終焉世界これくしょん (サッドライプ)
しおりを挟む

一章 異界彷徨編
形成



 たまにはコテコテのテンプレをやりたかった。
 いい感じにタグが厨二臭くて香ばしいぜ!

…………え、そう思わない?




 

 

 初めに感じたのは“希望”―――。

 

 伊吹春也(いぶき・はるや)という少年は、平凡な一現代日本人の学生だった。

 平凡、というには語弊があるのかも知れない。少なくとも凡庸ではなかった。

 

 それなりに裕福な家に生まれ、父母の愛をよく受けて育った。

 欲したものは度を越した我儘でなければ受け入れてもらえたし、大きな病に掛かったこともない。

 運動も勉強も苦労するタイプではなく、どうしても届かない目標に挫折を経験するということもない。

 

 敢えて言うとすれば、能力の高さの割に将来に大きな展望を描くでもなく、独立行政法人か地方官庁にでも潜り込んで悠々と暮らそう程度の地に足がついているのかふわっとしているのか判然としない構想をもっていたこと。

 そして、その程度の能力くらいは持っていると過信ではなく自覚していたこと。

 あとは、いわゆる二次元コンテンツを趣味としていて、現実の女性との付き合いにさして興味が湧かないくらいか―――ぽいぬが嫁、などと冗談の域を超えて断言することはない程度だが。

 

 だが、それの何が悪い?と彼は思っている。

 平平凡凡大いに結構、それで多分に幸せな自分の人生を彼はこよなく愛していた。

 

 自分は恵まれている人間で、恵まれない人間なんて世の中には沢山いるだろう。

 “だがそれはそれとして”、彼は信奉していた。

 

 世界は希望に満ち溢れている、人生は輝いている………だからこの生きているということ、命は何よりも尊いと。

 

 生きるなんてのは多大なエネルギーを消費する行為だ。

 だからその収支がプラスマイナスゼロで収まるというなら、それは消費したエネルギー分だけの多大な幸せというプラスを得ているに“違いない”。

 それが、真の幸福量保存の法則というものだ。

 

 厳しい世間を知らない子供の発想?

 そう片付けるには、あまりに深く深く彼は信じていた。

 それに本来要領よく社会でも渡っていけるタイプだった彼の根源など、表出する機会なんて“ある筈がなかった”。

 

 

 命より尊いものなんて有り得ない、あってはならない。

 そうに違いない、そうに決まっている、そうでなければならない。

 

 

 だから今――――春也は、気が狂いそうになるのを吐き気と共に必死に抑えていた。

 

 目の前には地べたに投げ出された腕がある。

 染みが目立ち、皺が寄り始めた、中年女性のそれだと推察できる………もしかしたら違うかもしれないが、確かめる術はない。

 

 肩から向こうの持ち主がどこにいるか、知らないからだ。

 爆風で吹き飛んだのか、瓦礫のどこかに埋まっているのか、それとも砲弾が直撃して粉々になったのか。

 想像したくもないし、探しに行くなんて以ての外。

 

『KYYYYYYAAAAAA――――――!!』

 

「………っ」

 

 今隠れている屋根の残骸から姿を現わせば、あの黒い怪物に見つかってひたすら残虐に殺される。

 踏み潰され、食い千切られ、何度も何度も大地に叩きつけられ、蹂躙される。

 

 その光景を、何度となく既に見せられていた。

 

(そもそも、なんで、こんなことに…………!)

 

 友人と遊びに集合場所に向かうという、なんでもない日常の光景。

 何の前兆もなかった―――見慣れた休日午前の街並みが、比喩抜きで瞬く間に急変したのだ。

 

 無意識に瞼を閉じて開く、その程度の動作の間に変わり果てた光景に見覚えはなかった。

 地面にアスファルトのアの字も見当たらない砂の路面なんて春也の住んでいた近所には公園や学校の運動場を除いて存在しないし、プレハブ小屋よりも雑で脆い作りの家が立ち並ぶ様はここが日本だとすら思えなかった。

 

 日本人っぽい見た目のぼろい着物を着た住人達がなにやら此方を指差して変な服だの余所者だのと日本語を話していたようだったからとりあえず日本なのだろうが……それもすぐに阿鼻叫喚の奇声と悲鳴へと変わった。

 ワゴン車ほどもある大きさの黒い怪物が現れ、暴れ始めたから。

 

 体液か何かでぬめった気色の悪い体表と、まるで人間と同じような形の歯を持った大きな口。

 水上生物が無理に地上に上がる為に取ってつけたような、腹をこすりながら―――肉食獣さながらの速さで巨体を運ぶずんぐりした後ろだけの二脚。

 一応とはいえまがりなりにも生物の外観を持つくせ、背部に癒着した鉄の砲塔。

 それが飾りでないのは、爆音が上がる度に端材で組み立てたぼろい家々が次々と崩れていく有り様が証明していた。

 

 火薬の臭いと無機物が燃える嫌な臭い、それが粉塵に混ざって噎せそうになる中、春也は咄嗟にすでに崩れきってしまった屋根の隙間に身を隠した。

 彼と違い、その怪物がいかなるものかを知っていた人々は、それ故にパニックになり―――現実感の無さも相まって落ち着いて行動した春也の代わりとばかりに目立っては殺されていった。

 

 想像力の欠片もなくただ恐怖のままに泣き叫び蹲る幼子が肉塊へと真っ先に転じ、我が子を殺された親が狂乱して怪物に挑みかかって弾け飛ぶ。

 瓦礫に挟まれた老人が更に上から踏み潰され、それらに目もくれずひたすら足の速さのみを頼って一歩でも遠くを目指した若者は……回り込むように別方向から現れたもう一体の怪物の餌と化す。

 

 そう、怪物は一匹ではなかった。

 確認できただけで、少なくとも三匹はいる。

 

 一匹だけなら、その視覚に頼っているのかどうかも分からないぎらぎら光る眼に映る前に隙をついて逃げ出す道もあっただろう。

 だが、あんな怪物が合計で何体いるのかも分からない、そんな中あても無くただ走るのは愚策でしかない。

 

(向こうに行け、行けよ!どこか遠くに、遠くの果てに………消えてくれよ、早くッ!)

 

 春也はただ見つからないように必死で祈りながら物影で震え、その暴虐が過ぎるのを待っていた。

 

 粉塵と煙に乗って立ち込める死の気配が、己にも迫っている。

 非現実的な状況に置かれて、それでも“生命の終わり”という現実は確実にそこにある。

 嫌でも実感せざるを得なかった。

 

 

……………“だからこそ”。

 

 

 怒りを感じていた。

 恐れよりも怯えよりも、何よりも怒りでその身を震わせていた。

 

 許せない。認めない。

 

 この世の何よりも尊い命という至高が、こんな風に奪われていい筈がない。

 

 

 そんなことをするような何の価値もないゴミが存在している事が許せない。

 そんなことをするような何の価値もないゴミが勝手を働くなど、認めない。

 

 

(なんて……くそっ、畜生!)

 

 それでも、少なくともこの時点ではただの平凡な人間である春也に出来たのは……土埃に塗れながらも奇跡的に無傷で気を失い路上に横たわっていた誰かを見つけ、自分の隠れている場所へと引き込もうとするくらいだった。

 

 それはかなり危険な賭けだ。

 “誰か”は春也から見て僅か数メートルの位置だったが、その短くて限りなく遠い数メートルを詰める為に一度姿を晒す必要がある。

 だが遮蔽物もなくいつ気付かれるか分からないような場所にこのまま寝かせておけば、いずれ嬉々としてあの怪物はその眠りを永遠のものへと変えようと襲いかかるだろうし、そうなれば直近にいる春也も危ない。

 

 何より………救える命がそこにあるのなら、これ以上失われるのを見るわけにいかない。

 

「~~~しっ……!!」

 

 気合を入れる為に少しだけ息を強く吐き、駆けだす一歩。

 すぐさま渾身の力で大地を蹴り、跳ね跳ぶ二歩。

 まだまだ高校生の自分より一回り小さなその体をすぐさま抱えようと、着地ざまに屈みこむ三歩。

 

 そして。

 

「え………?」

 

 

 

「素敵な提督(ごしゅじんさま)、見ぃつけたっ!!」

 

 

 

 “誰か”に触れた途端に春也の意識が一気に遠くなり、その体の上へと倒れ込んだ。

 

 

 

そして春也を逆に抱き止めて支え、上体を起こす“誰か”―――少女。

 

 淡く輝く長髪を粉塵の中軽やかに舞わせ、体表の汚れが自ら厭うように霧散する。

 “抜け殻”の春也を体格の割に肉付きのいい胸の中に受け容れ、彼の意識を自らの内に染み渡らせ―――その幼けで愛らしい顔に、朗らかな笑みを浮かべた。

 

「あはっ」

 

 感じる、分かる、流れ込んで来る。

 “この世界”の人間に現れ得ない暖かな祈りに、揺れた。

 理由はどうあれ、彼女を救うために奮った激情に、痺れた。

 それでもできるのはこの程度だと、抱えた無力感に、疼いた。

 そして敵………深海棲艦へと集束したドス黒い殺意に、濡れた。

 

「あはははははははははっっ!!」

 

 惚れた――ッ!!

 

 ひとめぼれどころか、彼の笑った顔すら見ていない。

 それでも優しく優しく懐に抱く名も知らぬ少年に、愛を覚えた。

 

 そんな少女の哄笑に、当然その存在を察知した黒い怪物が勢いよく飛びかかる。

 火照った顔を少女が上げる頃には、既にその巨体の影が二人の全身を覆うまでになっている。

 

 一目瞭然の質量差という、明確な脅威。

 このまま数秒後には少女と春也は押し潰されて無残な肉塊へと変わるだろう、そんな安易な結末。

 

 迫る暴威、重量という名の単純にして凶悪な武器で、残虐な怪物はバッドエンドを狂った視界に移さんとする。

 それは未来予知?………否、ただの、妄想だ。

 

 

「邪魔」

 

 

 だから、拉げ波打ち無理やり変形させられて叫ぶ鉄の悲鳴が劈きかき消した。

 

 少女は、ただ白魚のように滑らかな肌の、小さな手をかざしただけ。

 当然、そんな細い指と腕で受け止めようなどと誰が予想し得たか。

 

 だが少女の掌に触れた途端、怪物は見えない壁にぶつかったかの様に―――むしろ“殴り返された”かの様に、前面から醜く圧潰した。

 そして、空中でその速度を完全に消失させ少女の眼前に墜落する。

 

「ん……しかも大当たりっ。ろくに活動もできない提督もどきの初陣に駆り出されて、案の定戦場でプツンって逝った時は最悪だって思ったけど、っと」

 

 なにやら呟きながら、春也を左腕に抱えたままバランスを取りつつ立ち上がった少女。

 そののんびりした動きに忘れそうになり、また彼女も忘れている様に見えるが、そこは未だ戦場である。

 

 仲間が死んだことか、それとも少女が己らの天敵かつ怨敵であることか、そのどちらを嗅ぎ付けたかは怪物自身も預かり知らぬ。

 もとよりそんな知能のある個体達ではない。

 

 しかしこの町を襲撃した時と同じく、示し合わせた様に一斉に怪物達は少女の方向目指し駆けた。

 隠れる素振りも無い少女は容易く視界に捉えられ、そして己の武装の射程に入るや否や怪物達は躊躇いなくそれを解き放つ。

 

「………うるっさいなあ」

 

 不満そうに唇を尖らせ警戒する雰囲気など欠片も見せない少女は、しかし不意に、空いている方の腕を大きく振るった。

 ぶん、ぶん、ぶん………都合三度。

 軌道も無茶苦茶で、おざなりにしか見えない無造作な動作は、しかし常人には眼にも見えない速度で風を切り裂く。

 

 そして、それに合わせて爆音が三つ。

 正確に刻めば、少女が腕を振る前に鳴った砲弾の発射音と、直後の爆発音の六回。

 鈍く物騒な轟音の割に、いっそ滑稽なほど小気味いいリズムで空気を震わせた。

 

 そして少し離れた場所で、怪物達が三匹、背の砲塔のあった場所が抉れながら炎上し、のたうつ。

 肉と鉄の同時に焼ける、名状しがたい複雑な臭気は―――既に怪物達が暴れたことで発生していた。

 最期に自分達もそれに混ざった、ただそれだけのこと。

 

―――天よ、自ら殺す者を殺せ。

 

 自らの放った殺意を叩き返され、今度は無残に潰される弱者へと転がり落ちた怪物達。

 そんな理屈を理解できた理性など無い怪物達はただこれまで通り暴れようとするが、その体躯は僅かに震えるだけで、最早用を為さない。

 

 次第にその震えも微細になり………完全に動きを止める。

 見える範囲の敵の行動停止と共に、周囲にあの凶暴な怪物の瘴気の気配が無いことを確認すると、少女はその小さな体で眠ったままの春也をおぶさって歩き出した。

 

 

「大勝利、夕立ってばほんとついてるっぽい!それに提督さんとの相性最高っ!」

 

 

 黒と赤のリボンからなるセーラー服、その短い丈のスカートをふわふわと舞わせながら、提督(あるじ)と認めた自分よりも体の大きい少年を背に軽やかに跳ねる。

 霊式祈願転航兵装、通称『艦娘』―――その中で駆逐艦『夕立』の銘を持つ兵器は、そんなことを感じさせない明るい笑顔で肩に乗せた春也の横顔を優しく見つめていた。

 

「提督さん、きっとすぐに起きるっぽい。そしたら褒めてくれるかな?」

 

 辺りは当然ながら怪物が滅んでも人の死体が撒き散らした血と臓物が、土をどす黒い泥だまりに変える地獄のままだ。

 この世界では珍しいことなどでは決してなくて………そんな中を、純真そのものの、見た目は少女の兵器が歩き続ける。

 

 この未だ火が燻り続ける廃墟の町で生きている“人間”は、異邦人かつこの日より夕立という艦娘を従える超越者、『提督』となった伊吹春也ただ一人。

 

 今はまだ何も知らず、ただ凄惨な悪夢をリフレインしながら眠り続けていた―――――。

 

 

 





「役者が凡人なら芝居は三流か。人の生き死にを歌劇と一緒にするんじゃねえよ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夕立


 前話のあらすじ

 大した理由も伏線も無くトリップ→見知らぬ土地→モンスター遭遇→ヒロイン遭遇→助ける・無双・ヒロインが主人公に惚れる

 というわけで、なんだか艦これ+αでキャラと設定だけ引っ張って来たなろう系作品臭がしております。
 無双(ヒロインが)はここ最近見ない気がするけど。



 

 意識がゆっくりと光を取り戻す。

 

 霞む視界、涙が固まって開けにくい瞼、痛む頭に軋む間接。

 その目覚めは春也の人生にとって最も調子の悪いものになった……、

 

「ぽい~っ、ぽい~っ、ぽいっ!」

 

……筈、だったのだが。

 

「地獄を見て起きてみたら俺の嫁がなんか楽しそうに歌ってる。実は天国だったのか」

 

「ぽいっ!!?」

 

 開口一番に頭の悪い寝言をほざいたのは、地獄(前者)は夢と思いたい、天国(後者)は夢としか思えない、そんな状況だったからだろう。

 

 春也が熱中しているゲーム『艦隊これくしょん』で現れる軍艦の擬人化少女の内の一人、夕立。

 無邪気で天真爛漫、子犬のように懐いてくる褒められたがり、一見いいところのお嬢様風の容貌でありながら兵器としての性能は攻撃力特化というギャップ、ありとあらゆる特徴が春也にとってどストライクの女の子だった。

 

 元は平面のデフォルメが施された絵の中の少女と三次元の実体の差異にも関わらず、声も見た目も雰囲気も、目の前の少女は大好きなキャラクターそっくりそのものとしか思えない。

 そしてリアルに現れていきいきして動く分もっと可愛く感じる美少女が、起き抜けにアップで満面の笑みを見せている、しかも聞いていてとても和む愛らしい声の歌付き、そんなシチュエーションが正に今この時である。

 

 二次元は二次元だからこそいいと言う類の人もいるが、少なくとも春也にとっては正に夢のような光景だった。

 現実と空想は混同しないという良識を持ち合わせていても、いざ実際に空想が現実化するとなればそれはそれで諸手を上げて大歓迎なのが人間だろう。

 

………そんなテンションでつい口を滑らせたのだが、初対面の女の子を嫁呼ばわりなどよく考えなくてもドン引きものの発言である。

 

 寝起きはそこまで悪くはない春也は、顔を擦ってべたつく肌の気持ち悪さを拭いながら、そういう仕草の陰で『夕立』としか思えない少女の反応をうかがう。

 場合においては、およそ想定される九割の分岐で土下座に入る準備をしつつ、眼前の美少女は―――、

 

 

「ぽいー、えへへ………提督さんってば、だいたーん!夕立、提督さんのお嫁さんになれるっぽい?ぽいっていうか、もうなってる?きゃー!!」

 

 

「なん、だと……っ!?」

 

 もの凄く満更でもなさそうだった。

 

 幼さの残る丸い頬を桜色に染め、それを手で押さえながらいやいやするように首を振っている。

 つられて舞う彼女の仄白い髪の向こうに見える満面の笑みが、そのご機嫌と喜びっぷりを十分に表わしていた。

 

 条件反射のように春也の脳内で流れ始める深い絆が云々のBGM。

 とはいえ、そこからじゃあよろしくと抱きしめて押し倒してキスして、といける程はっちゃけた人間でもないので、土下座しなくてよさそうとなったら逆にどうすればいいか全く思い浮かばない春也。

 

 思わず辺りを見回して、そして木の根が張りだした砂の地面に手をついて。

 

…………紛れも無く今が夢でないことを、悟らざるを得なかった。

 

 寝かされていたのは、山道でもないのにろくに舗装されていない砂の街道。

 旅人を少しだけ遮るような、張り出した樹の根元の陰だった。

 

 休んでいる脇には、黒ずんだ染みの付いたリヤカーが置かれ、中に汚れた金属片や何かの部品の残骸、ボトルに入ったなにやら濁っている液体などのジャンク品が積まれている。

 その内のいくつかには見覚えがあり―――あの怪物の巨体を構成していたものなのだと直感した。

 

 訳の分からない場所にいるのは相変わらず、そしてあの怪物が暴れていたことも春也の見ていた夢などではないと、まるで突きつけるように証拠がそこにある。

 持ってきた当人に、そのつもりはないのだろうが。

 

「あ、提督さん、報告!敵駆逐級四隻、殲滅。損害は皆無!残骸から、まとまったお金になる分の“資源”はその中に確保してるっぽい!」

 

「え?えっと、資源?」

 

「残りは夕立の補給に充てて、それでも余った分は諦めて置いてきたっぽい」

 

 褒めて褒めてーと頭を差し出してくる少女―――夕立と名乗っていることだし、春也はそう呼ぶことにした。

 つい手がその上に伸びそうになったが、掌が砂まみれなことを途中で思い出し不自然な軌道でわたわたとさまよわせつつ、まず色々と訳の分からないことを分からないなりに少しでも解決しようと質問で返す。

 

「その、ごめん………色々確認させてくれ。君は夕立、でいいのか?艦娘の?」

 

「ぽい!白露型駆逐艦『夕立』よ。よろしくね!!」

 

「それで俺が君の提督?」

 

「っぽい!!」

 

 

 夕立は艦娘っぽくて春也は提督っぽいらしい。

 

 

…………訊き方もうちょっとなんとかならなかったのか、と春也は自分に苦情を申し立てた。

 

 ただでさえ公式では細かい設定がされていないというか、メディア媒体どころかライターごとに“艦娘”という少女達がどのような存在か全く違ってくるような作品が『艦隊これくしょん』である。

 ゲームではなく現実に自分が夕立という艦娘の提督になったからといって、感慨深さを覚える前にまず艦娘、提督とは具体的に何を指すのか分からないと何も進展はしていない。

 

 春也は自分なりに座ったまま居住まいを正し、まず夕立に向き合った。

 きょとん、とする彼女に一度頭を下げると、固い声で切りだす。

 

「ごめん夕立、いろいろ質問していいかな。だいぶ長くなると思う」

 

「………ん。なんでもこの夕立に頼るといいっぽい!!大丈夫、夕立提督さんのお願いなら全部聞いちゃうっぽい!」

 

 ぴしっ、と妙に様になっている海軍式敬礼と共に朗らかな笑顔で返してくれる夕立。

 初対面なのになぜこんなに好かれているのだろうと思いつつも、この不可思議過ぎる状況下でその存在は既に春也の中で癒しであり、救いとなっていた。

 

 

 

…………。

 

 

 20世紀中盤の話だ。

 

 世界の広さをおおよそ測り終えた人類は、その広さを悟りながらなお飽きもせずに野心と欲望と、それに対する拒絶反応に突き動かされるままに同族での奪い合いを続けていた。

 

 少しでも自分の国を大きく、強く、より豊かに――――結局はそこにしか収束し得ないエゴをイデオロギーという正義の皮で塗り固め、やがては自らを列強と誇る者達が熱狂のままに何百万と殺し合った戦いがあった。

 

 大東亜戦争………後の世に第二次世界大戦と呼ばれる“筈だった”戦争。

 それを終わらせたのは、都市を灰塵に帰す殺戮爆弾でも戦車と軍艦と戦闘機が物量のままに波と押し寄せる光景でもない。

 

 外敵を忘れて同族で殺し合っていた人類を、突如として幾千幾万年ぶりに食物連鎖の頂点から叩き落とした海の怪物、深海棲艦。

 春也が目撃したあの化け物達が、その序列階層の最低位に燻る超越種。

 

 その出自は戦没者の怨念の集合体だの突然変異だの色々言われているが、深刻なのは、その脅威が瞬く間に数百万数千万と戦力を増大していったことだった。

 その被害はシーレーンが壊滅したなんてぬるいものではない。

 

 一切合切、蹂躙された。

 

 人同士の戦争に向けていた全精力を防衛に裂いてなお、世界各地から国が消えた。

 飛び地として利益を貪られていた植民地から本土防衛の名の下に戦力が引き上げられ、見捨てられた現地民は迫る深海棲艦の前に為す術なく生け贄と化した。

 それで見捨てた側が助かったかといえばそれもなく、有効打を与えられない火砲で押し下げられる一方の防衛線を築くのが精一杯。

 

 ただ黙って滅ぼされるのを待つ人類では当然ないが、しかし逆転の打開策などそうそう出ない。

 せいぜいが米国の未だ実験もろくに行えていなかった核兵器と―――日本の投入したオカルト兵器、『艦娘』くらいのものか。

 

 それらは果たして最後の希望なのか、それとも窮鼠の一噛み程度に過ぎないのか。

 半世紀以上を過ぎた現在の世界の有り様を見れば、あるいは歴然なのかも知れない。

 

 統治機構も満足に働かず、沿岸部でなくとも日々深海棲艦の襲撃に怯える村々。

 彼らは知らない――――深海棲艦の無い世界と、そして外国という概念そのものを。

 

 ここ三十年、提督が前面に立つことで辛うじて戦力としての体裁を保つ『大和鎮守府』―――政府とはとても言えない上に外に目を向ける余裕が無いとはいえ、その公式記録に、日本人以外の生きている人間を確認したものは存在しない。

 

 そう、つまりは―――――。

 

 

「世界は滅亡するっぽい!!」

 

「な、なんだってーーーっ!?」

 

 

 春也にとっては以上の概要を理解するまでぽいぽいぽいぽい気の抜ける語尾を挟みながら、夕立との問答や説明を繰り返した為、いまいち緊張感に欠けていたが。

 紛うことなき終末世界の有り様がそこにはあった。

 

(勘弁してくれよ………)

 

 目眩がしそうになるのをこらえ、春也は軽く溜め息を吐く。

 

 経緯をどう辿ったところで、明らかにここは自分のいた世界ではない。

 ただでさえ身一つで唐突に何も知らない場所に放り出され、帰る手段など分からない。

 それに加えて、元の世界―――春也のいた日本の日常のように、余程の不幸でもない限り命が脅かされることなどそうそうない安全も保証されてはいない。

 

 あの怪物―――深海棲艦に人々が虐殺され、村が滅ぶ光景だって、この世界ではよくあることなのだ。

 忘れ得ぬ血臭や、惨たらしく潰された死体の光景が、信じられないだの現実感がないだのといった戯れ言をいともたやすく打ち砕く。

 

 降りかかった理不尽に、さて考えられる反応としてはひたすら泣きわめくか、塞ぎ込んで現実から逃げ出すか。

 そうした当たり前の反応は理屈の上では何ら生産的ではなく、それどころか現状では命取りにすら成りうるが、それでも感情が先行するのが人間だろう。

 

 春也もまた、そうしたくなる誘惑を覚え――――理屈を取った。

 

「…………ん、なんとなく分かった。ありがとな、夕立」

 

 どれだけ衝動が襲っても、生きるのを諦める選択肢は取らない。

 そんな彼は、さて器用なのか要領がいいのか。

 

 夕立は、どこか澄んだ瞳で春也をじっと見つめてきていた。

 

「俺、この通り異邦人だから、知らない事が多すぎるくらいだけど――――」

 

「だいじょうぶ」

 

 夕立には、春也がこの世界とは違う場所、少なくとも深海棲艦なんて影も形も無い世界から来たことを既に伝えてある。

 

 夕立は、僅かも疑う事なく信じてくれた。

 

 純真だからとか、騙される事を知らないとか、そういうことではなく―――多分、もっと深い理由で。

 

 

「提督さんは、戦える。提督さんは、生き抜くことができる」

 

 

「そっか。それだけ分かれば、とりあえず今はいいや」

 

 砂を踏み締め、立ち上がった。

 

 この世界に来て、あの惨劇があったのが何時のことで、そこから何時間春也が気絶していたのかは分からない。

 丁度高く登った太陽が憎らしいくらいの青空を支配する下で、眩しそうに目を細めながら見上げてくる夕立に、春也は笑顔を返した。

 

 そんな彼の手を取り、こっちの方ー、とさしあたっての進行方向を示す夕立。

 暫くは何もかも彼女に頼ることにはなるだろうけれど。

 

 とりあえず、一歩踏み出してみた。

 

 

 

「提督さん、荷物荷物ー!置いてっちゃまずいっぽいー!」

 

「あたたっ、腕引っ張るな夕立、なんか関節が今ぐきって………!」

 

 

 そしてすぐ引き返した。

 

 






「………ロリ巨乳かな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異能


 ちなみに後書きのセリフを喋ってるのは主人公です。
 なんとなく言わせてみるシリーズ。

…………え、前話が酷過ぎる?




 

 春也が前振りらしい前振りもなく世界を移動して、二日が経過した。

 戦場で気絶して目を覚ますまで半日、それから夕立の案内で街道を行ったり山道を行ったりしながら歩き続けて、夜は適当な草葉の茂った場所を寝床にして。

 

 現代の若者らしい生活を送ってきた彼にとって、完全に徒歩で丸一日移動し続けるのも、野宿をするのも初めての体験だった。

 

 夕立と交代でリヤカーを引きながら街歩き用のスニーカーで舗装なにそれおいしいのみたいな道を数十キロ歩いたが、不思議と足に不調を覚えなかったのでそれはいいとしても。

 あらゆる場面で最初に予想した通りに彼女に頼り切りになったのは、やはり情けない気持ちになった。

 

 そもそも壊滅した名も知らぬ村から旅装や携帯食糧に水、野営道具一式などを原型を留めているかも判らぬ持ち主から拝借し、旅の準備を万全にしたのも夕立なら、それらの使い方をあれこれ教えてくれたのも夕立である。

 

 二十分ほどどこかへ行って、野ウサギを仕留めて血抜きしながら帰ってきたり、それを捌いて丸焼きにしたり。

 グロいのがどうこうはあれだけ人間の死体を見ておいて今さらであるが、頬に飛び散った血を擽ったそうに拭う夕立の仕草は妙に背中に来るものを感じた。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 二回目の野営でたき火を囲み、まだ半分赤い空の下でこの世界でも変わらぬ日本人の食事後の挨拶を交わす。

 糧となった食材に対する感謝と言われるこの挨拶だが、もしウサギに意思があったらふざけるなお前ら、と言われる気がしなくもない。

 

 が、実際にウサギの声が聞ける訳でもない春也と夕立は、文字通りワイルドな食事を食べ終えた満腹感のまま和やかに会話を交わした。

 

「夜は、ちょっと冷えるな……もともと春先の昼間だったから、結構薄着だったし」

 

「今日が四月の七日。気温は、んー、毎年こんな感じっぽい?」

 

「マジか、少なくとも日付は一致してるのに………地球温暖化ヤベえ」

 

 春也のこの世界に来た時の格好は、濃紺のジーンズに適当な英字がプリントされた黒の半袖Tシャツ、その上に厚手の半袖パーカーだった。

 綿や麻の着物の中に紛れれば確実に変な服で浮くし、異邦人丸出しだろう。

 

 この世界の暦や文化、気候などは少なくとも戦前日本のそれと類似のものなのは確認済みだが、深海棲艦のせいで文明が大正・明治から全力で後退し続けているこの世界に温室効果ガスの影響等はほぼ無いらしい。

 春也のいた日本の都市部で陽気の下活動する為の服装ではちょっと寒過ぎた。

 

 厚手の外套を羽織り直し、焚き火で十分体を暖めておく。

 完全に夜になる前に火は消さなければならない。

 

 野獣よりも深海棲艦がいるので、明かりをずっとつけているわけにはいかないのだ。

 火を怖がるような殊勝さを持ち合わせていない化外にそれは「ここにいるから襲ってください」と言っているようなものである。

 

「~~~ぽいっ!」

 

「ゆ、夕立?」

 

「これなら暖かい、っぽい?」

 

 ふと思いついたように隣にいた夕立が頭を低くして、春也の外套に潜り込む。

 

 反応する間もあらばこそ、外套を下から伝ってもぞもぞと懐から顔を出した夕立がにぱっと笑った。

 そして密着した体温を押しつけるように、すりすりと肌を擦り合わせて来る。

 

 むにむに、女の子らしい柔らかい部分が付随するように春也に感触を一緒に伝えてきた。

 

「どう、提督さん?夕立あったかい?」

 

「暖かいっていうか……うあっ!?」

 

「ぽかぽかしてる…夕立、これ好きっぽいっ」

 

 華奢でまだまだ幼い容貌なのにしっかりと膨らみを主張する胸や尻を無邪気に押しつけながら、嬉しさと恥ずかしさで頭に血が上って硬直する春也とのスキンシップに、夕立は喜び頬を赤らめる。

 

「提督さんっ」

 

「!!ちょ、待っ――――」

 

 そして、より一層深くその感覚を伝え合う為に、ぎゅっと強く抱きついた。

 

 

 

 暫く経って、日が完全に落ちて、火の代わりに木々の隙間から顔を出した星々を眺めながら、春也と夕立は語らいを続けていた。

 

 ちなみに、慣れたというか開き直ったというか陥落してしまった春也は夕立を懐に抱きしめながら時たま頭を優しく撫で撫でしている。

 そもそもからして夕立が嫁だと冗談でも常から語っていた少年が押せ押せされれば、転げるのなんて一瞬に決まっていた。

 

「そういえば、夕立ってどういう風に生まれたんだ?」

 

 いとも容易く勝ち得た至福を堪能していた夕立は、春也の疑問に緩んだ顔のまま応える。

 

「ぽい~。えへへ、夕立は……忘れたっぽい!!」

 

「ええっ!?」

 

「冗談よ。駆逐艦だから、他の艦娘と同じようにそこそこお手軽に作られて、適正があるとか言われた提督もどきにお試し品みたいに『ぽい』されたから、あんまり思い出したくないだけで」

 

 その結果が戦場に放置である。

 春也がいなければそのままスクラップになっていたかもしれないと考えると、地味に暗い過去だった。

 

「夕立……」

 

「でも、そのおかげで提督さんに会えたから、よく考えるとそんなに悪くないっぽい?」

 

「お、おう」

 

 なんとなく抱きしめる腕の力を強くすると、夕立もそれに応えてぎゅっと春也にしがみついた。

 

「じゃあ……艦娘は、どうやって生まれるんだ?」

 

 話題転換しているようなしていないような、そんな問い。

 不器用な気遣いに乗って、夕立は明るく返す。

 

「夕立も良く分かってないっぽい!深海棲艦の部品をたくさん積んで、神社みたいなところでいっぱいお祈りすればなんか生まれるみたい」

 

「………アバウトだなー。大丈夫なのかそれで」

 

 深海棲艦の怨念を浄化して、それを媒体に在りし帝国を護る為に尽くした艦と英霊達の魂が再び護国のため陽の気に転じた『艦娘』をこの世に産み落とすうんぬんかんぬん。

 艦娘とは“艦っぽい娘さん”ではなく、“艦を親にした娘”なのだ、要約すればそんな感じのことをその“神社みたいなところ”は言っているらしい。

 

「だから深海棲艦(やつ)らの死骸はいいお金になるっぽい」

 

「それ、売りに行くのがとりあえずの目的だもんな」

 

 艦娘の材料になるらしい、傍らのリヤカーの積み荷になんとなく目をやる。

 星明りで輪郭しか見えない残骸たちが夕立と同じような存在になると考えても、どうにも実感が湧かなかった。

 それでも艦娘を生産する場所で一月は遊んで暮らせる額を出してもらえるようだが。

 

「ひとまずお金、か……まだまだ学生の筈だったんだけどな、俺」

 

「今は提督っぽい?」

 

「………そういうこと」

 

 おあとがよろしいようで。

 

 生きて行くのにとりあえずお金を心配する、あと数年はあった筈のモラトリアムが消えたことに溜息をつく春也。

 

 最初は深海棲艦の脅威に命の安全の心配をし、次はお金という生活の心配をする。

 それが解決されても………次の心配が湧くのは、人生の宿命か人の悲しい性か。

 

「それで生活の目途が立ったら……そしたら、どうしよう?」

 

「夕立は提督さんについて行くっぽい!」

 

 ここまでの指針をくれた夕立も、流石にこれ以上先導を期待して依存することはできないらしい。

 意識してか否か、「あとは自分で決めろ」と元気よくぶつけてくる。

 

―――後ろで自分が支えるから、というエールを乗せて。

 

「ありがとな、夕立。………おやすみ」

 

「もう寝るっぽい?……ん、おやすみなさい、提督さん」

 

 感謝の言葉と、最後に頭を一撫でして春也は歩きづめだった一日の体の疲れを休める為に、眠る体勢に入る。

 目を閉じた闇の中で聴こえたおやすみの囁き声は、そっと包み込むように優しい声だった。

 

 

 

 そして、翌日。

 

 リヤカーが崩れないようにぐねぐねと回り道をしながら、森を抜けていく二人。

 方向の目印にしている太陽が丁度南を指す頃、夕立がその顔を強張らせた。

 

「――――敵がいる」

 

 交代に押していて、丁度夕立の番だった荷物を置き去りに駆けだす夕立。

 一瞬躊躇するが、こんな人気もない山の中で盗難もないだろうと、春也も一呼吸遅れてその後を追いかけた。

 

 そして数百メートルも走ったくらいか。

 坂の上の高台になっている場所で見下ろせば、あの黒い怪物がその背中を晒している。

 醜い造形、気色の悪い表肌。

 最初に春也が見た奴らとの違いがあるとすれば、背中に砲塔を背負っていない代わりに、両横にそれより細い銃身を構えていることか。

 

「た、助け、誰か助けてぇーーー!!」

 

 そして、春也より数歳ほど年若い子供に殺意を燃やし、腰を抜かすその子を死肉に変えようと歩み寄っていた。

 

「………っ!!」

 

 その光景を見て、胸の中から燃え立つような何かを感じる。

 知っている、これは怒りだ―――命という至高の価値を奪い去るゴミに対する、抑えきれない嫌悪と憎悪だ。

 

 

「―――夕立、俺はどうすればいい?」

 

 

 具体性を欠いた質問、その曖昧な真意を迷いなく夕立はつかみ取る。

 即ち―――あれを潰す為に、どういう風に戦えばいいのか、と。

 

 どこか凶暴にも見える笑みを浮かべ、夕立は簡潔に返した。

 

「とりあえず殴り飛ばすッ!!」

 

「分かりやすくていいな、それ――――――ッッ!!!」

 

 迷いはなかった。

 自分より何倍も大きなその怪物に、駆け、跳びかかり、そして、勢いのまま力一杯込めた拳で春也は横合いから殴りつけた。

 

 この世界に来た当初、怯えることしか出来なかった化物に。

 提督(超越者)になる前、震えて隠れるしかなかった深海棲艦に。

 

 餓鬼の喧嘩も殆どしたことのなかった現代の優等生が――――その拳で、数トンは下らない体躯を揺るがす。

 

 出来ない気がしなかった。

 

 吹き飛ばす、とまではいかないものの―――確かに苦悶のままに転がっていく丸い巨体。

 土を巻き上げ、木をなぎ倒し、十メートル分は山を荒らしただろうか。

 

『KYAOOOO――――ッッッ!!?』

 

 少しふらつきながら起き上がり、黒い怪物は声なき声で春也に向き直る―――その前に立ち塞がったのは、夕立。

 

「艦娘と繋がった提督は、それと同じだけの力を得ることが出来る。

 今はまだ“この程度”………でも、こいつらを倒して、その魂を吸収して夕立の練度を上げれば、もっともっと強くなる」

 

『KYYYAAAAAAAAAAA!!!』

 

 不意の邪魔者目掛けて殺意を膨らませ、そして爆発させる怪物。

 側面の銃身を暴れさせる―――秒間に何十発も鉛玉を吐きだす、機銃だった。

 

 そして次の瞬間、その複雑な機構が誤った方向に威力を発揮したのかと思うほど、派手に破片を散らしながら銃身が爆散する。

 

 僅かな間のみ吐きだされていた音速を超える弾丸の群れの動きを、人間としてはおかしいことだが春也はかろうじて見ていた。

 

 夕立の小さな体に触れるか触れないかの瞬間、彼女の肉体を貫通して無残な姿へと変えようとしていた弾丸達がその向きを180度転換し、さらに“倍の速度で”返っていった。

 時折後からきた銃弾とぶつかりながら、しかしやがてはブレた発射口へと吸い込まれ―――暴発。

 

 内臓した火薬が、両側から黒い怪物を襲い抉ったのだ。

 

「……凄いな、それ。倍加反射―――俺も使えるのか?」

 

「ううん、これは夕立にしか使えない。

―――提督さんの祈りを受け止めた、“この”夕立だけの力。

 大丈夫、これがあれば提督さんは、すぐに、どこまでも強くなれるわ!!」

 

 得意げで、そして嬉しそうな笑顔で右腕を前に付きだす夕立―――虚空から現れた砲台がその腕に装着され、そして火薬の炸裂する砲音を高らかに撃ち鳴らす。

 内側から自身の威力を喰らった苦悶にのたうつ深海棲艦にトドメの砲撃を叩きこんだ夕立が振り返って笑いかけてきた。

 

(俺の、祈り―――)

 

 思い出す、最初に夕立に手を伸ばした時、自分は何を感じていたか。

 

 恐怖?勇気?違う、そういう感情があったのは確かだが、その根源は。

 

―――許せない。認めない。

 

―――この世の何よりも尊い命という至高が、こんな風に奪われていい筈がない。

 

 

―――そんなことをするような何の価値もないゴミが存在している事が許せない。

―――そんなことをするような何の価値もないゴミが勝手を働くなど、認めない。

 

 

 存在を許さない排除の意思と。

 勝手を認めない防斥の意思と。

 

 “ゴミ掃除”は効率的にやるものだ。

 ならば、二つを両立し合一した形で出現したこの異能は、必然の産物だった。

 

 春也は己の手にした力、そして夕立という艦娘の提督になったという事実の意味を再確認した。

 そして、夕立のものと同じ、凶暴性を孕んだ笑みを返す。

 

 

「改めて、白露型駆逐艦『夕立』よ。よろしくねっ!」

 

「伊吹春也、お前の提督だ。改めてよろしくな、夕立」

 

 

 





「人の命を大事にしない奴なんて大嫌いだ。死んでしまえ!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

村落


 この話考えた時にね、艦娘って書いてエイヴィヒカイトって読むと無茶苦茶頭悪いよね、っていう発想があったんだ。
 で、それ前作のあとがきで言っちゃったんだ。

 別に自分だけがそんな斬新な発想してた俺すげえとか、自分以外にこんなの考え付く人がいる訳ないとか思ってた訳じゃないよ?ないんだけど。

……………あったよ他にも。艦これとDiesクロスさせて、艦娘を聖遺物っぽい扱いして書いてる作品。

 サッドライプにその作品とその作者を馬鹿にする意図はございません本当に申し訳ありませんでした(土下座




 

「提督様じゃ、提督さまじゃあ!!」

「ありがたや、ありがたや……」

「ほんにありがとうございました……!!」

「てーとくさまー」

 

 

「…………何これ?」

 

「ちょっとついていけないっぽい……」

 

 

 提督、伊吹春也とその艦娘、夕立。

 

 着物の集団に跪かれ、手を合わせて拝まれていた。

 着物と言っても、麻の質感が目に見えて分かるごわごわのそれで、何度も継ぎ接ぎした跡が誰のそれにもある。

 その背景には彼らの住んでいるであろう、地震でも来れば簡単に倒壊しそうな木造のボロ家が、ちらちらと芽を出しつつある畑を挟んでまばらに建っているのが見えていた。

 

 そんな、過疎の田舎集落―――あるいは、この世界ではこれが普通なのかも知れないが―――そんな場所で春也がお地蔵様よろしく奉られているのは何故か。

 他でもない、つい先ほど深海棲艦から助けた子供が、山菜取りに出ていたこの村の有力者の子だったと、それだけの話だ。

 

「平太、もう一度提督様にお礼を言いなさい」

 

「…………提督のにーちゃん、ありが……ぅ」

 

「こりゃ、なんねぼそぼそと!それが人様に頭を下げる態度かい!?」

 

「―――っ」

 

 生意気盛りの子供だろう。

 平太少年は、自分より少し背が高い程度の母親の後ろから出ることなく、そして春也達……特に夕立と、というか主に夕立と目も合わせようとはしなかった。

 気持ちは………分からなくもない。

 

 深海棲艦に襲われ、助けられた後もしばらく震えて立ち上がれなかった彼を、春也は一応回復するまで待ってあげようと提案した。

 だが、夕立が。

 平太少年と見た目同年代で、彼より体格が小さく、そして田舎の山村の少年では見たことも無いくらいに可憐で垢抜けた美少女である夕立が。

 平太少年にとって初恋の一目惚れになっても何も不思議なことはなかった夕立が。

 

「待つの面倒っぽい」

 

 彼をひっくり返してうつ伏せにした後、腰に手を回してどさっと荷物でも運ぶように肩に掛けた時点で1アウト。

 扱いの粗雑さは気絶した春也を負ぶさった時の丁寧さと比べるべくもない。

 そして丁寧さ云々以前の問題として、男のプライドとかそういうものに夕立は完全に無関心なのがよく分かる無造作加減だった。

 

 そしてそれこそ荷物扱いして置き去りにしていたリヤカーのところまで運び、資材―――“深海棲艦の死骸”を山積みしているそれに乗せて2アウト。

 ついさっきまでのトラウマを直撃されて震える平太少年を本当に面倒そうに、彼が多少暴れても荷が崩れないように一部の中身―――重ねて述べるが、“深海棲艦の死骸”である―――を改めて体の上から置き直す追撃込みである。

 

 そして、持ち方の都合上仕方ないのだが……くの字に折れるように、少年の腹を肩で支えていた夕立。

 彼の股が触れていたセーラー服の二の腕部分の袖が、『アンモニア臭のする液体』で湿っているのに気付いて顔を顰めながら一言。

 

 

「………………ばっちい」

 

 

「――――!!??」

 

 自分から担いでおいてこれである。

 というか死にそうな目にあって漏らしたなど、仕方ないことなのだから触れないのがお約束だろうに。

 

 満場一致の3アウトチェンジだった。

 チェンジというかやり直しを要求したいくらいの処刑シーンだった。

 

 念のため言っておくと、夕立に悪意はない。

 それどころか、他の深海棲艦も近くにいる可能性を考え、早く自分の家に送り届けた方が安全だという至極合理的かつ善意に満ちた対応である。

 

 ちょっと、そうほんのちょっとばかり無垢無邪気無頓着で、将来は好青年になるだろう目鼻立ちのすっきりした顔をくしゃくしゃに歪めてぐすぐす泣きじゃくりながら運ばれる平太のことを、深海棲艦に襲われたのがそれほど怖かったのだろう、と勘違いする純粋さ具合が問題だっただけなのだ。

 

 思い返すだけでも涙が出そうになる、平太に対してひたすら不憫としか言えない春也。

 母親に怒られて小さくなっているその息子の平太を、春也は庇わざるを得なかった。

 

「なあ、平太君も大変な目に遭って疲れてるんだ……ッ。頼む、休ませてやってくれよ」

 

「っ!?提督さま、なんと慈悲深い方なのだ……!」

 

「え?」

 

「当然っぽい!それが夕立の提督さん!!」

 

 我ながらちょっとばかり感情を込め過ぎてるだろ、と思うくらいに情感たっぷりに言うと、ちょっとだけ良さげな着物を着ている平太の父親が膝をついてそれを汚しつつ、何故か涙を流さんばかりに身を震わせながらこちらを仰ぎ見ていた。

 そして夕立が悪ノリ……いや、純粋に春也が良い評価をされて喜んでいるだけかあれは。

 

 更にざわざわと村人達が小声で何か話すと、やがて更に腰を低くして拝まれた。

 なんか念仏っぽいものを唱えだす者までいる。

 

 このまま適当に深そうなことを言っていけば教祖にでもなれそうだった。やらないけども。

 

「……………とりあえず、今晩寝るとこどっか貸してくれない?」

 

 いい加減カオスな空間をどうにかしようと、春也は溜息を吐きつつ平太の父親に願い出たのだった。

 

 

 

…………。

 

 寝床だけ、と言わず。

 

 村一番大きな平太の家で、宴会を開いて春也と夕立はもてなされた。

 出された食事はよく分からない山菜と老いた家畜の肉という忌憚なく言えばあまり積極的に味わいたいとは思わない代物だったが、この村では精一杯のごちそうになるのだろうと考えて、空気を読んで舌鼓を打っているふりをしておいた。

 

 酒も勧められたが春也は未成年なので、飲めないのだと断ると二度目は勧められなかった。

 代わりにじゃあ俺が飲む、と言い出すおっさん村人が何人かいたが、彼らはそのまま末席に酒と一緒に隔離されていく。

 その際粗相をするなよ、という小声だが鋭い警告が聞こえてきた。

 

 それらを含めこれまでの経緯を振り返って、村人―――というよりこの世界の一般人に、“提督”がどれだけ敬われかつ畏れられているのか、なんとなく分かった気がする。

 

 春也以外の提督、というものが会ったことがないのでよくイメージできないが、要は化け物を狩るそれ以上の化け物染みた力を操る存在と考えれば、村人達の対応も決して大げさではないのだろう。

 虚栄心も名誉欲もあまり持ち合わせていない春也にとって、そんな下に置かない扱いをされても嬉しくもなんともなかったが。

 

 そういう意味では、平太の母親の態度だけが唯一安心した。

 一言だけ改めて息子の命を救ったことに感謝を述べ、あとは礼を失せず春也と向かい合って話し相手を勤めていた。

 必要以上に萎縮することもなく、かと言って馴れ馴れしくもなく。

 

 若い頃は綺麗だったのだろう、そこに少しずつ苦難や経験を皺という形で刻んで来たという印象を受けた。

 縒れた髪を手拭いで束ねてきびきび動くいかにもな肝っ玉母ちゃんながら、不意に物腰から伺える育ちの良さが――――どことなく、春也の母に通じるものがある。

 

 

 

「母さん、父さん―――心配してるんだろうな」

 

 切りのいいところで宴の席を辞し、宛がわれた空き家。

 

 三日ぶりの風呂―――初めて入るドラム缶風呂―――を上がって、火照る肌を冷ます。

 ぺたんこの布団をくるまる様に羽織りながら、隙間風で熱が逃げる感覚の中、春也は物思いに耽った。

 

「提督さん、帰りたいっぽい?」

 

「………そりゃな。帰れるなら帰りたいさ」

 

 傍らで不安そうに眉尻を下げながら問う夕立に、誤魔化すことは出来ないだろうと正直に答える。

 

 絵に描いたような幸せな家庭だった。

 大企業の管理職として立派に働きながらも随所で休みを取り、春也とたくさん遊んだり学校行事などを欠かさず見守ってくれた父。

 春也に甘くて、ひたすら優しくて、しかし家のことはしっかりこなして家庭を守り続けていた母。

 

 愛されていたと何のてらいもなく断言できるし、息子の贔屓目を抜きにしても立派で尊敬すべき二人だった。 

 

「でも、きっと帰れない」

 

 “だった”。

 そう―――過去形だ。

 

 何の準備も心構えもなく唐突に投げ出された異世界、そこから元の居場所に帰れる可能性を、春也は敢えて無いものと考えていた。

 

 来たのだから、帰れるに違いない――――そんな理屈は、十割が願望で出来た妄想の産物だろう。

 この世に可逆の変化と不可逆で一方通行の変化、どちらの割合が圧倒的に多いかなど考えるまでもない。

 

 この望まぬ転移が都合よく前者の稀少例であるなどと、儚い希望を抱き続けることも。

 そうであることに賭けて、この生きづらい世界で試行錯誤する諦めない意志も。

 

 放棄してしまうのが一番簡単で、早い。

 ある意味現代の若者らしい怠惰さと理屈で、割り切った。

 

「帰れないんだ………っ!!」

 

「提督さん………」

 

 割り切った、ことにした。

 震える声で、悲しそうな声でせめて寄り添おうとする夕立を乱暴に掻き抱く。

 

 世界は輝いていた。

 人生は希望に満ち溢れていた。

 

 両親だけじゃない、あの恵まれた贅沢でそれ以上を何も望まない日々を。

 失った心の隙間を、埋めようとせめて求める夕立の熱。

 

「だ、だったら、夕立なら!提督さんはっ、夕立を―――――」

 

 

 

「提督さま、おられるか!?」

 

 

 

「「―――っ」」

 

………どんどんと扉を強く叩く、焦った様子の村人がその空気を裂いたのは、“春也にとっては”良かったのかもしれなかった。

 

 あのままであれば。

 割り切ったのに、割り切ったから悲しいことなんて何もないのに。

 何故か泣いてしまっていた気がした。

 

 そして受け入れてくれる夕立に甘え、暴走していたかもしれなかった。

 

「…………ぽい~」

 

 自分の気持ちが移ってしまったのか、しゅんとして涙ぐんでいる夕立を離し、応答して村人を招き入れる。

 平太の父親だった。

 

 息子とやはり共通点の多い髭を整えた精悍な面は、しかし息が整わないらしく赤く染まりながら震えている。

 その雰囲気通りに余裕が無いのか、春也に妙に近い距離までずいと詰めてまくし立てた。

 

「村の者が、こちらに近づいている深海棲艦どもを見たというのです!提督さまの力を、お貸しくださいませんか!?」

 

 意訳すればちょっと戦ってこいという話。

 

 そう意味を吟味しながら春也が至近距離にある彼の目を何とはなしに見返す。

 するとふと、追い詰められた者が救いに縋る以外の、どこか余裕が見えた気がした。

 

――――あれだけもてなしたのだ、持ち上げたのだ、まさか断るまい?

 

 邪推かもしれないが、そんな心の声が聞こえた。

 

「…………まあ、いいけどさ」

 

 だが断る―――などとネタに走るより、“ゴミ掃除”に勤しみたい気分だった。

 なにより、人が死なないに超した事はない。

 

「行くか、夕立」

 

「ぽいっ!」

 

「ああ、そう言ってくださると信じていました!このご恩、きっと一生忘れません!!」

 

 だから、春也は深海棲艦退治の依頼を断ることもなく。

 結果として相手の打算通りにその話を受けたのだった。

 

 

 





「俺、ゴミ掃除は案外好きなんだよ。
――――世界が綺麗になると、気分がいいもんな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

糾弾


 提督というものにパーソナリティーが一切設定されてない、原作主人公なんて存在しないと言っていい艦これという作品の二次創作。
 それでもオリ主タグは要るんだってさ。

 オリ主、オリ主ってなんだ………?

――――躊躇わないことかっ!?




 

 話を聞いた方向に向かうと、月明かりの下に三体の醜悪な怪物のシルエットが見えた。

 

 この世界に来てめっきり冴えた夜目を凝らすと、二体は今まで見た様な二本の後ろ足で腹を引き摺りながら駆ける獣もどきのようなシルエット。

 そして、その二体を従えるように、大きさと瘉合した兵器を無視すれば獣と言ってもいいかも知れない個体がいた。

 

 前足も生えて、四脚で地を踏みしめる。

 尾も伸びてさながら蘇った恐竜といったところだろうか。

 

 夜暗い場所で見ているから受ける印象であって、昼明るい場所で見れば、もっとおぞましくて気色悪さを覚えるのだろうが。

 何せ観察していると次第にオオサンショウウオが蜥蜴やヤモリの速さで動作しているイメージが連想されるのだ、この時点でろくでもない。

 

 そんな動きで、村の方へガサガサ―――重量的にもっと濁点が増える感じだが―――少し駆けては止まり、太い首を右に左に回す。

 合わせて揺れる、闇夜に光る眼。

 それが、ぼやけた尾を引きながら不吉な輝きを振りまいていた。

 

(巡洋艦級が駆逐級を従えてる。あれがこの辺の頭っぽい)

 

 こちらは向こうを見つけたが、向こうはこちらの存在をまだ知らない。

 隠れる場所には困らない森の中で、化け物三体を慎重に尾行しながら小声で夕立は春也に告げた。

 

…………それを聞いてこいつら駆逐イ級とか重巡リ級とかかけ離れた見た目じゃないかと春也の脳内でゲーム画面が再生されたが、“深海”棲艦と陸上で戦闘している時点で今更である。

 

 分類についてはどうも強さで階級を大雑把に分けているだけで、そこから更に細かく分類するような余裕も熱意も人類には無いらしい。

 

 ただ、問題は―――その強さに関して、数で劣るこちらの戦力である夕立が“駆逐”艦であることだった。

 

 当の夕立は何の気負いもなく、落ち着いた様子で敵を眺めている。

 

(やれるか?)

 

(提督さんの夕立ですもの。余裕っぽい)

 

(何秒?)

 

(取り巻き八秒、頭二十秒)

 

(じゃあちょっと八秒ほど殴りあってくる)

 

 省略の多すぎるやり取り、しかし問題はない、そう納得した春也。

 

 そのまま、矢のように飛び出した。

 

 木々を縫い、体勢を低くして彼もまた獣の様に駆け、土を巻き上げる。

 さほどの時を待たずして、間合いは手を伸ばせば触れられる、そんな至近距離。

 

 そのまま、矢のように突き刺されと。

 

 一切の躊躇も減速も様子見もなし、巡洋艦級の不必要に大きな頭を、膝で高く高く蹴り上げた。

 

「とべぇぇぇっっ!!」

 

『RRhaaaaa!!?』

 

 通常の動物であれば間違いなく首の骨が折れただろう、前足が釣られて浮く程の速さで跳ね上げられる巡洋艦級の頭。 そして前半身が浮いた事で丁度いい位置に来たその腹部に、春也は渾身の力でブローを打ち込む。 

 

 苦悶にのたうつ相手の叫喚が夜の森にこだました。

 このまま間断なく追撃を重ねれば、春也一人で駆逐級達を従える一つ上の個体を仕止めることも出来たかもしれない。

 

 だが、相手は一匹ではなく仲間がいる………それを承知していた春也は、これ以上の攻撃を放棄しがら空きになった巡洋艦級の脇を駆け抜けた。

 

 同時に、鳴り響く爆音と焔光。

 夕立が駆逐級二匹に腕に装着した連装砲を交互に撃ち込んだ印だった。

 

『Kyaaaaaaaaaaa!?』

 

「おーにさんこちら、てーのなーるほうへっ」

 

『『kyAA!!!!』』

 

『GYaaaU!』

 

「、っと!!」

 

 痛撃を受けたことで激昂し、春也に仕返そうと躍起になる巡洋艦級。

 その図体が邪魔してその向こうへ抜けてしまった春也に砲撃が食らわせられないこともあり、夕立に狙いを定める駆逐級二体。

 

 結果として、怪物達にとってお互いが数歩の距離にいるにも関わらず敵の分断が成立する。

 それの意味するところは。

 

「ゴチャマンの鉄則は雑魚から潰す――――マンガに書いてた、ってな!」

 

 背後にいる春也を薙ぎ払うべく振られた尾をスウェーからのバック転でかわし、半回転して真正面を向いた巡洋艦級の前足が降り下ろされたのを左に回り込むように避けてついでに裏拳でその脇をはたく。

 さほどダメージにはならないのは承知の上、巨体がそのまま横っ飛びして春也を押し潰そうとする前に三メーター以上を軽くバックステップで跳ねた。

 

 まるで慣れた動きで、体高だけでも自らの二倍はある相手を翻弄している春也だったが、実際は提督(超越者)となって跳ね上がった身体能力とゲームやバトルマンガを参考にそれっぽい動きをしているだけで。

 

「それで―――充分だろ?」

 

「ぽいっ!」

 

 時間を稼ぐだけで、構わなかった。

 

 ゲーム通りの性能ならその火力は駆逐艦を遥かに凌駕する夕立が、視界の悪く痛打を与えやすい闇の中の戦いで、取り巻き達を片付けるのを。

 

 しかも迂闊に彼女を攻撃すれば、その威力は倍になって跳ね返ってくる。

 知能の大して高くない駆逐級達は有効な対策を取ろうとすることすらなく、半ば自滅する様に屠られていった。

 

 それを“目を向けることなく”確認した春也は、サッカーの要領で足捌きでフェイントを掛けながら、更に左に回り込む。

 焦れた巡洋艦級―――その前足が、唐突に吹き飛んだ。

 

 そして擬装の下の黒光りする駆逐級のそれより大口径の砲頭、その二つが冗談の様に春也に狙いを定め深いその銃口を見せていた。

 

「危な――――」

 

 つい先程まで左足だった方が火を吹いて、その穴から砲丸が放たれる。

 咄嗟に高く飛び上がった春也の足下を抜けて外れたが、空中の彼に続く右の砲撃を避ける術はない。

 

 殺った、と確信したのだろうか、何となく巡洋艦級の裂けた唇がにやりと歪んだ様に見えた。

 それに対して春也が返したのは呆れた苦笑。

 

「―――いのは、お前だ」

 

『RRRrhhha!??』

 

 避ける術はない―――避ける必要もない。

 

 春也の足下を、今度は“倍の速度”で逆方向に通り過ぎた砲丸が、巡洋艦級の左足を穿ち貫き、その胴体まで抉った。

 大きくバランスを崩し、そしてそれすら分からないほどにパニックになる怪物、その頭上に悠々と着地した春也が。

 

「あばよ」

 

 その頭蓋を―――骨格があるのかは不明だが、とりあえず踏み砕いた。

 

 

 

 

「提督さんっ!」

 

 沈黙する深海棲艦………それを確認した春也は、丁度真後ろにいた夕立に振り返る。

 笑顔でとてとてと走り寄ってくる彼女に歩みより、ぱんっ、と乾いた音を鳴らしてハイタッチ。

 

「提督さんと夕立の連携、ばっちりっぽい~っ!えへへ」

 

「合わせてくれてありがとな。やっぱ凄いな夕立!」

 

「あ、提督さんに褒められた!」

 

 やったやった、とはしゃぐ夕立に、両手の指を絡ませながら付き合う春也。

 

 夕立が春也をブラインドにしてその背後にいて、巡洋艦級の砲撃を倍加反射したのは、勿論狙ってのこと。

 

 提督と艦娘―――互いの魂を繋いだ同士、意思の方向や危険の認識などといったある種の第六感は共有している。

 それを利用したコンビネーションを、あの程度の短いやり取りで可能にしていたのがその一例。

 

 今まで春也が冷静に敵に向かっていけたのも、戦場を知らない素人でも戦いが出来ていたのも、半分はこれで夕立の認識から自分の力量や可能な戦い方をある意味客観的に推し測れていたからである。

 

 提督は艦娘と同等の力を得る………何も身体能力に限った話ではないのだった。

 それが現代日本の小市民だった春也が戦える理由の全て、という訳でもないが。

 

 それはともかく、一旦の脅威を排除したことになる。

 ひとしきり夕立とじゃれてから、ゆっくりと村に帰ることにした。

 

 そうして向かう方角、東の空。

 

 夜明けなんてまだまだ先の話の筈なのに。

 灰の煙を照らしながら、紅く紅く燃えていた。

 

 

 

 

 

―――頭が死んで統制を失ったせいか、あるいはたまたまか。

 

―――少なくとも囮作戦のような小賢しい話ではないのだろう。

 

―――だが、提督である春也という戦力が出払った隙に、別の深海棲艦が村に現れてしまった。

 

 夕立が先程瞬殺したのと同じ駆逐級、それも一匹で、しかし春也が戻るまでの間に何人も力を持たない村人を殺すには十分な時間だったらしい。

 

 知った顔が、話した顔が、死んでいる。

 

 この世界ではやはり婚姻年齢が低いらしい、十を数えた息子がいるとはいえ、化粧やスキンケアなどろくにしていないことを勘案すればまだ三十代前半と思われた。

 腰が曲がるには、あまりに早すぎる。

 

 春也が小学生の頃以来めっきり見なくなって久しかった折り畳み式携帯よろしく、足が膝から胴体に埋まり込む不気味なポーズなんて、墓の下でもやらないだろう。

 

 

 平太の、母親だった。

 

 

「お前のせいだ……」

 

「……そうか」

 

「お前が早く帰って来なかったからっ!母さんは死んだんだっ、お前が、お前が全部悪いんだっ!!」

 

「よせ、平太!!提督様にそんなことを言ってはいけない!」

 

「うるさい、何が提督様だ!母さんを守れなかったくせに!!」

 

 やり場のない怒りを、帰るなり即刻始末を着けた春也にぶつける平太の顔は、ひたすら醜く歪んでいた。

 それをもし春也を逆上させでもしたらという恐怖心からか冷静に宥めようとする父親………否、無事だった村人全員。

 

 “言ってはいけない”けれども、思ってはいけないわけではないのだろう。

 春也を崇めて持て囃していた時の態度なんてどこへやら、やるせない恨みの視線が集中していた。

 

 

 

「…………」

 

 眠れる訳もない、たまたま村外れに近かったおかげで何の被害もなかった春也達の寝床。

 一人寝そべりながら、春也はぼうっと天井を眺めていた。

 

 感覚だが時刻は3時頃だろうか。

 おずおずと、どこかに出ていた夕立が戻ってきた。

 

 そのどこか不貞腐れている様な、やさぐれている様な雰囲気と。

 瞳の光が褪せている様な気がして心配になった春也がどうしたのかと訊ねる。

 

 浅ましい、が第一声だった。

 

「夕立達が倒したあの駆逐級一匹の死骸の分配をどうするか、それしか話してなかった」

 

 あの後村人達ですぐに今後の対応を話し合うべく寄り合いを開いたらしい。

 だがそれを隠れ聴いていた夕立が言うには、ただ金の話でしかなかった。

 

 死者を弔うとか復興の人手をどうするかとか、そんな事には誰も興味がないみたいで………いや、それを言い出して話を逸脱させれば、自分だけ分配にありつけなくなるという不安があるのか。

 

 春也達の荷物はリヤカー一つでいっぱいであり、資源として買い取ってもらえる深海棲艦の死骸は村で勝手に処分して構わないとだけ残したのだが、果たしてそれは良かったのか悪かったのか。

 

 平等に分配だと誰かが言えば、いや家に被害を受けた自分達が補償を受けるべきだと他の誰かが言い、誰かが責任を持って自分が分配をすると言えばお前じゃちょろまかさないか心配だ俺がやると喧嘩を売り。

 

 深海棲艦に命を脅かされたばかりというのに何度かつかみ合いになりながら、元気に飽きもせず夜が更けても延々と続けていたとのことだった。

 

 挙げ句に、実際の換金はどうするんだ?という懸念が上がり、春也に街まで“往復”護衛してもらおうなんて言い出されたところで夕立は堪えきれなくなって戻ってきた、と。

 

 春也の上にそっと体を預けながらこぼす夕立を、頭を優しく撫でながら落ち着かせる。

 

「……夕立、むしょーに腹が立つっぽい!」

 

「そっか………いやまあ確かに文字通り現金な奴らだけどさ。でもそんなもんだろ」

 

 生きる事には金が必要だ、そのお金の為に一生懸命になっている彼らは、ある意味命をとても大事にして生きているのだろう。

 そういうものを、春也はあえて嫌おうとは思えない。

 勿論、手段と目的を履き違えたら意味がないことだとも思っているが。

 

 そんな達観したような話をすると、夕立は緩やかに笑って言った。

 

「提督さんは、強いね。ここよりずっと優しい世界にいたはずなのに。

―――夕立は、護国の為に作られたらしいけど、あんな奴らを守って戦おうなんて思えない。ただ提督さんと一緒にいたいだけ」

 

「強くなんかない。ただ、納得しちゃっただけだ」

 

 あるいは、ただ麻痺しているのかもしれなかった。

 

 一つの強い怒りに。

 

「違う世界だから仕方ない」

 

 世界が輝いていないのも、人生が希望に満ち溢れていないのも、春也の世界とは違うのだから仕方ない。

 

 けれども、それでも命は尊いものだと信じたいから。

 

 なのにこの世界は人が死に過ぎる。

 それがどうにも不快で、赦せない。

 

 これは正義どうこうではなく美観の問題だ。

 ある種の人々は、その美観にこそ人生を擲つ狂気を見る………伊吹春也という人間は、少なくともその精神性は、芸術家に向いているのかも知れない。

 

「夕立。俺、この世界でやりたいこと、見つけたよ」

 

 日常を生きる穏やかな笑みのままで、春也は言う。

 そんな彼を大好きになって、どこまでも着いていくと誓った夕立に。

 

 

 

「深海棲艦をぶっ潰す。一匹残らずな」

 

 

 

「…………あはっ」

 

 人の命は尊いと語る暖かい笑顔の下に濃縮された殺意。

 至近距離、真正面から浴びてぞくぞくどころか気が飛びそう。

 

 火照りを抑えきれない夕立は、そんな春也の胸元に顔を埋めるのだった。

 

 

 

 





「深海棲艦は殲滅だ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

市街


 六話目にしてやっと出す夕立以外の艦娘。
 お艦日記から再びメイン格として続投のあの子です。

………微妙に怪しいけれども。



 

 見送られる必要も感じなかった春也達は、面倒なことを言われ始める前に早朝村を発った。

 

 大して寝ていない春也達だが、提督や艦娘の身であればそこそこ無理も利くらしい。

 というより、海の上を長い間航海することも想定されているであろう艦娘とそれに準ずる提督が一日や二日寝ないくらいでどうこうなるようでは問題があり過ぎるのだが。

 毎夜毎夜深海棲艦のうろつく海の上で、隠れる場所なんてどこにもないのに爆睡するのか?という話になってしまう。

 

 二十四時間の時報任務もやろうと思えばできるらしく、夕立も旅の間春也に何度か時間の区切りを教えてくれた。

 彼女達に生理的な機能ではなく文字通りの内蔵時計があっても不思議ではないのだが、実際のところは不明である。

 

 どの道、今重要なのはそんな些細な疑問ではない。

 

 

「マルキューサンナナ、提督さん、街に着いたっぽい!!」

 

「ここが……」

 

 おそらく百キロあるかないかの旅路。

 しかし荷車を引きながら碌に整備されていない曲がりくねった悪路を往き、且つ深海棲艦に警戒し時に戦いながらとなると、春也の世界では電車で二、三時間の距離もここまで掛かるものだった。

 

 もし提督ではなくて唯人であったならと考えると、その行程は倍どころか自殺行為となるだけに、感慨深いものを感じながら春也は人の生活が深く感じられる街並みを観察する。

 

 今春也のいる外側に備えるように間隔をおいて警備の詰め所が置かれ、その内側に守られて家や商店が建てられている。

 春也にとって親しんだ………とは言えないものの、日本らしいと言える木造や土壁の家々は手間を掛けて設計・管理されているのが分かる整然さを見せていて、確かに“町”ではなく“街”なのだと思える場所であった。

 

「まだ人間は社会的動物か……あーよかった」

 

 艦娘の材料を大金で買い取る場所(ここ)があり、即ちそれを加工した艦娘(せいひん)を更に高値で鎮守府とやらに売って儲けているということだろう。

 ならば経済の流れとそれを保証する法秩序があるということであり、一応はないと思っていたが、この世界の人類が「あたぁ」で「あべし」な世紀末状態までに退行していないらしいことを自分の目で確認してほっとする。

 

「じゃ、入るか。特に出入りに制限とかは無いんだよな?」

 

「ぽい。ただ夕立は目立つから……えいっ」

 

 外套をその淡い色の長髪を隠す様にすっぽりと被り、付いていたフードを下ろして顔も殆ど見えないように俯く夕立。

 そうして春也の手を取ると、先導してとばかりに一歩後ろの位置にぴったりとくっついた。

 

「提督さん、つれてって?」

 

「………」

 

 春也からしか見えない夕立の笑顔に重なる、散歩をねだる飼い犬の幻視は、気の迷いだ。

 なんて振り払う彼の服装の方は、誰のものとも知らないが麻の旅装で固めている。

 

 現代からの服装を続けて着る訳にも、ましてろくに洗濯も出来ないのに派手に汚すのも嫌で、早々に着替えて荷物の底にしまっておいた。

 

 深海棲艦の資源で“補給”すればセーラー服も綺麗な状態になる夕立だが、流石に提督にその機能がつくことまではないらしい。

 なので春也はこの世界流の服装をしているのだが、隣の夕立も目立たない格好をさせれば、人種の違いもない春也に特別なものをひと目で感じることもないだろうかとふと思った。

 

 

 

 

 そんなこんなで街に入った春也達。

 

 旅人風で見るからに不審者という訳ではない二人が、入口で詰め所から人が出てきて呼び止められるということもなく―――まあ人間と戦争なんてしていないというかそんな余裕がないので当たり前と言えば当たり前だが―――あっさり街に入ることができた。

 さしあたってするべきは苦労してここまで荷車で引いてきた資源の換金なのだが、初めて来る春也もこの街のことは地図が頭に入っていただけの夕立も換金場所が分からない。

 

 だが、ぽつぽつと姿の見える通行人に訊くまでもなくあたりを付けることはできた。

 この世界の人類唯一の戦力である艦娘の供給元であるからにはさぞ財力も権力も大きいだろう、“神社みたいな施設”が放射状に発展した街の中心、入口からずっと真っ直ぐ進んだ位置にひときわ大きくその装飾付きの瓦屋根を覗かせている。

 なのでそちらに向かって歩くことにした。

 

 現代っ子の例に漏れず寺と神社の違いも鳥居の有無以外分からない春也であったが、暫く通りを進むと靖国ほどではないが人が何人も同時にくぐれる巨大な鳥居があったのでやはり神社なのだろう。

 

「ところで、なんて名前の神社なんだ?」

 

「えーと……あ、あの上、書いてるっぽい」

 

「本当だ。なになに………?」

 

 ふと湧いた疑問をぶつけると、ど忘れしたのか視線を彷徨わせた夕立が空を指差した。

 視線を上げると鳥居の上部、年月が経って掠れていたが夕立の言う通り神社の号が草書体で確かに記されている。

 一旦立ち止って目をこらし、読み取る春也。

 

 さぞご利益のありそうな名前をしているのだろうか?

 

 

 “角川神社”

 

 

「ぶっっ―――!!!!??………げほっ、げほっ」

 

「て、提督さんっ!?だいじょうぶー!?」

 

 吹いた。

 噎せた。

 夕立が背中をさすってくれた。

 

 

 

 なんだか作為的なものを感じた春也だが。

 

 本屋と同じ名前の神社、その理由を考えても分かる訳が無い。

 艦娘を作るという意味では最高の御利益がある名前なのかもしれないが。

 

 まあ元の春也のいた日本でも探せばそんな名前の神社くらいどこかにあるだろう。

 なのでそれはさておき、建物全体の見える程度に近づくと、丁度春也の他にも一人資源を売ろうとしているらしい男がいたので、それについていくことにした。

 

 ナップサックくらいの大きさの籠にブツを一抱えした、ひょろっとした男だった。

 敷地の右手へと慣れた様子で進んで行き、その先の独立した建物に入る。

 

 続いた春也が内装を見回すと、祭事には大して関係の無さそうな雰囲気の空間だった。

 人も物も必要最低限しか置いておらず、その最低限はと言えばいかにも荒事に慣れていそうな筋骨隆々の男が受付にだるそうに突っ立っているのみ。

 

「…………」

「…………」

 

 友好のゆの字も無い無言で、男二人は資源と金のやり取りをする。

 

 受付の男が慣れた手つきで受け取った資源を秤に掛けて正確な量を割り出し、帳簿に殴り書いてから、一度奥に引っ込む。

 しばらくして今度は別の男と一緒に出てきて、その人が包んだ銭束を確認してから受け取ると、ひょろ長の男は足早に立ち去った。

 

 それを見送ることも無く、受付の男は春也達にやる気の無い視線を向ける。

 

「で?あんたらもか?」

 

「………あ、はい。よろしくお願いします」

 

 つい丁寧語で答えてしまう春也。

 そんな彼と、隣の外套で身を隠した夕立を男は何故か苦々しげな目で睨んだ後、連れと一緒に荷車の中身を漁り―――もとい査定し始めるのだった。

 

 

 

 別に、こんな量をどうやって取ってきたとか聞かれることもなく。

 

 先ほどの男と違って数十分は待たされたが、それだけの量の金額を渡されて、そのまま換金所を立ち去った二人。

 暫く適当に通りを進んだ後、開けて通行の邪魔にならない場所で立ち止まって夕立と話し合う。

 

「とりあえず無事当座の目的は達しました、と」

 

「大きかったっぽい~」

 

「ん?………ああ、換金所の受付のおっさんか」

 

 間近で顔を突き合わせると、春也とは30センチ程度の身長の開きがあった。

 もし夕立と並んで立たせれば、それはもう遠近狂っているのかと思うくらい凄い身長差になるだろう。

 

「そりゃ、大金扱う場所だしな。ごねる客もいるだろうし、強盗に押し入られて言われるがままに、なんてなっちゃ大変だ」

 

 そうならないように人員を配置しているのだろう、後で奥から出てきた方の男も、いかにも格闘技をやっていますと言う感じの機敏で安定した所作だった。

 

 なんとなく一度テレビで見た新宿歌舞伎町一丁目の交番のお巡りさん達の体型を―――彼らも全員アメフトかラグビー経験者にしか見えないごつさだったのを思い出す。

 

 求められるのは似たような事情からの身体能力で、事務処理能力や接遇はある程度二の次なのかもしれない。

 

「しかし、大金とは言うけど――それだけに、重いなー」

 

 荷車に資源と入れ替わりに積まれた資金を見やった。

 裸で現金を運ぶのは怖いので今は布を被せて他の荷物と一緒に寄せているが、春也の頭よりまだ大きな“硬貨”の山がそこに置かれている。

 

 一枚だけ抜き取った硬貨をなんとはなしに親指で上に弾き、落ちて来たのを両手を交差させながら片手でキャッチし握り締める。

 

「さて夕立さん問題です。硬貨はどっちの手の中にあるでしょう?」

 

「こっちっぽい!!」

 

「正解!よくできました」

 

「ぽい~っ」

 

 弾丸の動きを見ることの出来る艦娘にはそれこそ戯れにしかならない遊びをし、じゃれつく夕立の頭をフード越しに撫でながら考えを進める春也。

 

(紙幣は燃えやすいし、信用保証が微妙だからこの世界で流通しないのは仕方ないとはいえ、硬貨しかないっていうのはさすがに嵩張るよなあ。

―――保管どうしよう)

 

 例えば一万円札は安定した経済を統制する組織である日本政府と日本銀行が一万円分の価値があると保証しているからありがたがられているだけで、それが無ければ少し絵の凝った紙切れでしかない。

 そこまで安定した経済を統制する組織とやらを単体で期待できる所は無いらしいこの世界では、金属それ自体が価値になる硬貨しか“お金”としか認められないようだ。

 

 まして紙なので嵩張らないという紙幣の図抜けた利点は、逆に逸失しやすいという欠点ともなる。

 深海棲艦のせいで村まるごと一つ燃えるのがざらにあるのに、その度に流通している現金がなくなっていったら物価がどんどん悲惨なことになる。

 

 硬貨なら、焼け残ったのをいつか誰かが回収することもあるだろう。

 

 

………なんていう、脱線しまくった考察をしているのは、結局は自分達で気を付けて持ち歩くしかないという結論が出ているからだった。

 

 都合よく信用のおける銀行が利用出来るなど、安心して財産を預けられる相手なんて暫くは見つけられないだろう。

 それこそ、懐の内で頭を撫でられて上機嫌に笑っている夕立以外、誰もいないかもしれない。

 

「………ありがとう、夕立」

 

「?急になんのこと?」

 

「いや、感謝を込めて、これからもっともっと夕立のこと大事にしようと思って」

 

「ほんとっ!?よく分からないけど、嬉しいっぽい~!!」

 

 知らぬ世界に投げ出されても、夕立がいるから一人じゃない。

 春也にとってそれだけは確かな真実だった。

 

 それを再確認していた、そんな時。

 

 

「――――なあ、ちょっといいか?」

 

「あ、明らかによくないと思うのですが……っ。

 これどう考えてもお邪魔虫だと思うのです、司令官」

 

 

「………っ!!」

 

 春也と同年代の、垂れ眼気味のどうにもお調子者みたいな顔をした少年に掛けられた声より、それを窘めるようなその連れの特徴的な声音と口癖に反応してしまった。

 

 幼い少女で夕立同様大きな外套で身を隠しているが、『艦隊これくしょん』の代表的なヒロインの一人であるその“艦娘”のことが春也に分からない訳がない。

 

「なあ、あんた提督と艦娘だよな?」

 

「なんで、そう思うんだ?」

 

「…………」

 

 となると、十中八九この少年が“彼女”の提督(あるじ)ということになるのだろう。

 初めて出会う自分以外の提督に、緊張と警戒で掌を軽く握りしめながら応対する春也と、それに準じて僅かに気配を鋭くして動きを止める夕立。

 

「へっ、さっきあんたが荷車で深海棲艦の資源売りに行ったところ見てたんだよ。

 戦場跡まで資源漁りしに行ってる商売の奴らは、深海棲艦に見つからない内にとにかく早く帰る為に、せいぜい抱えられる量しか一度に持ち運ばないからな」

 

――――身軽さが要求される中で移動に手間の掛かる荷車に山積みなんてもっての他、なのにそれを選択するということは、深海棲艦に襲われてもある程度問題ない存在………つまり提督だということ。

 

「あ………」

 

 言われてみれば春也の前に換金した男も、いかにも身軽そうな出で立ちと体型であったし。

 受付の男のきつい視線の意味も、こちらが提督だと察したせいか。

 

 心当たりが繋がって意味の無い声がつい漏れてしまう春也に、自慢げに推理を披露した少年。

 そしてその連れが、悲しそうに続けた。

 

「司令官……。それ、さっき“電(いなづま)”が教えたのそっくりそのままなのです」

 

「な、何のことかなあ!?」

 

「「…………」」

 

 とりあえず警戒する必要はないのかもしれない。

 疑念はあるものの、仮に今すぐ殴りかかられても反応できる用意までは解いて一旦落ち着けた。

 

 ただ、少し気になることが一つだけある。

 

 春也の学校にもいたが、基本おどおどした人間というのは自分の言葉に自信がないので、実際に喋っている間さえその内容を反芻して更正し続けている為、そのせいでしっかり文章が繋がらないことが殆どだ。

 『電』であるらしいその少女もゲームの通りなら基本的に内気で気弱で心優しい性格らしいので一見そのままなのだが、受け答えがややしっかりしているのが少し違和感だった。

 

 もちろん、その違和感とはただなんとなくの話だ。

 

「とりあえず、俺達が提督と艦娘だったとして………あんた達はなんなんだ?」

 

「よく聞いてくれたな!ふっ、俺は紀伊航輔(きいこうすけ)。

 将来の大提督様だぜ、覚えておくんだな!!」

 

 だから、ただなんとなく訊いてみた。

 

「駆逐艦、電なのです。………もう、大提督って一体なんなのですか。

 さっきからごめんなさい、司令官ってば本当に失礼なことを」

 

 

「―――で、本音は?」

 

「まともに挨拶もできないダメダメな電の司令官がもうたまらなくキュンキュンして涎が止まらないのです、うへへ――――――――――――はぅっ!!?」

 

 

「「……………」」

 

 いとも簡単に口を滑らせる電に、夕立と二人生ぬるい視線をついつい向けてしまう。

 最早警戒なんて吹き飛んでしまった春也の頭には、電の姉妹艦のことが過っていた。

 

(あ、この子“ダメ提督製造艦(いかずち)”の妹だ)

 

 そんな、この世界で夕立以外の艦娘と、ついでに他の提督との初めての出会いだった。

 

 





「だめんずうぉーかー?…………何それ?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

自覚


 後書きのところに書くネタが早くも尽きてきた。

………ぶっちゃけ主人公に言わせたいセリフがあるなら本編の流れ誘導してそこで言わせれば済む話だしなあ、メタなの以外。

 かと言って普通にして放っておくと、いつの間にか本編のシリアス食い潰す病気が湧いたりするのが。
 後書きが二万文字も入る仕様になってるからッ!!




 

 伊吹春也は、この世界についてあまりに知らないことが多過ぎる。

 

 知識とは武器であり、常識とは身を護る盾だ。

 こと、見知らぬ誰かと接するならばそれらをうまく使って善意と悪意を見極めなければ、手痛い損失を喰らうこともざらにあるのが人間だ。

 他人との交わりの一切を断てぬ限りは、その武器と護りをひたすら磨いていくしかないだろう。

 

 例えば、春也の得たばかりの一財産を狙う詐欺師まがいがいるかも知れない。

 

 そんな可能性を考えないでもないが………あまりに知らないことが多過ぎて、現状必要十分な警戒をしようとすると、石橋を叩いて壊すような何も出来なくなる可能性の方が高い。

 だから、あえて失敗すればそれは勉強料だと思って積極的に関わるのも手ではあった。

 

 というより。

 

「『鎮守府』に提督として志願?」

 

「おうよ。一緒にどうだ?春也もちびちび“骸売り”やってるより、軍人として一旗上げた方が絶対いいって!」

 

「ほんとナチュラルにド失礼だなお前……しかも馴れ馴れしいし」

 

 どう考えても蔑称をにかにか笑いながら春也に使い、しかもいきなり名前で呼んだり無駄に肩を組もうとしたりと変に近い距離感の、この航輔とかいうお天気提督と。

 

「電からもお願いするのです、伊吹春也さんと夕立さん。あなた達にとっても、決して悪い話ではないと思うのです」

 

 

「………で、俺達を誘う実際の理由は?」

 

「自分達だけだと心細いから道連れが欲しいとか電の司令官ってばへたれ過ぎてもう最高にキュンキュンなのです―――――――はぅっ!!?」

 

 

 一見礼儀正しくて常識人のようだが、話題を振るだけで容易く悪趣味な本音を滑らせるどこかおかしい電らしき艦娘を。

 

(夕立………こいつら警戒する必要って、あるか?)

 

(…………ないっぽい)

 

 疑う気力が湧かない。

 そういう意味では恐るべき才能の一組なのかも知れないが―――話に乗るのもいいかも知れないと思わせる何かが彼らにはある。

 

 とはいえ、ただで頷くのもそれはそれで癪な奴らだったので。

 

「条件がある」

 

「えー、そこは即答しろよー」

 

「するか馬鹿。――――この街のうまい飯屋とまともな宿(ねどこ)を紹介してくれ。それ次第だ」

 

 子供の頃大好きだった天の道を往く男の方針に従い、美味しい料理が食べられれば信用できる相手だと思うことにした。

 久方ぶりに保存食や丸焼き肉ではないちゃんとした料理が食べられれば、という期待を込めて。

 

 

 

 

 飯!風呂!寝る!!

 

 オッサンか、と自分でも思わないでもないが、今春也が求めているのはまさにその三つだ。

 正確にはうまい飯とのんびり出来る風呂とふかふかの寝床である。

 

 この世界に来て四日が経ち、それ以来現代の豊かな生活で当たり前に享受していたものが急になくなったのである。

 更にずっと戦いと旅を続けていたせいで、体力には余裕があっても精神的に大いに疲れている。

 

 そんな春也が航輔の紹介で訪れた店は、旅籠も兼ねた雰囲気のいい店だった。

 食材の香りが混ざった煙が木造の食堂内に染み渡り、その場にいるだけで食欲を掻き立てる。

 愛想のいい店主が丼で出してきたのは、黄金色のとろとろの卵が掛かった親子丼。

 

 鶏肉と、出汁の風味と、何より米。

 かきこむと素直なまでに口に味を届けてくる絶妙な加減の柔らかさだった。

 流石に執拗なまでに品種改良の重ねられた春也の世界のそれに一歩譲るものの、醤油とみりんの風味の染み込んだ具材達が舌にとろけて旨みを運んでくる。

 

「うまい」

 

「だろ~っ!!これで春也は俺の仲間だなっ」

 

「…………。ま、いいけどさ」

 

 寝床に関しても、すでに宿泊を取りつけているこの店の客室はちらっと見た程度だが、寝具もきちんと整えられていてそれなりにくつろげそうな場所であり、久方ぶりにゆっくり眠れるかと期待が持てた。

 

 いい店だと評価せざるを得ない、不満があるとすれば――――対面からぱんぱん肩を叩いてくる男が非常にうざったいことか。

 しかも店が合格点ならこいつの話を呑むかどうかを“考える”だけのつもりだったのに、いつの間にか仲間にまで強制的にクラスアップさせられていた。

 

「はぐはぐはぐはぐはぐっ、………っ。おかわりっぽい!!」

 

「あんま早食いするなって。てか夕立、ほっぺにご飯粒ついてる」

 

「えっ?どこ、どこ!?」

 

「ああ、動くな。ほら、取れ――――俺の指、食べるなよ?」

 

「ふぉい?」

 

「…………」

 

 四人掛けの席で隣に座る夕立もここの料理はお気に召したのか、凄い勢いで箸を進めていた。

 ふと彼女のほっぺについた米粒を春也が指で拭う………と、その米粒ごと指に夕立の唇が吸いついてきたのは、もったいない精神かそれとも習性なのか。

 いつもの鳴き声、じゃなかった口癖を春也の指を咥えたままのせいで崩しながらただ夕立は首を傾げるのみである。

 

 そんな夕立を、電が何故かじっと見ていた。

 食事の手も止めて、食い入るように春也と夕立がいちゃついている様を観察していた。

 そしてそんな相方の様子に気付いた風もなく、浮かれながら航輔がトーンの上がった声で喋り続ける。

 

「よし、そうと決まれば善は急げだ春也。食い終わったら早速出発しようぜ!」

 

「ついさっきここの宿の部屋一泊分取ったの見えてなかったのか大馬鹿。せめて明日の朝だろ」

 

「くっ、こういうのは勢いが大事なのに……っ」

 

「勢いしかない奴のセリフじゃないな、それは」

 

「分かった、分かったよ!代わりに明日の朝、ここに迎えに来るからな!

 てかむしろ俺達もここに部屋取るからな!!」

 

「………深夜に突撃してくるなよ?」

 

「!?なぜ俺の考えていることが分かったんだ!?」

 

「分からいでか」

 

 もはや春也も一切の遠慮を投げ捨ててずけずけと辛辣な言葉を浴びせているが、航輔も響くように返してくる。

 仲間かどうかは知らないが、早くも二人は友人のような距離感に何故かなっていた。

 

 

 

 

 

 食事が終わり、なおも延々話し続けようとする航輔を電が引っ張っていく形で一旦別れた後。

 

「旅の物資の買い足しと荷物番は夕立がするから、提督さんは街を見て回ってくるっぽい!」

 

「え、いいのか?」

 

「提督さん、そうしたいって顔に書いてたっぽい。その代わり、ちゃんとできたら夕立のこと、あとでいっぱい褒めてね?」

 

「ありがとな。いい子だな、夕立は」

 

「あぅ、もう……夕立はまだ何もしてないっぽい~」

 

 頭を撫でると不服そうな言葉を並べつつも嬉しそうになすがままな夕立の好意に甘え、春也は異世界の街を歩くことにした。

 時刻は昼下がり、人の流れが最も活発になる時間だ。

 

 先の店で支払った二人分の食事代の倍の金額を取り敢えず財布に持って出歩くことにした。

 この世界の物価の基準は分からないが、先ほどの店で周囲の客の身なりが良かったことからして値段もそこそこ高かった筈、足りなくなることはないだろう。

 

 そうしてまず店の多い商業区らしき部分を見て回る。

 神社正面から伸びる大通りに沿う形で並ぶ店々は、思ったよりも種類が多い。

 食事処はもちろん、雑貨屋、金物屋、服屋に玩具屋なんてものもある。

 

 受けた印象としては、昭和もののドラマと江戸時代劇を足して二で割った………と言うと逆に分からなくなるかもしれない。

 とりあえず言えるのはこの街が人間の文化圏としてまがりなりにも繁栄しているということだった。

 

 幅十メートル弱の通りは、ぼうっとしていると誰かとぶつかる程度には人出がある。

 ぱっと視界に入る通行人の人数はおよそ五、六十人。

 人混み、と言うには少し物足りないのが、“艦娘神社”という巨大な経済主体のあるこの世界で随一の商業都市の規模なのだと考えると、物悲しいものはやはりあったが。

 

 そんな中、静かに辺りを見回していた春也は一人ごちた。

 

「菓子屋はそう言えば無いか。食材売ってるところでも、調味料の品揃えは微妙だったし」

 

 人類の生息圏自体が非常に限られたこの世界で、定番の『砂糖は貴重、胡椒は黄金の価値』という鉄則はやはり生きているらしい。

 あとは生魚を売っている場所も無い―――と、春也の世界に当たり前にあってここに無いものを上げていけばきりがなかった。

 特に冷蔵庫をはじめ電化製品など戦後に普及したものは、当然軒並みアウトだ。

 

 食事情は悲惨になるよなそれ、とメシに関してだけは本気になる民族出身として気が遠くなりそうになる。

 航輔の紹介でちゃんとおいしいご飯が食べられたのは、実はかなり幸運だったのかもしれない。

 

 そしてその幸運が滅多に起きない世界で、これからも食べていかなければならないことに気付いてげんなりする春也は、その気分を振り切るように歩を進める。

 

 買い物が主目的というわけでもないので、店があるところということに拘らず、少しでもこの未知の異世界について知ろうと色々な場所を歩いた。

 広場で遊ぶ子供達を見ながらぼーっとしたり、お膝元ということで玄関や廂、屋根の飾りなどに神道色が深く見られる住宅街を眺めたり。

 

 あてもなく、そのまま進んで行き―――気付けば、春也がこの世界に来た時のような、廃材を組んで造られた家々が立ち並ぶ一角に出る。

 道幅は狭く雑然として、どことなく感じる空気が澱んでいて、衛生もしっかり機能していないのかところどころ異臭がした。

 

「………なんだ、ここ?」

 

 今まで以上の関心を持ってここがどんなところかを知ろうとする春也だが、それは彼にとってあまりに縁遠いものだったから。

 言葉面は知っていても、見てぱっと思い浮かぶような単語ではなかった。

 

 即ち、“貧民街(スラム)”。

 

「―――ッ」

 

 住人のいない家を近くで覗き込んでいた春也の後頭部に、突如衝撃が走る。

 そして背後から細い腕が、前のめった春也の懐に手を突っ込み財布を漁る。

 

 石強盗―――ほんの数秒にも満たない、慣れた手口だった。

 

 大抵の場合、最初に石で殴られた時点で深刻な負傷を食らい、そうでなくても一度抜かれた財布を取り戻す余裕などないだろう、“春也が普通の人間ならば”。

 

 拳大の石で頭を殴られても、せいぜいウレタンバットでひっぱたかれた程度にしか感じなかったし。

 

「こっ、の……!」

 

「きゃぅ………!?」

 

 咄嗟に振り払ったその勢いだけで下手人は真横に吹き飛んで、別の家の壁に激しく叩きつけられた。

 壁の補強に使われた薄い金属が軋んで鳴らす耳障りな音と、そこに不自然な姿勢でぶつかったせいで人体が破壊される本能的に嫌な音が辺りに響く。

 

「たく、なんなんだいきなり」

 

「ひぃっ!?」

 

 振り返ると、痩せて骨の形がはっきり分かる体つきの浮浪者の少女が、折れて明後日の方を向いた左足を庇いながら怯えきった目で春也を見ていた。

 着ているのか引っ掛けているのかも分からないぼろ布から伸びる手足が一本使えなくなったのはつい今しがたの話なのだろう、痛みにだくだくと汗を流しながら、それでもなお恐怖が上回るのかぶつぶつぐちぐちと何かを言っている。

 

「こ、殺さないで!お願いしますっ!」

 

「…………」

 

「お母さんが、病気のお母さんがいるの!おくすり買わないといけなくて……たすけ」

 

 

「いや、知らねーし」

 

 

 慈悲を縋る声をどうでもいいと切り捨て、ここがどんな場所かを遅ればせながら理解してきた春也はそのまま自分が怪我をさせた相手を放置して元来た道を引き返した。

 

 彼女は近い内に死ぬだろう。

 こんな場所では骨折の手当すら満足に出来るのか分からないし、あんな身形になるような生活を送っている者が片足を使えなくなって飢えずにいられるとも思えない。

 

 だから、春也はトドメを刺さずに放置した。

 

 春也の金を盗みとろうとしていた手つきの慣れ具合からしてあの手口はもう何度も繰り返しているとしか思えなかったし、そうすると少女が過去に一人も人間を殺したことがないなんてありえない。

 

 だったら死ぬべきだろう。

 仮にうまく受け身を取って五体満足だったなら、春也は逃げられる前にひと思いに殴り殺していた。

 春也が彼女を見逃したのは慈悲でもなんでもない、どちらにしても結果が変わらないから、手間を惜しんだだけのこと。

 

―――なんて、そこまでごくごく自然に考えていたのを振りかえって。

 

 

「……………やべえ。俺、キチガイだ」

 

 

 茫然と呟いた。

 

 春也は気付く、自分の思考パターンとそれを導き出す己の信条に。

 

 人の命は何よりも尊い、しかし例外がある。

 人の命は何よりも尊い、だからこそ例外がある。

 

 人の命を奪うような呪わしき“動く物体”の価値はゼロかそれ以下の『ゴミ』だし、そもそも命と呼ぶべきでない。

 母の病気とやらが本当かどうか知らないが、仮に事実だったとして、母の為に強盗殺人に手を染める幼子も殺戮の限りを尽くす深海棲艦も春也の中では同じことだった。

 

 それこそ母の命が掛かっていた?―――たとえそうでも、人を殺したのは他の道が途方もなく難しくて、人を殺して金を奪い取るのが多少楽な道だったと、そういうことだろう。

 殺した方が楽だから?―――で、そんな事情は果たして人の命より価値があるとでもいうのか。

 

………それは情状酌量とか更正の余地とか、そういう概念が微塵も入らない考えだ。

………そして、『ゴミだったら掃除しないといけない』と考える春也は、傍から見ると法の裁きを欠片も気にしないただの独善者だ。

 

 どちらにしても、春也の慣れ親しんだ日本の法治社会にあまりにそぐわない。

 人が死ぬ場面を実際に自分の目で見る機会などなかなか無い平和な社会では、芽吹くこともなかった考え方だったのに。

 しかも、春也はもうその考え方を矯正する気も矯正できる気もしなかった。

 

 気付いてしまった自分の異端。

 それは、どう抑えようとも抑えきれない郷愁に、自分の故郷の方から『帰ってくるな』と拒絶されたような、そんな錯覚を覚えさせられるのだった。

 

 

 





「人殺しは死ぬべきか?“はい”か“いいえ”以外で答えるな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人型


 テンプレだから何も考えずにひゃっはーなバトル出来ると思ってたのに、異世界モノってその世界の文化・生活様式・歴史・宗教・政治様式その他もろもろ設定して更に違和感ないように描写しないといけないってんで、意外に難しいのが分かった。
 ただでさえ設定が多い厨二モノなのに。

 前二作みたいに鎮守府から出ないならまた閉じた空間のことなので話は違ってくるんだけど………。
 特にここ二、三話ほどそのせいで文章が冗長になってる気がする。

 誰だ異世界トリップがテンプレで簡単とか言い出したの!

………え、こんな崩壊世界を舞台にするのが悪いって?




 

「あ、提督さんが自覚したっぽい」

 

 必要品の買い出しを終え、宿で荷物の整理をしていた夕立が徐に顔を上げる。

 顔を見れば何を考えているのかまで大体分かる、そうでなくても互いの第六感は共有している春也の精神状態は、離れていてもなんとなく伝わってきた。

 

 春也の異端など、夕立は先刻承知だ。

 魂の渇望(いのり)を受け止めて独自の異界法則を現実に走らせる媒体である“霊式祈願転航兵装”『艦娘』である彼女には当然の話で、最初に彼が気絶するくらいに深く深く繋がった時にその魂はとうに把握している。

 

 それも含めて伊吹春也を提督(あるじ)として認め、愛したのだ。

 己が“夕立”であれば、それはかえって自然かつ自明の理だった。

 

 狂気と死臭の渦巻く戦場のただ中で気付いてしまい、動揺して咄嗟の判断を誤るアクシデントにならずに済みそうだというのがせいぜいの夕立の感想である。

 

 そんな時、戸が控えめに叩かれる音が響いた。

 

「居るっぽい」

 

「失礼するのです。電です、夕立さん」

 

 後ろ手に戸を閉めながら、見た目は夕立よりも幼い少女である電が入室してくる。

 部屋の隅に積まれた座布団を引っ張り出して滑らせると、一礼して電は行儀よくそこに正座した。

 

 荷物に囲まれながらぺたんと女の子座りした夕立がそれに向かい合う。

 なんとも言えない一瞬の沈黙の後、少し聞きたいことがあるのですが、と前置きして電が本題を切り込んだ。

 

 

「夕立さん、随分あなたの提督に懐いていますよね?」

 

「ええ、愛してるわ」

 

 

 唐突な質問の真意を知っている夕立は、大人びた妖しい笑みを可憐な顔に浮かべて即答する。

 

―――突然だが、提督とその艦娘の強さを測る要素は、三つある。

 

 うち一つ目が過去に倒した敵達の魂を取り込んだ量である練度、そして二つ目が、提督と艦娘の“仲の良さ”。

 提督と艦娘には相性というものがある。

 ある艦娘を活動励起させられたからと言って、その提督が他の艦娘も使えるとは限らないし、逆にもっと強力に活動させられる場合もある。

 

 その基準となるのは両者の共鳴可能な一定水準以上の祈りであり、艦娘ごとにまちまちなその内容を属性と呼んでいた。

 そして、属性にはタロットカードのように『表性(いい意味で言えば)』と『対性(悪い意味で言えば)』がついて来る。

 

 例えば、電の属性は『現在を肯定する者』、表性は『適応力・諦めない意思』、対性は『惰性・楽観論』である。

 航輔には当て嵌まってはいるが正にそうであると断言するには躊躇いが残る、そんな性質だ。

 

 このように渇望が艦娘の属性にそのものずばり当て嵌まるということはほぼないので、通例提督達は己に相性のいい複数の艦娘を扱える。

 “ほぼ”ない――――その例外が、ここにいる。

 

「もしかして伊吹春也さん、夕立さん以外の艦娘使えなかったりするのですか?」

 

「だって必要ないっぽい」

 

 夕立の属性は『侵略を砕く者』、表性は『守護・内側への寛容性』、対性は『排他・外側への冷酷性』。

 

 命ある者にはあの村人達のような自分勝手な奴らにすら理解を示して護ってみせ、逆に命を脅かすゴミと認定した相手に対してはその排除に容赦も躊躇いもしない。

 そんな春也と夕立の相性はまさにぴたりとはまるという表現が相応しい代物だった。

 

 でなければ、そもそも“倍加反射”のような異能など初めから使える筈がない。

 

 提督の渇望を受け止め現実に法則へと昇華させる、艦娘の真価は本来そこなのだが、異能を形成可能な提督は絶対数が元々稀少な中で更に稀少な存在である。

 しかし逆に言えばあまりに稀少な為、分かりやすい異常性は際立ってくる。

 

 一例として、艦娘の狂信とも言える提督への愛情と忠誠心。

 夕立の春也へのべったり具合を見ていた電は、その異能の具体的な詳細を知る由はなくとも、自分達の仲間として行動する二人が間違いなく大物であると見定めた。

 

「それで、電?それを知ってどうするの?」

 

「どうもしないのです、“夕立さん達は”」

 

――――しかし、“自分達は”その力を利用してうまく立ち回れるかも知れない。

 

 促されずとも、電の本音は言葉の裏に滲んでいた。

 それを汲んだ夕立は、しかし怒るでもなく興味なさげに指でとんとんと床を叩いて遊んでいた。

 

 電が伝えたのは、夕立達に直接不利益な真似を企むことはしないという誠意も含めてだから。

 あと、ついでに。

 

「でも、あの紀伊航輔ってひと、そんなに器用っぽい?」

 

「……………。訊かないで欲しいのです」

 

 電の提督に到底あくどい企みなどできそうには思えなかったので。

 それはそれで警戒されないという意味でやはり立ち回りが上手いとも言えるが、とにかく一応の合意が交わされて電の来訪の目的は達したのだった。

 

「さ、そろそろ夕立の提督さんが帰ってくるっぽい。話は終わりでいい?」

 

「もちろん。ごゆっくりなのです、また明日」

 

 丁寧に一礼してから戸を閉める電とのわずか数分のやり取りを終えた夕立は、そのまま意識をあっさり切り替えて作業に戻り、消費した時間を取り戻すように素早く荷物の整理を終わらせる。

 ナイーヴになっている春也に無邪気な少女として甘え甘えられる、そんな至福の時間がこの後待っているのだから。

 

 夕立にとって、仲間が信用できるかなど実際大した問題ではない。

 いざ戦闘になれば、それがどんな理不尽で不幸な逆境でも関係ない―――できるできないではなく“やる”だけだ。

 故に戦に関して不安を抱かないというより、不安という概念そのものが繋がらない。

 騙され裏切られてもその時はその時で、怒るのも嘆くのもそうなってからの話だ。

 だから今の夕立にとって春也とどう時間を過ごすかを考える方が電の思惑よりも万倍大事だったし。

 

――――………ただいま

 

――――おかえりなさい、提督さんっ!!

 

 宿に帰った春也を見た瞬間に喜びのあまり考えていた手筈を全て投げ捨て、輝かんばかりの笑顔を浮かべ両手を広げて飛びついたのだった。

 

 

 

 

 

 宿に布団は二つ敷いてあっても、結局野宿の時と同じように春也が夕立を抱きしめて眠った翌朝。

 

 結局春也が己の異端を理解して覚えたのは己自身への嫌悪感でも忌避感でもなく、ただの感傷だ。

 夕立と思う存分じゃれて、一夜寝て、すっきりすれば蟠りもなく割り切れたので、これ以上彼女に情けないところを見せなくていいだろう。

 

 なので、深夜ではなく早朝5時に突撃してきた変なところで素直な航輔達を、春也は常な状態で出迎えた。

 

「さあ行こうぜ鎮守府。進路、北西!!」

 

「違う。こっちっぽい」

 

「南南東だな」

 

「司令官さん………」

 

 そういう客も慣れっこなのか早い時間でも出してくれた宿の朝食を平らげ、荷物を纏めた春也達四人は歩き出す。

 昨日入ったのとは違う、大通りからの門から街を抜けて、腰くらいの高さの木柵で仕切られ延々と続く街道に沿って進めば鎮守府に着くらしい。

 

「もう山道とか行く必要ないのか?」

 

「ええ。距離的には同じくらいだけど、今回は私達の足だと日が沈む頃くらいには辿りつけるはずっぽい」

 

 荷車は中身を換金して多少軽くなったし、平らな道で転がしやすいし、段差やでこぼこ道で倒れないように気を配る回数も激減した為、倍以上の速度で往けると思われた。

 この世界の要である商業・工業・宗教拠点の“神社”と軍事拠点“鎮守府”だけに、その二つを結ぶ街道は念入りに整備されている。

 

「伸びてる街道はもう一つあったみたいだけど、あれは?」

 

「あっちは帝都行きなのです。特に用事はないですね」

 

「けっ、お上に関わったってろくなことないぜ、春也!」

 

「それは自分から軍人になりに行く奴の台詞なのか………?」

 

 そして、政治拠点の“帝都”。

 これら三つを結んだ三角形を中心として人類の生存圏が確保されているっぽいとは、当然夕立に聞いた話だ。

 実際生まれて殆ど経っていない夕立の知識も完全に正しいのかどうか分からないが、街道の管理への力の入れようを見ればおそらく事実なのだろうと思えた。

 

 上空をプロペラ音が通り過ぎる、ラジコンのような小さ過ぎる飛行機とすれ違うのは数十分に一度の話だ。

 あれはおそらく艦載機で、哨戒の為に空母系の艦娘を交代で裂いているのだろう。

 

 道の脇にある途切れなく続く木柵も、防衛力は期待していなくとも破壊されればそこから三角形の内側に深海棲艦が入った可能性が高いと分かるようにする為のものだと思われる。

 

 そんな事を話しながら、のどかに陽の差す下旅路を往く四人。

 その上を過ぎ去る飛行機がそろそろ二桁目に達しようかと言う頃だった。

 

「なあ夕立、あの飛行機、進路がちょっとおかしくないか?」

 

「……確かに、ちょっと変っぽい」

 

「そうか?気のせいだろ………って、あ、墜ちた」

 

「「―――っ!!」」

 

 宿で包んでもらった笹の葉弁当を昼食にしながら、ひとやすみと開けた場所に足を投げ出しながら座って空を見上げていた春也達。

 その視界の中で、灰の煙を上げながら飛行機が炎上して墜落する。

 

 それが地面に叩きつけられ破裂音を辺りに響かせる前に、春也と夕立は素早く立ち上がった。

 

「春也?どうしたんだ、何が起こって――」

 

「司令官も、早く立ってください。来ますッ!!」

 

 視界の隅に黒い染みができる。低い耳鳴りがする。鼻の奥がちくりと刺されているよう。空気が不味い。肌をざらついた何かに撫ぜられた気がする。

 

 五感は何も異常を検知してはいない、周囲には木柵とところどころに寂しく自生した細い木以外は何もない一面の荒れ地が広がっている。

 であれば、本来それら全ては錯覚なのだろうが―――春也と夕立は、そして僅かに遅れて電も確信していた。

 

 敵がいる―――――走って来る、途方もないスピードでッ!!

 

 

『Rhaaaahhhh!!!』

 

 

 常人には、突如上空に影が生まれたようにしか見えなかっただろう。

 そして夕立と電も、構えた砲を上に向けて狙いを定めて引き金を引く………なんて悠長なことをしている時間は取れなかった。

 

「うわあああっ!!?」

 

「こ、の――――ッ」

 

 すぐに重力に引かれ落ちて来るその影。

 反射的に身を縮めてしゃがみ込む航輔をかばうように位置を調整しながら、春也は前に躍り出る。

 そしてカウンター気味の全力の回し蹴りを影に叩きつけた。

 

 ガン、と人間が何かを蹴ったものとはとても思えない鈍い衝突音が唸る。

 やや後方に弾き飛ばされた影は、土を舞い上げながら自分から更に後方に跳んで、固まっている四人から距離を取った。

 

 その、二本の足のみで。

 

 相も変わらず気色の悪いぬめった黒の肌を持つ深海棲艦は、しかしそれだけではない。

 二足歩行で直立し、前脚は発達して太く長い腕としてその先に禍々しい鉤爪を光らせている。

 

 そして奇怪さを際立たせているのが、内股と脇腹に僅かながら他と違う、青白い肌が垣間見えることだ。

 その質感も見るからに違っていて―――艶めかしい女の柔肌のよう。

 それだけに、他とのコントラストでいっそう生理的嫌悪感が際立った。

 

 そんな己の容姿が与えるマイナス感情を自覚しているのか、深海棲艦は目をぎらつかせつつもその巨大な口の端を吊り上げる。

 

『Rha,RHAAAAA-------』

 

「ひ、人型………っ。ウソだろ!?」

 

「人型だと、なんかマズいのか。―――――確かに、そうかもな」

 

「提督さんッ!!」

 

 変なしなりを付けながら揺れる敵の鉤爪から、滴る赤い鮮血が零れ落ちる。

 交錯の際に左肩を深く切り裂かれた傷を右手で庇いながら、春也が呻いた。

 

「このっ、よくもぉぉっっっ!!!」

 

「援護するのです!」

 

『Raaaa,haah??』

 

 怒り、猛る夕立が腕に顕現させている鈍く輝く砲塔から何度も鉛の砲弾を吐き出させ、電もそれに続いた。

 だが、並はずれた脚力を持っているのか右に左にとステップを踏むだけで全ての砲撃は文字通り的外れになってその後ろへと虚しく消えていく。

 

 そんな二人をあざ笑うように、鉤爪の生えた両腕を不規則に振り回しながら深海棲艦は堂々と迫る。

 距離を詰めればそれだけ当たり易く避けにくくなるが、躊躇や恐怖といった感情などこの化け物に果たして存在するものか。

 

 頭を狙う、地を這っているのかと思うほどの冗談みたいな前のめりで避けられる。

 足を狙う、側宙というアクロバットな跳躍を捉えられない。

 腹を狙う、敵はくねらせた体の脇、腕との間の隙間に招待しながら悠々と前に前に進む。

 

 ついに至近距離で真正面の直撃コースを捉えた電の砲撃も、その左の鉤爪ではたき落とされた。

 そして、逆の腕が鞭のように斜め上方から夕立を襲う。

 

 その鋭いが荒々しくぎざついた刃の連なる爪が、その刃渡りで華奢な少女を輪切りにしてなお余ることを証明せんと煌めいた。

 

 

「―――――嘗めるなッッ!!!」

 

 

 そして、虚空へと投げ捨てるように腕の武装を消し、腰を捻りながら繰り出した夕立の拳と激突する。

 

 

 “倍加反射”……相手の殺傷性能、切れ味すらをも倍にして跳ね返すその上に、更に夕立の華奢な外見からは想像も及ばない鋭い鉄拳の威力を乗せ、ズタズタになったのは深海棲艦の腕と鉤爪の方。

 

「あまり調子に乗らないほうがいいっぽい」

 

『Rha------!!???』

 

 動揺はするのかあるいは痛覚があるのか―――ぼろぼろと崩れる腕にたじろぐ敵を、激しい輝きを宿す瞳で睨みつけ、夕立は宣告する。

 

 

「夕立は今、すっごく――――――怒ってるのよ?」

 

 

 怒りも過ぎればかえってその表情は笑っているように見えるのか。

 愛する春也(あるじ)を傷つけられた兵器(どうぐ)が、彼に負けぬ殺意をその場に噴出させた。

 

 





 一言シリーズがアレだという声があったので、ネタも尽きたことだし更に痛々しさを上げていこうか。
 振り切ってこその厨二。
 黒歴史が怖くてネット小説なんか書けるかよッ!!


☆設定紹介☆

 伊吹春也<人間・提督>

 主人公。
 スペックは高いものの親にかなり甘やかされて育った志の低い現代のダメっ子だが、崩壊世界ハードモードに急に飛ばされても何故かそこそこに適応している。
 一見理屈屋の合理主義者で本人自身もそう思っているが、本当にそういう人はいくら自分が超人になったと分かっていても、素手で深海棲艦に殴りかかったりは普通しない。
 静かにイカれている。

 命は何よりも尊いと深く深く信じている為、潜在的に人殺しが大嫌い。
 なのに異世界に来てまず見たものが人がゴミのように殺されていく光景だったことが良くも悪くもその針を超極端に振り切れさせた。

 例えそれが化け物でも人間でも、人を殺すなら彼にとって等しく世界を汚す掃除すべきゴミであり、そこにどんな事情があるのかも前話であれこれ理屈をこねくり回していた割に実はあんまり関係ない。
 現時点ではまだ本人にその自覚がないだけ。

 とはいえ、この思想は正義感から来るものではなく美意識から来るものなので、自分の感知しないところで殺人が起こっても何でもかんでも首を突っ込む訳ではない(ただし深海棲艦を除く)。
 浮浪者の少女がゴミ認定されたのは、過去に人を殺しているとしか思えないこと以上に、普通の人間なら死んでいた勢いで石でぶん殴ってきたことで「あ、こいつ人殺しだ」と認定されたのが一番の理由だったりする。

 一方で、命ある普通の相手に対しては、かなりお人好しでもある。
 日本人特有の押しの弱さも含めて、この崩壊世界の住人では考えられないレベル。


…………実は元々、『黒円卓に真っ当普遍な正義感を持って対決するオリ主を考えてみよう』から始まったキャラを艦これアレンジで流用したもの。

 どこでどんな化学反応起こしたんだろうね。

 なお、嫁は当然夕立。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

参上


 某スレ1発ネタより。

テルマエロマエ主人公「こ、これは!(中略)湯に薬を入れることで戦いで傷ついた体を癒し治す風呂だというのか。
 なるほど、感謝するぞ平たい胸族の女!」

RJ「表出ろ」

 平たい顔じゃなくて胸族の女ことりゅーじょーさんが好きになった瞬間。
 出そうかなーでもキャラ的にいまいち使い辛いんだよなー。




 

 夕立に通常の手段でダメージを与えることは、限りなく難しい。

 

 僅かとはいえ現世に異なる法則を展開している深海棲艦、そして提督と艦娘には、そもそも普通の物理的な攻撃手段が通じない。

 

 異なる法則と言っても、形而上の想像が現実に侵食したもの、分かりやすく言えば位相のずれたそこだけ別世界になっていると考えればいい。

 

 例えば炎が吹き上がってくる映像を見て実際に熱いと思う人間はいないその一方で、技術と機材があればその映像を編集して好きに加工出来るようなもの。

 夕立が倍加反射という、言わば極小一部だけの逆再生二倍速をやっている“程度”が稀少と言われる様に、自由自在とは全く行かないのだが、それでもそんな一方的で理不尽な上下関係が深海棲艦とそれに蹂躙されるこの世界には存在している。

 

 しかし、艦娘によってその壁を超えて同じステージに立ってしまえば、あとは通常の砲撃、いや殴る蹴るの打撃ですら十分に通じるし、基本的に艦娘達と深海棲艦の戦いとはそういうものだ。

 

 想像上とはいえ、いや想像上だからこそ、異なる法則とは言っても内容自体は現実の物理法則と寸分違わないもので、運動エネルギーや熱エネルギーを鉛弾や火薬で叩きつけ合う行為が通常の戦闘のやり取りになるのは何も変わらない。

 

 故に。

 

 そのエネルギーを自在にベクトルを逆に倍にして反射する夕立に対して、“通常”の攻撃は全く通らない。

 

 殴っても斬っても撃っても押し潰しても、傷付くのはすべて殺人行為(そんなこと)をする相手側。

 ゴミはゴミらしく大切な命を傷付ける前に自滅しろ―――これはそんな異能(いのり)で、そして春也の渇望に直接護られている夕立にとっての至福だった。

 

 だから夕立を倒す為に突かなければならないのは彼女の活動そのものを成り立たせている提督の春也であり―――そしてそれは夕立にとって最も許しがたい蛮行でもある。

 

「こいつ………ッ!」

 

『Ra,ra,ra.....』

 

 小柄で華奢な夕立と、図体にしてその倍はある黒い異形が荒野を疾走する。

 一定の間合いのまま、互いに全く同じ速さで並走しながら睨み合う両者。

 その中で夕立は時折合間を見計らって砲撃を試みる。

 

 それはつまり余裕のある夕立の方がコンパスの大きな人型深海棲艦よりも若干速いということだが、そんなことは夕立を苛立たせる要因にしかならない。

 

 無事な方の腕で捌き、あるいは上体のバネであらぬ体勢に腰を反らして躱し、あたかも挑発するように首をくねらせて当たらぬ砲撃を笑う異形。

 その顔面に拳打を叩き込みたい衝動をかろうじて抑え、代わりに腕に再装着した砲頭をがちゃりと鳴らす。

 

 薬莢を排出、なんてことはしなくても再装填が内部で行われた弾丸をそのまま撃ち放った。

 数百メートル先、時にはキロメートル

先まで狙いを付けられる事を考えればほぼ接射と言える至近距離だけに、しかも走りながらでは流石に避けきれずにその体にまた一つ軌跡の痕が刻まれるが、そんなかすり傷ではいつまで経っても倒れないだろう。

 

 そうなると当然一気に勝負を決めたいのだが、人型らしく相手に相応の知能があるのが厄介だった。

 

『Rh?』

 

「だから行かせない、って……ああもう、埒があかないっぽい!!」

 

 不意に地面を削る勢いで急減速する異形、だが図体のでかい相手の小細工などに反応出来ない夕立ではない―――後ろに抜かせて負傷した春也を襲わせることなど許さない。

 

 両肩に展開した大口径砲すらも反射されて潰され、夕立への攻撃が無意味と悟った敵はその狙いを春也に切り替えてきた。

 

 彼が死ねば夕立もまた無力化するのを知っているのか、それとも単に殺せる相手から航輔とまとめてまず殺していこうという考えなのか。

 一応電を後方に下げ二人の護衛に回しているが、彼女にこの人型深海棲艦の相手が出来るかは不安の方が大きい以上、迂闊に攻め込んでそれを躱されるリスクを負う訳にはいかなかった。

 

 一方で向こうも強引に夕立を突破しようとすれば痛打ないし致命傷を受けるのが分かっているのだろう、互いに決定打を繰り出す隙を窺いながらも出せない不毛な状況が展開される。

 春也達を中心にした円周上をぐるぐる走り回りながら、神経を削り合う持久戦ばかりが続く。

 

 傷を負わない夕立の方が僅かに有利と言えば有利だが―――気を抜けば簡単にひっくり返される均衡なだけにそれを打開したいのは彼女“達”も同じだった。

 

(航輔……は、無理か。でも、俺と電が突っ込めば夕立が決める隙は作れる)

 

 肩に走る激痛と直下の窪みに溜まる程に流れる血に膝をついていた春也がよろけながらも立ち上がる。

 

「お、おい春也?痛くないのか!?」

 

「んなわけねーだろ馬鹿野郎……っ!」

 

 平和な世界で生きてきて、今まで骨折すらしたことのなかった春也。

 それが肩を深く裂かれるような傷を受けて、平気な訳がない。

 

 堪えるとか我慢するとかそういう次元の問題ではなく、肉体が信号という形で悲鳴をがなりたてている。

 全身の神経がそこに集まったのかと思うくらい、他の部分の感覚がイカれて言うことを聞いてくれない。

 

 正直恥も外聞もなく泣き叫びたかった。

 実際はその動きさえ余計な痛みになるので出来ないのだが、それ以上に。

 

 

「――――でも、死にはしないだろ」

 

 

 ただの人間なら生涯もう腕が上がらなくなるのを覚悟しなければならない傷でも、一日も待てば何の後遺症もなく治ると何故か理解していた。

 

 そう、命までは落とさない。

 そして目の前に、人の命を奪う深海棲艦(ゴミ)がいる。

 

 ならば、ああ………確かに、痛みを堪えるとか我慢するとかそんな次元の問題じゃない。

 優先順位からすれば論外だ。

 

「電、手伝ってくれ。アレをぶっ潰さないと」

 

 まずゴミ掃除。

 痛みで転げ回るにも、世界(地べた)が汚すぎて今は無理だ。

 

「電と春也さんで夕立さんの突破口を拓く。確かに、それしかないですね………」

 

 傍らの電も状況は冷静に分析できているのか、話が早い。

 一方の航輔はただただ茫然と疑問を繰り返すだけだった。

 

「一体何の話だよ………まさかその傷で戦うってのか!?無茶だ!」

 

「無茶だけど、無理じゃない。それとも航輔、お前がなんとかしてくれるか?

 俺は、そっちでもいいけど」

 

「そ、それは………」

 

「司令官は前に出ないでください。足手まといにしかならないのです」

 

「わーひどい。で、本音は?」

 

「こんな状況ですらみっともなく震えて縮こまるのが電の司令官なのです。

――――だから、安心して怯えていられる様に、電が護るのです」

 

「安心できたら怯えないけど。てかツンデレでもないのに建前の方が酷いとか斬新だな」

 

「おかしいよお前ら、待っ――――」

 

 軽いやり取りは、躊躇いや恐れなく覚悟を決めた証。

 故に、勝負を仕掛ける二人に、怯えるだけの航輔の声など届かない。

 

 

「――――待った。そういうの嫌いじゃないけど、残念ながらここは君たちが命を張る場所じゃない」

 

 

 だから、二人を止めたのは、同じく戦場に立つ覚悟を持ち、尚且つそんな声の主が敵を打倒出来るという事実。

 

 この戦闘だけで何度も響いた発砲音、だが夕立や電のそれよりもやや重く低い。

 そして、それが鳴り響く直前に不自然に異形の動きが鈍り――――飛んで来た鉛の塊が為す術なく直撃する。

 

『rha------』

 

「そこぉっっっ!!」

 

 そして、ひたすら機を待っていた夕立が逃す事なく魚雷を顕現し、懐に潜り込んで叩きつけた。

 

 扱いとしてはただ細長いだけの爆弾は、深海棲艦と夕立自身の両者に等しく爆風と破片を浴びせ―――夕立がそれを倍加反射する為に、指向性爆雷と化して敵のみを容赦なく吹き飛ばした。

 

 肩までの黒髪を二条に分け、赤橙のセーラー服姿が目に鮮やかな少女が春也達の横に立ち、その爆炎を眩しげに見つめる。

 そして―――爆炎を突っ切って疾風の如く飛んで来た夕立の拳を、己の左頬に突き刺さる前に掌で掴んで受け止めた。

 

「―――さて、これはどういうこと?私、貴女達を助けた立場だと思うんだけど」

 

「手が滑ったっぽい。

――――夕立の提督さんが無茶して頑張ろうとしたのに、それまで出待ちしてた奴がなんか得意げな顔してたのが苛ついてしょうがなかったの」

 

 白々しい言葉を交わしながら、夕立が掴まれた拳を強く振り払い、そして硬直する二人。

 無表情の夕立と不敵な笑みが交差する。

 

 一瞬で緊迫感が高まり、あわや艦娘対“艦娘”の第二ラウンドが始まるかというところで………折れたのは向こうの方だった。

 

「あはは、気付かれてたか。失敬失敬、ちょっと興味が湧いてさ。

 覗き見してたのは、素直に謝るよ。ごめんね」

 

「………で、あんたなんなんだ」

 

 にへらと気安い笑みを浮かべる闖入者に、気の抜けて既に地べたに座り込んだ春也が取り敢えず話を進めるべく問うた。

 名前だけなら別に分かっているが、会話の流れとして訊ねる。

 

 春也が脳内に浮かべた正解は、果たして外れることはない。

 

 

 

「川内(せんだい)、参上―――――よろしくねっ!」

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※夕立&春也の特殊能力、倍加反射(9話時点)

 聖なるバリア-夕立フォース-
 【罠カード】
 ①相手モンスターの攻撃宣言時に発動できる。そのモンスターを破壊する。②フィールド上にセットされたこのカードが相手のカード効果によって破壊された場合、このカードを自分の魔法・罠ゾーンにセットし直す。その後このカードを破壊したカードを破壊できる。

 割られるのも仕事、違う意味で。


…………というのは冗談として。

 提督である春也の『尊い命を奪われたくない』という祈りが、『命を奪う奴を消し飛ばしたい』という怒りと混ざってそれを汲み上げた艦娘の夕立を媒介として発動した法則。

 殺傷性を持った攻撃を自業自得にすべく威力を上乗せして相手に反射する。
 自分に攻撃して反射、威力は二倍……とかいうメーガス三姉妹的な真似も出来るらしい。

 とはいえ、実はイメージの容易な物理的な攻撃しか反射できないので、例えば炎で包もうとしてくる相手を丸焦げにしたり、超スピードで動く相手をその倍の逆Gでハンバーグにするのは簡単なのだが、生命力を吸い取られるとか影に拘束されるとか殴られたら死ぬとか笑われたら死ぬとか、訳の分からん能力に対しては苦手。
 むしろ、そうでもしないと夕立単独を倒すのは無理。
 そしてそういうことにしないと無敵過ぎてバトルにならないので作者が設定した苦し紛れの弱点でもある。

 一応現時点では夕立に触れた場合しか反射が出来ないので、それも今回の話であった様に弱点と言えば弱点。
 ただこれはこの能力で直接的に護られているのが夕立のみということでもあるので、ある意味この能力の存在で『(夕立の)尊い命を奪われたくない』『(夕立の)命を奪おうとする奴は絶対に潰す』などと夕立が春也に気が狂わんばかりに渇望されていると言えなくもない。

 そんなオタクの妄念に純粋なぽいぬが何を感じちゃったかは………触れないのが花か。

「提督さん、大好きっ!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誘導


しかし、よく寝る主人公というか………。




 

 夕立と敵艦が戦闘を繰り広げた街道脇。

 川内がその場に居合わせたのは、当然偶然ではなかった。

 

 哨戒の網に掛かった深海棲艦、それも人型を迅速に殲滅する為に緊急で駆けつけたのだと語る川内は、即ち単騎であれを確殺するに足る実力を持つと見ていいのだろう。

 その川内の案内で一行は彼女の所属する『鎮守府』までの先導を受けることになったらしい。

 

………“らしい”と伝聞形なのは、負傷した春也が手当てを受けたところで、体が休眠を求めるのに抗えなかった為、到着するまで意識が曖昧だったからだ。

 

 後でまたこのパターンか、とぼやくことになる春也の静かな寝息を聴きながら、街道を往く夕立は彼を乗せた荷車を慎重に引いていく。

 そんな彼女に、川内は余裕のある笑顔を湛えながら話を振った。

 

「代わろうか、夕立?私はあの人型による被害が出る前に駆逐せよ、と命令を受けて来たから。

 それなのに私がもう少し早く着いてたらこの人の怪我も無かったと考えると、少しは申し訳なくもなるしね」

 

「別に。“それについては”謝ることでもないっぽい」

 

 数刻経っても引き摺っているのか、途中から戦いを出歯亀していたことについては当て擦る言い方でその申し出を断る夕立。

 その口調はいっそ冷たいくらいに拒絶の色合いを含んでいる。

 

 信用できない。自分の大事な提督(春也)を預けるなんて以ての外。

 口には出さずとも容易にそんな思惑が読み取れた川内が苦笑しながらなおも喋るのを止めない。

 

「あはは、嫌われちゃった」

 

「…………」

 

「好かれようとしているとも思えないのです」

 

 話すのももう嫌だと言わんばかりに黙りこくった夕立の代わりに、少し遅れて歩いていた電が返答をするが、その声もまた硬さを含んでいた。

 

 どうもこの川内、“うさんくさい”のだ。

 

 春也が重傷を負っている中で彼を必死に守りながら深海棲艦と戦う夕立という戦況下で一時的とはいえ傍観を決め込んでいたという、初対面としてはマイナスの大きな第一印象を抱えているにも関わらず、へらへらと笑いそれを払拭しようという姿勢は見えない。

 

 更に言えば、春也が負傷したこと自体は航輔を庇ったことも含め、ただ自分達の実力が足りなかった故のこと。

 そのことについて川内を責めようものなら、滑稽なのも惨めになるのも自分達の方だ。

 それを分かっていながら『申し訳ない』とわざわざ言い出すのは、明らかに誤用の意味での確信犯であるとそのにやけ面に書いてある。

 

 喧嘩を売っていると解釈されても致し方ない。

 別段出会ったばかりの野良提督と艦娘に誠実である必要は無いのかもしれないが、それならそれでそんな川内を嫌うのも夕立達の自由だった。

 

「あ、気に障った?本当にごめんね、どうにも私、自分の提督の態度とか移っちゃってるみたいで、人を怒らせること多いんだ」

 

「……呆れて言葉も出ないのです」

 

 挙句に、訊いてもいないのに自分の提督も似たような性質だと遠回しにひけらかす彼女に、電も相手をするのがうんざりしそうになる。

 それでも相槌を打つのは、律義さ半分と、あとは川内がこの調子で延々と話し続けるのを聞いている方が苦痛だからである。

 

 少し接しているだけで分かったのだがこの川内、どうにも黙っているのが我慢ならない性質らしい。

 しかし適当に何か言っておけば、それを聞く為にこのおしゃべりは一度止まる。

 そしてその貧乏くじの役割は、電以外引く事すらなかった。

 

「「…………」」

 

 夕立は完全に話に参加する意思が無いし、春也は夢の中。

 己の主である航輔は、心ここにあらずといった様子で数歩遅れてとぼとぼと歩いている。

 

 どうやら先ほどの戦いの衝撃が冷めやらぬようだが、さて何に衝撃を受けたのかは電にも判然としない。

 

 春也が重傷を負いながら、躊躇い無く殺し合いに復帰しようとしたことか。

 自らは何もしていないとはいえ、すぐ目の前まで近付いた死線を潜ったことか。

 電達だけでは為す術無く殺されていた、人型深海棲艦と出くわしてしまったことか。

 

…………そういえば、航輔の両親を殺したのも人型だったか。

 

 訊いてもいないのに鎮守府で別の提督の隷下にある那珂の前で夜戦(意味深)を連呼してセクハラし、しまいには泣かせたなどという全然笑えない話をオーバーな抑揚をつけてし始めた川内に適当に相槌を打ちながら、ほんの少し昔を思い返す。

 

 その情報自体は伝聞でしかないが、電と航輔の出会いは人型が蹂躙した戦場跡だった。

 電の記憶の始まりは神社ではない―――ふと気付けばそこにいて、両親の骸に泣き縋る航輔を見つけたのだ。

 

 親しい人間が死ぬことなどこの世界ではありふれている、そんなことは誰に教わるでもなく電も知識として知っていた。

 人型は鎮守府の艦娘によって既に殲滅されているとはいえ、そんな場所に長く留まっていて安全になる訳はないし、庇護してくれる存在がいなくなった子供では生きる為に行動することに時間がいくらあっても足りない。

 

 ある意味ドライだが、骸を見ればまず自分を生かす為にその所持品を漁れ、というのが人の命が羽より軽いこの世界の暗黙の風潮である以上、航輔の無駄な時間の浪費はそういう意味では愚かの一言に尽きた。

 例え両親でも、いや両親だからこそその死は自分を生かす為に“有効活用”しなければならない。

 僅か半世紀の間に何億もの人類が殺され、極東の島国の僅かな地域のみがその生存領域となってしまった世界の冷たい“正常”からすれば、航輔の行動は間違いなく落第点である。

 

 だが、電はその姿に何か胸に迫る物を感じ、気が付けば声を掛けていた。

 

『泣いて、何になるのですか』

 

『…………何にもならない。でも、悲しいのに泣かないなんて、そんなのできる訳ないだろ』

 

『そうやっていつまでも泣いているのですか?』

 

『そんなの知るか。明日も悲しければやっぱり泣いてるし、楽しい事があったらきっと笑う。

 いつまでなんて、分かりっこない』

 

『――――』

 

 電の詰るような問いに、甘ったれた答えを返した航輔。

 それでも電は―――自分の提督はこの人しかいない、そう思った。

 

 両親の死という現実を受け入れない訳でもなく、見ない振りをして賢ぶるのでもなく、ただ悲しいから泣く。

 恐怖にみっともなく震え、初対面の人にも警戒を怠って壁を作ることなく接し、提督になった今ではいい暮らしが出来るという陳腐で手軽な幸せだけを見て浅ましく舞い上がる。

 

 現在(いま)を肯定する――――。

 

 そんな、この世界では“みっともない”“情けない”としか言いようのない姿が、電には何故かかけがえの無いものに思えるのだ。

 

 だから。

 

(ああ、司令官のしょぼくれたへたれ顔が、電の疲れた心を癒していくのです…………っ)

 

「あれ?おーい、聞いてるー?」

 

「もちろんなのですっ!」

 

 きりっ。

 

 残念な内心に気まぐれな猫を被せ、川内と適当に会話をしながら悦に浸るという器用な真似をする電。

 アクシデントで旅の遅れを余儀なくされた一行が翌日に鎮守府へ辿りつくまで、電はそうやって頑張るのだった。

 

 

 

 

 

 そんな一行が立ち去った後の、人型深海棲艦の襲撃を受けた場所。

 

 そも“人型”とは何か?

 

 春也の中の『艦隊これくしょん』にある通り、海上に出ればいくらでもとは言わないまでも、この世界でもヒトの形をとった深海棲艦を見つけるのはそこまで難しいことではない。

 しかし“深海”棲艦と名を冠する以上、そもそも異形らは致命的なまでに陸上行動に適しておらず、それは地上の食物連鎖の頂点に立つ人間の姿を模していても同じだった。

 

 重装、堅牢。

 その一匹一匹が個体差はあれど軍船の火力と防備を持つが故に、浮力という水の加護を失えばそこに在るだけでいとも容易く自壊する。

 まるで“そう定められている”かのように、陸に上がってしまった深海棲艦の寿命は決して長くない。

 

 だがその法則の例外か、それとも適応能力すら人智を超えているのか、現れたのがこれまでにも春也が何度か戦った“陸上種”であった。

 まるで環境に適応する為に、一度退化と進化をやり直したかのようなことさら特異かつ怪奇な形質を有する種であった。

 

 おたまじゃくしからやり直し、足を生やし、腕を生やし、水上水中を行く術を切り捨てて地を駆ける能力を会得する。

 当然その途上では戦闘能力が半端な変質の犠牲になり、陸上種は通常の深海棲艦と比べ総合的に半減した戦力しか有しないが――――進化の終着に達した瞬間、その力関係は逆転する。

 

 順当に強化された通常の深海棲艦――いわゆる“発光種”ですら遠く及ばない脅威、それが人型深海棲艦―――正確には“陸上覇種”である。

 知能、装甲、機動力、殺傷能力、どれをとっても軽く他の十倍は跳ね上がっている正真正銘の化け物。

 

 はっきり言って初見で必殺を狙う夕立の異常なまでに凶悪な能力がなければ、経験の浅い提督二人と駆逐艦娘二人では抵抗すらままならなかっただろう。

 それだけに援軍である筈の川内がその異常さに興味を惹かれ、面白半分で様子見を決め込むということにもなったのだが。

 

 そして、そんな人型には、殆ど知られていないもう一つの特色がある。

 

 

 

「……あれ?わたし、は………?」

 

 

 

 派手に弾薬を撒き散らしながら全速力で動き続けた夕立の消耗を補填し、あとは誰も回収しようとしなかった為に風に曝された人型の骸。

 それが影も形も無くなったと思えば、代わりとばかりにそこにいたのは修道女のような黒服を纏った少女だった。

 

 その飾り気の無い丈長のワンピースを物騒に彩る二門の鉄の砲塔が、その気弱げな容貌の少女に隠された牙を象徴するように存在感を主張している。

 しかし、それを見るものは誰もいない。

 

 時は既に夜、比較的まだ安全な地域とはいえ、深海棲艦の跋扈するこのご時世で深夜にこんな開けた街道を進む人間などほぼゼロといってよかった。

 夜間偵察機も暗闇の中で探すのは深海棲艦の凶悪な巨体である為、誰もその背も小さな少女の存在に気付かない。

 

 月明かりに照らされた長めの前髪の下で、目覚めた少女は生まれたばかりの曖昧な自我で、孤独と寂しさにその円らな瞳を潤ませる――――ことはしなかった。

 

 似た生まれの電と違い、彼女には幸か不幸か道標が既に“付着”している。

 己の提督(あるじ)を認証する為に必要な魂の情報は、深々とこぼれ出した生命の滴が、乾いてもなおその輝きで少女を惑わしている。

 

 それは生まれたばかりの彼女にとってあまりに毒だ。

 身を犯し、心を侵し、存在を冒す、無垢をどす黒く染め上げる猛毒の祈りだ。

 

――――滅ぼせ。処分。廃棄。駆除。駆逐。“人殺しを、許すな”。

 

 是非の判断などつかないまま、彼女はその強烈な意思に染め上げられる。

 それが悦楽か悲哀かも分からずに、ただ己が生まれの性として自動的に少女は認めてしまった。

 

「私の司令官は、このひと」

 

 契約が成る。魂を繋げる。

 目的意識が生まれ――――そして、物凄く困った。

 

 名前も知らない、顔も知らない。

 繋がりはなんとなくの方向を示してくれるが、あてになるほどはっきりした感覚でもない。

 そしてそれすら、生まれたての五感が初めて捉えるありとあらゆる未知の感覚と混線して自覚すらできない。

 

 自分の提督になってくれた人に会わなければ、探さなければ………そうは思うのだが、手掛かりがほぼゼロだ。

 たった一つの感触だけを頼りに人を探す、その途方も無さを、しかしまだ彼女は知る由もなくとりあえず動き出す。

 

 そう、唯一の標―――片手の指と爪をどす黒くコーティングし、染み込むような血の感触。

 

「ぺろ、ん、ちゅ…………れろ、っはふ」

 

 そんな指におもむろに口を付け、乾いてしまった血を溶かす様に無心に舐めて己に少しでも馴染ませる。

 ふらふらと歩き出しながらも、彼女はただそんな奇行に耽るほどに大きくなる不思議な胸の高鳴りに困惑していた。

 

 それを排出する様に、熱い吐息と共に呟く。

 

 

「私の、羽黒の司令官、どこですか……?」

 

 

 茫洋としたか細い声は、冷たい夜風に紛れてすぐに消え去るのみだった―――。

 

 





☆設定紹介☆

※ドロップ

 この世界では、艦娘神社以外で唯一艦娘が生まれる方法。
 やり方は簡単、死んだ深海棲艦の躯を全部資源にして解体するのではなく、原型を残した状態でほったらかして野風に曝すだけ。

 強力な深海棲艦ほど発生しやすい(人型ならほぼ絶対)が、低級な個体だとそれに比例して確率が下がりぶっちゃけその資源を有効利用して艦娘を一から作った方がよっぽど早い。
 そして強力な奴らはそれはそれでそんな強い相手が倒された後その戦場に一日も二日も留まりたがる馬鹿はなかなかいないので、ドロップの瞬間を見たことのある人間はほぼいない。

 こうして生まれた艦娘も自分がどうやって生まれたかなんて自覚していないので、何故かごく稀に艦娘が自然発生している、として片付けられている。
 なので、この仕組みを知っている人間はゼロと言っていい。

…………なお、ここまでで一つくっそドロドロしたヘビーな事実がある訳だが、お分かりだろうか。

 今回の話をよく読み直すと…………。

 あ、羽黒ちゃんマジ依存系ヤンデレ臭とか今回一話一ぽいぽいのノルマ達成し損ねたとかではないです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二章 新兵転戦編
鎮守



年末はやっぱり忙しいですなー。




 

「なあ、夕立。そろそろ……」

 

「だーめ。提督さんはじっとしてるっぽい。

 大丈夫、夕立が全部やってあげるから!!」

 

「でも――、」

 

「動かないでーっ!提督さんは天井の染みでも数えてるっぽい!」

 

「天井ないぞ?」

 

 

 

「………うわお、いかがわしー」

 

「どこがだよ」

 

 川内の茶々に平静に返すのは春也。

 一晩を明かし意識を取り戻した時点で早くも肩の傷は違和感程度にまで快方に向かい、歩くくらいならもう全く問題がなくなったのだから、提督というものも大概だろう。

 

 春也に医学的知識なんて無いが、あの傷は体感で言えば骨までばっさり行っていた気がする。

 それは当事者故の大袈裟としても、完全に切り飛ばされない限りはもう少し深手でもちゃんと治りそうな予感がする辺り、今の自分の体がちゃんと水とたんぱく質で出来ているのか不安になりそうだった。

 

 それはそれとして―――夕立にとっては本当にそれはそれとして、らしい。

 

 春也が歩けると主張しても荷車から下ろしてくれる気配がない。

 それどころか、起き上ろうとする素振りだけでわたわたと腕を振りながら、泣きそうな顔でいいから寝ててと制止してくるのである。

 どう見ても自分より年下の女の子に荷車を引かせ自分はその上でのうのうと寝ているとか、居心地の悪さが半端ではないし、ましてや既に丸一日はそれで過ごしてしまっているのだが。

 かといって夕立の涙が春也に無視できるなんてあるはずもなく。

 

「まあいいじゃん。役得だと思ってお大尽やってれば?」

 

「うっせ。これが役得とか俺はどこの鬼畜外道だ」

 

「夕立は提督さんの為なら犬馬の労も厭わないっぽい………っ!」

 

「まあ、犬だよね」

 

「あいにくそりにくくりつけて雪道走らせる文化圏の出じゃないんだよ」

 

「?何それ」

 

「………滅びてんだな」

 

 けなげに引っ張り続ける夕立が止まらないので、仕方なくふてくされたように寝ころんだまま川内と遠慮の無いやり取りを交わすことにしたのだった。

 天真爛漫な夕立がこうまでなるくらいに心配を掛けたと思うと申し訳なさでどうにも座りがよくないし、現状では目を逸らして川内と心のこもらないやり取りをした方がまだましだ。

 

「やっと解放されたのです………」

 

 そんな春也に、何故か寝不足のように疲れ切った顔の電が感謝の視線を向けている。

 眠っていた彼は知る訳もないが、旅の途中に夜も更けるまでちょっかいを掛けてきて、終いには「呼んでみただけー、てへ」なんて恋人でない他人にやられたら殺意しか湧かないようなからかいまでされた電だった。

 活動に支障はなくても精神的疲労が洒落にならないくらい溜まっている。

 

 一方春也は、別に川内の相手が苦という訳でもなかった。

 この手の人の話を聞かない相手は未熟者の集まりである学校という集団の中には探せばいくらでもいたし、そういう相手と誠意なんて欠片も込めないコミュニケーションを取るのも、気を使う必要が全く無い分かえって楽な面もある。

 

 単に根っこが真面目な電だけが苦労したというだけの話なのだが、その苦労は果たして報われるものなのか。

 そして、春也に選手交代はしたものの、ちょっと遅すぎてあまり意味は無かったのではないか。

 

 

「――――で、あれが“鎮守府”ってことでいいのか?」

 

「まあね。それなりに見れる場所ではあると思うよ?」

 

 

 春也が目を覚ました頃には、目的地が既に遠目に見える位置に入っていた。

 

 進入路の限られた小高い山に囲まれた港という要害の立地。

 神社に負けず劣らずの立派な建屋がそれぞれ一定の隙間を空けながら林立しているが、立派といってもその方向性はやはり実用性を重視した造りに見えた。

 

 画一的な細長い建物が、トラックが複数台横に並べそうなくらいの間隔で配置され、時折入口の広い建物が厳めしい守衛を立てながらその重厚な扉を構えている。

 奥には倉庫の建ち並ぶ区画やグラウンドもあり、更にその向こうに連なる防塁の先に――――海が見えた。

 

 忌まわしき異形の湧き出づる水底、人に仇なす化生の魔窟。

 そんな深海の領域を潜めているとはつゆとも感じさせぬ、そんな澄んだ青が波間に日の光を煌めかせ輝いている。

 

 

「――――――っ」

 

 

 海なんて、別に初めて見るものでもない。

 それどころか春也の住んでいた街は海岸線からそう遠くなかったので、海水浴に行く頻度も高かったし、見慣れていた。

 

 人殺しの汚物が闊歩しているが故に、皮肉にも産業の発展による汚染が存在しない、綺麗な海では確かにあった。

 だが、それだけだ。それだけの筈なのに………春也の胸に、言い様のない深い感情がじわじわと浸透するようにその存在を拡げていく。

 

 感じる。あの海には、確かに何かが込められている。

 綺麗とか汚いとか、そんな形容を超越した“何か”が渦巻いている。

 否――――渦巻くというよりも、ただ純真なオモイそのものが、“流れ出して”水の一滴一滴になって溢れているような―――、

 

「すげえ」

 

 どうしてか言葉を失ってしまう春也の代わりとばかりに、それまでの何やらの懊悩を投げ捨てたかのように航輔が久方ぶりに口を開く。

 

「生まれて初めて見た!そっか、あれが海なんだな!?

 もっと恐ろしくて暗いものだと思ってたのに!なんだ全然綺麗ででっかいじゃん!!」

 

「!?いきなりはしゃぐから、びっくりしたっぽい」

 

「………黙ったりうるさかったり、忙しいヤツだな」

 

「でも、司令官が元気が出てよかったのです。電も安心したのです」

 

 子供のように拙い言葉で騒ぐ航輔のおかげで平静を取り戻した春也は、肩をすくめて電を見やる。

 「で、本音は?」なんて問いは、その本当に優しく航輔を見つめる電の表情から無粋と察して引っ込めた。

 心配事がなくなった時くらい、建前を間違えて本音にしてしまってもいい筈だ。

 

「ちょっとー、私が鎮守府を褒めた次の瞬間にこれって、なんか間抜けみたいじゃない?」

 

「知るかっての」

 

 春也は鎮守府より海に注目が移ったことに不服そうな川内をあしらいながら、今まで海を見た事のなかったらしい航輔―――この世界の海岸付近の危険度を考えれば無理もないが―――を見てふと思い出したことがあった。

 

(迷った時は海を見るといい。人間なんてちっぽけなもので、自分の悩みなんて大したものじゃないとよくわかる、か)

 

 海だったり空だったりはまちまちだが、ドラマやアニメなんかでたまに使われる言い回しだ。

 正直水や空気に光が屈折や散乱して青色になっている景色程度に、人間様が存在をちっぽけ扱いされてたまるかという春也は共感したことなど一度もない話なのだが。

 

 逆に言えば、共感出来る人間にとってそれはとても役立つ、どうにもならない焦燥や不安感のいい解消法になるのだろう。

 どうも共感出来る側らしい航輔には後で伝えておこうと思った。

 

「………案外、俺こいつのこと気に入ってるのかね」

 

 どうも自分が寝ている間ずっと塞ぎこんでいたらしい航輔。

 理由まで知っている訳はないが、それの解消に気がかりになる程度には、もう彼を友人と呼んで十分差し支えないくらいには思っているのを自覚した。

 

 そもそも航輔は、電によれば不安から道連れが欲しくて鎮守府への志願に春也を誘ったらしいのだが、春也にとっても仲間が出来たのは素直に嬉しいと思う。

 頼りになるかどうかは別として。

 

「なあ春也!お前ならこの感動、分かってくれるよな!?な!?」

 

「あーはいはいわかったわかった。っつかいいから離れろ、近いんだよ。

 復活したら復活したでやっぱ鬱陶しいし!」

 

「お、衆道?衆道?秋雲がなんか騒ぎ出す感じ?」

 

「殴るぞ」

 

「あはは、じょうだ―――うおあっ、まさかの夕立からの拳が飛んで来た!?危なっ!!」

 

「………え?だって提督さん、殴るぞってわざわざ予告してあげたっぽい?」

 

「きょとんとしてるよこの娘………。

 自分の攻撃即ち提督の意思と直結って覚悟完了しすぎじゃない?」

 

「お世辞言われても何も出ないっぽい」

 

「褒めてないよ!?」

 

「………まあ、“俺が”殴るとは一言も言わなかったしなあ」

 

 

 

 

 春也が目を覚まし、夕立も川内の相手をするようになり(ただし友好的とは言ってない)、航輔も元気を取り戻した為俄かに賑やかになった一行は、話が弾んでいる為に体感時間も早く川内の案内で鎮守府中央の建物の一室に通された。

 正確には一度待合室で荷物を預けながら待たされた後その間川内が報告と再度案内の為に己の提督とその上司の所へ行き交いしていたのだが、まあ大差はないだろう。

 

 それなりに地位のある男の執務室なのか、几帳面に整理された書類の棚と運搬に男手六人くらいは必要そうな重厚な机、そして棚に置かれた装飾を収める空箱が存在感を放っている。

 そしてその中身―――勲章、なのだろうか―――を装着して重そうな白い軍服を皺一つ無く着こなす威厳ある部屋の主が、机の向こうから春也達に眼光を飛ばしていた。

 

 精悍な顔にうっすらと刻まれた皺から察するに四十代くらいだろうか、だがきっちりした所作と弛みのない鋼の様な雰囲気により十年程度は若い印象を受ける。

 きっちりと揃え整えられた短髪は金がかって見え、背後の窓からの逆行も併せさながら獅子を思わせる圧に、航輔など先ほどから忙しなげに電の後ろに隠れられないかとじりじり動いている。

 あとついでにそんな情けない(ご褒美なのです)主に、電の口元が微妙ににやけているのは見なくても分かった。

 

 部屋にいるのは、その男と、なんだかんだでいつも通りの春也に夕立に航輔に電、あとは男と勲章以外は揃いの服を着ているものの他は正反対なくらいに軽薄な雰囲気の青年が男の後ろに控えている。

 他にも右後ろの部屋の隅から視線と気配を感じるが、一応気をつけの姿勢で男と向かい合っているのでその人相はまだよく分からない。

 

 とりあえず後ろの人は今の時点で話に関わる人物ではないのだろう、気にしないことにしよう。

 そういう風に春也が考えたあたりで、芯の太い良く通る声で男は話を切り出した。

 

「伊吹春也並びに隷下艦娘『夕立』、紀伊航輔並びに隷下艦娘『電』だったな。

 私は大和鎮守府外海方面部隊戦略統括長、厳島龍進(いつくしま・りゅうしん)中将だ。

 

 報告は簡易的にだが受けている。まずは礼を言おう、“現時点では”民間人である君達が深海棲艦を食い止めてくれたおかげで、被害が最小限に抑えられた」

 

「…………」

 

 一番最初に出るのがそれであるあたり、まともそうな場所だな、と見当をつける春也は果たして計算高いのかそれとも逆にまだ認識が緩いのか。

 一拍置いて、厳島と名乗った男は更に続ける。

 

「そして、今後は我らが鎮守府の一員として、人民の安寧と未来の為に尽力したいとのことだな?」

 

「はい」

 

「…………は、はいっ!」

 

 眼光で射抜かれながらの確認に、単にここまで来て考える意味も無いのでという理由で適当に即答する春也と、緊張で固まったまま電に突っつかれてから辛うじて上ずった声で返答する航輔。

 そんな違った二人の態度に、厳島が何を思ったのかはその顔からは覗えない。

 だが、次の問いでは誤魔化しもその場しのぎも許さないと力を込めてきた。

 

「成程……ならば問おう。君達の正義はなんだ?」

 

「正義、ですか?」

 

「例え艦娘という対抗手段があろうとも、深海棲艦との戦いは過酷にして苛烈。

 明日の命も保証されていない戦場に出る覚悟は、その胸に宿る正義から来るものの筈だ」

 

「「…………」」

 

 要は志望動機か、と春也は理解した。

 何が哀しくて異世界に来てまで就活体験せにゃならん、と思ってしまったが、ふと見ると隣の航輔が本当にヤバそうな青い顔で震えているので助け舟を出すことにした。

 

 確かに航輔の志望動機は「鎮守府所属の提督なら良い暮らしが出来ると思った」だから、こんなどう見てもガチの軍人さんに堂々と言えるものではないだろう。

 なので、春也がまず先に喋りあとは「右に同じです」と言わせればいい。

 

 幸い春也はこういうものに関してそれっぽい理屈をつけるのは得意な部類に入る。

 数秒で結論と大まかな構成を練り、あとは話しながら考えようと口を開きかけたところで―――釘を刺された。

 

「正義、とは言ったが。別段覚悟を誘発させるに足る理由ならばそれでいい。

 復讐でも名誉欲でも大いに結構。ただし正直に話して欲しい」

 

「………なら、本音で言いますけど」

 

 観念した春也はどこか投げやりになってぶっちゃけることにする。

 己の意見が、大抵の人間からはまともと見なされないのを理解していながら、それでも自分にはこれしかあり得ない“戦う理由”を。

 

 

「――――ていうか、そもそも深海棲艦と戦うのって、正義とか覚悟とかそんな話なんですか?」

 

 

「どういうことだ」

 

「例えば、ここで寝ろと閉じ込められた部屋。脱出口は無い。凄く汚い。

 壁を毒蜘蛛が這っている。

 天井に殺人蜂が巣を作っている。

 入口前で大蛇がとぐろを巻いている。

 伝染病持ちのハエが排水溝に集っている。

 電話一本ですぐに呼べる駆除の業者なんていないなら――――諦めてそこでぐーすか寝るのか?寝れるのか?

 そんな部屋(せかい)から逃げられないのなら、そしてそいつらを処分する為の艦娘(ちから)が有るのなら。

 

 危なくたって、汚物共は全て駆除して叩き出す…………人間ってそういうものだと、俺は思います」

 

「「「…………」」」

 

「……くすっ」

 

 春也は自分に唖然とした視線が集まるのと、夕立が嬉しそうに笑んだのを感じた。

 正直、自分が異常なのは分かっていても、それが何故異常なのかはいまいちピンと来ないのだが。

 

 生まれた時から人類が深海棲艦に絶滅の危機に立たされた状況の彼らとは、ある意味この終末世界はもともとこんなものなのだと諦観してしまっている彼らとは、前提が違う。

 超越者となった異邦人は、そんな己を無自覚に貫くしか知らぬ。

 

 

 

「俺はここに、兵士になりに〈戦争をしに〉来たんじゃない。

―――――ゴミ掃除をしに来たんです」

 

 

 

 それが、深海棲艦のいない平和な世界で育った少年の認識だった。

 

 





☆設定紹介☆

※春也の祈り・11話時点

 世界は輝いている。
 人生は希望に満ち溢れている。

 だから、命は何よりも尊いに“違いない”。

 別段こう思っているのは特別春也に限った話ではなく、むしろこの祈りは誰もが当たり前に持っているような認識である。
 誰だって自分や自分の愛する人達が生きていることに価値がないなんて思いたがる訳がないし、故に生きているということの価値を否定する人間というのは余程誰も愛さずかつ自分も生き続けることに希望を全く見出せない、そんな追い詰められきった人間くらいのものだ。

 もちろん、人生を歩む内に相手によって例外や優先順位、果ては「こいつが生きていることが許せない」なんて間逆の否定も合わせて抱いていくこともあるだろう。
 しかし、もともと根源的に命に対する信仰といっていい程の狂的な思想を持ち、現代日本の何不自由ない平和で満たされた環境でそれを更に育んだ春也は「死んでいい人間」なんて枠を作ることは一切なかった。

 そんな積み上げた塔のような命への信仰は、この世界で人々が深海棲艦に無意味無価値に虐殺される光景の前に土台から発破解体される。

 瓦礫が変じたのは、命を踏みにじる汚物への殺意。
 勝手を認めないし存在を許さない。
 そして、それは例外なく“元”人間だろうが命持つ者とも認められない、価値などありえない。

 自業自得すら生ぬるい、何も出来ないままに自滅して朽ち果てろ、仕方ないから手伝ってやる―――。


 “今はまだ、この程度の狂気”。



 なお、生命礼賛とはまた微妙にベクトルが異なる。
 必死で生き抜く姿がいいとか誇りある生き様がいいとか、そういうものに関しては一般人と同じ程度の感慨しか持たないし、そういう人生を送った人間が怠惰な人生の人間よりも価値があるなんて見方はしない。
 単純かつ純粋な命の存在価値のみに重点を置いている。
 故に、生きる為とか誇りをもって行動してとか、どんな理由があってもそれで人を殺せばただのゴミ扱い。
 逆に言えば、人の命を奪うような真似さえしていなければ、それがどんな悪人でも殺すとか生きていちゃいけないなんて言い出すことは絶対にないし、そいつが死にそうな目に遭っていたら可能な限り助けるという妙な懐の深さがある。


…………ところでふと思ったんだが、仮にこれで人を殺したセージをゴミ認定したとして、春也は逆十字に引っ掛かるのだろうか。
 そもそも相手を人間として見なくなり、腐ったゴミとそれに湧いたハエやゴキブリに対するものと同列項の殺意と嫌悪感を抱く訳だが。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

上下


扶桑「空はあんなにも青いのに………」




 

 

 結局春也が曝した本音が好意的に取られたのか否かは分からない。

 

 あの厳島とかいう男は始終固い顔を崩すことなく、言葉少なに春也達を鎮守府の提督として認める旨と、「貴君らのこれからの奮闘に期待している」という定型句のみを告げて会談を終了させたからだ。

 後々で考えれば、航輔の志望動機(せいぎ)を聞きそびれていた辺り、何も思うところが無かったというわけではないのだろうか。

 

…………それとも、航輔の下心というか安直な動機は訊くまでもなく察せられたからだろうか。その可能性の方が高いかも知れない、彼と似たような理由で志願する人間も少なくないだろうし。

 

 そんな流れで、その後別室に連れられた春也達は、……微妙な暇を持て余していた。

 

 待っていてとまた案内役になった川内に言われて待機しているのだが、こういう応接室だか会議室によくあるように、特徴がありそうで無いような部屋だと何かに反応することも出来ない為にちょっと困る。

 

 興味を引くような要素はなくもないが、正直“趣味じゃない”。

 なので、夕立と軽く遊んでいた。

 

「お手」

「ぽい」

「おかわり」

「ぽいぽいっ」

「お手、と見せかけておすわり!」

「ぽい!?っぽい!」

「よくできました」

「ぽい~」

 

 代わる代わるの手でタッチした後、号令で慌てて椅子に座った夕立の頭を撫でると、ほにゃりと笑って嬉しそうに喉を鳴らす夕立。

 特に深い理由もなくぽいぬだからということで合図を仕込んでみたのだが、これがかなり楽しい。

 

 夕立も春也に構ってもらえてご満悦な様子で、そんな二人を冷たく睨む視線など気にも留めていなかった。

 

「―――呆れたわね」

 

 暖かみの無い視線と声の主は、電でなければもちろん航輔でも無い。

 

 春也よりいくらか年上であろう女は、会談の際に後ろにいた人物だった。

 羽織の裾と袖を動きやすいように短く改造したような変則的な服と、腰まで真っ直ぐ伸びた黒髪を束ねる布は、神社で見た人々のどれもより上等そうな生地に見える。

 そしてそれよりも注意を集めるのは、背後に三人の艦娘を引き連れていることだった。

 

 短めの髪を後ろで括り、容貌・服装共に女子中学生風の外見でありながらきびきびした所作を感じさせる駆逐艦・不知火(しらぬい)。

 モデルのような細身長身の体型を際立たせるシルエットの黒服を纏い、頭部を飾るアンテナが印象的な軽巡洋艦・天龍。

 巫女服のよく似合う白雪のような肌が何故か幸薄さと儚さを思わせるが、その瞳には確かな意思が宿る戦艦・扶桑(ふそう)。

 

「緊張感の欠片も無い、艦娘に鼻を伸ばして情けない男ね。

 恥ずかしいと思わないのかしら」

 

 自らの連れる艦娘達にも劣らない線のくっきりした美貌があるにはあるのだが、先ほど春也に対するのと同じノリで話しかけた航輔をすげなく「気持ち悪い」と一蹴したような、人を見下す態度と性格の悪さを秘めた鋭い目つきで台無しだった。

 航輔に関して言えば、距離感が近いのと馴れ馴れしくて空気が読めないのも悪いのだが。

 

 それでも、初対面の人間に嬉々として罵声を浴びせるのに社会的動物として『恥ずかしいと思わないの』はこちらのセリフである。

 

「で?あんた誰?」

 

「人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗りなさい」

 

「俺らの名前はついさっき聞いたばっかりだろうが。

 もう忘れたのか痴呆かてめえ」

 

「な―――――!?」

 

 好感を持てる筈もなく軽く煽ったのだが、それだけで顔を真っ赤にして二の句を失う女。

 更に棘で返されると思って待ち構えていたので逆に肩透かしなくらいだった。

 

 アドリブに弱い辺り根っからの毒舌家というわけでもないのだろうが、となると単純に敵意を持たれているということになる。

 心当たりなどある訳もないので首を捻っていると、部屋の扉が開いて先ほど厳島の後ろに控えていた男が入ってきた。

 

「ダメだよー仲良くしなきゃ。そこの能登姫乃(のと・ひめの)ちゃんも合わせて、君達三人同期なんだから」

 

「えっ?」

 

 背が高く視点を斜め上にした位置にあるにやけ面は、確かに先ほどの会談に居合わせたもう一人だ。

 そしてそれは見れば見るほど胡散臭くなるにやけ面だった。

 漫画だったら常に糸目のキャラだろう。

 前髪に掛かるさらさらの髪がまず鬱陶しいという印象を抱かせる辺り、本人も自らが相手に与える感じ方を理解しているのだろう、正直軍服が吐き気を覚えるくらいに不似合いだった。

 

((あ、こいつ川内の提督だ))

 

 一目見るなり春也とへこんで座り込んでいた航輔の頭を抱きしめている電の心の声が一致する。

 それを肯定するように、耳にざらつく声でその男は川内を呼んだ。

 

「川内ー、持ってきたかい?」

 

「はいよー提督」

 

 主に遅れて入室した川内が、三切れの白い布を春也と航輔、姫乃の三人に配る。

 生地や大きさ形状からして手ぬぐいと言うのが正しいのだろう、春也が受け取ったその細長い布地の中心には青い錨に銀色の剣を添えた紋様の刺繍がしてあった。

 

「入隊おめでとう。僕は君達三人のひとまずの上官ということになる水月雪兎(みづき・ゆきと)だよ。

 そしてその布は入隊証だ。なんで、とりあえず体のどこかに判るようにつけておいてくれ。

 僕も、制服を着ていないときはそうしている」

 

「………」

 

 言われた様に三人は各々の体に白い布を巻きつけていく。

 春也は腕に、航輔は腰に、姫乃は髪を束ねる布を交換という形で。

 一応紋様が見えるように結び方には気をつけた。

 

「うん、それで一応の身分証明にはなる。いやあ前線に出る提督じゃいつ無くしたりするか分からないし、砲撃を浴びて自分は無事でも服はボロボロとか普通にあるからさ、なるべく簡易にしてるんだよ。

 申請すれば予備や紛失分の支給もしてるから、他人にあげないようにだけ気をつけてね」

 

 黄巾党かよ、と一瞬思ったが、服に贅沢出来るような世界ではないので仕方ないのだろう。

 寧ろ後方指揮ではなく前線で殴り合うような提督へ支給するものに、刺繍が一枚一枚されているだけ遥かにましか。

 

 そんなことを考えながら、ふと姫乃の方に視線が引き寄せられた。

 

「提督さん、似合ってる!かっこいいっぽい!!

…………あれ、どうしたの?」

 

「はは、ありがとな。……いや、あいつも新人なんだな。

 艦娘三人も連れてるから、それなりに提督やって長いのかと」

 

 ただ布を巻いただけなのに目を輝かせて黄色い声を聞かせてくれる夕立に笑いかけながら、同じタイミングで“仲間の印”を身につけたことで同期と実感した女に疑問を感じたことを明かす春也。

 この世界での基準はまだ分からないが、戦艦の艦娘までいるのは多分異例ではというその疑問に答えたのは雪兎だった。

 

「姫乃ちゃんのお父さんも提督でね。

 彼も期待したんだろうねー、自分の娘も提督になれるなんて鼻が高いだろうし、奮発したんじゃない?」

 

「相当無理通したみたいだけど、投資の価値は当人にとってはあったんだろうし。

 本物のお嬢様ってことだねー」

 

「父の名に恥じないよう、恵まれた環境に驕ることなく精進しますわ

…………ふふっ」

 

 匂わせる程度に生々しい系の事情を付け足した川内と雪兎には気付いてかお上品な笑みを見せ、その後春也や航輔を見て含み笑いに変える。

 「羨ましいか?」か「あなた達とは違うの」か、いずれにせよ挑発の意味がそこに含まれているのだろうその笑みに食ってかかったのは、航輔だった。

 

「なんだよ、大事なのは数じゃなくて質だっての。俺達の艦娘は凄いんだって、すぐに見せてやるぜ!!

―――――春也が!」

 

「おい」

 

「質、質……ね。夕立に電、どっちも駆逐艦じゃないの。

 教えてあげるわ、こちらの艦娘には、戦艦がいるの。

 扶桑よ、覚えておきなさい」

 

「はぁ………。ご紹介に与りました。扶桑型戦艦一番艦、扶桑です。よろしくお願いします……」

 

 今まで無表情に黙ってただ控えていたのに、なんだか面倒な話の流れになってきた気がする、そんな溜息を吐き出しながら仕草だけは優雅に一礼する扶桑。

 この能登姫乃という女が初対面の自分達に敵意のようなものをぶつける理由もなんとなく分かってきた春也も、完全に同感だった。

 

 要は相手との上下関係をはっきりつけておかないと気が済まないタイプの人間なのだ。

 

 上と認めた人間に頭を下げるのは構わないが、出来るならばより上の立場に立っておきたい。

 引き連れる艦娘の数と恵まれた生まれというアドバンテージがある以上、積極的に生かさない手はないし、威圧しても問題ない相手なら怯ませた者勝ちだ。

 

 父の仕事の付き合いで知り合う同年代の資産家の子供達の中に何人かは居た、実際はそれって獣の価値観だろうと突っ込みたくなるエリート気取りのボンボンタイプだと見ていた。

 

「はいはいよろしく。まあこれから一緒に戦うんだ、“それなりに”仲良くやっていこうぜ」

 

 釘を差しつつも話を曖昧に流せば、上位者である雪兎の存在もあって無茶を通しはしないだろうという思惑で春也は話をなあなあにしようとする。

 そんなタイミングで。

 

 電がいつもの仕返しをしてきた。

 

 

「―――で、本音は何なのです?」

 

「取り巻き連れて喧嘩売って来るとか、完全にチンピラだよなあ。

 エリート気取りのチンピラとか、ほっといても向こうから絡んでくる一番嫌なタイプだし。

 あーあ、面倒くさ――――――――はっ!?」

 

 

「言ってくれるじゃない……!!?」

 

「うわお、一触即発ぅー」

 

 怒りで逆に表情を無くす姫乃と無責任に口笛を吹いて煽る川内。

 慌てて取り繕おうと無駄な努力を試みるが、雪兎もこの状況により楽しそうな笑みを浮かべている時点で事態が行き着くところまで面倒になってしまったことに変わりはなかった。

 

「あー、今のはな?」

 

「水月小将。確かに私はこの二人と同時期にこの鎮守府に志願したことになりますが、同格ではない筈です」

 

「うんうん。そうだね、姫乃ちゃんと春也くんじゃ、格が違うね。

 “比べるのがかわいそうになるくらいに”」

 

「いや、聞いてくれ」

 

「ふん。認識の足りない彼らにはそのことを、一度はっきりと形として分からせる必要があると思います。

―――演習の許可を下さい」

 

「待って、待てってば」

 

「僕としては、将来的に面白くなりそうなのがいきなりポキっと折れるのは、いまいち趣味に合わないんだけどなあ」

 

 まあ、いいよ。

 

 そんな軽々しい一言で、春也達の着任最初の任務は初日からの同期との模擬戦闘になるのだった。

 

 

 

 

 

 演習。

 

 『鎮守府』では、もっぱら再起不能にしない範囲での実弾を用いた艦娘同士の集団戦闘を指す。

 資源は必要になるものの、逆に言えばそれだけで大きな損傷を受けても修復する艦娘が実戦に近い経験が積めるということで、それなりに重宝されている訓練形式であった。

 

 波が間断なく揺らす海上に、百メートルほどの距離を空けて夕立と不知火・天龍・扶桑が対峙している。

 何気に春也も艦娘が海の上にいるのを初めて見るのだが、本当に人型が姿勢にぶれもなく水上に直立しているので、下に仕掛けでもあるのかと常識的に疑いたくなってしまう。

 その常識も、「提督になった自分も同じことが出来るような気がする、あとで試してみよう」と考えてしまう辺り大概怪しいが。

 

 彼女らを見つめる視線は、春也とあの部屋に居た面々だけではない。

 演習は一つのイベント扱いなのか、沖に面した防塁に腰掛ける人々が開始を待ちながら何百人も楽しそうに談笑している。

 軍服や白布を巻いた提督と思しき者達から、一般兵なのか簡易的に揃いの上着や作業服を纏った者達まで、ある意味で壮観ではあった。

 

 そんな彼らよりも特等席の波打ち際の堤防で、姫乃が電に問う。

 

「電は夕立に加勢しないのかしら?」

 

「弱いものイジメの現場に居合わせる趣味はないのです」

 

「くす。お仲間にまで見捨てられて、この男もそれに従う夕立も哀れなものね」

 

「…………」

 

 春也も聞こえる位置にいるのを知っていて、わざとらしく嘲る姫乃。

 そんな彼女のことを気にするでもなく、ただ春也は夕立と一緒に戦うことが出来ないことにふてくされていたが。

 

 提督はいくら回復力が優れていても資源でインスタントに修復できるものではないので、演習に参加できないのは仕方ないといえば仕方ないのだが。

 一方で姫乃は当然のようにそれを受け入れていた。

 

 提督が死ねば艦娘も動けなくなるのだから、いくら艦娘と同等の身体能力を得ても提督が直接戦うのは最後の最後の手段。

 演習で特別に鍛えるようなことではない、と。

 

 合理的で、一般的な考え方だ………やはり姫乃と春也では格が違う、と電は改めて思った。

 

――――提督とその艦娘の強さを決める要素は、三つある。

 

 一つ目は撃破し喰らった敵達の魂の数、練度。

 二つ目は提督の性質と艦娘の属性との相性。

 

 三つ目は、提督の祈りの深度――――言い換えれば、己の信条にどれだけ殉じているか、つまりは狂気。

 

 提督の祈りを汲みあげて異なる法則を現実に昇華させる、それが霊式祈願転航兵装たる艦娘の真骨頂である以上、合理的だの一般的だの“現実の法則に屈した”考え方など提督としては弱さに他ならない。

 合理主義者を自認する春也が、確かにそう見えたとしても決して合理主義者足り得ない理由であった。

 

 ついでに言えば、二つ目の相性については今さらあの全力で主に心酔する従僕と全力で従僕を可愛がる主を疑うまでもないし、一つ目についても――――“人型”を昨日撃破したばかりだ。

 あれ一体倒すだけで、果たして何十体分の深海棲艦を倒した換算になることか。

 

 ついでに言えば、これらの要素は足し算ではなく掛け算として計算してほぼ間違いが無い。

 

 艦種の違い?三倍の数?

 提督になれた時点で超人ではあるのだが、それでもその程度のまっさらな撃破数ゼロの新人では、こんなハンデなどものの足しにもならないだろう。

 

「演習、能登姫乃隷下、不知火・天龍・扶桑と、伊吹春也隷下、夕立。

 これより………………はじめ――――ッ!!」

 

 川内が号砲を鳴らす。

 弱いものイジメ開始の合図を。

 

「が、がんばれー、夕立ーっ!!」

 

「見てるからなー、勝ったら何でも一つ言うこときくぞー!!」

 

 合わせて声援を送る航輔と春也の声を聞きながら、電は春也に一言だけ礼を言った。

 

「春也さん、ありがとうなのです」

 

「?よく分からないけど、どういたしまして。

――――おし、夕立、一気に決めろ!!」

 

 ああ、春也が航輔の“ともだち”になってくれて本当に感謝する。

 もし航輔が一人で志願していたら、あの姫乃に挫かれて下風に立たされ、居心地の悪い提督生活を送っていたかもしれない。

 

 だが、ここで春也が姫乃を挫けば、春也と仲の良い航輔もなし崩し的に姫乃の“上”に立つ。

 

 人間関係というのはその面では曖昧でいい加減だ。

 そして一度決した上下関係というのは、崩れることは稀であるという融通の利かなさもまた、人間関係の一面だ。

 

 大体昨日にしたって、人型に遭遇するという最悪の事態を春也と夕立のおかげで切り抜けられたし、その場に居合わせたというだけで同じだけの練度の上昇というおこぼれに与れた。

 

 色々と悪くない方向に進む現状をもたらしてくれた春也と夕立に打算半分本気半分の感謝を贈る電の視界、演習近海域。

 

 

「扶桑、大破!戦闘不能!!」

 

 

 開始早々背中の巨大な艤装に深々と鋼の錨を乱暴に噛み込ませられ、伸びた鎖を手繰り寄せることで一気に懐に飛び込んだ夕立にどてっ腹への単装砲の接射を三発受けた扶桑が崩れ落ちる。

 騒ぐ聴衆と唖然とする姫乃はさておき、そんな驚くに値しない試合運びを眺めながら、電は柔らかい表情で微笑むのだった。

 

 

 

 






☆設定紹介☆

※艦娘の武装

 簡単に言えば召喚方式。
 どこから召喚しているのかなど本人達も知らないが、使いたいと思った武装が虚空から現れ装着される。

 補給した資源が尽きない限りは撃ち放題でリロードも必要ないが、機銃や魚雷発射管を体のいたるところに装着してヘビーアームズよろしく全弾発射ァ!!みたいな真似とかは出来ないらしい。
 どこが誘爆するか分からない全身火薬庫状態で足を止めて攻撃する隙を曝すのが怖い(ロマン全否定)だけで、やってやれなくはないようだが。

 使える武装の内容も、艦として使えるものには個体差があり、戦艦の艦娘は魚雷が使えない傾向にあったり、駆逐艦の砲塔はあまり口径が大きくなかったりする。

 砲塔に関してはサイズがデフォルメされているだけで、見た目通りの口径の威力ではないが、基本的には戦艦になるほど扱えるその大きさに破壊力が比例する。
 爆雷に関しては手榴弾。相手にぶつかると勝手に爆発する起爆装置要らず。
 魚雷に関しては泳ぐ水が無い場合、地面を走る。夢の自走式地雷。
 錨(スラッシュハーケン、時々ノリで大鎖鎌)に関しては…………フネだし、当たり前だけど標準装備だよね!!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

圧倒


あけましておめでとうございます。

新年最初の更新が----扶桑姉様への腹パン(砲弾接射)三連発で開幕となる俺(の嫁)tueeeな感じで。

いつも通りと言えばいつも通り、ただ今回は海上戦で異能も使わないので、とっても普通な艦これのバトルシーンが書けたんじゃないかと。

何はともあれ、今年も頭が病気な話を続けていくので、よろしくお願いいたします。



 

 燦々と輝く陽光が傾きながらも直下を照らし続ける。

 

 気温は春先とはいえ肌を灼く日を遮るものが何も無い海上は、体感温度をひたすら上昇させていく。

 加えて海戦の為に展開した背中のタービンの熱に、対戦相手の敵意、そして流れ弾が危険にならない程度に離れた岸から見物する観衆達の視線。

 あらゆる要素が絶え間なく空気を加熱させるその感覚も、夕立は別段嫌いではなかった。

 

 いざ戦いとなれば最も過熱になるのが己の精神だ。

 故に戦う時は荒野の決闘のような冷えた空気よりも、自分より周囲の方が熱に浮かされているくらいが夕立の好みになる。

 無論、ただの好みの話であって兵器たる身に環境によるコンディションへの影響などある訳もないが。

 

 戦闘前の緊張感と裏腹に、表面上は特に何も反応を見せない夕立にハスキーな声が掛かった。

 

「悪ぃーな」

 

「?」

 

 多少の距離が空いている為にやや張り上げ気味の呼び声にただ視線だけを返すと、鞘に納めたままの刀を肩に掛け、夕立同様に海上に佇む天龍がそのまま続けた。

 

「どっちが先に侮辱したかって言ったら明らかにこっちの姫なんだが………」

 

「手加減はしません」

 

 遮る様にきっぱりと断言する不知火の声が、存外に波間に響いた。

 夕立と同じ様に海戦用に艤装を全て装着した彼女達は、不知火を先頭にする形で後ろに天龍・扶桑と横に並んで演習開始に備えている。

 

 今か今かと待ちわびる観客達の熱気から戦いの始まりが近いのが分かる、今はさしずめその前哨としての口上か。

 勝ちを確信して疑わない天龍達の態度からして、あるいは哀れみの言葉を投げ掛けたのかも知れなかったが。

 

「そういう事だ、容赦はしねーよ。

………ふふ、怖いか?だがこんな理不尽なんてどこにでも転がってる。ちょっとお前達の運が悪かった――――それだけだ」

 

 夕立一人に三人で当たり、夕立より大きな体躯で見下ろす相手に対し、彼女が返したのは常の無垢な表情。

 

 

「手加減?容赦?怖い?運が悪い?…………なんで?」

 

 

 これからするのは敗者が命を落とす殺し合いでも、素晴らしさを競い合う見せ物でもない……故に手加減も容赦も入れる必要性は一片も無い。

 怖いかどうかは知らないが、少なくとも戦場で己の主を失いかけた昨日の戦いよりも恐れるべきものなどここには無い。

 運が悪い?春也に巡り逢えたこと、その一事だけで以後夕立にとって己の運が悪いと思ったことは一度も無い。

 

 そんな風に考える彼女には純粋に天龍の言葉が理解出来ない、ただそれだけの「なんで?」だった。

 

 夕立にとってあるのはただ一つ。

 

「提督さんの為に、提督さんの見てる前で戦うの。

 ぜったいに、負けられない」

 

 シンプルにそれだけだ。

 

 数の不利も戦艦に駆逐艦の身で挑む暴挙も知ったことではなく、気負いも見くびりも無しに夕立は言い切る。

 

 あるいは、扶桑に天龍に不知火、彼女達にとっての不運は。

 畏怖を刻み込まれるほど容赦も手加減もしなかった夕立の。

 

 皮肉にも余計なものが一切混じらない闘争心そのものだった。

 

 

 

「はじめ――――ッッッ!!」

 

 

 開戦の合図を号砲として、高らかに撃ち鳴らしたのは川内。

 背の艤装が悲しげな人の呻き声にも似た低い音で唸り、合図と共に爆音を轟かす。

 

 飛び散る波飛沫を分けて、夕立の小さな体が加速した。

 尾を引く流星の様に海面の青に白の航跡を描きながら水の上を滑り、瞬く間に敵との距離を詰める。

 

 そんな夕立に対し、相手の出方はひたすら数の暴力に任せた砲撃の雨だった。

 

「参りましょう。てええぇーーーっ!!」

 

 不知火の腕に装着した連装砲、天龍の両脇に掛けた単装砲、そして扶桑の背の巨大な艤装から覗く大口径砲四門。

 扶桑の号令に合わせてそれらが一斉に火を吹き夕立に殺意を向ける。

 

 そう、殺意―――演習といえど、それが人を殺傷するに足る力である以上夕立の倍加反射の対象となることは避けられない。

 故に夕立は何もせずにただ立っているだけで相手をこのまま自滅させることが出来た。

 

 だが、夕立は計八門の砲火を蛇行しながら体勢を低くして掻い潜ることを選択する。

 

「異能(ちから)はあんまり使いたくない、っぽい………」

 

 夕立の異能は春也の“人殺しを許さない”という祈りの結晶だ。

 人殺しでない相手との試合でまで乱用するのはどうにも彼の信条を汚すように感じられて、極力それは避けたいと夕立は思っていた。

 

 実際は彼女がどう思っていようとも反射はあらゆる殺意に対して自動で発動する為、異能を使わないというのは敵の攻撃をかすらせもしないという制限になる。

 それでもそんな条件でもどうにかする算段が付く以上は、ただ組み立てた道筋を往くのみだった。

 

 手加減や容赦の必要は一切必要が無いと言いながら実際の戦闘行動は全力とはならないことに、もし夕立の心を読めたとすれば天龍達は何を思っただろう。

 

 ふざけるな、か―――夕立は当然に至極真面目に考えており、ふざけているつもりは欠片もない。

 嘗めるな、か―――それは同格の相手に、少なくとも一矢返せるレベルになければ、言ってもただ虚しいだけだ。

 

「………いまっ!」

 

「ッ、魚雷………!?」

 

 砲撃を優先して夕立程機動的な動きをしていなかった三人の周囲に突如次々と水柱が立ち上る。

 夕立が時間差で目標に命中せずとも特定の位置で爆発するようにして放った魚雷が水中で爆ぜたのだ。

 

「へっ、当たってねーよ」

 

「違います、これは……目眩まし!?」

 

 狙いを付けさせない様に不規則に進路を折り曲げながら、若干回り込むような位置へと進んでいた夕立がその場で滑りながらスピンして一層高い飛沫を跳ね上げ、その身を隠す。

 並行して魚雷の爆発で吹き飛んだ水の塊が上空で散らばり、霧雨と化して視界自体を不明瞭に覆った。

 

「各員、衝撃に備えて!反撃の砲弾が来ます!!」

 

 扶桑の判断は素早く、指揮を受ける側も素直に身を固めた。

 問題はその読みが一手も二手も甘かったこと。

 

 視界の利かない中で更に足を止めた彼女らの間を小さな影が駆け抜け、すれ違い様に両側に鉤が伸びた“大鎌”の鈍い刃を扶桑の背の艤装に叩き込む。

 

 影の正体は当然夕立で、そのまま離脱した彼女は“大鎌”…………扶桑の艤装に食いついたままの錨から伸びる鎖を勢いよく手繰り寄せる。

 

 扶桑が元々重装故に比較的低速でしか移動出来ないこと、そこに更に推進機関にダメージを受けたこともあって、半ば取り残される様な形で彼女は一人陣形から引き剥がされた。

 一瞬仲間の援護が及ばない位置に孤立したことに気付く頃には―――――詰んでいる。

 

 鼓膜を引き裂く様な、至近での爆轟。

 

「ぐ、ぅ――――――!!?」

 

 懐に飛び込んだ夕立が扶桑の腹部に単装砲を押し当て、胴体に零距離で砲撃を叩き込んだのだと。

 せり上がる衝撃に明滅する視界で確認したすぐそこにいる夕立の表情は、何故か気落ちしていた。

 

「………提督さんに一気に決めろって言われたのに、一発で落とせなかったっぽい~」

 

 何やらちぐはぐな反省をしながら、彼女は作業の様な流れで二発目、三発目と砲弾を扶桑の腹にぶち込み、意識を消し飛ばした。

 

 

「扶桑、大破!戦闘不能!!」

 

 

「「…………!?」」

 

 川内が判定の声を張り上げる中、天龍と不知火の表情が焦燥と戦慄に染まる。

 

「あの砲撃の威力は……!私や天龍では一撃受けるだけでも危険です」

 

「ちっ、どうなってやがる……姫と同じ新米提督と戦歴の浅い駆逐艦じゃなかったのかよ!?」

 

 腹部周辺の衣装が大部分消失し、生の乳房も股間も危うく見えそうになっているまま海上で気絶している扶桑を無頓着に岸に向けて押し出した夕立は、振り返って天龍の疑問に答えた。

 

「確かに提督さんが夕立の提督さんになって、まだ半月も経ってないっぽい。

 倒したのもまだ、えっと駆逐級八に巡洋艦級二だし」

 

「やばいのはあの提督、ってことか」

 

 入隊の会談に立ち会っていたのは能登姫乃だけで、配下の艦娘は先に春也と航輔に突っ掛かったあの部屋で待機していた。

 故に春也が正義ではないナニカを語った場面に居合わせず、夕立を可愛がる普段の姿しか見ていないのだ。

 

 姫乃は姫乃で、提督がある種の精神異常を抱える者ほど強いという一般には隠されている事実をまだ知らなかった。

 人類の唯一の希望、最後の戦力の実態がそんな有り様であることが堂々と公表されている訳もない。

 

 そして春也達が陸上覇種“人型”を倒していて、練度でも中堅どころくらいには達していることも、川内の報告を受けた雪兎は姫乃に伏せていた。

 理由?その方が面白いことになるだろう、その程度の気まぐれだ。

 

 それらが合わさって現在実際に調子に乗った新米が気付かないまま止められないまま圧倒的格上にガチの喧嘩を売るという、喜劇染みた面白さ―――雪兎にとっての―――を発揮している訳だが、当人達には悲劇でしかない。

 

「はっ、運が悪いのは俺たちの方だった訳か」

 

 だが、どれだけ嘆いてもここまで進んでしまった戦いは止まらない。

 

「運なんて知らない。ただ………負けられないって、言った。それだけ!!」

 

 お喋りは終わりとばかりに、夕立が扶桑を落とした右手の単装砲で構えから発射まで殆んど間のない抜き撃ちを放ち、それでも不知火に直撃コースだった為に二人は慌てて散開した。

 

 天龍に魚雷を放ちながらも、そこから不知火の方に狙いを定めて追い縋る夕立。

 炸薬によって吐き出される猛威が、絶え間なく襲い掛かるのを必死になって躱す不知火。

 

「っ!?不知火、左だ!」

 

「な―――――」

 

 夕立に背を向けない様にバックで滑りながら砲弾の回避に専念し天龍の援護を待っていた不知火は、視界外から横に弧を描いて迫る大鎌に気付けない。

 もし夕立にその気があるなら遠心力と重量で不知火の脳天を吹き飛ばしていた―――流石にそれをやれば艦娘といえど死ぬ―――錨は、彼女の後ろを一度通り過ぎて巻き付く鎖の留め金となる。

 

 不知火の細く白い首に絡んだ鎖、咄嗟に左手を挟んで絞められるのは避けたものの、それ以上何が出来る訳もない。

 

「ぽいっ」

 

「―――――~~ッッッ!!?」

 

 気の抜けた掛け声と裏腹に、器用に鎖を操る夕立によって不知火の体は激しくきりもみ回転しながら跳ね上がり――――そして勢いよく海面へと叩きつけられる。

 

 水の上と言えど、そこを滑って移動する艦娘にとっては土の地面よりも硬いスケートリンク同然であり、墜ちればただでは済まない。

 苦肉の策として不知火は着地よりも危険な着水を避けるべく海戦用の艤装を解除、人間と同じ様に水に沈むことの出来る状態へと戻る。

 

 だが、いくら艦娘が単体で超人的な身体能力を持つからといって―――水中に落ちた直後に泳いで迫る魚雷を躱すなんて芸当が出来る筈もなかった。

 

「不知火、大破!戦闘不能!!」

 

 水中で何かが爆発する、うねる様な独特な音と跳ねる水柱。

 そして水死体同然の手足を投げ出した状態でうつ伏せに浮き上がってくる不知火。

 

 それを確認する間もなく、これが最後の隙と見た天龍が抜刀し夕立に斬りかかった。

 文字通りの『せめて一太刀』。

 

 

 

――――ああ、彼女達は優秀だった。

――――素晴らしかった、判断力も、連携も。

 

 だが、しかし、まるで全然。

 

 夕立を倒すには程遠い。

 

 

 

 新米のお嬢様には勿体無いくらいに、開いた実力差に必死の対処を試みる能力と胆力を持った天龍達も、本当なら称賛されて然るべきの筈だっただろう。

 だが、結果が全てとは言わないまでも―――あまりに圧倒的。

 

「………お前、本当の全力出してないだろ」

 

「あれはふつう艦娘相手に使うものじゃないっぽい」

 

「く……そ……っ!」

 

 

『天龍、大破、戦闘不能。

 敵勢力全滅により、伊吹春也の勝利が決定ーーー!!』

 

 

 得物の差とは言われたくないであろうが、引き戻した錨をキャッチした逆手のまま振り抜いた夕立とのぶつかり合いで、折れた刀の切っ先が天高く弾き飛ばされる。

 重量武器に得物を叩き折られ、その勢いで薙ぎ払われた一撃に深刻な損傷を刻まれ、結局夕立の能力を使わない計算を崩すことも出来ないまま天龍も退場し、勝敗は決したのだった。

 

 

 

「うそ…………」

 

 茫然と姫乃は口元を手で覆い、立つこともままならないのか少しよろけた後ぺたりと座り込む。

 露出した膝に堤防の石造りが擦れる痛みも、番狂わせに騒ぐ観衆と舞う外れ賭札も、彼女の意識には入らない。

 

 そんな姫乃をあからさまに愉悦に笑みを深くして、雪兎は追い打ちをかけた。

 

「あーあ。せめて相手の階級くらい見てから喧嘩売れば良かったのにね。せっかく剣錨(けんびょう)印で分かりやすくしてるのに」

 

「………?」

 

 疑問に思った春也がふと姫乃の髪留めにしている白布の“印”を見ると、錨に添えられた剣の色が違う事に気付く。

 春也のそれは銀だが、姫乃とそして航輔のそれは赤茶けた、おそらく銅の色だった。

 

「おいまさか………」

 

「姫乃ちゃんは准尉、春也くんは准佐に任じられた。公正な評価において、ね。

 鎮守府において階級は即ち純然たる実力だ。

 そして尉官が佐官に勝てるなんてことはまずあり得ないんだよ、次元が違うからね

――――お父さんから聞いてなかったのかい?」

 

「…………一位二位三位で金銀銅とか、オリンピックじゃねーんだぞ、おい」

 

 おそらく異能が使えるかどうかがその次元とやらの基準であり、更に“金”で“将官”という更に上の段階があるということなのだろう。

 気付いて何故か脱力感を覚えた春也のぼやきには当然誰も反応しなかった。

 

 くすくすと体を震わせながら姫乃の上から下まで舐め回す様に見つめる雪兎。

 それが性的欲望からの視線であればまだいいのだが、明らかに違うとその場の誰もが理解出来てしまった。

 

「さて、鳴り物入りで入隊した良家の令嬢は、初日に同期に喧嘩を売り、傍目にはどう見ても圧倒的有利な状況で惨敗する。

 いや今後がとても楽しみな新人だ、歓迎するよ姫乃ちゃん」

 

「………最悪の歓迎の言葉なのです」

 

「初日の挫折は盛り上がりに欠けるかと思ったけど、これはこれで悪くないかもね。

 いや春也くんも、君のおかげでとても面白いことになりそうだ。礼を言っておくよ」

 

「………どーいたしましてー」

 

「あっはっはっは」

 

 わざとらしい笑い声を立てながら、ゆっくりと背を向けてそのまま立ち去る雪兎。

 そして取り残された場の空気は冷たいとか乾いたとかそんなレベルではなかった。

 

 こういう時の為の賑やかしである航輔の発言も虚しく、そして空回りだ。

 

「こ、こえーよあの人。うわー………」

 

「他人事だと思ってるお前にいい情報を教えてやる。

 俺らの指導教官っていうか直属の上官、多分あいつだぞ」

 

「――――え」

 

 流れからして予測出来て然るべき情報を指摘すると、固まる航輔。

 気持ちは解りすぎるくらいに理解できた。

 

 そんな彼らの元に、審判の仕事を終えた川内が寄ってくる。

 電など露骨に嫌な顔をしているが、気に留めることは当然なく話に割ってくる。

 

「あっはっは、我が提督ながら嫌われたものだねー。仕方ないけど。

 頭のいい春也くんなら、もう雪兎の性質や祈りにも見当ついてるんじゃない?」

 

「――――『堕ちろ、みんな這いつくばれ』、か?」

 

 正解、と言う代わりににやりとした笑みで返す川内は、それはもうかなりウザかった。

 そしてあの人型の最期、直前に動きが変に鈍ったことも合わせれば、川内の異能についても予測はつく。

 

「ふふ、そんな春也くんにおねーさんが耳寄りな情報を一つあげよう。

 私、川内の属性について、ね」

 

 それには触れる必要も感じないが、やはり必要も無い話を続けるのが川内であり。

 

「川内の属性は『鋼線上を駆ける者』。表性は『果断さ・踏み込む勇気』、

――――対性は『博打狂(リスクジャンキー)・破滅願望』さ」

 

「…………」

 

 やはり聞いてげんなりする話だった。

 実に録でもない、つまりそれと異能を発現する程に相性のいい雪兎は、自身が零落するのも楽しめる性質だということなのだから。

 

 

「提督さーん!ごほーびくれるっぽい!?

 勝ったの褒めて褒めてー、いっぱいなでなでするっぽい!!」

 

「うちの嫁マジ天使です………」

 

「ぽいー、えへへ、お嫁さんー」

 

 

 艤装を解除して大雑把に海水をふるい落とす分、川内に遅れて寄って来た夕立。

 リクエスト通りに抱き締めて頭を撫でると幸せ満面の笑顔で見上げてくれる彼女だけが、春也の癒しだった。

 

 

 





☆設定紹介☆

※鎮守府の階級について

 提督という主戦力の均質化がその特性からして難しい以上、軍団としては厳密には機能しずらい鎮守府において、階級は単純な強さで決定される。
 一応上官の指示には従えという不文律はあるが、絶対でもないしそもそも大人しく命令に従ってばかりの人間は提督としては大して強くなれないことが多いのでそれはそれで歓迎されないというジレンマがある。

 新米の航輔や姫乃は准尉。
 艦娘を活動させる提督となれたならば尉官以上は確定であり、戦功や経験に応じて少尉、中尉大尉と上がって行く。
 異能の発現で佐官となり、初めからそれが出来ている春也は新米准佐というかなり珍しい立場になった。
 同じく少中大と上がって行き、“殻を破る”ことで更に将官に昇格する可能性もあるとか。

 身分証明として支給される白布に刺繍された剣と錨のマークの色と、飾りとして付け足された線の数でその提督の階級を見分けることが出来る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

接吻


いくら厨二とはいえ、設定の説明祭だとアレなんで設けた目標「1話1ぽいぽい」。

危うく1話全ぽいぽいになりかけた………。




 

「こちらが伊吹“提督”のお部屋になります」

 

「おう、ありがとな」

 

「お荷物はすでに運び込まれている手筈ですので、不足等ありましたら厚生部まで申し付けください」

 

 なんとも言えない空気の中で演習場所を解散した後、春也と夕立は迎えの人員に案内されてこれから寝泊まりすることになる部屋へと案内されていた。

 建物の並びとしては海岸の防塁から最も近い位置に置かれた兵舎の一つ、火をつければよく燃えそうな木造の寮内は夜歩くのが少し怖そうな気もする。

 

 だが春也にとっては、そうなった経緯は望んだものではないとはいえ初の「自分の家」に対する高揚感があった。

 同時に、昼間のろくでもない一連の流れに対して感じる脱力感というか倦怠感がそれを打ち消しもしているのだが。

 

「厠はそちらの廊下を突き当たって左、共同浴場は一度建物を出て頂いて右手二つ隣の建物になります」

 

「トイレ風呂共同………いや、ここじゃ当たり前か。それより―――、」

 

 結果として平常通りのテンションでいる春也は、取り敢えず疑問を解消しようと案内役のその“艦娘”に訊ねた。

 

「あんたも艦娘なんだろ?ここ(鎮守府)じゃ艦娘がこういう仕事もよくしてるのか?」

 

 宿舎への案内という言い方は悪いが小間使いのような仕事。

 果たして主である提督が好んで自らの艦娘を他人の世話役に出すものだろうか、もしかしたらいずれ夕立も同じことをさせられるようになるのか。

 おかっぱに切りそろえた黒髪に帽子を乗せ、青に金の筋が入ったシックな軍服に肉付きのいい肢体を包むその少女に懸念をぶつける。

 

 穏やかな仕草を崩さないまま、彼女は答えた。

 

「はい、私は重巡洋艦『高雄』です。私がこうしているのは―――今のところ、私を扱う提督がいない艦娘だからですね」

 

「提督がいない?」

 

「はい。作られてこの方、未だに見つからず。なので、戦場に出ないところでせめてお役に立たせていただこうということです」

 

「へー。そういう艦娘、結構多いのか?」

 

「そうですね。主がいないとはいっても、ある程度普通の人間よりは頑丈ですし無茶が利きますから。労働力としてはむしろ重宝していただいているくらいですね」

 

「そういうものか……」

 

 “神社”で艦娘を造るとはいうが、その一人一人にうまく提督が割り当てられるかというとどうしても難しいとしか思えず。

 自らの提督が見つからない艦娘がいた場合果たしてどうなっているのかという疑問はあったが、その答えがふと目の前に居た。

 

 そのことで新たな疑問も色々と湧き上がるが、初対面の立ち話でこれ以上突っ込むことでもないだろうと話を切り上げることにする。

 

「ありがとう。悪かったな、変なこと聞いて」

 

「いいえ、お役に立てたなら十分です。それとも伊吹提督、あなたが私を扱ってくれるのでしょうか?」

 

 悪戯げな顔をした高雄がそっと右手を差し出してくる。

 初めて夕立と繋がった瞬間を考えれば、相性さえ一定の基準を超えていれば身体的接触によって艦娘と提督の契約は行えるようで、つまりはそういうことなのだろう。

 

 どう返したものか――――一瞬春也が反応に迷う間に、会話に参加していなかった夕立が動いた。

 

「~~~っ!」

 

 ぱしっ、と軽い音を立ててその手が弾かれる。

 先ほどの演習で彼女が自分の体重と同じくらいであろう錨を鎖で自在に振り回していたことを考えれば手加減しているのは明白なのだが、そう見えないのは拒絶の意思から来る素早さ故だろうか。

 

「夕立?」

 

「ぽしゅるるるる………!!」

 

 春也と高雄の間に割り込んでその手をはたき落とすと、縄張りを主張するように春也に抱きつきながら首だけ振り返って高雄を威嚇する。

 頬をぷくー、と膨らませる様は大変愛らしくていいのだが、果たしてその鳴き声は一体どう発音しているのだか。

 

 そんな夕立に気圧された、という訳では絶対ないだろう高雄は苦笑しながらあっさり腕を引くと、袖の皺を直しながらおどけるように言った。

 

「冗談ですよ」

 

「だろーな」

 

 根拠のないただの勘だが、春也は絶対にこの高雄とは“相性が合わない”となんとなく理解していた。

 好き嫌いの問題ではなく、『高雄という艦娘に託せる祈りが存在しない』という事実は提督も艦娘も互いに直感として分かるようになっているものなのだろう。

 

 果たして夕立の行動がその直感を共有した故かそうでない故かは分からないが、それを羨ましそうに見つめる高雄は己の役目を終えたことを確認して暇を告げる。

 

「私もいつか、そんな風に独占したいと思える自分の提督を見つけられればと思います」

 

「ああ、そうできるといいな」

 

「では、私はこれで。ごゆっくり」

 

 最後にからかうような一言を残して。

 

 そうして新たな住居となる部屋の前に取り残される二人だが。

 

「提督さん!!」

 

「ゆ、夕立?どうした?」

 

「いいからっ!」

 

 夕立は春也の腕を引っ張りながら乱暴に扉を開け閉めして部屋に踏み込むと、その間取りを感慨深く確認する間もなく一畳間の真ん中に春也を座らせる。

 その膝の上に乗っかると、少し怒った顔を近づけて来た。

 

「提督さん、勝ったごほーび欲しいっぽい!なんでも一つ聞いてくれるって言ったっぽい!!」

 

「お、おう……」

 

 確かに、演習中に応援する為に叫んだ記憶がある。

 夕立におねだりされれば春也はほぼなんでも叶えてあげたいと思うだけに、大して意味のある発言だとは思っていなかったが。

 

 それより、高雄とのやり取りに嫉妬してくれているのかと思うとにやけてしまいそうでその我慢が大変だった。

 それも夕立のおねだりの内容に驚いて、色々吹っ飛んでしまうのだが。

 

「――――ん!!」

 

…………そっと目を閉じて、顎をくい、と持ち上げて。

 

(キス待ち――――!!?)

 

 嫁嫁と言いつつ幼子かペットとじゃれる感覚で性欲を無視しながら今まで夕立といちゃついていた童貞少年に、急に次のステップが突きつけられる。

 

「ぁ、えと………」

 

 正直、夕立の仕草がそうであるとすぐに気付けただけで凄いと言える程度には異性経験が無いし興味も無かった春也には、それだけでもハードルが高かった。

 だが、頭が真っ白になって硬直する春也に焦れたのか夕立はどんどん押してくる。

 

「んー!ん~~~!!」

 

 普通の女がやるとドン引きするような顔になるくらい唇を突きだしても可愛いとしか思えない美少女が、座っている膝に乗っかった状況で迫る。

 春也の方からしなくとも、そのうちちゅっと行きそうな勢いだった。

 

 近い―――改めて意識してしまう。

 

 くりっとした瞳は閉じられ長い睫毛が濡れているように見えてどことなく色っぽいし、白く艶やかな肌には染み一つ見当たらない。

 さらさらと細い髪はふわりと少女の甘い香りとアクセントとして仄かな潮の香りが絶妙に混ざり合った陶酔しそうな匂いを纏っている。

 女になりかけ、というにはあまりに富んだ肢体の起伏が弾力をもって春也の腹や腰にその威力を訴えかける。

 

 確認するまでもなかったが――――夕立は、美少女だ。

 

 可愛過ぎて逆に気おくれしてしまうのと、そんな娘に好かれて暴走したがる衝動が春也の中でせめぎ合っていた。

 だが、大切に愛でたいという理性があろうことか後者に力を貸して押し切らせる。

 

 提督と艦娘の直感の共有―――それは夕立に春也がどれだけ夕立のことが好きかも“なんとなく”伝えてしまうし、その分だけ安心して懐き甘えねだる小悪魔のような大胆さを与える。

 そして春也も、夕立にこのままキスのみならずどのような変態偏執的な求め方をしても、そこに愛情ある限りむしろ望むところだと思っているのが、“なんとなく”分かってしまう。

 

 

 だから――――。

 

 

「んむっ!?………はふっ、ぽい~~~」

 

 

 動いた瞬間は、むしろ何も考えられていなかった。

 夕立を愛するという確かな“意思”の筈なのに、勝手に体が動いたというのがとても奇妙な感覚で、しかし接触の瞬間にその程度の感慨など木の葉同然に吹っ飛んだ。

 

 合わせた唇は、どんな和菓子よりもなめらかで柔らかくて、蕩けそう。

 儚さを覚える肌―――唇?―――触りは、なのに一瞬のキスがすぐに離れても、焼きついて離れない。

 

 ちりちりする脳がその視界を取り戻し、初めてのキスの相手を収める。

 いっそ無邪気なほどのねだり方だった夕立の白い頬が一瞬で深紅に染まっていて、そして春也は自分の顔がそれ以上に情けないことになっているのを自覚していた。

 

 今、“これ以上”に及べば、多分どうなるか分からない。

 

 脳が焼き切れるのか心臓が破裂するのか。

 

「きょ、今日はここまで、な………」

 

「ぽい……?」

 

 あれだけ女の子を積極的にさせておいて、二人きりの密室なのにキスで終わりなんて客観的に考えたらどう見てもヘタレだろう。

 春也も、もしラブシーンでそんな作品を見つけたらそこはもっと行っちゃう場面だろうと思う。

 

 だけど、愛しいその女の子は―――右も左も分からぬ世界に投げ出された春也をずっと支えてくれている夕立という少女は、笑ってくれた。

 

「嬉し、い……。夕立、提督さんと口づけしたっぽい……っ!」

 

「良かった。これからもよろしくな、夕立」

 

「!!これからは、口づけいつでも解禁っぽい?」

 

「え?」

 

「じゃあ早速!今すぐもう一回するっぽい!!」

 

「おわっ!?ま、待てゆうだ――――ちゅむっ!!?」

 

 ぱあっと顔を輝かせた夕立が、勢い余って春也を押し倒しながら唇を貪る。

 今この場に待てと言われて待つぽいぬはいないらしい。

 

 ちゅ、ちゅっと息を継ぎながら何度も何度も至福の感触が降り注ぐのを、強引に跳ね退ける選択肢を春也が持たない以上、この後の展開は一つしかなかった。

 

 『ごゆっくり』。

 

「ちゅう、ちゅっ………はむ、ちゅ、ちゅ、ちゅ~~~~~!!……はふ。ぽいー、も、ちょっ、ふむ!?ちゅううう、ちゅ、ふはっ、てーとくさん、あっ!?んちゅぅっっ!!?」

 

 やり過ぎて唇が痛くなるほどに、夜が更けるまで高雄の言う通りに二人キスに夢中になっていたのだった。

 

 

 

 

 

 そんな、本来新たに正式な提督として活動し始めるので決意を新たにするとかそんな感じのイベントを挟むべきなのにひたすら夕立と春也で桃色空間を展開していた夜を過ぎ。

 翌朝、頬におはようのキスを交わしたバカップルというかバカ二人は、とても幸せですオーラを振りまきながら昨日高雄に案内された食堂へ向かう。

 

 注文の列並びと場所取りに火花を散らす、春也の学校でもあったような雑多な営みはそこでもある光景なようで、違いはと言えば厨房に間宮や伊良湖の姿が見えていることだろうか。

 他にもちらほら艦娘の姿が見えるのだが、何故か夕立が一瞬その場が沈黙する程にみな一度は注目している。

 

 昨日の演習で彼女がやらかした立ち回りを考えれば無理もないのだが、寝ぼけているのか色ボケているのかそこに頭が回らない。

 そんな春也に、声を掛けるのは当然彼しかいなかった。

 

「おはよう春也、それに夕立。一緒に飯食おうぜ」

 

「おはようございます、春也さん、夕立さん」

 

 航輔が電を連れて春也の肩にポンと手を置き、注文の列を指差した。

 

 

 

 定食壱、定食弐、パン、カレーの内からの注文で、やはり海軍ということで最初はカレーを注文してみたのだが、これがなかなか当たりだった。

 少なくとも春也の世界のインスタントのそれよりは味に深みがあり、風味もほかほかの米によく合っていた。

 

「はふっはふっ!!辛い、そして旨い!!なんだこれ、すげえ!!」

 

「相変わらずだな、お前は」

 

「司令官がいつもの調子なのは、正直助かるのです。この後のことを考えると………」

 

「この後?昨日の部屋に集合だったはずっぽい。それがどうかしたの?」

 

 全員注文はカレーに統一してスプーンで食べているのだが、一人誰も取りはしないのに勢い良く掻きこむ航輔を生温かく見守りながらも、電が重い溜息を吐く。

 珍しく夕立がそれを気に掛けるが、すぐに分かるのですと具体的な答えを返さずに食事を進めた。

 

 そんな電の態度に春也は何かを忘れているような気がしたが、いまいち昨夜の夕立とのキス祭りがインパクトあり過ぎてなかなか喉から上に出てこない。

 もどかしさで微妙に気持ち悪さを覚えたが、それはそれとしてカレーを完食して後始末を終えた一行は予定通り昨日川内に案内された部屋へと連れだって向かっていく。

 

 

「―――――あ」

 

 

「…………」

 

「「………」」

 

「お、おはようございます?」

 

「……おはよう」

 

 思い出したのは、本人の姿を見て、かつ扶桑とおずおずと挨拶を交わしてからだった。

 

 能登姫乃。

 昨日夕立が大観衆の前でその自慢の配下三隻相手に圧勝してしまったエリート様が、一睡も出来なかったのだろうドス黒い隈を目元に蓄えながら胡乱な視線を入室した春也に向けていた。

 

 





☆設定紹介☆

※鎮守府の提督達が泊まる宿舎の壁

 防音には出来る限りの注意を払っている。
 理由?そりゃ、ねえ…………。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

姫乃


「ねえ、吊り橋効果って知ってる?」

「『吊り橋から邪魔な女蹴落とせば、あとは心おきなくだーりんといちゃいちゃ出来る』って話ですかぁ?」

「…………」

「冗談ですよー?」

「……いや、怖いわよ」

 美九にゃんはそんなこと言わないっ!!


 それはさておき、更新遅れて申し訳ありませんでした。
 年末年始で忙しかったのもありますが、ちょっと某修羅場スレ巡回してて気が付けば約三週間………。
 話の繋がりもちょっと怪しいですが、お付き合いいただければ。





 

 まず感じたのは『無常』――――。

 

 能登姫乃は小さな頃、とてもとても怖いものがあった。

 

 彼女は聡い子で、そして子供ですら気付けるほどに残酷なこの世界で、死という喪失にいつも怯えていた。

 隣にいる人が、明日には物言わぬ骸になっているのかもしれない―――実際に誰の死に直面したという経験もないのに、夜な夜な形の無い不安に押し潰されては、優しい姉の布団に招かれ慰められていた。

 

 姉は権力志向とプライドの高い父親の厳しい英才教育に曝されながら、凜として美しく、泣き虫の妹への優しさも忘れないとても立派な女性だった。

 尊敬していて、大好きで、狭い世界に生きていた幼い姫乃には世界の全てと言って良かった。

 

 そんな姉が―――ある日、深海棲艦に殺された。

 

 よくある話だ。

 “この世界”に真に安全な場所など存在しない―――そこで化け物が暴れてからそれを提督達が殲滅するまでの時間が長いか短いか程度の違いに過ぎない。

 親が提督という限られた特権階級であった姫乃の家は、これ以上ないくらいに安全な部類に入る地域にあったが、敢えて言うなら運が悪かったのだろう。

 

 完璧な人間に見えていた姉に唯一あった致命的な欠点、“生き続ける為の運が足りていなかった”。

 故に、その日散歩に出かけていた姉はそのまま二度と帰らぬ人になった。

 

 姫乃の怖れていた“死”、それも最も身近な姉に降りかかってしまった喪失に、当時彼女が何を感じたのか。

 その後姉の代わりと言わんばかりに姫乃に対象を移したエリートたらんとする為の父の洗脳まがいの教育に染まる内に、もう思い出せなくなっている。

 

 あんなに大好きだったことも、思い出せなくなっている。

 

 

 

 存在しないものを、思い出せる訳がないのだが。

 だってそうだろう――――死んでしまってもういない人間に、何の存在価値があるというのだ。

 そんなものに割く思考も記憶も感情も、価値が釣り合わない、もったいない。

 

 結局あの女は己の姉に相応しくない劣等だったのだという見下した思考で塗り固めたその下に蠢く、その冷酷さが能登姫乃の歪みだった。

 

 

 

 

「……………」

 

 

「おい、どうにかしろよこの空気……」

 

「どうにかって、どうするんだ?」

 

「よし、突っ込んでけ航輔。お前の役目だろこういうの」

 

「春也さん、そんなひどいこと言わないで欲しいのです………」

 

「ふーん。で、本音は?」

 

「突っ込んで自爆して結局何の成果もなくすごすご引き下がるのが目に見えて――――はぅっ!!?」

 

「―――たまには泣くぞ、おい」

 

「放っておいちゃダメっぽい?自業自得っぽい」

 

「正論だが。正論なんだが、それだとダメな時ってあるんだよなー」

 

 春也に夕立、航輔に電、そして姫乃と配下三人。

 八人も入って手狭には感じない程度には広い部屋の空気を重くしている姫乃から微妙に距離をとって、春也達は彼女をどうするのか話し合っていた。

 

 昨日の刺々しさがまるで嘘のように静まり返っている姫乃は、視点の定まらない不気味な挙動で周囲に不気味な陰鬱さを漂わせている。

 居心地が悪い空間で間を持たせがてら根本の原因をどうにかできないものかと話し合う春也達だが、そういうやり取りが聞こえていない筈はないのに反応する素振りも見せないあたり本当に重傷なのだろう。

 

 そんな四人に加わるように、不知火が静かに歩み寄って頭を下げた。

 

「私たちからもお願いします。姫は、昨日の騒ぎの後、お父上に叱責―――いえ、縁切りを匂わせる罵声を浴びて以来、ずっとあの調子なのです」

 

「ふーん」

 

 『お前など私の娘ではないわ!』とか言って失態を犯した血縁を見捨てる……なんて、あまりにテンプレートな展開があったらしいが、そのことにむしろ感心すらしてしまった春也は、真剣な表情で頭を下げる不知火に気の無い返事を返す。

 お決まりのパターンとしては、今までヨイショしてくれていた周囲も掌を返し、味方が一人もいなくなって失意のどんぞこ、みたいな感じに続くのだろうか。

 

 正直こちらを陥れようとした―――とまではいかなくても悪意を持って最初に突っかかってきたのは姫乃の方なので、同情する気は起きないが。

 なんとかしないと、というのはそんな彼女と一緒の空間にいて居心地が悪いのと“今後”に不都合が出そうだったというだけの理由で、会話から分かるように真剣な検討なんて殆どしていなかった。

 

「勝手に可哀相ぶられても、先に売ってきたのはそっちだろ。

 死体蹴りの趣味は無いから別にこれ以上追い打ち掛けるつもりはないけど、なあ?」

 

「っ、…………」

 

 死体、という言葉のところで一瞬ぴくりと反応した姫乃だが、それを何か行動に出すまでは行かずに無気力に伏せる作業に戻る。

 若い娘子がそんな仕草をしていれば人によっては庇護欲を買えるのかもしれないが、経緯を考えれば夕立の言った通り確かに自業自得であった。

 

 だから、そういう理屈を通り越したところで意見を述べた航輔はらしいというべきか何なのか。

 

 

「むしろ、なんであんたらが俺たちに頼みごとするんだ?

 落ち込んでたら自分らで励ませばいいんだし、その為のあの子の艦娘(相棒)なんだろ?」

 

 

「「「…………」」」

 

「……なんだよお前らその顔」

 

「航輔がまともなことを言ってるっぽい………っ?」

 

「司令官、正気に戻るのです!!いつものダメダメ司令官はどうしたのですか!?」

 

「建前ぶん投げ過ぎだ、電ェ………」

 

「うわぁっっ、酷い、酷過ぎるぞお前らッ!!」

 

「あ、泣いた」

 

「ああっ、よしよし、それでこそ電の司令官なのです。泣き虫で情けなくても、電はそんな可愛い司令官の味方なのです―――」

 

「…………マッチポンプより酷いナニカを見た」

 

 航輔を泣かせた毒舌の根も乾かぬ内にその背中をさすりながら慰めを発する鬼畜艦から目を逸らし、春也は不知火に向き直る。

 複雑な表情で夕立と電に視線を交互に写す彼女に、頭痛を堪えながらも話の軌道修正を行った。

 

「まあ、あれは参考にしてはいけない例としても、原因の俺らに頼ることじゃないだろ?」

 

「…………私たちは、道具です。少なくとも姫にとっては。

 道具に人の感情は説けはしない、良くて気の利く家畜程度の存在にしかなれません」

 

 だから励ますことも自分達には出来ないのだと、感情を押し殺した声で不知火は続ける。

 

 甘えんな――――と叱ってやる義理もまた春也にはなく、どうしたものかと天井を見上げながら溜息をついた。

 

 

「だから負けたんだよ、君たちは」

 

 

 水月雪兎―――胡散臭い長身の男が陽気に声を張り上げながら部屋の扉を勢いよく開き、蝶番の悲鳴をバックに乱入してきたのはそんな時だった。

 

「愛、友情、絆………素晴らしきかな、互いを思う気持ちがこの世界では真に理不尽に立ち向かう力となるのさ。

 もう少し人を信じてみたらどうなんだろうね?」

 

「とりあえず信じられた端からそいつの背中を突き飛ばしそうな奴に言われたくはないと思う」

 

「あれ、なんで知ってるのかな春也くん?確か六年は前の話だったと思うけど」

 

「…………」

 

 実際に誰かの背中を突き飛ばした、なんてことはなく、適当な冗談なのだとは思うが断言はできない。

 そんな風ないちいち言い方が白々しいのに一面を捉えているアドバイスといい、つくづく性格の悪さを隠そうともしない男だった。

 一見爽やかに見えなくもない表情をしているだけにちぐはぐさが際立っている。

 

 それはさておき、と雪兎は部屋を一度見回して揃っている面々を確認し、大袈裟に満足げな頷きを返し言った。

 

「君たち新人の同期三人には、暫くの間組んで任務に当たってもらう。

 軽易な作戦で練度を確保しつつ経験を積んでもらおうって訳だね」

 

「…………はあ」

 

「っぽい?」

 

 溜息に反応しどうしたの?と見上げてくる夕立に首を横に振り返しつつも、予想が当たっていたことに気分が暗くなる春也。

 

 明らかに春也達と仲良くやっていけそうもない姫乃を一緒の場に置き続けて、実際にいざこざがあっても距離を置かせようとしないのは、雪兎の性格の悪さもあるだろうが一番の理由は“必要性”があるからだろう。

 例えば、新人はそういう風な規則になっているとか。

 

 敵を倒せば倒すほどレベルが上がる、なんて仕組みのある提督達の中で、極端にそのレベルに差がある人員同士を組ませても何の意味も無い。

 コンテニューや蘇生魔法は無いのだから、組織としては実力に見合わない戦場で一撃死、なんて間抜けなリスクをわざわざ貴重な人材を使い潰す覚悟で犯したがる訳もないだろう。

 

 だから、同じような練度の提督でチームを固めて、安定した狩り場で新人を育てていく。

 

 

(―――――そう考えると、妙にゲームちっくなんだよな、この世界)

 

 

 春也が大雑把に予想していたのとあまり違わない説明をする雪兎の話を半ば聞き流しながら、一定の時間を過ごして来たことで得たこれまでの情報を整理することで感じた違和感で妙な気分になる。

 

 “ここは艦隊これくしょんの世界”、そう一言で片づけられれば楽なのだが、世界一つをそう簡単に表現出来るのなら誰も苦労はしない。

 確かに『艦隊これくしょん』は公式に確定された設定というものが多くない作品だが、その範疇を明らかに超えているが故の違和感だった。

 

 確かに艦娘がいる、深海棲艦がいる、自分は艦娘を従える提督になった―――その一方で。

 陸上で活動する深海棲艦がいるのはどういうことだ、人が死に過ぎて艦これらしいと言える世界観では絶対にない―――何より、艦娘が提督の祈りを汲み上げて異能を発現するなどという、原作にはありえない明らかなジャンル違い。

 

 解釈や考察が下手な三流作家が、コンピューターゲームをプロット無しで伝奇小説に無理やりぶちこんだようなちぐはぐな違和感。

 そもそも異世界という慮外の代物で、考えても仕方ないといえばそうなのだが、中途半端に艦これのようでそうでないこの世界の仕組みが妙に気になってしまう春也。

 

「――――という訳で出撃だ。四半刻後に港に集合、忘れ物には気をつけてね?」

 

「………了解」

「了解なのです」

「はい」

 

 もやもやする思考の袋小路を切り返し、ひとまずその違和感には蓋をする。

 これからするのはゴミ掃除―――命を懸ける危険な仕事なのだから、集中しなければいけない。

 

「…………」

「さあ、姫、歩きましょう」

「………」

「こっちだ、足元気をつけろよ?」

 

「本当に、どうするんだよこれ……」

 

 命令受諾の応答さえ艦娘任せにして、扶桑と天龍に要介護者みたく連れ引かれている、集中とは正反対の精神状態にある姫乃と同行ということに不安が膨れ上がるのは、どうにもならなかったが。

 

 





☆設定紹介☆

※練度

 いわゆる経験値。
 己の内にどれだけ魂を溜めこんでいるかによって、現出する異界法則の強さを高めることが出来る(=現実への干渉力、つまり異能の支配力や素の能力値が上がる)為、提督の強さを測る要素の一つになる。

 深海棲艦から得られる魂は当然だが実力に比例し、強い敵だったのに経験値がしょっぱい、ということやその逆はまずありえない。

 練度を上げるには出来たての死骸から抜けていく魂を無意識に吸い込むようなイメージで、特段カニバったりする必要は無いお手軽仕様。
 なお、お手軽過ぎて提督か艦娘であれば戦闘に参加していなくても深海棲艦が撃破される場所に居合わせるだけでおこぼれに与れるどころか、有限の戦果の魂を折半することになるため、電と航輔は人型撃破の際にかなりがめついことをやっていたことになる。

 この世界の艦娘は水銀製ではないので、提督が「おなかすいたよぅ…」とかいって食いたがりの衝動に襲われるなんてことはない。
 つまり春也の深海棲艦への殺意は完全に素。



………なお、溜めこむ魂が深海棲艦のものでなければならないとは限らない模様。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

墓標

 艦これ改か………どうなるのかな?

(エクバフォースのvitaカードを叩き割る音)


 

 

 波打つ水面が日差しの煌めきを存分に跳ね返す、青の世界。

 

 水と空気がそれぞれ違う蒼に染まるその水平線という境目から漏れ出るようにぽつりぽつりと浮かぶ異形の黒、深海棲艦という人に仇名す化外を目掛けて。

 引き裂くように、突き刺すように、穿ち貫くように―――春也は夕立から借り受けた錨を断罪の大鎌の如く打ち下ろす。

 

「滅(う)せろ………ッッ!!」

 

『ky,y………』

 

 弱弱しい断末魔をかき消すように破壊音、巨骸を埋めるようにともども割れる海面。

 跳ねる飛沫を振り捨ててすぐさまその場を離脱する春也に追いすがるように、砲火の軌跡が無数に走る。

 

 生物としての枠を外れた、無骨でありながら禍々しい鉄の砲塔を帯びた化生達は、それこそ己が肉体の一部同然に狙い定めて砲弾を飛ばしてくる。

 生物としての枠を外れた、というならば敵同様に水上を自由に滑走する春也もまた、まるで海面すれすれを飛ぶ鳥のような速さで容易に己を捉えさせなかった。

 

 水の上を滑る、というのは要領としては強いて言うなら動力付きのスケートを履いているようなものか。

 春也はローラーやアイスのスケート遊びは小さい頃に何度かやった程度だが、あれよりも断然速度が出る割に体勢は安定している。

 滑って転ぶ、なんて間抜けがあり得ないくらいにはこちらの方が便利だ。

 

 とはいえ未だ経験の浅い春也の動きはやや自分でも反省を繰り返す拙さがあったが、相手の狙いはそれより更に拙く何もしなくても外れていく砲弾もざらではなかった。

 偏差射撃どころか数十メートル先の狙った位置に正確に弾を当てることすらまともに出来るか怪しい低級の深海棲艦の盲(めくら)撃ちを回避し続けるのに必要なのは最低限の運だけだ。

 

 舞う白波の中剣錨巾と錨から伸びた鎖を翻し、春也は振り向いた先の知能の低い敵艦の群れに意味の通じない親指を下に向ける仕草を見せ――――砲音が増える。

 

 生物としての枠を外れた、生身での火力を操れるのは深海棲艦の専売特許ではない。

 

「撃ち方、開始します」

「行きます……」

「このっ!!」

「当てるのです!」

 

『Kyyyyaaaaa-------!?』

 

 不知火が、扶桑が、天龍が、電が、肉体の各所に装着された銃装を水上にて構え、春也にかき乱された敵達に横合いからの火線を浴びせかける。

 頭に、胴に、武装に、潰れてぐしゃぐしゃになる損害を受けながら見る間に行動を停止していく敵艦達。

 少なくともソレらが対処できないくらいには砲撃の量も質も十分過ぎる程に強い。

 

――――ならば、悠然とその中心へと躍り出る少女の姿はどうしても奇妙だった。

 

「はーい、こんにちはっぽい!」

 

『KKKKKKyyaaaaa!!!』

 

「―――そして、さよなら」

 

 セーラー服に鋼鉄のランドセルを背負った少女……夕立は海上での滑る動きさえ止めて波の上に立ち、嘲るように挨拶をする。

 挑発が意味を為した訳はないだろうが、その効果は現れたので問題は無い。

 大破して瀕死の個体も、まだ動ける個体も、一斉に夕立を的に変えた。

 

 この至近距離ならば絶対に命中させられる、そして殺せる。

 前者は正しい論理であり、“だからこそ”後者は間違いだった。

 

 放った砲撃は悉く倍の威力で主に牙を剥き、直接その大きな口で噛み殺そうとしたものも肉体構造に異常な負荷が跳ね返ったことにより自滅する。

 夕立自身は何もしていない、そのさらさらと潮風にたなびく長い髪に汚れ一つ付けないままに、実に五隻の敵艦を一瞬の内に全滅させたのだった。

 

 

 

 

「おつかれさまー!」

 

「「…………」」

 

 戦闘を終えた春也達に、気の抜けた川内の陽気な声が白々しく抜ける。

 またも不参加で見物を決め込んでいた彼女に対し不満の視線がいくらか送られるものの、当然意に介することなくわざとらしい労いを続けた。

 

「いやーさすがだね。やっぱり近海の相手じゃ危うげもないか」

 

「そうでもないっぽい。夕立以外、結構損傷してるっぽい?」

 

「………っ」

 

「はいはい抑えるのです。夕立さんに悪気はないですし、事実なのですから」

 

 岸壁が水平線に隠れるか否か、くらいの沿岸近くで湧いている深海戦艦の排除を続けていた一行だが、いかんせん連戦続きでこの数時間断続的に撃ち合いを続けていた。

 おかげでいくらか被害を受けるのは避けられず、扶桑の袴服はところどころ白い布地が灰色に煤けているし、耐久力の低い電や不知火のセーラー服は破けて少し際どい格好になっている。

 一瞬気を抜いたところで直撃コースに来たのを咄嗟に防いだせいで腕に黒い大きな痣を作った天龍は、能力上当然ながら無傷の夕立を恨めしそうに見ている。

 

 誰に腹が立つかと言えば、人が奮戦しているところを後ろからにやにや眺めているこの艦娘と彼女の提督が一番苛々させられるのだが。

 

「ったく、どいつもこいつも………」

 

「んー?そんな目で見られるのはちょっと川内ちゃん心外だなあ。

 私ってもうこの辺の連中狩って足しになるような練度じゃないし、それなのに監督役としていざという時の航輔くんと姫乃ちゃんの護衛役もやってるんだから感謝しないと」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

「ぷっ、あははは。うんうん、航輔くんは素直で良い子だ」

 

「ま、それはそれとして。本当は艦娘が提督護るのも含めてしないといけないんだけどねー。特に三隻もいる姫乃ちゃんの盾が手が回らなくなるってのは問題じゃない?

 春也くんみたいにああしてはっちゃけられる提督だったらそれはそれでいいんだけど」

 

 確かに言うだけの仕事は最低限しているだろうし、経験の浅い彼女達の為に手間を裂かれているのには間違いない。

 どうしてもそれに感謝する気持ちになれないのは言い方と態度の問題だったが。

 更に言えば、航輔や姫乃の方に砲弾が飛んで来た場合にも、川内がその前に居れば“なぜか直撃する軌道だった砲弾が届かずに手前に落ちる”ので、一切労力を払っているようには見えなかったのも一因だった。

 

「…………」

 

 そんなやり取りも他人事のように茫洋として見つめる姫乃を気遣うように、扶桑が視線を向けながら別の話題に水を向ける。

 己らの未熟は理解しているが、それを改めて他人が弄り返すのは気分がいいものではない。

 川内や雪兎はそれを自省しているのを見抜いてなおわざと指摘し直しているのだからなおさら。

 

「それで、今日はいつまでこれが続くのでしょう?夜になると危険と思いますが」

 

「―――というより、こんなに多いものなのか、海の上の深海棲艦っていうのは」

 

『『Kyaaaaaaaa-----』』

 

 早くも沖合の方角から姿を見せる、春也にもゲーム内で見覚えのあるシルエット。

 まだ米粒くらいにしか見えない距離なので接敵までには余裕があるが、休憩が取れる程の時間ではない―――先ほどからこんなことばかりだった。

 多い時には十を超える数が一度に現れ、春也組と航輔・姫乃組で分かれて対処しなければならないこともままあった。

 

「弱いのばっかだから、そこまで深刻じゃないが」

 

「そりゃねえ。近海にいるのは大体駆逐級だよ」

 

 何度目か数えるのも嫌になった接敵を間近にしながら、雪兎が春也に蘊蓄だか教示だか分からない語りを始める。

 

 曰く、深海棲艦は大抵実力に比例した知能を持っている。

 強ければ言語を解するモノすらいる中で、弱いもの程に単純愚劣。

 

 ちょっとでもものを考えられるなら、普段から何の目的も持たずに天敵の巣窟たる『鎮守府』の周囲をただうろうろしていたところで狩られるだけだというのは理解出来る。

 なので、普段鎮守府近海にいる化生はひたすら殺戮本能だけに縛られているに等しい底辺のものたちが、己の実力を顧みる訳もなく迷い出ているだけなのだ。

 

「迷い出てる、でこれだけ湧くのか?」

 

「そりゃ、普通は一匹二匹、狙ってくださいとばかりにふらふらしてるだけだけどね。

……………くくっ、今日のこの場所は特別なのさ」

 

 餌があるからね、と雪兎は楽しそうに数キロ離れた海岸のある点を指す。

 

 訝しげにそこに視線をやると、崖の上で蹲る人影に気づいた。

 祈るような体勢のまま、微動だにしない―――死んでいるのかと錯覚するほどに気配が薄い故に気付かなかったが、そこにいたのはここ数分なんて話ではない様子だった。

 

「―――なんなんだ、あのおっさん?」

 

 距離をおきながら人相と歳の頃まで見切る春也の疑問に答えるのは、やはり雪兎。

 崩す気配が欠片も無い胡散臭い笑みは、その意図を分厚く覆い隠して見せることがない。

 

「彼は提督でもない、正真正銘の一般人。

――――息子が提督だったんだけど、海に出たまま二度と帰らなくなって以来、ああして三日置きにめそめそと海岸に作った墓に来てはしょぼくれてるちょっと変わった一般人だ」

 

「そんな、無茶苦茶だ!危なすぎる」

 

「そうだねー危ないねー。おかげでこうやって単純殺人馬鹿な低級の怪物共がわらわら集まってくれて、ここは君たちみたいな駆け出し提督には良い狩り場だろう?」

 

 良識から真っ当な感想を叫ぶ航輔に嘲笑を返す雪兎。

 

 

「本人としてはちょっと失敗が起きて殺されても息子と同じ場所に行けるんだし、本望なのかもね」

 

「――――、ふん」

 

 

 彼にも自分達にも得のある、実に素敵な話だと楽しそうに語る雪兎。

 それに対して春也が吐き捨てた声も、あるいは嘲笑混じりだった。

 

「夕立、ここ任せて大丈夫か?」

 

「余裕っぽい」

 

「ちょっと席外す」

 

「行ってらっしゃーい」

 

「あ、おい春也っ!?」

 

「……もう、追い掛けて何をするつもりなのですか司令官は。

 ああして春也さんと離れた場所にいる方が電も安心できるからいいのですけど」

 

 気負いもなく、錨を肩に担いだまま春也がその男の方へいきなり加速し始める。

 その後を咄嗟に追ってしまう航輔、そんな彼らに背を向けながら、夕立が手持無沙汰そうに指を鳴らして近づく敵を待ち構えている横で電も腕の単装砲を構え直す。

 

『『kkkkKKyyyYYAAA!!!!!!!』』

 

「「「…………っ」」」

 

 扶桑たちも本格的に交戦距離に入った敵艦達に艤装を構える――――そんな中、やはり動く気配のない川内を従える雪兎は、悪戯げに今まで沈黙を保っていた彼女に問いかけた。

 

「あらら。春也くん航輔くん敵前逃亡だー。

 で、君はどうするんだい、姫乃ちゃん?」

 

「――――――」

 

 覗き込む相手を見返すように、今日ずっと俯いていた姫乃の顔が上がる。

 その雪兎の怪しい笑顔が写り込む黒い瞳には、危うげな何かが奥底に固まっていた。

 

「私も、行きます」

 

「なっ」

 

「ちょっと、姫!?」

 

 配下の制止も聞かずに、姫乃もまた春也を追って海上を滑り始める。

 そうして出来た艦娘達と提督達の物理的な距離を演出するようなそのタイミングで、敵艦の砲撃が精度悪く頭上を通り越して後方へ着弾して水柱を立て。

 

「く……っ」

 

「ええい、さっさと片付けるぞ!」

 

 艦娘と深海棲艦の今日幾度目かの交戦が始まった。

 

 

 

 

 

 海岸にたどり着くまでに大した時間はかからない。

 

 近くで見れば辛うじて人の手によって積まれたのだと分かる石と、その上に置かれた潮風で錆びた金剛型の髪飾りがその艦娘を相棒にした人物の墓標なのだと示していた。

 痩せた壮年の男が春也達の接近にも無反応に座り続けているのも合わせ、なんとも荒涼とした場所という印象を受ける。

 

 男をひと目見れば、いかな言葉を投げても無意味と誰もが知るだろう。

 仮にも墓参りだと言うのに垢だらけの体で清めもおざなりで、すぐ近くで人殺しの異形を狩る戦をしているというのに逃げる気配もない。

 

 死者に魂を囚われ生ける屍も同然の無気力さが全身に溢れ出ていた。

 

 

 もともと優しい言葉を掛けて説得してやるつもりなんて欠片も無いので知ったことではない。

 錨を勢いよく突き立ててその墓標を粉砕することで、春也はその男の注意を引いた。

 

 

「な―――」

 

「今すぐこの場から消えろ。出来ないのならここでお前の足を切り落として適当な村に放り込む」

 

 

 跳ねた遺品の髪飾りが転がり勢い余って海に落ちる。

 割れて崩れた石を踏み砕きながら、錨を担いで見下ろす春也に―――男が見たのは、死神の姿。

 

「“足掻(あが)く”為についてるから足なんだろうが。死にに来る為に使うなら、そんな足必要ないだろう?」

 

 だから感謝しろ、なんて。

 生を語るその口で禍々しくも鈍い光を放つ錨を男に向ける春也から、この世ならざるモノの気配が溢れ出ている。

 

「ひぃ………っ!!」

 

 男は恐怖を覚えた。

 

 よく考えるまでもなく春也は男を殺すことはない、せいぜいが言うこと(退避勧告)を聞かなければ痛めつけるだけだ。

 そんなものこの世界では乱暴の内にも入らない。

 

 違う、そうじゃない。

 “恐怖”とはそういうものではない。

 

 そんな理屈や実体を超えた所で、人の神経を削り取る理解不能な圧力こそが恐怖と呼ばれるものだ。

 

「う、あ、あああああああああああっっっっ!!!!?」

 

 男は突き動かされるままに立ちあがり、一目散に春也から背を向けて逃げていく。

 無気力な筈だった、死に対する忌避感は麻痺しどうなってもいいと自暴自棄になっていた筈だった、………なのに、一言脅しつけられただけで恐慌のままに息子の墓や遺品の末路すら目もくれずに男はその場を離れることしか考えられない。

 

 

 

「ま、こんなもんか」

 

 逃げ去る男の背中を見送りながら、自分が男に与えた印象がどんなものかに無頓着な春也は軽く息を吐く。

 少し脅した程度で辞めるなら最初からやるなよ、としか思っていなかった。

 

「これでよかったのかな……?」

 

 その後ろで航輔が物憂げに砕かれた墓標の残骸を見下ろしながら、もっといいやり方があったのではと言いたげに眉をひそめる。

 死者を冒涜する必要はあったのだろうか―――と。

 

「別にいいだろ。墓や遺品が残ったままならあのおっさん、それを未練にまたここに来るかも知れない」

 

「それ、でも……!」

 

「流石にどうしても命を投げ捨てたいって言うなら俺も面倒見切れねーよ。

 どっか知らないところで死ぬっていうなら流石に知ったこっちゃないし」

 

 強硬なまでに命(至高の価値)を捨てたいと願っているなら――――そんな文字通りの残骸(ゴミ)のことに関わりたいとも思わない。

 今回は目に入ったから最低限の世話を焼いただけだ。責任を背負うつもりも無い。

 

 今も夕立たちが戦っている中でああだこうだと言い合うのもなんなので、強引にまとめにかかる、その為の一言だった。

 

 

「生きた人間の足を引っ張るなら――――死んだ人間なんて、何の価値も無い」

 

 

「――――」

 

 死んだ人間は、無価値。

 

 その言葉だけが、あやふやな何かに動かされて遅れて到着した姫乃の心にするりと入る。

 否、その言葉(価値観)は、初めから彼女の内側にあったものだ。

 

 だが思い出す。

 父親の教育、名誉欲、虚栄心、雑多な不純物に埋もれてしまっていた歪みがまた芽を吹き出す。

 

 それは自ら仕掛けた争いに負けて塞ぎこんでいた彼女の失意や絶望すらも容易く突き抜けて―――姫乃の顔が、瞬時に喜悦に染まった。

 

 

「ふ、うふふ、あはははははは、あはははははははははははははは――――――――ッッッッ!!!!!」

 

 

「な、なんだぁっ!?」

 

――――覚醒。

 

 同時刻、戦闘中の不知火、天龍、扶桑は靄がかって動きづらいのが一気に解消されたような、自身の戦闘能力(せいのう)が“まし”になったのをすぐに自覚する。

 

「やれやれ、どうなることかと思ったが」

「姫……」

「これでやっと………ですか」

 

 

「あはははははっ、あはっ!!

 立場が無くなった!?お父様に見捨てられた!?何よ、そんなものがどん底な訳無いじゃない!」

 

 この世で真に価値の無いものとは、死んだ人間だ。

 そんな事も忘れて戦場ですら目先のことに囚われて、危うくそこに落ちかけていたさっきまでの自分の間抜けさが滑稽でたまらない。

 

 おなかが捩れるくらいに可笑しかった。

 

「あはははっ…………伊吹春也、礼を言うわ」

 

「なんだよ」

 

「私は誰よりも生き続ける。他の誰が死んでも、私だけは生き延びる。そうすれば私は、他の誰より価値のある人間ということでしょう?」

 

 花が咲くような笑みを春也に向ける、そこには自業自得とはいえ彼女の立場を落とした原因に対する蟠りが何故か欠片も見当たらなかった。

 そんなことよりも、大事なことに気付かせたことに対する感謝が上回るとばかりに。

 

「だから春也、あなたにはそんな私を見届ける権利をあげる」

 

 世界で一番価値のある(生き続ける)自分を見届けるということは、つまり同じくこの世で二番目に価値のある(生き続ける)存在になるということ。栄誉に思いなさい?

 

「…………変な女」

 

 春也は自分のことを棚に上げて、姫乃なりの最上級の好意をそう評した。

 

 

 

 

 

「あーあ、姫乃ちゃん立ち直っちゃった。残念、実に残念………なんてね、ひひっ」

 

 

 

 






☆設定紹介☆

※能登姫乃

 かませ。
 テンプレファンタジーならやらなきゃいけないと思った、ギルドに入ったら絡まれて喧嘩を売られ、そいつを返り討ちにして俺tueee、的な展開の生贄ポジ。
 実際に無双したのはぽいぬだったが。

 そういうキャラでも掘り下げればなんか出来るかなーと考えてたら意外になんとかなった感じである。

 死んだ人間に価値を見いだせない歪み、といいつつそれだけ生命を大事に思うということなので実は航輔ほどではないが常識人寄りだったりする。
 生命を大事に思い、故に死者にはあまり感慨を抱けない春也とはある意味で対比であり類似存在。

 自身の性質をちゃんと思い出しただけで、それが何か具体的な渇望となっている訳ではないので、異能の発現はまだ先の話。
 雑念が少なくなったので、それだけ配下の艦娘共々戦闘能力が上がってはいる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歪曲

 一話一ぽいぽいお休み。
 登場人物増えるとやっぱりなあ。



 鎮守府において階級というものは、実力差はともかく権限としては絶対ではない。

 

 強ければ強い程に地位に伴う責任というものを必ず果たす望みが薄くなっていく人格破綻者の集まりが提督であり、そんな人間達に地位に応じた責任ある仕事を機械的に振っていけば破綻するのは目に見えている。

 その為、軍事的視点での意見や作戦立案など、実際に深海棲艦と戦っている者にしか任せられないような仕事をちゃんとやってくれる人間ならば、尉官であっても佐官よりしっかりした執務室などを与えられ、時には佐官への作戦行動の代理命令権を持っている者も多かった。

 むしろ尉官の方が人格的にはまともな者の比率が多い為、尉官だからこそと言った方が正しいのかもしれない。

 

 尉官は異能が形成出来ず、戦力としては劣る――――ある意味で権力を握れば握るほど自分が弱いと宣伝しているようなものであるのは、深海棲艦の脅威に曝され直接的な暴力の保持が求められるこの世界では皮肉というしかない。

 特に、実際にそのようなタイプの尉官達自身、それも長い間戦死せずに“尉官のまま”提督を続けているような人間達自身が最もそれを自覚している。

 

 その典型的な例として、能登瀧久(のと・たきひさ)という大尉がいる。

 名字から分かるように姫乃の父であり――――初出撃から戻ったばかりの娘を、己の執務室にて憎しみの目で迎えている男だった。

 

「二度と顔を見せるなと、言った筈だが?」

 

「ええ、ええ、言われてしまいましたとも。ですがせめて最後に『今までお世話になりました』と、お別れの挨拶をする義理くらいは必要でしょう?」

 

 目が血走らんばかりに睨みつける白髪交じりの男を嘲るように、美貌の娘は微笑み混じりに頭を下げる。

 

「仮にもお父様の娘ですもの、以前までは」

 

「ぬけぬけと………!!」

 

 もはや瀧久は姫乃を娘などと思っていなかった。

 “人から敬われる立場にいたい”―――人並み以上に高い功名心を祈りとして提督になり、そしてどんなに職務に熱心に当たり権勢を高めようとも……数々の人格破綻者達よりも“実力が劣る”と見なされ続けたコンプレックスの塊が能登瀧久という提督だ。

 そんな中で己の娘までもが“佐官の化け物(春也)に劣る”ことを大々的に鎮守府中に喧伝した時には既に発狂一歩手前であった。

 それまで本人が適合できたとはいえ無理を押して三隻もの艦娘を手配する程度には期待を掛けていた娘にあっさりと縁切りを突きつけ、失意に落ちる姿を見ても溜飲が収まらなかったというのに、早くもけろりとしてお別れの挨拶をしに来たと言うのだから瀧久の神経はヤスリで逆撫でされているようなものである。

 

 その激昂に任せてあらん限りの罵声を叩きつけようとして―――そんな彼を、唐突に猛烈な動悸と吐き気が襲った。

 肉体が内側から爆ぜるかのような激痛を伴って。

 

「ぐ……、がぁっっ!!?き、きざま゛…!?」

 

「あらあら“元”お父様。お歳なのですからあまり興奮しては体に毒ですわよ?」

 

「―――お嬢様、戯れもそこまでに。おいたはいけませんよ?」

 

「そうは言っても、私は何もしてないわよ、龍田?」

 

 瀧久の傍に控えていた彼の隷下の艦娘である龍田が、内臓全てが抉り出される寸前で碌に喋れない提督の代わりに姫乃に制止を掛ける。

 それに対しとぼけているかのように困った笑みを見せる姫乃だが、事実彼女は何もしていないと、龍田の姉妹艦であり背格好も似た天龍が補足する。

 

「“活動”し始めてる異能が暴走してるだけだ。相手が殺気だってるんで反射的に出ちまったな。悪い」

 

「い、の゛……ぅ…だと、……ぅげぇぁ!?」

 

「あら、天龍がやっているの?」

 

「暴走だって言ったろ?制御なんて利いてないさ」

 

「ぐ、ぁぁぁぁォォォッッ!!?」

 

「はいはい。だったら出てってちょうだいね、天龍ちゃん、お嬢様も。距離が離れれば収まるでしょうし」

 

「分かったわ。龍田、あなたにも世話になったわね。

 こんな形のお別れになるのが残念だけど」

 

 瀧久が悶絶している中で呑気なやり取りを交わす姫乃と、三隻の内で唯一最低限彼女の傍について来ていた天龍に、ますます殺意を覚え、それに反応して姫乃に芽生えかけの異能が防衛反応的に暴走してしまうという悪循環。

 この場をお開きにすることでそれを無くそう、という龍田の提案に従う姫乃だったが、出口まで歩き、扉を開け、優雅に一礼して行く時間はわざとらしいくらいにゆっくりだった。

 

「それでは、ごきげんよう。ご健勝であらせますことを」

 

「………っっっででいけぇ!!!」

 

 発声にすら苦しみながらも憎しみを込めて投げつけた叫びは、閉じた扉に跳ね返る。

 だがその寸前、姫乃の瀧久に向けたわけでもない小さな呟きが、その耳にするりと入ってやけに鮮明に聴こえた。

 

 

『異能の兆候、か。嬉しいのだけど、尉官のお父様にあの程度の利き目では春也や水月小将、深海棲艦相手には現時点だと全く役に立ちそうにないわね』

 

 

「…………ッ」

 

 更なる怒りに襲われる瀧久。

 姫乃が実際に立ち去っているのか次第に苦痛は収まるが、煮えたぎるような憎しみは減ずるどころか積もる一方だった。

 

「虚仮にしたな……!!」

 

 己の顔に泥を塗った娘が、異能に目覚めかけているという。

 長年の提督業の中で己に幾度も屈辱を味あわせた化け物達に、遠くない未来に仲間入りするというのだ。

 姫乃と春也との演習の件が無ければ娘の強化を己の地位の為に利用する算段も付けられたが、今となってはプライドが許さずただ疎ましいだけ。

 

………もっとも、春也との出会いが無ければ姫乃も凡百の尉官で終わっていたかもしれないので、何とも言い難い話である。

 

 ともかくその皺が寄り始めた手を震えさせながら、瀧久は鍵の付いた机の引き出しから一枚の書状を取り出す。

 封の解かれた白い便せんには、“水月雪兎”の署名があった。

 

「…………木浪(きら)総帥の暗殺、か。化け物の思惑に乗るのは業腹だが、あやつはまだ話が通じる狂人だ」

 

「提督、お言葉ですが―――」

 

「もはや私は手段は選ばぬ!!間違っているのだ、こんな“世界”は!!」

 

 龍田の提言を訊きもせずに跳ね退ける瀧久。

 その眼には、濁った妄執だけが浮かんでいる。

 

 どれだけ話が通じようが、狂人は狂人だ。

 そんなことにすら頭が回らない程に頑迷となっている主を見て、龍田は細い眉をハの字にして溜息を吐く。

 

「ままならないものよね、色々と」

 

 暗澹とした未来を憂う声は、誰に届くでもなくただ彼女自身の気鬱を加速させただけだった。

 

 

 

 

 

 そんな鎮守府からさほど離れていない、しかし唯人の足では半日を掛けて進む道中の山道。

 もはや夕日も落ちかけた黄昏の中、おぼつかない足で男は腐った葉を踏みながら歩いていた。

 

 死んだ子の墓と我が家をただ往復するのみの生きた屍だった男―――そうであった筈なのに、男はともすれば息子が死んだと聞かされた時以上の失意に打ちのめされていた。

 

 あの墓には主はいない、だが海へ出ることを喜び誇りとしていた息子を弔うには、海がよく見えるあの場所しかありえない。

 遺骨などなくとも、それがどれだけ危険であっても、どの道自分の命などどうでもいい心境となっていた男はせめてもの慰めとしてあの墓を作った。

 

 

 それが、いともたやすく打ち壊された。

 

 

 男は憤らなければならなかった、春也の暴挙に敵わずとも抗わなければならなかった。

 惜しくない命ならば、提督という超人に対して歯向かうことも躊躇いなく出来た筈だった。

 

「…………っ、ぅっ!」

 

 だが、寒気が止まらない。

 もう墓の方向へ足を向けることすら全身の震えが邪魔をして、がたがたと行き場を無くす手で頭を抱えてその場に立ち止まる。

 

「ああ、ああ、…………ああああああああああああぁぁぁっっっっ!!!?」

 

 理屈のつかない、春也に感じた恐怖を吐き出すように男は叫ぶ。

 吐き出す傍からそれ以上の勢いで湧き出でる、あの錨を突き立てる男に感じた恐怖を自覚する。

 

 それは連動して麻痺していたあらゆる正常な恐怖をも呼び覚ます。

 痛いのが怖い苦しいのが怖い死ぬのが怖い怖いのが怖い嫌だ嫌だ避けたい避けたい――――例え大事なものを捨ててでも。

 

 そして正常な恐怖を取り戻しても、皮肉にも正常な判断を取り戻したわけではなかった。

 

『KYY??』

 

「ひぎっ!?」

 

 人殺しの化け物が闊歩する地にて、あのような大音声など愚の骨頂。

 常人の身ではここにいるから殺してくれと言っているようなものだった。

 

 案の定熊よりも巨大で醜悪な黒い異形が、男に狙いを定めて木々の隙間から顔を出す。

 

 ただでさえ震えた体にトドメの形ある脅威を浴びせられ、男は立っていることも出来ずに尻もちを突いた。

 死にたくない死にたくないとありきたりな衝動と願望が今さら湧き上がり、しかし逃げることも叶わない。

 

 そんな滑稽な、しかしこの世界ではよくある最期で男はその生を終える――――筈だった。

 

 

「………殺しちゃ、ダメですよ?」

 

 

 吹き飛ぶ深海棲艦、そして“その後に”鳴り響く火薬の炸裂する音。

 その音源を辿れば、暗い瞳を前髪から覗かせる少女がその側面に鋼の砲を構えて立っていた。

 

 夕闇の中にぼやけそうなくらいに儚げな雰囲気を漂わせながら、その場に充満している冷たい圧迫感故に注目せざるを得ない。

 

 その圧迫感をどう形容すればいいか、最初男には分からなかった。

 なにせ怒りも憎しみもない――――なのに“殺意に満ちている”状態なんて、まっとうな精神の持ち主に理解出来るはずもない。

 

 だが彼女にはそれが不思議でもなんでもない、当然の己の在り方だ。

 

 

「人殺しはダメなんです。そんなことするゴミは、悪さをする前に処分しないと」

 

 

 深海棲艦がまた吹き飛ぶ。

 砲身から硝煙が立ち上る。

 弾を発射した轟音が響く。

 ダメなんです、と言った。

 

 

「え……?」

 

 何が起こったのは分かった、だがその瞬間男は何がなんだか分からなかった。

 曲がる世界、捻じれる因果。

 それは吐き気を催す酔いにも似て、男の精神を即座に混沌へと叩き落とす。

 

 そして、もう一度。

 

『KKKYyyyAAAA!!???』

 

 その艦娘を脅威と見て、備え付けた砲を構える深海棲艦。

 迎え撃つ―――その潰れた砲塔で。

 殺意の弾丸を放つこともできずに砲塔は炎を上げながらへし曲がり、そして着弾に悲鳴を上げる音が鳴る。

 

 そしてその後に、やはり少女の方から火薬の炸裂する音と硝煙。

 

「あ、ああ……?」

 

 男は自分の常識が目の前の異様に侵食されていることに気付くことすら出来なかった。

 

(戦いとは、敵に攻撃が当たって、いや、その前に敵が吹き飛んで、そして攻撃する音が鳴って、その後攻撃しようと思う前に攻撃攻撃攻撃こうげき………あれ?でも、攻撃が攻撃で攻撃になって)

 

 ゴミが人を殺す前に殺す。だから攻撃する前に殺し、防御する前に殺し、躱す前に殺し、故に死んだ後に殺さなければ。

 そんな彼女の弾丸は、その総てが因果を遡る魔弾。

 

 

「はい、ゴミ掃除おしまいです」

 

 

 少女の餞の言葉は、既に“一瞬後に撃ちのめされて”“今既に死んでいる敵艦を”“殺す事が確定している”“弾丸を発射する前に”放った言葉であった。

 

 そんな少女はいくらかすっきりした様子で殺意を収めると、男に向き直ってはにかんだ笑顔を見せた。

 

「あの、ごめんなさい。羽黒の司令官、知りませんか?」

 

「ぇぁ………?」

 

「あなたは違うと思うんですけど」

 

 錯乱一歩手前で、とても返事ができる状態ではない男は意味を為さない呻きしかしなかったが、少女はそれを気にした様子もない。

 その純粋なまでに無造作な仕草で―――いつのまにかその手に、艦娘には無用の携行銃の先端に取り付けるような銃剣をその滑らかな白い指に挟んでいる。

 

「でもなんだか不思議な感じがするんです」

 

 

 だからちょっと確かめさせてください――――。

 

 

 すっ、と豆腐を切るような簡単さで、男の顔に真一文字の赤い線が引かれる。

 無造作ながら鮮やかな斬線により男の意識は断ち切られ、そんな崩れた男に構わず少女は刃に付着した赤い血を検めるとその気弱そうな表情を泣きそうに歪めた。

 

「やっぱり違った………ぅぇぇ、羽黒の司令官さん、早く逢いたいのに……」

 

 そのままふらふらと男も深海棲艦の死骸も見向きもしないで、羽黒はその場を歩き去る。

 向かう方角は奇しくもその日春也達が戦っていた鎮守府近海域だったが………既に求める人物がそこにはいないことを、彼女が知る由も無かった。

 

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※羽黒の異能

 どっかの誰かの「命を脅かすモノの勝手を認めない」という祈りが極端に攻撃的な形で表れた異能。
 人を殺す奴が人を殺す前に先に殺せばそいつが人を殺すことはないよね、という正しいのか外れているのか微妙な理屈である。
 その攻撃は敵のあらゆる行動に割り込んで絶対的な先制となり、相手に何もできないままこの世から消えてもらうべく威力を発揮する。

 例えば「あらゆる攻撃を反射する」特殊能力を敵が持っていたとしても、それにすら概念的に割り込みを掛けて先制を行うため、羽黒の攻撃を無効化することは事実上不可能である。

………よく分からない?うん、作者もいまいち分かってない。

 要は心臓を刺さない超省エネゲイボルク。ただし防御すらできずに艦娘の砲撃なんぞ喰らったら普通心臓ごと木端微塵である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

休息


<羽黒の能力ってゲイボルクってよりフラガラックじゃね?

 げ、ゲイボルクの方が圧倒的に知ってる人が多いってだけだし(震え声)
 頭からすっぽ抜けてたわけじゃないし!


<異能ってどれもチートなの?

 クロス元の作品なんてクロックアップ+不死殺し持ってる主人公が苦戦しかしてなかったし、最終決戦じゃ一撃が銀河破壊レベルにまでインフレするからこれくらい序の口序の口()
 というか主人公の殺意が高過ぎるからこうなってるだけで、異能は祈りの結晶だから今回みたいなのもいるし。
 原作が戦闘向け能力ばっかなのは……水銀製だから?


 そして今作(も)鶴姉妹の扱いが………。
 巡恋歌の時といい、作者は一体二人をどうしたいのやら。





 

「提督さん!どう、似合うっぽい?」

 

「夕立可愛い!」

 

「ぽい!」

 

 やった、と春也に容姿を褒めてもらえた夕立が握りこぶしを上げると、薄青の袖がひらひらと空を舞う。

 肩が露出したデザインの着物は普段の夕立のイメージカラーとはやや外れた波の色で、それを彩るような白い装飾が和ゴスのような味わいで彼女を飾っている。

 

 可愛い衣装で着飾って無邪気に喜んでいる少女を微笑ましく見るのは、春也とその衣装の作成者である中年の女性だった。

 

「いい感じじゃないか。おばさん、代金これでいいか?」

 

「はい………って提督様!これじゃ多すぎますよって」

 

「あー。やっぱり相場とかまだ微妙に分からねーな。

 あれだ、俺の分も注文してた奴は出来たんだろ?その分と、あとはこれからもよろしくってことで」

 

「畏れ多い……これからもどうぞよろしくって此方の科白ですのに」

 

 言いつつ春也が差し出した金はいそいそと鍵付きの棚にしまう衣装屋の女性。

 調子がいいことだが、鎮守府の敷地内に構えた店をちゃんと切り盛りするならこの程度はご愛敬だろう。

 

 それにスーパーで量産品を買ったり市場で値切り前提の交渉をするならともかく、こういう買い物で呆れられない程度に金払いを良くするのは悪いことではない。

 高い買い物をするなら変にケチるな、後でケチがつくから、というのは春也の父の言葉だった。

 

「つっても、慣れたもんだよな俺も」

 

 春也がこの世界に来てから数週間が経過していた。

 肌寒さがあった空気はすっかり暖まり、活発さを感じる草木や虫の様子から夏の訪れも少しずつ予感が出来るようになっている。

 

 そして鎮守府に所属してからの間幾度も航輔や姫乃と共に出撃を繰り返し、深海棲艦を討伐する仕事を行い―――故に、報酬としてお金をもらっていた。

 額としては最初に苦労して運んだ“資源”の代金より少ない程度だが、効率を考えるとやはり正規の提督として働く方が稼げるようだ。

 

 そしてそんな大金を使う場所には困らない。

 この世界で最もお金を持っている組織は艦娘神社であろうが、個人でとなると稀少かつ替えが利かない提督達になるに決まっている。

 そんな彼らが詰める場所である鎮守府には、当然様々な商店が軒を連ねる一角も存在していた………歓楽街という多少過激な場所も含めて。

 

 とは言っても、春也に酒や賭博への興味は無いし、夕立がいるのに金で女を買う気になる筈もない。

 結局まずは身の回りの物を充実させよう、ということで“異世界漂着着の身着のまま”と“死人から拝借した借り着”しか服が無かった状態から脱却する為、服の購入が目下のお金の消費先だった。

 こんな世界で大量生産の既製品がある訳もないので、自分で生地を縫い合わせるか職人に注文して作ってもらう形になる。

 

「えへへ………提督さん、夕立の分も服買ってもらっちゃって、よかったっぽい?」

 

「いいに決まってるだろ?戦闘用の服でずっと過ごすだけじゃなくて、普段くらい色々着てみたくならないか?」

 

「なるっぽい!」

 

 ぽいー、ぽいーっ、と至極上機嫌なのか春也の隣でいつもの鳴き声を即興歌にしている夕立と手を繋ぎ、衣装屋を出た春也は鎮守府商業区の通りを歩く。

 時々提督や艦娘の姿もちらほら見える大通りの中で足取りも軽快な彼女の動きに合わせて、波打つリボンの様な装飾が踊った。

 こんな荒廃した世界の割に妙にデザインが凝っていると思って衣装屋の女性に訊いたが、艦娘―――特に戦艦組―――のデフォルトの服を参考にすればインスピレーション元には困らないそうな。

 

 春也の服も装飾自体は少なめだが、丈夫に縫われた紺の布地の重ね方では斜めに重ねて補強されていたり裏地に剣錨印が縫われていたりと、簡素でも手抜きでは無い仕事が表れていた。

 

「提督さん、これからどうするっぽい?」

 

 服の受け取りと代金の支払いの為に商業区のところまで歩いてきた春也と夕立だが、それを終えて次の目的をどうするのかと夕立が問うてくる。

 爛々と輝く瞳には、せっかくの外出だからまだまだ提督さんと一緒にお散歩したい、と書かれていた。

 

「まだ普通に日も高いし……夕立、今何時だ?」

 

「んっとね、ヒトヒトヨンヨンっぽい!」

 

 ぽい、とは言うが元々海上では現在時刻と星を見て位置と方向計算をしなければならない艦だからなのか艦娘の体内時計は秒単位で正しいので、眩しい光を太陽が降り注がせる光景そのままの昼時に間違いはないだろう。

 聞き放題の夕立時報ボイスに悦に浸りながら、見上げてくる彼女に春也も笑顔で返した。

 

「じゃあ適当に店でも探して昼飯にするか!」

 

「お昼ごはん!」

 

 

「あれ、春也くんたちじゃん。私たちもご一緒していい?」

 

 

――――何万と人員がいる訳でもなし、この鎮守府で知り合いに偶然会う確率、というのはそう低くは無い。

 

 まだまだ春也が知っている人物というのはそう多くはないが、行動パターンが被れば夕立がその元気さを振りまいている分相手からは見つかりやすくなる。

 そうして掛かった声に振り向いた二人の顔が、露骨にげんなりしたものになった。

 

「出た………」

 

「ぽいぃ………」

 

「あー二人とも失礼しちゃうなー、翔鶴姉の顔見るなりそんな顔。

 爆撃しちゃうぞ☆」

 

「…………」

 

 ねーよお前の顔見て萎えたんだよ、失礼はどっちだこのバカ―――と航輔相手にする様に言えるほど親しい相手でもないので、春也は黙り込むしかなかった。

 当然夕立もそれに従って口を閉じるので、変な沈黙が間に挟まる

 

 緑がかった内跳ねの黒髪を左右に分けて結び、猫のようなツリ気味の愛嬌ある眼がすっきりした鼻立ちと共に小さめの顔に収まっている少女。

 矢絣の町娘風の外出着姿で弓道袴を着ておらず、あと若干テンションがおかしいが、どこからどう見ても艦娘の『瑞鶴』がそこにいた。

 

 そしてその三歩後ろにお揃いの服を着ながらも楚々として付き従う『翔鶴』の姿もある。

 まるで妻のように大和撫子然と姉妹である筈の瑞鶴の後に控える白髪を腰まで伸ばした美女の姿は、それだけなら違和感を覚えないでいられるかもしれないが――――。

 

「あ、春也くん翔鶴姉のことじっと見てる?駄目だぞー、翔鶴姉は瑞鶴の大好きなお姉ちゃんなんだから、あげないんだよ?」

 

「ああ“提督”、もったいないお言葉です……」

 

 通称『瑞鶴』提督、本名はおろか性別すら不明。

 階級は中佐、祈りは『愛する人の色に染め上げられたい』。

 

 異能は変態……もとい変身、ていうか変態。

 

 例によって訊きもしないのに川内に吹き込まれた無駄知識のせいで、背景の翔鶴が大好き発言に頬を赤らめピンク色の百合を撒き散らしている姿に眩暈がしそうだった。

 どうもこの提督、心から瑞鶴になりきっているらしいので、春也は彼ないし彼女をレイヤーだと割り切ろうとするのだが、ちょくちょく失敗している。

 というかあんたは瑞鶴をどういう目で見てるんだと訊いてみたかったが、春也も瑞鶴のことはゲームの姿しか知らないので訊くに訊けないでいた。

 

「それでどお?美味しい店教えてあげるよ?」

 

「ありがたくご一緒させていただきます………」

 

「…………ぽい~」

 

 そしてこんなんでも、むしろこんなんだからこそ上官で先輩。

 誘いを断れる訳も無く、奇妙な昼食になってしまうのだった。

 

 

 

――――。

 

 『瑞鶴』に案内された店は豆腐中心の小料理屋といった風情だったが、さっぱりめの味付けが好印象で悪くない感じだった。

 ゆっくりできる時に改めて夕立とまた来ようとは思えるくらいには雰囲気も店員の愛想も良く、しかし今は川内と違うベクトルで絶妙にうざい正体不明の相手をしなければならない。

 

「それでね、その海域に入っていた間のことって提督も艦娘も誰ひとり覚えてないんだよ?気が付いたら鎮守府に帰ってるの」

 

「ふーん?出撃の記録から位置とか割り出せないんですか?」

 

「当事者からしたら気になって仕方ないだろうし、やった提督もいたらしいけど………だめ。

 艦娘のことだから位置計算を間違えることは無いんだろうけど、移動してるのかそもそもその計算を狂わせる何かがあるのか。

 辿りつこうと思って行けた人は聞いたことないなあ」

 

「神隠しの海域、か。胡散臭いようなちょっと危ないような」

 

「でもなんかいい夢見ていたような気分になって、むしろすっきりして元気になるらしいよ。

 幸運の神域って話にもなってるくらいだし、むしろいいなあって思わない?」

 

「…………」

 

 思わない。というかそんな幸運の占いアイテムできゃぴきゃぴはしゃぐ女の子みたいな目で神隠しについて語られても反応に困るのだが。

 

 返答に困って視線を振る春也の横目に、春也と夕立の分を合わせたより更に多い皿を並べて幸せそうにもきゅもきゅと料理を口に運び続ける翔鶴が移った。

 食べ方はお上品なのだが、綺麗に持たれた箸の動きが止まらないのはやはり食う母もとい空母の宿命なのだろうか。

 

 夕立より更に少ないくらいの『瑞鶴』の食事量と対照的だったが、これはむしろ『瑞鶴』のキャラ付けか素かそれとも『大好きな瑞鶴ちゃんは大喰らいじゃないんだ!』みたいな思い込みでの演技か。

 どうもこの提督、演じるのは自分の愛する“理想の”瑞鶴らしいのだ。

 

 そもそもこの世界の艦娘、仲の良い姉妹艦自体が圧倒的に少ない。

 たとえば同じ見た目の“夕立”だって沢山いるのに―――提督であるからか春也にとって自分の夕立だけは識別が利くが―――“時雨”であるというだけで即好意的となるわけがないらしく、鎮守府内で二度三度見かけたが夕立が特別な反応を見せることも無かった。

 

「なあ翔鶴、一つ訊きたいことあったんだけど、いいか?」

 

「むぐむぐ………え?あ、はい何でしょう?」

 

「ちょっとー、翔鶴姉にちょっかいかけちゃダメなんだぞー☆」

 

 なのにこんな風に行き過ぎ気味の姉妹愛を見せる『瑞鶴』。

 それも含めて、疑問に思ったことをその提督の艦娘にぶつける。

 

「答えたくなかったらいいんだけど、あんたが媒介になってる異能のこと、どう思ってるんだ?

 この姿の時の言動も含めて」

 

 異能を形成する程の相性といい『瑞鶴』に向ける視線や態度といい、翔鶴が己の主に愛情としての好意を抱いているのは間違いない、間違いないのだが。

 

「ええっと、私は私が生まれてこの方の艦娘になってから、ずっと“瑞鶴”の姿の提督しか見ていないので、これが当たり前の状態なのですけれど―――」

 

 それでもよければ、と前置きして翔鶴は箸を未練がちに置きつつ丁寧に答えた。

 

 主を慕う翔鶴に対して『瑞鶴』も好意を示すが、それは“大好きな瑞鶴”が姉妹を大事にするに違いないと思っているからそう振る舞っているだけのこと。

 要するに翔鶴に対して好きと言えば言うほど、彼女の提督は己が瑞鶴を愛しているのだと証明するに等しい訳で、割と残酷なことになっているのだが。

 

 赤らんだ顔で、それでも翔鶴は微笑んでいた。

 

「それなのに、やっぱり嬉しいんですよ提督に好きって言われるのは。

 それだけで嬉しくなっちゃうんです」

 

「………」

 

 綺麗な言葉――――言葉は綺麗、なのだが。

 

 春也はその琥珀色の潤んだ瞳の中に、健気というよりは悦楽の色を見てしまった。

 

 

「NTR厨?」

 

「はぅん!?そ、そんな、寝取られ中だなんて酷いこと、言わないで…………はあはあ」

 

 

「……………………ええぇー」

 

 うっとりと色っぽく息を荒げる翔鶴にドン引きする春也。

 そんな彼女の手を隣から優しく取って、『瑞鶴』がにっこりと微笑んだ。

 

「翔鶴姉が喜ぶなら、いくらでも言っちゃうよ?好きって。

 好きっ、好きっ、だいすき、しょーかくねーだーい好きっ!!」

 

「あ、ああっ!!お慕いしています、提督……!!」

 

 唐突に始まる百合のようで絶対に百合じゃない茶番劇。

 それに料理を平らげ終えた夕立がぼそりと呟く。

 

 

「ちょっと意味が分からないっぽい………」

 

「多分分からなくていいんじゃないかな………」

 

 

 完全に同意なのだが、放っておいて席を立つ訳にもいかない。

 しばしの間、すれ違った二人の世界に付き合わされる二人なのだった。

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※娼鶴とその提督

 あ、間違えた翔鶴だ。

 属性は『星天を手繰る者』、表性は『忍耐・憧れへの純心』、対性は『妄執・徒労への悦楽』。

 自分の大好きな提督は瑞鶴大好きな上、間違いだらけのなりきりまでやっちゃう変態なのだが、主に似てしまうのかそれに興奮を覚える困ったちゃん。
 見ててちょっと意味が分からないです、とぽかんとするしか無い以外は特に実害は無い。

 異能は『愛する人の色に染め上げられたい』ということで変身なのだが、提督は瑞鶴以外に変身する気は欠片も無い。
 その愛は独善的で、典型的な“相手を見ていない好意”なので一歩間違えなくてもストーカー化していただろうが、得た異能によって自分自身が“理想の瑞鶴”として振る舞うことで満足している為やはり実害は無い。

 その一方で独善の愛なだけに“瑞鶴の理想像”には相当な美化と自分好みの改変が掛かっており、それは実力面にも及んでいる為、提督でありながら空母艦娘同様に艦載機による戦闘もこなし、同じくらいの練度の正規空母四隻軽空母二隻を敵に回しても一人であっさり勝ってしまう。
 下手に戦闘的な異能よりも変態の方が強い理不尽に煽られて頭に来た一航戦がいたとかいなかったとか。

 ちなみに異能の元となる祈りにはこのように“自分がこうありたい”という内向きな祈りと、春也のように“周囲がこうあって欲しい”という外向きな祈りがある。
 前者は提督を、後者は艦娘を起点として発動する傾向にある。

 優劣を論じることは勿論出来ない、が―――一点集中になりやすいためか両者がぶつかれば基本的に前者が有利になる場合が多い。
 ただし……………。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三章 暗雲脈動編
不穏



 沢山キャラがいる場面だと、誰に喋らせるか色々難しいですよね。
 その場に居るのに無言とかだとあれ?ってなるし。
 読んでる人に違和感無ければいいけど……。






 

 伊吹春也は“提督”である。

 

 艦娘と魂を繋げ、超人的な能力を発揮しながら共に戦い、そして発現した異能で格上の化け物すら屠る存在。

 異能はさておいても、この世界において提督というのは軍団の統括的な意味合いを持つ言葉ではなく、艦娘を戦力にできる人間か否かを識別する呼称に過ぎない。

 

 兵卒だろうが指揮官だろうが等しく“提督”であり、そして一つの現実があった。

 

 その職務意識が高いかどうかはともかく、極論提督という名のただの雇われ軍人は上の命令に従わねばならず、そして命令される仕事というものは得てしてその達成感を保証しない。

 

「最近なんか同じことばっかりやってる気がするんだよなあ」

 

「お前は何を言っているんだ」

 

 初出撃の時の様な群れと連戦するようなことも無く、代わりに少しずつ鎮守府から離れた海域で少しずつ強くなっていく深海棲艦を狩っていく日々。

 いつも通り航輔と姫乃と共に川内を監督役として出撃した春也は、不知火の砲弾で沈んで深海へと叩き還される最後の一隻を確認しながら、後ろで聴こえたぼやきに呆れた声を返した。

 

「いや、これでもこう、一度鎮守府に入る前に春也が怪我したの、俺のせいだってのは気にしてて………なんだっけ、汚名挽回?しようと思ってたんだけど」

 

「汚名を挽回してどうしますの」

 

「“汚名を被った状態”から挽回する、という意味なら日本語として間違ってはいないらしいけど。どのみち変な言葉だが」

 

「うるせー!とにかく気合というか戦ってやるぜー、って思ってたんだよ!」

 

「………あら」

 

 視界内の敵艦を全て掃討していることを確認して、やや曇りがちな空の下、波の上を滑りながら雑談を交わす提督達。

 姫乃も刺々しい敵意や居た堪れない失意を振りまく事はなくなったので、それなりに共に戦場で時間を過ごしたなりの関係が三人の間に出来ている。

 

 航輔の発言にぱちくりと姫乃が目を開いて意外そうにしている辺り、彼女の航輔に対する評価はお察しだったが。

 

 そんな雑談に、最低限の警戒体勢を続けている夕立を除いた艦娘達も近寄ってきて参加し始めた。

 

「言いたいことは分からないでもねーが。過剰気味な戦力で順当に勝ち進んできたから」

 

「常に敵より多くの戦力が整った状態で当たる。理想的ではあるのよね」

 

「しかしそれ故に惰性が生まれる。惰性は慢心を生み、慢心は敗北を生み、その結果は死です。

 気を引き締め直すべきでしょう、紀伊航輔」

 

「何故俺を名指しした!?」

 

 海上を往く為にタービンや排熱板などの海戦用の艤装を纏った艦娘達―――特に扶桑の自身の肉体よりも巨大な装備に迂闊に接触しないように皆気をつけながら、天龍や不知火が厳しさを含めた声音で航輔に向かって言う。

 扶桑もまた憂いを込めた言い方だったが――――皆から距離を空けられていて空間に寂しい隙間が出来ていることも関係している、わけではない、多分。

 

「ふぁー。でも退屈なものは退屈なんだけどー。もう私の出番無いくらいになってるし」

 

 そして惰性と慢心の権化みたいな仕草であくびをしている川内。

 雪兎がいない状態で単独行動なのも、同じように退屈だから川内だけ寄越したとかそんな感じだろう。

 触ったら負けだと知っている面々は平然と無視することを憶えていた。

 

 もう川内が護らなくとも、電や扶桑達は己らの提督をカバーしながら戦う立ち回り方を学んでいっているので、何度かされた「お礼の言葉が欲しいなー?ねーねー」なんて弄られ方をされる心配も無い。

 結果的には川内のウザさが成長を促したと見えなくもないが、それならそれで切り口を変えるだけの川内にそんな真意が無いことなど先刻承知だった。

 

「ていうか惰性も慢心も弱者の言い訳なんだけどね。春也くんや夕立見てみなよ、別に鋼鉄の神経持ってるとかでもなく自然体でいる」

 

「俺に振るか?……っ、夕立!!」

 

「探知に感!潜水級がいるっ………ぽいッ!!」

 

 

「――――そして、そんな理由じゃ絶対に負けない。私もだけどね」

 

 

 潜水艦……当然ながら陸上にはいなかったが、艦娘も深海棲艦も通常海上を進むのに、状況によっては海中から一方的に相手を攻撃できる厄介な艦種の深海棲艦が近づいていた。

 そう声を上げる夕立にとって、しかし潜水艦は“カモ”だ。

 

 夕立が水面を思い切り“踏みつける”――――それだけで、その敵襲は呆気なく挫かれた。

 

「不知火、どう?」

 

「確かに、潜水級の反応が一隻ありました。そして、今消えました」

 

「くす。身も蓋もないよねー」

 

「……あれが、私の目指すべき領域、か」

 

 夕立の蹴りは当然ながら軽く人を殺して余りある威力がある。

 そしてそれを放つ彼女の足には同じだけの反作用が返ってくる………ならば、その“殺意”を倍加反射すればその衝撃が水を伝って敵に直撃する。

 

 要は海中の敵に対して、夕立は威力二倍の格闘戦を一方的に仕掛けられるのだ。

 海上、もしくは地上の敵にやった場合は、せいぜい揺れて足場が悪くなる程度の手品だが。

 

 潜るという機能にリソースを割いているせいか、通常の艦種より耐久性の低い潜水艦。

 それが結局姿どころか攻撃する暇すらないままに一撃で轟沈する儚い事実に、複雑そうな視線を反応があった辺りへと送るのは、電だった。

 

「あれ?どうしたのデンちゃん」

 

「い・な・ず・まなのです!…………はぁ」

 

「……?おい、実際どうしたんだよ、電?」

 

 装備した砲もいつでも動かせる体勢でいながら、どこか憂鬱げに目を伏せる電。

 航輔が気遣うように問うと、素直に彼女は答えを返した。

 

「なんだか変なのです。深海棲艦が討滅されるのを見る度に何故か想いが強くなって」

 

「何の話?」

 

 

「――――沈んだ敵も助けたいって思うのは、おかしいですか?」

 

 

「「………」」

 

「えっと、もっかい言ってくれ?」

 

 しかし、それがいまいち信じられない言葉だったせいか航輔は復唱を要求する。

 それは春也にとっても原作の電の言葉だと知っているが、しかし“この”電が言うのは違和感しか感じない。

 

 当たり前だ。

 深海棲艦によって世界中の人々が殺され、もはや戦争とすら呼べない生き残りへの抵抗のような状態に入っているのがこの世界の人類だ。

 そしてその人間の兵器である艦娘も、そして人間も。

 春也でなくとも深海棲艦という殺戮生物に“憐れみ”を抱くなど、そもそも有り得ないのに。

 

「そういう風になるのも当たり前なのです。

 はいとしか返事が来るわけもない。

――――沈んだ敵も助けたいって思うのは、やっぱりおかしいですか?」

 

「電……!?」

 

 

「沈んでない敵は?」

 

「沈めてから考えるのです――――はぅっ!!?」

 

 

「…………なんだ、いつもの漫才かよ、驚かせやがって」

 

 一瞬奇妙な間に緊張が駆け抜けたが、春也がつい入れてしまった茶々ですぐに霧散する。

 だが、電の様子に覚えた妙な違和感は、全員の中に確かに残っていた。

 

 当然川内もそれを感じていて……彼女はその笑みを愉悦に歪めた。

 

「へえ、なるほどなるほど。

 何故かは知らないけど、“アレ”の影響が残っちゃってる艦娘なんだ、電ちゃんは」

 

 その一人勝手に納得した呟きを聞き咎める者は誰もいない。

 せいぜいいつもの躁的なノリなのだと思うくらいだろう。

 

 元々不審者なのを改めて不審に思う訳もないという理屈だが、本格的に崩れ始めた天気に帰投を始めた一行について行く形の川内が、戻り次第己の主に報告する内容。

 予め知っておけば、というのは今の航輔達には無理な話だった。

 

 

 

――――。

 

 提督や艦娘にとって、『鎮守府』から海に出る、あるいはその逆に際して、別段港やそれに類する施設を使用する必要性というものは存在しない。

 荷物をさておけば身一つ意思一つで海上を航行できる彼らからすれば、浅瀬だとか崖だとか問題にするまでもなくその辺の海岸から沖に向かえば済む話だ。

 

 だが、鎮守府の海に接した部分には出入りの為のゲートの様な施設が置かれた一角がある。

 艦娘達が持ち帰った資源の荷仕分け、あるいは出発帰還の記録管理などの目的として出入り口を指定するのは、利便性として有効な話ではあるだろう。

 

 だがむしろ命懸けの戦いに赴き、あるいは生還する、そこに対する見送りと出迎えや本人の心の整理などの精神的な意味合いも十二分にあるのではないか。

 

「それも良し悪しよね」

 

「まったく……」

 

 呆れたように肩をすくめる姫乃と春也の視線の先、帰り着くなり小用で席を外した航輔が、川内と別れ移動に支障が出ない程度の量を持ち帰った資源(死骸)を担当の人員に引き渡しても戻って来なかったので軽く覗いてみたところ、トイレから十数メートルといったところで誰かと話している彼の姿があった。

 戸惑い気味の航輔と顔をしかめて警戒している電、そして彼とはおよそ関わりが想像できない上から下まで黒ずくめの無表情な男が相手とくれば、絡まれているのだろうというのが当然の推理の帰結だった。

 

「順調に実力を上げているようだな。そうだ、本来成り立てでなくとも全ての提督は練度の上昇に何よりも重きを置くべきなのだ」

 

「は、はあ……?」

 

「まして狩りによって資源の蓄えも行える。だというのに――!」

 

「申し訳ありません、何が言いたいのですか?」

 

 近寄って話を窺ってみると、何やら思想を航輔に説いているようだった。

 その口元は首に巻いた唯一白い剣錨巾に隠れがちで見えにくいが、そこから出る声は硬質で断定的、弁論には便利そうという印象だ。

 そして近付くまで影になって見えなかったが、傍らに寄り添うように真っ直ぐな黒い長髪と気まじめそうにきりりと整えた表情が印象的な少女、艦娘『朝潮』の姿があることからしても、提督であることは間違いないだろう。

 

 その男は苛立ったような電の問いに彼女を一瞥すると、演説に入りそうだった話をやめて航輔に逆に質問した。

 

「紀伊准尉。お前は周囲の人間が強い方が安心できるだろう?」

 

「え?確かにそりゃ、もちろ―――」

 

 

「はいそこまで。航輔、“何も言うな”」

 

 

 道端で悪質な勧誘をされているようにしか見えない友人を止める為、春也がそこで強引に断ち切る。

 

「必要も無いのに何かを訊いてくるよく知らない人間の問いには、“肯定も否定もしちゃいけない”。

 そうやって取った言質を使って、誘導された思考をさも己で考えた理屈かのように相手に錯覚させる―――詐欺師や詭弁屋の常套手段だぞ?」

 

「っ、ご挨拶だな」

 

「………!」

 

「ぽしゅるるる……!」

 

 春也の言い草には流石に無表情を崩した男と、主を貶された朝潮に睨まれる。

 それに対抗して威嚇を始める夕立の頭を一撫でして、春也は逆の手で航輔を手招きした。

 ほっとしたように情けない顔で嬉々として戻ってくる航輔とそんな主をにこにこと見ながら付いて行く電に溜息を吐きながら、話をそのまままとめに掛かる。

 

「ま、このバカに話がしたいって言うなら止めはしないけど、勧誘や頼みごとで長話に付き合わせるっていうなら、相応のやり方があるだろ。

 せめて菓子の一つ二つくらいは用意して、アポ……時間の予約確認くらいは最低限の節度だろうに、こんな道端で絡んだらそりゃ言われてもしょうがないさ」

 

「………ふん、帰るぞ、朝潮」

 

「はい」

 

 睨み合いになりかけ、しかし反駁も無しに黒ずくめの男は背を向けて歩き始める。

 角を曲がるまでそれを見送った後、疲れたように春也は呻いた。

 

「おい、なんなんだ、アレ」

 

「さあ……名前も聞いたけど、いきなり過ぎていまいち憶えてないし」

 

「派閥争いよ」

 

 二人の困惑と疑問に答えるのは、意外にも姫乃だった。

 

「彼個人のことなんて知らないけれど。

 分かりやすく言えばね、『鎮守府』と『帝都』の中で二つの意見を持つ集団が対立しているの………それで新人を引っ張りこんで自分達の味方を増やそうとしたんじゃなくて?」

 

 “提督は全て深海棲艦を狩って強くなり、資源を集めて艦娘を増やし、戦力を増強させていくべき。故に海上にてより深海棲艦への攻勢を深めるべき”。

 “人民を護るのが提督の本義であり、また人口増加による提督の絶対数確保が艦娘の余りがちな現況には必要である。故に、陸地における人間の生息圏の防衛と拡大を本義とすべし”

 

 おおまかにまとめてくれた姫乃によると―――便宜上前者を“海”、後者を“陸”と呼ぶとして―――そういうことで先程の男は“海”の立場であるらしかった。

 

「え?いや、まだ分からねえ。どっちも正しいんじゃないの?」

 

「「「………」」」

 

「お前は本当に変な所で核心を突いてるよな。けど―――」

 

「そういう意見は、日和見と言われるわ。確かに限りある戦力をどこに充てるかで揉めるのは当然なのだけど」

 

 誤解されがちだが、政治の場においてはどんな高邁な思想や崇高な理念であろうが、それを主張する人間はそれが正しいから主張しているのではなく、それが己の政治基盤(民主政治なら本来は国民)にとって利益になると思っているから言っているのである。

 その為、主張の内容など極論“何でもいいしどうでもいい”、どっちが真理かなんて問題にもならないが、どっちも正しいなんて結論だけは存在しないのだ。

 

 利益が衝突する相手が白と言えば、別にそう思っていなくとも黒が正しいのだと言い、隙あらばそれで押し切ろうとする。

 傍から見ると実にくだらないが派閥とはそういうものである。

 下っ端の人間を熱意で動かす為に、尤もらしくその正当性は糊塗されるが。

 

 そして、派閥の無い組織など存在しない。

 三人集まれば派閥が出来る、というのは何百年も前から言われ続けている人の習性だった。

 

「いがみ合っているからいがみ合う為の理由付けをして、その理由はいがみ合えればなんでもいい………別段この追い詰められた世界にはそんなものが存在しない、なんて馬鹿なことを考えたりはしてなかったけど」

 

「面倒っぽい……」

 

 ネタではなく「海軍としては陸軍の意見に反対である」という状況になっていることに対する溜息はどうしても止まらない。

 そんな春也に、ずっと情けない顔のままの航輔が申し訳なさそうに声を掛けた。

 

「悪い春也」

 

「どうした?」

 

 

「漏れそう………そういえば便所行く途中だった」

 

「さっさと行け!!」

 

 

 すぐそこに見えているトイレを指差して叫ぶ。

 つくづく真面目な話の続かない航輔に頭を悩ませる春也を、姫乃と後ろの艦娘三人が同情の目で見ているのがなんだか皮肉だった。

 

 





☆設定紹介☆

※提督や艦娘に働く物理法則について

 以前想像上の異なる異界法則を展開していると言っても、想像上だからこそ異能を抜かした物理法則の基本的な内容自体は変わらない、と本文中で述べたが、語弊がある。

 ちゃんと自分を含めた周囲全ての動きに逐一物理演算をしている変態とか、そもそも全ての物理法則をいちいち把握している存在など居る訳がない以上、異界法則の中で働いている自身の動きの根拠は“感覚での物理法則”に拠っていく。
 その為「自分は身体能力が高いからできそうだ」と思った動きの場合、それが壁走りでも十傑衆走りでも空中二段ジャンプでも、本来現実にはありえない動きでも行えてしまうのだ。
 そして、本人にありえないことをしたという自覚は無いし、誰かがやると同類は皆真似し始めて実際真似できてしまうので、ある意味超常ではあるのだが、この現象については異能と呼ぶべきではないのだろう。

 つまりは気合次第で作用反作用の法則とかエネルギー保存の法則とかいくらでも気付かない内に狂っているのだ。
 演習で夕立が自分より明らかに重い扶桑(あ、姉様ごめんなさい)を錨で引っ張ったケースがその一例だし、あるいは深海棲艦や艦娘、提督が海上を滑っているのもこれによるものなのかもしれない。

 ま、よーするに車で轢ねられただけで重量差でぽんぽん吹き飛んじゃう獣殿とか見たくないよね、ってこと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

試練


 どんだけ考察書いても書き切れる気がしないホント異世界ファンタジーは地獄だぜー!

…………いやなんでこんな一から全く新しい世界を考えなきゃいけないような面倒なジャンルがなろうでテンプレになったりするんだろ?
 現在進行形でそれをやってるドMが言えた義理ではないけども。




 

 

 

「君たち、卒業ね」

 

「「「………」」」

 

 航輔が朝潮の提督の男に勧誘を受けかけたその翌朝、鎮守府に着任してから何度も使っている庁舎の一室に集められた春也、姫乃、航輔の三人は、雪兎の開口一番の科白の意図が掴めずに面食らった。

 

「……あー。それはこの世から卒業しろ、とかそういう意味?」

 

「あははっ、春也くんは冗談が上手いなあ」

 

 言いかねないだろアンタ、とは返さずに文字通り不審者を見る視線を送る春也と、いつもの胡散臭い笑みの雪兎がその場に妙な緊張を生みだす。

 上座に置かれた椅子に深々と座り込んだ雪兎は、暫し髪を指で弄っていたが、数秒後に自らその緊張を破って何事もなかったように語りだした。

 

「単純に僕がいちいち着いて指導しないといけない期間は終わりってこと。

 今回言い渡す任務からは監督役は付かないのと、それが終わったら君たちは晴れて見習い准尉と准佐を卒業だ」

 

「おめでとう!今までよく頑張ったね、感動した!!」

 

「おいおい川内、気が早いよ?

――――この任務が終わったら……無事終われたら、の話だからね?」

 

「あははは…それは失敬っ!」

 

「………」

 

 趣味の悪い意図が透けて見える漫談を聞き流しながら、春也は差し出された指示書を受け取る。

 横から覗き込む航輔と、雪兎や川内が一緒じゃなくていいならさっさとこの場を切り上げたそうな姫乃の気配を感じながら、一応春也はA4より少し縦長くらいの書類を拡げる。

 

 雪兎がこの雰囲気の中で渡す卒業任務、というものに嫌な予感しか覚えない以上、気は進まないが今ここでざらざらした用紙に書かれた文字を読み進めて、内容を確認しておかなければならない。

 旧漢字とカタカナだらけの春也にとっては面倒な文章を舌打ちを堪えながら素早く解読し、要約した内容を仲間の二人にも分かるように口に出す。

 

「『ここ数日で、陸上にて哨戒任務に当たっていた尉官の提督が複数消息を絶った地帯がある。現地に赴いて調査し、可能ならばその原因の排除に当たること』、か」

 

「何とは言わないけど、何かがそこにいるみたいだねえ」

 

「生存者の捜索と救出は含まれないのか?」

 

「?ああ、よくあることだし、大抵死んでるからいちいち探す手間は掛けなくていいよ」

 

「………胸糞悪い話だな」

 

 危うい雰囲気は感じながらも、雪兎がこの任務が発生した原因については“知らないということになっている”だろう。

 それが事実かどうか―――知っていてにやにやしているのか、それとも知らないけど面白いことはありそうだとにやにやしているのか―――はさておき、食い下がってもそのにやけ面を崩すことは無いと分かる以上はこれ以上の問答は徒労だった。

 

「お受けします―――で、いいか?航輔、能登も」

 

「ああ、春也お前に任せる!」

 

「この男ちゃんと考えてる…訳は無いわね。まあ、私にも異存はないわ」

 

「そ。じゃあよろしくねー」

 

 ひらひらと適当に手を振る雪兎と、その隣でサービススマイルを浮かべている川内。

 それに背を向けて、春也達は会談の場を後にした。

 

 

 

 

 

――――。

 

「そういえば、海の上滑らずに陸地を歩いて鎮守府出るのは久しぶりだな」

 

「ここに入った時以来っぽい!」

 

 よくよく考えなくても人間としてはおかしいことを平然と言っている呟きに、元気な相槌が返って来る。

 新調した麻の旅装に提督の証である白い布を巻き、適当に露天で選んだ鞄に食糧その他を詰め込んで、常のセーラー服姿の夕立と一緒に陸側の街道に通じる出入り口で、春也は先ほど受けた任務への出発を待っていた。

 

 海上と違い大して速度を出せない徒歩での道のりは(それでも馬を使うより早いが)、これまで監督付きでやっていた、適当にそこらの海域に出て行って深海棲艦を狩って即日帰還、という風にはいかない。

 一度全員解散して準備、その後今のこの場に集合という約束で三人の提督は一度別行動を取っていた。

 

 一番早く準備を終えたのはそもそも荷物自体あまり増やす性質ではない春也、そして―――三人の艦娘に世話を焼いてもらえる姫乃。

 

「私なんて、『鎮守府』と『帝都』と『神社』―――三つに囲まれた“領域”の外に出るのは初めてよ?」

 

「だろーな」

 

 扶桑・天龍・不知火を引き連れて現れたその出で立ちは黒髪の映える藍染めの改造袴で、すらりとした生足が大きく露出していた。

 提督である以上、夕立がミニスカートではしゃぎ回っているのと同じでちょっと木の枝が擦れたりした程度で肌に傷が残ったりはしないのだろうが、そんな理屈を考慮はしていないだろう。

 山の中を歩くかもしれないのにこの格好というのがいかにも箱入りといった感慨を抱かせた。

 

 とはいえ、常識を知らないという意味では異世界人の春也も他人のことを言えた義理ではない。

 これまでの流れで気になったことを航輔を待ちがてら姫乃に訊ねる。

 

「見習い卒業………昨日航輔が声掛けられたのも、それに合わせて、って話なのかね」

 

 昨日の派閥勧誘、らしい何か。

 

 鎮守府着任から約一カ月以上――正直遅すぎる、と思わないでもないのだ。

 部活勧誘を例に考えなくとも、仲間を増やす為に声を掛けるのは真っ先にするべき話だ。

 最初に声を掛けた人間に一番好意的になるのが人間の心理だろうし、更に気になるのは―――、

 

「俺らの中であいつだけ声かけられたのって、何で?」

 

 いや、別に航輔に嫉妬している訳ではないが。

 声を掛ける対象を選別していた、それも対象が仲間と分かれて一人になった時間を見計らって、となると話の胡散臭さが増してくるということだ。

 

「………」

 

「…、ぽいっ!」

 

 構って欲しそうにちらちら見上げてきつつも、空気を読んで我慢して片足をぷらぷらさせながら隣で黙っている夕立。

 その頭を軽く撫でていると、顎に手を当てて少し考え込んだ姫乃の答えが返ってきた。

 

「派閥争いって言っても、実際はちゃちなものということだと、思うわ」

 

 以前春也に喧嘩を売ったことから分かるように、コンプレックスを抱いた父親によって異能の形成に成功した佐官の実態を教えられずに狭められた教育を受けていた姫乃だが、彼女なりに春也を初めとする“振り切れた者達”を見てきて理解しようとしてきた。

 僅かに自信なさげながらも、己に対しても整理しなおすように自らの憶測を語る。

 

「そもそも、私達に声がかけられなかったのは当然よ」

 

 姫乃は、演習の件で見下されるような評判が付いてしまった為。

 そして春也も、その演習で己の評判が広まり、佐官であるということも広まってしまっている為。

 

「もし私が何かの集団をまとめようと思うなら、真っ先に貴方を外すわよ。

――――誰かと価値観を合わせること、相反した利益を調整すること……そこから背を向けて逆方向に全力疾走しているのが“異能持ち(あなたたち)”じゃないの」

 

「おい、それは遠回しに人の話を聞かない考え無しだと馬鹿にしてるのか?」

 

「本質的にはそうでしょう?貴方の場合、一見そうは見えないから余計に性質が悪い」

 

「………」

 

 姫乃の言葉に釈然としないものはあるが。

 雪兎や『瑞鶴』のことを思い出すと分からないでもなかった。

 

 あれらが何かの思想に同調して他人と共有できるような人間だと思わない。

 そして、総じて己の渇望を世界の理を局所的にでも塗り替える程に深めたが故の異能、そもそも協調を期待するだけ無駄だ。

 

 単純に武力として使うならまだ許容範囲………だが、政治的な話となれば敵にしてでも味方になって欲しくはない無軌道タイプと分類して差し支えない。

 そんな彼らと類友扱いされるのは、やっぱり釈然としないが。

 

「あれ、待てよ?航輔が、航輔みたいなのだけが誘われたってことは」

 

「そう、“海”も“陸”も、基本は尉官の集まり。

 考えて見れば当たり前よね、派閥(群れ)なんて面倒なもの、群れる必要があるから作るのだから

――――そして伊吹春也、あなたは自身にその必要性を感じているかしら?」

 

「…………」

 

 姫乃の問いに黙り込む春也。

 視線を落として少し考え込むが、しかしどれだけ考えても肯定の返事を返せなかった。

 

 確かに鎮守府という組織に所属していて集団の中で戦いという最低限の義務を果たしているとはいえ、そこに人と人の有機的な繋がりを春也は、雪兎は、『瑞鶴』は、果たして必要とするだろうか。

 

 否、だ。

 例えこの終末世界で人類が滅び、およそ社会と呼べるものすら無い程に荒廃しきっても、彼らは勝手気ままに生を歩み続けることだろう。

 

 現に春也とて、平穏そのものの現代から人殺しの怪物が跋扈する滅びの世界に急に飛ばされたというのに、親にも友人にももう二度と会えないだろうというのに。

 口ではいくらか泣きごとを言いながらも、常人から考えればあっさりと順応し過ぎてしまっている。

 

 本質的に他者に依存しなくとも生きていける部類の人間、ということだ。

 

「……あれ?俺、一匹狼気取る趣味は無かった筈なんだけど」

 

「一匹狼は気取るものじゃなくて周りに弾きだされてなるもの、単なる異質の結果でしょうに」

 

「あー」

 

「提督さんには、夕立がいるっぽい!!」

 

「……ありがとな」

 

 夕立の気遣いか自己アピールか分からないが、元気で少し気合が入った声が耳に心地良い。

 

 それを仕切りとばかりに、姫乃は逸れかけた話の軌道を修正した。

 

「逆に言えば、必要があるなら派閥に入るというのは航輔にとっても悪い話ではないわ」

 

「そうだよな」

 

 派閥争いに巻き込まれる、と言えば聞こえは悪いが。

 集団の中で一定の義務を課すがその分構成員には便宜を図ったり不利益から庇護する、派閥にはそういう側面もある。

 全否定するようなものでもないし、良い悪いで判断すること自体がある意味お門違いだ。

 

 春也にとって航輔はこの世界に来て初めての友人だが、だからと言って一から十まで彼の面倒を見るなんてするものではないし、そもそも出来やしない。

 それは彼の艦娘である電の領分だし、二人で話し合って考えて決めたのならあれこれ言うことでもないだろう。

 

「ようやく慣れて来た、って言えるところだったんだけどなあ」

 

 いずれにしても。

 見習い卒業、という一つの区切りを境にまた周囲を取り巻く状況は変わる。

 いや、春也が何もしていなくとも、こんな狭い世界の情勢なんて刻一刻と移り変わっていくことだろう。

 

 手探りの中で必要なものと不必要なものを見て、調べて、選んで。

 面倒くさいよな、と憂鬱と辟易が2と8くらいの割合で混じった溜息を吐き出しながら、春也は、一番遅れているくせにゆっくりと歩いてくる航輔を視界に捉え、早く来い、と声を張り上げた。

 

 

 

 






☆設定紹介☆

※“領域”

 主要施設間を結ぶ街道によって引かれた人類の生存ラインであり、この世界において唯一残る国家と呼んでも差し支えない。
 担当の提督や艦娘達により厳重な哨戒が行われている為、内側と外側では深海棲艦に襲われる危険度や暴れている深海棲艦に対するその対応の速さは段違いであり、必然安全性が格段に高い中で人々が社会生活を営んでいる。

 ただし安全が何の代償もなく手に入るなどという幻想は当然存在せず、内側で暮らす為には高率の税負担が課され、払えない場合は住処を追われ『神社』のスラム地区や外側の山間部にこっそりと作られた集落に合流する羽目になる。

 スラムの人間にはまともな人権など保証されておらず犯されても殺されても大して問題にならないし、外側の集落などいつ深海棲艦に襲われて全滅したっておかしくはない。
 それでも生きる為には足掻くしかない――――力を持たぬ人々に、取れる選択肢は皆無に等しい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

飛翔


 年度切り換えで仕事ばたばた………。
 とりあえず落ち着いたんで更新速度ましにしたい。




 

 

 街道を逸れ、荒れた山道を行く八人。

 

 こんな表現をするとどうも時代劇っぽい、と馬鹿みたいな感慨を抱きながら、春也は落ち葉や枯れ木で悪過ぎる足場をひたすら踏みしめていった。

 

 人の手の入らない緑の中に、そのせいで伸び放題だったり朽ちた枝葉が這っている。

 そこをがさがさと揺らすのはそよぐ風と、羽虫と、時々獣。

 

 簡単に気配を感じられるのは、春也の感覚が鋭敏な為だけではなく、ウサギやネズミなどの小動物にとっても人間が警戒に値する相手ではないから、ということだろうか。

 それが深海棲艦によって食物連鎖の頂点の座から零れ落ちた人間の被害妄想なのかどうかは微妙なのだが、どのみち自然とは無縁の都会っ子だった春也には未だに新鮮な感覚だった。

 

「………ん?」

 

 そんな中で、ふと春也達の目の前の獣道にふらふらと野猿が飛び出たかと思うと、ぱたりと倒れ込んだ。

 いくら警戒心が無いとしても、毛もふわふわのまだ幼そうな小動物の挙動にしては不審過ぎて足を止める。

 

 そこで声を上げたのは、やはり山歩きに適さない緋袴を苦にする気配もなく前方を歩いていた扶桑。

 

「………?天龍、何やってるの?」

 

「メシ確保、兼、実験。

 が、ダメだな。いまいち上手くいかないし、食いでも無さそうだ」

 

 鋭く細めていた眼を一度閉じてから元に戻し、首を振る天龍。

 すると怯えた様子で子猿はよたよたと立ち上がり、ふらけた足で必死に脇道に逃げていく。

 

「………動物さんをいじめるのは、よくないのです」

 

「へっ」

 

「え、何、なんの話?」

 

「分からないなら、黙っていてください」

 

 ぼそりと呟く電に、小馬鹿にしたように肩をすくめる天龍。

 話の展開が分からずに目を白黒させる航輔に、それをぴしゃりと抑えつける不知火。

 

 そんなやりとりに無反応なまま、春也は別の感覚に気を取られていた。

 

「提督さん、どうしたの?」

 

「………いや、なんかこの感じ、久しぶりだと思って」

 

 何がよ、と姫乃が冷たい視線を送ってくるが、“感じ”たという曖昧な表現でもそれを共有する夕立には十分に伝わるので問題なかった。

 

「そういえば、このまま行くと夕立と提督さんが出会った方角っぽい!」

 

「ああ、どおりで見覚えがあると思った」

 

 木々の並びや地形をいちいち覚えているほど記憶力がいい訳ではないし、あれから時間の経過で植物の様子もある程度変わっている。

 しかし言われてみればこの世界に来たばかりで夕立と二人旅した時の道のりとどこか被っているように思えた。

 

 振り返ればかなりの距離を歩いて来ている訳で、荷物を引いていたとはいえ踏破に何日も掛かったあの時と比べ、まだ一日と少ししか歩いていない。

 これまでの戦いで着実に練度が上がり、足も速くなったことが実感できる。

 

「懐かしんでいるところ申し訳ないけれど、そろそろ目的の地点です」

 

「………!いや、ちょっと待て」

 

「―――ッ」

 

 春也が“それ”に真っ先に気付いたのは、おそらく見覚えのある景色だからこそ、不自然な異変がすぐに分かったからだろう。

 それを受けた夕立が弾かれるように、詳しく様子を見る為に駆けだす。

 

「いきなり、何っ?」

 

 小柄な体格を生かして半分以上木の幹を蹴りながらほぼ垂直に跳ねる彼女のすばしっこさに、慌てて追いかける一行の視線の先で――――夕立は一足早く、既に息絶えた黒い巨体の傍にしゃがみ込み、刻まれた砲撃の痕や倒れ込んだ時の体勢などを調べていた。

 

「夕立さん、どうし………、っ!」

 

「速いって……深海棲艦の死骸!?」

 

「――夕立、どうだ?」

 

「まだ撃ち込まれた砲弾が熱い……死んでからそんなに経ってないっぽい」

 

「「―――ッ!!」」

 

 普通の人間なら火傷は免れない温度を確かめる夕立が言い終わらない内に、不知火達は近くで戦闘があったばかりなのだと把握し、艤装を展開して構えた。

 

「「「…………」」」

 

 姫乃や航輔を護るように四人で四方を固め、腕や腰に構えた砲塔をいつでも撃てるように神経を集中させる艦娘達。

 緊迫感の中で嫌な風が吹き抜け、木の葉をざわめかせる。

 

 そして――――。

 

「……………何もない?」

 

 既に複数の提督が何らかの理由でその行方を晦ましている場所。

 否応にも跳ね上がる警戒心と裏腹に、何かがいる気配も何かが現れる様子も察知することはできなかった。

 

 ゆっくりと武器を下ろす彼女達とは別に、木々で見えにくいがぽつりぽつりと動かない黒い影が散在しているのを確認していた春也。

 

「他にも深海棲艦の死体がいくらか転がってる。調べながらもう少しこの辺りを探ってみようぜ」

 

「一体何が起きて……?」

 

「さあな」

 

 

 

 

 

 ヘンゼルとグレーテルよろしく殺されている深海棲艦の死骸を辿っていけば原因に行き着く、と簡単にいければ良かったのだが、残念ながらそんなことはなく。

 辺りに他に手掛かりがないかを探して歩き回ることになった。

 

 どんな脅威があるか分からず、迂闊に戦力を分散することも出来ないので一団のまま視界の利かない森の中で、ここまでの旅程よりも気疲れする時間が流れる。

 それに対し不平を述べる風ではないが、航輔が疲れの混じった声を上げた。

 

「なあ、深海棲艦って同士討ちもするのかな?」

 

「………聞いたことは無いわね」

 

「奴らは基本的に人間しか襲わないとされています。

 無論、その他の種に対して慈愛を持つ訳でもないようですが」

 

 提督の原因不明の失踪、とは言うがこの場の誰もがその原因が深海棲艦であるという見解で一致していた。

 だが、その場所で深海棲艦が何体も倒されている、というのがどうにも腑に落ちない。

 

 聞く限りの知識でも、あるいは実際に提督として相対した印象としても、深海棲艦は知性の低い種ですら集団行動が出来ないなんてことはなかった。

 それどころか、ある意味人間以上に規律的に上位種に従い随伴していたと言っていい。

 

 そして、奴らは人間以外の生物を積極的に殺そうともしないし、まして深海棲艦同士で争っていた、なんて誰も見たことも聞いたこともなかった。

 

「あれをやったのは深海棲艦なのか、それとも………」

 

「行方不明中の提督がなんとかやっつけた、とかは?」

 

「あれだけ堂々と落ちてる資源の補給もしないで?それができるのに未だに鎮守府に連絡を取ろうとすることもできないのか?」

 

「色々無理があるな………」

 

 ああでもないこうでもない、と皆で意見を交わす中、未探索の森の中を行く春也達。

 

 その歩みが進むにつれ、特定の方角に近づくほどに少しずつ辺りの空気が重くなっていくのをふと感じる。

 湿り気の高い空気が重く張り付いて、肌が汗ばむのがはっきり分かった。

 

「……なるべくなら戦いたくは、ないですね」

 

「戦うのは嫌いか。勝つのは?」

 

「大好きなのです――――――はぅっ!!?」

 

「はいはい。それにはちょっと、頑張らないといけないっぽい」

 

 一行が視線を向ける先、窪んで泥水が溜まっている空間。

 そこに蹲っている人影があった。

 

 背中と肩を露出し、黒を纏った――――異形。

 青白い肌をぬめぬめした材質で最低限だけ鎧うような、生理的嫌悪著しいニンゲンの真似事。

 

 その頭部はぎらぎら光る眼に、縦に大きく裂ける口から涎を滴らせ、耳の代わりに四メートルはあろうかという体長よりも更に長大な翼が生えている。

 

「――――人型っ!!?」

 

『p,p,p,pCyaaa-----------』

 

 全力で警鐘を鳴らさせる第六感。

 鋭く刃で構成された、硬質でおよそ飛行の為のものとは考えられない翼で、それでも勢いよく空中へと浮かび上がった戦慄と激しく鬩ぎ合う。

 

「陸上覇種……それも、空母級」

 

「ああ、“空”母だから空を翔びますってか―――――ふざけんな」

 

「に、逃げよう!」

 

「もう、遅いっぽい!!」

 

『PCCCyyyyA!!!!!』

 

 あっと言う間に天高く見上げる位置まで舞いあがった巨体が、その大きな口から何かを吐きだした。

 一瞬にしてその母体の頭部と同じくらいに膨れ上がったサイズはまるで肥え太ったカラスのようだが、その速さは鳥のそれでは到底ない。

 

「ぽいっ!」

 

「汚ぇ……!」

 

「姫、伏せて!!」

 

 目にも止まらぬ速度で旋回し、無茶苦茶な軌道を描きながら突っ込んで来る飛行物体。

 敢えて定義するなら“艦載機”は、当然一つ二つではなく、次々と敵空母はその口から吐き出してくる。

 

 四方八方から襲い掛かり、またあるものは備え付けた機銃を乱れ撃ち、あるいは爆弾をぶつけて。

 呆ける暇もなくその数は幾十にも膨れ上がり、一瞬にして死の雨で空間が埋め尽くされた。

 春也はステップを踏んでぎりぎりの回避をし、夕立はそのいくらかを異能でもって反射し、不知火が艤装を対空兵装に切り替えながら主である姫乃の盾になり、などと各自必死の反応でそれを潜り抜ける。

 

 

 だから、誰にももはや状況を考察している余裕などなかった。

 

 

 この敵艦が、人型とはいえこの深海棲艦が同胞を撃つような奇特極まりない種ではないこと。

 体表だけは僅かな時を置いてなんとか回復したとは言え、浅からぬ負傷をその内側に抱えたままであること。

 その為に、隠れるように窪みの地形に身を潜めていた理由。

 

 苛烈な攻撃は、反対に追い詰められていることの証左だった。

 

 取り巻きをあっさりと蹴散らし、大空を自在に飛翔する自身と艦載機を悉く“回避不可能の攻撃で”滅多撃ちにし、無様な撤退へと追い込んだ―――忌々しき狩人に気取られることをその高い知性で理解しながら、せめてもの悪意を撒き散らす為の悪あがき。

 

 

 当然に悪意は、この人型空母が今何よりも恐れる天敵へと届く。

 

 

 軽く二十キロは離れていただろうか、清らかな流れの河原で水浴びをしていた少女が、その裸体を震わせた。

 

「あれ、これさっき取り逃がした……?」

 

 その凶悪さ故に遠方からでも察知を受けてしまうのは正に弱肉強食の摂理だろうか。

 ぷかぷかと仰向けに浮かんでいた体勢から上体を起こしたことで、濡れた黒髪が滴を弾く肌に張り付き、くびれた悩ましげな曲線を描く肢体を水が滴り落ちる。

 そんなたおやかな美しさと儚さを兼ね備える少女は、しかし内側を塗りつぶされた祈りによってその実態は化け物を狩る化け物だ。

 生まれて初めて知ったのは人の温もりではなく、視界を拓く光ですらなく、深海棲艦への殺意。

 

 故に染まった己の存在意義通りに、気負いすらなく少女は見つけた深海棲艦全てを撃滅せんと彷徨い歩く。

 

 艦娘にとって己の提督は羅針盤だ。

 揺れず、曲がらず、絶対の標(しるべ)―――辿っていけば見つからないなんて有り得ない。

 なのに少女が未だに己の主を見つけられなかったのは、探知した深海棲艦は無造作に全滅させながらふらふらしていたから。

 

 だが、それも今日までの話だ。

 

「ゴミは―――お掃除しないと」

 

 一糸纏わぬ裸のままを隠すこともなく川底を軽く掌で押し、飛び跳ね体勢を返して片膝立ちで“水面の上に”座り直した少女。

 着水までのその僅かな間に深海棲艦の体表とは似ても似つかぬ清冽な黒衣を纏い、ずぶ濡れの髪はその水分を全て振り払いさらさらと風になびいている。

 

「でも、何かな、これ………胸がふわふわします。ほっぺた、熱い……」

 

 予感が告げている、その時が近いと。

 だが生まれて一月と少し、その間殆ど深海棲艦を狩りながら歩きまわっていただけの少女に自覚は無かった。

 

 期待に踊る心も、自らが初めて微笑みを表情に浮かべていることも。

 よく分からないけれど、悪いことではないと思う……そんな程度の感覚だ。

 

「とりあえず、ゴミ掃除ですっ!」

 

 浮かれた気分のまま、勢いよく蹴った足が河原の水をひっくり返す。

 その大波を置き去りに、少女は殺意渦巻く戦場へと駆けだした。

 

 かつてないくらいに軽い己の体で、練度の高まった艦娘の脚力ということを差し置いてもなお、景色を置き去りにしてなだらかとは言えない地形をいとも容易く蹴飛ばしていく。

 

 早く、早く―――そう急かされるのは、求めるものが進む先に確実にあると、無意識のうちに分かっているから。

 

 

 少女――かつて夕立に撃破された深海棲艦から生まれた艦娘、羽黒。

 その夕立の主を、否、“自分だけの”主を狂おしい程に求めながら、重巡洋艦という種別の響きからは考えられない速度で山中を駆け抜けていった。

 

 

 






☆設定紹介☆

※深海棲艦の生態

 食性、繁殖、一切の習性が謎。
 陸上種で人間を丸のみにする個体もいるが、仮にその様子を悠長に観察できたならばそれは捕食ではなく殺戮の一手段でしかないとすぐに分かるだろう。

 他の生物には目もくれず、ただ人間を惨たらしく殺害する、その為に群れ、その為に徘徊し、そもそもその為だけに存在しているようですらある。
 中には人語を解する程知能の高い深海棲艦もいるが、根本的にその行動原理は変わらない。

 外見的特徴から不気味な怪獣が火器等の兵装をその身に宿しているような印象を受けるが、あるいは殺人兵器が生物の形をとって己の役割通りに暴走し始めただけ―――そう考えた方がいいのかもしれない。
 そしてそういう意味では、深海棲艦の骸から生まれる“艦娘”も、あるいは同じ―――。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

引力


 やっぱり戦闘シーンは書いてて楽しいんだよなあ………。




 

 

 目まぐるしく黒の飛行物体が視界360度を飛び回る。

 硬質の翼で風を掻き切り、乱れに乱れた気流をあちこちに生みだしていく。

 

 絶え間なく乱射される機銃、投下される爆弾、特攻してくる黒い飛獣。

 巻き添えを食った周辺の木々が穴と抉れた跡でズタズタになっている中、それと同じ目に遭わない為に一行は必死に駆けずり回っていた。

 

 熱を帯びた死線が頬を掠め、火薬の炸裂する音が鼓膜を強引に揺さぶる中、ほうほうの体で航輔が駆けずり回る。

 

「ひ……うわぁっ!?」

 

「さすが司令官、無様な逃げっぷりがいい囮――――そこっ!!」

 

「考え無しに追い掛けてる奴らを鴨撃ち、ってか。気分は?」

 

「最ッ悪なのです……!!」

 

 凶暴さと反比例して知能は低いのか、練度と共にそれなりに瞬発力も脚力も上がっている航輔を捉える為に直線的に加速する飛行物を電が機銃で着実に撃ち落とす。

 当然ながら示し合わせたコンビネーションなどである筈が無いが、周囲を飛び交う脅威の数を減らすには悪くはない作戦と言えなくもないだろう。

 

 主を危険に曝している電の顔色は相応に悪く、それを相手と己への怒りの形相で赤くして相殺していた。

 そのストレスを減らす為、ではないが春也達もそのサポートに回る。

 

 銃弾の雨を掻い潜りながら体勢を低くして疾走、すれ違いざまに拳を叩きこんで迂闊に近付いた一体を殴り墜とす。

 もう何回も打撃に使用したせいで左の手の感覚は完全に麻痺しているが、常人であれば骨ごと手首をそっくり食い千切られているような凶暴な鴉共を相手するのに使える防具など都合よく持ってはいない。

 身を固めるより素手で殴った方が早い―――超人たる提督であるが故の歯痒い現状である。

 

 夕立から錨を借りる手も無くはないが、あんなデカブツを振り回したところで素早く小さな敵群相手では隙を曝すだけだ。

 

「だぁっ、くそ………飛んでけッ!!」

 

 その辺に落ちていた事切れた艦載機の死骸を掴んで力任せに投げつける。

 斜め上を飛んでいたお仲間に激突し、団子になって錐もみしながら墜ちていくのを見届けることなく、航輔の頭上に迫る影に叫んだ。

 

「夕立っ!!」

 

「ちょっと肩、失礼するっぽい!」

 

 ぐきっ。

 

「い、~~~~~~~っっっってえ!!?」

 

 忍びさながらに倒木を跳び移りつつ、器用にも全力疾走している航輔の左肩に着地した夕立は、関節とその持ち主が嫌な悲鳴を上げるのを黙殺して踏み台にし、更に高く跳躍。

 周囲の敵を両腕の対空武装で牽制しながら、航輔の頭蓋を天から貫こうとした敵機の進路上にその身を割り込ませる。

 

 夕立は航輔をその身を呈して庇い………当然ながら無傷。

 その速さ故に彼女に激突した相手はその倍の逆加速度を受けて、原型すら留めない潰れた饅頭と化す。

 

 そして重力によって地面に落下する、その空隙すら惜しんだ夕立は虚空から換装を行った。

 駆逐艦の彼女からすれば大口径の主砲を肩口から直上に向け、爆音と共に三連射。

 反動と武装自体の重みで勢いよく土に降り立った夕立は、そのまま傍らで痛みに蹲る航輔を蹴飛ばした。

 

「ゆっくりしてる暇は無いっぽい」

 

「くぅ……ものすごく納得しにくいけど、ありがとう……!」

 

 動きを止めた航輔を狙っていた砲火の的、その大部分から乱暴に弾き飛ばされ、それでも避け切れない攻撃は自身の異能ではね返している夕立に、脂汗を流しながら律義に礼を言う航輔。

 主同様に助けてもらった感謝と共に、もうちょっとやりようがあるだろう、と怨む複雑な気持ちを電は唸りながら吐きだした。

 

「夕立さん、あとで覚えとくのです」

 

「ぽい?何の話………あ~~、この人さっき、夕立のスカートの中下から見たっぽい!?」

 

「航輔ェ!てめえあとで覚えとけよ!!?」

 

「そんな余裕無かったのに、理不尽!?」

 

 

「何をやっているのよ、彼らは………」

 

 ぎゃーすかと揉める、言いかえれば軽口を叩けるくらいには敵の艦載機の数が減少し、余裕が暫し生まれる。

 しかし天空を睨む姫乃の眼には、悠々と上空を旋回しながら新たにまた何体も子のような敵機をその口から吐き出す翼持つ人型深海棲艦の姿が映っていた。

 

 どうやら一度に戦線投入できる艦載機の数には限りがあるようだが、それは同時に相手の補充戦力には余裕があり、なおかつその底をこちらが把握できないということでもある。

 

「本体を叩かないとダメね……扶桑、どう?」

 

「申し訳ありません……先程から何度も狙っているのですが、距離も角度もあり過ぎてやはり容易く躱されてしまいます」

 

『Cyyy----』

 

「馬鹿にして………!」

 

 青空をバックにして高らかに発する奇怪な鳴き声は酷く耳障りで、相手はこちらを嘲弄しているように思えてしまう。

 無性に苛立ってしまう姫乃を宥めるように、敵の攻撃を手にした刀で捌きながら天龍が進言した。

 

「本体は上空で手が出せない。なら艦載機相手にネタが尽きるまで根競べでもするか、姫?」

 

「………不知火は、やれそう?」

 

 

「ご命令と、あらば……ッ!!」

 

 

 血を吐くような―――いつ実際にそうなってもおかしくないように見える、不知火の短い返答。

 服は破け、白かった肌は煤だらけ、肩の武装の一部が煙を上げながら動作を停止させているのにそれを放置しているのは、その余裕が無いからなのだろう。

 

 扶桑と天龍も少なからず損害を負っているが、三人の内最も高い機動力で、最も低い耐久性で、姫乃を最優先で庇い続けた結果が現状だった。

 面々の内無傷なのは、能力の関係上そうなって当然の夕立のみ。

 春也や航輔達とて消耗は否めず、先の見えない持久戦を仕掛けたところでいつ致命的な失策を起こすか分かったものではない。

 

 その結果は―――それこそ致命、死だ。

 

 

「…………」

 

 

 死。

 能登姫乃にとって、それは如何なる偉人も愛すべき者も無価値に貶める、最悪の魔の手だ。

 あんなに大好きだった姉ですら、死ねばゴミ以下の存在価値―――彼女にとってそれは忌避すべき自身の人格の歪みではなく、この世の真理そのもの。

 

 

 だからこそ、大切なものがそんな状態に貶められるのは、我慢がならない。

 

 

 自分自身、そして自分の艦娘(どうぐ)はもちろん………出会いは最悪で、人格的に尊敬することは不可能な、“それでも”自分を受け入れてくれる春也や航輔といった仲間も。

 己が価値あると見なしたもの、それを無価値へと置き換えられる。

 

 それは敢えて表現するならば、強奪される、という言い方が姫乃にはしっくり来た。

 

 その不安、転じて苛立ち、嵌め込んで―――――祈り。

 

 

 奪わせない、“絶対に離さない”。

 泥棒猫(しにがみ)に目移りなんかさせないわ、遠くに行っちゃダメ、ずっと私の手の中にいなさい?

 

 

「天龍。…………“斬りなさい”」

 

「御意」

 

 

 暴走して定まらなかった異能が天龍という“艦娘”を介して型へと嵌まる。

 呪い染みた引き寄せ、拘束―――それが、擬似的に対象との距離をゼロにする。

 

 天龍が気合一閃、袈裟に刀を振り下ろす。

 戦艦・扶桑の主砲ですら捉えることの叶わなかった天翔る空母―――その醜い片翼をいとも容易く斬り飛ばした。

 

 天龍は地に足を据え、一歩も動いていない。

 だが切り離された翼はその足元に転がり――――そして上空でバランスを崩した人型が真っ逆さまに落下していた。

 

「ようやく成功、と―――、…っ!?」

 

「天龍!」

 

 残心も待てず、立ち眩みを起こしたように膝をつく天龍。

 未だに数を残す艦載機達は本体の窮地も知らぬとばかりに彼女に襲いかかり、扶桑が慌ててカバーに入る。

 

 姫乃自身も、あらゆる距離感が一瞬ゼロになった弊害で空間把握能力を完全に狂わされ、途轍もない酔いに苛まれながら。

 それでも、“自分達”の勝ちを確信していた。

 

(お膳立てはしたわよ。伊吹…春也………ッ!)

 

 

「決めてこい、夕立――――!!」

 

「立て直させない、一気に沈めるっぽい!!」

 

 

 上段に振り上げた春也の足と蹴り合う事で、猛烈な跳躍を行い一直線に人型深海棲艦めがけ加速する。

 片翼を失っているというのに、空中で早くも体勢を取り戻そうとしていた敵艦。

 そうはさせじと夕立は鎖のようなものを虚空から取り出し鞭のようにしならせ巻きつけた。

 

 鎖のようなもの―――確かに鎖、ではあるのだが。

 その表面に等間隔に括りつけられた爆雷が接触の衝撃に負けて起爆する。

 

 その爆発で両隣の爆雷が起爆。

 それによって更に次の爆雷が起爆。

 

 一つ、二つ、四つ、六つ八つ十――――。

 それぞれが夥しい熱量を秘めた焔の花を咲かせ、連なる。

 次々と誘爆し、被拘束対象を文字通り爆炎の渦に“巻く”。

 

 空中に描かれた紅と朱は、さながら昼間ですらその輝きを図々しく主張する美しくも無粋な花火のような光景だった。

 

 連鎖爆雷(チェーンマイン)。

 

 至近距離での爆発を苦にしない夕立しか扱えない武器は確かに敵艦の息の根を止める。

 

「―――――ぽいっ!?」

 

 だがその反動と爆風は、ただでさえ跳躍の慣性を残していた夕立の小さな体を、鎖で繋がったままのズタズタの死骸ごと明後日の方に吹き流すのだった。

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※姫乃の異能(未満)

 死んだ人間には価値など無い―――だからこそ生きている価値ある人間をそんな状態に貶められることが許せない。
 生と死の境界線の向こうへ連れ去ることなど認めない。

 命を奪うという行為に関して、殺される側へと注目が向いているという点において春也のそれと類似であり対照的な祈りは、艦娘・天龍を媒介にして目的物を引き寄せる、所謂アポーツ能力として発芽する。
 暴走状態では姫乃に敵意を持つ人間への防衛反応として内臓を引き寄せて破裂させようとしていたが、姫乃の意志がある程度統一されたため抑えることができる様になった。

 これを利用すればどんなに離れていたり素早く動く敵にも必ず全力の一撃を与えることが出来るが、反動として認識するありとあらゆる距離感が狂うため、暫くまともに五感が機能しなくなる。
 デメリットが酷すぎることから分かる様に、この使い方はそもそも本来の在り方から外れているが。

 あくまで暴走を抑えそれによって副産物的な使い方が出来たというだけで、異能そのものを自在に使いこなせている訳ではなく、未だに春也よりも一つ下の位階を抜け出ていないため、それこそ羽黒の下位互換的な能力なのは致し方ない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

邂逅


 夕立フルスロットル。

 巡恋歌がまさにそれですし士道リバにも片鱗はありますが、「人外の人外なりの人の愛し方」を描くのかなり好きなんですよね。
 ヤンデレなようなそうでないような。
 この世の誰もされないような深さで、方法で、思考回路で愛される。
 そんな特別さ、ちょっと惹かれません?




 

「いたい、……っぽい」

 

 服に着いた土をはたきながら軽く呟く夕立は、高層ビル屋上から飛び降りたくらいの落下で出来た穴から這い上がった。

 踏みしめた土が空気を含んだ妙に軽い感触を彼女の足に返してくる。

 

 落下エネルギーの直撃した一帯の地面は抉れ返り、飛び散った黒い腐葉土が周辺の木々に降りかかって木の葉をまだらに染める有り様だった。

 夕立の名誉の為に述べるならば落着の衝撃を自動で反射したせいであり、彼女が重いせいでは断じてない。

 

「っと。………どうしよう、これ」

 

 振り返って自らと一緒に穴に半分埋まっていた人型空母の残骸をしげしげと眺める夕立。

 夕立が戦闘状態のまま墜ちて来た為、落下に対する倍加反射のあおりも喰らいもはや原型の分からぬ程にばらばらに千切れている。

 ところどころに人間じみた青白い肌が見えているせいで、遠目には猟奇死体と見まがう可能性すらあっただろう。

 

 それだけに、夕立はこの死骸をどう扱うか判断しかねていた。

 

 持って帰る―――満身創痍で疲労困憊の一行に荷物を持たせるのも、その帰路で唯一無傷であるが故に警戒を担わざるを得ない夕立が手を塞ぐのも、あまり賢いとは言えない。

 とはいえ、課せられた任務は一応情報収集であるのだから、原因とそれを討伐した証として何か持って帰る必要はあるのかも知れない。

 

 となれば、必要なのは人型らしく人間の肌みたいな部分―――。

 

「………ありえないっぽい」

 

 狩ったネズミの死体を飼い主に見せたがる猫じゃあるまいし、一見バラバラ死体を持ち歩く猟奇少女になる趣味は夕立には無かった。

 補給ならば他に転がっていた死骸もたくさんあった、見なかったことにしてこのまま提督と合流するのも手か、と考えを及ばせていた、その時だった。

 

「なあ、それ俺にくれよ」

 

「ぽい?」

 

 まだ声変りも済んでいないような少年の、しかし草臥れた中年のような低い声音。

 いつもの口癖と共に振り返ったものの、そこに込められたドロドロした何かに夕立は内心警戒を怠ることはできなかった。

 

「………!!お前、あの時の!」

 

「?どこかで会ったっぽい?」

 

「覚えてないのか……ッ!」

 

 夕立に後ろから声をかけたのは見た目では彼女と同年代くらいの、村民が着るような綻びだらけの麻着を身に纏った少年だった。

 不健康そうな隈にぎらぎらした念の宿った瞳を除けば、顔は整った部類に入るのだろうか。

 

 別の“夕立”と会ったことでもあるのか、夕立の顔を見て驚く相手に疑問に思いながら視線を彼の横に向けると、白紺系統のセーラー服でおそらくその少年の艦娘なのだろう少女が俯きがちに控えていた。

 花柄の髪飾りと、横で括った活動的な髪型に似合わぬ鬱鬱しい表情でしきりに何か呟いている。

 

 

「――――げて。にげて」

 

 

「え?」

 

「うるさいんだよ何度も何度もッ!!」

 

「……っ!?」

 

「………かふっ、ぐ……、逃げて……!」

 

 夕立にも聞こえるくらいの音で、突然息を荒げながら振り抜いた少年の足が少女の脇腹にめり込んだ。

 蹴飛ばされて土に転がり、痛みで掠れた声でなおもその艦娘は何かを訴えている。

 その有り様に夕立は眉をひそめた。

 

「あなた、ちょっと感心しないっぽい」

 

「うるせえよ。元深海棲艦が偉そうに指図するな」

 

「?」

 

 “女”としても“兵器”としても褒められたものではない扱いに苦言を呈すると、帰ってきたのはちぐはぐな拒絶だった。

 確かに艦娘の原材料は深海棲艦の骸だが、そんなことは常識であり人類唯一の対抗兵器に対してわざわざそこを嫌悪して差別意識を持つような人間は見たことが無い。

 まして、扱い方は乱暴とはいえ己が提督として従えている艦娘がいるというのに。

 

 だが、続く言葉でなんとなく夕立は理解した。

 

「………ああ、そういえばこいつ、元々お前たちが一月前に村に放置した化け物の死体だもんな。

 どうした、お仲間が痛めつけられて一丁前に怒ったのか化け物?」

 

「どういうこと?」

 

「とぼけるなよ。俺は見てたんだ、母さんを殺したこいつが死体から艦娘になる所を!」

 

「………。そういうこともあるっぽい?」

 

 『神社』でなくとも深海棲艦の死骸から艦娘が出来る。

 夕立がどこかの村に放置した、ということに関しては心当たりなど全くきれいさっぱり無いが。

 そういう事象があることと、それが故にその艦娘が手酷い扱いを受けていることに夕立は深く考えることもなく納得した。

 

 夕立は、春也が絡まないのであれば物事を深く考えることは無いし。

 裏返せば、春也の艦娘として考えなければならないことが他にあった為、“その程度”の話に気を向けることは無かった。

 

「――ばっちい」

 

「なに?」

 

「ゴミくさいっぽい。―――――あなた、今まで何人殺してきたのかしら?」

 

 そう。

 白い布を巻いていない、鎮守府に所属していない提督。

 一月前に艦娘が生まれたというのに、魂の圧力から感じられるのは異常な密度の戦闘をこなしてきた春也に匹敵する練度。

 

 人型がいたとはいえ、誰一人逃げることもできずに―――――この地で何人も行方知れずになった提督達。

 

 殆ど予感だった。だが夕立の感性では、その直感こそが証拠や論拠を差し置いても信頼すべき判断基準。

 それを肯定するように、相対する少年の表情がひきつるように歪む。

 

「ああ、つくづく腹が立つなあ、お前。間抜け共は相手が人間だったらいくらでも油断してくれたのに」

 

「練度を、喰らったっぽい……?」

 

 提督と艦娘は、倒した敵の魂を喰らって成長し、そして強くなる。

 倒した敵の魂というのは――――何も深海棲艦である必要などない。

 騙し討ちが通じるなら、練度を溜めこんだ提督を襲い丸ごと“いただく”のだって一つの強くなる為の手ではあるだろう。

 

 その為に―――目の前の提督は、同胞を、人間を殺した。

 

 春也(あるじ)の祈りに共鳴する艦娘として、それは認める認めない以前の問答無用の罪だ。

 

「……とりあえずここで処分するっぽい」

 

 目の前の相手に見覚えも因縁も無いが、夕立は冷徹に相手を敵と見做して艤装を顕現し構えた。

 互いの位置関係はせいぜい十数メートル。

 的を外す訳も無いほぼ至近距離であるのを確認すると、警告も無しにその単装砲を撃ち放す。

 

 炸裂音と共に空を駆ける弾丸―――躊躇いなく放たれたが為に相手によっては真正面からですら虚を突くような効果があっただろうが、そこまで楽な相手でも無かった。

 

 

「おい、いつまで寝てる。“やれ”」

 

「ぅ……くそ、ていとく……ッ!」

 

 

 自分が蹴飛ばした少女に情の一切混じらぬ言葉を掛ける少年を、身を呈して庇う肉盾があった。

 夕立の一撃を阻み、その鋭い着弾音から破壊力を推して知ることが容易い弾丸を体にめりこませ。

 それでなおふらつきながらも立ったまま崩れ折れない………“黒い巨体”。

 

「深海棲艦ッ!?」

 

『……….』

 

 いつの間に現れたのか、地上種が腹よりグロテスクに体液と内容物を撒き散らしながらも、夕立の前に立ちはだかっている。

 

 奇妙なのは、化物といえども痛覚や肉体構造へのダメージへの蓄積はある筈なのに、ゆらゆらと体を揺らしながらも唸り声も上げずに直立し続けていた。

 よく見れば夕立の砲撃以外にもその体表には抉れ切り刻まれた跡が無数にあるが、その満身創痍を意に介した様子も無い。

 

 それより何よりも奇妙かつ不気味なのは、ただただ無言でこの深海棲艦が夕立の敵である少年と艦娘を護るようにこちらを向いていることだ。

 誰彼構わずの怨念と殺意の塊である深海棲艦にはありえない行為であるが、その負の瘴気すら夕立は感じ取ることはできなかった。

 

 腰を落とし砲を構え直しながら、一筋縄ではいかない相手と警戒度を上げる。

 

「深海棲艦を……違う、死体を操る異能っぽい?」

 

 じりじりと焦げ付くような熱を周辺の空気が帯びて行く。

 険しい顔であてずっぽうの言葉でも投げてみたが、返ってきたのは以外にも素直な肯定だった。

 

「ああ、だから必要なんだ、お前の後ろの、その強い死体がさ。

 だからそれ、よこせよ。そして俺はもっともっと強くなる」

 

 バラバラな状態だが、散々手こずらされた空母級の人型深海棲艦。

 爆風で飛び散った欠片が元に集まってまた動き出すと考えるとぞっとする。

 

 きっ、と相手を睨みつけて夕立は否定した。

 

「させると思うっぽい?あなたはここで殺す―――ッ!!」

 

「それは……こっちのせりふだぁぁ!!!」

 

「……やめてって。言ってるのに」

 

 少年の雄たけびと、少女の悲しげな呟きを合図に、夕立の側面、更には背後からも気配が膨れ上がる。

 殺気は無い、虚ろな巨体が空気を掻き混ぜるだけの奇妙な感覚の中で、しかしそれらは夕立に一斉にあらん限りの暴虐をぶつけてきた。

 

「っ、――――!!」

 

 突進。圧し掛かり。その状態で味方ごと一斉砲火。

 夕立の小さな体躯はあっと言う間に容赦のない炎と煙と黒い怪物の気色悪い肌の中に消えていく。

 

 

 

………強力な異能では、あるのだろう。

 

 理屈など知ったことではないが、敵の操る死体は急に至近距離に現れる。

 騙し討ちに最適な奇襲性に優れた手駒であり、そして本来の深海棲艦ですらしないような味方を敵もろとも巻き添えにする容赦の無い攻撃。

 そして何より、死体故に致命傷をものともせず、木端微塵になるまで動き続ける耐久性。

 下手に胴を真っ二つにすれば上半身と下半身がそれぞれ襲いかかってくる始末だ。

 

 それでも、“その程度”の殺意に夕立の倍加反射はどうこうできるものではない。

 ないのだが、夕立が四体配置された深海棲艦を捌き切るには相応の手間を必要としてしまった。

 

 二体を全力の突進を誘って倍加反射でぺしゃんこに潰し、一体を穴だらけどころか穴しか無い状態になるまで滅多撃ちにする。

 そして最後の一体を体内に魚雷をぶち込んで内側から爆裂させた、………そんな頃には既に少年もその艦娘も、そして空母級の死体も綺麗さっぱり消え失せてしまっていた。

 

「ぅぅ……時間が経ち過ぎたっぽい」

 

 戦況が戦況だっただけに死体と折れた草葉がぐちゃぐちゃに混じり合った凄惨な現場の中で、まだ使える死骸のパーツに手をかざし光の粉にしながらそれを柔肌に触れさせて体内に取り込み、補給を行う。

 

 先ほどから盛大に使い続けていた弾薬や燃料が補充されるイメージで自らが回復するのを実感しながらも、夕立は暗い顔で頭に手を当てて失態を嘆いていた。

 だがすぐにその頭の中を切り替えると、そのさらさらの長い髪を躍らせながらぷるぷる犬の様に首を振る。

 

「とりあえず、提督さんのところに帰るっぽい。報告、報告っ!!」

 

 夕立にとって、愛する主に構ってもらえるなら大抵のことは気にする必要もない。

 春也のことを考えるだけで花咲くような笑みを顔に浮かべて、彼女は補給を終えると同時に駆け出した。

 

 戦果としては色々と満足のいかない部分はあるが、自分なりに出来る限り頑張ったし、そうでなくても優しい“提督さん”は夕立をいっぱい可愛がってくれる。

 それを期待し、そしてそれは余計な事象が差し挟まれなければ確実な未来だったが……しかし浮かれた彼女に別のイレギュラーな要素を予想しろというのは酷な話だろう。

 

 

 そう、時間が経ち過ぎた。

 人型空母との激戦で少なからず“血を流していた”春也と離れた状態で。

 

 

 その匂いが“彼女”の始まりそのものであるが故に、撃滅対象である深海棲艦のことも忘れて強く強く惹き寄せられた艦娘がいた。

 己の艦娘と支え合いながら、警戒しつつも暫しの休息を取っている仲間から離れたところで岩に背中を預けて夕立を待つ彼を一目見て、総身に真っ白な痺れを走らせ。

 

 そしてその血の匂いにたまらず唇と舌を暴走させ、主でありこうして一目逢う前から恋慕う相手であり、ある意味で親である春也の赤い生命の味に酩酊の中蕩ける女。

 

「お前、えっとっ、羽黒!?いきなり何なんだ…!!」

 

「しへーはん、ひれーかん、………ちゅっ、えへへ、……おいしいです。もっほ……ぺろ、ぺろ」

 

「え、えぇ……?」

「なのです……?」

 

 困惑する春也とついでに外野を気にも留めずに、傷口に這わせることで口いっぱいに生まれて初めて知った味が広がるのを堪能する、羽黒。

 

「だからッ!ちょっと止まれって!!」

 

「ふぇ?………あ、くちびる」

 

 傷口を舐められて痛みというよりはくすぐったさしか感じなかったが、突然現れた艦娘の羽黒に司令官呼ばわりされながらぺろぺろされるという、何が異常なのかも咄嗟に出てこないくらい異常なシチュエーション。

 それでもなんとか困惑を解消しようと疲労の抜けない腕で春也が羽黒の肩を揺すると、惚けた表情で見上げてきた。

 

 その長い前髪の下、くりくりした瞳が口内も切れていたことで彼の唇の端から垂れていた血の痕を捉えた。

 当然にそれも舐めようと、羽黒は衒いもなく顔を春也のそれに近づける。

 

 つまりは。

 

 

 

「ちゅっ」

 

 

 

「――――――ぽい?」

 

 

 

 帰参した夕立が見たのは、丁度その場面だった。

 そして一目見た瞬間、精神が一斉に暗色に染まる。

 

 艦娘の夕立には、分かってしまった。

 春也にはしたなく纏わりつくあの牝猫もまた、己と同じくらい彼の祈りに共鳴する彼の下僕だ。

 そして、夕立の受けて然るべき愛情を横取りしようとする、文字通り倶に天(はるや)を戴けない憎むべき相手であることを。

 

 そこからの行動は本能だった。

 春也を巻き添えにしないように火砲は使わず、その女の頬を殴り飛ばそうと拳を振り被り、矢の様に跳びかかる。

 

 

「そこは、夕立の場所ッ!!」

 

 

「――――そう。じゃあ今日から、羽黒の場所です、ね?」

 

 

 夕立の感じたものを、未熟ながらも同様に察し、そして同様の結論に達した彼女は躊躇わず因果を遡った。

 人を殺傷する力を倍にして反射する―――その異能という“原因”に割り込みをかけ、先んじて未だ春也とキスを交わしたまま体を動かしてすらいないのに殴り返すという“結果”を発現させる。

 

「………っ!??」

 

 カウンターで頬を撲たれ、吹っ飛ばされて地に這う夕立。

 春也から唇を離し、反動が返ってくる振り抜いた拳の動きを逆の手で押さえながら、羽黒は夕立を見下ろし艶前と微笑んでみせるのだった………。

 

 

 





☆設定紹介☆

※艦娘

 もはや存在しない大日本帝国海軍の艦船の銘を持つ、見た目は少女の兵器たち。
 提督となれる特定の人間が扱うことで、異界の法則を身に纏い深海棲艦という怪物に対抗、練度が上がれば軍艦と同様の馬力や火力をその等身大の体で発揮するが、提督の深い祈りを世界に汲み上げ異能として奇跡のような現象を引き起こすことこそがその真価と言われる。

 深海棲艦の骸から生まれる存在ではあるが、この世界においてそれがどういう理のもと、どういう意味を持っているかを知る者はあまりに少ない。

 人同様に魂を持ち、見た目同様に女としての情動を持ち合わせているが、それと同時に彼女達は兵器である。
 故にそのアイデンティティ、プライド、プライオリティは究極的な部分では人間のそれと同一ではなく、真っ当な神経では理解しがたい部分も沢山あったりする。

 主の為の兵器としての自己と恋する少女としての自己、どちらも純粋に肯定して両立する夕立の天衣無縫さがある意味この世界の艦娘の端的な姿である(同時に極端でもあるが)ことを考えれば、人間と艦娘の価値観の違いがなんとなく判るだろうか。

 その精神性の例を挙げ出すとキリが無いし、個体ごとに大きな差異もあるので本文の描写に譲るとするが。
 一つ言えることは、相性の良過ぎた艦娘が必然に己の主を慕うなら―――その愛し方も必然に人間のそれとは異なってくることだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

没収


「夕立の、ちょっといいとこ、見せるっぽい!」

 ワタシノセリフー!!





 

「夕立が……!」

 

「攻撃を喰らった………!!?」

 

 人型との激戦に、突如現れて春也を提督として甘える羽黒というらしき艦娘、そこに戻ってきた夕立は敵意を剥き出しにして襲いかかる。

 突飛な出来事の連続に反応することすら疲れてきていた航輔達だったが、それ以上の……まさに予想もしていなかった事態には、唖然とせざるを得なかった。

 

 夕立が春也の艦娘になってから、これまでに彼女は傷一つたりとも負ったことは無い。

 如何な巨大な砲弾を直撃されようが、四方八方から火薬を雨霰と炸裂させられようが、異形の剛腕に華奢な体を押し潰されようが、彼女を怯ませることすら出来なかった。

 一矢を報いることもなく、寧ろその悪あがきすらも反射に利用されて、春也と夕立の敵は今まで為す術無く蹂躙されてきた。

 

 羨ましくないと言ったら嘘だ。

 況や憧れないなんてあるわけない。

 

 航輔も姫乃もその艦娘たちも、無敵の能力が仲間の持つ力であることに頼もしさを憶え、それだけに絶大な信用をその能力に寄せていた。

 どんなに強大な敵とぶつかることになっても、春也と夕立さえ居るなら切り抜けられる。

 

 尉官と佐官。あまりに隔絶した実力差。

 無意識にでも彼女らに甘えと依存が何処かで生まれていたのは無理からぬことだろう。

 

 それを断ち切るような光景が―――頬に痣をつくり、地面に尻もちをついているまるで見た目通りのか弱い少女のような夕立の体勢。

 戦いとなれば深海棲艦の群れの只中へといの一番に特攻する彼女のイメージがあまりに鮮明にこびりついていて、目の前のそれと同一に結びつけるのすら苦労するほどの衝撃だった。

 

 そんな外野を差し置いて――――冷静なのは、むしろ冷徹なまでに冷えた思考を回しているのは、当事者達。

 

 

 まずは、羽黒。

 

 当然ながら彼女に自分の異能が為したことに対して驚きは無いし、そもそも夕立の異能の存在すら知らないのに驚きようがない。

 やっと見つけた自分のご主人様、その傍から羽黒を排除しようとする“外敵”から身を守る、その一心で即座に戦闘体勢に入っていた。

 まともに人と交わらず、生を受けてから共鳴した祈りのままに人殺しの怪物達の掃討ばかりを続けていた彼女には対話や懐柔などといった概念は無い。

 

 故に力づくで夕立を逆に排除する。

 至極単純にして明快な論理で彼女は夕立と春也の間に立ち塞がり、艤装を展開して相手を睨みつけた。

 

 

 そして、夕立。

 

 倍加反射の異能は、当然ながら夕立にとっては絶対の信頼を置く自らの兵器としての“機能”であり、そして敬愛する主との繋がりの証であるという誇りだ。

 それが破れ………彼女が思ったのは。

 

(反射ができないっぽい。じゃあ、こいつとどう戦うべき?)

 

 必要な戦法と切り替えの模索。

 

(前兆なしに攻撃を喰らった。頬に受けた感触とその後のあいつのモーションからして、もらったのは拳打。確実に異能を持っているとして、その効果は、たぶん『攻撃動作の前に対象にその攻撃を命中させる』類のもの。それがどうして夕立の反射を貫けるかは、“重要なことでもなんでもない”。重要なのは、たぶん回避も防御もできないということ。そうだとして、有効な対処は、ある。………っぽい)

 

 動揺。周章狼狽。

 そんなものを毛筋ほども挟むことなく、これまで戦場にて頼みにしてきた能力に対してあっさりとこの場では役立たずと見切りをつけ、夕立は兵器としての思考回路で必要な戦法を弾きだす。

 

 懸想する殿方に邪魔な女が纏わりついた……戦う理由は女の情念丸出しだが、その方法論には一切の感情を持ちこまない対照的な在り方で、彼女は戦いに臨む。

 そしてそれを実践するのは、肉食獣よりも尚苛烈な熱い闘志だ。

 

 背中のバネだけで跳ね起きると、夕立もまた各所に武装を構えて羽黒を睨み返した。

 

「やる気、ですか……?」

 

「当然っぽい」

 

 敵が春也から離れた以上、火砲を使うにも遠慮は要らない。

 流れ弾が春也に当たる?そんな下手くそな真似、夕立がする訳が無い。

 

 犬歯を剥き出しにして凶暴な威嚇の表情を浮かべて、それでなお可憐な表情の裏で彼女は最大級の警戒を全身に行き渡らせる。

 

 必要なのは、気合だ。

 

 羽黒の異能は攻撃の命中よりもモーションの方が後に来るという性質上、いつどこに攻撃を喰らうかすら分からない厄介な能力。

 だが、逆に言えば、その命中を我慢して、怯むことなく攻撃をやり返すとする。

 

 その時、羽黒は攻撃直後の隙どころかまさに“攻撃途中のモーション”というまっさらで特大の隙を曝すことになるのだ。

 ならば、やるべきは羽黒が一発攻撃を当て、夕立が一発やり返す、そんな技術や駆け引きというものを一切捨てた単純真っ向勝負の正面決戦。

 

 言うほどに容易い戦法ではない。

 来ると分かっていれば痛みや衝撃など………というのはあくまで我慢できるかどうかの話であり、そこから神経伝達の混乱や筋肉の収縮といった肉体の防衛反射を意志で抑えつけて確実に相手に有効打を命中させる、というのは人間にはまず不可能な話だ。

 兵器とはいえ、どうしても肉の身体を持つ艦娘でも怪しい話になってくる。

 

 更に言えば、夕立がその戦法を取っても羽黒にとって有利なことには違いない。

 重巡洋艦の羽黒と、駆逐艦の夕立。

 見た目にはただ数歳年齢が離れているだけのようではあるが、反射という異能が無効化されている現状、兵器としての両者の素の耐久力にはかけ離れた性能差が横たわっている。

 羽黒先制で一発交代の殴り合いの応酬をすれば、どちらが先に力尽きるかは第三者からすれば火を見るより明らかだろう。

 

「―――上ッ、等ォ……ッッ!!!」

 

 それを承知で、しかしそれ以外の活路は無いなら全力で突っ込む。

 そんな夕立の精神に玉砕や捨て身と言った後ろ向きの決意など無い、あるのは火の着いた闘争心のみ。

 

 相手が強敵、勝ち目が薄い?

 そんなことでおめおめ引き下がるようなら、全ての深海棲艦を駆逐するなどと言ってのける伊吹春也の艦娘など務まるものか。

 

「跳ね返すだけが能じゃないってとこ、見せてやるっぽい……!!」

 

 夕立の勇ましい啖呵と共に、緊迫した間が時間を支配した。

 

 羽黒がいつ予備動作も無しに夕立を攻撃するか、それが苛烈かつ熾烈な艦娘同士の激突の合図になる―――。

 

 

 そんな張り詰めた空気の中で、最後の当事者である春也は。

 

 

「…………夕立、“おすわり”」

 

「ぽいっ!!?」

「ふぁ……っ?」

 

 

 呆れていた。疲れていた。脱力していた。馬鹿らしくなっていた。

 戦闘の為に張り詰めていた羽黒と夕立とは別の方向に、全くの冷静だった。

 

 それを隠そうともせずに、躾通りにその場に正座する夕立と後ろから頭にポンと手を置いて撫でただけで蕩けた顔で放心する羽黒に面倒そうに言う。

 

「ったく、じゃれるのなら帰ってからやれっての。

 疲れてるし、ここ危ねーんだから」

 

 夕立以外の女性経験など皆無同然なのに、春也を巡る修羅場に対して自分でも不思議なほど落ち着き払って仕切っていた。

 

 おそらく彼女達の提督として、直感で理解していたからだろう。

 

 羽黒が自分のことを司令官と呼んでいるのは、経緯は分からないが人違いや勘違いでは有り得ないことを。

 そもそも物騒な気配を漂わせてはいるが、春也の祈りに共鳴しているなら、この戦いは殺し合いには絶対になり得ない―――春也の感覚では艦娘も尊い命なのだから、それを奪う下劣な行為をする訳が無い―――ただの茶番だ。

 

 そして、兵器でもある彼女達は、主である自分の制御を無視して暴れることなどあり得ないことを。

 例外は春也自身に身の危険が及ぶ場合だろうが、むしろ彼の道具が勝手に損耗する方が余程迷惑が掛かるのだからなおさらだ。

 

 それでも、何も言われなければ女として絶対に相容れない両者であり、いがみ合い続けただろうが……。

 

「つーか仲良くしろよ、夕立に、羽黒も。

 二人とも俺の艦娘で仲間なんだから」

 

 

「あ、はい……。えっと、仲良くっていうの、どうすればいいのか分からないけど。よろしくね、夕立ちゃん」

 

「ぽいっ。それじゃよろしく、羽黒。大丈夫、夕立がせんぱいとして色々教えてあげるっぽい!」

 

 

 まるで掌を返すように、さらりと艤装を収めて近づき、二人はにこやかに握手を交わした。

 

 おずおずと遠慮がちに微笑む羽黒と、夕立の太陽のように満面の笑みは先ほどまでのものと正反対の態度だった。

 

 二人ともしぶしぶといった様子は見られない。

 主の命令に内心を押し隠している、というものでも当然無い。

 羽黒にも夕立にも、そんな器用さは存在しない。

 

 ただ単に、そう、ただ単に―――愛する男に他の誰より自分を見ていてもらいたいという女のプライドより、愛する主の為に役に立つ兵器であるという誇りが優先される、それだけの話だった。

 

 それどころか、二人とも春也の命令に嬉々として従順。

 

「えへっ。司令官さんに、初めて命令されました。嬉しいです………」

 

「よかったっぽい。おめでとう、羽黒!」

 

 まるで十年来の親友のような気安さで笑顔で祝福を交わす二人に、棘や影は欠片も見当たらなかった。

 それを見届けると、春也は肩をすくめて姫乃や航輔達にも聞こえるように声を上げる。

 

「夕立も戻ってきたし、撤収しようぜ!」

 

 調査という目的はある程度果たして、人型も撃破した。

 損耗も激しい以上理由には十分だと判断して、帰還の提案にまず賛同したのは不知火だった。

 

「姫。どの道これ以上の戦闘は不可能です。さっさと引き上げましょう」

 

「……今のごたごたは完全に収まった。そう考えて、いいのかしら?」

 

「?ええ」

 

 たった今繰り広げられた一幕にまるで着いて行けない。

 そんな風にぽかんとしながら確認する姫乃に、不知火は逆に訝しげに頷いた。

 

 それでももやもやが残る姫乃は食い下がる。

 

「男を取り合って修羅場になっていたようだけど、艦娘はあんな風にいきなり和解できるものなの?」

 

「ええと、私が仮にあの立場だったら同じ言動をするとは言えないけれど………。

 でも艦娘として提督の命令でああなるのは不思議って程じゃないかしら」

 

「そうだな」

 

 気でも違ったのではと心配になるくらいの夕立達の掌返しと豹変。

 健常な思考からすれば理解不能さがいっそおぞましいその心理が、同じ艦娘の扶桑や天龍にも自然な流れであるらしかった。

 

「そう――――そんなものなのね」

 

 そして異能を着実に強化している―――健常な思考とやらから着実に道を踏み外して行っている姫乃は、夕立達をごく自然に受け入れた春也ほどではないが、納得してしまう。

 

 逆に、どこまでもまっとうな精神を持つ、持っていてしまう人間は、あるいは不幸と言えただろうか。

 

「電、お前もなのか?お前もあれが不思議じゃないって思うのか?」

 

「?いきなりどうしたのですか、司令官?」

 

「………ッ!!」

 

「司令官に命令されたら電もああなるのかってことですか?

 大丈夫なのです、電はたとえ誰と仲良くしろって言われても、きっと無理なのです。浮気はしないのです!」

 

 

「理由は?」

 

「だって司令官以上の可愛い可愛いダメ人間が居る訳――――ととっ、いつまでもそれに引っ掛かる電じゃないのです!」

 

 

「手遅れっぽい………」

 

「ふふっ、だいたい言っちゃいましたね」

 

 いつものやり取りで談笑する―――闖入者で、憎しみ合っていたばかりの羽黒と夕立を平然と交えて談笑する艦娘(ヒトではないモノ)達。

 彼女達に対して、怯えを含んだ眼を揺らがせながら、紀伊航輔は喉に空回る声で悲鳴のように叫ぶ。

 

「意味が、判らねえよ……。なんなんだお前らッ!!?」

 

 

 

「司令官?何か言いましたか?――――よく聴こえなかったのです」

 

 

 

 叫んだつもりだったその声は、萎縮した喉に遮られて大して響かず。

 その内容と同じように、相手に伝わらずに空気に虚しく掻き消えるのみだった。

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※羽黒<艦娘>

 属性は『十字を撃ち建てる者』、表性は『信仰、厭わぬ献身』、対性は『依存、揺らがぬ固執』。

 生命は尊い―――そしてその教義を犯す罪深き異教徒は例外も情もなくただ粛清在るのみ。
 宗教とほぼ無縁な現代日本人の春也と、しかし相性は夕立に匹敵するほどに抜群の艦娘。
 むしろ春也の血を介した呪いじみた渇望のせいで、生まれである人型深海棲艦からのドロップが羽黒に固定された疑惑あり。

 生まれながらにしてその祈りに染められた為、共鳴度合いも好感度もともすれば夕立の春也に対するそれを超えている。
 夕立への好感度は初対面時を除き、親友を超えた親友レベル。
 春也に次いで特別な相手であり、理由は「司令官から初めてもらえた命令が“夕立と仲良く”だった」から。

 要はただの(?)春也に対する狂信者であり、実は本文で騒ぎ立てているほどキチ度が高い訳ではない。


 夕立と違って。


 ただし、提督の命令一つで殺し合い一歩手前だった相手とにこやかに友誼を結べる点では類友だし、彼女らを除けばそんなことが出来る艦娘もさすがに稀少であることは念の為述べておく。

 それはさておき、異能は人殺しを実際に殺人行為を行う前に殺すという、夕立同様『命を脅かすモノの存在を認めず、勝手を許さない』もの。
 因果すら遡る回避・防御不可能の絶対先制は、多くの読者が予想してくれやが……もとい夕立が弾き出したように、ターン制の一撃応酬という突破口はあるが、逆に言えばそれ以外の攻略法がほぼ皆無。
 それにしたって先攻かつ自分だけ命中率100%の羽黒が有利なんてレベルじゃ無いし、そもそも初見の一発でその戦法を瞬時に見出した夕立の修羅思考がおかしいだけで普通は思いつく間もなく一方的に混乱の中嬲り殺されるだけである。

 一対多でも問題なく全ての敵に発動する上、“遡る因果をバラけさせる”ことで攻撃動作は一回に圧縮される為、乱戦に弱いということもない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

落涙


 やっぱり学生の頃と比べて更新速度は落ちる……。




 

 帰路は各人の消耗もあって往路よりも歩みが鈍い。

 どんなに少なく見積もっても鎮守府までは丸一日以上歩き続ける必要がある為、それだけの時間の間に話題として言及されない筈が無い疑問があった。

 

 というより、いきなり現れた羽黒が何故春也を提督と呼ぶのかは真っ先に問われた。

 

「伊吹春也、あなたいつの間に手持ちを増やす申請をしていたの?

 というよりまだ一応新米のあなたに新しい艦娘が支給されるものなのかしら?」

 

「姫が言えた義理じゃないけどな」

 

「茶化す場面ではないでしょう、天龍」

 

「……そんな申請があるのか?」

 

 羽黒が鎮守府から正規の手段で春也に与えられた艦娘ではないか、といきなり言い出す姫乃にぽかんとする春也。

 自分が複数艦娘を所持している経緯が父親の権限のごり押しとはいえその“正規の手段”とやらだった為か、まず発想が真っ当な手続きの方向に行ったらしかった。

 

 無論春也に誰かに「新しい艦娘が欲しい」なんてねだった覚えはないし、この異世界で自分に特別な便宜を図ってくれるような付き合いの相手にも心当たりは無い。

 というかそれならこんな戦場に放り出すような不確実な真似はしないで鎮守府で普通に渡してくるだろう、どこぞのGN電池じゃあるまいし。

 

「そういや、提督が艦娘を手に入れるのって、大体どんな形なんだ?俺と夕立みたいなのは、普通無いんだろう?」

 

「あれ?えっと、夕立さんは、どんな風に春也さんと出会ったのです?」

 

「言ってなかったっぽい?前の提督があっさり死んじゃって戦場に捨てられてた私を、提督さんが拾ってくれたっぽい!」

 

「ふふ。そうなんだ、よかったね夕立ちゃん」

 

「ええ。夕立ってば本当に運が良かったっぽい!」

 

「………っ」

 

 大人しげに微笑んで相槌を打つ羽黒を覗き見上げるように、夕立が横から微笑み返す。

 その後ろを歩いていた航輔が何故か二人の仲睦まじい様子を見て顔を歪め、速度を僅かに緩めた一方で、姫乃も別の理由で眉をひそめていた。

 

「つまり、偶然艦娘を拾って提督になったということ?少し信じがたいわね」

 

「……そう珍しい話でも無いですが、ね」

 

「そうなのか、不知火?」

 

「公言するようなことではありませんが、鎮守府の艦娘は実はそこまで厳格に管理されている訳ではありません」

 

 見た目の傷は癒えたのだろうが、どこか引き摺る様な足取りで土に痕を付けている不知火が、眠そうに主達の疑問に答える。

 歩きながら危なっかしいと思ったのは春也だけではないだろう、扶桑がすぐに不知火に肩を貸せる位置に寄り添っていた。

 

「艦娘にも意思があり、それが鎮守府の枠組みの中に居続けるのは、その方が自らの提督と居られる乃至出逢える為に一番確実だからです。

 艦娘は主に『鎮守府』で集められた資源をもとに『神社』で生産されますが、兵器として従うのは出資者でも生産者でもなく提督なのですから」

 

「鎮守府にしたって、提督無しじゃ戦力にならない艦娘を雑用で置いているだけより、さっさと主を見つけてもらってそいつごと自軍に組み込みたい。

 だから一般人が艦娘と接触することに、そこまで厳しい制限も掛けていないのさ」

 

 肩をすくめて補足する天龍は、だから“偶然の事故”みたいな形で艦娘と提督が出逢うのは、そこまで珍しい例では無いと言う。

 勿論無制限と言う訳では無いが、どのみち一度主を見つけた艦娘は、程度の差こそあれど基本的に自分の提督にしか従わない。

 

 故にその提督となった者達の方を破格の待遇で以て囲うことにこそ力を注いでいるのだとのこと。

 

 

「って話が逸れているわね」

 

「あー…ああ。なんで羽黒が俺の艦娘になってるか、だっけ?」

 

「今までの話とあなたの様子からして、正規の手続きで手に入れた訳では無さそうね」

 

「むしろ俺が訊きたいくらいなんだけど……」

 

 歩きながらだが、春也は羽黒の隣で速度を合わせ、その顔をまじまじ見つめてみた。

 春也の居た世界ではトップクラスとは言わないまでも、それなりに人気のあるヒロインだっただけに当然に可愛らしい。

 小動物らしくおどおどした仕草が良く似合う、庇護欲を誘う気弱げな輪郭。

 なのに長めの前髪から深い黒銅の瞳が主だけに向ける無償の信頼を込めて見つめ返してきて、そして嬉しそうに笑う。

 

「………えへへ」

 

「いきなりどうした…?」

 

「司令官さんが、わたしを見てくれてます……ぽかぽかします」

 

「むーっ、ぽいーっ!」

 

 屈託なく笑う羽黒。

 対抗してか二人の間で構って欲しそうにぴょんぴょん飛び跳ねる一段背の低い夕立と合わせて一瞬和みそうになったが、夕立を片手で相手してあげながら話を進めることにした。

 

「なあ羽黒、いつ、どうして俺はお前の提督になったんだ?」

 

「………?」

 

 春也の問いに羽黒はきょとんとして首を傾げた。

 惚けているというより、質問の意味自体が分からないといった様子で、その無垢だがどこまでも深い瞳でじっと見つめてくる。

 一秒、二秒、………精神を吸い込まれて丸裸にされるようなその深さに、つい気まずくなって視線を外そうとした頃に、やっと答えを返してくれた。

 

「“いつ”も、“どうして”も………わたしが生まれた時から、羽黒の司令官は司令官さんですよ?」

 

「え?」

 

「だから、いっぱい寄り道しないといけなかったけど、ずっと司令官さんを探してました」

 

 それは羽黒にとっては切実なこれまでの過程だった。

 だが、春也達にとっては要領を得ない話でもある。

 

 そして、まともにヒトと話をしたのはこれが初めての羽黒に、要領よく自分を伝える術の持ち合わせなどない。

 いくらか問いを重ねて掘り下げても、その隔たりは埋まる訳もなかった。

 

「結局、どういうことかしら?鎮守府にも神社にも、彼女はそもそも一度も入ったことが無いって言うし………」

 

「あの、ごめんなさい」

 

「いや、羽黒が謝ることじゃないだろ」

 

「あ……司令官さん、優しい…っ!」

 

「当然っぽい!」

 

 いくら追及してもそれ以上は無駄のようで、話が止まる。

 しばらくそのままの状態が続けば、この疑問には答えは出ないと誰かが切り上げに掛かっただろう。

 逆に、ただの思いつきでも何か意見があれば話は引き延ばされた。

 

 羽黒が春也の艦娘になった理由などその程度の、興味を引かれるがただそれだけの軽い話題だったのだ。

 深海棲艦、艦娘、提督。

 崩壊する以前の世界を席巻していた科学的思考とやらではまるで説明できない、そんな超常の産物達が全てを左右し翻弄している以上、この世界では不思議な事を不思議なままに受け流すことが当たり前になっている。

 故にこの場で、あるいは永遠に“それ”が明らかになることは無かったのかもしれない。

 

 

――――電が別の視点から疑問を呈すことがなければ。

 

 

「そもそも、羽黒さんは神社で生まれた艦娘では無いのでは?それで生まれた時丁度そこに春也さんが居たとか」

 

「待ちなさい。『神社』以外の場所で艦娘が作られる、なんてことがあるの?」

 

「はい。あまり知られていないようなのですが、電がまさにそうなのです。

 初めて気が付いた時には、司令官と出逢った場所だったのです!」

 

「そんな……一体どうやって……?」

 

 

――――夕立が、その疑問に対する答えを得てさえいなければ。

 

 

「特に何もしてなくても、放置された深海棲艦の死骸から艦娘が生まれるってことは、あるらしいっぽい?」

 

 

「…………、え?」

 

 

 当然ながら夕立に悪意など欠片も無い。

 羽黒の登場で言い出す機会を逸していた怪しげな提督の情報、真偽すら定かでは無い敵の言葉を話の種として持ち出しただけだ。

 

 有り得ないと一蹴される可能性もあったその種は、しかし思考という栄養を得て突然に芽を出し茎を伸ばし狂い咲いた。

 

「待って、夕立さん、今、なんて……だって、電が生まれた場所は、あの時……」

 

 電は、元来頭のいい艦娘ではない。

 駆逐艦の幼げな容姿相応の精神で、―――しかし愚鈍で俗で愛しい主が快適に生きていけるように常に全力で物事を考えている。

 自分達の置かれている現状がどうなっているのか、その中でどう立ちまわれば流れの中で主が優位にいられるのかを。

 その為に春也に思考の隙間を縫うように本音を訊かれるとつい漏らしてしまう残念さはあるが、その成果なのか“事の推移を把握する”ことに関しては大人顔負けの思考力を持つ。

 

……それが今この場に限っては、仇であった。

 

「――――なあ、電」

 

 航輔は、生来頭のいい人間ではない。

 難しいことや厳しい現実が苦手で、ついつい楽な方に走り、心配ごとがあってもなんとかなると根拠も無しに放り投げることもしばしば。

 鈍い、とすら言えるだろう。

 

 だが、電と第六感は繋がっている。

 提督と艦娘のこの超感覚の共有は、決して互いの心に思ったことを正確に読み取れるほどの代物では無い。

 だが、演繹的または統計的にほぼ確定して訪れることが推察される凶事に対して“嫌な予感がする”と表現されるように、直感と論理思考とは相反するものではなくむしろ一体としてある存在だ。

 故に、電が“嫌な予感”を覚えれば航輔もまた同じ結論へと、その直感によって思考が導かれる。

 

 

「お前が生まれた場所は、俺の居た村だ。

 人型の深海棲艦が一匹で暴れて、俺の家族を殺して、そして斃されてその死体だけが転がってて……っ!」

 

「っ、それは………!」

 

「は、はは……まさか。まさかだよな。電お前、おまえが……ッ!!」

 

 航輔は、笑っていた。

 常にお気楽に撒き散らせていた陽性の気をどろりと濁らせ、その瞳の光を憎しみに侵食されるように曇らせながら。

 

 呻くように、唸るように、意味を為さない呟きを――――爆発させる。

 

「電――ァッッッ!!!!」

 

 土を蹴り、遅れがちだった為に離れていた一行との距離を獣じみた速度で詰め、乱暴に電のセーラー服の襟元を握りつぶす。

 今まで戦場ではその電の後ろに隠れて震えていた紀伊航輔は、そこに居なかった。

 

「く、…けほっ、司令官、苦し……!?」

 

「答えろ……!お前が、俺のっ、俺をッッ!」

 

 咳き込む電にも構わずに、その小さな体を力任せに揺さぶる。

 ぎらぎらと見開いた眼の中で、……電は返す言葉を持たなかった。

 

 電の中で生まれた、自分は航輔の□□□□であるという仮説を否定し切れないから。

 

 違う。

 

 もともと夕立が何の気なしに漏らした言葉をそのまま鵜呑みにしてやっと出て来るような話。

 たとえそれが事実であったとしても、今さら検証のしようのない泡のような因果だ。

 言い訳も、反証も、煙に巻くことも、航輔相手なら能力的には難しいことでは無い。

 

 違う。違う。

 

 そんな風にその場しのぎで誤魔化そうと思えるような相手なら。

 なあなあにして流して、取り繕っておけばいいと思えるような相手なら。

 

 

(こんなに胸が痛くなったりしないのです……!)

 

 

 滲んだ電の視界の先で、狂相の航輔が拳を振り上げた。

 これまで深海棲艦との戦いで受けたどんな傷よりも痛い、そんな衝撃を彼女は頬に予想して。

 

 肉が肉を打つ、本能的に忌避を覚える鈍い音。

 殴打され強かに地面に身体をぶつけたのは、………航輔だった。

 

「………春也、てめえ」

 

「頭冷やせ。この大馬鹿」

 

 顔面めがけて思い切り振り抜いたばかりの拳を解いてぱたぱたと振りながら、春也が倒れた航輔を見下ろしている。

 殴られた頬の熱が反射的に怒りを春也の方に向けさせた。

 

「他人事みたいに……引っ込んでろ!これは俺と電の―――ッ、」

 

「―――ああ、航輔と、“電の”話だ。他人事だからな、お前よりは物が見えてるつもりだよ」

 

「なんだと……!?」

 

 切れた唇から荒い息を不規則に吐き出しつつ喚く航輔に、春也は冷たく言い放ち、くいと指し示した。

 つい釣られて航輔は視線をそちらに向ける。

 

 春也にも向いたせいで一度分散してしまった激情。

 それによってほんの少し冷えた頭で見上げた先に。

 

「ぁ………」

 

 自分が他でもないその相手から暴力を受けそうになったばかりだというのに、航輔を心配して反射的に手を伸ばし。

 けれど拒絶されるのが怖くて震えて、踏み出せなくなって。

 

「しれい、かん……」

 

「――――」

 

 一筋、ただ涙が頬を伝う、悲しみに染まった電の顔が見えた。

 

 その瞬間、自分が何を感じたのか航輔は全く分からなかった。

 ただ溢れ出さんばかりの激昂はその方向を捻じ狂わせ、恐慌と混乱の渦へと墜ちていく。

 

 

「ぁ、ぅ、うああああああぁぁぁ―――――っっっっ!!!??」

 

 

 電に掴みかかった時以上の速さで、気がつけば走り出していた。

 いつもと同じだ。

 

 逃げたい。辛いのは嫌だ。そんなの当たり前だろうと言い訳をして、自分を正当化しながら。

 とにかくこの場所に居たくない、その一心で、航輔はいつもと同じように逃げ出した。

 

 そうやって脇道の木々の向こうに消えていく航輔の背を、今の電が追える筈も無い。

 ただひたすらに、これが慕う主との決別になるのだという恐怖に襲われて、認めがたいそれに呑まれないようにもがくのに精一杯で。

 

「な、泣いてない……」

 

「電……」

 

「泣いてなんか、ないのですっ……!!」

 

 誰に問われた訳でもないのに挙げる必死の否定は、主の逃げ出した艦娘に残った、最後の建前(つよがり)だった。

 

 

 

 






☆設定紹介☆

※電<艦娘>

 属性は『現在(イマ)を肯定する者』、表性は『適応力・諦めない意思』、対性は『惰性・楽観論』。

 かつて暴虐の限りを尽くした果てに討ち斃された深海棲艦の死骸を材料として生まれ、その犠牲者の骸に取り縋って泣いていた少年の下に現れた。
 そして自分がその少年の家族の仇となる存在から生まれ、見方によっては仇そのものと言えるという自覚のないままに彼を主とする。

 常に死が身近に存在する狂った世界で人間として自然に湧き上がる感情に素直に行動できる少年―――航輔は、適者生存という意味で異邦人の春也以上にこの世界にそぐわない存在だったのだが、そんな在り方こそが電との相性が良かった為に生き延び春也と出会ったこともあってこれまでやってきた。

 だが、感情に素直過ぎて基本的にはダメな方向にしか進まない主とそれを喜んで世話する奇矯な趣味の女ということで、周囲に気の抜ける笑いを提供してきた二人。
 そこに突きつけられた残酷な現実を否定する術を持たないことが、航輔と電がこの瞬間肯定せざるを得ない現在となる――――。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

離脱


 狂気が好き、重いの大好き、
 でもシリアス続けられない作者。

………ネタを挟まないと死んじゃう病、治る薬とか無いかなあ。




 

「やあやあおめでとう。これで君たちは晴れて見習い卒業だ。

 伊吹春也少佐。能登姫乃、紀伊航輔少尉。一人前になった証として、僕のおごりで宴でも開いてあげようかな?」

 

「謹んで全力で遠慮する」

 

 電を姫乃達に任せ、航輔を半ば引き摺るようにして遅れて鎮守府に帰還した春也達。

 気まずさを覚える暇もあらばこそ、三人の上司である雪兎に呼ばれ庁舎の一室で最終試験の合格を言い渡されていた。

 

 それは普通であればこれまでの日々を振り返り、互いに喜びと感慨を分かち合う良き節目となっただろう。

 始まりが険悪なものからだった三人―――おもに姫乃が原因だが―――も、片手の指では利かない戦場を共にすれば仲間意識が湧いていただけになおさらだ。

 

 だが、春也と夕立とはまた別の方向で密接な関係を築いていた航輔と電、この二人に深過ぎる溝が生まれたこのタイミングで。

 “卒業”という別れを想起させるような出来事を素直に歓迎する気には、春也も姫乃も、夕立や不知火達配下の艦娘でさえもなれなかった。

 

 そして、そんな彼らを見てにまにまと愉しげに笑う雪兎は……そういうことなのだろう。

 

 

「くっ、ふふふ……僕にとっても名残惜しいのだけどね、何せこれから君たち仲良し三人の中で、“一人は”別の場所に行かなければならないのだから」

 

 

「……どういうことでしょうか」

 

「なに、簡単な派閥のお話だよ。僕の所属する厳島中将率いる一派は『海』にも『陸』にも属さない中立派だ。

 中立というのは、ある意味両方から敵以上に嫌われる残念な立場でね。

 そんな中新人提督三人を持って行って自派に取り込めば酷い突き上げに遭うこと請け合い。だから、一人くらい余所の派閥に行ってもらわないといけない」

 

「………は。そこまで言えば“その一人”が誰か名指ししているようなものじゃねーか」

 

 悪態をつく天龍の言は的を射ていた。

 提督になった時点で異能を得ていた佐官、即ち狂気の祈りに身を浸し敵に回すと怖ろしいが味方にも居て欲しくはない――――“中立”という名の蚊帳の外に置くくらいが丁度いい春也。

 その春也に公衆の面前で無様な敗北を喫し、様々な利権が絡む父親から縁切りされているという、派閥争いをしている中で取り込むには面倒が多い――――“中立”に身を置くのが最も無難な姫乃。

 

 消去法で航輔を一人だけ別の部隊に送る、としか解釈のしようが無い。

 

「どうだい、何か希望はあるかい?」

 

 相手を名指しはしていないが、雪兎のその問いは確かに航輔に向けられていた。

 あれから一度も電と言葉を交わしていないどころか、艦娘も同席するこの場で電だけ一人別室で待機させている航輔に。

 

「…………」

 

 心ここにあらず、と言った気配の航輔は己の処遇に関わる話を聞いているのかどうかすら分からない。

 そんな今人生で最も迷いと戸惑いの中揺れているであろうにも拘わらず、これからも関わっていけるのか分からない友人に、春也はせめてやれることはやろうと助け舟を出した。

 

「俺は一度『海』の奴がこいつを勧誘しようとしたのを邪魔したことがある。

 そいつから航輔への心証は、あまり良くないだろう。

 代わりに駄目でもともとでいいから、『陸』の知り合いに面倒見るよう連絡を取っていいか?」

 

「君の知り合い………ああ、『彼女』かい?好きにするといいさ。

 上手くいかなければその時はその時で、面白そうなところ紹介してあげるから」

 

 ひらひらとどうでも良さげに手を振って、この場をお開きにする雪兎。

 それまで話に参加せず壁の華になっていた彼の艦娘である川内が、扉を押して退室しようとする主を追いかけつつ、振り返って春也に笑いかける。

 

「ふふっ、春也くん、責任重大だね?伝手を辿るのに失敗すれば、“雪兎にとって”とても面白い場所にその有り様の航輔くんが放り込まれるよ?」

 

「分かってるっつの」

 

「そう。じゃあ、健闘を祈る!」

 

「~~~っ、さっさと出て行くっぽい!」

 

 指をしゅっと振ってニヒルにポーズを決めた川内は、夕立に睨まれながら雪兎を追って部屋を去る。

 主を煽るような態度にいちいち不機嫌になる艦娘を宥めながら、善は急げと春也は航輔の肩の部分の服を引っ張って連れ歩き出した。

 

 その後ろ姿に、姫乃が呆れた声を掛ける。

 

「とんだお人好しね、あなた。

 紀伊航輔には酷だけれども、こんな展望の見えない面倒な状況で彼を見捨てても別に恨まれないと思うわよ」

 

「やって損は無いだろ。それに―――」

 

「―――姫も春也さんに付いていく気満々に見えますけど?」

 

「……ただの好奇心よ。春也の伝手とは何かってことと、これからどうなるかが気になっただけ」

 

「はいはい」

 

 上品な仕草で袖で口元を隠しながら苦笑する扶桑。

 それに顔を背けながら、姫乃も加えてもう暫くは無いであろう同期三人が揃う最後の道中を往くのだった。

 

 

 

 

 

…………。

 

「意外なほどに上手くいきましたね。そもそも水月少将に伊吹春也の行動が認められないと思ったくらいだったのですが」

 

「後者に関しては、そうでもないわ。アレ、春也にも『彼女』にも根本的には無関心だもの」

 

「そうなのですか?」

 

「相方の川内はともかくとして、人が落ちぶれるのが大好きなあの男にとって、自分が墜ちていようが昇っていようが大してやることが変わらない春也みたいな存在は放置一択しかないもの。

 無関心な相手には、当たり障りの無い対応で面倒が無い限りは放置するのでしょう」

 

「………そういえば、何の脈絡もなく増えた羽黒には一言も触れられませんでしたね」

 

 航輔の面倒を見て欲しいという頼みごとの目的を終えて、宿舎脇のスペースでそんな話をしている姫乃や不知火達。

 そこから少し離れて壁にもたれ掛かった航輔の隣に春也が近付いた。

 

「部隊の移動が決まって、お前の部屋は引越しだろう?今電が片付け作業してると思うが?」

 

「うるせえよ。関係ないだろ」

 

「いや、大アリだろ……一人だけサボり相方はせっせとその世話を焼く。

 なんだ、相変わらずじゃねーか」

 

「………ッ」

 

「まあ、そのアレだ……がんばれ航輔」

 

「っっ!!!」

 

 打撃音が短く鳴る。

 

 頑張れ。

 その励ましは相手の精神状態によってはこれ以上なく危険な言葉なのだが、それをわざと使った春也の頬を、航輔の拳が張り飛ばした。

 咄嗟に目を鋭く細める夕立と羽黒を手振りで抑えると、頬の赤みが何でもないことのようににやりと笑う。

 

「一発は一発だ。昨日はぶん殴って悪かったな。これから先機会があるか分からないから、今の内に謝っとく」

 

「―――っ!?」

 

 電に突っかかった時に彼女に手を挙げそうになった航輔を止める為の一発の話だと、すぐには分からなかった。

 だが、じわじわと理解すると共に航輔の中で、電に対する複雑なそれとはまた別の薄暗い感情が頭をもたげていく。

 

「なんで、お前はそうなんだ……っ」

 

 その名は、惨めさ。

 

「なんでお前はそんなに強いんだッ!?それに比べて俺は、俺はこんなに…っ!」

 

「………」

 

「嘲笑えよ。嘲笑えばいいだろ!分かってるんだよ、電が俺の為に色々やってくれてきたこと、それがあるから俺は今いいもん食っていい服着て布団で寝られるんだ。

 こんなクソみたいな世界で、父さんも母さんもくれなかったものを、電のおかげで!」

 

 航輔の出身、まともに税金が払えない為提督達の哨戒網から外れた村、どの道いつ滅んでもおかしくなかった場所の生まれで、それがどんなに奇跡的な話なのかも分からないほどの馬鹿ではなかった。

 直接滅ぼした原因が電の元々の姿だったと知った今でも、確かに感謝の念は航輔の心にある。

 

「分かってるんだよ……!」

 

 それでも憎しみもまた消せない。

 事実を淡々と並び建て、そのメリットとデメリットで全てを評価する……そんなことをして電への蟠りを捨てることも出来ない。

 

 板挟みになった感情達が出口を求めて溢れるように、涙と共に表に出て来る。

 その涙も、今の航輔には情けなさの証明だった。

 

「俺は弱い……。お前と違って泣き虫で、何かに立ち向かう勇気も根性もなくて………くそぉォッ!!」

 

「………俺が強い、か。どうだかね」

 

 春也にとっては、航輔の言う精神的な強さに関しては“強い”のではなく単に“必要な程度に鈍感になっている”だけだと思う。

 情報(ノイズ)が飛び交い過ぎる現代では嫌でもそうなるし、この終末世界ではそうしなければとてもではないが前を向いて戦えない。

 

 春也自身は、こうして他人の深刻な悩みを聞いたり励ましたりするのは初めてで勝手も分からない、二十年も生きていないただの若造だ。

 少なくとも自分ではそう思っていて……だから、適当に借りた言葉しか言えなかった。

 

「泣いていいんじゃないか?流した涙の回数分、人は強くなれるって岡本さんが言ってたらしいし」

 

「………岡本さんって、誰っぽい?」

 

「水樹さんも言ってた気がする」

 

「みずき……さっきの人ですか…?」

 

「多分違うっぽい」

 

「…………」

 

 邪気のない自分の艦娘二人の言葉に変な所で滑ってしまったことに苦い顔をしながら、そんな軽い言葉でも無いよりはマシと友人に投げかける。

 

「どう考えても負け惜しみの類だけどな。泣く奴と泣かない奴じゃ強いのは泣かない奴に決まってる」

 

「そう、だよな……」

 

「それでも――、」

 

 涙を流して俯く航輔。

 くしゃくしゃに崩れて醜くなった顔面に、何故か覚えたのは羨ましさ。

 

「―――負け惜しみさえ言えなくなったら、終わりだろ」

 

 色々と世話をかけさせる相手ではあるが、春也に航輔を友としたことに後悔は無い。

 この世界で初めて出来た友人が彼で良かったと思っている。

 

 絶対に言ってはやらないが。

 代わりに、せめてもの手向けを贈った。

 

「前言撤回だ。一発は一発の筈だったんだけどな、弱っちいお前のパンチじゃ全然効かないわ。

 もうちょい気合入れて出直して来い」

 

「なんだよ、それ……」

 

――――弱いなら、強くなれ。

 

 そのメッセージは、果たして届いたのか。

 本格的に提督として活動を始めるということは、これまでのように航輔と毎日のように顔を突き合わせる機会がなくなるということだ。

 友が成長するのかそれとも失意のまま墜ちて行くのか、春也がそれを見届ることは出来ない、予感だがなんとなくそんな気がしていた。

 

 

「………『彼女』?がうまくやってくれるように祈るしかないか」

 

「提督さん、あの人そんなに信用していいっぽい?

 赤の他人の為に親切にする風には見えなかったっぽい」

 

「まあ、間違っても善人ってタイプじゃないが……水月雪兎と同じだよ。

 どうでもいいから冷遇するとは限らない。

 無価値だから邪険にするとは限らない。

 好きの反対は無関心じゃない、やっぱり憎悪だ」

 

「?……つまり、どういうことですか……?」

 

「演技をするなら観客が要る、端役が居る。

――――確かに目的が歪んだ自己陶酔(ナルシズム)だとしても、そういう意味で異能持ちの中ではかなり人当たりは良い方だろ、あれで」

 

 

 

 

 数日後。

 

 引越しを終えた航輔と電は、頑なに目を合わせない男と見た目相応におどおどして怯える女という、もはやその状態で定まったかのように重苦しい空気で新しい部屋を満たしていた。

 広い鎮守府の中でかなり離れた兵舎に移動した為、もう春也も姫乃も気軽に顔を見られるなんてことはない。

 二人きりの時間が長くなった中でお互いに解決への一歩を踏み出すこともない中、ただただ沈黙だけが仲の良かった主従の間を支配している。

 

 日本特有の蒸し暑さが侵蝕し始めた締め切った部屋の扉、その新居に航輔と電を閉じ込めていたのは、そう長いことではなかった。

 

『おーい、紀伊航輔ー。もう引越し終わったんでしょー?お姉さんがおそば食べに来たよー?』

 

「…………」

 

「……応対してくるのです」

 

「勝手なことするな」

 

「っ……、はい………」

 

『あれ?無視?居留守?駄目じゃない、先輩相手にそういうの。

 そんな悪い子は――――、

 

 

―――――爆撃しちゃうぞ☆」

 

 

「「――――ッ!!?」」

 

 爆音と共に、住み始めて数分の住処の玄関が吹き飛ぶ。

 ばらばらに木片を飛散させ、見るも無残にその存在を消失させた扉の向こうに立っていたのは。

 

 剣呑な炸裂音に何事かと廊下に出て来た隣近所の提督達にぺこぺこと頭を下げる空母艦娘、翔鶴。

 そしてそれを微塵も気にした様子のない同じく空母艦娘、瑞鶴―――の演技をしていると当人は頑なに信じている変態。

 

 

「改めてよろしくねっ、今日から私、瑞鶴が先輩兼上司として、航輔くんの面倒をびしばし見てあげるから☆」

 

 

 部屋に巨大な風穴を空けて後輩のプライベートを開始数分で無いも同然にしたばかりの、春也曰くの“異能持ちの中ではかなり人当たりは良い方”の提督。

 前提知識が無ければ確かに親切そうな、愛嬌たっぷりの笑顔を振り撒いていた。

 

 




☆設定紹介☆

※『瑞鶴』〈艦娘?〉

 まさかの再登場。

 本人の願望は『愛する人の色に染め上げられたい』であり、基本的に“己が演じる瑞鶴”以外のものについては知らぬ存ぜぬどうでもいい。

 が、春也の指摘するようにそれは他の存在を一切排除することを意味する訳ではなく、むしろNTR厨の翔鶴に空虚な親愛を向けてあげているように、本人基準で善意を振り撒いている。

 演技するなら観客がいなければならない……と言い切る程ではないが、他人に横暴な振る舞いをするような姿は“愛する瑞鶴”のそれではないということだろう。

………居留守されてドアを吹っ飛ばすくらいは愛嬌というやはりどこか狂った判断基準なので、迂闊に安心すると痛い目を見る羽目になるだろうが。

 ちなみに己と翔鶴以外誰も居ないことも珍しくない海上で寂しく戦うより、陸上で人を守り感謝された方が瑞鶴カワイイを堪能できるので、派閥としては『陸』寄りである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

休日


 しばらく電組がパーティーから離脱します。

………ぶっちゃけ電と航輔のキャラが使いやす過ぎて、主人公達と掛け合いやってるだけで話が進まなくなるし他のキャラが空気になるメタ事情が(ry

 それ抜きにしても、あまり鬱ばっかのノリで話を進めてもメリハリ付かないし。





 

「むにゃむにゃ………ぽいっ」

 

「…………?ふ、くぁ~~」

 

 顔の上に何かを被せられた、そんな微妙な息苦しさで春也は目が覚めた。

 ぼんやりとする意識でしかし反射的に払いのけた手に返ってきた感触は、薄い布地の感覚だった。

 

 布団の上で状態を起こし、暗闇の中周囲を見渡すとそこはもはや慣れた提督宿舎の自室。

 木造の柱の合間に固めた砂壁を埋めた八畳程の部屋だった。

 電気水道ガスなし、トイレ風呂共同――――春也のいた日本ならば都心にあっても家賃月額3万にも届くまい。

 

 提督になったせいか窓からの月明かりがほぼゼロでも暗視ができるので照明が無くてもなんとかなり、水汲みさえ怠っていなければ雑事を請け負う提督無し艦娘達の支えもあって、“仕方無い”で済ませられる程度の不便な生活。

 本格的に夏に突入すればまた話は別だろうか―――と空調在りきの暮らしをしていた現代人はどうでもいいことを考えながら部屋を見回す。

 

「……夕立か」

 

 さほど余裕を持っているとは言えない敷き方をしている布団に垂直の向きになりながら、寝相の悪さで掛け布団を蹴飛ばしたらしく、白いおなかを見せながら気持ち良さそうに寝ている少女がいた。

 戦場においては闘争本能のままに敵に喰らいつく兵器であることなど露も感じさせない緩みきった寝顔に、顔に布団を被せられた主は苦笑する。

 

 艦娘が風邪をひくとも寝違えるとも思えないが、すっとあばらが見えない程度に引き締まった夕立の腹を隠すべく春也は優しく掛け布団を彼女に被せ直す。

 

「ぽいぃ……」

 

 目を覚ますほどではないが、微妙に布団の重みが面倒くさいのか身じろぎする夕立。

 その様子に思わず漏れた笑い声が――――重なった。

 

「「―――くすっ」」

 

 春也が振り返ると、柱に背を預けて三角座りしている羽黒がじっとこちらを見ていた。

 その深い眼が夜闇の中ぼんやりと淡い輝きを以て、ひたすらに己の提督を見つめている。

 

「っ、羽黒。もしかしてずっと起きてたのか?」

 

 夕立に配慮して声を潜めたその問いにこくんと首を縦に振る羽黒。

 起きて何をしていた、と問いを重ねると司令官さんの寝顔をずっと見ていました、と答える。

 

「……今まで毎日ずっと、か?」

 

「はい」

 

「飽きないのかよ……!?」

 

「………?」

 

―――このひとは何を言っているのだろう?

 

 黙っていてもそう雄弁に語る羽黒の首を傾げる仕草は、少し苦手だった。

 

 彼女がこの部屋で寝起きするようになってから既に一週間経っている。

 おかしいのはその間一睡もしていないでずっと春也の寝顔を見続けたという羽黒に違いないのだが、こうまで無垢に返されると己の感覚が信用できなくなりそうなのだ。

 

「司令官さんとずっと一緒にいられるのが嬉しくて。いつも気がついたら朝なんです」

 

(ヤンデレは正直好きでも嫌いでもないんだけどなあ)

 

 とはいえ、彼女には生まれてからたった一人で深海棲艦と戦いながら主を求めて彷徨い続けたというかなり重い過去がある。

 何故に自分が彼女の提督になっているのかは不明だが、そんな相手にあえて冷たくするような趣味は無かった。

 

 くしゃり、とさらさらで整った羽黒の髪ごと頭を軽く抑えつけ、そんな軽い意地悪に嬉しそうに見上げてくる羽黒に命令する。

 

「寝れる時に寝とけ。隈なんて作ってたら置いてくからな」

 

「はいっ」

 

 やはりあっさりと、嬉々として彼女はそれに従った。

 

 ずっと一人だった時間が、ずっと主と共にいられる時間へと代わっている。

 眠る時間なんてもったいないくらいに幸せになった結果が眠らずに百時間以上ずっと春也の顔を見続ける行為なのだが、その気持ちを否定されても彼女は微笑みを湛え続ける。

 

 生まれ、性格、そして属性。

 あらゆる面で元々提督に一途で従順な艦娘が羽黒なのだが、少しだけ探し続けた主に実際に逢って変化していた。

 

(このひとの命令、ずっときいていたいです……)

 

「ふにゅぅ」

 

「っ!?」

 

 だから、そのまま倒れ込むように、しなだれかかるように、春也の胸元に飛び込んではすぐさま肩に腕を回す。

 能動的なアクションはその一瞬の早業だけで―――あとは“命令通り”一秒すら持たずして意識を夢の中に飛ばした。

 

 即座にすぅすぅ寝息を立て始める羽黒に、彼女を胸に掻き抱く形で拘束された春也は顔がひくつくのを感じた。

 動けない、動いたら絶対羽黒を起こす形になる、自分が寝ろと命令したにもかかわらず。

 

「もしかして、今度は俺が朝までこのまま?」

 

「ぽい~っ!」

 

 果たして計算ずくの行動なのだろうかと判断に迷う春也の背中を、本能で何かを察したのか寝返りで夕立の掌がぺしりと叩いた。

 

「……まあ、いいか」

 

 提督(おとこ)一人に艦娘(おんな)二人。

 修羅場も、ハーレムも、ヤンデレ同様趣味に合うことはなく惹かれたことは今まで無かったが。

 

 こうして実際好かれてみると悪い気はしないし、目の前の夕立と羽黒相手に『世間一般の恋愛観では~』などと杓子定規なべき論や倫理観を振りかざすつまらない真似をする意味が特に見出せない。

 

 ただありのままを受け入れて、春也は至近距離にある羽黒の肩に首を預けて軽いまどろみを楽しむ。

 初対面が嘘のように春也と夕立との間に入ってきた新しい存在は、さりげなく自分の居場所を確保していた。

 

 

 

 

…………。

 

 提督にべったりな艦娘が二人に増えて、それを自然に受け入れる伊吹春也。

 この世界において彼らのような提督と艦娘の関係性は、程度を問わなければそう珍しいものでもない。

 

 男と女がいる、共に死線を潜る、互いの深い部分まで理解している―――その結果がどうなるか、というならやや安直とも言える発想が浮かぶことだろう。

 が、当然恋仲(それ)ばかりになる程提督も艦娘も単純画一なものではない。

 

 むしろ奇行の目立つ者もちらほらと見かける提督達の中で、表面上は常識的な春也が半数を超えない程度の多数派に引っ掛かっているのが、いっそ不自然とすら言えただろう。

 

 その意味では、能登姫乃の下で艦娘をやっている不知火達の扱われ方も、そこまで驚かれるようなものではなかった。

 

「平和、ねえ」

 

「………いささか釈然としないものがありますが」

 

 鎮守府併設の歓楽街の通りを不知火と扶桑の二人が歩く。

 昼日中から酒場で酔いに任せて騒ぐ集団もちらほら見かけ、ついでに遊女らしき着物の女に客引きされて鼻を伸ばしては―――連れの叢雲にぶん殴られて引き摺られている提督なんかも目に入る。

 

 何よ、私じゃ不満なわけ………などとツンデレお約束の痴話げんかをやっている一幕から目を背け、溜息を吐く不知火を扶桑はいつもの穏やかな笑みで宥めていた。

 

「微力ながら、私達も貢献している平和じゃない。

 たまにはいいと思うわ、こうしてそれを眺めて実感するのは」

 

「アレに貢献していると考えるからこそ、釈然としないのですけど」

 

 荒れた世界だからこそ享楽的に退廃的に、そんな風に振る舞う人々がいることは何も不思議ではない。

 ましてこの中に客としている者達のいくらかは命を懸けて深海棲艦と戦っているのだ、息抜き程度を責められる云われはないだろう。

 

 とはいえ。

 

 こんな所で口吻けなんて、なに考えてるのよ馬鹿ぁっ!……なんて叫び声とぽかぽか人を叩く軽い音なんて不知火は聞こえない。

 まして振り返れば真っ赤な顔をしながらもにやけ面を隠しきれない駆逐艦娘がいるなんてそんな筈は無いのだ。

 

 

「………不知火に、何か落ち度でも?」

 

「何も言わなくてもそういう発言が出る辺り――――いえ、なんでもないわ」

 

 

 鋭い眼光で睨み付けられた扶桑が苦笑してふるふると首を振る。

 その視線をじとっとしたものに変える不知火に、紅白袴のゆったりした袖から伸びる白い手を頬に当てながら言った。

 

「でも羨ましいかと言われれば否定できないわよねえ」

 

「まだ言いますか」

 

「うちの姫は完全放任だもの。今日もこうして傍仕えに三人も必要はなく、当てもなく私と不知火はふらふらと」

 

 出撃もしない休日に、姫乃は一人でいるか天龍のみを伴っているのかのどちらかだった。

 彼女と最も相性がいいのはやはり異能の欠片を見せている天龍なのだろう、おかげでこうして不知火と扶桑はたいてい暇を持て余している。

 

「姫は女性です。少女の肉体と魂を持っている不知火達にそういった感情は抱かないかと」

 

「――――道具には情動を抱かない、の間違いじゃなくて?」

 

「………」

 

 能登姫乃は天龍も含め、自分の艦娘に心を開いている訳ではない。

 むしろ、心を開くなどという“一個の存在に対する関係性”についての発想さえ彼女には存在していない。

 

 言葉を交わせば情報の交換が出来る、いちいち指示をしなくとも自己の判断で動ける。

 艦娘(兵器)の持つ知性は姫乃にとってそれ以上でも以下でもなく、まさしく道具だ。

 

 提督の中には艦娘との第六感の共有を自分を覗きこまれているようだと、あるいは単純に生理的に、その他諸々の理由で自分の艦娘を嫌う者達もいて、道具扱いを公言して手酷く扱う―――ろくな補給もさせずに休み無しで戦わせ続けたり、必要以上に肉の盾として弾避けに使うなど―――のをはばからない者もいるが、姫乃はそれとも違った。

 

 そもそも純粋に艦娘をただの兵器、道具としか見ないのならば必要な目的に必要なだけ使用する、そんな至極ドライな態度だった。

 役に立つのならあとはどうでもいい、道具の手入れくらいはするが煩わされる必要性を見出せない。

 

 死んだ人間に価値を一切見出せず、全ての関心を無に帰す、そんな姫乃の歪みが関係しているのかは分からないが。

 

「それが姫の望む在り方なら、従うまでです」

 

「私もそれについては異論無いけれどね。もちろん、天龍も」

 

 不知火達も、こんな無機質な関係に不満は無い。

 提督(あるじ)の望みならばその隔たり切った関係性と距離感を保つことが、彼女達なりの忠誠の在り処。

 

 その微妙さを感覚的に察していたのか航輔には時折嫌な顔と苦言を向けられていたが、そんな程度で揺るぐものでは当然なかった。

 

「………航輔くん、か。今頃どうなっているかしらね。

 以前この辺りで見かけたことはあったけど」

 

「嫌なことを思い出させないでください、扶桑」

 

 以前二人が見たのは、賭場に遊びに入る航輔を電が引き止めていたやり取り。

 

『やめて欲しいのです!そのお金はもしもの時の為にとっておいた大切な―――っ』

『いいんだよ、今度こそ勝って倍にしてやるんだから楽しみに待ってろ!』

『前もそんなこと言って………ああっ!?電の話を聞くのです!!』

 

 仮に春也に見せれば「昭和か?」とコメントするような、どこからどうみてもただの芝居だった――――少なくとも電は。

 当然のように負けて店から蹴りだされた航輔を抱きしめてよしよしと慰めて悦に浸り、ちゃっかりと生活に必要な金はきちんと避けて確保していた電は、完璧にその芝居自体も楽しんでいた。

 

「もし紀伊航輔が電を完全に拒絶したとして、どうやって生きていくつもりなのでしょうか、彼は。

 現時点でも、相当に危ういのでは?」

 

「なるようにしかならないわよ、結局。

 春也くんも、もうそういう態度らしいしね」

 

「『やることはやった、あとは信じるだけ』――――ですか。

 あるいはそれが、男の友情というのでしょうか?」

 

 不知火には理解できない概念ながらも、戦いに余計な未練を持ち込まないならと内心で推奨する。

 命懸けで深海棲艦と日々戦っているのだ、余計な迷いを持つ者に傍にいて欲しくはない。

 

 それでも無意識に賭場の方に視線が向かったが、そこに知り合いの姿を見かけることは無かった。

 

「いずれにせよ、今は目の前のことに集中。英気を養いましょうっ」

 

「こうして街を目的も無く散策することで?

………まあ特にやることも無いので、付き合いますが」

 

 そう言って不知火はセーラー服のスカートを翻し、適当な方向に歩きだす。

 着飾ることもなく、買い物を楽しむでもなく、ただ日差しで暖められた地面が生ぬるい風を巻き上げる歓楽街の通りで。

 

 

――――深海棲艦、海より軍勢を並べ組織的に鎮守府に侵攻する動きアリ。

 

 

 姫乃達が正式な提督になった矢先の嵐を感じさせる情報の為に与えられた休息を、艦娘二人は無為に潰していた。

 

 

 





☆設定紹介☆

※不知火〈艦娘〉

 能登姫乃が父親からコネで得た艦娘三人組の一人、駆逐艦。
 属性は『箱庭を壊す者』、表性は『破壊と再構築、現状の打破』、対性は『選別と切り捨て、秩序の否定』。

 提督である能登姫乃との相性は標準的なレベルで、つまり残念ながら夕立や川内などの突き抜けた組の艦娘達とは張り合うだけ無駄といったところ。
 が、火力の低い駆逐艦ながらその判断力と冷静さ、機転などから戦場で居てもらって嬉しい仲間ではある、というのが夕立と春也の意見。

 何故かタグに混ざっているので当初は重要なポジションのつもりだったが、初登場がかませになったのと電の会話頻度の多さ、あと三人一組の弊害でちょっと空気化が進行していたので慌てて扶桑姉様共々軌道修正中。
 属性だけ見たらなんか凄そうだった。
 実体が追いつくかは今後次第。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四章 逸走覚醒編
正義



 今回の話について、特定の個人や団体を誹謗中傷する意図はございません――――と予防線を張ってみる。
 というか、適当な考察をそれっぽく難しい言葉で飾り立てて実は大して意味は無い、自己矛盾上等ないつもの厨二。




 

 

 この世界において、人類の生存圏は限りなく狭い。

 既に滅びたが自分達の国を経度ゼロに定めると言い張る様な集団達からすれば東の果ての島国、その一地方にしか文明のようなものが存在しないのだから。

 『鎮守府』の提督達による深海棲艦との戦争は、その奮闘にも拘わらず真に安全圏というものを作り出すことが叶わない。

 

 その一方で、人類の“活動圏”はその面積のみで言えば存外に広かった。

 無論この場合の人類とは提督達のことのみを指すが、これは鎮守府の『海』と呼ばれる派閥による成果だ。

 

――――どのみち専守防衛では際限なく現れる深海棲艦にいつ押し切られるとも分からない。

 

 どれだけ陸地で頑張っても犠牲者をゼロには出来ない。それを口実に遠く遠くまで海を往き、敵を狩ることを求める。

 海域のより遠くへ行くにつれ強力な深海棲艦が現れ、それと比例して得られる練度もどんどん高くなっていく。

 それにより軍団を増強させ、太平洋に点在する島々に泊地を作り、資源と物資をやり取りしては代わる代わる提督を派遣し拠点を制圧・確保する。

 

 人類の大多数はいつとも知れぬ最期に怯えながら日々を過ごしているが、その大多数に当て嵌まらない者達は着実に深海棲艦の領域に楔を打ち込んでいるのだった。

 

 

――――それだけに、負けじと知性持つ深海棲艦もその楔を躍起になって抜きに掛かる。

 

 

 人間を殺すのが深海棲艦だ。

 それが逆に練度の為にまるで養分のような扱いとして駆られ、自らの縄張りに攻め込まれるなど許せることでは無い。

 

 生半な提督と艦娘では太刀打ちできない数と質を揃えて彼らを食い止め、殲滅する為に何度も何度も大規模な編隊を組み、怨念に黒く染まる海を行軍してくる。

 この数十年、確実に人類側が競り勝ちながらも、異形の数はまるで尽きること無い軍勢としてその襲撃を繰り返していた。

 

 そうした最前線に、この日春也達は向かっている。

 

「あっつ……」

 

「ぽいぃ」

 

「巡洋艦級二匹、二時の方向に居たので、掃除しました……えいっ」

 

 未だ敵影まばら、出てきても“出てくる前に”羽黒が全て沈めてしまう、そんな道程は雲ひとつ無い快晴の空の下だった。

 

 海原に照り返す直上の太陽。

 春也に近寄りたくてうずうずしているが近寄れない、それはそんな夕立や他の艦娘達が艤装から吐き出す熱のせい。

 

 既に緯度で言えば沖縄と同じくらいの場所にいるせいで季節感もへったくれもなく、ただただ身を焼く暑さに春也は額の汗をぬぐいながら辟易した。

 せめて視覚だけでも涼もうと周囲で跳ねる水しぶきの数を数えると、春也の前後に羽黒と夕立、少し遅れて姫乃に配下の三人組。

 

「やはり頭がくらくらしそうになるわね、羽黒の異能は」

 

「相手を倒したと報告してから攻撃を始めるのは、違和感が拭いがたいことは確かです」

 

「呼吸もだ。拍が狂うなんてもんじゃねえ」

 

 

「――――構わん。深海棲艦を効率的に殲滅する有能な艦娘を扱う提督。

 そうで在りさえするならば、過程は一切問わぬ」

 

 

 そして数メートル横に並んで二つ、大小の影が水面を滑走していた。

 当然電と航輔ではない。

 川内と雪兎でもなかった。

 

 鎮守府に初めて来た時に面通しされ、それ以後は数える程しか顔を見ていない上官の更に上官である短髪の男。

 確か厳島中将だったか、そしてその艦娘は――――、

 

「うー、提督ー。みんなおっそーい!!」

 

 露出の激しく目に鮮やかなトリコロールカラーの衣装。

 何故か艤装には引っかかったり絡まったりしない―――夕立や扶桑も同様なのだが―――腰元までさらりと伸びた金の長髪とそれを飾る長いリボン。

 小生意気そうだが人によってはそれが良いと言う人も多いだろう、幼けで愛らしい顔つきの少女。

 

 子供らしく堪え性のなく、それ以上に速さを求めて一行を急かす言動は、やはり春也の知る駆逐艦娘・島風のものだった。

 

「……」

 

「うわ、無視された!?」

 

「………島風」

 

「……もー、分かってますってば」

 

 不満げに文句を言う島風と対照的に言葉少なく主が応対すると、聞き分けよくそれを取り下げる。

 騒がしい性質のようだが川内と違って人を苛立たせないのは、その子供っぽさと悪意の無さだろう。

 

 それでもやっぱり沈黙が苦になるのか、その甲高い声で春也に話を振ってきた。

 

「ねー、あなた、うちの提督に訊かれたことある?『お前達の正義は何だ』ー、って」

 

「そういえばそんなこともあったな」

 

 無理に声を低くしても全然似ていない声真似に苦笑しながら、その問いに肯定する。

 

「あははは、やっぱり。ちなみに私の正義は“速さ”。速いって、いいことですよね!」

 

「ああ。いいんじゃないか?」

 

「あれ?新鮮な反応。みんなこう言うと最初はぽかんとするか『なんでそれが正義?』って顔するのに」

 

 そう言いながら逆にぽかんとした顔で首を傾げる島風。

 『~~そして何より速さが足りない!』のくだりを目にしたことくらいはある春也はそういう至上主義があることも知っているが、そんな意味のない例外はこの世界には当然ながら殆どいないらしかった。

 

「火力ガン積み論者とかソリティアで満足するしかねえ!とか。

 そういう結果よりもその過程の手段の方を目的化してる系統の話だろ?

 俺はいいと思うけどな、浪漫にこだわるのは」

 

「そりてぃあで満足?はよく分からないけど、火力をがんがん積むのも正義………。

 うん、浪漫ですね。話が合いそう!」

 

 実際に命が懸かる異形との戦争でも浪漫に走る事に突っ込む人間が居ないのはもはや当然なのでさておき、少し言葉を交わすだけで島風はとっつきやすく反応も良いので話しやすいタイプなのが分かった。

 少し高い波の上を走っても体幹のぶれもまるで無いままひたすら黙って前を進む、そんな巌を連想させる主とはやはり対照的だ。

 

 一度だけちらりと島風と春也の方を見て、そのまま何事もなく水平線しかない前方へ視線を戻す中将。

 雑談を黙認したのだろう、軍人然とした厳しい振る舞いと裏腹に規律に煩い訳でも沸点が低い訳でもないらしいが、それでも彼の艦娘としては島風は明る過ぎるように見えた。

 もちろん、彼女と主の相性が悪いということはないだろう。

 

『別格である元帥を除けば鎮守府最強。その実力、見て来るといい』

 

 そもそも新米の一提督である春也や姫乃が足元にも及ばない戦歴と実力と思われる、そんな一軍の将に命令され何故か最前線に帯同することとなった二人に贈られた雪兎の餞別の言葉だった。

 またぞろ奴のにやけ面に何の思惑があるのかはどうでもいいが、嘘を吐く意味も無いだろうし中将の実力に一切の不足が無いことは確実だ。

 

(この島風が、か―――?)

 

 内心戸惑いを少し含みながらまじまじと島風を見ていると、会話をふくらませようとまた新しい問いを投げてくるので、春也はそれに意識を戻した。

 

「じゃあじゃあ、あなたの正義は何ですか?」

 

「俺の正義………?」

 

 そんなことを聞かれても、と残念過ぎる答えを一瞬返しそうになった。

 ここまで繰り返し出るということは、“正義”がこの主従の祈りに密接に関わるワードなのだろうが、春也にとってはそうではない。

 

「正義って、要するに快楽だろ―――?」

 

「………!?」

 

 正義。

 

 そんな概念、現代人の春也の周囲には――――当たり前に溢れ返ってそこら中に転がっていた。

 

 正義とは、一面において悪に対する優越感だ。

 何かを間違っていると批判することで、間違っている悪よりも自分は優れているという優越感の快楽に浸れる。

 

 だから現代では多くの人間が熱心に何かを批判していた。

 価値のある何かを所有すること、確固たる地位を築くこと、それよりも誰かを貶め自分が上であると思いこむことの方が明らかに手軽で労力を掛けずに自尊心を満たせるから。

 

 そして、情報爆発の結果批判する対象も批判する為の理屈も探せばいくらでも出て来る。

 国、国家元首、政党も、企業にマスコミ公務員、社会制度に法律、人種に宗教主義主張に、特定の個人は勿論果ては創作の設定や登場人物にまで、その他より取り見取りで好みの対象を批判(けな)しそれよりも優れていると感じられる快楽は簡単に手に入った。

 

 そして人々は聞くに堪えない好き勝手な事でも言い放題な表現の自由という甘い蜜を貪り、『何かを批判できる、自分の意見を言える人間は立派だ』とおためごかしで遠回しに自己肯定し、『人の悪口を言ってばかりの人間に碌な奴はいない』という当たり前の真理に背を向ける。

 

 春也の両親は真っ当な尊敬できる二人だったが、悲しいかな社会には正義〈快楽〉に任せて何もかもを冷笑し、結果として熱く語るべき信念をその自覚も無く見失った人間がよく目立った。何せ彼らは“声が大きい”。

 そういう大人達を横目に見て育ち、ありふれ過ぎた正義という概念に幻想を抱かなくなった―――春也はそんな、ごくごくありふれた現代の若者だった。

 

「正義、正義、うーん……」

 

 考え込むが、しっくりする答えは当然出てこない。

 そんな春也に、厳島中将は何故か視線を戻し低い声で言った。

 

「正義をただの快楽と言い切るか、伊吹春也。

――――ならば何故、貴様の目はそんなに澄んでいる?」

 

「………はい?」

 

 男に言われても微妙な気分にしかならない言葉に意識が引き戻されたが、すぐに相手はそっぽを向いて前を見る。

 要領を得ずに首を傾げた春也に、島風が先の問いの答えを催促した。

 

「それで、出た?あなたの正義」

 

 その問いで求められているのは“冷笑”ではなく“熱く語るべき信念”だと判るだけに、難しい。

 思えば提督となる際にも似たように問われたが、あの時は結局ほぼはぐらかす形になってしまった。

 

 だがそんな春也の意識に島風と仲良く話す姿に不満そうな夕立が止まり……思い立って夕立においでと手を拡げる合図をしてみる。

 

「ぽいっ!提督っ、さーんっ!」

 

 意図を汲んで艤装を消しながら体重を軽くして飛びついて来る夕立を受け止め、島風に掲げるように両脇の下から腕を回して“あすなろ抱っこ”な体勢に移って一言。

 

 

 

「可愛いは正義、とかどうだろう?」

 

「「「…………」」」

 

 

 

「~~~っ、提督さん、夕立、可愛いっぽい!?」

 

 無言で冷たい視線を送ってくる島風とついでに姫乃達。

 半分本気、半分は変な空気になりかけた―――ほぼ自業自得だが―――場を仕切り直す為のジョークだったのだが。

 

 それに我関せず満面の笑みで懐の間近に振り返る夕立可愛いやっぱり俺の嫁、とごくごくありふれた(?)現代のオタクである春也の肩を、遠慮がちに後ろから叩くのは羽黒。

 

「司令官さん、私は……?羽黒は、可愛いですか………?」

 

「お、おう…。可愛い、と思う、かな?」

 

「……えへへ。ありがとうございます」

 

「「………」」

 

 羽黒は照れて笑っているだけだ、なのになぜ不安感が掻き立てられるのだろう。

 彼女も可愛いと褒めたこと自体は間違ってないと思うのだが、空気がさらによく分からないものと化す。

 

 敵の大群に立ち向かう最前線に、鎮守府の中でもかなり重要な地位を持っていると思われる上官と帯同。

 なのに道中は何故か緊張感とはまるで明後日な雰囲気に包まれていたのだった。

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※春也の正義論

 当然ながら、ヒネくれまくっている。
 育ちが良く、異世界に投げ出されてまず自分が大変なのに赤の他人の為にあれこれ世話を焼ける春也は、この終末世界においてははっきり言って狂人なレベルで正義感が強い部類なのだが、自覚がないというか自分を正義とするのを嫌がるお年頃(別名、高二病)というか。

 それにしても世間全体が嫌いになるような結論に達しているが、なのに“目が澄んでいる”のは、どんな汚い世界だろうが生きることの尊さを揺るぎなく信じているから。
 世界が輝いているから、人生は希望に満ち溢れているから、“だから”命は尊い。

――――なんだそれは?

 真に尊いモノに尊い理由など在りはしない。
 ケチが付けば堕ちる程度のモノは、所詮偽物だ。

 命のみが絶対―――戦いの中で滲み出し始めたその自分の本質を直視した時、彼の歩みは果たして“踏み出す”一歩なのか、それとも“踏み外す”一歩になるのだろうか。
 それはその時にならなければ、分からない。



………なんなんだろう、間違い無く善性なのにこのキチガイ臭は。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

英雄


 本作品では提督である人物以外に固有名詞を一切設定しておりません。
 そして判る人には判る痛みを恐れないっていうか痛さを恐れない黒歴史ムーブ………!





 

 

 見渡す限り青一色の大海原。

 

 途中嵐を避けて進路を曲げれば、その先で遭遇する深海棲艦にちらほらと空母級や戦艦級が混じる。

 羽黒の先制の一撃だけで問答無用に沈めるという訳にもいかなくなることがままあった。

 

 とは言っても春也の知識でいうエリートやフラグシップが出て来ることは稀で、そんな敵達に苦戦するほどではない。

 夕立と羽黒はもちろんのこと、姫乃配下の三人もここまで着実に練度を重ねている為危うげ無く戦陣を組んで異形達を返り討ちにしていく。

 

 当然ながら夕立と最初に演習をした時とは動く速さも射撃精度も判断力も見違える程の成長を遂げている不知火達。

 今なら異能を抜きにすれば夕立ともいい勝負を―――、

 

「―――できない気がする」

 

「ぽい?」

 

 陸上のそれよりは脅威でない人型の戦艦級の武装を『反射』と自前の砲撃で悉く潰し、しまいに組み付いて敵の頭蓋を素手で握り潰した彼女の姿を見ると、自分の艦娘ながらそうそう負ける相手が思いつかないのだった。

 血だか涙だか脳漿だか判らない黒くねばねばした体液と、それによって絡みつく“人に似ていたモノ”の頭部の破片を海水で洗う姿は慣れたものであり、夕立もまた不知火達同様―――いや同等以上の割合で成長を果たしていると判る。

 

 だが、それだけに更に上の実力というものもなんとなく見えるようになってくる。

 無論島風のことだが、――――いや、彼女の能力を測るのに定規の長短を論じたところで意味もないか。

 

 

「わたしの正義は“速さ”。じゃあ速さって何なのか、知ってます?」

 

 

 移動中、島風は春也にこう問うた。

 『一定の時間でどれだけの距離を進めるか』、春也が深くも考えずに返したのは学校で習うような学術的な定義だったが………島風は違う、と断ずる。

 

 波間に静かな波紋だけを残し、瞬間見失いそうになる彼女のほっそりした足は、巡洋艦級を盾にして後列に控えていた空母級の顎を閃光の如く撃ち抜いた。

 彼女はこれまで一発の弾丸も使っていない、構えて狙って撃って弾丸が相手に辿り着いて当たる――――そんなものを悠長に待つより、自分が近付いて殴って蹴る方が手っ取り早いから。

 

 敵が反応する暇も無い、目にも止まらぬ動き………だがそれそのものは『速さではない』と島風は断ずる。

 

「一瞬の内に時が止まったみたいにたくさん動ける?誰も触ることができない速さ?

 そんなの、何の意味も無いです」

 

 重要なのは、目的地を定め、いかにそこにすぐに辿りつけるかだろう。

 方向を定めなければその邪魔にすらなりかねない“加速力”には、島風は重要性をさして見出せない。

 

 そんなものよりも重要なのは、最短を進む為に邪魔なものをどれだけ排除できるかだ。

 そう、進路上の障害物は悉く砕き、目的地に他者がいればそれを抹殺し、『自分こそが先駆にして正統』と主張すること。

 

 そう、それこそが“速さ”。それこそが“正義”。

 

 

「速さって――――破壊力のことだと思わない?」

 

 

 空母級の首どころか上半身が、その盾となっていた巡洋艦級に前へ倣えして木端微塵に吹き飛ぶ。

 二体の巨躯がまるで無傷の島風とぶつかった結果がこれというのは、ある意味夕立のそれと近しいものがあった。

 

 まっすぐ突っ走れ、邪魔なものは全部ぶち壊せ。

 

 島風の信念、ひいては提督である厳島中将の祈りを体現した結果の異能。

 春也達に合わせて同じ程度のレベルで形成されている段階でのそれは、島風に“突破貫通”の性質を与えているのだった。

 

 

 

――――。

 

 何が言いたいのかというと。

 

 夕立と羽黒で十分過ぎるくらいなのに、そんな島風が加わったことで、深海棲艦ひしめく前線基地までの道のりも危うげなど無いのだった。

 どちらかというと戦闘よりも進路の計測に集中していた天龍の導きで、春也達一行は遥か南東の諸島に辿り着く。

 

 その中でもやや東寄りに位置する、長さ十キロメートル程の細長い島に前線基地はあった。

 熱帯の気候の中涼しげな服装が目立つが、人が行き交う頻度や雰囲気は『鎮守府』のものと大差は無い。

 物資も滞りなく輸送されているのか道行く人から感じられる士気も高い。

 

「暑いわ。ただこの暑ささえなければ、どこかで方角を間違えて鎮守府に逆戻りしたのではと思ってしまうようね」

 

「おいおい……他でもない姫が、この天龍の感覚を疑うってか?」

 

「いや、やっぱりここは前線なんだろうな」

 

 大規模戦闘が近いからであろう、ぴりぴりと神経に触れかけてくる少し張り詰めた空気を感じながら、しかし春也は別の観点から『鎮守府』との差異を指摘する。

 

「おーおーいるいる。長門に武蔵、大井に大鳳、加賀も……向こうなんか雪風が三つ子みたいに並んで歩いてて超シュールなんだが」

 

「あっちは、五航戦っぽい?まっとうな艦娘の………たぶん?」

 

「云われの無い鶴姉妹の風評被害について、と」

 

 『鎮守府』に比べて、細かい砂の敷かれた道を歩く艦娘達の比率として戦艦や空母の占める割合が高いのが一目見て判る有り様だった。

 駆逐艦や巡洋艦にしても、春也の知識の中で同艦種別で性能をランク付けするなら上半分に入るような艦娘が殆どになっている。

 

 性能は正義――――普段色々な提督と共同で戦うような機会は無い為つい忘れがちだが、異能持ちの春也は圧倒的少数の側だ。

 異能を持たないなら、モノを言うのは艦娘の純然たる兵装としての性能。

 初めて出会った時に姫乃が戦艦の扶桑をこれ見よがしに自慢していたのも決して故なきことではない。

 

 辿り着くことにすら幾多の戦闘を強いられるこの前線基地に詰めるような提督達は、自然と己の配下も“精鋭”でまとめることが当たり前になっているのだろう。

 あるいは自然な淘汰と餞別の結果と言うべきか。

 

 もはや艦娘達が目の前を歩いているのも見慣れた光景であり今さらなにか感慨を覚えることも無いが、新鮮な顔ぶれを見回す春也は別の感想を呟いた。

 

「しかし、やっぱ中将って偉い人なのな。顔をぱっと見ただけで全員が道を空けて敬礼するのか」

 

「何を言うかと思えば、あなたねえ………厳島中将と言えば、今の人類の生存圏の基盤を造り上げた正真正銘の英雄でしょうが」

 

「英雄?」

 

「『厳島の奇跡』―――“かしこき方”を含めた約一万八千人の避難を指揮し、現在の鎮守府のある要害の地に防衛戦線を張った主導者。

 彼無くして今の人類はあり得ず、そしてその実力と公正さからも全ての提督の模範たるべき存在とされているわ」

 

 この前線基地に到着するなり、先方の責任者に挨拶すると言って島風を連れて別行動を取った男。

 結局深いコミュニケーションは取らなかったが、何やら御大層な経歴を持つ傑物であるらしかった。

 そんな“常識”を丁寧に教えてくれる姫乃は、しかし話の内容の割に気の入らないどうでもよさげな口調である。

 

「教えてくれてどーも。で、何か含むところでもあるのか?」

 

「特には。あったとしても、こんな往来で堂々と言う訳ないでしょう?」

 

「それもそうだ」

 

 むしろ特に何も含むところが無いからこその態度なのだろう。

 そう同僚を分析する春也に、彼女とは違うベクトルで抑揚の少ない声が掛かる。

 

「少し気になったのですが」

 

「あ?どうした不知火」

 

「伊吹春也、あなたはどういう身の上なのですか?誰もが知る常識を知らないようで、様々な艦娘を一目見ただけでその名を言い当てることができるなど、不思議な偏りが見えます」

 

「………私も、少しだけ気になります。無論、過去を詮索するつもりは無いので、答えたくなければ結構ですよ?」

 

 常日頃から声に感情が乗らないよう注意している、その結果の静かな口調の不知火に、扶桑が同意する。

 どう答えたものか、と春也は一瞬考え込んだ。

 

「提督さん……」

 

「あ、あの、司令官、さん……!」

 

 そして、事情を知っていて萎れた声で見上げてくる夕立と、まだ胸の奥で確かにある痛みを共有したのか何かを言いたくて言葉に出来ない羽黒の声と。

 それで郷愁の念を無いモノとして扱うのに十分過ぎた。

 

―――だからもう、笑って誤魔化せる。

 

 

「そうだな。『天国から来た』って言えば、信じるか?」

 

 

 それはこの地獄〈イセカイ〉に対する、精一杯の皮肉でもあったけれども。

 

 

 

 

 

――――。

 

 厳島は、春也達に休息の自由時間と余裕を見た集合時間を言い渡し、この基地のリーダーである男との会談に臨む。

 事実上の“海”派閥のトップでもあるその男、だが知己である彼に気負うことなどなかった。

 

 近くに寄ったから挨拶と雑談、ついでに援軍としての形式的な代表の面通しという程度の話合いである。

 そして向こうからすれば、その“ついで”として扱うことすらどうでもいいものであるらしかった。

 

「厳島龍進中将、以下少佐一名少尉一名、今回の深海棲艦迎撃作戦に参加させていただく。

 今後我が臨時小隊は――――、」

 

「ったく相変わらずだなてめーは。いいっての、祭りなんだから好きに楽しんで来いや」

 

「……自由裁量権を与えられたと解釈する」

 

「くくっ。くっそまっじめー」

 

「提督。提督が楽しそうで榛名は何よりですが、あまりご友人に煽るようなことをするといつか怒られてしまいますよ?」

 

 戦場に立つ者には一見見えない線の細い優男、だがその目つきだけが餓えた獣のように研ぎ澄まされている友人を、彼の隷下……というより秘書艦なんて言われて彼の基地の長としての裁量を全て丸投げされている戦艦・榛名が窘める。

 厳島にとっては相変わらずのやり取りに、心なしかその鉄面皮も一瞬和らいだ。

 

「構わない。こうして私に着飾る事の一切無い言葉を投げるのは今や貴公くらいのものだ。

 とはいえ、着飾らなさ過ぎるのも問題ではあると思うが」

 

「そっちも相変わらずみたいですね!」

 

 周囲を見回すまでもなく人が十人も入れば何もできなくなるような部屋。

 『鎮守府』で厳島が使っている部屋とは似ても似つかない簡素な作りのそこが今の会談場所となっている。

 窓が開け放たれて風通しがいい、それだけがこの南の島で重宝されている理由なのだろう。

 

 そしてホストである友人も、その衣装は綿生地で袖や襟の広いラフで簡素な着物。

 中将を示す金の剣錨巾は榛名に持たせ、それで時折甲斐甲斐しい汗拭きをさせる正真正銘の手拭いとして使っている有り様だった。

 この部屋で客の厳島と島風を除けば、一番華やかなのは飾り紐などで装飾を施された巫女服としなやかな黒髪を整える金属の髪飾りが目映い榛名で、むしろ唯一の異端と言えるほどだ。

 

「相変わらず、はお互い様だろ。英雄様も大変だなァ?」

 

「………」

 

「また新人連れて探求ごっこか。それで答えは見つかるのか?」

 

「さあな」

 

 英雄。

 厳島の両肩に幻想を乗せ、背中に憧憬を浴びせる肩書の実態を、その原因となった事件から今自分が何を求めるようになったかまでこの男は知っている。

 そして同様に、この友人のことを厳島は知っていた。

 

 刹那的、享楽的、命のやり取りが何よりも好きで、野卑野蛮。

 健気に彼を慕う榛名やこの場にいない他の艦娘達を、時に苦しめ時に弄んで気儘に愉しむ歪んだ性根。

 

 だがそれだけでも無いことを、厳島は知っていた。

 

「―――おい、龍の字。今回の祭りだが、要は最後は派手に燃え尽きようってことなんだろうぜ」

 

 突然の端折った言い回しは、自分の為の忠告なのだとすぐに理解できる。

 

「……時間が無い、と?」

 

「つーかよく保った方だ。もともと虫の息の『餓鬼道』が巻き返す目なんて有り得なかったしな」

 

 双方ともに常人より頭の回転は良い部類の為、一部を省略して外から聞くと意味の通じにくいやり取りを交わす。

 だがその重大さは、交わす視線が鋭く空気を張り詰めさせる様子を見れば伝わるだろう。

 

 二人が語るのは、そう遠くないこの“終末世界”の辿る道について。

 

「だから急げよ?お前の探す答えが永遠に見つからなくなる日も、このままだと近いぜ?」

 

「敗残の邪神は完全に消滅し、今上天の理は完成する。そうなれば――――」

 

 

―――伊吹春也は、この世界のちぐはぐさに違和感を覚えることが何度かあった。

 

 だが、確かにこの世界の名は『艦隊これくしょん』だ。

 いまだ不完全、と但し書きが付くだけで。

 

 そして―――この世界が完全に名実を共にした場合どうなるかに考慮が及ばないのは、無意識にそれを避けたがっていたのは、致し方ないだろう。

 

 

 

「――――その時提督ではない人間は、全て滅される」

 

 

 

 そう、この世界が真に『艦隊これくしょん』であるのならば。

 提督と、艦娘と、深海棲艦………それ以外に登場人物〈ヒツヨウ〉など無いのだから。

 

 

 





☆設定紹介☆

※提督(巡恋歌)

 鎮守府内の“海”派閥のトップとされている人物。
 実態は神輿であり、本人は深海棲艦相手に殺し合いができればなんでもいいので無頓着。
 そして真面目に人類を憂いた結果、深海棲艦への攻勢を主張する下の者たちにも無頓着。
 このままだと提督以外の人類全部消えるんでそれ無意味だから、と言ってあげないのはただの悪趣味。

 “この世界の真実”に気付いているのは厳島龍進や水月雪兎など異能を深いレベルで扱いこなし、その状態で長く生きている一部の者に限られるのだが、こいつはこいつで何か異界の理とかそういうレベルじゃない異次元の法則で動いている。
 だが、それ故に彼が物語の本筋に関わることは一切ない。
 関わる気も一切なく、仮に人類滅びても本人は毎日楽しくヒャッハーしていることだろう。

 指揮する艦娘は榛名、金剛、瑞鶴、鈴谷、曙、雷、夕立、そして――――。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

創造


 みんな大好き詠唱の時間だいやっほおおぉぉぉぉぉぉおぉぉっぉぉうい――――――――!!!!!!!

………テンション上げとかないと死ねる(後で死なないとは言ってない)






 

 誰もが希望を抱けぬ暗黒の世界で。

 自分こそが正義を為して道を切り開くのだと、信じていた―――。

 

 

 

 英雄。

 

 深海棲艦の跋扈する中一万八千の大移動を完遂し、危うい均衡の上とはいえ現在の安定した状況を築き上げた立役者。

 なるほど言葉にすればなんと立派なことか。今や実態を知らぬのが大多数なれば尊敬の念で自分を仰ぎ見る者らも分からぬではない。

 

 それでも厳島龍進は、その言葉と視線を向けられる度に背に重い何かが積み上げられる感覚が打ち消せないのだ。

 

……そもそもあの時は移動というよりは形振り構わずの撤退戦、それも足手まといと“絶対に傷つけてはならぬ”護衛対象を庇いながらのそれに、英雄という言葉にまつわる華々しさなどありはしなかった。

 遅々として進まぬ集団移動、いつどこから襲ってくるか判らぬ怪物達、そして日に日にやりくりに支障を来たす物資。

 

 それでも提督や艦娘の数自体が今ほど揃っていなかった時代、“あの元帥を除けば”当時ほぼ唯一異能を持っていた厳島が、その根拠となる固い信念の下リーダーシップを取りなんとか生きる為に前へと進んでいた。

 燃えるような正義感を胸に、あまりに多過ぎる人々をそれでも守るのだと魂に誓って。

 

 だが、皮肉にも進軍の最大の障害は内側にあった。

 極限状況にあって、人は己の理性と善性を試される。

 特に組織だった集団の中では、時に獣よりも醜い理論を振りかざす。

 

 老人や子供、弱い者から分配された食糧を恐喝する者がいた。

 過酷な歩みに体調を崩した者に、苛立ち紛れに暴力を振るう者がいた。

 諦観から愚痴愚痴と怨嗟や後ろ向きな発言を垂れ流し、士気を下げるだけの者がいた。

 

 もちろん厳島はじめ志ある提督達は、まずそれらを抑えようとは試みた。

 だが提督という絶対的な暴力を持つ者に逆らうものはいなくとも、目の届かぬ影での悪行は止まらない。

 また提督の本業は深海棲艦への対処であり、こんな“守られているだけの者達”が起こす面倒にかかずらわされることにフラストレーションが溜まっていく。

 

 澱んだ空気と蔓延する負の感情。

 遠からずこの大集団は崩壊する―――それは厳島にとって予感ですらなく、予測の域であった。

 

 だから、彼は自分を曲げざるを得なかった。

 

 

 全体の一割、それでも二千に及ぶ“下から数えた”問題のある人間の足を切り、化け物共の釣り餌にした。

 

 “足を切った”のも、“釣り餌にした”のも、正真正銘文字通りの意味で。

 

 

 効果は覿面だった。

 

 殺戮衝動に任せた陸上種が手近な獲物に夢中になり、残りが少しでも遠くまで進む時間を稼ぐのも。

 少しでも身勝手に振る舞えば次ああなるのは自分だと、人々が集団の秩序を順守することに実に熱心になったのも。

 

 実に効果があり――――だから仕方なかった。

 見捨てないでくれという懇願、悔恨に塗れた悲痛な謝罪、駆けて逃げようとすることすら出来ずに漏れ出たほぼ発狂した悲鳴。

 それら一切を耳から排除して置き去りにし、恐怖で民衆を統制した外道の所業は、仕方ないことだったのだ。

 

 

 

―――――そんな訳が、ないだろう!!!!!

 

 

 

 そう叫ぶことは立場が許さなかった。

 己自身を責め苛む正義感の落としどころとして、全てがひと段落した時、せめてもの禊として自裁することを決めていた。

 

 そんな彼に人々は………笑顔で感謝した。

 助けてくれてありがとう、あなたは沢山の人の命を救ったのだ、誇るべきことをしたのだ。

 

 そう言ってくれる人々の。

 悪意の無い笑顔が――――彼を壊した。

 

 正義とは、その程度のものなのか?

 

 結果さえ良ければ行動の是非など思惑の所以など善悪の如何などどうでもいい、そんなぶれて折れ曲がる柔な代物が、己の根底を支える『正義』だったとでもいうのか。

 

………。

 

……………否。断じて否だ。

 

 自分は知らなければならない。

 こんな結果に左右されるような代物ではなく、どんな現実にも曲げず屈せず、仕方ないなどという戯言をどこまでも砕いて真っ直ぐに貫き通せる、本当の『正義』を知らなければならない。

 

 その渇望が、厳島を導き次の位階へと押し上げた。

 

 

 

【――――光よ、暗黒の海原に標を示せ】

 

 島風が、雲行き不吉な空に詠唱(うた)を響かせる。

 視界には数えるのも億劫な大小様々の敵影、生理的嫌悪を掻き立てる濁った黒もここまで海を埋め尽くすと地獄そのものだ。

 

【――――輝きに偽りあらざれば、掲げた剣が応(いら)えを兆す】

 

 大して傍に控えるはまだまだ新人の域を出ない春也と姫乃、そしてその艦娘達。

 厳島と島風にはそれで十分だった。

 友からもせいぜい楽しんでこい、という餞と共にそう判断されてこの戦線の一角を任されている。

 

【――――盾は要らず。その刃、遮光遍く斬り伏せる】

 

「深海棲艦共とも違う。なんか、空気が……!?」

 

「提督さん、今から起こることをしっかり見ていて欲しいっぽい。そしていつか夕立を……」

 

 そして人々を脅かす異形の撃滅、それすら今の厳島にとって瑣末事だった。

 本命の、おそらく見極めの最後のチャンスになるだろうと覚悟して目をつけた伊吹春也に、進化の可能性を見せつける。

 

 その代償に、見せてくれるか、教えてくれるか。

 正義をただの快楽と言い切りつつも、人々の生命の為に全霊を懸けるお前なら。

 迷いも理不尽も一切を砕く、本物の『正義』を貫くということの意味を――――。

 

【――――猛りて退かず。鬼神の理にて妖光の煌めきを貪り喰らう】

 

 

「創造〈つきぬ〉けろ、島風!」

 

【“衝貫・勇往瞬神〈Lightning-bringer〉”―――――!!!】

 

 

 本当の正義を知りたい。

 

 その渇望が、霊式祈願転航兵装たる島風を媒介として表出するのを飛び越え、理として世界を侵蝕する。

 漏れ出た祈りが異界の法則となって世界を塗り替える。

 

 この場この時に限り、世界を支配しているのは『餓鬼道愚現天』でも『■■□□□□▽□』でもなく、厳島龍進の渇望である。

 その支配者の恩恵を与る唯一の存在である島風が、厳粛に降りた帳のような閉塞感の中で―――、

 

 

 

「あれ?どこ見てるのー?」

 

『『『,,,,,,,,,,,,,gg?』』』

 

 

 

 消えた。否、海を埋め尽くした深海棲艦の壁を挟んで、真反対側に佇んでいた。

 そして先ほどまで彼女がいた場所と現在地を結ぶ線上の物体、その一切合財が。

 

 捻り断たれ捩れ軋み暴れ狂い揺れ飛び弾け散り轟き荒れ塞ぎ砕け凍え混じり分かたれ腐り震え反発し燃焼し―――――破壊され、消滅する。

 

「く、ぉぉぁっ!?」

 

「司令官さん、こっちです……!」

 

「きゃ、ぅ……っ!!?」

 

「姫、掴まって!!」

 

 海が啼いた。波が我を失った。空が断罪に喘いだ。

 そんな意味不明の隠喩で無理やりに表現しなければならないくらいに、轟音と共に全てが乱れる。

 

 風も水も、温度も圧力も、空間も時間すらも一定の秩序の中に安住することが許されなかった。

 暴風と爆風と旋風と、そして高波一つにさえ翻弄される春也達と、直だ中に在って消し炭すら残せない有象無象の深海戦艦、そして何食わぬ顔で平然と佇むのは厳島と島風のみ。

 

――――“創造”された世界の恩恵を一身に受ける今の島風は最速に他ならない。

 

 正義は速さ、そして速さとは破壊力。

 

 どんな障害にも負けない真っ直ぐな本物の正義を知りたい、その祈りは直線上の万象を薙ぎ伏せる力を島風に与える。

 いまや距離と言う目に見えない障害物をもぶち抜き、目的地に誰より先に辿り着く彼女は光速すらも超えていた。

 そして“破壊”の力でそれを為した結果空間や時間がどうなるかなどどんな物理学者にも想定し得ないだろうが、配慮も制御も投げ捨てた一つの結果例が確かにそこにあった。

 

 島風はただ移動しただけ。

 その余波で、たかだか“移動した”そのついでで、深海棲艦の軍勢にずたずたの裁断線が走る。

 

 それでも数を揃えた異形の軍勢は、動けるものならば一割も削れていない。

 だが、ただの一跳びで悪夢のような被害を叩き出した島風とて消耗など鼻で笑う程度のものだ。

 

 

「よし、それじゃあひとっぱしり、付き合って!

 

――――行こ、連装砲ちゃんたち?」

 

 

 あどけなく、無垢に、そして残酷に島風がワラう。

 虚空から彼女の周囲を囲むように顕現した艤装は、二つ連なった砲と砲台に愛嬌のある顔が描かれた灰色の物体、その数、四。

 弾丸より速い彼女に砲撃は必要ない、ただ島風同様に全てを消し飛ばしながら“かけっこ”してくれるだけでいい。

 

 形無き破滅を置き土産に、線条が全てを射ち貫いていく。

 

「反撃らしい反撃は来ない……“姫”や“鬼”は居ないか、居てもこれに抵抗できるような個体ではなかったということか」

 

 五条の暴虐が戦場を草刈り場へと変える光景の中、表情一つ動かさずに一人ごちる厳島。

 立っているのにも困難であるにも関わらず、運よく水中などで辛うじて死滅を免れた生き残りが“逃げる前に”容赦なくトドメを刺すように羽黒に指示することを優先する伊吹春也を暫し見つめて、そして視線を戦いにならない戦いをしている島風に戻す。

 

 “最速”の彼女と彼女の操る艤装達で敵軍を薙ぎ払うのに大した時間はかからない。

 あまり待つこともなく、不完全燃焼気味で不満そうな表情をしながら島風は動きを止めた。

 

 そして一瞬戻ってくる静寂の中、不平を響かせる。

 

 

「あれ?どいつももう逃げ出すことさえできなくなってるの?

 

――――むー、みんな、おっそーい!!」

 

 

 その理不尽な言いがかりは、果たして幼稚と形容するべきか。

 あるいは傲慢と評するべきか。

 

 春也達は撃ち漏らしの掃討を羽黒が終えて一息ついているし、姫乃達は鎮守府最強の実力を目の当たりにしてへたり込んでいる。

 数多く居た異形達は、残骸が残っていればこれ以上ない幸運という有り様。

 そんなくだらない問いに答える者は、この場に存在しなかった。

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※創造(術理)

 現時点での春也の形成位階の一つ上、将官が辿り着いている位階。
 ごく僅かな理の改変ではなく、己の祈りによって周囲の世界そのものを侵蝕することによって異能の力は飛躍的に高まっている。
 以前形成での異能を映像の加工編集に例えたが、創造では映像をフルCGに置き換えているようなものであり、その難易度も影響力も当然ながら段違いである。
 型月でいう固有結界みたいなもの………とは微妙に違うか。

 その威力は本文の通り、島風の場合進路上の一切を空間ごと消し飛ばしながら瞬間移動し、歪んだ空間はガン放置の為その反作用で局所的な“天災”を巻き起こす――が、一応彼女をこの作品のこのレベルでは肩書通り最強格として設定してるので悪しからず。
 結果「迷惑テレポート娘」「こんな仮面ライダードライブは嫌だ」と化してるのはご愛敬。
 そしてギリギリまで島風コスの長門にして「みんなおっそーい!」とか言わせてネタに走ろうか迷っていたのは内緒。

 対処法?マキナの拳とぶつかったら流石に死ぬんじゃないかな(投遣)

 そして最後に重要な点――――発動時に † 詠 唱 † がある。


…………ふう。さて。


 ごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろごろっっっっ!!!!!!()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏側


 人によってはかなり不親切設計な回。
 が、分かる人には大体の世界観設定が把握できてしまう回。

 設定を次々考えるのは仕方ないとして
、明かす順序とかやり方とか工夫しないとアレですよね。
 創作って難しい。

 とりあえず舞台裏で頑張ってる子がいます、くらいの感じで読んでいただけると。




 

 

――――まず感じたのは『不信』。

 

 人は嘘を吐く。人は裏切る。

 いかな荘厳な言葉で取り繕ったところで、いかな綺麗な理屈で誤魔化したところで、それは否定しようも無い事実だ。

 人が人として知性と理性を持ち、言語という間接的な手段でしか意思を交わせない以上、そこに純粋な真実のみが居座る余裕はどこにも無い。

 

 大人、人格者、聖人ぶってみたところで背信と無縁でいられる者など何処にも存在しない。

 

 それは、抱える疑心が晴れる日は永遠に来ないという不条理を意味していた。

 

 苛立ちしか覚えない。

 

 一樽のワインに一滴でも汚泥が混じれば出来上がるのは一樽の汚泥だという。

 思い遣りだの誇りだのと人間の美徳をどれだけ並べ立てても、同時に他者を欺き踏みにじる悪意があるのならば“それが人間の真実”だ。

 

 

――――なのに何故人間はそんなに綺麗な皮を被っている?

 

 

 美しいあなたを見て恋をした。

 真剣な君の顔を見て信用する。

 利発そうな子で期待が持てる。

 

 汚泥なら汚泥らしく、おぞましい化け物の姿でもしていればいいのだ。

 なまじ無害そうな外見と繊細で脆い肉の体が、その内に秘めた黒いものを見誤らせる虚飾となる。

 

 小賢しい。癪に障る。

 何よりも害悪なのは見た目を取り繕うその殻だ。

 

 だから自分は真実を写し出す鏡となろう。

 衆生須らくその悪意を解放しろ、己の認めるのは一切の御託の介さぬ純粋な闇なのだから―――。

 

 

 

 それはかつてこの終末世界そのものを包み込んだ渇望(いのり)であり、そして『神座』から彼自身が蹴り落とされた原因たる敗着点だった。

 

 

 

「祈りに貴賤は無い。正も善も、渇望を測る概念としては不的確。

 だとしても――――徒に誰かを踏みにじり、無為な涙を流させるのならば、貴方は邪悪に他ならない」

 

 光届かぬ深海。

 生半な存在ではその身に襲い掛かる圧力で自身を保つことすら儘ならないこの空間は、殺人の異形達の本拠と呼ぶべき場だった。

 

 邪神がいる。

 

 海をどれだけ航行してもたどり着けない、純粋な現実とは言い難いその空間。

 それを埋め尽くす小さな星と見紛わんばかりの巨体は、生理的嫌悪どころか常人が見れば比喩抜きで目が腐って発狂しかねない濁々とした黒を体表に貼り付けている。

 規則性など欠片も無くあちこちから不恰好に蠢く触腕を生やし、その末端からは毒とも瘴気ともつかぬ黒い何かを水中に撒き散らしていた。

 

 そして異形の長に相応しいその不定形に従い控える様に、見るからに凶悪な砲や重厚な船体装甲を備えた人型の深海棲艦が漂っている。

 

 全て叩き伏せられ、残骸となって漂っている。

 

 空母も戦艦も泊地も、肩書きに興味は無いとばかりに悠然と佇み、一人堂々と邪神に相対する艦娘がそこにはいた。

 艶やかな桜の装いが似合う黒髪乙女、戦艦・大和。

 大掛かりな砲身をすらりとした両腰に備え、並の男を上回る長身の存在感がそんな艤装に負けずむしろ見事な威風堂々を体現していた。

 

 万人の目を惹く美貌に反し、彼女を観測し得る者など当然ながら敵ただ一人。

 お互いにその事実に何ら思うことがありよう筈もなく、“何万度目かの”激突を再開する。

 

「己が意に沿わぬ全てを奪い、喰らわんとする邪悪。故に―――――」

 

『――――――!!』

 

 黙した襲撃………持たなかったのは発声に必要な器官か、理性か、それとも意思か。

 触れるだけで数百の尉官級の艦娘を死に至らしめる暗黒の瘴気を纏った触腕が大和を襲う。

 直径だけでも彼女の身長を優に超える猛毒の質量を………羽虫とまるで変わらない無造作さで振り払った。

 

 幾多ものうねる黒条が次々と振るわれるが、海水を猛烈に撹拌しながら目にも止まらぬ速度で迫る猛威は大和の細い眉一つ動かすことが叶わない。

 見切り、捌き、弾き、さらりと掴まれては即座に捻り切られる。

 目眩がしそうな質量差と裏腹に、圧倒しているのはどう見ても等身大の艦娘である大和の方だった。

 

 それでも“鬱陶しいと思わせる程度のことは出来た”のか―――彼女の腰に備え付けた砲が轟炎を噴き上げる。

 

 直撃。三光年の彼方へ、深海を突き抜ける。

 

「いたぶる趣味はありませんが、敗者の定めです。

 全てを奪おうとした代償は、………何も為し得ないまま、全てを奪われ朽ちることのみ」

 

 肉眼で観測するなどという考えが鼻で笑われる程に吹き飛ばされた邪神に、しかし尚も精密無比な弾道が掠める。

 邪神の表面と触腕のみを削り取る火炎の帯が、刹那の内に都合二十八。

 その数と同じだけ筋状に剥ぎ取られた邪悪の殻が、いっそ哀れな姿を晒しながらも歪に再生し元の形に戻ろうとしていく。

 

 それを大和は、開いた距離を浮遊した体勢のまま、光よりは遅い程度の速さで詰めながらも更なる追撃は行わなかった。

 

………スケールが違う。

 

 上下左右に果ての無い深海という矛盾した特異の地点にて、一撃一撃が数多の星を砕く神威を何億回でも繰り出す“戦艦”大和。

 表層の世界において繰り広げられる殺し合いをまるで蟻だと嘲笑うような規模の戦いは、しかし■■した主の渇望の恩恵による異能によるものではなく、ただただ彼女に許されたスペックを発揮しているに過ぎなかった。

 

 それはかつて世界を地獄に叩き込んだ邪神を単独で敵に回しても尚圧倒的優勢を保っている。

 

………当然の話ではあるのだが。

 

 邪神は一度敗北し貶められたから邪神なのだ。

 新たな理が異形を『深海棲艦』という型に嵌めることで許容しているから、防衛に特化している訳でもないそれが未だに存在できている。

 しかし敗者の烙印を押されている以上、“生まれ直し”でもしない限りは勝者の側にある大和に利があった。

 

 だが、それが故に。

 

『―――――!!』

 

「てぇっ!」

 

 着弾点を疎らになるようにしながら、副砲を連射する。

 煙とばたつく触腕を悲鳴の代わりにする標的を、“殺してしまわないように”注意を払う必要があった。

 

 邪神を殺すということは旧世界の名残を完全に消し去るということ。

 そうして完成する新世界は、『人間』は誰一人として生命を紡ぐことの出来ない地平にある。

 

 それは、大和の主が望んでいる事ではなかった。

 

 邪神が勢力を巻き返して旧世界の地獄を再来させることの無いように叩き続けながらも、過大な神域の力を制御して相手を仕留めきることが無いように、生かさず殺さずの戦いを何十年も繰り返す。

 それによって表層の世界の均衡を保つという繊細で気の遠くなる業を背負い続ける理由は、提督の願いに寄り添う愛情と忠誠心、そしていたわり。

 

 己を追い詰める艦娘の大和にかつての邪神が疑った嘘偽りが露ほどにも無いのは、どこか皮肉めいている。

 

「まだまだ………この大和、運命(さだめ)の許す限りお相手しましょう。

――――もっとも、そう先のことではないようですが」

 

 主との繋がり一つで長き闘争に浸り続けた彼女の独白には、どこか愁いが混じっていた。

 正真正銘、神の力を振るう大和ではあるが、それは全能を意味している訳ではない。

 そもそもこの世界の『神』というシステムがそんなに便利な代物ならば、あらゆる意味で現状の事態にはなっていない。

 

 殺さないように手加減しても、殴り続ければ衰弱するという当たり前の理屈。

 

『――――』

 

 そして、隙あらば逆転を狙おうと身を削って瘴気を発散し、『深海棲艦』を活性化させる邪神の行動自体が消耗を加速させている。

 深海の中で立ち昇り世界に拡散していく悪意を見送り、また暫く提督達と深海棲艦の戦いが激しくなることを理解しつつも、大和は己の戦場に向き直った。

 

 邪神との戦いと言ってもやっているのは所詮時間稼ぎ、いつか破綻を来し敵を殺さざることを得なくなるのが分かっていながら、彼女の心には一点の曇りも無かった。

 

 

「それでも、大和が絶望に屈する事はあり得ない。

 提督ある限り、決して折れません!」

 

 

 何十年、顔を見る事すらできていなくとも、その存在こそが彼女を構成する全て。

 だから、大和は主が望むままの大和で在り続ける。

 

 残酷な世界ながらも多くの人々が生きる均衡を保ち続ける影の功労者。

 見返りなどどこにもなくとも、彼女は望まれた“憧れの正義のヒロイン”を貫き続けていた。

 

 

 





☆設定紹介☆

※大和(艦娘)

 『この世界の』“メインヒロイン”にして全ての艦娘の原型。
 彼女のみ同名の別艦娘が存在しないオンリーワンであり、性能・在り方・存在価値などあらゆる面で最も恩恵と優遇を受けている。

 属性は『頂点に立つ者』、表性は『勇気・愛情・忠誠・仁慈』、対性は――――『存在しない』。

 有象無象の艦娘・深海棲艦と文字通り次元の違う領域にいる完璧超人だが、彼女と互する、或いはその見込みのある艦娘を有する提督のみ元帥から“大将”の階級というか称号が与えられる為、現状『鎮守府』では中将が事実上の最上位となっている。

 インフレ極まっ………もとい世界の特異点にてラスボスをトドメ刺さないようにフルボッコし続けている為、暫く再登場はあり得ない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

迷走


 ただでさえ毎回お待たせして申し訳ないのに、暫く更新速度が更に落ちるかも………。

 おかしい、これから暫くぽいぬの出番が無いってだけで執筆速度ががが(中毒性並みの感想)





 

 深海棲艦がその攻勢を活発化させる。

 

 凶暴性と残忍さ、そして何より普段よりも統一性を持って軍勢を組み、何処とも知れぬ水平線の彼方から押し寄せてくる。

 この世界で一定周期をおいて度々発生するその凶事のメカニズムを把握している人間は殆どいないが、元より前線で戦う者にとってはその仕事が厄介で厳しいものになる、それ以上でも以下でもない。

 

 そしてその活性化の影響が亜種とすら言える陸上種達にも及ぶことを、この世界の誰もが知っていた。

 『鎮守府』の提督の多くが海上方面の防衛に駆り出されることもあり、人里の防備がむしろ手薄になる中を暴虐に餓えた異形達が襲いかかるのだ。

 血と涙と、慟哭と断末魔の叫びが量産されるまさしく悪夢と言える化外の蹂躙を――――しかしその“提督”は鼻歌交じりに逆撃していた。

 

 

「なっがれぼし~、おっちてきた~♪これがホントの流星、ってね☆」

 

「色々ちがうのです」

 

 

 三機程の艦載機が別方向から機銃を浴びせ、直撃よりはむしろ逃げ道を塞ぐような火線で動きを止めた所に、上空から鉄槌を下す。

 遥か天から重力を味方に音速越えで急降下してきた機体が、その相対速度を乗せる特攻染みた爆撃。

 それは悲鳴を挙げる時間すら与えず異形を貫通・爆砕して、直下に掘ったクレーターを即席の墓標にしてしまう。

 

 張りのある可憐な声で適当過ぎる節を付けた歌を即興で歌いながら、和弓を明らかに弓道に関係ない構えで振り回してびしっとポーズを決めるのは、『瑞鶴』もどきの提督、ウインク付き。

 その操作で急降下して来た艦載機が機首を持ち上げ、人間が乗っていれば慣性で体がバラバラになるような急制動をかけて地面と擦れ擦れを水平に這い、そしてまた天へと舞い上がって次の攻撃へと移った。

 

 数機での足止めと必殺の一機、それだけで大抵の地上種を葬るに事足りる。

 その実力は確かにこの変態の力量を物語っていたし、それだけが芸という訳でもないのに敢えて難易度の高いこの魅せ業で敵を次々と沈める余裕さはこの戦場の空気をどこか別世界へと変えていた。

 

 当然ながら、いくらこの変態でも周囲に人がいない状態で必要以上に見てくれを意識するほど酔狂ではない。

 従える艦娘である翔鶴は当然として、顔見知りで少し注目していた新人の頼みごとで自分の仕事に二人程連れ回していた。

 駆逐艦・電とその提督である紀伊航輔―――戦力で語れば駆け出しの尉官が持つ駆逐艦相応以上でも以下でもない凡庸な者達だが、そんな二人でも愛嬌を振り撒くのは流石と言うべきかそれとも何か思惑があるのか。

 

 確執が生まれて十日を数える電達だが、相変わらず航輔は冷たく壁を作った対応をし、電も時折悲しそうな目で彼を見ながらも踏み込むことをほぼ諦めていた。

 

「ま、活性化の時期っていっても瑞鶴にかかれば深海棲艦なんてこの通り!航輔君と電ちゃんは今日ものんびりと見学してくれればいいよ?」

 

「………ぅっす」

 

「あぅぅ……申し訳ないのです」

 

 笑顔で投げられる言葉を気遣いと解釈し頭を下げる主従だが、悲しいまでに息の合わないちぐはぐさが気まずさを一層掻き立てる。

 だがそれに頓着した様子は欠片も見せず、『領域』に沿って二方向に飛ばしていた偵察機から情報を受け取った『瑞鶴』はくすりと笑う。

 

「ちょっと向こうでも深海棲艦が暴れてるみたい。対応できるのは私達くらいだろうし、あーもー瑞鶴ちゃんってば大人気―」

 

 荒れ地に横たわる数々の骸が全て完全に沈黙していることを見回して確認すると、一度矛を収めて次の戦場に向かう為に戦闘用の艦載機を呼び戻す『瑞鶴』。

 空母をイメージしてデザインされた艦娘服、その甲板部に次々と舞い降りた飛行物体が忽然と姿を消していく。

 電達が砲塔や海上航行用の艤装を瞬時に出し入れするのとはまた違った風情の武装の収納をなんとはなしに見やりながら、ふとその内の数割は後ろに控える翔鶴の下に戻っているのに気が付いた。

 

「…………?」

 

 覚える違和感の理由は、主の活躍を邪魔しないためなのか、翔鶴が戦っている場面を一度も見たことがなかったからだ。

 

 空母の戦いは、ミニチュアサイズの艦載機を射出してそれに敵艦を襲わせあとは高みの見物、ではない。

 飛行するそれらの機体に乗っているのは当然人間ではなく、便宜上妖精と呼称されているが要は自動制御装置のようなものだ。

 放っておいても空を飛び続け散発的に銃撃や爆撃を行うが、単調で直線的な機動しかしないので対処は容易いため、適宜命令や指示を出してやらなければ一定以上の相手には通じなくなる。

 操作自体は頭の中で思考すれば艦載機はその通りに応えてくれるとはいえ、それを何十機も同時に動かすのに必要な集中力は並大抵ではない。

 

 つまりはといえば、艦載機を操っている空母は、無意識に視線や手指を振ったり、息遣いを操る対象と同期させるなど必ずその気配があるのだ。

 演技、振る舞いへの気配りに余念の無い『瑞鶴』ですら微かに見えていた挙動が、ひたすらに主を見守り続ける翔鶴に見当たらなかった以上、彼女が戦闘に参加していないのは間違いない―――と思っていたのだが。

 

 そんな電の視線に気づいた翔鶴自身が、微笑みながらその疑問に答えてくれた。

 

 

「私の仕事は、艦載機を射出するところまで。あとはその制御権、ぜんぶ提督に取られちゃうんです」

 

 

「―――!?」

 

 あっさりと言われたその事実は、俄かには信じ難かった。

 いくら契約で繋がっているとはいえ、配下の空母艦娘の艦載機を直接好き勝手に操れる提督など寡聞にして思い当ったことすら無かった。

 とはいえ、そもそも『瑞鶴』のように艦娘としての力を振るえる提督などという存在自体が稀少事例である以上、むきになって否定する理屈ではない。

 

 納得はしづらいが。

 何せ艦娘は提督の“兵器”として傍に侍る存在。

 これも一つの使われ方ではあるのだろうが、武装だけ掻っ剥がれてあとは置物というのは、人格を持っている意味の薄い本物の“道具扱い”されているといっても過言ではないだろう。

 される側の性質にもよるが、屈託なく受け入れられるものとは普通思えない―――、

 

 

「それで、いいのですか?」

 

 

「い、イイなんて思ってませんよ!?私の大事な子たちが、提督に奪われちゃって、言うこと聞いてくれなくなって…………寝取られ………、……あ、はぅ」

 

 

「…………なのですか」

 

 納得した。

 

 というか、何も聞こえなかったことにした、見えなかったことにした。

 戦場にそぐわない艶めいた喘ぎ声も、次の戦闘ではまた自分のモノではなくなってしまう艦載機の帰還を迎え入れる蕩けた目つきも。

 

 こんな彼女達とはいえ、いやこんなんだからこそ、鎮守府の中でも上位の実力者。

 特筆すべき能力も無い駆逐艦と、信頼関係もなく戦闘行動が出来るかも怪しい提督が、伊吹春也と離れさせられ彼女達にまで愛想を尽かされれば、どんな末路が待つのか想像したくもない。

 

 冗談でも悪態をつくなんて出来ない、そんなある種の卑屈さから電は関知しないことを選択するのだった。

 

 

 

 

………。

 

「どうしろって、言うんだよ……」

 

 艦娘の感覚や感情は、提督に一定の割合で共有されている。

 打つ手などない八方塞がりの中で心をすり減らしていこうとしている電のことを、彼女の主である航輔が気付いていないわけでは無かった。

 

 だが、それでも彼女に対する蟠りは捨てきれない。

 提督になって贅沢なくらしが出来るようになって、明るく振る舞っていても、愛する家族を失った悲しみが癒えることはなかったし、原因がその“贅沢なくらし”を出来るようになった相手でもあるとすれば、自分でも何がしたいのか、未だに整理できなかった。

 

 どうするべき、という話ならば何も無かったことにして或いは問題を棚上げにして、電に歩み寄ればいい。

 航輔のどんなダメな部分でも受け入れる彼女であれば、猿芝居にも付き合ってくれるだろう………そしてあとは時間が摩耗と忘却による解決を運んでくれる。

 

 だが、そのような賢明な選択肢を取る気には、なれなかった。

 それが何故なのかに気付くことも出来ないまま、航輔もまたどちらに進むべきかも分からない暗闇の中もがき続ける。

 

「…………難儀な子だね、キミは」

 

「『瑞鶴』さん?」

 

 次の戦場に移動すべく駆け足にならない程度の早歩きで街道を移動しながら、航輔の横に速度を合わせて並んだ『瑞鶴』が、静かに告げた。

 何か深刻な意味やどうしても伝えたい重大な意図がそこに籠っている訳ではない、軽々しく上滑りする言い方。

 今から話すのは所詮戯言だから聞き流しても構わないと言外に示すそれは、しかし彼ないし彼女にとっての“理想の瑞鶴”なのだろう底抜けの明るさを振り撒く普段と様子が違うことから、航輔にもその異常さがひしひしと感じられた。

 

「さて問題、『この世界は天国か、地獄か』。

 どう思う、紀伊航輔少尉?」

 

「え?………そんなの、どっちでもない、と思います。今は生きてるんだし」

 

「そう、どっちでもない。くす、やっぱり思った通りだね」

 

 急な問いに戸惑いながらも返した航輔の回答に、何故かすこし可笑しそうにする『瑞鶴』は静かに続ける。

 

「あの、どういう――?」

 

「この問題、普通の人々――万年尉官で燻っている提督達やそれにすらなれない民衆に訊くと口を揃えて『地獄』って答えるの。

 当然よね、いつ化け物に襲われて殺されるか、明日無事に生きている保証すらない苦しみに塗れた人生だもの」

 

「っ、それは――、」

 

 

「そして私達みたいな“異能持ち”ならこう答えるわ。

 ここはなんて素晴らしい天国なんだ、って。

 自覚するしないに拘わらず、ね」

 

 

―――例えばここが深海棲艦のいない、そして艦娘も居らず異能も無い平和な世界だったとして。

 

 人は繁栄を謳歌し、社会を維持する為の秩序と法を定めていることだろう。

 もしそうならば、異能を発現する……世界に斯くあるべしと定められた法則を『自分のルールで塗り替える』ような狂人達にとって、そこは果たして生きやすい世界だろうか?

 

 否、断じて否だ。

 えてして極端に走るからこその祈りは、人間という群体が絶対として在る社会において排斥の対象にしかなり得ない。

 渇望は内心のみに留まらず言動や素行となって知らず表れ、摩擦と軋轢を生みやがて異端となって本人を苦しめるのだ。

 

 伊吹春也は殺人を犯した者を酌量なく“掃除”しなければ気が済まない。

 『瑞鶴』は恋した対象への情動が昇華されず、やがて奇矯な結論へと至るだろう。

 厳島龍進は絶対的な正義などというモノを追究する人間がどういう行動に走るのか、歴史が繰り返し物語っている。

 

 超人を志したニーチェは発狂した、つまりそういうことだ。

 そしてその事を、絶対的な渇望を抱く者達は心のどこかで分かっている。

 

 だから彼らは思うのだ、排斥されるべき自身の祈りが生きる為の力となり、上位者として我を通すことの出来るこの世界は悪くない、と。

 平和で退屈な世界――――それこそが己にとっての真の地獄だと分かっている。

 

 ある意味でそれは、現実と真実を直視するのを恐れているのかも知れない。

 

 無理もないだろう、人の心は他者の存在なくしてそれを維持することは叶わない。

 もしそれでも社会にとっての己がなんであるかを直視しようと出来る渇望持ちがいるとするならば。

 

 他者の一切を逆に排斥することが祈りであるか、あるいは―――『直視することそのもの』が祈りであるかだ。

 

 

「この世は天国でも地獄でもない、なんて。

 どっちでもないキミは………大変ね、ホント」

 

 

 呆気にとられる航輔に対し、哀れみ半分気まぐれ半分のお節介。

 決して『瑞鶴』という虚像を演じるだけのAIではないその提督の、ほんの小さな親切がその繰り言だった。

 

 

 





☆設定紹介☆

※妖精

 この終焉世界において、意思を持った不可思議な存在は深海棲艦と艦娘、そして提督のみである。
 空母の艦載機は本文の通りだし、深海棲艦の死骸=資源であり修復も建造も何かの媒介を必要とせず関係者の意思一つで行える為、工廠などというものも存在しない。
 ましてや行き先をルーレットで決める航海をする艦娘も居ない。

 である以上、妖精の定義とは文字通り『名前だけの存在』となっている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

実力


 変態は強い(理不尽)

 という前提を抜きにして場面だけ見ると、なんか今までで誰より主人公してる瑞鶴さんがいる気がする、不思議!




 

 

 突然のことだった。

 

「あ――――これ、ちょっとまずいかも」

 

「提督ッ!」

 

 二十分ほど進んだだろうか、急に声を張り詰めた『瑞鶴』が全力で土を蹴り……加速した。

 『領域』の外側から押し寄せていた深海棲艦の一団、それを人里から余裕を見て離れた地点で迎撃する為に向かっていた所だった筈が、『瑞鶴』の向かう先はその人里の方向。

 突然、かつ風の如き素早さで方向転換した駆け足に反応できたのは第六感の繋がった配下である翔鶴だけで、航輔も電も一瞬惚けてはその間に置き去られそうになっていた。

 

「な、何なのです……!?」

 

「………、ッ」

 

 慌てて後を追う―――拗れていても同じ判断を咄嗟にした主従は、全力疾走しても擬似姉妹の後ろ姿を見失わないようにするのが精一杯だったが、息せき切らせて後を追う。

 道ならぬ道で草木をかき分け、小さな森を抜ける。

 障害の多い道のりに疲労感を覚えながら、しかしそれとは別に心臓が不規則に脈動する感覚を航輔はその時感じていた。

 

 それは、まがりなりにも戦場の空気に慣れ、異形の理由なき悪意と殺意という形のない感覚を何度も経験したからだろうか。

 あるいは――――この世界ではありふれた“惨劇”を体験した記憶が予感を身につけ、警鐘を鳴らしているのか。

 

 段数の少ない地層の露出した岩壁を一息に駆け上がり、開けた視界に移る村の有り様を見た時、驚きという感情だけは何故か存在しなかった。

 

 

 

…………この世界では、提督となり得ない一般の民衆は重い代償を支払いながら『鎮守府』の庇護を受けている。

 

 至極単純な制度―――税金を納めているから、共同体に守られる、という仕組み。

 やり方さえ知っていれば誰にでも作れる程度のものしか作れない製造業や、ただの農民、そんなものでは食うや食わずの生活しかできなくなる程度の租税が『守るべき民衆』で居続ける為に要求されている。

 納めないのであれば異形蔓延る外界へ追放かスラムの仲間入り。

 それを非人道的と見る者が居るとすれば単に育ちの問題であろうが、安全をカネで買うと解釈すれば貧しさをよしとする者達が大多数である。

 

 だが、その買い物の値段設定が適正か否かなど誰も知り得ない。

 殊に払うことの出来る金額によって『領域』の中でも住める場所が変わってくる制度が採られている以上、その最も外側という危険地帯――というよりいざという時の肉盾に配された者達を慰めるのは、「民衆でさえ居られなくなった奴らと自分は違う」という哀しい虚勢だけだったのかも知れない。

 

 今日ここで死んだ者達の内心など――永遠に判るはずもなかったが。

 

 

「―――っ!」

 

 貧しさに耐えながら今日まで生きていたのだろう、スラムの人間と大差の無いボロ切れを被った人々の骸を飛び越えながら、『瑞鶴』と翔鶴は駆ける。

 垢で黒ずんだ皮膚は赤みも青ざめもしない呪わしき死に化粧、以前に何時洗ったかも知れない縮れた髪は移し世への未練が手繰る切れる定めにしかない糸。

 惨めな屍を踏み抜かないように二人が注意しているのは、冒涜しないようにという心遣いではどちらかといえばなく、不衛生さから来る生理的嫌悪により忌避したのでもない。

 

 戦場で不安定な足場を踏むのを避けた、それ以上でも以下でもなかった。

 

 獲物を探して徘徊する鈍重な巨躯や、獰猛な肉食獣がより威圧感を増して跳躍する圧巻の光景、そしてそれらが身に付けた火砲の発射音。

 ありとあらゆるモノが焼け漕げる臭いが血臭に混ざる空気を裂いて、『瑞鶴』の操るミニチュアの戦闘機が飛翔する。

 

 平和ボケした春也の世界では十人中十人がよくできた玩具と判断する大きさでしかないそれらは、しかし黒い鋼鉄の表皮を食い破る凶器をどれもが備えている。

 内蔵する機構がそれぞれ一斉に火を噴き、秒間に幾多も吐き出される弾丸がその発射音を絶え間なく掻き鳴らした。

 

 直上から、死角から、あるいは正面から、嵐の中千々に乱れる雨粒の如く機銃掃射が空間を支配し、深海棲艦達は断末魔を上げることすらできずに脆い関節部からばらばらに解体される。

 

――――否。そもそも声を発する機能があったのか、と。脆かったのは、本当に関節部だったか、と。

 

「何かが違う。………これは、本当に“生きて”いたのですか?」

 

「そもそもこの私がこれだけの集団の移動を見逃したっていうのも変な話だったし………となると『内側から湧いて出た』、って考えないといけないのかなあ」

 

 戦闘機の銃弾だけでフネを何隻もスクラップにしたと考えれば無茶苦茶なことをしでかした『瑞鶴』は、そんな非常識は当たり前だとして目の前の別の非常識に対応すべく考えを巡らせる。

 これまでその腕前で何百何千と葬って来た異形と比べて、この村を襲っているモノ達の空気や反応が違うのは歴然だった。

 果たして、その意味するところとは―――、

 

「――――提督ッ!!?」

 

 爆閃。

 

 隙有りと言わんばかりに、首だけになった陸上種巡洋艦級の咢が独りでに跳ね、思考するその頭を丸呑みにせんと猛然と噛みついて来る。

 この世界には無いものだが、まるでホラー映画染みた真似……しかし翔鶴の心配を余所に無造作に操った艦載機の急降下爆撃であっさりと“はたき”散らし、そのまま振り返った『瑞鶴』は確信ありげな瞳を向けて言った。

 

「そこの所どうなのかな?隠れてこそこそしてる腰抜け提督さん……?」

 

「………ッ!」

 

 安い、というより乗る敵など居ないだろうと軽く繰り出した挑発に、その相手は乗って砲弾で屋根の陥没した廃墟の影から姿を現した。

 背丈で言えば従えている駆逐艦の少女よりも一段ほど高いだけの子供だった。

 

 ただ、提督の見た目など内心や能力の判断基準には全く役に立たないというのは『瑞鶴』自身が最たる例である。

 それでも提督である少年が隈の走った容貌に浮かべる狂相と、陰鬱げに視線を落としがちな艦娘の少女という対比しやすい構図からは不吉な予感を覚えるものだろう。

 

 しかし骨の髄まで演技根性のその変態は、軽い口調を一切崩さずに問い掛けた。

 

「春也くん達から聞いてるよー?練度欲しさに提督を襲う提督がいるんだって。

 なんでも死体を操るとか………いくら深海棲艦が化け物だからって、首だけで動いたりはしないと思うんだけどな?」

 

「……………伊吹、春也」

 

「で、なんで今度はふっつーの人達を殺して回ってるのか訊いていい?獲物の提督をおびき寄せる、っていうにはちょっと賭けなやり方だと思うけど?」

 

「…………」

 

 艦載機の素となる矢を三本ほど指に挟んで弓の弦を弄びながら、つらつらと『瑞鶴』は話し続けた。

 この世界において提督の絶対数が少ないというのはそもそも敵となる深海棲艦の数が多過ぎるというだけの話で、探せば見つからないほどではない。

 こうして拠点を襲い、それに対処しに来た提督を狙う―――なんてイレギュラーが起こりかねないやり口より効率的なやり口など阿呆でも思いつくだろうと。

 

 そう遠回しに馬鹿にしながら言葉を投げられ、少年が返したのは嘲弄の笑みだった。

 

「く……ふふっ、ははは!!お前ら提督はやっぱり知らないんだな!?偉そうにしてる癖に口だけでさ!

 ああ、バカだバカだ、バカばーっか!あははははは!!」

 

「っ、この……!」

 

「はい落ち着いて翔鶴姉。で、そこまで言うなら語ってみたらどう?今明かされる衝撃の真実ってやつを」

 

 子供の戯言………やっていることを見ればそれでは到底済まないが、それでもむっと来ている翔鶴を押し留め、『大人のお姉さん』のように続きを促す。

 無駄口だろうがなんだろうが語りたいのなら語らせればいい、少年の優越感と無知を見下す視線からして、蘊蓄や話のタネになる程度のネタは教えてくれるかも知れない。

 

 無関心さからくる寛容を受けた少年はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「ふん。人間の死体でも使いではあるんだよ」

 

「だ……め…!」

 

「相棒の艦娘ちゃんは止めてるみたいだけど?」

 

「――――うるせえよ。こいつは俺の能力を使うための家畜だ。

 本当ならいるだけでも目障りなのに、口答えなんか誰が聞いてやるか!!」

 

「あっ、ぐぅ………!?」

 

 肉が土に叩きつけられる嫌な音。

 おもむろに口調を荒げた少年は自らの艦娘の髪を鷲掴みにし放り捨て、二三ほど蹴りつける、慣れた様子で振るう衝動的な暴力。

 

 普通なら“兵器”と分かっていても哀れさをもたらすその場面に、しかしそれがあの提督と艦娘の関係性なのだろうと今しがたの話以下の関心しか『瑞鶴』は持たない。

 だがタイミングとしてはその暴力がこれ以上振るわれる前に助けるような形で、さっさと続けてと促した。

 

「それで、死体をどうやって使うっていうの?」

 

 

 

「――――――自分で考えろ、ばーか」

 

 

 

 返答は、それこそ子供のような生意気さと、そして死体。

 

 死体、死体、死体、死体死体死体死体

死体死体死体死体死体死体死体死体死体

死体死体死体死体死体死体死体死体死体

死体死体死体死体死体死体死体死体死体―――――。

 

 土がぐずぐずと崩れるような不快な光景と共にめくれあがり、黒い表皮に覆われた生物のようなナニカが壊滅した村のいたる所に現れる。

 四脚なのか二脚なのか、首がどちらに付いているのか砲そのものになっているのは足なのか手なのか、もはや深海棲艦と呼ぶべきなのかも分からない文字通りの異形達が三百六十度どちらを見回しても湧き出している。

 

 数だけなら海で春也達が見たものと変わらない、凶悪な死体の群れ。

 死体故に声を発するでもないのに、どろりとした黒い靄がまとわりつくように重苦しく精神を圧迫してくる光景。

 

「て、提督………これ、まさか、元は――――あ、ぅ」

 

 そしてその群れを占める大半が、陸上種駆逐級よりもさらに小さい“等身大”の大きさであることに、おぞましい想像に行き当たった翔鶴が青ざめる。

 足の力が急激に抜けて、そのまま膝から崩れて思わずへたり込んだ彼女の頭を優しく撫でると、………崩れぬ笑顔の中に確かな怒気を交えて、『瑞鶴』は弓に矢を番えた。

 

「そうなると……うん、衝撃の真実っていうのが何かもなんとなく分かった。

 

 

――――でも、どうでもいい。そんなことよりキミ、いま翔鶴姉を悲しませたよね?」

 

 

「てい、とく………?」

 

 その声音に、自分が初めて知る“提督”がそこにいた気がして、戸惑いながら見上げた先にはやはり超然と『理想の瑞鶴』を演じる主の姿があった。

 

 それは、傍から見ればもはや何百体にもなるバケモノに囲まれ自棄になっている小娘にしか見えないかもしれない。

 事実少年はにやにやと馬鹿にした表情でそれを眺めていた。

 

 駄目押しとばかりに傍らに継ぎ接ぎだらけで身体のあちこちがズレた、いつぞやの人型空母の死体を控えさせている以上、それは過度な慢心とも言えない。

 もはやその折れた翼で飛翔することはできないだろうが、『瑞鶴』が操る艦載機の倍以上の数の凶鳥を吐き出すことは可能なのだから。

 

 だが。

 翔鶴は確信している。

 

 なのに。

 少年は予想だにしなかった。

 

「な、ん――――?」

 

 

 戦闘開始―――五分。五分間経った。五分間もあった。

 

 

 殺到・蹂躙・圧殺、その操作を全ての死体に行き渡らせ、当然の勝利を予期していた彼に対し、『瑞鶴』は一歩も動かなかった。

 

 “動かすことができなかった”。

 それどころか、座り込んだままの翔鶴共々、かすり傷一つつけることが叶わなかった。

 

 結果だけを言われても何も分からないだろう。

 だが、過程をその目で見ていた少年にも何が起きたのか分からない。

 

 絶え間なく襲う異形の群れは、穿たれ爆ぜられ例外なく殲滅される。

 積み上げられたその肉片すらも障害となり、爪の先も刻むこと能わず。

 

 潜伏させ、至近距離に突然出現させた死体が、そちらも紙一重のところで何もできなかった―――まるで「紙一重のところまでなら近付くのを許してやる」とまで言わんばかりの余裕の表情を浮かべる相手に。

 

 痺れを切らし、人型空母から吐き出した数十の艦載機からの一斉射撃・爆撃――――それさえも、寸毫届かないッ!!

 

「なんなんだよ、お前はッ!!?」

 

 魔法か、それこそ異能染みた魔の五分。

 

 だが、『瑞鶴』の異能はその姿への変身であって、スペックのみの戦闘能力で言うなら空母艦娘の枠を逸脱することは無い。

 である以上、それは純然たる実力だった。

 

 何百もの敵の中で脅威になるものを優先順位をつけて全て見極める反射と判断力。

 文字通りの死兵かつ奇形の存在が構造的に無力化する部位を、一瞬で射貫く掌握と制御能力。

 一歩も動かぬまま敵をいいように誘導し、射線を塞いで盾にもする予知にも似た戦術と思考能力。

 

 死体を“操る”少年は、艦載機を“操る”瑞鶴と実力差があり過ぎた。

 ちょっとばかり数が多く、応用が効き、便利な手が打てるというだけで―――それでも同じ“操作”という土俵に立っている以上、技量の差が介在する余地というものが存在してしまう。

 その差が理想の〈無敵の〉女の子になりきることを追究した『瑞鶴』とかけ離れ過ぎていて、その場から動かない相手に傷一つ負わせられないまま自分の操作する手駒が溶けるようにその数を減らしていくのに、何をどうされたのかを理解することもできなかったのだ。

 

「数ばかり多くても、ね。

 玩具の使い方を間違えたおこちゃまに、瑞鶴ちゃんが一つ教えてあげるっ」

 

「………!?」

 

 その時、『瑞鶴』はやっと一歩動いた。

 双房に分けた髪を翻し、片目を一瞬ぱちりと瞑り決めポーズを取る、その為だけに呆気なく。

 それは見た目だけなら愛らしいのだろう――――ここが虐殺のあったばかりの村落で、それを行った死体を操る外法者を相手にしていると考えなければだが。

 

 ターンを決め、びしっと真っ直ぐに相手を指差して、そのプライドを踏みにじるように意趣返しを突きつけた。

 

 

「バカって言った方がバカなんだぞ☆」

 

 

 





☆設定紹介☆

※内向きの祈りを持つ提督とその艦娘

 こんな芸当をかます五航戦(?)に六隻がかりで演習を挑まされた挙句惨敗して、川内に煽られて涙目になった一航戦がいたらしい。

 それはさておき、『自分がこうなりたい』系統の渇望を持つ提督は異能も提督側に効果を与えるものが多く、制御権を提督が持っている場合も多い。
 しかも強力な異能であればその分提督の我も強い傾向にある為、ともすれば戦闘時に艦娘が異能の媒介以外にすることがない置物と化す事例も発生する。

 兵器としては本末転倒というかアイデンティティがクライシスな気もするが、艦娘の真価は異能の発現だからというフォローができるかは………人というか艦娘それぞれか。

 幸せな事例は(性質というか性癖の残念さを無視すれば)ヒロインムーブしてる翔鶴姉、不幸な事例は今回の敵に家畜扱いされている娘。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

直視


 グロ注意?




 

 提督による住人の虐殺。

 

 “ごく一部”の実態はどうあれ、この世界の一般市民は提督という存在をエリートであると同時に、人々の安寧を脅かす深海棲艦へと勇敢に立ち向かうヒーローのように思っている。

 それは“そうした方が都合がいい”統治する側のプロパガンダでもあるし、事実としてそういう高邁な志を持って日々戦う提督達も多いなど、その背景は少し複雑に絡んでいる。

 

 だが、根源的な話をするのならば、“信じたくない”というのが一番なのかもしれない。

 

――――理由なき深海棲艦の殺意に曝される世界で、同じ人さえも人に理由なき殺意を向けるなど。

 

 生活に行き詰ったから強盗を働く、衝動的に嫌いな相手を殴りつける、そんな真っ当な感情ならまだしも、理解しがたい狂気を以て人を害するようなニンゲンがいると分かってしまえば、過酷な環境の中で集団にとって何よりも重要となる“仲間を信用すること”が難しくなる。

 ましてそれが一般人では到底敵わない艦娘という暴力を備えた上位存在であるとすれば、力無き者は何を縋る縁(よすが)にすればいい?

 

 無意識の恐怖の裏返し、「提督様達は我々を護ってくださる素晴らしい方々だ」と崇めるのは、自覚無き逃避でしかない―――それを責める者など、誰もいないだろうが。

 

 そして死に往く彼らが、死体を操るという異能の為に凶行を為したのが“提督”であると分からないまま死んだのは、何もかもに絶望したまま生に幕を閉じるよりはという救いになっただろうか。

 

 そんな皮肉を理解することもなく、航輔もまた戦場を駆けていた。

 『瑞鶴』が死肉の兵、そしてその操り手と連戦している中で、その討ち漏らしと何度もやり合っている。

 

 蹴散らすように―――なんて当然いかない。『瑞鶴』のように華麗に、夕立のように圧倒的に、なんて凡人の航輔には夢物語だ。

 しかも従える艦娘との繋がりは最低の不調を訴えている。

 

 電の援護は時折鈍重な的すら外し、目くらましにもならないこともあり。

 航輔が全力で殴りつけても、駆逐級より小さい奇妙な異形がふらつく程度。

 

 意思が足りない。祈りが理(ことわり)に屈する。

 異界法則を顕現し活動するという、この世界の艦娘と深海棲艦における最低限の戦いの土俵にすら満足に上がれていない。

 練度だけならこれまでの巡り合わせによる幸運でそれなりのものは確保できていても、戦う気概が足りていなければまっさらな新米提督の方がまだましな有り様だった。

 

 それでも、やるしかなかった。

 

「うえ、ぇ……おにーさん……」

 

「大丈夫、大丈夫大丈夫、だいじょうぶだッ!絶対ここから、生きて連れ出すからっ!!」

 

 腕の中には、灰で肌の煤けた小さな命がある。

 崩れた家屋の下に奇跡的に押しつぶされないで、蹲っていた少女。

 それが完全に崩壊する前に反射的に掻っ攫い、航輔は気が付けばその場を離脱する為に我武者羅に走り出していた。

 

 貧しさのせいか元からやつれていた肉体が穴だらけの襤褸切れから覗き、今にも消えそうな生命の灯。

 それを見捨てることは、航輔にだけはできなかった。

 

 貧しさに喘ぎながら必死に大きくなろうとして、それすら深海棲艦に壊されたことも。

 守ってくれる両親はもはやこの世にいないであろうことも。

 半ば無意識に、弱弱しい手で自分に必死に縋りつく哀しさも。

 

 昔の航輔自身にそっくりで、切り捨てられるわけがない。

 

 だから、無理を通した。

 

 至近に砲弾が着弾して、その爆風に吹き飛ばされても。

 衰弱した少女には転倒の衝撃すら致命傷になり得ると、自分が下になる様に体勢を入れ替えたせいで無様に地面に頭を打ち衝け。

 

 そうと知る由も無いが、声なき屍兵であるせいで存在の察知が遅れて背後から奇襲されても。

 少女を抱くのと反対の腕が嫌な音を立ててへし折れるのにも構わず、掴みかかられたのを強引に振り払い。

 

「――――!」

 

「司令官は………まもるの、です……!」

 

 蟠りの残る電にも、半狂乱で意味を為さない言葉だが、何かを懇願していた気がする。

 そして満足に力を振るえない彼女は、それでも健気に航輔に飛び掛かる異形を小さな体で食い止めていた。

 

 それだけ、無理を通して、ボロ屑みたいな村を右往左往して五分。

 

 一秒を永遠にも感じながら全身の激痛と痙攣を堪え、『瑞鶴』が敵の提督を翻弄した五分を耐え抜き、腕の中の少女は目を回して気絶しながらも確かに息をしている。

 

「ぜえ、ぜえ、っ………ぐ、ぅ」

 

 その航輔の奮闘に報いるように―――敵の群れは彼の回りから引き揚げて一目散に去っていった。

 司令塔が追い詰められたことでその下に呼び戻されたのだが、朦朧とした意識で暴れる呼吸の箍を外さないようにするので精一杯の彼には、現状を認識することすらおぼつかない。

 それだけ無我夢中で戦っていて……何十回も濁った呼吸を繰り返してやっと状況が落ち着いたことを理解できる思考が戻ってきた。

 

「あ……終わった、のか………?」

 

 満足に働かない意識で周囲を見渡して、襲いかかってくる敵がいないことにようやく安堵する。

 崩れることさえ忘れた膝を初めとして、全身に鉛を流し込まれたような鈍さが走っていた。

 

 それでも、懐に感じる暖かさに笑み綻ぶ。

 

「護れた」

 

 比べるものなき達成感。

 情けなくて、泣き虫の自分が為せたこと。

 

「やった、やったんだ。俺は――――」

 

 

 

「司令官ッッッ!!!?」

 

 

 

 背中に炸裂する熱と衝撃。

 着弾と、電の振り絞るような叫びは、殆ど同時だった。

 

『RRRRhaaaaaaa------!!!!』

 

「っ、あ―――」

 

 忘れていた、完全に。

 そもそも『瑞鶴』と航輔はこの村を襲おうと進んでいた深海棲艦の群れを迎撃しようとしていたことを。

 

 屍兵が消えたからといって、否、不幸にもそれによって丁度気を抜いたタイミングで。

 正統な人類の天敵は現れてしまった。

 

「ぐあああああぁぁっっ!?」

 

 巡洋艦級の砲弾の直撃による激痛で絶叫を上げる航輔――――たまらず少女を投げ出して悶えてしまった。

 傷だらけの状態で受けるには余りにも大きなダメージで、しかし追撃の二射目が来る前に慌てて放り捨ててしまった幼い体を抱き込もうとする。

 黒い巨体に癒着した砲塔が鳴らす火薬の炸裂音が響き、まだ動き始めたばかりの航輔の焦りに染まった感覚は引き延ばされ一瞬が何十秒にも思えるほどに錯覚した。

 

 再度、着弾。

 航輔は少女の躯を抱き込むことに成功する。

 

「……!間に合った!!」

 

 

 

 べちゃり。

 

 ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ。

 

 

 

――――それはこれ以上なく気色の悪い感触だった。

 

 人が骨と内臓を固めた血袋だと雄弁に示してくれる最悪の感触だった。

 なのにそれが何を意味するか分からなくて、すぐには信じたくなくて、航輔は“潰れて輪郭を失くした”少女の躯をまさぐり、――――骨に、内臓に、どす黒い血の奔流に、触れて掻き混ぜてしまった。

 

 

「う、あ……ああああ、あ゛あ゛あ゛ああああ゛あああああああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ―――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」

 

 

 失った。

 弱い自分に誰かを救うことなどできなかった。

 

 グズグズの肉塊を抱いたまま、双眸から涙が溢れ出る。

 喘ぐように吐き出す天まで届かんばかりの慟哭は、しかしニンゲンを殺戮する異形には何も響かない。

 

『RHA!!』

 

「司令官っ!!ぐ、ぅ………!」

 

 飛び掛かる巨体と、間に割り込んでそれを受け止める電。

 だが、航輔同様ぼろぼろでダメージを受け過ぎた小さな体に、その重量を長い間支え続けることはできないだろう。

 

 数秒後か、持って数十秒後かに航輔と電は主従揃って潰されて死ぬ。

 

(ここまで、なのです………)

 

 電は最後の力を振り絞って圧し掛かってくる深海棲艦を腕で支えながらも、そういう現実を受け入れた。

 

 納得した訳じゃない、悔いを残さない訳がない。

 けれど諦めなければ道が開けるという程この世界は優しくない。

 

(それでも、せめて司令官と)

 

 仲違いしたまま死にたくはない、何か想いを残したい。

 その感情を込めて背後で嗚咽に蹲る航輔へと精一杯に吐き出した言葉は――――何故か初めて逢った時と同じものだった。

 

 

「泣いて、何になるのですか?」

 

 

「何にもならない。でも、悲しいのに泣かないなんて、そんなの出来るわけないだろッ!!」

 

 電と航輔は繋がっている。

 だから電の言葉は届いて、そしてその返事もいつかと同じだった。

 

 ああ分かってる!所詮名前も知らない他人で、それが死ぬのなんてありふれたことで、めそめそ泣いて自分まで死んでりゃ世話は無いって!だからって目の前の悲しみを見ない振りして誤魔化して、俺はそんなに器用じゃない。情けなくて、泣き虫で、それでも目の前の現実を受け入れるしかできないんだよ!!

 

 そんな、『現在(イマ)を肯定する者』という属性。

 電にそのまま伝わる、迸るような感情の行き着く先で――――かつて掛けられた言葉に辿り着いた。

 

 

―――負け惜しみさえ言えなくなったら、終わりだろ

 

 

「………はは」

 

 そういえば、こんな自分にそう言ってくれたトモダチがいた。

 すぐに死ぬというこの瞬間まで惨めに泣きごとを続ける航輔を許すようなその言葉に、開き直りにも似た何かが心に生まれた気がした。

 

「そうだよ、俺はどうしようもない、誰より情けない泣き虫だ。でも、泣いた数だけ強くなれるっていうなら、俺はいつか最強になれるんだろ?」

 

「なのですっ……!!」

 

 

「だったら今くらい思い切り泣かせてくれよ。この世界が残酷だなんてのは十分分かったから。俺、強くなるから。

 

………だから、せめて泣く時間くらい、俺に寄越せ!!!」

 

 

「――――はい。司令官が安心して震えていられるように、電はここにいます」

 

 

 一度壊れた航輔と電の絆。

 それをより強固に上塗るような何かが、形成さ〈生ま〉れた気がした。

 

 二人合わせたよりも何倍もある巨大な敵に今にも押し潰されそうなその影で意思を交わす主従に陰りは無い。

 

「電、俺はたぶんお前を一生許せない」

 

「はい」

 

「電、俺はそんなお前に一生を預ける」

 

「はい……っ!」

 

「勝手ですまない。駄目な提督でごめん。それでも。

――――電、俺に力を貸してくれッ!!!」

 

 

「当然。電の司令官は、そんな航輔さん以外あり得ないのです!」

 

 

 電は一瞬だけ全身に力を込めて深海棲艦を押し返す。

 一瞬だけ浮いた巨体は、しかしすぐに再度降り掛かり地面の間にあったものを全て押し潰した。

 

 

『………..rhha??』

 

 異形は感じなかった手ごたえに訝しむ。

 前脚を上げて押し潰した地面を確認し………そこにプレスされた死体は存在しなかった。

 それだけなら獲物に逃げられた、それだけの話であったが。

 

 そこに座り込んだままの航輔はいた。

 

『RRhhhaa---!!!』

 

 何かの間違いだと、再度その状態を振り上げて勢いよく落とす。

 だが手ごたえは無かった。

 まるで実体の無い幽霊のように――――。

 

 

「あなたの相手は、こっちなのです」

 

 

『Rhaa!?』

 

 混乱する異形の鼻面を吹っ飛ばすような、強烈な砲撃が突き刺さる。

 崩壊した民家の一つの上に仁王立ち、主砲を構える電の艤装も服装も、破損は全て消えて綺麗になっていた。

 

 もう動かない深海棲艦の死体、即ち『資源』はあちこちに転がっているとはいえ、艦娘でも有り得ない回復速度。

 練度が積み重なっているにしても駆逐艦とは思えない火力。

 

 完全復活どころか以前と比較にならない存在となった駆逐艦『電』が強い意思で敵を睨みつける。

 一瞬その足元の航輔に視線を向けたが、彼の安全は“自分が敗れない限り完全に保証されている”と理解している為、すぐに意識を戦闘に集中した。

 

「ここからが、真剣勝負」

 

――――悲しいなら、泣いていい。

――――何に邪魔も否定もさせない、その時間は私が護り抜く。

 

 

「電の本気を見るのです!!」

 

 

 





☆設定紹介☆

※紀伊航輔(提督)

 主人公と対比して一般的な新米提督として登場させたキャラクター……だった。
 ロリおかんの妹ということで生まれてしまった電らしきナニカを相棒にしてしまった為に妙な存在感を発揮し、遂に今回異能に目覚める。

 ただし常識人枠であり、キチガイが暴走した場合突っ込みというか「ヤベえよこいつ怖いよ……」と戦慄するモブとして実に使いやすい。
 真っ当かつ素直な感性で生きている為だが、『瑞鶴』に指摘されたように、こんな悲劇がありふれ過ぎた世界でバナージ・リンクスみたいな(悲しいと感じる心を捨てたくない)生き方できる時点でそれはそれで狂気でした、というオチ。

 異能の描写と詳細は次回。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

強化

 

 

 戦火に荒れ果てた寒村の中、まるで子供と変わらない身の丈で佇む電を囲むように深海棲艦が現れる。

 

 既にして荒らされた村、それが故に異形の本懐である人間の虐殺を行うことはできない。

 ならば代わりにと言わんばかりに、野太い足で駆け這いずる黒い怪物達は幼児そのものの外見を纏った天敵(かんむす)を血祭りにあげようとそこに集結していた。

 

 気配、という意味であれば他にも近くに存在するが、複数が固まっていてかつ『瑞鶴』が無傷の盤石であるのと電達が単体で満身創痍、ならば弱弱しい気配の方を狩りに来るのが当然という習性なのだろう。

 粘性の濁った液体を口から垂れ流す四足歩行の駆逐級が六、高みから眼窩の無い眼で見下してくる長身の巡洋艦級が一、それにごてごてと何門もの砲身を横に膨らんだ胴体に埋め込んで一斉にこちらを狙っているのは戦艦級か。

 

 “深海に棲む艦”としては異端、そして一層の奇形揃いの陸上種達は、海のそれらと比べれば凶悪さは一枚か二枚落ちる。

 だがこの世界で深海棲艦が一気に活性化する時期になれば、その品質低下を埋め戻すように武装の火力も装甲の頑健さも跳ね上がるし、決して侮っていい相手にはならない。

 鎧袖一触に蹴散らしていた『瑞鶴』が異常なだけで、むしろ駆逐艦娘である電がこの数と質を相手に回して生き残る目など有り得なかった。

 

 ほんの数分前までの話ならば………今彼女の傍らに横たわっている、航輔もろとも押し潰そうとしてきた巨体を残骸へ変えることすらできなかった。

 そう、弱弱しかったのは本当につい数分前までの話。

 それを覆すのが異能という要素であり、霊式祈願転航兵装たる艦娘の真価。

 

『rRRRh…..』

『KYaaaA!!』

 

「――――来ないのですか?」

 

 多勢で包囲しておきながら、巡洋艦級の仲間が倒されたことにかあるいは電が持つ何かを感知したのか、警戒するように唸り威嚇する敵達に向かって電は静かに疑問を口にした。

 

 凶暴さと残虐さがお前達の本分だろう、なんだその腰抜けは――――嘲りというよりは困惑に近い態度だったが、それだけに挑発としては覿面だったのかもしれない。

 

「戦いが長引くなら、好都合ではあるのです」

 

『GAAAu!!!』

 

 開戦の口火を切ったのは、挑発を挑発と受け取るだけの知性のある個体。

 その場で最も強力な個体である戦艦級だ。

 

 ピアノの連弾から繊細さの要素を一切取り払ったような、聞き数えるのも難しい何発もの爆発音が一度に鳴り渡る。

 仰々しいまでの武装を全て撃ち放ち、砲弾が電の居た地面に着弾して黒と茶色の煙を噴き上げた。

 

 その煙を突き抜けるように飛び出す電―――服が埃と煤まみれになった事以外損傷らしい損傷は見受けられず、有効打は全くゼロだったらしい。

 向かう先は包囲の一角、戦闘開始に反応できているのかも怪しい鈍重な駆逐級。

 その小柄さからも想像しにくいすばしっこさで懐に潜り込んだ電は、半ば体当たりのような形で左肘を抉り込む。

 

『kyy-----』

 

「墜ち―――、」

 

 十倍は軽く差のある体重が浮き上がる衝撃が敵に伝わったらしい。

 跳ねあがったどてっ腹に、さらに右腕の単装砲をぶち込んだ追撃が合わさって、標的となった駆逐級は悶絶しながら横転する。

 

「、―――ろおぉぉぉっ!!」

 

『-----,---』

 

 そして、間髪入れずに電は左手に錨を顕現して振り下ろす。

 脳天を砕かれた化生は二度と起き上ることはできなかった。

 

 電光石火の早業だったが、流石に敵も棒立ちではない、左後方から脱落した配下を見切って巡洋艦級が魚雷と肩に癒着した連装砲を電目掛けて放ってくる。

 ほぼ直線的で速い弾丸と地を這って迫る爆弾、そして遅れて改めて第二射を始める戦艦級と二隻の駆逐級の援護射撃。

 時間差で火線が雨霰と降り注ぐ中で、電は瞬時の判断で錨を消して駆け抜けた。

 

 先程沈めた駆逐級に奇襲をかけた時以上のスピードで走る電だが、流石に追い縋る鉛弾の数は多く、内一つが彼女の髪留めを掠めてはらりと茶髪が宙にばらけた。

 だが振り乱れる髪が肩とうなじを擽るのを気に留める暇もなく、駆逐級が正面から飛びかかってくる。

 

「この―――っ、ええい!!」

 

 それを受ければ動きを止めてしまう、この弾雨の中で自殺行為を避ける為にはと必要な方法を模索し。

 電は上体を後ろに倒して宙にある駆逐級の下に潜るようにして足から滑り込んだ。

 ミニスカートと生足でというまともな人間ではやれないような咄嗟のスライディングだったが、その巨体をくぐり抜けるには僅かに間に合わない。

 

 だから、単装砲を真下から直撃させて滞空時間を無理やり延ばさせる。

 

『KYYAAAA!!?』

 

 無事押し潰されずに背後に抜けた電と、着地を満足に行うことも出来ずに無様に地面に打ちつけられた駆逐級。

 だが電に背後の敵にトドメを刺す時間は無く、すぐさま砲火の雨との追いかけっこが再開された。

 

 

――――駆ける、跳ぶ、瞬時の隙を見出し単装砲で一撃一撃を加えていく。

 

 

 電とてこれまで何度も戦場を経験してきた。

 その間ずっと夕立や『瑞鶴』の小判鮫をしていた訳ではなく、むしろ戦う者としてまるでなっていない主を護りながらという枷をつけてやっていかなければならなかった。

 

 だが、今彼女にその枷は無い。

 勿論航輔の姿はすぐ近くにあり、時折敵の攻撃もそちらに向かうが………全て無駄だ。

 あの状態の航輔は自分から動くことも喋ることも、何かに触れることすらできないが、それは余の存在が航輔に何らかの害を与えることは一切できないことをも意味する。

 

 故に主を護るという制限から解放された電は、その為に全力で鍛えてきた判断力や視野の広さを含めた性能を全て効率的に戦闘へと注ぐことができる。

 放たれ一度も彼女に痛打を与えなかった砲火が数百にも積み上がる頃には、更に二隻の駆逐級が動かぬ残骸となっていた。

 

………だが、それにしてもおかしいことではある。

 

 たかが駆逐艦一隻が、一個艦隊以上の群れを相手にしてここまで戦えることが。

 今や電の動きは神懸かったスピードとなり、捉えるどころか掠らせる見込みすらできない程に異形達は翻弄されていた。

 

『------GGGYY!!?』

 

 

「――――ああ、やっと気付いたのですか?」

 

 

 何かに驚いたように、うろたえるような挙動を見せた戦艦級。

 その一瞬止んだ弾雨の中で跳び上がった電は、回転しながら無造作に三度単装砲を打ち放つ。

 無造作なれど狙いは正確、電の反撃による傷を負いながらもまだ生き残った三隻の駆逐級に突き刺さる。

 

 “戦艦のそれを遥かに凌駕する破壊力の砲弾が”。

 

 異形を文字通りに粉砕した電が、撃った砲の反動でひらりと宙を踊り、巡洋艦級の頭上に舞い降りる。

 そして手に現れた黒光りする錨を、目で追うこともできない速さでフルスイングする。

 

「えいやっ」

 

 弾けた。

 

 断末魔を上げる暇など無し。

 拉げた装甲が、折れた砲身が、ばらばらになった脚が、鉄屑が弾けて散乱する。

 原型を留めない上半身を支えていた下半身が、目的を失ってその場に崩れる。

 

 

――――流した涙の数だけ強くなるから、せめて泣く時間が欲しい。

 

 

 それが紀伊航輔が渇望し、電が応えた祈り。

 この祈りによって、航輔の存在は世界から切り離され、“感情のままに愚かな振る舞いをする”のも問題にならない時間が生まれた。

 だが、その間にも残酷さに満ちた世界では理不尽が生まれ続けているし、それと向き合い続けるのが彼の本質でもある。

 

 だから。

 

「司令官さんが流した涙で得た強さ。それは電のものでいいのです」

 

 航輔が世界と切り離され一切の干渉を受けなくなっている時間。

 それが経過すればするほど、“電が”強くなり、その性能でもって理不尽を駆逐する。

 

 暴論とも言える、ある意味こちらの方が理不尽な仕組み。

 だが夕立然り羽黒然り、異能とはそもそもそういう理不尽なものだ。

 

「ちゃんと異能が使えるようになってすら電に頼りっぱなしのだめだめ司令官。

 電をちゃんと憎むことも許すこともできない、愛しい愛しい電の司令官。

 大丈夫です、電がいるのです」

 

 だから――――。

 

『g,,,,GGAAAAAA!!!!!』

 

「さよなら、司令官を泣かせる悪いやつら。

 沈んだら、もう浮かび上がって来ないで欲しいのです」

 

 やぶれかぶれになって一斉射撃する砲撃は、電の振るう錨にあっさりとはたき落とされる。

 その間断無い爆音と、そして周囲一帯に一瞬駆け抜けた黒い“何か”に紛れ、その異形は気が付かなかった。

 

 地を這って走り寄るたった一発の魚雷が己の命を狩り取る最期の一撃だと、気が付かなかった。

 

 

 

 

 鼓膜を焼き切るような音と炎の爆発が戦艦級を微塵に吹き飛ばす中、それを行った電は別のことに意識を飛ばしていた。

 

「今のは、一体―――?」

 

 世界そのものを震わせた、波動のような“何か”。

 形の無いそれをむりやりに形容するとして、色で言えば黒。

 深海棲艦の持つ瘴気に似ているといえば似ていたが、あれはもっと研ぎ澄まされていた。

 

 瘴気は光の濃淡や赤青緑の雑味が入ったどろどろした黒、といった感じだが、それとは違う純粋な闇とも言える単色の黒、というのが電の受けた感想。

 その純粋さに背筋の凍る怖気が走る一方で、何故か懐かしさを同時に感じた。

 

 そんな矛盾した感覚に首を傾げる電の耳に、二人分の足音が近づいてくるのが聞こえる。

 

「――――そっちは、どうだったのです?」

 

「えへへ、もちろん瑞鶴ちゃん大勝利!!…………って言えれば良かったんだけどね。

 お子様相手に遊んでたら、癇癪起こさせちゃった。

 翔鶴姉、だいじょうぶ?」

 

「はい………」

 

 顔面を蒼白にした翔鶴の背筋を優しく擦りながら、珍しく苦笑のような表情を浮かべる『瑞鶴』が合流してきていた。

 

「じゃあ、さっきのは……」

 

「残念だけど私も詳しいことは知らないんだ、予想は出来るけどね。

 最強な瑞鶴ちゃんに勝つために、人型を核に色んな人や深海棲艦をくっつけてって『さいきょうのにんぎょう』を作ろうとしたのはいいんだけど……ちょっと洒落にならないものを突っついて目覚めさせた感じ?」

 

「よく分からないのですが?」

 

「いいよ、気にしないで。どうせ会ったら逃げるしかないって分かる類のものだから」

 

 ひらひらと手を振る『瑞鶴』は、それ以上のことを語るつもりはないらしかった。

 そんなことよりもと言わんばかりに、至近距離であの“何か”を浴びたせいで体調を崩したらしい翔鶴をそっと抱きしめ、構い始める。

 

「翔鶴姉、本当無理しないでね。翔鶴姉が辛いと、私も辛いんだよ?」

 

「………提督、逃げ帰るなんてしたからすごく機嫌が悪いんですね。

 いつもの倍くらい優しくしてくれて、うぅ」

 

「…………。あはは、翔鶴姉ほんと大好き。愛してる。もちろんうんと優しくしてあげるよ、とろけるくらいに」

 

「~~~!はぁぅ…っ!!」

 

 

「……………ほどほどに、なのです」

 

 

 空虚な愛の囁きで『瑞鶴』が翔鶴に八つ当たりしているが、それによって頬の赤みが戻ってきているので心配する必要はないのだろう。

 翔鶴の目の焦点が合ってない?……本調子ではないみたいだが、気にするまでもあるまい。

 

 それよりもと、異能を解いた航輔の下へと駆け寄る電。

 それに気付いていない筈はないが、航輔は熱心にごそごそと土を掘り返していた。

 

 白の剣錨巾はどす黒く染まったままで、それと手近な焼け残りの布を漁って包んだその中身は改めるまでも無い。

 

「墓を、作るのですか?」

 

「………ああ」

 

「手伝うのです」

 

 電との戦いで深海棲艦達が遠慮なく撃ちまくったせいで、そこかしこの地面に穴は空いているが、己の手で墓穴を掘るのは感傷だろう。

 それが紀伊航輔という自らの主だから、電は今は言葉少なにそっと寄り添う。

 

「「…………」」

 

「…………」

 

「………なあ、電」

 

「はい」

 

「………っ、ありがとうな」

 

「こちらこそ、ありがとうございました。

………これが終わったら、一緒に帰りましょう?とても疲れたと思うのです」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 

「一緒に、帰ろう――――」

 

 

 

 






☆設定紹介☆

※電・航輔の異能


 人は涙を流した回数だけ、強くなれる――――物理的に。


 提督である航輔が泣いて悲しみに耽る時間を得る為に一切の攻撃を受けない無敵状態になる一方で、それが積み重なる程艦娘である電の全性能が時間経過と共に跳ね上がっていく能力。
 正確には航輔に掛かる提督としての強化分が(必要ないので)電に上乗せされているわけで、強くなっているのも確かに航輔なのだが、最終的に他力本願ならぬ電力本願になるのがこのコンビなのです。

 艦娘並みの身体能力はあっても、資源でのインスタント修復はできずまた死ねば艦娘も無力化されるというウィークポイントな提督が完全にガードされる、ある意味かなり優秀な能力。
 しかもこの無敵時間に制限はなく、むしろ時間が経てば経つほど電の火力も回避も装甲も全てが凶悪になっていく仕様。
 電を速攻で沈めるか、能力発動中は航輔がその場から動けず電もあまり遠くに離れられないのでひたすら逃げる、が対処法になるのだろうか。

 流石に一度能力を解けば上昇した電の性能はリセットされる。
 あと完全に形成位階で覚醒したので、これ以降特に悲しいことがなくても航輔の随意で能力を発動できる。


………無敵状態、と言いつつ羽黒なら対夕立の反射と同じ理屈で、航輔にダイレクトアタックできるのだが、考えちゃだめ。

………性能が時間経過で上がっているだけなので、この状態の電が修羅思考反射持ちの夕立と一騎打ちしても勝ち目がないのだが、やっぱり考えちゃだめ。


 改めてなんでこんな凶悪な能力が主人公のなんだろう?
 羽黒に至っては、アンチ夕立の敵キャラとして考えた能力だったんだけどなぁ……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

興行


 一つお休みの回。
 あと題名見て大体どの話か分かるようなサブタイ付けてなかったの気付いて、今更ながら章管理やってみました。
 けどそれで分かりやすくなったかと言えば………。

 ま、いい感じに香ばしさは増したんでいっか。

 そしてちょっと間が空いた更新なのと久々のぽいぬ登場のせいで作者が何と何の禁断症状に襲われていたかがよく分かるお話。





 

 遠方の海で春也達が島風の蹂躙劇を目の当たりにし、航輔と電が和解し異能に覚醒した、深海棲艦の活性期。

 

 この期間においてはただでさえ人類を脅かす怪物達がより凶暴さを増し、さらに軍勢として活動し始めるのだからたまったものではない。

 が、実際は定期的な出来事であることから『鎮守府』ではもはや一種のバッドイベントのようなもの程度として扱われている側面があった。

 

 敵の進軍や襲撃が落ち着きはじめ、一週間ほどすれば慰労の為の催しごとが始まるくらいには。

 つまり、その準備は深海棲艦が凶暴化しているまさにその最中から始まっていたくらいには。

 

 今年はどこそこの村が滅んだ………その“程度”の被害で済んでなによりと、そんな言い草で戦友を労う提督達の笑顔があちこちで見られている。

 三日前に遠洋から『鎮守府』に帰還し、自分も夕立と羽黒を連れてその祭りにふらふらと参加している春也に、それを酷いと詰るつもりはなかった。

 

 

「いよお春也ッ!もっと盛り上がろうぜ!なんてったって俺、覚醒!!

 次の昇進でお前と同じ佐官が決まるんだからよお~~っ」

 

「立ち直ったら立ち直ったで本当うぜえなお前!?何十回目だよその話」

 

「ふっふっふ……。ちょっとばかり異能が使えるようになったからと言って電の司令官の小物っぷりが直ると思ったら大間違いなのです!

 司令官の慢心を見るのです!!」

 

「………あの、あの、それはそんなに嬉しそうに言うことなんですか…?」

 

 

 というより、脳みそ小春日和絶好調で春也に絡んで来る、同じく祭り見物人の航輔と電の相手でそれどころではなかった。

 電の過去に疑念を持ってからの今にも押し潰されそうな深刻な態度から回復できたのは喜ばしいし、その成長に最初の数回くらいは素直に祝福していたが、同じ話を何回も繰り返されてまで付き合いたくはない。ないのだが。

 

 

「でも、お前にも感謝してもしきれないんだぜ、春也。

 『瑞鶴』さんを紹介してもらったことも、色々励ましてくれたこともさ。

―――――本当にありがとう。世話になった」

 

「………ばーか。それも何十回目だって話なんだよ」

 

 

 照れくさくなるような素朴な感謝さえも何回も繰り返すものだから、本気で邪険にするのも躊躇われてしまう。

 

…………それにどうやって立ち直ったのか、その具体的な経緯は敢えて聞かなかった。

 

 『瑞鶴』から立ち寄ったどこぞの村で惨劇が起きていたことくらいは聞いたし、そこで航輔のような真っ当な人間がショックを受けていない筈がないというのは簡単に思い当る。

 それが電との仲を修復する経緯にもなったのだろうが、それからたった数日で全てを吹っ切れている訳もなく、こうして躁になっているのは無理している側面もあるだろう。

 

 それを汲んで馬鹿を言っている電同様、男友達の張った意地をほじくり返すほど無粋でも根性が捻じれているつもりもない。

 

 

「……えい」

 

「ぽひ………ぽみゅ?」

 

 

 そしてそんなことより嫁が可愛い。

 

「へーほくひゃん?~~~~っぽい!!」

 

 航輔の相手をそこそこに切り上げて、演習場に組まれた足場に腰掛けた春也の膝を椅子にして足をぷらぷらさせている夕立の頬をなんとなく突っつくと、ぽかんとしながら気の抜けた言葉を回らない舌から吐き出してきた。

 かと思えばぷくっとほっぺたに空気を入れて膨らませ、春也の指を押し返して満足そうににぱっと笑う。

 

「はいもう一回なー」

 

「もー、てーとくさんってば~」

 

 窘めているようなのは言葉上だけで、きゃっきゃという擬声が聞こえそうなくらい構ってもらえて上機嫌になっている夕立。

 そんな彼女を見て暖かい気持ちになっている春也の肩に、そっと、――――羽黒が指を添える。

 

 

「いいなぁ、夕立ちゃん………」

 

 

「拗ねんなって。ほら」

 

「あ……」

 

 じとりと、霧がまとわりつくような羽黒の慕情。

 だが慣れてしまえば嫌いではなかった。

 

 甘え下手というか甘えるという行為自体をうまく理解できていなくて、でもちょっと手を握ってやればそれだけで彼女も花が咲くような微笑みを見せる。

 どちらかと言えば庇護欲をそそられるといった感じだが、悪い気分にはならない。

 

 そんな風に時間を堪能していたところに、祭りの号令が強引に切り替えとして割り込んできた。

 

 

「さあお立会いの皆皆さま!!今回もやってきました目玉競技!

――――無差別艦娘対抗競漕ぉーーっっ!!」

 

 

「「「イエェェェーーーーーァ!!!」」」

 

 

「ノリいいなあ………」

 

 しなる髪を無造作に後ろに束ねた、くりくりとした目と活発な雰囲気でいかにも元気で好奇心旺盛な女学生といった風体の艦娘である重巡洋艦・青葉が、歓声にもかき消されずに張りのある声を演習場に響かせる。

 

 付近の陸地はところどころ険しい崖の切り立つ要害ながら、癖の無いなだらかな海底面が海岸から沖に続いているという良港でもある鎮守府の海岸部分は、見晴らしのいい半ば競技場のような演習場として拓かれている。

 いつぞやの春也の夕立と姫乃の艦娘達の演習が見世物にされたのを思い出す光景だが、今やっているのはそれに輪をかけた見せモノだ。

 

 基本的に娯楽の少ないこの世界で、祭りともなれば積極的に盛り上がるのも無理はないだろう。

 それを見越して今ここで開かれている催し物とは―――艦娘達による競技会だった。

 

 基本的に艦娘は見目麗しい美女・美少女揃いだ。

 たとえ“提督持ちの艦娘が参加できない”スペックの低い競技会だとしても、アイドル運動会とオリンピックを同列に並べる人がいないのと同じようにそれはそれで需要が高い。

 

 先程は艦娘達がそれぞれユニットを組んで海面を自在に滑りながら水上ダンスを披露などしていた。

 朝潮型で何故かエグザイルごっこしていたのを見て春也はつい笑ってしまったが。

 

 提督持ちの艦娘が参加できない理由?異能持ちが蹂躙なり暴走してしまうと収集がつかなくなるからという話。

 

「それでは競技の流れを改めて説明しましょう!

 各選手は海上の円周上に等間隔に設置された五つの旗を好きな順番で回って行き、その後開始地点の中央の旗に最も早く戻ってきた艦娘の優勝となります。

 なお、選手間での妨害は当然あり!撃ってよし、殴ってよし、組んでよし裏切ってよし、でも逃げ回るのは野次覚悟で、ね?お好みの戦術で海を彩っちゃってください!」

 

 拡声器も無いのにざわざわと思い思いに騒ぐ観衆に細かい説明を行き渡らせる青葉の声は、しかしそこまで必死に叫んでいるようにも見えない。

 まさかとは思うが、異能持ちだったりするのだろうか。

 

 そんな疑問をよそに、すいすいと海上を移動しながら青葉は海岸部に整列した艦娘達の間を進み始める。

 

「それでは登録選手の紹介です、青葉頑張ります!

 さっそく一番、甘えたくなる元気なお姉さん、そのタンクには夢がつまっている!

 重巡洋艦、愛宕―――!!」

 

「ぱんぱかぱーん!そしていっちばーん、なんちゃって」

 

「ノリが良くて何よりです!この調子で皆さんお願いしますね。

 続いて二番、ふんわりやわらか男心をくすぐる罪作りな癒し系。

 練習巡洋艦、鹿島―――!!」

 

「あ、はぁい!応援よろしくお願いしますー!」

 

「そして三番、青葉調べ悪戯したくなる系艦娘かっこただし性的な意味でかっことじる第一位。

 駆逐艦、浜風―――!!」

 

「………真っ先に攻撃したい対象が決まってしまいました」

 

「審判兼司会の青葉への攻撃は反則ですよ?

 さて、四番は来ました我らが主力戦艦、胸を張って立ち上がればあらゆる意味で敵はいないっ。

 戦艦、長門―――!!」

 

「速度だけを競うなら不利は認めるが……、殴り合いをするなら誰にも負ける気はしないな」

 

「勇ましいですねー。

 そしてここまで来て五番。ばるん、ぽよん、ばばん、ででん、そしてすとんっ!

 艦載機を扱える不思議な駆逐艦、龍驤――――!!」

 

「青葉ワレェっ!!悪意しか感じんのやけど!?」

 

「青葉は紹介の順番決めには関わってませーん。さてまだまだ行きますよー」

 

 

「RJさん………」

 

 こんな世界ですら貧乳ネタ弄りを受けている軽空母の不憫さに思わず熱いものがこみ上げる春也。

 そして興奮して喚く龍驤を無視して深雪、阿武隈、朧、霞、天城、最上、谷風、祥鳳………と何を基準にして選ばれたのかよく分からない面子を青葉は紹介していく。

 セクハラ染みた煽り文句は龍驤でオチを付ける為のものだったらしく、彼女より後には見られなくなったが。

 

「最後十四番、真打ち登場!

 居酒屋の女将として鎮守府の夜に安らぎの瞬間をくれる超弩級おかん。

 軽空母、鳳翔お母さんの参戦だあああ――――っっ!!!」

 

「鳳翔さーん、頑張ってー!」

「おかん、怪我しないでくれよ!明日店に行くつもりなのに楽しみが無くなっちまう!」

 

「いや、というより俺、なんでここにいるんですか……?そもそも俺は艦娘じゃなくて、ていと―――、」

 

「母様っ!素敵な晴れ姿、楽しみにしています」

 

「う……目立たないように、なるべくやれるだけやってみます」

 

 海上がよく見えるように、高めに組まれた足場の最前列特等席で手を振る戦艦娘・山城となにやらやり取りをしている鳳翔が最も注目選手のようだった。

 男達の野太い歓声に混ざって出番の無い艦娘達からも黄色い声援を受けてもじもじしながら、臙脂の着物を縛る襷掛けを艶やかな黒髪が踊ってふわりと撫でている。

 

「えらい人気だな、あの鳳翔」

 

「聞いたことがあるのです。提督無しの艦娘がやっている居酒屋でとても繁盛してるところがあると」

 

「あー。酒は飲まないからなあ」

 

 電達と適当な会話をしていると、一通り鳳翔への歓声が静まるのを待って青葉の誘導でスタート地点まで移動する選手の艦娘達。

 なんでもありのサバイバルレースだが、開始は全員が至近距離で団子になった状態から始まるらしい。

 開幕直後から大混戦になるのが目に見えているが、それもこの競技の見どころなのだろう。

 

 

「さあ皆さん、青葉と聴衆のみなさんが十数えたところから競技開始です。

 行きますよーっ」

 

 

「提督さん、夕立たちも一緒にやるっぽい!」

 

「よし、羽黒もいいな?」

 

「はいっ」

 

 十、九、八、七――――。

 

 観衆数百人が唱和する中、春也達三人や隣の航輔達もそれに加わる。

 祭り特有の熱気が、否が応にも心を昂らせる。

 わくわくする、こんなに楽しい気持ちになったのは、この世界に来て初めてかも知れない―――。

 

 そんな思い出を、夕立と羽黒という相棒、航輔と電という友人と共に心に刻んで。

 

「三、二、一、はじめぇっっ!!!!」

 

 

 

 この純粋に心から楽しいと思うことの出来た“最後”の時間を――――伊吹春也は、きっと永遠に忘れない。

 

 

 

…………。

 

 競技会の催しは、熱狂の中無事終了した。

 

 最後のサバイバルレースも、確かにスペックだけで言えば提督を持たないせいで陸上種の駆逐級一匹を倒せるかどうかというレベルの艦娘ばかりだったが、裏を返せば春也の夕立のような最初から反則染みた戦闘能力の明らかな地雷が紛れ込んだりはしていなかったということだ。

 

 開始直後に他の参加者から一斉に集中砲火されたその場で唯一の戦艦である長門が流石に耐えきれずにすぐに沈んだ――――示し合わせたというよりは、口火を切った何隻かに悪乗りした艦娘が残り全てだったという不憫さのせいだろう。

 ついでにどれくらいの小遣いをつぎ込んでいたのかは知らないが、長門と書かれた賭け札を握りしめた航輔も項垂れて沈んでいた。電はいつも通り以下略。

 

 その混乱の中で思い思いのチェックポイントに向かって何隻かが散らばって行こうとした。

 そうなれば速力で優位の駆逐艦勢が抜きんでる―――と思いきや、空母勢の艦載機に牽制され、巡洋艦勢との正面戦闘に縺れ込まされ、膠着しながらも逆に追い込まれていく。

 

 大まかに二つほど潰し合いの乱戦の場が生まれ、また阿武隈と鹿島、浜風と朧がそれぞれ競漕相手をど突き合いながらチェックポイントを回ろうとする。

 

 そんな白熱の展開の中、気付けば最も注目株だったのに何故か誰からもマークされなかった艦娘(?)が一人いて――――。

 

 

 

…………。

 

 気分が乗らない。

 

 そんな理由で春也と一緒に祭りに行かず部屋で引きこもっていた姫乃に追い出された扶桑は、不知火と別行動で鎮守府の歓楽街をふらふらと歩き回っていた。

 競技会が終わったばかりで浮き立った空気と裏腹に、物憂げな表情をその整った美貌に纏うのは、似合ってはいるがどこか不安定さも連想される。

 

 空が赤らみ始める中、そんな彼女の前方からすれ違う艦娘が『二人』。

 どこからどう見てもたおやかな大和撫子然とした美しい女性の軽空母・鳳翔と、扶桑の姉妹艦である戦艦・山城。

 

「本当に良かったのでしょうか、艦娘の競技で優勝なんて……。

 何度も言いますけど、俺は、艦娘ではないのに」

 

「ええ、存じてます、母様のしもべである“山城だけ”は。

 ですがあれだけいて誰も何も言わなかったどころか、祝福さえしてくれたのですから、栄冠は母様のものでいいのでは?」

 

「あんな勝ち方でも、ですか?」

 

「無駄な戦闘を悉く回避した、あの素晴らしく優雅な勝ち方で、です。

 文句はこの山城が言わせません」

 

「………くす。本当に、俺なんかにはもったいないくらいの良い子です、山城さんは」

 

「そんな!私の母様は、母様だけです……!」

 

 そんな、奇妙で温かいどこかねじ曲がった親愛と齟齬が混入した、上辺だけならば優しい会話が、すれ違う扶桑の真横で行われる。

 それに対する扶桑の反応は――――。

 

 

「…………あら?今誰かとすれ違ったような」

 

 

 “気付けなかった”。

 純粋に配下の艦娘の優しい言葉に感動する自らの提督にそっと腕を纏わりつかせながら、姉譲りの美貌から覗く双眸をどろりと濁らせ歪んだ笑みを浮かべる姉妹艦の存在そのものに。

 

 文字通り触れ合う距離で歩いている『鳳翔』はもちろん、扶桑もまだその声を聞き逃すほど離れてはいないのに。

 

 

「ふふ、あんなに慕われている母様の本当の世界は、山城ひとり、思うがまま。

――――うふふふ、ずぅっと、二人きりで、平和に暮らしましょうね。私の創造主様(かあさま)」

 

 

 その暗い高揚と愉悦のエクスタシーが底に蠢く甘ったるい声に、この世界の誰もが“気付くことができなかった”。

 

 

 





☆設定紹介☆

※『鳳翔』(おおとり かける)

 この小説の地雷の………いくつめだ?
 同作者別作品からのオリキャラゲスト出演という如何にも香ばしい暴挙パート2。

 この終末世界でも艦娘の鳳翔としか認識してもらえない、所作淡麗・家事万能・世話焼き・天然・包容力抜群のパーフェクトおかん系男の娘。
 どうしても提督と思ってもらえず『鎮守府』の所属になれなかった為、仕方なく相棒の山城共々歓楽街の居酒屋で賄いをやっていたところ、“気付かないうちに”店主がどこかへ失踪しいつの間にか女将として暖簾を乗っ取ってしまっていた。
 なし崩しで店を切り盛りしていたら、無駄にそちら方面に高いスペックを生かして超人気店になってしまった為、結果的に“気付かないうちに”戦いとはまるで縁の無い平穏な暮らしを送っている。

 完全に素ですれ違っているお艦日誌と違いこの世界の彼は一応異能のようなものを持っていて、その能力は『気付かなければならないことに気付かせない』能力。
 他人の感覚に働きかけるのではなく、見た目・匂い・触感などをはじめとして概念的なものまで含めた“ものの認識のされ方・定義のされ方”そのものを弄るので、途方もない実力差や感知に特化した異能があっても平然と欺いてしまう。
 隠蔽・偽装において他の追随を許さない………欠点があるとすれば、提督である『鳳翔』ですらその異能の存在に“気付けない”ことだが、些細なことだろう。
 きっと『鳳翔』が自分が提督であると他人に“気付いて”もらえる日は永遠に来ないが、たぶん些細なことだろう。

 艦娘側が頑張って異能を悪用……じゃなかったフル活用しているので、永遠に深海棲艦と戦闘する機会も来ない。
 どこぞの戦闘狂と同じように、なんか別の法則で動いているイレギュラーだが、そうでなくても話の本筋に関わることは(何が何でも山城が許さ)ない。

 ちなみに、実は配下の艦娘の山城さんは『鳳翔』のことがだいすき。すごくあいしてる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五章 真相連環編
屍鬼




 怪物になってしまった人間をなんとかして元に戻すのがスーパー戦隊。
 怪物になってしまった人間をなんとかして蹴り殺すのが仮面ライダー。

 別にどちらがいいとか本当のヒーローとかって断言できる話じゃないんだけど、平成二期以降は基本的に仮面ライダーも前者寄りになっちゃったなあ………。
 そんな中虚淵がんばった鎧武が平成二期では色々言われてるけど一番好き。

 あ、本編とは特に関係ない話題ですよー()




 

 

 何の力も持たぬ者、提督でない者に明日の命の保証は無い。

 別段提督だからと言ってリスクが減るだけだが、この世界で人々に課されたルールとしては最も残酷で最も当然のルールになっていた。

 

 そして今日もまた、命が散っている。

 

 『神社』から歩いて数日といった山中にひっそりと隠れる寒村。

 鎮守府の庇護を受けられない追放民の村において、奇怪な黒の異形がばらばらに引き千切った元ニンゲンの骸を地面に摺り潰し戯れていた。

 

 とは言ってもここで死んでいるのは只人ではなく、野良の提督だった――――そうでない者は、この村をかつて訪れた伊吹春也と夕立、その主従が去った翌日に皆殺しにされている。

 

 罪の無い人々を虐殺し、己の父親すらも手にかけてその死体を兵器として弄んだ。

 幾人もの提督をその手に掛け、その練度と言う名の魂喰らいをそっくり自分のモノにした。

 業深き少年は、それが報いだと誰かが願ったかのような死に様でその濁った眼玉を眼窩から吐き出していた。

 

『報イ――――ソウ、報イダ』

 

 それは、彼が己の意思で生み出した筈の死体人形から発せられていた。

 人型の空母級をベースに雑多な深海棲艦の骸を張り付け、圧縮。

 辛うじて二腕二脚の人型だと判別できるが、その形すら視認が難しい程に体表の黒はおぞましく光を吸い込むものとなっている。

 常人が見ればそれだけで発狂する毒の肌の内側には何十何百という数の深海棲艦の瘴気と怨念が内包され、砲塔など備えなくともそれを漏れ出させるだけで周辺一帯を死地へと変える力を持っていた。

 

 そんな自らの異能で生み出された“混沌種”、その屍人形だった筈の存在を何故か上手く操ることが出来ず、『瑞鶴』を退けた彼は苛立ちながら自身の塒(ねぐら)にしていた生家跡で試行錯誤を繰り返し――――“その甲斐あって”バケモノの中のバケモノは暴走を始める。

 真っ先に怨念の牙を向けたのは、当然すぐ傍にいた少年提督。

 

 死体から捏ねた殺戮人形に意思を持って反抗されることなど予想だにしていなかった彼は、そうでなくても碌にできない抵抗をする間もなく喉を抉られた。

 痛みを絶叫で吐き出すことを封じられ、その上で皮を削がれ、肉を捩じ切られ、肋骨ごと臓腑を抉りだされ、その血と髄液を口に突っ込まれてこの世ならざる不快な味と激臭に気絶すらも封じられる。

 

 恨みの極まった暴虐に彼の命がそう長く保たなかったことが僅かな慈悲だっただろうか。

 

 そんな自らの主の死を見届け、繋がりが切れた反動と混沌種の近くで瘴気に触れたというだけで己も消滅が確定したのを感じた艦娘の少女は、掠れた声で呟いた。

 

 

「だから………やめて、って言ったのに。くそ提督……」

 

 

 まるで道化のまま生涯を閉ざした少年の異能の詳細とその祈りについて語る価値もないだろうが。

 それでも、少年をそのレベルに引き上げる程度には相性が良かった艦娘だ。

 

 そんな彼女が主の蛮行を窘める理由が――――良心による弾劾ではなく、主が為を思う警告としての忠言だったと伝わっていれば、あるいは結末は違っていただろうか?

 

 

 否。

 

 

「綺麗さっぱり記憶からポイしてた夕立はともかく、『瑞鶴』の話を聞いてやっとこの村の事に思い当った時には、もうここに誰も生きちゃいないだろうって思ってたけどさ。

――――ああ、人殺しだって分かってれば、あんなゴミ、あの時潰しておくんだった」

 

「え……?、あ」

 

 ぐしゃ。

 

 自分の主に逆らえなかった―――“その程度の”理由で人殺しに加担した艦娘<ゴミ>を踏み潰してトドメを刺し、少年の因縁の相手である伊吹春也が遅ればせて舞い戻る。

 母親を護れなかったという弾劾に感じた気まずさはあっさりと霧消していて、そんな彼と遭遇していればどのみち少年はあっさりと処分(そうじ)されていただろう。

 

 そんな春也が当然に敵意を持つのは、作り手を殺して尚も動き続ける屍の異形。

 死体だろうが人を殺すのなら微塵も残らず消し飛ばす。

 

「司令官さん、これ何か違います…っ」

 

「警戒して!明らかにケタ違いの相手っぽい!?」

 

 羽黒と夕立に言われずとも、『瑞鶴』が「会えば逃げるしかないと分かる類」と評し実際に逃げ帰ってきた程の存在の危険さは肌で感じ取れていた。

 だが、それを分かっていながら春也に躊躇いや恐怖は微塵も無い。

 

「ゴミが粗大ゴミだからってそれがなんだ。ぶち転がすぞ、夕立、羽黒ッ!!」

 

「「――――承知!!」」

 

 主の号令に一切の疑義を差し挟まず、二人の艦娘も応える。

 そして春也達を認識して少年提督のなれの果てから振り返った混沌種も、その本能と何より意思に従い殺意と憎悪を爆発させた。

 

『ニンゲン……マトモナ、ニンゲン。

 憎イ、憎イ、憎イ憎イ、憎イ、憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎いいいいいィィィっィィッ!!!』

 

「………っ!」

 

「ぐぅ、――――かふっ!?」

 

 咆哮。

 

 いや、叫びという“声”ではなく、それは魂に直接響くような暗黒の波動だった。

 触れたモノ全てを黒く染めるような邪悪な瘴気を纏い、存在そのものを腐食させるようなこれは“声”というより――――むしろ“祈り”。

 

 提督と艦娘の繋がりによる感覚共有にも似たぼんやりした何かが、雑多に春也達の心(なか)を駆け廻った。

 

 

 それは記憶。

 それは悲劇。

 それは懇願。

 そしてそれらは断末魔。

 

 

 無造作に焼きつけられる膨大な“何か”は、その中の光景―――建築物や人々の衣服―――の多様さから、洋の東西問わず全世界の様々な人々の最期の記憶だと春也は理解できた。

 

 ある労働者は喧嘩に負けパブで荒れに荒れて呑んだくれ、そして気付けば居合わせた店員も客も皆殺しにしていた。

 ある政治家は突如邸宅を襲ってきた怪物に愛する妻を殺され、そして気付けば妻の死体を更にぐちゃぐちゃにした後自分も怪物と共に民衆を皆殺しにしていた。

 ある部族の青年は大人になる為と言って木から自分を飛び降りさせようとする奴らを、気付けば全て振り回しては地面に叩きつけ皆殺しにしていた。

 ある兵士は敵兵を殲滅し無事に勝利して、殺す相手がいなくなったので気付けば味方の奴らも皆殺しにしていた。

 

 

 怒り、憎しみ、謀り、蔑み。疑心拒絶嫉妬傲慢残虐さ粗暴さ。

 汚いものを抱える存在に、そんな綺麗な人間の皮は必要無いだろう?

 だからその相応しい姿を解き放てよ、それが『神』の渇望ならば、祝福を持って寿ごう――――!!

 

 

 餓鬼道愚現天。

 

 

 現在とすら比べ物にならない程の正真正銘の地獄として、かつてこの世界を支配していた法則の名だ。

 人間の悪意に反応しその持ち主を絶対悪の異形として覚醒させる、そしてそれが撒き散らした惨劇によって悪意は拡散し、世界を醜い化生の巣窟と化す。

 

 その元人間だった化生が現在では何と呼ばれているか――分からない訳はないだろう。

 

 

 

――――伏線はあらかた撒かれているんだ、後はただ答え合わせの時間だ。

 

 この世界のどこか深淵、あるいは限りなく表層にて、その法則を過去のものにした“誰か”が笑う。

 憐れむように、しかしどこか愉しそうに。

 超越者はかく語りき。

 

――――例えば、提督と艦娘が練度を得るのに狩る魂が深海棲艦のものでも人間のものでも関係ない理由とか。

 

――――例えば、深海棲艦が爆発的に数を増やしていた頃、同じかそれ以上のペースで数を減らしたのが何だったかとか。

 

――――例えば、艦娘の材料が深海棲艦なら、深海棲艦の材料は何か、とか。

 

――――伊吹春也、君は頭がいいからもう大体のことは……少なくともこの程度のことには気付いていたんじゃないのかな?

 

 次元を超えた視線が、波動をその身に受けて固まった春也を捉える。

 俯いていてその表情は見えないが、その視線の主はお構いなしに誰が聞く訳でもない独り語りを続ける。

 

――――もしかしたら、怖ろしくて気付かない振りをしていたとか?

 

 そんな春也に、混沌種の影が迫っていた。

 背丈ならば大して彼と変わらないだけに一層不気味さを増すその異形は、誰にも感じられない訳がない悲憤と嘆慨をその腕に乗せて振り被る。

 

 邪神の法則が打ち倒されても、醜く変化した姿は戻らない。

 本能に刻まれた悪意が人を殺せと喚いている。

 遣る瀬無さとこれ以上バケモノにならなくて済む普通の人間たちへの妬ましさがそれを後押しする。

 退行した理性に元は人間としての尊厳などある筈もなく、ならばどうしようもないじゃないか。

 況して死んで解放されたかと思えば、骸すらも弄ばれてお仲間と合一した惨めな姿を曝し続ける。

 ああ、憎い、何もかもが憎い!!

 

 

 

「どうでもいいわ。散り果てろゴミカスが」

 

 

 

――――そうだよね。“深海棲艦が元々人間だった事実(そんなこと)”なんて、大した問題じゃないから気にしてなかっただけだよね。

 

 

 大振りの一撃を躱した春也の拳が、混沌種の一応人間ならば顔面に当たる部分にカウンターとして突き刺さった。

 

 

 






☆設定紹介☆

※餓鬼道愚現天

 今明かされる衝撃の真実ゥ~、というよりユグドラシル絶対許さねえ!

 そのままであれば人類絶滅まったなしの、人間という種に対する嫌悪感が形になったような悪辣非道の理。
 マイナスの感情を一定以上心に抱いた者は人間の皮を脱ぎ棄て怪物として理性を失い、暴虐の限りを尽くすようになる。
 それに巻き込まれて親しい人を失くしたり自分が死にそうな目にあって怒りや憎しみに呑まれてもアウト、怪物の仲間入り。

 なんでこんなもんが世界を包んだのか、そしてどうして世界がいまだ破滅してないのか、艦これじゃない方のクロス元知ってる人には丸分かりだけどまたおいおい本編と並行して触れていきます。

…………そういや割と分かり易くはしてた気がするけど、深海棲艦=元人間っていう設定、どれくらいの読者が気付いてたんだろう?

 なお、この小説における世界観設定等は作者独自のものであり、原作とは一部を除いて無関係ないし矛盾する部分もございます(今更)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

時刑



 詠唱再び。

 ごろごろごろごろ…………。




 

 

「かってぇ……っ」

 

 一撃を入れること。

 それ自体は半ば騙し討ちの様な形で叶った春也だが―――、状況は最悪であると理解していた。

 

 拳に返ってきたのは砂どころか鉛が詰まったようなサンドバッグを叩いたような感覚。

 ここ最近は練度の上昇もあって大抵の相手は一撃で破砕することができていただけに、目の前の敵がどれだけ桁違いの頑丈さを秘めているかよく分かる。

 

 艦娘を持つ提督と、深海棲艦。

 まるで対極とも言える天敵同士だが、その強さの理由、理屈もしくは理論にある程度共通の部分がある以上、それは当然のことと言えた。

 

 自身の狂気的な渇望を独自の法則へと変換して世界を侵食する。

 その媒介である提督と艦娘の相性が強さを測る一つの指標となる―――というのはともかくとして。

 その燃料または出力として喰らい溜めこんだ“人間”の魂の数、いわゆる練度と。

 渇望そのものの強靭さ、祈りの深度。

 後者二つは今までの元人間としての意識が磨滅しきった深海棲艦達とはまるで話が違うのだから。

 

 同族殺しを何度も重ね無駄に成長した自身の創り手を惨殺し、そっくりそのまま自分のものとした練度。

 幾百もの骸を束ね、その怨念と憎悪が全て同じ方向を向いているという先鋭化し切った負の渇望。

 

 何か異能として具現化するということはないものの、それらが収斂された暗黒の矮躯に圧倒的な強大さを誇る頑丈さと膂力を秘めている。

 更には、ただ撒き散らす瘴気の禍々しさだけでも凶器足り得た。

 

「………っ、くぅ…!」

 

「ぁ、ぅ、う~~~っ!!」

 

 夕立はうつ伏せに沈み、羽黒は膝をつきながらもがいている。

 敵意と害意と悪意と殺意の毒が、“元は自分達と同じバケモノだったのに”浄化された艦娘の身体を蝕み激痛と衝撃として彼女らに駆け廻っているのだ。

 全身を圧搾機に掛けられたような苦痛は、かつて残滓程度を浴びて具合を悪くした翔鶴のそれの比では当然ない。

 触れず、ただ近くにいる―――形無き憎しみの感情を浴びせるというただそれだけのことで、無敵の防御を持つ筈の夕立すらも容易く行動不能に追いこんでいた。

 

 提督である春也とてその災禍を免れる訳ではない。

 だが何故か多少の不快感を覚える程度で済んでいる自分が戦わなければどうにもならない。

 考えるまでもなくそれ以外の結論が見えないほどに、状況は最悪だった。

 

「クソったれがぁーー!!」

 

 顔で受け止められた右の拳を引きながら、その反動で左フックを胴体に叩き込む。

 そのままやや沈ませた上体から打ち上げ気味のストレート、そして振り被っての打ち下ろしを三度。

 激情を迸らせ、全身をバネにして、渾身の殴打を回転させながら何度も何度も打ち込む。

 連打、連打連打連打―――!!

 

「おおおおぉぉぁぁぁッッ!!!」

 

『………クク』

 

 全くの、無意味。

 否、いっそ自滅行為。

 

 殴れば殴る程に、拳が潰れ、肉が裂け、血を撒き散らしながらも戦意を喪失しない春也を、小揺るぎもしない混沌種が嘲笑った。

 

「――――!」

 

 痛痒を感じぬ反抗を続ける獲物を甚振るように、戯れの攻撃が横薙ぎの腕の一振りとして襲いかかる。

 咄嗟に右腕で受けた春也は―――壊れかけた拳共々完全に砕かれた片腕と、風を引き千切る奇音を上げる一閃に軽々と吹き飛ばされるのを代償に、辛うじて首から上を粉砕するのを回避した。

 

 ほぼ真横に跳ね飛んだ故に浮遊感はさほど長くなく、ごろごろと木の葉のまだらに落ちる村道を転がる。

 金切り声を上げる右肩から先を黙殺し、体勢を整える前に真横に跳躍した――――そこに遅れて飛んでくる混沌種の蹴撃。

 すんでのところでそれを潜り抜けた春也は、頼りなく揺れる腕を庇うでもなくただ敵を如何に屠るかと気迫の籠る視線で睨みつけていた。

 

『ナンダ、ソノ目ハ?』

 

「…………」

 

 反転する攻守。

 視界の中でぶれるように加速した異形が、ぬるりとおぞましいしなやかさで躍りかかる。

 速さですら負けていることを認識しながらも、身体の軸をぶらしてフェイントをかけてその握撃を躱し切る春也。

 

 その耳に響く雷鳴と紛うようなそれは、勢い余った混沌種が両腕の回り切らないような太さの大樹を容易くへし折った音だった。

 散乱する木の葉の中、一直線に突っ切った春也が敵の背中に飛び蹴りを浴びせる。

 大したダメージにもならないと分かっていたのだろう、そのまま跳ねるように退いたことで彼を掴もうとした異形の腕は再び空を切った。

 

『ニンゲン、ナンノツモリダソノ目ハ――――!?』

 

 踏みならすだけで土砂が捲れ、森がその形を崩していく。

 災害そのものの暴威を見せつけながら、春也一人を仕留める為に混沌種は荒れ狂う。

 

 指先が、爪先が、掠めるだけで致命の怪物を相手にしながら、宙に舞い続ける障害物を目くらましに立ちまわり続け、そして一滴ほどの隙を見つけ打撃を迷いなく叩きこんでいく。

 相手の体力を減らすことすら出来ているのか分からない気の遠くなる挑戦だが、見据えているのは遠く霞む勝機だけ。

 

 そんな春也の態度と、そしてそれを潰せない苛立ちが異形のボルテージを上げ、暴威はますます激しくなっていく。

 

『ソノ目ハナンダ!?断罪ノツモリカ、討伐者ノツモリカ!?

 フザケルナ、ワタシハ、ワタシタチハ、貴様達ガ殺シテキタ化物ハ、全テ元々人間ダ!!』

 

 本能のままに蹂躙しながらも、それは怒りというよりは慟哭の叫びだった。

 

 心の内に秘める何か。

 悪意の欺瞞と言えば聞こえは悪かろう、だが表に出さなければそれは奴隷にも許された原初の人権の筈だった。

 だがそれはある日それは罪なくして異形化という十字を背負わされる口実となり、望まぬ殺戮を強いられることとなった。

 

 やがてその悪法が人間に及ばなくなり、異形の成り立ちすら忘れ去られた頃には、もはや哀れな冤罪者などどこにもいない。

 力無き者達はその暴虐に怯え憎み、そして力有る者達は良くて義憤悪くて欲望の為に異形を狩るのが今の世界だ。

 

『正義ナド、存在シナイ!ソノ傲慢ヲ贖エ――――!!』

 

 他にどうすればいいというのだ。

 やり場の無い怒りのぶつけ先をそう理由づけする深海棲艦に、春也が感じたのは全くの無関係のこと。

 

(勝機は、やっぱりただ一つだ―――)

 

 練度で負けている。

 内包する魂の数という物量で負けているのならば、必要なのは質でそれを跳ね返すこと。

 何十何百の怨念よりもなお深い祈り、強靭な渇望。

 

 云うは易く行うは難し、必要だからと言ってそれが簡単に叶うものではないだろう、本来なら。

 だが胸より出でる怒りと嫌悪感が、伊吹春也の本質と同期し、そして必要の有る無しに拘わらずその存在を一段上の高みへと導くのを感じていた。

 

 

「――――臭えよ」

 

 

『………何ダト?』

 

「臭え臭え臭え臭え、ああゲロ吐きそうなくらい臭えんだよ」

 

 猛追する敵から逃れながら、紙一重で皮膚を切り裂かれながら、呻くように罵倒する。

 

「なんだそれは?お涙頂戴のつもりか同情でもして欲しいのか、人殺し風情が?」

 

 他にどうすればいいだと?

 ああ――――、

 

 

「汚物(ゴミ)は所詮汚物(ゴミ)だから汚物(ゴミ)らしく汚物(ゴミ)の吐き出す言葉(もの)なんて汚物(ゴミ)でしかないと理解することも出来ないんだよな汚物(ゴミ)がぁッッ!!」

 

 

 そんなものは決まっていると、天元を突き破らんばかりに膨れ上がるのが春也の祈り。

 

 人の命はかけがえなく尊いのだ。

 それを奪うモノは有害なだけで一切の無価値だから掃除しなければならない――――、

 

「間違ってんだよ」

 

――――などという今までの自分の認識は間違いだった。

 

 甘い、トロ甘い。

 

 

「貴様らのような人殺し(ゴミクズ)は………生まれて来たことそのものが間違いなんだ!!」

 

 

 人を殺すような存在が生まれることそのものが世界の誤謬、流れ続ける時の中で修正しなければならない見るに堪えぬ誤植だから。

 敵視する、排除する、討滅する――――そんな相手の“価値”を認めているような見方をするなんて、救い難いほどの甘さだったと、よりにもよって悲劇的な境遇に酔って『人間を殺すことを正当化する』存在の醜さを知った時に自覚した。

 

 “何故ならば”。

 

『――――!!』

 

 その決定的な弾劾に混沌種に走ったのは、反発心ではなく危機感。

 それを怒りに紛れさせて、遂にその魔手が春也を捉える。

 

 掴んで、引き倒し、土を抉りながら擂り潰す。

 瞬時に何十メートルも押しこまれ、肋骨がバラバラになりながら強化された提督の内臓を引き裂いて行く。

 もはや痛みとすら思えない意味不明の肉体信号に、しかし意識は毫も揺るがない。

 そんな現実の理など置き去りにするほどに、世界を侵蝕する祈りは肥大しきっている。

 

 “何故ならば”。

 

「どんな、……ぐふっ、理由ガ、あったって!!」

 

『黙レ…、喋ルナッ!!』

 

 

「「――――それが“人間/私の司令官”を殺していい事情になんて、なるわけがない!!」」

 

 

 その口を物理的に塞ごうと振り上げた腕が振り下ろされる“その前に”、出所不明の砲弾が混沌種の胴を突き刺した。

 そしてそのまま体当たりした少女が、主の上から敵を弾き飛ばす。

 

「しれい、かん………ッ!!」

 

 艦娘にとって最悪の毒を全身に浴びながら、今なお激痛に苛まれる身体に鞭打って独り春也を庇うのは、羽黒。

 夕立が今猶戦闘不能にも拘わらず曲がりなりにも動けるのは駆逐艦と重巡洋艦の差以上に、『神社』で禊を行い浄化されて生まれてきた存在と自然発生で僅かに異形の気を残す存在という差によるものだろうが、そんなことを気にする余裕は二人にない。

 

 慕う主を護る為。

 敵の存在を消し去る為。

 羽黒も、春也も、頭にあるのはただ互いの想いを共鳴し合うことだけだった。

 

【――――回れ】

【――――回れ】

 

【【回れ回れ回れ回れ――――空回れ】】

 

【回る滑車】【軋む歯車】【崩れる刑台】【墜ちる執行者】

 

【鐘は鳴り】

【針は天を突いた】

 

【――――貪り喰らえ溝鼠(ドブネズミ)!】

【――――その逆殺を、革命の名の下喝采せよ!】

 

 交互に謡う詩篇、折り連なるようなフレーズが、滲みだして在るべき秩序を歪めていく。

 局所的な伊吹春也の世界が、その場に顕現し支配する。

 

 

「創造(ねじかえ)せ、羽黒ォッッ!!」

 

【“捻還・逆魔時刑〈Antimurder-birthless〉”―――――――!!】

 

 

 昇格した異能の完成―――それと同時に、羽黒は躊躇いなく装備した火砲を撃ち放す。

 その砲弾は常の通り因果を遡り………時間を遡り、そして歴史をも遡った。

 

 着弾の音は聞こえない。

 そもそもそれを認識できるような直近の時間軸に命中した攻撃ではない。

 

 その場に満ちた捻じれた空気を感じないとすれば、それは酷く間の抜けた傍目には何の変化も無い光景。

 だが、対峙した混沌種からは愕然と色の抜けた疑念が漏れる。

 

『何ガ……一体、コレハ何ダ!?』

 

「――――」

 

 当然羽黒は答えない。答える価値を感じない。

 代わりに返すのは追撃の砲火。

 

 その魔弾は、時間を翔る。

 混沌種を構成する異形化し死した深海棲艦達の一部――――その元の人として生まれるその更に以前に着弾し、吹き飛ばした。

 存在を否定した。

 

 人を殺すような存在は生まれてきたことそのものが間違いだから。

 殺すのではない、そもそも生まれさせすらしない……時間軸を遡り、誕生の歴史を否定するという異界法則。

 

『何ガ、起コッテイル………!?』

 

 “なかったこと”にされた為に、自分が損傷を受けたことにすら気付けない混沌種。

 だが強引な時間改変による衝撃は確かに受けている為、自分が弱体化していることに自覚がないまま攻撃を受けたことだけ感じていた。

 そしてそれに対する反応は―――理解しがたい感覚に茫然としながら、できる訳もない現状把握を混乱した頭で行い動きを止めるという最悪のリアクション。

 

 時の軛から逃れた存在でもなければ回避できるわけもない。

 どれだけ現在が強くともかつての文字通り赤子以下の時点を狙い撃つ攻撃であるのだから、防御能力もほぼ意味を為さない。

 

………そんな中で打てる唯一有効な最善手、即ち自分の存在が削られ切るその前に羽黒を速攻で沈めるという発想が即座に浮かぶのは夕立くらいのものだが。

 

「消えろ、消えろ、消えろ。―――消えて、なくなっちゃえ」

 

『ヤ、メ―――』

 

 艦娘の、軍艦の砲撃が生まれ出ていた筈の生命達の予兆を根こそぎ吹き飛ばしていく。

 そして悲劇的としても確かに生きて死んだ人々の人生総てを無為に虚無へと消し飛ばす。

 それは数多の命の集合体である混沌種を標的にしている為だが、差し引いてもなんと冒涜的なことか。

 

 春也にとっては汚物(ゴミ)が生まれたという汚点を修正するだけのことであり、ましてその意思に塗りつぶされた純粋培養の羽黒が呵責を感じることなど有り得なかったが。

 

 圧倒的な暴威を奮い、現状の段階の異能が創造された時点ですらまだ優位にあった筈の混沌種も、こうなればただ作業によって消失を待つだけの残骸と大差は無い。

 そもそも存在しなかったと時間が改変されても、それらがかつて深海棲艦として奪った命が戻ることはないが………報いというにはあまりにも悲しい末路だった。

 

 そして呆気ないほどに、戦いは終わり敵は最早死体すら残さず、その場に満ちていた歪んだ法則も消失した。

 

 そして羽黒が振り返り、春也を見る。

 

「……おわった。司令官さんを守れました。

 ああ、よかっ、――――――、」

 

 情けない程に気弱な表情が見せる安堵の笑み。

 だが、その安堵によって気が抜けたのが、………今の春也よりも体内をズタズタにされている彼女の最期の限界だった。

 提督を死なせない為に残り滓の力を振り絞り、そしてその状態で創造に達した異能の発現という大業に踏み込み。

 

 その、代償は。

 

 

「――――羽黒?」

 

 

 儚く笑う少女の顔は、とても愛らしいのに。

 仮面を叩き割るような太い闇色の罅(ひび)が、縦に深く裂くように白い肌に走っていた。

 

 

 







☆設定紹介☆

※捻還・逆魔時刑〈Antimurder-birthless〉

 仮名で読むとすれば“ねじかえす・サカシマドケイ”。
 英字ルビに関しては言うまでもないが造語。

 人殺しを絶対に許せない“程度”だったのに、人殺しを理由をつけて正当化しようとする者を見て(主人公とは思えない罵声を吐きながら)強烈な嫌悪感を抱き進化させ、羽黒を媒介として創造位階で発動した伊吹春也の異能。
 どんな理由があっても人殺しを正当化なんて出来はしない……それは確かにそうなんだが。

 人を殺すような存在は、そもそもこの世界に出現したこと自体が間違いであるとして、遡行の魔弾が因果すら飛び越えて敵の存在の歴史そのものを遡り、現在に至るまでの全ての過程を吹き飛ばす。
 平たく言えば『~~~。相手は死ぬ』ではなく『~~~。相手はそもそも生まれてこなかったことになった』という能力。

 時間改変の能力とも言えるが、相手の存在を歴史から消失させたとして、相手がそれまで殺してきた人が死ななかったことになったり、逆に相手の存在によって生き延びた命が死んだことになったりすることはなく、あくまで閉じた環の中で完結する。

 例によって回避も防御も不可能。
 が、実力の絶対値を考慮の外に置いたとしても、何度も世界を巻き戻し長い時を強者として過ごしてきた水銀の蛇などは、彼が弱かった時点まで遡って攻撃することが出来ない為、相性最悪。
 一方で祈りの性質から、直死裁死幕引き斬首、そういった絶対即死系統の能力に対してはカウンターとして刺さり、確実に敵の絶対を無効にした上で絶対に敵の存在を消し飛ばす。
 至高の死を求めるどこぞのマキナにとって無為否定という最悪の敗北を与えるという意味でも天敵と言える能力。

 今回の敵は集合体であり一つ一つの深海棲艦単体では殆どが大したことが無かった為一発で数十体分も吹き飛ばせたが、本来同格以上の相手では少しずつ削っていく必要がある。
 それでもこの能力と相対した場合、仮に勝ったとしても削られた存在はまた同等の時間をかけて埋め戻すしかない為(=永続ステータスダウン)、性質が悪いなんてものじゃない。


 そんな能力だった――――。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

轟沈



(精神その他色々なものが削れる音)




 

 

 

 呆と遠く遠くで揺れる意識の中で、羽黒は幻と出会う。

 

 呻き哭くように絶え間なく染みる葉擦れの音。

 ぼやけたシルエットだけを滲ませる欠けた白い月。

 硝煙の匂いは紛れもなく闘争の爪痕であるのに、己が終止符をぶち込んだ異形達の印象は希薄そのもの。

 

 本能のままに深海棲艦を殺し続ける、自動機械と何も変わらない己だった頃の記憶。

 彼女の認識を支配していたその幻の名前を知識から引き摺りだすのに、決して短くはない時間が必要だった。

 

(これが―――走馬灯)

 

 羽黒の経験は豊富とは対極にある。

 生まれは屍が変じたもの、そして伊吹春也という苛烈な思念に“汚染”されたのが始まり。

 今彼女に見えている光景――あやふやな彷徨を深海棲艦狩りをしながら続けていた時間と、やっと自らの主を見つけて付き従った時間を比べても、前者の方がまだ長い。

 

 それだけにただ一つの例外を除いた世界の全てに対しこの羽黒という艦娘は鈍感であり、それだけにただ一つの例外に対して彼女はどこまでも純真だ。

 

(じゃま……邪魔、なの……)

 

 およそ普通の人間らしい感情を持っていれば心的外傷と言っていい程の孤独だった長い長い放浪の時間。

 いつ終わるとも定かならぬ、見知らずの主を求める捜索行は二度と繰り返すことなど絶対に御免である忌々しい記憶。

 そのフラッシュバックが襲ってきてなお、羽黒はそんなものを一顧だにしない。

 

――――司令官が、見えない。

 

 どこまでも恋い焦がれ追い求めた己の主。

 彼女にとって絶対であるその対象は、やっと見つけた自分の存在意義なのだ。

 

 更に言えば。

 羽黒に、そんな相手に受け容れてもらえてよかったという安堵は無かった。

 羽黒に、こんな自分を受け入れてもらえてうれしいという高揚も無かった。

 羽黒に、状況が崩れ一緒にいられなくなるのが怖いという不安も無かった。

 

 そんなことを考えられる程に、彼女は未だ“生きている”時間を積み重ねてはいないのだ。

 良く言えば純粋、そして彼女の慕う提督との繋がり、その根源たる祈りを思えばあまりに残酷な皮肉。

 

 生きることの尊さを、羽黒はまだ自身の経験として実感したことが無い。

 だから彼女の異能は護りなんて知らず、春也の殺意のみに特化して共鳴した形で開花した。

 だから―――ただの兵器として、春也の為に何の躊躇いもなく生死の境界線を超えてしまった。

 

 だから。

 

 常人ならばおよそ生きているのが奇跡であるような血塗れの重体で、必死に彼女を抱えて泣き叫ぶ春也の慟哭は、羽黒に何の感傷も齎さない。

 “そんなことよりも”、彼の姿が見えないことが何よりも苦痛だった。

 

 繋がりを通して、自分の身体が黒く罅割れながら崩壊していることを知っても。

 もはや次に意識を手放せば二度と目覚めることはないと知っても。

 それを誰よりも惜しんでくれるのが他でもない自分の主なのだと……ちゃんと愛してくれていたのだと知っても。

 

(もう……もう何も見えない……)

 

 きつく握られた右手の暖かさより、春也の姿を見続けていたかった。

 それが出来ないことが、頬を伝う涙の理由だった。

 

 そして。

 

 

「―――――おやすみなさい、羽黒」

 

 

 左手に別の暖かさが生まれ、羽黒の存在の全てがそこから吸い取られ始める。

 

 まだ使える部品<資源>は大破した夕立の損傷の充填に。

 蓄積されたエネルギー<練度>は上乗せで夕立に積み上げられ。

 新たな次元を突き抜けた祈りの具象化理論<術理段階>を夕立に引き継ぎ。

 

 兵器が壊れてもう使い物にならないならば、後継機の材料として利用されるのは当然。

 そして、運用されたデータを元に後継機の改良に活かされるのもまた当然。

 

 それは、当の羽黒にとっても自明の理屈であったけれども……それだけでもなかった。

 きっと目的としては、そんなものついでだった。

 

 夕立に吸い込まれた自我の残り滓の中で、夕立の視界で――――かつて羽黒という艦娘だったナニカを抱いて茫然自失とする伊吹春也の姿を一目見ることができた。

 一度きりの最後の奇跡はたった一瞬だったけれど、彼女の唯一の願いは叶えられた。

 

 だから、一つだけ羽黒は感情を覚える。

 

『ありがとう、夕立<わたしのともだち>――――、』

 

 そこに確かな友情はあった、主を同じくする仲間と。

 

 

『ありがとう、司令官<わたしの、ごしゅじんさま>…………!!』

 

 

 たとえ他人からどんなに否定されても、幸せだと思える最期を迎えさせてくれた存在に。

 

 感謝。

 覚えたてのそれをすべてぶつけるようにして。

 

 

 羽黒は、死んだ。

 

 

 

 

 

…………。

 

「――――ありがとう?」

 

 乾いた濁泥。

 懐でぽろぽろとばらけていく、死体にすらならなかったナニカ。

 それを振り払うでもなく、かき集めるでもなく、汚れた掌を見ながら春也の心が白く染まっていく。

 

 羽黒は、幸せに死んでいったと、そう伝えてきた艦娘との繋がりは残り香もなく消え去ってしまっている。

 僅かでも伊吹春也という提督の存在の一部を占拠していたそれが消えた空白感が――――湧き上がり続ける黒い激情を覆い尽くしていた。

 

 感謝の言葉を言いながら、穏やかに死ねたと――――なんだそれは?

 兵器だから、主のために決死を承知で戦闘を完遂したと――――なんだそれは?

 夕立に全てを託し、あとは春也を一目見られただけで良かったと――――なんだそれは?

 

「なんだよ、それは―――ッ!!?」

 

 死。生命の終わり。

 その最悪のバッドエンドに虚飾するような、「せめてもの救いがあった」かのような欺瞞。

 

 羽黒が、特殊な事情によるものにせよ自分を一心に慕ってくれて憎く想う訳もない少女が………死んだのに。

 

 悲しいのに、ただ悲しいだけで十分なのに。

 確かに心の内で、先ほど消し飛ばした混沌種に対するものと同種の怒りが燻る。

 

――――たとえどんな理由があったって、人間が殺されていい理由なんてどこにもありはしないのに。

――――人の死に、何の価値もありはしないのに。

 

 

 “どうしてありがとうなんて言いながら羽黒は死ななければならなかった?”

 

 

「泣けよ、俺……なんで涙が出てこないんだよ……!?」

 

 ある意味で羽黒の想いすらも否定するようなこの怒りは、空虚と悲嘆が勝手に降り積もってどんなに塗り潰されても、心の奥底に根を張って消えない。

 悲しみに浸ることも、真摯に弔うことも許されない業だとでもいうのか。

 それが提督として進化していく代償だとでもいうのか。

 

 その人間らしい情動とは別のベクトルで無理やりに心を動かそうとしてくる渇望で、ありとあらゆる感情が張り裂ける寸前だった。

 それこそ皮肉にも羽黒が死んだせいで意思の多くが凍止していなければ、発狂しかねないほどに。

 

 先鋭化しすぎた異常者の破綻、自滅――――だが、それを許さない存在は、果たして如何に評し断ずるべきなのか。

 羽黒に与えた以上の慈愛をもって春也をそっと後ろから抱きしめる腕は、夕立の小さな少女然としたそれだった。

 

「大丈夫、だいじょうぶ。夕立は、最後の最後まで提督さんと一緒よ?」

 

「………っ」

 

 穏やかで染み込むような声は、すっと極限寸前を長時間走り続けた心身の手綱をいともたやすく解かせる。

 夕立もまた、羽黒と同じ兵器。

 羽黒と同じ、兵器なのに心があって、命があって、それを人間に似せた肉体で精一杯に伝えてくれる、艦娘。

 けれど羽黒の分まで生きる、自分は春也を置いて死んでいったりはしないと誓う言葉が、白と黒でせめぎ合う心を前者の色に静かに塗りつぶしてくれた。

 

 夕立の言葉なら、世界のどんなものよりも信じられるから。

 こんな惨い場所にいきなり飛ばされた春也にずっと味方してきた彼女が信じられなければ、他に何も信じるものなどありはしないから。

 

 今はただ、甘えるように夕立の胸に頭を凭れさせ、意識を沈めていった。

 

 そんな春也に聞こえないのを承知で、夕立は自らの想いを語り続ける。

 

「たとえ何を敵に回しても、夕立は提督さんの為に戦い続けるわ?ずっと、ずっと!」

 

 僅かに速度を増す、艦娘には必要なのかも分からない心臓の鼓動を提督に聞かせながら。

 

 深紅に染まる瞳、頭上で左右に跳ねるようになった癖毛、鋭く伸びる犬歯。

 戦友を吸収した際に春也の知る“進化した姿”へと外見を変え、その唯一の相違点となる額部分の『羽黒の髪留め』を弄りながら。

 

 

「―――だから提督さんは、安心して全てを否定していいっぽい」

 

 

『人が理不尽に殺される………本当に間違っているのは、そんな風に出来ている世界だ』

 

 

 春也自身が抑え込みながらも、受け止める今の夕立すら許容が精一杯なその祈り。

 世界のシステムそのものを否定する意思を、それ故に世界全てを敵に回す運命をこの瞬間に決定させた主の渇望を。

 

 

 

「さあ――――素敵なパーティー、始めましょ?」

 

 

 

 友の死ですら冷や水にもならない高揚もろとも持て余しながら、どこまでも優しく抱擁を捧げる主にそっと囁き続けていた。

 

 

 

 






――――今回の設定紹介は自粛します――――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼姫


 鬱で続きが書きづらかったその反動というか……。
 ある意味これまでで一番頭の悪い回になります。




 

 

 極寒の吹雪が海上に吹き荒れていた。

 次々と白い粒が水面に落ちて結晶となり、小さな華を咲かせては溶けて消えていく。

 そこをしゃり、という音を立てて滑走するのは、ひどく場違いな半袖セーラー服の少女だった。

 

 雪にも負けない白さを持つ肌を素の手足から晒して水上を行くのは、当然ながら人間ではなく艤装と呼ばれる機関を装着したこの世界の超常の兵器である艦娘だ。

 駆逐艦・夕立ーーー雲の高さも判然としない白一色の景色に、頭頂部で一対に跳ねている仄かな赤みを帯びた金髪と、何より血のような紅い瞳を残光を残しながら浮かび上がらせる特徴を持つようになった彼女は、自分が他の『夕立』と一線を画す伊吹春也だけの所有物だと存在で示していた。

 

 その後ろを、流石に自分は防寒具で固めた主が同様に水上滑走で続く。

 

「改二……か」

 

 愛してやまない夕立の強化形態に、本来なら喜び小躍りしてしかるべき春也だが、その変化の起点の出来事を考えればそんな上向きな気持ちも湧いてこなかった。

 彼女と同じく自分を慕い従ってくれていた艦娘である羽黒の死ーーーその直前までの性能を継承し融合した結果の強化なのだから。

 

 とはいえどんなに深い傷であろうと、結局はうつろう情動で。

 一月あれば記憶に変わる。

 それが例え心を切り裂く痛みをもたらすものであることには変わりなくとも、やがては思い出に変わるのだろう。

 

 幸か不幸か深海棲艦の掃滅というより強くなった目的意識を抱くが故に、どんなに悲しくとも春也がその歩みを止めることはない。

 

「夕立……寒くないか?」

 

「大丈夫、っぽい!ーーー人を凍え“死なせる”寒さだもの、提督さんの祈りが護ってくれるわ?

 提督さんこそ、辛くない?」

 

「ちょっと、寒いな…。

ーーーーさっさと終わらせよう」

 

 風の音をも吸い込む静かな雪の中気遣いを交わし合う主従。

 常の元気さを絶やさない夕立の言の通り、彼女の周囲には更に低温となって反射された冷気が光を屈折・拡散させ、淡い極小のオーロラとなって煌めいている。

 自分の異能のことだ、温度変化が夕立にダメージにならないのは今更の話だが、それでも気遣ってしまうのは命の消えやすさを見せつけられてきたからか。

 

 本当は、ちょっとどころではなく、酷く寒い。

 背筋を間断なく小さく揺らされているような気分の悪さが気だるさを誘発している不調は確実に夕立に伝わっているのだろう。

 

 春也にだけ分かる程度に、白一色の海上を見据える紅眼が僅かに細まった。

 

「深海棲艦も異能を使えるーーー元が同じなら当然、か」

 

「……たとえ何が来たって、全部やっつけるっぽい!」

 

 羽黒が沈んで一月。

 つまり、春也がこの世界に来た日付からまだ半年も経っていないし、そんな季節のそれも海上でこんな天気は自然なものではあり得ないだろう。

 

 果たして、雪中を往く夕立と春也の前に“それ”は現れた。

 

 

『■■(帰レ)』

 

 

 髪も肌も衣服もあらゆる装いが白一色。

 白とは人間の本能に骨や髄液、即ち“死”を連想させる色だという。

 雪の海に溶け込むようなその不吉は、しかし外見だけならヒトのかたちを取っていた。

 

 『鬼』。『姫』。

 

 深海棲艦でもとりわけ実力が高く、何より明確な知性を有していることで知られている種類だ。

 

 知性とは、本能が要求する欲求や衝動から分岐し、時にそれら全てを超越しねじ伏せる意思と呼ばれるものの源である。

 祈りは意思から生まれ、それはすなわち渇望を有することに繋がる。

 そして艦娘の原料は深海棲艦――――かつてニンゲンだった残滓が色濃く現れれば、己自身を媒介として異能を表出することもあるだろう。

 

 世界を塗り替える異界の法、それすらも提督達の専売特許ではないと突きつける正真正銘の化け物であり、陸上覇種の『人型』もどきすらも一蹴する最悪の敵。

 

 頽廃と厭世、狂気と残虐が同居する気配を振りまきながら、その外見だけは見目麗しい美女と言えなくはなかった。

 蟲惑を通り越して戦慄を感じさせる肉付きの肢体をシルエットがはっきり分かる薄布で締め、振り乱す長髪は凶悪なまでの凄絶な色気を放っている。

 

『■■■■■■■■■■■。■■■■■■(殺戮ニモハヤ興味ハ無イ。去ラバ追ワヌ)』

 

 そして、老婆の様に悟り切った声色は、少女の様に鈴を鳴らすような声音で紡がれる。

 その内容もまた、深海棲艦の本能を逸脱するふざけた内容だった。

 

 存在全てが圧巻。

 その場に存在しているだけで天候すら四季を固定する能力を持つ凍土の女王。

 一度それに最接近すればしんしんと舞い降りる雪はあらゆる音を掻き消し、波のうねりすら静寂の中で行われる。

 まっとうな神経をしていれば発狂してしまいそうな無音の中で、その怪物の声は聞く者によっては女神の福音の如く響くのかもしれない。

 

 音を掻き消す雪――――『彼女』にとって人間を殺戮せよと響く雑音(ノイズ)は、それを遮るもう一つの世界で周囲を覆うほどに煩わしいものであったのか。

 そしてその世界をかき乱すなら、氷雪に埋もれて酷冷の海に沈んで行けという殺意が空間そのものから感じ取れた。

 

 

 そんな、あの混沌種に勝るとも劣らない桁違いの相手を前にして彼らは思った。

 

 

 

 どうでもいい。

 

 

 

「夕立。―――潰せ」

 

「 廃 棄 ( ぽ い ) っ ♪ 」

 

 

 

 汚物の美しさ?

 汚物の奏でる音?

 汚物の秘める性能?

 汚物の醸し出す気配?

 

 汚物は汚物だろう。

 そんなものを鑑賞する為にこのクソ寒い中遥々航海などする訳があるか。

 

 というよりも。

 そもそも今の伊吹春也は………汚物(ヒトゴロシ)の容姿を人間の造形だと、口から漏れる音を人間の言葉だと認識できない。

 一見、そして当人の自覚としてはまともだと考えているが、羽黒の死の結果それくらいにキレてしまってもう接ぎ直すことも出来ない。

 夕立にもそんな主に対する敵の言葉をわざわざ通訳してやらなければならない義理も無い。

 

 ただ黒いもの。煩いもの。汚いもの。吐き気のするもの。

 今の彼にとって敵とはその程度の記号である。

 

――――他の奴らの手に負えないゴミがあるらしいので、片付けに来た。

 

 表層だけで見れば“その程度”の理由で、空気の振動の停止した致命の結界に耐えるどころか悠々と声すら発してみせることで、強大な化物の見逃してやる旨の言葉を完全に無視し。

 そして夕立が無造作に右腕に出現させた単装砲を発射するのを、麗しき異形は開戦の号砲と認識した。

 

 普通の艦娘や深海棲艦からすればそれは神速の抜き撃ちだったが、所詮は駆逐艦の砲撃。

 音速すら超えられぬ程度で、そう簡単に自らのレベルに当たる訳がない。

 

 自らの異能である『凍止』が碌に機能しない相手である以上警戒はしているが、彼女はこの攻撃を小手調べ程度のものと認識し、脳天目掛けて飛来する砲弾を最小限の首を傾ける動きのみで躱そうとした。

 

 

 そんな『姫』の脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 

 

『■■ッ!?』

 

 流石に不意を突かれるも、何が起こるか分からない提督との異能戦という認識から咄嗟に身を捻り、更なる回避運動を行おうとする。

 

 この程度が手品なら、ぬる過ぎると――――、

 

 

 そんな『姫』の脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 そんな『姫』の脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 そんな『姫』の脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 

 

――――それ以降は、ただでさえ常軌を逸するほどに鋭い感覚が臨死の境地が引き延ばされ、それでもなお覚えた驚愕を面に出す暇も無かった。

 

 

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 

 

 

 脳天目掛けて、砲弾が空中にて倍の速度で反射する。

 

 

 

「―――夕立、何回“跳ね”た?」

 

「ぽいっ。えーと、ひの、ふの、………12回」

 

「4096倍か。せめて5ケタは安定して出せるようになろうな」

 

「うぅ~~、頑張るっぽい!」

 

 

 童子の戯れ、石で水面を切った回数を問うような気軽さで、春也は従僕の叩き出した砲火の威力を推し量る。

 脳天どころか並の深海棲艦数千を束ねたよりも頑健である筈の『姫』の上半身だけをそっくり吹き飛ばし、置き去られた間抜けな衝撃波が凍った海を荒れ狂わせ下半身を呑み込ませる、そんな光景には特にコメントすることも無かったから。

 

「…………羽黒の分まで、提督さんの敵は全部やっつけるっぽい」

 

 夕立からしても、いつか見た鎮守府最強と同じ位階に達した羽黒の存在を吸収した自分が“この程度”、なんて満足できる訳がない。

 まして、自らの主もまた“こんな程度”で止まる器ではないのだから。

 

 夕立の内心を兆すように、元凶の滅殺をもって空を閉ざした雪雲が退いていき、僅かに陽光が射し込む。

 その頃には激しく揺れる波も落ち着いたが、解放された莫大な練度を蓄積し強化されていく感覚の中で主がふと小さく笑うのを感じた。

 あれ以来暗い表情が多く精神の均衡も危うかった春也の笑みに少しだけ安堵を覚えながら、夕立はその理由を問う。

 

「提督さん、どうかしたっぽい?」

 

「いや、まあ。……現実にこのセリフを言う機会があるとは思ってなくてな」

 

「ぽい?あ、提督さん、気付いてるっぽい?」

 

 気付いたのは『姫』を倒してからだが、何者かの自分達に向けられた視線の存在を感じる―――見られている。

 それを色々省略して暗に伝えると、このやり取りもだな、と何故か苦笑が深くなった。

 

 そして、海面を改めて踏み直した春也は少しだけ恥ずかしそうにしながら声を張った。

 

 

「出てこいよ!いるんだろ」

 

 

「厨二乙――――なんてね。それともあなたにはもっと別の挨拶の方がいいかな、異邦人?」

 

 

 それに応えたのは、夕立ではなかった。

 目を離した訳でもないのに、本当にふと気付けばというさり気なさで一人の少女が春也の眼前に立っている。

 

 そう、海面に立っている―――艦娘か提督ということだ。

 そして夕立よりも僅かに幼いながら繊細に整った美貌、青い瞳に銀の長髪、電と同じセーラー服に黒い帽子とくればその判別に困る訳もない、一部例外を除くが。

 その一部例外のこともあり、いつぞやと同じように春也は誰何(すいか)した。

 

「ついでだ、これも言っとくか。

 お前、一体何者だ?」

 

 対して、少女は目を細めて首を僅かに振る。

 

「それは多分あなたの方が知っているよ。

 ただ私も、お約束のセリフを返す必要はありそうだ」

 

 そして、立ち姿を修正する。

 艦娘の艤装を展開し、僅かに重心を後ろに傾けながら横目気味にこちらを見る………酷く既視感を覚える。

 

 

「なっ……!?」

 

 

「響だよ。

 その活躍ぶりから、不死鳥の通り名もあるよ」

 

 

 別にこの世界じゃそんな通り名は無いけどね。

 

 僅か数秒保たずに前言を翻しながらも、くすりと笑うその艦娘は。

 春也の知る電の姉妹艦である艦娘・響(ひびき)の着任の挨拶を、明らかに意図していた。

 

 

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※出オチ姫(深海棲艦)

 もう敢えてどのボスキャラかは言わない、というか言えない扱いになってしまった敵ユニット。

 化物に変えられ、暴虐を撒き散らせと囁く本能が――――ひたすらに煩わしかった、幸か不幸か素質を持っていた元人間がそれを抑え込む為に音というか全ての振動を停止させる異能を開花させた深海棲艦。
 別段正義に目覚めたとか化物になってしまった悲哀とかではなく、単純に自分の行動を勝手に制御する衝動が忌々しかっただけの模様。

 勿論その間に何人もの人間を殺してきたし、深海棲艦からも裏切り者扱いされて狙われ………と、こいつ主人公でダークヒーローもの書いてもいけそうな経歴は辿っていたのだが、厨犬改二に一撃で吹っ飛ばされてしまう。
 詠唱?あったけどする暇なかったよ!
 一応ある程度の実力を持っていなければ近付くだけで心臓の動きも止められてしまうし、作者の精神を削りながら † 詠 唱 † すればザ見えるさんの炎と完全に相殺して張り合えるくらいの冷凍空間を展開できるという設定があったとかなかったとか―――やっぱりなかったとか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

創世



【悲報】この作品、原作表示を間違えていた模様




 

 

 

 まず感じたのは『既知』――――。

 

 この景色を見た覚えがある。この匂いは嗅いだことがある。

 明らかに初めて経験する出来事である筈なのに、記憶がそれを知っていると囁く。

 

 デジャ・ビュと呼ばれるものに、聞き覚えはあるだろう。

 

 その原理の説明などはこの際置いておく。

 何せ、この場合そんなものは露ほどにも役に立たないのだから。

 

 さて、ある内向的な少年が現代日本に住んでいた。

 友と呼べる者もさしておらず、学業に熱意を注ぐでもなく、趣味と呼べるものはと言えば親の買い与えたパソコンでネットを漁るくらいのもの。

 それがある日、とあるブラウザゲームを始めた。

 

 転も破も無い、発展しようもない成り行きだった。

 そのゲームに少年が熱中し、イラストレーターの描いた電子画像にヒロインという記号を張り付け、そして恋をしたのだってまあそこそこに聞く話だ。

 

 だが、特異な点があるとすればただ一つ――――その少年が天性とは言えないが、飛び抜け過ぎたある才能を有していたことだった。

 “原理の説明などはこの際置いておく”が、少年と同様の才能を持つ伊吹春也もかつて育ったその同一世界において、そういった者達に影響するある特色があったのだから。

 

 既知。

 

 お気に入りの娘が敵の化物を倒した時、感覚の無くなった時刻を教えてくれた時、困難を乗り越えて新たな海へ辿り着いた時、指示の誤りによって悲痛な嘆きを漏らしながら消滅した時、そして、至高と思えるただ一人のヒロインに出会えた時。

 少年は現実に己がそこに居て体感したかが如く感情を震わせ、なおかつその一方で。

 それら全てに彼は『これはかつて己が体感したことである』という認識を抱いていた。

 

 だから、それはやがて彼の結論になる。

 

 

“これはかつて己が体感したことである”。

 

 

 このゲームはただの虚構なんかじゃない、この魅力に溢れた世界はどこかにある。

 自分はそこでヒロインと結ばれ、そして戦いの歴史を刻んでいた。

 今すぐにでも行きたい、否、戻りたい、旅立ちたい、どこにあるのだ理想郷!!

 

 

…………忽ち少年の中で確信になってしまった認識を、果たして現実と妄想を混同した愚かな白痴と笑うべきだろうか。

 

 

 そうは思わない存在がいた、だから少年はある日突然愛する現実(ゲームのモニターの前)から弾き飛ばされ、世界の壁を超えて不信の邪性が蔓延るある地獄へと漂着する。

 そこで春也と同じように、人々を虐殺する異形を見て………彼は悦んだ。

 

 深海棲艦(バケモノ)がいる。ならばここには艦娘(ヒロイン)がいるに“違いない”―――――!!

 

 その認識は、少年の圧倒的な才能と何よりも強い妄信を『祈り』へと変えた。

 

 斯くして法則は流れ出る。

 旧き世界の終わりであり、一つの始まりだった。

 

 

 

 

 

…………。

 

「――――ッッ!!?」

 

 断片的な映像と、何故か繋がる物語。

 そんな奇妙な夢から我を取り戻し、伊吹春也は跳ね起きる。

 

 白いシーツを捲りあがらせ、ベッドから飛び降り、一定のリズムで揺れる船室の床に立ち尽くす。

 どれも荒れ果てた終末世界に有り得ない筈のモノで、しかし確かに夢から覚めたことに安堵する不思議な心境。

 

「ぽぃ……」

 

 眠りが深いのか、春也が先程まで意識を沈めていた寝床にすっぽりと収まっている夕立が、春也の動転にも拘わらずすやすやと安らかに寝顔を曝していた。

 それを見て平静を取り戻した春也が、毒づくようにして疑問を吐きだした。

 

「なんなんだ一体……」

 

 

「―――最も新しい創世神話、かな」

 

 

「ッ!?」

 

 部屋の出入り口は軋みの大きそうな木製のドアのみ、あとは白塗りの壁と丸い子窓くらいの密室で、やはり突然現れた少女がそれに答える。

 気付かない筈が無い気配が急に生まれる感覚にどうしてもペースを乱されながら、春也は海上でもこうして現れた響の前で急に意識を失ったことを思い出した。

 

 ここはどこだ。俺たちに何をした。一体何が目的だ。

 

 当然に湧いて出る春也の更なる疑問が分からない筈はないのに、落ち着いた、しかしどこかからかうような声で自分の言いたいことを話し続ける。

 

「その少年はどこまでも純粋だった。夢見た世界が実在すると確信し、いつかそこに辿り着くのだとごく自然に信じていた。

 悲しいかな、あるいは滑稽かな世界の仕組みは、そういう人の最も真摯な祈りを受け止めるように出来ている。

 だからこそ――――この世界は、少年が望んだ世界に姿を変えた」

 

「わけが分かんねえよ。話が抽象的過ぎるわ」

 

「抽象的?まさか。至って現実の仕組みの話だよ?

 伊吹春也、あなたが夕立を通して常にやっていることだし、私もこうして『駆逐艦・響』でいる為に私の提督の祈りを受けていなければならない」

 

 具現化した渇望による、世界法則の塗り替え。

 

「………ッ!?」

 

 

 嘯いた響の言葉に、何故か背筋に寒いものが走った。

 そして対照的にその長い銀髪をくるくる弄びながら、至極軽い様子で話す響。

 

「たとえばあなたの場合。命が奪われるのが憎いから、許せないから、殺傷行為が全て“倍”害報復という形で跳ねかえる……そんな法則で満たされた世界を“創造”する。

 法則の内容については勿論人によって千差万別。

 あるいは実力不足で部分的に“形成”する、更に実力不足で外装を“活動”することしか出来ないにしても。

――――艦娘の根幹機能としてその原理はたった一つ、提督の祈りを汲み上げているということ、ただそれのみ」

 

 極論、艦娘というものは媒介でしかないのだ。

 世界というキャンバスに、異常な渇望を抱く狂人達が好き勝手な絵を塗りたくる為の絵筆。

 

 だが、世界というものは意外と狭く脆い。

 法則を塗り替えることによる“副産物に過ぎない”異能に一喜一憂するようなせせこましい者達が染みを作る程度なら、深い影響がある訳ではない……が。

 

「もし、その“創造”した世界が途轍もなく大きな代物だったら?

 世界全てよりも重くて深い、そんな規模の祈りが、一切合財塗り潰して元あった姿を全くの別物へと変えてしまったら?

 

――――ごく個人的な狂気である筈の異界法則が、万物普遍の“常識”になり果てるんだ」

 

 世界の枠に収まらなくなり、“流出”した理が全てを異界に変えてしまう。

 

 

「つまり根暗を拗らせたコミュ障が人間が化物に変わる世界を作ったり、ゲーム脳を拗らせたヒキオタがそれを更にゲームの世界観に落とし込んだりすることになる」

 

 

「………いきなりぶった切るな。そんなに軽い話かよそれ」

 

「軽いよ?たとえ艦娘という便利な媒介がなくたってふとした拍子にそんな簡単に崩壊するくらいには、人一人の意思に負けるくらいには、意思を持たない世界なんてその程度の軽さしかない」

 

 だからこの世界は、こんなにも無残な異界と成り果ててしまった。

 

 

 異界の名は、艦隊これくしょん。

 

 

 だって、そうあれかしと願われてたった一人の渇望の法則に支配された箱庭であるのだから。

 “ここが艦隊これくしょんの世界でない訳が無い”。

 

「………っ」

 

 信じたくはない、と春也の心が拒絶する。

 話がぶっ飛び過ぎて現実的じゃない、と春也の理性が否定する。

 

 だが、魂の部分で響の話が真実だと理解してしまった。

 

「…………待てよ。艦娘はこの世界じゃ何十年も前から居るんだろ?

 俺のいた世界の数年前に始まったゲームを知る人間がそれを生んだってのはおかしい話じゃないか。計算が合わないだろ!」

 

「世界を移動するなんて経験をしておきながら何を言うのやら。

 二つの世界の時間が全く同じ向きに、同じ速さで流れているとでも?

―――なんならいいことを教えてあげる。今やこの世界の“神”となったあなたの同輩は、あなたから見て未来から来た人間だよ?」

 

 呆れたような口調で反駁が切り捨てられられるのは、それがいくら論理的に正しく見えても苦しい逃げ道でしかないからというのは自覚している。

 

 春也自身が、この世界に移動した時点から理解しているのだから。

 

 そもそも、全く異なる世界に移動してしまったことも。

 艦娘と呼ばれる少女がいて、自分が提督になって―――“その程度”でもここが『艦隊これくしょん』の世界だと信じて疑わなかったことも。

 

 元いた世界で常に感じていた既知感が消失した、常に全くの未知の世界という感覚に疑問すら湧かなかった理由も。

 知識は今この瞬間までなくても、果たしてここがどんな世界になっているのか、どこかで分かっていたということだ。

 

 

 

「ようこそ、『艦隊これくしょん』の世界へ」

 

 

 

 響の字面だけは歓迎の言葉を趣味が悪い、と皮肉ることはできなかった。

 

 軽過ぎる。

 世界も、人の命も。

 春也が至高の価値と信ずるそれは、ただ一人の精神異常者に弄ばれてしまうものでしかないのかと。

 

 無常、無情。

 世界の在り方などという途轍もなくスケールの大きい現実を突きつけられ、春也は―――、

 

 

「流石、『人生は輝いているからこれが何万回目だろうとその価値が褪せることなんかない』と、永劫回帰の世界を苦痛とすら思わずに過ごしていた人間だ。

 “どうして、笑っているのかな”?」

 

「――――え?」

 

 響に指摘されて、自分の口元が歪んでいたことに気が付いた。

 無意識に湧き上がったその希望という感情にも。

 

 そんな内心の流れすら読んだかのように、銀髪の少女は微笑む。

 

「うん、やはりあなたにこの世界の真実を教えて良かった」

 

「……本当に、何なんだお前は?何故こんなことを知っていて、そして何故俺にそれを伝えた?」

 

「私の存在に大した意味は無いよ。元は妄想から生まれた存在だし、折角こうしてカタチを持っていても提督が提督だから、空想の中を漂っているのと大差が無い」

 

 何せ自分の提督の渇望が“ただ寝たいだけ、眠っている時間こそが至福なのになんで起きないといけないんだろう、いや実はそんな必要はないに違いない”、だ。

 繋がって以来言葉を交わしたこともない主はずっと邯鄲(ユメ)の中。

 そこからどういう理屈になるのかは面倒で語る気も起きないが、こうしてゆりかごとして一つの艦を作って延々と海を彷徨うくらいには便利な色々と応用が利く能力にはなるし、人間の集合無意識とやらにアクセスして様々な知識も手に入る。

 

 けれど、持ち主が何一つ意思表示をしないため、ただその惰眠を妨害しない為の警邏番にしかなり得ないのが響という艦娘だと言う。

 

「お前の提督もこの船のどこかに居るってことか?」

 

「見てくる?見ても呆れる以外の感情は出てこないと思うけど」

 

「いや、いい。それで?お前の目的は?」

 

 春也がそう問いを重ねると、波の揺れが少しだけ強くなったように感じた。

 それに釣られるように、すっと距離を詰めた響が上目遣いにそれを告げた。

 

「実は私、“世界の終わり<サービス終了>まで深海棲艦とずっと殺し合いを続ける世界”なんて真っ平御免なんだ」

 

「いきなり艦娘が艦これ全否定か、おい」

 

 

「それにひきかえ、“絶対に生命が害されることがない世界”。

 うん、実にすばらしいと思う。

 

 そうだよね、伊吹春也?」

 

 

「―――ッ!!?」

 

 

 輝くような透き通る蒼眼が、春也を捉える。

 同意を求めるようでありながら、否定されることなどあり得ないという確信を秘めた強い眼光だった。

 

 響は伊吹春也の祈りを知っている。

 人が殺されること、それに対する絶対の拒絶感を知っている。

 

 極まった人間の渇望が世界を塗り替えるなら――――春也の手で深海棲艦を世界中から全て消し去ることも出来ると、そういう考えが浮かんだことも、おそらく知っている。

 

 

 その希望を肯定するような囁きは、何故か悪魔の契約のように感じられた。

 

 

 

「ねえ、ちょっと世界を壊してみてくれないかな?」

 

 

 

 新たな神話を始める為に神殺しを唆す―――それは確かに悪魔の所業なのかもしれない。

 

 

 





☆設定紹介☆

※水銀の蛇(コズミック変態)

 ご存じ神座世界の第四天。
 春也やとある少年、そしてとある練炭や黒円卓が属していた永劫回帰の世界、その理の支配者。

 女神と奉じたある少女による至高の結末以外を認めないと何度も何度も世界を巻き戻してループしている。
 ループの弊害は水銀自身や一部の才能ある者に既知感という形で表れ、どんな喜びや幸せも以前体感したことであると新鮮さがなく白けてしまうようになるし、どんな絶望や悲嘆も初めてのものではない、所詮運命で決まっていた予定調和だと思わされてしまうある種の牢獄になっている。

 ループの自覚が全く無い有象無象の凡俗にとっては自由放任でそれなりに暮らしやすい世界ではあるのかも知れない。
 まあ、既知の呪いがあっても「人生って素晴らしい!」「艦これサイコー!」で全く苦痛と思っていないバカもいる訳だが。

 世界の支配者として至高の結末を汚しかねないイレギュラーの芽を摘む作業も行っており、これによってバカ二名が追放されてある異世界に別々の時間に漂着した。
 そのおかげで漂着先の世界が現状人類滅亡を逃れてはいるんだが、うーん………。
 ちなみにこの作業を怠った場合、『オタ提督による艦娘総進撃』VS『黄金の獣の修羅総軍』というテラシュールな怒りの日になったり、金髪巨乳の女神をオリ主がゴミ認定して滅殺しにかかるという非難囂々の展開になったりしていた模様。

 この作品で異世界の筈なのに異能の発展レベルが水銀製準拠の活動→形成→創造→流出になっていたのも、つまりはこいつと無関係ではないから。
 決してただでさえ変な設定でパンクしそうなのに無理やり別の造語に置き換えるのが面倒だったからなんてことはない。ないったらない。



…………で、設定紹介が一つじゃ足りないくらい今回一気に色々明かしちゃったけど、読者の皆さん、どこまで予想してました?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本心


転勤、年度末、引っ越し……。

どうも忙しい部署になりそうで、これまで心がけてた月二回どころかかなり不定期の更新になるかもです。

それはさておき今回も色々な意味で暴露回。




 

「ーーー断る」

 

 回答に要した時間は、そう長くなかった。

 

「どうして、と訊ねていいかな?」

 

 にべもなく切り捨てられた響は目を瞬かせたが、物静かな表情は変わらなかった。

 鏡の様に澄んだ瞳と裏腹に、その内心を読むことは難しい。

 だがその内心がどうであろうと、春也もまた自分の答えがそうそう変わることはないだろうと思っていた。

 

「質問で返すぞ。ーーーーなんで俺がそんなことすると思うんだ?」

 

 響が春也に要求したのは、つまりは彼の祈りによって世界全てを支配し、その渇望が偏く反映された世界。

 つまりは『誰も理不尽に殺されることが無い世界』。

 戦争はおろか通り魔も強盗も、交通事故すら存在しないという平和そのものの理で満ちた理想郷。

 

 少なくとも現状の地獄に比べれば天と地ほどに住みやすい世界にはなるだろう。

 裏を読みたくなるくらいに、甘い都合のいい話である。

 

 が。

 

 春也にとって引っ掛かるのは、それともまた別の話。

 

 

「世界全てを塗り替える渇望か。

 で、塗り替えられた側はどうなる?」

 

 

 壮大な話ではあるのだが、要は陣取り合戦だと思えば分かりやすいだろう。

 盤面を全て白に塗り替えられた黒がその後どうなるか。

 

「敗者も含めて万事大団円、めでたしめでたしの結末が迎えられると思えるほど頭お花畑じゃないんだが?」

 

「なら誰も犠牲にならない、でも深海棲艦は居なくなる、もっといい選択肢があるとでも?

 そちらの方がお花畑だと思うけどね」

 

 他でもない自分が人殺しの片棒なんか担ぐものか、と怒りすら滲ませる春也にしれっと響は切り返す。

 機先を制され吐息を呑み込み、それでも静かに言い募った。

 

「別に俺は命の選別にまでどうこう言うつもりはねーよ。

 深海棲艦に襲われてる十人から一人だけ助けて他九人を見殺しにした奴がいたとして、そいつは人命救助のヒーローなことには違いない」

 

「………」

 

「だが、だからって。俺がその立場になりたいなんて思わない。

 俺が深海棲艦を全滅させたいのは、純粋に人殺しのゴミ共の存在そのものが不愉快だからだ。

 正義感でも責任感でもない、自己満足だ」

 

 だから、たとえそれで何万という命を救えるとしても、誰かを切り捨てて命の責任なんてものを負うのは真っ平御免だ。

 神だの法則だのと抽象的な言葉を並べたところで、そこにあるのはただ一つの命でしかない。

 

「他を当たってくれ」

 

「………そうか」

 

 結局最後まで響の泰然とした表情は変わらなかった。

 

 だが、ふと春也は見た目幼女に強い口調で演説してしまった自分に思い当たる。

 

……実態はともかく、物静かな響相手だと電に対するのとは違って妙な気まずさが湧いて来た。

 

「ちょっと外の空気吸ってくる。甲板には出られるんだろ?」

 

「出て廊下を左。暫く行けば階段だよ」

 

「ありがとよ」

 

 先程までとても寒い思いはしていたが、元凶がなくなっている以上それも収まっているだろうし、今は気分を一度入れ換えたい。

 波を伝える床を苦もなく歩きながら、春也はその船室を後にした。

 

 そして、未だベッドで横たわる夕立に響は声を掛ける。

 

 

「まあ、いいよ。どうせあらゆる状況が彼を定められた一本道の果てに押し流す。

 そうだろう、夕立?」

 

 

「提督さんはなんで自分が提督になったか、気付かないふりしてるっぽい」

 

 

 とうに目覚めていた彼女は、ぱちりと目を開けて響に返答を返した。

 命が奪われていくことが許せない性質だから、何の力を持たない時でさえ夕立を助けようとし、その結果提督になっているのだという事実を指摘して。

 

 彼女が狸寝入りしていたことは春也は当然気付いていたが、口を挟むつもりは無いという夕立の意思表示だと触れないでいた。

 

ーーーだが、いかに主であろうと、何故口を挟まないことにしたのかという思考までは読めない。

 

「それで、夕立の方はどうなのかな。

 彼が覇道の主になることに、反対?」

 

「まさか」

 

 即答。

 ある意味で、敬愛する春也の言葉を蔑ろにしながら、その可憐な声には何の後ろめたさも無い。

 

「そうだよね。だって、『艦娘』だからね?」

 

「……それは、関係ないっぽい」

 

「じゃあ何故?」

 

 

 

「だって今のままじゃ提督さん、夕立のことちゃんと愛してくれないっぽい」

 

 

 

 電あたりに聞かせれば鼻で笑われそうな台詞を、夕立は至極真剣に放っていた。

 

 確かに普段から夕立は嫁と言いながら春也は彼女を可愛がっている。

 逢い引きもしている、接吻だって何度も交わした、もしもの時は互いに最期を共にする覚悟すら出来ている。

 

 それでも、と夕立は思うのだ。

 伊吹春也が最も重きを置いているのは命の価値。

 そしてそれは命ある限り全てのものを平等視しているとも言える……夕立も含めて。

 

 愛とは平等の対極にある概念というのが夕立の持論だ。

 全てを愛しているなどというのは誰も愛していないのも同然の戯言。

 愛しているならその絶対だけを求め、狂わんばかりに相手の歓心を惹くのが唯一解。

 

 夕立の属性は『侵略を砕く者』。

 線の内側に対してはどこまでも蕩けるような甘さを、外側には拒絶と非寛容を。

 刷り込みで動く人形だった羽黒だから辛うじて入れたというのが奇跡だっただけ、愛する相手にとって自分と他人が同じ境界線に括られるのは深刻に我慢がならない。

 

 夕立は春也のことしか考えてないのに、今のままでは彼の中で“平等”にしかなれない、だから。

 

 

「全部の“平等”から提督さんと夕立は逸脱する。

ーーー“特別”になった二人きりの世界で、あらゆる殺意(ドロボウネコ)が消えた世界で、本当の意味で提督さんと愛し合うのっ」

 

 

 だから夕立は歓喜する。

 このまま行けば、その望みが叶う時はそう遠くない。

 命は尊くとも、それら全ては自分が作った箱庭の中の家畜でしかなく、例外は春也自身と夕立のみーーーそうなれば春也は夕立だけに“ほんとうのあい”を向けてくれる、そんな未来図。

 

 それを朧気に想像しただけで、夕立は全身に火照りを感じた。

 

 衝動的にぱたぱたと脚を振りながら右に左に寝返りを打つ、その動作だけなら微笑ましい恋する乙女。

 だが、スカートが捲れて太ももの付け根あたりまで肌の覗く脚が、はだけたシーツを抱く腕が、潤んだ紅眼が。

 

 その幼さを差し引いても男に生唾を呑ませる扇情的な艶姿を晒しながら陶酔する。

 

 

「あはっ……本当に楽しみ、っぽい」

 

 

 そんなはしたない姿の夕立を横目に見ながら、響はやっと少しだけ顔を綻ばせた。

 

 

「うん、期待している」

 

 

 神の自壊衝動たる、艦娘としての本能のままに。

 

 

 

 

 

 





☆設定紹介☆

※響(艦娘)

 属性は『時を俯瞰する者』、表性は『不動・情動の超越』、対性は『冷淡・無関心』。
 その提督の渇望は生理的なものを完全に凌駕した睡眠欲求であり、永年惰眠を貪り続ける怠惰な主をそれでも二人きりの幽霊船であやし続けている。

 いかなる理屈が紛れ込んだのか、共鳴した渇望は集合無意識へのアクセスを可能にした。
 意志が現実を侵食するこの世界において彼女は人がイメージ出来る限りの万物を具現化可能であり、また現在過去のみならず可能性という形だが未来までも、人の観測し得る万象を知ることができる。

 だが、出力をはじめとして器の限界は歴然と存在し、所詮浮世は夢幻、その邯鄲〈ユメ〉を操る以上でも以下でもない、というのが響自身の言である、
 それでも現段階の春也と夕立では逆立ちしても叶わない相手だが……眠りたいという内向きの願いでは如何に強大でも世界全てを塗り替えるまでの理の広がりなどあり得ない為に、より平和な眠りの為の現法則の打倒は他力本願で託すしかない模様。

 それを春也に唆す理由は、己の提督の為だけという訳でもなさそうだが……?



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。