妖因果奇譚 (凸凹セカンド)
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こんな話を読むなんて…なんて趣味の合う人なんだろう。感動した。


 

 

 

 

 都会の喧騒を離れたとある田舎町に、旅行者なのだろう大きな荷物を持った男が二人、連れ立って道を歩いていた。舗装はされているがガードレールもなく足の短い草が一面に広がる田舎道である。

 車の通行もほとんどなく、道路標識も思い出したかのように立っていることから、あまり主要の道路として使われていないことが窺える。

 

「飯嶋、民俗学だから柳田國男ってのは安直過ぎたんだと思うぜ。だから教授に突っ込まれるんだよ」

「だからってフィールドワークにこんな田舎を指定するか?!」

「田舎は馬鹿にできねーよ?地域限定の因習や儀式は十分魅力的だと思うけどな」

「……根強く残ってるから怖いんじゃないか…」

「お前、そんなんでなんで民俗学専攻してんの?」

 

 飯嶋と呼ばれた男は、隣を歩く男を軽く睨む。

 睨まれた本人はどこ吹く風で、飄々とした表情を崩しもせず、寧ろ愉快そうに笑うと、ポケットから取り出したスマートフォンで地図アプリを呼び出す。

 

「ともかく、教授が強制したってことは、この地域が調査するに値するところってことだろ。時間はたっぷりあるから、まーがんばろうぜ。あーこの先右な」

「さっきから嫌な視線が…」

「ははっ!じゃあ俺から離れるなよー?調査どころじゃなくなるぜ。親父さんは来てないしな」

 

 快活に男が笑うと、飯嶋は「うう…」と背を丸めて低く唸った。その背中を、男は「大丈夫だって!」といいながら豪快に叩く。

 

「痛いって、手加減しろよ長谷川!」

「それだけ元気なら大丈夫だな」

 

 長谷川は口角を吊り上げてシニカルに微笑んだ。

 

 

 

 

 彼らの宿泊する旅館は、辺りは鬱蒼と茂る森に囲まれているが、日当たりはよく清浄な空気が包むなかに建設されている。

 館内も明るい照明と、暖色の色使いで、ほっと息をつく落ち着いた内装になっている。

 飯嶋はあたりを窺うように見て、納得したような表情をしたあと、ようやく肩の力を抜いた。

 視線を連れに移すと、連れこと長谷川はフロントで宿泊の受付を進めており、すらすらと記帳に個人情報を記入しているところだった。

 ボストンバックを肩にかけなおし、彼の後ろまで足を進めると、肩越しに氏名の間違いがないか確認するように指示されたので覗き込む。

 

「島じゃあない、嶋だ」

「ん、こう?」

「そうそう」

 

 記帳には、「長谷川 虎徹」「飯嶋 律」と、癖のある右上がりの文字で記載された。

 

 

 

 

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 客室にボストンバックを下ろすと、飯嶋はそのまま大の字に倒れこみ長いため息をついた。

 長谷川は飯嶋のボストンバックを軽々と持ち上げると、部屋の隅へ自分の荷物と一緒にまとめて置いた。

 飯嶋はそのままずるずるとだらしなく右手を伸ばして座布団をつかむと、自分の頭へと導いていくが、長谷川がさせじと足で押さえつける。

 

「なにするんだ」

「お前寝る気?」

「一休み…」

 

 呆れた長谷川がため息をつくと、入り口からくすくすと女性の笑い声が聞こえた。

 長谷川がそちらに視線をよこすと、この旅館の中年の仲居が「失礼しました。随分お疲れのようですね」と嫌味のない笑顔で頭を下げる。それに応えるように会釈を返すと、仲居は微笑ましいもの見るような目つきで二人を見たあと、備え付けの茶器に手を伸ばす。頬をかすかに染めた飯嶋がのろのろと起き上がるのを確認すると、長谷川は座布団から足を退けた。

 

「遠いところをおいでになられたのですか?」

「ええ、東京からフィールドワークに」

「あら、学生さんですか?」

「ええ、恵明大の学生です。民俗学を専攻していましてね、貴女は地元の方ですか?よかったら昔からある不思議なことやお話、民話、口伝で伝わる地元のお話とかご存じでしたら教えていただけませんか?」

「あら、そうですね…このあたりだと…」

 

 飯嶋は仲居から受け取った茶器に口をつけると、仲居から情報を収集する長谷川を眺めた。飯嶋は口下手というほどではないが、昔から自分の体質のせいで対人が苦手であるし、初対面の人間と和やかに会話するのが得意ではないので、今回の調査に長谷川が付いて来てくれたことを口にはしないがありがたいと思っていた。

 幸運なことに仲居が地元出身であるようなので、長谷川はメモ帳とスマートフォン片手に彼女の話の要点をまとめてメモしている。

 ぱたん、と掌サイズのメモ帳をしまうと、仲居に礼をいい、立ち上がる。

 

「さ、行くぞ飯嶋」

「一休み…」

「俺たちは旅行できたんじゃあないぜ?」

 

 長谷川の無情な台詞に、飯嶋は肩を落とした。

 仲居がそんな彼らを見て笑っている。

 

 

 

 

 長谷川虎徹は上機嫌でこの娯楽の少ない田舎町を歩き回っていた。

 九州は飯も美味いし、空気も綺麗だ、肺の中が満たされる。自分の周囲の人間は自分が幼いころから煙草を嗜むものばかり。幼少期から父親でさえ禁煙とは程遠い量を呑むので、正直副流煙で臓腑は真っ黒になっているのではないかと心配したほどだ。

 真新しいものはないが、初めて訪れる場所というのはそれだけでわくわくと好奇心を疼かせるものだ。彼の旅の連れはそういう楽しみかたより、彼の体質から寄ってくる本来見えてはいけない(・・・・・・・・)ものの対処のほうが重要らしい。小心者らしく懸命に虚勢を張っているのが短い付き合いでも、長谷川にはよくわかった。

 

「飯嶋、そんなに心配するなよ。なんかあったらちゃんと対応してやるって」

ここ(・・)、多すぎ」

「お前んちとどっこいじゃね?」

「うちは、垣根を越えなきゃそんなに酷くない」

 

 長谷川の言葉に、飯嶋はむっと唇を尖らせ抗議するが、「まあ、でも」続く長谷川の言葉に口を閉ざす。眼鏡のセンターを押し上げて、山の稜線までくっきりと見える、遮蔽物のない周辺を見渡す。

 

「東京よりより自然に近いからな…神道的にいえば、寧ろ多いのは理にかなってるよ」

 

 神道が確立する以前、崇拝されてきたのは「カミ」以前の山や森、獣の精霊であった。その中には、(神・霊)()タマ(魂・霊・魄)の他に、モノ()()ヌシ()と呼ばれる存在がある。精霊崇拝と呼ばれるこれらの信仰に狩猟採取民族が信仰していた「荒ぶる神」や「邪しき神」が取り込まれ日本独自の「八百万の神々」という存在が確立したのである。

 長谷川は、東京のような大都会の中では消えて久しい、それら自然霊が彼らの本拠地より多いのは寧ろ当然のことと捕らえていた。

 彼は足を止めると、メモ帳をめくり、首を巡らせると、森の中を指差す。

 そこには、茂る森林の中で、影に同化するように立つこじんまりとした社が建っていた。

 

「ほら、見ろよ、あれ。仲居さんの言ってた社」

「うん…なんか出そう」

「出そうじゃなくて…おそらく本来奉られていた存在はいないね。その代わり、別の存在がそこを間借りしている、と」

「やめろ、マジで、帰ろう」

「お前何しにここに来たんですかね?」

 

 彼らは、そんなやりとりを三日ほど繰り返しているのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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2

 

 

 

 

 

 

 

 飯嶋律はぶるりと背筋を震わせた。

 丁度人でないもの(・・・・・・・)が彼らを興味津々に覗き込んできたところに、悪寒が走ったのだ。それは隣にいる人でないもの(・・・・・・・)のせいではない。それくらいのことは常に自分で対処してきたので、彼らをあしらうのは面倒ではあるけれど、背筋を震わせるほどのことではない。

 そうではなく、視線の先にある古井戸が問題なのだ。

 

「おい、長谷川」

「封印が緩んでるなぁ」

「吞気!」

 

 思わず怒鳴りつけるが、長谷川は飄々とした表情を崩しもせず眼鏡をずらすと、裸眼で古井戸を観察しだした。

 嫌な予感が飯嶋を襲う。

 飯嶋は己の第六感を信じて長谷川との距離を縮めた。できれば後ろに隠れたかったが、なけなしの男子としてのプライドが邪魔をした。といっても彼との距離は定規で測れるほどの近距離であるが。

 

 畑仕事をしていた老婆から聞いた話に興味を抱いた二人は、古井戸のある場所に足を運んだ。

 自然豊かなこの田舎町は、道をそれるとすぐに森に出る。人の手の入っていない枝葉が伸び放題の森は、太陽が真上に来ていたとしても斑の影を作り出し、陰鬱な雰囲気を醸し出す。

 勘の鋭いものなら「なんか出そう」というだろう。勘が鋭いを通り越した飯嶋には「出るわこれ」である。

 

「長谷川…」

「離れるか?正直再封印は地元の人間の仕事だ。余所者の俺らが関わっても最後まで責任もてねーし」

「賛成」

 

 長いため息を吐いた飯嶋と一緒に、回れ右と振り向く。

 

「待て」

 

 が、長谷川が飯嶋の肩を強く引く。

 風を切る音が飯嶋の耳に届いた、それと一緒に、草が舞う。

 バランスを崩した飯嶋は後方に倒れこむが、長谷川の腕がそれを抑え、庇うかのように前に出る。

 

「え…」

 

 そこには人でないもの(・・・・・・)つまり――――妖が大鎌を振り下ろしていた。

 

 顔に当たる部分に、能面の白い面をつけ、影と同化するような黒い着物を着た人型のそれは、しかし明らかに人ではなかった。鎌を握る腕があるべき場所は、黒い霧が集合したかのようにぼんやりと霞がかっている。不満そうに舌打ちをすると、ゆらり(・・・)と緩慢な動きで鎌を構えなおす。

 

「うん?飯嶋の腕が欲しいのか」

「はっ?」

「あの古井戸をあけたいんだろうなぁ。そのためにお前の腕が欲しいんだ」

「嫌だよ」

「うん、だな」

 

 吞気に「そういうわけだから、諦めろよ」という長谷川に、勿論妖が応じるわけもなく、寧ろ怒気の感じられる雰囲気に逆効果だったことが窺える。

 仕方がないなぁと、肩をすくめた長谷川が、眼鏡をはずし手首に嵌めている数珠に手をかけるが、何かに気づいたようにその動きを止めて、じっと妖を正面から眺めた。

 正確には―――妖の後ろに注視した。

 

 その先から、巨大な獣を従えた少年が見えた。

 

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

少年は夏目貴志と、その相棒はニャンコ先生と名乗った。

長谷川と飯嶋もそれぞれ名乗ると、少年は「見えるんですよね?」と躊躇いがちに聞いてきた。何を、とは言わなかったが、それに気づかないほど二人とも鈍感ではない。

 

「見えるよ」

「ああ、うん」

 

 長谷川ははっきりと、飯嶋は歯切れ悪く答える。すると少年はほっと安堵の息をついた。

 大学に帰れば恵明大のシャーマン女と呼ばれる院生も存在するほど、わりと普通に知れ渡っているのに、それを気にするということは、夏目少年は随分苦労をしたのだろうなと、不細工な猫になってしまった妖を大事そうに抱く少年を見て、長谷川は柄にもなく感慨にふける。

 

「逃がしちゃったな」

「僕らのせいか…ごめん」

「飯嶋、タイミング悪すぎ」

「僕だけのせいかよ!」

 

 長谷川は眼鏡をかけなおすと、先ほどの妖が消えたほうを眺めた。飯嶋が苦虫を噛み潰したような顔で少年に謝罪をする。少年は慌てて顔を上げるように飯嶋に言うが、飯嶋が申し訳なさそうに自分を助けるために間に入ってくれたのだから、と引かない。夏目は困ったように逡巡したあと「実は…」と話始めた。「あ、これきくと後戻りできないパターン」と思ったが、ときすでに遅く、少年は先ほどの妖についてぽつぽつと話し始めた。飯島はトラブルメーカーだなぁと旅の連れは呑気な感想を抱いた。

 

「本当は、俺を狙ってたんです。でも、逃げてる途中で、飯嶋さんに狙いを代えたみたいで…」

「そっちのでっかくてちっさいのみたいな護衛がいない上、美味そうだからね」

「でっかくてちっさいとは何だ!小僧!」

「ニャンコ先生!」

 

 ニャンコ先生の本来の姿を垣間見た長谷川は、その巨躯が一気に招き猫サイズに縮まったのを見てでっかくてちっさいとからかった。プライドの高い猫は、むきー!と夏目の腕の中で暴れている。

 実は愛でているだけなのだと知っている飯嶋が、うんざりした顔で「この猫好きめ…」と呟いた。

 

「あの、俺たちはさっきの妖を追いかけます。森、出れますか?」

「あー大丈夫だよ」

「君たちだけで?大丈夫?」

 

 夏目は心配する飯嶋の言葉にかすかに頬を染め「大丈夫です、協力してくれる人がいるから」といって軽く頭を下げると、猫と一緒に森の奥へ駆けていった。

 

「大丈夫かな…」

「あのでっかいにゃんこがいるから大丈夫さ」

「……僕はおじいちゃんやお前みたいに詳しくないけど、さっきの化け猫は強いの?」

「まあ、お前の親父さんとどっこいか…相性によっては親父さんが勝つかな」

 

 まるで他人事のように少年を見送った長谷川は「じゃあ行こうぜ」と飯嶋の背を押すと、さっさと森をあとにした。

 

 

 

「後戻りできないパターンだと思ったよ」

 

 長谷川はうんざりと呟くと、窓の外を眺めた。

 夜の帳の降りた外はすっかり闇に染まっている。時間は深夜二時。丑三つ時。

 旅館内は深と静まりかえり、常闇が人の気配を押し殺している。

 旅の連れが布団の中で健やかな寝息を立てているのを「緊張感のないやつ」と詰ると、彼を足を使って蹴り起こした。

 

「…何するんだ…」

「お客さん来てるぜ、モテモテだな飯嶋」

 

 不機嫌そうな顔を隠しもしないで起き上がった飯嶋は、長谷川の言葉に「はあ?」と首を傾げ、彼の視線が外に向いているのに気づくと、顔を顰めた。

 

「昼間の?」

「そ、うろうろしてるね。夏目少年仕留め損ねたかな」

「子供だし」

「自分たちで片付けるっていうから、てっきり訓練受けてるのかと思ったけど」

「お前みたいなやつが早々いてたまるか」

「俺って……蝸牛先生や開さんならどうにかできたと思うけどね……動いた」

「こっちくる?」

「んー…どうする?逃げる?迎撃する?」

「旅館に迷惑かけたくないな」

「しょうがないな、飯嶋部屋にいろよ」

 

 長谷川は窓を開けると、すぐ真下の屋根の上に足をおろす。瓦の上を裸足であるき、半ばほどで足を止めると、昼間に見た鎌の妖を見下ろす。妖も、長谷川に気づき、その背後にいる飯嶋に気づくと、ぞろり(・・・)と影が這うような動きで旅館に足を向けた。

 長谷川はそれを視界に納めると、浴衣の合わせ目からずるり(・・・)と和弓と矢を取りだした。

 明らかに浴衣の間に収まる大きさではない、彼の背丈程はありそうな弓をまるでマジックのように取り出すと、矢をつがえる。その異常な光景を後ろで見ていた飯嶋も「馬鹿らしくなるなぁ」と頬杖を付いて見守っている。

 

「今夜は突然の落雷が限定的に襲いました、っと。千邪斬断万精駆逐……発雷!」

 

 長谷川の指から放たれた矢は、雷をまとって吸い込まれるように妖を襲った。

 

 

 

「昨夜、凄い音でしたね。どうも近くに落ちたようですよ」

「ああ、避雷針があってよかったですねぇ」

「ええ、まったく。雨も降ってないのに雷だけ落ちるなんてあるんですねぇ」

 

 朝、朝食を運んできた仲居の言葉に、長谷川がにこやかに答える。「よくいう」と内心毒づきながら、飯嶋は賢明に口を閉ざした。次から守ってもらえなくては、彼自身ではああいった輩を相手にすることができない。

 仲居が朝食を並べ終わり退出すると、「仕留め損ねた」と味噌汁を啜りながらあっけらかんと長谷川がいう。

 

「夏目少年のこといえないじゃん」

「ん、そうだな。予想以上に砂埃が舞った。あれじゃあ見えん」

「なんでわざわざ雷呼んだし」

「ただ単に物理で襲うと、クレーターができるだけで、自然現象で説明できないんだよなぁ。警察沙汰は面倒だろ?」

「……そうだな」

「旅館の中に誘っていいっていうんなら、近距離でもいだんだけどね」

「朝からヘヴィな話を聞いたわ…」

「あと何か(・・)みてたっぽい」

「何かって何」

 

 べったら漬けと白米を口に放り込み、もぐもぐと租借する。食事は美味いし、空気も綺麗なのだ、ここは。

 

「祓い屋がいんじゃねーかな。夏目少年も協力してくれる人がいるって言ってたしね」

「祓い屋?お前の同業?」

「んなわけねーじゃん。俺、祓い屋じゃねーし」

 

 

 

 

 長谷川たちが旅館から出ると、夏目が木陰で待ち構えていた。

 相変わらず不細工な猫を抱きこんでいる。その顔は冴えない。隣には、帽子を深くかぶった男が一人。

 

「夏目くん」

「あ…の…」

 

 飯嶋が声をかけるが、夏目少年は目を伏せた。

 おそらく昨夜の妖についてだろうと検討が付いていたので、長谷川は「昨夜来たよ」とさらりと答える。すると案の定、少年ははっと顔を上げた。

 はく、と口をあけて何か言おうとするが、なんといっていいかわからないという表情で、すぐにうつむいてしまった。

 すると隣の男が夏目の肩をぽんと叩き、前に出てくると、二人に和やかに声をかける。

 

「始めまして、夏目からすこし話は聞いてます。昨夜の件もう少し詳しくいいですか?」

「いいですけど、お宅は?」

「ああ、これは失礼。私は夏目の協力者で名取といいます」

「祓い屋が素人に肩入れしてるわけ?」

 

 揶揄するかのような長谷川の言葉に、名取は驚いたように長谷川を凝視した。「おい」と止める飯嶋に長谷川は「大丈夫だよ」と答えると「歩きながら話しましょうかー」と勝手に歩き出した。

 

 先頭を長谷川が、その後を追うように飯嶋、名取、夏目と続く。

 世間話をするかのような軽さで、昨夜の話を始める長谷川に、名取と夏目は戸惑いを隠せないでいた。

 

「貴方も祓い人で?」

「いいえ、俺らはただの大学生ですよ」

「茶化すなよ、長谷川」

 

 飯嶋が呆れた顔をして長谷川の背中を殴るが、殴られた本人は相変わらずのほほんとしている。ただの(・・・)成人男性に殴られたくらいでは、彼の体はびくともしない。

 

「嘘はついてないだろ?そんなことより、昨夜の妖が飯嶋を諦めてないんだ。さっさと片付けてくれないと、俺たちも調査に集中できないんですよね」

「その件なんだが…」

 

 名取は、油断なく長谷川の一挙一投足を注視しながら、ある作戦を口にした。

 

 

 



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3

 

 

 ランタン型のLEDランプをぶら下げた長谷川が「飯嶋、これつけとけ。保険」と手首をぐるりと一周する数珠のひとつを外すと、それを飯嶋へ手渡した。飯嶋はそれを素直に受け取ると、冷たい石のそれを手の中でしげしげと眺め、無言で手首に嵌めた。

 この状況で級友が意味のないことをするとは思えなかったので、飯嶋はあえて手首できらめく天然石のことは聞かないでおいた。聞いても彼にどうこうする術はないのだが。

 

「さっきの祓い屋の…名取さんだっけ。どっかで見た気がするんだけどなぁ」

 

 飯嶋がもう少しメディアに明るければその答えはすぐにでたかもしれないが、彼は残念ながら世間の、特に芸能情報には疎かった。彼は「うーん」と唸りながら、森深くに建造された社の木張りの床にごろりと寝転がる。この社に本来の主がいるならばこんな罰当たりな格好はしないが、咎めるべき奉られた存在である道祖神はこの社を離れて久しい。

 四隅には蜘蛛が糸を張り、手入れするものがいなくなった木造の社はところどころがきしんでいる。かすかに残る何者かの残滓が、ここが現在手入れもされず()に使われているか存在を匂わせていた。

 

「なんかさびしいな」

「はい」

 

 独り言のように呟いた飯嶋の言葉尻に、まだ変声期を過ぎたばかりの少年の声が答える。

 飯嶋と少し距離をとり、不細工な護衛の猫を膝に抱いた夏目少年である。

 夏目少年も、まるで時代から切り離されたかのようなこの寂れた社の姿に、いろんなものが見えるからこそ複雑な思いを抱いているらしい。

 狭い社のなかを歩き回って、時々写真をとっていた長谷川が、あくびをかみ殺しながら二人と一匹の元に歩み寄る。

 ああ、そういえば、僕のためにこいつは夜更かしをしたのだった。と助けられたというのに随分と薄情なことを考えながら、寝転がった姿勢のまま下から級友を窺う。

 

「社は「や」を「弥」と記し、訳を「ますます」と意味し、さらに「しろ」を「城」と訳し、神が占有する一定の区域と定義する所謂神域だ。本来は人間が足を踏みいれることを許されていない神のための空間なんだが…ここはおそらく無格社なんだろうな。地元の人間に忘れ去られたら、そこで仕舞いだよ。さびしいもんさ」

 

 肩をすくめると、長谷川は「よっこいしょういち」と寒いギャグを口にして座ったが、飯嶋の呆れたような目線と、意味がよくわかっていない夏目少年の純粋な視線にさらされて「ジェネレーションギャップ…」とがくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 3

 

 

 

 

 

「あの鎌のやつくるのかな」

「くる確立は高かろうなぁ。美味そうな餌が二匹、人目に付かない場所に集まってるんだから。夜、カゴ釣りでアジ入れ食いレベル」

「たとえがわかり難い」

 

 格子のはまった社の窓から、夜の深々とした静寂を守る森を眺める大学生の後ろに、こっそり家からここまで来た夏目が遠慮がちに近づく。

 この少年は、人間との距離のとり方が苦手のようだ。

 まあ、仕方ないよな、僕も昔はそうだった。と飯嶋は寧ろ共感した。今も、特別上手くなったわけではないが。

 

「でも、こんなわかりやすい罠にかかりますか?」

「かかると思うよ。人間からしたら鼻で笑えるレベルの見え透いた罠でも、ブレインのない状態なら判断が付かないから、見ただけの状況で反応するし」

「ブレインの、ない?」

 

 外を眺めたまま夏目の問いに答えた長谷川は、面白そうに少年を視界に納めた。夏目は眼鏡越しに、長谷川の目が赤に変色したような錯覚を抱くが、瞬きひとつで茶色がかった平凡な日本人の目の色に変わったので気のせいだろうと結論付けた。

 

「妖は君の猫や、さっきの祓い屋の連れている仮面のように頭の回るものばかりじゃない。小学生レベルの頭脳か、あるいは犬猫のように本能のみで動き回るものの方が絶対数は多い。だから強いものに淘汰されるんだけどね。そのなかでも特に、あれは末端。つまり古井戸の主の触手だ。主要の脳みそは深く暗い井戸の中。そんなやつに正しい判断なんてできないよ」

「そんなこと、よくわかりますね」

 

 長谷川は、地元の人間ではなく、遠く離れた大都会の人間だ。いくら民俗学を専攻しているからといって、名取のように祓い屋として前情報をもっているわけでもないのに、そんなに詳細を知ることなどできるのだろうか。

 飯嶋よりも飄々とし、見透かすかのような目で見てくる長谷川。

 夏目は、同じ風景が見えるものだとしても、何とはなしに彼と距離をとる。心が彼と接近できる気がしない。

 夏目の探るような目と、腕の中でおとなしくしつつも「妙なことをしたら食うぞ」と言外に匂わせる獣の双眸に、長谷川は何度目かわからないシニカルな笑みを浮かべた。

 

「さて、よく見えすぎ(・・・・)てね」

 

 妙な雰囲気になっている級友と地元の少年をちらりと視界に納め、我関せずと改めて外に視線をよこす薄情者の飯嶋律は、格子がはまって視界の悪いなかで何かを探すように頭を縦横斜めと動かす。その挙動不審さに思わず「何してるんだ、飯嶋」と長谷川が声をかける。

 

「んー…名取さん、外で隠れてるっていってたけど…どこいるんだろう」

「隠れてるんだからお前に見つかったらいかんだろう」

「そうか…そうだなぁ。僕は祓い屋っていまいちピンとこないからどんなんか見てみたいような見たくないような…好奇心が」

「巫者や物質化した霊魂すら相手したことあるくせにしてから……伯父がいるだろ」

「開さんは…開さんはなぁ…必ず味方になってくれるわけじゃあないし」

 

 諦めて格子窓から体を離すと、飯嶋は夏目に抱かれているニャンコ先生に視線をよこす。実家に残してきた彼の護衛と見比べると、なんとも愛嬌があってかわいらしい。

 その視線に気付いたニャンコ先生が「何だ小僧!」と短い足で威嚇してくる。夏目が「先生」と諌めるが、なんともコミカルな動きで飯嶋は思わずふっと笑った。

 

「可愛いなぁ」

「可愛いですか?」

「ほれみろ夏目!私はきゅーとでちゃーみんぐだといっただろう!」

 

 尾白と尾黒は昼間だと相手がアカでも食べられてしまうから、この猫の妖とは相性が悪いだろうなぁと、なんとも自分の式相手に低い評価をつけながら、少年の腕のなかでおとなしくしているニャンコ先生の頭を撫でる。

 猫を飼うだけあって心得ている手つきで撫でられたニャンコ先生は「あ、そこ…」とうっとりしながらも、撫でている優男を見上げる。

 

「貴様も夏目もよくもまあ、いままで無事であったものだな」

「ああ、うちは祖父が僕を守るためにいろいろしてくれたからね」

「おじいさんが…?」

「そう、亡くなったあとも、いろいろね…」

 

 飯嶋律と自分の共通点を見出して、夏目はなんともいえない複雑な気分になった。強い霊力で、子供のころから見えなくてもいいものがよく見えて、人間関係で苦労して。夏目は友人帳と、それにまつわる災禍を亡き祖母から受け継いだ。飯嶋は、亡き祖父から産まれたときから祝福され守護されてきた。

 同じような生まれでも、こうも違うのかと、鬱屈したものがじわりと溢れる。

 

「夏目」

「夏目君?」

 

 ニャンコ先生の短い愛らしい前足が、自分の胴回りを抱く少年の腕を嗜めるように数回叩く。飯嶋も、いきなり黙り込んだ少年を心配そうに窺っている。

 

「…なんでもないです」

 

 同じように生まれて、その人生の扱いが違うのは当然だ。まったくの他人なのだから。少年は腕の中の存在を抱きしめる力を強めた。

 

 災禍は降ってきた。けれど、自分は不幸ではない。

 

「なんか来たぞ」

 

 一人、外を観察していた長谷川の言葉に、はっと二人と一匹が顔を上げる。

 

「うむ、鎌の妖の匂いだ」

 

 ニャンコ先生が鼻をひくつかせ、目を細める。

 

「名取さん…」

「お、式が出た」

「僕にも見せろ」

「狙われてる自覚あんのかお前」

「名取さんっ」

 

 それぞれがそれぞれで小さな格子窓に駆け寄る。ぎゅうぎゅうと押し競饅頭状態だ。「うおおお夏目ぇ」と腕の中のニャンコ先生が悲鳴をあげている。長谷川は面倒くさくなったのか「ええい、まだるっこしい!」と叫ぶと社の観音扉を両手で勢いよく開け放った。ニャンコ先生もこれ幸いと腕から逃げ出し、華麗に宙返りで着地を披露する。残念ながら誰も見ていなかったが。

 

 LEDランプの人工的な明かりと月光があたりを照らす。

 社の前では、着物姿の式と夜でも目深に帽子をかぶった名取が鎌の妖と戦っていた。

 鎌の届く範囲から安全圏まで離れた名取が式に指示を出し、式たちが周囲を取り囲む。

 

「名取さん!」

「夏目、離れていなさい!」

 

 社から出てきた夏目たちを見ると、名取が舌打ちを打つ。彼としては、社の中でおとなしくしていて欲しかったのだろう。

 鎌の妖はわずらわしそうに鎌を振り回しているが、長谷川のいうように頭の回る妖ではない。すぐに囮役の式に気を取られているうちに、名取の式である柊の一閃で地に伏した。

 

「死んだのか?」

「いんにゃ、まだまだ」

 

 飯嶋の呟きに、長谷川が答える。長谷川のいうように、地には伏しているが妖はまだその霧のような腕の部分をばたつかせて暴れている。

 名取の式たちが力ずくで押さえつけると、パタリと乾電池がきれたおもちゃのように動かなくなってしまった。

 夏目はその動きに、本当に死んでしまったのだろうかと、腕を狙われていたというのに、ここまできてもお人よしを発揮し「離れていなさい」という名取の言葉を忘れ、じりじりと妖と距離をつめる。

 

「ぐっ!」

 

 それを、長谷川が襟首をつかんで静止する。

 

「君のその優しさは、いつか命取りになる」

 

 気道を絞められて、夏目が咳き込み前かがみになるのと、妖の黒い霧が飛び出してくるのは同時だった。

 

「「夏目!」」

 

 ぎゅるぎゅるぎゅる

 

『仁義八伝 彼宿の霊玉 天風矢来の豪雨と成りて 疾く 彼の 辣奸を 撃ちしだけ』

 

 丸い石同士が擦れる不快な音を立てて、長谷川の手首から弾けとんだ数珠が円を描く様に夏目と長谷川の前に陣取る。

 形を持たない黒い霧が、その円の中に飛び込んだ瞬間。円は急激な収縮運動を起こし、形無しの霧を文字通り締め上げた。

 

 ギュアアアアアアアア!

 

 黒い霧から金切りの悲鳴が上がる。

 

「そっちが本命ね」

 

 興味の失せた声音が嫌に響いた。

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

 翌日。

 鎌の妖を封じ込めている数珠を持った長谷川と飯嶋は、古井戸から離れた林道で名取と夏目に合流した。

 夏目は長谷川の持つ数珠に興味があるのか、彼の掌の中で美しい光沢を失くした黒ずんだ数珠をしきりにきにしている。

 長谷川は数珠を名取に手渡す。

 

「結局は問題を先送りにしているだけで、なんの解決にもなってませんぜ」

 

 古井戸から漏れる妖気は諦める気配などなく、今でも手段があればその身を我が物にしようと、夏目か飯嶋に襲い掛かるだろう。

 

「古井戸の綻びに関してはこちらで手配をしてるんだが、まだ到着してなくてね」

「そうですかー。まあ、気休めでしょうけど榊を植えるのを推奨します」

 

 所詮は地元の人間ではないので責任はない。長谷川の気だるげな発言に、しかし名取はそれを粛々と受け止め神妙に頷いた。

 夏目は長谷川の発言に首をかしげ、なぜ榊なのかと問う。

 

「榊は「境木」。俗なる空間とを仕切る目印として使われる樹木で、神職の人なんかが厄払いに用いる祓え串に使用されたり、穢れを祓う特別な力がある木といわれてるんだよ。だからあの空間を隔離するのに勝手がいい」

「へぇ」

「君もそちらの俳優兼祓い屋さんになにか習うといいかもな。自衛は必要だと思うけどね」

 

 揶揄するような長谷川の発言に「ああ、俳優かぁ!CMで見た!」と今更気付いた飯嶋が声を上げる。そのタイミングのよさに毒気の抜かれた夏目は、なぜかふふっと笑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 




ここまでの設定

飯嶋律…百鬼夜行抄の主人公。幼い頃から祖父譲りの強い霊感を持ち、祖父である蝸牛の命で小学校に上がるまでは、魔をよけるために女の子の格好をしていた。現在は従姉の晶と同じ恵明大学に通う大学生であり、民俗学を専攻している。その霊感故に日常的に妖魔や霊、妖怪の類と関わり意思疎通が出来るが、それらを退治したり操る術を持たず、彼らに振り回される日々を送っている。物腰は柔らかいが安易に人に心を開かない部分があり、友人も少ない。実は怖がりで人間の霊や自然霊は苦手。

長谷川虎徹…宵闇眩燈草紙の主人公格の一人である、長谷川虎蔵の息子。数多の日本刀や巨大な術、方術を扱う父に習い、一通りの手ほどきを受けている。ただし周りからの英才(!?)教育から、特化型ではなく器用貧乏へと変貌したため、劣化版虎蔵。実技→虎蔵、教育→朝倉。周りが人外魔境過ぎて、育ての親である木下と椎名になついている。そのため、宵闇勢の中ではすこぶる良心的。飯嶋のことは実家が面白いな、と観察しながら、友人みたいな関係を築いている。

夏目貴志…夏目友人帳の主人公。常人には本来見えないはずの「妖」を見る能力を持っている少年。以降にある妖怪に語り継がれている、強大な妖力を持っていたと言われる「夏目レイコ」の孫。両親を亡くして以来、妖が見えるゆえの奇行も一因となって親戚の間をたらい回しにされていたが、最近ようやく父方の遠縁の藤原夫妻のもとに落ち着いた。祖母・レイコの遺品である「友人帳」を手にして以来、そこに書かれている名を妖達に返すため、ニャンコ先生と共にせわしない日々を送っている。
フィールドワークで東京から訪れた上記二人と知り合う。


続く…かなぁ?


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