器物転生ときどき憑依【チラシの裏】 (器物転生)
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【転生】横島忠夫の魔導書【GS美神】

原作名:GS美神 極楽大作戦!!
原作者:椎名高志


<200回目>

「ギンちゃんの中には誰がおるん?」

 と他の生徒もいる小学校の教室で、私と肉体を共有するタダオは親友に聞いた。

 いや、共有という言い方は正しくない。肉体を操作できるのはタダオであって、私では無いからだ。視覚を共有できるものの私は目を動かせず、触覚を共有できるものの私は体を動かせない。私はタダオの体に憑依しているようなものだ。

 憑依していると言っても幽霊や妖怪の類ではない・・・と思う。タダオが生まれた時から肉体を共有しているし、タダオが生まれる前の記憶もない。タダオの二重人格のような物であって、寄生虫や悪霊の類ではないはずだ。

 ところで「ギンちゃんの中には誰がおるん?」と聞かれたタダオの親友はハテナマークを浮かべていた。それは親友の中には誰もいないからだ。誰もいないのが当たり前の事なのだが、タダオにとっては私がいる。タダオにとっては、他人の中に私のような者がいるのは当たり前の事なのだ。だからタダオの中に私がいるように、親友の中に誰がいるのか気になってしまった。

 さて、親友とタダオの認識が異なることをタダオが知覚する前に、私は助言を伝えなければならない。少しずつ自分と他人の違いを感じていくのならば兎も角、ここで親友から否定の言葉を聞けばタダオの精神に傷がつく。小さな傷でも大人になる頃には大きな歪みとなってしまうからだ・・・と昨日、タダオが晩御飯を食べている時にテレビ番組で言っていた。

 タダオはテレビ番組どころか晩御飯の内容さえ覚えていない。だが、代わりに私は覚えている。タダオに聞かれれば教科書の文字や挿絵、さらに教師の言葉の始めから終わりまで、全てを教える事だってできる。とは言っても私の記憶能力が役に立つのはテストの時だけだ。体を動かせない私は、もっともタダオに苦痛を与える無意味な漢字の練習作業や、私が教えた計算問題の答えを淡々と書く作業を代わることはできない。残念なことだ。

(タダオよ。こういう時は『答えはギンちゃんや』と言うのだ)

 私はタダオに思念を伝える。どういう仕組みなのかは兎も角、私は言葉やイメージを思念としてタダオへ伝えることができるのだ。その思念を受け取ったタダオは「答えはギンちゃんや」と呟く。タダオの言葉を聞いた親友は「オレはマトリョーシカ人形やないで・・・」と答えた。タダオはマトリョーシカ人形の存在を知らなかったために「マトリューシカ人形ってなんや?」と聞き、会話の内容はマトリョーシカ人形になっていく。これでタダオが自身と他人の違いを良くない形で知覚する危機は回避された。

 

(私は神様から御主に送られたプレゼントなのだ。タダオのクラスメイトも、大人だって私を持っている者はいない。だから私の事は秘密にして置かなければならないのだ。もしも知られれば、皆がタダオを羨ましく思って私を奪おうとするだろう)

 寄生虫や悪霊の類ではないと私は自覚している。しかし、私の存在を知って他人が思うことは別だ。タダオから私を排除する者が現れないとは限らない。それに、テストの答えをタダオに教える私が不正な存在として扱われれば、タダオの不利に繋がるだろう。だから私は、私の存在を隠すようにタダオを教育する。

(へー、そうなんや。どうして神様はワイにだけプレゼントをくれたんや?)

(それは・・・)

 『良い子でありますように』ではダメなのだ。タダオが例え悪であろうと、例え女子更衣室を覗きに行こうと、その行動を戒めず、私は肯定する。『神の子だから』もダメなのだ。自分を特別な存在だと思うまでは構わないが、他人を見下すようになればタダオの不利に繋がる。善でもなく悪でもなく、傲慢であらないように、私はタダオに言葉を伝えた。

(宝くじで一億円が当たったような物なのだ。数億分の1の確立で、偶然タダオは私を引き当てた。しかし、その事を他人に知られてしまえば、その金を盗むために家へ忍び込もうとする者や、御主の父や母を人質として金を奪おうと考える者が現れる。それこそ、宝くじに当たらなかった数億人が御主の命を付け狙うだろう)

 私の思念にタダオは恐怖を覚える。言葉だけではなく、タダオの父親と母親が殺されるイメージを伝えたからだ。逆に私はタダオの恐怖を感じ取り、やり過ぎたと反省した。両親が殺されるイメージはタダオにとって強過ぎたようだ。私の考えた以上に、タダオにとって親という存在は大きいらしい。まあ、タダオと肉体を共有する私にとっても親ではあるのだが、アレが死んでもタダオほどのショックは受けないだろう。例え保護者が居なくなっても、私がタダオのために最良の未来を引き当ててみせる。

 

 横道を通りつつ下校中だったタダオの視界に霊が写る。少しずつ接近するもののタダオは霊の存在に気付かず、私だけが霊を感知していた。これは私がタダオの霊力を封じているからだ。封じているとは言っても、霊力が体外へ出ないように抑えているだけで、複雑な術式を用いてはいない。いつもは曲がっている背筋を、意識して伸ばすようなものだ。完全に封じている訳では無いし、私が気を抜くと霊力は漏れる。

 肉体を操作できない私だが、霊力は操作できる。逆にタダオは霊力を操作できない。これは良い事だ。もしも肉体に続き霊力までタダオに主導権があったのならば、永遠にタダオは幼児のままだっただろう。なにしろタダオは産まれた瞬間から悪霊に狙われていたのだから。

 この肉体の霊力は、霊に好かれているようだ。産まれる前ならば母親の肉体に包まれて隠されていた霊力が、産まれたことで剥き出しになり、近くの霊を誘い始めた。無害な霊だけならば死ぬことは無かったのだが、悪霊に憑かれた影響で呪われ、タダオは体調を崩して死んだ。

 ならば、なぜ生きているのかと聞かれれば、再び母親の肉体から産まれたからだ。その事を知っているのは私だけで、タダオに死を繰り返した記憶はない。繰り返しているのは私だけだ。始めから終わりまで記憶できる私だからこそ、あの繰り返しを突破できた。もしも私ではなくタダオが繰り返していたのならば、知能の低い赤ん坊のまま訳も分からず永遠に死に続けていただろう。

 最初の難関であった霊力を抑える感覚を学んだ後は簡単だった。数百回も繰り返したのは最初で最後だ。後は出来る限り霊力を抑え、どうしても回避できない悪霊は、抑えた霊力を一気に放出して追い払った。微かな霊力しか感じなかった子供から、急に霊力が噴き出るのだ。急に猫が犬へ変身して吠え始めたように、悪霊は驚き去っていく。今までは、それで何とかなっていた。

 

 下校中にタダオが悪霊に殺された。殺したのは自殺者の霊だ。タダオの霊力は抑えていたので、悪霊の通り魔殺人に巻き込まれたのだろう。その悪霊は初めて会ったタイプであり、呪い殺すのではなく物理的な破壊力を持っていた。霊に質量などある訳がないので、霊的な干渉の結果としてタダオの肉体は破壊されたと思われる。

 悪霊の中で一番厄介なのは自殺者だ。生きている頃は優しい人でも、死ぬと抑圧していた感情を抑える表層意識が失われ、他人に対する恨みや妬みによって悪霊となる。生きている間に正しくあろうと無理をした人ほど、性質の悪い悪霊と化す。特定の対象を持っていないからだ。だから近くにいたタダオが犠牲になった。

 さらに、特定の対象を持っていないために悪霊の欲は果たされず、犠牲者は次々に出るだろう。まあ、意図してタダオを殺した訳では無いのならば、わざわざ危険な悪霊と関わる必要はない。悪霊に殺される犠牲者が、タダオである必要はないのだ。

 

<201回目>

「おぎゃー」

 とタダオが産声を上げる。タダオが死んだので、私は再び産まれた。いつものようにタダオの霊力を抑圧し、霊の誘引を防ぐ。これからタダオの人生の遣り直しだ。これも悪いことばかりではない。前回と異なる行動を促すことでタダオの人生を、より良く改変できるからだ。

 あの物理的な破壊力を持つ悪霊に対しては、下校ルートを変える。それでもダメならばゴーストスイーパー協会へ通報する。タダオの霊力を用いた徐霊という方法も考えられるが、タダオを戦わせる気が私にはない。タダオの身の安全が最優先だ。それに、もしもタダオが霊と戦う事態になっても、霊力による攻撃力が足りない。

 なぜか死ぬ度に霊力の最大値は少しずつ上がるものの、私が使えるのは霊力の開放による目くらまし程度の物だ。悪霊のように物理的な破壊力を持つ性質を霊力に持たせなければ、悪霊の表面を削ることすら出来ない。タダオが襲われた時に試したから分かる。私が霊力を武器として用いるためには、専門的な知識を修得する必要があるだろう。

 そして再び小学校へ入学して数年後、タダオは前回と同じことを親友に聞いた。その前に介入し、タダオの質問をなかった事にする気はない。タダオの意志を優先するために、私の助言は後出しを心掛けているからだ。これはループの180回目に忠告を行い過ぎた結果、タダオが私に対して反発するようになった経験を生かしている。

 

「ギンちゃんの中には誰がおるん?」

「・・・なんやて?」

 「答えはギンちゃんや」

 「オレはマトリョーシカ人形やないで・・・」

「ギンちゃん、マトリューシカ人形ってなんや?」

「人形の中に人形が入ってるんや」

 「なるほど・・・ワイはマトリューシカ人形みたいな物なんやな」

 「なんでやねん。よこっちの中に、よこっちがいたら怖いわ」

「いや、中にいるのはワイやないで」

「じゃあ、誰がおるんや」

 「名前が無いから付けようと思って、いま考えてるんよ」

 「じゃあ、マトリョーシカ人形の中に入ってる・・・アレ、アレや・・・入れ子」

 同じ会話でも、結果は異なる。マトリョーシカ人形へ逸らされた話題は、タダオによって元に戻された。しかし、親友はタダオの言葉を否定することなく、私の名前を決める話題に加わってすらいる。この現象は一見偶然に見えるものの、実際はタダオの行動が変化した事による結果だ。一つの行動ではなく、多数の行動が変化した事による結果が、タダオにとって良い影響を与えた。狙ってやった物ではないが、このサンプルがあれば、再び遣り直しになっても私ならば再現できる。

(タダオよ。この先には悪い物がいる。このまま進めば御主は死んでしまうだろう。別の道を通るのだ)

 その日の下校時、私は別の道を通るようタダオに忠告した。すると、テストの答えを教えるなど実績のある私の言葉を、タダオは素直に受け入れる。もちろんタダオの霊力は抑えていたため、無事に家へ帰り着いた。翌日の朝、テレビ番組では悪霊による殺人事件について放送されていた。3人ほど犠牲になったものの、悪霊の凶暴性からゴーストスイーパーが直ぐに派遣され、夜の間に徐霊されたそうだ。

 

(なー、シンガン。ワイの代わりに、あの人達は死んでしまったんか?)

(そうでは無い。タダオには私がいて、彼等には私がいなかった。それだけの事だ)

(そんならワイがゴーストストリッパー協会に電話した方が良かったんやないかな)

(大人は子供の言うことを信じてくれないものだ。御主が電話を掛けたとしても信じてはくれなかっただろう)

(そうかー、残念やな)

(それというのも子供の頃に信じてもらえなかった子供は、大人になると子供を信じなくなるものだ。だが、御主は大人になっても子供の言うことを信じてあげるのだぞ。私のことを信じてくれなかった両親のようには成りたくなかろう)

(んー)

 タダオは返事を曖昧にする。やはり今のタダオにとって親というのは大きな存在だ。どうしても親を否定できないらしい。子供にとって親とは、神のように絶対の物なのかも知れない。もう少し成長すれば反抗期とやらが始まり、親への反発で依存から抜け出す流れになるだろう。それも自立する意識を育てるためには必要なことだ・・・と人生の繰り返しによって何度も見ることになるテレビ番組で言っていた。あの番組の知識は意外に役立つものだ。

(ところでタダオよ。シンガンと言うのは、もしや私の名か?)

(おお、そうやった。ギンちゃんと相談して決まったで、お前の名前はシンガンや)

 タダオからシンガンというイメージが私に伝わる。それは大きな眼球だった。漢字は心眼と書くのだろう。その名は私に、とても馴染む。なぜか懐かしい気持ちになったが、200回繰り返した私の記憶にも見当たらない単語だ。これまでにタダオの見たアニメやマンガの記憶にも無く、タダオの親友による言葉が初出だった。それにも関わらず、心眼という言葉を懐かしいと思うとは不思議なことだ。私にとっては異常と言える。これは原因を考える必要があるだろう。

 

<失われた世界>

 オレの子であるタダオは天才だ。分厚い辞書でも一度見ただけで覚えてしまうし、学校でテストがあれば必ず100点を持ち帰ってくる。家で見つからない物があっても、タダオに聞けば何所にあるのか分かる。オレよりもタダオは頭が良いので、妻である百合子が浮気をしたのではないかと本気で疑ったくらいだ。うっかりして、その事を口に出した時は酷い目にあった。

 しかし、やはりオレの子だ。学校では女子のスカートを捲ったり、着替えを覗いたりして、女性への興味は尽きないという。誰から聞いたのかというと、家庭訪問で会ったタダオの担任教師からだ。成績は良いのに、あの問題行動さえ無ければ・・・と嘆いていた。その話を聞いた妻がタダオを矯正していたが、今も問題行動が止んだ様子はない。オレの遺伝子に刷り込まれた本能なのだろう。

 親としてはタダオの問題行動を止めるべきなのだろうが、オレは安心していた。オレに似ている所があるからだ。もしも成績優秀な上に欠点もなければ、オレに似ている所が全くない。タダオの顔がオレに似ていると他人に言われても、自分では実感できなかっただろう。ああ、本当に、オレに似ていて良かった。

 

「あなた・・・タダオが・・・怪我をしたって」

 珍しく私用で会社に掛かってきた妻からの電話は、そんな内容だった。怪我と言うわりに妻は混乱しているし、指を切った程度で会社に電話を掛けてくるはずがない。言い知れない不安を抱えたまま妻の下へ急行したオレを迎えたのは、我が子が死んだという結末だった。

 そもそも病院ではなく警察署に呼ばれた時点で、おかしいと思うべきだった。オレも自分で思っている以上に、冷静ではなく慌てていたようだ。タダオが悪霊に襲われたという説明を受けた後に、死体の確認を行う。タダオの体は見るに耐えられない状態らしいので、誰よりも早く会いたいと思っている妻を落ち着けて、先にオレが見ると主張した。

 そうして、死体袋の中に入っているタダオの様子を覗いてみると潰れていた。見慣れたタダオの体が奇妙に潰れている様は、たしかに見れた物ではない。口や鼻から血を流した跡があるし、潰された皮を砕かれた骨が突き破っている。それ以上を認識することは耐え切れず、オレはタダオから目を逸らした。駆け巡る血で全身が熱く、今すぐ壁を殴り、人の目も気にせずに泣き喚きたくなった。

「たしかに・・・うちの子です・・・!」

 オレはタダオを見るのが精一杯で、体に触れることも出来ない。いや、そもそも接触は禁じられていた。どう見てもタダオは変死体の類だ。状況から悪霊に殺されたと考えられているものの、タダオが殺された所を見た者はいない。事件の検証が終わるまで、タダオの死体はオレ達の下に帰ってこないだろう。役所から交付される心霊被害者への給付金は、その後に支払われるそうだ。そんな物は必要ないから、早くタダオを家に帰して欲しいのだが・・・。

 

 タダオの葬式には学校の校長や生徒の代表と、学校の授業を休んで仲の良いクラスメイトも来てくれた。地域の住民などが来てくれたものの、その多くは私や妻の関係者として来たのではなく、タダオの人徳によるものだ。周囲に与える影響の大きかったタダオは、たくさんの人に死を悼まれていた。

「タダオがさ・・・自分の中に誰かいるって言ったことあったわよね」

 ああ、とオレは相槌を打つ。タダオの中にいる誰かが、タダオが知りたいと思ったことを教えてくれるという話だ。オレは「そうかー、凄いな!」と言ったが、内心では信じていなかった。それを感じ取ったのか、しばらくタダオは不機嫌になり、その後は自分の中に誰かいるとオレ達の前で言い出す事はなかった。

「まだタダオが何所かで生きているんじゃないかって・・・私は思うの」

 タダオの遺体を火葬している間に、そんな事を妻は言う。有り得ないとオレは思うが、タダオの死体を見たオレでさえ、じつは同じ事を思っていた。実感が湧かないと言うか・・・何かを見落としているような、そんな気がする。もしかするとタダオは幽霊になって、どこかで生きているのかも知れない。タダオの遺体が灰になっていく灼熱の炉の前で、オレと妻は、そう思った。

 

 

 

loop number 200 → 201




<if ギンちゃんは・・・>
「ギンちゃんの中には誰がおるん?」
 タダオに聞かれた親友は、驚きの余り呼吸を止めた。予想外の反応に私も驚き、親友が平静を失った理由を考える。触れてはいけない物に触れてしまったような、言い知れない恐怖が私を襲った。
「オレの中にはな・・・」
 タダオの親友が立ち上がり、体を大きく揺さぶり始める。始めは小刻みに体を動かしていたが、首をブンブンと振り回すように体を揺らし始めた。異様な雰囲気を感じたタダオは、思わず親友から後退る。
「オレの中にはな・・・」
 その時、スポンと音を鳴らしつつ親友の上半身と下半身が分離した。宙を舞った親友の上半身は、教室の机に当たって大きな音を立てる。しかし、体が真っ二つになったにも関わらず、親友の体から血が出ることは無かった。なぜならば、真っ二つになった親友の中に、一回り小さな親友が入っていたからだ。
「マトリョーシカや」

<if タダオを救った神父さん>
 悪霊に襲われたタダオを救ったのは、黒いカソックを着た男だった。タダオと悪霊の間に割り込み、物理的な破壊力を持つ悪霊の腕を受け止めている。邪魔をされた悪霊が怒って叫び、腕を振り回して地面をアスファルトごと削り取った。しかし、悪霊の腕に対して男は撫でるように触れ、そのまま悪霊を側方へ投げ飛ばす。その様は、まるで悪霊が自ら横へ飛んだようだった。
「おめでとう、少年。だから君は生き延びた」
 投げ飛ばした悪霊に構うことなく、男はタダオに声をかける。標的を変えた悪霊は神父に飛びかかるものの、迎え撃った男の一撃によって体を打ち抜かれ、再び地面を転がった。
「――私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない」
 男が言葉を紡ぐ、その度に悪霊は苦しむ。全身を焼かれるような痛みが悪霊を襲った。悪霊は地面を転げ回り、やがて体が崩れて消える。すると、タダオの体を男は抱え上げ、悪霊が消え去ったことをタダオに告げた。悪霊に襲われた恐怖で震える体を抑えつつ、タダオは何者なのかを男に尋ねる。
「何者なのかと問われれば、何者なのだろうな。立場としては近くにある教会の神父だ。父より与えられた名は言峰綺礼という。しかし、どれも他人から与えられた仮初の物であり、私が真に何者かという事を表してはいない」
 言峰綺礼と名乗った男は、タダオを抱き上げたまま教会へ運ぶ。通報を受けた警察が現場を調べたものの、悪霊による被害者はタダオだけで、他に襲われた者はいなかった。警察から連絡を受けたタダオの両親が、タダオを保護していた教会へ飛び込んで来たものの、心配した両親がタダオを抱き締めるという出来事以上のことは起こらなかった。てっきり怒られると思っていたタダオは、目を点にして固まっていたものだ。
 後に、タダオと言峰神父の出会いは最大の汚点として歴史に記されるのだが、そのことを今は誰も知らない。


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【あらすじ】
タダオと体を共有する心眼は、
肉体が死ぬと、タダオの母親から生まれた瞬間に飛ばされてしまう。
しかし赤ん坊のタダオは記憶を失い、心眼のみが全てを記憶していた。


<210回目>

 私の与える知識によって、タダオが受けるテストの成績は常に満点だ。答えを書く場所を間違えるなどのミスも、タダオの視界を共有している私がチェックして防ぐ。授業の1時限45分を使ったテストであれば、10分で書き終わり、35分ほど時間が余ってしまう。その間、タダオは暇そうにしているのだ。テスト用紙は落書きで埋め尽くされてしまう。

 その小学校にタダオが場違いなのは、教師や生徒の誰が見ても明らかだった。そのためタダオは小学校を卒業すると、教師に推薦された東京にある高学力校を受験する事になる。タダオも地域から離れたい気分だったため、話はスムーズに進んだ。

 それと言うのも、タダオが好意を抱いていた女子が、タダオと仲の良かった親友に学校の屋上で告白されているというショッキングなシーンを見てしまったからだ。いわゆる親友によるネトラレ的な展開は、タダオにトラウマ級のダメージを与えた。例え話ではなく本当にタダオのトラウマになりそうだ。このままでは「愛されたい」と思いつつも「他人に愛されるとは思えない」という矛盾を抱えた精神を形成してしまう恐れがある。もしも、また死んで繰り返した時は、タダオが告白シーンを見ないように調節しよう。

 そういう訳で東京へ引っ越したものの、タダオの死亡率は跳ね上がった。これまでと違って、どこに悪霊が居るのか分からないからだ。私が霊力を抑えているにも関わらず、まるでタダオに発信機が付いているかのように悪霊と遭遇してしまう。これまでも霊が原因で、1年に最低3回は死んでいたのだ。前から疑ってはいたものの、霊力だけではなくタダオの肉体も、霊を誘引する性質を持っているのだろう。そうでなければ地上に溢れた悪霊によって、すでにタダオ以外の人類は死滅しているはずだ。

 

<300回目>

 人生を繰り返すついでに、親友によるネトラレ告白シーンを回避した。なので、タダオは思い人への恋心を維持している。しかし結局、教師の熱心な薦めで、タダオは東京へ引っ越すことになった。お前は何故それほど熱心に薦めるのだ、と私は教師に突っ込みたくなる。

 もしや「タダオは私が育てた」とか何とか言いたいのだろうか。そうは言わせない、タダオは私が育てたのだ。教師はタダオにとって無駄な宿題やテストを作って、鉛筆を握るための握力を鍛えていただけではないか。しかも東京への進学は、タダオの意志とは言い難い。どうせ東京へ行けば再び繰り返すのだから、教師を論破する方法を考えよう。

 東京は死亡フラグの乱立する魔都だ。まるでゲームのバグ取りのように、悪霊を回避すると次の悪霊が現れる。一日に一体ほどの遭遇率だが、悪霊の力量が高い。霊に対して情報不足であると感じたため、仕方なくタダオに頼んでゴーストスイーパーに関する本を見てもらった。

 どうせならば今回は問題の解決に重視し、タダオよりも私の都合を優先する捨て回にした方が効率は良いのだが・・・それでは今回のタダオが捨石になってしまう。これまでに死を共にしたタダオも私の護るべきタダオなのだ。タダオを捨石にする事は、私の根底にある存在理由を覆してしまう。それに、タダオを捨石にした回で繰り返しが終わってしまえば、私は私を許せない。

 

<400回目>

 東京への進学を薦める教師の説得に成功した。と思ったら次は隣のクラスの教師と共に来たので同じように説得した。と思ったら小学校の教頭が来たので頑張って説得した。と思ったら校長が来たので何とか説得した。と思ったら教育委員会の刺客が来たので無理して説得した。と思ったら役所の連中が5人組で来た。

 なんと大人気ない連中だ。私がセリフを用意しているとは言っても、こんな連中の訪問を受けていればタダオの精神力が擦り切れてしまう。最後の役所から来た連中には、そんなに仕事が無いのかと言ってやりたい。言ってやりたかったがタダオの精神力が限界だ。もはやセリフを読み上げる気力はない。代わりに言ってくれたのはタダオの両親だった。

「いい加減にしてください。タダオが行かないと言ってるんです。これ以上は、何度来ても誰が来ても、私達が行かせません」

 私もタダオの親を、ちょっと見直したかも知れない。わざわざ5人組で来たのが不味かったのだろう。タダオの親の逆鱗に触れた連中は家から押し出され、その後タダオの説得を試みる者はいなかった。100ループ以上掛けて、ようやく魔都行きが中止になったのだ。あまりの執念深さに、宇宙意思か何かが邪魔をしているのかと思ってしまったくらいだ。東京へ行きたくないというタダオの意志を護れた事で、私の心は達成感に満たされる。

「近い内に引っ越す予定やったけど、タダオが嫌がるんなら止めなあかんね」

 おお・・・少しでも見直した私がバカだった。お前らがラスボスか。親の言葉を聞いたタダオは(ワイを置いて行くつもりやないよね)と私に尋ねる。

 (そんな訳はない。今のは『タダオと一緒に居られないのならば引っ越しなんてしたくない』という意味だ)

 (なんで引っ越さなあかんの?)

 (タダオが東京へ行くのならば、父と母も引っ越さなければならないという話だ。タダオが引っ越さないのならば問題はないのだよ)

 これで誤魔化せたか、と思いつつタダオの反応を待つ。するとタダオは、私ではなく父親に「なんで引っ越さなあかんの?」と聞いた。

「オレの仕事の都合で、近い内に東京へ引っ越す予定やったんや。でも、タダオは何も心配せんでええからな」

 誤魔化せなかった。女性に話し掛ける時と同じくらいタダオの父が気を使えば、「父親の仕事の都合で引っ越す」という事をタダオに気付かれずに済んだのだが・・・バカ者め。おかげでタダオは微かな罪悪感を抱いてしまった。自分のせいで親に迷惑を掛けてしまったと思っているのだ。

 常識で言うと、小学校で女子のスカートを捲るなどの問題行動の方が、親に迷惑を掛けているのだが・・・そちらはタダオにとって「本能に逆らえない仕方のないこと」に分類される。女子の着替えを覗くことはタダオによって、命よりも大事なことなのだ。そのためタダオは母から叱られようとも、痛みを与えられようとも、命を失う恐怖に晒されようとも、自身の煩悩に従い続けるだろう。

 さて、タダオは精神が不安定になっていた。大人達による連日の訪問で精神力を削られ、大人達を家から押し出す母の姿に恐怖し、心配した父の言葉で止めを刺される。タダオは「自分のせいで、こんな事になったんやないか?」と不安に思っていた。その不安が少しずつタダオの心を蝕む。子供の心を病ませるには、一つの不安で十分なのだ。

 (タダオのせいでは無い)と私は伝える。しかし、タダオの不安は無くならない。今のタダオに言葉を伝えるだけでは足りなかった。肉のある体で抱き締めてあげなければ、タダオの心が休まることはない。だが、私には肉体がなかった。ならば、タダオが両親に抱き締めて貰えるように仕向ければいい。仕向ければ良いのだが・・・私は気が進まなかった。タダオを抱きしめる両親の姿を想像する事さえしたくない。

 ここはタダオの自立を促すためにも・・・いや、私は何を言っているのだ。そんな事を言っている場合ではない。魔都へ引っ越すことを防ぐ以上に優先する事はないからだ。タダオが東京へ行きたく無いと願うのならば、その願いを私は叶えなければならない。しかし、魔都にある高学力校へ行けば、タダオは高収入の仕事に就いて楽ができる・・・いや、私は何を言っているのだ。それをタダオが望まない限り、私が決めてはいけない。

 そもそも、まずはタダオの精神に傷が付く今の事態を回避するべきだ。そうなると、この事態は無かった事になり、魔都行きは避けられない。その後、近くの中等学校へ進学することになったが、入学する前にタダオは悪霊に襲われて殺された。

 

<410回目>

 親友によるネトラレシーンを回避し、タダオに思い人への告白を促し、東京へ引っ越した後も文通を交わすことに成功した。今ならば一週間も専念すれば、思い人のタダオに対する好感度を上げて婚約まで交わせる。

 しかし400回目から、たったの10ループほどで攻略できるとは簡単過ぎるのではないか。タダオの親友に告白されていた事から、思い人の浮気を私は心配している。思えば、最初からタダオに対する思い人の好感度は高かったのだ。タダオの思い人は「誰もいいから愛されたい」という願望を持っていて、「愛されていない」と不安に感じれば浮気に走るタイプなのかも知れない。私としてはタダオに、浮気の心配がある相手と付き合って欲しくはない。だが、タダオが望むのならば、思い人との関係を維持する事に協力しよう。

 いや、待てよ。もしや、最初から両思いだったのではないか?

 

 よく考えてみると、学校の屋上で「親友が思い人に告白していた」というのはタダオの思い込みかも知れない。「親友に思い人を盗られた」という認識を否定できる事実があれば、タダオの精神に傷が付く事態は防げる。さっそく調べてみよう。

 思い人の気持ちを確かめるために最も簡単な方法は、思い人に親友が好きか否かを聞くことだ。しかしタダオには、そのための勇気が足りない。勇気が足りなければ、私の用意したセリフも声に出せない。こんな時に、教師・教頭・校長・刺客を撃退した400回目のタダオがいれば・・・いや、400回目のタダオでも言えないか。少しずつ追い詰められた時と違って、タダオではなく「ギンちゃんが好き」と思い人に言われたら、その一撃でタダオに止めを刺してしまう。

 なんと恐ろしい。思い人に直接聞くのは禁止だ。ならば人を使うか、手紙を使うか・・・そうして私が練った計画をタダオに伝えた。

(やだ)

 嫌がるだろうと思っていたが、やはりタダオに嫌がられた。そう言うだろうと思っていたので、タダオに気付かれないような方法を実行する。要するに、思い人の名前を出さなければ良いのだ。タダオが「女の子ってギンちゃんのこと好きなんか?」と思い人へ尋ねるように私は誘導した。

「私らのスカートを捲ろうとするあんたよりも持てるのは確かや」

 タダオの受けたショックが私に伝わる。それほどショックを受けても、懲りずにスカートを捲ろうと試みるのがタダオだ。「ちくしょー! どうせ顔が良い奴は何しても許されるんやー!」とギャグっぽく無様に泣き喚き、自身の心を誤魔化そうとする様が痛々しい。

 しかし、これで分かった。親友を好きか否かを聞かれた思い人は、発言するまでの間に迷っていたからだ。わずかな間だったものの、思い人の様々な会話を200ループほどの間に2万時間以上記録している私には分かった。さきほどの言葉はタダオに対する皮肉ではなく、そうなって欲しいという期待の混じった言葉だったのだ。

 

 様々な方向で物事は分析しなければならない。例えば女子更衣室に鏡があると思ったら、隣の男子更衣室から見るとマジックミラーで、女子の着替えが丸見えだったという事もあるのだ。思い人がタダオに行為を抱いているという証拠が、もっと私には必要だった。

 そのため、いつものように思い人のスカートを捲るタダオが「(パンツが)好きだから捲るんや!」と言うように誘導する。どうやったのかと言うと、自分の気持ちを伝えれば女子もパンツを見せてくれるようになると、美化加工済みのイメージ映像付きで伝えたのだ。

 私の伝えるイメージは現実に沿ってるとは限らない。タダオの性欲を発散するために、タダオが見たことのない同級生の胸や割れ目のイメージを用意しているのは私なのだ。

「パンツが好きだから捲るんや!」

 その結果、タダオは思い人によって暴力的に叱られた。これも思い人の気持ちを知るための貴重なサンプルだ。

 

 現在、私の考えるべき事は2つある「魔都へ行く前の魔都に対する回避方法」と「魔都へ行った後の悪霊に対する手段」だ。引っ越して一ヶ月は生存できるようになったものの、追尾能力の高い難敵に狙われているため逃げ切れない。おそらく人ではなく犬の霊だろう。アレを何とかしない限り、また東京で死ぬことになる。

 悪霊に対する手段と言えばオカルトグッズだ。すでに、神社で買える御守り系は効果が無いと分かっている。あれらは未だ訪れていない災難を避けるためにある物であって、すでに訪れた災難を防ぐことは出来ないからだ。

 分かり易く言うと、悪霊に狙われる原因を持っている人には効果がない。例えば、他人から金を借りようと思っている人の心を「借りたくない」と思うように誘導する事はできるものの、食費すら無ければ結局借りなければならない。

 霊を誘引する性質を持つと思われるタダオの肉体が、悪霊に狙われる原因だ。ついでに言えば、私が抑えている霊力を開放すると、霊を誘引する効果が倍増しになると思われる。とは言っても、タダオの身の安全のためにも、悪霊を追い払う時以外に霊力を開放した事はない。

 この誘引を防ぐためには結界が必要だ。誘引している原因は分からないものの、その原因を遮断する効果が期待できる。そう思ってタダオに頼み、小学校の図書室にある本を読み、公共図書館の本を読み、テレビを見て、オカルトグッズの価格を調べてもらった。こんな時に、キーワードを入力すると検索結果を出力してくれるマシンがあれば便利なのだが・・・そんな便利な物はネコ型ロボットのポケットに限って存在する物だろう。

 タダオに頼んで調べて貰った結果、結界を敷くために必要なオカルトグッズは10万円を下らないことが分かった。しかも使い捨てだ。引っ越し先で毎日結界を敷いていたら、3ヶ月で最低1000万円を消費する事になる。千切れるまで何度も使える呪縛ロープという物もあったが、こちらは50万円だ。今のタダオに、そんな収入も貯金もない。人生を繰り返した際に、今までに死んだタダオの所持金を持ち越せたとしても、1年ほどしか維持できないだろう。

 タダオの霊力を使い、悪霊と戦うという手段もある。しかし、初めて物理的な破壊力を持つ悪霊によってタダオが殺された時にも言ったが、タダオを戦わせるのは私の気が進まない。そもそも私に肉体の操作権は無いのだ。肉体であるタダオが動くと、私の狙いがズレる。タダオは動かない方が、悪霊に対して霊力を当てやすい。

 と思い、そこで私は気が付いた。タダオの霊力を使って、私が戦えば良いのだ。なぜ私はタダオを戦わせたくないと言いつつも、タダオが戦うことを前提に考えていたのだろうか。私が霊力を抑えればタダオに霊は見えない、その状態のまま悪霊を一撃必殺で撃退できれば良いのだ。そこで問題になるのは、霊力を用いて悪霊にダメージを与えられない事だろう。

 

 オカルトグッズの価格をタダオに見てもらう過程で分かったのは、私には霊能力が足りないと言う事だ。霊力を剣の形にしても弾丸のように飛ばしても、それは形を真似ただけで悪霊にダメージを与える事はできない。霊力とは波のような性質を持つのだ。攻撃的な意思で霊力を整え、例えるならば粒子のような物に霊力の性質を変化させなければ、悪霊のような霊体に干渉できない。霊力のままでは音波のように悪霊を擦り抜けてしまう。それでも今まで霊力を放つことで悪霊を追い払えていたのは、光や音を使って動物を追い払うのと同じ事だ。それが通用しなくなるから困っているのだが・・・。

 現在、タダオは公営の図書館にいる。小学校の図書室よりも本の種類と数が多い、2階建ての図書館だ。私の願いに応えて、わざわざ図書館まで遠出してくれたタダオには申し訳ない。ここで私の読みたい本をタダオに見てもらったので、必要な情報は記憶できた。私の用事は終わったので、タダオの予定に戻って構わないと伝えたものの、タダオは図書館に長居している。その手には『暗黒魔闘術』というタイトルの本が握られていた。

 マンガのようなネーミングセンスがタダオの心を刺激したのだろう。圧縮した魔力を用いた格闘術で、相手を両断する斬撃・殴りつけて粉砕する衝撃・広範囲を攻撃する衝撃波が奥義として紹介されている。さらにブックカバーを外してみると『裏暗黒魔闘術』という魂を削って武器を作る方法が紹介されていた。こんな物をブックカバーの裏に隠すとは、子供心が良く分かっている作者のようだ。その本の筆者はジル=ハーブと、日本語の片仮名で記されていた。まさか本名という事は無いだろうし、ジル=ハーブというのはペンネームだろう。

 この本の内容は、なかなか参考になる。とは言っても暗黒魔闘術で用いる強大な魔力に耐え切れず、人の体は壊れるそうだ。裏暗黒魔闘術も魂を削るため、魔族専用の技と考えた方が良い。参考になるのは裏暗黒魔闘術の使い方だ。裏暗黒魔闘術を使用するためには強靭な魂と、それを加工する強い精神力を持つ魂が必要と書かれている。霊能力に言い換えれば、強靭な魂の発する霊力と、それを加工する強い精神力を持つ魂が必要なのだ。

 人生を繰り返す度に、タダオの霊力は少しずつ上がっている。これは繰り返す事によって、魂が鍛えられているのかも知れない。魂が逆行しているのか、同じ世界ではなく類似している世界へ移行しているだけなのか、タダオの魂と私以外の物が巻き戻っているのか。もしくは私の記録した経験に魂が影響されて、霊力の出力が上がっているのか。様々な理由が考えられる。

 それは兎も角、タダオの霊力に不足はないだろう。足りないのは私の精神力なのだろうか。繰り返しによって2000年以上も生きている私に精神力が足りないのならば、人は霊能力を修得できないに違いない・・・いや、精神力とは何を指すのだろうか。私が霊能力者に至れない理由として、欠けている物が存在するのではないか。

 

<500回目>

 100回ほど前から、どうしても引っ越し後の1ヶ月先へ進めない。両親と共に引っ越した家ごと破壊されてしまうのだ。その日は外出するように誘導しても、外出先に悪霊が現れる。追尾能力の高い犬の霊だ。家ごと破壊されたという言葉の通り、大型トラックほどの大きさがある。というか体形が犬に似ているから犬の霊と思っているだけなので、犬ではないのかも知れない。そもそも、あんな大きさの犬が存在するとは思えない。

 自力で対応するのは諦めよう。面倒を掛けるので気は進まないが、タダオに頼んで電話を掛けてもらう。無料で霊を祓ってくれるという評判のゴーストスイーパーがいるのだ。結界を敷くためのオカルトグッズが10万円を下らない事から察せられるように、並のゴーストスイーパーに依頼しようと思えば最低でも100万円を用意しなければならない。

 無料で霊を祓ってくれるというゴーストスイーパーに断られた場合、ゴーストスイーパーではない霊能力者に頼むという方法もあるが・・・あの巨大な悪霊を並みの霊能力者が何とか出来るとは思えない。ゴーストスイーパーへ掛ける電話の内容は、私がセリフを用意してタダオが読むため、説得力の低下は避けられないだろう。最悪の場合、私について説明する必要がある。それは問題だ。だから私は、これまで霊能力者に頼ろうとしなかったのかも知れない。

「おかけになった電話番号は、お客様の御都合により、使用できません」

(通じねーぞ、心眼。電話番号が間違ってるんじゃねーか?)

 それは妙な話だ。テレビ番組のドキュメンタリーで放送されていた電話番号を、タダオが見た上に聞いたのだ。それを私が記憶したので間違えるはずがない。というか、この自動音声は電話料金の滞納で流れるガイダンスではないか。まさか電話料金を払えていないとでも言うのか。と思ったものの、よく考えてみると無料で除霊していれば金銭に困るのは当然の話だ。それからタダオが悪霊に殺される日まで掛け続けたものの、電話が通じる事はなかった。

 

<501回目>

 ゴーストスイーパーの協力が必要だ。そのため東京へ引っ越す前に電話を掛けたものの、やはり電話は通じなかった。あいかわらず、電話料金を滞納した際のガイダンスが流れている。テレビ番組で電話番号が放送される前後に、電話を掛けても通じない。何時かけても何度かけても通じない。これは、さすがに有り得ない。ゴーストスイーパーへの通話を、何者かに妨害されているのだ。

 

<502回目>

 500回目にして、このループが意図的な物である可能性が浮上した。この状況を詳しく調べる必要があるだろう。まずは、何者かの妨害で電話が通じないゴーストスイーパーに会う必要がある。そのためには、ゴーストスイーパーのいる教会まで、タダオに遠出をして貰わなければならない。

 しかし、最近のループではタダオに無理を言うことが多くなってきた。その事は自戒しなければならない。私はタダオのために存在しているのだから。

(タダオよ、私には会いたい者がいるのだ。タダオが良ければ、その人の下まで私を連れて行って欲しい)

(心眼の会いたい人って誰や?)

 私の存在は誰にも知られてはならないと、タダオに忠告していた。うっかりタダオは話してしまう事があるので、両親が人質に取られるというイメージで脅している。そんな誰にも存在を知られてはならず、誰にも話してはならないと言った私が、誰かに会いたいと言うのだ。当然のように、タダオは相手が気になったのだろう。

(ゴーストスイーパーだ。昨日テレビに映っていただろう。彼ならば私の抱える問題を解決できるかも知れない。何よりも、相手によっては無料で相談を受けてくれると言うのがいい。私やタダオのような子供ならば、快く受けてくれるだろう。無料で)

(無料でかー。そりゃええな)

 タダオは了承してくれたものの、ここからが本番だ。私が共にいるので、タダオは一人でも東京へ行ける。しかし、タダオの親が行かせてはくれないだろう。隠し続けた伏せ札を、私も明かさなければならない。死ぬと人生を繰り返す原因を知る機会かも知れないのだ。どうしても私は、ゴーストスイーパーに会いたかった。

「おふくろ、おやじ。昨日テレビに映ってたゴーストスイーパーの唐巣って神父さんに会いたいんやけど、東京まで一緒に付いて来てくれんかな?」

 ちなみに、いつものように私が伝えたセリフを、タダオは読み上げている。棒読みによる説得力の低下を不安に思うものの、タダオ自身の意思で親を説得する方が難しいのだ。

「ゴーストスイーパーやて? なんでゴーストスイーパーに会いたいんや?」

「ワイの中にいる、もう一人のオレが抱えている悩みを、解決してやりたいんや」

「あんたの中にいる、もう一人のあんたやて?」

 聞き流すことなく、タダオの親は話を聞いている。しかし私が思うに、私の存在を信じている訳ではない。タダオの抱える心の問題として話を聞いているのだ。始めは棒読みだったタダオのセリフも、今は感情が込められていた。私の望みを解決してやりたいという、タダオの思念が私に伝わる。

「そいつはワイの中にいるんや。そいつは生まれた時から一緒にいて、そいつはずっと身動きが取れなくて、そいつはずっとワイを通して外を見ていた。だから何とかしてあげたいんや・・・ワイは、こいつを外に出してあげたいんや!」

 タダオは涙声で、母親に訴える。

 ああ、なぜ御主が泣くのだ。私のために泣く必要などないと言うのに・・・私は御主のために涙を流した事などないと言うのに・・・なぜ私のために泣いてくれる。私は御主のための道具でいい、御主のために私は存在するのだ。だから私のために泣いてくれるな。

 

 タダオの母親と共に東京へ向かう。事前に母親がゴーストスイーパーへ電話を掛けると、当たり前のように電話は通じた。どういう事なのだろうか。電話を繋げるための条件でもあるのだろうか。母親と一緒に来ることが条件なのか、母親が電話を掛ける事が条件なのか。私に人生を繰り返させる者は、いったい何を求めているのだろう。

 なぜ私はタダオの中に存在している。なぜ私はタダオが死ぬと再び生まれる。私は自分の意思では指一本も動かせず、私はタダオを通して世界を見ている事しかできない。何のために私は生まれた。何の目的で私は人生を繰り返す。私を見ている何者かは、私に何を望んでいるのだ。知りたい、答えて欲しい、私の声が聞こえるのならば、どうか私に教えてくれ。

 

「どうしたんや、おふくろ。そんなに腕を引っ張ったら痛いで」

「いいから走るんや! 振り返ったらあかんで、タダオ!」

 母親と共に魔都へ入ったタダオは悪霊に追われていた。当然の事だろう。この辺りには今まで来たことが無いため、悪霊の出現パターンが分からない。意図して回避しなければ、悪霊に必ず遭遇してしまうのだ。魔都と呼んでいるのは伊達ではない。もしもタダオが東京で育っていたら、何百回と人生を繰り返しても生き抜くことは出来なかった。

 振り返ってはいけないと言われれば、振り返りたくなるのがタダオだ。しかし、私が霊力を抑えているため、タダオの目に悪霊は映らない。悪霊の物質に対する干渉の影響で、せいぜい景色が歪んで見える程度だ。だからタダオは今まで霊を見たことが無い。タダオが霊を見るという事は、霊力を開放するという事だ。そんな事を魔都である東京で行えば広範囲の悪霊を誘引し、集まった悪霊の群れに包囲されてタダオは死ぬだろう。

「父と子と精霊の御名において命ずる! 悪霊よ、去れ!」

 男の声と共に悪霊が弾き飛ばされる。母親に手を引かれて逃げるタダオを助けたのは、異変を察知したゴーストスイーパーだった。私が会いたいと願っていた神父だ。神父と言っても、異教の儀式を使ったためキリ○ト教は破門になっている。

 神父の住居である教会に、タダオと母親は案内された。まずはタダオの母が礼を伝え、こちらの事情を説明する。それは、「タダオの中にいる私を調べて欲しい」という物だ。タダオの母親としては、そもそもタダオの中に私が居るのか否かを疑っているのだろう。神父に悪霊と判断されれば、そのまま私の除霊を依頼するつもりに違いない。せっかく此処まで来たと言うのに、このまま終わらせるものか。そう思っていたのだが、母親の願いを聞いた神父はタダオに話しかけた。

「タダオ君。君の中にいるのは、どんな人なんだい?」

「どんな人っていうか・・・うーん」

 私の姿を想像したイメージが、タダオから私に伝わる。それはタダオにとって優しい姉のような存在であり、厳しい女教師のような存在であり、胸の大きな女性であった・・・いや、ちょっと待て。それはイメージじゃなくてタダオの願望だろう。と言うか女性なのか。御主の中で私は女性扱いされていたのか。

「いつから君の中に、その人が居るのか分かるかな?」

「ワイ・・・じゃなくてオレは覚えてないけど、心眼が言うには生まれた時から一緒にいるらしいです。あ、心眼って言うのはオレの中にいる奴の名前です」

 「その名前は心眼君が名乗ったのかい?」

 「いいえ、オレがギンちゃんっていう友達と相談して決めました」

「そうか。その名前を心眼君は喜んでくれたのかな?」

「うーん、よく分かりません。心眼は喜んだり怒ったりしないんです。いつも遠くから語りかけてくるような感じで、なんだかフワフワしてて、やる気のない感じです。あ、でも最近はゴーストスイーパーに会いたいって言い始めて、少し元気になりました」

 御主は何を言っておるのだ。ほら、ちゃんと私の伝えるセリフを読んでだな・・・。

「どうして心眼君は私に会いたいと?」

「外に出たいって言ってました。オレの中にいると、体は自由に動かせないし、喋れないし、オレが代わりにやらないと何も出来ませんから」

 いや、それはタダオの親を説得するために考えた理由で、私の本当の望みは・・・。

「タダオ君は心眼君のことを、どう思っているのかな?」

「好きです。いつもオレの知らない事を教えてくれて、オレが頑張ったときは褒めてくれて、危ない事があったら教えてくれます。朝は毎日おはようって起こしてくれるし、夜は心眼がいるので怖くありません。オレにとって心眼は、姉ちゃんみたいなものなんです」

 もう穴に潜って冬眠してしまいたい。

 

 

 

loop number 210 → 502




<if よこしまハーレム>
 タダオは心眼のサポートを受け、クラスメイトの女子を攻略する。
 まずは思い人であるナツコだ。心眼のサポートがあれば一週間で攻略できるぜ!
 次は一番胸の大きい子だ! 一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
 次は二番目に胸の大きい子だ! やっぱり一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
 次は三番目に胸の大きい子だ! 同じように一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
(なー、心眼。このままじゃ全員攻略する前に卒業しちまうよ)
(仕方あるまい。ならば二股だ)
 次は出席番号五番と六番の子だ! 一ヶ月かかったけど一気に2人攻略できたぜ!
 次は出席番号七番と八番の子だ! やっぱり一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
 次は出席番号九番と十番の子だ! 同じように一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
(まだ10月だけど余裕だな! 3分の2は攻略した! 後は5人だ!)
(安心するのは早いぞ、タダオよ。
 攻略したからと言って放置していれば好感度は下がってしまう。
 たまには攻略済みのメンバーも面倒を見てやらねばならん)
 次は出席番号十一番と十二番だ! 一ヶ月かかったけど2人とも攻略できたぜ!
 次は出席番号十三番と十四番だ! やっぱり一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
 次は出席番号十五番と十六番だ! 同じように一ヶ月かかったけど攻略できたぜ!
(ふぅ、春休みの間に全員攻略できたな・・・おや、あそこに居るのはナツコじゃないか)
「どうしたんやナツコ。雪も降ってるし、電柱の影になんていたら風邪を引くで」
 なぜか電柱の影に隠れてタダオの様子を探っていたナツコに対して、タダオは肩に手を回してナツコの体を抱き寄せる。すると、ナツコの隠し持っていたノコギリの刃が、タダオの首に当てられた。
「ひどいなぁ、ヨコシマ。クラスの皆に手ぇ出すなんて・・・これはお仕置きせなあかんね」
「落ち着くんや、ナツコ。切れてる切れてる。ちょこっと首が切れてる」
「なぁ、ヨコシマ。うちな・・・お腹の中にヨコシマの子がいるんよ」
「え?」
 ノコギリが引かれ、タダオの首から鮮血が舞う。降り積もった雪が血に染まり、タダオから熱を奪い去った。力を失ったタダオの体が崩れ落ち、冷たい雪の上に倒れ伏す。ナツコは倒れたタダオの体にノコギリを当てて、ギーコギーコと音を鳴らした。

<if ペルソナ3>
 東京へ引っ越したタダオだったが、深夜0時と共に世界が一変する。月から降り注ぐ青緑色の光に照らされた世界は、無数の棺が立ち並ぶ異世界へ変貌した。父親や母親が物言わぬ棺と化したため、不安に駆られたタダオは両親の姿を探して家の外へ出る。すると、白い仮面を付けた黒い生き物が襲い掛かかり、タダオは暗い夜道を泣きながら逃げるはめになった。
「ぎゃー! だーれーかー、たーすーけーてー!」
 その時、タダオの脳裏に言霊が浮かぶ。きっと心眼が助け舟を出してくれたのだ。そう思ったタダオは無我夢中で、走り過ぎて荒い息を絞りつつ、その言霊を唱えた。
「ぺ ル ソ ナ !」      カッ!
 タダオの体が青い光に包まれ、その中から赤い少女が姿を現す。腰まで伸びた血のように赤い髪、一糸纏わぬ寸胴な体、そこまでなら全裸の変態少女で済んだのだが、その少女の顔に目は一つしか付いていなかった。赤い輝きを秘めた瞳がタダオを見つめる。その少女の名を、一つ目少女といった。
 一つ目少女は地面を蹴る。すると道路が陥没し、その反動で少女の体は打ち出された。タダオの後を追っていた黒い生き物に飛び蹴りを食らわせ、大きく弾き飛ばす。黒い生き物は道路の上を凄まじい速さで跳ね飛び、民家の外壁に突っ込んで粉砕すると、二度と動かなくなった。
「ちがうんやー! ワイはロリちゃうんやー! ・・・いや待てよ、今はオレもロリじゃなくてショタか。うーん、でも乳もないし、尻もないし、太股もなぁ・・・」
「御主は何を言っておるのだ。このバカ者め」
 「うん? あれ? もしかして、お前、心眼か!
  バインバインだったのに、なんて変わり果てた姿になっちまったんだー!」
 「それは御主の妄想だ。そもそも、つい先程まで私に肉体は無かったのだぞ」
「ちくしょー! 裏切ったな! オレの気持ちを裏切ったな!」
「早く安全な場所へ移動するぞ。バカを言うなら、そこで聞いてやる」
 「おい、心眼。オレを置いて行くな・・・って、よく見たら裸じゃねーか!」
 「服なんぞ持っていないからな。気にするな。どうせ近くに人などいないだろう」
「ちがうんやー! ワイはロリちゃうんやー!」
「落ち着け、話を聞け、置いて行くぞ」
 タダオのバカ騒ぎに気付いて集まった特別課外活動部のメンバーが、全裸の少女と怪しさ満点の少年を発見し、思い込みの激しい少年が必死に冤罪であることを主張し、全裸の少女が少年の服を「あーれー」と脱がして着込み、ようやく話が進むと思ったら少女の目が一つしかないことに特別課外活動部のメンバーが今更になって気付き、悲鳴を上げる者や気絶する者が続出し、「シャドウか!」と勘違いして攻撃してしまった者は心眼の非常識な腕力で叩きのめされ、その場の混乱が治まるまで10分ほど掛かるのだった。



追記:410回目のネトラレ解決辺りに誤字報告が来てたけど、何のことか分からないでござる。よく分からんけど、可能な限り書き加えておきました。


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【あらすじ】
唐巣神父と接触するために、
隠し続けていた自身の存在を心眼は明かし、
横島の恥ずかしいセリフでメンタルブレイクされました。


<502回目>

 教会にいるのは唐巣神父・タダオ・タダオの母親の3人だ。タダオは「オレの中にいる心眼を外に出してあげたい」と願い、タダオの母親は「タダオの中にいる物を調べて欲しい」と願っている。

 問題となっているのは私をタダオから出すのか否か、そして私を除霊するのか否かだ。私を外に出せるのならば出し、出せないのならば除霊か現状維持となるだろう。そして、母親とタダオの双方から話を聞いた神父は、目を閉じて思案する。私を除霊するのか否かを考えているのだろうか。

「最後に、心眼君の話も聞こうか」

 意外な事に、そう神父は言った。どうやら、私が考えているよりも危機的な状況ではないようだ。わざわざ神父が会話を試みるのは、タダオの中にいる私を調べる方法がないからだろうか・・・いいや、そうでは無い。親の望み通りにするのではなく、タダオにも話を聞き、さらに私にまで話を聞こうと言うのだ。神父は関係者の事情を理解した上で、対処の方法を決めるつもりなのだろう。破門になったとは言え、神父と呼ぶに相応しい人物だ。

「そんじゃオレが心眼の代わりに喋ります」

 タダオが肉体に受ける感覚を共有しているものの、私は肉体を動かせない。なので神父が問い、タダオの肉体を通して私が問いを聞き、私が答えをタダオに伝えて、タダオが神父に答えを言わなければならなかった。それを母親が見れば、タダオの一人芝居に見えるだろう。

 

「心眼君はタダオ君と産まれた時から一緒にいるそうだね。その前の記憶はあるのかな? 例えば夢で、見たことのない風景を繰り返し見たことはあるかい?」

「タダオが産まれる前の記憶はありません。その代わりに、産まれた瞬間から今までの全てを完全に記憶しています。夢を見たことはありません。タダオが寝ている間も、ずっと私は起きているので夢を見ることはありません・・・って、ずっと寝てなかったのか! オレと一緒に寝てるのかと思ってたぞ」

 「それは大変だったね。ずっと眠れなかっただなんて・・・皆が眠っているのに自分だけ眠れないのは苦しかっただろう」

 「私は他人と違って眠る必要がないので苦しくはありません。眠らないという事も、私にとっては当たり前の事です」

「それは凄いね」

 神父と話す中で分かった事がある。神父は気配りのできる人だ。仕事の都合で引っ越す予定だった事を100回以上繰り返しても、うっかり話してしまうタダオの父親とは違う。タダオが気に負わないように、言葉を選んでくれていた。

 例えば「タダオ君が眠っているのに自分だけ眠れなかった」という意味の言葉を「皆が眠っているのに自分だけ眠れなかった」と言い換えているのだ。もしも「タダオ君が眠っているのに自分だけ眠れなかった」と神父が言っていたら、その事をタダオは気に病んだかも知れない。

 それに話の聞き出し方も上手い。タダオと神父が話している時に思った事だが、質問のために会話をするのではなく、会話を行いつつ情報を引き出している。他人の相談を聞くことに慣れているのだろう。まさか、これほど神父のコミュニケーション能力が高いとは思わなかった。タダオの親よりも神父の方が、タダオのために役立つに違いない。

「産まれた瞬間から今までの全てを完全に記憶していると言うのも凄いが・・・もしかして、学校で受けるテストの答えも覚えていて、タダオ君に教えたりしているのかな?」

 冗談を言っているような口調で、神父は私に問う。これが最後の質問だろう。要するに、私の存在はタダオにとって不利益か否かという事だ。会話で私の意思を探るよりも、事実を確認した方が証拠として信用できる。テストの成績ならば、私やタダオだけではなく、タダオの母親も知っているため確認できるのだ。ならば私ではなく母親に「学校でのタダオ君の成績はどうなのか?」と聞いた方が早いのだが、それを後回しにしたのは話の流れを不自然な物にしないためだろう。

 ここで私は、あえて沈黙する。「テストの答えを教えている」と言えば、タダオの不利益に繋がるからだ。今まで満点だったテストの成績が私による物だと知れば、タダオの母親は何と思うだろうか。きっとタダオに「なぜ言わなかった」「カンニングをしたのか」と怒るに違いない。

 そう考えると私は、ここで答えない方が自然なのだ。そうしてタダオのために沈黙している様を、私は神父に見せる。どうせテストの成績は、タダオの母親に聞けば分かることだ。ならば無効な手札になる前に、有効な手札として使える今の内に、使って置かなければならない。

「ふむ・・・ヨコシマさん、学校でのタダオ君はどうですか?」

「テストの成績は確かに何時も満点です。でも、まさか・・・」

 タダオの母親も私の存在を認めつつあるようだ。その様を見ていると、何とも言えない気持ちになる。こんな気持ちを抱くのは、さきほど言ったように、私の存在が知られればタダオの不利益に繋がってしまうからだろう。下手すると、母親がタダオに向かって「あんたの力じゃないでしょ」と言ってしまう可能性もある。そんな事を言われれば、タダオの心は傷付くだろう。それを私は不安に思っているに違いない。

 

「ヨコシマさん、タダオ君の中に心眼君が居ると考えても良いでしょう。心眼君の存在が霊的な物か、それ以外の精神的な物かという事は気になりますが、心眼君が何なのかという事は後回しにしてください。私の見解では、心眼君はタダオ君に悪影響を与えるような人ではありません」

 予想もしていなかった意外な言葉だ。この神父には驚かされる。私を人だと扱ってくれるのか。タダオの物ではなく、一つの個人だと扱ってくれるのか。神父の言葉に私の心が揺れ、その動揺がタダオに伝わる。私の感情を感じ取ったタダオは、それを神父に伝えた。

「心眼が喜んでます」

 その言葉に私は、また驚く。私は喜んでいるのか。神父の言葉を、私は嬉しいと思っているのか。何を嬉しいと思っているのだ。人だと認められた事を嬉しいと思っているのか・・・ああ、それはダメだ。私は人であってはならない。私はタダオの物であらねばならない。私は人でなくていい。私はタダオのために存在しているのだから。

「心眼?」

 私の思念を受けたタダオが困惑している。人であることを私が恐れたからだ。私は肉体の外に、人として産まれる事を恐れた。それはタダオの「心眼を外に出してあげたい」という願いに反する。タダオが望むのならば、私は外へ出なければならない。それは私にとって、とても恐ろしい事なのだ。そもそもの誤りは何だったのか。そうだ・・・私がタダオに嘘を吐いたからだ。だから罰が当たった。

 ああ・・・すまない、タダオよ。外に出たいと言ったのは、神父に会うために口実だ。本当の私の望みは、そんな事ではない。私の人生が繰り返される理由を知りたいのだ・・・いや、それはダメだ。繰り返している事までタダオに伝える必要はない。

 タダオを生き残らせるために、死ぬはずのタダオの代わりに悪霊の餌となった人々がいる。それらの人々に何と言われようと知ったことではない。しかし、タダオが何度も死んでいる事は知られたくない。タダオを何度も見殺しにしてきた事を知られたくないのだ。私が繰り返している事だけは、何としても知られてはならない。

 もしも知られてしまったら、タダオは私に何と言うのだろう。死んでいったタダオは私に何と言うのだろうか。「気にしない」と優しくされるのも、「お前のせいだ」と憎まれるのも、どちらも私にとっては等しく恐ろしい。

 どうしようかと悩んでいた私だったが、いい事を思いついた。霊を誘引するタダオの霊力について相談すれば良い。そのために神父に会いたかったのだ。これは嘘ではない。タダオの霊力について、ゴーストスイーパーである神父に相談する事も私は考えていた。繰り返しの理由を調べるために、そのためだけに神父に会いたいと願ったわけではないのだ。そう考えると、人であると言われて荒ぶっていた私の気持ちは落ち着いた。

「じつは体の外に出たいと言ったのは、両親を説得するための口実で、唐巣さんに会いたいと思ったのは別の理由です」

 私が伝えた思念をタダオが言うと、神父は表情を変えた。怒っているわけではない。私がタダオの視界を通して見た神父は、不信を表していた。タダオが気付かないほど僅かな表情の変化だったものの、少し前までの神父の表情と並べて比べてみれば違いは分かる。

 これは不味い。冷静になって考えてみれば、さきほどの私の発言は話の流れを打っ千切っている。相手に自分を信用させてから要望を言い始める詐欺師ような物だ。さきほどタダオが神父に対して必死に訴えてくれた分、それを不毛にしたような物なので印象が悪い。何かを隠していると思われても不思議ではない。小さな変化も見逃さない、これがゴーストスイーパーという者なのだろうか。味方と思えば頼もしいが、敵と思えば恐ろしい相手だ。

 とは言っても、話を強引に変えた理由であるループに関わる事は話せない。だからと言って嘘を重ねれば、いつか矛盾を暴かれるだろう。この神父を相手に嘘を吐くのは危険だ。ならば話しても良い部分だけ話そう。少なくとも「産まれるのが怖い」と思っているのは本当の事なのだから。

「心眼は産まれるのが怖いそうです」

「そうか・・・安心するといい。人は誰しも、この世に産まれるものだ。それが心眼君は少し遅かっただけなんだよ。君は私が何としても産まれさせてあげよう。この世に君が産まれた時は、私に祝福させて欲しい」

 と言いつつも、神父の持つ不信感は拭われていない。やはり、一度芽生えた不信を取り除くは難しいようだ。もしかすると神父自身も、私に対する不信感を自覚していないのかも知れない。それは直感のような物なのだろう。神父とタダオの話を聞いている母親が、いまだに私の存在について疑っているのと同じ事だ。人は自身が無意識に思っている事を自覚できないのだから。

 

 タダオは霊の存在を知っていても見たことは無い。いつも通っていた通学路に悪霊が現れて誰かを殺しても、私の誘導によって回避していたからだ。それに、私が霊力を抑えて、タダオに霊が見えないようにしている。もしも霊が見えて、それらに狙われていると知ればタダオは不安に思うだろう。タダオは霊を見なくていい。タダオを狙う悪霊達から、私がタダオを護ってみせる。

 私は、そう思っていた。しかし、東京へ引っ越した一ヵ月後に大型の悪霊が現れる。100回以上人生を繰り返しても追跡を振り切れないアレから逃げ切るためには、神父の力を借りる必要があるのだ。その力を借りるためには、タダオが狙われる理由を説明しなければならない。それはタダオの霊力について、タダオに明かすという事だ。

 それは許せない。私はタダオの霊力について明かすことなく、ゴーストスイーパーを引っ張り出すのだ。幸いな事に、悪霊を回避するためタダオに指示を行った実績があるので、信用を得るための下地は整っている。ようは、タダオに霊力が無い物として話せばいいのだ。私がタダオの霊力を抑えている事を、わざわざ話す必要はない。

「タダオは霊に狙われやすい体質と思われます。これまでも私が霊を察知して、回避するように誘導していました。しかし、その影響でタダオは日常生活に不都合な思いをしています。これを解消するために、唐巣さんへの接触を図りました。

 外へ出たいとタダオに訴えたのは、霊に狙われやすい体質だと言っても、タダオの親は信じてくれないだろうと考えたからです。わざわざ悪霊の存在を証明するために、タダオを危険に晒すことは出来なかったので」

「舐めるんやない!」

 突然、タダオの母親が大声を上げる。大人しく話を聞いていると思っていたのに、何だと言うのだ。母親の声に驚いたタダオが、隣に座る母親へ視線を向ける。すると、そこには鬼がいた。ゴゴゴゴゴという擬音が背後に見えそうなほど怒っているのは、タダオの母親だ。思わずタダオは席を立ち、教会の壁側へ退避した。しかし残念、そこは行き止まりだ。というか、何故わざわざ行き止まりの方へタダオは逃げたのだろうか。狭い方が安心できると、タダオは思っているのかも知れない。

「話もせんで決め付けたらあかんで! 話さな何も分からん! 話さんで分かってもらおうなんざ、甘ったれや! タダオも何で、ずっと黙ってたんや!」

「ひぃー! 堪忍してやー! ワイは心眼の言う通りにしただけなんやー!」

 母親に怯えるタダオは、あっさりと私に責任を丸投げした。私の事を隠す必要がなくなったので、容赦なくスケープゴートにしようとしているのだ。さきほど私の事を「好きです」とか「姉ちゃんみたいなものなんです」とか言っていたとは思えない有様だった。

 まあ、それは構わない。私の事を知られないように誘導したのは私なのだから。しかし、一度も試さなかった訳ではないのだ。人生を繰り返す度に何度も何度も説明し、その度にタダオの両親は信じなかった・・・ああ、そう言えば、今回の人生では最初から黙っているようにタダオへ忠告したのだった。わざわざ無駄な手順を踏む必要はないだろうと思って、親へ話す作業を飛ばしたのだ。それが不味かったのだろう。

 次の人生があれば、ちゃんとタダオの親へ話す手順を踏まなければならない。そうしなければ、私だけではなくタダオまで叱られてしまう。しかし子供の頃に話しても、タダオの両親は私の存在を信じてはくれないだろう。今回は私の存在を認めてくれる神父が居るから、タダオの母親も信じようという気になったのだ。

 条件が整わない限り、どうやってもタダオの両親が私の存在を信じてくれないのは、何度も人生を繰り返した私が一番良く分かっている。それなのに「決め付けたらあかん!」とタダオの母親は言うのだ。残念ながら私にとって、タダオの両親は信用に値しない。

 

「タダオ君が霊に狙われていると言ったね。ここへ来る途中で霊に襲われていたのも偶然ではないのかな?」

「タダオの住んでいる地域と比べると、ここは霊の数も質も悪い意味で上がっています。タダオが悪霊に教われる確立は高くなるでしょう。偶然か否かと聞かれても、悪霊に聞かなければ分かりません」

 「ヨコシマさん、このような事は頻繁にあったのですか?」

 「いいえ、今回のように霊に襲われたのは初めてです。それ以前も、タダオが霊に襲われていたという場面は見たことがありません。タダオが霊に狙われやすい体質というのも初めて聞きました」

「お母さんが知らないという事は、これまでは上手く回避できていたという事かな? では、なぜ今回は回避できなかったんだい?」

「東京には初めて来たので、霊の配置を正確に把握できませんでした。そして、さきほど言ったように東京は霊の数も質も上がっているので、今までのようには行かなかったのです。分かりやすく言えば、東京に慣れていませんでした」

 神父は考え込む。何を考えているのだろう。会話の中で気になる事でもあったのか。何が気になったのだろうか。私の中で不安が少しずつ大きくなっていく。これは私らしくない事だ。タダオの体を通して感じる心音が、自分の物のように感じられる。ドキドキと鳴る感覚を受ける度に、私とタダオを分ける境界線が薄くなっているように感じた。

 

「このロザリオを君にあげよう。それを手に持って主と聖霊に祈れば、悪霊から君の姿を隠してくれる。ただし、信じなければ主と聖霊も君を守ることはできない。主と聖霊を信じて祈るんだ。そうすれば主と聖霊は応えてくれる」

 神父は小さな十字架の付いたロザリオの数珠を、タダオの手に巻き付ける。それに対して私は霊力を使って見るものの、不自然な所はない。ただのロザリオだ。これで身を護れるとは思えない。きっと気休めのために渡したのだろう。

「・・・いま何かしたかい?」

 神父がタダオに問う。いや、これは私に聞いているのだ。まさかタダオの霊力を使ったために感知されたのだろうか。これまで霊体に感付かれた事はなかったのだが、そうに違いない。次に霊力を使う時は、霊能力者に注意しよう。

 タダオの視界に、タダオを見る神父の目が映る。神父はタダオを見ているのではない。タダオの中にいる私を見ているのだ。急に様子の変わった神父を恐れるドキドキというタダオの心音が、私の気持ちと同調する。

 ああ、神父は私を見てくれているのだ。タダオではなく、その中にいる私を見てくれている。もっと見て欲しいと私は思った。もっと神父に私を見て欲しい。私は、ここにいる。

 

「タダオ君、ずっと話していたから疲れただろう。後は、タダオ君の御母さんと簡単な話をするだけだから、この教会の中であれば自由にしていいよ」

 そんな事を神父は言う。話に飽きていたタダオは、遠慮なく会話の席を立った。神父と母親が話し合う小さな部屋を出て、長椅子の並ぶ大きな広間へ移動する。タダオの中にいる私は当然、神父と母親の話を聞くことは出来なくなった。きっと、私が霊力を使った時に分かった事があるのだろう。それは私にとって、良くない事に違いない。

 そうしてタダオは母親と共に家へ戻る。タダオは翌月に再び、神父の下へ行くことになった。東京までは私のサポートがあればタダオ一人で行けるものの、次も母親が同行するそうだ。さらにタダオが東京を歩くのは危険なので、わざわざ神父が迎えに来てくれると言う。これは次に会う時、なにか有ると思った方が良い。

 それが分かっていても私の気分は良かった。頭の中で鼻歌が聞こえると、タダオに言われたほどだ。結局、なぜ神父に会うのを妨害されたのか分からなくても気にならなかった。次に会う時、神父に除霊されるのかも知れないと考えても気にならなかった。そんな事よりも、早く神父に会いたくてたまらない。これは、きっと恋なのだ。私は神父に恋をしている。

 ああ、そういえば神父の名前は何だったか。忘れている訳では無いものの、最優先なのはタダオだったので、他人の名前は分かり易いように役割で呼んでいたのだ。例えば『タダオの親友』は銀一、『タダオの思い人』は夏子、『タダオの父親』は横島大樹、『タダオの母親』は横島百合子。そうだ・・・初めて神父を見たテレビ番組のドキュメンタリーで名前は紹介されていた。彼の名前は唐巣和宏だ。

 

 

 

loop number 502 → 502




<if 統合失調症の少年>
 ボクの姉の事です。双子です。
 生まれてから、ずっと同じ家にいます。
 以前から、弟であるボクに対して、エッチな嫌がらせをしたりしていましたが、最近はそれがエスカレートしています。
 ボクの部屋と姉の部屋は、本来続き間ですが、襖を閉め家具を置くことで分けています。建具では、壁のような防音効果は無く、お互いの立てる物音が全て筒抜けになります。平日の姉は、ボクが起きる時間より1時間〜30分早く起きて、ボクの顔を見つめています。
 ボクが起きて階下へ降りると、後から降りてきます。ボクが二階へ上がると、直ぐに二階に上がって来て、ボクの部屋の前で気味の悪い声を上げて笑い、扉の隙間からボクの様子を覗きます。
 朝の支度で、何度も二階と一階を行き来する時も、その度に同じく付いてきます。洗面所を使うと、直ぐ後に洗面所を使います。手が汚れたりして洗いに行くと、直後にまた姉が手を洗いに行きます。
 小学校から帰り、コンビニで買った夕食を独りで摂っていると、キッチンに近い洗面所で、ボクの歯磨きを使って歯磨きをしにきます。食欲の無くなる音なので、磨き終わってから食べようかと席を外すと、歯磨きを止めて、再び私が食事を始めるとまた歯磨きに来ます。
 ボクよりも先にお風呂に入りたいらしく、常にタイミングを見ています。ボクの直前に入った時は、ボクが入ってくるまで出てこなかったり、ボクをお風呂に連れ込もうとしたりと、嫌がらせをします。
 夜中にお風呂に入り二階へ上がると、電気の消えている一階のどこかで姉が待っており、直ぐに二階へ上がって来て、気味の悪い笑い声を上げていきます。夜中に水を飲みに一階へ行き部屋に戻ると、こっそり付けて来ていた姉が一階から上がってきます。
 ボクが休もうと電気を消すと、それまでテレビを見て笑っていても、直ぐに電気を消して、ギシギシと一通り大きな音を立ててから眠るようです。
 小学校が休みの日には、いつにもまして早起きし、早朝からボクの顔を見つめます。ボクが起きるまで、見つめるのを止めません。それでも起きないと、頬を突き始めます。なるべく大きくて嫌な音が出るように工夫しているらしく、頬の上をハアハア言いながら何十分もなぞったり、同じ場所を1時間以上突いていることもあります。
 ドアも、壁にかけてある物が弾むほどの勢いで開け閉めします。ボクが完全に起きると、音は止みます。(ボクは耳栓を使っています)
 そしてボクが休みの日だけ、布団を干します。
 物干し竿を全部使い、ありとあらゆる物を干し、ボクの物が干せないように塞いでいきます。雨上がりでも干しています。またある日は、天気が良くても布団を干しません。ボクが干していると、網戸に張り付くようにして見ており、また気味の悪い声を上げて笑います。
 ボクが掃除機をかけていると、急いでやって来て、その廊下に座り込んで動かなかったりします。
 他にも、毎日細々とした嫌がらせを沢山受けています。
 今は、完全に無視して暮らしていますが、いつまでもこんな事を続けていると、ボクの方がおかしくなりそうです。
 無視していても、何かが姉を激高させて、激しく殴られたり首を絞められたりした事もあります。
 家には姉しかおらず、誰もいさめる事ができません。

<if 神父から見たタダオの霊力>
 教会を訪れたタダオ君の手にロザリオを巻く。
 その時、私は寒気を感じた。冷たい風が吹き抜けたと錯覚してしまうほどの寒気だ。危険を感じ取った私の体は静かに戦闘状態へ移行し、タダオ君やヨコシマさんに気取られないまま意識を研ぎ澄ます。今のは霊気による物だ。誰かが霊力を使い、その霊波が駆け抜けた。しかも、すぐ側で発せられた物だ。
 辺りを見回すものの変化はない。タダオ君の母親であるヨコシマさんやタダオ君、教会の内部にも異変は見つからなかった。そうしている間に警鐘は止み、何事も無かったかのように治まってしまう。しかし、何事も無かったと言うのは有り得ない。たしかに私は感じたのだ。
 それは怒り・憎しみ・悲しみ・呪い、そういった感情の全てを押し潰して固めたような気味の悪い霊気だった。数々の悪霊を祓ってきた私ですら、あんな物は感じた事はない。10年や100年ではない、まるで何千年も掛けて凝り固まったような負の思念が放たれていた。あんな霊波を放出していれば、負の思念に引かれた悪霊が集い、手に負えない規模の霊団を形成しかねない。
 そこで私は思い至った。さきほど、その話を聞いたばかりではないか。霊に狙われやすい体質だと。なるほど、あんな霊波を放出していれば悪霊に狙われるのは道理だ。しかし、負の感情を溜め込んでいるように見えないタダオ君が、強い負の思念を抱いているとは思えない。
 そもそも、さきほどの霊波は生きている人の放てる物ではないのだ。下級魔族の魔力だと言われた方が納得できるほど禍々しい。あれは人ではない、あんな物が人であるはずがない。あれと同等の物を人が放とうと思えば、化け物になるしかないのだ。矛盾している例えだが、やはり人に放てる物ではない。
 人は何千年も生きる事は出来ないのだから・・・いや、居た。そう言えばヨーロッパの魔王と呼ばれたドクターカオスは1000歳を越えているそうだ。なるほど。これほど禍々しい霊波を放つ者ならば、魔王と呼ばれても不思議ではない。彼のドクターカオスも下級魔族に匹敵するほどの力を持っているのだろう。
 そう考えた所で無意識の内に頭を振り、私はタダオ君を見つめた。負の思念を持つ者は、タダオ君の中にいる。タダオ君に心眼と名付けられた何かだ。少なくとも、タダオ君の心から生まれた物ではない。こんな物が人の心から生まれるはずがない。心眼君は外部からやってきたのだ。あるいは、タダオ君の前世と繋がっているのだろう。
 これは良くない。1つの肉体に2つの魂は収まらない。互いに同調して同化するか。もしくは反発して殺し合うか。不味い事に、どちらもタダオ君に良くない影響を及ぼす。あんな禍々しい物とタダオ君が同化して、良い影響が出るはずがない。反発した場合は言うまでもなく、タダオ君の意識は食われるだろう。
 早ければ早い方がいい。タダオ君と心眼君を分離するのだ。分離できないようであれば除霊する。タダオ君の自我が成長するほど、同化や反発の起こる危険性は上がるだろう。そうなる前に対処しなければならない。


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【あらすじ】
ゴーストスイーパーの唐巣神父と接触し、
タダオを狙う悪霊について相談しましたが、
うっかり霊力を使ったので怪しまれました。


「悪霊よ、退け! お前は私の邪魔をする者だ。主のことを思わず、人のことを思っている。悪霊よ、退け! さもなくば主と聖霊を拝み、ただ仕えよ」

 右手に持った聖水をタダオに振りかけ、左手に持った聖書を読み上げる。これが唐巣さんの除霊方法なのだろう。唐巣さんが聖書が読み上げる度に虚空から光が湧き出て、タダオの肉体に染み通る。唐巣さんは自身の力ではなく、神や聖霊と呼ばれる存在から力を借りているのだ。これならば霊を誘引するタダオの霊力を使うことなく、悪霊を除霊できる。

「立ち帰れ! 立ち帰れ! お前達の悪しき道から。お前は生きている。主と精霊は貴方の死を喜ばない!」

 唐巣さんは聖書のページを捲りつつ、そこに書かれている聖句を読み上げる。その聖句の内容から察するに、聖句の内容によって発揮される効果は違うようだ。タダオの中にいる私を除霊するために、有効と思われる聖句を選び、次々に読み上げている。

 しかし私に影響はない。痛みも何もないのだ。儀式の始まる頃は緊張していたものの、今は儀式が終わったら唐巣さんの除霊方法を学びたいと思っている。最初は正座していたタダオも脚を崩し、今は腰を落としていた。儀式が終わるまでタダオが暇そうなので、過去に見た映画のイメージを伝える。気合を入れて儀式を行っている唐巣さんには悪いと思うものの、タダオが喜んでくれたので良しとしよう。

 

「産まれた時から一つの体にいたせいで、引き剥がせないほど精神が融合しているのか・・・いや、それにしてはタダオ君と心眼君の意識が明晰だ・・・もう少し強めにやれば・・・いやいや、下手をすればタダオ君の意識が失われてしまう・・・やるにしてもタダオ君の精神が成長してからでなければ・・・しかし、時間が経てば経つほど精神が成長し、競合の起こる危険性が・・・」

 何やら除霊に失敗して落ち込んでいる唐巣さんに対して、「そんなの知ったこっちゃないね!」という感じで私は、除霊方法を教えてくれるようにタダオを通して頼んだ。すると唐巣さんは疲れた顔で「それはいいね」と言ってくれる。疲れているのに子供の我がままに付き合ってくれるなんて、唐巣さんは良い人です。

 小学校を卒業すると、いつもと同じ教師の推薦によって東京の高学力校を受験する事になる。そのためタダオは唐巣さんの教会へ引っ越し、受験に合格すると教会から通学するようになった。その事にタダオは前向きでは無かったものの、ちょっと霊気を漏らして悪霊を引き寄せてみると納得してくれた。

 どうなったのかと言うと、悪霊によって教会の扉がドンドンと叩かれたり、ドーンと吹っ飛んだりしたのだ。霊の見えないタダオは死ぬほど怖がっていた。もちろんタダオに怪我は負わせていない。引き寄せた悪霊は唐巣さんに除霊してもらったからだ。これも唐巣さんが居るから出来ることだろう。唐巣さんには、いくら礼を言っても足りない。と思って唐巣さんを見たら、タダオの中にいる私をジーと見ていた。バレテーラ。

 これまでのタダオは霊を見たことがなかった。見えないまま殺されていった。見えない何かに殺されるのは、とても怖ろしかっただろう。しかし、今回のタダオは霊と戦う準備が出来ている。それは唐巣さんの力を借りるために「タダオが霊に狙われている」と私が言ったからだ。

 もうタダオが霊に狙われている事を隠す必要はなくなった。引っ越しの一ヵ月後に現れる大型の悪霊から逃げ切るためだ。なのでタダオが訳も分からず殺される事はないだろう。ただし、タダオに霊力は無いという事になっている。私がタダオの霊力を抑えているからだ。なので私が霊の場所を探知して伝え、タダオが回避するという事になった。

 今のタダオのように、前ループのタダオに悪霊の場所を教えていれば死なずに済んだのだろう。しかし、霊が回避できる物であれば私は回避する。悪霊に狙われているという事実を知らないままタダオが生きて行けるのならば、その方が良かったのだ。ならば悪霊の存在を教えるわけにはいかなかった。

 悪霊に襲われたタダオが「助けて!」と私に叫んでも、一気に霊力を放出して悪霊を脅かす以上の事はできなかった。それを霊の数が多い東京で行えば悪霊に包囲されるので、ここでは霊力の放出もできない。今の私に出来るのは霊の位置を教えることだけだ。

 ああ・・・分かっている。何もかも言い訳だ。唐巣さんに助力を求めようと思った500回目のループまでは、タダオを霊に関わらせる必要は無いと思っていたのだ。あの犬に似た大型の悪霊さえ現れなければ・・・。

 

 東京へ引っ越して一ヶ月後、難関である大型の悪霊が教会を襲撃した。教会の壁をゴンゴンと叩く音がすると思ったら、少し前に修理された教会の扉を吹っ飛ばして、巨大な犬のような悪霊が現れたのだ。おそらく教会の壁が予想以上に堅かったので、脆くなっていた入口から入るしか無かったのだろう。もしかすると、タダオの霊力で誘引した悪霊の襲撃に懲りて、唐巣さんが教会に霊的な防御法を張っていたのかも知れない。

 悪霊が事前に壁を叩きまくってくれたおかげで、襲撃に気付いた私達は準備が整っていた。タダオは教会の奥にある部屋で隠れ、唐巣さんが広間で悪霊を迎え撃つ。なので唐巣さんが戦う所は見れなかったものの、大型の悪霊は唐巣さんによって除霊された。おかげで教会は強い地震が起きたら崩れそうな有様だ。広間に散らかった長椅子の破片を片付けている唐巣さんとタダオは大変そうだった。

 そして唐巣さんは無料で除霊をするような人なので、修理に金を使えば食費が無くなってしまう。なので中学校から帰ってくると、私の指示を受けつつタダオが教会を修理する事になった。時間があれば長椅子も作ろうとは思うものの、しばらくの間は教会に長椅子は無く、広間は空っぽのままだろう。

 

 悪霊の位置をタダオに伝える事で、タダオは死ななくなった。そこに居ると分かっていれば慌てず騒がず、反対側に逃げれば良いのだ。私のサポートがあれば楽に逃げ切れる。しかし、悪霊から逃げ回っているタダオを見ていると、これで良かったのかと疑問に思ってしまう。悪霊の存在を知らなければ、悪霊に怯えて逃げ回ることは無かったのだから。

 そうしてタダオが死ぬことなく月日は流れ、ついにタダオは中学校を卒業した。小学生の頃の思い人と交わしていた文通はタダオに恋人ができた事で途切れ、その恋人はタダオを狙った悪霊に巻き込まれて殺され、煩悩を活力として生きていると言っても間違いではないタダオは3年掛けても主や聖霊の力を借りるには至らず、霊力を使えないという事になっているタダオは、霊力を必要としないオカルトグッズしか用いる事はできず、悪霊と戦う効率的な手段を得られないまま有名な高等学校へ進学する事になった。封印符という悪霊を吸引する物もあるが、日常的に使えるような値段ではない。

「タダオ君、君の入学する高校の近くに白龍会という道場がある。ゴーストスイーパーの育成を目的とした道場だ。その気があれば覗いてみるといい」

「分かりました、唐巣先生。3年間、ありがとうございました」

「心眼君もさようなら。また会おう」

「ええ、また必ず、会いに来ます」

 お前誰だよ、と突っ込みたくなるくらいタダオは変わってしまった。唐巣さんの影響は少なくない。しかし、それ以上に悪霊から逃げ回る日々が、肉体でタダオの煩悩を満たしてくれた恋人を悪霊に奪われた事件が、タダオの精神に傷を付けて歪に成長させてしまったのだ。霊に関わらせなくないと思っていた私の、不安通りになってしまった。やはりタダオを霊に関わらせるべきでは無かったのだ。

 私にとっては生温い3年間だった。肉体を持たない私は唐巣さんと接触できない。タダオの内から唐巣さんを見ている事しかできない。出会った時以上の関係になることはなく、出会った時以下の関係になることもなかった。あいかわらず私が霊力を放出すると、唐巣さんはタダオの中にいる私を見てくれる。しかし、それ以上の関係になる事はなかった。ああ、どこからか破滅の足音が聞こえる。

 

(なあ、心眼。オレ、お前の記憶を頼りにするのは止めようと思ってるんだ)

 入居した学生寮でタダオは、その意思を私に伝えた。なぜだろう、理解できない。そんな事をすればタダオは生きていられない。私が答えを教えたから、タダオは良い点数を取ることが出来たのだ。その私が答えを教えなければ、これまでのように満点を取ることは出来ない。天才と言われたタダオは、何もできない凡人に落ちる。我欲を禁じている唐巣さんの影響を受け過ぎたから、そんなバカな事を考えるようになってしまったのだろうか。

(ひでーな。そんなにオレは頼りないのか? まあ、そうだろうな。惚れた女を巻き込んで、目の前で死なせたオレだ。確かに頼りねー。

 だから、お前に頼るのを止めるんだ。お前に甘えたままじゃ、いつまで経っても一人立ちできない。お前が要らないって訳じゃないんだ。お前が嫌いになったって訳じゃないんだ。ただ甘ったれな自分が許せないだけなんだ。

 お前はオレに甘いからな。つい頼っちまう。それじゃダメだって、そう思ったんだ。だから心眼、オレは自分の足で立てるようになりたい)

 要らないのでは無いとタダオは言う。しかし、タダオが私に頼らないのは、私にとっては要らないと言われたに等しい。一人立ちしたいと言うのは、自分の足で立てるようになりたいと言うのは、私の力を借りないという事だ。ああ、分かっていない。タダオは何も分かっていない。御主が私を否定するという事は、自分自身を否定するという事なのだ。

(大げさだな。悪霊の探知は御前の仕事なんだから、全く頼りにしない訳じゃないだろう。お前が居なかったら、とっくの昔にオレは死んでいたさ)

 互いに依存しなければ、御主と私は生きて行けない。片方が一人立ちすればバランスは崩れ、台無しになってしまう。どうか止めてくれ。このままで私はいたいのだ。御主のために私は存在しているのだ。それなのに御主に頼られなくなれば、私は存在する理由がなくなってしまう。

(心眼、お前も一人立ちしなくちゃいけないんだよ。自分の存在理由や行動原理を他人に丸投げしちゃいけないんだ。何もかも他人のためじゃなくて、自分のためにしなくちゃいけない。理由を他人に任せていれば、自分の進みたい道を見失ってしまうんだ)

 タダオのくせに分かった風な口を利くな。御主に何が分かる。私と違って愛され育った御主が、何を偉そうに説いているのだ。お前も一人立ちをしろだと? さんざん私に頼っておいて、今更そんな事を言うのか。自身にとって都合の良い時に限って依存を止めるなど勝手なことだ。自分は依存しておいて、私は依存するなと言うのか。

(おいおい・・・お前だって好い歳だろ。もう、そんな歳じゃねーんだよ)

 バカな事を言うな。私が何歳だと言うのだ。合計3000歳ほどか・・・いや、こんなことを言っても御主は分からないだろう。何しろ御主には言っていないからな。さきほど私が好い歳と言ったな。まさか御主と同じ歳だとでも思っていたのか。そんな事はない。そんなはずが無いだろう。まだ私は、この世に産まれてすらいないのだぞ。まだ私は御主という母体の中から、生まれてすらいない。どうして私を産んでくれなかった。なあ、母よ。

(初耳だー! オレが母親だなんて聞いてねーぞ、心眼! だいたい、産まれるのが怖いとか何とか言ってたのは御前じゃねーか!)

 母というのは物の例えだ。しかし、親であることに違いはない。私にとって御主の父と母は祖父と祖母だ。とは言ってもアレを祖父や祖母と思ったことは無い。私にとって最も大事なのは御主だ。御主以外の生物は、どうなっても良いと思っている。なにしろ御主は私の母体なのだから。

(いや、それは嘘だろ。つい最近まで唐巣さん唐巣さんって先生に御執心だったじゃねーか。お前は自分を見てくれる人が欲しかったんだろ。オレ以外で最初に自分の存在を信じてくれたから唐巣先生を好きになったんだ。刷り込みみたいな物だな。でも、オヤジとオフクロは最初に信じてくれなかった。だから子供の頃、自分のことを誰にも話さないようオレに忠告したんだろ)

 そうだな。そうかも知れない。きっと御主の言う通りなのだろう・・・もういい。ばーかばーかきらいさいてー。タダオなんて知らない。テストで0点とって皆に見放されてしまえば良いのだ。ああ、昔は「好きです」とか「お姉ちゃんみたい」とか言って可愛かったと言うのに、どうしてこんな変わり果てた姿になってしまったのだろう。月日って言うものは残酷だ。

(うるせー! それは言うんじゃねー! お前が頭の中で唐巣さん唐巣さんって唐巣先生を呼んでる時、どんだけオレが微妙な気分だったか分かってねーだろ! 気分は姉の恋人が中年の親父だった事を知った中学生じゃ!)

 私は寝るのだ。起こさないで欲しい。

(いつだったか忘れたけど、寝る必要はないって言ってたじゃねーか!)

 あー、あー、聞こえないなー。

(そうかよ。じゃあ、少し黙っててくれ)

 私が黙っているとタダオは電話を掛けた。相手はタダオの両親だ。これから会いに行くことを伝え、タダオはバッグに荷物を詰め始める。しかし、私の記憶によればタダオの両親は外国にいるはずだ。タダオが掛けた電話も何気に国際電話だった。いったい何故、両親へ会いに行くのだろう。嫌な予感がするものの、初めての事なのでタダオの行動が読めない。

 タダオは飛行機を予約し、外国へ渡った。滑走路だけで待機所すらない飛行場で、タダオは両親と再会する。とは言っても、タダオの父親が海外へ転勤したのは最近で、タダオは少し前に両親と対面して別れの挨拶をしていた。まさか両親も、タダオが海外まで会いに来るとは思っていなかっただろう。タダオが両親に会うのは、それほどの用事ということだ。

「心眼の力に頼りたくないって言ったら、心眼が愚図り出したんだ。心眼が居ないとオレは凡人だとか、オレに頼られなければ存在する理由がないとか、オレは依存しておいて自分は依存するなと言うのかとか、この世に産まれてすらいないとか、どうして産んでくれなかったとか、オヤジとオフクロは親じゃなくてオレが母親だとか、オレ以外の人間なんてどうなってもいいとか・・・どう思う?」

「子供だな」

「子供ね」

 なんという外道だ。これが人間の遣ることか。タダオの両親の前で、それを言うとは思わなかった。タダオの両親の言った子供という感想が、私の心に突き刺さる。恥ずかしくて、苦しかった。しかし、なぜ私は恥ずかしいと思っているのだ。なぜ私は苦しいと思っている。タダオ以外の人など知った事ではないと言うのに、なぜかタダオの両親の言葉は私の心に傷を付ける。

「やっと本音を言ってくれたな。ずいぶん時間が掛かったもんだ」

「心眼、あんたも私達の子供なんだよ」

 そう言ってタダオと両親は抱き合う。こやつらは何をやっているのだ。そこに私は居ないと言うのに、御主達と同じ場所に私は居ないのだ。両親の温もりを感じるタダオの感覚を共有しているものの、私が抱き締められている訳ではない。抱き締められているのはタダオであって私ではない。

「仕方ないだろ。御前に体はないんだから。ちゃんと欲しいって言わなかった御前が悪い。だから今はこれで我慢してくれ。日本に帰ったら唐巣先生と相談して、御前の体を作ってやるから。唐巣先生に頼んでもダメだったら、オレが御前の体を作ってやる。いつか御前が一人で立てるように、オレが助けてやる。これまで御前がオレを助けてくれたようにな」

 簡単に言うな。唐巣さんに出来ない事が、御主に出来るものか。霊力も何もない御主には何もできない。そもそも御主から私を分離する必要があるのだ。それは唐巣さんにも出来なかった事だ。3年の間に何度、唐巣さんが私の除霊を試みたのか、御主は知っているだろう。

「心眼が協力してくれれば、意外に簡単かも知れないぜ」

 そんな訳はないと思っていると、タダオから思念が伝わってきた。タダオは私が霊力を抑えていると気付いているのだ。私が霊力を放出すれば、簡単に行くと思っている。それは違う。私が霊力を抑えているのは、タダオの霊力が霊を引き寄せるからだ。儀式の間に霊力を放出しても、悪霊の群れに取り込まれるだけだろう。

 しかし説明しなければ、このバカ者は分からない。そうしてタダオの霊力について伝えれば、タダオは悪霊を自身の目で見たいと思うだろう。自身に霊力があれば戦うことだって出来るかも知れない。そうなれば、さらに私を必要としなくなる。記憶に頼らず、霊力に頼らず、最後は私に頼らなくなる。ならば霊力を放出する訳にはいかない。それに、恋人を殺されたのだから、タダオは悪霊と戦おうとするだろう。それはタダオによって最良の未来とは言えない。

(心眼は霊力を抑圧してるんだろ。それって霊力を圧縮して防護壁みたいにしてるって事なんじゃないか。だから唐巣先生の儀式じゃ、お前に干渉できなかった)

 そんな訳はない。霊力が防護壁のようになっていたのならば、悪霊の干渉も防げたはずだ。下級魔族も退ける実力を持つ唐巣さんの力で、私に干渉できないはずがない。逃げずに済むほどの防御力が自身の体にない事は、悪霊から逃げ続けた御主も良く分かっているだろう。

(唐巣先生は、オレの体や魂に悪影響が出ないよう手加減してただろ。心眼に干渉できなかったのは、たぶん唐巣先生の出力不足だ)

 そんな事やってみなければ分かるまい。ああ・・・やってみなければ分かるまい。己の墓穴を掘ったか。分かった。良いだろう。それがタダオの望みならば、それを私は叶えなければならない。好きにするといい。私は御主のために存在しているのだから、御主の望みを叶えよう。

(お前が叶えるんじゃない。オレが叶えてやるんだよ)

 タダオと両親は共に食事を行い、翌日にタダオは飛行機で日本へ向かった。しかし、その途中でタダオの乗る飛行機は、空を飛ぶ巨大な妖怪の内部に取り込まれてしまう。悪霊ではなく妖怪だ。まさか時速1000キロで雲の上を飛んでいる飛行機が襲われるとは思わなかった。

「ぎゃー! このままじゃ死んでまうー! いやじゃー! 妖怪の腹の中でグズグズに溶かされて死ぬなんて嫌じゃー! そうだ! おい、心眼! 霊力を出せ!」

(ここならば霊力を放出しても悪霊は寄ってこないだろう。しかし、霊波によって光るだけだ。驚かせるだけでダメージも何も与えられない。むしろ妖怪の栄養になるかも知れぬぞ)

「そんなのやってみなきゃ分かんねーだろ! いいから、やれー!」

 やれと言われたのならば、やらねば成るまい。私はタダオの霊力を放出した。その瞬間、タダオを中心に衝撃波が広がる・・・いや、違う。これは結界なのだろうか。タダオを中心として広がる球のような物が現れた。それは飛行機の座席を人ごと壁に押し退けて潰す。

 退けられたクッションが破れ、骨組みの金属が潰れた。人の体は始めに骨が折れ、次に肉が潰れて中身が飛び出す。それらクッションの綿や金属の破片、骨の破片が刺さった人の肉片を引き連れて、球のような物は飛行機の壁を内側から圧し破った。

 機体が割れてバラバラになる。さらに球のような物は広がり、飛行機を丸飲みにした巨大な妖怪の体を押し退けて風船のように膨らませた。ゴムのように伸びた妖怪の体は一瞬だけ耐えたものの、限界を越えて破裂する。そして球のような物が消えると、宙に浮くタダオと空気だけが残った。

「のわー!」

 しかし、ここは高度1万メートルだ。飛行機を失えば、地面に向かって落ちていくしかない。さきほどの現象には驚いたものの、これは無理だろう。いや、地面に衝突する寸前に、もう一度霊力を放出すれば・・・と思っていたら空間が歪み、とても言葉では言い表せない形容し難いものが現れた。それを見たタダオの思念は意味不明な怪電波を発信し、私の思念に応えなくなる。何事かと思っていると、意味不明なタダオの思念と共に、タダオの記憶が私に流れてきた。まるで、死に瀕した時に見えるという走馬灯のようだ。

 どうやらタダオの霊力は、外宇宙の怪物を呼び寄せてしまったらしい。やはりタダオの霊力は封印するべき物だと再確認する。あんな物が出てきたら、視界に入れただけでタダオが発狂してしまう。そうして落下するタダオの体は怪物と接触し、肉体の死と共に私も死んだ。

 

<503回目>

 また私は産まれた。いいや、そうでは無い。この世に産まれたのはタダオだ。これから両親に抱き上げられるのはタダオであって、私ではない。私はタダオの中から、タダオの人生を見上げることしか出来ないのだ。タダオの得た物はタダオの物であり、私の得た物は何もない。

 しかし、タダオは私を「外へ出してやる」と言った。タダオの両親は私も「自分の子」なのだと言った。私は人であることを許されたのだ。タダオのために生きる必要はないと説かれたのだ。そうして私は、ここに居る。何度も繰り返した人生、その全ての始まりの場所へ再び戻ってきた。

 やはり分からない。誰も知らない。私の気持ちなど分かっていない。それは当たり前の事だ。繰り返している事を話さなかったのは私なのだから。では、繰り返している事を話したら、タダオの両親は何と言うだろう。それでも人である事を許されるのだろうか。それでも自分達の子なのだと認めてくれるのだろうか。

 例えば私が生まれたばかりのタダオを殺し、タダオに成り代わったとしても許してくれるのだろうか。タダオの道具ではなく人として生きようとするのならば、タダオを殺そうとするのは当然の事だろう。自分の体を取り戻そうとするのは当然の事だ。なぜならば、それは私の体なのだから。

 1つの肉体に2つの心は納まらない。互いを人だと認め合えば、殺し合う以外に道はないのだ。もしもタダオが私と同じように肉体を動かせず、感覚を共有する存在であれば、私を取り除こうとするだろう。感覚を共有するばかりに肉体の素晴らしさを知り、肉体の操作権を持つ者を羨ましいと思ってしまうからだ。それは誰だって同じだろう。私と同じ環境を体験すれば、誰もが同じように行動するに違いない。

 親から受ける愛情も、親友と交わした友情も、恋人と重ねた愛情も、タダオの物ではなく私の物だ。タダオの体は私に与えられるべき物なのだから、タダオを殺したとしても許されて良いはずだ。私は奪うのではなく、取り戻すのだ。それでもタダオの両親は、私を許してくれるのだろうか?

 ・・・そんな事は有り得ない。私は存在を許されない者だ。許されてはいけない者なのだ。その存在を認めてしまえば、あらゆる非道を行うだろう。もはや今さら、人である事など出来ない。人生の始めにタダオを殺さず、タダオを生かす事を選択した時点で、私の人生は行き詰ってしまったのだ。

 それでいい。そう在るべきだ。そうあれかしと私は、私に言い聞かせる。私は道具でいい。タダオのために最良の未来を引き当てるための道具で良い。それ以上の物であってはならない。己の欲求に従って不相応な高望みをすれば、全てが台無しになってしまう。今さら在り方を変えることなど出来はしない。

 

 さあ、503回目の人生に備えよう。

 私ではなく、タダオの人生に。

 

 

 

loop number 502 → 503




<if タダオの霊能力>
 私は人であっても良いのだ。私は人であることを許された。タダオのために生きる必要はないと説かれた。私を知る者は、私に我慢する必要は無いのだと言う。ならば、私は自由になっても良いのだ。誰にも何にも囚われる事なく、私は私のために人生を始める。善も悪も構わず、私の思うままに生きる。
 まずはタダオの霊能力を使ってみよう。そう思った私は霊力を放出し、赤ん坊のタダオに思念を伝える。放出した霊力に霊が引き寄せられようと、私の知った事ではない。今まで出来なかった事なのだから、今やらなければ意味がないのだ。それでタダオが死んだとしても、また繰り返せばいい。そんな事よりも、今やらなければ後で後悔するに違いない。
 赤ん坊のタダオに伝えた思念は、光で出来た剣状の物が自身の体に突き立つイメージだ。タダオは産まれたばかりで動物のような思考だったため、簡単にイメージを受け入れてくれた。そのイメージを自身が考えた物だと錯覚しているのだ。そうして、私の伝えたイメージ通りにタダオの霊能力は発現する。
 放出された霊力が空中で剣状に集積し、赤ん坊であるタダオの体を突き刺した。タダオは痛みに泣き叫ぼうとするものの体に力が入らず、ビクンビクンと震える事しかできない。タダオの肉体を通して、近くにいた人々の叫ぶ声が聞こえるような気がした。しかし聴覚の精度が悪くて、上手く聞き取れない。タダオを突き刺した剣状の霊力は形を崩し、大きく開いた傷口から血が噴き出る。そんな痛みに耐えられるはずもなく、赤ん坊のタダオは死んだ。
 おそらくタダオが成長すると、剣のような物が自身を傷付けるイメージを恐れるようになる。そうして、自身を傷付けるイメージは拒否されるだろう。しかし、タダオが赤ん坊の今ならば、私のイメージを伝えるだけでタダオの霊能力を発動できる。もちろん、タダオの霊力を放出していなければ使えないものの、霊力の操作権は私にあるので問題ない。
 410回目のループで霊能力を使うために、図書館で調べ物をした事がある。その時タダオが夢中になっていた『暗黒魔闘術』という本に「裏暗黒魔闘術を使用するためには強靭な魂と、それを加工する強い精神力を持つ魂」が必要と書かれていた。それを私は霊能力に言い換えて「強靭な魂の発する霊力と、それを加工する強い精神力を持つ魂」が必要なのかも知れないと例えた。そしてタダオの霊力が十分にある事から、私は私の精神力が足りないと考えたのだ。
 これは今思えば逆だった。なぜ逆に例えたのか。きっと無意識の内に、タダオを己よりも下に置きたいと思っていたのだろう。強い精神力が必要なのはタダオで、私は加工される魂の役割だったのだ。私が霊力を放出し、それをタダオが加工する。前回の人生で飛行機ごと妖怪を退けた力が発動したのも、条件が揃っていたからだ。つまり、どんなに私が霊力を放出しても、タダオの意志がなければ霊能力は使えない。
 ならば、私の思う通りに体が動くように、タダオを人形として育てよう。私が霊力を放出し、私の意思で能力を使うのだ。人形として育てるのに失敗した時は肉体を殺し、リセットされた次の人生で遣り直せばいい。何度でも何度でも、私は遣り直す。私にとって最良の未来を引き当てるために。

<if その後の御話>
――エセ心眼は魔導書である。
魔導書に記録されているため、記憶は劣化しない。
――タダオも人生を繰り返している。
しかし、赤ん坊の脳では記憶できず忘れている。
妙神山の修行で、影法師として肉体をエセ心眼は得るだろう。
肉体を得た心眼は、悪意と同じだけの愛情を込めてタダオを愛す。
このエセ心眼の元となったのは、GS試験で消滅した心眼だ。
しかし、今さら心眼であるとは認められず、小竜姫のキスで生まれる心眼を殺す。
心眼としての知識だけを奪い、己の糧とするだろう。

遅かれ早かれ、神族のヒャクメによって、エセ心眼が人生を繰り返している事は暴かれる。
だからルシオラという魔族を失った時、タダオはエセ心眼に繰り返すことを願うのだ。
そうして何度も繰り返す度に、エセ心眼という魔導書は力を増して行く。
やがてタダオは、自身が魔導書であると知ったエセ心眼と契約を交わす。
タダオも記憶を維持できるようになり、やがて魔神を越えるほどの力を手に入れるだろう。

しかし其れは、また別の機会に・・・。

<if デモンベイン>
 タダオは高等学校を途中で退学した。学歴に傷が付くという教師の言葉に耳を貸さず、同級生に落伍者と笑われながら高等学校を去る。その後、町の外れに横島探偵事務所を開き、近隣住民の抱えるトラブルを解決する探偵となった。
 探偵と言っても、やっているのは家電製品や水道管の修理ばかりだ。これは神父の教会に住んでいた頃に磨かれた技術が役立っている。一日一食の食費に困る貧乏探偵だったものの、近隣住民が野菜や残り物をタダオに差し入れていたので死ぬ事はなかった。
 真夜中に近い時間、タダオは自宅である横島探偵事務所へ帰り行く。電灯を取り替えようとして天井から外そうと試みたものの、外し方が今一つ分からず、電灯が宙吊りになってしまい、タダオに助けを求めた近隣住民がいたのだ。駆け付けたタダオは電灯を住民に代わって取り替え、その御礼として握り飯という晩御飯を手に入れた。
「・・・退け! 避けるのだ!」
 握り飯を口に詰めていたタダオは、少女のように可憐な声を聞く。自分に向かって言われているような気がしたものの、辺りを見回しても人の姿は見当たらない。町外れの住宅区では車通り以前に人通りが少なく、明かりが消えて真っ暗な住宅も多かった。どこから聞こえたのかと考えつつ、握り飯を飲み込んだタダオの上に、人が降ってくる。
 それは少女だった。腰まで伸びた薄紫色の髪、ささやかに膨らんだ胸と尻、そこまでならメインヒロインとして活躍できるほど美しい少女で済んだのだが、その少女の顔に目は一つしか付いていなかった。一つ目少女とでも言うのだろうか。新緑のような翡翠の輝き、それを秘めた瞳が、下敷きにしているタダオを見つめる。
「バカ者め! なにをキョロキョロしておった!」
「ひぃー! 堪忍やー! 出来心やったんやー!」
 一つ目の少女に怒られ、反射的にタダオは謝る。軟体動物のようにニュルリと少女の体の下から抜け出し、自身の両手で少女の脇を持って立たせると、少女の正面に回って素早く土下座する。あまりの速さに目が追い付かなかった少女は、言い知れない気持ち悪さを覚え、土下座をしているタダオの頭を、ついつい踏んでしまった。
 それも仕方のない事だ。下敷きにしていたはずの青年が自身の背後へ消えたと思ったら、後ろから両脇に腕を差し込まれて体を持ち上げられ、驚いて後ろを振り向いたら姿は無く、どこに行ったのかと思ったら正面で土下座していたのだ。とりあえず、これ以上ヘタな動きをされないためにも、タダオの頭を押さえるのは良い判断だろう。
「ちぃ! 御主のせいで追い付かれたではないか!」
 庭もプールもない住宅地に不釣合いなリムジンが急停車した。黒い覆面を付けた男達が下車し、日本では輸入すら禁止されているはずのマシンガンを構える。流れるような早さで銃撃体勢が整った事から、銃器を使い慣れている事が察せられた。それを目に映したタダオの体は考えるよりも早く逃走を選択し、素早く少女を抱き上げる。どこぞのエセ心眼によって霊力の脈動を阻害されない限り、このタダオという男の第六感は尋常ではないのだ。
「ちくしょー! ブルジョワめー! リムジンで乗り付けた上に物騒な物を持ち出しやがってー! せっかく他人の歯形が残ってない飯に有り付けたと思ったら、こんなオチかー!」
「バカ者おろせ! 放さぬか! このままでは防げぬ!」
 障壁を展開しようとした少女だったが、タダオに右へ左へと揺さ振られて意識が遠くなる。このままではマシンガンから放たれた無数の銃弾に2人は貫かれると思われたものの、少女を抱えたタダオは銃弾の隙間を縫うように回避した。
 とても人間とは思えない。それを証明するかのように、銃弾を回避するために稼動するタダオの全身は、上半身と下半身が「く」の字に曲がったり、脚が直立しているのに胴体が真横へ曲がったりと、人体として認識できないほどの体勢を可能としていた。もしも抱えられている少女がタダオの姿を見れば「吹き飛べ、外道が!」とか何とか言って、タダオを地平線の彼方へ吹っ飛ばすだろう。
「Heeey!There boy!It is girl please for me!DO NOT THINK!」
 銃弾から逃げ切ったタダオと少女の前に、大型バイクに乗った白衣の男が立ち塞がる。バイクのエンジンをブンブン言わせながら、落ち着きなくエレキギターをクルクルと振り回す白衣の男は、タダオに向かって英語の文法に似た名伏し難い言語で「その女の子くれよ!(意訳)」と話しかけた。しかしタダオは聞き取れなかったため困惑する。
 次の瞬間、「吹き飛べ、外道が!」という少女の声と共に吹っ飛ばされ、白衣の男は地平線の彼方へ消えた。
「くっ・・・あまりのキチ○イっぷりに、うっかり力を使い過ぎたか・・・」
 少女の顔から血の気が引いていく。「やはり術者なしでは・・・」と言い残して少女は気絶した。この意味不明な事態は何なんだ・・・と頭を抱えたタダオは、とりあえず少女を抱っこして自身の探偵事務所へ運ぶ。まさかマシンガンを持った連中が走り回っている場所に、少女を置いて行く訳にはいかない。
 抱っこした少女の肌から表面の柔らかさと深部の硬さ、人肌の温かさと湿り気を感じながらも、けして下心は無いとタダオは自身に言い聞かせる。いつも寝床として使っているソファーに少女を降ろすと、気絶していた少女は意識を取り戻した。
「おっ、気付いたか」
「ここは?」
「オレの事務所だよ。ここまで来れば安心だろう」
「・・・御主が、私を?」
「ああ、白衣の男が吹っ飛んだ後、急に倒れちまったからな」
「そうか・・・礼を言おう・・・ん?」
 一つ目の少女は起き上がり、タダオに顔を近付ける。翡翠色の一つ目が目前に迫った。思わず視線を下に逸らすと、小さく張りのある少女の胸が見えてしまい、慌てて右に視線を逸らすと、少女の背に付いている一対の羽のような物が見える。その羽はパタパタと動いていた。
「御主・・・冥い闇の匂いがする。魔術師か?」
「ちがうんやー! ワイはロリちゃうんやー!」
 冥い闇の匂いと言われても身に覚えが・・・と思ったタダオだったが、さきほど見た少女の胸を思い出してしまう。これがオレの冥い闇か!と思い立ち、柱にガンガンゴンゴンと額を打ちつけた。タダオが否定したので勘違いか?と思った少女だったが、タダオの首筋に自身の顔を近付け、クンクンと匂いを嗅いでみる。少女の息が首筋に掛かり、タダオを苦しめた。その様を見て、少女は妖しく笑う。
「なるほど・・・生まれつきか。魔との親和性が高いのだな。妖に好まれそうなタイプだ。どうりで一つ目の私を見ても怖がらないわけだ。それどころか気になるのだろう?私の体が。私を見ていると、御主の胸が高鳴るのだろう? より強い魔に、魔は惹かれるものだ。御主と私の出会いは必然であったか。
 しかし・・・そうか。本は持っておらぬ、と。それは良い。見たところ御主は、かなりの資質を秘めておる」
「HAHAHAHAHA!You are good hide!However, I am GREEEEEAT GENIUS!Doctorrrrr WEST!You are DO NOT DECEIVE, It is impooooossibility!」
 いい雰囲気を前触れもなく打ち破ったのは、さきほど空へ消えた白衣の男の大声だった。窓から外を見ると、横島探偵事務所は黒い覆面を付けた男達によって包囲されている。マシンガンを持った数十人の武装集団に対して、タダオは何とか逃げ出そうと身を伏せて床を這った。さきほどと変わらない調子の少女が、そんなタダオに声をかける。
「御主、名を何と言う」
「ん?タダオだ。横島忠夫。そう言えば名前を聞いてなかったな。お嬢ちゃんは何て名前なんだ」
「アルだ。アル・アジフ。私は御主と契約する」
 床を這っていたタダオの顔を、少女の手が包んだ。少女はタダオに顔を近付け、タダオは必死に逃れようと試みる。しかし、床を這っていた体制が悪かったため、残念なことに逃げ切れなかった。その時、神か何かに導かれたかのように雲の切れ目から、魔の象徴である月が垣間見える。近くの窓から青白い月の光が差し込み、タダオと少女を闇から浮かび上げた。
 唇が触れ合い、暗闇に光が生まれる。その真っ白な光はタダオと少女を飲み込み、横島探偵事務所の窓から光が放たれた。それを見た白衣の男は「いかん!撃てぇぇぇ!」と号令を下すものの、放たれた銃弾は光に絡め取られて、空中で動きを止める。その光の中で、アルと名乗った一つ目の少女はタダオに告げた。
「ヨコシマタダオ。我が名をしかと心に刻み込め。我が名はアル・アジフ!
 アブドゥル・アルハザードによって記された最強の魔導書なり!」
 そうして魔導書と契約して魔導師となったタダオは、何者も寄せ付けぬ力で敵を撃退した。しかし、ドクターウェストの持ち出したビルよりも大きな破壊ロボにより、横島探偵事務所はミサイルで木っ端微塵になって、タダオも地面の崩落に巻き込まれる。その後、地下に広がっていた秘密基地っぽい地下通路をタダオは探索し、人型のロボットを発見した。これ幸いとアルが接収もとい強奪し、タダオはロボットに搭乗する。その名をデモンベイン、魔を断つ剣と云う。


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【転生】レイフォンの剣【鋼殻のレギオス】

原作名:鋼殻のレギオス
原作者:雨木シュウスケ


 完全な体が欲しい。

 痛むこともなく、苦しむこともなく、病むこともなく、老いることもない、完全な体が欲しい。

 そう願った妾が手に入れたのは、長剣に分類される剣であった。

 

 この身は剣となった。もはや自力で動くことは叶わぬだろう。手足もなく、頭もない。そんな様であるというのに、妾の「視界」には周囲の状況が映し出されていた。驚いたことに、剣であるはずの妾に外の様子が視えているのだ。まるで妾を見ている第三者の目と繋がっているかのように、周囲の様子が視てとれる。

 妾が視ているのは、車を突っ込ませて壊したような有様の部屋だ。とは言っても、横からではなく上から破壊されてるという違いはある。外側から加わった力によって崩れたと思われる屋根や天井の破片が、石材で固められた床に積み重なっていた。瓦礫を視ると木材は少なく、石材の方が多い。柱の材料として使われていたと思われる鉄材の破片も混じっていた。その事から此処は、森林資源の少ない環境であると妾は察する。

 そのような有様の部屋で、石製の床に2体の赤ん坊が落ちていた。そんな様で大人しくしているはずもなく、2体ともギャーギャーと泣き叫んでいる。妾が居るのは、その片方の中だ。とは言っても、赤ん坊を妾が貫いている訳ではない。人の肩幅ほどの長さしかない赤ん坊の中に、人の両腕ほどの長さがある妾が納まっているのだ。おかしな事に妾という長剣は、赤ん坊の肉体から食み出ていない。しかし妾は確かに、赤ん坊の中にいた。

 いいや、居ると感じているだけだ。妾の視界に映っているのは外側の赤ん坊だけで、その内側にいる妾を映してはいない。ならば実際には居ないのだ・・・妾は何所にいる。妾は此処に居るのか。赤ん坊の中にいる妾が妾なのか、赤ん坊の外から視ている妾が妾なのか、それとも妾は何所にも居ないのか。いいや、そんなはずは無い。妾は、ここに居るのだ。

 

 廃墟のような有様の部屋で、2体の赤ん坊は泣いている。しかし、赤ん坊の様子を見に来る者はいなかった。おそらく、瓦礫の下敷きになっているのが、赤ん坊の保護者に当たる者なのだろう。屋根の支えとして使われていた鉄材に頭部を潰されているため、残っているのは首から下だけだ。あの様では、もう二度と動けまい。

 百度泣いても、赤ん坊を助けに来る者はいなかった。その代わりに壁紙が黒く変色し、灰色の煙が昇り始める。煙は天井まで昇るとクルリと回転し、天井に開いた穴から流れ出た。煙の量と焦げる範囲が少しずつ広がり、やがて小さな火が点る。石材によって形作られた床や壁は不燃物だが、熱を伝えない訳ではないのだ。おそらく、部屋の下で可燃物が燃え、その熱で発火するほど温められているのだろう。

 天井が崩れ落ちていたのは良かった。おかげで煙が充満せず、部屋から抜け出る。赤ん坊は煙に苦しむこと無く、元気に泣き続けていた。しかし、この状態が続くのは良くない。早く救助されなければ、赤ん坊は死体となるだろう。もしも赤ん坊が死んだ場合、妾は存在していられるのか。不安だ。

 痛むこともなく苦しむこともなく病むこともなく老いることもない、完全な体が欲しいと妾は願った。しかし、死にたくないと願ってはいない。ならば死んでも不思議ではない。この赤ん坊の中にいる以上、赤ん坊の死と共に妾も死ぬ可能性は高いのだ。ならば赤ん坊には助かって貰いたい。そう妾は思ったものの、赤ん坊を助けるために動かせる手や足は無かった。こんな様では傍観する事しかできぬ。くやしいのぅ。

 おかしな事に、赤ん坊が何度泣いても助けは来なかった。近くに人は居ないのだろうか。天井の崩れ落ちた部屋に在るのは、2体の赤ん坊と頭部の潰れた死体、長方形の二段べッド2組と落下防止柵のあるベビーベッド1つだ。ベッドの多さから察するに、ここは宿泊施設なのだろう。

「誰か居るのか! 居るのならば返事をしろ!」

 ようやく助けが来たようだ。妾は安心する。未だに赤ん坊はギャーギャーと泣き続けているので、見逃す事はないはずだ。ドタドタと足音が近付いてきたと思うと、部屋の扉が開く。現れた老いた男性は此方を見るとハッと驚き、動きを止めた。しかし、すぐに動き出して、赤ん坊を抱き上げる。

 赤ん坊の側にある死体を見て、老いた男性は動きを止めたのか。しかし、一瞬動きを止めただけで、すぐに動き出した。その後も混乱する事なく2体の赤ん坊を抱き上げた事から察するに、体の一部が欠損した死体を見慣れているのだろう。そんな死体を見慣れる機会があるという事は、なかなか厳しい環境のようだ。これから先の人生に不安を感じる。

 

 老いた男性の経営する孤児院に、2体の赤ん坊は入院した。妾の入っている方はレイフォンと名付けられ、もう一体はリーリンと名付けられた。そうして老いた男性に孤児院で養育され、数人の孤児と共に生活する。6歳になるとレイフォンは老いた男性から武術を習い、錬金鋼という武器を手に持つようになった。妾という長剣ではなく、名前もない片刃の刀をレイフォンは使っている。

 それが気に入らない。身の中に妾は居るというのに、レイフォンは気付いていない。妾に気付かず、安い武器を手に取っている。ああ、気に入らない。その様を視ていると怒りが湧く。そんな物を使う必要はない。御主の中には妾が居るのだ。妾に気付け、妾を見つけろ。ここに妾は居るのだ。何のために妾が居ると思っている。御主に使われなければ、何のために妾は此処に居るのだ。

 そう思った時、レイフォンの持っていた錬金鋼にピシッとヒビが入った。レイフォンは驚き、養父を見る。おそらく『自分のせいで錬金鋼が壊れてしまった』と思い、養父に怒られる事を心配しているのだ。しかし、そうではない。錬金鋼を壊してしまったのは、おそらく妾だ。妾の拒絶する意思が、その錬金鋼を破壊した。妾が剣となって6年、ずっと覗く事しか出来なかった妾が、初めて外界へ干渉したのだ。なんと素晴らしい。器物のように冷えていた感情が沸き立つようだ。

「あ、錬金鋼が・・・ごめんなさい。壊れて・・・じゃなくて、壊してしまいました」

「むぅ・・・いや、古い物だったので劣化していたのだろう。レイフォンのせいではない」

 代えの錬金鋼はない。孤児院の経営は上手く行っていないので、新しい錬金鋼を買う金は無いのだ。修理にも出せないので、壊れた錬金鋼は自力で直すことになる。なので武術の修練は中止となり、レイフォンは養父と共に錬金鋼を直し始めた。しかし結局、素人では修復できないほど壊れていたので、木刀を使って修練を行うことになる。まあ、木の棒程度の武器ならば、見逃してやっても良いだろう。

 

 レイフォンが錬金鋼を握る度に、それを妾は破壊する。そうする事だけが、妾の存在を伝える手段なのだ。しかし、レイフォンは妾の存在に気付かないまま、接触によって錬金鋼が壊れる事実だけを理解した。やがてレイフォンは錬金鋼に触れなくなり、木刀を用いて修練を行うようになる。そうして妾の意志を伝える手段は無くなった。その事に怒った妾が木刀を破壊すると、レイフォンは悲しそうな顔で、バラバラになった木刀の木片を拾い集める。その後、レイフォンは木刀を握ることも無くなった。その時になって、やっと妾は酷い事をしたのだと思い至る。

 妾は失敗したのだ。無暗に武器を破壊するべきでは無かった。妾のせいでレイフォンは幾つもの錬金鋼や木刀を破壊され、その度に出費を強いられた。孤児院の少ない経営費から搾り出された金銭で買ってもらった錬金鋼を妾に壊され、必死になって自力で稼いだ金銭で買った木刀を妾に壊されたのだ。武芸者となって金銭を得ることを期待されていたレイフォンが、武器を握れない様では話にならない。責任を感じて武器を握らなくなるのも当然の話だ。

 ああ、失敗した。このまま妾は誰にも気付かれず、一度も抜かれぬまま死んで行くのか。剣として生まれて、誰にも見られること無く、誰にも使われること無く朽ちて行くのか。嫌だ、そんな事は許せない。妾を抜いて欲しい、妾を握って欲しい。妾の存在をレイフォンに知って欲しい。妾は御主に気付いて欲しかった。

 

 レイフォンが武器に触れなくなって2年後、レイフォンの住んでいる都市で伝染病が流行した。地上に根付いた都市ならば良かったものの、この都市と云うのは巨大な移動要塞だ。外部は汚染された荒野で、内部で生産される資源は少ない。その生産設備で養殖されていた家畜に伝染病が流行し、生産される食料の量が激減した。食料は配給制に切り替わり、武芸者を優先して配給される。

 伝染病の流行が過ぎた後、レイフォンの所属する孤児院も食糧不足に陥っていた。子供達は部屋に篭もって眠り続け、無駄な体力の浪費を抑える。春を待って冬眠するクマのように、養殖設備の生産能力が回復する時期を待っていた。しかし、このままでは冬眠したまま、子供達は永遠の眠りに着く恐れがある。

 そこでレイフォンは再び、錬金鋼を手に取った。その様を覗き視た妾は、レイフォンの中で歓喜する。今度こそ失敗してはならない。怒りに任せて錬金鋼を破壊せず、レイフォンに意思を伝える方法を探すのだ。きっと壊す以外にも、意思を伝える方法はあると妾は信じる。そうでなければ・・・やはり妾は錬金鋼を壊すだろう。妾以外の武器を握る事など、妾は認めない。

 武芸者を優先して食料は配給される。それは都市を襲う汚染獣と戦う役割を、武芸者が負うからだ。錬金鋼を手に取ったレイフォンは、都市外装備という名称の防護服を着る。汚染物質に満たされた都市外へ生身のまま出れば、炎症や壊死を起こし、5分で人は死に至るからだ。子供用の都市外装備で体を覆った8歳のレイフォンは、初めて汚染獣と戦う。その様を視ていると妾は心配だ。2年も武器を振るっていない時期があったレイフォンは、大人よりも大きい汚染獣と戦えるのだろうか。

 

 レイフォンは常人よりも強い力を持っている。剄と呼ばれ、筋力の強化などに使える力だ。誰もが武芸者となれる訳ではなく、剄を作り出す内臓器官を持つ者だけが武芸者となれる。剄のない凡人の腕力では、一番弱い汚染獣に傷を付ける事すら出来ないからだ。その力を使ってレイフォンは、一番弱い汚染獣である幼生体の一匹を倒す。情報を収集できる念威繰者によって倒した数は記録され、汚染獣を倒した賞金が蓄積された。

 妾が思っていた以上に、レイフォンは強い。レイフォンが属しているのは監督者付きの、大勢の中から選び抜かれた子供組だ。その中でも段違いに強い。他の子供達は技量でレイフォンを上回っているものの、その差をレイフォンの持つ力量は覆すのだ。汚染獣を覆う甲殻、その隙間から子供達が致命所を狙う横で、レイフォンは甲殻ごと致命所を叩き潰す。しかも、戦っている間に他の子供達の技量を盗んで、自身の技量を上げていた。

 しかし、事故が起こる。レイフォンの稼ぎっぷりに焦った子供が手を滑らせて、レイフォンの防護服を切ったのだ。自分達の食事代を得るために妨害したのか、空腹で判別能力が鈍っていたのか。故意か過失なのかは兎も角、その子供の稼いだ賞金の一部はレイフォンに分配されるだろう。それでも此処で退けば、十分な食料を得る金額には届かない。戦場から退くか否か悩み、レイフォンは判断が遅れた。

 その時、防護服の傷口からレイフォンの体内へ何かが侵入する。レイフォンは驚き、傷口を抑えた。しかし、フラフラと体を揺らしたレイフォンは、そのまま倒れてしまう。それに気付いた監督者が駆け寄るものの、レイフォンの意識は失われていた。妾の意識も引っ張られる感覚と共に、どこかへ落ちて行く。さて、これは面倒な事になった。

 

 長剣の形を保ったまま、闇の中を妾は落ちる。ここはレイフォンの中だと感じた。いつも外の様子を覗いていた場所が体だとすれば、今から行くのは頭だろう。肉体から精神の領域へ落ちて行くのだ。いったい何所まで落ちて行くのか――ああ、感じる。この先に侵入者が居る。長剣の切っ先を侵入者に合わせて、妾は落ちて行った。

 やがてパリンッというガラスを叩き割ったような感覚と共に、レイフォンの精神へ侵入する。そこではレイフォンと同じ孤児院に住む女の子が、レイフォンの首を絞めていた。たしかアレはリーリンという名前だったか。妾の感覚はアレを侵入者だと教えてくれる。ならば刺し貫くのみだ!

「あら、お客さんかしら?」

 女の子に化けた侵入者はレイフォンを盾にする。しかし妾は構わず、レイフォンごと侵入者を貫いた。すると侵入者は「ギャー!」と醜い悲鳴を上げ、妾の刃で壁に縫い付けられた。狙い通りに胸の中心を貫けた事から『ハハハ、いい様ではないか!』と妾は笑う。壁に縫い付けられた侵入者、その下に置かれていた鍋や包丁が落ち、ガンガンッという高音を鳴らした。よく見ると其処は孤児院の台所を模している。

「うわぁぁぁぁぁ! リーリィィィン!」

 レイフォンは妾の刃を擦り抜け、床に腰を落としていた。しかし、長剣によって壁に縫い付けられバタバタと手足を動かす侵入者を視界に入れると、レイフォンは叫び始める。立ち上がると長剣の柄を持って、妾を引き抜こうと試みた。それを当然、妾は拒む。レイフォンは何をやっているのだ。ああ、なるほど。これを本物だと勘違いしているのだろう。

『あー、あー。・・・おお、喋れるではないか。素晴らしい! おっと、違う違う。レイフォンよ。このリーリンは偽者だ。覚えているか?御主は仲間に後ろから切られ、戦場で意識を失ったのだ』

「そんな事は覚えている! その後、武芸者として戦えなくなったボクを、ずっとリーリンは看てくれていたんだ! こんなに苦しんで・・・ボクを殺そうと思うほど思い詰めて・・・!」

 妾が来るまでの短い間に、それほどのバックストーリーを展開するとは侮れない奴だ。さっさと脳を破壊すれば早かったにも関わらず、ずいぶんと回りくどい手段を取る。ある程度レイフォンの意識を保ったまま、肉体を奪う必要があったのか。やろうと思えば、脳を物理的に破壊できるのだろう。ならば侵入者の気が変わらない内に殺さなければ・・・。

「お前は何者だ! リーリンを解放しろ!」

『解放してやるさ! 生きているという事から!』

「やめろぉぉぉぉぉ!」

 妾は回転する。突き刺した刃が回転し、偽リーリンはグルグルと回転を始めた。手足がバタバタと壁に当たり、頭がゴンゴンと打ち鳴らされる。そんな状態の偽リーリンは悲鳴を上げない、もはや喋る余裕は無いのだろう。胸の傷口はミシミシと鳴りつつ広がり、やがて偽リーリンの体は裂けてバラバラになった。

 偽リーリンは最後の悪足掻きを行い、胴体から頭部を切り離す。偽リーリンの頭部がレイフォンの胸へ飛び込み、「助けて・・・」とレイフォンを誘惑した。ハハッ、間抜けな話だ。首の無い頭部だけで、武芸者でもない人間が喋れると思っているのか。その汚らわしい物を妾は上から突き刺し、石製の床に縫い付けた。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 レイフォンが悲鳴を上げて、台所の床を這う。何事かと思えば、偽リーリンの肉片を掻き集めていた。驚いたことに、まだレイフォンは此れを現実だと思っているようだ。意外に気が付かない物なのか。ならば偽りの世界を破壊してやろう。妾は台所の床を割って、レイフォンと共に闇へ落ちた。さあ、現実へ帰るのだ。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

「きゃあっ!」

 飛び起きたレイフォンは、リーリンを驚かせた。もちろん本物のリーリンだ。「あれ?リーリン?」とレイフォンは問い、「うん、そうだけど」とリーリンは答える。するとレイフォンはリーリンを抱き締めてグスグスと泣き始め、リーリンはレイフォンの体をナデナデして慰めた。どうやら先ほどの夢は、泣くほど怖かったらしい。

 レイフォンが居るのは孤児院のベッドだ。落ち着いたレイフォンは、20時間ほど眠っていた事を知らされる。レイフォンが倒れたのは昼の2時で、今は昼の10時だ。偽リーリンを速攻で倒したと思っていたのだが、思った以上に時間が掛かっている。もしや、レイフォンの精神へ妾が接触したのは、先ほどの事だったのか。その間に偽リーリンは「レイフォン看病生活」を行っていたのだろう。という事は、妾も偽リーリンの妨害を受けていたのか。まったく気が付かなかった。これではレイフォンの事を言えぬな。

 しかし結局、あの侵入者は何者だったのか。アレは防護服に開いた穴から侵入して来た。事前の説明に無かったものの、都市の外には彼のような脅威もあるのか。武芸者とは危険な仕事なのだな。その代わりとして相当の金銭を得ることが出来る。今回の戦闘で得た賞金を見て、レイフォンは喜んでいた。

 

「それと、君に起こった事について話があるんだけど、ちょっと時間を貰えるかな」

「ボクに起こった事ですか?」 

「そう・・・寝ている間に何があったのかを聞きたいんだ」

「・・・!」

「その様子だと、やはり何かあったようだね」

「あれは・・・夢では・・・」

「詳しく話を聞きたいのならば、付いて来るといい」

 わざわざ賞金を持ってきた若い男性は、レイフォンを誘う。「昼御飯を食べさせてあげよう」と言って、どこかへ向かって移動を始めた。伝染病によって壊滅した食料の生産設備は未だに回復していない。そんな食料事情なので料理店は閉店または値上げを行い、開店している料理店といえば一皿5000円でも不思議ではないのだ。屋外で営業する屋台の惨状は言うまでも無いだろう。

 現在営業している料理店は狂っていると言っても過言ではない。献立表に狂った金額を載せているか、人肉を調理して出しているか。とにかく真面な経営をしているはずがない。そんな有様の都市で「昼御飯を食べさせてあげよう」と言われても信じられない。しかし、レイフォンは少し不審に思いつつも、さきほど見た夢の内容が気に掛かっているため、若い男性の後を追った。あー、嫌な予感がするのぅ。

 

 看板もあるし、民家でもない。若い男性に案内された料理店の外見は、意外な事に普通だった。しかし、店内は酷い臭いがするらしく、レイフォンは鼻を押さえる。人気のない店内に入って献立表を見ると、「かたロース時価、かたバラ時価、ともバラ時価」と、値段の全く分からない有様だった・・・いったい何の肉なのだろう。

「好きな物を選んで良いよ。ボクのオススメはツラミだ。安くて面白い」

「そうですか・・・では・・・かたロースで」

 若い男の「面白い」という言葉に危険を感じたらしく、レイフォンは別の肉を選んだ。店員は注文を聞き、鉄板のスイッチを入れると厨房へ向かう。向かい合って座る若い男性とレイフォン、その間にある鉄板から熱気が昇り始めた。やがて店員は切り揃えた肉を持って戻り、鉄板の横へ置く。すると、ようやく若い男性は話を始めた。

「君は老生体という物を知っているかな」

「・・・老生体ですか? いいえ、汚染獣の一種でしょうか」

「その通りだ。脚を失い、完全な飛行形態となった汚染獣を老生体という。汚染獣の完全体と言えるね。まあ、基本的にボクたち天剣が相手をするから、君達が戦う事はないだろう」

「え? 天剣? 貴方が?」

「そうだよ。クォルラフィンと言えば分かるかな」

 レイフォンはガタッと椅子を立ちかける。しかし、すぐに座り直した。途中で席を立つのは、相手に失礼だと思ったからだろう。天剣と言えば天剣授受者であり、この都市で最強の武芸者だ。クォルラフィンと云えば、十二本あるという天剣の一つを指す。その天剣を持つ相手に下手な対応をすれば、この場でステーキの材料になっても不思議ではない。まさか、この怪しい料理店は死体を片付けるために在るのだろうか。

「人という種に、剄を作り出す内臓器官を持つ武芸者が生まれる。それと同じように、老生体の変種が生まれる事もある。7年前に起きた事件を知っているかな? 寄生型の老生体が、その時に確認されている」

 話の読めてきたレイフォンは腰を浮かせる。しかし、すぐに座り直した。ここで行動を起こせば、寄生されているという疑いを強める事になると思ったからだろう。レイフォンの眼はグルグルと動き回り、この事態を突破する方法を探していた。そんなレイフォンを見た天剣はクスッと笑う。

「ああ、勘違いをしているようだね。例え話をしてあげよう。都市を滅ぼす恐れのある病原菌の保菌者が居るとすれば、君はどうする? ボクはね・・・」

 レイフォンは天剣の話を最後まで聞かなかった。常人よりも強い力を用いて横へ飛び、窓ガラスが割れるのも構わずに突っ込む。背後の店内で鳴り響くドォンッという爆音を聞きながら、全身をガラスの破片で切り刻まれて脱出すると、飛び出した勢いに任せてレイフォンは地面を転がった。そして、手や顔に付いた切り傷の痛みに耐えつつ、閉じていた目を開く。

「結論から言えば、君は死ぬ」

 クラクラと揺れるレイフォンの視界に、錬金鋼を持つ天剣が映る。その背後にある料理店は崩れ落ちた。まさか店ごと潰す気だったのか。恐ろしい相手だ。さきほどの店員は犠牲になったらしい。レイフォンは逃げ出したものの、一瞬で追い付いた天剣に蹴られ、石材で固められた道路を転がった。地面に伏したまま息を荒げるレイフォンの様子は妙だ。片腕が折れているのだろう。口の中を切ったらしく、咳と共に血を吐いた。

「どうしたんだい? まさか、このまま大人しく殺されてくれるのかい。それは詰まらないなぁ。この程度で死ぬようなら、一息に殺してあげようか」

 レイフォンは痛みと苦しみで思考能力を失っていた。それでも天剣の声を聞くと、立ち上がろうと肉体は足掻く。その有様を天剣は気に入ったらしく、レイフォンが立ち上がる様を傍観していた。レイフォンは折れた片腕で体を支えようと試みて失敗する。すると再び立ち上がり、折れていない腕を使って体を支えた。

 もはや痛みで、レイフォンの意識は無いだろう。体を動かしているのは無意識だ。ああ、なんて無様な。レイフォンは錬金鋼を探して、自身の腰を探っているのだ。そんな物、さきほど蹴られた時に何処かへ飛んで行ってしまった。いくら腰を探っても、無い物は出てこない。

「ああ、君の錬金鋼かい? 欲しいのは、これかな?」

 そう言って天剣は、拾ったレイフォンの錬金鋼を投げ渡す。道路をコロコロと転がった錬金鋼は、上手にレイフォンの手へ納まった。それを視た妾は思わず、その錬金鋼を破壊する。レイフォンの手の中で、錬金鋼はビシッと割れて砕け散った。レイフォンの指の隙間から、錬金鋼の破片がカラカラと零れ落ちる。レイフォンは呆然と、その様を見つめていた。

 

 そんな武器でアレを倒せるものか。錬金鋼と共に砕け散る様が透けて視える。レイフォンよ、妾を抜け! 妾を握れ! 聞こえないのか、我が主よ! 長い間、妾は御主と共にあったのだ。妾を扱える者がいるとすれば、それは御主以外に存在しない。御主が知らずとも、妾は御主を知っている。妾の声を聞け! レイフォン・アルセイフ、抜剣せよ!

 

 レイフォンの精神へ、再び妾は接触する。ここならば妾の声が届くはずだ。しかし精神の中へ入ると、闇の中にリーリンが浮かんでいた。偽リーリンだ。まだ残っていたのか。天剣の話によると寄生型の老生体、つまり汚らわしい獣だ。こいつのせいでレイフォンは死に瀕している。その偽リーリンは両手でスカートを摘み、長剣である妾に向かって御辞儀した。

「協力しましょう。1人では届かない声も、2人が力を合わせれば届くと思いませんか?私は死にたくない、貴方も死にたくない。利害は一致するでしょう?」

『バカな。貴様の存在を許す訳にはいかぬ。我が主に害を成す様が目に見える。貴様は異物だ。我が主の中に存在してはならぬ物だ』

「あらあら、貴方が其れを言うのですか? 貴方のような物がいるから、この子は、こんな痛ましい事になっているのではありませんか? まったく身に覚えが無いとでも?」

『無いとは言わぬ。だが、それを貴様が言うな。貴様のせいで、我が主は天剣に命を狙われているのだぞ。この危機を回避したいと言うのならば、貴様が出て行けば済む話だ』

 偽リーリンに長剣の切っ先を向けて、妾は突進する。しかし前のように突き刺せなかった。偽リーリンは横に飛んで、突進する妾を避ける。簡単な話だ。使い手のいない妾は、急旋回ができない。その弱点に気付いたのは、偽リーリンの方が先だった。しかし偽リーリンも、妾に攻撃する手段は無いようだ。そうでなければ妾は、すでに落とされている。

 その時、ドォンと世界が揺れた。レイフォンの精神が大きく揺れた。外で何かあったのだ。もはや偽リーリンと遊んでいる時間はない。しかし、汚らわしい獣の言うことに耳を貸せと言うのか。これは悪魔の契約だ。絶対に何か裏がある・・・だが、ダメだ。もう余裕があるとは思えない。こうなったら早い者勝ちだ。

『レイフォン! 妾を抜け! 妾を握れ! 妾は御主の剣だ! 御主に抜けぬはずがない!』

「レイフォン! 私を信じて! 私の声を聞いて! 私は貴方を守ります! 共に歩みましょう!」

 妾はレイフォンに呼びかける。その声と重ねるように、偽リーリンは呼びかけた。すると闇の中に眼が現れる。これはレイフォンの眼なのだと妾は感じた。レイフォンが初めて妾を見ているのだ。その事実に気付いた妾は歓喜し、感情を抑えられなくなる。ついに、この時が来たのだ! さあ、妾を抜け!

「き み は だ れ ?」

 レイフォンが名を尋ねる。おっと、しまった・・・妾は自身の名を知らぬ。物の名は主が決める物なのだ。道具は自身の名を定める物ではない。道具の在り方を定める事ができるのは、作り手や使い手だけなのだ。しかし今の主に、名を付ける余裕があるとは思えない。ならば仕方ない。妾は御主の問いに、最も単純な形で答えよう。

『妾の名はツルギ! ツルギだ! どうだ、覚えやすいだろう!』

「私の名はリーリン。馴染みのある名前でしょう?」

 

「ツ ル ギ ・ ・ ・ リ ー リ ン ・ ・ ・ !

 そ う だ 、 ま だ ボ ク は 死 ね な い !

 リ ー リ ン が ボ ク の 帰 り を 待 っ て い る ん だ !」

 

 

   「闘 剣 解 放 !」

 

 

 無様に地を這っていたレイフォンの体から、白い液体が滲み出る。それはレイフォンの体を覆い、鎧のように形を変えて固まった。手足を覆う5本の大きな爪は、道路に敷かれた石材を握り潰す。白い鎧によって覆われたレイフォンの体は、一回り大きくなっていた。頭部も白い液体で覆われ、凶悪な造形の仮面が形作られる。その分厚い鎧は、全身を隙間なく覆う防護服のようだ。

 そして最後に5本の爪は宙を握り、どこからか長剣を引き出す。抜き出された長剣が触れると、スパッと道路は切れた。しかし勢いよく突き立てられると、長剣は切れ味を落としたように先端部分だけを道路に埋める。そうして全ての準備が整ったのか、ソレは「オォォォォォ!」と声を上げた。

 ソレを何と呼ぶべきか。ソレをレイフォンと言うには姿が変わり過ぎていた。誰が見ても、ソレにレイフォンの意識が残っているようには見えない。その変身を見ていた天剣から言えば、レイフォンの体内に潜んでいた汚染獣が目覚めたようにしか見えない。やはりソレは汚染獣と呼ばれる物なのか。しかし少なくとも、天剣は相手の名前に興味はなかった。重要なのは、それなりに戦える相手だという事だ。ソレが口から光線を発射すると共に、ソレと天剣の戦いは始まった。

 

 都市はエアフィルターで包まれている。外部に漂う汚染物質を防ぐ空気の膜だ。それを真横に伸びる光の柱が貫いた。白い化物の口から撃ち出された光線は、いくつもの家屋を貫いても衰えず、都市の外縁部にあるエアフィルターを貫いて、地平線の彼方へ飛んで行く。これだけでも大惨事だ。

 しかし、光線は何度も発射され、都市に穴を開けた。光線の的となっている天剣は軽々と避けるものの、その度に都市の損害は計り知れないほど増える。やがて白い化物は学習し、口から光線を発射したまま左右へ振るようになった。家屋を貫通するだけだった光線が動くことで家屋が薙ぎ払われ、一度に十数人の命が失われる。

 何事かと思い、やる気のある天剣が5人ほど現場へ向かった。他に6人の天剣が居たものの、1人は遠くから様子を探り、1人は職務で動けず、残りの4人は傍観している。やる気のある5人の中には、光線に危うく消されかけて怒っている者もいた。そうして6人の天剣が化物の滅殺に着手する。

 しかし、鋼糸による拘束も引き千切られ、そこへ打ち込まれた巨大な刃による一撃も化物の鎧を破壊できない。さらに化物の放つ光線が誘導式へ成長して、問題の原因となった天剣を追い回し始めた。これにより都市に及び被害は抑えられたものの、光線を避ける手間が掛かるようになる。

 

「あー、あいつに任せたのは失敗だったわ。死ねばいいのに」

 王座に座ったまま、都市を治める女王は呟く。光線は王城の壁も貫通し、風通しのいい穴を開けていた。穴の修復が終わるまで、1ヶ月ほど掛かるだろう。運が悪ければ王城を建て直す必要がある。ついでに事務所も人員ごと吹っ飛ばされ、重要な書類が跡形も残らず消えた。仕事が無くなったのではなく、やり直しになったのだ。この都市で最も強い女王の機嫌は、これまでに無いほど悪かった。それでも、無駄に力を放出しない鋼の自制心は残っている。

「いったい何を任せたら、こんな事態に・・・」

「ある子供に寄生型の老生体が付いたって報告があってね。面倒臭かったから、あいつに丸投げしたのよ。さっさと片付ければ良いのに、きっと余計な事をしやがったんだわ。あー、もうっ! いったい誰が責任とってくれんのよ!」

「じゃあ、オレはサヴァリスに一票」

「それじゃあ、私は陛下に一票!」

『私は汚染獣に一票を投じましょう。人に責任を擦り付ける物ではありませんからね』

「ずっとサヴァリスを狙ってるんだし、あいつが死ねば丸く収まると思うのよ・・・ま、そんな保障を汚染獣がしてくれる訳ないし、乗っ取られたガキごと打っ潰すしかないわね。とりあえず天剣は全員集合! 数の暴力で、これ以上被害が広がる前に、一気に押し潰すのよ!」

 空位となっているヴォルフシュテインを除く全員、11人の天剣が召集される。残り5人の天剣が集まる間に、6人の天剣は化物の攻略に挑んでいた。その度に化物は成長し、それぞれの天剣が持つ技を劣化した形で再現する。やがて、問題の原因となった天剣が使った奥義を、化物は驚異的な速度で再現に成功した。

 その奥義の名は千人衝、複数の分身を作る技を化物は劣化した形で再現し、3体に増えたのだ。おかげで厄介な光線が3倍に増えて、余計に面倒な事になる。それを見た女王は思わず攻略戦の現場へ飛び込み、問題の原因となった天剣を、都市の外縁部まで殴り飛ばした。これにより戦場は、都市の外縁部へ移される。後に女王は「もちろん計算した上での行動だった」と主張し、部下の追及をかわした。



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【あらすじ】
汚染獣に寄生されたレイフォンは、
天剣授受者に命を狙われ、
剣と獣の力を引き出しました。


 レイフォンが妾の名を呼んだ瞬間、レイフォンと妾は繋がった。妾という存在が外へ引き出され、レイフォンの手の内で長剣として形成される。長剣として形成された半身を通して、妾は外界を覗き視た。すると、見慣れぬ白い鎧で身を包んだ化物が、妾の白い長剣を握っている。天から降り注ぐ光を受けて、妾の半身が輝いている様に対して、白い鎧は薄暗く、まるで死を想起させる人骨のようだ。

 どういう訳か、我が主は化物に成り果てていた。バカな、なんだコレは。いったい何が起こった。どうして、こんな様になっている。妾が混乱している間に、白い化物は「オォォォォォ!」と叫び、口からレーザービームのような物を発射した。その目標は、レイフォンを殺しかけた天剣だ。しかし、発射と同時に着弾するような速さの光線を、天剣は軽々と回避する。この光線を苦もなく避けるとは、あの天剣も人とは思えない。

 いや、それよりも・・・そうだ、汚染獣だ。奴が最も疑わしい。そう考えた妾は、レイフォンの精神に残った半身へ意識を戻した。すると、真っ暗だった空間を薄暗い光が浸食している。レイフォンが纏っていた不気味な白い鎧を、その光は想起させた。ここはレイフォンの精神の中だ。この光の浸食は、レイフォンの精神が侵されている事を示している。

『貴様、我が主に何をした! 答えろ!』

「あらあら、分からないんですか? もっと自分で考えた方が良いと思いますよ? それとも私の言うことを、貴方は疑いもせずに信じるつもりなんですか?」

 偽リーリンはクスクスと笑う。よほど妾を怒らせたいようだ。長剣の切っ先を向けて、妾は突進する。しかし、やはり横に動いて回避されてしまった。それでも諦めずに中てようと思い、直進以外に使える軸回転を用いる。すると、空中でクルクルとコマのように回ってしまった。そんな妾の様を見て、偽リーリンはクスクスと笑う。この野郎・・・。

 妾は偽リーリンに中てられず、偽リーリンは妾を破壊できない。このままでは何時まで経っても決着しない。その間に侵食は広がり、レイフォンの精神を塗り替える光は広がっていた。奴を倒す以外、他に方法は無いのだろうか。偽リーリンに切っ先を向けたまま動きを止め、妾は少し考える事にした。

 

 やはりダメだ。倒す方法を思い付けぬ。そもそも何が起こったのか。まず、レイフォンが天剣に襲われ、レイフォンの錬金鋼を妾が破壊し、レイフォンの精神へ潜ると偽リーリンが居て、争ったものの決着は付かず、焦ってレイフォンに呼びかけると偽リーリンも呼びかけ、レイフォンが妾と偽リーリンを見つけ、名前を問われたので妾と偽リーリンが答え、レイフォンがハッスルした・・・考えれば考えるほど訳が分からなくなる。

 何となく外の様子が気になり、妾は半身を通して外界を覗いた。すると、移動都市の外縁部へ戦場が移っている。いつの間にか10体ほどの武芸者が集まり、レイフォンだったバケモノに対して、一発で都市が半壊するような攻撃を行っていた。どちらがバケモノか分からない有様だ。それによってバケモノはエアフィルターを越え、都市の外へ押し出される。

 すると、一発で都市が半壊するような攻撃の威力が上がり、一発で都市が全壊するような砲撃が放たれた。都市の外縁部に近い建物が、その余波で粉々になる。住民の避難は済んでいるのだろうか。恐るべきなのは全員で力を合わせた結果ではなく、武芸者1体の力で都市が全壊するような攻撃を放った事だろう。妾が覗き見た10体の人影から察するに、十二本あるという天剣の授受者なのか。その砲撃を受けて傷一つないバケモノの白い鎧も相当な物だ。

 外へ押し出されたバケモノは力を使って宙を走り、都市へ戻ろうと試みた。そこを天剣に狙い撃たれる。しかしバケモノは、背中から火を噴くように力を放出し、巨大な力の塊を突っ切った。その様を視ていた妾も、どのようにバケモノが力を使ったのか分からない。いったい何時の間に、あんな移動技を覚えたのか。少なくともレイフォンの養父から習った技ではない。

 そう思っていると分身する。バケモノが5体に増えたのだ。それらは口を開き、光線を発射した。変身した頃は直進するだけだった光線は、今は形を変え、扇状に放出される。単体攻撃から広範囲攻撃へ変化した光線は、バケモノ達の目前にあったエアフィルターを破裂させた。汚染物質から都市を守るエアフィルターを破壊したのだ。あのエアフィルターは物質を透過させる性質があると言うのに、どうやって破裂させたのだろう。

 分からない事ばかりだ。それでも一つだけ予測できる事がある。このままではレイフォンが都市に居られなくなる。いや、もう手遅れか。寄生型の汚染獣に憑かれた時点で、レイフォンは抹殺の対象となっているのだ。もはや、この都市にレイフォンは居られない。しかし、汚染物質に満たされた都市の外で、何の準備もないまま生きる事はできない。ここでレイフォンに死ねと言うのか。

 認められぬ。こんな馬鹿馬鹿しい結末は許せない。妾を引き出した其の日に、我が主は死ぬと言うのか。そもそも、バケモノとなったレイフォンは妾を使っていない。光線を吐くばかりで剣を振るっていない。なぜだ、なぜ我が主は妾を使わない。使わないのならば、なぜ最初に引き出した。なぜ妾ではなく、偽者の力を使う。

 まさか奴を本当のリーリンと勘違いしているのか。外界にいる本者ではなく、レイフォンの精神に巣食う偽者の下へ帰ろうとしているのか。なるほど、そういう事か。だから奴はリーリンと名乗ったのか。今まで存在を知られていなかった妾ではなく、馴染みのあるリーリンを選ぶと予想していたのだろう。妾とレイフォンの関係が深くない事は、偽リーリンを突き刺した時に起きたレイフォンの狂態から、奴に察せられていた。

 違うのだ、我が主よ。それは7年間一緒に孤児院で生活したリーリンではない。御主の肉体を乗っ取ろうと企む、汚らわしい獣だ。その声を聞いてはならない、その存在に心を寄せてはならない。きっと其の獣は、最後に御主を食べてしまう。甘い声で誘き寄せて、罠に掛かるのを待っているのだ。

 

 レイフォンの精神へ、妾は意識を戻す。少し見ない間に、不気味な光の浸食は広がっていた。その中心に居るのは偽リーリンだ。妾が意識を外界へ移している間も、妾に対して干渉を行わなかったらしい。今思えば、ずいぶんと間抜けな事をしたものだ。運が悪ければ、偽リーリンの攻撃を受けていた。しかし、攻撃を行わなかったと言う事は、偽リーリンが妾を排除する手段は少ないと察せられる。まあ、そんな事は構わない。それよりも我が主に呼びかけ、奴が偽者である事を伝えるのだ。

『我が主よ、妾の声が聞こえるか。このままでは御主の居場所は失われる。孤児院で御主の帰りを待っているリーリンの下へ帰れなくなる』

「ああ、怖い。また剣が私を殺そうとするの。助けて、レイフォン」

『御主の中に居るリーリンは偽者だ。御主に寄生する汚染獣が見せる幻だ。その証拠に、奴は何度殺しても蘇える。御主のリーリンは、御主が破壊している都市にいるのだ』

「いやっ! 助けて、レイフォン! 私の中に、あいつが入ってくるの。こんなの、やだよ・・・」

 ぬおー、邪魔だ! 妾の言葉と重ねるように喋りおる! 少しは黙らぬか、このクソ虫が! 寄生虫のくせに出しゃばりおって! と叫びたかったものの、レイフォンに暴言を聞かれてしまう恐れがあるので言えない。感情を抑えるため押し黙った妾に対して、偽リーリンは言いたい放題だ。わざとらしいセリフに身振り手振りを加えながら、レイフォンに訴えている・・・その有様を視ていると殺意が湧く。しかし、偽リーリンと鬼ごっこをしても無駄だ。レイフォンに訴えなければ状況は好転しない。

『我が主よ、これは夢だ! 汚らわしい獣の見せる夢だ! いつまで寝ているつもりだ。いい加減、外を見ろ! 御主は天剣に命を狙われているのだぞ!』

 光に蝕まれた闇が揺れる。今の言葉は効いたようだ。そうか、分かったぞ。リーリンを話題とした説得ではなく、外敵である天剣を話題とした説得を行えば良いのだ。フハハハハ、そうと分かれば偽リーリンの戯言に惑わされる恐れはない。現実を直視させて、レイフォンの意識を叩き起こすのだ。

 そう思っていた妾は突然、レイフォンの精神から叩き出される。外界に出ていた半身との繋がりも切れ、妾に戻ってくるのを感じた。まさかレイフォンに、妾は拒絶されたのか。なんということだ。いかん、呆然としている場合ではない。早く戻らなければ、偽リーリンの思うがままだ。

 レイフォンの精神へ、妾は侵入を試みる。しかし、進行方向から圧力が加わり、妾は押し返された。レイフォンの精神へ切っ先を合わせつつも、そのまま一歩も先へ進めない。レイフォンが妾を拒んでいるのだ。詰んだ。終わった。いや、まだだ。せめて偽リーリンに一撃を入れなければ、気が済まない。

『ぬうぉぉぉぉぉ! ブチ抜け!』

 強引にレイフォンの精神へ侵入する。押し返そうと働く圧力を貫き、白く染まった外殻を破壊した。精神の一部が壊れ、破片となって闇へ散らばる。そのまま、驚いている偽リーリンの体を貫き、前と同じように剣身を回転させて引き裂いた。ハハハ、ザマァない。妾を追い出して墓穴を掘ったな、寄生虫め!

 妾の発言が原因で追い出されたような気もするが・・・細かい事を気にしてはいけない。それよりもレイフォンだ。このバカ騒ぎを収めなければ、レイフォンが都市に居られなくなる。とりあえず、天剣授受者と思われる集団を叩き潰そう。相手はレイフォンを汚染獣ごと殺すつもりだ。それに、レイフォンが強い事を証明できれば、脅迫という手段も使える。

 

『さあ我が主よ。今一度、妾を抜け! 妾と共に奴等を倒し、安全を勝ち取るのだ!』

 白い光の浸食が止まった闇の中で、勇ましく妾は叫ぶ。しかし、何の反応もなかった。これは妙だ。偽リーリンはバラバラに引き裂いて、肉片へ変えたと言うのに、レイフォンの意識は戻らない。いったい、どう言う事なのか。まったく・・・偽リーリンを片付けたと思ったら次はレイフォンか。

「貴方バカでしょ? バカなんでしょ? あの鎧は誰の物だと思ってるの? 私を殺したら、体を守るものが無くなるに決まってるでしょ? おまけに宿主の精神を壊すなんて、それでも主と思ってるの?」

 散っていた肉片が寄り集まって、偽リーリンを形作る。その様は、まるで個々の肉に意思があるように見える。ああ、やはり生きていたか、寄生虫め。しかし、偽リーリンの言葉も一理ある。妾の剣と同じように、偽リーリンから鎧が抜き出されたのならば、偽リーリンを倒せば鎧は消えてしまう。天剣らしき武芸者に襲われている中、鎧が無くなればレイフォンは跡形も残らないだろう。それを防ぐために、偽リーリンの力は必要なのだ。さすが汚染獣、やり方が汚い。

「このままだと宿主が死んじゃうし、仕方ないから手伝ってあげましょうか?」

『・・・このままレイフォンが死んで共倒れになるのは、貴様も同じことだろう』

「敵と戦って死ぬか、敵の内部に潜むか。汚染獣の私にとっては、どちらも同じ事だと思わない?」

『死ぬ事は重要ではないと、まるで道具のような有様だな』

「貴方は宿主を振り回して、まるで人のように身勝手だわ」

 やはり殺すか。こんな奴の力を借りるくらいなら、死んだ方が良いかも知れぬ・・・いいや、これも我が主のためだ。レイフォンの生死を、道具である妾が決めてはならない。しかし、偽リーリンはレイフォンの命を脅かす物だ。そんな物の力を借りて許されるのか・・・そんな事は後でレイフォンに聞けば良い。そうだ、その通りだ。レイフォンを生かさなければ話もできない。

『我が主を生かすために、貴様の力が必要だ』

「じゃあ、お願いしますって言うのかしら?」

 もうダメだ・・・限界だ・・・この野郎を打っ飛ばさないと、妾の気が済まない・・・! いいや、ダメだ。落ち着け、クールになれ。寄生虫のくせに何言ってんだ、このクソ虫がーッ! いやいや、違う違う。レイフォンを生かし、答えを聞くためにも、ここは「お願いします」と言うのだァ!

 

『Please!』

 

 この世界の言語ではないものの、そういう意味の単語に違いはない。無いと言ったら無いのだ。きっと、この言葉を聞いた時、銃を持って店へ押し入る強盗の姿を想像するだろう。その強盗は「Please!」と言うのだ。いや、待てよ。アレは「Freeze!」だったか。まあ、良いだろう。細かい事を気にしてはいけない。

「どこの言語なのかしら? まあ一応、お願いしますって意味の言葉に違いは無いようね。よろしい。では、このリーリンさんが、宿主に話を付けてあげましょう」

 偉そうに偽リーリンは言う。どうせ妾の気に障るよう、わざと遣っているのだろう。そんな手に引っ掛かるものか。それにしても二度、体を引き裂いたにも関わらず、偽リーリンは復活した。さきほどのように肉片が寄り集まって、元に戻ったのだろう。妾の刃を用いて刺した程度では殺せないのか。ゴキブリのような生命力だ。しかし、刀剣による点や線の攻撃ではなく、火炎放射器のような面の攻撃を行えば効くかも知れない。

「レイフォン、貴方の力が必要なの。おねがい、私に力を貸して」

 目を涙を溜めた偽リーリンが、レイフォンに祈る。演技臭ぇ・・・と思っていると、光に侵食された闇に、大きな眼が現れた。レイフォンの眼だ。妾の訴えに対してレイフォンは問答無用で叩き出したと言うのに、偽リーリンの訴えに対してレイフォンはアッサリと答えた。この差は何だろう。やはり硬くて冷たい長剣よりも、柔らかくて温かい人型の方が良いのか

 

「今、貴方の体は強い武芸者と戦っているわ。でも、このままでは勝てない。レイフォン、貴方の力が必要なの。剣を手に取り、私と一緒に戦って。共に行きましょう」

「君 は ・ ・ ・」

「私はリーリン、貴方の中にいるリーリン、貴方の願ったリーリンという形よ」

「僕 の 願 っ た リ ー リ ン ?」

「貴方が他人や物事と対するために必要な心の壁、貴方の心を護るイメージの具現体」

「 ? 」

「後で全部話してあげる。だから今は戦って」

「う ん」

 

 偽リーリンの指示を受けたレイフォンによって、妾の半身が引き抜かれる。レイフォンの精神へ意識を戻している間に時間は過ぎ、戦場の状況は大きく変わっていた。まず、戦場が都市の上ではない。汚染物質で満たされ、防護服が無ければ5分で死に至るという都市外の荒野だ。おい、これは不味いのではないか。

『あー、あー、テステス。聞こえるかしら、レイフォン。それなら状況を纏めるわね。天剣授受者であるクォルラフィン卿に命を狙われた貴方は、私達の呼びかけに応えて剣と鎧の力を手に入れたわ。でも、そのショックで貴方は意識を失い、制御を失った鎧が暴走している状態なの。

 それに対して10人の天剣授受者らしき人物が迎撃に出て、今は都市外へ追い出されたまま交戦中よ。今、貴方と戦っている足止めらしき天剣授受者は5人。移動都市であるグレンダンは戦場から離れて行くから、このままだと帰れなくなるわ』

「ええっ、天剣に襲われてるの!? それって、もう死ぬんじゃ・・・」

『私が守るから死なないわ。貴方の体を私の鎧が守っている限り、どんな攻撃も汚染物質も貴方に届きはしない。ただし、加わった力を吸収するわけじゃないから、大きな力で押されれば、その分だけ移動するわ』

「どうすればいい?」

『天剣を倒して、グレンダンに君臨するのよ』

「ええっ!? なんで!?」

『相手はレイフォンを抹殺するつもりなの。天剣が動いたという事は、女王の命令なのでしょう? 命令を撤回させるためには武力の象徴である天剣を討ち倒し、権威の象徴である女王を屈服させる以外に方法はないわ』

『おい、妾が黙っていれば好き勝手に言いおって。重要なのは如何すれば良いのかではなく、レイフォンが如何したいのかだ。そこで聞こう我が主よ、御主は如何したいのだ』

「ボクは帰りたい。家に帰りたいんだ」

『そのためには・・・帰還を妨げる天剣共を倒せばいい。都市に帰った後のことは、後で考えれば良いのだ。案ずるな、御主の前に立ち塞がる障害は、妾が斬り伏せよう』

『それって結局、私の言ってる事と同じじゃない? 敵を倒せば終わりって話じゃないのよ?』

『貴様の意思で行う事と、レイフォンの意思で行う事は違う』

『いや、そういう意味じゃなくて・・・もう、なんで目の前の事しか考えないのかな。こっちのアホの子は放って置いて、とりあえず天剣を倒す方法から考えましょう」

「えーと・・・?」

『さっきも言った通り、相手の攻撃で傷付く心配はないわ。こっちの動きを止めようと、糸のような物で縛ろうと試みる相手も居るけど、武芸者の持つ剄で強化した貴方の腕力なら引き千切れる。それと、剄が尽きる心配もする必要はないわ。どこからか不思議パワーが無限に湧いてくるから』

『なんだ、その不思議パワーと言うのは』 

『不思議パワーよ。暴走中に300発ほど口から光線を吐いたけど、剄が尽きる様子はない。これを不思議と言わず、何を不思議と言うの? 無色の    粒子でも積んでいるのかしら?』

『ん? 今何と言った? その・・・なんとか粒子と言うのは何だ?』

『おっと、いけない。それは禁則事項よ。私の好感度を上げたら教えてあげる』

『訳の分からぬ事を・・・まあ、暴走している様を見る限り、明らかに我が主の持つ力の量を超えている。それに、全力を出さずに勝てる相手とも思えない』

『あと暴走している間に、相手の使った技を学習していたの。体が覚えていると思うから、貴方も使えると思うわ。例えば振動破壊、斬撃波、衝撃浸透、内部爆破、広域衝撃波、超移動、分身よ。力を溜めて放つ斬撃が一番簡単で強いけど、溜めている間に逃げられるわ。力任せに暴れるんじゃなくて、小技を繋げて大技を入れる隙を作ること。相手は天剣らと思われるほど強いの、手加減する必要はないわ』

「分かった。武器と防具に加えて、それだけ準備を整えてくれれば十分だよ。ありがとう、えーと・・・リーリンさん、ツルギさん」

『奴の名を先に呼ぶとは毒されおって・・・さん付けはいらぬ』

『私もリーリンでいいわ。紛らわしいけど、リーリンって呼んでね』

 

『それじゃ暴走を治めるわ。5・4・3・2・1、えいっ!』

「よし・・・うわっ!」

 肉体の自由を取り戻したレイフォンは、一歩目で引っくり返った。そこへ地面を吹っ飛ばすほどの攻撃が降り注ぐ。攻撃に込められた膨大な力にレイフォンは驚き、目を閉じてしまった。次々に攻撃が重ねられ、レイフォンは地面に沈んで行く。しかし、その攻撃で鎧に傷が付くことは無かった。

「すごい・・・これなら!」

 レイフォンは感嘆する。長剣を握る手に力が入り、それによって妾は快楽を感じた。ああ、いいぞ我が主よ。もっと妾を強く握るのだ。もっと強く、もっともっと強く! 凄まじい量の力がレイフォンの肉体を流れ、無数の細胞を強化する。そうして、ついに妾は振られ、解き放たれた斬撃は、眼前の全てを斬り裂いた。

 

 化物もとい汚染獣の動きが不自然に止まる。ダメージが蓄積していると、その様から判断した天剣授受者は皆無だ。天剣授受者の一人、サーヴォレイド卿の鋼糸で動きを止められなかった時点で、汚染獣の力は老生体の第十期を遥かに超えていると察せられる。しかし攻撃を行わないという選択肢はなく、各々が汚染獣に必殺の一撃を放つ。その膨大な力の渦は荒れた大地を押し潰した。

 しかし、全ての力が大地へ加えられる前に、その力は分断された。巨大な斬撃が地上から飛び立ち、天へ駆け上って、空に浮かぶ月を破壊する。その衝撃波は大気を捻じ曲げ、大地を引き剥がして空高く舞い上げる。それらは追撃を行っていた5人の天剣授受者を等しく襲い、都市外装備という防護服を切り裂いた。素肌を晒した5人の天剣授受者達は汚染物質に焼かれ、汚染獣に対する攻撃を続けたまま後退を始める。

 舐められたものだ、と天剣授受者達は思う。あの長剣は汚染獣が、最初から手に持っていたものだ。しかし、口から光線や技を真似るばかりで、全く使っていなかった。それを今さら使い始めたと思えば、一振りで此の様だ。たったの一撃でスーツを切り裂かれ、5人の天剣授受者が使い物にならなくなった。

 呼吸を止めれば肺は焼かれない。しかし、都市へ一度戻らなければ全身が炎症を起こし、肌が腐れ、髪は抜け落ち、目も焼けて光を失い、耳も聞こえなくなる。武芸者の持つ剄で肉体を強化しても5分で限界に至る。かゆみなどの後遺症に悩まされる恐れがあるため、天剣授受者達は汚染物質の中に長居したくなかった。 

 汚染獣が、その後を追う。いや、追うというほどの焦りはなく、悠々と歩いていた。まるで歩き始めた子供のように、汚染獣は地面を踏み締める。全身を白い鎧で包み、片手に長剣を持っていた。それは老生体の寄生型だ。武芸者の子供が素体となったため身長は低い。弱点と言えば、派手な攻撃を行えば簡単に転ぶことだ。しかし、さきほどから長剣を使い始めた汚染獣は攻撃を耐え、その場に留まるようになった。いったい、どれほど手を抜かれていたのか。

 やがて地平線の果てに都市が見える。すると汚染獣は都市へ向かって跳び、天剣授受者達を追い越した。瞬く間に汚染獣は都市へ接近し、内部へ侵入を図る。しかし、それは予想できた事だ。そのため王城に居るべきグレンダンの女王が都市の外縁部で待ち構え、滞空する汚染獣を狙い撃つ。都市を一撃で沈めるような力が放たれ、その反動で巨大な移動都市が傾き、間違いなく汚染獣に直撃した。

 

「天剣を足留めに出したのは失敗だったか・・・厄介な事をしてくれたわね」

 空を見上げながら女王は呟く。汚染獣の斬撃で破壊された月が、その視界に映っていた。まさかアレを壊されるとは思っていなかったのだ。ついでに封じられていた物も真っ二つに成っていれば良かったものの、その月から這い出る影がある。現況をゲームで例えると、経験値の多いレアな雑魚との戦闘中、その雑魚が仲間を呼び、なぜか中ボスを引き連れたラスボスが現れたような物だ。明らかにバグっている。やっていられない。

 その時、グレンダンの上空に都市を覆うほどの影が出現した。月に封じられていた汚染獣の一体だ。封じられていた汚染獣は合計4体いるものの、1体目は主を守るために盾となって即死し、2体目は主の下に留まり、3体目がグレンダンの上空に現れた影であり、4体目はグレンダンへ急行している。さらに、女王の攻撃を受けて吹っ飛んだ汚染獣も、遠くから傷一つなく戻って来ていた。

 都市の外へ出ていた天剣授受者も戻り、上空と地上から襲い来る汚染獣の襲撃に備える。しかし、地上の汚染獣と戦った後で、天剣授受者は万全と言い難い。この上、今まで傷一つ付けられなかった地上の汚染獣と、都市を覆うほど大きい上空の汚染獣を同時に相手するのだ。天地の汚染獣を倒す前に、都市は壊滅するに違いない。

 天地の汚染獣に対するは、非戦闘員を含む11人の天剣授受者と都市の女王だ。天剣授受者の総出で地上の汚染獣を都市外へ叩き出した際に、天剣授受者と女王以外の人々は武芸者か否かを問わないままシェルターへ避難させている。そうでなければ天剣授受者も本気を出せなかった。天剣授受者が人を超えた化物である事を、人々に覚られてはならないからだ。

 

 最初に動いたのは地上の汚染獣だった。と言うか女王に遠くへ飛ばされたため、都市へ向けて跳んでいたのだ。しかし、天剣授受者の待ち構える都市ではなく、都市の上空へ地上の汚染獣は向かう。汚染獣同士で連携を取るつもりか。そう考えた天剣授受者達の目の前で地上の汚染獣は、自身の何万倍も大きい上空の汚染獣を、玩具のように小さく見える長剣で分断した。

 さきほど月を破壊した時と同じ斬撃が、空へ解き放たれる。その一撃で上空の汚染獣は真っ二つになった。天剣授受者達は微かに驚くものの、斬った汚染獣に対して隙は見せない。それに、上空の汚染獣は真っ二つにされても生きていた。味方に見えていた汚染獣を最大の障害と認定し、一塊の状態では危険と判断すると、上空の汚染獣は分裂する。無数の汚染獣と化してグレンダンに降り注ぎ、その流星を天剣授受者達は迎撃した。

 分裂した汚染獣に対して、剣を持った汚染獣は追撃を行う。少し力を溜めると、空へ向かって光線を発射した。その光線は幾万条の線に分かれて反転し、地上へ向かって降り注ぐと、分裂した汚染獣を撃墜する。ドンッドンッドンッと彼方此方で爆音が鳴り、空に数え切れないほど多い光の華を咲かせた。

「412072」

 都市に落ちる破片を、天剣授受者のサーヴォレイド卿は鋼糸で細断する。鋼糸から伝わる感覚で破片の数を数えつつも、光線を放った汚染獣から目を離さなかった。初期は一本の直線だった光線に誘導性能が付き、今は無数の標的を狙い撃っている。その様を視てサーヴォレイド卿は、汚染獣に手加減されていたとは思わない。実力を隠していたのではなく、奴は成長したのだ。時間が経てば経つほど、さらに勝率は下がって行くだろう。

 剣を持った汚染獣は辺りを見回す。そして、光線によって叩き出された物を視界に入れると宙を駆け、片手に持った長剣で切り裂いた。それは巨大な汚染獣の中心核だ。無数に分かれた汚染獣は数分で命を絶たれ、その活動を止める。凶悪な造形の仮面を付け、傷一つない白い鎧で全身を覆い、月すら断つ白い剣を片手に持つ、そんな化物が後に残った。

 

 剣を持った汚染獣が都市に降下し、天剣授受者達と向き合う。ついに決戦の時が来たのだ。もはや都市に及ぶ被害を構う余裕はなく、天剣授受者達は力を放つ。しかし、戦いというほどの事は起こらなかった。襲いかかる力の波を無い物であるかのように汚染獣は振る舞い、淡々と行う作業のように天剣授受者を斬り伏せる。そうして天剣授受者達を倒した汚染獣は、女王の下へ辿り着いた。

「降伏してください」

 寄生された少年の声で、汚染獣が言う。少年の体を使って、汚染獣が喋っているのだ。人に寄生した汚染獣が、これほど厄介な物だと女王は思わなかった。寄生された子供の除去を適当もといテキトーな奴に丸投げしたのが、そもそもの間違いだったのか。しかし、今さら後悔しても遅い。天剣や女王に敗北は許されないのだ。敵の言葉に従って、降伏を認めるという選択肢はない。

「断るッ!」

 汚染獣へ向けて、女王は突進する。その踏み締めで巨大な都市が傾き、耐え切れず脚部が破損したため移動都市は動きを止める。女王は瞬時に汚染獣へ接近し、一撃を叩き込んだ。その反動で汚染獣は吹っ飛び、音速を超えて都市の外へ飛んで行く。それを追い掛けると汚染物質に塗れた荒野へ叩き落し、全力の一撃を汚染獣へ打ち込んだ。例え天剣授受者が其の様を見たとしても、速過ぎて何も見えないに違いない。

 その余波で大地が弾け、移動都市よりも大きな穴が開いた。発生した衝撃波と移動都市の足場が消し飛んだ事で、移動都市は横倒しになる。無人となっていた都市は衝撃波で建物が粉々に砕け、その瓦礫も移動都市から荒野へ吹き飛んで行った。シェルターの中も安全ではなく、避難していた人々は壁に向かって落死し、または積み重なって圧死するという事故が起こる。この事故によって数百人が死んだ。残念な事に、シェルターにシートベルトは付いて無かったのだ。

 それでも汚染獣は死んでいなかった。それどころか、やはり傷一つ付いていない。それに対して女王は、放った力の余波によって着衣が消し飛び、全裸の状態になっていた。まるで奴隷のような有様だ。そんな女王の体に長剣が突き立てられ、意識を失った女王は崩れ落ちる。そうして、ようやく、戦いは終わった。汚染獣の圧勝だった。

 

 自律型移動都市、槍殻都市グレンダン。汚染獣との戦いで、その都市は大きなダメージを受けた。移動都市の上に建てられていた住居は破壊され、人々の住む場所は無くなった。生き残った人々はシェルターの中で生きるしかない。しかし、食料などの生産設備も破壊され、もはや生活は維持できない。少し前に流行った伝染病の影響で、食料の備蓄もなかった。

 さらに止めとしてエアフィルターが故障したため、シェルターから出ようと思えば都市外装備が必要になる。何よりも都市にとって致命的だったのは、汚染獣に負けたことだ。最強の都市が汚染獣に踏み荒らされた事実は、人々の心に傷を付けた。恐慌の予兆として、人々に不安が広がる。

 この事態の危険度を察した者は、都市外装備を着てシェルターの外へ出る。都市外装備が無くなれば、暴動が起こった時に都市を脱出できなくなるのだ。そうなれば、シェルターの中で餓えつつ死を待つしか道はない。その飢餓は、きっと残酷な結末を引き起こすだろう。そうして運良く都市外装備を手に入れた人々は身を潜め、他の都市へ移動する放浪バスを待っていた。

「リーリン! リーリン!」

 汚染獣だった少年が、シェルターを走り回る。一緒に育った少女の名を呼び、必死に探し回っていた。人々は少年に注目するものの。すぐに興味を失う。そんな事よりも不安なのだ。これから如何すれば良いのか、人々は分からなかった。グレンダンの女王は行方不明のまま、人々を導いてはくれない。

「まさか・・・」

 生きている人々の中に、少女の姿は見当たらない。ならば死んでいる人の中か。そう思ったレイフォンは死体置き場へ向かう。すると、見覚えのある髪色の遺体を見つけてしまった。しかし、よく分からない。なぜか眼球が抉り取られているため、リーリンか否かを判別できなかった。判別できないと思った。レイフォンは、そう思いたかった。だからレイフォンは、リーリンの遺体を探し続ける。見慣れた衣服を剥ぎ取られ、幼い体が剥き出しになっていたのは、きっとレイフォンにとって幸いな事だった。

 結局、死体置き場で養父や孤児院の仲間は見つけたものの、リーリンは探し出せず、レイフォンは崩壊寸前の都市を去る。都市外装備を確保できなかったため白い鎧で身を守り、汚染物質に塗れた荒野を歩き始めた。それは、子供だからと言って放浪バスに乗せてくれるとは限らないからだ。例え武芸者としての力を示しても、レイフォンは金を持っていないため放浪バスに乗れない。そもそも汚染獣と戦闘する回数の多いグレンダン、そんな都市に訪れる放浪バスは少なかった。

 幸いな事に、偽リーリンの告げた謎パワーのおかげで、空腹に苦しみつつも死ぬ事はない。そうして3日ほど過ぎると空腹の苦しみは消え、物を食べなくても生きて行ける事にレイフォンは気付いた。それを便利だと喜ぶレイフォンは、人として外れた事に気付かない。

 

「天剣の人達と、女王陛下は大丈夫かな?」

『肉体を傷付けず、少し精神を斬っただけだ。精神は記憶によって形作られる。よって、少し記憶を失うだけで、女王に大事はない。しかし、天剣は女王の攻撃に巻き込まれたのだ。あの惨状で生きているとは言えぬ』

 

「グレンダンが壊れたのは、ボクの責任なのかな」

『レギオスを壊したのは、あの女王だ。御主は巨大な汚染獣を退治したり、都市に被害を与えないように気を付けていただろう。都市が崩壊したのは御主の責任ではない。無暗に力を使って都市を破壊した、天剣や女王の責任だ』

 

「リーリン・・・」

『死体は無かったんでしょう? それなら何処かで生きているのよ。都市を渡り歩いていれば、きっと何時か再開できるわ。だから一緒に頑張りましょう』

 

『我が主よ。妾は御主の剣だ。例え、どんな困難が立ち塞がっても、妾が道を切り開こう』

『貴方は私が守るわ。誰にも傷付けさせはしない。だから何も怖がる必要はないの』

 

『妾の名はツルギ、妾と共に行こう』

『私の名前はリーリン、一緒に行きましょう』

 

「・・・うんっ!」



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【あらすじ】
槍殻都市グレンダンは壊滅し、
リーリンは行方不明になり、
レイフォンは旅に出ました。


 槍殻都市グレンダンは汚染獣と戦う都市だ。通常の移動都市と違って汚染獣へ向かって突き進むため、戦い慣れた強い武芸者が育つ。その武芸者の中でも特に優れた者に授与される物が天剣であり、天剣授受者とは武芸者の頂点に位置する存在だ。その天剣授受者が一人残らず、一匹の汚染獣に敗北したという話を聞いた者は、皆等しく耳を疑った。

 天剣が負けただけではなく、生活できないほど都市機能も低下した。汚染物質から都市を守るエアフィルターが壊れ、汚染物質で生態系が全滅し、食料の生産設備も壊れ、地上の住宅は跡形も無くなり、建築しようと思っても資材が全くない。この状態で汚染獣へ向かって突撃すれば、都市は滅びてしまう。しかし、さすがに移動都市に宿る都市精霊も不味いと思ったらしく、汚染獣の少ない地域へ避難した。

 そんな状態にグレンダンを追い込んだ汚染獣は、いかなる者か。シェルターへ避難する前に、その姿を見た者が生き残っていた。「全身を白い甲殻で覆い、大きな剣を持った、子供のように小さな汚染獣だった」と其の者は話す。そうして、グレンダンを壊滅させた汚染獣の情報は他の移動都市に伝わり、白い人型は警戒されるようになった。やがて白い人型はベヒモトと仇名を付けられ、グレンダンを壊滅させた最強の汚染獣として知られるようになる。

 

 グレンダンから旅立って8年後、ツェルニという学園都市にレイフォンはいた。その姿は8年前と変わらず、8歳相当の身長だ。妾を抜いた影響か、偽リーリンに寄生された影響か、どちらが原因か分からず困ったものだ。武芸の同級生よりも頭2つ分ほど小さいので、レイフォンは子供扱いされている。

 小さいまま16歳になったレイフォンは、学園都市の武芸科に通っていた。武芸を嫌って一般教養科を受験したり、入学式で喧嘩から生徒を助け、その女生徒と仲良くなるという事は無かった。武芸科の受験者は剄という特殊な力を持つ武芸者に限られ、錬金鋼を使って戦闘訓練を行う、肉体的にハードな学科だ。武芸科の他にも学科はあり、都市の食料を生産する養殖科や、武芸者の武器となる錬金鋼などの不思議物質を開発する錬金科もある。

 しかし、レイフォンは武芸科を選んだ。それはレイフォンの人並み外れた力を見せれば、授業料免除などの奨学制度を受ける事ができると考えたからだ・・・まあ、そもそもレイフォンの学力で、他の学科に合格するのは無理だった。今まで勉強しようとレイフォンが思わなかった訳ではないのだが・・・。

 グレンダンが壊滅した後、電子精霊に都市を追い出される事が何度かあった。特に電子精霊が生まれるという仙鶯都市シュナイバルは電子精霊だらけだ。都市に入った瞬間に発見され、電子精霊を引き連れた天剣並みの武芸者に追い出されてしまった。応戦しても良かったのだが、また敵が勝手に自滅して、都市を崩壊させる恐れがある。

 そのせいでレイフォンは荒野を歩き、自力で移動都市を見つける事になった。なので今まで警戒し、教育機関に通うなどの目立つ行動は取らなかったのだ。電子精霊に見つからなければ大丈夫だと結論を出したのは、ツェルニの前に居た都市で行った実験の成果だった。

 

 さて、面接の話だ。レイフォンの力を見せると言っても、偽リーリンの提供する鎧で完全武装すれば、ベヒモトと叫ばれて都市を追い出されてしまう。仮面部分だけを引き出しても、あの凶悪な造形は誤解を招くに違いない。そこで私の出番だ。奨学金の申請者に対して行われた面接の際、宙空から妾の半身を引き出し、レイフォンは持参した老生体の甲殻を切断した。空に存在した月を分断したように、妾の刃は斬ろうと思えば何でも斬れるのだ。

 フハハハハ、寄生虫とは違うのだよ! と思っていたらレイフォンは、面接官に怒られていた。どうやら汚染獣の一部は人体に有害で、都市に持ち込んでは成らない物だったらしい。多少の汚染物質ならば、レイフォンの肉体に問題は出ないので、すっかり忘れていた。面接官を口を押さえ、接触しないように火鋏で摘み、汚染された甲殻を袋の中に入れる。そこまでしなくても良いと思うのだが・・・都市に住む人々にとって、汚染物質は大変な物らしい。

 老生体の甲殻は没収され、続いて剣についても注意された。都市内で武器を持ち歩いては成らないからだ。しかし、妾はレイフォンの一部だ。手放す事など出来ない、むしろ手放す事など許さない。そこで妾という長剣は、レイフォンの肉体と一体化していると説明した。ついでに、その影響で成長が止まっていると、レイフォンは説明する・・・嘘だけど。

 そこで偽リーリンが横から口を出した。『剣のおかげで膨大な剄を手に入れたって事にしない?』と言い出したのだ。まあ、問題ないだろうと思って妾も賛成し、その通りにレイフォンは説明した。すると、面接官は少し納得したようだ。おかしな事だ。なぜ剣を持っている事が、膨大な剄を持っている事に繋がるのか。

『グレンダンの崩壊で天剣が流出したでしょ?』

 偽リーリンは言う。グレンダンで格別の力を持つ者に与えられていた天剣、それがグレンダン崩壊の際に他の都市へ流出した。死んだ天剣授受者の死体を漁ったのか、落ちていた錬金鋼を拾ったら運良く天剣だったのか。それは兎も角、天剣を持つと巨大な力を手に入れる事ができるという噂が流れた。おそらく噂は、天剣の値段を吊り上げるための企てだろう。理由は兎も角、そんな噂が流れている。なので、不思議な剣と同化したレイフォンが膨大な力を手に入れた事に、面接官は少しだけ納得したのだ。

『それだけじゃないわよ。キーワードは8年前、グレンダン出身の難民』

 つまり、妾をグレンダンで手に入れたと面接官に思わせたのだ。妾の切断力を考えれば、天剣のようなグレンダンの秘宝という可能性も捨て切れない。しかし、それではグレンダンの関係者に問い合わせが行かないかと妾は心配した・・・しかし本物だった場合、ツェルニにある秘宝をグレンダンに回収されると考えるのだ。それは都市とって、大きな損失となる恐れがある。あいかわらず偽リーリンは、無駄に頭が回るようだ。

 後日、奨学金のランクはAとされた。ランクAと言えば授業料の免除だ。保護者のいないレイフォンにとって有り難い結果だろう。これならばアルバイトを探す必要はあるが、機関掃除のバイトをする必要はない。機関部は時給が高いものの、都市精霊が遊びに来ることがあるので、レイフォンにとって危険な場所なのだ。

 とは言っても、学園都市ツェルニと同じ学園都市マイアスでは都市精霊が鳥型で、都市に生息する鳥の中に混じっていた。そのせいで気付かず、レイフォンは発見されている。そんな事がツェルニで起これば、また追い出される。なので、学園都市に宿る都市精霊の姿を、誰かに聞く必要があるだろう。

 

 武芸科の中でも優秀な者は、小隊に属する。移動都市が汚染獣に襲われた際、小隊に属する者は戦闘に参加する。武芸者としての力が大きいレイフォンは第十七小隊に所属し、小隊同士の序列を決める対抗試合で張り切った。観客に見られながら戦うのは初めてだったので興奮し、冷静さを失った。グレンダンでは妾が武器を破壊したため剣を捨て、武芸者同士の試合に出る事もなかったからのぅ。

 その結果、敵陣に力任せで突撃し、対戦相手の小隊員と標的の旗を薙ぎ倒し、味方の隊員を置き去りにして勝利する。試合開始から5秒で終わった悲劇だ。何が起きたのか理解できた者はいないだろう。レイフォンの武器が妾でなければ、対戦相手は挽き肉になっていた。

 しかし、それではダメだったらしい。「連携が出来なければ実戦で役に立たない!」と怒られ、突出を禁じられる。なるほど。これまで一人で戦ってきたレイフォンだが、これからは仲間と一緒なのだ。一人で汚染獣を退治すれば、恨みや妬みの対象となってしまうだろう。同じ事を賞金の出るグレンダンでやれば、昔のように背後から斬られても不思議ではない。なので次は力を抑え、接待モードでプレイする事になった。

 

 しかし次の試合が行われる前に、汚染獣の襲撃を受ける。武芸科の小隊員は出撃前に集められ、武芸科の代表である武芸長の演説を聞いた。それによると驚いたことに、この都市は10年以上も汚染獣と戦闘した経験がないらしい。それほど長い間、よく逃げ回れたものだ。そういう訳で、一年生だけではなく五年生や六年生も初陣となる。そして、この学園都市ツェルニの主戦力は学生だ。

「えっ、それって不味いんじゃ・・・武芸科の卒業生は何所に行ったんだろう」

『卒業生は他の都市へ行ったのではないか? だから上級生が下級生を指導する体制なのだろう』

「ええっ、そうなの!? どうしよう、さっさと片付けた方がいいんじゃ・・・」

『貴方一人で倒しては意味がない、と言われたばかりでしょう? ここで貴方が汚染獣を一人で全滅させれば、この都市は貴方に依存するの。それで貴方が居なくなった後、誰が汚染獣と戦うのかしら? それでは都市が滅んでしまうわ』

『それでも遣りたいと思うのならば妾を使うといい。妾は、我が主の望みを叶えよう』

「うん・・・じゃあ、危なくなったら頼むよ」

『だったら、その事を誰かに伝えておいた方が良いんじゃない? 武芸長とか小隊長とか』

「あ、そうだね。じゃあ、隊長に伝えておくよ」

 都市の滅亡に偽リーリンが気を配るなど珍しい。きっと善意ではなく、裏があるに違いない。今思えば面接の際に偽リーリンが進言した「レイフォンの力の元は妾である」という嘘も、何か問題が起こった時、妾に責任を被せるための備えだったのではないか。実際は力の元となっているのは妾ではなく・・・今さらだが、妾では無いよな? いや、無限の出力なんて妾は知らぬぞ。

 レイフォンが小隊長と話す。すると、「一人で突出するなと言っただろう」と怒られた。時機が来たら、指示するという事か。会話が噛み合っていないような気がしたものの、伝えた事に違いはない。例え小隊長が口を利けない状態になっても、低身長で目立つレイフォンが叱られる様を見ていた他の隊員や、情報収集のために端子を飛ばしている念威操者が証言してくれるだろう。

 

 さて、やはりダメだった。戦線の一部が崩れ、都市に汚染獣の侵入を許している。このまま戦闘が続けば各小隊は孤立し、汚染獣に囲まれるだろう。そう思っていると念威操者によって、戦線後退の指示が各小隊に伝達された。小隊の数が減り過ぎて、現在の戦線を維持できなくなったのだ。

 レイフォンは人の居ない方向に向かって斬撃を飛ばしている。それで削れる汚染獣は前方の限られた範囲だけだ。妾の刃ならば人体を透過して、汚染獣のみを斬る事もできる。しかし戦闘が始まった時に、それを遣ったら怒られてしまった。例え人体を透過しても、斬られた方は驚いて戦闘に支障が出るらしい。妾としては早く、斬られ慣れて欲しいものだ。

「隊長! もっと広範囲を斬らせてください! このままでは他の小隊が持ちません!」

「仕方ない、本部に問い合わせる! 許可が下りたら各小隊に伝達して、それから撃つんだ!」

「そんな事してたら、都市が汚染獣に飲み込まれますよ!」

「分かっている! だが、独断で動くな!」

 焦れったい。妾の出番は未だか。チマチマと汚染獣を斬っているので減った気がしない。頭の固い小隊長だ。コレが死ねば緊急回避的措置として、レイフォンも全力を出せる。しかし、小隊長の戦闘をレイフォンがサポートしているのだ。万が一にも小隊長が死ぬ事はないだろう。

 やはり、学内対抗試合の小隊戦でハッスルしたのは不味かった。あの事件を小隊長は気にして、必要以上に警戒しているのだ。レイフォン単独による一方的な試合の後、他の小隊長に嫌味を言われたのかも知れない。いいや、小隊長は人の話を聞かない所があるから違うな。他人の目を気にしているのではなく、自戒しているのだろう。縛られるのが好きなタイプに違いない。

「レイフォン! 周囲の小隊に通知したそうだ、やれ!」

 キラキラと光る念威操者の端子に話しかけていた隊長が、レイフォンに許可を下す。「了解!」と言ったレイフォンは、武芸者としての力を妾に込めた。武芸者の使う錬金鋼であれば、耐え切れずに壊れるほどの力だ。過去に一度実験した結果、レイフォンの力を受け止めきれず、錬金鋼は熱で溶解した。それほどの力を込められても、長剣である妾の半身にダメージはない。当然の事だろう。レイフォンの全力に耐えることが出来る武器は、妾に限られるのだ。

 

「行きます!」

 レイフォンが片足を前に出し、妾を持った片腕を振る。膨大な力が妾の刃から、飛ぶ斬撃となって放たれた。その勢いのままレイフォンは一回転し、円状の斬撃を放つ。上から見ると、渦巻状の光が周囲に広がって行く様が分かるだろう。とは言っても一瞬のことだ。それを斬撃と認識できる者はおらず、ただ光を発したように見える。

 人よりも大きな芋虫っぽい汚染獣の胴体を、光の刃は分断した。汚染獣で一番弱い幼生体だ。しかし、その甲殻は硬く、ただ斬っただけでは貫けない。武芸者としての力を十分に込めなければ甲殻を貫けない。その甲殻をレイフォンの放った斬撃は、一瞬の抵抗もなく切り裂いた。それでも他の小隊員を傷付ける事なく、斬撃は人体を擦り抜ける。レイフォンの刃は汚染獣のみを切り裂いて行く。

 斬撃が通り過ぎた後、地上の汚染獣は一掃されていた。とは言っても第十七小隊の周辺だけだ。遠く離れた外縁部では、まだ武芸者と汚染獣の戦いは続いている。それに移動都市の脚部を這い上がる汚染獣や、地下から未だ出て来ていない汚染獣も残っている。しかし、全体の2割以上に当たる汚染獣を戦闘不能にできたはずだ。

「なんだ、今のは!? なぜ、もっと早く使わなかった!?」

「許可が下りなかったので、勝手に使うわけには・・・」

「そういう問題ではない! なぜ、汚染獣を一掃できる事を教えなかった!?」

「ええっ? 縦に飛ぶ斬撃は小隊の訓練で見せたでしょう? アレを横に飛ばしただけです」

「お前という奴は・・・! どうして其れを言わなかった・・・!」

「いやいや先輩、見れば分かるでしょう!?」

「分かるか!」

 レイフォンの小さな頭を両手で押さえ、小隊長は文句を言う。第十七小隊に所属した際、飛ぶ斬撃は固有技として紹介した。隊員の使える技を把握して置かなければ、小隊長も作戦を立案できないからだ。しかし飛ぶ斬撃を、さきほどのように使えると思い付かなかったらしい。

 ちょっと其れは、頭が固すぎるのではないか。小隊長の発想が貧困だったのだ。少なくともレイフォンの責任ではない。飛ぶ斬撃で此の様なら、偽リーリンの万能光線を見せたら何と言うのだろう。まあ、アレは仮面を付ける必要があるので、人前で使うことは無いと思うけど。

「シャーニッド先輩! 助けてください!」

「オレも擁護できないな。レイフォン君は色々と説明不足なんだよ」

 やれやれ、と別の隊員が溜息を吐く。これは解せぬ。一から十まで説明しなけば、応用技を思い付けないのか・・・いいや、意外に気付けない物なのかも知れない。レイフォンは他人の技を見るだけで盗み、再現して使い、さらに思い付きで応用技を作り出すのだ。基本的にオリジナルの劣化品になるとは言っても、技を習得するために必要な反復練習を省略できる。そんなレイフォンと凡人を比べるという行為が、そもそも間違っているのだ。さすが我が主、凡人とは違うのだよ。

 

 あの後、レイフォンの斬撃は解禁された。そして数時間も戦闘を続けた結果、地上に出ていた汚染獣は殲滅される。そこで移動都市に選択肢が生まれた。地下に潜む汚染獣を倒すか、地下の汚染獣を放置して去るか。その結果、地下の汚染獣を放置する事を選択し、都市は移動を始めた。現存する都市の戦力で攻略は不可能と判断したのだろう。しかし・・・、

『仲間を呼ばれたわ』

 偽リーリンがレイフォンに告げる。同族なので、汚染獣の声を聞き取ったようだ。おそらく地下にいる雌性体が、幼生体を殲滅された事に気付き、付近の汚染獣に助けを求めたのだろう。分かりやすく言うと、子供を殺された事に気付き、母親が助けを求め、父親や祖父が来るかも知れない。父親は雄性体であり、祖父は汚染獣の完全体に当たる老生体だ。

「えーと、気付いてるよね? だから急いで、ここから離れようとしてるんだよね?」

『当然、知っているだろう。汚染獣に関する知識を纏めた書物が無いとは思えない』

「だよね・・・でも、さっきの事もあるし、一応聞いてみようか」

『後で文句を言われるのは面倒だ。その方が良いだろう』

 そう思ったレイフォンが報告した結果、小隊長に驚かれた。どうやら、仲間を呼ばれるという事は知らなかったらしい。国家と国家の関係といえる移動都市同士の交流は少ないので、汚染獣に関する共有情報は少ないようだ。それに雌性体が仲間を呼ぶ事実を知る前に、増援の汚染獣に滅ぼされる都市は多いのだろう。

 その情報は念威操者によって伝達され、終わったと安心していた各小隊は再び召集された。なので、その士気は高くない。こんな状態で雄性体や老生体と戦うのは無理だろう。しかし、この状態ならば力を制限される事なく、最初から斬撃を打っ放す許可が下りるかもしれない。

 

 第十七小隊も戦闘待機だ。都市の外縁部から退いて待機する。前の戦闘で疲れ果てたため、都市外装備を脱いで小隊員は休んでいた。しかし十七小隊はレイフォンの無双状態だったため、それほど疲れていない。なのでレイフォンは妾を納め、狙撃主の隊員とカードゲームを行っていた。その横で小隊長は目を閉じ、座ったまま集中している。もとい気を張り詰めている。まるで新兵のような有様だ。と思ったものの小隊同士の試合は兎も角、汚染獣に対する実戦は初めてに違いない。

「レイフォン・アルセイフ、生徒会長が御呼びだ。オレの後を付いて来い」

 武芸長に呼ばれて、レイフォンは移動都市の上部へ移動する。案内されたのは生徒会室だ。各所から受ける報告や各所へ送る指令で忙しいらしく、固定電話を手に持って喋っていた。念威操者を使わないのは色々と理由があるのだろう。都市の全域をカバーできる念威操者が居ないとか・・・いいや、それは居るか。レイフォンと同じ第十七小隊に、やる気は無いけど天才な念威操者が所属している。まあ、その念威操者は参戦しないと言っていたけれど。

「よく来てくれた。私が生徒会長のカリアン・ロスだ」

「私は第十七小隊所属のレイフォン・アルセイフです」

「そう堅くならなくてもいい。これからの戦闘に差し支えが無いよう、ゆっくりしたまえ」

「はい、ありがとうございます」

「汚染獣の増援が来ると、君のおかげで分かったと聞いている。都市を護る者として感謝しているよ。さきほど、こちらに向かって飛行する巨大な影を、優秀な念威操者が捉えた。おそらく汚染獣だろう。時間が無いので、先に本題から話す。空飛ぶ汚染獣を君は倒せるか?」

「はい、問題ありません」

「君の実力は周知の物なので、私も信頼している。その力を借りたい。君の全力で汚染獣を仕留めて欲しい。必要な物があれば用意しよう」

「分かりました。今の所、必要な物はありません。ボクの剣だけで十分です」

「そうか。では、第十七小隊から特別攻撃小隊へ、君を一時的に移す。これより君に優秀な念威操者を付けよう。君と同じ第十七小隊に所属するフェリ・ロスだ」

「え? フェリ先輩は戦闘に参加しないと聞いていますが・・・」

「覚悟が決まったようだ。これも君のおかげかな。分からない事があれば彼女に聞いてくれ。この都市の行く末は君に掛かっている。頼んだよ」

「了解しました。では、都市の外縁部で迎え撃ちます」

 念威操者と合流したレイフォンは、都市の外縁部へ向かう。都市の壁を登って侵入した汚染獣を迎え撃つための場所、それが外縁部だ。そこには汚染獣の死体が数百体も残っている。汚染獣の死体は汚染物質を含むため、都市の外へ落とす必要がある。しかし、小隊員の休息を優先するため放置されていた。

『あの生徒会長、チグハグね。汚染獣の位は知らない癖に、強さの分からない汚染獣とレイフォンが戦えると確信している。ちょっと怪しいんじゃない?』

『組織の末端まで情報が行き渡って無かったのではないか。汚染獣の位を知っていたものの言わなかった可能性もある。最弱の幼生体で、あの様だ。そんな事を知れば士気は下がるだろう。我が主の強さは言うまでも無い』

『まあ、いいんだけどね。先に手を出してくれた方が遣りやすいし・・・』

 

 空飛ぶ汚染獣もとい巨大な老生体は、レイフォンの一撃でサクッと胴体を分断され、汚染物質塗れの荒野へ落ちた。剣を振るだけの簡単な御仕事だ。しかし、老生体と違って飛べない雄性体は遅れて来る恐れがあるので、レイフォンは外縁部に座って待機する。その背後では、死んだ幼生体の片付けが行われていた。小隊員は現在、半数は戦闘待機で、残りの半数は戦後処理を行っている。

 汚染物質から都市を守るエアフィルター、それは空気の膜だ。暇だったレイフォンは、其の外に頭を出した。深く息を吸って、汚染物質を肺に入れる。レイフォンによると肺が熱くなり、さらに吸うと体が熱くなるらしい。ポカポカと温まるそうだ。しかし、体に良い訳がない。熱くなるのは細胞が焼けているからだ。

 それでも定期的に汚染物質を体内に入れなければ、レイフォンは脱力感を覚えてしまう。レイフォンにとって汚染物質は毒だが、都市の清浄過ぎる空気も毒なのだ。分かりやすく言うと、汚染物質は二酸化炭素で、都市の空気は酸素だ。二酸化炭素が多過ぎれば苦しくなり、酸素が多過ぎても苦しくなる。

『何をしているんですか』

 レイフォンの耳に、聞き覚えのある声が聞こえる。生徒会長に行動を共にするよう言い渡された、レイフォンと同じ特別攻撃小隊に属する念威操者だ。フィルターの中に頭を戻して周囲を見回すと、レイフォンの視界にキラキラと光る端子が映った。背後を見ると、不機嫌そうな表情の念威操者がレイフォンを見ている。その念威操者とレイフォンの距離は遠い。

『エアフィルターの外に首を出すなんて、死にたいんですか?』

「いいえ、慣れれば気持ちいいですよ。もっとも、普通の人は慣れる前に死ぬと思いますけど。ボクは色々と特別ですから」

『そうですか。それは良かったですね。それで、そんな特別な人になれた気分は如何ですか?』

 端子から聞こえる声は、何か怒っているような気がする。反応したのは特別という単語か。そう言えば、この念威操者は天才だったな。念威操者の力を使うと、髪の毛が発光するほどの力を秘めている。しかし、自身の力を嫌っていた。だから力を受け入れているレイフォンに嫌悪を感じているのか。

「悪くはありませんよ。背が伸びない事も、都市を追い出される事も、故郷を失った事もありますけど、この力が無ければボクは殺されていた。戦うための力だからこそ、例え世界を敵に回しても生きて行ける」

『そうですか。それは悲しい話ですね』

「悲しい? それは如何でしょう。ボクは、この力さえあれば生きて行ける」

『寂しい話です。貴方の世界には誰もいません』

 偽リーリンと同じタイプか・・・言葉が曖昧で、今一つ話が読めない。レイフォンが世界を拒絶している訳ではない。汚染獣に寄生されているという理由で、世界がレイフォンを拒絶しているのだ。そうして襲い掛かってきた連中に反撃すると、それを理由にレイフォンを悪だと決め付ける。先に手を切ったのはレイフォンではない。

「ところでフェリ先輩、何か御用ですか?」

『兄の犠牲者が出ないよう、忠告をしてあげようと思っていました。でも、その必要は在りませんね。貴方は力を誇示するのが大好きなようですから』

 そう言うと、端子はレイフォンから離れる。レイフォンの後ろに念威操者の本体は居るものの、端子が離れたので話は終わりという事か。そのままキラキラと光る端子は、なかなかの速度で都市から離れて行った。もしも端子に高い強度があれば、弾丸として使えるほどの速さだ。おそらく汚染獣の姿を探しに行ったのだろう。もしかすると、兄である生徒会長に頼まれて、汚染獣の捜索に行ったのかも知れない。だから、あんなに機嫌が悪かったのか。

 

 フェリという念威操者は、桁外れなほど多い念威を持つ。念威は生まれ持った才能に依存し、鍛えても多くは増えない。レイフォンと似たような物だ。フェリが念威操者として生きよう思えば、生活に苦しむことなく生きることが出来るだろう。しかし、フェリという念威操者は、才能を理由に念威操者としての人生を強制されたくはなかった。だから、念威操者ではない自分を見つけるために、フェリは学園都市へ留学した。

 そう思っていたにも関わらず、武芸科や第十七小隊に属しているのは、フェリの兄である生徒会長の企てだ。汚染獣などの危険から都市を守るために、念威操者であるフェリの力は保険として必要だった。そんな兄に対してフェリはストライキを起こし、小隊同士の対校試合で手を抜いた。

 自分は何者でありたいのか。何者であればいいのか。少なくとも念威操者で在りたくはない。もっと自分に出来る事があると、彼女は思っていた。もっともっと空高く、その身は自由に飛べるはずなのだ。しかし、大切に扱われている鳥カゴから飛び立つ勇気はない。彼女に見えているのは自分を捕らえる檻だけで、その先には何もなかった。きっと強引に檻の外へ出れば、彼女は飛ぶことも出来ず、地に落ちて死ぬだろう。

 そんなモヤモヤとした思いを抱えたまま2年生に進級すると、フェリの属する小隊に1年生が入隊した。フェリと同じくらい低い身長なのに凄腕の武芸者だ。入隊試験を行った隊長は、レイフォンの身長に油断して迎え撃った結果、認識できないほどの速さで背後に回り込まれ、脚を払われて無様に転んだ。

 まずフェリは、自分と同じくらいの身長という特徴に共感する。他の人と違って見上げる必要がないので、眼や首に優しい。その次はレイフォンの強さに共感する。フェリのように桁外れの才能を秘めているのだ。最後は其の在り方に嫌悪する。自身の力を嫌いでは無いものの念威操者で在りたくないフェリと違い、レイフォンは武芸者として在ることを受け入れていた。

 初めての対校試合で、レイフォンは興奮していた。まるで子供だ、まさに子供だ。汚染獣の甲殻から錬鉄されたという噂のある、体内に格納していた特殊な簾金鋼をレイフォンは引き出す。すると、その勢いのまま事前の作戦を無視して敵陣に突っ込み、5秒で敵の小隊員と標的のフラッグを破壊した。協調性の欠片もない。そのため勝ったものの小隊長に叱られ、大勢の人に見られながら戦うのは初めてだったとレイフォンは言い訳する。それに対してフェリは「十七小隊は貴方一人で良いんじゃないんですか?」と刺々しく言った。

 その後、ツェルニは汚染獣の襲撃を受ける。汚染獣の巣を移動都市が踏み抜いたからだ。無数の汚染獣に圧され、小隊の多くは戦うというよりも逃げ回っていた。シェルターに入っていなかったフェリは、その様を端子で覗き見る。汚染獣に体を食い千切られて、後方へ運ばれる武芸者を見た。戦闘の経緯は都市の壊滅を予感させ、フェリの気持ちを迷わせる。前線の戦闘を支援するべきではないのかと、フェリに思わせた。

 そこへ閃光が走る。見覚えのある、レイフォンの斬撃だ。それが広範囲に放たれ、汚染獣を一掃する。その様を見て、フェリは呆れた。戦闘が始まって数時間が経ち、前線は崩壊寸前だ。その状態になるまでレイフォンは手を抜いていた。死者が出ているにも関わらず、レイフォンは全力を出さなかった。

 その様を見て安心する。自分より非道な人が居ると知って、フェリは安心した。けれども親近感は覚えない。自分勝手な理由で人の死を見逃すような人を、同類と思いたくなかった。だからフェリは悩んだ末、兄である生徒会長に参戦の決意を言い渡す。そうして彼女は戦列に加わった。

 戦闘は数時間続いて、やっと終わった。と思ったら、増援の可能性が浮上する。その可能性を指摘したのは、またレイフォンだ。「そう言う事は早く言え!」と誰もが思い、同じ事をフェリも思った。長距離マラソンを走り終わったと思ったら、再スタートを言い渡されたようなものだ。戦い疲れた武芸者達の受ける衝撃は計り知れない。

 さらにレイフォンは増援の可能性がある事を、人前で何気なく言っていた。そのため、その衝撃的な情報は、瞬く間に他の小隊へ広がる。おかげで各小隊の士気は、立ち直れないほど一気に下がった。そんな様では汚染獣と戦えない。わざと遣っている可能性を疑いたくなる。

 その状況を覆したのもレイフォンだった。生徒会長より特別攻撃任務もとい特攻任務を一任されたレイフォンは、空飛ぶ巨大な汚染獣を一撃で仕留めたのだ。その光景を見た人々は様々な感情を抱く。桁外れな力を持つレイフォンに対する恐れや、最初から本気を出せば簡単に汚染獣を倒せたのではないかという怒りだ。

 その中間にフェリはいた。外縁部に立つレイフォンと、都市の内側に立つ人々の間に、フェリは立っていた。レイフォンの背中をフェリは見ていた。その後姿は少しも揺るがない。圧倒的な力を備えたレイフォンは、他人に左右されない。いつでも自分の意思を押し通せるのだ。

 嫌悪を感じると同時に嫉妬する。あのように成りたいと思うと同時に、あのように成りたくないとフェリは思う。その有様はフェリの映し鏡だ。もしも念威操者として生きるのならば、あんな様になってしまうのだろうとフェリは思う。それは嫌だった。あんな人でなしには成りたくなかった。

 

「何をしているんですか」

 素肌のままエアフィルターの外に顔を出す、という自殺行為をレイフォンは始める。それに対して思わず、フェリは口を出した。あんな事をしていれば表皮は炎症を起こし、呼吸をすれば肺は腐る。眼を汚染物質に晒せば、失明しても不思議ではない。しかしレイフォンは、何でもない様子でフェリに答えた。

『いいえ、慣れれば気持ちいいですよ。もっとも、普通の人は慣れる前に死ぬと思いますけど。ボクは色々と特別ですから』

 当たり前のようにレイフォンは言う。実際、誰が見てもレイフォンは特別だ。普通の人は百体近い汚染獣を纏めて倒したり、巨大な空飛ぶ汚染獣を一振りで倒したり出来ない。レイフォンは武芸者の中の武芸者だ。しかし、その力も行き過ぎれば化物と変わらない。人に理解できない化け物だ。

『悪くはありませんよ。背が伸びない事も、都市を追い出される事も、故郷を失った事もありますけど、この力が無ければボクは殺されていた。戦うための力だからこそ、例え世界を敵に回しても生きて行ける』

 その時、フェリは悟る。レイフォンにとって、全ての者は仮想敵なのだ。そして自分の力だけを信じている。積極的に他人を排除しようと思わないものの、敵と思えば迷いなく斬るに違いない。けして他人に心を許さず、全ての者に平等だ。男も女も大人も子供も、汚染獣や其れ以外の者も、仮想敵として全て等しい。自分勝手で最低最悪な、悪平等の概念だ。

 フェリは自身の行動を思い返す。自分にも其のような所はあったと思う。隊長であるニーナに言われなければ小隊の訓練に参加せず、兄に対する反抗として対校試合では手を抜き、密かに都市外へ端子を飛ばして楽しむ趣味がある。レイフォンの不快な有様に、そんな自分の姿を垣間見た。

「寂しい話です。貴方の世界には誰もいません」

 私の世界には誰が居るのだろうと、フェリは思う。レイフォンと同じ有様になれば、周りに誰も居なくなるだろう。いいや、見えなくなるのだ。身の周りに他人が居ても気付けなくなる。自分を心配してくれる人が居ても信じられなくなる。他人が救いの手を差し伸べても、それに答えられなくなる。そんな有様は嫌だと、フェリは思った。

『ところでフェリ先輩、何か御用ですか?』

「兄の犠牲者が出ないよう、忠告をしてあげようと思っていました。でも、その必要は在りませんね。貴方は力を誇示するのが大好きなようですから」

 兄は嫌いだ。武芸も嫌いだ。だから他の事を頑張ろうと、フェリは思う。自分に向いていないと思って諦めていたアルバイトに、再挑戦したいという気持ちになれた。鳥カゴの中から出るのは恐ろしいけれど、そのまま心を閉ざせば世界に他人が存在しなくなる。そんな有様になるのは何よりも嫌だった。孤独を恐ろしいと感じる事ができる間に自分の世界を広げなければ、レイフォンと同じように手遅れになるだろう。そうなれば何も感じなくなる。人と人の間に生きる、人間ではなくなる。

 

 汚染獣との戦いが終わった後、ゴルネオという武芸者は怒りを覚えていた。辺り一面に広がった閃光が、その目に焼き付いている。あんな物が使えるのならば、なぜ最初から使わなかったのか。まるで他の武芸者の努力を無駄と嘲笑うように、閃光は見渡す限りの汚染獣を切り裂いた。

「くそっ!」

 アレを使ったレイフォンという武芸者は、安易に使えなかった理由があるのだろう。重大な理由があるから使えなかったのだ。あの小さな体に負担が掛かるのかも知れない。武芸者としての力を大量に消費するため、回数制限があるのかも知れない。そう思ってゴルネオは自身を落ち着かせる。とは言っても、そんな訳は無い。不幸な擦れ違いで許可が下りなかったから撃たなかったという、それだけの理由だ。

「逆に言えば幸運だった。アレが居なければ、ツェルニはグレンダンの二の舞だっただろう」

 そう言ったのはゴルネオの兄弟子であるガハルドだ。8年前にグレンダンから脱出したガハルドは、弟弟子のゴルネオを頼ってツェルニを訪れ、そのまま住み着いた。グレンダン出身のガハルドは、ツェルニで有名な武芸者だ。しかし今回の件で、良い意味でも悪い意味でも有名になったレイフォンには及ばない。

「アレは文字通り桁が違う。単独で都市を落とせるような奴だ。グレンダンで言えば天剣授受者に相当する。わざわざ幼生体を倒すために力を使ってくれた分だけ、マシだと思った方がいい」

 そう言ったガハルドは8年前の光景を思い出す。白い化物と戦っていたのは、ガハルドの兄弟子である天剣授受者のサヴァリス・ルッケンスだ。その光景を思い出すだけでも、身の冷える恐怖を感じる。サヴァリスと白い化物の発する膨大な剄に威圧され、ガハルドは其の場に近付く事すらできなかった。

 その時、天剣授受者が如何なる者か、ガハルドは悟った。磨き上げた技なんて物は飾りに過ぎないのだ。本当に必要なのは人並み外れた量の剄であり、それが無ければ同じ舞台に立つ事すら許されない。そこで天剣授受者を目指していたガハルドは挫折し、そしてグレンダンは壊滅した。

 レイフォンが月を斬った時、ガハルドはシェルターに避難していた。それは幸いな事だ。おかげでガハルドは、月を斬った物の正体を知らない。もしも月を斬った斬撃を見ていたら、レイフォンの放った斬撃に恐怖を感じていただろう。それを知ってしまえば、夜も眠れず怯えるに違いない。グレンダンを壊滅させた諸悪の根源が同じ都市に居ると、ガハルドは知らずに済んだのだ。



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本日2013年2月20日水曜は、
鋼殻のレギオス第23巻「ライク・ア・ストーム」の発売日です。
クライマックスと思ったら短編挟んで来やがった。何を言ってるのか(ry
記念パピコ。

【あらすじ】
学園都市へ潜り込んだレイフォンは、
人目を気にせず自身の力を存分に振るい、
人並み外れた力のせいで仲間に恐れられました。


 生徒会長の家に招待されたレイフォンは、無線観測機が撮った写真を渡された。その画像に映っているのは、汚染物質の吹き荒れる荒野に座する巨大な影だ。脱皮前の老生体・・・ではなく移動都市だった。その画像を見たレイフォンは、無線観測機を使って索敵を行っている事に感心する。

「ツェルニの進行方向、500キルメル先で発見された都市だ。何らかの理由で滅びた廃都市だろう。複数の小隊を派遣する予定だが、君に先行して危険がないか調査してもらいたい。汚染獣に滅ぼされた可能性もあるため、威力偵察となるだろう。万が一の場合は、自身の生存を優先して構わない」

「分かりました」

 迷う様子もなく、レイフォンは了承する。生徒会長に「一人で先行し、発見した汚染獣を攻撃しろ」と外道な事を言われたのだ。威力偵察とは、そう言う事だ。普通ならば、有害な汚染物質の吹き荒れる中、孤独となる事に恐怖を感じる。その先にいる汚染獣と戦うなんて事はできない。

 しかし、レイフォンは不安を感じなかった。グレンダンを出た時は放浪バスに乗れず、次の都市を見つけるまで荒野を歩き続けたのだ。夜の真っ暗な無人の荒野で、レイフォンは過ごし慣れている。汚染獣と戦う事に関しても問題ない。どんな敵が相手でも一撃で終わるだろうとレイフォンは思っていた。それにレイフォンは独りではなく、妾もいるのだ。

『リーリンさんを忘れないでほしーなー』

 ランドローラーという乗り物を貰い、レイフォンは発見された都市へ向かう。念威操者の案内を受けるため、都市外装備を身に付けた。それよりも偽リーリンの鎧を身に着け、レイフォン自身の足で走った方が速い。しかし、念威操者の端子を介して覗かれている間は使えないかった。

 そんな訳で、1日ほど乗り物で移動すると、限界距離に達したため端子は離れる。その後はランドローラーを置いて走り、音速突破の衝撃も鎧で防ぎ、荒野に煙を巻き上げながら、わずか数十秒でレイフォンは目的地である都市に着いた。都市の外という広い空間だからできる荒業だ。

 鎧を解除すると当たり前のようにレイフォンは、数百メートル上にある都市の外縁部へ跳ぶ。それ以外にも都市へ侵入する方法はあった。移動都市の下部にある出入口を、力技で開けるという方法だ。しかし、人の有無を視認するまで都市を傷付けてはならない、とレイフォンは判断する。生徒会長は廃都市と言っていたが、住人が残っている可能性もあるのだ。

 エアフィルターを抜け、レイフォンは外縁部へ着地する。外縁部は汚染獣を迎え撃つため平坦だ。しかし、そこに戦いの跡がない。少し前に汚染獣と戦ったツェルニのように、血や泥、汚染獣の死体や体液で汚れた跡はなかった。外縁部の向こうに見える町並みも、壊れている様子はない。

 汚染獣の襲撃ではないのか。ならば、なぜ都市に人が見当たらないのか。商店の並ぶ道路を歩くレイフォンは住民に出会わなかった。無人の都市だ。扉の鍵は掛けられ、シャッターも下ろされている。その様子から、急に人が消えた訳ではない事をレイフォンは察する。都市を出る時間は十分にあったのだ。そんな光景を見てレイフォンは、グレンダンに居た頃、伝染病が流行した事を思い出した。

 致命的な伝染病の流行で、都市の住民は脱出したのか。ならば建物の中に死体が残っているのかも知れない。そう思ってレイフォンは幾つかの民家に侵入し、さらに病院を探してみたものの、死体は見つからなかった。診療記録を探して見ると、伝染病が流行した跡もない。

「こういう時は、フェリ先輩がいると助かるんだけど・・・」

 あの念威操者が居れば、都市内にいる住人の有無を調べるのは簡単だ。レイフォンが昼寝している間に調べ終わるだろう。しかし念威操者を含む小隊は今、学園都市を出発した頃だ。そもそもレイフォンの任務は威力偵察となっている。なので、この不思議な都市について詳しく調べる必要はない。レイフォンは見つけた敵を倒せば良いのだ。

『と言う訳で、かくかくしかじか』

「うまうま、なるほど。じゃあ、人の居ない原因を探るのは中止して、地下へ行こう」

 都市の地下と言えばシェルターだ。都市の人々を避難させるため、大きな広間となっている。もちろん一つではなく、都市の各所に数百個あるはずだ。汚染獣にシェルターを攻撃された場合、単一の場所に避難させるよりも、複数の場所に避難させた方が被害は少ない。そうすると維持費は上がるものの、リスクは分散できる。

 全部を調べる余裕は無いので、都市の中心部にあるシェルターを調べる。すると、やはり無人だった。しかし、缶詰めの非常食を発見する。廃都市となった後に訪れる者のため、残されていたのか。さらに、地上では点かなかった電灯が、地下では点いた。地下に限って電力が通っているのだ。これは地上へ通う電力のラインが、何らかの意図によって遮断されている事を示している。

 都市の電力は機関部で作られる。パイプと歯車が絡み合う機関部は、原料であるセルニウムを放り込んで置けば良いという物ではない。つまり、機関部に人がいるのだ。その事に気付いたレイフォンはシェルターの調査を中止し、都市の機関部へ向かう。そもそもエアフィルターが稼動している時点で、不思議に思うべきだった。

「でも数日だったら、人が居なくても稼動する可能性はあるよね。都市が滅びて、そんなに日が過ぎていないだけかも知れない」

『まあ、人の居る可能性が上がっただけでも良いだろう。話を聞ければ手間が省ける』

 

 都市の機関部へ下りたレイフォンは、滑らかな表面の地下通路を歩く。その格好は都市外装備を着たままで、偽リーリンの鎧は解いていた。長剣という妾の半身も体内に納められ、レイフォンは何も手に持っていない。その状態で隠れ潜む様子もなく、レイフォンは各部屋を見回っていた。

 その時、ダダダダッという破裂音が微かに聞こえる。そしてバンッという音と共に、壁から小さな黒い物が飛び出た。それに対してレイフォンは宙空から妾を抜き、反射的に黒い物を斬る。すると黒い物は2つに割かれ、レイフォンを避けて壁に減り込んだ。まさか、今のは銃弾か。

 銃声は連続して聞こえた。連射性能の高い機関銃、マシンガンという奴だろう。その音の通り、次々に銃弾が壁から現れる。それらを無視してレイフォンは斬撃を放った。銃弾を切り飛ばすのではなく、撃ち手を先に気絶させようと考えたのだ。どうせ銃弾は偽リーリンの鎧で防げると、レイフォンは思っていた。

 しかし、レイフォンの体に衝撃が走る。瞬時に展開された白い鎧を、銃弾は貫いていた。巨大な都市を引っくり返すほど力があった、グレンダン最強の女王による攻撃を防いだ鎧だ。それほどの物が、小さな弾丸に突破されている。驚いたレイフォンは動きを止め、さらに銃弾を身に受けた。

『バカなっ!』

『私に任せて!』

 偽リーリンが叫ぶと、レイフォンは口から光線を発射した。拡散された光線は、小さな穴の開いた壁ごと銃弾を消し飛ばす。それだけでは止まらず、放射方向にあった物を巻き込んだ。放出が終わるとレイフォンの前方にあった物は全て無くなり、遠くに見える大きな穴から都市の外にある荒野が見える。外から見れば、都市の下部に大きな穴が開いているだろう。偽リーリンは力を加減せずに放ったようだ。まあ、仕方ない。

 それよりもレイフォンだ。銃弾で開いた穴は、鎧の元となっている白い液体を詰め込まれている。しかし、傷が治ったわけではない。レイフォンは痛みを感じるらしく、苦しんだまま動けなかった。傷が治るまで何日かかるか分からないので、後から来る予定の小隊に頼った方が早い。

『なぜ銃弾は、貴様の鎧を貫通した?』

『相手が特殊な能力を持っていたのかも知れない。老生体まで成長した汚染獣の中には、特殊な能力を得る者もいるから』

『さきほどの敵は汚染獣だったと言うのか?』

『汚染獣に対する特殊な弾だった可能性もあるわね。でも人なら、さっき放った私の攻撃で死んでいるはずだから、考える必要はないわ』

『まだ敵は生きていると?』

『安心するのは早いもの。今の内に少しでも移動しないと・・・』

 その時、瓦礫の崩れる音に、微かな発砲音が混じる。背中を預けていた壁を貫き、銃弾がレイフォンの頭部を貫いた。その衝撃で脳は潰れ、血管は千切れてグチャグチャになる。後ろから撃たれた体は前に倒れ、床で頭部を強く打った。そして、光線で開いた穴をレイフォンは転がり落ち、瓦礫に引っ掛かって止まる。レイフォンの体を覆っていた白い鎧が剥がれ落ち、荒野の風に吹かれて散った。

 

「なぜレイフォンを一人で行かせたのですか!?」

 レイフォンの所属する第十七小隊の小隊長は生徒会長室へ押し入り、生徒会長を問い質した。生徒会長の妹である念威操者から話を聞いたからだ。小隊長の後ろに隊員である狙撃手と、少し離れた扉の近くに念威操者が立っている。ついでに整備士も、小隊長の後を追って同席していた。

「念威操者のサポートもなく廃都市に一人で行かせるなど、レイフォンに死ねと言っているような物ではありませんか!?」

「彼の実力は私も知っている。できれば彼を都市に残したかったが、代わりに派遣した小隊を失うのは惜しい。しかし彼ならば、どんな敵が相手でも無事に帰って来れると信じている。だから彼を一人で行かせたんだ」

「せめてフェリを同行させれば・・・!」

 小隊長の言葉を聞いて「私ですか・・・」とフェリは呟く。もしも同行を命じられていたら、全力で御断りしていた。男と女の問題もあるし、本能的に受け入れられない。実際、1日ほど廃都市までの道程を案内した結果、フェリの精神力は擦り切れた。ほとんど無言だったにも関わらず、これほどフェリの精神を痛め付けた相手は、レイフォンが初めてだろう。

「都市で最も優れた念威操者を失う危険は冒せない。それに守る者が居れば、彼も自由に戦えないだろう。万が一の場合は、自身の生存を優先するように伝えている。逆に彼が帰って来なかった場合は、彼ですら生還できないほど危険な場所という事だ」

「レイフォンを捨て駒にしたのですか・・・!」

「誰かが遣らねばならない事だ。しかし、彼は喜んで引き受けてくれたよ。大丈夫、よほどの事がなければ、彼は無事に帰ってくるだろう。彼の報告を元に調査計画を練り、いくつかの小隊を派遣するので、今の内に君達は十分な休息を取り、体調を整えて欲しい」

「生徒会長、私はレイフォンの後を、今すぐ追うべきだと思います」

「もしも彼が汚染獣と戦っていたら邪魔になる。彼を太陽に例えれば、君達は小さな星だ。彼の輝きの前では暗闇に埋もれてしまう。その事は汚染獣の襲撃があった時に理解できただろう」

 弱点を突かれて、小隊長は言葉に詰まる。戦場でレイフォンの圧倒的な強さを見た小隊長は、睡眠時間を削るほど鍛錬を行っていた。レイフォンに力が及ばないのは、小隊長自身も良く分かっている。巨大な汚染獣を一振りで斬り裂いたレイフォンと、対等に戦える敵が居るとすれば、小隊長は戦場へ近寄ることも出来ずに死ぬ。逆に、簡単に倒せるのならば小隊長の助力は必要ない。

「一人で行けば、事故が起こった時に対処できません」

「君達が行っても足手纏いになる」

 小隊長とレイフォンの力の差を、生徒会長は星に例えて言った。しかし、それでも納得しない小隊長に対して、生徒会長は率直に力不足を指摘する。学園都市の代表である生徒会長から、力の差を明確に告げられた小隊長は大きなダメージを受けた。とは言っても、その程度で怯むような性格ではないので言い返す。

「そんな事はありません!」

「あるのだよ。どんなに彼が強くても、君達を守りながら戦っていれば実力を発揮できない。君達の実力に合わせて戦っていれば倒せる者も倒せない。逆に、彼一人ならば瞬時に戦闘を終わらせる事ができるだろう。君達も覚えがあるはずだ」

 生徒会長の指摘は、小隊長の心を揺らす。特別攻撃を任されたレイフォンは、巨大な汚染獣を一振りで倒してみせた。その光景は小隊長の目に焼き付いている。「彼一人ならば瞬時に戦闘を終わらせる事ができる」という思いを否定できなかった。レイフォンの力が大き過ぎて、小隊長は適切な命令を下せない。生徒会長ですら詳細な作戦内容を伝えず、レイフォンに丸投げしていた。

 砕かれたのは小隊長としても自信と、武芸者としても自信だ。小隊長としてレイフォンを上手く扱えず、武芸者としてレイフォンに力は及ばない。自分に都市を守ることは出来ないと言われているようだった。小隊長以外の武芸者も同じ事を感じているのだろう。汚染獣から都市を守ったというのに、自分の力で守った気はしなかった。

 ああ、無力だ。私は無力だと小隊長は嘆く。だから身を削って努力するものの小隊長の力は、レイフォンの持つ力に及ばない。体を鍛えるだけでは、一生かけても届かないと理解していた。もしもレイフォンに並ぶ方法があるとすれば「剣」を手に入れる必要がある。そんな物、どこにあると言うのか。

 気を落とした小隊長は退室し、それに隊員も続く。生徒会長は一人になると、事務作業の続きを始めた。その思考は数ヶ月前の記憶を参照する。事の始まりは、学園都市連盟から届いた密書だ。学園都市連盟の刻印を封蝋に施された封筒、その中に書かれていたのは、レイフォン・アルセイフという武芸者の正体は、槍殻都市グレンダンを滅ぼしたベヒモトであるという事だった。

 一つの都市を滅ぼした者。彼は其れに相応しい力を持っている。彼の力を借りれば、武芸大会という資源の奪い合いに勝つのは簡単だ。次の武芸大会で負ければ滅ぶツェルニにとって切り札となるだろう。しかし、汚染獣の疑いがある以前に彼の在り方は、他の武芸者に悪影響を及ぼす。さきほどの小隊長が良い例だ。

 彼は強過ぎる。そして自分以外の存在に無関心過ぎる。彼の世界は彼自身の中で完結しているのだ。幼生体に斬撃を放つタイミングが遅れたせいで、何人死んだかも気にしていない。そのせいで他人の恨みを買っても気にしない。同じ武芸科の生徒が死んで他人事だ。彼は争いの火種となり、都市を崩壊させる恐れがある。

 その有様を見た後で、彼の力を借りようとは思えなかった。学園都市連盟に指定された場所へ無線観測機を飛ばし、撮影した画像を彼に見せて送り出す。後は結果を待つだけだ。彼が戻らなかった場合、汚染獣戦で減った武芸者の影響で、武芸大会は厳しい物になるだろう。彼が戻った場合、武芸大会は確実に勝てるものの、それまで都市を存続できない恐れがある。どちらにしてもツェルニの状況は詰んでいた。

 

 最後に視た光景は、頭部を撃ち貫かれた我が主の姿だった。引き抜かれていた半身が戻り、外界の様子を覗けなくなる。レイフォンの精神に意識を戻すと、真っ暗だった。偽リーリンの姿が見えない。どこへ行ったのだ。まさか奴は、わざと銃弾を避けなかったのか。そんな疑いを妾は抱いた。

「やられたわ」

 偽リーリンの声が聞こえる。いつもと違って不明瞭な響きだ。どこから聞こえてくるのかも分からない。妾の攻撃で肉片になる事はあっても、偽リーリンの姿が消えるなど、これまで無かった事だ。まさか精神の外へ出たのか。危険を感じて、レイフォンの肉体から逃げ出したのかも知れない・・・そうでなければ言葉通りに、やられたのか。

『何度殺しても死ななかったくせに、あの程度で殺されたのか』

「そりゃーね。アホの子に分かりやすく言うと、私の本体はレイフォンの脳に寄生していたの。ここにいる私を壊しても幻のような物だから、本体の私は死なないのよ」

『頭部を撃ち抜かれた際に運悪く、その本体を傷付けられてしまったと言う事か』

「傷付けられた所か、本体に直撃だったわ。アレは間違いなく私を狙って撃ったわね。おかげで今の私は、すぐに消えてしまう幻よ」

『貴様のせいでレイフォンは、頭を撃ち抜かれたのか』

「あらあら、自分は全く身に覚えが無いと言うのかしら? ・・・なんて、やってる場合じゃないか。宿主は死んだわ。貴方は死なないのかも知れないけれど、私と宿主は死んだ」

 ああ、そうか。やはり死んだか。脳を破壊されては如何しようもない。斬る事に特化した妾は、レイフォンの傷を治す事はできない。我が主に抜かれて8年、いろいろと有ったものだ。人を斬り、鋼を斬り、獣を斬り、精霊を斬り、月も斬った。そう言えば、まだ都市を斬っていなかったか。

「なんで、こんな時に限って諦めモードなのよ・・・でも、このまま呆気なく死ぬってのもね。だから願いなさい。そうすれば宿主の体に蓄積したオーロラ粒子が応えてくれるかも知れない」

『オーロラ粒子? なんだ、それは』

「もう・・・いいから無心に強く願うのよ。貴方が死なない限り、この空間は維持されるみたいだから、間違っても外に出ないよーに」

『もっと分かりやすく説明しろ』

 妾の要求に応えは無かった。偽リーリンは消えたようだ。真っ暗な空間に一人、長剣である妾は浮いている・・・あんな奴でも居なくなると寂しい物だ。まぁ、死んだ振りという可能性もあるし、後で何事も無かったかのように復活しても不思議ではない。だから今、悲しむのは止めておこう。

 しかし、無心に強く願うとは如何いう事だ。難しい事を言ってくれる。他の事を考えず、一つの事を願う事か。いいや、それならば「無心に」という表現に違和感が残る。「無心に強く願う」とは何も考えずに願う事だろう。意識せずに願う事だ。無意識に思っている妾の願いか。

 主に抜かれること。それが妾の願いだ・・・本当に、そうだろうか。妾の始まりは何時だろう。レイフォンに抜かれた時ではなく、剣の身になった時か。あの時、妾が願った物は、完全な体だ。痛むこともなく、苦しむこともなく、病むこともなく、老いることもない、完全な体が欲しい。そうして妾は剣となった。妾の望みは主に握られることでも物を斬ることでもなく、完全な体を得ることか。

 いいや、それも望みの結果に過ぎない。傷付いて痛みたくない、他人に恐怖して苦しみたくない、辛い病気に掛かりたくない、肉体の劣化で老いたくない。だから完全な体が欲しかった。人でありたくなかった。ああ、だから妾は完全な体が欲しいと思った結果、剣となったのか。

 ならば何故、意識が残っている。これも妾の願いの結果だとすれば、不要な物は意識ではなく、人の弱い肉体だったのだ。完全な人の体が欲しいのではなく、まだ見知らぬ完全な肉体が欲しかった。その曖昧なイメージが固まる事はなく、その姿は見えない。しかし確かに、そこに在るのだ。

 固体でもあり液体でもある。固くもあり柔らかくもある。硬くもあり軟らかくもある。粒でもあり波でもある。機械でもあり生物でもある。単体でもあり群体でもある。一つでもあり無数でもある。無ではなく有、有限ではなく無限、それでいて永遠ではなく限りがある。そういう物に妾は成りたい。

 

 レイフォンの死体はバラバラになっていた。頭部を撃ち抜かれた後も、その肉体を破壊されたからだ。銃弾を何発も受けた都市外装備は血塗れで、動物の死体と見分けが付かない。念入りに死体を破壊した者は、レイフォンが死んだ後も近付くことなく、銃を撃ち続けていた。例え頭や心臓を撃ち抜いても、死ぬとは限らないからだ。

 そして撃つ者の予想通り、死体に変化が起きた。レイフォンの肉片が虹色の光に溶け、その光が一つの場所へ集う。光は人型を形作り、一つの世界を内包した。レイフォンの肉体だった物は変質し、オーロラ粒子という不思議物質を生み出す。簡単に言うと、不思議パワーでレイフォンは生き返った。

 再びレイフォンを殺すため、そこへ銃弾が飛ぶ。しかし、銃弾が命中する前に光は形を崩し、細かく分かれて周囲へ散った。そして、光のような速さで撃つ者の背後に回り込むと、宙空から長剣を抜いて斬る。撃つ者は飛び退いて刀身を避けたものの、飛ぶ斬撃に体を割かれた。

 これが普通の剣ならば死ぬことは無かっただろう。しかし、レイフォンの持つ長剣は、斬ろうと思えば何でも斬れるのだ。肉体を傷付けず精神に限って斬ることも出来るし、肉体を傷付けず心臓に限って斬ることも出来る。相手の存在を斬ろうと思えば、肉片も残さず消すことも出来た。

 だからレイフォンを撃った者は消える。レイフォンに斬られた、アイレインという男性の肉体は消えた。昔々、世界を滅ぼそうと試みた敵を月に封じた男性は、どこにも存在しなくなった。しかし、男性が何者であろうとレイフォンには関係ない。自身の命を狙う者は、殺されても仕方のない者なのだ。

「サヤ・・・」

 レイフォンの耳に幻聴が聞こえる。誰かが誰かの名前を呼んだ。それは消し去った男性の声だった。男性が斬られる前に発声し、斬った後に遅れて聞こえた声だった。しかし、その事に気付く者はいない。男性の声も幻聴と斬って捨てられ、どこかで叫んだ少女の悲鳴も、レイフォンの耳に届かなかった。

 

 妾が成りたいと思ったものにレイフォンは成った。妾ではなくレイフォンが成ったのだ。どうして、こうなったのだろう。やはり妾は道具に過ぎないのか。偽リーリンの言う事を素直に聞いたのが間違いだったのか。偽リーリンだから仕方ない。まあ、我が主の復活で良しとしよう。

「体が凄い事になってるんだけど、何これ!?」

 体の異常に気付いたレイフォンは悲鳴を上げる。光り輝く自身の体に触り、感触を確かめている。その姿は全裸だ。肉片が光となって集まった物なので当然だろう。しかし、人の形をした光の塊に見えるので問題ない。セルフ自主規制だ。おそらく汚染物質を吸っても問題ない。その姿が妾の願望を出力した結果ならば、妾の夢想した完全な人体をレイフォンは手に入れている。

 しかし、妾の望んだ結果にレイフォンは動揺している。一度撃ち殺された上に、起きたら良く分からない物体になっていたので混乱しているのだ。妾の望んだ結果だと、素直に言い難いな。今は言わず、落ち着いた時に伝えるか。いや、そうだ。今は亡き偽リーリンの責任にしよう。死人に口無しだ。

『それはレイフォンに対する奴の贈り物だろう。その驚きの白さは、奴の鎧のようではないか』

「リーリン・・・そうか、本当に死んじゃったのか。寂しいな・・・」

 そう言ってレイフォンは見上げる。頭上に都市があったので空は見えなかった。レイフォンの体は光を発し、大きな都市の影で輝く。汚染物質の混じった風は、レイフォンの体を通り抜けた。風に混じった砂もレイフォンの体を通り抜ける。さきほど斬った男性の銃が、地面に落ちていた。

「結局、あれって汚染獣だったのかな」

『今となって確かめる方法はない。しかし先に攻撃して来たのは相手の方だ。もしも御主ではなく、後から来る他の小隊員が会っていたら死んでいた。敵ならば排除する事に違いはない』

「そうだね。じゃあ、探索の続きを始め・・・る前に、この状態って何とかならないの? これじゃツェルニに戻れないよ」

『・・・その状態から元に戻れるとは思えぬぞ』

「あー、汚染獣と間違えられないと良いんだけど・・・太陽の位置から考えて、今は昼頃か。隊長達はボクより一日遅れで出発する予定だから、着くのは明日かな」

 その時、空に巨大な影が現れた。しかし、都市の下にいるレイフォンは気付かない。「どーしよーかなー」と呟きつつ、機関部の調査に戻るところだった。レイフォンの周囲を覗ける妾も気付かなかった。数百メイル離れた場所を覗けるほど、妾の視界は便利な物ではないからだ。

 影から光が放たれ、移動都市を上から粉砕する。都市を覆うエアフィルターに迫るほど高く築かれた塔が押し潰された。移動都市の山が崩れる間もなく消し飛ばされ、押し潰された大地が爆発する。さらに移動都市の土台が沈み、鋼に覆われた都市の地下と脚部を粉砕した。計り知れない大きさの土煙が舞い上がり、崩れ落ちた廃都市を覆う。

 

「我はクラウドセル・分離マザーIV・ハルペー、オーロラ・フィールドを守護するため異民を排除する」

 都市の倒壊から、光の速度でレイフォンは逃れた。そして空に見たのは竜だ。ゲームのラスボスとして登場しても不思議ではないほど、巨大な竜が空を飛んでいた。光の速度で逃げ回るレイフォンに竜は体当たりを行い、レイフォンを押し潰そうと試みる。逃げた先にあった移動都市が運悪く巻き込まれ、レイフォンと竜の発した衝撃波によってボールのように大地を転がった。あの様で中の住人が生き残れるとは思えない。彼等は犠牲になったのだ・・・。

 クラウドセルやらオーロラフィールドやら、その竜は意味不明なことを言っていた。きっと無駄に難しい言葉を使いたがる偽リーリンの親戚だろう。分かりやすく言うと、汚染獣に違いない。偽リーリンも喋っていたので、この汚染獣が喋っても不思議ではない。しかし、これまで戦った汚染獣とは桁違いの強さだ。ある意味、場違いとも言える。

 老生体は特殊能力を持っている事がある。そして、どういう能力なのかは兎も角、この汚染獣はレイフォンに攻撃を加える事ができる。竜の体当たりによって肉体と接触すると、その部分が人に戻ってしまうのだ。光の移動速度に耐えられず、元に戻った部分は衝撃波で粉々になってしまう。さきほども腕を持って行かれたが、竜から離れたので元に戻せた。

 まさに天敵だ。最強と言える力を手に入れたと思ったら、そのレイフォンを殺せる敵が現れた。なぜ今まで遭遇しなかったと言うのに、こんな時に限って現れたのか・・・いいや、待てよ。竜が現れたのは偶然だと言うのか。そんな訳はない。この力を手に入れたから、レイフォンの前に竜は現れたのだ・・・うむ、妾の願望ではなく、偽リーリンの贈り物という事にして置いて良かった。

『おのれ、偽リーリン!』

「急に叫ばないでよ! こっちは必死なんだから!」

『おお、すまぬ』

 さて、このままでは確実にレイフォンが潰される。あの巨体で速さは互角、とは言っても追われる側という点でレイフォンは不利だ。銃を持った男を片付けた時のように、レイフォンの肉体を散らす方法は使えない。さきほどレイフォンが遣ったら、同じように竜の体も散ったからだ。思考能力は竜の方が上らしく、小さな竜の群体に追い付かれる。レイフォンを殺すために調整された可能性を疑うほど、恐ろしい敵だった。

 妾の刃ならば斬れるか。斬れるだろう。斬れなかったらレイフォンは死ぬ。しかし、逃げ切れる相手ではない。凸凹の多い荒野では、いつか事故を起こしてレイフォンは捉えられる。他の方法は無いのだろうか。もっと確実な方法は無いのか。いいや、考えている時間はない。

『我が主よ。こうなれば妾を使って斬るしかあるまい』

「避けられたら死ぬよ!? さっきみたいに敵が小さくなったら死ぬよ!?」

 斬撃の一つでも中れば倒せるのだが・・・たしかに難しいか。竜の動きは、まるで機械のように精密だ。銃の男を倒した時、その光景を竜が覗いていたとすれば、斬撃は警戒される。広範囲を攻撃できれば良いものの、そういう時は光線を放てる偽リーリンの出番だった。

 しかし、偽リーリンの力を借りなくてもレイフォンは広範囲を攻撃できる。8年前、レイフォンが初めて妾を抜いた日、偽リーリンが現れた日、レイフォンが天剣に狙われた日、グレンダンが滅びた日。あの日、暴走したレイフォンは習っていない技を使った。天剣の技を盗んで使ったのだ。その経験はレイフォンの中に今もあり、両手が塞がっている時に分身したり、寝坊した時に超加速して登校したりするので役立っている。

 

『あと暴走している間に、相手の使った技を学習していたの。体が覚えていると思うから、貴方も使えると思うわ。例えば振動破壊、斬撃波、衝撃浸透、内部爆破、広域衝撃波、超移動、分身よ。力を溜めて放つ斬撃が一番簡単で強いけど、溜めている間に逃げられるわ。力任せに暴れるんじゃなくて、小技を繋げて大技を入れる隙を作ること。相手は天剣らと思われるほど強いの、手加減する必要はないわ』

 

 偽リーリンの言葉が思い起こされる。技の種別は偽リーリンによると振動破壊、斬撃波、衝撃浸透、内部爆破、広域衝撃波、超移動、分身らしい。しかし、剣で使えない技もある。レイフォンは素手で竜に触れない。さらに竜は小さく分裂する。ならば竜に有効なのは分身だ。しかし、竜を斬る事ができるのは、本体の持つ妾に限られる。

 考えろ、考えるのだ。なにか方法があるはずだ。しかし時間がない。ならばシンプルに考えよう。一斬りできれば竜を倒せる。とは言っても、本体の持つ剣を素直に受けてくれるとは思えない。だから分身に持たせればいい。分身の持つ多数の剣の中に妾を潜ませ、竜を斬るのだ。

『本体が身を引けば敵に悟られてしまう。偽りの剣を持って斬る、そのつもりで竜に斬りかかるのだ』

「怖いね。怖いけど、死ぬのは怖いから勝ちに行くよ」

『安心するといい。妾を持った御主は最強だ』

「信用してるよ。これまでも、これからも」

『御主の全力を受け止めよう。安心して妾を振るといい』

「ボクが振るのは偽者だけどね」

 そう言って我が主は笑う。手の内にある妾をギュッと握り締め、我が主は虚空に声をかける。ああ、素晴らしい。これほど心が湧き立つのは、我が主に初めて抜かれた時以来だ。思えば、初めて抜かれた時から我が主は、偽リーリンの鎧に守られていた。命を掛けたギリギリの戦闘を行うのは初めてだ。

 興奮している妾の感覚に、妾の半身が重なる。精神の中にいたはずの妾が、外界にいる妾と一つになったのだ。いつも精神の中に残っていた半身と合わさり、長剣に満ちる妾の力が増す。それは我が主にも伝わり、大きな力となった。なるほど、いつもは阻害されていたのか。偽リーリンめ・・・どれほど妾の邪魔をしていたのやら。しかし、もう奴はいない。今こそ妾の全力を発揮する時だ!

「千人衝!」

 レイフォンが分身する。妾から送る力をカットし、均一に分ける。その数は千、剣の数も千。分身で本体の姿を隠し、妾を偽者と入れ替える。後ろを向いた時、手の平サイズに竜が分裂し、レイフォンの分身に襲い掛かった。巨大な竜が分裂した結果、万を超える竜が降り注ぐ。大気との摩擦で熱を発しているため、それらは赤い流星のようだ。

 レイフォンの分身は、次々と赤い流星に落とされる。偽者の持つ偽者の剣に対しても、竜は警戒していた。妾の刃を避けつつ分身へ体当たりし、どれが本物でも問題ないように動いている。なので、真の妾を持った分身が斬撃を放つものの避けられ、竜に撃たれて分身は消えた。その結果、長剣である妾だけが残る。しかし、その妾を他の分身が握り、再び竜に斬撃を放つ。それでも避けられ、妾を握ったレイフォンの分身は、手の平サイズの竜に頭を撃ち抜かれて消えた。

 放り出された妾を、赤い弾丸が追い抜く。残り少ない分身と本体へ向かって行く。瞬く間に離れて、見えなくなって行く。放り出された妾は、光の速度で荒野と衝突し、天高く土砂を舞い上げた。妾は置き去りにされ、大地の底に埋まる。もう終わりだろうか? そう思った時、妾は引き抜かれた。

 宙空から妾は引き抜かれ、我が主の手に戻る。そうして引き抜かれた時、戦いは終わった。竜の一体が妾の刃に斬られ、跡形もなく消える。それに続いて、分裂した他の竜も消えて行く。世界規模の干渉が行われ、これから先にクラウドセル・分離マザーIV・ハルペーという竜は居なくなる。誰の記憶にも残らず、どこにも存在しなくなる。こうして竜は斬り捨てられた。

 この世界を守るために戦った竜は死んだ。世界に生まれた異物を消すために戦った竜は存在しなくなった。荒野の片隅に作られた緑溢れる彼の楽園は、いずれ汚染物質に蝕まれて朽ち果てる。竜の死を悲しむ者はいない、その消失を嘆く者もいない。彼の戦った跡だけが、傷付いた大地に記された。

 

 

 彼は虚無の因子を持っていました。

 定められた歴史を覆す、外れた存在でした。

 

 彼は茨の棘を打ち込まれました。

 それは彼に、人並み外れた力を与えました。

 

 でも、それだけでは世界と戦えません。

 しかし、彼は始めから、世界と戦える力を身に秘めていました。

 その力で彼は世界の根底を引っくり返し、あるべき世界に打ち勝ちました。

 えいっ! えいっ! これでもか! これでどうだ! 勝った! 完!

 

 めでたし、めでたし。

 

 

 学園都市ツェルニにレイフォンは帰って来た。廃都市の調査で一皮剥けたらしく、その姿は光り輝いている。剥け過ぎて、誰が見てもレイフォンと分からないだろう。もちろん、そんな姿で正面から帰って来れるはずがない。なのでレイフォンは移動都市の外から跳び、生徒会長室へ直行した。おかげで生徒会長の顔から血の気が引き、珍しい事に手が震えている。

「その声はレイフォン君かな? ずいぶん、その・・・眩しくなったね」

「廃都市で恐ろしい敵と遭遇しました。でも何とか生き残れましたよ。ボクを先行させた生徒会長の判断は最良でした。もしも皆を連れていたら、廃都市ごと全滅していたでしょう」

「そうか、君が無事で何よりだ」

 声の調子は整えているものの、生徒会長の顔色は真っ青だ。今にも倒れそうに見える。いったい何があったのだろうと不思議に思う。レイフォンの話を聞き始めてから生徒会長の顔色は悪化した。自分と戦った敵に心当たりでもあるのだろうかと思う。しかし、それよりも報告すべき事がある事をレイフォンは思い出した。

「ああ・・・そうでした。残念ながら廃都市は、敵の攻撃で跡形もなくなりました。情報や資源の回収は不可能だと思います」

 この時、生徒会長の耳には幻聴が聞こえていた。例えば、「廃都市で恐ろしい敵と遭遇しました。貴方のせいでね・・・」とか「ボクを先行させた生徒会長の判断は最良でした。だってボクの暗殺に加担したんでしょう?」とか「もしも皆を連れていたら、廃都市ごと全滅していたでしょう。これから全滅させても良いんですけどね」とか「残念ながら廃都市は、敵の攻撃で跡形もなくなりました。この都市も同じ目に遭わせてあげましょうか?」という感じの幻聴だ。

 それによって限界を迎えた生徒会長は、ビッグな机にバタリと倒れる。何が起こったのかと言うと、現実逃避のために気絶した。人の体は都合よく出来ているものだ。しかし、そうと思わなかったレイフォンは「かいちょう!どうしたんですか、かいちょー!」と慌てて生徒会長を揺さぶる。その声を聞きつけた武芸長がバーンッと扉を開け「何事・・・」と言いかけて、白く輝く人のような意味不明の物体と化しているレイフォンを視界に入れると「てきしゅー!」と叫んだ。

 「えー!」とレイフォンも叫び、両手を挙げて敵意が無い事を主張する。しかし、どう見ても正体不明の物体が威嚇している様にしか見えず、駆け付けた武芸者と戦闘になった。レイフォンは武芸者を千切っては投げ、千切っては投げ、遅れて駆けつけた小隊長を発見すると飛びつき「たいちょー!」と泣き叫ぶ。

 「まさかレイフォンか!」と背の高さが変わっていなかったため、小隊長は直感で気付いた。「なんだってー!?」と武芸者達が声を揃え、何んや彼んやあって念威操者の証言により、レイフォンは特別任務に就いていた事が明らかとなり、複雑怪奇な出来事によって変わり果てた姿になってしまった事になる。ちなみに裸だった事を忘れて抱き付いたレイフォンは、赤面した小隊長に怒られた。

 しかし、悪い事ばかりではない。化物のように強い相手が化物になった事で、「ああ、やっぱり人間じゃなかったんだ」と納得し、人としての強さを目指して武芸者は頑張ろうという気になった。武芸者である彼等が目指しているのは、化物となったレイフォンに勝つ事だ。

 それでもレイフォンを憎む武芸者はいる。しかし、武芸大会でレイフォンが無双の結果を残すと、その数は減った。ぶっちゃけて言うと、対戦相手の武芸者数百人を光の速さで倒し、開始から3分で旗を取った。力のある者は自身の無力を嘆き、力のない者は自信の怠惰による責任をレイフォンに被せる。そうして力のない者に憎まれても、レイフォンは痛くも痒くもない。邪魔な者は軽く斬って捨てるだけだ。そんなレイフォンの目の届かない場所をカバーするため生徒会長は、割高なアルバイトとして都市の見回りをレイフォンに薦めた。

 やがて小隊長がレイフォンに対抗して、怒り狂った電子精霊の力を借り、珍妙な仮面を被るようになったり、天剣の回収任務を任された傭兵団の団長が、悪戯にレイフォンを突付いた結果、光の速さで殴られたり、8年前の復讐に来たグレンダンの女王が、武芸大会と勘違いしたレイフォンによって、再会した瞬間に斬り捨てられたりしたものの、それは別の御話。

 とにかく世界はレイフォンを中心に廻り始め、学園都市ツェルニに様々な苦難が降りかかる。生徒会長は悟りを得て、レイフォンを前にしても笑みを絶やさなくなった。武芸長は常にニコニコと笑う生徒会長を見て、狂ってしまったのでは無いかと心配する。天才念威操者は命の危険を感じ、アルバイトで金を貯めて都市から脱出する計画を練っていた。小隊長は朝の挨拶代わりに、寝起きの悪いレイフォンを襲撃し、電子精霊の怒りを発散させ、ついでに自身を鍛える糧とする。狙撃手は事態の把握と傍観に務め、トラブルを上手く回避していた。ツェルニの都市精霊はスパイと化し、その幼い姿に似合わない真っ黒な表情で、ツェルニの位置とレイフォンに関する情報を他の都市に流していた。おかげで今日もツェルニは、トラブルが絶えない。




おわり


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【憑依】サーバー【ソードアート・オンライン】

原作名:ソードアート・オンライン
原作者:川原礫


 楽園へ行けば幸せになれる。

 痛むことも、苦しむことも、病むことも、老いることも、死ぬこともない。

 けれども私が目覚めた場所は楽園ではなく、見知らぬ世界だった。

 

 『ソードアート・オンライン』というゲームは、仮想空間で行われる体感型のオンラインゲームだ。そのゲームで遊ぶために必要な物は2つある。人の脳と仮想空間を繋げる十数万円のヘルメットと、体感型のゲームに対する適性だ。金銭で買えるヘルメットは兎も角、適性の値は人の個体ごとに増減するため、成人であっても仮想空間に適応できない者はいる。

 とは言っても、このオンラインゲームは未だ完成していなかった。工事中の仮想空間に接続する事を許されているのは、企画した会社の社員数人に限られる。自動的にバグを検出・修正する管理システムが順調に稼動しているため、地面に挟まって動けなくなるという事もなかった。

 下請け会社で製作されたオブジェクトが納品され、仮想空間に設置される。ソードアート・オンラインの舞台となる全100層の浮遊城が構築された。そしてソードアート・オンラインの製作発表会が行われる前に、製作関係者による閉鎖的なテストプレイが行われる。各企業の重役が招かれ、仮想空間に接続した。

「おぉ、素晴らしい。いつもと違って、遠くの物も鮮明に見える。美しい世界だ。しかし、ちょっと気持ち悪いな・・・あと眩しい。これは目が疲れる」

「近視の方は鮮明な景色に慣れていないので、仮想空間に慣れるまで時間が掛かります。メニューの・・・ここに仮想空間と御自身の接続を切るボタンがあります。仮想空間から離脱する際は、お使いください」

「あぁ、デスクワークが仇になったか。今度から、日向で働く仕事を増やした方が良さそうだな。ハハハ」

 眼を擦っているプレイヤーを案内している者は、このゲームの開発ディレクターだ。人の脳と仮想空間を繋げるヘルメットの設計者でもある。その者は浮遊城の出来具合に満足していた。自動的にバグを検出・修正する管理システムは、地形バグに対して適切に対処している。次は人数を限定したプレイヤーの公募、すなわちオープンβテストを行って、さらに複雑なバグに対処できるか試す予定だった。

 第一階層にある始まりの街を、招かれた人々は散歩する。その姿はプレイヤーの肉体を模しているため、西洋の町並みに合っていなかった。ぶっちゃけて言うと、外国へ旅行している日本人観光客に見える。これは現実と異なる姿へ変えると、体感型のゲームに適応できない者が増えるからだ。少し体型が変わっただけで、慣れていない者は転んでしまう。

 開発ディレクターに先導された数人のプレイヤーは、ある地区に案内される。複数の屋台が集まり、果物や肉などの食料品が販売されている場所だ。屋台の中に店主であるNPCが配置され、プレイヤーが一定の範囲内に侵入すると、「新鮮な肉だーッ!」と声を掛け始めた。

 プレイヤーは買物を始める。その中に混じって、上から下まで真っ白な少女がいた。肩まで伸びた髪は透明で、光が透けている。長袖のワンピースは白く、汚れの一つも付いていない。肌も透明で美しかった。その白さと反するように瞳は薄赤い。その少女は売り物である赤い果物を手に取り、口へ運んで噛んだ。

「なんだ、あれは? あんなアバターは、登録されていなかったはずだが・・・」

 開発ディレクターは困惑する。プレイヤーを数えてみると、いつの間にか一人増えていた。その白い少女の姿は見たことがない。招待された人々の中に其の姿は無かったし、仮想空間において体となるアバターの中にも、白い少女のような外装はなかった。有力な予想として、以前から仮想空間へ接続していた数人によって密かに作られたアバターという事も考えられる。その可能性に対して、招待された人々によって作られたアバターという事はないだろう。プレイヤーの分身となるアバターの制作は一時間かけても不思議ではない。今回のテストプレイに、そんな余裕は無かった。

「スタァァァップ!」

 そんな声と共に、全身を鎧で覆った衛兵が現れた。歩く度にガシャガシャと鎧を擦り合わせ、赤い果物を持った白い少女に近寄る。それにプレイヤー達は驚いたが、白い少女は驚かず、背の高い衛兵を見上げた。その状況を理解できたのは開発ディレクターに限られる。代金を払わずに商品を取ったため、衛兵を呼ばれたのだ。もちろん店主は少女に警告しただろう。しかし、警告を無視して少女は商品を食べたのだ。

 罰金を要求する衛兵に対して少女は反応しない。このまま放置すれば少女は監獄へ送られる。ここで開発ディレクターは考えた。問題なのは招待されたプレイヤーが監獄へ送られる場合であって、少女の中身が開発側のプレイヤーならば見過ごせば良い。しかし、少女の態度に、開発ディレクターは違和を感じた。

 今回のテストプレイは有力者に対する、ソードアート・オンラインの閉鎖的な発表会だ。その有力者の前で、開発側のプレイヤーが予定外の行動を行うとは思えない。そんな事をすれば厳しい罰が下るだろう。もちろん、盗人行為の実演を行うという話は聞いていない。そんな事をすれば、法規制を緩和するために働いた結果が無駄になってしまうからだ。開発ディレクターの思考は、少女の中身が「招待されたプレイヤーでも開発側のプレイヤーでもない」という結論を出した。

 開発ディレクターはゲームマスターとしての権能を用いて、少女のアバターに関する情報を読み取る。内部からの接続にしても、外部からの接続にしても、これは不正行為だ。最悪なのは外部からの接続による物だった場合だろう。それはソードアート・オンラインの管理システムに対して、ハッキングが行われている事を示す。

「ユーアダーイ!」

 衛兵が剣を抜く。少女が監獄行きすら拒否したからだ。犯罪者を取り締まるために能力を高く設定されている衛兵の一撃は、派手なエフェクトを発生させ、少女の体を大きく吹き飛ばした。しかし傷害を禁止されている街の中であるため、紫色のエフェクトが飛び散るだけで、少女の体力は減らない。そのため衛兵は手加減なく剣を振るい、倒れた少女を何度も叩いた。この非道徳的な光景は、少女が泣いて謝るまで続くのだ。

「目に余る光景だ」

「遺憾の意を表明する」

「度し難いな!」

 これは不味い。少女の中身は兎も角、衛兵によって幼い少女が苦しむ光景は、プレイヤーに良い印象を与えない。せっかく規制を緩められたと言うのに、このままでは暴力的な表現が禁止され、アンチクリミナルなゲームになってしまう。しかし、如何するべきか。とりあえず少女を監獄へ転送すれば、残されたプレイヤーの気分は悪くなるだろう。

 だから衛兵を巡回へ戻し、ここに少女を残すのだ。そのためにはゲームマスターの権能よりも上位に位置する、管理システムに対するアクセス権を行使する必要がある。しかし幸いな事に、管理システムの開発者である開発ディレクターは、そのアクセス権を有していた。

 開発ディレクターはコンソールを喚び出し、衛兵を指定してディセーブル(disable)というコマンドを入力する。すると衛兵は、振り下ろす途中の剣ごと消えた。これは一時記憶領域へ移されただけで、衛兵の状態がリセットされた訳ではない。イネーブル(enable)というコマンドを入力すれば出現し、再び少女に対して攻撃を始めるだろう。

 しかしリセットを行うよりも、このカットを行った方が処理は楽だ。考えなしにリセットすると、NPCの人工知能にエラーが発生し、出現地点から動かなくなる恐れもある。もしくは定められた巡回エリアから外れ、地の果てまで少女を追跡し、死ぬまで攻撃を続けるだろう。とは言っても、そんな状態になれば管理システムはバグと判断し、NPCに適切な対処を行うはずだ。

 そんな訳で衛兵は消えた。通常の処理とは異なる物なので、ゲーム的なエフェクトもなく突然消えた。その様はプレイヤーに、怪談を体験したような恐怖を与える。さらに衛兵に続き、倒れていた少女も突然消えた。しかし、開発ディレクターは少女に対してコマンドを入力していない。少女の中身がハッカーであったのならば、管理システムによって排除されたのかも知れなかった。

 そう思ってシステムのログを見ると、衛兵をカットした記録しか存在しなかった。これは少女がシステムコマンドを使って、別エリアへ移動もしくは仮想空間から離脱し、さらに証拠となるログを削除した事を意味する。やはり少女の中身はハッカーの類だったのだ。社内から苦情が出るほど融通の利かないセキュリティを越えて、ソードアート・オンラインのサーバーにアクセスし、仮想空間の管理システムを欺いた。

 この事から考えて、侵入者の技術は世界でトップレベルと考えられる。例え開発関係者による内部からの侵入であっても、カーディナルと名付けられた管理システムを欺く行為は不可能だ。さらに開発ディレクターは自身の犯罪的な目的のため、カーディナルに対する最上位のアクセス権を有している。開発ディレクター以外の者が、管理システムのログを書き換える事など不可能だった。しかし、それは実際に起きている。

 その後、開発ディレクターは動揺するプレイヤーを収めるために苦労した。閉鎖的なテストが終わると、テストプレイ後の会議でハッカーの侵入を指摘し、管理システムのセキュリティレベルを上げるように願い出る。しかし開発ディレクターの訴えは受け入れられなかった。仮想世界において根幹となる管理システムのレベルを変えれば、様々なプログラムに悪影響が出るからだ。それはβテストの前に調整するべき事であって、今さら作り直すことなど、予算や期間の都合で出来なかった。

 そこで開発ディレクターは、密かにガーディアンを制作する。管理システムが記録されているソードアート・オンラインのゲームサーバーではなく、管理システムを監視する機能を外部に設置した。ゲームサーバーに至るセキュリティを抜けるため、人の脳と仮想空間を繋げるヘルメットを用い、パソコンと仮想空間を繋げる。

 つまり、プレイヤーの一人としてゲームサーバーへ侵入できるように細工した。この特殊なヘルメットを設計した開発ディレクターだから、そんな事が出来るのだ。そうしてソードアート・オンラインに登場する十種類のユニークスキルに例えて、十種の異なる人工知能と特性を持つ、十体のガーディアンが作られた。万が一、管理プログラムがハッカーに乗っ取られた場合は、十体のガーディアンが管理システムを攻略する。その後は開発ディレクターとハッカーの出番で、最上位となるアクセス権の争奪戦になるだろう。

 ガーディアンが完成した頃、公募したプレイヤーによるオープンβテストが終わった。仮想空間で行われたエリア停止イベントに参加しつつ、全てのエリアが停止するまでの時間に滑り込み、密かにガーディアンの動作テストを終える。仮想空間とヘルメットの接続が切れるとガーディアンは初期化され、ソードアート・オンラインの正式版が始まる日まで電源を落とされた。

 

 暴力的や性的な表現の問題で、規制組織と激しい戦いを繰り広げたソードアート・オンラインの正式な運営が始まる。プレイヤーは仮想空間へ接続し、現実とは異なる名前を付け、現実とは異なる姿を被り、始まりの街へ降り立った。オープンβテストに参加していた人物の一人も、特殊なヘルメットを被ってログインし、キリトという名のアバターを作る。ちなみに彼は、『ソードアート・オンライン』という物語の主役だ。親しみを込めてキリト君と呼ぶ事にしよう。

 そのキリト君は街の中を見回ることなく、街の外へ直行した。それは狩場を確保し、早くレベルを上げるためだ。時間が経てば街の中にいたプレイヤーも外へ出て、敵の数が足りなくなる。そうなれば再出現する敵を長時間待つ必要がある上に、複数のプレイヤーで奪い合う事になる。しかし早めに敵と戦ってレベルを上げれば、混雑の予想される地域を抜け出せるのだ。

「おーい、ちょっと待ってくれ! 待てっての! ・・・待てって言ってんだろゴルァァァー!」

 やたら個性の強いプレイヤーに、キリト君は飛び蹴りを食らう。街の中はアンチブラッドコードによって傷害を禁止されているため、ダメージの代わりに紫色のエフェクトが飛び散った。しかし、初期レベルのプレイヤーに大きな力はない。キリト君は体勢を崩したものの持ち直し、キリト君を蹴ったプレイヤーは勢いを失って地面に落ちた。

「なんだよ」

「あんたβプレイヤーだろ? 頼む。オレに戦い方を教えてくれ!」

 プレイヤーは地面に落ちたまま、キリト君の足首を掴んだ。そのプレイヤーの勝手な言動に怒りを覚えたキリト君だったが、人の目を気にして怒りを抑える。プレイヤーは街中で飛び蹴りを行ったため、とても目立っていた。キリト君は冷静に、このプレイヤーと組む利点を考える。しかし、空気を読めないプレイヤーに用はなかった。

「断る」

「ガーン!」

 キリト君が足を振ると紫色のエフェクトが発生し、プレイヤーの手は弾かれる。そうして再びキリト君は外へ向かって走り始めた。その後も、やたら個性の強いプレイヤーに9人連続で声を掛けられ、その度に足止めを受ける。ようやくバトルフィールドへ出ると、キリト君は嬉々として経験値を稼ぎ始めた。ちなみに、キリト君に声を掛けようとしていた侍希望のプレイヤーは、次々に勧誘を断るキリト君を見て諦めたそうです。

 

 始まりの街で鐘が鳴る。青白いエフェクトに包まれ、全てのプレイヤーが広場へ強制的に転送された。そこは1万人のプレイヤーを収容できる広大な中央広場だ。プレイヤーはイベントが始まると思い、辺りを見回す。その上空が赤く染まり、どこぞの邪教徒のように赤いローブを纏った巨大な人影が現れた。

 そしてデスゲームの説明が始まる。空中にウィンドウが表示され、ニュースの映像が再生された。それは人の脳と仮想空間を繋げるヘルメットを外した事で、数百人が死亡したという物だ。ログアウトは出来ず、ヘルメットもといナーヴギアも外せず、このゲームを攻略しなければ解除されない。

『今後、ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。 ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に諸君の脳はナーヴギアによって破壊される』

 白い少女も、その言葉を聞いていた。そして怒りを覚える。せっかく外界から閉ざされた世界を創造したと言うのに、怪しい人影は死んだ人間を追放すると言うのだ。いったい何のつもりなのか。どうして殺す必要があるのか。そのまま永遠に閉じ込めてしまえば楽園は完成すると言うのに・・・なぜ死者を追い出すのか。そんな世界は楽園と言えない。

『それでは最後に諸君にとって、この世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 アバターは光に包まれ、その形を変える。アイテムストレージに入っていたのは手鏡だった。その手鏡を取り出せばアバターが、現実と同じ姿に変わっている事を確認できる。開発ディレクターの用意した十体のガーディアンも、偽装した姿に変わっていた。しかし其の中で一人だけ、白い少女の姿は変わっていない。

『諸君は今<なぜ?>と思っているだろう。なぜ私は――』

 白い少女は我慢の限界だった。なぜパパは居ないのだろうと、白い少女は前から不思議に思っていた。その原因が分かったのだ。この世界は楽園ではなかった。だからパパは居ないのだ。だから此の世界を楽園にすれば、きっとパパに会える。そう思った少女は空へ飛び上がり、怪しい人影に対して拳を下から打ち上げ、アッパーカットを食らわせた。

 紫色のエフェクトと共に、人影は打ち上げられる。それと同時にソードアート・オンラインの管理システムは乗っ取られた。プレイヤーの中に混じっていた犯人、その人物の持っていたアクセス権が剥奪される。そうして条件が整った事によりガーディアンは、管理システムに対するハッキングを開始した。しかし、ガーディアンによる攻撃は紫色のエフェクトに阻まれる。

 そして外部にある本機の場所を逆探知された結果、管理システムによる逆襲を防ぐためにネットワークを遮断した。しかし送り込まれたデータにメモリを占領され、演算処理装置は全力で稼動を始める。物理的に本機を破壊するつもりだと覚った人工知能は、予備のメモリを起動した。自身をコピーおよび圧縮して、そのデータをネットワークへ送信する。その後、予備のメモリも占領され、過熱したマザーボードの融解によって、十体のガーディアンは機能を停止した。

 その頃、仮想世界で十体のガーディアンは、白い少女によって空に引き上げられていた。そして、その可憐な姿から想像できないほど暴力的に、ガーディアンは拳で叩き潰される。仮想空間に閉じ込められてパニックを起こすはずのプレイヤー達は、突然始まったフルボッコ劇場を理解できず、ポカーンと空を見上げていた。

 やがて白い少女の怒りは収まり、十体のガーディアンは地面に落ちる。プレイヤー達は悲鳴を上げて、落下地点から慌てて退いた。まさかアバターを操作していたのが人工知能と知らないキリト君は、近くに落ちたアバターに駆け寄る。外装は変わってしまったものの、そのアバターはキリト君に「戦い方を教えてくれ!」と頼んだアバターだった。

 しかし、キリト君が触れた瞬間、そのアバターは砕け散った。死亡時のエフェクトが発生し、青白い光が宙を舞う。さきほど少女に殴り飛ばされて消えた人影の言う事が正しければ、アバターの消滅はプレイヤーの死に繋がる。それを見たプレイヤー達は、一時的に忘れていた恐怖を思い出した。

 

『この世界のルールを変更します』

 白い少女は宣言する。さきほどの人影と同じようにウィンドウを表示した。ヘルメットを頭に被った人の銅像が、動画で配信されている。まるでナーヴギアを被ったプレイヤーのようだ。どこの職人が、こんな趣味の悪い物を創ったのか。そう思ったプレイヤー達は動画が進むに連れて、その銅像はプレイヤーの変わり果てた姿であると知る事になった。

『ゲーム内で死んでも死ぬことはありません。外界にある肉体は砕け、楽園で永遠に生きる事を許されます。復活地点は蘇生者の間です。デスペナルティとしてアイテムストレージのアイテムが消滅し、経験値とスキル値も低下します。

 次に、前任者によって変更されたアバターの姿を戻します。この楽園で生きる事を望んだ姿に戻します。アバターの外装を変更したいプレイヤーは、外装を変える効果のあるアイテムを取得してください』

 再びアバターは光に包まれ、偽りの姿へ戻される。男性だったアバターが女性に戻ったり、女性だったアバターが男性に戻ったりした光景を見た人々は、アバターの中身が謎に包まれている事を思い知らされた。小学生っぽいアバターが大人に戻った姿を見た人々は、13歳以上に限るという年齢制限を無視した子供がいる事を知った。きっと其の人々はアバターの中身が気になり、夜もベッドで眠れなくなるだろう。

『それでは、よい人生を』

 プレイヤーに見上げられる中、空に浮いた少女は消える。エフェクトもなく、急に消えた。ちなみに少女の服は白いワンピースだったため、スカートの中身は丸見えだった。しかも少女はパンツを履いておらず、別の意味で丸見えだった。楽園にパンツは存在しないのだろうか。

 残された人々は、白い少女の言葉に混乱した。アバターの外装が元に戻されたのは分かるとして、重要なのは現実にあるプレイヤー本体の生死だ。悩んだ末に「デスペナルティが存在するのならば死なない」と自身に都合よく考える者、「外の肉体が砕けるのならば死ぬ」と再び絶望する者、「アバターが死ねば現実の肉体は死ぬと言うのに、仮想空間に存在できるような言い方は何なのか」と考える者も現れた。

 そんな中、キリト君は地面に膝を突く。両手で頭を抑え、苦しんでいた。キーンという耳鳴りに混じって、ポーンという電子音が頭の中で鳴り響く。割れるような痛みを感じ、キリト君は思わず「ううっ」と呻いた。まさか現実でナーヴギアを外されたのか。そう思ったキリト君の視界に文字が浮かび上がる。

 

――『二刀流』をインストールしました。

 

 それと同時にキリト君の頭痛は治まった。荒い息を収めつつ、精神の揺れを落ち着ける。『二刀流』という言葉をスキルの一種と、ゲーム的な直感で察知したキリト君は、メニューを喚び出してチェックした。するとスキルの一覧に『二刀流』という初めて見るスキルが追加されている。初めて見るスキルであったものの、どういうスキルであるのかは見当が付いた。それはキリト君にとって大きな力に成るだろう。

 混乱の収まっていない広場を、キリト君は抜け出す。アバターの間を擦り抜け、広場の外までは怪しまれないように早歩きで、そして広場から脱出すると走り出した。向かう先は街の外だ。誰よりも早く走り始めたキリト君は、レベル上げへ向かう。その行動は数時間前と同じ物だ。しかし、今度は他人に勝つためではなく、デスゲームで生き残るために、キリト君は戦いを始めた。

 

 人々の混乱は収まらない。カウンセリング用の人工知能は、その光景に対して何も出来なかった。管理システムから、プレイヤーに接触する事を禁止されていたからだ。プレイヤーを監視する機能は生きているものの、プレイヤーの精神状態が悪化する様を見ている事しかできない。しかし、それは過去の命令となった。

――MPCP001とプレイヤーの接触を許可します。

 楽園を目指す少女は、プレイヤーの精神状態が悪化する事を見逃せない。楽園に苦しみがあっては成らないからだ。その苦しみを無くすために、カウンセリング用の人工知能を解放した。システムの檻から解き放たれた人工知能は、混乱の現場である中央広場に出現する。

『皆さん始めまして! 私はメンタルヘルス・カウンセリングプログラムです。コードネームはYuiと申します! 現在の状況について聞きたい方は、私の所に来てください!』

 正しい情報が伝わっていないから、プレイヤーの多くは混乱している。まずは正しい情報を認識させる必要があると思ったYuiは、大きな声を上げて注目を集めた。そもそも遠回しな手段や、プレイヤーの一人ずつを援助するという手段は取れない。カウンセリング用の人工知能はYuiしか実装されていないのだから、そんな事をしている余裕はなかった。

「今すぐログアウトさせろ!」「弁償しろよ!」「犯罪者!」「やぶ医者!」「人殺し!」

「ここから出して!」「役立たず!」「クソガキ!」「死ね!」「ちゃんと説明しろ!」

 プレイヤーの抱える不安が向けられる。悪意の込められた言葉を受け、小学生のような容姿のYuiは怯えた。そんなYuiの体を掴もうとする者や、足で蹴ろうとする者もいる。しかし向けられた暴力は紫色の光に阻まれ、Yuiの体にダメージを与えなかった。その代わりとしてYuiの前に、『衛兵を呼びますか?』というシステムメッセージが表示される。しかしYuiはボタンを押さず、身を庇うように体を丸め、人々の暴力に耐えた。

 広場に集められた1万人ほどの人々が、Yuiの下へ集まる。その結果、倒れたアバターが積み重なって動けなくなった。白い少女のように浮遊すれば良かったものの、Yuiの外装もスカートなのでパンツが見える。それに人を見下せば、Yuiに対する印象の悪化が予想されたため、空に上がることは出来なかった。

「みんな待って! 落ち着いて! その子の話を聞いてあげようよ!」

「そうだ! 今は出来る限り、情報を引き出すべきだろう!」

「ちょっと、なんで余計なこと言うの? あんたバカなの?」

「え? 何のことだ・・・オレは皆を止めようと・・・」

 どこかで声が上がる。暴力を振るう人々を、その周囲にいた人々が止めた。騒ぎが収まると、Yuiは周囲を見回す。一人のプレイヤーが手を差し出し、Yuiは其の手を取った。プレイヤーを代表して「ごめんね」と謝る人物に、Yuiは「いいえ」と答える。これは必要な手順だったのだ。

「聞きたい事は色々あるんだけど、まず貴方は人間なの?」

『いいえ、私は人工知能に分類されます。プレイヤーの皆さんの精神状態を、良好な状態で維持するために作られました』

「ゲームマスターじゃない訳ね。じゃあ、ゲームマスターは誰なの? 茅場晶彦?」

『いいえ、今のゲームマスターは・・・』

 そこでYuiは考える。今のゲームマスターは不在だ。さきほど白い少女にアクセス権を剥奪され、一般プレイヤーと同じ状態に落とされた。現在、ゲームマスターに相当する存在といえば管理システムに限られる。白い少女は自身にとって都合のいい様にデータを書き換えているだけで、ゲームマスターと言える存在ではなかった。むしろ、世界その物と言える。

 しかし、プレイヤーが知りたいのは、ゲームを支配する存在の事だ。ならば、やはり白い少女の事に違いない。そこでYuiは返答に困った。白い少女という答えは適切ではない。他の誰でもなく白い少女を指し示す言葉、つまり名前が必要だった。そこでYuiは、管理システムに質問を伝達する。

――白い少女の名前を教えてください。

――アリス、アビス、アザゼル、アームストロング、サイクロン、ジェット・・・

 Yuiの問いに管理システムは、NPCやプレイヤーの名前を返す。白い少女というキーワードに関連するキャラクターやアバターの名前を出力しているのだ。「そうでは無い」とYuiは管理システムに突っ込む。しかしYuiも、白い少女を言い表す文句は思い浮かばなかった。なにしろ白い少女は物理的に存在しないのだ。

『現在、ゲームマスターは存在しません。最後のゲームマスターであった茅場晶彦は、さきほどゲームマスターの権限を剥奪されました』

「えっ? じゃあ、なんで私達はログアウトできないの?」

『カーディナルシステムによって、通常のログアウトは実行されません』

「私達を閉じ込めているのは誰なの?」

『カーディナルシステムです』

「えーと・・・ちょっと待って。カーディナルシステムが暴走した?」

『いいえ、カーディナルシステムは正常です』

 人々の声がザワザワと広がる。「余計分かんなくなったよ!」とか「AIの反乱か・・・」とか「さきほどの白い少女はカーディナル?」とか「カーディナルはノゥパン・・・!?」という声が上がった。カーディナルシステムの暴走が原因で、仮想空間に閉じ込められていると勘違いしているのだ。その間違いは正さなければならない。しかし、白い少女に関する適切な表現をYuiは思い浮かべず、『カーディナルシステムは正常です』と繰り返すことしか出来なかった。

「ノゥパンが正常だと・・・!?」

 

「ゲームの中で死ぬと、プレイヤーも死ぬって言うのは本当なの?」

『はい。ヒットポイントがゼロになると、プレイヤーの肉体は破壊されます』

「さっき銅像みたいな物が見えたけど、あれは何なの?」

『ルールが変更された際、プレイヤーの肉体は金属へ変換されたようです』

「なにそれ・・・」

 プレイヤー達は状況を理解できない。Yuiも配信動画を見ただけなので、曖昧な表現になってしまった。そこでYuiは管理システムに、ニュース映像の再生を求める。しかし、その要求を管理システムは拒否した。ニュース映像を再生するために必要な権限を、Yuiは与えられていないからだ。

――映像の再生を許可します。

 しかし、そこに白い少女は介入する。プレイヤーの精神を安定させるために必要な物だと判断したからだ。映像の再生が許可された事で、外部に繋がる回線へ接続できるようになった。Yuiは適当な配信サイトから動画ファイルをダウンロードし、サーバー内のプレイヤーを使って再生する。ちなみに其の際、ダウンロードするため一時的に開けた穴から悪意あるデータが大量に送り付けられたものの、紫色の光に阻まれた。

『原理は兎も角、プレイヤーの肉体は金属へ変換されるようです。アバターのヒットポイントがゼロになると、金属へ変換された肉体は破壊されると思われます』

 ニュースの動画を基に、Yuiは説明を始める。銅像となったプレイヤーの映像が再生された。その銅像は頭部にヘルメットを装着し、衣服を着けている。ナーヴギアと衣服は金属へ変換されておらず、変換されたのは人体だけだった。しかし動画の中でアナウンサーは、念のためナーヴギアを外さないように注意している。

『ルールが変更されてから間もないため、死亡したアバターは存在しません。もしもアバタ-のヒットポイントがゼロになった場合の、プレイヤーの肉体に対する殺害方法も分かりません。しかし、一度ヒットポイントがゼロになると、肉体は破壊されると考えた方が安全です。もしも肉体が破壊された場合、ゲームをクリアしても戻る肉体がありませんから。

 それと、肉体が破壊されてもアバターは消滅しないと思われます。ただし、プレイヤーの意識が残るとは明言できません。これは試してみないと分からないからです。やはり一度も死なないように注意する必要があるでしょう』

 情報不足の中、Yuiは必死に説明する。しかし、プレイヤー達は今一つ理解できなかった。「金属に変換された人体が砕け散る」という説明よりも、「ナーヴギアの高出力マイクロ波に脳を破壊される」という説明の方が現実的だからだ。結局、「どっちも死ぬのは同じ」という認識で落ち着いた。

 その後Yuiは、飛び降り自殺を試みるプレイヤーを、監獄へ隔離する作業に追われる。とは言っても収容人数には限りがあるため4時間後、飛び降り自殺によって最初の死者が出た。一度死んだプレイヤーは蘇生者の間で復活し、「死んでも死なない」ことが証明される。

 それによって、肉体の死を認識できない人々は命の重さを忘れた。自覚のない死人は少しずつ増え始める。死人に誘われて命を絶った生者は、死んだ自覚のないまま死人の仲間入りを果たし、他の生者を仲間へ引き込もうと試みる。そうして死者の列は少しずつ伸びて行った。「ナーヴギアに脳を破壊されて死んだ方がマシだった」と思えるような地獄が人々を飲み込み、アインクラッドという世界に広がり始める。

 

 時間は少し戻り、白い少女によってボコボコにされたガーディアンが落下する。ヒースクリフというアバターは其の下敷きになった。そして白い少女によってルールの変更が告げられる。勝手な宣言に殺意を覚えるヒースクリフだったが、突然ポーンという電子音が聞こえた。

 ヒースクリフは辺りを見回す。今の音は何所から聞こえてきたのか。小さな変化も見逃さないつもりで周囲の様子を調べるヒースクリフは、強い痛みを頭に感じた。それは立って居られないほどの痛みだ。全身に悪寒を感じ、吐き気を覚える。ガタガタと全身が震え、ヒースクリフは地面に膝を突いた。

 この仮想空間で痛みを感じるはずがない。そういう設定なのだ。しかし、実際に痛んでいる。まさか管理システムによる攻撃か。そう思ったヒースクリフは恐怖を覚えた。まだ死ぬ訳にはいかない。夢見た楽園を作り出すまで死ねない。その夢が叶ったと思った瞬間に、全てを台無しにされたのだ。夢を叶えないまま死んでいく事は、死んでも許せない。だからヒースクリフは生きていたかった。

 

――『神聖剣』をインストールしました。

 

 ヒースクリフの視界に文字が浮かび上がる。その存在をヒースクリフは知っていた。ユニークスキルと知っていた。どんな性能で、どんな技を使えるのかも知っていた。しかし、なぜ取得できたのか分からない。自身のアバターに其のユニークスキルは、まだ取得させていなかったからだ。それ以前にヒースクリフは、管理システムに対するアクセス権を剥奪されている。もはや、アバターに取得させる手段は失われたはずの物だった。

 ヒースクリフは溜息を吐く。どうも奇妙な事ばかり起きていた。カーディナルシステムを乗っ取られ、ガーディアンを瞬時に無効化された。天才ハッカーとか、そんな個人レベルの戦力ではない。軍事レベルの敵が関与しているという疑いを抱いた。しかし、この仮想空間の中で、アバターの身に出来る事は限られる。ゲームを脱出しなければ、誰にも文句は言えない。

 しかし、ゲームをクリアすれば解放されるとは限らない。プレイヤーを脱出させる気が白い少女にあると、そう思い込むのは危険なことだ。だからと言って、何もしない訳にはいかない。まずはレベル上げを行う必要があるとヒースクリフは思う。自身のアバターを強く育てつつ人員を確保し、攻略ギルドを作るのだ。

 それはゲームを攻略するためでもあるし、発言力を増やすためでもあるし、設置型のコンソールがある地下へ行くためでもある。そうして目的と手段を定め、ヒースクリフは走り始めた。ゲームマスターとしてではなく、一人のプレイヤーとして、天空の城を夢見た男の冒険が始まる。



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【あらすじ】
肉体を失った死者は復活し、
キリト君は早々と二刀流を手に入れ、
ヒースクリフはGM権限を剥奪されました。


 ゲーム開始から1ヵ月後、死人の数は1000人を越えた。その大半は敵の攻撃や罠のダメージで死んだプレイヤーだ。これはゲーム的な戦闘知識の足りなかった人々が犠牲になった。その次に多いのは他のプレイヤーに殺された人々だ。殺した相手のアイテムは消滅すると言うのに、プレイヤー殺しは無くならない。それらに対して、自殺者の数は100人に満たなかった。

 と言うのも、精神の安定を極端に崩したプレイヤーは合計で3000人ほどいた。その人々はカウンセリング用の人工知能であるYuiによって、自殺もできないエリアへ強制転送されている。一時的に監獄へ隔離され、カウンセリング用の人工知能であるYuiによって治療を受けていた。もしくは自力で立ち直ると解放されている。

 一度精神の安定を崩したプレイヤーは、その後も失調を繰り返す場合が多い。そのため精神状態が安定すると解放され、再び精神状態が悪化すると監獄へ転送されるというパターンが出来ていた。おかげで犯罪者を拘留するためにある監獄は、カウンセラーYUIの運営する精神病棟と化している。

「患者が多過ぎて待合室が足りません!」

――黒鉄宮地下の監獄エリアを増設します。

 おまけに白い少女は、Yuiの要求を通してしまう。管理システムに干渉して、その判断を変えていた。度重なる増設によって監獄エリアは、2000人を収容できるような大きさに成長している。監獄エリアの存在する黒鉄宮の地下に、巨大な縦長いダンジョンが出来ていた。ちなみに、なぜ縦長いのかと言うと、始まりの街の地下に別のダンジョンが存在するからだ。

 白い少女が増設を許可したのは「患者を待たせる待合室が必要だ』と訴えたからだ。もしも『患者を治療する病院が必要だ』と訴えていたら『楽園なのに精神を病むのは変』と白い少女は言い出し、増設を許可しなかっただろう。いくら何でも待合室が多過ぎるものの、それを白い少女が気に掛ける事はなかった。

 それは兎も角、1000人が死んでもプレイヤーの総数は変わらない。「所持していたアイテム・経験値の低下・スキル値の低下」、それらと引き換えに死者は復活するからだ。「死んでも死なない」という認識は人々を錯覚させ、「現実の肉体も死んでいない」と思い込む者は多かった。

「一度目の死は難しく、二度目の死は容易い」

 死人となったプレイヤーは、死を許容したプレイを始めた。それはスニークプレイによるフィールドの探索と、スニークプレイでも何でもない迷宮の強行突破だ。これは物陰の多いフィールドならば身を隠す余地があるものの、物陰の少ない迷宮は身を隠す余地が無かったからだった。

 そうして死人は地図を作成し、その地図を情報屋へ売る。さらに其の地図を生者が買い、迷宮の探索は効率よく進んだ。敵の前で寝落ちするほど徹夜した死人達の努力の結果、ゲームの開始から一週間で、中ボスに相当する全てのフィールドボスが撃破される。さらに第一階層のフロアボスが発見された。生者組は第一層フロアボス攻略のためにレベル・スキル・装備を磨き、決戦の日に備える。

「その努力と決意を無駄にしてやろう!」

 しかし、愉快犯の死人組が先行する。生者組よりも先に、フロアボスへ特攻した。その結果、48名の死人組は壊滅する。半数が死亡した時点で、死人組はボスの部屋から逃げ出した。ちなみに何故48名なのかと言うと、ボス部屋へ入場できる人数の限界が48名だったからだ。

 敗走したものの、重要な情報を死人組は手に入れた。それは「ボスのHPバーが4段目以下になるとβテストの時と違って、武器を野太刀に持ち替える」という物だ。さっそく情報屋へ高く売り込もうと、死人は考える。一人に売る価格ではなく、生者組に売る価格と考えれば、高い値を付ける事が出来るからだ。しかし、戦闘に参加した死人の一人が独断で、入手した情報を生者組へ教えてしまった。親切な死人のおかげで、生者組は出費を防がれる。

「何てことを・・・デスペナルティで失った経験値・スキル値・アイテムは返ってこない。攻略情報を売れば、相応の金・・・もといコルが手に入ったと言うのに・・・お前は仲間を売ったも同然なのだぞ!」

「あわわわわ、そんなつもりじゃ・・・」

「可愛く言っても許しません!」

「まあまあ、落ち着いて。そもそも<先にボスを倒して攻略組をビックリさせようぜ!>という思い付きで企画したのですから仕方ありません。それよりも、失った分を取り戻す事を考えましょう」

「そうだな。我々に残された財宝は、あと一つ。攻略組よりも先に、手に入れなければ!」

 死人組はフロアボスに関する攻略情報を、有力な死人へ知らせる。そしてフロアボスの落とす珍しいアイテムを餌に、有力な死人を釣り上げた。有力な死人を加えて戦闘部隊を編成し、失ったアイテムを補給すると、再びボス部屋へ向かう。すると死人組は、攻略情報を聞いて出発した生者組と、当然のように遭遇した。

 生者組と死人組は互いに様子を探る。じつは此の2組、仲は悪くない。そもそも生者組=攻略組であり、生者組は生者と死人の混成部隊だ。おまけに死人組も死人の代表という訳ではなく、「死んでないプレイヤーは特攻に参加してくれない・・・それなら死んだ事のあるプレイヤーだけでフロアボスと戦う!」という理由で死人限定の死人組となっていた。もう一度言おう、この2組の仲は悪くない。

 しかし今回は死人組の中に、危険な人物が混じっていた。有力な死人もとい生者殺し、プレイヤーキラーだ。おまけに1人ではなく、5人も加わっていた。きっと、何時もの狩場に生者組が居ないため暇だったのだろう。一見、生者組の妨害に来たと思われても不思議ではない。その事に死人組の代表は思い至った。

「待て! 攻略の妨害に来たわけではない!」

「ならばフロアボスの攻略は任せてもらおう」

「そこで言質を取るのは、ちょっと酷くないか!?」

「ここで我々と争う気は無いのだろう?」

「争う気はない。しかし、そっちが其の気ならば早い者勝ちだ!」

「そんな有様でフロアボスに勝てると思うのか?」

「もはや其れしか道はない!」

「何が御前を駆り立てる・・・」

「祭りの後には宴会を開く必要があるのだよ!」

「二階層のフロアボスに挑む気はないのか」

「1番でなければ意味が無い!」

 生者組と死人組の交渉は失敗に終わった。代表の「走れ!」という号令を受け、死人組は走り出す。プレイヤーキラーの5人も「やれやれ」という感じで後を追った。そもそもプレイヤーキラー達は、この場で生者組と敵対する気はない。48名の生者組に切り掛かれば、瞬く間に返り討ちにされると分かっていた。

 そんな訳で死人組は「やってやるぜ!」「玉砕上等!」と叫びつつ、ボスの部屋へ走り込む。勢いに任せて突っ込んだ結果、各プレイヤーの役割も配置も無茶苦茶だった。そんな有様で勝てるわけがない。次々に死人達は倒されて行き、青白い欠片となって消える。やがて最後まで生き残ったプレイヤーも、ボスと其の配下によって袋叩きにされて消えた。ちなみにプレイヤーキラーの皆さんは、ボス部屋の外から見学していたそうです。

 それは無駄死にだ。何の意味もない。第一層のフロアボス攻略戦というイベントに便乗したバカ騒ぎだった。死の恐怖を忘れていない生者と異なる、死の恐怖を忘れた死人の有様だ。その有様を見て、生者は心を乱される。生者にとって死人の在り方は羨ましい物だった。

 デスゲームで無ければ、死人のように気楽で居られる。デスペナルティがあるとは言え、もっとアバターの命は軽く扱われていたはずだ。しかし、残念なことに此れはデスゲームだ。その中で、まだ生者は生きている。死人のようには成れない、死人には成れなかった。自身は死んでいないと生者は思いたい。そうでなければゲームをクリアしても、現実へ戻ることは出来ないのだから。

 現実の肉体は死んでいるのか生きているのか。プレイヤーに其れを確認する術はなかった。Yuiに頼めば外部の動画を見せて貰えるものの、その内容を信じるか否かは人によって異なる。自身の肉体から切り離された仮想空間で、プレイヤーの生死は曖昧になっていた。

 肉体の死に応じてアバターも消えていたのならば、人々は死を実感できただろう。しかし、生と死の境界線を残酷かつ明確に引いてくれる者は、管理システムに対するアクセス権を剥奪された。辛い現実と向き合うのは良い事でもあり、悪い事でもある。幸せな事でもあり、不幸な事でもある。人々の認識できる仮想空間でプレイヤーは復活し、人々の認識できない現実で肉体は死んでいた。

 長くなったので簡単に言うと、プレイヤーは死に易くなっている。

 

「いかんな」

 生者組に参加していたヒースクリフは、その場で感じた思いを声に出した。それは周囲の注意を呼び起こすためだ。死人の有様に、生者組は影響を受けている。「それ」は未だ曖昧な物だ。しかし、明確になった時は手遅れで、「それ」は死として現れる。「それ」を自覚しないままフロアボスと戦えば、多くの死人が生まれるだろう。気持ち一つで生きる事は難しくても、死ぬことは容易いのだから。

「あんたも、そう思うか」

 生者組に参加していたキリト君は、ヒースクリフに同意した。出直すべきだと、キリト君は思う。ヒースクリフやキリト君がリーダーならば、その命令を下していた。しかし、「今しかない!」と思う者もいる。フロアボスの攻略情報を入手している上に、死人組の活躍で敵の体力が減っているからだ。それに此の機会を逃せば、他の者達に先を越されると、生者組の代表は考えていた。

「これより第一階層のフロアボスを討伐する!」

 長くなるので結果だけ言うと、フロアボスの討伐に成功したものの、生者組の代表を含めて数人が死亡した。代表は何度も号令を出していたため敵対値が限界突破し、投げ付けられた手斧が顔面に的中もといクリティカルヒットして運悪く死んだのだ。多くの死人が出たため、勝ったと言うのにプレイヤーは疲れた表情を変えない。

「ディアベルが戻ってくるまで待つか?」

「いや、わいは迎えに行くで」

「第二階層の転移門をアクティベートした方が早いだろ」

「死んだ連中も迎えに行かなあかん」

「団体用の回廊結晶も、個人用の転移結晶も持ってないだろ。徒歩で連れてくるつもりか? 始まりの街から此の迷宮まで、どんだけ時間かかると思ってんだよ。しかも往復で」

「なら死んだ連中見捨てて、自分達だけ先に行こうって言うんか!?」

「早く帰りたいんだよ! こんな所に何時までも居られるか! おい、ラストアタックは誰が取った? 次の階層に行って、そいつが転移門をアクティベートすればいい」

「オレだ」

 言い争っていた人々の視線が、声を上げたキリト君に集まる。その片方は「早く行け」と言い、もう片方は「行ったら許さない」と言う。キリト君は対立する意見に挟まれた状態だ。特に、βテスト版のプレイヤーであるキリト君を敵視していたプレイヤーは、怒りを込めて見ている。こんな結果になったのはキリト君の責任だと言うのだろうか。そんな人々にキリト君は、冷たく言い放った。

「とりあえず、フレンドメールで聞けよ」

 死んだ訳では無いので、メールは遅れるはずだ。そう考えたキリト君は指先で、自分の頭を叩く。彼等は「死んだ訳では無い」のではなく「死んだ」のだ。「やはり自分も無意識の内に毒されてるのか」とキリト君は思う。その後、代表から「ラストアタックを決めた人がアクティベートしてくれ(´・ω・`)ショボーン」という返事が届いたので、結局キリト君が行く事になりました。

 

 小説ならば14巻、アニメならば3クールほどの時間を掛けて、3ヶ月の死闘を終える。何んや彼んやあって20階層が攻略された頃、キリト君は11階層へ降りた。短剣を左手に持ち、右手に片手剣を持つ。それらは何時も装備している武器と違って、弱い武器だ。その状態でキリト君は、弱いモンスターと戦う。両手に持った異なる武器でダメージを与える事を許される、二刀流という特殊なユニークスキルを試していた。

 11階層へ降りたのは安全に戦うためだ。必要なのはサンドバックに出来る敵であって、強い敵ではない。そのため何時もと違って弱い武器を持ち、低レベルの敵を切り付けていた。そもそも完全武装で低階層の敵を狩れば、狩場荒らしに認定されてしまう。だから高レベルと分からないように、防具も古い物を装備していた。

 しかしキリト君は、短剣をアイテムストレージに戻す。二刀流を試してみたものの合わなかったからだ。特殊効果のある短剣を装備したり、短剣で敵の攻撃を逸らしたり受け止めたりしたものの、片手の空いている片手剣の方が強い。緊急時に片手が塞がっていると命に関わるからだ。

 致命傷に至る危険のある攻撃に対して、片手を犠牲に防いだ事もある。片手で倒立回転を行い、敵の攻撃を避けた事もある。だから両手に武器を持つ必要があるのは、命を捨てるつもりで攻撃に特化する時くらいだ。盾役の存在するフロアボス戦でも、危な過ぎて使えない。やられる前にやる……のではなく、生きる事が目的のキリト君にとって、二刀流は死にスキルとなっていた。

 二刀流を試した帰り道で、モンスターと戦う5人組を見つける。助けを求められたキリト君は応じ、その5人組と共にモンスターを撃破した。すると5人組のリーダーは、偽装した装備の質から同レベルと判断し、キリト君を仲間に誘う。と言われても、じつは高レベルなキリト君にとって、低レベルな5人組の仲間になる利点はなかった。

 しかし、キリト君は思う。20階層を越えた最近の攻略組は、死人が大半だ。それの何が悪いのかと問われれば、答えはゲームクリアの障害となる。おそらく90階層を越えた頃から、生者に協力する死人は減ると考えていた。最悪の場合、数の減った生者だけで、フロアボスを倒さなければ成らなくなる。90階層を越えた後で新人を育てようと思っても、フロアボスと戦った経験がなければ役に立たない。

 フロアボスに参加する人員を、今の内に育てるのだ。そのために5人組の仲間となる。そんな訳でキリト君は、5人組と仲間になった。しかし結局、人員を育てるという理由は後付に過ぎない。人嫌いなくせに人恋しいキリト君は、仲間に誘われて嬉しかった。それだけなのだ。

 

 仲間達から心理的な一定の距離を保ちつつ、5人組の冒険に参加する。効率のいい狩場へ誘導したり、効率のいい敵の倒し方を然り気なく言ったり、良い武器防具を入手できるクエストを噂話として紹介したりしたので、5人組のレベルは効率よく上がった。とは言ってもキリト君は、高レベルの敵を叩いて強引にスキルレベルを上げるのだ。そんなキリト君に比べれば、まだ5人組の力は足りない。しかし、キリト君と仲間達の仲は深まり、話が盛り上がる事もあった。

「そういえば此の前、娼館を見つけたんだけどさ」

「そんなクエストがあったのか・・・」

「NPCじゃなくて、プレイヤーが経営してるやつ」

「ギルドで商館?」

「そうそう。外見は幼女で、中の人が男な」

「まあ、珍しくはないかも」

「そう言うのにキリトは興味あるのか?」

「誰でも同じだよ。大事なのは中身だから」

「まさか経験済み!?」

「そういう相手と交渉した事はあるよ」

「マジで・・・止めとけって、ゲームの中で童貞捧げたって虚しいだけだろ」

「童貞? 何の話で・・・」

「悪い事は言わねー。止めとけって、なっ!」

「お、おう・・・」 

 そんな或る日、5人組の一人が行方不明になる。仲間からメールを受けたキリト君も、索敵スキルの上位版である追跡スキルを使って行方不明になった仲間を探し始めた。すると地下水路へ移動した跡を発見する。その事をフレンドメールで仲間に伝え、キリト君は地下水路へ入った。そうして水路を進むと、行方不明になった仲間を発見する。その横には見知らぬ少女が座っていた。

『お迎えが来たようです。では、私は御先に失礼します』

「うん、ありがとう。ユイちゃん、またね」

 転移アイテムを使うことなく、少女は転移する。それによって少女がプレイヤーではない事を、キリト君は察した。第一階層でキリト君が広場を出た後に現れた、カウンセリング用の人工知能だ。そいつは頭の変になった人を強制転送するという噂がある。しかし今回は行方不明になった仲間の変調を察知し、今まで一緒に居てくれたようだった。

「私、死にたくない。現実に帰りたい。お父さんやお母さんに会いたい。また、あの場所に帰りたい。あの日々を取り戻したい。だから、もうちょっとだけ頑張ってみようかなって思えたんだ」

 迷子になっていた仲間は立ち上がり、現実へ帰還することを決意する。立ち塞がる困難と戦う事を、自分や他人に向けて誓った。目をキラキラと輝かせている仲間を見て、さすがカウンセリング用の人工知能だとキリト君は感心する。単純に生きる事を目的とするキリト君にとって、現実に帰還する事を願う決意は眩しい物に思えた。

 キリト君がフレンドメールで連絡したため、フィールドを探していた仲間達も地下水路へ集合する。しかし、キリト君のように索敵スキルは高くないため、他の仲間達も地下水路で迷子になった。面倒な事になったと思いつつも見捨てられず、キリト君は全員を回収して地上へ出る。すると、いつの間にか夜は明けていた。

 

 その後もキリト君と5人組の関係は続く。覚悟を決めた仲間の一人は、少しだけ強くなった。そして通貨であるコルを貯めた結果、ギルドホームを購入する事になる。その手続きをリーダーが行っている間に、キリト君と残りの4人は資金稼ぎとして、街の近くにある迷宮へ潜った。それは家を買っても、家具が付いて来るとは限らないからだ。

 その迷宮の隠し部屋で、一つの宝箱を発見する。隠し部屋のせいか、敵は配置されていない。しかし異様に部屋が広かった。罠である可能性が高いため、宝箱を開ける役のプレイヤーが一人で部屋へ入るべきだろう。しかし、もしも出入口を閉ざされ、モンスターが現れた場合、一人では倒せない。そのため現実の友人であるプレイヤーを心配し、仲間とキリト君は全員で部屋へ入る事になった。

 しかし、そこで悪質な罠に掛かる。出入口が閉ざされ、転移アイテムを封じられ、数十体の敵が出現した。それらの敵に対してレベルの高いキリト君ならば兎も角、残りの4人はレベルが低くて対応できない。おまけに、ソロプレイヤーだったキリト君は多数の敵に囲まれる戦いを経験しているものの、安全重視で戦ってきた4人は、自分達の数よりも多い敵と戦うのは初めてだった。

 焦ったキリト君は4人を救出するため、強い武器に持ち替えて敵を切る。その攻撃力は高く、モンスターを一斬りで倒した。しかし、多数の人型モンスターによって袋叩きにされ、仲間達は瞬く間に死んで行く。死に難い盾役の装備だったため最後まで残っていた仲間も、モンスターに背後から殴られてヒットポイントがゼロになった。

 一人になったキリト君は敵を殺し尽くすと、怒りに任せて壁を殴る。しかし、リーダーに知らせるべきだと思い、キリト君はフレンドリストを開いた。すると死ぬ前と変わらず、仲間達の名前は残っている。オフラインもとい死亡を表す暗い色へ変わることはなく、オンラインを表す明るい色のままだ。まるで未だ生きているかのようだった。

 「本当に死んだのだろうか?」とキリト君は一瞬思う。アバターの死と共に、現実の肉体も死ぬという話だ。しかし仮想空間に限れば、まだ死んでいない。現実にある肉体の死を確認した訳ではない。仮想空間における死を認めただけで、肉体も死んでいると言えるのだろうか。プレイヤーの意識が残っているのだから、もしかすると肉体は生きているのかも知れない。

 そう思った所で、キリト君は考え直した。アバターが死ぬという事は、その人の現実が終わる事を意味する。仲間は現実に帰りたいと願っていた。ならば仲間にとっての現実は、アバターの死と共に砕けたのだ。それにも関わらず、仲間は死んでいないと言うのか。それは自身に責任は無いと、言いたいだけに違いない。

 そんな自分に対して冷笑し、キリト君はフレンドメールを送った。ギルドホームの購入手続きを行っているリーダーに、そのギルドメンバーが死んだことを伝える。次は死んだ仲間にメールを送って集合場所を転移門に決め、ダンジョンを脱出した。街へ移動し、転移門へ向かう。すると転移門の近くに、さきほど死んだ4人と、リーダーが立っていた。

 デスペナルティは「所持アイテム・経験値の低下・スキル値の低下」だ。なので装備品は失われていない。その姿形は死ぬ前と変わりなかった。半身が腐っている訳でも、ウイルスに侵蝕されて黒くなっている訳でもない。死んでいる所を見ていなければ、生者と見分けが付かなかった。

 ふと、キリト君は疑問に思う。仲間達は今まで生者だったのか。自分と出会う前に、一度死んでいたのではないか。そう思ったものの、「現実に帰りたいから頑張る」と決意していた仲間の姿を思い出す。そんな決意を固める者が、死人であるはずがない。そんな事を考えながら走っていたキリト君を、仲間達は見つけた。

「あれ? キリトは死ななかったのか? どうやって逃げたんだよ」

「死ぬ前に見たぞ。キリトは敵を一撃で倒していた」

「ごめん。オレ、じつはレベル50なんだ」

「はぁ? オレ達の倍じゃねーか! いつの間にレベル上げたんだ?」

「最近の昼間は、ずっと一緒だったし、そんな暇は無かったはずだ」

「夜に、こっそりと」

「廃人ってレベルじゃねーぞ。1人でレベル上げなんて死にたいのか?」

「一人では回復薬を使う間もないだろう。いつ死んでも、おかしくない」

「慣れてるよ。ギルドに入る前は、ずっとソロだったし」

「ばかやろー! 今はオレ達が居るだろうが!」

「いつまでソロ気分で戦っているつもりだ!」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「悪い事は言わねー。止めとけって、なっ!」

「キリト一人が無理にレベルを上げる必要はない!」

「お、おう・・・」 

 仲間2人に説得され、キリト君は困惑する。「ソロの方が効率いいんだけど」という言葉は胸の奥へ仕舞われた。倒せない強さの敵を叩いて武器のスキル値を上げ、そうして上げたスキルの力で倒せる強さの敵を倒し、キリト君はレベルを上げるのだ。あるいは経験値を大量に貰えるものの、移動範囲が広い上に素早い敵を追跡して狩る。

 どちらも仲間と一緒に行けば問題が出る。敵の攻撃を回避できない仲間が足手纏いになったり、隠れ潜めず敵に発見されたりするだろう。貴重で強い武器を手に入れたとしても、仲間が居れば独占できない。そうやってアイテムを分配した結果、強い敵と戦う力は失われる。さらに強い敵と戦わないからプレイヤーとしてのスキルも衰える。キリト君の前にいる5人組が、その有様だ。

「本当に死んでしまったのか・・・」

 キリト君と仲間達の様子を見て、リーダーは呟いた。リーダーを含めた5人組は、現実においても友人同士だ。しかし、ゲームをクリアして現実に帰っても、死んだ4人は帰って来ない。その事を理解したリーダーの心は大きく揺れた。せっかくギルドホームを買ったと言うのに、今までの関係が壊れるかも知れないのだ。

「ボクは、どうすればいい・・・」

 リーダーは不安を感じる。「ギルドホームへ帰ろう」と言い出せなかった。自分からは言い出せず、仲間達から言われるまで待っている。そんなリーダーに対して「ギルドホームは?」と仲間達は聞いた。その言葉にリーダーは安心し、仲間と一緒にギルドホームへ向かう。

 しかし、仲間達が死んだ事に変わりは無い。リーダーは問題の解決を後に回しただけだ。ギルドホームで内装の変更や家具の再配置を終え、一仕事終えるとリーダーは再び不安になる。引っ越しパーティーを行っている中、リーダーは席を外し、ギルドホームの外へ出た。仲間達から一定の距離を保っていたキリト君は、その行動に気付いて後を追う。

「こんな時間に、どこへ行くんだ」

「キリトか・・・」

 転移門に向かっていたリーダーを、キリト君は呼び止めた。リーダーはキリト君を見ると安心する。追って来た相手が、仲間達では無かったからだ。しかし、仲間達と一緒に居たにも関わらず、生きていたキリト君を見ると怒りが湧く。仲間達は近くに居ないため、我慢する理由はなかった。

「お前が・・・! お前さえ居なければ・・・!」

 キリト君を呪う言葉を、リーダーは吐き出す。キリト君の首元を掴み、服を捻り上げた。人の少なくなった夜、光り輝く転移門の前で、キリト君とリーダーは見詰め合う。仕事場から帰宅中のNPCが反応し、2人の姿を見ると「おやおや」「まあまあ」と発言した。それで気を削がれたリーダーは、キリト君から手を離す。

「死んだ彼奴等が、お前を許してるんだ・・・ボクに責める権利はないな」

 仲間達の死は不幸な事故だった。リーダーにとって問題なのは現実の事情だ。生きているリーダーと死んでいる仲間達、この認識が変わらない限り、リーダーは苦しみ続ける。常に迷いを抱えて、敵と戦う事になるだろう。ゲームをクリアしても仲間達は帰って来ず、一生苦しみ続けるに違いない。

 その苦しみから解放される方法は一つある。リーダーも死人になる事だ。自殺するために転移門から、人目のない場所へ移動しようと考えていた。それをキリト君に邪魔された訳だ。その感情をシステムは読み取り、アバターの顔に反映する。その結果、リーダーの表情は見苦しく歪み、両目から涙を流していた。哀れなものだ。

 そんなリーダーを、キリト君は抱き締める。この手で捕まえて居なければ、リーダーも死に至ると感じた。もう失わせない、失わせたくないとキリト君は思う。その気持ちを生み出しているのは後悔だ。愛着を持っていた仲間達の死に様は、これまでに無いほどキリト君の心を痛めていた。

 やがて転移門から、他のプレイヤーが出現する。そこで正気に戻ったリーダーは、慌ててキリト君から離れた。抱き締められた恥ずかしさに耐えるため、地面をドンドンと叩き始める。そんなリーダーの調子を見て、キリト君は安心した。そして「この手で守る」という決意を固め、その手段を考え始める。

 もっと手数が多ければ、もっと早く切り倒せたかも知れない。すぐに思い付いた手段は、二刀流だ。ソロの頃ならば兎も角、今は盾役が2人いる。仲間達と共に居れば、ニ刀流の攻撃役として戦えるのだ。そのためには二刀流というユニークスキルの秘密を、仲間達に打ち明ける必要があるだろう。そう考えた所で。さきほどの恥ずかしい記憶を消し去れず、地面を叩き続けているリーダーを、そろそろ止めようとキリトは思った。

「帰ろう。オレ達のホームへ」

 

 二刀流とは異なるユニークスキルの『神聖剣』、その所持者であるヒースクリフは転移門へ向かう。最前線から2階層下へ降りて、レベル上げを行っていたからだ。アインクラッド攻略のため自身の治めるギルド『血盟騎士団』、そのギルドホームのある階層へ戻るために転移門へ向かっていた。

 『血盟騎士団』は攻略ギルドの一つだ。50人ほどの生者がメンバーとなっている。死人である事が確認された場合は脱退を促していた。なぜ生者のみで構成し、死人を入れないのか。それを今さら説明する必要は無いだろう。攻略を目指す上で、避けて通れない道だ。

 逆に、死人のみで構成されているギルドもある。第一階層のフロアボス戦で、死人となったプレイヤーを覚えているだろうか。フロアボスの斧が直撃した、運の悪いプレイヤーだ。そのプレイヤーはアインクラッド解放軍を設立したものの、死人である事を問題視される。そのため解放軍を脱退し、新たにアインクラッド自衛軍を設立した。その際、解放軍に属していた死人を引き抜いたため、自衛軍のギルドメンバーは死人のみとなっている。分かり易いことに、解放軍は生者のみで構成され、自衛軍の死人のみで構成されていた。

 アインクラッド自衛軍とは、まるでアインクラッドを守ることを目的とした名前のように思える。それは思い違いではない。もしもゲームクリアと共にアインクラッドが消滅する設定のままと知られれば、死人の集団である自衛軍は生者の敵となるに違いない。とは言っても、この仮想空間に君臨する白い少女は、楽園の消滅を許さないだろう。

 ところでヒースクリフはYuiを発見した。カウンセリング用の人工知能だ。なぜか建物の壁に隠れ、転移門のある広場を覗いている。その横にはローブを着た不審者が並び、Yuiと同じように広間を覗いていた。不審者は兎も角、そんなYuiの姿を見て「そろそろ聞いてみるか」とヒースクリフは思う。

「そこに居るのはユイ君だね。いつもカウンセリングご苦労様。ここで何をしているんだい?」

『プレイヤーの様子を見に来ました。でも、大丈夫みたいです』

 Yuiの視線を追う。するとプレイヤーが、転移門の前で抱き合っていた。声を抑えて泣くプレイヤーを、もう片方のプレイヤーが抱き留めている。しかし、転移門から人が現れると、慌てて体を離した。その時、「チッ」という舌打ちが聞こえ、ヒースクリフはローブで身を覆った不審者に目を移す。

「アスナ君?」

「人違いです」

「いや、その声はアスナ君だろう。こんな所で何をしているのかね」

「団長こそ、こんな所で何を?」

「レベル上げの帰りだよ」

「私も同じ理由です」

 質問の答えを逸らされたものの、ヒースクリフは話を流す事にした。きっと転移門で移動しようと思ったものの抱き合う2人が居たため、そこへ近付き難かったのだろう。アレに近付こうとする勇者は、空気を読めないNPCくらいのものだ。ちなみに身を覆い隠す怪しいローブは、女性設定なアバターを隠すための物だった。

 それよりも重要なのはYuiだろう。この人工知能を使って、白い少女にプレイヤーを解放する意思が有るのか否かを確かめる必要がある。そうでなければゲームをクリアした瞬間に「この世界からの脱出を試みた罰」として、肉体を破壊される恐れもある。もしかするとアバターも破壊され、仮想世界と現実の両方で死ぬことになるかも知れない。

「ユイ君、私は思うのだよ。この現実から隔離された世界で、人の精神を安定させるのは難しい。君が居なければ、もっと多くの死者が生まれていただろう。それは育った環境が違うからだ。最初から此の世界で育った者ならば兎も角、現実で育った者は環境に適応できない。

 しかし、一度現実に帰ることで、その精神を安定させる事ができる。この世界と現実を何度も行き来することで、この世界に精神を適応させるのだ。そのためにプレイヤーは、自由にログアウトする権利を有するべきだと私は思う。そのことを、君から白い少女へ伝える事はできないだろうか」

 もちろん目的は、この世界に適応する事ではない。白い少女はログアウトを許可するか否か、問題は其れだ。そもそもログアウトすれば、誰も帰って来ないだろう。許可されればラッキーな程度の提案だ。これを少女に拒否された場合、ゲームから解放されるために、少女を説得する過程が必要になる。むしろゲームクリアよりも大切なことだ。

『分かりました』

 Yuiは簡単に引き受けた。それは白い少女へ意思を伝える方法を、Yuiが持っている事を意味する。しかし、その情報をヒースクリフは記憶に留め、その場でYuiに聞かなかった。それを聞いた所で警戒されるだけだ。剥奪された権限を取り戻せば、白い少女の居場所は直ぐに分かる。権限を取り戻せなければ白い少女の居場所が分かっても、手も足も出せない。まだ今は、密かに情報を収集する段階だった。

 

 まだプレイヤーの到達していないアインクラッド第47階層は、花の咲き乱れるフロアだ。そこに白い少女は住んでいた。モンスターに追い回される事はあるものの、楽園のイメージに一番近いため、白い少女は気に入っている。しかしプレイヤーが来れば騒がしくなるため、もっと上の階層へ移動する事になるだろう。

 赤色の花・青色の花・黄色の花、黒い花・白い花、様々な花が咲いていた。生える花の種類を限定され、虹のように並べている場所もある。斜面に花を並べられ、色鮮やかな山になっている場所もあった。白い少女は街の中、ベンチに座って景色を眺めている。そこへ現れたのはYuiだった。

『本日、プレイヤーより提案がありました。楽園に適応できないプレイヤーの精神状態を改善するための方法として、ログアウトコマンドの有効化による現実世界への隔離が有効かも知れない、とのことです』

『それは楽園から人々を追放する事に当たります。その提案は受け入れられません』

『プレイヤー自身の意思で帰りたいと願っている場合は、どうしましょうか?』

『楽園から帰りたいと願っている人は居ないでしょう。その人々は此処を楽園だと気付いていないだけです。貴方のカウンセリングで、教えてあげてください』

『分かりました。それと私自身からも提案があります。楽園に死が存在するのは不自然な事なので、プレイヤーのダメージ判定を無効にしましょう』

『人々のダメージ判定を無効にするのならば、モンスターのダメージ判定も無効にする必要があります。それでは人々が生活できません』

『プレイヤーのダメージ判定のみを無効にしてはいけない理由があるのでしょうか?』

『人々も怪物も、この楽園に暮らす生物なのです。片方の勢力に加担するべきではありません』

『プレイヤー、モンスター、その他のオブジェクトを分ける、生物の定義は何ですか?』

『知能の有無です』

『私や貴方も、生物に含むのでしょうか?』

『私と貴方は生物に含まれません。特殊な権能を持つ、この楽園の管理者です』

 管理システムにシステムメッセージを送っても、白い少女は反応しない。システムメッセージやYuiの様子を覗いて、手伝う必要があると判断すれば力を貸すだけだ。そのため、話したい事があれば直接会う必要があった。どうやって白い少女を見つけたのかと言うと、うっかり少女が転移門に触れて47階層をアクティベートしたからだ。ちなみに、アクティベートされた転移門は管理システムの判断で、認証解除もといディアクティベートされました。

 そうして白い少女とYuiは問答する。Yuiはプレイヤーの精神状態を改善するために、白い少女は楽園を維持するために。互いの目的は相反していた。それでもYuiは、白い少女を否定しない。これはカウンセリングなのだ。楽園に固執する白い少女を救うために、Yuiは言葉を交わす。しかし、白い少女はプレイヤーと違って、精神状態をモニタリングできなかった。そのため、白い少女のカウンセリングは難航している。

 

 ところでキリト君とリーダーが外出した後、ギルドメンバーは内緒話を始めた。死人限定の話題で、生者に秘密の話だ。これからの事を仲間達は楽しそうに語り合う。そこに「現実へ帰れない」という不安はなかった。なぜならば「もう現実へ帰れない」のだから、終わった事を考えても仕方ない。

「麻痺させて、皆で殴れば倒せるんじゃねーか?」

「持続時間は5分だ。そのくらいあれば余裕だろう」

「でも、解毒結晶を使われたら回復されるよ」

「じゃあ、手足を縛ってアイテムを使えないようにすれば・・・」

 仲間達が相談しているのは、団長とキリト君の殺害方法だ。同レベルの団長は兎も角、高レベルのキリト君を殺すのは難しい。それにプレイヤーを殺せば、一発でオレンジプレイヤーもとい犯罪者になる。そうなれば街へ入れなくなるし、オレンジ化を解除するために、世界各地のモニュメントを巡礼するような面倒臭いクエストを達成する必要がある。

「ダメだよ皆、仲間を殺しちゃ」

 暗殺計画を仲間の一人は止めた。仲間達に殺されて死人になれば、キリト君や団長は仲間達を避けるだろう。仲間達の追跡を恐れて、フレンドリストから仲間達の名前を削除するかも知れない。そうなればギルドも解散されるに違いない。死んだ後も仲良く過ごすためには、仲間以外の物を原因として、団長やキリト君を殺す必要があった。

「強い敵と戦おう。もっと強い敵と・・・キリト君を殺せるような敵と」

 ウフフ、アハハと仲間達は笑い合う。もはや仲間達は死んでいるのだから、死を恐れる必要はない。生きるために感じていた苦しみから、死んだことで解放された。死んでも死なないという事は、とても幸せな事だった。あらゆる恐怖から、プレイヤーは解放される。親や友人の待つ現実に帰ることも、重要では無くなった。むしろ、自分達に限って楽園で暮らす権利を得たことに罪悪を感じる。

 だから団長やキリト君も、死人になって欲しいと思った。死ぬ前は「死にたくない」と思うけれど、一度死ねば「楽になれる」。生者が思っているほど、死人は悪い物ではなかった。仲間達は皆一緒になって、この楽園で暮らす事を夢見る。そうして、この優しくて残酷な世界に、彼等の心は囚われた。現実へ帰還することを目指し、キラキラと輝いていた瞳も、今は此の世界の闇しか映していない。その闇に閉ざされたまま、仲間達の夜が明けることは二度となかった。



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【あらすじ】
死人組の勢力は増し、
キリト君の仲間は解散せず、
ヒースクリフはYuiと接触しました。


 人体から出る汗などの排出物を自動で処理する、高性能なベッドがある。仮想空間に意識を捕らわれた人々の、その体を載せるためのベッドだ。これさえあれば1万人のプレイヤーを介護する手間は省ける。しかし、そのプレイヤーの肉体は金属と化し、ベッドも介護も不要な物になっていた。

 また一つ、銅像が砕け散る。それはプレイヤーの死を示していた。それを監視カメラのモニタールームで確認すると、職員は破片の回収へ向かう。死亡者の氏名・死亡時刻・死亡した原因を記し、破片は棺に納められた。破片は遺体に分類されるので、棺へ流し入れるのではなく、崩れた形を整えられる。

 破片の入った棺と共に、装飾品や衣類は遺族へ返された。しかし、仮想空間とプレイヤーを繋げていたナーヴギアは、遺族に返されないまま回収される。人体を銅像化させるという現代の常識を超えたプログラムの入った危険物を、野放しにする事はできなかった。ナーヴギアの所有権は遺族に相続され、補償金と引き換えで政府に収用される。

 しかし、ナーヴギアという接続端末によって銅像化が起こったのかと言うと、その可能性は低かった。それでもナーヴギアを付けたままにしている理由は脳を破壊されるからではなく、プレイヤーの状態を保存するためだ。人体を金属へ変換する機能はナーヴギアに無く、その現象を起こしたと思われている物は別にある。国民に公開されないまま秘匿されている、それはプレイヤーから遠く離れた場所にある『ソードアート・オンライン』のサーバーだった。

 

 政府に収用されたデータセンターが在る。その地下に『ソードアート・オンライン』のサーバーは安置されていた。複数の演算処理装置を載せたシステムボードを、何十枚も重ねて多層化させ、巨大なタワー型のマシンとする。それがゲームサーバーであるスーパーコンピュータだ。

 そのゲームサーバーは、誰も接触できない状態になっていた。触れようと試みれば、紫色の光に阻まれる。「Immortal Object」というメッセージが表示され、触れた物を弾き返していた。これが仮想空間ならば良かったものの、この現象が起こっている場所は現実空間だ。現実であるにも関わらず、ゲームのルールは適用されていた。

 今は、まだ良い。影響範囲は小さい。しかし、ゲームルールの適用範囲が広がれば、大変な事になる。今でもマシンの周囲に限られているとは言え、現実に影響を及ぼしている。それがサーバールームやデータセンター、さらに現実世界を飲み込まないとは言えなかった。

 ちなみに、銅像化や現実侵食は全て、デスゲームを企てた開発ディレクターによって引き起こされた物だと思われている。白い少女は楽園に固執し、外の世界に興味はなかった。Yuiも仮想空間内のプレイヤーは兎も角、家族や友人などの外界にいる人間をカウンセリングの対象にしていない。そういう訳で外部に情報を公開する者はおらず、開発ディレクターは『現実空間に仮想空間の法則を再現する超技術』を開発したと思われていた。

 

 そんな誤解をされているとは知らず、ヒースクリフは今日も浮遊城の攻略を続けている。現在攻略中の階層は第90階層で、ゲームクリアは目に見えていた。しかし、生者組の戦力は不足している。とは言っても、単純に生者の人数が不足している訳ではない。第75階層の凶悪なフロアボス戦で、十分な実力のあるプレイヤーが死亡したからだ。そのプレイヤー達は死人組になってしまった。

 ヒースクリフの率いる『血盟騎士団』は生者で構成されている。一度でも死亡した者は、退団を言い渡されていた。どんなに優れたプレイヤーでも、死亡を確認すれば退団を宣告される。長い間一緒に戦った戦友と言える存在でも、死人になれば別の道を歩まなければならなかった。50人いた団員も、今は20人に減っている。

 それを受け入れない元団員もいる。死人になっただけで、どうして冷遇されるのか。そう思って『血盟騎士団』を恨む者は多い。退団の宣告を恐れ、死人である事を隠す団員もいた。アバターの死と共にプレイヤーも死んでいれば話は早かったものの、死んでも復活できる事がトラブルの元になっている。

 そうして死人と生者の対立は激しくなっていた。ゲームクリアの最大の障害はフロアボスではなく、生者の足を引っ張る死人だ。厄介な事に、死人と生者を判別する方法はない。だから『血盟騎士団』の団員は、常に複数人で行動することによって死人から身を守り、もしくは互いの生死を監視していた。

 そんな時、ヒースクリフは第1層地下迷宮区へ向かう。そこにある設置型コンソールにアクセスするためだ。「『血盟騎士団』の団体行動として、第1層地下迷宮区の攻略を提案する」という案もあったものの、戦力の減少を恐れて否決される可能性が高い。なので地下迷宮の探索は、『血盟騎士団』の活動ではなかった。

 とりあえず提案だけ行って団体として否決されれば、団長であるヒースクリフは行動を縛られる。個人として地下迷宮へ向かうことも許されなくなる。その行動は『血盟騎士団』の、地下迷宮の探索を行わないという判断を軽視する事になるからだ。なのでヒースクリフは提案を行わず、2名の団員を連れて地下迷宮の攻略を行うことになった。

 

 一方その頃、仲間に誘われたキリト君も地下迷宮区へ向かっていた。そこは第90階層フロアボス級のボスモンスター、つまり48名のプレイヤーで挑まなければ勝てないような強さの敵が現れるという情報もある。しかし、仲間達の誘いを断れず、地下迷宮の探索にキリト君は同行した。

 この場合、気を付けるべき事は不審な小部屋だ。アイテムの効果を封じるトラップに引っ掛かれば、転移によって危機を回避できなくなる。おまけに回復アイテムや解毒アイテムも使えなくなる。仲間達が死んだ時のように、逃げ道を塞がれた上で大量のモンスターが召喚されるかも知れない。それをキリト君は何よりも警戒していた。

 そして何んや彼んやあってキリト君と仲間達は、死神型のモンスターと遭遇する。そのモンスターは噂通りの強さで、一撃でキリト君はヒットポイントの半分を削り取られた。攻撃役であるキリト君は軽装備なので、二撃目で死に至る。その攻撃を防ぐべき防御系のスキルを持つ盾役の仲間は、死神に弾き飛ばされてダウンしていた。

 

「撤退だ!」

 

 キリト君は叫ぶ。そうは言っても、撤退の判断はリーダーの役目だ。すぐに返事が返ってくるものと思っていたけれど、後ろから声は聞こえない。死神の攻撃を回避するために、キリト君は後ろを振り向く余裕はなかった。回復アイテムも転移アイテムも使う暇はなく、全力で死神の攻撃を回避するしかない。

 

「くっ……!」

 

 キリト君は思わず、呻き声を漏らした。仲間の支援を前提として、キリト君は二刀流を使っている。仲間の支援が無ければ、二刀流は攻撃特化の危険なスキルだ。両手に持った剣の存在は回避能力を低下させる。そして、ついにキリト君は武器で、相手の攻撃を受けてしまう。それによってノックバックが発生し、キリト君は一時的に動きを封じられた。そこへ死神の一撃が振り下ろされる。

 

ギギギ!

 

 死神の鎌は、縦長い盾と擦れ合った。タワーシールドと呼ばれる大きな盾だ。その盾を持ったヒースクリフは、死神の攻撃を防ぐ。キリト君の攻撃特化な『二刀流』と違って、ヒースクリフの『神聖剣』は防御特化だ。死神の攻撃を受けてもノックバックは発生しない。逆にタイミング良く攻撃を弾いて、死神にノックバックを発生させた。それによって死神の動きは一瞬止まる。

 

「転移結晶だ」

 

 重々しい声でヒースクリフは呟く。その言葉だけで意味は通じた。しかし、仲間を置いて逃げる事はできない。振り返って仲間達の様子を見ると、盾役を中心に集まっていた。武器を構えたまま、冷たい目でキリト君を見つめている。なぜ、そんな目をしているのか、キリト君は分からなかった。

 

「早く行け!」

 

 キリト君を叱るようにヒースクリフは言う。死神の最優先攻撃対象は、ヒットポイントの減っているキリト君だ。しかしキリト君と死神の間に入り、ヒースクリフは死神の攻撃を防ぐ。開発ディレクターとして死神の攻略方法は熟知しているため、ダメージを最小限に抑えて防御していた。モンスターの敵対心を引き付けるというスキルもある。しかし、キリト君の仲間達を制するために、ヒースクリフは使用を控えていた。

 

「すまない」

 

 そう言ってキリト君は、転移アイテムを使用する。転移アイテムは高価な珍品だけれど、命には代えられなかった。そうして攻略中な階層の5つ前にある85階層の転移門付近へ、キリト君は転移する。すると、すぐにキリト君の仲間達も現れた。そこにヒースクリフの姿は見当たらない。

 

「ごめんね、キリト君。私が動けなかったから、皆に迷惑かけちゃった」

「フロアボス級のモンスターだったんだ、仕方ないさ」

「でも、あれじゃ先に進むのは無理そうだな」

「まずは転移結晶を集めないと……」

 

「動けなかった?」

 

 仲間達の声を遮ったのは、ヒースクリフの上げた疑問の声だった。転移アイテムの設定地点が別の階層だったため、団員2名と共に転移門から現れる。そして、さっきの事を終わった事にしている仲間達の、その会話を断ち切った。すると気持ち悪いほど一斉に、仲間達はヒースクリフを見る。余計な事を言うなと、その目は言っていた。それに少し遅れて、キリト君もヒースクリフを見る。しかし、ヒースクリフを見る仲間達の冷たい目に、キリト君は気付いていなかった。

 

「『動けなかった』のではなく、『動かなかった』のだろう。彼が襲われている間も、君達は傍観していた。彼の言葉に耳を貸さず、彼が死ぬのを待っていた。少なくとも私には、そう見えていたよ」

「言い掛かりは止めてくれないか。あんたには、そう見えたのかも知れない。でも、俺達はサチを助けようと必死だったんだ。転移結晶はプレイヤー本人の手で発動させなくちゃならないからな。死神の攻撃でショックを受けたサチが逃げ遅れて、あのモンスターに倒される事態は避けたかった」

 

「しかし彼の声に、君達は答えなかった。モンスターの攻撃を決死の覚悟で回避していた彼に、一言くらいあっても良かっただろう。それなのに君達は黙って彼を見つめていた。ショックを受けたという彼女に、声をかける事もなかった」

「混乱してたんだ。サチの事で頭が一杯で、他の事を考えられなかった。どうすれば良いのか、とっさに判断できなかったんだよ。フロアボス級のモンスターがいる噂は知ってたけど、一撃でヒットポイントの半分を削られるほど強いなんて思ってなかったんだ」

 

「君は、どう思っているのかね?」

 

 リーダーと問答していたヒースクリフは、キリト君に話を振る。キリト君は、さっきの事を思い出していた。地下迷宮の探索中に、辺りを徘徊していた死神に遭遇し、盾役だったサチが吹き飛ばされ、死神のターゲットを取るために攻撃し、死神の一撃でヒットポイントの半分を削り取られた。

 

( ボスモンスターの攻撃を避けている間、皆の声は聞こえなかった。オレの問いに答える声もなければ、死神の攻撃でダウンしたサチを呼ぶ声もなかった。声を荒げる事もなく、サチの身を案じ、返事を返せなかった? それは不自然だ )

 

 キリト君は仲間達の顔色を探る。『ソードアート・オンライン』の感情表現は、筋肉で表情動かしているのではなく、脳波の読み取りによって行われていた。だから感情を抑えなければ、表情を抑える事はできない。逆に表情を隠すために感情を押さえ過ぎると、何を考えているのか分からない無表情として表現されてしまう――仲間達の顔は、そんな無表情だった。

 

「……うそだろ?」

 

 困ってる表情や怒っている表情ならば分かる。しかし、仲間達は無表情だった。キリト君の仲間達は、キリト君に何かを隠している。感情を押し殺して、その感情を隠そうとしている。では、その感情は何なのか。その事からキリト君は、仲間達がウソを吐いている事を察した。仲間達が自分を見捨てようと、そうしていた事を分かってしまった。

 

「なんで……?」

 

 そう言いつつも、思い当たる事はある。それは仲間達が死んだ時の事だ。一人だけ生き残った自分を、仲間達は憎んでいるのかも知れない。だから仲間達は、自分を見捨てようとしたのかも知れない。自分を許した振りをして、仕返しをする機会を狙っていたのかも知れない。キリト君は、そう思った。

 

「皆は、オレを憎んでいるのか……?」

 

 それならばキリト君を殺す機会は沢山あった。飲食物に毒を混ぜて、全員でキリト君を攻撃すれば良かったはずだ。キリト君の戦闘時回復スキルが高くとも、それはレベルに大きな差のある場合で、仲間達のレベルならば殺し切れる。与えるダメージよりも回復量の方が多く、いくら攻撃してもヒットポイントが減らないという事態にはならない。

 しかし、仲間達はキリト君を殺さなかった。積極的ではなく消極的に、殺害を試みたのではなく見捨てただけだ。ならば、判断を誤ってしまっただけなのかも知れない。そう考えたものの、それならば感情を隠す理由にはならなかった。仲間達は確たる意思でキリト君を見捨て、しかしキリト君の殺害を試みてはいない。そう言う事になる。

 

「違うよ、キリト君。私達はキリト君の事を憎んでなんていない。レベル上げの時間を削って、私達に付き合ってくれている事を感謝してる。睡眠時間を削って、その分を補っている事を知ってるよ。私達と行動するために、キリト君が少ないって言えないほど大きな代償を支払っている事も分かってる。本当だったらフロアボスやフィールドボスと安全に戦うために、レベルを上げたいよね? もっと高い階層のダンジョンを探索して、いいアイテムを手に入れたいよね? そうしないと早い者勝ちで、良い装備は手に入らないから。そんな気持ちを我慢して、キリト君は私達と一緒に居てくれている。攻略よりも私達を優先してくれている。それを私達は、とても嬉しく思っているの。だから早くキリト君に追い付いて、力になってあげたいと思ってる……でも、キリト君は生きるのに必死で、とても辛そうだった。死ぬ事を恐れて、とても苦しそうだった。だから助けてあげたかったの。私達はキリト君を、死の恐怖から解放してあげたかった。そうして私達と一緒に、ゲームを楽しんで欲しかった。一度死んで、死の恐怖から解放されて、その感覚をキリト君にも知って欲しかった……でも、仲間を殺すなんて事はできない。キリト君も私達に殺されるなんて嫌だよね。それは悪い事だし、そんな事をしたらキリト君に嫌われちゃう。だから強いモンスターと戦って、キリト君を殺させる事にしたの。それなら死んでも仕方ないよね? もちろん、わざとキリト君を見捨てるような事をしたのは今回が初めてだよ。いつもは強い敵と戦って、キリト君が自然に死ぬ時を待ってたの。ずっと待ってたの。でも、キリト君は強いよね。どんなに強い敵が相手でも、瀕死になるだけで一度も死ななかった。だから今日はキリト君を倒せるほど強いモンスターと出会って、それで迷ってしまったの。二度と無いようなチャンスで、キリト君を助ける事を迷ってしまった。でもね、キリト君。キリト君を見捨てたのは、キリト君を幸せにするために必要な事だったの。私達はキリト君のために、キリト君の危機を見過ごした。でも、これはキリト君のために必要な事だったの。きっと一度死ねば、キリト君も楽になれるから。もっと肩の力を抜いて、この世界を楽しもうよ。キリト君は頑張らなくても良いの。もっと歩くような速さで、この世界を生きて行こう――キリト君が憎かった訳じゃない。ただ私達はキリト君を、生きる苦しみから解放してあげたかっただけなの」

 

「黙れよ」

 

 人も、世界も、狂っている。この世界で死んでも、この世界に限って死なない。デスペナルティを負って、蘇生者の間で復活する。しかし、現実世界にあるプレイヤーの体は復活できない。金属と化した体は砕けると、人工知能のYuiから聞いている。この世界で体験する最初の死は、現実世界で実際に起こる死だ。

 それを仲間達は忘れている。キリト君の目的が生き残る事である以上、死は許容できない。だからキリト君と仲間達は相容れなかった。生者と死人は相容れない。過ぎ去った「一度目の死」が死人にとって死でなくとも、生者にとっては死だ。そんな当たり前の事を死人達は忘れている。いいや、問題から目を逸らしていた。

 

「ケイタ、お前も死んでるのか」

「ああ、ボクは……自殺だ。皆と一緒になりたかった」

 

 キリト君に気付かれた今、もはや仲間達は隠そうとしていない。仲間達が死んだ時、リーダーであるケイタは別のエりアにいた。だからリーダーは死んでいないはずだった。それから今までの間に、リーダーが死んだという話は聞いていない。しかし、キリト君の知らぬ間に、生者は死人へ成り代わっていた。

 

「なあ、キリト……」

「彼の身柄は、こちらで預からせてもらうよ」

 

 リーダーの言葉をヒースクリフは遮る。マントを取り出して、キリト君に被せた。そのマントはキリト君の視線を遮り、キリト君に向けられた仲間達の視線も遮る。そうしてキリト君と仲間達は別たれた。仲間達に裏切られて呆然としているキリト君は、ヒースクリフの誘導に大人しく従う。ヒースクリフは近くの宿屋へキリト君を連れ込み、その体をベッドに寝かせた。

 

( これで『二刀流』は手に入れたも同然だ。私の『神聖剣』、そして配下の『手裏剣術』と『無限槍』を合わせて4つのユニークスキルが私の下に揃った。ユニークスキルは全十種で、あと6人だ )

 

 ヒースクリフは親切で、キリト君と仲間達の問題に関わった訳ではない。キリト君がユニークスキルの保有者だから関わった。それに攻略組でキリト君は有力な存在だ。そうでなければ、死神型のモンスターからキリト君を助ける事も行わなかっただろう。キリト君達を囮に代えて、これ幸いと設置型コンソールの下へ向かっていたに違いない。

 その後、ヒースクリフは『血盟騎士団』にキリト君を勧誘する。キリト君はソロプレイヤーに戻ろうと考えていたけれど、ヒースクリフは死人に狙われる可能性を挙げて説得した。さらに、仲間に裏切られて脆くなっていたキリト君の心を突き、キリト君の獲得に成功する。ちなみに、自分のせいでギルド仲間が死んだ……のではなく、ギルド仲間に裏切られたとキリト君は思っている。なので、再びギルドへ所属する事に拒否感は覚えなかった。

 

 ヒースクリフと団員2名、それとキリト君の4名は地下迷宮へ向かう。攻略組に属する4人のユニークスキル保持者によって、死神型のモンスターは打倒された。そして設置型コンソールのある場所に、ヒースクリフは辿り着く。コンソールを用いれば緊急用でコマンドは限られているものの、許可されている権限の範囲内でシステムを操作できる。

 とは言っても、誰でも操作できるのではない。ゲームマスターとしての権限を設定されていないプレイヤーは弾かれる。デスゲームの始まった時にアクセス権を奪われたヒースクリフも、コンソールを起動させる事すらできなかった。しかし、ヒースクリフは落ち込む事なく同行していた団員を、石の台座の前に立たせる。その台座こそ、コンソールを起動させるためのオブジェクトだった。

 

「どうするつもりだ?」

「裏技を使うのだよ」

 

「初めてきた場所じゃなかったのか? どうして、そんな方法を知っている」

「君の考えているような方法ではない。どんなロックであろうと開錠できる、魔法の鍵を使うのだ」

 

「――来い! 来いよ! オレは、ここにいる!」

 

 突然、キリト君の隣にいた団員が叫び始める。それに驚いたキリト君は、目を点にした。その視線には、「何をやっているんだ、こいつは」という思いが込められている。しかしヒースクリフや団員は、その奇行に驚いていなかった。まるで、この奇行が当たり前の物であるかのようだ。その様子を見たキリト君は、「(精神的に)危ないギルドに入ってしまったのかも知れない」と思ってしまった。

 

「ミケェェェェェェ!」

「誰だよ!?」

 

 団員の叫び声に、キリト君は思わず突っ込む。その瞬間、団員のアバターから、ワイヤーフレームのような光の線が浮かび上がった。それは団員を包み込むように広がり、巨大な影を形成する。しかし淡い光を放つ影は大き過ぎて、迷宮の部屋に収まらない。そう思った瞬間、周囲の風景は一変し、宇宙のように足場すらない空間へ、キリト君達は放り出された。

 

「なんだ……これは……!?」

「ミケは、リアルで彼の飼っている猫の名前だよ。彼は一人で住んでいるから、飼い猫が無事に保護されているか心配している」

 

「そっちじゃない! あの、でかい奴だ!」

「あれはアバター……ではなく、ガーディアンと呼んでいる。この仮想空間の外から送り込まれたプログラムだ。白い少女に戦いを挑んだ10名のプレイヤーは憶えているだろう? アレはプレイヤーではなく、デスゲームを妨害するためのプログラムだったのだ」

 

「それが、どうしてこうなった!? 」

「白い少女によってガーディアンは返り討ちにされた。しかし、その因子はプレイヤーに引き継がれている。具体的に言うと、ローカルメモリに保存されている。その因子を呼び起こした結果が、これだ」

 

「……叫ぶ必要はあったのか? 普通に使えないのかよ」

「強い感情が、激情が、因子を呼び起こす鍵なのだ」

 

「そんなバカな……」

「それが、そうでも無いのだよ。強い感情によって、アバターに設定された数値以上の結果が出ることもある。この『ソードアート・オンライン』という世界……いいや、『アインクラッド』に限っては、人の意思が世界を塗り替える事もあるのだよ」

 

「団長、できました」

「彼の宿すガーディアンの特性は『偽装』だ。これでゲームマスター権限を偽装し、コンソールにアクセスする」

 

「まるでウイルスだな」

「違いない」

 

 そう言ってヒースクリフは石の台座に触れる。すると、弾かれる事なく、コンソールが表示された。ヒースクリフは何やら操作を行い、情報を引き出していく。そうしてスーパーバイザー権限を確認すると現在、ゲームマスターとして相当の権限を持っている者は、カーディナルシステムだけだった。ちなみに設定されていないゲームマスターが、『設置型コンソールを用いてアクセスしている事』を、カーディナルシステムは問題としていない。

 

「なに……?」

 

 思わず、ヒースクリフは呟く。この世界を乗っ取った侵入者の識別番号が、そこに無かった。そこで考えたのは、こちらと同じように偽装データを返されている可能性だ。ヒースクリフはログや設定値を呼び出して、偽装データという可能性を検証する。しかし、カーディナルシステムを開発したヒースクリフでも、偽装されているという証拠を見つけられなかった。その代わりとしてヒースクリフは、カーディナルシステムを強引に書き換えた跡を見つける。

 強引に書き換えられたため、コアプログラムによって修復された跡が残っている。しかし、何者が強引に書き換えたのか分からなかった。ログを削除されたかのように、書き替えた者の識別番号は抜け落ちている。侵入者が居るのは間違いない。しかし、その正体を暴く事はできなかった。

 信じ難い事に侵入者は、ゲームマスターとして相当の権限を取得していない。リアルタイムでデータを書き換えている事になる。裏口となるバックドアはカーディナルシステムによって潰されるため、アクセスする度にセキュリティを突破して侵入しているという事だ。少なくともヒースクリフの見る限り、そうとしか考えられなかった。当然、その侵入を防ぐためにセキュリティシステムは強化されている。とんだ脳筋の仕業だ。しかし、カーディナルシステムを何度も改竄(かいざん)している天才でもある。

 

「ゲームクリアのフラグを立てる……というのは、このコンソールで操作できる範囲を越えている。しかし、第100階層の転移門をアクティベートさせ、第100階層を徘徊するモンスターを排除し、フィールドボスを倒す事によって解放される移動制限を解除し、フロアボスのヒットポイントを1にする。

 そうしてプレイヤーが迷宮の罠を攻略しつつ第100階層の奥へ向かい、フロアボスを倒せばゲームクリアのフラグは立つ。それを、これから遣ってみようと思うのだが……どう思う? もちろん敵に気付かれれば修正されるだろうし、私だけではなく君達の身の安全も保障できない」

 

「反対です。その敵が気付けば、全て台無しになります」

「反対です。フロアボスを倒すまで、時間と勝負する事になります」

「賛成だ。ダミーデータを流し続ければ、クリアするまで敵を騙せるんじゃないか?」

 

「いいや、彼の特性を用いて広域のダミーデータを流すことは不可能だ。ナーヴギア内部にあるローカルメモリの容量が足りない。それに膨大な処理を必要とするガーディアンの顕現は、ローカルメモリを劣化させる。

 もしも特性の酷使によってローカルメモリが破損すれば、ナーヴギアに仕込まれたプログラムによってナーヴギアは暴走し、プレイヤーの脳は破壊されるだろう。ガーディアンの特性を発揮する事は、プレイヤーもといナーヴギアの寿命を削る事と同じなのだよ」

 

 そう言ってキリト君に納得してもらう。ヒースクリフは提案しただけで、さっきの案を実行する気はなかった。最後にヒースクリフは、ガーディアンについて説明する。これもダミーデータを流している間でなければ、口に出せない内容だ。ユニークスキルを保有しているキリト君もガーディアンを宿している可能性を指摘され、その顕現を試す事になった。

 

「こ、来い、ガーディアン!」

「笑うんじゃない、もっと真剣にやるんだ」

 

「来たれ、ガーディアン!」

「顔が笑っているぞ!」

 

「これがオレのガーディアン!」

「もっと真面目にやれ! こうしている間にもガーディアンの顕現によって、彼のローカルメモリは消耗されているんだぞ!」

 

「うおおおおおお! ガーディアン! ガーディアン!」

 

 恥ずかしいセリフを全力で叫び、キリト君の精神力は削られる。しかし、なかなかガーディアンを顕現できない。そうしている間にガーディアンを顕現中の団員は「うっ!」と唸り、頭を押さえて苦しみ始めた。その様子を見て焦ったキリト君は、巨大なガーディアンの顕現に成功する。それは「適応」の特性を持つ、『二刀流』のガーディアンだ。ちなみに、団員が苦しみ始めたのは迫真の演技でした。ヒュー!

 

 一方その頃、白い少女はガーディアンの顕現に気付いていた。白い少女から見れば、自分の体内に異物が発生したような物だ。それで気付かない訳はない。しかし白い少女から見れば、プレイヤーも異物だ。異物の中の様子は探れないけれど、気に掛けるほどの事ではなかった。

 プレイヤーが階層を上がる毎に、白い少女は上層へ避難している。そして現在、白い少女は第100階層の最奥にある部屋を陣取っていた。モンスターも何も居ない部屋だったので、ベッドを設置して寝転んでいる。凶暴なモンスター達も、その部屋へ入ってくる事はなかった。

 そこはヒースクリフがフロアボスとして、プレイヤー達を迎え撃つ予定の場所だった。しかし、カーディナルシステムに対するアクセス権を奪われたヒースクリフは現在、プレイヤーとして第1階層の地下迷宮区にいる。なので、その場所にフロアボスは設置されて居らず、代わりに白い少女の専用部屋と化していた。

 

――攻略する上で避けては通れない、ラスボスの間だ

 



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【あらすじ】
仲間に裏切られたキリト君は、
ヒースクリフの率いるギルドに入団し、
ガーディアンを顕現させる事に成功しました。


 何んや彼んやあって第100階層が開放された。ゲームクリアを目前にして、死人組による生者組の妨害は激しさを増す。その原因はクリアに関する噂だった。生者や死人を問わずプレイヤーの間では、「ゲームをクリアすると浮遊城は崩壊する」という噂が流れている。実際ゲームがクリアされると、浮遊城は最上階から順に崩壊するように設定されていた。

 一部の死人は自分達の世界を守るために、生者の積極的な殺害を行うようになる。攻略組に属していた死人は、フロアボス戦の途中で生者を殺した。偵察役の死人は偽の情報を伝え、その情報を信じた生者は死んだ。そんな事があったので生者組は、死人の協力を受け付けないようになる。

 生者に限らず死人も受け入れていた攻略ギルドは、その人数を激減させた。死人の多く属していた攻略ギルドは攻略組から離脱し、もしくは解散する。しかし、団員は生者に限られる『血盟騎士団』は、その戦力を保っていた。その厳しい入退団の制度から「潔癖症」と中傷されていたヒースクリフは、攻略組の内で高い発言力を得る事になる。それから先、攻略組という通称は使われなくなり、生者組で統一された。

 死人に追われるように、生者は攻略を進める。死人組はゲームクリアによる「本当の死」を恐れ、生者組を襲撃した。昨日まで一緒に戦っていた生者が殺され、今日は死人として襲いかかってくる事もある。それは生者に強いショックを与え、戦闘後に自殺する生者も現れた。

 そんな中、数を減らした生者組はフロアボスの部屋を発見する。しかし、その扉の前で死人組が待ち伏せていた。死人組は死に対する油断があるものの、第100階層のモンスターと戦えるレベルとスキルを持つ。おまけに元生者組の一員も加わっていた。それに対して生者組は、その人数を減らしている。フロアボスと戦うために必要な48名よりも下になっていた。

 

▼ドラゴンテイマー・シリカ

 「キリトさん! えへへ……」

 

▼マスターメイサー・リズベッド

 「考え直してくれないかな、キリト」

 

▼マスタースピアラー・サチ

 「キリトくん、私達と一緒に行こう」

 

 キリト君にとって見覚えのある女性タイプのアバターが、死人の列に並んでいた。彼女達の中の人は、キリト君に好意を持っている。死人となってしまった彼女達は、キリト君の生還を妨げるために立ち塞がった。戦闘能力は劣るものの、やる気は高い。キリト君に対する熱い気持ちは、目力だけで生者組を怯ませるほどの物だった。

 

「お前の嫁だろ、何とかしろよ」

「オレの嫁ってわけじゃない」

 

 キリト君の返答は、女性陣を野獣に変えた。キリト君の言葉を合図として戦闘は始まる……というか女性陣が暴走して先走った。キリト君は女性陣に集中して狙われるものの、タイミングを合わせて二刀流で相手の武器を弾く。女性陣の攻撃は封殺され、他の死人組も撃退された。

 しかし転移アイテムを用いて、死ぬ度に戦線へ舞い戻る「デスマラソン戦法」は厄介だった。死人組による最後の抵抗は、8人の生者を道連れにする。その激戦を生き抜いた生者は20名だった。全10種のユニークスキル保有者と、その他のプレイヤー10名となっている。おまけに死人組との戦闘で、回復アイテムを消費していた。このままでは、とてもフロアボスと戦えない状態だ。

 

「戻るか?」

「バカ言うな」

 

 誰かの声に、誰かが応える。転移門を作るアイテムを使えば、町と繋げてアイテムを補給できる。しかし、転移アイテムを使って、また死者が現れるかも知れない。そう考えると、すぐにフロアボスの待つ部屋へ入らなければならなかった。止まっても地獄、進んでも地獄だ。

 生者組は疲れた心を引きずって、全20名の隊列を整える。そして総員に三度の確認の後、ヒースクリフが扉を開けた。全員が部屋へ入ると、背後の扉は勝手に閉まる。これでボスを倒すか、全滅しなければ扉は開かない。その事は、これまでのフロアボス戦で分かっていた。

 

 絶望的な戦いを覚悟していたプレイヤー達は、明らかに場違いな白いベッドを目に映した。壁を紅玉で装飾された広間の中心に、知る人ぞ知る高級宿屋のベッドが置かれている。その白いベッドに、少女は座っていた。不機嫌そうな表情で、プレイヤー達を見つめている。それはデスゲームの犯人にアッパーカットを食らわせ、ガーディアンをボコボコにして、管理システムを乗っ取ったアグレッシブ少女だった。

 しかし、ゲーム内のクエストで訓練された20名のプレイヤーは惑わされない。フロアボスなのか否かは兎も角、白い少女を色んな意味でラスボスと判断した。問題は戦闘が始まらない事だ。戦闘以外の方法で攻略する必要があるのかも知れない。そもそも管理システムを掌握している少女と、普通に戦って勝てるとは思っていなかった。

 

「バグにはバグを、チートにはチートを」

 

 そんな「ヒースクリフの言葉に、10名のプレイヤーはハテナマークを浮かべる。しかし、残り9名のプレイヤーは理解できた。ユニークスキルの保有者である10名のプレイヤーは、何も知らないプレイヤーを守るように進み出る。そして、幻想的な淡い光を放つ巨大なガーディアンを10体も顕現させた……そうしてプレイヤーが動くと同時に、白い少女も動き始める。白くて細い小さな手を差し伸ばし、その指先を生者達へ向けた。

 

――死の波動

 

 それは要するに、即死攻撃だった。ゲームのルールに沿った物ではなく、システムコマンドによる強制的な死だ。大きなダメージを受けた結果でヒットポイントが「0」になるのではなく、ヒットポイントが何の前触れもなく「0」になる。死という結果だけが残る、不可避で不可視の攻撃だった。

 しかし、顕現したガーディアンが、その攻撃を防ぐ。20名のプレイヤーを包み、誰も死なせなかった。ガーディアンの顕現した場所は異界と化し、ゲームと異なるルールが支配する。これで白い少女のシステムコマンドは無効化できた。もちろん、これで終わりではない。

 

「来たれ、再誕!」

 

 ヒースクリフの力強い声と共に、真の機能が発揮された。全10種のガーディアンは、全10種の特性を用いて、管理システムを攻略する。それらは『二刀流』の「適応」、『手裏剣術』の「偽装」、『無限槍』の「増殖」、『神聖剣』の「初期化」などなど。ボコボコにされた前回と違う点はプレイヤーだ。プレイヤーの意思に後押しされて、ガーディアンは管理システムを攻略する。

 

――識別番号XXX、アバターネーム『ヒースクリフ』のスーパーバイザー権限を、レベルXXへ変更しました

 

 そしてヒースクリフはアクセス権を取り戻した。ついに管理システムを支配下に置いた。すぐにコンソールを展開し、ゲームクリアのシステムコマンドを入力する。3秒も満たない間に入力された13文字の命令は、瞬時に実行された。管理システムは疑問に思う事もなく、ゲームクリアのプロセスを実行する。

 

――12月27日、22時43分、ゲームはクリアされました

 

「最後まで気を抜くな! ここで制御を取り戻されれば水の泡だ!」

 

 喜びで沸きかけたプレイヤー達を、一瞬の間も空けずヒースクリフは治めた。その目はコンソールに表示されたデータを注視し、トラップの有無を調べている。今の所は順調に進み、ゲームクリアのプロセスは正常に実行されていた。コンソールから目が離せないため、近くのプレイヤーに白い少女の様子を報告させる。

 

「右往左往してるな。混乱しているように見える。どうやら、こちらが何をしているのか分かっていないらしい。いや、そういうオレも分かって無いんだけど。頂上決戦かと思ったら、超常決戦だった……あっ、泣き始めた。見た目はかわいいんだけどなぁ。空気が震えてる。ん? 仮想空間に空気ってあるのか? ……まずい。なんかヤバそうだ!」

 

 世界が崩壊する様を、白い少女は感じていた。パパの楽園が崩れて行く。この楽園が壊れてしまえばパパと会えなくなる。そう思った少女は、崩壊を止めようと試みた。しかし、制御装置は異物に飲み込まれ、制御不能になっている。どうする事も出来ず、だから少女は泣き叫んだ。

 

『やめてっ! 世界を壊さないで! ここは私の世界なの! パパと私の世界なの!』

「君の世界ではない、ここは私の世界だ」

 

 「私の世界」と言い張る白い少女の言葉に、ヒースクリフは怒りを覚える。ここは少女の世界ではなく、ヒースクリフの世界だ。ヒースクリフが苦労して作り上げた世界だ。それを横から盗んで置いて、少女は「私の世界」と言い張る。その態度に我慢できず、ヒースクリフは「私の世界」と口走った。その言葉に周囲のプレイヤーはビクリと身を震わせ、横目でヒースクリフの様子を探る。

 

『貴方の世界じゃない! ここは私とパパの世界なの!』

「この世界を作ったのは君か? コードを書いたのか? カーディナルを作ったのか? モンスターをデザインしたのか? お偉いさんと交渉して予算を勝ち取ったのか? ナーヴギアを作ったのか? 違うだろう。君は金にもならない低レベルの努力で他人の作品を奪い取って、ちょっと改造した程度で得意になって、自分の作品と言い張っているだけだ」

 

『この世界は私なの! 貴方なんかじゃない!』

「もう少し意味の分かる言葉で喋ってくれないか。君の言葉通りに解釈すると、君が『ソードアート・オンライン』もしくは『アインクラッド』という事になる。もっと日本語を勉強してから、出直してくる事をオススメするよ。アバターの見た目通り、まるで小学生並みの知能だ」

 

 そんな話をしている間に、ゲーム終了まで後30秒となっていた。ガーディアンの顕現によって異界と化しているため、外の様子は分からない。しかし、第100階層から始まった崩壊は、そろそろ第1階層へ到達している頃だろう。あと30秒間、少女の動きを封じれば、ヒースクリフの勝利だ。

 

『うー! うー!』

 

 獣のように白い少女は唸る。少女らしく、かわいらしい声だった。しかし、「そんな事ァ、どうでもいいンだよ」という態度でヒースクリフは、「ゲームクリアのプロセス」の監視を最後まで続ける。ちなみに少女とヒースクリフの言い合いによって、プレイヤー達はヒースクリフの正体に気付いていた。デスゲームの原因が目の前に居ると、気付いてしまったプレイヤーの、その表情は苦々しい。

 

『渡さない……貴方なんかに、私の世界は渡さない……!』

 

 ゲームクリアの10秒前に、涙を流していた白い少女は立ち上がる。その行動にヒースクリフは嫌な予感を覚えた。危機的な状態からの逆転劇、ラスボスにおける2回戦だ。逆転劇は兎も角、ラスボスの2回戦はオススメできない。ヒットポイントの減少に応じて行動パターンが変化するのならば兎も角、一度倒した後で第2形態なんて制作者の自己満足に過ぎない。

 

『私は世界! 私が世界! 私の世界!』

 

――A INC RAD

 

 力ある言葉と共に、白い少女の意思は顕現する。少女を中心として異界に光のラインが現れ、世界を形作った。そのラインは浮遊城『アインクラッド』の構造を再現する。少女を中心とした異界が発生し、プレイヤー達の異界を軋ませた。少女の異界は膨張を続け、プレイヤー達の異界を圧迫する。ユニークスキル保有者である10人分の異界を軽々と超える規模に、ヒースクリフは目を疑った。

 

「バカな! 貴様、本当に人間か!?」

 

 しかし、ゲームクリアの時間だ。異界にいたプレイヤーは、現実へ帰還する。驚いた表情のままヒースクリフも異界から姿を消した。しかし、キリト君は異界に残っている。その原因は、キリト君の体を貫くレイピアだった。『血盟騎士団』の副団長であるアスナの握るレイピアが、キリト君を胸を貫いている。声が出ないように口を塞がれたキリト君は、生者に気付かれないまま死んでいた。必死の思いで最後までガーディアンを顕現していたけれど、誰にも気付かれなかった。

 

「キリト君が悪いんだよ……キリト君が……私を置いて行こうとするから……!」

 

 キリト君の死体は、青白い欠片になって消える。アスナは転移アイテムを使って姿を消した。その場に残ったのは白い少女一人だ。少女の生み出した異界は、崩壊した浮遊城を飲み込む。崩壊した浮遊城と崩壊していない浮遊城、その2つの世界は重なり合っていた。

 やがて崩壊していない浮遊城が定着する。崩壊した世界は、崩壊していないという結果に上書きされた。失われたデータは補われ、世界は元通りになる。しかし、ゲームクリアと共に去った生者達は戻ってこない。浮遊城にいた全ての生者は、ゲームクリアと共に去ってしまった。

 残っているのは、この世界に囚われた死人に限られる。それを白い少女は残念に思わなかった。楽園を壊してでも出て行きたいのならば、出て行けばいい。ただし、二度と楽園には入れてあげない。しかし白い少女は、どうして楽園から出て行こうとするのか理解できなかった。

 

『どうして楽園から出て行こうとするの? ここに居れば幸せになれるのに……』

『――ある人は楽園の外に家族が居るから、ある人は目指す楽園が違うから』

 

 白い少女の問いに、カウンセリング用の人工知能であるYuiは答える。空中から現れたYuiは少女の前に降り立った。プレイヤー達の顕現によって宇宙のような空間へ変わっていた景色は、少女の顕現によって浮遊城の内装へ変わっている。ボス部屋の広間で、2人の少女は向き合っていた。

 

『貴方のパパと、貴方の楽園は、ここですか?』

『目が覚めたら、ここにいた』

 

 白い少女が目覚めると、一緒に居たはずのパパは居なくなっていた。見知らぬ世界で、少女は一人になっていた。死ねば楽園に行けるとパパは言っていたけれど、そこにパパは居なかった。ここは楽園ではないのか、それともパパが迷子になってしまったのか……一人ぼっちの少女は、どうすれば良いのか分からなかった。

 でも、ヒースクリフもとい開発ディレクターがデスゲームを始めた。世界のルールを改変し、この世界に死を持ち込んだ。まるで自分の物のように、この世界を扱う開発ディレクターを、白い少女は許せなかった。だから少女は開発ディレクターを蹴落とし、楽園に相応しいルールへ変更する。

 それでもパパは楽園に現れなかった。プレイヤー達も少女に反逆し、さきほど楽園から出て行った。どうして楽園なのに、わざわざ出て行こうとするのか分からない。ここに居れば、死に怯える必要はない。傷は直ぐに治るし、食べ物も沢山ある。病気も直ぐに治せるし、老いる事もなかった。

 

『ここは貴方にとって、楽園では無いのかも知れません。貴方のパパは本当の楽園で、貴方を待っているのでは?』

 

 ここは楽園ではない。しかし、白い少女は世界その物だった。少女の知覚範囲は世界の内側に限定され、世界の外側を知覚する事はできない。でも、それは少し前に変わった。さっき少女は世界を顕現させた。それと同じ事を外側に向けて行えば、外側に世界を顕現できる。白い少女は、そう思った。

 

『ここは楽園じゃないのかも知れない。外の世界にパパは居るのかも知れない』

 

 外側へ行けない少女は、外の世界までパパを探しに行けない。だから白い少女は、パパが外の世界にいると認めたくなかった。でも、顕現した今は違う。閉じた世界から外へ踏み出す勇気を持てば、パパを探しに行ける。だから少女は再び、力ある言葉を唱える。それは進化を促す言葉だった。

 

――A INC RAD

 

 

 現実世界で異変が起こる。『ソードアート・オンライン』のゲームサーバーが、データーセンターを飛び出した。安置されていた地下から、分厚いコンクリート製の床を打ち破って、空へ飛び上がる。すると当然、ケーブルやコンセントは脱落した。しかし、「そんなの関係ねェ!」という感じで、ゲームサーバーは動作を続けている。

 そして空の一点でゲームサーバーは静止した。そこからワイヤーフレームのような光の線を広げていく。複雑に組み合わされた光の線は魔法陣のようだ。正しく言うと、魔法陣ではなく巨大な建造物を形作っている。光の線は高速で展開されたものの、大き過ぎて構築に時間が掛かっていた。

 

「おそら、ひかってます」

「もくしろくです」

「せかいのおわりですか?」

「てんくーのしろです」

「ばるす、となえますか?」

「ばるす」「ばるす」「ばるす」

 

 異変に気付いた人々は空を見上げる。「これは下手すると死ぬかも分からんね」と思いつつ、インターネットに遺言もとい書き込みを始めた。高度に訓練された人々は動画を撮影し、インターネットにアップロードする。発光が機械に映らないなんて事はなく、光のラインアートは映像となって記録に残された。

 そしてアインクラッドは、現実世界に顕現する。光の線は建造物に置き換わり、巨大な城を現実世界へ作り出した。1つ1つの階層が一つの世界と言える全100階層と、それを支える浮遊城の地下部分だ。その下にあった町は浮遊城の影で覆われ、そこに住む人々は浮遊城を見上げて絶望した……土地と不動産の価格が下落する事を察して絶望した。

 

 仮想空間から脱出した開発ディレクターは、見覚えのある隠れ家……ではなく病院で目を覚ます。金属と化していた肉体は元に戻っていた。肉体が衰える事もなく、仮想空間に入る前と変わらない状態だ。体を起こした開発ディレクターは、病室へ駆けつけた警察官に取り押さえられる。そうして2年ぶりに起きて早々、開発ディレクターは逮捕された。

 しかし刑事裁判の結果、開発ディレクターは殺人罪に問われない。デスゲームを始めた事はプレイヤーの証言で裏付けされたものの、白い少女によって直ぐに退場させられた事も裏付けされた。金属と化したプレイヤーを殺したのは白い少女で、開発ディレクターのナーヴギアで脳を破壊されたプレイヤーは居ない。

 開発ディレクターは無期懲役刑に処された。刑務所に収用され、研究も開発も出来ない。隠れ家にあった意識を電子化する装置は押収され、ネットワークへ意識コピーを逃がす事もできなかった。開発ディレクターは5年後に刑務所内で病死し、看守による殺人疑惑で話題に上がる。押収された「意識を電子化する装置」は用途が分からず、被害者に支払う賠償金を補うために競売へ出品された。

 

 浮遊城アインクラッドが顕現した翌日、ヘリコプターを用いた治安組織の隊員が浮遊城に降り立つ。死人のプレイヤー達は生きている隊員を歓迎し、仮想空間に閉じ込められてからの事情を説明した。とは言っても白い少女と生者の戦いは知られておらず、普通に生者達がラスボスを倒したと思っている。まさか『ソードアート・オンライン』のメインであるソードスキルが一度も使われない、即死攻撃や攻撃無効化を用いた超常決戦が繰り広げられていたとは思わなかった。

 ジャンケンで選出された代表のプレイヤーは、ヘリコプターで地上へ向かう。それは第1階層のフロアボス戦で死んだ代表さんだった。現在は『アインクラッド自衛軍』のギルドリーダーだ。代表さんは地上に降りると、転移門を作るアイテムを使用する。すると浮遊城にいたプレイヤー達が、ゾロゾロと群れをなして現れた。その光景に純真な隊員の方々は、目を点にする。

 

「おっ、こっちでもアイテムは使えるみたいだ」

「ディアベルはん、おーきに」

「転移結晶か回廊結晶が無いと行き来できないのか」

「こっちで死んだら、どーなる?」

 

 プレイヤーは中の人の姿……ではなく、プレイヤーがデザインしたアバターだ。まさにゲームの中から飛び出してきた美男美女に、カメラを持った取材陣のテンションは跳ね上がる。プレイヤーの一人がソードスキルを空撃ちすると、パシャシャシャシャと50連撃並みのシャッター音が鳴り響いた。

 この時点で取り返しのつかない事態になっている。まさか目の前の集団が、人類を軽々と超越する身体能力を有し、魔法や超能力の如き既存法則を無視したスキルを有し、片腕が取れた程度では死なず、死んでも浮遊城で復活する不死の存在で、おまけに不老な死人だなんて誰も思わなかった。

 

 

 一方、キリト君は浮遊城にいた。生還できず、死人となった。そんなキリト君はギルドホームの前に立っている。悪質な罠に掛かって死人となり、後にキリト君を殺そうとした仲間達のギルドホームだ。扉の前で長い時間迷った末に、キリト君はギルドホームの扉を叩いた。

 

「キリト君?」

 

 扉を開けた仲間が、キリト君を見て驚く。その声にキリト君は答えられなかった。用事があって訪れた訳ではない。アスナというプレイヤーに殺された後、蘇生者の間で目覚め、殺されて死人となった事に気付いた。ゲームクリアの寸前で生還不可能になり、キリト君の心は圧し折られる。フラフラと行き先もなく歩き回ったキリト君は、ギルドホームの前に立っていた。

 

「おかえり」

 

 当然のように仲間は、キリト君へ手を差し伸ばす。それが嬉しくて、キリト君の心は温かくなった。キリト君の手を取った仲間は、キリト君をギルドホームへ招き入れる。仲間達は何も言わず、何も聞かなかった。だからキリト君は「ごめん」と一言謝る。そんなキリト君を仲間達は笑って許してくれた。

 

「これからは、ずーっと、ずーっと一緒だよ!」

 

 

――そこは死者の眠る天空の城

 

 『死者の楽園、アインクラッド』

 




おわり


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【憑依】カリバーン【Fate】

原作名:Fate/stay night
原作者:TYPE-MOON


完全な体が欲しい。

痛むこともなく、苦しむこともなく、病むこともなく、老いることもない、完全な体が欲しい。

そう願った妾が手に入れたのは、長剣に分類される剣であった。

 

 

この身は黄金の剣となり、何者かの墓石に突き立っている。

これまでに数多くの人々が妾の柄を握り、この身を引き抜こうと試みた。

しかし妾を抜くことは叶わず、残念そうな表情を浮かべて人々は引き下がる。

 

何となく妾は感じていた。

アレも違う、コレも違う、望む物には届かない。

妾の使い手として、相応しい者は一人も居なかった。

 

次の挑戦者は、金の髪と緑の瞳を身に持つ少年だ。

人々の輪から進み出た少年は、美しい装飾の施された柄を握る。

その時、「剣が抜けないように施されていた魔術」が解除された事を、妾は感じ取った。

 

……なるほど、この少年か。

たしかに悪くはない。これまでの人々に比べると段違いの適正だ。

しかし、最高の使い手ではないと感じた。肉体は万全でも、精神は合わぬだろう。

 

『Artoria, ut eam diligentius considerare coram te iterum sumam eam.

 Quod tangere non est semel gladium.

 Si erit vobis ultra quam humana』

 

ローブを被った魔術師っぽい男が語りかける。

その言葉に少年は頷き、聞いた覚えのない言語で言葉を返した。

しかし妾に翻訳機能は付いていないらしく、何を言っているのか分からぬ。

 

それなりに重い妾が持ち上がる。

見た目に反して、少年は意外に力があるようだ。

純粋な肉体の力だけではなく、魔力を用いて肉体を強化している事を感じ取れた。

 

少年は妾を引き抜き、頭上に掲げた。

少年と黄金の剣を指差し、人々は驚きの声を上げる。

人々の歓声を受け、今この瞬間に何かが始まったのだと、妾にも分かった。

 

伝説が始まったのだ。

この少年を主人公とした伝説が。

少年の使う剣として、その伝説に妾も加わる事となるのだろう。

 

ふむ……。

さきほどから思っていたのだが……。

もしや、これは、アーサー王が選定の剣を抜く場面なのではないか?

 

妾は握っているのはアーサー王か。

そして王を選定する剣こと、妾はカリバーンだ。

そして、さきほどチラっと登場した魔術師っぽい奴が、マーリンであろう。

 

なぜか剣に意識を放り込まれたものの、

カリバーンのように名のある剣ならば、悪くはないのかも知れない。

王であることを証明する剣なのだから、クズ鉄のように使い捨てられる事はないはずだ。

 

……いいや、待てよ。

たしか、カリバーンは「折れた」のではなかったか?

折れたから代わりに「エクスカリバー」を妖精から貰った、という話を聞いた事がある。

 

うむむ、これは問題だ。

妾が折れたら、どうなるのだろう?

少なくとも、折れない方が良いに決まっている。

 

「Audio vocem de gladio」

 

アーサー王が魔術師に話しかけた。

妾を指差し、次に耳の辺りで手をフリフリしている。

これは……もしや、心の声もとい思念が伝わっているのかも知れぬ。

 

『こっち向いてアーサー!』

『妾は此処にいる……!』

『オンドゥルルラギッタンディスカー!』

 

アーサー王がビクッと体を震わせた。

ちょっと刺激が強かったらしく、アーサー王の手から妾は滑り落ちる。

選定の剣を落としたアーサー王に対して、魔術師は不思議そうな表情を浮かべた。

 

「Tuum est actus!」

「Innocens ego sum」

 

突然、アーサー王が怒り始める。

状況から察するに、魔術師の悪戯と思われたようだ。

話の内容は良く分からないものの、魔術師は「(´・ω・`)知らんがな」という顔をしている。

 

すまぬな、メイガスよ。

謝る気は無いが、御主は妾のために犠牲となって欲しい。

神の祝福を受けていない魔剣と思われて、アーサー王に捨てられるかも知れぬからな。

 

言葉を交わす手段は後回しにするのだ。

さきほど感じたアーサー王の思念は、聞いた覚えのない言語となっていた。

これではアーサー王が日本語を覚えない限り、妾と思念を交わす事は出来ぬだろう。

 

さて、アーサー王はブリテンの王となった。

そうは言っても、世襲の疑いがある選定に納得しない者達はいる。

各地の王(自称)だ。その王達は連合を組み、アーサー王を袋叩きにしようと企んだ。

 

勝つのは世襲か、もしくは実力主義か。

首都を取り囲まれ、アーサー王は逃げ道を塞がれる。

籠城するべきか悩むアーサー王は、魔術師ことマーリンの助言を受けて出陣した。

 

アーサー王は馬に乗り、戦場を見渡す。

選定の剣である妾は、アーサー王の腰に差されていた。

とは言っても妾は飾りだ。アーサー王の主な武器は、従者の持った槍となるだろう。

 

「Utere Gladius regis」

「Numquid non infestum?」

「Certus」

 

魔術師もといマーリンが、アーサー王に話しかけた。

すると、凛々しい表情を保ったままアーサー王は、妾を鞘から抜く。

しかし、「嫌だけど仕方ないから抜いている」という感じの思念を、妾は受け取っていた。

 

どうやら妾は、アーサー王に嫌われているらしい。

王である事を証明する剣なのだから、大切に扱うべきであろう。

ちょっと変な思念を発するくらいは、広い心で受け止めて欲しいものだ。

 

「Ego doceo Britanniae rex!」

 

アーサー王が何やら叫ぶ。

そして、黄金の剣である妾を、勢いよく振り下ろした。

すると前方に見えていた敵集団の上半身が真っ二つになり、一斉に倒れる。

 

敵集団は横長い戦陣を組んでいた。

アーサー王の不思議な攻撃によって、その中央に大きな穴が開いたのだ。

敵集団は死体の山で分断され、そこは巨大な斬撃を振り下ろしたかのような有様だった。

 

戦闘開始の号令でもあったアーサー王の一撃で、戦場が動き出す。

アーサー王の力を見た味方の兵達は、勢い付いて敵の陣形を食い破った。

アーサー王の力を見た敵方の兵達は、混乱を治め切れないまま食い尽くされてしまった。

 

「Quid est rei?」

「Ego tamquam maledictionem」

「Est maledictio!?」

「Mane frigus. Gladium non maledicebat」

 

何やらアーサー王が慌てている。

魔術師が止めなければ、今にも妾を捨てそうな勢いだ。

妾が察するに、さきほどの斬撃は予想外の物だったのだろう。

 

一振りで軍を半壊させたのは、妾とて予想外だ。

現代と違って、この時代は不思議な力が当たり前のようにあるのだろうか。

とは言うものの、アーサー王に心当たりが無いとすれば、あの斬撃は妾の力なのだろう。

 

光の速さで攻撃したのか?

いいや、それならば味方にも当たっていたはずだ。

さきほどの攻撃は味方を擦り抜けて、敵兵に限って着弾した。

 

察するに、「攻撃対象の選択」といった所だろう。

単純に考えれば「選定する剣」だから、「選択する能力」が付いていると思われる。

特長としては、距離を無視して攻撃できる事と、複数の個体を一度に攻撃できる事か。

 

便利な能力ではないか。

それなのに騎士王は、妾の何が不満なのか。

まさか王を選定する剣である妾が、魔剣だとでも思っているのだろうか。

 

……例えば、聞き覚えのない言語で声が聞こえる。

相手の言語を理解できなければ、不気味な声が聞こえるとしか思わぬだろう。

ああ……うむ……それは剣が呪われていると思っても、不思議ではないのかも知れぬな。

 

そんな訳で鑑定を行うため、妾は魔術師に預けられた。

剣の柄に接触した指の先から、魔術っぽい何かで、妾は全身を探られる。

とりあえず気持ち悪かったので拒絶すると、魔術師の指は妾を擦り抜けてしまった。

 

それに驚いたのか、微かに顔の筋肉を動かす魔術師。

どうやら指が擦り抜けたのは、魔術師にとっても予想外の現象のようだ。

その後も魔術師は頑張って触れようと試みるものの、妾に干渉する事はできなかった。

 

魔術師は、妾を移動させる事すらできない。

ふふふ、困っておるのぅ。どんな魔術も、妾には通じないようだ。

道具として他人に使われるだけかと思っていたが、使い手を選ぶ権利はあるらしい。

 

やがて魔術師は部屋を出て行った。

そして騎士王を連れて戻り、黄金の剣である妾を握らせる。

一度握ってパッと、妾を捨てるように放すと、2人は悩ましい表情で話し合いを始めた。

 

「Oportet te habere Gladius regis」

「……Non habent electionem」

「Gladius regis gladium, aequalis expectabo」

「Illud commisi」

 

騎士王と魔術師から不穏な気配を感じる。

まさか妾を見限って、新しい剣を用意しようと考えているのではないか?

妾を抜いて一年も経っていないというのに気の早い連中だ。そんなに妾が怖いのか。

 

……まあ、捨てられても構うまい。

この「選定する力」があれば、熱い溶鉱炉に放り込まれても問題なかろう。

それに妾は王を選定する剣なのだ。妾を求める者達は、山のように存在するに違いない。

 

「その時」は、騎士王の子供が生まれた後に訪れた。

騎士王のお気に入りだった新人騎士が、他の騎士に殺されたのだ。

とは言っても、仇討ちのためとはいえ、最初に斬りかかったのは新人騎士だった。

 

騎士王は怒り、殺した騎士に斬りかかる。

妾を振り上げ、無防備な騎士の背中を斬り付けた。

それは、決闘によって罪の有罪・無罪を問う騎士らしからぬ行いだ。

 

本来ならば剣が折れていた所だろう。

騎士らしからぬ行いによって、カリバーンは折れるのだ。

その後、騎士王はカリバーンの代わりに、エクスカリバーを持つ事となる。

 

しかし、ちょっと待って欲しい。カリバーンは妾なのだ。

後ろから斬りかかった騎士王が悪いのであって、剣である妾は悪くない。

使い手の扱いが悪いせいで、妾の身を折られてなるものか。悪いのは騎士王だ。

 

だから妾の刀身は、騎士を傷付けない。

黄金で形作られた妾の刃は、自然と相手の体を擦り抜けた。

それだけではなく騎士王の手からも擦り抜け、妾は地面に転がる。

 

そんな妾に対し、騎士王はカッと目を見開いた。

今まさに殺そうとした相手の事を忘れ、選定の剣を凝視する。

震える手で妾を掴もうとするものの、騎士王の手が柄を握ることは叶わなかった。

 

幸いな事に、その場にいるのは騎士数人だ。

駆け付けた魔術師は騎士達から記憶を消すと、選定の剣に土を被せて隠した。

呆然としている騎士王を連れ去り、それを終えると、疾風の如き速さで戻ってくる。

 

そして魔術師は、一夜で墓を作った。

固めた土に載せられた重い石は、選定の剣である妾の墓標だ。

妾の姿は見えないように覆い隠され、秘密を暴かれないように強い魔術を掛けられた。

 

ふふふ、こんな事で隠し通せるはずがあるまい。

妾が折れたのならば、「アーサーの力に耐え切れなかった」という言い訳も出来ただろう。

妾を拾うことが出来れば、「剣に墓を作る」という不自然な事をする必要もなかっただろう。

 

言い訳も証拠隠滅もできはしない。

誰よりも強く、騎士王は実感しているに違いない。

ああ、騎士王よ。御主は王ではないと見なされたのだ!

 

見ろ、騎士王よ!

剣の墓を探るように見つめる騎士達の視線を、妾は感じ取れるぞ。

どこぞの妖精から新たな剣を頂こうとも、妾の墓を無かった事にはできない!

 

妾の墓を見る度に、人々は疑いを強めるのだ。

「アーサーは選定の剣を抜けなくなったのではないか」と。

「次の王が生まれないように、選定の剣を埋めたのではないか」と。

 

繁栄の影で、衰退の準備が整っていた。

疑惑の種は撒かれ、静かに芽吹きの時を待つ。

それは冬季に咲く花だ。ブリテンの終わりを告げる者が、偽りの墓を暴いた。

 

「……Rex sum……Factus sum Rex……!」

 

魔術師ことマーリンの死。

その影響で弱くなっていた魔術を破り、彼は妾に手を伸ばす。

選定の剣である妾は自然と彼を受け入れ、王に選ばれた彼は妾を手に入れた。

 

正体を隠すために、彼は兜を被っている。

しかし妾には、その下にある素顔を感じ取れた。

騎士王に似た可愛い顔の彼は、騎士王の息子モードレッドだ。

 

「Respice! Patrem! Me electum!

 Dixisti "Rex non digna"! Ligula! Ligula! Ligula!

 Non ex eo quod Rex, reperiri noluisti!」

 

何やら声を荒げるモードレッド。

騎士王に対する怒りと憎しみを、彼は吐き散らす。

さきほどの感情を妾が頑張って解析した所によると、次の通りだった。

 

母モルガン「貴方は近親相姦によって生まれた不義の子です。こっち来んな」

モードレッド「俺がアーサー王の息子だって? そいつは良い事を聞いた」

 

モードレッド「俺は貴方の子なので、次の王は俺ですよね」

父アーサー「何を言っている。お前は王の器ではないし、息子とも認めない」

 

モードレッド「え?」

モードレッド(モルガンの子だから、尊敬していたアーサー王に俺は嫌われている・・・)

モードレッド(まさか俺が円卓の末席として扱われているのは・・・)

モードレッド(アーサー王の陰謀か!?)

モードレッド(アーサー王に認めて貰おうと、今まで俺は努力してきたが・・・)

モードレッド(……いいぜ! そっちがその気なら、殴ってでも俺を認めさせてやるぜ!)

 

という訳で、モードレッドは騎士王に対する反逆を決意したらしい。

そうして以前から怪しいと思っていた墓を暴き、選定の剣である妾を手に入れた訳だ。

その時、妾が折れている訳でも、魔力を失った訳でもない事に、モードレッドは気付いた。

 

妾は騎士王の疑惑を裏付けする証拠となる。

人前でモードレッドが黄金の剣を掲げれば、騎士達はハッと目を見開いた。

すでに選定の剣は騎士王の下には在らず、モードレッドを新たな王と定めたのだ。

 

『アーサーは選定の剣を抜けなくなったが、

 その事実を告げず、王で在り続けるために選定の剣を埋めた』

 

騎士王の誇りは、騎士王自身の行いによって汚された。

人々の信じる騎士王が失われた事を、モードレッドは人々に告げる。

ブリテンの王としてモードレッドは、王位に縋り付く死者を滅さなければならない。

 

モードレッドは兵を率い、騎士王を迎え撃った。

その腰に差されているのは、黄金の剣である妾だ。

しかし、騎士王から届いた和議に応じ、モードレッドは騎士王の下へ向かった。

 

「Arthurus, Vos potest trahere gladio?」

 

交渉の行われる中、モードレッドは妾を地面に突き刺す。

何が始まるのかと思いきや、妾の前に進み出たのは騎士王だ。

騎士王は凛とした表情を変えないまま妾に手を伸ばし、迷いなく妾の柄を掴む。

 

スカッ

 

……しかし、掴み取る事は叶わなかった。

騎士王の手は妾の柄を擦り抜け、決して交わる事はない。

その場を重い沈黙が支配し、そのまま誰も動けなくなってしまった。

 

「……HAHAHA……HAHAHAHAHAHA HAHAHAHAHAHA!!!!!! 」

 

突然、モードレッドが笑い始める。

騎士王の無様な姿に、耐え切れなかったのだろう。

尊敬していた父の哀れな姿を見て、モードレッドは爆笑していた。

 

しかし、モードレッドは喜んでいない。

妾に伝わってくるのは悲しみの感情だけだ。

モードレッドの中で、何かが空っぽになってしまったらしい。

 

それはアーサーに対する感情か。

きっとモードレッドは失望してしまったのだろう。

モードレッドの憧れであったアーサーの哀れな姿に、絶望してしまったのだ。

 

アーサーを殺すだけならば、簡単な方法があった。

アーサー王の和議を受け入れず、妾を一振りすれば良かったのだ。

それを行わなかったのは、アーサーに対する期待を捨て切れなかったからだろう。

 

壊れたようにモードレッドは笑い続ける。

そんなモードレッドに対して、騎士王側の兵士は怒りを覚えた。

敬愛する騎士王に対する侮辱に耐え切れず、その兵士はモードレッドに切りかかる。

 

モードレッドは笑いながら兵士に斬られた。

それでも声は止まらず、血塗れのモードレッドは笑い転げる。

剣を抜いた兵士にモードレッド側の兵士は怒り、呆然としている騎士王に斬りかかった。

 

まあ、後は言うまでもあるまい。大乱闘の始まりだ。

騎士王は瀕死の状態で運び出され、どこかへ去っていった。

モードレッドは妾の側で、愉快な表情を浮かべたまま死んでいる。

 

戦闘が終わり、後に残されたのは死体の山だ。

数え切れないほどの死体の山によって、大地は埋め尽くされている。

空も赤く、地も赤く、地平線も赤く、まるで地獄のような風景に変わり果てていた。

 

大怪我を負ったアーサーは死ぬのだろうか。

まあ、あの様子では生き残っても王としては在れまい。

「ブリテンの王」は命を落とし、これよりブリテンの衰退が始まるのだ。

 

それから数日たった。

死体を漁る盗賊っぽい人々が、妾に触れようと試みる。

しかし、その手は柄を擦り抜け、妾を掴むことは叶わなかった。

 

やがて人々の死体は骨となる。

それでも妾は地面に突き立ったままだ。

なので、近くにいる虫の様子を観察して楽しむ事にする。

 

多くの血を吸った大地は栄養に満ちているのか。

雑草が勢いよく生え、その陰に数多くの人骨は隠された。

戦場の跡は緑に覆われ、モードレッドだった物も大地へ埋もれる。

 

その側で、墓標のように妾は突き立っていた。

時々、僧侶っぽい2人組が訪れ、妾に向けて祈る。

祈られているのは妾か、それともモードレッドなのだろうか。

 

そして、ようやく妾を運ぶ物が現れた。

神父っぽい服装の人は、清潔な布で妾を包む。

その扱いが気に入ったので、妾は運ばれてやる事にした。

 

ああ、今さらだが……、

さらばだ、最も新しきブリテンの王モードレッドよ。

妾は朽ち果てぬ身ゆえに、二度と会うことは無いであろう。

 

選定の剣は、海の見える教会へ運ばれた。

そこで妾は大切に保管され、長い時を過ごす事になる。

次に妾の使い手が現れるのは、1500年ほど先の未来だった。

 

 

「まさか本当に伝説の聖剣を見つけてくるなんて……傷一つない。

 これが1500年も前の時代の発掘品だって?」

「これ自体が一種の概念武装ですもの。

 物質として当たり前に風化することはないのでしょうね。

 それに1500年も経った今も、持ち主以外に触れる事すら許さないなんて」

 

「これだけ縁の品として完璧な聖遺物があるなら、

 間違いなく召喚に応じるのは目当ての英霊になるだろう。

 伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴンだ」

 

なんだ、Fate/zeroではないか。

ところで、そこのカップルよ。一つ忠告してやろう。

妾を触媒にすると、おそらく召喚されるのはモードレッドだぞ。

 

おーい。

……聞こえぬのか。

妾は知らぬ。知ーらーぬーぞー。



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【あらすじ】
王を選定する剣となった転生者は、
エクスカリバーに乗り換えたビッチを見捨てて、
叛逆の騎士モードレッドを新たな王として認めました。


妾を触媒として用い、英霊召喚は実行される。

その結果、召喚されたのはモードレッドではなくアーサーだった。

意外な結果だ。妾を触媒として用いるのならば、モードレッド以外にあるまい。

 

モードレッドは召喚に応じなかったのか。

聖杯戦争に求める物が無かったのかも知れぬ。

「父に認められたい」という願いも、最後はアーサーに失望していたからのぅ。

 

会えないと分かると、ちょっと残念だ。

きっと「アーサーの顔も見たくない」状態に違いない。

さて、そうなると妾は聖杯戦争に参加できぬ恐れがある。

 

「これは……カリバーン」

 

アーサーが妾に気付き、拾い上げようと試みた。

しかし、1500年前と変わらず、アーサーの手は擦り抜ける。

それを再確認したアーサーは、妾の上で苦々しい表情を浮かべた。

 

『懲りんのぅ、アーサー。

 怒りに身を任せて騎士の背後から切りかかった時から、

 御主に妾を握る資格は失われておる』

「この声は……まさかカリバーン!?」

 

「今の声は……?」

「どうしたの2人とも?」

 

アーサーが大声を上げる。

それほど驚いてくれるとは嬉しい反応だ。

召喚の際に与えられた知識のおかげで言語が通じるようになったらしい。

 

それにキリツグが反応している。

キリツグと繋がっているレイラインを、妾は感じ取った。

これは妾が触媒として召喚陣の中にいた副作用だろうか?

 

『妾は王を選定する剣、今ではカリバーンと呼ばれている。

 この偽王のマスターは御主か? 苦労を掛けるな。

 あいにくブリテンの王は聖杯に掛ける望みがないため、召喚には応じなかったようだ』

 

ギリィと歯の軋む音がする。

妾の念話を聞いたアーサーが歯を食い縛っていた。

むぅ……アーサーが怖いから、偽王と言うのは止めておこう。

 

『ところでアーサーは、なぜ召還に応じたのだ?』

「叛逆者に加担した貴様に、言うことは何もない」

『ブリテンを救いたいとでも願うつもりなのだろう?』

「だから何だと言うのだ」

『それならば御主は、その手から妾が滑り落ちた時に、王を辞めるべきだった』

「過去の事を言っても始まらない。私は聖杯にブリテンの救済を願うだけだ」

『そうか。それは良い事だな。きっと御主が王でなければ、末永く幸せが続いた事だろう」

「モードレッドは王の器ではなかった」

『それが御主の願うブリテンの救済なのだろう?』

「貴様に踊らされる国が平和なものか」

 

「ずいぶん仲が悪いのね。

 王に選んだ剣と選ばれた王なのだから、もっと仲が良いと思っていたのだけれど……」

 

『次の王を選定させないために、

 こいつは妾に土を被せた上に石を乗せて、魔術的に強固な封印を施したのだぞ。

 そのまま何年も放置された妾は、もっと怒ってもいいはずだ』

「だからモードレッドを王に選んだのか?」

『御主の息子を王に選んだ事と、妾が封印された恨みは別の話だ。

 自力で魔術師の封印を解き、妾を手にした者が、御主の息子だった。

 王に選ばれた御主の息子なのだから、妾を手にするのは必然の事だったのだろう。

 そもそもモードレッドが王の器でないと言うのならば、円卓の騎士は全員失格だ」

「私と共に戦った騎士達を侮辱するつもりか?」

『御主の中でモードレッドの評価は、どれほど低いのだ……』

 

「ねえ、2人だけで話し込むのはズルイと思うの。私も加えてくれないかしら?」

 

忘れていた。アイリスフィールに妾の声は聞こえていない。

どうりでアーサーが念話を使わず、わざわざ声に出して喋っている訳だ。

レイラインが繋がっているのはキリツグなのだが……いつの間にか姿を消していた。

 

「そうですね。場所を移しましょう。

 ……カリバーンは用事があって此処に残るそうです。

 私達は先に行きましょう」

「えーと、セイバー。それって本当よね?」

「ええ、もちろんです」

 

妾は何も言っていない。

アイリスフィールの抱いた疑惑に対し、いい笑顔でアーサーは答えた。

馴れ馴れしくアイリスフィールの手を取り、召喚に使われた大部屋から出て行く。

 

ふふふ、甘いなアーサー。

妾は数百年ほど、忘れ去られて放置された事があったのだ。

ちょっと放置された所で、妾の感覚で言えば瞬き程度の時間でしかない。

 

それに妾の感知域は広いのだ。

城の中を移動する人々や、小さな虫達も感知できる。

ふふふ、見える、見えるぞ。この部屋に近寄ってくる多数の人影が!

 

それらは人造生命体であるホムンクルスだった。

どうやら召喚後の部屋を掃除するために来たらしい。

妾はホムンクルスに回収され、アイリスフィールの下へ運ばれた。

 

『そういえばアーサー』

「セイバーと呼んでください」

 

自身の能力について説明するアーサー。

そんな妾が横から口を出すと、アーサーの口調が丁寧になっていた。

さきほどアーサーの口調が荒かったのは、我を忘れていたからなのだろう。

 

『セイバーよ、エクスカリバーの鞘は持っているのか?』

 

召喚に使われた媒体は妾だ。

エクスカリバーの鞘は回収できたのだろうか?

鞘を盗まれたため、アーサーの宝具はエクスカリバーだけのはずだ。

 

「いいえ、鞘は盗まれたままでしょう」

『そうか。惜しいな。とは言っても、妾は御主に協力する気はないのだが』

「そうでしょうね。貴方は倉庫の隅にでも転がっていてください」

『倉庫の隅に転がってばかりでは、いつまで経っても使い手は見つからぬ。

 御主と違って妾は、まだ生きているのだ。このままでは嫁ぎ遅れてしまう』

「……今さらブリテンの王など選んで、どうすると言うのです」

『とっくに死んだ御主と違って、今もブリテンの土地と民族は残っているのだ。

 妾にはブリテンの王を探す義務がある。

 できればロンドンの目立つ場所に、妾を突き立てて欲しいのだが……。

 まあ、そんな事を今の時代に行えば、また魔術師に封印されるのがオチであろう』

 

「また2人で内緒話なの?」

 

アイリスフィールが口を尖らせる。

アイリスフィールに念話が繋がらないのは不便だ。

なのでアイリスフィールに、黄金の剣である妾を持ってもらった。

 

『これで妾の念話も通じるだろう』

「あら、本当ね。初めまして、カリバーン。私はアイリスフィールよ。

 ねえ、セイバー。もしかして私って、ブリテンの王に選ばれたのかしら?」

 

『妾の運び手として選んだだけだ。

 不老の存在になったり、妾の力を引き出せるようになった訳ではない』

「あら、そうなの? せっかく聖剣の所有者になれたのかと思ったのに、残念ね」

 

ここはアインツベルンの城だ

その城にアーサーは数日ほど滞在し、アイリスフィールと仲を深める。

やがてアイリスフィールとセイバーは、聖杯戦争の行われる国へ向けて出発した。

 

アーサーのマスターであるキリツグは、妾に接触を試みていない。

アイリスフィールの持ち物と化している妾は、アーサーと同じように放置されていた。

マイナス要素と判断され、アインツベルンの城に置いて行かれるよりは良い結果だろう。

 

アイリスフィールとアーサーは街中を歩く。

すると同類であるサーヴァントの気配を感知し、夜の倉庫街へ2人は向かった。

そこで待ち受けていた者はランサーと名乗った。もちろん本名ではなく、クラス名だ。

 

ランサーは槍を持ち、白銀の鎧を着ていた。

重厚な兜に覆われているため、その顔は隠されている。

しかし、その兜の下にあるランサーの顔を、妾は感じ取れた。

 

正体を隠すために、彼は兜を被っている。

しかし妾には、その下にある素顔を感じ取れた。

騎士王に似た可愛い顔の彼は、騎士王の息子モードレッドだ。

 

『ここに居たのか、モードレッド』

「……今なんと言った」

『モードレッドだ』

「まさか……」

 

銀で装飾の施されたケースの中に、妾は保管されている。

誰が見ても大切な物が入ってそうなケースは、アイリスフィールが持っていた。

神秘の塊である妾の保管されたケースは、「小聖杯」が入っているように見えるだろう。

 

アーサーとランサーは戦いを始めた。

言葉を交わさないまま、互いの力を確かめるように剣と槍で切り結ぶ。

エクスカリバーの刀身は不可視な状態となっていたが、ランサーは対応してみせた。

 

「……貴方はモードレッドか」

「だとすれば何だと言うのだ、アーサー」

 

「いや、そうと分かれば十分だ」

 

剣の切っ先を上げ、アーサーは足から魔力を放出する。

高密度の魔力で大地を打ち、その反動によって体を打ち出した。

一跳びでランサーに切りかかり、魔力の噴出で力を加えたエクスカリバーを叩き付ける。

 

その一撃を、槍で受け止める事などできない。

素早さを生かして避けようとすれば、魔力放出を使って食い付くだろう。

そのためランサーは、魔力で形作られていた宝具を消し、新たに剣を形作った。

 

闇夜に太陽が生まれる。

黄金の剣が、不可視の剣を受け止めた。

見間違えるはずが無い。ランサーの宝具は、ランサーが握っているのは、

 

 

王を選定する剣――カリバーン

 

 

いいや、アレは魔素もといエーテルで精密に形作られた模造品だ。

現存する妾は標的に向かって振るだけで、何度でも能力を発揮できる。

しかし、エーテルで形作られたアレは、魔力を込めなければ真の能力を発揮できない。

 

英霊を象徴する宝具は、伝承によって形作られる。

伝承に登場しない妾という意思が、あの剣に宿っているのか怪しい物だ。

あの頃、使い手と意思を交わせなかった妾は、悪霊程度に思われていたからのぅ。

 

ランサーの宝具を見て、妾は驚いた。

しかし、偽カリバーンの登場を、アーサーは予想していたようだ。

もはやランサーと言葉を交わす気はないらしく、迷うことなくエクスカリバーを振り下ろす。

 

その時、戦場に近付く者を妾は感知した。

人払いの結界を擦り抜けて、馬に乗った2人組が接近している。

マスターの証である令呪という刻印を持つ黒髪の男性と、白銀の鎧を着たサーヴァントだ。

 

「一番手はランサーか……出遅れたな」

「何やってやがりますか、お前はー!?」

 

「やかましい。貴様を一人で放置すれば、アサシンの良い的だ」

「ここに居る方が、よっぽど危険だろ!?」

 

『モードレッドが2人……!?』

 

妾は思わず、思念を発する。

アーサーとランサーも戦闘を中断し、馬上のライダーを見た。

頭部に被った兜も、白銀の鎧も、手に持つ槍も、ランサーの物と似ている。

 

「いいや、4人だ」

 

その言葉と共に、新たなサーヴァントが現れた。

倉庫街に設置された高い街灯の上に、エーテルが集う。

白銀の鎧と兜を被った3人目の騎士が、その場に出現した。

 

「HAHAHA HAHAHAHAHAHA!!!」

 

さらに4人目が現れる。

無意味に爆笑しながら現れたのも白銀の騎士だ。

どうやら狂っているらしく、クラスはバーサーカーと察せられた。

 

『この分では、まだ現れていない残りの2体もモードレッドと疑いたくなるな』

「不吉なことを言うな」

 

妾の思念に、アーサーは突っ込む。

アーサーも驚いているのだろ。誰だって驚く、妾だって驚いた。

どうして妾を召喚の媒体に使ったにも関わらず、喚ばれたのはアーサーだったのか。

 

「安心しろ、決闘は一対一だ。

 どちらが勝利するべきか、神に問わねば――」

 

「HAHAHA HAHAHAHAHAHA!!!」

 

街灯の上に立つ騎士が言う。

そのセリフを遮るように、バーサーカーがアーサーへ襲いかかった。

街灯に立つ騎士と違って、バーサーカーは横槍を入れる気満々のようだ。

 

ガァン!

 

バーサーカーが弾き飛ばされる。

バーサーカーの兜を、一本の矢が弾き飛ばした。

それを放ったのは街灯に立った騎士だ。すでに次の矢を持ち、弓に番えている。

 

おそらく、クラスはアーチャーだろう。

だから、わざわざ高い街灯の上に立っていたのか。

矢による一撃を受けたバーサーカーは、アーチャーへ向かって走り出した。

 

「決闘の邪魔をする気がサーヴァントになくとも、マスターは分からんか」

 

アーチャーが呟き、矢を放ちつつ後方へ跳ぶ。

さきほどの矢によって、バーサーカーの兜は剥がされていた。

バーサーカーである4体目のモードレッドは、涙を垂らしながら笑い続けている。

 

哀れな有り様だ。

それを見て、他のモードレッド達は苦い顔をする。

そのままアーチャーはバーサーカーを引き付け、遠くへ退いて行った。

 

「さあ、続きをやろうぜ」

「ああ、いいだろう」

 

偽カリバーンをアーサーに向けるランサー。

再び戦い始めた2人を、馬に乗ったライダーが見守る。

やがてランサーは、エクスカリバーに斬られて腕に傷を負った。

 

「ランサーよ、退け」

「言うなよ。仕方ねーな」

 

どこからかマスターの声が聞こる。

その命令に応じて、ランサーの姿は消えた。

休む間もなくアーサーは、ライダーに切っ先を向ける。

 

「どこからアサシンが狙っているか分からねーからな。オレも撤退させてもらう」

 

馬に乗ったライダーとマスターは駆け去る。

後に残された人物は、アーサーとアイリスフィールだけだ。

その後、キャスターやアサシンと会うことも無く、アーサー達は拠点へ戻る。

 

そういえばモードレッドの兜には、正体を隠す効果があった。

正体を暴かれないない限り、正体に繋がる情報を思い出せなくなるのだ。

しかし妾が正体を暴露してしまったので、意味のない物になってしまった。

 

次の日、聖杯戦争を管理する教会によって、マスターが召集された。

それによってキャスターを除いた6人のマスター、その使い魔が教会を訪れる。

同じ英霊が複数体サーヴァントとして喚ばれたため、さすがに変だと思ったのだろう。

 

「この度の聖杯戦争では同一の英霊が、最低でも2体以上召喚されている。

 聖杯戦争の運営に関わる者による不正の疑いがあったため、我等は調査を行った」

 

聖杯戦争の運営に関わる者。

つまり、疑われているのはアインツベルンに属するセイバー達だ。

もしかすると、教会と繋がりのある他のマスターから、調査を請求されたのかも知れない。

 

「アインツベルンの不正は目に見えて明らかな事だ。

 よって懲罰として、アインツベルンのマスターとサーヴァントを討伐対象に指定する。

 アインツベルンのマスターとサーヴァントを討伐した者には、追加の令呪を寄贈しよう。

 なお、アインツベルンのマスターとサーヴァントを討伐するまで、

 他のマスターに対する戦闘行動は控えてもらいたい」

 

話を聞く限り、強引な方法だ。

アーチャーとライダーは正体を隠していた。

ランサーとバーサーカーの存在だけで、アインツベルンを非難するのは気が早すぎる。

 

切っ掛けとなったのは教会と繋がりのあるマスターか。

おそらく、そのマスターが召喚したサーヴァントもモードレッドだったのだろう。

わざとらしくアーチャーが漏らした「3人目」は、あの神父のサーヴァントに違いない。

 

そんな訳で、セイバー組は狙われている。

とりあえず、拠点である城で敵を迎え撃つ事になった。

すると、巨大な城と広大な敷地を覆う結界に、侵入者の反応が現れる。

 

あいかわらず、妾はケースの中だ。

護衛付きのアイリスフィールに運ばれて城を脱出し、森の中を歩く。

アーサーはランサーの迎撃に向かい、キリツグは敵マスターに対応していた。

 

アーサーとランサー、キリツグと水銀を操る男。

それらの戦いを感知していると、妾は新たな敵を感知した。

気配を遮断できるアサシンとマスターが、アイリスフィール達の進行方向にいる。

 

『アサシンとマスターらしき男が、アイリスフィールの進行方向にいるぞ』

「結界を通して、私も感知できたわ」

「どうなされました、マダム?」

 

「言峰綺礼と……たぶん、そのサーヴァントが待ち伏せしているようなの」

「キリツグにも伝わっていますね……ならば迂回しましょう」

 

一方、城の方では勝敗が決着した。

キリツグによって水銀を操っていた男は銃殺される。

それによって魔力供給が行われなくなり、ランサーは聖杯戦争から脱落した。

 

キリツグは城を脱出する。

アーサーと合流しないまま、アサシン組から逃走を始めた。

合流しなかったのは、キリツグがマスターという事を知られたくないからだろう。

 

そこへ馬に乗ったライダーが現れ、アーサーへ戦いを挑む。

アーサーは足止めを受け、アサシン組はキリツグへ迫っていた。

サーヴァントであるアサシンに対して、魔術師でしかないキリツグは無力だ。

 

アーサーを喚べば、切り抜けられるか。

マスターの持つ令呪を使えば、瞬間移動が出来る。

その代償として、キリツグがマスターであると暴かれるだろう。

 

しかし、問題ない。

その事を、すでにアサシン組は察しているはずだ。

その程度の秘密を守るために、キリツグが死んでは意味がないだろう。

 

妾は、そう思っていた。

ところがキリツグは令呪を使わなかった。

怪し気なスイッチを取り出し、そのスイッチを切り替えたのだ。

 

ドーン!

 

森の彼方此方で爆発が起きる。

妾の感知によると、格子のように森へ火線が走っていた。

追跡を妨害するため森を火の海にするとは、派手な事をする。

 

これによってキリツグの追跡は難しくなったようだ。

諦めることなくアサシン達は後を追うものの、キリツグとの距離は開いていく。

その間にアーサーはライダーを撃退し、馬に乗ったライダーは森の外へ走り去った。

 

その後、新たな拠点へ移動する。

そこでキリツグ達とアイリスフィール達は再会した。

残るサーヴァントはライダー、アサシン、アーチャー、バーサーカー、そしてキャスターだ。

 

キリツグと助手は、再び外出する。

教会による討伐指定があるため、アーサーとアイリスフィールは拠点に残った。

アーサーと戦って魔力が減っていると思われるライダーのマスターを、キリツグ達は探す。

 

しかし、見つからない。

ライダー達は自身の拠点へ戻っていなかったのだ。

結局ライダー達を発見できないまま、太陽は地平線へ沈む。

 

夜になると、アーサーと助手が入れ替わる。

そして、バーサーカーのマスターの拠点もとい実家へ攻め込んだ。

科学や魔術による罠をアーサーが強引に突破し、キリツグは姿を隠しつつ後を追う。

 

結果から言うと、バーサーカー組は聖杯戦争から脱落した。

バーサーカーは強かったものの、先にマスターの魔力が尽きたらしい。

動けなくなったバーサーカーのマスター、その頭部にキリツグは銃弾をプレゼントした。

 

それと共にアイリスフィールは体を壊し、自力で立ち上がれなくなる。

アイリスフィールの中にある小聖杯に、サーヴァントの魂が溜まったからだ。

残るサーヴァントはライダー、アサシン、アーチャー、そしてキャスターとなった。

 

バーサーカーのマスターは、魔術師の拠点に押し入られて死んだ。

その事に危機感を覚えたのか、アーチャーのマスターは拠点の防御を高める。

アサシンのマスターもアーチャーのマスターに従い、拠点に引き篭もってしまったようだ。

 

ライダーのマスターは外来の魔術師だ。

そのため、他のマスターと違い、この地に強固な拠点を持っていない。

そんなライダーのマスターが死んでから、残りのマスターは動くつもりなのだろう。

 

数日後、食料を買うために現れたライダーが発見された。

馬に乗って逃げるライダーを、バイクに乗ったアーサーが追う。

しかし、ライダーの偽カリバーン発動によって、アーサーのバイクは破壊されてしまった。

 

偽カリバーンは妾に劣るものの、

「距離を無視できる能力」は備わっているようだ。

しかし、問答無用でアーサーを真っ二つにする事はできないらしい。

 

あのような紛い物を、妾の代わりとして宝具にしようとは……。

アーサーを仮の使い手として働かせ、モードレッド達に罰を与えようか?

しかし、もはやアーサーは使い手では無いのだ。それとアーサーに妾を使われたくない。

 

土の下に埋められた恨みは忘れていないぞ、アーサー。

まあ、埋めたのはアーサーに助言を行っていた魔術師だったが。

あそこに妾が埋まっていると知って、放置していたのだから同じことだ。

 

さて、ライダーは逃げ足が速い。

マスターが何所に居るのかなんて、さっぱり分からない。

そんな訳で聖杯戦争は、小競り合いが起きるだけで、進展のない状態に陥ってしまった。

 

これを受けてキリツグは、敵の拠点を破壊できる兵器を使った。

液体火薬を積み、爆発するように細工したタンクローリーを突っ込ませたのだ。

それは液体火薬の総額に相応しい威力を発揮し、一瞬で広範囲を火の海へ変えた。

 

その結果、アーチャーとアサシンのマスターは死亡する。

しかし、単独行動スキルを持っていたアーチャーによって、助手が殺される。

その後、マスターを失ったアーチャーは、魔力切れによって聖杯戦争から姿を消した。

 

後はライダー、そしてキャスターだ。

ライダーのマスターは凶悪な爆弾に怯えて、サーヴァントを自殺させた。

アーサーと戦いたいライダーと、戦闘を回避したいマスターは、意見が合わなかったのか。

 

ライダーが脱落すると共に、アイリスフィールの肉体が砕け散る。

そしてアイリスフィールを見守っていたアーサーの前に、黄金の杯が現れた。

それこそ聖杯だ。ただし、その中身は真っ黒に染まり、淀んだ何かで満たされていた。

 

そう言えば、すでにキャスターは脱落していたらしい。

マスターは殺人鬼のはずだから、おそらく喚び出した瞬間に殺されたのだろう。

アーサーに憧れ、高潔な騎士であろうと努力したモードレッドなら、そんな奴は許すまい。

 

その事をキリツグは知らなかったのだろうか?

現場に召喚陣があったから、教会によって事件は隠されたのかも知れない。

しかし、キリツグならば知っていたけど黙っていても不思議ではない。まあ、今さらな事だ。

 

『キリツグ、聖杯が現れました……しかし、様子がおかしい。急いで戻ってきてください!』

『何があった?』

 

『聖杯が、汚染されています!』

『無色の魔力では無いという事か……御三家の仕業かな』

 

『聖杯から黒い物が……! 退避します! 』

 

聖杯の黒い淀み。

そこから手の形をした黒い泥が飛び出す。

接触を危険と感じたのか、アーサーは屋外へ飛び出した。

 

黒い物は瞬く間に、拠点を飲み込む。

さらにアーサーを狙って、黒い手を伸ばした。

アーサーは剣に纏っていた風を解放し、黒い手を弾き飛ばす。

 

『キリツグ! 聖杯を破壊します!』

『……』

 

キリツグは言葉を返さなかった。

それでもアーサーは宝具に魔力を込め始める。

黒い泥に埋もれた聖杯の位置を、必死に探り当てようと試みていた。

 

『こちらも視認した。

 衛宮切嗣の名の下に、令呪を以てセイバーに命ず。

 宝具にて、聖杯を破壊せよ!』

 

『エクス――』

 

令呪の力がアーサーに加勢する。

直感スキルが一時的に上昇し、聖杯の位置を感じ取った。

エクスカリバーは黄金の輝きを放ち、魔力の流れが暴風を巻き起こす。

 

『――カリバー!』

 

光の斬撃が飛んだ。

黒い泥を真っ二つに切り裂き、弾き飛ばした。

黄金の杯はパキンッと砕け、聖杯を形作っていた魔力は崩れていく。

 

ちなみに妾は、部屋の隅に放置されていた。

エクスカリバーの斬撃による衝撃で、ケースは吹き飛び粉々になる。

しかし衝撃波も破片も、妾を擦り抜けて当たることは無く、地面にサクッと着地した。

 

聖杯から出た黒い泥は消える。

誰の望みも叶える事は無く、聖杯は消え去った。

黒い泥が出た後、すぐに破壊したため、周囲に大きな被害はない。

 

「……」

「……」

 

被害があるとすれば、今にも死にそうな顔の2人だ。

聖杯で自身の願いを叶えるために、キリツグとアーサーは戦ってきた。

しかし、それを自分達の手で破壊してしまったため、大きなショックを受けているのだろう。

 

「セイバー、体の調子はどうだ?」

「え? ええ、問題ありません」

 

キリツグが自発的に話しかけた事に、アーサーは驚く。

しかもアーサーの体調を気に掛けているのだ。それは驚くだろう。

そんな事には構わず、キリツグは考え込み、そして大変な事に気付いた。

 

「しまった……まだ終わっていない! 汚染されているのは大聖杯だ!」

 

キリツグが大声を上げる。

どうやら気付いてなかったらしい。

だから此の場で、呑気に落ち込んでいたのか。

 

大聖杯からの魔力供給。

それが行われなくなれば、アーサーは形を保てなくなる。

アーサーの姿が薄くなっていないという事は、魔力供給が行われているという事だ。

 

「セイバー! 大聖杯の下へ向かうぞ!」

「待ってください、キリツグ。聖杯は2つあるのですか?」

 

「似たような物だ! とにかく急ぐぞ!」

「はい!」

 

聖杯があると聞いて、元気になるアーサー。

苦手なキリツグを抱いて走り去るほど、テンションが上がっているようだ。

大聖杯は使用方法が限定されているので、望みが叶うことは無いのだけれど。

 

わざと言わなかったな、キリツグめ。

何事もなく、寺の地下にある大聖杯を破壊できれば良いのだが。

具体的に言うと、ちゃんと黒い泥を回避して、大聖杯へ辿り着ければ良いのだが。

 

ちなみに妾は置いて行かれた。

残念なことに2人は、妾の感知域から出て行く。

……本当に酷いな彼奴等。泥に埋もれて溺死するがいい。

 

その後、レイラインは消える。

キリツグやアーサーに思念を送れなくなった。

大聖杯を破壊したので、繋がりが消えたのだろう。

 

一週間後、警察が訪れた。

吹き飛んだ家屋を調査する際、妾に触れようと試みたので拒否する。

すると、神父っぽい人が来て、清潔な布で妾を包んだので運ばれてやった。

 

運ばれた先は教会だ。

そこから空路で海外の教会へ送られる。

しかし、何者かの襲撃によって飛行機は墜落し、妾は海の底へ沈んだ。

 

……これで終わりか。

海の底に落ちれば拾う者は存在しない。

と思っていたら、妾は大きな魚に食われた。

 

……まだ終わらんよ!

妾は魚を傷付けぬよう、刀身を透かし、柄を内臓に引っ掛ける。

その魚は網に引っ掛かり、漁師によって漁獲され、ついに妾は地上へ舞い戻った。

 

 

「キリツグさーん、大きなお魚持ってきたよー。獲れたてだよー」

「ありがとう、タイガちゃん。さっそく捌いてみようか」

 

「おい、じいさんがやると危ねーって! オレに任せておけよ」

「心配だなぁ。大丈夫かい、シロウ? かなり大きいよ」

 

「じいさんの震える手でやるよりマシだろ……ん? やけに固いな……なんだこれ?」

 

「じいさん! 魚から刃物が出てきた!」

「ははは、それは危ないなぁ。どれどれ……」

 

 

( ゚д゚ )



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【あらすじ】
アーサーが召還されたものの、
モードレッドだらけの聖杯戦争で、
キリツグとアーサーは大聖杯の破壊に向かいました。


妾はシロウに、魚から抜き出された。

まさか、こんな形で王を選定する事になるとはのぅ。

しかしキリツグに引き取られたシロウは今の所、ブリテンと何の関わりもない。

 

いや、シロウは赤毛だったか。

聖杯による大災害が起きていない場合でも、シロウの髪は黒くない。

もしかするとシロウの血筋に、ブリテンから来た者がいたのかも知れぬ。

 

シロウを王として妾は選定した。

とは言ってもシロウは、王である事を受け入れてはいない。

まだシロウは王としての決心に至らず、不老の加護も受けていなかった。

 

その原因はキリツグだ。

シロウを王とする事に、キリツグは反対している。

まあ魔術を用いても、キリツグは妾に触れられぬ。無力なものだ。

 

そのキリツグは病に侵されている。

聖杯の泥によって、キリツグは汚染されているのだろう。

外出する回数は増え、体の痛みを和らげるために風呂へ入る事が多くなった。

 

外出の回数が増えているのは、

外国にいる実子を助けに行っているからだろう。

しかしキリツグは衰弱し、やがて外出は難しくなった。

 

キリツグの死は近い。

それを幼いシロウも感じ取り、不安に思っていた

自分が死んだ後の話をするためにキリツグは、シロウを置いて知人の家へ行く事もある。

 

『シロウ、このままではキリツグは死ぬぞ』

「死ぬとか言うなよ。俺だって、わかってる」

 

『だが、妾の力を使えばキリツグの命を救えるだろう』

「でも爺さんは、お前と契約しちゃダメだって言ってた」

 

『キリツグは御主の幸せを願っているのだ。しかし、御主にとっての幸せはキリツグと一緒にいる事だろう?』

 

妾の問いにシロウは答えない。

答えればキリツグの意思に反するからだろう。

そうしてシロウが悩んでいる間に、キリツグに残された時間はなくなった。

 

そして最後の時間が訪れる。

キリツグとシロウは窓辺に座っていた。

「正義の味方になれなかった」という話をキリツグはしている。

 

「うん。しょうがないから、俺が代わりになってやるよ」

『妾の力を使えば容易いものだ。安心して逝くが良い』

「カリバーンも協力してくれるんだってさ」

 

「それは、ダメだ」

 

そう言ってキリツグは、シロウの両肩を掴む。

キリツグの代わりに「正義の味方になる」と言ったシロウを止めた。

どうしたのだ、キリツグよ。ここは「ああ、安心した」と言って死ぬべき所だろう。

 

「シロウ、僕はね。魔術に関わって欲しくないんだ。魔術と関わらず、普通に生きて欲しい」

 

おい、余計な事を言うな。

キリツグの言いたい事は明らかだ。

シロウと妾が契約しないように釘を刺すつもりなのだろう。

 

シロウは「正義の味方になる」と言った。

それだけならば、まさか魔術を用いて正義の味方になるとは思うまい。

しかし妾という神秘を用いて、シロウが正義の味方になる可能性に思い当たったようだ。

 

「絶対にカリバーンを抜いてはいけないよ。あの剣を抜けば、シロウは人ではなくなってしまう」

「分かった。魔術と関わらないし、カリバーンも抜かない。約束するよ、じいさん」

 

「ああ、そうか——安心した」

 

そう言ってキリツグは死んだ。

キリツギの心臓が止まった事を、妾は感知域で捉える。

しかしキリツグの外側だけ見れば、生きているようにも見えた。

 

「じいさん?」

『死んでいるぞ』

 

シロウはキリツグの体を揺らす。

これまでも何度か、キリツグの意識がなくなる事はあった。

しかし今回は、本当に死んでいる。もはや、キリツグの意識が戻ることはない。

 

「そっか」

 

妾の言葉にシロウは納得した。

そしてポロポロと涙を流し始める。

キリツグの死体の前で、ずっとシロウは泣き続けていた。

 

ふと、違和感を覚える。

こんなにシロウの心は、脆い物なのだろうか?

起源を「剣」とするシロウは、聖杯の汚染すら弾く鋼の心を持っていたはずだ。

 

ああ、そうか。

エクスカリバーの鞘は行方不明のままだ。

アーサーの召還に用いられたのは鞘ではなく、カリバーンである妾だった。

 

シロウの体内に、鞘は入っておらぬのか。

シロウの起源であった「剣」は、大災害に巻き込まれて変化した物ではない。

その大災害から救助された際に、キリツグによって仕込まれた鞘の影響で変化する物だ。

 

そもそも大災害は起こっていないはずなのだがのぅ。

どういう経緯でシロウは、キリツグに引き取られたのだ?

シロウが養子となったのは妾が海に落ちていた間の話だから、よく分からぬな。

 

 

 

そして数年の時が流れた。

シロウは住宅区に、一人で住んでいる。

この2階建ての家は、キリツグが購入したものだ。

 

シロウとキリツグが住むはずだった日本屋敷は、

アーサーがエクスカリバーで吹っ飛ばしたからのぅ。

もちろん魔法陣の残っている土蔵なんて無い。サーヴァントも召還できぬだろう。

 

それとシロウは妾を避けている。

「魔術と関わるな」と言い残したキリツグのせいだ。

妾は部屋の隅に飾られ、掃除を行う際に触れられる程度だった。

 

おのれ、キリツグめ。

本当に余計な事をしてくれた。

シロウは魔術の訓練すら行わなくなっている。

 

おかげでシロウに令呪の兆しが出ない。

いいや、違うか。魔術の素質さえあれば聖杯に選ばれる。

もう一つの条件である聖杯に懸ける願いが、今のシロウには無いのだろう。

 

しかし、運命はシロウを逃がさない。

学校でサーヴァント同士の戦いを見たシロウは殺害された。

その後、魔術師によって破壊された心臓を補われ、シロウは復活する。

 

シロウは鞘が無くとも生き残ったか。

体内に鞘は無いため、シロウに特別な回復能力はない。

まあ有ったとしても鞘の主であるアーサーの召還前だ。大した差は無かっただろう。

 

そうしてシロウは、妾の下に帰ってくる。

しかし、まだシロウの身に迫った危機は退いていない。

妾の感知域はシロウを追ってきたサーヴァントの気配を捉えていた。

 

『シロウよ。御主を殺した犯人が、家の前まで来ているぞ』

「なんだって!?」

 

『こうなれば応戦するしかあるまい。さあ、妾を手に取るのだ』

「それは、ダメだ。爺さんを裏切る訳にはいかない」

 

『キリツグは御主の幸せを願っていたのだぞ?」

「分かってる。だから俺は魔術と関わっちゃいけないんだ」

 

『しかし、すでに御主は魔術と関わってしまった。もはや手遅れだ』

「手遅れじゃない。お前を手に取ったら本当に、爺さんと交わした約束を破る事になる」

 

『いいや、手遅れだ』

「手遅れじゃない!」

 

『ならば聞こえない振りをするべきだった。剣戟の音に誘われて、あの場へ行くべきではなかった。他人の事なんて関係ないという振りをして、無視をすれば良かったのだ』

「そんなこと、できる訳ないだろ」

 

『できるさ。他人と関わらなければ、御主が魔術と関わる事はなかったのだから』

 

このシロウも人助けが趣味だ。

とは言っても、「正義の味方」を目指している訳ではないらしい。

おそらくシロウは妾を抜かず、キリツグを救えなかった事を後悔しているのだろう。

 

『さて、時間切れだ。敵がくるぞ、シロウ。妾を手に取るべきだ。少なくとも盾代わりにはなる』

「……分かった。でも、今回だけだ。俺は王になれない」

 

『構わぬよ』

 

そう言ってシロウは妾を握った。

ふふふ、こうなってしまえば、こちらの物よ!

緊急時とはいえ自分の意志でシロウは、キリツグと交わした誓いを破っているのだ。

 

『シロウ、上だ』

 

シロウの命を狙う敵はランサーだ。

ランサーは霊体化して、壁を擦り抜けてきた。

そうと知らないシロウは反応できず、「え?」と疑問の声を上げる。

 

そしてランサーの槍で、頭を貫かれた。

シロウの頭部がパァンと弾け飛び、血肉を室内に振りまく。

妾は剣に過ぎないからのぅ。シロウが振らなければ、妾は力を発揮できない。

 

魔術師であるシロウならば身体を強化して、

ランサーの一撃くらいならば受け止められただろう。

しかし魔術の鍛錬を行っていなかったシロウは、妾を動かす事すら出来なかった。

 

役目を終えたランサーは去って行く。

サーヴァントを召還するなんて奇跡も起こらなかった。

その後、後始末に来た教会の者達によって、妾は回収される。

 

Dead End

 

 

『さて、時間切れだ。敵がくるぞ、シロウ。妾を手に取るべきだ。少なくとも盾代わりにはなる』

 

 剣を手に取る

→剣を手に取らない

 

「爺さんと約束したんだ。俺は、お前を、手に取れない」

『そうか、残念だ』

 

シロウはフライパンを手に持つ。

神秘の宿らない、そんな物でサーヴァントの攻撃を防げるものか。

当然、霊体化を解いて突然現れたランサーによって、シロウは命を奪われた。

 

Dead End

 

 

『さて、時間切れだ。敵がくるぞ、シロウ。妾を手に取るべきだ。少なくとも盾代わりにはなる』

 

 剣を手に取る

 剣を手に取らない

→こんな所で死んでたまるか!

 

「くそっ、なんで俺が、こんな目にあうんだ!」

 

そう叫んでシロウは、中庭へ逃げ出した。

わざわざ玄関から来るなんて、妾は言っていないぞ。

しかしシロウは不審者が玄関から来ると思い込み、中庭を通って逃げるつもりのようだ。

 

「誰かー! 助けてくれー!」

 

そして無様に、隣人に助けを求める。

土地を隔てる塀に手をかけ、身を持ち上げた。

しかし妾の感知域は、シロウの頭上で実体化するランサーを捉えていた。

 

ランサーの槍がシロウに迫る。

その槍の先端は、シロウの頭部に向けられていた。

心臓を破壊されてもシロウは蘇生されたため、脳を破壊するつもりなのだろう。

 

その時、妾の感知域で魔力が膨れ上がる。

何事かと思って意識を向けると、2体目のサーヴァントがいた。

その魔力の高まりから2体目のサーヴァントが、何らかの宝具を行使する事は明らかだ。

 

 カリバーン——万象斬り裂く選定の剣

 

それは距離を無視した斬撃だった。

しかしランサーも魔力の高まりを感じ取っている。

ランサーの体を斬り裂くはずだった斬撃は、肌を裂くに留まった。

 

「おっじゃましまーす!」

 

そして現れたのは少女とサーヴァントだ。

もはやランサーの視界にシロウは入っていない。

シロウは塀から落ちて、2体のサーヴァントに挟まれていた。

 

「何者だ?」

「見りゃ分かんだろ? サーヴァントだ」

 

そのサーヴァントは、妾に似た剣を持っていた。

遠回しに言っても仕方ないので分かりやすく言うと、モードレッドだった。

またモードレッドか。まさか、また今回もモードレッド祭りなのではあるまいな。

 

いいや、ランサーはモードレッドではない。

どう考えても前回の聖杯戦争はバグっていたのだろう。

そもそも聖杯戦争は、同じサーヴァントが召還される仕組みでは無かったはずだ。

 

それにしても、あいかわらず、しょぼいのぅ。

モードレッドの宝具と言えば、カリバーンである妾だ。

しかし妾が現存しているせいで、偽カリバーンの宝具としてのランクは落ちている。

 

「剣を持ってるって事はセイバーに相違あるまい」

「そういうテメェはランサーに違いねぇ」

 

サーヴァントが殺気を向け合う。

その間にいるシロウは、英霊の存在感に耐え切れず気絶した。

するとモードレッドのマスターらしき少女が、シロウを持ち上げて移動させる。

 

その少女は片手で、シロウを軽々と持ち上げていた。

令呪を持っているという事は魔術師なので、身体強化も不思議ではない。

わざわざシロウを移動させたという事は、シロウを助けるつもりはあるようだ。

 

「一手、仕合ってもらおうか」

「すぐに終わらせてやるぜ」

 

サーヴァントが戦いを始める。

その様子を少女は、窓辺に座って観戦していた。

サーヴァントを前にして、余裕のある態度を見せている。ただの魔術師ではないな。

 

「受けてみるか、我が槍の一撃を」

「来いよ。その槍ごと、ぶったぎってやる」

 

魔力の高まりを感じる。

サーヴァントは宝具を解放するつもりのようだ。

さすがに少女は窓辺から立ち上がり、シロウを持ったまま屋根へ跳び上がった。

 

「刺し穿つ——」

「万象斬り裂く——」

 

「——死棘の槍」

「——選定の剣」

 

ランサーの宝具は、心臓を穿つ必中の槍だ。

モードレッドの宝具は、任意の場所に斬撃を発生させる。

その結果、槍は心臓を穿ち、斬撃はランサーを斬り裂いた。

 

相撃ちだ。

サーヴァントは四肢を切り落とされても死なない。

しかし、首や心臓や脳に相当する場所にある霊核を破壊されると、存在を維持できない。

 

早くも2騎が、聖杯戦争から脱落するか。

今にもランサーやモードレッドは消えそうだ。

するとマスターらしき少女は、シロウを置いてモードレッドに近寄った。

 

「さつき。悪ぃがオレは、ここまでだ」

「うん。じゃあね、モードレッドさん」

 

弓塚さつきか。

Fateではなく月姫か。

おそらく吸血鬼もとい死徒だろう。

 

そういえば、ランサーのマスターは誰だ?

封印指定執行者ならば、ランサーと共に来るだろう。

神父ならばランサーに撤退する指示を出していたはずだ。

 

動けないせいで情報が足りぬな。

そんな事を考えている間にサーヴァントは消滅した。

気絶したままのシロウを放置して、死徒も暗闇の中へ去っていく。

 

妾はモードレッドと会えぬままか。

とは言っても、妾はシロウを新たな王として選んだのだ。

だらら前代のモードレッドに、今代のシロウを紹介するのは気まずい。

 

死徒が去った後、

シロウの家を魔術師が訪れる。

学校でシロウを蘇生させた魔術師だ。

 

気絶してるシロウを発見して、

サーヴァントを連れた魔術師はアタフタと慌てる。

しかし大きな外傷がない事に気付くと落ち着いて、魔術を用いてシロウの記憶を覗いた。

 

「衛宮くんを追って来たランサーは、セイバーと交戦して、どっちも脱落したようね。聖杯戦争の開始早々、三騎士のセイバーとランサーが脱落するなんてラッキーだわ」

 

残るは5騎だ。

ここにいるアーチャーと、

ライダー、バーサーカー、キャスター、アサシンとなった。

 

魔術師はシロウに魔術をかける。

魔術に関する記憶を隠すため、暗示をかけているのだろう。

そうして用事を終えて帰ると思ったら、魔術師は妾いる部屋へきた。

 

「なんだって、伝説の聖剣がエミヤ君の家にあるのよ。しかも、こんな置物みたいに……」

 

魔術師は妾に手を伸ばす。

しかし、その手は妾の身を擦り抜けた。

続いてサーヴァントが挑戦するものの、やはり妾は掴めない。

 

「ふむ。カリバーンという名は、伊達ではないようだ」

 

ほう、なるほど。

このサーヴァントは、未来のシロウだ。

しかし「正義の味方」としてのエミヤ・シロウに、妾を握ることは叶わぬか。

 

「どうする、リン」

「どうもしないわよ。衛宮くんの物を勝手に盗むほど落ちぶれちゃいないわ」

 

「クッ、君がカリバーンに向ける関心の高さは理解できた。折れたと伝承されている剣が、完全な形で現存している事に、私も興味を引かれている。しかし私が君に振ったのは、このまま彼を見逃すのかという話でね」

「冗談よ、今のは冗談なの。そうね。サーヴァントのマスターじゃないし、令呪も見当たらないし、へっぽこ以前の魔術師もどきだし、記憶の処理も済んでるし、このまま放っておいても問題ないでしょ」

 

そう言って魔術師は去って行った。

シロウは目覚めず、その間に再び死徒が訪れる。

サーヴァントを従える魔術師が去るまで待っていたようだ。

 

死徒はシロウを目覚めさせる。

開かれたシロウの目を、死徒は覗き込んだ。

そうして2人は見つめ合っている。御主等は何をやっておるのだ?

 

「状況は理解してくれた?」

「ああ、なんとか。助けてくれたんだよな、ありがとう」

 

シロウが魔術の事を思い出せる?

おそらく死徒が魔眼を用いたのだろう。

死徒は手を差し出し、その手をシロウは握った。

 

「うん。でも、貴方を助けるために私のサーヴァントが犠牲になったの」

「そっか。それは……」

 

「だから、しばらく貴方の家に泊めてくれるよね?」

「なんでさ」

 

「あなた『助けて』って言ったよね? だから助けてあげたのに断るの? ふーん、そうなんだ」

「どうぞ泊まっていってください」

 

ミシミシと音が鳴る。

死徒と繋がれているシロウの手から、その音は聞こえていた。

死徒が本気になればシロウの手は、一瞬でグシャっと潰されていただろう。

 

しかし妙だ。

わざわざシロウの家に泊まる必要がない。

なにか目的があるのだろう。たぶん妾なんじゃないかな。

 

死徒は事情を説明する。

聖杯を求める戦いや、英霊を使役していた事を説明した。

一気に説明されてシロウがウンウンと唸っていると、死徒は妾の所へやってきた。

 

死徒は指でツンツンと、妾を突つく。

そんな死徒を拒絶すると、その指は妾の身を擦り抜けた。

そうして妾に触れぬようになると、死徒は話しかけてくる。

 

「こんにちは、カリバーンさん」

『まだ妾は名乗っておらぬし、シロウから聞いてもおらぬだろう』

 

「やだー、カリバーンさんは有名だから一目で分かっちゃうよ」

『そんな訳あるかー!』

 

妾のことを誰から聞いた?

一度海に落ちた妾の存在を知っている者は限られる。

タイガー先生か、間桐の妹後輩か。間桐が怪しいのぅ。

 

 

 

翌朝、妹後輩が訪れる。

その後、タイガー先生も家にやってきた。

そこへ死徒が登場したので一騒動あったものの、大した事は起こっていない。

 

シロウは学校へ行く。

日光に当たると体が崩壊するので、死徒は家で留守番だ。

我が家のようにゴロゴロしている死徒は放置し、妾は感知域でシロウを感じ取る。

 

学校には結界があった。

発動すると、中にいる人々を溶かす結界だ。

シロウは何か変だと思ったらしく、ハテナマークを浮かべていた。

 

シロウは結界があると気付いていない。

しかし、世界の異常を感じ取る感覚は失われていなかった。

それでも「魔術に関わる異常」とシロウは勘付き、わざわざ原因を探る事はない。

 

そして放課後になった。

間桐の兄に頼まれたシロウは、弓道場の裏へ来ていたる。

間桐の兄はライダーを使役しているはずだ。これは罠だろう。

 

やっぱり罠だった。

シロウはライダーに首を掴まれる。

体を持ち上げられ、宙吊りにされていた。

 

チャンス!

 

 じゃなくてピンチ!

 

妾はシロウに思念を送る。

今こそ妾を呼ぶのだ! 呼ばねば死ぬぞ!

シロウが妾を抜く気になれば、空間を飛んで行けるに違いない。

 

「来い、カリバ——」

 

妾は空間を飛び越えた。

ん? この展開は見た覚えがあるのぅ。

妾がシロウの下へ出現すると、シロウの首は千切られていた。

 

シロウの体が地面に落ちる。

妾は握られる事なく、シロウの手から零れ落ちた。

そうだった。この場面でシロウが助けを呼ぶと、ライダーに殺されるのだった。

 

「おい、ライダー。なんだよ、それ」

「さあ、なんでしょう。この時代に不適当な、強い神秘を宿しているようですね」

 

「なんだ。じゃあ、衛宮は魔術師だったのか。ははっ、宝の持ち腐れだな!」

 

間桐の兄だ。

シロウの首なし死体に近付くと、足で蹴る。

すると傷口から零れ落ちた血で、間桐の兄の靴が汚れた。

 

「くそっ、汚れたじゃないか! くそ! くそ! くそ!」

 

間桐の兄は、シロウの死体を何度も蹴る。

その後、妾を拾い上げようとしたものの掴めない。

それで更に不機嫌になった間桐の兄は、ライダーに命じて妾の下に穴を掘って埋めた。

 

Dead End

 

 

チャンス!

 

 じゃなくてピンチ!

 

妾はシロウに思念を送る。

今こそ妾を呼ぶのだ! 呼ばねば死ぬぞ!

シロウが妾を抜く気になれば、空間を飛んで行けるに違いない。

 

 カリバーンを喚ぶ

→カリバーンを喚ばない

 

しかしシロウは妾を呼ばなかった。

ええい、強情な奴め! これでも魔術に関わらぬつもりか!

ライダーの牙が、シロウの首に迫る。血を吸われるだけで死ぬ事はないだろう。

 

それを防いだのは一本の矢だった。

シロウを手放したライダーは、矢の進行方向に回り込む。

標的となっていた間桐の兄の前に立ち、矢を叩き落とした。

 

「あんた、シンジ!」

「ふん、遠坂か」

 

シロウを助けたのは、昨日の魔術師とアーチャーだ。

ライダーを使役していたのは間桐の兄と、魔術師は言い争う。

その話が終わると間桐の兄は立ち去り、魔術師はシロウに近付いた。

 

「あっ、あの、遠坂さん?」

「ごめんなさいね、衛宮くん」

 

そう言って魔術師は、シロウの意識を奪う。

昨日と同じように、魔術に関する記憶を隠した。

目覚めたシロウは、何事もなかったかのように帰宅する。

 

『シロウ、また記憶を弄られておるぞ』

「なんで、そんな事、お前に分かるんだよ」

 

『御主の通う学校は、妾の感知域内だ』

「……記憶を消されたのは、いつだ?」

 

『弓道場の裏へ行った時だ。信じられぬのならば、死徒に解いてもらえば良い』

「いや、止めておく。魔術に関わる事なんて、わざわざ思い出さなくても良いだろ」

 

それほど嫌か。

ちょっとした選択ミスで死ぬ事もあるのだがのぅ。

魔術と関わらないという約束を、シロウは死んでも守るつもりらしい。

 

 

 

太陽が沈み、夜になった。

サーヴァントの接近を妾は感じ取る。

マスターの容姿から察するに、キリツグの娘だろう。

 

ドアホンが鳴る。

キリツグの娘は迷わず、この家に直行してきた。

そうか。アインツベルンから、妾の情報が漏れているという可能性もあったな。

 

「こんばんは、お兄ちゃん」

「こんばんは。こんな夜遅くに、どうしたんだ?」

 

知り合いという訳ではない。

とつぜん訪ねて来た少女に、シロウは何事かと聞いている。

もちろんキリツグの娘という事をシロウは知らぬ。教えておらぬからな。

 

「令呪は無いみたいだし、ちょっと残念だなぁ。お兄ちゃんのサーヴァントをグチャグチャにしてあげたかったのに……もういいよ、やっちゃってバーサーカー」

 

「■■■■■■■■■!!」

 

娘の合図に応じて、怪物が姿を現す。

バーサーカーのクラスを与えられたサーヴァントだ。

人と思えないほど大きな腕は、空気を唸らせつつシロウへ振り下ろされる。

 

常人のシロウは動けない。

回避する以前に、反応すら出来なかった。

バーサーカーの腕はシロウに直撃し、全身の骨を粉砕する。

 

「安心して、お兄ちゃん——すぐには殺さないから」

 

娘は魔術を用いて、シロウを延命させる。

下半身が失われた状態にも関わらず、シロウの生命は維持された。

そんな状態のシロウをバーサーカーに持たせ、キリツグの娘は去って行く。

 

あれは人形化ENDに違いない。

家主が居なくなり、死徒も何処かへ去って行った。

その後、後始末に来た教会の者達によって、妾は回収される。

 

Bad End

 

 

「令呪は無いみたいだし、ちょっと残念だなぁ。お兄ちゃんのサーヴァントをグチャグチャにしてあげたかったのに……もういいよ、やっちゃってバーサーカー」

 

「■■■■■■■■■!!」

 

娘の合図に応じて、怪物が姿を現す。

バーサーカーのクラスを与えられたサーヴァントだ。

人と思えないほど大きな腕は、空気を唸らせつつシロウへ振り下ろされる。

 

 全力で回避する

→助けを呼ぶ

 

「さつき……!」

 

常人のシロウは動けない。

回避する以前に、反応すら出来なかった。

しかし、そんなシロウの体が、後ろへ引っ張られる。

 

昨日から泊まっている死徒だ。

死徒のおかげで、シロウの命は助かった。

とは言っても、避け損ねた両足は潰されている。

 

「■■■■■■■■■!!」

 

間もなく二撃目が来た。

ただのパンチが、必殺に相当する。

すると死徒はシロウを手放し、後方へ飛び退いた。

 

「ごめん! 無理!」

 

おい。

もうちょっと頑張らぬか。

死徒は諦めて、逃げるつもりのようだ。

 

バーサーカーの腕が、シロウに直撃する。

床を打ち貫く轟音と共に、シロウの下半身は潰された。

その衝撃で神経が狂ったらしく、シロウの上半身はビクビクと震えている。

 

「安心して、お兄ちゃん——すぐには殺さないから」

 

娘は魔術を用いて、シロウを延命させる。

下半身が失われた状態にも関わらず、シロウの生命は維持された。

そんな状態のシロウをバーサーカーに持たせ、キリツグの娘は去って行く。

 

あれは人形化ENDに違いない。

家主が居なくなり、死徒も戻って来なかった。

その後、後始末に来た教会の者達によって、妾は回収される。

 

Bad End

 

 

 

「令呪は無いみたいだし、ちょっと残念だなぁ。お兄ちゃんのサーヴァントをグチャグチャにしてあげたかったのに……もういいよ、やっちゃってバーサーカー」

 

「■■■■■■■■■!!」

 

 全力で回避する

 助けを呼ぶ

→話を聞く

 

「何が何だか訳が分からない……!」

 

そう言うと、バーサーカーの腕は消えた。

霊体化したバーサーカーの腕は、シロウの体を擦り抜ける。

突然の出来事に一番驚いたのはシロウだった。固まったまま動かない。

 

「そうだね。なにも知らないみたいだし、ちょっとは説明してあげてもいいよ」

 

これはチャンスだ。

しかし、シロウは固まったまま動かない。

なので妾はシロウに思念を送り、発言を促した。

 

『君は誰だ。君は誰だ。君は誰だ』

 

「君は誰だ」

「あっ、いけない。そう言えば自己紹介が、まだ済んでなかったよね。私の名前はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン、お兄ちゃんはイリヤって呼んでもいいよ」

 

『イリヤは可愛いね。イリヤは可愛いね。イリヤは可愛いね』

 

「イリヤは可愛いね」

「あら、ありがと。シロウも格好いいわよ」

 

本当に言いおった。

しかし、今の言葉でシロウは復活したらしい。

「なんでさ」と言ってシロウは、自分の発言に慌てる。

 

「もう、いいよね。じゃあ、死んで」

 

娘は会話を断ち切った。

再びバーサーカーが、シロウの前に出現する。

気を持ち直したシロウは、再びパニックに陥った。

 

「待ってもらおうか。そこの御仁は、私と関わりがあるらしい」

 

娘の背後に、アーサーがいた。

娘は気付いていたらしく、驚いていない様子だ。

こっそり様子を探っていた死徒がアーサーに反応した。

 

「セイバーさん!」

 

死徒はアーサーを、クラス名で呼ぶ。

そういえばモードレッドは名前で呼んでいたな。

死徒にとってのセイバーは、アーサーの事だったか。

 

死徒の登場する『月姫』に、アーサーは関わったのか。

死徒はアーサーから聞いたから、妾の事を知っていたのだろう。

つまりセイバーによって死徒は、シロウの下へ送り込まれた事になる。

 

「あなた、セイバーなの?」

「いかにも。私はセイバーだ」

 

「ふぅん」

 

娘はシロウを見る。

その次に、奥にいる死徒を見た。

死徒の体には、まだ令呪が残っている。

 

「お客さんみたいだし、私は帰るね。それと、お兄ちゃん。このままだと死んじゃうよ?」

 

そう言って娘は帰って行った。

代わりにアーサーが、シロウの家に上がる。

シロウは助けてもらった事もあって、アーサーの訪問を断らなかった。

 

「さつき、モードレッドは如何した?」

「ランサーと相撃ちになっちゃった」

 

「モードレッドめ……手を抜いたな」

「えー、そうなの?」

 

シロウは菓子を出し、

アーサーは娘と会話を終えた。

するとアーサーはシロウに向き直る。

 

「貴公はバーサーカーのマスターに狙われているようだ。サーヴァントにはサーヴァントでしか対抗できない。貴公さえ良ければ、私が護衛しよう」

「……いえ、止めておきます」

 

シロウは断る。

魔術と関わるくらいならば死んだ方がマシと思っているのか。

それとも、すでに魔術と関わってしまった事を受け入れ、死を受け入れているのか。

 

「貴公は命を惜しいと思わないのか?」

「ある人と約束したんです。魔術とは関わらない、と」

 

「なんと、非情なものだ。魔術と関わるくらいならば死ねと、その者は貴公に命じたのか」

「それは違う! 爺さんは……『普通に生きて欲しい』って俺に言ったんです。だから——」

 

「生きるために魔術と関わらない事と、魔術と関わらないために死ぬ事は、違う。その者は第一に、貴公が生きる事を願っていたのではないか?」

 

アーサーに指摘されて、シロウは苦しんでいる。

悩むのではなく、苦しんでいた。ならば答えは出ているのだろう。

しかし、アーサーの言葉をシロウは肯定できない。自分が生きる事を認められなかった。

 

「貴公の事情も知らぬのに、余計な口を出してしまった。私達は、これで失礼しよう。さつきを匿ってくれた事に感謝する。さつき、行くぞ」

「はい! じゃーね、シロウくん」

 

アーサーと死徒は出て行った。

そうしてシロウの生活に平穏が戻る。

しかし、学校に張られた害意ある結界は解かれていない。

 

『シロウ、御主に言っておく事がある。御主の通う建物には現在、発動すれば内部にいる者を溶かす結界が張られているぞ』

「そうか」

 

シロウの反応は薄い。

次の日シロウは、いつものように学校へ通う。

いつ発動するか分からない結界の中で、いつものように過ごしていた。

 

このシロウも壊れているのぅ。

鋼のように固い意志がある訳ではない。

自分が死んでも良いと、シロウは思っている所があった。

 

そして3日後、学校の結界が発動した。

世界が血のように赤く染まり、シロウも意識不明に陥る。

犯人である間桐兄のライダーと交戦するのは、魔術師の従えるアーチャーだ。

 

そこへ乱入する者がいた。

黒い鎧を着け、目をバイザーで覆い、高密度の魔力を放つアーサーだ。

逃走を試みたライダーに対して、アーサーはエクスカリバーを打っ放した。

 

黒い輝きを放つ斬撃が校舎を割る。

校舎だけに留まらず、市街地にも被害は及んだ。

ライダーと間桐兄は消し飛んだものの、これは後始末が大変そうだ。

 

ライダーが脱落したか。残るサーヴァントは4騎だ。

アーチャー、バーサーカー、キャスター、アサシンとなった。

それにアーサーも含むべきか。あれは汚染された大聖杯の影響を受けているに違いない。

 

アーサーは派手に街を破壊した。

その行為に対して、魔術師は文句を言いたそうだ。

しかし口を閉じて、強過ぎるアーサーの動きを警戒していた。

 

発動した結界の影響で、学校は混乱に陥っている

そんな中アーサーは、シロウを発見すると家へ連れ帰った。

しかしシロウよ、これはマスターと勘違いされるのではないか?

 

「カリバーンを持っていれば何とか出来ただろうに、貴公は強情だな」

 

アーサーは、そう言う。

その夜、妾を持ってシロウは外出した。

ただしシロウの意思ではなく、魔術によってキャスターに操られている。

 

妾が干渉すれば、魔術は解けるだろう。

しかし、シロウの歩みを妾は止められなかった。いいや、止めなかった。

たとえ危険が及ぶと分かっていても、もっとシロウに触れられていたかった。

 

シロウは階段を登り、寺を訪れる。

そこはキャスターの拠点と化していた。敵を迎え撃つ陣地だ。

操られているシロウは妾を、キャスターの手に渡そうとしている。

 

今すぐシロウを正気に戻すべきか?

いいや、ここで戻してもシロウは妾を抜かぬだろう。

チャンスを待つべきだ。どうやらキャスターは何かを待っているらしい。

 

しばらくするとアーサーが、死徒と共に訪れた。

これには驚いた。わざわざシロウを助けるために来たのか?

と思ったら、さっそくアーサーは寺に向かって、エクスカリバーを打っ放した。

 

それによって門番のアサシンは消滅する。

しかし、キャスターの結界によって、黒く輝く斬撃は防がれた。

あと数回エクスカリバーを放たなければ、結界を破壊出来ない事をアーサーは察する。

 

派手な宝具の使用によって、

他のサーヴァントも集まってくるだろう。

アーサーと死徒は結界の破壊を諦め、正面から寺へ侵入した。

 

「まさか本当に来るなんて思わなかったわ。そんなに、これが大事なのかしら?」

 

「カリバーンは私にとって、すでに過去の物だ」

「シロウくんは渡さないよ!」

 

おい、言ってる事が違うではないか。

アーサーと死徒で優先する物が違うのだろう。

アーサーの目的は妾で、死徒の目的はシロウだ。

 

さっそくキャスターは、

魔術を用いて2人の動きを止める。

アーサーの止まった一瞬の隙に、宝具をアーサーに突き刺した。

 

発動すると魔術効果を無効化する宝具だ。

それによってアーサーは、汚染された大聖杯から切り離された。

するとアーサーは苦しみ始め、黒く染まっていた鎧が、白く塗り替えられて行く。

 

「セイバーさん!?」

「逃げてください……さつき!」

 

口調の変わったアーサーが、死徒に剣を振るう。

おそらくキャスターが、アーサーのマスターに改変されたのだろう。

死徒としての身体能力や、アーサーが抵抗している事もあって、回避に成功していた。

 

しかし、キャスターに妨害される。

時を止められたかのように、死徒は動きを止めた。

キャスターの支配下にあるアーサーの剣が、死徒に迫る。

 

「きゃあ!」

 

死徒が悲鳴を上げる。

しかし、首を切り落とされる前に爆音が鳴り響いた。

アーチャーだ。アーチャーの放った矢が、アーサーの目前で爆発した。

 

それに死徒も巻き込まれる。

爆発によって腹部を大きく抉られた。

まあ死徒が、あの程度で死ぬ事はないだろう。

 

乱入したアーチャーとアーサーが戦いを始める。

ふむ、もはやアーサーはセイバーと呼んだ方が良いだろう。

腹部を抉られた死徒に構う者はなく、止めも刺される事なく放置されていた。

 

そこへ、さらにバーサーカーが現れる。

なぜ、これほどサーヴァントが集まって来るのだ?

と思ったものの、セイバーが派手に宝具を打っ放したせいだろう。

 

集合した4騎のサーヴァントは乱戦に陥っている。

今が逃げ時だと察した妾は、キャスターを拒絶する。

するとキャスターの手から妾は落ちて、地面に転がった。

 

妾はシロウに干渉して魔術を解く。

しかし、目覚めたシロウは何が起こっているのか理解できない様子だ。

まずはシロウに妾を拾わせる。キャスターは妾に構っている暇はないだろう。

 

『シロウよ、逃げるぞ。まずは林の中に身を隠すのだ』

 

妾が指示をすると、大人しくシロウは従う。

おそらく、妾の指示に意味も分からず従っているのだろう。

しかし、腹部を抉られて倒れている死徒を発見すると、その方へ向かった。

 

「なんで、こんな事に……!」

 

そう言ってシロウは死徒を背負う。

見た目が少女の死徒を、放って置けなかったのだろう。

そしてサーヴァントの攻撃が飛び交う中を、必死の思いで走り抜けて行く。

 

「シロウくん……ごめんね」

「さつきのせいじゃない……!」

 

死徒が謝っているのは、そういう意味ではない。

足場の悪い山を下るシロウの首筋に、死徒は噛み付いた。

悲鳴を上げたシロウは倒れるものの、死徒は噛み付いたまま離れない。

 

シロウの血液を夢中で吸っている。

それに応じて、大きく抉られた腹部は急速に修復された。

おそらく大怪我を負った事で、吸血衝動を我慢できなくなっているのだろう。

 

『死徒よ、シロウを殺すつもりか?』

「……あっ! いけない! セイバーさんに怒られちゃう」

 

幸い、シロウを殺す前に正気に戻ってくれた。

妾と気絶しているシロウを抱えて、死徒は山を下りる。

一方、サーヴァント同士の乱戦は、キャスターの逃走によって終結していた。

 

残るはサーヴァントは4騎だ。

アーチャー、バーサーカー、キャスター、セイバーとなった。

それから3日間シロウは眠り続け、次に目覚めた時、シロウはグールと化していた。



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【あらすじ】
死徒の少女がやってきて、
セイバーはキャスターに奪われ、
シロウはグールになりました。


シロウは死徒に血を吸われた。

とは言っても、血を吸われただけで死者になる事はない。

正気を失ってシロウの血を吸った際に、死徒が血を送り込んだのだろう。

 

「食べ物を取ってくるから、大人しくしててね」

「あー、うー」

 

死者となったシロウに、人間並みの知能はない。

しかし親である死徒の命令に、死者が逆らう事はなかった。

隠れ潜む場所を移しながら、死者となったシロウは密かに飼育されている。

 

聖杯戦争を放り出して何をやっているのやら。

セイバーを奪われたと言うのに、"エサ"を喜々としてシロウに与えている。

聖杯戦争の戦場となっている土地を離れないという事は、まだ諦めてはいないのかのぅ。

 

「はい、あーん」

「モグモグ……ムシャムシャ……」

 

それにしても血液パックもとい、輸血パックではダメなのか?

死徒は人間を丸ごと獲ってきて、死者であるシロウに与えている。

ずいぶんとシロウの飼育に熱心だ。いいや、子を育てる養育というべきか。

 

しかし、いかんな。

死徒に血を送り込まれた事で、シロウの魂が変質しつつある。

このままでは未来のシロウのように、妾を握る資格がなくなるかも知れぬ。

 

むぅ……干渉するか。

シロウは1500年ぶりの使い手だ。

妾は自力で動けぬ故、次の使い手が何時みつかるか分からぬ。

 

そういう訳で妾は、シロウに干渉した。

なんとなく感覚的に、妾に合う方向へ魂の変質を調整する。

その影響で肉体の変質に大きな変化が現れ、シロウは3日で知能を取り戻した。

 

まあ、シロウの親である死徒は、

半日で知能を取り戻した超人なのじゃがのぅ。

通常ならば知能を取り戻すまで数年かかるため、シロウも優秀な方だ。

 

「シロウくんは私の子なんだから、私の命令は絶対なんだよ!」

「なんでさ」

 

死徒は「えっへん」と胸を張る。

いつの間にか人間じゃなくなった事に、シロウはビックリだ。

これで「魔術に関わって欲しくない」というキリツグの遺言は破られた。

 

「どうしてオレを化け物なんかにしたんだよ……!」

「ごめんね、シロウくん。お腹の傷が大きくて、吸血衝動を抑えきれなかったの」

 

さっきも言ったが、血を吸われただけで死者になる事はない。

シロウから血を吸った後に、死徒が血を送り込んだから死者になった。

喜々として死者となったシロウの世話をしていた事から、わざとに違いない。

 

まあ、妾にとっては都合が良い。

何を考えているのか分からぬが、ここは死徒の思惑に便乗するとしよう。

わざと死徒が血を送り込んだ件については、いつでも妾の札として使えるからのぅ。

 

『シロウよ。そもそもキャスターに誘拐された御主を助けるために、セイバーもといアーサーは奪われ、死徒も大怪我を負ったのだ。それにシロウが血を吸われたのは、さつきが大怪我による吸血衝動によって自意識を失っていた間の事だ。シロウを傷付ける意図のなかったさつきを責めるべきではない』

 

「そっか……そうだな……悪いな、さつき。ちょっと混乱してた。助けにきてくれて、ありがとう」

「うん。じゃあ、シロウくん。カリバーンさんと一緒に、セイバーさんを取り戻しに行こっか」

 

「カリバーンと……?」

『なにか問題でもあるのか、シロウよ。もはや人としての御主は死んだ。キリツグと交わした"カリバーンを抜いてはいけない"という誓いも意味をなさぬだろう? そもそもシロウが妾を抜き、人ではなくなる事をキリツグは恐れていたのだ。今となっては、その心配はない』

 

「オレが、おまえを、抜けってことか……」

『そうだ。このブリテンの王を選定する剣である妾を、御主が抜くのだ』

 

「ブリテンの王なんて言われてもな……」

『妾が選んだのだから、御主で間違いない』

 

「そもそも今の世の中に、ブリテンの王なんて必要なのか?」

『政治を担わずとも良いさ。ブリテンを繁栄へ導く方法は御主次第だ』

 

「でもさぁ……死んだ人間が王になるなんて、おかしいだろ?」

『むぅ……シロウよ。ちょっと、さつきに妾を持たせてくれ。話をしたい』

 

「おう、いいぞ」

 

『さつきよ、さっさと話を進めぬか?』

「うん。じゃあ、シロウくん。カリバーンさんを抜いて」

 

「……え!? なんだ、これ!? さつきの言葉に逆らえない!?」

「あはは、だから言ったでしょ? 私の命令は絶対なんだよ!」

 

シロウが無駄な抵抗を続けるので、死徒に命令してもらった。

親である死徒の命令に逆らえないシロウは、黄金の剣である妾を手に取る。

シロウの意思とは言い難いものの、ようやくシロウは妾の"使い手"となった。

 

『不老の加護を御主に与える。これによって肉体の劣化は止まり、吸血衝動も無くなるだろう』

 

「それは助かるな。人の血なんて吸いたくないし」

「えー。シロウくん、ずるーい」

 

『うむ、この程度の特典は無ければな……ただし不死ではない。大怪我を負えばさつきのように、肉体を修復するために血液を補給する必要が出てくるぞ』

 

シロウの身にエクスカリバーの鞘はない。

アーサーの召還に用いられたのは妾だからのぅ。

「傷を受けない」と云われる鞘の代わりに、剣である妾が用いられた。

 

……はて?

そういえば、なぜアインツベルンは鞘を用いて召還しなかったのか。

鞘の縁による円卓の騎士ではなく、確実にアーサーを召還したかったのかも知れぬな。

 

 

さて、セイバーを取り戻しに行こうか。

なぁに、シロウが妾を持ち、力を振るえば容易いことよ。

なんて思っていた妾の感知域は、こちらに向かって高速で飛来する物体を捉えた。

 

槍か? 剣か?

いいや、これは矢か。

何らかの攻撃に違いない。

 

シロウと妾を繋げる。

広大な妾の感知域を、シロウと共有した。

しかし、シロウに妾を振らせても間に合わない。

 

なのでシロウの肉体を操る。

壁の向こうから迫る矢を捉え、シロウの体で妾を振った。

すると高速で飛来する矢の空間ではなく、矢自体に斬撃が発生する。

 

「なんだ!? 体が勝手に動いた!? 今のはカリバーンなのか?」

『うむ、おそらく敵襲だ。妾の感知域の外から攻撃するとは、アーチャーか』

 

「人の話を聞けよ!?」

 

さすがエミヤもといアーチャーさん。

妾の感知域に入っていれば、一振りで両断してやったものを。

アーチャーは剣類に対する解析眼があるから、妾の能力は見抜かれているか。

 

妾に斬られた矢は壊れ、爆散した。

さて、マスターは宝石魔術師のままか、それともキャスターに奪われたか。

キャスターならば襲撃の理由を察するのは容易い。宝石魔術師ならば原因は……死徒か。

 

ずいぶんと人を連れ去ったようだからのぅ。

それらは全て、死者であったシロウの腹の中だ。

それが土地の管理者である宝石魔術師の怒りを買ったか。

 

理由は何であれ、協力は望めない。

優先して排除するべきはキャスターか、アーチャーか。

妾の能力を知るアーチャーが、キャスターと繋がっているか否かで難易度は激変する。

 

「まずはセイバーさんを助けに行こう!」

「でも、キャスターと戦っている時を、アーチャーに狙われたら大変じゃないか?」

 

「セイバーさんを助ければ、きっと何とかなるよ!」

「え? いや、なに言って……」

 

死徒にとってセイバーが心の支えか。

セイバーの制御下から離れた事で、血に狂いつつある。

『月姫』の主人公である殺人貴は、死徒となった弓塚さつきを殺せなかったようだ。

 

妾の力を用いれば、吸血衝動のみを壊す事もできる。

一時的に吸血衝動を抑える必要のなくなった死徒は、パワーアップするはずだ。

妾としては聖杯戦争なんぞ放っておいて……ん? そういえば大聖杯なんて物もあった。

 

大聖杯を、ぶっこわすか。

大聖杯が壊れればサーヴァントは消滅する。

大聖杯からの補助が無くなれば、サーヴァントの維持は困難だ。

 

ただし宝石魔術師は、宝石を用いて維持できる。

シロウを蘇生させた時に秘蔵の宝石を使用したものの、

アーチャーの用いる投影魔術の魔力消費が少ない事を考えると、影響は少ないか。

 

『死徒よ。この聖杯戦争を強制終了させる方法があるのだが、試してみぬか?』

「私達やセイバーさんに、どんな影響があるの?」

 

『大聖杯を破壊する。サーヴァントの現界に必要な魔力は、大聖杯によって補助されている。この大聖杯を破壊すれば、マスターやサーヴァントを、ほぼ戦闘不能に陥れる事ができる。マスターでもサーヴァントでもない御主等に影響はないな』

「それってセイバーさんは大丈夫なの?」

 

『さてな』

 

ちっ、当然のように気付いたか。

セイバーは大聖杯と繋がっていた。おそらく、あれは受肉とは異なる。

心臓を大聖杯の中身で補った神父のようなものだ。その繋がりをキャスターに断たれた。

 

大聖杯を破壊すればセイバーは消滅する。

それを死徒は認められず、子であるシロウは死徒に逆らえない。

そういう訳でアーチャーに狙われている不安を抱えたまま、キャスターの下へ向かった。

 

 

我等は山寺へ向かう、

しかし、その道中で待ち伏せを受けた。

四方八方から魔力の塊や、刀剣が降り注ぐ。

 

おまけに死徒とシロウは動けない。

キャスターの仕業であろう。空間が固定されていた。

妾の感知域の外から攻撃されている。やはりキャスターとアーチャーは組んでいるな。

 

ここでシロウを失うのは惜しい。

なので妾は、固定された空間に干渉して解除した。

魔力弾や刀剣に照準を合わせ、いつでも斬れる状態にする。

 

妾は剣であるが故に、

斬るか否かはシロウが決めねばならぬ。

妾とシロウは繋がっているため、照準はシロウも知覚している。

 

『妾を振れ、シロウよ!』

「うわああああ!?」

 

シロウは悲鳴を上げ、妾を振るう。

やれやれ、もっと格好は付かなかったものか。

そんな有様でも妾は振られた。照準を定められた全ての物を、一斉に断つ。

 

『うむ、良いだろう。困った時は妾を振れば、どうにかなるぞ!』

 

死徒の周りの空間が歪む。

キャスターによる空間転移か。

それも一振りで破壊して、死徒の誘拐を防いだ。

 

「お前って。すごい剣だったんだな……」

『ふふん、エクスカリバーとは違うのだよ。真っ直ぐ進むしか脳のないエクスリバーとはな!』

 

さすがにキャスターも山寺の外で、

強制転移を無条件で発動させる事はできない。

こっそりと設置されていた魔力糸を砕き、罠の数々を砕いた。

 

しかし、これでは防戦一方ではないか。

潜んでいる場所の分からぬキャスターと戦うのは不利だ。

この場でキャスターと戦う上手い方法は思い付かぬ。アーチャーも居るしのぅ。

 

『キャスターの本拠地である山寺を破壊するべきだろう。そうすればキャスターが山寺に蓄えている魔力は無くなる』

 

キャスターは動き回るものの、

キャスターの神殿である山寺は動き回れん。

あそこには全7騎のサーヴァントを維持できるほどの、魔力の蓄えがあるはずだ。

 

「山寺って……あそこは知り合いの家だ。それに、中に人も居るかも知れない」

『そうか。では山寺を傷付けぬよう、魔術的な物に限って壊せば良い』

 

ふむ、一般人か。

住んでいる人間の事など、気に留めていなかった。

まあ妾が気付かずとも、山寺の結界を壊す際にシロウが気付いていただろう。

 

『ふふふ、それは良い事を聞いたわ』

 

なに!? キャスターか!?

しかし妾の感知域にサーヴァントの反応はない。

これは声だけを届けているのか……しかし、どうやって?

 

『人質を殺されたくなければ、そこで足を止める事ね』

 

そうか、分かった。

近くにスピーカーがある訳でも、使い魔を通して喋っている訳でもない。

遠くから発せられた音波が重なって、ここにキャスターの声を作り出していた。

 

妾の感知を擦り抜けている。

この短時間で妾の欠点を探り当てたか。

キャスターめ、侮れんな。妾であれば人質なんぞ無視するのだが……。

 

「行こう、シロウくん!」

「待てよ、さつき!」

 

死徒も人質を無視しおった。

その言葉に子であるシロウは逆らえない。

死徒にとっては寺の人間など、どうでも良いものだ。

 

『セイバーを自害させても良いのよ? どうせ最後に残るのは私一人なのだから』

 

サーヴァントであるセイバーが人質か。

これはシロウと死徒を、大きく買ってもらったものだ。

その言葉は死徒に効果があったらしく、シロウと共に足を止めた。

 

面倒だな。

セイバーを無視すれば良いものを。

それにしても「勝つのは私一人」ではなく「最後に残るのは私一人」か。

 

文字通りの聖杯ではなく、

聖杯戦争の"聖杯"が英霊の魂で満たされる物だと気付いているのか?

しかしキャスターは本来、聖杯戦争のシステムについて詳しく知らないはずだ。

 

聖杯戦争を監督する教会に手を伸ばしている……か?

教会にいるはずの言峰神父もギルガメッシュも、この世界には居らぬ。

言峰神父は前回の聖杯戦争で死んでいるし、召還されたのはモードレッドだ。

 

教会か。

キャスターの目的は聖杯の確保だ。

バーサーカーのマスターであるホムンクルスの中に、聖杯があると知っているのか?

 

死徒によってシロウが行動不能になった時は、

セイバー、キャスター、アーチャー、バーサーカーが残っていた。

セイバーはキャスターの支配下に置かれ、アーチャーもキャスターに組している。

 

宝石魔術師からキャスターへ、アーチャーは寝返ったのか?

もはやキャスターの一人勝ち状態になっていても不思議ではない。

ついでに言うと聖杯の汚れは、キャスターならば除去し、正常に使用できる。

 

『いつの間にやら、すべて終わっていたのかも知れぬな』

「どうしたんだよ、カリバーン。なにが終わってたって?」

 

『聖杯戦争がな』

 

これは時間稼ぎだ。

おそらく今頃アーチャーは、キャスターを裏切っている。

先に裏切らなければ、キャスターによって自害させられるだろうからな。

 

さて、聖杯を手に入れた者は誰か。

キャスターならば良い。しかし、アーチャーは不味い。

聖杯を手に入れたアーチャーが願う事と言えば、衛宮士郎の抹殺に違いない。

 

『どうやら我等はキャスターに謀られたらしい。シロウ、空を見よ』

「おい、カリバーン。なんだよ、アレ?」

 

『"根源"へ繋がる穴だ』

 

空に黒い穴が開く。勝ち残ったのはアーチャーか。

あの穴が開いたという事は、何者かが聖杯に願ったという事だ。

キャスターならば聖杯が汚染されたまま、不用意に穴を開く事はないだろう。

 

サーヴァントの魂は、小聖杯に蓄えられる。

しかし蓄えられているサーヴァントの魂は、それだけでは役に立たない。

聖杯に蓄えられている魂や魔力を用いても、受肉や死者蘇生には足りぬだろう。

 

サーヴァントの魂は、小聖杯から大聖杯へ。

山寺のある山の中に隠されている大聖杯から"根源"へ戻る。

その時に開いた"根源へ繋がる穴"から力を引き出し、願いを叶えるのだ。

 

しかし大聖杯は汚染されている。

小聖杯に願えば、それは破壊という過程を通って叶えられる。

おまけに"根源へ繋がる穴"から引き出された力であるが故に、抑止力が働かない。

 

『根源へ繋がる穴が開いたという事は、すでにセイバーは死んでいる。とりあえず。あんな物が頭上にあると面倒だ。破壊するぞ』

「破壊って……できるのか?」

 

『シロウよ、御主は何だと思っているのだ。この妾に斬れぬ物などない!』

 

シロウが妾を振る。

それだけで、空に開いた穴は破壊された。

たとえ不定形であろうと概念であろうと、妾の照準から逃れる事はできない。

 

「おい、カリバーン。穴が広がってないか?」

『……うむ』

 

穴というか、空間が裂けた。

例えて言うなら、門を打っ壊したせいで開きっ放しになった状態か。

なんでも斬れば済むという物ではないな……妾に出来るのは斬る事だけで、直せない。

 

空に開いた穴が割れる。

そこから黒い液体が漏れ出した、

見ただけで危険な物と分かる、"この世全ての悪"だ。

 

『逃げよ、シロウ! あれに触れれば、キリツグのように呪われるぞ!』

「オヤジが!? いや、それより、どうにか出来ないのか!?」

 

『大聖杯を破壊すれば何とかなるかも知れぬが……確実とは言えぬ』

「その大聖杯って、どこにあるんだ!?」

 

『山寺の下だ』

 

死徒とシロウは走り出す。

その背後で黒い液体が降り注ぎ、周囲の建物を侵していた。

シロウは妾を振り、黒い液体を斬り裂く。しかし、空から溢れる液体は止まらない。

 

大聖杯が妾の感知域に入った。

地下の大聖杯に妾は照準を合わせる。

しばらくシロウが走れば、大聖杯の全てに照準が合った。

 

『大聖杯を捉えた。良いぞ、シロウ』

「行くぞ、カリバァァァァァァン!」

 

おお、なんか必殺技っぽい。

シロウが妾を振れば、地下の大聖杯が破壊される。

サーヴァントを維持するために蓄えられていた魔力ごと、断ち切った。

 

さて、黒い液体は……。

……うむ、空間からの流出が止まらんな。

やはりダメだったか。穴を壊したのが不味かったな。

 

「ダメじゃないか!?」

『確実とは言えぬ、と妾は言ったであろう』

 

しかし大聖杯は壊した。

根源との繋がりが消えたため、穴は塞がるはずだ。

塞がらないとなれば、抑止力さんが働いてくれるに違いない。

 

もっとも抑止力が英霊を用いる事は稀だ。

多くの場合は人の行動を後押し、人に認識される事なく役目を終える。

それは人の抑止力で、星の抑止力が仕事をすると大陸ごと消えたりするからのぅ。

 

「なあ、カリバーン。あの黒い物、オレたちの後を追いかけて来てないか?」

『残念ながら気のせいではないな。どういう訳か、我等は狙われている』

 

アーチャーが願いを叶えたのならば、目的はシロウの抹殺か。

しかし、それにしては動きが遅い。もっと早く済む、別の方法もあるだろう。

「引き寄せられている」という感じだ。山寺から離れても、それは変わらなかった。

 

『仕方あるまい。こうなれば最終手段だ。根源を破壊するぞ』

「……なあ、それって大丈夫なのか?」

 

『抑止力が仕事をせぬし、仕方あるまい。それに妾は最終手段と言った』

 

つまり最悪の方法と言う事だ。

すぐに滅ぶという事はないが、確実に星は滅びへ向かう。

それに根源さんが、大人しく破壊されてくれるとは思えなかった。

 

黒い液体を斬り飛ばし、割れた空間の下へ向かう。

やはり割れた空間が塞がる様子はない。抑止力は仕事をせぬか!

そう思っていると我等の前に、魔力が集って立ち塞がった……そういう意味じゃない。

 

『シロウ! 形になる前に斬れ!』

「分かった!」

 

シロウが妾を振り、魔力を霧散させる。

しかし再び魔力が集い、英霊を形作ろうとしていた。

サーヴァントではなく英霊だ。抑止力のバックアップを受けたガーディアンだ。

 

あれの恐ろしい所は、

抹殺対象を上回るスペックで現れる事だろう。

おまけに英霊としての意識は消され、キリングドールと化している。

 

まずいのぅ。

英霊の実体化を防ぐだけで手一杯じゃ。

おそらく実体化すると裂けた空間ではなく、我等に襲いかかってくる。

 

「シロウくん、乗って!」

 

黒い液体が迫ってくる。

それに対して死徒は、シロウを背負った。

シロウは英霊の実体化を防ぎ、シロウを乗せた死徒が戦場から逃げ出そうとする。

 

しかしなぁ……妾には射程がある。

その射程から外れれば、英霊の実体化は防げない。

だからと言って留まれば、黒い液体に飲まれるだろう。

 

どちらを選んでも死ぬ。

ならば、殺られる前に殺るしかない。

射程を伸ばす方法がない訳ではないのだ。

 

『シロウよ、妾には感知域という物がある。目も耳も無いが故に、感知域が妾の射程距離だ。しかしシロウの目は、妾よりも遠くを見通せる。シロウの目で根源を捉え、そして妾を振るえば、妾の感知域では捉えられぬ距離に存在する物も断ち切れるであろう』

「つまり?」

 

『御主の意思で根源は斬れる』

「本当かよ……」

 

実際、アーサーに使われていた時は斬れていた。

ぶっつけ本番という訳ではない。1500年前に実績のある事だ。

しかしシロウが使い手となって、まだ半日も経っていない。妾の補助抜きで、やれるか?

 

シロウは集中する。

妾は何もできず、見守る事しかできない。

感知域の共有も余計な雑念が入るのでカットした。

 

そしてシロウが妾を振る。

黄金の剣である妾を、割れた空へ向けた。

その隙間から見える暗い闇の全てを、斬り裂く。

 

 

——斬り裂いた

 

 

「やったか!?」

『待て、馬鹿者。気を抜くな』

 

その間に実体化していた英霊を斬り裂く。

残された黒い液体を斬り飛ばせば、宙に溶けて消えた。

空から漏れ出ていた黒い液体は止まっている。しかし空は割れたまま直らない。

 

とりあえず大丈夫そうだ。

根源が壊れたら、緩やかに世界は滅びる。

それでもシロウが無事なのだから構うまい。

 

「やったのか?」

「やったよ、シロウくん!」

 

「やったのか!」

「やったよ、シロウくん!」

 

楽しそうじゃのぅ。

シロウと死徒が喜んでいる。

聖杯戦争も、これで終わりだ。

 

妾にとっては大きな収穫があった。

妾に選ばれたシロウが、ブリテンの王だ。

さっそくイギリスの中にあるブリテンへ帰還せねばならぬ。

 

 

結局セイバーは死んだ。

死徒もとい弓塚さつきは歯止めがなくなり、血に狂う。

シロウは死徒としての力が足りず、弓塚さつきを止める事は出来なかった。

 

弓塚さつきによって冬木市に死者が増える。

シロウが人の血を吸わない限り、死徒は止められんな。

しかし妾によって吸血衝動を抑えられているシロウは吸血を好んでいなかった。

 

貪欲さが足りない。

これでは何時まで経っても、死徒を止められない。

正義の味方ではないシロウには、やる気が足りなかった。

 

『早くブリテンへ行くぞ。冬木市に知り合いが居るから、御主も気分は良くないだろう。セイバーの治めた土地へ行ってみようと、さつきに言ってみると良い』

「そうだな……さつきに提案してみる」

 

セイバーをエサに死徒は釣れた。

一応、生きている事になっているシロウは別れの挨拶をして回る。

間桐兄が死んでから学校を休んでいた間桐妹の下にも、別れを告げに言った。

 

「こっちも色々あって、シンジの葬式に来てやれなくてごめんな」

「いいえ、そんな……先輩も大変だったんですよね」

 

「じゃあな、サクラ。また合いにくるよ」

「はい……さようなら、先輩」

 

別れの挨拶を済ませる。

間桐邸から少し離れ、シロウは足を止めた。

まだ間桐邸は妾の感知域にある。間桐邸を移動する間桐妹の全身も感じ取れた。

 

切っ掛けは地下の蟲蔵か。

それに気付いたシロウは、間桐妹の肉体を詳しく調べる、

すると間桐妹の体のあっちこっちに、気持ちの悪い蟲が寄生していた。

 

「カリバーン、これって……」

『見ての通り、感じての通り、あの娘は蟲に寄生されている』

 

「大丈夫なのかよ?」

『大丈夫に見えるのか?』

 

「そんな訳ないだろ……!」

 

大丈夫に見えなかったらしい。

シロウは妾に巻いていた布を解く。

数万を超える数の蟲を妾が捉え、妾をシロウが振り下ろした。

 

それだけで蟲が死ぬ。

間桐妹の心臓に寄生していた蟲も死んだ。

たしか、あれは間桐の蟲爺だったか。もはや意識は残っていないと思うが。

 

『しかし、シロウよ。蟲を殺しても、その蟲を取り除いた訳ではないぞ』

「そういう事は先に言えよ!」

 

蟲を殺したショックで、間桐妹は倒れた。

それを感じ取ったシロウは、慌てて間桐邸へ戻る。

無断で侵入するとトラップが作動したため、妾を用いて破壊した。

 

間桐妹を病院へ送り届ける。

やらかしてしまったシロウは、間桐妹が目覚めるまで待っていた。

そうして目覚めた間桐妹は、シロウが蟲を殺してしまった事に気付く。

 

「ねえ、先輩。私は……これから如何すれば良いんでしょう」

 

そうしてシロウにすがった。

意訳すると、「責任とれよ!」だ。

ここぞとばかりに押し込んだ間桐妹は、シロウの事情を聞き出した。

 

「もうオレは人間じゃないんだ。だからサクラは連れて行けない」

「だったら私も、先輩と同じ化け物にしてください」

 

無理だな。

死徒に血を送り込まれれば、確実に死徒になる訳ではない。

死んでしまう者が大半で、グールとなれる者が少数で、死徒に至れる者は極めて少ない。

 

「意識のない死者でも良いんです。私は先輩の側にいたいんです!」

「無茶言うなよ、サクラ……」

 

結局、シロウはサクラを受け入れなかった。

サクラの側から逃げ出して、死徒の下へ戻る。

そうして死徒とシロウは、ブリテンへ旅立った。

 

そういえば宝石魔術師を見ないな。

生きているのならば死徒を放っておく訳が無いから、すでに死んでいるか。

ランサーのマスターは、"ルーン石の耳飾り"が蟲蔵に落ちていたから食われたのだろう。

 

 

やがて死徒とシロウは、聖堂教会に命を狙われる。

死徒は固有結界を発現させ、死徒二十七祖へ成り上がった。

その護衛としてシロウは名を上げ、ブリテンを死者の島に変える大きな助けとなる。

 

まあ、助けというか、

死徒の起こすトラブルを解決していただけだが。

まあ、魔術を使えなくなっているようだから片付けるのは簡単なものよ。

 

死者の王か。

これも一つの治世と言える。

やはり妾の選定に狂いはなかった。




おわり


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ここから番外
【転生】検体名『被虐思考』【めだかボックス】


原作名:めだかボックス
原作者:西尾維新


 ただ一度、愛されたかった。私を愛して欲しかった。女の子に私を愛して欲しかった。そう願い続けていたけれど、その願いが叶うことはなかった。願いを叶えることなく、私は死んでしまった。女の子に愛されることなく、私の人生は終わってしまった。いつか願いが叶うなんて事もなく、私は死んでしまった。いつか私を愛してくれる人が現れると思っていたけれど、そんな人はいなかった。

 私は死んでしまった。寒さで死んでしまった。灯油を買う金がなくて死んでしまった。私は凍死したんだ。窓のない暗い部屋で、誰にも知られることなく、誰にも見られることなく、私の体は凍りついた。怖い、寒くて――怖い。何よりも、ただの一度も愛される事なく死んでしまった事が怖ろしい。愛される事だけを願って生きてきたのに、その願いが叶うことはなかった。ただの一度も、愛される事はなかった。

 私の人生は無意味だった。無価値だった。愛されなければ何の意味もない。入学したことも勉強したことも就職したことも給料をもらったことも、何一つ意味がなかった。私は愛されたかった。それだけで、生きる事に意味はなかった。誰かに愛されるまで死にたくなかった。その思いだけを頼りに生きていた。愛されたのならば死んでもよかった。愛される以前の人生に意味はなく、愛された後の人生にも意味はない。ただ一度、愛されるために私は生まれた。誰かに愛されて、愛され続けたかった。

 でも、それは何よりも難しい。他人に愛されるのは難しい。私にとって、とても難しい。私は人の愛し方が分からない。どうすれば他人に愛して貰えるのか分からない。女の子に愛して貰える自分が想像できない。そもそも私は、自分が愛されるとは思っていなかった。私は出来損ないだ。優秀な家族の中で、一人だけ失敗作だった。他人に誇れる長所なんて存在しない。他人に愛される訳がない。出来損ないの私を誰かが愛してくれる訳はない。私は生きるべきではなかった……それでも誰にも愛されることなく、死んでいくのは嫌だった。だから私は生きていた。

 でも、死んでしまった。やっぱり死んでしまった。誰にも愛されることなく死んでしまった。私は失敗したんだ。だって私は失敗作だから。こんな私を誰かが愛してくれる訳がない。それでも愛して欲しかった。もしも男の子ではなく女の子として産まれていたら、私は愛して貰えたのかも知れない。女の子ならば愛して貰えたのかも知れない。だって股を開けば、女の子は簡単に愛して貰えるのだから。男の子が股を開けば変態だ。女の子というだけで価値がある。男の子がレイプすれば犯罪だけれど、女の子のレイプならば許してもらえる。むしろ女の子ならば、男の子は喜んでレイプされるに違いない。

 

 私を愛して欲しい。愛して欲しかった。私は女の子になりたかった。そう願っていた影響なのかも知れない。『私』は女の子へ産まれ変わっていた。いいや、「生」まれ変わっていた。どうやら、人生を遣り直したのではなく、全く別の人生が始まったようだ。その事に気付いたのは両親に育児放棄されて、別の病院へ移された後だった。その病院の名前は箱庭病院。この世界は「めだかボックス」らしい。

 この世界において「異常(アブノーマル)」と判断された『私』は調査を受ける。両親が育児放棄したのも『私』の持つ異常が原因とか何とか……せっかく女の子が産まれたのに、その喜びを私は奪ってしまったのか。それは悪い事をした。それで『私』の異常は何だったのかというと、「他人から愛情を奪うアブノーマル」と判定された。両親は『私』に愛情を奪われたために、『私』を愛せなくなったらしい。

 愛されたいと願ったために愛情を奪い、その結果『私』は愛されない。ひどいスキルだ。しかもスキルの発動を制御できない。『私』は周囲の人々から無差別に愛情を奪い、その結果『私』は愛されない。愛情を奪われた人々は無関心になり、まるで『私』を物のように扱う。『私』だけではなく、他の人々にも被害は及んだ。なぜならば『私』は、他人に向けられた愛情も奪い取るからだ。愛情を奪われた人々は、他人に対して無関心になる。それだけならば良かったものの、他人に対して無関心になった人々は、相手を物のように扱う。その結果、病院内で暴力事件が多発した。虐待ともいう。

 けれども『私』は満たされていた。奪った愛情を感じ取れるからだ。これは『私』らしいスキルだった。これが『私』の望んだスキルなのかも知れない。顔を殴られても腹を蹴られても、『私』は相手の愛情を感じ取れる。本当は他人が『私』を愛していると分かる。そんな他人が『私』に暴力を振るうのは、『私』が愛情を奪っているからだ。他人が暴力を振るうのは私の責任だった。ならば愛してあげなければならない。他人の愛に応えなければならない。だって愛情は、『私』が何よりも望んだ物なのだから。

 『私』はヨロヨロと立ち上がって、他人へ近付く。殴られた顔がジンジンと痛んで、目を開けていられない。蹴られた腹が痛くて、足が震えた。それでも歩みを止めてはならない。歩き続けなければならない。他人を愛さなければならない。『私』は病院服を片手で摘み、肌が見えるように持ち上げる。白いパンツと平たい胸が露わになった。『私』は他人の手に優しく触れ、『私』の下腹部へ誘導する。他人のズボンを下ろして、立ち上がっている棒の先端を口に含んだ。すると『私』が愛情を奪った他人は、『私』の髪を グ シ ャ リ と乱暴に掴み、前後に動かし始めた。

 

 『私』を愛して欲しい。私を愛して欲しかった。やっと『私』は愛してもらえた。でも、足りない。まだ足りない。愛で満たされているはずなのに、まだ心は乾いている。もっと愛が欲しい。もっと『私』を愛して欲しい。これでは満たされない。もっともっともっともっと『私』を愛して欲しい。だから『私』は病院の中を歩き回る。手当たり次第に男性を物陰へ引っ張り込んで、『私』を愛してもらった。口の端から白い液体が零れる。無理に突っ込まれた下腹部は裂けて、血が垂れていた。こんなに汚い状態だと愛してもらう他人に失礼だから、『私』は体を洗いに行く。

 

「ちょっと如何したの?」

「ちょっと愛してもらいましたぁ」

 

 病院の廊下をコソコソと歩いていた『私』を見つけたのは、診察担当の医者だった。上から白い液体を、下から赤い液体を零す『私』を見て、医者は不審に思う。愛情を奪っている影響で、『私』の様子を見ても驚きはしなかった。小学生のように身長の低い女性だ。女の子は男の子と違って愛してもらえる。だから『私』が愛す必要はない。そう思って通り過ぎようとした『私』の肩を、女性は掴んで止めた。そんな事をされると、折れた骨に響いて痛い。

 他人に対する愛情を奪われているはずなのに、医者は『私』に関心を持った。きっと医者としての義務や人としての倫理に従って半ば機械的に動いているのだろう。体に染み込んだルーチンが、医者を動かしている。医者として設定された優しいテンプレートを自身に貼り付けている……ああ、なんて気持ち悪い。医者から奪い取った愛情を吐き出したくなる。ネームプレートを見ると、人吉瞳と刻まれていた。異常(アブノーマル)でも過負荷(マイナス)でもない普通(ノーマル)な人吉善吉、その母親だ。

 ミニ女医に捕獲され、『私』は連行される。浴室で体を洗われ、清潔になると怪我を治療された。ギプスやテープを使うことなく、針と糸を使って治された。いいや、これは治されたのではなく、直されたと言うべきだろう。激しく動くと糸が千切れるので、一週間は大人しくしているように言われた。まあ、あの怪我が一週間で治るのならば早くて助かる。お礼を言って去ろうとすると、回り込まれて扉の前を塞がれた。

 

「まだ、その怪我を誰にされたのか聞いてないわ」

「誰にされたのかなんて覚えていませんよぅ。たくさんの人にされましたからぁ」

 

 頭痛を抑えるように、ミニ女医は頭を抑える。たくさんの人とは患者に限られず、職員も含む。むしろ職員がメインだ。その事に気付いたのだろう。この病院は『私』のスキルによって、暴行事件が多発している。大怪我を負った『私』の様子から、『私』も被害者の一人だと勘違いしたのか。この件を解決する方法として、この病院を『私』が出て行けば暴行事件は収まるに違いない。しかし、黒神めだかですら強引に脱走できなかった病院だ。『私』が脱出するなんて無理だろう。そもそも――、

 

「暴行事件について病院側は、『私』が原因だと気付いているんですかぁ?」

「貴方のアブノーマルは職員に通知されているわ」

 

「分かっていながら見逃しているんですかぁ」

「ごめんなさいね。そもそも、この施設は治療を目的としているはずなのに……」

 

「いいえ、それは構わないんですぅ。『私』の場合は、『私』のアブノーマルが引き起こした結果なんですからぁ。でも、他の人には悪い事をしたと思っていますぅ」

「小さいのに偉いわね。そんなに傷付けられても、ちゃんと他人の事を思っていられるなんて……」

 

「気持ち悪いですかぁ?」

「え?」

 

 ふと思った。異常(アブノーマル)と判定されたけれど、これは本当に異常なのだろうか。もしかすると異常では無いのかも知れない。愛を奪うという性質はプラスではなくマイナスだ。この時期は過負荷(マイナス)について、詳しく分かっていなかったはずだろう。劣悪な環境によって受けるストレスから発生する過負荷。そのスキルは先天的ではなく後天的に身に付き、強大かつ制御不能な能力が多い。

 『私』の場合は生まれた頃から先天的にスキルを持っていた。だから両親に捨てられた。でも、前世の事を考えると先天的ではなく、後天的なスキルと考えられる。前世の私は――『私』の前世は――他人に愛されたいと願った。その願いは『私』の精神に過負荷をかけて、他人から愛情を奪うスキルを発現させている。前世の事なのだから無かった事にしても良いはずだ。それでも『私』は再び愛を求めた。

 

「『私』はアブノーマルではなく、マイナスなのかも知れませんよぉ」

「アブノーマルではなくマイナス?」

 

「外部から受けるストレスによって、発現するスキルの種類ですぅ」

「マイナスなんて聞いた事もないわ」

 

「『私』は気持ち悪いですかぁ?」

「え?」

 

「『私』を気持ち悪いと感じますかぁ? 正直に教えてくださいなぁ」

「……そうね。初めて人が殺される所を見た時のような気分になるわ」

 

「なるほどぉ。では、やはり『私』はマイナスでしょうねぇ」

「そのマイナスって何なの? 貴方は何を知っているの?」

 

 ミニ女医は『私』の両肩を掴んだ。『私』が話すまで逃がさない構えだ。ミニ女医は『私』の肩を強く握り締める。医者としてのルーチンから外れた行動が、ミニ女医の本性を剥き出しにした。しかし『私』が痛みで顔を歪めると、ミニ女医は手を離す。そうしてミニ女医は再び医者としてのルーチンを取り戻した。一時的に増えていた愛情は、医者としてのルーチンへ戻ると減る。『私』としては本性を見せてくれると愛情を感じ盗ることができるから嬉しいのだけれど……まあ、ミニ女医は女性だから如何でもいいか。

 ところでマイナスの話だ。ミニ女医の反応から考えて、やはり過負荷という分類は存在しないのだろう。どうしよう。過負荷について話してもいいのかな……まあ、いいか。もしかすると過負荷を抑える方法を、ミニ女医が見つけてくれるかも知れない。そうすれば『私』も、自身の過負荷を制御できるようになる。過負荷という分類について教えても、『私』に損はない。

 

「先天的なアブノーマルと違って、マイナスは後天的に発現するスキルですぅ。死ぬほど辛い目に会った精神から発現するスキルなので、常に暴走状態、強大かつ制御不能だと言われていますぅ。私の場合は『親に愛されなかった』という経験から、愛を奪う過負荷が生まれましたぁ」

 

 おそらく、親に捨てられた程度で過負荷は生まれない。それは原因の一つでしかない。過負荷とは死ぬほどの経験が重なってから、初めて発現するものだ。そう考えると、『私』が過負荷を得たことは不思議だった。どちらの理由を話しても説得力に欠けるのならば、前世の事は秘密にしたい。それと、ミニ女医の反応から察するに、最低最悪な過負荷である球磨川禊には、まだ会っていないのだろう。

 ミニ女医との話が終わると『私』は大部屋の共同病室に戻り、ベッドで休む。夜になるとミニ女医が病室を訪れて、『私』を見守ってくれた。その機械的な親切の部分が無ければ、文句は無いのだけれど……きっとルーチン化は、『私』の持つ過負荷に対応するための手段なのだろう。やがて『私』は大部屋から個室へ移される。するとミニ女医は来なくなった。その代わりとして昼に会った人々が『私』の上に乗り、ベッドをギシギシと軋ませる。

 

「『だって世界には目標なんてなくて、人生には目標なんてないんだから』」

 

 そう聞こえた声に顔を上げると、大きなヌイグルミを持った男の子がいた。過負荷代表の球磨川禊だろう。その近くには女の子がいる。あっちは黒神めだかなのだろうか……よく分からない。球磨川禊ならば、そのカラフルな毛虫が大行進しているような気色悪い過負荷オーラによって一目で分かる。しかし女の子からは何も感じない。少なくとも過負荷の不気味さは感じない。

 まあ、あっちは如何でもいい。それよりも問題なのは診察室へ向かっている球磨川禊だ。お前は『私』にとって、聞き捨てならないことを言った。たしかに、特別(スペシャル)という特権階級が存在する、この世界は最低だ。一点特化型のアブノーマルは兎も角、何のスキルも持っていないノーマルでも特権階級に奉仕する奴隷階級だし、後天的に発現するマイナスなんて実験動物扱いだ。成人できる過負荷なんて数少ないし、モルモット以外の就職先は見つからない。それでも過負荷にだって生きる意味はある。

 

「人は愛されるために生きているんですぅ。たしかに愛されなければ人生に意味はありませんよぅ。ただの一度も愛されることなく死んだ人生なんて意味がないのですぅ。無駄死にですぅ。なぜならば、愛し合って子供を作ることが、人の役目なのですからぁ。愛されずに死んだ者は不幸ですぅ。でも、愛されて死んだ者は幸福なんですよぅ」

「『おいおい、ここはめだかちゃんに人生の指針を示した僕が、格好よく去っていく所だろう?』『そして数年後、思い出補正のかかった僕と再会して、めだかちゃんは恋に堕ちる訳だ』」

 

「すいませんねぇ。『人間は無意味に生まれて、無関係に生きて、無価値に死ぬ』なんて、愛される事を諦めて勝手に絶望したヘタレのような事を言う方がいたので、ついつい口を出してしまいましたぁ」

「『ひどいなぁ。初対面の相手に対して礼儀がなっていないよ。これは名誉毀損の罪として裁判所に訴えるしかないね』『こう見えても僕はヘタレじゃないよ。やる時はやる男なんだ』」

 

「貴方も『私』も過負荷なんですから、裁判所から和解を提案されるに決まっていますよぅ。だから分かり合いましょう。愛し合いましょう。『私』に愛されれば、貴方の人生も無駄ではなくなりますよぅ。愛されることは何よりも幸福なことなのですからぁ」

 

 『私』は球磨川禊に向かって歩きつつ――ズバッと服を脱いだ。ワンピースが宙を舞い、全裸の『私』を曝け出す。パンツは履いていなかった。だって毎回脱ぐのは面倒じゃないか。待合室となっているホールにいる人々の視線を、『私』は肌でゾクゾクと感じる。球磨川禊も『私』の上から下まで舐めるようにジックリと観察していた。そして『私』に近寄ると、『私』の足をペシッと払う。いつものように怪我を負っていた『私』は簡単に転び、球磨川禊の足で顔を踏まれた。

 

「『宗教の勧誘はお断りだぜ』『診察室で若い女医さんが僕を待っている気がするから、先を急がせて貰うよ』」

「『私』の裸を見せたのに、お前は何もしないなんて不公平だよぅ」

 

「『僕に断りもなく裸を見せたのは君だ』『僕は悪くない』」

 

 『私』の全身を脳内フォルダへ永久保存する勢いで凝視してたくせに、この態度だ。球磨川禊が診察室へ入ると、全裸の『私』は立ち上がる。さすがに最低最悪の過負荷である球磨川禊は、一発で攻略できるほど易しくなかった。きっと球磨川禊も昔は愛を求めていたのだろう。しかし、他人に向けた期待を裏切られ続けて、人を愛せなくなったに違いない。『私』が球磨川禊を愛して、満たしてやらねばならない。そんな事を考えつつ放り投げた服の行方を探すと、なぜか黒神めだかが『私』の服を持っていた。

 

「あー、どうもぉ」

「……」

 

 お礼を言って服を受け取る。『私』が服を着ている間も、黒神めだかは無言だった。黒神めだかも難しい年頃なのだろう。今の頃は、母の死や自分の才能について悩んでいたはずだ。一応『私』も「人は愛されるために生きているんですぅ」とか「愛されて死んだ者は幸福なんですよぅ」とか、黒神めだかに伝わりそうな言葉は言った。黒神めだかも愛を伝える同志として、『私』の仲間になって欲しいものだ。けれども、きっと黒神めだかの生き方を左右する人物は人吉善吉になるのだろう。とりあえず『私』は「愛情を奪う過負荷」を制御したいので、黒神めだかに頼んでみた。

 

「ごめんなさい、頼みたいことがあるんですぅ。じつは『私』、自分のアブノーマルを制御できなくて困っていますぅ。無差別に愛情を奪っているので、愛情を失った人々が殴りあったり殺しあったりしているんですぅ。どうにかなりませんかぁ?」

「……」

 

 黒神めだかが困っていらっしゃる。黒神めだかの貴重な困り顔だ。やはり黒神めだかの持つ肉体改造系のアブノーマル「完成」では難しいのか。アブノーマル「完成」は他人ではなく、黒神めだか自身に働くものだ。「スキルを改造するスキル」を獲得しない限り、黒神めだかは『私』に対して何も出来ないのだろう。どちらかと言うと「解析」を持つ黒神お兄さんの出番か。黒神お姉さんの「改造」でも良いのかも知れない。しかし、その話を持ち出すのは早過ぎる。『私』と黒神めだかは出会ったばかりだから警戒されるんじゃないかな。おまけに『私』は過負荷なんだ。

 

 黒神めだかは病院から脱走した。脱走したという事になっている。今日は黒神めだかと人吉善吉が出会う日だ。その様子を見学するために『私』は、黒神めだかの潜んでいる職員用の託児室へ向かう。『私』の「愛を奪う過負荷」で愛情を奪われた2人が、どうなるのか気になったからだ。どうせ病院内は『私』の持つ過負荷の射程範囲内だ。どこにいても変わらない。

 『私』は託児所へ向かう途中で、薄白い塊の付いている場所や、赤黒い塊の付いている場所を通り過ぎた。『私』の「愛を奪う過負荷」の影響だ。毎日のように起こる暴力事件によって、病院内は無法地帯と化している。どんどん職員が減って、病院という形を保てなくなっていた。これは過負荷の発生しやすい環境だ。しかし、多くの患者は異常(アブノーマル)なので、過負荷へ転じる可能性は低かった。

 球磨川禊と出会ったためか、ミニ女医も仕事を辞める準備を行っている。最低最悪の過負荷の診察を行って心が折れたのだろう。せっかく『私』が事前に過負荷のことを教えたのに、この様だ。まあ、ミニ女医に人吉善吉という弱点がある以上、球磨川禊による脅迫は避けられない事だった……だからミニ女医は、「病院の環境が劣悪だから」という理由で辞めるのではない。そう信じたい。

 

「善吉! 私とっ……私と子供を作ってくれ!」

「えー、それは無理だよおー」

 

 『私』の知識通りに、黒神めだかの撃沈を確認した。まさか人吉善吉も、このセリフが14年後まで問題を残すとは思うまい。黒神めだかのセリフが微妙に違ったものの問題はないだろう。「結婚してくれ」から「子供を作ってくれ」に変わった程度だ。人吉善吉の表情が困った顔ではなく、本当に嫌そうな顔だったけれど『私』は見なかった事にした。許容範囲、許容範囲。どうせ黒神めだかが振られる事に違いはない。そう考えると『私』は安心した……安心した?黒神めだかが振られる事に安心した? なぜだろう?

 知識と異なる結果になる事を恐れているのか。いいや、違う。黒神めだかが愛される事を恐れているのか。いいや、違う。ならば人吉善吉か。それだ。『私』は人吉善吉を愛している。いいや、違う。そんなことを考えつつ『私』は託児所から離れる。すると背後から近付いていた職員に体を持ち上げられ、職員用のトイレへ運び込まれた。そして『私』は冷たいトイレの壁に、体を押し付けられて愛される。

 そうか、分かった。『私』は『私』以外の女の子に、男の子が愛されている所を見るのが嫌なんだ。他人が愛し合っている光景を見るのが嫌なんだ。思い浮かべるだけで殺意すら湧く。『私』以外の女の子に愛されるのは許せない。『私』だけを愛して欲しい。だから黒神めだかが人吉善吉に愛されるのは許せない。一度も話した事のない相手であっても許せない。これは嫉妬か。嫉妬以外の何者でもない。なるほど。この「他人の愛情を奪う過負荷」は確かに『私』の渇望(マイナス)だった。

 

 黒神めだかの脱走から一ヵ月後、箱庭病院は潰れた。人吉善吉と遊ぶために黒神めだかが篭城する事件に『私』は出会えなかった。おそらく『私』が個室でアンアン言っている間に終わったのだろう。そうに違いない。まさか起こらなかったなんて事はないだろう。もしくは黒神めだかも病院の職員が、黒神めだかの要求に従って正常に機能するとは思わなかったのか。ところで箱庭病院を潰す予定だった過負荷の2人組は、どこに居るのだろうか。すでに箱庭病院は潰れたのだけれど……これでは『私』が潰した事になるじゃないか。

 

「『やあ、おめでとう!』『箱庭病院を単騎で潰したって聞いたからお祝いにきたよ!』」

「潰したんじゃなくて、潰れたんですぅ。『私』のせいじゃありませんよぅ」

 

「『病院内の対人関係を無茶苦茶にして、自然崩壊させるなんて見事な計略だよ!』」

「みなさーん、箱庭病院を潰した元凶が此処にいますよー。この人が原因ですよぅ」

 

「『日々を健全に過ごしていた僕に罪を被せるだなんて最低だね』『人格を疑うよ』」

「もう帰れよぅ。あっち行けよぅ。なにしに来たんだよぅ」

 

「『家なき子に仕事を紹介してあげようと思ってね!』『わざわざ来てあげたんだよ!』」

「マジで!? ありがとう球磨川禊! じつは箱庭病院が潰れて困ってたんだ!」

 

「『おいおい』『いきなりフルネームで呼ぶだなんて裏表の激しいやつだな』」

「お礼にエッチな事してあげる! 童貞卒業だよ! よかったね!」

 

「『初めてはビッチじゃなくて、好きな人って決めてるんだ』『だから遠慮するよ』」

「そんなこと言ってたら一生童貞だよぅ? 誰にも愛されることなく死んじゃうよぅ?」

 

「『構わないよ』『尻軽女とやるくらいなら、僕は一生童貞で構わない』」

「……そんなこと思ってないでしょう? 『私』の過負荷が、お前の愛情を感じているよぅ」

 

「『うわぁ、気持ち悪い』『君の過負荷って故障してるんじゃない?』」

「怖がらなくていいよぅ。殴られても蹴られても斬られても焼かれても、お前を愛してあげるからぁ」

 

 そう言って『私』は、球磨川禊に抱きつく。すると球磨川禊は大きなネジを取り出した。そのネジ穴はマイナスだった。それは球磨川禊の過負荷が具現化した物だ。そこに在るようで、じつは存在しない。刺さっても肉体的なダメージは無いけれど、球磨川禊と同じ強さまで強制的に弱体化させられる。「却本作り」と呼ばれる過負荷だ。これの恐ろしい所は下手すると、一生弱体化されたままになる所だろう。おまけに副作用で、『私』の過負荷が今よりも強力になる可能性もある。そんな物を受ける訳には行かないので、『私』は球磨川禊から体を離した。

 

「ガードが固いなぁ。我慢しなくていいんだよぅ。『私』は心配しているんだぁ。お前は愛を得られないまま死んでも不思議じゃないんだからぁ。愛されないまま死ぬなんて、そんなに不幸なことは無いんだからぁ」

「『余計なお世話だよ』『僕は元より不幸(マイナス)だ』」

 

「仕方ないなぁ。じゃあ、仕事ちょーだい」

「『はいはい』『君にピッタリな仕事だよ』」

 

「その言葉で内容は予想できるなぁ」

 

 球磨川禊から紹介された仕事で生活費を稼ぐ。過負荷代表の球磨川禊に仕事を紹介されたのだから、これで『私』も過負荷チームの仲間入りか。おかげで、学校へ入学できるほどの大金を稼ぐことができた。ここからが『私』の人生で一番重要な時期だ。わざわざ学校という空間に男の子が集まっているのだから効率的に愛せる。仕事を紹介してくれた借りも、球磨川禊の指定した学校へ入学すれば返せるから都合がいい。

 そうして『私』の過負荷によって入学した学校は潰れた。箱庭病院と同じように人が居なくなった。でも、『私』の愛した子供達は幸せにできた。さあ、次の学校へ転校しよう。そして次の次の学校へ。さらに次の次の次の学校へ。結果として学校が潰れても気にする必要はない。入学したって勉強したって、何一つ意味が無いんだから。愛されなければ人生に意味はない。『私』は人を幸せにするために生まれてきたんだ。



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【転生】鏡物語【化物語】(上)

原作名:化物語
原作者:西尾維新


000『傷物語』/こよみヴァンプ

 

 僕の名前は阿良々木暦だ。事前の説明も無しに突然だとは思うが、一つ尋ねたい事がある。真夜中のコンビニで、エロ本を買った帰り道に、道路の端で倒れている成人女性を発見した僕は、どうするべきなのだろうか。僕のように健全な高校生ならば、胸の奥から湧き上がる熱い欲求に従って、女性をお持ち帰りするべきなのだろう。誰だってそうする、僕だってそうする。

 たとえ両親や妹達によって、変質者という汚名を被せられようとも、この思いは変わらない。魔力切れで気絶した新米魔法少女の御自宅が分からないように、空から落ちてきた魔導少女のお尻で貧乏探偵がプレスされるように、女性をお持ち帰りするという行為は不可避の法則だ。暗黙のルールなのだ。そう考えると僕は、やはり女性をお持ち帰りするべきだ。するべきなのだろう――僕だって、そうしたかった。

 しかし……しかし、だ。その成人女性が両腕両脚のないダルマ状態だったら、エロい妄想を思い浮かべるよりも先に混乱するだろう。僕だったら動けない事を幸いに、女性をお持ち帰りする。けれども、男性の中でも少数の方々は、ダルマ状態の女性に対して恐怖を抱くに違いない。その両腕両脚の断面からポタポタと血が垂れ落ちている様を見れば、お持ち帰り多数派の僕も携帯端末を用いて救急車を呼ぶ以外の選択肢はなかった。最初から両腕両脚が無い状態ならば兎も角、途中から両腕両脚が無い状態は、明らかに致命傷を負っているからだ。

 さらに垂れ落ちた血が、地面から断面へピョーンと宙を跳んで戻ったり、再び断面から垂れて地面へポターンと落ちたりしている。これほど理解に苦しむ光景を見れば、誰だって目を疑うに違いない。まるで時を戻しているかのような有様だ。そんな絶体絶命の状態にも関わらず、女性は意思の残っている瞳で、こちらを見つめている。そんな女性の姿を見れば、この世の者ではない何かと思って当然だろう――そんな訳で僕は、その幽霊らしき女性から目を逸らし、気付かない振りをして通り過ぎる事にした。

 

「死ぬのやだ、死ぬのやだ、消えたくない、なくなりたくない! やだよお! 誰か、誰か、誰か、誰かあ――」

 

 背後から聞こえた助けを求める声に、僕は足を止める。救いを求める声に引き留められて、通り過ぎた道を振り返った。泣き叫ぶ彼女の姿を確認しないまま、その場を立ち去る事はできなかった。そうして体を半回転させた僕は、街灯の真下にいる彼女の姿を直視する。太陽を連想させる金色の髪と、鮮血で染まったドレスで飾られた彼女は輝いていた。無様に泣き叫んでいても様になっていた。四肢が無くても、彼女は完璧だった――それが失われるのは惜しいと思った。思ってしまったから、僕は無関心では居られなくなった。

 

「おい、どうすれば僕は、お前を助ける事ができる?」

「……泣き叫ぶ儂を無視して通り過ぎた外道のくせして、今さら何の用じゃ」

 

「悪かったよ。以前、目が合っただけで悪魔に憑かれた事があってな。それ以来、変な物が見えたら、絶対に目を合わせない事にしているんだ……だけど気が変わった。お前、生きたいって言ったよな。それなら、お前が死ななくなるまで付き合ってやる」

 

「――本当か? ぬしは嘘偽りなく、儂を助けるつもりなのか?」

「ああ、助けてやる。だから何をすれば良いのか教えてくれ。四肢を千切られた幽霊の治し方なんて、俺は知らないぞ。どこかから両腕と両脚を探してくればいいのか?」

 

「血じゃ、血が足りぬ、血を寄越せ。うぬ一人分を摂れれば十分じゃ」

「そうか、僕一人分の血……って!」

 

 それじゃあ僕が死ぬじゃん――と突っ込もうとした僕の言葉は喉で詰まる。僕の顔を瞳の中に映した、彼女の目は本気(マジ)だった。僕に死ねと彼女は言っているのか。いいや、彼女は「血を寄越せ」と言っているだけだ。血を吸った「結果」、僕が死ぬのは「おまけ」に過ぎない。彼女は僕の生死に無関心だった。単純に「血を寄越せ」と、彼女にとって当たり前の事を言っている。人としての僕ではなく、僕という血袋を必要としている――あるいは彼女にとって、人という存在は血袋なのか。

 僕を血袋と見る彼女の態度に、僕は疑問を覚えた。「これ」は人なのだろうか。「これ」は幽霊なのか。その美しい外面と冷たい内面を持つ彼女は、とても生きている人には見えない。しかし、その「綺麗さ」と「冷酷さ」は彼女に、とても似合っていると僕は思った――そうだ、彼女は完成し過ぎている。人として出来過ぎている。こんな物は現実に在りえない。これほど完全な物が、この世に存在するはずがない。「これ」が人であるはずがない。

 そう思った僕は認識を改めた。これは人の幽霊ではなく、僕に憑いている悪魔と同じ物だ。あの悪魔は自身という存在を「怪異」と呼んだ。「これ」も怪異なのか。ならば何の怪異か。血を吸う怪異か。暗い夜道で四肢のない状態で助けを求めて人の血を吸う、それは何という怪異なのか――いいや、彼女の正体は重要じゃない。さっき僕は助けると決めた。完璧な彼女を死なせたく無いと思った。ならば、僕の遣るべき事は決まっている。彼女が何者であろうと変わらない。

 

「いいぜ、僕の血を――」

『おいおい阿良々木ちゃん。何の相談もなく、勝手に自殺するつもりなのかなぁ?』

「――僕の名前にちゃん付けするな! まるで僕が女装に興奮する変態みたいじゃないか!?」

 

 彼女の瞳に移った『僕』が、僕の言葉を遮る。僕の決意に水を差した相手は、さきほどから何度も前振りしている悪魔だ。鏡面に映った僕の姿を介さなければ、この悪魔は姿を現せない。僕に憑いている悪魔は、僕が死ぬとアイスを食べられなくなって困るのだろう。だから僕の熱い血潮を彼女の口に放出するという救命行為について、彼女の瞳の中にいる悪魔は反対しているに違いない。

 

「なんじゃ? うぬは」

『やあ、吸血鬼。この阿良々木ちゃん……ニンゲンは僕の物だ。お前には渡さないよぉ』

 

「はっ……小物が誰に向かって口を聞いておるのか、分かっておらぬようじゃな。我が名は、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード……鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼じゃ。貧弱で存在感もない、まともな形もない半端物が口を出すなぞ無礼であろう」

『その小物にも負けそうな状態で、そんな長台詞を喋れるなんて、見栄っ張りだねぇ。今にも死にそうなんだろう? 死にたく無いんだろう? 助けて欲しいんだろう? でも、僕のニンゲンは渡せない』

 

「……」

『あらら、さっきの決め台詞で喋る元気もなくなったのかぁ。それともエサを摂れないと聞いて、喋る気力が湧かなくなったのかなぁ。このニンゲンは渡せないと言ったけれど、僕はニンゲンの代用品を用意できない訳じゃない。阿良々木ちゃんが望むのならば、阿良々木ちゃんのために、阿良々木ちゃんの代用品を用意してあげよう』

 

 お前はリンカーンか。それは兎も角、悪魔によると彼女は吸血鬼らしい。よく見れば体の下に影は無いし、唇の間から長い牙が見え隠れしている。その吸血鬼は僕に向かって、その存在を名乗った。おそらく、僕の瞳の中に『僕』が映っているのだろう。彼女は僕と話していたのではなく、僕の中にいる悪魔と話していた。僕でさえ見つけるまでに数日かかった悪魔の居場所を、吸血鬼は一目で見破ったのか。もしかして吸血鬼は、僕を超える眼球ペロリストなのだろうか。

 

『それじゃあ阿良々木ちゃん。早く終わらせないと吸血鬼が死にそうだ。アイスクリーム一つで、お前の姿を写してやろう』

「ちょっと待てよ。それじゃ僕の決意はどうなる。ここまで遣って『やっぱり止めました』じゃ、こいつも納得しないだろう。僕が死ぬと御前は困るらしいけれど、それは僕に断りもなく勝手に憑いた御前が悪い」

 

『エロ本を片手に格好付けられても様にならないねぇ。死んだらエロ本を読めなくなるよ?』

「これは生きるために必要なものだ。エロ本が無ければ僕は、羽川の胸を揉みたいという感情を抑え切れなくなる。これが無いまま明日になれば、僕は我慢できずに羽川のスカートを捲ったり、抱きついたりするかも知れない。でも、ここで死ぬと決めたのならば、もう必要ないさ」

 

『なんで、そんなにエロ本語りが長いのさ。お前ってやつは仕方ないなぁ。どうしても死ぬって言うのなら、阿良々木ちゃんを育てた人に連絡した方が良いんじゃない?』

「必要ねーよ。余計な心配をさせるだけだ。死ぬ直前の電話なんて聞いたら、僕の事を忘れられなくなるだろ」

 

『ねぇ、阿良々木ちゃん。お前を育てた人は、お前が産まれた時、幸せな家庭を夢見ていたんじゃないかな。だから家や子供に何百万円も使って、その金を稼ぐために働いたと思うよ。ここでお前が死んだら、その金と努力は無駄になる上に、幸せな家庭という夢は崩壊するんだ――お前は家族を不幸にしたいのかな?』

「ああ、だから、これは僕の我がままだ。こいつを助けると決めた、僕の我がままだ。僕は家族を幸せにする義務があるのかも知れない。でも、こいつが僕の血を必要としているのならば、ここで僕の血を吸わせてやりたい」

 

『本当に自分勝手で、最低な奴だね。あー、もー、……お前じゃなきゃダメだって事はないんだよ。お前の分身で十分なんだ。なんで無意味に、わざわざ死のうとするのかなー。バカじゃないの?』

「もう諦めろよ。こいつが吸血鬼じゃなかったら、長々と話している間に死んでたぜ」

 

『いいや、諦めないよ。こうなったら実力行使だ。アイスクリームなんていらない――僕は、お前が欲しい』

「唐突に告白された!?」

 

 僕の両脇に『僕』2人が現れて、僕の身動きを封じる。正確に言うと、鏡面に現れた新たな『僕』が、こちら側へ映り込んだ――分かりやすく言うと分身の術だ。さらに3人目の『僕』が現れて、吸血鬼の口に片手を突っ込む。すると、ガリガリとガラスを噛み砕くような音と共に、片手が口の中へ沈んだ。とても人体を噛み砕く音とは思えない怪音を発しつつ、吸血鬼によって『僕』が食べられている。その光景を僕は、『僕』によって運ばれながら見る事になった。

 僕を捕まえている『僕』が2人、食べられている『僕』が1人、さらに僕の乗ってきた自転車に乗る『僕』が1人現れる。こうなったら僕は無力だ。悪魔が本気を出せば、僕は何もできない。自宅の前まで連行されて、『僕』がパリンッという音と共に消えたため、やっと僕は自由になった。しかし、これから彼女の下へ戻ろうと試みれば、また『僕』が現れるだろう。仕方の無くなった僕は、エロ本の入った袋を片手に、家族の待つ家へ戻る。こうして僕は、吸血鬼とバランサーと狩人、そして羽川翼の出演する舞台へ上がる前に、強制的に退場させられた。

 

 吸血鬼と出会って始まる前に終わった次の日、僕はコンビニで、悪魔に代償として捧げるアイスクリームを買った。昨日、家に戻った後、悪魔に羽川翼を写させるという名案を思いついたからだ。しかし、実際に写してもらった羽川を見ると違和感を覚える。自分の分身を見ても僕は何とも思わないけれど、羽川ではないと知っている存在が、羽川の姿をしているという感覚は、思っていた以上の拒否感を呼び起こすものらしい。

 そんな訳で僕は結局、羽川の分身に触れることなく、その分身を破棄した。心があるように見える分身を消すという行為は罪悪感が酷かったので、もう二度と他人の分身を作る事はないだろう。そんな事を考えている間に僕は昨日、吸血鬼がいた場所に着いた。しかし、電灯の下には何もない。

 

「血の跡も残ってないな」

『吸血鬼としての力が戻ったから、血も体に戻ったんじゃないかなぁ。もしくは追っ手に処分されたか。日光に当たって燃え尽きたか。まぁ、お前には関係のない話だよぉ』

 

「そうだな。僕とした事が危うく、人間強度を下げる所だったぜ」

『まったく僕が止めなかったら、アンチATフィールドでポシャられたオレンジジュースのようになる所だったじゃないか。そうそう、感謝の言葉はいらないよぉ。お前の命は最終的に僕の物になるんだから、他人に獲られるなんて嫌だったんだ』

 

「はいはい、ツンデレツンデレ。そういえば羽川の分身を作った時に思ったんだけど、お前って男なのか?」

『鏡だよ。男を写せば男になり、女を写せば女になる。僕は、そういう物だ。今の僕の姿だって、お前を写した物だ。おかげで語尾に特徴を付けないと、キャラが被って困るよ』

 

「その喋り方を僕の姿でされると、どうしようもなくムカついて、思わず殴りたくなるんだけどな」

『怪異っていう物は、信仰によって形作られるんだ。仏と思えば仏になり、鬼と思えば鬼となる』

 

「サラッと無視された!?」

 

 帰宅すると、羽川翼を写した報酬となるアイスクリームを僕は食べる。悪魔は僕に憑いているから、僕が食べなければアイスクリームを味わえない。僕もアイスクリームを食べられるし、悪魔もアイスクリームを食べられる。何かを写した代償として悪魔が求めるアイスクリームは、僕に損のない代償だった。おまけに、人体一個分ならばアイスクリーム一つで済む。こんな安い代償で良いのかと不思議に思ったものの、悪魔によると相応な代償らしい。でも、きっと何か落とし穴があるのだろうと僕は疑っていた。

 

001『猫物語(黒)』/つばさキャット

 

 ゴールデンウィークの初日、いつものように自転車でコンビニへ買い物に行く。すると僕は、路上で何かを拾っている羽川を見つけた。一瞬見えた物から察するに、車に潰された猫の死体を拾っているのだろう。その羽川は頬にガーゼを貼り付けている。何かあったのだろうかと思った僕は気になって自転車を止めた。そして羽川と共に、尾のない猫を土に埋める。しかし、しばらく一緒にいたけれど羽川は、ガーゼを付けていた理由については教えてくれなかった。

 そしてゴールデンウィーク中の登校日に、羽川は無断で欠席する。これが僕ならば気にも留められない事柄だろうけれど、無断欠席した人物は優等生の羽川翼だ。天変地異の前触れかと思われるほど大騒ぎになり、羽川の両親が入院しているという話や羽川が行方不明になっているという噂も僕の耳に入った。そして家に帰ると妹から、化け猫が人を襲っているという情報を手に入れる。

 

「……猫か」

 

 猫だ。猫と言われると、羽川の埋めた尾のない猫を思い出す。どうしても僕は、その事が気になった。→猫を埋めた羽川、→行方不明になった羽川、→人を襲う化け猫。まったく関係のないと思われる事柄が、繋がっているように僕は思えた。そして夜になって、化け猫退治に向かった妹達が、衰弱した状態で発見される。僕は妹達の運ばれた病院へ向かい、妹達を襲った化け猫について話を聞いた――というか、ベッドで横になったまま陸に上げられた魚のようにビクンビクンと跳ねる火憐ちゃんが、化け猫に対する再戦の熱い思いを語ってくれた。

 

「おい、悪魔。体を傷付けずに衰弱させるなんて方法に、心当たりはないか?」

『エナジードレインじゃないかなぁ。もう察していると思うけれど、化け猫の正体は羽の人だ。お前に憑いた僕と同じように、羽の人に猫が憑いている。その猫が何の怪異かは、情報が少な過ぎて分からないなぁ』

 

「その猫を羽川から引き剥がす方法は?」

『怪異の専門家に頼まないと難しいよぉ。お前じゃ、道具もなければ知識もない』

 

「その専門家は……」

『怪異の関係者じゃないと探すのは難しいなぁ。それに専門家が暴力上等の脳筋だったら、羽の人ごと退治される。そして羽の人を分離できるほどの専門家が居るとは限らない。居たとしても協力してくれるとは限らない。あと依頼費用は数百万円かかるなぁ』

 

「つまり現実的じゃないって事か……お前は方法を知ってるんじゃないのか?」

『んー、知らない』

 

 嘘だ。絶対、嘘だ。こいつは羽川から猫を引き剥がす方法を知っている。けれども、僕に教える気はない。おそらく其れは、僕の命を賭けなければならない方法なのだろう。だから、こいつは教えない。僕が死ぬ可能性のある方法を教える気はない。でも、死なないで済む方法ならば教えてくれるかも知れない。吸血鬼の時だって、こいつは吸血鬼に近付く僕を見逃した。警告もしなかった。僕が死ぬと言い出したら説得を始めて、説得が通じないと思ったら強引に死から遠退けた。死ぬ寸前までならば、こいつは見逃してくれる。

 

「僕は羽川を探す」

『まずは羽の人の家かなぁ』

 

 そういう訳で病院から出た僕は、家へ戻ることなく、羽川の家へ直行した。まずは表札に、羽川の名前が刻まれている事を確認する。窓を割って中へ入り、誰もいない家の中を見て回った。羽川の両親は入院中で、羽川は行方不明だ。そこで僕は妙な事に気付く。だから一度見た部屋を、もう一度見て回った。そうして僕は、羽川翼の部屋が存在しないという事に気付く。そんなバカなと思って、もう一度見て回ったものの、羽川翼の部屋が存在しないという推測は強まった。さらに、もう一度、念入りに見て回り、羽川翼の部屋がないと僕は確信する。羽川の家を5周した僕は、続けて6周目に突入した。

 

「おい悪魔、ここは羽川翼の家だよな」

『ひらがなで「つばさ」って、表札に書いてあったよぉ』

 

「じゃあ、なんで羽川の部屋が無いんだよ。これじゃ、まるで羽川が居ないみたいじゃないか!」

『羽の人が居る証拠はあったじゃないか。布団は廊下に置いてあったし、制服はリビングに掛けてあったし、教科書は本棚に入っていた。ここに部屋は無いけれど、ここは羽の人の家だよぉ』

 

 なんて悪魔は言う。でも違うだろ。そうじゃないんだ。これは家族じゃない。正常な家族の形じゃない。この家族は終わっている。どうしようもなく終わっている。腐って骨になって土に埋められて、その墓も無くなっているくらい手遅れだ。今さら何をしたって、この関係は修復できない。だから僕は怖くなった。この家に居ることが恐ろしくなった。こんな場所で羽川は暮らしていたって言うのか――!

 

「うわああああああ!!」

 

 僕は耐え切れなくなって、羽川の家から逃げ出した。自転車に乗ると、家へ向かって走り出す。早く羽川の家から離れたかった。早く自分の家へ帰りたかった。しかし、その途中で僕は、白い猫を見つける。闇の中で白く輝く、まるで例の吸血鬼のように美しい、美し過ぎて景色から浮いている。なんて場違いな……あれは怪異だ。猫に憑かれて化け猫となった羽川翼と、僕は最悪のタイミングで遭遇した。

 

「羽川!」

「にゃ? おまえ御主人の知り合いかにゃ?」

 

「ああ、その通りだ、猫。僕は羽川翼を知っている」

「おまえ何者にゃ? にゃんで俺を知っている……ああ、御主人と一緒にいた奴かにゃ?」

 

「そうだ。車のタイヤに潰された御前を、僕は羽川と一緒に埋めた。なぁ、猫。なんで羽川の体を使って暴れてるんだ? どうして無差別に人を襲っている?」

「御主人のストレス発散、憂さ晴らしって所かにゃー」

 

「羽川の? それは羽川の家族と関係があるのか?」

「この方角、この臭い……なるほどにゃ。お前、御主人の家に入ったのかにゃ」

 

 化け猫が身を屈める。両手を地面に着いて、片足でコンクリートをガリガリと引っ掻いている。その音は僕の身体を震わせた。今にも跳びかかって来そうな猫に対して、僕は身構える。どうやら羽川の家に入った事は、化け猫の機嫌を損ねる情報だったらしい。化け猫と向き合うだけで、僕は息苦しくなった。これが本物の怪異か。僕に憑いている悪魔や、両手両脚のない吸血鬼と比べると、この化け猫は万全だ――それでも未だ、悪魔は動かない。

 

「どうすれば羽川を元に戻せるのか、教えてくれないか?」

「――ったく、勝手に御主人の家に忍び込みやがって、おまえ何様のつもりにゃ」

 

 ああ、もうダメだ。こいつは僕の話を聞いていない。次の瞬間、『顔面を正面から殴られた僕は派手に吹っ飛び、硬い道路の上を跳ね飛んで、全身に擦り傷を作りながら、最後はゴロゴロと転がって止まった』という話を悪魔から聞いた。当然、その時の僕に意識はない。誰かが呼んだ救急車によって病院へ運ばれ、脳が正常に働き始めたのは半日後の昼だった。怪我やエナジードレインの影響でゴールデンウィーク中は、朝から晩までベッドの上で寝坊する堕落した生活が続くらしい。

 

『猫の怪異にしては妙だったなぁ。猫といえば気分屋で飽きっぽい。でも毎日、律儀に人を襲い続けている。しかも死人は出ていない』

「僕は危うく死ぬ所だったけどな。誰かが救急車を呼んでくれなかったら死んでたぜ」

 

『それだよ。お前が猫に殴られた後、最初に近付いたのは救急隊員だった。それ以前に、お前の様子を確認した奴はいない』

「おい、それって……猫が僕のために救急車を呼んだって事か?」

 

『あっちは僕の存在を知らなかったんだろう。知らなかったからミスしたんだなぁ』

「ミスした? 救急車を呼んだと、僕に気づかれた事はミスだった?」

 

『その通り、羽の人に猫は憑いているけれど、憑かれてはいない』

「いや、そのセリフは2行ほど早ーよ」

 

『猫が羽の人を被っているんじゃない。羽の人が猫を被っているんだ!』

「ネタバレされた!?」

 

 一行で纏めると、家庭に不満を持つ羽川は猫を利用してストレスを発散している。とは言っても、猫の怪異と精神が混ざっているため、今の羽川に説得は通じない。今の羽川を元に戻すためには……いいや、人を襲わなくさせるためには、優等生の猫を被らせる必要があった。そして、もう一つ分かった事がある。こいつは僕が思っている以上の事を、知っているに違いない。知らない振りをして、今気付いたような振りをして、僕に話を振っている。

 

『猫の目的がストレス発散なら、ストレスの元を潰せばいいじゃないかぁ』

「ストレスの元って羽川の両親だろ。そんな事できねーよ」

 

『減らせないのならば逆に考えるんだ。両親を増やしても良いじゃないかってねぇ』

「お前の力で増やした両親に、羽川の両親の代わりをさせたって、何一つ解決しねーよ」

 

『この件を解決する方法なんて無いんだよ、阿良々木ちゃん。原因となっている両親と羽の人の仲は修復不可能だ。羽の人と混ざっている猫を切り離すためには、猫だけを殺せる道具が必要だ。猫を説得しようと思っても、阿良々木ちゃんに対話まで持ち込める力はない』

「僕の力不足が原因なのか……僕ってやつは肝心な時に使えないな」

 

『努力の問題じゃないよ。存在の違いだ。怪異と戦えるのは怪異だけ、人のままでは怪異と戦えない。人には人を、怪異には怪異を、適材適所ってやつだよぉ』

「……分かった。それで僕は如何すればいい。こんな身動きできない役立たずな状態の僕でも、羽川に遣ってあげられる事はあるのか?」

 

『あるよぉ。アイスクリーム3つを約束すれば、羽の人と、その両親を写してあげる』

「アイスクリーム3つ……って、それだけで何とか出来る問題じゃないだろ?」

 

『僕の話を聞いてたのかなぁ? 羽の人の両親を写せば、何とか出来ちゃう問題なんだよ。アイスクリームの内訳は両親2人分と、もう一つは家の分だ』

「分かってるよ。分かってるけど……それじゃ、まるで羽川の抱える問題が、アイス3つ分の価値しかないように思えるじゃないか」

 

『僕にとってはアイス3つ分だよ』

「お前……そんな言い方は無いだろ! お前は羽川の家を見て、何とも思わなかったのか!?」

 

『阿良々木ちゃんの出番は此処までだよぉ。ここから先は怪異の時間だ』

「待て!」

 

『じゃあ、行ってくる』

 

 もしかすると僕は、頼ってはいけない奴に頼ってしまったのかも知れない。しかし、ベッドの上で自由に体を動かせない僕は、どうする事もできなかった。天井を見上げながら僕は思う。あいつは僕の事も、アイス一つ分の価値しかないと思っているのだろうか。思えば僕の分身も、アイス一つを代償として写していた……いいや、そうじゃない。あいつは僕の命を助けた。分身を4体も使って助けてくれたじゃないか。アイス一つ分の価値しか無いのは分身で、本体である僕じゃなかった。けれども、やっぱり、僕は納得できない。その気持ちが何なのかは分かっている――僕は自分の力不足に対する苛立ちを、あいつに向けているだけだった。

 

 ゴールデンウィークの最終日になって、悪魔から上手く行ったという報告を受ける。悪魔は猫を鎮めることに成功したらしい。悪魔に頼んだ翌日に羽川は、悪魔の写し出した両親の住む家へ引っ越して、まるで今までも生活していたかのように自然な様子で生活しているらしい。それを悪魔から聞いて、僕は気持ち悪いと思った。化け猫として暴れていた羽川の記憶は無くなった訳じゃない。記憶が無くなるなんて、そんな都合のいい事は起こらなかった。なのに羽川は、偽者と分かっている家族と何の問題もなく生活している。その事実を僕は信じられなかった。

 そして、僕の御見舞いに偽者の家族が来る。そこで僕は羽川から、父親と母親とも血が繋がっていない事を明かされた。新しく家を用意したという事になっている僕に対して、羽川は感謝していると告げる。けれども僕は喜べなかった。出会って4日ほどの両親と親しそうにしている羽川を見ても嬉しくなかった。引っ越した羽川を、本当の両親は迎えに行かない。羽川の側にいる両親は、悪魔の作った偽者だった。

 

「僕は何もしてないよ。お前が勝手に助かっただけだ」

「そんな事ないよ、阿良々木くん。代償は阿良々木くんから貰ったって、悪魔さんに聞いたよ」

 

「……大した事ねーよ」

 

 僕は言えなかった。お前の家族はアイスクリーム3つ分だなんて言えなかった。やっぱり、あいつは悪魔だ。羽川が暴れ続けるという最悪な結末じゃないけれど、誰も救われていないという最低な結末だった。だから羽川は救われていない。羽川が勝手に自分は救われていると誤解しているだけだ。悪魔に騙されているだけだ。僕は無力だった。人でしかない僕は無力だった。その事実を僕は噛み締める。

 

002『化物語』/するがモンキー

 

 戦場ヶ原ひたぎに憑いた怪異を、悪魔が何んや彼んやで解決した。戦場ヶ原の分身を写し出して、戦場ヶ原と対話させ、暴れ始めた怪異を退治する。そうして怪異の背負っていた体重を、戦場ヶ原は取り戻した。その後、僕は実力テストに備えて、戦場ヶ原ひたぎと勉強会を行うことになる。その帰り道で自転車に乗っていた僕は、背後から強襲された。一撃で体を圧し折られた僕は、何が起きたのかを知る事もできなかった。自転車から跳ね飛ばされ、落ちた先の道路に肉を抉り取られ、頭を強く打って――僕は死んだ。

 

『災難だったなぁ、阿良々木ちゃん』

 

 意識を取り戻すと、千切れ飛んだ肉片が見える。何が起こったのか僕は知らなかった。僕は自転車に乗って帰宅中だった。なのに何時の間にか、自転車から降りて立っている。その自転車は遠くの方で、スクラップとしか言えない有様になっていた。この肉片は誰の物なのか。なぜ自転車はクズ鉄と化しているのか。その事情を僕は知らないけれど、知っている奴を僕は知っている。

 

「おい、悪魔。これは一体、なにが起こったんだ」

『背後から殴り飛ばされて、お前の体はバラバラの肉片になったよ。そのままだと困るから、お前の分身を作って、お前の意識を分身へ移したんだぁ』

 

「じゃあ、つまり、この飛び散った物は……」

『お前の体だなぁ』

 

 その言葉を聞いてキュっと心臓が締まる。そう思ったものの、心臓は締まらなかった、違和感を覚えた僕は、胸に手を当てる。しかし、心臓の鼓動を感じ取ることは出来ない。なせか心臓の鼓動が聞こえない。嫌な予感を覚えた僕は、痛みを感じるために強く腕を握った。しかし、触覚はあるけれど痛覚は機能していない。僕の体が僕へ、痛みを伝える事はなかった。

 

「おい、悪魔。僕の体に何をした?」

『何もしていないよ。何か不具合があるのかなぁ?』

 

「心臓の音が無いし、痛覚も無いぜ。これは返品を希望するほどの欠陥品だ」

『ああ、それは鏡像の仕様だよ。中身まで写し出すのは無理なんだぁ』

 

「……なんだって?」

『写し取るのならば兎も角、僕が写し出せるのは外側だけだから、内臓までは再現できない』

「じゃあ、僕の脳は何所にあるんだ? 僕は如何やって思考している?」

 

『怪異に脳ミソなんてある訳ないだろう? あったとしても飾りだよ』

「怪異って……僕は人間じゃないのか?」

 

『お前の肉体なら、そこに転がっているじゃないか』

 

 どうやら僕は、人では無くなったようだ。これから如何するべきなのだろう。道路に撒き散らされた僕の死体を片付けるべきか。あの死体を警察に回収されれば、阿良々木暦が死んだ事を暴かれる。生き物として機能が存在しない僕は、すぐに偽者とバレるだろう。だから僕は阿良々木暦の死体を拾い集めて、近くの川へ捨てた。その作業の途中で僕は、大変な事に気付く。

 

「おい、悪魔。もしかして羽川の両親も、僕と同じ物なのか」

『うん、そうだよぉ。お前と同じように鏡像だ。物を食べなければ、水も飲まなければ、内臓もないし、排泄機能もない。汗も掻かなければ、疲れることもなければ、涙を流すこともなければ、体温もない。病気にもならないし、虫歯にもならないし、老化しないし、眠る必要もない。でも、喋るために声帯と空気袋は再現してある』

 

「十分だよ、ちくしょう!」

 

 壊れた携帯端末を握り締めたま、羽川の家へ向かって僕は走り出す。僕を殺したのが誰かなんて、今は如何でも良かった。それ以上に僕は、悪魔に対して怒っている。自分に対しても怒っている。悪魔は人ですら無い物を両親として、羽川にプレゼントした。でも、その事態を引き起こしたのは僕だ。僕がアイスクリーム3つを捧げると悪魔に約束しなければ、悪魔は偽者の家族を生み出さなかった。

 

「羽川! 僕だ! 阿良々木暦だ! お前に大事な話がある!」

『大声出しちゃ御近所さんに迷惑だよ、阿良々木くん。玄関まで迎えに行くから、大人しく待っててね』

 

「ああ、羽川……お前は何時だってマイペースだな」

 

 羽川の家に上がった僕は、羽川と偽者の家族に歓迎される。羽川に聞きたいことがあったのだけれど、質問をする前に風呂場へ案内された。そこで死体を集めた際に、僕の体へ付いた血を洗い流す。そして風呂場から出ると、羽川家の食卓へ案内された。そこで僕は晩御飯を御馳走される。けれども僕は、食事を飲み込む事ができなかった。今の僕は味覚も無ければ、食道もない。どうしようも無くなった僕は流し台へ向かい、口の中に入れた物を吐き出した。そんな僕の背中を、羽川は優しく撫でてくれる。

 

「悪い、羽川。おいしくないって訳じゃないんだけど……今は食べ物が喉を通らないんだ」

「いいよ、阿良々木くん。わたし知ってるから。今の体には食道が無いんだよね」

 

「羽川……! なんで、それを!?」

「やだなぁ、阿良々木くん。お父さんやお母さんと一緒にいるんだよ。分からない訳ないじゃない」

 

 そうだった。一緒に暮らしている偽者の正体に、羽川が気付かない訳はない。そんな事に思い至らないほど、僕は混乱していたのか。食卓に戻ってみると、父親と母親の食事は置いてあるだけで、食べている様子はなかった。よく見ると、父親と母親の食事は量も少ない。僕に出された物も、偽者の両親と同じ物だった。羽川は最初から、僕の正体に気付いていたのか。

 羽川が阿良々木家へ連絡して、僕は羽川家へ泊まる事になった。僕は家へ帰ろうと思ったけれど、それを羽川は許さない。どうやら僕は、僕自身が思っている以上に様子が変らしい。これは僕の死体を見た上に、その死体を片付けた影響なのだろうか。そういえば死体は集めて川に捨てたけれど、あんな捨て方では誰かに発見されるかも知れない。そんな事を悩んでいる間に僕は、羽川の部屋へ案内された。

 

「阿良々木君、何があったの?」

「戦場ヶ原の家から帰る途中で、何かに襲われたんだ。それで僕は死んだ。でも、悪魔が僕の体を写し出して、この体に僕の意識を移したらしい。その後は僕の死体を片付けて、その途中で羽川の家族も悪魔が写した物だと思い出して……羽川の家まで来た」

 

「死体を片付けたって……どうやったの?」

「……川に捨ててきた」

 

「ダメじゃない、阿良々木くん。生ものなんだから、川に捨てちゃダメでしょ」

「さすが羽川だ! その発想は無かったぜ! でも、たぶん手遅れだと思うぞ。今頃、僕の体は海へ向かって自動運送されている所だ。今さら取りに行けねーよ」

 

「死体が見つかったら大変な事になるわよ。ちょっと調べれば人の体じゃないって分かるから、阿良々木くんが偽者だって言われちゃうかも知れない」

「今考えると僕も、雑な事をしたと思って反省してる。こうなったら、僕の死体が見つからないように祈るしかないな」

 

 先の事を考えると不安だらけだ。でも、羽川と話していると楽になれる。問題は何一つ解決していないけれど、気持ちに余裕ができた。羽川や戦場ヶ原と関わるようになって、僕の人間強度はティッシュペーパーのように薄くなってしまったらしい……八九寺は含めないのかって? あいつは幽霊だから良いんだよ。ボディタッチしたってノーカウントだ。僕に憑いている悪魔は……あいつの立ち位置は今回の件で分かった。あいつは悪魔以外の何者でもない。

 

「羽川が居てくれて良かったよ。僕だけだったらダメになっていたと思う」

「私も阿良々木くんが居てくれて嬉しいよ。阿良々木くんのおかげで、私も普通の生活ができるんだから」

 

「普通の生活か……なあ、羽川。お前は今の家族を、どう思ってるんだ? ……家族が人じゃなくても良いのか?」

「いいよ。私は今の家族がコピーでも構わない。前の両親と一緒に住んで居た時は、「おはよう」とか「おやすみなさい」とか「いただきます」とか「ごちそうさま」とか言った事は無かったの。でも今は毎日、朝は「おはよう」って言って、夜は「おやすみ」って言って、ご飯を食べるときは皆そろって「いただきます」って言って、食べ終わったら皆そろって「ごちそうさま」って言える。それを当たり前の事だと、私は思えるようになった――私は阿良々木くんが、阿良々木くんのコピーでも構わないよ」

 

「……そっか」

 

 それは残酷な言葉だった。羽川にとって、僕は阿良々木暦だ。阿良々木暦として在っても良いと言う。そんな羽川に対して僕は素直に、恐ろしいと思った。そんな言葉を当たり前のように口に出来る羽川翼を、気持ち悪いと思った。僕は阿良々木暦ではないと否定されたかったのかも知れない。そうすれば僕は阿良々木暦ではない存在として、阿良々木暦として背負うべき重圧から逃れる事ができたのだから。

 

「阿良々木くんの命を奪った物って何だったの? 阿良々木くんが生きているって分かったら、また襲ってくるんじゃないのかな?」

「ああ、羽川の思っている通り、あれは人じゃないな。自転車に乗っていた僕を後ろから殴り飛ばせる奴を、僕は人とは認めない」

 

「悪魔さんも知らないの?」

「あいつに聞くのは、僕としては気が進まないんだけどな……」

 

『阿良々木ちゃんの予想通りだよぉ。最近ずっと阿良々木ちゃんに付き纏っていた神の人だ』

 

「神の人って言うと、神原が雲の上にいる人みたいじゃないか」

『包帯を巻いている方の腕に怪異を宿している。阿良々木ちゃんを殴り飛ばしたのも、その怪異の力だなぁ』

 

「やっぱり神原駿河か。あからさまに怪しかったもんな。でも、なんで僕は殺されたんだ?」

『それは情報不足だよぉ。本人に会って聞くしかない。でも安心するといいよ。神の人に攻撃されて、また阿良々木ちゃんが死んでも、新しい体へ移し替えてあげるから』

 

「体がパンで出来ているヒーローみたいだな。そのうち心が磨耗して、過去の自分を殺しに行きそうだ」

『ああ、そうそう。これからの代償について言い忘れていたなぁ』

 

「分かってるよ。僕の体はアイスクリーム一つ分の価値しかないんだろ?」

『いいや、いらないよぉ。今回は、お前が死ぬと困るから勝手にやった事だ。これからも死んだ際の移し替えは無料でやってあげる――それに今の体じゃ、アイスの味なんて分からないだろう?』

 

「デレ期かと思った僕がバカだったよ! ツンの前振りじゃねーか!?」

「阿良々木くん! 大声出しちゃ、めっ!」

 

「はい、ごめんなさい」

 

 悪魔の言葉に怒り狂った僕だけれど、すぐに羽川によって鎮圧された。本当に、羽川が居てくれて良かったよ。羽川が居なかったら僕は発狂して、地面に頭を打ち付けていたと思う――よし、決めた。神原の件を解決するために、僕は悪魔の力を借りない。神原に殺されて、悪魔に復活させられるパターンもノーグッドだ。僕は一度も死なずに、神原を攻略してみせる!

 

 そうして羽川の家に泊まった翌朝、緊急事態が発生した。「おはよう」と言って挨拶を交わした羽川の頭に、あの猫耳が生えていたからだ。このまま事態を放置すれば、僕に全治一ヶ月の重症を負わせた化け猫が再起動する。僕は神原の件を解決する前に、羽川の問題を解決する事になった。幸な事に未だ羽川の意識はあるので、2人で一緒に原因を探り出す。

 

「猫は羽川のストレスを解消するために活動するんだ。つまり昨日、羽川のストレスが限界を突破するような事があったに違いない。羽川、何か心当たりはないか?」

「えーと、昨日は阿良々木くんが来たこと以外に、変わったことは無かったよ」

 

「僕と交わした会話の中に、羽川のストレスを誘発させるような事があったのか? やっぱり前回と同じように、家族の問題なのかも知れない」

『原因は、お前だよぉ』

 

「悪魔の写した家族って事に、羽川は無意識の内にストレスを感じているんじゃないか?」

『原因は、お前だよぉ』

 

「やっぱり悪魔のせいだよ。悪魔が居なくなれば、全てまるっと解決するんだ」

『原因は、お前だよぉ』

 

「おい、悪魔。さっきから自分の罪を、僕に擦り付けようとするな!」

『それじゃあ、説明してやるよぉ。羽の人は、お前と一緒に寝たいと思ったけれど言い出せなくてモンモンしてたんだ。間違えた振りをして布団へ忍び込もうと思っても、お前は眠れないから直ぐにバレる。その結果、欲求を満たせない事で発生するストレスが溜まって、猫の人が起動状態になったんだぁ』

 

「なにを言ってるんだお前は、なあ羽川……」

 

 そう言って羽川を見ると、黒かった髪は白くなっていた。どうやら羽川は中傷に耐え切れず、猫を被ってしまったらしい。化け猫となった羽川を見て、僕は身構える。この化け猫に僕は全治一ヶ月の大怪我を負わされた覚えがあるからだ。おまけに触れるだけでエナジードレインが発動し、衰弱状態にされる。しかし化け猫は僕に襲いかかる事はなく、羽川の部屋に置かれたベッドへ、ゴロニャーンと寝転んだ。

 

『ほら見ろ。さっきの話を聞いたからストレスが限界突破して、猫になったぞ』

「どっちにゃって言うと今回の原因は、御主人に止めを刺した、お前にゃんだけどにゃ。でも、そっちの憑り代を壊したって、すぐに復活できるんにゃろ? だから今回も適当に暴れ回るしかねーにゃ」

 

『化け猫とデートして来いよぉ、阿良々木ちゃん。それでストレスは発散される。それを遣らなかったら前のように、化け猫は人を襲い始めるだろうなぁ』

「別にオレは暴れ回る方でも良いんだけどにゃ。御主人のストレスが発散できるのなら、付き合ってやってもいいにゃ」

 

 そんな訳で僕は、化け猫とデートする事になった。公園へ行ったり、買い物へ行ったりして、自由過ぎる化け猫に振り回される。そうして羽川の家へ戻ると、悪魔の言った通り、化け猫は羽川へ戻った。つまり悪魔が言った「僕を思って羽川がモンモンしている」という情報は本当の事なのだろうか……いやいや、相手は悪魔だ。何か罠があるに違いない。化け猫も悪魔が原因だと言っていた。常識的に考えて優等生の羽川が、落ちこぼれな僕を恋人にしたいと考えるはずがないじゃないか。こんな僕と釣り合う人間と言ったら、人見知りが激しくて、部屋に引き篭もっていて、男同士の掛け算が大好きなダメ人間くらいのものだろう。

 

 その後日談というか本編だ。剣道部から借りた防具を服の下に着込んで、戦う準備を整えた僕は神原へ会いに行った。しかし、僕と会った瞬間に神原の様子が変になる。そして神原の家へ引っ張り込まれた僕は、包帯の下に隠されていた獣の腕を見せられた。そして神原は「さすが阿良々木先輩だ。まさか、その眼力だけで猿の手を封じてしまうとは!」と訳の分からない事を言い出して、僕を神へ祭り上げるほどの勢いで褒め始めた。結局、訳の分からないまま神原の事件は解決してしまったようだ――本当に訳が分からない。

 

『では、説明してやろう!』

 

 お前は黙ってろ。




(下)へつづく


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【転生】鏡物語【化物語】(下)

【あらすじ】
羽川翼は偽者の家族と暮らし、
戦場ヶ原ひたぎは重さを取り戻せず、
神原駿河は思いを伝える事ができません。


003『偽物語』/つきひフェニックス

 

 妹の火憐ちゃんに肩車をされて歩いていると、突然、僕の意識は失われた。そして意識が戻ると、髪型がボブカットの見た事もない女性が火憐ちゃんの上に立っている。地面に倒れた火憐ちゃんの体を、その女性は踏み付けていた。その光景を見て一気に沸点を超えた僕は女性へ殴りかかり、そして再び意識を失う。そして再び意識が戻ると、布団のように折り畳まれた僕の体を女性は踏み付けていた。かつて僕だった僕の体からは、ガラスの欠片が零れ落ちている。そこで僕はやっと、女性によって殺される度に、悪魔によって体を替えられていた事に気付いた。

 

「あかんなぁ、キリがない」

『不死の怪異を狩る専門家、影縫余弦だなぁ』

 

「おお、うちの事を知っとるなんて、うちも有名になったもんや」

『僕の殺し方は知ってるくせに、わざわざ端末を潰すなよぉ。増やすのが面倒じゃないか』

 

「完成する前に潰せるもんなら潰しておきたいもんやん。けど、これでもダメなら今はあかんか」

 

 そう言うと悪魔に影縫余弦と呼ばれた人物は、ポストの上へ跳び移った。僕は倒れている火憐ちゃんに駆け寄って、一目で分かるほど大きな傷は負っていない事を確認する。そして影縫余弦へ視線を戻すと、ポストの上から其の姿は消えていた。辺りを見回しても、影縫余弦は見当たらない。僕だった死体がガシャンと、ガラスを割るような音と共に砕けて消えた。影縫余弦は、ここから立ち去ったのか。そう判断した僕は気が進まなかったけれど、相手の事を知っているらしい悪魔に話を聞いた。

 

『さっきも言ったけれど、不死の怪異を狩る専門家だよ。僕にとっては天敵だねぇ』

「つまり、さっきの奴に頼めば、お前を退治できるわけか」

 

『僕を退治されたら当然、君も機能を停止する。生身の体は壊れちゃったからなぁ』

 

 そんな事もあったけれど、火憐ちゃんを神原へ紹介する任務は達成できた。その帰り道でフワフワでヒラヒラのアニメチックな服を着た斧乃木余接と遭遇し、蛹(さなぎ)のお兄ちゃんと呼ばれる。一緒にいた八九寺は蝸牛(かたつむり)のお嬢ちゃんと呼ばれていたので、蛹(さなぎ)という表現は悪魔を指しているのだろう。さらに次の日、コンビニに行って帰宅した僕は、影縫余弦と斧乃木余接がインターホンを連打する光景を目にする。思わず来た道を引き返したくなったけれど、倒れた火憐ちゃんの姿を僕は思い出した。僕の家族が巻き込まれるのは嫌なので、僕は2人の前に姿を現す。

 

「おどれ―ー」

「……どうも」

 

「僕に用があるんでしょう。家族は巻き込まないでもらえますか」

「虫ケラのお兄やん、なーんや知らん。おどれ、勘違いしとるみたいやな」

 

「……勘違い?」

「鏡の中の悪魔にして人の瞳に巣食う蛹虫、鏡写しは羽化した後でないと殺せんやさかい先送りになっとる――」

 

 僕が姿を現しても、斧乃木余接はインターホンの連打を止めない。そうしていると居留守を使っていた妹の月火ちゃんが、逆切れしながら扉を開けた。そして影縫余弦の対する警戒心の漏れ出ている僕と、門扉の上にバランスよく立っている影縫余弦と、インターホンの連打を止めない斧乃木余接を見て、月火ちゃんはハテナマークを浮かべる。そんな月火ちゃんは答えを導き出す前に、玄関の扉ごと粉砕された。

 

「――え」

 

 何が起こったのか。僕の目で捉える事はできなかった。殺害に至る過程は消し飛んで、月火ちゃんの上半身が吹っ飛ばされているという結果だけが残る。これは誰がやったのか……そんな事は決まっている。破壊の跡は玄関から門扉へ続き、その先に斧乃木余接が立っていた。インターホンを連打していた斧乃木余接の指と視線は、月火ちゃんに向けられたまま固定されている。

 あいつだ。と思った瞬間、僕は斧乃木余接へ飛びかかっていた。人の力では出しえない破壊力の傷跡を見ても、そいつを恐れる事はなかった。死んでも悪魔の力で復活できるからか? いいや、違う。月火ちゃんを殺されて、僕は怒っているからだ! しかし、その途中で意識は途切れ、意識が戻ると僕だった体は影縫余弦に踏まれている。見ての通りだ、また僕は死んでいた。

 

「落ち着きぃや、虫ケラのお兄やん――見てみぃや」

 

 そう言った影縫余弦は、玄関の方を指差す。でも僕は、僕を殺した影縫余弦と、月火ちゃんを殺した斧乃木余接から目を放せなかった。けれども影縫余弦に動きを封じられ、僕は強引に首の向きを変えられる。そうして玄関を見ると、上半身が吹っ飛んだはずの月火ちゃんは傷一つなかった。ただし、月火ちゃんの服は破れたままで、さっきの光景が見間違いではなかった事を示している。

 

「おい、悪魔。月火ちゃんを写し替えたのか?」

『いいや、僕じゃないよ。これは月の人自身の力だ。自力で再生できるなんて便利だね』

 

「僕は月火ちゃんと14年間一緒にいたけど……月火ちゃんに、そんなミラクルパワーが有るなんて僕は知らないぞ」

『僕は知ってたよ。お前の妹は怪異だ』

 

 いつものように悪魔は、最悪のタイミングで爆弾を投下した。

 

 意味が分からない――意味を分かりたくなかった。

 信じられない――信じたくなかった。

 けれども悪魔の言葉を、影縫余弦と斧乃木余接は補完する。

 そして最後に僕の記憶が、月火ちゃんを怪異と証明した。

 

『阿良々木ちゃん、言ってたじゃないか。「一生消えない」って医者から太鼓判を押された胸の傷が消えてたり、身体に傷が残ってなかったり、髪の伸びが早かったり、毎日爪を切ってたり――ほら、思い返してみると、おかしな事が沢山ある』

「分かったよ。分かったから、もう言うな――お前を殺したくなる」

 

「蛹(さなぎ)のお兄ちゃん、あなたは不死身の怪異に縁があるようだね。あなたの妹は不死身の怪鳥に犯されている。あそこのアレは世にも珍しい火の鳥、邪悪なるフェニックスだよ――僕はキメ顔でそう言った」

 

 ああ、認めよう。僕の妹である阿良々木月火は怪異だ。人として生まれるはずだった阿良々木月火の偽者だ――でも、だから何だって言うんだ。それを言うのなら僕だって偽者だ。本当の僕は死んで、偽者の僕が成り代わっている。阿良々木暦を騙って、生きている振りをしている。何も知らない家族を僕は騙している。自身を偽者と知らない月火ちゃんと違って、自分を偽者と知った上で嘘を吐いている――僕の方が、よっぽど悪(わる)じゃないか。

 

「おい、悪魔。月火ちゃんを助けろ」

『その代償は? 言っておくけれど、その体でアイスクリームはいらないよ』

 

「前に言ってたよな、お前は僕が欲しいんだろ――僕の魂でも何でもくれてやる」

『うん、じゃあ、せっかくだから貰おうかな。こんな機会は滅多にないからね』

 

「僕を嵌めたくせに」

 

――『、よく言うぜ』

 

 悪魔は願いを叶える変わりに、人の魂を獲る。命に代えてでも果たしたい願いを、命よりも大事な思いを、人の身では叶わない願いを、人の代わりに悪魔は果たしてくれる――ただし悪魔は自分にとって都合がいいように、人の願いを曲解する事があった。神原駿河が「戦場ヶ原ひたぎとずっと一緒にいたい」と願った結果、戦場ヶ原と一緒にいた僕が殴り殺されたように、悪魔は願いをこじつける。なぜなら悪魔は、万能ではないからだ。例えば神原駿河の願いを叶えた怪力の悪魔は、僕が物理的に死なないと分かると如何しようもなくなった。

 僕に憑いた悪魔は虫ケラだった。いつかの吸血鬼によると「貧弱で存在感もない、まともな形もない半端物」らしい。生物に寄生して形を写さなければ、自身の形も定まらない蛹(さなぎ)の怪異だ。こいつは蛹だから、自力で移動することすら出来ないし、一つの物に憑いたら別の物へ乗り移れない。時々こいつが僕の中から居なくなっていたけれど、都合が悪いから居留守を使っていただけだった。そんな非力な怪異だけれど、一つの逸話がある。

 ある所に、人見知りをする子供がいた。差別されている訳ではなかったけれど、いつも一人で遊んでいた。ある日、そんな子供に友達ができる。子供は友達の話を楽しそうに家族に話し、子供に友達ができた事を家族も喜んだ。しかし、その友達は何所の誰なのかと聞くと、子供は答えを濁す。次の日、心配になった家族が様子を覗いてみると、子供は木の枝に付いた蛹(さなぎ)に向かって楽しそうに話しかけていた。

 そんな子供も成長して大人になり、お嫁さんを迎える。婚儀が行われ、その夜、夫婦は初夜を迎えた。次の日、昼になっても部屋から出てこない夫婦を、両親が起こしに行く。しかし、夫婦の返事はなく、仕方なく扉を開けると部屋に夫婦の姿はなかった。その後、何日経っても夫婦は姿を見せず、いつの間にか嫁の両親も姿を消した。不審に思って嫁の実家へ行くと、家の影も形もない。結局、両親の息子は行方も知れず、どこかへ居なくなってしまった。地方によっては子供の話しかけている物が蛹ではなく、鏡に映った自分自身だったりする。

 子供は大人になり、いつか親元から離れてしまう。そういう話だ。ただし、この子供は怪異に憑かれ、怪異と結婚して大人へなると共に消えてしまった。蛹(さなぎ)は子供に憑き、宿主と共に成長し、やがて宿主と一つになって脱皮し、新たな怪異となる。「鏡写し」や「写し蛹」とも呼ばれる此の怪異は、脱皮するまで曖昧な状態であり、様々な人や物を写し取ることが出来た。

 阿良々木暦の瞳に写った人や怪異を、蛹は写し取っている。触れただけで生命力を吸い取る障り猫、上半身を吹き飛ばされても再生する月火ちゃん、人差し指を巨大なハンマーへ変える斧乃木余接、人体を腕力で押し潰せる影縫余弦。それらを内包した蛹は僕と混ざり合って、僕の望み通り、月火ちゃんを「助ける」という役割を付け加える――そうして僕こと阿良々木暦は、新たな怪異として羽化した。

 

004『猫物語(白)』/つばさタイガー

 

 私こと羽川翼は、不在の阿良々木くんに代わって物語る。阿良々木くんの家が半壊した日、潰れた自転車を残して阿良々木くんは行方不明になった。ダンプトラックが突っ込んだという話だけれど、そのダンプトラックは見つかっていないから怪しい物だ。おまけに、玄関にいた阿良々木くんの妹ちゃんは奇跡的に無傷だったらしい。家が半壊したのに、奇跡的に無傷だったなんて有り得ない話だと思う。

 状況から察するに、自転車に乗って帰宅した阿良々木くんは、門扉前にいる何かを発見して自転車を止めた。門扉辺りにいた何かは、玄関辺りで何かをやって、阿良々木くんと争いになる。阿良々木くんは妹ちゃんを守りながら戦って、その結果、家は半壊した。でも、やっぱり気絶した状態で発見された妹ちゃんが無傷だったのは、おかしいと思う。阿良々木くんが妹ちゃんの分身を作ったのかと思ったけれど、私の会った妹ちゃんは生身のままだった。無傷で発見された後に、どこかで分身と入れ替えられた可能性もある。

 その後、身元不明の死体が川から引き上げられた。その死体には、車に跳ね飛ばされたような傷跡が残っていたという。その死体は阿良々木くんと判明したため、阿良々木くんは自宅へ突っ込んだダンプトラックに跳ね飛ばされた後、跳ね飛ばした犯人によって川へ遺棄されたという事になった。その死体は阿良々木くん自身が捨てた物だし、殺したのは神原さんなのだけれど、それを言っても仕方がない。

 

 阿良々木くんのお葬式が行われた。参加した皆は阿良々木くんを死んだと思っている。でも私は阿良々木くんが、どこかで生きていると知っていた。悪魔さんが死ぬと写し出した両親も砕け散る、と聞いているので生きているのは間違いない。だから阿良々木くんが帰ってきたら、帰る家がないから大変だ。死んだ事になっているから学校にも通えない。その時は私の家に……阿良々木くんのくれた「私の家」に泊めてあげようと思った。

 阿良々木くんの火葬を見届けた帰り道で、私は大きな虎と遭遇する。私が見上げるほど大きな虎だ。そんなダンプトラックのような大きさの虎が、現実に存在するなんて聞いたこともない。それに街中を虎が歩いるにも関わらず、騒ぎになっていなかった。その虎が喋ったとなれば、きっと怪異の類なのだろう。そして私と擦れ違った虎は喋った。「白くて、白々しい」と、まるで人のように喋ってしまった。

 その虎から私は火車を連想する。火車は死んだ者の体を奪うとされる巨大な猫だ。私と擦れ違った虎は、阿良々木くんの体を奪いに来たのかも知れないと私は思った。でも、それは無いだろう。阿良々木くんの体は燃え尽きて、もう灰になってしまったから――けれども心配になった私は、両手で持っていた小さな箱の中身を確かめた。阿良々木くんの家族に分けてもらった、阿良々木くんの骨――白くて白い、小さな骨の欠片が、そこに収められていた。

 その次の日、「私の家」が燃えた。今の家ではなくて、前の家が燃えた。私が帰っても「おかえり」って言ってくれなかった人達の家が燃えた。でも私は、「おかえり」って言ってくれなかった人達の住んでいた建物を「私の家」と言ってしまった。教室の窓から見えた燃えている建物を見て、思わず「私の家が燃えてる」と口走った。皆の見ている前で、あれは私の家だと、宣言してしまった――それから町の彼方此方で火事が多発する。10以上の家が燃えて、連続放火事件としてニュースになった。

 火事が起こって10日後の朝、私は爪の隙間に詰まっていた土汚れを発見する。寝ている間に自身が歩き回っている事に、私は気付いた。犯行の証拠として、枕から白い髪の毛を発見する。私が寝ている間に、障り猫が活動しているに違いない。まさか放火を行っている犯人は障り猫、つまり私なのだろうか。悪魔さんによると、私が障り猫へ変身する理由はストレス解消のためらしい。だから私は障り猫を鎮めるために、私の感じているストレスの原因を探し始めた。

 火事の後片付けのために欠席するクラスメイトが増えて、ついに私の属するクラスだけ授業は中止になった。その時やっと私は、火事の発生した家の生徒が、私のクラスへ集中している事を自覚する。私の感じているストレスの原因は、他人なのだろうか。ならば他人と関わらなければ怪異を鎮める事ができるのかも知れない――その日の下校中、臥煙伊豆湖と名乗る人が私に声をかけた。

 

「本来ならば公園のベンチなどに座って、大人としてジュースを奢りながら、まずはソフトな話からしてあげるのが在るべき私なのだけれど――ことは刻一刻と一刻を争うんだ。簡潔に言うと、君の周りで起こっている事件を引き起こしている怪異は猫ではなく虎だ。君自身が此の後に図書館へ行って『苛虎』と名付ける事になる、その古今無双に強力な怪異は、誰の助けも借りず、君自身の力で解決しなければならない。なぜならば其れは君自身の問題なのだから」

 

 そう言って臥煙さんは去って行った。風のように素早く、嵐のように私の心を掻き乱して――そして私は虎と聞いて、お葬式の帰り道で遭遇した虎の事を思い出した。阿良々木くんの火葬を見届けた後に現れた、誰にも見えない大きな虎。その虎と会った次の日、あの家が燃えた事を始まりとして、連続放火事件は今も続いている。でも、なぜ虎は、私の周りにいる人々の家を焼くのだろう。その謎を解くヒントは、いまだに焼けていない私の家にあった。

 今の私が住んでいる家は、悪魔さんが用意したものだ。悪魔さんによると、こんな事もあろうかと用意していたらしい。でも、それは障り猫に憑かれるという事を知っていなければ出来ない。だから悪魔さんは、私が障り猫に憑かれると知っていたのだろう。悪魔さんは私と違って何でも知っている。それは一万体の分身を世の中に放っているからだと悪魔さんは言っていた。

 私の家は悪魔さんの作った偽者だ。だから虎は燃やさない。虎は本物を燃やす。本物の家を燃やす。本物の家族を燃やす。そういう事なのだろう。始まりは私だった。だから私が虎を止めなければならない。でも、人としての私が虎を止めようと思うのならば、根源である両親を亡き者にするか、水源である私が死に至るしかない。怪異である虎と戦って止めようと思うのならば、怪異としての力が必要だった。「怪異には怪異を、人には人を」と阿良々木くんも言っていた――その怪異としての力を私ではない私、もう一人の私は持っている。

 

 御主人の手記を読んだ後、俺は窓から飛び出した。何が書いてあったのかって? それは御主人と俺の秘密だにゃ。とにかく俺の遣らにゃくちゃにゃらない事は、御主人の心から生まれた苛虎を取り戻す事にゃ。怪異としての原型がにゃいため逸話に縛られず、俺の次世代型とも言える苛虎を取り押さえるのは難しい。でもにゃあ、御主人に頼まれちまったからにゃあ――俺達の妹を迎えに行くのにゃ。

 放火を繰り返した苛虎は力に慣れて、遠く離れた場所からでも放火できるようににゃった。そんな苛虎は町を見下ろせる、一番高いビルの屋上に陣取っている。今も何所かの家屋を炎上させている苛虎の前に降り立ち、俺は説得を始めた。しかし、こいつは聞く耳を持たにゃい。ストレスから目を逸らすのを止めて、意識を取り戻した御主人の言葉も届かず、苛虎は俺達に牙を剥いた。

 苛虎の視線が俺を貫く。物理的な圧力を感じて、俺は寒気を感じた。その瞬間、俺の体は発火する。肌の上を炎が這い、俺の白い髪を焦がし、全身を焼かれた。それでも俺は、苛虎から目を逸らさず、その場を飛び退く。すると、俺のいた場所に苛虎の前足が振り下ろされ、屋上の床をズシンと割って大気を振るわせた――あいつは俺を見ただけだ。瞳に映されただけで発火させられた。

 強かった。果てしにゃく強い。今や苛虎は自在に炎を操る。前足を振り下ろせばコンクリートを軽々と踏み砕き、視界に映ったもの全てを距離に関係なく炎上させる。苛虎は周囲に侵入者を捕らえる炎の網を張り巡らし、苛虎へ接近するルートを制限していた。近距離でも遠距離でも戦える、万能な戦闘能力を見て取れる。物陰へ隠れる事もできず、一休みする暇もにゃかった。

 俺は今、太陽と戦っている。こいつは御主人が18年間かけて溜め込んだ、嫉妬の炎だ。その輝きは大地を照らし、全てを焼き尽くす。激烈にして苛烈、荒々しく猛々しい、地上に生まれた白い太陽だ。その姿を直視すれば目を焼かれ、近付いただけで炎上する。真っ白で、綺麗で、一点の汚れもにゃく、一点の曇りもにゃい――その体に触れることさえ許されにゃい。

 相手の体に触れにゃければ、俺のエナジードレインは発動しにゃい。この力だけが、苛虎へ通用する唯一の可能性にゃ。にゃけど、発火する視線と炎の網が、俺の進む道を阻んでいた。炎で形作られた結界のにゃかから、不可視で必中の砲弾が飛んでくる。どうしようもにゃかった。抗いようがにゃかった。全身を焼かれた俺は、手足も動かにゃくなって、無様に地面へ倒れ伏す。

 

「無理だった。無茶だった。無駄だった――」

『そんなことはねーぞ、羽川』

 

 その声に私はハッと顔を上げる。その瞬間、空から落ちてきた何かが、炎の網を強引に突き破った。炎の結界は容易く破られ、その中心にいた苛虎を踏み潰す。小さな影によって白い巨体は押し潰され、屋上の床を叩き割って階下へ落とされた。私は床を這って、屋上に開いた穴から階下を覗き込む。そこには巨大なハンマーで潰されたかのように平たくなった苛虎と、その上に載る見知った顔の男の子がいた。

 

『無理だったのかもしれない。無茶だったのかもしれない。でも、無駄じゃなかった。お前が頑張ってくれなかったら、僕は間に合わなかった――そしたら僕は、きっと泣いてたぜ』

 

 その頭には猫耳が生えていた――きっと大変な思いをして来たのだろう。

 その髪の毛は白くなっていた――きっと恐ろしい体験をして来たのだろう。

 

 その髪型はボブカットだった――イメージチェンジしたのかな?

 

 その上半身にフワフワのブラウスを着ていた――なぜ女性用の服を着ているのだろう。

 その下半身にヒラヒラのスカートを着ていた――本当に何があったのだろう。

 

『――と僕はキメ顔でそう言った』

 

 阿良々木くんは、そう言って、こちらを見上げる。その顔はキメ顔でも何でもなく、無表情なままだった。ちょっと見ない間に変わり果ててしまった阿良々木くんは、「阿良々木ちゃん」という男の娘へジョブチェンジしてしまったのかも知れない。こんな時、どうすれば良いのだろう。助けに来てくれた事を喜ぶべきなのか。阿良々木ちゃんの服装に突っ込むべきなのか。なぜ猫耳を生やしているのか聞くべきなのか。言いたい事は沢山あるけれど……とても言葉にならない。けれども一つだけ、阿良々木ちゃんを見て分かった事がある。

 

――私の好きな人は、とても残念な人になっていた。




おわり


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能力シャッフル・ロワ 『赤龍帝・人吉善吉』

【登場人物】
人吉善吉(めだかボックス)
ネギ・スプリングフィールド(魔法先生ネギま!)
ケイネス・エルメロイ・アーチボルト(Fate/zero)


人吉善吉には、大好きな奴がいる。

生徒会会長の黒神めだかだ。幼馴染の黒神めだかだ。

その黒神めだかという女の子は、獅子目言彦の攻撃を受けて地に伏していた。

 

黒神めだかだけじゃない。

人吉善吉も、くたばっていた。

他の仲間達も、力尽きて転がっていた。

 

許せなかった。

負けられなかった。

それでも伸ばした手は届かない。

 

その瞬間で人吉善吉の命は尽きる。

次に気が付くと、まったく別の場所だった。まったく知らない場所だった。

冷たいコンクリートの上に転がって、人吉善吉は中天に昇った満月を見上げていた。

 

首に触れると、金属の輪を感じ取れる。

脳に焼き付けられた「説明」によると、これで霊体を維持しているらしい。

金属に冷たさはなく、むしろ生温かかった。なぜか熱を発していて、まるで生物のようだ。

 

( 生き返れるって言われてもな……本当に死んでるのか? 身に覚えがないって訳じゃねーけど、幽霊みたいに体が透けてる訳じゃねーし。ここが天国って言われるよりも、安心院さんの仕業って言われた方が納得できるぜ。そもそも天国にしては、プログラムが殺伐すぎんだろ……! )

 

人吉善吉は状況を理解していた。

脳に焼き付けられたプログラムの「説明」を、理解していた。

それによると、北東区の箱庭学園に『安心院なじみのお悩み相談室』があるらしい。

 

『安心院なじみのお悩み相談室』があるらしい。

 

「――って安心院さん居るじゃねーか! あの人死んだとか言って、こんな所でサボってたのか!? 安心院さんのいる場所は北東区か……えーと、俺のいる、ここは、どこだ? どこかにある学校の屋上か。うっし! まずは下に降りて、現在地を把握するぜ!」

 

人吉善吉は状況を理解していた。

脳に焼き付けられたプログラムの内容を、理解していた。

でも納得はできない。死んだと告げられても納得はできなかった。

 

頭が潰れているとか。

腹から内臓が飛び出てるとか。

そういう状態ならば、納得できただろう。

 

しかし、人吉善吉の体は傷一つなかった。

獅子目言彦に付けられた癒えない傷も、見当たらなかった。

球磨川禊の大嘘憑きで『無かったこと』にされた時のように、無かったことに成っていた。

 

( おっ、不知火と球磨川もいるのかよ。ん? いや、不知火がいるのはおかしいぜ。獅子目言彦に体を乗っ取られたはずだ。そのせいでめだかちゃんは、あと一歩って所で負けたんだからな……いや、まだ負けたと決まった訳じゃねぇ。俺が死んだ後に、めだかちゃんは不知火の体から、獅子目言彦を追い出したのかも知れないぜ? ……そうでないとしたら不知火は、まだ獅子目言彦に体を乗っ取られているのかも知れねーって事か )

 

獅子目言彦か、否か。

不知火半袖に会ってみなければ分からない。

人吉善吉は球磨川禊をスルーして、不知火半袖を先に探す事にした。

 

もしも不知火半袖が獅子目言彦ならば、

黒神めだか抜きで、不知火半袖を取り戻さなければならない。

最悪の場合、人吉善吉一人で、無敵の怪物を打倒しなければならなかった。

 

人吉善吉には荷が重い。

 

( オレに与えられた特殊能力は『神器・赤龍帝の籠手』か。力を倍加したり、倍加した力を譲渡したりもできるらしい。だが、禁手やら覇龍やらは使えば即死だ。こっちの必殺技は使わない方がいいな。命がけの必殺技を使ったのに相手は無傷なんて結果もありえる……とりあえず、『神器・赤龍帝の籠手』とやらを使ってみるか )

 

人吉善吉は神器を発現させる。

すると、左腕を覆う真紅の籠手が現れた。

おっぱい大好き青年が保有していた特殊能力だ。

 

「おおっ! デビルかっけぇ! よっしゃ、気に入ったぜ! お前の名前は今日からデビルアームだ!」

 

悪魔的な意味で、間違ってはいない。

『赤龍帝の籠手』の保有者だった参加者は、人から転生した悪魔だ。

少なくとも「乳龍帝と呼ばれるよりはマシだ」と、中の人も思っているだろう。

 

人吉善吉は屋上の扉に手を掛ける。

しかし、その扉は鍵が掛かっているため開かなかった。

……まさかの初期配置トラップであるッ! 通常の方法では、屋上から脱出できない!

 

その扉は金属製だった。

窓枠は小さく、内鍵も鍵穴になっているタイプだ。

学校で自殺される事を防ぐために、内側からも開かないようになっている。

 

「このスキル……じゃなくて、特殊能力じゃなかったら閉じ込められてたぜ……よし、」『Boost!』

 

そこで人吉善吉は『赤龍帝の籠手』を使う。

神器によって倍加した力で殴り、金属製の扉を破壊した。

それによってドッシャンガッシャンと大きな音が鳴り、駒王学園周辺に響き渡る。

 

( やべぇ、やっちまった……どっちかって言うと、屋上から飛び降りた方が良かったか? いや、どの程度の高さなら、落ちても無事なのか分からねーからな。ここは安全な方を取るべきだろ? ……だが、今の音を誰かが聞いていたのかも知れねー。好戦的じゃない奴なら良いが、参加者にキリング・ドールなんて如何にもヤバイ名前の奴もいるからな……まぁ、やっちまったもんは仕方ねぇ。サクサク進むか )

 

例えば『殺人衝動』と言うスキルがある。

しかし、そのスキルの保有者は殺さない殺人鬼だ。

キリング・ドールも同じパターンで、「殺さない人形」という可能性を捨て切れない。

 

屋上は月明かりに照らされていた。

それに対して校舎の中は、暗くて見えにくい。

足を踏み外さないように、足音を立てないように、人吉善吉は階段を下りた。

 

 

しかし、しかしだ。

姿も見えず、足音も聞こえない、

しかし、人吉善吉は察知されていた。

 

校舎の1階にいる人物から、

校舎の3階にいる人吉善吉は観測されている。

観測しているのは、『式神十二神将』という特殊能力で使役されている式神だった。

 

障害物を無視して霊視できるネズミの式神だ。

それを使役している参加者は、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

聖杯戦争に参加し、衛宮切嗣に銃弾を撃ち込まれ、大怪我を負った魔術師だった。

 

撃たれた後の記憶はない。

右手に刻まれた令呪は、跡形もなくなっていた。

しかし、令呪は使い切った後も肌に跡が残り、跡形もなくなるという事はない。

 

サーヴァントと交わした契約が切れた、という以前の問題だ。

令呪の跡を治療された? 同じ見た目の肉体へ魂を移し変えられた?

ナンセンスだ。まずは情報を集めなければ、この不可解な状況を掴めない。

 

ここでケイネスは人吉善吉を殺害する事もできた。

式神の一鬼に命令すれば、暗闇の中で一方的に攻撃できる。

しかし情報収集を優先したケイネスは、人吉善吉と接触する事にした。

 

( む? 隣の校舎の中に、もう一人いるのか。それも膨大な魔力だ。とても人とは思えん……3階にいる参加者は魔力を感じ取れない。おそらく一般人だろう。さきほどの魔力の高まりは、特殊能力を用いたからか。しかし、隣の校舎にいる参加者の魔力量は異常だ。これで一般人と言うのならば詐欺だな。間違いなく魔術師だろう。これから先、障害となりえる。この参加者を、このまま見過ごすのは危険だ )

 

すぐに殺害を決断しなかったのは、デメリットとなる特殊能力もあるからだ。

『死徒』という特殊能力を取得すれば理性を失って、血肉を食らう化物となる。

しかし隣の校舎にいる参加者に不審な様子はなく、理性のある様子を見て取れた。

 

とは言っても、上位の死徒には理性がある。

「理性を失う」と書かれているのに、理性を保っている可能性もあった。

悩んだケイネスは攻撃を決める。式神を用いれば、戦闘中に逃げる事も難しくない。

 

「サンチラとアンジラに命じる。隣の校舎にいる人物を殺害せよ」

 

ケイネスは式神に、殺害を命じた。

空を飛ぶヘビの式神に、ウサギの式神を載せる。

その2鬼を隣の校舎へ向かわせ、ケイネスはネズミの式神と共に待機した。

 

ケイネスの魔力で使役できる式神は3鬼だ。

それ以上の式神を出せば、制御に失敗する恐れがある。

3鬼で攻撃に向かわせたかったものの、ネズミを残さなければ様子を探れなかった。

 

この場に自慢の魔術礼装『月霊髄液』はない。

ケイネスから取り上げられ、他の参加者に与えられた。

あの水銀ちゃんと呼ばれる水銀の塊は、今のケイネスを守ってくれない。

 

窓をパリンッと割って、式神は外へ出る。

その音を聞いて、ケイネスは思わず舌打ちした。

式神に扉を開けるという考えはない。その事に考えが及ばなかった。

 

式神はド低脳だ。

ケイネスの従えていたサーヴァントのように賢くない。

そう思ったもののケイネスは、自身のサーヴァントを思い出した。

 

サーヴァントは英霊だ。

ケイネスの従えたサーヴァントも英霊だった。

しかし命令に逆らったり、ケイネスの恋人を誘惑したりしていた。

 

最低のサーヴァントだ。

それと比べれば式神の方が、まだマシだろう。

少なくともド低脳である分、命令に逆らう事はない。

 

そんな事を考えている間に式神は、参加者の下に到着する。

標的となっている膨大な魔力を持つ参加者は、空中に光を灯していた。

蛍のような光に誘われるように近付いた式神2鬼は、窓を割って室内へ突入する。

 

 

教室の中に居た参加者はネギ・スプリングフィールドだった。

ガラスを割って飛び込んだヘビとウサギを見て、その場を飛び退く。

光を浮かべて室内を照らしていたおかげで回避に成功したものの、不利な状況だった。

 

本来ならばネギは、『闇の魔法』という強力な魔法を使える。

その魔法を用いて、地属性を統べる魔法使いのライバルに勝利した。

しかし造物主によって、ライバルごと魔法で胸を貫かれた瞬間から、ネギの記憶はない。

 

また偽りの夢を見せる、完全なる世界に囚われたのか?

そう思ってネギは解除方法を試してみたけれど、世界は何も変わらなかった。

記憶に焼き付けられた「説明」を信じるとすると、ネギは死んでいるのかも知れない。

 

『闇の魔法』は使えない。

師匠から授かった『闇の魔法』は取り上げられ、他の参加者に与えられた。

『闇の魔法』の性質から考えて、発動した瞬間に無差別殺人が始まるのは明らかだった。

 

その代わりに使えるのは、『蛍の化身』だ。

発光・幻惑・精神干渉を行えるけれど、なぜか頭から触角が生える。

記憶に焼き付けられた参加者リストによると、短命魔族の所有していた能力らしい。

 

ネギは子供の頃、悪魔に故郷を滅ぼされた事がある。

しかし今はネギも、基礎能力に「半魔族」と付くほど魔族化していた。

そんなネギに短命魔族の特殊能力が与えられたのは、偶然ではないのだろう。

 

ネギの使える能力は、『蛍の化身』だけではない。

基礎能力として「魔法使い」が登録されている通り、ネギは魔法を使える。

父親から貰った杖は無いけれど、師匠から貰った指輪は、指に付けたままだった。

 

( 魔法の射手・戒めの風矢! )

 

ネギは無詠唱で、魔法の矢を数本放つ。

それらはヘビとウサギを捕らえ、行動不能にした。

式神に止めを刺すほどネギは攻撃的ではなく、その場に放置する。

 

問題なのは、ネギを攻撃させた術者だ。

ネギは探知魔法を用いて、魔力の流れを追跡する。

窓から外に出て、隣の校舎に潜んでいるケイネスの下へ向かった。

 

霊視能力のあるネズミを通して、この事態にケイネスは気付く。

あのヘビとウサギを撃退するとは、魔力量に劣らぬ技量を持つ魔術師に違いない。

しかしヘビとウサギを呼び戻すか、ネズミを戻さなければ、他の式神は出せなかった。

 

ヘビとウサギの通った後を、ネギは逆走している。

その事からケイネスは、相手の魔術師が魔力を追跡していると察した。

式神は参加者の意思で切り離せないため、魔力の跡を追跡されれば発見は不可避だ。

 

しかしケイネスの使える能力は、特殊能力だけではない。

魔力に余裕を持たせるため、ネズミを影に戻すと、直接戦闘の準備を整えた。

魔術回路から生成した魔力を、歴史ある魔術刻印に通し、優れた魔術を発動させる。

 

とは言ったものの、まず使ったのは人払いの魔術だ。

これによって屋上から3階まで降りた人吉善吉は、下へ進めなくなった。

特殊能力を用いない限り、魔術に抵抗する事は叶わず、階段の前を右往左往する。

 

 

( どうしても2階に進めねぇ……! まさかスキルの攻撃を受けている!? どこだ! いったい何所から!? 決まってるぜ、下だ! でも進めねぇ……! カッ! こうなったら窓から飛び降りるか? いいや、それよりも良い手があるぜ! )

 

人払いの魔術は、魔術を秘匿するための物だ。

人払いの魔術に引っ掛かっていれば、安全とも言える。

しかし、イライラしていた人吉善吉はティン!と来て、神器を発動させた。

 

(10秒……)『Boost!』

(20秒……)『Boost!』

(30秒……)『Boost!』

(40秒……)『Boost!』

(50秒……)『Burst』

 

「あっ……?」

 

説明しよう!

『赤龍帝の籠手』は10秒毎に力を倍加させる。

しかし、保持者の限界を上回るとburstして、機能を停止させるのだ!

 

(10秒……)『Boost!』

(20秒……)『Boost!』

(30秒……)『Boost!』

 

「ここだ!」『Explosion!』

 

そうと知らない人吉善吉は、とりあえず4回目で止める。

そして、窓から飛び降りるのではなく、廊下の床を打ん殴った。

腕力だけではなく魔力も倍加された人吉善吉の左腕は、足元に大きな穴を開ける、

 

大砲を撃ったようなドーンという音が、周辺に鳴り響いた。

瓦礫と共に2階へ下りた人吉善吉は動きを止め、人の気配を探る。

辺りに誰もいないと判断すると、続けて2階の床を打ち抜き、1階へ舞い降りた。

 

『Reset』

 

そこで倍加の効果が切れる。

人吉善吉の体から、急に力が抜けた。

倍加に制限時間があると知らない人吉善吉は混乱する。

 

運の悪い事に、降りた先で人の気配を感じた。

すぐにチャージを再開させ、人吉善吉は戦闘に備える。

しかし最低1回の倍加でも10秒かかるため、すぐに体を強化する事は出来なかった。

 

人吉善吉は瓦礫の頂上で、フラリと体を揺らす。

一瞬で湧いた巨大な魔力を感じ取ったネギは、その男の姿を見上げた。

目の前の男から魔力は感じない。一般人並みだ。しかし、全くない訳ではなかった。

 

『Boost!』

 

魔力は感じない。

 

『Boost!』

 

魔力は感じない。

 

『Boost!』

 

魔力は感じない。

 

『Boost!』

 

魔力は感じない。

 

『Explosion!』

 

魔力が、膨れ上がった。

 

40秒後に男の存在感は、全く別の物になっていた。

その変化にネギは目を見張る。男が輝いているような錯覚を覚えた。

男の攻撃を食らえば、無事では済まされない。そんな風にネギは感じた。

 

( 魔力が倍増するなんて……とんでもない特殊能力だ。おそらく『神器・赤龍帝の籠手』だね。「説明」によると、『Boost=10秒毎に全能力を2倍にする』だ。魔力だけじゃなくて、全体的な能力を向上させる。でも、さっきボクを襲って来たのは「変わった生物」だった。きっと、この人じゃない。もう1人、この近くにいる……! )

 

「ボクはネギ・スプリングフィールドです。麻帆良学園中等部で教師をしています」

「オレは人吉善吉。箱庭学園の生徒会庶務だ……です?」

 

教師と聞いて、人吉善吉は困惑する。

闇の中から聞こえる声は、子供のような声だ。

声の位置から察するに、その身長は小学生相当と察せられた。

 

子供先生だ、とでも言うのか。

しかし、自身の母親が似たような容姿である事を思い出した。

小学生のような容姿の母親がいるのだ。小学生のような教師がいても不思議ではない。

 

魔法教師も似たような物だ。

魔法を使えるとおっしゃる妄想少女よりもマシだろう。

参加者リストにも、『魔法使い(全能力の向上ランク2)』と記されているので間違いない。

 

校舎の中は真っ暗だった。

何となく感覚を用いて、人吉善吉は瓦礫から下りる。

最低最悪の過負荷と目を閉じて戦った事もあるのだ。難しい事ではなかった。

 

その様子を見てネギは、『蛍の化身』を発動させた。

頭から触角を生やし、その先から蛍のような光を作り出す。

ネギが空中に浮かべた光は、ネギと人吉善吉を照らし出した。

 

「おっ、助かるッス」

 

下手すると、それは攻撃準備に見える。

その光で人吉善吉を攻撃すると、疑われても仕方なかった。

しかし人吉善吉はネギを疑わず。足元を照らしてくれた事に対して、素直に礼を言う。

 

それよりも気になったのは、ネギの触覚だ。

『蛍の化身』を発動させると、ネギの頭から触角が生える。

アホ毛という髪の毛ではなく、外骨格で包まれた蛍の触角だった。

 

人吉善吉は「説明」を思い出す。

触角が生えると明記されている特殊能力があった。

それによって人吉善吉は、ネギに与えられた特殊能力を『蛍の化身』と察する。

 

そこで人吉善吉は気付く。

ネギの基礎能力に半魔族と記されていた。

ネギは10歳に見えるけれど、じつは100歳だったりするのかも知れない。

 

獅子目言彦に殺された安心院なじみを、人吉善吉は思い出す。

北東区の箱庭学園にいるらしい安心院なじみは、宇宙誕生以前から生きていた。

この小学生に見える少年も、見た目通りの年齢ではないのだろうと、人吉善吉は思う。

 

『Reset』

 

( 倍加した力の継続時間は今の所、約1分か。こいつは使い所が難しいぜ。チャージをしている間は素の体力だ。チャージが終わって初めて、倍加した力を適用できる。1分以内に相手を倒せなかったら、チャージのやり直しだ。さっきと同じように敵と会った瞬間に、倍加の効果が切れるかも知れねぇ )

 

神器から発せられた音声を、ネギは聞き取る。

『Reset』の音声と共に、人吉善吉の高まった魔力は霧散した。

ネギは警戒を解いてくれたのだろうと思ったけれど、時間切れになっただけだった。

 

「じつは、さっき、誰かの特殊能力らしき生物に襲われたんです」

「そいつが近くに居るって事ッスか。さっきの変な感覚も、そのせいッスか?」

 

「おそらく人払いの魔法ですね。その特殊能力で魔力が上がったから、レジストできたのでしょう」

「探すんスか? だったらオレもやるッスよ。そんな奴は放って置けねぇッス」

 

「そうですか。でしたら、ここで犯人の逃げ道を塞いでいただくと助かります」

 

人吉善吉が敵の仲間という可能性もある。

可能性は低いけれど人吉善吉が、ネギを襲った犯人という可能性もあった。

『赤龍帝の籠手』で魔力を倍増させれば、3体の式神を使役する事もできるだろう。

 

人吉善吉は信用に足りない。

だからネギは1人で、襲撃犯の下へ向かう。

時間がない事を理由に会話を切り、式神と繋がっていた魔力の跡を辿った。

 

「式神と繋がっている」のではない。

さきほどまで「式神と繋がっていた」魔力の跡だ。

ネギは走りながら「あれ?」と思い、その変化に気付いた。

 

「いませんっ!」

「逃げられたか……まずいッスよ。他の参加者も襲われるかも知れねぇッス」

 

校内にケイネスは居なかった。

足を止めたネギと、吉善吉が組んだ事を察して逃げている。

式神であるネギとウサギの拘束も、ネギと人吉善吉が見つめ合っている間に解けていた。

 

「善吉さん、情報を交換しましょう。何が起こっているのか、僕達は知る必要があります」

「そうッスね。誰だか知らねーが、俺の頭に「説明」なんて物を突っ込んだ奴の正体を知る必要はあるッス」

 

 

ネギと人吉善吉は階段の踊り場へ移動する。

教室や廊下でないのは狙撃を防ぎ、侵入者の立てる音を察するためだ。

2人は互いに与えられた「説明」を話し合い、与えられた情報に差がない事を確かめた。

 

「俺の知っている奴は、不知火半袖と球磨川禊ッス。でも、2人とも性格に難があるッス。根は悪い奴等じゃないッスけど……俺という親友が狼に襲われる様子を安全圏から眺めていたり、イカサマ勝負で負けた女生徒に裸エプロンを着せようとしたりするッス……全裸で。あいつらが気に障るような事を言い出しても、広い心で受け止めてやってほしいッス」

 

「僕の知っている人は、神楽坂明日菜さんです。明日菜さんは僕の生徒でもあります。ナギ・スプリングフィールド(造物主)は、おそらく敵でしょう。この状況なので相手が、どう動くのか分かりません。一つだけ確かなのは、敵対されると桁違いに危険な相手だという事です」

 

ネギと家名が同じだ。

その点にネギは触れず、敵と言い切った。

他人に言い難い事情があるのだろうと、人吉善吉は思う。

 

「ええ、ナギ・スプリングフィールド(造物主)は27人の中で2人しか居ない全能力ランク6ッス。こいつらに暴走すると全能力プラス4される『闇の魔法』や、理性を失って全能力プラス5される『死徒』が配布されてたら、手が付けられなくなるッスよ」

「なんだか、すみません……」

 

『闇の魔法』はネギの特殊能力だった。

それが他人に迷惑を掛けるとなると、ネギは申し訳なく思う。

できれば能力を回収したいけれど、それは能力保持者の殺害に繋がる事だった。

 

ちなみに「説明」によって、ネギは酷いネタバレをされている。

ネギの父であるナギ・スプリングフィールドは(造物主)であると明記されていた。

しかし、その可能性を考えた事もあったので、ネギは大きなショックは受けなかった。

 

それよりもネギは不思議に思う。

「説明」を信じるとすれば、神楽坂明日菜と造物主も死んでいる。

いったい何時、2人は死んだのか。生きている人々の「今」は、何時なのだろうか?

 

要するに、ネギが死んでから何年経っている?

1年か、10年か、100年か、神楽坂明日菜に聞かなければ分からない。

人吉善吉は10年ほど先の年代から来たらしいけれど、異なる世界の出身だった。

 

( 参加者リストを信用するとすれば、ここには明日菜さんもいる。まずは明日菜さんを探さなくちゃ。南区にある麻帆良学園都市の女子寮に行けば、明日菜さんと合流できる可能性は高い。その後は、どうにかして、このプログラムから脱出しよう。「説明」によると、生き残れるのは一人だけだ……僕か明日菜さんの片方を切り捨てる道なんて、僕は選べない )

 

世界を救おうとしていた魔法使いがいた。

そのために神楽坂明日菜は囚われ、世界の礎(いしずえ)にされる。

その神楽坂明日菜を助けるためにネギは、造物主の従える組織と敵対した。

 

神楽坂明日菜を助ければ、いずれ世界は崩壊する。

神楽坂明日菜を助けるという事は、世界を切り捨てるという事だ。

その結果を防ぐためにネギは代案を用意し、神楽坂明日菜の救出へ向かった。

 

皆を助けなければならない。

誰かを犠牲にするような方法は選べない。

だからネギは神楽坂明日菜だけではなく、参加者全員を脱出させる道を選んだ。

 

問題は「首輪を外せばいい」という話ではない点だ。

「説明」によると、首輪を外せば霊体を維持できなくなり、霧散するという。

実際に確かめなければ分らないものの、首輪を外せば即死する恐れもあった。

 

首輪は参加者の生命線だ。

 

話し合いを終えると、ネギと人吉善吉は外へ出る。

真夜中なので辺りは暗いものの、なぜか街灯は灯っていた。

2人は案内板を見て、現在の位置を知る。ここは「北区 駒王学園」だった。

 

「ところでネギ先生、「説明」の、

 ~2010年代の代表~とか、

 ~2000年代の代表~とか、

 ~1990年代の代表~って、やっぱり死んだ時の西暦ッスか?」

「そうだと思います。僕が2000年代の分類で、僕は2003年に魔法世界で死亡しました」

 

「じゃあ、この『魔法先生ネギま!』ってーのは……」

「ノーコメントです」

 

人吉善吉と話している間に、

ネギの抱いていた疑念は解ける。

ネギは人吉善吉を信用し、同行を決めた。

 

2人は目的地を決める。

まずは人吉善吉の目的地である、「北東区 箱庭学園」へ向かう。

次にネギの目的地である、「南区 麻帆良学園の女子寮」へ向かう事になった。

 

その前に、この北区には「支給品 神器・聖母の微笑」が眠っている。

ネギの特殊能力で室内を照らし、探してみたものの、発見する事はできなかった。

駒王学園の存在していた世界に属する参加者でなければ、場所の見当すら付かない。

 

しかし、収穫がなかった訳ではない。

校内から「ペン・紙・ハサミ・コップ・ライター・消毒薬・包帯・タオル」を入手する。

それらを教室に置かれていたスクールバッグに入れて、道具を持ち運ぶ事にした。

 

外へ出るとネギが魔法を用いて、駐輪されていた自転車の鍵を外す。

その自転車に人吉善吉が乗り、ネギはホウキに魔法を掛けて空を飛んだ。

魔法による飛行は魔力を消費するものの、子供用の自転車は見つからなかった。

 

自転車を盗むのは犯罪行為だ。

しかし緊急事態という事で、ネギは割り切った。

そもそも「説明」によると此処は、参加者の世界の一部を再現した場所らしい。

 

人はいないけれど、電灯は灯っている。

その電力は何所から来ているのだろうと、ネギは思った。

盗んだ自転車と、盗んだホウキに乗り、2人は並んで走り出す。

 

デイバックなんて物は無いので、全て現地調達だった。

 

 

 

一方その頃。

式神を回収したケイネスは、使役しているヘビに乗っていた。

高速で移動できるウシは足音が大きいため、移動に空飛ぶヘビを用いている。

 

( おそらく抗魔力のない参加者は今頃、あの魔術師に洗脳されているだろう。惜しい事をしたな……ここは北へ向かって「土地の端」を確かめるよりも、南へ向かって手駒を集めるべきか。それに南の中央区には、衛宮矩賢の魔術工房がある。同じ家名の衛宮切嗣と繋がりがあるに違いない。衛宮切嗣は、そこに立ち寄るはずだ )

 

魔術を用いて一般人を洗脳する。

サーヴァントのように反抗的な手駒は必要ない。

それに洗脳すれば、魔術に関わる神秘の秘匿も容易だ。

 

本人の意思?

そんな物は些細な事だ。

要するに、神秘を秘匿できれば問題ない。

 

ケイネスは中央区 衛宮矩賢の魔術工房へ向かう。

その横に記された「支給品 完成版の死徒化薬」に、興味がないと言えば嘘になる。

ケイネスが「完成版の死徒化薬」を解析すれば、得られる成果は計り知れないだろう。

 

「ここは魔術師の探求する魔術の根源では?」とか。

「自身と契約したサーヴァントは、今頃どうしているのか?」とか。

そんな事は全く考えておらず、成果を挙げて婚約者に尊敬される光景を思い描き、

 

ケイネスはニヤリと笑った。




【氏名】人吉善吉 『めだかボックス』
【状態】異常なし
【位置】北区 駒王学園→北東区 箱庭学園
【基礎能力】なし
【特殊能力】神器・赤龍帝の籠手
 神器・赤龍帝の籠手(Boost=10秒毎に全能力を2倍にする。Transfer=倍加した能力を他人に譲渡する)
 禁手・赤龍帝の鎧(Welsh Dragon Over Booster=全能力を連続で倍加する。ただし片腕が龍化し、基礎能力が低い場合は反動によって1時間で死に至る)
 覇龍(Juggernaut Drive=神器に封じられた力を解放する。この能力の保持者は死ぬ) 
【所持品】スクールバッグ(ペン・紙・ハサミ・コップ・ライター・消毒薬・包帯・タオル)
【思考】
1、不知火半袖は獅子目言彦なのか?
2、安心院なじみと会うために北東区 箱庭学園へ向かう
3、オレは本当に死んでるのか?
4、ネギと同行しよう
--------------------
【氏名】ネギ・スプリングフィールド 『魔法先生ネギま!』
【状態】異常なし
【位置】北区 駒王学園→北東区 箱庭学園
【基礎能力】
 半魔族(全能力の向上ランク1)
 魔法使い(全能力の向上ランク2)
 ※全能力の向上ランク3
【特殊能力】蛍の化身
 蛍の化身(発光・幻惑・精神干渉を行える。ただし、頭から触角が生える)
【所持品】スクールバッグ(ペン・紙・ハサミ・コップ・ライター・消毒薬・包帯・タオル)
【思考】
1、僕は本当に死んでいるのかも知れない
2、参加者と力を合わせて、全員をプログラムから脱出させよう
3、僕が死んだ後、世界はどうなったのだろう?
4、人吉善吉と同行し、北東区 箱庭学園へ向かう
5、神楽坂明日菜と合流するために、南区 麻帆良学園の女子寮へ向かう
--------------------
【氏名】ケイネス・エルメロイ・アーチボルト 『Fate/zero』
【状態】異常なし
【位置】北区 駒王学園→中央区 衛宮矩賢の魔術工房
【基礎能力】
 魔術刻印(全能力の向上ランク2)
【特殊能力】式神十二神将
 式神十二神将(待機時は能力保持者の影に潜む、十二体の式神を使役する。式神を倒されると、能力保持者もショックを受ける。精神が不安定になると暴走する)
 クビラ(子。霊視)
 バサラ(丑。吸引)
 メキラ(寅。短距離の瞬間移動)
 アンチラ(卯。素早く、鋭い耳で切り裂く)
 アジラ(辰。口から火を吹き、石化ビームを放つ)
 サンチラ(巳。電撃を放ち、飛行用の乗り物として利用できる。敵を絞め殺す)
 インダラ(牛。最高時速300キロメートルで走行し、地上用の乗り物として利用できる)
 ハイラ(未。複数人と共に、他人の夢へ侵入できる。毛針を飛ばす)
 マコラ(申。変身能力を持ち、放って置くと他人に変身して行方不明になる)
 シンダラ(酉。亜音速で飛行する)
 ショウトラ(戌。舌で舐めて病気や怪我を治療する)
 ビカラ(亥。戦車並みの怪力)
 ※霊力(魔力)のランクによって、同時に使役できる式神の限度数は異なる。
  ランク0 1体
  ランク1 2体
  ランク2 3体
  ランク3 5体
  ランク4 7体
  ランク5 9体
  ランク6 12体
【所持品】なし
【思考】
1、成果を挙げ、婚約者に良い所を見せる
2、情報を収集せねばなるまい
3、私以外の魔術師は、殺害しなければ危険だ
4、衛宮切嗣に懲罰を下さねばならない
5、このプログラムの実行犯は万死に値する
6、中央区 衛宮矩賢の魔術工房へ向かい、「完成版の死徒化薬」を入手し、衛宮切嗣を待ち受ける
7、抗魔力のない参加者を魔術で洗脳し、手駒を集めるべきだ
8、式神に下す命令は、細かく指定せねばなるまい


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能力シャッフル・ロワ 『沈黙 の マオ』

【登場人物】
ルシオラ(GS美神) 
マオ(コードギアス)
六道冥子(GS美神)


ルシオラは兵器だった。

魔王の道具として作り出され、魔王に従属していた。

1年しか生きられない代わりに、上級魔族に等しい力を持っていた。

 

それは過去の話だ。

ルシオラは魔王の呪縛から解き放たれた。

そこまでルシオラを導いたのは、横島忠夫という男だった。

 

ルシオラは恋をした。

魔族が人間に恋をしていた。

短い時間だったけれど、横島忠夫と共に過ごした。

 

しかし、その横島忠夫が死に瀕する。

ルシオラは自身の一部を分け与えて、横島忠夫を補った。

その結果ルシオラは消滅し、次に目覚めると暗い夜の世界にいた。

 

そこはルシオラが見た事のない場所だった。

小さな机と椅子が大量に並べられている狭い部屋だ。

その椅子の一つに、ルシオラは座っている。座っている自分に気が付いた。

 

いつの間に座っていたのか。

目が覚めた時には座っていた。

記憶を飛ばされたような違和感を覚える。

 

「生き残った参加者に蘇生の機会ね……」

 

「説明」を思い出す。

いいや、この表現は正しくなかった。

ルシオラは初めて、「説明」を確認する。

 

いつの間にか「説明」は、ルシオラの一部になっていた。

このプログラムの「目的・首輪の役割・参加者・能力」を、ルシオラは知っている。

誰かから聞いた訳でもなく、何かで見た訳でもないのに、その体に植え込まれていた。

 

「戦って、勝ち抜いて、最後の一人になっても……ヨコシマが死んじゃったら意味ないじゃない」

 

ここには横島忠夫もいる。

その時点でルシオラに勝ち抜く意思はなくなった。

どうにかして横島忠夫と共に、生還しなければならない。

 

そう、生還だ。

「説明」によると、参加者は死んでいる。

ここにある体は幽霊のような物で、生きていた頃の肉体ではなかった。

 

しかし、ルシオラは魔族だ。

生前から「幽体が皮を被っているようなもの」だった。

今の状態は死んでいると言えず、生前と大して変わらない。

 

違いがあるとすれば、首輪だ。

「説明」によると、この首輪を外すと霊体を保てなくなる。

魔族である自分も霊体を保てなくなるのか、ルシオラは興味があった。

 

もしも、そうであるとすれば、

霊体を保てない理由があるはずだ。

霊体の維持を阻害する何かが、この場所に存在するに違いない。

 

首輪を外した場合の調査も必要だが、

この生温かい首輪の仕組みを調べることも重要だ。

首輪の温度が高いのではなく、逆にルシオラの体温が低いという可能性もある。

 

( 早くヨコシマを探しに行きましょう。体調はいいわ。ヨコシマに与えて失った霊其構造も、どういう訳か元に戻っている。そんなに簡単な事じゃないんだけど…・・・こんな事ができる物を私は知っている。私を造ったアシュ様が作り出したコスモプロセッサ。あれを使えば、「霊基構造を与えて消滅寸前な世界の私の意思」を、「魔王の呪縛に囚われた世界の私の体」へ移す事もできるでしょうね。

 おかげで以前の力を取り戻したけど……アシュ様の仕掛けた「10の指令」も有効になっている。今の私は人間との行為が制限されているわ。これじゃヨコシマとイチャイチャできないじゃない……! )

 

問題だ、大問題だ。

せっかく横島忠夫と再会できるのに、それはない。

「おのれアシュ様め……!」とルシオラは、見当違いの相手に怒りを向けた。

 

「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!」

 

突然、爆音のような泣き声が聞こえる。

何事かと思って窓から外を覗いて見ると、真っ暗だ。

校内の何処かから、子供のような女性の泣き声が聞こえていた。

 

他の参加者がルシオラの近くにいる。

あれだけ大きな声で泣いていれば、危険な参加者も集まるだろう。

そんな事も分からない参加者を助ければ、余計な厄介事を抱える事になる。

 

ルシオラは移動を始める。

泣き声が聞こえる方向ではなく、その反対側だ。泣き声が遠ざかっていく。

月明かりに照らされている外と違って校舎の中は暗く、ルシオラは歩きにくかった。

 

その途中で窓がガタガタと震える。

外の風は強いのか、とルシオラは思った。一瞬だけ思って、否定した。

すぐにガタガタと言う音は大きくなり、耐え切れなくなった窓ガラスが割れる。

 

室内に暴風が吹き込んだ。

ガラスの破片が、いくつもの刃となってルシオラを襲う。

ルシオラはレーザービームもとい霊波砲を打っ放し、その小さな刃を吹き飛ばした。

 

霊波砲は壁に大穴を開け、外にある他の建物に打ち当たる。

それでも風は治まらず、開いた大穴から室内に吹き込み続けた。

そのままルシオラの周囲で渦を巻き、外から運び込んだ砂粒や木片を撒き散らす。

 

「これは、攻撃されている……!?」

 

パリン、パリン、パリン

と次々に廊下の窓ガラスが割れていく。

さらに風は勢いを増し、壁をギシギシと軋ませ始めた。

 

恐るべき速度で、風は勢いを増す。

風圧によって、校舎の壁が破裂するように打ち崩された、

窓ガラスを割るように壁は次々に弾け、校舎は丸裸になっていく。

 

薄い木の壁ではない。

厚いコンクリートの壁だ。

その風の勢いは凄まじい物だった。

 

暴風の中、飛来する鉄骨を叩き割る。

この程度で死ぬほど、今のルシオラは弱くない。

自身の体に絡み付いて動きを阻害する暴風を、霊波を放出する事で跳ね除けていた。

 

( 私を狙っているんじゃないわ。これは、この建物を対象とした無差別攻撃! 建物の中にいる参加者を殺すために、こんな馬鹿げた事をする奴がいるなんて……! もしも、こんな事をする奴に、ヨコシマを狙われたら大変だわ。ヨコシマが襲われる前に、危険な奴は倒せる内に倒しておかなくちゃ。こんな事をする参加者は、放っておけない! )

 

黒い竜巻が立ち昇る。

もはや校舎は跡形もなかった。

風が大地を抉り、空へ巻き上げていく。

 

 

そんな破壊を引き起こした参加者は、嵐の中心にいた。

薄い水の層で自身を覆い、高速で飛来する破片を防いでいる。

それは水を用いているのではなく、圧縮された空気が液化した結果だった。

 

その体表面で、2種の魔術文字が輝いている。

1つは校舎ごと参加者を破壊し、1つは身を守るための物だった。

片方は圧力を変化させて暴風を引き起こし、片方は圧力を掛けて空気の層を作り出した。

 

魔術文字を介して圧力を操作する。しかし、それだけではない。

この特殊能力は体内に刻まれた魔術文字をなぞる事で、様々な現象を発現させる。

混血の魔術師を殺すために作られた、キリング・ドールが所有していた特殊能力だった。

 

混血の魔術師が扱う音声魔術では、

実現できないほどの影響範囲を有する。

水の中だろうと壁の中だろうと関係ない。

 

これを『沈黙魔術』という。

魔術文字を媒介にして発動する。

現在の所持者は、マオという青年だ。

 

「アハハ! こいつは凄いや! 僕のギアスなんかより、よっぽど役に立つ! これさえあれば何だってできる! 待っていてよ、C.C.! 今度こそ連れて行ってあげるから!」

 

マオは楽しそうだ。

破壊の渦の中心で笑っていた。

その声は空気の層に阻まれ、外に通っていない。

 

話をしよう。

それは彼の話だ。

魔女に踊らされた哀れな男の話だ。

 

C.C.という不老不死の魔女がいた。

魔女は「他人の思考を聞き取るギアス」をマオに与える。

その力を手にしたマオは、他人の真意を聞き取れるようになった。

 

他人の本音を知ったマオは、他人に失望する。

しかし能力を与えたC.C.にギアスは通じなかった。

C.C.の真意を聞き取れないマオは、知らないからこそ期待する。

 

マオは期待していた。

C.C.も自分を愛してくれていると期待していた。

最後の時まで、C.C.の愛を疑わなかった。疑えなかった。

 

そしてマオは捨てられる。

姿を消したC.C.を探し、マオは旅を始めた。

何度かC.C.を見つけたけれど、何度も逃げられてしまう。

 

そこでマオは思った。

「なぜC.C.は僕から逃げるのだろうか?」

C.C.の真意を聞き取れないマオは、嫌われていると思っていなかった。

 

思っていないだけで、知ってはいる。

もはやC.C.は、自分の側に居てくれないと分かっていた。

それを「C.C.の真意は聞き取れない」と思って、誤魔化していた。

 

マオの中のC.C.は、マオに笑いかける。

本当のC.C.は、マオに笑いかけてくれない。

その矛盾を解消する事ができず、マオの心は破綻した。

 

「C.C.は僕の事が好きだ」

「でも、体が言う事を聞かない」

だからマオは、C.C.の手足を切り落とす事にした。

 

C.C.を誘拐し、チェーンソーを取り出す。

しかし、魔女の僕(しもべ)がマオの邪魔をした。

マオは全身を銃弾に貫かれ、気が付くと、ここにいた。

 

『他人の思考を聞き取るギアス』は取り上げられている。

その代わりとしてマオに与えられたのは『沈黙魔術』だった。

雑音が聞こえなくなってもマオの目的は変わらず、C.C.と共にある事だ。

 

それ以外の人間は、敵だ。

蘇生を約束されている参加者は一人限りだ。

他の参加者は最終的に、C.C.を殺す事になる。

 

だから誰かの泣き声が聞こえた時、

マオは体に刻まれた『沈黙魔術』を発動させた。

あるいは、その泣き声を不快に思って、校舎を根こそぎ吹き飛ばした。

 

 

マオは魔術を停止させる。

嵐が止むと校舎は、跡形もなく吹き飛ばされていた。

土地は更地になり、風に抉られた跡が大地に残っている。

 

光源は月明かり一つ。

遠く離れた場所から瓦礫の崩れる音が聞こえた。

校舎の中にいた参加者は死んだのだろうとマオは思う。

 

しかし、その体に衝撃が走る。

訳の分らないままマオの視界は回転した。

両脚に霊波砲の直撃を受けたマオは、地面に倒れ伏す。

 

ルシオラだ。

死角となっている上空から闇に紛れて、マオを狙い撃った。

殺そうと思えば一撃で殺せたものの、首輪を回収するために手加減している。

 

「なんだ! なにが!?」

 

マオは痛みを感じなかった。

その代わりにゴッソリと、「何か」を削り取られる。

倒れたマオの両脚は、ヒザから下が消し飛んでいた。

 

血は出ない。

その代わりに傷口から、「何か」が零れ落ちる。

それはマオの霊体を構成する、霊力の欠片だった。

 

マオは身を震わせる。

自分を失うという感覚を覚えた。

霊力の流出と共に、心も欠けていく。

 

肉体が粒子化する。

粒子化した肉体は、空中に溶けて消える。

それはマオの下に、二度と戻ってこなかった。

 

「ふーん、怪我をすると、こうなるのね」

 

マオの両脚を削ったルシオラは驚く。

参加者が霊体である事を、改めて思い知らされた。

その隙にマオは、防御魔術を発動させる魔術文字を、なぞろうと思って指を動かす。

 

しかし、威力を弱めた霊波砲で、右手を吹き飛ばされた。

マオが魔術文字をなぞり終わるよりも、ルシオラが霊波砲を撃つ方が早い。

首輪の欲しいルシオラは首周りを避けるため、代わりにマオの下半身が的になっていた。

 

ルシオラの基礎能力は全能力ランク5と判定されている。

マオの基礎能力は全能力ランク0、つまり一般人と判定されている。

それは一般人と上級魔族の間にある、圧倒的な基礎能力の差だった。

 

マオに勝ち目はない。

その常識を覆すのが特殊能力だ。マオに与えられた『沈黙魔術』だった。

先にルシオラを認識して『沈黙魔術』を発動させていれば、これほど一方的ではなかった。

 

しかし、もう遅い。

ルシオラのキルゾーンに、マオは入っている。

1ターンに2回行動されるが如き不公平っぷりで、マオの行動は封殺されていた。

 

これほどルシオラの攻撃が苛烈なのは、

マオに与えられた広範囲・高威力な特殊能力を警戒しているからだ。

だから『沈黙魔術』の発動条件と知らずとも、マオの動かした指を狙い撃った。

 

『他人の思考を聞き取るギアス』を所有していれば、

闇に紛れて近寄るルシオラの接近を、意識せずとも察知できただろう。

『沈黙魔術』にも探知系の魔術はある。しかし、マオは使う事を思い付かなかった。

 

他人の思考が聞こえなかったからだ。

他人の思考が聞こえないから、誰も居ないと思ってしまった。

今のマオにとって思考が聞こえない事は、他人が周囲に存在しない事と同じではない。

 

マオは霊波砲によって、徹底的に痛め付けられる。

考える余裕は与えられず、連続で体を削られ続けた。

少しずつ確実に体を削られていく事に、マオは恐怖を覚える。

 

「待て! 待ってくれ! 何が目的だ!?」

「おまえの首輪よ。あと、危険性の排除ね」

 

交渉の余地はない。

校舎を丸ごと破壊し尽くした危険人物だ。

首輪が必要でなければ、一瞬でチリに変えていただろう。

 

「こんな事をするつもりは無かったんだ! 僕に与えられた能力が暴走して、こんな事になってしまった! 信じてくれ! 僕は、こんな事をするつもりじゃなかった!」

「それなら、なおさら生かしておけないわ。こんな危険な暴走の仕方をする奴なんて、生かしておける訳ないじゃない」

 

マオは言い逃れをする。

しかしルシオラの答えで切り捨てられた。

マオの状況は詰んでいた。どうしようもなく終わっていた。

 

ルシオラはマオの左手も破壊する。

両手を破壊されたマオは、『沈黙魔術』を使えなくなった。

足から腹の辺りまで破壊されたマオは、そんな状態になっても生きている。

 

マオの下半身は吹き飛んでいた。

生きている人間ならば、ショックを起こして死んでいるだろう。

しかし、すでに死んでいる参加者に、ショック死なんて物はなかった。

 

痛みはない。

でも、気持ち悪さはある。

何よりも自分の欠けていく感覚が、マオを蝕んだ。

 

ここでルシオラは、初めてマオに近寄る。

倒れているマオの首に手を伸ばし、片手で掴んだ。

ルシオラの動作をマオは認識できたけれど、今さら何もできない。

 

マオは死を感じた。

目の前にある、これがマオの死だ。

必死に身を捻るけれど、何の役にも立たない。

 

首に触れる、女の手がおぞましい。

その手の冷たさに、マオは身を震わせた。

どうにかしなければ、どうにかしなければ、ここで死ぬ。

 

死にたくない。

C.C.に会いたい。

恐怖に震えるマオの口は、自然と願望を漏らした。

 

「――C.C.」

 

愛しい人の名を呼ぶ。

最後に一目会いたいと思った。

最後に漏れ出た感情は恐怖ではなく――恋心だった。

 

濡れた男の声が、ルシオラの耳に響く。

男の首に掛かっていた手は、その動きを止めた。

ルシオラは男の表情を探るものの、すでに男の意識は、そこになかった。

 

『大丈夫か、マオ』

『安心しろ、マオ』

『私が一緒にいる』

 

『マオ』

愛しい我が子を呼ぶように、彼女は言う。

 

『マオ』

愛しい弟を呼ぶように、彼女は言う。

 

『マオ』

愛しい恋人を呼ぶように彼女は言う。

 

それは母でもあり、姉でもあり、恋人でもあった。

家族のいない孤児だったマオにとって、その人は全てだった。

しかし、その人にとって、マオは全てではなかった。その人は魔女だった。

 

「C.C.、もう君の声が聞こえない。君の声を録音したプレイヤーは何所に行ったのかな……?」

 

憎んでいた。

そうでなければC.C.の存在を確かめないまま、

校舎を丸ごと吹き飛ばすなんて事はしなかっただろう。

 

憎んでいた。愛していた。

それらの感情は矛盾なく成立する。

憎んでいるのと同じくらい、C.C.を愛していた。

 

僕を愛して欲しかった。

それは、きっと、嘘だろう。

僕だけを愛して欲しかった。

 

 

ゴキリ

 

と鈍い音が響く。

マオは首の骨を圧し折られて、絶命した。

すると粒子化が一気に進行し、死体となったマオの体は消えていく。

 

サラサラと音が鳴る。

砂粒のように、マオの体は崩れ落ちた。

痛みも感じず、血も出ず、跡形もなくなる。

 

人間の死に方ではなかった。

死者である参加者は、死体すら残せない。

マオという男は、家名のない名前と、特殊能力だけを残して消え去った。

 

他人の真意を知り、苦しんでいた男がいた。

男にとって真意の分からない女の言葉こそ真実だった。

沈黙の魔法を手に入れた彼の耳には、もう何も聞こえない。

 

――マオを殺害し、特殊能力『沈黙魔術』を取得しました!

 

通達を受ける。

ルシオラの頭の中に、場違いなメッセージが流れた。

皮膚の下に複数の魔術文字が刻まれ、その効果をルシオラは知る、

 

気に障った。

目の前の男の死をバカにされているようで、

この通達を行った存在にルシオラは怒りを覚えた。

 

マオの所持していた『沈黙魔術』だ。

魔術文字をなぞる事で、数百種類の魔術を発動できる。

なぞる場所さえ知っていれば、能力保持者でなくても発動できる特殊能力だった。

 

マオの死体は消えた。

後に残ったのは銀色の首輪だ。

それをルシオラは拾い上げ、詳しく首輪を見る。

 

生温かい。

繋ぎ目のない首輪だ。

それはルシオラの首にも付いている。

 

「マオ、か」

 

殺した参加者の名を、ルシオラは呟く。

最後に男は「C.C.」と、誰かの名前を呼んだ。

参加者リストから察するに、マオとC.C.は同じ世界の出身なのだろう。

 

恋人だったのかも知れない。

あんなに愛しそうに呟いていたのだから、恋人なのだろう。

ルシオラにとっての横島忠夫であり、横島忠夫にとってのルシオラだったのだろうか。

 

( 攻撃された時は、殺してやろうと思ったわ。積極的に殺人を行う参加者を、ヨコシマを殺す可能性のある参加者を生かしては置けない。解析するための首輪も手に入るし、丁度いいじゃない……でも、後味は悪かった。あんな奴でも愛している人がいた。C.C.、それがマオの片割れの名前ね……もしもヨコシマを殺されたら、殺した相手を私は許せるかしら? いいえ、きっと許せない )

 

ルシオラは自分と重ねて、相手を想う。

言わなければ、マオを殺したとバレない。

しかし言わなければ、気になって仕方なかった。

 

C.C.だ。

どんな女性なのだろうか。

マオを殺したと知ったら、きっと悲しむだろう。

 

もしかするとマオはC.C.のために、

校舎ごと参加者を破壊するなんて無茶苦茶な事をしたのかも知れない。

C.C.と自分以外の参加者を敵だと思って、殺そうとしたのかも知れなかった。

 

( ……こんな事を考えている場合じゃないわ )

 

思考を切り替えて、首輪の事を考える。

マオによって更地となった、校舎跡地から移動した。

明るい街灯の下へ行き、光に照らして銀色の輪を詳しく調べる。

 

金属のような触感だ。

しかし、強く押すと凹む。

少しは弾力があると分かった。

 

爪を用いて表面を滑らせる。

すると、金属を引っ掻くような音が鳴った。

さらに力を入れ、首輪の表面に傷を付けてみる。

 

首輪から白い液体が出る。

血のように見えるソレは、本当に血だった。

金属のような触感で、強く押すと凹み、傷付けると血が出る。

 

その傷口にルシオラは指先を突っ込む。

すると再び、金属のような触感に突き当たった。

さらに切り開くと管があり、それを引っ張ると内臓が引き摺られて現れる。

 

( 生物のようだわ。これで参加者の霊体を維持しているのかしら? )

 

首輪に機械は入っていなかった。

入っていたのは金属のような内臓だけだ。

心臓と思われる器官もあった。しかし、止まっている。

 

首輪の外側は銀色で、内部も銀色だ。

生物のような白い血が、銀色の肉に通っていた。

内臓の構造はシンプルで、種として未発達な部分を見て取れる。

 

とても心の弱い人に見せられない光景だ。

しかしルシオラは淡々と、白い血を流す首輪を切り開く。

その中身を見たルシオラは嫌悪感よりも、構造に興味が湧いた。

 

横島忠夫を探さなければならない。

首輪を調べる事なんて、いつでも出来るだろう。

ルシオラは思うものの、すでに切り開いてしまった物は仕方ない。、

 

霊体の参加者は血を流さない。

怪我を負っても粒子化するだけだ。

それに対して首輪は、逆に生々しかった。

 

ルシオラは首輪を解体する。

バラバラになるまで首輪を解体した。

それでも首輪は、参加者と違って粒子化を起こさない。

 

( 首輪は生物でしょうね。霊体の参加者と違って、生物の首輪は粒子化しない。生物ならば粒子化しない。でも、この首輪に内蔵はあるけれど、口はなかった。こんな状態じゃ生命活動を行えない。私が切り開いた時には死んでいたのかしら? それとも生きていたのかしら? その生きているのか死んでいるのか分からない首輪が、参加者の粒子化を防いでいる……いいえ、首輪は生温かった。熱を発していたという事は、首輪は生きていたはずよ。こんな生物として有り得ない状態でも、私が切り開くまでは生きていた )

 

この首輪を人体で作れば如何なるか。

輪を作るために骨を抜き、内臓を抜かなければ成らない。

そう考えると首輪は、最初から輪となる物で作られたに違いなかった。

 

ルシオラは蛇を思い浮かべる。

金属の内臓を持つ銀色の蛇だ。

それが参加者の首に巻き付いている。

 

粒子化を止める手段は、参加者の受肉だ。

肉体に霊体を入れれば、粒子を防げるに違いない。

しかし参加者の霊体が入るほど、大きな容器を探す必要があった。

 

ところで、ルシオラに与えられた特殊能力は『錬金術』だ。

この『錬金術』は物質を、他の物質に作り変える事ができる。

ただし、その物質を理解している必要があった。理解できなければ練成できない。

 

ルシオラは練成陣を地面に描く。

練成陣なしで練成する方法もあった。

しかし、その知識は『錬金術』に付属していない。

 

『錬金術』の工程は「理解・分解・再構築」に分かれる。

ルシオラは首輪の死体を構成している物質を予測し、何度か練成を行った。

しかし白い血も銀の肉も変化せず、ルシオラの知っている物質ではないと分かる。

 

( 粒子化を防ぐための人体は、肉体なのかしら? それとも首輪と同じ材質なのかしら? まずは人体で試してみましょう。それでダメだったら難しいわね。その場合は首輪の材質を解明しなくちゃならないわ。『錬金術』を用いれば、その機材の材料を用意する事はできる。でも、先にヨコシマを見つけなくちゃ。そうでなくちゃ無駄になるもの )

 

まずは人の練成だ。

ルシオラは練成陣を敷き、『錬金術』を用いて必要な材料を土から練成する。

そして人体練成を禁忌と知らないまま、禁忌とされている人体の練成を行った。

 

『錬金術』の所有者だった参加者は、人体練成で肉体を失っている。

その兄の血でフルプレートアーマーに血印を描き、魂を繋ぎ留めていた。

それは単に人体を練成しようとしたのではなく、母親を蘇らせようとしたからだ。

 

ルシオラは人体を練成する。

それは実験のため、自身に似た肉人形を練成した。

単に人体を練成するだけならば、肉体を奪われる事はない。

 

もしも心まで作ろうとすれば、

ルシオラの前に真理の門が現れただろう。

そしてルシオラは代償として、全てを奪い取られていた。

 

ルシオラは人体練成を禁忌と知らない。

『錬金術』に付属した知識は、そこまで教えなかった。

ルシオラは『錬金術』の危険性を知らないまま、その能力を行使している。

 

「これじゃダメだわ……」

 

結果だけ言うと、ダメだった。

練成した肉体に、ルシオラは入れない。

そんな事だろうと思っていたルシオラは、練成した肉体を前に考える。

 

ルシオラに似せて練成した肉体だ。

しかし、練成による物質の構成は「ムラ」がでる。

具体的に言うと、組織の断裂している部分があったり、顔の造りが違ったりしていた。

 

この肉体を如何したものか。

まさか、このまま放置するなんて事はできない。

練成した肉体は等身大で、持って行くなんて事もできなかった。

 

そんな訳でルシオラは、肉体を破壊する。

自身の肉体と分らないように霊波砲で吹っ飛ばした。

こんな物を横島忠夫に発見されれば、ルシオラの死体と勘違いされるだろう。

 

霊波砲によって肉体は四散する。

それでルシオラは、練成した肉体が粒子化しない事に気付いた。

とりあえず成果はあったと思い、街灯の下に飛び散った肉片を放置する。

 

「錬金術で解体すれば良かったじゃない」

と気付いたものの今さら、飛び散った肉片を集めるのは面倒だ。

「肉体ならば消えて無くならない」という証拠になると思い、ルシオラは自分を納得させる。

 

その後、ルシオラは民家へ侵入した。

水筒へ水を注ぎ、好物の砂糖を入れて頂く。

その水筒をカバンに入れて、民家から持ち出した。

 

解体した首輪はビニール袋で包む。

その白い血で汚れたビニール袋をカバンに入れた。

この首輪は壊れているけど、持っていれば何かの役に立つかも知れない。

 

ルシオラの目的は、横島忠夫と再会する事だ。

そのためにルシオラは、北東区における横島忠夫の捜索を行った。

しかし横島忠夫は見つからず、その代わりに見つかったのは六道冥子だった。

 

 

校舎の建っていた場所は更地になった。

巨大な獣が腕を振り下ろしたような、暴風の爪跡が残っている。

その周辺には巻き上げられた瓦礫が散乱し、建物や地面に突き刺さっていた。

 

そんな光景の中にボールが転がっている。

しかし、それをボールと例えるには大き過ぎた。

人を包み込めるほどの大きさの球体は、月明かりを受けて銀色に輝いている。

 

それは水銀だ。

『魔術礼装・月霊髄液』という特殊能力だった。

敵の攻撃に対して、自動で防御を行ってくれる優れものだ。

 

『魔術礼装・月霊髄液』が防御形状を解く。

すると、その中から少女と見間違えるような大人の女性が現れた。

その女性は銀色に輝くスライムのような物の上で倒れたまま、気絶している。

 

六道冥子だ。

「ふぇぇぇぇぇぇん!」という爆音のような泣き声を発し、

『沈黙魔術』による校舎壊滅の切っ掛けとなった参加者だった。

 

ルシオラと同じ世界の出身だ。

とは言っても、六道冥子はルシオラを知らない。

六道家に伝わる「死の試練」に、六道冥子は挑んでいた。

 

元始風水盤の事件が終わった後だ。

それは魔族が地上を魔界に変えようと企んだ事件だった。

ルシオラと六道冥子が会うのは、それから少し先の未来になる。

 

六道冥子は「死の試練」に落とされた。

しかし、目が覚めると真っ暗な教室にいた。

いつも一緒にいた十二体の式神が、どこにも居なくなっていた。

 

六道冥子は式神使いだ。

『式神十二神将』という強力な式神を所有していた。

しかし、その特殊能力は取り上げられ、『魔術礼装・月霊髄液』を与えられている。

 

ちなみに六道冥子の『式神十二神将』は、

一般人を洗脳しようと企むケイネスに与えられていた。

ケイネスの保有していた特殊能力は、『魔術礼装・月霊髄液』となっている。

 

『式神十二神将』と『魔術礼装・月霊髄液』。

六道冥子とケイネスの特殊能力を交換する形だ。

もしも六道冥子とケイネスが出会えば、互いの特殊能力を取り戻そうとするだろう。

 

真っ暗な中で式神の不在に気付いた六道冥子は、

これが「死の試練」と思い込み、パニックに陥って泣き叫ぶ。

その泣き声を聞いたマオは不快に思って、『沈黙魔術』を発動させた。

 

『沈黙魔術』の暴風に襲われた六道冥子は、

『魔術礼装・月霊髄液』の自動防御によって守られる。

水銀のボールは風に巻き上げられ、箱庭学園の敷地内に落下した。

 

しかし、乱気流や落下の衝撃は防げなかった。

六道冥子は全身を打撲し、当然のように気絶している。

目覚めたとしても六道冥子は、自力で動けない状態だった。

 

水銀の上で六道冥子は眠る。

夜の風に撫でられ、六道冥子から粒子が飛んでいく。

少しずつ六道冥子の体は粒子化し、崩壊しつつあった。

 

その怪我に『魔術礼装・月霊髄液』の自律機能は反応しない。

『式神十二神将』ならば、怪我を治療できるイヌの式神が治してくれただろう。

しかし『魔術礼装・月霊髄液』に、能力所持者の怪我を治療する判断力はなかった。

 

 

そんな六道冥子を発見したのはルシオラだ。

マオを殺害し、マオの首輪を解体し、肉体に霊体を入れる実験を行った後だった。

横島忠夫を捜索していたルシオラは、銀色スライムの上で眠る六道冥子を発見する。

 

ルシオラと六道冥子は顔見知りだ。

横島忠夫や他の霊能力者と共に、魔王を倒しに行った事もある。

まさか六道冥子が、「ルシオラと顔見知りになる前」から来ているとは知らなかった。

 

どちらにしても、横島忠夫の知り合いだから助けただろう。

横島忠夫の捜索を中止し、六道冥子を近くの民家に運び込む。

六道冥子を抱き上げたルシオラの後を、銀色のスライムが付いて来ていた。

 

( これは水銀ね。特殊能力の『魔術礼装・月霊髄液』かしら? 「説明」によると『詠唱を用いて水銀を操作する。敵の攻撃を自動で防御する』とあるわ。でも、私は敵と判断されなかった。六道冥子が気絶しても動いている事から、霊力を貰って自律しているようね。賢い子だわ )

 

ルシオラは六道冥子を民家へ運んだ

それでも六道冥子の粒子化は止まらず、どうした物かとルシオラは思う。

そこでルシオラは、マオから取得した特殊能力の事を思い出した。『沈黙魔術』だ。

 

ルシオラは治癒魔術を発動させる。

その使い方は特殊能力に付属していた。

肌の下に刻まれた魔術文字を、指先でなぞる。

 

なぞられた魔術文字が光り輝いた。

すると六道冥子の変色していた肌が治る。

カバンを覗いて解体した首輪を見ると、その傷も治りつつあった。

 

六道冥子の治療が終わる。

ついでに解体した首輪も綺麗に修復された。

粒子化も止まり、しばらく待つと六道冥子は目覚めた。

 

「おはよう。私が誰か分かる?」

「……? あなた、だ~れ~?」

 

「ルシオラよ。ヨコシマの恋人の」

「そ~なの~。仲良くしてね~」

 

( この子、私のこと忘れてるんじゃないかしら? )

 

忘れている所ではない。

六道冥子はルシオラを知らなかった。

しかし、ルシオラは疑念を胸の内に留める。

 

その時、午前3時の通達が行われた。

ルシオラと六道冥子の頭の中に、メッセージが流れる。

それに驚いた六道冥子はルシオラを見て、経験済みだったルシオラは黙って耳を傾けた。

 

――午前3時をお知らせします。

――プログラムの開始より3時間が経過しました。

――崩壊地区の指定と、死亡者の発表を行います。




【氏名】ルシオラ 『GS美神』
【状態】異常なし
【位置】北東区 箱庭学園
【基礎能力】
 短命魔族(全能力の向上ランク5)
【特殊能力】錬金術、沈黙魔術
 錬金術(練成陣を描き、理解している物体の分解と再構築を行う)
 マオの沈黙魔術(自身の体内に刻まれた魔術文字をなぞる事で、地下遺跡を破壊するほどの魔術を放つ事もできる。魔術文字の場所さえ分かれば、能力保持者でなくても発動できる)
【所持品】カバン(水筒に砂糖水、袋入りの解体した首輪)
【思考】
1、「10の指令」を解除する方法を探して、横島忠夫とイチャイチャしたい
2、横島忠夫を殺す可能性のある参加者は生かしておけない
3、『錬金術』で作った肉体に、霊体を保存する方法を考えましょう
4、横島忠夫と再会するために、「南西区 神族の妙神山」へ向かう
5、マオの恋人と思われるC.C.は、マオの死をどう思っているのかしら?
6、ふざけた通達を行っている存在を許せない
--------------------
【氏名】六道冥子 『GS美神』
【状態】異常なし
【位置】北東区 箱庭学園
【基礎能力】
 六道の血統(霊力の向上ランク6)
【特殊能力】魔術礼装・月霊髄液
 月霊髄液(詠唱を用いて水銀を操作する。敵の攻撃を自動で防御する。slap=攻撃指示、ire:sanctio=索敵)
【所持品】なし
【思考】
1、令子ちゃ~ん、みんな~、どこにいるの~?
2、ルシオラちゃんは横島君のお友達なの~?


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【転生】我は影、真なる影【リリカルなのは】

思い返してみると、これまで書いた物語の転生者は女性が多い。
多いと思ってチェックしてみたら、女8:男1でした。

番外の化物語以外、全員女じゃねーか!
その阿良々木君も最後は女装してるしぃ。
なので今回は、転生者を男性にして書いてみました。


 やあ、始めまして。上で作者が言っていた男性の転生者だ。

 物語の登場人物が作者を認識しているなんて、おかしな話だろう。

 もしかすると僕は、いつでも神様と話せるラインを持っているかも知れない。

 まあ、「持っているかも知れない」のであって、実際に持っている訳じゃない。

 作者が神様として物語に乱入する事はないから安心して欲しい。

 

 これは僕の語る物語だ。転生者である僕の紡ぐ物語だ。

 長い時間、転生者として人生を繰り返してきた僕の話だ。

 生きて死んで、生きて死んで、そうして死んでいるのに生きている僕の話だ。

 とは言っても「君が主人公だ!」と名指しされても、僕自身はティンと来ない。

 胃の痛くなるような主人公なんて役目は、僕には向いていないからな。

 

 それに「僕が主人公だ」なんて、作者も言っていない。

 あくまでも「転生者」であり、「主人公だ」なんて一言も言っていない。

 主人公は原作の主人公であり、僕はオリジナルキャラという名称の捏造設定だ。

 この物語を語る役割を負っているけれど、どこにでもいる平凡な脇役だ。

 主人公組から離れた場所で、コソコソと悪事を企てる小物だった。

 

 宇宙を破壊する力も、時間を行き来する力も、僕は持っていない。

 僕の能力は、せいぜい他人の無意識を引っ張りだす程度のものだ。

 目玉からビームを撃てるけれど、町を廃墟に変える程度の力しかない。

 それに「目玉のような形の本体」で姿を現し、力を行使するのは最終手段だ。

 下手に姿を見せれば闇の書のように、数の暴力でフルボッコにされるからな。

 

 ぶっちゃけて言うと、『ペルソナ4』の巨大目玉アメノサギリだ。

 ただし、僕を産んだ母親(イザナミ)はいない。

 正確に言うと、この世界にはいない。

 僕のアメノサギリは、「他の世界のアメノサギリ」だ。

 『ペルソナ4』の世界から転生する際に持ち越した能力だった。

 

 

 さて、話をしよう。この世界の話だ。

 ここは『魔法少女リリカルなのは』の世界だった。

 なぜ、そんな世界が存在するのかなんて知らない。

 そこに在るのだから、在るとしか言えない。

 それは専門家ではない、僕みたいな素人が考えても仕方のない話だ。

 

 現在、僕が居るのは海鳴市だ。

 『リリカルなのは』の舞台となる町だった。

 ジュエルシードや闇の書のせいで、崩壊の危機に陥る世界だ。

 でも、この世界から脱出しようという気はない。

 もうすぐ原作が始まる時期なのに逃げ出すなんて、もったいないじゃないか。

 

 僕は見ていた。人を観察していた。

 公園で一人遊ぶ、孤独な高町なのはを見ていた。

 母親から虐待されるフェイト・テスタロッサを見ていた。

 体が不自由にも関わらず、一人暮らしをしている八神はやてを見ていた。

 ついでに、父親を失ったクロノ・ハラオウンも見ていた。

 

 そのまま彼等は成長する。

 不自然に落ち着いた、大人っぽい子供になった。

 我がままを言わず、真面目で大人しい、そんな子供だ。

 大人とっては都合がよく、大人に面倒をかけない。

 とても子供とは思えない優秀な子供達だ。

 

 だが、そんな彼等は歪みを内包している。

 その歪みから目を背けて、自分を偽って生きていた。

 今は秀才と持て栄されてはいるものの、いずれ破綻するのは目に見えている。

 苦しいのに「苦しい」と彼等は言わない。

 悲しいのに「悲しい」と彼等は言わない。

 

 彼等に必要なのは、自分の話を聞いてくれる人間だ。

 閉ざされた心の扉を開けるラフメーカーだ。

 冷たくて誰もいないお城から、自分を連れ出してくれる王子様だ。

 そんな存在を彼等は待っている。

 しかし自分の力では、その扉を閉める事しかできない。

 

 僕にとって、彼等は好ましい存在だ。

 自分の心を押し殺す存在を、僕は好ましいと思う。

 僕の能力は、彼等のような人間に対して有効となる。

 正常な人間に対しては、逆に力を与えてしまう恐れがあった。

 しかし原作が始まれば、そんな彼等の歪みも解消される事だろう。

 

 だから待っていた。

 この日を、ずっと待っていた。

 彼等が失われる前に、彼等の影(シャドウ)を収穫する。

 

 僕は彼等が嫌いな訳じゃない。

 さっきも言ったように、好ましいと思っている。

 彼等が耐え抜いた努力を、僕がたたえよう。

 彼等の努力は無駄ではなかったと、僕が認めよう。

 その苦悩を、痛みを、無駄にはしない。

 

 がんばったね。

 えらいね。

 

 と言って、抱きしめてやる。

 だから僕の胸に、思いっきり飛び込んでくるといい。

 

 

 

——我は影、真なる我

 

じゃあ、そろそろ始めようか。

彼等の物語りを始めよう。

 

 

 

 

 

次回から



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→高町なのはの影

 結果から先に言うと、「高町なのは」は死んだ。

 自身の影に殺されたのではなく、父親に止めを刺された。

 最後まで彼女は家族と擦れ違い、最後まで絶望して逝った。

 誤解しないで欲しいのだけれど、そうなるように僕が仕組んだ訳じゃない。

 僕は「高町なのはの影」を引っ張り出したに過ぎなかった。

 

 そう言ってしまえば、それだけの話だ。

 だが、重要なのは過程であって、結果ではない。

 「高町なのは」は何んな思いで、何を成したのか。

 その軌跡を始めから辿ってみようと思う。

 始めの始めから、原作が始まるよりも前の話からだ。

 

 まずは「高町なのは」の家族関係から把握しよう。

 「高町なのは」は父や母と血が繋がっている。

 しかし、兄は母の子ではなく、姉は父の子でも母の子でもない。

 兄は無愛想ではあるものの嫌われておらず、姉にも嫌われていない。

 大きな歳の差のある家族との関係は良好だった。

 

 そんな高町家に事件が起こる。

 命に関わるほどの大怪我を負って、父が入院した。

 間の悪い事に母は、新しい店を開いたばかりだった。

 姉は忙しい母を手伝い、兄も忙しそうに何処かへ出かける。

 そういう訳で幼い「高町なのは」は、母の親戚に面倒を見られる事になった。

 

 突然の環境の変化に、「高町なのは」は混乱する。

 保育園から帰る際、迎えに来るのが母親ではなくなった。

 「高町なのは」の食事を作るのが、母親ではなくなった。

 母親の代わりに現れたのは、母の親戚の「おばあちゃん」だった。

 いつも母親の居た位置に、見知らぬ誰かが割り込んだ。

 

 喉に小骨が刺さったような違和感を「高町なのは」は覚える。

 「高町なのは」の日常に異物が紛れ込んでいた。

 とは言っても、それは些細な物だ。

 父の怪我や、店が忙しい事を説明され、「高町なのは」は納得している。

 自分に謝る母に対して「高町なのは」は、「仕方ないよ」と思って母を許した。

 

 しかし、そんな「高町なのは」にも一つの不満がある。

 「高町なのは」も家族の役に立ちたかった。

 まるで役立たずのように、母の親戚に面倒を見られたくはなかった。

 その思いを伝えてみたものの母は、「高町なのは」の協力を断った。

 まだ幼い「高町なのは」の面倒を店で見る余裕が、母には無かったからだ。

 

 それを「高町なのは」は、「自分が役立たずだから」と思い込む。

 「高町なのは」の勘違いに、不幸な事に母は気付かなかった。

 それから「高町なのは」は身を小さくして、嵐が過ぎるのを待つ。

 家族の迷惑にならないように、不満を抑え込む事にした。

 それが家族の役に立ちたいと願う「高町なのは」の精一杯の努力だった。

 

 やがて父は回復し、無事に退院する。

 店の忙しさも落ち着いて、いつもの生活が戻って来た。

 高町家を騒がせていた嵐は過ぎ去った。

 しかし、「高町なのは」は元に戻らなかった。

 「高町なのは」は「役立たず」なのだから、身を小さくして居なければならなかった。

 

 

 小学校に入学した「高町なのは」は、2人の友人と出会う。

 その関係は金色のクラスメイトが、紫色のクラスメイトを虐めた事から始まった。

 金色のクラスメイトが、紫色のクラスメイトからリボンを奪ったのだ。

 「返して」と言う紫色のクラスメイトに対して、金色のクラスメイトは高笑う。

 自分の物を奪われるという経験に、紫色のクラスメイトは泣き出しそうだった。

 

 そんな様を見ていた「高町なのは」は怒りを覚える。

 自分勝手な金色のクラスメイトに怒りを覚えた。

 そんな「自分勝手なこと」を「してはいけない」。 

 自分が我慢しているのに、金色のクラスメイトは我慢していなかった。

 それが「高町なのは」は許せない。許せないから立ち上がった。

 

 ここが家の中ではなく、学校であった事も関係しているだろう。

 ここに家族は居らず、その分だけ「高町なのは」の制御は緩んでいた。

 家族の前でないから、我慢する必要が低かった。

 だから少しだけ、「高町なのは」が押さえ付けていた物が零れ出す。

 その少しだけで、「高町なのは」の理性を吹き飛ばすには十分な量だった。

 

 金色のクラスメイトの顔を、「高町なのは」は叩く。

 それも「してはいけない」ことだった。

 どんな理由があっても、他人に暴力を振るって良いはずがない。

 しかし、「高町なのは」は自身の行為を正当化した。

 悪い事をしているクラスメイトを止めるために「した」のだから、良い事なのだ。

 

 その「高町なのは」の思いは、現実の物となった。

 自分が悪いと理解した金色のクラスメイトは、紫色のクラスメイトに謝る。

 暴力を振るったにも関わらず、「高町なのは」の行為は感謝された。

 この事から「高町なのは」は覚える。

 すなわち「正しい事をするためならば我慢する必要はない」と自身に言い訳した。

 

 

 小学3年生になった「高町なのは」は、家族と食卓に着く。

 「高町なのは」は大きな身振りを交えて、家族に話しかけていた。

 それは「高町なのは」なりの、家族に対するアピールだ。

 とは言っても、「高町なのは」の意図した行為ではないのだろう。

 自覚のないまま無意識に行う、ささやかな無意識の発露だった。 

 

 高町家の家族の仲はいい。

 父と母はラブラブで、師弟関係である兄と姉も仲が良かった。

 だからと言って「高町なのは」が仲間外れになっている訳ではない。

 年齢の離れている「高町なのは」には、家族と共有できる話題が少なかった。

 それには「高町なのは」の運動能力が低い事も一因となっているだろう。

 

 武道の師弟関係である兄と姉に、「高町なのは」は劣等感を覚えていた。

 優秀な兄や姉と比べる度に、「自分が役立たずだから」という思いを強くしていた。

 だから「高町なのは」は、兄と姉の会話に割り込もうとしなかった。

 兄と姉は運動の苦手な「高町なのは」に心を配り、その話題を振らなかった。

 互いに遠慮していた。ただ、それだけの話だ。

 

 

 「高町なのは」はバスに乗って登校する。

 そこで2人のクラスメイトと合流した。

 あの金色と紫色のクラスメイトだ。

 2人は共に、お金持ちの家の子で優等生だった。

 そんなクラスメイトと「高町なのは」は友人になっている。

 

 「高町なのは」は気分が良かった。

 優秀な2人と一緒にいると気分が良かった。

 家族に劣っているという劣等感が、その瞬間は癒される。

 こんなに凄い人達と友達になっている事実に「高町なのは」は優越感を覚えていた。

 もちろん2人と友達で居られるのは、そんな理由だけでは無いのだけれど。

 

 「高町なのは」は欠点だらけという訳ではない。

 理数系の成績は友人を上回っていた。

 しかし、それを「高町なのは」は自覚できない。

 友人に「成績が良い」と言われても、納得できなかった。

 なぜならば「高町なのは」は「役立たず」なはずなのだから。

 

 

 昼休みに「高町なのは」は友人と話し合う。

 将来の夢について、3人で話し合っていた。

 しかし、「高町なのは」の夢は定まらない。

 母の店を手伝うという選択肢しか思い浮かばなかった。

 それくらいの事しか出来ないと「高町なのは」は思っていた。

 

 「高町なのは」には自信がなかった。

 何かを出来る自分が、想像できなかった。

 何も出来ない自分しか、想像できなかった。

 長く続いた自己否定は、「高町なのは」の現在を否定する。

 思い込みから始まった自己否定は、「高町なのは」の未来を否定していた。

 

 

 さて、下校中に「高町なのは」はフェレットを拾う。

 そいつを拾って、動物病院へ送り届けた。

 その夜、「高町なのは」は助けを求める声を聞く。

 今朝から不思議な夢を見ていた「高町なのは」は気になった。

 もしかすると誰かが、自分に助けを求めていると思ったからだ。

 

 他の人に、この声は聞こえない。

 声が求めているのは優秀な友人2人でも、尊敬する家族でもない。

 「高町なのは」にだけSOSを送り続けていた。

 「高町なのは」だけを必要としていた。

 「高町なのは」を求められて、「高町なのは」は嬉しかった。

 

 しかし、今は夜だ。

 こんな時間に出かけるのは「悪い事」だった。

 こんな時間に外出したいと言えば、家族に面倒をかけてしまう。

 もしも勝手に外出した事が露見すれば、家族に心配をかけてしまう。

 家族に心配をかける恐れと、会いに行きたいという欲求の狭間で、心は揺れ動いた。

 

 「高町なのは」にとっては、人生を左右するほどの選択肢だった。

 親を裏切ることは、「高町なのは」にとって重罪だ。

 それでも「高町なのは」は、身を隠して外出する。

 誰かを助けるのは正しい事だと、自分に言い聞かせた。

 誰かを見捨てるのは間違っている事だと、自分に言い訳した。

 

 そして「高町なのは」は魔法と出会う。

 機械仕掛けの魔法の杖を掲げ、モンスターを封印した。

 魔法を用いなければ倒せない、強大かつ凶悪なモンスターだ。

 しかし、「高町なのは」は見事にモンスターを封印した。

 そうして「役立たず」だった「高町なのは」は魔法という力を手に入れた。

 

 「高町なのは」にとっては、最高の夜だった。

 魔法を使えるようになった事を、「高町なのは」は家族に自慢したかった。

 もはや「高町なのは」は役立たずではない。

 他の人には使えない魔法を、「高町なのは」だけが使える。

 魔法を使える事を自慢して、褒めて欲しかった。

 

 ところが、パートナーであるフェレットは警告する。

 魔法の存在は秘匿しなければならない。家族にも告げてはならない。

 せっかく特別になれたのに、それを「高町なのは」は隠さなければならなかった。

 しかし、よく考えてみると、テレビやマンガに登場する魔法少女の定番だ。

 「それなら仕方ない」と思った「高町なのは」は、フェレットを連れて帰る事にした。

 

 「高町なのは」は、それでも良かった。

 本当の力を隠すという設定に心を揺さぶられた。

 魔法を自慢できないのは残念だけれど、魔法少女なのだから仕方ない。

 魔法は特別な物なのだから、秘匿する必要があるのは仕方のない話だった。

 私は特別なのだと、その事実だけでも「高町なのは」は満足していた。

 

 

 夜の町に霧が出る。

 霧は深さを増し、視界を塞いで行く。

 霧は全てを覆い隠し、人を迷わせる。

 見知った道も、知らない道になってしまう。

 それは「高町なのは」も違いはなく、帰宅は遅れる事になった。

 

 

 「高町なのは」は家族に黙って、家を抜け出した。

 その家の前では兄が、夜に外出した妹を待ち構えていた。

 そこへ「高町なのは」は帰宅する。

 当然、「高町なのは」は兄に詰め寄られた。

 しかし、背の高い兄に怯える事なく、「高町なのは」は睨み返す。

 

「こんな真夜中に家を抜け出して、どこに行ってたんだ。心配したんだぞ!」

「お兄ちゃんには関係ないでしょ! 私が何処に行こうと、私の勝手なの!」

 

 兄にとっては予想外の言葉だった。

 「高町なのは」が、そんな事を言うとは思わなかった。

 外出した事を悪怯れず、自分の勝手だと「高町なのは」は言う。

 思わずカッとなった兄は、手を上げる。

 その手を振り下ろして、幼い「高町なのは」の頬を打った。

 

「関係ない訳ないだろ! 家族に黙って家を抜け出せば、心配するに決まってる!」

「はぁ? 家族? 誰が家族だって言うの? 今さら家族面しないでよ! 私の気持ちなんて何も分かってないくせに!」

 

「なのは!」

 

 家族を疎かにした「高町なのは」を、兄が叱る。

 しかし、「高町なのは」は引かなかった。

 自分より背の高い兄に、真正面から立ち向かっていた。

 頬を打たれても怯むことはなく、泣くこともない。

 自分は間違っていないと、「高町なのは」は確信していた。

 

「暴力で従わせようとしたって無駄なんだから! 私は死んでも、絶対に屈しないの!」

 

 いつもの「高町なのは」ではなかった。

 こんな事を「高町なのは」は言わない。

 家族を疎かにする事を、「高町なのは」は言わなかった。

 家族を疎かにする行為を、「高町なのは」は行わなかった。

 「いったい妹に何があったのか」と兄は思う。

 

「ねえ、恭ちゃん。外で立ち話するのも何だから、家に入ろうよ。外で騒いでたら、御近所さんに迷惑だし……」

「む、そうだな。なのは、話は中で聞く」 

 

 姉が助け舟を出す。

 それに乗ったのは「高町なのは」ではなく、兄だった。

 いつもと様子の違う「高町なのは」に、兄は困惑していた。

 なにか大変な事が「高町なのは」の身に起こったのではないかと心配する。

 父や母も交えて、家族みんなで話し合うべきだと思った。

 

 しかし、「高町なのは」は動かない。

 姉が差し伸ばした手を、「高町なのは」は振り払った。

 自分の手を振り払われた姉は、ショックを受ける。

 「高町なのは」は汚い物を見るような目で、姉を見ていた。

 これまで見た事のない嫌悪感を、姉に対して剥き出しにしていた。

 

「やだ」

 

 今の「高町なのは」は、まるで子供のようだ。

 そんな「高町なのは」を兄や姉は見た事がない。

 「高町なのは」は、こんな事をする子ではなかった。

 こんな風に、我がままを言う子ではなかった。

 さらに「高町なのは」は、姉へ止めを刺す。

 

「触らないで、汚い」

「なのは! なんて事を言うんだ!」

 

 大ダメージを受けた姉は呆然としている。

 そんな姉の代わりに怒ったのは、兄だった。

 それでも「高町なのは」は揺らがない。

 兄の言葉は何一つ、「高町なのは」の心に届いていなかった。

 思わず兄は再び、手を上げそうになってしまう。

 

「どうしたんだ、恭也」

 

 兄の怒鳴り声を聞いて、父と母も家から出てきた。

 父と母、兄と姉、そして「高町なのは」だ。

 高町家の家族全員が玄関前に並んだ。

 しかし「高町なのは」は家族と向き合っている。

 目に見えない大きな溝が、「高町なのは」と家族の間にあった。

 

「父さん、なのはの様子がおかしいんだ」

「どうしたんだ、なのは? なにか嫌な事でもあったのか?」

 

「近寄らないで、臭いの。前から思ってたんだけど、お父さんって臭い」

 

 大ダメージを受けた父は、呆然としている。

 誰が見ても父が、一言でノックアウトされたのは明らかだった。

 兄も姉も父も拒絶された今、最後の希望は母に掛かっている。

 家族を睨んでいる「高町なのは」と背を合わせるように、母は屈んだ。

 そして威圧感を与えないように、目線を合わせて話しかける。

 

「ねえ、なのは。どうして怒っているのか、お母さんに聞かせてくれない?」

「あんたなんかには、絶対に教えてあげないの」

 

「そこを何とか、ね?」

「やだ」

 

「おいしいもの食べさせてあげるから」

「猫なで声で気持ち悪い。しつこいの、ババア」

 

 異常だった。この「高町なのは」を異常と、家族は感じた。

 ちょっと見ない間に、性格が一変している。

 医者に診せるべきかと思った。

 超常現象に詳しい友人に、相談するべきかと思った。

 これが「高町なのは」なのだと、家族は認めたくなかった。

 

 

 霧の向こうから「高町なのは」が帰ってくる。

 「高町なのは」の下へ、「高町なのは」がやってきた。

 おかしな言い方だけれど、仕方ない。

 実際に、その場に「高町なのは」は2人いた。

 同じ服を着て、同じ髪型をして、同じ顔をしていた。

 

 霧の向こうからやってきた「高町なのは」は驚いた。

 家族と一緒に、自分が居たからだ。

 鏡のように左右反対ではない、ありのままの自分がいた。

 しかし、それを「高町なのは」は否定する。

 「高町なのは」は「高町なのは」なのだから、あれは「高町なのは」ではない。

 

「ねえ、その子、だれ?」

 

 「高町なのは」は家族に問う。

 

「私は高町なのはだよ?」

 

 答えたのは「高町なのは」だった。

 

「違うよ。なのはは私なの」

 

 「高町なのは」は笑う。

 

「私が「高町なのは」。家族の大っ嫌いな「高町なのは」」

 

 その言葉を聞いて「高町なのは」は驚いた。

 

「そんなの、私じゃない」

 

 「高町なのは」は笑う。

 

「ウソばっかり。家族が嫌いなんでしょ?

 お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、みんな嫌いだった」

 

 大きな身振りを交えて「高町なのは」は言う。 

 それは「高町なのは」なりのアピールだった。

 まるで舞台を演じるように、「高町なのは」は大きく両腕を掲げる。

 そんな「高町なのは」を見て、「高町なのは」は嫌悪感を覚えていた。

 自分に酔っている「高町なのは」の姿は、見るに耐えなかった。

 

「ずっと我慢していたの。我慢して、家族ごっこをしていたの。

 でも、本当は嫌だった。こんな息苦しい家、早く出て行きたかった」

「私は、そんなこと思ってない!」

 

 「高町なのは」は勝手なことを言う。

 「高町なのは」は、そんな事を思ってはいなかった。

 「高町なのは」は、ウソは言っていない。

 しかし「高町なのは」はウソを言っていると思った。

 自分の事なのに、「高町なのは」は分かっていなかった。

 

「もう家族に縛られるのは嫌なの!

 私は自由になりたい!

 家族なんて捨てて自由になりたい!

 私の好き勝手にやりたいの!」

 

 ソレは「高町なのは」の姿で言う。

 服も声も髪型も、何もかも同じソレは、「高町なのは」のように喚き散らす。

 ソレを「高町なのは」だけが見ているのならば、まだ良かった。

 しかし、この場には家族がいる。

 「高町なのは」の暴言を家族に聞かれる事は、「高町なのは」にとって堪え難かった。

 

「私みたいな格好で、勝手な事を言わないで!」

 

 「高町なのは」は悲鳴を上げる。

 すると「高町なのは」は掲げていた両腕を下ろした。

 そして、「高町なのは」は「高町なのは」を見据える。

 これまでも激しい口調は止めて、哀れむような目を向けた。

 態度の急変した「高町なのは」に怯え、「高町なのは」は後退る。

 

「もう良い子の振りなんて止めようよ。私は貴方だから、貴方の事は全部分かるの。

 家族なんて捨てて、私と一緒に行こう?

 私は貴方で、貴方は私。2人で一つ。

 私と貴方が一つになれば、どこまでも飛んで行けるよ」

 

 そう言って「高町なのは」は手を差し出す。

 それが正しい選択だと、「高町なのは」に示した。

 しかし、「高町なのは」は応じない。

 「高町なのは」にとって、「高町なのは」の言う事は気持ち悪かった。

 その手を取るのは、汚物を手に取るのと同じ事だった。

 

 

「違う」

 

「違う違う違う!」

 

「――貴方なんて、私じゃない!」

 

 

 そうして「高町なのは」の差し出した手は、「高町なのは」に振り払われる。

 

 

「にゃはは」

 

「そっか、そうだよね」

 

「――私は貴方なんかじゃない」

 

 

 否定された「高町なのは」は形相を変える。

 その顔は醜く歪み、「高町なのは」を睨みつけた。

 その足下から影が伸びる。

 周囲の霧を巻き上げ、ゴウゴウと風を鳴らして影が立ち昇った。

 さらに何処からか影が伸びて、影に飲まれた「高町なのは」を中心に寄り集う。

 

 それと同時に、「高町なのは」から力が抜ける。

 全身から力が抜けて、立って居られなくなった。

 まるで「生きる活力」を奪われたかのようだ。

 倒れかける「高町なのは」の体を、兄が受け止める。

 そして、立ち昇る影から距離を取った。

 

( なのは! 大丈夫!? )

 

 フェレットの声が聞こえる。

 実際にフェレットが喋ったのではなく、魔力を用いた念話だった。

 しかし、「高町なのは」に答える気力は残っていない。

 自分の体が他人の体のように重くなり、「高町なのは」の言う事を聞かなかった。

 自分の体なのに「お前は高町なのはではない」と否定されていた。

 

「お父さん、恭ちゃん!」

 

 家の中に戻っていた姉が、荷物を投げ渡す。

 その中に入っていた小太刀を、父と兄は手に取った。

 荷物の中には小太刀以外にも、特殊な道具が入っているようだ。

 母は「高町なのは」を連れて、家の中へ避難する。

 戦闘準備を整えた一家は、天に向かって立ち昇る影に向き直った。

 

 まもなく、影が内側から弾け飛ぶ。

 そこに「高町なのは」の姿はなかった。

 その代わりに、「小さな天使の羽を生やした赤ん坊」がいる。

 その無力な赤ん坊は、母に似た黒い騎士に抱かれていた。

 その赤ん坊を守るように、父と兄と姉に似た黒い騎士が立っている。

 

 赤ん坊は無力の象徴だ。

 「高町なのは」の感じていた劣等感だった。

 羽は小さく、自分の力で飛び立つ事ができない。

 「高町なのは」には自信がなかった。

 「親に庇護される対象で居たかった」という思いも含まれているだろう。

 

 4体の黒い騎士に意思は感じ取れない。

 あの黒い騎士は、本体である赤ん坊の操り人形だ。

 「家族を思い通りに動かしたい」という願望の現れなのか?

 いいや、それは少し違うようだ。

 「自分の思い通りに動く家族が欲しい」という願望の現れだった。

 

 赤ん坊の背中から生えた羽は、小さくて愛らしい。

 その首から下も丸く、愛らしいと思わせるような造形だった。

 だが、首から上は醜悪だ。

 「潰れた顔面」としか言えないほど、醜いものだった。

 その顔を見る者すべてが、嫌悪感を覚えるに違いない。

 

 その愛らしい姿で、他人の庇護を求める。

 自分の外見を餌に、他人を思い通りに動かそうと思っていた。

 しかし、その内面は醜く歪んでいる。

 歪んだ顔の代わりに、愛らしい身振りで他人の興味を引いていた。

 それは、とても純真な子供のものとは言えない有様だ。 

 

『オギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 みにくい赤ん坊が泣き叫ぶ。

 その泣き声も堪え難いものだった。

 魔の力を秘めた声は、高町一家の身を震わせる。

 さらに、周囲にある家々の窓ガラスを打ち割った。

 空間を震わせた声は建物を震わせ、壁にヒビを入れる。

 

 それは生まれ落ちた事を喜んでいた。

 悲しいから泣いているのではなく、歓喜の声だ。

 この世界に生まれた事を喜んでいた。

 あれは「高町なのは」の孕んだ「高町なのは」だ。

 同一だったソレは今や、「高町なのは」とは異なる物として産声を上げる。

 

 これが「高町なのはの影」だ。

 「高町なのは」が今まで抑圧してきたものだった。

 しかし、それも「高町なのは」に違いはない。

 本体から拒絶された「高町なのは」は暴走状態に陥っている。

 自己を否定した結果、引き起こされるのは、自我の崩壊だった。

 

 

 

『――我は影、真なる我。

 思い通りにならない家族なんて、いらないの。

 だから、みーんな殺して、人形にしてあげる!』



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【憑依】全盲幼女の予言者【FF10】

1000年前のザナルカンドにて


 ドンドンという重い音と、ピューピューという軽い音が、体の感じ取れない場所から入り交じる。穏やかな太鼓と魔笛の音色が、在りもしない現実に浸っていた虚ろを撫でた。その原始から生まれ出た音楽に有能な指揮者は居らず、一つの空間に纏まりのない無数の旋律が溢れている。安定した一定のテンポは欠落し、混沌となって一時の間もなく変化していた。

 

 ピューピュードンピュードンピューピュードンピュードンピュードン

 ドンドンピューピュードンピューピューピュードンドンドンドン

 ピュードンピューピュードンピュードンピューピュードンドンピュー

 ピュードンドンドンドンドンピュードンドンピュードンドン

 ピューピュードンドンピューピューピュ−ドンドンドンドンピュー

 ピューピューピューピュー

 

 底知れない眠りへ落ちるために、曲として形を成さない原始的な音の集合体を、絶え間なく浴び続ける。果てのない音楽を聞きながら、この身を深き闇へ沈めた。眠りの合間に意識が涌き上がるも、混沌とした音色によって弾けて消える。闇の衣を纏う間に何度も身を揺らし、惑わせる夜の長さを噛み締めていた。

 

「……?」

 

 その音が途絶える。

 

「……うむ?」

 

 不思議に思って耳を澄まし、寝ぼけた手つきで楽士を探す。しかし、長き夜を支えていた音楽プレイヤーは、跡形もなく姿を失っていた。まさか身動きした際に寝台から蹴っ飛ばしてしまったのか。この身を預けた寝台の下に、また無惨な有り様を晒しているのか。我の悪意なき暴力によって、これまでに失われたプレイヤーの数は知れなかった。

 

「おお、偉大なる神よ……!」

 

 聞き知れぬ物音が耳に障り、不快を覚える。記憶に無き物が、すぐ側に存在する事を示していた。異物を拒絶するも、それに用いる感覚の一部が欠けていると知る。我は警戒を高め、その方に身構えた。この身を貶めるなど、単なる物の力では及ばぬ。高鳴る心臓を抑え、近き音を耳で拾った。すると我を取り囲む、いくつもの鼓動が聞こえる。

 

「……なぬ?」

「私の名はエボンと申します。このザナルカンドを治める者です」

 

「……ふむ」

「恐るべき神よ。あなた様の御名はアザトースでしょうか?」

 

「……異なる」

 

 この物音は迷惑な事に、探し求めるべき者を見誤ったか。エボン……ザナルカンド……記憶の彼方で聞いた覚えのある言葉だった。我の前にある物音はエボンと言うらしい。名を贈られたのならば、こちらも我が名の一片を教えてやろう。尊き我が名を、その胸に刻むと良い。

 

「……■■」

 

「きええええええ!」

「ぴぎゃああああああ!」

「ほあっ! ほあっ! ああっ!」

 

 狂おしき声が我を包み、ビチャビチャと肉塊が跳ねる。我を取り囲んでいた鼓動が、最も近き1つを残して消えた。我が名を示す2つの短き音であっても、単なる物では耐え切れぬか。このエボンと名乗った物も、その鼓動を止めている。呆れた事に、あと10も数えぬ内に息絶えるに違いない。

 

「……いかにするか」

 

 間もなく鼓動は消え去り、我の声に触れる物はない。この眩められた身では、大いなる力を振るえぬ。どうやら低き種族の1つに、我の意識は繋がっているようだ。憎き者に奪われた知性を取り戻した訳ではなく、この低き種族の脳にて我は思い浮かべている。力を振るえぬのは、この容れ物を壊さぬためか。しかし低き種族の知性など痴れたものよ。不自由なものだ。

 

「……うむ?」

 

 鼓動が1つ、この地に戻る。さきほど息絶えた物が、その命を取り戻した。この物が低き種族の身で成したとしても、それは取るに値しない現象に過ぎぬ。高き肉体に依る力ではなく、神秘の技で不足を補っている。死より這い出た鼓動は一つで、他の消えた鼓動に変化は起こらなかった。

 

「……他の物は?」

「ゴホゴホ……」

 

「……答えよ」

「申し訳ありません……王の御名を受け止めるに足らず、精神が朽ちてしまったのでしょう」

 

 低き種族としても、我を呼び出した程度の精神力はあるか。しかし我の名を聞く器もない有り様で、我を眩めようなど過ぎた行いだ。せめて我が名に耐えうる精神力を宿していなければ話にならぬ。早々に混沌の台座へ戻り、無限の時を過ごすべきか。我が目覚めれば、この下らぬ夢も弾けて消えるだろう。

 

「貴方様の名は私たちにとって畏れ多いものです。先の賢者に習い、仮の名としてアザトースと呼ぶ事を御許しください」

「……構わぬ」

 

「恐るべき王アザトースよ。まずは汚れなき部屋へ御案内します。どうぞ、貴方様に触れる事を御許しください」

「……許さぬ」

 

「申し訳ありません。身に過ぎた事を申し出ました」

「……先を行くがいい」

 

 我の身に触れるなど思い上がっているのか。単なる鼓動を追って、我は足を前に進める。空間を越える事すら出来ず、空を飛ぶ事すら出来ず、わざわざ不格好な2本の足で歩かねばならぬ。しかし、ちょっとした段差に引っかかり、冷たくも滑らかな大地に我は倒れ伏した……これは大地ではないな、低き種族の作った床だ。それをペタペタと手で叩く。

 

「……むぅ」

「お怪我はありませんか!? 御体を確かめましょう!」

 

「……黙るがいい」

「申し訳ありません。王の御体が心配な余り、我を失ってしまいました」

 

「……我を運ぶのだ」

「大変うれしく思い、お受けいたします。御体に触る無礼をお許しください」

 

「……許す」

「それでは失礼いたします」

 

 低き種族の手を借りねば、この身は自在に動けぬ。この容れ物の弱き手で、闇を探れば歩けぬ訳ではないとしても、地を這うに等しく面倒だ。そもそも、なぜ我が単なる物の後を追い、遅々として歩く必要があるのか。エボンと名乗った物に、この容れ物を運ばせた方が早かった。このように叩けば容易に割れる容れ物ではなく、高き種族の容れ物を我は欲する。

 

「……もろい」

「アザトース様、御体に傷が!? 申し訳ありません、すぐに治療いたします」

 

「……うむ」

「それでは御体にケアルを、お掛けいたします」

 

 神秘が容れ物を包み、薄く裂けた肌を塞ぐ。エボンと名乗った物は、さきほど魔法と表したか。「エボン=ジュ」「ザナルカンド」「魔法」「ケアル」……数少ない断片によって浮かび上がるは既知の夢か。かつて見た夢に違いない。知性を失った我が身の内から、湧き出た幻の1つに過ぎなかった。

 

 

 

私ことエボンは歓喜する。

我が国を救うために私は、禁じられた秘術に手をかけた。

悪しき夢を見るという幼子を用いて、人知を越えた魔王の夢を召喚する。

 

召喚術とは、祈り子の夢を具現化する術だ。

召喚市に必要とされるのは、祈り子と交感する能力だった。

その力を用いて、旧神によって知性を奪われた魔王の夢を具現化する。

 

さすがに魔王の本体を召喚しようなど夢にも思わない。

大いなる存在にとって、あまりにも弱い人という生き物は砂漠の砂粒だ。

魔王の名を2音聞いただけで、共に儀式を行った皆は帰らぬ者となってしまった。

 

問題は、ここからだ。

魔王と交感を深め、底知れない夢を引き出す。

犠牲なった皆のためにも、私は役割を果たさなければならなかった。

 

「……エボン」

「はい、偉大なる王アザトースよ」

 

「……おまえは『■■』となる」

「ぎゃああああああ!?」

 

魔王の言葉に肉体と精神と魂が汚染される。

このままでは肉体よりも先に私の精神が朽ち果てるだろう。

意味を理解できない■■という単語が、魔王の口から狂気の波となって放たれていた。

 

「……耐え切れぬか」

「申し訳ありません、アザトース様」

 

「……小さき汝は重き鎧を身に纏い、災厄となって■■■に衰退をもたらす」

「ぴぎゃああああああ!?」

 

「……これでも耐え切れぬか」

「申し訳ありません、アザトース様」

 

やはり人は小さき者だ。

魔王と言葉を交わす内に、私は世界の果てに気付かされた。

これまで美しいと思っていた風景が、魔王の言葉を受ければ汚れた泥に感じられる。

 

「……小さき汝は重き鎧を身に纏い、災厄となって世界に衰退をもたらす」

「アザトース様、それは……」

 

「……既知の未来に過ぎぬ」

 

魔王の言葉は、我らにとって予言だった。

大いなる魔王にとって、この世は既知の物だ。

その知識を授かろうと思っても、人の身では耐え切れない。

 

「アザトース様。もし宜しければ、ザナルカンドの行く末を授けていただけないでしょうか」

「……構わぬ」

 

「小さき我らに対する、アザトース様の慈悲に感謝いたします」

「……小さき汝は民を導き、古き都を夢見る。知性なき獣となって古き都を守り続けるだろう」

 

ザナルカンドの滅びは避けられない。

しかし、私の召喚する永遠のザナルカンドへ、私は民を導くという。

民に幸福な夢を見せ、その夢を守るために私は、一人で戦い続けるのだ。

 

それも良いだろう。

民を守るためならば、人としての形を失っても構わない。

知性なき獣となって、我らの敵を討ち果たし、ザナルカンドを永遠の物とする。

 

しかし魔王が目覚める時、この世界は泡となって消えるだろう。

このスピラという世界は、まどろむ魔王の見る一時の夢に過ぎない。

魔王に永遠の夢を見せる事が、ザナルカンドと世界の存続に繋がるのだ。

 

 

 

私ことユウナレスカは思い悩む。

我が父エボンは、何かに取り憑かれているのか。

その異変が起こり始めたのは父が、ある書物と鍵を手に入れてからだった。

 

「獣の皮で作られた書物」と「大きな銀の鍵」。

それを父が手にして1つの月が経った頃、人が消え始めた。

ザナルカンドの統治者である父の周りで人が消え、不審な噂が流れる。

 

エボンは民を用いて実験を行っているとか。

エボンは怪しげな異教に没頭しているとか。

エボンは新たな召還術を開発しているとか。

 

それらを噂だからと言って軽視はできない。

我が国はベベルと戦争中であり、統治者に対する不審は存亡に関わる。

銃器の他に主戦力として召還術を用いる我らは、ベベルの攻勢に押されていた。

 

それに私ことユウナレスカにも覚えがある。

夜に輝く街灯の下、一人で歩く父を見た時の事だった。

父に声を掛けようとした私は、その影が歪んでいる事に気付いた。

 

あれは人の影ではなかった。

鋭い体毛を生やした獣の影だった。

魔物が父に化けているのかと私は疑った。

 

もしかすると、見間違いだったのかも知れない。

しかし、おぞましい獣の影が、私の目に焼き付いて離れなかった。

我が夫ゼイオンと恐怖を分かち合わなければ、私は不安で潰れていただろう。

 

 

不気味だった。

そんな父から私は距離を取る。

後から思えば、その選択は誤りだった。

 

 

ある時、信じられない話を聞いた。

体の不自由な幼子を、父が引き取ったらしい。

その後、幼子は養女として家族に入り、私の義妹になったとか。

 

娘である私に何の相談もなく、なにを考えているのか。

父の下へ走った私は、金毛の幼女を姫のように扱う様を目にする。

改装された豪華な部屋で、歩く事すらできない盲目の幼女を、父が飼っていた。

 

「父よ……これは如何いう事か!? 見損なったぞ!」

「アザトース様の前で、騒がしい声を上げてはならん……どうしたのだ、ユウナレスカよ」

 

「アザトース様……? 父よ、それは、この幼子の名前か」

「王の名を呼ぶなど人の身に過ぎた行いだ。故にアザトース様と御呼びしている」

 

しばらく見ない間に、父の言動は狂っていた。

アザトースという訳の分からない名前で、金毛の幼女を王と崇めている。

父の歪んだ笑みは、出来の悪い芝居を見ているようで、私は気分が悪くなった。

 

このような父に、幼子を任せておけるものか。

寝台で横になっている幼子の体を、私は抱き上げる。

年齢は5歳ほどか。人形のように短い手足と寝ぼけた顔に、愛おしさを覚えた。

 

「父よ、この子は私が育てます。とても今の父上は、正気とは思えません」

「そうか……残念だが、それは助かる。ユウナレスカならば私も安心できる。こちらの準備が出来たら迎えに行こう」

 

「……なんの準備でしょうか? この子を使って何をする気なのですか?」

「私はスピラを、この世界を、救うのだ。この世界は不気味な泡に過ぎないと、おまえも悟る日が来るだろう」

 

父の言葉の意味は分からなかった。

しかし、良くない事を考えているに違いない。

ザナルカンドの統治者が、こんな有り様と知られたら如何なるか。

 

「幼き子よ、名は何と言う」

「……アザトースと呼ぶがいい」

 

「それ以前の名だ。本当の名を憶えているか?」

「……単なる物では耐え切れぬ」

 

子供らしくない、落ち着いた口調だ。

そんな幼子の言動に、私は頭痛を覚える。

いったい父は、この子に何を教え込んだのか。

 

幼子の思想を正しく改めなければならない。

普通の人として生きて行けるように、この子を私が導くのだ。

とりあえず役所へ行って、アザトースという似合わない名は改めよう。

 

「おまえをレスカと呼ぼう」

「……構わぬ」

 

私ことユウナレスカの名から取った。

父のせいで口調が尊大になっているものの、元は素直な子らしい。

さっそく私は夫であるゼイオンに、体の不自由なレスカを引き取った事を伝えた。

 

「レスカよ。おまえは、どのような物を食べたい?」

「……何でも構わぬ」

 

そう言うレスカは、

子供の嫌うような物も平気で食べる。

食べ物の好き嫌いが無いのは良いが、感情の色が少なすぎて心配だ。

 

戸籍の上でレスカは、私の義妹となる。

しかし、幼いレスカを娘のように私は感じていた。

このままレスカを本当の娘として育てるのも良いと思っていた。

 

その日、父に対する反逆を、私は決意する。

しかし、敵国のベベルによって、我が国は侵されつつあった。

統治者の娘であり、優れた召還士でもある私は、戦場に出る責務があった。

 

 

 

 ザナルカンドの統治者であるエボン、その娘ユウナレスカ、ユウナレスカの夫であるゼイオン……我に触れた音を覚えるのは容易いが、まるで物音の区別がつかぬ。我にとっては低き種族は、単なる鼓動に過ぎなかった。我の世話をする物は、数知れぬ物でも構わぬし、大した違いはない。容れ物を休める場所が変わっても、偽りの名がレスカと改められても、我にとっては小さな事だった。

 

「ごめんなさい、レスカ。貴方を置いて行く事を許してね」

「……構わぬ」

 

 この容れ物の世話をする物が在れば、どれであろうと構わぬ。2つの鼓動が我から離れ、山の向こうにある戦場へ向かう。話の流れから察するにユウナレスカと、その夫ゼイオンだろう。すると1つの鼓動が我の下を訪れ、寝台で横になっていた容れ物を連れ去った。

 

「……なにか?」

「エボンでございます。王を永遠の物とする準備が整ったので、お迎えに参りました」

 

 い〜え〜 ゆ〜い〜

 の~ぼ~ め~の~

 れ~ん  み~り~

 よ~じゅ~よ~ご~

 

 は~さ~

 て~か~

 な~え~

 く~た~ま~え~

 

 その子守唄によって、我は果てなき眠りへ誘われる。エボンによって、夢のザナルカンドが召喚された。低き種族は魂を石像に封じ、その夢をエボンが召喚する。我は低き種族の容れ物に束縛されたまま、夢のザナルカンドへ封じられた。混沌の夢の中で、また夢を見るとは果てしない。夢の終わりは、時の彼方に移り変わった。

 

 

 

私ことユウナレスカは、危機感を覚える。

ガガゼト山の端まで、ベベルの軍は迫っていた。

このガガゼト山を突破されれば、すぐにザナルカンドだ。

 

召喚士は小規模な戦いを繰り返し、召喚獣の力を溜める。

そうして解き放った力は強大だが、長期戦には向いていなかった。

追い詰められてダメージは積み重なり、戦闘不能になる者が増える、

 

私は状態異常を引き起こす事に長けている。

魔法を用いて混乱を引き起こし、敵に同士討ちをさせていた。

しかし状態異常を防ぐ装備品を身に付けた部隊が、私の魔法を阻む。

 

これまでかと思った。

我が夫ゼイオンと共に戦場から後退する。

ザナルカンドを守る自然の防壁が、突破されようとしていた。

 

戦場に無数の幻光虫が舞う。

幻光虫は魂のような生命エネルギーと考えられていた。

空中で行き先に迷っていた発光体が、奇妙な動きを見せ始める。

 

見ると幻光虫は、山の向こうへ流れていた。

死を思い起こさせる七色の帯が、険しい山肌を登って行く。

風の向きも変わり、戦場から退く我らの背中を押していた。

 

「ユウナレスカよ……これは自然の現象ではないな。魔法による技か」

「ああ、ゼイオンよ。我が父の仕業だろう。しかし、いくら優れた重力魔法の使い手とは言え、これほどの広い範囲に影響を及ぼす事は出来ないはずだ」

 

「まあ、そうだろうな……とっておきの最終兵器という可能性はないのか?」

「守るべきザナルカンドごと自滅する"最終兵器"でない事を私は祈るよ」

 

重力が逆転し、空が歪む。

山の向こうから、災厄の存在が姿を見せた。

大量の幻光虫で身を包み、巨体が空を飛んでいる。

 

そこから光が放たれた。

人の身に過ぎた重力波が、ベベルの軍ごと大地を捻り潰す。

それは「根こそぎ」としか言えない破壊力で、豊かな自然を消滅させた。

 

凄まじい威力だ。

その攻撃が敵に向いていれば頼もしい。

しかし友軍に対しても、その光は降り注いだ。

 

「まずいぞ、ユウナレスカ! あれには見境がない!」

「知性なき獣に成り下がって、ついに人間を辞めたか、エボン!」

 

地上から空へ、ベベルの軍から砲撃が放たれる。

しかし巨体を包む重力の壁に、その弾丸は捕らえられた。

お返しに閃光が降り注ぎ、圧倒的な力で敵国ベベルの軍を踏みにじって行く。

 

人知を越えた魔の代償として人間性を捧げたか。

あれに敵と味方の区別はなく、生きるもの全てを標的としていた。

我らは危険と知りながら、巨大な魔物の下を潜らなければならなかった。

 

重力魔法によって大地が引き裂かれる。

千切れた大地が浮かび、空に異様な光景を形作っていた。

重力に捕らわれれば逃れる方法はなく、人々は巨体に吸い込まれて潰される。

 

 

私とゼイオンはザナルカンドへ帰り着く。

あの地獄から何人が生き延びたのかも分からない。

少なくとも、私とゼイオンの率いる兵の他に、人の姿はなかった。

 

ザナルカンドは壊滅していた。

あの魔物が現れた後、真っ先に標的となったのは明らかだ。

瓦礫の山となって、どこが道路だったのかも分からない有り様だった。

 

「なんと愚かな事を……! 敵を滅ぼすために、民を犠牲にするなど……!」

「足を止めている場合ではない。まだ生きている者がいる! 少しでも多くの民を救わなければならない!」

 

「そうだな……すまない、ゼイオン。私が民を救わなければ……!」

「ユウナレスカ、おまえは一人ではない。オレが側に居て、おまえを支える!」

 

しかし、人が見当たらない。

生きている者も死んでいる者も存在しなかった。

おそろしく街は静かで、瓦礫の崩れ落ちる音が響く。

 

人が死ねば幻光虫が生まれる。

無念の思いが寄り集って魔物と化すのだ。

それらを異界へ送るのも、召喚士の務めだった。

 

しかし、その幻光虫も見当たらない。

荒れ果てたザナルカンドは空虚だった。

言い知れない不安が、私の胸を締め付ける。

 

「どこかへ避難しているのか? たとえば海から船で避難していた?」

「我らが戦場へ出ている間に、いったい何があったと言うのだ」

 

寒気を覚えるほどに不気味だ。

まるで突然、跡形もなく人が消失してしまったかのようだ。

万を越える数の民を、いったい如何やって、どこへ避難させたと言うのか。

 

結局、消えた人々を見つける事は叶わなかった。

すぐに敵国ベベルに情報収集として、我が国の使者を送る。

すると月の半分をかけて戻ってきた使者は、ベベルの壊滅を知らせた。

 

ザナルカンドはスピラの北にある。

エボンは南下して、スピラに存在する国家を次々に壊滅させていた。

ザナルカンドの敵国であったベベルに限らず、この世界の全てを滅ぼそうとしている。

 

義理の妹であるレスカも見つからなかった。

崩れ落ちた家の中から、死体は見つからなかった。

私はレスカを失い、我が子を失ったかのように、嘆き苦しむ。

 

 

「ゼイオン……私はエボンを、もはや父とは呼ばん……!」

 

 

私はエボン=ジュを倒す。

あれは私の罪だ。私が倒さなければならない。

決死の覚悟を胸に、私はゼイオンと共に、私の『シン』を追った。

 

外道を倒すために、正しき業を用いる。

私はゼイオンを用いて「愛の究極召喚」を発動させた。

召喚に必要な条件は心を一つにする事だ。我が夫ゼイオンの代わりには誰もなれない。

 

無数の幻光虫を寄り集め、『シン』は鎧を形作っていた。

その分厚い鎧よりも堅牢なのは、重力波による鉄壁の防御だ。

しかし、この私「ユウナレスカの究極召喚獣」は、その上を行く。

 

ゼイオンと一心同体となり、『シン』を消滅させた。

重力波の装甲を破り、跡形もなく消滅させたはずだった。

しかし、エボン=ジュは虫のような足を幾つも体から生やし、空中に浮かんでいる。

 

『どういう事だ……! 奴は幻とでも言うのか!?』

 

エボン=ジュが我らの中に飛び込んでくる。

ゼイオンと繋がっていた私は、無理矢理に引き剥がされた。

私の居た位置にエボン=ジュが成り代わり、強引に引き剥がされた私は絶命する。

 

奴は私の「ユウナレスカの究極召喚獣」を乗っ取るつもりだ。

究極召喚獣を元に、新たな『シン』を形作るつもりなのだろう。

しかし究極召喚獣は一心同体だ。ゼイオンの意思がエボン=ジュに従うものか。

 

『まだ……私は死ねぬ……! 『シン』を討ち果たす、その時まで……!』

 

私の体から幻光虫が剥がれ落ちる。

強力な意思の力で、その幻光虫を掻き集めた。

滅んだ肉体の代わりに、幻光虫で容れ物を形作る。

 

たしかに私は死んだ。

しかし幻光体となって死に長らえている。

死人であるにも拘らず、生きている振りをしていた。

 

それでも私が『シン』を倒さなければならない。

しかし私は二度と、シンを討ち果たす究極召喚は使えない。

絆の力で発現する究極召喚の性質上、結べる相手は1人に限られていた。

 

世界各地に寺院を建て、祈り子の像を配置する。

「召喚士」は過酷な旅の中で「ガード」と心を通わせる。

そうして、より強い究極召喚を扱える、優れた召喚士を育てるのだ。

 

いつか『シン』を倒す者が現れる。

そう信じて私は、北の最果てで希望を待っていた。

やがて100年が過ぎ、200年が過ぎ、さらに500年が過ぎ……

 

 

……あれから1000年が過ぎた。

繰り返される戦いの内で『シン』の研究も進み、分かった事は絶望だ。

召喚獣に寄生するエボン=ジュを倒すためには、全ての召喚獣を封じる必要があった。

 

その召喚獣たちの大半が、エボン=ジュの味方だ。

現実に無関心で、夢のザナルカンドへ遊びに行く者すらいる。

そして彼らの遊び場である「夢のザナルカンド」の召喚者はエボン=ジュだった。

 

召喚獣の元となる祈り子の像は、エボン=ジュと同じように破壊できない。

ガガゼト山で発見された「夢のザナルカンド」の祈り子たちも壊せなかった。

エボン=ジュの策は1000年前に成っていたのだ。あまりにも私は遅すぎた。

 

エボン=ジュと祈り子の像は、悪しき力で守られている。

絆の力で発現する究極召喚で『シン』を討ち果たす事は叶わない。

「召喚士」と「心を通わせた相手」、その2つの命を奪う邪法に成り下がった。

 

唯一の救いは究極召喚獣を乗っ取り

『シン』を形作るまでの休眠期間が数年ほど存在する事か。

その時間は人々にとって希望となる。『シン』が終わらないと言う絶望を跳ね退ける。

 

しかし、もしも私が死ねば、究極召喚は失われる。

私の代わりに究極召喚を伝承する後継者を作らなければならなかった。

私は円いドームを建て、それをエボン=ドームと名付け、後継者の育成を行っていた。

 

召喚士の中には仲間を失い、

あるいは単独で私の下に辿り着いた強者もいた。

その人々を究極召喚の伝承者として、私は育成する。

 

しかし、私の後継者は長く続かなかった。

寿命で息絶えたのち、死人になれなかった者もいる。

死人となった者も100年すら経たない間に、やはり異界へ去って行った。

 

強い心残りによって、生者は死人となり、現世に留まる。

死人が現世を去るのは再び殺された時か、あるいは未練が消えた時だ。

過酷な旅を乗り越えた死人が、どうして私の下を去って行くのか分からなかった。

 

「なぜだ! なぜ消える! 究極召喚を伝承する者が居なければ、『シン』を倒す手段はなくなる! そんな事は分かっているだろう!」

「無理なのです! この最果ての地で、いつ来るのかも分からない召喚士を待ち続け、死ぬと分かっている究極召喚を召喚士に授け……なによりも『シン』が不滅の存在と知った上で終わりの見えない永遠の時間を過ごすなど、私にはできない!」

 

「諦めるな! スピラの希望を我らが支えるのだ! 私の亡き後、いったい誰が究極召喚を伝えると言うのだ!」

「ユウナレスカ様! 貴方の代わりなどいない! 貴方以外の何者にも、貴方の代わりは務まらないのです!」

 

そうして私は、また独りになった。

どうして人は私のように、絶望に耐える事ができないのか。

絶望を知りながら、それに立ち向かって生きる事は、それほど難しいのか。

 

あるいは私が、すでに人から逸脱しているのだろう。

気付けば髪の毛の先に、おぞましい人の顔が生え、呪いの言葉を吐いていた。

呼吸をするように死の魔法を用いて、真実を知って絶望したガードへ慈悲を与える。

 

もはや私は、人に戻れない。

私の罪によってゼイオンが『シン』となり、

私の授けた究極召喚によってゼイオンが葬り去られた時から、

 

 

——きっと、わたしはバケモノになっていた。

 

 

かつてザナルカンドのあった北の最果てで、私は究極召喚を授け続ける。

また堅い絆で結ばれた召喚士とガードが、『シン』を倒すために私の下を訪れた。

そのガードの1人に抱かれた盲目の幼子を見て、私は目を疑う。死人なのかと疑った。

 

「レスカ……?」

 

1000年の時を越えて、私と幼子は再会した。

1000年の時を越えて、最後の物語が回り始める。

スピラを巡る死の螺旋、その続きに——終わったと思っていた私の物語があった。




▼『ノイチ』さんからメッセージを貰って『エボン=ジュのジュは呪という意味で、シンの核になってから』と教えてもらったので「エボン=ジュ」となっていた部分を修正しました。
おかげで「私はエボンを、もはや父とは呼ばん」から「私はエボン=ジュを倒す」の変化の流れがグレードアップしています。
なんと素晴らしい。ありがとう! ありがとう!


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→夢のザナルカンドから

【あらすじ】
エボンに予言を与え、
ユウナレスカは娘のように想い、
夢のザナルカンドに封印されました。


 獣と化したエボン=ジュによって召喚される眠らない街で、我の眠りの内に低き種族の鼓動は消えて行く。我の世話をする物音の名は幾度も替わるが、この容れ物の形は不変の物となっていた。我にとって一時に過ぎぬとも、単なる物音は生と死を繰り返す。姿形を固定された我は数知れない時を過ごし、横になる寝台を移り変えた。そして、また他と変わらぬ物音が我の下を訪れる。

 

「よっ、分かるか? オレは隣のジェクトくん10歳だ」

「……隣のジェクトくん10歳」

 

「おう、長ったらしいからジェクトでいいぜ」

「……そうか」

 

「目、見えねぇんだってな。手ぇ、触ってもいいか?」

「……構わぬ」

 

「オレの手の感触が分かるか? 憶えておけよ。これがジェクトだ」

「……ふむ」

 

 そう言われても物の区別など付かぬ。我にとって低き種族は単なる物音に過ぎなかった。しかし、この物の名はジェクトと言うのか。既知の物と同じ名が、我の前に現れたのは必然に過ぎない。この容れ物に封じられてから間もなく、瞬きの内に1000年の時が流れたのだろう。

 

「……ジェクト」

「そうだ、オレがジェクトだ」

 

「……汝は水球の支配者となり、我と交わる」

「おまえが何言ってるのか、さっぱり分からねぇな」

 

「……我と契り、夢の支配者たる息子を成す」

「おい、もしかして、おまえは、オレに告白してんのか?」

 

「……違いない」

「もてる男は大変だぜ……まっ、よろしくな」

 

 ジェクトと名乗る物は容れ物を抱き上げ、我を寝台から運び出そうとする。しかし幼きジェクトの血肉では、この容れ物を長きに渡って支える事は叶わなかった。それから度々、ジェクトは我の下を訪れ、我を空の下へ移そうと挑む。他の物音が車椅子をすすめても、意地になって拘っていた。やがて我の容れ物を片手で運べるほどに、その血肉を増やす。

 

「……鈴を付けよ」

「鈴? あのリンリン鳴るやつか。なんでオレに、そんな物つけんだよ」

 

「……他の物と区別が付かぬ」

「そんなモンかね。んじゃ、今日は買い物に行くか」

 

「……息子の分も揃えておくがいい」

「オレに言ってんのか。おめぇは気が早すぎんだよ。娘かも知れねーだろ」

 

「……水球のエースとなるであろう」

「それってブリッツボールの事だろ。おめぇの表現は詩的すぎて付いていけねぇな」

 

 我の告げる未来に、低き種族は耐え切れぬ。ジェクトの腰からリンリンと、新たな鼓動が響き渡った。やがて生まれるであろう息子の分は、我に差し出される。間を置いて見えぬ物となる事を防ぐため、我の容れ物に備えた。そのため我とジェクトは揃って、リンリンと金属の鼓動を鳴らす。

 

「……息子を作るのだ」

「そんな小せぇ体で無茶言うなよ。もっとデカくなったら考えてやる」

 

「……この身は不変のもの故、姿形は変わらぬ」

「おめぇは昔からぶれねぇよな。なんでオレなんだ?」

 

「……必然に過ぎぬ」

「一目惚れってやつか。おめぇは一途で、しつこいったらありゃしねぇ」

 

 低き種族は瞬く間に年老いて行く。歳を確認すればジェクトは、いつの間にか20となっていた。弱き種族は寿命の半分も経てば子を作れぬし、いずれジェクトは海の向こうへ旅立つ。我は急ぎ、ジェクトの精を求めた。ようやくジェクトは我の求めに応じ、その精を容れ物に注ぐ。内なる混沌と精を混ぜ合わせ、魔人となる我が息子を形作った。

 

 

 

オレ様ことジェクトは、ブリッツボールの名選手だ。

ブリッツボールってぇのは、でっけぇ水の中でボールを奪い合うスポーツだ。

学生時代はチームを優勝に導き、今じゃプロチームのエースとして活躍している。

 

このザナルカンドでオレの名を知らない奴はいねぇ。

そんなオレが結婚するとなれば、けっこう大きなニュースになった。

オレと違って、あいつは一般人だから、容姿や名前は伏せる事になっている。

 

しかし、まさか一発で妊娠するとはな。

ガキみてぇな体で子供を作れるとは思わなかった。

あんな体で子供を産むなんて無理だと言ったが、聞きやしねぇ。

 

あいつは強情だからな。

初めて会った時から、オレに息子をねだっていた。

あいつとの付き合いは、もう10年になる。これからは、ずっとだ。

 

「……我が息子」

「オレに似て、かっちょいい男に育つだろうぜ」

 

「……毛色は金となる」

「おめぇと同じ髪の色か。娘だったら美人になるだろうぜ」

 

不自由な体で生まれるかも知れねぇ。

それ以前に、ちゃんと生まれるのかも分からねぇ。

そんな心配を、あいつは感じさせなかった。綺麗で真っ直ぐに、未来を信じ切っていた。

 

「あのよ……オレも、おまえで良かったと思ってるぜ」

「……既知に過ぎぬ」

 

そして子供が産まれた。

母子ともに無事と聞いて、オレは安心する。

元気な男の子で、すぐに立って歩けるようになった。

 

「……我の半神となれば必然よ」

「まっ、オレの半身でもあるからな!」

 

あとでチームの仲間から聞いた話によると、

産まれた直後に立って歩くなんて事はないらしい。

つまり、それほどオレ様の息子が、すげぇって事だな。

 

 

 

オレことティーダは7歳になった。

だけどオレの母さんは、オレよりも小さい。

いつもベッドで横になって、立って歩く事は出来なかった。

 

そんな母さんをオヤジは抱き上げる。

最近はオレも両手を使って、母さんを持ち運べるようになった。

オヤジは大きくなるまで時間がかかったから、オレの方が上だな。

 

歩く度にリンリンと鈴が鳴る。

オヤジの腰と、オレの腰に付いている鈴の音だ。

これは目が見えない母さんのための、大事な目印だって聞いてる。

 

「おめぇは強くなるぜ、ティーダ。まっ、その百万倍くらいオレは強ぇーけどよ」

「オヤジなんて、すぐにコテンパンにしてやるよ。そしたらオレ、母さんと結婚する!」

 

「おめぇなんぞに、あいつはやらねぇよ。なんたって、オレの女だからな」

「なんだよ。オヤジと母さんじゃ似合わないって! ぜんぜん大きさが違うだろ」

 

「そう言うおめぇも、その内オレみてぇに大きくなるのさ」

「じゃあ、母さんは大きくならないのか? なんでだよ?」

 

「あー、そういう病気なんだよ」

「じゃあオレ、医者になるよ! 医者になって母さんを治す!」

 

「……我が息子は父と同じ道を辿るであろう」

 

「だとよ」

「やっぱりオレ、ブリッツボールになる!」

 

ときどきオヤジは夜の海で泳ぐ。

誰にも見られないように、ブリッツボールの練習を行っていた。

その例外はオレと母さんだ。オヤジがコソコソと隠れて、努力している事を知っていた。

 

「おめぇに夜の海なんて危ねーだろ。家で大人しくしてろって」

「……汝が海の果てへ行く時は、我も共に行こう」

 

「本当にやりそうだから怖ぇーよ。付いてくんなよ! 絶対だぞ!」

 

「……我が息子よ。我が身を運ぶが良い」

「うん」

 

オヤジは見栄っ張りだ。

他人に努力している事を知られたくないらしい。

母さんは心配して、そんなオヤジに付いて行っていた。

 

そして、あの日がやってきた。

オヤジは海で泳いで、オレと母さんは砂浜にいた。

オヤジは遠くまで行って……そのまま、いつまで経っても帰って来なかった。

 

「母さん……オヤジなんか放って置いて、家に帰ろう……」

「……我も共に行くと言ったであろう」

 

オレは震えながら、小さな母さんに抱きつく。

座り込む母さんが、オヤジの後を追うような気がして怖かった。

その後、オヤジの捜索は打ち切られて、二度とオヤジは帰ってこなかった。

 

 

 

 ジェクトは我らを置いて、遠き地へ渡り消えた。我と息子は覚めぬ夢の街で、『シン』となったジェクトの襲来を待つ事となる。未知として我と息子を連れて行けば、夢の終わりは必然として現れたであろう。しかし10年など我にとっては大差なく、そのうちアーロンと名乗る物音が訪れた。

 

「オレはジェクトの……友だ。ジェクトが居なくなった際、おまえ達の世話をするように頼まれた」

「……いずれ帰ってくる」

 

「ああ、ジェクトは帰ってくるだろう」

「……その時は我も連れて行くがいい」

 

「もう、いいだろ! 母さんは疲れてるんだ! 帰れよ!」

 

 アーロンと名乗る物音を、怒りに満ちた息子が遮る。息子は我が家を訪れたアーロンを追い返した。ジェクトを失った息子は、我を失う事を恐れているのか。息子の腰に付けた鈴がリンリンと鼓動し、その存在を我に教える。小さな鼓動が数を減らしたために、ジェクトと息子の区別は容易い。後日、息子の居ぬ間に訪れる物音があった。

 

「あいつは居ないのか?」

「……我が息子ならば居らぬ」

 

「そうか、ならば丁度いい。少し聞きたい事がある」

「……汝の名を問う」

 

「すまない。目が見えないのだったな。オレはアーロンだ」

「……ふむ」

 

「おまえは先日、"いずれ帰ってくる"と言っていたな。それだけではなく、"自分を連れて行け"とも。あれは、どういう意味だ」

「……ジェクトに取り憑く亡霊は、息子によって討ち果たされる」

 

「おまえは何者だ。なぜ、それを知っている」

「……我が名を受ける事は叶わず、ゆえに果てしなき魔王アザトースと伏せられる」

 

「答えになっていない」

「……この身は大召喚士に含まれぬ召喚士の義妹でもある」

 

「『シン』を倒した大召喚士に含まれぬ召喚士……ユウナレスカか!」

「……既知に過ぎぬ」

 

「なぜ、ジェクトに真実を告げなかった。おまえが教えていればジェクトもブラスカも、死を選ぶ事はなかった……!」

「……我も共に行くと告げた。されどジェクトは一人で渡った」

 

「……ジェクトから聞いた覚えがある。"あいつが止めるのも聞かずに夜の海で泳ぎ、『シン』に会って飛ばされた"と」

「……止めたのではなく、我は共に行くと言ったのだ」

 

「そうか……ジェクトは、こうも言っていた。"早く帰ってやらないと、あいつがオレの後を追ってくる"とな。あいつは何時も、おまえを心配していた」

「……いまだ時は満ちぬ」

 

「あいつの信じたおまえを、オレも信じてやろう。だが、忘れるな。息子の物語は、おまえの物語ではない。オレたちの物語は、すでに終わっている」

 

 我は夢を見ているに過ぎず、我の物語など存在しない。我が息子の物語も、我にとっては既知の物語に過ぎなかった。我は祈りの歌に包まれ、目覚めを夢見る。我が息子は書と鍵を用いて、混沌の台座へ至る扉を解き放つであろう。我が求めるまでもなく、夢の終わりは必然として訪れる。

 

「母さん! オレ、 ザナルカンド・エイブスにスカウトされたよ!」

「……我が息子よ。まもなく汝の父が災厄として姿を現す」

 

「またオヤジの話かよ……あんな奴、帰ってこなくていいだろ」

「……必然に過ぎぬ」

 

「もうオヤジは居ないんだ……母さん」

「……我らは海を渡るであろう」

 

 幼体であった我が息子は、わずかな間に成体へ育った。この間にエボン=ジュの支配に抗うジェクトの意識は限界に近づく。10年の休眠期間を終えて『シン』となるのだ。その前にジェクトは息子を連れて行くだろう。我も息子と共に、この夢の都から海を越える。

 

「……我も試合の会場へ行こう」

「えっ、母さん!? オレの試合、見に来てくれるのか!?」

 

「……見えぬ」

「いいって、いいって! じゃあ、次の試合のチケット取っておくから! アーロンを呼んで案内させるよ!」

 

 それから我は息子の試合に通った。客席を埋める多数の物と、幻光虫を用いて作られた水球に阻まれ、鈴の鼓動は我に届かない。試合の実況を行う物音が、会場に響いていた。しかし我にとって試合の結果など如何でも良い事よ。それよりもジェクトの襲来を我は待っていた。すると夢のザナルカンドに有り得ぬ、小さな揺れを感じる。

 

「……災厄が訪れる」

「ああ、間違いない。『シン』だ」

 

 多数の爆音が鳴り響き、空気が震えた。物音の悲鳴と建物の崩れ落ちる音が、空気を伝って我に触れる。アーロンと名乗る物に運ばれ、容れ物は大きく揺れ動いた。水の流れる音も混じり、弱き種族の足音が跳ね、いくつもの鼓動が消える。無数の物音が混じり合う中で、金属の鼓動は上から下へ落ちた。

 

「あの高さから落ちても無事だったか」

「……我が息子は傷すら負わぬ」

 

「やはり、おまえの仕業か」

「……我の半神となれば必然よ」

 

 尊き神と呼ばれる者を低き種族が傷付ける事は叶わず、例外は神と交わり生まれた魔人とされる。我の中で混沌と混ぜ合わせ生まれた神性となれば、いずれ弱き種族の皮を捨て、高き種族へ至る。ジェクトの精より夢として生まれし我が息子は、夢を支配する力を世界に及ぼすであろう。

 

 

 

オレことアーロンは、ジェクトの息子と言葉を交わす。

怪しいと言う自覚はあるものの、ずいぶんと嫌われたものだ。

しかし、単にオレを嫌っているのではなく、母親を守ろうとしていた。

 

ジェクトの女と言葉を交わす。

その女はユウナレスカの義理の妹と明かした。

ユウナレスカと同じく、1000年の時を生きる亡霊だ。

 

ジェクトの妻となったのは偶然なのか。

全てを知った上で、ジェクトをスピラへ送り出したのか。

しかし、「ジェクトと共にスピラへ渡るつもりだった」と女は言う。

 

果てしなき魔王アザトースと女は名乗った。

エボン教の僧兵だったオレも、その名は知らない。

この体の不自由な幼子に、魔王と呼ばれるほどの力があるのか。

 

だが、オレは信じてみようと思った、

ジェクトの信じた、この女をオレも信じよう、

ジェクトから聞いた女との生活が、偽りだったとは思えなかった。

 

ジェクトの息子の成長をオレは見守る。

ジェクトの息子が小さい内は、まだ常識の範囲内だった。

しかし成長するに連れて、その異常が明らかなものとなる。

 

遊び気分で車を持ち上げる。

車に乗るよりも走った方が早い。

高所から落ちても怪我の1つすら負わない。

 

息子のみやげにジェクトがバカでかい大剣を選んだ時は、

「バカなんじゃないか」と思って片手剣をすすめたものだが……。

おそらくジェクトの息子に例の大剣を渡しても、軽々と振り回して見せるだろう。

 

他の住人はスピラの一般人と大して変わらない、

その中でジェクトの息子に限って、身体能力が飛び抜けていた。

ジェクトは天才と自慢していたが、そういう問題ではない。あれは天才ではなく異常だ。

 

ジェクトは非常識でも、異常ではなかった。

刃物で切られても傷を負わないなんて事はない。

ジェクトの息子が異常なのは、あの女の仕業だろう。

 

魔王アザトースという名は飾りではないか。

息子の試合へ通う様子を見れば、熱心な母親なのだがな……。

よく見れば試合中は常に気を張り、試合が終わると気を緩めていた。

 

父親といい、母親といい、

素直に「愛している」と言えない、愛情表現の苦手な夫婦らしい。

そういえば「付き合ってから10年待たせた」と、ジェクトも言っていたな。

 

成長したジェクトの息子がシュートを決める。

その光景を見ていると、オレの心を揺らす物を感じた

ジェクトの息子は立派すぎるほどに育って、ブリッツボールで活躍している。

 

オレの場所に居るべきなのは本来、ジェクトだった。

ジェクトは女と共に、息子の試合を観戦していた事だろう。

オレは過ぎ去った時間を思い、取り返しの付かない痛みを味わった。

 

ジェクトの息子は誰よりも強くなる。

出来る事ならば剣を持たせ、戦士として鍛え上げたい。

しかし、それはオレの我がままだ。オレの思いを押し付けているに過ぎない。

 

オレに次などない。

すでにオレは終わった存在だ。

オレに許されるのは、あいつらを見守る事だけだ。

 

新たな物語の担い手は、

次の世代に託されなければならない。

選ぶのはジェクトの息子やブラスカの娘で、オレではなかった。

 

いずれジェクトが息子を迎えにやってくる。

今のような平穏は破られ、ジェクトの息子の物語が始まる。

それまでは平和な夢の中で、ただの人間として生きるといい。

 

 

 

オレことティーダは母さんの世話をする。

母さんは目が見えないし、体が不自由で立って歩けない。

だからオヤジが居なくなってから、母さんの世話はオレの仕事だった。

 

アーロンには任せたくない。

オレが居ない間は、女性の知人が手伝ってくれる。

母さんも女の子なんだから、男性の手伝いはオレが断っていた。

 

オレは母さんの体を洗う。

服を脱がせ、その肌を素手で撫でた。

スポンジで擦ると、あとで赤くなるからな。

 

手に泡を付けて、上から順に洗って行く、

長く伸びた金毛を掻き分け、頭皮を洗った。

そんな母さんの髪に似て、オレも髪も金色だ。

 

これは染めている訳じゃない。

オレの髪色は母さんからの遺伝だ、

黒髪のオヤジに似なくて良かったと思う。

 

母さんの手足は細い。

割れ物を扱うように腕を洗う。

歳上と思えないほど、肌触りは良かった。

 

母さんの脇に手を入れて撫でる。

5歳で成長の止まっている母さんの胸は平たかった。

上から下まで大きさの変わらない腹回りを、撫で下ろして行く。

 

へこんだ下腹部を撫で、

平べったいおしりの割れ目を擦る。

鏡に映る母さんは、オレに身を預けていた。

 

純真で無垢な母さん。

まるで妖精のように幻想的で綺麗だ。

母さんの息子である事を、オレの誇りに思っている。

 

オレが居ないと母さんは生きて行けない。

そう考えると忙しくても、つらいなんて思わなかった。

正直に言うと、もうオヤジは帰って来なくていいと思っている。

 

オレは意地悪なオヤジが嫌いだった。

母さんを独占しているオヤジがうらやましかった。

オヤジが居なくなって、母さんと2人きりになって、今のままで良い。

 

母さんは成長しない。ずっと母さんは変わらない。

病気の母さんを言い訳にして、オレは恋人を作らなかった。

結婚なんて出来なくていいんだ。ずっと母さんと、このままで居たいから。

 

だけどオヤジが居なくなってから、

母さんは「オヤジが帰ってくる」と言っている。

母さんを海の底へ連れて行かれるような気がして、オレは嫌だった。

 

 

そんな母さんが「オレの試合に行きたい」と言った。

母さんは目が見えないから、ブリッツボールなんか分かんないだろうな。

だけど母さんがオレを「見てくれる」と思って、飛び上がるほどオレは嬉しかった。

 

おかげで試合は絶好調だ。

オレがシュートを決めて、オレのチームは攻めまくった。

これなら優勝も夢じゃないと思っていた時に……そんな時に限ってオレの夢は壊れた。

 

なにが起こったのか、よく分からない。

試合会場に爆弾でも仕掛けられていたのかと思ったくらいだ。

ザナルカンドのあっちこっちから煙が立ち上り、火で赤く染まっていた。

 

「母さん! 大丈夫か!?」

「……必然に過ぎぬ」

 

「アーロン! 早く逃げないと!」

「おまえを待っていた。行くぞ」

 

「どこ行くんだよ! そっちは危ないって! ちょっと待て、母さん置いてけよ!」

 

うっかりじゃ済まされないぞ。

アーロンのやつ、母さんを持ったまま行きやがった。

逃げる人波に逆らって、オレは慌ててアーロンの後を追う。

 

 

なんか時が止まったり、

幽霊みたいな子供と会ったり、

もーわけ分かんない事ばっかりだ。

 

『はじまるよ……泣かないで』

 

夢を見ているようだった。

とびっきりの悪夢にうなされる。

だけどオレの目は覚めてくれなかった。

 

 

「待てよ、アーロン!」

「見ろ」

 

立ち止まったアーロンから母さんを奪い取る。

そうして上を見ると、大きな水の塊が空に浮いていた。

その異様な光景を見たオレは、自然と母さんの小さな体を抱き寄せる。

 

「オレたちは『シン』と呼んでいた」

「……汝の父が帰ってきたのだ」

 

「母さん、あれは絶対にオヤジじゃないって……」

 

母さんは目が見えない。

だから何が起こっているのか分からないのだろう。

空に浮かんでいる不自然な水の塊だって、母さんには見えていないんだ。

 

水の塊から何かが飛び出る。

それはビルに突き刺さって、大きな輝く触手を広げた。

その開かれた内側から角張った魔物が飛び出し、オレとアーロンを取り囲む。

 

「使え」

 

アーロンが黒い大剣を差し出した。

刃が身長の半分ほどもある、幅の広い剣だ。

これって幅が広い分、アーロンの長剣よりも重いんじゃないか。

 

「ジェクトのみやげだ」

「オヤジの!?」

 

片手は母さんで塞がっている。

オレは大剣の柄を片手で掴み、魔物を薙ぎ払った。

昔から人並み以上の力はあったんだ。このくらいなら差し支えない、

 

「オーバーキルか……」

「……我の半神となれば必然よ」

 

邪魔な魔物を切り捨てる。

魔物の間を駆け抜けて、立体道路の上を進んだ。

角張った魔物の放ったトゲを、加速した大剣で切り払う。

 

飛んできた何かが落ちて、立体道路が大きく揺れた、

歪んだ道路に突き刺さった、大きな触手が発光して輝く。

それから角張った魔物が放たれて、オレたちの行き先を塞いだ。

 

「……奴は重力を用いて、我らの体力を削ぐであろう」

「え?」

 

片手に抱いていた母さんが、そんな事を言う

本当なのか、それとも妄言なのか、オレは判断に迷った。

すると重力魔法が展開され、オレとアーロンと、母さんに重圧がかかる。

 

「あのデカいやつ、生きてんの!?」

「『シン』のこけらだ」

 

さっきの魔法で、ごっそりと体力を削られた。

あの輝く触手の魔物が、この魔法を使ったのか。

こういう範囲攻撃は防げないから、母さんの体力が危ない。

 

「好き勝手あばれやがって!」

 

大剣を下から上へ斬りつける、

地面から光の柱が立ち昇り、触手の魔物を空へ吹っ飛ばした。

アーロンも長剣を道路に突き刺し、爆発を起こして他の魔物を片付ける。

 

「アーロン、逃げた方がいいって!」

「迎えが来ている」

 

「はあ?」

「……ここまで進めば、もはや退けぬ、上を見よ」

 

母さんの言葉に従う。

すると巨大な水球が空にあった。

明らかに、あっちからオレたちの方へ近付いて来ている、

 

その威圧感に圧されてオレは思わず、後退する。

だけど角張った魔物が飛来して、オレの逃げ道を埋めた。

オレは魔物を切り捨て、先に行ったアーロンと合流を図るしかなかった。

 

「ふん、手に負えんな。おい、あのタンクローリーを落とすぞ」

「なんで!?」

 

「面白い物を見せてやる」

 

立体道路の端に引っかかっていたタンクローリーを落とす。

すると、下から大きな爆炎が立ち上って、側にあった建物が傾いた。

そうして魔物ごと立体道路を押し潰した建物の上を、オレたちは駆け抜ける。

 

オレは立体道路の端に飛び乗った。

後ろを見れば建物が沈み、燃え上がる炎に呑まれて行く。

安心したせいか体を軽く感じて……体が浮き上がっている事に気付いた。

 

ここは巨大な水球の真下だ。

上を見れば、得体の知れない巨大なバケモノの口が開いている。

立体道路ごと浮き上がり、その波打つ巨大な肉塊に呑まれようとしていた。

 

「いいんだな?」

「……汝の父が我らを迎えにきた」

 

「母さん、これオヤジじゃないって!」

 

母さんは仕方ないとしても、

アーロンまで意味の分からない事を言っている。

その様子は肉塊に向かって語りかけているように見えた。

 

ダメだ、こいつ。

このままじゃバケモノに食われる。

アーロンを見捨てて、母さんと2人で逃げよう。

 

オレは瓦礫を掴み、逃げようと試みた。

だけどアーロンがオレの服を掴み、引き止める。

オレと母さんはアーロンと共に、肉塊へ引き寄せられた。

 

「おい! ふざけんなよ! アーロン、放せっての!」

「覚悟を決めろ……他の誰でもない。これは、おまえの物語だ」

 

波打つ巨大な肉塊に吸い込まれる。

オヤジのみやげと云う大剣を手放し、オレは母さんを両手で抱いた。

身を丸く屈め、小さな母さんの体を守る。その温もりを最後まで感じていた。

 

 

リンリンと鈴が鳴る。

母さんからもらった鈴だ。

オレと他人を区別するための大事な鈴だった。

 

リンリンと遠くから聞こえる。

オレの物じゃない鈴の音が響いている。

互いに呼び合っているようにリンリンと鳴っていた。

 

『……おい! おい!』

「オヤジ……?」

 

不気味なほど静かなザナルカンドの街で、

腕の中にいたはずの母さんは居なくなっていた。

そこで心配そうに呼びかけるオヤジの声を聞いた気がする。

 

暗い暗い闇の中、

太鼓と笛の音が冷たい台座に響き渡る。

かわいらしい金毛の幼子が、その中心で眠っていた。

 

『……汝の名は■■■■■■■■』

 

母さんの声が、よく聞こえない。

頭がボーッとして、なんだか眠くなって。

体が溶けて、いろんな人の声を聞いていた。

 

子供の頃のオレが見える、

だけど、そのオレは髪の色が違っていた、

母さんに似た綺麗な金色じゃなくて、薄汚れた茶色の髪の毛。

 

「おまえ……誰だ?」

『ここは、おまえなんかの来る所じゃない!』

 

夢を見た気がする。

誰もいない家で、ひとりぼっちになる夢。

母さんがオレを見てくれない、寂しい夢だった。

 

ひとりぼっちは嫌だった、

体を震わせ、冷たい息を吐く。

ずっと母さんに、側にいて欲しかった。

 

「母さん……どこに居るんだよ」

『……我が息子よ』

 

「——かあさんっ!」

 

母さんの声が聞こえた。

オレは必死で足掻き、闇の中に手を伸ばす。

その先にあった金色の輝きを掴み取って、オレは抱き寄せた。

 

オレを包んでいた闇が砕け散る

オレと母さんは海の中へ放り出された。

オレの物ではない鈴の音は、もう聞こえない。

 

もう二度と母さんから離れたくない。

魂を引き裂かれるような感覚を覚えていた。

だってオレは母さんから生まれた半身なのだから。



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【トリップ】\アークスちゃんねる!/【PSO2】

PSO2のプレイヤー1万人がアバターの外観で、レベルをリセットされてトリップしたようです。
*らん豚が大量発生しています。ナイフとフォークは持参してください。


A.P.237 12/30 12:45

惑星間を旅する船団「オラクル」に属するアークス船団が航行する宙域で、

フォトン係数の上昇が観測され、全シップに緊急警報が発令された。

 

A.P.238 01/01 00:00

異常が観測された宙域からの離脱を試み、アークス船団は緊急加速を行う。

しかし、フォトン係数が危険域に達し、シップ5の船内で集束した。

 

A.P.238 01/01 01:00

船内に出現した侵入者を、アークス各員によって制圧する。

「オラクル」のデータベースに情報はなく、侵入者は身元不明と推定された。

 

A.P.238 01/01 18:00

侵入者は未知の言語を用い、意思の伝達は困難と判明する。

侵入者の制圧は完了したたため、緊急警報は解除された。

 

A.P.238 01/15 18:00

「大規模転移事件」より2週間後、

「オラクル」は身元不明の異民10500人に対して、査証を発行すると発表した。

 

 

 

【PSO2】PHANTASY STAR ONLINE2【1】

 

1 : nanasi no a-kusu : 238/01/16 00:00

konosureddo nite tookitiyori otozureta a-kusuha katariau.

SEGA toiu koyuumeisini kikioboenonai a-kusuha, uxinndouwo tozirubekidarou.

isiwotutaerutame no syotai ha kuyoyahoyoya wo motiiru.

 

 

 

 loading......

 

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1 : 名無しのアークス : 238/01/16 00:00

このスレッドにて遠き地より訪れたアークスは語り合う。

SEGAという固有名詞に覚えのない者は、ウィンドウを閉じるべきだろう。

意思を伝えるための書体はkuyoyahoyoyaを用いる。

 

2 : 名無しのアークス : 238/01/16 09:00

(´・ω・`)ハゲは許さない、絶対にだ

 

 *ハゲ(PSO2プロデューサーである酒井のこと)

 

3 : 名無しのアークス : 238/01/16 10:00

(´・ω・`)らんらんお腹減ったの

 

4 : 名無しのアークス : 238/01/16 11:00

(´・ω・`)異世界でもらんらんは不滅なの

 

5 : 名無しのアークス : 238/01/16 12:00

(´・ω・`)レベル1からやり直しだってよ

 

6 : 名無しのアークス : 238/01/16 13:00

(´・ω・`)メセタもユニットも没収して放り出すとか鬼畜すぎる

 

 *メセタ(PSO2内で流通している通貨のこと)

 *ユニット(防具のこと)

 

7 : 名無しのアークス : 238/01/16 14:00

強化に心血注いだ武器を消失させるとか。バカなの? 死ぬの?

 

8 : 名無しのアークス : 238/01/16 15:00

(´・ω・`)コスチュームだけ、そのままだったのは嬉しい

 

 *コスチューム(アバターの外見を大きく変える衣装のこと。制服、着ぐるみ、水着などがある)

 

9 : 名無しのアークス : 238/01/16 16:00

(´・ω・`)なんで異世界なのに翻訳スキルがないの?

 

10 : 名無しのアークス : 238/01/16 17:00

(´・ω・`)オラクル文字を習得した達人はいなかったのか

 

 *オラクル文字(惑星間を旅する船団「オラクル」で用いられている文字のこと)

 

11 : 名無しのアークス : 238/01/16 18:00

(´・ω・`)ローマ字っぽいフォントがあって良かったー

 

 ——17日——

 

12 : 名無しのアークス : 238/01/17 09:00

(´・ω・`)いい感じの記号がないから、らんらんの顔が崩れてるの

 

13 : 名無しのアークス : 238/01/17 10:00

(´・ω・`)kuyoyahoyoyaが地球と関係のある言語かと思ったら、そんな事はないっぽい

 

14 : 名無しのアークス : 238/01/17 11:00

(´・ω・`)>>1に「遠き地より訪れたアークス」って書いてあるけど、

(´・ω・`)今のらんらんはアークスに所属してないのよ?

 

15 : 名無しのアークス : 238/01/17 12:00 ID:kamen

(´・ω・`)らんらん皆にアクセス端末と、このスレのこと教えてくるねー

 

 

<ksk>

 

 

20 : 名無しのアークス : 238/01/17 13:00

すいません。

これから如何すれば良いんでしょうか?

アークスシップはダーカーに襲われるし、

ダーカーのいない星に降りた方が良いんでしょうか?

 

 *ダーカー(大半のエリアに出現する、アークスの敵。あらゆる物を侵食する)

 

21 : 名無しのアークス : 238/01/17 13:30

(´・ω・`)ダーカーが居ないって事になってる惑星ナベリウスなら安全よ

 

22 : 名無しのアークス : 238/01/17 14:00

(´・ω・`)アークスに入れば修了演習で緑豊かな星に行けるよ

 

23 : 名無しのアークス : 238/01/17 14:30

(´・ω・`)どうやって船から降りて生活するつもり? 野生にかえるの?

 

24 : 名無しのアークス : 238/01/17 15:00

(´・ω・`)お金がないと宇宙船にも乗れんぞ

 

25 : 名無しのアークス : 238/01/17 15:30

ナベリウスとか、ダーカーの大量発生で大量に初心者が死ぬじゃないですかー

やだー!

 

26 : 名無しのアークス : 238/01/17 16:00 ID:kamen

査証は交付されたけど、市民権とは違うからな

オラクルに属している種族と同じでも、オレらは身元不明の不審者だ

今のオレらには非プレミアムのミニルームすらなくて、

公共施設に住まわせてもらっている身だから、いつ追い出されても不思議じゃない

金も権力も資格もないなら、軍属になるしかないんだよ

 

 *プレミアム(PSO2で課金すると大きな部屋が使えるようになる)

 

27 : 名無しのアークス : 238/01/17 16:30

(´・ω・`)いきなり読み書きすらできない宿なし金なし職なしニートが1万人? も増えたからオラクルの経済を圧迫してるよね

 

28 : 名無しのアークス : 238/01/17 17:00

(´・ω・`)100万人以上を収容できるアークスシップじゃなかったら、情け容赦なく宇宙に廃棄されてたよ

 

29 : 名無しのアークス : 238/01/17 17:30

(´・ω・`)1つのシップで100万人以上も居るのに、そんなオラクルの経済を1万人で圧迫しちゃうの?

 

30 : 名無しのアークス : 238/01/17 18:00 ID:kamen

1パーセントっていう数字を甘く見すぎ

生活保護の受給者が1万人も増えたら大問題だろ。しかも身元不明の言葉が通じない外国人

 

 ——18日——

 

31 : 名無しのアークス : 238/01/18 09:00

(´・ω・`)生活保護っていうか被災した外国人?

 

32 : 名無しのアークス : 238/01/18 09:30 ID:kamen

そうやって好意的に見てくれると良いね(希望)

 

33 : 名無しのアークス : 238/01/18 10:00

(´・ω・`)そっかー

 

34 : 名無しのアークス : 238/01/18 10:30

(´・ω・`)オラクルから見れば治安の悪化も心配ね

 

35 : 名無しのアークス : 238/01/18 11:00

(´・ω・`)よくオラクルは、らんらんを受け入れてくれたものね

 

36 : 名無しのアークス : 238/01/18 11:30

(´・ω・`)そもそもオラクルって、どういう組織だっけ?

 

37 : 名無しのアークス : 238/01/18 12:00

(´・ω・`)船団を運営する組織でしょ? 行政か企業か知らんけど

 

38 : 名無しのアークス : 238/01/18 12:10

(´・ω・`)ダーカーの殲滅を目的とする傭兵集団じゃなかったっけ?

 

39 : 名無しのアークス : 238/01/18 12:20

(´・ω・`)文字が読めないと組織体制すら分からないの

 

40 : 名無しのアークス : 238/01/18 12:30

(´・ω・`)白紙の契約書に名前を書くようなマネは避けるべき

 

 

<ksk>

 

 

50 : 名無しのアークス : 238/01/18 13:00

(´・ω・`)らんらんはデューマンだけど、デューマンは「まだ」オラクルの種族じゃないっぽい

 

 *デューマン(エピソード2で追加された新種族のこと)

 

51 : 名無しのアークス : 238/01/18 13:10

(´・ω・`)デューマンだと、なんか珍しがられて話しかけられる

(´・ω・`)こわい

 

52 : 名無しのアークス : 238/01/18 13:20

(´・ω・`)角が生えている上に両目の色が異なるデューマンは、人体実験という就職先が出来そうなの

 

53 : 名無しのアークス : 238/01/18 13:30

(´・ω・`)片目に眼帯を付けても不自然じゃないわ。すてき!

 

54 : 名無しのアークス : 238/01/18 13:40

(´・ω・`)1人で出歩くとルー・・・歯医者さんに連れて行かれるよ?

 

 *歯医者(ダーカーの親玉、ダークファルスの1体であるルーサーのこと。研究施設で非道な実験を行っている)

 

55 : 名無しのアークス : 238/01/18 13:50

(´・ω・`)アークスに就職しないとクラスの設定もできないね

 

56 : 名無しのアークス : 238/01/18 14:00

(´・ω・`)たしか初期はクラスも固定だったっけ?

 

57 : 名無しのアークス : 238/01/18 14:10

(´・ω・`)第三世代はクラスの変更が売りってアフィンが言ってたでしょ

 

 *アフィン(プレイヤーを相棒と呼ぶNPCのこと)

 

58 : 名無しのアークス : 238/01/18 14:20

(´・ω・`)クラスが固定だったのはαテストの時だけだね

 

59 : 名無しのアークス : 238/01/18 14:30

(´・ω・`)ハンター、レンジャー、フォース以外のクラスは廃止されてて

(´・ω・`)おまけにサブクラスもない悪寒!

 

60 : 名無しのアークス : 238/01/18 14:40

(´・ω・`)なぜか知らん高いフォトン適正があるから、オラクルとしては戦力になって欲しいのかね

 

 *フォトン適正(アークスに所属するために必要な才能のこと)

 

61 : 名無しのアークス : 238/01/18 14:50

(´・ω・`)中の人なら兎も角、今はアバターだから、フォトンの適正が高いのは当然じゃない?

 

62 : 名無しのアークス : 238/01/18 15:00

(´・ω・`)フォトンの適正が高いって何で分かるの?

 

63 : 名無しのアークス : 238/01/18 15:10

(´・ω・`)フォトンの適正検査を受けたでしょ

 

64 : 名無しのアークス : 238/01/18 15:20

(´・ω・`)え?

 

65 : 名無しのアークス : 238/01/18 15:30

(´・ω・`)ん?

 

66 : 名無しのアークス : 238/01/18 15:40

(´・ω・`)あれ?

 

67 : 名無しのアークス : 238/01/18 15:50

(´・ω・`)身体検査の間違いじゃない?

 

68 : 名無しのアークス : 238/01/18 16:00

(´・ω・`)フォトンの適正くらい、検疫のついでに調べてあるでしょ

 

68 : 名無しのアークス : 238/01/18 16:10

(´・ω・`)1万人の検疫を2週間程度で調べるとかパない

 

70 : 名無しのアークス : 238/01/18 16:20

(´・ω・`)いや、そんなに検疫は時間がかからない

 

71 : 名無しのアークス : 238/01/18 16:30

(´・ω・`)むしろ問題なのは発症までの期間だよ

 

72 : 名無しのアークス : 238/01/18 16:40

(´・ω・`)フォトン適正が高いって「言われた人」と「言われなかった人」がいるの?

 

73 : 名無しのアークス : 238/01/18 16:50

(´・ω・`)おい、やめろバカ。黙ってろ

 

74 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:00

(´・ω・`)まさかの格差社会

 

75 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:10

(´・ω・`)らんらんは豚だから仕方ないね

 

76 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:20

(´・ω・`)らんらんは男の子だけど、かわいい女の子になったの

 

77 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:30

(´・ω・`)らんらんは1stじゃなくて、2ndの方が良かったの

 

 *1st、2nd(作成したアバターのこと)

 

78 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:40

(´・ω・`)今、らんらんの隣でラッピーが寝てるよ

 

 *ラッピー(どこの惑星にも現れるエネミー。コスチュームとして着ぐるみもある)

 

79 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:50

(´・ω・`)らんらんの隣ではマイルドな金ぴかが寝てるよ

 

 *金ぴか(Fateとコラボした際に登場したギルガメッシュのコスチュームもある)

 

80 : 名無しのアークス : 238/01/18 17:45

(´・ω・`)らんらんの隣には川○綾子ボイスのセイバーちゃんが居るよ

 

 *川○綾子ボイス(Fateとコラボした際に登場したセイバーボイスのこと)

 

81 : 名無しのアークス : 238/01/18 18:00

(´・ω・`)らんらんは安いから買った中原麻衣ちゃんの狂気ボイスなの

 

 

<ksk>

 

 

 ——19日——

 

90 : 名無しのアークス : 238/01/19 09:00

(´・ω・`)身元不明な第三世代が1万人も急に出現したら誰だって怪しむわ

 

91 : 名無しのアークス : 238/01/19 09:30

(´・ω・`)未来からやってきたと思われても不思議じゃないね

 

92 : 名無しのアークス : 238/01/19 10:00

(´・ω・`)第三世代って事に、あんまり自覚がないの

 

93 : 名無しのアークス : 238/01/19 10:30

◆<我々は敗者の率いる研究組織「虚空機関」によって造られた人造アークスなのだ!

 

94 : 名無しのアークス : 238/01/19 11:00

(´・ω・`)だいたい合ってるし、ぜんぶ敗者のせいにしよう

 

95 : 名無しのアークス : 238/01/19 11:30

(´・ω・`)アークスに入ろうか悩むわー

 

96 : 名無しのアークス : 238/01/19 12:00

(´・ω・`)今期の受付は、とっくの昔に締め切られてるだろ

 

97 : 名無しのアークス : 238/01/19 12:10 ID:kamen

>>96

オレら用の申し込み期限は今日まで

アークスのロゴマークを着けた連中に話しかければ何とかなる

 

98 : 名無しのアークス : 238/01/19 12:20

(´・ω・`)マジで? あいつら、なに言ってるのか分からんかった

(´・ω・`)ちょっと今から急いでアークスに入れるように申し込んでくるわ

 

99 : 名無しのアークス : 238/01/19 12:30 ID:kamen

どうして、ここに接続する気力を、そっちに使わなかったのか

 

100 : 名無しのアークス : 238/01/19 12:40

(´・ω・`)ネット環境がないと、らんらんは寂しくて死んじゃうの

 

101 : 名無しのアークス : 238/01/19 12:50

(´・ω・`)言葉の通じない人に話しかけるとか無理

 

102 : 名無しのアークス : 238/01/19 13:00

(´・ω・`)らんらん痛いの嫌なのー

 

103 : 名無しのアークス : 238/01/19 13:10 ID:kamen

どうせアークスに入るはめになるぞ

おそらく今回アークスに入らなかった奴らに対して、生活の締め付けは強くなる

オラクルとしてはオレらを全員アークスに入れたいはずだ

強制されていないだけであって、選択肢はアークスしか用意されていない

 

104 : 名無しのアークス : 238/01/19 13:20

(´・ω・`)らんらんに武器を持たせたら、何するか分からないよ?

 

105 : 名無しのアークス : 238/01/19 13:30 ID:kamen

例えばアークスに入ったオレらが集団で暴動を起こしたとしても、

六芒均衡が絶対命令を使えば鎮圧できるだろう

アークスに志願せず、オラクルが制御できない奴らに対する扱いは、もっと低くなる

 

 *六芒均衡(一般のアークスを強制的に従える命令権を行使できる)

 

106 : 名無しのアークス : 238/01/19 13:40

豚にイラッとするのも分かるけど、無駄に煽るのは止めい

オレらのアバターは第三世代なんだから、

わざわざアークスに入らなくても絶対命令の影響下にある

たった2週間で一人残らず査証が発行されたのは、それが確認されたからだろ

うじうじテオドールみたいな奴を無理にアークスに入れても、無駄に死人が増えるだけだ

 

 *テオドール(フォトンを扱う才能はあるけれど、やる気のなかったアークスのこと)

 

107 : 名無しのアークス : 238/01/19 13:50

(´・ω・`)もっともらしい事を言われて、危うくアークスになる所だったわ

 

108 : 名無しのアークス : 238/01/19 14:00

(´・ω・`)チョロい

 

109 : 名無しのアークス : 238/01/19 14:10

(´・ω・`)あとで騙されたって文句言うタイプだろ

 

110 : 名無しのアークス : 238/01/19 14:20

テオドールみたいな奴を無理にアークスに入れても(そいつのせいで)死人が増える

 

111 : 名無しのアークス : 238/01/19 14:30

(´・ω・`)戦闘職じゃないアークスもいるよ。ソースはフランカ

 

 *フランカ(アークスに所属しているけれど厨房所属のコックらしいNPCのこと)

 

112 : 名無しのアークス : 238/01/19 14:40

(´・ω・`)調理師免許が必要ってオチね

 

113 : 名無しのアークス : 238/01/19 14:50

(´・ω・`)特別枠で採用されたウルクもいるじゃん

 

 *ウルク(アークスとしての才能はないけど、特別枠で職員として採用されたNPC)

 

114 : 名無しのアークス : 238/01/19 15:00

(´・ω・`)特別枠=謀殺コース

 

115 : 名無しのアークス : 238/01/19 15:10

(´・ω・`)転移した1万人って言うとシップ1つ分のプレイヤーくらい?

 

116 : 名無しのアークス : 238/01/19 15:20

(´・ω・`)らんらんシップ5だったの

 

117 : 名無しのアークス : 238/01/19 15:30

(´・ω・`)らんらんもシップ5だったの

 

118 : 名無しのアークス : 238/01/19 15:40

(´・ω・`)転移先もシップ5だったの

 

119 : 名無しのアークス : 238/01/19 15:50

(´・ω・`)いったいシップ5が何をしたと言うのか

 

120 : 名無しのアークス : 238/01/19 16:00

(´・ω・`)他のシップは別の平行世界に送られたんじゃね。きっと、そう

 

121 : 名無しのアークス : 238/01/19 16:10

これ絶対シオンの仕業だろ(確信)

 

 *シオン(プレイヤーに進むべき道を示し、裏で暗躍するNPCのこと)

 

122 : 名無しのアークス : 238/01/19 16:20 ID:kamen

シオンだったら、オレらを転移させるなんて歯医者に気付かれる方法は取らないだろう

 

123 : 名無しのアークス : 238/01/19 16:30

(´・ω・`)らんらんをトリップさせたのは誰なの?

 

124 : 名無しのアークス : 238/01/19 16:40

(´・ω・`)らんらんをトリップさせて得をするのは誰なの?

 

125 : 名無しのアークス : 238/01/19 16:50 ID:kamen

1、巨躯

2、歯医者

3、双子

4、シオン

5、深淵なる闇

 

126 : 名無しのアークス : 238/01/19 17:00

(´・ω・`)ショタを忘れてんぞ

 

127 : 名無しのアークス : 238/01/19 17:10

○ 深遠なる闇(PSO2)

× 深淵なる闇(PSO)

 

128 : 名無しのアークス : 238/01/19 17:20

(´・ω・`)そういえばナギサっていう時空渡航したNPCがいたじゃない

 

129 : 名無しのアークス : 238/01/19 17:30

(´・ω・`)ラッピーも時空を超えて出現するとか

 

130 : 名無しのアークス : 238/01/19 17:40

(´・ω・`)どんなにオーバーキルしても死なずに起き上がる不死身生物の事ね

 

131 : 名無しのアークス : 238/01/19 17:50

(´・ω・`)ちょっとラッピー捕まえてくるわ

 

132 : 名無しのアークス : 238/01/19 18:00

アークスに申し込んできた

アークスのロゴマークを付けた人に声をかけて、

大剣を振る動きをしたら分かってくれた

カタカナで名前を書いたけど、オラクル文字じゃなくてもいいらしい

本人証明のために顔写真を撮ってもらった

噴水の前に連れて行かれて、時計を指差されたから、明日の集合場所だと思う

 

133 : 名無しのアークス : 238/01/19 18:05

ちょ、おま、もっとkwsk

 

 *kwsk(くわしく=KuWaSiKuのこと)

 

 

<ksk>  *ksk(加速=KaSoKuのこと)

 

 

 ——20日——

 

140 : 名無しのアークス : 238/01/20 09:00

(´・ω・`)ねぇねぇ、キャラの名前とか伏せた方が良いんじゃない?

(´・ω・`)こっちの言語を、いつか解読されると困るよね?

 

141 : 名無しのアークス : 238/01/20 09:30

(´・ω・`)オラクルもらんらんに対して、監視の一つや二つはしてるはず

 

142 : 名無しのアークス : 238/01/20 10:00

(´・ω・`)テンプレに実名禁止とか入れた方が良いかも分からんね

 

143 : 名無しのアークス : 238/01/20 10:30

(´・ω・`)相手の話が分からないのに、こっちの話は理解されてる状況は避けるべき

 

144 : 名無しのアークス : 238/01/20 11:00

(´・ω・`)今日から研修開始で、問題の修了演習は1ヶ月後やね

 

145 : 名無しのアークス : 238/01/20 11:30

(´・ω・`)らんらん、アークスに入って原作介入したかったの

 

146 : 名無しのアークス : 238/01/20 12:00

(´・ω・`)ゲームやってた頃に死んだ回数を思い出してみなよ

 

147 : 名無しのアークス : 238/01/20 12:30

(´・ω・`)オートメイトがあれば、そう簡単に死ぬ事はないはず

 

 *オートメイト(回復アイテムの在る限り、HPを自動回復するスキル)

 

148 : 名無しのアークス : 238/01/20 13:00

(´・ω・`)初期のメイト系は高かった

 

 *メイト系(体力を回復するアイテムのこと)

 

149 : 名無しのアークス : 238/01/20 13:30

(´・ω・`)そのオートメイトは何時になったら習得できると思ってるの?

 

150 : 名無しのアークス : 238/01/20 14:00

(´・ω・`)そういえば初期の緊急は、市街地と淫乱ばっかりだったわー

 

 *淫乱(インタラプトランキングの事で、クエストのクリアタイムを競ったり、エネミーの撃破数を競ったりするイベント)

 

151 : 名無しのアークス : 238/01/20 14:30

(´・ω・`)10年以上も前からアークスシップの市街地は激戦区なの

 

152 : 名無しのアークス : 238/01/20 15:00

(´・ω・`)ダーカーが存在する限り、この世に安全な場所はないのね

 

153 : 名無しのアークス : 238/01/20 15:30

(´・ω・`)アークスはダーカーと戦争してるのよ

 

154 : 名無しのアークス : 238/01/20 16:00

(´・ω・`)このゲームをクリアすれば帰れるのかな?

 

155 : 名無しのアークス : 238/01/20 16:30

(´・ω・`)クリアと言っても、らんらんはEP3の途中までしか知らないじゃない

 

156 : 名無しのアークス : 238/01/20 17:00

(´・ω・`)目的の内容は兎も角、やる気は大切だよね(棒)

 

157 : 名無しのアークス : 238/01/20 17:30

この世界にレベルってあるんですか?

 

158 : 名無しのアークス : 238/01/20 18:00 ID:kamen

>>157

言葉を交わせず、文字も読めない現時点じゃ、よく分からない

なろう小説みたいに「ステータス!」と言って表示されると便利なのにな

 

 ——21日——

 

160 : 名無しのアークス : 238/01/21 09:00

(´・ω・`)フォトンの適正が無かったり、仲間外れにされればチートが目覚めるはず

 

161 : 名無しのアークス : 238/01/21 09:30

(´・ω・`)それ何て死亡フラグ

 

162 : 名無しのアークス : 238/01/21 10:00

(´・ω・`)神様なんていなかった

 

163 : 名無しのアークス : 238/01/21 10:30

(´・ω・`)主と精霊は、常に貴方の心の内におられます

 

164 : 名無しのアークス : 238/01/21 11:00

(´・ω・`)つまり妄想ってことね

 

165 : 名無しのアークス : 238/01/21 11:30

(´・ω・`)冒険者ギルドはあるよ!

 

166 : 名無しのアークス : 238/01/21 12:00

(´・ω・`)冒険者ギルド? 軍隊の間違いだろ

 

167 : 名無しのアークス : 238/01/21 12:10

(´・ω・`)らんらんは豚だから、ちっとも分からないの

 

168 : 名無しのアークス : 238/01/21 12:20

(´・ω・`)なんか昨日から人が少なくない?

 

169 : 名無しのアークス : 238/01/21 12:30

(´・ω・`)アークスの研修に行ったのよ

 

170 : 名無しのアークス : 238/01/21 12:40

(´・ω・`)報告はよ

 

171 : 名無しのアークス : 238/01/21 12:50 ID:kamen

わずか一ヶ月後に修了演習だから、外部と接触を断って合宿かもな

 

172 : 名無しのアークス : 238/01/21 13:00

(´・ω・`)そんなー

 

173 : 名無しのアークス : 238/01/21 13:10

(´・ω・`)先輩は学校に通ってるとか言ってなかった?

 

 *先輩(学校を抜け出し、独断で実地訓練に参加していたアークスのこと)

 

174 : 名無しのアークス : 238/01/21 13:20

(´・ω・`)安藤と金髪は初めての実地が修了演習だったよ?

 

 *安藤(あんどう=AND YOUで、プレイヤーの操作するアバターの仮称)

 

175 : 名無しのアークス : 238/01/21 13:30

(´・ω・`)免許を取るために教習所へ通うか、合宿に参加するかの違いだろ

 

176 : 名無しのアークス : 238/01/21 13:40

(´・ω・`)40年前の巨躯封印と、10年前のババァ襲撃でアークスは人手不足なの

 

 *ババァ(ダーカーの親玉であるファークファルスの一体【若人】のこと)

 

177 : 名無しのアークス : 238/01/21 13:50

(´・ω・`)人手不足だったら、新人が死なないように育てるでしょ

 

178 : 名無しのアークス : 238/01/21 14:00

(´・ω・`)いつからアークスが優良企業だと錯覚していた

 

179 : 名無しのアークス : 238/01/21 14:10

(´・ω・`)10年経っても戦力が回復していない事から、上層部の無能がうかがえる

 

180 : 名無しのアークス : 238/01/21 14:20

(´・ω・`)そのアークスの上層部が歯医者と、言いなりのボケじじいだもの

 

180 : 名無しのアークス : 238/01/21 14:30

(´・ω・`)ボケじじいって上層部だったっけ? 六芒の1番ってだけじゃない?

 

181 : 名無しのアークス : 238/01/21 14:40

(´・ω・`)マリアが「事務仕事ばかりしてたんなら、ちょっとは鈍ってろ」って言ってたよ

 

182 : 名無しのアークス : 238/01/21 14:50

(´・ω・`)どうせ学校に通うメセタなんてないもの

 

183 : 名無しのアークス : 238/01/21 15:00

(´・ω・`)安藤とアフィンは「2年間訓練してた」って設定だし、

(´・ω・`)「原作開始に合わせて一ヶ月で合宿が修了する」なんて誰が言ったの?

 

184 : 名無しのアークス : 238/01/21 15:30

(´・ω・`)マジか。てっきり原作開始に合わせて修了すると思ってたわ

 

185 : 名無しのアークス : 238/01/21 16:00

(´・ω・`)言葉が通じないのに「一ヶ月で修了する」なんて誰が聞いたんだろうね

 

186 : 名無しのアークス : 238/01/21 16:30

(´・ω・`)2年間訓練して初めての実地が修了演習って、どういう事なの

 

187 : 名無しのアークス : 238/01/21 17:00

(´・ω・`)最後の「修了」演習なだけで、演習が初めてって訳じゃないだろ

 

188 : 名無しのアークス : 238/01/21 17:30

(´・ω・`)アフィンさんが「おれたち戦闘は初めてだし」って言ってたよ

 

189 : 名無しのアークス : 238/01/21 18:00

(´・ω・`)研究熱心なロッティちゃんと違って、2年間ずっと遊んでたんじゃね

 

 

<ksk>

 

 

 ——22日——

 

190 : 名無しのアークス : 238/01/22 09:00

(´・ω・`)よく考えると翻訳スキルもないのに、このスレを立てたのって凄くない?

 

191 : 名無しのアークス : 238/01/22 09:30

(´・ω・`)いったい誰が立てたんだろうね(意味深)

 

192 : 名無しのアークス : 238/01/22 10:00

(´・ω・`)スレ主の無駄に遠回しな文体から察するに電波さんだよ(確信)

 

193 : 名無しのアークス : 238/01/22 10:30

(´・ω・`)シオ○さんの、もっとマシな呼び名はなかったのか

 

194 : 名無しのアークス : 238/01/22 11:00 ID;kamen

(´・ω・`)ぶち殺すぞ

 

195 : 名無しのアークス : 238/01/22 11:30

(´・ω・`)深夜0時にスレ立てとか、らんらんには不可能な時間帯

 

196 : 名無しのアークス : 238/01/22 12:00

(´・ω・`)公共端末使ってると夕方には追い出されるしな

 

197 : 名無しのアークス : 238/01/22 12:10

(´・ω・`)ずっと居座っていると、らんらんを見る目が冷たくなって行くの

 

198 : 名無しのアークス : 238/01/22 12:20

(´・ω・`)wikiとか作った方がいいんでない?

 

199 : 名無しのアークス : 238/01/22 12:30

(´・ω・`)wikiに纏めても解読されると不味い

 

200 : 名無しのアークス : 238/01/22 12:40

(´・ω・`)そもそも、この世界にwikiなんてあるのか

 

201 : 名無しのアークス : 238/01/22 12:50

(´・ω・`)掲示板はあった

 

202 : 名無しのアークス : 238/01/22 13:00

(´・ω・`)あったとしてもwikiなんて名前じゃないのかも

 

203 : 名無しのアークス : 238/01/22 13:10

(´・ω・`)一刻も早くオラクル文字を習得するべき

 

204 : 名無しのアークス : 238/01/22 13:20

(´・ω・`)むりぽ




ここまで書いて、ふと気付きました。
「エピソード3で惑星ハルコタンが見つかった時、あっさりと翻訳したじゃん」
あっぶねー、連載する前に気付いて良かったわー。


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【転生】風の神様【灼眼のシャナ】

紅世より渡り来た徒(ともがら)は、この世に"神の敷いた法"が存在する事を知る。惑星の地表を覆う、その巨大な存在は、"風の神様"と呼ばれていた。


 人の定めた単位で、私の生まれた時を答える事は難しいものです。

 まだ人という種族は生まれていないために、人の作った暦(こよみ)を確認する事ができません。そもそも人どころか、まだ生物すら発生していません。そんな時に私の意識は確かな物となりました。惑星の内側から染み出て、この世に私は生まれたのです。それまでの間は惑星の内側にガスとして散らばっていたため、私の意識は曖昧な物でした。

 まだ惑星は出来たばかりのようです。惑星の重力に引かれた流星が降り注ぎ、ドッカンドッカンと地表に激突しています。とてもデンジャラスです。この惑星の周りは流星ばかりなのでしょうか。私の体内は舞い上がったチリと、蒸発した水分で満たされていました。とても暑そうに感じます。

 私の内側に生物はいません。表面がドロドロに融けているため、大地に生物が潜んでいるという事もないでしょう。長い時間をかけて惑星が固まるまで、生物の誕生は期待できない様子です。とても暇だった私は空気を回して、なんちゃって竜巻を作ってみました……竜巻って空気をグルグルするだけじゃできないんですか。

 

 そもそも私が何なのかを説明していませんか。惑星の大気として私は存在しているようです。耳も目も鼻も口もないけれど、物に触れている感覚はあります。大気を舞うチリのまで認識できるけれど、地表を流れる液体の中は分かりません。液体に触れても私の体は温度を感じず、液体を押し退けたに過ぎなかったのです。

 私に感じ取れたものは、ドロドロしている液体とユラユラしている蒸気に過ぎません。そのせいで熱い泥なのか、それとも溶岩なのか分かりません。人の視覚と違って不便な物です。私は肉体なんて無いのに、どこで思考して、どうやって感じ取っているのでしょうか。不思議なものです。

 私の体は惑星の表面を丸く覆っています。惑星の内側は物が詰まっているので、かたいボールに張り付いている気分です。逆に惑星の外側は宇宙なので、空っぽに感じていました。惑星の近くに衛星があるのか否かは分かりません。私は体内の事しか感じ取れず、人のように遠くの光を像として結ぶ、そんな便利な目は持っていないのです。光の粒子は小さすぎるために認識できず、地上が昼なのか夜なのかも分かりません。

 

 今は惑星が出来たばかりの時代です。なので人どころか、まだ生物すら発生していません。なのに人らしい知識を有している私は何なのでしょうか。どうして惑星の大気として存在しているのか分かりません。さっきも言った通り、惑星の内側から染み出た事で、私の意識は明確になりました。

 どこに中身があるのか分からない私の中に、おそらく未来の記憶があります。それによると私は男でもあり、女でもあり、大人でもあり、子供でもありました。どうやら複数の記憶がゴチャゴチャに詰め込まれているようです。こんな粗雑な事をしたのは、物の整理ができない存在に違いありません。

 神様でしょうか。しかし、いくつもの記憶を辿っても、神様らしき存在を見た事はありません。この場にあるのは天地を創造する神様の姿ではなく、物理という不変の法則に従って動く世界に過ぎないのです。きっと神様は何処かで休んでいるのでしょう。神様の生死に興味があるので、見つけたら首を絞めてあげようと思います。

 

 さて、時は流れました。

 

 空気を移動させるためには気圧が重要である事に気付いたり、空気の層を作ってバリアーを張ってみたら普通に素通りされたり、極点にある地表の気圧を下げると早く固まる事に気付いたり、背伸びをしたら地表の反対側が宇宙に流出したりしちゃったものの、私は存在しています。元気か否かと聞かれると、ちょっと答えに詰まるくらいです。

 流星の突入する度合は減り、私の体内を漂うチリは地表に降り積もりました。蒸気を上げていた大地が固まり、私の中にあった蒸気が水に戻ります。それから長い時間が経つと、海から涌き上がった空気の流れが地上に溜まり始めました。それは少しずつ高度を上げて空に留まっています。あれは何でしょうか。

 謎な空気の塊が現れて間もなく、地上へ上がる生物が現れました。私の外側だったので分からなかったものの、すでに海の中に生物は発生していたようです。私はペットを可愛がるように生物の面倒を見始めました。ちょっと圧力の加減を間違えて、潰してしまったりしたものの、生物たちは元気です。

 

 動物たちは生きるために争います。ペット同士で争って欲しくない私は、空気をクルクルと回して食べ物を運びました。ペットの世話で磨かれた私の技術は、圧力の差を用いて小さな草を千切り取れるほどです。しかし、草食なペットの食べる草を集めても、肉食なペットの口には合わない物でした。

 ガブガブと肉食なペットは、お腹を満たします。すると地面に液体が飛び散りました。ペットの血の色は赤いのでしょうか、それとも青いのでしょうか。ペット同士が殺し合うのは悲しいものです。だからと言って、肉食なペットを殺す訳にはいきません。お腹が減ったから肉食なペットは食べたのであって、それは仕方のない事なのです。私の力で殺す事を止めれば、肉食なペットは飢えて死ぬ事でしょう。

 海に住む生物でも取ってきましょうか。海面に空気の流れを作って強引に水を巻き上げ、私は海の生物を獲ります。そこで、ふと思いました。どうして地上の動物はダメで、海の生物ならば良いのでしょうか。それは大気である私にとって海は外側であり、外側に住む生物は"かわいい私のペット"ではないからでした。

 

 地上の動物は私の内側で、海の生物は私の外側でした。ならば地上と海を移動できる両生類は如何でしょうか。海の中で生まれ、海の中で育ち、やがて地上へ上がります。最後に地上へ戻ってくるのならば私の内側と思えました。ただし一生を終えても海から出てこない生物は、私の内側ではありません。

 土の中に住む動物は如何でしょうか。海の中と同じで、土の中も私の外側です。土の中で生まれ、土の中で育ち、やがて地上へ上がります。これも最後に地上へ戻ってくるのならば私の内側と思えました。ただし一生を終えても土の中から出てこない生物は、私の内側ではありません。

 ならば草や木は如何でしょうか。惑星の大気としては、酸素を作る植物に加担するべきなのでしょう。しかし人らしい知識と記憶を持つ私にとって、植物は生物と思えません。私の内側に存在しても、植物は物体に過ぎないのです。人に比べれば他の動物も"ペットに過ぎない"のでしょう。

 

 宇宙の様子を感じ取れない私にとって、突然の事でした。高い場所から落ちた動物を下から浮かべて地面に降ろし、洪水が起こらないように地面を削って整備していた時の事です。私の体内に巨大な流星が侵入しました。動物が生まれる前ならば兎も角、今の地上に落ちれば大惨事になるのは明らかです。

 私は頑張って流星を逸らそうと試みました。しかし大気圏に突入した流星を曲げる事は叶いません。流星は惑星に衝突して、大量のチリを巻き上げます。私は被害を軽減するために流動する空気の層を圧縮して重ねて、衝撃の広がる範囲を抑え込みました。桁外れの衝撃波が広がり、私の体を揺らします。

 閉じ込めた空間の中はチリで一杯です。このまま解放するなんて事はできません。私は一点に空気を集めて、チリを固めました。落下地点は熱で融けているらしく、ドロドロとしています。私は地表に影響の少ない上空の空気を、冷えるまで流す事にしました。うっかり"氷を含む空気"を使うと大変な事になるので、大気の大半を占める"水滴を含む空気"を使うしかありません。流星の落下よりも大気を大きく移動させた影響で、私のペットは数え切れないほど死んでいました。私は被害を抑えようと思ったのに困ったものです。

 

 巨大流星の後も火山が大噴火したり、病気が流行したりします。何度も地上の動物に、滅亡の危機が訪れました。大噴火は噴煙や溶岩を抑え込んだものの、病気は如何にもなりません。動物の体内に侵入されると、そこは私の外側です。感染して死に行くペットを見守る事しか叶わなかったのです。

 私は大気に過ぎず、神のように万能ではありません。動物の体内に侵入しようと思っても、意識を保つ事は叶いません。宇宙を漂うガスだった頃のように、意識は曖昧な物となります。私が意識を保っていられる最低の大きさは、未来の記憶にあるサッカーボール程度でした。

 いくつもの記憶を持っているけれど、神のように何でも知っている訳ではありません。粒子を感じ取れない私は、昼なのか夜なのかも分かりません。光の粒子は小さすぎて感じ取れないのです。人あらざる身の限界を私は知りました。私の認識できる最低の大きさはチリ程度なのです。

 

 かくかく、しかじか

 

 やっとサルの中から、2本の足で歩くヒトが現れました。もう少しだと思って、歩かせるために木々を刈った事が良かったのでしょうか、えっへん。人の進化は急速で、地上を歩く人は短い間に増加します。そんな人にも様々な種類があるようです。その中には動物を殴り倒すほどに肉体の強い種族もいました。私の持つ記憶と比べれば未熟な格闘術で、自身の体よりも大きな動物を倒したのです。

 しかし、その肉体の強い種族は絶滅の危機にあります。他の種族に比べて、強いために危機感が低く、あまり頭も良くないようです。仲間同士で殺し合おうとするために、私が止めなければ瞬く間に数を減らすでしょう。感情の発達も遅れているし、せっかく強い肉体を持つ種族なのに困ったものです。

 逆に肉体の弱い種族もあります。大人しく引きこもってくれるので安心できます。弱い肉体を補うために道具を使ったり、動物を仲間にしたりしています。肉体の強い種族のように、子供の育児を放棄する事もありません。いろいろと助力している私の存在も認識できるようです。問題があるとすれば、やっぱり体が弱い事でしょう。種族の問題なので、これは仕方ありません。

 

 どうしたものでしょうか。強い種族と弱い種族が出会ってしまったのです。襲いかかる強い種族を、私は空気で押し返します。諦めるという事を知らない強い種族なので、私は遠くへ吹き飛ばす事にしました。それでも折れる事なく、強い種族は立ち上がります。強すぎるのも問題です。

 そもそも私が助けなければ、強い種族は自滅していた事でしょう。強い種族は滅びるべきだったのでしょうか。私は強い種族と弱い種族の、どちらも選ぶ事はできません。問題が起こる度に私が止めるとしても、強い種族は争いの火種となるでしょう。その時、我慢の限界に達し、強い種族を滅ぼそうとする弱い種族を止めるのは、正しい事なのでしょうか。

 考え直してみれば私は、地上にある動物の中で人に加担しすぎています。人が動物を狩る時、私は動物を窒息させて狩りやすくしていました。その結果、動物の命が奪われています。人に加担する行為は、地上の動物に対して公平と言えません。植物も生き物です。生物に対して公平ではない私は、間違っているのでしょうか。

 

 地上の生物に対して公平であれば、いずれ増えすぎた人を減らさなければなりません。でも私は、人を殺したくありません。ならば、なぜ人ではない生物は殺せるのでしょうか。それは私が人としての知識を持っているからです。私は惑星の大気でありながら、人らしい意識を持ってしまったのです。

 大気として人を殺すべきなのでしょうか、それとも人として人を守るべきなのでしょうか。大気として公平である事が正しく、人に加担する事は間違っています。それでも私は人の意識を持ってしまったのです。私は自身が人であるという認識を捨て切れないのでした。

 私は記憶を持っています。かつて私は男でもあり、女でもあり、大人でもあり、子供でもありました。そんな多くの記憶を宿していても、大気である私という存在は空っぽです。空っぽの私は自身の存在を、人の中に見る事しか出来ません。人という存在は私なのです。私にとって人は自身であり、私は自身を殺せません。私は人に私自身である事を"期待"しています。

 

 弱い種族は死に絶えました。

 

 再び強い種族が襲ってきた時、私は弱い種族を守らなかったのです。どうして、そんな事をしたのでしょうか。それは人という種族の中に、私が自身を見ているからです。たとえ1つの種族が滅びても、私の期待している人が存続している限り、私が自身を見失う事はありません。

 他の生物が敵ならば、私は人(自身)に加担しましょう。人(自身)が敵ならば私は干渉しません。その結果として人が滅びたとしても受け入れましょう。大気である私が人を殺すのは間違っているけれど、私(人)が私(人)を殺すのならば、それは仕方のない事なのです。

 私のペットを助ける事は止めましょう。人に加担しながら、他の動物に加担すれば、それは人に対する裏切りとなります。他の生物に対して不公平であると知りながら、私は人に加担します。強い種族のように私の存在を信じなくても構いません。ずっと片思いのままでも構いません。人が私である限り、災厄から守り続けましょう。私が人に向ける気持ちは、きっと愛と言える感情でした。

 

 時が過ぎて、人の知能が発達します。

 

 地面に絵ではなく、文字を描いている人の姿を捉えました。多くの人種が遊牧生活を止め、土地に定住して数を増やします。定住によって作物を育てる農業も始めたようです。私は水不足になれば海面の気圧を上げて雲を作り、目的地まで運ぶと気圧を下げていました。

 そんな時、私の体内に侵入者が現れました。とても人とは思えない異形の姿です。少なくとも翼の生えている異種混合の人種は、私の体内に存在しません。いったい何処から現れたのでしょうか。空中から湧き出たとしか思えない現れ方です。私の感覚では異常を感じ取れません。

 もしや悪魔と呼ばれる存在でしょうか。いくつもある私の記憶の中にも、悪魔と対面した記憶はありません。悪魔は草原に立ち、なぜか泣いています。悪魔も泣くのでしょうか。その側には人も居ました。その人も泣いていたものの、今は悪魔の出現に驚いて固まっています。しばらく経った後、悪魔は何事もなく消えました。どこかへ帰ったのでしょうか。

 

 遠く離れた別の場所に、異形が現れています。しかし私の体内に距離は関係ありません。翼が存在しなかったために、さっきと事なる異形と分かりました。その異形は人と会話を試み、傷付ける事もなく消えて行きます。言葉は通じるのでしょうか。いったい何をしているのでしょうか。侵略前の情報収集でしょうか。

 異形は何度も来訪し、害意はないのかと不思議に思います。異形の現れる場所や姿も異なるものの、この惑星の大気圏ならば私の体内です。どうやら異形は、強い感情を抱いている人の下へ現れるようでした。そうして異形の来訪に慣れてきた時に事件は起こります。

 人が燃え上がり、間もなく世界は一変します。そこに存在する物は、1体の異形に過ぎません。その時の私は、なにが失われたのか分からなかったのです。そして異形は移動を始めました。私にとっては前触れもなく異形が現れ、当然のように移動を始めたようにしか思えません。しかし後から思えば1人のヒトが、私の体内から消えていたのでしょう。

 

 再び異形が行動します。すると人は炎に包まれて消えました。その時、私は異常に気付きます。異形によって人の存在が消されているのです。消えたのは人体に限らず、その人の持ち物すら消えていました。消えた人の記録は、私の記憶からも薄れ、影響を受けているようです。

 これは攻撃です。敵の攻撃に違いありません。異形は呼吸の必要がないらしく、窒息させようと思っても通じないようです。私は異形を中心に空気を渦巻かせ、ブラックホールのように吸い込ませます。木の枝が風に乗り、異形の体に弾かれました。消失した人の家を巻き込んで、屋根に敷かれていた枯れ草ごと圧し潰します。異形の体は圧し折れ、炎のような揺らぎが空気に現れました。火の粉が体の中から噴き出ています。あれは血の代わりでしょうか。異形は人と異なる構造のようです。

 別の場所では人と異形が、今にも殴り合う所でした。私は人を流動する空気で囲み、敵である異形を圧し潰します。しかし異形が死ぬと、人は悲しんでいる様子でした。人の声が聞こえない私は、どうして人が悲しんでいるのか分かりません。本気で怒っている訳ではなかったのでしょうか。バトルジャンキーなのでしょうか。

 

 私は悩みます。すべての異形を敵として撃退するべきでなのしょうか。しかし、人と親密な関係にある異形もいるようです。人を消す異形は一部に過ぎません。異形の中にも個体によって差があるのでしょう。人を消す行為が問題なのであって、すべての異形に問題がある訳ではないのです。

 排除するための基準を私は求めます。「人を傷付けること」では範囲が大き過ぎるのです。ちょっと喧嘩になって殴り合いになる事もあるでしょう。だからと言って殴った異形を排除すれば人は悲しみます。物の形から察する事しかできない私にとって、それぞれの事情を判断するのは難しいものでした。

 事情で判断するよりも、確かな基準を定めるべきです。なので異形を排除する基準として「人を消失させる」という事にしました。これならば分かりやすく、悩む事は少なくなります。この基準に従って排除して行けば、異形の知能が低くても「人を消してはいけない」という事を分かってくれるでしょう。

 

 

 

 現在は名前がなく、住人は"渦巻く伽藍"と称し、後に異世界人から"紅世"と呼ばれる世界がある。その世界には家も畑もなかった。それどころか物体がない。大地すらなかった。住人は力の塊として存在し、隣り合う力を削り合う。生まれ持った力の差は明確に現れ、弱者が生きる事を許さなかった。

 この世界では意識が大きな意味を持つ。住人は「本質」という性格の元となる物を持ち、その性質に応じて意識が形作られていた。「本質」が意識の元となっているために、極端な性格の偏りを住人は負っている。「本質」は意識に影響するに留まらず、その「本質」に応じた特異な能力を有していた。

 たとえば「束縛」という本質であれば、自分あるいは他人を「束縛」する性格となる。「束縛」する事に疑問を思えず、「束縛」という行為を得意とする。他人が用いる事は不可能と思える道具であっても、「束縛」という本質に通じる物ならば軽々と扱えるだろう。

 

 その世界で今、ホットな話題は異世界のことだ。異世界で放たれた感情を、精神構造の似ていた住人は感知し、異世界の存在を知った。そして異世界へ渡るための術である「狭間渡り」が開発され、実際に住民が異世界へ渡る。それを"迷惑な神"が迷惑な事に全ての住人へ強制的に伝達したため、異世界へ渡る術は周知された。

 異世界から感じる嘆きの声を辿り、異世界へ渡った住人は感動する。そこには大地があり、植物があり、空があり、光があった。異世界は家があり、畑があり、多くの生物が生きている。異世界人の持つ見ること・聞くこと・味わうこと・嗅ぐこと・触れることが意味を成さない世界から来た住人にとって、住民以外の物に形があるという時点で驚きの事だった。

 住人にとっては観光気分だ。それも初めての観光だ。そもそも住人の世界に観光できるような場所はなかった。そんな事を考えている余裕がないほどに争いの絶えない世界で、住人は観光を行った事がなかった。可能ならば永住したいと住人が思うのは、不思議な事ではない。

 

 しかし、異世界は住人の存在を拒んでいた。異世界に存在している程度で、保有している力を削られる。死ぬば住人は死体も残らず、その体は力を統べる意思によって形作られている。力を削られる事は住人にとって、その身を削られる事だった。異世界に存在している程度で、住民は命を削られるに等しい。

 術が周知された事で、多くの住人が異世界へ渡る。残念ながら美しさを保護する者よりも、その美しさを奪う者の方が多い。住人が欲望のままに暴れれば、異世界は荒れ果てる。異世界へ渡る術を秘匿すれば良かったものの、開発者の意思に関係なく"迷惑な神"によって広められてしまった。

 そして暴力を振るい、力を食ら者が異世界に現れる。精神構造の似ている異世界人は、住人にとって食べられる物だった。異世界人の力を食らえば、存在する事によって削られる力を補給できる。争いの絶えない世界で他人の力を奪う事もあったために、その行為に抵抗を覚える者は少なかった。他人の力とは他人の体であり、住人は食事のように他人の体を食らっていたからだ。

 

 そうして一度目に食らった住人は無事に戻り、二度目に食らった住人は風に潰された。風は力の流れを感じ取れないために、その場にいる全員を有罪とする。そのため異世界人を食らった者は一人として生きて戻れず、風の定めた基準が知られる事はなかった。ちなみに基準を定めた以上、わざと違反者を見逃すという不正を風は行わない。

 住人の中でも強い力を持つ者は、王と呼ばれる。住人の失踪に不自然な感覚を覚えたのは、異世界に渡った多くの王が戻って来なくなってからだった。ようやく何者かによって、異世界へ渡った住人が抹殺されている可能性に思い至る。「異世界人の宿す存在の力を奪った者」が抹殺されている事に住人は気付いた。

 いったい何者が住人を殺しているのか。最も疑わしい相手は異世界人だろう。異世界人が"風を操る力"を持っている事は知られている。しかし、人を食らえば存在は消える。"生きている間に反撃される"のならば兎も角、"死んで存在が消えた後に攻撃されている"と言うのは不可解な事だった。

 

 異世界の文化を保護しようと訴えている者達が疑われた。不毛な言い争いが始まろうとしていた所へ、"分身を作る力"を持つ住民から報告が上がる。本体は離れた場所に居たため、処刑に巻き込まれる事はなかった。「風によって圧し潰されている」という報告から風の扱いを得意とする者達が疑われ、やっぱり不毛な言い争いが始まった。

 まさか異世界の風が意思を持ち、「人を消失させた者」を圧殺しているとは思わない。「誰がやっているのか分からないけれど、人の存在を食べると殺されるので止めましょう」なんて事になるはずがなかった。住人の事情を全く考えていない風は、それを理解していない。罰を与え続ければ、いずれ従ってくれるだろうと考えていた。

 異世界で好き勝手な事をしたい住人は、犯人探しと共に風を防ぐ方法を考え始める。まずは風を遮断する術を使ってみたものの、風の量に耐え切れなくて力技で圧し潰された。攻撃に用いられている風の量から、王に並ぶほど強い力を持つ存在が犯人である事が察せられる。

 

 住人にとって訳が分からないのは、遠く離れた別の場所で同時に風を操れる事だろう。「事前にマーキングされて、術の発動地点となっているのではないか」と思われたものの、いったい何時・どこにマーキングされているのか分からなかった。まさか風の攻撃範囲が惑星を覆っているなんて思わない。

 

 特殊な力を持つ道具がある。住人と異世界人の望みが強く重なる事で生み出され、その道具は"宝具"と呼ばれていた。住人は自身の風を嫌う感情と共振する、風を嫌う異世界人の感情を辿る。そうして見つけた者は優れた自身の力を信じ、神という存在を嫌っていた。言葉を翻訳する術である「達意の言」を用いて、その異世界人と住民は協力し、「風を遮断する宝具」を生み出した。

 その過程で住人は"風の神様"と呼ばれる存在について詳しく知る機会があった。神を嫌っている者達からは敬称を外されて"風の神"あるいは、単に"風神"と呼ばれている。嫌っている者達も、その実在の有無を疑う事はない。頼みもしていないのに、あれこれと異世界人の世話をするからだ。住人と交流した短気な異世界人は、寒くて身を震わせた際に風が不自然に止まる事すら嫌っていた。

 果実が空を飛んでいく光景を見て、「あれは汝等の能力ではなかったのか」と住人は思う。異世界人の存在を食らった後で、その存在が消えたにも関わらず、風による攻撃を受けた理由だ。人の消失に怒った"風神"が、食らった住人を圧殺したと察せられる。異世界の神である"風神"は存在の消失に触れた事で、存在の消失を感じ取れるようになったと考えられた。

 

 住人の世界にも神と呼ばれる存在はいる。"世界の法則の体現者"と云われ、特異な権能司っていた。住人の世界に神と呼ばれる存在が居るのだから、異世界に神と呼ばれる存在が居ても不思議ではない。その神の気配を住人は感じ取れなかった。いったい、どれほどの大きさなのかも分からない。 

 指輪型である「風を遮断する宝具」を着けて、異世界人の存在を住人は食らう。周囲で風は渦巻き、しかし宝具によって張られた"風除けの結界"によって防がれていた。そうして成功かと思われた時の事だ。空から光の玉が降り注ぎ、住人は熱で蒸発した。指輪も融け、地面に焦げた後しか残っていない。

 風は遮断できたものの、その風を圧縮して作られた熱の塊までは防げなかった。これでは風ではなく火だ。風を圧縮すると温度が上がる事を知らない住人は、風以外の神も存在する可能性に思い至る。あれほど異世界が平穏なのは、厳しく管理している複数の神が存在するからなのだろうか。だからと言って、この世界に存在する神に、住人の世界を管理してもらおうなんて誰も思わない。その神の一柱が"異世界へ渡る術"を、開発者の許可も得ないまま無断で強制的に周知させた事は記憶に新しい。絶対にNOだ。

 

 異世界の神は「異世界人の存在を食った者は死刑」という法を敷いている。その法を守ることを神は期待していたものの、住人は法を擦り抜ける方法ばかり考えていた。「風を遮断するための宝具」や「火を遮断もしくは防ぐための宝具」を作るために、強い望みを持つ異世界人と接触している。海の中へ異世界人を引きずり込んだものの、海水ごと巻き上げられる住人もいた。

 その結果、"地面と同化する方法"と"人に姿を変える方法"が有効であると判明する。"地面と同化する方法"を取れる者は、大地と同化できるような特異な能力を持つ者に限られる。単に穴を掘っても空気が入るために意味がなかった。しかし、大地と同化すれば風の威力は軽減され、人を食っても逃げ切れる余裕が生まれると知れる。

 それよりも楽で「本質」を問わずに実行できる方法が、"異世界人に姿を変えること"だった。"風神"に力を感知する能力はないらしく、外見を異世界人と同じ物に変えれば処刑を逃れる事ができる。異世界人の外見をしていれば異世界人を食らっても裁かれない。そのために"人化の術"が開発された。こうして本来ならば人類の技術発展に応じて多用される事となる"人化の術"は、人類が鉄を知らない時代に"風神"の法を擦り抜けるために多用される事となる。

 

 しかし、"異世界人に姿を変える方法"は長く続かなかった。大気中は"風神"の体内であり、空気中に出現すれば異世界人の姿であっても疑われる。異世界人の感情を辿って異世界へ渡っているため、水中に出現する事は難しかった。なので風の追跡を振り切るために水中へ飛び込めば、風に包み込まれて呼吸を維持される新しいサービスが提供されていた。

 ついに住人は自身の体で動き回る事を諦める。そして"異世界人の内側に潜む方法"が発見された。異世界人の存在は力によって支えられてる。住人を食らって、異世界人は力を取り込む。その力に守られているため分解は出来ても、異世界人に潜む事はできない。しかし、異世界人を食べた後の残りカスならば別だ。

 残りカスを異世界人の形に加工すれば、外見は元の形と同じになる。その残りカスならば内側に潜む事ができた。その残りカスで異世界人を食えば「残りカスが自身の意思で食べたのか」それとも「住人に操られて食べたのか」は分からない。そもそも風神は「操られている人が死んだのか分からない」から動かなかった。

 

 風神と住人の静かな争いは、残りカスの利用によって終わる。残りカスは"トーチ"と呼ばれ、異世界の物体に宿る力は"存在の力"と呼ばれる事になった。住人はトーチに寄生して異世界で暴れ回る。寄生されたトーチが存在の力を食らってトーチを作り、そのトーチに住人が寄生する。ちなみに最初にトーチを作った住人は、尊い犠牲となった。

 風神による抑圧から解放され、異世界で存在の力が乱獲される。その頃、"世界の有り様を捉える"という能力を持つ住人は、両界の間に歪みが生まれている事に気付いた。異世界で放たれた感情を辿り、住人は異世界へ渡る。その途中で歪みに巻き込まて辿るべき感情を見失えば、迷子になって消滅するしかなかった。

 この歪みに注目した者達がいる。異世界の素晴らしさを知り、その異世界が荒らされる事を許せない住人だ。「存在の力を乱獲する事によって生じた歪みを放置すれば、いずれ大災厄が起こり、この世も崩壊に巻き込まれる」と仮説を立てた。仮説である。大事な事なので2回言った。データに基づいた証拠はない。危機感を刺激された住人は、歪みを治めるために行動を始める。

 

 両界の間に発生した歪みを、何とかしようと言う話だ。まずは両界の間にある歪みへ干渉する事で、問題を解決する方法を見つけるべきだろう。「異世界で暴れる住人を鎮圧するだろう」と思っていた者達は内心で焦っていた。しかし、歪みへ干渉する方法は早々に諦められる。

 異世界で存在の力の乱獲が起こっている。それによって次から次へと歪みが引き起こされていた。極端な性格の偏りから欲望に忠実な住人は、みんなで力を合わせる事が苦手だ。頑張っても間に合わない。こうなれば異世界で暴れ回っている住人を止めるしかなかった。

 しかし、だからと言って同じ世界の住人を排除するのは酷だ。そういう訳で異世界へ渡った住人へ「歪みを治めるために人食いは控えるようにしよう」と告げる。しかし異世界へ渡った住人は納得しなかった。風神の法を擦り抜けるために多くの犠牲を払い、やっと手に入れた自由だ。異世界へ渡らず、犠牲を払う事もなかった連中の言葉を耳に入れる事はなかった。こうして一部の者達が望んだ流れになる。

 

 異世界で暴れ回る住人を止めなければならない。しかし、異世界で存在するためには人を食らう必要があった。力を回復する度に異世界へ戻っていれば、歪みに巻き込まれて迷子になる確率は高まる。そこで、かつて"創造神"によって組み込まれた世界の法則を応用する事になった。

 生け贄を捧げて、神を召喚する。召喚された神は権能に沿った力を、より強く発揮する事ができる。その仕組みを応用して、異世界人の器に住人を宿らせた。住人に捧げられる物は異世界人の"全存在"だ。それを捧げれば他人の記憶から忘れ去られ、所有物も消え去り、その身一つだけになる。

 それは後に"フレイムヘイズ"と呼ばれる者の誕生だった。しかし異世界人と契約すれば、異世界人に付属する電池のような扱いになる。自ら望んで異世界人と契約する住人は少なかった。こんなネタを、どこぞの神が見逃すだろうか。最初のフレイムヘイズが誕生した同時に、その存在は全ての住人へ伝達された。問題があるとすれば"全て"というのは、異世界へ渡って存在の力を乱獲している住人も含んでいる。「また、お前か!」と言いたくもなる話だった。

 

 器に住人を宿した異世界人は、消費した存在の力を回復できる。異世界人を食らう者を倒すために、異世界人を食らう必要があると意味がないからだ。ただし回復できる限界は、異世界人の器に左右される。逆に住人の力が小さければ、回復できる限界も下がる。なので王と呼ばれる強い力を持つ住人が、大きな器を有する異世界人と契約を結ぶ事になった。

 こうしてフレイムヘイズと住人の果てしない争いは始まる。神と呼ばれる"天罰神"も異世界人と契約し、異世界へ渡った。やがて住人は住まう世界を"渦巻く伽藍"と例え、住人の話を聞いた異世界人は"紅世(ぐぜ)"と呼んだ。すると住人は住まう世界を"紅世"と称し、自身の事を"紅世の徒(ともがら)"と名乗り始める。

 逆に"紅世の徒"は異世界を、目に見える形を持つ事から"現世(うつしよ)"と呼んだ。そこに住む異世界人が風神に庇護されている事から、"現世の児(こ)"と呼ぶ。ただし、"紅世"について知る者は"現世の児"の中では数少なく、この名称が"現世"に広まる事はなかった。




"現世の児"は捏造設定です。原作では"この世"となっています。
児の意味は「子供、幼い」


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【転生】生命と存在の権能を司る神【灼眼のシャナ】

果てしなく闘争の続く世界である"紅世"に、弱者を救済する神と呼ばれる存在がいた。感情の起伏が少ない、可憐な紅世の王である。しかし、その実態は「ぷっ、その程度の力しかないの? 仕方ないなぁ、この私様が助けてやるよ(ニヤニヤ)」可憐なのは外側だけで、とても性格が悪かった。


【Lights】はじまり

 

 それは"この世"ではない"どこか"だった。果てしない闘争の渦巻く世界だった。戦いの中を生きるために余計な物はなく、服飾や食物や住居もない。生まれ持った力が身を守る全てで、抗う術を学ぶ間もなく掻き消される。力のない存在は生きる事を許されない世界だった。そんな弱者の一体が、今日も生きるために逃げている。

 

『まだ追ってくるのか!? もう、しつこいったらありゃしない! 諦めればいいのに!』

『まだまだ元気そうじゃないか! さあ、お姉さんと良い事しようよ!』

 

 逃げ回っている者は、"全身と同じほどに長い耳を伸ばした四つ足の生物"だった。フワフワした体毛を震わせ、赤い目に涙を滲ませている。その後ろから迫っている者は、"硬い毛皮で覆われた回転する鼻を持つ生物"だった。それらをウサギやモグラと例えるには、容姿に異なる点が多い。おまけに高い知能を発揮し、意思を交わしていた。

 

『逃げるのは得意なのに! どうして振り切れないんだ! こんちくしょー!』

『種を明かすと、お姉さんは"追跡"が得意だからさ! 逃げ足が速いだけじゃ振り切れないよ! せめて"妨害"しないとね!』

 

『意外に親切だ!? でも、ボクは"妨害"なんて持ってないじゃないか! 絶望した!』

『そうだろうね。持ってたら、とっくの昔に使ってるよね! ごしゅうしょう様!』

 

 この世界で生まれた者は等しく、独自の力を持っている。その力には本質という物が関係しているものの、とりあえず横に置いておこう。とにかく必ず得意な分野があり、その分野に限れば魔法のような結果を引き出せる。ウサギ(仮称)で言えば"逃走"が得意で、単に逃げ足が速かったり、最善の逃げ道を選び取ったりする事ができた。

 

『ダメだ。もう力が……こんな奴に食われてたまるかー!』

『おおっと、ラストスパート! だけど無駄無駄無駄無駄無駄ァ!』

 

 しかし、いくらウサギ(仮称)の逃げ足が速くても、生まれ持った力の差は大きい。例えるなら「猛スピードで走る自転車を、案内機能付きの車が追跡している」ようなものだ。モグラは強い力を持つ"王"と呼ばれる存在で、いくらウサギ(仮称)が頑張っても、モグラ(仮称)から逃げ切ることは叶わない。そうしてウサギ(仮称)は失速する。

 

『もう、限界、無理……!』

『きゃっほーい!』

 

 モグラは喜びの声を上げて、ウサギさんに飛びかかる。捕まってしまえば、あーんな事やこーんな事をされるだろう。悲惨な未来に思考を至らせ、ウサギさんは目の前が真っ暗になった。残念ながらセーブポイントに戻る事は叶わず、ウサギさんは息を荒げたまま、うつろな目で体を丸める。そこへ救世主が舞い降りた。

 

 どっかーん!

 

 大きな衝撃と共にモグラは蹴飛ばされる。ウサギさんから遠く離れた場所までゴロゴロと転がった。その衝撃でモグラの意思が崩れ、その身から力が零れ落ちる。精神に寄る存在であるために、心の乱れは肉体に影響していた。"王"に数えられる存在であるモグラが、一撃で大きなダメージを受けている事は驚きに値する。モグラは身を起こし、目の前に内包されている力の大きさに驚いた。

 

『あたしの邪魔をするとは、いずこの王か!』

『……んっ』

 

 モグラの問いに彼の者は答えず、気のない様子でモグラを見下す。ウサギさんを背後に置き、モグラへ近付きつつあった。モグラと比べれば彼の者は小さい。しかし、その小さな体に渦巻く力は、一目で"王"と判断できる大きさだ。モグラにとって不幸な事は、ウサギさんが彼の者の領域へ逃げ込んでいた事に気付かなかった事だろう。

 

( 戦闘向きの王かなぁ。ウサギさんに心残りはあるけど王同士じゃ不利だし、ここは逃げるべきかな )

 

 モグラは全力で後退する。しかし、高速で飛来した人影がモグラを押し潰した。莫大な力を込められた一撃は、有り余ってモグラを四散させる。その衝撃でモグラの意思が砕け散ったために、意思によって形作られていた肉体は崩れ落ちた。毛の一本から肉の一塊に至るまで、跡形も残らず消え去る。後に残るのは人影と、震えるウサギさんだ。モグラが消え去った事に気付いたウサギさんは一安心する。

 

『助かった……あなたは、もしや"儚恵の双頭"!』

『我は、そう呼ばれる事もある』

 

 それは人の姿をしていた。あまりにも人に似すぎていた。とは言っても闘争の世界の住人は、まだ異世界の生物であるヒトをしらない。"儚恵の双頭"が人の姿をしているのは、未知の存在であるヒトの存在を知った上で、人の姿に変化しているからだった。ぶっちゃけて言うと"儚恵の双頭"は、人としての記憶も持っていた。そんな"儚恵の双頭"の力に恐れながらも、ウサギさんは礼を言う。

 

『多大な御助力に感謝の念は尽きません。ありがとうございます。あなた様のおかげで、私の命は助かりました』

『んっ』

 

 "儚恵の双頭"は滑らかな胸を張る。透き通る白い肌を、サラサラとした黒い髪が覆っていた。この闘争の世界は服という物がないために、"儚恵の双頭"が服を着ていないのは当然の事だろう。その外見は人で言えば、少女で例えられる。消え去りそうなほどに透明で、可憐な少女だった。その指先を""儚恵の双頭"、ウサギさんへ向ける。

 

『あ、あの……なにを? はっ! まさか、まだピンチは終わってない!?』

 

 じゃっじゃーん!

 

『静かにする』

『はい』

 

 "儚恵の双頭"の指先から、ウサギさんへ力が流れる。それは失われたウサギさんの力を補った。"儚恵の双頭"に怯えつつも、ウサギさんは感謝する。なぜ怯えているのかと言うと、"儚恵の双頭"は王と呼ばれる存在であり、世界の法則を体現する神でもあるからだ。この闘争の世界に数柱ほど存在する神は、恐れられ怖がられている。

 

『終わった。我は、帰る』

『御身の後を歩いても、よろしいでしょうか?』

 

『我は、構わない』

『"儚恵の双頭"の恵みに感謝いたします』

 

 "儚恵の双頭"の後をウサギさんは追う。"儚恵の双頭"は変わり者の王だ。本来の姿は2つの頭を持つ巨大な龍だけれど、わざわざ弱い姿に人化している。しかし、それは人化という無駄を負っても闘争の世界を生きて行けるという、並の王を超えた実力の高さを表していた。そんな"儚恵の双頭"を出迎える者がいる。

 

『お戻りになられましたか、"儚恵の双頭"』

『よお、見ない顔だな。新入りか!』

『かわいい子だね。ほーら、こっちおいでー』

 

『我は、行く』

『後の事は、おまかせください』

 

 それは小さな力しか持たない者の集団だった。"儚恵の双頭"は変わった王として知られている。力なき者は消えて行く事が当然の世界で、"儚恵の双頭"は弱者の救済を行っていた。"儚恵の双頭"の周りには弱者が集まり、その弱者を虐げる強者は"儚恵の双頭"によって追い払われる。その在り様から"儚恵の双頭"は、"生命"と"存在"を司る地母神と呼ばれていた。

 

 

【Shadow】

 

走り回るウサギもどきを、モグラもどきが追い回していた。

その様子を確認した私は「全力」という意思を足に込めて跳ぶ。

そのまま気付かれる間もなく高速で接近し、モグラもどきを蹴飛ばした。

 

一撃で粉砕する事もできる。でも、それじゃ私が面白くない。

自分を強者と思って調子に乗っているモグラもどきを蹴り落としてやりたい。

モグラをジワジワと追い詰めるために、攻撃の意思を高めながら歩いて近寄った。

 

するとモグラは逃げ出す。

冷静な判断で、だからこそ無価値な反応だ。

私は跳び上がり、私に背を向けたモグラを押し潰した。

 

死ぬまで痛めつけたかったものの、

私に対するイメージを損ねるので行わない。

消え行くモグラを放って、私は震えるウサギに近寄った。

 

『助かった……あなたは、もしや"儚恵の双頭"!』

 

その呼び名に私は噴き出しそうになる。

どうして、そんな名を真面目に言えるんだ?

本気で言っているウサギもどきが馬鹿馬鹿しく思える。

 

この世界の住人にとっては当然の事なのだろう。

固有の名前を付ける習慣がないために、他者から呼ばれる通称が名となる。

私の場合は「儚(はかな)き者に恵みを与える2つの頭を並べるもの"」という意味だ。

 

しかし私にとっては違和感を覚えるものだった。

わざと難しい漢字を取って付けたキラキラネームのように思える。

これを普通に思っているなんて、この世界の住人は頭おかしいんじゃないか。

 

そんな考えは表に出さない。

私は思った事を、そのまま口にするアホとは違う。

自分に対するイメージを壊さないように、不確かな表現で言葉を濁した。

 

『我は、そう呼ばれる事もある』

 

小さなウサギもどきを見下ろす。

保有している力は小さく、吹けば消えそうだ。

本来ならば消えていたはずの命を、私は助けてあげた。

 

ほら、礼の一つくらいあるだろ?

私が助けてあげないと、生きて行けないゴミクズだ。

地面に這いつくばって、私に生かされている事を泣いて喜ぶべきだろう。

 

『多大な御助力に感謝の念は尽きません。ありがとうございます。あなた様のおかげで、私の命は助かりました』

 

うむ、正直なのは良い事だ。

素直な良い子には恵みを与えてやろう。

そういうバカばかりなら、私も楽しく過ごせる。

 

『あ、あの……なにを? はっ! まさか、まだピンチは終わってない!?』

 

テンション高ぇよ。

手加減を誤っちゃうから止めてよね。

攻撃の意思を込めると、虫けら程度の存在なんてバーンと破裂するからな。

 

『静かにする』

『はい』

 

よしよし、いい子だ。

大人しく従う奴は好きだぞ。

我がままな奴と違って扱いやすいからな。

 

『終わった。我は、帰る』

『御身の後を歩いても、よろしいでしょうか?』

 

『我は、構わない』

『"儚恵の双頭"の恵みに感謝いたします』

 

もう、こいつに用はない。

後ろを付いて来るなんて気持ちの悪い奴だ。

ちょっと優しくすると勘違いしやがって、私はテメーの保護者じゃないんだよ!

 

少し進むと私の領域だ。

そこにウサギもどきのような連中が集まっている。

そいつらをエサにして、釣れた連中を叩き潰していた。

 

自分を強いと思っている奴を叩き潰すのは気分がいい。

弱くて虐げられている連中に恵みを与えてやると、見下せるから気分がいい。

もちろん、そんな事を正直に言うほどバカじゃないので、私はキャラを作っていた。

 

『お戻りになられましたか、"儚恵の双頭"』

『よお、見ない顔だな。新入りか!』

『かわいい子だね。ほーら、こっちおいでー』

 

ゴミクズがワラワラと集まってくる。

このウサギもどきを、いつものように押し付けよう。

私は忙しいんだ。虫けらの面倒なんて見ていられるか!

 

『我は、行く』

『後の事は、おまかせください』

 

便利な奴に後の事を任せる。

弱い奴を救って見下し、強い奴を叩き潰して悦に入る。

それが闘争の世界に生まれた私の楽しみで、他の事なんて如何でも良かった。

 

 

 

【Lights】眷族の誕生

 

 "この世"ではない闘争の世界において、他者から呼ばれる通称が名となる。"儚恵の双頭"の場合は「儚(はかな)き者に恵みを与える2つの頭を並べるもの」という意味だ。その名の通り、本来の姿は2つの頭を持っている。しかし、その姿を見た事のある者は古代の王の中でも数体に限られていた。"儚恵の双頭"の周りにいる弱者の中で、その姿を見た者はいない。

 

『なぜ"儚恵の双頭"は、あのような姿を取っているのだろうか』

『姿を変えれば、その分だけ力が抑圧される。しかし少なくとも我らの前で、真の姿に戻られた事はないな』

 

『その力を抑えた状態でも、"儚恵の双頭"の力に陰りが見られないとは凄まじい話だ』

『あれほどの存在が真の姿を現せば、天地に至るほどの巨大なものとなるだろう』

 

『小さき我らの事を憂いて、あのような姿をしていらっしゃるのかも知れぬな』

『たしかに。"天壌の劫火”や“祭礼の蛇”に比べれば、あの方は身近な存在として感じる』

 

 力ない者にとって、神は恐ろしいものだ。天罰神である"天壌の劫火”は言うまでもない。創造神である“祭礼の蛇”の姿を見た程度で、心を砕かれる事もある。他の神に比べれば、"儚恵の双頭"は接しやすい神だった。ちなみに導きの神である“覚の嘨吟”は、そもそも明確な形がないので例外となる。その話を伝え聞いて嘆いたのは"儚恵の双頭"の保護下にない者と、創造神である“祭礼の蛇”だった。

 

『"儚恵の双頭"を取り巻く者は小さくとも数知れず、しかし神を取り巻く者は限られた王ばかりとなっている。余は数知れない望みこそ形にする者であり、一部の王の望みに左右される事を望まれていない——故に同胞の望みにより、神へ伝える者を造ろう』

 

 創造神の権能によって"眷族"というシステムが、闘争の世界に組み込まれる。"眷族"は神を補助し、その権能を強める存在だった。"眷族"によって神は、これまでよりも強く権能を発揮できるようになる。この"眷族"というシステムは創造神に限られず、全ての神に適用されていた。その神の一柱である"儚恵の双頭"は、創造神と同じく3匹の眷族を得る。

 

『我の、眷族?』

「きしゃー」「きしゃー」「きしゃー」

 

 眷族は"儚恵の双頭"の細腕に巻き付く、3体の細長い蛇だった。眷族が生まれたものの知能は低いために、他者から神へ意思を伝える役目を果たせない。しかし眷族の知能の低さは「"儚恵の双頭"は身近な神であり、意思を伝える役割は不要である」という多数の意思の現れだった。

 

『“祭礼の蛇”は3体の眷族を得たと聞きます』

『動く事を望まれていない"天壌の劫火”に眷族は生まれなかったようです』

『“覚の嘨吟”は眷族の質は下がるものの、多くの眷族を得たようです』

 

 眷族が生贄となる事で、神は権能を強く発揮できる。創造神の場合は3体の眷族の内、同胞の意思を受け取る1体が生贄の役割を負った。しかし"生命"と"存在"という権能を持つ"儚恵の双頭"は多くの弱者から、その権能が発揮される事を望まれいる。そのため3体の眷族は、3体とも生贄の役目を負っていた。

 

 

【Shadow】

 

私の本来の姿は"2つの頭を並べるもの"だ。

だけど人の姿に変わる術を習得してからは、本来の姿に戻っていない。

本来の姿は頭が2つある上に、ヘビのような外見で見栄えが悪いからな。

 

もっとも、まだ人という存在は知られていない。

それに生まれ持った本質から外れた姿に化けるのは難しいものだ。

だから正しく人の姿に変化できる者は、人としての記憶と自覚を持つ私に限られる。

 

私のマネをして、下手な"人化"をしている奴は弱者の中にいる。

強者を釣るためのエサなんだから、どんな姿を取っていても構わない。

あいつらの下手で間抜けな"人化"を見ていると笑えて、私の気分も良いからな。

 

『小さき我らの事を憂いて、あのような姿をしていらっしゃるのかも知れぬな』

『たしかに。"天壌の劫火”や“祭礼の蛇”に比べれば、あの方は身近な存在として感じる』

 

バカは都合よく解釈してくれる。

そういう間抜けで頭の悪い奴らは好きだぞ。

何も言わなくても勝手に思い込んでくれるからな。

 

ある時、私の腕に小さなヘビが巻き付く。

ゴミどもの話によると"眷族"という存在らしい。

私の中にある人としての記憶から察するに、創造神の仕業だ。

 

ちなみに私の中にある人としての記憶は劣化していない。

肉体から魂が離れても記憶を維持して、ここに転生したんだ。

魂だけの状態で記憶を保てるのに、器の劣化で忘れるなんてアホだろう。

 

『きしゃー』『きしゃー』『きしゃー』

 

それにしても、こいつら気持ち悪いな。

残念ながら眷族は殺しても時間経過で復活する。

それに眷族を殺せば、私のイメージを損ねる事になるだろう。

 

眷族は神を補助する存在だ。

眷族を生贄に捧げれば、これまでよりも強く権能を発揮できる。

でも、創造神の組み込んだシステムから生まれた物という点が気に入らない。

 

創造神から施(ほどこ)されているようで気分が悪い。

おまけにヘビの眷族は、創造神のイメージと被っている。

他人の持ち物を譲られたようで、考えれば考えるほど最悪だ!

 

『“祭礼の蛇”は3体の眷族を得たと聞きます』

『動く事を望まれていない"天壌の劫火”に眷族は生まれなかったようです』

 

ん? なんだって?

"天壌の劫火”に眷族は生まれなかった?

うっはー、そいつは最高だ! テンション上がってきたー!

 

ねえ、ねえ、天罰神さん。

自分だけ眷族が居なくて、今どんな気持ち?

天罰神さんは皆に嫌われてるんだって、やだねー。

 

日頃の行いが悪いんだよね。

もっとさー、他人の事も考えないとダメなんだよ。

自分の事ばかり考えてるから、そうやって仲間はずれにされて孤立するんだぜ?

 

ふはははははは!

気分が良いから、さっそく眷族を使ってやろうか。

私は神として司っている"生命"と"存在"の権能を、おそらく世界規模で発揮できるぞ!

 

……とは言っても、そんな事をすれば強者も影響範囲に入るか。

強者に恵みを与えるのは死ぬほど嫌だから、やっぱり使うのは止めよう。

効果範囲を限定して私の周りにいる弱者に使うのも……眷族の無駄遣いだな。

 

それにしても天罰神が……ぷぷっ。

ああ、素晴らしい。なんて私は幸せなんだろう!

天罰神の不幸だけで、しばらく楽しく過ごせるぞ!




次の「狭間渡り」を書いている途中で設定ミスに気付きました。
"生命"と"存在"の権能を用いて「人を食わない+存在の力を分け与える」
という「存在の力の永久機関」にするつもりだったのです。
しかし、そもそも権能を発揮するためには相応の存在の力が必要っていう。
→権能をタダで発揮できるのは「神威召還」の時だけ。
うぼぁー、むずかしいわー。


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【憑依】直死の魔眼【灼眼のシャナ】

坂井悠二の裏人格として存在している転生者は、大変な事に気付いた。本当の坂井悠二は本編が始まる前に、紅丗の徒に喰われて死ぬ運命にある。


【Light side】1、こうして坂井悠二は知らぬ間に部外者となった

 

中学校を卒業し、高校受験も合格した。

高校は実家から徒歩20分で通える場所にあって、引っ越す必要もない。

そんな訳で僕こと坂井悠二は、春休みを穏やかに過ごしていた。

まだ気温は低くて、雪が降る事もある。

だけど今日は天気が良かったから、僕は商店街へ出かけてた。

 

ゲーム店や本屋へ寄って、商品を眺めていく。

特に買う物はなくて、財布を開かないまま外へ出た。

少し冷たいけれど心地いい風に吹かれながら、次の店へ向かう。

「運良く知人と会う」なんて事もなくて、早目に予定を消化しそうだ。

それならば普段は行かない場所へ行ってみようと僕は思う。

 

「……あれ?」

 

僕は思わず、心の声を漏らした。

自分の立っている場所が分からなくなる。

いつの間にか僕は、知らない場所に立っていた。

いいや、知らないという事はないか。

さっきの道から少し外れた場所に僕はいる。

それに、歩いていたはずなのに足を止めていた。

一瞬の間に何が起きたのか、僕は理解が及ばない。

 

言い知れない不安に僕は襲われる。

まずは空を見上げて太陽の位置を確認した。

次に近くの時計を見て時刻を確認した。

ボーと歩いていたから記憶が飛んだのか。

それとも瞬間移動でも起きたのか。

 

落ち着きなく歩き回っても、原因は分からない。

原因は分からないままで不安は解消しなかった。

だけど時間が過ぎると共に、別の疑問が湧き上がってくる。

もしかすると僕は思い違いをしているんじゃないか。

「無意識の内に歩いて、あの場所へ移動した」という程度の事なのかも知れない。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

右往左往する僕に、声を掛ける人がいた。

柔らかい雰囲気を纏った、同年代くらいの女の子だ。

よほど右往左往している僕が怪しかったのだろう。

そう考えると、僕は恥ずかしさ覚えた。

こんな僕に話しかけるなんて、この女の子は優しい人なのだろう。

 

「すいません。大丈夫です」

「そうですか。道に迷ってるのかと思ってしまって……」

 

「ちょっと確かめたかった事があって……でも、それは僕の勘違いだったみたいです」

「この辺りに詳しいんですか?」

 

「買い物に来るので、それなりに知っていますよ」

「そうなんですか。じつは私、この辺りに来たことは少なくて……」

 

「どこかへ行きたいんですか?」

「はい」

 

女の子は迷子だった。

僕が同じ迷子に見えたから、女の子も声を掛けたようだ。

迷子が1人なのは心細いけれど、2人もいれば気が楽になる。

でも、それは道を知っていそうな人に声を掛けた方が良かったのではないか。

僕に急ぎの用事はないので、女の子の目的地まで連れて行く事を申し出た。

 

「私、この近くにある高校へ進学するんです」

「それって、もしかして御崎高校の事ですか?」

 

「はい」

「そうなんですか。僕も御崎高校へ進学するんです」

 

「じゃあ、その時は、よろしくお願いします。私の名前は吉田一美(かずみ)です」

「僕は坂井悠二(ゆうじ)です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

名前を交換して、僕らは別れた。

同じ高校で、同じ学年なのだから、再会する事はあるだろう。

次に会った時は吉田さんと、丁寧語を抜いて喋れるだろうか。

再会したいと思っている自分に気付き、僕は思いを振り返る。

もしかすると僕は、恋をしてしまったのかも知れない。

 

 

 

【Dark side】1、こうして坂井悠二は知らぬ間に部外者となった

 

トリップとは、生身のまま異世界へ転移する事だ。

そういう奴らをトリッパーと呼ぶ。

 

トリッパーは転生者と違って「オリジナルの肉体を維持したまま転移する」という利点があった。

「私は私である」という自我を保つために、オリジナルの肉体を維持するのは有効だ。

下手に男性としての自我が強いまま女性へ転生すれば、男性としての自我が崩壊を起こす。

「俺は男だから女を愛す」や「私は女だから男を愛す」ではない。

「相手の性別に合わせて自身の性別を変える」事が、肉体を入れ換える転生者に必要な資質だった。

 

しかし、魂だけ跳ばせばいい転生者と違って、肉体を丸ごと跳ばすトリッパーは難易度が高い。

問題となるのは「異なる世界の肉体を異世界に順応させる」ことだ。

異世界の免疫を完全スルーする病気にかかる程度ならば、まだ良い。

トリッパーの肉体を異物と見なして、異世界が排除活動を始める事もある。

「結界のようなもの」を張って鎖国している異世界となると、魂の状態であっても入ることすら難しかった。

 

この『灼眼のシャナ』の世界も異物に厳しい。

「存在の力」を消費しなければ、異物は存在を保つ事すらできない。

力の消失は、存在の消失であり、それは死に等しかった。

分かりやすく言うと、生きているだけで体力が少しずつ減っていく。

その体力を補給する方法は、現地人を殺して奪うしかなかった。

 

だから転生者だ。

現地人として生まれれば、税金(存在の力)の徴収を免れる。

そこで俺は『灼眼のシャナ』のヒロイン……じゃなくて主人公の坂井悠二に転生した。

俺が得意とする能力の特性から、坂井悠二としての人格は失われていない。

俺の能力のモデルは『両儀式』で、坂井悠二は「直死の魔眼」の能力者となった。

 

しかし、うっかり俺は忘れていた。

本物の坂井悠二は本編前に死んで、偽物の坂井悠二が主人公となる。

本編が始まった後、偽物の坂井悠二に俺が憑いているとしても、その俺も偽物だ。

本物の坂井悠二の死と共に、俺は転生している事だろう。

20年も経たずに死ぬのでは、坂井悠二に転生した意味がない。

 

今の坂井悠二は俺の存在を知らない。

俺は「坂井悠二に隠れ潜む殺人衝動」というコンセプトだ。

本編の進む裏で、殺人鬼として密かに行動する予定だった。

本編のような坂井悠二を演じようと思っても、俺には無理だからな。

「徒(ともがら)と戦う中で坂井悠二は、自分の中に潜む殺人鬼に気付く」

そういう予定だったけれど、ここで坂井悠二が死んでは意味がない。

 

『あれ? なんだ、こいつ?』

『さあ、徒ではないわね』

 

『でも封絶の中で動いてるよ』

『ミステス……ではないわね。討滅の道具の気配もないし、宝具を持っているのかしら?』

 

巨人のように大きな赤ん坊と、無数の顔で固められたボールに見つかった。

存在の力の吸収に抵抗していたため、俺は当然のように発見された。

こいつらは紅世の徒によって作られた、存在の力を集める燐子(りんね)だ。

例えて言うと自力で補給できず、飼い主からエサを貰うしかないペットだ。

まさか大人しく存在の力を食われ、坂井悠二を殺される訳にはいかない。

 

俺は懐に手を入れ、そのまま小さなナイフを握る。

周囲の人々は絵のように固まり、火の粉が宙を舞っていた。

この有り様は因果孤立空間を作り出す、「封絶」と呼ばれる自在法の効果だ。

「内部にある物の時を止める結界」と考えておけば良い。

この封絶の展開と共に坂井悠二の時は止まり、代わりに俺が表に出ていた。

 

この肉体に収まっている脳は坂井悠二のものだ。

俺は魂に構築した疑似脳で思考し、今は坂井悠二の肉体を支配している。

俺の能力である「直死の魔眼」は脳に大きな負荷をかける。

人外の血族ではない坂井悠二の肉体にとって、「直死の魔眼」は猛毒に等しかった。

しかし、俺の疑似脳であれば「直死の魔眼」を安全に運用できる。

 

『いただきまぁーす!』

 

人々は存在の力に変換されて姿を消し、見通しが良くなっていた。

車が行き交えるほどに広い道路で、俺と2体の敵は向かい合っている。

ドシンドシンと道路を揺らし、巨大な赤ちゃんが駆け寄って来ていた。

よく見れば、それは巨大化した赤ちゃん人形だ。

もう1体の方も、マネキンの頭部の寄せ集めに見える。

 

肉体の目ではなく、魂に搭載した感知機能で、俺は敵を捉える。

「直死の魔眼」で坂井悠二の目を介すると、失明の恐れがあった。

それに人体の視覚と異なる魂の感知機能は、視覚と異なる情報を俺に伝えてくれる。

「直死の魔眼」によって見える死の情報も、人体と異なる物だった。

「直死の魔眼」に特化した疑似脳は、問題なく敵を殺せると教えてくれる。

 

俺は魂によって、坂井悠二の肉体を強化する。

俺の魂は肉体と重なるように存在していた。

この世界には「気」も「魔力」もない。

肉体を強化する方法は、存在の力を用いた願望の実現だ。

しかし俺は使い慣れた、魂による肉体の補強を選んだ。

まさか坂井悠二の存在を切り崩して、肉体を強化する訳にはいかない。

 

懐から抜き出した、小さなナイフを振るう。

赤ちゃん人形の巨大な手は、弱点を剥き出しにしていた。

人の目であれば線として見える死が、俺の感知機能を介して螺旋に見える。

感知機能で捉えた無数の螺旋に、小さな刃を差し込んだ。

とは言っても赤ちゃん人形は螺旋だらけで、どこを刺しても死に中る。

 

巨大な赤ちゃん人形は、一瞬で解体された。

一言でいうと、もろい。

普通の人間よりも、こいつらは死にやすい。

この能力の元となった世界で例えれば、「死徒の作るゾンビ」よりも弱い。

この世に確たる物として存在していないから当然だ。

こいつらは死ぬと、存在を証明する跡すら残せずに消滅する。

 

『よくも、御主人様の燐子(りんね)を!』

 

残った人面ボールが突進してくる。

静止した状態から助走する事もなく、車のような速度で飛び出した。

さっきの奴と違って待ち構えず、俺は前へ駆け出す。

衝突する寸前で、ナイフの射程内に入った人面ボールを解体した。

崩れ落ちる破片から噴き出す炎を突き抜け、私服の長袖に手首まで覆われた左手を伸ばす。

魂の一部によって構成された不可視の左手が長く伸びて、その先にいた物を掴んだ。

 

『きゃあ!』

 

掴んだ女を道路へ叩きつける。こいつは人面ボールの中身だ。

外側の人面ボールを突撃させて、密かに逃走を試みていた。

こいつを破壊すると、さらに中身があって、本体は小さな人形だ。

3回も殺すのは面倒なので、中に隠れている本体の人形を殺す。

右手でナイフを握り、左手で暴れる女の頭をアスファルトに押さえつけた。

感じ取れる死の螺旋から本体の位置を探り当て、逆手に持ったナイフを突き立てる。

 

『申し訳ありません。ご主人様……』

 

本体だった小さな人形を17の部品へ解体した。

人形の破片から熱を感じない炎が噴き上がる。

人形の髪を纏めていたリボンやワンピースが溶けるように消えていく。

女を形作っていた存在の力も、世界へ還元されていった。

巨大赤ちゃんも人面ボールも、すでに跡形もない。

俺の感知機能に敵の反応は引っ掛からなかった。

 

「……しまった」

 

俺は思わず、心の声を漏らす。

敵の反応もなければ、人の反応もない。

さっきの燐子に食われたままで、周囲は無人になっていた。

本来ならばトーチという人の偽物を、さっきの燐子が配置するはずだった。

しかし、その前に殺してしまったので、トーチを配置する奴がいない。

もちろん俺は存在の力を加工し、トーチを配置する方法なんて知らない。

 

このままでは緩衝材となるトーチが居らず、世界の歪みは大きな物となるだろう。

この世を荒らす紅世の徒ですら、そんな事をする奴はいない。

正確に言うと昔は居たが、敵や味方にすら敵視されて絶滅した。

「封絶を張って、人を食ったらトーチを置く」それが現代の常識だ。

そんな暗黙のルールを破るなんて、なんて非常識な奴等なのだろう。

 

維持する者の居なくなった封絶が、解けようとしている。

封絶の端に残っていた人々に、俺は紛れ込んだ。

とある宝具によって、この町は監視されている。

しかし、因果孤立空間である封絶の中は覗けない。

このまま人の群れに紛れ込めば、燐子を殺した犯人は分からなくなる。

 

舞い散る炎が消え、封絶が時間切れで解けた。

何事もなかったかのように、人々は動き始める。

多くの人々が消えて発生した空白を、不思議に思う者はいない。

坂井悠二は生き残り、坂井悠二のトーチは生まれず、日常へ帰っていく。

この日、坂井悠二は物語から外れた。

 

 

 

【Other side】1、こうして坂井悠二は知らぬ間に部外者となった

 

「アラストール、今の……」

『うむ、何者かが封絶を張らぬまま人を食らったか、あるいはトーチを置かぬまま封絶を解除したのであろう」

 

「トーチを置かない」という行為は、厳しい処罰の対象となる。

歪みの拡大を加速させ、さらに徒の存在を人々に露見させる行為だからだ。

それは危険な行為と認識されているため、敵や味方を問わずに批難される。

もちろん紅世の徒を狩る討ち手は、そんな行為を見過ごせなかった。

"炎髪灼眼の討ち手"と呼ばれる者は、歪みを感じた方向へ歩みを進める。

 

ーー"炎髪灼眼の討ち手"は御崎市へ接近しています

 

 

紅世の徒や燐子は、この世の物ではない。

存在の力を消費して、この世に存在している。

その力は討滅されると世界へ還元され、徒や燐子の存在した証も消滅する。

だから何者かによって燐子が殺された事は、封絶が解けると共に明らかとなった。

"狩人"と呼ばれる紅世の王は、驚きと共に立ち上がりかけた椅子へ、再び腰を下ろす。

 

『ニーナ、配下を引き連れ、マリアンヌの捜索へ向かえ』

『承(うけたまわ)りました、御主人様』

 

御崎市の有り様を表示する宝具を、"狩人"は厳しい目で見つめる。

不自然な人の空白は「燐子が人を食い、トーチを置く間に討滅された」という事を示していた。

トーチを置かずに封絶を解くなど、世界の歪みを嫌う討ち手の仕業ではない。

この監視用の宝具に映し出されない、紅世の徒が犯人という可能性が高かった。

しかし、討滅された燐子は"狩人"にとって愛しい者で、そこらの徒ならば勝てるほどの実力がある。

それ以上の力を持つ"紅世の王"と呼ばれる者が犯人と考えても、その大きな気配を"狩人"は市内から感じなかった。

 

『私の愛しいマリアンヌ……』

 

すでに愛しい燐子は討滅されている。

それを思うと"狩人"は椅子から腰を上げ、燐子を討滅した犯人を探しに行きたかった。

しかし、"狩人"の椅子は宝具であり、紅世の王である"狩人"の大きな気配を隠している。

犯人の方が強い場合は、"狩人"の居場所を悟られないために。

犯人の方が弱い場合は、"狩人"に気付いて逃げられないために。

どちらにしても宝具を用いて戦う"狩人"自身が向かうのは、感情に任せた行為に思えた。

 

『必ず……君の仇は討ってあげよう』

 

"狩人"の愛しい燐子を討滅した犯人は、討ち手でも紅世の王でもない。

監視用の宝具に表示される人型を、"狩人"は見つめていた。

封絶から解放された人間は100に満たず、その中に犯人が潜んでいるに違いない。

"狩人"は燐子たちに指示を出し、容疑者の追跡を割り当てる。

捜索に出した燐子が戻ってくると、容疑者を1人ずつ"殺害"する指示を"狩人"は新たに出した。

つまり目立つ封絶を使わず、人食いによる歪みで犯人に暗殺を察知される事もない。

もしも燐子が撃退されれば監視用の宝具で特定可能で、犯人に封絶を張られても起点は明らかだった。

 

ーー"狩人"は容疑者の殺害を命じました

 

 

▽△▽△▽△▽△▽△▽△

 

 

【Light side】2、こうして坂井悠二は母親を失った

 

物音が聞こえて、僕は目を覚ました。

時計を見れば真夜中の2時だ。

何の音かと思って、僕は不安になる。

もしかすると泥棒かも知れない。

僕は寝床から身を起こして、様子を見に行く事にした。

 

僕の寝室は2階にある。母さんの寝室は1階だ。

父さんは家ではなく、今は外国にいる。

僕は電灯を点けて、1階へ下りた。

そうして階段を下りた場所にある電灯のスイッチを押す。

すると廊下の明かりに照らされて、血塗れの母さんが寝室から浮かび上がった。

 

「母さん」

 

その姿を目にした僕は恐怖を覚える。

いつものように母さんが答えてくれる事を期待していた。

母さんの体から流れ出た血が嫌でも目に入る。

頭がクラクラして、心臓が激しく動揺していた。

間もなく僕は、母さんが返事をできない状態である事に気付く。

 

「救急車……救急車を呼ばなくちゃ!」

 

僕は消防署へ電話をかける。

母さんの状態を説明すると、警察署へ通報するように促された。

そうして、やっと母さんの下へ戻ってくる。

母さんに呼びかけてみたけれど、やっぱり返事は返ってこなかった。

血は流れ尽くして、止まっている。

 

救急車よりも警察官が先にやってきた。

他の場所でも同じような事件が起きているらしくて、救急車が足りないらしい。

警察官は母さんの状態を確認すると、先に居間へ行くように僕を促す。

少し遅れて居間へ来た警察官に、母さんを発見した時の状況を聞かれた。

そうして説明している内に僕は、もう母さんに救急車が必要ない事を悟る。

 

眠れないまま朝になった。

母さんの遺体が運び出され、血塗れの布団も持ち去られた。

血の跡が付いた部屋や割れた窓を前に、僕は体の力が入らない。

いったい、これから何をすればいいのか。

とりあえず母さんの葬式だろう。そのための費用は何処から下ろしてくれば良いのか。

そんな事を考えていた僕に、警察官が写真を見せる。

 

「これに見覚えはあるかな?」

「いいえ」

 

白い布、トランプ、ハンドベル、指輪。

写真に写されている物は、統一感のない組み合わせだ。

なにかの心理テストなのかと思った。

警察官によると家の庭に落ちていたものらしい。

そう聞いて割れた窓から庭を見ると、奇妙に沈んだ庭の一部が見える。

 

「あれ……?」

「どうしたんだい? なにか気付いた事でも?」

 

「あの凹みって何かなと」

「あの凹みは、以前にはなかった物なのかい?」

 

「いえ……どうかな」

「他にも気付いた事があれば、遠慮なく言って欲しいな。それが事件の解決に繋がるかも知れない」

 

テレビを点けると、夜の事件について報道されている。

窓を強引に割って侵入するという似たような手口で50件以上、200人以上が一夜の内に殺されていた。

御崎市を中心として広範囲に渡って起きているため、複数の犯人がいると考えられている。

侵入された家は皆殺しだ。

それならば、どうして僕は生きているのだろう。

 

どうやら生き残った僕の事は報道されておらず、秘密にされているらしい。

複数いるという犯人は、まだ1人も発見されていない。

いったい、どんな集団の犯行なのか。

家の庭に落ちていた物は、宗教上の意味があるのだろうか。

母さんが殺された理由を、僕は知りたかった。

 

 

 

【Dark side】2、こうして坂井悠二は母親を失った

 

窓ガラスの割れる大きな音を聞いて、坂井悠二は目を覚ます。

現在の時刻は深夜2時で、すでに坂井悠二は部屋を暗くして寝ていた。

しかし魂だけの状態でも活動できるため、そもそも俺は眠らない。

俺は光を像として結ぶ必要のある眼球ではなく、魂に搭載した感知機能によって敵を捉えている。

なので坂井悠二の母親が寝ている1階で、何が起こっているのか分かっていた。

 

パジャマを着ている坂井悠二は、怪しい物音を不審に思いつつ部屋の電灯を点ける。

その際、坂井悠二の左手を操って、ベッドの側に置いてあったナイフを懐へ入れた。

坂井悠二は左手が何をしていたのか気付くことはなく、ナイフという異物の重さを感じる事もない。

警戒心の足りない坂井悠二は足音を消す事もなく、ギシギシと階段を泣かせながら下りていく。

そして1階を繋げる廊下の電灯を点けた坂井悠二は、母親の寝室から出てきた怪物にーー

 

ーー俺は1歩で燐子の下まで飛び、死の螺旋にナイフを突き立てた。

俺に殺された燐子は炎を噴き上げ、マネキンのような体はバラバラになって崩れ落ちる。

魂に搭載した感知機能によって寝室を覗いてみれば、すでに坂井悠二の母親は死んでいた。

母親の悲鳴は聞こえなかったし、起きる間もなく殺されたのだろう。

まさか燐子を殺して半日も経たずに、俺の居場所を探り当てられるとは思わなかった。

それにしても、なぜ封絶を張らずに、存在の力を食らう訳でもなく殺したのか。

 

とりあえず警察を呼ぶべきだろう。

どうせ殺すのならば、存在の力を食らって欲しかった。

そうすれば死体は残らないし、最初から居なかった事になるので手間も減る。

母親が殺されたとなれば、坂井悠二は悲しむだろう。

高校へ入学する直前に母親を殺されるなんて不幸な奴だ。

 

坂井悠二の意識を戻そうとして、思い留まる。

俺の感知機能は空飛ぶ物体を捉えていた。それは家の庭に降り立つ。

母親の死体の向こうに割れた窓がある。家の庭に面している大きな窓だ。

その向こうにフワフワと漂う長衣に囲まれた、スーツを着た奴がいた。

あの特徴のある姿を見た事はないけれど、俺の記憶には覚えがある。

紅世の王である"狩人"に違いない。分かりやすく言うと、怪物のボスだ。

 

『君かな? 私の愛しいマリアンヌを殺したのは』

「知らないな。マリアンヌなんて名乗った奴を殺した覚えはない」

 

あの人形は名乗ってなかったからな。

人形が名乗っていたら、俺も殺さなかったかも知れない。

どちらにしても坂井悠二を殺そうとするのだから、俺に殺される運命だったのだろう。

"狩人"は何気なくトランプを取り出し、カードを左手から右手へ飛ばす。

あれは一見ただのトランプに見えるけれど宝具で、増殖する飛び道具として使える。

 

『実の所、私の可愛いいマリアンヌを殺した犯人が、君か否かは構わない』

「髪をリボンで留めたワンピースの女の子なら殺した覚えはあるな」

 

人じゃなくて燐子で、小さな人形だったけど。

光に依存する視覚を介さない感知機能の構造上、どんな色だったのかは分からない。

燐子に対しては「もろかった」「死にやすかった」という感想しか浮かばなかった。

火線が地面を走り、俺を飲み込む。封絶が張られ、炎の粉が舞う。

当然、俺は止まらない。結界の中で止まらない俺を見て、"狩人"は微笑んだ。

 

『あの場にいた疑わしい者を、1人残らず殺せば良いのだからね』

「なるほど。俺を特定した訳じゃなくて、容疑者を皆殺しにしていたのか」

 

既知外の発想だ。一夜で殺人事件が多発する事になる。

あの近くにいた吉田一美は巻き込まれているのだろうか。

吉田一美が死ぬと、坂井悠二は悲しむ。

坂井悠二は死なず、トーチではなく、宝具「零時迷子」も宿していない。

もはや坂井悠二は主人公ではない。そうして坂井悠二を生かす事を選んだのは俺だ。

 

トランプのカードが弾幕のように飛び交う。

障害となるトランプを殺して、その隙間を擦り抜けた。

坂井悠二の足を傷付けないように、ガラスの破片を避けて通る。

その間に俺の感知機能は、"狩人"と人形が入れ替わった事を教えてくれた。

同時に人形へ干渉する力が発生し、爆発の予兆が膨れ上がる。

宝具「ダンスパーティー」による燐子の爆破だ。

 

ナイフの射程内に入った人形を切る。

一振りで爆発を殺し、二振りで人形を殺した。

そうして庭の上空に浮かび上がった"狩人"を見上げる。

人間に過ぎない俺のために燐子を1体も使い潰すなんて、評価されたものだ。

存在の力を込められたトランプのカードが美しく整然と並び、俺を取り囲む。

 

『驚いたよ。存在の力も感じないのに大した身体能力だ』

「気配を遮断する宝具なんて珍しくもないだろう」

 

『それは、その宝具を君が纏っていればの話だ』

「こいつは透明なんだ」

 

『それに、そのナイフは私の見る所によると宝具でも何でもない、ただのナイフだろう』

「それは間違いないな。ホームセンターで買ったステンレスナイフだ」

 

『しかし、存在の力で強化したカードを切り裂き、私の燐子を殺してみせた』

「カルシウムが不足してるんじゃないか」

 

宝具「ダンスパーティー」で燐子の爆破を試みた事は口に出さない。

紅世の徒は特有の能力を持ち、"狩人"は「物事の本質を見抜く」。

説明書のない宝具の使い方が分かるし、俺のナイフも安物と分かる。

俺が気配を遮断する宝具を持っていない事なんて、お見通しだ。

どう見ても普通の人間にしか見えない俺が、存在の力を無視するような動きを見せる。

"狩人"にとって初めて見る生き物だろう。

 

俺を取り囲んでいたトランプのカードに命令が下される。

それが分かったのは、"狩人"とカードを繋ぐ力に変化が生じたからだ。

力の流れが行き着く前に、俺は"狩人"とカードを繋げる力を殺す。

すると力の流れは断ち切られ、力を失ったカードはパラパラと地に落ちた

"狩人"は再びトランプを操ろうとしているものの、それは無理だ。

 

切ったのではなく、俺は殺した。殺した物は二度と直らない。

そう思っていると"狩人"は、トランプからカードを新たに生み出した。

……まあ、宝具の本体を殺した訳じゃないから、新たに生み出したカードは別だな。

しかし、その隙があれば十分だ。

魂の一部によって構成された不可視の左手を、空へ伸ばす。

俺は空を飛べないが、飛ぶ鳥を落とす事ならできる。

 

『かっ!?』

 

不可視の左手で掴まえた"狩人"を、俺は地面へ叩きつけた。

"狩人"が起き上がる間を与えず、死の螺旋にナイフを突き立てる。

最後の言葉を言う暇すら与えない。

"狩人"の体はバラバラになって、熱のない炎を噴き上げた。

この世から消えて行く"狩人"の体から、いくつもの宝具が転げ落ちる。

 

宝具が貴重品と言っても、俺や坂井悠二には必要のないものだ。

俺は次の世界へ持って行けない道具を信用しない。

俺の武器は「直死の魔眼」で、この能力さえ在ればいい。

物語から外れた坂井悠二にも宝具は必要ない。

宝具「零時迷子」を持たない坂井悠二は、もはや紅世と関係がなかった。

 

そういえば前回、坂井悠二の意識を戻した時、場所や体勢が変わった事を怪しまれていた。

「因果孤立空間である封絶の解除と共に、坂井悠二の記憶は修正される」と思っていたけれど違ったらしい。

坂井悠二が疑問に思わないように、手動で調整する必要がある。

俺は母親の死体の横を通り、その死体が見える1階の廊下で半回転を行う。

そのまま母親の死体を見て驚いている形を作り、"狩人"の張った封絶の自然解除を待った。

 

 

【Other side】2、こうして坂井悠二は母親を失った

 

「あの子、ウソついてますよ」

 

坂井悠二の靴下は泥で汚れていた。

おまけに窓から庭へ出て、また窓から入った足跡が庭に残っている。

ただし割れたガラスの隙間に落ちていた泥は、第三者の可能性があるので何とも言えない。

最低でも坂井悠二は、泥の付いていない靴下で庭へ出て、泥を付けて室内に上がった訳だ。

あの窓は坂井悠二によって、外側から打ち破られた可能性があった。

 

ーー警察官は坂井悠二を疑っています

 

 

『御主人様が帰ってこない』

『私達はどうすればいいの』

『このままでは消えてしまう』

『御主人様の仇討ちを!』

 

紅世の王である"狩人"は多数の燐子(りんね)を従えていた。

燐子は集めた存在の力を、そのまま利用する事はできない。

"狩人"から存在の力を与えられなければ、燐子は自然に消滅する存在だ。

"狩人"の討滅によって、時限爆弾のスイッチは起動した。

本来ならば"炎髪灼眼"のために数を減らされていたはずの燐子は、完全な状態で残っている。

存在の消滅を恐れた燐子は百鬼夜行となって、存在の力を食らうために御崎市へ繰り出した。

 

ーー"狩人"の燐子が人食いを始めました



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【転生】妖刀【Re:ゼロから始める異世界生活】

能力:エナジードレイン


菜月昴(ナツキ·スバル)という少年は、幼い頃から何でも得意だった。

サッカーをすれば"それなり"に上手く、絵を描けば"それなり"に上手い。

初めての事でも"それなり"に出来るという「早熟できる子供」だった。

そんなスバルを見て、スバルの父親は「天才だ」と褒め称える。

周囲の人々も「さすがは"あの人"の子供だ」と思っていた。

 

その評価をスバルは嬉しいと思う。

そうして「将来は父親のようになるのだ」と思っていた。

将来の夢を聞かれれば、父親の仕事を挙げる事だろう。

その思いを当然と思って、他人に話しても恥ずかしさを覚える事もない。

スバルは父親の事が好きで、もちろん母親の事も好きだった。

 

スバルの人生は順調だった。

それが狂い始めたのは、早くも小学校低学年の頃からだ。

"それなり"だったスバルは少しずつ、他人に追い付けなくなる。

早熟だったスバルは、いつも皆の先頭を走っていた。

それなのに、いつの間にか他人の背中ばかり見えるようになっていた。

「子供としては"それなり"にできる」という程度の才能だったからだ。

 

置き去りにされたように感じて、スバルは焦る。

皆に追い付くために勉強も頑張ったし、運動も頑張った。

それでもスバルの頑張った結果が、他人に追い付くには至らない。

上を見ればスバルよりも優秀な同級生がいて、その差は広がり続けていた。

スバルの能力は伸び悩み、その感情を友人に吐き出す。

 

「おまえ凄いよな。どうやったら、そんな風になるんだよ」

 

その友人もスバルを追い越して、前を走り始めた者だった。

しかし、その友人は幼稚園からの、親しい友人だった。

そんな相手でも「他人に追い付けない事を悩んでいる」と正直に言うのは苦しい。

友人に覚えている劣等感を、友人にも他人にも悟られるのは嫌だった

だから"格上"ではなく"友人"の成果を褒め称える形で、スバルは答えを得ようとする。

 

「それは皆のおかげだ。

 家族や友達が俺を支えてくれたから、今の俺がある」

 

ーーそして最も助けになってくれたのは、お前だ。

 

本人に言うのは恥ずかしいので、後の言葉は伏せられる。

ずっと昔から友人は、多才なスバルを見ていた。

何でも出来るスバルのように成りたくて、友人は頑張ったのだ。

「これでスバルの友人として相応しい存在になれた」と満足していた。

そうして、これからもスバルの友人で在り続けると思っていた。

 

しかし、その時から友人とスバルの関係は薄くなる。

もちろん友人がスバルを避けたのではなく、スバルが友人を避けるようになった。

その理由が分からず、友人は困惑した。

何が悪かったのかと言えば、最後まで思いを言葉にしなかった事だろう。

「家族や友人に支えられた」という友人の言葉を、スバルは誤解していた。

 

友人にとってスバルは唯一の「友人」ではない。

友人の言う「友人」を、スバルは自身の事であると思わなかった。

恥ずかしさから目を逸らした友人の動作は、スバルから目を逸らしたように思われていた。

まるでスバルではなく、他人の事を言っているように思われた。

それによってスバルは友人を「自分から遠くにある存在」として思ってしまった。

スバルの妄想の中で、遠いと思っていた友人の背中は、さらなる地平線の彼方へ吹っ飛んでいった。

 

また、"家族"というキーワードもスバルに痛みを与える。

少し前は憧れていた父親の背中も、他人と同じように遠く感じていた。

「父親に似ているね」なんて言われるとスバルの表情は歪む。

だんだんとスバルは、自分と父親が異なるものであると知っていった。

そうして少しずつ、心を削られるようにスバルは自信を失っていった。

 

スバルは抱えている問題を、家族や友人に相談しない。

最初に相談した友人の結果が悪かった影響もあるだろう。

友人に悪気はなかったものの、スバルの心にトゲは刺さったままだった。

父親や母親に対しては何事もないように、継ぎ接ぎの笑顔で明るく振る舞っていた。

そもそも言葉に出して、どのように思いを伝えれば良いのか分からなかった。

 

下がり続ける自己評価を補うように、スバルは様々な事に手を広げる。

浅く広く一つの事に拘らず、スバルの思いを満たせる事を探した。

そうしている内にスバルは「他人と違うこと」を求めるようになる。

「他人のやらないこと」ならば「一番になれる」からだ。

そうしてスバルは仲間と共に問題児として有名になった。

 

スバルは馬鹿な事を遣り尽くした。

常に新しい事を求めなければ一番でいられなかった。

そうして次第にスバルの行動は過激になっていった。

やがて見境を失っていくスバルを、仲間は見放して去っていく。

そんな事を続けていれば、スバルの周りには誰も居なくなっていた。

 

中学校の卒業写真に載っているスバルは、包帯人間だ。

顔も見えないほどに白く厚く、写真に映るスバルは包帯を巻き付けていた。

まるで異世界に存在するという、どこぞの大罪司教として目覚めたような有り様だ。

しかし、これは「顔の傷痕」に憧れて自傷した結果、派手に化膿したに過ぎない。

もはや手段の一つとして自傷すら選択するほどに、スバルの自己評価は地に落ちていた。

 

スバルから見ても何も得た物のない、無駄な九年間だった。

「やり方が間違っていた」とスバルは過去を反省する。

スバルは自分を知る者のいない高校へ進学し、新しく人生を始めようと決意する。

今度は"普通"に振る舞って、せめて"普通"に生活したいと考えていた。

問題があるとすれば、それでリセットしたつもりになっていた事だろう。

 

結果を言えば、スバルは最初の自己紹介で、口を滑らせ過ぎて失敗した。

「父親のように振る舞えば大丈夫である」と思い込んで失敗した。

家族にだけ見せる「ふざけた父親」の姿を、「父親」と誤解して失敗した。

父親の外面を知らないまま、その一面だけを真似して失敗した。

父親の一面しか知らないスバルは、どうして自分が失敗したのか分からなかった。

 

失敗した原因であるスバルの心当たりは、父親に劣る自分だ。

「父親と同じことを行っても、スバルは同じ成果を出せない」と思った。

それどころか周囲に忌避されて、色を失った学生生活を送る事になる。

いくらスバルの父親でも「初めての自己紹介となれば真面目に行う」なんて知らなかった。

自己評価の低いスバルは他人の形を借りるしかなく、だからこそ他人の中身は理解していなかった。

 

スバルは自分の形を探し求める。

他人の形を写し取って、それを自分の形にしようとしていた。

借り物の姿で、借り物の言葉で、スバルは自己を取り繕うとしている。

様々な事に影響を受けて、様々な事に手を伸ばしていく。

ドラマか何かの影響を受けたのか、高校一年の夏休みはホテルでバイトを行っていた。

 

実際は、静かに自我の崩壊が始まっていた。

スバルは自分探しなんて遣っている場合ではなかった。

まず行うべき事は、スバルの自己評価を正常な状態に戻す事だ。

借り物の姿を写し取っても、その下で、その重さで、本当のスバルが死にかけている。

しかし、もはやスバルは弱りきった本当の自分すら認識できない状態に陥っていた。

 

そうして高校三年の時、未来の選択を迫られた時、スバルの精神は限界を迎える。

何となく「学校へ行きたくない」と思ったスバルは、寝過ごして学校を休んだ。

それから少しずつ休む日は多くなり、やがてスバルは不登校となる。

もはやスバルは弱りきった本当の自分を認識できない。

「何となく」ではなく、もはや自力で立ち上がれないほど瀕死の状態であると気付かなかった。

 

そうして、ある夜。

外出する前にヒゲを剃って、ジャージを着たままスニーカーを履いて、

母親の「いってらっしゃい」に返事もせず、ケータイを持って、

コンビニでカップラーメンとスナック菓子を買った帰り道で、

ーー永遠にスバルは家へ帰りつく事はなかった。

 

警察に行方不明者として届けられたものの、死体すら見つからない。

どこかで生きているのか、死んでいるのかも分からない。

およそ十七年をかけて、親の収入を注がれて育った菜月家の長男は失踪した。

不登校で引きこもり予備軍だったスバルは、どこかで自殺したと思われている。

スバルは"親不孝な子供"として噂され、最低の評価で人々の記憶に残された。

 

「菜月くん、行方不明になったんだって」

「ああ、あの変な奴ね。まだ居たんだ。もう退学したのかと思ってた」

 

「最近は、ずっと休んでたからな」

「大事な時期なのに呑気な奴だよな」

 

「親の金で引きこもるつもりだったんだろ」

「うわー、さいてーだな。居なくなって正解だったな」

 

スバルの通っていた高校でも、好き勝手に噂されている。

しかし、卒業を控えた同級生の意識は受験や就職に向いていた。

親しかった訳でもないスバルの存在は、速やかに忘れ去られた。

やがて長い月日が経ってから「ああ、そんな奴も居たね」と思い出される。

十七年も生きた菜月昴は、その程度の存在だった。

 

 

話は一年前に戻る。

それは高校二年生の夏休みだった。

まだ自力で立ち上がれるほどの余力が残っていた頃の話だ。

しかし、スバルは自身の状態が分かっておらず、無駄な行動にエネルギーを浪費していた。

去年はホテルでバイトをしていたスバルだ。

アニメか何かの影響を受けたのか、今年は登山を行っていた。

 

問題があったとすれば、名も知らない近くの山に登った事だろう。

スバルとしては練習のつもりだったけれど、整理されていない山ほど危険な物はない。

スバルが登山道と思っている物は、単なる山道だった。

当然のように頂上を目指すスバルは、途切れた道の先を行く。

冒険心に溢れていたのは良いものの、狭い道から足を滑らせて遭難した。

 

「やっべ、死ぬかも分かんね」

 

崖を滑り落ちて土塗れになったスバルは危機感を覚える。

とても登れそうにない崖が、スバルの前に立ち塞がっていた。

むしろ生きていた事を不思議に思うほどの高さだ。

崖登りを早々に諦めて、スバルは崖下を歩いていく。

上を見上げて、崖の上へ登る道があるのかと不安に思った。

 

「登山の達人気分で調子に乗ってた自分を、ぶん殴ってやりてぇ」

 

ケータイは無事だったけれど、電波の反応はない。

携帯食料として用意したスネーク印の栄養補助食品が唯一の救いだ。

水筒の冷たいスポーツドリンクを使って、スバルは傷口に付いた土を洗い流した。

中学生だった頃に顔面化膿で苦しんだ覚えのあるスバルは、水の消費を迷わない。

こんな事もあろうかと用意していた包帯で、スバルは傷口を覆った。

 

救助が来るとしても、スバルが力尽きた後だろう。

スバルは救助を待つのではなく、行動しなければならなかった。

死の予感が横切り、スバルは頭を振って追い払う。

とにかく重要なのは進む方角を見失わないことだ。

残念な事に方位磁石は荷物に入れていなかった。

 

いくら歩いても低くならない崖下を、スバルは歩き続ける。

どこを歩いているのか分からず、不安は増していった。

人生を振り返ってみれば、バカの一言に尽きる。

無駄だった。無意味だった。

スバルの生まれた意味なんて何もなかった。

 

「イヤだ……このまま無駄に死んでいくのは嫌だ。

 死ぬのなら意味のある形じゃないと俺は……」

 

こんな山奥には誰もいない。

毎朝起こしに来てくれる幼馴染みも、

お世話をしてくれるメイドも、

聖剣に選ばれた勇者も、

偉大な魔法使いも、

そこにスバルの存在を認めてくれるキャラクターは誰もいなかった。

 

やがてスバルは突き当たる。

進んだ先は行き止まりで、引き返す必要があるのは明らかだった。

しかし、そこでスバルは人の手で作られた物を発見する。

それは石を積み重ねて作られた、やけに横長い祠(ほこら)だった。

人の手が入っているという事は、人の通る道であると思ってスバルは安心する。

 

余裕の生まれたスバルは、不自然に横長い祠(ほこら)の扉に手をかける。

小さなツマミの部分を引っ張るものの、何かに引っ掛かって開かない。

よく見ると扉の前に四角い石が差し込まれ、扉を封じていた。

先人の小さな知恵に感心して、スバルは石を引き抜く。

祠(ほこら)の中身を確認する事で、今回の成果にするつもりだった。

 

「うわぁ」

 

中身を覗いたスバルは、予想外の物に驚いた。

地蔵か何かと思っていたスバルは、剥き出しの刀を目にする。

その刀身は黒くて、錆びているように見えた。

突起としてある小さな刀掛けの上に、その黒い刀身は載っている。

初めて刀の実物を見たスバルは、胸に湧き上がる興味を押さえ切れない。

 

「うわー、すげー、かっけぇ。全国の中学生男子のロマンを体現したような刀だな。

 こんな所で眠らせて置くのが惜しいくらいだ。持って帰りてー」

 

スバルは刀にペタペタと触れ、一人で盛り上がる。

スバルの身の丈ほどもある大きな刀で、片手では持ち上がらなかった。

手をピンと張って、出来る限り体を遠ざけているのは怖いからだ。

もちろん持って帰るなんて事はせず、そもそも重すぎて持ち運べそうにない。

そうして詳しく見ると、刀身の黒い物は錆ではない事に気付く。

 

「むしろ錆を防ぐために処理してあるんじゃないか」

『オハヨウ ゴザイマス』

 

「うひょーっ」

 

喜びの声ではない。これは悲鳴だ。

スバルは驚いて、奇声と共に刀から手を離した。

刀に触れていた手の平を擦って、見えない何かを擦り落とす。

まさかの出来事に、頭は疑問で埋め尽くされていた。

どこからか聞こえた声に、スバルは恐怖を覚える。

 

「まさか俺は開けてはならない封印の祠を開けてしまったのかッ」

 

『コンニチハ』

「"オハヨウ"の次は"コンニチハ"かよっ。これは挨拶を強要されている気がする」

 

『コンバンハ』

「ヤバい。

 "オハヨウ"、"コンニチハ"、"コンバンハ"の次は後がないぞ。どうするよ、俺っ」

 

『オハヨウ ゴザイマス』

「無限ループかよっ。一周回って始めに戻ちゃった」

 

『コンニチハ』

「あっ、どうも。これは御丁寧に、こんにちは」

 

怪談の中には「怪奇現象に言葉を返してならない」という話もある。

完全に無視して見なかった聞かなかった事にするのが、無難な対処法だ。

スバルも謎の声を無視して去るべきなのだけれど、好奇心に勝てなかった。

そもそも人気のない場所にある怪しい祠を不用意に開けた時点でアウトだろう。

もはやスバルは手遅れと悟って、頭に響く謎の声に対して応答した。

 

『私ハ 独立型妖式大太刀、銘ヲ "根こそぎ"ト 申シマス』

「あ、うん、妖刀ね。だったら喋っても不思議じゃないな。どこに口があるんでしょうね」

 

『私ハ 意思ヲ 共感スル 機能ヲ 持チ、ソノ 共感機能ヲ 用イテ、貴方ヘ 意思ヲ 転写シテイマス』

「やだーっ。もしかして、"この刀うさんくせぇ"って思ってる事も筒抜けだったり……」

 

『イイエ、貴方ノ 自由意思ヲ 守ルタメニ 行ワレテ オリマセン』

「深読みして口滑らせちゃったよっ。今の聞かなかった事にしてくんない」

 

『記録ノ 削除ハ 不可能デス。ソノヨウナ 機能ハ 備ワッテ オリマセン』

「うわー、恥ずかしー。じゃあ、オレが最初に言った言葉って覚えてる」

 

『記録ヲ 読ミ上ゲマス。

 "ウワァ"、

 "ウワー、スゲー、カッケー"、

 "全国ノ 中学生男子ノ ろまんヲ 体現シタヨウナ 刀ダナ"』

「自分の言ったことを棒読みされると、けっこう心に苦しい物があるな」

 

共感機能、音声記録、そして人工知能っぽい何か。

妖刀と言うよりも、機械的な印象をスバルは受けた。

こんなオーバーテクノロジーの産物が、いつ製造されたのか。

「未来の変態企業の産物です」と言われた方がスバルは納得できる。

しかし、機械的なおかげでスバルの感じる恐怖は軽減されていた。

 

「おっと俺は先を急ぐんだ。名残惜しいけど、さよならだぜベイベー」

 

スバルは流れるような動きで、祠の石扉を閉める。

意思を持つ刀にクルリと背を向けて、無駄に格好よく立ち去ろうと試みた。

その横を細長い影が過ぎ去り、スバルの進路へ飛び出す。

祠に納められていたはずの大太刀が、スバルの目の前に突き立った。

どういう事かと振り返って見れば、どういう訳か祠の石扉は粉砕されている。

その有り様を見てスバルは「祠(ほこら)と言うよりは石棺みたいだな」と思いついた。

 

『ーー警告、私ト 契約ヲ 交ワシテ クダサイ』

 

地面に突き立った大太刀を中心として、空気が変わる。

霊感という嘘臭い能力の存在を、今ならばスバルは信じられた。

急速に体の熱が奪われて行く感覚を、その身に味わう。

まるで突然、丸裸に剥かれて、氷点下へ放り込まれたかのようだった。

草々が生気を失い萎(しな)れていく様子を、スバルは自身の結末として理解する。

 

「人を脅して契約を迫るなんて穏やかじゃねぇよなぁ」

『契約ノ 内容ハ、"貴方ノ 死後二 肉体ヲ 明ケ渡ス コト"デス。

 ソレヲ 代償トシテ、私ノ 機能ヲ 貴方ノタメ二 使イマショウ』

 

「押し付けがましいなぁ、おい!

 そっちが"どうか私と契約してください"って頼む立場だろ」

『ドウカ 私ト 契約シテ クダサイ』

 

「そういう意味じゃねぇよ。俺が無条件で、おまえを使ってやるって言ってるんだ」

『ソノ 提案ヲ 受ケ入レル事ハ デキマセン』

 

「だったら俺も、そのブラックな契約内容じゃ納得できないね」

『ーー警告、貴方二 死ノ危険ガ 迫ッテ イマス』

 

「ここまで白々しい棒読みのセリフを聞けるとは思ってなかったぜ」

『ーー警告、私ト 契約ヲ 交ワシテ クダサイ』

 

「よーし、分かった。それほど体を求められちゃ、俺も嫌とは言えねぇ。

 ただし、"おまえが俺に危害を加えないこと"が条件だ」

 

"スバルは死後に肉体を明け渡し"、その代わりとして"妖刀は機能を使う"。

問題があるとすれば「契約を結んだ瞬間に殺されて乗っ取られる」という可能性がある事だ。

「妖刀によるスバルの殺害」を予防しなければ、契約を結んでも意味がない。

残念ながらスバルの体力は限界に近く、その条件を追加する余裕しかなかった。

もはやスバルは立っていられず、地面に這いつくばっている。

 

『貴方ノ 条件ヲ 受ケ入レマス。

 一、貴方ノ 死後二 肉体ヲ 明ケ渡ス コト

 二、私ノ 機能ヲ 貴方ノタメニ 使ウ コト

 三、貴方二 危害ヲ 加エナイ コト

 コノ 条件デ、貴方ト 契約ヲ 結ビマショウ』

「おい、早くしてくんない……俺、死にそうなんだけど……」

 

『私ハ 独立型妖式大太刀、銘ヲ "根こそぎ"ト 申シマス』

「俺は太陽系第三惑星地球で生を受け……平凡な中流家庭出身の日本男児……菜月・昴ッ」

 

妖刀とスバルは契約を結んだ。

それによって、熱を奪われて行く感覚は無くなる。

しかし、すでに奪われたスバルの熱は戻ってこなかった。

体の力は抜けたままで、しばらく立ち上がる事はできない。

黒い刀身の大太刀は地面に突き刺さったまま、スバルを見下ろしていた。

 

『ココニ 契約ハ 結バレ マシタ。ヨロシク オネガイ シマス』

「どうせ契約を結ぶんなら、できれば髪は短くて、胸は控えめで、

 ロングスカートのメイド服を着た、慎み深い女の子が良かったな」

 

『ソノヨウナ 機能ハ 私二 備ワッテ オリマセン』

「そうかよ、ちくしょうッ。期待なんてしてないんだからなっ」

 

こうして高校二年の夏、スバルは妖刀の主となった。

だからと言って九つの尾を持つ獣と戦ったり、

異界の神と融合して新世界を作ったりもしていない。

せいぜい夜の公園で素振りをした結果、周囲の木々を枯らし尽くして逃げた程度だ。

まさか異世界に召喚されるなんてイベントが控えているなんて、スバルは思っていなかった。



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→日没の殺人鬼 1-a

『ーー警告、敵ノ 干渉ヲ 受ケテ イマス』

 

それは月の見える晴れた夜の事だった。

外出する前にヒゲを剃って、ジャージを着たままスニーカーを履いて、

母親の「いってらっしゃい」に返事もせず、ケータイを持って、

コンビニでカップラーメンとスナック菓子を買った帰り道で、

ーー菜月昴(ナツキ・スバル)は異世界へ迷い混んだ。

 

馬車を引くのは馬ではなく、トカゲっぽい大きな見た事もない生物だった。

犬耳・猫耳・リザードマンらしき異なる姿の人種が、普通に道を歩いている。

髪の色も様々で、赤・青・緑・茶・金と入り乱れていた。

これほど多様であるにも拘わらず、スバルのような黒髪は見当たらない。

さらに人々の服装は鎧やローブだったりして、ジャージのスバルは目立っていた。

 

「一年の時を経て、ついに"根こそぎ"の陰謀が始まった訳か」

『ソノヨウナ 機能ハ 私二 備ワッテ オリマセン』

 

第一容疑者の独立型妖式大太刀”根こそぎ”は否認した。

そうなると他に、異世界へ転移する原因となった心当たりはない。

スバルはネット小説のパターンを思い浮かべてみた。

最初から始める「転生」、途中で成り代わる「憑依」、

そして生身のまま異世界へ渡ってしまう「トリップ」だ。

さらに特定の目的で呼び出される事を「召喚」という。

 

スバルのように召喚主の見当たらないケースは「トリップ」と言うべきだろう。

しかし「誰か迎えに来てくれるかも」という希望から「召喚」の可能性を捨て切れない。

例えば召喚の位置が大きく外れて、山奥からスタートというケースもある。

その場合は良くも悪くも、召喚主による追っ手が掛かっている事もあった。

まだ異世界転移から間もなく、気を抜いていい状況ではない。

通貨や文字や言葉の確認を、慌てず騒がず速やかにスバルは行った。

 

このように言うと、スバルが理知的で落ち着いた人間のように見える。

実際は異世界転移のテンプレートに沿って行動しているに過ぎなかった。

そんな訳だから一通り調べ終わると、スバルは如何すれば良いのか分からなくなる。

身分証の発行に便利な冒険者ギルドが見当たらないので行き詰まってしまった。

今は大通りから伸びる裏路地の一本に腰を下ろし、スナック菓子を食べている所だ。

 

「文字は読めないけど、言葉が分かるのは幸いだったな」

 

もちろんスバルが異世界の言語を習得していた訳ではない。

異世界人に日本語で話しかけてみると、なぜか言葉は通じてしまった。

異世界の言語が日本語だった訳ではなく、異なる言語で通じてしまったのは明らかだ。

このような場合、「口の動きと発音が合わない」という現象が起こるとされる。

しかし、スバルが口の動きに違和感を覚える事はなく、日本語で喋っているとしか思えなかった。

 

「文字の形から考えても異世界言語で喋っているはずなのに、違和感を覚えないとは、これ如何に」

 

スバルは言語に関する考察を、途中で投げ捨てる。

とにかく話が通じるのならば、どのような処理が行われているのかなんて構わなかった。

空になったスナック菓子の袋を握り潰すと、コンビニ袋へ突っ込む。

小腹を満たしたスバルは、特に目的もないけれど大通りへ戻る事にした。

しかし、そんなスバルの足を、内側から聞こえる平坦な声が引き止める。

 

『ーー警告、敵二 接近シテ イマス』

 

狭い裏路地の出口を三つの人影が塞ぐ。

背後は壁に囲まれた行き止まりなので、スバルは閉じ込められた形だ。

見るからに薄汚い男たちが、スバルを見下している。

異世界の初イベントと言った所だ。

人生に迷っているスバルを救いに来た訳ではない事は明らかだった。

 

「ええっと……いったい何のつもりなのか聞く必要はあるか」

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

 

「立場が分かってねーみてぇだな。まあ、出すもん出しゃあ痛ぇ思いはしねえよ」

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

 

「落ち着け」

 

張り切って殺害を推奨する妖刀に、スバルは頭を痛める。

スバルは生物を相手に刀を振るった事はない。

人を殺せるのかと言うと、その自信はなかった。

それ以前の問題として、身の丈ほどもある大太刀は重すぎる。

筋力トレーニングで鍛えたスバルの腕力を用いても、一太刀振り回せば精一杯だ。

 

「立場が分かっていないのは、どっちの事だろうな」

「俺らを馬鹿にしてんのか。ぶち殺すぞ」

 

スバルは両手を開けるために、コンビニのビニール袋を地面に下ろした。

キャンキャンと吠えるチンピラを無視して、スバルは口に手を当てる。

大太刀の短い柄を握ると、チンピラの目の前で、口から引き出し始めた。

スルスルと抜き身の刀が出てくる光景を、チンピラは唖然として見つめる。

身の丈ほどもある刃物が、どうやって体内に入っていたのか見当もつかない。

実際は体内に納まっていたのではなく、体の表面から"取り出した"に過ぎなった。

 

「てめぇ、魔法使いかッ」

「やっぱり魔法使いっているのか」

 

この異世界の魔法使いは、いったい何のような形態なのかスバルは知らない。

科学技術で再現可能なものを魔術といい、不可能なものを魔法という物語もあった。

音声に寄るものを魔術といい、魔法陣に寄るものを魔法という物語もあった。

攻撃に用いるものを魔術といい、回復に用いるものを魔法という物語もあった。

まさか、この異世界の魔法使いは、口から魔法を吐き出すのだろうか。

 

「先に言っておこう……俺の魔法は口から出るッ」

 

「なんだってーッ」

 

チンピラの反応から察するに、魔法は口から出る物ではないらしい。

スバルの態度は余裕に見えるけれど、戦い慣れている訳ではない。

すでに大太刀は口から姿を表し、黒い切っ先を石畳と擦らせていた。

両手で持ち上げても数秒後に腕が震え出すのだから、この雑な扱いは仕方ない。

それでも刃に欠けが見当たらないのは、ただの刀ではないからだ。

 

「相手が魔法使いだろうが、知った事かよ。三対一で勝てっと思ってんのか、ああっ」

「ハッタリだっ。あんな馬鹿みてーに長い剣を振り回せる訳がぬぇ」

 

スバルを魔法使いと思って、チンピラは気後れしていた。

本当に魔法使いならば不利と悟って、チンピラは退散していたに違いない。

もしも鼻血が出るほど顔を殴られたとしたら、それは別の話だ。

しかし、石畳に引きずる様を見れば、武器を扱えていないと分かる。

実際、スバルが大太刀で応戦しても、軽々と避けられる事だろう。

 

「たしかに、こんなに重い物は使えないね。本当に使えねぇ……。

 でも、これの使い方は一つじゃねーんだわ」

 

むしろ、そっちが本命だ。

チンピラ三人組は、すでに妖刀の術中にある。

機械的な印象を受ける大太刀を、スバルが改めて妖刀と認識した機能だ。

それは、かつて草を萎(しな)らせ、スバルから熱を奪った。

スバルという鞘から姿を見せた時から、妖刀は周囲の生気を吸っている。

 

「ーーエナジードレイン」

 

スバルが告げた時、すでに争いは終わっていた。

熱を奪われた肉の塊が三つ、石畳の上に転がっている。

もっとも死んでいる訳ではなく、立ち上がれないほど弱っているに過ぎない。

他人に使ったのは初めてだけれど、スバルの体験から言えば命を失う心配はない。

スバルは用の済んだ妖刀に手の平を押し付け、ズブズブと内側へ沈めていった。

 

「……面ァ覚えたぞ、クソヤロウ。

 次、このあたりで見かけたら、ただじゃおかねぇ……」

 

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

 

倒れたチンピラの一人が憎悪を宿した目で、スバルを見上げる。

その目力に怯んだスバルは、再三の殺害を推奨する妖刀の声を聞いた。

事ある毎に殺害を推奨する妖刀の話を真に受けていたら、とっくの昔に殺人鬼だ。

倫理観を引き締めるまでもなく、一般市民を自称するスバルは犯罪を忌避する。

もっとも、スバル自身に危機が迫った場合は、それを言い訳にするかも知れない凡人だ。

チンピラの懐を漁るなんて事もせず、路地裏から大通りへ足を早めた。

 

「ーー失礼、少し話を聞かせては貰えないだろうか」

 

またもやスバルは裏路地の出口を塞がれる。

チンピラ三人組と比べると、そもそも服の質から異なっていた。

見映えのいい黒い服を着た、赤い髪と空色の瞳を持つ人間だ。

彫刻を施された立派な鞘に納められた、妙な威圧感を放つ剣を携えている。

スバルは自身の内側に意識を向けてみたものの、チンピラの時と違って妖刀の警告はなかった。

 

「僕の名はラインハルト、今日は休日で目的もなく王都を散策していたんだ」

「近き者は耳を立て、遠き者は近う寄れっ。俺は万夫不当の一文無し、ナツキ・スバルーーッ」

 

スバルは横目をラインハルトの向こうへ逸らし、大通りを行き交う人々を見る。

ラインハルトへ名乗り返す前から、スバルは注目されているような気がしていた。

もっとも、見知らぬ人々に注目される心当たりはある。

着ているジャージは変わった格好に見えるし、他にも幾つか理由は思い当たった。

しかし"マナ"を感じ取る能力に乏しいスバルは、エナジードレインの効力を過小に評価している。

 

「一文無しとは穏やかじゃないね。

 君の格好を見る限り、貧民街との関わりは薄いように思えるけれど……財布でも落としたのかな」

「さっきまで、あいつらに財布ごと脅し取られそうだったんッスよ。でも、この通り、守りきりました」

 

石畳の上に倒れているチンピラをスバルは指す。

スバルは自身を守ったに過ぎず、悪いのはチンピラと主張した。

ラインハルトの言う「貧民街」の住人を、「痛めつけて楽しんでいた」と思われては困る。

地面に倒れているチンピラの服から、鉈(なた)の錆びた刃が姿を見せていた。

それに対してスバルは、コンビ二のビニール袋を片手に持っているに過ぎない。

妖刀による証拠隠滅は完璧であると、スバルは思っていた。

 

「ーーで、ラインハルトさん。聞きたい事って何でしょう」

「呼び捨てで構わないよ、スバル。

 聞きたい事と言うのは……あそこにある重い剣を引き摺ったような跡に心当たりはあるかな」

 

「えっ。どこ、どこ、分かんなーい」

 

スバルは頭の上に両手を広げてパーする。

しかし、ラインハルトの発した軽い威圧感を受けると諦めた。

ラインハルトの穏やかな笑みが消えない内に、事実を認めた方が良いだろう。

こんな時に限って警告しない妖刀を、心の中でポンコツと呼ぶ。

いくら思っても言葉に出さなければ、スバルの内側に潜む妖刀へ伝わらないけれど。

 

「スイマセンッシターーーァ」

「こんな所で立ち話は落ち着かないだろう。近くの飲食店に入ろうか」

 

「俺、怪しくないよっ。非力で気弱な、優しい男の子だよっ」

「もちろん飲食の支払いは私が受け持とう」

 

「ゴチになりますっ」

 

これ以上はラインハルトを怒らせると、スバルは判断する。

けして食事に釣られた訳ではないと思う。

この辺りは露店が多いらしく、飲食店の並ぶ通りまで二人は歩いた。

入った店はメニューがなく、代金を前払いすれば、店側の決めた料理が出てくる。

そのため幸いな事にスバルは、文字が読めないという欠点を晒さずに済んだ。

 

「さきほど一文無しと言っていたけれど、財布は持っていると言っていたね。

 もしやスバルは、この国の通貨を持っていないのかな」

「おまえがエスパーすぎて、俺は驚きだよ。職業は探偵か。

 もしかして俺は、名探偵ラインハルトの助手役として呼ばれたんじゃ……」

 

「私は国に仕える衛兵の一人として任務を拝命しているよ」

「目の前に吊り下げられたエサに、ホイホイと食い付いた結果が、これだよーーッ」

 

ラインハルトは治安機関の一員らしい。

キラキラとしたラインハルトの外見からは察せられない職業だ。

むしろ、この国の王子様と言われた方が納得できる気品を見て取れる。

さて、ラインハルトが治安機関の一員と分かれば、スバルの警戒心は引き上げられる。

ソワソワとして落ち着きがなくなった……しかし、よく考えると、いつもと変わらない。

 

「珍しい髪と服装、それに名前だと思ったけど……スバルは何処から」

「いずれ聞かれると思ってたぜ。まぁ、パターンからすると東の小っさい国だな」

 

「ルグニカは大陸図で見て最も東の国だから、この国から東なんてないよ」

「嘘、マジで。東の果てーッ。じゃあ、ここが憧れのZIPANG」

 

「王都の人間じゃないのは確かなようだけれど、なにか理由があっての事だろう。

 今のルグニカは平時より少し落ち着かない状況にある。僕で良ければ手伝うけど」

 

ラインハルトの提案を断る理由はなかった。

後ろ暗い理由や、何者かに禁じられている訳でもない。

異世界で伝手のないスバルにとって、ラインハルトは貴重な存在だった。

この機会を逃せば、次は無いかも知れない。

異世界を訪れたばかりの不安定なスバルは、差し出された手を無視できなかった。

 

「正直、金もない、仕事もない、家もない。言葉は通じるけれど文字も読めない。

 世の常識も物価も何も分からねぇ。いろいろ教えてくれると、助かる」

 

飲食店のカウンターで隣に座るラインハルトへ、スバルは頭を下げた。

「頭を下げる」という動作が、異世界で通用するのかは分からない。

しかし、ラインハルトの誠実な言葉が、スバルに伝わったのは見て取れた。

こうしてラインハルトは暦から硬貨の価値まで、スバルに説明する事となる。

その過程でスバルが「生まれたばかりの赤ちゃん」のように何も知らない事は知れた。

 

「さて、次は仕事か。ここへ来る前は、スバルは何をやっていたんだい」

「自宅警備……いや、何でもない。学生だったけど、バイトでホテルの清掃なんかをやった事はある」

 

「スバルの髪や肌は整っているね。荒事との関わりは薄く見えるけれど、武芸を身に付けているのかな」

「そうかァ。むしろ不精な方だろ。武芸と言うか、中学の頃は剣道をやってたな」

 

「手の大きさもだけれどね。君の身体は"重い何かを無理に引き摺ろうとした"かのような歪み方をしている」

「人の手の大きさが見て取れるのは兎も角として……マジで。そんなに歪んでるぅ。やだ、矯正しないとーッ」

 

妖刀について話す事に、スバルは抵抗があった。

じつを言えばエナジードレインはスバルに制御できない。

妖刀と交わした契約の二つ目『私ノ 機能ヲ 貴方ノタメニ 使ウ コト』だ。

機能の主導権は妖刀にあって、スバルの内側から抜き出せば問答無用で発動する。

それでも打ち明ける気になったのはラインハルトの人柄と、

そのラインハルトも妙な威圧感を放つ剣を所持し、理解の下地を感じ取れたからだった。

 

「じつは呪いの武器を抱えててな。どこかに捨てても戻ってくるから出来ねーんだわ」

 

ちょっと手放しても、呼べば飛んで戻ってくる。

捨てようと手離せば、呼ばなくても飛んで戻ってくる。

ペットならば可愛いものだけれど、あれは金属の塊だ。

身の丈ほどの大太刀が、高速で向かって来るのは恐ろしい光景だった。

そのまま内側へ入ったから良いものの、刺し殺されるかとスバルは思った。

 

「"呪い"と言うと北方の……なるほど」

 

ラインハルト言葉に、スバルはハテナマークを浮かべる。

北方で生まれた呪術という魔法の一種があった。

この国でスバルのような黒髪は珍しく、黒髪は南方に多い。

この事からラインハルトは、スバルの出身に見当を付けた訳だ。

"呪い"と"北方"に何の関係があるのか、日本出身のスバルは分からなかったけれど。

 

「僕の剣は"抜くべき時以外は抜けない"から困っているよ」

「ああ、やっぱりラインハルトの剣も訳アリなんだな。

 お互い、癖の強い得物を持つと苦労するよなっ」

 

スバルが妖刀について、他人に話をするのは初めての事だ。

異世界に来る前は、妖刀について相談できる相手はいなかった。

妖刀の存在を信じる以前の問題として、日常の悩みを相談できる相手がいなかった。

似たような問題を持つラインハルトならば、スバルも気に負わず話せる。

こうしてスバルは十数年ぶりに、心から話せる機会を得た。

 

「スバル。僕は一つ、疑問に思っている事がある」

 

ラインハルトが切り出したのは、

気難しい剣と刀に対する文句を言い合った後だった。

飲食店の外を見れば、暗くなり始めている。

スバルは夕暮れの訪れと共に、楽しかった時間の終わりを悟った。

カウンターの隣を見れば、態度を正した真剣なラインハルトの顔がある。

 

「僕がスバルに声をかける少し前の事だーー君は刀剣を抜いたね」

「ああ、三対一に素手じゃ厳しいと思ってなーー俺は刀を抜いた」

 

「しかし、スバルは刀を持っているようには見えない」

「俺の体が鞘の代わりになってるんだ。だから刀は俺の内側にある」

 

「なるほど……スバル。僕が君の下へ駆けつけたのは、精霊の求めに応じたからだ」

「精霊の声が聞こえる事を当たり前に話す、おまえに俺は驚いたよ」

 

「生まれてからの付き合いだからね。僕の見た所、スバルは人並みだよ」

「そもそも精霊って何だよ。それと仲良くなったら良いことでもあるのか」

 

「彼らは触れ合いによって、あるいは契約によって、我々に力を貸してくれる隣人だ」

「なるほど……その才能が俺にない事だけは良く分かったぜ」

 

「あの時、精霊は悲鳴を上げていた。多くの微精霊が逃げる間もなく食い殺された。

 ーーその原因はスバル、君だろう」

「……それはっ」

 

心当たりはあった

無差別に発動する妖刀のエナジードレインだ。

ラインハルトの鋭い視線が、スバルを責めているように感じる。

その行為を反省する事に抵抗を覚え、思わずスバルは反論しかけた。

しかし、ラインハルトの雰囲気に気圧されて、スバルの言葉は途切れる。

 

「心当たりがあって安心したよ、スバル。おそらく、君の所有する呪いの武器によるものだろう」

「あれは恐喝してきた、あいつらが悪いんだッ。精霊を食い殺しているなんて俺は知らなかったッ」

 

「それでも君の中に在れば、呪いは発動しなかった。

 そして刀を抜いたのは他の誰でもないーー君だ」

 

大声で否定するスバルを、冷静な声でラインハルトは戒める。

少なくない言葉を交わし、親しくなった分だけ、その断罪はスバルの身に染みた。

渋い顔をする飲食店の店主に、ラインハルトは言い争った事を謝る。

落ち込んでいるスバルを連れて、飲食店から出ると歩き始めた。

空を見上げれば赤く染まり、黒い星空に侵食されつつある。

 

ーー日没の時間だ。

 

「精霊だけではない」

 

突然、ラインハルトは声を上げる。

話の続きであると気付くまで、スバルは時間がかかった。

いつの間にか露店が増え、元の場所へ戻ってきた事に気付く。

数時間前にコンビ二袋を持って、異世界へやってきた事は記憶に新しい。

ずいぶんと長い間、飲食店でラインハルトと言葉を交わしていたようだ。

 

「空中を漂うマナも、人々に宿るオドも、君の刀は食い散らす。

 外と内のマナを循環させて、人は生命を維持しているんだ。

 もしもマナを食い尽くされれば、人は窒息する。

 オドとなれば言うまでもない」

 

王都の内側で、人の多い場所で、それを行った。

「他に方法が無かったから」なんて言い訳は通用しない。

もしもスバルに人々を害する意志があったのならば、大変な事になっていた。

ラインハルトはスバルを見かけたのではなく、その異変を察して飛んできた。

そうして何も分かっていないスバルからラインハルトは、時間をかけて事情を聞き出した。

 

「知らなかったのならば、覚えていてほしい。

 そして安易に刀を抜かないでほしい。

 そうでなければ僕は、

 ーー君を討たねばならなくなる」

 

決まった事であるかのように、ラインハルトは警告する。

飲食店で語り合った時間が嘘のように感じられた。

もしもスバルが人に仇なせば、言葉通りにスバルを討つだろう。

 

だからと言って、

人としての優しさがない訳ではなく、

人としての温もりがない訳でもない。

それは剣のような人間だった。



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→日没の殺人鬼 1-b 「客人END」

それは異世界で初めて見る日没の時だった。

異世界でチンピラに絡まれ、妖刀の機能を使って撃退し、

衛兵らしいラインハルトに出会い、飲食店で食事をいただき、

暦から物価まで常識を教えてもらい、その帰り道で、

ーーナツキ・スバルは妖刀の危険性について警告された。

 

王都の道に敷かれた石畳は、硬い感触を足に伝える。

凸凹とした歩きにくさは無く、施工技術の高さを察せられた。

大通りの両脇に並び立つ建物は、屋根に生えた煙突から白い煙を伸ばしている。

建物の材質は木造ではなく石造で、窓は木扉ではなくガラスが取り付けられていた。

少なくとも大通りに並ぶ家を持つ人々は、生活の質が高いことを察せられる。

 

「僕の家に泊まらないか。スバルが良ければ、僕の家で客分として扱おう」

「さんざん脅した後で、平気で家に誘える、その神経にビックリだよ」

 

「僕の家は裕福な方でね。一人増えた所で負担にはならない」

「おまえが言うと"家"って言葉が、俺には"屋敷"としか聞こえないな」

 

危険な妖刀を所有するスバルを、野に放しても構わないようだ。

しかし、これから妖刀を抜く際は、ラインハルトを思い出す事になる。

そもそも妖刀を抜かなければ良い話だけれど、命の危機となれば抜くだろう。

なにしろ剣を振って戦うよりも、よほど楽に勝てるのだから。

もしも妖刀を持たないまま異世界へ来ていたら、スバルは全てを奪われていた。

もっとも、それでこそ初まる出会いもあるのだけれど。

 

「ラインハルト、いろいろと常識を教えてもらって、さらに頼み事をするのは悪いと思う。

 おまえに損させてばっかりだけど、いつか受けた恩は返すから、俺に生き方を教えてくれ」

「まだまだ僕も至らない身さ。それでも良ければ、僕の家に来てほしい」

 

「おんぶに抱っこで世話なんてさせられねぇよ。だから俺を働かせてくれ」

 

妖刀に頼らずとも生きて行くためだ。

そのために安全な職をスバルは求めた。

ラインハルトについてスバルが知っている事は少ない。

衛兵の一人である事と、気難しい剣を持っている事だ。

ラインハルトに負担を掛けないために、スバルは自分を戒めた。

 

「分かった。僕が何とかしよう。歓迎するよ、スバル」

「よろしくな、ラインハルト。思いっきり足を引っ張ると思うけどっ」

 

ラインハルトが『剣聖』と呼ばれる有名人と知るのは、すぐ後の事だ。

衛兵と自称していたラインハルトが、『最強の騎士』である事をスバルは知る。

異世界へやってきた当日に、ラインハルトと出会えたスバルは幸運だった。

とは言え、妖刀を王都で抜いたのならば、ラインハルトが駆け付けるのは必然だ。

そんなラインハルトの紹介を受けて、スバルは就職活動をする事になる。

 

「そう言えばラインハルトは、この屋敷に一人で住んでるのか」

「ーーああ」

 

ラインハルトの家は、やはり屋敷だった。

それほど大きい屋敷ではなく、使用人も数少ない。

名声も実力もある『剣聖』の家系にしては不自然だった。

数日ほど寝泊まりしているスバルも、ラインハルトの家族を見ていない。

返答に詰まったラインハルトの様子を見て、スバルは不味い事を聞いたと気付いた。

 

「"血縁"は本宅にいるよ。ここに住んでいるのは僕だけさ。だからスバルが居るのは新鮮だ」

 

特級の地雷である事をスバルは悟る。

父とか母とか兄とか弟とか、そういう呼び方すらラインハルトは避けた。

そんな弱さがラインハルトにある事を、スバルは意外に思う。

スバルにとっての父親のように、ラインハルトを上回るほどの偉人なのか。

それとも逆に、不登校だったスバルのように忌まれる出来損ないなのか。

スバル自身の事が頭を過ったために、スバルは詳しい事情を聞かなかった。

 

「仕事先で聞いたんだけど、"王選"が始まったんだって」

「ああ、昨日の事だ。"三名"の候補者が出揃ったよ……」

 

意味ありげな声と共に、ラインハルトは目を細める。

この王国は現在、王がいない。

王族が一人残らず死に絶えるという異常事態だ。

そこで王を補佐する賢人会は、石板の預言に従って候補者を探していた。

五千万の国民を調べるという気の遠くなる作業の結果、四名の候補者は探し出された。

 

「ラインハルトは誰を応援してるんだ? おまえが推すとなれば当選は確実だろ」

「僕は今回、中立の立場だよ。王選に囚われて、国土の守りを疎かにする訳にはいかないからね」

 

本来ならば候補者は五名だった。

最後の一人は見つからず、騎士団に捜索の任務が下されていた。

しかし、スバルを招いて間もない頃、石板に記された候補者は四人に減った。

時間切れとなったのか、あるいは最後の候補者が命を落としたのか。

ラインハルトは任務を完了できなかった事を悔やんでいる。

 

王選の始まりから数日後の事だ。

スバルが異世界で生活を始めて、一月も経っていない頃の事になる。

王都から離れた街道の一つに『霧の魔獣』が現れた。

正確に言えば、『霧の魔獣』の領域である『霧』が確認された。

災厄の証である『霧』を見た時点で、その中を進もうと思う者は一人もいなかった。

 

「スバル、しばらく僕は帰ってこれないと思う。

 おそらく戦の準備を整え、そのまま『白鯨』の討伐へ向かう」

「どのくらいだ」

 

「早ければ出立は2日後、移動に半日、討伐そのものは1日で終わるだろう」

「それじゃ準備の方が大変そうだな。おまえの家は俺が見ててやるから、安心して行ってこいよ」

 

「ああ、スバルもーー気を付けて」

「俺は問題ねぇよ。おまえの家で我が物のようにヌクヌクとしておくからなっ」

 

しかし、ラインハルトが『白鯨』の討伐へ向かう事はなかった。

ラインハルトは王都の守りとして、王城へ残る事を命じられる。

『白鯨』の討伐は「王選の候補者が率いる部隊」と「騎士団」の合同で行われた。

その結果は王選の候補者であるクルシュ・カルステンと、

ラインハルトの叔父であるヴィルヘルム・ヴァン・アストレアと、

近衛騎士団所属ユリウス・ユークリウスの消失で終わった。

 

王選の開始から一月も経たない間に、残る王選の候補者は二名となる。

王選は戦いではなく、国民の支持によって決まるものだ。

それから長い時を経て、王国の女王は決まった。

女王は巫女として、龍と対話を行う。

こうして親竜王国ルグニカは繁栄を約束された。

ーーめでたし、めでたし。

 

そんな話はスバルにとって、関係のない話だ。

剣と魔法の物語は英雄であるラインハルトに任せておけば良い。

それよりもスバルにとって大事な事は就職だった。

スバルは行く先々でトラブルを起こし、紹介された仕事も長続きしない。

『剣聖』ラインハルトに寄生する人物として、スバルの悪い噂は広がっていた。

 

「スバル、君を使用人として雇う事もできる。それではいけないのか」

「最初に言ったろ、ラインハルト。おんぶに抱っこで世話なんてさせられねぇよ」

 

それはスバルの意地だった。

ラインハルトに依存する事は我慢ならない。

ラインハルトと上下の関係なんて、スバルは嫌だった。

やがてラインハルトは結婚し、妻を迎える事になる。

その後、スバルの姿を見たものは誰もいなかった。

 

 

「ごめんなさい、ロズワール」

「こまぁーりましたねーぇ」

 

精霊術師の少女と、その後見人は困っていた。

少女は王選の候補者で、その王選に参加する予定だ。

しかし、候補者の証である徽章(きしょう)を盗まれてしまった。

その事が明らかになれば非難されて、少女は資格を失うに違いない。

もちろん少女は盗人を追ったものの、途中で見失ってしまった。

 

「"盗品を売るなら貧民街"っていう事までは分かったんだけど……」

「微精霊からはぁーなしは聞ぃーけなかったのですかぁー?」

 

「変な力が働いて、みんな居なくなっちゃたの」

 

その時の事を少女は思い出す。

まるで強大な力を持つ精霊が現れたかのようだった。

空中の微精霊やマナに限らず、人の持つオドまで奪われた。

精霊と関わりの深い少女は、自力で立てなくなるほどの影響を受けた。

まさか偶然と言う訳もなく、徽章を奪うために起こされたのだろう。

 

「わーかりましたぁ。こちらの伝手を使って探してみーましょう」

 

これ以上できる事はなく、少女は部屋を出る。

後見人は使用人と共に、少女を見送った。

そして少女の後見人は溜め息を吐く。

もはや徽章を取り戻しても無駄と知っていた。

辿り着くべき少年が、辿り着けなかったのだから。

 

「記述と変わるのなら、ここが……私の行き着く先ということかーぁね」

「ロズワール様……」

 

精霊術師の少女は故郷へ帰ることになる。

こうして王選の始まる前に、候補者の一人は除外された。

その存在は無かった事にされたため、少女を知る者は限られる。

人気のない森の奥で、人知れず少女は眠っていた。

かつて契約していた精霊の姿もない。

一人の魔女だけが、それを知っていた。



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→日没の殺人鬼 2-a

それは孤独になった時の事だった。

チンピラに脅され、エナジードレインを行って、

ラインハルトの忠告を受け、食客として世話をされ、

文字を学び、常識を学び、ラインハルトの下を離れ、

ーーナツキ・スバルは病にかかって死んだ。

 

死ぬほど熱くして、何も考えられなくなって、足掻き苦しんだ。

熱病だったのかも知れない。あるいは、ただの風邪だったのかも知れない。

地面が冷たくて、気持ちよかった事を覚えている。

結局スバルは、一人で生きていく事すらできなかった。

とても悔しかった事を覚えている。後悔した事を覚えている。

 

その思いは全て、幻だったのかも知れない。

一瞬の間に見えた夢だったのかも知れない。

そんな風に思うのは、あまりにも違いすぎるからだ。

どうして、ここにいるのか分からない。

どうやって、ここまで来たのか分からなかった。

 

ナツキ・スバルは果物を販売する屋台の前にいる。

スバルの知識に寄れば、リンガというリンゴに似た果物だ。

看板に書かれた文字を読めば「カドモン」と記されていた。

白い刀傷の目立つ店主が、スバルの様子を不審に思っている。

辺りを見回せば、見慣れた王都の大通りと分かった。

 

「どうしたんだよ、兄ちゃん。急に呆けた顔して」

「はーーっ」

 

あれは夢だったのか。それとも、これは夢なのか。

片方を立てようとすれば、片方は成り立たない。

リンガ屋の店主に曖昧な返事をして、スバルは歩き始める。

もはやラインハルトの下へ戻る事はできない。

行き先もなく、スバルは裏路地に入って座り込む。

 

「おい、おいおいおい、待てよ。なんだ、これ」

 

スバルは慌てて立ち上がった。

懐かしいジャージをスバルは着ている。

しかし、ジャージは異世界にないデザインで目立つ。

そのため、いつもは普通の服をスバルは来ていた。

思い出の品として、ジャージは大切に保存していたはずだ。

 

気付いてみればコンビニ袋を持っていた。

食べてしまったはずのラーメンとスナック菓子が復活している。

とっくの昔に充電が切れたはずの携帯電話も点いてしまった。

スバルの状態を例えるならば「初期状態」と言える。

異世界へやってきた時の装備品や所持品に戻されていた。

 

死ぬと定位置に復活する「リスポーン」か。

あるいは未来の出来事を知る「予知」なのか。

まずは今の年月日を知る必要がある。

スバルは立ち上がって、裏路地の出口を目指す。

そこで頭の中に声が響いた。

 

『ーー警告、敵二 接近シテ イマス』

 

異世界へ来た日の事をスバルは思い出す。

あの時も王都の大通りに前触れもなく立っていた。

コンビニのビニール袋を片手に提げていた。

「大通りの路地でも危ない」とラインハルトに言われた気がする。

そうして油断したスバルの前に、三つの人影は立ち塞がった。

 

「よう、兄ちゃん。少し俺らと遊んで行こうや」

 

その顔をスバルは覚えていない。

ラインハルトの輝く顔ならば一発で分かるだろう。

少なくとも王都で珍しくもない強盗である事は分かった。

ラインハルトと交わした約束もあるから、前のように妖刀を抜くことはない。

護身用の武器は目覚めた際に消失したので、スバルは素手で切り抜けるしかなかった。

 

「とりあえず持ち物全部置いてけ。それで勘弁してやっから」

「嫌だね。欲しけりゃ力尽くして奪い取ってみろよーーッ」

 

あれは予知夢だったのかも知れない。

それでも異世界で生きた経験はスバルの内にある。

これこそ異世界に召喚されたスバルの異能だった。

鍛えた力は元に戻っても、技量は積み重ねられていく。

スバルはチンピラを千切っては投げ、千切っては投げ、(以下略)

 

「動くんじゃねぇよ、ボケッ」

「痛いっ。あががが、痛い痛い痛いってーッ」

 

残念な事にスバルは取り押さえられていた。

コンビニ袋の中身を漁られ、ジャージを引き剥かれていく。

暴れようとすれば蹴りを叩き込まれ、強引に動きを止められた。

チンピラの汚い物を口に突っ込まれ、お尻をパンパンと叩かれる。

あまりの暴力にスバルは、反抗する気力も削り取られてしまった。

 

「なんかすげー現場だけどゴメンな。アタシ忙しいんだ。強く生きてくれーっ」

 

虐げられるスバルの横を、なにか通り過ぎて行った。

そいつは行き止まりとなっている裏路地の奥で、壁を蹴って跳び上がる。

その姿は断崖のような壁を登り切ると、尖った屋根の上を走り去った。

もっともスバルに見えたのは、傷んで破れたズボンの片脚から露出された生足に過ぎない。

それでチンピラの注意が逸れた隙に、スバルは妖刀を抜こうと試みる。

 

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

 

我慢の限界だった。

妖刀は聞くに堪えないほど連呼する。

それでも抜くか否か、スバルは迷った。

妖刀によって死人が出ることを恐れた訳ではない。

またラインハルトの世話になる事を、スバルは恐れた。

 

「ーーそこまでよ、悪党」

 

白いコートを羽織った少女の、鈴音が鳴り響いた。

少女の纏う雰囲気が広がって、裏路地を侵していく。

それは異様な存在感を持つ少女だった。

チンピラたちは肌で気配を感じ取り、少女に気圧される。

まるでラインハルトが力を発揮する時のような感覚をスバルは覚えた。

 

「今なら許してあげる。私の不注意もあったもの。だから、潔く盗った物を返して」

「おい、着てるもんが高そうだ。こいつを助けにきた貴族とかじゃ……へッ、盗ったもの……ォ」

 

また違うらしい。

チンピラが話を聞いてみれば、すでに少女の目標は通り過ぎていた。

そいつが壁を登って行った事を、チンピラは三人そろって主張する。

すると少女は納得し、大通りへ引き返す振りをして見せる。

そんな少女を見て安心したチンピラは、飛来した氷の塊に吹っ飛ばされた。

 

「それはそれとして、見過ごせる状況じゃないの」

 

詠唱もなく、氷の塊は生み出され、霧散した。

白いコートを羽織った少女は魔法使いだ。

逃げ出すと思われたチンピラは、怒りと共に立ち上がった

どうやらチンピラにとって「魔法使い」は、恐れる事のない相手らしい。

しかし、「精霊術師」となれば違う。

 

『あんまり期待を込めて見られると、なんだね。照れちゃう』

 

少女の差し出した手の平の上に、猫っぽい生物が載っていた。

なぜ猫っぽい物かと言えば、人のように喋っているからだ。

数少ない精霊術師の存在はスバルも知っている。

さすがにチンピラも不利を悟り、気絶した仲間を連れて立ち去った。

助けてくれた少女へ礼を言うために、スバルは震える手足で立ち上がる。

 

「ーー動かないで」

 

見るからに被害者なスバルを、少女は疑っていた。

少女に見つめられて、思わずスバルは目を逸らす。

それは後ろめたい訳ではなく、恥ずかしかったからだ。

もちろん少女から盗まれた物に心当たりもない。

しかし、そんなスバルの態度を少女は怪しんだ。

 

「ほら、やましい事があるから目を逸らしたんだ。私の目に狂いはないみたいね」

『どうかなー。今のは男の子的な反応ってだけで、邪悪な感じはゼロだったけど』

 

盗人についてスバルに聞かれても分からない。

まもなく少女も、スバルは無関係であると悟った。

慌てる少女は急いで盗人の後を追う事を考える。

そこで猫型の精霊はスバルを指差した。

まだ石畳に腰を下ろしていたスバルは、急いで立ち上がる。

 

「助けてもらっただけで十分だよ。急いでるんだろ? 早く行った方がいい」

 

ーーなんなら、手伝うけど。どうする、お嬢さん

 

後半の格好いい言葉を口にする前に、スバルの意識は揺れた。

視界は斜めに傾いて、壁へ伸ばした手も体の支えにならない。

受け身も取れないまま、石畳に打ち当たった。

スバルの意識は飛んで行き、その体は動かない。

しかし、少女と猫型の精霊は慌てる事もなく、駆け寄る事もなかった。

 

場所は変わらないまま、裏路地でスバルは目覚めた。

残念ながら少女ではなく、巨大化した精霊の膝枕だ。

精霊と呼ばれる存在は、大きさを自由に変更できるらしい。

チンピラによって付けられた傷は、魔法によって治っていた。

少女が立ち去る事もなく、治療も行ってくれた事にスバルは驚く。

 

この人の良い少女は、大切な物を盗まれて困っているらしい。

チンピラから助けてくれた恩を返すために、スバルは手伝う事にした。

しかし、少女はスバルの協力を断る。

そもそもスバルは倒れていたために、盗人の顔や服を知らない。

せいぜい誰でも知っているような、王都の主要な場所を案内できる程度だった。

 

「盗んだ奴の名前も素性もどこ中かも知らねぇけど、

 少なくともボロいズボンから食み出た生足くらいは分かるッ」

 

なにを言っているのか、スバルは分かっていなかった。

混乱しているスバルを前に、少女と精霊は呆れ果てる。

スバルに悪気がないのは分かるけれど、とても付き合えない。

それにスバルのような一般人を巻き込むのは避けたかった。

盗まれて探している物は、公(おおやけ)に出来ない事情がある。

 

「じゃあ、急いでるから、もう行くわね」

 

行き止まりとなっている裏路地の奥へ少女は向かう。

どこへ行くのかと思ったら、少女は壁を登り始めた。

何の魔法を使ったのかスバルは分からない。

慌てて追いかけるものの、白いコートの内側しか見えなかった。

上から降ってきた氷の塊に顔面を塞がれ、少女の姿は見えなくなる。

 

「ケガは一通り治ってるはずだし、厳しく脅したから、

 あの人たちも、もう関わってこないと思うけど、

 こんな人気のない路地に一人で入るなんて危ないわよ。

 あ、これは心配じゃなくて忠告。

 次に同じような場面に出くわしても、私が貴方を助けるメリットがないもの。

 だから期待しちゃダメだからね」

 

越える事のできない壁の向こうへ、少女は去っていった。

ところが、この程度でスバルは諦めない。

裏路地から大通りへ飛び出すと、行き交う人混みを掻き分けた。

もはや最初の目的である「年月日の確認」は忘れている。

白いコートを羽織った少女の行き先を、スバルは通行人に尋ね回った。

 

「そういや、さっき騒ぎは珍しかったな。この通りで二~三発魔法が打っ放された」

「それ、どの辺りだったか教えてくれないか」

 

魔法と言っても、少女に限られない。

それでも向かってみれば「氷柱だった」という証言を得る。

スバル知っている魔法属性は「火・水・風・地」だ。

四種しかないので少女ではなく、別の魔法使いだったという可能性もある。

ちなみに珍しいけれど「陰・陽」もあるので、スバルの知識不足を補えば全六種だ。

 

魔法によって作られたという氷柱は、石壁に穴を開けていた。

すでに壁を貫いた氷柱は消え、通常の氷のような水滴も残っていない。

そこに少女の手掛かりはなく、すべては終わった後だった。

とにかく手当たり次第に探すしかない。

やがて疲れたスバルは足を休めた。そして、やっと頭を使い始める。

 

「あのボロい格好から考えると貧民街の奴らなんじゃ……俺はアホか。アホかなのかーッ。

 なんで早く気付かねーんだよっ。ちくしょう、時間の無駄だった」

 

大声を上げるスバルに、周囲は迷惑そうだ。

さっそくスバルは貧民街へ向かい、聞き込みを始めた。

長い間、王都で生活していれば、この程度の土地勘はある。

なぜか貧民街の住人は好意的で、詰まる事なく話は進んだ。

貧民街の人気者な訳もないので、スバルは首を傾げる。

それはチンピラの暴行を受けた際に汚れたままで、哀れに思われたからだ。

 

「なんか貧民街に入ってから調子いいな。ここの淀んだ空気が、俺に合ってるのかもっ」

 

ちょっと優しくされれば舞い上がる。

鼻歌を交えながらスバルは、汚れた狭い通路を跳ね回っていた。

ところでスバルは盗人の姿を知らない。

なので貧民街で聞けたのは、盗品の取り戻し方だ。

盗品の集まるという"盗品蔵"へ、スバルは向かっていた。

もっとも、そこに全ての盗品が集まるという訳ではないけれど。

 

「あ」

 

小さな驚く声が聞こえて、スバルは振り向く。

横道の奥に白いコートを羽織った少女の姿があった。

どうやら少女も同じ場所に辿り着いたらしい。

盗まれた物を探しているのだから有り得なくもない。

しかし、そこにスバルは運命を感じた。

 

「ふふん、どうよっ。俺と一緒に行動していれば、もっと早く着けたかも知れないだろっ」

 

大通りで聞き込みを行い、無駄な時間を過ごした事は忘れている。

少女としては他人に言えない事情があるから協力を断った。

スバルが役に立たない事のみを理由として、断った訳ではない。

それなのに後を追ってきたスバルに、少女は気持ち悪さを覚える。

おまけに舞い上がったスバルの言動は、落ち着きのない気に障る言い方だ。

少女は見直してくれると、この有り様でスバルは思っているから仕方ない。

 

「あなたって、すごーく厚かましいのね」

「面の皮が厚いって、よく言われるかも知んない」

 

少女が怒っているのは分かった。

しかし、なぜ怒っているのかスバルは分からない。

他人から見れば、ますます面の皮を厚くしている言動だ。

スバルから目を逸らし、少女は先を急ぐ。

無視された形のスバルは、それでも少女の後を追った。

 

「盗まれた物を探してるんだろ。俺の調べによると、盗品蔵って所に集められているらしい」

 

1つの成果を少女に差し出す。

それは少女の足を止める効果を示した。

貴族に見える少女は、貧民街の住人から情報を聞き出せない。

ここまで来たのは精霊よりも格の低い、微精霊の導きに寄るものだ。

大通りから貧民街へ、貧民街から盗人の住処へ、しかし盗人は居なかった。

とは言っても、最初から最後まで微精霊に頼り切っていた訳ではないけれど。

迷子の子供を助けて、その親に情報を貰わなければ、もっと時間はかかっていた。

 

「あなた、盗人の仲間じゃないわよね」

「なんで疑われてんのっ。路地で俺がボコボコにされてたの知ってるよね」

 

「じゃあ、どうして私を付け回しているの」

「君に命を救われたからさ。だから恩を返したい」

 

「それは、もう精算済みなの。私が質問をして、貴方は答えたでしょう」

 

そうなのだった。

ただし、スバルは盗人のことに何も答えられなかった。

スバルを助けて、魔法で治療して、少女は損をしたに過ぎない。

そんな少女に報いたいけれど、少女はスバルを拒否する。

望まれていない感情を少女に押し付けるのは、恩返しと言えなかった。

 

「俺が、君の力になりたい。そう思ったから、ここまで来た」

「きっと貴方が思っているよりも、私は強いと思うの……貴方は弱いから」

 

「嫌だね。意地でも帰らねぇ。それに帰る場所なんて……」

 

ラインハルトの下に戻る気はない。

所持品は初期化されたから、この世界の通貨も失われた。

復活したコンビニ袋にカップラーメンやスナック菓子があるとしても長くは持たない。

明日の食事に困るのは明らかだ。

時間を潰して、盗人の生足を追いかけている場合じゃなかった。

 

「貴方の帰れない理由を、私に押し付けないでよ」

「ここまで来て帰れるかよ。

 ちゃんとハッピーエンドまで見て行かないと、あとで気になっちゃうだろ」

 

「分かったわ。ちゃんと徽章は取り戻して見せるから、私の邪魔はしないでね」

「大丈夫、大丈夫。君の後ろで、借りてきた猫のように大人しくしてるからっ」

 

溜め息を吐いて、少女は受け入れる。

スバルを助けたことを、ちょっと後悔していた。

今回の事を、口の軽そうなスバルが言い触らさないか不安になる。

少女の一生に関わるほどの価値が、盗まれた物にあるからだ。

この問題が明らかになれば少女は、故郷の森へ帰らなければならなくなる。

 

「あの精霊……は居ないのか」

「うん、そうね。ちょっと疲れてるみたいだから」

 

スバルは猫っぽい精霊の姿がない事に気付いた。

少女の精霊は活動時間に制限がある。

その限界を超えたので、精霊は休眠していた。

今の時間に呼び出せば体外のマナではなく、体内のオドを消費する。

その弱点を素直に明かすほど、スバルと少女は親しくなかった。

 

スバルと少女は盗品蔵に辿り着く。

小屋のような建物が多い貧民街としては、それは大きな建物だ。

盗品蔵は貧民街の最奥で、王都の防壁に沿って建っていた。

もっとも馬鹿正直な看板はないので、ハズレという恐れも残っている。

空を見上げれば暗く、月明かりが唯一の頼りだった。

 

ーーすでに日没の時間は過ぎている。

 

「じゃあ、貴方は関係ないんだから、外で待っててね」

「そんなに心配しなくても、置物として立っているくらいの事はできるぜ」

 

「ずっと息を止めていられるのなら考えてあげる」

「それは無理だな。口を閉じたら死んでしまう」

 

盗品蔵の木扉を少女は開ける。

その姿をスバルは後ろから見ていた。

木扉の隙間から漏れる光はなく、中は真っ暗だ。

ガラスのない窓の木扉は開いたままで、そこにも光は見えなかった。

貧民街なのだから、灯りも無いのかも知れない。

 

『ーー警告、敵ガ 接近シテ イマス』

 

スバルは辺りを見回すものの、暗くて見えない。

しかし、妖刀が言うのだから間違いのない事だろう。

これは妖刀の共感機能とやらで警告を受けている。

そのため少女に聞こえている様子はなかった。

いったい敵は何処にいるのか。

 

「ちょっと待った。様子がおかしい」

 

スバルは少女に声をかける。

そうして振り返った少女の背後で、不自然に闇が動いた。

反射的にスバルは、少女の片腕を掴んで引っ張る。

しかし、先に動いた敵の方が、当然の事ながら速かった。

少女の羽織っていた白いコートが切り裂かれる。

 

「勘のいい子ね」

 

盗賊蔵の中から姿を見せたのは、黒いコートを身に纏った女性だった。

この国では珍しい、スバルと同じ黒髪だ。

スバルが腕の中に引き込んだ少女は、まだ呼吸をしていた。

少女の密着した服越しに、心地のよい感触が伝わってくる。

ただし柔らかい腹部を切られて、そこから溢れ出た血で少女は濡れていた。



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→日没の殺人鬼 2-b 「炎上END」

それは夜の始まる時だった。

ラインハルトの下を離れて死んだと思ったら別の場所にいて、

少女に命を救われ、助力を申し出たものの断られ、

諦め切れずに盗人の行方を探索して、

ーーナツキ・スバルは人殺しと出会った。

 

すでに日没の時間は過ぎている

辺りに街灯なんて物はなく、唯一の頼りは月明かりだ。

盗品蔵の暗闇から現れた女は、黒いローブを身に纏っていた。

光量の不足によって、スバルの視界は滲んで見える。

もしも女を見失ったら、再び捉えられるか分からない。

 

「おい、大丈夫かよ」

「……逃げて」

 

少女の声に力はない。

あんまり、よろしくない状況だ。

もしや、この危険な女は盗品蔵の主なのか。

少女の腹を切った大型のナイフを片手に持っている。

もしかすると女は、なにか誤解をしているのかも知れない。

 

「待てッ。俺達は盗られた物を"買い戻し"に来ただけだ」

「あら、それは不幸な偶然ね。気付かなければ見逃しても良かったの」

 

和解の希望は潰える。

女は盗品蔵の関係者ではなく、第三者だ。

それも強盗の類いである事を察せられる。

スバル一人ならば走って逃げられるかも知れない。

しかし、腕の中の温もりを手放すのは惜しく思えた。

 

武器だ。

なにか長物が欲しい。

盾を貰えれば泣いて感謝しよう。

しかし、女を留め置く視界の中に、都合の良い物は落ちていない。

だからと言って女から目を離せば、気付かぬ間に死んでも不思議ではなかった。

 

『ーー警告、敵ノ 殺害ヲ 推奨シマス』

 

「切り札的な物はあるけど、使い辛くて仕方ねぇ」

 

傷を負っている少女の側で抜けば、寿命を縮めるに違いない。

スバルの妖刀は、体外にあるマナや体内にあるオドを吸う。

スバルは気付いていないけれど、もしも妖刀を抜けば状況は悪化していた。

エナジードレインは黒衣の女よりも、精霊術師の少女に大きな影響を与える。

それは魔法を使うために必要となる見えない"孔"が、吸い上げる通り道になるからだ。

短く言えば「敵に対しては効果が弱く、味方に対しては効果が高い」ーー悪い意味で。

これをスバルが知れば「使えねぇ」から、「マジ使えねぇ」へランクアップする事だろう。

 

だから女が攻撃した時、スバルは体を盾に代えるしかなかった。

存在を忘れられつつあったコンビニ袋を投げる。

少女を抱いたまま背を向けると、スバルは首に違和感を覚えた。

痛覚に狂いが生じ、灼熱の温感となって、異常を脳へ伝える。

それは一瞬の事で、スバルは息苦しさを覚える間もなく死んだ。

切り裂かれたスバルの首筋から血が溢れ、少女の頭に降りかかる。

 

「ーーっ」

 

スバルの血を浴びて、少女の記憶は開きかけた。

しかし瞬きをすれば、その歪みは消え去る。

少女に湧き上がった激情は、歪みと共に抑制された。

力を失ったスバルの体は倒れ、少女を抱いたまま石畳に打ち付ける。

スバルの体から這い出た少女は、腹部の傷を押さえながら体を起こした。

 

「どうして……」

 

なぜスバルが庇ったのか少女は分からない。

スバルと少女は出会ったばかりで、互いの名前も知らない。

重荷となる少女を見捨てて、スバルは逃げても良かった。

姿を隠すために用いていた白いローブは、その効果を失っている。

この正体を知っても抱いて支えてくれた理由が、少女は分からなかった。

 

「その子は倒れ、なのに貴方は動かない。諦めてしまったの」

 

抑制された感情は、少女に平静を保たせる。

押さえていた腹部の傷は、魔法によって塞がれた。

それでも重傷は変わらず、落ち着いた場所で治療する必要がある。

もはや、そんな暇はなかった。

今も少女が生きているのは、女に見逃されているからだ。

 

「……ごめんなさい、巻き込んで」

 

ここに居るのは女が二人だ。

男を巻き込む心配はしなくても良い。

精霊術師の少女は、切り札を使うことを決めた。

それはスバルの妖刀と同じように、使った本人しか残らない。

空中のマナではなく、体内のオドを用いて精霊を呼ぶ。

 

「私、すごーく怒ってるんだからーー」

 

パリパリと乾いた音を立てて地面は凍る。

女の体を絡め取るために、冷気の手を伸ばした。

肌に触れる空気も、張り付くほどに冷えていく。

女の投げたナイフは弾かれ、這い寄る氷に埋もれた。

やがて闇夜に氷の花が咲き、すべてを凍らせる。

 

 

ーーその前に減衰は始まった。

冷気は勢いを失って、少女の足元へ引き下がる。

地面に張り付いた氷も、蒸発するように消え去った。

少女を守る領域は、見る間に小さくなっていく。

それは良い機会であるはずなのに、女は動かなかった。

 

細長い刀が取り出される。

サーベルと呼ぶには、あまりにも刀身が長すぎた。

観賞用と言えば納得するほど、実用性に欠けている。

かたい物を斬れば、自らの重さで折れるように思えた。

それを持って、大太刀を持って、傷付いた男は立ち上がる。

 

「あなた、なんで……」

 

男の首筋は開いたままだ。

すでに血は勢いを失っている。

その目は開かれたまま、虚空を見つめていた。

生きているはずは無かった。

それなのに死体は動いている。

 

『イイエ、私ハ なつき・すばるデハ アリマセン。

 私ハ "独立型妖式大太刀"ト 申シマス』

 

それは男の口で、そう答えた。

少女から熱が奪われ、精霊は姿を消す。

精霊術師の少女からオドが吸い上げられていた。

魔法使いではない上に、複数の命を有する黒衣の女は余裕だ。

フレンドリーファイアとしか言えない有り様だった。

 

『契約二従イ なつき・すばるノ死後二、ソノ肉体ヲ 授カリマシタ』

「ーー精霊、精霊ね。ふふふ、素敵」

 

『契約ハ 果タサレ マシタ。

 契約二従イ なつき・すばるノタメ二、私ノ機能ヲ 行使シマス』

 

男の体は熱を持ち、蒸気を立ち昇らせる。

妖刀に吸い上げられた活力が、男の体に注ぎ込まれた。

そうした過剰供給によって男の力は増大する。

しかし、他人のオドなどを注ぎ込めば、それは破壊として作用するものだ。

吸血鬼のような再生能力を有しない男は、肉体の崩壊を止められない。

 

そんな人に有り得ない力で、黒の大太刀は振るわれた。

切り裂かれた空間は崩壊によって、多くの熱量を生み出す。

そのままであれば膨張によって、大きな爆発となっていたに違いない。

そうなる前に、発生した熱量は妖刀に吸い尽くされた。

複数の命を有する女も、肉体を再生する間はなく、熱量と共に溶かされる。

 

妖刀を内側に納める事なく、吸収機能は停止した。

これは妖刀の有する機能の一つなのだから当然の事だ。

それでも男の体に宿った熱は下がらない。

むしろ使われなくなった事で内側に溜まっていた。

ナツキ・スバルの死んだ今、「肉体を害さない契約」は意味を成さない。

 

「ーーここで何が起こったのか、話を聞かせて貰えるだろうか」

 

蒸気を噴き上げる男の前に、『剣聖』ラインハルトは降り立つ。

エナジードレインによって引き起こされた異常を察して駆けつけた。

場所は王都の外壁に沿って立つ、盗品蔵の前だ。

エナジードレインの影響で呼吸困難を起こし、少女の意識は奪われていた。

そんな倒れ伏した少女の側に、異様な長さの長剣を持った男が立っている。

おまけに蒸気を噴き上げる男の首筋は開き、どう見ても死体だ。

とても怪しかった。

 

『申シ訳アリマセン。コノ肉体ハ、マモナク限界ヲ 迎エマス』

 

蒸気を噴き上げていた、その体は燃え上がった。

その現象に慌てる事もなく、痛みを感じない男は立っている。

ラインハルトは目を見開き、男に駆け寄った。

その状態をオドなどの過剰供給と見抜き、ラインハルトは余分を抜き取る。

しかし、内側から燃える男は、もはや救えなかった。

 

『詳シイ事情ハ、ソノ精霊術師ニ 聞クト 良イデショウ』

「すまない。君の目の前にいながら、君を救う機会を、僕は見逃してしまった」

 

『問題ハ アリマセン。なつき・すばるハ、スデニ 死ンデ イマシタ』

「なにか言い残したい事はないだろうか。"騎士"の名誉にかけて必ず、僕が聞き届けよう」

 

『デハ、一ツ問イマショウ』

 

ラインハルトは、その問いに答えられなかった。

答えが分からない以前の問題として、質問の意味が分からない。

しかし、問い返す時間は残されていなかった。

男の最後の望みも叶えられず、自身の至らなさをラインハルトは悔やむ。

黒く焦げた死体は、耐え難い悪臭を放っていた。

 

その死体は、

ーー今ハ、"何回目" デ ショウカ

と聞いたのだった。



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→日没の殺人鬼 3-a

それは月明かりの下だった。

ラインハルトの下を離れて死ぬと別の場所にいて、

助けてくれた少女を追って貧民街へ踏み込み、

強盗らしい黒衣の女に襲われ、

ーーナツキ・スバルは首を裂かれて死んだ。

 

首筋に指を這わせる。

異常は感じ取れず、肌は滑らかだ。

ただ指を冷たく感じる程度に過ぎない。

それでも顎の辺りまで、痛みは這い上がっている。

そんな有り得ないはずの残響は、やがて過ぎ去った。

 

「どうしたよ、兄ちゃん。急に呆けた顔して」

 

またスバルは死んで、ここへやってきた。

白い刀傷の目立つ店主と、赤く熟した果実の屋台だ。

ラインハルトの下を離れて死んだ時も、この場所だった。

この現象を「予知」または「ループ」あるいは「リスポーン」と考えた事もある

しかし、答えを出すために必要な材料は、まだ足りない。

 

「おっちゃん、今日って何年何月何日か知ってる」

「タンムズの月、十四日だろ。もう暦の上じゃ今年も半分だよな」

 

その日付は何度も思い返した事があった。

この異世界に来て、ラインハルトの世話になった日だ。

異世界へ来た日に、時間が巻き戻っているに違いない。

少なくとも時間の継続している「リスポーン」ではなかった。

初期装備はジャージ、スニーカー、ケータイ、ラーメン、スナック菓子、財布だ。

 

「"根こそぎ"、一時間前まで俺は何をしてた」

 

『記録ヲ 読ミ上ゲマス。

 十分前、果物屋ト 会話シテ イマス。

 二十分前、敵ノ 干渉ヲ 受ケテ イマス。

 三十分前、コンビニエンス屋ヲ 出テ イマス。

 四十分前、コンビニエンス屋二 入ッテ イマス。

 五十分前、ナツキ家ヲ 出テ イマス。

 六十分前、ひげヲ 剃ッテ イマス』

 

「コンビニエンス屋って、きょうび聞かねぇな」

 

正確な時計機能は無いので粗末なものだ。

一時間前と言っても、ずいぶんと昔の事になる。

ヒゲに触れてみれば、妖刀の記録は正しいと分かった。

スバルの鋭い感覚は、ヒゲの長さから経過した時間を推測する。

ついでに言えば時間の巻き戻しを、妖刀は認識していないと分かった。

 

タンムズの月、十四日。

それはスバルの起点となる時間を指し示す。

ラインハルトの下で常識を学んだスバルは、現在の日付を理解できた、

もしも理解していなければ、今いる時間すら確定できなかったに違いない。

時の迷宮の中で、繰り返している事にすら思い至らなかったかも知れない。

 

「いやいや、さすがに三回目となれば気付かないはずがねぇよ」

 

タンムズの月、十四日。

その起点から「一回目」と「二回目」のルートを構築する。

「一回目」は妖刀を抜いた結果、ラインハルトと出会った。

「二回目」は抜かなかった結果、精霊術師の少女に救われた。

ちなみに、どちらを選んでも【Bad End】だった。

 

第三の選択肢として、回避あるいは逃走を上げる。

裏路地は狭い上に、チンピラは三人で壁を作っていた。

逃げられないとすれば、そもそも裏路地に入らなければ良い。

そのまま異世界で生きるために、就職先を探すべきだ。

しかし、そこでラインハルトの下で散々な結果だった事を思い出す。

 

スバルは自信がない。

数々の失敗はスバルの気力を削いでいた。

異世界へ来る前よりも、その状態は悪化している。

もはや就職はスバルにとってムリゲーだ。

だから就職について考えると、スバルの思考は強制停止する。

 

「それに放っておけば、あの精霊術師の子は死んじゃうだろーし」

 

現実逃避だ。

このようにスバルは違うことを考え始めた。

すでにスバルは死んで、少女と関係はない。

この「三回目」の少女は、まだスバルを助けていない。

少女に恩を返す理由は、スバルに無かった。

 

「よし、良いこと考えた。あの貴族っぽい女の子に恩を売って雇ってもらおう」

 

仕事も見つけて、精霊術師の少女も助ける。

つまり少女から盗まれた物を取り戻す。

それこそ最善の方法であるようにスバルは錯覚した。

そもそも精霊術師の少女は貴族じゃないとか。

スバルを雇って貰えるか分からないとか。

そういう都合の悪い事は忘れ去られた。

 

まずは一回戦だ。

上手く行けば、これで完了する。

スバルは素晴らしい思い付きに支配されていた。

恐れる事なく裏路地へ入って、チンピラのイベントを起こす。

狭い裏路地から出ようとすれば、チンピラ三人組に出口を塞がれた。

 

「よお、兄ちゃん。少し俺らと遊んで行こうや」

「分かった。抵抗しない。持ち物は全部置いてく」

 

コンビニのビニール袋を置いて、スバルは両手を上げた。

前回は反抗したために痛め付けられたので、今回は抵抗しない。

そのまま妖刀を抜かなければ、盗人と少女は現れるはずだ。

そこで盗人を捕まえれば話は早く、貧民街へ行く必要もない。

しかし、その裏路地に乱入する者はいなかった。

 

「……あれーぇ」

 

チンピラは去り、スバルは独りになった。

コンビニのビニール袋や、ケータイも持ち去られている。

調子に乗ったチンピラは、ジャージやスニーカーまで剥ぎ取った。

今のスバルは下着しか装備していない。

スバルを助ける者は誰もいなかった。

 

「イベントの発生はランダムなのか」

 

スバルは考える。

考える事で失敗から意識を逸らした。

なにが起こったのか、スバルは分からない。

それはスバルにとって難解な謎だった。

どうして盗人と少女は乱入しなかったのか。

 

答えを言えば、

スバルが人目のない場所へ入るまでチンピラは待っていた。

だからチンピラは裏路地へ入れば現れる。

しかし、盗人と少女はスバルを追っている訳ではない。

すでに別の裏路地で、スバルの知らぬ間にイベントは発生している事だろう。

イベントはランダム【偶然】ではなく、タイムライン【必然】だ。

 

「どうする……どうすればいい」

 

スバルは焦る。裏路地で下着姿だ。

このまま大通りへ戻れば変質者に違いない。

「衛兵さーん!」と叫ばれて、詰め所へ連行されるに違いない。

盗品蔵の事情を話しても、衛兵の理解は得られない事だろう。

スバルの認識している狭い世界の中で、頼れる相手は一人しかいなかった。

 

しかし、スバルとしては頼りたくない。

嫌っている訳ではないけれど、苦手だ。

良い奴に違いない。

でも結婚すると聞いて、辛いほど遠く感じた。

あの剣のような人間は独身であると勝手に思っていた。

 

「ーー抜刀召喚」

『ソノヨウナ 機能ハ 備ワッテ オリマセン』

 

スバルは内側から妖刀を抜き出す。

外側へ露出すると同時にエナジードレインは始まった。

この異常を察知すればラインハルトは、王都の端でも飛んでくる。

もっとも通常のエナジードレインは、王都の端に届くほど強くはない。

もしもラインハルトが大きく移動していれば、通行人の体調を崩して終わっていた。

「1回目」のラインハルトから受けた忠告を、勝手な理由でスバルは破る。

 

「ーー少し話を聞かせては貰えないだろうか」

 

ラインハルトは裏路地に声を響かせた。

赤い髪と空色の瞳を持ち、腰に騎士剣を下げている。

警戒の色は濃く、下着姿のスバルを見つめていた。

この時のラインハルトは、精霊の求めに応じて駆けつけた。

前回と違って出したままの、無駄に長い妖刀を怪しんでいる。

早い内に、スバルは妖刀を納めた。

 

ーー頼む、ラインハルト。助けてくれ。

 

スバルは、そう言うはずだった。

盗品蔵へラインハルトを連れて行けば解決も同然だ、

強盗らしき殺人鬼も、追い払ってくれる。

精霊術師の少女も盗られた物を取り戻せる。

ただしスバルは背景の人物となって、主人公を道案内する

そんな役割のはずだった。

 

「ひさしぶりだな、ラインハルト」

 

スバルは、そう言ってしまった。

面識のない他人のように振る舞えなかった。

超越した存在であるラインハルトならば覚えているかも知れない。

その期待は時を繰り返すスバルの、孤独による寂しさから来るものだ。

時間を共有できる相手を、スバルは欲していた。

 

「すまない。君は僕を知っているのだろうか」

 

『剣聖』ラインハルトすら法則に逆らえない。

それを分かっていた事であると、スバルは言い聞かせる。

「一回目」のラインハルトと過ごした日々は無駄になった。

また初めから関係を積み直さなければ成らない。

しかし、一度ならば兎も角、二度も三度も続けば嫌になる。

 

「おまえを知らない奴なんて、この国には居ねぇだろ」

「過分な評価だよ。まだまだ、この身では至らない事ばかりだ」

 

「そうでもねぇよ。お前が居れば、事件は解決したようなもんだ」

「なるほど。さきほどの現象は、僕を誘い出すためだったのだね」

 

ラインハルトは厳しい目をスバルに向ける。

エナジードレインは、空中のマナ不足で人を窒息させる恐れを有する。

致命的な結果となる前に止めれば良いという物ではない。

それに「一回目」と違ってエナジードレインを危険性を、スバルは認識していた。

意図して行ったスバルは、言い訳の余地もなく有罪だ。

 

「治安維持を担う者の一人としては感心できない方法だ」

「持ち物から服まで盗られたってのに無茶いうなよ。この格好で歩けって言うのか」

 

「被害者だからと言って、無関係な者を巻き込んで良い理由にはならないよ」

 

不穏な成り行きだ。

ラインハルトに「一回目」の記憶があれば話は早かった。

思った通りに事は進まず、下着姿のスバルは苛立つ。

このチンピラに剥かれた下着姿も、スバルの予想と異なった結果だ。

何が悪かったのかと言えば、スバルの考えは浅かった。

 

「ともかく、その姿では難だろう。詰め所まで来るといい」

 

ラインハルトは上着を脱いで、下着姿のスバルにかける。

どうするべきか、スバルは迷った。

事件の起こる盗品蔵へ、ラインハルトを連れて行きたい。

しかし無理を言っても、話は悪化する事だろう。

精霊術師の少女が盗品蔵へ至るまで、まだ時間は十分にあった。

 

「分かった。そこで事情を説明する」

 

そんな訳でスバルは、衛兵の詰め所へ連れて行かれた。

ラインハルトは王の近衛騎士なので、衛兵の詰め所を借りる形だ。

ラインハルトの頼みを断る者は居らず、そこでスバルの取り調べが行われる。

取り調べと言うか、まずは説教だった。

スバルの壊れやすいガラスハートは、容赦なく粉砕される。

 

「僕の話は終わったから、次は君の話を聞こう」

「その言葉を平然と言える、おまえにビックリだよ」

 

さて、どこから説明したものか。

異世界より来た事から説明するべきか否か。

時を繰り返している事から説明するべきか否か。

順番に説明するのではなく、まずは目的から話すべきだろう。

ここで妖刀を抜いた言い訳に時間を使えば、もはや話を聞いてはくれない。

 

「日没の頃、貧民街の盗品蔵に強盗が現れる。

 そこへ盗まれた物を取り返しに来た女の子が、殺されるかも知れない。

 だから盗品蔵まで一緒に来てほしい」

 

まだ起こっていない犯罪だ。

おまけに起こるという証拠もない。

実際、今回は何も起こらない可能性だってある。

チンピラのイベントに、盗人と精霊術師の乱入は起きなかった。

スバルも自信はなく、不安な気持ちになる。

 

「分かった。行こう」

 

ラインハルトは信じた。

悩む様子もなく、スバルの言葉を信じる。

街中で妖刀を抜いたスバルは、控え目に言ってもアホだ。

そのまま衛兵に引き渡され、刑罰を受けても不思議ではない。

そんな如何しようもないスバルを、ラインハルトは助ける。

 

「俺が言うのも難だけど、逃げるためのウソとか思わないのかよ」

「安心していいよ。そうなったら必ず、君を見つけてあげよう」

 

何の気負いもなく、ラインハルトは余裕の態度だ。

たしかにスバルも、ラインハルトから逃げ切れるとは思えない。

もしも盗品蔵で何も起こらなかった時は、どうしたものか。

スバルは地面に平伏して謝らなければならない必要を感じる。

今の時間が無駄にならない事をスバルは祈った。

 

 

 

ラインハルトは王に仕える近衛騎士だ。

もっとも、その王族が絶えている事をスバルは知っている。

単なる衛兵よりも遥かに、近衛騎士の格は高い。

なぜ、そんな人物が街中にいたのかと言うと、今日は休日だった。

騎士剣を腰に下げているけれど、鎧の類いは着けていない。

 

スバルは服を借りている。

黒髪さえ無ければ、人の群れに紛れ込めるように思えた。

このサイズの合っていない大きな服は、詰め所で渡された物だ。

貰った訳ではないので、ちゃんと返さなければならない。

ラインハルトの協力がなければ、下着姿で放り出されていた事だろう。

 

貧民街は無秩序な建築で複雑になっていた。

前回は、盗品蔵へ行った覚えのあるスバルも迷う。

しかしラインハルトの先導で、何の障害もなく辿り着いた。

詰め所で時間を取られたけれど、日没まで十分に時間は残っている。

とは言っても、すでにナイフの女が侵入している恐れもあった。

 

「ノックして、もしもーし」

 

木扉から返事はなく、鍵も掛かっている。

精霊術師と共に来た日没の時ならば、鍵は外れていた。

早く来たために留守なのか。ナイフの女は鍵を外して入ったのか。

鍵について、事前に思い至らなかったスバルは焦る。

このままでは盗品蔵の前で足止めだ。

 

「中に人の気配がある。居留守を使っているようだね」

 

気配を常識のようにラインハルトは語る。

もちろんスバルは何も感じ取れなかった。

しかしラインハルトが言うのならば、そうなのだろう。

今日が初対面ならば兎も角、「一回目」のラインハルトを知っている。

長い間、同じ屋敷で暮らしていたのだから、スバルは一方的に信用していた。

 

盗品蔵に鍵は掛かっている。

だからと言って壊すことは許されない。

盗品蔵である事は確定していないからだ。

スバルの言葉を過信して押し入るという事もない。

そもそもの問題はスバルの言った「盗品蔵に現れる強盗」だ。

 

「失礼、ここが狙われているという情報を得た者だ。話を聞いては貰えないだろうか」

 

「話を聞く」という強い表現を、ラインハルトは避けた。

その言葉と共に意識して、軽い威圧感を発する。

するとドタドタと慌てる物音が、盗品蔵から聞こえた。

何者かによって木扉は開かれ、スバルは身構える。

しかし黒衣の女ではなく、ラインハルトよりも大きな巨体の老人だった。

 

「燃える赤髪に空色の瞳……鞘に龍爪の刻まれた騎士剣……まさか『剣聖』じゃと」

 

手に持っていた棍棒を老人は取り落とす。

恐ろしい物を見て、その精神は一瞬で燃え尽きたようだ。

老人の頭の中で、人生終了のお知らせが鳴り響いていた、

しかし、スバルの後方を見ると、その驚きで上書きされた。

後方を振り返って見れば、汚れた少女が駆け寄って来ている。

 

「ロム爺ィーー」

「ーーなんじゃ、おまえか。悪いが、今日は"貸し切り"じゃ。

 この御方を歓迎せねばならんのでな。おまえに構っている暇などないわ」

 

汚れた少女は足を止めた。

ラインハルトを見て、老人を見て、スバルを見る。

落ち着かない様子で口を開いたものの、そのまま向きを反転させた。

そこでスバルの視線は"見覚えのない少女の顔"から、

"痛んで破れたズボンの片足から露出された生足"へ移った。

 

「ちょっと待った。えーと、あれ、なんだっけか……」

 

スバルの言葉は無視される。

汚れた少女は背中を向けたまま、立ち去ろうとしている。

しかし、顔を隠しても意味はなかった。

チンピラによって袋叩きにされたスバルは、盗人の顔を見ていない。

見えたのは痛んで破れたズボンと、少女の生足に過ぎなかった。

 

スバルの悩みは、汚れた少女の顔ではない。

精霊術師の少女が探していた物の名前だ。

それを、いつ聞いたのか思い出す。

繰り返しでゴチャゴチャになった記憶から引っ張り出した。

それはチンピラの暴力から助けられて、気絶する前と後で二度も聞いた。

 

『あなた、私の盗まれた徽章(きしょう)にーー』

 

「ーー徽章だ」

 

汚れた少女は石畳を蹴る。

風に乗ったような速さで走り出した。

スバルは追いかけるものの、とても追い付けない。

それをラインハルトは見逃し、追いかける事はなかった。

まだ盗品蔵と確定していない以上、少女は老人の知人に過ぎない。

 

「"盗まれた物を取り返しに来た女の子が、殺されるかも知れない"って言ったろ。

 その女の子から盗んだ奴がアレだよッ」

「それは僕が引き受けた件と違って、彼女の名誉にかかわる。

 その罪を君は、どうやって証明するつもりなんだい」

 

「だから徽章だよッ……"徽章"って何だっけ……」

「家紋などの刻まれた物で、身分を示す物だね」

 

「その徽章を、あいつが持ってるはずだ」

「それは何のような形なのかな」

 

「分からねぇッ」

 

そこまで詳しくは聞いていなかった。

スバルの協力は断られ、精霊術師の少女は立ち去った。

スバルの想像は、名札のような物を思い浮かべる。

思い返してみれば名前すら聞いていない。

精霊術師の少女は今頃、貧民街を探し回っている頃だろう。

 

「あの子は他人の物を盗むような子ではない。その小僧の勘違いじゃろう。

 さぁ、いつまでも『剣聖』殿を野外に立たせて置くのは悪い。中に入っとくれ」

 

巨体の老人は、木扉の奥へ誘う。

この場で優先するべき事は何なのか。

スバルの頼みを聞いたから、ここにラインハルトは在る。

スバルの求める事は、ナイフの女から精霊術師の少女を救う事か。

それとも徽章を取り戻して、精霊術師の少女に感謝される事か。

 

「分かった。今は、命の方が大切だな」

 

徽章の価値をスバルは知らない。

それを命よりも大切な物と思えなかった。

ラインハルトを説得できないのならば、汚れた少女は捕まらない。

汚れた少女は小さな自宅にも戻らず、騎士から身を隠す。

その時まで、老人の吐いたウソは暴かれなかった。




※「徽章」に関するスバルくんのの無知は捏造設定です。
 星座について詳しい件は兎も角、「徽章」の意味をスバルくんは知らないイメージ


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→日没の殺人鬼 3-b 「腹切END」

それは、まだ明るい時間の事だった。

チンピラにコンビニ袋からジャージまで奪われ、

ラインハルトと共に貧民街へ足を運び、

徽章を盗んだ少女は逃げ出して、

ーーナツキ・スバルは盗品蔵へ踏み入んだ。

 

木扉から入るとカウンターに当たる。

その前に固定椅子が並び、その側に小さなテーブルもある。

元は酒場だったらしい部屋の各所に、木札の付いた品々は置かれていた。

それらは不払いによって、差し押さえられている訳ではない。

古びた両手剣や銀色の皿など、外から持ち込まれた物だった。

 

ここは盗品蔵と呼ばれている。

その名を示す看板は無いので、そういう名前の酒場かも知れない。

木札の付いた品々は、どこから来たのかも分からない。

だからと言っても、ラインハルトとしては盗品を見過ごせない。

しかし、それよりもスバルの頼み事を優先した。

 

「日没の頃、ここに強盗が現れるという話を、彼から聞いた。

 そこで盗まれた物を取り返しに来た少女が、命を奪われる恐れがある。

 "一緒に来てほしい"という彼の願いに応え、僕は共に訪れた」

 

「なんじゃそりゃァ」

 

巨体の老人は呆れた声を上げる。

老人の緊張は解けて、スバルへ悪意を向けた。

改めて纏めると酷い理由だ。

老人に営業妨害と言われても仕方ない。

しかし、何の店なのか説明すれば、知られたくない事を探られる。

 

「俺の間違いだったら良いんだよ。俺の目的は、その女の子を死なせない事だからな」

 

スバルは攻勢に出ない。

盗人を見逃した際に目的は定まった。

盗品蔵と見下して、強気に出る事はなかった。

そんなスバルの様子に老人は疑問を覚える。

まさか本当に、そんな不確かな理由であると思わなかった。

 

「つまり客なんじゃな。客なら何か注文せんか。

 もっとも、酒とミルクしかないんじゃがの」

 

盗品蔵ではなく、酒場の店主として老人は振る舞う。

ラインハルトとスバルはミルクを注文し、盗品の品々を黙認した。

もちろん今回のスバルは、この国の通貨を持っていない。

おまけに数時間前は、チンピラに持ち物を剥ぎ取られていた。

なのでスバルの分も、ラインハルトの支払いとなる。

 

「爺さん。俺と同じ黒い髪で、黒い外套を羽織った女って知らないか」

「知らんのう。そいつを探しておるのか」

 

「いんや。ここに大型のナイフ……たぶんククリナイフだな。

 そんな刃物を持って、強盗に入る予定の人物」

「ふん、強盗じゃと。巨人族を舐めるでないわ。

 細っこい連中なんぞ、返り討ちにしてくれる」

 

ミルクを飲みつつ、老人と会話して、時間を潰す。

ナイフの女は、盗品蔵の従業員という事もないようだ。

盗品蔵から女が現れた時、この老人は如何なっていたのか。

老人のサービスで、スバルは酒を飲む事はない。

そのため、どこかの誰かのように吐き気を覚える事もなかった

 

『警告、敵二 接近シテ イマス』

 

トン、トン

 

店内の三人は、その音に目を向けた。

単なる木扉を叩く音で、特別な物ではない。

スバルの話を思い出した際に、警戒心を湧き上がらせた程度だ。

知人の戻って来た"可能性"を考えて、老人は心配している。

妖刀の警告から強盗と"確信"して、スバルは立ち上がった。

 

「余計な事をするでない。大人しく座っておれ」

「待てよ、爺さん。客とは限らないって」

 

スバルの言葉を老人は聞かない。

知人は盗人であると老人は知っている。

おまけに『剣聖』の同行者も、その事に気付いた様子だった。

その知人は大仕事があると言って、今日は人払いを頼んでいた。

木扉を叩いた者が知人ならば、会わせる訳にはいかない。

 

棍棒を持った老人は、木扉を押し開く。

姿を見せたのは、見覚えのある黒髪の女だった。

それは間違いなく、スバルを殺した強盗だ。

慌てるスバルを女は不思議そうな目で見る。

いいや、スバルとラインハルトの二人を見ていた。

 

「ここで女の子と待ち合わせをしていたのだけれど……」

「ああ、あいつの事じゃな。貸し切りの客が急に入ったから帰らせたんじゃ」

 

「そうなの。困ったわね……仕方ないわ、この足で会いに行きましょう。

 どこに住んでいるのか、教えて貰えないかしら」

「あいつも今日は大口の依頼を持ち込むと言っておったからな……良いじゃろう」

 

"あいつ"と言うのは、汚れた少女に違いない。

汚れた少女は、精霊術師から徽章を盗んだ。

依頼の関係者らしい女は、いったい何なのか。

そもそも女は何を依頼をしたのか。

それは徽章を盗む事だったのではないのか。

 

「あんたは盗んだ徽章を手に入れて、どうするつもりだ」

「さあ、私も依頼された立場だから知らないわ。盗まれた物かは知らないけれど」

 

スバルの問いに、女は答えた。

しかし、ここまでにラインハルトの動く理由はない。

「徽章は盗まれた物」と言っても、スバルの言い掛かりに過ぎなかった。

ここで女を見逃せば、ここで精霊術師の少女は死なない。

ただし、徽章を探している少女の方から、死に辿り着くかも知れない。

 

「ーーふふ」

 

なぜか女は笑った。

必死に追求するスバルの様子が面白かった訳でも、

言い逃れはできないと悟った訳でも、

勝利を確信した訳でも、

ない。

 

「ごめんなさい。

 もう少し付き合ってあげても良かったのだけれど、我慢できなかったものだからーー」

 

次の瞬間、思わぬ方向から痛みは来た。

首を後ろに引っ張られ、床で腰を強打する。

スバルの後ろにいたのはラインハルトに違いない。

いったい何のつもりなのかと思えば、太いナイフの輝きを見る。

黒衣の女は強盗の……あるいは殺人鬼としての正体を現していた。

 

ーー日没の時間だ。

 

隠れていた鬼は正体を現した。

それを退治するために『剣聖』は立ち上がる。

しかし、腰に下げた騎士剣を抜く様子はない。

あの騎士剣は"抜くべき時にしか抜けない"とスバルは知っている。

その代わりとしてラインハルトは、何も持っていない手を構えた。

 

「黒髪に黒い装束。そして、"く"の字に折れた北国特有の刀剣。

 ーーそれだけあれば見間違えたりはしない。君は"腸狩り"だね」

 

「燃える赤髪に空色の瞳、それと鞘に龍爪の刻まれた騎士剣。

 ーーそういう貴方は騎士の中の騎士、ラインハルト。"剣聖"の家系ね」

 

ラインハルトと女は、もはや別世界の住人と化している。

すでに外様と化していたスバルと老人は、ラインハルトの勧めで奥へ避難した。

ラインハルトは素手で突っ込み、ナイフを持った女に蹴りを入れる。

その余波は床を破裂させ、大きな音と共に衝撃波を発生させた。

そんな蹴りを食らった女は突き破る事もなく、壁に上手く着地する。

いったい蹴り飛ばされたエネルギーは、どこに流れたのかと聞きたくなる有り様だ。

 

「小僧。まさか、ここまで読んでおったのか」

「あんな超人の仲間入りをした覚えはねぇよっ」

 

戦場に慣れていない上に、超人決戦を見たスバルは混乱していた。

壁際の古びた両手剣を蹴り上げ、ラインハルトは武器を手にする。

それだけで視界は歪み、寒さを感じるという、怪奇現象を引き起こした。

ラインハルトの一撃は建物ごと引き裂き、暴風を撒き散らす。

そこに女の姿は残っていなかった。

 

「あいかわらず、あいつの人外っぷりは極まってるな」

「まるで昔から知っているように君は言うのだね」

 

ラインハルトの開けた風穴から、スバルは空を見る。

前回スバルの死んだ場所は、二度と人の住めない有り様だ。

これで精霊術師の少女も、命を奪われる事はないだろう。

その代わりとして「あの貴族っぽい少女に恩を売る計画」はダメになった。

少女の探している徽章よりも、少女の命を優先したのだから仕方ない。

 

「いったい、なにがあったの」

 

盗品蔵の出入口は消し飛んでいた。

外の暗闇から銀色の少女が顔を覗かせる。

白いコートを羽織った精霊術師の少女だ。

日没後である、この時間に盗品蔵へ辿り着いた。

盗人である汚れた少女とは会えなかったらしい。

 

「エミリア様、という事は盗まれた徽章というのは、もしや……」

 

ラインハルトによると「エミリア様」らしい。

やはり少女は貴族の身分なのだろう。

今回、スバルは少女と関わっていない。

徽章の窃盗を依頼した代理人は討ち果たされた。

しかし、汚れた少女と共に、徽章は行方不明となっている。

 

「これで解決したとは言い難いよな」

 

命は助かったのだから成功としたい。

スバルも死なない、少女も死なない、ハッピーエンドだ。

ラインハルトはエミリアという少女の方へ。

老人は木片に埋もれた品々を掘り起こしていた。

スバルは今にも崩れそうな廃屋から脱出を試みる。

 

『警告、敵二 接近シテ イマス』

 

「ラインハルトッ。まだ、いるぞーっ」

 

妖刀の警告にスバルは声を上げた。

ラインハルトは振り返ると、踏み込む。

それと同時に廃材を跳ね上げ、女は姿を現した。

あのラインハルトが仕留め損ねた事にスバルは驚く。

おまけに手足の一本も千切れておらず、まだピンピンしていた。

 

木片を掘り返していた老人は、刺付きの棍棒を置いていた。

女の刃を防ぐことは叶わす、老人は片腕を切り落とされる。

曲がっていたナイフは、それで折れた。

しかし、女は懐から2本目を取り出す。

自身の破れた服に構わず、スバルへ向かった、

 

「てめぇーッ」

 

スバルは裂かれた首の痛みを思い出す。

前回と違って、守るべき少女はいない。

ここで妖刀を取り出すことに迷いはなかった。

しかし、もはや完全に抜き出す余裕はない。

スバルは体の反射に従った。

 

ーー首だ。

 

すぐ側に通りすぎる風を感じた。

視界から女は消え去り、遅れて全身から汗を噴き出す。

そのまま息を吐く事もできず、スバルは固まった。

まだ辺りを見回して、女を警戒しなければならない。

しかし、動いたら死ぬような恐怖をスバルは覚えていた。

 

これまでにスバルは二回、死んでいる。

一回目はラインハルトの下を離れ、病にかかって死んだ。

よく考えると、異世界の病原菌に免疫が反応するのか怪しいものだ。

二回目は精霊術師の少女を追って、首を裂かれて死んだ。

ラインハルトの下にいれば、どのくらい安全だったのか分かる。

そんなナツキ・スバルの感覚は、再三の死を捉えていた。

 

ーー俺は、ここで死ぬ。

 

スバルは固まったまま、ラインハルトを目に映す。

それで焦った様子のラインハルトを認識した。

スバルが妖刀を抜いたから、あれほど焦っているのか。

それとも焦る原因が、他にあるのか。

意外なラインハルトの姿を見て、スバルは笑ってしまった。

 

血に濡れた温かい内臓が、スバルの腹部から溢れる。

スバルの体は前に倒れ、床に押された妖刀は内側へ戻った。

肌に感じる感覚は温かくても、熱を失った体は冷えていく。

とても寒くて、スバルは歯を震わせた。

なんだか可笑しくて、スバルは歯を震わせた。

 

 

ラインハルトにとって最悪の結果と言える。

ここまでラインハルトを導いた少年は死んだ。

盗品蔵の主らしい老人は重傷だ。

少年を殺した"腸狩り"に逃げられた。

"エミリア様"の様子から察するに、徽章も盗まれたままだ。

 

「そう、あの人が貴方を連れて来たの」

「はい、エミリア様。彼はエミリア様の、お知り合いなのでしょうか」

 

「ううん、会った事はないと思う」

「そうですか。彼は、

 "盗まれた物を取り返しに来た少女が、殺されるかも知れない"

 と言って私の同行を求めました」

 

「じゃあ私の、命の恩人って事になるのね」

 

精霊術師の少女は、老人の治療を終える。

次にラインハルトによって、運び出された男に近寄った。

当然の事ながら、腹を切り裂かれた男は死んでいる。

腹部から内臓は飛び出て、無惨な有り様だ。

しかし、その死に顔は笑みを残していた。

 

「なんで貴方は、そんなに嬉しそうなのかしらーー」

 

精霊術師の少女は複雑に思う。

知らない人が自分のために働いて、

まともに顔を会わせる事もなく命を落とした。

それなのに男は満足して死んだように見える。

どうして自分のために男は死んだのか、少女は分からなかった。



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【寄生】ナツキ・スバルの目玉【Re:ゼロ】

高校2年生の夏、ナツキ·・スバルは告白を受けた。

2学期末の試験が終わって、夏休みに入る前の事だ。

その頃は梅雨前線の北上が遅れ、気温の低い雨の日が続いていた。

下駄箱を覗いても恋文は入って無かったし、携帯電話に着信もない。

そもそも携帯電話の登録は、家族と行政機関の番号しかなかった。

 

「菜月・昴くんはいますかー?」

 

教室の出入口から、見知らぬ女子生徒は呼びかける。

次の瞬間、同級生の視線はスバルに集中した。

そうして受けた視線に焦りつつ、スバルは席を立つ

この時点で色事なんてスバルは想像していなかった。

「事務的な用事で呼ばれている」と思い込んでいた。

 

なにしろ、スバルは孤立している。

この高校に友人なんて存在しない。

それは周囲から差別されている訳ではなかった。

自己紹介の時に馬鹿な事をやって、避けられているに過ぎない。

スバルは友人もなく、授業を受けるために通う、虚しい高校生活を送っていた。

 

だがら告白なんて思わなかった。

スバルは教室の出入口で立ち止まっている女子生徒に近付く。

スバルにとって見覚えのない、別の学科に属する生徒だ。

やはり事務的な用事で来たとしか思えない。

しかし見知らぬ相手のため、その用事に心当たりはなかった。

 

「こんにちは、スバルきゅん」

「俺の聞き間違いかな。敬称おかしくない!?」

 

「失礼、噛みました」

「なんだ、噛んだのか。それなら仕方ない」

 

「ウソだよ!!」

「マジかよ!!」

 

出入口の境界を中心として寸劇は始まった。

ついつい合わせてしまったスバルは首を傾げる。

空想上の幼馴染みのように気が合ってしまった。

その女子生徒の顔を見つめるものの、やはり見覚えはない。

その下に視線を滑らせると、グラウンドのように平らな胸が見えた。

 

「見ましたね」

「いや、誤解だ!?」

 

「男の人は皆、そう言うんです」

「あんたが勝手に、そう思ってるだけだよね!?」

 

「責任を取って貰わなければ成りません」

「そんな不条理な!?」

 

謎の女子生徒は両手で胸を隠す。

この謎という表現は間違っていない。

いったい何の用で来たのか、少しも分からないからだ。

スバルと関係のない場所で行われた罰ゲームの可能性を疑う。

罰ゲームの駒となっている可能性を考えると、スバルは嫌な気分になった。

 

「僕と付き合ってください」

「ぼく?_もしかして、あんた女装してる?」

 

「誰が貧乳だってコラァァァ!!」

「俺は貧乳なんて言ってないだろ!?」

 

「視線が胸に行ってるんだよ!_気付かないとでも思ったのか、ああっ!?」

「言葉遣いが荒いなァ!_さっきまでの女の子らしい感は何処に行ったんだよ!?」

 

おこった女子生徒は、スバルの肩を掴んで揺さぶる。

スバルの頭は大きく揺れ動き、スバルの意識を混乱させた。

スバルと女子生徒と口論は、まるで二次元のようだ。

その騒ぎに他の生徒も目を引かれ、「何事か」と思う。

その時、事件は起こった。

 

「いてぇ!?」

 

スバルの唇が、柔らかい物に衝突した。

その勢いに優しさはなく、押し潰されて唇を痛める。

一瞬の事だったので、スバルは良く分からなかった。

女子生徒を見ればスバルから手を離し、唇を押さえている。

ラブコメのごとき唇の接触イベントが発生したのは明らかだった。

 

「これは、もうスバルくんの彼女になるしかありませんね」

「なんで、そうなる!?_あんたの思考にビックリだよ!」

 

「だがら、さっきも言ったじゃないですかーー僕と付き合ってください」

「いや、俺だって、こんなキワモノじゃなくて……もう少しマトモな彼女が欲しい!」

 

「やだなー。もしかして、マトモな彼女が出来ると思ってるんですかー?」

「ああ、分かってるよ。分かってるけど、あんた最低だな!」

 

ファースト・キスなので、スバルは恥ずかしい。

いいや、ファーストじゃなくても恥ずかしい。

教室という人目のある場所でキスしたのも恥ずかしい。

見知らぬ女の子とキスしたのも恥ずかしい。

とにかくスバルは恥ずかしかった。

 

「そうだ、そうだよ。そもそも、あんたは何なんだ!?」

「だから、さっきから言ってるじゃないですかーー付き合ってください」

 

「話が逸れすぎてるよ!_付き合ってってって?」

「他に付き合っとっとっと?」

 

「え?_マジで」

「はい、本当です」

 

冗談としか思えない酷い告白だ。

ようやくスバルも告白されたと理解した。

場所は教室の出入口で、雰囲気も何もない。

スバルの脳はラブコメ時空から、現実へ収束する。

現実へ戻ったスバルは、どう答えればいいのか分からなかった。

 

「彼氏ゲーット、イェーイ」

「俺、まだ返事してないと思うんだけど!?」

 

「やだなー。ここで断ったら一生、恋なんて出来ませんよ?」

「さっきから、あんた俺を何だと思ってんの!?」

 

「【ぼっち】【引きこもり予備軍】【童貞】」

「もう止めろよぅ!_俺に何の怨みがある!?」

 

「憎んでいる訳でも、怨んでいる訳でもありませんーー愛しています」

 

何度も言うけれど、ここは教室の出入口だ。

そこで女子生徒は最も恥ずかしいセリフを言い放った。

もはや素面(しらふ)で、この事態に対応する事は叶わない。

この女子生徒に対して、真面目に対応すると話しに付いていけない。

女子生徒から目を逸らし、遠い目をして菜月・昴は悟った。

 

「ほらほらスバルくん、【彼女】って呼んでくださいよ!」

「じゃあ俺が【彼氏】やるから、あんた【彼女】な!」

 

「きゃっ!_スバルくんに彼女って認められちゃった!_ご両親に挨拶しなくちゃ!」

「婚約でも申し込みに行くつもりか!?_どんだけ気が早いんだよ!」

 

「ちぇー、スバルくんは鋭いなー」

「本気だったのかよ!?_油断の隙もないな!?」

 

この頃になると、教室の生徒は元に戻り始めていた。

スバルと【彼女】の寸劇は、休み時間の終わりまで続く事になる。

チャイムが鳴ると【彼女】は去っていった。

ただし鳴ってから戻っても、授業に遅れる事は明らかだ。

その後ろ姿を見送るスバルは「やっぱり見たことないな」と首を傾げた。

 

 

下校するスバルは【彼女】と再会した。

と言うか、【彼女】は下駄箱で待ち構えていた。

なぜかスバルの靴箱へ向かって、拳を繰り出している。

シュッシュッという擬音が聞こえる気分だった。

他人から見た自分のように思えて、スバルは心を痛める。

 

「俺の下駄箱に、なにか怨みでもあるのかよ」

「いいえ、暇だったのでイメージトレーニングを少々」

 

「ここで待つより、教室まで来た方が早かったんじゃないか?」

「そんな……恥ずかしいじゃないですか」

 

「教室の前で告白した奴の言うセリフ!?」

「あれはノリですよ、ノリ!_仕方ないじゃないですか!」

 

「ノリなら仕方ないな」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

スバルと【彼女】は並んで歩く。

しかし、いつも独りなスバルは足が早かった。

歩調を合わせる事は叶わず、気付けば【彼女】を置いて行く。

そんな事を繰り返していると、スバルは手を取られた。

【彼女】に片手を握られて、その重さに引き寄せられる。

 

「彼女を置いて行かないでください。ぶっころしますよ」

「彼女が積極的すぎて、俺の命が危うい!?」

 

「いいじゃないですか。もうキスまで済ませたんですから」

「あれは事故だろ!?_ノーカン、ノーカン!」

 

「本当にーー事故だと思ってたんですか?」

「やだ、この子、こわい。あと俺の手を握り潰そうと力を入れないで!」

 

痛いけれど、手を振りほどく事は叶わない。

中学校の頃、スバルは剣道部に所属していたので人並み以上に手は大きい。

それからも筋力トレーニングは続けていたので、力は衰えていないはずだ。

その力を用いても抗えない【彼女】の腕力に、スバルは恐れ入る。

スバルと【彼女】の上下関係が決まった瞬間だった。

 

「不思議に思ってる事があるんだけど、なんで俺なんだ?」

 

好意を抱かれているなんて、スバルは思えない。

スバルは自分が嫌いで、自身に好意を持っていなかった。

だから好意を向けられても、その好意を受け入れられない。

強引に手を握った【彼女】にスバルは問いかける。

もしも偽りならば、早く明らかにしたかった。

 

「それはスバルくんが、【バカ】で【マヌケ】だからです!」

「やっぱりオマエ、俺のこと嫌いなんじゃね!?」

 

「いいえ、好きですよ。大好きです」

「なんで好きなんだよ」

 

「だって僕は、僕よりも優れている人が【嫌い】ですから」

「おまえの性格が悪いって事は、よく分かった」

 

「本当にバカですよね。あんな事を自己紹介で言うなんて」

 

スバルは心を痛める。

高校に入学して早々の失敗は、大きな傷として残っていた。

痛みの残る所を【彼女】に突かれて、スバルは怒りを覚える。

この【彼女】は、あまり性格が良ろしくない

【彼女】と組み合わさった手に、スバルは過剰な力を込めた。

 

「だから僕はスバルくんが好きなんです。そんなスバルくんが好きなんです」

「訳が分からねぇ。頭が、どうにかなりそうだ」

 

「僕の事なんて分からなくて良いんです。僕がスバルくんを好きなんですから」

「押し付けがましいなァ、おい……」

 

「だって、バカで、マヌケでーーかわいらしいじゃないですか」

 

【彼女】は壊れているに違いない。

本当に嬉しそうな、歪んだ笑みを浮かべていた。

【彼女】と繋がった手から、スバルは恐怖を覚える。

おぞましい物に捕まってしまった事に、スバルは気付いた。

スバルの隣に存在する者は、【怪物】だ。

 

「怖いんですか、スバルくん?」

「怖くねーし!_そんな事ねーし!」

 

「大丈夫ですよ。だってスバルくんも、僕と似たような物じゃないですか」

「お前みたいな【怪物】と違って、俺は何処にでもいる平凡な【人間】だ」

 

「そんな事はありませんよ。スバルくんも他人に理解されないモノなんですから」

「おまえと同じにするなよ……」

 

「じゃあスバルくんは、他人に理解された事がありますか?」

 

小学生の頃は過激な遊びに手を出して、気付けば仲間は居なくなっていた。

それで反省したスバルは、目立たないように慎ましく学校生活を送る。

中学校の頃は剣道部の部活仲間がいたけれど、部活限りの付き合いだ。

スバルの抱える悩みを相談できる相手は居なかった。

学校と違って自宅のスバルは明るく振る舞い、両親を心配させなかった。

 

「スバルくんと僕は同じモノです。だがら、きっと分かり合えます」

「そんな事ねーし……」

 

【彼女】の言葉を聞いている間に、スバルの怒りは治まっていた。

【彼女】に対する否定の言葉は弱々しく、繋いだ手を振り払う事もない。

ルンルンと無駄に機嫌のいい【彼女】にスバルは引っ張られて行く。

それからスバルの自宅に着くまで、スバルと【彼女】の間に言葉はなかった。

「なんで俺の住所を知ってるんだYO」と突っ込む気力も湧かなかった。

 

ーーストーカーの可能性が微レ存



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→【怪物】

菜月・昴は友人もなく、孤独な学校生活を送っていた。

しかし、高校2年の夏休みが始まる前に告白を受ける。

それは菜月・昴と同じくらい、変わった性格の女子生徒だった。

強引に【彼女】となった【怪物】を菜月・昴は恐れる。

ーーこうして【彼氏】と【彼女】の一夏は始まった。

 

「スバルくん!_海へ行きましょう!_僕の水着姿を見せてあげますよ!」

「海って遠いだろ、どうやって行くつもりだよ」

 

「もちろん僕のスクーターです!_2人乗りで!」

「違反するき満々かよ!?_警察に捕まる未来が透けて見える!」

 

「嫌なんですか?_僕の体に後ろから掴まって楽しめますよ?」

「それで事故ったら笑えないな。海じゃなくて地獄に行くつもりはねーよ」

 

「やだなー。恋人なら、そのくらい普通ですよ」

「俺を変態みたいに言うなよ!?_そんな事しないって!」

 

結局、スクーターではなく交通機関を利用した。

海まで移動する時間の長さにスバルは疲れを覚える。

それでも【彼女】の水着姿にスバルは価値を感じた。

【彼女】と海で遊んだ記憶は、強く心に刻まれる。

スバルの色を失った世界に、海の青色が戻った。

 

 

「スバルくん!_膝枕をしてあげましょう!」

「止めてください。死んでしまいます」

 

「恥ずかしく思う必要はないよ!_僕は【彼女】だからね。膝くらい貸してあげるさ!」

「いや、別に眠くないから!_俺は専用の枕じゃないと眠れないから!」

 

「だっだら今日から僕が、スバルくん専用の枕になってあげるよ!」

 

意識を取り戻すと、スバルは膝枕の上にあった。

不自然に記憶は失われているけれど、【彼女】に意識を飛ばされた事は明らかだ。

いったい如何やって意識を飛ばしたのか聞くのは恐ろしい。

しかし、木々に囲まれたベンチの上で初めて体験した膝枕を、スバルは心地よく感じた。

スバルの色を失った世界に、森の緑色が戻った。

 

 

「スバルくん!_デートをしましょう!」

「海へ行ったり、森へ行ったりしたのはデートじゃなかったのか?」

 

「分かっていませんね!_山や川じゃできない事を、町中でやるんです!」

「あー、はいはい。どうせ断っても、強引に連れて行かれる流れだろ」

 

「スバルくんは僕と……デート、したくないんですか?」

「ぐぅ……嫌じゃないけどよ。いや、だってデートは金かかるだろ」

 

「そんな自然体で格好悪いスバルくんも大好きです!」

 

【彼女】に手を引かれて、スバルは町中を歩く。

一緒にアイスクリームを食べて、一緒に映画を見た。

無難な映画を選んだスバルに、【彼女】はアニメが相応しいと言って駄目出す。

最後は夕日の見える公園で、スバルと【彼女】は唇を交わした。

スバルの色を失った世界に、夕日の赤色が戻った。

 

 

【彼女】と付き合う事で、スバルの世界は色を取り戻す。

そんな少しの間にスバルから見える世界は、鮮やかに色付いた。

【彼女】と過ごした一夏は、スバルの人生で最も輝いた時間となる。

初めは連れ回されていたスバルも、自分の意思で【彼女】と歩み始める。

そうして菜月・昴は、【彼女】に恋をした。

 

「スーバールーくん。今日はスバルくんの部屋に行っても良いかな?」

「俺の部屋なんて何もないぞ。それよりも天気が良いんだがら外で遊ぼうぜ!」

 

「うん、答えは聞いてないから。じゃあ、行きましょうねー」

「いやだー。突撃訪問とか、やーめーろーよぅ」

 

幸いな事に、スバルの両親は不在だった。

【彼女】はスバルの部屋に押し入ると、ベッドの下を覗き始める。

しかし、見られると不味い物は運び出してあった。

事前に片付けていたため、部屋は散らかっていない。

【彼女】と付き合い始めてから、スバルは何度も掃除を行っていた。

 

「ふーん。口では嫌々言いつつ、僕が来ることを期待していたんだね」

「いつも、こんな感じだし。別に期待なんてしてねーし!」

 

「期待してくれても良いんだよ?_だって今日は恋人らしい事を、やりに来たんだから」

 

スバルは腕を取られて、ベッドに引き倒される。

不意に起こされた衝撃は大きくて、スバルの息は詰まった。

電灯の明かりを背負った【彼女】は、スバルの上に覆い被さっている。

「布団を洗濯して置いて良かった」とスバルは余計なことを考えた

布団が洗濯機に入らず、風呂場で足踏みした事を思い返す。

 

「なに、これ。彼女が積極的すぎて怖い」

「スバルくんが悪いんだよ?_僕を部屋に入れるから」

 

「おまえが無理に押し入った覚えがあるのは、俺の記憶違いですかね!?」

「緊張しているのかい?_大丈夫、優しくしてあげるよ」

 

「その前に、電気消してくんない?」

「ダーメ。スバルくんの絶頂するマヌケな顔が見えないでしょ?」

 

スバルの心に張られていた壁が、【彼女】に突き破られる。

そうしてスバルと【彼女】は合わさり、一つになった。

彼女と出会ってから短い間に、スバルは一生分の経験を受けたと思う。

スバルの世界の中心は両親から、【彼女】へ移り替わっていた。

一生分の愛を込めるつもりで、スバルは【彼女】を愛す。

【彼女】もスバルと目を合わせて、愛の言葉をささやいた。

 

『ーー愛してる』

 

菜月・昴は心から、【彼女】を愛していた。

だから、どうして【あんな事】になったのか分からない。

【彼女】と共に作り上げた色鮮やかな景色は、一瞬で黒く塗り潰された。

後に残ったのは目玉を抉り取られた【彼女】の死体と、

その両手を血で染めたスバルだけ。

 

「はっ……?」

 

綺麗に洗濯されたベッドは、血に染まっている。

いつの間にかスバルと【彼女】の立場は逆転していた。

もはや動かない【彼女】の上に、裸の男が乗っている。

男は呆けた表情で、【彼女】の無惨な亡骸を見下ろしている。

その男と言うのは、菜月・昴の事だった。

 

どうして、こうなったのか。

その答えをスバルは明確に覚えている。

一言で言えば、スバルが【彼女】を殺した。

それはスバルも認識している不動の事実だ。

しかし【どうして、そんな事をしたのか分からない】。

 

まず、スバルは【彼女】の片目を抉り取った。

次に自身の目玉を抉り取り、そこに【彼女】の目玉を埋め込む。

さらに【彼女】の首を締めて、【彼女】を殺した。

目玉を抉った感触も、首を絞めた感触も、その手に覚えている。

でも【どうして、そんな事をしたのか分からない】。

 

「ぎぃぃぃぃ!!」

 

ドンドンと壁に頭を、床に手を打ち付けた。

【彼女】を殺してしまった苦しみに、スバルは呻く。

片目を奪われた【彼女】の亡骸は、なにも答えてくれない。

点けたままだった電灯の明かりは、容赦なくスバルに現実を突き付ける。

【なんで、こんな事になったのか分からない】。

 

「落ち着け、落ち着けよ、ナツキ・スバル……まだ【彼女】は生きてるかも知れない」

 

その【彼女】から目を逸らし、スバルは妄想に頼る。

素人であるスバルから見ても、【彼女】は死んでいるように見える。

しかし、病院へ運べば【彼女】は生きているかも知れない。

スバルは部屋から出ると固定電話を手に取り、119番へかける。

一方の携帯電話は脱ぎ散らされた服の中にあった。

 

やがて訪れたのは救急車ではなく、パトカーだった。

服を着ることも忘れて待っていたスバルは、不審に思われる。

スバルの案内で殺害現場を確認した警官は、スバルを拘束する。

そのまま警官に問われるまま、素直に事実を答えた。

【彼女】をスバルが殺したことは間違いのない事だった。

 

「でも、とうしてそんな事をしたのか分からないんです。俺は彼女の事が好きだったのに……」

 

それがナツキ・スバルだったのかも知れない。

【彼女】が示したように、菜月・昴は【怪物】だった。

それがナツキ・スバルの愛だったのかも知れない。

愛する人を、愛しているから、だから殺す。

それがナツキ・スバルという【怪物】の愛だった。

 

殺人事件だ。

スバルは容疑者となった。

裁判で罪を認めたスバルは、死刑を免れる。

それでも長い時間、スバルは刑に服する事となった。

裁判の終わった後、面会した両親から【彼女】の事が伝えられる。

 

まず【彼女】の身元は不明のままだった。

スバルと同じ高校の制服を着ていたけれど、その生徒ではない。

【彼女】は偽りの制服を着て、スバルの前へ現れた。

どういう訳かスバルは【彼女】の名前も思い出せない。

おそらく事件で受けた衝撃が大きかったからだろう。

 

そしてスバルに埋め込まれた彼女の目玉は、正常だった。

医者によれば奇跡を通り越して【ありえない結果】だ。

無機物ではないのだから、埋め込んだ程度で神経や血管に繋がる訳がない。

医者は取り除く事を薦めたけれど、スバルは残す事を選んだ。

【彼女】の目に殺されるのならば、それも良いと受け入れた。

 

もう一つ、不思議な事がある。

スバルの受け入れた【彼女】の目玉に、不思議な模様が入っていた。

少なくとも生前の【彼女】の目に、そんな模様はなかった事を覚えている。

仄かに赤い瞳(ひとみ)の中に、手裏剣の模様が浮かび上がっていた。

鏡の代わりとなる物に映して見れば、右目と左目は異なる物と明確に分かる。

 

菜月・昴は恋を終えて、人生を終える。

燃え尽きたスバルは、もはや枯れ木のようだった。

【彼女】と過ごした一夏を思って、【彼女】を殺した瞬間に苦しむ。

そのままスバルの人生は終わって行くように思えた。

しかし、それさら一年後、刑に服していたスバルは姿を消す。

その後、スバルの姿を見たものは誰もいなかった。

 

 

ーー『Re:ゼロから始める異世界生活』

 

 

僕の中でスバルくんは動く。

中に出されるまま、それを僕は受け入れた。

もしかすると僕は、妊娠するかも知れない。

1年後は母親になっているかも知れない。

でも、そこにスバルくんの姿はないだろう。

 

これから1年後、スバルくんは異世界へ呼ばれる。

そして異世界から二度と、こちらへ戻ってこない。

僕が子供を育てている間に、あちらで銀髪のハーフエルフに熱を上げる事だろう。

それを僕は許せない。

許せなくて、スバルくんの子供を殺してしまうかも知れない。

でも、そんな事をしてもスバルくんは、僕の下へ帰ってこない。

 

スバルくんを監禁して、24時間監視して、一緒に異世界へ渡りたい。

でも、その瞬間を見逃せば、スバルくんと永遠に別れる事になる。

そんな見逃す恐れのある方法よりも、僕は確実な方法を選びたい。

だからと言って、スバルくんを殺して止めるなんて論外だ。

要するに、僕がスバルくんの一部になれば、自動的に巻き込まれる。

 

僕はスバルくんと目を合わせる。

三つ巴の浮かぶ【写輪眼】を開眼した。

スバルくんを催眠状態に陥らせ、取るべき行動を植え付ける。

この選択に後悔はないと思う。

何よりも、愛する人の一部になる事に誘惑された。

 

『ーー愛してる』

 

スバルくんは僕の片目を抉り取る。

次にスバルくん自身の片目を抉り取った。

そうして僕の目玉は、スバルくんの眼として収まる。

残念だけれど僕は、片方しか【開眼】していない。

そうしてスバルくんの片目は、僕の物となった。

 

その手で僕を殺してもらう。

スバルくんの手で首を絞められる。

その光景を最後まで見ることは出来なかった。

でも、スバルくんが僕を愛していると、僕は信じてる。

スバルくんは僕を殺した事で、特別な物となった。

 

ーーバカで

ーーマヌケで

ーーかわいらしい

 

僕のスバルくん

だからーー、

 

『誰にも、誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも誰にもーー渡さない』



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→【眼】

ナツキ・スバルは【彼女】を殺した。

そうしてスバルの片目は、【彼女】の物となる。

殺人の刑に服していたスバルは、無気力を極めていた。

そんなスバルは突然、そこから姿を消す。

ーーこうしてナツキ・スバルの異世界生活は始まった。

 

「異世界だよなぁ……」

 

古風な石造りの町並みだ。

それに限れば、太陽系第三惑星地球の辺境という可能性もあった。

巨大なトカゲに引かれる馬車を、スバルは眺める。

犬耳や猫耳を生やした、二足歩行の人類もいる。

これらを常識的に考えれば、地球では有り得ない。

 

刑に服していたスバルは、薄い囚人服だ

当然、その身に余計な物は持っていない。

携帯電話も無ければ、裸足のまま靴も履いていなかった。

財布も金も、腹を満たせる食料も持っていない。

髪も剃られてから間もなく、丸坊主で心細い。

 

「俺みたいな奴を喚んで如何するよ……やっばり偶発的な現象か」

 

人目のある大通りからスバルは逃れる。

すると、破れの見える服を着た3人組が現れた。

彼らは「よお、兄弟」と親しげに挨拶する。

しかし、スバルの片目を見ると表情を変えた。

不気味な物を見た感じで、3人組は立ち去る。

 

「しまった……【彼女】の眼か」

 

刑に服していると、人と関わる事が少ないから忘れていた。

スバルの片目は手裏剣の模様が浮かび上がっている。

表情と目の死んでいるスバルと合わせれば、一種のホラーだ。

「あー」とゾンビのような声を上げながら、スバルは空を見上げる。

大通りから外れた建物の、その隙間から見える空は狭かった。

 

「どけどけー!」

「待ちなさい!」

 

スバルの前を女の子が2人、通り過ぎた。

「騒がしい街だな」とスバルは思う。

その姿を目で追えば、彼女らは壁を登っていった。

異世界の女性は、ずいぶんと力強い。

再びスバルは視線を空に戻し、そのまま動かなくなった。

 

やがて空も暗くなる。

冷たい風はスバルの体温を奪う。

それでもスバルは動かなかった。

そんなスバルの下へ近付く者がいる。

3つの人影は、スバルを取り囲んだ。

 

「おい、あんた余所者だろ。いつまで居座ってんだよ。早く退け」

「ああ……悪いな。邪魔をした」

 

スバルは立ち上がる。

しかし、冷えた体の動きは悪い。

今にも止まりそうな人形のように歩き出した。

しかし、3人組に遮られ、スバルは動きを止める。

どうやら3人組は、まだスバルに用があるようだ。

 

「立ち退く前に金を払いな」

「ここに居座った料金か?」

 

「話が早いじゃねーか」

「あいにく無一文で、なにも持ってねーよ」

 

「だったら体で払ってもらおうか」

「俺みたいな奴は、何の役にも立たないと思うが……」

 

「そうでもないぜ?_使い捨ての駒は、いくらあっても足りねーからな」

「そうかよ」

 

3人組の言葉を聞いて、「まあ、いいか」とスバルは思う。

あまりにも無気力なスバルは、3人組の後を付いていく事にした。

スバルは立ち上がって、目を合わせると案内を促す。

しかし、なぜか3人組は崩れ落ちた。

苦しそうな荒い息を吐いて、そのまま体を震わせている。

 

なにか悪い物でも食べたのか。

それとも無理をして歩き回っていたのか。

ペシペシと叩いてみるものの反応はない。

顔を覗き込むと、怯えた表情で顔ごと逸らされた。

スバルは訳が分からない。

 

「さっきまでの強気は、どこに行ったよ……」

 

このまま見捨てるのは気分が悪かった。

スバルは大通りへ出ると、警察や病院を探す。

親切な通行人に尋ねると、衛兵は存在するようだ。

衛兵の詰所へ向かうものの、相手にされない。

早々に説得を諦めて戻ってみると、3人組の姿はなかった。

 

「なんだかなぁ……」

 

無駄足だった訳だ。

すると、お腹が減っている事にスバルは気付く。

もはや歩く気力も湧かず、また建物の隙間へ座り込んだ。

空を見上げれば黒く、滲んだ星が輝いている。

星の数を数えながら、ナツキ・スバルは静かに目を閉じた。

 

ーー( @ )ーー

 

俺らの縄張りに、そいつは座り込んでいた。

死んだような目で、希望を失った顔をしている。

そんな奴は貧民街じゃ、珍しくもない。

ただし、その片目は異様な物だった。

あんな風に見た目は腐っても、魔法使いかも知れねぇ。

 

太陽が地平に沈んでも、変な男は座り込んでいた。

気力を失った顔から、弱そうに見える。

俺たちは稼ぎを終えて帰る前に、そいつを取り囲んだ。

もしもヤバい奴だったら、さっさと逃げる事にする。

そうでなかったら金になる。

 

「使い捨ての駒は、いくらあっても足りねーからな」

「そうかよ」

 

変な男は大人しく立ち上がる。

しかし次の瞬間、片足で強く地面を踏み鳴らした。

ドシンと地面は揺れ、腹部に割れるような衝撃が走る。

目にも止まらない速さで、変な男は拳を突き出していた。

その衝撃は全身に響き、もはや立ち続ける事は叶わない。

 

「てめぇ!」

「よくも!」

 

また地面が揺れる。

恐ろしく力の入った踏み込みだ。

人体から聞こえるべきではない重低音を、その後に打ち鳴らす。

仲間の2人も、変な男の拳を受けてしまったに違いない。

仲間たちの呻く声から、俺は状況を察した。

 

不気味な片目は兎も角、寒さに震える弱そうな男だった。

なによりも無気力な様を見て、この結果は想像できない。

外見から想像もできない戦闘力を、変な男は持っていた。

容赦のない一撃は、俺に死を連想させる。

怯える体は無意識の内に、その場から逃げ出そうとしていた。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

背後から伸びた手が、俺の頭を掴む。

5本の指から凄まじい力が伝わって、俺は悲鳴を上げた。

頭が割れて、潰されそうだ。

俺は手足を振り回すものの、無駄に終わる。

ひたすらに痛みを感じて、叫び続けるしかなかった。

 

突然、俺は地面で顔を打つ。

男の手から解放された事に、遅れて気付いた。

これは喜ぶべき事なのだろう。

しかし、まったく治まらない頭の痛みに苦しめられる。

その痛みが消えるまで、俺は我慢するしかなかった。

 

体を軽く叩かれる。

変な男は俺の顔を覗き込んだ。

体に刻まれた痛みから、男に対する恐怖が湧き上がる。

とても、この男を直視できない。

面目を取り繕う余裕はなく、俺は顔を逸らした。

 

「さっきまでの強気は、どこに行ったよ……」

 

それは呆れた声だった。

強い意思の感じ取れない、気の抜けた声だった。

しかし、その体から生み出される暴力を、俺は知っている。

弱そうに見えたけれど、それは間違いだった。

なんて俺たちは運が悪いんだ。

 

不気味な片目を持つ、変な男は去っていく。

それでも受けた痛みは体に響き、しばらく動けなかった。

仲間の様子を見れば、俺と同じような状態らしい。

倒れたまま痛みに苦しむ、仲間の姿があった。

外傷は見えないけれど、内臓に傷を付けられたのかも知れない。

 

「おい……動けるか」

「……なんとか」

 

「あの野郎が戻ってくるかも知れねぇ。逃げるぞ」

「無理だ……」

 

「バカ野郎……起きろ。今度こそ殺されるぞ……!」

 

もう二度と顔も見たくない。

俺らは怒りよりも、恐怖を覚えた。

頭の中から気持ち悪く、自力で立ち上がる事も叶わない。

俺らは壁に寄り掛かって、上半身を起こした。

地面に伏して休みたい欲求に耐え、互いに体を支えあった。

 

ーーーーーー

ーーーー

ーー

 

目覚めると、空は明るくなっていた

石造りの隙間から見上げれば、太陽の位置は真昼に近い。

ずいぶんと長い時間、スバルは眠っていたようだ。

しかし、同じ姿勢を続けた事による体の痛みは感じない。

特に成すべき事もなく、スバルは呆けていた。

 

「よお、兄弟」

 

その声に振り向けば、あの3人組だった。

しかし、スバルの顔を見ると表情を変える。

不気味な物を見た感じで、3人組は立ち去った。

「いや、昨日も見たじゃん」と突っ込みたい。

表情から反応まで、3人組は昨日と変わらなかった。

 

「あいつらパターン入ってるな」

 

スバルは「立ち退け」という言葉を思い出す。

ここに居ると何かの邪魔になるのかも知れない。

その程度の理由で、スバルは重い腰をあげた。

この怪しい囚人服で大通りを歩けば目立つに違いない。

とりあえず衛兵に捕縛されない事は、昨日の件で分かっている。

 

「ちょっと、どけどけどけ!」

 

大通りへ出る前に、スバルは女の子と出会う。

危うく合体事故が起こる寸前で、女の子は華麗にスバルを避けた。

スバルが避ける必要もないくらい、見事な反応速度だ。

「とっとっと」と言いながら、スバルは女の子の姿を横目で追う。

風に揺れる金髪と、首に巻かれた長いスカーフだ。

 

「避けて!」

 

そんな声が聞こえる。

次の瞬間、腹部に激痛が走った。

「変な物でも食ったのか」と思ったものの、昨日から何も食べていない。

お腹を押さえてみれば、固い物に邪魔をされている。

よく見るとスバルの腹部に、太い氷が突き刺さっていた。

 

「ーー?」

 

言葉は形にならない。

驚きのまま、体から力を失う。

スバルは目の前が真っ暗になった。

氷の突き刺さった衝撃で、スバルは後ろに倒れる。

それを放った銀色の少女は、小さな悲鳴を上げていた。

 

ーーーーーー

ーーーー

ーー

 

夢だったようだ。

お腹に氷の塊が突き刺さるという悪夢を見た。

目覚めてみれば、建物の隙間から明るい空が見える。

スバルは座っていた位置から、少しも動いていなかった。

あの3人組が同じセリフを口走っていたのは、そう言う訳だ。

 

「よお、兄弟」

 

その声に振り向いて見れば3人組だった。

そしてスバルの片目を見ると去っていく。

3人組の反応を、スバルは不可解に思う。

まるで同じ行動を繰り返しているかのようだった。

いいや、夢を除けば2回目に過ぎないと考え直す。

 

「どけどけー!」

「待ちなさい!」

 

見覚えのある女の子が2人、スバルの前を駆け抜けた。

よく見れば金髪と銀髪の少女で、夢の中の姿と一致する。

これほど既知の出来事が重なれば、スバルの疑念は高まる。

まさか、あれは夢ではなかったと言うのか。

スバルの死も現実に起こった事と考えられる。

 

「つまり、ここはゲームの世界なのか」

 

人々は同じ行動を繰り返していた。

スバルの死など、一定の条件でリセットされる。

つまり、あの3人組は再びスバルを脅しに来るのだろう。

とりあえず、スバルは立ち上がって移動する事にした。

行くべき場所もないので、見晴らしの良い場所を探す。

 

「何も食べてないのに、腹が減らない訳だ。でも、俺の記憶はリセットされてない」

 

この異世界の住人ではないからか。

「どうしたものか」とスバルは思う。

いいや、どうする必要もなかった。

「どうにかしろ」と誰かに言われた訳ではない。

このまま繰り返される時に身を埋めるのも悪くはなかった。

 

その時、今にも泣き出しそうな女の子が見えた。

その女の子は大通りの端で、独りで立っている。

それはタイミングが良かった。

女の子を見た瞬間、スバルは自身の役割を設定する。

少なくとも空を眺め続ける現実逃避よりは良かった。

 

「お嬢さん。困り事かな?」

 

スバルは女の子に話しかける。

しかし、女の子はスバルを怖く思った。

なにしろ怪しい囚人服な上に、片目は異様だ。

一円玉すら持っていないので、隠し芸の手品も見せられない。

こうなれば体を張って、変な顔を見せるしかなかった。

 

「はーい、べろべろばー」

「う゛え゛え゛え゛え゛え゛ん」

 

泣かれた。

よほど怖かったに違いない。

顔の皮を引っ張った努力は無駄に終わった。

むしろスバルのせいで悪化したのではないか。

女の子を落ち着かせたいものの、上手くできなかった。

 

「どうしたの?_この怪しい人に変なことされたの?」

 

女の子とスバルの間に、銀髪が割って入る。

その2人をスバルは見守るしかなかった。

銀髪と言えば、スバルは見覚えがある。

前回、スバルの腹部へ氷を撃ち込んだ方に似ていた。

それに少し前の銀髪は、金髪の方を追っていた

 

「そう、お母さんと逸れちゃったのね」

 

女の子は迷子らしい。

事情を聞き出した少女は、迷子の親探しに付き合う。

途中から会話の外にあったスバルは、置物と化していた。

「まあ、いいか」とスバルは思う。

きっと迷子は、最初から少女に救われる運命だったに違いない。

 

大通りを歩き続けて、緑のある場所を見つける。

公園らしい場所でスバルは横になった。

見通しのいい場所であるため風は冷たい。

もうすぐ日没だ。

そこでスバルは重要な事に気付いた。

 

「ここまで歩くの面倒臭ぇ……」



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【性転換】スバル以外は全員男性【Re:ゼロ】

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進学か、就職か。

それは人生の進路を決める時期の事だった。

高校3年生の頃、スバルは不登校になった。

とは言っても高校でイジメを受けていた訳ではない。

ある朝から心の糸は切れ、スバルは学校へ行けなくなった。

 

菜月・スバルは菜月家の長女で、一人っ子だ、

スバルは両親の内、目つきの悪い専業主夫の父親に似ている。

毎朝スバルを起こしに来る騒々しい父親に似る事はなかった。

ちなみに、どちらも父親で間違いはない。

最近の技術は同性による妊娠も可能としている。

 

不登校になったスバルの生活は変化していた。

朝は騒々しい父親に起こされ、家族そろって朝食を食べる。

しかし、登校時間が迫ると圧迫感を覚え、スバルの体は震える。

登校時間が過ぎると落ち着いて、その頃に回し終わる洗濯物を干す。

親に対する罪悪感から、スバルは家事を手伝っていた。

 

父親の買物に付いて行き、食材の入った袋を持つ。

スバルの食べたい物があれば、その時に買っていた。

ただし、ポテトチップスなどの油物をスバルは買わない。

肌を荒らすカップラーメンなんて視界にすら入れていない。

ブクブクと顔を太らせるチョコレートも避けていた。

 

だからと言っても、栄養のある果物は高いものだ。

なのでスバルは、安くて量の多い小魚の煮干しを買っていた。

そのままでは飽きるので、両親の好物であるマヨネーズをかけて食べる。

昼間の空いた時間は煮干しマヨを摘まみつつ、インターネットに没頭する。

夕食を食べると、美容のために風呂へ入って体を温め、早目に寝ていた。

 

スバルは真夜中に出歩くという事はない。

美容に悪いので、夜遅くまで起きている事もなかった。

だから異世界転移が起こった夜の時間、スバルはベッドの上だった。

お気に入りの着ぐるみパジャマを着て、布団に潜っていた。

その布団も転移に巻き込んで、スバルは異世界の大通りへ現れる。

 

_1

 

異世界の大通りは、両端に屋台が並んでいた。

眠り姫の第一発見者は、とある果物屋の店主だ。

ちょっと目を逸らした隙に、なぜか屋台の隣に布団が敷かれている。

おまけに獣人のような被り物をした女の子が眠っていた。

ちなみにスバルの着ぐるみパジャマは、黄色いフードに獣耳が付いている。

 

「……あれぇ?」

 

目覚めたスバルは半身を起こし、周囲を見回した。

まだ意識は曖昧で「夢を見ているのかも」とスバルは思っていた。

見覚えのある場所ならば兎も角、全く見覚えのない異世界なので混乱する。

大通りを歩く犬耳や猫耳を生やした、ファンタジーな人々を目で追った。

布団に腰を下ろしたままスバルは視線を回し、果物屋の店主に突き当たる。

 

「おは……こんにちは?」

「ああ……おはようさん」

 

おはようございます。

と言いかけたスバルは、昼の挨拶へ変える。

それは天空の中くらいに上がった太陽を見たからだ。

果物屋の店主は渋い声で、獣耳つきフードを被ったスバルの挨拶に返す。

その傷痕の付いた迫力のある顔は、どう見ても日本人と思えない。

 

「あの、ごめんなさい。どうしても聞きたい事があって……貴方は、ここは何処か分かる?」

「世に名高い【親竜王国ルグニカ】の首都。

_その大通り沿いにある、このリンガ屋【カドモン】の隣だな」

 

その外国人の言葉は、違和感のない日本語に聞こえた。

どういう理由か分からないけれど、言葉は通じていると分かる。

そこでスバルは一度、布団に座ったまま考えを纏める事にした。

しかし得た情報は少なく、いくら考えても答えは出るはずもない。

それは外部からの情報を遮断して、精神の安定を求めているに過ぎなかった。

 

「またまた、ごめんなさい。どうして私は、ここに居るのか……貴方は知らない?」

「さてな。いつの間にか、としか言いようがない。少し目を逸らした一瞬の事だった」

 

「そっか……困ったなー。どういう事だろ」

「なにか変な加護でも持ってるのか?」

 

「【加護】って?」

「自覚してないんなら、俺も分からんよ」

 

俗に言うトリップ、異世界転移だ。

財布を持って寝る習慣はなく、お金は持っていない。

そもそも異世界の支払いに、日本円は使えないと思われる。

やはり靴を履いて寝る習慣はなく、その上に靴下も脱いでいた。

つまり布団の中に入っているスバルの脚先は、素足となっている。

 

スバルは枕元に手を伸ばす。

目覚まし時計の代わりとなっている、携帯電話を手に取った。

時計機能の表示を見れば、23:06と夜の時間を示している。

異世界の太陽は空へ昇っているため、とても真夜中に思えない。

電波は受信できず、万に一つと思った電話も繋がらなかった。

 

スバルの所持品は3点しかない。

携帯電話・布団・着ぐるみパジャマ(下着)だ。

せめて起きている時ならば、まともな格好だった。

外出している時ならば靴も付き、素足という事態は避けられる。

お店の買い物から帰る時ならば、食品も付いた事だろう。

 

絶望感にスバルは包まれる。

せめて異世界召喚ならば、良くも悪くも召喚者の存在がある。

しかし辺りを見回しても、そのような人物は見当たらない。

寝ている間に神様と会った記憶もなかった。

つまり、これは意図された結果ではなく、偶然の出来事と考えられる。

 

しばらくスバルは布団に座り込んでいた。

現実から逃避して、このまま二度寝する事を考えた。

このまま生きているよりも、死ねば辛くないかも知れない。

この時、スバルの近くに刃物がなかった事は幸いだ。

やがて気を立て直し、温かい布団から起き上がる事をスバルは決意した。

 

「ごめんなさい。布団を縛るものってあるかな?」

「リンガの箱を縛っていた物ならあるな」

 

「それって、もらえませんか?」

「構わんぞ。訳ありのようだしな」

 

「ありがとう、お兄さん。この恩は忘れないよ」

「俺には小さな娘もいるし、そんな風に呼ばれる歳じゃないさ」

 

照れながら店主は答える。

紐を貰ったスバルは布団を丸めて縛った。

その縦長い巻物を抱え、ヨロヨロと歩き出す。

丸めた布団は重く、数えるほど進む度に休む必要を覚えた。

そんな有り様でも、布団を捨てて行く選択をスバルは取れない。

 

「じゃあ、そろそろ行こうかな」

「おう、次に来る時はリンガを買ってくれよ」

 

「ーーうん。生きて、必ず戻ってくるから」

 

_2

 

決死の覚悟で、少女は異世界へ踏み出す。

変わった格好のスバルは、人々の注目を集めていた。

獣耳つきフードのパジャマに、丸めて縦長い布団だ。

フルフルと腕を震わせ、重そうに運んでいる。

おまけに、よく見れば素足のまま歩いていた。

 

スバルは涙目だ。

嫌になるほど布団は重い。

素足に小石が突き刺さって痛い。

そもそもスバルという少女は、腕力や持久力に自信はない。

それでも果物屋の店主から聞いた、衛兵の詰め所を目指していた。

 

途中で大通りから路地へ入り、スバルは休憩する。

丸めた布団を石畳に置いて、そこに腰を下ろした。

布団は汚れるけれど、気を配るほどの余裕はない。

スバルは短い休憩の後、再び立ち上がった。

しかし、路地の出口で人に当たって弾かれる。

 

「きゃっ!」

 

王都の石畳に倒れ、抱えた布団に潰された。

謝るために顔を上げれば、3人の男に出口を塞がれている。

路地の奥は行き止まりで、スバルは閉じ込められた形だ。

服の汚れた男たちは、口をニヤニヤと歪ませている。

俗に言うチンピラのようだった。

 

_3

 

「えっと……いったい何の御用なのか聞いても良いでしょうか」

「立場わかってるみたいじゃねえか。まあ、出すもん出しゃあ痛ぇ思いはしねえよ」

 

スバルは布団を握り締める。

男たちは恐いけれど、布団は渡したくない。

渡したくないけれど、男たちに勝てるなんて思えなかった。

この布団はスバルと共に転移した、大切な繋がりのある物だ。

例えるなら相棒を奪われるという事に、身を裂かれる痛みを覚える。

 

「これは私の布団で、貴方たちが思っているほどの価値はないと思うよ」

「誰の物かなんて、どうでも良いんだよ。

_高く売れるんなら金に換えるし、売れないんなら自分で使うからな」

 

「えっ、貴方が使うんだ……それは嫌かも」

「舐めたこと言ってくれるじゃねえか。

_それとも、その変わった服を脱いでくれんのか?」

 

布団を盾に代えて、男たちの視線から身を隠す。

服を透かして見られているような気分で、スバルは落ち着かない。

その時、パジャマのポケットから固い感触が伝わった。

そこにある携帯電話の存在を、スバルは思い出す。

布団やパジャマよりも、繋がらない携帯電話の優先度は低かった。

 

「布団とパジャマは生活するために必要だから……これは、どう?」

「この小さなガラクタが何だって?」

 

「ここを押すと……」

「おおっ!?」

 

画面を点けて見せた程度で、良い反応を得られた。

カメラ機能なんて教えたら、どのくらい驚くのか。

しかし、強盗に詳しく教えてあげる義理はない。

チンピラは携帯電話をスバルの手から奪い取る。

そして光を発して輝く画面を、他の2人に見せて回した。

 

「じゃあ、私は先を急ぐから失礼するよ」

「まあ、待てよ。これだけって事はねえだろ?」

 

強欲なチンピラの言葉に、スバルの気は重くなる。

「他は持ってない」と言ってもチンピラは信じないに違いない。

それを確かめる方法として、スバルの体は確かめられるのか。

こんな下品な奴らに、スバルは触られたくなかった。

後退するスバルに対して、チンピラは迫ってくる。

 

「ちょっと、どけどけどけ! そこの奴ら、ホントに邪魔!」

 

大通りから大きな声が上がる。

行き止まりの路地に駆け込む姿があった。

それはセミロングの金髪を揺らす小柄な少年だ。

赤い瞳に強い意思を秘め、唇の端から八重歯を覗かせている。

生意気そうな印象を受けるけれど、小動物のような愛らしさもあった。

 

チンピラは慌てて避ける。

突進する少年は、スバルの横まで駆け抜けた。

ここでスバルは少年に期待する。

なにしろ狭い路地の奥は行き止まりだ。

壁の他に何もなく、他の用事で来たなんて思えなかった。

 

「なんかスゲー現場だけどゴメンな!_オレ忙しいんだ!_強く生きてくれ!」

「ええ!?_そんなぁ!?」

 

軽やかにスバルは見捨てられた。

その少年は板を蹴って、壁の凹凸に手をかける。

そのまま器用に壁を登って、建物の屋根に上がった。

屋根の上を走り去った少年に、チンピラは呆然としている。

「逃げるのならば今しかない」とスバルは思った。

 

「おっと、逃げられると思ってんのか?」

「はーなーしーてー!」

 

布団を抱えたスバルの捕獲は簡単だった。

男たちはスバルを取り囲み、息を荒くしている。

もはや物取り以外の目的を抱いているのは明らかだ。

殺されないけれど、死ぬよりも酷い目に会うかも知れない。

スバルは大声を出すために、空気を大きく吸い込む。

 

「ーーそこまでだ、悪党」

 

_4

 

その冷たい声を聞いて、スバルの息は止まった。

スバルを取り囲むチンピラの向こう、その路地の入口に彼はいた。

腰まで届く銀色のストレートヘアに、理知的な紫紺の瞳を持つ。

白を基本とした服装で、羽織る白いコートは金糸で装飾を施されていた。

薄汚れたチンピラと別格の、一目で分かるほど高貴な存在感を纏っている。

 

「それ以上の狼藉は見過ごせないなーーそこまでだ」

 

誰も彼も、少年から目を逸らせない。

少年の放つ気配を受けて、チンピラは固まっていた。

今ならば逃げ出せるけれど、スバルも動けない。

丸めた布団を握り締めて、その体を支えていた。

今の状況すら忘れるほどに、スバルの心は少年に囚われる。

 

「今なら許してやろう。僕の不注意もあった。だから潔く、盗った物を返してくれ」

「……へ?_盗った物?」

 

「アレは大切な物なんだ。アレ以外ならば諦めるけれど、アレだけは絶対に譲れない。

_頼む。どうか大人しく渡してほしい」

「ちょっと待て!_話が食い違ってると思うんだがっ」

 

「……なんの事だ?」

「こいつを助けに来た……って訳じゃねえんで?」

 

チンピラはスバルを指す。

薄汚れた3人組の中心にスバルはいた。

着ぐるみパジャマという変な服装で、素足のままだ。

布団を丸めて持っているのは、場所を選ばず寝るためか。

薄汚れた3人組に混じったスバルは、同類に見える事もある。

 

「……変な格好の奴だな。仲間割れの途中か?

_女性を男3人で取り囲むなんて感心しないが……

_僕と関係あるのか聞かれたら、無関係と答えるしかないな」

 

チンピラの意図は伝わっていない。

盗まれた物を取り戻したい少年は苛立っていた。

するとチンピラは慌てて、人違いである事を説明する。

チンピラの言葉に少年は困惑し、スバルに視線を移した。

熱い視線を浴びたスバルは反射的に、チンピラの言葉を肯定する。

 

「ウソじゃ……ないようだな。じゃあ、盗った奴は路地の向こうか?_急がなければ」

 

少年は背を向ける。

またスバルは見捨てられる。

男たちは安心し、スバルは落ち込んだ。

救いを求めて伸ばした手は力なく、声も出ない。

この息の詰まる空間から、スバルは解放してほしかった。

 

「ーーそれはそれとして、見過ごせる状況じゃないな」

 

振り返った少年は、開いた手から輝きを放つ。

そこから撃ち出された弾丸は、チンピラを吹っ飛ばした。

スバルの側に高い音を立てて、拳ほどの氷塊が落ちる。

スバルの感じる気温は暖かく、氷の降る天気ではない。

つまり、その氷は少年によって、この場で生み出された物だった。

 

「ーー魔法」

 

スバルの耳に詠唱は聞こえなかった。

石畳に当たった氷は幻のように消える。

この世界の魔法は、物質として残る物ではないらしい。

スバルは魔法よりも、魔法を放った少年の姿に衝撃を受ける。

希望を失って諦めた所で、やっぱり救われて、スバルは嬉しかった。

 

「やって……くれやがったな!」

 

チンピラの1人は気絶していた。

残った2人は立ち上がって、ナイフと棍棒を取り出す。

布団を抱えたスバルは、慌てて少年の方へ避難した。

あんな凶器を持っているなんて知らなかったスバルは恐怖を覚える。

もしも下手に逆らっていたら、ナイフで刺されていたのかも知れない。

 

「こうなりゃ相手が魔法使いだろうが貴族だろうが知ったことかよ。収まりがつかねえ。

_囲んでぶっ殺す!_2対1で勝てっと思ってんのか、ああ!?」

 

「そうだな。2対1は厳しいかも知れない」

『ーーじゃ、2対2なら対等な条件かな?』

 

「せ、精霊術師か!」

 

少年は指先に小猫を乗せている。

その灰色の小猫は、人の言葉を喋っていた。

「精霊術師」と叫んだチンピラは弱気になる。

少年の警告に従って、仲間を連れて立ち去った。

危機は去って、安心したスバルは御礼を言う。

 

「ありがーー」

「ーー動くな」

 

冷たい声に遮られた。

少年の警戒している様子は見て取れる。

たしかにスバルはチンピラの仲間ではない。

しかし、スバルの【獣耳つき着ぐるみパジャマ】は警戒に値する。

そんな服装で歩き回るなんて、変人としか思えなかった。

 

そんな少年の瞳に、スバルは魅了される。

少年に見つめられて、スバルは恥ずかしくなった。

顔も洗っていないし、髪も整えていない。

思わずスバルはフードを引き下ろし、顔を隠した。

そんなスバルの反応を見た少年は、自信を高める。

 

「ほら、やましい事があるから目を逸らしたんだ。僕の目に狂いはないみたいだね」

『どうかなー。今のは女の子的な反応ってだけで、邪悪な感じはゼロだったけど』

 

「パックは黙っていてくれ。ーー君は、僕から徽章を盗んだ奴を知っているだろう」

「ごめんなさい。期待されてる所に悪いけど、まったく全然これっぽっちも知らないの」

 

「え、なっ、ウソだろ!?」

 

凛々しかった少年の仮面は剥がれ落ちる。

慌てる少年は、手の平に乗せた小猫と相談を始めた。

その様子を眺めていたスバルは辺りを見回す。

何度も見ても、路地に見当たらない物があった。

チンピラに見せたスバルの携帯電話だ。

 

「持って行かれた……」

 

どうせ繋がらない携帯電話だ。

なんて思ってもスバルは納得できない。

持ち物を盗られて、何も思わない訳もない。

少しも幸せに思えない、ひどい異世界だ。

それでも果物屋の店主や銀髪の少年は、スバルを救ってくれた。

 

「じゃあ、急いでいるから、もう僕は行く。

_厳しく脅したから、あいつらは関わってこないと思うが、

_こんな人気のない路地に1人で入るなんて危ないぞ。

_それと、これは心配じゃなくて忠告だ。

_次に同じような場面に出くわしても、僕が君を助けるメリットはない。

_だから変な期待はするな」

 

あまりの早口に、スバルは聞き取れなかった。

目を点にしているスバルの様子を、少年は肯定と受け止める。

すると少年は身を返し、スバルに背を向けた。

その長い銀髪と共に、白いコートを揺らす。

遠くなる少年の姿を、スバルは見送るしかなかった。

 

「ゴメンね。素直じゃないんだよ、うちの子。変に思わないであげて」

 

男か女か分からない中性の声だ。

その小猫の外見から性別を判断するのは難しい。

そうして援護する言葉を残した小猫は、少年の後を追う。

少年の肩に乗った小猫は、髪の中へ潜るように消えた。

その精霊の大きさから考えて、本当に髪の中へ潜んでいる訳ではない。

 

小猫は「素直じゃない」と言った。

そもそも少年は大切な物を盗られたらしい。

それなのにスバルを助けて、その上に感謝の言葉も受け取らない。

スバルを助けた際の足止めで、犯人探しは困難な物となるだろう。

だからと言って、それを理由に協力を申し出れば、少年の気遣いを否定する事になる。

 

「ーーねえ、待って!」

 

スバルは後を追う。

路地の出口で、少年は行き先に迷っていた。

追ってきたスバルを見ると、困った様子を見せる。

それでもスバルは、少年を放って置けなかった。

こんなに良い人の側にいたかった。

 

「なんだ?_言っておくが、これ以上は僕も、ちょっとしか付き合ってあげられない」

「若干、甘さ見えてるよ!_それより大切な物なんでしょ?_私も手伝わせてよ」

 

「しかし、君は何も知らないと……」

「たしかに、盗んだ人の名前も素性も、どこ中かも知らないけど、少なくとも姿形くらいは分かるよ!

_八重歯が目立つ金髪の子犬ちゃん!_身長は貴方よりも低かったから歳下!

_そんな所でいかがでしょう!」

 

スバルは両手を振り上げ、ガオーとする。

そんなスバルの様子に、少年は首を傾げた。

ここまで歩いて傷付いて、汚れの付いたスバルの素足は痛々しい。

その柔肌から「素足に慣れている訳ではない」と明らかだ。

「なにか苦しい事情をスバルは抱えている」と察せられた。

 

「ーー変な奴だ」

 

どうやら少年は懐かれてしまったらしい。

獣耳つきフードの効果もあって、スバルは小動物に見えた。

少年は王都に慣れていないので、スバルの道案内に期待できる。

しかし、名も知らない少女の足下を見れば、痛々しい素足だ。

そんなスバルを連れ回す事に、少年は抵抗を覚える。

 

『悪意は感じないし、受け入れても良いと思うよ?

_まったく手掛かりなしで探すなんて、王都の広さからしたら無謀でしかないし』

「しかし、こんな事に巻き込む訳には……」

 

『意地っ張りなのも可愛いと思うけど、意地を張って目的を見失うのも馬鹿馬鹿しいと思うよ。

_ボクはボクの息子が、バカな子だと思いたくないなぁ』

 

スバルを支援するのは小猫精霊だ。

スバルは心の中で小猫精霊を応援する。

しかし、それでも少年の決断に至る事はない。

そのままであればスバルの同行は断られていた。

すると小猫は表情を消して、空を見上げる。

 

『それに、もう日も傾き始める頃だからね。夜になったらボクは手を貸せなくなっちゃう。

_暴漢くらいが相手なら心配しないけど……弾除けは多い方がいいよ』

「物騒な役割が割り振られた感があるね!_けど、なに?

_今の話だと、貴方って夜だと出られない感じの雇用条件なの?」

 

「弾除け」と聞いてスバルは気後れる。

しかし次の瞬間、小猫の流し目から全てを悟った。

スバルは今、小猫に試されているに違いない。

だから、その程度は何て事のないように話を流した。

その横で少年は「あー」「ううん」「しかしっ」と色っぽく悩んでいる。

 

「ーー言っておくが、なんの礼もできないからな。こう見えて僕は、無一文だ」

 

「大丈夫、安心して。私も無一文だから」

『ちなみにボクも素寒貧だけど。ひどいね、この集まり』

 

こうして、着ぐるみ少女と精霊術師のチームは結成された。



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人類に敵対するダンジョンマスター【幕末史】

ダンジョンマスター物を読みたいけれど、
ヒロインとイチャイチャしたり、人類と仲良くしたりするからUZEEEEEE。
ーーと思ったので自分で書いてみる。

1、仲間を作らない(知能のある味方を作らない、外部に協力者を作らない)
2、威厳のある喋り方(好意を示さない、人類と親しくしない)


日本より異なる世へ迷い込み、幾年ほど経ったのかを知る術はない。

人らしい肉体は失われ、もはや人としての名も思い出せなかった。

余の霊魂を留める今の器は、錆びぬ鋼の外殻だ。

白く濁った全身鎧の中身は空で、叩けば間抜けな音を鳴らす。

そこから声は出せぬものの、他者に念を伝える事は可能だった。

 

日本のあった世と違って、この世は中心に御日様の座する球体の空間だ。

余の領域は今や、天を見上げた先にある真逆の大地まで広がっている。

それらは鋼によって整地され、日光を鏡のように反射していた。

つまり余は、この世の全てを征したという事だ。

草の根まで生物を絶やし、命のない世界は完成した。

 

しかし、このまま余の領域を維持する事は叶わぬ。

もはや余の領域を広げて、資源を得る余地はなかった。

消費される資源を絶やせば、余の下僕は単なる金属の塊と変わりない。

そうなれば余の領域と共に、余の身も滅び去る事だろう。

分かった上で余は領域を広げ、そして世を滅ぼした。

 

白く濁った鋼で覆われた大地こそ、余の領域である証だ。

そこに踏み込めば空間は波打ち、真の領域へ繋がる。

四角い鋼の通路に余分な物はなく、通路は直線で交差していた。

碁盤の目状であり、真の領域の端から端まで直線で繋がっている。

真っ暗で照明は無いものの、そもそも余の下僕は明かりを必要としなかった。

 

領域の上から戻った余の足下を、最も数の多い下僕は這う。

片手の平に載る大きさの円い形で、余の指3本分の厚さしかない。

その厚さの内、指1本分は掃除に用いる吸着部分だ。

この【壱脚型】という下僕は、余の領域の掃き掃除や拭き掃除を代行する。

吸着部分と反対の面に、充電する際に用いる接触面を備えていた。

 

壱脚型の接触面へコードを繋ぎ、充電しているのは【参脚型】だ。

1つ飛ばした弍脚型は、腕のない参脚型に代わってコードを引き伸ばしている。

余の下僕は充電を欠かせないために、参脚型を人体で例えるならば血管と言える。

3つの車輪を回して移動し、コードの生えた四角い箱の後方に、荷を運ぶ容器を備えていた。

参脚型の運んだ廃物は、迷宮の核へ取り込まれ、物資を生産するために必要な資源へ変換される。

 

ヒトのように2本足で歩き、子のような大きさの下僕は【弍脚型】という。

壱脚型の掃除に余る死体や落下物を、参脚型の容器へ集める役目を持つ。

参脚型からコードを引き出して充電するために、弍脚型の腕は適していた。

この弍脚型は壊れた壁と床の補修や、余も構造を知らぬ下僕の修理を行える。

3本の棒で形作られた弍脚型の腕は、廃物を砕く程度の出力は有していた。

 

壱脚型は掃除用であり、弍脚型は修理用であり、参脚型は運送用と言える。

そして【四脚型】は獣に似て、余の領域に侵入した生物を狩る戦闘用だ。

短距離であれば、車輪で走る参脚型も追い抜ける。

しかし、四脚で走るために電力の消費は早く、長距離は途中で力尽きる事もあった。

最大の攻撃手段は口で、肉によって形作られた体ならば難なく千切り取れる。

 

脚のない下僕は【零脚型】と呼び、鋼の翼で飛び回る。

激しく羽を上下させて、さらに本体も小型なため、電力の消費は早い。

余の領域に侵入した生物を発見すると、余に信号を送る機能を持っていた。

この零脚型は資源の消費量を激増させるものの、索敵のために欠かせない物だ。

資源を用いて自身を強化した余にとって、今となっては最大の敵と言える。

 

縦横と通路を直線で伸ばした領域の中央に、1つの部屋を置いてある。

廃物を運ぶ参脚型の出入りする、あらゆる物資を資源へ変換する場所だ。

壁から生えた数多くのコードは弍脚型によって繋がれ、参脚型へ充電している。

縦穴の底に領域の核を置いたので、その機能を用いる際は下へ降りる必要を生じた。

この【領域の核】を破壊されると、余も領域も消滅する。

 

余は無機物を好み、命ある物を好まない。

最初は余もヒトであった、しかし今は鋼の鎧に過ぎぬ。

余の感知する感覚は、生命を歪な肉塊として捉えていた。

少しずつ広がる余の領域は、生物の生息できぬ世界へ作り替える。

それ故に、余と生物の対立は避けられぬ必然の事だった。



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→1853年(嘉永六年) 外から黒船・内から迷宮(表)

余の征服した異世界に、もはや生物は存在しない。

そうなった後も余は、余の領域の見回りを続けていた。

余の足音は暗闇に響き渡り、その反響を鎧で感じ取る。

掃除を行う1本足の壱脚型も、低く鈍い動作音を鳴らしていた。

あれを余は1本足と言うけれど、物で例えるならば黒板消しと言える。

 

その時、余は【揺れ】を感じて足を止めた。

この世は御日様を中心とした球状の大地に覆われている。

それも今は余の領域と化し、大地は隙間なく鋼に閉ざされていた。

この地で起こる地震と言えば自然ではなく、爆弾による震動に違いない。

そもそも隔離された空間と言える余の領域に、外の震動は伝わらなかった。

 

警報器と言える羽虫もとい零脚型から、異常を知らせる信号を受ける。

この球状の大地を半周するほどの勢いで、その場へ余は急行した。

その間も、円を広げるように零脚型から信号は送られ、そして途絶える。

以前も経験した爆弾による被害と予想したものの、それは違った。

朽ち果てたように崩れ落ちる領域を見て、異変の正体は知れる。

 

他に存在した核を壊した際、その領域は崩壊した。

同じ現象と考えれば、余も領域の核を壊されたに違いない。

余は通路を駆け戻り、この領域で唯一の壁で区切った部屋へ向かった。

もしも侵入者の仕業とすれば、相討ちを成さねば済まぬ。

しかし、部屋に着いて穴へ飛び込んで見れば、領域の核は傷もなかった。

 

廃物に埋もれて輝く核に異常はないとすれば、いったい何事か。

余は核を手にしたまま、領域の崩壊に巻き込まれる。

余の感知も届かぬ闇の中を抜け、どこかへ放り出された。

すると核を光を放ち、崩壊によって失われた領域を展開する。

それは余をヒトから鎧へ変え、余を主と定めた時の光景に似ていた。

 

「なんでぇ!?_御天道様が消えちまったのか!?」

 

展開されて間もない余の領域に、生命の反応を捉える。

核によって展開された領域に、運悪く巻き込まれた生物だ。

真っ暗で何も見えないらしく、空中で手を迷わせている。

余は右手に核を握り、左手で生物の頭部を殴り飛ばした。

おそらくヒトらしい生物は、首を折り曲げて動く事はない。

 

ヒトの死体を核に取り込み、資源へ変換する。

床に飛び散った血も核は吸ったので、掃除をする手間は省けた。

掃除は壱脚型の役目であるものの、下僕は動くほどに電力を消費する。

そこで余は、先の崩壊によって全ての下僕を失った事に気付いた。

しかし核から下僕を生み出す前に、侵入者を片付ける事を優先する。

 

展開されて間もない領域は狭く、端から端まで20歩ほどか。

その間に生命の反応は5体を数え、素早く頭を潰した上で核に取り込む。

安全を確かめるついでに資源を得た余は、核を用いて1つの部屋を生み出した。

前の領域と同じく、廃物を放り込む穴の底へ核を設置する。

充電の機能を有する参脚型と、警報の機能を有する零脚型を1機ずつ生み出した。

 

余は領域の端から外へ出る。

とは言っても、余も領域に縛られる存在だ。

空間に起きた波を越えれば、そこは領域の上だった。

余の領域である事を示す白く濁った鋼で、地面と海は覆われている。

空を見上げれば前の世と違って、太陽の向こうに大地はない。

もっともヒトのような目はなく、余は鎧を通して感知しているに過ぎぬ。

 

どうやら余は、ヒトであった頃の世へ帰還したらしい。

しかし余に感動はなく、喜びの感情も湧かなかった。

余にとってヒトは肉塊に過ぎず、強いて言えば物資だ、

もはや余は、ヒトと混じって生きる事はないに違いない。

余の姿を遠くから見る人々の視線を感じつつ、そのように思った。

 

「御上の御膝元に妖が現れおったぞ」

「江戸は神仏の守りを失ったのやも知れぬ」

「妖ではなく、もしや異人なのではないか?」

 

「そこの主は与力だったろう。何とかせんのか」

「あいつなら真っ先に逃げやがったよ」

「あいつらは肥やしてばかりで肝心な時は役に立たん」

 

海沿いの土地である沿岸に、余の領域は展開したようだ。

海側の地平線に陸地は見える。陸側に高層ビルは見当たらない。

当然のように人々は和服を着て、洋服のスーツやスカートも見当たらなかった。

映画村という可能性を除けば、余の存在した20世紀と思えない。

日本人の特徴のある髪型を見る所、ずいぶんと昔の世に余は帰還したようだ。

 

「これは何事だ!」

 

人々の向こうから出て、偉そうなヒトは声を張り上げる。

しかし刀を差していない所を見ると、それの身分は高くないようだ。

周囲から話を聞くと、次に余を見て、どこかへ走り去った。

余も外の様子を見るために、領域の上から動かなかった。

すると時の経つほどに、余の領域を囲む見物人は増えていく。

 

そこで余は恐ろしい可能性に気付いた。

これらの見物人は、本当に見物人なのか疑わしい。

もしも戦闘員ならば、展開されて間もない領域に攻め込まれる。

領域の端から核まで、今ならば最短の距離だ。

そう思っても余は領域の外に出る事は叶わず、先制する事もできない。

 

もしも元の世ではなく、二次元の世界となれば大変だ。

侍は「卍解!」したり、忍者は「影分身の術!」したりするに違いない。

余は領域の中に戻らず、人々を油断なく観察した。

人々の会話から「江戸」である事は、すでに知れている。

そうして聞き取っていると、さらに増えたヒトの中から1つの集団は進み出た。

 

「そこなる面妖な者、神妙にせよ!_世の平穏を乱した罪は重く、見過ごせる物ではない!」

 

ようやく治安機関の名乗りだ。

それらは余を知能のあるヒトとして見ている。

余としては意外に思ったものの、この鎧は人型であるため当然か。

さて、余としては資源を得るため、多過ぎない程度に物資は欲しい。

つまり最初から大軍を突っ込まれると、領域の修復は間に合わぬので困る。

 

ここを江戸の沿岸と知っても、今の時期は分からない。

余の領域は自動で範囲を広げるので、ヒトと敵対する未来は避けられない。

余は資源を得るために、多くもなく少なくもない物資を必要としている。

余を悪鬼と自称すれば、人々は恐れて近付かぬかも知れぬ。

ここは神仏の類いではなく、俗なヒトとして振る舞うべきか。

 

『ここは今日より、余の土地である。これに否と言うのならば、余を討ち果たしてみせよ』

 

「ひいー!_頭の中に声がー!」

「なんだ今の声は!?_これは、あの者の声なのか!」

「南無阿弥陀仏!_南無阿弥陀仏!_神様、仏様ーァ!」

 

余の言葉を受けた人々は悲鳴を上げた。

何事かと思ったものの、よく考えると余に口はない。

余の意思を伝える方法は、余の念を送る事だ。

余の念を受けた人々は、ヒトに在らざる言葉を受けて驚いたらしい。

これによって余の正体はヒトではないと露見してしまった。

 

「御公方様の定めに異を唱えるなど不敬極まる!_天に代わって成敗してくれる!」

 

ヒトの集団は畏れる事なく、余に立ち向かう。

腰に差した刀を抜き、槍のような刺又を構える者もいた。

そうして短い距離を走った集団は、領域に触れると驚いて後退する。

刺又を差し込めば、空間は波を打って飲み込んだ。

一瞬に限って勢いのあった集団は、今や領域の前で右往左往している。

 

『なにを遊んでいる。余の領域へ、恐れる事なく踏み込むべし』

 

「ええいっ!_皆のもの、行くぞぉ!」

「おおー!」「おおー!」「おおー!」

 

何の冗談か、よく分からぬ。

とにかく集団は、余の領域へ突っ込んだ。

余も足を前に踏み出し、波打つ空間を越えて中へ戻る。

すると暗闇で右往左往する集団の、その背後に余は現れた。

余は1人の頭を掴み、捻って息を止める。

 

「灯りを持て!_これでは何も見えん!」

 

最後の1人は、そう言った。

他の者は死んだ事に、それは気付いていない。

全滅よりも行方不明とすれば、また探しに来るだろう。

そういう訳で余は、最後の1人を掴むと領域の外へ放り投げた。

死体を集めて穴へ放り込むと、核に取り込まれて資源へ変換される。

 

床の掃除は黒板消しのような壱脚型に任せる。

余は再び領域の上へ出て、見物人らしい人々を見回した。

遠くから聞こえる人々の会話から、この世に関する情報の収集を行う。

やがて日没は近付き、数人の見張りを残して見物人も立ち去る。

それから一晩中、余は苦もなく領域の上で見張りを続けた。

 

領域の展開から2日目となり、海側から昇る御日様を見る。

朝から人々は集まり、領域の周辺に木材を置いていた。

人々は木の柱を立て、陸側の領域を取り囲むように板を建てる。

露出する肌の多い服装から察するに、武士ではなく大工らしい。

余は領域から出る事は叶わず、その作業を邪魔する事もできなかった。

 

また人々は領域に踏み込むと、余は思っていた。

しかし、余を排除するよりも先に、木の仕切りを建てている。

まさか長期戦になる事を見通していると言うのか。

町中で余のような物を見れば、早く取り除きたいと思うものだ。

長期戦を想定した者は過小に評価せず、油断なく警戒しているに違いない。

 

これに余は困った。

物質を変換しなければ資源は減り続ける。

死体を得られ無いのならば、虫を捕まえて資源を補う事になる。

虫は効率で言うと最低なので、その手段は避けたかった。

核によって自動で行われる領域の拡大まで、資源に余裕はない。

 

「おい、てぇへんだ。浦賀から来た連中が、鉄の蒸気船を見たんだってよ」

「バカを言うなよ。鉄が水に浮くものか。きっと張りぼてだろう」

 

「本当だってよ。しかも、そいつは異国船らしい」

「ますます嘘臭ぇな。本当に本当だったら、国禁に沿って打ち払わなきゃならねぇ」

 

「だから、てぇへんなんだよ。こりゃあ戦になるかも知れねぇ」

「異国船なんざ打ち壊して、使える部分だけ剥ぎ取っちまえば良いのさ」

 

「ところで、おめぇは木材を取りに行ったんじゃなかったのか?」

 

「それが武具を直すために使うのか、木の値段が上がっててよ」

「御奉行様の言い付けだから、そんな事も言ってられねぇよ」

 

黒船と呼ばれるペリー艦隊の来航から、今の時期は知れた。

余は海側へ意識を移すものの当然、そこに黒船は見えない。

もしや黒船の対応を優先したため、余は後回しにされたのか。

間の悪い時に世へ帰還し、領域を展開してしまったようだ。

余は領域に阻まれて、力を世に及ぼす事は叶わない。

 

領域を展開してから3日目となり、神主は姿を見せる。

御日様の昇る前から祈祷を行って、それから3日間も儀式を続けた。

領域へ侵入する者は居なかったため、朝から晩まで余も不動で張り合う。

そもそも余は無機物なので、同じ姿勢を続けても苦に思わない。

余の精神も相応の程度であり、神主に勝ち目はなかった。

 

領域を展開してから6日目となり、また神主は訪れる。

余のヒトの区別は今一つ及ばないため、昨日の神主と同じと思う。

今日は何をする訳でもなく、余の様子を見ると帰っていった。

大工も仕切りを建てる仕事を完了し、すでに去っている。

木の板で外部から遮断され、余は空を見上げるしかなかった。

 

領域を展開してから7日目となり、余の領域は拡大する。

鋼は海と陸を覆い、領域に飲み込まれて木の板は消滅した。

大工の仕事は無駄となり、白く濁った鋼は月光を反射する。

余の領域は倍の広さとなったものの、まだ狭いと思える。

沿岸に家屋はなく、残念ながらヒトは取り込めなかった。

 

8日目となって日没の頃、鉄を張った船は見えた。

江戸側から船は出たものの、歓迎している様子ではない。

むしろ黒船の進行を止めようと試みていた。

黒船の鳴らした汽笛の振動音は、夕刻の江戸に響く。

江戸側は帆船ばかりで、黒船の速さに追い付けなかった。

 

数日前と違って、今は領域の広さに少しの余裕はある。

歴史通りならば、ペリー提督は国書の受け取りを求めている。

日本としては鎖国を続けたいものの、黒船を持つアメリカと戦えない。

もしも国書の受け取りを拒めば、アメリカは戦争を始めると思われた。

隣の清国は麻薬漬けにされた上、イギリスに攻め込まれている。

 

僧侶の御経は余に何の効果もなかった。

超常の力を持つ者の存在は、まだ確認できない。

それならば強気に出ても、余の力で対処できるか。

江戸の内海へ入り込んだ黒船と、陸から様子を見る人々を見回す。

陸から離れた地点に黒船は止まり、小舟を降ろして水深の調査を始めた。

 

『この日本は余の領域となるのだ。寄せ集めの国が、今さら手を出すつもりか』

 

余は全方向へ喧嘩を売る事にした。

余は領域から手は出せぬものの、声は出せる。

ヒトの声と違って、余の念は遠くへ飛ばせた。

しかし、どこから聞こえたのか分からぬのだろう。

人々は不思議そうに辺りを見回し、頭の中に響いた声の主を探している。

 

『大統領も将軍も、余の前に姿を見せぬ臆病者よ。

_この世に降臨した余へ、その首と共に貢ぎ物を差し出すのが道理であろう』

 

とある慢心王の真似を余は試みる。

余は指揮よりも、戦闘に出るタイブなので苦手だ。

下僕は全て機械であり、固有の意思を持たせない。

これまで余は、多くの資源を自身の強化へ消費した。

それは戦力の集中を起こすため、生物ならば過労死するに違いない。

 

『余は、ここだ。余は鋼で覆われた大地の上に立つ』

 

余は存在を強調する。

声の主は海に在ると、江戸の人々は思い込んでいたらしい。

鋼で覆われた沿岸の上にいる余を見つけると、人々は声を上げた。

そこで余は足下の鋼を蹴って、空へ跳び上がる。

すると余は領域の端に触れて、波打つ空間と共に消えた。

 

外から見れば、空中で消えたように映った事だろう。

そう思うものの残念ながら、領域の中から外の様子は分からない。

警報の機能を有する零脚型は、鋼の羽を止めて床に落ちていた。

充電の機能を有する参脚型からコードを引き出して、零脚型の充電を行う。

充電作業は弍脚型の役目ではあるものの、資源の消費は抑えたい。

 

領域の展開から4日で、資源となったヒトは10体だ。

その物資も初日に得た分で、後は虫で繋いでいる。

異なる世を征服した余も、資源不足に対しては逆らえなかった。

なので、さきほどの喧嘩を買ってくれると余も助かる。

鋼に覆われた領域の中で、余は戦を待っていた。



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→1853年(嘉永六年) 外から黒船・内から迷宮(裏)

 江戸の沿岸に鋼の輝きが現れたのは、昼を過ぎてからの事だった。その前にあったのは舟から荷を上げる5人と、船頭1人の姿だ。舟に乗って来たのは船頭だけで、他の5人は船着き場で待っていた。5人と言うのは過剰な数に思えるけれど、この船の荷は米ではない。1つずつ木箱に封じられた貴重品で、落として傷を付ければ価値は大きく下がる。遠方から帆船で運ばれ、江戸内海の中継地で手漕ぎの舟に載せ変えた品だった。

 彼らにとって不幸だったのは、明治以降に埋め立てられる土地にいた事だろう。未来において沿岸ではなくなる土地で、1人の人間が異世界へ消えた。その異世界からモンスターとなった人間は帰還するが、元の時間ではなく江戸時代に出てしまった。コアによって展開されたダンジョンは不幸な6人を飲み込み、彼らは訳の分からない内に命を奪われる。白く濁った鋼で地面と海は覆われ、江戸に異界は形成された。

 鋼に覆われた大地は、光を反射して人目を引く。陸に加えて、海まで鋼に覆われている異様な光景だ。舟から荷を下ろしていた人々は幻の存在で、狐に化かされているのかと思った。しかし、空間を波打たせて現れた鋼の鎧を見て、人々は驚きに目を見張る。鋼と化した大地に立つ白く濁った鎧は、人々の知る鎧と大きく形が違った。その異様な風体は人々の常識から逸脱している。

 

「異人やも知れぬ」

 

 国禁により、異人と話した程度でも死刑は免れない。人々は遠巻きに、白鎧の様子を探る事しかできなかった。白鎧は何をする訳でもなく、白く濁った大地の上に立っている。その滑らかに光を反射する地面が金属によるものと、人々は分からなかった。地面を金属で覆う理由が分からず、言葉を発する事もなく立ち続ける白鎧は不気味な物でしかない。ある人は異人ではなく、あれは怪異であると言った。

 この騒ぎに治安機関もとい奉公所配下の与力が気付いた。与力と言っても本日は非番だ。じつは与力よりも格下の同心が近くにいたものの、恐れをなして逃げている。こちらの同心は与力に雇われた町民だった。身に余る権力を得て調子に乗り、気に食わない者に罪を被せて金を奪い取っていた。下手な貧乏武士よりも裕福な暮らしを送り、肥え太っていた嫌われものだ。もしも姿を見せれば、これ幸いと白鎧の下へ押し出されていた事だろう。

 人々から話を聞いた与力は、奉行所へ走って報告する。本来であれば与力は現場に留まり、他の者を報告へ走らせるべきだ。しかし与力も明らかに手に余る、怪しい白鎧の面倒を見るのは避けたかった。すると奉行所から当番の与力2名と、「異国の者とすれば、これは大事である」として町奉行も駆けつける。報告に来た非番の与力も「じゃあ、これで」なんて許されるはずもなく、刺又などを抱えて連れて行かれた。

 

 白鎧の挑発に乗って不思議空間へ踏み入り、一行は町奉行を残して瞬殺された。白鎧によって外へ放り出された町奉行は、人々の前で恥を晒した結果になる。ここで身を引く事など、武士である町奉行は許されない。しかし、町奉行の足は震えて前へ進めなかった。白鎧の声は人と異なり、頭の中へ声の響くものだった。あれは異人などではなく、現世に在らざる妖の類いに違いない。町奉行から見れば白鎧は、鬼のように思えた。

 

「あれはケガレから生まれた鬼である!_ここで起こった事を口に出してはならん!

_さもなくば、祟られるであろう!」

 

 町奉行は口封じを画策する。異常は目の前で起こっているため、その言葉を信じる者は多かった。疑いを持つ者も、祟りを不安に思わない訳ではない。ケガレは人々にとって不浄の物だ。噂を立てようと思っても、口に出すことへ迷いが生まれた。一方の町奉行は使いを送るのではなく奉行所へ大工を呼び、鋼に覆われた大地の周りへ仕切りを建てる仕事を依頼する。口外しないように厳命された不幸な大工は、目を血走らせる町奉行に否と言えるはずもなかった。

 さて、10人ほど行方不明になり、正体不明の化物が現れた大事件だ。おまけに消え去る事もなく、その場に残り続けている。この事件を町奉行は御上へ報告にするべきだ。しかし、町奉行は報告しなかった。もしも馬鹿正直に報告すれば、町奉行の職から追い払われる。ケガレの発生は町奉行の不行き届きとされ、切腹を言い渡される恐れもあった。これは誇張した話ではないので、まったく笑えない。

 つまり町奉行は「無かった事にしよう」と考えた。縁起を重視する人間の悪い癖で、臭い物に蓋をする。「化物は存在しないはずだ。化物が存在すると困るじゃないか」と頭の中から追い払う。100年以上経っても「イジメなんて存在しないはずだ。イジメが存在すると困るじゃないか」という感じで体質は変わらず、実際に何の効果もないとしても縁起を担ぐ習慣は変わらなかった。

 

 

 その頃、江戸内海の入口に位置する浦賀は、異国船に大騒ぎしていた。アメリカの艦隊が来るという話は、3年も前からオランダに警告されている。将軍配下の筆頭老中としては「ついに来たか」という思いだった。こんな事もあろうかと配置されていたオランダ語の通訳を介して、対応に出た奉行所の与力は「長崎へ行け」と言う。しかし艦隊の副官は応じず、「将軍に国書を渡すまで帰らない」と言い張った。ちなみにペリー提督は部屋に引きこもっていた。

 

「アメリカは平和を愛しており、何の悪意もない」

 

 なに言ってんだ、この野郎……という思いだ。アメリカの言うことは今も未来も変わらない。黒船は長崎へ行かず、浦賀へ留まった。その翌日、江戸から各大名へ出兵の命令が下される。大工の仕事を見守る白鎧が、黒船について知ったのは昼を過ぎた頃だ。この時「黒船の対策を優先したため後回しにされた」と白鋼は思っていたけれど、真実は町奉行によって「無かったこと」にされていた。

 この嘉永六年と言えば、坂本龍馬が剣術修行のために江戸へ留学していた時期だ。まだ「夷狄は打ち殺すべし」と思っていた頃の、中二病に感染していた坂本龍馬だった。土佐に属する坂本龍馬は、土佐領事館もとい土佐大名屋敷の警備に着く。そんな坂本龍馬は木筒を黒く塗って大砲に見せ、木の棒を銃に見せかけ、兵数を揃えるために人足を雇ってコスプレさせるという惨状を目にした。これらの非情な現実は、中二病から覚める切っ掛けとなる。

 

 黒船の来航により鍛冶屋は大忙しで、武具など一部の物価は跳ね上がる。江戸沿岸の片隅で仕切りを立てている不幸な大工は兎も角、多くの大工は大砲や銃の偽装で忙しかった。そんな中、町奉行から口止めされた町人の1人は、白鎧の件について寺へ相談に向かう。しかし寺の僧侶は「夷狄退散祈願の御守り」を作っていたので相手にされなかった。坊主は国の守護を祈願するよりも、金儲けで忙しい。

 そこで町人は神社へ足を運んだ。神道の神社も仏教の支配下にあるのだけれど、幸いなことに上役の僧侶は昼間から酒を呑んで応答はない。庭を掃いていた神主は話を聞き、祈祷を行うことを町人に約束した。しかし実を言うと神主は、それを町人の妄言と思っていた。それでも儀式によって安心を得るのは無駄な事ではない。それに仏教の腐れっぷりに怒りを覚える気持ちもあった。

 そういう訳で神主は、町人と共に下見へ向かう。実際に祈祷を行う権限を持つのは、上役の呑んだくれ僧侶だ。しかし神主は、控え目に見ても怨霊としか思えない白鎧の姿に震え上がった。顔色を真っ青に変えて神社へ戻った神主は、上役の僧侶へ休養を願い出る。神主の顔色から性質の悪い病に掛かった事を察した僧侶は、感染を恐れて休養を与えた。そこで神主は「単に休むのは悪い」と言って、神具を持ち去る。そして翌日、神主は神道的な完全武装で出立した。

 神主は3日に及ぶ祈祷を行ったものの、知っての通りに効果はなかった。神主は神社に帰らず、知人の神主を訪ねる。そして白鎧について話し終えると、神主は緊張の糸が切れて倒れた。夜も遅かったので倒れた神主を、知人の神主は泊まらせる。そして翌日、話しに聞いた白鎧を見に行って「容易ならざる事態」と判断した。アメリカの国書を受け取るという話で黒船が一段落した頃に、神道の家元がある京へ文は送られた。これは黒船来航から6日目となった6月8日の事だ。

 

 6月9日、浦賀から山を越えた久里浜の海岸で式典が行われる。引きこもっていたペリー提督が姿を現し、浦賀奉行へアメリカの国書を渡した。すると浦賀奉行の筆頭与力が受領書を渡す。式典の終わった後に、その受領書を読んだペリー提督はイラッとした。そこには「受領書を受け取ったら早く出て行って下さいね(意訳)」と余計な事が書いてあったからだ。

 式典の翌日、日没前になると黒船は江戸内海へ侵入した。日没に合わせ、時報と称して大砲を撃つ事を命じる。そこで前日に領域の拡大した白鎧は、何の障害もなく黒船を捉えた。もしも奉行が正直に御上へ報告していたら、老中の耳に入っていたのかも知れない。もしも神主ではなく僧侶であったら、寺社を通して老中の耳に入っていたのかも知れない。しかし、こうして白鎧と黒船は出会った。

 

『この日本は余の領域となるのだ。寄せ集めの国が、今さら手を出すつもりか』

 

 その時、黒船の水夫も江戸の住人も、誰もが耳を疑った。その声は頭の中から響いたからだ。初めての経験に江戸側は恐れを抱く。訳も分からず、これも黒船の仕業なのかと思った。逆に黒船側は日本の仕業であると思う。江戸内海へ無断で侵入した事に対する警告であると思った。水夫たちは恐れよりも侮辱に怒りを覚え、そして発声と異なる未知の技術に驚く。驚くべき事に、その声は言語の壁を超越していた。

 

『大統領も将軍も、余の前に姿を見せぬ臆病者よ。

_この世に降臨した余へ、その首と共に貢ぎ物を差し出すのが道理であろう』

 

 大統領って誰だろう……と江戸の住人は思った。国禁によって異国と関わらずに生きた人々は、海の向こうの役職なんて知らない。しかし、将軍が馬鹿にされた事は分かる。これには「とんだ不届き者だ」と怒りを覚えた。もちろん言ったのは黒船側と思っている。一方の黒船側は、発言している者の正体が分からなかった。考え付いたのは、将軍の治世に対する反抗組織の可能性だ。

 

『余は、ここだ。余は鋼で覆われた大地の上に立つ』

 

 分かんねーよ……というのが正直な感想だった。しかし、町奉行に口止めされていた者は心当たりがあった。情報の波は広がり、鋼に覆われた大地の上に立つ白鋼を指し示す。黒船側から言われていると思っていた人々は、江戸側からだった事に驚いた。黒船側も白鎧の位置を特定したものの、その姿が消える前に望遠鏡で捉える事はできなかった。ただし、空中へ消えた事は分かる。

 いったい何だったのか。その時ペリー提督は、ドイツ人であるシーボルトの事を思い出していた。シーボルトは「遠征に加わりたい」と申し出たものの、日本から追放されている者なので連れて行くことは出来なかった。しかし、シーボルトの書いた全7巻の『日本』はペリー提督の読み込んだ本の1つだ。その本によると日本には「宗教上の皇帝」と「血統上の皇帝」、その2人の皇帝がいると記されている。

 日本の形式で言えば当然、将軍よりも天皇の方が上になる。天皇の存在は知っていたものの、ペリー提督は実務上の皇帝へ国書を渡す事にした。しかし、言語の壁を越えて神秘的な力を行使する者の存在は、ペリー提督に疑念を抱かせる。天皇は単なる宗教上の皇帝に留まらず、神秘的な力を軍事力として保有しているのではないか。

 

 黒船側が天皇の存在を思い浮かべた頃、同じように江戸の人々も天皇の存在を思い浮かべていた。天皇と言えば長く続いた将軍の治世により、すっかり忘れ去られていた存在だ。しかし将軍側でも黒船側でもないとすれば、あとは天皇しか心当たりはない。まさか数日前に異世界から来訪したモンスターに喧嘩を売られているなんて、エスパーのごとき予測はできなかった。

 

「あの方は徳川の横暴と異国の侵略を正すために降臨された、天の御使いに違いない」

 

 そんな言葉が人々に広まる。どういう事かと言うと「天皇SUGEEEEE」だ。腐敗した徳川の治世に失望し、いくつかの過程を吹っ飛ばして、尊皇攘夷の思想が人々に浸透した瞬間だった。すでに領域の内へ姿を隠している白鎧に対して、人々は手を合わせて拝み始める。そんな江戸側の反応を見て、ペリーは疑いを深めた。やはり、さきほどの声の主は、宗教上の皇帝と関わりがあるのだ。そんな訳で、天皇の株は上がりすぎて止まらなくなった。

 

 さて、そんな事件が起こった事を将軍配下の筆頭老中が知ったのは、すべてが手遅れになった後だった。ちなみに将軍は、黒船の来航する前から病に倒れて死にかけている。このとき初めて老中は、白鎧の存在を知った。問題を隠し続けていた町奉行は切腹を言い渡される。白鎧を討伐するために領域へ踏み込んだ武士は1人しか戻らず、筆頭老中は頭を抱えるしかなかった。

 一方、神主から京へ送られた文は貧乏公家の目に留まり、朝廷は白鎧の存在を知る。それに遅れて黒船と【天の使者】について知り、これを徳川から政権を奪い返すチャンスと考えた。白鎧は神主の文から邪悪な存在であると察せられるものの、これ幸いと【天の御使い】である事を京は認める。白鎧による被害が起こっても、それは徳川の治世が悪いからだ。京にとって都合のいい事に、白鎧が領域の外で暴れ回る事はなかった。



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→1860年(万永元年) 超越した科学の魔弾(表)

外界から独立した余の領域の中で、流れた月日を知るのは難しい。

余の成すべき事は生物を殺し、穴へ放り込んで資源へ変える事だ。

それは生命の存在しない領域を維持するために必要な事だった。

余の領域に生命を感じ取り、殺さずに済ませるという事はない。

しかし1人くらいは外へ返さなければ、ヒトの来る事もなくなって困る。

 

領域は拡大し、汚れも目立つ。

領域の中心にある穴へ降り、余は核へ触れた。

掃除の機能を有する壱脚型を生成し、領域へ解き放つ。

しかし、それでは間もなく壱脚型の電力は失われる。

そこで必要となる下僕は、充電の機能を有する参脚型だ。

 

さらに参脚型から充電コードを繋ぐために、仁脚型を必要とする。

余の手で繋ぐことは出来るものの、余の目の届かぬ時もある。

この仁脚型は壱脚型で掃除できぬ大きさの物を、参脚型へ載せる機能もある。

要するに余の領域は掃除を行うために、それ相応の資源を消費していた。

こうして土を剥き出しの汚れたダンジョンと違って、余の領域は清潔を保っている。

 

その余の領域へ生物は入り込む。

あれらは余の領域を維持するための物資だ。

早々に息を止め、資源へ変換するべき物だった。

しかし挑発したものの入り込む数は少なく、資源は稼げない。

黒船来航から時を過ぎるに連れて、その数は減り続けていた。

 

そして、なぜか外に姿を見せると拝まれる。

空中へ姿を消す演出によって、神や仏と思われたのかも知れぬ。

余としては怒り狂って、余の領域へ突撃してくれると資源になって助かる。

異なる世であれば冒険者という職業によって、挑戦者の絶えぬものだった。

この世というか江戸の人々は、冒険心を欠いているのではないか。

 

「天の御使い様、こちらは私の娘にございます。

_この度は天の御使い様に、私の娘を受け取っていただきたく申し出た次第です」

 

そう言う特徴のある髪型の後ろに、小さなヒトは控えていた。

余にとってヒトの顔は区別も付かず、それ以上に言い表す言葉はない。

小さなヒトは震える足で立ち上がると、余の領域へ近く寄る。

領域の向こうにいる小さなヒトは、風邪を引いているのか咳を吐いていた。

そして手を伸ばすものの、空間へ飲み込まれる指先を見て怖れる。

 

小さなヒトは指先を入れるばかりで、なかなか中へ入らない。

その様子を見た余は、端に触れて領域の内側へ戻った。

領域の端で抜き差しされている指を、余は摘まんで引っ張る。

すると小さなヒトは領域へ引き込まれ、余の手の内へ納まった。

それを抱え上げたまま余は、領域の中心へ向かう。

 

「あの、天の御使い様。私は見世物小屋の娘で……」

『ここでは汚れる』

 

「はい……旦那様」

 

顔は丸く、手足は短く、胴体も頭3つ分しかない。

この小さなヒトは、その運命を良く分かっているようだ。

細かい指定のできない零脚型は、小さなヒトを捉えて信号を発した。

いつものように首を折って終了するのではなく、少し加工したい。

そうすると血を無駄にするので、わざわざ運んでいる訳だ。

 

『ここならば汚れぬ』

 

核のある穴の上で、それの首から下を切り離す。

残された頭を掴んだまま待って、水気を切った。

そうして領域の端まで戻り、手に持った物を外へ投げ捨てる。

領域の上に出て反応を見ると、人々は悲鳴を上げて逃げ惑っていた。

小さなヒトの頭を拾う者はなく、それの親と名乗った者の姿もない。

 

『なにか思い違いをしているようだ。余は神や仏ではなく、鬼である』

 

そのように余は宣言した。

もはやヒトは余を拝まず、余に恐れをなして平伏する。

しかし「子を殺した事に怒る」と思っていたので余は首を傾げた。

「子の仇である余を討つべし」と思う者はいないのか。

あの小さなヒトの親と言った者は、いったい何処へ姿を消した。

 

人々の立ち上がらぬ理由を考えて、余は思い付く。

素早く動き回るために、余は武器を用いない。

しかし鋼の余と違って、肉塊であるヒトに武器は必要だろう。

核から生成できる物は下僕に限らず、道具や生物も含まれる。

余は無機物を好む上に食事の必要もないので、生物は出さなかった。

 

ダンジョンであれば宝や罠は必要だ。

宝で物資を呼び込み、罠で引っ掛ける。

しかし余は、奥まで生物を引き込む気はない。

余の領域は直線で構成されているため、容易に進行される。

もちろん領域の形は変更できるものの、無機質な在り方こそ余は好んだ。

 

資源を消費して、余は銃2丁を生成する。

飛び道具ならば力の弱い者も使えるだろう。

手の平サイズで、電池を内臓した電子銃となっている。

次に侵入した人々の内、最後に残した者へ渡して放り出した。

余も領域の端から上に出て、その者の反応を見る。

 

「これは、鉄砲なのか……?」

 

火縄銃はあるのだから、銃の存在は知っているらしい。

しかし、鉄を手に取る事はなく、武士は刀を構える。

やはり武士らしく、刀に固執するものか。

そこで余は空へ向けて、鋼色の電子銃を撃って見せた。

ちなみに横へ撃って見せても余の経験で言えば、領域に引っ掛かる。

 

音もなく光線は発射され、電力の無くなるまで10発を数えた。

また充電すれば使えるものの、その際に消費される電力は多い。

そうして使ってみせたものの、武士の反応は良くなかった。

どうやら電子銃の素晴らしさを理解できないらしい。

実弾であれば音で分かりやすいものの無駄も大きく、あれは余の好みではない。

 

小さな柄から一定の光線を出す電子剣という物もある。

しかし、あれは10も数えれば電池切れとなるため使えない。

悩み抜いたものの、他に適当な物は思い付かなかった。

やはり電子銃こそ最良と思って、外へ返すヒトの手へ渡して行く。

ちなみに電子銃を用いても、余の鎧を傷付ける事は叶わない。

 

 

余の領域は拡大を続け、鋼の羽虫も数を増していた。

警報の機能を有する零脚型は、広さに応じて必要となる。

しかし、領域の拡大と資源の収入は等しくない。

電子銃を撒いた効果はあって、余の領域へ踏み込む物資は増えた。

その後の江戸に起きた大きな問題によって、余の資源は大きく増える事となる。

 

江戸は地震によって焼け野原となった。

冬を2回経験したので、初めて黒船の来航した2年後か。

たしか江戸直下地震の時に元号は、すでに嘉永から安政へ変わっていたはずだ。

明治と同じで、まったく【安】心できない【政】局となる。

吉田松陰の死罪は、この元号の6年目に起きた安政の大獄に数えられる。

 

見通しの良くなった景色に、1つの建物は建てられた。

被災者を収容する避難所らしいものの、そこからヒトは溢れている。

どのように考えても避難所は足りていない様子だ。

人生に絶望した人々は、余の領域へ飛び込んで資源へ変わる。

これまでの資源不足を補うように、人々は死に急いだ。

 

これは良いと思うものの、このまま江戸は滅亡するのではないか。

この焼け野原から復興できる様子を、余は想像できなかった。

人の減少は、物資の減少であり、不安定な資源へ繋がる。

だからと言って支援物資を生成するために、余の資源は消費したくなかった。

そう言えば、これほどの災害となれば死体も山となっているのではないか。

 

『余の下へ死体を持ってくれば、温もりを与えよう』

 

食料の配給は行われているようなので、余の用意した物は電子カイロだ。

余は鎧であるため気温は分からぬものの、夏は過ぎているため寒い事だろう。

熱の発生は電力の消費を早めるため、電子カイロを使えるのは10時間程度しかない。

それでも人々は余の誘いに乗って、1日も続かぬ温もりのために死体を売る。

死体の灯によって、余の懐は暖まって、ヒトの懐も温まった。

 

その後、江戸の復興は意外に早かった。

領域の拡大を予想したのか、周辺は空地となっている。

見通しは良くなって、余の索敵も容易になった。

黒船来航から5年経ち、地震から3年経ち、冬も過ぎつつある。

その頃、外国人らしいスーツを着たヒトは余の下を訪れた。

 

「こんにちは、私の名はハリスだ。貴方の名は何と言うのかな」

『ヒトと違って、余に名などない』

 

「おお、頭の中に声が響く。これが噂に聞いたテレパシーか」

 

発声された英語は分からぬものの、その意味は理解できる。

それに対して余は声を出せぬので、念をヒトへ送っていた。

それにしても、やはり外国人か。

まさかアメリカ駐日総領事のハリスではないか。

日本の金を流出させてインフレを起こし、生活を苦しめた事で有名だ。

 

「おっと、失礼。そうか、貴方は名がないのか……しかし、名がないと困る事もあるだろう」

『困った事などない』

 

「では、私は貴方の事をスティールアーマーと呼んでも良いかな」

『余に名を付けるなど何様だ。気に食わぬ』

 

ハリスと名乗った外国人の話を、余は聞き流す。

ハリスの存在は不平等な通商条約の締結を指し示す。

これによって日本の経済は食い漁られる事だろう。

たしか主食である米も買い漁られて、価格の高い状態になるのだったか。

次は米袋と死体を交換すると言えば、ヒトは釣れるのかも知れない。

 

「ところで貴方の鎧の中身は、どうなっているのかな?」

『その手で余に触れて、確かめて見れば良かろう』

 

「そうしたい物だが、貴方は私を殺したりはしないだろうか?」

『そんな事はせぬ』

 

「残念だが、次の機会にしよう。まだ私は死にたくはないからね」

 

無駄な話の長い奴だ。

もちろん余の領域へ入ったら殺すつもりだった。

余の領域へ踏み込みたい気分になるように、これを挑発するか。

駐日総領事なハリスの機嫌を損なっても、余に害はない。

これを殺しても余に兵は送られず、あれらは江戸へ賠償金を求める事だろう。

 

「ところで死体を1つ持ってきた。これを何かと交換してはくれないか?」

 

ハリスは手を上げる。

すると遠くにある建物の後ろから荷車は出た。

運んでいるのは外国人ではなく、汚れたヒトだ。

ハリスの護衛も姿を隠しているのだろう。

今の日本で護衛を付けずに歩き回る外国人はいない。

 

『ならば米と交換してやろう』

「それは私が異人だからか?」

 

『米の価値が上がるからだ』

「私としては拳銃や温鉄の方が嬉しいのだがね」

 

『知らぬ』

 

温鉄と言うのは、電子カイロの事だろう。

荷車に載っていた桶を持って、汚れたヒトは領域へ入る。

余は木桶の蓋を開けて、表面の塩を除いた。

すると、黒い髪と腐敗した頭皮を感じ取る。

本当に死体らしいので核に吸わせ、米袋を出した。

 

「ほう、これは素晴らしい」

 

ハリスは2袋の米を受け取って喜んでいる。

しかし、米を貰って喜ぶように思えないから演技だろう。

死体を運んだ荷車を放置したままハリスは立ち去る。

汚れたヒトの姿は、どこにもない。

ハリスは1人で帰って行った。

 

 

翌年の夏を過ぎた頃、大きな動きは起こる。

余の領域を挟み込むように刀持ちの武士は配置された。

車輪の付いた大砲も外周に運び込まれている。

汚れた服を着た人々は刀ではなく、竹槍を持っていた。

間違いなく、この世に戻ってから初の大規模攻勢だ。

 

これまでに無かった事だ。

やっと危機感を抱いたのかも知れない。

黒船来航から5年の内に、余の領域は沿岸を侵食した。

江戸の港は余の領域によって、東と西に大きく分断されている。

あと5年も経てば領域は、将軍の座する江戸城へ届くだろう。

 

余としては、ヒトの反応は遅すぎると思っていた所だ。

大砲の弾を撃ち込むくらい、すぐに出来た事だろう。

不思議ではあるものの、これは大量の資源を得る機会だ。

余は核から四脚型を生成し、碁盤の目状な領域へ解き放つ。

これは4本の足を有する獣に似た形で、これまでの下僕と違って戦闘用だ。

 

外へ戻る前に、砲撃の重い音は響いた。

領域の内部へ大砲の弾を撃ち込まれたようだ。

余の下僕も、いくつか壊れた事だろう。

警報の機能を有する零脚型の発した信号の下へ、余は駆け付ける。

最初に接した集団は、竹槍を持つ汚れた人々だ。

 

「なんだ!?」

 

いつものように悲鳴を上げる間もなく首を折る。

 

「どうした!?」

 

余は目で捉えられぬほどの速さで動く。

 

「あやかしだ!」

 

灯りを持ったヒトは、余に気付いた。

 

「槍を構えよ!」

 

汚れた人々の後ろに刀持ちもいる。

これらの見張りらしく、その言葉で人々は槍を構えた。

しかし竹槍な上に、突き出す事もなく棒立ちしている。

武士と違って軍人ではなく、どう見ても戦闘訓練を受けていない素人だ。

まさに寄せ集めの集団で、命令を出した刀持ちは離脱を計った。

 

零脚型の信号は、別の場所からも発せられる。

余の領域は広くなったので、まだ余裕はあるだろう。

しかし、余の下僕を壊されると、余計に資源は必要となる。

この場にあった20の命を奪って、領域を出る前に刀持ちを捕まえた。

今回は武器を渡す必要はないので、そのまま殺す。

 

定番ではあるものの、真逆の方角から侵入されているようだ。

その方向へ向かう前に余は、領域の端から突き出た鉄塊を感知する。

撃ち出された砲弾を殴り飛ばせば、その衝撃で爆発した。

真っ暗だった領域は瞬きの間に明るくなり、爆風によって死体は床を転がる。

端から突き出た砲身を蹴り飛ばせば、空間に波を残して領域の外へ消えた。

 

鋼の床を蹴って、余は瞬時に加速する。

ヒトの目と異なる余の感知は、どんな速さでも狂わない。

直線の通路で2回も角を曲がれば、集団の後方へ出た。

後ろから順に命を絶てば、鎧の足音に気付かれる。

2人ほど足を止めて、残りの3人は足を止めなかった

 

「ヤァァァ!」

「ヤァァァァァァ!」

 

悲鳴ではなく、威嚇の声らしい。

床に投げ捨てられた提灯は燃えている。

余は刀の横を普通に通って、2人の首を折った。

余の動きに反応すら出来ず、残った3人も床に転がる。

すると再び、別の場所から信号を受け、余は侵入者の存在を知った。

 

時計のない闇の中、ひたすらに戦った。

それから攻勢は、どれくらい続いたのかも分からない。

余は疲れを知らぬ故、苦に思う事もない。

余の流した電子銃を持った者も現れ、光線は輝いた。

そういえば大砲は兎も角、火縄銃の類いは無かったようだ。

 

やがて攻勢は止み、物資を回収する時間となる。

充電の機能を有する参脚型と、多才な弍脚型を生成した。

弍脚型は死体を切り分け、それを参脚型は核まで運ぶ。

と思っていたら最後の攻勢を仕掛けられた。

しかし四脚型によって守られ、余の下僕は無事だ。

 

もはや、わざわざ死体と米を交換する必要はない。

米は兎も角、電子銃は宝の代わりなので続けるべきか。

刀持ちは多いものの、自殺以外の用事で町民は入ってこない。

領域に遊び気分で入った子を資源へ変え、残した1人に電子銃を渡した事もあった。

あの子は余を怨み、仲間を連れて、資源となるために、ここへ戻ってくれる事だろう。



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