との戦争に勝利するには、ゲームとして鎮守府を背後から操っている無力な奴らを抹殺すればいい”という結論に達したらしい。シュウと比叡が撃沈したレ級は、元々は岸田の抹殺が目的だったようだ」

 

 僕達の世界に深海棲艦が遠征してしまえば、まだ世界を飛び越える技術を持たない鎮守府は手出しが出来なくなる。そうなる前になんとか岸田を確保し、この鎮守府で岸田を守りぬこうというのが、岸田をこっちの世界に連れてきた意図らしい。

 

「でも提督、だったら比叡姉ちゃんやあきつ丸さんが僕達の世界に来れた方法は?」

「先だって全国の鎮守府を巻き込んだ大規模な作戦があった。その際に敵勢力から奪取した拠点の一つに、そちらの世界への渡航設備が備わった拠点が運良く見つかったんだよ。あきつ丸はその渡航設備を使ってそっちの世界に渡ったんだ」

 

 あーなるほど。敵のものを手に入れたのか……。

 

「姉ちゃんは?」

「ちょうどあきつ丸と一緒にこっちに渡ってきた君たちと同じ理屈で、渡航するレ級に巻き込まれる形でそっちの世界に行ったんだろう。君たちも体験したとおり、実際に渡航する際は、発動してから渡航するまでしばしのタイムラグがある。そのタイムラグ中のレ級ともみくちゃになり、レ級と一緒に渡航してしまった……比叡の証言から推理するとこんなとこだな。実際に比叡がバットを持ち帰ってきたり、あきつ丸と一緒にきみたちがこっちに来られたのがその証拠だ」

 

 なるほど。よく分からんけど、とりあえずは納得した。

 

 それで今回岸田の確保を目的に、あきつ丸と比叡姉ちゃんが僕らの世界に渡ろうとしたところ、設備奪還のために侵攻してきた敵に遭遇。姉ちゃんは設備とあきつ丸さんを守るために残り、あきつ丸さんは僕らの世界に来た……今回の事件の流れはこんな感じだと説明された。

 

 ……ん? 設備がすでにあるんなら、いちいち岸田をこっちに連れてこなくても、艦娘のみんなを僕達の世界に連れてくればよかったんじゃない?

 

「冷静になれよシュウ。お前、なんか知らんけどいきなり美少女がたくさんやってきて海の上走ってて大砲撃ったりして化物と戦ってたら、何も知らない人はドン引きだろう」

「そうだ。艦娘たちがいきなりやってきたら街は大パニックだ。ったくこれだからヲタ以外の人種ってのはイヤになるぜ……お前おれの友達だろ……」

「まったくだ。これで比叡の弟っつーんだから笑わせる」

「ホントだぜ」

 

 ちょっと待て。ぼくは二人にここまで息ぴったりで罵倒されなきゃいけないようなアホなことを言ったのか? ヲタじゃないってそんなに罪深いことなの?

 

「はいはい! おれも質問があります!!」

「はい。岸田くん」

 

 岸田が小学生のように勢いよく手を上げ、提督が新任の女教師のようにその岸田を指名する。なんだこの茶番劇は……一心同体だからか?

 

「元の世界に戻るにはどうすればいいんだよ?」

 

 確かにこれは問題だ。比叡姉ちゃんもあきつ丸さんも、絶妙のタイミングで元の世界に戻った。何か元の世界に戻る条件でもあるのか……

 

「詳しいことはまだ分からん。ただ、深海棲艦の設備に残っていた資料を解析した結果、“目的達成で、自動的に戻る”ように設計されているとのことだ」

 

 続けて提督が詳しい話をしてくれたのだが、要約すると、本人にとっての“渡航する目的”を達した時に、自動的に元の世界に戻る仕組みなようだ。どういう技術なのかはよくわからないが、あきつ丸さんが僕達を確保した途端に戻って来れたことから考えると、あながち的外れな話ではないらしい。

 

 姉ちゃんの場合、本人は『シュウくんを守るため』と言ってくれていたが、実際には『レ級を倒すため』だったのだろう……というのが提督の見解だ。その方が確かに筋は通る。レ級ともみくちゃになっていた姉ちゃんは、きっとレ級を倒すことで頭がいっぱいだったはずだし、何よりその頃、僕と姉ちゃんは出会ってないのだから。

 

 続けて、僕も質問があった。こっちの世界に来た一番の目的だ。

 

「僕も質問がある」

「よし来い」

「姉ちゃん……比叡さんの救出はいつなの? なんかみんな、仲間がピンチだってのに、すごく落ち着き払ってるけど」

 

 そう。僕がこっちの世界に来た一番の目的は、姉ちゃんに会って、助けるためだ。姉ちゃんは今一人でピンチに陥っているが、その割には皆落ち着き払っていて、慌てる素振りが全くない。今もこうして提督からして悠長に会話をしている。それが僕には不可解だった。

 

「ふむ……確かに最初に伝えてなかったのは俺の落ち度だな。すまん」

 

 提督は僕の質問を聞いたところで、椅子に深くもたれかかった。

 

「すでに妙高型4姉妹とビスマルクと赤城、計六名が、救援部隊として出発している」

 

 そうか……すでに救援隊が出発していたのか……だからみんな落ち着いていたんだ。

 

「今回出撃させた6人は当鎮守府でも打撃力に秀でた手練だ。加えて、比叡はこの鎮守府でもトップクラスの練度を誇る艦娘だ。囮を引き受けた後に何度か報告を受けたが、今のところは大丈夫だ。比叡であれば、救援部隊が到着するまで持ちこたえられるだろう」

 

 よかった……提督も落ち着き払ってるし、何も心配することはなさそうだ。……ん? ちょっと待て。

 

「提督、僕は姉ちゃんを助けるために来た」

「うん。そう聞いてるな」

「だとしたらマズくないかな。姉ちゃんが助かったら、僕の目的は達成されたことになる。そうしたら僕は、姉ちゃんに会うこと無く元の世界に戻るってことにならないかな……」

「比叡が勝手に助かる分には大丈夫だと思うぞ。キミが助けなければ、目的未達成ってわけだし」

 

 そんな簡単なことなのか?! そんな言葉遊びみたいな程度のことで片付く問題なのこれ?! 姉ちゃんが助かった途端に強制送還なんて僕はイヤだよ?!

 

「ごめん。なんか気になっちゃって……」

「いいさ。それだけ比叡のことを大切に思ってくれてるってことだろ。それは提督として嬉しいかぎりだ。もっとも、そんな俺の分身である岸田はそうでもないみたいだが……」

 

 僕と提督は、自然と岸田に目をやる。岸田はサワガニに退化して、泡を吹きながら痙攣していた。ブツブツと何かうわ言を言っていたのでよく聞いてみると、『ちくしょう……シュウにおれの比叡たんが……NTRだ……これはNTRだ……』と言っていた。よく見たら血の涙を流していた。

 

 不意に、誰かがドアをノックした。提督が再び帽子を被り、席から立ち上がる。

 

『テートクぅ~。OH! 淀に呼ばれてきたヨぉお~』

「おう。入ってくれ。あとOH! 淀じゃなくて大淀な」

 

 提督が入室を促すと、見覚えのある巫女装束に身を包んだ女性が、大淀さんと共に部屋に入ってきた。栗色の長い髪や、柔らかな顔つきといった違いはあるが、どことなく雰囲気が比叡姉ちゃんに似ている。

 

「というわけで、順調に行けば明日の昼ごろには比叡たちも戻ってくる。それまでシュウはゆっくり休んでくれ。世話役として金剛をつける。比叡の姉だ。知ってるな?」

 

 そっか。この人が姉ちゃんのお姉さんの金剛さん。

 

「ユーがシュウくんですね? 私はシュウくんのお姉ちゃんのお姉ちゃん、金剛デース!!」

「はい。はじめまして」

 

 確か比叡さんの話だと、仲間思いのすごく優しい人って聞いてたからもっとおしとやかな人を想像してたんだけど……なんか思ってたのと違う感じの人だ。比叡姉ちゃんの姉と言われると、すごく納得するはっちゃけ具合だ。

 

「そしてユーがテートクのドッペルゲンガーのキシダデスネー? 二人ともこっちの鎮守府にようこそデース!!」

「は、はいぃいいッ!! 金剛ちゃん!! 本物の金剛ちゃんだぁあああ!!!」

「ハイ! 本物の金剛デスヨー!」

 

 本物の金剛さんを目の前にした岸田は甲殻類から霊長類ゴリラゴリラにまで進化し、今は広がった鼻の穴から蒸気を噴出させつつ金剛さんと握手している。その『ふーん! ふーん!!』て鼻息はよせよ岸田……

 

「ふぁあああああ!!! 洗わねえ!! おれ、もうこれからずっと手を洗わねぇ!!」

 

 岸田……本人の前でキモい発言は謹んでくれ……

 

「では解散。金剛、シュウを比叡の部屋に案内してくれ。そこで就寝してもらおう」

「わかったネー! じゃあシュウくん、ふぉろみー!!」

 

 金剛さんが比叡さんに似たお日様のような笑顔でそう言い、僕の肩をポンッと叩いてウィンクしてくれた。姉ちゃんとは違う感じだが、この人も悪い人ではなさそうだ。

 

「あれ? じゃあおれは?」

 

 相変わらずのゴリラ岸田がポカンとした顔でそうつぶやく。その言葉を聞いた提督が岸田の隣にやってきて肩を抱き、ニヤッと笑ってこう言った。

 

「キミはおれと大淀と3人で、隣の司令室で楽しい楽しい漫談タイムだ」

「ちょっと待てよ! おれも鎮守府の中散歩したい! 比叡たんの部屋行きたい!!」

「ダメだっ。おれと一緒に大淀に笑われようぜ」

「お、大淀たんに……嘲笑されるだと……?」

「そうだ。あの大淀にあざ笑われ、蔑まれ、“この豚野郎”と罵倒されるんだ」

「そ、それも悪くない……」

 

 マジか岸田……生粋の変態ではないだろうとは思っていたが、僕は岸田のことを過小評価していたというのか……大淀さんをチラッと見ると、困ったように苦笑いをしていた。大淀さん、こういう時はたとえ上官でも怒っていいと、僕は思います。

 

「ではシュウ、また明日会おう。おれはこれから大淀さんに罵倒されてくる。キリッ」

「そういうことだ。では俺達は大淀に罵倒されなきゃいかんので失礼する。キリッ」

 

 岸田……僕は今日限り、岸田のことを変態ドM野郎だと思うことにするよ……。あと提督、あなたこの鎮守府の責任者ですよね? そんなことでいいんですか?

 

「テートクはいつものことデース。さ、ワタシたちは部屋にいくヨー!!」

 

 マジか……これでいいのか叢雲たんチュッチュ鎮守府……いや名前からしてすでにアウトだけど……つーか、やっぱ似てるんだなこの二人……

 

 

 



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04.懐かしのバット。懐かしい感触。懐かしい匂い

「シュウくんが来るって分かってたら、ベッドのシーツも変えておいたんですけどネー……」

 

 金剛さんは笑顔を浮かべてそう言いながら、姉ちゃんの部屋のドアを開けた。ドアの向こう側に広がる部屋はさっぱりと片付けられた小奇麗な空間で、僕は『姉ちゃんの部屋』と聞いてカオスな状況の部屋を想像していた自分を少し責めた。

 

「大丈夫デース。実はシュウくんがくるって聞いて、私が慌てて片付けたのデス」

 

 金剛さんがケラケラと笑いながらそう言う。そういえば僕が来るのはイレギュラーだったんだよね。

 

 フと、ベッドの上の包帯のような細長い布が気になり、手に取った。

 

「Shit……多分それは、比叡のサラシネー……片付け忘れていたデース……」

 

 そういえば姉ちゃんブラじゃなくてサラシを使ってるって言ってたっけ……あ、てことは……ぼくはサラシをベッドに戻し、見なかったことにした。

 

「そういえばシュウくん!」

 

 突然手をパンと叩き、金剛さんが大声を張り上げる。

 

「まだお礼を言ってなかったデス!」

 

 ほ? お礼? 僕何かしましたっけ?

 

「あっちの世界で比叡を助けてくれたこと、比叡の弟になってくれたこと……艦娘として、比叡のお姉ちゃんとして、お礼を言いマス。本当にありがとうゴザイマス」

 

 金剛さんはそう言いながら、両手の僕の手を取り、満面の笑みを浮かべてくれた。その笑顔と握った手の感触は、どことなく姉ちゃんを思い出した。

 

「そんな! 僕の方こそ!! 姉ちゃんには色々助けてもらいました!!」

「プフッ……ホントに、仲のいい姉弟デス」

 

 顔が熱い。そんなこと言われると恥ずかしい。

 

「ほら、シュウくん」

 

 金剛さんが目線を動かした。僕もつられて、金剛さんの目線の先を見ると、そこには懐かしいものが立てかけてあった。

 

「あ……あのバット……」

 

 忘れもしない。僕がテレタビーズで活躍する姉ちゃんに上げたバットだ。あのベコンベコンにへこんだ『ひえい』と書かれたバットは、僕にとっても、とても思い出深いものだ。

 

「比叡、あのバットだけは誰にも触らせないのデース。テートクが前こっそり触ろうとして、怒られてたネー」

 

 姉ちゃん、そんなに大切にしてくれてたんだ。僕はそのバットに手を伸ばし、グリップに触れた。よくあるバットと触った感触は変わらないはずなのに、それはとても懐かしい感触がした。

 

「……こっちに戻ってからの姉ちゃん、どうでした?」

「戻った日はさすがにちょっと落ち込んでたデス。シュウくんのそばにいられないことをとても悔やんでいまシタ。ずっとシュウくんの名前を呼んで泣いてマシタネー」

「……」

「今はもう元気いっぱいで、シュウくんのことをみんなに自慢しまくってマスけど、時々バットを見つめて複雑な表情をしてたデス。姉としてなんとかしてあげたかったデスけど、ワタシじゃどうにもならなかったネ……」

 

 僕のこと忘れずに、心配してくれてたんだなー姉ちゃん……僕は姉ちゃんがどんな気持ちで帰っていったのか、その最後の表情をよく見てなかったから……。

 

「さて、積もる話もありマスけど、また明日にしまショー! 今回は時間もたっぷりあるしネー!!」

「分かりました。金剛さん、ありがとうございました!」

「のーぷろぶれむデース! それじゃあシュウくん、ぐんないッ!!」

 

 金剛さんはそう言ってウィンクをしながら部屋を出て行った。後に残されたのは僕一人。……あ、そういえばベッドを使っていいのか聞きそびれたな……まぁいいか。

 

 僕は、先ほど自分で無造作に置いてしまった比叡姉ちゃんのサラシを手に取る。……いかん。考えるな。考えちゃダメだ。そのサラシを小さなテーブルの上に置くと、急に眠気が襲い掛かってくる。倒れこむようにベッドに寝転がり、心地いい感触に身を委ねた。

 

「……あ、なんか姉ちゃんの匂いがする」

 

 懐かしい匂いを感じたことで、初めて寝る場所のはずなのに、ものすごい安心感に包まれながら眠りにつく。その日は、久しぶりに姉ちゃんに膝枕されて、頭をくしゃくしゃ撫でられる夢を見た。

 

 



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05.姉ちゃんの声

「シュウくん!! ぐっもーにーん!!」

 

 翌朝、僕は金剛さんの超絶に元気なモーニングコールで起床した。金剛さんは姉ちゃんの姉だからなのか部屋の合鍵を持っており、その鍵で僕が寝ている間に侵入され、モーニングコールとともに掛け布団をひっぺがされたのだ。

 

「いやー、比叡をいつもあんな感じで起こしてるから、シュウくんもそれでいいかなーと思ったんデス。歯磨きをしに洗面所に行くデスヨー」

 

 ケラケラと人懐っこい笑顔を浮かべながらそう話す金剛さんから歯ブラシをもらい、共用の洗面所で一緒に歯を磨く。しかし、見事なほどに女の子ばっかりだな……中には小学生みたいな子もいる。

 

「ちゃんと三分磨かなきゃダメよ響~。 しゃこしゃこ」

「ダー。しゃこしゃこ」

「むぐむぐ……ごぱぁ。暁ちゃん……歯ブラシが落っこちそうなのです……」

「私は……眠くなんか……ないわよ。だって……いちにん……まえの……クカー」

 

 四人組のちっちゃい子のうちの一人が、そう呟きながら歯磨きの途中で寝ていたのが印象的だった。昨晩ここに到着してすぐに遭遇した天龍さんや龍田さんのように、個性的な女の子が多いんだなぁ。さすがゲームの中の世界。

 

 とはいえ、こんな小さな子たちが過酷な戦場に出ているのかと思うと、複雑な気持ちではある。こんな小さな子でも、あんな凄惨な戦いをせざるを得ないんだよな……この世界は。

 

「むぐむぐ……ごぱぁ。歯磨きが終わったらブレックファーストデース。榛名と霧島が先に食堂で待ってると思いマスヨー!」

「ふぉぁーいっ。しゃこしゃこ」

 

 食堂に行くと、金剛さんが言っていた通り榛名さんと霧島さんが席を取って待ってくれていた。

 

「シュウくんはじめまして。私は榛名です」

「霧島です。シュウくんには一度お会いしたいと思ってました」

 

 二人からそう言われて照れくささを感じながら、僕は3人を見比べる。姉ちゃん含めて4人とも全然違うタイプの人なんだけど、4人ともどことなーく似てるんだよね。

 

「ほわっつ? どうしたんデース?」

「いや、みんなやっぱり姉ちゃんの姉妹なんだなーと思って。どことなく似てるなーって」

「当たり前デース! 比叡は私のカワイイ妹デスからネー!」

「はい! とても頼りになるお姉様です!」

「そうですね。比叡お姉様は、私達の誇れる姉です」

 

……あれ? てことは、ここにいるみんな、僕の姉になるのか?

 

「デュフフフフ……これはいい事を聞いたデース。比叡が聞いたらヤキモチを焼くデスネ。戻ってきたらイヤーホールをディグらせてよく聞かせなければならないデス!」

 

 金剛さんがご飯を頬張りながらほくそ笑んでいる。僕は何か余計な一言を言ってしまったのかもしれない……。

 

「大丈夫です。いつものことですよ」

「はい! 榛名も弟が出来るとうれしいです!!」

 

 榛名さんは朗らかな笑顔でそういい、霧島さんはメガネを光らせながら味噌汁を飲んでいた。よかった。なら気にしなくてもいいのかな?

 

 そうこうしているうちに、岸田と提督も食堂にやってきた。昨日は大淀さんに存分に罵られたためか、二人とも、睡眠不足の目の下のクマとは裏腹に、非常に顔がツヤツヤしている。二人は朝食が乗ったお盆を両手で持ち、僕達の席に向かってきた。

 

「おはよーシュウ」

「岸田おはよ。昨日はどうだった?」

「シュウ……よかったぞ……罵倒というのはいいものだ……あぁ……」

「だろう? 大淀の罵倒が毎日聞けるおれは、幸せ者だ……あぁ……」

 

 ダメだ。岸田一人でさえ手が付けられない変態だというのに、提督も合わさってブーストがかかってる……岸田の友人として止めた方がいいのかなぁ……。

 

 なんてことを思っていたら、鎮守府内に放送が鳴り響いた。

『提督と岸田様は大至急、執務室にお戻り下さい。繰り返します。提督と岸田様は、大至急、執務室にお戻り下さい』

 

 直後、岸田と提督は白目を向いてビクンビクンと痙攣を始めた。もはや出来の悪いホラー映画に出てくるゾンビにしか見えない。主に下半身から挙動が崩れている。

 

「また……また天国タイムが始まるのか……!!」

「素晴らしい……なぁ提督、ここは極楽浄土なのかなぁ……探せば五代目三遊亭円楽がいたりしないかなぁここ」

「円楽師匠はいないが、極楽だというのは同感だ……」

 

 そう言いながら、うつろな目で朝食を載せたお盆を持ったまま、フラフラと食堂を出て行くゾンビ二人。その後ろ姿を見守りながら。金剛さんが呟いた。

 

「なんかテートクが二人いるみたいデ~ス」

 

 同感だ。タチの悪い変態が二人もいる……昨日は甲殻類でしかなかった二人だったが、今日はまさか歩く死体にまで落ちぶれるとは思わなかった……

 

 その後は興味津々になっていた他の艦娘たちから質問攻めにあいながら、鳳翔さんが作ってくれたとても美味しい朝食に舌鼓をうった。『今日は特別サービスだよっ』と瑞鳳さんが作ってくれた玉子焼きも美味しかったが……

 

「正直に言っていいよ? お姉さん怒らないから」

「比叡姉ちゃんの作った玉子焼きの方が……好きデース……」

「シュウくんは比叡さんがホント好きなんだね~」

「シュウくん、やはりワタシとも姉弟のようデスネ!!」

 

 とかなり恥ずかしい思いをしてしまった。違うんだッ! 瑞鳳さんの玉子焼きも美味しいんだけど、僕は玉子焼きはしょっぱい派なんだッ! 瑞鳳さんの玉子焼きは甘いんだッ!!

 

 その後は金剛さんたちに連れられて鎮守府を色々と歩き回っていたのだが、ちょうど夕張さんから艤装に関する熱いレクチャーを受けている最中、鎮守府内に提督の声で放送が流れた。その声は、食堂から出て行った二人の歩く死体の片割れとは思えないような、緊迫さが感じられる声色だった。

 

『金剛とシュウは、大至急執務室に来い。繰り返す。金剛とシュウは大至急執務室に来い。以上』

 

 僕と金剛さんは顔を見合わせた。僕はもちろん、金剛さんもきょとんとしている。

 

「何でしょう?」

「何デスかねー……」

 

 執務室に到着すると、そこにいたのは提督と岸田と大淀さんの3人。大淀さんはオシロスコープのような通信機で誰かと通信している。提督と岸田は朝の生ける屍と同一人物だとは思えないほど、真剣な顔をしていた。

 

「テートク~。来たヨ~」

「ああ。ちょっとマズいことになった」

 

 提督がそう言い終わるか終わらないかのところで、大淀さんが会話に割って入る。

 

「提督、救援艦隊、無事帰投しました」

「了解した。報告はいらん。先に傷が酷い者から順に入渠をさせろ。全員に高速修復剤の使用を厳命する」

「了解しました。全員、高速修復剤を使用して入渠させます」

 

 大淀さんはそう言うと執務室からカツカツと出て行った。大淀さんの歩くスピードから、比叡姉ちゃんは救援部隊と一緒には帰ってこれなかったんだということが、なんとなく分かった。

 

「岸田、何かあったの?」

「ああ。提督、言っていいか?」

 

 岸田がいつになく深刻な表情で提督を見る。提督は岸田に無言で頷き、岸田もそれを受けて真面目な顔で僕に答えた。

 

「落ち着いて聞けよシュウ。昨日出撃した救援部隊が、比叡たんを奪還どころか、比叡たんに辿り着く前に全員轟沈寸前の大破で戻ってきた」

「What?!」

 

 今一状況が読み込めない僕よりも、金剛さんの方が早く反応した。

 

「金剛さん金剛さん」

「ハイ?」

「どういう状況なの?」

「シュウくんと別れた時の比叡、傷だらけだったデショ?」

「うん」

「艦隊の六人全員が、あの状態で戻ってきたんデス」

 

 そんなバカな?! 救援部隊の6人は手練だったはずなのに!!

 

「確かに手練だ。だが比叡がいる海域を守るように、めっぽう強い潜水艦隊がいたようだ。あの海域は潜水艦タイプの深海棲艦との遭遇はほぼゼロに等しい。俺も油断していたよ……」

 

 提督が苦々しい顔をしてそういう。

 

「妙高たちとビス子と赤城の編成なら、大抵の相手には負けない。だが潜水艦への攻撃は不可能だ。加えて潜水タイプの敵との遭遇が極端に少ない海域で完全に対潜警戒がずさんだった上、相手は確実にスナイプを決めてくる手練……やられた……」

 

 岸田も悔しそうに歯ぎしりしていた。提督という人種にとって、自身が編成した艦隊で作戦が完遂出来ないことは、轟沈で仲間を失う事の次に無念で悔しいことだと、僕は後で岸田から聞いた。

 

「で、でも、それならすぐに救援に向かわないと!!」

 

 そうだ。作戦が失敗したのなら、すぐにもう一度出撃しないと……じゃないと姉ちゃんが……

 

 不意に、オシロスコープのような通信機から、ピーピーという発信音が鳴った。提督は左手のひらを僕に向けて僕たちを制止し、通信機のマイクを取る。

 

「鎮守府だ」

『こちら比叡です!』

 

 ……姉ちゃん!!

 

「比叡か。その後どうだ」

『今のところはなんとか。でも相手は複数の艦隊で波状攻撃で攻めてきて、休むヒマを与えてくれません……燃料も弾薬も残り少なくなってきました……』

 

 姉ちゃんと提督の声だけが、執務室に響き渡る。懐かしくて、聞くだけで涙が出るほどうれしいはずの姉ちゃんの声のはずなのに……ずっとこの日を待っていたはずなのに、うれしさじゃなく、不安と焦燥感だけが胸に去来する。

 

 提督は姉ちゃんからの報告を聞きながら僕の方を見て、左手で僕を手招きする。

 

「比叡。昨晩出発した救援隊は、先ほど全員大破で戻ってきてしまった」

『やっぱり……私を囲む敵艦隊、強くなってるんです。今は小島の影に隠れてますけど、このままでは見つかるのも時間の問題で……』

「心配するな。すぐに再度艦隊を編成して救援に向かう。今日の夕方まで耐えられるか?」

『分かりません……こればっかりは……』

「耐えられると言え。じゃないと、お前の帰りを待ってる人が大勢いるんだ」

『私も帰りたいですよ! でもどんどん攻撃が激しくなってきて……』

 

 提督がマイクを僕に渡した。僕は震える手でマイクを受け取り、口に近づける。

 

「そのボタンを押しながら話すんだ」

 

 耳元で提督にそう言われ、僕は恐る恐るマイクの側面に付いたボタンを押し、震える喉から声を出し、姉ちゃんに呼びかけた。

 

「姉ちゃん」

『……え? ……シュウくん?』

 

 シチュエーションさえ無視出来れば、この数カ月間、僕が心から待ちわびた瞬間だった。姉ちゃんが僕の名前を呼んでくれた。ゲームの定型文なんかじゃない。一緒に暮らしてきた姉ちゃんが、また、僕の名前を呼んでくれた。

 

「うん。こっちに来たよ」

『……ホントに? ホントにシュウくん?』

「うん。あきつ丸さんに連れられて、岸田と一緒にこっちに来た」

『シュウくん……よかった……また……また声が聞けた……』

「うん……姉ちゃん……僕も……声が聞きたかった……ずっとこの日を待ってた……」

 

 無線機の向こう側から、ぐすっという鼻をすする声が聞こえ、姉ちゃんが泣いているのが分かった。僕も胸が一杯になり目に涙が溜まってくる。この瞬間を、ぼくたちはどれだけ待ちわびたことだろう。この日が現実になる日を、どれだけ待ち焦がれただろう。この無線の向こう側には、姉ちゃんがいる。姉ちゃんと同じ空の下に、今僕はいる。

 

「シュウくんシュウくん、マイクをこっちに向けて下サイ」

 

 金剛さんにそう言われ、我に返った僕は、金剛さんのいる方向にマイクを向けた。金剛さんは深く息を吸い、声を張り上げてこう言った。

 

「ひえーい!! シュウくんに会うためにも、救援部隊が駆けつけるまでがんばるデスヨー!!」

『お姉様もそこにいるんですか?』

「いえーす! シュウくんのお世話係をしてマース! 比叡が言ったとおり、とってもいい子デスネー!!」

『ハハッ! もうシュウくんと仲良くなったみたいですね!』

「榛名と霧島も、“やっと弟に会えた!”って喜んでマース!」

『ひぇええ?!!……し、シュウくんは、私の弟ですッ!!』

 

 提督がプッと吹き出し、岸田が悔し涙を流しながら天井を見上げているのが見えた。……しかしこの二人の会話、聞いてるこっちは恥ずかしくてたまらない……

 

「だったら救援艦隊がそっちに着くまでがんばるネー! そしてこっちまで来てくれたシュウくんの元に帰ってくるデース!!」

『はい! ありがとうございますお姉様!! シュウくん!』

「はいっ!」

『また会えるんだね! またシュウくんに会えるんだね!!』

「うん! また会えるんだよ姉ちゃん!!」

『こっちに来てくれてありがとう! お姉ちゃん元気出た!!』

「よかった! その調子だ姉ちゃん!!」

『お姉ちゃん、気合! 入れて!! 行きます!!!』

 

 提督が僕の方を叩き、マイクを催促してきた。僕が提督にマイクを渡すと、提督は即座にマイクのボタンを押し、口に近づけ通信を送る。

 

「どうだ比叡? 元気出たか?」

『はい司令! 私、シュウくんに会います! 会いたいです! 絶対に持ちこたえてみせます!!』

「その意気だ。定時連絡を忘れるな。何かあれば即時通信を送れ。絶対に持ちこたえろよ」

『はい司令! それでは!! ……シュウくん、待っててね!!』

 

 ぷつっという音と共に通信が途絶えた。一刻を争う事態のはずなのに、姉ちゃんの明るさのおかげで執務室に漂う空気はピリピリとはしておらず、むしろリラックスした柔らかい空気が漂っている。

 

「テートク、シュウくんが来てくれてよかったネ」

「だな。あとであきつ丸に間宮でアイスでもおごってやりたい気分だ」

 

 ん? なんでだ? ……まぁいいか。

 

「……提督」

 

 相変わらず涙が零れないように天井を見上げている岸田が、そのままの体勢でそうつぶやく。提督は無言で頷き、通信機のスイッチをひねった。鎮守府内にチャイムが鳴り響き、提督が鎮守府内での施設内放送を行う合図だというのが、ぼくにも理解出来た。

 

『これより第二次比叡救出作戦を敢行する。加賀、球磨、キソー、ゴーヤの4名は直ちに執務室に集合。全員が揃い次第ブリーフィングを始める』

 

 



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06.重い切り札

 今回の姉ちゃん救出メンバーは、金剛さん、加賀さん、球磨さん、木曾さん、ゴーヤこと伊58さん、以上の5人だ。5人プラス僕と岸田、そして提督で、今執務室でブリーフィングを行っている。

 

「提督、この人員配置の根拠を教えて下さい」

 

 冷静な顔付きをした和風美人な空母の艦娘である加賀さんが、表情を変えずに軽く右手を挙手して言う。

 

「不服か?」

「不服ではありませんが、根拠が今一分かりません」

「手練の潜水艦隊が確認されている」

「確かに球磨と木曾は手練ですが、対潜水艦戦なら夕張や大淀が適任かと。空母も私ではなく隼鷹や瑞鳳の方を編成すべきでは?」

 

 少し前に岸田から、『うちの対潜番長は夕張だ。次点で大淀たん。キリッ』というセリフを聞いたことがある。確かに加賀さんの言っていることは筋が通るわけだが……

 

「今回は対潜水艦戦以外にも、複数回の戦闘が予想される。出来るだけこちらの損傷を抑える形で戦闘をこなしたい」

「つまりゴーヤと木曾、私の3人で砲撃戦前に出来るだけ頭数を減らす算段ですか」

「加えて、敵に駆逐と軽巡がいた場合はゴーヤに攻撃を集中させ、出来るだけお前たちが攻撃される頻度を減らす作戦だ」

 

 マジか……こんな小さな子に、敵の攻撃を集中させるってのか……?! ぼくの隣に立っているゴーヤさんと、自然と目が合う。彼女の服装がスクール水着の上からセーラー服という、とんでもなく非常識な出で立ちなことに今気付いた。

 

「ゴーヤさん。あんなこと言われてるけど大丈夫なの?」

「心配いらないよ。いつもやってることだから大丈夫でち」

 

 ヤバい。こんなちっちゃくてでちでち言ってるような子なのに、大ベテランのような安心感が半端ない。

 

「常日頃オリョールで鍛えてるから問題ないでち。あ、あとゴーヤのことはゴーヤでいいよ? ゴーヤもシュウって呼ぶから」

「わかった。ありがと」

 

 あとは、いかにも『水兵さん』て感じのセーラー服を来た球磨さんと、その球磨さんと同じセーラー服の上から軍服を羽織って、眼帯をつけている木曾さん。木曾さんは出で立ちがどことなく天龍さんと似ているが……天龍さんと違って威圧感のようなものを感じる。常にサーベルに手をかけ、鋭い目が周囲に無言のプレッシャーをかけているように見える。失礼かもしれないが、あれは仕事として人を殺したことがあるオーラだ。

 

「提督、俺も質問していいか?」

「ああ」

「通常、艦隊は6人編成だ。一人少ない5人で組む理由は何だ?」

「現地の比叡が参戦すれば、編成は6人だ。そこまで考えての人員だ」

「なるほどそういうことか。納得した」

 

 一方、その木曾さんの隣に立っているのが球磨さんだが、この面子の中でも一際戦闘行為から遠そうな人に見えるのは気のせいだろうか……マイペースの人特有の、ゆったりとした空気が球磨さんの周囲にだけ漂っているように見える……木曾さんと球磨さんの空間だけが、なにやらピリピリかつゆるゆるとした矛盾した空気が流れていた。

 

「……クマ?」

 

 ……あ、よく見たらアホ毛がぴょこぴょこ動いてる。

 

「それから、今回はみんなと共に特殊艇“おおたき”も出撃する」

 

 提督がほんの一瞬、言い辛そうな顔を浮かべたのが分かった。

 

「……“おおたき”には、岸田とシュウが乗船する。比叡を救出するまでの間、旗艦は“おおたき”だ」

 

 そう。これは僕も驚いた。確かに僕は姉ちゃん救出部隊が再度編成されるという話を聞いた時、一緒に連れて行ってもらえないか頼んでみるつもりではあった。元の世界に帰る云々の関係もあるが、姉ちゃんのピンチに手をこまねいているわけにもいかない……しかしド素人の僕が艦隊に付いて行って果たして大丈夫なのか……と言うのをためらっていた時に岸田が……

 

『シュウ、俺達も行くぞ』

 

 と言ってくれた。元々岸田は、身の安全を確保するためにこっちの世界に来た。それなのに、自ら危険な戦闘に突っ込んできてしまえば、こっちに来てもらった意味がない。シュウにしても、比叡救援艦隊に編成されれば、元の世界に強制送還される危険性が増す……と猛反対する提督と岸田の間でものすごい舌戦を繰り広げた末、結局提督が折れたそうだ。

 

「でもさ岸田。お前、船の操縦なんて出来るの?」

「心配はいらん。手は打ってある。それにお前一人にだけ、カッコイイ真似させられるかッ」

 

 こんな風に非常にイケメンなことを岸田は言っていたが、僕は岸田のつぶやきを聞いてしまった。

 

――ディフフフフ……これで金剛ちゃんに、俺のカッコイイとこ見せて……デュフフフ

 

 それさえなきゃカッコよかったのに……あとで金剛さんにチクってやろう。

 

「What? どうしたんデース?」

「いえ、後で話します」

「?」

「では他に質問がないなら、ブリーフィングは終了。夕張の作業が完了次第出撃。恐らくはあと一時間ほどで完了するだろう。それまで各自待機! 以上! 解散!!」

 

 皆が勢い良く返事をし、敬礼をして部屋から出て行く。僕は自分たちが乗る船の様子を見るべく、岸田と共に工廠に来た。工廠では、夕張さんが急ピッチで作業を進めていた。

 

「夕張さん!」

「あら! 岸田くんとシュウくん!」

「船の準備はどお?」

「進捗は試運転込みで大体70%ってとこかなー。後もう少しで準備出来るわよ。そしたら一度試運転してみて、大丈夫なようなら行けるわ!」

 

 ツナギにランニングシャツというちょっときわどい服装の夕張さんが、油で汚れた顔でそう答えた。準備してくれている船は、モーターボートが少し大きくなったぐらいの大きさで、ちょうど小田浦港に停泊している漁船と同じくらいの大きさだ。漁船と違うところは、小さな砲が船の前方に一つ積まれていることだろうか……こんなものを岸田は運転出来るのか……

 

「いや? おれが船舶免許なんか持ってるわけないじゃん」

「え?! じゃあ運転出来ないの?!」

「おう」

 

 そんなバカなッ?! じゃあさっき自信満々で『心配はいらん。キリッ』とか言ってたのは何だったんだよ岸田ッ!!

 

「あ、そうそう。岸田くんからの注文、一応形にしてみたから運転席に上がってみて!」

「よっしゃ助かる!! さすが実験兵装艦の夕張たんだ!!」

 

 僕の無言の抗議をよそに、岸田は夕張さんのセリフを聞いた途端にガッツポーズを見せて船の運転席に入った。僕と夕張さんも、ウキウキ顔の岸田につられて運転席に入る。運転席には通常、舵やアクセルがあるはずなのだが、この船にはそれがない。あるのは椅子とパソコンのキーボードとマウスとモニター、あと休憩用のソファーだ。

 

 岸田がモニターのスイッチを入れる。船に電源が入り、船体から物々しいエンジン音が聞こえ始めた。モニターにはこの船が映し出されている。

 

「岸田くんの希望通り、全部このキーボードとマウスで操作できるようにしたわよ。シフトキーを押せばモニターが主観モードになって、主砲の狙いがつけやすくなるわ」

 

 夕張さんが胸を張り、誇らしげにそう言う。岸田がキーボードのシフトキーを押すと、モニターには今主砲が向いている方向の景色が映し出され、マウスを上下左右に動かすと、それに連動して主砲が動いている。……あれ? この感じ、なんかどこかで見た覚えがあるぞ?

 

「なあ岸田、これって……」

「おう。今おれがはまってるWorld of Warshipsと同じ操作方法にしてもらった。これならおれでも操作できるからな」

 

 World of Warshipsってのは、岸田が最近ちょくちょくプレイしている海戦ゲームで、僕も何度かそのプレイを見たことがある。なるほど。これなら岸田でも操縦出来そうだ。

 

「さすが夕張たん! 今度天ざるそばおごるよぉおおお!!」

 

 ひと通り操縦システムをいじり倒した後、岸田は揉み手をしながら体中をくねくねと動かし始めた。その様がなんだかキモくて仕方がない。

 

「ありがと! 帰ったら感想聞かせてね!」

「言う! 感想言う!! 夕張たんのためにがんばるよぉおおお!!!」

 

 執務室で見せるイケメンな岸田と同一人物とは思えないその様子を尻目に、僕は工廠を見回す。誰か足りないなぁと思ったら明石さんがいない。さっき金剛さんと顔を見せた時は夕張さんと一緒にスパナを振り回していたのに。

 

「夕張さん、明石さんはどこか行ったの?」

「ぁあ、彼女ならさっき酒保に行ったわよ? なんでも提督に頼まれてた品が届いたとかで……」

 

 ここで、鎮守府全体に提督の声で放送が入った。緊迫感こそ感じられないが、真剣味が伝わってくる声色だった。

 

『橋立シュウ、執務室に来い。繰り返す。橋立シュウ、執務室に来い。以上』

「なんだろう?」

「さぁ……?」

 

 岸田に目をやる。岸田はモニターとにらめっこしながらキーボードとマウスをいじるのに必死だ。よし今の内に……

 

「夕張さん。お願いがあるんだけど……」

「ん? なに?」

「この船の名前なんだけど……」

「一応“おおたき”って名前はついてるけど……改修もしちゃってるし、何なら新しい名前にしてもいいわよ?」

「んじゃ……ちょっとつけて欲しい名前が……」

 

 僕はこの船につけて欲しい名前を夕張さんに伝えた。夕張さんはサムズアップをしてくれ……

 

「分かったわ! じゃあその名前、船体にプリントしておくわね!!」

 

と約束してくれた。その約束を聞いた後、僕は運転席に岸田を残し、執務室に向かうことにした。

 

 出撃準備が整いつつあるためか鎮守府内はにわかに慌ただしくなっている。途中すれ違った金剛さんもとても忙しそうだった。その喧騒を尻目に、僕は執務室のドアの前まで来て、そのドアをノックする。

 

「提督? シュウです」

「おっ来たか! 入ってくれ!」

 

 ドアを開けると、コーヒーの良い香りが室内に立ち込めているのが分かった。提督が二人分のコーヒーをドリップしてくれていたのだ。

 

「よっ。コーヒーももうすぐ準備出来るぞ。ソファに腰掛けて待っててくれ」

 

 言われたとおり、僕はソファに腰掛けた。ほどなくして、提督も二人分のコーヒーを持って僕の向かいのソファに腰掛ける。

 

「金剛には毎度イヤな顔をされるんだが……実はおれ、コーヒー好きで結構こだわってるんだ。砂糖とミルクは好きなだけ使ってくれていいからな」

 

 そういってはにかんだ提督が淹れてくれたコーヒーは、確かに飲みやすくて香りがよく、とても美味しい。僕はどっちかというと甘ったるいコーヒーが好きなのだけれど、このコーヒーなら砂糖もミルクもいらないぐらい、スッキリとして飲みやすい。

 

「あのー……提督?」

「ん?」

「僕を呼んだ理由は?」

「んー……なんつーのかな……男同士の話がしたかったっつーか……」

「?」

 

 なんだろう。今一提督の答えがはっきりしない。男同士の話? どういうことだ?

 

「比叡、お前のうちでやっかいになってる間にさ、料理とかやった?」

「よく玉子焼き作ってくれてたなー……でも最初の頃の料理って料理っつーかクリーチャーだったんだよね……目玉焼きとか……」

「あいつ、よく目玉焼きで器用に失敗出来るよな……」

「そうだね……焼き方を聞いてみたけど、結局教えてくれなかったし」

 

 提督が本当に不思議そうな顔をしてそういい、僕はそれを受けてちょっと吹いてしまう。この鎮守府に来てまだ一日ちょっとだけど、なんだかこんなゆっくりとした気分で会話をしていることがすごく新鮮で、執務室内にはリラックスした心地いい空気が流れていた。時間が過ぎる毎に執務室の外は騒がしくなっており、防音設備が整っているはずの執務室からも室外の喧騒がよく聞こえる。だが外の騒がしさが逆に、執務室内の時間のゆったりさを際立たせていた。

 

「比叡って、お前んとこでどんな目玉焼き作ってたの?」

「メタリックブルーって言うの? 黄身がなんか金属っぽい青色してて、なんかすんごい苦酸っぱい味がした」

「あー……なんか目に浮かぶわ……」

「ここでだと、姉ちゃんどんな目玉焼き焼いてたの?」

「半熟の黄身がな……なんつーかな……赤銅色っつーか焼鉄色っつーか……長年使って焼けた主砲の色って言えばいいのかな……なんかそんな感じの色してたな。ずずっ」

「あー……ありえない色のはずなのに、“姉ちゃん作”って枕詞つけただけで説得力が増すね、それ……」

「だろ? 食った時にサバの匂いがするアルミホイルみたいな味の目玉焼きなんて生まれて初めて食ったぜ……」

 

 僕は比叡姉ちゃんが初めてうちで作ってくれたメタリックブルーの目玉焼きとエメラルドグリーンの味噌汁の凶暴な味を思い出し、無駄に食欲を失った。提督もひどくげんなりした表情を浮かべているあたり、恐らく提督も姉ちゃんの目玉焼きを思い出しているのだろう。

 

「でもさー……憎めないんだよなー比叡のこと。一生懸命なのがわかるから、応援したくなるっつーか……裏表もないし……料理にしても普通に作れば美味しいのに、気合の入り過ぎで余計なことしちゃうだろ? そこがまた憎めないっつーか、かわいいっつーか……」

 

 突然女子会の恋話みたいなノリになってきた……思春期を感じるなぁこういう会話は……

 

「お前もそうだろ?」

「僕は~……よくわかんない……気がついたら好きになってた」

 

 実際自分の気持ちに気付いたのは、姉ちゃんが消える寸前に近かった。確かにそれまで、姉としての愛情を感じることは何回もあったし、実際いなくなると寂しくなるとは思っていたけど、ずっと一緒にいて、ずっと隣で笑っていて欲しい人だと気付いたのは、その時だ。

 

「そっか~……まぁ、あんな姉ちゃんとずっと一緒にいたら、そら好きになるわなぁ」

 

 提督はそう言って、僕を見つめながらニヤッと笑う。なんだかお風呂あがりの姉ちゃんを見てドキドキしてたこととか、膝枕されて頭を撫でられてたこととか……そういう思い出を見透かされているような気がしてなんだか恥ずかしい……

 

 急にドアが開き、大淀さんが入ってきた。大淀さんは縦長の15センチぐらいの大きさのダンボールの小箱を小脇に抱えており、執務室に入ると提督を見据え、落ち着き払ってこういう。

 

「提督、先ほど届いたそうです。明石さんから受領しました」

「了解した。準備して持ってきてくれ」

 

 大淀さんは『分かりました』とだけ言うと、今度は執務室の奥の扉に消えていった。あそこは昨晩、提督と岸田が大淀さんから罵倒という名のご褒美をもらっていた司令室だ。でも見てる感じだと、大淀さんそういう人に見えないんだけどなぁ……

 

「まぁ、な。言葉は柔らかいんだけど、大淀は一撃が重いんだよ」

「は、はぁ……」

「龍田や叢雲もいいんだが……属性をつけるとしたら叢雲は切断系で龍田は刺突系、で大淀は打撃系だな」

「いや、そんなステータス情報はいらないです」

「そうか。……いや、引くなよ」

 

 大淀さんが司令室から戻ってきた。その手には真っ白な化粧箱のようなものを持っている。

 

「漫談はここまでだ。シュウ、単刀直入に聞くぞ。お前は、比叡のことが好きか?」

「うん」

「比叡を愛しているか?」

「うん」

「例え今回は比叡に会えなくなるかもしれないとしても……それでも比叡を助けてくれるか?」

「……」

 

 提督はこちらをまっすぐに見据えていた。

 

 これはさすがに答えに詰まった。たとえ自ら行くつもりであったとしても、やはり言葉で『会えないかもしれない』と確認されると不安にはなる。

 

 もし提督が岸田並のイケメンだとすれば、本当は僕を出撃させたくなかったはずだ。僕の手で直接姉ちゃんを救わせたくなかったはずだ。そうすれば、姉ちゃんが助かった後、ぼくが向こうの世界に戻る可能性が低くなる。僕は助けてないのだから。

 

 にも関わらず、僕は出撃を許された。ひょっとすると、姉ちゃんを助けるための最後のファクターが僕なのかもしれない。だとすれば、僕が出撃することで姉ちゃんを助けることができる。でも僕は、姉ちゃんと会うことが出来ない。

 

 僕が答えを出すのに手間取っている間、提督は僕をずっと見守ってくれていた。その表情には、即答できないことへの怒りやイライラはない。

 

「分かった。即答されるより、逆に比叡を大切に思ってくれていることが伝わった。……大淀」

「はい。橋立様、こちらを……」

 

 大淀さんが僕の隣に立ってその手に持った化粧箱と、一枚の書類を僕の前に置いた。その純白の化粧箱はとても上等な作りで、ひと目で中身が特別な品だと言うことが分かる。

 

「それが今回の作戦の最後の切り札になる。箱を開けて、中の物を取り出せ」

 

 提督にそう促され、言われるままに箱を開けて中を覗いた。中にはワインレッドの小箱がひとつ、クッションに包まれて入っている。それを取り出して手に持つと、ずっしりとした重みが感じられた。

 

 小箱を手に取る。その途端、ほんの少しだけ小箱が光った気がした。僕の心臓がバクバクと鳴り出し、緊張していることが自覚出来た。

 

「開けてみろ」

 

 言われたとおり、小箱を開ける。中に入っていたのは、一つの指輪だった。

 

「それは本来、俺達のような鎮守府を預かる提督と、その鎮守府に所属する艦娘にしか持つことを許されないものだ。そして艦娘にとっては戦闘能力を劇的に向上させる艤装の一種にして、提督との深い絆の証でもある。岸田から聞いたことがあるかもしれんが、ケッコンカッコカリというやつだ」

 

 そういえば岸田が前に、姉ちゃんに指輪を渡そうとしたら拒否されたって言ってたな……

 

「正直、提督ではないお前と比叡の間で、ケッコンカッコカリが成立するかどうか俺には分からん。成立したとして、それがちゃんと機能するかどうかも未知数だ。だが賭けてみる価値はある。その指輪を比叡にはめてやれば、今比叡が負っている傷は全快する。あとは補給さえ出来れば、比叡は全力で戦えるようになる。……そしてキミは、恐らく指輪を渡した瞬間、元の世界に戻ることになるだろう」

 

 そうか。だから提督は、さっきあんな質問をしてきたのか。

 

「そしてもちろん、比叡にとってもお前にとっても、その指輪はそれ以上の意味合いを持つ絆になるはずだ。お前が元の世界に戻ってしまう兼ね合いもある。だからギリギリまで考えて、はめるときはよく考えてはめてやれ」

「確かに……ケッコンだもんね……僕が姉ちゃんにはめてあげても大丈夫なのかな……」

「こんなケースは過去に前例がないから、正直どうなるかは分からん。だがそのケースを手に持った瞬間から、その指輪はお前の指輪だ。だから、もし渡さなければ、その指輪は意味がないものになる。その時はこっそりと海にでも捨ててしまえ」

 

 こんな大切なもの、そんな風に捨ててしまっていいのだろうか……

 

「構わない。その指輪は提督や艦娘たちにとって、それだけ重い物だ。ましてやお前と比叡は事情が違う。“渡さない”というのも立派な決断だ。だから渡せないとしても、誰もお前を責めないし、俺が責めさせない。だからよく考えてくれ」

 

 真剣な眼差しでまっすぐにこちらを見つめそう語る提督の姿が、どことなく岸田とかぶった。普段は今一頼りなくて、時々哺乳類から無脊椎動物や生ける屍に退化するけど、しめるところはきっちりしめる誠実な男。それが岸田であり、この叢雲たんチュッチュ提督なのだろう。

 

「俺がどれだけ残酷なことを頼んでいるか分かっているつもりだ。本来なら、お前は鎮守府で待機してもらうべき人間だ。そうすれば比叡と共に過ごせる可能性もある。それなのに、お前にこんなことを頼んでしまってすまない……」

 

 最後に提督はそうしめくくり、帽子を脱いで僕に頭を下げた。こういうところは、岸田の分身だと納得出来る感じだ。姿形は似てなくとも、中身は岸田とそう変わらないんだなぁと実感出来た。

 

 しかし大変なものを預かってしまった。これは僕にとっても姉ちゃんにとっても、とても重い代物だ。男性が女性の左手の薬指に指輪をはめてあげることの意味を、僕はよく知っている。『ずっと二人で生きていこう』という誓いの証が、この指輪だ。

 

 もし、ただ渡すだけなのであれば、僕はここまでこの指輪に重量を感じることはなかったのかもしれない。でも、ひょっとしたら僕はこの指輪を渡すことで、元の世界に戻ってしまうかもしれない。

 

 こちらの世界と僕の世界をつなぐ渡航設備は、姉ちゃんとあきつ丸さんが襲われた時点で、すでに敵の手に落ちたと考えるべきだ。とすれば、元の世界に戻ってしまえば、二度と姉ちゃんと会うチャンスはないかもしれない。今回が姉ちゃんに会う、最初で最後のチャンスなのかもしれない。

 

 逆に言えば、この指輪に頼らなくてはならないほどに、姉ちゃんは今追い詰められているともいえる。いくら手練で相手はさほど強くなかったとしても、長い時間何度も何度も休みなく攻撃されていれば、いずれ体力も消耗し、倒れ伏してしまうだろう。

 

 姉ちゃんが一人で戦い始めて、すでに相当な時間が経過している。強さという意味でもみんなの信頼を得ている姉ちゃんが簡単に倒れるということはないだろうが、それでもこの指輪が必要になると予想されるほど、今の姉ちゃんは追い詰められているはずだ。でなければ、提督が指輪を僕に託すなんてことはしないだろう。

 

 答えがまとまらない。出発するまで……せめて姉ちゃんのいる海域に到着するまでには、答えを出しておかなければ……。

 

 不意に、提督の机の上にある通信機がピーピーと音を立てた。提督が立ち上がり、自身の席に戻って通信機のマイクを手に取る。

 

「まさか姉ちゃん?!」

「いや、これは夕張からだ」

 

 僕は姉ちゃんからの非常通信ではないことにいささか安堵し、ホッと胸をなでおろした。提督はマイクに向かって話し始めている。

 

「夕張か。準備は出来たか?」

「提督、回収作業及び試運転完了しました。特殊艇“おおたき”改め“てれたびーず”いつでも発進出来ます!」

「てれたびーず? なんだそのふざけた名前は……まいっか。了解した。夕張おつかれ! あとで間宮で天そばとアイスをおごろう」

「やった! 岸田くんがおごってくれる分と合わせて2回ッ!! 提督、ありがとうございます!! それでは比叡さんの分の補給資材を積んでおきますね!!」

 

 プツッという音と共に通信が途絶えた。提督が冷ややかな目で僕を見る。やっぱ船の名前を勝手に変えちゃダメだったのかな……?

 

「……キミか?」

「何が?」

「あの特殊艇のふざけた名前だよッ!」

 

 で名前を変えること自体はOKだったのか。よかったよかった。……しかしふざけた名前とは失礼なッ!! 姉ちゃんを迎えに行く船にこれほどふさわしい名前はないぞッ!!

 

「んなわけあるかーッ!! 岸田といいシュウといい……まったくどいつもこいつもけったいな名前をつけやがる……」

 

 困ったように頭をバリバリと掻いた提督は、そのままの体勢で通信機のスイッチをひねる。途端に鎮守府内にチャイムが鳴り響き、提督の館内放送が始まった。

 

『第二次比叡救出作戦に参加するメンバーは、ただちに港に集合。15分後に出撃する!!』

 

 姉ちゃん。あと少しだ。あと少し持ちこたえてくれ。僕達が助けに行くから。

 

 



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07.妖精さんは頭の上が好きらしい

 皆に見送られて出港した僕達は、僕と岸田の特殊艇“てれたびーず”を中心に輪形陣を組み、最大船速で姉ちゃんのいる海域に向かった。てれたびーずの操縦を行うのは、World of Warshipsに最近はまっている岸田。岸田は素人とは思えない見事な操縦技術をキーボードとマウスで見せつけ、提督たちを感心させていた。

 

 僕はというと、とりあえず敵潜水艦隊に遭遇するまでは出番無し。当初は姉ちゃんがいる海域までは出番はない予定だったのだが、出撃前にあきつ丸さんから……

 

『丸腰のままシュウ殿を行かせるのは忍びない。せめてこれをお持ちいただきたいのであります』

 

と言われ、緑色のヘリコプターの模型のようなものを渡された。小さいながらも精巧に作り上げられたそのヘリの運転席には、小さな人……妖精さんが二人乗っており、妖精さんたちは運転席から僕の方を見て敬礼をした。

 

「ほう。カ号観測機ですね。これは助かります」

 

 僕の隣に立っていた加賀さんが、受け取ったヘリコプターを見てそう言う。

 

「かごうかんそくき?」

「いえーす。今、球磨やキソーが装備している対潜装備と同じぐらい、潜水艦キラー装備ネー」

「シュウがこれで対潜攻撃に参加してくれると助かるクマ!」

 

 金剛さんと球磨さんが続けてそう言う。そっか。この子たちを連れて行けば、僕もみんなと一緒に戦えるのか。

 

「そうクマ。今の球磨やキソーと同じく、対潜の鬼になれるクマ」

「そのとおりであります。このあきつ丸、ぜひともシュウ殿に、このカ号観測機をお持ちいただきたいのであります」

「そっか。ありがとうあきつ丸さん。妖精さんとカ号観測機、お預かりします」

 

 僕は、カ号観測機の運転席で敬礼をしている妖精さんたちに目線を向けた。さすがにずっとそこで待たせるのも申し訳ない気がする……

 

「運転席狭いだろうし、出撃までは僕に乗ってていいよ」

 

 僕がそう言うと妖精さんたちはピコンと反応し、運転席から飛び降りて僕の腕を伝い、一人は肩に乗り、もう一人は肩に上り……頭のてっぺんまでよじ登った。

 

「岸田」

「ん?」

「頭の妖精さん、今どんな顔してる?」

「盛大なドヤ顔だ。“俺が提督だッ!!”て言わんばかりの表情で水平線を指さしてるな」

「なるほど」

「プッ……妖精さんたちも、シュウ殿のことが気に入ったようであります」

 

 その後は皆に見送られて出撃。今はこうして海上を軽快に走っている。妖精さんたちは相変わらず僕の頭の上で周囲の警戒をしてくれていて、カ号観測機は僕の手元に置いてある。

 

「加賀さん! そろそろ彩雲で周囲の索敵を始めて下さい!!」

「わかったわ」

 

 岸田が加賀さんに指示を出し、加賀さんがそれに従い弓をつがえて射る。射たれた矢はカ号観測機ほどの大きさの飛行機に変身し、各々が飛び立っていった。

 

「なぁシュウ」

「ん?」

「改めて、俺達って艦これの世界に来たんだなぁ……」

「うん……つーかそろそろ麻痺してきたよ。何があってももう驚かない自信が出てきた……」

「そうか? 彩雲を射る加賀さん……マジで美しかったなぁ……」

 

 岸田、それは驚きという感情ではなく、煩悩という欲望だ。

 

「前方に潜水艦を多数確認」

「おーけい。リーダー? どうするネー?」

 

 加賀さんの偵察機が前方に敵潜水艦隊を確認した。敵艦隊に遭遇するのが予想以上に早い。この様子から察するに、恐らく昨日僕らがいた小島は、すでに敵勢力に奪還されただろうと岸田は予想したようだ。金剛さんが僕らの方を見て意見を仰ぐ。球磨さんとキソーさんもこっちを見ていた。

 

「木曾だ! キソーじゃないッ!!」

「みんなにはキソーって呼ばせてるくせに……しょぼーん……」

『岸田、単横陣でまっすぐ突っ込めば、こっちの爆雷攻撃も当てやすいし、相手の魚雷もよけやすいでち』

 

 通信機から、海中に潜っているゴーヤの声が聞こえた。岸田は真剣な面持ちで前を見据え……

 

「全員、単横陣で最大戦速で突っ切る! 同時に球磨とキソーとシュウはおのおの爆雷で対潜攻撃!」

「「了解!!」」

「さーて仕事だクマー!!」

 

 岸田がキーボードの数字キーを押す。モニターに僕達を中心とした上空からの映像が映し出された。

 

「てれたびーずで敵の魚雷が確認でき次第、位置をみんなに送信する! あとは各々避けてくれ!!」

 

 僕はカ号観測機を手に取る。頭から妖精さんたちが降りてきて運転席に座り、こちらをジッと見据えた。

 

「妖精さん、お願いします。危ないと思ったら絶対に戻ってきて」

 

 妖精さんたちがドヤ顔で僕に敬礼してくれる。カ号観測機がエンジンをスタートさせて飛び立った。

 

「たまには魚雷じゃなくて爆雷もいいなぁ。なぁ球磨姉!!」

「やるクマぁ?……爆雷大サービスクマぁぁああああ!!」

 

 キソーさんと球磨さんの艤装が音を立てて変形し、爆雷の投下準備に入る。岸田のモニターに敵の魚雷の位置が映し出され、警戒音が鳴った。敵の魚雷はまっすぐこちらに向かってきている。岸田がすばやく数字キーを叩き、モニターに『SEND』という表示が映った。

 

「今送った! みんな避けてくれよ!!」

「おーけー! 魚雷如き、避けて見せマース!!」

 

 モニター上で敵魚雷がこちらに近づくにつれ、モニターからの警戒音がけたたましくなってくる。みんなを見ると各々立ち位置を調整し、魚雷と魚雷の間を縫うように移動しているのが分かる。

 

「岸田、大丈夫?」

「心配いらん。魚雷の回避なら自信があるッ」

 

 岸田もキーボードによる操作で、絶妙に魚雷の間に船を配置した。やがて魚影が分かるほどの距離まで近づき、僕達の間を何本もの魚雷が走っていくのが分かった。あれだけけたたましくなっていた警戒音が次第に小さくなり、それを受けてキソーさんがニヤリと笑った。

 

「よーし……今の分、熨斗をつけて返してやるぜ!!」

「爆雷投下クマぁぁああああ!!!」

 

 球磨さんとキソーさんの艤装から、たくさんの小さなドラム缶のようなものがばらまかれた。僕のカ号観測機も上空からたくさんのドラム缶をばらまいている。あの小さなカ号観測機のいったいどこに、あれだけたくさんの爆雷が格納されていたのかと不思議に思うほどだ。

 

 見た感じ数百個ほどに見える爆雷が投下されてしばらく経った頃、轟音と共に投下地点にたくさんの水柱が立ち、しばらくしてその爆発で打ち上げられた海水が、ここまで降ってきた。カ号観測機が僕のそばまで戻ってきて、僕の隣でホバリングしはじめる。妖精さんたちは爆雷投下地点をジッと睨み続けていた。

 

「舵そのまま最大戦速でつっきる! 残りに構うなッ!!」

 

 岸田が周囲にツバをまき散らしながら皆に指示を出し、てれたびーずが海域をまっすぐ突き進む。他のみんなもてれたびーずの後についてきた。爆雷の投下地点を過ぎ、かなり距離が離れたところで、球磨さんが背後を振り返った。

 

「……なんかクサいクマ」

 

 アホ毛をピクピクさせながら、球磨さんが鼻をすんすん鳴らしてそう言い、一人転舵して引き返す。

 

「あれ?! 球磨さん?!」

「ちょっと見てくるだけクマ! みんなは先に行って……」

 

 突如、球磨さんの足元で爆発が起こった。爆発を受けた球磨さんの身体は中空に持ち上がり、僕達の元まで吹き飛ばされて戻ってきた。僕はこの爆発の仕方は見覚えがあった。レ級との戦いの時、姉ちゃんの足を止め、僕を垂直に吹き飛ばした爆発と同じあの爆発は、魚雷だ。

 

「うぉおおおー?!」

「球磨さん?!」

 

 球磨さんのダメージは幸いにも少なく、艤装から少々煙が上がっているだけのようだ。倒れた球磨さんはぴょんと元気よく立ち上がり、後方を見据えて睨んだ。戦闘態勢に入っているためか、心持ちアホ毛も硬そうだ。

 

「大丈夫クマ。無傷のヤツがまだ残ってたみたいだクマ」

「このまま振り切るデス! ワタシたちなら振り切ることも出来るネ!」

「いーや、こっちの索敵範囲外から今みたいにピンポイントで魚雷を撃たれ続けて面倒なことになるクマ」

「なるほど……これで妙高たちはやられたのか……」

 

 岸田曰く、妙高さんたちは単横陣で突っ切るとこまでは問題なく出来たが、その後索敵範囲外からのスナイプでやられたという報告を受けていたらしい。相手はロングレンジからピンポイントで魚雷を撃つ名手。ならば後攻の憂いは断っておかなければならない。

 

「岸田、球磨に行かせて欲しいクマ」

「……わかった。でも一人じゃダメだ。シュウ」

 

 岸田に名指しされたことで、僕は岸田が言わんとしていることが理解出来た。僕の隣でホバリングしているカ号観測機……カ号でいいや……の妖精さんにお願いした。

 

「妖精さん、球磨さんと一緒に潜水艦を倒してきて欲しい」

 

 一人は敬礼、一人はサムズアップで答えてくれ、カ号が再び空高く舞い上がる。

 

「助かるクマ! じゃあみんな、先に行ってるクマ!!」

 

 球磨さんは笑顔でそう言い、アホ毛をぴょこぴょこさせながら勢い良く走っていった。僕らは僕らで、そのまま全速力で海域を離脱した。

 

 数十分後、球磨さんとの距離があまりに離れすぎることを危惧した岸田の提案で、先ほどの海域から離れた場所にある小島で、僕達は球磨さんとカ号の帰還を待つことにした。

 

 僕は、待ってる間気が気ではなくずっとそわそわしていたのだが、僕以外の全員が落ち着き払っている。加賀さんはまだ周囲を警戒しているかのように見回しているが、球磨さんの妹のキソーさんと水面から頭だけ出しているゴーヤは、ヒマそうにあくびをしたり、伸びをしたりしている。金剛さんにいたっては『紅茶が飲みたいネー』と口走る始末。なんだこの緊張感のかけらもない空気は……みんな球磨さんのことが心配にならないのかッ?!

 

「ぁあ、シュウは知らないのか」

「へ? 何が?」

「うちの鎮守府でも、球磨はトップクラスに強いぞ」

 

 なんだとっ?! あの、語尾に『クマ?』とかつけてのほほんとしててこの面子の中でも一番戦いに縁がなさそうな、あの球磨さんが?! 僕が驚いて金魚のように口をパクパクさせていると、岸田の代わりにキソーさんたちが口を開く。

 

「ああ見えて、うちの球磨姉は俺の姉妹の中でも最強だし、鎮守府内でも球磨姉に勝てるヤツはそうそういない。心配はするだけ無駄だぜシュウ」

「ワタシや比叡でどっこいどっこいデース。球磨相手の演習だと安定して勝てないネー」

「私はこの前演習を挑んだら、艦攻を発進させる前に張り倒されて終わりました……」

「ゴーヤも勝った試しがないでち……爆雷がなくても海から引っ張りだされて張り倒されるし……この前潜水艦勢6人で立ち向かったら全員張り倒されて終わったでち……」

 

 なんだこの恐るべき事実の数々……ここにいるみんなは鎮守府の中でもよりぬきのはずなのに、皆口々に『勝てない』だの『張り倒される』だの『どっこいどっこい』だの……

 

 そうして僕が驚き、恐れおののいていると……

 

「今戻ったクマ~」

 

という声が背後から聞こえ、振り向くと顔が少々汚れ、服がちょっとだけ焦げた100万ドルの笑顔の球磨さんが立っていた。

 

「シュウ、カ号がいて助かったクマ。クマクマっ」

 

 少し遅れて、カ号が僕のもとに戻ってきた。ドヤ顔で敬礼とサムズアップをこちらに向けながらゆっくりと近づいてきて、僕の頭に着陸する。妖精さんたち、そこはヘリポートではないですよ?

 

「球磨姉、相手はどうした?」

「きっちり張り倒しておいたクマ。だからもう心配はいらないクマっ」

「あ、あのー……球磨さん?」

「クマ?」

「この前、加賀さんと演習して勝ったって聞いたけど……ほんと?」

 

 僕は、加賀さんやゴーヤの言葉が今一信用出来なくて、つい本人に聞いてしまったのだが、以外と本人はあっけらかんと答えてくれた。不敵な笑顔が印象的だ。こんな表情を見せる人だとは思わなかった。

 

「ふっふっふ~。空母勢最強って聞いてたけど、艦載機を出す前に張り倒せばこっちのもんだクマ!」

「ゴーヤたち潜水艦6隻相手に勝利ってのは……」

「潜水艦たちは水上にひっぱり出してあげると何も出来なくなるクマ。コツを掴めば意外と簡単クマよ?」

 

 なるほど……この艦隊の編成案を考えたのは提督と岸田だけど、提督が球磨さんを選んだ理由がよく分かった……この人強すぎる……

 

「そうでもないクマ。 金剛や比叡には勝ったり負けたりだし、対潜水艦戦闘なら、球磨よりも夕張のほうがえげつないクマ」

 

 そういや加賀さんがそんなこと言ってたな……。『夕張』という単語を聞いた途端、ゴーヤがビクンと身体を震わせ、顔が青ざめたのが分かった。どうやら潜水艦たちにとって、トラウマを植え付けるほどの恐ろしさを誇るのが夕張さんらしい。

 

「あ、それとシュウ、球磨のことは呼び捨てでいいクマよ? てかすでに球磨はシュウのことを呼び捨てにしてるクマ」

「わかった」

 

 ともあれ、一番のネックといえた潜水艦隊は無事撃退出来た。あとは姉ちゃんの海域までひたすら突っ走るのみだ。

 



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08.ケッコン談義

「ファイヤァァアアア!!!」

 

 金剛さんの魂を込めた一撃が直撃し、敵駆逐艦は大破炎上した。敵の軽巡洋艦、駆逐艦で編成された偵察部隊は、今撃沈した駆逐艦で全滅。

 

「岸田、周囲に敵艦隊の姿はありません。先に進みましょう」

 

 加賀さんのその一言に岸田が頷き、艦隊はてれたびーずを中心とした輪形陣を再び組み直し、前進する。

 

 潜水艦部隊を退けた後は、軽巡洋艦と駆逐艦を中心に編成された部隊と2回遭遇した。しかし、接敵前の加賀さんの爆撃とキソーさんとゴーヤの雷撃によって頭数を減らされ、さらに攻撃の大半はゴーヤが囮となってさばいてくれることで、艦隊の全員がほぼ無傷の状態で進軍ができている。

 

「だけど、なんで敵はみんなゴーヤを狙ってくるの?」

『そういうもんでち。軽巡や駆逐艦たちは、潜水艦を見たら攻撃したくなるみたいでち』

「しかもそれを全部避けきるからゴーヤはスゴイね」

『普段オリョールで鍛えられてるからね。あれぐらいなら避けきる自信があるでち』

 

 水中にいるゴーヤに無線で聞いてみたら、こんな返事が返ってきた。この子の心強さもとんでもない……なんだこの歴戦をくぐり抜けた猛者は……しかもでちでち言って……球磨といい、へんな語尾の子は強いってジンクスがあるのか?

 

「……クマ?」

 

 あ、球磨とそのアホ毛が反応してる。

 

「そういやシュウ」

 

 不意に岸田が真剣な眼差しで話しかけてきた。

 

「提督から受け取った切り札はちゃんと持ってきたか?」

「……うん。ここにある」

「……答えは出たか?」

「……いや、まだ」

「そうか……ごめんな。お前と比叡たんに辛い思いをさせて」

 

 そう言って岸田はちょっと申し訳無さそうな表情を浮かべた。でもなんで岸田がこんなことを言う?

 

「でもなシュウ……」

「比叡がどうかしたんデスカ??」

 

 僕と岸田の会話に、金剛さんも参戦してきた。ちょうどよい機会なのかもしれない。金剛さんと岸田なら、きっと相談に乗ってくれるだろう。

 

「岸田、ちょっと待って。金剛さん、ちょっと話がしたいんだけど……いいかな」

「What?」

 

 金剛さんが不思議そうな顔でてれたびーずに近づいてくる。僕はズボンのポケットから、ケッコン指輪のケースを取り出しそれを開いて、中身を岸田と金剛さんに見せた。

 

「Wow……ケッコン指輪デスネ?……beautiful……」

「え? 指輪を持ってきたんですか?」

「ご、ゴーヤにも見せるでちッ!」

 

 金剛さんの言葉がみんなの耳にも入り、みんながてれたびーずに乗船してきた。こういうことに興味がなさそうな球磨やキソーさん、クールで大人な印象の加賀さんまで乗船してきて、僕のケッコン指輪を眺める。

 

「き、岸田……みんな乗ってきたけど大丈夫なの?」

「ちょっと重いけど大丈夫だろ。みんなの休憩もかねようぜ」

 

 物分かりのいい旗艦・岸田の判断で、少しの間、みんなの休憩タイムとなった。あらかじめ速吸さんから預かっていたおにぎりをみんなで頬張りながら、僕が提督から渡されたケッコン指輪の話が始まる。

 

「なるほど。現地で比叡に指輪を渡す作戦なんデスネ」

「うん」

「しかし提督、思い切りましたね。まさか提督以外の人間に指輪を渡させるなんて」

「綺麗だクマ?……」

「ほんとでち……」

 

 球磨とゴーヤは指輪に目が釘付けだ。妖精さんたちも、球磨とゴーヤの頭に飛び乗り、興味津々な面持ちで指輪をジッと見つめている。

 

「んで? 話ってなんだよ?」

 

 鋭い眼差しでこちらを見据えたキソーさんが、僕にそう問いかける。

 

「だからキソーじゃなくて木曾だって言ってんだろ……」

「どっちでもいいデース。ワタシだってキソーって呼んでるんだから、ワタシたちの弟のシュウくんにもそう呼ばせるネー」

「わかったよ……姐さんにそう言われちゃ断れねーな……」

 

 この人数の前でこの話をするのは正直恥ずかしいが、色々な人の話を聞くチャンスだと思い、勇気を振り絞って話してみることにした。

 

「正直、迷ってる。提督でもなく、ましてやこの世界の住人ですらない僕が渡していいものかって」

「渡すことをか?」

「うん。これは、艦娘にとっても大きな意味を持つ指輪だと聞いた。そんな大切なものを提督ではない、渡してしまえば消えてしまうかもしれない僕が、姉ちゃんに渡していいものなのか……」

「情けねぇ……そこはスパッと“渡す”って言って欲しいところだぜ。艦娘としてはな」

 

 キソーさんが険しい顔をしてそう言うが、その直後キソーさんの頭を、球磨がゲンコツで殴った。

 

「痛って! なにするんだよ球磨姉ぇ!!」

「コラ! 迷ってるシュウに向かってそんな言い方はないクマッ!!」

 

 なんというか……ものすごい光景だ。あの威圧感バリバリのキソーさんを、威圧感ゼロ

の球磨がぶん殴っている……あのキソーさんが、実に痛そうに頭を抱えながらうっすら目に涙を浮かべている……改めて言うが、ものすごい光景だ……

 

「だってそうだろ! 惚れた女に指輪を渡すぐらい、迷わずやって欲しいだろ!」

「シュウの気持ちになるクマ! 渡すのは簡単クマ! でも……シュウは比叡に指輪を渡したら、元の世界に戻っちゃうかもしれんクマ! 大好きな姉ちゃんをこっちに残すシュウの気持ちを考えるクマ! 大好きな弟と離れ離れになる比叡の気持ちも考えるクマッ!!」

「そうは言ってもな! 惚れた男からケッコン指輪をもらうのは艦娘の夢だろ!」

「その指輪をくれた人と離れ離れになってもキソーは平気クマか?! いつもみたいに“じゃあな”って平気で言えるクマか?!」

 

 キソーさんと球磨の姉妹喧嘩が続く。二人とも睨み合って一歩も引かない。球磨に至っては『がるるるるる』という唸り声すら聞こえてきそうな雰囲気だ。

 

「いつもの事です。ほっといたらそのうち収まりますよ」

「そうなの?」

「喧嘩するほどなんとやら……です」

 

 二人の噛みつき合いを見ていると今にもどつきあいが始まりそうな感じだが、落ち着き払った加賀さんがそういうのならそうなのだろう……という妙な説得力があった。

 

「……あなたが悩んでいるのは、先ほど球磨が言った理由が主なんですか?」

 

 加賀さんが言うとおり、僕が思っていたことを球磨が代弁してくれた。戦いの切り札としてケッコン指輪を扱うことにも抵抗はあるが、正直それよりも、僕がこの世界の人間ではないというところが一番問題だ。きっとぼくは、指輪を渡してしまえば元の世界に戻ってしまう。元の世界に戻れば、再び姉ちゃんに会えるかどうかはわからない。それでも、姉ちゃんに指輪を渡していいのか。後に残された姉ちゃんはどうなる? 再び離れ離れになる人に、こんな大切な指輪を渡していいのか?

 

 悪い言い方をすれば、ケッコン指輪とは、その人の人生を縛る鎖でもある。二度と会えないかもしれない僕との絆で、こちらの世界で姉ちゃんの人生を縛ってしまってもいいのか……何度考えても答えが出ない。決断出来ない根本の理由はここにある。

 

「なるほど……確かに難しい問題です。色恋は私には……」

 

 心持ち、加賀さんの顔が少し赤くなった気がする。話の内容が内容だけに、照れているのかも知れない。

 

「oh……これはプレミアムなシチュエーションネ。加賀が照れてマース」

「そ、そんなこと……ないですよッ」

 

 金剛さんがニヤニヤ顔で加賀さんをからかうが、その後すぐにぼくをまっすぐに見据え、笑顔でこう言った。

 

「シュウくん、知ってマスカ? シュウくんのことを話す比叡は、いつもとっても楽しそうデシタ。いつも笑顔で、ニコニコ笑って話してマシタ」

 

 金剛さんの話を聞いて、僕の家でいつもお日様のような笑顔で僕に接してくれていた姉ちゃんを思い出した。姉ちゃんは、いつも本当に楽しそうに毎日を送る人だった。

 

「比叡は今、シュウくんに会いたい一心でがんばってマス。ワタシとテートクがあきつ丸に感謝って言ってたのは、これが理由デス。あの時、比叡は心が折れてまシタ。その比叡を蘇らせてくれたのがシュウくんデス。それぐらい、比叡にとってシュウくんは、とてもとても大切な人デス」

 

 分からなかった……姉ちゃんと通信したとき、確かに姉ちゃんは僕の声を聞くまで切羽詰まってる感じがしていた。でも、まさかあの姉ちゃんが心が折れていたなんて……でもそれじゃあ僕は、益々指輪を渡すことが出来ない。

 

「逆デス。それだけ大切に思っているシュウくんから指輪をもらえることは……シュウくんとの絆が出来ることは、比叡にとっては何よりうれしいことだと、お姉ちゃんのお姉ちゃんは思いマス」

 

 確かに。この指輪は鎖でもあるけれど、同時に絆の証でもあるんだもんな。

 

「もしシュウくんが決断をして指輪を渡したあと消えたとしても、比叡の心には、シュウくんが指輪をくれたという事実が残りマス。そしてもし今渡さなくても、シュウくんが来てくれたという事実が残りマス。比叡にとって、シュウくんはもうそれだけ大切な存在なんデス」

 

 金剛さんはそういい、優しくニコッと笑う。金剛さんはいつも破天荒な感じだけど、自分の姉妹や親しい人が悩み苦しんでいると、こうやって救いの手を差し伸べ、背中を後押しして導いてくれる、本当のお姉さんのような人だ。姉ちゃんもなんだかんだで姉っぽい部分はあるが、多分に姉ちゃんの姉っぽい部分というのは、この金剛さんをずっとそばで見てきたからなんだろうなぁというのが分かる。

 

「もし比叡のことを心配して渡せないというのであれば、気楽に考えればいいデス。そもそもそれは切り札なんだから、慌てて今渡さなければならないものでもないのデス」

 

 そう言って最後にケラケラと笑うことも忘れない、金剛さんもまた、姉ちゃんに負けないぐらい、優しくて素敵な人だというのが分かる。いや一番は姉ちゃんだけど。

 

「金剛の言う通りクマ! まだ時間もあるし、よく考えるといいクマ!!」

 

球磨がキソーさんのこめかみを左右両方ともグーでグリグリしながら笑顔でそう言ってくれる。キソーさんは苦しそうな顔をしながら、それでも自身を折檻する姉に抵抗をしながら涙目で僕にこう言った。

 

「シュウ…あだッ…お前も色々悩んでいるのはわかった……ただ、さっきの俺の言葉も忘れないでくれ。それだけ、艦娘にとって指輪をもらうことは……イデデ……夢なんだぁあッ?!」

「それでいいクマっ。図体ばっかりでっかくなって自分のことばっかりで、まだまだおこちゃまクマっ」

「うるっさいなー!!」

 

 真っ赤なままの顔を自分の手でパタパタと仰ぎながら、加賀さんも続ける。

 

「はぁ……提督は何とおっしゃったんですか?」

「渡す覚悟ができたら渡してやれ。渡さないなら海に捨てろ……と。渡せなくとも誰も責めないし、責めさせないと言ってました」

「あの人の言いそうなことね……」

 

 ふぅ……と呆れるようにため息をついた加賀さんは、ほんのりほっぺたを赤くしたまま、僕の顔をまっすぐ見つめて話を続けた。

 

「私は、あなたが思うようにするといいと思うわ。それがあなた自身の決断である限り、どのような結果でも、それが正解です。あなたが自分で考え、自分で決めたことであれば、私たちはそれを否定しないし、比叡さんもきっと受け入れます。あなたが決めたこと。それが正解よ」

 

 まっすぐに話す加賀さんに続き、指輪を眺めるゴーヤも口を開いた。

 

「ゴーヤもそう思うよ。二人にとって、後悔のない結果であればそれでいいでち」

 

 そこまで言うとゴーヤはこっちに顔を向けて微笑み、同じくゴーヤの頭に乗っていた妖精さんがサムズアップをしてくれた。もう一人の妖精さんは、いつの間にか僕の肩口までよじ登ってきていて、僕の顔を見て敬礼をしている。妖精さんたちも僕のことを応援してくれているようだ。

 

 皆が一様に、僕と姉ちゃんのことを暖かく見守ってくれているのが分かった。僕に辛辣な言葉を向けたキソーさんも、恐らくは姉ちゃんのことを気遣ってのセリフだというのも分かった。球磨は僕に『よく考えるといい』と言ってくれた。加賀さんとゴーヤは、僕の選択が常に正解だと言ってくれたし、金剛さんは『もし渡してくれるとうれしい』と言ってくれる。皆が温かい。皆が皆なりの言葉で、僕のことを応援しようとしていることが手に取るようにわかった。

 

 そもそも金剛さんが言うとおり、指輪を渡すのは最後の手段だ。このままでは姉ちゃんを助けることが出来ないほどに追い詰められた時の、最後の切り札がこの指輪だ。ギリギリのギリギリまで考えて結論を出そう。

 

 ……でもいよいよの時は……

 

「みんな、そろそろ戦闘態勢に入ったほうがいいかもしれん」

 

 ずっとてれたびーずを操縦していた岸田がそう言った。周囲を見回すと、まだお昼すぎだというのに、周囲が若干暗くなってきている。

 

「これは……見覚えがあるクマ」

「以前に飛行場姫と戦った時の海域に似てマス。相手テリトリーの最深部に近い海域みたいデスネ」

「現状での比叡たんの最後の通信の発進場所がもうすぐだ」

 

 今の段階で、僕達がこっちの世界に来た時に辿り着いた小島よりも、さらに鎮守府から離れた場所なのは、周囲の景色を見るだけで分かる。進めば進むほど、真っ赤に染まり暗雲がたちこめた、赤黒い色に染まった悍ましい空が広がる。海の色も次第に赤暗く染まってきて、僕らが知る大海原とはまったく違った、酷く悍ましい場所に感じられた。みんなが海上に出て、陣形を組み始める。さっきまでケラケラ笑っていた金剛さんも笑顔が消え、真剣な眼差しで前を見据え始めた。

 

 無線機に通信が入り、ピーピーという呼び出し音が鳴った。岸田がマウスから手を離し、無線機のスイッチをひねる。相手は提督だ。鎮守府からかなり離れた場所にいるためか、それともこのおぞましい空気がそうさせているのか、鎮守府からの通信はノイズ混じりでやや聞き取り辛い。

 

『てれたびーず及び救援艦隊聞こえるか。こちら鎮守府だ』

「こちら救援艦隊だ。もうすぐ比叡たんの最後の通信地点に到着する」

 

 なんだかこうやって見てると、岸田が本当に艦隊の旗艦みたいに見えてくるから困る。これまでの長い付き合いの中で、これほどまでに岸田のことを頼もしく思ったことはない。少なくとも、僕の記憶にはない。それほどまでに、今の岸田は頼もしく見える。

 

『ああモニターしている。それから、比叡からの定時連絡が途絶えた。最後の定時連絡の時点での比叡の消耗がかなり激しい。もう限界のはずだ。アイツのことだから心配はないと思うが、可能な限り急いで欲しい』

「最後の通信地点は変わらないか?」

『動いてはいるがそう遠くはない。もう少し最深部に近い場所というか……座標を送った。確認してくれ』

 

 岸田がキーボードを叩きモニターを確認する。ここから見て、最後の通信地点は元々の目的地点のさらに奥のようだ。

 

「……最深部に近いな。誘い込まれたか……」

『ありうるな。一対多数の戦いでうまい具合にドツボにはめられたかもしれん。比叡は冷静に戦いを組み立てるタイプじゃないからな』

 

 岸田が舌打ちをしたのが分かった。僕の胸に不安が押し寄せてくる。岸田と提督の話から推察すると、姉ちゃんは今とんでもないピンチに立たされている。手練のはずの姉ちゃんがいいように相手に誘導されているところを見ると、数や戦い方もさることながら、相手は相当に手強い敵ということになる。しかも潜水艦隊をはじめとした防衛網を敷いていたあたり、相手は確実に姉ちゃんを殺す気でいる。

 

 僕の頭に、あの日小田浦で戦ったレ級の凶悪や笑みがフラッシュバックした。あの日姉ちゃんは勝つには勝ったが、体中にひどい傷を負った上での勝利だった。戦いが終わった後の姉ちゃんは、自力では立っていられないほど体力と気力を消耗していた。もし今戦っている相手が、その時以上の相手だったら……そしてもし、そんな相手が複数いたとしたら……体中から血の気が引き、除々に力が抜けてきたのが自覚できた。

 

 不意に、誰かに頭をこそこそと触られる感触がした。肩口を見ると、妖精さんが僕に向かって敬礼をしている。

 

「あれ……もう一人は?」

 

 妖精さんに聞くと、妖精さんは黙って僕の頭の上を見上げた。

 

「もう一人はお前の頭の上でなんかごそごそやってるぞ?」

 

 岸田がモニターとにらめっこしながら、僕にそう教えてくれた。右手で探ってみると、確かにもう一人の妖精さんが、僕の頭の上でごそごそ何かをやっているのに気付いた。僕は右手で妖精さんの背中を猫のようにつまみあげ、自分の目の前に持ってきた。妖精さんは少し気恥ずかしそうに、苦笑いを浮かべながら敬礼を返してくれた。

 

「……なにやってたの?」

 

 僕につままれた妖精さんはそっぽを向き、口笛を吹く素振りを見せる。

肩口にいるもう一人の妖精さんが僕の肩をトントンと叩き、僕の気を引いた。肩にいる妖精さんを見ると、彼は自分の頭を自分で撫でていた。

 

「頭を撫でてくれてたの?」

 

 再度問い詰めてみる。相変わらず僕から目をそらして口を尖らせて口笛を吹いているが、ほんのりほっぺたが赤くなっている辺り、恐らく当たりだ。僕の不安を感じ取って、励ますために頭を撫でてくれていたようだ。

 

「励ましてくれてありがとう。……でもなんで頭をなでなで?」

「比叡が言ってたネー。シュウくんは頭を撫でて欲しい時、すぐ顔に出るらしいデース」

 

 顔をニヤニヤさせた金剛さんが、僕と妖精さんの会話に乱入してきた。なんでそんな恥ずかしいことを今になって言う?! つーか姉ちゃん、そんなことしゃべってたのかッ?!!

 

「そんな時に頭を撫でてあげると、心底安心した顔をするらしいデスネ。しかし、妖精さんでも思わずなでなでしたくなる顔だったとは……見られなかったのが残念デース……」

「妖精さんが頭を撫でてあげたくなる顔って……よっぽどですよシュウ……それだけ不安に見えたのか、それとも単なる甘えたがりなのか……はぁ……」

 

 ニヤニヤする金剛さんに加えて、加賀さんは呆れたように頭を抱えてため息をつく。話に入りたいのか、球磨とキソーさんもてれたびーずに近づいてきて、ゴーヤが水中から顔を出してきた。

 

「ご、ゴーヤにもなでなでさせるでちッ!」

「球磨にもなでなでさせるクマッ!! ……あ、キソーはヤキモチ焼いたらダメクマよ?」

「誰が誰にヤキモチ焼くッて言うんだよッ!!」

「シュウ、お前人気者だなぁ。ニヤニヤ」

『ブフッ……なんだシュウ、お前ショタ属性でも持ってるのか? 比叡だけじゃなくて妖精さんまで自分の姉ちゃんにするつもりかよ』

 

 ゴーヤと球磨だけじゃなく、岸田までニヤニヤしながら僕をからかい始める。提督にいたっては僕のことをショタとか言い放つ始末……なんだこれ?! 僕には天性の弟属性でもあるとでもいうのかッ?!

 

「どこが人気者だッ! 単にからかわれてるだけじゃないかッ!!」

「……まぁいいんじゃないですか? 緊張感でピリピリしてる空気を一瞬でリラックスさせるのは、一種の才能ですよ」

 

 慰めの言葉なのかそれとも心底呆れているのかよく分からないセリフを吐きながら、加賀さんが矢をつがえて射る。加賀さんによって射られた矢は偵察機となり、空高く飛んでいった。

 

「加賀の言うとおりデース。シュウくんは貴重な才能を持ってるネー」

『そうだ。艦隊が切羽詰まるよりその方が断然いい』

「何の慰めにもなってないですよ……しょぼーん……」

 

 僕が落ち込んでいると、肩にいた妖精さんが僕の頭によじのぼって、再び頭を撫で始めた。そんなに僕は頭を撫でて欲しそうに見えるのか。……そういや前に秦野が似たようなこと言ってたな。先輩見てると緊張がほぐれるとか何とか……

 

 そんな和やかな空気だったが、加賀さんの一言で空気が再び一変した。

 

「……比叡さんを見つけました」

 

 皆の顔つきが変わった。加賀さんを見ると、警戒の表情を緩めていない。どうやら事態は芳しくないようだ。

 

「どんな様子だ」

『状況を詳しく話せ』

 

 岸田と提督が加賀さんに問いただす。加賀さんは右手を自身の右耳にあて、今自分が放った偵察機からの通信を聞いているようだ。

 

「……無事です。轟沈はしていません。……ただし大破判定の損傷を受けています。……今倒れました。轟沈は免れてますが、その寸前のようです」

「姉ちゃん……ッ!!」

 

 岸田が僕の肩を掴む。僕が取り乱さないよう、抑えてくれているのだが……そんな岸田も僕の肩を掴む手に力がこもっており、自身の不安や焦燥感を全力で抑えているのが分かる。

 

「……敵はいるか? どういう状況だ?」

「……ヲ級のフラグシップが3体。……レ級が2体。……旗艦は空母棲鬼のようです」

 

 僕の肩を掴む岸田の手にこもる力がさらに増した。僕には知識はない。ないが、この状況がかなり危険な状況であることは分かる。ヲ級のことは分からないが、レ級ってのは、以前に姉ちゃんがギリギリのところで倒せた相手だ。空母棲鬼ってのは、姉ちゃんや金剛さんたちが大苦戦の末に撃破して、生還出来たことを抱き合って喜ぶほどに手強い相手だったはずだ。

 

『敵陣形は?』

「……輪形陣の変形のようですね。空母棲鬼と比叡さんを中心に、ヲ級とレ級が円形に陣を形成しています。……私達をおびき出す罠かも知れません。」

『分かった。岸田、後はお前たちに任せる。比叡を頼むぞ』

「了解だ。罠だと言うならその罠をぶち潰してやろうじゃないか。おれたちもてれたびーずを中心にした輪形陣で臨もう。先頭はゴーヤとキソーだ。ロングランスで雷撃を頼む。加賀さんは艦載機を発艦させて雷撃を行って下さい」

「了解したでち」

「任せろ」

「わかったわ」

 

 ゴーヤが返事をし、海中に潜る。キソーさんがサーベルを抜きながらてれたびーずの前に出て魚雷を構え、球磨がバキバキと指を鳴らした。加賀さんが矢筒から矢を取り出して静かに矢をつがえ、金剛さんがまっすぐ前を見据えながら砲塔の角度調整を始める。

 

「比叡ッ……すぐ行くネ……!」

「仲間をいたぶってくれた礼に、確実に七回葬ってやるクマ」

「比叡さんの分の借りはきっちり返させてもらうわ」

 

 キソーさんとゴーヤが魚雷を発射したのと、加賀さんが矢を放ったのはほぼ同時だった。加賀さんの矢がたくさんの飛行機に変身して上空を埋め尽くし、キソーさんたちの魚雷が海上をうめつくす。

 

「……来ます」

 

 加賀さんが放った艦載機が上空で何者かと交戦に入ったのがわかった。しばらくしてその喧騒の中から数機の敵艦載機が抜け出し、こちらに猛スピードで向かってくるのが見える。姉ちゃんと一緒にレ級と戦った時に見た、あの猫ぐらいの大きさをした、ラジコン飛行機みたいなものがこっちに迫ってきているのが分かった。

 

「制空権取られました。こちらの艦攻は全滅です。3機の敵艦爆がこちらに向かってきています」

「了解したネー! 球磨?! 行くヨー!!」

「叩き落としてやるクマぁあ!!」

 

 金剛さんと球磨が敵艦載機に向かって砲撃を行うが、敵はそれらを巧みにかわし、空高くに舞い上がる。

 

「面舵切りなさいッ!」

「んなろぉおッ!!」

 

 加賀さんが叫ぶのと、岸田がキーボードを叩くのがほぼ同時だった。上空から『キィィイーン』という風を切る音が聞こえ、てれたびーずが右に舵を切った。てれたびーずが大きく転舵したその瞬間、てれたびーずの船体左側ギリギリに、大きな水柱が上がった。僕は反射的にそれに乗った妖精さんを庇うように、カ号に覆いかぶさった。

 

「あぶねー……シュウ、大丈夫か?」

「うん大丈夫。……妖精さんは?」

 

 カ号に乗った二人の妖精さんは、僕に元気よく敬礼を返した。

 

「岸田! 大丈夫だ! 妖精さんも無事だ!」

「うしっ。キソー、ゴーヤ、ロングランスはどうだ?」

『ダメ。全弾回避されたでちね』

「だな。勘のいいヤツらだぜ……」

 

 キソーさんが前方を睨みながらそうつぶやく。サーベルを持つ手に力が入り、プルプルと震えているのが分かった。

 

「……接敵します」

 

 同じく加賀さんも前を睨みながらそう呟き、少しずつ敵艦隊が見えてきた。今までの深海棲艦たちとは違うプレッシャーのようなものがここまで伝わる。あの、腰から化け物を生やした二人の少女は見覚えがある。レ級だ。頭に大きなかぶりもののようなものをかぶった3人がヲ級ってやつか。そいつらが円形に人を組んでいるのがここから確認できる。

円の中心に一人、一際禍々しいオーラを纏った女性が佇んでいる。艦娘たちのそれとは比べ物にならないほど巨大な艤装を身に纏った女性だ。その女性はこちらをまっすぐ見据え、ニヤリと笑った。その笑みは、あの日のレ級を彷彿とさせた。

 

 そして、その禍々しい女性の前でぐったりと力尽き、海面に倒れ伏しているのは……

 

「……!!!」

 

 僕はその時、生まれて初めて自分の頭の血管が切れる音を聞き、視界が真っ赤に染まるという体験をした。

 



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インターミッション・友に花道を

タイミング的には朝食時に、
岸田と提督が執務室に戻った頃です。
その時の執務室の様子って具合ですかね。


『提督! ミョウコウがスナイプされて大破したわ!』

『赤城さん避けて!!』

『キャアッ?!』

『赤城さんもやられました!』

 

 提督と朝食を食べるために食堂に言った途端大淀さんに呼び戻され、執務室に戻ってきたら……この惨状は一体何だ。無線機から聞こえてくる救援部隊のこの痛々しい悲鳴は一体何だ。

 提督が瞬時に顔を切り替え、無線機のマイクを握りしめる。俺もこっちで食べようと思って持ってきた二人分の朝食をテーブルに置き、提督と救援部隊の無線のやり取りに注意した。

 

「落ち着け。何があった」

『提督! 私達の索敵範囲外から魚雷でスナイプされてるわ!』

「奇襲か? 異変はなかったのか? 敵は赤城の索敵網を抜けたのか?」

『分からない……だけど少し前に潜水艦隊と遭遇して、相手ができないからやり過ごしてきたの!』

 

 提督と俺の顔から血の気が引いた。救援艦隊のいる海域では、今までカ級やヨ級といった潜水艦タイプの深海棲艦が確認されたことは一度たりともなかった。だから提督は、火力を優先して重巡洋艦4名と戦艦1名、正規空母1名の編成を組み、俺もそれを正しい判断だと肯定したのだ。

 

 ところが、今目の前で繰り広げられているこの惨状は何だ。ありえない海域にありえない編成の敵がいて、俺たちの自慢の艦娘たちが、潜水艦ごときに次々大破させられている。

 

「……やむを得ん。救援艦隊は全速力で帰投しろ。これ以上の損害を出すわけにはいかない」

『でも提督! そうしたらヒエイは?!』

「比叡も大切だがお前たちも大切な仲間だ。いいから戻れ」

『Scheisse!! ……分かったわよ。救援艦隊、これより帰投するわ』

 

 ビス子が悪態をつき、通信が乱暴に終了する。提督は無線のマイクを投げ捨て、執務室に『ガシャンッ!!』という機械の破壊音が鳴り響いた。

 

「……岸田、作戦は失敗だ」

「そうだな」

 

 提督からの雪辱の報告を聞き、俺は腸が煮えくり返る思いを必死に抑え、努めて冷静に答えた。

 

 昨晩シュウと別れた後、俺は提督、大淀さんと一緒に司令室で今後の作戦立案と救出作戦の補佐を頼まれた。つまり、大淀さんから罵倒をもらえるというのは方便だったわけだ。なんでそんな回りくどい頼み方をしたのか聞いてみたところ……

 

――だって、その方が『隠れた実力者』って感じがしてカッコイイだろ?

  キリッとしたところはわざと人に見せないんだよ。

 

と確実にこちらの琴線に触れることを言ってきた。ちくしょう。さすが俺の分身なだけあって、俺が喜ぶツボを知っている。

 

 昨日の段階で、俺はビス子たちと通信で会話をしている。

 

『提督の分身であるあなたもいるとは心強いわ。これからよろしくね』

 

 ビス子にそう言われてまだ数時間しか経っていない。それなのに、俺は何も出来なかった。彼女たちの期待に応えることが出来なかった。

 

「……なあ岸田。俺の編成は間違っていたか」

 

 間違っているはずがない。あの海域であの編成なら、普通に考えればお釣りが来るぐらいだ。ゲーム的にいえば、1-1の海域にフル装備フル編成の艦隊で闘いを挑むようなもの。艦これのゲームをやっている者であれば、今回の提督の采配に異を唱えるものはいない。

 

 今回がレアケースだったのは、潜水艦が確認されなかった海域で、潜水艦隊に遭遇したからだ。潜水艦はシッカリとした対策が取れていればそこまでの脅威はない。だがまったく対策が取れてない状況で遭遇した場合は危険度が跳ね上がる。しかも相手はこちらの索敵範囲外からつかず離れずの距離を保ち、破格の破壊力を持つ魚雷で正確無比なスナイプを行える猛者中の猛者。雑魚一匹だけだと思っていた1-1に北方棲姫とレ級X5が待ってたようなものだ。

 

 間違ってはいない。俺たちは間違ってはいなかった。ただ、相手が一枚上手だったのだ。

 

「提督、反省を踏まえて、第二陣を早急に編成する必要がある」

「そうだな。力を貸してくれるか岸田」

「もちろん。叢雲たんに会うまで、助力は惜しまない」

 

 かくして、提督と大淀さん、そして俺の作戦会議が始まる。ビス子たちの屈辱の敗戦を無駄にするわけには行かない。彼女たちの無念を、俺達が昇華してみせる。

 

「対潜特化部隊の夕張と大淀を中心として編成するのはどうだ? 提督はどう思う?」

「私ですか? もちろん構いませんが……」

「ダメだ。大淀はまだしも、夕張は対潜水艦戦では鬼の様に相手を撃沈するが、続く艦隊戦まで体力が続くかどうか……複数回戦闘になると、どうしても装甲面と回避において夕張は難がある」

 

 提督と俺、そして大淀さんとの話し合いの中で、着々と部隊編成が出来上がっていく。火力担当と手数増加要員として戦艦の金剛。偵察と航空戦要員として加賀。先制雷撃要員として木曾とゴーヤ。ゴーヤは敵編成に駆逐と軽巡がいた場合の囮役も兼ねている。そして対潜要員とマルチロールを兼ねた球磨。この五名は割とすんなりと決定した。

 

「あと一人。確実に比叡を救出するために必要な要因か……」

「誰がよいでしょうか……」

 

 提督と大淀さんが頭を抱えている。

 

 俺は、ここで違和感があった。俺にはひとつ案がある。そして俺の分身である提督が、これに気が付かないはずがない。

 

「提督」

「ん? どうした岸田。何か案があるのか?」

「ある。そして提督もあるはずだ」

 

 提督の顔色が変わった。やはり思いついているか。

 

「……案があれば、こんな風に悩んだりしないさ」

 

 なるほど。あくまで提督は口に出さず、その案を封印するらしい。

 

「ならば言わせてもらうぞ提督」

「おお。何だ言ってくれ」

「俺とシュウを編成しろ」

「却下だ」

 

 俺の案を聞いた途端、提督は即座にそれを否定する。逆に言えば、俺と同じ結論に提督も辿り着いていたことの証拠が、この即座の否定だ。

 

「提督もシュウを編成することを思いついていたはずだ。違うか」

「……」

「え……橋立様をですか? 彼は戦えるのですか?」

 

 大淀さんが不思議そうな顔をして俺にそう質問する。彼女の疑問はもっともだ。当たり前だがシュウは艦娘ではない、ごく普通の人間だ。何か特殊な訓練を受けているわけでもない。格闘技を習っていた訳でもなければ、喧嘩慣れしているわけでもない。かといって、俺のように艦これのゲームシステムを熟知しているわけでもない。ごくごく普通の中学生。それがシュウだ。

 

「いや。シュウは戦えません。ごく普通の中学生です」

「ならばなぜ橋立様を編成しようというんですか?」

「シュウ自身は戦えません。ですが、シュウになら、比叡に届けられるものがあります。いわばシュウは、比叡を蘇らせる最後の切り札です」

「岸田。それ以上はよせ。シュウは出撃させない」

 

 俺の説明を提督が制止し、大淀さんが困惑した表情を浮かべた。先ほどから空気がピリピリと肌を刺すように痛い。俺と提督の間で、険悪な雰囲気が流れる。

 

 しばらく困惑していた大淀さんだったが、やがて彼女はハッとした表情を浮かべた。俺がシュウに何を託そうとしているのか気付いたようだ。

 

「……ケッコンカッコカリですか?」

 

 そう。ケッコンカッコカリ。システム上、ケッコンした艦娘はダメージが全快し、どれだけひどい損傷を受けていたとしても、入渠が不要になる。あとは現地で補給を行えば、比叡は問題なく戦闘続行可能だ。複数回戦闘において、途中で無傷のリザーバーが一人入ることがどれだけのアドバンテージになるかは、想像に難しくない。

 

 俺は以前、比叡とケッコンカッコカリをしようと指輪を渡したときに拒否された。彼女にとって、俺=提督は、指輪を受け取るほどに慕う人物ではない。比叡にとってその人物とは……恐らくシュウ。相手がシュウなら、彼女は指輪を受け取るだろう。

 

「提督、橋立様にこの話をして編成に入ってもらいましょう。確実を期すために」

「黙れ大淀。シュウは編成要因に加えない。岸田、キミもだ」

 

 提督が強硬に反対するのは容易に想像出来た。もし俺が彼と同じ立場なら、きっと俺も反対するだろう。

 

「なぜですか? 確実を期すにはこれが一番よいかと思いますが……」

「大淀さん。提督が認めないのには、理由があるんです」

「理由……ですか?」

 

 俺と提督は一心同体だ。だから提督が強硬に反対する理由も分かる。彼が反対する理由は、シュウが向こうの世界の住人であり、深海棲艦の渡航設備を使ったあきつ丸に連れられてこちらの世界に来たということだ。

 

「シュウの目的は比叡の救出だ。そして深海棲艦の渡航設備は、“目的を達した時、元の世界に戻る”ように設計されている」

「黙れ岸田。出て行け。キミと作戦を考えようとした俺がバカだった」

「シュウが救出部隊に加わるということは……比叡に指輪を渡すということは、すなわちシュウが彼女を救出するということだ。つまりシュウは……」

「黙れと言ったはずだ!!」

 

 提督が激昂し、俺の襟をねじり上げ、自分の顔を俺の顔に近づけた。息が荒く、顔が真っ赤だ。相当に頭に血が上っている。

 

「提督! 落ち着いて下さい!!」

「落ち着いてられるか大淀!! ……分かった。言えよ岸田。もしシュウが指輪を渡せばどうなるかを大淀に教えてやれ!!」

「……指輪を渡してケッコンが成立した途端、恐らくシュウは、この世界からいなくなる」

「そんな……」

 

 そう。この作戦には、たった一つの欠点がある。もし本当に渡航設備によって世界を渡った者が元の世界に戻るトリガーが“目的を達する”ことであれば、シュウは比叡に指輪を渡した途端、元の世界に戻ってしまう可能性が高いのだ。

 

 提督は俺の襟をねじり上げる両手の力を抜かず、むしろどんどん力を込めていく。提督の怒りが空気を伝わって俺の肌にまで突き刺さってくるのが分かる。

 

「岸田、キミはよくそんな風に平然と残酷なことが言えるな」

「目的を達成するためだ。比叡を助けるためだ」

「助けるためなら、どんなことでもするってのか! 手段は選ばないのか!」

「それが提督じゃないのか」

「……ッ!!」

 

 掴んでいた俺の襟から両手を離し、提督は俺に背を向けた。提督は俺の分身。俺と提督は一心同体。だから提督も同じことを思いついたはずだ。にも関わらずそれをあえて避け、別の手を講じようとするのは、提督が優しいからだ。提督が、いかに比叡をはじめとした艦娘たちを大切に思っているかがよく分かる。

 

「……岸田、キミは……キミたちの世界から戻ってきてからの比叡を知らないからそんな残酷なことが言えるんだ」

「……」

「キミたちの世界から戻ってきた比叡は、いつもうれしそうにシュウのことを話していた。事あるごとに自慢の弟としてみんなに話し、口癖のように“みんなにも会って欲しいな~”と言っていた」

「……」

「金剛からの報告では、夜にバットを眺めて落ち込む日もあったそうだ。夜、外で夜風にあたりながら泣いてた日もあった。俺は直感したよ。比叡は、向こうの世界で出会った弟のことを愛していると」

「そうか」

「お前たちの世界に行くと決まった時から、比叡はシュウに会うことをとても楽しみにしていた。あんな比叡は見たことない。それまでも楽しそうに毎日を過ごす子だったが、ここ数日はそれに輪をかけて元気だった。俺はそれを間近で見ている」

「……」

「お前はそんな比叡を見てないから、比叡からシュウを奪うようなことが平然と言えるんだよ!」

 

 ほら。提督はこういうヤツだ。シュウとの再会を楽しみにしていた比叡のために反対してくることは、容易に想像できた。

 

 でも、それなら俺も提督に言いたいことがある。

 

「提督、俺はシュウとの再会を頼みにしている比叡のことは知らない」

「そうだろう。比叡からシュウを奪うことは俺が許さんッ!!」

「なら聞くが、提督は自身の姉と別れた後のシュウを見たことがあるか?」

「それは……」

 

 シュウが入院していた時、俺は自分の鎮守府で起こったイレギュラーな事態をシュウに見せるべく、ノートパソコンを片手にシュウのお見舞いをしたことがある。

 

 その時シュウは、比叡のグラを見た途端……比叡が“私の弟”と口走った途端、ボロボロと涙を流していた。向こう側の比叡に触れたいかのように必死にディスプレイを撫で、優しく小さな……でも泣き叫んでいるかのような悲痛な声で、必死に語りかけていた。

 

――姉ちゃん……返事して……姉ちゃん……

 

 その後、シュウは時々うちに来ては艦これのゲーム画面を見たがるようになった。執務室の画面で秘書艦を比叡にしてやると、あいつは必死に、何度も比叡をクリックした。何かを期待するかのように比叡をクリックしては落胆し、俺にバレないようにこっそり泣いていた。

 

 そしてシュウは、時々神社でずっと空を見上げるようになった。何かあったのか聞いても……

 

――いや……なんか色々分かる気がするから。ここに来ると。

 

 そう答えるだけだった。

 

 その時は変なやつだと思っていた。でも、今ならあいつが何を考えていたのか分かる。アイツは神社で、比叡を思い出していたんだ。表面上は取り繕っていても、彼女を求め続けていたんだ。彼女と自身をつなぐ絆を探していたんだ。

 

 今回の再会を待ち焦がれていたのは、比叡だけではない。シュウも待ち焦がれていたんだ。比叡と会いたかったんだ。比叡がシュウを愛しているのと同様、シュウも比叡のことが好きなんだよ。

 

「そこまで分かってて、なおシュウに指輪を渡せと言えるのか?! お前はそこまで想い合ってる二人を引き裂くのがそんなに楽しいのかッ!!」

 

 提督が、さっきまでの怒りにさらにブーストをかけてそう言う。俺と一心同体だというのに、まだ俺の気持ちが読めないのか。

 

「逆だ! 親友に惚れた女性がいるんなら、その手助けをしたいと思うだろう!!」

 

 提督がハッとする。やっと俺の真意に気付いたか。自分の分身にここまで言わせるんじゃない……恥ずかしいだろ……

 

「友人に惚れた女がいる! 今その女は大ピンチ……今が会う最後のチャンスかもしれない……ケッコンするチャンスが今しかないんだとしたら、させてやりたくなるだろう?!」

「……」

「提督だって同じはずだ! 大切に思う仲間と、その仲間が惚れている男がいる! そして、今が過ぎてしまえば、その二人がケッコンするチャンスは今後巡って来ないかも知れないとしたら……今ケッコンして欲しいと思うだろ!! 思わないのかッ!!」

 

 提督がこちらをものすごい顔で睨む。俺を殴りたい衝動に必死に耐えているのかもしれない。拳に力が入り、ワナワナと震えているのがよく分かる。殴りたければ殴れ。おれは絶対に引かない。

 

「大淀さん」

「は、はい」

「昨晩俺たちが鎮守府に到着する前、提督から明石へ、ケッコン指輪の申請依頼があったはずだ」

「え……」

「時間的には、俺たちがこっちの世界に到着した頃。恐らくあきつ丸から無線で到着報告を受けた直後ぐらいのはずだ。明石に確認してみてくれ。その頃、司令部へのケッコン指輪の申請があったはずだ」

「わ、分かりました」

 

 大淀さんが工廠に内線を繋ぎ、明石に確認を取ろうとした時、大淀さんを提督が制止した。

 

「確認しなくていい。確かに俺が申請した」

「やっぱり……俺ならそうすると思ってた」

「あれだけ楽しみにしていた比叡をずっと見ていたから、シュウも来たと報告を受けた段階で、比叡のために指輪を一つ準備してやろうと思ったんだよ。もしシュウが望めば、二人をケッコンさせてやろうと思っていた」

 

 そう。提督も本心では二人にケッコンして欲しいんだ。今回はたまたま状況が特殊なだけで、何もなければ提督は、シュウと比叡をケッコンさせようと思っていたはずなんだ。俺の分身なんだから。

 

「だけどな。状況が状況だ。こんな状況の中で、二人をケッコンさせるわけには行かない。せっかく出会えた二人が引き裂かれるのは見えている」

「俺はこんな状況だからこそ、二人はケッコンさせてやるべきだと思ってる。たとえ指輪を渡さずとも、引き裂かれる可能性はゼロじゃない。ならば賭けたほうがいい。……それに、二人の仲に遠慮した結果比叡が轟沈してしまえば、それこそ俺はシュウに顔向け出来なくなる」

 

 ここまで言っても提督は引かないが、俺も引く気はまったくない。何が何でも比叡は助ける。どんな手段を使ってでも比叡を生還させる。そのためのシュウであり、ケッコン指輪だ。

 言ってみれば、おれが強硬にシュウを伴って比叡を助けに行こうと主張するのは……どんな手段を使ってでも比叡を助けようとするのは、全部シュウのためだ。俺はシュウに幸せになって欲しいんだ。泣きながらモニターを撫でる親友の姿は、もう見たくない。

 

「……金剛に応急修理女神を持たせ、それを比叡に渡すのはどうだ」

「駄目だ。あれは艤装に装備してはじめて意味を成す。今の比叡の艤装に装備枠の余裕はないはずだ。おれは比叡の装備枠に余裕をもたせた覚えはない。違うか?」

「確かにそうだ……シュウはどうやって同行させる気でいるんだ。お前のプランは?」

「船を1隻準備してくれ。俺がその船を操縦して、シュウを運ぶ」

「キミは身の安全の確保のためにこっちに来てるんだぞ」

「俺は提督の分身だ。自分の艦隊指揮が信じられないのか? 絶対に助けてみせる」

「……チクショッ……俺の分身ならもっと扱いやすいヤツだと思ってたのに……」

 

 提督が困ったように頭をボリボリ掻いて抱える。逆だよ提督。提督の分身だから扱いづらいんだ。

 

「……正直に言え岸田。シュウと比叡をくっつけるためだけに同行するわけじゃないだろ」

 

 バレたか。確かにシュウと比叡の二人を結ぶ手助けをしたいという気持ちは本当だ。でも、シュウばかりにカッコイイことはさせてられんのだ。俺だってみんなの役に立ちたいのさ。そしてみんなともっと仲良くなりたいんだよ。カッコ悪いからこんなこと言えないけど。

 

「ニヤニヤ」

「ん? ……まあいい分かった。漁船ぐらいの大きさの特殊艇“おおたき”ってのがある。それを夕張と明石に準備させよう。何か要望はあるか?」

「あとで直接夕張と明石に伝える。ちょっと要望多いからな」

 

 よし。提督が飲んだ。

 

「それから、シュウへは指輪が届き次第、俺が伝える。提督としての責任だ」

「そうか。本当は俺が伝えたかったんだが……分かった。頼む」

 

 これでお膳立ては終わった。これで比叡は確実に助けることが出来る。いよいよの時は、シュウが比叡に指輪を渡してケッコンすればOKだ。

 

 仮に二人が離れ離れになるとしても、比叡が轟沈するよりはいい。そしてケッコンすれば、二人の絆は形になる。それは必ず二人を引き合わせる。俺はそう信じている。今回、あきつ丸を通して比叡に導かれるように、俺とシュウがこっちの世界に来たように。

 

「……いいか岸田。二人を引き裂く危険性と引き換えの作戦だ。絶対に成功させろよ」

「分かってる。絶対に失敗はしない。比叡は必ず救ってみせる」

 

 シュウ、花道は作ってやったぞ。あとは比叡たんとどうなるかはお前次第だ。悔しいけれど、やっぱり隣でお前を見てきて、比叡たんのケッコン相手はお前以外にいない。

 

 きっと今日、お前は一生分の悩みを抱えることになるだろう。でも大丈夫だ。お前には味方が大勢いる。俺もお前たちにケッコンして欲しいけど、最期に決断するのはシュウなんだ。俺は、お前がどれだけ落胆していたかを見てきた。もう見たくないんだよ。絶望の顔でディスプレイの比叡たんを必死にクリックする友達の姿なんて。たとえ離れ離れになったとしても、絆が出来ていれば、そんなことはもうしなくていいはずだ。

 

 提督が無線機のスイッチをひねる。鎮守府内に施設内放送のチャイムが鳴り響き、提督はシュウと金剛ちゃんを執務室に呼び出した。

 

「岸田」

「ん?」

「……やっぱキミは、俺の分身だな。考えてることが全部筒抜けだった」

「なんせ俺は、叢雲たんチュッチュ提督の名付け親だからな」

「その名前、なんとかしてくれよホント……」

 

 そう言って提督は苦い顔をする。残念ながらもう変える気はない。艦娘のみんなにも定着してるだろうし。それに最近、妙に愛着が湧いてきたところなんだ。

 

閑話休題。

 



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09.僕はキレた

「離せ岸田!! 姉ちゃんが!! 姉ちゃんが!! ……離せぇエエエ!!!」

「落ち着けシュウ! 落ち着けって!!」

 

 傷だらけの状態で倒れ伏し、ピクリとも動かない姉ちゃんを前にして、僕は頭に血が上っていた。岸田が僕を羽交い締めにし、必死に僕を制止するが、僕は怒りに任せて岸田を振りほどこうと暴れ周り、てれたびーずの船上で岸田ともみあった。

 

「落ち着けシュウ!! 泳いでいくつもりか!! みんなに任せろ!!」

「イヤだ!! 姉ちゃんが死ぬ!! 僕が行く!! 離せ岸田!! 離せぇぇエエエ!!」

 

 岸田を引き剥がそうとするぼくと、僕を離すまいとする岸田のもみ合いが続く。僕が岸田の左腕を剥がせば岸田の右腕の力が強まり、それに僕が気を取られれば左腕が再度絡まる。僕が岸田をやっとの思いで完全に引き剥がし、てれたびーずから飛び降りて姉ちゃんの元に泳いでいこうとしたその時だった。

 

「シュウくん、どこに行くつもりデスカ?」

 

 僕の前に金剛さんが立ちふさがった。金剛さんは、怒気こそ感じられないが、先ほど深海棲艦たちを睨んでいた時と変わらない表情で僕を見つめた。それでも僕の勢いは止まらず……

 

「姉ちゃんの元に行くんです! 泳いででも行きます!!」

 

 そう答えた瞬間、金剛さんは僕の頬に平手打ちを浴びせた。人の何倍もの力を持つ艦娘の……ましてやその中でも特に力の強い戦艦クラスの金剛さん。その金剛さんの平手打ちの勢いは凄まじく、その一撃を受けた僕の身体は宙に浮き、そしててれたびーずの船体から飛び出して海に落ちた。

 

 あまりに唐突のことで僕は意味が分からず、ただただ混乱していて、自分が今海に落ちたということを認識するのも不可能だった。ただ、呼吸が出来ず苦しいというシグナルしか僕の頭は発することが出来ず、必死に水中を掻いて水面上に出ようとする。だが僕の身体は鉛のように重くて、掻いても掻いても水面に上がることが出来ない。頭がパニックになり、呼吸も限界に来た頃、誰かの手が僕の襟を掴み、強引に海中から引っ張りあげられた。

 

 海上に引っ張りあげられた僕は思い切りむせて、肺の中に入りかけた海水を必死に喉から絞り出した。依然ぼくは襟を掴まれて持ち上げられているのだが、その犯人が金剛さんだというのがわかったのは、ぼくがやっと呼吸が出来る程度に回復したときだった。

 

「シュウくん、少しは落ち着いたデスか?」

「こん……ごうさん……ゼハー……」

「シュウくん、絶対に我を忘れてはダメデス。戦場で取り乱して我を忘れたら……取り返しのつかない事態に陥ることもありマス。余計な犠牲を生むこともありマス」

「でも……ゼハー……でも姉ちゃんがッ……!!!」

「冷静になるネ。ワタシたちに任せて下サイ」

 

 金剛さんは冷静にそう言うと、僕をてれたびーずの船上に、いとも簡単に投げ捨てた。僕は投げられた勢いでてれたびーずの船上を転がり、反対側のへりにぶつかる。そのへりのすぐそばでは、海面に立つキソーさんがいた。キソーさんは僕の襟を掴んで立たせてくれ、僕の顔を姉ちゃんと深海棲艦がいる方向に向けた。そしてそのまま僕の肩に手を回し、右の耳元に自身の顔を近付け、僕とともに敵を睨みつけて、耳元で呟いた。

 

「……なぁシュウ。お前がどれだけ比叡さん……姉ちゃんを大切に思ってるか分かった。でもどう見ても、今のは無謀だ。お前だけじゃ、あの敵陣から姉ちゃんを助け出すことは出来ない」

「……」

「でもお前にはムリでも、俺達なら出来ることもある。お前の気持ちは、俺が魚雷に乗せてあいつらにぶつけてやる。お前の代わりに、俺達があいつらにぶちかましてやる」

 

 金剛さんに平手打ちをされ、海面に落ち、船上に投げ捨てられたことで、僕の頭はだいぶ冷静さを取り戻していた。今なら、さっきの自分がどれだけ無謀なことをやろうとしていたのか理解出来る。確かにぼくは泳いで姉ちゃんの元まで行こうとしたが、それが所詮無理なことは、今の僕なら理解できた。

 

 僕は自分の足元を見た。足元では二人の妖精さんが心配そうに僕を見つめている。

 

「……わかった。キソーさん、頼む」

「任せろ。最高の勝利を約束してやる」

 

 キソーさんは僕の襟から手を離し、再びてれたびーずの前方に戻った。僕は、未だこちらから視線をはずさない金剛さんの元に行き、金剛さんに頭を下げた。

 

「金剛さんごめん。姉ちゃんのことで取り乱してた」

「……落ち着いたデスか?」

「うん」

「ワタシ、けっこう思いっきり引っ叩いたデスケド、怪我は無かったデスカ?」

「うん大丈夫。ちょっと痛いけど、目が覚めた」

 

 さっきまでの険しい表情から、金剛さんが笑顔に変わった。妖精さんが僕の肩口によじのぼり、ぼくのほっぺたをさすっている。

 

「おーけい。さすが比叡の弟。……じゃあワタシは、カワイイ妹と弟のために、ワンスキン脱ぎマス!」

 

 金剛さんはそういい、てれたびーずから離れて球磨とともに砲撃を開始した。二人の砲撃は何度もレ級やヲ級に直撃するが、どうもバリアのようなものが周囲に張られているらしく、中々ダメージを与えることが出来ないようだ。

 

 ヲ級が艦載機を飛ばし、レ級が周囲に爆雷をばらまく。てれたびーずからやや離れたところで巨大な水柱が立ち、無線機からゴーヤの悲鳴が聞こえた。

 

『キャアアッ……?!』

「ゴーヤ?! 大丈夫?!」

『まだ大丈夫……でも、けっこうダメージデカいでち……』

「一回浮上しろ! てれたびーずで回収する!」

『わ……わかったでち……』

 

 上空ではヲ級の艦載機と加賀さんの艦載機が激しい航空戦を繰り広げていたが、その隙を縫って、加賀さんに上空から別の艦載機が近づいていた。さっきも聞いたキィィイイインという甲高い不快な音が、上空から聞こえる。

 

「加賀さん!! 上ッ!!」

「……ちいッ!」

 

 加賀さんは回避行動を取ろうとするが、すでに遅かった。『ドーン!!!』という音と共に加賀さんを中心に爆発が起こり、加賀さんの偽装の破片がこっちにまでたくさん飛んできた。どうやら相手は加賀さんめがけて急降下爆撃を行ったらしい。加賀さん自身の傷は言うほど大したことはなさそうだが、艤装の損傷が酷い。弓矢は問題ないようだが、肩に取り付けられた甲板が損傷し、艦載機の回収が困難となった。

 

「くッ……」

「加賀さんッ!!」

「私は大丈夫。あなたたちは自分のことだけ考え……木曾ッ!!」

 

 加賀さんがキソーさんの名を叫ぶのとほぼ同時に、キソーさんを中心に爆発が起こった。

 

「なッ?!」

「キソーさんッ!!」

 

 キソーさんの上空に、気持ち悪い亀裂が入った数機の丸い物体が浮かんでいる。その物体が上空からキソーさんを爆撃したようだ。その物体はキソーさんにダメージを与えたことを確認すると、速やかに自陣に戻っていく。どうやら空母棲鬼が発艦させた艦載機のようだ。空母棲鬼は丸い物体を回収すると、こちらを見てニヤリと笑う。

 

 爆発で立ち込めた粉塵が少しずつ引いてきた。煙の中で立つキソーさんは服と艤装がボロボロになっており、自慢のサーべルも歯がガタガタになっていた。

 

「……誰が涼しくしてくれなんて言ったよ」

「よかった……キソーさん無事でよかった……」

「心配無用だ」

 

 よかった。損害は被ったが無事なようだ。

 

 しかしたてつづけに3人が中破した。今までの順調な進軍がウソだったんじゃないかと思えるほどに敵が強い。突破口がまったく見えない。やはり懸念は当たっていたのか。これは姉ちゃんを餌にした罠だったのか。

 

 ゴーヤが浮上し、てれたびーずに乗船してきた。キソーさん以上に服と水着がボロボロになっている。ゴーヤが回収されたことで、潜水艦という目標を失ったレ級2隻の雨あられのような砲撃が始まった。岸田が巧みな舵さばきでてれたびーずを蛇行させる。しかしレ級の偏差射撃は思った以上に正確らしく、てれたびーずに着弾するかしないかギリギリのところをかすっていく。てれたびーずの周囲で水柱が上がり、轟音が僕と岸田の鼓膜に襲いかかる。

 

「岸田!!」

「ヤバいぞシュウ……ヤバイぞ!!」

 

 不意に、ピーピーという警告音が操舵室のモニターから鳴った。ぼくは操舵で必死な岸田に代わってモニターを見る。魚雷がてれたびーずの船体側面に向かって海中を走っているのが分かった。マズい。このコースだと命中する。この角度でてれたびーずに命中してしまうとひとたまりもない。

 

「岸田! 魚雷だ!!」

「んだとッ?!!」

 

 直後、金剛さんが魚雷とてれたびーずの間に割って入った。金剛さんを中心に水柱が上がり、てれたびーずは難を逃れた形となったが……

 

「金剛さん!!」

 

 金剛さんの身体が宙に浮き、そして水面に叩きつけられた。艤装が損傷し、砲塔がガクガクと痙攣している。金剛さんはゆっくりと起き上がり、額から血を流しながら、笑顔でこっちを見た。

 

「岸田……シュウくん、無事デスカ?」

「う、うん……」

「……おーけい。旗艦が無事でよかったデス」

 

 金剛さんの笑顔が本当に辛そうだ。結構酷い損傷を受けたのかもしれない。ヤバい。5人の艦娘のうち4人が立て続けに傷を負った。一方の相手は無傷。一矢すら報えてない。まったく歯が立たない。マズい。

 

「なめるなクマぁああ!!」

 

 ただ一人、無傷の状態の球磨が一人で砲撃を続けるが、火力が足りず、レ級たちにダメージを与えるに至らない。レ級からの執拗な砲撃が続く。全員が必死に回避運動を取っているが、それがいつまで続くかわからない……マズい……マズい!

 

『シュウくん……聞こえる? お姉ちゃんだよ』

 

 無線機から、姉ちゃんの声が聞こえた。その直後、周囲の轟音も、球磨の咆哮も、岸田の怒号も何もかもが遠くに聞こえ、僕の耳に届く音は、無線機からの姉ちゃんの声だけになった。

 

「姉ちゃん! 待ってて今助けるから!!」

『シュウくん……みんなも……引き返して』

「え……姉ちゃん今なんて……」

 

 周囲の音がさらに聞こえにくくなった。岸田が何かを叫び、加賀さんがそれに何か受け答えをしているのは分かるが、二人の声があまりに小さくて聞き取れない。キソーさんが何か遠いところで爆発に巻き込まれているようだ。僕は姉ちゃんを見た。相変わらず倒れたままだったが、姉ちゃんは必死に上体を起こし、こっちを見ていた。その姉ちゃんと、僕は目があった。

 

 この瞬間をどれだけ待ちわびただろう。どれだけ願ったことだろう。やっと会えた。やっと姉ちゃんと見つめ合えた。あの日理不尽に姉ちゃんを奪われてから今日まで、どれだけこの瞬間を待ち焦がれたことだろう。世界が僕と姉ちゃんから遠く離れ、周囲には僕と姉ちゃんの二人だけしかいなくなった。

 

 姉ちゃんに会えた。それなのに、僕と姉ちゃんの間に笑顔はなかった。喜びもなかった。

 

『シュウくん、引き返して。退却して』

「……なんで?」

『このままじゃみんなが……今なら全速力で退却すれば大丈夫。お姉ちゃんがなんとか食い止める。だからこのまま退却して』

 

 なぜだか分からないが、遥か遠くにいるはずの金剛さんが、こっちの様子に気付いたのが見えた。その後金剛さんは姉ちゃんに向かって何かを叫んでいたが、距離が遠く声が小さすぎて、何を叫んでいるのか分からない。

 

『お姉ちゃん、なんとかがんばって空母棲鬼だけでも止めるから。その隙に逃げてね』

 

 またか。

 

『ごめんねシュウくん。でも最期にひと目だけでも会えてうれしかった。来てくれてありがとう』

 

 また僕を困らせるのか。

 

『シュウくん。……大好きだよ』

 

 周囲の音が完全に収束して消えた。フラフラの姉ちゃんが力なく立ち上がり、空母棲鬼に向かって、痙攣しているボロボロの砲塔を向けたのが見えた。そして一瞬、姉ちゃんは僕に微笑みかけた。笑顔だけど、神社で見せていた、ベランダで見せていた、あの日消える寸前に見せていた、一瞬で崩れ去りそうな脆い笑顔だった。

 

 どれだけ僕を困らせれば気が済むんだ姉ちゃん。

 

 僕はまったくの無音と化した世界で、無線機を通さず、遥か遠くにいる姉ちゃんに向かって、あらん限りの怒りを込めて怒鳴った。

 

「また僕を困らせるつもりなのか!! 姉ちゃん!!!」

 

 岸田と艦娘たち、そして深海棲艦も僕を振り返った。僕の怒号は姉ちゃんにまで届いたようで、姉ちゃんも僕が怒鳴った瞬間にビクッと身体をこわばらせた。僕の肩口にいた妖精さんが自分の耳を塞いでいるのが見え、もう一人の妖精さんが乗るカ号が、僕の声でコロンと転がった。そのままの状態で、僕と姉ちゃんのそばに戻った世界は時を止め、僕の声以外の一切の音が消えた。砲撃も止んだ。みんなの動きも止まった。

 

『シュウ……くん……?』

「あの時みたいに勝手なこと言って……また僕の前から勝手に消えるつもりか!! あの時みたいに、また僕を置いていくのか!! 僕たちは姉ちゃんを助けるためにここまで来たのに……僕は姉ちゃんを助けるためにここまで来たのにッ!!」

『でもシュウくん……』

「うるさいッ!! 今度は絶対一緒に帰るッ!! いなくなるなんて許さないからな!! 頭なでてもらうッ!!! ウザいって思われても隣にずっといてもらうッ!! 分かったら……」

 

 言ってしまえ。もう知らん。姉ちゃんが困っても知らん。これは今まで散々僕を困らせてきた姉ちゃんへのお仕置きだッ。僕の切り札を喰らえッ!

 

「黙って指輪を受け取れ!! 僕とケッコンしろぉぉぉぉおオオオオ!!!」

 

 無音の世界に、僕の声だけが響いた。僕は姉ちゃんを睨みつける。姉ちゃんは目を丸くして顔が真っ赤っ赤だ。金剛さんがニヤーっとほくそ笑み、キソーさんがプッと吹き出した。加賀さんが呆れて頭を抱え、岸田が痛恨の血涙を流す。ゴーヤが鼻の下を伸ばし、妖精さんたちがほっぺたを赤くして照れていた。そして、球磨自身はジト目でこっちを見ていたが、アホ毛が恥ずかしそうにグニグニと動いていた。

 

 その瞬間、確かに世界は停止していた。

 

「……こんな時に公開プロポーズは勘弁して欲しかったクマ」

 

 球磨のこの一言で、再び世界が動き出した。レ級の砲撃音が再開し、水柱がてれたびーずを中心に複数発生した。

 

 僕はというと、耳から水蒸気が吹き出さん勢いでキレていた。顔に血が集まっているのが分かる。怒りが収まらない。あの日のように、今また僕の前から消えようとする姉ちゃんへの怒りが収まらない。

 

「頭きた! もう頭きた!! ねえちゃん絶対連れて帰る!! ねえちゃんのわがままなんか聞いてやらんッ!! ケッコンだ! ケッコンしてやるッ!!」

「うん。まぁ……やる気満々になったのは素晴らしいでち」

「当たり前だッ!! そして罰として頭をなでなでわしゃわしゃしてもらうッ!!」

「なるほど……これが風呂あがりの比叡を怒るときのシュウくんなんデスネ。恐ろしいデース……ニヤニヤ」

「やかましいッ!! 絶対全員無事に帰る!! 絶対に帰るぞッ!!!」

『シュウくん』

 

 再び、無線機から姉ちゃんの声が聞こえた。体力が限界に近いため力はこもってないが、さっき僕に退却を促した時と比べて、声に生気がある。少し元気が戻っているのが手に取るようにわかる。姉ちゃんを見ると、姉ちゃんは海面にペタンと腰を下ろしてはいたが、こっちを真っ直ぐ見つめるその顔に、さっきまでの脆さはなかった。

 

「なんだ姉ちゃん!!」

『さっきのはホント? お姉ちゃんとずっと一緒にいてくれる?』

「頼まれなくても嫌がられても一緒にいるッ!! 今日の今日までさんっざん僕を困らせたんだから、今度は僕のわがままに付き合ってもらうッ!!!」

『……分かった。私も……シュウくんと一緒にいたい』

「言われなくても助ける!! 絶対一緒に帰る!!」

 

 決めた。絶対姉ちゃん連れて帰る。何がなんでも連れて帰る。指輪渡してあんな勝手なこと言えないようにしてやるこんちくしょう。消えてたまるか。姉ちゃん置いて向こうの世界になんて帰ってやらん。ムカつく。捕まえてやるから姉ちゃん覚悟しろ。

 

「シュウ」

「ぁあ?! なんだ岸田?!」

「決心ついたか?」

「当たり前だッ!! どんな手使ってでも連れて帰るからなッ!!」

 

 さっきとは違う意味で頭に血が上っている僕は、岸田にも食って掛かった。岸田はそんな僕をたしなめることもせず、ニコニコと笑みを浮かべながら僕を見ている。でも目からは血の涙を流しており、そのおぞましさに僕の怒りは一瞬で沈静化し、ゴーヤは一瞬でドン引きした。

 

「き、岸田さん……その顔……ドン引きです……」

「深海棲艦よりもおぞましいでち……」

「悔しいが仕方ないッ」

 

 岸田は無線機のスイッチを入れ、マイクを自分の口元に持ってきた。今ここで死力を尽くしている艦娘たちへの極秘通信だ。

 

「各員、てれたびーずに集まってくれ。これから“大海原でつかまえて大作戦”をはじめる」

 



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10. 大海原でつかまえて

 岸田が無線を使って、艦娘たちに次々と指示を飛ばしている。これから岸田発案の、僕を姉ちゃんの元に運び、姉ちゃんを奪取してそのまま離脱する作戦が敢行される。名づけて“大海原でつかまえて大作戦”。ハッキリ言ってこんなことに名前をつける必要なんかないはずなんだけど……

 

「こういうことはな! 名前が大事なんだよ名前が!!」

 

とゴリラと化して鼻の穴を広げて力説する岸田に、今てれたびーずに乗船しているゴーヤとぼくは何も言い返すことが出来なかった。鎮守府に『叢雲たんチュッチュ』なんて名前をつけるお前にそんなこと言われたくない。

 

「ゴーヤ、潜れるか?」

「雷撃戦は出来ないけど、潜ることは出来るでち」

「オーケーだ。じゃあ手はず通りに……」

 

 ゴーヤがまっすぐねえちゃんたちの方を見、その後てれたびーずから降りて水中に潜った。ゴーヤの潜水スピードはさすがに潜水艦だけあって凄まじく、けっこうな透明度を誇るこの海であっても、またたく間に姿が見えなくなった。

 

「金剛ちゃんと木曾と球磨には、なんとかレ級とヲ級の気を引いてもらいたい。方法は任せる」

『わかったネー。任せるデース』

『キソーは大丈夫クマ?』

『大丈夫だ。雷撃もあと一回なら行ける。次は外さない』

 

 金剛さんが半壊した艤装で砲撃を行う。金剛さんの砲撃は命中こそしないが、反撃するヒマを与えないほどの頻度での乱れ撃ちだ。ヲ級たちも金剛さんの執拗な砲撃を嫌がり、自分の艦隊から距離を取り始める。

 

 一方、そのやかましい砲撃の影に隠れ、球磨がこっそりとヲ級たちに近づいている。スニーキングで接近しているためか、アホ毛も目立たないように、少しうなだれていた。

 

「私は何をすればいいかしら」

「シュウとカ号が敵艦載機に狙われるのは確実です。こいつらを守ってやってください」

「……わかったわ。誰にも手出しはさせない」

 

 岸田への返答を行いながら、加賀さんが矢を射る。射られた矢は戦闘機となっててれたびーずの上空に待機しはじめた。

 

 一方の僕はというと、今カ号に乗り込んだ妖精さんと打ち合わせ中だ。僕は今、パラシュートのようなバックパックを背中に背負っていて、そのバックパックは革ベルトでカ号観測機とつながっている。

 

「いい? 加賀さんが敵の艦載機を全部落としてくれるから、安心して僕を姉ちゃんの上空に届けてね」

 

毎度のごとく、サムズアップと敬礼を返してくれる妖精さんたち。身体は小さくて可愛らしい顔をしたマスコットのような妖精さんたちだけど、その姿はとても頼りがいが有る。

 

「シュウ、準備は出来たか?」

「うん。妖精さんたちも大丈夫だよ」

「了解した。なぁシュウ」

「ん?」

「アドバイスにはなるか分からんが、一応言っとく」

 

 周囲をキョロキョロと見回しつつ、岸田が口を開いた。こういう時の岸田はイケメンモードの岸田だというのが、長年の付き合いでなんとなく分かる。キーボードとマウスから手を離すことなく、岸田は周囲を警戒したまま話を続けた。

 

「おれのオトンとオカンの話だけどな。オトン、プロポーズの時にパニックになって、色々考えてた言葉も何もかも吹き飛んじまって、もうどうでもいいからとりあえずイっちゃえって感じで逆ギレでプロポーズしたんだそうだ」

「へぇえ。うちの親と全然違う感じだ」

「オカンはオカンでプロポーズされるだなんて全然思ってなくて、言われた途端にパニックになっちゃって、最終的に“あーもう意味わかんなーい”的な感じでヤケクソでOKしたらしい」

「岸田のお母さん、そんな感じには全然見えなかったけど……」

「まあな。結果はお前も知っての通りだ。単身赴任も多くて普段は中々会えない二人だけど、今でも仲は悪くない。案外その場の勢いっつーか、さっきのお前みたいに、行きあたりばったりのヤケクソで出す決断も、結構うまくいくとおれは思う」

「そっか……」

「そして二人の絆が本物なら、たとえ距離が離れていてもきっと大丈夫だ。うちの両親がいい例だ」

 

 なんとなく、岸田がいいたいことが理解できた。僕と姉ちゃんなら、どんな状況でどんな決断をしても……それこそやけくそで指輪を渡しても、絆は消えないと言いたいらしい。岸田はよく僕と姉ちゃんの話が出てくる度に、『比叡たんがぁぁああああ』と泣き喚き、痛恨の血涙を流す。でもそれはポーズで、本当は僕と姉ちゃんの関係を認めてくれているようだ。

 

「分かった。岸田、ありがとう。岸田がそういうなら自信が持てる」

「礼は全部終わった後にしてくれ。死亡フラグはごめんだ。あと、無線機もちゃんと耳に入れておけよ」

 

「大丈夫。入れておいた。みんなの無線もちゃんと聞こえるよ」

 

 僕は妖精さんが乗ったカ号を頭の上に乗せた。カ号にはベルトがくくりつけられており、そのベルトは僕が背負っているバックパックにつながっている。

 

「よし……じゃあ作戦開始だ!!」

 

 岸田がそういい、てれたびーずも砲撃を開始した。カ号のエンジンに火が入り、カ号と僕が宙に浮く。

 

「シュウ」

 

 身体が2mぐらい持ち上がったところで、岸田がまた僕に近づいて声をかけてきた。その顔にさっきまでのおぞましい血涙はなく、とても晴れ晴れとした顔をしている。

 

「がんばれ。絶対姉ちゃん捕まえてこいよ」

「うん。ありがとう。行ってくる。岸田も気をつけて」

「おう。任せろ」

 

 岸田が右手を上げた。ぼくも右手を上げ、岸田とハイタッチをする。パンという小気味良い音が鳴り、右手の平に、ジーンと痛みが走った。その後岸田はこちらを振り返らず操舵室に戻り、カ号が僕をぶら下げたまま上昇していった。

 

 一方水上では、金剛さんの執拗な砲撃を嫌がって艦隊から少し距離を置いたヲ級たちに対して、球磨が接近戦を挑み始めたのが見えた。

 

「……クマッ!!」

 

 球磨の魂の叫びと平手の音がここまで聞こえる。球磨がヲ級を張り倒す度『バチーン!!!』という痛々しい音がここまで聞こえ、その度に、ヲ級が頭にかぶった大きな帽子のようなものが外れそうな勢いでヲ級がぐらついていた。

 

 姉ちゃんのすぐそばにいる空母棲鬼が、空高く舞い上がる僕とカ号に気付いたようだ。空母棲鬼から無数の艦載機が発射されたが、僕とカ号の周りに加賀さんの艦載機が集まり、空母棲鬼の艦載機を叩き落としていく。

 

「加賀さん! ありがとう!!」

『あなたたちを守るのが私の仕事。気にせず進みなさい』

 

 無線から加賀さんの声が聞こえた。冷静な加賀さんの声が心強い。

 

『何……やるの? シュウくん……何する気なの……?』

 

 同じく無線機から、姉ちゃんの声が聞こえる。僕の姿が見えたようだ。こっちを不安そうな眼差しで見ているのが、上空からもよく見える。説明をしたいが、僕は今、無線の送信機を持っていない。

 

『比叡?! 聞こえマスカ?!』

『お姉様……シュウくんは何をするつもりなんですか……?』

『これから王子様が迎えに行くデース! ムードもへったくれもないのは我慢するネー!!』

 

 僕に変わり金剛さんが説明してくれたのはいいが、それじゃ全然説明になってない。

 

『いいから比叡は黙ってシュウくんを待つのデス!!』

『は、はい。了解ですお姉様』

 

 なんとか姉ちゃんは納得してくれたようだ。僕とカ号はぐんぐん高度を上げ、水面にいる金剛さんたち艦娘と深海棲艦たちの姿は豆粒ぐらいの大きさになったところで、姉ちゃんの頭上の位置まで移動する。よし。ここまでは作戦通り。あとはゴーヤのポイント到着を待つばかり。

 

『ポイントに着いたでち!!』

 

 ゴーヤの通信が入った。

 

「妖精さん! お願いします!!」

 

 僕が自分の背後で僕を釣り上げているカ号を振り返り、妖精さんにそう伝える。カ号が除々に高度を下げていく。足元に広がる豆粒大の大きさのみんなが徐々に大きくなってきた。

 

 ぼくたちの存在に気付いた空母棲鬼が再び僕らに向けて艦載機を飛ばすが、瞬時に加賀さんの艦載機が僕らを取り巻き、空母棲鬼の艦載機を撃墜する。

 

「やらせません。誰にも手出しはさせないと言ったはずです」

 

 加賀さんの方を見た。加賀さんはこっちをまっすぐに見据え、矢をつがえているのが分かった。加賀さんの声が、無線ではなく直接聞こえた。

 

「行きなさいシュウ。比叡さんをお願いします」

「分かりました加賀さん、ありがとう」

 

 ヲ級たちも僕らを見上げこちらに艦載機を飛ばそうとするが……

 

「させるかクマァア!!!」

 

 自身から目が離れた途端、球磨の両手が火を吹き、ヲ級を次々に張り倒していく。張り倒した時の音がもはや『バチン』ではなく『バゴォオオオオン』という爆発音に近い。

 

ヲ級たちも張り倒される度に立ち上がるが、球磨もまた、その度に再度ヲ級たちを張り倒して張り倒して張り倒した。艦載機の発進を諦めたヲ級たちが数の暴力で球磨を押さえつけ拘束しようとするが、球磨の勢いは止まらない。

 

「シュウが決心したんだクマ! 比叡とシュウは本当の家族になるクマッ!! 二人の邪魔はこの球磨が許さんクマァアア!!!」

 

 球磨は自身を拘束するヲ級をバカ力で振りほどき、別のヲ級を張り倒して撃沈した。

 

 一方ぼくとカ号は、姉ちゃんの頭上に来るように少しずつ位置を調整しながら下降しつづける。姉ちゃんの姿が、表情が見えるぐらいにまで近づいてきた。

 

「シュウくん?!」

「姉ちゃん!! 今から行くから待ってろコノヤロー!!!」

 

 また姉ちゃんへの怒りが再燃してきた。指輪を渡すから覚悟しろコノヤロー。消えてなんかやらん。世界に反抗してやる。世界よ。文句があるなら姉ちゃんを恨め。

 

「うん……待ってる!!」

「後少し……あと少し降りれば……!!」

 

 だいぶねえちゃんに近づいてきた。後少し降りれば、問題なく飛び降りることが出来ると確信した瞬間、僕のほっぺたを何かがかすめた。見るとレ級たちがこちらに砲塔を向けている。

 

「ヤバい……!!」

 

 次の瞬間、レ級の一人に砲撃が直撃した。金剛さんが片膝をついた状態で、それでもレ級をスナイプし、バリアを突き抜けたようだ。

 

「妹と弟のケッコンの邪魔は……させまセン……!!」

 

 もう一人のレ級も、足元が爆発してダメージを負ったようだ。キソーさんが雷撃をしたらしい。キソーさんを見ると、ボロボロの服を着たキソーさんがこちらを見据えていた。

 

「道は開いてやったぜ!! あとはお前が姉ちゃんしっかり捕まえろォ!!」

 

 高さが5メートル……いや10メートル?……いやもうそんなのどうでもいい。とにかく飛び降りても問題ない程度の高さにまで降下できた。

 

「妖精さん!! もう大丈夫! 行ける!!」

 

 僕は自身をぶら下げているカ号を振り返り、そう怒鳴った。カ号に乗った妖精さんが身を乗り出して僕を覗き込み、変わらぬサムズアップと敬礼をしてくれた。

 

『ゴーヤはいつでもOKだよ!!』

 

 無線からゴーヤの声が聞こえた。てれたびーずの方を見ると、岸田がこっちを見て頷いている。大丈夫。行ける。

 

 ぼくは大きく息を吸い、ありったけの力と怒りと、姉ちゃんへの気持ちを込めて叫んだ。

 

「ねえちゃァァああああん!!! もうどこにも行かさないから覚悟しろォォォオオオオオオ!!!」

 

 疲労の色が濃かった姉ちゃんの目に輝きが戻ったのが分かった。姉ちゃんは立ち上がり、テレタビーズの試合の時にホームランを量産していたキッとした表情で、僕に向かって両手を広げた。

 

「お姉ちゃんもシュウくんを捕まえる!! シュウくんをどこにも行かせない!!」

「気合ィイ! 入れてェエ!! 捕まえろォォオオオ!!!」

 

 妖精さんたちが僕とカ号の接続を切断した。僕の身体が重力に従って猛スピードで落下する。

 

「ねえちゃぁああああアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

 

猛スピードで落下するぼくは姉ちゃんにキャッチされ、その瞬間姉ちゃんの声が、耳ではなく、僕の胸に響いた。

 

――シュウくんが好きです

 

 僕も姉ちゃんが好きです。

 

 受け止めきれなかった落下の勢いで、姉ちゃんと僕は抱きあったまま水中に沈んだ。沈んだところで待ち構えていたのはゴーヤ。

 

「いくでち!!」

 

 ゴーヤが僕と姉ちゃんの襟を掴み、猛スピードで数十メートル潜った後、てれたびーずに向かって泳ぎ始める。ぼくはありったけの力を込めて姉ちゃんを抱きしめた。自分でもびっくりするぐらいの猛烈な力を込めて姉ちゃんを抱きしめた。

 

 そして、それは姉ちゃんも同じだった。いつかの優しい抱擁とは違い、姉ちゃんもものすごい力で僕を抱きしめた。『絶対に離さない』という決意を感じるほどに、身体が姉ちゃんの力できつくつきく締め付けられる。水中のため呼吸も出来ず苦しい。水圧のせいもあり、少しずつ意識が遠のいていく。

 

 それでもよかった。呼吸が出来なくてもいい。痛くてもいい。苦しくても構わない。姉ちゃんがそばにいて、触れられる事が……抱きしめられる事が、何よりも嬉しかった。

 

 抱きしめる姉ちゃんの全身から、姉ちゃんの気持ちが感じ取れた。姉ちゃんの手や顔、体全体から、姉ちゃんの気持ちが聞こえた。

 

――あなたが好きです。あなたが大好きです。

 

 僕もあなたが好きです。あなたが大好きです。逆ギレするほど大好きです。あなたのそのお日様のような笑顔が、世界で一番、誰よりも大好きです。

 

 だから僕は、例えあなたと離れることになるとしても、あなたとケッコンします。

 

 僕は、呼吸が出来ず遠のいていく意識の中で最後の力を振り絞り、最愛の人の左手を取って、その薬指に指輪を通した。

 

――つかまえた

 

 その直後姉ちゃんの身体が眩しく光り輝き、ぼくはその温かく心地いい光に包まれながら、意識を失った。

 



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11.帰還

 遠い場所から聞こえてくるゴウンゴウンというエンジン音が次第に大きくなり、僕は意識を取り戻した。同時に光が僕のまぶたを通して見えてきて、ゆっくりとまぶたを開くと真っ青な青空が視界に飛び込んでくる。身体が水に濡れてびしょびしょだ。多少べたついているところを見ると、どうやら海水のようだ。

 

「気がついた?」

 

 まだ今一意識がハッキリしない。耳にものすごく心地いい声が聞こえる。自分が今どういう状況なのか確かめる。どうやら僕は小舟の甲板に寝かされているようだ。周囲に比べて一段高い場所を枕にしてあるようだが、その割にはものすごく心地いい感触の枕だ。

 

「あれ……?」

「大丈夫だよ。もう終わったから」

 

 また耳に心地いい声が聞こえ、同時に誰かが僕の頭を撫でてくれた。優しいけどほんの少しだけガサツな、髪がくしゃっとなる、僕がいちばん好きな頭の撫で方だ。でも少しだけ気になるのは、その手は指輪をつけているらしく、撫でるときにコツコツと硬いものが当たることだけど……

 

「え……終わったって……」

「シュウくんのおかげだよ」

 

 だいぶ意識がハッキリしてきた。と同時に声の主が誰か分かり、自分が今どういう状況なのかが把握出来た。僕はどうやら、膝枕をされているらしい。

 

「姉ちゃん……?」

「うん」

 

 膝枕をしてくれている人が、お日様のような笑顔で僕の顔を覗きこんだ。その顔は、ずっと会いたかった人の、ずっと見たかった表情だった。

 

「シュウくん、助けてくれてありがとう」

「怪我は? 姉ちゃんヒドい怪我してたよね?」

「大丈夫だよ。シュウくんが指輪をくれたから」

 

 姉ちゃんはそう言い、お日様のような笑顔で指輪をはめた左手を見せてくれた。ずっと見たかった。見る人の心をあったかくする、姉ちゃんのこのお日様のような表情に、ずっとずっと会いたかった。

 

「姉ちゃん久しぶり。……ずっと会いたかったぁ……」

「うん。久しぶり。お姉ちゃんも、ずっとシュウくんに会いたかった。頭を撫でてあげたかった」

 

お日様のような笑顔を見せる姉ちゃんの目に涙が溜まってきて、それが僕の頬の上に落ちた。落ちた涙は温かくて、でもすぐに心地いい冷たさになり、ぼくの頬を伝って落ちていく。僕は姉ちゃんの頬に触れ、親指で姉ちゃんの涙を拭ってあげた。

 

「指輪、ちゃんと効果があったみたいだね」

「うん」

 

 姉ちゃんの目からポタポタ涙がこぼれていく。姉ちゃんの涙はぼくのほっぺたに落ちてはどんどん下に流れ落ちていき、生乾きになっていた僕の顔が、姉ちゃんの涙で再び濡れていった。

 

「お姉様から聞いたよ。シュウくん、私に指輪を渡したら、自分が元の世界に戻っちゃうかもしれないって悩んでたんだよね」

 

 ぁあ……そういえば、元の世界に戻ってないね。よかった。世界への反抗は大成功したみたいだ。

 

「ありがとうシュウくん。そんな状態で私に指輪をくれて、本当にありがとう」

「んーん。姉ちゃんを助けられてよかった。そして、こうやって会えて、話が出来てよかった。

「うん」

 

 唐突に、時間のスピードがゆっくりになったのを感じた。そして何かの影に入ったかのように、僕と姉ちゃんの周囲が暗くなったのを感じた。僕は姉ちゃんに膝枕をされてる状態で姉ちゃんを見上げる体勢になっていたが、ちょうど姉ちゃんの頭上に、誰かがいるのがわかった。姉ちゃんもそれに気が付き、時間の流れがスローな中、ゆっくりと振り向いて背後を確かめた。

 

「お姉様?!」

「ひえーい!! シュウくーん!!」

 

 いや、金剛さんだけではない。

 

「気がついたクマぁぁああ!!」

「シュウが起きたでちぃぃぃいイイ!!」

 

 金剛さんと球磨とゴーヤが、ちょうど姉ちゃんの背後から、僕達二人に覆いかぶさるように乗っかってきた。

 

「ひ、ひぇぇええええ?!!!」

「うぉぉおおおお?!!」

「シュウくん! よく頑張ったデース! お姉ちゃんとして鼻が高いデスネ!!」

 

 3人が艤装を装着したまま僕と姉ちゃんに勢い良く乗っかってきたおかげで、てれたびーずは大きく傾き転覆しかけた。僕は一番下にいるため3人全員の体重が僕にかかり、尋常ではない痛みと重さで身動きがとれない。

 

「バッ……シュ、シュウくんのお姉ちゃんは私ですお姉様!」

「デュフフフフ……イヤーホールをディグってよく聞くネひえーい。比叡とシュウくんはケッコンしたんだから、ワタシは名実ともにシュウくんのお姉さんなのデス!!」

「う……ひ、ひぇぇぇ……」

 

 途端に姉ちゃんの顔が真っ赤になる。姉ちゃんやめてくれ。そんな顔されるとこっちまで恥ずかしくなってくる……

 

「何を恥ずかしがってるデス二人共ー! 特にシュウくん!」

「ほい?」

「比叡にあんなこと言っといて今更恥ずかしがってもダメデース!!」

 

 金剛さんが僕をビシッと指差し、どこかの名探偵のようにこう突っ込んできた。あんなこと? あの逆切れプロポーズのこと?

 

「う……シュウくん…あのー……」

「ん? んん??」

「oh……シュウくん覚えてないデスカ? あの海域を離脱して比叡が救命措置してたときに……」

「やめてくださいお姉様! シュウくんきっと記憶が混乱してるんです!!」

 

 金剛さんがものすごく残念そうな顔をし、姉ちゃんは顔を真っ赤にしてわちゃわちゃおたおたしている。僕が何か恥ずかしい寝言でも言ったのか?

 

 不意に頭を引っ張られる感触があった。身動きが取れなくて逃げられない僕の頭をとんでもないパワーで、これでもかと引っ張ってくるこの影は球磨だ。

 

「二人ともッ!! ちゃんと家族になれたお祝いに球磨が頭をなでなでしてやるクマッ!!」

「いだだだだ!! いだだだだだだ!!」

 

 球磨が強引に僕の首を引っ張り、頭を乱暴に撫でてくる。確かに心地いいけれど、姉ちゃんの何倍も乱暴でガサツな撫で方だ。よく見たら、同じように姉ちゃんの頭も撫でている。僕と姉ちゃんの髪型は球磨のせいでぐちゃぐちゃだ。

 

「分かった! 分かったから首引っ張らないでッ! いだだだだだ!!」

「恥ずかしがらなくていいクマっ!」

 

 僕の制止も聞かず、100万ドルの笑顔で球磨は僕と姉ちゃんの頭をわしゃわしゃし続ける。キソーさんがてれたびーずに近づいてきた。よかった。キソーさんなら助けてくれるはず……

 

「キソーさん助けてッ! いだい! いだい!!」

「ほ、ホントいたいです!!」

「いいじゃないか。そいつが球磨姉なりの祝福の仕方なんだよ。ニヤニヤ」

「「ひぇぇえええ?!!」」

 

 キソーさんがてれたびーずの船体のへりに肘をつきながらそういう。いや違う。そのニヤニヤは僕は見覚えがある。その顔は人の不幸をあざ笑うときの顔だッ!

 

 ゴーヤが僕の足と自身の足をごそごそ絡ませている。一体何を企んでいるッ?!

 

「ゴーヤが長い時間潜水したからシュウが気絶したと思って凹んでたんだから……これぐらいやり返す権利はあるでちッ!!」

 

 そう言いながら、ゴーヤは僕の足に足四の字固めをかけた。いたい! イタすぎる!!

 

「痛い! ゴーヤいたいぃぃぃいいい?!!!」

 

 球磨が僕と姉ちゃんから離れ、金剛さんは姉ちゃんに抱きついていた。姉ちゃんは相変わらず僕に膝枕をしてくれているが、顔はマッカッカだ。ゴーヤは僕の悲鳴をきいた途端、ニヤリとしながら床をバッシンバッシン叩き始めた。その間違ったストロングスタイルは何処で身につけたぁあアッ?!!

 

 もう加賀さんに助けを求めるしかないッ……加賀さん……助けてください……

 

「みんなそれだけあなたと比叡さんが、何事もなく無事ケッコン出来たのが嬉しいんですよ。受け入れてあげなさい」

 

 あなたまでそんなことを言うんですか加賀さんッ……こうなったら岸田だ……僕はこっちに背を向けて、てれたびーずの操舵に集中している岸田に助けを求めた。

 

「岸田……助けてくれッ……」

「うるせーッ! このリア充野郎がッ!! マリッジ・ピンクで幸せ一杯なくせに、それぐらい我慢しろぉおおおオオオオン!!! 15歳でケッコンなんぞ法律違反だちくしょおめぇえッ?!!!」

 

 姉ちゃんの顔が再び真っ赤になった。岸田のセリフを聞くやいなや、姉ちゃんは僕に膝枕をしたまま恥ずかしそうにもじもじと身体をよじらせる。

 

「シュウくん。みんな祝福してくれてるんだって~……もじもじ」

 

 気付いてくれ姉ちゃん。ごまかされている。僕達はごまかされているんだ……。それから岸田。法律違反の話をするなら、お前だって15歳で艦これプレイしてるんだから規約違反だッ。

 

 そういえば、僕は姉ちゃんに問いたださなければならないことがあったのを思い出した。

 

「姉ちゃん」

「ん? なーに?」

「鎮守府で僕のことをどんな風に話してたの?」

「え? 自慢の弟ができたよーって」

「それ以外」

「レ級と戦った時に助けに来てくれたよーって」

「他に」

「他に? ココア入れるの上手だよーとか……んー……」

「あるでしょ他にも。あきつ丸さんとか涼風ちゃんとか、金剛さんとかに話したことが……」

 

 僕の顔から目をそらし、うーん……と考えこんでしまう。これは僕の沽券に関わる問題だ。忘れたとは言わさん。

 

「んー……ハッ?!」

 

姉ちゃんの顔から血の気が引き、途端に汗がダラダラと吹き出していた。思い出したようだな姉ちゃん。

 

「思い出した?」

「や、やだなー。誰もシュウくんのことを頭をなでてもらうのが大好きで、撫でてあげると泣いちゃう甘えん坊さんだなんて話してないよぉ~……びくびく」

「そんな風に話してたのか姉ちゃん!!」

「そ、そんなこと言うならシュウくんだって!! さっき私が人工呼吸したときに……!!」

 

 僕が上体を起こして怒りをぶちまけようとした瞬間……

 

「ケッコンしてまだ数時間しか経ってないのにもう痴話喧嘩でちかッ?!」

 

 と再びゴーヤが足四の字に力を加えた。この子なんでこんなに足四の字がうまいんだッ?!! 悲鳴が口をついて出るッ?!!

 

「ひぇぇえええッ?!」

「oh……比叡の口癖が感染ってマース……」

「なんだか似たもの夫婦だクマっ。クマクマっ」

「ぼっ……ぇえ~……私とシュウくん、似てませんよー……もじもじ」

「もじもじはいいから姉ちゃん助けてッ?!!」

 

 僕が悲鳴を上げているにも関わらず姉ちゃんが助けてくれない中、妖精さんたちだけが僕の頭を撫でてくれた。いや、気持ちはうれしいんだけど、足四の字をなんとかしてくれ……

 

 この段階で、僕は足四の字に耐えながら事の顛末を聞いた。ケッコンが成立した後、姉ちゃんは全快。あらかじめてれたびーずに積んでいた姉ちゃん分の資材で補給を済ませた後、姉ちゃんを殿とした陣形であの海域から退却したとのことだった。退却の過程で姉ちゃんと球磨がそれぞれヲ級とレ級を一体ずつ撃沈し、敵艦隊の掃討も不可能では無くなったのたが、『これ以上の損害は出すわけに行かない』『比叡たんを救出した時点で目的は達した』という岸田の判断で、全速力で海域から離脱したとのことだった。実際、撤退の最中にキソーさんと加賀さんの二人が大破まではいかなくともさらなる損傷を負ったようで、岸田の判断は正しいと言えた。

 

 僕の方はというと、ゴーヤが意識が無くなった僕をてれたびーずまで運んでくれたとのことだ。当初は姉ちゃんに指輪を渡したことによる元の世界への帰還が危惧されたのだが、その兆候が全く現れなかったようだ。まぁ、今こうしてここにいるんだもんな。

 長い時間呼吸が出来なかったことによる意識不明の僕だったが、戦闘海域を離脱した後、姉ちゃんの懸命な救命措置のおかげでなんとか息を吹き返したようだ。僕はまったく記憶にないのだが、姉ちゃんが人工呼吸をしてくれた後に、一度僕は目覚めたらしい。そして姉ちゃんに対して『姉ちゃん。そういうことは意識があるときにやってくれ』とえらくハッキリした口調で言い、再度意識を無くしたという話だ。救命措置……人工呼吸……ゴクリ。

 

「いやそれ緊張したの、言われたお姉ちゃんだよ?!」

「だって、やだ……僕の……はじめて……」

「ここにきてまだ痴話喧嘩でちかッ!! めきめきめきッ!!」

「いだだだだだたッ?!!」

「ひぇぇえええ?!!」

 

 その後は加賀さんの索敵のおかげで敵艦隊と遭遇することなく鎮守府まで帰投出来た。帰投した僕達8人を鎮守府のみんなは暖かく……いや激しく出迎えてくれた。特に激しかったのは、同じく金剛型戦艦の榛名さんと霧島さん。僕は怪我は負ってなかったものの、ゴーヤの足四の字が響いて中々歩くのが大変になってしまい、姉ちゃんが肩を貸してくれていた。そんな僕達の姿を見るなり、榛名さんと霧島さんが勢い良く僕と姉ちゃんに抱きついてきた。

 

「比叡お姉様、おかえりなさい!」

「ありがとう榛名!」

「そしてシュウくんとのケッコンおめでとうございます!!」

「う……ひ、ひぇぇえ……」

「珍しい光景ですね……比叡お姉様が顔を真っ赤にして照れてます……」

「いえーす! シュウくんが気付いてから、ずっとこんな調子ネー!」

 

 そういやずっと姉ちゃんはこんな調子だ。横顔でしか確認は出来ないが相当恥ずかしいようだ。姉ちゃん耳まで真っ赤になってる。

 

 榛名さんが僕の顔を覗きこんできた。この人も、姉ちゃんや金剛さんに負けず劣らず、とても綺麗な目をしている人だ。ややブルーがかってる姉ちゃんたちに比べると、純日本人という感じの、少しブラウンがかった黒目が印象的だ。

 

「シュウくん! 比叡お姉様を助けてくれてありがとうございます! ケッコンしてくれてありがとうございます!!」

「い、いやははは……でも僕も、姉ちゃんに助けられたし」

「これで名実共に、この榛名と霧島もシュウくんのお姉ちゃんですね!!」

 

 榛名さんのこの言葉を聞き、ねえちゃんが別の意味で顔を真っ赤にする。耳から水蒸気が『ピー!!』とけたたましい音を立てて吹き出さん限りの勢いだ。

 

「シュウくんは私の弟なの!!」

「でも比叡お姉様の弟なら、私と榛名にとっても弟なのでは? ……あ、でも比叡お姉様とケッコンしたということは……」

「いえーす! 榛名と霧島にとっては、シュウくんは弟でありながら義理の兄という、昼ドラも裸足で逃げ出すディフィカルトな間柄になるのデス!」

 

 金剛さんの一言を聞いて、榛名さんがハッとし、霧島さんがメガネをキラーンと光らせた。マンガ並のリアクションを見せるんだなこの姉妹……さすが姉ちゃんの姉妹だ。

 

「てことは?!」

「お兄様……ですね」

「シュウお兄さま?!」

 

 いやおかしい。絶対おかしい。姉ちゃん、自分の妹たちの暴走を止めてくれ。

 

「ぇえ~……でもシュウくん……お姉ちゃんたち、ケッコンしたし……もじもじ」

 

 ダメだこりゃ……当面姉ちゃんに『ケッコン』的な言葉は禁句なようだ……

 

 そんなこんなでしばらく艦娘のみんなからの激しい祝福を受けていると、人だかりの遠くから『すまん。通してくれ』という声が聞こえてきた。声の主は提督。提督は艦娘たちを描き分け、僕達の方に近づいてきた。

 

「姉ちゃん」

「ん?」

「もう大丈夫」

「うん。分かった」

 

 足に少し痛みは走るが、もう大丈夫。僕は姉ちゃんの肩から離れ、姉ちゃんが僕の右隣に立ってくれた。僕の右腕をしっかり支えてくれるのがとてもうれしい。提督が僕達の前まで来た後、僕達に敬礼をしてくれ、姉ちゃんたちも敬礼を返す。岸田も血涙を流しながら敬礼を返していた。僕も慌てて敬礼を返そうとするが、提督はそれを笑顔で制止する。そして姉ちゃんを見た。

 

「比叡、お前はよく迷子になるけど、その度にビッグなおみやげを持ってきてくれるな」

「はい! この比叡も、みんなにシュウくんを知ってもらえてうれしいです!」

「だな。ずっと自慢してたもんな。ずっと“みんなに会わせたい”って言ってたもんな」

「はい!!」

「あきつ丸にもお礼言っとけよ」

「はい! 全部あきつ丸さんのおかげです! ありがとうあきつ丸さん!!」

 

 この場にいる全員の視線が、あきつ丸さんに集まった。あきつ丸さんはその純白のほっぺたをうっすら赤く染めて、困ったような、恥ずかしいような、そんなちょっとはにかんだ表情をした。

 

「自分は……ただ比叡殿に、恩をお返ししたかっただけなのであります……でも、シュウ殿に来て頂いて、本当によかったであります」

 

「だな。シュウがいなきゃ、比叡は助からなかっただろう」

 

 提督とあきつ丸さんが僕の方を見る。続いて提督は自身の手袋を外しながら、笑顔でこう言った。

 

「手を出してくれ」

「? はい」

 

 僕が素直に、言われたとおり右手を出すと、提督は手袋を外した両手で僕の手をがっしりと掴んだ。昨日握手したときよりも、さらに力強い握手だった。

 

「橋立シュウ! 鎮守府を代表して礼を言う! 二度も比叡を救ってくれてありがとう! キミがあっちの世界に帰らなくてよかった! キミに感謝を伝えさせてくれてありがとう!!」

 

 僕の十五年の人生の中で、こんなにも人に感謝されたことは一度もない。そのせいか、提督の、この全力の感謝を受けて、僕も提督の手を両手で握りしめた。

 

「提督! 僕の方こそ、大切な人と知り合える機会をくれてありがとうございました! ケッコンするチャンスをくれてありがとうございました!!」

 

 誰かが、『人生の価値は、心から“ありがとう”と言える人の数で決まる』と言ったのを、僕は聞いたことがある。

 

 僕には、姉ちゃんという最愛の人が出来た。そして、心から“ありがとう”と言える人、提督が出来た。ならば僕の人生、そんなに悪いものでもないようだ。

 



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12.新生活スタート

「ひえーい! シュウくーん!! 起きるデスヨー!!」

 

 昨日と同じく、金剛さんの激しいモーニングコールで僕は目を覚ました。昨日と違うところは、姉ちゃんが一緒にいるということ。

 

「うぁぁぁ……金剛さんおはよー……」

「ひぇぇぇ……おはようございますお姉様ー……」

「まったく……ホント、似た者夫婦デース……」

 

 昨晩はあれから『比叡さんおかえりなさいパーティー兼比叡さん&シュウくんケッコンおめでとうパーティー』となった。鎮守府全体をひっくり返したかのような大賑わいでてんやわんやになった。途中あきつ丸さんや瑞鳳さんに

 

「シュウ殿は、比叡殿がピンチと聞いてえらく取り乱していたであります」

「シュウくん、“私のよりも比叡さんの玉子焼きの方が美味しい”って言ってたよ?」

 

 などといらんことを暴露され、その度に姉ちゃんは顔を真っ赤にしたり照れてもじもじしたりと大忙しだった。あきつ丸さん、あとで工廠裏で話があります。

 

「ハッ。しかし本当のことを言って非難されるとは御無体でありますニヤニヤ」

 

 いや、そんなこと思ってないでしょ。だって顔ニヤニヤしてるじゃないですか。

 

 あと印象的だったのが加賀さん。加賀さんはパーティーの最中に僕と姉ちゃんの元にわざわざ足を運んでくれて……

 

「まさか人間のあなたにあれだけの事ができるとは思いませんでした。共に戦えてよかったです」

「いや……みんなのおかげです。僕はただ、みんなに守られながら飛び降りただけですから」

「それでもです。提督や岸田のような、艦娘を大切にしてくれるあなたと出会えて、比叡さんも幸せでしょう」

 

 と言ってくれた。そんなことを言われるとぼくも恥ずかしいやら照れるやら。でも姉ちゃん見ると耳から水蒸気を吹き出して倒れていた。よほど恥ずかしいらしい。

 

「ひ、ひぇぇぇ……」

「すいません……姉ちゃんこんな調子で……」

「ぶふっ……こんな方ですが、あなたへの気持ちは本物ですよ。どうかお幸せに」

「はい。ありがとうございます」

「一航戦として、また共に出撃出来る日を楽しみにしています」

 

 あとで姉ちゃんに聞いたのだが、あれは加賀さんなりの最大級の賛辞だったそうだ。一航戦……二水戦と同じく、旧日本海軍が誇る当時最強の戦闘集団。そんな人に“共に戦ってくれ”と言われるのは、確かに認められた気がしてとても嬉しい。

 

 周囲を見ると、艦娘たち全員が大盛り上がりだ。提督と岸田は駆逐艦の子たちにちょっかいを出しては大淀さんと龍田さんに折檻され、その度に恍惚の表情で泡を吹きながら痙攣していた。金剛さんは自分の姉妹たちと一緒に姉ちゃんをからかっている。ゴーヤは潜水艦の子たちと一緒にプロレスごっこで遊んでおり、球磨は僕の頭をヘッドロックで固めた状態で乱暴に僕の頭をわしゃわしゃしている。妹の多摩さんやキソーさんも一緒だ。

 

「比叡がいない今のうちに、この球磨がめいっぱいなでなでするクマッ!」

「た、多摩にもなでなでさせるニャ……!」

「すまんシュウ……でもこれが球磨姉と多摩姉の愛情表現なんだと思ってくれ……」

「うん。愛情は伝わってくるんだ。伝わってくるんだけどね」

 

 出撃時から気になっていたのだが、どうも球磨の頭の撫で方は独特で、“撫でる”というより“手のひらをぐりぐり押し付ける”と表現したほうが正しいような感じだ。おかげで球磨の頭の撫で方はとても痛く、髪がぐちゃぐちゃになる。

 

「どうも球磨姉はお前のことが気に入ったみたいでな。実際、今日もお前が気絶してる間ずっと“消えないなら早く起きて欲しいクマー……みんな待ってるクマ……”てえらくしょぼくれてたしな」

「クマクマっ」

 

 パーティーがお開きになったあとは、各々好きなように過ごすことになった。僕はもう疲れ果ててしまったので、姉ちゃんと一緒に部屋に戻り、そのまま休んだ。

 

 それが昨日。歯磨きしてる時に金剛さんが教えてくれたのだが、実はいつものように起こすのもけっこう戸惑ったらしい。金剛さん曰く……

 

「榛名がやたら“比叡お姉さまとシュウお兄さまの結婚初夜の朝ですよ?!”って言ってワタシを引き止めるから、ワタシまでドアを開けるまで妙に緊張したデース……」

 

とのことで……確かに……言われてみれば結婚初夜でした……

 

「ごぱぁ……ところで比叡? ちょっと耳を貸すデース」

「ふぁい。なんですかお姉様? しゃこしゃこ……」

 

 金剛さんが姉ちゃんの耳元で何かをささやき、その途端に姉ちゃんが顔を真赤にしていた。

 

「……~~ッ?!! あ、あの……何も……」

「oh……結婚初夜のイベントはナッスィングだったデスか……」

 

 朝っぱらからなんて会話してるんだこの二人は……聞こえなかったフリ気づかなかったフリ……

 

 ちなみに金剛さんが意を決して踏み込んでみたところ、僕と姉ちゃんはまったく同じ寝相、まったく同じ寝顔でベッドで気持ちよさそうに寝ていたそうだ。寝返りをうつタイミングも、その後尻をボリボリかくタイミングもまったく同じで、金剛さんは僕らの寝顔を見ながら戦慄を覚えたと言っていた。

 

 昨日のように茶化されながらみんなで朝ごはんを食べていると、提督の声で放送が入った。

『岸田とシュウは朝食後に執務室に来るように。繰り返す。岸田とシュウは朝食後に執務室に来るように。以上』

 

 食堂のどまんなか、第六駆逐隊の面々がご飯を食べているテーブルで『ぁあッ?! また至福の時間がッ?!』という岸田の声が聞こえ、同時に『岸田くんっ。なんなら私も一緒に行ってあげるわよ?』というかわいらしい声も聞こえた。

 

「岸田、ずいぶんちっこい子たちと仲良くなったんだなぁ……」

「昨日のパーティーで、シュウお兄さまが、ひ、比叡お姉さまと部屋に……も、戻ったあと、岸田さんと第六駆逐隊のみんなが一緒になってけっこう楽しそうにはしゃいでらっしゃいましたからね……」

 

 理由は分からないが、榛名さんが顔を真っ赤にしながらそんなことを教えてくれた。

 

「榛名ー。顔真っ赤だけどどうかしたの?」

 

 姉ちゃんが味噌汁を飲みながら榛名さんに突っ込んでいく。榛名さんを見てると、どうも先ほどから僕と姉ちゃんと目を合わせようとしない。目が合うと慌てて視線を外す。

 

「おばあちゃんみたいなことを言いますケド、榛名は若いのデス」

「はぁ……?」

「思春期デス。そのうち落ち着いてくると思いマス」

 

 ……ああ、なるほど。そういえば結婚初夜がどうちゃらこうちゃらって大騒ぎしてたんだっけ榛名さん。

 

「ぼっ」

「変な榛名だねー……もっきゅもっきゅ」

「比叡……察してあげるのがお姉ちゃんデス」

「?」

 

 なんというか……あれだ。別に何かがあったわけではないが、こんな風にあからさまに反応されるのはひどく恥ずかしい。金剛さんのようにあっけらかんと探りを入れてくるのもなんだか違う気がするし……今メガネを光らせながら我関せずと味噌汁を味わっている霧島さんの、その無反応っぷりが一番ありがたい。

 

「? お兄さま、どうかなさいました?」

「……いや。霧島さんがどれだけ頼もしいことか……つーか霧島さん、シュウでいいですよ。つーかむしろシュウでお願いします」

「はぁ……ではシュウお兄さま……でよろしいですか?」

「もうなんだっていいです……しょぼーん……」

 

 そんなこんなで妙に気恥ずかしい朝食が終わった後、僕は岸田と待ち合わせして執務室に向かった。姉ちゃんに予定を聞いてみた所、別段用事はないということなので、姉ちゃんにもついてきてもらうことにした。これは、姉ちゃんには隠し事はしないという決意の表れでもある。

 

「ふーん……比叡もついてきたのはそういう意味か。別にその仲の良さを俺に見せつけるためではないんだな」

「アッハーッ! そんなわけないじゃないですか司令ってばぁー!!」

「いや、ずっと手を繋いでるからな。そんな意図があるのかなーと」

「言ってやれ提督!! 俺の代わりにもっと言ってやれッ!!」

「岸田、キミは黙れ。……まぁ仲がいいのはいいことだ。ケッコンもしたしな」

 

 提督にそう言われ、隣で僕の手を握りながらも顔を真っ赤にしてもじもじする姉ちゃん。そして岸田は自身の分身である提督にすら冷たくあしらわれたことでショックを受けたのか、ミジンコのように手をパタパタ動かしながら泡を吹いていた。僕は、この人間大の微生物がなんだかだんだん哀れに思えてきて仕方なかった。

 

「まぁとりあえず、二人と一匹は座ってくれ」

 

 提督にソファに座るように促され、僕と姉ちゃんとミジンコは並んでソファに座った。提督は立ち上がり、3人と一匹分のコーヒーを準備しながら話を始める。

 

「本来なら比叡の耳に入れるかどうかはシュウに判断させようと思ったんだが……まぁ隠し事はしたくないというのなら、一緒に聞いてもらったほうがいいだろう」

「へ? 姉ちゃんには秘密にしたほうがいいことなの?」

「いや、そういうわけではないんだ」

 

 提督はコーヒーを入れ終わり、僕達の前に持ってきてくれた。相変わらず、提督のコーヒーはとてもよい香りがして美味しい。姉ちゃんはいつかのようにコーヒーを飲んだ途端……

 

「あっちゃちゃちゃ……」

 

と舌をやけどしていた。一方ミジンコの方は、その人間にそっくりな手を器用に使ってコーヒーを口まで運び、そのとんがった口で器用に飲んでいた。最近のミジンコは人間のようにコーヒーを楽しむらしい。

 

「いい加減俺をミジンコというのはやめろッ!!」

「ごめんミジンコ」

「最近のミジンコってコーヒーを飲めるってことに驚いてたんだぜ」

「うをぁぁあああああん?!!!」

 

 ひと通り漫談を済ませたところで、提督が真面目な顔になった。

 

「さて、報告が一件、そして懸案事項が一件ある」

 

 まずは報告。提督曰く、僕の世界への渡航設備があった島が、予想通り深海棲艦に奪取されていたとのことだ。姉ちゃんとあきつ丸さんが襲われたことから考えれば、すでにあの時点で敵の勢力圏内に入ってしまっていたともいえる。これで鎮守府側は向こうの世界に渡航する術が無くなってしまった。

 

「このままでは深海棲艦が向こうの世界に渡った場合、我々は手出しが出来なくなる。渡航設備が移転されてしまうと、こちらとしてもお手上げだ。ついては早急に取り返すべく、本日中に艦隊を派遣するつもりだ。懸案事項の話にも繋がるしな」

 

 出撃するメンバーに関しては、姉ちゃんの救援を断念した妙高さんたちが名乗りを上げており、名誉挽回の意味を兼ねて彼女たちに任せると提督は言っていた。

「お前たちは昨日大活躍してくれたわけだし、今日からしばらくはゆっくり休むといい。戦士にも急速は必要だ」

 

 というわけで、晴れて僕達3人プラス昨日の出撃メンバーは、全員今日はお休みということになった。本来であればここは大喜びするシーンなのだが、提督の顔はなんだか深刻で、軽はずみに喜べる雰囲気ではない。

 

「そして懸案事項だが……要するに今後の話だ」

 

 僕の手を握る姉ちゃんの手が、ほんの少し強張るのが分かった。

 

「司令……今後の話って……シュウくんのですか?」

「ああ。あと岸田もな。忘れないであげてくれ」

「ひ、ひぇええ……岸田さんごめんなさい」

「いいんだ……どうせおれなんかゾウリムシだよ……」

 

 ついに岸田は悲しみのあまり、ミジンコから単細胞生物にまで退化してしまった。そんな生命の神秘の話は置いておいて、提督は話を続ける。

 

「二人共、元の世界に戻る条件っての、覚えてるか?」

 

 忘れるはずがない。それが原因で、僕は最後まで指輪を渡すことを悩んだのだから。多分僕は、このことで一生分悩んだだろう。

 

「忘れるわけがないだろう」

 

 意外なことに、岸田もゾウリムシのくせに覚えていた。ぼくはてっきり忘れてるだろうと思ったのに……ごめんゾウリムシ。単細胞生物にも記憶力という概念があったんだね。

 

 だが、提督からここまで言われて、僕はハッとする。姉ちゃんと会えたこと、その姉ちゃんと結ばれたことに浮かれてて、大事なことを見落としていた。

 

「提督、改めて言うけど、僕がここに来た理由は、姉ちゃんを助けるためだ」

「だな。お前自身そう言ってたもんな」

「そして僕は、この手で姉ちゃんを助けた。そして、元の世界に帰る条件が、本当に“目的の達成”なら、僕は今、自分の世界に戻ってなきゃいけないはずだよね」

 

 姉ちゃんの手に、さらに力がこもった。ぼくも姉ちゃんとつないでいる手に、自然と力が入る。確かに僕は、姉ちゃんを助けるためにここに来た。それならば、僕は今頃自分の世界に戻ってなければならない。姉ちゃんを助け出し、指輪を渡して傷を癒やした段階で、自分の世界に戻ってなければならないのだ。

 

 指輪を渡すときの僕は、逆ギレと興奮で『世界に反抗した』とか意味不明なことを考えていたが、そんなわけない。もっと現実的な理由があるはずだ。

 

「二人とも待てよ。俺達はあきつ丸さんの帰還に巻き込まれる形でこっちの世界に来た。てことは目的云々ってのは、ひょっとしたら関係ないかもしれないじゃないか」

 

 ゾウリムシから多細胞生物まで急激な進化を遂げたばかりの岸田が、いっちょまえにそんなことを言う。確かにそれは言えている。元々目的が云々ってのは、渡航設備を使って世界を渡った時の話だ。僕と岸田のように、巻き込まれる形で世界を渡った場合は関係ないのかもしれないが……提督が言いたいのはどうやらそこではないらしい。

 

「それを探るのは大切なことだが……それ以上に大切なことは、キミたちが元の世界に帰るトリガーが何なのか、今の段階ではさっぱりわからんということだ。加えて今、我々の元には向こうの世界に渡る術がない。比叡、これがどういうことか分かるか?」

 

 姉ちゃんの手がワナワナと震える。表情は努めて冷静さを装っているが、今の姉ちゃんは、神社や僕の家のベランダ、そしてあの戦いの時に捨て身の決断をした時の、脆い表情だ。

 

「シュウくんたちは……突然向こうの世界に戻ることになるかもしれない……そして戻ってしまったら、私たちはシュウくんと会う事が出来ないということですね」

「その通りだ」

 

 提督は続けて話をしてくれた。今回来たのが岸田だけであれば、まだ話は分かりやすかった。岸田は提督と鎮守府に名前をつけるぐらいに叢雲が好きだ。そして岸田本人が、こっちに来るときに叢雲に会うことを楽しみにしていた。結果としてそれは今も叶ってないわけだから、岸田が今この世界にいる理由は、『まだ叢雲に会ってないから』だというのが想像出来る。

 

 分からないのは僕だ。僕は確かにあきつ丸さんに連れられてこの世界に来る時、『ねぇちゃんを助ける』という明確な理由があった。そして、それは達成された。ならなぜ僕はここにいる? 他の者の帰還に巻き込まれた形で世界を渡った時は例外なのか? それとも他に元の世界に戻る条件があるのか?

 

 そして戻ってしまったら最後。僕はこっちの世界に戻れなくなってしまう。渡航設備を持たない鎮守府からも、僕の世界に手を出すことは出来ない。仮に僕が元の世界に戻って姉ちゃんと離れてしまえば、再び姉ちゃんと会えるのはいつになるのかわからなくなる。そのまま二度と会うことなく、一生を終えることになるかもしれない。

 

 僕の帰還に姉ちゃんを無理矢理に同行させる事は可能だ。事実、僕と岸田はあきつ丸さんの帰還に無理矢理同行する形でこっちの世界に渡ってきた。仮にこちらの艦娘たちとの交流を持ってなければ、僕は簡単にその決断を下すことが出来ただろう。消える寸前に姉ちゃんの手を握って、無理矢理に僕の世界に連れて行くという決断をしてしまっているだろう。

 

 でも、僕はみんなと仲良くなってしまった。この鎮守府のみんなのことを知ってしまった。金剛さんや加賀さんたちと、戦いを通して心を通わせてしまった。そんな人たちと姉ちゃんを引き離すことが、今の僕には出来なかった。

 

「あるいは……キミの本当の目的ってのが、実は違ったりしてな」

「へ?」

「人間ってのは、表面上は『○○したいっ』て考えても、心の奥底では全然別のことを求めてたりする場合もある。ひょっとしたらキミも、表面上では『姉ちゃんを助けたい』て考えていたとしても、実は心の奥底では全然別なことを願っていたのかもしれん」

 

 そう言うと、提督は自身のコーヒーを飲み干し、カップをタンッと勢い良くテーブルに置いた。それは思ったより勢いがあり、ぼくのカップが揺れ、中にまだ残っていたコーヒーが少しだけ零れた。

 

「比叡、シュウ。単刀直入に言うぞ。今シュウは、何がトリガーになって元の世界に戻るか分からん」

「シュウくん……」

「う……」

「今こうやって話をしてるこの瞬間に、突然帰ってしまうかもしれない。そしてそうなってしまえば、深海棲艦の渡航設備を取り返さない限り、お前たちはまた離れ離れだ」

「……」

「もちろん戦略的な意味合いからも、全力で深海棲艦の渡航設備を取り返す……でもいいか。二人共そのことだけは覚悟しておけ」

 

 提督との話が終わって数時間後、奪還部隊が出撃していった。旗艦を任されたビスマルクさんが……

 

「ヒエイ、この前は助けることが出来ず申し訳なかったわね。でも今回は、あなたのシュウが元の世界に戻ってしまってもいいように、必ず渡航設備を取り返してくるわ!」

 

と姉ちゃんに言ってくれていたが、出撃してさらに数時間後、やはりすでに渡航設備は移転されていたとの通信を受けた。姉ちゃんとの約束を果たすためそのまま捜索に入ろうと主張するビスマルクさんと、帰還命令を出す提督の間で、かなりの言い争いがあったのだと、あとで那智さんが教えてくれた。

 

 そして数日後、提督の頑張りで僕は司令部からのお墨付きをもらい、叢雲たんチュッチュ鎮守府の正式メンバーとして岸田と共に名を連ねることになった。当初、司令部は許可を出さなかったらしいのだが、提督がかなり強引な揺さぶりを司令部にかけ、無理矢理認めさせたとの話だった。

 

「とりあえずこれでお前も岸田と共に正式なメンバーだからな。これからは気兼ねなく鎮守府にいてくれ」

「ありがとう。でもそんな強引なことして提督は大丈夫なの?」

「俺はこの界隈でもっとも戦果を上げる叢雲たんチュッチュ提督だ。だからある程度なら無理も聞くんだよ」

「ぶふっ」

「笑うなッ!!」

「いや、だって……真面目な顔してカッコイイこと言ってるのに“叢雲たんチュッチュ”って……ブフォっ」

「岸田ぁぁああアアアアん?!!」

 

 そんなわけで、今後僕はこの鎮守府の一員となる。とりあえず楽器が吹けるということで、艦娘のみんなの慰安と福利厚生の一環として、音楽教室でも開いてみるかと岸田と提督にアドバイスされた。鎮守府の一角を間借りして教室を開いてみることになったのだが……。

 

 正直、不安でいっぱいだ。いつか姉ちゃんが言っていたように、提督をはじめ、ここの人たちは本当にいい人たちだ。こんな僕にも興味を持ってくれて、暖かく、楽しく接してくれる。でも僕は、この人たちの役に立てるのだろうか。日々命がけで戦う人たちの力になれるのだろうか……

 

 そして僕と岸田は、いつの日か自分たちの世界に帰ることが出来るのだろうか。ここでの生活に不満はない。最愛の人も隣りにいる。でも自分の世界にも大切な人がいる。父さんや母さん、秦野といった、僕のことを心配してくれる人がいる。今頃みんなは心配してパニックになってやしないだろうか。せめて無事だけでもみんなに伝えたい。でもそれがいつになることやら。

 

 このことを一度岸田と相談してみた。だが岸田はすでにある程度割り切っているようで……

 

「おれも元の世界が気にかかる。でも何も出来ない以上、そればっかり考えててもしょうがないだろ」

 

 と言っていた。だが同時に

 

「シュウと違って、俺はまだ“叢雲に会う”っていう明確なトリガーがあるから、気楽なだけかもしれないけどな。……どっちにしろ、俺はお前に最後まで付き合う覚悟だから」

 

 とも言ってくれた。どうやら岸田は、僕が鎮守府にいる以上、僕とともにこの場に残り続けてくれるらしい。やだなにこのイケメン……

 

 今後のことを考えながら、鎮守府備え付けの大浴場から上がる。鎮守府から支給された寝間着に身を包み、酒保でラムネを購入した。明日からは、僕も純白の制服に身を包み、叢雲たんチュッチュ鎮守府所属音楽隊隊長としての日々を始めることになる。本格的にこちらでの生活がスタートするのだ。僕はこっちの世界の生活に溶け込めるだろうか。みんなの足を引っ張らず、みんなの役に立てるだろうか。

 

 ラムネを飲んでいたら、窓から綺麗な満月が見えた。あまりに綺麗な月だったので、お風呂でほてった身体を冷やすのも兼ねて、僕は中庭に出る。確かに季節は僕の世界と変わらず冬だが、さっきまでお風呂に入ってたせいもあって、冷たい外気が心地よい。

 

「シュウくん」

 

 声が聞こえたので振り返ったら、お風呂あがりの姉ちゃんがいた。僕の家でお風呂に入った後と同じように、ほっぺたをほんのり赤くして、体中から湯気を出して、目はトロンとしていた。

 

「やっ。姉ちゃん」

「シュウくんもちょうど今上がったとこ?」

「いや、でも少し前にだよ」

 

 姉ちゃんが僕の前に立ち、ちょっとだけ眉間にシワを寄せて顔を近づけてきた。顔近い顔近い……

 

「んん? シュウくん、背、伸びた?」

「そうかな?」

「うん。私がシュウくんちに行ってた時は、もうちょっと顔が近かったような……んー……やっぱり遠いなー……」

 

 姉ちゃんがそう言いながら、さらに顔を近づけてくる。ほんのりシャンプーの香りをさせるのは反則だぞ姉ちゃん……。

 

「反則か~……しょぼーん……」

「ま、まぁ、伸びたのかもね」

 

 目に見えて落ち込んだ後、僕の隣に立って一緒に月を眺める。

 

「綺麗な月だね」

「うん」

 

 こうやって肩を並べてみると、確かに僕は背が伸びたのかも知れない。前は僕と姉ちゃんの肩の位置はほぼ同じ高さだったけど、今は僕のほうが少し高い。

 

「……シュウくん」

「ん?」

「悩み事?」

 

 姉ちゃんはするどいなぁ……隠し事が出来ないや。さすがは僕の嫁……って言えばいいのかな?

 

「うん」

「明日からのこと?」

「うん。……ちゃんとこっちでやってけるのかなーって。みんな僕を喜んで迎え入れてくれてるけど……命がけで戦うみんなの役に立てるのかなーって」

 

 岸田は提督の素質がある。今は相談役として、正式に提督と共にこの鎮守府の運営に関わりはじめた。おかげで資材の運用効率がかなり改善されたと聞いている。そのおかげで、なぜかは知らないけど空母勢……特に赤城さんの機嫌が最近いいと聞いた。岸田は結果を出している。

 

 一方の僕はどうだろう。みんなに甘えているだけではないだろうか……僕はみんなの役に立てるだろうか……。

 

「そっかー……私達、やっぱり似た者夫婦なのかな」

「へ? なんで?」

「私もね。シュウくんの家にお世話になった時、似たようなことで悩んでたから」

 

 そう言えば、姉ちゃんは僕の家に来てまだ間もない頃、色々思いつめてハニービーンズでアルバイトとかしてたっけ。

 

「うん。今でも覚えてるよ! “ご一緒に! ポテトは!! いかがですか?!”」

「いや、今はいいです……」

「そっかー……しょぼーん……」

 

 あの日々が懐かしい。あの後確か姉ちゃん、店長にクビを言い渡されて、カツラを強奪して一緒に逃げたんだよね。

 

「ひぇええ?! じ、時効だよシュウくん!!」

 

 途端に両手でわちゃわちゃおたおたしはじめる姉ちゃん。やっぱりゲームのグラフィックと違って、くるくると表情がよく変わる目の前の姉ちゃんは、本当に魅力的で素敵だ。

 

 ひと通りわちゃわちゃし終わった後、姉ちゃんは優しく微笑み、一緒に月を眺めながら、手をつないでくれた。

 

「シュウくん、さっきお風呂でね。加賀さんと一緒だったんだよ」

「うん」

「でね、“今度、シュウくんが金管楽器の音楽教室開くんですよー”って言ったの」

「なんか加賀さん、そういうのに興味なさそうだなぁ……」

「逆だよ! 加賀さん、なんて言ったと思う?」

「へ? ……んー、わかんない」

 

――私も演歌を嗜んでるし、話が合いそうだわ。

  今度シュウとセッションしてみたいわね。さすがに気分が高揚します。

 

 意外だ。あのクールな人が演歌を嗜んでいるとは……そういえば執務室のジュークボックスに『加賀岬』って演歌の曲がセットされてたことを思い出した。まさかね……。

 

「あとね。第六駆逐隊の子たちは分かる?」

「うん」

「あの暁ちゃんがね」

 

――私は今度からシュウくんの楽器教室に通うことにするわ!

  だって、一人前のレディーなら楽器ぐらい出来て当然よね!!

 

 あの暁って子は、いつも口癖のように“一人前のレディー”って言ってるけど、何かこだわりでもあるのだろうか……

 

「あとは、那智さんがこの前言ってたんだけど……」

 

――シュウはトロンボーンが吹けるらしいな。ジャズは吹けるのか?

  生演奏を聞きながらの達磨は最高だ。楽しみだな。

 

 そういやこの前会った時に妙にジャズについて聞いてきてたな……ジャズかー……レパートリーにないから練習しとこうかな。……達磨ってなんだ?

 

「みんなね。シュウくんの楽器教室を楽しみにしてるんだよ」

 

 姉ちゃんは、そう言いながら、ちょっとだけ背伸びして僕の頭を撫でてくれた。……姉ちゃん、今このタイミングで僕の頭を撫でるのは反則です。

 

「へ? なんで?」

「なんでも」

 

 ぼくは頭を撫で終わった姉ちゃんと手を繋ぎ、腕をからませた。姉ちゃんもそんな僕にくっつき、僕達はお互いに寄り添った。こんな日が来るとは思わなかった。初詣の願いが叶うだけじゃなく、こうして寄り添える日が来るだなんて、思ってもみなかった。

 

「寒いね。部屋に戻ろっかシュウくん」

「うん。そうだね」

 

 とりあえず、僕はいつ元の世界に戻ってしまうのか分からない。ひょっとすると、今この瞬間、姉ちゃんの目の前から消えてしまうかもしれない。でも、少なくともその最後の瞬間まで、この鎮守府で出来る限りのことをして行こうと決意した。

 

 元の世界のことが心配にならないわけではない。父さんや母さん、秦野に対する郷愁の気持ちももちろんある。でも、姉ちゃんと離れたくないという気持ちも本物だ。ならば、せめてこちらの世界にいる間は、姉ちゃんと共に、この鎮守府で頑張っていこうと思った。

 

 確かにこの世界に父さんと母さんはいない。秦野も同じ空の下にはいない。でも僕の隣には、最愛の人がいる。時々人間以外に退化するけど、いざというときは頼もしい友人もいる。ならば、この世界で覚悟を決めて生きていくのもいいかも知れない。みんなが僕を受け入れてくれるのであれば、僕もこっちの世界で生きていくことを決意してもいいのかもしれない。

 

 僕は、恐らくは姉ちゃんが以前に辿った道と、同じ道を辿ろうとしていた。かつて姉ちゃんが僕の世界にいたとき、姉ちゃんは『もう帰れなくてもいい』『このままこの世界で生きていこう』と決意したと言っていた。きっとその時の姉ちゃんと同じ決意を自分がしようとしていることが、僕にはちょっと嬉しかった。

 

「姉ちゃん」

「ん? なーに?」

「ずっと隣にいてね。僕のこと、しっかり捕まえててね」

 

 僕にこう言われた姉ちゃんは、ほんのりほっぺたを赤くしながら、お日様の笑顔を向けて少しだけ照れくさそうにこう言った。

 

「シュウくんも、お姉ちゃんの隣にずっといてね。あの時みたいに、お姉ちゃんの事しっかり捕まえててね」

 

 僕に笑顔を向ける姉ちゃんの後ろには、キレイな月が輝いていた。その周囲には、キレイな星がまたたいていた。おかげで姉ちゃんは、今まで見たどの姉ちゃんよりも美しく見えた。

 

 離さないよ。その覚悟で指輪を渡したんだから。自分の嫁の手は、絶対に離さない。

 

終わり。

 




本編はこれで終了ですが、もうちょっと続きます。


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番外編・あなたの横顔

 先輩が行方不明になって一ヶ月が経過した。私と一緒に初詣に行ってくれた日に、私と別れた後友人の家に行った先輩は、そのままその友人と共に消息を絶った。

 

 先輩と一緒に初詣に行けた嬉しさで浮かれていた私は、翌日、学校で耳を疑った。

 

――3年生の橋立と岸田が、昨晩から家に帰ってないそうだ

 

 先輩は、夜遊びをするようなタイプではない。ハメを外して遊ぶようなタイプでもない。ごくごく普通の中学生だ。

 

 その先輩が、友人とともに消息を断った。ご両親も思い当たる節がなく、教師陣も二人の行き先にまったく見当がつかなかった。クラスメイトたちの間でも、先輩と先輩の友人の行き先や失踪した原因に、まったく思い当たる節がないと言っていた。

 

 周囲には、最初は思春期にありがちな保護者への反抗からくる、ちょっと長い家出だと思われていた。先輩がご両親と仲がいいことをよく知っていた私は、そんなはずはないと思っていたけれど……3日経過しても帰ってこず、一週間経過しても足取りが掴めず、二週間が経過しても、手がかりすら掴めない状況だと聞いた。

 

 一週間が経過した頃、私を訪ねて数人の刑事が家を訪れた。聞けば、吹奏楽部の面々が『橋立先輩のことは、秦野さんがよく知っている』と答え、警察は私なら何か知っているのではないか……と手がかりを求めてきたのだ。

 

「……私は何も知りません」

「そうですか。分かりました。何か思い出した事があれば、我々に知らせてください」

「はい……」

 

 知っていれば、私は今すぐ先輩のもとに向ってる。

 

 先輩は、今年の梅雨の時期ぐらいから少し変わった。梅雨時から秋口まで、先輩は毎日がとても楽しそうだった。あの時先輩は部活に打ち込んでおり、練習の時は、いつも真剣な眼差しで楽譜と指揮を見ていた。充実した練習ができている証拠だと、その時は考えていた。

 

 違和感を覚えたのは、先輩が部活を引退してからだ。私は、先輩が毎日楽しそうなのは部活に打ち込んで毎日が充実しているからだと思っていた。部活を引退してしまったら、少し元気がなくなるものだと思っていた。

 

 ところがそうではなかった。先輩は部活を引退したあとも、とても楽しそうに毎日を送っていた。明らかに笑顔が増え、放課後は毎日楽しそうに帰路についていた。何が先輩の生活を充実させているのかは分からない。だがそれが、私を含めた部活ではなかったことに、私は少なからずショックを受けていた。

 

 先輩がいなくなって三週間を過ぎた頃、先輩のご両親が私を訪ねてきた。お父様の方はまだそうでもなかったが、お母様の方は元気がなく憔悴しきっておられた。

 

「秦野さん。あなたが吹奏楽でシュウととても仲がよかったことは聞いています」

「……」

「もし、息子のことで何か知っていることがあれば……私達に教えてもらえませんか?」

「私は何も知りません……ごめんなさい……」

 

 私の謝罪の言葉を聞いた時のご両親の表情が、頭にこびりついて離れない。口を抑え、声が出てしまうのを必死に抑えながら涙を流すお母様の表情が目に痛く、お父様の歯ぎしりの音が、私の耳にいつまでも残響した。

 

「どこに行ったんだ……シュウのヤツは……」

「ヒエイちゃんもいなくなって……その上なんでシュウまで……」

 

 すみませんお父様お母様……私は本当に知りません……

 

 部活が終わり、家路に着く。私の通学路の途中には小さな神社があり、以前私は下校中、そこで何かに悩んだ先輩と出会ったことがある。秋口の、風が私の髪を揺らす程度に強い日だった。

 

 私はその時、先輩から妙な相談を受けた。

 

――もし僕が、秦野自身も知らない、

  秦野の秘密を知ってるって言ったら……聞きたい?

 

 本人は必死に隠しているつもりなのかもしれないが、先輩は割と思ったことが顔に出やすい。もっとも他のみんなに言わせると、それは私が先輩のことをよく見ているかららしいけど。その時も先輩は自分からは相談を打ち明けず、私が先輩の悩みを見抜いてからの独白だった。

 

 私はあの時、自分の気持ちを伝えたつもりだった。

 

『私は先輩のことを誰よりも信頼してます。だから先輩には、それがどれだけ辛い内容だとしても、話して欲しいと思います。それが先輩の言葉なら、私は受け止めます』

 

 だが、その言葉は先輩には届かなかったらしい。私は先輩に、私を見て欲しかった。でも先輩は……先輩の目は、私ではない、遠くにいる誰かを見ていた。私に目を向けてくれなかった。先輩は私の言葉を聞きながらも、その誰かの姿を追いかけていることが分かった。

 

 先輩が頭を撫でて欲しそうな顔をしたから、私は頭を撫でてあげた。きっと先輩は、その人に頭を撫でて欲しいんだ……その人に撫でられるのが好きなんだ……だから私は、私の事を見て欲しくて、無理矢理に先輩の頭を撫でた。

 

『多分ですけど、その人もきっと私と同じです。先輩の言葉なら、どんな言葉でもきっと受け止めてくれます』

 

――でも、私ではダメなんですか先輩

 

 私は先輩のことをよく見ている。先輩のことなら、どんなに小さなことでも気付く自信がある。先輩が追いかける人……それはきっと、コンクールで先輩を励ました人だ。先輩にお弁当を渡して元気をおすそわけし、会場で大声で先輩を勇気づけた、笑顔の眩しいあの人だ。

 

 親しそうに先輩の名を呼び、館内放送で直接注意をされた後も、先輩を真摯な表情で見守っていたのが私にも見えた。一目見ただけで、とても素敵な女性だということが伝わってきた。

 

 そして私の言葉では安心出来なかった先輩が、その女性のおかげでリラックス出来ていたことが、私にはとても辛かった。その人の真っ直ぐな眼差しが、私が大好きな先輩の眼差しとまったく同じ眼差しだったことが、私にはとても悔しかった。

 

 あの日の先輩のように、街灯の下で空を見上げる。あの時先輩が何に悩んでいたのかは、私は聞かされていない。でも、今回先輩が行方不明になったことと、あの日先輩が悩んでいたことは、別問題ではない気がした。

 

 先輩。どこに行ってしまったんですか? ご家族を……私たちを置いて、どこに行ってしまったんですか? 今どこで、何を追いかけているのですか? 誰と一緒にいるのですか?

 

 街灯の明かりが明滅する。あの日のように少しだけ強い風が吹き、私の髪を揺らした。冷たい風が、私の頬の熱を少しずつ奪っていく。顔が冷たく、身体が寒い。一人でいる寒さに私の身体が冷えきっていく。隣に誰もいないというのは……一人でいるということは、とても寒い。

 

 まだ夕方だというのに、周囲はもう暗い。1月だからか、空はもう真っ暗で星が見える。日中晴れていたせいか、今日は星の瞬きがよく見える。先輩。あなたは今、空を見ていますか? あなたが見ている星空は、私と同じ星空ですか?

 

 私はあなたの隣にずっといました。私はあなたの横顔が好きでした。しっかりとまっすぐに楽譜を見るその横顔が、指揮の動きを追うその眼差しが好きでした。

 

 知ってますか? 先輩がパートリーダーになった時、あなたの隣の席を確保するため、私は他のメンバーにお願いして、先輩の隣の席を確保したんですよ? 大好きな先輩の横顔を見ていたくて……あなたのそばで横顔を見ていたくて、必死に他のメンバーにお願いしました。先輩は私がサードにならなかったことを不思議がっていましたけど、サードよりも、あなたの隣にいられるセカンドの方が、私にとっては大切なんです。

 

 初めてお見舞いをした日、私は先輩の頭を撫でました。その時に気が付きました。先輩、私はあなたの横顔が好きです。でもその横顔は、あの人を見つめているんですよね。あの、目の前のものをまっすぐ真剣に見つめる、私が大好きなその眼差しは、あの人に向けられた眼差しなんですよね。あの人と同じ眼差しなんですよね。

 

 あの日先輩は、涙を流さず泣いてましたよね。先輩とその人は、もう結ばれることはないのだろうと思いました。だから私は、その人の代わりになります。その人の代わりに、私が先輩の頭を撫でてあげます。その人の代わりに、私が先輩を抱きしめます。その人が先輩を愛せないというのなら、私が代わりに先輩を愛します。

 

 だから、私にもう横顔を見せないで下さい。すごく好きな横顔だけど……大好きな眼差しだけど……私に、その横顔を見せないで下さい。私を見て下さい。私に顔を向けて下さい。

 

 お願いです。その人を追い続けないで下さい。追いかけることで、自分の心を傷つけないで下さい。私でよければ、何度でも先輩の頭を撫でます。私なら、いつでも先輩を抱きしめます。だからお願いです。私に、あなたの隣にいさせて下さい。その人の代わりでいいから、私を愛して下さい。

 

 でも先輩は、それでも私に横顔を見せ続けた上、今はその横顔すら見せてくれなくなった。

 

 これは、業を煮やした私が少しでも先輩の気を引きたくて『超絶鈍感クソ野郎』と言い出した罰なのだろうか……一緒に初詣に行き、個室で一緒に甘酒を楽しんだ日にいなくなったのは、そのあてつけなのだろうか。

 

 私には分からない。自意識過剰と言われればそうなのかもしれない。だがそれでも、私ではない誰かを見つめる横顔すら見せてくれなくなった先輩を思い出す度に私は、これは自分の咎だと思わずにはられなかった。

 

「姉さん、まだ神社に来ていたんですか」

 

 聞き慣れた声が聞こえ、私は声がした方を振り向いた。そこにいたのは、小学生ぐらいの背丈で、私と同じ長い黒髪の、パッチリとして意思の強い目をした少女だ。先輩が行方不明になってしばらく経った頃にこの神社で私と出会い、私の家族が保護したその少女は、自らの名を『朝潮』と名乗った。

 

「あ、うん……どうしたの?」

「いつもの時間にご帰宅されなかったもので。お母様が心配されて、私に周辺を見てくるようにと」

「そっか」

「はい」

 

 この子は、私のことを『姉さん』と呼び慕ってくれる。髪型もポニーにすれば私そっくりだし、どことなく顔も似ていて、不思議と私と相性のいい子だ。

 

「姉さん」

「ん?」

「ちょっとしゃがんでくれますか?」

 

 歩くのを止め、私は朝潮に言われたとおりにしゃがんだ。その途端、朝潮が私の頭を撫でた。

 

「……?」

「姉さん、とても辛そうでしたから」

「……」

「私ではお力になれそうもないので……せめて何かの励みにと」

 

 真面目な顔で私の頭を撫でる朝潮の撫で方はとてもぎこちなく、でも私への心遣いが伝わってくる撫で方だった。

 

「……んーん。朝潮ちゃん、ありがとう」

「いえ。このようなことでしか感謝を表すことか出来ず……私でよければ、いつでも姉さんのお力になりますから!」

 

 一生懸命にそう答える朝潮の姿に、先輩に対して『私が代わりになります』と訴える自分の姿がかぶった。私達は、容姿だけでなく性格も似ているのかも知れない。

 

「……プッ」

「?」

「いや、私たちは似てるなーと思って」

「姉さんと私が……ですか?」

「うん」

 

 私は朝潮の手を取り、家路を急いだ。今日の夕飯のメニューは何だろう……朝潮ちゃんの身体からスパイスの香りが漂ってくるあたり、今日はカレーなのかな……

 

 先輩。帰ってきて下さい。あなたの帰りを待つ人が大勢いるんです。その人たちのために、早く帰ってきて下さい。横顔でもいいから、私に見せて下さい。

 

 あなたの隣にいないと……私はとても寒いのです。

 

終わり

 



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