魔法科高校の劣等生 ~ユキトのやり方~ (べじん)
しおりを挟む

追憶編
第一話


2092年8月初頭。小林雪人

 

 僕の名前は小林雪人、母の名前は雪絵。

人形のように綺麗な黒髪と美貌のとても美人の母、近所でも自慢の母親だ。

沖縄の国防軍恩納基地の近くに住んでいる。

父は大城アルバート。目鼻立ちの良い知性を感じさせる男だったらしい。

というのも父は最初期のレフトブラッドの2世で、軍務中に殉職したからだ。

苗字が違うのも、もとよりレフトブラッドの血筋の父が、母が謂われのない言葉をかけられることを恐れ、籍を入れるのに慎重だったためだ。加えて軍務も重なり機会を得なかったらしい。同時に頑固で知られる母方の祖母も忌避感を示していたらしく、そのまま僕は非嫡出子として生まれ育ったわけだ。

 

 父は任務の合間に良くコッソリ僕に会いに来てくれた。背丈のある父に抱きあげられ、レフトブラッドだからなのかオーバーなほど僕をよく可愛がってくれた。優しくて大きくてカッコいい、そんな理想の父親だった。

 

 それから8年、今から4年前、あれだけ筋の通った祖母が夭折し、それに前後するように父も殉職したというわけだ。祖母とはあまり言葉を交わすことがなかった。僕が厳格な祖母を勝手に恐がって、チョロチョロ逃げ回っていたからだ。

そのせいで死の実感がなかった。加えて父のそれも、遺体のない葬送だった。任務中の死であり失踪や行方不明ではなく、確かに死亡が確認されたらしい。しかし父がどのような死に様だったかは軍機により伏せられ、芯の強い女傑だった祖母と愛する夫、その両方を一気に失くした母は崩れるかの様相だったが、僕を二人に恥じぬよう育てることが母を立ち直らせたようだった。暗い居間で二人に何かを約束するかのように祈っていた母を覗き見たのを、僕は今でも覚えている。

今では深い愛情と強い熱意でもって母は僕を育ててくれている。

また、母は昔から事務方として基地に勤務している。その伝手で僕らは基地の近くに居を構え、同時に父と母を巡り合わせたわけだ。

 

 

 祖母と父が亡くなってからというものの、母は僕に色々なことを教えてくれている。普段の勉学であり、家事のことや仕事でのこと、他には山の歩き方や暮らし方、熊に会ったらどうやって逃げるのかまで習った。母も祖母に仕込まれたらしい。そして最後に、魔法。

実は僕と母は魔法師でもあるのだ。といっても現代の高レベルのそれではなく、母の血族が代々引き継いで来た能力だ。母曰く、古式魔法の一種で部分的にはBS魔法に分類される、とのことだ。内容は大きく2つ、知覚と同調、これだけだ。世に満ちる霊光(今ではプシオンと言うらしい)を感じ取り、その言葉を聞き、その意志を代行する。

聞いた感じ古代の祭祀に使われてきたそれと同じだ。現代風に言うなら古式としては一般的な霊子を扱う術師でしかない。従って、攻撃性を持たない、自衛すらままならないそれでしかない。

そのことを母にボヤくと母は、雪人はまだなのね、と不思議な笑みを浮かべて答えてはくれなかった。ともあれ僕にもまだまだ先があるらしいことは分かったが、外では魔法師であることは隠せ、と母は言う。

祖母より先の世代の話だが世界に魔法の実在が知れ渡ってから、当時の多くの魔法師たちはその身柄を押さえられたらしい。祖母もそんな一族の傍系の出であり、当時のゴタゴタから身を隠しながら世を流れ、沖縄に辿り着いたとのことだ。

僕の名前が雪人なのも、母が雪絵なのも祖母が己らのルーツを忘れさせないように付けたものらしい。つまりは雪国の生まれなのだろうか?

 

 まぁ要するに僕たちは流れの魔法師、3世代沖縄で暮らしているといっても、よそ者だ。基地の方には知られているが、他のご近所さんは知らない。

さらにこの沖縄はかつての最前線だった。軍や魔法師への偏見はやはりある。強力な力を持たない僕らだからこそ、その身分を知られぬように過ごす方が生きやすいということだろう。

 

 そうこうして無事に小学校を卒業し、中学最初の夏休みを迎えた8月初頭、僕は出会った。

 

 

 

2092年8月4日 恩納基地周辺海岸線

 

 

 

「あ、ジョーだ」

 

 もちろん彼のことではない。お昼ご飯を食べた後、カンカン日照りの中を麦わら帽子にアイスバーを咥えながら歩いていた僕の前に、基地での知り合いが見えた。

 

 

「おぅ、スノウじゃねぇか。母ちゃん元気か?」

「人の母親に色目使わないでよね。……まぁ元気だけど」

「失礼なこと言うんじゃねぇよ。部隊にゃ潤いがねぇから仕方ねぇんだ」

 

 ハァ、と大きくため息を衝くこの男、色黒の大きな体格をしたハゲ頭。

桧垣ジョセフ上等兵だ。

ジョセフだからあだ名はジョー、僕は雪人だからスノウ。スノウマンじゃないよ!生きてるよ!

 

……名前から察しがつく様に彼もレフトブラッドだ。彼との付き合いは彼が訓練生時代に、青春への逃避と名付けて基地から脱走していた所を近所に住んでいる僕と出会い、まだ小学生だった僕の遊び相手をしてくれたのが始まりだ。父を失くしたころとも重なっており、母も忙しそうにしていたからジョーは母にも概ね受け入れられ、またジョー自身も僕がレフトブラッドとのハーフであることを知ったことで親身になってくれている。

更には彼は魔法師でもあるのだ。小学校を卒業したら教えてやると前々から言っており、事実最近は彼に現代魔法を教わっている。と言っても非番の時に限るが。

 

 

「ジョーは非番? 何してんの?」

「訓練明けでな。メチャクチャ絞られたぜ……」

 

身振りで疲れを表すジョー。しかしやや大げさに見える。

父もそうだったがレフトブラッドにはオーバーリアクションの伝統でもあるのだろうか、だとしたら僕もそうした方がいいのだろうか?

 

 

「わぁお、大変だねー!」

「あぁ、そうさ!大尉はオニだね!伍長なんて紙切れみたいにボロボロにされてたんだからな!」

 

 試しに大きく身振りで返事をした僕に、ジョーはもっと大きな手振りで返して来る。このままうつっちゃったらどうしよう……。母さんに心配されそうだよ。私の雪人が、ってさ。

 

 そんな僕の心配をよそにジョーは鬱憤晴らしでもするかの如く、いかに訓練が無慈悲だったのかを垂れ流しながら歩いて行く。

まぁ、いつものことだから僕も気にせずついて行く。ジョーの向かっている方向は別荘地や海水浴場の方向だ。潤いでも補給に行くのだろう。これもいつものことである。

 

 

ここまではよかったのだ。

 

 

 

2092年8月4日 恩納瀬良垣

 

 

「桧垣上等兵、報告を」

「はっ!偵察の結果、有力な3つの陣地を発見。同じく接敵しましたところ、我が方劣勢!撤退して参りました!」

 

 ヤシの木陰で涼んでいた僕にジョーが涙を飲むように気をつけの姿勢で報告して来る。だめだこりゃ。

ていうか何で瀬良垣ビーチに来たんだよ。ここ別荘地だよね?家族連ればっかじゃん。そんなとこに黒人の巨漢が突っ込んできたら事案発生だよ。

……もしかしてジョーは逆玉を狙ってんのかな?無理があるんだよなぁ。

 

 

 ここ、恩納瀬良垣は所謂リゾート地帯だ。出島のように出っ張った地が、まるまるそのままリゾートになっているのだ。

前世紀にキャンプ地として開発され、今から60年ほど前の地球寒冷化の煽りを受けて事業撤退、後にミドルクラスの保養地として別荘が売りに出された。寒冷化のせいで世界的に人口は激減し、ここ沖縄も土地が有り余っている。瀬良垣もそうで、ここの別荘達も買い手が付かずに残っているものが多い。そういったものは貸し別荘として利用されているのだけど、やはり客足は遠いようだ。

地元民が2組に東京からお越しの(と僕は勝手に思っている)ご家族、この計3家族が今日の瀬良垣の全兵力だ。全部家族連れだ。

 

 そういうわけなのだ、ジョーは負けると分かっていて尚、戦える男だったのだ。うーん、やっぱだめだこりゃ。

 

 

「ケイのやつ、適当言いやがって!やっぱりアテになんねぇなアイツ」

 

 ジョーはやってらんねー、とでも言うように砂浜から続く芝生に倒れこんだ。

何でも聞く話によると、けっこうな御大尽さまがここの余っていた別荘を買い占めたらしい。深窓の御令嬢のためだけにさる老旦那様が静養地としてまるまるお買い上げ、というのが今や元貸し別荘の管理人の酒飲み仲間の行きつけの飲み屋のアルバイトのケイの言葉だ。尾ヒレ絶対ついてるよね?

ともあれ地元民としては中々に泣ける話だ。美談ではあるがひと気がなくていいと思われてもいるのだから。

 

 ここの西向きのビーチは夕方にはすごく映えるのだが生憎お日様は頭の上を通り過ぎたくらいだ。じりじりと砂浜を焼いている。台風が接近しているなんてまるで思えない光景だ。といっても沖縄は亜熱帯に近く、スコールが降ることもしばしばだから何ともいえない。どうやらジョーは木陰に頭を突っ込み、お昼寝の体制に入ったらしく僕にとって少々暇な時間になりそうだ。

 

 

 

「わぷっ」

 

 どうせなのでヤシの木に背中を預け瞑想をしていたところ(居眠りでは断じて無い)、突風に煽られた僕の麦わら帽子はひらひらと飛んで行ってしまった。けっこうな海風だったようで別荘地の中へと入ってしまっていた。良く見ると売約済みの札が貼ってある。マジか。いつのまに、というかここに来たのは今年では初めてだったので判断がつかないが、へべれけアルバイター・ケイの与太話もどうやら全くのウソではないようだ。ま、僕には関係ないんだけどね。

 

 

 勝手知ったるかのごとく軽やかに別荘が立ち並ぶ敷地に入り帽子を探す。庭側のガラス戸から別荘内のさっきの家族連れが見えようと気にしない。にこやかにどうもー、と手を振っておけば勝手にここの流儀かと勘違いしてくれるしね。ドンドンと突き進み奥まったところにある別荘まで行きあたる。ここまで来れば目的なんて関係なしだ。暇に飽かせて探検するしかないなー、と思っていた矢先に。

 

 

「そこの君」

 

 いきなり後ろから声をかけられ、僕は思わず振り返った。そこには白シャツに水色のベスト、美脚を晒す短パン姿の20代?の女性がいた。ここらでは見ない人だ。陽性の笑顔が似合いそうな彼女は、振り向いた僕を見て、なにやら驚いたかのような顔をしている。目をまん丸に見開き口もポカンと開いている。

 

 なんだ、レフトブラッドが珍しいのか?……まぁ珍しいよな。ていうか僕、容姿は母さん似で父さんの成分なんて眼が翡翠の色なのと色白なところだけだ。背なんてちっとも伸びない。背の順で前の方の常連なのだ。肌だって日焼けでもはや白さなんて影も形もない。……まさかこの人って不審者なのかな? 勝手に自分から詰問される側に回った気がしていたが、この人が急に声をかけて来るからだ。この怪しいヤツめ!

 

 

「うんじゅやたーがや?(貴女は誰ですか?)」

「は?」

「くりやぺんやいびーん(これはペンです)」

「あ、え?ハ、ハロー?」

 

 よし! 分からん奴にはさっぱり分からん沖縄弁で先制攻撃だ! どうせこの人、本土の人だろうと当たりを付けてみたが案の定だね。僕だってご老人方のきっつい訛りは分からないくらいなんだ。初見でかわせる人はいないんだよなぁ。混乱している今がチャンスだ、さっさと逃げてしまおう。不審者には近寄らないって母さんと約束してるんだ。

 

 

「わんうさぎぃっぺぇしちゅーん!(兎が大好きだー!)」

「え、あ、ちょっと!?」

 

 逃げろ、逃げろだ。正に脱兎の勢いで敷地側の森を駆けて行く。視線を感じ、チラッとさっきの別荘を見てみると、テラス越しに同い年くらいの少年と目が合った。こわっ! 目ぇ、くわっ!ってなってる! 三十六計逃げるに如かず。全力で逃げるしかないよね。帰りがけに帽子も拾っておこう。最初っから場所は分かってんだし。こういう時、魔法って便利だよなぁ。

 

 

 

2092年8月4日。恩納瀬良垣 桜井穂波

 

 

「見ましたか、達也君?」

「えぇ……一体何者なのか……」

 

 深夜様たちに先駆けて別荘のクリアリングをしていた折、ほとんど気配を押し殺した存在が近づいて来るのを感じ取った私と達也君はすばやく外から身を隠し、周囲を警戒した。すると庭先を11、2歳くらいの子供がキョロキョロ辺りを見ながら歩いて行ったのだ。思わず目を見張ってしまった。中々の隠行だと思ったから警戒したのに、出て来たのはただの子供だ。いや、己や達也君という例外がいることを考えれば不思議ではないが、あまりに不自然なのだ。気配は消す癖に警戒している素振りはない。身を隠しもせず堂々とキョロキョロしており、あれではまるで物見遊山だ。持っている技術と行動がかみ合ってない、そんなチグハグさがある。ともあれ見た感じ武器やCADを持っている様子もないので警戒を一つ下げて、私は声をかけることにした。達也君にハンドサインを送り、バックスに付いてもらう。準備は万端だった。

 

 

 しかし、それもその子の顔を見るまでだ。衝撃的だったのだ。踏み込めば一瞬の距離、明らかに訓練された反応で素早く振り返る子供。艶やかなショートカットの黒髪。健康的に焼けた褐色の肌。ダボっとTシャツと南国風のシャツを重ね着ているその子の瞳は翡翠の色で、異国の血か私たち同様調整された遺伝子を継ぐ者、つまり魔法師なのだろう。だがそんなことは後で気づいたことであり、その時には重要ではなかったのだ。あまりに似ていたのだ。肌の色が違っても、瞳の色が違っても、その容姿が、顔立ちが、私たちの守るべき存在に。

 

 その後は、私の驚愕と動揺の隙を瞬時に察したその子に意味不明の言語で捲し立てられ、あっという間に逃げ出されていた。森の中に突っ込んで行くその子は、藪があろうと樹があろうと、まるですり抜けるかのように進んで行った。見事な遁走術だった。あれは忍びの技ではなかろうか?

 

 

 達也君もその子を捕捉していたのだが、顔を見た瞬間に手が止まり、そのまま逃げられてしまったようだ。お互いに見たものを報告し合い確認したが、やはり見間違いではなかった。主人に似つき過ぎる子供、忍術を駆使する古式魔法師。達也君曰く、あの意味不明の言語は沖縄の方言らしく、内容からは話者なのか擬態なのかも分からないらしい。なので地元民なのか、地元民に扮しているかは微妙のようだ。……それにしても達也君、沖縄弁なんて良く知ってたね?

 

 

「現地の言葉を知っていた方が情報収集に便利なので、予習してきました」

 

 うーん、まいりました!

 

 

 

2092年8月4日。恩納 小林宅 小林雪人

 

 

「じゃ、かんぱーい!」

『かんぱーい!!』

 

 僕の音頭でコップを鳴らし合う音が響く。あの後、僕はジョーを叩き起こし、脱兎の如く(僕は焼けているから黒兎だろう)家まで逃走した。途中でスモーク付きの高級車ともすれ違ったが怪しさマックスだよな、あの人たち。ジョーはブヒブヒ文句を言っていたが、一人にされるのは拙いと思った僕が、今日は夕ご飯食べて行きなよ、と誘うとご機嫌で従ってくれた。だが母想いの僕がこんなスケベ野郎だけを家に招くわけがなく、ジョーが訓練のことでブヒブヒ言い始めたころに丁度、件の大尉さまが現れた。まぁ、僕が呼んだんだけど。

 

 

 風間玄信大尉。恩納基地の空挺部隊隊長を務める益荒男だ。10年以上前の大越戦争で大活躍したらしく『大天狗』だなんて呼ばれていたらしい。しかし当時の上官と組んで司令部からの命令に反し部隊を率いて出撃をする、なんてことをしでかしてもいる。厄介なのがそれで勝っちゃったことだ。命令違反で英雄になっただなんて、軍の統制がメチャクチャに成りかねない。案の定戦勝の功績は懲戒処分と相殺され、また上層部に目を付けられた証としてポストで冷遇された。おかげでそれから10年経っても大尉のままである。同期に大佐が誕生しても大尉のまま。男心はボロボロだろう。上層部はこう言っているのだ、さっさと辞めろ、と。予備役に編入しないでいるのは上層部としては慈悲のつもりのようだが、あいにくと風間さんは今でも爪を研いでいる。天狗は辞めて山猫にでもなるのかな。あ、カラス天狗なのかもしれないな。

 

 

 風間さんと小林家の付き合いは、実は長い。一時期、父さんの上司が風間さんだったのだ。それ以来、可愛がってもらっている。しかし困ったことに、お土産にいつもサーターアンダギーを持って来るのだ。基地のお土産コーナーのやつだ。口の中の水分を吸い尽くすかのごときパサつきは、牛乳片手にじゃなきゃ食べ辛くて仕方がない。こんなんじゃ軍で嗜好品として与えれはしないと思う。捕虜に与えたら脱水を起こさせる拷問器具に早変わりするだろう。……もしかして在庫が有り余ってるから、僕に処分させてるんじゃなかろうか? そこまで保存性が良すぎるのは多分乾燥材を混ぜて作ってるからだろうな。そりゃパサパサだよ。

 

 ちなみにお土産がなかったのは一度だけだ。父の殉職の報告を持って来たのは風間さんだったのだ。堅い口調で、遺体はない、死因も教えられない、と語り何かを耐えるように母さんと僕に頭を下げた。膝をつき僕を抱えて泣く母とあまりの事態に呆然としていた僕が言葉を交わせるようになるまで、風間さんが頭を上げることはなかった。

 

 その後、どんな会話をしたかは良く覚えていない。ただ、母さんとは別口で魔法の手解きをしてくれるようになった。忍術だと風間さんは言うが何かウサン臭い。だって山の歩き方とか動物の狩り方とかって母さんに教わったのと似てるもの。母さんは、『ニンジャはいない、そうよね?』と問うて来るので、正直者の僕は『アッ、ハイ』と返すしかない。ただ、風間さんにもウチの家系の魔法についてはまるでピンと来ないらしく、僕との修行は専ら組手に終始したものだ。森を全面に使った鬼ごっこはジッサイ楽しいのだ。

 

 

「あそこは押すのではなく引き倒す場面だ。状況として2手は得だな」

「ははぁ、なるほどでありますなぁ」

 

 さてこうしてジョーと風間さんの訓練の反省会の様相を呈してきた僕んちの居間に新たな参戦者が現れた。

 

 

「ただいまぁ」

「おじゃまします」

 

 そう、地上に舞い降りた女神と部隊付き技官の真田中尉だ。濡れ羽の美しい黒髪、柔らかく凹凸を示す肢体、煌めくような黒曜石の瞳の輝き、麗しい声、透き通るような肌と美貌の持ち主。恩納に現れた天女さまだな、うん。隣の優男はどうでもいいよ。ちゃっかり荷物持ちなんかしてんじゃない、よこせ! 

 

 玄関まで出迎えに行った僕は、真田さんから買い物袋を受け取り中へと運ぶ。昨今は物流システムの発展により荷物持ちは死滅したはずなのだが、それは人口の多い所限定だ。第一このあたりの住民は基地関係の人が多い。乗り物なんて公務以外は交通の確保のために使われない。要するに自分で運んで身体を鍛えろ、というわけだ。やっぱり優男の真田は荷物持ちでいいな、うん。母さんの腕が丸太みたいになったら嫌だし。

 

 さてさて揃ったね。心優しい僕は上等兵たるジョーに僕ら家族の相手だけでは詰まらないだろうと思い、日ごろ彼がお世話になっているだろう彼らとの懇親会を開いてやったんだ。母手作りのおいしいゴーヤチャンプルーを噛みしめながら説教でも受ければいいんだ。苦味が増すことだろう。

 

 

「雪人くんは今日は何をしてたの?」

 

 乾杯の音頭から懇親会が始まる。母さんからの質問に僕は素直に答えた。母は僕を時々くん付けで呼ぶ。少々窘めるかのような甘いニュアンスで話しかけてくるので僕もハニカミながら喋ることしか出来ない。こんな調子でジョーにも話しかけるもんだから、ジョーみたいな単細胞は簡単に虜になる。そんなバカどもから母さんを守るのが僕の仕事なのだ。

 

 さてさて今日のことか、とりあえず不審者を見た、という話はみんなにしておいた。ジョーなんかがギョッとしていたが瀬良垣の貸し別荘が売り切れてたことも交え、新しいオーナーが遊びに来たのではないか、と補足しておいた。みんな、なるほどなぁって顔で聞いている。真田さんは端末でチョコチョコっとあの別荘の単価なんかを見ているようだ。うーん、お金持ちはすごいなー。あの素っ頓狂な驚き顔をしてたお姉さんも、実は御令嬢だったのかもしれない。

 

 こっちの話にはジョーも食いつく。やれ、どんな人かとか、年はどんくらいだとかだ。がっつき過ぎでみっともないったらありゃしない。それを知ってどうするつもりなんだ、やっぱり逆玉狙いなんじゃないだろうな?

 

 

 ジョーも風間さんたちも外泊の届けは出していないので、食事が終われば寄宿舎に戻る。当然酒の匂いをさせて帰るわけにもいかないのでお酒も出してないのだが、中々に盛り上がった。後半戦は母さんの井戸端ネットワークの噂話をみんなで聞いた。

 

 はす向かいの新垣さんちのクローンクロウサギが子供を産んだらしい。これはアマミノクロウサギのクローンだ。前世紀には絶滅危惧種に指定されたこのウサギだが、種の保存のために遺伝子が採取されていた。その後、地球寒冷化を迎え絶滅した。この時、クロウサギの天敵たるハブとマングースもその煽りを受けた。変温性のハブはまだいるらしいが、熱帯性のマングースは沖縄では死滅したらしい。沖縄中が混乱していた時期だからマングースの死滅なんて誰も気にしなかったんだよね。こうしてクロウサギ対マングースの生存競争はクロウサギがクローンクロウサギに変身を遂げて勝利した。

 

 この話はうさぎ好きの新垣さんからの受け売りだ。そして僕もうさぎが大好きだ、食べる側として。つまり僕は新たなマングースで、新垣さんは僕に人類愛を説いて僕から森のうさぎを守ろうとしている。まぁ新垣さんがうさぎ好きだと初めて聞いた時に僕が、うさぎっておいしいよね、と仲間を見つけた気分で聞いてしまったのが原因なのだが。もっと言えば母や風間さんのせいだ。二人は山中で罠や弓で平気でうさぎを捕え、皮を剥いで捌いて鍋にするのだ。とんでもない大人たちだ。新垣さんが聞いたら卒倒するだろう。本日は以上である。

 

 

 

 

僕の夏休みは順調なようだ。

だけどそれは仮初めでしかなかった。

僕が出会ったあの別荘の人たち、彼女たちの主人。

そして1週間後に起きた戦争が、僕の人生を大きく変えて行くのだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 

2092年8月11日。恩納 小林宅 小林雪人

 

 

 

「ごちそうさま」

「はい、おそまつさま」

 

 朝ごはんを母と共に食べた僕は母さんの分の食器も持って流しに持って行く。HALなんて大層なもののついていない我が家は家事仕事をこなす必要がある。母の手伝いをするのは大好きなので、僕が進んでこなすと母もにっこり笑ってくれる。

 

 今日の朝ごはんは昨日僕が森で採って来た山菜料理だった。母は体調を崩しやすいので僕がしっかり母のために健康的な食べ物を提供しなければならない。僕の至上命題と言っていい。最近元気ないみたいだし……。

 

 今日も狩りに行くつもりだ。2、3時間ほど山に入っていれば元気なうさぎを見つけられると思う。母も喜ぶことだろう。その後は山で適度に修行をして帰ればいい時間に成るはずだ。ニンジャは修行を欠かさぬのだ。おっと違った、ニンジャなんていない、そうだよね?

 

 

 

「じゃ、行って来るよ」

「気をつけてね、海の方は行くんじゃないわよ?」

 

 食器洗いを終えた僕は山駆け装備で家を出る。母の言っているのは、6日ほど前に海で起きた謎の事件のことだろう。突然海岸線に多くの漂流物が流れ着いたのだ。

 

 その次の日に風間さんが家に来て軽く話してくれた所によると、本土から来た魔法師が何かしたらしくその所為で海岸がああなったとか。さっぱり意味がわからんぞ! 僕がそう言えば今度は軍機軍機と口を塞いでくる。つまり本土の軍の魔法師がわざわざこんな所まで来て魔法実験をして、その結果海岸線を汚して帰ったってことなのかな? ……町内会の人が泣いてるよ。

 

 

 そんなこんなで海岸線が軍の実験場と化してしまっているとアタリをつけた母は、かわいい息子が得体のしれない片づけ下手な魔法師の餌食にしてはならないと、僕の海での素潜り漁を禁じたのだ。……なんだか面白そうなんだけどな。

 

 その日からというもの、ジョーや風間さんとは会えていない。なんだか基地があわただしくなっているような気がする。本土の魔法師の接待にお祭りでも始めるのだろう。そういえばあの時、風間さんはやけに僕と母さんをじっと見ていたな。僕にそっちの気はないし、母さん狙いだとしても決して許しちゃおけない。イ○ポになる毒キノコでも宿舎に送ってやろう。

 

 あとは親戚が本土にいないかと聞いて来た。シバという苗字ではないかと。確かに祖母は小さなころに親と共にここに流れ着いたらしいが、僕も母もそれ以上のことは知らない。いるのかもしれないが調べる気にもならない。そう風間さんに伝えると、そうか……、と何か得心のいったような顔で頷いていた。だいたいシバってなんだ! 破壊神か! むしろパールヴァティーだろが! 見りゃわかんだろ! うむむ、山の娘の息子として今日も山で遊ぶしかないな、よし行こう。

 

 

 

2092年8月11日。恩納 小林宅 小林雪絵

 

 

「いってきまーす!」

「いってらっしゃい」

 

 玄関から息子を見送る。いつものように元気な息子の姿だ。レフトブラッドの子だとか、片親だとか、そんなことはまるで気にした様子もなくすくすく育ってくれている、優しい自慢の息子だ。けれど私は息子に秘密にしている。息子にも関わりあることだ。実は交際相手がいる、とかではない。

 

 

 私たちの魔法のことだ。母さんに聞いた限りだが、ウチの家系は特殊な業を伝える一族だったらしい。『知覚』と『同調』。『知覚』とは霊光を読み解き、その意志を知ること。『同調』とはその意志を代行すること。息子に教えたのはこのくらいだが、その程度は他の古式魔法師なら精霊魔法として発現できるものでしかない。

 

 違うのだ。私たちのそれは言葉の通りのものなのだ。『人の発する霊光を読み解き』、『その意志と同調しその能力を増幅行使する』。現代風に言うなれば『サイコメトリー』と『シンクロニシティ』。この二つが要なのだ。霊光を見取ることが出来るものは一族にも多くいた。しかし読み取れるものは非常に稀だったらしい。加えて同調もとなると母の他に親戚に一人だけだったと聞いている。私にも上手く使えない。

 

 息子に教えた山歩きや狩りも代々継がれてきた技だ。だけど肝じゃない。逃げるための技術だ。私たちの祖先は己のチカラがこの上なく使えることを理解し、同時に利用されることも理解していた。だからこその遁走術。来て、見て、帰るの三拍子を旨にした術理。戦って勝つためのものじゃない。それだけは息子にもキツく言いつけてある。そもそも雪人はまだ本格的に一族のチカラに目覚めていない。

 

 

 1週間前に息子から聞いた話、そして翌々日に風間大尉から聞いた話、……大尉の霊光から読み取った記憶。これらが繋がった時、私は背筋に氷柱が衝き立ったかのような気持ちだった。

 

 母から聞いた話には先がある。半世紀以上前、母と祖母がなぜ故郷を捨てたのか。一族の歴史を聞けば、見つかれば当然、逃げるの一択だ。魔法も行使した徹底的な逃走だったことは想像に安い。だが捕まった、同じ魔法師たちの手で。そして利用されたのだ。多くの実験体の一つとして、族滅した。

 

 私たちの業からして使われたのは第四研究所、現在の四葉家であるというのが母の推理である。そのあとは無残なものだ。小林の苗字も偽名に過ぎない。その地方に多い苗字だったから使ったのだ。混乱期だったから使えた手だ。結局母は私たちの本当の名前を隠したまま逝ってしまった。……帰りたかっただろうに、故郷へ。雪絵や雪人なんて付けるくらいに焦がれていた。決して忘れられない情景が母にもあったのだ。

 

 

 あの日、風間大尉から読み取った記憶に出て来た女性。大尉も彼女と彼女の娘の顔を見て驚愕していた。その気持ちはよく分かる。『鏡合わせ』のようにそっくりなのだ、私たちと彼女たちは。もはや、間違いない。彼女たちは四葉なのだ。

 

 逃げなければ。彼女たちが四葉ならば、私たちは逃げるしかない。私だけならまだいい。いやだとも思うがとうとう見つかってしまったか、という思いもある。母から話を聞いた時、よく国から逃げ切れたものだと思ったし、いつか限界が来るとも思っていた。そしていつか実験体として使われる、そんな不安は常にあった。

 

 子供のころに母に当たったこともある。母は厳しい女性だったので色んな隠し事は子供の頃には教えられ、決して外に漏らさぬように躾けられた。それでも理不尽に思ったのだ。なんで私が、どうして、と。母の夫、私のお父さんも軍人だった。戦争で死んだ。だから私がアルバートと結婚したいと告げた時も反対された。娘にはさびしい思いをさせたくなかったのだ。それでも彼がよかった。レフトブラッドとして理不尽の辛さを知っていて、父を思わせるように芯のある優しい人だった。……私の不安を分かってくれる人だった。

 

 そして息子が生まれた。絶対手放したくない、私の宝物なのだ。母が亡くなった時も、夫が殉職した時も、弾けるような激しさで心が渦巻いていても私のことを思い出し慰めようとしてくれる、とても優しい子だ。夫に似てないことを気にしているが、一番大事な所は良く似ている。これからももっともっと甘えさせてやりたい、私のかわいい子。失いたくない。実験体になんかには絶対にさせない。絶対に逃げ切らなければならない。

 

 

 まずは彼女たちは何をしにここに来たのか。単なる旅行か、私たちを知ってここに来たのか。しかし雪人の姿は見られている。基地にも来たらしいが、すれ違ったりしないよう私自身気をつけている。大尉はこちらの味方だ。海での事件の時も、基地に招いた時も私たちのことを漏らすことはなかった。部隊の人間にも徹底させている。自分が目につく容姿をしていることは分かっているのだ。彼らも奇異の目を向けられても同じことだろう。大尉がうちに来た時に改めて覚った。事情は分からなくても、私たちを隠そうとしてくれている。……だけど四葉に勝てる程ではない。

 

 

 私は卑怯な女だ。一族のことも、魔法のことも、隠し事だらけの女でそのくせ周囲を利用し見捨てようとしている。私と同じチカラを持たない限り隠し事なんてできない。だから知っているのだ、今日の出来事も。だけど黙っている。チャンスだと思ったのだ。

 

 内部の裏切りによる基地攻略、同時に沖縄占領。それが大亜連の作戦だ。スパイがいるなんてことは前から知っていた。夫の死因を調べている時に知った。夫もスパイだったのだ。といっても国防軍が放った二重スパイだが。レフトブラッドという外見的特徴、魔法師としての能力、優れた頭脳、誠実さ、忠誠心。上層部にとって『使える』人材だった。

 

 だから死んだ、二者の軋轢の中で潰された。スパイなんてそんなものだ。今、基地内にいるスパイたちも捨て駒なのだ。彼ら自身分かっている。怒りや憎しみを煽られ、利用されている。……私も利用している。

 

 

 大亜連がここを戦場にしようとしても雪人は森にいる。森の中であの子を見つけ、捕まえられる人なんていない。大尉相手でも逃げ切るだけならやり遂げる。あの子のキャンプ地なら私も知っている。戦争が始まれば私も山に入ればいい。あとは国防軍が沖縄を奪還するまで隠れていよう。そして名を変えて雪人と生きるのだ。……結局私も母と同じだ。でもこれで四葉も一度だけ見た子供にかまけている暇など無くなるはずだ。

 

 そもそも戦争だって私が起こすんじゃない。ただ尻馬に乗って利用するだけだ。黙ってるのは理由があるからだ。たった一人の息子を守りたいのがそんなにいけないことなのか。私の幸せを手放したくないだけなのだ。私の計画はうまくいくんだろうか。時間がなかった。不自然がないようにしないと。……こんな悩みも今日までだ。

 

 

 

あと数時間後、戦争が始まる。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納 山中 小林雪人

 

 

 

「いやー、今日は運がいい!」

 

 僕の前には鳥とうさぎが2羽ずつ並んでいる。全部僕が狩った獲物だ。鬱蒼と生い茂る木々が僕を覆い隠している。ここは僕と母さんの秘密基地のすぐ外だ。前世紀の大戦で使われ、忘れ去られた防空壕を利用している。風間さんにだって教えていない。ここからチョコチョコっと山を登り頂上の樹の枝から遠目に基地が見える。さっきも見て来たが穏やかなものだった。祭りは中止かな? 結構早めに狩りが終わったので血抜きの最中なのだが少し暇になる。こういう時は修行に限るのだ。うむ、それがいい。ではさっそく瞑想をしよう(居眠りじゃないよ)。

 

 

 

 己の気配を周囲に馴染ませるように、周囲にある樹のそれのように溶け込ませる。……すでに僕は一本の樹だ。鳥が肩に留ったとしても僕は驚かない。樹が驚くなんてことはないのだから。『同調』の能力は実はこのように気配を溶け込ませる技なんじゃないかと僕は思う。じゃあ『知覚』はどうなんだ?気配を探る技? ……別に仰々しく『知覚』なんて名づけるほどじゃないよね?

 

 僕の体表を僅かにたゆたう霊光。心の平静を表すかのように動きはない。これさえ見取れれば気配を探るのは容易い。普通の視界と霊光に溢れる世界、僕は普段から二つの世界を見ている。母さんも多分そうだし、風間さんも時々見ている気がする。古式魔法師にとっては当たり前な能力なんだと思う。母さんはその意志を読み取る、と言っていた。霊光の意志というと多分揺らぎや色の違いのことだと思う。怒りの色や悲しみの色、心の乱れで霊光も容易く揺らぐ。でもそれが『同調』にどうつながるのか? 怒っている人と一緒になって怒れというのだろうか。えーい、わからん。

 

 ただ分かるのは『今日は森が騒がしい。何かから逃げだそうとしている、必死な意志を感じる。基地と同じだ』。だから狩りも上手く行った。気も漫ろの獲物だったので簡単に狩れたのだ。……そろそろ血も抜けただろう。チャチャッと片してお昼寝をしよう。

 

 

 

 

そして開戦の号砲は揚がる。

平和を置き去りにして行く。

僕は気付かなかった。全部全部、遅かった。

 

 

 

『ここから先は僕が気付かなかった話だ。手遅れになってやっと分かった話だ』

 

 

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納 山中

 

 

 

「(待て、全員止まれ)」

 

 森の中を進んでいた小隊が止まる。彼らは大亜連の魔法師部隊の人間だ。開戦と同時に基地内でクーデターを起こし行動を制限、そして時間差で彼らと他の部隊で基地を強襲、無力化を狙っている。

 

 特に先の戦争で猛威を振るった『大天狗』を狩ることを任務にしている。本来ならもう基地の裏山の裾まで着いているべきなのにここらの山だけ小賢しいトラップが多々見受けられた。その所為で他の部隊はもう配置に着いただろうに彼らの小隊だけ出遅れている。緒戦でこれではこの先思いやられる。小隊長を務める男も苛立ちを隠せないでいた。

 

 そんな時にあるものを発見した。防空壕だ。それならばこの沖縄にはいくつもある。前世紀の大戦での話は作戦の地理情報として入れている。しかしこの防空壕は他のものと違っていた。人の手が入っているのが男には見て取れた。確かめるべきだ。そう思った男が中に目をやると、

 

 

「(子供?)」

 

気を抜いたつもりはない。だがいつの間にか防空壕の入口に子供が立っていた。ミリタリー風のズボンに長袖の黒いインナーシャツを着ている。あいにく顔は影が差して良く見えないが、少し中性的な雰囲気を持った子供。手の甲がよく陽に焼けていて、こんな場所でなければ単なる外で遊んでる子供にしか見えない。

 

 だが我々を見られた。ならば消すしかない。サイオンを消耗しないためにも小火器は持っている。サイレンサー付きだ。少し呆けてしまっていた自分に叱咤しながら素早く銃を構える。他の隊員二人は周囲の警戒をしている。手早く終えなければ。だが次の瞬間には子供は目の前から消えていた。彼が記憶しているのはここまでだ。彼の人生も。

 

 

 

2092年8月11日。恩納 山中 小林雪人

 

 

『始まった』『基地が危ない』『母さんを助けないと』

『急げ』『知ってたくせに』『裏切り者がいる』

『四葉がいる』『逃げろ』『母さんを連れて逃げろ』

 

 頭の中に文字が溢れる。意味が分からない。クローバーがどうしたってんだ! スペードに身売りでもしたのか! ……バカ言ってるってのは分かってる。でも無視できない。『母さんが危ない』。ちらつく言葉の意味は分からなくても僕が急ぐには充分過ぎる。『さっきの男たちは大亜連軍の魔法師だ』。本当にわけが分からない。でも危なかったよ。『手早くやれてよかった』。油断してたからな。お陰でナイフが一本血まみれだよ、いつの間にだか。『人を殺したなんて今は考えなくていい。気付かないなら、無いと一緒だ』。その通りだ。気にしている暇なんてないんだ。

 

 

急げ/『急げ』。

 

 

 僕は斜面だろうと何だろうと真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに進んで行く。樹があろうと藪があろうと関係ない。獣がいようと鳥がいようと気付かせない。この前もさっきもやったことだ。木々の総体を感じ取り最短距離でかわしていけばいい。獣相手だって『意識の死角を衝けば難しいことじゃない』。

 

 僕の中で何かが噛み合って行く気がする。どんどん森を抜けて行く。樹が視界を流れて行く。基地までもう少しだ。緊急事態を伝える警報が町中に響いている。……こんなに速く走れただろうか? 疑問がまた立ち上がる。『走れた。無視してただけだ』。答えはすぐに出た。そうだ、知らないフリをしてた。僕には出来た。でもなんで。『考えている暇はない。感じるままに動くしかない』。理由なんて考えてどうするんだ。今は急がないと。また一段とスピードが上がる。無駄がなくなって行く。……もうすぐ森を抜ける。

 

 

基地は目の前まで来ていた。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 小林雪絵

 

 

 

「本当に大丈夫なのかね!?」

「大丈夫ですよ、落ち付いて下さい。奥様が見ておいでですよ」

「う、うむ……」

 

 私は恰幅のいいスーツ姿の男を宥める。彼の後方には女性と子供の姿が見える。ここは基地の一時避難施設だ。予定なら私はもうシェルターの方に移動して森へと抜け出しているはずなのにこんな場所で男を宥めている。

 

 

 今日の業務は来客の世話だった。軍に重火器を卸している会社の役員、本土の会社からわざわざ出張して来た男、つまりこの男だ。こんな時に運の悪い男だ、とあまり気にせず業務をこなしていた。そんな時に大亜連から宣戦布告なき攻撃が始まり、このままこの男をシェルターに運べば後は逃げるだけだと思っていた。

 

 しかしこの男は何をトチ狂ったか、家族連れで出張にきていたのだ。仕事とプライベートは分けなさいよ! 半ば旅行気分でここに来ていた男は、妻と子供を呼べ、来るまで動かない、と喚きちらし案内役の士官も手を焼いていた。そのためVIP用の一時避難所まで案内させられ、奥さんたちが着いても放してくれない。少しでも離れれば喚きだすので始末に負えないのだ。

 

 こういう場合は奥さんや子供を引き合いに出せばいい。男のプライドという奴だ。私は早くこの部屋から出て行きたいのだ。ここがVIP用ということは時間をかけているとあの四葉の人間もここに来るかもしれない。一応司波と名乗っていたのだから身分を隠していたのは見受けられるが、このような緊急事態なら別だろう。ならば彼女らもここに来るに違いない。男も奥さんに押しつけることが出来た。よし、逃げよう。そう思った時、

 

 

 

「こちらになります」

「御苦労さまでした。わざわざありがとうございます」

「いえっ、では失礼いたします」

「(っ!)」

 

一つだけの扉から入って来たのはジョー君だった。だけどそれだけじゃない。私にだけ見えているものが彼ら彼女らが魔法師であることを覚らせる。そして聞こえて来た声。“記憶の通りだ”。

 

 四人の四葉の魔法師。雪人と同い年くらいの少年と少女、そして20代くらいに見えるスーツ姿の女性とダークのドレス姿の“私”。マズい!咄嗟に私は避難用に羽織っていた服で頭を覆いながらしゃがんだ。しかしそれも失敗だったのかもしれない。今まで案内してくれていた女性がいきなり頭を覆ってしゃがんだのだ。体調でも崩したのかと思って声を掛けて来る。

 

 

「き、きみぃ。大丈夫かね」

「え、えぇ。……緊張しすぎてたのかもしれません。すぐに良くなりますわ」

 

 そう返すとホッとしたように男が息を吐いた。誰のせいでこうなっていると思ってるのやら。……上手く行かない、予定なら私はもう森を突っ切り息子に会えている筈なのだから。失敗ばかり目に付いてしまう。悪い精神状態だ。なんで……ッ!

 

 

 

「達也君、これは……」

「桜井さんにも聞こえましたか」

 

 私にも聞こえた。銃声だ。どうやらクーデターが始まってしまったらしい。今頃司令部付近で銃撃戦だろう。でもすぐに収まるはずだ。風間大尉たちは優秀だ。後ろで四葉の少年たちが状況確認をしている。するとそれに気付いた男が話しかけた。

 

 

「おい、き、君たちは魔法師なのかね」

「そうですが?」

「だったら何が起きているのか見て来たまえ」

 

 男と四葉の魔法師たちとの押し問答が始まる。魔法師は我々を守る義務があるだの、ないだのだ。しかしそれも彼らの後ろにいた女性……おそらく子供らの母親が止めた。

 

 

 

「達也」

「何でしょうか」

「外の様子を見て来て」

 

 淡々とした声だ。私もこんな声を出せるのだろうか。……出せるだろう。冷静に多くの人の死を計算に入れて自分と息子だけでも助かろうとしているのだ。今この場で、クーデターが起きてるんですよ、と言えたらどれだけ楽か。

 

 でも口は開かない。なぜ分かる、と問われたら返す術がない。一気に立場が悪くなってしまう。第一彼らの興味を引きたくない。そうこうしている内に彼女と少年の問答も終わった。軍配は彼女に上がったようで少年は部屋の外へと飛び出して行った。

 

 20代の女性が心配そうに見ている、確か桜井さん、だったか。今でも外から銃声が聞こえてくる。建物に仕掛けられた術式のせいで霊光で探りにくい。外の気配も遠くまでは分からない。なぜこの辺りで銃撃戦が起きているのだろうか。司令部はこの辺りじゃない。敗走しているにしても基地の奥へ奥へ行ってもジリ貧のはずだ。……計画が変わったのか? 

 

 急に背筋が冷えたような気がした。やっぱりダメなのか。いや、まだ挽回できる。気持ちが萎えそうになるのを必死に堪える。あのドアさえ抜ければ逃げられる。逃げるだけなら私たちの十八番なのだ。そして息子に会いに行ける。大丈夫だ。左手の薬指を見た。夫との結婚指輪だ。籍も入れてないし式も挙げてないが、指輪の交換だけは出来た。私のお守りだ。指輪に祈る。“御願い、雪人を守って”。ドアの向こう側に気配が生まれた。どうやら兵が戻って来たらしい。でもこれは……。

 

 

 

 

「失礼します!空挺第二中隊の金城一等兵であります!」

 

 

クーデター軍だ。目の前が真っ暗になった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 

 

2092年8月11日。恩納基地 司波深雪

 

 

 

今日は慌ただしい一日だ。いきなりの攻撃。大した荷物も持たず基地への避難。兄さんが様子見に部屋を出て行く。お母様もお母様だ。なぜあんな言い掛かりに応えるのか。今部屋にいるのは私たち3人にさっきの小父さまとその家族、あとは数組の民間人。さっきのやり取りを遠巻きに見るだけで関わろうとはしない。

 

 ……彼らも怖いのだろう。私だって怖い。お母様が、という意味ではない!戦争が、だ。あそこの女性なんて頭まで包まって蹲っている。一般人にはつらい状況なのだろう。耳を塞ぎたくなるのも分かる話だ。

 

 パラパラと銃声が聞こえる。囃しのように聞こえるのは気のせいだろう。外では銃撃戦が繰り広げられている。兄は無事だろうか。以前この基地で見た兄の組手の様子からするとまだまだ余裕があったような気がする。今も無事で居てくれることを祈るしかない。足音が近づいてくる。桜井さんが私とお母様を守るように前に出た。すでに臨戦態勢を整えている。扉の向こうから声が聞こえた。

 

 

 

「失礼します!空挺第二中隊の金城一等兵であります!」

 

 少しホッとした。空挺部隊と言えば兄と遊びに行った部隊だ。桧垣上等兵が回してくれたのだろうか。4人程の兵士が部屋に入ってきた。だがお母様の反応は違った。曰く、彼らを信用するべきではない、とのことだ。なぜかと問うと、勘よ、と返される。そしてふと蹲っていた女性の方を見た。

 

 なんなのだろうか? お母様はこの部屋に入った時もあの女性の方を見ていた。知り合い?そんなハズはない。こんな所で四葉の関係者になんて遭うべくもない。でも少し驚いていたような気がする。

 

 

 金城一等兵は私たちをシェルターまで案内すると言ったが、お母様がそれを断った。それでも彼らは私たちを連れて行こうとする。丁寧だが断らせる気がない物言いで言葉を重ねて来る。

 

 突然、ディック!と名前を呼ぶ声が聞こえた。それからは急展開だ。金城一等兵と桧垣上等兵とで撃ち合いが始まったのだ。それに呼応するように金城一等兵が連れて来た兵士がこちらにも銃口を向けて来る。桜井さんが鎮圧に向かうが今度はキャスト・ジャミングまで持ち出してきたのだ!

 

 なすすべもなく無力化される私たち、上がる悲鳴、外では銃声。そしてサイオン波のせいでお母様のお身体が危険な状態になっている! 騒音のようなジャミングが私の思考を削いでくる。相変わらず兵士の銃口は私たちを捕えたままだ。何かないのか。早くしなければ、お母様が!

 

 

 

「ッ!ダメよ、雪人!来ちゃダメ!!」

 

 さっきまで蹲っていた女性がいきなり立ち上がり、茫洋とした視線のまま叫び声を上げる。一体どうしたのかは分からないが立ち上がった拍子に顔を隠していたはおりが取れ、その素顔が露わになる。

 

 

 

「(っ!?)」

 

 “お母様が増えた!?” 隙を窺っていた桜井さんも驚いた顔をして固まっている。その女性は突破を図るかのように半開きになっていた扉へと突撃した。見張りの兵士は彼女の勢いに自分ごと突破するつもりかと素早く立て直し、ダンダン、と二発。

 

 銃弾は彼女のお腹と胸を貫いた。再び上がる悲鳴。転がる女性。撃たれた部分を抑えようとしているがまるで動けていない。血は止まらない。口からも血を吐いている。助からない。直観的にそう思ってしまった。私は驚愕で動けなかった。お母様そっくりの方が、私の目の前で撃たれ、死に瀕している。私やお母様も彼らの手でこうなるのだろうか? 魔法師は冷静にならなきゃいけないのに、まるでなれない。思考が削れていく。

 

 

「っ……事務員の女か」

「ちっ、ジョー相手だったら使えた人質だったな」

 

 兵士たちが何か話している。まっ白になった頭の中には彼らの言葉は入ってこない。ただ、最後に、ドゴン、と大きな音が聞こえた。そのまま私は意識を失った。あぁ……、兄さん。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 司波達也

 

 

 

「(状況は……、空挺部隊の人間に会えれば早いのだが)」

 

 避難室から外の様子見に飛び出した俺は、事態の把握のために世話になった部隊の人間を探していた。この建物は古式の術式のせいで遠くのエイドスを見取りにくい。とりあえず建物の外に出れば事態も把握しやすくなる。

 

 正直な話、壁を分解さえすれば直ぐにでも事態把握はすむのだがそうもいかない。窓を開け放ち、そこから外に出る。妨害はない。しかし銃声は聞こえて来る。そして人目を避けるように隠れる。

 

 

 

「(探すのは……風間大尉にするか)」

 

 すぐさま精霊の眼がイデアを映し出し風間大尉のエイドスを探り出す。すぐに見つかった。司令部付近。風間大尉とその部下3名、その外苑から大尉たちに向けて銃撃が繰り返されているのが分かる。エイドスを見れば相手が国防軍の服であること、対魔法師用の高火力銃器を使っていることが分かる。

 

 

「(スパイか、反乱か……、杜撰な)」

 

 思わず舌打ちしそうになる。しかし事態は把握できた。深雪たちが安全にシェルターに入るためには反乱部隊の掃討が必要になる。大尉たちが上手く抑えられればいいが今は戦時中だ。

 

 国防軍による避難や反撃は上手くいっているとニュースでは言っていたが、この様子では単なる情報統制でしかないことが分かる。おそらくここ以外でも兵の反乱が起きていて、国防軍の動きは寸断されているはずだ。効果的に避難や反撃が出来ていなければ、時間との勝負であるこの沖縄戦では致命的になりかねない。そうなれば深雪たちの命が危ない。……手を貸すべきか?

 

 

 

「(これは……)」

 

 向こうで動きがあったようだ。風間大尉が幻術を繰り出した。そして彼の部下二人が銃撃の中を突っ込んで行った。相手は二人を見切れずに幻影に銃弾を放っている。弾がすり抜けたことで幻影だと気付いたのかハッとして大尉たちを探すがもう遅い。

 

 地を舐めるような低空からの襲撃が彼らを襲う。左右の両端の兵から顎を閉じるように挟み撃ちにするつもりらしい。瞬時に敵兵から奪ったマシンガンで十字砲火を浴びせ始めた大尉の部下たち。敵兵は反撃しようともがくが、段々と内へ内へと下がっていく。大尉が次の魔法を練っている、もはや決着はついたようだ。俺も大尉と合流しよう。誰が裏切り者か分からない状況だ。深雪を守るためには使えるものを使おう。

 

 

 

 

「達也君!」

「風間大尉、状況は」

 

 良く見える位置から駆け寄る俺に大尉が声をかける。俺に銃口を向けていた兵士もそれに合わせ下げる。俺の質問に大尉は困惑した様子で、

 

 

 

「なぜここに……、いや、言っている場合ではないな。……反乱が起きた。基地内の反乱は既に鎮圧されつつある」

「では避難室の人間がシェルターに行くために兵を貸して頂けませんか。このまま軍施設にいたら敵軍の標的にされかねない」

「それなら既に人をやっていたはずだが」

 

 窓からショートカットした弊害だ。軍施設だからな。制圧されにくくするために曲がり角が多い。更にあの建物の探知妨害術式。失敗したか。すぐに戻って確認しなければ。誰を寄こしたのかも確認しておく。見知ってる奴ならいいのだが。知らない奴なら反乱部隊かどうか見分けがつかない。

 

 

「どなたです」

「桧垣上等兵だ。顔見知りの方が良かろうと思ってな」

 

 許容範囲だ。彼なら深雪も顔を知っている。混乱はしないだろう。よし、すぐに戻ろう。あの避難室は人が少ない。しかもVIP用だ。事態に窮した敵兵が立て篭もりを起こしたりしたら面倒だ。深雪が人質にされかねない。桜井さんがいると言ってもそれで俺の気が休まるわけでもない。守らなければ、深雪を。

 

 

瞬間、銃声。

 

 

 

 

「……ッ!」

「銃声か、今の方向は……」

「避難室の方です! 先に行きます!!」

 

 走りながら精霊の眼を開く。イデア上に桧垣上等兵のエイドスが見て取れる。彼は建物に向かって発砲している。そしてそれに反撃するように建物から銃線が延びている。どっちだ? 桧垣上等兵は敵か、味方か。ただ、銃撃で窓が割れている。今なら少しは中の様子を探れるかもしれない。……っ!

 

 

「(キャスト・ジャミング!?)」

 

 避難室の扉から強烈なサイオン波が感じ取れる。この感じはアンティナイトによるキャスト・ジャミングで間違いない。何のために、なんて考える必要はない。施設内部の制圧のためだ。ならば中の奴らは反乱部隊! くそっ、深雪が! 足が尚も早く回転していく。時間がない、障害物はCADを抜いて分解し、通路を確保する。だがそのまま真っ直ぐ直進というわけには行かなかった。

 

 

 

 

 真横の方角から何かがかなりのスピードで突っ込んでくる。サイオンとプシオンを滾らせながら、さながら獣のように建物の上を駆けて。あのサイオンが解放されただけでちょっとした暴風でも起きそうなくらいだ。それを見事に制御し、その身に押しこめている。

 

 そいつは俺の前に着地した。2階以上の建物からなのに重力なんて感じないかのように柔らかく腕と膝で重みを吸収している。身に纏う気配から強者だと分かる。大亜連の魔法師だろうか、しかし見た目は少年のようでしかない。ミリタリーズボンに黒のインナーシャツ。血が滴っているように見える。片手のナイフも血が着いている。腰にも2差し。日に焼けた肌。しかしその面影には見覚えがある。

 

 ……っ!一週間前のアイツだ。やはり深夜様と深雪に似ている、兄である俺以上に。意識が避難室の方に逸れた。進路妨害をするのなら討つしかない。俺は今急いでいるのだ。CADを構えていた俺に対し彼はチラリと目線を寄こし、何かを呟いたと思ったらすぐに避難室の方を向いた。彼の立場が分からない。これ以上不測の事態を増やすわけには行かない。足の腱でも分解で吹き飛ばせば動けなくなるだろう。俺はすぐさま実行に移す。

 

 

「(治療は基地兵にでもしてもらうといい)」

 

 瞬時に彼の踵だけを狙い、引き鉄をひいた。

 

 

 

「なに?」

 

 しかしそれは外れた。正確には外された。気が付いたら彼は走りだしていた。なぜだ、目を離してはいなかったのに。走る背中に向けてもう一度撃つ。また避けた。俺が撃つタイミングと彼が避けるタイミングが微塵もずれていない。これ以上は無意味か。俺も急いでいるんだ。彼の後を追いかけよう。

 

深雪っ!

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 小林雪人

 

 

 僕は森を抜け、基地に潜入していた。検問は堂々と突破した。誰も僕に気が付かなかった。僕にはそれが出来る。彼らの意識を『知覚』できれば隙を付ける。己の気配を周囲と『同期』させれば相手は違和感に気付かない。さっきも通り道にいた大亜連の魔法師に『同調』して奴の精神をグチャグチャにしてやった。片手間だ。時間は食わない。ポンと肩を叩いて終了だ。

 

 僕は知っていた。僕自身のチカラの使い方を。特殊な生まれだからなのか物心ついたころから解かっていた。でも封じて来た。『知覚』すれば己が周囲の人間と違うということに容易く気付けた。母さんや祖母以外に『同調』なんて持っている人間がいないことも容易く気付けた。だから僕は押し籠めたのだ。都合の悪い技術を、自分の無意識の中に。

 

 僕は母さんに教わる以上のことが出来た。母さんより速く山を駆けれる。母さんより深く『知覚』できる。母さんより多彩に『同調』を操れる。狩りだって僕の方がうまい。風間さんの技だって、すぐさま吸収できた。ジョーの語る魔法理論だってジョー以上に理解できた。

 

 そしてそうやって得た必要以上は無意識へと投げ捨てていた。怖かったのだ。眼を見開けば他人の心を暴き立て、手をかざせば思うがままに操れる。今日まで意識して誰かにやったことはなかった。見え過ぎてしまったものは、知り過ぎてしまったものは、“気付かなかったことにしてしまえばいい”。そうやって隠して来た。

 

 だから僕は知っていた。瀬良垣の別荘であの女性がなぜ僕に声を掛けて来たのか、なぜ驚いたかを。あの少年が僕を見つめて何をしていたかだって分かってた。

 

 基地で反乱が起きることも分かっていた。戦争が起きることも分かっていた。大亜連が長年準備に費やしていたことも。父がその争いの中で死んだことも。母が僕に無闇に強い力がないことにホッとしていたことも。風間さんが僕のことを息子をみるような眼で将来を楽しみにしていたのだって。ジョーが家族がまだいる僕を心の奥でホンの少し妬んでいたことだって知っていた。

 

 

 “気付かなければ”いつも通りでいられた。無邪気にハシャいでふざけて見せれば僕は小林雪人でいられた。でもダメだった。知らないままでは、気付かないままでは母さんを助けに行けない。大亜連の兵士が僕と母さんの秘密基地を見つけた時、あの時僕は限界だと“気付いたのだ”。

 

 それからは早かった。あの兵士の意識の隙を衝き、彼自身の気配を纏い、殺意を宿さぬよう無意識に押しやりながら真っ直ぐ彼の懐に入りこみ、首を刺し斬る。倒れる音をさせぬように抱えてゆっくり転がす。周囲を警戒していた兵たちにも容易く後ろから取り付き、首を裂いた。片手は血まみれ、辺りは血だらけ。見事な惨殺場が出来上がった。罪悪感なんて無意識に投げ捨てれば思考に浮かんで来ることはない。それよりも大切なことがあったのだ。僕の意識も無意識も、その点は一致していた。

 

 

“母さんを守るのだ”。

 

 

 

 全てが噛み合った僕の身体は、最高のコンディションで僕を走らせる。無意識に抑え込んでいた霊光を自在に操る技術が僕にはある。“逃げろ”が家訓の一族だろうと僕の中にはヒーローの父さんの血と、軍人の風間さんの技術が染み込んでいる。

 

 それが僕を走らせるのだ。忍術で壁に吸いつき駆けのぼり、屋根から屋根へ跳んで行く。霊光を探りながら進む。どこのシェルターなのか、母の所在を知る者を『知覚』していく。

 

 風間さんと司波達也を見つけた。“一時避難所”の言葉を得る。そして彼が今考えている少女、司波深雪。その光景の奥の方。頭を隠し蹲っている女性。間違いない、母さんだ! 司波深夜なんかとは似ても似つかない、僕の母さんだ!

 

 司波達也が走り出した方へ僕も方向転換する。すこし距離があるが問題ない。僕の方が早く着く。おや、司波達也はショートカットをするつもりらしい。僕も便乗させてもらおう。彼が分解で一本道を作りだしたその時、僕は屋根から飛び降りた。

 

 

 

 

「っ!」

 

 司波達也は僕の顔を見て虚を衝かれてる。そしてすぐに警戒し始めた。意味無いのにな。僕らは同士じゃないか。君は司波深雪を、僕は母さんを守りたいだけだ。

 

 ジョーが戦っている。“あの向こうに母さんがいる”。司波達也の無意識を衝きスッと走りだす。彼の分解の定点をサラリとかわし、彼の作った通路を走り抜ける。もう一度足を狙ったそれも足取りの拍子をずらしてかわす。力を全開にして走りだす。あっという間に司波達也を置き去りにして行った。

 

 

 

 

 

「ディック! もうやめろ! 軍は仲間だろう!? 俺たちは戦友なんだよ!!」

「魔法師のお前に! 俺の気持ちが分かるものかっ! 所詮俺たちは歩兵にしかなれない! 佐官や尉官にレフトブラッドはいない! 疎まれ、蔑まれ! 死んで行くんだよ!」

「なんでだ! なんでなんだ、ディック!?」

 

 なんだ、こいつ。……あぁ、裏切り者のディックか。被害妄想がひどいってわけじゃないが的外れなことでもない。軍はレフトブラッドが求心力を持つことを恐れている。今までのツケでクーデターされかねないからだ。今起きているのだって、大亜連の謀略だが散発的なもので収まっている。組織立たれては困る、というのが内情だろう。

 

 父は曹長だった。殉職して尉官になった。戦時昇進なら何とか尉官もいただろうが、大体が殉職してやっとだろう。だが今は関係ない。ディックはジョーと撃ちあっていて隙だらけだ。間抜けめ、ディックは今更になって迷っている。怒りを当たり散らしながらも心の内に冷静さが芽生え始めている。だが今は関係ない。

 

 ジョーが兄弟のように育ったディックの怒りに気付いてやれなかったことに悲しんでいたとしても今は関係、ない! 母さんを! 傷つけようとする! オマエらは!

 

 

“死ね”!!

 

 

 言霊と共に僕の身体から霊光が迸る。それを推進力に組み込み強く踏み込む。この場の誰も見切れちゃいない。銃撃で割れた窓から跳び込み、壁に着地しながら勢いを転換する。壁を走りディックが隠れている柱へ向けて、天井を蹴って勢いを増させる。最後は左手のナイフで、上から強襲。肩口から首にかけてバッサリ。

 

 

 

「っ!スノウ!やめろ!!」

「お―――――」

 

 ジョーからは見えちゃうよね。でも僕らは人質救出隊であってネゴシエーターじゃない。ディックは最後の瞬間に僕に気付いたが、遅いよ。

 

 ……ん、母さんが僕がここに来たことに気付いた。すごく不安がってる。大丈夫、僕が助けに行くよ。僕は戦える。こいつらなんて相手にならないよ。

 

えっ? 来ちゃだめ?

 

 

 

「スノウ! なんでッ! ……くそッ! どうしてこうなるんだ!!」

 

 うるさいよ、ジョー。母さんの言葉に集中させてよ。……ダメだよ母さん、動いちゃダメだ。四葉が見てる。後で処理しなきゃいけないな。……ダメだって!! 前の男が母さんを狙ってる! 母さんは戦っちゃダメなんだよ!! 

 

 僕の足が動き出す。ディックから吸い出した館内の見取り図の記憶で、避難所へと辿るように走りだす。この二人は人質に被害が行かないようするために避難所から離れて戦っていた。ディックの最後の理性だろう。

 

 だがあの場に残った下種たちは違う。自己破滅型の典型例のようなやつだ。今も大人しかった人質がイキナリ反抗してきたのに苛立ちを募らせ殺意を銃口に込めている。

 

くそッ!

 

『間に合わない』!

 

やめろ!

 

『母さんが撃たれた』!

 

もう少し、もう少しなんだ!

 

まだ間に合うんだ!

 

 

 

 

 

『“雪人くん、ごめんね”』

 

 

 

 

 

光が、散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 司波達也

 

 

 

 避難所の建物は多くの窓が割れて風通しが良くなっている。桧垣上等兵と敵兵の銃撃戦のせいだ。防弾ガラスだったが対魔法師用のライフル弾はその高威力でものともしなかったようだ。だがお陰で風通しが良くなって俺の眼なら中を少しは探れている。

 

 先ほどの少年は見事な機動で敵兵を仕留め、人質奪還に向かっている。急に暴れ始めた人質とプシオンで何やらやり取りをしているようだ。彼と人質、双方のプシオンが呼応しているかのように輝いているからだ。人質の危機を察して必死に走っているが……、

 

 

 間に合わなかったようだ。命が散った。もう俺にも直せない。少年のサイオンが爆発的に高まり、そのまま部屋の前の見張りを突き殺す。ウチ開きの扉をそのまま吹き飛ばすかのように突っ切った。

 

 俺もうかうかしてられない。部屋までの直通路を分解で作る。深雪の無事は確認している。桜井さんも深夜様も無事だ。死んでないなら俺のチカラで直せる。……本当に無事でよかった。

 

 直通路を通り部屋の中に入ると先の少年と人質の見張りをしていた2人の兵が目に入った。一人は首を断たれ、首も身体も別々に転がっている。もう一人の方は手足の付け根に鋭い刺し傷を付けて横たわっている。筋肉と腱を正確に刺し貫いており、あれでは手足は意図して動かせなくなる。

 

 そして少年はその男に馬乗りになり、殴り続けている。少年が殴る度にその男は喜んだり、叫んだり、怖がったりしている。男の何かが殴られる度に削ぎ取られているようだった。桧垣上等兵と戦っていた男、入口を見張っていた男、首のなくなった男、おかしくなった男。

 

 人質を取ろうとした兵士たちはたった一人の少年によって虐殺されている。部屋の中は静まり返っている。一人の少年の狂気に飲まれている。

 

 

 

「達也君!」

「桜井さん、二人も無事ですね」

「えぇ、気絶しているだけ。でも……」

 

 犠牲者が一人だけ出た。その死体は服装以外深夜様にそっくりだった。桜井さんは気遣わし気に少年と彼の大切な人だったものに目をやっている。少年が腰に差していた最後のナイフを抜いた。止めを差すのだろう。

 

 勢い良く振り上げられ、あやまたず心臓に吸い込まれる。そして抉るようにナイフを捻った。そのまま数秒少年は固まっていた。息を整えようとしているようだ。だがその息は震えていた。少年は立ち上がった。握力の限界だったようで、心臓から刺し抜いたナイフはカラン、と床に転がった。フラフラと危うい足取りでたった一つの女性の死体へと近づいて行く。足が引っ掛かりべシャリと倒れ込んだ。

 

 

 

「手を貸そう」

 

 俺は思わず動いてしまっていた。彼に肩を貸し、目的地まで運んだ。……本当に良く似ている、コイツもこの女性も。なぜ動いてしまったのだろうか。

 

 その理由は簡単だった。コイツと俺も似ていたからだ。容姿の話ではない。守りたい者が居て、それを守るのが自分の使命と信じている。そして今回俺は守れた。しかしコイツは……。

 

 俺はコイツとの差を実感して安心したいのかもしれない。だとしたら俺にも、コイツのような狂気があるのだろうか。深雪を失わずにいれるのだろうか。

 

 

……無駄にはできない、そう胸に刻み込んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

 

 

2092年8月11日。恩納基地 小林雪人

 

 

 

一緒に朝ごはんを食べる。今朝の記憶。

 

山菜に顔を綻ばせる。昨日の記憶。

 

みんなで晩餐。先週の記憶。

 

一緒に海に泳ぎに。ぴったり二十日前。

 

僕の誕生日。だいたい100日前。

 

卒業式と入学式で記念写真。4ヶ月前。

 

母の誕生日にチョコを貰う。6ケ月前。

 

一緒に秘密基地へ。去年の大みそか。

 

父さんの墓参り。12月30日。

 

祖母の墓参り。同日。

 

お酒をこそっと一緒に飲む。12月24日。

 

一緒にお祭りへ。10ヶ月前。

 

 

 

 

 …………母さんとの最後の思い出だ。もう二度と一緒には行けない。もう山菜を採りに行く必要もなくなる。もう秘密基地に行く意味もなくなる。鍛える意味がない。なんのためにもならない。なにもいみがなくなる。

 

 司波達也に支えられて母さんの前に来たって意味がない。僕には分かる。死んでる。もう母さんはここにはいなくなってる。

 

なんでだよ。……なんでなんだよ!! なんで母さんだったんだ!! くそっ!! ふざけんなッ!! バカやろうが!! 殺してやるッ!!

 

 

 ……あはは、バカは僕だ。力を手にした途端に調子に乗って、母さんの言うことも聞かずに乗り込んだ。僕たちは“逃げ”の一族だ。討つんじゃなくて、生き残ることが勝利の一族だ。母さんもそのことはキツく言っていた。

 

 

 ……僕も生き残らなきゃいけないのか? 僕なんかが最後の一族か。……意味なんかないよ……。四葉にこのまま身売りしようか。上手く使ってくれるはずだ。僕がこのまま生きるより遥かに世の中のためになるだろう。つらい。死ぬべきなんじゃないか。調子に乗って母を殺した間抜けな息子。最低だよな……。生きてる価値なんかないや……。さっきまで涙が流れてたのに、もう止まってる。もう動くことがない母さんを無気力に眺めている。いや、視界に入っているだけで見てはいないのかもしれない。僕の霊光が萎んでいくのが分かる。内へ内へと光を失っていく。僕はここで死ねるのか。母さんと同じ場所で。そう思うと少しだけ救われたような気がする。

 

 ……もう眠い。まぶたが落ちて来る。ごめんね、母さん。バカな息子で。出来るなら母さんの手を握って死にたい。幼かったころを思い出せる。幸せだったころを。母さん……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『雪人くん』

 

 

 

 

 母さんの手に、正確には母さんの手に着いている指輪に触れた時、母さんの声が、聞こえた。

指輪に霊光が宿っている。それが死者の残した想いを伝えてくる。母さんはこの指輪を大事にしていた。だからこうして想いが残るのも分かる気がする。

 

 

 

 

『生きて』

 

 

 

 

……むりだよ。母さんがいないのに、僕が生きる意味なんてないよ……。

 

 

 

 

『生きて幸せになって』

 

 

 

 

母さんがいなくちゃ意味がないんだよッ!! なんで母さんがそんなこと言うんだッ!!

 

 

 

 

『あなたは生きていけるわ』

 

 

 

 

そんなわけないよ……。もう死にたいんだ。疲れたんだよ……。

 

 

 

 

『あなたは優しい子』

 

 

 

 

母さんのためだから出来たんだ!! 他の誰かのためじゃない!!

 

 

 

 

『あなたは人の痛みを分かってあげられる』

 

 

 

 

それはチカラがあるからだッ!! このチカラだって母さんがくれたものだろッ!?

 

 

 

 

『この指輪が教えてくれるわ』

 

 

 

 

なんなんだよ、いったい!!

 

 

 

 

『よく“視て”』

 

 

 

 

よく、みる……?

 

 

 

 

 

 

『忘れないで。悲しくても、苦しくても、生きなきゃダメなの』

 

 

 

 

 

 

 指輪に意識を集中させる。飲みこまれるように、あるいは溢れだすように霊光らしき光が僕を包む。僕の意識はこことは違う場所へと飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■年■■月■■日。

 

 

 

 

ここは僕の無意識の奥深く。もしくは指輪の中。

 

 

 

 

『2020年代。一族は再発見され、またもや狩られる立場に立つ。』

 

 

よく魔法発見から20年も隠れられたよ。

 

 

『2030年代。地球寒冷化。とある研究所の研究のため、実験材料として一組の母娘を残し、族滅。』

 

 

祖母と曾祖母だ。吹雪の中を歩いてる。

 

 

『2040年代。娘は母を亡くす。第三次世界大戦が始まる。』

 

 

祖母は二十歳にもなっていないころだ。……祖母も母に良く似てる。逆か。

 

 

『2050年代。娘は軍人と出会い恋に落ちる。二人は結ばれ、娘は母になった。』

 

 

母さんだ……。おじいちゃんって軍人だったんだ。

 

 

『2060年代。第三次世界大戦の終結。しかしそのわずか前に母と娘は父を亡くした。』

 

 

母さんも幼いころに父さんを亡くしてたんだ……。僕、全然知らなかった。

 

 

『2070年代。娘もまた、軍人と恋に落ちる。母はそれを認められなかったが、二人は深く愛し合い、子が生まれる。娘は母となり、母は祖母となった。男もまた、父となった。』

 

 

僕だ。

 

 

『2080年代。子もまた、父を亡くす。その四日前に祖母も喪う。母と子だけが残った。』

 

 

……。

 

 

『2092年8月11日。子は己のチカラの代償として、母を亡くす。子だけが残った。』

 

 

 

…………。

 

……。

 

 

なんだよ。

 

 

なんなんだよ、これ。意味分かんないよ。意味分かんないよ。うしなってばっかじゃんか。一族を失って、故郷を失って、大切な人たちをうしなって、うしなって、うしなって! なくしてばっかじゃないか!! どうしてこうなるんだよ!! 僕たちが何かしたのかよ!! ただ……ただ生きてただけじゃないか! 生きていたかっただけじゃないか!! それってそんなにいけないことなのか!? ……なんの意味があるんだよ……。

 

 

 

 

『母は娘の命を重んじ、命を掛けても守ると誓った。故郷を捨てようと遥か遠方の地へ身を埋めようと、ただただ娘を生かすためにチカラを振るった。母はそれで幸せだった。』

 

 

……。

 

 

『娘は軍人を愛した。互いに明日をも知れぬ身としりながらも愛し合った。軍人の孤独と恐怖を埋めるためだけに娘はチカラを振るった。娘はそれで幸せだった。』

 

 

…………。

 

 

『次の娘は己のためにチカラを振るった。誰にも癒せぬ不安を抱き、相手を信じることができない。ただ一人の男だけが娘の不安に気が付いた。子が生まれ母となった娘は男を亡くした。娘は子を慈しみ、守るためだけにチカラを振るうようになった。娘はそれで幸せだった。』

 

 

………………。

 

 

『子は怪物にならぬために己のチカラを封じた。己のチカラは特異に過ぎる。己にできることを模索する日々。いつか己のチカラが必要になるのかもしれない。希望と恐怖がその身の内にある。ただ誰かのためにチカラを振るわんとする。子の行方は、まだ定まっていない。』

 

 

…………。

 

……。

 

………なんだよ。

 

“生きて”ってそういうことなのか? 僕はまだ生きてなかったのか? こんなもんじゃ、まだまだ足りないってことか? どれだけうしなっても、苦しくても、悲しくても、母さんもお祖母ちゃんも曾お祖母ちゃんみたいに、幸せだって言えるまで“生きて”って。

 

……そういうことなのか?

 

 

 

………………。

 

 

…………。

 

 

……止めてくれよ。

 

僕にはむりだよ。今起きてる戦争だって司波達也が止めてくれる。僕には分かる。やつにはそれだけのチカラがある。あいつは僕とは違うんだ。守りたいものを、あいつは絶対守り切る。

 

 

僕とは違う……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………だからってなにもしないでいられるのか?

 

 

…………大切な人を喪うのってこんなにもつらいことなのに、僕にはそれが分かるのに。

 

 

…………なにもしないでいていいのか?

 

 

 

 

…………こんなに苦しくて、悲しいって、分かってる

 

 

それでも

 

 

…………僕も生きていいんだろうか?

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『忘れないで。苦しくても、悲しくても、生きなきゃダメなの』

 

 

『雪人くん、“生きて”』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 司波達也

 

 

 

「深雪!」

「お兄様……?」

 

 気絶していた深雪が目を覚ました。無事とは分かっていたが、目を開けていると違う。あの女性の死に引きずられているのだろう。深雪の生を確かめるように抱きしめてしまった。深雪はすこし茫洋としているようだ。時期に意識もはっきりしてくるだろう。本当によかった……。

 

 

 彼とあの彼女は俺の背中で隠している。深雪からは見えない。他の死体はともかく何もなしにあの女性の姿を見れば、深雪が勘違いして卒倒しかねない。しっかり言い含めてから立たせる。そして深雪が俺の後ろを見た。

 

 

「え……」

 

 深雪は驚愕と諦観が混じったような声を出した。ほとんど即死だった。深雪も見ていたのかもしれない。そして深雪はキョロキョロと周りを見渡し、桜井さんに介抱されている深夜様を見つけホッと息を吐いた。

 

 

 彼はさっきから彼女のすぐ側に座り込み、膝の上に手を運び込み両手で包んでいた。俺が運び込んでからずっとあのままだ。だが俺の精霊の眼には彼のプシオンが彼の奥の方で不思議な動きを取っていることが見て取れている。本当に不思議なやつだ、俺はそう思った。

 

 最初に会った時は忍術と呼ばれる古式魔法師、密偵と思い、次は王者のようにサイオンを撒き散らしながら現れ、更には俺の分解を避け、謎の魔法で意識のやり取りをし、それを攻撃にも使っていた。そして最後に思わず手を貸してしまっていた。

 

 ……俺もアテられてしまったのだろうか。……そうなのかもしれない。あの死体の前での俺の決意は、尚も変わらない。……彼のことはもう充分だろう。

 

 風間大尉たちが近づいてくるのが分かる。俺も彼ほどではないが怒りはある。今回のことを画策したやつら、そしてここを攻めようとしている敵軍たちには、無事だったとは言え深雪を危ない目に合わせた落とし前をつけさせなければならない。

 

 

 

 

「雪人っ……!」

 

 風間大尉が隊を引き連れて現れた。桧垣上等兵の姿もある。彼はどうやら足を怪我していたらしい。隊員に肩を貸してもらいながらの登場だった。察するに、あの少年の名前は雪人というらしい。深雪に雪人。ますます彼に変な類似性が生まれてくる。そして知り合いでもあるようだ。

 

 なるほど、だから潜水艦の事件の時、我々を見て少し驚いたような顔をしていたのか。そしてそれを隠し通して来た。……何か理由があるのだろうか。俺自身も少年たちには何かがあるという思いが強い。もしかすると四葉に関係する者なのかもしれない。……先代の隠し子か? 

 

 いや、バカバカしい。隠し過ぎて誰も知らなくなっていたのなら笑い草を通り越して間抜けでしかない。それに伝え聞く先代像とかけ離れている。っと、少年の周りに真田中尉、桧垣上等兵が寄り、少年の様子を窺っている。風間大尉は部屋の惨状を見て重い息を吐きながら首を振っている。そしてこちらの方に歩いて来た。

 

 

 

「これは……達也君が?」

 

 少し縋るような雰囲気で風間大尉が聞いて来た。彼自身、想像が付いているだろうに。しかし分からないでもない。

 

 外れたドアに標本のように長めのナイフを首に刺されて留められた死体、首をザッパリ切り落とされそのまま転がされたまま放置されている死体、四肢を動かせないよう腱を切られ原型が分からなくなるまで顔を殴られ最後に心臓に穴を空けられた死体。

 

 こんな惨状をあの見た目普通の少年が作り出したのだとすると、どんな狂気がそこにあったのか。それを想像するのは楽しいことではないだろう。しかし大尉には認めていただかねばならない。己の失態を痛感すればするほど、俺の提案も通りやすくなるはずだ。

 

 

 

「いえ、雪人……でしたか。彼ですよ」

「くっ……そうか」

 

 大尉は思わず目を伏せた。いやな想像が当たってしまった。そんな顔だ。もう少し探る。

 

 

「反乱兵のせいで、ここも民間人に被害が出てしまいましたね」

「痛恨の極みだ」

「あの女性は、彼の?」

「……母親だよ」

 

 最初の質問への答えは確りしていた。ほかの基地の状況を聞いて来たのかもしれない。しかし落ち付いている。少しは好転しているのだろう。二つ目の質問への答えには少し間が合った。やはり我々に隠そうとしていたが、意味がなくなった。そういうことだろうか? 当事者の一人が死んだのだ。大尉からは少し引き出しにくい話でもある。

 

 

 深雪は俺の後ろで話を聞いている。この惨状を作りだしたのが彼で、この場唯一の被害者が彼の母親だったことを知り、座り込む彼を心配そうに見つめている。罪悪感を感じているのだろうか。

 

 確かに深雪が本気を出せば、3人程度あっという間に殺せるだろう。しかし深雪は殺しになれていないし、キャスト・ジャミングの嵐の中だった。冷静に魔法を行使することはできなかっただろう。どうしようもなかったことなら深雪が気に病んでも仕方がない。半身を返し、深雪の頭に手を置く。落ち着かせるように撫でつければ、少し頬を染めて目礼してきた。さて、そろそろ本題に入ろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気か、達也君?」

「自分の目的はただの報復です。奴らは深雪に危害を加えました。その報いを受けさせる」

 

 風間大尉の負い目を利用し、戦争の詳しい状況を聞き出した俺は、更に戦闘に参加させるように風間大尉に要請した。深雪たちの安全もシェルターより良い場所を確保した。

 

 目標は名護の揚陸地点の壊滅。上陸制圧部隊がなくなれば沖縄を占領することはできなくなる。圧倒的勝利を演出し、敵部隊を塵殺する。これだけの部隊を動かして一時占領もできなかったのでは大亜連の軍部にも混乱が生まれることだろう。俺たちが沖縄から引き上げるまでの時間的余裕は簡単に生まれる。本当なら命令を出したやつらごと俺の手で殺してやりたいのだがな、そこまでは望みすぎか。

 

 

「我々の任務は敵の殲滅。しかし非戦闘員や捕虜の虐殺までは認められんぞ」

「降伏する暇も与えません。自分ならそれが出来ます」

 

 風間大尉は厳めしい顔をして俺を見て来る。その瞳の中には悔恨が読み取れる。知り合いの凄惨な死とその子どもの狂変。そして俺が新たな地獄を作ると言っている。だが彼は軍人だ。勝利のために為すべきことを為す。そのための自制心を持っていることはこれまでのことで理解している。返答は数瞬の間もないものだった。ある程度踏ん切りが付いたのかもしれない。

 

 

「よろしい。共に轡を並べようか、司波達也君」

「敵の殲滅には力を貸します。軍の指揮に従うわけには行きませんので」

「結構だ。……真田、彼に装備を、っと」

 

 これで風間大尉の了解も得られた。さっそく動くとしよう、そう思って真田中尉の方、少年がいる方を見ると少年は立ち上がって風間大尉と向き合っていた。真田中尉は彼の背後でため息をついている。桧垣上等兵は女性の死体の前で涙をこぼすばかり。少年と大尉は互いに無言で見つめ合って、何かを確かめ合っているかのようだった。口火を切ったのは少年だ。

 

 

 

 

 

「風間大尉、僕も司波達也と一緒に戦わせて下さい」

「達也君と? ……うしなったもののための復讐はつらい。それでもやるか?」

「復讐じゃないんです。僕は戦争を止めたい」

 

 部隊の人間たちもざわついている。これだけの惨状を作りだしながら、ここから先は復讐ではないと言ったのだ。意外な答えだ。いや、異常な答えだ。風間大尉もコイツの答えには瞠目している。いったいどういうことなんだ? コイツは俺と同じように怒りを感じているはずなのに。そのはずなのにコイツの眼には復讐の暗さはない。恒星のような輝きがあるだけだ。熱く燃え滾ってもいない、ひどく澄んだ色合いの瞳だ。風間大尉もそれを疑問に思って答えを釣りだしたようだが、意外な獲物がかかってしまった、と言うような顔をしている。

 

 

 

「お母さんはもういいのか?」

「母はもうここにはいません。僕には分かる」

「……そうか。達也君、雪人は君を御指名だが?」

 

 大尉は俺に話を振って来た。少年はやけに断定的に言い切った。そして後半の台詞には何がしかの自負があるかのような調子の強さだった。

 

 ……別に必要はない。強いことは分かる。俺以上のスピード、謎の察知能力、サイオンのスタミナもあるようだ。足手まといにはならないだろうが、俺がこれからやることには及ばない。コイツは別に必要ない。そう考えていると、

 

 

 

「僕を貴方と一緒に戦わせて下さい。僕が一番貴方の力になれる」

「……しかしな」

「僕が一番貴方の力を強くできる。世界一の力を貴方に与えられる」

「…………」

 

 俺の力? 分解は見られたが、あれだけで俺の異能を理解したとでも言うのだろうか。少し興味が出て来た。ここまで大口を叩くのだから相当な自身があるのかも知れない。……しかし己一人では使えぬものでもあるのだろう。使えたなら彼は母を喪わなかった。

 

 まぁいい。世界一と言い放ったのだ。どれほどのものか体験したくもある。許可しよう。

 

 

 

「……そこまで自信があるのなら構わない。俺の力になる、というが具体的には何をするんだ?」

「その前にしなければならない話があります」

「?」

「僕は精神魔法師です。第四研の原材、その生き残りでもあります」

「!!」

 

 第四研究所の実験材料、その生き残り! 事実かどうかは分からない。だがそうなら色々納得がいく。俺の分解を避けたのは俺の精霊の眼の亜種、もしくは本流によるもので、謎の攻撃も精神魔法を使ったものなのだろう。

 

 第四研究所のテーマは“精神改造による能力向上”。コイツらの能力は大いに活用され、そして四葉を生む肥料にもされたことだろう。だがこの場で俺の精神を改造して、能力向上をするというのならこの話は聞けない。

 

 

「そんなことはしません」

「!」

 

 間の良すぎる言葉。表情から読まれたか?そんなはずはない。いや、ある程度察しはついていた。驚くべきことだが納得が行くことだった。表情には出ていない。さっき考えた通りのことだ。ならば……。

 

 

「そうです。御想像の通りそれが僕の二つの能力の一つ目」

「読心……か」

「正確には人や物質の心と記憶を読み取る能力、『サイコメトリー』の能力です」

 

 精神改造の前段階として、対象の精神を鑑定することが必要となる。俺の精霊の眼のようにコイツには相手の精神が読み取れる、ということだろう。ならばもう一つは? 考えるまでもない。精神干渉系の能力だ。

 

 

「それが二つ目、『シンクロニシティ』です。精神を近似させ同調し、能力行使を爆発的に向上させる。今回は僕の精神を貴方の精神に近似させ、疑似的な集合無意識を作り出します。魔法の本領は如何に無意識領域を使うかです。僕を介して貴方はそこにアクセスして力を使って下さい。僕も貴方も生まれ持ったものは大きい。正直言ってどれだけ能力が高まるか想像も付きません。制御には僕も力を貸しますから、おそらく世界で誰も見たことのない規模で魔法が使えることになると思います」

「…………」

 

 ……集合無意識を利用した魔法? どれだけのものになるか、俺にも皆目見当が付かない。明らかに新段階の魔法だ。四葉はこれをもっているのだろうか。だとしたらとても恐ろしいことになる気がする。

 

 桜井さんはまだ目覚めない深夜さまの介抱をしながら話を聞いている。今も目をパチクリさせて慌てている。深雪も口が半開きだ。可愛いがはしたないぞ。空挺部隊の面々も驚きに顔を歪めている。ついさっきまで知り合いの子供でしかなかったのに、意味不明の爆弾を持っていたんだからな。混乱するのは分かる。

 

 ……そうか、コイツは今まで力を隠してた。こうなるのが分かっていたから。強すぎる力。誰もが利用したがる力。世界を壊すに足る力。……俺と同じだ。そして俺と違うのが俺には深雪という俺を繋ぎとめてくれる人間がいるが、コイツにはいない。うしなった。それでもコイツは戦争を止めたいと思って力を打ち明けた。

 

 

世界を壊す力を、治める力に変えようとしている。……ならば俺は。

 

 

 

 

 

 

 

「分かった、力を貸してくれ。俺は名前は司波達也だ」

「ありがとう。僕は小林雪人です」

 

こうして世界最強の戦略級魔法師コンビが誕生したのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

 

 

2092年8月11日。恩納基地 小林雪人

 

 

 

 はぁ、ついに言っちゃったよ。言いつけ破っちゃったよ。隠しなさい、気付かせないようにしなさい。耳にタコができるくらい聞いてたのに……。ごめんね、母さん。でもやりたいことが出来たんだ。“悲しいことを減らしたい”。誰かのためでもないんだ。僕の勝手なわがままなんだ。

 

母さんが死んじゃったのが、僕にはつらくて仕方がない。戦争を止めたい、ったって僕がこれからやろうとしていることを考えれば、まるっきり反対のことをしてる。多分たくさん殺しちゃうんだろうな。彼らにだって大切な人が、大切に思ってくれる人がいるだろうに。……つらいよね、きっと。

 

 

 

「こっちの準備はできた。お前の方は?」

「こっちも大丈夫、問題ないよ」

 

 司波達也が話しかけて来た。この戦争で、僕が選んだパートナー。いや、彼が主役で僕は引き立て役。主役の演技を盛り上げるための舞台装置。

 

 

僕らは今、基地の一室にいる。空挺部隊の作戦室だ。本当なら僕んちまで行って落ち着いてやりたかったんだけどな。どこか落ちつける場所は、って言ったらここに案内された。

 

……そうだよね、風間さんの考えてるようにここから先は秘匿性を高くしなきゃね。風間さんが部隊を引き連れてゾロゾロ僕んちに来てたら、戦時中になにやってんだ!って言われちゃうよね。風間さんの佐官への道は遠のくばかりだ。

 

司波達也は……、ええい面倒だ、達也は深雪さんを防空司令部まで見送りに行っていた。彼女、お兄様が心配でこっちに付いて来たそうにしてたけど、去り際に達也から出された宿題に目を白黒している。『仮想魔法演算領域』のための精神改造か……。

 

 

僕がこれからやることはそれに似たようなものだ。まず僕の精神を僕が読み取った達也の精神に限りなく同期する。達也が右手を上げようと思ったら同時に僕も思ってる。あれが嫌だな、と思ったら僕も思ってた。彼が身体を動かすのに合わせて僕の身体が動く。

 

無意識が織りなす同時性、それを僕の力で作り出す。しかし僕と達也は別人だ。無意識の共有はそれぞれの無意識で別個に為されはしない。人類が共有する集合的無意識を通して行われる。故に僕たちは既に集合的無意識へとアクセスしている。

 

こんな逆説的な集合的無意識の肯定を僕の能力で行うことで集合的無意識内の魔法演算領域を独占するわけだ。魔法師はこの魔法演算領域を使って魔法式を展開し、エイドスを改変させる。僕らは勝手に他人の演算領域をチョチョイと拝借して、使わせてもらう。これが僕の一族の最大の特異性、『シンクロニシティ』の正体というわけだ。

 

これに比べれば読心なんて大したことない。一方的に相手を覗き見ているだけなんだから。こっちの方が怖がられやすいんだけどね……。と言ってもそんなに簡単に読めるわけでもないんだ。僕らの読心は死角であり聴覚であり、触覚でもある共感覚的能力だ。

 

目や耳で見て分かるのは今考えていること、そしてそれに連なる記憶群。雨が降ってるな、と思ったら他の雨の日の記憶だったり、雨事態の構造の知識だったり記憶の関連性というのは暇がない。それをいちいち取捨選択しながら見取るのだ。

 

僕ら一族が霊光と言っているものの正体がこれなのだ。想起された記憶や想いがほつれ、千切れ、または合わさりながら、輝いて溶けて行く。溶けてく側から読み解かなきゃいけないわけだから大変だ。

 

だから確実なのが直接接触をすることだ。他人の霊光を自分の精神で受け止める。そうすることで想いの原形に触れやすくなる。どうやらお祖母ちゃんはそれがとても上手くできる人だったみたいだ。だから『シンクロニシティ』が使えた。僕の場合はまぁ……才能のゴリ押しだ。母と父の相性がよかったおかげなのだろう。お陰で僕は歴代一の才能を持っている。

 

 

……これからすることを考えればこれくらい言っておかなきゃ不安なんだよね。確かに僕は『同調』を攻性に使える。実際使ったし。集合的無意識まで無理やり引っ張り出して閉じる。それを繰り返せば相手の精神を削り殺すことができる。もしくは僕の精神を流入して押しつぶすこともできる。どちらも無意識でのことだから一瞬にも満たない時間で行われることだ。そして自分本位の技でもある。

 

これから行う『シンクロニシティ』は違う。限りなく他者本位の技だ。そして実際に使うのは初めてだ。緊張もする。

 

 

僕は左手の中指にそっと触れた。母さんの遺体から一つだけ持ちだした物がその指に付いてる。母さんの指輪だ。この指輪はどうやら曾お祖母さんから受け継がれてきた結婚指輪みたいだ。だからあんな昔の記憶まで僕に見せて来た。代々の霊光を吸っていたのかも知れない。

 

これに触れると落ちつける、上手く行くと思える。僕は“生きる”。生きて次に繋げたい。母さんやお祖母ちゃんや曾お祖母さんみたいに。幸せだった、ってこの指輪に言わせたい。僕にはできる。

 

 

 

風間さんが入って来た。死体の収容が終わったみたいだ。5分も掛かってない。僕と達也はこれからに向けて精神を集中させていた。無意識を、魔法演算領域を上手く使うコツは雑音を入れないこと、入ったとしても無視できる精神状態を保つこと。だから魔法師には冷静であることが求められる。もしくは自分に一番適合した精神状態を模索することだ。一番集中できる精神状態を。

 

達也が妹への愛情で精神を静かに燃えたぎらせるように、……僕も母と共にあったころの幸福感を思い出していた。……これが最後だ。だから今だけは力を貸してね、母さん。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 風間玄信

 

 

俺が作戦室に入るとすでに二人は集中状態に入っていた。作戦室の中央の床に座り込んでいる二人。達也君の右手には一つだけCADが握られている。雪人は左手の指輪に触れながら瞑想をしていた。二人は俺に気付いたのかこちらに視線を向けて来た。目を見れば分かる。気合いは充分のようだ。

 

 

 

「準備はいいな、二人とも」

「「はい」」

「……では作戦を開始してくれ」

 

 

俺がそう言うと二人は膝を突き合わせるように寄り、額を合わせた。ここから雪人が『シンクロニシティ』を発動させる。二人が立てた作戦は単純なものだった。順然たる力押し。無限にも等しい演算領域で敵方の索敵、照準、攻撃を行う。極々単純な作戦だ。

 

だが前代未聞だ。俺がやることは彼らの攻撃が終わった後、国防軍に事態の収束を知らせること。そして彼らのことを隠し通すこと。アテはある。佐伯少将ならば彼らを卑下にはしない。大越戦争では危険な真似もしたが、勝利と安寧のために尽くせる人でもあった。今回の作戦を成功させれば彼らは戦略級魔法師として認められる。少将が隠すだけの価値がある人材となる。

 

 

 

彼らの未来を、日本の未来を、世界の未来を変える戦いが、今ここで始まる。

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地

 

 

 

「『同調』開始」

 

雪人の言葉と共に彼の気配が変わっていく。四葉の異作、司波達也の隙のない鋭いそれに代わって行く。達也はそれを静かに見取った。雪人の精神面のエイドスが擬態されていく。小林雪人でありながら司波達也でもある、そんなエイドス改変が為されていく。

 

だが決定的に司波達也には改変されない。『サイコメトリー』と『シンクロニシティ』を制御する部分を残し、彼らは額を通じて一体化したかのような感覚を覚えていた。達也に新たな感覚器官が生まれた。世に溢れる霊光をその身に感じる。そしてそれが意味することが分かる。雪人の『サイコメトリー』が宿ったような感覚だ。

 

次にやることは分かっている。己の鏡を見るように、達也の口が動くのと同時に雪人の口が動いた。共時性が保たれ、両者が無意識の交感を行っていることを理解する。己の内に埋没する個我の境界線、それを無意識の一部が越えて行く。それを無意識に認識することが集合的無意識へのアクセス権である。二人の声はそろって発された。

 

 

「「『シンクロニシティ』スタート」」

 

 

 

 

 

 

 

■■■■年■■月■■日。

 

 

 達也は己が恩納基地の作戦室に居ながらも、己が世界のどこにでもいる、という不思議な感覚を無意識に感じだ。全人類の集合的無意識、その中でただ一人己だけが知覚したそれ。その中ではありとあらゆるものを感じ取れる気がする。己の感覚器官が爆発的に拡張されている。

 

 ここ恩納基地の一室から、地球の真反対の人間まで、ありとあらゆる人間の所在を、構造を、精神を捉えられる。絶対無敵の索敵能力。これならば、沖縄で戦闘中の全ての将兵を色分けできる。己の右手のCADで戦場すべての敵兵のみを『分解』する。ただそれだけでこの沖縄戦は終了する。上陸兵も、沖合の艦隊も、後続艦隊さえも、その一兵たりとも、己の照準からは逃げられないことが分かる。投降兵を除く全ての敵兵、それに照準を合わせ、右手のCADの引き金を、一度だけ、引いた。

 

 

消える。消える。消える。消える。消える。“人だけが”消える。服も、靴も、銃も、戦車も、艦も残して人間だけが消え去る。

 

 

 達也が一度引き金を引いたその瞬間に、敵兵だけが一寸の狂いも、須臾の隙間も見せることなく同時に消え去った。ありとあらゆる敵兵が消え去った。

 

戦場に静けさが満ちた。

 

 呼吸が止まるかのような静けさ。正体不明の事態。持ち主のいなくなった服がパサリと崩れ落ちる。銃は地に落ち、戦車は停止し、艦隊は海を漂う。この静けさこそ、戦争の勝利。

 

 

 

そしてその瞬間こそ、

 

 

 

世界最大、最緻、最静の、正体不明の戦略級魔法『神隠し(ヘヴンズ・ドア)』の誕生の瞬間であった。

 

 

 

2092年8月11日。沖縄戦。それは、世界中の魔法師を恐怖に陥れた。

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 司波深雪

 

 

 私は今、お母様と桜井さんの3人だけで基地の防空司令部にいる。お兄様が私達の安全のために風間大尉に取引して入れてもらったのだ。ここのスクリーンを使って桜井さんが戦況を映してくれている。

 

 国防軍は奇襲上陸を受け混乱、更に反乱兵と敵方のゲリラ兵の伏撃を受け、戦線構築に難あり。迎撃部隊は必死の様相で大亜連兵と戦っている。

 

先ほどお母様からなぜお兄様に冷淡に対応するのかを聞いた。……お兄様の秘密を聞いた。

 

 

 お兄様は私を嫌ってなどなかった。私を疎ましく思ってなどいなかった。私がただ勝手にお兄様のお気持ちを推量し、勘違いし、すれ違うような真似をしていた。

 

……自分がなさけなく思う。お兄様は今、あの少年と一緒に戦いに行っている。私の眼の前で喪われた命、私にもう少し勇気があれば、力があれば救えたであろう命。その忘れ形見だ。お兄様のことも一緒だ。私がもっと確りしていればもっと早くにお兄様のことを知れたことだろう。私の後悔を象る二人が、この戦争に終止符を打とうとしている。

 

“世界一の力”とあの少年は言った。四葉を作り上げる中で使われた超能力者や古式魔法師、その一族の生き残り。間違いなく私たちには彼らの遺伝子が使われている。ああも似ていれば納得も行く。その彼が語る“世界一の力”。お兄様の力を押し上げる力。

 

……うらやましい。自然と私はそう思っていた。四葉の当主の姪として生まれ、その生まれ持った魔法力でもって私は優遇されている。その私が安全地帯で戦争観戦をし、四葉に虐げられてきたお兄様や彼が戦場を行く。

 

おかしいのではないか。こんな時のために我々がいるのではないか。疑問が頭を過ぎる。それでもお兄様は私に言ってくれた。本当に大切だと思えるお前を守るために戦ってくる、と。お兄様も、彼も、大切なものを、大切な思いを守るために戦いに行った。ならば私はここで見ているしかない。彼らの行いを。そして必ず訪れる、……戦争の終結を。

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

「は?」

「あら」

 

一瞬の出来事だった。まさに一瞬。まばたきをする間も起きずに敵兵が、大亜連の兵士たちが消え去った。確かに彼らは国防軍と戦っていたのに、あまりに突然に、忽然に消え去った。しかし確かに彼らはここにいた。その証拠に服も、銃も残っている。あ……、戦車が遮蔽物にぶつかった。動く様子もない。

 

 

「そんな!? え、うそ!?」

 

桜井さんがモニターを動かし、他の場所の映像に切り替えた。どの映像を見ても一緒だった。投降した兵士を除き、全ての大亜連兵が消え去っていた。……ただそこに居た証拠だけが残っている。

 

戦場に呆然とした気配と驚愕の気配が入り混じっているのが分かる。理解不能の事態。言うなれば“キツネに顔を抓まれた”かのような雰囲気が戦場に満ちている。……静かだ。

 

 

 

「達也の『分解』のようね」

 

お母様が状況を推理する。きっとそうだ。戦場の誰もが具体的な言葉を発せずにいる。

 

やっと状況を理解できなくても受け入れたものがざわめき出す。

 

それは伝染病のように広がっていく。

 

歓声が広がっていく。

 

 

……勝利の凱歌が広がっていく。

 

 

 

お兄様、この声が聞こえていますか。お兄様たちがなされたことなのです。たとえ誰も見ておらずとも、深雪には分かりました。私の、お兄様……。それが私にはとても誇らしく思えた。涙がこぼれる。この歓声こそが、お兄様たちを讃える声なのだと思えた。……ここ、沖縄での戦争は終わったのだと、そう、思えた。

 

 

 

 

 

2092年8月11日。恩納基地 小林雪人

 

 

 

「「『同調』終了」」

 

僕の精神が、限りなく司波達也だった精神が、元に戻っていく。左手の中指から戻っていく。僕を僕たらしめているものが、さきほど込めた僕の霊光が戻って来る。……疲れた。頭の中に鉛でも入れたかのような重さを感じる。達也も同じ感じだろう。彼も頭を振るって倦怠感を消し飛ばそうとしている。

 

 

この指輪が有って良かった。思ったよりもずっと深いところに行っていた気がする。地球上に生きる全ての人間。それらの精神がイデアを美しく色づかせていたのを覚えている。人の命の光を、ああも美しく見られたのは多分、僕らが初めてじゃないかな? 30億の人間の光だ。第三次世界大戦の前は90億の人間がいた。その時はどれだけ美しかったのだろうか。今はもうわからないことだけど、それは美しい光景だったことだろう。……達也に力を貸して、本当に良かった。

 

 

 

僕らがしたのは索敵、座標設定、分解という単純なことだったけど、達也だけの力じゃ為し得なかったし、僕だけじゃもっと為し得ない。

 

『シンクロニシティ』で増幅した力を使い、達也の精霊の眼でイデアを読み込み、僕の『サイコメトリー』で色分けをする。世界最大の演算領域を手に入れた達也が超並列的に敵のみを捉え、集合的無意識から逆算的に『分解』を相手に送り込む。それぞれの対象に最適解で、最強の干渉力を持って送り出された『分解』だ。

 

 

僕らの『眼』が捉える限り距離も遮蔽物も何も関係ない、究極の静技。それがこの魔法だ。

 

 

消え去った兵たちは何が起きたかなんて、まるで分からなかったことだろう。己の身体が内も外も一遍に、元素レベルで還元されたのだ。分かりっこないよね。あれだけの命が消え去ったことは悲しいことだけれど、これで沖縄の戦争も終わることだろう。

 

 

僕らの戦争は終わった。あとは風間さんたちに任せていいだろう。

 

 

風間さんが本部に確認をしている。通信の向こう側は大わらわになっているようだ。おっと、達也が立ち上がった。僕は体育座りのような格好で呼吸を整えていた。達也が僕に声を掛けた。

 

 

「協力感謝する」

 

そう言って手を差し出して来る。僕は苦笑いでそれに応えた。僕も感謝している。……しているが、二つほど御願いしたいことがある。だから僕はそれを口にした。

 

 

「どういたしまして。僕こそありがと。余計な真似だったかもしれないし」

「分かっているだろうに」

「あはは。……感謝ついでに、二つほどお願いしたいことがあるんだ」

 

達也は本当に素直に僕に感謝を示している。僕には分かる。

 

 

「なんだ、言ってみろ」

「……達也の『再成』で母さんの遺体をきれいにしてほしいんだ」

 

達也の戦争参加に協力したのは、達也の力が一番早く被害なく戦争を終わらせることができると思ったからだけど、裏にはこっちの理由もあった。

 

 

 

彼のメモリーツリーの中に、その『再成』の能力があった。エイドスのフルコピーによる再構築能力。でもこの能力には少し困ったことが有って、生者のエイドスの履歴の読み込み時にはその傷を体験したのと同様の痛みを伴う。

 

だからさっきの作戦では使わなかった。負傷兵の数が多すぎるし、集合的無意識の中で痛みを撒き散らすなんてまねはできなかったからだ。もうどんなテロだよ、って感じだよね。第一、耐えられる気がしない! ……うん、ごめんね、国防軍のみんな。戦闘は終わらせたんだから、ゆっくり治してね。

 

 

と、まぁ、達也が『再成』を使えることが重要だったのだ。……これで銃痕の空いた母さんの遺体を直せる。痛かったよね。苦しかったよね。傷だらけのまま死体袋だなんて。……本当にバカな息子で、ごめんね。

 

 

頭がフラフラする。達也の答えを聞かないと。これだけはしっかり聞いとかなきゃいけないんだ。僕の今回の戦いの、唯一の報酬のつもりなんだから。

 

 

「わかった、任せろ。もう一つは?」

 

達也は即答してくれた。よかった……。体中に安堵が広がっていく。身体から力が抜けて行く。最後に一言……。

 

 

「眼が覚めたら話すよ」

 

僕はそう言って意識を失った。風間さんの、雪人っ、という声が聞こえる。僕は作戦室の床に倒れ込んだ。出来れば夢が見たい。僕は母さんに、さよならを伝えなきゃならないのだから…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2092年8月18日。恩納 小林雪人

 

 

あれから一週間後、僕は死体焼却場にいた。この場には僕の他にも、今回の戦争で家族を亡くした人たちがいる。その中に四葉の四人もいた。ジョー達は軍務がある。捕虜の受け渡しや敵の装備の接収というやるべきことはたくさんあるからだ。ポツンと銃なんかが落ちていて、子供が拾ったら大変だからね。

 

 

四葉の人たちはわざわざ僕と母さんのために来てくれた。なんと司波深夜が行こうと言いだしたらしい。……この人、かなり複雑な精神をしててメチャクチャ読みづらいんだよね。なんだか難解なパズルでも説いてるように頭痛がしてくる。あんまり意識を向けないようにしなきゃな。これは……同情と憐れみかな? まぁ本心で来てくれたことは分かったからいいんだけど。

 

 

僕は最初の3日間、グゥグゥ眠りっぱなしだった。眼が覚めた時はすっきり爽快だったよ。夢をみたような気がするし、見なかったような気もする。起きたら軍病院だからビックリしちゃうよね。それから2日は経過観察され、昨日やっと退院した。四葉の人達も見舞いに来てくれた。これは達也の意を勝手に汲んだ深雪さんの発案だ。そこで僕は達也にもう一つの御願いのことを話した。この後、答えを貰えるはずだ。

 

 

そういえば風間さんがくれぐれも、とか言ったせいでメチャクチャ丁重に御持て成しされちゃっんだよね。なんで個人部屋なんか用意しちゃうかなぁ。隠し子? かんべんしてよ。僕は風間さんを父親のように思っても父親とは思ってないんだから。サーターアンダギーは冗談だけにしてほしいのだ。

 

 

そして今日が自治体の合同葬儀だ。僕は学校の学ラン姿でここにいる。春に買ったばかりの、僕のサイズより大きめのものだ。母さんがそうした方がいいと言ったのでこうなった。そのせいで学ランに着られているような不格好さだ。四葉の人達は葬式用の礼服を着てる。それどうしたの、って聞いたらわざわざ買って来た、ってさ。頭が下がるよ、ホントにありがとう。

 

 

 

 

「それでは、ご遺族の方々は、最後の御挨拶を御願いします」

 

葬儀委員長の声で、みんながそれぞれの家族の元に行く。僕も母さんの入った棺に近づく。

 

 

「母さん」

 

思ったより静かな声が出た。辺りからはすすり泣く声が聞こえるのに、僕の心は静かなものだった。……きれいな顔だ。死んでるなんて思えない。達也と深雪さんのおかげだ。

 

達也が母さんを『再成』してくれたのだが、葬儀の日程の問題があった。軍の死体置き場に置かれてはいたが、今は夏だ。暑苦しかろう、と達也に付いて来てた深雪さんが冷却保存してくれた。……まぁ死体置き場って冷えてるもんなんだけどね。ただ気持ちはありがたい、受け取っておく。

 

桜井さんと深夜さんも手伝ってくれた。母さんにお化粧をしてくれたのだ。おかげで母さんをキレイなまま送り出せる。深夜さんが桜井さんにあれこれ注文していたのが、なんだかおかしかった。

 

 

……彼女は自分の寿命が残りわずかだと思っている。予行演習のつもりもあるのかもしれない。深雪さんに覚悟を持てと、そのために連れて来ているようでもある。僕もこれから“生きて”いくために、母さんとお別れするためにここにいる……。

 

 

 

 

「かあさん」

 

あれ? おかしいな。声が震えて来た。言いたいことがたくさんあったのに出てこない。頭の中がぐちゃぐちゃしてきた。考えがまとまらない。

 

 

「あり…と…」

 

あぁ! 全然ダメだ! 前が見えなくなってきた! ここ室内だよね、雨降ってない? ……分かってるよ。僕の涙だ。今更出て来た。止まらない。制服の袖でいくら拭いても出て来る。なんでこうなるかな、かっこ悪いなぁ。母さんの前なのに。我慢しなきゃ。最後なんだ。ホントにホントの最後なんだ。シャキッとしたとこ見せなきゃ、母さんに笑われちゃう。お祖母ちゃんの時だって、父さんの時だって泣かなかったんだ。我慢できる、できる、できる!

 

 

「……っ……」

 

ホラ、出来てる! これは雨だから関係ないんだ。眼が滲むのは水滴がついたからだ。僕は泣いてない、 僕はもう大丈夫だ! ……だから伝えなきゃ。僕の言葉を。僕の覚悟を。僕は“生きる”んだ。もう止まってられないんだ。振り返ってられないんだ。僕が幸せになるために。“悲しいことを減らす”ために。僕は変わらなくちゃいけないんだ。母さん母さん、って言ってばっかの子供じゃいられないんだ。……だからっ! ……だからっ!

 

 

 

 

 

「さよならっ、母さん」

 

 

 

 

 

涙が、こぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2095年4月2日 司波宅 司波雪人

 

 

 

ん? いかんいかん、居眠りをしてたみたいだ。なんだか懐かしい夢を見た気がするな。ちょっと目に涙ついてるし。……沖縄か、ホントになつかしいや。新垣さんとか元気かな?

 

 

僕はあれから、司波さんちの子供となった。僕の方からお願いしたのだ。最初は渋られた。当然だよな、意味分かんないもん。達也にしたもう一つのお願いとはこのことで、深夜義母さんとの話し合いの場を作って欲しいというものだった。

 

深夜義母さんも、戸惑いながらもチャンスだと思っていたみたいだった。真夜さんに聞いてみないと何とも言えない、と病院では言われたのだが、あの日の後に真夜さんと通信で話すこととなったのだ。あの時に切った大口の啖呵のお陰で僕はここに居る。

 

 

僕としても譲るわけにはいかなかったのだ。僕と達也は相性がいい。能力的な面で言えば、僕の『同調』を一番上手く、そして強く使えるのは達也だろうし、達也がアタッカーで僕が諜報という割り振りもある。先月の放火魔脱走兵の事件ではそれがモロに出た。あ、あいつ脱走兵だ。行け、達也!で終了だ。楽でいいね! 風間少佐がなぜ指揮官から変わりたがらないかよく分かるよ。あれは結構爽快なのだ。

 

 

えっと、なんの話だっけ? あぁ、そうそう。僕と達也は人間面でも相性がいい。僕は達也の考えが分かるし、彼が大事にしているものを僕も尊重しているので問題が起こり得ないのだ。達也としても隠し事をしなくていいのは楽だ、と言っていた。僕としてもそう言われると付き合いやすい。

 

 

……深雪には一緒に住む時、ちょこっと渋られたけどね。彼女は当時、思春期だったのだ。アイドルの追っかけの如くお兄様を慕っていた彼女にとって僕はお兄様に着いた変な虫だったのだ。

 

そこはまぁ、達也はすごい! 日本一! いや世界一! さすがお兄様! さすおに! さすおに! って感じでかわした。……流石に女の子に男のことで嫉妬されたのは堪えたよ。いや、女顔だってのは分かってるけどね。

 

 

僕と達也は戦略級魔法師だ。二人で一人の戦略級魔法師と言うのが正しいが。沖縄の戦争後、魔法協会から認定された。物理的損害がないじゃないか、と言わるかもしれないが、実際やられる側からすれば戦争抑止力としては充分すぎるからだ。

 

 

ちなみに僕らの戦略級魔法『神隠し』は、それはもう恐れられた。

 

実はあの戦争の時に、大亜連本国の軍令部の人間も何人か分解したんだよね。達也としては命令したやつも殺したがってたからね。僕も否応はなかった。それがUSNAのスパイにばれちゃったみたいで、さぁ大変! えらいこっちゃ! えらいこっちゃ! 

 

って、……まぁそりゃビビるよね。距離も数も関係なくサッ、と消えちゃったんだから。しかも敵だけ。一回しか使ってないもんだから検証されようがないし。そんなわけで意味不明の敵兵消失事件は、日本の謎の魔法師の仕業とされたのだ。まあ、あの状況でやるとしたら日本だろうけど。

 

 

そしてその現象を、日本の昔話に準えて『神隠し』と名付けられたわけだ。外国では“神の見えざる手が兵を連れ去ったのだ”とかで『ゴッドハンド』とか、『神隠し』の名から“彼らは神の国へ旅立ったのだ”とかで『ヘヴンズドア』とか言われている。天国かどうかは保証できんぞ。

 

 

 

真相解明にはいくつもの障害がある。数、距離、消失方法の3つだ。

 

最後の消失方法が一番簡単だ。元素レベルに還元したのだが、元素はその場に残るのだ。人間一人分の元素が空中に散ったとして、それを観測されていたとしたら、あ、分解されたんだ、と気付きもするだろう。その意味では僕らの魔法が分離・分解魔法の系統であることには、実は察しが付いているんじゃないかと思う。

 

次に距離。沖縄からアジア大陸までって、マジでなんなんだ。遮蔽物関係なしかよ。そんな研究者の声が聞こえてきそうだ。

 

最後に数。意味不明。これだけ並列処理するってなにそれ? 神? しかも敵兵だけって……。まぁだから『神隠し』なんてついたんだけどね。

 

 

と、まぁ僕たちは国防軍にそれはそれは大事に扱われているわけだ。

外国にとっては正体不明、意味不明の戦略級魔法師だ。抑止力としてこの上なく重要視されている。真夜さんとはその辺りも引き合いに出して交渉したのだ。

 

 

 

僕は達也と共にいたい。あの戦争で言ったように、僕が一番達也の能力を強くできると思ったからだ。達也にとって大事なのは深雪だけだ。僕は戦争を止めたかった。そのためには僕らは協力しているのが望ましい。僕らは互いの利用点を理解している。達也は僕の諜報能力を、僕は達也の異能を。それが僕らの契約だ。

 

 

そして僕の借りの返済でもある。戦争に参加した時、達也に力を貸したいと御願いしたのは彼の満足の行く戦果を出したことでチャラだけど、母さんの『再成』を御願いしたこととは別だ。深雪や深夜義母さん、桜井さんも手伝ってくれた。僕はそれにホントに、ホントに感謝している。

 

 

母さんの墓は沖縄だ。そう簡単には行くことはできない。僕はもう司波雪人なのだ。あのさよならを言う時にはもう決めていた。それだけの想いは込めた。ああもキレイに母さんを送り出せたのは、この家の人達のお陰だったのだ。その恩を忘れてはいけない。それが僕がここにいたいと強く思う理由だ。

 

 

 

 

……なんか疲れたな。達也たち何してんだろ? CADのメンテ室か。言ってくれれば手伝うのに。まぁ深雪の策略だよな。……今から行ってやろうか? 深雪ちゅわ~ん、とか言って突っ込んで行けば天国が見えるだろう。あの鬼シスコンが連れて行ってくれるはずだ。

 

 

……やっぱもう寝よう。この仕事、もう明日でもいいよね? 小百合さんも許してくれるよ、きっと。よし寝よう。さぁ寝よう。明日も早いんだ。寝坊するわけにはいかん。

 

 

 

明日は、入学式なのだから。

 

 

 

追憶編。完



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

入学編
第六話


2095年4月3日。第一高校 司波雪人

 

 

魔法。

それが伝説や御伽噺の産物ではなく、現代の技術と……えーと、続きなんだっけ? まぁ、いいや。

 

おはよう、諸君!今日も清々しい朝だ。早起きってのは気持ちイイね。空気が澄んでるし、静かだし、静かだし、静かだし!

 

「納得行きません!」

「まだ言っているのか……?」

 

はい、ウソー。ここは東京八王子の国立魔法大学付属第一高校、そして今日はその入学式の日だ。と言ってもまだ式が始まるまで、2時間以上も時間がある。こんなに早く来てる人はやっぱり少ないし、いても式の運営側だ。

 

では何故僕たちはこんな時間に来たでしょうか?深雪さん、はいどうぞ!

 

「なぜお兄様が補欠で、私が新入生総代なのですか!? 本来ならお兄様こそ、その座にふさわしいのに!」

「それは仕方がないことだと言っただろう、深雪? ここは魔法科高校で、魔法力が重視される学校なんだから。ペーパーテストだけ出来ても魔法力で劣っていては話にならない」

 

はい、回答ありがとうございます。そうなんです。うちの深雪ちゃんは新入生総代なんです。……うぅ、お兄ちゃん涙が出ちゃうよー。誇らしい気持ちでいっぱいだー。

 

「もう! 兄さんも何やってるんです! 一緒にお兄様の説得をしてください!」

 

えぇ~、ここで僕に振るの? ……まぁ付き合うけど。ちなみに兄さんとは僕のことだ。お兄様のバーターだけど、魔法師として敬意を持っているからこんな呼び方になっている。

 

とは言え、外ではだ。家では雪人さん、と呼ぶ。一緒に暮らして行くうちにそうなっちゃったんだよね。おにいちゃん、かなしい。

 

で、達也の擁護だっけ?深雪もホントは仕方のないことだと分かってるけど、納得がいかない。そんな所なんだけど、それをホジくり返すと深雪がムキになるからな。助長する方に向ければ深雪も大人しくなる。まぁ見てな。

 

「そうだね、深雪。そんなに言うなら、総代の挨拶で達也の素晴らしさでもスピーチすればいいんじゃないかな? きっとみんな達也に夢中になるよ」

「えぇ!? みんなが!? お兄様に!? た、大変だわ……。お兄様は学業のためにここにいらしておられるのに、私がその邪魔をしてしまうことになる……。はっ!? お兄様が総代として挨拶をしても同じこと!?」

 

「そうなんだよ、深雪。それが分かって達也は、敢えて二科に入ったんだよ。みんなの勉強を邪魔するわけにはいかないもんね」

「まぁ! そこまでお考えでいらっしゃったとは! さすがです、お兄様!」

 

さすおに!さすおに!……うん。そんな非難がましい目でこっちを見ないでほしいな、達也。ん?深雪に変な勘違いを植えつけるな?……分かってないね、達也くん。深雪はこう思ってるんだ。

 

"お兄様をみんなに認めてもらいたい。でも私だけのお兄様が、みんなのお兄様になるのは許しがたい。もちろん、みんなより私を選ぶのは分かっている。けど、お兄様のお側に私以外のものがいるのは嫌だ。”

 

ね、簡単でしょ?だったら深雪の兄尊心を満たしつつ、深雪の嫉妬心を鎮めなければならない。もとより深雪は入学上の魔法力の算出基準が、達也にマッチしていなかったことを分かってる。達也が総代にならないのじゃなくて、なれないのを分かっている。ただ納得がいかなくて、その鬱憤を達也に甘えて解消したかっただけだ。

 

ほら、その証拠に深雪の脳内では『本当はSだけど、ここではB……』とか言っている達也が……アレェ?うわぁ、見るんじゃなかった。薔薇咥えてたよ、うげげぇ。ここは“お馬鹿な深雪がまたお兄様に御迷惑をかけてしまいました。深雪はこれからも精進します!”とか前向きな意見が聞きたかったなぁ……。

 

「それではお兄様、兄さん。深雪は頑張って参りますので、しっかり見ていて下さいね!」

「あ、あぁ、深雪。行っておいで、楽しみにしてるよ」

「カメラもあるからね。緊張で噛んだりしちゃ、ダメだよ?」

 

深雪はもう、兄さんは!とか言って達也と僕に会釈をしてから、講堂へと楚々と歩いていった。

 

あのね、深雪。真面目なことを言う時は妄想を止めなさい。お兄ちゃん、恥ずかしいよ。あと、モウモウ言ってて牛になっても知らないからね。

 

こうして深雪を見送った達也が目線だけを僕に寄こす。少し睨むかのような様子だ。む、何かようかね、達也君?

 

「さて、雪人。何か言うことは?」

 

おやまぁ。……僕も妄想に逃げ込んで説教をかわす魔法を開発した方がいいのかな?

 

 

 

 

 

 

2095年4月3日。第一高校 司波達也

 

 

雪人の弁明を聞き、ついでに深雪の教育方針について懇々と話し合っていると、式まで一時間ほどになっていた。講堂の扉の向こうでは入学式のリハーサルが行われている。深雪も総代の挨拶を練習しているはずだ。噛んだりなんかするわけがない。深雪は立派なレディなのだ。そんなことを考えながら、俺はベンチに座って携帯ディスプレイで本を読んでいた。雪人は隣で手持ち無沙汰に眼鏡を懐から出し、磨いている。

 

コイツは東京に来てからは、眼鏡を掛けて過ごしている。オーラカットコーティングの眼鏡だ。『覚眼』、『サイコメトリー』は眼と書いているが視覚ではない。俺の精霊の眼と同じ第六感だ。しかし全く関係ないとも言えない。視覚的であり、聴覚的であり、触覚的であり、霊的でもある。霊光と雪人が呼ぶ、プシオンに似た“何か”を感じ取っている。

 

故に超強度のオーラカットコーティングなら、気休めぐらいには役に立つ。東京は人が多い。あの恩納に比べれば段違いに。その所為で雪人にはうっとおしい程の情報が入って来るのだ。以前は無意識領域に放っていたのだが、沖縄戦を経て力が強まったらしい。量が多すぎる。もちろん、制御はできるのだが。

 

なので、礼儀として、眼鏡を掛けている時は『覚眼』を出来るだけ閉じるようにしているようだ。親しい人間と話す時や礼儀を払うべき場面でまで心の声を聞きたくない、そういうことらしい。それでも聞こえてしまうものは聞こえてしまうのだが。

 

さっきまで外していたのは深雪の送迎の、一応の警戒のためだ。まぁ深雪は美人だからな。ストーカーが出てもおかしくはない。中学の時はコイツの力に大分世話になった。住所など絶対に特定させない徹底防御だったのを憶えている。そして最後にこれが一番重要、と雪人が言っているのが、雪人の顔のカモフラージュのためだ。

 

雪人の母と俺たちの母がそっくりだったように、深雪と雪人もそっくりだ。俺と雪人、どちらが深雪のきょうだいか、と問われれば十人が十人、雪人と答えるだろう。俺もまぁそうだろうな、と思う。そして双子だとも思うはずだ。

 

雪人はそれが気に入らないらしい。兄妹が姉弟と捉えられるのが嫌なのだそうだ。それ故、俺と雪人が双子兄貴で深雪が妹、という設定になっている。まぁ兄の双子が二科生で、妹は一科生という対比ができている。ダメ兄貴二人と良くできた妹、上手い具合だ。それに何の奇跡か、俺と雪人の誕生日は一致している。丁度良かったし、雪人が拘った理由でもあるのだろう。

 

それに、雪人は己の女顔をコンプレックスに思っている。母に似ていることは喜ばしいが、男らしくないのが嫌なそうだ。眼鏡はそれを誤魔化すためにある。ついでに深雪似の顔を少しでも隠すため、というわけだ。

 

 

まぁ……あまり効果はないように思う。二つの意味で。

 

 

 

 

 

こうして俺たちが読書や眼鏡の手入れをしながら半時ほど時間を潰していたら、講堂の方からこちらに向かって人が歩いて来た。既に新入生が半分ほど講堂へと入って行っている。それでも雪人からサインがあった。“七草”。雪人は既に眼鏡をしまっていた。事前の打ち合わせ通りだ。

 

十師族の“七草”や“十文字”がこの第一高校に通っていることは、簡単に調べがついた。去年の彼女らの九高戦の様子を、雪人がテレビ中継で見ていたからだ。ただ、彼女らの人と為りは掴めてない。深雪は新入生総代だ。生徒会に召集されることは間違いない。深雪の安全のために一通りは“視る”。そう、雪人と決めている。俺たちの方から話しかけに行った。

 

 

2095年4月3日。第一高校 司波雪人

 

 

「七草生徒会長。少しお時間よろしいですか?」

「あら、私?」

 

彼女はまだ講堂に入って来ていない生徒たちの誘導のために、外に出て来たようだ。そしてキョロキョロと周りを見ていた所に、僕たちが話を掛けたのだ。笑顔でね。

 

「今日からこちらでお世話になります。自分は、司波達也と申します。こっちが」

「弟の司波雪人です。よろしくお願いします、七草会長」

「ご丁寧にどうも。第一高校の生徒会長を務めております、七草真由美です。よろしくね」

 

七草会長はふんわりした長髪にたおやかさと可愛らしさを併せ持った美人さんだった。中継で見た通りの可愛らしさだ。“妖精”なんて呼ばれるのもなっとくだな、うん。

 

さてと、達也が言葉を投じたんだ。ここからは僕の仕事だ。

 

“七草真由美。兄弟。異母兄が二人。下に双子の妹。司波。司波深雪。司波達也。司波雪人。新入生総代。生徒会入り。筆記最高得点。話題。ニュース。風紀委員会。『脱走兵捕縛』。”これだ!

 

彼女が自己紹介をしながら無意識に過らせた考え。そのツリーを僕が辿る。その中で見つけた単語、『脱走兵捕縛』。

 

えーっと、なになに?3月にネットにアップされたニュース。それの画像は真夜さんが対処して粗いものになっていたが、彼女と風紀委員長の二人は偶然にもその事件に僕らが絡んていたことに気が付いたようだ。そして僕らを風紀委員として有望だと思っているらしい。ななな、なんだってぇ!?

 

 

……アホくさ。怪しいとこなんて特にないや。まぁこんな可愛い系美人を怪しむ僕らが間抜けなんだけど。それにしても安産型だなぁ。楽しくなってきた。もうちょっと揺さぶってみよう。僕が話しかける。スマイル、スマイル。

 

「妹の深雪がお世話なります。入学後も、生徒会の方に勧誘して頂けるとか」

「あら、良くご存じね。新入生総代は代々生徒会入りする決まりだから、あなた達からもよろしく伝えていただければこちらも助かります」

 

会長は僕らにペコリと頭を下げた。……あれ?この人、僕が妹って言ったのに驚いてる。……書類はちゃんと読め!司波が3人もいておかしいと思わなかったのか!くっそ~、天然系美人だよこの人。詮索のためじゃなかったらもっと楽しく会話できたのに。そんな僕の内心なんて全く知らずに彼女は会話を続けて行く。次は僕らの入試の話みたいだ。

 

「ふふ、そう言えばあなた達、先生たちの間で話題になってたわよ。兄妹三人そろって筆記10番以内なんて。本当にすごいわ」

「まぁ、それでも“妹”だけ一科で、僕たちは二科なんですけどね」

「卑下することはないわ。それにお兄さんは歴代最高得点だったって話よ、ね?」

「……そう言っていただけるのは幸いですが、所詮筆記ですから」

 

……この人まるで悪気がない。皮肉って面白がっているわけでもない。裏表がないわけじゃないけど、心と表現が素直だ。その中にちょっと小悪魔も入ってて、自分のペースに意識せず乗せて行くタイプだ。詮索するにはやっかいなんだよね、こういう人。生徒会長してるのも納得かも。美人だから御輿として良いし、そのくせ天然の人心掌握ができてる。この人の生徒会は仲が良さそうだ。

 

達也もなんだか困惑してる。こういうタイプの人、周りに居なかったもんね。対処しづらいか。ただ、こういうタイプの人の弱点は“逆撃”だ。からかってやろうとしたのに、逆にからかわれること。心構えさえ出来てれば難しいことじゃない。しかも案外脇が甘そうなんだよなぁ。うん、この人イジるのは面白そうだ。うんうん、学校生活が楽しみになって来たぞ!

 

……って、達也。分かってるよ。はいはい、撤収でしょ。さっさと切り上げて報告会&反省会だな。美人を疑うもんじゃないよ、まったく。

 

「って、達也。早く行かなきゃ深雪が良く見える席なくなっちゃうよ。……七草会長、すみませんがここらで失礼させていただきます」

「っと、そうだったな。会長、失礼いたします」

「あら、ごめんなさい。私も長々と話しちゃって。それじゃあ、また後でね?」

 

僕たちは足早に講堂へ向かった。

 

僕は振り返って七草会長に手を振っておいた。

あ、喜んでる喜んでる。

 

 

 

2095年4月3日。第一高校 司波達也

 

 

「結果は?」

 

俺は講堂へ歩きながら雪人に問いかけた。雪人は手を振るのを止めて、前を向きながら答えた。

 

「シロ。まっ白けっけ。変に疑った僕らの方が恥ずかしいぐらいだよ」

 

雪人の答えに、俺は小さくホッと息を吐いた。とりあえずは深雪も安心か。まぁそうだろう、四葉は確りと俺たちの情報を遮断している。たとえ“七草”だろうと出し抜けはしない。それを再確認できた。

 

歩きながら雪人が小声で七草会長の人と為りを話していく。聞くに特別おかしなところはない。見た目通りの人。後は慣れの問題のようだ。なるほど。それはそうと雪人は楽しそうに手を振っていたが、……ホレたか?

 

「どうかな? ……まぁ可愛い人だよね。もっとおしゃべりしたかったな。美人で、性格も良くて、スタイル良し。最高だね」

 

背もお前と同じくらいだしな。

 

「僕の方が高いよ! ……ちょっとね。いやぁ、胸に眼が行かないようにするのに大変だったよ。女の子は視線に敏感だからね。僕には分かる」

 

俺には分からんな、そういうのは。

 

「こう言うのは下半身で考えるものだよ。僕らには次代を紡ぐ義務があるのだよ、達也くん」

 

こうして、見た目意味不明の会話を小声でこなしつつ、俺は席に座った。雪人も俺に続く。場所は講堂、後ろ側正面。絶好のポイント。空いていてよかった。埋まっていたなら交渉して勝ち取る必要があった。

 

俺が手を差し出すと雪人は俺に撮影端末を渡して来た。父兄もいるのだ、撮影許可は降りている。深雪の晴れ姿は俺がしっかりこれに収める。これは義務だ。

 

 

「あの……、隣空いてますか?」

 

そんな準備万端の俺に声を掛けて来たのは、2人組の女生徒たちだった。一度合わせきったフレームをずらすのはおしいが、俺ならば問題はない。一席ずれろと言われない限り不満などない。作り笑顔で対応し、またフレーム調整に入る。

 

 

「あの………」

 

もう一度俺は声の主に目を向けた。大人しめの外見の女生徒。二科生。彼女には他の者にはないものを身につけていた。スッと雪人に目を向けると雪人も既に着け直していた。

 

「あれ? キミも霊光放射光過敏症?」

「え? えっと……。あなたも、ですか?」

 

俺越しに雪人が彼女に声をかける。

雪人が眼鏡を掛けるのは先述の様々な理由があるからだが、学校には軽度の霊光放射光過敏症だと届けている。またこの症状をもつ者たちは俺たちの秘密を知りかねない。それをごまかせるようにするためにも、知り合い程度にはならなくてはならない。

 

雪人が眼鏡を掛けていると相手も少しは仲間意識を持ってくれる、やりやすくなる。今回も上手く行ったようだ。雪人が軽い調子で声を掛けたからなのか、彼女のガードも下がった気がした。

 

「軽度のだけどね。僕は司波雪人、こっちは双子の兄の達也。よろしくね」

「え、双子? ……御兄弟だったんですか。私、柴田美月っていいます。よろしくお願いします」

「司波達也です。こちらこそよろしく」

「あ、あたしは千葉エリカ。よろしくね、司波兄弟」

 

柴田美月の更に奥の席から声をかけられる。ショートの明るい髪色、快活な雰囲気の目鼻立ちのいい少女だ。千葉?あの千刃流の千葉にエリカなんて娘はいたか?俺の疑問を見取った雪人が千葉エリカに質問する。この辺りは慣れたものだ。

 

「千葉って、あの千葉でしょ? 『麒麟児』とか『幻影刀』の?」

「うんうん、それそれ! よく知ってるね~」

 

当たりか。彼女にとって陽性の質問を雪人が飛ばしたため千葉の話で盛り上がる。柴田美月もそれに乗り、和やかな雰囲気が作られる。

席順から、司波司波柴田千葉なんて早口言葉みたいだ、なんて冗談も口にしている。俺や千葉エリカは言えたが、柴田美月と雪人は柴田をチバタと噛んでいる。そうしてみんなで軽く笑っていると、時間が来たようだ。

 

入学式の、始まりだ。

 

 

 

 

2095年4月3日。第一高校 司波深雪

 

 

あぁ、お兄様!見ておられましたか?深雪は立派にやり遂げました。入学式が終わり、新入生が退場しつつある中、私はお兄様のことを考えていた。

 

お兄様は講堂後方、私が壇上に立てば真正面に見える位置に座っておられました。お兄様の隣で雪人さんが手を振っている。そしてお兄様は記録機器を手に真剣な表情で私の総代挨拶を聞いていらっしゃいました。

 

俄然やる気が出るというもの、私も淑女としての振る舞いを忘れないように落ちつきながら心を込めて挨拶をさせてもらいました。私が最後に礼をすると、お兄様が微笑まれたのが私には見えた。

 

あぁ!ここにカメラがあれば!深雪を撮って下さるお兄様を撮って差し上げられたのに!!…………あぁ!だめよ、深雪!淑女の振る舞いを忘れちゃ!

 

そんな考えで頭が一杯になっていたため、挨拶を終えた後はあっという間に式が終わってしまっていた。生徒会の方々としばし雑談をしながら、お兄様たちを待つ。これも妹の仕事なのだ。

 

 

お兄様たちは生徒IDの発行に行っている。クラスの確認もしている筈だ。そしての後はお兄様たちと入学祝いのお食事会の予定だ。本来なら私がお兄様のもとへ馳せ参ずべきなのだが、お兄様たちは私の安全のために少なくとも生徒会長の“七草”だけでも“視て”おかねばならぬとのことで、私が引き留め役を仰せつかったのだ。私のためだなんて!お兄様、優しすぎます!深雪はどうにかなってしましそうです!

 

 

……お兄様が近づいてきた、私には分かる。私の周りには生徒会の方々以外に、一科の新入生も多くいる。私と七草生徒会長が話しているのを囲むように見ている。少々どころではない、煩わしい視線だ。その人垣の向こう側からお兄様の視線を感じる。私は七草生徒会長に少し断りを入れて、お兄様たちを迎えに行った。のだが、

 

「お、おにいさま……? そちらの方たちはどなたで?」

 

お兄様が女性連れでいらっしゃられる!雪人さんは何をしているんですか!?まさか早くもお兄様の虜となった女性が現れるだなんて!何のためにお兄様のお側にいらっしゃるのか!?

 

「深雪、こちらは俺たちのクラスメートの人達だ。ご挨拶を」

「ぷぷぷ、深雪が考えてるようなんじゃないよ」

 

お兄様と雪人さんが私に話しかける。しかしこれが落ちついていられますか!?で、でもお兄様に恥をかかせるわけには参りません!すぐに私は頭を切り替え、平静を装いながらお兄様たちと一緒に居た二人組の女生徒に話しかける。

 

「まぁ、お兄様たちのクラスメートの方々なのですね。司波深雪です。兄ともども、よろしくお願いしますね」

「柴田美月です。こちらこそよろしくお願いします」

「あたしは千葉エリカ。あたしのことはエリカ、でいいよ。代わりに深雪って呼んでいい? 司波だと達也くんや雪人と混じっちゃうし」

 

美月さんはペコリと会釈をし、千葉さんは手を差し出して来る。気さくな方々のようだ。私もその手を握り返してエリカの求めに同意した。お兄様たちは中々に良いご友人を得られたみたいだ。

 

 

「深雪、七草会長はどちらに?」

 

お兄様が私に質問をする。いつの間にか私たちの周りにも人垣が出来ていた。一科生ばかりの場だ。二科生であるお兄様たちを見て、『ウィードが何の用だ?』『二科生が兄? 彼女も可哀そうに』といったような視線や小さな会話が聞こえる。

 

ふつふつと怒りを覚える。しかしお兄様たちが気にされた御様子はない。それにお兄様が答えをお求めならば、素早く応えるのが妹の務めだ。こちらです、とお兄様の手を引きながらもう一つの人垣を進む。私がいるからなのか通りやすく道を開けてくれるが、お兄様たちを観察するような目は止まない。

 

 

「また会いましたね。達也くんに雪人くん」

「えぇ。今日は式の準備に深雪のことまで、本当にありがとうございました」

 

講堂の椅子に座っていた七草会長が立ち上がってこちらに話しかけて来る。それに対しお兄様は落ちついて対応された。お兄様?いつの間にお知り合いに?

 

「朝、深雪が行ってからさ。特に問題はなかったよ」

 

私の疑問は発せられる前に雪人さんが拾ってくれた。私の側で雪人さんが小声で説明するには、七草会長に危険要素は見つからなかったらしい。まぁ私もさっきの待ち時間、散々七草会長と雑談したのだ。見た目通りの、お淑やかな楽しげなお方だった。

 

七草会長とはおしゃれの話や料理の話なんかの、魔法とは関係ない普通の女の子のような会話をした。お兄様や雪人さんの話題もそれなりに出たが、そのような素振りは見せなかった。それを雪人さんに言うと、会長は少しイジワルなところも持ち合わせている、と補足した。つまり私もからかわれたのだろうか?

 

それにしても周りがやけにこっちを見ている、正確には私と雪人さんを見ている気がする。『そっくりだ』とか『でも二科だ』なんて会話も聞こえる。……本当は父も母も違うんですけどね。それにお兄様とは似てないみたいで心外です!……ただ、最初に会った頃は陽に焼けていた肌がこちらで暮らすにつれて白くなっている。私とそっくりだ、というのもうなずける程であるのも事実だ。

 

「…………。」

 

……あ、雪人さんのこの顔は、女顔であることをバカにされた時の顔だ。あの一科の男子生徒は、いつか雪人さんに報復されることだろう。雪人さんは滅多にないが、意外と根に持つタイプなのだ。ご愁傷さまです。

 

「ふふ、それにしても良く似てるわね。そっちの二人」

「俺とより、深雪との双子と言われた方が納得が行きますからね」

 

周りと同じように、七草会長とお兄様が私たちの方を見ながらお話していると、それに雪人さんが反応した。

 

「ちょっと達也! 相方の自覚あるのか! 女顔って言うな!」

 

「誰が相方か。……すみません、会長。うるさくしてしまって」

「気にしないで。楽しげな御兄弟じゃない」

 

確かに七草会長の言うとおりだ。雪人さんがうちに来てからというものの、うちも明るさが増した。能力のお陰か気を遣うのも上手だし、会話もテンポがいい。一時期暗い雰囲気だった私とお兄様も彼の調子には助けられた。

 

 

そうこうしているうちにお昼時だ。当初の目的も既に達していたことだし、そろそろお暇させていただくことになるだろう。お兄様がちょうど切り出していた。

 

「会長。そろそろ自分たちは帰らせていただこうかと思います。長々とお引き留めしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいえ、こちらこそ。じゃあ深雪さん、明後日くらいの話だけど、よろしくね」

 

七草会長の言う話とは、私の生徒会入りのことだ。先の待ち時間の内に聞いていた。私は七草会長の言葉に了承を返し、お兄様の手を取る。いつもやっていることなのでお兄様も自然と腕を差し出してくれた。周りがどう見ようが気にしない。ん?あれは……服部副会長だったかしら?何やらお兄様たちをじっと見ている。変な事にはならなきゃ良いのだけれど……。

 

ちょっと、雪人さん。何してるんですか。行きますよ?

 

お兄様に片手をあずけ、もう片方の手で雪人さんの服を掴みながら帰途に着く。雪人さんはそれでも会長に手を振っていた。会長も楽しそうに手を振り返してた。何だか服部副会長の目線が強くなった気がします……。

 

 

 

 

2095日4月3日。 司波宅 司波雪人

 

あの後、僕らはエリカのお勧めのカフェに寄った。ケーキの美味しいフレンチだったので、深雪と美月さんやエリカとの話が弾んだ。僕もそれに交じって話をしていた。楽しい時間だった。……まぁ達也は聞き役に徹していたけど。

 

 

ぷぷぷ、七草会長とのおしゃべりの時、副会長の顔ときたら。思わず手を振る時間も長くなるってもんだ。彼は典型的なツッコミ役だろう。常識観念が強いから例外に対処しづらいタイプだ。あれこれ考えてしまって冷静さをなくしてしまうのだ。それもあるのか、と軽く納得するようになれば向上するんだけどなぁ。

 

いやぁ、それにしてもエリカも美月さんも美人だね。活発美人に儚げ美人。タイプの違う二人だが、深雪との仲も良いみたいだし、僕も運が良いなぁ。でも美月さんもエリカも単なる二科生じゃないんだよなぁ。エリカは千葉流の印可。美月さんは水晶眼、だったかな?それレベルの眼を持っている。マスター・ヤクモの受け売りだ。僕の眼もそれクラスだって言ってたし。しかしホントに一般人は魔法科高校にはいないかぁ……。

 

そうやって今日のことを思い返しながら、パソコンと向き合っていた。やっているのは昨日、放ったらかしにした仕事だ。

 

僕の義父、司波龍郎はFLTの開発本部長をしている。そして今の義母はそこの管理部所属だ。そのため何とも困ったことに僕や達也は彼らの稚気で仕事をさせられている。

 

しかしそこはお兄様だ。達也はその才能を遺憾なく発揮し今やCAD制作界のカリスマ『トーラス・シルバー』の片割れ、シルバー様へと早変わりした。

 

一方で僕は管理部だ。試料や特殊実験器具、または過去の実験データ、開発データの管理が仕事だ。

 

管理なわけだから倉庫にしまって、ハイおしまい、というわけにもいかない。申請があればデータの洗い出しが必要だし、それらに関する知識も必要だ。そのお陰でCADの整備をこなす位の知識は仕入れれたんだけどね。

 

それにもとより書類仕事は苦じゃない。母さんも事務人間だったし、仕事の話は昔たくさん聞いていた。倉庫整理なんてパズルを解いているかのような楽しさがある。

 

ただ、3月は実験がたくさんあった。まず下半期の終わりだから滑り込み実験が多かった。しかも達也が高校に通う予定だったから、今の内にやっちゃえ!的な実験も多かった。

 

そしてそうやって出来た実験データの後始末を僕らがやる、というわけだ。おかげで義母の小百合さんの眉間のしわが増えまくってたよ。ストレス軽減のためにウサギでも獲って来てあげようか?飼うのか食うのか楽しみだね。

 

今やっているのもデータ整理の一環だ。しかしこうしてポチポチ僕がキーボードを叩いているうちにも新たなデータが運び込まれ、管理部のみんなは悲鳴を上げていることだろう。戦死者がでないことをただただ願うのみだ。本当に第一高校に入って良かったと思う。

 

 

さて、これで終わりだ。このデータを小百合さんに送って、仕事は終了!あとは明日の準備をすればいい。

 

「雪人さん、夕食の準備ができましたよ」

 

深雪が僕の部屋の入り口から声を掛ける。ナイスタイミング。そういえばお昼のフレンチみたいなのを作ってみたいと美月さんたちと話していたな。さっそくチャレンジしたみたいだ。

 

フレンチか……ラパン・ア・ラ・ムタードゥある?え、ない?獲ってこようか?いらない?いらないかぁ……。

 

 

 

 

 

こうして僕の高校生活は始まった。

次なる事件はなんと三日後の話である。……ちょっとは高校生活楽しませてくれないかな?無理かぁ……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

 

2095年4月4日。第一高校 司波雪人

 

 

やって来ました、第一高校。本日は授業ガイダンスと履修登録の日だ。名残惜しげな深雪とは靴箱で別れ、今僕と達也は1年E組の教室にいる。ここで新たなクラスメート達の紹介でも、と思うのだが、その前に今朝の話をしておこう。

 

 

今日も今日とて早起きは司波家の習慣だ。朝は達也の武術や魔法の練習時間となっているため、僕も一緒に早起きしている。そのために九重寺に向かう僕たちに、今日は深雪も挨拶に行くようで一緒に出発した。

 

車道を高速でランニングする達也とローラーブレードで駆ける深雪、そしてガードレール上を走る僕。一般人には意味が分からない光景だが今の時代には慣れたものだ。加えて忍者寺の存在が、“ああ、またニンジャか”と一般人に思わせる。いつものように坂を駆け上り石階段を駆け登り九重寺に到着、そして奇襲。これもいつも通り。

 

毎度おなじみ、達也が千切っては投げ千切っては投げを繰り返す中、僕は奇襲に対する更なる奇襲を敢行する。背後を取ったはずの僧兵が背後を取られ、討ち取ったと思ったら味方と入れ替わられていた。そんな椿事を人為的に引き起こしながら僧兵を倒して行く。

 

深雪にちょっかいを掛けていた僕らの師匠、九重八雲にも僕と達也で奇襲をしかける。ニンジャマスターたるマスター・ヤクモには僕も達也も一目も二目も置いている。奇襲を掛けられても彼の心に動揺など微塵もない。ぱぱっと逃げられ、その後の一対一では僕も達也もボコボコにされた。僕なんか心を読めるのに、だ。

 

徹底した先読みの仕掛け合い。覚眼対経験。そして不意を打つ“偶然”の一撃。詰将棋のように追い詰められ、最後は僕の弱点を思いっきりあげつらう様な決着だった。達也がひとしきり褒められた後、僕には“まだまだ甘いな、ニュービーよ”と楽しげに話してくれた。

 

戦闘技能として忍術を嗜む達也とは違って、マスター・ヤクモは僕に忍びとしての心構えを説く時がある。ころころと変わる彼の心象はハッキリ言って読みにくい。ただ、力を付けようとしてくれていること、心を鍛えようとしてくれていることは分かる。また僕たちからは兄弟子に当たる風間さんの言付けが、僕らを弟子にしてくれたことやしっかり鍛えてくれていることに繋がっていることは分かるのだが。

 

物知りなマスター・ヤクモからは、僕の一族の話も聞いたことがある。僕たちの一族“覚(かく)”は、サトリ妖怪の正体とされ、“覚”の名も自ら名乗ったものではなく、江戸時代に他者からの蔑みと恐怖によって付けられた名だ。本当の族名は未だ知れない。もしかしたらそもそも無いのかも知れない。主に今の中部地方で暮らしていたらしく、ピッタリ今の“四葉”の勢力地でもある。

 

江戸以前の時代では与太話として古代の祭祀や地方権力者の側近、はたまた甲斐の戦国大名武田信玄のもとで“歩き巫女”として諜報もしていたのでは、なんて話もあった。これで僕と達也が所属する独立魔装大隊には“のぶはる”と“真田”と“歩き巫女”がいるというわけだ。わはは、天下取ったるでー!

 

とまぁ、そんな話だ。扱われ方はあらかた祖母の言う通りだった。化け物扱いか便利な道具。守護を得られても二代と続かぬ忌避されるべき存在。僕も四葉に入れはしたが、同時に危ぶまれてもいる。だから当主たる真夜さんや他の分家の当主たち、高位の執事たちにも直接会ったことはない。せいぜい真夜さんと通信で話したくらいだ。手放すにはおしいが近寄らせるわけにもいかない、そんな距離だ。当然だよな。

 

こうしてマスター・ヤクモとの鍛錬を終え、キャビネットの4人乗りで学校へ向かう。そして深雪との一頻りの別れを済まし、教室へ。

 

「オハヨ~、司波兄弟」

「お二人ともおはようございます」

 

「あぁ、おはよう」

「ハヨ~! エリカ、美月さん! あ、席どこか分かる?」

「こっちこっち~」

 

エリカや美月さんは先に来ていたらしく、楽しげに二人で話していた。エリカ曰く僕と達也の席は前後、五十音順に達也が前で僕が後ろらしい。彼女らに挨拶をし、軽く雑談を交えながら席に着く。達也はさっさと履修登録を済ませるみたいだ。席の端末に生徒IDを差しこみキーボードをカタカタ、ターン!

 

「おおぅ………すげぇ」

 

僕もポチポチと履修登録をしている間に達也は登録を終えていた。達也の前の席の男子生徒はその様を見ていたらしく、感嘆の声を上げている。

 

「ん? 何か?」

「あ、いや。すげぇもん見れたもんでな。俺は西城レオンハルト。両親がハーフとクォーターでな、洋風な名前なんだ。得意魔法は収束系の硬化魔法だ。ちなみに警察志望だぜ。あ、レオでいいぜ」

 

そんな彼に達也が誰何すると、彼は自己紹介してくれた。彫りの深めな顔立ちに、筋肉質で大柄な体格をしている。うらやましいなぁ。一瞬レフトブラッドかな?と思ったけど勘違いだったみたいだ。んーと、なになに?ドイツ系クォーター、父方の祖父がドイツの遺伝子調整体なのかぁ。だからドイツ風の名前なんだね。みんなも苦労してるなぁ。達也がレオに自己紹介を返す。僕も続く。

 

「俺は司波達也だ。後ろのは……」

「弟の雪人! よろしく、レオ!」

 

「おわっ! ……弟? 双子なのか?」

「まぁな」

 

達也の後ろから、ひょいっと顔を見せた僕に吃驚するレオ。それに対し達也は端的に答えた。あんまり似てないって思ってるなぁ。眼の色は似た色してるし深雪も交えたら、あぁー分かる分かる、くらいには似たところあるんだけどな。達也は更に続けた。

 

「志望は魔工師だ。実技は苦手でな」

「僕は軍人かなぁ。あ、自己加速術式が得意だよ」

 

レオに倣って僕たちが志望先を答えると、えー!ウソー!という反応がエリカとレオから来た。おいちょっと、逆じゃないの?ってなんだ!おいレオ!達也はともかく、って僕が軍人志望で悪いか!

 

美月さんもそれに加わって僕に、思い止まれ!と言って来る。みんなが心配してくれているのは分かるけど、僕ってそんなに弱そうに見えるのかなぁ?……ハイハイ、背ですね。ケッ!こうして僕が不貞腐れている内に、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 

 

2095年4月4日。第一高校 司波達也

 

授業開始の予鈴が鳴り、皆が席についてからカウンセラーの小野遥先生から説明があった。自己紹介を踏まえつつ、履修登録を済ませている者は退出していいとのことだったが、無駄に目立つし雪人もいるので教室に残った。ただ、一人退出した者もいたのだが。やはり目立つな。

 

雪人は相変わらず不貞腐れている。後ろの席から何となくそんな雰囲気を感じる。学友三人から似合ってないと言われたのが相当堪えたようだ。雪人がこういう時は放置するに限る。どうせこちらの心内は覚られていることだし、かまうとつけ上がるタイプだ。放っておけば勝手に反省して調子を取り戻す。

 

ただ……、雪人の事情を知る者からすれば軍人という道を目指すというのも分かる話なのだ。父と祖父共に軍人であり、かつての家は軍に関係する仕事をしていた。知り合いにも軍人がいて、彼らの影響を受けていないなんて言い切れはしない。簡単に納得が行く志望先だ。……四葉としてはどうなのだろうか?俺は深雪が結婚するまではガーディアンを続けるだろうし、雪人も俺に倣うだろう。だがその後は?俺同様に世から隠れ住むつもりだろうか。……意味のない思考だ、やめよう。

 

まぁ雪人自身にも弱く見られる理由があるんだがな。身長だけの話ではない。師匠の言葉のせいだ。“忍びたる者、己の強さを欺く位はしなさい”という言を守って、足取りなり姿勢なりで武術を嗜んでいるようには見えないようにしている。騙し討ちには最適だろう。

 

「(何だ?)」

 

そんなことをつらつらと考えながら学内ページを見ていたら、ふと小野先生と目が合う。互いに逸らさずにいると小野先生は二コリと笑った。同時に後ろの席からカチャリという小さな音が聞こえた。雪人が眼鏡を外した音だ。……まぁいい。後で聞けばいいし、場を憚るものなら帰って聞けばいい。俺は学内ページへと視線を戻した。

 

 

あの後も何度か小野先生はこちらに視線を向けて来たが、俺は静かに端末を見て時間を潰していた。そしてレオからの発案で俺、雪人、レオ、エリカ、美月の五人で昼食までの間、工房の見学に行くことになった。どうやらこれからの学園生活は、この五人で行動するようになりそうだ。

 

さて出発しよう、という時には既に雪人も復活していた。小野先生の観察を楽しんでいたらしい。雪人は“帰ってから話すよ”と俺に小声で話し、エリカたちとご機嫌で教室を出た。俺とレオもそれに続いて行った。

 

 

 

 

「さっきからお前、何なんだ! 二科生のくせに!」

「あーハイハイ。あんまり暴れるとホントにチャックが開いちゃうよ?」

 

「お兄様?……」

「深雪、お前は聞かなくていい」

 

工房含め専門課程の見学を終えた俺たちは他の生徒たちより早めに食堂に来て昼食を取っていた。6人席を見つけそこにみんなで座って食事をしていたのだが、そこにクラスメイトに囲まれた深雪が現れこちらに気付いて寄って来た。

 

席も一つ空いてることだし深雪も一緒に食べたいと言い出したのだ。面白くないのは一科の者たちで、深雪に“こっちで一緒に食べよう”と誘っていたが、深雪が動かないのを見て“二科なら一科に席を譲ってくれ”などと言いだした。

 

この辺りから売り言葉に買い言葉の要領でエリカやレオが爆発しそうになっていたが、我慢していた。我慢しなかったのは、雪人だった。

 

 

「森崎くん。ズボンのチャック、開いてるよ?」

 

雪人の言葉に思わず、率先してこちらに言葉を放っていた少年の股間に皆の目が集まる。森崎とやらはギョッとした後に、バッと両手で股間を覆って後ろを向いた。女生徒達もキャッ、と言いながらも一瞬だけは目が行ってしまっていた。確認を終えた森崎が振り返った時には彼の顔は真っ赤だった。哀れな。

 

「適当なことを言うな! 開いているわけないだろが!」

「ごめんごめん。見ての通り、目が悪くてね」

 

激昂する森崎に対し、雪人は涼しい顔で眼鏡を拭いている。視力の低下なんて簡単に治る時代では容易く分かる、あからさまなウソだった。

 

そこからの展開は読めたもので言葉を荒げる森崎、つまらなそうな顔で受け流す雪人、という構図が生まれた。もはやただの口喧嘩でしかない。この時すでに俺は深雪の耳を両手で塞いでいた。

 

レオやエリカは笑い出さないように口を押さえ肩を震わせているし、美月は美月で顔を真っ赤にしている。結局その場は食堂という場と、内容の拙劣さに一科生たちは分が悪いと思ったのか、森崎を連れて別の場所に移って行った。

 

「ヒィ―、腹いてぇ! メシ食ったばっかなんだから勘弁してくれよ!」

「……プ………くくッ……がまんできないっ!……」

「えぇー、僕のせいじゃないのになぁ」

 

そのまま深雪も交えて食事となったのだが、レオにエリカはこの調子。そしてことの張本人すらこの調子だった。ついにはレオとエリカが笑い出す。美月はワタワタしっぱなしだし、俺と深雪も少し恥ずかしげに食事を取った。……ハァ、深雪のためにも後で謝らせないといけないな。あれでは戻りづらくなる。

 

 

「アイツ、昨日僕の顔を女みたいだってバカにしたんだ!」

 

深雪のためにも今の内に謝って来いと指示すると、雪人はこう返して来た。その答えに深雪は何か得心がいったようだった。レオやエリカ、美月はドキッとした顔をしている。……まぁバカにしさえしなければ大丈夫だ。そういえばこれはこいつの爆弾だったな、と俺は思い返した。

 

 

雪人は己の女顔にコンプレックスを持っている。それは子供のころから、母親によく似ている、と周囲の大人に言われてきたのと同時に、女みたいなやつ、と子供たちにからかわれて来たことに起因するらしい。

 

更には雪人はレフトブラッドだ。そのことまであげつらってからかわれれば、反撃の一つもしたくなる。しかし暴力を振るうわけにはいかない。母が悲しむし、魔法師なら尚更ダメだ。ならば後は口しかない。

 

そういうわけで雪人は口喧嘩が強くなった。中学の時も顔をバカにした男子生徒を口だけで半泣きにしていた。“口喧嘩だけなら誰にも負けない”とは雪人の談だ。場数が違う、ということだろう。俺ともいつも激戦になる。

 

 

「そういうことなら構いません、お兄様。私の方から森崎さんには言っておきますから」

「しかしな……」

「わかってるよ、達也。行って来ればいいんでしょ」

 

深雪が自分で取り成そうとしたが、雪人はそう言ってさっさと一科生たちの方へ歩いて行った。ここから離れた席に座る森崎達一科生のところで謝っている姿が見える。怒り出しそうな森崎を他の男子生徒たちが宥め抑え込んでいるうちに、雪人は一科の女生徒たちと自己紹介をしているようだった。女生徒たちがチラッとこちらを見てまた雪人と雑談に入る。こっちに戻って来る頃には雪人は大分ご満悦の様子だった。

 

「ほのかちゃんと雫さんだってさ! 深雪もいい友達作ったね!」

「え? ……えぇ、まぁ」

 

「無敵か、アイツは」

「ハァ……」

 

レオの言葉に俺は頭を抱えた。

 

 

 

雪人のお陰か所為なのかは分からないが、午後の魔法実習の見学は深雪たちのクラスメイト達と一緒に見て回ることとなった。一科の男子生徒を先陣に、雪人は相変わらず新たに知り合ったほのかと雫とやらに、エリカやレオ、美月たちを交えて見学をしている。俺と深雪はその後をついて回っていた。ただ、ほのかとやらがチラチラ俺の方を見ているのが気にはなったが。雪人の今回の仕儀には深雪もご満悦の御様子だった。

 

「兄さんもタダでは起きませんね」

「ただの女好きだろう……」

 

よく分からん。言葉を隠して俺はハァとため息をついた。森崎が雪人を憎々しげな顔で見ている。雪人も分かっているだろうに平気な顔で女子とおしゃべりを続けていた。これはもうひと波来る、そう俺に思わせた。

 

 

ことは放課後に起こった。

 

「ウィードがブルームをバカにするような目で見るな!」

「だから勘違いだったって言ったじゃん、チャック開き崎くん」

「変な名前で呼ぶな!」

 

放課後に合流する予定だった深雪が数名のクラスメイトを引き連れて俺たちと合流した時、深雪たちの方を見ていた雪人がやれやれ、とでも言いたげに大きくため息を吐いた。

 

それを見ていた、もしくは雪人に見せ付けられた森崎が食って掛かり、またもや昼時のような口論が始まった。更なる森崎の売り言葉に高値で買い付ける雪人。すでに眼鏡も外している。深雪たち側は、またか、と呆れたような顔で見ている。

 

少し反応が違うのがこっちの方で、森崎のウィード発言のせいで、ムッとした感じを出しながら成り行きを見ていた。明らかにレオやエリカは面白がっている雰囲気だ。意外にも美月までもじっと雪人たちの様子を見ている。案外負けん気が強いのかも知れない。雪人は森崎の訴えを軽くはね返した。

 

「そうだね。チャックは閉まってたんだから、閉め崎くんだね」

「森崎だ! いい加減にしろよ、お前!」

 

「お前、じゃなくて雪人なんだけどな……。ていうかホントはチャック開いてたんじゃないの? 森崎御自慢の『クイック・ドロウ』でバレないように引き上げたんでしょ?」

「ッ!……バカにしてぇ!!」

 

雪人の言葉で森崎の様子が変わった。何とか口喧嘩で済まして来たが、今度こそ激発する雰囲気だ。一科の男子生徒が、“おい、森崎”と宥めようと声を掛けるがまるで聞く様子もない。面白がっていたレオたちも鋭い目付きに変わっている。森崎の名が『クイック・ドロウ』で繋がったのだろう。森崎家はボディガード業を営む名門で、その『クイック・ドロウ』の技術は映像資料として多く見られるほどだ。

 

「……本物の『クイック・ドロウ』がどれほどのものか、見せてやろうか!? ウィード!」

 

森崎は肩を震わせながら言葉を発した。両手は自然体を示すように両脇にブラリと垂れ下げられている。『クイック・ドロウ』の構えだ。雪人との距離は1m強。それでも自分の方が早くCADを突き付けられる、とでも言わんばかりに森崎は怒りを滲ませている。雪との見た目の幼さや強さの擬態も関係していることだろう。弱そうなウィードのチビに『森崎』を馬鹿にされた、許してはおけない。そんなところか。

 

「雪人、代わろうか?」

「は? いらないんだけど?」

 

森崎の気迫を見取ったレオが雪人に交代を提案するが、雪人は素気無くあしらった。今度は雪人までもムッとした表情をしている。雪人は言葉を続けた。

 

「だいたい僕は軍人志望なんだ。これくらいの火の粉は自分で払えなきゃ、やってらんないよ」

 

どうやら朝の不貞腐れがここで復活したらしい。レオもなんだか“あ、やべ”という顔をしている。自然体の構えを取る森崎に対し、雪人は腕を組んで突っ立ったままだ。森崎の温度が上がった気がした。雪人は涼しげな顔のままだ。俺と深雪は呆れかえってハァ、とため息を吐いた。もはや展開は読めた。

 

「先手は譲ってあげるよ、ブルーム」

「……後悔するなよ、ウィード」

 

二人の火蓋は、切って落とされた。

 

 

怒りの表情に余裕の表情、二人は睨みあいながらもゴングも鳴らさずに戦いは始まった。

 

「ッ……!」

 

素早く腰の特化型CADを引き抜く森崎、そして全くの同時かそれよりも早く動き始めた雪人が半歩踏み込み、左手で森崎のCADを持つ右手首を掴んだ。同時に右手で森崎の視線をブラインドする。一瞬のことだった。雪人の勝ちだ。本番なら目隠しではなくそのまま目を潰していたことだろう。

 

「おぉっ! はえぇな!」

「へぇ、拍子とるの上手いなぁ~」

 

レオとエリカが興奮の声を上げる。雪人の眼隠しを左手で乱暴に払った森崎と雪人が睨みあっている。一科の者たちも騒然としていた。まさか、という空気である。まぁ雪人のインチキ技が分かるはずもない。

 

「まだやる? ボディガードだかなんだか知らないけど、後ろに下がったり横にずれたりしなかったのは褒めてあげるよ。でも、肝心の早撃ちがこれじゃあ、ねぇ?」

「こっ……このォ!……」

 

雪人の煽りに気炎を発する森崎だが、雪人が掴む右手首が払われる様子がない。まるで動かせなくなっている。今も動かそうと必死だが、雪人がガッチリ掴んで振り払われる気配はない。

 

「今度から喧嘩を売る時は相手をよく見たほうがいいよ。ここは第一高校なんだ。単なるウィードなんていないんだよ。僕だって深雪の兄貴なんだから、さ!」

 

その言葉と共に雪人は手を大きく横に払って振り返った。ひやひや周りで窺っていたものたちもやっと息を吐いた。魔法も使わなかったからな、単なる見世物にしかならなかったようだ。雪人がゆっくりと歩いて来る。その時、

 

「待て、ウィード! 僕はまだ負けちゃいない!!」

「ダメっ!?」

 

森崎は雪人の後ろ姿に向けて特化型CADの引き金を引いた。起動式の光がもれる。“魔法行使”。事態の急を見取った一科の女生徒、ほのかだったか、が目晦ましの閃光魔法を発動させようとしている。レオやエリカも動き出している。森崎のCADを払い落すつもりだろう。他の一科の生徒も、森崎!と彼を止めようとしている。深雪が動きそうになったが、俺が手で止めた。雪人はこんな状況でもチラッと余所を向いていた。俺にも分かった。動く必要もない。

 

「きゃっ!」

「うわっ!」

 

「止めなさい! 自衛目的以外の魔法行使は、校則違反以前に法律違反よ!」

 

事態に終止符を打ったのは一科生でもなく、レオたちでもなく、もちろん森崎でもない。サイオンの弾丸とこの声だった。サイオン光を滾らせながら現れた、生徒会長の七草真由美だ。

 

彼女の放ったサイオン塊が森崎とほのかのCADを撃ち抜き、起動式のみを吹き飛ばしたのだ。それは、彼らの身体には何ら傷を残さない見事な射撃だった。

 

「さて、一年の……A組とE組の生徒だな? 事情聴取を行いますので、ついて来なさい」

 

七草会長の登場に続いて横に並んだのは、確か風紀委員長の渡辺摩利だったか。その隙のない佇まいからは、この場にいるいかなる者が抵抗しようが鎮圧してみせるという自負を感じさせる。

 

そんな彼女らの気迫を受け、皆が動けずにいる中でさえも、雪人はチラチラと視線を動かし何かを確認していた。そしてハァとため息を吐いて俺に、合わせて、と手でサインを飛ばして来た。……まぁ口喧嘩から魔法行使、退学など間抜けもいいところだ。深雪のこれからにも良くない。いいだろう、合わせよう。そんな俺の意志を感じ取った雪人が、素っ頓狂に七草会長達に話しかけた。

 

「会長、今いいところだったのに!」

「ゆ、雪人くん? どういうことかしら?」

 

いきなりの雪人の声に、七草会長も何やら苦笑いのようになっている。それに対し、渡辺風紀委員長は目を細めて雪人に問う。

 

「喧嘩の邪魔をされて、という意味かな?」

「喧嘩……? 何で喧嘩なんです? 今のは映画のワンシーンですよ?」

 

雪人は、何で怒るの、とでも問いたげなほどの不思議そうな表情で渡辺先輩の詰問に答えた。なるほど、そういう台本か。雪人から合図が来る、俺も入れと言っている。

 

先輩方二人は、雪人の思いもしなかった台詞にキョトンとした表情だ。畳みこむなら今だろう。説得は多人数で行った方が効果がある。なるたけ、深刻な事じゃないのだ、という風に伝えられるように穏やかな声を出して話しかけた。

 

「USNAのアクション映画ですよ、先輩。クライマックスシーンだったんです。拳士対ガンマンの」

「え、えぇ? でもウィードって……」

 

「あはは、それ『ウィンド』ですよ。拳士の名前ですってば。やだなー」

 

俺の台詞に七草会長も困惑した表情を浮かべている。それにも素早く雪人から注釈が入った。

 

それからも雪人と俺で、森崎はガンマン役にピッタリだった、とか、昼休みに知り合った仲なんです、とか、余りに面白かったんで再現していた、とか言って論点をずらし、先輩方の追及を煙に巻こうとした。そのお陰で七草会長はアハハ、と苦笑いを浮かべている。もはや仕方がない、といった様子か。しかしそれでも渡辺風紀委員長は軌道修正を図って来た。だがそれも、俺たちがどう言い訳するかを楽しんでいるような感じすらした。

 

「うーん、それでも自衛以外の対人攻撃の魔法行使は認められんぞ? それはどうなる」

 

まぁ、それはそうだが、ものは言い様なのだ。雪人が笑って答える。

 

「あはは、先輩。後ろから撃つって時に、わざわざ声を掛ける間抜けが一科にいるんですか? 演技だからに決まってるじゃないですか。攻撃じゃないですし、ちゃんと避けますよ」

 

更に渡辺先輩が問う。猫みたいな笑みだ。

 

「A組の女生徒の魔法は?」

 

俺が答える。さて、この台本もそろそろエンディングだな。

 

「あれは演出用の閃光魔法ですよ。威力も弱めですし。ウソだと思うなら調べてみればよろしいのでは?」

 

俺の言葉で渡辺先輩に目を向けられたほのかとやらが、コクコクと頷いている。渡辺先輩は腕を組んでフーン、と俺たちを面白げに見た。そして、ククク、と含み笑いをして、事態にため息を吐いていた七草会長とアイコンタクトをしてから俺たちに言った。

 

「……いや、私たちの勘違いだったようだな。だが仲良くなったからと言って、こんな場所でおふざけは止めろよ」

「私からは……学内での魔法行使にも細かな制限がありますから、授業で学ぶまでは使用を控えるようにすること、いいわね?」

 

七草会長の言葉に、この場の一年生は姿勢を正して頭を下げた。七草会長と渡辺先輩が校舎の方へと歩き出す。数歩、歩いた所で渡辺先輩が思い出したかのように半身を返してこう言った。

 

「……ふふ、なかなか面白い『脚本』だった。劇の続きが知りたいな。名前を教えてくれないか?」

 

俺と雪人に交互に目線を向けて話している。脚本、の言葉にも別のニュアンスを込めていた。いささか面倒だが答えないわけにはいかないか。

 

「1年E組の司波達也です」

「同じく司波雪人です」

 

「覚えておくよ」

 

先輩方は今度こそ去って行った。雪人め、目を付けられたぞ。それでも雪人は満足そうな笑顔だった。

 

 

2095年4月4日。司波宅 司波雪人

 

あぁ~楽しかった。会長たちが去ってから、しばらく皆は脱力していた。森崎チャックくんもその一人だったが、その後彼は僕にナシを付けて来た。“これで勝ったと思うなよ”ってさ。いや、悪いけど笑っちゃったよ。

 

でも、まぁこれで一科VS二科の構図が、“森崎チャック騒動”から森崎VS僕になったんだけどね。家に帰ってから達也にその辺りも説明して、納得を得ている。大体、森崎くんのおかげであの場に居た一科生たちとも変な連帯感が生まれちゃったっぽいしね。深雪のクラスに知り合いができたのは達也としても安心の要素だろう。

 

今日はなんだか色んなことを知れた気がするよ。公安の女スパイ“ミズ・ファントム”たる小野遥先生に、エリカの兄の彼女の渡辺摩利先輩。それに光井ほのかちゃんに北山雫さんのことも。ん?……見事に女の子のことばっかだなぁ?あ、いやレオもいたし、森崎くんのこともあるんだけどね。僕もさっさとレオみたいな背がほしいよ、全く。

 

森崎くんのことは、まぁ……お互いトントンだと思うんだけどね。最初に侮辱して来たのは彼なんだしね。彼の捨て台詞の前にも言ってやった。“僕のことを女顔だってバカにしたように見るから、『森崎』をバカにしたんだ”って。そしたらあのセリフだもんな。参っちゃうよな。……とは言っても分かる話だ。彼にも柵がある。一科だし、学年二位だし、森崎本家の人間だし。それがあぁも二科生に、けちょんけちょんにやられちゃったんだ。彼のプライドが許せまい。だからあんな台詞を残して去って行った。

 

森崎くんが去った後だけど、僕はみんなに怒られた。まぁ、自分で言ってて思ったけど変な言い訳の仕方だったもんね。あれじゃあみんなは演劇同好会の会員だ。お陰でみんなに一発ずつデコピン貰ったよ、ほのかちゃんや雫さんにまで。ホントにあの時、周りに部外者がいなくて良かった。……達也もノリノリで話、合わせてたんだけどなぁ。まぁみんな、感謝と変に巻き込みやがって、という気持ちの込められたデコピンだったけど。レオなんてずっと笑ってたじゃん。

 

その後はキャビネットの駅までだけど、みんなで帰った。道中では僕とレオ、エリカで格闘談義をしていた。僕が森崎くんを抑えた時の動きとか、レオならどうするエリカならどうする、なんて話だ。

 

そこから美月さんや雫さんも交えて七草会長のサイオン弾射撃の話なんかもした。これはこれで面白かった。一方、達也は深雪とほのかちゃんに挟まれて四苦八苦だ。特尉からの応援要請!何ィ!?特尉、応援はない!繰り返す、応援はない!

 

ほのかちゃんも雫さんも、とても面白かわいい子だった。ほのかちゃんはコロコロ思考が変わって犬みたいだったし、雫さんは物静かに見えてこっちのことをちゃんと観察してる猫みたいな子だった。うむ、一科の犬猫コンビと呼ぶことにしよう。深雪もいい友達ができてよかったよ。

 

 

「雪人、そろそろいいか?」

「うん。こっちもまとまったよ」

 

さて、こうして夕食も終わり、まったりソファーに座っているが、僕はこれから達也に今日の報告して、明日の作戦会議をしなきゃならない。小野先生のことと、七草会長と渡辺先輩の僕らを使った企みだ。

 

風紀委員かぁー。今日の感じ見てると学内警察だな。もしくは憲兵隊。僕みたいな生徒がいたらこじ付けでもいいからしょっ引くべきだろな。ははは……いや、まぁ、今日はやり過ぎたと思ってる。つい、カッとなっちゃったんだ。ダメだなぁ。そりゃ師匠もニュービーっていうよね……。

 

「雪人さん、おかわりはいかがですか?」

 

あ、サンキュー。深雪が僕にホットミルクを渡してくれる。達也には既にコーヒーが入れられていた。深雪はどっちかと言うと紅茶が好きみたいだから、うちの連中は案外好みバラバラなのかな?今は深雪は何を淹れるにしても美味いけど。……昔は、ちょっとね。触らぬ深雪に氷柱なしだ。うん、僕上手いこと言った。本日は以上である。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

2095年4月5日。第一高校 司波雪人

 

昨夜の作戦会議から一夜、今は学校の昼食時である。では食堂にいるのか、というとそうではない。昨日の夜のことだが深雪のもとに七草会長から連絡が来たのだ。連絡先自体は新入生総代をしていた縁で知っていた。

 

その内容は、以前約束していた深雪の生徒会入りの説明及び面通しだが、それに加えて僕と達也も一緒に連れて来てくれ、というものだった。これに僕らは顔を見合わせ頷いた。僕たちの風紀委員の勧誘だ。

 

この話が上手く行けば、深雪にとっても、達也にとっても風通しの良くなることだろう。僕はそういう趣旨で達也の説得に回ったし、深雪もそれに賛成だった。達也も嫌がったのだが深雪の熱意の前に敗れ去った。シスコンにはこれが効く。それにもう一つ理由があった……。それを説明すると達也は即決した。

 

そういうわけで僕らはレオたちを食堂に置き去りにして生徒会室へとお邪魔するのであった。深雪が生徒会室に付いているインターホンを鳴らし入室を請うと七草会長の明るい声がインターホンから聞こえ、ドアのロックが外れた。

 

チラッと達也が僕を見る。達也自身分かっちゃいるんだが、深雪に危険を及ぼす存在がいないか僕に聞いているのだ。ドアの向こう側からはワクワク感しか伝わってこない。僕たちに興味津津、そんなところだ。

 

僕は手短に両手を差し出して、どうぞ、とジェスチャーした。達也はそれでも深雪を庇うように入室した。もはや癖だ。深雪も入り、僕もそれに続く。

 

「いらっしゃい。深雪さん、達也くん、雪人くん」

 

生徒会室の長机の奥にいたのは七草会長だった。会長が僕たちにホストとして挨拶をしてくれるのに僕たちも返す。室内には女生徒が4人。七草生徒会長と渡辺風紀委員長、そしてスラっとした落ちついた美人と可愛らしい小柄の女の子だ。僕らが席に着いたのを確認して、七草会長は喋り出した。

 

「まずは簡単に自己紹介しておきましょうか。まずは私ですね。生徒会長の3年、七草真由美です。よろしくお願いしますね? で、こっちが会計のリンちゃん!」

「……3年の市原鈴音です。会計をしています。変なあだ名で呼ばないように」

 

会長の席から順に紹介するようで、会長の次は美人さんだ。整った顔をした鋭いイメージのする美人さんだった。あと最後の言葉には何だか照れが入っていた。機会が会ったら呼んでみたい。

 

「で、私が風紀委員長の3年、渡辺摩利だ。風紀委員会は生徒会役員じゃないんだがな」

「さいごに書記のあーちゃん!」

「ちゃんと紹介して下さい! ……書記の中条あずさ、2年生です。よろしくお願いします」

 

続いて渡辺先輩に中条先輩。可愛らしい見た目と、言葉と共にペコリと頭を下げた中条先輩の姿は何だか愛くるしいものがある。うん、あーちゃんだな。

 

「これに2年生の副会長、はんぞーくんを加えたのが現行の生徒会役員になります!」

 

七草会長はそう言って締めくくった。わーパチパチ。ぷぷぷ、あの睨んでた人か。今いないのは、女子ばっかの席がむず痒くて逃げたんだろう。女慣れしてない感じだったしね。にしても予想通り仲良さそうな生徒会だな。こうして生徒会の自己紹介が終わったので僕らも返礼をする。“3兄妹で同じ学年なんて珍しいね”なんて会話も慣れたものだ。サラサラっと説明し終える。そして昼食は生徒会で用意する、とのことだったので、ここの配膳機で昼食会と相成った。

 

昼食会は穏やかなものだった。渡辺先輩の料理上手が発覚したり、深雪が対抗意識を燃やして、明日からお弁当に致しますか?なんて達也に言っていた。そして達也が受け流して僕がちゃかす、といういつもの流れだ。深雪が入る予定の生徒会や、他に風紀委員会の概要なんかも聞いた。というか今回の主目的の一つだしね。なんとも和気藹々とした昼食会だった。そして会はもう一つの目的へと進んだ。

 

「自分たちを風紀委員に、と?」

 

「ああ、そうだ。生徒会はともかく、風紀委員会は一科も二科も関係ない。有用であればいいからな」

「実は枠が余ってるんです。摩利と考えた結果、貴方たちなら丁度いいんじゃないのかしらって」

 

七草会長が僕と達也を見ながら言う。困惑して見せる達也。僕も深雪も吃驚したような振りをしている。先輩達には急の事態についていけてない可愛らしい下級生にしか見えていない。先輩たちも僕らを驚かせて、してやったり、って顔だ。作戦通り。受けるつもりだが、すんなり承諾するのも変だしな。ここはごねてみる。

 

「あのー、風紀委員会の仕事ってさっきの説明の通りなら実力による魔法行使違反の摘発ですよね? 僕ら、実技が下手だったから二科生なんですけど」

 

「心配するな、実力があるかどうかは私が量る。それにお前たちは機転が利く。そういう判断力もあるみたいだな」

 

渡辺先輩がそういうと七草会長が、あぁ昨日のね、と言って疲れたような顔をした。それを中条先輩が拾いその話でワイワイし始めた。ちょっと!恥ずかしいから勘弁してよ!渡辺先輩が話を続けた。

 

「司波弟、お前が森崎を抑え込んだ動きは見事だったし、司波兄も起動式から何の魔法を使おうとしたか分かっていた。ちがうか? あの時の彼女の驚きようを見ると、そうとしか思えなかったんだが」

 

「まぁ……分析は得意ですが」

「僕も身体動かすのは得意ですけど」

 

まだまだ困惑して見せる僕たち。ってコラコラ、深雪。そんなに嬉しそうな顔をしないの。今は心配そうな顔をする場面でしょ!渡辺風紀委員長が意外な掘り出し物をした、っていう印象を周囲に与えなきゃいけないんだから。最後に渡辺先輩が付け加えた。

 

「なら問題ないな。あとは実力、どう魔法を使っているかの確認だけだ。今日の放課後、ここ集合。よろしく頼むぞ」

 

「はぁ、分かりました……」

 

僕らはこれにしぶしぶ承諾の返事を出した。丁度昼休みも終わりの時間だったので、こうして昼食会は閉会した。おおよそ作戦通りだ。幸先良いね、うんうん。最後に僕がニッコリと七草会長や市原先輩に、楽しかったです、というと彼女たちは微かに微笑んでくれた。美人の笑顔はイイね!でもカワイイって思うのは勘弁してほしいなぁ。

 

 

2095年4月5日。第一高校 司波達也

 

 

生徒会室を出てしばらく歩きながら話した。深雪も雪人も先の話し会いが上手く行って機嫌がいいみたいだ。

 

「さて、次は渡辺先輩との模擬戦か。どうだ、雪人?」

「僕らには即時鎮圧と現場検証を期待してたから、体術を誇示するやり方がいいかもね。先輩も剣術家だし」

 

対象が魔法を起動したら素早く鎮圧し、何を使おうとしたか検証しろ、そういうことか。なら簡単に忍術で一発芸でもして見せれば充分かも知れんな。3月の脱走兵鎮圧と一緒だ。俺と雪人で追い詰め、魔法を使おうとしたら意表をついて鎮圧。それで終わりだった。単純だ。今回は別に勝つ必要もない。侮れないと思わせればいいだけだ。

 

「これでお兄様をバカにするものも減りますね」

「まぁ、そうなれば後々楽だがな」

 

深雪は嬉しげだ。確かに、新入生総代の兄は二人ともただのウィードじゃない、という風に印象操作ができれば、俺たちに無意味に絡む連中も減るし、同時に深雪の機嫌も良くなるのならやるべきだろう。

 

それにもう一つの件もある。そのためには自由に学内を動き回って不自然じゃない地位は必要だ。俺も今後の研究の上で利用できるものが増えるかもしれないしな。リターンは充分にある。こうして俺たちは深雪と別れ、教室に向かった。

 

 

今日から実習が始まっている。内容はまずは実習器具に慣れろ、というものからだった。簡単な加減速術式の魔法だ。エリカやレオたちも次々に成功している。俺の番が来たので実習用CADの前に立つ。サイオンを流し込み実行する……やはり遅いか。雪人もやっているが似たようなものだ。俺たちは偏り過ぎている。俺は『分解』と『再成』に。雪人は『同調』と『自己加速』、つまり逃げ足に。だからこうなるのは納得がいくのだが……。

 

「(魔法工学実践のための魔法力……やはり俺にはないのか)」

 

隣で雪人が肩を竦めて苦笑いをし、ハァ、と息を吐いた。次の者に場を譲り、俺は壁際へと行った。俺もため息を吐きたい気分だった。ともかく放課後からは気を取り直して迎えなければならない。頭の中でシミュレーションでもしておこう……。

 

 

放課後。雪人と共に深雪を迎えに行き、生徒会室へ向かう。教室を出る際、エリカたちにも事情を話したが“ボッコボコにしちゃえ!”とありがたい激励を受けた。それに雪人は“まっかせてよ!”なんて言って返していた。おだてると直ぐに調子に乗る。なので俺が心の中で睨みつけると、雪人はさっさと教室を出て行った。俺も切り替えて望まねばならんな。

 

生徒会室前で俺たちは止まった。生徒会の人間である深雪が生徒会室のドアを開ける。隣の雪人を見ると“何だか面倒臭そうな感じがする……”と言っていた。なんだ?

 

「失礼します」

 

礼と共に入るとすでに渡辺先輩が来ていたことに気が付いた。そしてもう一人、昼間にはいなかった人間がいた。彼は俺と雪人に、視線は寄こさないが敵意だけは向ける、という小器用な真似をしながら、深雪のもとまで歩いた。

 

「副会長の服部刑部です。生徒会へようこそ、司波深雪さん」

 

ほぅ。彼の体表を流れるサイオンは力強いものがある。生徒会役員に選ばれるだけあって、優れた魔法力を持つことが見受けられた。彼は深雪に挨拶をするとやはり俺たちは無視して、しかし敵意は向けて席に戻った。深雪がムッとしているのが見受けられたが、すぐに戻る。まだ生徒会役員として初日なのだ。深雪のこれからのためにも、良く自制してくれたと思う。対して雪人は隣で残念そうな顔をしていた。彼と話したかったのだろうか?それも七草会長たちが歓迎の意を伝えてきたことで、すぐに解消されていたが。

 

「よっ、来たか」

「いらっしゃい、深雪さん。達也くん、雪人くんも御苦労さま」

 

「お疲れ様でーす」

 

気安い雰囲気で話しかけて来た渡辺先輩と七草会長に、俺は黙礼で、雪人は親しげに返した。雪人への服部副会長の敵意が更に強まった気がした。面倒事とはこのことだろうか。

 

渡辺先輩が、ついて来い、と言う。どうやらここから移動するようだ。生徒会室と風紀委員会の会室には裏口があるらしく、そこから下の階の会室へ向かうらしい。しかし、深雪に別れを済ませ、いざ向かおうと言う段階で、服部副会長が渡辺先輩に声を掛けた。

 

「待って下さい、渡辺先輩。そこの二科生を風紀委員に任命する、というのは本当ですか?」

「何だ、服部刑部少丞範蔵副会長。反対か?」

 

渡辺先輩が少し面倒そうに、そして茶化すような調子で答える。それに対し、“フルネームで呼ばないでください!”だの“じゃあ何て呼ぶんだ。”だのとコメディのようなやり取りが行われる。七草会長も楽しそうにそれに加わっている。その後、気を取り直した彼の主張はこうだった。

 

“風紀委員会の務めは学内の魔法の不正使用摘発であり、実力での鎮圧も含まれる。実力に劣るウィードにはブルームが問題を起こした場合、対処できない。なので彼らを風紀委員にすべきではない。”

 

それに対する渡辺先輩の主張はこうだ。

 

“ここにいる二人は、片方は一科生の魔法行使を事前に止められるほどの捕獲能力があり、もう片方は起動式から何の魔法か読み取れる分析能力がある。犯行抑止としても充分である。加えて、学内の差別意識緩和にも意味がある。”

 

これは渡辺先輩の方が分が良いだろう。服部副会長の“実力”を理由にした反対は、渡辺先輩による各個撃破の憂き目に会った。しかし彼は納得が行っていない様子だ。それはそうだろう。彼自身、俺たちの能力を確認したわけではないのだから。とは言えそれもすぐ片が付く。これから渡辺先輩と実力確認を行う予定なのだから。それでも納得しないならどうしようもないがな。

 

俺はそう考えていたのだが、俺の隣にいた深雪は違ったようだ。明らかに服部副会長の言い様に腹を立てている。こうも深雪が俺たちのために怒ってくれるのは嬉しいことだが、今はまずい。……作戦変更か。素早く雪人に目配せすると、雪人は動き出した。次いで俺は深雪を背に庇った。

 

「あのー、ハッタリ先輩」

「……服部刑部だ」

 

雪人のジャブに服部副会長が苛立ちを見せる。この部屋の人間も少し気まずい様な雰囲気になっている。渡辺先輩だけは面白そうに見ているが。雪人はそれらをまるで気付かぬとでも言うように、すっ呆けた調子で続けた。

 

「あれ? すみません、間違えました。僕たちに違反者の鎮圧ができるのか疑問をお持ちなのでしょうが、それは問題ありませんよ。これから渡辺先輩と改めて確認する予定なんです」

「……渡辺先輩。本当ですか?」

 

「まぁ……事実だが」

 

雪人のイキナリの言葉に服部副会長も眉を顰めている。しかし同時に甚振るような調子も窺わせている。渡辺先輩もそれがわかったのか、面倒臭そうな様子で返事をした。雪人が続ける。

 

「なので服部副会長の御懸念も直ぐに晴れますよ。渡辺先輩も全く実力がないものを風紀委員に採用しようとはしないでしょうし。ねぇ、渡辺先輩?」

「まぁそうだな。私はある程度確信を持てているが、実力証明は必要だと思っている。二人の適性はそこで判断すればいい話だ」

 

渡辺先輩は突破口を見つけたように話しだす。だが俺の狙いも、雪人の狙いも別だ。お茶を濁して終わり、だなんて勿体ないことをするつもりはない。雪人が軽い調子で続けた。

 

「まぁ、一番早いのは僕たちが服部先輩を倒しちゃうことなんですけどね、アハハ」

 

この言葉に皆がギョッとした顔で雪人を見ている。今度は渡辺先輩も面白がれたりはしていない。いや、俺の背に寄り添った深雪の気は綻んだか。先輩たちの目線は俺にも向けられるが、俺はそれを平然とした顔で受け流した。彼女らには俺も同意見だ、と言っているように見えるはずだ。

 

「……ほぅ、口だけは大きいみたいだな。だがな、二科生の分際で思い上がらないことだ。怪我をするだけだぞ、ウィード」

 

雪人の言葉に服部副会長は、ジワリジワリと敵意を膨らませながら俺たちを威圧する。明らかに怒りを感じている。そうこなくてはな。彼は俺たちに反感を持っている。今回のような行動は早かれ遅かれのようだから、ここで彼の頭を押さえつけるべきだろう。そうでなければ何かにつけ邪魔をされかねない。深雪の心情的にも良くない。俺も雪人の横に並び立った。服部副会長は俺と雪人を睨んでくるが、俺たち二人は涼しい顔だった。

 

「雑草なんて名前の草はありません、僕の名前は司波雪人です。それで、渡辺先輩の代役、受けていただけますか? ハッタリ先輩」

「弟もこう言っていることですし、兄として情けない姿を弟妹に見せれませんね。自分は司波達也です。どうぞよろしくお願いします。服部刑部少丞範蔵副会長」

 

俺と雪人の啖呵に、服部副会長の怒りと敵意が限界を迎えた。

 

 

2095年4月5日。第一高校 司波深雪

 

生徒会での挑発の後、七草会長と渡辺風紀委員長の計らいで、第三演習場で模擬戦をすることとなった。お兄様たちと立てた計画とは少し違う形だが、この模擬戦に勝利すれば、お兄様たちは風紀委員会に入ることになるだろう。それは二科であろうとその実力が認められた証明にもなる。そうなれば嬉しいと私は思う。

 

風紀委員会への勧誘について、雪人さんはもとより乗り気だったがお兄様は違った。お兄様は学校で魔法力とされる資質に欠いていることを嘆いていらっしゃったからだ。それが私には悲しかった。

 

お兄様にしろ、雪人さんにしろ、その本来持つものを見せることができるのなら、魔法師として並々ならぬ評価をいただけるだろうに。それなのにここでは二科生として振る舞うしかない。それが悲しいのだ、とお兄様にお話しすると、そうして俺の代わりに気持ちを表現してくれるお前がいて嬉しい、とお返しになられる。これではお兄様に報いるものがないではないか。分かってはいる、お兄様がそうとしか表現できないことを。それでも私には悲しかった。

 

だから雪人さんから渡辺先輩の風紀委員会の勧誘の話を聞いた時、すぐさまお兄様に入って欲しい、とお願いした。お兄様は、自分では周囲が認めない、と仰られたが、雪人さんが森崎さんとのことを話し、これでは行動を抑制されかねない、とお兄様を説得なさった。その後も私には聞かせないようにお兄様とお話なされていたが、それが決定機だったようだ。何だったのかお兄様に尋ねると、確認が取れてから深雪には話す、とのことだった。こうしてお兄様の承諾をいただき、今日のための作戦会議となった。

 

作戦は概ね上手く行っている。しかし、問題はここからだ。本当なら渡辺先輩相手に簡単に実力確認をしてもらえばそれで終わりだったが、服部副会長の提言で状況が変わった。彼の言葉から今後に支障を来しかねないと判断したお兄様と雪人さんが服部副会長を抑え込みに回った。そのための模擬戦がこれから始まる……。

 

「何と言うか……君たちは意外と好戦的な性格なんだな」

 

この第三演習場まで案内してくれた渡辺先輩が、頭を掻きながらお兄様たちに話しかけた。

 

「あはは、じゃなきゃ入学2日目で一科生と喧嘩なんてしませんよ」

「雪人はともかく、自分は必要だと思ったからやるだけです」

 

雪人さんはあっけらかんと、お兄様は淡々とした調子でそれに答えた。渡辺先輩はそれを聞き、やれやれといった様子でお二人に近づいて言った。

 

「まぁいいさ。……昨日のと違って、服部は入学以来負けなしの精鋭だ。うちの学校でも五本指に入る実力者だからな。言うまでもないが、……気をつけてかかれよ」

 

「ふぅん、入学以来負けなしだってさ」

「奇遇ですね、自分もです」

 

「ハァ……そりゃそうだろうよ」

 

渡辺先輩の忠告も、お兄様たちには通じないようだった。お二人はリラックスされている。すでに成算がついたようだ。逆に渡辺先輩は不安そうにトボトボと審判のために戻って行った。もしかしたら集合場所を生徒会室にしたのを失敗だったと思っているのかもしれない。さっさと風紀委員会入りさせて活動させていれば、実績を楯に干渉を阻止できていたのに……、そんな思いなのではないだろうか。……お兄様と雪人さんが服部副会長と向き合った。お兄様の手には特化型が、雪人さんの手には汎用型のCADが着けられていた。まるで緊張している様子は見受けられない。

 

「さて達也、どっちから行く?」

「どちらでも構わんが……じゃんけんで決めるか」

 

「……ッ! ウィードが調子に乗るなと言った! 二人同時に掛かって来るといい!」

 

お兄様たちのやり取りに服部副会長は怒りを隠せていない。お兄様たちの戦いは既に始まっているようだ。相手の冷静さを欠かせに来ている。それに服部副会長は嵌まってしまっている。七草会長たちもハラハラした様子でそれを見守っていた。

 

「変に言い訳されては困りますから。……ならば自分から行かせてもらいます」

 

「……言い訳をするのはそちらだろうが!」

 

服部副会長の怒声にもお兄様は平然とした調子でお返しになる。お兄様が先に戦われるようだ。雪人さんと並ばれていた場から一歩前に出られる。対して雪人さんは一歩下がられた。それを見取った渡辺先輩が開始の合図を出す。最後にお兄様は私に目線を寄こした。私も頑張ってください、という気持ちを込めてお兄様を見遣った。

 

「よーし、もういいな。始めるぞ。ルールはさっき言った通り、違反したら私が力づくで止めるからな」

 

捻挫以上の障害を引き起こす魔法の禁止。武器なし。直接攻撃は許可。降参か渡辺先輩の判断により試合は決することとなる。これが今回の模擬戦のルール。お兄様と服部副会長は向かい合ってCADを構えている。

 

「では、始め!」

 

模擬戦が始まった。

 

「……っ!」

「はっ……!」

 

手首の汎用型CADを操作する服部副会長に対し、忍術をもって接近するお兄様。その余りの勢いに座標設定を誤らせた服部副会長が慌てている。しかしその隙を見逃すお兄様ではなく、服部副会長の視界を振り切り後ろに回り込んだ。服部副会長の魔法は対象を見失ったことで不発と化した。そしてそのままお兄様はCADの引き金を引いた。

 

「ふっ!」

「うわッ!?」

 

サイオン波の合成による対魔法師用制圧魔法。服部先輩はその波に揺さぶられ崩れ落ちる。その様を見取ったお兄様が渡辺先輩に目を遣る。

 

「えっ!?」

「うそ……」

 

「勝者、司波達也!」

 

あっという間の勝利だった。お兄様の勝利に生徒会の方々も沸いている。服部副会長の介抱をしている渡辺先輩や七草会長たちと、どうやって接近したんだ、とかどんな魔法を使ったか、などの問答をしながらお兄様が私の側に来られた。

 

「お兄様!……」

「まずは一勝だな」

 

お兄様はそう言って私の頭に置いた。皆さんもお兄様を先ほどとは違う、一種の敬意のようなものを含めた目で見ている!よかった、これで生徒会内でお兄様を侮ったりする人はいなくなるだろう。雪人さんもお兄様とハイタッチをしていた。

 

「よーし、次は僕だね。ハッタリ先輩は大丈夫ですか?」

 

「服部だ! ……こちらは問題ない、もう回復した」

 

お兄様たちの問答の間に起き上がっていた服部副会長も、今度は油断もないようだ。……次は雪人さんの戦いだ。

 

 

2095年4月5日。第一高校

 

 

「司波兄。弟の方も九重八雲先生の弟子なのか?」

 

試合の準備をする二人を後目に、渡辺摩利が達也に小声で話しかけた。先の試合で達也は忍術を用いて接近した。その説明のさいに九重八雲に師事していることを摩利に話したからだ。それに達也は端的に答えた。

 

「えぇ」

「ほぅ……。見た感じお前さんの方がやりそうだが、腕の方は?」

 

摩利はどうやら達也同様、九重八雲の弟子である司波雪人の腕前が気にかかるようだ。雪人は小柄な体格だ、強そうな見た目ではない。武人特有の感じもしない。服部は先の敗北のせいで油断なく見ているが、摩利からすれば簡単に勝てる相手のようにしか見えない。だからこそ昨日の取り押さえた動きには驚いたのだが、魔法も含めるとなると服部には譲るのではと摩利は思った。しかし達也の返答は違った。

 

「俺は戦闘技能として忍術を習得しました。でも雪人は違う」

「違う? どう違うんだ」

 

「雪人は戦闘技能に留まらない“忍び”としての教えを受けています。それは見た目で分かるものじゃない」

 

摩利は己の侮りを見取られたような気がしてドキッとした。この兄弟はやけに聡い所がある。昼の自分のお弁当のことや昨日の咄嗟の機転、そして今のもそうだ。そんな自分の内心を知ってか知らずか、達也は深雪に寄り添ったまま、雪人たちに目線を戻した。摩利もつられて視線を向ける。

 

「腕前の方は……まぁ見ていれば分かりますよ。あいつの言葉ですが“新入生総代の深雪の兄がただのウィードな訳がない。”……きっと先輩たちを驚かせてくれることでしょう」

 

「そうか……。そこまで言うのなら楽しませてもらえそうだ。さて、そろそろ始めるぞ!」

 

摩利はそう言って審判に戻った。演習場の真ん中で雪人と服部が睨みあう。摩利が二人の間に立った。

 

「それでは、服部刑部対司波雪人の模擬戦を開始する。二人ともいいな?」

 

二人が頷き、構えを取った。そして、摩利が模擬戦の始まりを告げた。

 

「……始め!」

 

「ふっ!」

「よっと!」

 

始まりの合図と共に服部は後ろに飛び下がりながらCADを操作した。それに対し雪人も忍術で一気に加速しながら間合いを詰めに走る。だがその速度はさっきの試合に比べれば遅いものに服部には感じた。

 

「(よし、これなら!)」

 

服部に油断は無く見失わないように気を張りながら魔法を放った。範囲加重系、人ではなく空間への魔法。対象を見失うこと防ぎつつ、雪人の動きを封じるためのものだ。しかし雪人は服部のCADに起動式が浮かび上がる前には行動を変化させていた。服部の魔法の効果範囲を服部自身から読み取り、その外苑を沿うように走る。そして右手首のCADを操作しながら右手を銃のように服部へ向ける。起動式の光が現れた。

 

「ちぃっ!」

 

服部はすぐさま自身の情報強化をマルチキャストしながら防壁魔法を発動させた。バン、と目の前の防壁に当たったのは収束系の空気弾の魔法だった。

 

「(発動が遅い!)」

 

明らかに雪人の魔法の方が先だったが自分は対応できている。汎用型対汎用型で、一科の処理速度に二科は対応できない、自分の持論は間違っていないと服部は確信を深めた。雪人は更に接近してくる。先と同じように後ろに回り込んで来られないように再び領域型の加重魔法を自身の周囲に行使した。それに気付いた雪人が止まった。服部が次の魔法を放つ。得意の魔法である収束系のドライ・ブリザードだ。

 

「くらえっ!」

「っ!」

 

それに対し雪人はピョンピョンと飛び跳ねながら回避し、後退した。そして服部は雪人を壁際まで追い込み、そこで一度止めた。足元には床にぶつかり砕けたドライアイスの靄が薄く這っている。服部の止めの準備が出来た証だ。服部が雪人に警告を発した。

 

「……君の速さはだいたい分かった。身のこなしも見事だとは思うが、風紀委員が務まるほどとは思えない。ここで降参しなさい」

 

服部の言うことは事実だ。達也との先の模擬戦に比べれば、雪人の足の速さも魔法の展開スピードも劣るものに見えた。確かにドライ・ブリザードを的確に避けきった身のこなしは見事だったが、避けるだけでは違反者の捕縛という風紀委員の任務をこなすには物足りない。雪人では風紀委員に不足だ、というのが服部の結論だった。もうすでに次の一手は打っている。ここらで終わりにしようと言うのが服部の提案だったが、

 

「……風紀委員って、問題が起きたら駆けつけなきゃいけないんですよね」

 

壁際でしゃがんでいた雪人が顔を伏せたまま喋り出す。服部はそれを訝しみながらも聞いた。

 

「何がなんでも間に合わなくちゃ、意味がない。怪我人が出てから来てちゃ虚しいだけですもんね」

 

「……何が言いたい」

 

「別に。まだ終わっちゃいない、ってだけですよ」

 

雪人の不思議な言葉に服部は疑問を発した。それに対する返答は降参の拒否だった。その雪人の態度に対し、服部は息を吐いて言った。自身のCADに手を這わし、攻撃の準備をする。気絶程度で収まるくらいの手加減をすれば問題ない。繰り出すのは得意技の『這い寄る雷蛇』だ。最後にもう一度警告した。

 

「……もう一度質問する。降参する気はないんだな?」

 

「だからしませんって。僕だって深雪のお兄ちゃんなんです。無様に負ける訳にはいかないんですよ、ハッタリ先輩」

 

「……よく言った、これで終わりだ!」

「残念!」

 

服部が『這い寄る雷蛇』を発動させる。これで仕留めた、そう服部が思った瞬間、雪人の姿は消ていた。

 

「な、どこに!?」

 

対象を見失った『這い寄る雷蛇』は単にスパークを起こさせたまま沈黙した。服部はキョロキョロと辺りを窺うも雪人の姿は見当たらない。本当に消えてしまったのか、と思った矢先。

 

「……ッ! 上だと!?」

 

「遅いよ!」

 

服部には考え付かないことに、天井を走り寄って来た雪人が、今や床となった天井を蹴りつけて上から強襲して来る。さっきとは比べ物にならない位のスピードだ。壁際まで追い込んでいたはずなのに既に自分の懐に潜り込まれようとしている。服部が何とかそれに気付き素早く手を雪人に向けて射撃魔法を放とうとする。しかしそのタイミングを読み切った雪人が、いつの間にか脱いでいた上着を服部に投げつけていた。そしてその制服が不自然に空中で停止する。

 

「硬化魔法! いつの間に!?」

 

服部と雪人の間で空中に留まる制服のせいで、服部は射撃の照準が合わせられない。しかも硬化魔法により壁にもなっており射撃は防がれてしまった。雪人は静かに制服の上に着地しすぐさま服部の背後へと跳んだ。しかし服部もそれに気が付き振り向いた。

 

「何度も背後を取れると思うな!」

 

雪人と服部がCADを向け合う。どちらが早いかの勝負。そう服部が思った時、服部の後ろから何かが襲ってきた。

 

「!?」

 

それは雪人が投げ捨てた制服だった。服部の視線が雪人に向かった瞬間、硬化魔法が解かれ、移動術式に切り替わり服部へと向かったのだ。それはつまり、

 

「(遅延術式だと!?)」

 

顔にへばりついた制服のせいで前が見えなくなった服部に雪人が素早く近寄り、CADの着いている方の手を捻りながら引き倒した。

 

「これで!」

「ぐっ!」

 

雪人はもう一度準備していた硬化魔法を制服に掛けた。雪人に抵抗も出来ずに引き倒され、上手い具合に制服を引っかけられたせいで、服部は極められた腕を含む上半身を拘束された。勝敗は決した。

 

「そこまで! 勝者、司波雪人!」

「勝利、イェイ!」

 

渡辺摩利の声と共に、雪人の勝利が確定した。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 

 

2095年4月6日。第一高校 司波雪人

 

 

模擬戦から一日、僕は部活連の会室へと向かっている。部活連の会頭である、十文字克人会頭に会うためだ。なぜ彼に会いに行くかと言うと、それは僕の風紀委員会入りが関係している。

 

風紀委員会は例年各学年から3人ずつを選出して構成されている。教員、生徒会、部活連、この三者から推薦を受けた者が風紀委員になると言うわけだ。それで今期の風紀委員だけど、教員枠はすでに森崎くんで決まっているらしい。まぁ学年2位でボディーガードを生業にしている森崎本家の人間だからね。教員推薦を受けるに充分な看板っぷりだろう。彼とは楽しくやれそうだ。

 

残るは生徒会と部活連推薦なのだが、つまりは七草会長と十文字会頭の推薦枠というわけだ。いやー恐れ多くて堪らないね!これには七草会長も悩んでいたのだが、3月に僕らという有望株を発掘したおかげで解消した。深雪の兄、というのが箔付けにもなっているし二科生が、というのも注目度が高くて実績を上げた時に一科二科の意識格差是正に役に立つと思っていたようだ。

 

実はこれはこの学校の三巨頭と呼ばれる人たち、七草真由美、渡辺摩利、十文字克人の間では共通の合意とされたらしく、十文字会頭も下手にパワーバランスに悩んで見も知らぬ一年生から選ぶよりは、と推薦枠を七草会長に譲ってくれたらしい。つまり僕らの起用はこの学校の有力者の中では既に決定していたことだったのだ。

 

で、振り分けとして達也を生徒会枠、僕を部活連枠、という風にさせてもらった。七草会長の時もそうだったけど、一度会っておきたかったからね、“十文字”とは。達也は今頃生徒会の人達と昼ご飯中だろう。うらやましいなぁ。

 

そんなわけで僕は推薦して下さった十文字会頭に御挨拶に参上仕っているのだった!あー何か緊張してきた。九高戦の中継見てたから、ガタイがイイのとか知ってるし武人っぽい感じのする人だし、ぶっちゃけ憧れっぽいものがある。ザ・漢!って感じでさ。さて、ここからだ。

 

「失礼します!」

 

「あぁ、入れ」

 

やべ、声大き過ぎた。会室の中から重みのある声が聞こえてくる。心の声も静かなものだ。たった2つ違いとは思えないほどの“深み”と“重み”を持った人に思える。僕が入室すると、そこには十文字会頭ただ一人が僕を待っていた。おおぅ、デケェ……!

 

「お前が司波雪人か。俺は十文字克人だ。部活連の会頭をやっている」

「はっ! 閣下より風紀委員会に推薦頂きました、司波雪人です! 本日はそのお礼に参りました!」

 

……やっばいね、この人めっちゃ強い!直接見ると全然違う。体格もそうだけど存在感が“重い”。視たところ、心の平静を常に保っている、という感じだ。その身にこもったサイオンも見たことないほどの力強さを感じる。ていうか僕緊張し過ぎてない?あ、やべ、敬礼しちゃってた!

 

「閣下はよせ、敬礼もやめろ。……ここでは一生徒として所属している、会頭でいい」

「はっ、申し訳ありません、十文字会頭!」

 

十文字会頭は僅かに苦笑しながら僕に言った。ホッとした、僕が敬礼したのはちょっとした勘違いだと思っているみたいだ。助かった。僕が小さく頭を下げると、一つ頷いてから十文字会頭は続けた。

 

「昨日の模擬戦の話は七草から聞いている。服部に勝ったらしいな」

「はい、服部副会長が小官の力量に疑問をお持ちになったので、お相手致しました!」

 

僕の言葉に十文字会頭はもう一つ頷いた。うーん、何だか上官を相手にしているような気分になっちゃうな。十師族次期当主の風格って奴なのかもしれん。七草会長にはないものだな。いや、あれはあれでいいんだけどね、かわいいし。

 

「そうか、ならば風紀委員としても心配はなかろう。お前の風紀委員会への推薦を改めて認めよう、しっかり励めよ」

「はい、ありがとうございます。精一杯務めさせていただきます!」

 

十文字会頭から激励の言葉を受けた後も2、3個質疑を僕らは重ねた。九重八雲に師事しているのは本当か、とか僕の得意魔法は、なんて話だ。何だか温かみがある感じもして、僕はますます凄みを感じさせられた。

 

その後、僕は十文字会頭に辞去を告げ、部屋を出た。うーん、何だか感激するな。あれが“十文字”の次期当主か、カッコいいなぁ。僕もあんな男らしさが付けばいいんだけど。何というか“視”た感じの通り、実直な重厚感のある人だった。彼の自身への重責に対してほぼ自然体で向き合えている精神性は素晴らしいの一言だ。芯が確りしているから小手先で攻めても最終的に突き破って来るタイプでもあるだろう。その能力も含め、まるで堅城のような人だった。渋いぜ。

 

まぁ、その分謀略を巡らせるタイプではないことも分かった。彼の思慮深さは巡らせるより、打ち破る方に注力しているように思える。深雪のことも新入生総代以上のことは知らないみたいだったし、危険と判断することはないだろう。同じ一高の生徒として頼れば、すぐに応えてくれそうな信頼感すら僕の中には生まれていた。ザ・漢!だな。

 

さて、用事も済んだし軽く達也に伝えとかなきゃな。まだ生徒会室にいることだろうし、僕も参加させてもらおう。市原先輩とももっと話してみたいんだよなぁ。

 

 

こうして僕はルンルン気分で生徒会室へと向かった。これが今日から始まる、新たな事件の幕開けだった。僕が風紀委員として働き始めた初日のことだった。

 

 

 

2095年4月6日。第一高校 千葉エリカ

 

 

「(なんか暇ねー)」

 

放課後。今日より部活の勧誘がスタートすることになっている。外では今も多くの部活が賑やかに勧誘合戦をしている。しかし、いつものメンツの中では既にどの部活に入るか決めている者もいた。美月は美術部に入るし、レオは山岳部に入ると言っていた。美月はあたしにも美術部はどうか、と言っていたが正直言って柄じゃない。あたしには、あんなにじっと絵と向き合っていられる気がしなかった。もっと身体を動かす感じの部活が良い。でも……。

 

「(なーんだかな)」

 

それも気ノリしない。今は校内をぶらついているが辺りの様子なんて単なる情報としてしか入ってこない。辺りがどれだけ賑やかそうにしていても、だからなんだ、としか思えない。つまりは何だか興味が湧かない。久しぶりに校内で一人になったからかな?以前はもっと楽な気持ちだった気がするんだけど。

 

「あ、おーい、司波兄弟!」

 

そんな時に前に見えたのは、クラスメートの司波達也と司波雪人だった。スラっと鋭い顔つきの兄と小柄の可愛い顔の眼鏡の弟。双子というより年子の兄弟のように見える。二人は確か、あの女に風紀委員会に入らされたと言っていた。これから巡回の仕事でもあるのかもしれない。二人が私に気付き、声を掛けて来る。

 

「あ、エリカ。なにしてんの、散歩?」

「独りか、珍しいな」

 

「いや、散歩って何よ。美月やレオたちはもう部活決めたらしくてさ、お二人さんを見かけたから聞いてみようかと思って」

 

独りが珍しい、か。軽く手を振りながら嬉しそうに寄って来る雪人と落ちついた様子を崩さない達也くん。対象的な二人だ。人懐っこい感じのする弟に堅い印象を受ける兄。そうかと見せてバカにされたら強い敵意を見せたり、妹の深雪にはかなり甘い反応を見せたりする。弟の方は武芸の嗜みなんて無さそうに見え、兄の方はその立ち姿から強者を窺わせる。その実、見事に敵を封じ込めた技量を持っていたり、武芸とは関係ない魔工師志望だったりする。ある意味不思議な二人組だ。面白い、とも言える。

 

「何だ、エリカ。まだ決まってないのか」

「僕たちも決まってないんだけどね。レオは山岳部で美月さんは美術部でしょ?」

 

「そうなんだよね~。……あ、そうだ。二人はこれから巡回でしょ、よかったら一緒に回らない?」

 

そんな二人を見ていたら、あたしはつい、そんなことを口にしていた。なんだか自分でも変な感じがする。中学の時なら“じゃ、お仕事頑張ってね”と言って、さっさと別れていたところなのに。あたしは独り好きだったはずだ。一高に入って何か心境の変化でもあったのだろうか?そんな自問自答は表に出すことなく二人を見る。答えはノータイムで返って来た。

 

「いや、これから一度風紀委員の会室に集合でな」

「その後だったら大丈夫だと思うよ。どこで待ち合わせする?」

 

……ま、いっか。疑問には答えが出なかったが、二人からは承諾の返事をもらえた。あたしは教室の前での待ち合わせをしてその場を離れた。二人も風紀委員会の会室へ向かって行く。少し胸がザワザワする。あの二人に深雪も加わるのか。兄貴が二人に妹が一人、少しだけ違うなぁ。

 

「(何が?)」

 

何だろうか?分からない。あの仲の良さそうな兄妹を見ていると時々訳の分からない疑問が出て来る。兄妹3人で楽しそうにしている時など特にだ。これは一体なんなんだろう。

 

 

「(何がだろう……)」

 

 

そうしてしばらくボーっと考え事をしながら歩いていた。しばらくして気付いたのだが、教室とは全く違う方向に行ってしまっていたようだった。時間も経ってしまっている。もしかしたら二人はもう教室まで行っているかもしれない。

 

「(でも……ま、いっか)」

 

自分から誘ったくせに、なぜか急いで教室に向かう気が起きない。別れる際に端末の位置情報は二人に送るようにしていた。彼らが巡回中にでも会えることだろう。少し独りになりたかったのかな?彼らを困らせるような真似をして?馬鹿馬鹿しい。でも、これでいい、とも思ってしまった。なぜなのか……。

 

そよそよと風が吹いた。そちらに目を向けると、窓からは校庭一杯にテントを広げ、騒がしく部活の勧誘をしている姿が見える。あたしはそれをぼんやりと眺めていた。

 

 

「お祭り騒ぎね、文字通り……」

 

ふと独り言が漏れた。ふふ、と忍び笑いも漏らしてしまう。ここ数日出なかった自分の癖が出た。そうだ、自分は独り言が多い性質だったのだ。昔から独りでいることが多かったからこうなった。何でわすれていたのだろうか。

 

「なんで二人を誘っちゃったんだろ……」

 

元より自分は冷めた性格をしている、と思っていたのに。だから人間関係に執着を覚えたりもしなかった。自分から誘うなんてこともなく自由に、気ままに

、猫みたいな感じで。それが私だった。その筈だったのに……。

 

 

 

 

「こらエリカ! やっと見つけた!」

「わぁ!」

 

しばらく考え込んでいたら、いきなり後ろから声をぶつけられて思わず驚いてしまった。慌てて振り向くとそこに居たのは雪人と達也くんだった。腕を組んで怒り顔の雪人と呆れたような顔つきの達也くん。どうやらわざわざここまで探しに来てくれたらしい。素直に謝るとする。

 

「ごめんごめん、探させちゃった?」

 

「メチャクチャ探したよ! 学校3周はしたね!」

「うそつけ……端末を見て直ぐだったよ」

 

二人はそう言うと“なんで直ぐホントのこと言っちゃうんだよ!”とか“直ぐ分るウソをつくな”とか口喧嘩を始めた。それを見てあたしは面白いな、と思った。そして同時にまた胸がザワついた。なんだろうか。二人の口論をよそに少し考え込んでしまった。すると雪人がチラっと眼鏡越しにあたしを見て、口喧嘩を止めてからこっちを向いた。雪人が口を開く。

 

「まったく、猫みたいな甘え方はやめてよね」

 

ドキッ、思わずあたしの心臓が跳ねたような気がした。甘えたのか?あたしが?正体の知れぬ気持ちを言い当てられた気分だ。そうなのか?そうなのだろうか、あたしは雪人たちに甘えたのか……。

 

「え、えーそうかなぁ!? いや、ホントごめんって!」

 

「そうだよ! フラフラいなくなって、僕たちに探させる気だった癖に!」

「落ちつけ雪人、遅れたのは俺たちだ。まぁエリカが集合場所に居なかったのは、別の話だろうがな」

 

おどけて見せながら謝るあたしに、雪人と達也くんは意地悪な言葉をぶつけて来る。そうか……あたしは探して欲しかったんだ。雪人の言葉がストンと心の底に落ちた気がした。

 

「(なんだろう、少し嬉しい……のかな?)」

 

なぜ嬉しいのかも分からないが、それを自覚したら、今度は気恥しくなって来た。あたしはそれを誤魔化すために、素早く二人の手を取って歩き出した。イキナリ手を取られた二人も、驚きつつもちゃんと付いて来てくれた。

 

「ほらほら! もう行こうよ!」

「まぁいいけどさ。どこから行く?」

「校庭からで良いだろう。人も多いし、巡回もしなければならない」

 

熱くなった頬を反らしながら、あたしたちはザワザワと賑わう祭りの中に飛び込んで行った。なんだか楽しくなりそうだ。

 

 

 

2095年4月6日。第一高校 司波達也

 

 

昼には渡辺先輩から今日の話を聞き、放課後には会室で巡回の詳しい説明を受けた。俺と雪人は今、エリカを連れて校庭での部活勧誘の巡回をしている。エリカと雪人は俺の隣で楽しそうにおしゃべりをしている。人ごみに逸れないように俺と雪人の服をエリカが掴みながら。

 

昼間に雪人が十文字会頭に会っていた。その話は昼に生徒会室から教室に戻る時に報告を受けていた。問題はない、ということだった。これで深雪の一応の安全は確保できた、と思うものの完全ではない。欠けた部分がある、それを埋めるために俺と雪人は風紀委員会に入ったのだ。

 

それは“エガリテ”の存在だ。一年生のカウンセラー小野遥先生はその実、公安所属のスパイだ。なぜこんなところに公安のスパイがいるのかというと、それはこの魔法科第一高校に反魔法師団体ブランシュの下部組織エガリテが浸透しているからだ、というのが雪人が小野先生から読み取った情報だ。

 

もちろんそのまま信じたりはしない。たとえ彼女が“ミズ・ファントム”と呼ばれる凄腕スパイだとしても、その上司が彼女を囮に別件の捜査をしているとも限らないのだ。情報は裏打ちすべきである、その心得のもと俺たちは学内を自由に調べ回れる、調べ回っていてもおかしくない地位を求めた。それが風紀委員会だった。

 

この学校の生徒会の権限は大きい。なので生徒会に入れたのならそれがベストだったのだが、俺たちは二科生であり、要件を満たさない。そのために次善として風紀委員会に白羽の矢が立った。少なくとも全生徒の顔と名前、クラスを調べることができるし、ものによれば家族構成や成績も調べられることだろう。学内でエガリテが問題を起こしたとしても介入も簡単である。

 

反魔法国際政治団体ブランシュ、そして下部組織エガリテ。その主張は“魔法能力による社会差別根絶”という、非魔法師と魔法師の中では強い力を持たない者をターゲットにしたものだ。努力や成果を無視した平等を謳うやり方は、それに挫折した者たちほど嵌まりやすくなる悪辣なものである。ともすれば俺も、その挫折した者たちの一人だったかもしれないのだ。怖ろしさが身にしみる。

 

しかしその実、彼らブランシュの背後にあるのは大亜連合だ。競争意識の廃絶による国防上の魔法力の衰退を目指していると思われるそれは、日本の公安もマークしており、これ以上の求心力を持たせないように彼らの名は表で出されることはない。表沙汰にし適宜論破した方がいいのだろうが、それも根源的に感情の問題を利用した主張であるため、効果が薄いと思われているのかも知れない。第一、これ以上抑え込んで感情的な大規模テロ行為に走られるのをさけるためでもあるのだろう。現在ですら、他国のブランシュ支部は小規模なテロを行うことがあるのだから。政治の判断は微妙なラインにある。

 

故に、俺たちはこの第一高校でのエガリテの根絶を図らなければならない。もしこの第一高校がテロの標的になるとすれば、その目的は実験棟や図書館の研究資料の奪取、もしくは将来有望な魔法師の殺害だろう。

 

つまりは、深雪の身に危険が迫っている、という訳だ。……それだけは絶対に許すわけにはいかない。深雪を喪うかもしれない、そう感じさせた“あの時”の恐怖を、決意を、俺は決して忘れてはいない。小野先生の線からエガリテのことを知れたのは幸運だった。何が何でもエガリテを、そしてブランシュの尻尾を掴み、その身を抉り出してやる。雪人もすでに眼鏡を外し索敵モードに入っている。準備は万端だ。

 

 

 

「おいコラ! お尻触るな! 頭撫でるな!」

「いや、あたしはホントいいですから……」

 

……それにしても、この人混みはどうにかならないものか。校庭に降りたって、たった数分だ。たった数分で俺たちは部活勧誘の波に捕まってしまった。さっきまで服を掴んでいたエリカの手も離れてしまっている。そんな中、俺だけは何とか脱出してきたが、エリカと雪人はその容姿から、二科ながらマスコットとしての需要があるのか、引っ張りダコになっている。

 

雪人は深雪似であることと中性的な可愛らしさが受けているらしく、エリカはエリカでその健康的な美人ぷりが広告塔として使えると思われたようだ。しかしその獲物の奪い合いたるや、見るも無残という他ない。

 

女生徒たちによるものだが、抱きついて拘束し無理やり話を聞かせようとしている。振り払って来れば良いのだろうが、二人とも余り無体な真似は出来ないと思いされるがままだ。というかなぜ雪人は尻を触られているのか。……俺もそろそろ動くべきだな。

 

「え、あ、ちょっ! どこ触ってるのよ!?」

「……ッ! 達也!」

 

エリカの声の調子が変わると共に、雪人から合図が来た。発するは振動系魔法。地面に強く足踏みすれば、俺が発した魔法式がその振動を増幅し、更に方向を与えた。雪人たちを囲む集団の立つ地面が揺れる。雪人も俺に合わせて、加速系魔法で自身に掛かった揺れのベクトルを分散していた。周囲が揺れにバランスを崩す中、雪人と雪人が引っ張り上げていたエリカだけが立っていた。

 

「走れ」

 

「おっけ!」

「ちょ、ちょっと!?」

 

俺がそう言いながら二人の側を駆け抜けると、雪人に引っ張られながらエリカも付いて来ていた。取りあえず、ひと気のないところまで逃げようか……。

 

 

 

 

「見るな!」

 

校舎の陰まで逃げ出した俺たちを最初に待ち受けていたのは、エリカの怒声だった。エリカはあの揉み合いでブレザーを肌蹴させられ、シャツのボタンも少し外れてしまっていた。ここに着いて、俺と雪人が振り返った瞬間、その肌蹴た部分が見えてしまったのだ。

 

「あー……はい、これ」

「ふんっ!」

 

素早く後ろを向いた俺たちだったが、雪人が後ろ手に自分のブレザーを脱いで渡すと、エリカがそれを引っ手繰る音が聞こえた。いそいそとエリカが雪人のブレザーで身体を隠しながら身支度をしている間の時間は、俺も雪人も何とも居心地の悪い時間だった。

 

「ん」

 

俺と雪人の間からニュッと雪人のブレザーが差しだされる。エリカの身支度が終わったようだ。ゆっくりと振り返る俺たちだったが、これはどうすべきなのだろうか。確かに見えた、見てしまった。だから謝るべきだ。しかしそれはエリカを辱めるだけではないか?ならば見えなかったと告げるべきか。だがそれはエリカに虚偽を言うことになる、それでは誠意に欠く。

 

スッと雪人に目だけ向けてアイコンタクトで相談すると雪人が、僕が行く、と返して来た。ここは恩納の口先少年の力量に期待するとしようか。まだやや赤い顔をしたまま、上目遣いで睨んで来るエリカに、雪人が言葉を掛けた。

 

「……」

「……エリカ、怪我はなかった? エリカが無事でよかったよ」

「……っ!」

 

片手にブレザーを抱えた雪人が、心底心配したかのような表情で、少し俯いているエリカの頭を撫でた。エリカはそれに少し吃驚しながらも、されるがままになっていた。エリカの顔の赤さが増した気がする。なるほど、話をずらして有耶無耶にする作戦か。ならば俺も参戦するか、ここは畳みかけるが吉だ!俺も申し訳なさを精一杯装ってエリカに話しかけた。

 

「あの部には風紀委員会からも注意を発しておく。これでエリカの気が治まればいいんだが……本当にすまない、エリカ」

 

「……もう」

 

二重の意味でな。そんな俺たちの言葉が功を奏したのか、エリカはため息を吐いてから、天罰!と言って俺たちにデコピンを食らわせ、振り返ってスタスタと歩いて行った。赤い顔を見せたくないようだ。なんとかなったか。素直に額を差し出していた俺と雪人は互いに見合わせ、肩を竦ませてからそれに続いた。

 

 

 

 

2095年4月6日。第一高校 千葉エリカ

 

 

「(もぉー何か調子狂うなぁ……)」

 

あたしたちが居るのは第二体育館、通称闘技場だ。ここでは剣技系の部活がデモンストレーションをやっているらしく、あたしたちはそれを観戦席から見ていた。今の時間は剣道部の演武をやっている。

 

目の前で行われているそれは期待していたものとは違う、武術というより見世物と言った方が正しいものだった。事前に決め手を知らせておいて出す、殺陣のようにしか見えない。それでもその華やかさが観客を沸かせてもいた。

 

あたしの両隣には司波兄弟が陣取っている。達也くんはあまり興味のなさそうに足を組んで、雪人はポップコーン片手に劇でも見ているかのように楽しげに、演武を見ている。なんとなく甘えてしまい、助けられ、八つ当たりをしてしまった二人。ついにはよしよし、と頭を撫でられる始末だ。恥ずかしいなぁ……!

 

あたしは自分が振り回す側の人間だと思っていたが、さっきから振り回されてばかりいる気がする。しかもそれを悪くない、と思っている自分がいる。自分でも予想外だ。そんな考えを切り替えなおそうと、自分のホームグラウンドである剣術の見学に来たのに、やっているのは目の前の見世物だった。調子も狂うというものだ。

 

 

「ん? あはは。エリカ、詰まらなそうな顔してる」

「まぁ、それはそうだろう。千葉流のエリカからすれば、この演武は演劇でしかないだろうしな」

 

そんなあたしの様子が気になったのか、二人が声を掛けて来る。……ホントにこの二人は勘が良い。さっきの逃げ出す時のコンビネーションも良かったし、流石双子ということなのだろうか。じゃあそんな二人に挟まれているあたしは何なのか?……またモヤモヤしたものが胸を過った。あたしはそれを振り払うかのように返事を返した。

 

「だって、ここ一高なのよ。武芸系の部活ならこんな殺陣みたいなのじゃなくて、真剣勝負を見せてくれると思ったのに……」

 

「まぁ……そうだな」

「どうせなら本気の乱取りでも見せればいいのにね、拍手じゃなくて煽りが聞こえてきそうなヤツ」

 

そう言って拗ねた振りをしたあたしに、二人は、仕方ないな、とでもいう風に言葉を返し、フフと笑いをこぼした。

 

 

「(あぁ……! また甘えるようなことしちゃった!)」

 

 

これでは見たいものが見れなくて拗ねている子供、そのままだ。恥ずかしい……!あたしはもっと余裕のある人間だった筈なのに。ホントに調子が狂う。

 

そんな自分から逃避するように剣道部の演武に集中する。あたしと同じくらいの体格の女子が、ガッシリした体格の男子と竹刀で打ち合っている。女生徒の方が技術が上らしく、男子生徒の竹刀を上手く受け流し、ついには面を討ち取った。……それでも、これも予定調和だ。必死さが欠けていたのが、あたしには分かった。男子の方が必死に演技しようとしているのは分かったが、必死に勝とうとする気が欠けていた。

 

「(なんだかなぁ……)」

 

試合場の二人がもう一度始めるのを横目に、やっぱ詰まらないなぁ、こんなものか、そう思った矢先だった。

 

 

「ちょっと、桐原君! いきなり何をするのよ!?」

「そんな演武じゃ生ぬるいから手伝ってやる、ってだけだろう? ほら、来いよ。剣道部一の実力を新入生に見せてやろうぜ?」

「あなたは剣術部でしょ!? 今は剣道部の時間よ、邪魔しないで!」

 

「おっ、乱闘かなぁ?」

 

もう一度演武を続けようとした男子生徒に対し、いきなり乱入してきた違う道着を着た男子、話からして剣術部の男子生徒が面打ちをかました。打たれた男子生徒は余程強く打たれたのか尻もちを衝いて倒れてしまった。それに怒りを露わにしたのが対戦相手の女生徒だった。彼女はイキナリの事態に着けていた面を外し、剣術部の男子生徒に食ってかかっていた。それを見てちょっと期待する声が出てしまった。

 

「あっ……あの人、壬生紗耶香だ」

「有名人?」

 

そんな彼女の顔を見てふと漏れたあたしの独り言を、雪人が拾った。

 

「うん、一昨年の中等部剣道大会女子部門の全国2位。そのルックスから付いた名前が“剣道小町”、だったかしらね」

「へー! 2位で小町なら1位は式部かな?」

 

「バカ言ってないで仕事だ。下へ行くぞ」

「はいは~い」

 

達也くんはそう言って階段へと向かった。すでに鋭い雰囲気を纏わせている。雪人もそれに続いた。しかし雪人はいつもの調子だった。自然体とも言うのかもしれない。

 

 

「達也くん、雪人! もう一人は関東剣術大会中等部優勝者の桐原武明だよ!」

 

二人はあたしの声が聞こえたのか、手を振りながら下へと降りて行った。ふふ、面白くなってきた。この観戦席からは睨みあっている壬生紗耶香と桐原武明が良く見える。乱闘が始まるのなら、あたしも参加させてもらおうかしら?それなら、ここから跳び込めばいいし。まずは雪人たちの仕事ぶりを拝見させてもらうとしよう。あたしの意識はフロアに向かった。

 

 

 

 

壬生紗耶香対桐原武明の戦いが始まった。桐原武明が魔法なしの打ち合いを望み、壬生紗耶香がそれを受けた形だ。二人とも防具もなしで打ち合っている。両者とも実力は伯仲していた。やや壬生紗耶香の分が良いか、と言うぐらいで、彼女の実力が一昨年からあんなに伸びていたことに、あたしは驚いた。それよりも桐原の方だ。彼は明らかに面を打つことを避けている。技術的に負けている相手に、攻撃を制限して勝てると思ったのだろうか?なめたことをしている。

 

「おおおぉぉぉぉ!」

 

状況に焦れた桐原が、壬生紗耶香に大きく打ちこみに行った。彼女もそれにカウンターを放った。真っ向勝負の打ち下ろし、これは相討ちのタイミングだ。

 

「っ!」

 

桐原がわずかに竹刀の軌道を反らした!その所為で面への打ち込みが、小手に変わってしまっていた。これではダメだ。

 

結果は壬生紗耶香の勝ちだ。切っ先が小手に触れる程度だった桐原に対し、壬生紗耶香の打ち込みは桐原の肩を打ち据えていた。女子の面を打つのがそんなに嫌か。戦っているのに、非情になり切れていない。

 

 

「剣術部といってもこんなものかぁ……なんか幻滅ぅ」

 

なんだか白けてしまった。うちの道場の人間なら躊躇いはしなかっただろうに、甘いのよねぇ……。二人が戦っていた場所の近くに司波兄弟の姿が見えた。野次馬たちの間で観戦していたようだ。しかし達也くんがジッと二人の戦いを見ているのに対し、雪人の方は周囲をキョロキョロと見ていた。何かを探しているようだ。

 

「あ、目が会った」

 

やっほ~、とでも聞こえてきそうな感じで、雪人は片手を小さく上げて振っている。……あたしも振り返しておく。というかあの野次馬の中で良く気付いたわね、やっぱり勘が良いみたいだ。そういえばまた眼鏡を外している。深雪そっくりの顔が露わになっている。さっきも外していたが、人ごみの中で外して辛くないのだろうか?あたしの疑問に、雪人がクスッと笑った気がした。

 

 

「真剣なら致命傷よ。あたしの方は骨にも届いてない。素直に負けを認めなさい」

 

残心を解き、距離を離していた壬生紗耶香が桐原に告げた。経緯がどうあれ、心情がどうあれ、負けは負けだ。剣術を嗜む者として、桐原もそれが分かっているはずだ。しかし彼の反応は違った。

 

「は、ははは…………。真剣なら? 俺はどこも斬れてないぜ? 壬生、お前真剣勝負がしたかったのかよ?」

 

なんだか虚ろな感じを出しながら桐原が喋る。マズいかもしれない、これは自棄になっている反応だ。壬生紗耶香もそれを感じて、竹刀を構え直している。桐原が自身の腕に手を伸ばした。やばい、CADだ!

 

「だったらよォ! 真剣で相手してやるよ!!」

 

桐原のCADに起動式が浮かび、持っていた竹刀に魔法が現れる。振動系近接戦闘魔法『高周波ブレード』に違いない。この魔法独特のキィンという高音が館内に響く。野次馬たちも耳を押さえて座り込む者がいた。桐原はそのまま壬生紗耶香のもとまで飛び込み、高周波ブレードを振るうつもりのようだ。しかし、桐原が間合いを詰めるより素早く動いたものがいた。相対する壬生紗耶香ではない。

 

「残念!」

 

「うぐぁ!?」

「!」

 

雪人だ!野次馬の中にいたはずなのにスルリと抜けだし、いつの間にか桐原の懐まで潜り込んだ。そして雪人の強襲をまともに横腹に食らった桐原は、飛び込んだ勢いそのままに、はね返された。彼の手を離れた竹刀に掛けられていた魔法が解ける。

 

「うわぁ、高周波ブレード相手に良くあそこまで踏み込めるわね……」

 

自分が剣術家であるせいだろうが、真剣の危険性は充分に分かる。そしてその弱点が剣の届かない所か、懐である、ということも。当然あたしたちは懐に入り込ませない術を学ぶ。そこをああも簡単に入りこむ術理を持つとは、やはり雪人は見た目では分からない強さと度胸を持っている。この前も思ったけど、戦ってみたいかも。そう思っていると、達也くんが野次馬を抜けて雪人に並んだ。

 

「風紀委員の司波達也です。桐原先輩には魔法の不正使用により同行していただきます」

 

「風紀委員!? ……テメェ、ウィードがフカシこいてんじゃねぇ!!」

 

達也くんの言葉に驚いた桐原だったけど、達也くんが二科生であることに制服から気付いた彼は、それをウソだと断じて竹刀を拾い上げ、再び高周波ブレードを纏い直した。魔法をチラつかせれば引き下がると思ったのかもしれない。

 

しかしそれは悪手だった。抗戦の意志あり、と判断した達也くんが両手首を重ねて何か魔法を発動させると、桐原の高周波ブレードが解けたのだ。

 

「(え、なんで!?)」

 

あたしの疑問をよそに、事態は進んで行く。魔法が解けた驚きで隙が出来た桐原の背後に雪人が瞬時に回り込み、素早く桐原を組み倒し拘束した。一瞬の内のことだった。

 

「がっ!」

「違反者確保っと。達也、連絡よろしく」

 

「あぁ」

 

喧嘩を見ていた野次馬たちは静まり返っていた。雪人が桐原を組み伏せ、達也くんがどこかに連絡している間も“なんでウィードが”とか“でもあの腕章は”とかを小声でやり取りしているくらいだ。一科生の桐原が、二科生相手にあっという間にやられたのが信じられないのだろう。

 

 

「――――――えぇ、逮捕者は一名。負傷していますので、念のため担架を御願いします」

 

「おい! どういうことだ、なんで桐原だけなんだよ!? 壬生だって同罪だろ!」

 

そんな中、達也くんの、逮捕者一名、という所を聞いた剣術部の部員が食ってかかった。彼の後ろにも桐原の逮捕に抗議をしようという部員が付いていた。そんな彼らに、憎々しげに睨まれても達也くんは涼しげに答えた。

 

「魔法の不正使用の為、と申し上げましたが」

 

「てめ、ふざけんじゃねぇ!!」

 

怒りを爆発させた剣術部員たちが達也くんと桐原を組み伏せている雪人に襲いかかった。野次馬から悲鳴が上がる。それでも最早、茶番の様相を呈していた。彼らがどれだけ必死に殴りかかろうと、二人がどれだけの人数に囲まれ襲われようと、余裕をもって避け、あるいは受け流していた。前後左右のどこから襲われようと、見事に同士討ちを発生させ、逆に背後を衝いてあしらっていた。時折、魔法を放とうとするものたちも達也くんの謎の魔法により不発になっていた。彼ら二人の術理は、年上の剣術部員たちを圧倒していた。

 

「二人ともすごい…………ん、あれ?」

 

そんな乱闘の最中でも雪人はどこか別の場所に意識を向けているようだった。体育館の出入り口の方だろうか、そちらに目を向けると壬生紗耶香ともう一人剣道部の男子生徒が乱闘を眺めていた。壬生紗耶香は心配そうだったが、もう一人の男子は何だか興味深そうに達也くんを見ていた。

 

 

「(なんだろ……知り合いかな?)」

 

 

ここからでは徒労のようにしか見えない乱闘は、剣術部員が二人の無敵っぷりに心を折られるか、連絡した風紀委員が来るまで続けられた。場が静まり、桐原が連行されてからも雪人は腕を組み口元に手をやり、何かを考えているようだった。

 

 

壬生紗耶香ともう一人は、いつの間にか消えていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

 

2095年4月6日。司波宅 司波雪人

 

 

放課後の桐原先輩逮捕の後、七草会長、渡辺先輩、十文字会頭に事件報告をして帰路に着いた。深雪やエリカたちも待ってくれていたようで、達也の提案でカフェで少しお茶をしてから解散となった。今は家のソファーにいる。

 

僕はその間、いや今もだが、ずっと考え事をしていた。達也や深雪はともかく、いつも騒がしい僕が黙りこくっていることに不審がったエリカたちが、話しかけて来ても僕は上の空だった。……だからって面白がって口元にケーキを差し出したりしないで欲しい。思わず食べちゃったじゃないか。

 

カフェでは達也たちは、今日の剣術部の捕物の話をしていたようだ。もっと具体的に言えば、キャスト・ジャミングの話だった。達也はみんなに社会混乱が起きるから秘密にしといてね、なんて言ってたがあれは単に達也が説明を面倒臭がった部分がある。あのジャミングを実用的に使うには色んな条件が必要なのだ。まず第一に、難しいとされるマルチキャストよりも更に困難とされるパラレルキャストが出来ること。この時点で使用可能者が一高でもごく少数に絞られる。

 

更に実戦で使うには、相手の起動式から何の魔法を使おうとしているのかを読み取れなければいけない。そうしなければ相手に確実に先手を打たれることになるし、達也が言ってたように多対一では己の手を制限することになってしまう。こんな難儀をこなせるものなど世界中でも片手で足りる数だろう。まぁ相手の得意魔法だけでも潰す、という使い方も出来るだろうが、それも手口が知れた相手にしか使いづらい。それにジャミングを増幅させるためにも大量のサイオンが必要だ。結局、特定の相手の暗殺や捕縛用にしか使えないし使用のためには優秀な魔法師を必ず一人は専有してしまうという諸刃の剣が出来上がりだ。それなら未だアンティナイトの方が安上がりに思える程の超上級者向けの技術なのだ。まぁ、他の国でも軍機として研究されてそうだけどね。

 

しかし特定魔法に対するジャミング技術という、そんな悪目立ちしそうなものを達也が使ったのは、一種の撒き餌のつもりだった。釣り上げる相手は、“エガリテ”だ。学内の末端の構成員にこの魔法を見せ、エガリテ内のブランシュとの繋ぎ役にまで話がいけば、大亜連のテロ屋としての本性をもつブランシュが放っておく筈がない、必ず僕らに接触してくるはずだ。あとは繋ぎ役から逆算的にブランシュの日本支部を突き止め撃破する。

 

……そう思って、達也ともこのジャミング技術を、風紀委員会の仕事で使おうと決めていたのだけど、拍子抜けするほど呆気なく、繋ぎ役が見つかってしまった。末端が繋ぎ役に報告するかも微妙だったし、これから打つ手のための布石のつもりでしかなかったんだけどなぁ。こんなジャブでエガリテの顎先を捉えられるとは思っていなかったのだ。

 

目的のエガリテ繋ぎ役は、剣道部主将の司甲。捕物の途中から闘技場に来ていた男で、壬生先輩が乱闘に入りこまないように抑えていた。3年の二科生で、あの場で達也のジャミングを見て興奮していた、これは使える、と。これは、単なるエガリテの構成員の思考じゃない、工作活動への意欲と悪意を持った興奮、表向きはタダの青年団体であるエガリテでは有り得ない考えから来る興奮だ。つまり、彼は仕手側だ。本来なら直接話しかければもっと情報を抜き出せただろうが、僕らは戦闘中だった。それにさっさと逃げやがったしな。風紀委員の仕事も有ったので、追求もできなかった。失敗したかもしれない、それを僕は考えていた。

 

……それにもう一つ僕が悩んでいることがある。彼の精神は平常じゃなかった。興奮してたんだから、とかじゃなくて別の意味でだ。……彼は洗脳と扇動を受けている。彼が達也の魔法を見た時に感じた、機械的な思考誘導と異常的な興奮の発露、その癖それを面に出さないように押し込めようとする“習い”。乱闘中だろうとそれだけは全部感じ取れた。それほどにまで強い悪意と興奮だった。

 

……彼が洗脳を受けているのなら誰が施したのだろうか?恐らくブランシュの魔法師の仕業なんだろうけど、あれほど強力な洗脳は余程力のある系統外魔法師の仕業か、繰り返し術を受けるかしなければ有り得ない。前者なら司甲から探り出さなきゃ分からないが、後者なら少しは判別が付くかもしれない。彼の身辺を洗ってみるべきだな……。

 

魔法師が一人っ子であることは珍しい。個体数を増やすためにも国が多産を推奨している。司甲にも兄弟がいるかもしれない。きのえ、なんてまんま長男だしな。名前からして古式系の家なら家を残すためにも、兄弟は必ずいるだろう。それに司甲の家族の中で、彼一人だけがブランシュに使嗾されている可能性は不明だ。頻繁に家を明けていても部活と言い張れるし、もしかしたら家族全員が洗脳されている可能性もある。非常に危険な状態にある、ということだ。

 

どっちにしろ、僕が司甲に接触する必要があるし、彼の身辺を調べる必要もある。正直言って、司甲からの情報はあまりアテにしていない、繋ぎ役だと言ってもブランシュ側からすれば駒の一つに過ぎないだろうし、彼が見聞きしたものは制限されたものばかりだろう。まさかブランシュのアジトの位置を知っていたりは、しないだろうしなぁ……。

 

これから主に進めて行くべきなのは、彼の身辺調査の方だ。司甲の記憶からエガリテの構成員の把握とブランシュ側の繋ぎ役の確保。……それに洗脳された人達の確保だ。正直気が重いよ、“あなたのお子さんはテロリストに洗脳されています”なんて簡単に言えるわけないもんな。それにブランシュの洗脳が、エガリテだけに使われている保証はない。ブランシュの協力者に仕立て上げられた人達が大勢いるはずだ。これじゃあ僕らだけじゃまるっきり人手が足りない、当初の予定じゃあ“僕が探って達也が壊す”の定石で十分かと思ってたのになぁ……どっかから持ってこないといけないな。八雲師匠、小野先生、七草会長、十文字会頭、エリカ、独立魔装大隊、そして……四葉。僕の伝手としてはこのぐらいだろうか。

 

まず、大隊は頼れない。これは四葉当主の真夜さんが、国防軍に借りを作りたくないと思っているみたいだし、逆にどんな取引を真夜さんにされるか分からないからだ。同じ理由で四葉も却下だ。

 

次にエリカ、千葉家の警察へのコネだ。これは……出来れば頼りたくないなぁ。エリカは、えーっと、その、愛人の子なんだよねぇ……。だからまぁ、複雑な家庭環境なわけで。今日もそれでエリカに変な態度取っちゃったし、頼みづらいんだよなぁ……。そんなエリカに、千葉家のコネを使わせてもらえるよう頼ませるなんて、僕には出来ない。それをやる位なら僕が個人で四葉と取引した方がマシだよ。よってこれも却下。渡辺先輩?もっとダメだ!エリカもお家の人から“渡辺さんちの摩利ちゃんからこんな御願い、聞いたんだけど……”なんて聞きたくないだろう。却下!却下!

 

では、師匠はどうだろうか?うーん、付き合ってくれそうにないなぁ……。でも話くらいは聞いてくれそうだ。司甲も古式っぽい名前をしているし、何か知ってるかもしれない、一度訪ねに行こう。……案外全部知ってるかもだけど。いや、ないな!ないない!

 

うーん、やっぱり小野先生の線が一番簡単だろうか?僕らが派手に動いてエガリテと接触すれば、彼女の網に掛かるはずだ。その時に協力を依頼出来ればやり易い。しかも同門だしな、師匠にはその線で協力してもらおうか。

 

でも順番が問題になるな……。僕の覚眼でしか知ることができない情報は教えられないし、不自然がないようにタイミングを計らなくちゃいけない。まぁエガリテの調査は彼女の任務だ。僕らと手を結ぶのも簡単にいくだろう。彼女も僕らが同門だと知ってて、ホンの少しだが期待している部分があった。でもまだ直接話しかけたことないんだよな……。揺さぶればもっとたくさん分かったかも、おしいことした。

 

七草会長と十文字会頭も同じだ。小野先生は公安のスパイだが、そんなことは十師族の彼らにはバレバレだろう。むしろ公安の上層部から任務内容もリークされているはずだ。十師族の次期当主やお姫様がいる学園に内調じみたスパイを放つなんて、喧嘩売ってるようにしか思えないもんな、当たり前か。……小野先生は隠せてるつもりだけどね。向いてないんだよなぁ、スパイ。まぁ捜査に進捗があれば、会長たちとは手を結びやすくなる。自分たちの庭を汚されたのだ、一番の実戦部隊は彼らから出るかもしれない。トップが動くんだから、生徒会や部活連の方の協力も期待できる。良い事尽くめだ。

 

大体こんな感じか。学校の中は七草会長と十文字会頭、そして小野先生に。外は公安と師匠に手伝ってもらう。僕と達也がすることは、彼らの橋渡しと、状況に合わせて情報を引き抜いて、狂言回しとしてエガリテとブランシュ日本支部の壊滅に持って行くこと。プランとしては静かに行われるべきだ。“神隠し”と一緒だな、得意技だ。エガリテとブランシュの奴らは、気が付いたら一網打尽にされていることだろう。フフ、楽しくなって来た……。僕ら対ブランシュの諜報戦だ。どっちの弾が多いか、勝負だね。

 

あぁ、それと、ある程度捜査に目星が付いたら真夜さんにも報告しなきゃいけないだろうな……。ブランシュは大亜連の紐付きだと言われている。ならば四葉が目をつけていない訳がない。七草と十文字、公安が点数を稼ぐ形になりそうだからマズいんだよなぁ……。四葉としては他の十師族がいる学校でのテロ騒ぎなんて“ぷぷ、下手こいてやがる。ラッキー!”くらい思ってそうだしなぁ。まぁ潰しちゃダメなら警告ぐらい飛ぶだろうからいいや。あ、そうだ、真夜さんへの報告は達也にやってもらおう、そうしよう。なんか一番好かれてるっぽいしね。

 

「ん? 何だ?」

 

ソファーでコーヒーを飲んでいた達也が、こっちを向いた。さて、作戦会議といこうじゃないか。今夜は眠らせないぜ、ヒャッホー!深雪!ホットミルク頂戴!

 

 

 

2095年4月7日。第一高校 司波達也

 

昨日の作戦会議から一夜。いや、深夜まで計画を考えていたから一夜をおいていないのだが、俺たち三人は朝から師匠に会いに行き、そして登校した。師匠に会いに行ったのは単に訓練のためだけじゃなく、2つほどお願いをするためだった。

 

一つは小野先生との繋ぎをしてもらうこと。俺たちがエガリテを探そうとしている、と彼女に漏らす役だ。これは急ぎの案件ではない。エガリテの釣り出しが進んでから行ってもらう予定だった。彼女の捜査の情報網に掛かるための布石だ。

 

二つ目は司甲のことを知っているなら教えて欲しい、というものだった。彼の身辺調査の一環だ。エガリテとブランシュのエガリテ側の繋ぎ役、それが俺と雪人の推測である。もちろんこちらでも彼を調べるが、裏打ちとして聞いてみた。師匠には昨日の剣術部の騒動を交えて司甲が洗脳されている件も含めて話したのだが……、驚愕の事実が発覚した。

 

「あはは……僕ら、バカかな? 僕の睡眠時間が……。でもさ、でもさ……娘の手綱くらいしっかり握っとけよ!?」

 

始業前に、短い時間だろうと作戦会議をするために見つけた空き教室で、雪人は嘆きを漏らした。机に突っ伏してこの世の悲惨さを訴えている。ここに深雪がいなくて良かった。兄として情けない姿はあまり見せたくない。

 

「……どちらにしろ、作戦は修正だ。こんなことになるとはな、ハァ……」

「公安も何やってんだよ!? バカばっかりだ!! ……違うか、バカは僕らかァ」

 

俺も思わずため息が出てしまう。重い、重いため息だ。俺たちが昨晩決めたばかりの計画を、すぐにでも修正しなければならない程の事実とは何なのか。それを明かそうと思う、以下の通りだ。

 

 

 

朝方、師匠に昨日の顛末を話している最中に壬生紗耶香の話が出た時、師匠は雪人に彼女もエガリテなのかを確認して来た。雪人はまだ未確認だ、と答えたのだが、師匠は難しい顔をして悩んでいた。すると雪人がフラッと崩れるように膝を着いた。これには俺と深雪も驚いた。二人していきなりどうしたのか、と深雪が聞いた所、こう返って来た。

 

「いやー! 彼女のお父さん、内情の外事課長なんだよねぇ! アッハッハ!」

「あはは……なにそれ……」

 

は?……つまり、それは……。雪人の嘆きが九重寺に沁み渡る。一気に頭が重くなった気がした。自己再成術式は起動していないのだから脳に外傷はない。俺の傍では深雪が俺を心配してくれていた、早く立ち直らなければ。しかしこれには頭を痛めるほど悩ませられた。

 

師匠が言うには壬生紗耶香の父、壬生重三は風間少佐の同期の人間らしく軍人から内情、内閣府調査管理局に移籍したらしい。諜報関係で元軍人を使うのは良くある話だ。情報や命令遵守の重さを知っているので使いやすいのだ。問題は、ブランシュの手先と思しき司甲のすぐ近くに、内情外事課長の娘という政府のバックドアを開ける鍵がいる、ということだ。

 

もし彼女がエガリテのメンバーだったとして、もしくは洗脳を受けたとして、彼女の父の持つ情報が漏れ、ブランシュに利用されれば、政府は大ダメージを負わされかねない。更に彼女の父まで洗脳されれば、事態はもっと深刻になって行くことだろう。エガリテの親玉、ブランシュは大亜連の紐付きだ。こんな美味しい駒のことを知れば間違いなく利用する。七草や十文字も第一高校の管理責任という意味で誹りを受けることだろう。

 

雪人は“壬生紗耶香がエガリテかどうかは未確認だけど、学校内の差別に強い反感を覚えていて、同時に剣道部主将の司甲を信頼しているのは視えた”と昨日、言っていた。つまり、彼女は仕手側ではない。エガリテだとしても利用される末端だろう。おそらく洗脳もされていないか、されていても軽度のものだ。順番からして、彼女の父も洗脳されてはいないだろう。

 

“剣道小町”と呼ばれる彼女だ、エガリテへの勧誘を請け負うにしても彼女の父の情報を得るにしても、確り洗脳している方が役に立つはずだ。それに彼女が仕手側なら雪人が気付かないわけがない。

 

だが問題は、ブランシュ側が彼女の父のことを知っているのか、ということだ。知っているのなら壬生紗耶香はこのままズブズブと司甲を通して洗脳されることになる。つまりは国防の危機だ。知らないにしても、いつ知るかの問題でしかない。数年後か、それともたった今知ったとしても俺は不思議とは思わない。またまた国防の危機だ。結局、知っているいないに関わらず、エガリテとブランシュの排除は急がなくてはならない時間との勝負、となる。

 

昨日立てた作戦は相手に気取られないように静かに、秘密裏に動くものだった。そのためにはひと月ふた月は掛けるつもりだったのだ。これでは使えない。何という徒労感だろうか。雪人がうなだれるのも良く分かる話だ……。

 

「違う……それだけじゃないんだよ、達也」

 

そ、それだけじゃないとはどういうことだ、雪人。これだけでも俺たちの計画をゆるがせにする事態だと思うが?雪人は四つん這いのまま師匠を指差した。

 

「このじじい……さいていだ……」

「失礼なことを言うんじゃない、ニュービーよ! 本当ならキミが調べるべきことなんだぞー?」

 

師匠は、何かに打ち震える雪人を満足そうに見下ろしてから話し始めた。実に楽しそうな表情だった。

 

司甲、家族構成は父母と兄が一人。木の兄、という名前で、彼は長男ではない。彼の両親は彼が第一高校に入学する前に再婚しており、彼は母方の連れ子だった。旧姓は鴨野甲、京都鴨野神社の係累であるが傍系が過ぎる故に古式の才は薄い。霊子放射光過敏症にその名残があるくらいらしい。更には、その父方の義兄、司一はブランシュ日本支部の正真正銘のリーダーだったのだ!師匠!知っているのなら先に話して頂きたい!

 

「いやいや、聞かれなかったし」

「お陰でこの事態ですよ!」

「お兄様!?」

「うん、だから話したんだけどね」

「弟子虐待だー!」

 

俺と雪人の怒声が寺に響く。慌てる深雪の声もする。心配するな深雪、兄は大丈夫なのだ。しかし、これならば司甲が重度の洗脳を受けている説明も付くし、彼が繋ぎ役をしている理由にもなる。彼の義兄がブランシュ日本支部のリーダーなんだからな!あぁ、なんだか急に馬鹿らしくなってきた……。俺たちの計画とはなんだったのか。

 

「壬生くんの娘さんがブランシュの舌先にいるのは知らなくてねー! 後はキミたちに任せたよ!」

 

師匠は最後に俺たちに問題のまる投げをして俺たちを九重寺から追い出した。寺の階段を下りる俺たちの足取りが重かったのは言わずもがなだ。深雪、こんな大人にはなってはいけないよ……。

 

「お兄様がいれば……深雪は大丈夫です」

 

フッ、兄離れできない妹なのか、妹離れできない兄なのか分からんな。苦労をかける……。

 

 

 

 

「さて、どうしたものか……」

 

俺は、俺と雪人しかいない空き教室の席に深く座り込み、息を吐いた。いったいどうしたことやら、ブランシュ日本支部の急所を握ってしまった気がする。リーダーの名前、家族構成、おおよその手管、どれも重要な情報だ。それに加えて壬生紗耶香のこともある。当初の目的でもあった司甲の身辺調査が思わぬ掘出し物をしてくれた。これだけでも色々な行動を選択できる。

 

「もう僕たちだけで、ブランシュ潰さない? 後始末は公安にまる投げしようよ」

「……いや、魅力的な提案だがそれはダメだ。俺たちで情報を奪い取ったとしても、使いづらくなるだけだ」

 

一通り嘆いて落ち着きを取り戻した雪人が、面倒臭そうに意見を発する。しかし俺はそれに反対した。俺と雪人だけでやるなら被洗脳者の情報も奴らの犯罪の情報も、大亜連までの繋がりまでも全部知れるのだが、使いどころが難しくなる。雪人の覚眼は究極の一次資料だからだ。客観性に欠ける嫌いがある。適度に公安なり七草なり十文字なりが知れるようにした方が、情報の裏打ちも出来て事件の後始末はよりスムーズに行くはずだ。第一、俺らだけでやったとして、奴らの身柄を公安にコッソリ引き渡したとしても俺たちは謎のエージェントとして警戒される。色んな組織がマークしていたブランシュが突如瓦解、誰がやった、そんなところだ。結局周囲の警戒を上げ、裏打ちの出来てない情報が手に入るだけに終わる。つまり……。

 

「やるべきじゃない……ってことか」

「あぁ。司一のことは、容易くか運良くかは分からないが師匠も知っていたことだ、四葉や公安でも既に知られている可能性は高い。問題はなぜ放置しているか、だが」

「場所が場所だし、七草と十文字の管轄だって思ってないかな?」

「四葉はそうかもしれないが真偽は不明だ。しかし公安は?」

 

俺がそう聞くと雪人は少し悩んだ後、ハッと嫌な事に気が付いたような顔で言った。

 

「……内情の首根っこ捕まえるためとか」

「本気か?」

 

いや、有り得る話かもしれんな……。内情も公安も政府組織だがセクションは別だ。しかも両者の仕事は競合しやすい。諜報や防諜の勢力争いは熾烈なもののはずだ。そこに壬生紗耶香の洗脳の件だ。知らぬ間に窮地に立った内情を、サラリと公安が助けたとしたら……。もう少しで敵に好き勝手されかけた内情など信用されなくなり、代わりに公安が信頼されることになるだろう。そのタイミングでブランシュを摘発すれば一石二鳥、公安の一人勝ちだ。

 

だとしたら、小野先生は壬生紗耶香の父親が内情の人間だと知っているのだろうか?俺には小野先生は優秀な駒にはなれても、こんな政争を描く脚本家ではないと思う。やるとするなら公安の上層部だと思うんだが。俺の疑問を見取った雪人が言う。

 

「順番が繰り上がるけど、小野先生から当たってみる? この予想が当たってたらこの事件、思った以上に臭そうなヤマな気がするけど」

「どうかな、ブランシュが放置されているのも単に釣り餌としてかもしれない。司一をマークしていれば、少なくない情報が手に入るんだからな」

 

雪人の予想が当たっていたら、公安は情報収集と政争のために、ブランシュに洗脳された者がいたとしても放置していたこととなる。権力のために民間人を犠牲にした、というわけだ。陰惨な話だ……いや、俺の予想でも一緒か、どちらにしろ洗脳の被害者がすでに出ていることは確かなのだから。ならば公安はすでに負い目がある、ということか……。被害者と壬生紗耶香の二つ。後者はともかく前者は確かだ。更に雪人が躊躇いがちに口を開いた。

 

「その……もっと上の方がブランシュ摘発を止めてたりしないかな?」

「っ! 公安が動けない程の実力者が背後にいる、ということか」

「でも理由が分からない……。だって公安が動いていることはすでに七草や十文字なら知っているはずでしょ? 散々学校を調べておいて何も出ませんでした、じゃ納得させられないよ。七草と十文字が動き出して成果を掻っ攫われるだけだ。なら、公安が司一を捕まえないだけの何かがあるはずだけど……」

 

そう言って雪人は黙り込んだ。そうだな、その場合は七草や十文字を裏切ってまで手に入れたい何かが、公安かその背後の者たちにはある、ということだ。公安のバックについては仮説の域を出ないが、俺たち単独ではどちらにしろ圧力がかかることは間違いない。

 

「結局そこに戻るってわけだ。この事件に首を突っ込むには、僕たちにもバックが必要。つまり……」

「七草会長と十文字会頭だな」

 

雪人は俺の言葉に頷いた。そして両手を頭の後ろに組んで呟くように言った。

 

「小野先生を調べても、公安のことは何もわからないかもなぁ……あの人、公安はアルバイトのつもりだし、ブランシュの拠点のことさえ知らされてないみたい。調べるなら司甲かな」

「あぁ、司一は公安のマークが強いだろうが、司甲なら俺たちでも接触できる。小野先生が邪魔をして来ても、七草会長たちの方で牽制すればいい。俺たちは風紀委員だしな」

 

俺と雪人はそろってニヤリと笑った。中々見えて来たじゃないか。司一は、公安にとっては貯金箱のような存在なのかもしれない。何がしかのモノや情報が司一に集まればそれを窃取でき、いざとなったら捕まえる。実に便利な存在だろう。だが奴は俺たちの通う学校に手を出している。つまりは深雪の身を脅かす敵だ。ならば俺たちは容赦しない。必ず奴らを破壊する。

 

「悪いけどそろそろ満杯かもね、溢れて大変なことになる前に取り出してあげないと」

 

雪人が立ち上がり、拳を差し出して来る。俺も立ち上がった。

 

「あぁ、俺たちは親切だからな」

 

二人の拳は合わさった。さぁ、狩りの始まりだ。

 

 

2095年4月7日。第一高校 司波深雪

 

私たちの敵は二つ。一つは反魔法国際政治団体ブランシュ、テロも行う大亜連の手駒で反魔法主義運動を通して日本の魔法師の力を削ごうとしている。直近で言えば、第一高校の生徒が洗脳されており諜報工作を担わせられているのでは、とのこと。

 

もう一つは公安、すでにブランシュ日本支部の所在を暴いているだろうに、犠牲者が出ていても摘発に乗り出さない。ブランシュの抱える“何か”を狙っているのか、それとも動けないのかは不明だが、私達が行動に移せば掣肘して来ることは間違いない。それがお兄様たちから今しがた聞いたお話です。

 

昨夜の作戦会議において、深雪はお兄様たちから改めて、ブランシュやエガリテの存在を知らされた。人の心の弱さにつけ込む彼らのやり口には、ハッキリ言って嫌悪感を感じざるを得ませんでした。そして今朝の話ですがそんなブランシュ日本支部のリーダーが判明し、同時に起きた事態にお兄様と雪人さんは項垂れていましたが、このお昼休みの生徒会へ向かう道すがらには元に戻られております。聞く話によると始業前の時間の内に新たな行動指針をお決めになられた御様子で、今後はそれに従って適宜対応していく、とのことです。

 

「公安ですか……この話が本当ならお兄様たちの身に危険が及んだりしませんか?」

 

お二人から話を聞いた私はお兄様を案じる言葉を出した。少し情けない声を出してしまったかもしれない。隣を歩かれているお兄様はそれを気にしたりせずに話された。

 

「心配はいらないさ、深雪。会長たちの協力が得られるのなら公安に対する牽制は効く。なんせ七草は分家を含めれば十師族で最大の規模を誇る、十文字もそれに準じる序列ではある。彼らのコネクションは幅広い。壁役には使える存在だ」

 

「七草と十文字が公安とグルだったとしても、裏技として独立魔装大隊の名前が役に立つよ、戦略級魔法師を切り捨てる判断は国家としても有り得ないし、その時は風間少佐が動いてくれる。ま、ホントに裏技なんだけどね。それに、視た限り七草会長も十文字会頭もこんな後ろ暗い事態には関係してないよ」

 

私の心配にお兄様は落ちついて、雪人さんはあっけらかんと答えられました。私も確かに七草会長がこんな陰惨なことに手を染めているとは思えません。学内の差別意識の撤廃に力を入れてらっしゃいますし、エガリテは反対にその差別意識を利用する側です。七草会長がブランシュの持つ“何か”欲しさに公安と手を結んでブランシュを放置することはないと思います。お兄様の逆隣を歩く雪人さんが私の納得を感じ取って言いました。

 

「そういうことさ、深雪。でも七草会長に会長のお父さんから圧力が掛かるかもしれないから、結局はコッソリやるんだけどね」

「具体的には、公安、つまり小野先生に協力しながら七草会長と十文字会頭の助力を得る、そして学内のエガリテの釣り出しと内部分裂を図る」

 

「エガリテの、ですか?」

「壬生先輩の件もある。切り崩しは必要だ」

 

すでにブランシュ日本支部のリーダーを発見したのに、なぜ今更エガリテを釣り出すのかを疑問に思い聞いてみました。なるほど、表で派手に動きながら裏では七草会長たちと歩調を合わせる、学内のエガリテに限定することで小野先生の協力をしている振りをすれば、それを隠れ蓑にブランシュ制圧の準備ができる、そういうことですね。

 

「つまりは小野先生とは協調路線を取られる、と?」

 

「少し違うな、俺たちから小野先生に協力を持ちかけたりはしない。俺たちはただ単に生徒間にある差別意識の改革のために風紀委員として動く。それによって小野先生にエガリテを釣り出せる利益があれば彼女は俺たちの動きを静観する、彼女は俺らを囮として利用しようとするはずだ」

「彼女も僕らにエガリテを監視していることを気取られたくないだろうしね。“力は貸してほしいけど正体は知られたくない”それが彼女の考えさ。それにもし邪魔しにきても、僕らは風紀委員であることを楯にできる」

「それはつまり、お兄様たちは囮であることを逆に利用なさるということですか?」

 

私の言葉にお兄様たちはそろって頷きました。お二人とも、かなり自信のあるお顔をしてらっしゃいます。確かにお兄様たちの“眼”は逆監視に最適です。お兄様が言葉を続けました。

 

「深雪、お前には七草会長と俺たちの中継役をしてもらうことになる。俺たちが七草会長と頻繁に会っている様子を小野先生に知られたら、俺たちがブランシュの壊滅を目指していることがバレかねない」

 

「一応僕か達也が交代で小野先生の監視はするけどね。だけど司甲や壬生先輩のこと、それに普段の風紀委員の仕事もあるからここは慎重に行くよ。学内で七草会長に会うのは、暫くはお昼の時か放課後の深雪の送り迎えの時だけになるね」

 

それは少し朗報ですね。七草会長はお兄様に意味ありげな視線を送られることが多いですし。雪人さんに聞いても“学内差別を裏切れる人材として見ている”としか答えてくれませんでした。あれは絶対にお兄様のことが気になっているご様子なのです!今回のことで少しは距離を開けれるんじゃないかと私は思います。とても良いことです。……ん?でもこれって今と特に変わっていませんよね?

 

「あはは、普段通りなのが一番不自然がないんだよ」

「小野先生は諜報員でありカウンセラーでもある。他人の行動を分析することは得意分野だろう、風紀委員として動きを見せる分、他ではいつも通りに見せかけるのが上策だ」

 

お二人が説明なさってくれますが、何か納得いきません!しかしお兄様の前ですし深雪はそんな気持ちを面に出すことなく言葉を続けました。

 

「では七草会長に協力を呼び掛けるのはいつ頃に?」

 

「エガリテの釣り出しをしながら様子を見て、だな。少なくとも部活勧誘が終わってからにはなるか」

「司甲は達也のジャミング技術に興味津津だったからね、釣り出しは簡単にいけると思う。エガリテの切り崩しからは会長たちと協力してやるつもりだよ」

 

お兄様たちの説明に私が首肯すると、お兄様が総括するように話しました。

 

「目標としては三週間以内に今回の件はケリを着ける。部活勧誘が一週間、壬生先輩のエガリテからの引き剥がしとブランシュ日本支部の撃滅に最大で二週間だ」

 

「勧誘が終わってからはスピード勝負になるから実質二週間以内だね、最後の週は調整のための予備だし」

「ブランシュにも公安にも対応させないためにも、スピードは重要だ。圧力が掛かる前に事を運ぶ必要がある」

「そのためにも七草会長たちの協力が必要ってことですね?」

 

 

こうして私達が話している内に生徒会室の前に着いたようです。私のIDを通して生徒会室の扉を開きます。お兄様をチラリと見ると、お兄様は私の肩に手を置いて言いました。

 

「俺たちもこれからはいそがしくなる。そうなれば深雪には苦労をかけることになる、……すまんな」

「いえ、お兄様の妹として当然のことです! それに……こういう時はもっと別の言葉の方がうれしいのですよ?」

 

お兄様は私の言葉に少し苦笑をしてから答えました。肩から手を降ろし、代わりに頭を撫でながらのことでした。

 

「そうか……そうだったな。深雪、よろしく頼む」

「はい!」

 

お兄様!深雪はこれで頑張れます!ブランシュなんてカチンカチンのバッキバキです!

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。