ソードアート・オンライン 一人の騎士として (ロア)
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1話

 ソードアート・オンライン。

 俺がそのゲームを手に入れることができたのは、一言で説明するならば『運が良かったから』だろう。

 俺はただのゲームが好きな16の高校生だ。そして、俺と同じか、それ以上にゲームに情熱を注いでいる友人の兄弟がいる。

 その友人と、友人の兄貴の三人でよく対戦をしたり、協力プレイで様々なゲームを攻略した。皆が知ってるハンティングゲームから、それらに比べたらコアな扱いを受けている、死にゲーと呼ばれるゲームまで。

 ナーヴギアによってプレイできる、VRゲームにおいてもそれは例外ではなかった。

 

 そんな俺達が、『ソードアート・オンライン』というゲームが発売されると聞けば、当然欲しがった。

 従来のVRゲームではなく、VRMMORPGというジャンル。自分の身体で、自分の動きで、色んな人達と世界を冒険できるという新境地。決められたフィールドでただ敵を倒したり、パズルを解くといった今までのVRゲームとは比べ物にならないゲームとなるだろう。

 オープンベータテスト、と呼ばれるテストプレイにも、俺達は応募した。その結果、友人の兄貴が当選した。

 俺達は二人で不平を述べたが、それは心からのものではなかった。むしろ、一番ゲームの上手い彼だからこそ、ベータテストでもしっかりと楽しみ、その世界を満喫するだろうとわかっていた。そう信頼していたから、俺達は譲ってくれとも言わず、嬉々としてその兄貴に任せた。

 

 俺達は彼がフルダイブから戻る度、話を聞くのに夢中になった。どんなモンスターが居た、どんなクエストがあった、こんな剣技(ソードスキル)があった。

 それらの情報を、俺と友人はただ聞き入った。自分の家にあったトレーニングソードや木刀を持ち出して、教えられた動きを真似たりした。

 そうして遊びながら、俺達も製品版を必ず手に入れると意気込んだ。

 

 製品版を手に入れるために、俺達はあらゆる手段でそれを求めた。友人の兄貴はベータテスター故の優先購入権があったが、俺達の入手にも手を貸してくれた。

 販売店での予約、抽選への申し込み、同じベータテスターでも製品版購入に意欲的では無い人物へ譲渡願の旨を伝える。

 そういったものに、『俺』は全て外れてしまった。抽選は外れ、直接・ネット販売の予約はいっぱいで、購入した人への交渉もうまくいかなかった。夜通し店頭に並ぶ行列に混ざることは、残念ながら未成年で学生の俺には無理な話だった。

 

 しかしなんと、友人は幸運にも製品版を二本手に入れたのだ。抽選と、兄貴のベータテスターへの交渉が功を奏した、と。

 俺が頼むよりも早く、そいつは一本を俺に譲ってくれた。当然その分の金を払い、俺は礼を言った。

 こうして、俺と友人兄弟の三人は『ソードアート・オンライン』の製品版を手に入れることができたのだ。

 俺は自分の――いや、友人の運の良さに感激し、腕を組んだり肩を組んだりしてただ喜んだ。

 

 

 

 

 正式サービスは十一月六日だったが、ソフトを入れて起動することはできて、そのなかでキャラメイクが可能だった。

 身長体重は大まかにナーヴギアによって計測されていて、それを基準に身体は作られた。身長173センチ、体重65キロ。これは現実の俺と同じだ。

 顔はそこまで拘らないが、多少スマートなイケメンにしてみる。映画俳優には届かないが、中の上あたりの顔立ちではあるだろう。短髪を茶色混じりの金色に染め、少し逆立たせる。

 

 それだけのメイキングだが、俺はそれなりに満足した。こいつにプレートで飾られたアーマーを着せ、剣と盾を持たせれば、なかなか理想的な『騎士』になりそうではないか。

 俺は職業を含めたキャラメイクのできるゲームをプレイする際、一番最初に作るキャラは、剣と盾を持った騎士らしい男キャラで進めると決めている。

 

 たぶん、俺と同じような考えを持っている人はいるだろう。最初は脳筋で進めるとか、魔法使いで進めるだとか。盗賊で進めるという人もいれば、弓兵で始める人もいるだろう。

 人それぞれの『自分のキャラ』があり、自分の分身がいるはずだ。それこそがRPGの醍醐味なのだから。

 ちなみにあの二人の場合では、友人が槍などの長物を使う軽装で、その兄貴ががっちがちに防御を固めたタンクか、たまに真逆の完全支援型の魔法使いだ。

 真逆のプレイスタイルを完璧に使いこなせる友人の兄貴には、俺達はゲームの上手さで敵わない。

 

 おそらく、あの二人はソードアート・オンラインでも同じような構成でキャラを作っているだろう。

 そう考えながら、最後に名前を入力し終えると、俺は満足して確定ボタンを押した。

 

 

 

 

 そして、どんな風に進めていくか、どんなパーティで活動しようか。三人でもいいけど、もっと大人数で遊ぶのも楽しいだろう。

 そういった事を三人で話し合いながら、俺達はその日が来るのを待った。毎日毎日カレンダーを確認し、時計を見て時間が過ぎるのを待ち、一分でも早くその日が来るように21時には寝たりなんてこともした。

 

 そうして、ソードアート・オンラインの正式サービス開始の日が来た。

 俺達は寸前まで三人で通話し、話し合っていた。

 

「とりあえず、ログインしたら最初は町中の広場に出るからな。そこで三人合流してから、フィールドに出て戦い方を教えるぞ」

「りょーかい。まあ、お互いのキャラの顔が違っても、たぶんわかるしょ。お前もいいよな?」

 

 もちろんだ、と俺は答えた。

 じゃあ向こう側で、と挨拶を交わし、開始までの秒読みに入ったところでナーヴギアを被り、ベッドに横になる。

 

「リンク・スタート」

 

 慣れ親しんでいるが故に、俺はスムーズにその言葉を呟いた。



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2話

 フルダイブが完了し、目を開くと、まず最初に目に入ったのは巨大な黒い宮殿だった。

 おそらくあれは黒鉄宮という建物だろう、と推測した。この『はじまりの街』で一番でかい建物だ、と話に聞いていたのと同じだ。

 そして、俺は自分の身体を見下ろした。シンプルなシャツとズボンに、胸部を覆う革製のアーマー。初期装備らしさがぷんぷんのそんな装備に包まれた俺の身体は、入念なキャラメイクのおかげか、現実の自分とほとんど変わらないように感じられる。

 確か、メニュー画面の開き方は――

 

セドリック(cedric)!」

 

 思わず自分のプレイヤーネームを呼ばれ、驚きながらも振りかえる。

 そこには、二人のプレイヤーが立っていた。二人とも青みがかった黒髪だが、身長が違う。長身の方は左手を腰に当てて、もう一人はピースサインをこちらに向けている。

 

「……ソーヤ(soya)レイ(ray)か?」

「おう。相変わらず分かりやすい金色短髪だな。一目でわかったぜ」

 

 ソーヤが友人で、レイがその兄貴だ。いつもゲームで使っている名前と、普段の行動の癖。レイの方はよく腰に手を当てているし、ソーヤはピースサインを多用する。

 

「そっちこそ。顔は違うのにわかるものだな」

「まあ、7年来の付き合いだしな」

「あとお前いつも金髪だよな。なんかこだわりでもあんの?」

「いや、別に。……ともかく、どうするんだ、レイ」

 

 ソーヤの奇妙に整ったしたり顔を笑って流し、レイに視線を移す。

 

「まずは武器を買いに行くぞ。安い店知ってるからついてこいよ」

 

 手招きをし、俺達は後ろについて歩き出す。

 VRゲーム――仮想世界に来るのは慣れているので、この『アバター』を動かすのに不自由はない。どんなゲームでも、VRの身体の動かし方(きほん)は変わらないようだ。

 

「ああ、そうだ。ステータス開いてみろ」

 

 レイがそう言って右手を振った。そうだ、あれだ。あの動作がメニューを呼び出すアクションだ。俺とソーヤが右手の人差し指と中指を揃えて縦に振ると、メニューが呼び出される。

 

「おお、すっげー!」

 

 ソーヤが楽しそうに声をあげる。俺も同じ気持ちだったが、声をあげたりはしなかった。

 左側にメニューの項目が並び、右側に人形の――俺の装備ウィンドウと思われるものが出現する。

 ステータス画面を呼び出すと、更に項目が出てくる。

 

「そこにスキル、って項目があるだろ。それに自分の使いたいものをセットするんだ。ソードアート・オンライン(SAO)ではなによりもスキルが大事だからな。忘れずにセットしとけよ」

 

 俺は一番上に空いている項目に、『片手直剣』を選択する。

 

「レイ、盾はどうなんだ?」

「ああ……装備なら最初からできる。けど、盾もスキルが設定されてるし、セットすればソードスキルも使えるぞ」

 

 盾のソードスキルとは妙なものだ。じわじわ込み上げてくる笑いを堪える。

 

「いいのか? スロットは二つしか無いが」

「レベルあげりゃスロットも増えるから大丈夫だ」

 

 了解、と応え、二つ目に盾のスキルを選択する。

 

「槍……槍――あった、っと」

 

 隣でソーヤが設定したらしく、軽快にウインドウをタップした。

 

「オレは片手棍、と」

 

 レイがそう呟いてウインドウを閉じた。

 

「やっぱり同じだな。みんな好きだねぇ」

「いいじゃんか。槍は現実でも主兵装なんだから」

「まあ、現実でどうこうはともかく、個人の好みだろう」

 

 これらは全部、他のゲームでも共通して俺達の主要武器だった。ソード()スピア()メイス()。三人とも見事に好みが別れているが、大体のゲームでは斬撃・刺突・打撃と与えられるダメージが分かれていたりもするので、案外うまくいくのだ。

 

「着いたぞ。ここがこの『はじまりの街』で一番お徳な安い武器屋だ――っと、先客だな」

 

 レイの言葉に見てみると、ファンタジーの勇者然とした黒髪の男と、変わったデザインのバンダナをした若侍のような二人組が武器を丁度買い終えたところのようだ。

 

「他のプレイヤーだ……」

 

 俺は初めて見るプレイヤーの姿に思わず見入った。キャラメイクができるゲーム特有の、整った顔のアバター。たまにエキセントリックなメイキングをする人もいるにはいるが、VRゲームにおいてはその数は多くない。

 つまり美男二人組は楽しげに話をしながら武器を装備し、バンダナの男は試しに鞘からカトラスを抜いて感激しているように見える。

 そこで、ソーヤが俺の脇腹を小突いた。

 

「おいおい、オレも『プレイヤー』だぞ」

「――ははっ、確かにな」

 

 見た目はともかく、話し方も仕草も現実とほとんど変わらないこいつらは、どうしても『友達』であり、『他のプレイヤー』と認識しにくい。

 ともあれ、その二人組は買い物を終えたらしく、俺達に手振りで「次どうぞ」と示してくる。

 俺は会釈を、ソーヤはありがとう、レイはどうも、と三者三様のアクションに向こうは好印象を抱いたようで、軽く手を振って歩いていった。

 

「よし、そんじゃ武器を買って、フィールドで練習だ」

 

 

 

 

 俺達は街を出てすぐのフィールドに出現する、イノシシ型モンスターの『フレンジーボア』でソードスキルの感覚を覚えると、レイの提案で街から北西部の森へ向かう。

 

「まっすぐ突っ込んでくるイノシシ相手なら余裕だったろ。次はもうちょい実戦的な『モンスター』を相手してみるぞ」

「まかしとけ!」

「ああ、楽しみだ」

 

 あのイノシシは慣れれば余裕で倒せるが、経験値効率が悪い、というのがレイの弁だ。初期ならすぐに上がるだろうが、初期だからこそ、多少苦労してでも強い敵と戦って慣れることが大事だ、と。

 

「まあ、効率で言うならソロが一番なんだがな。パーティを組んだ方がお互いのフォローもできるし、組んどいた方がいいぞ」

「りょーかい」

「それで、この森には何が出るんだ?」

「この森に出てくるのは、ネペントっていうウォーキングウツボカヅラみたいなやつだ」

「ウォーキ……」

 

 相変わらず、適当な英語を組み合わせた言葉を使う。しかしニュアンスでわかりやすいというのが、なんともおかしかった。

 

「切れる葉っぱを備えたツルを振り回してきたり、装備を壊す腐食液を吐いてくる。予備動作はでかいけど、範囲は縦に長いから距離をとるんじゃなくて横に避けろよ」

「ブレス攻撃みたいなもんか」

「ああ。それと、この森を抜けると『ホルンカ』っていう村がある。ホルンカにはお前向きの良いクエストがあるから、戦闘に慣れたら一回街に戻って、回復アイテム(ポーション)とかの道具を買ってから向かおう」

 

 お前向き、と言う際、レイは俺の肩を叩いた。

 ホルンカ、か。言われたことを頭に叩き込む。

 

「そろそろポップしそうだな。抜いとけよ」

 

 レイの言葉に頷き、俺は背中に背負っていたラウンドシールドを左手に持ち、右手で左腰の鞘に納まっているスモールソードを抜いた。

 

「特にセドリックはこれから出てくるネペントのパターン覚えとけよ。後で役に立つからな」

「役に……? まあ、わかった」

 

 その楽しげな笑みからして、悪いことではないだろう。この男は年上なのに冗談が俺より下手で、人を騙そうとするときは必ず悪い顔になる。今回はそれではないので、素直に従っておこうと思った。

 

「で、まだかよそのウツボさんは」

 

 槍を両手で持ち、首の後ろに引っ掛けるように担いだソーヤがそわそわと発言する。

 

「いるぞそこに」

 

 レイの指さした先に、そいつはいた。なるほど、ウツボカヅラじみた植物を凶悪・獰猛にして歩かせれば、あんな感じのモンスターになるだろう。俺は不思議と納得した。

 

「お先!」

 

 ソーヤが駆け寄り、両手で握った槍を肩の辺りまで引き付けると、武器の穂先に光が纏う。ソードスキルだ。

 そのまま加速と共に突き出し、ネペントの凶悪な口の少し下、胴体のど真ん中に突き出す。

 それがヒットすると同時、ヒットポイントバーが一割ほど減る。

 

「ソーヤ、そいつ体かてぇからそこ攻撃してもあんまダメージ出ねぇぞ」

「えっ!? 先に言ってくれよ兄さん!」

「兄さんって呼ぶな!」

 

 この兄弟は仲が良いのに、レイは兄さん呼びは苦手らしい。まあ、兄の居ない俺には関係無い話だが。

 不意打ちをくらったネペントだが、即座に二本のツルを振り回して反撃する。

 それをソーヤは大きく距離をとって避け、槍を構え直す。

 

「じゃあ、弱点どこだよ? 教えてよ」

「茎と胴体のくっついてる場所だ。細くなってんだろ。そこをやれそこを」

「うえ、的ちっちゃ。あそこ突かなきゃなんないの? 槍にきつい世界だなぁ……」

 

 そんな憎まれ口を叩くソーヤに対し、ネペントが膨らむような動作を見せた。

 

「腐食液くるぞ!」

「了解!」

 

 口が開く瞬間を見切り、ソーヤは右に大きく跳んだ。ほぼ同時に液体が吐き出され、地面に触れると煙をあげる。

 

「うわ、食らいたくないな」

「盾で防いでも耐久削られるからな。気ぃつけろよ」

 

 俺の呟きに対するレイの忠告に、頷いて答える。

 

「うおりゃ!」

 

 今度こそ、ともう一度ソードスキルを発動し、ソーヤはネペントに突き込んだ。

 それはしっかりと接合部にヒットし、ネペントの体力をごっそり減らす。

 

「ツルが来るぞ」

 

 俺の呟きに、技後硬直が終わったソーヤは槍を回してツルを弾き、同じ場所にスキルを発動せずに槍を突き入れた。

 それよってヒットポイント(HP)ゲージが空になり、ネペントはポリゴンの欠片となって爆散した。

 やりぃ、とソーヤがこちらにピースしてくる。

 パーティを組んでいた俺とレイにも、割合は少ないが経験値が入る。

 

「なんかずりぃよなぁ。寄生プレイかよ」

「そのかわり、俺達が倒した経験値もお前に入るだろう」

 

 ソーヤの笑いながら言った言葉に、俺は呆れながら応えた。

 

「おっと、数が増えてきたな。各自、ちゃんと自分の花を剪定(せわ)しろよ」

 

 森の茂みから三匹のネペントが顔を出す。俺は真ん中のやつを請け負い、接近して対峙する。

 

「さて、と」

 

 俺は盾を構え、相手の動きを観察する。

 振り回してくるツルは片方ずつ、身体が膨らんだら腐食液を吐いてくる。

 

(――そこまで難しい攻撃はしてこない)

 

 突き出されてくるツルを盾で受け止め、腐食液を誘発させる。隙だらけのそれを大きく避け、右手の剣を大きく引いて構える。

 剣身が青く発光し、それを解放させる。『ホリゾンタル』という横斬りのソードスキルだ。スキルを発動させると、システムアシストによって自動的に身体を動かして攻撃してくれる。その動きに慣れれば、自分でその通りに動いてスキルを後押しし、威力をブーストさせる。これが基本だとレイに教わった。

 

「おおっ!」

 

 短く気合いを入れ、斬り付けた。威力ブーストはレイに言わせれば「まだまだ」だが、こればかりは慣れるしかないだろう。現に、さっきイノシシに向けて斬ったときよりも、少しは威力が上がっている実感がある。

 同じように防ぎ、ホリゾンタルで斬りつけるという流れを三回繰り返すと、ネペントは爆散した。

 

「なるほど。だいたい覚えた」

 

 俺はそう一人ごちると、ファンファーレが鳴り響き、金色のエフェクトが身体を包んだ。レベルアップだ。さっきのイノシシの分が結構貯まっていたようだ。経験値と取得した素材アイテムを見てウインドウを閉じる。

 

「お、やったな」

「おめっとさん。レベルアップしたら、能力に振れるポイントが手に入る。ステータス開いてみろよ。おっと、痛ぇっ」

 

 俺に説明をしていたレイがダメージを負う。衝撃はあっても痛みは無いのだが、ガクンとした衝撃は奇妙に痛みのような錯覚を覚えさせる。

 モンスターは二体だけで、ソーヤとレイがそれぞれを相手している。今のところ余裕があるので、俺はステータス画面を開いてポイントを振ることにする。少し悩んだが、3ポイントを筋力に2、敏捷力に1と振り分ける。筋力重視で振っていくつもりだ。

 ソーヤがもう一体を撃破し、レイも同じタイミングでメイスを叩き付け、ネペントは爆散した。ソーヤも俺と同じようにレベルアップし、ポイントを振ろうとメニューを開く。

 と、そこでレイの背後に新たなネペントがポップしていた。

 

「レイ、後ろだ!」

「オーライ――うわ、やべっ!」

 

 レイは振り向き様にメイスを振るい、慌てた声を出した。

 次の瞬間、レイの辺りから強烈な破裂音と悪臭が漂ってくると同時、大量のネペントが出現する。

 

「うわ、なんだこの臭いは!?」

「くっさ!」

「悪い、実付きだった! ネペントが大量に出てくるぞ!」

「実――? ああ、なんとなくわかった!」

「ゲームではよくある設定だな。仲間を呼び寄せるタイプか」

 

 この悪臭とモンスターの量だし、間違いではないだろう。

 

「どうする? 逃げる?」

「倒せるだけ倒すぞ。オレが引き付けるから、お前らでやってくれ!」

「了解した!」

 

 レイの言葉に、俺はそう応えた。集まってきた20体ほどのネペントのうち、端のやつに剣で斬りつけてこちらへ誘導する。

 こうすれば、一体ずつ引き付けて処理が出来る。レイが耐えてくれれば、だが。

 

「一丁上がり!」

「次!」

 

 既にコツをつかんできた俺とソーヤは良いペースで倒していく。が、俺の視界左上に表示されている『ray』のHPゲージが赤く染まった。

 

「レイ! 大丈夫か!?」

「あー、無理っぽい。出来るだけ耐えとくから、急いで減らしてくれ!」

 

 俺は先程よりもキレが増した『ホリゾンタル』で、ネペントをもう一体撃破する。

 

「セドリック! あと何体!?」

「こっちは二体! レイのところに六体いる!」

「あっちゃぁ、こりゃやられるわ。デスペナは経験値の数割ロストとアイテムドロップだったかな」

 

 レイの思い出すような、そんな言葉が聞こえてくる。

 

「『死に戻り』したらはじまりの街に転送される。オレは戻ったら街で道具とかの下調べしとくから、オレの落とした素材拾って、街まで戻ってきてくれよ」

「りょーかい。困るよ兄さん、そんなミスしてぽんぽん死んじゃったらさ」

「うっせぇ、面目ねぇ」

 

 俺が二体のネペントを倒している間に、レイのHPゲージは更に減っている。確かに、これは間に合わない。HPを回復させるポーションは効果が出るのに時間が掛かるので、ローテーションしながら回復するのが基本だ。だが俺達は目の前の相手に手一杯なので、今から時間を稼ぐのは無理だ。

 デスペナは痛いだろうが、あとで協力して許してもらうとしよう。まだ序盤だし、経験値ならいくらでも取り戻せる。

 

「ネペントはあと五体だ! お前らでも充分狩れるから、頼んだぞ! 俺の素材ネコババすんなよ」

「そんなセコいことはしないさ。ちゃんと渡す」

 

 俺が溜め息混じりに言った言葉に、レイは「ならいいけどな」と呟き、真横の死角から腐食液を掛けられた。

 気味が悪そうに顔を歪めたレイの身体をツルが貫き、HPが0になった。

 モンスターと同じように、しかし数割増しで大きなポリゴンエフェクトと爆砕音を残し、レイのアバターは消えた。いくつかのアイテムが落下した音も聞こえる。

 

「セドリック、タゲ任せたよ!」

「了解だ!」

 

 俺が前に出て息を吸い込み、吼える。『威嚇(ハウル)』という名前の、モンスターの注意を引くスキルだ。

 五体は一斉に俺の方を向くが、その横に回り込んだソーヤがソードスキルによって二匹同時に貫いた。槍を引き抜き、離脱。軽装の機動力を生かし、俺の後ろを回るようにして移動すると、反対側からも同じように槍で攻撃する。

 それを繰り返してネペントのダメージを稼ぎ、全体的に半分以上減ったら俺も攻勢に出る。左右に分かれて両端のネペントから一体ずつ同時に処理していき、最後の一匹はソーヤに譲ってやる。

 

「おしおし。中々いいね」

「ああ。槍、使いこなせてるじゃないか」

「やっぱ纏めて貫けるのが槍の良いトコだよねぇ」

 

 手の中でくるくる回し、槍を掲げてソーヤは笑った。

 俺も笑い返すと、剣と槍を打ち鳴らし、お互いの健闘を讃えた。

 

「あ、素材拾っとかないと。うわ、兄さん素材ドロップ少ないなぁ」

 

 確かに、落ちていた量は、俺が取得した素材アイテムの半分近くしか無い。

 

持ち物全てを落とす(全ロス)というわけでもないかもしれないが」

「どうだろ? 兄さん、幸運値(ゲームラック)はどんなゲームでも低いしなぁ」

「ベータテストに当選したのに、か?」

「それはリアルラックだから」

「それもそうか」

 

 で、これからどうする、と聞いてくる。

 

「もっと狩ってレベル上げて、兄さんに自慢してやる?」

「それも悪くないだろうが、もう五時半になるぞ。一度街に戻ろう」

「えっ!? もうそんな時間なんだ。早いなぁ……」

 

 時間を指摘した俺だが、あまりにも早く時間が過ぎたことに驚いている。体感では二時間そこらだと思っていたのだが、もう四時間以上経っている。

 俺は装備している『スモールソード』の表面をタップし、武器の情報を見てみる。

 

「耐久度も半分切っているしな。街まで戻るとしよう」

「りょーかいです」

 

 俺は頷きを返し、森を抜けると、街までの街道を歩き出す。

 

「しっかし、昼夜だけじゃなく、夕日まで再現されてるんだなぁ」

「ああ。見事なものだな」

 

 俺は鮮やかなオレンジを照らす夕陽に目を向け、予想以上に眩しい光に手で目許を覆う。

 

「オープンワールド特有の時間の変化は綺麗だよな! このまま月が出るまで眺めていく?」

「よしてくれ。夜になる前に街に戻りたい――」

 

 俺が続きをしゃべる前に、リンゴーンという、鐘の音のようなものが聞こえてきた。

 

「うわ、うるっさぁ……!」

「なんだ、この鐘は?」

「時間を知らせる鐘……じゃないっぽい? 今、中途半端な五時半だし」

 

 首をかしげ、肩をすくめたソーヤの顔を見て、俺も頷く。

 時間を告げるなら一時間置きに鳴ってもいいはずだ――と俺が言ったと同時、俺達は青い光に包まれた。



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3話

 光が収まると、周囲の景色が一変していた。

 

「っと。あれ、ここは……」

「はじまりの街だな。最初の広場だ」

 

 俺がこの世界にダイブした際、最初に降り立った街。その広場は多くのプレイヤーに埋め尽くされていた。

 が、そのプレイヤー達の表情は険しい。これでログアウトできるのか、という言葉を隣にいる男が発したが、意味はわからなかった。

 

「テレポートさせられたのかな」

「みたいだが……なんでだ?」

「うーん……あ、レイに聞けばわかるかも。探してみる」

 

 ソーヤが言うと同時にメニューを開く。俺達三人はフレンド登録をしているので、相手がログインしていればどこにいるのかわかるし、メッセージも飛ばすことができる。

 

「えっと、フレンド……あれ?」

「どうした?」

「レイが……居ない」

 

 どういうことだ、と聞き返すより前に、

 

「あっ……上を見ろ!」

 

 誰かがそう叫び、俺達も思わず声にしたがって見上げた。

 

「システム……アナウンス」

 

 俺はそこに表示されている英文を読み、運営のアナウンスか、と当たりをつける。

 となりではソーヤが未だにフレンドリストとにらめっこをしている。

 

「やっぱりレイ、居ない。名前に触れても反応しないな。ログアウトしちまったのかな?」

 

 俺は首を振った。よくわからない。急に街に戻され、レイも見付かりそうにない。状況が上手く理解できない。

 

「……あれ、GMかな」

 

 ソーヤの呟きに、もう一度見上げると、深紅のローブが空に浮かんでいる。大きさは俺達とは比較にならないほど大きく、ローブの中身は空っぽだ。

 そんなローブが身ぶり手振りを交えて話す内容を、最初から最後まで真面目には聞いていなかった。レイを探そう、とソーヤに裾を引かれ、反応しないフレンドリストに頭を抱えていたからだ。

 しかし、そんな話し半分でも、聞いた内容からわかりやすく話を纏めると、

 

『あのローブはゲームマスターであり、SAO開発者の茅場晶彦』

『ログアウトできないのはSAOの仕様であり、最上層である百層までクリアすることでログアウトできる』

『外部接触によりナーヴギアを取り外そうとした場合、ナーヴギアによって脳を破壊され死亡する。今現在二百十三名が死亡している』

 

 脳を破壊され死亡、という言葉に、俺達は眉をひそめた。どういうことなのだろう。

 そもそも、ログアウトできないというのはなんだろう。そう考えてメニューを操作すると、確かに『ログアウト』の項目が消えていた。

 そして、この瞬間。俺とソーヤにとって悪魔じみた宣言がなされることとなった。

 

『今後、ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に――諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 つまりは、この世界でやられたら俺達は死ぬ、と言っているのだ。

 俺がその言葉を理解し、実感する前に、頭上のローブが話を続ける。

 ゲームから解放されるにはSAOの舞台である浮遊城『アインクラッド』の攻略・クリアのみ。

 そんな事を言ったとして、やはりゲームのデモンストレーションか何かだと考えるしかない。

 

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

「アイテムストレージ?」

 

 周りのプレイヤー達がメニューを開き、操作している。俺もつられて同じように操作し、アイテム欄を開く。

 さっきネペントから取れた素材に紛れて、漢字二文字のアイテムが追加されている。

 『手鏡』。俺はこの世界に来てから店では武器しか買っていないし、モンスタードロップにもこんなアイテムは無かったはずだ。その二文字をタップしてみると、俺の右手に文字通りの鏡が実体化される。

 

「ん……ああ、俺か」

 

 金色の少し逆立った短髪。西洋人然とした顔。俺がキャラメイクで作ったあの顔だ。

 鏡なんてなんになる、と考えて顔をあげると、隣のソーヤが微動だにしていないことに気付いた。

 

「ソーヤ――」

 

 名前を呼んだ途端、ソーヤが……いや、俺も含めたプレイヤー全員が白い光に包まれた。二、三秒で光は消え、なんだったんだ、とソーヤを見ると、――奇妙に整った顔だったはずの――ソーヤの顔が、普段なら眼鏡をかけている、物腰の柔かそうな少年のものに変わっていた。これは、現実のこいつの顔。毎日のように会い、話し、遊んでいる蒼斗(・・)と同じ顔。しかし、ソーヤはそれでもなんの動きも見せなかった。流石に様子がおかしいことに気付いた俺は手鏡を仕舞って話しかけようとし、違和感に気付いた。

 もう一度手鏡を見る。そこには俺の顔が映っている。

 

「……俺の顔?」

 

 そう、『俺』のものである。『セドリック』のものではなく、現実の俺。

 西洋人然とした顔ではなくなっていた。基本的に外見について良くも悪くも何か言われることは無いので、『普通』だと認識している現実の俺の顔。

 回りを見ると、隣で愚痴を吐いていた整った顔の青年は角張っていて細長い、不健康そうな顔になっていて、俺の前に立っていたはずのツインテールの少女は、服装はそのままに小太りの男性へと変化している。その格好に、思わず出そうになった驚愕の声をすんでのところで抑える。

 回りを見渡せば見渡すほど、ファンタジー世界の住人はどこにもいなかった。俺の――『セドリック』のような騎士らしい精悍な男性も、誰も。皆、日本を歩けばその辺を歩いていそうな人間しかいない。見た限りでは、平均身長も低くなっているように思う。俺と同じくらいの身長の人間は、あちこちにぽつぽつと見えるだけ。数えるほどしかいない。

 

「これが……」

 

 あのローブは現実、と言った。これが、現実なのだろうか。これが、俺達プレイヤーの現実だというのか。

 俺はローブがこれから話す言葉を一字一句逃さずに聞いた。なぜこんなことをしたのかを判断するために。しかし、与えられた情報はこれだけだった。

 『目的はこの世界を創り出し、観賞するため』。俺には、その意味がよくわからなかった。ゲームを作るだけ作って、プレイヤーに攻略を強制して、これが現実だと語って。そんな世界を『観賞するため』と言った。

 それだけが目的で、既に達成されていると。

 

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の――健闘を祈る』

 

 それだけを伝え終えると、ローブはゆっくりと消えていった。

 周りのプレイヤー達が、大声をあげた。悲鳴をあげた。怒声が響き渡り、先のローブを罵倒する。

 

「――なにを」

 

 俺はそれらの声にたいして関心を持たず、なにを言ってるんだ、と俺は呆れた。馬鹿馬鹿しい、と口にしようとして……隣のソーヤの表情にやっと気付いた。

 無表情だった。しかし、何も考えていない状態では無い。ぼうっとしているのではなく――混乱している?

 周りの騒乱にかき消されないように、俺は顔を寄せて話し掛ける。

 

「ソーヤ、どうした」

「ログアウト、出来ないんだよな」

「らしいな。確かに、ログアウトのボタンが存在しない」

「ナーヴギアを外から外そうとしたら死ぬんだよな」

「そう……言ってたな」

「HPがゼロになっても、死ぬんだよな」

「――っ」

 

 俺は息を呑んだ。HPがゼロになったら死ぬ――それが本当なら、あいつ(レイ)は?

 

「ねえ、セドリック。今のってチュートリアルなんだよな。()()()()()()()()()なんだよな? さっきの二百何人の死んでる人は、外からナーヴギアを剥がされそうになって死んじゃった人なんだよな?」

「……ゲームの話だ」

「でも現実って言ってた。お前の顔も――『セドリック』のものじゃない」

「――あいつを探そう」

 

 俺は震える声でそう言った。フレンドリストを開き、『ray』を探す。俺のフレンドリストにはたった二つしか名前は並んでいない。『soya』と『ray』の名前はある。しかし、レイの名前は押しても反応しないグレーに変わっている。

 

「レイ……レイッ!」

 

 ソーヤが唐突に叫んだ。声が裏返り、擦りきれてもなお、やめようとはしなかった。

 

「レイッ! レイ――一輝(かずき)! どこ!? 兄さんっ!」

 

 その場で天を仰ぐようにして叫び続ける。辺りに渦巻いていた怒声や悲鳴とは比べ物にならないくらいの悲痛さで、俺だけでなく、周りの十数人のプレイヤーがソーヤの悲鳴に気を取られている。

 その悲鳴に、その悲痛さに。『兄さん』と泣き叫ぶソーヤの事情を察したらしい。他のプレイヤーが悼むような表情になり、それが伝染していく。

 このままでは、まずい。俺はソーヤに駆け寄り、正面から両肩を掴んだ。

 

「ソーヤ」

「死んでないよな!? 兄さん――一輝は生きてるよな! だって、さっきまで一緒に笑ってたんだぞ! さっきまで憎まれ口叩いてたんだぞ!?」

「蒼斗ッ!!」

 

 俺は声の限り怒鳴った。実名を呼ばれたことと、普段まったく怒鳴らない俺の声量に驚いたのか、ソーヤはびくっと身体を震わせて止まった。

 

「いいか。もしかすると、一輝(あいつ)は――」

「ッ!!」

 

 ガツン、と。ソーヤの拳が俺の顔面に打ち込まれ、衝撃によって俺は数歩後ずさる。

 

「そんなわけない! そんなわけ――」

 

 俺の目を見て、ソーヤは言葉を切った。こんな状況で冗談やその場しのぎなど言えるはずもない。混乱しているソーヤに何を言っても聞き入れて貰えないかもしれない。

 それでも、誤魔化しきれないことが今起こっている。

 

「……ソーヤ。いいか。レイは――死んだかもしれない。チュートリアルなんて聞く暇もなく、それこそ、なによりも、誰よりも理不尽に」

「――ぅ、あぁ……」

 

 俺の言葉に、膝から崩れ落ち、大粒の涙を溢した。

 

「――宿屋へ行こう。少し休もう。ここは人が多いから」

 

 俺はソーヤの肩に手を乗せ、はじまりの街にある小さな宿屋へ歩き出す。

 こちらを見ていたプレイヤー達へ軽く頭を下げ、俺はソーヤの足取りに合わせてゆっくりと進んでいった。

 

 

 

 

 ソーヤは、眠ろうとはしなかった。借りた部屋の椅子に腰掛け、頭を抱えたまま動かない。

 どれだけそうしていたのだろう。俺はソーヤの肩に触れて口を開く。

 

「ソーヤ。俺は、街を出ようと思う」

「――なんで?」

 

 ひどく掠れ、乾いた声だった。

 

「ゲームをクリアしたら、ログアウトできると言っていた。なら、少しでも前に進めば、レイの事もわかるかも――」

「なら、一人で行ってこいよ」

 

 続けてソーヤから出てきた言葉は、そんなものだった。

 

「あんなのの言うことなんて、信じられない。オレは――もう、いやだ。兄さんがいなかったら、オレはなにも出来ないんだよ」

「さっき、ネペントを狩っただろう。俺達二人で、残った5体のネペントを無傷で――」

「そのモンスターに一輝は殺されたんだぞ!」

 

 顔をあげ、恐ろしい形相で俺を睨む。

 

「あの一輝が――オレ達よりもずっと強い兄さんがやられるんだぞ!? オレ達が出ていったって、死ぬだけだよ!!」

「ソーヤ……」

 

 一輝は――『レイ』は、俺達のカリスマだった。ゲームでも常に先導し、色んな場所に引っ張ってくれた。だからこそ、頼って、信頼して、一緒に戦うことができた。

 レイがいなくなったことにより、ソーヤは拠り所を失ったのだ。信頼できる唯一無二の兄を亡くしたのだ。

 ならば――俺には、何も言うことはできなかった。

 唐突に、ソーヤがメニューウインドウを開いた。いくつか操作すると、俺の前にもウインドウが表示される。

 

「トレード……?」

 

 確か、アイテムや(コル)をお互いに打ち込み、交換・譲渡するシステムだ。何をする気かと思えば、項目がどんどん増えていく。

 ネペントの素材、最初に狩ったイノシシの素材、コル、果てには初期武器――あの時一緒に買った、ソーヤの槍とレイの棍までもがトレード欄に並んでいく。

 これは、ソーヤの持ち物とコルが全て入力されている――?

 俺が何かを言う前に、ソーヤはOKボタンを押した。素材もコルも武器も、全てが俺のアイテムストレージに収納される。

 

「ソーヤ――?」

「もう、行けよ。これ以上居たら――お前を責めたくてたまらなくなる」

 

 その言葉に、俺はぞっとするほどの寒気に襲われた。

 俺を責めたくなる。それはつまり――

 

(ああ、そうだ……)

 

 俺が……あの時レイではなく、盾を持っていた俺が『威嚇(ハウル)』で囮になり、ソーヤとレイに始末を任せて防御に徹していれば。

 俺が(・・)引き受けていれば、誰も死ななかったかもしれない。

 それを、ソーヤは考えてしまったのだ。

 だからこそ、俺を責めないためにも、すぐにここから出ていけと言っている。

 それでも、これだけは伝えなくてはならない。

 

「ソーヤ……」

 

 ぐっと俺は息を呑み、

 

「いや、蒼斗(あおと)。俺は諦めない。俺は忘れない。この理不尽に屈したりしない。だから――」

「いいから行けよっ!!」

「だからっ!」

 

 蒼斗の声に負けじと叫ぶ。びくっと蒼斗が肩を震わせ、押し黙る。

 

「許してくれとは言えない……お前に、共に来てくれとも。だが、俺は一輝のために戦う。それだけは絶対だ――じゃあな、蒼斗」

 

 俺は絞り出すように言い、部屋を出た。

 後ろ手に扉を閉めた途端、ガチャリと音がした。鍵を掛けられたのだろう。

 

「……休むか」

 

 俺はそう呟き、違う部屋で眠りについた。

 

 

 

 

 目が覚めると自分の部屋で、いつものようにあいつらと通話をしながらマルチプレイを進める――なんてことはなかった。

 昨日は18時には休んだから、目が覚めたのは朝の3時だ。しかし、それ以上眠れそうにないので、俺は部屋から起き出し、ソーヤの部屋の前で立ち止まる。

 ノックをしようとしたが、止めた。

 

「……行ってくる」

 

 聞こえないとわかっていても、俺はそう呟いた。

 街は、静かだった。昨日までの騒乱は今のところ収まったらしい。

 ところどころで座り込み、項垂れている人物も見掛ける。NPCなのかプレイヤーなのか、一見では判断がつかなかった。

 カーソルが出たということは、プレイヤーなのだろうか。

 俺はこの時間でもやっているらしいNPC商店を見付けると、素材アイテムと受け取った槍と棍を全て売却した。素材アイテムは生産系のスキルで使うとレイが言っていたが、俺はそんなスキルに興味は無いので売り払うことにした。三人分の素材は、売却すればかなりの値段になる。

 防具屋の欄を見る。今の金額で余裕を持って買えるのは、『ブロンズアーマー』一式だった。鎧と手甲と脚甲を買っても、コルに余裕はある。

 しかし、装備不可能とアイコンが表示されている。

 まさか、と俺はステータス画面を開き、スキルを見る。スキルには二つの装備可能欄があり、その両方は剣と盾で埋まっている。

 

「……金属防具を装備するのにもスキルがいるのか」

 

 『軽金属装備』をセットしなければ、ブロンズアーマー一式は装備できない。くそ、と悪態をつき、スキルの必要ない革鎧を買い、残りの金で回復ポーションを買い込むことにする。

 500コルを残してポーションを買えるだけ買い、ストレージに収納した。

 

「……あとは、剣と盾の修理だ」

 

 耐久値は、鍛冶屋に頼めば減少した耐久値分の値段で修理してくれる。

 

「……よし」

 

 大丈夫だ。剣も盾も回復した。回復ポーションだって買い込んだ。

 慎重に行動すれば、死ぬことは絶対に無い。

 

「ホルンカへ行ってみよう」

 

 レイが言っていた、『森を抜けた先』の村。そこに何かがあると言っていた。なら、行ってみる価値はあるはずだ。

 もうすぐ日が昇る。出発は日が昇りきってからにするべきかと考えた。

 しかし、俺はこの街……ソーヤがいるこの街から、少しでも早く離れたかった。

 

「……すまん、ソーヤ」

 

 あの森は確か、街から北西の方角だったはずだ。

 俺は剣と盾をしっかりと装備し、街の門をくぐる。『圏外』と表示されるのを見ながら、俺は歩き出す。街の中は『圏内』。システム的に保護されていて、どんな手段を用いてもダメージは与えられない。なら、街の中に居ればソーヤは安全な筈だ。

 そう。『圏内』は安全なのだ。

 なのに。

 

「なん、で――」

 

 俺は唐突にもどかしくなり、何もかもを振り切るように走り出した。

 

「なんでだ――」

 

 なぜ俺は危険な圏外へ飛び出したのか。ソーヤに――蒼斗に語ったあの場所が、まるで違う世界の出来事かのように思い出される。

 

「俺は――」

 

 レイを助けなかった。そう自覚した想いが、不気味に胸の中に残っている。

 俺のせい、なのだろうか。レイの命を助けなかったのは、俺の責任なのだろうか。

 

 ――逃げたい、とは思う。

 

 責任なんて知らない。だって、俺もソーヤもレイも、知らなかったのだから。ゲームのなかで死んだら現実でも死ぬなんて、知らなかったのだから。

 けれど、実際に死んでしまったら、知らなかったなんて関係無い。知らなかったからといって、現実で死なずに許されるわけでもない。

 なら、せめて。

 

「レイの言葉を繋ぐ――」

 

 レイが言っていた。ホルンカにはお前向けの良いクエストがある。準備を整えたら行ってみよう、と。ならば、俺はその言葉に従うだけだ。

 ソーヤにとってのレイが拠り所ならば、俺にとってのレイは道標だ。

 

「意味のあるものにしてみせる。レイの死は理不尽だが、無意味じゃない。無価値じゃない! それを、俺が証明してみせる……っ!」

 

 俺がゲームをクリアする、なんて大逸れたことは言うつもりは無い。

 

 だが。

 

 一人の騎士として。『セドリック』として、この世界を生きる。

 キャラメイクがなんだ、現実世界がなんだ。ここはSAOだ。それだけが事実であり、現実だと言うのなら。

 

「俺の命を懸けて、僅かでも周りに貢献して見せる。周りの人間を生かすために力を尽くして見せる!」

 

 俺は吼え、疾走しながら誓う。

 

「俺はセドリックだ。一人の騎士として、レイの意思を継いで、この世界を生き抜いてやる!」

 

 それが、ソーヤに対する、レイに対する――俺のけじめになるだろうから。



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4話

 村に辿り着いたのは、6時になった頃だった。ネペントが出現する森はかなり入り組んでいたが、ゲームだからというべきか、しっかりと歩ける道が作られていて、森を抜けられるルートが決まっていた。

 しかし、真面目に道を進んでいたら相当な数のネペントと戦うことになり、なんとか村に辿り着いて『圏内』に入ったときには、買い込んだポーションは残り二個しか残っておらず、剣と盾は耐久値がかなり減少していた。

 予備の剣を購入しておくべきだった、とかなり肝が冷えた。

 

「ステータスっと……」

 

 それでも、2、3時間ほぼ丸々探索と戦闘だったことにより、レベルは4になった。レベル二つ分のステータスアップポイントを筋力に4、敏捷性に2振りわけた。

 安全な村についたことで一息つきながら見回すと、村の中にある武器屋を見つけた。

 助かった、と思いながら、武装をストレージに収めてから武器屋の店主に話し掛け、剣と盾をメンテナンスしてもらう。

 数分足らずで終わったそれを装備しなおし、礼を言って周りを見渡す。村人に混じって、プレイヤーらしき人物もそれなりに見掛けるが、特に話すこともないので村を散策する。

 

(……レイは良いクエストがある、と言っていたが)

 

 大きな村ではないが、NPCはそれなりにいる。武器屋の隣にある道具屋でポーションを買い足し、ストレージでアイテムを整理していると、道具屋の店主と男性NPCが会話を始めた。

 

「アガサちゃんの病気、まだ治らないんだって?」

「ああ。うちで扱ってる薬草を届けてやってるんだが、あんまり効果が無いらしい」

「可哀想に……やっぱり、普通の薬草じゃ無理なのかな」

 

 これ見よがし、と言ってもいいくらいに、俺の耳にその会話が入ってきた。

 そんな会話に当然興味を惹かれ、俺はそのNPCに話し掛ける。

 

「あの、その話を詳しく聞かせていただいても?」

「おや、剣士さん……最近、村の娘が重い病気に掛かってしまって。村の一番奥の家にその娘と母親が居るから、話を聞いてやってくれないか」

 

 その時、俺の目の前にウインドウが表示された。クエストの表示だ。

 

(……『森の秘薬』?)

 

 クエストを受ける、とボタンを押し、「わかりました、行ってみましょう」と答える。

 

「頼んだよ、剣士さん」

 

 名前からして、薬を取ってくるクエストだろうか。考えながら、一先ず言われた通りに民家へと向かう。

 たぶん、村人から話を聞かなくても、直接この民家を訪ねた場合もクエストを受けられるんだろうな、と考えた。

 ノックをしてから入ると、女性が鍋をかき回しながら挨拶をして来た。奇妙なことに、リアルの人間と見分けが付かないほど精巧な彼女の頭の上に、見事なハテナマークが浮かんでいる。

 珍妙なそれを気にしながら、俺は村の人に話を聞いてきた、と用件を伝えると、女性は丁寧に説明してくれた。

 長い話に戦闘疲れでぼうっとしていたが、更新されたクエストログから要約すると、『娘の病気を治すために必要な《リトルネペントの胚珠》を採ってきてほしい。もし採ってきてくれたら、剣を差し上げる』というものだ。

 

(……レイが言っていたのは、この事だったのか)

 

 ネペントに関するクエストで、報酬は剣。確かに、俺に最適なクエストだ。ネペントのパターンを覚えろと言われたのも納得だ。

 胚珠は花付きのネペントからしか採れないらしい――が、俺は何の気なしにアイテムストレージを開く。

 

(……胚珠はさっき見たような――ああ、これだ)

 

 先ほどアイテム整理をした際、そんな文字を見た気がした。そう感じて探すと、《リトルネペントの胚珠》がアイテム欄にあることを見付ける。さっき森を探索中に三匹のネペントを相手した際、花を咲かせた個体を倒していたのだ。レアモンスターなのか、群れのリーダー的な個体なのかはわからないが、後にも先にも花付きの敵は一体だけだったのでよく覚えている。

 こういうクエストは、クエストを受けていなければモンスターが出現しない場合もあるが、今回は違ったようだ。もしくは、近くにクエスト進行中のプレイヤーが居て、ポップした花付きネペントを俺が狩ってしまったのか。

 ともかく、手に入れていたそれをオブジェクト化して差し出す。運が良かった、と思った。さっき道具屋で売り払わなくてよかった。

 

「これのことでしょうか」

「まあ、既に見付けていたのですか!? ありがとうございます!」

 

 先程までの暗い表情を一変させ、頬を上気させながらお礼を言う。

 NPCとは思えないほどの感情表現に、俺は思わずたじろぎ、少しの達成感が胸に生まれた。

 今お礼を、と女性はチェストから一本の剣を取り出し、俺に渡してくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 俺はそう呟いて剣を両手で受けとる。スモールソードとは違って、かなりの重さがある。それを受け取ったらクエストが完了したとログが更新され、クリアボーナスの経験値が得られる。

 ギリギリでレベルアップには届かなかったが、これならすぐに上がるだろう。

 女性は胚珠を鍋に入れて薬湯として煎じはじめた。家を見渡すと、奥に扉がある。あの部屋に病気の娘が居るのだろう。

 

「……では」

 

 病気の娘とやらに興味がないわけではなかったが、あまりのんびりしてもいられない。俺は女性の背中に向けて頭を下げると、家を出た。

 

「『アニールブレード』、か」

 

 それをウインドウで装備すると、左腰のスモールソードが光と共にアニールブレードに変わる。

 引き抜き、剣身を眺める。リーチはスモールソードより長く、かなり重い。しかし、筋力振りの俺でもこの重さなのだから、この剣がどれほど強いのかがわかる。

 よし、と呟いて剣を鞘に納め、これからどうするかを考えた。

 メニューを開くが、クエストなどはなく、道標もない。

 

(……レベル上げをしておくか)

 

 そう考え、村の奥――西側の森へと向かう。

 ゲーム(・・・)が始まって、今日は二日目だ。俺がソーヤとの仲違い染みた別れのあとに丸一日眠り続けた、とかなら三日目かもしれないが、おそらく二日目という認識で大丈夫だろう。

 二日目でレベルが4。さて、これが早いのかはわからないが、俺が寝て過ごした昨日の夜から狩りを続ければ、間違いなくこれ以上にレベルは上がるだろう。

 つまり、どこかに居る『一番強いプレイヤー』とはそれなりに差が開いているだろうと推測した。

 俺は最強を目指すわけではないが、それなりに強くはなりたいと思っている。何よりも攻略に参加するのなら、レベルは必要な筈だ。

 

「さあ、新しい剣の練習台になってもらうぞ」

 

 そこまで考えをまとめると、目の前に見慣れたネペントが出現する。腰のアニールブレードを抜き、俺はその植物に向けて構えた。

 

 

 

 

 ほどなくしてレベルが5になり、ポイントを2、1で振る。そろそろ筋力に偏ってきたから、敏捷にも振っていくべきだろうか。力こそパワーを座右の銘とする俺には少し気に入らないが、この『ゲーム』で好き嫌いなど言ってはいられないだろう。

 狩りの報酬を確認しつつ、ホルンカに戻ろうと歩を進めていると、聞き覚えのある破裂音が聞こえてきた。

 

「――いまの?」

 

 同時に、嗅いだことのある悪臭が僅かに漂ってくる。これは――『実付き』の音と臭い。

 嫌な予感を感じ、俺は音が聞こえた方へ走り出した。距離は近かったようで、少し走ると大量のネペントが見えてくる。

 その群れの真ん中にはプレイヤーが、二人背中合わせで武器を振っていた。それぞれ両手剣と両手斧という、筋力振りの武器だ。HPはまだ緑を保っているが、既に二割は減っている。

 まずいな、と俺は剣を抜き、『威嚇(ハウル)』を使うと同時、盾の面に剣の鍔を打ち付けて音を鳴らす。こうして音を立てることで、多少ヘイト値に影響をもたらすだろうと考えての行動だった。

 それの効果かは知らないが、全てのネペントが俺を睨むようにこちらを向いてきた。

 俺に気付いた両手剣使いが声をあげる。

 

「悪い、助かる!」

「タゲは引き受ける! ネペントの数を減らしてくれ!」

「おう!」

 

 俺の言葉に威勢の良い返事を返し、二人はそれぞれソードスキルでネペントを攻撃していく。

 俺は盾でネペントのツルを防ぎ、腐蝕液を避けつつ、隙をついて通常攻撃で少しずつダメージとヘイトを稼いでおく。

 二人はそれなりにレベルはあるらしく、武器によるものか、攻撃力が俺よりよほど高いようで、早いペースで撃破していく。殲滅するのに時間は掛からなかった。

 

「ふぃ――死ぬかと思った」

「いやぁ、まったく――」

 

 俺はそう座り込んだ二人に駆け寄り、ポーションを一つずつ渡す。

 それなりに大柄な二人組だが、顔はそこまで厳つくはなく、親しみやすさを醸し出している。

 

「無事か?」

「ああ、あんたのおかげで助かったよ。ありがとな」

「いや、気にするな。『実付き』は攻撃したらネペントが集まると聞いた。気を付けろよ」

「ああ、思い知ったよ……」

 

 ともかく、無事でよかった。俺がそう言うと、二人は更に感謝の言葉を続けた。

 

「いやー、しかしあんた盾うめぇな。軽の革鎧からして、(タンク)じゃねぇよな?」

「盾は練習したからな。あと、そうだな……俺は壁よりも遊撃――その中でも、どちらかといえばアタッカー寄りだ」

「そんなら、あんたはパーティー組んでるのか?」

 

 俺は首を振った。

 

初期(・・)にパーティーを組んでいた奴は街にいる。今はソロだ」

「……なるほど、大変だな。アタッカー寄りってのもそれが?」

「それは性分だ。近付いて叩き斬るタイプなんでな……そうだ、お前たちは街から来たのか?」

 

 俺の問いに、二人は頷いて答えた。

 

「街の様子は、どうだ?」

「あー……街にはほとんどのプレイヤーが残ってる。暴れてる奴はいないけど、あんまりいい雰囲気じゃねぇぞ」

「……そうか」

 

 そこまで話すと二人はポーションを飲み終えた。

 

「回復ポーションまで、サンキューな。あんた良い奴だな」

「いや、人を助けるのは当然のことだ」

 

 俺はそう言った。

 と、もう一人が少し躊躇うように聞いてきた。

 

「なあ、余計なお世話かもしれないんだが……もしかしてあんたお人好しか?」

「ん……いや、そんなつもりはないが」

 

 俺は真面目な部類だが、ゲームオタクであったりすることから、おそらく真面目系クズに該当するだろう。

 内心そんなことを考えながら、それがどうした、と聞き返す。

 

「いや、なんだ。ネトゲに限ったことじゃないんだけどさ。こんなご時世だし、人助けは立派なことだと思うけどな。ロールプレイも悪かないし。けど、ネットゲーマーは一癖ある奴が多いし、下手したら騙されたり、利用されることもある。気ぃつけろよ」

「……そうか。わかった」

 

 俺は忠告を素直に受け取ることにした。

 

「まあまあ、そのおかげでオレ達が助けられたのは事実だ。本当にありがとな」

「あ、そうそう。それはマジで感謝してるぜ」

 

 機会があればまた会おうぜ、と握手を交わし、二人は森を抜けていった。

 

 

 

 

 それから数日後。いつものようにホルンカの道具屋でポーションを買い足そうとしていると、ガイドブックなるアイテムを見付けた。

 

「攻略本? SAOに?」

 

 不思議に思い、手に取る。表紙には一対の耳と髭が左右に三本のびた、おかしなマークが載っている。『大丈夫。アルゴの攻略本だよ。』というなぜだか信用できなさそうな一文が綴られている。

 しかも値段は無料である。怪しさがカンストしていたが、まあ、タダなら損はしないか、とポーションと共に購入し、『アルゴ』とは誰だろうなどと考えを巡らせながらパラパラと開いてみる。

 

「……ほう」

 

 思わず声が漏れた。見た目によらず、クエストや出現モンスター、ドロップするアイテムのことまで細かく書かれていて、簡易ながらマップデータも記載されている。

 俺は道具屋で売っている甘酸っぱい果物を囓りながら読み進める。

 この第一層は広大な空間で、村も町もフィールドもかなり広く作られているらしい。それを眺めながら、俺はこの先どうするかを考える。

 ここから北東に、トールバーナという町がある。一層の中で最北の村だ。そこは次の層に繋がるダンジョンである『迷宮』に近く、一層の中ではもっとも栄えている町らしい。俺が先日助けたあの二人も、攻略に参加するべくそこを目指していたのだろうか。

 まあ、まだ一週間だ。そんな急に迷宮が攻略されるわけでもないだろうが、そんな町となれば、防具なども良いものが揃えられるかもしれない。

 

「行くか」

 

 レベルが6になり、効率が少しばかり悪くなってきた俺は、ホルンカから移動することに決めた。レベル6で一つ解放されたスキルスロットには『軽金属鎧』をセットしておいた。ブロンズアーマーがホルンカの武具屋でも売っていたので、今はそれを購入して装備している。

 そして、顔馴染みと言ってもいいくらい通い詰めた武器屋に寄って、武具のメンテナンスを頼む。いくら通ってもまけてはくれなかったし、対応も変わることはない。

 隣の道具屋でポーションを買い貯め、食料品を買ってオブジェクト化し、手に持って歩き出す。

 パンに村の畑で採れた野菜を挟んだサンドイッチを見て、ふとソーヤのことを考えた。意識して考えないようにしていたのだが、今の自分の行動について考え、ソーヤの身を案じた。

 ソーヤは、なにか食べているのだろうか。俺に全財産を渡して以降、あの部屋に閉じ籠っているとしたら、この一週間何も食べていないことになる。そもそも宿にすらもう居ないだろう。

 別にこのゲームで餓死はしない。空腹感は感じても戦闘中には忘れたりするし、何かに集中すれば気にせずに過ごすことも不可能ではない。俺も最初の二日間は――ゲーム内で食事を摂れるということを知らずに――空腹で倒れそうになったが、バッドステータスにはならなかったし、HPも減らなかった。

 

「だとしたら、ソーヤは――」

 

 もしかしたら、ずっとあの街でうずくまってるのかもしれない。空腹なんて感じないほどの悲壮感の中で。

 食料を届けることはもちろん考えたが、あいつが俺に会ってくれるとは思えなかった。

 

「……今度、様子を見に行くか」

 

 そう呟いてサンドイッチを口の中に放り込むと、俺は北東に向けて走り出した。

 本当に行くかどうかは、自信が持てなかったが。



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5話

 トールバーナに着いたのは、それから一週間後だった。道中にいくつか村を見付けては、目ぼしいクエストを進めて金と経験値を稼いだ。そんなことをしていたらやたらと時間が経ってしまった。

 そして、到着したトールバーナは中々の広さが感じられる街だった。建物はけして豪華なものではないが、風情のある街並み。NPCも多いが、プレイヤーもそれなりの数がいる。こんな賑わいを見せている街は、最初期(・・・)の『はじまりの街』以来だろう。

 二週間近くホルンカ等の『村』で過ごしていた俺は、久し振りの『街』に感激し、きょろきょろと見回しながらトールバーナを歩いていく。

 初めて見る街と言うに相違無いのだが、おのぼりさんのように見られると考えたら妙に気恥ずかしい。

 

「さて武器屋は、っと」

 

 RPGゲーマーの剣士としての性か、新しい街に来るとどうしても最初に武器・防具屋を探してしまう。

 しかし自制する気もメリットもデメリットも無いので、欲望に従って街を歩いていく。装備を売っている店は中央広場に近いところにある場合が多い気がする。

 

「あった」

 

 これは武具屋というべきか。一軒の店のなかで、武器と防具に分かれた二つのカウンターが設置されている。

 まずは武器を見てみた。おそらくこの店で一番性能が良い剣は『スチールブレード』だろうが、攻撃力がアニールブレードよりも素で低い。

 ガイドブックに書いてあったが、ネペントの胚珠を落とす花付きのネペントは、ポップする確率がかなり低いレアモンスターだったらしい。下手をしたら三日まるまる狩ってもでないそうだ。

 つまり、あのクエストは恐ろしく厳しいクエストだったということ。

 そんな幸運だったと知った時は、思わずガッツポーズをしてしまった。16年間生きてきて一番気合いの入ったそれをやった事に、「俺も一人のプレイヤーなんだな」と今更ながら実感する。俺のゲームラックも捨てたものではない。

 そういうわけで、そんな面倒臭いクエストの報酬である武器が街の店売りに性能で負けたら、中々に心が折れるだろう。新しい街に来て高い金で剣を買ったのに、次のダンジョンで宝箱から出てきた、なんて時よりも、よっぽど。

 

「剣はいらないな。武器強化が出来るようだからアニールブレードを強化するとして、買うなら防具を優先するか」

 

 続けて防具を見せてもらう。防具に関しては、手甲ひとつ見ただけで性能が大きく変わっている。

 考えてみれば当たり前だ。俺の盾と鎧はホルンカで買った物なのだ。軽金属装備としては初期装備に近いだろう。

 

「……少し高いな」

 

 しかし、性能も重量も見た目も、かなり良さそうなものが揃っている。この『ナイトアーマー』なんかはそれが顕著だ。アンダーウェアに胴鎧と肩にプレートが着いているシンプルなものだが、それ故に落ち着いたデザインになっている。盾にも、『カイトシールド』という心惹かれるものがある。

 手持ちのコルと素材を鑑みて、今のブロンズアーマー一式を売り払えば、ナイトアーマー一式が買える。その場合はカイトシールドが買えなくなるが……まあ、それなら他の手段で稼げば良いか。

 

「……よし」

 

 俺はそう判断し、胴鎧と手甲脚甲を売り払い、ナイトアーマーを購入する。

 と、そこで購入を確定する前に、一つ新しい項目が出てきた。防具の色の種類があり、好きな色を選べるようだ。といっても、肩と胸部を包むプレートではなく、その下に着用されるアンダーウェアの色のようだが。

 俺は『赤』を選択し、即時装備を選択。俺の全身に新品のアーマーが装着された。

 少し重いが、頼りがいのある重さだ。

 店を出て、金を稼ぐためにモンスターを狩りに行くかと考え、それならクエストも探してから行こう、と更に考えを重ねていく。

 金を稼ぐというのは基本的にモンスターを狩ることだし、クエストによっては『モンスターを○○体撃破』系のものがあるので、それを併せて進めれば一石二鳥となるだろう。

 

 

 

 

 SAOに慣れてきたこともあって、トールバーナに来てからは順調に自分を強化し、金も稼ぐことができている。まあ、効率厨(せんもんか)から見れば穴だらけかもしれないが、アクションゲームなら少しの差はなんとでもなる。

 初期装備だったラウンドシールドも売却して念願のカイトシールドを買い、左腕に装備している。レベルも10になり、自分なりに良い流れだと感じている。

 特に、俺がこの街に来た翌日に例のガイドブックが更新――新刊の発売というべきか――され、トールバーナ一帯のクエストや、その他の情報が手に入れられたのが大きい。

 そして、ガイドブックに乗っていた基礎情報を参考に、俺はいま武器屋に来ている。

 

「武器の強化をお願いしたいのですが」

 

 そう、筋骨隆々な店主に告げる。

 武器強化システムは、『鋭さ(Sharpness)』『速さ(Quickness)』『正確さ(Accuracy)』『重さ(Heaviness)』『丈夫さ(Durability)』の5つの中からどれを上げるかを選んで強化してもらう、とガイドブックに書いてあった。

 それぞれがどういう効果のものかは名前からしてわかりやすいので、俺はまず『鋭さ』を上げることにした。

 その旨を伝え、素材とコルを要求される。承認すると、素材を炉の中に入れ、炉から真っ赤な光が溢れてくる。俺から受け取ったアニールブレードを鞘から抜くと、赤い光に満ちた炉に差し込む。その色が剣に移ると炉から引き出し、金床の上に乗せ、手に持っていたハンマーで叩き始める。

 その動作は恐ろしく正確で、一ミリのブレもないように見えた。NPCというシステム上の理由によるものなのか、それとも鍛冶職人ゆえの技術なのかは判断がつかない。

 十回ハンマーで刀身を叩き終えると、剣全体が光に包まれ、それが消えると同時に鍔元から切っ先に向けてきらりと光った。

 それを鞘に納めて俺に丁寧に渡してくる。

 武器情報を見ると、『アニールブレード+1』とある。なるほど、こうして武器を強くしていくのか。少しだけ、刀身の輝きが増した気がする。

 同じように剣をもう一段階強化し、防具もそれぞれ+1にすると、見事に財布は空っぽになった。

 

「よし――行ってみるか、『迷宮区』」

 

 防具も更新し、剣も少しだが鍛えた。片手直剣の熟練度も上がっている。

 資金稼ぎにもいいだろうし、俺は迷宮区へ踏み込んでいった。

 

 

 

 

 最近知ったことだが、トールバーナ周辺、ひいては迷宮区まで踏み込んでいるプレイヤーはかなり少ないらしい。デスゲーム――プレイヤー間ではこの呼称が流行っている――が始まって三週間が経っている現在、はじまりの街を出て今も(・・)戦っている者は50人居ないと言われている。

 

 しかし同時に――今現在、アインクラッドでの死者が千八百人を越えている、という話を聞いた。

 俺は目の届く範囲で人を助けているつもりだが、俺の行動パターンは他のプレイヤーと違うのか、それともフィールドが広いからか――あまり他のプレイヤーと会うことがない。だからこそ、俺は皆が外に出るのを忌避しているものだとばかり思っていた。

 例えば、もし一歩でも外に出て、イノシシにどつかれて転んだとする。ひどく慌てて――もしくは腰を抜かして立ち上がることが出来なければ、そのままハメ殺されることだってありうる。ソーヤも最初はあのイノシシに追いかけ回されていた。

 そんなことがありうるのだから、外に出たら死ぬかもしれない。そんな一パーセントでも可能性のある『死』を恐れて、街からほとんど出ていないのではと考えていたが、どうやら検討違いだったようだ。

 

(……俺は)

 

 俺は、死ぬのが怖くない――というより、やはりどこか信じられていない、というのが一番の理由なのかもしれない。しかし、現にレイはこの世界から居なくなり、ソーヤはそのショックで自暴自棄になった。

 俺の行動原理は――そんなことになる人間を増やしたくない、というものに近いのだろうか。

 ……いや、そんな聖人君子じみた考えは俺に合っていないだろう。そもそも、現実ですら事故に遭えば死んでしまうのだ。ゲームだから事故(・・)の可能性は高いとはいえ、そんなことを一々気にしていられない、という思考停止も少なからずある。

 

 まあ、俺の行動原理はともかく、死ぬかどうかという件に関しては、個人的に考えていることがある。

 

 『これはゲームであっても、遊びではない』

 

 これは、SAOのキャッチフレーズとして使われていた茅場晶彦氏の発言だ。今となっては、死を前提としたゲームなのだから、遊びで行動することなどできない――そう考える者が多いだろう。

 

 しかし、と俺は思う。

 

 どこまで行っても――命が掛かっていたとしても――これは『ゲーム』であり、たとえ遊びではなくとも、それ以上でも以下でもない。死にゲーであっても、一回も死なずにゲームをクリアすることもできる。ならば、どこまでいっても『ゲーム』なSAOは、落ち着いて慎重に進めれば、ある程度の安全は確保できるはずだ。

 そんな現実逃避じみた考えが、俺を多少なりとも動かしているのは間違いない。もちろん、モンスターと戦うときは最大限の注意を払っているが。

 

「ん……モンスターか」

 

 そんな事を無意味に考えていると、ポップする時特有の青い光が出現した。

 革鎧のようなものに身を包み、同じく革のヘルムを被った人型のモンスターだ。右手には、あまり輝きはないが、片手直剣を持っている。

 『ルインコボルト・インファントリィ』。コボルトというのは――ドイツ語だったかフランス語だったか――ヨーロッパ系の単語で、英語ではゴブリンと訳されると聞いたことがある。つまり、こいつはファンタジーにおいて外すことのできない二足歩行モンスターだ。

 俺は剣を抜いて、カイトシールドを前にするように半身に構える。

 

「先手――」

 

 俺は剣を担ぐように構え、駆ける。ソードスキルが発動し、それは強力な袈裟斬りとして繰り出される。『スラント』。『ホリゾンタル』と同じで、初期から使える袈裟斬りのソードスキルだ。

 

「――必勝!」

 

 俺の『スラント』はそれなりの威力ブーストにより、そこそこの威力とスピードを備えている。コボルトは剣で受けたが、ソードスキルに押しきられ、吹き飛ばされた。

 コボルトの頭上に表示されているHPゲージが、三割ほど減る。剣で受けてあれなのだから、クリティカルで決めれば瀕死にさせられるだろう。

 俺は、追撃のために前傾して走り出す。コボルトが立ち上がり、剣を大きく振りかぶる。そのがらあきの腹に『ホリゾンタル』を叩き込んでやる、と考え――コボルトの剣が青い光に包まれるのが見えた。

 

「――っ!?」

 

 俺は踵でブレーキを掛け、危険を感じて盾を構える。

 コボルトは弾かれたように凄まじいスピードで袈裟斬りを叩き込んでくる。俺の盾に正面からぶつかり、その衝撃に俺は踏ん張りきれずに押しきられるが、後転するようにして体勢を立て直す。

 

「『スラント』……! 使われるとこんな感じなのか」

 

 人型モンスターが動物や植物と違う点。レイから聞いていた――『アルゴ』とやらのガイドブックにも書いてあった――が、手に持った武器によって対応したソードスキルを使ってくる、ということだった。

 話には聞いていたが、敵のソードスキルを見る――というよりも、自分に向けて使われるのは初めてだったので、その速さに思わず防御することしか意識に無かった。

 しかし、反応できない速さではないようにも感じた。俺は気を取り直し、もう一度『スラント』を発動する。

 が、コボルトはそれをサイドステップで避け、カウンターぎみに剣を薙いでくる。

 運良く盾に引っ掛かったおかげでダメージは殆ど無く、減ったかどうかわからないほどだったが、俺は自身の認識の甘さに舌打ちをした。

 

「なるほどな。スキル頼りも良くないか」

 

 ソードスキルの練度も自身の上手さ(プレイヤースキル)だと理解しているが、いわゆる『スキルぶっぱ』だけでは勝てないということか。

 相手はこちらのやることをしっかりと覚え、それに対応してくる。スキルは威力の面で決め手となるが、それをしっかりと当てられるようにならなければ、まともに戦えない。

 

「……おおっ!」

 

 そのためには、『俺』自身の剣の腕が必要だ。スキルをただ発動するだけではなく、自分の技によって剣を振り、敵を倒す必要がある。

 ダッシュで駆け寄り、左から右に薙ぎ払う。コボルトはそれをバックステップで避け、その手に握る剣をもう一度振り下ろしてくる。

 俺はそこで下がらず、盾を構えて更に一歩踏み込むと、打ち込まれる剣に向けて、光を帯びた盾で押し返すように受ける。

 俺の盾とコボルトの剣がぶつかり、振り抜く前のコボルトの右手が弾かれる。

 その隙を逃さず『ホリゾンタル』を発動し、がらあきの胴に思いきり振り抜いた。

 上半身と下半身が分断され、ポリゴンの光となって消えていった。

 

「はぁ……はぁ……なるほど、これがSAOの真骨頂というわけか」

 

 大きく息を吐き、今までとは違う戦闘に少々気落ちする。

 

「訓練が必要だな」

 

 俺は気合いを入れ直すと、剣を握ったまま迷宮を進み始めた。

 

 

 

 

 コボルトに斬り込み、お互いの剣をぶつけ合うと同時に踏み込んでシールドバッシュ。俺はすぐさま袈裟斬りを繰り出し、それがコボルトのHPを減らすと同時に手首を返し、右に斬り払う。

 コボルトが苛立ったように剣を右脇に構えると青く光りだす。『ホリゾンタル』だと判断した俺はバックステップで大きく距離をとり、多少の余裕を持って避ける。

 

 ソードスキルはソードスキルで相殺できるが、仕様なのか、お互いに腕を弾かれる。その硬直時間は俺もコボルトもほとんど同じなので、戦闘を仕切り直すには良いが、反撃するには間に合わない。

 回避するか、盾で受け流すのが最良だ。もっとも、仲間がいたら、弾かれた隙に斬り込んでくれるのだろうが。

 

 俺は考えを中断し、剣を構え直す。コボルトはまた、俺が突進して『スラント』を打ってくると踏んでいるのだろうか。構えている剣の位置からして、おそらくそうだろう。

 俺は切っ先をコボルトに向けながら腰に引き付けるように構え、床にすれすれになるまで前傾すると、ソードスキルとして認識される。

 

「お――らぁっ!」

 

 俺は大きく床を蹴り、コボルトとの距離を一瞬で詰めると、右手の剣を突き刺した。

 突進技の『レイジスパイク』。敵との開いた距離を詰め、加速をのせた突きを繰り出す使い勝手の良いソードスキルだ。

 今まで剣による斬り払いや上段斬りに慣れていたコボルトは突然の突きに反応できず、俺のソードスキルをクリティカルで食らい、そのHPを全損させた。

 

「よし、良い感じだ」

 

 俺は良い手応えを感じ、アニールブレードを鞘に納めてぐっと拳を握る。

 コボルトの動きや、使ってくるソードスキルは難しいものではない。それはこれが一層であり、初めてのソードスキルを使う敵だからという理由もあるだろうが、それでも対応できない相手ではない。

 俺個人の剣技はまだあまり優れたものではないが、それは経験を積んでいくしかないだろう。

 メニューのスキルの欄を開くと、片手用直剣の熟練度が50に達していて、『modify』の文字が明るくなっていることに気付いた。

 

「なになに……便利機能みたいなものか」

 

 スキルを自分好みに強化していけるオプション機能だ。俺はとりあえず、『ソードスキル冷却時間短縮』を選んだ。これにより、ソードスキルを連続で使える間隔が短くなるだろう。

 さて、と。そんな操作をしながらも迷宮区を歩くにつれて、俺のウインドウに表示されたマップに表示されるエリアがどんどん広がっていく。

 こういったマップを埋めることを、ゲーム用語でマッピングというらしい。マップを埋めていくタイプのゲームはあまりやっていなかったので、新鮮に思った。

 真面目な性分故か、こういうのは隅から隅まで埋めたくなった俺は、別れ道をそれぞれ回り、時々宝箱を見付けてうきうきと開けたりした。中身が短剣だったのでがっかりしたが。

 上に繋がる階段も見付けたので登ってみた。

 階層が上がるにつれ、槍や片手棍を使ってくるコボルトが出現したが、そのスキルはレイやソーヤのを見たことがあったので、初見でもなんとか対応できた。

 迷宮区二階のマップを全て埋めたところであまりの広さに辟易し、もう時刻は夕暮れなので一度街に戻ることにした。

 

 

 

 

 ガイドブックによると、迷宮区は全二十階らしい。あの広さが二十階分だと、と俺は驚愕して慄いた。

 迷宮区から町の北口に戻ってくると、通りすがりのプレイヤーが驚いたように駆け寄ってくる。

 

「あの、君! いま北口から戻ってきたよな?」

 

 急に話し掛けられて驚いたが、ここは圏内なので脅されたりはしないだろう。安全だと判断し、俺はとりあえず、目の前の男に向けて頷いた。

 

「ってことは、迷宮区に行ってきたのか?」

「ああ、行ってきた」

 

 そう応えた俺の言葉に、目の前の男だけではなく、周りのプレイヤーも関心を寄せてきた。視線がこちらに向いている。

 俺は困惑した。トールバーナに居るということは、周りのプレイヤー達も迷宮に挑んでいるのではないのだろうか。

 

「迷宮区には、ソードスキルを使ってくるコボルトが出てくるんだろ? その……どうだった?」

「どう、と言われても……使ってくるのはプレイヤーのと同じものだ。自分や仲間の使う武器と同じなら、難しくは無いと思う」

 

 話を聞くと、トールバーナに居るプレイヤーの大半は、『ソードスキルを使ってくるコボルトが出現する』という情報に気後れしているらしい。

 迷宮の中には明らかに誰かが通った後だと判断できる状態のものがあった。開いていた宝箱などがそうだ。だが、迷宮にまで挑んでいるプレイヤーは少数なのかもしれない。

 

「でもさ、スキルってことはかなり速いんだろ?」

「確かに、通常攻撃に比べれば剣速は早い。だが、威力ブーストは乗っていないように感じたな。おそらく俺のような素人のソードスキルよりも、スピードは遅いと思う」

「どんなふうに対処した?」

「俺は、盾で防いでいただけだ……」

 

 質問攻め、というのか。この事態に慎重になるのはよくわかるが、スキルに関しては俺より詳しいものが居るだろうし、わざわざ俺に聞かなくても良いのでは。

 そういったことを伝えると、少し申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「まあ、そうなんだが。トップ集団に『ソードスキル対策教えて!』ってなんか言いづらくてさ」

「対策、と俺に聞かれても。盾を構えていろとしか言えないぞ」

 

 うーん、とそいつは悩み、いいことを思い付いた、と言わんばかりに掌に拳を打ち付けた。

 

「コボルトが使うソードスキルって、あんたのより弱いんだよな?」

「片手直剣を使うコボルトだけならな。少なくとも、遅れを取りはしなかった」

「厚かましいお願いになるんだけど、あんた、明日時間ある?」

「ああ。午後から迷宮に行こうとは思っているが、午前中は武器強化くらいだな」

「じゃあさ、明日……」

 

 俺はその頼みに驚愕しながらも、まあ、構わないが、と承諾した。



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6話

「よっし、いつでもいいぜ」

「――行くぞ」

 

 俺は『スラント』を発動し、彼に向けて全力で繰り出した。

 その急激な加速に対応しきれなかったのか、彼は剣で防ぐ間も無くその身に食らい、衝撃と閃光が散った。

 うおぉ、と周りがどよめいたが、目の前の彼はHPが減っていない。俺は剣を担いで立ち上がるために手を差し伸べる。

 彼が昨日提案してきたのは、俺を仮想敵とした対ソードスキルの訓練だった。

 

「うお……町の中じゃHP減らなくても、こんな衝撃伝わってくるんだなぁ」

「平気か?」

「ああ、大丈夫。デュエルだったら負けてたな、こりゃ」

 

 HPの減らない『圏内』でも、デュエルと呼ばれる決闘を行う際はダメージを負うらしい。だが、それは逆に言えばデュエルをしなければいくら攻撃を受けてもHPは減らないと言うこと。

 確かに、ソードスキルを相手に訓練するには良い考えだ。

 街中で抜刀でき、ソードスキルを発動することもできるとは知らなかった。まあ、通り魔染みたことをしても無意味だし、知っていてもどう、ということではないのだが。

 周りのプレイヤー達も俺達の事情を知っているので、仲裁しに来たりはしないし、人によっては「次俺にも頼める?」などと聞いてきたりする。

 俺はそれに頷きを返しつつ、もう一度目の前の彼に向けて『スラント』を打ち込んだ。

 

「うお、りゃっ!」

 

 今度は同じタイミングでソードスキルを発動させた彼は、俺の『スラント』に交差させるようにして、『ホリゾンタル』を打ち込んできた。

 ガギィ、という鈍い音が響き、お互いに大きく腕を弾かれる。

 硬直が解けた瞬間、俺は退かずに『ホリゾンタル』を発動する。それに気付いた彼はとっさに剣を割り込ませるが、ソードスキルを剣で受けきるには、おそらくかなりの筋力差が必要だ。

 レベルが同じ辺りの俺と彼では、お互いにソードスキルをただの剣で防ぐことはできない。システムのアシストのまま腕を振り抜くと、火花を散らしながら剣がぶつかりあい、彼を吹き飛ばす。

 

「あいってて……んー、どうすりゃいいんだろう」

「盾で受け流すのがいいんじゃないか?」

「それよりも、後ろに下がって距離とったら相手はスカるんじゃ?」

「でもソードスキルってちょっとだけ追尾するし」

「でも、やっぱ一対一だったら避けて斬るのが一番良さそうだな――できるかどうかは別として」

 

 周りのプレイヤーも対策がどうこう、と話を広げていく。

 俺も盾で受け流すか避けるタイプだ。避けるならもう少し……敏捷力にもう少し(・・・・)だけ振るべきだな、と考えを纏めておく。

 

「うしっ! でも、だいたい見えるようになってきた。単発技しか使わないんだったら、何人かで行けば対処できるかな。サンキュ!」

 

 吹き飛ばされた彼は、しかし楽しそうにそう発言すると「授業料だ」と言って50コルを渡してきた。

 モンスターを一匹狩っても精々30~40だ。ソードスキルをプレイヤーにぶつけただけで金を貰おうとは思わない。

 

「いいっていいって。無理言ったのはこっちなんだから」

 

 そう言って彼は北口へ向かった。そっちに仲間が待っているという。

 

「すみません……次、お願いできます?」

 

 控えめに申し出てきたのは、両手棍を持った青年だった。まあ、町の広場でこんな対策講座みたいなことをしたら、自分もやっておきたいと思うのは当然か。

 頼まれたのを断る気にもならず、俺は同じようにアニールブレードを構えて確認をとると、『スラント』を発動した。

 

 

 

 

 『ソードスキル』に対する対処は、文字を見ただけではやはり難しいのだろう。順番待ちのプレイヤーの中には例のガイドブックを開き、『スラント』と『ホリゾンタル』、『バーチカル』――俺はこれをあまり使わないが――がどういう技なのかを確認してから俺と立ち会っている。実際に使われているのを、順番待ちの際に何度も見てもいる。

 にも関わらず、システムによって繰り出される剣技のスピードに初見で対応しきれない人は多い。

 俺も最初はコボルトのそれに対して必死に盾を構えただけだし、受けきれずに押し負けたのだ。それも、威力ブーストの乗っていないコボルトの基本技に。

 そういう意味では、俺がここで身を以てソードスキルの速さを教えることに、意味はあるのだろう。ベータテスターならともかく、対人なんてしたことない――デスゲームでやろうとすらしないのだが――新規プレイヤーは、ソードスキルと相対したことが無い。

 

「うわぁっ!?」

 

 そんな状態でコボルトに挑み、こうして目の前の片手剣使いの彼のようにソードスキルを食らったりすれば――俺のものよりは威力が低いだろうが――大ダメージは必至だ。

 

「ご、ごめん。もう一度お願い!」

 

 そんな状況だからだろうか。この広場では俺だけではなく、感化されたように他の武器種を持ったプレイヤーが、それぞれのソードスキル体験講座を開いている。もちろん授業料は無料だが、人によってはアイテムやコルをくれることがある。俺は断りをいれるが、それでも押し付けるように渡してくる気の良い人間は居る。

 俺は『スラント』を繰り出す。それを俺の右手側へ避け、『ホリゾンタル』をカウンター気味に打ち込んできた。

 ガツンとした衝撃と火花のような光が俺の視界で瞬き、思わずたたらを踏む。

 反撃は無意識だったのだろう。慌てたように俺を気遣ってくるが、痛みもダメージも無いので問題は無かった。

 

「大丈夫だ。今のはいい一撃だった」

「ありがとう、なんとかなりそうだ。あ、よかったらこれどうぞ」

「……ああ、ありがとう」

 

 渡されたポーションをストレージにしまい、その後広場にいるほとんどのプレイヤーにソードスキルを打ち込んだときには、時刻は昼を回っていた。

 

 

 

 

 やれやれ、と俺はベンチに座り、パン屋で買ったドーナツのような焼き菓子を口に運ぶ。いくらダメージが出ないとはいえ、プレイヤーに向かってソードスキルを打ち込むというのは、それなりに精神が削れる。まあ、おかげで『スラント』と『ホリゾンタル』はかなり身体に馴染んだのだが。

 

「ふぅー…………」

 

 水を飲み、ぼーっとする。

 

「……いかん、のんびりしてられん」

 

 午後からは迷宮に入るつもりなのだ。俺は店で購入したポーションの整理を済ませると、左手で例のガイドブックを参照しつつ、ドーナツ染みた焼き菓子を咀嚼する。ほのかな甘味と少しパサつきつつもしっとりした食感は限りなくドーナツに近いのだが、なにか決定的に相容れない部分があるのでこれはドーナツではない。

 残りを口に放り込むと、もうひとつ袋から取り出そうとし――ベンチの後ろに誰かが立っていることに気付いた。その場から飛び退き、アニールブレードの柄に手をかけた。

 

「……なんだ?」

 

 口の中のものを嚥下しながら、俺は困惑した。そいつは、先程のソードスキル講義大会で見た顔ではない。少なくとも俺の知り合いではないし、通りすがりなどで見たこともない。

 なぜなら、そいつは女性だったからだ。かなり小柄――俺の胸元ほどまでしかない――で、布と革の防具に身を包み、左腰には(クロー)。そしてもっとも奇妙なのは、顔の両頬に三本ずつ、髭のようなペイントが描かれていることか。見ようによっては盗賊(シーフ)に見えなくもない。俺はますます目付きを鋭くする。

 もしかするとイベントクエストに関係したNPCの類いだろうか。こんな珍妙なプレイヤーなど存在するかも疑わしい。

 俺が飛び退いて丁寧に警戒までしている様に、その女はにひ、と笑った。心なしか無邪気そうな、しかしどこか底の見えない笑い。

 

「お人好しのナイトが居るって噂を聞いてサ。裏付けを取りに来たんダヨ」

 

 独特の鼻声染みたイントネーションだが、人を不快にさせるものではない。しかし、なんだこいつは。裏付け? お人好し? 

 

「……なに?」

「噂になってるんダ。進んで人を助けて、あげくにソードスキルの訓練相手まで請け負う騎士様が居るってナ。中にはNPCじゃないかって噂もあるガナ」

「それが、俺だと?」

 

 俺は一先ず柄から手を離す。

 

「……誰だ、お前」

「ありゃ、オレっちを知らなイ? その本作ったのオレっちなんだけどナァ」

 

 その本、と俺の左手のガイドブックを指した。この本がプレイヤーの委託販売によるものだという事はすでに知っていた。たしか、名前は――

 

「『アルゴ』……?」

「そうそう、人呼んで『鼠のアルゴ』。情報屋サ」

 

 『情報屋』。読んで字のごとく、情報を売るのだろう。クエストの情報などだろうか。

 

「……情報を売ってくれる情報屋の存在を知らないとはな。情弱とは俺のことか」

 

 俺の自嘲気味な言葉に、アルゴとやらはクスクスと笑う。

 

「情報屋と言ったが、なんの情報を扱ってるんだ?」

「そりゃぁ、ありとあらゆる情報だヨ。細かいクエストからレアアイテム、プレイヤーの個人情報までナ。オネーサンのステータスだって売っちゃうヨ」

 

 オネーサン、と言って自分を示すように腕を組む。オネーサンなどというが、こいつはいくつなのだろう。話し方や見た目からしてあまり年をとっているようには見えないが、だからといってレーティングギリギリの『少女』でも無いように思える。

 ――ああ、なるほど。それも金を払えば教えてもらえるのかもな。

 ともあれ、悪質なプレイヤーでは(おそらく)ないようなので、俺はベンチに座り直し、ドーナツであろう焼き菓子を一つ取り出すとアルゴに渡す。

 少し驚いたような顔をしたが、ドーモ、と言うと受け取って齧り始める。

 

「で、なんの用だ」

「裏付けを取りに来た、って言ったじゃないカ」

「ああ、お人好しの騎士がどうとか言っていたな」

「そうそう……まあ、もう裏なんて取れたようなもんだがナ」

 

 なんの事だかわからずにアルゴを見る。『鼠』を名乗る少女はニコニコ笑って、俺が渡したドーナツに似た焼き菓子をぷらぷらと揺らす。

 

「確かにお人好しダ」

「そうだろうか」

「NPCじゃないんだよナ?」

「ああ。俺はプレイヤーだよ」

「名前は?」

 

 俺は一瞬悩んだ。こいつにどこまで話したらいいものか、と。

 

「ありゃ、オレっちを疑ってル?」

「……あまり信用はしていない」

 

 初対面だしな。名前を騙っているだけの可能性も無い訳じゃない。

 アルゴ(疑)は少し悩んだあと、メニューを開いて操作する。

 すると、俺の目の前にウインドウが出現した。

 

『《argo》からフレンド申請が届いています。受諾しますか?』

 

 俺がチラリと目を向けると、うむうむと頷いている。

 

「名刺代わりだヨ」

「……そうか」

 

 『〇』を押す。アルゴ(真)は――あらかじめフレンドリストを開いていたのだろう――ウインドウを一瞥し、俺の名前を呼ぶ。

 

「『セドリック』? ふうん……変わった名前だナ」

「鼠が言うことか」

「にゃハハ、まあそれは言うナ」

 

 アルゴはベンチには座らず、その立ち位置のまま背もたれに腕を置くようにして話を続ける。

 

「で、そのセド君はなんだって人助けなんてしてるのかナ?」

「理由がいるか、人を助けるのに」

「そうだヨ。こんなゲームの中でも人助けなんてよっぽどのお人よしダ。そうまでなった理由はあるはずだロ?」

「知り合い関係だよ。助けられなかった奴がいるんでな」

「……フーン」

 

 こいつは情報屋で、おそらくこれも情報収集の一貫なのだろうか。プレイヤーのデータも売るとか言っていたし。

 しかし、こうして質問してくるアルゴの目には、単純な『興味』があるように見える。

 

「アルゴ。お前はプレイヤーの情報も売ると言っていたな」

「金を払ってくれるなら、オレっちが知ってる情報ならなんでも売るゾ」

「なら――」

 

 『レイ』の情報が欲しい。そう聞くことは簡単だった。情報屋なら、もしかしたらチュートリアル前に死亡した人間がどうなるかを知っているかもしれない、と。

 だが、自分のその発言は現実逃避だとどこかでわかっていた。そもそも、いくら情報屋でもレイのことなど知らないだろう。

 あいつはこのゲームでは、俺とソーヤの二人としか関わっていないのだから。

 そう考えて口をつぐんだ俺に、アルゴは少し不思議そうにしていたが、

 

「何もないなら、質問再開していいカ?」

「俺の事を聞くよりも、クエストの情報でも集めた方がいいんじゃないか?」

「これも大事な情報収集。目立つプレイヤーの情報はよく売れるからナ」

 

 こいつ、俺なんかの情報を集めて商売する気か。知られて困ることは話していないと思うが、なんとも不安を煽られる言い方だ。

 そこで俺はこれから迷宮に行くことを思いだし、

 

「ああそうだ、マップのデータは売ってるか?」

「ウン、売ってるヨ」

「迷宮区のマップデータが欲しい。今あるぶん全部」

「アイヨ。初回サービスとドーナツのお礼で200コルにまけとくカラ。今後ともご贔屓にナ」

 

 手をあげて応えると、アルゴは満足したのか伸びをすると、凄まじい速さで走り去っていった。かなりのスピードだ。あの速さを出すためには、敏捷力に全振りでもしているのだろうか。

 ともあれ、俺は中身が空っぽになった袋を『クズカゴ』のオブジェクトに放り込んでマップデータを開く。

 迷宮区の地図を買ったのは、最前線が今どの辺りかを知るためだった。マップを見る限りでは、迷宮区は今16階辺りまで攻略されているようだ。

 ガイドブックにも、階層にはそれぞれコボルトが出てきて、武器種や体力の増減はあれど難度的にはほとんど同じだと書かれている。ソードスキルにさえ気を付ければなんとでもなるということだ。レベル上げと素材集めを目的に、俺は迷宮にもぐりこむ。

 剣、槍、片手棍、片手斧とバリエーション豊かなコボルト達を倒して経験値を稼ぎながら、時折すれ違うプレイヤーと挨拶を交わし、素材を集めてトールバーナへ戻ると武器や防具を強化する。

 

 

 

 

 そうして迷宮区に潜るようになってさらに数日が経つ頃には、俺のレベルは12にまで上がり、アニールブレードは『鋭さ3』に『丈夫さ2』の+5になり、防具はそれぞれ+2になっていた。追加されたスキルスロットには、気紛れに両手剣スキルを選択してみた。片手直剣を使っていたら出現するものらしい。

 両手で握った大剣から繰り出す一撃は、店売り武器でもアニールブレードよりも高い威力を発揮した。まあ使い勝手が良い片手直剣が主武装なのは変わらないが、気分転換としてたまに使ってみるのもいいだろう。

 そして――

 

「大丈夫か! 手を貸すぞ!」

「おお、あんたか! 悪い、援護頼む!」

 

 前衛(タンク)が消耗している三人パーティを見付けたので、前を支えるためにコボルト三体のタゲを引き受ける。

 このパーティはレベルがそれなりにあったようで、数分足らずでコボルトを殲滅した。

 

「ふー、ちょっと危なかったな。ありがとよ、セドリック」

「いや、大丈夫だ。だが、いくらレベルがあっても油断するなよ。クリティカルを貰ったら死にかねないぞ」

 

 面目ない、とタンクの男が頭をさする。

 

「助けてもらった身で言うのもなんだけど、今から街に戻るつもりなんだ。回復の時間も掛かるし、護衛ついでに一緒に来てくれないか、セドリック?」

 

 迷宮区の入口までなら構わない、と頷き、先導して歩き出す。

 

「あんた達、俺の名前を知っているのか?」

 

 先頭を歩きながら、俺はそう聞いた。

 この三人に見覚えはある。何度か迷宮ですれ違ったこともあるし、ソードスキルの特訓にも居た。

 しかし、名前までは聞いていない。お互いにそうだと思っていたのだが、どうやら向こうは俺の名を知っているようだった。

 

「赤い鎧の騎士『セドリック』だろ? 知ってる奴はそこそこいるぜ。あんたに世話になったダチもいるしな」

 

 ま、オレも世話になってるけどな、と続けて陽気に笑った。

 

「名前については、情報屋がお前のこと売ってたぞ」

 

 なるほど。あの情報屋(ねずみ)、本当に俺の名前を売ったらしい。

 今度会ったらいくらになったのか聞いてみるか、と内心で考える。

 

「けど、セドリック。あんたソロだったんだな。てっきりどこかのパーティに引き抜かれてるのかと思ったけど」

「ああ、まあな」

 

 本当は人と関わるのが不得意なだけだが、それを言う必要はないだろう。

 

「誰かと組もうとか考えてないのか?」

「今のところはな。一人のほうが気楽に動ける」

「それもそうだろうけど……もうすぐ組むのが必要になることもあると思うぜ?」

 

 なんだその言い方は、と聞き返す。

 

「噂じゃ迷宮区の19階に到達したパーティがいるらしい」

「19階、だと……?」

 

 俺達がさっきまでいたのは18階だ。それよりもさらに進んでいるということになる。

 更に言うなら、確か迷宮区は全部で20階だったはずだ。

 

「それは、つまり――」

「ああ」

 

 ――もうすぐ迷宮区を踏破できるかもしれない。

 

 

 

 

 男達から聞くと、今日の四時からトールバーナでボス攻略会議が開かれるという。初耳だ。俺は彼らを入り口まで送った後、また迷宮に潜ってレベリングをするつもりだったが、会議のことを聞いて一緒に街へ戻ることにした。

 

「何時からなんだ?」

「えーと、4時からとか言ってたな。あそこの噴水広場でやるらしい」

「わかった。では」

「おう。今日はサンキューな、セドリック」

 

 お互い様だ、と答え、北口の門で別れる。

 4時、か。どう時間をつぶしたものか。

 

「……ひとまず、武器の修理をしておくか」

 

 そう呟きながら武具屋へ向かって修理を頼むと、売り物に変化が無いかを確認する。

 剣も盾も、陳列された商品に変化はない。俺が今装備している鎧と盾が一番性能が良い

 

「……一層では今の装備が限界かもな」

 

 もしかしたら、他の村のクエストで強力な剣が見つかったり、店に売り出されることもあるかもしれないが――アニールブレードはレイが俺に残してくれた剣だ。しばらくはこれで戦っていきたい。

 修理を終えた剣を腰に装備しなおすと、小腹を満たすためにパン屋へ向かう。

 

「さて、何を食おうか――」

 

 そう考えて商品を眺めていると、やけにフードを目深に被った人物が売り場に入ってきた。

 背は低く、しかし物々しさを感じさせるその人物だが、俺はその場を退いて先を譲る。何を買うかも決めていないのに、場所を取っていては迷惑だ。

 俺の行動に気づいたその人は、俺に向かって小さく会釈をした。

 

(……悪い人ではなさそうだ)

 

 顔は見えないが、礼儀はある。どうやら剣士のようで、腰に装備されているのは珍しい細剣(レイピア)だ。いや、レイピア自体は珍しくもなんともないのだが、使用者(フェンサー)を見たことがないので、単純に驚いた。

 もの珍しさもあって少し眺めてしまったが、その視線には気付かなかったようだ。フードを被っているせいもあるのだろう。

 その人物はパンを一つだけ購入し、人目を避けるようにそそくさと立ち去って行った。

 

「黒パンか……」

 

 今あの人が買っていったのは値段が一コルの素朴なパンだ。いい趣向をしている。俺も前から必ず買っているものだ。値段が安くそれなりに大きさもあり、固めではあるがしっかりとパンの味わいがある。そのシンプルなパンは――給食で出されたコッペパンが好きだったような――俺の質素な好みにかなり合っていたのだ。

 ほんの少しだけだが、謎の親近感が湧いた。まあ、見たこともない人だし、だからどうというわけではないが。

 ついでに菓子パンも購入して代金を支払い、手で弄びながら店の扉を開き――外に立っていた人物にぶつかりそうになった。

 

「っと、失礼」

「あ、いや。大丈夫だ」

 

 俺の謝罪に手を振って答えたのは少年だった。いや、少々背が低いのと、顔が童顔染みているからそう感じるだけか。背中に剣――アニールブレードを背負い、小さなチェストガードの上に灰色のコートを羽織った、黒髪のプレイヤー。

 

「「あ――」」

 

 顔を見ると、同時に声をあげた。

 何故なら、面識があるからだ。この青年とは迷宮区の奥で何度かすれ違ったことがある。

 言葉を交わしたことは無い。だが同じソロで、何よりも同じ剣(アニールブレード)を持っている片手剣使い(ソードマン)同士だ。お互いに興味を持つのは当然だろう。

 しかし、関わったことはなかった。かなりの実力者のようで、モンスターに苦戦していることも無かった。俺が助けることも、向こうに助けられることもなかった。

 つまりは顔を知っている、というだけだ。話すことがあるわけでもない。

 

「では」

 

 俺は軽く呟くように言うと、彼も「ああ」と頷き、店に入っていった。その場を後にし、いつかのベンチに座ってパンを齧った。



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7話

 会議は5分遅れで始まった。5分前には広場の席の一番前に座っていた俺は「場所を間違えたのでは」と少々そわそわしていた。

 始まりは青髪の青年が声をあげ、丁寧にも今日集まったことへの感謝から始まった。

 

「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知っている人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! オレは《ディアベル》、職業は気持ち的に《ナイト》やってます!」

 

 整った顔立ちに、爽やかな笑み。しかも《ナイト》ときた。俺も騎士(ナイト)と呼ばれたことはあるし、装備はディアベルと全く同じ――俺はアンダーを赤色に変えているが――だ。

 しかし、深く人と関わらずに手を貸すだけの俺と、前に立って率先して発言するディアベル。同じ《騎士》を目指していても、その在り方は正反対だなと感じた。

 

「今日、オレたちのパーティーが、あの塔の最上階に続く階段を発見した」

 

 あの塔、と次の階層に続く塔を指して言った言葉に、集まっていたプレイヤーがざわめいた。ほう、と俺も声を漏らした。19階まで到達したどころか、次への階段を見つけるほどにマッピングが進んでいたのだ。

 その言葉を皮切りに、ディアベルはすらすらと言葉を並べていく。

 ここまで一か月も掛かったが、ボスを倒して二層へ到達し――このゲームがクリアできるということを、はじまりの街で待っている皆に伝えなくてはならない。そう述べた。

 当然、場は盛り上がる。その通りだと同調し、騎士を囃し立てる声が広場に響く。

 良い気合と目標だ、と俺も思った。しかし、はじまりの街――と俺はソーヤのことを思い浮かべ、とある考えが頭をよぎった。

 そんな筈は無い、と頭を振って、意識の外へ追いやろうとする。それでも、その考えは頭から離れなかった。

 

(ソーヤは、もしかしたら――)

 

 ――ゲームがクリアされるのを望まない(・・・・)かもしれない。

 

 なんとなく、そう思った。もしクリアして現実に戻れば――蒼斗(ソーヤ)は、一輝(レイ)を亡くしたという現実に向き合わなければならないのだから。

 そこまで考えて、俺はどこか他人事のように考えていることに気付いた。

 

 一輝(レイ)を失ったのは、俺も同じだというのに。

 

 ああ、そうか。きっと俺は、信じていないのだろう。このゲームから消えたとしても、現実で生きている可能性も()()()()()()()()。その可能性にすがり、考えないようにしている。

 ――それと同時に、俺以上に絶望している蒼斗を見てしまったからには、俺が取り乱すわけにはいかない。そう思ったのも理由の一つだ。蒼斗が絶望している様を見たからこそ、どこか冷めるように冷静になった、という側面もあるが。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 そんな声を聞いて、俺の思考は中断された。

 俺の隣の人垣が別れ、中にいた男が不機嫌そうな面で立っていた。

 まるで何かの冗談のようにとげとげしいヘアスタイルをした片手剣使いだ。少なくとも、前線で見た覚えはない。あんな特徴的な男は、一度見れば忘れないだろう。

 男は言いたいことがあると告げ、キバオウと名乗った。

 

「こん中に、5人か10人、詫びぃ入れなあかんやつがおるはずや」

 

 何を言っているのか、俺にはわからなかった。あんな見た目と話し方だし――まあ偏見ではあるが――、因縁をつけるのは得意分野なのだろう。

 どのみち、俺には関係ない。そう構えていた俺だが、その「詫びを入れなければならない者」が元ベータテスターであると発言した。

 

「なに……?」

 

 最前列に座っていた俺のつぶやきを耳ざとく聞きつけ、キバオウは俺に目を向けた。

 

「決まっとるやろ!」

 

 そう吠えると、俺にモノを聞かせるように話し始める。

 ベータテスターはこのゲームが始まった途端、ビギナーを見捨てて自分たちだけ率先して街から出て行き、割の良い狩場やクエストを独り占めした。だから、ボス攻略のために稼いだアイテムと情報を提供しろ、という。

 キバオウの言葉に賛同するプレイヤーもちらほら見える。元テスターをあぶり出そうとでもしているのか――ともあれ、キバオウのその発言は、俺にとって気に障るものだった。

 

「それは違う」

 

 だから、そう否定する。キバオウの目が睨むように鋭くなる。

 

「俺はベータテスターの友人に師事し、スキルの使い方やクエストの情報をもらった。そのお陰で俺は今まで生き残ってこれた」

「せやから独り占めはしとらん、とでも言いたいんか? あんたの言うことが正しかろうと、結局は身内で馴れ合っとっただけやろうが!」

「それはアンタの考え方で――」

「だったらそのお友達は!」

 

 俺の言葉を遮り、キバオウは続ける。

 

「身内にだけじゃなく、もっと大勢に教えるべきだったんちゃうんか!? そのせいで二千人が死んだんやぞッ! なんも知らん初心者や、他のMMOでトップ張ってたベテランまでが二千人もな!」

 

 その剣幕に俺はたじろぎ――今の言葉を反芻する。

 二千人が死んだ。()()()()()()()()()が、二千人も死んだ。

 ――ベータテスターのせい、で?

 

「そのベータテスターのお友達が、せめて情報だけでも置いて行ってくれれば、死ぬことはなかったやろうな! せやから文句を言いたいゆうとんじゃ!」

「二千人……ゲームが始まってからの死者が……すべてベータテスターの責任だと――?」

「そうや! ちょうどええ、あんたのお友達を連れてきぃや! 今からでも知っとること吐いてもらって――」

「ふざけるなっ!!」

 

 俺は怒鳴った。唐突なそれに、さすがのキバオウも押し黙り、俺の言葉の続きを待つ。

 

「死者二千人と言ったな――そのうちの一人は、お前が言う《ベータテスター》の友人なんだぞっ!」

 

 その言葉に、周りがざわめくのを感じた。さしものキバオウも、目を見開いて驚く。

 

「なんやと――」

「死んだんだよ、《元ベータテスター》が! あの赤ローブのチュートリアルも始まる前に! 『実付きネペント』の処理にしくじって死に戻りした時になっ!」

 

 だん、と音を立てて立ち上がり、今まで以上の声量で吼える。

 

「現実で死ぬなんて知らずに! 知る機会すら無くて! 誰よりも、何よりも理不尽に死んでいったんだ!」

 

 叫びながら、そこで俺は初めて『レイの死』を実感していくのを感じた。

 自分の口で、自分で言葉にすることで、その死が現実味を帯びていくのを感じた。

 一瞬浮かびかけた涙をこらえるように歯を食いしばり、キバオウにつかみかかる。

 

「だから俺は――っ!」

 

 その時、俺の肩に手が置かれた。激情のままに振り向くと、禿頭の偉丈夫が立っていた。まるで洋画に出てくるような、お手本のような巨漢の黒人。思わず毒気を抜かれ、ぽかんとして見上げてしまう。

 その不躾な視線を男はしっかりと見つめ返し、ゆっくりと首を振る。そこで俺は今の状況に気付き、急速に頭が冷えていくのを感じた。

 キバオウの襟首を掴んでいた手を放し、すまない、とつぶやくように謝罪する。彼も「いや、気にせんで構わん」とばつの悪そうな顔で答えた。

 

「水を差すようだが、発言構わないか?」

 

 キバオウとディアベルと、そして俺に目を向けて聞いてくる。

 頷き、戻るタイミングを逃した俺はキバオウに並ぶようにして場所を空ける。

 

「オレはエギルだ」

 

 そう名乗った男の話は筋の通ったものだった。なによりもキバオウ自身が再三言った『情報』の提供。

 それは、『アルゴのガイドブック』という形で提供されていた。その情報の量や速さからして、これを提供したのは元ベータテスター以外にはありえない、と。

 

(ということは……アルゴはベータテスターなのか? それとも、ベータテスターから情報を仕入れて披露しているのか――)

 

 俺が考え込んでいると、今まで成り行きを見守っていたディアベルがエギルの発言を讃え、キバオウをいさめる。元テスターだからこそ、ボス攻略にはきっと必要なはずだ、と。これから探索を続けてボスの部屋に辿り着けば、再び会議を行いたい。そう締め括って解散させる。

 

「悪かったのぉ。気ぃ悪くさせてもうて」

 

 キバオウが去り際に、そう声をかけてくれた。俺は首を振って気にするな、と答える。キバオウはあまり表情を変えなかったが、やはりどこか申し訳なさそうな雰囲気を醸し出していた。

 そうして人がまばらになった時、ディアベルは俺の肩に手を置いた。

 

「――セドリック。辛いことを思い出させてしまってすまない。オレからも謝らせてくれ」

「……ああ、大丈夫だ。取り乱してしまってすまなかった。ディアベル」

 

 俺の言葉にディアベルは真剣な顔で頷く。そして、少し迷うような素振りを見せたのち、意を決したように、つとめて明るい口調で話し始めた。

 

「なあセドリック。もしよければ、オレ達のパーティーに入らないか?」

「……なに?」

「もちろん、これからずっとってわけじゃない。ボスの部屋を見つけるまでだけでもいい。協力してほしいんだ」

 

 ディアベルはそう言って俺を見つめた。

 俺はすぐには答えなかった。当然だ。勧誘するにしても唐突すぎる。

 

「いったい何が目的だ?」

 

 その誘いは俺を評価しているのか。それともこの状況を利用し、自分の味方を増やそうとでも――

 

「実は、きみのことは前から知っていたんだ」

 

 俺の疑問を察したようで、ディアベルは笑って話し始める。

 

「俺を知っていた?」

「以前、この街で対ソードスキルの訓練をやっていただろう? 迷宮区でも沢山のプレイヤーに手を貸しているって聞いた。なのに、お礼も報酬も要求しない――それを聞いて思ったんだ。きみは――セドリックはきっと、オレなんかよりも立派な騎士(ナイト)になるだろう、って」

「いや、そんな。俺は頼まれたから請け負っただけだ。ディアベルのように率先して皆を引っ張るほうが、よほど騎士(ナイト)らしい」

「ははっ――そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 ディアベルの無邪気にも思える笑顔に、俺もつられて笑う。

 

「だからセドリック。オレはきみを気に入ってる。同じ《ナイト》同士だし、きっとオレ達はいいチームになれるさ!」

「ああ……そうかもな。よろしく頼む、ディアベル」

 

 そう言って俺が差し出した手を握り返し、ディアベルはこちらこそ、と頷いた。

 

 

 

 

 翌日。ディアベルの仲間に紹介されつつ、六人で迷宮区20階の探索を進めた。

 よく統率のとれたチームだった。片手剣や曲刀を持った機動力重視のパーティだったが、敵の攻撃を防ぎ、もしくは相殺する前衛と、ダメージディーラーの役割でそれぞれ分かれている。俺は筋力重視のステータスと武器なので、ダメージディーラーを請け負うことになった。

 出現する敵はコボルト数体だが、ソードスキルを相殺した隙に斬り込むことで、無駄なく敵を殲滅する。

 集団戦とはここまで楽なのか、と思わず声が漏れた。そのつぶやきにシミター使いの男――自己紹介ではリンドと名乗った――が気付き、俺の肩を小突く。

 

「どうだ? ソロとはかなり違うんじゃないか?」

「ああ。今まではコボルト一体にすら真剣勝負だったからな。こんなにもあっさり倒してしまうとは――」

「パーティーもいいもんだろ? 何よりもうちにはディアベルさんがいるからな」

 

 そういきいきとした表情で、リンドは先頭を歩くディアベルを見た。

 ディアベルを見るその目は、尊敬と信頼。まるで、俺とソーヤがレイを見るときのような――

 

「おい、見ろっ!」

 

 その時、ディアベルが声をあげた。敵かと思った俺はアニールブレードに手を掛けたが、彼の表情はとても嬉しそうなものだった。

 その指の先には、巨大な二枚扉。

 

「あれは、まさか――」

「ああ、ボスの部屋だよ!」

 

 その言葉に、全員が歓声をあげた。迷宮に響き渡るそれを聞きながら俺はディアベルに近寄り、どうする、と声をかける。

 

「マッピングはできた。このまま戻って攻略会議を開くか?」

「――いや。ボスの部屋に入ってみよう」

 

 その言葉に、俺だけではなく全員が驚いた。

 

「もちろん、倒すわけじゃない。偵察だ。ボスの姿や名前、扱う武器やスキルに至るまで、少しでも情報を集めるんだ。厳しい戦いになるかもしれないが――協力してくれるか?」

 

 ディアベルの言葉に俺達は少しの間顔を見合わせ、そして頷いた。俺とディアベルが二枚扉の両側に配置し、同時に押す。

 少し押せば、自動的に開く仕組みのようだった。ゆっくりと開く扉の向こうを注視し、ディアベルが前に出る。俺もその横に並ぶように動き、剣と盾を構える。

 そして明かりが順に点いていき、ボス部屋を照らした。

 

 

 

 

 そして夕方。前回と同じ場所で会議を開いた。

 ボスは、巨大なコボルト《イルファング・ザ・コボルトロード》。片手斧と盾を持っていたが、腰の後ろに曲刀のようなシルエットの剣が装備されていた。シミターかカトラスか、ドゥサックか、それともシャシュカでも佩いているのかはわからないが、あの武器が隠し玉(メイン)なのは明らかだった。さらに、取り巻きにコボルトが三匹ポップした。

 きっと体力が減るとあの曲刀に持ち変えるのだろう。そう考えていると、とあるプレイヤーが声をあげた。

 

「新しいガイドブックが出てるぞー!」

 

 内容はボスの細かい情報だった。皆で購入(まあ無料なのだが)し、真剣に内容を読み込む。

 これによると、あの曲刀はタルワール――確かインドあたりで使われる刀剣だ――だそうだ。当然、曲刀カテゴリのソードスキルを使用してくると記載されており、その種類と予備動作も丁寧に書かれている。

 そして、取り巻きのコボルトはボスのHPが減るたび、三度ポップしてくるという。面倒だな、と呟く。ボス戦に出てくる雑魚敵は、下手をすればボス本体よりも厄介になる場合がある。

 

「雑魚を処理するのを優先したほうがいいな」

 

 俺の言葉にディアベルはそうだな、と呟いたがすぐに首を振り、

 

「いや、それよりも取り巻きを相手するパーティーを設定したほうがいい。役割分担をしっかりとしよう」

「了解だ」

 

 ガイドブックを片手で閉じ――裏表紙の赤い文字が目に入る。『情報はSAOベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります』、とある。

 

「……それでも、貴重な情報だ」

 

 俺はディアベルに頷きかけ、会議を進めるように進言した。

 

「みんな、聞いてくれ! これから入念に情報を整理していきたい!」

 

 そして会議はパーティー分けとアイテム分配の取り決めをして終了した。俺はアタッカーであるD隊のリーダーとなった。

 俺なんかがリーダーでいいのかと不安を覚えたが、「お前なら信用できる」とパーティーメンバーに肩を叩かれ、なし崩しに任されることになった。

 ディアベルはもちろん、エギルやキバオウもそれぞれ分隊のリーダーとなっていた。

 

(……そういえば、あの青年は?)

 

 黒髪で灰色コートの片手剣使い。彼も相当な実力者であるはずだ。姿を探すと、以前パン屋で見た、物々しいフードのプレイヤーと二人でパーティーを組んでいた。少し離れたところの二人を見る限り、どうやらあぶれたようだが、コンビではパーティーとしての役割は任せられるか不安が残る。俺の危惧を聞いたディアベルは彼らに対し、

 

「君たちは、取り巻きコボルトの潰し残しが出ないように、E隊のサポートをお願いしていいかな」

 

 そう言った。E隊は取り巻きを処理する役割だ。フードのプレイヤーは反感を覚えたようだが、青年は「重要な役目だな。任せてくれ」とどこか飄々とした風に言った。

 ディアベルが次の内容に移る際、俺はその二人に声をかけた。

 

「損な役回りですまない。だが取り巻きとはいえ、くれぐれも慎重に頼む」

「……失敗すれば貴方達に迷惑がかかるから?」

「失敗すれば、お前達の命が危険だからだ」

 

 フードを被ったプレイヤーの不機嫌そうな言葉に、間髪入れずにそう返す。フードを被った頭が俺の言葉に面食らったように押し黙ったが、少しの間を置いて、

 

「……そう」

 

 と返してきた。そして、そう返された声が女性のものだったことにようやく気付き、俺は思わず目を見張った。

 女性プレイヤーなど珍しい。助太刀したパーティに何度か女性が居たことはあるが、ボス攻略に出てくるようなレベルを有している人はいなかったように思うが。

 

「あー、その。心配してくれてありがとう。俺達は大丈夫だ。あんたもボスの相手をするんだし、気を付けろよ」

 

 青年はそう答えながら、フードの彼女を目で示してばつが悪そうに笑う。あまり口外しない方がいい、という意図だろう。確かに、こんなむさ苦しい場所で公言するのはよくない。そういった意図を汲み取り、俺も苦笑して頷いた。

 

「ああ、任せておけ。では、俺はこれで」

 

 頷く二人。コンビではあるが、この二人の相性は悪くなさそうだ。なんとなくそう感じた。

 

「セドリック! ちょっと来てくれないか!」

「ああ、すぐに向かう!」

 

 

 

 

 やれやれ、とトールバーナの宿に戻って椅子に腰掛け、ぐったりと背に持たれる。

 

(これが、酩酊ってやつか……?)

 

 あれから幾つかの細かな作戦会議の後、士気を高めるための前哨戦(えんかい)が催された。その中には酒もあり、未成年の俺は飲むべきか否かを真剣に葛藤したのだが、結局煽ってしまった。

 飲んだ際、ほのかな甘味と、飲み込んだあとに込み上げてくる熱っぽさを感じた。アルコールを摂取すればきっと現実でもこうなるのだろう。プラシーボ効果かもしれないが。

 だが、不快ではない。心なしか、少々興奮状態にある。もしかしたら一時的にパラメータも上がっているかもしれない。

 酒にパラメータ上昇の効果があってもおかしくは無いな、と考えていると、扉がノックされた。

 おう、と答えてから、「そういえば声は通らないんだった」と思い出し、立ち上がって扉を開けた。

 立っていたのは()だった。

 

「……アルゴ? なんだ、こんなところに」

「よう、セド君。悪いが急ぎの用なんダ」

 

 なんだ、と聞く前にアルゴは言葉をかぶせてきた。

 

「アイテムトレードのことは知ってるナ?」

「トレード……」

 

 デスゲーム初日に、ソーヤが自分のすべてを俺に渡してきたことを思い出す。

 

「ああ……プレイヤー間の取引ってことしか知らん」

「オレっちはその仲介――まあ正確にはメッセンジャーだけど――も請け負ってるんダ」

「働き者だな」

「ありがとヨ。で、《セドリック》の武器を購入したいって話が出てル」

「……はあ?」

 

 俺の武器? アニールブレードのことか?

 

「なんためにだよ」

「理由はよくわからン。が、同じ剣を持ってる他のプレイヤーにも話が出てるし、レア物の剣が欲しいんじゃないカ?」

 

 その口調は随分と投げやりだ。疲れているのだろうか。

 

「そもそも、その相手とやらは誰なんだよ? なんでわざわざ俺の剣を欲しがるんだ?」

「聞いてもいいけど、それも情報料をいただくヨ」

「なんだと……」

「オレっちは情報を売る方でも、売らない方でも商売してるんダ。知りたけりゃ(コル)を払うんだナ」

「はっ……大した商売女だな。そのうち金が貯まったらお前の胸のサイズでも教えてくれよ」

 

 その言葉に、さすがのアルゴもむっとした表情になり――おや、と呟いた。

 

「ああ……さっきから言葉遣いが変だと思ったラ。酔ってるんだな、セド君」

「ん……そう……かもしれん?」

「ははぁん……紳士でお人よしな騎士様も、酔うと横暴なセクハラ男、ってことカ」

 

 ニヤニヤとアルゴが言う。

 

 ――もしかして今、俺にとって非常に不利益な情報が渡ってしまったんじゃないか。

 

 このままではいかん。効果があるかはわからないが、ストレージから水瓶を取り出して一気に飲み干す。

 ぷはぁ、と俺が飲み切るのを待って、アルゴが切り出してくる。

 

「ちなみにSAOじゃ酒を飲んでも酔っぱらうことは無いゾ」

「なにっ――」

「きっとセド君は雰囲気に酔ったんだナァ」

 

 ニヤニヤ。その嗤いと共に呟かれた情報に、自分が『酔った振りをして女性に不埒を働く下劣な男』だということを思い知らされ、俺は顔を覆って天を仰いだ。

 もっと簡単に言えば、絶望した。自分は誠実な人間であろうとしていたのに。

 

「で、どうするんダ? 金を払うのか払わないのカ」

 

 やけに楽しそうな声で聴かれ、少し冷えた頭でゆっくりと思考し、慎重に発言する。

 

「まずは買い取り依頼に関してだ。断らせてもらう」

「アイヨ」

「……えらく簡単に引き下がるんだな」

「セド君に関してはそこまでご執心じゃ無いっぽくてナ。買えないならそれで構わないそーダ」

 

 つまりは、俺から買えなくても不利益にはならない、ということだろうか。

 むう、と考え込み、

 

「……では質問を変える。ほかのプレイヤーにも話が行ってると言っていたな。それは何人だ?」

「100コル」

「……わかった。払わせてもらう」

 

 素早くウインドウを操作し、送金する。

 

「今のところ、アニールブレードの購入を持ち掛けられてるのはセド君ともう一人だけダ」

「そのもう一人の名は?」

「200コル」

「聞かせてくれ」

 

 送金。

 

「名前はキリト(kirito)。セド君は会ったことも話したこともあるゾ」

「キリト……」

 

 その名前を呟き、考え込む。俺と話したことがあり、アニールブレードを持っているプレイヤー――と、そこでつい数時間前に話した男を思い出した。

 

「――あの黒髪で、灰色コートの少年か?」

「ン」

 

 頷くアルゴ。

 

「あの剣士は、キリトという名前なのか……」

「もういいカ?」

「ああ、ちょっと待て。なぜ俺とキリトだけに持ち掛けられているんだ?」

「それに関しては、売れる情報は無いな」

 

 聞いていない、ということか。情報屋も、知らない情報を提供することはできないだろう。

 

「では、俺とキリトの共通点は?」

「400コル」

「ちっ……」

 

 送金する。これでも前線に潜って日々戦っているのだ。このくらい端金だ。

 

「セド君とキー坊の共通点カー」

 

 顎に手を当てて少し考え込み、あっけらかんと言い放つ。

 

「無いナ」

手前(テメェ)

「そうおっかない顔するナ。本当に共通点は無いんだヨ。背モ、顔モ、戦闘スタイルモ、性格モ、女癖の悪さモ、財布の紐の緩さモ」

「ふむ……ならば、なおさら解せんな」

 

 そう考え込み始めた俺を見てアルゴが、

 

「満足したカ? じゃあオレっちはこれデ」

「待て。情報屋にあと一つだけ聞きたい」

「なんだヨ。オレっちも暇じゃないんだゾ」

 

 この時の俺は、やはり宴会の興奮が残っていたのだろう。

 頭が冷え切っておらず、図に乗っていた時の勢いのまま、言葉を紡いだ。

 

()()()()()()プレイヤーはどうなっている?」

 

 だから、そんなことを聞いてしまった。

 しかしそれを聞いてもアルゴの表情に変化は無い。意図的に無表情を保っているのだろう。

 

「……SAOのプレイヤーは全て、はじまりの街の『黒鉄宮』にある石碑に名前が刻まれてル。死亡したプレイヤーの名前には線がひかれ、死亡時刻と原因が書き込まれるんダ。それ以外には情報は無イ」

「……そうなのか。初めて知ったよ」

 

 いつになるかはわからないが、必ず見に行かなくてはならないだろう。

 じゃあ次だが、と俺は続けた。

 

「あと一つって言ったロ」

「質問は、な。これは依頼だよ」

 

 俺は1000コルほどをストレージから取り出す。ちゃり、という音と共に、革袋が実体化される。

 

「この金を、はじまりの街に居る《ソーヤ》というプレイヤーに届けてほしい。頼めるか?」

「ソーヤ……聞いたことない名前だけど、依頼なら引き受けるヨ。スペルは?」

「soyaだ。昔のままなら青髪で、小柄だ」

「何か伝えることはあるカ?」

 

 一瞬口を開き、閉じる。少しの逡巡の後、そうだな、と切り出し、

 

「『金で許してもらおうとは思ったわけではない。だが、少しでも前を向いてほしい』と」

「ン……わかったヨ」

 

 さすがというべきか、言葉の意味を追求してくることはなかった。

 

「依頼金はどれくらいだ?」

「ンー。はじまりの街までなら、200コルってとこかな。人探しの代金はまけとくヨ」

「いいのか? 前もまけてもらったが」

「このくらいいいサ。セド君は()()()だしナ」

 

 なにか含みのある物言いだった。まるで後ろめたいことがあるかのような言い方に、俺は首をかしげた。

 それを追求する前にアルゴはニヤリと笑い、

 

「ま、情報料で充分貰ったしナ!」

「金輪際お前から情報は買わん」

 

 悪どい商売に騙された俺が憮然と言い放つと、冗談冗談、とアルゴは笑った。

 

「それじゃ、今後とも御贔屓にナ」

「ああ――依頼の件、頼む」

「任せときナ」

 

 そう言ってアルゴは踵を返して歩いていった。

 

「……こんなことを頼んで、すまない」

 

 俺はその背中を見送りながら、呟くように謝罪した。



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8話

 ざっ、ざっ、と土を踏む音が、迷宮区に入るとコツ、コツ、という堅い音に変わる。

 それが大人数で行進すれば、それなりのサウンドエフェクトとなって響き渡る。

 この足音はモンスターのポップに関係するのだろうか。そう内心で考えながら、俺達は雑魚を殲滅し続け、とうとうボスの部屋の前へ辿り着いた。

 ディアベルが剣を床に突き立て、堂々とした振る舞いで声をあげ、士気を高める。

 俺はその鬨の声を聞きながら、静かに戦意を高揚させていた。

 どくどくと、胸が高鳴っていく。仮想現実であるというのに、呼吸がわずかに苦しくなるような錯覚も覚える。

 しかし、不快ではない。

 

「ふーっ……」

 

 息を吐き出し、僅かでも身体を落ち着かせようとする。

 武者震いとでもいうのか。それとも、自分では気付いていないだけで、恐怖しているのか。

 だが、やはり不快ではなかった。そもそも、高揚感は良い緊張の表れだ。極端な緊張は悪影響であるが、程よい緊張に包まれた身体は、普段よりも格段に動きが良くなるものだ。

 まあ、VRではあまり関係ないかもしれないが。

 ディアベルが扉を開けて突入すると、俺は真っ先に剣を抜き、それに続いた。

 ディアベルの隣に並び、お互いに頷き合う。俺たちの後ろにチームのメンバーが追い付き、タンクの部隊が前に躍り出る。

 

 ゆっくりと部屋に灯りがついていき、そしてボスの姿を明るく照らす。

 赤く、獰猛な顔。雑魚のコボルトとは比べ物にならない巨大な体躯。盾と片手斧を携え、腰の後ろに湾刀を佩いている。

 イルファング・ザ・コボルトロード。その名前が表示されると同時、コボルトの王はその口を開き、咆哮した。

 

「戦闘、開始!」

 

 隣から発せられたその言葉に、今度こそ俺も大きく鬨の声をあげた。

 

 

 

 

 ディアベル率いるC隊が、四段あるHPのうち一本目を削り切った。

 

「アタッカーをD隊へ交代する! セドリック、頼むぞ!」

「了解した!」

 

 ディアベルのその言葉に、何時でも支援に入れるように構えていた俺達D隊が突撃する。

 ヘイトはB隊が引き付けてくれているし、既に行動パターンは見極めている。俺達は大振りな攻撃の隙に、単発のソードスキルを叩き込む。

 同じ箇所に連続で打ち込まれてコボルトロードが僅かに怯み、真っ先に斬りかかった俺へと視線を向けた。

 

(来る――っ)

「セドリック! 凌ぐんだ!」

 

 ディアベルの声を聞きながら、俺は意識を集中し、背を向けずにその場で身構えた。下手に逃げようとするのは危険だ。

 大上段に振りかぶられた右手の斧を見て、俺は向かって左側へ身を投げ出すようにして跳んだ。俺が立っていた場所へ、斧が凄まじい勢いで叩き付けられる。

 即座に床を転がって立ち上がり、追撃に備える。コボルトロードの腕は俺へと引き絞るように構えられている。

 

「薙ぎ払いっ!」

 

 俺は姿勢を低くし、盾を構えた。斧は盾に打ち付けられるが、しかしその表面を滑るようにして俺の上を通過する。

 受け流しは成功。次は――

 

「っ!? ちぃっ!」

 

 向き直ると同時、即座に切り返してきた斧が盾に叩き付けられた。俺は凄まじい衝撃に呻き、しかし足を踏ん張って受けきった。

 体勢が悪かったせいで、わずかな硬直を強いられる。その隙を逃さず、コボルトロードの構えた斧が光を帯びた。

 ソードスキルだ。俺は硬直が解けると咄嗟に剣を構え、袈裟に振り下ろされる斧にホリゾンタルで斬り結んだ。

 ほんの一瞬拮抗したが、俺が全霊の威力ブーストで打ち込んだそれは、奇跡的な割合で奴のスキルを相殺した。

 おおっ、と周りがどよめくのを聞き、

 

「アタック!」

 

 俺は腕を弾かれながらそう叫んだ。コボルトロードのソードスキルを相殺して生まれた隙に、D隊だけでなく、B隊も乗じてスキルを打ち込んだ。

 またもや発生したコボルトロードの怯み。HPも眼に見えて減少する。俺は今度こそバックステップを繰り返して距離を取り、知らぬうちに止めていた呼吸を再開する。

 

「無事か、セドリック!」

「ああ、なんとかな!」

 

 答えながら、ポーションを煽った。僅かだがダメージが盾越しに伝わってきた。飲んでおくにこしたことはない。

 

「油断するなよ! 危なくなったらすぐに交代させる! 焦らずやるんだ!」

「ああ!」

 

 ディアベルの激励に応える。

 正直、今のは血の気が引いた。僅かでも盾の位置がずれていれば食らっていたかもしれない。

 パラメーターを筋力に全振りしているならともかく、敏捷にも振っている俺は、コボルトロードと斬り結ぶのはそれこそ命懸けだ。

 その時、B隊のエギルが硬直時間を作り出した。

 

「ソードスキルっ! 打ち込め!」

 

 飛び込み、がら空きの腹にアニールブレードを叩き込む。短い硬直時間が終わると同時に飛び退き、B隊が威嚇(ハウル)でヘイトを稼ぐ。

 

(……良い流れだ)

 

 俺はそう感じた。攻撃と陽動がはっきりとしていて、それぞれの役割に集中できる。タイミングがしっかりと見極められ、無駄の無い攻勢に出られる。

 それは、ディアベルの指揮の賜物だ。

 カリスマ性がある、とでも言うのか。指示を聞くと身体が勝手に動くと錯覚するほどに、スムーズな行動に移れる。

 天賦の才だ。よく通る声、堂々とした喋り方、戦闘の呼吸。すべてが噛み合い、ディアベルという男を騎士たらしめている。

 

(ディアベルについていけば……)

 

 彼はきっと、俺を活かしてくれる。

 それこそレイのように俺を導いてくれる。

 俺が胸を張って騎士として生きていけるように、先陣を切ってくれるだろう。

 

「う――おおおおぉぉぉぉぉっ!」

 

 そんな高揚を感じながら、俺は咆哮をあげる。

 全力のソードスキルを、コボルトロードに叩き込んだ。

 

 

 

 

 HPの二段目を俺達D隊が削り、さらに三段目を削り切った。

 最後の一段に突入した際、大きな歓声があがる。

 コボルトロードが咆哮し、両手の盾と斧を放り投げた。

 

「全員後退! C隊、行くぞ!」

 

 ディアベルが先導し、コボルトロードを取り囲む。腰の後ろに回された手が、湾刀の柄を握り、鞘代わりのボロ布を振り払った。

 掲げられた刃は、きれいな鋼色で光を反射した。

 

「――っ」

 

 その刃は、タルワールではありえなかった。

 俺はそれなりに刀剣の知識がある。だからこそわかる。

 タルワールは、刃に波紋など浮かんでいない。

 

「あれは――」

 

 あのような波紋が浮かぶのは、研ぎ上げられた日本刀の類しかありえない。あの長さは大太刀――もしくは野太刀と呼ばれる種類の日本刀だろう。

 俺がそう判断した途端、コボルトロードは高く飛び上がり、回転しながら刀を薙ぎ払った。

 範囲攻撃。コボルトロードを囲んでいたC隊が、すべて薙ぎ払われた。

 あまりにも突然だったその流れに、俺は咄嗟に動けなかった。

 だから。

 スタン状態になって動けなかったディアベルに。

 目にも止まらぬ三連撃が打ち込まれるのを、目の前で見ることになった。

 

「ディア――」

 

 弾き飛ばされる。地面に叩きつけられ、滑りながらもHPは減少し続けていく。

 黒髪の青年――キリトが駆けつけると同時、ディアベルの身体はポリゴンの破片となって爆散した。

 それは、モンスターの撃破エフェクトとはどこか違っていて。

 それは、あの日見たレイの死に様を彷彿とさせて。

 俺は無意識に叫びをあげていた。

 

 

 

 

 俺だけではない。ほぼ全員が、ディアベルの死に狂乱していた。

 リーダーであり、騎士であり、誰よりも頼りにしていたディアベルが、死んだ。

 あんなにも、あっさりと。

 

 ――最初に、レイが死んだ。

 ――次に、ディアベルが死んだ。

 ――なら、俺はいつ死ぬ?

 

 死への恐怖などない。現実でも死にかけたことなどないのだから、ゲームの中で死を実感することなど、あるわけがない。ゲームでの死が現実の死になる――それが嘘か真かはどうだっていい。

 

 けれど、もう二度と会うことが叶わないというのは、何故か理解できた。

 

 俺にとって自分が生きるか死ぬかなど、どちらでもよかった。現実世界での目的も、将来の夢も無い。()()()()()()()()()()()()()()()

 俺にとって、さして生きる意味など無いのだ。

 だから正直に言ってしまうと、俺は自分の生死はどうでもよかった。

 俺にとって重要なのは、友を亡くしたということ。

 ()()、目の前で亡くしてしまったということ。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(俺はまた――見ているだけだった)

 

 その事実に。

 ぞっとするほどの自己嫌悪が沸き上がる。

 

「セドリック!」

 

 俺の腕を誰かがつかみ、引きずっていく。それが誰かはわからない。

 誰でもいい。放っておいてくれてかまわない。

 俺はもう、ここで死んだってかまわない。

 何も為すことができないのなら、生きていたって無意味だ。

 そんな呆然としていた頭が。

 意識を放棄していた俺の耳が。

 剣戟をとらえた。

 

(――剣?)

 

 ゆっくりと、それが聞こえる方向へ目を向けた。

 いつの間に動いたのか、黒髪の剣士――キリトと、フードを被っていた少女であろう二人が、コボルトロードと戦っているのが見えた。

 

(――戦っている)

 

 ――まだ、終わっていない……?

 

「……はっ!?」

 

 急速に意識が戻ってきた。頭を振り、まばたきを繰り返して覚醒させる。

 俺は何秒呆けていたのだろう。戦闘中に呆けるなど愚の骨頂だ。HPが減っていないのは奇跡に等しい。

 俺が意識を飛ばしていたその間が、何秒なのかはわからないが――その間、キリト達は狂乱していた俺達とは違い、たった二人でボスと戦っている。

 そう認識した途端、キリトがコボルトロードのスキルを食らって倒れた。

 

「――っ!」

 

 また、やられる――!

 少女がキリトを庇うように突っ込む。俺が息を漏らした途端、隣の男が駆け出した。

 エギルだ。両手斧を構え、追撃を仕掛けようとしたコボルトロードの野太刀を弾き返した。

 それを見届ける前に、今度こそ俺は駆け出していた。死なせるわけにはいかない。あの黒髪の剣士を。その隣に立つ少女を。そう無意識に感じ取り、俺は右手のアニールブレードを構えると、ノックバックしたコボルトロードに片手剣突進技《ソニックリープ》で斬り込んだ。

 

「――らぁ!」

 

 顔面に斬撃を叩きこまれ、コボルトロードが大きくひるんだ。

 硬直が解けると同時にバックステップで距離を取り、キリトと少女を確認する。

 ポーションを飲んでいたキリトは俺と目が合うと、感謝をにじませた表情で頷いた。

 コボルトロードがノックバックした隙にエギルだけではなく、他に4人のプレイヤーが戦線に復帰してきている。

 それを確認すると俺もキリトに頷き返し、二人を庇うように剣と盾を構えた。

 

 

 

 

「右水平斬り!」

 

 キリトの指示を聞くと同時、コボルトロードのソードスキルを盾を構えて防ぐ。

 曲刀スキルではありえない凄まじいスピードに俺は思わず呻くが、歯を食いしばってしのぎ切る。

 その隙に他のプレイヤーが攻撃してコボルトロードのHPを減らす。

 

「来るぞ!」

「おう!」

 

 タンクのプレイヤーが、両手剣で防ぐ。わずかな硬直も逃さず、少女がレイピアを打ち込んだ。

 コボルトロードがそちらを向こうとするが、俺の発動した威嚇(ハウル)でヘイトをこちらに向けさせる。

 刀が脇に構えられた。

 

「左斬り上げ!」

 

 キリトの声を聞きながら、俺はレイの――いや、一輝の言葉を思い出していた。

 

 ――迷宮区のサムライもどきが使うカタナスキルってのがあってな。めちゃくちゃ早くて、反応もできずに切り捨てられちまったよ。

 

 一輝は、カタナスキルに敗北したという。確かにこの速度は脅威だ。キリトの指示がなければ、俺は何度斬り捨てられているかわからない。

 それほどまでの速度と鋭さを前に、俺は心の中で込みあがってくるものを感じた。

 

(レイには越えられなかった壁――)

 

 盾に食い込みそうな程に鋭い刃に肝を冷やしながら、俺は自分を奮い立たせる。

 

(なら、これを凌げれば――っ!)

 

 カタナスキルを打ち破ることができれば、俺はレイを少しでも越えられるのではないか。

 そんな気持ちが、沸き上がってくる。

 

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 またもや、俺の口から雄たけびが放たれる。盾で受け止めるのではなく、刀がぶつかる瞬間に、盾を突き出すようにしてバッシュで迎え撃った。

 金属が擦れあう音が響き、しかし大きな硬直をコボルトロードに強いる。

 それを確認するまでもなく、俺は叫んだ。

 

行動遅延(ディレイ)!」

 

 なぜなら、俺はこの効果を知っていたからだ。

 盾による防御において、何よりも重要なもの。

 それは所謂『ジャストガード』だ。攻撃が当たる瞬間にバッシュで武器を迎え打つことで、確実に隙を作ることができる。迷宮に籠もり、雑魚のコボルト相手に修練を積んでいた成果が、いまここで発揮できた。

 

「グッジョブ!」

 

 エギルが流暢に叫び、スキルを打ち込んだ。

 俺は少しずつ、自分が変わっていくのがわかった。神経が研ぎ澄まされ、身体が思い通りに動くのを感じる。

 盾で確実な隙を作りだし、攻撃を加える。盾持ちの基本に忠実なそれを、俺はこの時完璧にこなすことができていた。

 それに、言い知れぬ高揚感を抱いた。

 ハイになっていると言ってもいい。俺はこの時、おそらく獰猛な笑みすら浮かべていただろう。

 

 

 

 

 最終的に、コボルトロードに止めを刺したのはキリトだった。わずかに気が緩んで瓦解しかけた戦線を、間一髪で斬り抜けたのだ。

 斬撃、爆散、静寂、歓声。

 その流れの間、俺は荒い息を吐きながら、剣を支えに立ち尽くしていた。

 

(なん、で――)

 

 そして、先ほどまでの自分に気付いた。

 高揚のままに吼え、剣を振るっていた。油断の許されない命がけの状況下で。

 俺は笑っていた。楽しんでいた。

 

(俺は――)

 

 いや、考えても詮無いことだ。

 無理矢理にでもその考えを締め出し、剣を鞘に納めると、キリトのもとへ歩いていく。

 エギルと少女に讃えられていたキリトが、俺に気付いて視線を向けた。

 

「ああ、あんた……」

「……キリト。お前のおかげで救われた。感謝する」

 

 俺はそう言って、右手を差しだした。

 キリトは――おそらく名前を呼ばれたことと、純粋な感謝を向けられて――驚いたような表情を浮かべたが、すぐに照れくさそうな表情になって握手に応じてくれた。

 大した剣士だ。背も高くは無いし、顔も凛々しくはない。けれど頼もしさを感じさせる、不思議な男だった。

 

「――なんでだよっ!」

 

 そこで、リンドが叫んだ。見たことのない表情を浮かべ、涙を流しながらキリトを睨んでいる。

 

「――なんでディアベルさんを見殺しにしたんだ!」

 

 その言葉は――決して俺に向けられたものでは無いのに――俺の胸に突き刺さった。

 どくどくと、心臓が跳ねる。

 キリトが見殺しにした。そう断言するのは、キリトがコボルトロードのカタナスキルを知っていたから。それを教えていればディアベルは死なずに済んだ、という理由。

 

「――無茶苦茶だ」

 

 俺は思わず呟いた。リンドはそんな俺に向けて同意を求めてくる。

 

「セドリックだってそう思うだろう!? そいつは自分一人だけボスの使うスキルを知ってたんだ!」

「それは……」

 

 そう、首を振る。俺には納得がいかなかった。

 

「それを知っていたとして、教える時間は無かった。そもそもボスの使う武器がカタナだとわからなかったのは――偵察を行った俺達の不手際じゃないのか?」

「な、に――?」

 

 俺が納得いかないのはそこだ。スキルを知っていたか知らなかったかではなく、ボスの武器を見極められなかったのは、先に偵察を行っていた俺達の責任だ。

 それを踏まえずに他人を糾弾することは、俺にはできなかった。

 そうして更に追求しようとした瞬間、キリトを指して一人の男が言った。こいつは元ベータテスターだ、と。

 それを聞いて、俺は思わず呟いてしまった。

 

「なるほど……確かに、それなら知っているのも頷ける」

 

 俺の不用意なつぶやきは、悪い方向に捉えられてしまった。俺の言葉に、隣のキリトが硬直した。

 

「そうだろう!? 元ベータテスターならカタナのソードスキルだって知ってるし、ボスの武器だってわかってたんだ」

 

 水を得た魚のように、リンドが発言した。

 俺は自分の状況に気付き、腕を振って否定する。 

 

「違う! カタナスキルを扱うモンスターは上層に出てくるはずだ! 使われるスキルはどんなモンスターであれ同一の物なんだから、対応できてもおかしくは――」

 

 俺はそこで言葉を区切った。リンドが信じられないものを見るような目で、俺のことを見ていたからだ。

 

「……なんでそんなこと知ってるんだよ?」

「昔、元テスターの友人が言っていた」

 

 俺をじっと見る。そうしていたリンドの口から出た言葉は、

 

「……お前も元ベータテスターなんじゃないのか?」

「なっ……」

 

 俺に対する疑心だった。

 

「お前、そいつと手を組んでるんじゃないのか――ディアベルさんを裏切ってたのか!?」

「ち、違う! 俺は確かに友人が居て――」

「それも作り話かもしれないだろ!」

 

 その言葉を聞いて、俺は自分の顔が憤怒に染まったのがわかった。

 なぜなら、意気揚々と俺を責めていたリンドが、気圧されたように恐怖を浮かべたからだ。

 

「せ、セドリッ――」

「もう一度言ってみろ」

 

 アニールブレードの柄に、手を添えた。

 

「次にレイの死を愚弄してみろ……その時は、俺はお前を許さない」

「――っ」

 

 頷いたリンドを見て、俺は僅かに抜いていた剣を鞘に納めた。

 俺の怒りの感情に、周りのプレイヤーは俺が真実を語っているとわかったらしい。

 俺に対しての疑心は、その場で解消された。

 

 

 

 

 しかし、俺への追求は終わったが、キリトへの糾弾は終わらなかった。

 キリトに始まり、元ベータテスターへ負の感情の矛先が向いた時、キリトが大きく宣言した。『素人のテスターと一緒にされては困る』と。

 ベータテスターとチーターを組み合わせた『ビーター』という蔑称を自ら認め、自分以外の元テスターを侮蔑し、ふてぶてしく去っていった。

 わかりやすい豹変と、わかりやすい演技。ベータテスターに向きそうだった憎悪を一手に引き受けたのがよくわかった。

 

 しかし、それはあくまでキリトを知っている人間に限る話だった。

 

 俺はキリトがどういう人物かわかっているつもりだ。ボスを倒した後に浮かべた、俺の感謝に対する笑顔。根が悪人であったなら、あんな笑顔はできないはずだ。

 しかし、キリトを知らない人間があの演技を見れば、それが奴の正体だと信じても仕方がないことだと思われた。

 更に言うなら、真っ先にキリトを糾弾した声が大きかったのも影響しているだろう。ネットに居る人間は、良くも悪くも大声の意見に同調しやすい連中が多いのだ。

 自分が是と感じていても、大勢が否と言えばあっさりと自分の意見を曲げる。是という考えを取り下げ、最初から否であったかのように振る舞う。よくあることだ。

 

 しかし、それは俺にとって耐えられないものだった。

 

 キリトが次の階層への階段に消えた後、リンドが話しかけてきた。

 

「……セドリック。疑って悪かった」

 

 それは、『下賤なビーター呼ばわりされかけた』俺に対する憐憫と謝罪だった。

 哀れまれているようにも感じた。

 

「――ディアベルさんのためにも、あんな奴に先を越されるわけにはいかない」

 

 そうリンドがつぶやいた言葉に、俺は歯ぎしりをした。

 ダメだ。キリトを悪者にして、それでいいのか。キリトに責任を全て背負わせて、現状に甘んじるのか。

 

「――後で向かう。先に行け」

 

 しかし俺はその場で発言することは無く、それだけ答えた。ここでもう一度言っても、なんの意味もないだろうから。

 リンドは俺の表情に何を感じたのかはわからないが、C隊のメンバーを連れて歩いていった。

 D隊のメンバーも、俺の肩を慰めるように叩いて歩いていった。

 

「――くそっ」

 

 頭を振って顔を上げ――近くに立っているキバオウと目が合った。

 そういえば、先のベータテスターに関する問答で、キバオウは一言も発言していなかった。

 俺を覗き込むようなその目には、呆れのような感情が見えた。

 

「キバオウ、あんた――」

 

 俺の呟きに、

 

「あの程度で騙されるとは、阿呆ばっかやのう」

 

 そう、吐き捨てるように言った。

 間違いない。キバオウもキリトの演技に気付いている人間の一人だ。

 

「……そうだな。皆、単純すぎるんだ」

「ほんまにな……お前さん、セドリック言うたか?」

「ああ、そうだ」

「あんたは他の連中とは違うみたいやな」

「どうだか――結局、俺はあいつにすべて背負わせてしまった」

 

 その言葉を聞いたキバオウは満足そうに頷き、

 

「セドリック。あんたは見込みがある。せいぜい失望させんとってくれ」

 

 ほな、と手を軽く振りながら歩いて行った。

 キバオウは決して、キリトのように優れた剣士という印象は無い。

 だが、見た目とは裏腹に話のわかる男だと、そう思った。

 

 

 

 

 二層の主街区に到着した俺がまず向かったのは、一層のはじまりの街にある黒鉄宮だった。一層が攻略された喧騒を感じ、俺達を讃える声を聞きながら、俺は覚束無い足取りでその場を離れていった。

 黒鉄宮に向かった理由。それはすべてのプレイヤーの名前が刻まれているという石碑を見るためだ。

 石碑を見上げ、一つずつ、名前を確認していく。

 

 すぐに、ディアベルとレイの名前を見つけた。

 

 その上に、一本の線を刻まれている――ディアベルとレイの名前を見つけた。

 

「――っ」

 

 死んだ時刻も一致する、同名のプレイヤーという可能性は無い。

 俺はそう認識したと同時、膝から崩れ落ちた。

 今更だ、とも思う。ディアベルはともかく、レイに至っては一か月近くも前の事なのだ。

 なのに俺は――今更溢れ出してくる涙を止められなかった。

 

「ディアベル――っ」

 

 目の前で助けられなかった、SAOにおける初めての友。

 

「一輝――っ」

 

 一番最初に死なせてしまった、最も仲の良い親友。

 

「ごめん――二人とも、ごめん……」

 

 俺は嗚咽と共に謝罪を漏らす。

 この時、とうとう俺は『もしや現実では生きているのではないか』という希望を抱くことは無くなった。

 死んだのだ、一輝は。ディアベルは。あの日ソーヤが味わった絶望を、俺は今更理解し、実感した。

 この絶望を受け入れられずに、ソーヤは心を閉ざしたのだ。

 その絶望を理解した俺は、一人泣き崩れた。

 

「俺が動かなかったから――俺のせいで、お前たちを死なせてしまった……!」

 

 俺が行動していれば、亡くすことは無かった命。

 俺が庇っていれば、救えたはずの命。

 その自責の念は、俺の胸に深く刻み込まれて。

 俺の自己犠牲精神を、著しく肥大させるきっかけとなった。




この作品は、第一層を丁寧に進めてきましたが、ここからはかなり時間が飛びます。もしかしたらこれよりも長く一つの層を描写することは無いかもしれません。

作品の書き方が変わるというわけではありませんが、かなり時間が飛ぶので、一応断っておきます。


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9話

 《生命の碑》の前で誓ったあの時から、自分がどこか機械的に行動していることを感じていた。

 やることは変わらない。パーティを組んで迷宮に籠もってはレベリングをし、苦戦しているプレイヤーを見かければ手を貸し、頼まれごとをされれば引き受ける。

 頼まれ事とは、実に様々だった。ディアベルの隣に立っていた騎士ということが大きかったのか、俺の知名度はそれなりに上がっていたようで、多くのプレイヤーから依頼を受ける機会があった。

 最前線から遅れがちなプレイヤーのレベル上げを手伝った。

 生産職のプレイヤーに頼まれた資材を提供した。

 材料を取りに行く鍛冶師の護衛を請け負った。

 ソロや数人のパーティでは厳しいクエストの助っ人をした。

 高火力ボスが出現するクエストの前衛を務めた。

 同じクエストであろうとも、違うプレイヤーから頼まれれば力になった。

 たまに頼まれるキリトとアスナの無茶な攻略作戦に協力した。

 噂を聞いたプレイヤーが俺を利用する目的だとわかっていても、俺は従った。

 はじまりの街で、攻略に参加する意欲を見せる初心者に対して手ほどきをした。

 迷宮のマッピングやフロアボス偵察に尽力した。

 フロアボス攻略戦ではダメージディーラーとして斬り込んだ。

 殆どが朧気な記憶だが、今になって思い返してみても、沢山の事を請け負い続けてきた。

 

 そんな俺でも、了承しなかったことが一つだけあった。

 

「……どうしてもだめなのか、セドリック」

「ああ」

「どうしてだ!? ディアベルさんと一緒に騎士を目指してたんだろう! だったら俺のギルドに入って、ディベルさんの意志を継ぐんだ!」

「お前のギルドに所属するつもりはない」

 

 こうしてリンドの誘いを断るのは、もう何度目か数えきれないほどだった。

 リンドが設立したギルド。確か竜の名を冠した名前だったような気がするが、いまいち覚えていない。

 

「セドリック。自分では気付いていないかもしれないが、お前は中層プレイヤーの中で知らぬ者は居ないほどのプレイヤーだ」

「買い被りだな」

 

 確かに顔は知られているだろう。『セドリック』という騎士の名もそれなりに有名になってきた自覚はある。

 だが、知らぬ者は居ない、なんて事はありえない。そこまでの知名度も実力も、俺には無い。

 

「実力だけの話じゃない。人柄の話だ」

 

 リンドが俺の肩に手を置き、俺の顔を覗き込んでくる。

 青く染められた髪が、嫌でも視界に入る。

 

「いいか、セドリック。ディアベルさんはお前を『騎士』と認めていた。一層のボス戦でディアベルさんと肩を並べてから、常に前衛で戦っているお前の事は皆が知っている。お前がうちのギルドに入ってくれれば、きっと中層プレイヤーのみんなは奮起する。お前が居るってだけで、少しでも安心できるプレイヤーが居るんだぞ」

「それがどうした。お前のギルドに入る理由にはならない」

 

 俺を利用するのは構わない。知名度があろうがなかろうが、やるべきことはやる所存ではある。

 俺が拒絶しているのはリンドの()()()だ。

 リンドはディアベルが死んで以来、髪を青く染めた。先陣を切り、指揮を行い、皆を鼓舞した。

 ディアベルを真似ている。ディアベルの後を継ごうとしている。それはわかる。

 しかしその在り方は、まるでレイの後をついていくソーヤを思い起こさせた。例をあげるなら、ソーヤが多用していたピースサイン。あれは昔、レイがよくやっていた癖だったのだ。

 それと同時に、リンドはまるでディアベルの死を体良く利用しているかのようで、俺を苛立たせた。

 

「何度言われようと、俺はお前のギルドに入る気は無い。お前の組織には、もう騎士の矜持が見えないんだ」

 

 何よりも気に入らなかったのは、自分たちを優先しているような素振りがあることだ。前線に身を置こうとしすぎて、周りの人間を蔑ろにしている。見下している。

 自覚があるかはわからないが、そういう雰囲気が確かにあるのだ。

 俺にはそれが受け入れられなかった。

 

 

 

 

 そんな俺に声をかけてきたのは、キバオウだった。

 

「ワイらのギルドに入る気はあるか?」

 

 それだけなら、俺は断っていただろう。しかし、そのキバオウのギルドの在り方は俺を大いに惹き付けた。

 リンドのギルドには無く、キバオウのギルドにあったもの。それは『平等性(フェアネス)』だった。

 自分たちの手で事を為す、というその姿勢。それは俺にとって大事なことだった。

 今まで多くのプレイヤーに頼られ、請け負ってきた俺だ。決して、人を頼りにするのは間違いではない。だが、それが()()()()になってはならない。だからこそ、戦力としては期待してきても、必要以上に俺を頼りにしないキバオウと話すのは楽だった。

 そのギルドは、アインクラッド解放隊。

 俺が所属した()()は、そういう名前だった。

 

 リンドの言うことはある意味では正しかった。

 

 俺がアインクラッド解放隊に所属したことが広まると、以前俺が手を貸したプレイヤーが少しずつ参加を申請してきた。

 その理由はといえば、『セドリックが居るなら理不尽な上下関係や搾取は無いだろう』という信頼だった。

 ギルドに所属すればある程度の収入と装備は約束される。だからこそ人は多く集まってきた。当然レベル上げや戦闘も義務となるが、プレイヤーの数が多ければ、しっかりとパーティを組んで安全に狩りを行うことも可能だった。

 

 俺は、そんなギルドの副隊長として活動していた。

 

 リンドがそんな俺に対してどういう感情を抱いたかはわからない。昔から、キバオウのギルドとリンドのギルドは対立しているのだから。

 一度はパーティを組んでいた事すらある俺が、自分達と敵対しているギルドに所属したとなれば、当然良い感情は抱いていないだろう。

 一応、会議で会話をする時は一定の敬意は持って接してくれている。俺の生き方が昔から変わっていないことに、気付いているのかもしれない。

 そうして、ギルドは少しずつ大きくなっていった。

 俺も、為すべきことを為せるという実感を持って活動をしていた。大規模なクエスト攻略にも率先して斬り込み、達成に貢献した。

 攻略組と呼ばれるようになるのも、時間はかからなかった。

 

 ――25層のあの時までは。

 

 

 

 

 あれだけは、今でも覚えている。双頭の巨人型フロアボス。奴との戦闘で、俺達のギルドは壊滅的な打撃を被った。

 多くのプレイヤーが死んだ。あまりにも大きな犠牲に、ギルドを離れる者も大勢居た。

 安全策を取っていたはずなのに、人が死んだのだ。当たり前といえば当たり前だ。

 

「なに……?」

 

 しかし、予想外だったのは、キバオウが攻略に参加することを控えると決定を下したことだ。

 

「多くのプレイヤーが死んでもうた。これまで死人が出とらんかったのに、大勢の死人を。噂が広まるのは早いもんで、既に多くのプレイヤーが離反しとる。このままじゃギルド崩壊もありうる」

「離反するものは仕方がない。問題はそこじゃない。()()はどうなる? 俺達は現状、それなりに高レベルの攻略組だ。攻略組が攻略をしないのなら、元より存在意義は無い」

 

 俺の侮辱するような言葉に、しかしキバオウは首を振るだけだった。

 

「――臆したのか?」

「なんとでも言えばええ。プレイヤーの命は何よりも優先されるべき、というのが会議での決定や」

「確かにそれは決まった。俺だってその場に居たんだからな。人命を優先することに異論などあるはずがない。だが――攻略から退いたとなればそれこそ、戦闘を行うこともできない一般プレイヤーを救うことはできないぞ。求心力を失ったギルドとなれば尚更だ」

 

 攻略ギルドが攻略をやめて何が残るのか。

 キバオウの代案は、大人数・低階層で安全に狩りを行う。その収益を集め、戦闘職では無い一般プレイヤーに分配するという考えだった。その話は、俺にとって寝耳に水だった。キバオウ一人の考えなのか、それとも他の幹部と話して決めたことなのか。それはどちらでもよかった。仮に他の奴等の意見であっても、キバオウはこれ以上ギルド内の不満を溜め込むような真似はしないだろう。

 しかし、それでも問題は残る。

 

「――その方針に異論はない。だが、前線から退く必要はあるのか? 下層で活動するより、よほど効率が良いだろう。平均レベルも保てなくなるぞ」

「せやから、もう必要無いんや」

 

 キバオウの眼には、僅かな葛藤と確かな諦観が見えた。

 それを見て、俺はやはりこの男が考えを変えないだろうということを察した。

 

「……俺個人が攻略に参加することは構わないか?」

「好きにすればええ。あんたの行動を制限したりはせん。動きづらいなら、副隊長の役職も別のプレイヤーに任せる」

 

 俺は少し考え込んだが、頷いた。

 

「――しばらく一人で行動させてもらう」

「――ほうか。戻ってくると決めたときは、もう一度あんたに副隊長を任せたいと思うとる。ギルドでもフレンドでもええから、メッセ飛ばしてくれや」

「ああ。またな」

 

 俺は少しの間、ギルドを離れることにした。

 

 

 

 

 それから更に数か月ほど経ったある日。

 俺は、ようやく()()()()()()

 

「――こんなにも、変わっていたんだな」

 

 俺は一人になっても、ずっと歩き続けて。

 そこでようやく立ち止まって、周りを見ることができた。

 ゲームが始まってからどれほどの時間経ったのか、アインクラッドの最前線は何層まで到達したのか。

 そういったことを、俺は把握していなかったのだ。

 自分が何も考えずに行動していたという事実に、たった今気付かされた。

 

「……哀れだな」

 

 今更のように、俺は呟いた。

 一層をクリアしたあの日から、こんな風に一人で歩くことなど無かった。

 常に誰かと行動を共にし、頼まれたことを率先して引き受けた。

 ギルドから離れて一人で行動を始めてからも、それは結局変わらなかった。

 

 楽だったのだ。その在り方は。

 

 誰かに頼まれたことを請け負い、成し遂げれば感謝される。そのあと、また誰かが俺に頼み事をしてきて、それも引き受け、完遂する。

 それで疲労が溜まったのなら眠り、起きればまた誰かの決めてくれた方針に従って行動する。フロアボス攻略戦も、結局は攻略ギルドの方針にしたがっていただけだ。

 自分で考えることもなく、言われたことをやればいいだけ。しかも、このデスゲームではそれすらも感謝される。

 そうして過ごしていくのは、とても楽だった。

 

(更に、クエストを繰り返し行うことでレベルは大きく上がった。武器も防具もそれなりの物を手に入れた。スキルの熟練度も上がった。しかし――周りを全然見れていなかった)

 

 昔の俺のトレードマークだった赤の鎧は、今や《軍》から支給された鎧となっている。しかし仮にも大規模ギルドの装備である軍の鎧は、それなりに良い性能だ。今は離別しているとはいえ、俺は一応軍に所属しているのだし、着ていても問題はない。

 副隊長である俺のために作られた特別製の鎧はやはり赤で装飾を施され、標準装備の重装よりも幾分か軽量化されている。

 レイが残してくれた剣(アニールブレード)だけは、まだストレージの中に残っている。

 

 そして、昔と一番変わっているのは使っている剣だ。

 

 今腰に帯びている剣の柄を撫でる。剣の幅も広く、柄も長い。アニールブレードとは、性能も比べ物にならない。

 しかし。この剣をどこで買ったのか、いつ新調したのか。それも覚えていない。

 俺は、本当に無意識に行動していたのだ。

 それを自覚した途端、俺は自分の在り方を見失い始めていた。

 

「……俺、どうしたらいいんだろう」

 

 

 

 

 俺ははじまりの街に戻ってきていた。思い至った理由は一つだった。

 

 ソーヤは、どうしているだろうか。

 

 ずっと、思い出さないようにしていた。

 ソーヤを見れば、否応無しにレイを思い出してしまうから。

 ずっと誰かのために行動しているという自負で、俺はソーヤを意識から締め出していた。

 

 だからこそ、俺はソーヤを求めていた。あいつなら、《セドリック》ではなく、《俺》を見て話してくれるだろうと思ったから。

 

 探すのであれば、フレンドリストを見れば早い。どこに居るか、すぐにわかるのだから。

 しかし、俺はそれをしなかった。広いはじまりの街を、どこを目指すでもなく歩き始めた。

 

 

 

 

 街を歩いていると、プレイヤーがあまり多くないことに気付いた。

 

「……もうこの街を出ているんだろうか」

 

 すでに46層を越える規模で攻略は進んでいる。上の階層に移っていてもおかしくはない。まあ、資金があるのなら、という条件付きではあるが。

 そうなると、もしかしたらソーヤも他の階層に居るのかもしれない。 

 ではやはり、会うのは難しくなるだろう。

 

「……いや、そもそも会ってどうするんだ」

 

 一年近くほったらかしにして、今更俺に何ができるというのだろう。俺は結局、自分が責められるのが嫌で逃げ出したようなものなのだ。ソーヤが「お前を責めたくなる」と言った瞬間、俺の中には確かに自己保身の考えがあった。

 そんな俺が今更ソーヤに会って、何を言えるのだろうか。

 俺はレイの死を受け止めながらも、足を止めなかった。それはソーヤにとって見れば、レイの死にショックを受けていない、と解釈される恐れもある。

 上がりに上がったレベルと、着飾った装備がそれを助長するかもしれない。

 無意識に会うのを避けていること――フレンドリストで場所を確認しないこと――も、俺自身それがわかっているからではないのか。

 

「駄目だな、俺は」

 

 結局、また会わないための言い訳を考えている。

 これでは何もできやしないな、と独りごちたとき。

 

「――?」

 

 耳が、喧騒を捉えた。

 数は四人。少女のもの、少年のもの――男のものが二つ。

 それを聞き分けると、俺はそちらへ歩き出した。

 見えてきたのは、やはり四人。

 

(ほぼ初期装備の少年と少女。それに対する《軍》の二人、か)

 

 本当に、《軍》の人間はわかりやすい。所属しておいてなんだが、俺はあの鎧のデザインはあまり好きではない。

 少女を背に庇うように、少年が吼える。

 

「だから払わないって言ってんだろ!」

「ガキ、納税は市民の義務だ。払わないってんなら、こっちにも考えがあるぜ?」

「お前たちは溜め込んでるだろ? 圏外に狩りにいってんだからな?」

「そんな金なんてあるもんか!」

 

 恐喝だ。《軍》の人間が、一般プレイヤーを脅しているのだ。

 俺は眼を細め、そいつらの背へ声を掛けた。

 

「お前達、何をしている」

「あ?」

 

 粗雑な返事と共に振り向き――俺の顔を見て驚きに眼を見開いた。

 

「ふ、副長!?」

「戻ってこられたんで!?」

 

 《軍》の男達は驚いている。しかし、それは()()()()()()()()()()()()()()()()ではない。

 むしろ、嬉々としている。これ見よがしにも思えるほどに、俺に声をかけてくる。

 

「いや、今は副長ではないんでしたっけ」

「副隊長の階級を退き、今は軍を代表して攻略組に貢献してると聞いています! ご活躍は一兵卒のオレ達にも届いていますよ!」

「名実ともに《軍》最強のプレイヤーでありますな、セドリック殿!」

 

 俺が軍を抜けた理由はそういうことになっているらしい。確かに、俺が離反したということが広まれば、不信感が余計に高まるだろう。

 しかし妙だ。なぜそれをわざわざ話す?

 

「軍、最強……?」

「攻略、組……っ」

 

 その呟きを漏らしたのは、庇われている少女と少年。

 目に見えてわかるほどに怯え、肩を震わせている少女。

 それを庇う少年も、警戒の表情こそ維持しているが、脚が震えている。

 

 二人とも、()()見て怯えている。

 

 それに気付き、ぞっとした。

 俺は、恐喝のダシに使われているのだ。

 こいつらが俺を評する度に、二人は顔が青くなっていく。

 

「聞いてくださいよ。こいつら、街に住んでいながら税を払わな――」

 

 俺は男がその言葉を言い終わる前に、その喉に抜きざまの剣を突き付けた。

 笑い顔のまま、男の表情が固まる。

 

「……今の《軍》は、こんなことをしているのか?」

「え、は、ぇ……」

「――腐ったか、キバオウ」

 

 俺の吐き捨てるような言葉に、もう一人が泡を食ったように逃げ出した。

 見捨てられた形となったそいつは――『圏内』だからダメージを負うわけでもないのに――動くことも出来ずに固まっている。

 

「軍に所属していて、副長(おれ)を知っているということは、それなりに古参なのだろう?」

「は、はい」

「何層からだ?」

「じゅ、十層が最前線の時です」

 

 じっと男の顔を見つめる。確かに見覚えがあるような気がする。

 しかし、絶対に思い出すことは叶わないこともわかっていた。

 

「……当時抱いていた矜持も、フェアネスも消えたか」

 

 俺は剣を握っている右手を引き、ソードスキルを発動する。

 それを繰り出した瞬間、男は咄嗟に腕をかざして防ぐが、ノックバックにより仰け反る。

 その顔には驚愕が浮かんだ。

 無関心に眺めながら俺は剣を構え直し、切っ先を向けた。

 

「抜け」

「――っ」

「腰のものは飾りか? それを振るう感触も忘れたか?」

 

 もしそうだとしたら、生きている価値など無い。

 そう続けた俺の言葉に男は歯軋りをしたが、俺は構わず《デュエル》を申請した。

 《全損決着モード》で。それを見て、男の表情が青ざめる。

 

「なっ――」

「為すべき事を為せないのならここで死ね」

 

 俺は本気だった。何故かはわからない。

 ただ、これまでに堪えていた感情が沸き上がってくるのを感じた。

 いい加減うんざりしていたのだと、今さらながら気付いてもいた。

 

 為すべき事を為すのだ、と自身を騙りながら無気力に生き続けて。過ぎ行く時も忘れ、共に並ぶ者にすら関心を抱かずに戦い続けて。

 その果てに結局、力無き者を貶めるために利用されるのならば。

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

「命が惜しければ逃げて恥をさらせ。矜持が残っているのなら剣を取って俺と死合え」

 

 男は躊躇っている。

 

「ただし、逃げるのなら二度と剣を佩くな。死合うのなら殺し殺される覚悟をしろ」

 

 その目には様々な感情が入り交じっているが、結局彼が選んだのは逃走だった。

 どこまでも無様に、しかし最も大事な命を選んだ。

 俺はそれを責めようとは思わなかった。

 ふう、と息を吐き、剣を鞘に納める。

 

「……追い払ってくれたのか?」

 

 その言葉に、俺はゆっくりと振り向いた。

 少年の顔には警戒心と、僅かな期待。

 向き直り、俺は質問を返した。

 

「《軍》は、いつから()()なんだ?」

「え? ああ、わりと最近だよ。数ヵ月前に街にどんどん移り住んできてさ。最初はそこそこ親切にしてくれてたんだけど、最近になって金をたかるようになってきたんだ」

「そうなのか……」

 

 この数ヵ月――《軍》が前線を退いてからの変化を、俺は知らない。

 正確には、知ろうとしなかった。俺は結局、戦うことで周りから眼を逸らし続けていただけなのだから。

 

「ねぇ……お兄さん、《軍》なの?」

 

 少年の背後に隠れたまま、顔だけを出して少女が聞いてくる。俺は曖昧に頷いた。

 

「ああ……」

「なら、なんでオレ達を助けたんだよ」

「……理由がいるのか、人助けに」

「いるだろ。少なくともオレ達には説明してくれなきゃ、あんたを信用できないね」

 

 俺はその言葉に、何故か好感をもった。俺に警戒心をぶつけてくる人間は久し振りな気がする。

 

「……そう言われてもな。俺は横暴を見過ごしたくなかっただけだ。少なくとも、ここに割り込んだときはそれだけの理由だった」

「……攻略組ってのは本当なのか?」

「ああ。フロアボス攻略戦にはいつも参加している」

 

 俺の言葉を聞いて、少年はじっと俺を見つめた。

 その後ろの少女が口を開く。

 

「なんで《はじまりの街》に来たんですか?」

「人を捜している。そうだ、街に住んでいるのなら、《ソーヤ》というプレイヤーを知らないだろうか」

 

 そう聞いた途端、二人の表情が驚いたものに変わった。

 その反応を見て、俺はこの二人がソーヤを知っていると確信した。

 

「知ってるんだな?」

「……はい」

「おい。あんた、《ソーヤ》のなんなんだ?」

「――友人だ。現実(リアル)の」

 

 その言葉を聞いて二人は顔を見合わせ、少し迷っていたようだが、頷いた。

 

「ついてきな、兄ちゃん」

 

 

 

 

 連れてこられたのは、教会だった。

 はじまりの街には幾つか教会があるが、ここは大きなものではない。ここがどうしたんだろうと疑問に思っていると、

 

「ここでちょっと待ってな」

 

 そう言って二人は教会の中に入っていった。

 待てと言われたからには仕方ない、と俺は腕を組み、静かにその場に立って待つ。

 三分ほど経ったか。教会の扉が開き、一人の女性が顔を出した。ショートヘアに眼鏡をかけた、あまり垢抜けた様子は感じられない女性。

 どうしてか、俺の顔を見て少し驚いた様子を見せた気がする。

 

(……若いな)

 

 SAOのアバターは現実の顔が再現されるが、細かい皺などは反映されない。だから余程でない限り外見から年齢を判断することは難しいのだが、この女性は素直に若い部類だろう。

 身長は160程か。それでも顔立ちから歳上――おそらく二十歳ほどだと感じた。

 

「……えっと」

 

 俺がどう切り出したものかとあぐねていると、女性が口を開いた。

 

「中へ、どうぞ」

 

 

 

 

 教会の中へ足を踏み入れると、複数の視線を感じた。

 《索敵》スキルではない。そんな大仰なものは必要ない。そもそも《索敵》スキルなど修得していない。

 何故わかるのかというなら、そこかしこの扉から顔が飛び出しているからだ。興味か、警戒か。どうにも判断しにくいその顔を横目に部屋へ案内され、椅子をすすめられた。

 俺が腰を降ろすと、女性はテーブルを挟んで俺の向かいに座った。

 

「あの子達に聞きました。貴方が《軍》から助けてくれた、と」

 

 言うと同時、ちらりと視線が俺の身体(よろい)に落ちた。

 なるほど、《軍》の鎧を着ている俺を信用できないのかもしれない。

 

「そうなります」

「……でも、貴方は《軍》の鎧を着ていますよね」

「ええ。一応、所属していました」

「いた、ということは……?」

 

 俺は少し視線を落とし、頭を掻きながら応える。

 

「今は、どう言い表すのが適切かわかりません。俺は《軍》を離れて攻略に臨んでいるので」

「攻略組で、軍の……赤い鎧の騎士……もしかして、『セドリック』さんですか?」

 

 俺は唐突に名前を呼ばれ、顔をあげた。最前線ならまだしも、最下層のはじまりの街で俺の名を知っている人がいるとは思わなかった。

 

「ああ、すみません。名乗るのを忘れていました。はい、俺は『セドリック』です」

「あ、こちらこそすみません。私は『サーシャ』と言います。それにしても――聞き及んでいた通りですね。確かに、SAOの中では珍しいくらい『騎士』らしい方です」

 

 『騎士』と称され、俺は顔をしかめた。既に俺の中には、『騎士』と囃し立てられることへの不快感があった。

 

「本題に入らせてもらいます」

 

 俺はその不快感を隠すこと無くそう続けた。

 サーシャと名乗った女性は俺の様子に気付いたようで、姿勢を正す。

 

「話は聞いているでしょう。俺は――『ソーヤ』を探しています」

「……彼とは現実(リアル)の知り合いだ、と聞いています。けれど――」

「信用できない、と?」

「すみません……ソーヤ君は今、とても――その、デリケートな状態です。例えセドリックさんでも――会わせていいものか、どうか」

 

 心底申し訳なさそうに謝るその仕草に、俺は眉をひそめた。言葉を選んでいるが、信用していないのがわかる。

 まあ、疑う気持ちはわからなくもない。

 だがしかし、俺からすれば、この教会の連中の方が信用ならないのだ。ソーヤを知っているのなら、早いところ教えて欲しいのだが。

 

「なら、刺激するような言動は控えます。場所を知っているのか、この場に居るのか知りませんが、あいつに会わせてください。俺が知り合いかどうかも、それではっきりする」

「けれど……」

「お願いします」

 

 俺は頭を下げたが、それでも彼女は渋った。俺は自分が苛立ってきているのを感じて溜め息を吐き、揃えた指を縦に振ってメニュー画面を開いた。

 唐突なそれに、サーシャは怪訝そうな顔をした。

 

「俺はまだギリギリ《軍》所属です。正式に脱退したわけではありませんから。権限もあれば名声もある。だから――この教会を差し押さえるよう指示することだってできます」

 

 俺がこれ見よがしにメニュー画面を指でとんとん、と叩くと、サーシャは目に見えて顔色が変わった。

 

「そんな……!?」

「俺はお願いしました。頭も下げた。()()()()()()()。それでもあなたは渋った。なら、強硬手段に訴えるのは自然なことだ」

 

 信じられないものをみるような目で、サーシャは俺を見ていた。

 サーシャは《セドリック(おれ)》を知っていた。おそらく、俺のこれまでの行動や性格も聞き及んでいたのだろう。

 だからこそ、力でねじ伏せるような俺のやり方を見て、疑問と驚愕を感じずにはいられなかったのだろう。

 

「質問に答えていただく」

 

 俺とて自覚している。これは《セドリック》の行いではない。

 これは、騎士であること(ロールプレイ)を棄てた《俺自身》のやり方だ。

 

「――ソーヤはどこだ」

 

 

 

 

 会ってみると、あっけないものだった。

 サーシャの言葉に従って少し待つことになり、数十分ほどして、教会の入口が開いた。

 外出していたらしく、そこから入ってきたソーヤは、()()()から何も変わっていなかった。

 あの日、俺も着ていた初期装備の上に、革の軽装を纏っていることも。

 共に戦っていた時のように、背中に新たな長槍を背負っていることも。

 きっと、装備は新調したのだろう。だが、それ以外は何も変わっていない。

 そう、()()()と変わっていない。

 

――()()()()()()()()()()()()()()




今回の話は、前回から一年近く経過しています。その間、セドリックはどこで何をしていたのかほとんど覚えていません。意識の大部分を占めていたのはレイやディアベルのこと。必死に罪悪から眼を背け、我武者羅に戦い続けてきました。

そうした状態でいれば当然ストレスが溜まり、それに気付いた結果が今回の行動に繋がっています。


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10話

難産です。一応書きたい展開は書けたのですが、少々もやもやしてます。
少しずつ細かい描写を修正していくかもしれません。


「ソーヤ」

 

 俺の呟くような声に、ソーヤはその瞳をこちらに向けた。

 それをまっすぐに受け止める。目を逸らしたりなどしない。俺は、ずっとこれを求めていたのだから。ここまで来て逃げることなどしない。

 

「ああ、お前か」

 

 普段通りの声。さも狩りに出ていて疲れたという印象を受ける、吐息混じりの声。

 それが、濁った瞳のソーヤから発せられるのはどうにも不安を感じさせた。

 ソーヤの「お前か」という言葉を聞き、サーシャが本当に知り合いだったのか、という旨の呟きをした。

 

「その槍――圏外で戦っているのか?」

「ああ。金が無きゃ食い物も買えないしな」

「そうか」

 

 ソーヤは少しだけ()()になったのだろうか。戦うことが出来るくらいには吹っ切っているのだろうか。

 そう考えていると、ソーヤはちらりと俺の身体(よろい)に目を落とした。

 

「お前は攻略組なんだろ?」

「ああ。俺は今も前線で戦っている」

「……屈しない、か。変わってないな、お前は」

 

 ソーヤはふっと口許を緩めた。俺はまさか笑いかけられるとは思ってもおらず、面食らって言葉が出なかった。

 

「けど、だからこそお前は()()に来るべきじゃない」

 

 続けられたソーヤの言葉に、俺は今度こそ息を呑んだ。

 

「なあ。お前はどうして降りてきた? どうしてオレに会いに来た? オレは()()()()()()()()()()のに、なんで――」

 

 ソーヤは眼を剥き、

 

「――なんでお前はここに来たんだよ!!」 

 

 そう吼えて背の槍を構えた。

 その慟哭を聞いて、その激情のままの敵意を見て、少年達やサーシャが怯えた表情を浮かべた。

 それを見た俺は即座にソーヤに接近し、左手に装備した盾で殴り付けてソーヤを教会の外へ吹き飛ばす。

 

「お前――っ!」

「やるなら外だ。迷惑になる」

 

 跳ね起きるソーヤに対し、俺は静かにそう返した。

 そう。俺は応じるつもりだった。

 

「デュエルか? それとも――」

「いらねぇよ!」

 

 ソーヤはデュエルの申請すら無いまま、こちらに向けて地面を蹴った。

 

「そうか――」

 

 俺は腰の鞘から剣を抜いた。

 デュエルを申請しない状態で、しかも《圏内》であるこの場で攻撃しても、HPが減ることはない。

 それはつまり――

 

「――なら、相手をしてやる!」

「おおおおおっ!」

 

 ――気が済むまで戦うことができる、ということだ。

 

 

 

 

 なぜソーヤが俺に槍を向けたのか。

 なぜ俺は当然のようにそれに応えたのか。

 おそらく、その理由はどちらも十全にわかってはいないだろう。

 だが、ただ一つ……これだけはわかる。

 

 これは、八つ当たりだ。

 

「らあっ!」

「はあっ!」

 

 鋭く振り下ろされる槍を剣で受け、切っ先を下に向けて受け流すと同時に斬り払う。腹に斬撃を受けたソーヤは尻餅をつき、しかしすぐに立ち上がって槍を突き込んでくる。

 

「温い!」

 

 それを盾で受け流し、回転と共に袈裟斬りを繰り出しながら俺は吼えた。

 俺もソーヤも、おそらく八つ当たりをしている。

 俺は、二度に渡って友を救うことをできなかった後悔を。

 ソーヤは、実の兄を目の前で失った自身の無力さを。

 お互いに抱え込んだそれらを吼え散らし、ぶつけあっている。ソードスキルも使わず、ただがむしゃらに。

 

「「らあっ!」」

 

 ぎり、とソーヤの槍の柄と俺の剣の刃が噛み合い、ぎりぎりと押し合う形になる。

 ソーヤと俺のレベルは大きく違うはずだ。装備の質を見てもよくわかる。

 それでもこうして拮抗しているのは、ソーヤの恐ろしい胆力によるものだろうか――そう考え、俺は内心で苦笑した。

 いくらVRの世界とはいえ、このSAOで意志の力などあるわけがない。そんなもの、映画の世界だけだ。

 

「お前が――」

 

 ソーヤがぽつりと呟いた。

 

「お前がここに――」

 

 涙を流しながら、

 

「オレの前に出て来なけりゃ――」

 

 ギリ、と歯を食い縛り、

 

「オレはちゃんと――自分を責められたんだよ」

「なに……?」

 

 俺はその言葉に眉をひそめた。

 

「レイが死んだのは()()()()()だって思えた筈なんだよ!」

「――っ」

 

 その言葉は、おそらくそれだけを聞いたとしたら、意味がわからないだろう。

 だが、俺にはわかった。

 ()()()()()()という、同じ苦しみを持っている俺には。

 

「ソーヤ、お前まさか……」

「オレのせいで死んだんだよ! そうでなきゃならないんだよ! でなきゃ――」

 

 何もかもを振り切るかのように、ソーヤは怒鳴った。

 

「でなきゃ、お前を恨んじまうだろうが!」

 

 

 

 

 俺の中には『責められるのが嫌だ』という気持ちが間違いなくあった。しかし、罪悪も間違いなくあった。

 

『俺があの時こうしていれば』と。

 

 あの日、俺はソーヤから逃げ出した。もし本当にソーヤに責められたら、俺は心が折れていただろう。

 だからこそ、前線で戦うことで『レイのために行動している』と自分に言い聞かせ、眼を逸らし続けてきたのだから。

 だが、今になって考えるなら。

 

 ――俺にとっては、あの選択は間違っていた。

 

 ――しかしソーヤにとっては、俺の選択は正しかったのだ。

 

 ソーヤは絶望に呑まれていた。塞ぎ込み、理解することを拒絶し、それでも認めざるを得ないレイの死に打ちのめされた。

 その時ソーヤはなにを思ったのか?

 怒りか?

 悲しみか?

 無力感か?

 それとも……怨みか。

 

――それを感じたとして、一体誰に?

 

 少し考えればわかることだった。

 俺は自己保身に走り、考えないようにしていたから、その答えに辿り着けなかった。

 

『もう、行けよ。これ以上居たら――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一年前のあの日に言われたことば。

 脳裏に刻みつけられたこの言葉の違和感に、俺は今更気付いた。

 

 お前(おれ)を責めたくなる、とソーヤは言った。それはつまり、あの時点では俺を責めていなかった、ということだ。

 

 ならば――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(ああ……そうだったのか、ソーヤ)

 

 ソーヤはきっと、自分を責めていたのだ。兄を見殺しにした責任は自分に――自分だけにある、と絶えず自己嫌悪に陥っていたのだ。

 それはどれだけ辛かったことだろう。どれほどの罪悪に苛まれたことだろう。正気を保っていることすら嫌になるほど、投げ出したくて堪らなかったことだろう。

 

 ――どれだけ、責任を誰か(おれ)に押し付けたかったことだろう。

 

 けれど、ソーヤはそれをしなかった……俺を責めることはしなかった。

 きっと、責めないように必死だったのだ。

 もし俺を責めていたら、それこそソーヤは自己嫌悪に殺されていただろう。

 

 それに気付いた俺は、目の前で崩れ落ちて嗚咽を堪えているソーヤに対し、何も言うことが出来なかった。

 俺に慰めを言う資格などない。その罪悪を肩代わりすることもできない。

 

――俺の選択は間違っていた。

 

 俺が残っていれば。ソーヤと共にお互いを責め合い、傷の舐め合いをしていれば。

 俺も、ここまで歪むことはなかっただろう。

 

――しかし、ソーヤにとっては俺の選択は僥倖だった。

 

 俺を責めてしまえば、ソーヤは自分を許せなくなる。故に、俺が目の前から消えたのはソーヤにとって都合がよかった。

 

 (俺は……無力だ……)

 

 騎士としての在り方を捨て去ろうと決意し、何かにすがるようにソーヤを求め、八つ当たりをして。

 なのに、ソーヤはこんなにも苦しんでいたことを知った。ならば、こんな状態のソーヤに何を求められると言うのだろうか。

 

「もう嫌だ。兄さんが死んで……でも、お前は戦ってるのに――オレは、ずっと止まったままだ」

 

 ソーヤの意識が限界を迎えたのか、そのまま意識を失うように眠りについた。

 俺は、ソーヤを呆然と見下ろすことしか出来なかった。

 

 

 

 

「すみませんでした」

 

 ソーヤを部屋に運び終えた俺に対し、サーシャはそう言って頭を下げた。

 

「いや……謝るのは俺の方です。結局あいつを傷付けてしまった」

 

 俺は顔を覆い、溜め息を吐いた。

 

「――ソーヤ君は、この街の路地裏でうずくまっていたんです。見付けたのはゲームが始まってから1ヶ月ほどが経ったころでした」

 

 サーシャはぽつりぽつりと話し始めた。俺が気になっていたことを察したのだろう。

 

「『こんなに小さい子が一人なんだ』って思って、声を掛けたんです。そうしたら、他にも同じような子供達がたくさん居ることに気付いて――」

「……子供たちを助けようと、この教会を?」

「はい。少しでも、あの子達のために出来ることがあるならと思って」

 

 一人で困っている子供や、ゲームに閉じ込められたことで精神にダメージを負った子供たちを保護しているらしい。

 立派なことだ、と素直に思った。

 俺は5000コルほどを実体化させ、机の上に置いた。

 

「迷惑を掛けた詫びと、寄付です」

「え!? 受け取れませんよ、こんな――」

「ソーヤを頼みます」

 

 俺は言葉を遮った。

 

「今の俺には、ソーヤを救うことができない。あいつのためにできることが何一つない。だからこそ、貴女にお願いします……ソーヤを見捨てないでやってほしい」

 

 俺にそんなことを言う資格があるだろうか、と自問しつつ。

 サーシャは何かを堪えるように頷くと、コルを受け取った。

 

「すみません。こんなことを頼んで」

「いえ……あの、セドリックさん」

 

 躊躇いがちな言葉に、俺は首をかしげた。

 

「無理をしないでくださいね。ソーヤ君も確かに大変な状態ですが――貴方も、とても辛そうに見えます」

 

 そう囁くように言ってきたサーシャの表情は、とても悲しそうだった。

 俺は何故か――心配してくれたというのに――その言葉を聞いて、どうしようもなく苦しくなった。

 

「……大丈夫です。では」

 

 俺は絞り出すようにそう答え、その場を後にした。

 

 

 

 

 俺はとうとう、目的を見失った。

 いや、そもそも俺に目的などあったのだろうか。

 あの日――全てが始まったあの日。俺はレイの死を無駄にしたくないという、その一心で走り出した。

 そうして、ディアベルが俺を見出してくれた。彼と共に歩めば、きっと俺は何かを為すことができる。そう感じた。

 だが、そのディアベルも死んで、それでもがむしゃらに進んで。

 自分の在り方に疑問を抱いて、ソーヤにすがって、そのソーヤがどれだけ苦しんでいたかを思い知って。

 

 結局、なにも出来ないのだと思い知らされて。

 

 俺は、また立ち止まってしまった。

 

「レイが居れば……」

 

 何もかも、そこに端を発している。

 レイが死ななければ、俺がこんなにも迷うことは無かっただろう。

 ソーヤがあんなにも自分を責めることにはならなかったろう。

 

 レイが――一輝さえいてくれれば。

 

 そう願わずにはいられなかった。

 だからこそ俺は、情報をかき集めた。金を払って情報屋から裏付けをとっていき、片っ端から手掛かりになりそうなNPCクエストをクリアしていった。

 そして、やっと俺は突き止めたのだ。 

 一ヶ月後――十二月のクリスマスイベントに出現するフラグmobを討伐すれば。

 

「蘇生アイテムが手に入る……っ」

 

 俺は自分の身体が震えるのがわかった。

 

 

 

 

 ネットゲームのイベントらしく、設置された巨大なクリスマスツリーや、サンタの衣装を着たNPCを横目に歩き、リンドを筆頭とするギルド《聖竜連合》の面子に合流した。

 

「来てくれたんだな、セドリック!」

「ああ」

 

 俺はリンド達に協力を持ち掛けられた。彼等の目的も《蘇生アイテム》なのは間違いないだろう。そしておそらく、その対象は――

 

「よかった。お前が来てくれたなら、きっと勝てる。蘇生アイテムはオレ達のものだ!」

 

 リンドはそう言って考えに耽っていた俺の肩を叩き、顔を覗き込むと、少し気遣うような表情を浮かべた。

 

「大丈夫か? ずいぶんと疲れた表情をしてるけど」

「そうか……? 別に疲労なんて溜まってないが」

「ならいいが、無理はするなよ。それと――」

 

 俺の身体を包む黒い鎧を指して続けた。

 

「もう《軍》じゃないのか?」

「……ああ。脱退した」

 

 俺は《軍》を抜けた。もうあそこに居ても何も意味は無いと感じた。

 しかし、キバオウには会えなかった。結局、キバオウの本心を聞くことは叶わなかったのだ。

 この情報を聞いても、リンドは俺を聖竜連合に誘うことはしなかった。俺の状態を見て、気を使ってくれたのだろうか。

 

「今の俺が持ってる中では、この鎧が一番性能が高いんだ」

 

 軍の鎧は返却し、今は黒い色調の《ダマスカス》シリーズに装備を変更している。

 インゴットを入手し、軽金属の鎧に仕立ててもらったものだ。

 俺はその漆黒のプレートをガントレット越しの指で撫で、リンドの眼を見た。

 

「場所はわかってると聞いたが?」

「『《黒の剣士》がクリスマスボスの出現位置と思われるツリーの情報を買った』という情報を買った《風林火山》の情報を()()()()()。奴等をつければ間違いなく着くさ」

 

 リンドの作戦を聞き、ふん、と俺は鼻を鳴らした。

 

「情報屋……《鼠》は相変わらずというわけか。まあ、そこが好感の持てるところでもあるが」

 

 それは言ってしまえば、金さえ払えば嘘をつかないということでもあるのだから。

 そういう意味では、奴の情報は信用に値する。

 

「わかった、問題なさそうだな。リンド、お前たちの準備はできているか?」

「ああ、問題ない!」

 

 その言葉を聞いて俺は頷き、手を差し伸べた。

 

「必ず手に入れよう」

「ああ……ああっ! 唯一可能性のある蘇生アイテムだ。どんな手段を使ったって手にいれてやるさ!」

 

 その言葉に頷き、握手をする。

 

「よし、行くぞ!」

 

 リンドの号令を聞きながら、ダマスカスヘルムを装備する。鎧と同じく黒いフルフェイスヘルムの面頬を下ろし、俺は音を出さずに鼻で笑った。

 

(――どんな手段を使っても、か。同感だ)

 

 何がなんでも、手に入れてやる。

 俺は誰にも気付かれないように、精神を尖らせていた。

 

 

 

 

 尾行をしている人間は、自分が尾行されることに不注意な場合が多い。

 いつどこで誰に教わったかも忘れたが、少なくとも風林火山の侍どもは当てはまるらしい。

 三十五層の《迷いの森》で追跡スキル持ちプレイヤーの後に続きつつ、地図を確認しながら俺は内心そう思った。

 マップさえあれば、《迷いの森》もただの不気味な森林地帯だ。

 

「セドリック」

「なんだ」

 

 リンドの呟きに、俺はヘルムの下から小さく返事をする。

 

「お前、対人は得意か?」

「俺は攻略組だ。対人勢じゃない」

「真面目な話だ」

 

 俺は肩をすくめたが、リンドは険しい表情を浮かべた。

 

「俺達の中じゃ、お前は装備もレベルも高い。だから、もし奴等と戦闘になったら前に立ってもらうことになる」

壁役(タンク)なら何度も経験があるが」

「そういう意味じゃない……率直に聞こう。セドリック、お前はプレイヤーを攻撃したことがあるか?」

()()

 

 俺は短く答え、

 

「所属しているパーティの判断に従う。だが、聖竜連合(おまえたち)の様に目的のためなら進んで人を斬ったりはしないな」

 

 続けた言葉に、聖竜連合のメンバーが俺を睨んだ。リンドは俺の当て付けるような言葉に驚いた様子を見せたが、振り切るように視線を前に戻した。

 

「ならいい。別にお前にオレンジになれって言いたい訳じゃない。仮に、の話だ」

「だといいがな――着いたようだぞ」

 

 《迷いの森》の区画を通り過ぎ、ワープを終えると、風林火山のメンバーがキリトに追い付き――何やら言い争いをしていたようだ。

 あのサムライ――顔は見覚えがあるが、名前がわからない――とキリトは知り合いのはずだが、何を争っていたのだろうか。アイテムや報酬が欲しいのなら協力(のフリでも)すればいいものを。

 俺達を認識し、奴等に動揺が走った。まあ、三十人ほどの集団を見れば――しかもそれが友好的でないのなら――自分達の危機くらいわかるだろう。

 

「くそッ! くそったれがッ!!」

 

 《風林火山》のバンダナを巻いたサムライが腰のカタナを抜き、キリトに先に行くよう言った。キリトはなにも答えずに背を向け、ワープしていった。

 

「ここは食い止める、か。オレ達の数を見た上であの気概はすごいな」

「――潰すか」

 

 俺の呟くような言葉に何を感じ取ったのか、リンドが僅かにこちらを見て、

 

「セドリック……落ち着け」

 

 俺の肩に手を置いた。

 

「なに?」

「そんなに肩を怒らせるなよ。確かにあのサムライは大きく出たと思うが……あの位で苛つくなんて、お前らしくもない」

 

 なんだと、と言い返そうとした瞬間、

 

「《聖竜連合》の野郎共!」

 

 バンダナがカタナをこちらに突き付け、叫んだ。

 

「おめぇらの目的もクリスマスのフラグmobだろ! だが通すわけにゃぁいかねぇ。ここを通りたきゃ、オレ達を倒してからいけ!」

「では――」

「待て待て待て待て! 待てやその騎士! 話は最後まで聞け!」

 

 俺が剣の柄に手を掛けると、サムライは慌てて手を振って制止し、続ける。

 

「けどな! どう見たってオレ達の方が不利だ! そうだろう!? 数が違いすぎる! んなの卑怯だ!」

 

 お前のギルドメンバーが少ないのは別にオレ達のせいじゃないんだが。

 そんなリンドの呟きに、俺は呆れたように頷いた。

 

「そこでだ! 男らしく一対一(タイマン)……デュエルで決着をつけようじゃねぇか!」

「そんな申し出、受けると思ってるのか!?」

「受けねぇってのか!? それでも男かおめぇら!」

「下らないことを――」

「まあ、待て」

 

 俺は手をかざしてリンドを制した。

 

「フラグmobを狩りに行くんだ。真っ向からぶつかって消耗するのもよくない。一騎討ちで済ませると言っている。所謂武士道精神、という奴だ。ならば、俺達も騎士道精神を見せるべきじゃないか?」

 

 俺のからかうような言葉に、リンドは顔をしかめた。

 

「言いたいことはわかるけど、あの男は『クライン』だ。決して()前線の攻略組じゃないが、カタナ使いの中じゃかなり上位の腕前だ。正直、一騎討ちとなると分が悪い」

「構わんさ。俺がやる」

「けど、お前は対人は……」

「特別得意じゃないが、できないわけじゃない。レベルも、俺はこの中では一番高いだろうしな」

「……わかった。頼む」

 

 俺の言葉に納得してくれたのか、リンドはギルドメンバーに頷きかけ、俺の背を叩いた。

 俺はその激励するかのような素振りに苦笑しつつ、一歩前に出てサムライ――クラインに答えた。

 

「デュエル、了解した」

「おっしゃぁ! お前ら、手ぇ出すなよ!」

 

 クラインがメニューを操作し、俺の前にウィンドウが表示される。

 

【Klein から1VS1デュエルを申し込まれました。受諾しますか? YES/NO】

 

 俺はYESを押し、《初撃決着モード》を選択する。剣を抜き、盾を背から外す。

 開始までのカウントが始まる。奴との距離は十メートルほど。俺は特に構えることなく静かに佇んでいたが、クラインはカタナを掲げ、

 

「《風林火山》のクライン!」

 

 名乗りをあげた。その辺りも武士らしい。

 カウントが減っていくのを確認しながら、俺はヘルムの面頬を上げ、名乗りに応える。

 

「所属は無い。セドリック」

 

 それだけを言うと、面頬を下ろした。

 俺の名乗りを聞いてクラインは真剣な表情で頷き、

 

「あの騎士、セドリックって……おい、まさかッ!」

 

 風林火山の剣士が慌てたように声をあげた。

 

「クラインさん! そいつ《黒騎士(くろきし)》だ!」

「ああ!?」

 

 ――それは、俺を指す名称だろうか。

 

「ふっ……黒騎士か」

 

 『黒騎士』とは、単に黒い鎧の騎士という意味ではない。もちろん、ゲームやマンガなどでそう呼ばれる黒色の騎士は多い――現に俺の鎧も黒だ――から、そういう意味も含まれてはいるだろう。

 

 だが――『黒騎士』とは本来、()()()()()を指す言葉だ。誇りも忠誠もなに一つ無い、哀れな放浪騎士を。

 

 俺にぴったりじゃないか、と自嘲した。レイも居ない、ディアベルも居ない。目的も見失った俺は、ただの騎士崩れの傭兵に成り下がっている。

 自嘲し、笑った。この時の俺はきっと、酷い顔をしていただろう。フルフェイスヘルムを被っていたのは幸いだった。

 

「相手がなんだろうと関係ねぇ! 名乗った以上、戦うだけだ!」

「その意気や良し、とでも言っておこう。武士よ」

 

 俺はからかうように肩を揺らし、

 

「「いざ、参る……ッ!」」

 

 カウントが、ゼロになった。




17巻のクラインさんの登場シーンの格好よさは異常。クラインさんの実力ならつむじ風も竜巻に変わるのだ。


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11話

 俺が右腕を引き絞ると、刀身が暗い赤のライトエフェクトを纏う。

 

「せあっ!」

 

 《ヴォーパルストライク》を繰り出す。習得した中で一番新しい、単発重攻撃ソードスキルだ。

 ブーストは完全ではないが、それでも威力とリーチは片手用直剣のソードスキルの中では最高クラスだ。

 できるならこれで決めてやりたい。しかし、クラインは唸るように突き込まれる俺の剣を、

 

「くおっ!」

 

 カタナを沿わせるようにして受け流した。

 

(知っていたか――っ)

 

 その対応は、明らかに《ヴォーパルストライク》というソードスキルを知っている動きだった。

 開幕速攻で強力なソードスキルを打ち込む。デュエルにおいて、それ自体は実は悪手だ。相手も気を張り詰めている状態でヒットさせられるほど、対人戦は甘くない。

 しかし、《ヴォーパルストライク》ほどの強力なソードスキルは、まだ修得しているプレイヤーが少ないはずだ。故に、技を知らなければ不意をつけると思ったのだが――

 

「おらぁ!」

 

 俺の技後硬直が解けるかどうか、というタイミングでクラインが鋭く斬り込んでくる。

 俺は即座にバックステップをしながら盾を割り込ませるが、斬撃の速度が予想以上だ。盾の端に引っ掛かり、速度の鈍った刃が鎧の表面を滑った。クラインは素早く刃を返して逆袈裟、薙ぎ払いと続けてくる。

 

「ちっ……」

 

 俺は押されていた。甘く見ていたとも言える。ジャストガードを成功させる隙が無い――いや、()()()()()()

 クラインの斬撃は速い。このカタナ使いの連撃は予想以上に速く、鋭いものだった。防御に徹すれば防ぐこと自体は問題ないが、反撃に移るには少々厳しい。

 

(なら、強引に崩す……っ!)

 

 俺は唐竹を盾で受け止めると同時、腰だめに構えていた剣を振るう。切っ先がクラインの胴を浅く斬った。

 僅かにクラインのHPが削れる。連続で袈裟から薙ぎ払いに繋げる。クラインも負けじとカタナを振るう。

 俺達の剣は噛み合うことは無く、それぞれの軌跡にそってお互いを裂く。二人のHPがまた僅かに減少する。

 削り合いを嫌ったクラインは鋭い薙ぎ払いで俺の剣を迎撃する。僅かに噛み合うが、俺の剣が打ち勝った。クラインはそれを見るや、ふらつきながらもバックステップで距離をとった。

 

「斬撃は速いが軽い――敏捷(AGI)寄りのビルドか」

 

 剣を振るい、手の中で回して肩に担ぐように構え直した俺に対し、クラインは手をぷらぷらさせ、

 

「そっちは筋力(STR)寄りみてぇだな。重てぇのなんの」

 

 油断なくカタナを両手で握り直し、脇構え。

 それを見た俺は、《スラント》を発動させた。

 クラインの右脇に構えられたカタナが発光する。

 

「どりゃぁっ!」

「おおっ!」

 

 クラインの斬り上げ――《辻風》と、俺の《スラント》がぶつかり合い、相殺する。

 

「ぜぇあっ!」

「らあっ!」

 

 硬直が解けると同時にカタナの薙ぎ払い。俺は盾で受け止めながら、剣を突き入れる。

 体捌きで避けられるが、そこから俺は更に踏み込み、斬り上げ。クラインはカタナに沿わせるように受け流す。

 手首を使って素早く切り返し、鍔迫り合いに持ち込んだ。

 

「――ッ!」

「ぐぅ――っ!」

 

 クラインの表情が苦しげに歪む。それを見て、俺は確信した。

 クラインよりも俺の方がレベルは高い。『風林火山』というギルドは最前線では見ない。さらにステータスの振り方も違う。

 だから、押し切れる。

 

「おおっ!」

 

 ガギィ、と音を立てながら、俺の剣はクラインのカタナを大きく打ち払った。

 シールドバッシュの為に盾を振りかぶり、盾が発光する。盾装備スキルをセットすることで使うことができるスキルだ。ダメージは発生しないが、敵の体勢を大きく崩すことができる。

 

「こん……のっ!」

 

 だが、クラインは()()を使い、バッシュを繰り出す前に俺のヘルムを打撃した。

 

「がっ……」

 

 視界が揺れ、スキルを発動しそこなったシールドバッシュが空振りする。

 その隙を見逃すほどクラインは間抜けな男ではない。伸びきった腕を迎え撃つように、ソードスキルで盾の側面を鋭く斬り上げた。

 不運にもその攻撃で俺の左手から盾が弾き飛ばされる。しかも、今のは《浮舟》だ。クリーンヒットではないが、俺の体勢は崩れかけている。なら、間違いなく追撃が―― 

 

「ふっ――!」

「ぐっ――!」

 

 予想通り、クラインがソードスキルを発動しようと構えるのと同時、俺もギリギリで体勢を立て直し、ソードスキルを発動させる。

 お互いに繰り出すのは三連撃。

 俺が繰り出すのは《シャープネイル》。

 クラインが繰り出すのは《緋扇》。

 

「「らぁっ!」」

 

 ガガガッ! っと凄まじい音が鳴り響き、お互いにノックバックで大きく地面を滑る。ガランッ、と音を立てて、弾き飛ばされていた盾が落下した。

 おおっ、とお互いのギルドメンバーがどよめいた。

 

「いいぞ、セドリック!」

「カタナのスキルを相殺した……!? 嘘だろ、あの《黒騎士》!」

 

 その驚愕の声を聞きながら、俺は大きく息を吐いた。

 カタナのソードスキルはどれも速い。だが、何の技が来るのか、その技はどのような軌道なのか、ということを俺は完全に理解していた。《緋扇》に限っては、だが。

 そして、迎え撃つソードスキルの速度をしっかりとブーストする。そうして軌道を先読みしてスキルを繰り出せば、カタナのソードスキルであろうとも相殺することが可能だ。第一層で、キリトがコボルトロードのスキルを打ち払ったように。

 

 だが。

 

 もし先程のスキルがカタナのソードスキルであっても、《緋扇》でなかったなら、俺は迎え撃つことは出来なかっただろう。

 何故なら――《緋扇》はディアベルを殺した技なのだから。

 幾度となく脳裏をよぎる、あの映像。空中に打ち上げられたディアベルが、成す術も無く斬り刻まれたあの瞬間を、俺は一日たりとも忘れたことはない。

 だが皮肉にもそのおかげで、《緋扇》は初動から斬撃モーションまで、全て理解している。

 しかし、ギリギリだった。賭けでもあった。どうにも息苦しい。SAOのアバターにスタミナゲージなど無いが、俺の『本体』は酸素を求めているのだろうか。

 フルフェイスヘルムの隙間から、クラインを見る。どうやら俺と同じく、しゃがみこんだまま。追撃はしてこないようだ。

 それも武士道精神か――もしくは、キリトが事を終えるまで時間を稼ぐのが目的か。

 

(どっちでもいい――)

 

 舌打ちをした。息苦しい。視界も悪い。盾も遠くに落ちている。流石にクラインも、盾を拾いに行く事まで待ってはくれないだろう。

 俺は剣を地面に突き立て、両手でダマスカスヘルムを脱いだ。

 わざわざ防具を外した俺に聖竜連合の誰かが何か言っているが、関係ない。俺は元々ヘルムはあまり好きじゃない。こんな物を被ってタイマンは厳しい。

 脱いだヘルムを投げ捨て、大きく呼吸をし、剣を引き抜く。

 クラインもゆっくりと立ち上がり、構える。

 ちらり、とお互いの眼が動いた。HPゲージを確認。僅かに減っているが、危険域まではまだ遠い。

 

(しくじったな……)

 

 『初撃決着モード』はクリティカルを当てるか、HPを危険域――つまり緑ではなくなる――まで減らすことのどちらかが勝利条件だ。削り合いになれば、速度が上の向こうに分がある。やはり、最初に《ヴォーパルストライク》で隙を見せたのは悪手だったか。

 盾さえあればここから細かく削っていくことも出来ただろうか……いや、さっきもその戦法は試している。クラインも同じ手を食らうことは無いだろう。最初に決めきれなかった時点で俺のミスだ。

 

(カタナ相手に、片手直剣で打ち合うのも分が悪い)

 

 カタナは――軽い部類ではあるが――両手持ちの刀剣だ。いくら速さ重視でも斬撃はそれなりに重い。片手直剣のソードスキルでは相殺するのがせいぜいだ。

 

(……()()か?)

 

 決めきれるとは思えない。しかし、決まるか否かはともかく、使っておけば牽制にはなる。

 

「おおっ!」

 

 考えているうちに、クラインが突進してきた。カタナは鞘に納まっている。

 

(居合――っ)

 

 眼では捉えられない速度の抜刀。しかし居合は鞘から抜きざまに斬り払う技だ。必然、斬撃自体は読みやすい。

 俺は左手を剣の腹に添え、居合を真っ向から受け切った。やっぱりだ。斬撃は速いが、重くはない。俺の筋力値なら押し負けることは無い。

 

「――しっ!」

「――はっ!」

 

 切り返しの袈裟切りを踏み込みながら屈んで避け、手首を回しながら勢いをつけて両手で握り、上段から振り下ろす。

 またも鍔迫り合い。ヘルムが無くなった為、至近距離でお互いを睨み合う形になり――クラインが悔しげな表情をした。

 

「――ったく、おんなじ表情(かお)しやがって」

「……?」

「お前もかよ、死にたがりの馬鹿野郎が」

 

 死にたがり、と断言され、思わず怯みそうになった。

 

「なんだと――」

「瞳だよ。自分の事なんかこれっぽっちも考えてない――()()()()()()()()って思ってる奴の()だ」

「……っ」

 

 意味が理解できない――いや、()()()()()()()()()

 

「死にたがりだと――?」

「ああ、今のキリト(あいつ)と同じだよ。ほっといたら自分から死にに行っちまうような奴は……みんなそんな顔してやがるんだよっ!」

 

 俺は死にたい訳ではない。自分から死のうとするなど、あるはずがない。

 だが、そう言い切ることが出来ない自分が居ることにも気付いた。

 わかっている筈だ。けれど、俺は()()()()()()()()()をしているのだ。

 

「俺は――っ!」

 

 強引にカタナを打ち払う。クラインが即座に後退していくのを見て、俺は()()()()()()()()剣を構え、ソードスキルを発動する。

 

「せぁっ――!」

「なにっ!?」

 

 剣を高く構え、突進と同時に振り下ろす。

 《アバランシュ》。()()()()()ソードスキルを繰り出した俺にクラインは眼を瞠り、咄嗟の判断で防御に徹した。

 だが、先程までカタナスキルに応戦するために片手直剣用の速度の早いソードスキルを多用していたこともあり、クラインの対応は()()()()

 いなすために構えられたクラインの刀は、鈍重な俺の両手剣単発技に対し、何の対応もなく真っ向から受けることになる。

 

「らぁっ!!」

 

 俺の剣は掲げられたカタナを打ち据えた。両手剣の突進技のその衝撃は、生半可な防御では凌ぎきることは出来ない。クラインは()()()を踏み、尻餅をついた。

 俺は剣を振り払い、切っ先をクラインに突きつける。それを眺めながら、クラインは呆然と呟いた。

 

「な……なんだ、今のは」

 

 そして、俺を見上げて続けた。

 

「……おめぇはさっきまで片手直剣のソードスキルを使っていた! なのに、急に両手剣のスキルを打ってきた! んだよ今のは!」

「……言っておくが、バグでもチートでもエクストラスキルでもないぞ。単に()()()()()()()だ」

「武器だぁ……? さっきからおめぇが使ってるのは、その剣一本だけじゃねぇか!」

「それが理由だ。()()()ということが重要なんだ」

 

 俺は剣を逆手に握り直し、地面に突き立てた。

 この剣は拳二つ分の柄に、十字に伸びた鍔。そして、刀身が一般的な片手直剣よりも長い。

 

「これは《バスタードソード》……《片手半剣》と呼ばれる部類の剣だ」

「片手半、剣……?」

片手でも両手でも使える(ハンド・アンド・ア・ハーフ)、という意味だ」

 

 この世界(SAO)は『剣が自分を象徴する世界』だ。文字通り、この世界には無数の剣がある。

 ならば、この剣が無い道理はない。

 

「簡単な事だ。この《片手半剣》カテゴリの剣を装備し、尚且つ《片手直剣》と《両手剣》のスキルをセットしている場合に限り、両方のカテゴリのソードスキルを任意に使い分けることができる」

「なっ……」

 

 知らないのも無理はない。《片手半剣》カテゴリの剣はほとんど知られていないからだ。《片手直剣》としても《両手剣》としても装備できるので、《片手半剣》に気付いていない、と言う方が正しいのかもしれない。

 当然、デメリットはある。

 もしこの《片手半剣》を《両手剣》として使おうとすれば重さや威力が本来の《両手剣》カテゴリと比べて心許なく、しかし《片手直剣》として使うと威力はあれど、特殊な重心のバランスや柄の長さがネックになり、ソードスキルのブーストなどに慣れが必要になる。

 そもそも、二種類のカテゴリのソードスキルを使いこなそうとするプレイヤー自体が居ないだろう。目の前のクラインはカタナを、リンドは曲刀を、アスナは細剣を――といったように、一種類の武器を使い込むのが普通だし、そっちの方が良いに決まっている。スキルには熟練度もあるのだから。

 

「種明かしは終わりだ。立て、サムライ」

 

 突き立てた剣の柄に手を置きながら、俺は顎で示す。

 

「なに……? いまトドメを刺せただろうが!」

「それではつまらないだろう」

 

 俺は剣を抜き、肩に担ぎながらクラインと距離を開け、向き直る。

 そんな俺の眼を見て、クラインは何かに気付いたように息を呑んだ。

 

「お前……まさか」

「勘違いするな。俺は――」

 

 俺は苛立ちをそのままに吐き捨てた。

 

「お前が、どうにも気に入らない」

 

 

 

 

 遊んでいる暇など無い。

 一刻も早くデュエルを済ませ、キリトを追うべきだ。

 もしこの間にキリトが蘇生アイテムを手に入れ、使用してしまったらこの行動は全て無意味になる。

 そんなことはわかっている。

 だが――

 

「らぁっ!」

「おおっ!」

 

 剣とカタナを打ち合わせる。

 体捌きで避け、斬りかかる。

 避けられ、反撃を弾き防御(パリィ)する。

 

「「せぁっ!」」

 

 ソードスキルはもはや無意味だ。お互いの実力は把握している。

 何度も《片手直剣》と《両手剣》のソードスキルを織り混ぜて使ったが、カタナの速度では対応される。

 使っても決め手とならないのなら、ソードスキルは意味を成さない。お互いの技術によって斬り合うだけだ。

 火花を散らしながら得物を打ち合い、鍔迫り合いに持ち込み、力任せに薙ぎ払う。

 バック中をするようにクラインが体勢を立て直し、カタナを杖にしながら衝撃を殺す。

 その体勢のまま、クラインは声を荒げた。

 

「《黒騎士》!」

「――なんだ」

「お前、何が目的だ?」

 

 俺は眼を細めた。

 

「決まっているだろう。《蘇生アイテム》だ」

「知り合いでも死んだか?」

 

 率直な問い掛けに、俺は言葉を返さずに剣を揺らした。

 だが、クラインは理解したようだ。

 

「ハッ……やっぱりな」

「……何がおかしい」

「《蘇生》なんて言葉に踊らされてることがだよ!」

 

 立ち上がり、クラインは吼えた。

 

「本気で思ってんのか! 死んだ奴が生き返るなんて、本気で思ってんのかよ!? このゲームはそんな簡単なことじゃねぇだろうが!」

「知ったような口を利くなッ!」

 

 怒鳴り返した俺に、クラインは表情を変えずに睨み続ける。

 この男は、決してお節介で言っているわけではないのだろう。

 俺のような、蘇生を望むよう(ゆめみがち)な奴が許せなくて、気に入らないのだろう。

 

「それでも……信じなきゃならないんだ」

 

 俺は絞り出すように声を出した。

 

あいつ(レイ)がいなきゃ、駄目なんだよ! ()()は戻れないんだよ!」

「――ちくしょう、どいつもこいつもッ」

 

 クラインは焦れたように地面を蹴り、突っ込んでくる。

 不意打ち気味の攻撃に俺は反応が遅れた。すんでのところで剣で防ぐが、あまりの連撃に一気に防戦一方となる。

 

「マジで《蘇生アイテム》を信じてるってんなら、よく考えてみろ!」

「なにを……っ!」

「もし()()()()()どうすんのかってことだ!」

 

 無かったら。

 《蘇生アイテム》が、無かったとしたら。

 

「そんなこと――」

「とっくに死んでんだよ! 死んだ人間が生き返るわけねぇ! そんな当たり前のことに、どいつもこいつも踊らされやがって!」

 

 ――生き返らない。

 

 死者は、生き返らない。

 ディアベルも。

 レイも。

 でも、ここはゲームの中だ。

 ゲームなら、死人が生き返るような、そんな奇跡を期待したって良いはずだ。

 死んだと思っていた相棒が、決戦で戻ってきても良いはずだ。

 

 そんなこと、あり得ないとわかっている筈なのに、いつまでも信じ続けて。

 

 有り得べからざる希望を、「ある筈だ」と思い込んで。

 

 この一年、俺は逃げ続けた。

 レイを死なせて。ディアベルを死なせて。ソーヤから逃げた。

 色々なパーティーに協力し、他のプレイヤーに判断を任せ、関心を持たずに剣を振るい続けてきた。

 だって、剣を振っていれば、恐怖も不安も忘れることができる。

 後悔や罪悪すらも、塗りつぶすことができる。

 

 そして、それを続けていれば――そのうち何もかも忘れて、その上で()()()()()()()()()()()と思ったんだ。

 

「俺、は――」

「もらったぁ!」

 

 鋭い斬撃。一撃目で俺の剣を押し切り、二撃目で大きく腕ごと弾き、三撃目の刺突が俺の鎧を貫いた。

 

 

 

 

 俺のHPが減った。防御に重点を置いている俺の装備に、速度重視のカタナの通常攻撃が与えられるダメージは多くない。

 しかし、その減り幅は、俺のHPバーの色を変えるには充分なものだった。

 

 つまるところ、俺は負けたのだ。

 

 カタナが引き抜かれ、俺はがくりと膝を着いた。クラインは血払いの様にカタナを振るうと、鞘に納める。

 

「決着はついた! デュエルはオレの勝ちだ! 取り決め通り、この場から立ち去れ!」

 

 仰々しいクラインの宣言に、聖竜連合のメンバーは不満を俺に向けて口々に呟いた。

 

「はっ……ははっ……」

 

 所詮、この程度が俺の限界だったか。

 

「セ、セドリック……?」

 

 乾いた笑いを浮かべる俺に、リンドが駆け寄ってくる。

 俺は左手で顔を覆った。ああ、下らない。自分よりレベルの低いサムライとの一騎討ちに負けるとは。

 リンドは俺の様子を気遣うように見ていたが、不満を隠しきれずに問い質してきた。

 

「セドリック、なぜあの時トドメを刺さなかった?」

 

 なぜ、と来たか。

 

「……あの場で終わらせるのが、惜しかった」

「なん、だって……?」

「すまん……自分でも、よくわからないんだ」

 

 俺は立ち上がり、剣を鞘に納める。聖竜連合の数人が俺のヘルムと盾を持ってきてくれた。

 それを受け取り、ヘルムはストレージに納め、盾は左腕に装備し直した。

 振り返ると、聖竜連合のほとんどはしぶしぶながらも帰り始めていた。

 曲がりなりにも事前の取り決めの結果だ。それを反故にするのは流石に避けたいのだろう。

 クラインを見る。奴は武者集団の皆に肩を叩かれ、健闘を称えられていた。

 それを見て、俺は静かに息を呑んだ。

 

 ()()()()と思った。

 

(……なに?)

 

 そして、自分で驚いた。

 羨んでいる? 俺が? 何に対して?

 戻ろう、とリンドが踵を返した俺も遅れて続く。

 リンドがエリアの繋ぎ目でワープしていく。俺はそのマップの切り替わりに踏み込む直前、無意識に振り向いた。

 ちょうどその瞬間、キリトが戻ってくるのが見えた。

 

(……ああ、そうか)

 

 クラインは守りきったのだ。

 キリト(だれか)を守るために動き、成し遂げたのだ。

 俺は気に入らなかった。

 

――行け、キリト!

 

 俺には出来なかったことを、いとも容易くやっていたクラインが。

 だが、だからこそ羨んだ。

 俺も、()()なりたかった。

 キリトが一言二言話し、クラインに何かを放り投げて去っていく。

 

(……無かった、か)

 

 可能性など無かった。

 奇跡など無かった。

 何もかも無意味だった。

 俺は顔を前に――いや、足元に向け、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 リンドには《蘇生アイテム》は無意味だったようだ、と伝えた。

 奴は泣き崩れこそしなかったが、それでもかなりショックを受けていたようだ。

 俺はフィールドに出た。未熟な自分を恥じながら、一人で迷宮区に飛び込んだ。

 出現するモンスターを次々と撃破し、買い貯めしていたポーションで逐一回復しつつ、歩みを止めない。

 黙々と歩き続け、敵を屠り続け、俺は無意識に呟いた。

 

――もし俺がここで死んだら、誰か気付いてくれるだろうか?

 

 このゲームは死体が残らないし、認識票(ドッグタグ)の様なアイテムも無い。

 どの様に死んだかは知られることはない。あの《生命の碑》には、死んだ()()が刻まれるだけだ。どんな状況か、というのは書かれない。

 

「……疲れたな」

 

 余計なことばかり考えてしまう。モンスターの発生しない安全地帯に足を踏み入れ、倒れた。まるで糸でも切れたかのように崩れ落ち、自分でも驚いた。

 倒れると何も行動しない分、頭の中がぐるぐると何事かを考え始める。

 

「……どうしよう」

 

 これから、どうするべきか。

 いっそ何もかも投げ捨て、《圏内》に籠り、過ぎていく時に身を任せるか。もし金が尽きたなら中層で狩りをすればいい。寝食するには充分に稼げるだろうし。

 攻略組なんて、俺一人が居なくても充分すぎるほど機能する。俺のようなタンク寄りのダメージディーラーなど、掃いて捨てるほど居る。

 当然だ。俺は()()()()()()()()()()()()()()()()。当たり前のことだ。

 主人公でもないし、勇者でもない。ディアベルのように《ナイト》を名乗り、皆を率いることなど、俺には出来ない。名も無き騎士のNPCの一人。俺はきっと、そういう存在だ。

 俺は無価値だ。わかりきっていることだ。

 

 でも――それでも、何かが出来ると思いたかった。

 

 自分にも何かが出来るのではないか、と希望を持ちたかった。

 コンシューマのRPGのような、死人を生き返らせる奇跡を起こしたかった。

 なんとしてもレイを――いや、一輝に生き返って欲しかった。

 そうすれば、俺のこの全身を苛む罪悪が無くなる筈だった。

 俺はソーヤに怯えることもなく、ソーヤも自分を責めることもなく、三人で「このゲームをクリアしてやろう」と大見得を切ってやることもできた筈だった。

 こんな絶望を味う事は、なかった筈だった。

 

「……疲れた」

 

 再度呟いた。しかし、先程の物とは込められた意味合いが違っていた。

 さっき呟いたのは肉体的な疲れで、今回は精神的な疲れ、といった印象だ。この肉体(からだ)はアバターなのだから、疲れるなら精神的以外あり得ないだろうが、()()()に関しては肉体的と表現する以外無い。

 

「……もう、どうでもいい」

 

 

 

 

 どれほどそうしていたのか、わからない。

 無防備に寝ていたせいか、オレンジプレイヤーの襲撃を受けた。

 攻撃された衝撃で目を覚まし、俺は全員を攻撃したのだが、グリーンが混ざっていた――そういう手口なのだろう――ようで、全員を追い払う時には俺までオレンジになってしまった。

 だが、別に構わない。街に戻る気は無かった。ポーションも食料もたっぷり買い込んである。

 

(……それに、オレンジになれば声を掛けてくる奴も居なくなるだろう)

 

 《黒騎士》の名は俺の知らないうちに随分と広まっていた。

 一般プレイヤーには「報酬さえ払えばどんな事でも手を貸す便利屋」。

 ギルドには「目的のためなら組織を利用する裏切り者」。

 そういった評価をつけられていた。

 きっと俺は、ディアベルが死んでからずっとそんな生き方をしていたのだろう。

 やはり、《騎士》など俺には荷が重かったのだ。

 

「せあっ――!」

 

 片手直剣のソードスキルでモンスターを斬り捨て、俺は溜め息を吐いた。かなりの経験値が貯まったようで、レベルが70に上がったファンファーレを聞き流しながら、ステータスのスキルスロットを開く。

 

―――――――

 

〇片手直剣

〇盾装備

〇軽金属装備

〇両手剣

〇武器防御

〇戦闘時回復

〇投剣

〇重金属装備

〇限界重量拡張

 

―――――――

 

 こうして見返すと、笑えるほど戦闘特化のステータスだ。基本パーティで行動していたので、索敵その他は完全に他人任せだった。俺はひたすらに、前に出て斬ることだけを考えていれば良かった。

 普段の軽金属装備に盾と片手直剣、というスタイルの遊撃では厳しい状況も多々あったので、最近は重金属装備に両手剣を装備し、攻撃力を高めてタンクを請け負うことも増えていた。

 さて、そうなると今のレベルアップで増えた新しいスロットには何を入れるべきか。そう素直に考え始めた自分に驚いた。

 

(そういえば、こうして一人で戦うのも久しぶりだな)

 

 一人で動いていたのは、一層以来だろうか。

 そして、いま考えてみれば、あの頃はまだ()()()を楽しんでいた気がする。

 SAOの街を回り、武器を眺め、防具を新調し、攻略に勤しんだ。

 まだ、()()()()()を信じていなかったから。

 まだ、()()()()()と思いたかったから。

 だからあの時はまだ、前向きに生きられていた。

 

「……はあ」

 

 我ながら随分とネガティブなものだ。まあ、知り合いが二人死んでポジティブになる方がおかしいだろう。

 

 ――そう、()()だ。

 

 SAOが始まってから何千人と死んでいるのに、俺が気に病んでいるのは友であった二人の死だけだ。

 

 ――思ったんだ。きみは――セドリックはきっと、オレなんかよりも立派な騎士(ナイト)になるだろう、って。

 

「ディアベル。俺は……」

 

 俯き、呟いた。

 

「立派な騎士(ナイト)になんて、なれない――」

 

 迷宮区の奥、モンスターも失せた空間で一人、呟いた。

 その呟きに――

 

「そうかね?」

 

 そんな言葉が返ってきた。

 

「私が見た限り、きみは充分に立派な《騎士》だが」

「なに……?」

 

 剣を手にしたまま、ゆっくりと振り向いた。

 まず目立つのは、身に纏う赤い騎士鎧。それを纏うのは、聡明さを感じさせる、少し頬の削げた顔立ち。後ろで纏められた灰の髪。

 なによりも眼を引くのは、見事な造りの十字を象った剣と大盾。

 俺は息を呑んだ。()()()()()。パーティメンバーの名前すら把握しようとしなかった俺でさえ、彼の名前は知っている。

 攻略組で――いや、SAOで彼を知らぬ者は居ないだろう。《聖騎士》と呼ばれることさえある、攻略組のカリスマとも言えるプレイヤー。

 

「ヒースクリフ……!」

 

 その男が、興味深げな笑みを浮かべながら俺を見ていた。




セドリックが人前で、片手半剣によるソードスキルを使い分けたのは初めてです。隠していたわけではなく、普段は『剣と盾』か『両手剣』のどちらかだけだったので、使う必要が無かった、という感じです。

スキルですが、《武器防御》スキルは両手剣を使っている際に使用し、《投剣》スキルは離れた敵に対しての牽制、もしくはヘイト稼ぎの為に使用しています。ちなみに投げるのはNPCショップで売っている普通の投げナイフです。刺突属性なのでスローイングピックの様な貫通継続ダメージは無いけれど、威力が少し高めなのでダメージによるヘイトを稼ぎやすいイメージ。


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12話

 ヒースクリフは十メートルほどの距離に立っていた。なぜこんな所に一人でいるのか。なぜ俺に声を掛けてきたのか。それを考え、俺は剣を握る手に力を籠めていた。

 あり得ないとは思いたいが、俺を攻撃する可能性が無いとは言い切れない。今の俺はオレンジだ。攻撃しても、グリーンプレイヤーであるヒースクリフにデメリットは無い。

 だが、同時にメリットも無い筈だ。俺はただの一般プレイヤーだ。俺を殺しても、金もアイテムも、大したものは得られない。

 血盟騎士団団長である奴が、俺を攻撃するような条件など思い当たらない。

 

「剣を納めたまえ。私は事を構える気は無い」

 

 その言葉に、俺は言われた通り鞘に納めた。向こうも剣は盾に納められている。もし向こうが抜いたとしても、こちらも抜く余裕は充分にある。

 

「――何の用だ?」

 

 俺は空になった右手を開いたり握ったりしながら聞いた。

 ヒースクリフはこれ見よがしに眉を上げ、

 

「用、か。単刀直入に言えば『勧誘』だ」

「勧誘?」

「ああ。君に、我が《血盟騎士団》の一員となってほしいのだ。《黒騎士》君」

 

 俺は目を細めた。唐突な勧誘。まるで、一層でディアベルに「俺達のパーティに入らないか」と誘われたときのような――

 俺は頭を振って意識を切り替え、ヒースクリフをじっと見た。

 

「《黒騎士》を受け入れるようなギルドなのか? 《血盟騎士団(KoB)》は」

「その実力と、資格があると見込んだからこの話をしている」

「俺は実力など無いさ。どこにでも居るただのプレイヤーだ」

「数多く居る騎士ビルドのプレイヤーの中で唯一《黒騎士》と呼ばれている人間が、()()()などと言っても謙遜にしか聞こえないがね」

 

 ()()()()()ならあんたもそうだろうに。俺は呆れたように右手を挙げた。

 

「その称号は、ギルドに所属せずに――所属していたとしても――あちこち彷徨って戦う俺への皮肉だろうさ」

「主が居ないから、と言って騎士の評価を決めつけることはないだろう? かのアーサー王に仕えたランスロットも、最初はブリテンに渡ってきた主無き騎士だったのだ」

「俺がランスロットなら、ギネヴィアもいるんだろうな? 俺の不義(せい)で《血盟騎士団(えんたく)》は瓦解するだろうな――そもそも、円卓の騎士達は名前こそ有名だが、その生涯は悲哀に満ちている」

 

 兄弟と自分をランスロットに殺されたガウェイン。

 ギネヴィアを愛するあまり円卓崩壊の切っ掛けを作り出したランスロット。

 愛していた女性と結ばれず、愛せなかった同じ名の女性に裏切られたトリスタン。

 姉弟であったアーサー王とモルゴースの実子であり、実の父親を殺し、殺されたモードレッド。

 そして、かのアーサー王自身。

 有名な円卓の騎士は、誰もが《幸せに暮らしました》とは程遠い物語として描かれている。

 

「騎士物語に憧れを抱かないとは言わんが、あまり体験したくは無いな」

「なるほど……それもそうだ」

「それにランスロットといえば、彼はアーサー王の実力に惚れ込んで王の騎士となったはずだ」

 

 剣の柄に手を添えながらの俺の台詞に、ヒースクリフはふっ、と笑った。

 

「戦いたいのかね? 私と」

「――興味が無いといったら嘘になる」

 

 《神聖剣》と名高いヒースクリフだ。勝てる見込みは無いだろうが、それでも技術を盗むことは出来るだろう。

 盾と剣を構えて前線に立つその戦い方は、俺にとって目標とするべきものでもある。

 

「所属するギルドの実力を重んじる、ということか?」

「KoBの実力を知らない奴など居ないだろう。今更考えることでもない」

 

 血盟騎士団はまだ人数こそ少ないが、その実力は確かだ。フロアボス攻略でも、かなりの成果をあげている。

 

「では、何が気に入らない?」

「単に()()()が無いだけだ」

「ほう……」

 

 攻略を急くのも、人のために行動するのも。

 もう、そんな気力が無いのだ、俺は。

 そう言った俺に、ヒースクリフは真剣な表情で口を開いた。

 

「ならば何故きみは――まだ()()()()()()()()()()?」

「――っ」

 

 ヒースクリフは確信しているようだった。自信に満ちているというよりも、当然の事を指摘しているだけ、と言わんばかりに。

 

在り方(やる気)を無くした、と君は言ったな。だが、それでも君は《騎士》の姿をしている。《騎士》の振る舞いをしている。内心でどう思おうと、どれだけ自身を卑下しようと、端から見れば君は立派な《騎士》なのだ」

「俺が――俺は……騎士に見えるのか?」

 

 ヒースクリフは鷹揚に頷いた。

 

「私は、君のその《在り方》を評価している」

「在り方、だと?」

「そうだ。君は自分を責めているな。自分に嫌気がさしているようにも見える。それでも君は無意識に《騎士(ロール)》を演じている」

「それは……俺は、結局はプレイヤーでしかないから……」

「ふむ――君は、()()()()をどう思っている?」

 

 唐突な話の転換に俺は眉をひそめたが、素直に答えた。

 

「あくまでゲームだ」

「ゲーム、か」

「ああ。だが――」

 

 今になって考えるなら。

 

「俺はそのゲームの中で生きているのだ、と思い知らされた」

 

 友を亡くして。

 友と離別して。

 その意思を無駄にしないために、命を削りながら戦った。

 その確執を無くせるかも知れないと、蘇生を求めて足掻いた。

 その過程で多くのモンスターやプレイヤーと剣を交えて。

 

 そして、その中に――どこか充実感に似た高揚を感じていて。

 

 俺はきっと、現実世界で生きていたときよりも、真剣に世界(いま)を生きている。

 いや、生きていた、と言った方が正しいか。

 

「今の俺は、矜持も目標も無くした放浪騎士(くろきし)だ。いっそここで死ぬのも已む無し、と思う程に」

「目的が無いと言うなら、私と来い」

 

 いつの間にか目の前に歩いてきていたヒースクリフは、右手を差し伸べた。

 

()()()()を真剣に生き、向き合う者は必要なのだ。でなければ、我々の日々に、なんの意味もなくなってしまう」

「……奇妙な言い回しをするんだな。だが、言いたいことはわかる――ような気がする」

 

 俺は差し出された手を見つめた。

 アバターの手。それを包む手甲。ほんの僅かなポリゴンの乱れさえ無い、現実の物のようなリアルな質感。

 

 ――いや、いまの俺にとっては、SAO(ここ)が現実なのだろうか。

 

 ならば――死ぬ前に、もう少し足掻いてみても面白いかもしれない。この世界で生きている今は、無意味ではないと。無価値ではないと。無駄にしてはならないと感じた。

 

 ――そうだ。そうでなければ、レイの死も無駄になってしまう。

 

 そうだ。あの時誓ったじゃないか、俺は。

 

「改めて、《黒騎士》君。我が《血盟騎士団》に入ってくれないか。後悔をさせない、とは言えない。むしろ、君はいつか私に従ったことを後悔するかもしれない。それを理解した上で、私と来るかを決めてほしい」

 

 俺は数秒眼を閉じてその言葉を反芻した後、ゆっくりと頷いた。

 

「了解だ。その不名誉な称号に誓い、この剣を団長(あなた)に捧げよう」

 

 握手には答えず、代わりに剣を抜いて切っ先を地面に突き刺し、

 

「一人の騎士として」

 

 そう、宣言した。

 

 

 

 

 カルマ回復クエストを終えてグリーンプレイヤーに戻った俺は、ヒースクリフからメッセージで送られてきたギルド本部の門前へ辿り着いた。

 五十五層の主街区《グランザム》。隅から隅まで鋼鉄で作られた荘厳な街。

 その中で一際高く、目立つ建造物。天辺からは白地に赤で十字が刻まれた旗がたなびいている。

 

「……さて」

 

 どうしたものか。まだ加入手続きをした訳ではないので、勝手に入るのも憚られる。

 聖竜連合の様に門番が居るわけでもない。聖竜連合(あそこ)ならともかく、血盟騎士団の本部には興味本意でも入ろうとするプレイヤーは居ないのだろう。

 もしくは、血盟騎士団はメンバーが少ないから門番に人員を割いていないだけだろうか。

 

「メッセージを飛ばすか……?」

 

 いやしかし、『出迎えろ(要約)』と送るのも礼儀知らずだろうし、どうしたものか――と悩んでいると、門が開き始めた。

 自動ドアだったか、と感心しながら見ていた門が開き切ると、そこには名高き副団長(アスナ)が立っていた。彼女が操作したのか。

 

「アスナ。久しぶりだな」

「はい。お久しぶりです、セドリックさん」

 

 そう言って、僅かに微笑む。以前と比べると、少し固くなったと感じた。

 朧気だが、序盤にキリトと行動を共にしていた頃は、もう少し取っ付きやすかったように思う。

 まあ、最近のプレイヤーの事情など知らない。キバオウと袂を分かち、リンドの期待を裏切った俺はここ数ヶ月、情報屋(アルゴ)とすらメッセージをやり取りしていないのだ。

 

「そろそろ来るはずだ、って団長に言われて来ました。ご案内します」

「ああ、よろしく頼む」

 

 どうやら俺が来たことに気付いていたらしい。渡りに船だ、と俺は頷くと、アスナは踵を返して歩いていく。

 後に続くように俺も歩く。

 

「まさか、セドリックさんが血盟騎士団に来てくれるなんて、驚きました」

「なんだ、《黒騎士》が来るとは考えられなかったのか?」

「そうですね……《軍》を辞めてからどこにも所属していなかったと聞いていますし」

「血盟騎士団にも俺の評判は届いていたのか?」

「はい。『ディアベルの後継者だった真面目な騎士(ナイト)がグレた』って」

「後継者はリンドだろう。俺は一介の騎士プレイヤーにすぎんぞ」

 

 そこでアスナが少しだけ口ごもり、続けた。

 

「――彼がいつか言っていました。『騎士のフェアネスはキバオウが引き継ぎ、ヒロイズムはリンドが引き継いだ。そんな中でセドリックは、()()()()()()を引き継いだんだ』って」

「……ビルドが似通っていただけだ」

「実力だけじゃなくて、勝利のために全力を尽くす姿勢を、形は違えども貫いている。そう言っていました」

「……周りからはそう見えたのか」

 

 おそらくキリトの言葉だろう。随分過大な評価だ。

 

――俺はただ、逃げ続けていただけなのに。

 

 そんな俺の顔を見て何を感じたのか、アスナが少し明るい口調で話を切り替えた。

 

「大丈夫ですよ。血盟騎士団(うち)のユニフォームは白地に赤のラインですから、《黒騎士》なんてブラッキーな名前、すぐに聞かなくなりますよ」

「白と赤、か……」

 

 俺の苦笑いを見て、アスナはくすりと笑った。

 

「嫌いなんですか?」

「赤は好きなんだが、白に合うかと言われるとな……白には青が映える」

「デザイン次第だと思いますけど……確かに、白と青も合いますよね」

 

 そこで、アスナが表情を引き締め、

 

「ここです」

 

 随分長い階段を上りきると、アスナは手で示した後、大扉を開けて中へ入っていく。豪華な両開きの扉は、まるでボス部屋のようだ。まあ、団長が居る部屋なのだからあながち間違ってもいないか。

 

「失礼する」

 

 俺もくぐると、半円型のテーブルにヒースクリフが座っていて、こちらに視線を向けてきた。

 あんなでかいテーブルなのに、一人で仰々しく座っているのは、どこか拍子抜けだった。

 

「よく来てくれた、セドリック君。我がギルドは君を歓迎する――が、まあ細かい説明は省かせてもらう。私もそれなりに多忙でね。加入手続きを早急に済ませてしまおう」

 

 心なしか早口で述べたヒースクリフがウィンドウを操作すると、俺の前に○×が表示されたウィンドウが出現する。

 ここまで来て拒否(バツ)など無い。俺は迷わず承認(マル)を押した。

 

「これで君は《血盟騎士団》の一員となった。アスナ君、すまないが後は頼む」

「わかりました」

 

 椅子から立ち上がると、足早に歩き去っていった。

 珍しく落ち着かない様子だったようにも思う。俺が首をかしげていると、アスナがこちらに向き直った。

 

「――と言っても、私もこれから攻略会議に向けての下見に行かなければならないんです」

「そうなのか。俺も向かおうか?」

「いえ、セドリックさんは先に装備の受け取りに向かってください。攻略会議の際には参加して貰いますので」

「了解した。部隊へはどのように行けばいい?」

「既に案内の団員を呼び出しているので、すぐに来ると思うんですが――あ、来たみたいです」

 

 アスナが言い切る前に、扉がノックされた。

 続いて扉が開き、一人のプレイヤーが入ってくる。

 その人物を見て、俺は驚いた。

 

「失礼します」

「シルビア、ごめんね、急に呼び出して」

「いえ、大丈夫です。新しく人が入るのは聞いていましたから」

 

 アスナに笑顔で答えた女性。

 そう、女性プレイヤーだ。

 長い髪を後頭部でポニーテールに纏め、サークレット状のヘルムで前頭部を保護している。きりっとした姿勢と、軽金属装備カテゴリの騎士鎧に身を包んだその佇まいは、見事な『女騎士』と言えるものだった。

 賢さと真面目さと落ち着きを感じさせる整った顔立ちで、その雰囲気ときっちりした鎧がよく似合っていた。

 率直に言うと。

 

 好みだった。

 

「こちらの方がその《新人》ですか?」

 

 その顔がこちらに向けられた。煩悩まみれだった俺は多少動揺し――同時に、彼女の顔に驚きが浮かんだのを見た。それを見て俺は疑問を持ったが、気を取り直して会釈をした。

 

「セドリックだ。よろしく頼む」

「セドリック……《黒騎士》? ()()()……?」

 

 戸惑っている。《グレた騎士》の悪評か、とも思ったが――どこか、俺の名前ではなく、俺の顔を見て驚いていたように思う。

 知り合いだろうか。数えきれないほどのパーティに加わってきたので、どこかで共闘している可能性はある。が、流石にこれほど見事な《女騎士》であれば覚えていても良いはずだ。あの落武者(クライン)の顔を覚えていたくらいなのだから。

 となると、やはり顔は知っているが名前は知らない、というところになるだろう。プレイヤーの人数が少ないSAOでは珍しいことでもない。

 それに、俺は《黒騎士》の頃はフルフェイスのヘルムを被っていたのだ。《黒騎士》とその名前を知っていても、顔を知らないというのはおかしな事でもない。

 ――いやいや落ち着け、彼女は()()()を見て驚いたのだ。『顔を知らない』では論理が成り立っていない。セドリック(なまえ)や《黒騎士》ではなく、俺の顔を知っていた。となれば、本当にどこかで会っていたのでは……

 

「あの――はじめまして。私は《シルビア》です。よろしくお願いします」

 

 考え込んでいたところをアスナに小突かれ、俺は考えを放棄して頷いた。

 

「それじゃシルビア、後はお願いね」

「はい。気を付けて行ってきてくださいね、アスナ」

 

 アスナを見送ると、シルビアは俺に向き直る。

 俺の肩ほどの背丈で向き直れば、少し見上げる形となる。俺はどこか落ち着かない気持ちになりながら、

 

「これからどうすればいい?」

 

 そう聞いた。

 

「まずは制服――ユニフォームを受け取りに行こうと思っています。血盟騎士団には専用のカラーリングがありますから」

「性能は大丈夫なのか?」

「はい。現時点で判明している鎧の中でも、高水準のものを採用していますから。でも、もし気に入らなければ、貴方の鎧を塗装するという方法もあります――けれど、染料と加工の手間と支出を考えると、あまりオススメはできませんが……」

「自腹なのか」

「はい。どうしますか?」

 

 団長室を出て、階段を降りながらシルビアが説明してくれる。

 しかし、俺は別に金に困っているわけでもない。

 

「この鎧は強化したばかりだし、これ以外に重金属鎧を使うこともあるんだ。自分の鎧を染め直すことにする」

「わかりました。後で贔屓の鍛冶プレイヤーを紹介しますので、一緒に行きましょう」

「了解」

 

 俺は頷いた。

 

「それとセドリック、貴方はホームを持っていますか?」

「いや、最近は野宿が多い」

「でしたら、本部(ここ)の部屋を使ってください。ギルド本部は最近新しくしたので、宿舎には空いている部屋が多いんです」

「わかった、ありがたく使わせてもらおう」

 

 そこで俺は部隊の話を思い出した。

 

「部隊への所属、という話を聞いたんだが、俺の所属部隊はどうなるんだ?」

「正確には、部隊、というほどの区分けはありません。血盟騎士団(うち)はパーティーごとに行動しています。本当は四人から五人組が理想なのですが、メンバーの都合上、そうもいかないのが現状です」

「つまり?」

「貴方には私とパーティー……コンビを組んでいただきます」

 

 なんと。

 

「つまりは私の部下ということになりますが……よろしいですか?」

「問題ない」

 

 なぜそこで不安げに聞いてきたのかわからないが、俺にはなんの問題もない。

 女性の上司とは新鮮なものだ。それが好みの女性ならなおのこと。まあ、上司にしてはあまり年上には見えない――年下かもしれない――が。

 俺の返事を聞いてほっと息を吐き、シルビアは顎に手を当てて考え込む。

 

「でしたら、後は――」

「……なあ、フレンド登録はしなくていいのか?」

「あっ、そうでした」

 

 シルビアは胸の前で両手を小さく打ち合わせると、器用にも歩みを止めないままウインドウを開いて操作する。

 

《silvia からフレンド申請が届いています。受諾しますか?》

 

 俺は〇を押すと、続けてウインドウが表示される。

 

《silvia からパーティに誘われています。受諾しますか?》

 

 続けて〇。

 視界右上のHPバーに、もう一本追加される。

 《silvia》と表示されるバー。隣に小さくレベルも《67》と表示されている。

 

「セドリックのレベルは70なのですね」

「ああ」

「スキル構成などを教えてもらうことは可能ですか?」

「大丈夫だ、大したものでもないしな」

 

 本来はスキルの追及は誉められたことではないが、別に俺は気にしない。敵に見せるわけでもないし。

 俺のスキルスロットを見せると、シルビアはぽかんとした様子で口を開けたまま固まった。

 

「これは……随分と偏っていますね」

「まあ、これ以外必要なかったからな」

 

 俺が肩を竦めると、私のものはこうなっています、とシルビアもあっさり見せてきた。

 

〇片手直剣

〇索敵

〇軽金属装備

〇盾装備

〇鍵開け

〇軽業

〇戦闘時回復

〇槍

〇料理

 

片手剣使い(ソードマン)――いや、盾もあるなら騎士ビルドか。他にも、索敵に鍵開けに軽業……」

「私は軽装なので動きやすく、昔から索敵を任されていましたし、鍵開けはダンジョンで重宝します。軽業は熟練度を上げれば敏捷値にボーナスが付くので、それで取得しました」

「槍は?」

「遠間から攻撃できれば有利になると聞きまして。使い分けが難しいので、あまり熟練度は上がっていませんが」

「なるほどな……料理なんてするのか?」

 

 一番下にあるということは、最近スロットに追加されたということだ。

 俺の疑問を聞いて、シルビアはばつが悪そうに腕を組んだ。

 

「手順だけなら少しは参考になるから覚えておいたほうがいい、とアスナが……」

「……そうなのか」

 

 女子力というやつだろうか。シルビアはリアルでは料理が苦手なのだろうか。まあそんなことを追及するのもデリカシーが無いだろうし、俺は曖昧に頷いて言葉を濁す。

 シルビアはそんな俺の気遣いを察したようで、咳払いをして話を切り替える。

 

「それでは、まず鎧を塗装しに行きましょう」

 

 ちょうど転移門広場に到着し、シルビアがそう締め括った。

 

「目的地は48層の《リンダース》です」

 

 

 

 

 リンダースは田舎と言った風情の街で、ずいぶん雰囲気が良い。水の流れが特徴的な、とても綺麗な町だ。都会より田舎派な俺としてはかなりの好印象だ。少なくとも、グランザムよりは圧倒的にこちらが良い。

 

「ここです。私もアスナに教えてもらったのですが、人柄も腕前も良い方ですよ」

「ほう」

 

 シルビアが案内してくれたのは水車付きの家。随分と高そうな建物だ。俺の手持ちを全部はたいてもこんな家は買えないぞ、と戦々恐々としている俺に気付かず、シルビアが扉を開けて入っていく。

 

「リズベット、居ますか?」

 

 俺も後に続くと、ちょうど奥の扉からプレイヤーが出てくるところだった。

 

「あ、シルビア。新しい剣はどう?」

「良い出来です。ここまで軽さと威力が両立できているのはありがたいですよ」

「今日はどうしたの?」

「彼の鎧を塗装してほしくて」

 

 シルビアがこちらに手の平を向けた。

 

「セドリックだ。先程《血盟騎士団》に加入した際、腕利きの鍛冶師を紹介してくれるということでここを教えられた。よろしく頼む」

「あ、どうもご丁寧に。ようこそ《リズベット武具店》へ。私がその()()()()()()()ことリズベットよ」

 

 リズベットと言うらしい鍛冶師――鍛冶プレイヤーとは女だったのか――は冗談めかしてそう名乗ると、俺を上から下までじっくりと見た。

 

「ふーん……ダマスカスの鎧ね。結構稀少な金属なのに、よく一式揃えられたわね。高かったでしょ」

「まあ、それなりにな」

 

 俺は普段着に装備を変えながら頷いて答える。

 

「ダマスカス……性能はどれほどの物なのですか?」

「同じ軽金属装備にしたら、シルビアの鎧の1.2倍くらいはあるかしらね」

「そんなに? なら、やはり塗装する方で正解だったかもしれませんね」

 

 脱いだ鎧をオブジェクト化し、カウンターの上に並べていく。

 

「あと、重金属装備(こっち)も頼む」

 

 ごろごろと鎧をもう一セット出した俺に、リズベットはうわ、と声に出さずに口を動かした。

 

「ああ、そういう事ね……料金は二倍になるわよ」

「できるだけまけてくれ」

「はいはい。時間も二倍になるから、少し店の中でも見ててね」

 

 リズベットはそう言って奥へ引っ込んでいった。

 シルビアは手近にあった椅子に腰掛け、

 

「剣を見てみたらどうですか? リズベットの店は最前線のNPC店より良い物がそろっていますよ」

 

 そう言ってきた。

 鎧や剣がショーケースに並べられている店内を見渡し、俺は近場に置いてある片手用直剣を手にとってみる。

 

「なるほど……確かに悪くはないが――」

「?」

 

 今俺が使っている片手半剣カテゴリの武器が見当たらない。

 そう説明すると、シルビアは納得がいったように頷いた。

 

「片手半剣……なるほど、セドリックの剣は大きめだと思ったら、そういうことだったんですね」

「慣れるとあれも便利でな。手放せなくなる」

 

 次に盾を手に取ってみる。長方形の盾だ。大きさも手頃なそれを見て、左手に装着してみる。

 

「これは良いものだ」

 

 カイトシールドの方が好みではあるが、この盾の性能は俺が使っているものより高く、装備条件もクリアしている。リズベットが戻ったら売ってもらうことにしよう。

 

「あの、セドリック……」

「なんだ?」

 

 心なしかもどかしそうに名前を呼ばれ、盾を持ったまま俺は向き直った。

 

「……いえ、やっぱりいいです。初対面であまりずけずけと聞くことでもありませんし」

「ん……? まあ、そう言うなら気にしないことにする」

 

 と、口では言ったがそんな言い方をされたら気になるのが普通だ。

 聞きたいことでもあったのだろうか。

 

「はい、お待ちどーさま。済んだわよ」

 

 リズベットが戻ってきた。

 カウンターに置かれた鎧は白地に赤のラインが入った色に変わっていた。

 

「サービスで耐久値も回復させておいたわ」

「仕事は早いし寛大とはな。確かに腕も人柄も良いようだ」

 

 俺の言葉にリズベットはふふーん、と満足そうに頷く。鎧をまずストレージに仕舞い、ステータスウインドウを開いて装着し直す。

 黒かった装甲が見るかげもない。俺は何となく手甲のベルトを――サイズ調整など不要なのに――弄りながら、姿見で自分の姿を確認する。

 

「――少々、明るすぎないか?」

「血盟騎士団は皆そんなもんよ」

「よく似合っていますよ」

 

 シルビアは頷き、リズベットもうんうんと同意する。

 違和感があるのは、ここ一年ほど《軍》の鎧とダマスカスという黒色の鎧で過ごしていたからか。

 

「ふむ――すぐに慣れるか。ああ、そうだ。リズベット、その盾を貰えるか」

「これ? はいはい、まいどあり」

「それと、剣も見繕いたいんだが――片手半剣は無いか?」

 

 俺の質問に、リズベットはばつが悪そうに笑った。

 

「あー、片手半剣ね……あんまり需要ないから作るのやめちゃったのよ。必要ならオーダーメイドになっちゃうけど」

「む……そうか」

 

 流石にオーダーメイドとなると、ぽんと出せる金額にはならないだろう。

 そう悩んでいた俺に、リズベットはにこやかに提案してきた。

 

「強化なら安くしとくわよ」

 

 清々しい程の商魂に、俺はあっさり折れた。

 

「……そうだな。素材も集まってきているところだし、頼めるか」

 

 いずれにせよ、強化はしなければならないのだ。

 俺はストレージから今使っている片手半剣を取り出し、リズベットに渡す。

 

「わ、重たっ――あんた、見た目通り筋力ビルドなのね」

「誉め言葉として受け取っておく」

「あ、しかもこれ、プレイヤーメイドね……」

「む……そうだったのか」

「どなたが作ったのですか?」

 

 鑑定してもいい? と律儀に聞いてくるリズベットに頷き返す。

 

「えっと固有名は《マリスブレード》――悪意(malice)? 変な名前つけるのね」

 

 俺に言われても困る。俺がつけたわけでもないのだから。

 

「製作者は……って、うそっ!?」

 

 あまりの反応に俺たちも覗き込むと、製作者の欄には《nagree》とある。

 

「ん……? なんて読むんだ、これ」

 

 シルビアに目を向けたが、首をかしげられた。

 少なくとも英単語では無さそうだ。造語だろうか。

 目を見開いたままだったリズベットが、溜め息混じりに説明してくれる。

 

「これは《ナグリー》って読むわ。あたしが知ってる鍛冶師の中でも……というか、たぶんSAO中の鍛冶師で一番の変わり者」

「変わり者……どのようにですか?」

 

 シルビアが後ろで手を組み合わせながら聞き返す。

 

「えっと、知ってると思うけど、武器の作成って、熱したインゴットをハンマーで鍛える(たたく)のよ。ある程度の回数を叩くことで、武器に変化するの」

「ああ、見たことがある。なかなか根気のいる作業だ」

「それがナグリーという方と関係が?」

「ええ。あいつは武器を作る時――片手棍(メイス)()()()()()()()叩いて作るのよ」

「……ほう」

「……はあ」

 

 ソードスキルをぶっぱなしまくる鍛冶職人。

 その光景を思い浮かべた俺達の口から、煮え切らない声が漏れた。

 

「それは……何か特殊な効果があるのか?」

「無いわよ」

 

 リズベットは呆れたように手をあげた。

 

「SAOの『鍛冶』は回数を叩くだけで問題はないの。どんなに真剣にやっても適当にやっても変わらない――って言われてるわ。あたしはしっかりやるけどね」

「叩く回数というのは、ソードスキルでもカウントされるのですか?」

 

 シルビアの疑問に、リズベットは腕を組んで唸った。

 

「うーん……まあ、鍛冶のチュートリアルクエストで『インゴットをソードスキルで叩いてはいけない』なんて言われてないけど……」

「現に作っているのだから、カウントされるんだろうな」

 

 よくわからんが、と俺は肩をすくめた。

 

「まあ、変人だけど、良い武器を作っているのは確かよ。一線級の刀匠っていっても良いくらいね」

「そうなのですか? 周りでその名前を聞いたことはありませんが」

 

 でしょうね、とリズベットは嘆息した。

 

「どこに工房を構えているのか不明で、たまに路上販売してたかと思えば、NPC武器屋に委託販売してる時もあるの。そもそも街を歩いてるのすらろくに見掛けないのに、どうやって武器を作ってるんだか……」

「セドリック、貴方はどこで手に入れたのですか?」

「いや……覚えていない」

 

 俺は頭を掻いた。ただでさえこの一年なにをやっていたのか、ろくに覚えていないのだ。武器の購入など完全に無意識だ。

 まあいいわ、とリズベットが剣を鞘に納めた。

 

「じゃ、強化始めちゃいましょ」

 

 

 

 

 強化された《マリスブレード+3》を軽く素振りする。

 重さと鋭さを一つずつ上げたのだが、振った感触としてはそこまで変わらない。

 

「感謝する」

「もし新しい剣が必要になったらあたしに言ってきなさいよ。ナグリーより良い物作ってやるんだから」

 

 随分と気合いが入っていると思えば、歯軋りまでしている。それほどのことなのか。鍛冶職人同士の確執は闇が深いようだ。

 

「その時は頼む」

「ええ、任せときなさい」

「では、私達はこれで。ありがとう、リズベット」

「どういたしまして。シルビアもありがとね。おかげで新しい固定客が得られたわ」

 

 こちらを見てニコニコと笑う。良い営業スマイルだ。俺もつられて笑ってしまった。

 

「ははっ……わかった。これから贔屓にさせてもらう」

 

 そう言ったところで、シルビアがこちらを横目で見ていることに気付いた。

 

「どうかしたか?」

「い、いえ……なんでもありません」

 

 シルビアはごほん、と咳払いをした。何かおかしな行動をしてしまっただろうか。

 シルビアの俺に対するイメージを悪くしたくないし、言動には気を付けねばなるまい。俺はつとめて平常を装い、シルビアの後に続いて歩き始めた。

 そうしてグランザムの本部に戻ってくると、シルビアは俺に向き直った。

 

「では、今日はこれで終わりです。明日は貴方の実力を見させていただきます」

 

 俺は腕を組みながら聞き返した。

 

「実力――だと?」

「はい。クエストを受けてそれを達成するか、ある程度のモンスターを狩って素材を集めるか――他には、団員とデュエルを行うという方法もあります。なんでもいいから、貴方がしっかり戦えるという証明が欲しいのです」

「それは……やらなければならないのか?」

「団長直々に勧誘され、《黒騎士》として有名とは言え、やはりわかりやすく実力を示した方が周りからの信用も得られますし。何より――」

 

 シルビアはまっすぐに俺の眼を見た。

 

「私はこの眼で貴方の戦い方を見てみたい」

 

 真っ向からそんなことを言われ、俺は小さく息を呑んだ。 

 

「了解だ。なら……デュエルにするか。一番手軽だろうし。デュエルを選んだら、誰とすることになんだ?」

 

 デュエルならクエスト等と違って数分で済む。面倒なことはさっさと終わらせたい、と考えながら聞いた俺に対してシルビアは、

 

「私です」

 

 あっけらかんと答えた。

 

「私と戦っていただきます」




ヒロインです。シルビアです。礼節を重んじる物腰丁寧な女騎士ですが、見た目のイメージ的には騎士王よりもルーンファクトリーのフォルテさんの方が近いです。
くっ殺はありません。
セドリックを(精神的に)救ったり(物理的に)救われたりする予定です。
綴りはsilviaだけどシルヴィアではなくシルビアです。
キャラが真面目な顔で下唇を噛みながら「ヴィ」を発音する構図に耐えられなかったからです。全部シヴァタさんのせいです。
ユリエールさんとちょっとキャラが被っていますが気のせいです。

なんかこの作品対人戦多くね?と感じるこの頃ですが、一層でちゃんとネペントやコボルト勢とPvEしてるのでいいかな、と思いました。


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13話

ホロウ・リアリゼーションをプレイしていて、はじまりの街にてぼけっとしていたら、『セドリック』というプレイヤーキャラが歩いていて驚愕しました。
うちのセドリックのイメージとは少し違いましたが、皆さんも見掛けることがありましたら、是非とも仲良くしてあげてください。


 本部には訓練スペースが設けられており、デュエルはそこで行うことになった。見学者は数人。決して多くはない。

 訓練スペースの使用許可をくれた副団長(アスナ)曰く、

 

『《黒騎士》の実力は既に知ってる人が多いですからね』

 

 との事だ。その副団長も何か用があったのか、少しだけ顔を出したが既にギルドを留守にしている。

 

(――実力を知っている人は多い、か)

 

 それでもシルビアは自分の目で見てみたいと言った。実際、剣を交えることでわかることもあるだろうし、その考えは決しておかしなものではない。

 デュエルを承認し、剣を抜き、カウントが終了した後だというのに、シルビアは剣を下ろしたまま

 

「準備は良いですか」

 

 と聞いてきた。勝敗が目的ではなく、お互いの実力を見るためのものであるから、不意打ち気味の攻撃をする必要はない。当然と言えば当然だ。

 剣の柄を握りしめながら、俺は頷いた。

 

「ああ。始めよう」

 

 お互いに頷き、剣と盾を構えた。相手の挙動に注意を払いながら、俺は考えを巡らす。

 おそらく、シルビアのビルドは敏捷重視だ。昨日のスキルスロットの説明で《軽業》の敏捷度ボーナスに言及していたし、リズベットとの会話では剣の()()を気にしていた。

 実際、シルビアが鞘から抜いた剣は片手直剣の中では短く、細身の部類だ。ショートソード、と表現するのがしっくりくる。

 つまり、シルビアはスピード型の騎士。装備構成こそ俺と同じだが、戦い方は真逆の筈。

 

「では……行きます!」

 

 シルビアは剣を構える。様子見のソードスキルか。あの構えは《レイジスパイク》だ。初期に習得できる単発の突進系ソードスキル。突進系スキルとはいえ、初期のものだ。いくら敏捷ビルドでも速さはそれほどではない。

 そう、予想していた。

 

「せ――やぁっ!」

「――っ!?」

 

 だが、実際には()()()()()()()()()()

 早めに足を捌いていたのが幸いして避けることが出来たが、ソードスキルの初動から突進に移るのを視認した瞬間、既に剣先は俺の目前に迫っていた。

 眼で追うのがやっとの速さ。ソードスキルの勢いのまま俺とすれ違うシルビアの表情には、驚きも悔しさも無い。俺が避けたことに動揺はしていないようだ。

 自分の速さを過信せず、俺が避けることも想定していたか。そのまま着地すると同時、左足を軸にしてこちらに向き直る。

 俺は素早く詰め寄り、剣を薙ぐ。シルビアは盾で受けながら後ろへ跳び、できるだけ衝撃を逸らした。

 殺しきれなかった衝撃のままシルビアは一回転して着地し、床を滑りながら体勢を整える。

 

(身のこなしが軽い――斬撃は軽いが、速い――)

 

 俺は盾を構え直し、油断無く剣を握り直す。

 

(侮るな……彼女は強い)

 

 俺の警戒を感じ取ったのか、シルビアはとんとん、と爪先で床を叩くと、一気に疾走してきた。

 

「やあっ!」

「らあっ!」

 

 振るわれる剣の軌道を見切り、盾を高めの位置に構えて受けとめる。俺は間髪入れずに腰の捻りを加えた突きを繰り出した。シルビアは防がれると見るや切先を回すようにして構え直し、振り下ろした剣で俺の刺突を迎撃。振り下ろした勢いをそのまま前宙するように回転し、遠心力を乗せて再度剣を振り下ろしてくる。

 これは《軽業》の恩恵か。凄まじい動きと、そこから縦横無尽に繰り出される剣技は素早くも精緻で、俺に攻める機会を握らせない。

 

――スピード型の手練が、ここまで厄介とは。

 

 クラインとの決闘を思い出し、俺は臍を噛む。

 その激情のままソードスキルを発動する。

 シルビアもそれを見て、無意識に迎撃のスキルを発動したようだ。しまった、と声無く口が動いた。

 

「おぉっ!」

「はあぁっ!」

 

 《ホリゾンタル・スクエア》と《バーチカル・スクエア》。互いに四連続のソードスキルを発動させ、剣を交差させるように連撃を打ち合った。

 シルビアの表情は厳しい。ソードスキルも迎撃の際、キャンセルされる寸前までモーションが弾かれている。俺のスキルを相殺することは彼女にとってギリギリだ。

 彼女自身、それはわかっていたはずだ。

 それでもソードスキルを使ってしまったのは、モンスター相手にもよくやっているゆえの条件反射か。

 相殺され、ノックバックで地面を滑る――と、シルビアは地面を連続で踏み鳴らすようにステップをして体勢を瞬時に立て直し、剣を肩口の辺りで引き絞るように構え、突撃してくる。

 突き込まれる剣を、盾で逸らす。俺が反撃で袈裟斬りを繰り出すと、シルビアは盾を構えて受け止めた。

 

「で――りゃあぁぁっ!」

「くっ!」

 

 その状態から、筋力パラメータに物を言わせて全力で振り抜く。

 シルビアはたたらを踏み、尻餅をつきそうな程押し切られる。そこから俺が更に踏み込んで斬り上げると、シルビアは思いきり床を蹴ってバック転をするように避けた。

 

(行ける――翻弄されるな! 真っ向から打ち合えば押し切れる!)

 

 俺は守りの姿勢を解いて床を蹴り、疾走。剣を構え、連続で振るう。袈裟斬り、右薙ぎ、上段からの全力の唐竹。

 シルビアは二連斬りを体捌きで避けると、剣を握ったままの右腕を左腕に交差させる形で盾を構え、唐竹を受け止めた。

 

(な――っ)

 

 咄嗟の判断で両腕を使い、攻撃を受け止めるとは。剣を握ったままのそれを成功させるのは容易くない。ずいぶんと戦い慣れている。

 

「随分とやるな――血盟騎士団に居るだけはあるっ!!」

「貴方も――《黒騎士》の二つ名は伊達ではありませんねっ!!」

 

 お互いに笑みを浮かべ、バックステップで距離を取る。

 素早く距離を詰めてくるシルビアの剣。

 迎え打つ俺の剣。

 その二つがぶつかり合い、弾かれ合い、お互いの身体を掠めてHPを削る。

 お互いに全霊の剣を振るい、技を繰り出す。

 モンスター相手ではほとんど味わえることのない、この高揚感。

 

「「はあぁっ!」」

 

 俺の力任せの連撃を、シルビアは流麗な剣技で迎え打つ。

 俺の剣は重く、そうそう弾かれることは無い。だが俺の一撃を、シルビアは高速の二撃を以て打ち払う。

 クラインなら刀で受け流したそれを、同じ敏捷ビルドのシルビアは真っ向から打ち返してくる。

 

見た目(かお)に似合わぬ攻勢、見事だな!」

「それ、誉めているんですか?」

 

 ガギィ、と一瞬の鍔迫り合いで目が合い、ニヤリと笑う。

 

「もちろん、誉め言葉だっ!」

「それはどうもっ!」

 

 打ち払い、距離をとって一呼吸おいてから、真っ向からぶつかり合う。

 

「おぉらっ!」

「せやぁっ!」

 

 その、落ち着いた見た目にそぐわぬ好戦的な姿勢。

 そんなものを見せられては、どこまで張り合えるか試したくなるというものだ。

 ソードスキルなど不要。この一年、この世界で培った俺自身の剣術を存分に振るう。

 お互いにヒートアップしているからか、盾を使うことすら忘れ、剣を振り続ける。打ち合わせた剣が火花を散らすより早く、次の攻撃を繰り出す。

 剣がぶつかる度、その余波で少しずつダメージが()()()くる。ガリガリとHPが削れていく。

 

「まだだっ!」

「この程度でっ!」

 

 減るペースはほぼ同一。俺が多めに削っても、シルビアは細かなダメージを重ねて削る。ほぼ均衡を保ちつつ、確実に減っていくHP。もう勝負は長く続かないだろう。

 それでも。再現無く加速していくのではないかと錯覚してしまうほどに、俺とシルビアの剣は止まらなかった。

 その剣戟が終わりを告げたのは、

 

――ビシッ

 

 という音を俺の耳が捉えた時だった。

 音の発生源はシルビアの剣。

 本人も気付いたようで表情が固まるが、剣を振るう最中だったため、止めることが出来ない。

 俺は咄嗟に、斬り上げようとしていた剣の軌道を逸らそうとした。その結果、シルビアの刃が俺の刃の上を滑り、そのまま俺の肩に食い込んだ。

 叩き付けられる衝撃に、俺は片膝を着かされた。

 

「ぐっ――」

「セドリックっ!?」

 

 シルビアが驚愕した声を出すと同時、俺のHPが危険域に落ちてデュエルが終了した。

 勝利者表示がシルビアの頭上に出て、観戦していた皆から歓声が漏れ、拍手が送られる。

 シルビアはすぐに肩から剣を引き抜き、俺の傍にしゃがみこむ。

 

「大丈夫ですか!?」

「ああ、大したダメージじゃない」

 

 俺は軽金属鎧を装備した状態でも、防御力はかなり高い方だ。モンスターのソードスキルをクリティカルで食らったとしても、二発までなら致命傷にはならない。この程度で死にかけることはない。

 立ち上がり、周りを見渡すと、観戦していた団員達は健闘を讃えながら訓練スペースを後にしていった。人がめっきり居なくなったところで、俺はシルビアへ視線を移す。

 そこまでして、シルビアは涼しい顔をしている俺に安心したようにほっと息を吐き――次いで、形の整った眉をひそめると、今度は悔しさの滲んだ溜め息を吐いた。

 

「セドリック。今回の件は――」

「勝ったのはお前だ。一応、な」

 

 そう言って肩をすくめた俺に対し、シルビアは不満げに唸った。

 

「あのまま続けていたら、私が負けていました」

「かもしれん。だが、勝敗ではなく、互いの強さを把握する戦いだったんだ。騎士の命である剣を折るまでやる必要はない。目的は達したのだから、それで充分だろう」

「――すみません。私が剣の耐久値を把握していれば、こんなことには」

 

 シルビアの片手直剣は細く軽い。俺の片手半剣はそれに比べて太く重い。

 例え耐久値をフルに回復していたとしても、その差で真っ向から打ち合えば、そちらに先に限界が来るのは当然のことだ。

 そういう俺の言葉に、シルビアは頷いた。

 

「はい。普段なら、私もあんな戦い方はしないのですが――貴方と斬り合っていたら、何故か昂ってしまって」

 

 気恥ずかしい、と言わんばかりに手を組み合わせるシルビア。あのように互いに吼え、高揚した言動を思い出したのだろう。言われてみると、俺も随分と熱くなっていた。照れ臭さから、首元を掻いた。

 

「と、とにかく。これでいいんだろう、腕試しは」

「はい。見ていた面子が他の団員にも広めてくれるでしょう。私と同じか、それ以上の実力者であると」

 

 その楽しむような口振りに、俺は疑問をもった。

 

「シルビアは、血盟騎士団で何番目くらいに強いんだ?」

「何番目、ですか。んー……」

 

 口許に指をあて、考え込む。

 

「正直、デュエルは時の運なので一概には言えませんが――まあ、五本の指には入ると自負しています」

「大した自信だな」

「当然です。私はアスナとも張り合えるんですよ。多少は自惚れたって構わないでしょう」

閃光(アスナ)とも?」

「はい。今のところ5戦2勝3敗です。負け越さぬよう、精進しなければいけませんね」

「五回やって、二回勝っただと?」

 

 ほぼ互角の腕前だ。俺など、あの速度の前では盾を構えることすらできないだろう。

 

「アスナは細剣使い(フェンサー)、私は剣盾持ち(ナイト)ですが、どちらもスピード型の剣士ですからね。どうしても張り合ってしまうんですよ」

 

 張り合う、か。剣士としての気質はかなりの物のようだ。そう考えていた俺の注意を引くようにシルビアは咳払いをし、眼を合わせてから真剣な表情で続けた。

 

「もちろん、貴方ともちゃんと決着をつけたいと思っています。今日のところは私の勝ちに()()()()()()()()()が、いずれ必ず」

「……そうだな。その時は全力でやろう」

「もちろんです」

 

 さて、とシルビアは自身の剣を眺めてから鞘に納め、

 

「では、戻りましょうか。昼食を食べながら、今後について話します」

 

 

 

 

「当面、私たちのすることは自身の強化やレベル上げです。血盟騎士団(うち)にはレベル上げノルマがあるわけではありませんが、それをしないことには何も出来ませんから」

 

 武器の修理をした後、主街区のカフェテリアの一角に腰を下ろし、サンドイッチを注文しながらシルビアは話し始めた。

 

「と、いうと?」

 

 俺は少し迷ってから、シルビアの正面の椅子に座った。道中で買ってきた小さめのフランスパン(60コル)をまるごとかじる。

 シルビアは少しだけそんな俺の様子を眺めた後、続きを話し始めた。

 

「貴方も知っての通り、フロアボス攻略は全てのギルドが合同で行うものです。私達が急いて迷宮区の攻略を進めて、ボス部屋を見付けたとしても、すぐに戦うわけではないです。死ぬだけですからね」

 

 そう言って、十秒足らずで運ばれてきたサンドイッチをぱくりと食べる。

 まったくその通りだな、と俺が頷くと、シルビアは口の中のものを飲み込んでから、

 

「ですので、私は基本的にボス部屋を目指しての攻略はしません。迷宮へ潜るときは経験値とお宝狙いです。奥まで行くことはあっても、あくまでボス部屋探索はおまけです」

 

 お宝狙い、と俺は呟く。そういえばシルビアは鍵開けスキルも持っていた。そういうのも彼女の専門分野なのだろう。

 

「なら、この後は迷宮区へ向かうのか?」

「それも良いですけど、セドリックは何かやりたいクエストとかありますか? よければお手伝いしますが」

「やりたい、クエスト――」

 

 特に、無い。俺の表情を見てかは知らないが、シルビアが少しだけ目を細めた。

 俺は軽く首を振って答えた。

 

「パーティリーダーはお前だ。お前の方針に従う」

「――そうですか」

 

 シルビアは静かに頷き、サンドイッチを口に放り込む。もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。

 残り一つのサンドイッチに手を伸ばし、また一口。もぐもぐ。

 

「…………」

「……ん?」

 

 その様子を眺めていた俺に気付き、首をかしげた。

 

「何か?」

「……いや」

 

 なんとなく見ていただけだ。サンドイッチが美味いのか不味いのかもわからないほど、淡々と食べていたものだから。

 なんでもない、と俺は肩をすくめ、パンにかぶりつく。

 その後は無言だった。お互い自分の食事に集中する。

 

「さて」

 

 サンドイッチの最後の一口を放り込むと、シルビアは咀嚼しながら椅子を立ち、歩き始めた。

 既にパンを平らげ、のんびり構えていた俺は慌てて立ち上がり、彼女の後について歩き出す。

 

「どうするんだ?」

「私のクエストを手伝ってください。モンスターを一定数処理する単純なものです」

「了解した」

 

 

 

 

 両手剣を凄まじい膂力で振り回す狼男に、俺は真っ向から受けて立つ。重金属鎧に身を包んだ俺は、《マリスブレード+3》を両手で握り、鍔迫り合いに持ち込む。

 

「セドリック、弾いて(パリィ)!」

「了解、だッ!」

 

 力任せに押し込まれる狼男の剣を、俺は受け流すように払った。

 

「やぁっ!」

 

 突き込まれるのは、シルビアの《ヴォーパル・ストライク》。半身になった俺の隙間を縫うように、ショートソードが凄まじい加速で狼男の胸に突き刺さる。

 

「グオッ!」

 

 呻き、もがく狼男の胸板を足蹴にし、後ろへステップしながらショートソードが引き抜かれる。

 その隙を逃さず、俺は《サイクロン》でがら空きの腹を真横に両断した。

 ポリゴンの欠片となって爆散する狼男を背に、シルビアと互いに握った手の甲を打ち合わせた。

 

「ナイスだ、シルビア」

「ええ。セドリックもよく合わせてくれました」

 

 お互いに剣を納めながら頷いた。

 

「あと何体だ?」

「えっと……残り四体ですね」

 

 了解、と俺は重金属鎧の円筒型フルフェイスヘルムを脱ぎ、ポーションを飲んだ。

 そのヘルムを脇に抱えながら、俺はシルビアに顔を向けた。

 

「それにしても、ずいぶん戦い慣れているんだな」

「ええ。ベータテスターほどではありませんが、そこそこ古参ですし」

「ゲームが始まった時から戦っていたのか?」

「あ、いえ。私が攻略に参加しようと戦い始めたのは、その……」

 

 少しだけ俺から眼を逸らして言い淀み、

 

「……このゲームが始まってから、一ヶ月ほど経った頃です」

「一ヶ月――」

 

 ちょうど、一層がクリアされた時期か。

 確かに、あの時()()()()()()()()()と示すことによって、プレイヤーのモチベーションは大きく高まった。その結果として、多くのプレイヤーが攻略に参加するために動き出した。俺もそういった初心者のレクチャーを請け負ったことがある。

 シルビアもその一人か、と俺は聞いた。

 

「そう……ですね。まあ、その認識で間違いはありません」

「……?」

 

 どうにも煮え切らない。気になることは気になるが、狼男が再度出現した。その数、4。

 

「4匹か。これでキリがいいな。3匹引き付けておく」

「わかりました。残り1体を手早く片付けます。無理はしないように」

「なに、3匹程度なら10分殴られ続けでもしない限り、死ぬことはない」

 

 絶対の自信と共にヘルムをかぶりなおし、マリスブレードを引き抜く。

 投げナイフを指の間に三本握り、《投剣》スキルによって3匹へそれぞれ投げ付け、ヘイトを引き付けた。

 

 

 

 

「今日は助かりました。明日も同じく活動しますので、良いクエストでも見付けてきてくださいね」

「そうしておこう。女性のエスコートも出来ずに、騎士など名乗れんからな」

「ふっ――そうですね、期待していますよ」

 

 にこりと笑う。

 

「なんだその顔は」

「いいえ、別に」

「……まあいい。じゃあ、また明日」

「ええ、それでは」

 

 そうしてガシャガシャと重金属鎧を鳴らしながら歩いていく後ろ姿を見送る。

 あんなに重たそうな鎧を着ていながら、よくあそこまで自然に動けるものだな、と思う。よっぽど筋力にパラメータを振っているんだろう。

 

「……さて」

 

 剣の耐久値はまだ問題無い。けれど、今朝のようなこともあるし、万全にしておきたいとも思う。

 

(……もう8時か。リズベットは店仕舞いをしているでしょうか)

 

 《剣の整備をお願いしたいのですが、もうお店は終わってしまいましたか?》、とリズベットにフレンドメッセージを飛ばしてみる。

 1分足らずで返信がきた。内容は《研ぐだけならすぐできるし、来ていいわよ》。

 

(ありがたい)

 

 リンダースへ転移。リズベット武具店の扉をくぐると、アスナとリズベットが談笑していた。

 

「あ、来た来た。いらっしゃい、シルビア」

「やっほー、シルビア」

 

 私は二人に頷きを返し、腰に提げている片手直剣の《ティアドロップ》を鞘ごと外す。

 

「さっそくで悪いのですが、お願いします」

「はいはい――ん? あんまり消耗してないわね」

「今朝折れかけてしまったので、一度修理したんです。あまり減っていないと言っても、耐久値はマックスにしておきたいですし」

「お、折れかけた!?」

 

 リズベットの驚愕と共に、アスナが驚いた様子で聞いてくる。

 

「今朝って、もしかしてセドリックさんとのデュエル?」

「はい。限界まで打ち合ってしまって」

「あのね……セドリック(あんな)のと打ち合えるようには作ってないのよ、この剣は」

「すみません……」

「まあ折れなかったならよかったけど、気を付けなさいよ?」

 

 まったく、とリズベットは頬を膨らませながら奥へ引っ込んだ。

 そんなリズベットを見送り、アスナが笑いながら聞いてきた。

 

「でも、剣が折れそうになるまでやるなんて珍しいね。シルビア、普段は速攻で決めていくタイプなのに」

「接戦だったので、つい我を忘れて」

「それじゃ、折れる前に決着がついたんだ?」

「いえ――」

 

 決着がついた、という言葉を否定しようとして首を振ったが、別に間違いではなかった。

 

「――いえ、まあ、そうですね」

 

 けれど、私はまだ決着がついたとは思っていない。剣が外れた腰に左手を添えながら、右手の拳を握った。

 

「どうだった? セドリックさんは」

「良い騎士でした。アタッカーとしてもタンクとしても、充分に戦えます。さっきなんて、両手剣持ちの獣人3体を相手に無傷で凌いでいました。彼はかなり手慣れています」

 

 私の言葉に、アスナはへー、と声をあげた。

 

「あのパワータイプのモンスターを3体同時に……」

「防御に徹していたとは言え、3対1であんなに粘れるのは凄い。血盟騎士団の戦力として、かなり期待できるでしょうね」

「ふふっ――随分評価してるんだね?」

「ええ。多くのパーティに所属していたからか、連携も取れています。私の呼吸にも合わせてくれるので、とても戦いやすい」

「……ほんとに評価してるんだね」

 

 アスナが少し呆れたように笑った。

 そこで私は語りすぎたことに気付き、咳払いをして気を取り直し、

 

「ともかく、彼は強い。私との二人パーティにしておくのが勿体無いくらいです」

「そんなこと言って、男と二人っきりになるのが嫌なだけなんじゃないの?」

 

 リズベットが研ぎ上がった剣を持ってきながら会話に参加してくる。

 二人っきりが嫌――?

 

「いえ、特には」

「あれ、そう? シルビアってアスナとは組むけど、あんまり他のメンバーとパーティ組みたがらなかったわよね?」

 

 リズベットの指摘に私は頷く。リズベットはアスナと同じく、私と歳の近い友人なので、色々な話をする。自然、私のパーティに対する考え方も知っている。

 

「そうですね。他の団員は皆男です。SAOでは珍しいからか、私のような女にも言い寄ってくる男が多くて。まあ《血盟騎士団》の中にはそのような輩はいないようですが、正直、そこらの男とパーティを組むくらいならソロでやりますよ、私は」

 

 フレンド申請だけならともかく、年齢や住んでいる場所など、現実(リアル)の事を執拗に詮索してくる男は多い。

 普段ならすれ違うだけの人物が、パーティを組んだ途端、当然の権利を得たかのごとく聞いてくる。時には()()を迫ってくる下品な男も居る。

 そんな事が続けば、パーティを組むのが嫌になるというものだ。

 

「けれど、セドリックは私に対して()()()()目的は無さそうですし」

 

 私の言葉に、リズベットは合点がいったように苦笑した。

 

「あぁー……まあ、あの生真面目な騎士さんは()()()()事を言ったりしないでしょうね」

 

 内心何を考えてるかはわかんないけど、とリズベットは小声で付け足した。

 私がその言葉を聞いて眼を細めると、慌てて両手を振りながら、

 

「ほ、ほら、男なんて皆そんなもんでしょ! 特にセドリックなんてかなり若い男だし、表に出さないだけでヤバい事考えてるかもしれないわよ?」

「それはまあ、セドリックが内心で私に対してどう考えているかは知りません。見た限りではわかりませんから。けれど、ナーヴギアによって感情がわかりやすいこの世界でも、そうして素振りにも出さないからこそ、信用に足ると私は考えます」

「まあ、確かにね。セドリックさんが女の子に言い寄ったことなんて無いだろう、し……?」

 

 後半ぽつぽつと言葉が途切れ、アスナは考え込むように黙った。

 それに気付かず、リズベットは私に対して問い掛けてくる。

 

「まあつまり、セドリックは二人で話しててもやらしい眼で見てこないから信用できる、ってことよね」

「はい。ですので、私はセドリックと二人であることは問題ありません。相性は良いですし。むしろ戦闘効率を鑑みて、これからも組みたいところですね」

「あらら、かなりお気にいりみたいね」

 

 そこでアスナが何かを思い出したかのように「あっ!」と声をあげた。どうかしましたか、と声をかける。

 

「え、えっと、その……セドリックさんの事、なんだけど……」

「彼がなにか?」

「う、ううん! 何でもないよ何でも! あはは……」

 

 そんなに分かりやすく隠されると気になる。そう私が追求すると、アスナは頬を掻きながら眼を泳がせ、

 

「ええっと……で、でも、昨日見た感じだったら、セドリックさんもかなりシルビアの事気に入ってそうだったよ?」

「――そうですか?」

 

 間違いなく話を逸らされたが、少し気になる話題だったので食い付いてしまった。

 私の疑問に、ここぞとばかりにアスナが頷く。

 

「そうだよー。ね、リズ?」

「どうかしら。そんな素振りは無かったように思うけど」

 

 リズベットの頬杖を付きながらの言葉。私も少しだけ考えてみる。

 といっても、昨日初めて話したので、特に心当たりのある場面は無い。

 団長室で挨拶をした時にじっくりと顔を見られたり、デュエルの時に顔に似合わず好戦的と言われたり、昼食の時にじっと見られていたり――

 

 ……あれっ。

 

「……結構見られていますね、私」

 

 どうしてだろう。あまり不快ではなかったから、気付かなかったんだろうか。

 

「気付いてなかったんだ? セドリックさん、初対面の時シルビアに見惚れてたよ?」

「まさか」

 

 私は肩を竦めた。

 

「見られていたとしても、血盟騎士団に女が居たから驚いただけでしょう。私の顔なんて、見ていて面白いものでもありませんし」

 

 アスナとリズベットが顔を見合わせ、曖昧に笑った。

 

「なにか?」

「別にー? けどさ、シルビアも結構セドリックのこと見てなかった?」

「私が、ですか?」

「そうよ。結構チラチラと見てたじゃない」

「あっ……それは、まあ、その――」

 

 私は少しだけ言葉に詰まる。

 

「何々? なんか面白い理由だったりする? 顔が好みとか?」

「私は別に顔は気にしませんが」

「ともかく言いなさい! なんか乙女の香りがするわ!」

 

 どうにもリズベットは色恋沙汰(こういうの)に貪欲なきらいがある。ここで話さなければ余計にそうだと勘違いされそうだ。

 私は観念して溜め息を吐き、話すことにした。

 

「そういうのじゃありません。私はただ――」

 

 リズベットに並び、アスナも興味深そうにこちらを見ている。

 

「――彼の笑った顔を、初めて見た」

 

 呟くような私の言葉に、二人は押し黙った。

 あの時、セドリックはリズベットの冗談に声をあげて笑った。ずっと何かを抑えているような仏頂面で、取り繕っているかのような無表情だったセドリックが――笑った。

 それを見て、「ああ、この人はこんな風に笑えるんだな」と思った。

 それでもやっぱり、それはどこか抑え込むような固い笑顔で。

 何かを抱え込んでいるような、苦しそうな笑顔で。

 

「ねえ、シルビア。昨日から気になってたんだけど……セドリックさんと会ったことあるの?」

 

 私はアスナの問いになんと答えるべきか迷った。

 アスナは昨日、私とセドリックが会った時に立ち会っている。あのときの私の言葉に違和感を感じたんだろう。

 

『セドリック……《黒騎士》? ()()()……?』

 

 当然だ。あんな事を言えば誰だって気が付く。セドリック本人も、私の言葉に混乱していたように見えた。

 だけど。

 

「いいえ、会ったことはありません。当然、話したことも。ただ、()()()()()()()()()

 

 二人は続きを待つかのように一言も喋らなかった。

 視線を左上に向ける。私のHPバーの下にある、《cedric》の名がついたもう一つのHPバー。

 パーティを組んだままの、あの人の名前とHP(いのち)

 

「見たことがある……それだけです。だからかな。彼の言動(こと)が少しだけ気になるんです。ただそれだけで、他に理由はありません」

 

 気になるのは事実だけど、けしてリズベットが期待するような感情は無い。

 

 無い――と、思う。

 

(……セドリック)

 

 必要以上に踏み込んで来ず、あまり表情を変えず、饒舌というわけでもない。

 意識してそうしているのであろう、小難しい言葉使いと、気取ったような固い口調。指示に対して絶対とも言える姿勢。こんな私でも、パーティリーダーとして信を寄せてくれる寛容さ。

 そして何よりも、戦闘(けん)に対して全力の姿勢。

 

「――良い人だとは思います。あの人は全力で戦っている。打算無く只管に剣を振る。こんな死と隣り合わせ(デスゲーム)なのに、驚くほど真摯に。私にはそれが、とても魅力的に感じます」

 

 リズベットもアスナも、一言も話さない。ふざけることも、茶化すこともしない。真剣な、どこか気遣うような表情で私を見ている。私はそんな二人を見て、こんな状況なのにくすっと笑ってしまった。

 別に真面目な話をしたい訳じゃないのに、どうしてか語ってしまった。こんな言い方をすれば心配をかけてしまう。

 

「ですから、副団長。私はこれからも、セドリックとのパーティ継続を希望します」

 

 私が笑いながら言った言葉に、

 

「副団長としての権限で、その申請を承認します。《黒騎士》なんて呼ばれてるあの人が更正できるよう、しっかりと見張っておくように」

 

 アスナも冗談めかしてそう返してきた。私は左手で剣を腰に添え、握った右拳を胸にあてながら、

 

「承知しました。その責務、果たして見せます――」

 

 そう宣言した。

 

「一人の騎士として」




最近はあとがきで本編の補足説明をするのが趣味です。
もし補足がされていない場面が気になる場合、「ここってどういう意味なの」と聞いてくだされば、作者が阿呆なりに考えた後付け設定が聞けると思います。


〇二人ともバトルマニア

冒頭のデュエルでは、セドリックもシルビアもチャンバラが好きなのでヒートアップしており、言動が乱暴になっています。シルビアは自分のそういう気質を自覚していませんが、セドリックの熱気に引っ張られる形で着火し、はっちゃけました。


〇サンドイッチもぐもぐ

昼食時、シルビアがサンドイッチを口に含みながら足早に席を立ったのは、セドリックの沈黙を「既に食べ終わって退屈しているから」と勘違いし、「早く私も食べ終えて動かなければ」と焦っての行動です。決して行儀がなっていない訳ではないです。


〇セドリックの頭装備

軽金属装備の場合はイケメンビジュアルのアーメットヘルム。
重金属装備の場合は十字に模様の入ったグレートヘルム(いわゆるバケツ)です。
昔は黒地に赤のラインが入っていましたが、現在は血盟騎士団カラーの白地に赤のラインが入ったカラーリングになっています。
セドリック本人はヒースクリフの様な真っ赤な鎧を着てみたい様子。


〇シルビアの高評価

シルビアがセドリックに対して好印象を抱いているのは、第一印象が強いのと、剣を交えた(チャンバラした)ことによる意気投合が理由です。
それらの要因により、「こいつは悪い奴じゃない」という認識が出来上がっている上、セドリックの見事な騎士っぷりに対し、同じ騎士として好感を覚えています。
オンラインゲームで同じ装備の人を見付けたら、なんとなく親近感沸くのと同じ感じです。


〇セドリックの内心考えていること

色々酷いこと言われていますが、当のセドリックはシルビアに対して「美人だなー好みだなー」と眺めているだけで、決して邪な感情はありません。生真面目特有の純情です。
ちなみにセドリックはポニーテールが好きなのでシルビアはドストライクでもある。
「実は俺、ポニーテール萌えなんだ」という台詞を言わせたくなる。それにドン引きするシルビアを書きたくなるなる。


〇セドリックに対するアスナの懸念

 ヒント:アルゴ


〇早くも明らかになりそうなシルビアの話

ものすごくぼやかして語らせたシルビアの独白ですが、勘の良い方はどういう意味かあっさりわかると思います。ご都合主義特有の安直な展開です。ユルシテ。


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14話

投稿遅れてすみません。フォーオナーやってました。あっちこっち赤と黒で染めてあたふたしてるロウブリンガーが居たら私です。

今回はシルビアの人間観察回です。
あと、少し性的なほのめかしが入ったのでそろそろやばいかな、と思ってR15指定にチェック入れました。


――遅刻してしまう。

 

 ベッドで目を覚まして時間を確認し、私はそう感じた。普段は集団行動をするわけでも無いので、目覚ましアラームをセットしない。そのように生活していたのが仇になった。

 

「集合時間の十分前に起きるなんて……」

 

 朝は弱い。俗に言う低血圧の人ほど酷くはないが、どうにも身体が起きようとしない。現実(リアル)ならともかく、仮想(VR)でもこうだと言うことは、身体的などうこうではなく、単に私がずぼらなだけなのだろう。

 

「ふぁ……」

 

 欠伸をしつつベッドから立ち上がり、メニューを開いて鎧を身に付け、細い赤のリボンで黒髪を後頭部で纏める。

 仮想空間は都合の良いことに髪の毛が極端にボサボサになることがない。現実ならドライヤーやらヘアアイロンやらをしなければ綺麗に髪が纏まらないけれど、VRでは手櫛で軽く梳かすだけで済む。

 まったく楽なものだ。

 

(急がなきゃ)

 

 そう思って血盟騎士団本部から出ると、軽く走って転移門広場に到着。辺りを見渡すと、転移門横の柱に寄り掛かってウインドウを開いているセドリックを見付けた。彼は茶色混じりのくすんだ金髪をしている。SAOの中では意外と見ない髪色なので探しやすい。

 近付いていくにつれ、その動作がメニューの操作ではなく、キーボードを叩いているものだとわかった。

 なにかメッセージを書いているようだ。私は目の前まで歩いていくと声をかけた。

 

「すみません、遅れました」

「構わない。が、少し待ってくれ」

 

 少しだけこちらに視線を寄越したあと、そう答えてまたキーを打つ。

 その指先は淀み無く動く。仮想世界のアバターにしてはかなりタイピングが早い。私もそれなりにキーは打てるつもりでいるけれど、あそこまで速くは無い。セドリックが随分とVR(ゲーム)慣れしているのがわかる。

 最後にエンターキーの部分を押し、セドリックはウインドウを閉じてこちらに向き直った。

 

「今日の事だが、少し予定が入って下層に降りなければならない。すまないが、今日は別行動で良いだろうか」

 

 申し訳なさそうな顔でそう告げる彼に対し、私は首をかしげた。

 

「予定、ですか?」

「ああ。昔馴染みの鉱夫プレイヤーが、鉄鉱石の納入先である《軍》と揉めているらしい」

「《軍》と?」

「ああ。詳しい話は下層(した)で直接聞くつもりだ。すまんな」

 

 そこで私は考え込んだ。別行動と言われても、一人で迷宮区の攻略やクエストを進める気にはならない。私はソロは得意ではないし、かといってアスナも多忙だろうから気軽に声をかけようとも思わない。

 

「あの、私も一緒に行ってはいけませんか?」

 

 だから、私はそう訪ねた。

 

 

 

 

 彼は私が同行を願い出たことに驚いたようだったけれど、「お前が良いのなら」と了承した。

 《はじまりの街》に転移すると、待ち合わせていたらしく一人のプレイヤーが駆け寄ってきた。耐久値が減って薄汚れた上下セットの麻布の服に、腰には大振りなツルハシ(こちらも鉄の部分が傷だらけだ)が提げられている。見た通り《鉱夫》といった印象の男――というよりは青年か――だった。

 セドリックが声をかけた。

 

「待たせたな」

「いや、構わんよ。わざわざ来てくれてすまんな、セドリック」

 

 腰に手をあて、やれやれと言わんばかりに青年は応えた。

 そして私の方を見て驚いたように目を見開き、セドリックに意味ありげな視線を向けた。

 

「なんだ、女連れとは珍しいな」

「同じギルドのパーティリーダーだ」

 

 セドリックは溜め息混じりに説明する。私も会釈をする。

 

「ギルド? 《軍》を抜けてから入ってなかった、って聞いてるけど」

「最近《血盟騎士団》に勧誘されてな」

 

 合点がいったように青年は頷き、

 

「だからか。《黒騎士》様にしちゃ、えらく真っ白な鎧だと思ったんだ」

「《黒騎士》は俺の()()()からつけられた渾名だからな」

 

 セドリックは皮肉じみた笑いと共にそう言った。

 青年はその言葉にけらけらと笑ったが、すぐに表情を真面目なものに変え、

 

「んじゃ、ちょっと場所を変えよう」

 

 そうして転移門広場から離れ、人目の無い路地裏へ向かう。私が不思議に思って辺りを見渡していると、青年は私を見て、

 

「最近は街中に《軍》の連中が彷徨(うろつ)いててな。狩りにも行かずに、街にいるプレイヤーから『徴税』とか言って金を巻き上げようとするんだ。だから連中の目の届きにくい場所に行きたいんだよ」

 

 そう説明してくれた。一応女である私を気づかっての言葉だろう。私はその説明に頷いて了解の意を示し、次に疑問を口に出した。

 

「《軍》はそのようなことをしているんですか?」

「ああ。手当たり次第見付けたプレイヤーに絡んで、な。中には武器を持っていかれた奴も居るらしい」

 

 私はセドリックに目を向けた。彼は誤解の無いように言っておくが、と前置きして、

 

()()が始まったのは俺が抜けた後だ。俺も見たときは驚いた」

「そうなのですか」

「そうだぞ女騎士さん。むしろセドリックはそのカツアゲを止めたこともある、って噂があったが、そこんとこどうなんだ?」

「さあ、な」

 

 セドリックは不愉快そうに眉をひそめ、はぐらかす。

 

「この辺りで良いだろう。話してくれ」

「あいよ。というか、話自体はメッセで話した通りなんだがな――」

 

 青年は頭を掻きながら話し始める。

 

「俺はいつも、鉱石を掘ったら《軍》に売ってるんだよ。鉄鉱石一個5コルでな」

「5コル――?」

 

 私は思わず声をあげた。

 あまり詳しくないけれど、プレイヤー間で取引している場合、最低でも10から30コル程度はしたと思う。

 いや、確か会計のダイゼンさんは『鉄鉱石なら質によって一個20~40コルですなぁ』とか言っていたっけ。それでも、私個人としては安すぎると思うほどだ。

 というのも、SAOの《採掘》というのはとかく面倒な作業だからだ。採掘ポイントへ行ってツルハシを振るう。 言うだけなら簡単だが、数少ない採掘ポイントを探して延々とツルハシを振るい、容量を圧迫する鉱石を大量に集めるというのはかなりの労力だ。いくらインゴットにして売るよりも価値が下がるとはいえ、5コルはあまりにも酷い値だ。

 そう私が言うと、青年はあまり表情を変えずに答えてくれた。

 

「買い叩かれるのは仕方ねぇよ。俺の掘る鉄鉱石なんてクズ鉄手前の品質だからな――ほれ」

 

 ストレージから取り出した鉄鉱石を渡され、私はそれを眺めた。《鑑定》スキルは持っていないが、鉱石の光り具合で何となくの品質は判断できる。

 確かに、良質とは言い難いものだった。これでインゴットを作り、剣を鍛えたとしても、あまり期待は出来そうにない。

 

「けどな。連中、今度は一個1コルで買い取るとか言い出しやがった。これには流石のオレも苦笑いよ」

「1コルだと?」

 

 思ってもみなかった言葉に、セドリックが声をあげた。私も鉄鉱石を返しながら、驚きを隠せなかった。

 

「ああ。一個1コルじゃ、どんだけ稼いでも一日分の食糧も宿代も賄えねぇ。だから、せめて前と同じ一個5コルにしてくれねぇかなー、っと思ってるわけよ」

「なるほどな……」

 

 あの、と私は口を挟んだ。

 

「思ったのですが、そうまでして《軍》に売る必要があるのですか? その辺りのNPCショップに売った方がよっぽどお金になるでしょう」

 

 私はそう言ったけれど、青年は先程と同じくあまり表情を変えずに答える。

 

「さっき徴税がある、って言ったろ? オレは鉄鉱石の納入を条件に、()()()()()()()()()()()んだよ」

 

 その言葉を聞いて、私は自分が思っている以上に事態が切迫していることに気付いた。

 下層に住まう彼らにとって《はじまりの街》は安全な《圏内》であると同時に、《軍》が跋扈する無法地帯なのだ。

 自分の身を――モンスターからではなくプレイヤーから――守るため、様々な対策を用いている。

 私はセドリックを見たが、首を横に振られた。

 

「どうすることもできん。《軍》は既にこの街に深く食い込んでいる。引き剥がすことも、改めることも不可能だ」

「……でしょうね」

 

 薄々わかってはいた。確認を取りたかっただけだ。彼はそれでもマシだ、と言った。街の中には、もっと酷いものが行われている場所もある、と。

 

「ひどいもの、ですか?」

「知る必要の無いことだ。もっとも、これから目にする可能性もあるがな」

 

 含みのある言葉を言うと、セドリックは少し考えた後、青年に向けて頷いた。

 

「事情はわかった。《軍》の会計に掛け合ってみよう」

 

 

 

 

 《黒鉄宮》に入ったのは初めてだ。

 内装を眺めながらセドリックと青年に並んで歩いていくが、文字通り真っ黒な壁や床にげんなりする。光量は充分にある筈なのに薄暗い印象を受けるし、比例して私とセドリックの白い鎧が眩しく感じる。心なしか青年も目をしばしばさせているように見える。

 途中、何度か《軍》のメンバーとすれ違ったが、彼らはセドリックを見て何も言わずに通りすぎていった。

 

(セドリックは元《軍》らしいけど、知り合いとかいないのかな)

 

 そう思って横目で見るが、セドリックは表情を変えずに歩いていく。なんというか、読めない(ひと)だ。あまり大きく表情が変わらない。大きな変化を見せたのは、それこそ私とデュエルで打ち合ったときの好戦的な笑みか。それ以外の変化では皮肉っぽく笑うか、自嘲気味に笑うくらいしか見ていない。

 多少の表情の変化はある。だからこそ余計に、普段の無表情さが目立つ。何を考えているのかわかりづらい。

 私はなんとなく気になり、声をかけた。

 

「あの、セドリック」

「なんだ、シルビア」

「《軍》の会計と掛け合うと言っていましたが、どうするのですか? 貴方は既に《軍》の一員ではないのでしょう?」

「まあ、なるようになるだろう。いざとなれば、幾らでもやりようはある」

「やりよう、ですか」

 

 そうだ、と頷いたセドリックは私を見て少し考えると、

 

「……ふむ。よければお前にも協力して欲しい」

「協力、と言われましても……」

 

 私は困惑した。

 

「私は腹芸(こうしょう)なんて出来ませんけど」

「なに、()()を着て立っているだけでいい。できれば暗い――落ち込んでいるような表情が出来ればベストだ」

「なんですか、これ……」

 

 渡されたものを指でタップする。表示された名前は『町娘の服』。SAOにしては珍しく日本語名の防具だ。

 ――いや、防具なのだろうか。《服》だし、防御力はないと思う。完全に普段着として使うような物だ。

 

「まあ《圏内》ですし、着るだけなら――」

 

 メニューを開き、セドリックと青年が律儀に反対側を向いたのを確認し、更に周りに《軍》の人が来ないことを確認してから装備を変える。

 

「……着替えましたけど、普通ですね」

 

 七分袖の白いシャツ、膝に掛かる程度の茶色のロングスカートに、革を縫い合わせたブーツ。全体的に素朴なものだ。一式装備扱いのようで、手甲とヘルムも自動的に外されている。

 ごくごく普通の、質素と言ってもいいほどの女性用の服だ。

 

――なんでこんな服をセドリックが持っているんだろう。

 

 私が無意識に向けた疑いの眼差しに、セドリックは珍しく慌てた様子で手を振った。

 

「ちがっ――違うぞ! それは以前クエストの最中に手に入れたもので、売却するのを忘れていただけだ!」

「はあ……ま、まあ、そうですよね。ええ、大丈夫ですよ、セドリック。私は誤解なんてしていません」

「……違うって言ってんだろ」

 

 頷きながらの私の言葉に、セドリックはばつが悪そうに吐き捨て、舌打ちをした。口調が崩れているのに気付いていないのか、むっとした表情を崩さない。

 けれど、本当に苛ついているようには見えない。

 

(……拗ねてる?)

 

 たぶん、そうなのだろう。面白そうなのでついからかってしまったが、この反応は予想外だった。

 それはなんというか、年相応の子供染みた反応のようで。

 私は思わず笑ってしまう。

 

「なにがおかしい」

「いえ……すみません。少し調子に乗ってしまいました」

 

 私が謝ると、セドリックは驚いた様子で「別に、怒っていた訳ではない」と堅苦しい返事を返してくれた。

 そこで、私をじっと観察していた青年が声をあげた。

 

「んー……なあ、髪も解いてみたら良いんじゃないか?」

「そうですか?」

「ああ。せっかく長いんだし、解いてみても似合うと思うぜ」

 

 私は言われた通り髪を結んでいるリボンを解こうとしたが、

 

「馬鹿を言うな。髪は結んでいた方が良いに決まっている」

 

 セドリックが厳しい声色で否定したので、リボンをつまんだまま手が止まる。

 

「そうかぁ? この服の落ち着きっぷりだぞ? いっそ髪も解けばストレートヘアと相まってかなりの清楚美人になるだろ」

「服が落ち着いているからこそ、結った髪の活発さが必要なんだ。清楚はもちろん良い。あか抜けなさは確かに魅力だが、それでは無個性に過ぎる」

 

 セドリックの厳しい指摘に、青年は「ああん?」と唸り返した。

 

「上等だろ。個性的が主な今の時代、無個性も立派な個性だぜ?」

「その言い分は結構だがな。ある程度の決まり事(テンプレート)に則るだけでは、結局何も為せんぞ?」

 

(……なにを言ってるんだろう、この人達)

 

 私は呆れながら二人のやりとりを眺めた。

 人の髪型一つでよくそんなに討論できるものだ。

 私が髪を結んでいるのは『動く際に楽だから』というだけの理由なので、そこまで拘りもない。この格好で結んでいようがいまいが、正直どちらでもいい。

 けれど、必要以上に饒舌に《後頭部の結い髪(ポニーテール)》について語るセドリックが珍しいのも事実。

 

(たまに楽しそうだよね、セドリックって)

 

 ここに来る前までの無表情っぷりとはうってかわって、さっきは不貞腐れ、今は不敵な笑みを浮かべながら青年と語り合っている。

 なんなんだろう、と思う。普段のセドリックと、今のように楽しげなセドリックはどのように違うのだろう。

 

(……やっぱり、普段は意識して抑えているのかな)

 

 なんと言うのだろうか――意識的に()()()()()()()()()()、とでも表現するのが正しいか。

 

 セドリックは、本当はあのように気さくな性格なのではないだろうか。

 

 それなのに普段の無愛想っぷりを考えると、やはり堅物のように()()()()()演じているだけなのではないか。

 あくまで私が感じた印象だけど、あながち間違ってもいないように思う。

 その理由はきっと――

 

「んじゃ……まあ、本人の好きにさせりゃいいか」

「無論、それが最善だ。女性の髪型に口を出すなど、そもそもデリカシーを欠いていたな」

 

 あ、終わったみたいだ。

 セドリックが私に軽く頭を下げた。

 

「すまなかった。髪型に関してはお前に任せる」

「はい――では、このままにします」

 

 セドリックがあそこまで結い髪を推していたのだ。ここで髪を解いたら――ほんの少しであっても――不満を買ってしまうかもしれない。

 そう判断しての事だったが、セドリックは特に表情を変えなかった。それに対して私の方が――もちろんほんの少しだが――不満を覚えた。

 それを隠すために咳払いをしてから、私は一番聞かなければならない質問をした。

 

「それで、この格好はなんですか」

「男というのは、女の前では幾らでも隙を見せるものだ」

 

 セドリックはうって変わって、真剣な顔で呟いた。

 

 

 

 

 その言葉の意味を理解したのは、《軍》の会計をしているプレイヤーが、セドリックと話しながらもチラチラと私に視線を送ってきたからだった。

 

(……なるほど、私を()()にしたのですか) 

 

 セドリックをちらりと見る。彼は椅子の背もたれにふてぶてしく寄り掛かりながら会計担当を睨み付けている。

 まあ、こういう役目でも構わない。女だからと侮られるのも慣れている。

 

「だから、鉄鉱石一つが1コルなど認められんとこちらは言っている」

 

 セドリックが横暴に感じる言動で詰め寄りながらトントンと指先で机を叩く。

 

「数が多くなればなるほど安くしろ、というのならわかる。数が二倍で値段も二倍、という法外な提示をしているならこちらに非があるが、そうではない。ビジネスの素人でもあるまいに」

「悪いが、こっちも上の命令でな。なるだけ安く仕入れろとのお達しだ」

「ならその()とやらに繋げ。セドリックと言えばわかる」

「セドリック――ね」

 

 名前を聞いて軍の会計はわざとらしく眉をひそめ、大袈裟に声をあげた。

 

「ふん……裏切り者の《黒騎士》か。なんだ、下層に来て女でも買いに来たのか?」

 

 続けて私に眼を向け、

 

「見たところレベルも低そうで、顔もそれなり――幾らでさせて貰えるんだ?」

 

 上からしたまで眺めると、下品な笑みと共にそう言った。

 そして、そこで合点がいった。先ほどセドリックが言っていた「ひどいもの」というのは、つまり()()()()()()なのだろう。数少ない女性プレイヤーが、金銭を稼ぐための手段としてそれを行っているのだろう。

 死ぬよりはマシ、という考え方なのだろうか。少なくとも、私はそんなことをするくらいなら死んだ方がマシと言うものだが。

 私が不愉快なそれに溜め息を吐くより先に、セドリックが椅子に座ったままテーブルの上にガッ、と音を立てて踵を乗せた。

 

「……俺を侮辱するか」

 

 セドリックの言葉から怒気が滲み出る。生真面目そうなきりっとした顔が苛立ちに歪み、眉間にシワが寄る。その様子を見ていると、その瞳が少しだけ私に向けられた。

 私は視線を受け、僅かに頷いて微笑んで見せる。大丈夫、気にしていません。

 セドリックはそれを見てから瞼を閉じ、瞬きとともに瞳を前に向けた。

 

「構わんがな。陰口も非難も慣れている。だが、口には気を付けた方がいい。俺の筋力値なら、お前をアインクラッドの()に放り投げることも容易いぞ?」

 

 《外》と表現したそれは、おそらく比喩でもなく単純な外側――つまり、空に浮かんでいるアインクラッドから投げ捨てると言うことなのだろう。

 アインクラッドの外周部はある程度の柵はあるけれど、進入禁止エリアではない。当然ながら、落ちれば命は無いだろう。

 

「放り投げるって、何を馬鹿な――」

「『そんなこと出来るわけがない』とでも思っているのか?」

 

 セドリックは言葉を続ける。それを聞いて、軍の会計のにやけ面が固まった。

 どうやらあの男は柵の仕様を知らないらしい。私は今度こそ溜め息を吐いた。セドリックもやれやれと言わんばかりに首を振る。

 どうやらちゃんと説明するつもりらしい。

 

「例え《圏内》に居たとしても、アインクラッドの外側は即死圏とでも言うべきエリアだ。《圏内》ではダメージは受けないが、()()()()なら話は別で簡単に死ぬ。それに、街によっては柵からはみ出れば《圏外》の場所もあるしな」

「そ、そんなハッタリ、信じるとでも?」

「見たことがある。《圏内》だから、とふざけて落ちて死んだ奴をな」

 

 セドリックは静かに告げた。

 

「あれは死の境界だ。ゲームとしての埒外だ。HPバーと同じ、この世界における明確な死の境目だ。忘れない方がいいぞ。()()()()()()()SAO(ここ)でも現実(あっち)でも、な」

 

 達観した物言いだ。私とそう変わらないであろう青年にしては、随分と。

 彼はやはり、亡くしたことがあるのだろう。親友を。近しい者を。

 でなければ、あんなに押し殺した表情はしまい。

 

「そんなところに放り出されたくなければ、俺にも彼女にも、不用意な発言は慎むことだ」

 

 さて、話の続きといこう、とセドリックは脚を机から降ろした。

 

 

 

 

 その後の交渉は淡々と進んだ。唐突に怒りを霧散させたセドリックを気味悪く思ったのか、それとも下手に刺激したら本当に殺されると思ったのか、軍の会計担当はすぐに終わらせたかったようだ。

 セドリックと青年の提案通り鉄鉱石一つ5コルで買い取ることを承諾し、「終わったんならさっさと帰ってくれ」と部屋を出ていった。

 いつもの騎士鎧に着替えた私がサークレットヘルムを整えている間、セドリックは青年に声を掛けた。

 

「では、これで失礼する」

「おう、サンキュな。これで飢えずに済むわ」

「構わんさ。また何かあれば声を掛けてくれ」

「おう。また《軍》が横暴を始めたら頼むわ」

 

 青年はおちゃらけて笑うと、続けて私の方を向いて、

 

「そっちの騎士さんも、付き合わせちまって悪かったな」

「いえ、構いません。勝手についてきたのは私ですから」

 

 青年は私の言葉に笑うと、ひらひらと手を振りながら去っていった。

 それを見送ると、私はセドリックに声を掛ける。

 

「これからどうします? 上に戻って狩りに出ますか?」

 

 それに対し、セドリックは少し黙った後、またもや申し訳なさそうな顔で口を開く。

 

「これは完全に私用なんだが、寄りたい所がある。上層に戻る前に行っても構わないだろうか」

「勿論です」 

 

 いくらパーティリーダーとはいえ、それを駄目だと言う権利は私には無い。

 ここまで来たら乗り掛かった船だ、と私もついていく。セドリックが「寄りたい所」と称した場所が何処なのかも気になるし。

 

「どの辺りですか?」

「すぐ近くだ」

 

 言葉通りに歩いて十分もしないうちに、セドリックは小さな教会の前で足を止めた。

 

「教会、ですか」

「ああ」

 

 小さく頷き、入口をノックする。

 顔を出したのは小さな少年だった。

 

「ん……あんたか」

「ああ。近くに寄ったのでな」

「待ってろ、いまサーシャ先生呼んでくる」

 

 少年が引っ込み、次に顔を出したのは眼鏡を掛けた女性だった。

 彼女はセドリックを確認し、表情を複雑なものに変えた。不安げな、申し訳なさそうなもの。

 

「お久し振りです、セドリックさん」

「ご無沙汰しています、サーシャ」

 

 セドリックも同じような表情を浮かべ、呟くように応える。

 ただ事では無さそうだ。興味本意でついてきてはまずかったか。ひとまず私は無言で気配を消そうと試みるが、サーシャと呼ばれた女性は当然隣に立っている私に気付く。

 あまりにも自分が場違いだと自覚している私は咄嗟に眼を逸らしてしまう。そんな私にサーシャは戸惑ったようだけれど、少し迷ったあとに私達を中に招いてソファをすすめた。私はセドリックの左隣に座る。大したものじゃないですけど、とサーシャは私達に紅茶を出した後、セドリックに声を掛けた。

 

「……セドリックさん、今日はどうして?」

「少し一層に来る機会がありまして。その――どうですか、様子は」

「……変わりません。狩りにも行ってくれますし、話もしますが――()()()()です」

「そうですか」

 

 ふー、とセドリックは長く息を吐き出す。落胆と安堵が入り混じったような、不安と期待が綯い交ぜになったような。不思議な吐息だった。

 

「どうされますか? その――会っていきますか?」

「……いえ、俺は会うべきではないでしょう。また変に刺激してしまうだけだ。ひとまず生きているのであれば、それだけでいい」

 

 (だれ)の話なのだろうか。気にはなるが、詮索するべきではないだろう。

 たぶん、聞けばセドリックは答えてくれる。けれどそれは間違いなく越えてはいけない一線だ。わかりやすい傷口を抉るなど、私はしたくない。

 私は黙って、二人のやり取りを聞いていた。

 

「あっ、ただ……気になることが一つあります」

「気になること?」

「その――ソーヤ君なのですが、最近どこかぼうっとしている事が多くて」

「――ぼんやりしている、ということですか」

「はい。一緒に狩りに出ている子供達も言っています。『ソーヤ兄ちゃん、なんか動きづらそうだ』って」

「動きづらい……?」

 

 セドリックは顎に手を当てて考え込む。

 

「それはいったい?」

「わかりません。本人に聞いてもなんともない、と答えますし。時には聞こえていないみたいに無視されることもあります。彼の場合は状態が状態なので、あまり追求もできなくて……」

「……そうですか」

「すみません……」

「ああ、いえ。今のあいつの事は、貴女達の方が知っている。俺がとやかく言うことはできません」

 

 それに、とセドリックは続けた。とても辛そうな表情(かお)で。

 

「俺はあいつから逃げ出した身です。本当なら、貴女達の位置には俺が居てやるべきだったのに」

「いえ、気にしないでください。私が望んでしていることですから。セドリックさんが頼まれていなくても、あの子を見捨てたりなんて絶対にしません」

「――ありがとう、ございます。すみません、本当に」

「……セドリック」

 

 私は思わず声を出した。

 はっとしたようにセドリックは私を見て、自嘲するように曖昧に笑ってから右手で顔を覆い、肩を震わせながら息を吐き出した。

 深呼吸のような長い呼吸が多い。緊張しているのだろう。それはきっと、話に出てくる《彼》がここに居るからなのだろう。

 こんな時、手を握ってあげるべきなのだろうか。励ましてあげるべきなのだろうか。

 そんなことをする資格が、私にあるだろうか。

 私はまだ知り合ってから三日目だ。踏み込むべきではない。でも、これ以上放っておきたくなかった。

 

「その辺りで良いでしょう。あまり長居をしては迷惑です」

 

 強引にでも話をやめさせる。私はソファから立ち上がると、セドリックに向けて手を差し伸べる。

 

「あ……ああ、そうだな」

 

 セドリックは私の言葉を聞き、私の手をしばらく見つめた後、手を取らずに自分で立ち上がる。

 私は行き場の無くなった手を握り、小さく溜め息を吐く。こういう細かい所で頼ろうとしない。なんとなく、この人がどうして()()()()()()()がわかった気がする。

 

「すみませんでした、サーシャ。ああ、それと――」

 

 セドリックは謝罪と同時にメニューを開き、コルが詰まった袋を実体化させて机に置いた。

 

「あ、あの、セドリックさん!? とてもありがたいのですが、こんなには――」

「しかし、こちらも親友を保護してもらっている身です。何もせずに居るわけには――」

 

 善意の押し付け合いを始めた二人を止めるべきか、と私が戸惑っていると、何人かの子供達がこちらに近付いてきたことに気付いた。

 先頭に立っている少年は、先程出迎えてくれた気の強そうな子だ。

 

「なあ、あんた」

 

 セドリックに声をかける。革袋片手に振り返った彼に対し、腰に提げている剣の柄を叩きながら言った。

 

「金はいらねぇ」

「……なに?」 

革袋(それ)は引っ込めてろ。施しなんかいらねぇんだよ。金は自分で稼ぐ。ガキだからって舐めんじゃねぇ」

 

 セドリックは少年から眼を逸らさないまま、ウインドウを開いて革袋を放り込んだ。それを見届けてから、少年はもう一度セドリックに向き直る。

 

「その代わり、オレ等に稽古をつけてくれ」

 

 それを聞いて彼は腕を組みながら聞き返す。

  

「――稽古とは? 金策のために狩りを行うにしても、一層のモンスターに遅れをとるわけでもあるまい」

()()()()()()()、な」

「「えっ?」」

 

 その言葉を聞いて、私とサーシャは――おそらく意味合いが違うだろうが――声をあげた。セドリックは眼を細めた。

 

「……なるほどな。確かに、腕と相手さえ見誤らなければ稼ぎは良い」

「ちょ、ちょっとギン!? 何言ってるの!?」

「まったくです。そんな装備で何ができると言うのですか」

 

 革のチェストガードとロングソード。初期装備と言ってもいいそれ。

 それを示しながらの私の言葉に、ギンと呼ばれた少年はむっとした表情を返してくる。

 

「でも、このままじゃ《軍》の奴等に全部持ってかれちまう! みんなの食いもんだって買えなくなるんだよ!」

「だから《軍》のプレイヤーと戦う、と?」

 

 私の問いかけに、ギンは強く頷いた。サーシャは驚きで口許を覆う。私はちらりとセドリックを見る。彼はやれやれと首を振り、

  

()()()。ピンからキリとはいえ、相手は巨大ギルドだ。それなりの水準の装備だって全員に支給されている。勝つにはこちらも装備が必要だし――」

 

 そもそも、と続け、

 

徴税(カツアゲ)をするような誇りの無い連中だ。剣技で打ち負かしても大勢で報復に来るだけだろう」

「それは――そうだろうけど」

 

 そう言い淀む少年に対し、セドリックは肩を叩いてにやりと笑う。

 

「だから、狩り場を変えろ。武器を新調し、狩るモンスターを変えれば、ドロップするコルも素材の価値も変わる。少なくとも、教会(ここ)で20人程の食料を賄うくらいなら出来るだろうさ」

「変える、つっても――わかんねぇんだよ。《軍》が全部おさえてて、情報とか全然入ってこねぇんだ」

 

 《軍》は随分と手広くやっているらしい。うつむいて悔しそうに言った少年に対し、《黒騎士》と呼ばれた青年は膝をついて視線を合わせる。

 

「俺が教えてやる。狩り場も、戦い方(けん)も」

「……本当、か?」

「ああ。幸いまだ昼だ。今から教える時間はあるだろう。お前の気概に嘘が無いのならついてこい」

 

 そう言いきって立ち上がり、ギンと共に来ていた数人の少年たちにも声を掛けた。

 

「お前たちも来るなら来い。少し遠くまで行くことになるが、一層なら問題ない程度にはレベルがあるだろう?」

 

 そうして少年たちを鼓舞したセドリックは、次にサーシャを見た。

 

「良いですか、サーシャ。安全は俺が保証します」

「――わかりました。子供達をお願いします、セドリックさん」

「承知しました」

 

 そうして頷いたセドリックは、最後に私を見た。パーティメンバーとして勝手なことばかりしていると自覚しているのか、少し申し訳なさそうな表情だ。

 その視線を受けて私は頷き、

 

「私に遠慮せず、お好きなようにどうぞ。それは()()()()だと思います」 

「――ああ、そうかもしれないな。今日は振り回してしまってすまない」

「構いませんよ。どうせ予定なんてありませんでしたし」

 

 笑って返した私の言葉にセドリックも苦笑して頷き、子供達を連れて教会を出ていった。

 私はそれを見送ってから、改めてサーシャに向き直った。

 

「――自己紹介が遅れて申し訳ありません。私は《血盟騎士団》の《シルビア》です。セドリックとパーティを組んでいます」

「攻略組の……っ! は、はい、どうもご丁寧に……私は《サーシャ》です」

 

 お互いに頭を下げる。

 

「挨拶もせずに上がり込んで、すみませんでした。ただならぬ雰囲気でしたので、口を出すべきではないと感じまして」

「いえ……少し込み入った事情があるんです。気を使っていただいてすみません」

 

 その()()とやらは、やはりセドリックに関係する事だろう。私は聞きたくなるのを抑えて、それに関わらないよう、無難に言葉を続ける。

 

「セドリックとは、いつ知り合ったのですか?」

「数ヵ月ほど前でした。子供達が《軍》の徴税部隊に襲われているところを助けていただいたんです」

「なるほど……あの噂は本当だったのですね」

 

 先程の鉱夫の青年が言っていたことを思い出す。

 

「昔からセドリックはあの様な生き方だったのですね」

「はい――あ、でも。前に会ったときに比べて、少し変わったように感じました」

「変わった……?」

「はい。少し、雰囲気が柔らかくなったように思います。子供達にも笑いかけていましたし」

「以前は違った、と?」

 

 私の疑問に、はい、とサーシャは頷いた。

 

「以前のセドリックさんはとても……とても、辛そうでした。見ているこちらが苦しくなるほどに」

「なるほど……なんとなく、想像ができます」

 

 間違いなく、セドリックは抱え込んでいるものがある。けれど、それを話そうとはしないだろう。

 

――(こちら)から聞きでもしない限りは。

 

 ぐっ、と拳を膝の上で握り締める。

 

(なら……それが出来るほどに。それを聞き出すに足るよう、彼の信を得なければいけない)

 

 彼が、私を頼ってくれるように。

 私の手を、しっかりと取ってくれるように。

 

(セドリック……)

  

 私はきっと、彼を放っておけない。

 何故なら私は、彼を見て《騎士》を目指したのだから。

 彼を見たから、私はこのデスゲームの中で戦う事を誓えたのだから。

 

(私は――貴方を救いたい)

 

 彼が自分を責めているのだとしたら、それを助けてあげたい。

 私になら助けられる、などと傲ることはできないけれど。

 せめて、少しでも赦しを与えてあげられれば。




そういえば二人の見た目をほとんど描写していなかった事に気付きました。

 セドリックはくすんだ金の短髪で、前髪は上げていて軽めのオールバックになっています。ガッチガチに固めてない緩い感じのオールバックです。
 自己評価は低いですが、顔は男らしくきりっとしていて悪くはありません。ただ「すんごい真面目そう」とクラスメイトの女子から敬遠されがちなので、頼られるけれど恋愛感情は持たれないタイプ。男子からは結構好かれて信頼される。不良達も案外フレンドリー。
 クラスに一人は絶対こういう生真面目な男子いるよね、と表現できるタイプ。

 シルビアは腰に届くほどの黒髪をポニーテールに纏めています。染色アイテムで綺麗な金髪に染めてみたいと思ったこともありますが、似合わないだろうなと諦めています。
 顔立ちは美人だけど長い髪と丁寧な口調で暗く見られがち。本人もそれを気にしてはいるけれど、決してネガティブではないので「まあどうにでもなるか」と適当に自分のイメージを受け止めている。
 でもクラスの男子の中で三、四人は「あの子良いなぁ」と思っている奴が居る。隠れてモテるタイプ。


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15話

投稿遅れてすみません。就活してました。リクルートスーツでふらふらしてる男がいたらたぶんそれは私です。


 しばらくして教会に戻ると、シルビアはサーシャを含めた少女達と、茶を飲みつつ笑顔で話を交わしていた。どうやらかなり打ち解けたようだ。

 俺達が教会に戻ってきたことに気付くと、シルビアは立ち上がってこちらを迎えてくれた。

 

「おかえりなさい、セドリック。お疲れ様でした」

 

 シルビアはそう言って微笑む。俺はその笑顔を見て少しむず痒くなり、

 

「ああ」

 

 とだけ答えて頷く。サーシャは俺の後ろに続く子供達の所へ行くと、全員が無事であることを確認してほっと息を吐いた。

 

「全員無事です。心配なさらず」

「はい……ありがとうございます、セドリックさん」

「成果の程はいかがでしたか?」

 

 シルビアの聞いてきた質問に対し、俺はニッと笑って子供達を見た。

 彼等は全員、腰に装備している《アニールブレード》を引き抜き、自慢するように見せびらかす。

 シルビアもこの剣には覚えがあるようで、感心したように声をあげた。

 

「《アニールブレード》……確か、実付きネペントのクエスト報酬ですよね。この短い時間に、よく人数分揃いましたね」

「ああ。どうやら俺は、《森の秘薬(あれ)》に関してはクエスト運が良いらしい」

「懐かしい……私も話を聞いて手に入れました。流石に、もう残ってはいませんけど」

 

 俺はまだストレージに残しているが、それを言えば残している理由も話すことになるだろう。人が聞いて気持ちの良い話ではないし、黙っておくことにする。

 

「では、教えた通りにやれ。その武器とレベルがあれば遊んでも狩れる。贅沢をしなければ充分暮らしていける筈だ」

「ああ! ありがとな、セドリック!」

 

 そう答えたあと、ギンは声を忍ばせて、

 

「ソーヤも、俺達がしっかり守るからな」

 

 そう続けた。俺が驚いてなにも言えずにいると、ギンは俺の背中を叩いた。

 

「ソーヤはさ。オレ達のために戦ってくれてたんだ。『大変そうにしてるサーシャ先生と、お前達のために戦わなきゃ』って言ってさ。アイツだってあんなに辛そうなのに」

 

 俺はそれを聞いて息を呑んだ。あいつが槍を握っていた理由はそれだったのか。

 

「だからソーヤは、戦っていたのか」

「ああ。でも、最近のソーヤは心配なんだ。狩りの途中もぼうっとして、たまにくらっちまう。だから、今度はオレ達がソーヤのために戦う」

 

 ソーヤは、しっかりと生きていた。明確な目的をもって、このゲームの中で戦っていた。

 俺が、自棄になって剣を振っていた時も。

 

「ソーヤ、お前は……」

 

 強い。強い人間だ。

 (レイ)を失っても、辛くとも、もう一度立ち直ろうと戦っていた。

 お前は、立派で強い人間だ。

 俺はお前のようにはなれなかった。

 やみくもに動いていただけだ。忘れようとして。気にしないようにして。

 ソーヤの事さえ思い出さないよう、逃げていたのに。

 

 そう、歯噛みをしていた俺に。

 

「だからさ、セドリック。さっさとこのゲーム、クリアしてくれよ」

 

 ギンは、そう告げた。

 

「なに……?」

 

 当たり前だろ、と言わんばかりに腕を組んで。

 

「アンタ等攻略組がクリアしないでどうすんだよ。オレ達が今から最前線になんて行けねぇんだから」

 

 そう、なんの奸計も無く。なんの謗りも無く。

 ただ単純に、「お前がやれ」と言ってくる。

 ああ、なんだろうか。無性におかしかった。

 

「ははっ――そうだな。さっさと終わらせて、帰らなければな」

 

 笑いながら言った俺の言葉に、「とーぜん!」とギンも笑って応えた。

 

 

 

 

「今日はすまなかったな」

「良いと言いました」

 

 《グランザム》へ戻ってからの俺の言葉に、シルビアはすましたように目を閉じたまま答えた。

 

「久しぶりに色々な人と話しました。《軍》のプレイヤーは好きになれませんでしたが、あの鉱夫の青年は好感が持てました。サーシャとは良い友人になれましたし、子供達のなかにも、私と話してくれる子が多く居ました。今日は――本当、久しぶりに楽しかったです」

 

 そう、呟くように言って微笑む。そしてそれを再確認するように頷き、

 

「うん、楽しかったですよ、セドリック。貴方のエスコート、悪くありませんでした」

「――そうか。それはよかった」

 

 そう安堵した俺に対し、シルビアはまっすぐにこちらを見て、

  

「貴方は?」

 

 と聞いてきた。

 

「なに?」

「貴方はどうでしたか、セドリック」

 

 俺は、だと?

 

「俺は――」

 

 なんとなく、今日を思い返すと笑いが込み上げてくる。自嘲でも皮肉でもない、純粋なものが。そのことに、自分で驚いた。

 

「――楽しかった、んだと思う」

 

 ギン達に剣を教えるのは楽しかった。無邪気だったのだ、あいつらは。打算など無かった。「助けてほしいから助けろ」と素直に要求してきた。「帰りたいから、さっさとゲームをクリアしてくれ」という、至極当たり前の要求をぶつけてきた。

 頼られているのだと感じた。

 

 それが、素直に嬉しかった。

 

「ああ――楽しかった」

 

 それを聞いて、シルビアは嬉しそうに笑った。俺は「どうしてお前がそんなに嬉しそうなのか」と聞こうかと思ったが、野暮な気がして黙っていた。

 たぶん、俺を心配してくれているだろう。教会でサーシャとの話を聞かれているのだ。気を使われてもおかしくない。

 

「よかったですね」

「ああ。よかったよ」

 

 まあ、素直に乗っておくとしよう。俺は笑って答えた。

 シルビアは少しだけ驚いたように息を呑んだが、やはり笑って頷いてくれた。

 

「では、今日はこれで解散か」

「ですね。どうします? よければ一緒に食事でも」

「そうだな。だが、俺は店は知らな――」

 

 ピコン、という通知音。俺とシルビアは同時に視線を動かして通知を見る。

 『血盟騎士団』のギルドメッセージ。

 

「これは――」

「――とうとう、ですね」

 

 俺とシルビアは、互いに緊張するのを感じながらつぶやいた。

 

 

 

 

 翌朝。眼を覚ました俺は、起き上がって大きく伸びをすると、ベッドに腰かけたままメニューを開いて操作する。

 六畳間程の鉄作りの自分の部屋のなかで、唯一ベッドだけに柔らかなクッションが敷かれている。テーブルとイスもあるのだがやはりそれも鉄で、座っているとケツが痛くなりそうなので使ったことはない。たぶん痛くはならないだろうが、気分の問題だ。

 ベッドから立ちあがり、装備を点検する。防具と盾、剣が万全であることを確認して装備する。腰のベルトに、投げナイフを実体化させて収納する。

 この白地に赤で装飾された鎧の派手な色彩も、もう慣れた。盾には大きく血盟騎士団の紋章が描かれている。その盾を背負い、片手半剣を左腰に。アーメットヘルムを脇に抱えて部屋を出る。

 廊下に出ると、シルビアが扉の横で壁に背を預けながら立っていた。俺が出てきたのを確認すると、壁から背を離して向き直る。

 彼女もまた、引き締まった表情で完全に武装している。腰に提げられた細身の剣も、しっかりとメンテがされていることだろう。

 言葉もなく頷き合い、ギルド本部の前庭に向かった。既に血盟騎士団のメンバーが集まり、皆が完全武装で、緊張感に包まれている。シルビアも左手で右手を撫でるような仕草を繰り返し行っていて、落ち着かない様子なのが伝わってくる。

 当然だ。なぜなら――

 

「諸君。揃っているだろうか」

 

 そう、ヒースクリフがアスナを伴って本部から登場した。

 ()()という表現が相応しい姿だった。その堂々とした姿に全員の視線が向けられ、自然と俺も背筋を伸ばす。ヒースクリフにはそうさせる何かがある。

 アスナが一歩進み出て、全員を見渡しながら話し出す。

 

「昨晩は会議に出席いただき、ありがとうございました。通達したように、本日はフロアボス攻略戦に向かいます。ですが、今回のボス戦、血盟騎士団から出せるパーティは1つだけとなりました」

「一つだと?」

 

 思わず声をあげてしまい、注目を集めてしまった。シルビアが諌めるように俺の腕をひくが、反省するよりも先にアスナが俺の方を向いて応えた。

 

「はい。今回のボス部屋の発見と偵察で得た情報は、《聖竜連合》の活躍があってのものです。ですから――」

「《血盟騎士団》は控えてもらおう、という腹か」

 

 アスナは頷いた。俺は歯噛みをする思いだった。

 《聖竜連合》は《血盟騎士団》に対抗している雰囲気がある。自分達の力を示そうと、手柄を主張してきたのだろう。

 お前達のそういうところが嫌なんだ。リンドの騎士としての矜持は――ディアベルの後継たろうとしていた信念は、既に無いのかもしれない。

 

「もちろん、失敗すれば従来通りに血盟騎士団から2パーティ出すことに合意してもらいました。ですが――」

「『失敗』をしたくはありませんね。少なからず死人が出る危険がありますから」

 

 シルビアがアスナの言葉を引き継いだ。

 

「そういうことです。1パーティのメンバーはこちらで選びますので、速やかに編成に加わってください」

 

 アスナは言うや否や、メンバーの名前を呼び上げた。

 

「ではこれより、59層フロアボス攻略戦に向います」

 

 

 

 

 SAOのパーティ上限は六人。 

 当然と言うべきか、メンバーのうち二人はヒースクリフとアスナだ。団長と副団長。まあ決まっているようなものだ。

 次に俺とシルビア、最後に両手剣(グレートソード)のライアと両手鎚(グレートメイス)のレイドという筋力ビルドの二人組だった。

 この脳筋の二人、なんと俺の知り合いだった。迷宮区をボス部屋まで歩きながら、知り合った時の状況をシルビアに話している。

 

「一層のネペント、ですか??」

「ああ。《実付き》の実を割っちまって、やばかったところをコイツに助けられたんだ」

 

 そうシルビアに答えながら、ライアが俺の背を叩く。

 

「いやぁ、あれはマジで死ぬかと思った。あん時はサンキュな」

「気にするな。やるべきことをやっただけだ」

「……セドリックは昔から()()だったんですね。ライアとレイド、でしたっけ? 運が良かったというほかありませんね」

「いやほんとそれな」

 

 シルビアは安堵したように息を吐き、ライアはしみじみと頷いた。

 俺はそこで、シルビアの言葉に違和感を覚えた。

 

「シルビア。お前、血盟騎士団に居るのに、この二人とは初対面なのか?」

「ああ、はい。実は私、まだ血盟騎士団に所属して長くないんですよね」

「あんなに先輩風を吹かせていたのにか?」

「もちろん。短い期間でも、先輩は先輩ですから」

 

 俺の皮肉に、シルビアはにこりと笑って答える。まったくその通りだ、と俺も笑った。

 

「確か――シルビアが来たのってどんくらい前だっけか?」

「さあ? 気が付いたら居たよな。とりあえず、オレが初めて見たのは一ヶ月くらい前かね」

 

 所属してからたったそれだけの期間だというのに、ボス攻略のメンバーに選ばれ、それに対してギルドのメンバーからの不満は無かった。

 アスナと同等の実力者と言うのは、周知のことらしい。そうして女騎士にほれぼれしながら、俺はもう1つ尋ねた。

 

「どうしてシルビアは血盟騎士団に?」

「貴方と同じです。団長に声をかけられました」

「基本的に、いま居るメンバーはみんな団長さん直々のご指名だと思うぜ」

「そうなのか」

「ああ。見込みのある強そうな剣士を口説いて連れ込むのさ。団長さん、かなりのナンパ師だぜ?」

 

 レイドはにやけ面と共にそう言った。

 俺は苦笑しながらちらりと視線をやるが、ヒースクリフは――こちらの会話は聞こえているだろうに――我関せずと言った風に歩みを止めず、こちらを見ようともしない。

 それを同じように見ているシルビアに、俺は重ねて訪ねた。

 

「シルビア。お前はそれほどまでの実力を、どうやって身につけた?」

 

 彼女は少し悩むように唸り、歩きながら俺の隣に並び、話し始める。

 

「私は……()()()()()()()から、攻略組になれるよう、騎士として戦ってきました。女という理由からか、パーティに誘われることはよくありましたので、利用させてもらって着々と経験を積んできました」

 

 利用、とは大した発言だ。苦笑した俺の後ろで、脳筋二人はゲラゲラと笑う。

 

「まあ当然下心はあったようですし、実際に迫られたこともありますが……その頃には私の方が速かったので、事なきを得ました」

「剣で打ち負かした、ってことか?」

「いえ、走って逃げました」

 

 なるほど。納得して頷いていると、シルビアは口ごもるように続けた。

 

「その……今のでわかると思いますが、私は決して自慢できるようなプレイをしてきていません。ですが、目的がある以上、一刻も早く前線に上がりたかったんです」

(……目的?)

 

 俺が疑問を口に出す前に、ライアが気まずそうに告白するシルビアをフォローする。

 

「なーに、手伝ったからって()()()()()要求してくる奴なんざ、そのくらいでいいんだよ。いい気味だ」

「むしろ良くやったと言いたいね」

 

 ライアとレイドはやんやと喝采する。実際それに関しては俺も同じ気持ちだった。むしろ、シルビアに対して()()を迫ったというそのプレイヤーに殺意すら覚えている。

 それを顔に出さないように堪えていると、シルビアは咳ばらいをしてから続けた。

 

「まあ、その。そうやっていく中でパーティを組むのが嫌になりまして。ですから、しばらくソロで迷宮に潜って戦っていました。フロアボス攻略戦に参加できるようになったのはつい最近ですが、それまでじっくりじっくりとレベル上げをして、着実に剣の腕を上げていたんです」

「お前のあの剣は、そうやって磨き上げられたのか」

「まあ、そうなります。一人だと危険はありましたが、その分しっかりと敵と打ち合うことができますから」

 

 様々な剣術を試すことができる、ということか。そう引き継いだ俺にシルビアは笑顔で頷き、ライアは感嘆の声をあげた。

 

「なるほどなぁ。オレもそんな風に自分を鍛えにゃならんな」

「じゃあ今度お前が襲われてもほっとくとするか」

「じゃあオレもお前が襲われても助けねえからな」

「死にそうになったら助けてくれよ?」

「それじゃ鍛錬にならんだろ」

「んだと? 見捨てる気か!?」

「見捨てるも何も、お前ボコられたって大してHP減らねえだろ。この脳筋のガチタンが」

「ビルドはほとんど同じだろうが、この蛮族」

 

 口喧嘩のようなものをしながら、仲良さげに犬歯をむき出しにする二人。それを見てシルビアと二人で笑っていると、前方にモンスターがポップする光が見えた。

 俺が剣を抜くよりも先に、抜刀の音と俺達を追い越す影。

 

「よっとぅ!」

「そいやぁ!」

 

 俺達の両端を駆け抜けたライアの両手剣とレイドの両手鎚が、ポップした狼男を先制攻撃した。

 

「速い……!」

 

 単純な速度ではなく、()()()()()。一瞬前までふざけていたのに、モンスターが出ると分かった途端に行動に出ていた。熟練の戦士でなければ、ああも見事に対応できないだろう。

 ライアは大剣を振り下ろして一体を両断して撃破し、レイドは大鎚で薙ぎ払って二体を吹き飛ばす。その薙ぎ払いはしっかりと頭部を捉えており、吹き飛んで眩暈状態(スタン)となった狼男に、同時に大威力のソードスキルを叩き込む。速攻と言う以外無い。

 撃破され、霧散するポリゴンの粒子を浴びながら二人はゆっくりと立ち上がり、左右に別れて武器を地面に突き刺し、恭しく頭を垂れる。

 

「見事だ」

「お見事です」

「「光栄の極みでありますれば」」

 

 その間を、ヒースクリフとアスナは労いながら当然のように歩いていく。そういえば、ヒースクリフとアスナは動く素振りも――剣を抜く素振りすらも――見せなかった。ライアとレイドの実力は二人にもよく理解されているようだ。

 その戦い方は洗練されていたが、確かに見たことのある連携だった。

 そこで、気になることがあった。

 

「気になっていたんだが、レイド。お前、昔は斧を使ってなかったか?」

「ん、武器のことか?」

 

 俺の質問にレイドは背負っている両手鎚の柄を示す。

 

「ああ。一層で見たときは、両手剣と両手斧の二人組だったと記憶しているが」 

「確かに昔は両手斧(アックス)使ってたんだが、エギル居るだろ。アイツと組んでから武器被るのが嫌だったんで両手鎚(メイス)にした」

「貴方たち、エギルのパーティに居たのですか?」

「おうよ。脳筋として気が合ったんでな」

「なるほど……まあ、そんな感じはしますね」

 

 シルビアも《エギル》の事は知っているようだ。攻略組として名高い斧戦士だが、いつからか商業用カーペットを手に入れて商人としても成功しつつある巌のような男。

 ライアとレイドは昔、そんなエギルのパーティ――誰が呼んでいたか、アニキ軍団――の一員だった。

 確かに、背も高く見た目もガッチリとして、陽気なやつらだ。シルビアの言う通り、エギルと気が合っただろう。

 

「着いたぞ。皆、気を引き締めたまえ」

 

 そこで聞こえてきたヒースクリフの一声。俺達は一瞬で気持ちを切り替える。シルビアとアスナはおろか、あんなに騒いでいたライアとレイドさえも、静かに闘志を滾らせている。

 眼前に見えるは巨大な扉。その前に集まっている多くのプレイヤーが、《血盟騎士団》の到着にざわつく。

 それに欠片も動じることはなく、俺達は悠然と歩みを止めない。絶対強者であるヒースクリフの後ろに控える者として、俺達に無様は許されない。

 

『あいつ……《黒騎士》だ。今度は血盟騎士団かよ』

『ああ。軍に聖竜連合に、ずいぶん節操なしだな』

『黒騎士……? 白じゃねぇのか?』

『昔は黒い鎧だったんだよ、あいつ』

『裏切り者の無名騎士。仲間に追放された放浪騎士。色々噂はあるけど、あんまり良い話は聞かないな』

 

 そのような謗りは聞き飽きた。そんなことは言われずとも俺が一番よくわかっている。

 俺達は扉の前に到着すると、思い思いの待機姿勢をとった。ヒースクリフは自然体、アスナは腰に手をあてて瞳を閉じ、シルビアは手を後ろで組んで息を吐き、俺は剣を両手で地面に突き立て、ライアは同じく突き立てた大剣の柄を抱くように寄りかかり、レイドは大槌を背負ったまま腕を組んで首を鳴らす。

 その光景に、集まったプレイヤーは目を惹かれる。間違いなく、俺達はこの中で最強のパーティだ。注目を集めるのは当然だ。半分を占める聖竜連合のプレイヤーでさえ、一言も発することが出来ない。

 しばしの時間、静寂が流れた。俺は周囲を見渡す。見覚えのある顔はたくさんあるが、どれも俺に対して好意的なものは無い――

 

(……ああ)

 

 しかし、嫌悪でないものもあった。キリトだ。奴は仰々しく表れた俺達に対して驚いてこそいるが、吞まれてはいない。そして俺と目が合うと、不敵に、そして皮肉っぽく笑う。

 随分と久しぶりな気がする。いや、実際、フロアボス攻略戦であの《黒の剣士》とは何度も居合わせているが、顔を合わせるのは久しぶりだ。

 何度も共闘したことがあるあいつとは、どこか通じるものがある。同じ《黒》呼ばわりされていることもあって謎の親近感もあり、互いに気安く話せる仲でもある。俺は同じような笑みをキリトに返し、時間まで目を閉じて集中する。

 

「――時間だ」

 

 そして、その時がきた。俺はアーメットを被り、剣を地面から引き抜いた。

 

 

 

 

 扉が開く。

 一気にボス部屋になだれ込み、剣と盾を構える。しんとした静けさ。真っ暗な部屋。右隣にいるシルビアがちらりとこちらに()()()()()眼を向けてくる。索敵スキルの一種だ。

 俺はそれを受けて頷き、シルビアを庇うように前で盾を構える。あのように文字通り眼を光らせ、周囲の警戒にあたっている。索敵を抜けてくるボスではないはずだが、可能性を捨てきれないため、念の為に不意打ちを警戒する。シルビアの両隣に、盾になるようにライアとレイドが武器を構えた。

 静寂。あまり時間は経っていないはずだが、それでも長く感じる。今までのボス戦ではどうだったろうか。扉をくぐって何分後に、どのようにボスが登場しただろうか。駄目だ、思い出せん。緊張で剣が滑り落ちそうだ。いつ出てくる。どこから出てくる。まだ出てこないのか? 俺は張りつめた呼吸を緩め、僅かに息を吸った。

 

――――ウオオオォォォォォン――――

 

 遠吠え。俺はガチンと歯を鳴らし、瞬時に意識を切り替える。

 

「前です!」

 

 シルビアが叫んだ。その言葉を聞いて俺達は一点に視線を向ける。

 周囲の明かりが順に点灯していき、その影を映し出す。

 

 部屋が完全に明るくなると、全容が明らかになる。

 

 それは、巨大な狼男。迷宮区のモンスターが狼男であることから予想はついていたが、やはりザコの親玉がボスだった。高台から俺達を睥睨していたそいつは、両手にそれぞれ何かを掴むと跳躍した。

 ガァァン、と重厚な音を立てながら着地し、

 

「オオオオォォォォォ――――!」

 

 地面を揺るがすほどの咆哮。遠吠えとは違い、純粋な闘志をむき出しにしたような、激しい叫び。

 

「こいつか……!」

 

 《The Greatwolf》――――偉大なる狼、とでも訳すのだろうか。聖竜連合の情報通りだ。これまでのボスに比べればシンプルな名前であるが、それゆえに普通の《狼》であることが気になっていた。

 これまでの迷宮区で戦った人型の狼男と、見た目はそっくりだ。だが、ずんぐりと前傾した姿勢に、ザコとは比べ物にならない太さの腕。鉄板のごとく巨大な大剣を右手だけで軽々と携え、左手にこれまた巨大な金属の盾。これほどまでに武装した人型のこいつを表すなら《werewolf(ウェアウルフ)》の方が的確だろうに。

 

(……いや、余計なことは考えるな。戦闘に集中!)

 

 素早く周囲を見渡す。取り巻きのモブが三体ポップ。これも情報通りだ。

 

「グルルル――――」

 

 奴がゆらりと身体を動かす。ぐっと腰を落とし、跳躍した。

 

「来るぞ迎撃ぃ!」

「おうよ!」

 

 真っ先に動いたのはライアとレイド。凄まじい高さで飛び上がり、縦に回転しながら迫った狼の大剣に向け、同時にソードスキルを打ち込んだ。筋力全振りに近い二人の、威力重視の単発技。その二つによる迎撃を受けた狼の剣は、

 

「ぐぉっ!?」

「あぁっ!?」

 

 ()()()()()()()()()()、二人を跳ね飛ばした。飛ばされた二人は床を転がっていき、HPが3割ほど減少する。

 俺は驚愕し、思わず叫んだ。

 

「馬鹿なっ! あれで相殺できないのか!?」

 

 レイドが立ち上がるよりも先に、まず答えた。

 

「悪い、()()()!」

 

 ずれた。その一言でほぼ全員が理解した。武器を正面から合わせることが出来ず、衝撃を殺せなかったのだ。しかし、熟練の戦士である二人が受け損なうなど、誰が予想しただろうか。

 その疑問の答えを、シルビアが持っていた。

 

「あの剣技……《軽業》に似ています! 慣れていないと読みづらい!」

 

 それを聞いて、俺は先日打ち合ったシルビアの剣技を思い出した。縦横無尽に身を翻しながらの斬撃。確かに、先ほどの狼の剣はシルビアに似ていた。

 《軽業》スキル自体は攻撃スキルではないが、壁を走ったり宙で反転したり、曲芸染みた動きを可能にする。それを剣技に落とし込むと、使用者が少ないこともあり、無類の強さを発揮する。

 それを、ただでさえ厄介なフロアボスが使用する。その脅威は、ほぼ全員が理解できただろう。

 ――しかも。

 

「しかも、私なんかとは比べ物にならない威力です! まともに受けたらまずい!」

 

 跳躍と同時に回転し、全体重を乗せて叩きつけるような剣技。シルビアはスピード型の剣士で、身体も軽いからまだしも、あの狼の体躯で繰り出されるそれは計り知れない威力だろう。

 そんな危惧を感じ取り、アスナが叫んだ。

 

「剣を真っ向から受けないで! 回避を!」

「了解した!」

 

 こうなると、これまでのボス攻略の基本であった『タンクが攻撃を受け止めて別の隊が攻撃』という戦法は難しい。読みやすい大振りを多用するボスなら有効ではあるが、あれには普通のタンクは歯が立たない。パワー型と見てタンクで固めてきた聖竜連合のメンバーにはかなり厳しいはずだ。

 しかも聖竜連合のメンバーは、純粋な個人の戦闘技術は低い。集団としてはかなりのものではあるが、あの狼を相手するには厳しいだろう。

 

「どうなってんだ! 偵察したんじゃないのかよ!」

「したよ! したけど、まさかあんなんだとは思わないじゃないか!」

「血盟騎士団の剣士が二人がかりで弾かれるって……無茶だろ!」

 

 現に、士気が下がっている。当然だ。ライア達以上に実力のある筋力ビルドはおそらくいない。彼らではあの狼の剣技の速度についていくことが出来ず、受け止めることもできない。《軽業》を応用した剣技は乱雑にも見える挙動により隙がわかりづらく、あったとしてもその隙は僅かなものだ。生半可なソードスキルは当てることすらできないだろう。

 全力の剣術勝負に不慣れな者は、心を折られるのもやむなしだ。

 

「セドリック! 私達でタゲを取らなければ、皆死にます!」

「了解だ! みんな! あれと戦うのが無理だと感じたら、取り巻きを担当しろ!」

 

 しかし、俺の言葉を聞く前に、役に立たないと自覚した半分以上のメンバーが光に包まれて離脱、またはフロアボス部屋の扉から逃走した。

 残ったメンバーを見て、俺は愕然とした。

 

(13人……っ!?)

 

 聖竜連合のリンドが率いる1パーティ、俺達血盟騎士団の1パーティ。これで12人。残りの1人はキリトだ。ソロ同士でパーティを組んでいただろうに、他の全員が逃げ出したか。それでも残って油断無く周囲に目を走らせているのは見事と言うべきか。

 俺は舌打ちをしながらもう一度叫ぶ。

 

「リンド! 取り巻きを頼む! ボスは血盟騎士団(おれたち)で抑える!」

 

 リンドが頷いたかどうかも確認せずにそれだけ伝え、ボスに向き直ろうとし――そこでキリトと眼が合った。

 

「よう」

 

 一息で距離を詰め、キリトは俺に声をかける。

 

「なあ、騎士殿。撤退する気は?」

「俺に聞くな。俺に決定権はない」

 

 そう剣を振り払いながら応えた俺に、キリトは呆れたような笑みを浮かべた。事実、他のメンバーが退くかどうかわからない。キリトは笑みを好戦的なものに変え、

 

「じゃあ、やるか?」

「当然だ」

 

 俺もニヤリと笑い返す。だからこいつとは気が合うんだ。戦うことが何よりの生き甲斐。俺もキリトも、おそらくそういう人間だ。

 俺達は同時に、今も暴れている狼に向けて疾走する。

 すでにヒースクリフが狼と真っ向から対峙していた。驚くことに、あの剛剣を一人でしのいでいる。

 巨大な剣がヒースクリフの盾に向けて振るわれる。ヒースクリフは体を捌き、その盾の角度を()()()()()()()()()()()()

 

「相変わらず、計り知れん……っ!」

 

 改めて、その技量に感服した。ほぼ初見の敵の、読みづらい攻撃さえ、ヒースクリフには通用しない。大したものだ。

 そして、その圧倒的技量による防御のおかげで、脇ががら空きだ。

 

「仕掛けるぞ!」

「おう!」

 

 俺は回り込み、脇腹に《サベージ・フルクラム》を叩き込む。わずかではあるが、四段ある狼のHPゲージの一段目が、しっかりと減少したのがわかった。

 離脱と同時のタイミングでキリトが凄まじい勢いの《ヴォーパル・ストライク》を打ち込む。これも量は少ないが、確実に減ったのがやはり()()()()()()()()

 それを見てキリトが声をあげる。

 

「体力は多くない! いけるかもな!」

「食らわなければ、ですけどね! 避けて!」

 

 狼は攻撃を食らったとわかると、すぐさま俺達に向けて剣を薙ぎ払う。

 俺は盾で、キリトは左手で支えた剣の腹で受けて直撃を避ける。

 

「シルビア!」

「はい、アスナ!」

 

 その隙を逃さず、アスナとシルビアが同時に鋭く踏み込んだ。

 

「「やぁぁっ!」」

 

 目に止まらぬ三連続技。シルビアは《シャープネイル》、アスナは確か《ペネトレイト》だったか? 細剣スキルはろくに使用者を見ないので自信が無い。

 そうして連続で攻撃されたことにより、またもや狼のヘイトが移りかける。二人を見ようと首を動かし、

 

「先手食らって……」

「黙ってられるかってなぁ!」

 

 そこに飛び込んだのは体力を回復し終えたライアとレイドだ。アスナの方に向いた狼の頭を、前宙しながらのレイドのグレートメイスが思い切り殴りつける。ライアは対称的に地面を這うように肉薄し、膝を薙ぎ払う。

 しかし、それほどの打撃でも怯みは発生しなかった。顔面の前に居たレイドがターゲットにされる。

 

「レイド! 薙ぎ払い来るぞ!」

「どっちから!?」

「右だ!」

 

 俺の指示に、レイドは斜めにメイスを構え、大剣を受け流す。

 

「ソードスキル! 振り下ろし!」

 

 続けてキリトが叫んだ。レイドは迷わず狼の懐に飛び込む。股の間を滑るように潜り抜け、狼の《バーチカル》に似た叩き付けを避けることに成功した。

 

「あっぶねぇ! 誰か援護援護!」

 

 そう悲鳴混じりで叫ぶレイドの焦燥も当然だ。股抜きで避けたのは良いものの、狼に背を向ける体勢だ。あれでは次は避けれん。

 

「任せろ!」

 

 応えた俺は既に投げナイフを抜き、狼の顔を狙って投擲していた。頬に突き刺さり、わずかなダメージ。それだけでなく、俺は右手の剣を掲げ、盾を突き出すように構える。

 瞬間、モーションを認証してスキルが発動した。《スレットフル・ロアー》。敵のヘイトを強く自分へ向ける挑発技。初期も初期のスキルではあるが、だからこそシンプルに挑発のみを行うことができ、硬直も少ない。

 見事、狼は俺を目標に定めたようだ。右手の剣を振りかぶり、大きく吠えた。剣を構える右腕が膨張する。

 

「セドリック! 無理をせずに、防ぐことだけ考えて!」

「言われずとも!」

 

 振るわれるのは袈裟斬り。俺は大きく後ろに跳びながら盾を構える。盾に伝わってくる殴りつけるような衝撃。だがダメージまでは通っていない。俺は後転して素早く体勢を整えた。

 

「連撃!」

 

 シルビアが続けて声を張る。袈裟に剣を振りぬいた狼の脚が、ふわりと地面を離れる。得物を振った勢いを利用した前宙。こいつの戦い方からして、ここから来るのは間違いなく――

 

「くぉっ!?」

 

 振り下ろされる大剣。その側面を殴りつけるように盾で逸らしながら左に跳び、なんとか避けた。

 

「尋常じゃない――」

 

 今までの迷宮区にいた狼男は、巨大な武器をただ振り回してくるだけだった。それは当然驚異的な威力ではあったが、対応は容易かった。

 だからこそ、このボスの剣技はまずいと感じた。読みづらい動きで振るわれる、すさまじい攻撃力。

 武器を構えなおし、咆哮する狼に、俺は悪寒を感じずにはいられなかった。

 

「厄介だな、くそ!」

「まずはしっかりとパターンを覚えて! 今回が無理でも、次倒せるように!」

 

 アスナは突貫しながら俺達に指示した。了解、と答えると、俺は剣と盾を構えながら集中。挙動を余さず観察する。

 ボスの攻撃には、予備動作が必ずある。跳躍しての振り下ろし。振りかぶってからの斬撃。水平に構えてからの突進突き。力をため、吠えてからの連撃。最初に咆哮し周囲を薙ぎ払う回転斬り。

 それらの攻撃パターンをアスナとヒースクリフが引き出した。危険な立場を任せてしまう形になったが、おかげで気付くことができた。

 

「動きは激しくてわかりづらい……だが、斬撃自体は単純だ!」

 

 当然と言えば当然だ。どれだけ読みづらい斬撃を繰り出そうと、剣は一つ。攻撃の為に振るわれる斬撃は一つずつ。何度も使われれば見切ることは可能。

 見極めれば、対応することは可能!

 

「あとは――」

 

 それを失敗せずにできるか、ということだけだ。

 俺は、剣を握る手に力がこもるのを感じた。




自分でボス考えるのってめっちゃ大変ですね。一層一層のボスやら細かなスキルやら考えてる人って神か何かでしょうか。

 脳筋二人をオリキャラとして出しました。二人は再初期からの攻略組。エギルの仲間として愉快豪快に戦って、エギルが商人としての活動を始めた辺りから別行動し、団長から勧誘を受けて血盟騎士団へ来た、という設定です。ウルフギャングとかローバッカとかナイジャンとかいう人達のことは忘れてください。
 セドリックの読み通り、脳筋としては攻略組最高レベルの実力者。腕相撲大会があったら優勝できるレベル。

 《軽業》スキルって原作だったら壁走ったり登ったり棒を掴んでぐるぐるしたりだけど、めっちゃ使い込めばそのアクロバティックな動きを攻撃にいかせるんじゃないかと思ってます。壁から跳び跳ねて落下攻撃とか。

 いちおう狼男ボスの動きがシルビアの《軽業》に似ている、というだけで、《軽業》スキルをボスが使っているかは不明です。ソードスキルも片手直剣スキルに似ていますが、ボス特有のものという設定にしてます。

 あとセドリックの余裕がなくて描写はできてませんが、リンドさん達はしっかり取り巻きを倒しており、ボスに攻撃する機会を今か今かと伺っています。


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16話

投稿遅れてすみません。卒論やってました。卒論終えて清々しい顔してふらふらしてる大学生がいたらそれは私です。


 攻撃パターンは把握した。しっかり見て対応すれば、そうそう食らうことは無い。落ち着いて攻撃を見て、確実な反撃を行う。どんなボスも行動パターンは決まっている。それさえ理解できれば、基本的に問題は無い。

 だが、赤ゲージまで減らす前の――つまり、行動パターンが変化する前の――状態であることを念頭に置いておかねばならない。ほぼ全てのボスはHPゲージを危険域まで減らすとパターンが変わる。それが一番厄介だ。偵察戦でそこまでHPを減らすことはほぼ不可能なので、事前情報が無く、その場での判断が求められる。

 そう、ただでさえそのパターン変化が厄介なのに。

 

「ソードスキル、行くぞ!」

 

 俺はそう吼え、《ヴォーパル・ストライク》を狼男の背中に打ち込む。

 本来なら、そこまで声掛けは重要ではない。隙あらばどんどん打ち込んでいけばいい。スキルを使う時は確実にタゲは他に移っているのだし、声をあげる暇があればさっさと打てという話にもなる。

 だが、このボスに限っては別の話だ。

 突き込んだ剣を引き抜くと同時、狼男は()()()()()()()()()()剣を振った。

 

「ぐっ!」

 

 この狼男が厄介な理由。それは。

 

「次は私が!」

 

 シルビアが続けて《レイジスパイク》を打ち込み、技後硬直が終わると同時に盾を前に出し、ぐっと足を屈める。

 

「グォッ!」

 

 すると攻撃を食らった狼男は振り返りざまに剣を薙ぎ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 シルビアは低い軌道の斬撃を跳躍で避け、バックステップで連撃を避けていく。

 

「やっぱりだ! こいつは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 確信したキリトがそう言うと、同じ考えに至っていたらしいヒースクリフが頷いた。

 

「攻撃を受けた瞬間、即座に移り行く迎撃対象……厄介な相手だ。我々のように防御を固めているならまだしも――」

 

 ヒースクリフはそこで言葉を切り、シルビアに移ったヘイトを自分に向けさせ、十字盾で大剣を受け止める。

 

「すみません! 助かりました!」

 

 回避に限界が来ていたらしいシルビアはヒースクリフに礼を言うと、ポーションを飲んで体勢を整える。

 俺はその様子を見て、先のヒースクリフの言葉を引き継いだ。

 

「――シルビア達のような、防御の薄い速度型には厳しいものがあるな」

 

 執拗に、と言って良いほどにこのボスは攻撃したプレイヤーを狙う。回避重視でスピード型のシルビア達は防御が薄く、一発でも食らえば致命傷になる。そうなれば、回避も神経をすり減らす。

 

「やりづらい……っ!」

 

 攻撃をしたら確実に反撃が来る。

 これでは、タンクやダメージディーラーという役割を分けている意味がない。ソロでやっているような感覚だ。人数が居てもどうしようもない。

 

「けど、やっぱ体力は多くない! 行けるぞ!」

 

 ライアがボスのHPゲージを指して言った。長く戦っているわけでも、多人数で攻撃を与えたわけでもないのに、もうHPゲージは四本あるうちの二本を減らし、三本目の半分を過ぎるほどまで到達している。

 確かに。この人数で細かく攻撃をしただけでこの減り様。極端な行動パターンの変わりに、戦闘時間はこれまた極端に短く済むように設計されている。

 

「むしろ、人数少なくて良かったな。こんなやつ、大勢で囲んだらヘイト管理なんざできやしねぇし、この特性もわからんかったろうさ!」

「全くだ! もし大人数で攻撃して、誰に反撃が来るかわからん状況になったらポーションがいくらあっても足らねぇ!」

 

 レイドが跳躍し、脳天に両手鎚を叩き込む。

 ダメージの蓄積に耐えかね、狼は大きく怯みモーションに入った。

 

「全力!」 

 

 全員でソードスキルを打ち込む。いっそ爽快なほどにがくんと狼のHPゲージが減った。

 四本目に到達。ボスの狼が大きく吠えると、追加の狼男のモブが出現する。

 

「リンド!」

「わかっている!」

 

 リンドのパーティは言われるまでもないと言わんばかりに、追加湧出(ポップ)したモブ三体に向かう。

 聖竜連合のメンバーは完全に支援に徹してもらっている。端から見ていれば攻撃パターンはわかるが、メンバーが変われば流れも変わる。今の血盟騎士団+キリトというメンバーによる、安定した流れを切りたくなかった。

 

「あと一本! もう一回スタン取って全員でクリティカル打ち込めば勝てるぞ!」

「だが、危険域まで行ったら警戒しろ! なにが来るかわからんからな!」

 

 レイドの急いたような声に、俺はそう反論する。

 情報が無いのだ。武器を持ち替える、モブを更に増やす、新しい攻撃パターンが増える。なにが来るかわからない分、考えておかなければならない。

 その油断で、命を落とすかもしれないのだから。

 

「けど、慎重になりすぎてリズムを崩すなよ?」

 

 キリトがそう言いながら剣を構え直し、突貫する。

 承知している、と俺はキリトと対角線上になるように移動し、ソードスキルを打てる体勢で待機する。

 

「おお――らっ!」

 

 ライアが足を狙って薙ぎ払い、反撃を確実に剣の腹でガードする。そうしてボスの動きが止まったところに、キリトが《ヴォーパル・ストライク》。凄まじいジェットエンジンのような轟音と共に、剣が狼男の腰を穿つ。

 それを受けて、振り向き様に繰り出される狼の反撃を、キリトは大剣の腹を斬り払うようにして受け流す。

 それにしても、流石の威力だ。ブーストと武器の質か、俺よりも与えるダメージが大きいように見える。

 

「よし、行くぞ!」

 

 ならば、と。俺は負けじと《ヴォーパル・ストライク》を放つ。追い付いて見せよう、キリト。お前の剣の冴え、追い縋って見せよう。その気概と共に同じく凄まじいエンジン音を響かせ、剣を突き出す。

 騎士たる俺が、真っ黒な無頼漢に負けるわけにはいかんからな。

 

「ぜぁ!」

 

 渾身の突きは、エンジン音に負けじと吼えた俺の気合いと共に狼男の背を貫いた。HPゲージの減少具合は、僅かにキリトを上回ったのではないだろうか。

 俺はその手応えにニヤリと笑う。剣を手の中で回して構え直し、狼男は俺に反撃するために宙返りをするように反転、そのまま上段から大剣を振り下ろす。

 俺はサイドステップをしながら盾を構え、その大剣を盾に掠めるように避ける。

 

「ギュインギュインと……」

 

 ぼそりとアスナが呟き、

 

「うるさいのよ貴方たち!」

 

 不満をぶつけるかのごとく凄まじい連続技を打ち出した。何発突いたのかわからないほどの神速の突き。まあ、確かに両サイドからヴォーパル・ストライクの音を聞かされれば苛つくのはわかる。かなりの轟音なのだ、このエンジン音は。真横で聞けばキーンとなるほどに。

 しかし、激情に駆られているというのに、狼の反撃は紙一重で確実に回避している。むしろ彼女は感情が高ぶったときの方が動きが良いのではないかと錯覚してしまうほどに。

 アスナへ向かったヘイトはヒースクリフがソードスキルで攻撃して引き継いだ。心なしか、少し呆れたような顔をしているようにも感じる。

 

「うるさいって言われても、しょうがないだろ。どっかの騎士様が対抗してくるんだからさ!」

「当然だ。対抗心は研鑽のために必要不可欠なもの。俺がお前に対して抱くのは当然だろう」

「貴方たち――」

 

 悪びれる様子もない俺たちに対し、剣を向けるのではないかと思えるほどに苛立っているアスナの真横を、ジェットエンジンめいた轟音と共に赤い光芒を煌めかせながら()()()()()()()()()()

 

「くぅぅ……っ!」

「すみません、アスナ。私の中で一番威力の出る技がこれなので」

 

 耳をおさえながら恨めしい呻きを漏らすアスナに対し、シルビアはペコリと頭を下げ、狼男の反撃の下段薙ぎを背面跳びめいた宙返りで避けた。

 アスナはもう諦めたように溜め息を吐き、頭を振って剣を構え直した。

 

「あんまり遊ばないで欲しいんだなぁ!」

「まったくだなぁ!」

 

 ライアとレイドが、気の抜けるような発破と共に波状攻撃を仕掛ける。ライアが両手剣で腹を薙ぎ、反撃を受け止めると同時に、レイドが跳躍して脳天に両手鎚を叩き付けた。

 やはり両手武器の威力は凄まじい。俺やキリト、シルビアやアスナの攻撃よりも確実にダメージを与えている。

 それにより、ボスの最後のHPゲージが半分を切った。

 

「あと少しだ! 気を引き締めたまえ!」

 

 ヒースクリフが声を張った。珍しい彼の声色に、慣れによって僅かに気が緩んでいた俺達は即座に沈黙し、集中した。

 俺が攻撃し、キリトが攻撃し、アスナが攻撃する。

 

「いきます!」

 

 シルビアが肉薄した。シルビアが繰り出した《ホリゾンタル・スクエア》によって、狼男のHPゲージがとうとう危険域に達した。

 

「警戒しろ! 少しでも距離をとれ!」

 

 キリトの言葉に、全員がしっかりと距離をとる。

 狼男はこれまでにない咆哮をあげた。大剣を地面に叩き付け、苛立ちを込めたような凄まじい叫び。

 そして、地面に叩き付けて半分が埋まった大剣から手を離し、左手の大盾を宙に放り投げた。

 両手の装備を手離した。一層のコボルトロードと同じ動きだ。

 

「武器の切り替えか!」

 

 ライアが即座に反応した。

 しかし、コボルトロードと違い、狼男(やつ)は他に武器は帯びていない。 何がくる? どこかに武器があるのか? 移動し、武器を持ち替え、戦闘に復帰する。おそらくその流れだろうと誰もが考えていただろう。

 しかし、間違いだと気付いたのはすぐだった。

 

「なんだ……?」

 

 狼男は武器を放り投げた両手を力んだように開いたまま、 身体を引き絞り、狂ったように咆哮をあげ続けている。

 

――ミシ、と音がした。

 

 なんの音だ、と警戒した。どこから出ているのかと皆が探った。

 だが、その軋み(おと)はボスであるあの狼男から発生していた。

 奇妙だと全員が思った。()()()()? その答えは、次の瞬間全員が理解した。

 

――ミシミシ、と継続して音が鳴る。

――これは、狼男(やつ)の筋肉から発生している。

 

 狼男は膨れ上がった両腕を地面に叩きつけた。掌を床に擦り付け、脚をよじり、悶えるように身体をねじ曲げていく。ミシミシと、メキメキと音を立てながら、四つん這いになった狼男の肉体は膨れ上がっていく。

 響くような遠吠えをあげながら、しかし苦しむようなその様子は狂気的で、俺達は息を呑んだ。

 

「これ、まずいやつじゃ……」

 

 レイドがぼそり、と呟く。その顔は引き攣っている。

 

「ガァァアアァアッ!!」

 

 その声と同時に毛を蓄えた全身の皮膚がはじけ飛び、膨れ上がっていた身体の増幅が止まった。

 

「なっ――!」

 

 おぞましく、グロテスクな姿だった。まさかモンスターの外見が変わるなどとは予想だにしなかった。だが、その形状は紛れもなく――

 

「狼……っ!」

 

 だった。

 そう、奴は狼だ。()()というフィクションではなく、現実世界にいるような狼。だが、そのシルエットは決して狼に似ているわけではない。前傾姿勢めいた二足歩行だった姿は、そのまま両手が地面を踏みしめている。前足ではなく腕であり、脚と比べて短い。奇妙に盛り上がり、丸みを帯びた背中は、二足歩行の生き物がただ四つん這いになっただけのような不格好さを醸し出している。

 しかし、だからこそそれが不気味だった。ケダモノと化した人間のような狂気的な表情と、モンスターパニックものに出てくるような醜悪な見た目。子供の頃、親父が見ていた映画の中に、こんな見た目の奴が出ていたように思う。フランスに実在した、とある獣をモチーフにした映画だ。まあアレは映画の中ではそういう鎧を帯びた獣という設定であったが、凶悪そうな見た目という点では相違ない。

 普通に考えれば、こんなやつを見て「狼だ」と認識はできない。だが、奴の表面にはうっすらと、まるでホログラムのように清廉な狼の面影が浮かび上がり、かつてあいつが()()だったのだと理解できる。

 それほどまでに俺が長考することができたのは、奴が――変異の反動だろうか――ぜえぜえと息を荒げながらも動かなかったからだ。しかし、動かなくとも首を動かし、白濁した瞳で俺達を一人一人確認している。

 

「警戒を――」

 

 アスナが注意を喚起しようとした声をあげようとすると、偉大な狼(Great wolf)がシルビアを見た。

 ()()()()()姿()()()()()()()()()

 

「ゴガアアァッ!!」

 

 その瞬間、狼はすさまじい叫び声をあげた。今までの遠吠えとは違う、喉から絞り出すような掠れた叫び。思わず全員が萎縮したように身体を震わせた。

 その叫びに呼応したのか、大量の狼男のモブが出現した。その数、11。すべてが両手武器を携えており、アイコンは黒混じりの赤。明らかに高レベルだということがわかる。攻略組の俺達ですら、迷宮区で会えば苦戦を強いられるほどの強敵。それが11体。この場に居る()()()()の数。

 

「まさかっ――!」

 

 キリトが何かを察したように唸った。俺もほぼ同時にその考えにたどり着いた。

 

「シルビア! 逃げろ!」

「えっ――」

 

 俺の叫びに、モブに気を取られていたシルビアは反応が遅れる。あのボス狼が、とうとう跳び出した。

 

――迷うことなく、シルビアへ向けて。

 

「ッ!!」

 

 シルビアは怯えたように息を呑み、咄嗟に盾を構えた。狼は躊躇う様子もなくシルビアに突進し、強烈な頭突きを繰り出す。盾で防いでいるが、確実にHPが減った。シルビアがとてつもない勢いで吹き飛ばされた。回転しながら地面を跳ね、転がり、滑ってようやく停止する。あれほど回転すれば前後不覚となってもおかしくない。予想通り、シルビアは何とか立ち上がるもふらついている。

 だが、狼は追撃するためにシルビアから視線を外さない。俺達はすぐさまヘイトを移すために剣を振るおうとしたが、そこで追加出現した11体のモブが動いた。

 11体が、それぞれのプレイヤーの前に立ちはだかる。俺達だけでなく、聖竜連合のパーティメンバーを含めた全員の前に。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「これは――っ!」

 

 嫌な予感が的中したのだ。この布陣は、シルビアが一人でボスの相手をさせられるものだ。俺は目の前のモブを躱して抜けようとするが、それを妨げるように狼男が両手斧のソードスキルを放ってきた。意識の外を突かれた俺はすんでのところで盾で防ぐも、大きく腕を弾かれる。まともに防ぐことはできない筋力値だ。

 

「こいつら……どけっ! このまんまじゃぁ――」

「シルビアぁッ! 前に転がれぇ!」

 

 俺はがむしゃらに叫んだ。その叫びが届いたのか、シルビアは状況を把握するよりも前に行動した。それがよかった。シルビアは紙一重で、狼が振るった前肢の爪を避けることが出来た。

 

「全員目の前のモブを速攻で倒せ! もたもたしてたらシルビアが死ぬぞ!」

 

 絶叫めいた激励で全員の意識を取り戻したのはライアだった。両手剣タイプの狼男と打ち合い、鍔迫り合いをしている。

 

「くっ……」

 

 俺は左手の盾を放り捨て、空いた左手で片手半剣を両手持ちする。目の前で両手斧を構える狼男を警戒しながら、俺はシルビアの方に視線を向けた。

 シルビアは何とか体勢を立て直したようだ。剣と盾をしっかりと持ち、異形と化したボス狼と向かい合っている。

 

「シルビア!」

「大丈夫です! 皆さんは目の前の敵を! 時間稼ぎならなんとか」

 

 します、と続けようとしたのだろうが、右腕の爪を回避するためにバックステップをしたことで中断された。

 信じるしかない。おそらく、目の前のこのモブたちは専用のルーチンが組まれている。「ボスが攻撃したプレイヤー以外をそれぞれが狙い続ける」と言ったような、ボス戦専用のAIが組まれているのだろう。だから、背を向けて駆け出しても、たとえ壁を登ってもこいつは俺だけを追尾して襲ってくるだろう。こんな強敵に狙われながら他のプレイヤーの支援など無理だ。倒してから向かうしかない。

 

「う――おおっ!!」

 

 俺は振るわれる両手斧に向けて、片手半剣を叩きつけた。

 

 

 

 

 左腕の爪が真横に振るわれる。私はスライディングをして下をくぐる。

 返す腕で裏拳が迫る。私は跳躍して躱しながら、回転して腕を斬り付ける。

 右腕の叩き付けが頭上から迫る。私は着地と同時に左へステップする。

 地面に叩きつられた右腕に、素早く三連続で斬撃を見舞う。

 腕が動く前に離脱。全力で後ろに跳び、攻撃範囲から逃れる。

 

――どれだけ時間が経ったろう。

 

 わからない。厳しい時間は長く感じると言うし、まだ数分しか経ってないかもしれない。

 私はポーチからポーションを取り出し、一息に煽る。HPがじわじわと回復していくのを確認しながら、もう一度神経を集中する。

 

「くぅっ!」

 

 油断も隙もない。僅かに視線を逸らしていただけでも、攻撃が即座に迫ってくる。

 避ける。躱す。跳ぶ。なにがなんでも避け続ける。

 

「はあっ、はっ――」

 

 躱しながら斬撃。雀の涙だが、それでもダメージは与えている。こうして食らわずに斬り続ければ、可能か不可能かで言えば、倒すことは決して不可能じゃない。

 けど、それを為せるかと言われれば、私には自信がなかった。ただでさえギリギリの回避だ。運が良くて食らわなかったものもたくさんある。こんな綱渡り、長続きするわけがない。

 

(いっそ、攻撃をやめて全力で逃げ回ろうか!)

 

 私は何度もバックステップを行い、爪の攻撃範囲から逃れる。距離を取れば、警戒するべきは突進と跳びかかりだけだ。もちろん、跳びかかってきた後は危険だが、もう一度距離をとればいい。

 なんとかなるかもしれない。セドリック達もなんとか追加ポップした狼男に善戦している。けど、倒すまであと5分はかかるだろう。

 5分だ。ぼうっとしていればあっさり過ぎ去るその時間も、戦闘中は信じられないほど長くなる。なんとか集中を切らさずに回避し続けなければ。

 

「ふっ! くっ――」

 

 バックステップを繰り返す。そして、私はボスエリアの隅に追い込まれていることに今更気付いた。

 

「やばっ――!」

 

 背中が壁にぶつかり、思わず声が漏れる。ボスは両腕の爪を開いて構える。あれは両爪連続攻撃の構え。よりにもよってここで!?

 

「はっ、はあっ、はっ、はぁっ――はぁっ!」

 

 緊張で荒くなる呼吸。VRのアバターは息切れなどしない。なら、これは私の精神面の問題か。

 

「はあ、はっ――!」

 

――怯むな! 避けきれ! 私にならできる!

 

 無理やりにでも自分を奮い立たせ、僅かにかがむ。

 爪の連続攻撃は6回。順番は、右薙ぎ左薙ぎ右薙ぎ右裏拳左逆袈裟右叩き付け。最後の右腕の叩きつけは範囲攻撃。避けきれなければ角にハメられて殺される。

 

「グガアァアッ!!」

「おおぁっ!」

 

 吼えた狼。気圧されぬよう、私も負けじと声をあげた。身体は動く。

 右腕の爪による薙ぎ払い。しゃがみこむように姿勢を下げ、斜めに構えた盾で受け流す。

 左腕の爪による薙ぎ払い。同じく姿勢を下げ、地面との隙間を縫って回避する。

 右腕の爪による薙ぎ払い。一回目と違って地面をえぐりながらのそれを、最小限の跳躍で飛び越える。

 それを返す右腕での裏拳。私は空中だが、回避のために予測して跳んでいる。宙で身体を逸らせて紙一重で避ける。

 続いて範囲の広い逆袈裟。私はその攻撃を見る余裕もなく、地面に着地すると同時に再度跳躍し、狼の左腕に爪先が引っかかるが、なんとか跳び越えた。

 ラストの右腕の叩き付け。ギリギリで体勢を崩さずに着地した私は、()()()()()()()()()()()()()範囲攻撃を回避することに成功した。

 

(《軽業》スキル取っておいてほんとよかった!)

 

 《ウォールラン》。その名の通り壁を走るシステム外スキルだ。ステータスの振り方によって持続時間は変動するが、私の敏捷値にものを言わせてやるやり方においては、《軽業》は多いに貢献してくれている。

 そうして壁を垂直に駆け上る間に、狼の連続攻撃は終了した。それと同時に壁を蹴り、私は狼に向けて急降下。

 

「やあああぁ!!」

 

 剣を振りかぶり、脳天に振り下ろす。ソードスキルではない通常攻撃ではあるが、この状況での技後硬直は避けるべきだ。

 連続攻撃の後はそれなりの隙が発生する。私は剣を頭部に叩きつけると、その反動で前宙するように回転し、狼の首元に着地。そのまま背中に剣を突き刺し、背中を駆け下りながら斬り裂いていく。

 

「グオオォォ!!」

 

 ダメージに怯む狼の背中を蹴りつけて跳び、なんとか角に追い詰められた状況から脱した。もう一生分の運を使い果たしたんじゃないだろうか。跳びながら私はほっと息をつき、

 

 そして、倒れ込んだ。

 

 全力で跳躍して着地を失敗し、地面を転がった。なぜ倒れた、と私は狼狽する余裕もなく、すぐさま手をついて立ち上がろうとしたが、またも転倒。

 そこでようやく私は、立ち上がるための()()()()ことに気付いた。

 

「え――」

 

 右脚が、無い。

 それを確認し、とっさに狼を見上げた。

 私の脚は、狼の口に咥えられていた。

 やつは血のように赤いアバターの破片をまき散らしながら、(それ)を租借していた。

 

「くぁっ!?」

 

 そのような情けない声を私は漏らした。あとずさろうにも脚が無い。手と残った足を動かして距離を取ろうとするが、狼は悠々と歩いて距離を詰めてくる。

 まるで私を恐怖させるかのように。

 

「――っ!」

 

 

 

 

「邪魔だ! 畜生が!」

 

 俺は冷静さを欠いていた。一対一での敵と戦う時は、フェイントや剣技の種類を使い分ける必要がある。だが俺にそんな余裕はなく、両手斧を相殺してからの反撃で地道にダメージを稼ぐという、情けない戦い方となっていた。

 

「両手斧のデータなんて、ただでさえ少ないってのに――!」

 

 歯ぎしりをする。狼男の両手斧ソードスキルを、ほぼ勘と反射だけで防ぐ。吹き飛ばされるが、自分から転がって即座に体勢を立て直す。

 腰から投げナイフを抜き、《トリプル・シュート》。三つのナイフが集中して飛び、狼男の首筋に連続で突き刺さる。

 

「おおらっ!」

 

 俺はその隙に距離をつめ、《メテオ・フォール》を発動する。踏み込みながら斬り上げ、斬り下ろす二連撃。

 

「よし、あと少し……!」

 

 俺はもう一度剣を構えなおす。そこで何かに気付き、ちらりと視線を左上のHPバーに向けた。

 俺の物には変化は無い。変化があったのは《silvia》のゲージだ。

 彼女のHPがごっそりと減り、《部位欠損》の状態異常のアイコンが表示されていた。

 それに気付いたのは俺だけではなかった。

 

「あっ!?」

 

 アスナが声をあげるが、片手剣と盾を扱う狼男に阻まれる。

 

「まずい、シルビ――ぐあっ!」

 

 レイドが気を取られ、両手槍の一撃をその身に受けてしまった。

 俺は鍔迫り合いを無理やり弾き、シルビアを探した。

 居た。倒れ込んでいる。脚が無くなっている。

 狼が静かに近づいていく。

 

「――っ!」

 

 俺は、つんのめるように駆け出した。

 一瞬脚がもつれた俺の背中に、狼男の両手斧が叩きつけられた。ただでさえ削られていたHPががくんと減るが、俺はその衝撃を利用しながら全速で駆け出した。

 

「――シルビアぁあぁっ!!」

 

 恥も外聞なく叫びながら。

 狼が口を開く。噛み付き。

 それを、シルビアは片足と両手で跳んでなんとか避けた。

 だが、あれでは次は避けれない。

 

――届け! ――届け!!

 

――死ぬな!

 

「う――おおぉおぉああぁあ!!」

 

 俺は最後、全力で飛び込んだ。シルビアが俺に気付き、目を見開き、助けを求めるように手を伸ばした。俺は左手でその手を取って引き寄せ、剣をにぎったままの右腕でしっかりと抱きしめた。

 狼が跳びかかる。俺はシルビアを抱え込んだまま、慣性に逆らわずに地面を滑ることで距離を稼ぐ。寸前までシルビアが居た場所に、狼の牙が空を切る。

 

「まだ来ます!」

 

 俺は立ち上がる暇もなく、シルビアを左腕に抱いて右手の剣を振るった。がむしゃらなそれは顔の表面を滑る。それでも構わずに噛み付きに対して剣で迎撃する。

 爪をガードすることに失敗し、鍔を引っ掛けられて剣を弾き飛ばされた。

 剣を拾う余裕はない。シルビアは腕の中にいる。生きている。だが狼はまだ迫る。

 俺は投げナイフを抜いた。シルビアを食い殺そうと迫る狼の額に投げナイフを直接突き刺す。

 しかし、やつは止まらない。姿が変わり、狂気を宿したかのような獣は止まることがなかった。なおも俺の腕の中のシルビアに食いつこうとする。俺はその口に右腕を突っ込んだ。

 ガギィ、と腕のアーマーに牙が食い込み、軋む。

 

「セドリック!? 駄目! あなたが死んじゃう!」

 

 シルビアが俺の胸にすがりつく。やめろと。逃げろと。俺のHPはもう半分を切った。ボスの攻撃に耐えれる保証は無い。

 だが、逃げるわけにはいかなかった。ここまでやっておいて、シルビアを見捨てるなどありえない。

 

「セドリック!」

 

 俺の右腕を引きちぎろうとする狼に対し、俺は筋力をフルブーストして抑え込む。保つはずがない。あと数秒と持つかもわからない。

 それでも、守りたいと思った。

 とうとう右腕が食いちぎられた。HPが残り三割を切る。

 邪魔が消えたと言わんばかりに、狼は大きく口を開き、

 

「させるかぁあっ!!」

 

 俺は今度は左腕をその口に突っ込んだ。

 俺は完全に頭に血が上っていた。どうにかシルビアを抱えて逃げて、剣を拾って応戦すればよかったのに。そう気付いても、既に左腕に食いつかれた今ではどうしようもない。

 

「セドリック! ダメだよ!! 逃げて!!」

 

 シルビアも声が掠れる程に叫び、取り乱している。彼女は、俺が食い止めている間に逃げることはできない。脚が無いのだ。パニックになってもおかしくない。

 それでも必死に、ギリギリのところで意識を保っていて、そして俺を救おうとしている。

 ああ、お前は本当に良い奴だ。良い騎士だ。

 だからこそ、俺が命を張る理由となる。

 

「ぐ、おお――!!」

 

 左腕に牙が食い込み、狼は更に食い込ませるために揺さぶろうとする。俺は全力で対抗する。左腕がきしみ、HPが削られ、とうとう嫌な音を立て始める。

 

「くっそ、がぁ!!」

 

 その瞬間、狼の首筋に、両側から凄まじい突きが打ち込まれた。

 

「グゲァっ!!」

 

 悲鳴めいた鳴き声と共に、俺の左腕は解放された。

 

「無事か!?」

「二人とも、生きてる!?」

 

 キリトとアスナだ。二人は俺達を庇うように立ちはだかり、再度攻撃に移ろうとした狼をヒースクリフが大盾で押しとどめる。

 

「今だ! 頭を!」

「「合点!」」

 

 ヒースクリフの指示を受け、ライアが両手剣の腹で狼の頭を殴打し、それと同時にレイドが振りかぶった両手鎚を叩きつける。

 

「獲ったぁ!」

 

 レイドが叫ぶ。スタンが発生した。アスナとキリトが同時に駆け出す。ライアとレイドの全力の重単発技、ヒースクリフ、アスナ、キリトの連続技が叩きこまれる。

 みるみるうちに狼のHPが減少していく。キリトの《ノヴァ・アセンション》の最後の一撃により、ボスのHPはゼロになった。

 一瞬の静寂の後、爆散。ポリゴンの欠片が舞い散り、《congratulation》の文字が大きく表示された。

 

「…………」

 

 俺は音もなく息を吐いた。

 シルビアも俺と顔を見合わせ、力が抜けたように呆然としている。

 

「終わった、か……」

「はい……終わりましたね」

 

 シルビアはぽつりとつぶやき――涙をこぼした。

 

「シル、ビア――っ」

「え、あ、あれ――?」

 

 俺だけでなく、シルビア自身も驚いたようだった。先ほどまでの状況ですら涙を流すことなく、必死に俺を止めようとしていたほどの精神力だったのに。

 そんな彼女が、涙を流した。

 

「お、おかしいですね。なんで涙なんか――」

 

 シルビアは訳が分からないといった風に笑おうとし、

 

「~~~っ!!」

 

 自分の両手で顔を覆った。

 

「シルビア……?」

「は、くっ……うっ、あぁ……っ!」

 

 その嗚咽を聞き、俺は自分の心臓が跳ねるのを感じた。

 

「ひっ、ぐ、うぅ……は、あ、う、ぅぅ――!」

 

 シルビアはできるだけ声をおさえ、落ち着こうとしているのがわかる。しかし流れ落ちる涙は止まらない。ガントレットが付いたままの手で乱暴に顔をぬぐうが、それも大きな意味をなさないほどに。

 俺はどうしていいのか迷った。だが、やはり傍観しているわけにはいかず、残った左腕でシルビアの肩に触れた。

 

「シルビア、もう大丈夫だ」

 

 それでも、シルビアは嗚咽のままに首を振った。

 

「ごめ、ごめんなさい……私、ほっとしたのか、なんか……」

 

 緊張が解けた、ということだろうか。確かに彼女はあの獣を相手に、一人で果敢に戦った。それは極限状態の戦闘であっただろうし、最後には片脚を無くして追い込まれた――つまり、『死』が迫っていたのだ。

 ならば、誰が彼女の涙を責められるだろうか。

 

「大丈夫だ、大丈夫……」

 

 俺は左腕で、彼女を抱きしめた。

 

「私、怖くて――あんな、ずっと、こわくって……!!」

「ああ……よく頑張ってくれた」

 

 顔を覆っていた手は、俺の胸元にすがりつくように握られた。シルビアは泣き顔を見せまいと、額を俺の胸に押し当てる。

 

「でも、でも――あなたが死ぬかもしれないのが一番怖かったッ!!」

 

 シルビアは絞り出すように叫んだ。

 その叫びに、俺は心臓を握られたかのようにどきっとした。

 まさか、俺の身を案じて涙を流したと? 出会って一週間も経っていない俺に、そこまでの思い入れがあるとは思えなかった。パーティメンバーから死人が出るのが嫌だったのか、と、自分でもわかるほどに的外れなことを考えてしまっている俺に対して、シルビアは、

 

「私は、あなたを救いたくて騎士になったのに……」

 

 そう、ぽつりと呟いた。

 

「シルビア……?」 

「あなたのような人を減らすために戦い始めたのに……あなたがいたから、私は――目的ができたのに!」

 

 どういうことだ、と問うことはできなかった。

 シルビアは顔をあげ、俺を真っ向から見つめた。涙を止めどなく流しながら、それでもしっかりと俺の眼を見て、

 

「私はあなたを――」

 

 その視線に、俺は思わず顔を逸らしそうになるが、ぐっとこらえた。後ろめたいなにかがあるわけではない。

 だが、彼女が何を言おうとしているのか、予想がつかなかった。

 

「お願いします……()()()()()()()()()()()()()()()

「――っ」

 

 その言葉は、俺にすさまじい衝撃を与えた。

 死のうとする、と彼女は言った。俺に対して。俺が死のうとしていると。

 その言葉の意味がわからないわけではない。だが、なぜそう感じたのかを知りたかった。今のはシルビアを救うための行動であるはずなのに。褒められこそすれ、咎められる行いではないはずなのに。

 

――だが、その言葉をすぐに否定できない自分がいることにも気付いた。

 

 まっすぐに彼女を見て、「お前を救うためだった」と、()()()()()()()()()()()()()()()()()自分がいることに気付いた。

 

「俺、は……」

 

 返す言葉が、出てこなかった。



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17話

フェイタルバレットのトゥルーエンドをようやくクリアできました。光剣で銃弾を弾くやべーやつとハイパーセンスで避けるやべーやつが組んだらそりゃ無双できますな。


 誰も、何も言わなかった。俺は先程言われた言葉を、延々と頭の中で繰り返す。

 

――お願いします……死のうとするのはやめてください

 

 なんというのだろうか。それを聞いた瞬間、ひどく後ろめたいような、何かをしてしまったかのような、極度の狼狽を自分で感じていた。

 

(まるで……()()()()()()()()()()()ような)

 

 呆然としている俺の肩に、キリトが手を置いた。

 

「ナイスファイト、セドリック。お陰で誰も死なずに済んだ」

 

 気を紛らわせるかのような、気を使ったその言葉。今はそれがありがたい。

 

「ああ……そうだな。よかった」

 

 隣のアスナは俺を咎めるように不機嫌そうだが、キリトは笑いながら、剣を背中の鞘に納めた。チン、という聞き慣れた音が、俺を冷静にさせてくれた。

 

「……ああ、よかった。死人が出ていないのは幸運だった」

 

 そう言った俺に対し、シルビアは俺の襟元を握り締めた。

 

「……大丈夫だ。俺も死ななかった。HPだって赤くなってはいるが、しっかり残っている」

「……はい」

「安心しろ。大丈夫だ」

 

 俺はその手に左手を重ねて撫でた。少しだけだが、シルビアの手が緩む。

 アスナがしゃがみこみ、シルビアを横から抱きしめて落ち着かせる。

 俺はアスナに頷き掛け、キリトを見た。

 

「しかし、ずいぶんな重傷だ。これはどうしたらいい? 病院で診てもらうべきか? 教会で祈ってくるべきか?」

 

 左手で、無くなった右腕の断面を指しながら聞く。

 キリトはしゃがみこんで傷口を見ながら、

 

「《部位欠損》は見た目こそ派手だけど、普通の状態異常の一つだ。3分経てば回復するよ」

「そうか。それはありがたい。しばらく休んでおくことにしよう」

「そうだな。もうモンスターは出ないだろうけど、回復までガードしとくよ。シルビアさんも、まだ動けないだろうし」

 

 キリトはそう言って二つのポーションを取り出して渡してくれた。左手だけで二つを受け取り、シルビアへ渡す。

 

「ありがとうございます、キリト」

 

 顔を伏せたままだがキリトに礼を言うと、一つを手に取って口に咥えた。俺も一息にあおり、息を吐く。

 シルビアと俺のHPゲージがしっかりと回復していくのを確認し、俺は今度こそ安堵の息を吐いた。

 

「リンド、次の層の転移門の解放を頼めるか?」

 

 俺の言葉に、成り行きを見守っていたパーティのリーダーは困惑したようだ。

 

「いいのか、俺達で?」

「構わないさ。もう少しの間、俺達は動けないからな」

 

 キリトの同意の言葉に、リンド達は頷いてボス部屋の奥の階段を上り始めた。

 

「……すみません、もう大丈夫です」

 

 そこで、シルビアは顔を覆っていた手を下ろし、深呼吸をして顔をあげた。

 シルビアは普段通りの、凛とした表情を取り戻していた。

 

「取り乱して、すみませんでした」

 

 皆に向けた謝罪。会釈と共に呟かれた言葉。しかし、声はまだ僅かに震えている。

 その眼がもう一度、しっかりと俺に向けられる。

 怪訝そうな顔をしているが、それは俺に向けられたものではないように感じた。

 無言だ。さすがに何を言っていいかわからず、黙ってしまう。聞きたいことはある。あれほどに捲し立てられれば、 俺にはきっと、訊ねる権利があるというものだろう。

 だが、憚られるのも事実だ。俺が口を開こうとした瞬間、

 

「ああっ! バカ!」

「あぁあっ!?」 

 

 ライアとレイドの騒ぐ声が飛び込んできた。

 思わず全員がそちらを向く。

 

「あっ」

「やべっ」

 

 眼に飛び込んできた光景は。

 レイドが握っているマリスブレード(おれのつるぎ)の柄と、その()()()()()()()()()だった。

 

「な、にやってんだお前ぇ!!」

 

 その怒声は、俺のものだった。

 

 

 

 

「違う違う違う! 違うんだ!」

「そう、聞いてくれ! オレらは違う!」

「何が違うってんだ!! あぁ!?」

 

 セドリックは凄まじい形相でレイドの胸ぐらを掴み上げて、これまた凄まじい声量で怒鳴る。

 それを見てライアが慌てて彼の腕を押さえ、

 

「レイドはあんたのために拾ってやろうとしただけだ! けど、拾ってすぐに()()()()()()というか……」

「勝手に、だと? んなことが――」

「あるある! つーかあったんだよ!」

 

 レイドも慌てて頷く。まあ、確かに落ち着いて考えてみれば、彼らが故意にセドリックの武器を破壊する訳がない。

 

「きっと、耐久値がギリギリだったんじゃないかな。それで、運悪く拾ったところで耐久値が全損した、ってところか。偶然にしては出来すぎだけど、可能性で言えば0じゃないし」

 

 キリトが助け船のように、霧散していく剣の柄を指しながら言った。

 

「確かに……ボスの剣や、追加ポップの両手斧の奴とも何度も打ち合わせていたしな……」

 

 セドリックは乱暴な扱いをしていたことを思い出すように呟くと、レイドに頭を下げた。

 

「すまん、こちらの責任だった。怒鳴ってしまって悪かった」

「いや、もしかしたらオレが触んなかったら保ってたかもしれないし。どっちにしろ、余計なことをしたかもしれん。オレこそ悪かったよ」

 

 レイドは申し訳なさそうに首筋に手を当てながら謝罪した。

 

「しっかし驚いたなぁ。セドリック、お前そんな声も出るんだな」

「いや、声よりしゃべり方だろ。随分乱暴だったが、そっちが素か?」

「礼節を重んじてた騎士様にしては、ずいぶんと変わったロールプレイだったな?」

「……さぁな」

 

 ライアとレイドとキリトがにやにやとしながらセドリックを囲む。彼はとてもばつの悪そうな顔でむすっとしている。

 確かにびっくりしたねー、とアスナが私に向けて声を掛けてくるが、私は曖昧に頷いた。その様子にアスナが首をかしげたのを見て、私は声を潜めて答える。

 

「彼、たまにあの口調が出たことありますよ」

「そうなの? いつもは結構冷静で、大人なイメージがあるけど」

 

 まあ話したことはあんまり多くはないけれど、とアスナは笑う。

 

――冷静沈着で、大人っぽい?

 

「うーん……」

 

 あんまり、そういうイメージは無い。むしろあれは()()()()()()()()()()()()ような印象を受けるのは私だけだろうか。似合っているから違和感が無いのだろうか。

 

(いや……たぶん第一印象かも)

 

 実際私も、()()()()()()()()()()()()()()アスナと同じような感想を抱くかもしれない。

 しかし悲しきかな、私はなんというか、彼のことをクールとはあまり思わないのだ。

  

「ですから、驚きというほどでは。まあ、流石にあそこまで怒ったのは初めて見ましたが」

「シルビアの前では素が出るってこと?」

「そこまでは言いませんが……まあ、あの人は結構可愛いところがあるってことですよ」

「可愛い――?」

 

 私の発言に目を白黒させるアスナ。まったく理解できないとでも言いたげな顔。

 

「わっ――」

 

 そこで突然私の脚が光り出し、欠損していた部位が修復された。防具も脚が無くなる前に戻っている。立ち上がり、軽く跳び跳ねてみる。跳躍しながらの宙返りまで完璧に行える。よかった。後遺症とかは無いようだ。

 

「シルビアってほんと身軽だよね」

「アスナだってできるでしょう」

「うーん、さすがに戦闘中にまで跳ね回るのは……」

 

 苦笑して断るアスナ。慣れれば楽しいんですけどね、と私は少し不満になった。

 そこまで話していると、セドリックの右腕も生えてきた。戻ってきた感覚を確かめるように拳を握り、満足げに頷く。

 

「よし」

「セドリック、大丈夫ですか?」

「ああ。シルビアも問題ないな?」

「はい。あ、それと……お礼を言うのを忘れていました」

 

 そこで少しだけ間を置く。セドリックが訝しげな表情になるのを見ながら、私は少しだけ深呼吸をしてから、

 

「セドリック、ありがとう。貴方のお陰で命を救われました――とてもかっこよかったですよ」

「なっ――」

 

 私の言葉に赤面して言葉に詰まったセドリック。ここまでの反応が出るとは驚きだ。

 けどそれも一瞬。セドリックはすぐに表情を繕うと顔を逸らして、

 

「いや……お前が無事で、よかった」

 

 腕を組み、やはり気取った台詞を口にした。

 

――ほら、こういうところですよ。

 

 私の目配せに、アスナは少しだけ合点がいったように頷いた。

 

 

 

 

 既に解放されていた転移門で解散する。キリトはあっという間にフィールドへ飛び出し、アスナとヒースクリフは《グランザム》のギルド本部へと帰還し、ライアとレイドは新しい街で美味いものを求めて走り出した。

 

「私たちはどうしますか?」

「俺は新しい剣を手に入れようと思うんだが」

「あ、そうですよね。なら鍛治屋(スミス)を訪ねなければ」

 

 シルビアはそう笑うと俺の手を掴み、「転移、リンダース」とコマンドを唱えた。

 急に手を取られて狼狽する暇もなく、「さあ行きましょう」とシルビアは手を離して歩き出していく。

 急に人の手を取らないでほしい。心の準備と言うものがこちらにもあるのだ。

 

(……意識しすぎだろうか)

 

 なんだか妙に気恥ずかしい。原因はきっとあれだろう。あんな――

 

――とてもかっこよかったですよ。

 

 あんな――ただの誉め言葉に舞い上がるなど、ガキでもあるまいに。

 

「セドリックー?」

 

 動かない俺に気付き、シルビアは首をかしげている。

 

「……すぐ行く」

 

 呟くように答え、歩き出した。

 シルビアは歩く速度を調節し、俺と並んで歩く。

 

「リンダースって良いところですよね。のどかで、きれいで」

「そうだな」

「ここでホームを買いたいなって思ったこともあるのですが、もたもたしている間にどこも一杯になっちゃったんです。残念だなぁ……」

「値段も張るだろうしな。リズベットはよくあんな良い家を買えたな。あの広さに、しかも水車付きだ。いくら腕が良いとはいえ、鍛治屋ではがっつり稼ぐことはできないだろうに」

「ええ、当然お金は足りなくて、色んな人に借金をしてましたよ。かく言う私もその一人ですが」

「いくら貸したんだ?」

「さあ、覚えてませんね」

 

 肩をすくめて笑う。誤魔化されたようだ。まあ、金の問題に首を突っ込んだ俺も悪いか。

 

「まあ、もしかしたら上にもっと綺麗な町があるかもしれないだろう。そこの家を狙ってみるのもいいんじゃないか?」

「その時は貴方にお金を借りてもいいですか?」

「構わんが、相応の見返りは求めるぞ?」

「一緒に住んでもいいですよ」

「なにっ!?」

 

 思わず食い付いてしまった。しまった、と思うと同時に、俺と顔を見合わせたシルビアは吹き出した。

 

「あははっ! 今の顔、おっかし……! ふふっ……」

 

 やられた。俺はガリガリと頭を掻きながら、大袈裟にため息をついた。

 

「――ったく。俺は純情なんだ。からかうのはよしてくれないか」

「まさか、そんな良い反応してくれるなんて……くふっ……」

「くそっ、先行くぞ!」

 

 ああ、みっともない。まさかこんなにも振り回されるとは。

 シルビアは丁寧な言葉使いに反して、意外とフレンドリーに接してくれる。それ自体は嬉しいことではある。

 が、このようにからかってくるのはなんとかならないものか。嫌ではないが、無性に恥ずかしい。みっともないところを見せたくないのに、取り繕っている表面をひっぺがしてくる。

 

「…………」

「ん? なんですか?」

  

 俺が黙って睨んでいると、シルビアはにこりと笑いながら首をかしげた。

 ああ、まったく。いっそ他のプレイヤーのように、俺の悪評におののいて距離をとってくれればいいものを。

 ――いや、それはそれでつらいか。俺は溜め息を吐いた。

 

「すみません、怒らせてしまいましたか?」

「怒ってはいない。今のは冗談を冗談とわからなかった俺が悪いからな」

「真面目ですねぇ」

「当然だ。騎士だからな」

「それは関係無いような――」

 

 苦笑いを浮かべるシルビア。

 

「《黒騎士》さんがこんなに真面目人間だとは知りませんでした」

「うるさいぞ」

「いいじゃないですか。嫌いじゃないですよ、そういう素直なところは」

「あ、のな――」

「あのー……人の店の前でいちゃつかないでくださいますぅ? 営業妨害なんですけど」

 

 店先の扉から顔を出したリズベットに、げんなりした顔で話し掛けられた。いつの間にか店に着いていたとは。周りに意識が向いていなかった。

 

「すみません、リズベット。今日は頼みがあって」

「頼み?」

「剣を折ってしまってな。新しい剣が欲しい」

「折っちゃったの? 昨日の今日で何しに来たのかと思ったら、そんなことになっちゃったの?」

 

 俺は経緯を説明した。

 

「なるほど……じゃあ、とりあえず中で話しましょ」

 

 リズベットは俺達を中へ招くと、カウンターを挟んで立つ。商売人としての気概が表れているような気がした。

 

「今のところ、在庫の剣はいくつかあるわ。この中にあるものでよければすぐに売れるけど」

「拝見させてもらう」

 

 剣を手に取り、パラメータと重さを見ていく。

 だが俺は先日の会話を思い出しながら、

 

「やはり、片手半剣は無いか」

「そうねー、欲しいなら前にも言ったけど、オーダーメイドになるわ」

「必要な費用は?」

 

 シルビアが「必要なら私も出します」という雰囲気を出しながら聞いた。

 

「んー、材料の鉱石にもよるけど……タイミングの悪いことに、いまそもそも鉱石の在庫が無いのよ。明日になればいつもの商人プレイヤーから仕入れるから、それからになっちゃうかな」

「むう……」

「えぇ……」

 

 俺とシルビアは同時に唸った。一応そのくらいは待てなくはないが、装備が空になってしまう。今ストレージに片手半剣は無いのだ。

 どうするべきか、と二人して考え込む。

 ピコン、と通知音がなった。

 

「ん?」

 

 俺が気付くと同時に、リズベットがひとつの剣を実体化させた。

 

「そうねぇ……ひとまず、これはどうかしら? 扱いやすさは保証するわよ」

 

 リズベットにすすめられたのは肉厚な丈夫さ重視の片手直剣。通知の確認を後にし、手に取って振ってみる。

 

「いや……申し分ないが、やはり()()()()()()()()()()()

「あっ……」

 

 俺の言葉に、シルビアがまずそうな声をあげた。何かあったか、とシルビアを見るが、呆れたような目で俺を見ている。なんだ、と聞き返すより先に、指をさした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……あっ」

 

 俺も思わず声をあげた。鍛治屋(リズベット)の前で、他の鍛治屋(ナグリー)のものより劣ると口にしたのだ。

 それは怒るだろう。俺だってきっと、他の騎士と比較されて卑下されれば苛立つ。

 

「す、すまない。失言だった」

「いーえー? そりゃ私も変態鍛治師と比べられたら立つ瀬がないわよ? 店一番の武器を見せて無下にされるなんて、攻略組の方々相手だったらよくあるだろうしぃ?」

「すまん……」

 

 変態鍛冶師とは酷い言い草だ。俺はとにかく頭を下げるしかない。

 

「ま、まあまあ。武器の種類も違いますし、質の問題ではないでしょう。ところでセドリック、先ほど何かに気付いた様子でしたが」

「ん、ああ、メッセージだ。アルゴからだな」

「アルゴですか?」

「ああ、あの情報屋の?」

 

 リズベットは会ったことがないらしい。シルビアが説明している間に、メッセージを開く。

 

《鍛冶師を名乗るプレイヤーが会いたがっている。「マリスブレードの銘を出せばわかる」だとサ》

「な、に……?」

 

 俺の反応に、二人が顔をこちらに向けた。

 

「どうかした?」

「いや……どうも、鍛冶師が俺に会いたがっているらしい。《マリスブレード》のことも知っている」

「それって――」

「ああ、きっとこいつは――その()()()()()なのではないだろうか」

 

 

 

 

 「あたしも連れていけ!」と胸ぐらを掴んでガクガクされたので、リズベットも連れてアルゴから聞いた場所へ向かった。

 

「《はじまりの街》ですか?」

「まさか一層の、一番最初の街だなんて――盲点だったわ」

「座標は――」

 

 随分と入り組んだ所だ。街の端になっているが、こんなところに店など構えられないだろうに。

 

「しかし、なぜリズベットも来たんですか? お店は?」

「予約の入ってる武器は作ってるし、店番NPCも置いてきた。一日くらいなら平気よ」

「そうまでしてナグリーとかいう鍛冶師に興味があるのか」

「当然でしょ。鍛治屋をやっててその名前を知らないやつはモグリよモグリ」

 

 そんなにも有名なのか。俺のその疑問に、リズベットは歩きながらも腕を組みつつ、その指を俺の方に向けて説明する。

 

「前にも言ったと思うけど、変わった鍛造の方法も有名な理由の一つよ。でも、一番の理由はその使用率ね」

「使用率、ですか」

「普及率、って言い換えても良いかしらね」

「普及率、か」

 

 俺の言葉にリズベットは頷き、

  

「『攻略組のプレイヤーは、必ず一回はナグリーの武器を使ったことがある』って言われるほどよ」

「それほどなのか」

「そうらしいな。オレ自身も知らんが」

「なるほど。まあ、確かに俺も扱っていたし――」

 

 シルビアとリズベットの固まった表情を見て、俺も今の会話の違和感に気付いた。

 俺はゆっくりと振り向く。

 

「よう、《黒騎士》」

 

 目の前にあったのはペストマスクだった。

 

「うおっ」

 

 後ずさり、ようやく全身が視界に入る。

 まず、顔を覆うペストマスク。そして全身を覆う黒いフード付きマント。下にはある程度のレザー装備を身に付けているのが見える。黒いフードは目深に被っており、正直《ラフコフ》のメンバーかと錯覚してしまう外見だ。

 

「あんたか?」

「ああ。呼び出したのはオレだよ。オレがナグリーだ」

 

 俺はメニューを開き、デュエル申請を行う。

 

《nagree にデュエルを申請しました》

 

 その画面を見て俺は頷き、ペストマスクのナグリーは×を押してウインドウを消した。

 

「確かにナグリーのようだな」

「疑り深い奴だな」

「そんな格好をしていれば当然だ。圏外だったら抜いているぞ」

「腰に剣を帯びていないのにか?」

「俺がただ剣を振り回すだけの騎士だとでも?」

「はっは。何をするかわからんからな、《黒騎士》は」 

 

 肩を揺らし、笑っている。失礼な男ではあるのだろうが、あまり気にならない。というか、そもそも。

 

「なぜ俺を呼んだ?」

「一応、呼んだのはお前だけなんだがな。両手に花とは良い身分だ」

 

 俺は二人に視線を移した。シルビアは「私は彼とコンビですから」と答え、リズベットは、

 

「《ナグリー》っていう鍛冶師がどんなやつか見に来たのよ。同じ鍛冶師(スミス)として、情報交換といこうじゃないの」

 

 そう啖呵を切った。

 ナグリーはペストマスクの奥の瞳を細め、

 

「リズベット。水車小屋で働く素朴な少女よ。散在する鍛冶師の中では腕は良いが、まだ足りぬな」

「なっ――」

 

 リズベットは絶句した。当然だ。出会い頭に侮辱されたことではない。唐突に変貌した芝居がかった口調にではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 プレイヤーネームが表示されないSAOにおいて、相手の名前を見るためにはパーティーを組むかフレンド登録をするか、先ほどの俺のようにデュエル申請を行うかだ。しかし、ナグリーは彼女の名前だけでなく、武具店の特徴である水車にまで言及した。

 と、なれば。

 

()()()()()のか。彼女を」

「当然だろう。この隔絶された世界で、マトモに鍛冶師を営んでいる者など五十人もおらん。彼女がオレの名を知っているように、オレも彼女の名は知っているだけだ」

「……光栄だわ」

「オレも同じ気持ちだ、と言っておこう。リズベット嬢」

 

 ナグリーは恭しくお辞儀をした。嬢、とは随分とキザだ。しかし、意外に様になっているのが妙な気分なのか、リズベットは僅かに頬を染めながら咳払いをした。

 

「さて、何はともあれ剣だ。《黒騎士》」

「なに?」

「お前が問うた本題だ。折れたんだろう。鍛えてやる」

「……まさかとは薄々感づいていたが、なぜ俺の剣が折れたのを知っている?」

「自分の鍛え上げた剣だ。尽きればわかる」

 

 俺はリズベットを見た。リズベットは「んなアホな」 と言わんばかりの表情でぶんぶんと首を振る。

 俺はその反応を見てからナグリーに向き直り、

 

「……本当にわかるのか?」

「わかるとも。オレの作品(こども)達だ」

 

 もう一度リズベットを見ようかとも思ったが、すでに彼女の口からは「んなアホな」という呟きが漏れていた。

 

「――お前、もしかしてNPCじゃないだろうな」

「NPC? これは折れた剣の代わりに新たな聖剣を入手するためのクエストで、オレはその導き手だとでも? 連れの女騎士と女鍛冶師との睦事があるとでも? 随分とロマンテストなんだな、《黒騎士》」

「そこまでは言っていない」

 

 無意味でつまらない突っ込みであることは重々承知しているが、ここで猥談に噛み付いては余計にこじれそうだ。一つ否定するだけに留めておく。

  

「……まあ、この変わり者は間違いなくプレイヤーだな」

「そうね。変人って聞いてるし」

「緑のアイコンも出ていますし」

 

 リズベットとシルビアは頷く。

 

「まあ良い。本題に入るぞ」

 

 ナグリーは俺達を手招きすると歩き出す。そこまで長くは歩いていないはずだが、ナグリーは「ここだ」と言って歩みを止めた。

 

「教会?」

 

 《はじまりの街》に点在する教会の一つ。随分と隅にあり、小さい建物ではあるが、十字架を掲げた厳かなそれは教会に間違いない。

 ナグリーは教会のドアを開く。祭壇と、その前に並んだ長椅子。チャペルという言葉が浮かぶが、確か厳密には教会とチャペルは別物だったはずだ。

 ナグリーは迷わず中央を歩いていき、司祭のNPCを横目に奥の扉をくぐる。俺達は司祭に会釈をしながら後に続き、扉の奥を覗き込むと、

 

「なっ――」

 

 鍛冶場だった。鉄床、砥石、ふいごのついた巨大な炉。壁一面に並んだ武器の数々。

 ナグリーは勝手知ったると言わんばかりに、丸太を切って作った椅子に腰を掛けた。

 

「教会の中に鍛冶場を作るとは、なんとも罰当たりな人ですね」

「罰当たりかも知れんが、これでも信仰心があるからここにいる。主に祈り、捧げることで剣は力を宿すと信じているからな。もちろん、主はそれでも『剣を納めよ』と言うだろうがな」

「教養があるようでなによりだ」

 

 聖書の言葉を引用したナグリーに対し、俺は皮肉をこぼした。俺はこの読めない男に困惑しきりだった。リズベットなど先ほどから一言も発していない。

 

(……いや、違うようだ)

 

 リズベットは眼を皿のようにして鍛冶場を見渡している。俺達剣士が相手の武器や防具を見定めるように、鍛冶師である彼女は鍛冶場を見ているのだ。

 鍛冶道具にレアリティがあるかはわからんが、道具の配置など、使い勝手の良さによっても経験が伺えることだろう。

 

「さて、何がいい? なんでも言え。なんでも作ってやる」

 

 ナグリーは両手を広げて俺を見た。

 

「金はあまり持っていないぞ」

「オレはサービス精神が旺盛でな」

 

 どうにも信用できなさそうな台詞であるが、払えない金額を吹っ掛ければ商談は成立しない。俺が損をするわけでもないし、構わんだろう。

 

「片手半剣。頑丈さと威力重視」

「心得た」

 

 ナグリーはストレージから幾つかの鉱石と素材を取り出し、炉に放り込むとふいごを使って風を送り込む。 

 鉱石は光り出すと一つに纏まってインゴットとなり、ナグリーはそれをさらに熱していく。

 赤熱していくそれを眺めていると、何かタイミングでもあるのか、ナグリーは素早くやっとこでそれを取り出し、鉄床に置く。

 そして、くるくると上に跳ね上げたハンマーをキャッチし、構える。ハンマーがライトエフェクトを纏い、

 

「ふっ!」

 

 インゴットに向けて、三連撃のソードスキルを繰り出した。確かあれは《トライス・ブロウ》だったか。

 

「ぜぇ!」

 

 続けざまに回転して二連撃。あれはなんだったか。頭に手を当てながら記憶を探っていると、「《トリニティ・アーツ》だったと思います」とシルビアが耳打ちしてくれた。納得すると同時に、耳にかかる吐息が俺を妙な気分にさせる。

 

「そいよぉ!」

 

  片手棍にしては珍しい回数の多い連続技。乱雑にも見える七発の打撃。

 

「あれは覚えている。《ブルータル・ストライク》だ」

「あら」

 

 もう一度耳打ちしようと顔を寄せていたシルビアが残念そうな顔になった。頼むから不用意に顔を寄せないでほしい。

 しかし、あのような乱撃技であっても、的確にインゴットを打っている。戦士としての技量もかなりのものだとわかる。

 

「だっしゃぁ!」

 

 《ミョルニル・ハンマー》。名前の由来は言わずもがな。三連撃の叩き付け。

  

「そろそろか――」

 

 そう呟いたナグリーは、裂帛の気合いと共にソードスキルを放った。

 

「ぜぇらっ!」

 

 旋回しながらの連撃。身体の回転による遠心力を余すことなく打ち付けるその技。あれは見たことが無い。

 

「《ヴァリアブル・ブロウ》……!?」

「そういう名前なのか?」

「あれはメイスの熟練度をマックスにすることで修得できる、七連撃の奥義技よ。あたしだって最近ようやく覚えたのに、あんなに使いこなせてる奴がいるなんて――っ」

 

 奥義技。片手直剣の《ノヴァ・アセンション》のような、手数が多く、威力も高い必殺技だ。当然威力ブーストも難易度が高く、SAOが始まって一年経った今でも、使いこなせるプレイヤーはそういないだろう。

 遠心力と体重を乗せた最後の一撃がインゴットに叩き付けられる。その瞬間、インゴットが輝き始め、形を変えていく。

 

「22回か。良い感じだ」

 

 ナグリーは満足げに頷くと、変容した剣を握った。

 拳二個分の柄に、丸い柄頭(ポメル)。鍔は中心から外側になるにつれ、切っ先の方へ緩く湾曲している。片手直剣よりも幾分か長く、鍔元が張り出した両刃の刀身。それらは鈍い鋼色に輝き、刃を彩るように、刀身に赤のラインが走っている。

 

「名前は、っと……《サンセットブレード》。夕暮れの剣とは、小洒落た名前だな」

「《マリスブレード(悪意の剣)》よりはマシなネーミングだと思うがな」

 

 俺の言葉にナグリーは鼻を鳴らし、俺に《サンセットブレード》を渡した。

 

「なるほど――」

 

 広いスペースまで移動しつつ、手の中で回していく。柄のスペースを意識して握りなおし、回転しながら全力で横薙ぎに振るう。

 切っ先が走り抜けるような感覚。何の違和感も無く、湾曲した鍔で取り回しも良い。

 

「……悪くない」

 

 思わず口に笑みが浮かぶ。

 

「セドリック。少し見せてもらっても良いかしら」

 

 俺は剣を手の中で回すと、リズベットに柄を差し出す。

 リズベットは柄頭を指先で叩き、プロパティを見る。

 

「――本当、良い剣ね。未強化なのに攻撃力は高い。耐久値も、強化施行上限も、普通のものの平均以上だわ」

「本当……私と打ち合ったのが、この剣でなくてよかったです。本当に折られていたかもしれない」

「そうかそうか。オレの剣はリズベット嬢も驚嘆の傑作か。それはよかった」

  

 ナグリーはニヤリと笑って――ペストマスクで見えないが、目が細められた――肩を揺らした。

 リズベットはむっとした表情ではあるが、怒りよりも驚きが強いようだ。

 俺は逆手のまま剣を持ち上げ、

 

「これの代金は?」

「見てのお帰り、というやつだ。いや、この場合は『使ってのお帰り』かな?」

「――つまり、好きな代金を払えと?」

 

 そういうことだ、と頷く。よほどの自信があるのだろう。だが、そうさせるだけのものがこの剣にはある。

 俺は30万コルを実体化させ、ナグリーに渡した。

 

「こんなものでいいか」

「なんだ、存外妥当だな。もう一声くれても良いぞ?」

「次に剣が折れたらまた頼むさ」

「次、か……ふっ」

 

 意味深な笑いを浮かべた。なんだ、と聞き返す。

 

「次はリズベット嬢に頼むと良い。きっとそれ以上のものを作ってくれるだろうさ」

「あ、あたし――?」

 

 困惑するリズベットに、ナグリーは頷いた。

 

「《黒騎士》に言ってたじゃないか。『いつかナグリー(あいつ)よりも良い武器を作ってやる』と」

「なんでそんなことまで知ってんのよっ!?」

 

 リズベットの絶叫は尤もだ。日常会話でさえ聞かれているとは、《ネズミ》もびっくりな情報収集能力だ。

 ナグリーはウインドウから木材を取り出すと、削り出していく。鞘を作っているようだ。

 

「ま、ここで会えたのも良い機会だ。まだ時間もあるし、ついでに何でも聞いていけ。オレに興味があるのだろう?」

「気持ち悪い言い方しないでくれるかしら」

 

 リズベットは溜め息を吐くが、すぐに真剣な表情になる。

 

「さっきの剣に使った素材って?」

「さて、何だったか。ベースの金属はただの鉄鉱石だ。それに騎士型モンスターからドロップする《折れた剣》と、狼男の《凶悪な犬歯》、あとは大昔拾った《翼竜の炎牙》を、()()()()()()()()()()()()()()()()

「混ぜこむって……そんなことできるの?」

「素材同士の相性が良ければ、な。そこそこの鉄鉱石でも、作られるインゴットの質をかなり引き上げることができる」

 

 リズベットは更に踏み込んで聞こうとするが、ナグリーは手で制した。

 

「言っとくが、やめといた方が良いぞ。素材同士の相性なんて試さなければわからんし、失敗すれば素材は戻ってこない。そもそも、これは『ほどほどのレアリティの素材』から『高レアリティのインゴット』を作るためのものだ。本当に良い剣を作るなら、元から良質な素材で作られたインゴットをそのまま剣にする方が良い」

 

 素材で勝負、というのは変わらないのですね、とシルビアも興味深そうに聞いている。

 

「その通りだ。オレの見立てでは、55層の雪山だな。あそこは良いものが採れるぞ。覚えておくと良い」

 

 リズベットはこめかみに手をあて、情報を記憶している素振りを見せている。 

 

「あのー、なぜ貴方はこんなところに工房を構えているのですか?」

「んん?」

 

 シルビアの質問に、ナグリーは訝しげに唸った。

 

「さっき説明したろう。信仰心だ」

「いえあの、わかりづらかったというか、なんというか……ともかく、あなたほどの腕ならもっと上でも店を構えられるのでは?」

「ふむ、そういうことか。他にも理由はある。ここはなんだかんだでアクセスが良いんだ」

 

 というと、と俺は聞いた。

 

「民間人RPをしているプレイヤー。《軍》の一員であるプレイヤー。日銭を稼ぐために外に出て戦うプレイヤー。まあそんな連中は見ていて面白い。特に面白いのは、ゲームが始まって一年と二ヶ月ほど経った今でも、たまに一層から上の階を目指す者も現れることだ。そいつらにほどほどの武器を売る。他にも、最前線で露天売りして稼ぐもよしだ。先も言った通りここはプレイヤーが多いからな。最前線が進んだ情報などはすぐ耳に飛び込んでくる」

「ここに鍛冶屋を構えると売りやすい、ということか?」

「だから言った。それは()()()()()()と。稼ぐだけなら武器だけ担いで攻略組のところへ売り込めばいい。はっきり言おう。これは単にオレのこだわりだ。リズベット嬢が水車小屋で鍛冶屋を営んでいるように。《黒騎士》が堅苦しい口調で話すように」

「ああ、なるほど。これは的外れな事を聞きました」

「なに、気にするな女騎士」

 

 あと一つだけいいかしら、とリズベットは口を開いた。

 

「どうぞ、リズベット嬢」  

「ナグリー。貴方は、剣を作るとき何を考えてる?」

「何を考えて、か」

 

 ナグリーはペストマスクの嘴を指で弾きながら応えた。

 

「使い手のこと、仕上がる剣への期待、鉱石の変化していく様、剣士へ渡る我が子(つるぎ)への愛情……様々なものが思い付く。だがきっと、これらは後になって考えたからこそ出てくる回答だ。鍛えるときには、おそらくそれらが綯い交ぜになりながら打っているのだろうな」

「打つときに、ソードスキルを使うのは何故?」

 

 それは俺達も話を聞いたときから疑問に思っていたことだ。リズベットなら尚更だろう。聞かずにはいられまい。

 ナグリーは少し考え込み、ふむ、と言った。

 

「それに答えるにはまず、今の質問を返してからにしよう。リズベット嬢。君は何を考え、どのように剣を()つ?」

「あたし、は……」

 

 リズベットは腕を掴み、考え込む。

 

「スパッと言葉には出んだろうな。なら聞き方を変えよう。剣を鍛える際、雑念と共に、ぞんざいにハンマーを振るうか?」

「いいえ。あたしは一つだって、気を抜いて叩くことなんてしないわ」

「そうだろうな。良い鍛冶師に共通するのはその武器に対する誠実さだ」

 

 ナグリーは立ちあがり、壁に立て掛けられている剣達を指でなぞる。

 

「確かに、インゴットを炉で熱して叩けば剣は作れる。だが、()()()()()()()()()()()()()()()は、おそらく別物だ」

「貴方もそう思うのね」

「ああ。ここはゲームの世界だ。データによって作られ存在する世界だ。神の御業ではなく、人が技術で作り出した世界。そこに神秘は無い。だが、それでもこの仮想世界において、意思はおそらく重要な項目だ」

 

 意思。俺はその言葉に同意した。

 

「そうだな。偽物の身体に、偽物の世界。そう結論付けるのは簡単だし、実際それは真理だろう。この仮想世界は、決して現実世界ではない」

 

 だが、と俺は続ける。

 

「その世界でも唯一本物を使っているものがある」

「そうだな、《黒騎士》。わかっているようでなによりだ」

 

 ナグリーは満足げに頷く。

 シルビアは俺を見て聞いた。

 

「本物、ですか?」

「ああ。《脳》だ」

 

 のう、とシルビアは口を動かした。

 

「意思、と言い換えても良いかもしれないな。身体も剣もポリゴンで構成された偽物でも、それを動かす意思は本物だ」

「……なるほど、確かに」

「だから、鍛冶にも打ち込むための意思が重要だってこと?」

 

 リズベットの問いに、ナグリーは片手をあげてヒラヒラと振る。

 

「確証は無い。意思の干渉などそもそも無いかもしれない。だが、ナーブギアには、感情を読み取る機能が()()()()()()()()。なら、試してみる価値は充分にあるということだ。もう少し真摯(まとも)にこの世界を生きていけば、ここに閉じ込められたという現状にも、意味を見出だすことができるだろうさ」

「……まあ、説得力はありますね」

 

 シルビアは頷き、俺を見てくる。 

 

「ああ、俺もそう信じる。そうでなければ、この世界に意味が無くなってしまう。俺はこの世界を無意味にしたくない。だからこそ足掻くことを決めたんだ」

 

 俺の言葉に、こちらを向いたシルビアは真剣な表情で問うてくる。

 

「無意味にしたくない、ですか?」

「ああ。仮想世界を無意味と断じれば、ここで戦った俺達の意味も、ここで死んでいったやつらの意味も無くなってしまう。あいつらのためにも、俺は戦わねばならない」

 

 俺が目の前で拳を握り締めながら言った言葉に、シルビアは息を呑んだ。

 

「やはり、貴方は――」

 

 その先は聞き取れなかった。俺は構わず、ナグリーを見た。

 

「良い覚悟だ《黒騎士》。だからこそオレが剣を託す価値がある」

 

 ナグリーは赤革に包んで装飾した鞘を投げ渡してくる。

 

「その気高き自己犠牲の心が折れるのが先か、オレの剣が折れるのが先か。ああ、お前はゲームの登場人物としてはそれなりに面白い。お前のサイドストーリーがあってもいい、と思えるほどに」

「お褒めにあずかり光栄だ、ナグリー殿」

 

 鞘を受け止め、《サンセットブレード》を納める。

 

「俺が折れるかどうか、あんたの剣が折れるかどうかはわからん。だが、どんな時であっても、俺は常に剣を握っているだろう」

「その意気だ。良くも悪くも、お前は攻略組を代表する《黒騎士》だ。お前が折れることは、多くのプレイヤーに影響を及ぼすだろう。くれぐれも自愛することだ」

「自愛、か。どうにも俺はそういうのが苦手でな」

「なに、美味いものを食って寝れば良い。オレはそうしている」

「美味い物、か……」

「……そういえば」

 

 シルビアが思い出したように声をあげ、

 

「あなたがしっかりとした料理を食べているのを、見たことがありません」

 

 そう言った。



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18話

真面目回です。セドリックのネガティブシンクを見守ってあげてください。


 その日の夜。少しお話をしませんか、とシルビアは俺の部屋を訪ねてきた。

 

「突然どうした」

 

 ギルドホームの自室のベッドに腰掛け、作られたばかりの《サンセットブレード》の刀身を油と布で磨いていた――僅かだが耐久値が減少しにくくなる――俺は、突然の訪問者に対して当然のごとくそう聞き返した。

 

「まあ、質問と言うか、そんな感じの興味がありまして」

「興味?」

「前からずっと思っていたんです。あなた、いつも何を食べてます?」

 

 部屋の中へ歩いて入ってくると、シルビアは部屋を見渡して金属椅子を眺めた後、「やっぱりあの椅子は嫌ですね」と首を振り、俺のとなり(ベッド)に腰を下ろした。

 俺は少し腰を浮かして距離をとって座り直すと、食ってるものか、と思い返す。

 

「基本パンだな。これに関しては皆同じだろう」

「もちろん主食(きほん)はそうですけど、普通はみんなそれだけでなく、色々なメニューを頼むものです。ですが、あなたは素朴なパンだけをいつもかじってる」

 

 意外にも、踏み込んで問い質してきた。シルビアの性格的に、あまり人にあれこれ言うタイプではないだろうに。

 ここは騎士として素直に答えるべきだろう。しかし、本当の理由を言うことが憚られ、少しばかり冗談めかして笑うと、

 

「素朴なパンを食べることは別に構わんだろう。パン・ド・カンパーニュなど、田舎パンはシンプルだからこそ味わい深いぞ」

「ええ、私もカンパーニュ(それ)は好きです。ですが、いくらなんでも三食全部、ほとんど同じパンを食べるのは厳しいものがあります」

 

 アインクラッドではそういったパンのみで食事を済ませている俺は、少しだけばつが悪い。それもあるが、シルビアのこういう尋問するような口調も珍しい。なにか聞きたいことでもあるのだろうか。

 そう考え込んだ俺に対し、シルビアは僅かに姿勢を正して追求した。

 

「単刀直入に聞きます。貴方はどうして()()()食べないのですか?」

「どうして、と言われてもな。むしろ、どうしてお前はそこにこだわる?」

 

 決まっています、とシルビアは腕を組んだ。

 

「『食事にしましょう』とお店のテラスに座りますよね。そこで料理を注文すれば良いのに、貴方はわざわざパン屋へ行って、一番安いパンを買ってきて食べています。これで疑問を持つなという方が無理な話です」

「……そうだろうか」

「そうです。ファミレス(じょいふる)に入って、コンビニで買ったパンを食べるようなものです」

「……まあ、そう言われると確かに」

 

 変わっているというか、非常識というか。俺だって知り合いがそんなことをしたら止めるだろう。仮想世界という異世界で、しかも開放的なテラスであるから、あまり変だと感じなかったのだろうか。

 というか、現実世界のレストランの名前を普通に出したことに驚いた。あの店が全国にあるのかは知らないが、奇妙な親近感が沸く。

 

「お金に困っているというわけではないのでしょう? さっきなんて、あんな大金をポンと出しますし」

「まあ、ほぼ毎日前線で狩っているしな」

「なにか欲しいもののために貯めているとか、でもない?」

「そうだな。プレイヤーホームを買おうとも思わない。まあ、誰かさんがシェアしてくれるなら、喜んでご一緒するが」

 

 俺のあてつけるような言葉を聞いても、シルビアはにこにこと笑っている。気にしていないというよりは楽しそうにも見え、俺が意趣返しのつもりでからかうために言ったことがわかっているのだろう。

 まったく、どうしてこんなに生意気なのか。最近気付いたのだが、俺はどうにも彼女に子供扱いをされているような気がする。

 見た目から見れば、彼女の方が俺よりも年下のように見えるのだが。少なくとも俺に対して、こんな扱いをできるような年齢には思えない。

 聞いてみようかとも思ったことはあるが、女性に年齢を訪ねるのはネットゲームとか関係なしにマナー違反だ。やめておく。

 

「その時は一緒に住むよう声をかけてあげますよ。まあともかく、貯金をしているわけでもないんですね」

「ああ。昼間の剣の支払いを見てわかるかも知れんが、俺はむしろ金があると散財する方だ」

「なら、どうして食事にはお金を使わないんですか? 確かにアインクラッドの味つけには賛否ありますが、美味しいものは間違いなくありますよ?」

 

 ――おそらくではあるが。

 

「そうだな……まあ、あまり面白い話でもないんだが」

 

 ――彼女は、その理由に感づいているのではないだろうか。

 

「構いませんよ。貴方の事が知りたいんです、私は」

 

 それを聞き出そうとするのだから、むしろ俺は話すべきなのだろう。

 そもそも、「何を食べているか」という話題は、俺の本音を聞き出すための切っ掛けに過ぎなかったのかもしれない。

 

「ではまず、俺が自覚している結論を先に言おう。俺は()()()()()()()()()()

「……そうなのですか」

 

 やはり、多少なりとも予想はしていた答えだったのだろう。シルビアは驚くことはなかった。

 

「贅沢とは言っても、剣や盾の為に金を使うことは躊躇わない。それは攻略のために必要なことだからだ」

 

 そこで俺は自分の言葉に対して首を振り、

 

「いや……正確には、攻略のために必要だと()()()()()()()()()

「言い訳、ですか? 事実なのに?」

「事実だが、それでもだ。俺は――戦わなければならない」

 

 俺は握っている剣を眺めながら続ける。

 

「戦わなければ……?」 

「ああ。俺は、攻略のために剣を振るわなければならない。俺は、ここで生きている意味があったのだと。俺は、僅かでも有用な存在であったのだと。俺が生き残り、戦っていることは――弔いになるのだ、と」

 

 俺の言葉を聞きながら、シルビアがぎゅっと膝の上で拳を握ったのが見えた。

 

「それを、証明しなければならない」

 

 鞘を持ち上げ、ゆっくりと剣を納める。チン、と鍔が鳴る。

 

「――なるほど。だから、貴方は――」

 

 消え入るような呟き。俺はそれに気付きながらも続ける。

 

「こんなものは抽象的な表現だ。こんなデスゲームが起こっているのだし、他の奴等だって、同じような理由で戦っているやつはいるだろう。だが、結局はそんな月並みな思考が原因なのだと思う。だからこそ俺は、()()()()()()()()()という、攻略にはなんの関係もない行動に対して忌避感がある」

「美味しいものを食べて喜ぶことは――()()()()()()()()、ということですね」

「ああ。俺はそう考えてしまう。どうしても何かを食べている間、()()()()が、『今の俺を見たらどう思うのだろうか』と考えてしまうんだ」

 

 今だってそうだ。成り行きでパーティを組んでいるとはいえ。流れで決められたリーダーであるとはいえ。

 好みの女性二人とゲームをしているというこの現状を、幸運と感じ、満喫しているのだ、俺は。

 楽しいと感じているのだ、俺は。

 そうやって喜んでいる自分を、別に構わないだろうと認めている自分がいる。死んだ友を忘れて楽しんで良いのかと侮蔑している自分がいる。

 そして、その二つの感情に板挟みになり、自己嫌悪に苛まれていく。俺はまだ生きている。生きなければならない。戦わなければならない。苦しまなくてはならない。

 今すぐにでもフィールドへ出てこの剣を振るい、休息などする暇もなく、戦って苦しむ必要があるのではないか。

 レイとディアベルの意思を継いだのだ。ゲームのクリアに貢献すると誓ったのだ。

 俺が無意味になってしまうと、レイの死も、ソーヤの苦しみも、全て無意味になってしまう。

 

 そして。

 

 そうやって戦い、苦しむことこそが。

 

 ――そうした、無様な俺の姿こそが。

 

 ――俺のせいで死んでしまったあいつらが。

 

 ――俺を、()()()()()()()()()()()()()()()()、見たがっているものなのではないだろうか。

 

 我ながらネガティブにもほどがある。そう冗談を言って笑うことはできるだろう。

 だが、死んでしまったあいつらが、今の俺を見たらどう感じるのだろうか。

 あいつらは良い奴等だった。わかっているつもりだ。俺を恨んでいるかどうかなどわからない。

 だが、それでも罪悪感は常に付きまとっている。何をするにも、一人になって考えればあいつらが思い浮かぶ。際限なく沸き上がる吐き気と後悔に、懺悔をせずにはいられなくなる。

 すまない。俺はお前達を死なせてしまった。俺が動いていれば、死ななかった筈なのに。お前達を死なせてしまったのに、俺はまだこんなところでのうのうと生きてしまって――

 

「セドリック」

「――っ」

 

 シルビアの声が俺を引き戻してくれた。

 おもわずシルビアの顔を見る。心配そうな、何かに勘づいているような。そして、その何かがどのような類いのものかわかっているからこそ、安心させるように微笑んでくれる。

 

「……すまん」

 

 不安と自己嫌悪と罪悪感に苛まれている俺の事情を、彼女はなんとなく察しているのだろう。そして、なんとかしてくれようとしているのだろう。会って幾ばくも経っていない俺を気にかけてくれているのだ、彼女は。

 

 その程度の関係でしかない俺の罪悪感を、軽くしようとしてくれているのだ。

 

 ああ、泣きそうだ。本当に。だが、ここで涙を流すわけにはいかない。彼女に甘えてしまってはいけない。

 俺はきっと、()()()()()()()()()()のだ。こうして発作的に罪悪に苛まれ、苦しんでいなければ、俺は俺を許せなくなる。

 自己満足と謗られるだろう。悲劇の主人公を気取っていると笑われるだろう。

 だが、そんな無様だと自覚していても、それをせずにはいられないのだ。それをしていなければ、いつか俺は本当に罪悪感に殺される。

 だから、深呼吸をし、押し留める。無表情を作る。苦しみを出してはいけないのだ。きっとこれは、誰かに共有してはいけない類いのものなのだ。

 俺は、抱えて、背負って、精一杯戦い抜いて。

 

 ――そして、その上でいつか俺は。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 私は、苦しみ、悲しみ、その上で平静に戻っていく彼の表情を見ていた。どのようなことを考えているのかはわからない。

 けれど、彼が自分を律しようとしていることは痛いほど伝わってきた。

 私が為さねばならないことは、この頑固な青年を解きほぐすことだ。

 

「セドリック」

 

 私はもう一度声をかけた。彼の名前を呼ぶ。

 頑固で誠実な騎士の名を。

 

「私は、気の利いたことは言えません。詳しく聞き出すことも、きっとまだできない。だから」

 

 うつむいている彼の顔を、肩に手を置くことでこちらを向かせる。

 

「私は、貴方の傍にいます。貴方がどれだけ自身を悔やんで、恨んでいても。後悔のあまり、どんな行動を起こそうとも。私は貴方を軽蔑しません。もちろん、その行動が間違ったものだと感じたら止めますが、それに行き着いた貴方の考えを否定はしません。貴方は――」

 

 私はぐっと込み上げてくるものを抑えながら、

 

「――もう少し、楽になっても許される」

 

 その言葉に、セドリックは大きく目を見開いた。歯を食い縛り、感情の決壊に耐えているのがわかる。感情が大袈裟に表現されると言われる仮想世界で、これほど耐えられるということは、きっと彼は心の底から、涙を流すことはしまいと耐えているのだろう。

 

「なんで……」

 

 そんなセドリックが、絞り出すように呟く。

 

「なんでお前はそんなに、俺を……!」

「――放っておけないんです」

「俺は、お前に優しくされて――お前が、俺を気遣ってくれて……嬉しいと感じてしまっている。自分は許されてもいいのだと思ってしまいそうになる! 俺は、まだ!」

 

 ――何も、為せていないのに。

 

 泣きそうな声で、囁くような声で、彼はそう発した。

 背を丸め、頭を抱える彼は、普段見上げている彼とは比べ物にならないほどに小さく見えた。

 

「セドリック。私はきっと、残酷なことを貴方に強いているのでしょう。貴方の後悔がわからないわけではありません。そうした自己嫌悪に陥ってしまう理由も、想像はつきます」

 

 肩に添えている手を離さずに続ける。

 

「だからこそ、私はこうしていなければならない。()()()()()()()と言わなければならない。こうやって貴方を肯定する人間が、一人は居なければならないんです」

 

 そうでなければ。

 彼は、本当に自分を殺してしまう。

 

「……わかっている。お前は、全部わかっているんだろう」

「全部の理由を正確にはわかっていませんよ。もし、貴方が話してくれるなら――」

「――それは、駄目だ」

「……()()、ですか?」

「――ああ。()()だ」

 

 その言葉を聞いて安堵した。

 

「そうですか」

「ああ。いつか、お前に話すときは来るだろう。今でさえこんなになっているんだ。いつか……耐えられなくなる」

「その時には私を頼ってください」

「なんでだ……」

 

 セドリックは拳を強く握りしめながら聞いてきた。

 

「なぜ、お前はこんな俺を――」

「言いましたよ。放っておけないと」

「だから、なんで――っ!」

「じゃあ、そうですね……貴方が話してくれたとき、私も話をしましょう」

 

 セドリックは思いがけず、といった表情でこちらを見た。

 

「お前の、話?」

「こんな私が、《騎士》を志した理由です」

 

 私は笑いかけながら、

 

「あ、でもあんまり期待はしないように。大して長くもないし、面白くもない話です。それでも、何故私がこんなにも貴方のために動くのか。その理由(こたえ)にはなると思います」

「――あのな、俺はお前に興味を抱いているんだ。そんなお前の話が、つまらないはずがないだろう」

 

 セドリックは冗談めかして笑ってくれた。私は、その顔を見てほっとした。

 こんな、交換条件にもならない内容。自分の抱え込んでいるものを話すかわりに、私の面白くもない話をすると言っているのだ。彼にとっては不平等も良いところだ。

 でも、どんな理由をつけてもいい。どんな言い訳を利用したっていい。私の話を聞きたいという単純な理由になってもいい。

 彼は、一度全部誰かに話して、吐き出して。そのうえでしっかりと自分を肯定されることが必要なのだ。

 

「――よし。もう大丈夫だ」

 

 そう言って顔をあげたセドリックは、すでにいつもの冷静な表情に戻っていた。

 彼はいつもこのような表情で、時に皮肉げに笑い、時に闘志を燃やしている。

 おそらく、ではあるが。

 きっとこれは、()()()()()という仮面なのだろう。彼が思い描いて(ロールプレイをして)いる《セドリック》という名の騎士は、きっとこのように自制心の塊のような、実直な騎士なのだろう。

 その仮面の下にはきっと、名前も知らない()()()()の感情が覆い隠されているのではないだろうか。

 

 

 

 

 疲れていることは自覚していた。

 何か感付かれていることも、きっと気付いていた。

 だが俺はもう少し、スマートに生きている自信があった。しっかりと、実直な騎士を演じることが(ロールプレイ)できていると思っていた。

 

 なのに、こんなにも醜態をさらしてしまっている。

 

 俺はもう、とっくに彼女に甘えているのだと気付かされる。

 しっかりと俺を慮り、励まそうとしてくれる彼女の存在が心地よい。全てを吐露し、彼女にそれを聞き届けてもらい、それでも俺に同情してくれることを願っている。

 浅ましい。俺は、なんと浅ましいのだろう。

 

――結局は、すべて自己満足でしかないのに。

 

 ああ、まただ。

 馬鹿が。何度同じことを考えた? どれだけ自問した? 無意味だと。自己満足だと。それでもやりきれない思いがあるから、俺はこうして背負っているのだ。何度その無意味さを痛感し、自問したとしても、俺はこのまま変わることはない。

 背負うならば受け入れろ。言い訳をするな。俺がここまで下らない自己満足を続けてきたのは、それ以外に答えが無いからだ。

 何度迷えば気が済む。俺だってうんざりしている。数えきれないほど繰り返してきた自傷行為。

 俺はゆっくりと立ち上がる。シルビアはそんな俺を真剣な表情で見上げてくる。

 

「俺はきっと、もうすぐ折れる。耐えられずに。いや……もうすでに耐えるのがつらいんだ。救われたいと願っているんだ」

「誰もそれを咎めません」

「そうだな。それを咎めているのは俺自身だ」

 

 俺は左手に持っていた、鞘に納まった剣を腰に装備する。

 

「まあ、きっとその時は遠くない。だから――」

 

 俺はシルビアをまっすぐに見つめ返す。

 

「お前には、俺の傍にいてほしい」

 

 ぱちくり、とでも表現するのか。シルビアが驚きに目を瞬かせた。

 

「……そ、それは、もちろんですが……」

 

 視線をさ迷わせ、少しうつむく。

 

「な、なんだか、その言い回しは……ずるいです」

 

 うつむいているその顔は赤い。気取った台詞。告白めいた言葉。それがある程度の効果を発揮して、ほっとする自分がいた。

 下手をすれば、無表情で「嫌です」と答えられる可能性もあったのだ。それを踏まえると、彼女の反応は重畳だ。

 俺は言葉を重ねるかどうか迷った。ここで余計なことを言えば彼女が考えを変えてしまう可能性がある。

 故に、待つ。彼女が落ち着くのを。

 シルビアは手の甲を口元に当て、表情を隠した。しかし、紅潮しながらのその仕草はどこか扇情的で、俺は僅かに落ち着かない気分になってしまう。

 シルビアはごほん、と咳払いをすると、赤い顔のままこちらを見た。

 

「先程の言葉に嘘はありませんよ。私はあなたの傍にいます。貴方が道を踏み外しても、私は貴方を見捨てません。ですから、貴方も――私の目の届くところに居てください」

「ああ。その時が来たら、お前に救ってほしい。情けない話だが、俺はお前を求めてしまっている。お前に頼りきってしまっている。意識的か無意識かわからんがな」

 

 だから、と俺は跪く。ベッドに腰掛けているシルビアの前で。彼女が僅かに俺を見下ろす高さ。

 俺は右手を差し伸べ、静かに息を吸った。

 

「俺と共に居てくれ、シルビア。こんな短い付き合いだというのに――俺は、お前に惚れてしまっている」

   

 この気取った姿勢も、台詞も、《セドリック》だからできることだ。きっと現実の《俺》には、こんなことはできそうにない。

 

「……めっちゃストレートですね、あなたは」

 

 シルビアは流石に恥ずかしいようで、両手で口許をおおっている。

 

「そういうお前は随分と照れ屋のようだ。俺なんかに迫られて、そんなに顔を赤くするとは」

「仕方ないでしょう、慣れてないんですから。そもそも、そんな全力で好意を示してくる人、珍しいですよ……そもそも、そういうことを言うなら順番ってものがあるでしょう。こんな、鉄作りの武骨な部屋で――」

 

 小声でぶつぶつと呟くシルビア。確かに唐突すぎただろう。しかし、彼女の見目に、彼女の剣技に、彼女の気質に惚れ込んでいる自分がいる。

 たった数日。一週間も経っていないというのに、俺は、どうしようもなく彼女を欲している。

 彼女はきっと、俺を受け入れてくれるのではないかという予感がした。俺の全てを知っても、しっかりと向き合ってくれる人なのではないかと感じた。

 だから。こんな、崩れかけで、脆い俺を、支えてほしかった。

 

「構わないだろうか。俺は貴女を頼ることになる。その代わり、命を賭して貴女を守り抜くと、俺はここに誓おう」

 

 真剣な俺の言葉に、シルビアはとうとう耐えきれなくなったようだ。「あーもうっ!」っと声をあげ、自分の頬を手でぱしんと叩く。

 そのまま大きく息を吐き、表情を整えたあと、俺に眼を合わせて照れ笑いをした。

 

「そうまで言い寄られては、私も応えないわけにはいきません。貴方のために、私もできることをすると誓います。この世界で生きる、()()()()()()()()

 

 一言一句、同じ言葉。俺が気に入って使用していたフレーズを、彼女が使用したことに驚いた。

 ああ、本当に。

 お前は本当に、俺好みの女性(ひと)だ。

 彼女が差し出されている俺の手に、ガントレットを外した自分の右手を乗せるように置いた。細く、色白な小さな手。女性用アバターだからか、それとも彼女自身の肌を再現しているのか。俺の腕を構成しているポリゴンとは違うその華奢な右手。

 この手が、あの剣を握っているのだ。

 この手で、彼女はあの強さを振るっているのだ。

 そう思うと、愛しさを感じる。俺はその手の甲に口づけをした。

 

「わっ!?」

 

 当然ながら、シルビアは俺の奇行に驚いた。真っ赤な顔を隠そうともせずに声を荒げる。

 

「な、な、何するんですか!! いくら騎士(あなた)でも、やって良いことと悪いことがあります!」

「あ、ああ、すまん。つい……ロールプレイが行きすぎた」

 

 俺の苦しい言い訳を、シルビアは非難がましくむむむ、と睨んでいる。

 しかし、手を払い除けられてはいない。彼女の右手は、未だに俺の手の中にある。

 嫌がっているわけではない、のだろう。

 

「ああ、もう! まだ心臓ばくばくですよ、私!」

「なら、手を離した方が良いか? このままだと、俺はもう一度同じことをしかねん」

「うぐっ……」

 

 非常に悩ましげだ。嬉しいような悲しいような。

 

「――さい」

 

 小さくシルビアが呟いた。俺は聞き取れず、少しだけ首をかしげた。

 

「離さないで……ください」

「ああ、お前が望むなら。こうして握っている」

 

 俺はしっかりと握り込む。

 

「――っ」

 

 シルビアは少しだけ吐息を漏らした。

 それを聞いて顔を見る。

 

――なんだ?

 

 彼女の表情が、張り積めたものになっていた。

 

「――どうした?」

 

 心配になって声をかける俺の言葉も聞こえていないかのように、自分の握られている手を見つめている。

  

「……温かい」

 

 本当に、小さく呟かれた言葉。聞き取れたのは奇跡だった。

 

「シルビア?」 

「――温かい、ですね。貴方の手の温もりがわかる。わかります……」

 

 そう呟かれる言葉。たった今実感したかのように。忘れていたものを思い出したかのように。含みを感じられる言い方だった。

 

「本当に、温かさを――感じられます」

 

 彼女の声が震えている。緊張だろうか、そう考えた瞬間、彼女の頬に涙が溢れた。

 

「っ――」

 

 俺は息を飲んだ。泣いている。だが、その泣き顔は不謹慎にも美しいものだった。鉄枠の窓から差し込む月明かりが彼女を背後から照らし、涙を煌めかせている。長い黒髪を月光が彩っている。彼女が泣いているというのに、俺は彼女の泣いている姿に、わずかな時間見惚れてしまった。

 

「どうした……?」

「なんでも、ありません……」

 

 なんでもないはずがない。彼女だって、納得させられるとは思っていないだろう。

 だが、先程までの俺は、きっと同じ状態だっただろう。

 だから。

   

「……そうか。俺にできることはあるか?」

 

 俺は追求しない。出来る限りのことを、自分にできる範囲で気遣う。

 不躾に踏み込むのではなく、支える。

  

「――手を」

 

 シルビアはぐっと手を握ってきた。しがみつくように。

 

「私の手を、離さないでください。貴方の手を感じさせてください」

 

 そのすがりつくような言葉。先程とはうって変わったか細い声。震えている身体。

 何が彼女をそうさせるのだろう。

 何が彼女を追い込んでいるのだろう。

 彼女は、何を抱えているのだろう。

 

(不思議ではあった)

 

 彼女は、この《SAO》の中だというのに、とても真っ当に生きていた。自然体だった。自分のことを《騎士》とは言うが、たまに冗談めかして言うだけで、俺のように芯から演じている面は少ないように思った。

 おそらく、彼女は素なのだ。このMMORPGの世界で。このVRの世界で。自然体で生きているのだ。

 俺やディアベルのような《騎士》ではなく。

 キリトやアスナのような《剣士》ではなく。

 レイやソーヤのような《戦士》ではなく。

 リズベットやナグリーのような《鍛冶師》でもなく。

 彼女は、そのどれでもない。装備こそ《騎士》ではある。だが、その振る舞いは至って普通の《少女》のものだ。

 

(ロールプレイではない、素の自分……)

 

 なのだと、思う。珍しいことなのだ、VRのRPGとなれば。自分でキャラクターを作れるとなれば。少なからず、人は自分を、《自分の描く理想のキャラクター》として演じ始める。

 俺などは特に顕著だ。口調を変え、性格を変え、考え方を変えている。

 それを、彼女はしていないんだろう。

 

(そうか、だから――)

 

 だから楽だったのだ。

 だから彼女の前では素を出せたのだ。

 演じることのない、装うことのない彼女の言葉だからこそ。その存在に惹かれ、救われているのだ。

 

「――オレ、お前に会えてよかったよ」

 

 自然と、そう言葉が出ていた。

 シルビアは俺の言葉に、驚いて顔をあげた。俺は少しおどけたように笑った。

 

「こんな状況だろ? お互い、張り詰めていたものもあったんだと思う。今はオレも、お前に何があったのかは聞かない。けど、いつか、オレにもお前の話を聞かせてほしい。《騎士》を目指した理由だけじゃなく、たぶん、なにか抱えている()()()()を」

 

 びくっと身体を震わせる。

 

「……何も、面白くないですよ?」

「構わん」

「たぶん、引きますよ?」

「どうだろうな。お前に対して引くかどうかは、オレにもわからん」

「……でも、聞いて欲しいので、いつか、どこかで」

「ああ。それで頼むよ」

「言っておきますけど、ちゃんと貴方の話も聞かせてくださいね?」

「っと――そうだったな」

 

 自分でも忘れていたことに驚いた。数分前まではあんなに取り乱していた俺だというのに。

 シルビアを気遣うことばかりで、自分の事など考えもしなかった。

 あれほどまでにあった罪悪感を、少しの間だが忘れることが出来ていた。

 やはり。

 

「やっぱり、オレにはお前が必要だ」

「……たぶん、私も同じです。私も、貴方になら話しても良いんじゃないかと思ってしまう。貴方ならきっと、私を受け入れてくれるって」

「その信頼に応えられるよう、努力するよ」

「……ふふっ」

 

 唐突に微笑まれた。まだ涙も乾いていない、泣き笑いの顔で。

 

「貴方、やっぱり真面目ですね」

「……そうか?」

「そうです。きっと、今の貴方は《本当の貴方》なんでしょうけど……《セドリック》と同じ、真面目な人です」

「――ははっ、そうか」

 

 認められた気がした。信頼を得た気がした。

 彼女に、一歩近づけた気がした。好意をぶつけ、受け入れてくれた彼女への想いが、一層大きくなった気がした。

 

「それはよかった」

 

――つまり。俺は浮かれていたのだ。

 

 俺は、忘れていたのだ。

 だから、罰だったのかもしれない。

 翌日。俺のもとに、一通のメッセージが届いた。

 最悪な報せが書かれたメッセージが。

 



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19話

 それからは順調だった。

 攻略の階層も進み、シルビアとの連携の練度もあがり、レベルも順当にあがっていた。《血盟騎士団》のギルドメンバーも増えてきたが、俺とシルビアのコンビはそのまま続けられている。二人ではできることは多くないが、俺もシルビアもかなりの高レベルプレイヤーのため、実力の不足はない。むしろ人数の少ない方が動きやすいため、フットワークの軽さを活かして便利に利用されていたりもする。

 例えば、下の階層への素材集めだ。

 

「ぜあっ!」

 

 狼男を斬り倒すと、爆散するポリゴンを剣で振り払う。

  

「よし、撃破」

「ですね。相変わらず良い剣です」

「お前もな」

 

 互いに剣を打ち合わせ、続けて拳をかるくぶつける。

 目が合うと、シルビアはにこりと笑う。

 

「なんだ」

「いーえ、別に?」

「それにしては嬉しそうだが」

 

 だって、とシルビアは手を広げて周りを示した。

 

「懐かしいと思いません? 私たちが初めてコンビで狩りに来たの、この迷宮区ですよ」

「……そういえば、そうだったな」

 

 シルビアと会った当時の最前線は、この狼男どもが闊歩する迷宮だった。両手剣を使用するパワー系のモブが大量に出てくる危険なエリアで、俺などは重金属防具を装備しないと安心して進めない。

 だというのに、そんな危険区域を胸元の薄いプレートと手甲と脚甲、額を覆うサークレットのみの軽金属鎧で、軽快に前線を跳び回って戦う我がパーティーリーダーには感心するほかない。

 

「まあ、多少な嫌な思いもしましたけどね」

「嫌な思い?」

「ほら、ボス戦で」

「――ああ、なるほど」

 

 片脚を欠損させられ、死にかけた時のことか。かなりの恐怖だったはずだが、それを「嫌なこと」で済ませるとは。

 そう口に出すと、シルビアはそれを聞いて考え込み、

 

「まあ確かに怖かったですけど、騎士様がかっこよく助けてくれましたから」

 

 んぐっ、と俺の口許から音が鳴る。

 

「私の名前を大きな声で叫びながら、無我夢中で駆け出してきましたね」

「い、いや……」

「正直、名前を呼ばれたときは、狼に脚を食いちぎられた時よりもびっくりしましたよ」

「それは、その……」 

「――でも、貴方が居なければ、私は間違いなく死んでいました」

 

 唐突な、努めて冷静な口調で紡がれる言葉。俺はその「死にかけた」という事実を噛み締めながら、

  

「――そう、なんだろうな」

 

 そう、呟いた。俺の考えが伝わったのか、わずかに身体を震わせるシルビア。俺はなんと声をかけたものかと迷った。気休めというか、気遣いは得意ではない。いや、正確に言うなら、どのような対応が正解なのかわからない。

 逡巡している俺に対し、シルビアは俺の右手を引っ張り、その手を自分の左手で握った。

 

「こういう時は触れても良いですから、こうして慰めてください」

「最近セクハラで訴えられる事案が多いからな。男としては難しい」

「……セクハラって言われるようなところを触るつもりなんですか?」

 

 完全に墓穴を掘った。なんと弁明したものか、と口を中途半端に開いたまま固まっていると、シルビアは少し呆れたように溜め息を吐き、

 

「まあ、貴方なら触れることを許しますが」

「なにっ――」

 

 俺の驚いて漏れた呟きを聞き逃さなかったシルビアは毅然として言い放った。

 

「冗談に決まっているでしょう。まあ、こんなことを言った私が言うのもなんですが、あまりそういう話に食いつくのは感心しませんよ」

「……面目ない」

 

 仕方ないだろう、俺だって男だ。思うが、声には出さない。

 シルビアは前髪の毛先を右手で弄りながら、

 

「まあ、もちろん貴方の事は信用はしています。けれど、貴方が悪いことをしたら牢獄(ジェイル)に入れますからね」 

「そういう状況にならないことを願おう」

「まったくですね」

 

 シルビアは髪を払うと、手を握ったまま歩き出す。それに引っ張られる形になった俺はつんのめるようにして後ろを歩いて着いていく。

 

「おいっ、手を……」

「少しくらい良いでしょう?」

「お前がハラスメントって言ったら俺は牢獄送りなんだぞ」

「大丈夫ですよ。そもそもそんな表示出てません」

「出ていない?」

「はい。目の前にハラスメント表示なんて出てませんよ」

 

 不思議なこともあるものだ。なにか条件でもあるのだろうか。

 ちなみに、俺が彼女の手に口づけをした際は、しっかりとハラスメント表示が出ていたらしい。あのままシルビアが激怒して◯を押していれば、俺は牢屋で膝を抱えていただろう。

 だからこそ俺は不安を拭いきれない。

 

「しかしな――」

「あのですね。そんなに嫌ですか? 私と手を繋ぐのは」

 

 少し怒ったような、拗ねたような声色。俺は言葉に詰まるが、空いている方の手で頭をかきながら、

 

「……嫌なわけ、ないだろう」

「それはよかった」

 

 シルビアは答えを聞くよりも前に笑っていた。俺がなんと答えるかわかりきっているのだろう。あえて聞いてくるあたり質が悪い。

 

「ふふっ――ほんと良い反応してくれますね、貴方は」

 

 ――だが、まあ。

 

 こんなに嬉しそうに笑うのならば、俺も吝かではない。

 

「しかし、あれですね」

「なんだ、あれとは」

「しゃべり方ですよ。貴方の」

 

 何の話だ、と俺は肩をすくめた。

 

「あの時の《素の貴方》の口調、もう一回聞いてみたいです」

「断る」

 

 あの時はつい気が緩んでしまい、砕けた口調で話してしまったが、俺は騎士だ。騎士らしく、愚直で誠実さを体現するような話し方を心掛けねばならない。

 

「ただ格好つけているだけでは?」

「それの何が悪い」

「いえ悪いとは言いませんが。貴方、わりと人相悪いですし、その真面目そうな堅苦しい口調はあまり似合っていませんよ?」

「んなっ――」

 

 とんでもないことを言ってくれる。

 基本的に謗りを気にしない俺ではあるが、シルビアから面と向かって「人相が悪いし似合っていない」と言われるのは中々にショックだ。

 

「――だとしても、今さら変えられるか。キャラ崩壊などあってはならん」

「『普段は堅苦しいけれど特定の相手には砕けた口調』って、なかなか良いキャラだと思いますが」

「そういうのが好みか?」

「ええまあ、わりと」

 

 少しだけ心が揺れる。

 

「だが、それは両方を見るから味わい深いんだろう。その『特定の相手』からすれば、ただタメ口で話してるだけの相手にすぎん」

「んー、 そういう見方をすれば、まあそうですけど」

 

 そこまで話すと、眼前に光。モンスターが湧出するエフェクトだ。俺はシルビアの手から右手を引き抜くと、素早く腰の剣の柄を握った。

 抜き様の斬り上げを、出現と同時に叩き込む。リスキルもいいところだが、これはpvpでもないし、誰にも文句は言われない。

 俺の斬り上げは狼男の両手剣のポメルを強打した。握っていた両手がぶれ、右手が柄から外れる。

 その瞬間、跳躍しながら回り込んだシルビアが、落下の勢いごと振り下ろした剣で狼男の左腕を斬り落とす。切断された腕ごと重量級の両手剣が地面に落下すると、シルビアは更にその場で回転して狼男の首を《ホリゾンタル》で一閃した。

 弱点を的確にクリティカルヒットが斬り裂き、みるみる狼男のHPが減っていくが、残念ながら5センチほど残して減少は停止した。

 

「あら」

 

 シルビアが残念そうな声をあげると同時、俺は両手で握った剣を振り下ろしてとどめを刺す。

 爆散したポリゴンが晴れたあとのシルビアの表情は不満そうであった。

 

「惜しかったな」

「うーん、もう少し剣を強化しましょうか」

「この前強化に失敗して《速さ(Quickness)》が下がったばかりなのにか?」

「だからこそです。次はきっと成功します」

「ギャンブルだ」

「ネットゲームで今更なにを」

 

 肩をすくめたシルビアに、俺はそれもそうだと笑った。

 

「さあ、帰りましょう。なにかおいしいものでも食べに行きたいです」

 

 シルビアも俺の笑っている様子を見て楽しそうに笑顔になり、俺の背を押した。

 

 

 

 

 俺達が入ったのは、《グランザム》の片隅にあった小さな店だ。おそろしいほどひっそりと建っており、見付けたときには怪しさと興味が交ざった表情でお互いに顔を見合わせた。

 

「この《鉄腕牛の鎧焼き》ってなんなんでしょう」

「てつわん……? そんなモンスターなど見たことがないが」

「素材としても聞いたこと無いですね。えらく腕の固そうな牛ですが」

「頼んでみるか?」

「みましょう。貴方は何を?」

「俺は……そうだな。この《鉄骨鳥の砂鉄蒸し》にするか」

 

 なぜこんなにも金属推しなのだ、この店は。飲食店だというのに金属鎧を身に付けた店主のNPCに注文をしてから、シルビアにぼやく。

 

「どんなのでしょうね」

「初めて入る店は中々勇気が入るな」

 

 一口水を飲む。水が鉄錆び臭いなどということはなく、ほっとする。

 ほんの少しの間、二人でぼうっと座っていると、店主がごとりと皿を置いた。

 

「どれどれ」

 

 シルビアが皿を受け取って中身を見ると、鎧が置いてある。

 

「……これは、牛の脚か?」

 

 細長く、先に蹄の見える足首があり、そこからだんだんと太くなっている形状の肉。

 金属鎧は、この脚に張り付いているようだ。

 

「ああ、鎧焼きってそういう……」

「鎧付きの牛が居て、その丸焼きのようなものなんだろうな」

 

 シルビアがナイフとフォークを鎧の継ぎ目に差し込み、ひっぺがす。

 中からは色の赤いままではあるが、ジューシーな肉が顔をだす。

 

「これ生じゃないですよね?」

「火は通っているように見えるが」

 

 シルビアは一口サイズに切り分ける。が、その手付きはえらい力んでおり、少々乱暴にも見える。

 普段はかなり綺麗に食事をするシルビアにしては珍しい。

 

「いただきます」

 

 切り分けた肉をフォークで口に運ぶ。

 もぐもぐ。どうにもその咀嚼の所作もぎこちない。俺がじっくりと見ていることに気付き、シルビアは右手のナイフを置いてから口許を隠す。

 

「あの、あまり見ないでください」

 

 もごもごと喋る様子に、俺はたまらず訊ねた。

 

「どうだ?」

「んくっ――固いです」

 

 ふー、と息を吐く。

 

「けど、なんというか癖になりますね。スジ肉――うん、スジ肉とタンを合わせたような食感です。噛ごたえがありつつ、しっかりと噛めば噛み切れますね。しっかりと噛むほど味も出てきますし、油っぽくもないのでどれだけ食べても苦にはならなそう――あむ」

 

 二口目。咀嚼にえらく難儀しているようだが、わりと満足そうだ。当たりだったのだろう。

 

「一口あげましょうか」

「いいのか?」

「ええ、もちろん」

 

 シルビアはもう一切れ切り分けると、フォークに刺して俺に向ける。

 

「はい、あーん」

「ああ」

 

 俺は特に気にせずにそれを口で受け取り、肉を味わう。なるほど、確かに。味わったことのない食感ではあるが、癖になる。味も悪くない。

 

「いけるな」

「……そうですね」

 

 シルビアは不満そうに同意した。俺が「あーん」に反応しなかったことが気に入らないのだろう。

 馬鹿にしてもらっては困る。今までの経験からして、「一口あげましょうか」と言ってきた時点で確実にそうしてくると確信していた。だからこそ、俺は躊躇わずに食いに行くという行動をスムーズに行うことができた。

 してやったり、と俺はほくそ笑む。なんとも下らない勝利ではあるが、やられてばかりなのは性に合わん。

 

「さて、と」

    

 俺は自分の皿に目を向ける。こちらは言ってしまえば、わかりやすい骨付き鳥だ。

 ただ、その飛び出している骨は鉄であり、ちらほらと乾いた音を立てて砂鉄が肉から落下している。

 

「噛んだらガリッてなりそうですね」

 

 シルビアがもぐもぐと肉で頬を膨らませながら言った。

 

「気を付けるとしよう」

 

 注意深く砂鉄を手で払い、文字通りの鉄骨を手で掴んでかぶりつく。

 ギチ、とした食感。歯を立てて肉に食い込ませ、両手と顔を動かして食いちぎる。

 

「む……」

 

 ゴリゴリというか、ムギュムギュというか。そう言った音がなるほどの鶏肉。

 しっかりと噛み、飲み込む。

 

「どうです?」

「これは――そうだな。親鳥の弾力と砂ズリの歯応えを合わせたような感じだ。不思議な歯応えをいくらでも味わえる。鳥の皮もパリッと香ばしく焼き目がついているし、脂身もあってほどよく甘い」

 

 二口目。皮ごと肉に歯を立てる。皮をパリッと破り、肉から溢れる肉汁をしっかりと口の中に受け止める。ミチミチと音を立てながら食いちぎり、じっくりと咀嚼する。それなりに固いが、噛みきれないほどではない。

 

「うむ――中々美味いな」

 

 シルビアがそわそわとしているのを視界の端で見えているので、俺は握ったままの肉をシルビアに向けて差し出す。

 

「ありがとうございます。では遠慮なく」 

 

 シルビアは口を寄せてきて、俺に握らせたまま鳥にかぶりつく。何とも妙な気分になるが、これに関しては無意識にやったのだろう。

 咀嚼し、嚥下する。ふむ、と口の周りに付いた脂をぺろりと舐め取った。

 

「確かに、食感は独特ですね。好き嫌いは分かれるかもしれませんが、私は中々好きです」

「だな。ここは中々当たりだ」

「ですね!」

 

 そう頷くと、二人して目の前の肉をたいらげにかかった。

 

 

 

 

 目の前で骨付き鳥にがっつく彼を見て、私は胸が暖かくなる。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 その事実が、彼が少しずつ迷いを吹っ切っている紛れもない証だ。

 「贅沢をすることが怖い」と彼は言った。それに関しては、今となっても詳しく聞くことはしていないが、おそらく、亡くした仲間への負い目で楽しむべきことを楽しめなくなっていたのだろう。

 それはつらいことだ。もちろん、部外者である私には想像することしかできない。

 けれど、手助けをすることはできた。この頑固で背負い込みがちな、まっすぐな騎士を。

 私はそれを誇りに思う。()()()()彼を救えたのだと実感した。

 そんな彼と一緒に過ごせるのはとても楽しい。最近はずいぶんとよく笑うようになった。世間話とかしているときもそうだし、なにより――

 

(……なんというか、美味しそうに食べるなぁ)

 

 口の端に油を散らせながらもムシャムシャとがっつき、頬を緩ませながら満足そうに味わい、嚥下する。はあ、とこれまた満足そうに息を吐くと、楽しげに次の一口をかぶりつく。

 本当に美味しそうに食べる。私だって今ステーキを食べているのに、そっちの骨付き肉にかぶりつきたいと思ってしまうほどに。

 そんな風に思わせる食べ方は、普段クールぶってる彼とは違い、わんぱくな少年のようで。

 

「……かわいい」

 

 くすっと笑ってしまった。彼は耳ざとく私の呟きに反応し、しばし硬直。なにやら色々と思案していたようだが、少し経つと黙々と肉をかじり始めた。

 とてもクールに。

 きっと、「かわいい」と思われない食べ方を考え、あれにたどり着いたのだろう。本当にかっこつけたがりな人だ。

 

(……そういうところが一番面白いっていうのは、伝えない方がいいよね) 

 

 それを言ってしまえば、彼は確実にそれらをクールさで補ってしまう。なんだかんだでセドリックはそういうところが無駄に器用なので、やろうと決めたことは細かくやってのけてしまう。

 それはつまり、私の楽しみが減ってしまうということだ。彼との生活は、こんなゲームの世界での唯一と言って良いほどの楽しみだ。

 それが無くなってしまうなど、嫌だ。

 

「……ふぅ」

 

 ナイフとフォークを置き、一息。食べた食べた。心なしか顎が疲れた気がする。

 コップに残る水で口のなかに残るソースの味を流し込むと、もう一度「ふーっ」と息を吐く。

 

「満足そうだな」

 

 そう言われてそちらに顔を向けると、彼も彼で骨付き鳥を綺麗に――そして極めてクールに――平らげたところだった。

 

「ええ、とっても。ここまでがっつりお肉を食べたのなんて、アインクラッドでは初めてです」

「確かにな。ここまで下味が効いた肉は珍しい。炭酸が欲しくなる味だ」

 

 彼がコーラをぐびぐびと飲んでいる様子を思い描き、私はまたもや吹き出してしまう。

 そんな私を見てセドリックは眉をひそめ、

 

「俺、そんなに面白いことを言っているか?」

 

 不満そうに言った。

 

「ええ、とっても」

 

 もしここが現実世界で、黒髪の彼が学生服でも着て同じことを言ったなら、私だって「そうですね」だけで済んでいるだろう。

 だが、このデスゲームの世界で、《セドリック》という鎧を纏った騎士がそういうことを言うのは、たまらなく面白い。

 

「ふん……」

 

 その内心を告げることなく、不満げに唸る彼を、私はにこにこと見ていた。

 

 

 

 

「さて、後は装備の修繕か」

いつもの鍛冶屋さん(リズベット)のところへ行きましょうか」

「そうだな。できれば《サンセットブレード》の強化もしたいが」

 

 そういえば、ナグリーは何処へ消えたのだろうか。俺の剣を鍛え上げたが最後、姿を消してしまった。一層の教会へ向かったこともあるが、鍛冶場の痕跡はなく、がらんどうであった。

 やはりあいつはイベントNPCか何かだったのではなかろうか。一定期間だけ現れる、レア武器を入手できる特殊なやつだ。

 きっとその類いの存在だったのだろう、と考えることにした。

 そして、俺の剣を鎚でカンカンと叩いたリズベットは、満足そうに頷いた。

 

「はい、成功よ。なんか、性能が良いだけじゃなく強化成功率も高いわね、この剣」

「偶然だろう」

「セドリックはゲーム運は良いですからね」

「まあ、それもあるな」

 

 シルビアの言葉に、俺は誇らしげに頷いた。ゲームの中によくある、強化成功率やアイテムドロップ率などの確率においては、俺はほどよく運が良い。

 いわゆる「ガチャ」に関しては埒外だが。

 

「どうやったらこれより良い剣を……やっぱり素材かしら……」

 

 リズベットは独り言のように呟きながら俺の剣を鞘に納め、返してくる。筋力値がギリギリなのか、その手はどことなく覚束無い。

 それを受け取ると、次は買い取りをお願いします、とシルビアがクエストやボスドロップで手に入れた武器を取り出し、カウンターに並べる。

 

「はいはいっと。いつもご贔屓にしていただきありがとうございまーす」

 

 俺は何かを売るだけなら、50層で禿頭の偉丈夫が座敷を広げている怪しげな店に売るのも良いと思うが、彼女は武器は武器屋に、とリズベットの店へ売りに来ている。

 実際、ドロップ品の武器はそれなりに質も良く、依頼品の製作途中に貸し出したり、インゴットに鋳溶かしたりと便利に使っているらしい。

 そうしていつものように武器を一つ一つ調べていくリズベットは、そういえば、と口を開く。

 

「売ってくれるのは本当にありがたいけど、自分で使ったりはしないの?」

「片手槍は一応保管してますよ」

「ああ、シルビアは槍も使えるんだったっけ?」

 

 シルビアは頷くと、1つ槍をストレージから取り出して見せる。

 銀の穂先に、赤い柄。手のなかでくるくると回すと、肩に担ぐ。

 

「まあそうですね、最近はそれなりに。剣ほどではありませんが、なかなか面白いですよ。間合いが長いのはやはり良いです」

「スキル上げとか大変でしょうに、よくやるわね……セドリックは?」

 

 使用武器のことだろうか、と俺は腕を組んだ。

 

「俺は剣だけだ。《片手直剣》と《両手剣》」

「《曲剣》や《カタナ》は?」

「脆いし、そして切れすぎる。刃というのは研ぎ澄ませておくべきだが、だからといって触れたものすべてを斬るなどナンセンスだ。いらんものまで斬ってしまうだろう」

 

 肩をすくめてシルビアが口を開く。

 

「諸刃使いがそれを言いますか?」

「両方に刃があった方が便利でな」

「まあ私も西洋剣使いですし、それはわかりますけど――おサムライさんの前で言わないようにしてくださいね」

クライン(あの男)はカタナの悪口をも言わなくても俺のことは嫌っているさ」

 

 そう言いながら剣を腰に吊るすと、シルビアは肩を竦めながら槍をストレージに戻した。

 

「そういえば気になってたんですけど、セドリックはドロップ品は売らないんですね」

「記念にとっておきたくてな。それに、武器がなくなったときの予備として役に立つ」

「剣以外もですか?」

 

 ああ、と頷いた。リズベットが肩をすくめるように疑問を口にする。

 

「でも、あんた剣以外はスキルあげてないんでしょ? 使えるの?」

「手に握って、振ればダメージは与えられるだろう。イレギュラー装備判定でソードスキルが使えないということに目をつむれば、いくらでも使い方はある」

「へー、なるほど……まあ確かに、ステータスが足りてるならそれで十分戦えるのか」

「そういうことだ。振り回せばどうにかなる――まあ、仕様上の話でしかないがな」

 

 実際にいろいろな武器を振り回すことなどないだろうし。人の武器を奪い取れるほど器用でもないし。

 そこで俺は腰のベルトを見て、

 

「……ああ、そうだ。聞きたいことがあったのを忘れていた」

 

 右腰からホルダーに納まっている投げナイフを取り出す。

 

「鍛冶屋は《投げナイフ》カテゴリのアイテムは製作できるのか?」  

「そりゃもちろん。金属と槌があれば、鍛冶に不可能はないわ。魔剣クラスの投げナイフだって作ってあげるわよ」

「なんてコスパの悪そうな……」

 

 リズベットの大口に、シルビアは苦笑いを浮かべた。

 

「《魔剣・投げナイフ》はともかく、形状もか?」

「もちろん、ゲームに実装されているならね」

「なるほど」

 

 ふむ、と頷きながら、投げナイフをベルトに納める。

 シルビアは俺の様子を見て首をかしげ、

 

「なにか投げたいものでもあるんですか?」

「ああ……そうだな、ヘイトを稼ぐのに効果的な投げナイフが欲しい」 

 

 ヘイトを稼ぐと言えば、やっぱりダメージが大事でしょうか、とシルビアは呟き、

 

「ダメージが一番大きいものってどんなものなんでしょう?」

「そりゃまあ、大きいやつでしょ」

「威力よりも手数が重要な場合もあるが、基本的にはそうだな」

「手数重視――あ、確かに三本まとめて投げたりもしてますね」

「だが、数が多くなればその分消耗も多い。もちろん得物がでかければそれはそれで値が高いが、多少はマシにはなるかもしれん」

 

 財産管理とは厄介なものだ、という俺の言葉に、ふむんとリズベットは腕を組んだ。

 

「チャクラムとかブーメランは? 何回でも使えるわよ?」

「騎士が使うには少々似合わん」

「あらら」

「セドリックはわりと見た目重視ですよね」

「せっかくのRPGだからな。俺は騎士だ。それ以外のものになるつもりはない」

 

 ふむむ、とさらにリズベットは腕を組み替え、作ったような笑みをうかべる。

 

「現実の騎士様って、あんまり剣と盾のセットは使ってなかったらしいって聞いたことあるけど」

「俺も聞いたことあるが、そこはゲームだからな」

 

 ひらひらと手を振った俺に、シルビアも然りと頷いた。

 まあ野暮な話だとわかってて言ったのだろう。リズベットもさらっと肩を竦めて流した。

 

「……っと、店先で長話をしてしまった。すまないな」

「気にしないでいいわよ。今日はお客も全然来ないし。もちろん忙しかったら叩き出しますけど」

「ははっ、そうだろうな。接客商売は大変なものだ」

 

 腰のメイスを揺らしながらの言葉に俺は笑った。

 

「まあ、投げナイフカテゴリのことについてはこっちも情報を集めておくわ。もしかしたらまだ作られたことのないものもあるかもだし」

「その時は試させてもらう。まあ、《投剣》スキルをMAXにでもすれば、便利なMODか何かがあるかもしれんし、要修行だな」

「いま熟練度はどれくらいなんです?」

「859だ」

「あれ、結構高いんですね」

「よく物を投げるんでな」

「勢い余って剣まで投げないでくださいよ?」

「もちろんだ。武器を使い捨てるゲームではないしな」

 

 俺の冗談めかした口調に笑い合う。

 

「さて、と。そろそろ戻りましょうか。買わないのに店の中にいるのも失礼な話ですし」

「そうだな」

 

 「また頼む」と俺はリズベットに向けて頭を下げた。

 

「はいはーい。またのご来店お待ちしております」

 

 営業スマイルとお決まりの文句を言ったリズベットにシルビアが手を振り、店を出る。

 俺が手を離した扉をシルビアが静かに閉めたのを確認し、すっかり夕暮れに染まった町に目を移す。

 

「だいぶ時間が経ってしまったみたいですね」

「そうだな」

 

 真上は次の階層の底が覆い尽くしているが、その外側にはしっかりと赤に染まった太陽と、明るく照らされた雲がアインクラッド周辺を漂っている。

 綺麗なものだ。少なくとも、現実ではどの方向を見ても雲、などという風景は見れまい。

 

「すごいな、これは。壮観だ」

「ですね」

 

 にこりとシルビアは頷いてくれるが、

 

「でも私、あんまり夕暮れってあんまり好きではないんですよね」

「そうなのか?」

「はい」

 

 何故だ、と問い掛ける。綺麗だと思うが、と。

 

「だって、終わっちゃうじゃないですか。一日が」

「終わる?」

「はい。陽が暮れて、学校が終わって、帰る時間になって。友人とも別れて、一人で帰ってるときの寂しさが、私はちょっと苦手なんです」

「なるほど……」

 

 そう言われてみれば、覚えはある。三人で公園や町に繰り出して、木の枝を振り回しながら遊んで。幼い頃は、毎日そんな大冒険が繰り広げられていて、ずっと遊んでいたいと思っていた。だから、夕暮れになり、家に帰るのが嫌だった。

 そういうことなのだろう。確かに、そう考えれば、夕暮れとは――

 

()()()()()()()()()()()()()()、なんですよね」

 

 シルビアは、とても寂しそうな声で呟いた。

 悲しみの滲む表情をしたシルビアをなんとか慰めようと、俺は口を開いた。

 

「だが、陽が暮れて、家に帰れば家族が迎えてくれるだろう」

「そうなんですよね。でも子供の頃は友達の方が大事でした」

 

 くすくすとシルビアは笑い、でも、と続けて空を仰ぐ。

 

「夕焼けが綺麗なのはよくわかりますし、眺めるのは好きです」

「なら、存分に眺めるとしようか」

 

 二人で外周部まで足を運び、視界いっぱいに広がる黄昏の空を眺めた。

 雲と同じ高さに漂う城。そのファンタジーな世界を生きており、俺はその世界の美しさをこうして味わうことができている。

 

「変われた、と思う」

「はい?」

 

 唐突な俺の呟きに、シルビアは首をかしげた。

 

「俺はずっと、余裕がなかった。もうとっくにお前はわかっているだろうが、前までの俺はひどいものだった」

 

 シルビアは少しだけ口元を歪めた。笑い飛ばすべきなのか、悲しむべきなのか考えているのだろうか。

 だからこそ、俺は笑った。気にするなという意味を籠めて。むしろ、笑ってくれと言外に伝えて。

 

「お前のおかげだ。あの時も同じことを言ったが、何度だって伝えたい。俺は、お前に会えて良かったし、お前のおかげで――()()()()

 

 その言葉を聞いて、シルビアが顔を伏せた。ああ、我ながら臭いことを言っている。だが、そうしたって構わないくらい、彼女には感謝しているのだ。

 

「だから、こうして色々な物を見たり、楽しんだりできている。ああ――なんて言うのか」

 

 俺は照れ隠しに頭をかきながら、

 

「悪くないもんだな。こういうのも」

 

 そう言って笑った。

 シルビアはそんな俺を見て優しげに微笑むと、 

 

「ええ、悪くないでしょう? こういうのも」

 

 そう、誇らしげに胸を張った。

 俺は頷きながら、笑みを浮かべるシルビアを見つめた。

 ああ、最高のパートナーだ、彼女は。

 依存だとしても、虜だとしても。俺は確かに彼女を支えにし、立ち直ることができた。

 本当に、幸せだった。俺は彼女を愛していた。はじめから好みであったが、こんな俺を支えてくれた彼女に、俺は心酔していた。

 それが耳を塞いでいただけだとしても。

 それがただの現実逃避だったとしても。

 俺は確かに救われていた。

 人に頼ったものである以上、脆いものだとわかってもいた。

 

「ん?」

「どうしました?」

 

 だけど。

 

「ああいや、メッセージが来てな。見てもいいか?」

「もちろん」

 

 こんなにも早く崩れるなんて、思わなかったんだ。

 

「サーシャから……?」

 

 一通のメッセージが、届いていた。



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20話

 ずっと、暗闇のなかで座り続けていた。

 そうしながら、どれだけ経ったのかわからない。最初の日以来、まともに夕陽さえ見ていない。

 陽が登って、沈んでいく。そうした明るさの変化はなんとなくわかったけど、だからといってそれに関心もなければ、数える気も起きなかった。

 オレは、ずっと座り込んでいた。

 ずっと、頭の中で同じことが繰り返される。

 砕け散るポリゴン。砕け散る身体(いのち)

 泣きそうな顔になりながら、オレを励ましていた親友。

 オレはそれを拒絶し、とうとう堪えきれなくなったように、あいつは部屋を飛び出していった。

 諦めない、と。無駄にはしないとオレに告げて。

 

「すげぇよな」

 

 あいつは、こんなになってもまだ、攻略をしようとしてるんだ。

 ゲームクリアのために、何かしようとしてるんだ。

 

「オレは……」

 

 オレだって、わかってる。

 オレは、オレのできることをしなきゃならないんだと、わかってる。

 けど、槍を捨てた。鎧も捨てた。素材も捨てた。

 

 自分(ロール)を、捨てた。

 

 プライドなんてない。ゲームをプレイする気にもならない。

 当たり前だ。

 

「兄さん――っ」

 

 兄が、死んだんだ。

 オレの目の前で。

 いつも自分の部屋のゲームやらマンガやら菓子やらをちょろまかす、(オレ)をからかうような笑顔で。自分の素材を持っていくなよと釘を刺して。

 本物の顔でなくても、本物の顔を想起させるほどに見慣れた笑顔のまま。

 砕け散った(しんだ)

 

「――ッ!!」

 

 思い出した瞬間、吐き気と、寒気と、怖気を感じた。動悸が激しくなり、自分の腕をかきむしるように身体を抑え込む。

 ガタガタと、たがが外れたように震え出す身体。自分のものではないかのように。自分の内側から、何かが跳ね上がっているかのように。

 震えが止まらない。冗談みたいだ。こんなガクガクブルブル震えるなんて、アメリカのアニメくらいオーバーなものだと思ってたのに。

 オレはいま、その冗談を体現している。

 

「う、あ――」

 

 止まれ。止まれ。止まれ、止まれ止まれ。嫌だ。嫌だ。このままどうにかなってしまいそうだ。身体がバラバラに砕け散るんじゃないか。そんな不安にすら襲われる。

 必死に、思考をやめる。なにも考えないようにする。微睡んでいるような感覚を無理やり引き出す。適当な考えを捻り出し、それで頭をいっぱいにする。

 そうして、少しずつマシになっていく震えに安堵し、また静かにうずくまり、また思い出しては震えだす。

 そんな日々をどれだけ続けただろう。

 最初の日に、あいつに連れてきてもらった宿屋からは追い出されていた。オレはふらふらと歩き出し、人の来そうにない、通りから離れた路地裏へたどり着いた。

 オレは民家の壁にもたれるように座り込み、ぐったりと頭を垂れる。

 

「――ああ」

 

 口から掠れた声が漏れる。

 オレも、死ぬか。

 その方がいいかもしれない。

 あいつが走り出した時の背中を覚えている。

 部屋を出る時に、振りきるようにドアを閉めたあいつの表情を覚えている。

 友達を守れなかった後悔があっただろう。本当に死ぬゲームに踏み出す恐怖があっただろう。

 なによりも、当たり散らしたオレに対する罪悪感があっただろう。

 あいつはそういうやつだ。抱え込むやつだ。自分が責任をとろうとするやつだ。

 そんなあいつに。必死に踏み止まってがんばっていたあいつに八つ当たりして、全部押し付けた()()()は殺すべきなんだ。

 あいつを友達だって思うから。だからこそ、あいつを傷つけたオレ自身が許せない。

 

 だから、罪滅ぼしをしなきゃいけないんだ。

 

 けれど、どうすればいいかわからない。あいつと並んで戦うことはできない。

 オレもあいつも、互いに会うことを望むとは思えないし。

 なにより、ネットゲームの出遅れ組なんて、結局は中途半端にしかならない。あいつが戦い続けているのなら、今からあいつのところまで追い付くことなんてできやしない。

 そもそも、オレには槍がない。金もない。

 目的が、ない。

 帰ったとしても、ずっと一緒にいた兄はいない。

 あいつと、これからも同じように付き合っていけると思えない。

 なんだ、結局ダメじゃないか。あいつのようにはなれない。あいつのところに辿り着く前に、オレはすぐに折れてしまうだろう。

 やっぱり、ここで無様に野垂れているのがお似合いだ。

 

「あの……」

 

 そんな時。

 そうして塞ぎこんでいたオレに、声をかけてくる人がいた。

 オレは最初、自分が声をかけられたのだと気付かなかった。顔を上げず、姿勢を変えず、返事をしなかった。

 

「きみ、大丈夫?」

 

 とんとん、と肩が叩かれた。あまりにも予想外なその感触に、思わずびくっと身体を震わせた。

 わっ、と声があがる。オレの反応に相手も驚いたようだ。

 ゆっくりと顔をあげると、こわごわとこちらを覗き込んでいた顔が見えた。

 メガネを掛け、濃いめの色をした茶髪を後ろで編んだ、20歳前後くらいの女性。

 そこで初めて、声をかけてきたのが女の人だと気付いた。

 

「え、あっ……」

 

 動揺した。歳上の女の人だ。女子とすらほとんど話さないのに、しかも歳上なんて。()()()みたいに義姉がいるわけでもない。女と話すなんて慣れてない。

 そんなオレの反応を警戒していると思ったのか、その人は優しげに微笑んで話し掛けてくる。

 

「大丈夫? お腹すいてない?」

 

 聞かれたのはそんなこと。

 なにも食べてないから、そりゃ腹は減っている。でも、それを見ず知らずの人の前で素直に認めるのはなんとなく恥ずかしかったし、何よりも――

 

「関係、ないだろ」

 

 オレが腹減ってるからって、あんたになんの関係がある。

 オレの言葉を聞いて、その人は─―オレの気のせいかもしれないけど――意を決したようにメニューからストレージを開き、何かを取り出す。

 その差し出された手に乗っていたのは、一つのパンだった。

 

「……?」

 

 思わず声を失った。なんだこれ。見せびらかされてる? いや、そんなわけないよな。どう考えてもこの動作は――

 

「くれる、のか」

 

 こくりと頷くその人。

 思わず、そのパンを見つめた。

 なんの変哲もない黒パンだ。中身に何も入っていないであろう、シンプルで飾り気の無い、固めに焼かれたパン。

 そういえば、と思う。そういえば、()()()はこういうパンが好きだったな、と。

 ファンタジー映画や騎士ばっかり出てくる映画やらを好んで見まくってた――からだと思うんだけど――あいつは、こういう「昔ながらの田舎パン」みたいなのが好きなやつだった。

 オレはだいたいあんぱんやジャムパンみたいに甘いのが好きなんだけど、あいつは「普通のパンも噛んでれば甘いぞ」とか、「そのまま食うのもいいが、シチューとかスープにつけて食うのもうまいんだ」とか、よく給食の固いコッペパンを囓りながら力説していた。

 オレは結局、固いパンは顎は疲れるし味はあんまり感じないしで、よくあいつにあげていたんだけど。

 ――でも、あいつはこういうパンを、本当にうまそうに食っていた。

 それを思い出し、目の前のパンを見る。わずかに香ばしい匂いまで感じたような気がして、忘れていた空腹感が思い出される。無意識に視線が釘付けになる。

 

「いいよ、あげる」

 

 笑って言われたその言葉に、我慢できるような余裕はなかった。

 渡されたそのパンを、おそるおそる齧る。固い。ガリガリに固いわけではないけど、噛み切るのにも引きちぎるにも一苦労するその固さ。

 一口分を食いちぎり、口の中で咀嚼する。ものを食べる動きを忘れるくらいの長い間、なにも食べていない。そこにこの固い黒パンだ。オレは辛抱強く歯を立て、噛み締める。

 

「……っ」

 

 確かに。

 あいつが言っていた通りだ。口に含み、根気強く咀嚼して味わっていると、パンの自然な甘みが味わえる。

 アンコやジャムのような甘味じゃない。優しい甘さ、とはこういうことを言うんだろうか。

 なるほど、確かに。

 

「……うま、い」

 

 こういうパンって、うまいんだ。

 オレはそこから止まらずに、ひたすらにパンを貪った。固いパンを何度も何度も噛み、飲み込み、またかぶりつく。

 いやしいだとか、意地汚いとか、そう言われかねないばかりの食いつきだったと思う。目の前に女の人が居たことだって忘れていた。

 一個だけのパンなんて、すぐに平らげた。

 そこまでして、ようやくオレはその人にしっかりと向き直った。

 

「……ありがとうございます」

 

 いえいえ、とその人は嬉しそうに頷いた。

 

「……なんで」

「はい?」

「なんで、こんなことしてくれたんですか」

 

 疑問をぶつける。当然だ。なんだってこんなゲームの中で、初対面の男にパンなんて渡すのか。

 その人は笑って言った。ほっとけなかった、と。

 

「誰かと一緒? 友達とか、パーティ組んでる人とかは?」

 

 一瞬、兄さんとあいつの顔が浮かぶ。

 

「いない……いません。一人です」

 

 今はもう、と小さな声で付け加える。

 それが届いてはいないだろうけど、その人はじっと悩んだ様子で、

 

「少し、お話ししよう?」

 

 

 

 

 そういった経緯で、オレはサーシャさんと知り合った。

 彼女は言ってしまえば、良い人だった。

 困っている子供、一人になって苦しんでいる子供を助けたくて、声をかけたのだという。

 オレは、その助けようとした子供第一号だった。

 

「話はわかったけど、どうするつもりなの? 子供を助けるっていっても、世話ができなきゃ意味がないでしょ」

 

 話していくうちにすっかり打ち解け、サーシャさん本人の厚意もあって、オレは敬語を使わずに話すようになっていた。

 人と話すのは久しぶりだった。

 こんなにも落ち着けて、気が紛れて、楽しめるものだとは忘れていた。

 サーシャさんはもう、オレが一人でいた理由までは聞かないでくれた。たぶん、今こうして話していても、オレが()()()()()()()ことに気付いてるんだろう。

 

「一応、考えてることはあるんだ。ほら、この町って色んな施設があるじゃない? 中には安く借りられるところもあるみたいだから――」

「そこを間借りして、みんなで暮らせる施設を作ろう、ってことか」

 

 オレは眉をひそめ、

 

「いい話だし、必要なことだと思う。オレなんかでは思い付かない、すごく立派なことだ。でもそれ、お金もかかるんじゃ?」

「もちろん」

 

 だからね、と腰に装備されている短剣に手を添えた。

 

「住むところと、空腹を満たすことができるくらいには、頑張って稼がなくちゃならないね」

「……なるほど」

 

 オレは悩んだ。考え込んだ。

 どうしようか、と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 なぜ素直に協力をしようと思ったのか。

 相手が素朴な美人だからっていう下心はある。その日暮らすことができる程度の狩りならオレにもできるっていう自尊心もある。こんな話を聞き、パンをもらっておきながらさようならなんてあり得ないだろというプライドもある。

 だが、理由はどれであっても。

 手伝うことができれば、それは紛れもなく、塞ぎ込んでいたオレを救ってくれた人への恩返しとなるだろう。

 きっと、正しい行動のはずだろう。

 

 ――きっと、少しは罪滅ぼしになるだろう。

 

 

 

 

 まずは、槍が必要だった。

 オレが持っていた全てはあいつに渡してしまったから、俺は無一文だ。パン一つ買えやしない。

 

「クエストやればいいよな」

 

 街の中だけで完結する、簡単なクエストがある。荷運びなどの単純作業。それをいくつかと、フィールドに出てモンスターを避けながら、採取できるアイテムを拾って売却すれば問題はなかった。

 購入したのは《ブロンズスピア》。一番最初に手に入れた槍。あの時は楽しかったな、と考えてしまった。あいつもいて、兄さんもいて、みんな無邪気に楽しんで――

 

「ッ……」

 

 無意識に思い出してしまった。吐き気が込み上げ、口をおさえてうずくまる。身体が震え出す。

 買った槍を思い切り握りしめ、身体に引き寄せる。青銅《ブロンズ》と呼ばれる槍の感触が、どこか安心させてくれた。

 初期武器。攻撃力なんて大したことない槍。実際に扱っていたのなんて数時間しかない。

 それでも、こいつはオレが初めて振るった相棒だ。

 

「……やるぞ。オレにできることを」

 

 オレは、《圏外》へ向かった。

 

 

 

 

 オレは、他の一層に残っているプレイヤーよりは、戦闘においてアドバンテージがあると思っている。なにせ、しっかりと()()を教わっているのだから。

 

「せあっ!」

 

 《スラスト》。単発で単体攻撃で単純な、一番最初に使える両手槍のソードスキル。

 それでも、町の周辺のボアや、森のネペントを倒すには充分すぎる性能を持っている。

 

「……よし、大丈夫。戦える」

 

 オレは槍を血振りするように振り払うと、手の中でくるくると回して肩に担ぐ。

 戦闘の勘は鈍ってない。

 動ける。槍も振れる。敵を倒せる。

 まだ――できることは、ある。

 

「……次。素材も経験値もコルも、もっと必要だ」

 

 平原を歩いていく。細々と出現するボア。数匹の群れで出ることもあるウルフ。鎧も何もつけていないコボルト。

 それらを貫き、薙ぎ、斬る。

 単純だ。槍を振るえば敵は倒せる。

 戦おうという思考さえあれば、どれだけ精神が萎えていても身体(アバター)は動く。

 あとは、それを繰り返していけばいいだけ。

 オレは手の中で槍を回して握り直し、フィールドを闊歩しているグリズリー型のモンスターへ向けて構えをとった。

 

 

 

 

 三体目のクマの喉元を貫く頃には、日が大分傾いていた。相変わらず、日が暮れるのが早い。

 HPがだいぶ減っている。いくら一層のモンスターとはいえ、ある程度食らえば仕方ないことではある。

 

「ポーション、いるな」

 

 回復アイテムも持たずにフィールドに出るなんて、オレはいったい何年ゲームをやってるのか。

 

「けど戦えた」

 

 何週間かもわからないけど、ずっと閉じ籠っていたオレは。

 

「まだ、できたんだ」

 

 あいつがいなくても。兄さんがいなくても。

 一人で、初めて遭遇したモンスターを倒すことができた。

 オンラインゲームの第一層の最初の街の周辺(いちばんさいしょ)。一人で倒せないゲームバランスになっているわけがない。

 でも、達成は確かに成果として残っている。

 

「やっと、チュートリアルの終わりだ」

 

 オレは槍を地面に突き立て、大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 戻ったオレに対して、サーシャさんはまず真っ先に無事を喜んでくれた。

 そして、オレが素材を売って揃えたコルを見て驚いた。

 

「ちゃんと外に出て狩りをすれば、一日でこんなに稼げるんだね」

「まあ、湧きがよかったのもあるけどね」

 

 あまり人気のない酒場のテーブルに置いた皮袋を見ての感想。オレは照れ隠しにそう言った。

 けど、狩ったのは結局一層のモンスターだ。

 

「誰だってできるよ、このくらい」

「そんなことないよ。やられたら現実でも死んじゃうんだから、街の外に出たがらない人も多いし」

 

 その言葉は、事実としては理解しているけど、真実として実感していないような、奇妙な軽さを持っていた。

 

「私なんて、ソードスキルを使えるようになるまで結構かかったから」

 

 そういってくすりと笑うサーシャさん。

 確かに、スキルの発動にはコツがいる。構えてからの溜めと、発動してからのブースト。勝手に動く身体に驚いて動きを止めてしまうことなんてざらにある。オレだって最初は槍を落とした。

 

「――オレは、まあ、教えてもらったから」

「そうなの?」

 

 誰に、とは聞かないでくれた。いや、正確には口は動こうとしていたけど、そこで止まった。

 オレの顔が強張ったりしたんだろうか。理由はわからないが、察してくれたことがありがたかった。

 だがそれは、その分心配をかけているということだ。情けなくて自嘲する。

 

「けど、どうにもなぁ。もっとパーッと稼げればいいんだけど」

「でも、こうやって貯めていけばすぐに必要な分は足りると思う。あ、もちろん怪我には気をつけて、ね?」

「はいはい、わかってまーす」

 

 たぶんサーシャさんはそういう性格なんだろう。気遣いというか、お節介というか。まあ、そうでないと子供たちを保護しようなんて思わないだろうけども。

 

「サーシャさん」

 

 オレの決意は固まった。

 

「オレは、やれるだけのことはやるよ」

 

 善意で動くサーシャさんという人を、助けたいと思った。

 

 

 

 

 教会を間借りするだけの金が貯まって。

 子供たちにも声を掛けていって。

 大勢で生活するようになっていた。

 オレが一番歳上だった。というのも、たぶんサーシャさんは、オレをレーティング以下の中学生だとでも勘違いしていたんだろう。童顔でチビのオレは、どうしても高校生には見えないんだ。身長が180センチ近い親友(あいつ)と並んでいれば尚更だ。

 まったく、まったく。

 だけど、そのおかげでオレは為し遂げることができた。

 サーシャさんの望みを、叶えることができた。もちろん一番がんばったのはサーシャさんだけど、オレだって少しは貢献できたと自惚れたって良いだろう。 

 安定していた。生活も、俺も。

 

 サーシャさんが読んでいた、プレイヤーが発行している新聞を目にするまでは。

 

 誌面は、ギルド《アインクラッド解放軍》の副長を努めている男の活躍を綴ったものだった。

 《ビーター》のような目立った強さがあるわけではないが、一層の頃から最前線に立ち、攻略に多くの貢献をした騎士の話。

 

 《セドリック》という騎士の話。

 

 その名前を見たとき、オレは抑え込んでいたものが溢れてくるのを感じた。

 忘れようとしていた、どす黒い、自分勝手な感情を()()()()()

 オレの様子がおかしくなったのに気付いたか、サーシャさんが読んでいた新聞を放り出し、うずくまったオレの肩に手を置いて顔を覗きこんでくる。

 大丈夫とオレが言っても、サーシャさんは手を離さずにいてくれる。

 オレはつとめてその温度を意識した。

 忘れちゃいけない。

 

 オレ達は――いや、()()()()()()()()()()()()

 

 トラウマだ、なんて簡単に言うやつは嫌いだ。ちょっと嫌なことがあると、すぐにそう言ってへらへら笑うやつが嫌いだった。

 本物を知っているからだ。本当のトラウマに苦しんでいるやつを、オレはずっと近くで見ていたからだ。

 トラウマなんて、冗談で口にしていいものじゃない。

 けど、そんなオレでさえ、これはトラウマと呼ぶべきものだと理解した。

 なまじ忘れかけていたことに自己嫌悪が沸いてくる。

 サーシャさんの夢に協力して。

 自分は槍を振って苦しんでいる子供達を助けることができて。それによって得られた達成感に酔いしれて。

 

 オレは、一輝のことを、忘れようとした。

 

 だから事実を突き付けられたんだ。

 忘れるな、と言われているような気がした。

 逃げるな、と言われているような気がした。

 「俺は諦めない」とあいつは言った。あいつはずっと諦めずに戦い続けていたんだ。

 それに比べて、オレは。

 否が応にもそう考えてしまう。

 ああ、吐き気がする。頭痛がする。頭が擦りきれそうなくらいの苦痛がある。胸をかきむしりたくなるほどの罪悪がある。

 そんなオレを、サーシャさんはじっと見ていた。聞かないでくれている。いや、聞きたいはずだ。寄り添おうとしてくれるはずだ。

 

 ――全部話せば、この人はオレを慰めてくれるんだろうな。

 

 そう考えてしまう自分が、たまらなく嫌だった。

 目の前にある優しさに飛び付きたくなる自分が嫌だった。

 だから、心配するだけに留めておいてくれているのが、ありがたかった。

 オレは槍を握った。

 オレにできることは、ここの生活を守ることだけだ。

 オレが、守っていかなくちゃいけない場所なんだ。

 

 なのに。

 

 どうして()()は、ここに来たんだよ。

 色んな感情がごちゃまぜになって、オレはあいつに槍を向けた。オレは感情を全部剥き出しにしてあいつに襲い掛かった。

 あいつは強かった。レベル差なんて関係なしに、単純に戦いの技量が違っていた。

 これが、あいつがずっと積み重ねてきたものなんだ。

 オレが敵うはずがなく、心が折れてしまいそうになるのを感じた。

 ずっと一輝のために戦っていたあいつと、閉じ籠っていたオレ。どちらが強いかは瞭然だ。

 あいつも苦しんでいるのはわかっている。オレに会いに来た理由だってわかっている。

 でも、あいつがいたら、弱いオレはあいつに責任を押し付けてしまう。

 自分は悪くない、って思ってしまう。

 

 オレは、結局あいつに吐き捨てるだけ吐き捨てて、意識を失った。

 

 目を覚ますと、あいつはいなくなっていた。

 よかった。あんなことを言って、斬りかかって。次どんな顔で話せばいいかわからなかったから。

 激情は消えていた。頭が沸騰するほどの感情は、吐き出したからか、それとも虚無感が大きいからか、気にならない程度になっていた。

 頭がぼうっとしていた。

 槍が壁に立て掛けられていた。その柄を握り、今日も狩りに出て、敵を倒して、金を稼いで、パンを買って、みんなで食べて。

 やることは変わらない。

 生きていくんだ。

 少しずつでも、前に進むんだ。

 ぼんやりとした頭で、そう考えて戦い続けた。

 あまり考えなくなっていった。調子が悪いけど、親友とのあんなことがあって絶好調なわけがない。気にしないことした。

 ギン達も心配してくれたけど、別に気にしなくて大丈夫だ、って笑った。

 調子は悪いけど、気分は悪くない。しばらくすれば治るだろう。

 みんなで食卓を囲んでいる間、オレはぼうっとシチューの器を眺めていた。

 

 ――ああ

 

 なんか、疲れたな。

 

「オレは……」

 

 なにか、できたんだろうか――

 

 呟くと同時に、視界が淡い光に包まれていくのを感じた。



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21話

 メッセージを開いた彼が血相を変えて駆け出すのを、私は慌てて追いかけた。

 ただごとでないのは一目でわかった。向かう先も、悪寒にも似た予感で察しがついてしまった。

 転移門広場を突っ切り、彼が転移門に飛び込んだ。私も間髪入れずに地を蹴って続く。

 

(やっぱり、《はじまりの街》……っ)

 

 向かう先は、聞かずともわかった。

 あの教会に辿り着くと、セドリックは扉をノックをするとほぼ同時に蹴破る勢いで開け、サーシャに詰め寄った。

 私はそれを止めようとしたが、サーシャはセドリックの眼を見返し、事実だけを告げた。

 

「本当、なのか……っ?」

「……はい」

 

 二人とも声が震えていた。私も、思わず右手の手首を抑えた。

 

「……なぜだ」

「……わかりません。食事中に、急に――ッ」

 

 サーシャは口元を抑えた。大粒の涙がぼろぼろと溢れる。周りの子供たちも、全員が声を押し殺すように泣いている。

 セドリックも、ひたすらに追及したいだろうに、サーシャ達のその様子を見て、横暴な態度だった自分を必死に抑えている。

 

 私は部外者だった。

 

 私は、あまりにもその人を知らなすぎる。

 私には場を収める権利も、口を挟む権利も、同じように悲しむ権利も無かった。

 

「――黒鉄宮に行く」

 

 セドリックがサーシャにそれだけ告げ、教会を飛び出した。

 私はサーシャから頷き掛けられた。私も頷きを返し、彼を追う。

 私は部外者だけど。何も知らないけれど。それでも、彼のパーティメンバーであり、相棒だ。

 《生命の碑》の前で、立ち尽くしている彼を見付けた。追い付き、隣に立つ。

 

「あ――」

 

 ゆっくりと、彼の手が伸ばされ、指が碑の表面を撫でていく。

 

「あ、あ――」

 

 《soya》と書かれた名前。

 

「あぁあ――ッ」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 そして。その隣の《error》という文字。

 

「エラー……?」

 

 ここには死因が刻まれるはずだ。

 モンスターに倒された。水に溺れた。毒でやられた。高所から落下した。プレイヤーに殺された。様々な理由があるが、HPを完全に消失させた直接の原因が、そこには刻まれるはずだった。

 そこに、《error》と。簡素に表示されているその一単語。

 

「ふざけるなッ!!」

 

 セドリックが吼えた。拳を《生命の碑》に叩き付ける。

 紫色の、破壊不能オブジェクトの表示がその拳を阻む。

 

「メシ時に死んだ!? 原因は知らんだと!? なんなんだよそれはッ!!」

 

 何度も何度も拳が叩き付けられ、その度に紫の光が無機質な音をたてる。

 無意味だとはわかっていても、止められるものでもない。

 

()()()()()ッ! なんの説明もなしに俺の友達を殺しやがって! 何がゲームだ……何が遊びではないだ!! 理不尽なんだよ!」

 

 拳が軋み、今度は蹴りつけた。筋力振りの彼の打撃は生半可な重装プレイヤーすら吹き飛ばすだろうに、破壊不能オブジェクトの《生命の碑》は嘲笑うかのようにびくともしない。

 

「蒼斗――ッ!」

 

 額を押し付け、絞り出すように吐いたその言葉(なまえ)

 

「うっ……あぁ……」

 

 崩れ落ち、涙する彼。私は隣に膝をつき、そっと彼の肩に触れる。

 セドリックはすがるように私の手を握り締めた。

 

「いつも――いつもそうだ! 何かをすれば救えたはずだった! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 悲壮な絶叫だった。

 常に正しく、誠実であろうとする彼のその慟哭は、見ているこちらが辛くなるほどに悲痛なものだった。

 

(きっと、何度も失敗を繰り返してしまったんだ、この人は)

 

 泣き崩れている彼。

 見るのは、()()()()()()()

 なんとかしなくてはならない。

 でも、どうすればいい?

 

「セドリック……」

 

 彼の名前を呼ぶことしかできない。彼の手を握り、背を撫でて慰めることしかできない。

 彼が私に心を許してくれているとは思う。

 けれど、更に踏み込んでいいのか、私は逡巡していた。

 客観的に考えれば、ここまでの様子を見てきたなら、全部聞いても良いはずだ。

 でも、いざ口に出そうとすると声が出ない。

 不用意なことをして、嫌われたくないと思ってしまう。

 私は、こんなにも身勝手なのか。

 

「……すまない」

 

 セドリックはぽつりと呟き、顔を拭うと、握っていた手を離して立ち上がった。

 離された手を反射的にまた握ろうとして、制止された。大丈夫だ、と言わんばかりに手を振って。

 会ってからされたことのない、言葉は無いが、やんわりとした拒絶。私は行き場の無くなった手を握り、立ち上がる。

 

(もっと早く、何か言うべきだった)

 

 私が足踏みしている間に、彼はまた自分で感情を抑え込んでしまった。

 これでは、私がいる意味がない。

 

「――すまん」

 

 セドリックは重ねてそう言った。

 私は首を振る。

 

「……友人を、亡くしたんですね」

 

 わかりきったことを確認するしかなかった。傷付ける言葉だとわかっていても、こう聞くしか話の糸口がない。

 

「……ああ」

 

 掠れるような声とともに頷き、

 

「これで、三度目だ」

 

 そう呟いた。

 私が息を呑むと、セドリックは泣き笑いのような表情を浮かべ、簡潔に説明してくれた。

 

「最初に一人」

 

 子供の頃からの友人だった。

 

「一層のボス戦で一人」

 

 隣に立ち、共に戦う騎士だった。

 

「そして、これでまた一人」

 

 最初に死んだ友人の弟で、一番の親友だった。

 

「なんで、友達ばっかりいなくなるんだろうな。しかも、今回に至っては理由もわからずに」

「そう、ですね……」

 

 理由。そう、理由だ。何故《ソーヤ》と呼ばれる彼が死んだのか。

 サーシャの言葉を考えるに、食事をしている最中に亡くなったとのことだった。それに関して、もっと話を聞いても無駄だろう。彼女達だってわかっていないはずだ。

 わからないことを、「どうしてだ」と聞かれるなんて、これほど辛いものは無い。

 私は少し考え込み、アスナに連絡を取ってみる。私の知り合いの中で一番情報や人脈を持っているのはアスナだ。少なくとも私が一人で唸るよりはよっぽど力になる。

 『プレイヤーが亡くなる際、《error》と表示される死因に心当たりはありますか』とフレンドメッセージを送る。

 返事は一分ほどで返ってきた。

 

『ごめん、わからない。けど、もしかしたら団長なら何か知ってるかもしれない』

 

 団長? ヒースクリフが?

 

『団長はシステムに詳しいんですか?』

『少し前なんだけど、最近フレンドになった人が、ゲームのシステムのことで色々な質問をしたの。その時、さすがに難しいんじゃ、と思った質問にもしっかりと答えていたから、かなり詳しいと思う』

 

 ゲームの仕様にそこまで詳しいとは不思議なものだが、同時に、団長なら何を知っていても不思議ではないと感じる部分もある。賢者然とした、理知的な振る舞いのせいだろうか。

 

『わかりました。団長に会ってみます。急にすみません、ありがとうございます』

『全然大丈夫。シルビア。もし、私に何か力になれることがあったらなんでも言ってね?』

 

 その文章に、私は申し訳なさを感じる。こんなことを聞けば心配させてしまうのは当たり前だ。

 しかし、頼もしいのも確かだ。迷惑をかけたくはないが、もしもの時には彼女の力は心強い。

 

『その時にはお願いします』

 

 そう送り、ウインドウを閉じる。

 

「セドリック。《血盟騎士団》のギルドに戻りましょう。団長なら、何か知ってるかも知れないそうです」

 

 憔悴しているセドリックの手を握り、私は引っ張るようにして転移門へ向かった。

 

 

 

 

「なるほど」

 

 事情を聞いた団長は、一言呟くと、眼を閉じて考え込む。

 セドリックと初めて顔を合わせた、ギルドマスターの部屋。

 その広い部屋に置かれている半分の円卓の中央に、団長は座っていた。左右にはギルドの幹部用の椅子があるはずだが、今は団長以外誰も座っていない。

 暫し考え込んでいた団長は、ゆっくりと眼を開く。

 

「戦闘行動によっての全損ではないのだな?」

「居合わせたプレイヤーの証言ではな」

 

 セドリックが答える。

 

「食事をしている最中に、死んだと言っていた」

「…………」

 

 顎に手を当て、団長は考え込む。

 もしくは説明する言葉を組み立てているのか。悩んでいるというよりは、答えを選択しているといった印象だ。

 

「《圏内》では、いかなる手段を持ってもHPを減らすことはできない。システム的に保護されているからだ」

「それで」

 

 セドリックが急かす。普段は団長へ忠誠を誓い、丁寧に仕えている彼も、今は余裕がない。

 

「だが、そのプレイヤーは亡くなった。となれば――それは、()()()()()()()()()()()の可能性がある」

「関係ない、だと――?」

「SAOからログアウトする方法は、ゲームをクリアするほかは無い。退()()した者も、ゲーム内で死んだなら、その原因は必ず《生命の碑》に刻まれる。それが無いということは、SAOの中には、直接的な原因は無いということだ」

「だから、その原因はなんだ!?」

 

 セドリックの苛立ちを交えた聞き方。私も眉をひそめた。どういうことなのだろう。

 

「つまりは、だ」

 

 団長は手を組みながら言った。

 

「そのプレイヤーの、()()()()()()()()()()()()()。SAOとは関係のない、外的な要因によって」

「――なん、だ。それは」

 

 呆然と問い返す。その際、ダンッ、とセドリックは床を踏み締めた。地団駄。平時なら子供っぽいと笑われるような行動も、今の彼が行うと笑うことなどできはしない。

 そのセドリックの態度にも微塵も動じず、考えられるのは、と団長は切り出した。

 

「例えば、衰弱死。SAOのサービスが開始されてから、一年と五ヶ月ほどが経過している。その間、現実の身体は食事を摂ることも出来ず、病院などの医療施設のベッドに横たわっているだろう。当然――」

「身体は衰えていく……」

 

 私の呟きに、団長は頷いた。

 

「もちろん点滴等で栄養は供給されるし、電気刺激による筋力の維持も行われているだろう。だが、それも限りはある。仮にそのプレイヤーの肉体が、平均より体格が劣るものであれば、その分限界がくるのも早いだろう」

「体格……」

  

 確かに、一度見ただけだが、《ソーヤ》というプレイヤーは、青年というより少年に見えた。恵まれた体躯とは言えなかっただろう。

 

「他にも、可能性だけならいくらでも考えられる。看護師や医師のミス、自然災害による停電等の施設機能の麻痺、見舞い客によるナーブギアの取り外し……それらによる、偶発的なゲームからの切断による死亡も()()()()()

「それが理不尽だって言うんだ!!」

 

 セドリックは怒鳴った。

 震える拳。憤怒に見開かれた瞳。眉間に刻まれた深い皺。ひきつった頬。食い縛られた歯。

 私はつられて、顔が歪むのがわかった。

 ゲームの中で死んだら、現実でも死ぬ。それは嫌だし、信じたくないし、認めたくないが、そういうルールだと言われれば従うしかない。

 けど、今回のそれは違う。《ソーヤ》はそのルールの埒外で亡くなった。

 ゲームの中で死んでいないのに、現実で何も抵抗できないまま衰弱し、身体が耐えきれずに命を落とした。

 これは、あまりにもひどすぎる。

 受け入れられるわけがない。

 

「なんなんだよ……これは! なんで、こんな……ッ!」

 

 セドリックは両手で額を抑えるような形で仰け反り、

 

「なんで、オレ達が、こんな目に――っ」

 

 団長は、そんなセドリックに対して両目を閉じた。

 私はまたしても、どう声をかければいいのかわからなかった。

 

「セドリック――」

 

 それでも、行動はできるはずだ。  

 私は歩み寄り、彼を抱きしめた。言葉が思い付かないなら、触れて慰める。

 いつか私が彼に伝えた方法だ。私がやらずにどうする。

 身長の高い彼に抱きつくと、私の頭は彼の胸元に収まってしまう。それでも、痛み、嘆いている彼を落ち着かせるには必要だ。

 

「……酷なことだとは思う」

 

 団長は眼を開き、組んだ手を卓に起きながら言う。

 

「少し休むといい。その状態で攻略に参加するのは難しいだろう」

「団長……その、私も……」

「――ついていてやるといい」

 

 団長はやむなしと頷いた。

 私は頷き、セドリックの手を握って部屋を後にした。

 

 

 

 

 戻る頃には、日が沈みかけていた。

 セドリックの部屋に着くと、私は彼をベッドに座らせた。夕日が眩しいが、日除けも何もない。

 少しだけ、落ち着かない。夕日は、あまり好きじゃないから。

 

「……すまない」

「いえ、大丈夫です。謝ることはありません」

 

 つらいのは貴方なのだから。口には出さず、彼の隣に腰を下ろす。

 会話は無かった。

 何を話せばいいか、わからない。

 とりとめもない会話などをして、慰めになるとも思えない。

 でも、傍にいたい。

 彼を、一人にしたくない。

 アスナにメッセージを送る。『すみません。しばらく、私とセドリックは攻略を降ります』、と。

 いつも返信の早いアスナだが、今回は返事がなかった。見てはいるだろうけど、先程のプレイヤーの死因の件と関係があるとわかっているのだろう。

 

「オレは……」

 

 セドリックがおもむろに呟いた。

 

「いつか……赦されると思ってた」

 

 顔をくしゃりと歪めて。

 

「戦って……苦しんで……耐えて……そうすれば、いつか、『お前は頑張った』と……『お前を赦す』、と」

 

 嗚咽を漏らしながら。

 

「いつか……みんなに言ってもらえると思ってたんだ――っ」

 

 もう、こらえることはできなかったのだろう。彼は大粒の涙を溢し、声をあげて泣いた。私は、そっと彼の頭を抱き寄せて撫でる。

 ()()()、と彼は言った。

 曖昧な表現に対する、勝手な推測にはなるが……。

 

 それは、きっと、亡くなった友達の家族を指しているのではないだろうか。

 

 もし、ゲームをクリアして、生きて帰れたとして。

 友人を亡くした彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その際、どのようなことを言われるのか。

 なんでお前が生きててあの子が死んだんだ、と謗られるだろうか。

 あの子は死んだけど、貴方だけでも生きててよかった、と慰められるだろうか。

 どちらを言われても、きっとわだかまりは残る。

 セドリックの罪悪は残る。

 それを、ずっと抱えていたのだろう。

 不安で、怖くて。彼だってつらいのに、もっとつらい人達を相手に、何を言われるのかとずっと苛まれていたのだろう。

 

「なのに、オレ、は――」

 

 その、唯一残っていた友達も死んでしまった。

 彼は、本当に一人になってしまったのだ。

 一人で、全部背負わなくてはならなくなったのだ。

 

「大丈夫です」

 

 慰めにはならないかもしれない。

 

「言ったでしょう。私は、何があっても貴方の味方でいます。どんなときでも貴方の傍にいます。」

 

 だから、せめて私は。

 私だけは、どんなことがあろうとも彼の味方でいる。

 彼を救いたいと思う私の行動原理に、嘘偽りは微塵もない。

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()、変わることはない。

 

「シル、ビア……」

 

 セドリックは私の顔を見る。

 泣き腫らした顔を、私もしっかりと見つめ返す。

  

「……ありがとう」

 

 彼は、とても寂しげな笑みと共にそう言って。

 

「……すまない」

 

 コンコン、と扉がノックされた。

 アスナからのメッセージが届いている。件名は『いまセドリックさんの部屋にいる?』とある。訪ねてきた相手はアスナだろう。

 

「アスナのようです。少し話をしてきます」

「ああ」

 

 私はベッドから立ち上がり、部屋のドアへ向かう。

 

「シルビア」

 

 セドリックに名前を呼ばれる。

 

「はい?」

「……ごめんな」

 

 すまない、ではなく。

 儚げに笑っての、その言葉。

 

「――ッ」

 

 なにか、言わなければならないと感じた。

 もう一度、控えめに扉がノックされる。

 

「気にしないでください。私は、貴方のパートナーですから」

 

 にこりと笑って言う。セドリックは、その弱々しい笑顔を崩さなかった。

 私も笑みを崩さずに頷き、廊下に出て後ろ手に扉を閉める。

 

「アスナ。すみません」

「ううん、こっちこそ急にごめん」

 

 私ではなく、セドリック絡みの件であると察しがついているのだろう。アスナはちらりと部屋の中を気にする素振りを見せた。

 私は少し悩み、首を振る。芳しくない。

 

「しばらく、時間がいると思います」

「そっか――わかった。二人が抜けた分はなんとかするから大丈夫」

「すみません……私が付き添うのは余計かも知れないですが……」

「ううん。シルビアが必要だと思う」

 

 アスナは迷うことなく言ってくれた。

 自分の判断に迷いがある私には、そう断言してくれるのはありがたかった。

 ありがとうございます、と私は頭を下げた。

 

「もし、伝言などあれば」

「攻略のことは気にしないで、とだけ伝えてくれれば。セドリックさんは責任感が強いし、気にするかもしれないから」

「わかりました」

「シルビアも無理しないでね」

「私は何も問題ありませんよ」

 

 私に、アスナは真剣な表情で頷いた。

 私のことも心配してくれている。ありがたい話だ。にこりと笑う。

 

「では」

「うん」

 

 私は軽く頭を下げて扉を開け――

 

「えっ――」

 

 愕然とした。その私の表情を見て、アスナが何事かと部屋の中を覗き――

 

「うそ――」

 

 ()()()()()()()を前に、二人で呆然と立ち尽くした。

 夕日が、無人となった室内を明るく照らしている。

 その光を反射して光るものがある。

 ベッドの上に置かれた、《サンセットブレード》。

 彼の、剣。

 

「シルビア!」

 

 アスナに声をかけられて引き戻された私は、すぐにメニューを開き、フレンド欄を見る。フレンドの現在地から彼を――

 

「なん、で――」

 

 ――探し出そうとした、のに。

 私のフレンド欄には、《cedric》の名前が消えていた。

 

「うそ、なんで――」

 

 パーティは解消され、フレンド欄からも消えている。

 彼は、私との繋がりを絶ったのだ。

 

「なんで、セドリック――っ」

 

 私は激しくなる動悸を抑えながら、すがるようにアスナを見た。

 アスナはウインドウに向けていた眼を私に向け、首を振る。

 

「だめ……私のフレンドにも居ないし、ギルドからも脱退してる。インスタントメッセージも届かないし、もう、この層には――」

()()()()()――?」

 

 最悪な想像をしてしまった。私は走るのももどかしく、転移結晶を取り出し、

 

「転移! 《はじまりの街》!」

 

 驚きの表情を見せたアスナを残し、私は転移した。

 転移が完了すると同時、転移門広場から全力で疾走する。《生命の碑》まで。

 飛び付くように碑の表面を見る。

 《cedric》の名前。

 線は、刻まれていない。

 

 ()()()()()

 

 がくんと力が抜けた。膝をつきそうになるけど、ここで座り込んでいるわけにはいかない。

 すぐにまた転移門へ向かい、《グランザム》の血盟騎士団本部に戻る。

 セドリックの部屋の前で、アスナは待っていた。

 

「生きてます」

 

 私の言葉に、アスナは胸を撫で下ろした。

 

「でも、それならどこに……」

 

 自分の声が震えるのが、自分でもわかった。

 覚束ない足取りで、私はベッドまで歩いていく。

 さっきまで、ここにいたのに。

 ここに、並んで座っていたのに。

 手を握っていたのに。

 

 もう、彼はどこにもいない。

 

「なんで、どこか行っちゃうんですか――」

 

 声の震えは嗚咽に変わる。

 

「セドリック……っ」

 

 涙が溢れてくる。本当に、つい数分前まで、ここにいたのに。このベッドに座っていたのに。この手で、触れていたのに。

 感触も、温度も、この右手で感じることができていたのに。

 右の手首を左手で握りしめる。

 

「どうして、1人で……」

 

 背負おうとするの。

 どうして、頼ってくれないの。

 そんなに私は頼りにならない?

 

「……っ」

 

 ベッドの上の、《サンセットブレード》に手を伸ばす。

 ずしりと重たい。私では片手で振るのはやっとの重さ。

 《夕暮れ(サンセット)(ブレード)》という名の剣を、彼は軽々と振るっていた。

 

『でも私、あんまり夕暮れってあんまり好きではないんですよね』

『だって、終わっちゃうじゃないですか。一日が』

『夕暮れって――』

 

――()()()()()()()()()()()()()()、なんですよね

 

「だから……夕暮れは嫌なんです――っ」

 

 私はその剣を握りしめ、声をあげて泣いた。



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22話

ちょっとpixivの方でこそこそと浮気をしてしまっていたら、ものすごく期間が空いてしまってました。スマヌ…スマヌ…


 私は、ずっとセドリックを探し続けていた。

 ゲームの中とはいえ、広大な仮想世界で一人の人間を探すというのは、並大抵のことではない。砂漠から一粒の砂金を、というのがあながち大袈裟とも思えないほどに。

 それでも朝から晩まで動いている私に、情報屋を頼ってはどうか、とアスナから人を紹介されたこともあった。

 《鼠のアルゴ》と呼ばれる彼女は、なんと最近セドリックと会ったようだった。

 だが。

 

「教えることはできないヨ」

「どうして」

 

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。

 

「誰にも言うな、って言われてるんダ」 

「……彼の様子はどうでしたか」

 

 ちょいちょいと指を手繰られる。私はコインを弾いて渡す。

 

「酷い顔してたヨ」

 

 何をしていたか、今どこにいるのか、それを聞いても彼女は答えてくれなかった。

 

「情報が欲しけりゃコルを出すんだナ」

 

 そう、法外な値段を突き付けて。

 払えば何でも話そう。情報屋だから。《鼠のアルゴ》はそういう姿勢の商売だと聞いている。

 でも、その値段を提示するということは、たぶん《鼠》自身話したくないのだろう。

 口止めでもされているのか。

 それとも、彼女自身になにか関係でもあるのか。

 

「……いいです。時間を取らせてすみません。感謝します」

 

 気にするナ、とアルゴはにこやかに笑った。私の不躾な態度に腹を立ててはいないようだ。

 もしくは、この余裕の無い(おんな)を内心で笑っているのか。

 まあ、どちらでもいい。

 ギルドへ戻ると、ちょうど出かけようとしていたらしいアスナがこちらに気付いた。

 

「シルビア」

「今からどこへ?」

「攻略会議。来てもらえると助かるかな」

「会議ですか。ふむ……」

 

 どのみち後で情報共有はする。

 しかし、共有する際の情報の正確さや、様々な視点からの意見など、人が多くて困ることはない。

 

「わかりました。このままついていきます」

 

 私は快諾した。

 準備をすることもない。装備は常に身に付けている。

 アスナに連れ立って歩いていく。

 

「……どうだった?」

 

 アスナが気遣うように聞いてくる。アルゴに会ったことに関して聞いているのはすぐにわかる。

 ただ聞き方からして、私の態度を見てうまく行かなかったことも察しているのだろう。

 私は肩をすくめた。

 

「お察しの通り、空振りです。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()

「知りたいこと?」

 

 《鼠のアルゴ》は周到な情報屋だ。何をするにも(コル)(コル)(コル)。金さえ払えばなんでも喋る情報屋。

 しかし、嫌いではない。

 

「彼女、サービスは良いようですね」

 

 何故なら、アルゴは()()()()()()()()()()()()()ということを含みをもって教えてくれたのだから。

 彼はどこかの宿屋でうずくまっているわけではない。

 心を折られ、剣を捨てても、虚無に生きているわけではない。

 それは、私が一番知りたいことでもあった。

 

「彼は生きています」

 

 ただ生存している、という意味ではなく。

 

「明確な意思をもって活動しています」

 

 それが、なによりも救いだった。

 私の言葉に、表情に、握った拳に。アスナは微笑んでうなずいた。

 

「そっか。よかった」

「はい」

「なら、こっちも《生きている》ってことを伝えなくちゃね」

「ええ、もちろんです」

 

 ――そう、彼は生きている。何かのために動いている。

 

 それがどういう方向に向かっているものなのかは、私には知る由も無いけれど。

 それでも、その情報は確かに私の救いとなった。

 

 

 

 

「では、行こう」

 

 団長がフロアボスに続く扉に手を添え、開く。

 

「諸君、健闘を期待する」

 

 私は()()()()()()()に手を伸ばし、抜刀。

 その一般的な片手剣よりも一回り長い刀身。緩やかに切っ先の方へ湾曲した十字鍔。拳二つ分の柄。刀身に比例するように大きめの柄頭。

 《片手半剣》カテゴリ。バスタードソードと呼ばれる剣。

 銘を《サンセット・ブレード》。

 夕暮れと名付けられ、セドリックが置いていった剣。私はこれを使っていくことを決めた。

 重量はある。大振りな一振り。私の戦闘スタイルとは方向性の違う武器ではある。

 だからこそ、この剣を使いこなせるようになることは、少しでも彼に近付くための手段となる。

 

「う――おぉぉっ!!」

 

 剣を両手で握りながら腰だめに構え、私は先陣を切って駆け出す。

 

「――はぁっ!!」

 

 獅子頭の獣人型フロアボスに対し、真っ先に斬り結んだのは私だった。

 そんなフロアボス戦を終えた翌日。

  

「シルビア! 新聞見た?」

 

 朝食をとっていた私のもとに、ご機嫌なアスナが「ジャーン!」とオブジェクト化された新聞を見せ付けてくる。可愛らしい人だ。

 プレイヤーが発行している新聞は、最新の攻略情報が一面を飾る。話題性があるのはもちろんだが、各層にいる非戦闘プレイヤーに向けて、「攻略は順調に進んでいる」と希望を与えるためという側面もある。

 もちろん、新聞というからには娯楽だ。

 だからこそ、話題性のある事柄なら節操なく載せられるという欠点もあるのだが。

 

「ほら、これこれ」

 

 アスナがちょんちょんと紙面を指さす。さてどんな内容かしら、と私はパンを咀嚼しながらそれを覗き込み、

 

『《血盟騎士団》の《閃光》アスナと並ぶ、《夕暮れの騎士》シルビア』

 

 噎せた。

 

「なん――なん、ですか、これ」

 

 咳き込みながらアスナを見る。

 

「えっとね」

 

 アスナが新聞に目を通し、かいつまんで説明してくれる。

 そもそも最前線の攻略組である《血盟騎士団》に、アスナ以外の女性プレイヤーが加わった、というのは以前から話題になっていたらしい。

 最近ボス攻略にも参戦するようになり、しかもそのほとんどで見事な戦果を――他の人にはそう見えているんだろう――上げている。

 更に最近は武器を変え、《片手半剣》と呼ばれる珍しいカテゴリの優美な長剣を使いこなすようになり、その騎士然とした勇姿のおかげで更に話題性と人気が上がっているとか。

 だからこそ。

 

「『その剣の名前に因んで、彼女を《夕暮れの騎士》と呼ぶプレイヤーが増えている』だって」

 

 私は頭を抱えた。

 

「シルビアは美人だからねー」

「――あなたに言われると嫌味に感じますね」

 

 極めて整った顔のアスナに対しそんなことを言われ、皮肉を返す。正直、ちょっとだけ本心だ。

 

「でもまあ、確かにそれほど条件がそろっているのを聞くと、話題になる理由として充分なのはわかります。ええ、理屈としては理解できますとも。ただ――」

 

 気に入らないのは、ひとつだけ。

 

「《夕暮れの騎士》なんていうネーミングはいただけませんね」

 

 《夕暮れ》なんて言われたら、嫌でもあの時を思い出す。

 セドリックが《サンセット・ブレード》を置いて姿を消したあの日を。

 表情の曇った私に対して、アスナは努めて明るく振るまい、後ろから私の両肩に手を置いた。

 

「大丈夫大丈夫! これだけ話題になったら、セドリックさんも見てくれてるよ」

「……そうですね」

 

 まあ、向こうが私の名前を見付けたとして、すぐさま駆けつけてくれる、なんてことはないだろうけど。

 それでも。

 意識の隅にでも、覚えておいてほしい。

 いつか見つけ出して再開できたとき、私のことを忘れていないように。

 そして、私も強くならなくてはいけない。

 いつか再会したときに、何も言わずに去っていったことを責めず、怒らず、静かに傍にいられるように。

 

 

  

 

 そんな日々の中、アスナが私を呼び出した。

 知り合いのプレイヤーが、セドリックのことを見たのだという。

 

「すぐに行きます」

 

 思わず声に出しつつ返信し、待ち合わせの場所に向かう。

 あれからセドリックの情報は無かった。今はどんな些細なことでも知りたい。

 

(……あ、いた)

 

 カフェテラスの一角のテーブル。アスナの向かいに、一人のプレイヤーが座っている。

 黒い。

 そんな第一印象のプレイヤーだった。 

 黒尽くめのロングコートに、背中に背負った一本の黒い片手直剣。

 

(この人、見たことあるな)

 

 フロアボス攻略戦において軒並みラストアタックボーナスを持っていき、《聖竜連合》によく文句を言われている、あの《黒の剣士》だ。

 普段は顔を合わせることもないので気付かなかったが、存外に若い顔をしている。

 

――そういえば、ギルドで初めて話したときのセドリックも、真っ黒な鎧をしていたっけ。

 

 《黒騎士》と呼ばれる所以となった彼の姿を思いだし、少し懐かしくなり、さみしくもなった。

 

「お待たせしました」

 

 私はそのテーブルまでたどり着くと、二人に向けて会釈をする。

 アスナは小さめに軽く手を振り、もう一人は頷いた。

 私は背負っていた剣を外して机に立て掛け、椅子に座りながら自己紹介をする。

 

「はじめまして。《血盟騎士団》のシルビアです。貴方は確か――《キリト》でしたか」

 

 私がそのプレイヤーの名前を聞くと、アスナが少し驚いた素振りで口を開く。

 

「知ってるの?」

「名前だけは、一応。セドリックがたまに話していました」

 

 そこで私はキリトへと視線を移す。

 

「《夕暮れの騎士》様に知られてるとは光栄だな。俺も悪名高さが広まってるのかな」

 

 飄々とした受け答え。私は件の呼び方をされて眉をひそめる。

 だが、悪意あってのものでもないし、さほど気分は悪くならなかった。

 

黒尽くめ(ブラッキー)さんは有名人のようですからね」

 

 私は微笑みながら軽くそう返す。やっぱり嫌な知られ方だ、とキリトは肩を竦めた。

 ではさっそくですが、と私は話を切り出した。

 

「セドリックのことを知っていると聞きました」

「――ああ。三日前だったかな。あいつを見たよ。前に話したときよりも、随分と様変わりしてたけどな」

 

 その形容のしかたに、私は首をかしげた。

 

「彼とは仲が良いのですか」

「仲が良い、って言っていいのかわかんないけど――あいつとは一層の頃からの知り合いだよ」

 

 結構長い付き合いだよな、というキリトの問い掛けに対し、アスナは頷いた。

  

「あいつには助けられたこともあるし、助けたこともある。真面目で、堅苦しくて、だけど融通のきく、信頼できる騎士だと思ってるよ」

 

 頷きながら評するその表情は柔らかい。《黒の剣士》は――もちろん予想はしていたが――噂ほどの悪人ではなさそうだ。

 

「――けど、あれはなんだろうな」

 

 そんなキリトが、怪訝な顔で本題に入る。私は僅かに緊張し、手汗を拭うような動作をした。

 

「何かあったのですか」

 

 腕を組み、考え込むように唸った。

 

「茅場のことを聞かれた」

「――茅場晶彦、のことですか? SAOとナーブギアを開発した」

「ああ、そうだ」

 

 ピリッ、と。首筋に寒気が走ったような気がした。

 

「キリトは茅場晶彦のことに詳しいのですか」

「まあ……」

 

 キリトは一瞬口ごもり、 

 

「……基本的なプロフィールくらいは知ってるよ。でも、あいつは俺が詳しいかどうかというよりは、単に色んな奴に聞いて回ってるようだった」

「どういうことなんだろう……」

 

 それを聞いてアスナが考え込む。

 私は何も言わず、左手で右の手首をさすった。

 

「そのあと、彼はどこへ?」

「邪魔をした、って言ってまたどこかへ行ったよ。行き先は聞いてない」

「そうですか……」

 

 結局、手掛かりは無しか。私は歯噛みする思いだった。

 

「特に心配なのが、だな……」

「ん?」

 

 キリトの呟きに、アスナが反応する。

 何か複雑なのか、キリトは言いあぐねている。

 

「セドリックの心配ですか? レベルや実力が足りずに身の危険がある、という意味ではなさそうですね」

「ああ、あいつの実力は知ってる。最前線でもソロで進むくらいはできるだろうさ」

 

 そういうんじゃなくて、とキリトは手振りをしながら、

 

「あいつ、()()()()()()()

 

 アスナが息を呑み、私はぎゅっと拳を握りしめた。

 

「オレンジカーソル、ということですか」

「ああ」

「つまり――」

「ああ――プレイヤーを攻撃したことがある、ということになる」

 

 アスナの呟きに、キリトは頷きながら引き継いだ。私は言葉も出ず、立て掛けていた剣の柄を握り締めた。

 

「ただ、もちろん悪事を働いたってことが決まったわけじゃない」

 

 キリトは慌ててフォローに入る。

 

「カーソルがグリーンでも、相手が善良なプレイヤーじゃ無かった可能性もある。オレンジギルドの中にも、グリーンカーソルのままのプレイヤーを用意しておいて、攻撃させてオレンジにさせる手口もある」

 

 可能性は色々考えられるから、必ずしもオレンジ=悪ということではない。

 セドリックが進んで悪事を為すなんて考えられない。

 

 けれど。

 

 しっかりとそれを断言し、信じることができない自分がいることにも気付く。

 お互いに信頼はあった。恋情もあった。一緒にいるだけで楽しかった。剣を交えればお互いを理解できた。

 競い合い、想い合う、良きコンビだった。

 

 けれど、もちろん知らないことだって多い。

 

 私は彼のことを、本当の名前がなんなのかということすら知らないし、彼もそれは同じだ。

 彼とは間違いなく相棒であり、このゲームの中で一番と言って良いほどに信頼しているパートナーだ。

 だが、結局は、ゲームの中での関係でしかない。

 もどかしさに、右の手首を庇うように握る。

 

「セドリックが、悪を為したと決まったわけではない」

 

 私は確認するように呟き、

  

「けれど――彼が、悪を為している可能性もある、ということですね」

 

 その可能性を、絞り出すように呟いた。

 キリトは、真剣な表情で頷いた。

 

「……そうだ。俺だって、可能性は低いと思いたいけどな」

「そうだね……」

 

 アスナが頷く。

 

「他に、なにか変わっていたことはありましたか」

「んー……」

 

 キリトは頭を掻いた。

  

「……これは関係あるかどうかはわからないんだけどな」

「なんでも話してください。今のセドリックの事は全て知りたい」

 

 私の言葉を受けて、わかった、とキリトは頷き、

 

「あいつがプレイヤーになんて呼ばれてるか、知ってるよな」

「《黒騎士》、ですか」

「そうだ――あいつ、また()()()()()()()()

 

 私は、今度こそ衝撃を受けた。

 

「黒に、ですか」

「ああ」

 

 私は激しくなる動悸を抑えるように深く呼吸をしながら、思考を続ける。

 

「……《血盟騎士団》で着ていた鎧は、捨てたのでしょうか」

 

 その事実は、私にとってつらいものとして突き付けられた。

 彼が着ていた、黒い鎧。

 それは、彼が心を閉ざしていたことをそのまま表すかのような、周囲を拒絶する黒だった。

 彼が《血盟騎士団》の白い鎧になり、私に心を開いてくれて、一緒に食事を楽しむようになり、共に肩を並べて戦うようになった記憶(かてい)を頭のなかでなぞる。

 それら全てを否定されたような気持ちになり、痛む胸を抑える。

 セドリックが黒い鎧に戻ったという事実は、彼がオレンジになっていたということよりも、ずっと私の心に刺さった。

 もちろん、単に性能の良い装備に更新して色が変わっただけかもしれない。

 それでも、《血盟騎士団》に所属していれば、セドリックはまた少し文句を言いながら色を塗装し、ぶつくさと表面上は不満げに白と赤の鎧を着ていただろう。

 けれど、なんだかんだで彼はその過程を楽しんでいた。仲間(みんな)と同じ色の鎧を着て戦うことが、嬉しそうだった。

 

 けれど、それを今の彼がすることはない。

 

 どうしてこんなにも、彼は苦しい道を歩むのだろう。

 どうしてこんなにも、私はなにもしてあげられないのだろう。

 どうして――ソードアート・オンライン(こんなゲーム)に、巻き込まれてしまったのだろう。

 このゲームさえ無ければ、少なくとも誰も悲しむことはなかっただろうに。

 

「黒い姿って言うのは……まあ、俺が言えたことじゃないけど、あまり良い印象は持てない。シルビアさんも血盟騎士団のメンバーなら、《ラフコフ》は知ってるだろう」

「知識としてはあります。《ラフィン・コフィン》。殺人者の集まりの、《レッド》と呼ばれるギルド」

 

 捨て置くわけにはいかないと、潜伏先を捜索し、討伐部隊を送り込むべきだという動きが強くなっている。現に、《聖竜連合》や《軍》は既に調査のために動いているとか。

 

「そうだ。あいつらも、全員が黒いポンチョを着用している。闇に紛れやすいとか、隠密性能が高いとかの理由もあるけど、黒のポンチョはやつらのトレードマークなんだ」

「だからセドリックも、やつらの一味だと思われたりすることもある、と?」

「そこまでは言わないけど、少なからずダーティーな人間だと思われるのは避けられないってこと」

 

 キリトは両腕を広げてそう締めくくった。

 

「…………」

 

 そこで私は、自分がうじうじと悩んでいることに気付いた。

 私は一つ呼吸をし、意識を切り替える。

 何をつまらないことで悩んでいるのだと、自分を叱咤する。

 迷うな。

 

「……ありがとうございました」

 

 私は立ち上がり、机に立て掛けておいた剣を握る。

 

「わからないことは多いですが、彼の現状を知ることができたのは前進です。少なくとも、彼を見たとき変化に驚かずに済む」

 

 そうだ、思い出せ。私は決めていたじゃないか。

 私は彼の味方でいると。

 彼のこと全てを知らない。

 けれど、それならまた彼と会ったあとに知ればいいだけのことだ。

 世界中が彼の敵になろうと、私は彼の味方でいる。

 単なる衝動だし、そんなことに意味はないかもしれないし、そもそも彼は望まないかもしれない。

 

「私は、セドリックを救いたいから」

 

 けれど、彼の剣に気高さを見た。命を救われた。不器用ながらも真摯に戦う彼に惚れた。

 なら、私は迷わない。

 好きになった相手のために尽くすなんて、私はそんな出来の良い女ではないけれど。

 例え、端から見て無様だと笑われても、それを貫き通すつもりだった。

 

――あの日が、遠く感じた。

 

 キリトとアスナの二人と話し、決意を新たにした日から、そんなに時間が経っているわけでもない。決意は鈍っていないし、剣技だって磨きあげてきた。

 彼に追い付き、追い越すことができるようにと、全力で自分を鍛えあげた。

 だが。

 ようやく巡り会えた彼には敵わなかったのだ。



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